寂しい眠り姫に与えられたのは形のない友達でした (朝霞結女)
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1話

朧げに霞んだ視界。

 

ふあぁっと弱々しい小さな欠伸をして、肺いっぱいに空気を取り込もうとする。けれど体を横にしているせいか取り込める量は減ってしまっていた。

体を起こそうかとも悩んだが、底なしの睡眠欲は満足していないらしく眠気が手足にまとわりついて動きを鈍くさせる。結局は眠気に負けてしまい面倒という気持ちによって何もしないという楽な選択肢を選んだ。

 

「結女ちゃん、起きたの?」

 

輪郭が曖昧で目に見える世界の淵は霧に覆われて小さな世界をよりいっそう狭めている。

その狭い世界を収める目を動かすと、少ししわのある四十路に届くかというほどの女性の姿が見える。若干頰がこけて目の彫りが深くなっていることから疲れているように見える。

 

「お、かあさん。いつも、ごめ、んね」

 

今回はどれくらい眠っていたのか分からないが、いつもと同じようにひどく喉が渇いている。おまけに寝起きで体に血が回りきってないので舌が回らない。そのか弱い声を聞き取るのは困難だ。

それでもお母さんと呼ばれた女性はしっかりと聞き取ったらしく、涙を目尻に溜めながら少女の細い指に自分の指を絡ませて少女に慰めの言葉をかける。

 

「謝らないで。貴方は謝らなくていいの……貴方は何も悪くないの。ただ他の人よりも運がなかっただけなのよ。だから優しく笑ってちょうだい」

「ごめんなさい……おかあさん。私ね、眠たいの」

「私は、いつも、眠たいの。だから、眠れれば、それでいいの。静かに、楽しい夢を、見たいだけなの」

「…結女ちゃん……」

 

小さくニッと微笑みながら少女は自らの望みを母親に聞かせる。それは娘をよく知る母親にとって言わなくとも分かっていたことではあったが、娘に人並みの人生をと願う母親には遣る瀬無さを感じるものであった。

でもねと少女は夢見心地な様子でうっとりと言葉を続ける。

 

「私、知ってるよ。おかあさんが、私のために、色んなお医者さんを、んっ。……探してくれているんだよね。私も、おかあさんの、望んでる、ように、なってあげたいんだよ」

 

少女は母親の想いに応えたいという想いと何もできないと悔しさが入り混じった声でいう。

しかしその言葉とは裏腹に、少女は諦めるしかないと残酷な現実を知っているようで諦念を持って言い放つ。

 

「だけど!眠たい、気持ちに勝てないの。何もせずに、何も知らずに、眠ろうと、しちゃうのぉ」

 

少女は点滴の管がついた右腕を静かに持ち上げて、目元をダランと覆い隠すようにして脱力する。

頬を伝う涙は少女が泣いていることを母親に教えてくれた。母親の苦悩を知った少女は、優しすぎる心を痛めて悩み、苦しんでいるのだ。

だが、彼女の優しい苦悩を掬い取ってあげることを母親は出来なかった。

 

 

 

 

もともと少女は睡眠欲が人一倍強かった。生まれながらにして体が睡眠を過剰に要求するのだ。母親がそれに気がついたのは小学校に入ってからだ。

赤ん坊の頃も幼稚園の頃も寝つきが良く、夜泣きも少ない子供であったことを母親は苦労も少ないと喜んでいた。

それだけならば良かったのだが少女が小学校に入学してからは、授業中に居眠りをすることを担任の先生から注意を受けるほどで、さらにその回数が異常に多かった。

確実に毎日1時間は居眠りをし、起こそうとしても起きる気配はなく無理に起こした時の寝起きの少女は別人かと思えるほどに機嫌が悪くなる。機嫌が悪くなった少女はいつもの温和な様子は鳴りを潜めて、親しい先生や厳しく怖い先生であろうと敵意を向けるほどに凶暴性を秘めていた。

 

 

母親が少女を医者に診せると「非器質性過眠症」と診断された。医者の説明では睡眠障害の一種で、特徴としては寝不足ではないのに長時間の睡眠。昼間の耐え難い眠気。睡眠発作や睡眠慣性といったもの。

だが医者は過眠症であることに間違いはないが、イマイチ確証を持たないという。母親が訳を尋ねると医者はこんな幼いうちから発症するのは非常に珍しく、さらに1日の睡眠時間を比べると日を追うごとに少しずつ伸びているという。

