きっと世界で一番くそったれな『個性』 (週刊ヴィラン編集部)
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ネガ・フェアレディ

本作品には人倫に背く描写が多数含まれます。
ご注意の上、ご覧下さい。


 八歳の夏、少女は自身の姉を包丁で刺殺した。

 それが、ネガ・フェアレディの原点(オリジン)だった。

 

 

 

 うらぶれた雑居ビルにある一軒のバー。

 薄汚れたそこは悪党共の溜まり場だ。

 窓のないその部屋は、いくつかのキャンドルの灯りのみが光を支えている。薄暗い室内では手元と近場の人間の顔程度しか見えない。

 店内には個性黎明期に流行ったような古臭いジャズのレコードだけが音を奏でている。

 ここにはムーディーなアベックも、荒くれの酔っ払いも、ヤクを売り捌く外国人も誰一人としていない。

 さもありなん、店の扉にはclosed、つまりは準備中の看板がかけられている。

 この店はいつもそうだ。いつも準備中。

 一般に公開されていない、完全会員制のバーである。

 

 氷とグラスが接触し、カランと音を鳴らした。

 音の元、カウンターの席では、一人の少女が酒を嗜んでいる。

 グラスを傾け酒を呷る少女は、一見するとこのバーには不適格な存在だ。

 濡羽色の髪を三つ編みに結んだ眼鏡をかけた少女。赤と緑、ちょこんと頭に二つ付けたリボンは幼さの象徴か。いずれにせよその生真面目そうな印象は場末の酒場には似つかわしくない。

 何より彼女の纏った衣服は、このビルの近隣に位置するお嬢様学校の制服である。

 疑いようもなく未成年であった。

 だが、少女を咎めるものは──本来咎めるべきであるバーテンダーも含めて──誰もいない。

 

「やっぱりさ」

 

 少女はグラスに僅かに残った液体を流し込んで、感慨深く呟く。

 

「焼酎は芋だよねぇ〜。芋」

 

 片手で持ったグラスを軽く左右に振りながら、少女はそう嘯いた。

 カラカラと氷が音を立てる。

 

「麦と米が悪いって言うんじゃないですけど〜。もっとビールとか日本酒とか、適切な使い道があるじゃないですか?

 そう思いません? クッキーさん」

 

 少女はそう言って、バーテンダーに目をやった。

 お代わりをよこせとばかりに無言で要求する。

 返答を待つ少女に対し、バーテンダー風の男は苦笑して答えた。

 

「貴女、酒の味なんて全くわからないでしょうに……。無駄に飲まないでくださいよ?」

 

 体裁だけは普通のバーのような風体であるが、実のところここにある酒は営利目的ではない。

 その全てがバーテンの男と仲間たちが楽しむための嗜好品だった。

 男から見れば、少女が酒をかっ喰らう様は、悪ぶったお子様の悪戯にしか見えなかった。

 酒の味もとんと解らぬ餓鬼に飲み散らかされるのは、シンクにそのまま流し入れるのと果たして何の違いがあるのだろうか?

 男には解らない。あるいは「先生」なら含蓄ある金言を紡げただろうが。

 何はともあれ男の指摘は図星だったようで、少女はペロッと舌を出して開き直った。

 

「あ、やっぱりバレました?」

 

 しかし、要求する手は引っ込めない少女。

 バーテンダーは近場のグラスを磨きつつ、嘆息した。

 目の前の子供が自身の忠言程度を聞き入れるわけもなく、いざとなれば意見を押し通せるだけの実力があることもわかっている。

 また、彼女の戦力維持(・・・・)のためにそれが必要な行為であることも「先生」より聞き入れていた。

 やれやれと彼は背後の酒棚から一本取り出すと、封を切り、少女に瓶ごと手渡した。

 冷たくもなく熱くもなく。常温で安置されていた酒瓶を受け取った少女は、なおも不平不満を垂れる。

 

「え〜。クッキーさん。お酌してくれないんですか〜?」

「嫌ですよ、面倒臭い。手酌で飲んでくださいよ」

 

 男は心底うっとおしそうに答える。

 男にとって、この少女は自身のコレクションを荒らすネズミに他ならない。酒を出しているだけありがたいと思え。

 そんな思いが伝わったのか、少女はぶーたれた。

 

「へいへい。わかりましたよ〜だ」

 

 憎まれ口を叩いた少女は瓶のキャップを外し、コップを漆喰塗りのカウンターに置き据えると。

 注ぎ口に口をつけて瓶ごと呷った。

 

「なっ、馬鹿ッ!」

 

 ごくり、ごくり。

 目を剥いたバーテンダーが叱責する間もなく、女は酒を嚥下し吞み下す。

 液体の流れるのに合わせて、少女の喉がぐびりぐびりと艶めかしく脈動する。

 白い肌はほのかに赤く染まり、子供と大人の境目にある少女を妖しく彩った。立ち振る舞いがおっさんでなければ、上々の玉だろうに。

 阿呆な仕草といい、自身の魅力を削ぎ落とすことに余念のない少女である。

 「ああ、勿体ない」と男の悲しみもなんのその、瓶一本を丸ごとうわばんだ少女はけふりと可愛らしく咳をする。口元を軽く制服の裾で拭った彼女は座席に座りなおし、きりりと顔を引き締め、畏まってバーテンダーに話しかけた。

 

「ん〜。クッキーさんや、クッキーさん」

「……はい? 何でしょう?」

 

 バーテンダーが声を返すのに時間が掛かったのは少女への心配か呆れか、酒への悔恨かはたまたその全てか。

 そんな煩悶を突っ切って、少女は瓶のラベルを男に向けると、ドヤ顔で言い放った。

 

「クッキーさんが自分と同じ名前の焼酎を出してきたのって、『私を飲み干して』って無言のアピールですか!?」

 

 パチリ、グワリ、ドンガラカッシャーン、ギャーごめんなさ〜いっ!

 

 少女の戯言を聞くや否や、バーテンの男は指をスナップさせて音を鳴らす。

 そうすると少女の頭の上に、薄暗いバーの中を見比べてもなお真っ黒な靄が広がった。

 キャンドルの光を飲み込むそこから流れこんでくるのは、黒、白、赤、茜、EXと言った多種多様の酒瓶たち。

 彼らは同胞の無念を晴らそうと、一斉に蟒蛇に向かって雪崩れ落ちた。

 少女の真上から飛来したそれらは、少女の頭や肩を強かに打ち付ける。堪らず少女は男に謝罪した。

 

「いたっ、いたたたた! ご〜め〜ん〜な〜さ〜い〜っ! 冗談ですってば!」

「わかればよろしい」

 

 少女の平謝りに溜飲を下げた男は、右手をさっと軽く振った。それに合わせて黒モヤが虚空へと消えゆく。

 少女はそれをアホ面下げてほへぇと見つめていた。

 

「やっぱ、クッキーさんの『個性』って反則ですよね〜! 物流の世界なら頂点取れるんじゃないですか?」

 

 ──なんでヴィランなんてやってるんです?

 言外にそう含める少女。

 パーソナルスペースに土足で切り込む問いかけだった。

 男は顔の端を歪めて女に忠告する。

 

「……必ずしも『個性』で生き方が決まるわけではないですが、あまりそういう質問をするものじゃあありませんよ。

 私達の業界(・・)では文字通り殺し文句になりかねません」

 

 ぼけぇとした顔の少女。

 本当に話を理解しているのかつくづく疑念だったが、男は言葉を続けた。

 

「だいたいですね、ネガ・フェアレディ。私の『個性』が最強というなら、あなたのはどうです? 『先生』が認めるほどの強さの『個性』じゃないですか。

 この上なくヴィラン向けの──」

「──やめて」

 

 少女はポツリと呟いた。

 決して大きな声ではなかったが、それはジャズの流れるバーを切り裂いた。

 

「……確かにそうですね。自分に問いかけられて、ようやく実感しました。これは確かに殺し文句だ」

 

 声質はなんら変わらない。

 だが、おちゃらけた先ほどまでと比べると、ひどく理知的な氷のような声だった。

 

「ありがとうございます。黒霧(・・)さん」

 

 だから、二度と私の個性について深掘りしないでくださいね?

 小首を傾げてお願い(・・・)する少女。

 黒霧には、その空気に覚えがある。

 それは、「先生」や宿敵たる「平和の象徴」が発する超常の大気だ。

 男は首を縦に振って応えた。

 声を発そうにも、口内が嫌に渇いていた。

 ジャズ・メロディがレイヤーを隔てているかのようにどこか遠くに感じられる。

 数秒。少女は無音を打ち切って、からりと笑った。

 

「それはよかった! ありがとうございます、クッキー(・・・・)さん!」

 

 男の承諾を得た少女は、ころりと纏う気配を一変させると両手を男に向けて差し出す。

 

「これ勿体無いですから、お返ししますね〜」

 

 いつの間にか、黒霧の気づかぬうちに、少女の両手にはそれぞれ4本ずつ、酒瓶の先端部が指の股に挟まれている。

 先ほど黒霧がワープゲートで降らせた焼酎たちだった。

 一本も割ることなく、少女はそれらをキャッチしていた。

 男は少女のテンションの上げ下げに辟易しつつ、その返却をありがたく受け取った。

 

「……どうも。そのままにしておいてください」

 

 パチリ。

 黒霧がゲートを開く。少女の両手いっぱいの酒瓶たちは、黒モヤに覆われると同時、男の後ろの酒棚の元位置に収まった。

 少女は酒瓶の位置に目をやり、ボソリと呟いた。

 

「いえいえ〜。また今度ご相伴にあずからせていただきますので〜」

 

 パチリ。

 男は再びゲートを開く。

 少女はむすりとふくれっ面を浮かべた。

 

 

 

 数時間後。

 バーテンダーの男が席を外した後も、少女は酒を飲み続けていた。

 そのペースは黒霧がいた頃となんら変わらない。全身から酒の匂いは漂ってくるが、酔っていないどころか顔を赤くすらしていない。

 これも少女の個性の一つの表れだ。

 今の少女は焼酎やウイスキーどころか、スピリタス、果ては工業用エタノールを呑んだとしても肝機能をなんら損なうことはない。

 酒のみならずタバコもドラッグも同様である。

 もっとも、使うかどうかはまた別の話ではあるが。

 

 少女はグラスに注いだ日本酒をチビチビと飲みながら、バーの中で明るく光る場所を見つめていた。

 それはバーの景観をぶち壊すと、黒霧が強硬に反対したもの。

 それは同居人の少年と一緒に黒霧に嘆願することで漸く仕入れてもらったもの。

 つまりはテレビである。

 

「さて今期のヒーロービルボードチャートJP! 残すところいよいよトップスリーのみ!」

 

 少女はグラスを呷る手を止め、テレビを注視した。

 画面の中ではワインレッドのスーツにオレンジの蝶ネクタイをつけたモヒカンの男が、マイク片手に叫んでいる。

 

「長らく続いた結果発表もいよいよ大詰め! 期待の男は既に出たぞ! あのミスタージーンズも出たぞッ! 君の応援するヒーローはもう出たかッ!」

 

 男の煽り文句に乗せられて、会場のボルテージがぐんぐんと上がっていく。

 少女もこの時ばかりは酒を飲まず、年相応にワクワクして結果に注目している。

 

 何を隠そう、少女はヒーローが好きだ。

 

「──今期ヒーロービルボードチャート第三位は、この男だッ!」

 

 舞台上でモヒカンの男が声を張り上げた。

 すると、会場内を一つの影が横切っていく。

 カメラが上空へと向けられた。

 あちこちにふらふらとレンズが傾けられる。視聴者が酔いかねないカメラワークだったが、これは手ブレなどではない。高速の男を必死に追いかけた結果として生まれた必然だ。

 

「さあ皆! 空を見ろ! あれはなんだ?

 鳥か? 飛行機か!?

 ──いや、ヒーローだ! 翼のヒーローだッ!」

 

 会場中に、紅い羽根がひらひらと落ちてくる。

 大気を切り裂いて飛んできたのは──

 

「第三位! ウイングヒーロー・ホークスッ!」

 

 韋駄天男が空から舞い降りた。

 

「……流石速すぎる男。授賞式でハイスピードカメラ使うなんて馬鹿じゃないかな、いい意味で」

 

 テレビの画面では、ホークスのヒーローインタビューの左下に、ワイプで彼の飛行シーンが──スーパースロー、スピードガンによる計測付きで──流されている。

 テレビクルーたちは、無駄に用意周到だった。

 

「──ありがとう、ホークス! 帰りはもっとゆっくりしていってくれていいんだぜッ!」

 

 と、ホークスの歯に絹着せぬインタビューが終わり、いよいよ二位の発表となる。

 ここから先が少女も含めた皆が気になる一幕だった。

 

「続いていくぞッ! 今回こそは『努力』が『全能』を打ち破るのかッ! それとも『全能』はやはり『全能』なのかッ! はたまたダークホースが割って入るのかッ!」

 

 息を大きく吸い込み、モヒカンは声を張り上げた。

 

「今期ヒーロービルボード第二位はこいつだッ!」

 

 ──────。

 静寂。

 耐えかねた観客が騒めくかどうかの間隙、舞台上に一つの火が灯った。

 ポツポツと灯火が増えていき、合わさり焔となる。数多の焔は荒れ狂い、互いに食い合い、一筋の螺旋を描く。

 地獄の轟炎と見紛うばかりの火炎旋風。しかし、それは会場の何も燃やさず誰も傷つけず、完全に飼いならされている。

 熱気渦巻く舞台上で、モヒカンの男が叫び謳う。

 

「文字通りの熱い男だッ! ストイックな男だッ! 男の惚れる男だッ!

