みりおんらいう゛ (ennashi)
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周防桃子 (上)

 

 

 

 そのひとは鏡のような眼をしていた。

 ――瞳の中に、私の輝きを見た。

 

 

     ※

 

 

 私をどう言い表せばいいのか、という問いが近頃、私の目の前にずぅっと横たわっている。

 ぽつねんとそれを前にして私は立ち止まっているのだった。

 

 周防桃子とは誰だ(・・・・・・・・)

 

 そう聞かれたとして、私自身ではない私の周りのひとはどう答えるのだろう。

 

 “元”スター子役。

 あるいは子役にしては演技が上手い子だとか、○○アワードを受賞した子だとか……まぁ、そういうことを言うんだろう。

 

 でも、それは役者としての“周防桃子”についての話でしかない。

 

 そうだ、要するに――“私”はどういう人間なのか。

 私は私自身が何者なのか、どう形容すればいいのか。

 

 ――未だに分からないでいる。

 

 

 

 

 

「……やっちゃったなぁ」

 

 マネージャーとは駅で別れ、とぼとぼと家路を辿っていた。

 けれど誰もいない家に帰っても憂鬱が募るばかりだと分かっていた私にとって、いつも右折する交差点の左側に伸びる道が、今日ばかりは妙に魅力的に映った。

 

 そうやって当てもなく歩いて、夕刻に辿り着いた海辺の公園。フェンスの向こう側に平らなコンクリートで出来た底を持つ海が見えるベンチに座って、私はぼぅっとオレンジ色の空を眺めていた。

 

 緩やかに流れる影を帯びた雲。

 ささくれ立った私の心とは大違いだった。

 

 私の前の石畳で舗装された道を、ランニングする男性や、犬を散歩しているお婆さんが横切っていく。

 

 私が“周防桃子”だと気付かれないだろうか――そんな風に心配しながら帽子を深くかぶり直そうとして、すぐにやめた。

 私が子役というものの絶頂から滑り落ち始めて、多分一年くらいが経過していた。

 

 ……今の私はもう芸能界の端っこにしがみついているような端役でしかないし、あれから背丈も随分伸びて、長かった髪も切って、服の好みだって結構変わった。

 だから――気付かれる訳がないのだ。

 自意識過剰に気付いて、苦々しい味が口の中いっぱいに広がった。

 

「……」

 

 ――なんてことをしてくれるんだ!

 

「あぁ、もうっ」

 

 先ほどの事を思い出して、無意識に大きな声が出ていた。

 近くにいた野良猫が驚いてにゃあと声を上げて逃げていく。

 

 周りに人がいなくてよかった、という気持ちと、私は何をしているんだろう、という葛藤が心の内側でないまぜになって、言いようのない気持ちが生まれてもやもやとする。

 大きなため息を吐いて、私は背もたれにもたれたままずるずると深く座り込んだ。

 

 ――オーディションを勝ち抜き、久しぶりに貰ったとあるドラマの役。

 その撮影の途中で、アクシデントが起こった。……いいや、私が起こしてしまったのだ。

 

 私が演じるのは仲のいい双子の女の子。だから当然もう一人、私と同じく双子の役を貰った同い年くらいの子が撮影に参加していた。

 

 ……私に、“周防桃子”に問題はなかった。

 あるいは問題がなかった事が問題だったとそう言うべきなんだろうか。

 

 その子の演技は正直言ってお粗末なものだった。棒読み。台詞を飛ばす。監督の言うことに従わない――まるで素人だ。

 けれど問題だらけのその子に周囲は誰も何も言わなかった。鬱陶しそうにする人は何人もいたし、ため息を吐いていたり、苦笑している人を何人も見た。

 それなのに、彼女に直接文句をつける者は誰一人としていなかった。

 