 

母親は医者の進める通りの治療を行った。だが対症療法に薬物投与、生活改善なども実施するも目立った効果はなく、藁にもすがる思いでカウンセリングや催眠療法なども試すが成果は無し。

原因不明の睡眠時間の増加は止められず、少女はあまりの睡眠時間の長さから病院で生活するほうが良いと判断され、病院のベッドで寝食するようになった。

 

 

彼女は1日の多くを──時には丸1日、2日も夢を見て過ごす。目覚めている2、3時間の間に母親と、運が良ければ父親とも喋って過ごし、母親がくれた本を読んで過ごす。

 

少女はそうやって生きてきた。

いつのまにか眠ってしまい、僅かな現実との繋がりで夢と意識の狭間を行ったり来たり。自らの肉体に生き方を極端に制限されている少女は普通の生き方をとっくの昔に諦めてしまった。それはとても寂しく悲しいものだった。

少女はいつだって孤独なのだ。

夢の中に生きる少女は現実に必要とされず、なぜ生きているのか分からなくなってしまった。母親と父親は少女の回復を願っているが、正直に言って可能性は限りなくゼロであり、父親は諦めて娘と接する短い時間を大切にし始めた。

 

 

 

悲哀の少女はその生涯を夢に覆い尽くされそうになった。

しかし、少女だけでなく世界に新たな衝撃を与えるほどの転機が訪れた。

 

 

「あのね、結女ちゃん。今日は話があるの。いつも見てもらっている先生がいるでしょう?」

「うん。新野先生だよね」

 

母親は唐突に話題を変えた。母親は最初からこの話をしたかったのだろうと少女は涙を拭いながらも母親の様子から機敏に感じ取った。

 

「そうよ。その新野先生がこの間、柴野さんという方をお父さんとお母さんに紹介してくれたの。柴野さんは新野先生の大学からのお知り合いで機械工学と脳医学に精通されていらっしゃるの」

「その、柴野さんが、どうして私に……?」

 

少女は納得のいかないといったように首を傾げて尋ねる。

 

「柴野さんはね、国の進めるISの研究に携わる科学者さんでISにとっても詳しいの。聞かせて貰った話ではISを用いた療法を結女ちゃんに受けてもらいたいそうなの。新しい試みになるし、当然危険が伴うそうなのだけど、ISの可能性とポテンシャルを持ってすれば症状の緩和は可能だとおっしゃるの」

「……ねえ、どうして?なんで、そんな話が、私に?ISって、空を飛べる、ロボットみたいな……あれだよね?」

 

母親は話に詰まってしまう。少女には話したくない内容もあるようで説明を上手くできなそうだ。おそらく母親も概ねの事情を知ってはいるが詳細を理解できていないのだろう。

 

 

すると、個室のドアをノックする音が聞こえてくる。

失礼しますと、礼儀よく入ってきたのは黒いスーツを着こなす三十路ほどの男性だった。

少女は男性の首からかかる名札に目を凝らすとそこには『柴野』と記されており、先の話の人物だと察する。

 

「こんにちは。朝霞さん。お嬢さんもはじめまして。私は柴野亮太です。よろしくね」

「こんにちは。柴野さん」

「こ、こんにちは。私は朝霞結女、です」

 

少女は柴野が快活な男で物腰柔らかな人物だとは思いもよらなかった。少女が想像していた研究者というと、もっと淡白な態度で冷たそうな人だからだ。

 

「そんなに緊張しないでいいんだよ……結女ちゃん。好き放題してきた僕は君のお母さんのような立派な大人とはいえないからね。友達のように接してくれたらいいさ!」

「それは、ちょっと……」

「ははは。まあ好きなようにしてくれればいいさ」

 

柴野は母親隣に折りたたみ椅子を広げて座る。その顔を間近で見ると目元にくまができており、顔色も少し悪いことが見て取れる。

 

「さて、話はお母さんから聞いてるかもしれないが、君の過眠症についてだ。遠回しな話は苦手なので単刀直入に言うが……私はそれらの症状は脳が機能しすぎているせいではないかと考えている」

「機能しすぎ?……つまり、必要以上に、働いているってこと?」

 

柴野は少女の疑問に大きく頷きながら答える。彼は少女の様子から予め立てた仮説が大きくズレてはいないことを確信する。

 