 野郎ども、待たせたなッ! 俺たちのヒーローがやってきたぞッ!」

 

 焔の中から、一人の男が歩いてくる。

 その歩みは威風堂々、燃え盛る全身も相まって、獅子を彷彿とさせる益荒男だった。

 彼の登場に、会場の──とりわけ男性からの雄々しい──声援が鳴り響く。

 

「第二位! フレイムヒーロー! エンデヴァーッ!」

 

 モヒカン男が囃し立てる。

 ファンも野太い声援を張り上げた。

 しかし、焔の男はモヒカンの声も、観客の声援の一切も無視して、つかつかとモヒカンの元に歩み寄る。

 そのままマイクを奪い取ると、会場をひと睨みして、一言告げた。

 

「────次は勝つ。以上だ」

 

「……くーる」

 

 画面越しに少女は思わずため息を漏らした。

 エンデヴァーというヒーローは、とかく大衆からの人気がない。

 ファンサービスもせず、メディア露出もせず、ただ愚直なまでにヴィランを燃やして回る。

 見た目も獣のように威圧感漂い、若い女性からはヴィランもかくやというほどに怖がられている。

 だが、彼の生き様は、信念は美しかった。

 『オールマイトを越える』。

 様々なヒーローが若い頃には冗談半分で言えていたものの、キャリアを積むにつれて口が裂けても言えなくなるたわごと。

 そんな戯言を張り続ける男は、今やこの男しかいない。彼のヒーロー像は、若い頃からなんらブレない。

 エンデヴァーとは、無愛想な職人のようなヒーローだった。轟炎司は信念を貫く男だった。

 

 エンデヴァーは少女が最も尊敬するヒーローだ。

 それは必然だったかもしれない。

 人間とは、自身にないものを本能的に求める生物だ。

 

 炎の嵐が去った後、モヒカンの男が檄文を飛ばしていた。

 

「ありがとう、エンデヴァーッ! 来年はもっと後に呼べるよう俺たちも応援しているぜッ!」

 

 

 

「さあ、長らく続いた今期のヒーロービルボードチャートJPもいよいよエンドゲームッ! 泣いても笑ってもチャンピオンはただ一人ッ!」

 

 先ほどまでは、テレビに食い入るように見入っていた少女。

 だが、今は一転リラックスして軽く見ていた。

 何故なら結果は見なくてもわかるからである。

 

「──なんて、こんな前置き要らないよなッ! 皆の頭の中には、彼の笑顔が浮かんでいる筈だぜッ!」

 

 その通り。言うまでもなく、少女の頭の中にも、アメコミ調の男が笑みを浮かべていた。

 予定調和の正義の味方。この上ない安心だ。

 

「ヒーロービルボードチャートJP、映えあるナンバーワン! ナチュラル・ボーン・ヒーロー! 

 平和の象徴ッ! オールマ────」

 

 プツン。

 テレビから光が消え失せた。

 

「にゃぁぁぉっ!?」

 

 奇声をあげる少女。

 椅子から転げ落ちて、テレビまで這いずりよる。

 ところが近くまで来たはいいものの、薄暗い部屋の中では、お目当のボタンがなかなか見つからない。

 しょうがなしに、埃まみれのモニター本体の側面を触って、電源スイッチを探し回った。

 音越えチャンネル越え入力越え、漸く電源スイッチに手をかける。

 再び部屋に光が灯った。

 

「こんな時に故障しないでよぉ……」

 

 おずおずと定位置に戻り、画面を見直す少女。

 テレビの中ではもうもうと白煙が上がっており、その中にはうっすらと人影が見て取れる。

 トラブルはあったが、なんとか間に合ったらしい。

 まさに今、煙の中の英雄が光とともに──

 

 プツン。

 

「なんでぇぇ!?」

 

 再び椅子から無様に転げ落ちる。

 そんな彼女の背中に、年若い男の声が投げかけられた。

 

「ここであんな社会のゴミを観ることは禁止だって、俺は言ったよな、黒野?」

 

 声の主はそのまま黒野と呼んだ少女の元につかつかと近寄ると、先ほどまで彼女が座っていた椅子にどかりと腰掛ける。

 手に握ったリモコンを机の上に放ると、おもむろに脚を上げ少女の背を足置き台がわりにした。

 意図せず受けた質量に、黒野は、ふげぇと潰れた声を漏らす。彼女は埃まみれの顔を精一杯上げ、首をひねって抗議した。

 

「なんてこと言うの! 言うに事欠いてオールマイトが社会のゴミだなんて! 社会のゴミなのはむしろ私たちの方でしょ!

 ……ていうか足どけてよ、ラッキーくん!」

 

 そう言うや否や、少女は身体に力を込め、勢いよく立ち上がる。

 その衝撃は背に脚を載せていた少年を反動で椅子から跳ね落とすほどだった。

 地面に強かに打ち付けて腰をさする少年をよそに、黒野は机の上のリモコンを奪い取る。

 すぐさま少女は電源ボタンをピッと押した。

 が、しかし。

 彼女を迎え入れたのは、筋骨隆々の男が手を振る様を背景に流れる、製作のスタッフロールだった。

 

「──がとう! 応援ありがとう!」

「ぬぅえぇっ! もう終わってるじゃん! どうしてくれるのラッキーくん! 私が来たって見れなかったじゃん!」

 

 振り返る黒野。

 その黒目に移ったのは、全身手だらけな痩身の少年が、五指を開いて(・・・・・・)摑みかかる姿だった。

 反射的に床を蹴り、後方に跳ねる少女。

 机が引き倒され、コップが宙を舞う。

 

 しかしその甲斐虚しく少年の凶指は、少女の胸元をしかと捉えた。

 

 

 

「……あー、その。ラッキーくん。そんなに嫌だった?」

「……チッ、相変わらずお前の『個性』はチートかよ」

 

 反省の色なくぽりぽりと頭を掻く黒野に、少年──死柄木弔は苦情をつける。

 

「いやぁ。私のこれはどっちかと言うと、くそったれなバグの類じゃないかなぁ」

 

 少女は少年の言葉を一部訂正し、にへらと笑った。

 摑みかかられた彼女の胸元は、まるでその一部だけが初めから何もないかのように制服がむしり取られ、否、「崩壊」していた。

 それは、個性社会に置いて少年が持ちうる異能、個性の代物である。

 触れたものを崩壊させるという、少年の言葉を借りるならば、まさしくチート級の個性。

 

 だが、(ことわり)に反して、少女の肌には傷一つ(・・・)付いていなかった。

 少年は確かに少女の身体に触れたのに、だ。

 

 自身の手のひらを見つめてどこか煩悶とする少年をよそに、少女はどこ吹く風で文句をつけた。

 

「というかラッキーくん。制服勿体ないから破かないでくれない!?」

「……は? あぁ、そういやお前なんでそんなの着てんの?」

 

 少女の言葉で漸くその格好が普段の格好と違うことに気がついた少年。

 問いかけを受けた黒野は自慢げに答え始める。

 

「よく聞いてくれました! 私がわざわざ制服を調達(・・)して着ている理由は──」

 

 言葉を切り、余韻を貯める少女。

 少年の興味が向いたことを確認して少女は朗々と語りだす。

 

「──ただのおしゃれで〜す! ばっかでぇ、女の子のコーディネートに理由なんてあるわけないじゃん!」

 

 そんなんじゃモテないよ、ラッキーくん。

 そう続ける黒野に、死柄木はこめかみをひくつかせて返した。

 

「やっぱお前、イかれてるよ」

「君も含めて、ここにいるみんなが、でしょ?」

 

 少女はほつれた胸元の布を引きちぎると、言葉とともに吐き捨てた。

 

「──ヴィランなんて悪人は、みんなどっかおかしいに決まってるじゃん」

 

 いつのまにか、テレビの光は消えていた。

 

 

 

 黒霧がバーに戻ると、バーの中は酷くとっ散らかっていた。

 餓鬼二匹は、散々暴れて立ち去ったらしい。

 

「──全く、あの二人は。家庭内ヴィランの真似事ですか」

 

 拠点の維持管理は彼の仕事だ。

 だからと言って小間使いの真似事をしたいわけじゃない。

 そう思いつつも、黒霧はついつい彼らの世話を焼いてしまう。

 子供の奔放さと自身の薄弱さに辟易して男は溜息をついた。そのままに彼は、掃除用具を求めてロッカーに向かう。

 その途中で、テレビのリモコンのボタンをポチりと押した。

 ニュース番組。最も普遍的な情報手段。

 流し聞きながら、男は掃除し始めた。

 

「──速報です。

 昨晩未明、××市の路上で××女学院の女子学生の遺体が発見されました。

 衣服、持ち物の類が持ち去られており、遺体に外傷のないことから、警察・ヒーローは物取りの犯行とみて調べを進めています」

 

 男はちりとりに溜まったゴミを、ゴミ箱に捨て入れる。

 割れた酒瓶、つまみの袋、どこかの女学院の校章が、一緒くたになって堆積した。

 

 




ヴィランネーム:ネガ・フェアレディ
本名:黒野??
個性:この世で最もヴィランらしい、最低最悪の『個性』。
   『崩壊』の個性を受けても傷一つつかない。
   現段階において、どんなに度数の高い酒を飲んでも肝機能を損なわない。
備考:ヒーロー好き。ヴィラン嫌い。


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最終学歴・小学校中退

USJまでやろうと思いましたが長くなるのでやむなく分割。


 血に塗れた部屋の中で、黒の魔王が両手を大きく広げて訥々と語る。

 

「僕を確実に破滅させることが出来るならば、公共の利益の為に君は喜んで死を受け入れるべきだった。

 ──ヒーローとはそういうものだろう?」

 

 声を向けられた少女は手に握った包丁を強く握りしめた。

 プルプルと震える両手で握られたそれの先端からは、ポタポタと命の雫が洩れ落ちている。

 へっぴりごしの少女は、切っ先を男に向け、おぼつかない足を叱咤した。

 目の前にいる男は、少女が生まれて以来初めて見た、超弩級のヴィランだ。少女の全身がそう感じていた。

 だから、これはある種のチャンスなのだろう。

 この男をここで止めるためには。

 男はなんら気にするそぶりも見せず、ただ悠然と立ちすくんでいた。

 刺そうと思えば、目の前の魔王はきっとそれを受け入れることだろう。

 

 少女は目の前の男を無力化出来るかもしれないと予感していた。

 だが、それにも増して、行動に起こせば結果のいかんにかかわらず自らは死ぬだろうという奇妙な確信を持っていた。

 だからこそ、少女は英雄然とした行動を取ることができない。

 ヒーローの基本は自己犠牲。少女にヒーローの素養は全くない。

 

 自然に体が動くこともなく、ただただ未来に怯えて震える少女。

 そんな彼女に飽きたのか、魔王ははぁと溜息を漏らすと、少女の元へぴちゃぴちゃと歩み寄った。

 血溜まりを踏み越えて男は少女の正面に立つ。彼は子供から包丁を素手で奪い取った。

 

「あっ……」

「滝壺に落ちる正義をもてない君は、ヒーローにはなれないよ」

 

 男は取り上げた刃物を無造作に後ろに放り投げる。

 放物線を描いてくるくると回り飛んだ包丁は、赤黒い床にトスリと容易く突き刺さる。

 唯一の武器を失った少女も、あとを追うように地面に崩れ落ちた。

 恐怖にすすり泣く少女。

 おやおや、と男は戯けて少女をあやした。

 

「どうしたんだい、レディ(御嬢さん)? 何か悲しいことでもあったのかい? そら、プレゼントをあげよう」

 

 嘲笑を浮かべて少女を嘲る男。

 しかし擦り切れた少女はピクリと震えるだけで男の方を見ようともしない。

 ここで、悪逆の魔王はひとつ素晴らしいジョークを思いついた。

 男は少女に右手を向けると、ゆるやかに天井の方へと動かした。合わせて、グィと引っ張られるように少女の顔が強制的に男の方へと向けられた。

 彼にとってそれは、彼が何十何百と持ちうる中の一つ、まさしく児戯だ。

 黒い男はおもむろにしゃがみこむと、足元に横たわる()の髪の毛から、白色のリボンを取り外した。

 そしてそれを──

 

「ふむ、白か。これからの君にはふさわしくないな」

 

 ──()の胸に開いた穴に突っ込んだ。

 グチュリグチュリと肉をかき混ぜる。耳障りな音が少女の耳を打ち付ける。

 およそ正道を歩む人間が見ることのない、外道の旋律。

 堪らず彼女は金切り声をあげた。

 

「やめて──ッッ!!」

「ならば止めるがいい! やれよ、ヒーロー? 君なら僕を倒せる、そうだろう?」

 

 魔王は子供に見せつけるように亡骸を冒涜し、挑発する。

 だがそれでも少女は動けない。

 更に向こうへ(Plus Ultra)、進めば死ぬ。絶死の(ことわり)を少女は直感している。

 約束(・・)を違えるわけにはいかない。

 少女はボロボロに歪んだ顔で、暴虐をただじっと睨みつける。

 その諦めた様子に、男は思わずニヤリと笑みを浮かべた。

 女の体から腕を引き抜くと、男は高らかに少女を愚弄する。

 

「おぉ、ブラボー! 実に利己的、実に保身的だ! まさしくヴィランの才に満ち溢れている!」

 

 パチリパチリと手を叩き、男は続けた。

 

「いいだろう、今日は君の記念すべきはじめての殺人。いわば殺人記念日だ! 君にふさわしい贈り物をしようじゃあないか!」

 

 黒い男は手に持った肉片混じりの薄汚れたリボンを見つめる。そして彼の複数ある個性を発揮した。

 何者にも汚されぬ白色だったそれは、読んで字のごとく血染めの赤に汚く変色し、今まさに個性によって乾燥され、固着する。

 肉片をもう片方の手でさっと払うと、魔王は少女ににっこりと微笑んだ。

 

「ようこそヴィランへ、レディ?