 まったく不思議で、だから私が言ってやったのだ。

 とはいえ別に叱るような強い言葉だったわけじゃ、ない。

 そりゃあ語気は少し強めだったかもしれないけど、もうちょっとここはこうしたら? という程度の、文句やお小言というよりアドバイスに近いようなことを言っただけ。

 

 ……私自身、同じ意味の言葉を同年代の子からもっと口汚く言われたことだってあるような――演技の世界に身を置く上で、一度は受けて当たり前の言葉。

 

 それを聞いたその子がどうしたのかというと、すごく単純だった。

 私の言葉を聞いた途端に――泣いたのだ。

 

 まず頭が真っ白になった。

 どうしてこの子は泣いているんだろう。そんな疑問が頭の中を埋め尽くして、私は周りの人に助けを求めて振り向いて、そこで自分のやらかしに気付いた。

 

 ――突き刺さる大人たちの視線。

 さぁっと、自分の血の気が引いていく音を聞いた。

 

 ……その少女がドラマのスポンサーさんの娘で、無理矢理ねじ込まれた異物だというのは、その少し後にマネージャーから知らされた情報だった。

 

 たまたまスポンサーさんが見学に来ていた、というのも最悪だった。

 娘を泣かせた私に罵詈雑言を浴びせるスポンサーさんの隣で、泣いていたはずの彼女はけろりとした顔で私を指差しながら嗤っていて――。

 

「……、やめよ」

 

 未練の糸を断ち切るように、私は記憶を辿ることをやめる。

 

 ――結局、微妙な雰囲気のまま今日の分の撮影は早めに終了。

 私は苦い思いを抱えたまま現場を後にすることになり、こうして今、ここでツンとする鼻の奥の痛みを必死にこらえている。

 

 ……今にして思えば違和感はあった。

 台本がなんだか不自然だったのだ。そして恐らくそれは、私が演じる子供に双子の妹がいる、という情報自体が後からスポンサーさんの意向で書き加えられたものだったからなんだろう。

 自分の娘にせがまれたのか、あるいはスポンサーさんが自分の娘を出したかったのか――そこまでは分からないけれど。

 

 ……普段の私なら、違和感を覚えた時点で自分で調べるなり、マネージャーや他の誰かに聞くなりして気付いていたと思う。

 

 余裕がなかった。

 だから周りを気にする事を忘れていた。

 言い訳だなぁ、と自嘲する。

 

 ……過ぎたことをうじうじ考えていても仕方がない。

 大事なのはこれからの身の振り方だ。

 下手をすればせっかく手に入れた役を降板させられることすらあり得るかもしれない――とはいえどうすればいいのかも分からない。

 

 そんなことを微妙に地面に届かない足をぱたぱた前後させて考えていたところで、ポケットの中のケータイが震えた。

 確認すれば、監督さんからメッセージが一件届いている。

 

 “スポンサーは明日以降見学に来ることはないから、今回のようなことにはならない。明日からも頑張って撮影に望んで欲しい”――と、文章をざっくりとまとめればそういう事らしい。

 

 ――要するに、お咎めなしということ。

 

「……」

 

 ケータイを膝の上に置いて、日が暮れなずむ空を眺める。

 何だか拍子抜けで。

 そして、ぎゅっと胸が切なくなる。

 

 ――理不尽に振り回されることには慣れている。

 というかそんなのしょっちゅうだった……そう、ずっとずっとそんな感じだった。

 

 だから、分かるから、分かったから――私はけろっとした顔で、明日も撮影に参加出来る。

 あれは仕方がなかった、だから私は大丈夫ですと、いつも通りに笑っていられる。

 

 ……、でも。

 周防桃子はそうあれるのだとしても。

 “私”は。

 

「……行きたくないな」

「どこに?」

「――」

 

 横を見ると、何故か男物のスーツを着ている知らない女性が座っていた。

 や、と私に気さくに会釈したその人の瞳は濁り切ったドブ川のようだった。

 ひっとか細い悲鳴が零れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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周防桃子 (下)