「そうだ。君の脳は常人よりも活発に働いている。それ故に君は少ない時間の読書やコミュニケーションから同年代を上回る知識と頭の回転を持っている。私はそれを人間の脳にもともと掛けられている制限がいくらか緩くなっている、又は無くなっているのではないかと仮説を立てた」

「……仮にそれが、本当だとして、どうして、過眠症の症状に?」

 

柴野は俯き目元をほぐしながら次の言葉を考えて喋る。あまり優れた様子ではなさそうだったので不健康な生活を送っているのだろうか。

 

「仮説を元に話を進めると、君の過眠症はおそらく生まれつきのものになる。なぜなら君の体は一般的な脳にかかる負担を遥かに上回るほどのダメージを受けるからだ。その結果脳の生存本能ともいうべきもの、いや適応能力とでもいうべきものが肉体にかかる負担を回復する為、もしくはそもそも負担がかからないようにと生命維持だけを目的に過剰な睡眠をとっているのかと思われる。要は働きすぎな脳に反動が睡眠として返ってきてるわけだ」

 

少女は言葉にされた自分の体の中で起きる事象が総じて軽いものに思え、全く実感がわかなかった。それでも目の前で睡眠不足のせいか欠伸を堪えながら症状の説明をする柴野の話を聞くことができたのは彼の話が見当外れではないと思う自分がいるからだ。

 

「それでは先生、なぜISを私の治療に?」

「おっと。いきなり核心に迫るな」

「それが一番……聞きたいことですから」

 

柴野は困ったように振舞いながらもどこかそれについて聞かれることを望んでいた風に思えた。

 

「そうだな……。まず、ISには核となるコアがあり、それが無ければISは動くことも出来ないただの鉄くずとなる。それは分かるね?」

「はい。ISをISたらしめるものは、ISの生みの親である篠ノ之博士が製造したISのコア、ですよね」

「そうだ。そのコアがあれば、──開発者のことを想えば口にしたくはないが──地上にある兵器の悉くを凌駕する性能が発揮できる」

 

柴野は辛そうに、ただ冷静に事実を淡々と述べていく。だが彼は椅子から立ち上がりISの可能性について声高々に語る。まるでそれこそが正しいのだと信じて疑わないように。

 

「しかし!誰もがISを兵器としか考えていないであるだろう中で私は考えた。ISには操縦者の命を守る機能があり、尚且つ無数にある宇宙空間の環境データを記録し計算する演算能力は世界中のスーパーコンピュータをも勝る性能だ。さらにコアに搭載されているAI──擬似人格が独自に自己学習、自己進化を繰り返すことを鑑みれば、君の脳の負担を肩代わりすることも不可能ではないと私は確信した!」

「でも、それは……」

 

少女は困惑して言葉が詰まる。

なんともおかしなことに気づいてしまったのだ。

例えば生命活動を補助するペースメーカーも電源がついて動かなければ意味がない。

そのような簡単な発想から少女は単純にISが常に起動状態、つまり常時展開されなければその性能を発揮できないのではないか?と思ったのだ。

それはまったくもって事実であり、ISが待機状態である場合ISコア内の処理ともいえる自己学習や自己修復を除けばISは操縦者に干渉できない。もし仮に常時展開を実現出来たとしてもそれは国防上、他国からの批判を免れることはないとして採用できないだろう。

 

柴野は少女の内心を見透かしたように、ニッと笑い「問題ないさ」と言い放った。

柴野の言動は無責任にも聞こえるが、彼の燃えたぎる熱意が宿る瞳には決意と覚悟を持っているように確かに思えた。

 

「君のIS適性は驚異のSオーバー。異常適性により危険度の高かった手術の成功率もフィフティーフィフティだ!」

 

柴野は狂気を滲ませながら拳を握って情熱を持って語る。

その柴野の豹変ぶりを見て少女は無性に怖くなった。働きすぎる優秀な頭脳はある一点に悍ましい考えを持ってしまったのだ。

 

 

ISは待機状態中に外部に干渉できない。

言い換えればISの内部では活動可能。

 

つまり操縦者自身をISの一部分として認識させればいい。

 

 

「私は君の肉体にISコアを移植する。そうすることでコアに君を()()()()、機体を構成する一部分だと認識させる」

 

それまで口を決して出さずに少女と柴野の問答を側から眺めていた母親が静かに口を開く。

 