 ──もう大丈夫、僕がいる」

 

 黒い男は少女の髪に形見のリボンをつけてあげた。

 少女の頭をわしゃわしゃと撫でる男。

 その指先からは、搾りたての鮮血が流れ落ち、少女のこめかみから頰にかけてを染め上げた。

 

 

 無機質な電子音が、少女の意識を覚醒させる。

 

「……もう朝か」

 

 見慣れた夢から覚めた少女は、目覚ましを止め、ゆっくりと上体を起こす。

 両手を頭の上で組み、グッと体を伸ばしあげ、心身の調子を確認する。

 どうやら衰弱(・・)はしていない。無事今日も健康なままのようだ。

 安心した少女は、ノロノロと布団を離れた。そのまま鏡の前まで移動してボサボサ頭を撫でつけ整える。

 少しの時間とともに出来上がったのは、三つ編み眼鏡といういかにもヴィランに相応しくない女の姿。

 出来上がりに満足した少女はにっこり笑うと、仕上げとばかりに緑と赤、二色のリボンを頭に付けた。

 

「よし! 今日もばっちし可愛い!

 それじゃあ今日も元気に()きましょう!」

 

 鏡に向かって、黒野はそう呟いた。

 

 

 

「しかしですね、死柄木弔。いくら生徒とは言ってもあの雄英の生徒ですよ? 纏めて相手をすればこちらにも無視できない被害が出るのでは?」

「別に問題ないだろ? 集めた雑魚キャラ達がいくらやられようと、ボスキャラさえ倒せば無事ステージクリアだ」

 

「おーす! おはようで〜す!」

 

 朝一番。元気よくバーに飛び込んだ少女。

 彼女の目に飛び込んできたのは、らしからぬ真面目さで話し合う二人の男たちだった。

 彼らは乱入してきた黒野をちらりと一瞥したのち、そのまま話し合いに戻る。

 

「オールマイトさえ殺しきればいい。それは確かにそうですが、子供達が障害になる可能性も捨てきれないのでしょう。今年は特にエンデヴァーの息子のような金の卵も混ざっている事ですし」

「……チッ。わかったよ。なら黒霧、責任持って餓鬼どもの面倒はお前が見ろよ」

 

 ある種の合意がなされた二人。その様子を見計らった黒野は、二人が居座るカウンターの近くに駆け寄ると、少年の横の席にどかりと座った。

 

「ねーねー。二人とも今日はどんな悪巧みしてるの? 暇だし私も混ぜてくれない?

 ──あっ、クッキーさん起き抜け一杯よろしく!」

 

 ぴっと手を伸ばして注文する少女。黒霧は無駄を知ってなお窘めた。主に自身の酒蔵のために。

 

「朝会ってすぐアルコールを取るなんて身体に悪いですよ。ネガ・フェアレディ。年頃の若い女がやる事じゃありません。

 ──おっさんですか、貴女は」

 

 嫌味をこぼす男。それを聞いた死柄木は、ぷっと吹き出した。追従して少女を揶揄う。

 

「言えてるな。確かに暇さえあれば酒飲んでるこいつは、どこからどう見ても中年のオヤジだ」

 

 うぐぅ。

 黒野はかすかな唸り声をあげた。薄々自覚はしていたが、客観的に見ても少々飲み過ぎだったらしい。

 経費で落ちるタダ酒だからとバカスカ飲み開けたのは女子力を大幅に削る行為だったか。

 だが、それでも、女としてのプライドを守るために。

 少女は詭弁を弄して反論した。

 

「クッキーさんに、ラッキー君までそんなことを言うなんて! 仕方ないじゃないですか! 後二、三年しかスタイル維持に使えないんですから、今のうちに飲めるだけ飲んどこうって乙女心、わかってくださいよ!」

 

 隣の席の少年が眉をひそめるのもなんのその。

 黒野はバシバシとカウンターを両手で叩く。

 いいから黙って酒もってこい、とばかりにバーテンの男を威圧した。

 

「……ええ、いいでしょう。貴女のどこにそんな乙女心があるか、私にはちっとも理解できませんが。そんなに飲みたいならどうぞ」

 

 根負けした男は少女の目の前にワームホールを開く。

 ごとりと音を立てて落ちてきたのは一本百円程度の缶チューハイだった。どうも〜とおざなりな感謝を一言残す。少女はすぐさまそれに飛びつくと、プルタブを押し上げて缶を呷った。

 

「ぷはぁっ! 気つけ替わりの一本! やっぱり朝はこれですよねぇ〜」

 

 グビグビと喉を鳴らして流し込む少女。そんな彼女に死柄木はあきれた様子で指摘した。

 

「お前やっぱり底抜けの馬鹿だよな。前衛極振りの脳筋キャラ」

「失礼な。私だって地頭はいいって昔お姉ちゃんに褒められてたんですから! 単に学校行ってないから知らないだけですって」

 

 黒野は間髪入れず反論する。しかし、その口端からは涎のように酒が漏れているのを鑑みれば、少年の物言いは真実だろう。

 死柄木は肩をすくめて相槌を打った。

 

「ああ、そうだな。お前がそう言うんならそうなんだろう」

 

 お前の中ではな。

 少年の心など知る由もなく、少女は袖口で口を拭っていた。

 

 

 

「それで二人とも何の話ししてたんです?」

 

 チューハイを飲み終えた少女は、空き缶を少年の方に放り投げて問いかけた。

 死柄木はアルミ缶を片手でつかみとり、問いに答える。

 金属の塊はサラサラと塵になって大気に混ざった。

 

「俺たちの旗揚げについての打ち合わせだ。『先生』から許可とサポートキャラを貰ってきた」

 

 意気揚々と死柄木は語りだす。

 少女もそれに合わせて少年を囃し立てた。

 

「へぇ! いいじゃないですか! 是非是非悪いこと、いけないことをしに行きましょう。それでどこ行くんです? 都心の街中とか?」

「ああ、お前も連れて行ってやるよ。行き先はクズどもの吹き溜まり」

 

 少年は言葉を切ってニヤリと笑う。

 

「雄英高校だ」

 

 雄英高校。

 その単語を聞いた少女の目がキラキラと輝きだす。

 

「いいですね、雄英! 私も昔から(・・・)行きたかったんですよ!」

 

 と、そこで少女は言葉を途切れさせる。

 そのままオロオロと目線を揺らし始めた。

 やがて、意を決して黒野は自身の不明を打ち明けた。

 

「でも、私小学校二年生の途中までしか行ってないんですけど大丈夫でしょうか……?」

 

 私2桁の割り算苦手なんですけど……。

 などと見当違いの方向へ悩みを進める少女。

 呆れる死柄木をよそに、我関せずとグラスを磨いていた黒霧が思わず口を挟んだ。

 

「いや貴女。何で学生のつもりでいるんですか。雄英襲撃ですよ、襲撃。

 ……それはそうと。『先生』の所では勉強を教えてもらわなかったのですか?」

 

 あー。そう言う。

 馬鹿面を納得した馬鹿面に変えた少女は、もぞもぞと弁明を始めた。

 

「高校に行くって言われれば生徒として行くと思いませんか、普通。あ、あと勉強はドクターが教えようとしてくれましたけど、ほとんどサボっちゃいました。なんせ、『学生の本分は勉強』ですんで! これから先ヴィランになるならいらないかなって」

 

 戯言を聞いた黒霧は、子供向けの計算ドリルを買わねばならぬ、と決心した。

 

 閑話休題。

 

「で、何で雄英なんです? ヒーローの卵を潰しに行くんですか?」

 

 いいですねぇ、そういうの。悪っぽい感じで。

 そう言葉をこぼす少女に、死柄木は満面の笑みで答えた。

 

「言ったろう? 社会のゴミを掃除に行くって。俺たちの目的は──オールマイトの殺害だ」

 

 クリスマスイブの夕方、幼子がクリスマスプレゼントを受け取る直前のように、ウキウキした感情を発露する死柄木。

 説明の不足に、黒霧が軽く捕捉する。

 

「オールマイトはどうやら今年から雄英の教師になるとのことです」

 

 目的地は雄英高校。目標はオールマイトの殺害。つまりオールマイトに会える!

 少女の脳裏を、遅々とした電流が駆け巡るッ!

 

「いいですねいいですね、ラッキー君! 五年前に会ったっきりなんで、オールマイトに是非ともまたお会いしたかったんですよ! 今回こそはサイン貰うんです!」

 

 矢継ぎ早に口を動かす少女。

 死柄木はその物言いに茶々を入れる。

 

「まぁ、でもどうせ死ぬんだけどな。オールマイト」

 

 グッと喉を詰まらせた少女は、なんとかして目の前の手だらけ男にひと泡ふかせようと舌を回した。

 

「チッチッチッ。それならあのオールマイトが生前最後に書いたサインって事で、よりプレミアがつくのでもーまんたいですよ。もーまんたい」

 

 ドヤ顔で言い切る少女だったが、そこで、あれ? とひとりごちる。

 

「……ラッキーさん。ラッキーさん。そういや、オールマイトを殺すって、一体どうやるつもりです?」

 

 黒野の何気ない、当然ともいうべき疑問。

 その答えを持っていた死柄木は嬉々として語り始めた。

 

「先生からサポートキャラを貰うことになってる。そいつを使ってあいつを潰す」

「へぇ教授から。一体誰です? 私の知っている人ですか?」

 

 少女の脳内には、オールマイトを殺せるだけの化け物は黒の魔王、つまりは教授しかいない。

 まさかご本人自ら駆けつけるのか? いやいやあんなに弱ってるならそんなことをするはずもあるまいに。

 となると少女の中にはオールマイトを超える人物なんて誰もいなかった。

 隠しダネを期待して、少女は少年の言葉を待つ。

 やがて少年はおもむろに言葉を開いた。

 

「──脳無だ。脳無を使う」

 

 その名前を聞いた瞬間、黒野は上半身をバーカウンターにのんべんだらりと雪崩かかった。

 はぁぁと長いため息が意識せず口から漏れ出る。

 期待していた反応と違った死柄木は、思わず少女に問いかける。

 

「──おい、どうした黒野」

「──いや、だってさ、ラッキー君。脳無ってあれでしょ? 脳みそ剥き出しのマッチョマンでしょ?」

 

 顔を机に向けたまま、ひらひらと片手を振って少年に問いかける。同意を返した死柄木に対し、少女は続けてこうのたまった。

 

「あれでオールマイトに勝つのは無理だよ。

 ──というかあんなんでオールマイトに勝てるなら私でも勝てることになっちゃうじゃん」

 

 確信を持って少女は言い切る。

 予想と違う解答を受けた死柄木は、さらなる追加情報を突き出した。

 自身の優位性を示すかのように。

 

「……お前は知らないだろうが、オールマイトは弱っているらしい。それに、あいつが俺たちを狙うんじゃなくて、俺たちがあいつを狙うんだ。いつもとは勝手が違う。勝算はあるさ」

「ふーん。そんなものかなぁ、平和の象徴って」

 

 しかし少女は真剣に取り合わない。

 そんな様子に、死柄木の「大人子供」としての一面がむくむくと鎌首をもたげてきた。

 意識せず口から言葉が吐き出される。

 

「……だったらお前も脳無し共の一員になるか? 口を閉じとけばいい感じに使ってやるよ」

 

 死柄木は挑発する。

 黒野は拒否した。

 

「いやぁ。私は嫌だよ。あんな変態みたいな格好するなんて」

 

 それにさ。

 黒野は死柄木に顔を向けて続けた。

 確信確証、エビデンスのある答えだった。

 

「教授が言うには私は脳無に向いてないらしいよ。

 ……なんでも個性が致命的に噛み合ってないってさ」

 

 

 




ヴィランネーム:ネガ・フェアレディ
本名:黒野??
個性:オール・フォー・ワンに没収されない程度の個性。
   オール・フォー・ワンに勝てるかもしれない、と思っている。でも死ぬだろうとも思っている。
   脳無には余裕で勝てる、と思っている。
   オールマイトには何だかんだ負けるだろう、と思っている。
   脳無の素体には誰よりも適さない個性、らしい。
備考:姉を殺害したのち姿を眩ませたため、最終学歴小学校中退。
   文字式とか見ると頭から煙を噴き出す。


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21人いる!

悪いこと書きたい。トガちゃんはよ。


「えー、皆さん。訓練を始める前にお小言を一つ、二つ、三つ四つ……」

 

 雄英高校敷地内。

 某テーマパークをモチーフにした訓練施設で、宇宙服の男が演説を始めようとしている。指折り数えるたびに次々に増える訓戒。聴衆がげんなりするのも気にせず、男は朴訥と優しく話し始めた。

 

「皆さんご存知かもしれませんが、僕の個性は『ブラックホール』」

 

 男の名はスペースヒーロー・13号。

 所持する個性は『ブラックホール』。

 この上なくヴィラン撃退・戦闘向きの、まごう事なき強個性だ。彼自身、それを認め肯定する。

 

「どんなものでも吸い込んでチリにしてしまいます」

 

 ただ、彼はその凶悪な個性に似つかわしくなく、特段に優しい男だった。何でも消滅させる個性を雪崩や土砂崩れといった障害物を吸い込むことに用いる災害救助のレスキューヒーロー。

 単純な適材適所という観点から見れば、この上なく不合理かもしれない。

 だが、この宇宙服は雄英の教師であり、トップクラスのヒーローだ。彼の生き様は酷く英雄的で、模範だった。

 

「──しかし、一歩間違えば容易に人を殺せる、『いきすぎた個性』を個々が持っていることを忘れないで下さい」

 

 彼が言っていることは単純だ。

 それ故にこれまで自信を持って、あるいは傍若無人に個性を振るってきた生徒たちの芯にも突き刺さる。

 

 世界の多くが個性を持つ超能社会。それは旧世界において、皆が拳銃を持ち歩いているのに等しい事柄。

 個性の使用を資格制にすることで制御できているようには見えるものの、思考に枷は嵌められない。いつ誰が銃をホルスターから抜いて撃ち放つか分からないという危険性を帯びている。

 入学初日に担任に叩きつけられた性能テストで自分の持つ武器の性能を知り、対人戦闘でもって、実際に他人に対して武器を振るった彼ら生徒たち。

 となると次は自分の武器でいかに誰かを助けるか。

 ヒーローは敵を倒してヒーローなのではない。誰かの心身を守ってこそヒーローなのだ。

 

 スペースヒーローは、彼自身の実感と生き様をもって、未だ孵らぬ有精卵にそう説いた。

 

「──君たちの力は人を傷つける為にあるのではない。救ける為にあるのだと心得て帰って下さいな。

 以上! ご静聴ありがとうございました」

 

 ペコリとお辞儀をして締める13号。

 生徒たちはその底抜けの優しさに、皆一様に「何か」を受けとる。

 あるものはヒーローに対する憧れをより強く持ち。

 あるものはただヴィランを倒してのし上がる、という己が思考を──ほんの僅かながらも──振り返り。

 あるものは一瞬ながら憎しみの炎を鎮火せしめる。

 そしてまたここに一人。

 誰しもが賞賛の拍手を送り、「ブラボー! ブラボー!」と囃し立てる中。生徒がぴょんぴょんと飛び跳ねながら、手を挙げて声を上げる。

 

「はいはーい! 13号先生! 今のお話について、質問があります!」

「はい、どうぞ。そこの、ええっと……」

 

 生徒たちの波が割れ、視界が通る。

 教師の視線のむく先、生徒たちの最後尾。

 そこにいたのは、三つ編み眼鏡、赤緑の二色のリボンをつけた、小柄な少女だった。

 

「はい! 