 

 

 

 

 

「行く必要、ある?」

「――」

 

 男物の黒いスーツを着たその女性は、私の事情なんて何にもしらないはずのその人は、けれど私のことを全部見透かしたような態度で、私の顔を覗き込みながらそう言った。

 

 ……その通りだ、と思った。

 けれど、私の中の“周防桃子”はそれを許さない。

 というか――、

 

「何も知らないでしょ」

「まぁね」

 

 即答だったし、それが自然だった。

 けれど女性はこう続けた。

 

「私はお嬢ちゃんのことも、キミが何を抱えているのかも知らない。――でも、行きたくないって言ったのはお嬢ちゃんだ」

「本音じゃないもん。誰だって、愚痴を吐きたくなる時くらいあるでしょ」

「……そんな顔で吐く愚痴なら、もう本音みたいなものでしょ」

 

 ほら見て、と言われた私は彼女が手に取ったスマートフォンの画面を覗き込む。

 インカメラに映った私は、今にも泣きそうな顔をしていた。

 

 ――それを見た途端、何かが音を立てて壊れた感覚がした。

 

「……っ」

「わ! 泣かないで泣かないで」

「泣かせたの、そっちでしょ……っ!」

 

 女性が鞄から取り出したハンカチを奪い取るように受け取って溢れる涙を拭う。

 ……何で私、こんな知らない人の前で泣いてるんだろ。

 

 ――そういえば、前に人前で泣いたのっていつだっけ。

 

「こういうの言うのはちょっとアレだけど……なんかテレビで見た泣き顔よりいい顔してる」

「ぐすっ……あ! 知らないって、ウソ!」

「うん、ウソついた。からかってごめんね桃子ちゃん」

 

 何だか申し訳なさそうに苦笑する女性を見上げながら、私は思わず子供っぽく頬を膨らませていた。

 ……でも最近の私はメディアにもめっきり露出していないし、見た目だって大分変わっているのに――どうしてこの人は私を、周防桃子を見つけられたんだろう。

 

「……芸能界の人?」

「正解。まぁ芸能人ではないんだけど……」

 

 直感っていうかあてずっぽうだったけれど、それが正解だったみたいだ。

 女性は名刺入れから一枚取り出して私に手渡す。

 ……聞いた事のない会社だった。

 

「この会社でアイドルのプロデュースなんかをしてる。……と言っても、今のところ事業は実質凍結みたいな感じなんだけどね」

「……働いてないの?」

「ぐふっ」

 

 あ、図星。

 まぁそうじゃなきゃこんな時間に公園になんていないよね、と思った。

 

「そうなんですよ……プロジェクト再始動するかどうかもまだ分かんないんですよ……半年で無職とかホント勘弁なんですよ……」

「……」

 

 ……がっくりと肩を落としている彼女を見ていると、何だか気の毒になって来る。

 就職氷河期ってやつなんだろうか。

 

「お嬢ちゃん、なかなかいいパンチ持ってるじゃん……世界を狙えるぜ」

「何それ……ふふ」

「――」

「……どうしたの?

「いや、泣いてる顔も素敵だったけど、やっぱり笑ってる方が可愛いね」

「なっ」

 

 急に恥ずかしいことを言われて、かぁっと耳の辺りが熱くなる。

 でも続いた言葉に、ビシリと思考が音を立てて停止した。

 

「どうして、役者の周防桃子はそういう風にキラキラできないのかな」

「……え?」

 

 何というか、ハンマーで思いっきり頭を殴られたみたいな感覚だった。

 淡々と、女性はそう言った。

 

「何、それ。いきなり……」

「どうしてキミが役者として落ちぶれたのか私は知っている。……というかこれは子役の子全般に言えることで、キミは特にそれが顕著なんだと私は思う」

「――っ」

 