「柴野さん。もしやとは思いますが貴方は私の娘のためではなく、ただ自分の研究を検証するためにこの話を持ちかけたと?」

「ええ、そりゃまあ。……これは私のエゴではありますがあえて1つ言わせてもらうのならば、私はこの手術の実績を持って世界にISの医療への転用の有用性を示したいのです」

 

失望と怒りを露わにして母親は柴野に掴みかかりそうな勢いで怒鳴る。

 

「貴方という人は!前例もなく、命の保証もない。成功するかもわからない藪医者の手術のような提案をして、娘を、結女をなんだと思っているんですか!?うちの娘はモルモットなんかじゃない!」

 

激昂した母親は期待を裏切られたという思いで一杯なようで柴野の鎮めようとする声に耳も貸さない。

 

「落ち着いてください。冷静に話し合いましょうよ、お母さん。激情に任せた話など無意味なだけです。怒る理由は私と貴方の価値観の差異によるものでしょうが、寛容になってもらわないと。貴女の娘さんの将来に、最も影響する決断ですよ」

「それがどうしたというのです!?その手術でもし娘が命を落としたらどう責任を取ろうというのですか?死んでしまったら元も子もありません!あまりにも無責任です!」

 

 

「でも……」、「ですが……」と諦め悪く話し合おうとする柴野は部屋から追い出そうとする母親に抵抗するが、五分と経たずに「どうぞ、お引き取り願います」と言われついに折れてしまい帰ろうとする。

 

「待ってください柴野さん」

 

だが少女は意を決して声をかけた。声をかけられた柴野といえば大変驚いた様子で少女に振り向く。すっかり母親に断わられてしまい諦めていたのだろう。

 

「お母さん、心配だろうけど、私は、その手術を受けたいっ」

「結女ちゃん……」

 

母親は観念したように溜息を吐く。母親として少女のことを理解しているつもりでいるのだ。こうと決めて仕舞えば理性的な理由でも切り捨てるとよく知っている。

少女はそこらにいる人とは違いしっかり考えて物事を決めるのだ。その決断は常に鋼の意思のもとであるのだから母親の感情的な言い分では曲げないと理解していた。

 

「考えを改める気はないのね?」

「うん。私は、私のために、この話を受けることにしたよ」

「それでは……ISコアの移植手術を了承してもらえるということで?」

 

先の勢いはどこにいったのか、遠慮がちに柴野は問いかける。その様子が可笑しいのかふふっと笑いながら少女は返事を返す。

 

「ええ。私の未来のために、柴野さんには、頑張ってもらいますね。よろしく、お願いしますね」

 

にっこりと笑みを浮かべた少女を見て柴野は威圧をかけられているように感じる。もちろん少女にそのような意図はないのだが、情熱だけを燃やして突っ走ってきた柴野は熱が冷めきったまま思考をしてしまうと命を預けられた意味の重さに気づいてしまった。

柴野はなんとしてでも少女の手術を成功させなければいけないと思ってしまい、緊張した彼は急いで病室のドアを開けて「失礼しましたぁー」と言って帰ってしまう。

それを見てまた少女はクスッと笑う。

 

「賑やかな人だったね」

「そうかしら?思ってたよりも酷い人だったわ」

「周りが、見えてなかったんじゃないかなぁ。子供っぽい所があるだけだよ、きっと」

 

 

少女は穏やかに微笑む。

母親の心配を拭い去る太陽のように眩しい笑みは少女の気遣いだと気づいた母親は「優しい子に育ってくれてうれしいわ」と言って少女のか細い体を抱きしめて頬ずりする。

 

「ちょっと、お母さん!くすぐったいよぉ」

「ふふっ。いいじゃない。こうやって触れ合う機会も少ないのだし」

「もうすぐ出来るようになるよ」

 

少女の優しい笑みは儚くどこか痛々しさを感じさせるものだった。



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2話

「ふっ!ふっ!ふっ!」

 

ヒュンヒュンと風を切りながら木刀が綺麗な太刀筋で振り下ろされる。

 

まだ夜が明けたばかりで太陽もその姿を完全に見せていない。しかし、織斑一夏はそんなことは関係ないと言わんばかりに素振り繰り返す。

何千、何万と振り続けた彼の太刀筋は洗練され、見事なものだという一方で極限まで削ぎ落とされたそれは無機質で恐ろしさを感じさせる。

 