 

 意気揚々と生徒の誰も見たことのない(・・・・・・・・・・・・)少女は、何でも吸い込むヒーローの腹に冷や水を流し込む。

 

もしブラックホールが(・・・・・・・・・・)人間以外を吸い込めない個性だったら(・・・・・・・・・・・・・・・・・)先生はヒーローになっていましたか(・・・・・・・・・・・・・・・・)?」

 

 沈黙。

 スペースヒーローの言葉が一瞬詰まる。男は即答できなかった。

 もしここがただのヒーローインタビューならば、男はきっとこう答えただろう。

 それでも私は誰かを救けます、と。

 だがここは雄英高校。ヒーローを育成する最前線だ。

 ヒーローとしては綺麗事をのたまうべきだろう。だが教え導く教師としては、現実を語らぬわけにはいかない。

 

「……そうですね、非常に難しい質問です──」

「……待て、13号」

 

 タイムラグののち宇宙服は話し始めようとする。しかしその語らいは、黒髪ボサボサの男によって止められた。

 

「──お前、誰だ?」

 

 生徒達が一斉に後ろを振り返る。

 そこには、殆どの生徒には見覚えのない──少なくとも雄英高校のそれではない──制服を纏った少女が、ニタニタと笑みを浮かべていた。

 生徒の一人、丸顔の少女は思わずクラスメートの緑髪の生徒に問いかける。

 

「なぁ、デクくん。あんな子うちのクラスにいはったかな?」

「……いや。少なくともA組の生徒じゃない。それに麗日さんも見たことあると思うけど、あれは士傑高校の学生服だ。ひょっとすると、雄英の生徒ですらないかもしれない。じゃあ士傑から来た転校生? それもどうだろう。東の雄英、西の士傑とまで言われるくらいだからそんな制度があっても不思議じゃないけれど、先生達ですら知らないなんて不自然すぎる。それに士傑なら帽子を被っていないのもおかしい。あそこの校則は自由な雄英と比べてとても厳格だったはず──」

「下がってろ、緑谷」

 

 ブツブツ、ブツブツと考察を行う緑の少年。そんな彼を押しのけて、マフラー状の布を首に巻いた男が前に立つ。

 生徒からは自堕落奔放と思われていた彼だったが、今の風体はさながら刀のよう。実直な気配を醸し出す。

 男は首元に手をやると、少女に目を向けて(・・・・・)再び問いかけた。

 

「もう一度聞く。お前はどこの誰だ?」

 

 少女は話に応じるために、彼に向き直る。

 んー、と小首を傾げた後、おもむろに口を開いた。

 

「そーですね! 何を隠そう、私は──」

 

 それは、隙だった。

 話の内容を頭でまとめ、口を開き、意識を割く。

 ──あくまでもカートゥーンの世界においてと前置きさせてもらうが。

 ヒーローの変身中に攻撃しないのは、ヴィランのお約束だ。

 ヴィランのネタばらし中に攻撃しないのは、ヒーローのお約束だ。

 だが、合理的ではない。

 仮にそんな暇があるとしよう。それならば、相澤というヒーローは大きく目を見開いて、首の布を用いてヴィランを無力化するだろう。

 今の状況こそが、まさにそれだ。

 

「とはいえただ返事を聞くのはいささか合理的じゃないな。身柄を確保させてもらおう」

 

 一瞬の捕物。一瞬のうちにぐるぐる巻きにされ、地面に引き倒された謎の少女。生徒達が何かしらのリアクションを取る前に、事態は収拾してしまった。

 口元まですっぽりと覆われて、もがもがと呻くばかりの少女。

 そんな様を見たツンツン頭の赤髪の少年の口から、思わず言葉が漏れ出た。

 

「……何だ、こいつ? また入試の時みたいに何か始まっているパターン?」

 

 毒気を抜かれたような問いかけ。しかし生徒教師を含めた誰もが答えられない。

 生徒は単純に混乱から、教師はその拍子抜けさと違いはあったものの、一様に不可思議な気持ちであったという点は共通している。

 誰しもが迂闊には動けない。そんな中、暫定ヴィランの少女を油断なく見張っていた相澤は、手に握った布越しに僅かな振動を感じた。

 男は少女に対し、抵抗は無意味だと声をかける。

 

「無駄だ。これには特殊合金を通してある。個性も使えないお前じゃ──ッ!?」

 

 むしゃり。

 異音に相澤は思わず息を飲む。それは、この男を知る者にとってはらしくもない仕草だった。

 今もなお、相澤に見つめられている少女。先ほどまでとは違って、その鼻下から顎にかけてが、露わになっている。

 食いちぎったのだ(・・・・・・・・)、炭素繊維に特殊合金を織り込んだ雄英謹製のサポートアイテムを。『抹消』の個性の影響を受けている只中で!

 予想だにしない出来事。雄英陣の動きが止まった一瞬で、少女が口からぺっと異物を吐き出す。

 顎の力で引きちぎられたヒーローの武器が、唾液に塗れて地面に吐き捨てられた。

 そのまま少女は語りだす。先ほどと何ら変わらぬ続きのように。

 

「あー、もう。全くひどいじゃないですか! ええっと、相澤消太先生、でしたっけ? それともイレイザーヘッド、の方がいいのかな?」

 

 軽口を叩く少女はぐるりと地面を一回転する。とてつもないスピードで。

 相澤は単独で異形型の個性を無力化できる。それは彼の個性がパワー系でないからといって、彼の身体能力が弱いわけではないことを意味していた。

 そんな彼の腕力を駄々っ子のようなローリングで振りほどくとは如何なる剛力か。

 ヒリヒリと痛む手のひらに走った擦過傷。相澤は人知れず戦慄した。

 少女はのそりと立ち上がる。自身に巻きつく拘束具をなんら気にするそぶりさえ見せず。

 

「邪魔ですね、これ」

 

 そういうや否や、少女は口元に手の包帯を寄せて喰い千切る。手が自由になったと思えば、体にまとわりつくぼろ切れを引き千切る。

 バラバラと塵になっていく英雄の武器。

 苦みばしった顔で睨むゴーグル男をよそに、少女は無駄口を叩いた。

 

「いやー、まさかまさか。雄英高校のど真ん中で、教師に緊縛ショーを披露されるとは思ってはいませんでしたよ。いけないことは良くする私ですけども、ソッチ系はNGなんですけどね〜」

 

 少女の話にぶどう頭の生徒がピクリと反応する。耳から紐が伸びた生徒が頭を叩く。

 そんな寸劇を訝しげに見つめた少女だったが、気を取り直して話を続けた。

 

「それで、ええ、何でしたっけ? あ、そうそう! 私が何者か、でしたね」

 

 そうでしたそうでした、などと呟く。

 相澤は少女の視線を浴びながら、後ろ手でハンドサインを同僚に送った。

 目的不明、生徒の安全に注意しろ、と。

 宇宙服はコツンと足つま先で地面を軽く叩いてそれに応じた。

 そんなヒーローの密談に気がつくことなく、少女は自分語りを朗々と続ける。それはまさしくカートゥーンのヴィランのような振る舞いだった。

 

「申し訳ないですが私個人の名前はご勘弁を! 代わりに私たちの名前をお教えしましょう! 何を隠そう私たちはッ!」

 

 少女はばっと両手を大きく広げる。

 雄英のヒーロー達は、その思わせぶりなそぶりに身構えた。

 13号の訓戒を胸に秘めつつも、今は武器を振るう時。セーフティーを外して、弾丸をチェンバーに下ろし、いつでも迎撃十分。

 各々に緊張が伝わる。

 

 一秒経過。

 二秒経過。

 三秒経過。

 ……何も起こらない。

 少女のこめかみを、たらりと冷や汗が流れた。あれー、といった感じに少女は後ろをちらりと振り返る。

 そこにあったのは、黒一つない晴天。

 どことなく、白けたような空気感が辺りに漂う。

 

 居た堪れない。凄く居た堪れない。

 誰かがそんなざまに耐えきれなくなった時。

 少女はけふんと咳をすると再びヒーロー達に見得を切った。

 

「ふふん、お前は誰だと問われちゃあ仕方ない! 答えてあげるがヴィラン流!」

 

 あ、続けるんだ。そんな視線を無視して、少女は語りを続ける。

 教師陣が油断していなかったとしても、問題ないという自身慢心に裏打ちされた振る舞いだった。

 

「公の場に出るのは実に五年ぶり! しかして活動そのものは日課そのもの! 何を隠そう私の名前は──」

 

 影が差す。黒が広がる。

 少女の背後で、漆黒のモヤが太陽を覆い隠して蠢いた。

 これまでだらけた空気だった生徒達の間にも、ようやく事態の深刻さが広がった。

 生徒達をなだめ纏める教師をよそに、少女は背後に振り返ってぷりぷりと怒りだす。

 

「全く遅いですよ、クッ……じゃなくて、え〜、ミスター黒まみれ! めちゃくちゃ恥ずかしかったんですからね!」

 

 黒い闇から有象無象が飛び出してくる中。黒い霧の男が少女の言葉に苦笑して返した。

 

「貴女が先に行きたいといったから先に行かせてあげただけのことでしょう。それより、イレイザーヘッドの無力化は……できていないようですね」

「いやぁ、みんな来る前に終わらせるのも違うかなって。一応武器は破いておきましたよ」

 

 あまりにもふざけた物言い。しかし黒霧は今更それに文句は言わない。

 なぜならこの少女は酷く馬鹿で愚かで、この上なくヒーロー寄り(・・・・・・)だから。

 そんなやりとりを交わしている間にも、雑魚ヴィラン、モブキャラは続々とやってくる。いつしか黒霧の横には、手だらけの男、死柄木弔が立っていた。

 死柄木はキョロキョロと辺りを見回すと、残念そうに肩を落とす。

 

「平和の象徴。いないなんて……」

 

 電波障害等にヒーロー達が対応に最中、少年の呟きは、嫌に彼らの耳に残った。

 

「子供を殺せば来るのかな?」

 

 有望なれど未だ実践経験のない受精卵。子供達を守ろうと相澤は一人、ヴィランの方へと歩みを進める。

 そんな様子を見てとった少女は、黒霧の隣でぴょんぴょんと跳ねると、コソコソと耳打ちした。

 それを受けた黒霧は堂に行った様子で話し始める。

 少女が先ほどまで話そうとしていたことの引き継ぎであった。

 

「初めまして、我々は敵連合。僭越ながら……この度ヒーローの巣窟雄英高校に入らせて頂いたのは──」

 

 常にヒーローから討滅されるヴィラン。

 それは彼らからの宣戦布告だ。

 

「──平和の象徴オールマイトに、息絶えて頂きたいと思ってのことでして」

「ついでにサインも貰おうと思ってまして!」

「黙ってなさい、貴女は」

 

 

 

 

 

 

 




ヴィランネーム:ネガ・フェアレディ
本名:黒野??
個性:『抹消』されない個性?
   特殊合金を食いちぎったり引きちぎったりする馬鹿力。
備考:13号は結構好き。イレイザーヘッド? 誰?
   サインはかなり欲しい。


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個性把握テスト・種目コンクリート投げ

本作品には、コミック的謎物理表現が導入されています。ご注意下さい。

……専門じゃないので適当です。


 ──平和の象徴を殺す。

 自分たちと同年代の少女が一人紛れ込んだだけ。そう思ってそれまでは幾分か楽観的であった雄英生徒達だったが、黒い霧の中から続々と柄の悪い連中が湧き出てくるのを見て、漸くのっぴきならない事態に自分たちが置かれていることに気がついた。

 生徒の誰かがその異常さを騒ぎ立てる。

 

「敵ンン!? バカだろ!? ヒーローの学校に入り込んでくるなんてアホすぎるぞ!」

 

 雄英高校。それは多数のプロヒーローを輩出し、また教員として抱えているヒーロー総本山。一般論から言えば、確かにその叫びは事実だろう。

 しかし、多少知恵の回る上澄みは、その異常性にこそ着目した。

 理知的な少女が宇宙服に問いかける。

 

「先生、侵入者用センサーは!」

 

