もしも将棋が指せなくなったら (にゃんころがし)
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永世竜王

【永世ロリ王】九頭竜八一の棋界制覇を祈って鶴を折るスレ236【レーティング1位】

『史上四人目の中学生棋士にして史上最年少タイトル保持者、十六歳四か月という史上最速で棋界の頂点に立ち、史上最年少防衛も果たし、史上最年少で永世称号を手に入れた九頭竜八一について語ろう』

『竜王tueeee!』

『これは、しばらく奪取されんやろ』

『永世ロリ王と併せて永世二冠やろなぁ……』

『順位戦B級2組、7戦6勝1敗。これは一期抜けですわ』

『もうすぐ棋帝も取って九頭竜3冠時代かぁ』

『おい、お前……』

『それはアカンやろ』

『だが、今の名人がロリ王から棋帝防衛するのはちょっと……』

『今月のレーティング

九頭竜八一1943

於鬼頭曜1883

神鍋歩夢1840

椚創多1822

生石充1805

~~~~

~~~~

名人1675』

『退院してから11連敗だもんな。明らかな格下にも負けてるし』

『この前も生石に凹されてたな。生石が飛車引いた時は痺れたね』

『それ。飛車切る価値もないって事か』

『研究が遅れてんのか?』

脳溢血(のういっけつ)で入院らしいじゃん。。。ここら辺kwsk』

『↑脳溢血かは知らんが、脳関係で緊急搬送されたってのはマジらしい』

『もしかして後遺症か?』

『名人スレでどうぞ』

『同歩』

『力強く同歩』

『まぁ何にせよ、あの二人(・・・・)のどちらかに手を下してもらえるなら悔い無いやろ。ずっとタイトル戦線で戦ってきた相手だしな』

『とうの本人はどう思ってるのかね』

――――――――――――――――――――――――――――

 

 連盟近くの焼き肉屋に、俺は姉弟子と二人で訪れていた。竜王を防衛して一週間が経ち、どうにかこうにか時間を作れたのだ。

 

「何見てるの?」

 

 姉弟子……もとい空銀子四段(・・)は、不機嫌な顔で頬杖を突き、唇を尖らせる。いつものように『また中学生?』とは訊いてこない。

 

 驚いて彼女をみると、姉弟子は心外そうな顔をする。

 

「顔見れば、それくらい分かる。九頭竜永世竜王様」

 

「……何ですか、その嫌味ったらしい言い方」

 

 俺が言うと、姉弟子は机の下で俺の足を蹴る。そして横を向いて面白くなさそうに口を開く。

 

「バカ八一、竜王防衛できて何が不満なのよ。私への当てつけか?」

 

「そ、そんなつもりじゃないですって。姉弟子だって、勝ったじゃないですか」

 

 ――バシバシバシバシ……グリグリ……。

 

「痛っ、何すんだよ」

 

 都合三度の蹴りとグリグリを決められ、思わず抗議する。

 

「私は予選6組で2回勝っただけよ。八一に褒められても嫌味にしか感じない。順位戦だって指し分けだし……」

 

「姉弟子はまだ2期目ですよ。指し分けなら全然良いじゃないですか」

 

 言い終えて姉弟子を見ると、彼女は柄にもなく銀色の髪を指に巻き付けいじっていた。心なしか、少し顔が紅い。

 

「……八一、この後予定は? 私の部屋で、少しVS(ブイエス)しない?」

 

「予定は特にないですけど~、あいに早く帰って来いと言われているので」

 

 そう言うと、姉弟子は信じられないモノでも見るような顔をする。

 

「…………」

 

「いやぁ、あいの奴、連盟でも『えいせーりゅーおー』ってうるさいんですよ。嬉しいけど、みんなの前で恥ずかしいっていうか、就位するのは引退してからですし、姉弟子からも何か言って――――ッ」

 

 恥ずかしくなってアハハと頭を掻いた瞬間、脛に凄まじい衝撃が走る。

 

「頓死しろっ。クズ」

 

 姉弟子は顔を真っ赤にしてブンブンと首を振ったのち、俺が動けない間に支払いを済ませて出て行ってしまう。

 

 ナニコレ、ばちくそ痛いんだけど……。

 

 