「ふっ!ふっ!ふっ!……ああ、なんだもう夜が明けたのか。結局この生活にも慣れてきたな」

 

素振りを終えた一夏は感慨深げに呟く。哀愁漂う雰囲気といったところで息苦しいなと思い、パン!と両頬を叩いて眠気と一緒に吹き飛ばす。

 

「大分やってたな。汗を流そう」

 

タオルで額の汗を拭いながらペットボトルの水をゴクゴクと喉を鳴らして飲む。500mlの水は10秒もしないうちに飲みきった。

 

家の横手にある庭から玄関へ回り、ドアを開けて中に入る。

まず最初に台所に行くと空のペットボトルをささっと洗い立て掛けて乾かし、次の鍛錬のために別のペットボトルに水道水を入れて冷蔵庫に突っ込む。

その次は風呂場に行きシャワーを浴びる。熱めの水を頭からかかり気分を落ち着ける。汗を流すというよりも気分転換の意味合いが大きいかもしれない。

一夏は気が済めばすぐに髪と体を拭いて服を着る。そして髪をガシガシと粗めに拭きながら鏡を見ると

 

「相変わらず酷い顔だな」

 

思わず自嘲的な言葉を口にする。

それほどまでに一夏の姿は酷かった。

くっきりとクマが目の下にあり、ギラついた目は人を不安にさせるだろう。少し下に視線を向ければ首には紐の痣が何重にも残っている。何度も首吊りを試みたことが簡単に分かる。

そして一際目を引くのが右手首にある切り傷。その部分はとても目立つほどに傷口が深くえぐれていた。

 

その気になる織斑一夏の自殺未遂は計14回。

もはやなぜ死んでいないのか不思議なほどだった。一夏自身、自分が臆病で踏み越せない壁があったが、それでもこの回数をこなしてあの世にいっていないのがおかしいとは思っており、最近の引っ掛かり続ける悩みだ。

 

「こんな姿を見たら鈴や弾はなんていうかな……まあ考えても仕方がない。メシを食おう」

 

そういえば今日は千冬ねえもいるんだったな、と久し振りに朝食を共にする姉の存在を思い出して食材の量を増やし、メニューを姉の好みに合わせて変更する。

料理をぱっぱと作ろうと手際よく調理を進める姿は中学生とは思えないほどの腕前だ。一夏自身も料理人を目指してもいいかもしれないと学校の進路希望調査で書こうと考えるほどには自負しているようだ。

 

「さーてと。千冬ねえが起きてくるまでに作っとかないとな。今日は少しばかり真面目にしようかな」

 

 

 

これが織斑一夏の日常。朝早くから鍛錬に励み勉学と家事をこなし、空いた時間を研鑽するのに費やしている。

これではいつ眠っているのかと疑問に思うだろう。

答えは単純明快。彼はほどんど眠らないのだ。

 

一夏は一年か二年ほど前になるISを使った世界競技大会──モンドグロッソ、そのドイツで行われた第二回で誘拐事件に巻き込まれた。

当時一夏の姉である織斑千冬は第一回モンドグロッソの優勝者であり、二連覇を目されるほどの乗り手だったのだが、それを阻止したかったのか肉親の一夏を攫う事件が起きてしまった。

一夏はその事件の出来事による精神的疲弊からか不眠症を患い、眠れない日々を過ごしているのだ。

 

 

「ふわあぁっ。おはよう一夏」

「おはよう千冬ねえ。顔洗ってきなよ」

「ああ。そうするつもりだ」

 

大きな欠伸をしながら千冬が二階から降りてきた。寝間着をはだけさせ、寝癖で変な髪型という他人には見せられないほどにだらけきった格好でだ。

そんな千冬も元は凄腕のIS乗りで、先の誘拐事件後に千冬は日本代表選手の引退を宣言し、次の世代の育成とかなんちゃらで今はIS学園という教育機関で教師をしているらしい。

 

机に朝食を並べ終えたところに千冬が顔を洗って帰ってきた。ただ寝癖は直していないようだったので後でしなきゃなとひとりごちた。

 

「おお。今日は朝からアジか」

「そうだよ。千冬ねえ、アジ好きでしょ?それに千冬ねえだったら朝からでもいけるだろうしな」

「まあそうだな。一先ず席について頂こうか」

 

2人向かい合わせで座り手を合わせる。いつからか忘れてしまったが、ご飯を食べる時はいつも2人揃ってからだった。

 