 マスコミ対策も兼ねた雄英のセキュリティは非常に優秀である。本来ならば例えワープのような空間系の侵入経路であっても警報を鳴らすはずだった。

 ただ今は宇宙服が首を振るように、なんら動作していない。

 紅白模様の少年が自身の考察を口にする。

 

「……校舎と離れた隔離空間。そこに少人数が入る時間割……。その上単騎での威力偵察。

 ──バカだがアホじゃねぇ、これは。なんらかの目的があって用意周到に画策された奇襲だ」

 

 少年の呟きに呼応して、ゴーグル姿の黒髪が全体に指示を出した。

 学生全体には教員の指示に則ったすぐさまの避難指示を──血気盛んな一部を除いて承諾する。

 同僚には本部への連絡の試みを──13号は苦みばしった顔をマスクの下で浮かべる。センサー同様の妨害がなされているらしい。

 電気系統の個性持ちの生徒へも同様に学校への連絡を求める──しかし繋がらない、どうやら同系統の個性による阻害を受けているようだ。

 芳しくない結果にこそ終わったものの、指示をあらかた言い放ち、ベルトのナイフ、ポーチの小物を確かめる相澤。そんな彼を緑髪の少年が呼び止めた。拳をぎりと強く硬く握り締めて。

 

「先生は!? 一人で戦うんですか!? あの数じゃいくら『個性』を消すっていっても!! それに拘束布だって破られちゃったじゃないですか! イレイザーヘッドの戦闘スタイルは敵の個性を消してからの捕縛だ。正面戦闘は──」

「──一芸だけじゃヒーローは務まらん」

 

 長く続いた少年の説得。それを教師は一言で打ち切った。それは彼自身のヒーローとしての矜持もあったが、教師としての責任感も多分に含んだ言葉だった。

 13号、任せたぞ。と言い残し、無手勝流で踊り掛かる相澤。その目には、愛用のゴーグルがしっかりと装着されている。

 

「射撃隊、いくぞぉ!」

 

 果たして飛んで火に入る夏の虫とでも思ったのか。抹消ヒーロー・イレイザーヘッドのことを一切伝えられていない射撃部隊、別称捨て駒達は彼に対して己が個性を起動した。……が、当然のように、

 

「あれ? 出ね……」

 

 彼らの暴力装置は『抹消』されて動作しない。一瞬の隙を見計らって相澤はヴィランの脇をすり抜ける。すれ違いざまに鳩尾や喉元といった急所を殴りつけて。

 崩れ落ちる第一陣。彼のことを知らされていた換えの捨て駒は、同胞達に警告を発した。

 見ただけで個性を消す。その危険性が周知されるとともに、一人の男が名乗りをあげる。

 

「消すぅ〜!? へっへっへ。俺らみたいな異形型のも消してくれるのかぁ!?」

 

 相澤の前に進み出てポーズを決める四本腕の覆面男。相澤に比べて随分と大きな男は、自信満々に軽口をたたいている。よってそのよく開く口を思い切り殴りつけることで相澤は返答とした。

 

「いや、無理だ。発動型や変形型に限る」

 

 耳を叩く風切り音。

 それを察知した相澤は後方に背中から倒れ落ちる。

 斬、と先ほどまで首のあった空間に、刃の生えた腕が突然生えてきた。

 

「お前らみたいな奴らの旨みは統計的に、近接戦闘で発揮されることが多い」

 

 目の前を通り抜ける肉体刀。人体をたやすく切り裂くそれを視界の端に捉えながら、相澤は両の手を頭上に回す。手のひらで地面を強く押し、同時に脚部に力を込めて、強く空中に蹴り上げた。

 一連の流れ、ハンドスプリングは、刀ヴィランに対するサルト攻撃と体勢の復帰へと流れるように合理的に移行する。

 腹部への全体重を込めた蹴撃を受けたヴィランは後方へ大きく吹き飛び、控えていた連中を巻き添えにして倒れふす。

 相澤はもう聞こえないことを承知で言葉を零す。

 

「だからその辺の対策はしてる」

 

 ──だからこそ。

 

 敵集団のど真ん中で、相澤はある一点へと目を凝らす。

 ゴーグルで隠された視界の先には、恐らくこの一連の事件の主犯格。そのうちの一人であろう少女が笑みを浮かべていた。

 

 ──あの異形型には見えない奴の『個性』はなんだ?

 

 

 

「あっ、ラッキ……じゃなくてミスターハンドマン! 今相澤先生私を見ましたよ! さっきも私のこと縛り上げてきましたし、やっぱりそういう趣味なんですかね?」

 

 抹消ヒーローVS有象無象の雑魚ヴィラン達。

 予定調和のやりとり全て一切を、死柄木、黒霧、黒野の敵連合幹部三巨頭は白けた目で見ていた。

 隣の戯言を聞き流し、少年は自身の考えを示す。

 

「例え主要武器が無くとも肉弾戦も強く、その上ゴーグルで目線を隠されていては『誰を消しているのか』わからない。集団戦においてはそのせいで連携が遅れをとるな。

 成る程。嫌だな、プロヒーロー。有象無象じゃ歯が立たない」

 

 死柄木が今の戦闘についての講評を述べる。そのネガティヴな評価に対し、少女が異論を唱えた。

 

「んー。でもあれはあれでいいんじゃないかな? うちからの持ち出しのもの無しで消耗させたと思えば。いくらプロでも無限の体力は持ってないでしょ、オールマイトじゃあるまいし」

 

 少女のフォローは味方の兵隊の損耗を問題としない、極めて悪辣なものである。

 しかし、そんな暴論を、指揮官死柄木は肯定する。

 それは、彼にとっては彼自身こそが主人公であり、名も知らぬ部下などNPC同然の存在だからこそできる所業だ。

 

「ん、ま、そっか。ノーコストの兵士で中ボスキャラのスタミナを削れたと思えば十分か」

 

 死柄木は納得すると、相澤達の戦闘風景を鑑賞を再開し始めた。

 強面の男たちはボーリングのピンのように跳ね飛ばされている。だが死柄木は特段感情を抱くことはない。せいぜいがコスト分の働きをしてくれと願う程度である。

 相澤のスタミナとヴィランたちの自由のトレードオフが続けられる。

 状況が動いたのは、死柄木達の耳に感嘆の声が届いた時だ。

 

「すごい……! 多対一こそ先生の得意分野だったんだ!」

「分析してる場合じゃない! 早く避難を!!」

 

 チラと目を向けると、声の元には未だに逃げおおせていない生徒達がいた。

 彼らは決して今回の主題、メインターゲット、つまりはオールマイトではない。だがある種の警報機、サブターゲット程度にはなるだろう。

 もともと各地に集めた兵隊で生徒も狩り尽くす予定だったのだ。

 それを思い出した少年は首元をぽりぽりと掻くと、黒モヤの男に指示を出した。

 

「あー、そうだな。……黒霧。あいつら()らせるか?」

 

 ボスのオーダーに対し、背後に控えた黒い男は申し訳なさそうに断った。

 

「……死柄木弔。残念ですが今は見られて(・・・・)います」

 

 彼らの目線の先には、以前こちらをチラチラと監視しているゴーグルの男がいる。

 少年は舌打ちをして少女をなじった。

 

「チッ。どうすんだこの馬鹿。あいつ完全に警戒してるじゃないか」

「えっ!? 私のせいですか!? というか言うに事欠いて馬鹿ってなんですか馬鹿って!」

 

 突然のそしりと暴言にきゃんきゃんと喚き立てる少女。

 異議申し立てに対し、死柄木は至極当然であるかのように答えた。

 

「お前が変な名前で呼ぶからだ。お前なんか馬鹿で十分だろう?」

 

 少年は、唾を飲み込んで少女に問いかける。

 

「で、このままだと面倒だ。どうにかしろ(・・・・・・)

 

 少女は腰を折り曲げ、足元に落ちた物を拾い上げて答える。

 それは先程から繰り広げられている戦闘によって、破損し転がってきた、なんの変哲も無い施設の残骸だった。

 

「ええ、もちろん。どうにかします(・・・・・・・)

 

 腕にコンクリート片を握り締めてぐるぐると軽くストレッチをしたのち、黒野は大きく腕を振りかぶる。

 奇しくも数日前、生徒たちが「個性把握テスト」と称して行ったソフトボール投げのようだった。

 

 

 少女のそんな一連の様子を、相澤は逃すことなく目撃していた。

 眼を主体とするヒーローである。ドライアイであるというちょっとした欠点こそあるものの、見逃すことはあり得ない。

 彼は少女が投擲のモーションに入るや否や、彼が刻んでいた戦闘マニューバを切り替えて、彼と少女の間に敵がすっぽりと収まるように位置どりを変えた。

 これにより、少女は相澤に対し投擲を行うことはできない。無論視界からワープの個性持ちが外れることは大問題だ。しかしその間僅か一秒足らず。いかに展開速度が早かろうとも、事故の危険性を鑑みれば個性を発揮するのはいささか博打にすぎるだろう。

 よって、相澤は依然変わりなく少女たち親玉を封殺できていた。

 

 ──それはこの上なくヒーローらしい考え方だった。だがしかし、悲しいことに少女、黒野はヴィランである。ヴィランとは時に、ヒーローが決してとることのない、思いもよらないことをするものだ。

 

 ゾクリ。

 大柄のヴィランの陰に隠れた相澤だったが、突如として頭蓋の奥から足のつま先に渡るまで。全身全てにかけてを悪寒が駆けずり回る。

 合理性を重視する相澤だったが、この時ばかりは脊椎から伝達された生物的直感に従って後方に大きく跳躍した。

 

 この行為により、相澤は九死に一生を得る。

 

 晴天の空の下、地面直上を雷鳴が轟く。可視化された稲光が一条の柱を描いて走った。

 否。それは電気の個性ではない。少女の個性は発動型の個性ではない。

 それはただ単に、少女がコンクリートを放り投げただけだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 もうもうとまきあがる土煙が彼らの様子を隠してしまったのは、生徒たちにとっては紛れもなく幸運なことだったろう。さもなくば、突如としてもたらされた惨殺死体は正義の卵を潰してしまったかもしれない。大柄な男の身体は、質量×速度の二乗という破滅的なエネルギーにより、弾着点の付近でペシャリと潰れていた。

 濃密に漂う血の匂いの中で、相澤は戦慄した。らしくもない動揺だった。

 

 ──あの女、()()()()やがるッ! オールマイトさん級の馬鹿力で味方ごと殺しにくるなんてッ!

 

 うっすらとゴーグルに掛かった血飛沫を相澤は拭って思う。

 自分が目に届く範囲は全て「抹消」できるように、最早あの女の見える範囲も全てキルゾーンだ、と。

 先ほどまで確かに生きていた誰かの命を拭った後にも、ゴーグルには僅かばかりの傷が残っていた。たぶん恐ろしい速度で撃ち出された水分によるものだろう。それが、名もなきヴィランが相澤に残すことのできた、唯一の生命の痕跡だった。

 辺りのヴィランたちの数人は衝撃によって吹き飛ばされ地面に転がっていて、そうでない多数も突然の凶行に困惑し、浮き足立っている。相澤は手早く彼らを無力化しながら、思考を巡らせる。

 未だ土煙は晴れていない。

 

 自身の個性では? ──否。敵は推定異形型の遠距離攻撃。対応は不可能に近い。

 13号の『ブラックホール』ならどうだ? ──否。吸収そのものは可能だろうが、13号自身が戦闘向きではない。間隙の差で殺されかねない。

 生徒たちに特効の個性は? ──否。生徒をヴィランとの実践にいきなり駆り出すという愚行が成立してなお壁は高い。『爆破』、『半冷半燃』、『創造』、『無重力』、『酸』、『硬化』、『エンジン』、『帯電』、そして未熟な『超パワー』! 可能性のあるどれを持ってしてもただの石投げ、人類史における原初の武器が、この超能の時代のハイエンドを持ってしても止められない!

 となると最早これまで──

 

「オールマイトさんが来るまで出来るだけ注意を引きつけて待つしかない、か」

 

 相澤は独りごちる。

 それは不退転の覚悟だった。

 それは生徒のために命を捨てる覚悟だった。

 視界を遮る煙幕が薄れゆく。

 煙の外から煙の中を見るのにはまだ煙の厚みが大きいが、中から外を覗くには十分薄い。そんな程度にまで薄れてきた。

 相澤は意を決して土煙の外を窺い知る。

 彼は悲観的な予想をあれこれと脳裏に浮かべていたがゆえに、

 

「──散らして、嬲り、殺す」

 

 黒モヤのヴィランが生徒達をいずこかへと飛ばすという純然たる()()()()()を犯したことに感謝した。

 その行為によって、生徒達が危険な状況下に置かれると考えついたものの、それでも相澤にとっては幾分かマシだった。

 ここは絶死の空間だ。ここの生存率は、どこまで走って逃げようとも、目に見える範囲の全てが0パーセント、死亡宣告区域だ。だか、ここでないどこかならば少なくとも小数点以上の生存率が期待できる。

 

 相澤消太は信じている。自分が見込んだ生徒達が、更に向こうへ(Plus Ultra)飛んでくれると。

 

 

 




ヴィランネーム:ネガ・フェアレディ
本名:黒野??
個性:相澤氏曰く、推定異形型。
   殺人的な投石。
備考:生徒達を皆殺しにすることはできそうでできない。
   ヴィラン達を皆殺しにすることもできそうでできない。

凄くチート臭くなってる……。世界一ゴミ個性という触れ込みなのに。
……エンディングにはきっと納得していただけるはず!