 プロ棋士になって5年。20歳になった俺は、竜王5期連続で永世竜王の資格を得た。順位戦はB級2組で、このままいけば来期B級1組に上がることができる。

 

 弟子も順調に成長していて、師匠も姉弟子も、桂香さんもみんな元気だ。何一つ心配する事は無い。…………しかし。

 

 勘定を済ませて外へ出ると、12月の肌寒さがコート越しに肌を刺す。

 

「名人」

 

 俺を変えてくれた人――竜王戦の番勝負で2回争った人――棋界の頂点だった人は、脳溢血で倒れて以来、(いちじる)しく棋力を落としてしまった。

 

 もうすぐ始まる挑戦者決定戦に勝利すれば、俺は『棋帝』の座を賭けて名人と戦うことになる。

 

「はぁ……帰るか」

 

 あいにメッセージを送って帰宅を告げる。既読が直後に付いて、愛弟子は可愛らしいスタンプを貼り付ける。

 

 首を振ってさっきまで考えていたことを忘れて帰路につく。

 

 空は雲に覆われ、月も星も見えなかった。




姉弟子呼びは直そうかと思ったのですが……まぁね。
毎週更新くらいのペースで上げていくつもりです。


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女流玉将

 焼肉屋から帰った俺が扉を開けると、部屋の真ん中にちょこんと座る弟子の姿が飛び込んでくる。

 

 雛鶴あい女流玉将は、俺が帰ったことにも気付かず、将棋盤と向き合い小刻みに頭を振っていた。

 

「……こう、こう、こう……うん! こうこうこうこうこうこうこうこうこう……よしっ!」

 

 盤上没我している弟子に声をかけるか迷っていたが、どうやら一段落付いたようだったので……。

 

「あい、ただいま」

 

 言った瞬間、あいは勢いよく首を巡らせる。

 

「おかえりなさい、師匠!」

 

 あいはとても嬉しそうにニコニコ笑い、アホ毛もブンブン揺れているが、俺に駆け寄ってこず、盤から離れようとしない。

 

「詰将棋か?」

 

「はい! アマチュアの人にも解きやすいモノをと思って」

 

「そうか、あいは偉いなぁ」

 

 でき上がった詰将棋を見ながら、あいの頭に手を置くと、俺の弟子は目を細めて幸せそうな顔をする。

 

「ししょー、ししょー」

 

 そのまま頭をぐりぐり押し付けてくるあい。俺は頭を撫でたままあいに話しかける。

 

「今度、二冊目が出るんだっけ?」

 

「はい、まだ出版社の方と打ち合わせの段階ですけど!」

 

 女流玉将雛鶴あいは、去年の暮れに詰将棋の本を世に送り出した。『分かるが増える! 詰将棋入門(・・)編! ~雛鶴あい女流玉将監修~』なる本なのだが……。

 

 入門編と名付けられつつ、プロでも考えるようなキリングマシーンだったのである。その難しさから、世間では『聖典』なーんて呼ばれてたり、呼ばれてなかったりする。

 

 猫になったあいは、俺の腕に抱きついてにゃーんと声を出していたが、突然真剣な表情を浮かべて口を開いた。

 

「私、将棋を始めたきっかけは、師匠で。師匠にはとっても感謝してて、でも詰将棋にも同じくらい感謝してるんです」

 

「それはどういうこと?」

 

 訊き返すと、あいは真剣な顔のまま言葉を続ける。

 

「師匠と会う前の私に将棋を教えてくれたのは、詰将棋なんです! 詰将棋が有ったから、将棋をもっと好きになれて、こうして師匠の弟子になれてっ!」

 

「……あい」

 

「私、師匠の将棋を見て将棋を始めた人に、今度は将棋を楽しんでほしいんです! そのために私ができる事は、詰将棋だって思ったんです。もっと沢山の人に将棋を指してほしいんです!」

 

「うぅ……あいっ」

 

 真っすぐで綺麗な弟子の想《おも》いに当てられ、俺の涙腺が決壊する。

 

 なんて良い娘なんだっ、うちの弟子はっ! 