 その言葉はあまりにも唐突で、だからこそ怒りが爆発するように心を満たす。

 感情のままあなたに何が分かるのか、ともう一度言おうとした私は、彼女とまっすぐに視線を合わせて。

 そこで言葉を失った。

 

 ……簡単だった。

 泥のような眼は、私の姿を映したものだった。

 ドブ川の濁った瞳は、今の私そのものを映す鏡なんだ。

 吸い込まれるみたいな不思議な目を見つめて、分かられていることを理解してしまった私はもう、何も言い返すことが出来なくなっていた。

 

 ゆっくりと魔法の瞳を閉じて、女性は続ける。

 

「私はこの目が嫌い。否応なくその人の現実を映して、私もそれを何となく理解するから。だから鏡を見ると私自身も私のダサさに叩きのめされるんだ。最悪だよ。

 ……でも、私はこれで救われる人がいることも知ってる。輝きたいと思う人、輝きを持っている人。そういう人の手助けをするために、私はキミの前にいる」

「……」

「私には人の輝きが見える、って言ったら信じる?」

 

 信じられないが、事実なんだろうと、私は不思議と確信していた。

 こくんと小さく頷くと、女性は寂しそうに笑った。

 

「テレビでキミを見るたび、きらきらしたあなたが澱んでいっているのが分かった。その原因もなんとなく理解した。

 ――だから、ここで偶然会えたことは運命だと思った。

 私の嫌いなこの瞳が、キミの助けになるのなら。

 ……でも、自分自身を突きつけられて壊れた人も知っている。結局これはおせっかいでしかない。だからいなくなって欲しいなら、私はすぐにここから消えるよ」

 

 ――遠回しに、私はどうするのかと訊ねられている気がした。

 きっとここが分水嶺。

 “私”が私になるための、最後のタイミング。

 

 ……だとしたら、答えなんてとっくの昔に決まってた。

 

「すー……」

「?」

 

 大きく息を吸い込んで。

 わぁっ、と叫びながら駆け出した。

 フェンスまで一直線に。

 

 背中にかかる声なんて気にしない。

 誰かの視線なんて気にしない。

 フェンスに手をかけ、飛び越える。

 叫ぶ。

 

「ちょっ――」

「バイバイ、“周防桃子”!」

 

 ぎゅっと強く目を閉じる。

 ――潮の味がした。

 

 

     ※

 

 

「いやー……まさかあんな思い切ったことをするとは。追い込み過ぎた。ごめん」

「ううん。……引き上げてくれてありがとう」

「いいよ。私はお嬢ちゃんの手助けが出来たのが凄い嬉しいから」

 

 二人して濡れ鼠になって、同じベンチに腰かけていた。

 ずぶ濡れの靴下を絞っている女性は、ベンチの上で胡坐をかきながらスマートフォンを手に取る。

 

「あぁ、もしもし小鳥? ちょっとタオルを持ってきて欲しいんだけど……そうそう、近くの公園ね。枚数は二枚」 

「……ことり?」

 

 人の名前だろうか、と思いながら手渡されたハンカチで濡れた手を拭いて、それから私は、ベンチに置きっぱなしにしていた鞄の中の台本を手に取る。

 

 ここ数日で散々読み込んだ、ぐちゃぐちゃな書き込みだらけの台本。

 登場するカットは片手で数えるくらいしかないのに――そして、それはきっと、お利口な“周防桃子”の筆跡じゃない。

 ……なんだ、余裕がなくて気付かなかっただけで、ちゃんと“私”はここにいるじゃないか。

 

「今のはね、おまじないなの」

「おまじない?」

「うん。“周防桃子”が、お休みするための」

 

 フェンスに寄りかかり、暮れなずむ空を見上げながら続ける。

 

「たった今。“周防桃子”は、海で溺れて、泡になって死んじゃった。……残ったのは、私。私は、ありのままの私で進んでいきたいなって、そう思う」

「……うん」

「だから“周防桃子”のお仕事も、これが最後で最初」

 