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「生きる」

予定では2話前にオールマイト出てくる予定でした……

はやくきて〜はやくきて〜


 

「ねぇ。ミスターハンドマンさぁ、いつまで見学しとくつもりなの? 私そろそろ飽きてきたんですけど?」

 

 ポップコーンも売ってないみたいだしさぁ〜。

 黒野はプロヒーローとザコ戦闘員のリアルヒーローショーを見ながら、隣に立つ死柄木に対してぶつくさとぼやいた。

 抹消ヒーローが戦闘を始めてから既に十分かそこらが経過している。動員されていた有象無象のヴィラン達の数も着々と減らされていた。無論、相澤自身のスタミナも削られ、彼のメインウェポンである特殊合金入りの拘束布はもとより、サブウェポンであるナイフやまきびしといった小物も、異形型ヴィランの身体に突き刺さる形で失われている。

 その間、少女達は何をしていたかといえば、その実何もしていない。

 黒霧が生徒達をUSJ内各地に散らして、飛ばし損ねの生き残り達を追撃している間も、ただじっと戦局を眺めていただけだ。

 とはいえ、真実阿呆な黒野と違って死柄木は指揮官としての視点を持っていた。

 少年は少女に分析結果を披露する。

 

「……30秒、23秒、24秒、20秒、17秒」

「はぁ。いったいどうしたんですか?」

「イレイザーヘッドの髪が下がるタイミングだ。ワンアクション終える動作と一致している。恐らくあいつの『個性』のインターバルと連動してるんじゃないか?」

「……ん、あ、おお! 言われてみれば確かにそうですね! 個性攻撃が消えてないことが何度かあった……ような気がします。ミスターハンドマン、あなた私と同じ脳筋枠じゃなかったんですか?」

 

 死柄木の分析は概ね当たっている。

 いくらプロヒーローといえど、無限のスタミナを持っているわけではない。だからこそ多数の捨て駒を用いてリソースを削り取るというのが当初からの作戦であった。

 ところが鎮圧にあたったヒーロー・イレイザーヘッドは、ヒーローフリークであるとある雄英生徒から見ても、多対一の近接格闘戦に秀でているように()()するほど巧みに立ち回っていた。

 これにより前提戦術が崩壊する。少女は緑髪の生徒と同じく相澤先生、凄い! などと呑気に考え、脳の活動を終えていた。

 しかし、死柄木は()()()()()()、思考の翼をはためかせた。考えを進めるに至った論拠としてはこうだ。彼ら敵連合は、事前に雄英のセキュリティを「崩壊」させることでマスコミと同時に敷地内に侵入し、雄英の授業カリキュラムを盗み取っていた。そこには当然教師の名前も記されている。

 平和の象徴、ナチュラル・ボーン・ヒーロー・オールマイト。言うまでもないメインターゲットである。

 個性に似合わぬ救助専門家、スペースヒーロー・13号。彼のことは、ヒーローが嫌いな死柄木も畑違いではあるもののよく知っていた。

 そして問題であるもう一人。個性『抹消』にしてアングラヒーロー・イレイザーヘッド。

 彼の名を見たとき、その場にいた三巨頭は皆揃ってつぶやいた。

 ──だれだ、こいつ? と。

 アングラの称号が示すように、イレイザーヘッドの名は大衆には全く知られていない。それこそ「ヒーローのプロフィールを本人以上に知っていることも多い」という逸話を持つ、かの緑髪のヒーローオタクでさえも、フルネームを聞き、姿を見、個性と装備を目撃して漸く脳内図書館から該当のページを掘り起こせたほどのドマイナーなヒーローだった。

 しかし、本来そのようなヒーローはあり得ない。食っていけないと言い換えてもいい。

 この超脳の時代において、ヒーローは救世主、英雄ではなく()()()()だ。ヒーロービルボードチャートが基本大衆からの人気で決定づけられていることからも、完全歩合制の芸能人と言い換えても不足ないだろう。

 そのような職業・ヒーローを取り巻く社会情勢の中で、人々に顔を知られることもなく、それでいて雄英の教師に名を連ねるほどの実績を持つに至った男。

 そうなれば、相澤という男が携わってきた業務の内容にもある程度推察がつくというものだ。

 つまりは──

 

「──顔を見せず単独でヴィランを無力化する、『奇襲からの短期決戦』の専門家」

 

 悪の首魁に育てられた死柄木少年。

 ところどころ「おとなこども」な一面こそあるものの、基本は優秀な男である。

 

 死柄木の洞察に黒野はほへぇと感嘆し、褒めそやす。

 彼女の物言いに、少年は当然のように振る舞った。

 

「俺は『先生』に教えを受けているんだぞ? お前ほど馬鹿じゃない。

 ……少し()()()くる」

 

 そう言い残すと、死柄木は近くでずっと無言で控えていた()()()の肩を軽く人差し指で叩いて、盤上に降り立った。

 

「行ってくるよ、黒野、()()

 

 

 

「んで〜。結局暇なのは変わらないんですけど? ミスターハンドマンもミスター……なんだっけ? まっくろくろすけでいいか。ミスターまっくろくろすけも居なくなっちゃったしさぁ。

 この脳みそ剥き出しのミスター露出狂も返事してくれないし〜。ねぇ、聞いてる?」

 

 死柄木が遊びに行った後も、黒野は一人で管を巻いていた。

 ……正確には一人ではない。彼女の隣には、対平和の象徴、怪人・脳無が棒立ちになっている。

 ただし、()()には文字通り自律行動を行う脳がない。会話を交わすどころか、生存行為さえも命令なしではろくに行えない人間の残骸だ。

 そして彼女には脳無に命令する権限が与えられていない。

 だから少女がいくら話しかけようと返事を返すこともなく、胸や腹を叩こうとも痛がる素振りや反撃の仕草すらしてみせない。

 少女に言われれば、()()は死んでないだけで生きてはいない、ただの死体だった。

 

 ()()の惨状に居たたまれなくなって、黒野は脳無から視界を移す。

 そこでは、死柄木と相澤がちょうど接敵しているところだった。

 彼女の()()()()増強された聴覚は、ある程度離れた距離も、そこかしこからなる雑多な戦闘音も突っ切って彼らの会話を完全に拾い上げる。

 

「……お前が本命か? あの女はどうした?」

「おいおい、ヒーロー。あんな馬鹿に随分と御注目のようだな? まさか本当に()()()()趣味なのか?」

 

「また馬鹿って言ってるよ……」

 

 些細なトラッシュトークの後、戦闘が始まる。

 少女は脳無のズボンのポケットに仕舞われていたウィスキー入りのスキットルを引き抜いて、試合観戦を始めた。他の二人には知らせずに、()()に持たせることでこっそりと持ち込んだものだった。

 戦闘が開始するや否や、少年を見据えて相澤は地を疾駆する。少年は両の五指をしかと開いて応戦した。

 

「23秒、24秒、20秒……」

 

 死柄木は先程黒野に語った考察を相澤本人にぶちまける。それは心理戦の一手段としてよりもむしろ、歪んだ自己顕示欲からなる行動だった。

 弱点を気取られていることを把握した相澤は、短期決戦に切り替えようと試みる。折れたナイフの柄を死柄木に投げつけて牽制する。

 眼球に向かって急速に飛来する投擲物。動物的本能から思わず死柄木は親指を除いた右の()()()でそれをキャッチしてしまう。視界が相澤から外れてしまう。

 ナイフの柄から視線を戻すと既にヒーローはどこにも──いや、()()いる!

 死柄木の身長から隠れるように、地面すれすれに腰を落として走るゴーグル男。死柄木の人体構造から見てちょうど死角となる位置を彼は走り抜けていた。

 気がついた時にはもう遅い、相澤は肘鉄砲の構えに入っている!

 

「チッ!」

 

 死柄木は咄嗟に掌を前に突き出した。

 それはテレフォンパンチにも劣る何かであり、プロのヒーローをなんら阻害するものではない。

 相澤はカエルのように地面を蹴り上げ勢いそのままに肘を突き出す。

 狙いはヴィランの鳩尾、意識を奪う銃撃。

 どうあがいても相澤の勝利局面。

 

 ──確殺の状況であったこと、化け物女を含めてこれからもまだヴィランを多数相手にしなければならないこと。

 その瞬間、相澤は「抹消の個性」を発動していなかった。

 突き詰めた合理性故の判断だったのだろう。

 だがそれはらしくもない失策だった。

 

「……やっぱり疲れてたんですかね、相澤先生。それともミスターハンドマンの個性を知らなかったからかな? 見せてないから当然ですけどね」

 

 一人見学していた黒野はウィスキーを口に流し込んで独りごちる。金属混じりのアルコールが喉を潤した。

 少女の視界の先では、同胞の少年の口がボソリと動く。

 

「無理をするなよ、イレイザーヘッド」

 

 ヒーローの肘打ちとヴィランの胴体の間に挟まれていたのは、たった一枚の左掌。

 痩身の少年のそれは、病気を疑うほどに薄く色白い。

 鍛え上げた相澤の肉体ならば、少年のか細い指なぞ叩き折って鳩尾をしたたかに打ち据えたはずである。相澤自身、防御は間に合わないと判断したが故の一撃だった。

 彼の計算は間違っていない。

 指一本なら容易くへし折っただろう。二本でもそれは同様だ。三本でも、あるいは四本でも。

 だが、五本合わさると話は違う。

 相澤が代償として支払ったのは、右肘一本だった。

 砂のようにぼろりと崩れ落ちる人体。

 危険性を把握した相澤は、拳を振るって手だらけ男から距離をとる。

 手だらけ男──死柄木はくつくつと笑って自慢を重ねた。

 

「その『個性』じゃ……集団との長期決戦は向いてなくないか? 普段の仕事と勝手が違うんじゃないか? 君が得意なのはあくまで『奇襲からの短期決戦』じゃないか?」

 

 少年はヒーローを前にして、ただただ煽る。

 その時彼だが、真実相澤についての戦術的なあれこれは頭の中になかった。

 あったのは純然たる支配欲。誰かにマウントを取るのは最高だ。ましてや大嫌いなヒーローに対してならば!

 少年の口はかつてないほどに滑らかに回る。

 口から吐き出される毒には、ほんのりと呪詛が混ざり始めた。

 

「それでも真正面から飛び込んできたのは、生徒に安心を与えるためか?」

 

 ヴィランの様子を相澤はそんな戯言をただ聞いていた。

 肘の痛みに耐えているというのは額を流れる脂汗からも見て取れたが、話している間は状況は動かないという分析からの判断でもあった。

 そんなこともつゆ知らず、死柄木は一人、自己陶酔して話を続ける。

 

「かっこいいなぁ。かっこいいなぁ。ところでヒーロー」

 

 死柄木の独り言が黒野の耳に届いたその時、彼女の隣の人形が起動した。

 

「本命は俺じゃない」

 

 

 

 そこからの流れは酷く一方的だった。

 脳無が殴りつける、相澤が回避する、相澤が殴り返す、脳無は無視した、再び脳無が殴る、相澤は回避する、が体勢を崩す……。

 一度天秤が傾けば、そこで終いだ。

 怪人・脳無。対オールマイト用に作られた人間兵器。凡百の人間とはパワーが違う、スピードが違う、タフネスが違う。

 うつぶせに倒れた相澤。彼を押さえつけるかのように、脳無はマウントを奪う。

 そのまま一メートル程ある巨大な手のひらで脳無は相澤の腕を掴み取る。そして技巧も技量もなく、ただ単純に力を込めた。

 

「────ッ!!」

 

 ミシリ、と骨が軋む音ではなく。

 ベキ、バキと骨が砕ける音が鳴った。

 それでもなお、抵抗しようと相澤は上半身を起こそうと奮起する。

 しかし許されない。

 脳無は相澤の顔を掴み上げ、硬いコンクリートの地面に打ち付けることで返礼とした。

 ゴッ、と鈍い音ともにコンクリートが陥没する。

 鼻の骨は確実に折れただろう。眼底を骨折した可能性も十分にある。特殊な治療なしでは再起不能まで届きうる攻撃だった。

 

 そんなざまを見て、黒野は白けた様子でつぶやく。

 

「あ〜あ。やっぱりこうなっちゃったか。個性なしの生身の人間じゃゴリラに勝てない。子供でもわかるよね〜。

 あ〜、つ〜ま〜ん〜な〜い〜。

 

 ──君達もそう思わない?」

 

 パシャリ、と水面を掻き鳴らす音が響く。

 黒野の目線の先には、ぶどう頭の少年と、蛙面の少女。

 そして緑髪の少年がいた。

 黒野はマイペースに彼らに対して話を振る。

 

「あれ酷くない? あんなオジサンを寄ってたかってボコボコにするなんてさ〜。しかも最後はあれだよ? あんな化け物みたいなやつに襲わせるなんて」

 

 少年たちは言葉を発さない。

 少女は一人で口を動かした。

 内容を除けばそれは、ヴィランというよりもむしろ、そこら辺にいそうな少女のような物言いだった。

 

「いや、もちろん私もそうするって知ってたし? なんならオヤジ狩りもしょっちゅうやるけどさ? 顔とか殴るのはかわいそうじゃん? キモいオッさんならともかくまだ若そうなヒーローだし」

 

 少年たちは言葉を発せない。

 少女は一人で口を動かした。

 内容を除けばそれは、彼らが普段学校で話すような無駄話に近いような話ぶりだった。

 

「イレイザーヘッド、相澤先生って君たちの先生だったんだよね? ごめんね、ひょっとしたら先生辞めちゃうかもね。

 ……でもまあ仕方ないじゃん! 私たちはヴィランで、君たちはヒーローだ! そしたらまぁ、たまにはヒーローが負けることだってあるよね!」

 

 少年たちには、話しかけてくる士傑の制服を纏った少女が酷く日常的に見えて。それ故により一層薄気味悪く、怖気立って感じられた。

 

「でもでも! 君たちは気をつけてよ? 特に後ろにいる蛙っぽい子。せっかくいい高校に入れたんだから、美人なままでいなくちゃ! 顔に傷なんてもったいない! 勿論────」

「────君は」

 

 少女のマシンガントークの最中、緑髪の少年が、口を開いた。

 