 

 思わずあいを抱きしめると、あいも俺の背中に手を廻してくる。そして……。

 

「師匠……?」

 

「んん、どうした? ……ヒエっ」

 

 あいが俺の胸に埋めていた顔を離すと、そこからハイライトが消えていたのだ。

 

「……かみ……おおかみ……チッ」

 

「あ、あいさん?」

 

 怖い、怖いよ舌打ち。小学生の頃は舌打ちなんてしなかったのに……。

 

「……雌狼の臭いがします」

 

「焼肉のニオイしかしないはず――」

 

「黙ってください。今日一緒にご飯食べた人は、椚創多《くぬぎそうた》七段じゃないんですか? 師匠言ってましたよね? 『創多の竜王戦4組昇級のお祝いだ』って、本当だったら椚七段だって師匠に近付けたくないのに……いえ、そんな事はいいんです。師匠の嘘つき。嘘つき……だらっ」

 

「あい……さん?」

 

「師匠、正座」

 

「はっ、はい」

 

 足を組み替えて、瞬時に正座する。おかしいな、焼き肉屋にいた時より汗かいちゃうよ……アハハ。

 

 あいは正座した俺の正面にちょこんと座り、どんよりした眼で俺を正面から見つめる。

 

「将棋の神様に誓って、しっかり答えてくださいね」

 

 俺が勢い良くうなずくと、あいはゆっくりと言葉を紡ぎだす。

 

「今から師匠にちょっかい出す女性の名前を言っていきます。名前が出たら頷いてくださいね?」

 

「――ッ、――ッ(首を振る音)」

 

夜叉神天衣(やしゃじんあい)

 

「…………」

 

清滝桂香(きよたきけいか)

 

「…………」

 

「シャルロット・イゾアール」

 

「…………」

 

空銀子(そらぎんこ)

 

「…………ビクッ」

 

「…………」

 

「…………」

 

「空銀子」

 

「…………ビクッ」

 

「うぅ……あいが目を離した隙に……あいが目を離した隙にいっ」

 

「あいさん? あい?」

 

 あいの目に光が戻り、今度は一瞬で涙が溜まる。

 

「ししょうのだらっ、だらぶち! なんであいに内緒なんですか? 嘘つくんですか? 師匠のだらけ!」

 

「ごめん。悪気は無かったんだ」

 

 手を合わせて謝ると、あいは腕組をして横を向き、唇を尖らせる。

 

「どーだか。ばっかいならんなぁ」

 

 あいは金沢弁? でまくし立て、携帯でどこかに電話をかけ始めた。

 

『もしもし、雛鶴です。今ってぇ~お電話大丈夫ですか~?』

 

『はい、先ほど本人から。今日はうちの八……がご迷惑をお掛けしたみたいで…………えぇ、えぇ。お一人(・・・)だと、何かと苦労なされることも多いでしょうし……はい、はい。よろしくお願いします!』

 

 あいが電話を切り、むふーと息を吐く。『うちの八一』と言っていた気がするが……流石に気のせいだと信じたい。

 

「あい、どこに電話を?」

 

「もちろん叔母さんです。今度、叔母さんがいらっしゃる一人暮らし(・・・・・)のお部屋に、何か送って差し上げましょう」

 

 あいがニコニコ笑いながら、両手を合わせて可愛く首を傾げる。

 

「師匠、あいと将棋を指してください!」

 

「あぁ、望むところだ」

 

 あいと将棋盤を挟んで向かい合う。一日を締めくくる弟子との将棋《ジカン》だ。

 

 

 同時刻、難波の白雪姫が怒りのあまり携帯を壁に投げつけた事は誰も知らない。



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清滝鋼介

 次の日、俺は将棋会館の棋士室を訪れていた。棋士室の敷居をまたぐと、何人かがこちらを見る。

 

 その内の一人が、真っ白な腕を振って俺を迎えてくれた。

 

「八一さん♡ こっちです!」

 

 俺を呼んでいるのは椚創多(くぬぎそうた)七段。初の小学生棋士であり、プロ入り3年目にして順位戦では俺と同じ順位戦B級2組。竜王戦でも3年連続昇級という規格外の中学2年生である。

 

 奨励会員時代だった頃と比べ、プロ入りしてからは親も彼の活動にあれこれ言わなくなったらしく、奨励会員時代よりも練習を積んでいるらしい……怖い。

 

 そんな創多と盤を挟んでもう一人、モデル級のイケメンが軽く手を挙げて挨拶してくる。

 