「いただきます」

「いただきますっと」

 

朝の鍛錬でエネルギーを消費した一夏は育ち盛りということもあわさりすごい量のメシを平らげていく。そんな様子を見て微笑んでいた千冬だが、少しいいずらそうにしながら話を切り出す。

 

「それで一夏。……病院の結果は、どうだったんだ?」

「いつもと変わんないよ。原因不明で、おそらく過去の事件のトラウマによるストレスだろうってさ。俺もそんな気がするし」

 

なんともない風に返事をする一夏だが、千冬は気づいていた。一夏が箸を休めたその右手首の傷跡を左手で撫でていることに。

 

「なあ、一夏。あれはお前のせいじゃないんだ。あまり気に病むことは……」

「そう何度も言わないでくれよ、千冬ねえ。そう割り切れねえから悩んでいるんだ。だってありゃあ……逃げ出した俺が原因なんだろ?あのまま大人しく捕まったままだったらよかったんだ」

「すまない。気休めに言うつもりだったんだがそんな軽々しいものではなかったな。悪かったよ、一夏」

 

それから2人はどちらも話そうとせず、箸の皿で鳴る音や味噌汁を啜る音だけがこの静寂の中で音と言っていっていいものだった。

 

 

玄関先で黒のハイヒールを履いたスーツ姿の千冬が、一夏に遠慮がちに声をかける。

 

「じゃあな……一夏。行ってくる」

「……ああ。行ってらっしゃい、千冬ねえ」

 

物憂さげに一夏に視線を一瞬だけやると背を向けて玄関のドアを開けて出勤する。

千冬自身も事件の後から変貌してしまった一夏との距離の取り方が分からず唯一の肉親として、姉として弟の悩みを解決する術がないことに自分の無力さを実感していた。

 

 

 

まだ早朝といえる時間帯なだけに住宅路を歩く人も走る車も比較的に少なく静かといえる。その通りを千冬はとぼとぼと歩いていた。

 

千冬は無意味だとわかっていながらも考えてしまう。

一夏の不眠症をどう治療するのか医者も有効な手段を見出せなかったが、最近はめっきり連絡するのが減った親友に頼めば治せるかもしれないと思いつくものの自分のせいで多忙の身と考えれば頼ることを躊躇ってしまうのだ。この思考を何百回と繰り返してきたが千冬には未だに答えを出さないでいる。

 

「私はどうすればいいのだろうか」

 

チクリと胸が痛んだ。懐かしくも苦々しい記憶が頭をよぎったからだ。

あの頃は常に全能感に溢れていた。私は後悔などしないと言い切り、親友の忠告と懇願に耳を傾けずそして……その傲慢さが親友の夢を壊した。

今度は最愛の弟までもがひどく傷ついてしまった。

 

もうあの自由だった頃とは違う。

千冬は責任と力を持ってしまったのだ。

それをほっぽり出すことは許されない。

 

それを理解しているからこそ千冬はため息をつく。

それは深く後悔と疲労を感じさせるものであった。



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3話

少女──朝霞結女は目を輝かせてあたりをキョロキョロと見回す。1年前まで狭い病室で過ごしていたからか興味の対象は数知れず。無邪気に目に映ったものに対して動き回っていた。

その興奮した様子に周囲が注目していることに気づくこともなく興味の持った対象をいじったり観察していると、その雰囲気に当てられたのか視線が彼方此方と彷徨いソワソワとしだす生徒もいる。

 

「ここがIS学園かあー。想像以上に楽しいところだね」

 

15歳になり受験を終えた彼女が今日から通うのは世界初で唯一のIS教育機関“IS学園”だ。

厳密には日本の領土に含まれないとかややこしい取り決めがあるそうだが、日本の太平洋海上に埋め立てて作り出した人工島には本土から連絡橋が架かっており気候も特に変わらず日本人としては外国に来たという感覚はない。

当然その特異性ゆえか自分の知っているような教室とは違い、広さも設備も充実していた。流石は天下のIS学園というべきか、かけられている金額が桁違いらしく勉学以上の設備にも投資されているところを見るに留学生なども意識しているのだろう。

 

「色んな人がいるなあ……やっちゃん、私にも友達できるかな?」

『きっとできるよ。結女は優しくて一緒にいると、とおっっても楽しいからね!』

 