 黒野は長台詞を打ち切って耳を傾ける。

 緑谷出久は少女に問いかけた。

 

「君は、なんでこんな酷いことをするんだッ!」

 

 ヒーローの卵である彼らは、凶悪な犯罪者としてのヴィランしか知らない。

 だからこそ、なんでもないかのように理不尽を語る少女がまるでわからない。

 背後に立ち尽くす二人のヒーロー見習い。彼らの瞳にもまた、理解できないという感情が浮かんでいた。

 怒鳴りつけられて、黒野はきょとんと首を傾ける。

 数秒かけて、少女は彼らの疑問を咀嚼した。

 あーだのうーだのと唸って考えたのち、彼女が導き出した答えは、

 

「──────生きるため?」

 

 

 




ヴィランネーム:ネガ・フェアレディ
本名:黒野??
個性:常時発動する、任意では操作できない。
   こいついつも酒呑んでるな?
備考:脳無への感情は憐憫。
   生きるためになんでもする女。


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なまえをよんで

はやくきて〜はやくきて〜(9時)

予約投稿失敗マン。


「──────生きるため?」

 

 あっけらかんと答えるリボンの少女。

 メガネのレンズ越しに、黒々とした目玉が学生達を捉える。ピタリと視線を合わせては、目線が一切ぶれることもなく、瞬きすらせずにただただじっと見つめる一対の眼。緑谷出久には、それがとてつもなく平坦で無機質に見えた。まるで昆虫か何かのようだった。

 見竦められたぶどう頭の少年が、思わず蛙少女の腕をそっと掴む。少年には似つかわしくない、性欲に根ざさない行動だった。少女はそれに気づいてか、ケロと一鳴きするに留める。

 てっきり「金の為」や「暴力性の発露」といった即物的な欲求を考えていた為に、生徒達は思わず狼狽してしまう。

 少し離れた場所では、脳無が暴虐を続けている。辺りを肉とコンクリートがぶつかり合う不快な音が響き渡る。だというのに、彼らの間ではしんと音が遠くなって耳にまるで入らない。そのような停滞した状況を打ち破ったのもまた、ヴィランの少女だった。

 

「やだな〜。そんなに真剣にとらえないでくださいよ〜」

 

 少女はひらひらと手を振って、緊迫した空気を茶化す。

 

「別段珍しいことじゃないですって。ごくごくありふれた話ですよ?」

 

 知的ぶって、眼鏡をくぃと釣り上げる。

 皆さんエリートだから関係ないかもしれませんけど……と前置きして黒野は切り出した。

 

「雄英のヒーロー科って確か偏差値80くらいあるって話じゃないですか? 倍率も300倍とか聞いてますよ? いやー、凄いですね、私なんて多分偏差値5とかですよ、5! 測ったことないですけど。というか学校すら行ってないですけど。

 で、私みたいな底抜けのアホはですね。食っていけないんですよ、今の時代。

 ……だったらヴィランにでもなんでもなるしかない。そう思いません? ほら、ヒーローの皆さんもヴィランが増えたら(まと)が増えて万々歳ですよ? 何しろ今はヒーロー飽和社会、なんですから」

 

 などと、黒野は身勝手な同意を求める。

 それは、生徒達には一から十まで全てを理解することはできない主張だった。彼らの家庭環境は──極一部を除いて──平均的で平穏なものである。その上彼ら自身の資質もまた、数多の将来有望な卵の中から厳選された、最高品質の受精卵である。彼らには、既に廃棄が決まっている()()()の気持ちは完全にはわからない。本やニュースなどでそういう人種がいるということは漠然と認識していたが、そう宣う存在に出会ったのはこれが初めてだった。

 とはいえそれが間違っていることは、脳を回さずとも自らの良心からすれば明らかなことだ。

 たまらず蛙姿の少女、蛙吹が緑谷の前に進みでる。おそらく黒野が同年代、同世代であったが故に、あるいは襲撃してきた他のヴィラン達と比べて普通の、ともすれば内向的とも言える姿をしていたが故に、目の前の少女が深淵に堕ちていくことを本能が拒否したのだろう。

 彼女たちは先程ヴィランの集団を知略で一網打尽にしたばかりだ。その成功体験が、彼女たちを無謀へと駆り立てる。次はこの()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を救けよう、と。有り体に言えば、浮き足立っていた。

 蛙吹は黒野を窘める。それは思ったことをつい口に出してしまう少女の、同情を含んだ優しさだった。敵の悪辣さを知らない甘さだった。

 

「ケロロ。それでもこんなことを必要なんてないんじゃない。あんな人たちと一緒に犯罪を犯していたら、貴女もきっと酷いことになっちゃうわ」

 

 彼女達は、黒野が人に暴力を振るう姿を見ていない。砂煙に隠されて人間を投石で殺害する姿を見ていない。

 なので蛙吹達の視点から見ると、黒野は「ヴィラン達の本隊が襲撃する前に鉄砲玉として駆り出されたパワー系の個性を持つ少女」という認識である。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、黒野は顔をくしゃっと歪めた。ポケットから左手を引き抜いて、顔を隠す。人差し指で眼鏡を押しのけ目元を拭った。

 少女は()()()()声を震わせて、同情を誘う。

 

「……うん、確かにそうですね。でももう私はこの組織から抜けられないの。うちのボスはとても恐ろしい人だから」

 

 黒野は蛙吹をまっすぐに見つめると、ニコリと笑いかける。その目尻は、うっすらと水分で濡れていた。

 ウイスキーの匂いが黒野の目と鼻の先で漂っている。

 

「──それでも、気にしてくれてありがとう。私はきっと捕まってしまうだろうけど、最後にあなたの名前を教えてくれないかな?」

 

 しおらしく微笑む少女を見て、蛙吹は自身の交渉がうまく行ったことに安堵する。

 そんな二人の話を、緑谷は黙ってじっと聞いていた。

 

「いいわよ。私の名前は蛙吹梅雨。梅雨ちゃんって呼んで?」

 

 ネゴシエイトの基本は言葉を交わして、お互いを認識し合うことである。名前の交換はその第一歩だ。

 当然少女の名前を問いかける蛙吹だったが、ヴィランの少女は申し訳なさそうにして断った。

 

「……ごめんなさい、梅雨ちゃん。ボスに言っちゃダメって命令されてるの。きっと話したら酷いことされちゃうかも。本当にごめんね?」

 

 少女は片手を縦に切って、頭を下げて謝罪する。顔を上げた黒野は目元を拭うと、アハハとおちゃらけたかのように笑う。

 緊迫した空気は何処へやら、辺りにはうっすらと和やかな空気が充満していた。

 

「ねぇ、梅雨ちゃん。こんな私だけど、もし捕まるなら知らないヒーローじゃなくて、あなたたちみたいな優しい人たちだったらいいな」

 

 黒野は両手を広げて、ゆったりと3人へと歩み寄る。不要な警戒を招かぬように、一歩一歩踏みしめて着実に。

 蛙吹は瞬間躊躇する。いくら相手が無抵抗といえど、ヴィランと接触するのは流石に危険だと知識では判断できていた。

 

「ええ、そうね。一緒に謝りに行きましょう? その後で名前、教えてね?」

「──うん、ありがとう。梅雨ちゃん。……後良ければなんだけど、オールマイトのサイン貰っててくれない?」

「わかったわ」

 

 が、しかし。

 知識を感情は上回る。

 ヒーローの基本は人助け、考えるより先に身体が動いてしまう。

 救けたいという感情が、安全認識を見誤らせる。

 

 彼我の距離僅かに数メートル。

 黒野は嬉しそうに嗤うと、握手を求めて手を差し出す。蛙吹もそれを受けて吸盤付きの手を前に出した。

 ぶどう頭の少年も後に続こうとする。

 その様子を見ていた緑谷だったが、身体の中から漠然とした理由不明の不安が湧き上がった。

 

 ──なんだ!? ヴィランの子が戦わずに投降してくれるなんていいことじゃないか。それなのにどうして僕はこんなに不安を抱いているんだ!? 

 

 思考に耽る緑谷の鼻腔をツンとした匂いが刺激する。それはアルコール特有のそれだった。

 臭いの元へ思わず目を向ける緑谷。

 視線の先にあったのは、黒野の目だった。

 ──その眼球は、話し始める時となんら変わらず、昆虫のようだった。湿っても揺らいでもいない、黒々とした瞳だった。

 堪らず緑谷は声を荒げる。

 

「待って、蛙吹さん──ッ!」

「──えっ」

 

 黒野と蛙吹の手と手が触れ合うほんの直前。

 黒野の背後に虚空が開き、中から抜き出た黒い手が少女の服の背後襟をつかみ取った。

 

「……およ?」

 

 彼女はそのまま後方へと引っ張られ、ワームホールに引きずり込まれる。

 

 

 

「死柄木弔、ネガフェアレディ」

 

 黒野の視点が切り替わったそこは、戦闘区域のど真ん中。

 彼女の前には雄英生徒3人ではなく、死柄木と黒霧と脳無、それからボロ雑巾のように朽ち果てかけている相澤が横たわっていた。

 道草を食っていた黒野を引き寄せた黒霧は、自分たちの総大将に向けて不明を恥じる。

 

「申し訳ありません。13号を行動不能にしたものの……散らし損ねた生徒の一人を、逃しました」

「は?」

 

 死柄木は苛立ったように声を荒げる。

 息を荒くしながら、首元をぽりぽりと搔きむしり始める。身体を手で覆われている痩身の少年の偏執的な行為は、どこか病的で気味が悪い。

 首を掻きながらぶつくさと文句を垂らす少年。「ワープゲート」という有用な個性持ちでなければ始末していた、などと物騒なセリフを吐いたのち、彼は手を止めて深くため息をついた。

 

「流石に何十人ものプロ相手じゃ敵わない。ゲームオーバーだ。あーあ、今回はゲームオーバーだ」

 

 帰ろっか。

 死柄木は、まるで未就学児が暗くなったから公園から帰ろうとするかのように気軽にそう口にする。

 彼らにとって、今回の雄英襲撃の計画は、結局はその程度のものだった。

 だらける死柄木をよそに、黒野は水辺の方へと目線を向ける。そこには先程と変わらず、三人の生徒たちが佇んでいる。

 ……なぜかぶどう頭の少年が水に沈められていたが。

 黒野は彼らとの対峙に向けて、今後の言葉運びをひっそりと思案した。

 

 程なくして、ああ、と死柄木が思いつきを語りだす。

 以心伝心、黒霧はワープゲートを開く準備をした。

 

「けども、その前に平和の象徴としての矜持をすこしでも────」

 

 黒野の視線の先では、緑髪の少年が顔色を青くして怖気だっているのが見える。

 少女は少年の危機察知能力の高さに、柄にもなく感心した。思えば先程も「梅雨ちゃん」の腕の危機を敏感に察知していたのだ。

 だが今回に限っては、確実に一手遅い。

 光を飲み込むワープゲートの前に、一体どれほどの「個性」が追い縋れるだろうか。

 

「────へし折って帰ろう!」

 

 死柄木は彼我の距離をゼロにして、蛙吹の顔に五指をかける。

 ヒーローの少年とヴィランの少女の幻視は、ここに奇妙な一致を見せた。相澤の肘の後を追うように、「梅雨ちゃん」の蛙面が塵芥のようにボロボロに崩壊する、と。

 未熟な彼らの当てずっぽうは、当然ながら外れたが。

 

「……本っ当。かっこいいぜ」

 

 黒霧の「個性」は亜光速の域に達している。「エンジン」や「ジェット」のような速度系個性では追いつくことはできない。

 しかし光より速いわけではない。()()()()よりは明らかに遅い。

 死柄木がワープゲートを通って蛙吹の顔を掴むよりもなお、()()()が死柄木の手の像を網膜に焼き付ける方が早かった。

 死柄木は憎々しげに名前を口にする。

 

「イレイザーヘッド」

 

 彼の担任の名前を呼ぶ声を聞いて、緑谷出久はそこでようやく再起動を果たした。

 彼を主とした三人は自分たちが見誤っていたことをここでようやく悟った。先程倒したヴィランは所詮はただのチンピラ。()()()()()本物のヴィランであると。

 

 ──ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ! さっきの敵たちとは明らかに違う! 蛙吹さん! 救けて、逃げ……ッ!

 

 蛙吹は自身が死んだかもしれないというショックから以前立ち直れていない。

 手だらけヴィランは依然彼女の顔を握り締めたままだ。いつ個性が使われてもおかしくない状況。

 緑谷は纏まらない思考を打ち切って、恐怖と勇気がまぜこぜになった感情を吐き出す。

 

「手っ……離せぇ!!」

 

 少年は右の拳を硬く握り締めて、フルパワーで敵に殴りかかった。

 敵は一言呟く。

 

()()

 

 遠くで耳をそばだてていた少女は、ピクリと反応した。

 

「ほいやっさ!」

 

 SMASHの掛け声と共に、緑谷の鉄槌が振り下ろされる。

 ズドン、という鈍い音が鳴り響いて、辺りに雷光が迸った。

 

 

「──全く酷いなぁ〜。いきなり顔面ですよ、顔面。これってセーフですよね?」

「…………え?」

 

 ()を譲渡されて初めて腕を折らなかったことに喜んだのもつかの間、緑谷は自身の目が狂ってしまったのではないかと疑った。

 グローブ越しに、彼の手は人間の肉を強かに打ち据えたことを伝えてくる。金属製の超巨大ロボットでさえも粉砕する裂帛の一撃だ。

 だったら何故──

 

「あなたもオールマイトのファンなんですか! やっぱりカッコいいですよね! オールマイト!」

 

 ──この少女は一滴の血すら流していない!?