 台本の表紙を撫でる。

 オーディションに受かった時、私はどんな役でも嬉しいです、と言った。

 でも“私”は生意気だ。

 もちろん脇役だって大切な役で、貰えたことはすごくうれしいことだ。

 けれど同時に、最後の役が脇役なのを、ちょっぴり残念がっている。

 

 ――それが“周防桃子”ではなく“私”なんだと、自然に思えた。

 

「“悲しさの後には、嬉しさがあるんだよ”ってね」

「あ。私のデビュー作のセリフだ」

「知ってた? 私は周防桃子の大ファンなのさ」

「ふふっ……ねぇ、サイン欲しい?」

「えっいいの!? 欲しい欲しい!」

 

 私の一言で子供みたいにはしゃぎ出した女性を前に、ひとしきり、笑う。

 ――こういう風に笑うのは、何だか久々だなぁ、と思った。

 

「いたいた――ぶっ、ホントにずぶ濡れに……!?」

「あ、小鳥だ。こっちこっちー!」

 

 女性の持っていたペンケースにサインを描き終えたところで、公園の入口の方に、独特な緑色のスーツを着た女性の姿が見えた。

 近付いて私達がずぶ濡れだという事に気付くと、タオルを抱えながら慌てて駆け寄って来る。

 

「もう、ホントに飛び込む人が……ってあれ。この子どこかで……」

「周防桃子。子役のね」

「ピヨっ!? ままままさかまた他事務所の子に粉かけたの!?」

「え? いやそういう訳じゃ……」

「こっ、この不審者さんにいきなり声をかけられて……!」

「声掛け事案!?」

「いやー演技力高いなぁ……あだだだだ小鳥待って痛い痛い痛い!」

 

 しばらくぎゃーぎゃー三人で騒いで、「小鳥さん」ともちょっと仲良くなって。

 別れ際、ずるずると引きずられていく女性に、私はこう言った。

 

「一ヶ月くらい先の、××ってドラマの第七回に出るんだ。

 感想は要らないから……ただ、見てて欲しいなって……その、思う」

「うん、見るよ。リアタイ見るし、録画もする。データが擦り切れるくらい見る」

「……! きっ、期待しててね! “私”のファン一号さん!」

 

 そうして、小鳥さんと並んで去っていく彼女の背中が結構小さくなった時、私はふと大事なことを思い出して大きく叫んだ。

 

 右手を高らかに振り上げながら、あの人をなんて呼び止めればいいのかちょっと考えて。

 自然と、呼び方は決まってた。

 

お姉ちゃん(・・・・・)、鞄忘れてるよ――!」

 

 ――あ、ずっこけた。

 

 

     ※

 

 

 翌日、撮影現場に着くなり監督さんに物凄く謝られた。

 役者さん達も何だか申し訳なさそうで、ちょっとぽかんとしてしまった。

 

 曰く――(子供)にああいう役割を背負わせるべきではなかった、と。

 ……思わず泣きそうになってしまったのは内緒だ。

 

 そして面白かったのは、私とあの子が一緒に出る最後のシーンの撮影でのこと。

 あの子がトばしてしまったセリフを私が代わりにアドリブで読んだら、なんとそのままカットがかかってしまったのだ。

 そうしたらあの子はすごい顔になっていて、ちょっといい気味だった。

 

 ……きっと、そのことを彼女は父親に言ったりしないだろう。

 だって自分が台詞を飛ばしてそれを助けてもらったなんて、私だったら情けなくて口になんか出せないもの。

 

 監督さんを見たら申し訳なさそうな、けれど何だかやってやったぜ、みたいな表情で私に向かってこっそり親指を立てていた。

 まだなんだか心の中はもにょもにょしているけれど、監督さんだけじゃなくて、ここにいるみんなもどこかで色々と苦労しているんだろうなって思ったら、心の整理は意外と簡単だった。

 