「よっ、竜王」

 

鏡洲(かがみす)さん、居たんですね」

 

「なんだ、居ちゃダメなのか?」

 

 鏡洲飛馬(かがみすひうま)五段は、30歳というギリギリでプロ入りを決めた棋士だ。才能が開花するまでに多くの時間を要したが、彼もたったの2期でC級2組を抜けている。

 

「いえ、居ちゃダメなんてそんな事……でも、鏡洲さんは明日大事な対局ですよね?」

 

 俺が言うと、鏡洲さんはいやいやと首を振る。

 

「どの口が言ってんだか……。タイトルの挑決控えた奴に言われてもねぇ」

 

 鏡洲さんが言うと、創多もニコニコと笑みをこぼす。

 

「全勝で挑決進出! 流石八一さん♡」

 

「創多、褒めても何も出ないからな」

 

 そう言って、何の気なしに創多の頭をわしゃわしゃすると、創多は嬉しそうに目を細める。

 

「八一さんも清滝先生の応援ですか?」

 

「うん。創多も応援だろ?」

 

「そうですよ。僕も早く清滝先生と公式戦で指したいなぁ」

 

 創多が棋士室のモニターを見ながら呟く。モニターに映っているのは、俺の師匠である清滝鋼介九段の順位戦だ。

 

 師匠は3年前まで調子を落としていたが、清滝道場という独自の研究会を開いたことを皮切りに、調子をメキメキと上げていき……。

 

 順位戦B級1組(・・・・)8戦5勝3敗が今期の師匠の成績だ。まさか、調子を落とした五十路の棋士が、B級1組にリバイバルするとは、多くの人が予想していなかっただろう。

 

「この局に勝ったら、本当にA級返り咲きの可能性が出てきますからねぇ~」

 

「全くだ。本当に清滝先生は凄い」

 

「僕が頑張って昇級し続けても、清滝先生も昇級し続けちゃうからなぁ」

 

 師匠は本当に調子を上げていて、他のタイトルでも実績を出していた。今年はタイトル挑戦に近いところまで何度も行っている。

 

 俺自身、最近になって師匠に呼ばれてVSをする機会が数回有ったことも有り……先月師匠が順位戦を2連勝したタイミングでこんな記事が大きく載った。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――

 浪速の重鎮、完全復活か?

 

 順位戦も中盤に差し掛かり、昇級・降級の星勘定が始まった今日この頃、関西の重鎮が昇級レースに名乗りを上げている。

 

 清滝鋼介九段。B級1組を第八局時点で5勝3敗としており、昇級の可能性は十分だ。8年前に名人挑戦した清滝は、3年前にC級1組にまで順位を落としたが、その後3年でB級1組にまで昇級し、B級1組でも会心譜を残し続けている。

 

 そんな清滝に話を聞いてみた。

 

「ズバリ、好調の理由は何ですか?」

 

 私が発したストレートな質問を受け、清滝はにんまりと笑みを浮かべる。

 

『やっぱり、若さでしょうな。関西の若者に揉まれ直して、自分まで若返ったんやと思います』

 

「具体的な名前をお訊きしても?」

 

『具体的な名前と言われても、一杯居るとしか言えんのですが……強いて言うなら、椚くん、鏡洲君は大事な研究仲間ですし、八一や銀子にもまだまだ手が掛かってしゃあないですね』

 

「九頭竜竜王ともご研究を?」

 

『家だと思っていつでも来いといってます』

 

 若き新鋭達が棋界を席捲(せっけん)する流れの中、同じく『若い力』を携えた重鎮が、彼の弟子や仲間とともに活躍するのは、至極当たり前のことなのかもしれない。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 師匠の先手番で相居飛車の急戦調。ガッチリ囲う将棋を本分としていた数年前の姿からは想像もつかないような展開の速い将棋だ。

 

 師匠の力が出せる良い形だと俺は感じていた。

 

 盤に顔を向けて検討している鏡洲さんが座り直す。

 

「形成互角、か……」

 

 鏡洲さんの言葉に、創多がうなずく。

 

「そうですね。ソフトの評価値だと清滝先生の微不利ですけど……」

 

「ですけど、何だ?」

 