結女は誰もいない虚空に向かって小声で話しかけると誰にも聞こえないという不可思議な声が返ってくる。

そう返事をしたやっちゃんは結女の親友ともいえる友達。

側から見れば1人で喋っているだけの不気味な少女に思うかもしれないがやっちゃんはちゃんと存在しているのだ。

最初はイマジナリーフレンドかとも思ったが、どうにも彼女は自分の知らない知識と自我を持っており、形のないだけで自分と大差のない存在だとわかったのだ。

その結女の寛容さと優しさがあったからこそ対等な関係、親友にまでなれたのだ。

 

「えへへ。そっか、そうだといいな。あ、ちゃんと安心しておいて、やっちゃんは何があっても私の一番の親友だよ!」

『あら、ありがとう。嬉しいわ……でもね、結女。前にも言ったけど人前で私に声を出して話しかけないでよ。結女が私に伝えようと念じてくれれば私には聞こえるんだからわざわざ口を開かなかったっていいわけ。わかるでしょ?』

「うーん」

 

やっちゃんが強く言い聞かせるが結女はとても困ったように唸り頭をひねっている。その様子を見て嫌な予感がするやっちゃんは、ものによれば止めないといけないわと思い尋ねる。

 

『ねえ、結女?さっきから何を必死になって考えているの?ここでの行動はそのままこれからのあなたの学業生活に直結するのだからくれぐれも変なことをしないでよね』

「別に大したことじゃないんだよ?ただやっちゃんのことをみんなにはどうやって説明したらいいかなと考えていたの」

『あのさー、その気遣い?は嬉しいんだけど正直そんなことをしなくていいから自己紹介の内容でも考えておきなさい』

 

案の定この箱入り娘は突拍子のないことばかりを考えるなとやっちゃんはため息をつく。

その突拍子のなさがこの娘の心の豊かさに繋がってはいるのだろうと理解はしながらも、その親身になりすぎる性格のせいでこの娘は私が形を持たない存在だと忘れているんじゃないかとすら思う。

そら今もまだうんうんと唸っている。

 

『どうしたの?何かおかしなことでも言ったかしら?』

「いや、あのじ、自己紹介?あれって絶対にしないといけないの……?正直に言って惰眠ばっか貪ってた私に話すことなんて全くないよ?」

『はあ!?何を言ってるのよ、まったく。いつも本を読んで博識かと思えば途端にこれよ。いい?自己紹介は貴方の印象づけにもなるのだからしっかりしなさいな!』

 

そんな感じで静かに騒がしくしていると、黒板の方にある扉から結女自身か、もしかしたらそれ以上に低い身長の女性が入ってくる。結女はその身なりと、両腕に抱える書類などから教師だなと察し静かに席に座る。

その子供のように低い身長のせいで同じ生徒だと誤解する者もいたがHRの時間が近いこと皆気づいて各々の席に戻る。

 

「はい。みなさんはじめまして。私はこの1年1組の副担を務める山田摩耶です。1年間よろしくお願いしますね」

 

ニコッと笑みを見せる摩耶に結女は一応は返事をしないといけないと思い小さな返事を返す。

 

「よ、よろしくお願いします」

 

しかし、返事をしたのは結女だけでみんな結女の方に向いたりくすくすと笑う。思わず羞恥心で顔を隠すように机に寝そべる。

残念ながらマイペースな結女に空気を読むことは難しかったようだ。

笑い声を必死に抑えながらやっちゃんが宥める。

 

『元気だしなよ、結女。たしかに返事をしたのは貴方、だけだったけどさ。挨拶は、大事だから、ね?ふふっ』

 

しかし彼女は追い討ちをかけるかのように笑い声をこぼす。

はああっーと耳を赤くさせる結女だったが山田先生は感激したように反応する。

 

「わああっ。ええと、朝霞、朝霞さんですね」

 

名前を名簿から探し、おもちゃを見つけた子供のようにパッと笑顔を浮かべる。

 

「良いお返事です。みなさんもしっかり返事をするようにしてくださいよ。担任の先生は怖い人ですからね。わかりましたか?」

 

はーいと元気に返事をする生徒たちを見て最初からその調子でいてよ!と1人拗ねる結女だった。

 

「では、時間も少ないことですし自己紹介をしていきましょう。相川さんからお願いします」

「はーい。わかりましたー。私の名前は相川清香です。中学の時の部活は……」

 

ん?今話してるのは相川さん……あいかわさん。

そして私の苗字は朝霞。あさかです。

 

これ次じゃない?