 ――そうして私は子役を辞めた。

 両親からの反対は無かった……というか、二人とももう諦めていたフシがあった。

 端っこにしがみつくのすら難しかった世界は、手放した瞬間、簡単に遠のいて見えなくなった。

 

 私はお利口な“周防桃子”であることだけをアイデンティティにしていたから、子役として落ちぶれてしまったんだろう。

 頼りないお砂糖のナイフ一本で広い世界を渡っていこうだなんて、おこがましいにもほどがある。

 

 でもきっと私自身、それには心のどこかで気付いていたはずだった。

 鏡に映るのが今の私なら、今の私が知らないものが鏡に映るはずがない。

 

 だったらどうして私は“周防桃子”であり続けようとしたのか。

 その理由もまた理解していた。

 

 ――子役であることを辞めて、仕事というものが私の世界に存在しなくなった日の夜、私は久々に布団の中でぐっすりと寝ることが出来た。

 理由は簡単で、両親がリビングで私について言い争う音が聞こえてこなかったからだ。

 

 思い出す。

 私が子役になったのは、両親がそれを望んだからだった。

 私はその期待に応えようとした。この時に、“周防桃子”は生まれたんだ。

 きっとこれが、“周防桃子”が本当に落ちぶれたことの根幹に位置するものなんだろう。

 

 二人の仲は大きく決裂したままで、私ともなんとなーくギクシャクした感じになって、表面上は家族を取り繕ってます、みたいな感じのところに私達三人は収まった。

 

 ……私は、これが嫌だったから“周防桃子”であろうとした。

 だって二人は、私のせいで仲違いしたようなものだったから。

 私がもう一度スターになればきっと仲直りしてくれるって、そう思っていた。

 

 けれど今は、なっても変わらなかったんだろうなって思う。

 深い深い溝はもう、ちょっとやそっとじゃ埋まらないんだ。

 それは酷く、寂しいけれど。

 

「……」

 

 ……私は、私自身をないがしろにしていた。

 自分の事すらどうにも出来ないような人間が、他人の仲を取り持とうだなんて――おこがましいにもほどがあるじゃないか。

 

「……、」

 

 冷めたコンビニ弁当を温める間、ぽちぽちと手元のリモコンを弄っていたら、たまたまやっていた音楽番組で最近話題のアイドルグループが踊っていた。

 

「……すごいなぁ」

 

 芸能の世界は子供だろうが容赦なく牙を剥く。

 重鎮は出る杭を叩き、新参に背を追いかけられ続ける。

 私はそれを身をもって知っているからこそ、彼女たちのことを素直に凄いと思う。

 

 一つの笑顔の裏側に、万を越える努力がある。

 輝く偶像であるために。

 皆を照らす光であるために。

 

 ただ一時でも――輝くステージに立つために。

 

「……桃子も、あんな風になれるのかな」

 

 ぽつりと零した私の耳に、電子レンジの音は届かない。

 瞬きを止めてテレビの見続ける私の頬が緩んでいることに、私は気付かない。

 

 ……多分、それが私の再起のオリジンだった。

 

 

     ※

 

 

 それから数年後、私は思わぬ形で彼女と再会する事になる。

 

「……!」

「や、顔を合わせるのは久しぶりだ」

 

 縁あって私をスカウトした高木社長の会社の名前は、どこかで見たことのある名前だった。

 ロゴマークがお洒落になってたりして最初は気付けなかったけど、それはあの時海辺で出逢った女性の務める会社の名前と同じだった。

 

 彼女の周りに、何人かのアイドルが立っている。

 笑顔でこっちを見ていたり、不思議そうな顔をしていたり、眠そうな顔をしていたり。

 個性豊かな彼女たちをテレビで見ない日はない。

 

 それもそのはず、だってこの人が手掛けるアイドルなんだから。

 キラキラしていて当然だ。

 そして――私も、そうなりたいと強く願う。

 

「アイドルの世界へようこそ、周防桃子さん」

 

 差し出された手を掴む。

 その感触は、あの時私を涙のようにしょっぱい海の中から引き上げてくれた時のものとおんなじだった。

 ――熱と鼓動を握り返した。

 

「これからよろしく、お姉ちゃん!」

 

 その瞳に、輝く私が映るように。

 今度は、“桃子(わたし)”のわがままを貫くために。

 桃子自身の憧れをかなえてやるんだから!