 創多に問いかけると、彼は中継モニターを見て楽しそうな顔をする。

 

「こういう将棋なら清滝先生の力がでるでしょう」

 

「創多も変わったよなぁ」

 

 創多は清滝道場に参加し始めてから、本当に変わって――――そして強くなった。昔はソフトの評価値絶対主義者だった彼は、師匠の泥臭い将棋に触れて、いつの間にか勝負師になっていた。

 

「八一さん、どうしました?」

 

「いや、どうもしてないよ。あっ、指した」

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 ――パチリ。

 

 軽快な駒音が対局室に響き、わしの桂馬が歩を超えて中段に跳ねる。駒を通して盤の弾力が指先に伝わった。

 

 瞬間、目の前に座る対局相手が顔をしかめる。このタイミングでの桂跳ねは予想外だったのだろう。

 

 対戦相手は関東の34歳。若手とは言えないが、まだまだ指し盛り伸び盛りの棋士だ。10年もすれば、50代のわしなんて、桂馬に飛び越えられる歩のように抜かされてしまうかもしれない。だがっ――――。

 

 相手は自然な応手をしてきた。わしは中盤の(ねじ)り合いを制すべく、必勝の駒音を響かせる。

 

 ――パチンっ。

 

 歩を突き捨て、強引に駒をぶつけていく。眼鏡を外して袖で拭き、再び掛ける。クリアになった盤面には複雑に絡んだ小駒たちが……それと重なるように駒の効きが結ばれて、脳内を凄まじい勢いで動いていく。

 

「ほなっ、胸を借りさせてもらうで」

 

「――――くっ……これは……」

 

 そうや、読め。読んで読んで読んで読んで読みまくればええ。読みを入れるのは若者の特権や。

 

 体力に勝り、読みの力も全盛期の30代。そんなB1棋士に読みの力で勝てるとは思っていない。多少読み筋を外して、自分の舞台に引きずり込まにゃ、息つく暇なくやられてしまう。

 

 そのための桂損速攻。駒損を承知で敵陣をかき乱して勝機を待つ!

 

 対局相手は、脇息に肘をついて深く読みを入れている。わしが指したのは最善主ではないかもしれん。やが、狙いの分かりにくい手や。

 

 ――パチンッ。

 

 強手。若者らしく、思い切りのいい手やな。

 

 こうこうこうこうこう……これを取って、ここに打って……こうして……よし!

 

 ――パチン!

 

 しばらく経った後、わしは敵陣攻略の足掛かりを作りつつあった。取って打っての空中戦。小駒が動くたびに敵陣が少しずつ変わっていく。

 

「あやとり、メンコみたいなモンやな」

 

「……?」

 

 おっさんが子どもの頃は、あやとりやメンコで遊んだもんや。あやとりのような細かく細い攻めを繋げていって……。

 

 おっさんの感覚というのは恐ろしいもので、この年になって何となく(・・・・)良さそうな手っていうのが浮かぶようになってきた。

 

 己の魂に蓄積された棋譜が、経験量がわしに気付きを与える。長年培ってきたわしだけの手順、わしだけの将棋。

 

 若い感覚を手に入れたことでブラッシュアップされた記憶が、わしに輝く一手を見せてくれる。

 

「ほれ、これでどうや?」

 

 わしの一手に、再び相手の指が止まる。顔色を見るに、形勢がわしに傾き始めたと気付いたか。おっさんは顔色を読むのが得意や。最近は娘の顔色ばっかり(うかが)う毎日。

 

 相手は必要以上に形勢を悲観しているようだった。さもありなん。勢いの有る棋士は、有利な局面を見るときが多い。

 

 やから少しの不利でも悲観するし、それが焦りに繋がるときも有る。若い頃のわしがそうやった。おっと……疑問手、チェックやな。

 

 相手が指した疑問手を(とが)め、生じた有利を徐々に広げていく。開いた空間に歩を垂らし……。

 

 ――ハンデはきっちりもろうたで。

 

 ▲2二歩成

 

 苦虫を噛みつぶしたような相手の顔を見て一呼吸。序中盤で有利になったとはいえ、まだまだ油断ならん。

 

 歯を食いしばって再び読みを入れていく。

 

 わしは戦い続ける。この一手一手が、名人への道だと信じて。



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