『そうだね〜。次は結女の自己紹介だね〜』

そんな他人事みたいに!

『実際そうじゃん。まあ頑張りなよ』

いや他人だけどさ!長年の付き合いというか、心の友ともいうべき私にアドバイスぐらいくれたっていいじゃんか!

『心の友?あんまり上手くないよ。もっとセンスを磨いてからだね』

 

コイツゥと結女は恨めしく思う。

学校にもまともに行ってなかった結女に自己紹介はハードルが高い。だから頼れるやっちゃんに助けを求めたのにどうにも首を縦に振らない。さらに揚げ足とっては煽ってくる。

結女にはやっちゃんがこの状況を楽しんでいるように思えてきた。

 

ああぁっもう。そうじゃないし!真面目に聞いてよ!

『あーはいはい。手伝ってあげるから頑張りなさい』

ほんと?ありがとう。やっちゃん大好き!

『でも、もうあなたの番よ』

 

手のひらクルクルしてやっちゃんのご機嫌をとる結女だが残念ながらうっちゃんと会話をしすぎたせいで自己紹介を考える暇が潰れてしまった。さらに先の挨拶のせいか山田先生がとても期待を込めた眼差しを向けてくる。

 

「次は朝霞さんですね」

「あ、はい」

 

内心もの凄く慌てながら席を立つ。やっちゃんに心の中で怒りをぶつけるのもある意味仕方がないかもしれない。

 

「ええっと、朝霞結女です……」

 

やっちゃんは言葉が詰まってしまい濁す結女を見かねて助け舟を出す。

『趣味とか好きなものを言いなさい。簡単なことでもいいから自分のことを教えるの!何も言わずに掴み所のないまま終えるのが最悪よ』

 

「……趣味は読書と寝ること。好きなものはお菓子やケーキです。少々無知なところなどがあると思いますが教えてもらえたらありがたいです」

 

ペコッと、頭を下げて席に座り、これでどうだと内心ドヤ顔をする。これ以上にない完璧な自己紹介だと確信しているからだろう。

 

『普及点かな。過眠症について濁したのは上手かったけど他は普通。もうちょっと深く掘り下げても良かったと思うけど』

もういいよ。やっちゃんなんて嫌い。

 

意地悪をされてすっかり拗ねてしまった結女を見てやり過ぎたかなと、やっちゃんは少しだけ反省し、宥めるのには骨が折れそうと根気よく話しかける。

 

 

 

やっちゃんの努力もあってか少しずつ機嫌を直した結女はみんなの自己紹介がどれくらいかなと顔を上げる。

 

「織斑一夏です。特技は料理とかだと思います。なんか世界初の男性操縦者とか言われて囃し立てられてますがISに関してはど素人なんであまり期待はしないでください」

 

眠そうに話す一夏の顔にはクマがくっきりとついていて不健康な印象を受ける。

当然唯一の男子生徒ということで期待を寄せていた生徒たちの一部はこの時点で幻滅してしまっているようだ。

それでも元の顔は中々整っているので声を上げる女子生徒は少なくない。

 

「織斑、貴様はもうちょっとマトモな自己紹介を出来んのか」

 

一夏の背後で呆れた様子なのは織斑千冬だ。

ISを知るものなら知らぬものはいないと言えるほどの大物、世界最強(ブリュンヒルデ)の名を欲しいままにした人だ。残念ながら第2回モンドグロッソ優勝は逃したがそれでも彼女がブリュンヒルデだと言って憚らないものもいるほどに強い人望と影響力がある。

その人がIS学園にいるのは納得できることだしこの教室にいるということは担任だからだと思える。

そして担任ならば流石に一夏の自己紹介の適当さを看過出来なかったのだろう。

 

「んーあそうか。じゃあ趣味は鍛錬です。これでいいです?」

 

はあーっとため息をつく。千冬相手にそんな対応が出来るのは鈍感なのか愚直だからか。だがまあそれでよしとした千冬は自分の紹介をする。

 

「諸君。私が君たちの担任を務める織斑千冬だ。君たちを1年間を通して指導していき最低限としてISに関わるものの心構えなどを覚えてもらいたい。私の話にはしっかりと受け答えをすること。分かったな?」

 

このクラスなら退屈はしなさそうと結女はそう思った。



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