 

 

 

 

 




 頑張り屋でプライドが高くて野心も結構あって人一倍優しい周防桃子がすき

 プロデューサーのキモい能力はメインキャラとモブの違いが分かってメインキャラのプロフィールをざっくり閲覧できるだけです



 2020/5/10 追記
 周防桃子(上)の修正と、それに伴う(下)の改訂を行いました
 (上)の方は半年も前に書いたものなので粗がすごかった、というのが理由です
 今後も見返してここおかしいな……と思ったらちょいちょいサイレント修正入れると思います
 おゆるしを


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如月千早 (上)

 

 

 

 

 

 ――プロデューサー。

 

 私の手を引いてくれる人。

 私の隣に立ってくれる人。

 私の背を押してくれる人。

 

 ……彼女のために、私が出来ることなんてあるんだろうか。

 

 

     ※

 

 

「もしかして千早ちゃんは、恋をしてるのかもね」

「え」

 

 感情を吐露することは意外と簡単だった。

 ……案外、私は誰かにこのもやもやとした気持ちを吐き出したかったのかも。

 

 珍しく音無さんすら用事で出払った、がらんとした事務所にて。

 たまたま仕事のない時間が重なった春香とお茶をしながらテレビを見ていた折、ちょっとしたことをきっかけに、私は春香に話を聞いてもらうことにしたのだった。

 

 ――この一年、色々な事があった。

 

 私の世界、あるいは視野というべきものが一気に広がった、大切な一年だった。

 ……そして、通して私は周囲に迷惑をかけっぱなしだった。

 そんな私を見捨てずにいてくれた春香達には、感謝してもしきれない。

 

 ――特に。

 どんな時も傍にいてくれた、私を外の世界に連れて行ってくれたひと。

 プロデューサー。

 ……いつからか、彼女に恩返しがしたいと、自然と思うようになった。

 もちろん、春香達事務所の皆にも。 

 

 ……けれど気持ちだけが募るばかりで、どうすればいいのかが分からないのだ。

 胸の奥で渦巻く、輪郭すら掴めないそれが途切れ途切れに、言葉という形になって口から零れていく。

 

 私の拙い話を春香は最後まで真剣な顔で聞いてくれていた。

 それから、話の切れ目にふとそう言った。

 

 ――“恋”。

 

 その言葉を耳にした途端、胸の内側に渦巻いていた名前の無い感情が、一つの形を取ったような、そんな気がした。

 

 それは比喩も何もなく、恋をしているということだった。

 ……私が、プロデューサーに対して。

 

「……、そうなのかしら」

 

 プロデューサーの事を考えながら、自分自身に問いかけるようにぽつりと呟く。

 あのひとのことを好きなのは本当だ。

 でも、それは春香達だって同じこと。

 ……これが本当に恋なのかなんて、今までそれを捨てて生きて来た私には、何も分からない。

 

「きっとそうだよ――だって今の千早ちゃん、凄く可愛いんだもん」

「えっ?」

 

 面と向かって可愛い、だなんて言われた経験はほとんどなかったから、少し面食らってしまう。

 

 ……最近は増えてきたようにも思うけれど、やっぱり耳慣れない響きだと思った。

 

「自分では、そうは思えないけれど」

 

 ――電源の落ちたテレビに映る私の姿はいつもと変わらないはずなのに。

 同性(わたし)の目から見ても可愛らしい“天海春香”に言われると、何だか心がむず痒くなって、思わず勘違いしてしまいそうになる。

 

 耳が熱を持つのを自覚する。

 私を見て、春香は微笑みながら優しく言った。

 

「知ってる? 千早ちゃん。恋をしている女の子はね、誰だって可愛いんだよ」

「……、あぁ」

 

 ……その一言で。

 何だか、心の中にわだかまっていた色々なものが腑に落ちた感覚がした。

 

 私は、プロデューサーに、恋をしている。

 ――ああ、“これ”がそうだったんだ。

 そっと、重ねた両手を胸に置いて目を閉じた。

 

 今なら分かる。

 想いの輪郭に、指先が届く感触がした。

 

「――なーんて、ね。アイドルが恋なんて、そんなのダメなんだけど」

「……ありがとう、春香。私一人では気付けなかった」

「うん」

「そっか。私――プロデューサーのことが好きなんだ」

「うん。……うん!?」

 

 がたん、と音がした。

 ……春香がまた転んだのだろうか。

 しかしソファに座ったまま転ぶなんて逆に器用なんじゃないだろうかと思いながら、私は滔々と言葉を紡ぐ。

 

「でも、私とプロデューサーは女同士。

 ……私のこの気持ちは、世間一般に認められるものではないのよね」

「いやあの、千早ちゃん? いっ、今のはいわゆる冗談っていうか……アイドルはファンに恋してますみたいな、えっこれそういう話だったの……!?」

「どうすればいいのかな。どうすれば。……春香は、分かる?」

 

 立ち上がり、テーブルを挟んで向かい側に座っている春香の隣に座り直す。

 

「教えて、くれる?」

「ち、千早ちゃん落ち着いて……」

「お願い、春香――あ」

 

 春香の方へ身を乗り出すように、ソファの上に置いた手が滑った。

 バランスを崩して、春香の方へしなだれかかるように倒れ込む。

 

「きゃ……!?」

「え、うわわわわ――あ痛ぁっ!?」

 

 どんがらがっしゃーん。

 ……まさかこの音を自分が立てる日が来るだなんて、昔の私は想像もしていなかっただろうな。

 

「千早ちゃ、ち、近っ……!?」

「ご、ごめんなさいっ」

 

 二人そろって滑り落ちるように倒れ込んだ床の上で、私は春香を押し倒すように彼女の上に乗っていた。

 苦しそうに顔を真っ赤にしている春香を見て、私は早く彼女の上から退こうとする。

 

 ――がちゃり、と扉が開いた。

 

「ただいま――……、えっ」

「あっ」

「あ……音無さん。おは、」

「………………………………ダ、」

「だ?」

「ダメよ小鳥ぃぃぃぃ~~っ!」

 

 半分くらい開きかけていたドアが乱暴に閉まって、その後に、階段を勢いよく駆け下りていく音がした。

 ――というかこれ、明らかに階段を転げ落ちていないかしら……?

 

「……」

「……」

 

 ――静寂が、事務所の中に影を落とす。

 換気のために開けている窓から吹き込んだ風が、ブラインドをしゃりしゃりと揺らしていた。

 とりあえず春香の上からさっさと退いて、それから私は彼女に訊ねた。

 

「――、何がダメなのかしら。春香は分かる?」

「ど、どうしよう――絶対誤解されちゃったよー!?」

「……、?」

 

 何をどう誤解されたというのだろう。

 全て分からず、ただ首を傾げるしかなかった。

 

 

     ※

 

 

「……ダンボール箱(そんなとこ)に頭突っ込んで何してんの小鳥。とりあえず引っ張るよ」

「むぐむぐー……ぷぁっ、ぜぇー。ありがとうプロデューサーさん、助かったわ……あっそうだ!?」

「いや何をそんなに慌ててるの……?」

「どうしようプロデューサーさん! 事務所がっ、き、禁断の花園に……!?」

「はぁ?」

 

 

 

 

 

 



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