 

 常人なら死ぬほどの一撃を受けたのにもかかわらず、先程までと変わらない様子でお気楽に話す少女。彼女を見て緑谷は思わず吐き気を催す。

 ワン・フォー・オールのフルパワーを受けて無傷を誇る不可解さもそうだが、何より自身の体──それも顔を躊躇なく盾にしたその精神性に気持ち悪い。

 確実に頭のネジをダース単位で落としてきたような女だった。

 緑谷の頭を蛙吹の忠言がよぎる。

 

「……殺せる算段が整ってるから、連中こんな無茶してるんじゃないの?」

 

 先程まではその根拠をあの脳みそヴィランだと考えていた。

 しかし、それはもしやとんでもない間違いだったのでは……?

 緑谷の思考がそこに行き着いた時、目の前の内向的な装いの少女がとんでもない異形に見えた。

 緑谷の戦慄を置き去りにして、黒野は死柄木と言葉を交わす。

 

「ラッキー君もうちょっと余裕持って呼んでくれません? 受け止めるの間に合わなかったんですけど?」

「どうせ無敵チートなんだからどうでもいいだろう? ってか結局呼び名戻すのな」

「だってみんな本名で呼び合ってるのに私だけコードネームってのも恥ずかしいじゃないですか。

 ──あっ。梅雨ちゃん、ごめ〜ん! 私まだ生きていたいんだった!」

 

 だから────。

 

 その先を言わせないとばかりに、緑谷が死柄木に向けて次弾のスマッシュを装填する。

 死柄木を狙う攻撃を認識した黒野は、彼女が最強と思う存在を模倣した構えをとる。

 二人は弓のように腕を引きしぼる。

 

DETROIT(デトロイト)────」

 

 緑谷の切り札は拳の一撃。

 かつて見た、天候を変えるほどのヒーローの切り札。

 

MISSOURI(ミズーリー)────」

 

 黒野の切り札は手刀の一撃。

 かつて見た、空を裂くほどのヒーローの切り札。

 

 手段は違えど、それは鏡合わせの一撃。

 

SMASH(スマッシュ)!!』

 

 オールマイトのスマッシュが、正義と悪の手によってぶつかりあった。

 

 

 

 模倣とはいえ最強の一撃。豪雷が轟く。

 しかし、奇跡的に威力が拮抗していたのか、ほとんどあたりに被害は出ていなかった。

 折れた腕を庇って睨みつける緑谷を尻目に、黒野は制服の汚れをパタパタと落とそうと奮起する。

 あ〜、ちょっと破れてるんだけど〜などと宣う黒野に対し、死柄木はこめかみをひくつかせて問いかけた。

 

「黒野。お前手ぇ抜いたのか?」

 

 嘘偽りを許さない言葉だった。

 だからというわけでもないだろうが、黒野は思ったままのことを口にする。

 

()()? ()()()()()()()()()()()()? オールマイトの技かっこいいんだけどね〜」

 

 死柄木はその答えに、思い出したかのように納得した。

 そして当初の目的を反駁する。

 

「……ああ、そういやそうだったな。うん。じゃあクエストクリアして帰るか」

 

 指に力が込められる。

 蛙吹の顔が普段より一層青ざめ、引きつる。

 黒野はそんな彼女の顔を覗き込むと、申し訳なさそうに口にした。

 

「じゃあ、うん、ごめん。梅雨ちゃん。大丈夫、私、あなたのこと忘れないから。

 ──ああ! 最期に自己紹介しようか! 私の名前は黒野真央(くろのまお)。じゃあおやすみ、『梅雨ちゃん』!」

 

 真央は朗らかに微笑んだ。

 

 

 せまる絶死。

 蛙吹梅雨を救けたのは、当代最高の英雄だった。

 

 バァン、と鉄がひしゃげる、爆発音にも似た轟音が施設全域に響き渡る。入り口付近にいた人々は、分厚い鋼鉄製のドアが、土煙を上げながら内部へと向けてすっ飛んでいくのを目撃した。

 

「もう大丈夫────」

 

 それは決して大きな声ではなかったが、不思議とすべての人間の耳に余さず届いた。生徒や同僚への愛情、邪悪への義憤、自らへの怒り、正義の誇り。それら全てを内包した、平和の象徴だった。

 死柄木はポロリと手につかんだ蛙少女を落とし、情念たっぷりに呟く。

 

「あー。コンティニューだ」

 

 土煙が晴れていく。

 先ほどまであったドアの枠を潜って筋骨隆々の男が駆けつける。

 彼は()()笑っていない。ここで行われた暴虐を思って、ギリと歯を食いしばって必死に堪えている。

 彼はこの戦場に笑顔を届けに、笑顔を取り戻しにやってきたのだ。

 男は施設入り口、高台の上から、全ての敵を睨み倒して言い放つ。

 

「────私が来た」

 

 彼こそが全能の正義(オールマイト)だ。

 

「……あはっ♪」

 

 邪悪の一欠片は蕩けて嗤った。

 

 

 




ヴィランネーム:ネガ・フェアレディ
本名:黒野真央
個性:デク版ワン・フォー・オールで殴られても表面上無傷。
   顔面セーフ理論。
   スマッシュって、オールマイトのフォロワーかい?
   でも使うたびにデメリットあり。
備考:梅雨ちゃんはヴィラン以後はじめての友達。めっちゃ仲良くしたい。でも殺す。
   別に洗脳はされていない。ゼツメライズキーも刺さっていない。自己の意志。



アレな扱いをしてしまい、梅雨ちゃんファンの方、すみません。
あとこんなニッチジャンルに感想とかお気に入りとかありがとうございます。励みにしております。


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ヒーローは遅れてやってくる

「私が来た!」

「もうついたのか!」「はやい!」「きた!ヒーローきた!」「メインヒーローきた!」「これで勝つる!」

なおタイトル。


 

「嫌な予感がしてね……。校長のお話を振り切りやってきたよ」

 

 男は静かな声で訥々と語った。

 それは誰かに聞かせるつもりではなく、単なる独り言に過ぎないものだった。

 しかし、今USJにいる存在は一言一句余すことなく、彼の慟哭を聞き届ける。

 施設内からの脱出を試みていた子供たちは、その筋骨隆々な姿を見ただけで心からの安心を覚えた。丸顔の少女が、褐色の少女が、思わず涙ぐむ。

 先程までのように悲嘆をこぼすのではなく、嬉しさの発露だった。

 

「来る途中で飯田少年とすれ違って……。何が起きているかあらまし聞いた」

 

 ヒーローの陣地に跳梁跋扈していた有象無象のヴィランたちは、その静謐な気配に思わず手を止めてしまう。そして声の主を仰ぎ見て、皆一様に後悔した。

 彼らヴィランは、暴力を振るって一般人の上に立つ肉食獣たちだ。無法を持って狩り、奪い、犯してきた。

 だからこそ、自分たちの階級に彼らは敏感である。そんな彼らは今この瞬間に、「ヴィランの階級」が最下層まで突き落とされたことを肌で感じる。秩序の化け物、頂点捕食者がそこにはいた。

 男ははち切れんばかりのスーツ姿から、ネクタイを引きちぎって首元を緩める。臨戦態勢。その豪腕で平和を牽引してきた一匹のナチュラル・ボーン・ヒーローが解き放たれた。

 彼の登場を見て、ヴィランたちの総大将は思わず言葉を漏らす。生徒もなく、同胞もなく、最早彼の目には怨敵の英雄しかいない。

 

「待ったよ、ヒーロー。社会のゴミめ」

 

 そんな少年の蔑みを知ってか知らずか、男は威風堂々と歩みを進める。教師という軛から解き放たれた男を阻むものはすでに何もなく。天頂に向けて高く聳える二柱の金髪はさながら鬼神の角のようで。

 オールマイトはいつものように、善には救けを、悪には罰を与えにやってきた。

 

「──もう大丈夫。私が来た!」

 

 数多のヒーローとヴィランが入り混じる中で、彼の顔が笑っていないことに気がついたのはたったの二人。

 緑髪のヒーローの少年と、黒髪のヴィランの少女だけだった。

 

 

「あれが……! 生で見るのはじめてだぜ……! 迫力すげぇ……」

 

 あらかじめ言い含められていたとはいえ、実際に見て思い知ったのか。ヒーロー見参に雑兵の多くは浮き足立った。

 ただ、それで彼らを責めるのは酷だろう。彼らは所詮雑兵。普段はせいぜいが街で恐喝を行うくらいがせいぜいの、チンピラ同然の連中だった。「オールマイトを殺す」というスローガンのもとに集まってこそいたものの、心の底から実際にそれをできると思えるほど彼らは自信家ではなかった。

 雄英生徒なんてお高く止まったエリートをぶん殴りたくて。

 でっかいことをやろうとする人間について行っただけのお祭り気分で。

 あるいはただ何となくで。

 連合などと気取ってはいたものの、彼らの殆どは大層な志などなく、流れのままに集まっただけの正しく「モブ」だった。

 しかし、彼らの中にも気骨のある恐れ知らずが潜んでいる。モヒカン姿の男は、怯える仲間たちを叱咤激励した。

 

「バカヤロウ、尻ごみすんなよ。アレを殺って俺たちが……」

 

 もし彼がヒーローだったら、それは勇気ある一言と賞賛されるべき言葉だろう。

 だが彼は敵役の一戦闘員。

 そんな男が声を荒げても、ただの無謀。

 街中で暴れる将軍に斬りかかる狼藉者のように、それは一つの予定調和、ある種のお約束である。

 案の定、彼があげた声は仲間の悪党のみならず、ヒーローの耳にも入ってしまう。

 オールマイトはヴィランの群れの方に目を向けた。

 そして、地面をトンと蹴りつけ──

 

「────!」

 

 ──ヴィランたちは一人余さず地面に倒れ伏していた。

 倒れた男たちは、自らの口の中にジャリジャリとした砂の感触を味わって、そこで漸く自分たちが地面を舐めていることに気がついた。

 

「相澤くん、すまない」

 

 男は地面に膝をつけて、先に戦っていた仲間を優しく労わる。

 十余名のヴィランたちを一撃で無力化昏倒させたことなどわざわざ記載するまでもない余力も余力。彼は戦いに来たのではない。あくまで救けにきたのだ。

 まるでコマ送り。時間が消しとばされたかのような尋常ならざる高速機動。

 ナンバーワンの本気に、その場の誰も口を挟めない。先ほどまで混沌とした戦場は、たった一人のヒーローによって纏め上げられていた。

 

 オールマイトは相澤を両の手で支え、スッと地面から立ち上がる。彼の顔には相澤への謝罪と感謝が深く刻み込まれていた。

 続けざまに、男は辺りを一瞥する。

 水辺で三人の倒すべきヴィランと、三人の守るべき生徒を捉えた時。

 六人は男の眼が飛び込んできて、噛み付いてきたかのように錯覚した。

 視界に捕らえられた全ての存在が、男の気迫に萎縮する──思考能力の無い脳無もあるいは!

 コンマ数秒、意識の間隙が強制的に作り上げられる。それは平和の象徴にとっては、衰えたと言えどもお釣りがくるほどに十分すぎる時間だった。

 オールマイトは相澤を抱えたまま生徒たちに向かって走り出す。

 道中に立ちふさがる脳みそ剥き出しのヴィランの腹部を強打し、全身に手をつけたヴィランの顔を殴りつける。取り付けられた手が叩き落とされるが、文字通り眼中にない。

 そして最後の一人、リボンの少女を昏倒させようとして──彼は自身に向けて飛来した人間を保護することに専念した。

 計測不能で吹き飛んでくる蛙吹少女をオールマイトは空いた片手だけで器用に受け止める。おびただしい相対速度によって発生する衝撃は、彼のインナーマッスル、鍛え上げられた筋肉が一身に引き受けた。

 蛙吹が投げつけられた地点で、すれ違いざまに少女は男に向かって口ずさむ。

 

「梅雨ちゃんを救けてくれるって信じてましたよ、オールマイト」

 

 超速の世界の中で、地面に倒れ伏していた蛙少女を盾にするために掬い上げて投げつけたとは思えないほどに。危うく人間一人の命が消滅したとは思えないほどに、なんら悪びれることのない文言だった。

 オールマイトはそのヴィランに、得体の知れない感覚を覚える。それはどこか、彼の生涯を通した宿敵に近しい、腐臭漂う澱んだ気配だった。

 そんな漠然とした気持ち悪さを振り切って、男は志を遂行する。生徒たちの元へ駆けつけたオールマイトは彼の手の中、相澤とはもう片方の手にすっぽりと収まった少女を見据える。男はニッと口角を上げて声をかけた。

 

「大丈夫だ。蛙吹少女」

 

 彼は知らないことだが、数秒前まで彼女は三途の川のほとりに立たされていた。そこから急転直下で救いあげられたのだから、少女が驚いて目を白黒されるのもやむないことだろう。

 何よりも信頼できる文言を聞いて、漸く安心したのか蛙吹はこくこくと何度も首を縦に振る。彼女の体は冷たく凍えて震えていた。それは先ほどまで水に濡れていたからでも、ましてや変温動物だからでもない。

 オールマイトは相澤を地面に横たえ、蛙吹の意識を確認した後自分の足で立ち上がらせる。その後二人の少年に指示を出した。

 

「緑谷少年、峰田少年、入口へ。二人を頼んだ。特に相澤くんは意識がない、早く!」

「ああああ……。だめだ……。ごめんなさい……。お父さん……」

 

 すぐ近くでは、手だらけヴィランが錯乱している。脳みそ男はじっと立ち尽くすばかりでリボン少女はニコニコ微笑むだけ。

 今を除いて撤退のチャンスはなかった。

 しかし、

 

「え!? あれ!? 速ぇ……!」

 

 少年たちはただ事態の推移に狼狽えて呆然とするばかり。

 さもあらん、彼らは未だ見習いだ。即断即決、プロレベルを求めるのはいささか理不尽である。

 常に第一線級で最高峰の仲間と協力するオールマイト。反面、教師初心者であった彼が故のミステイクだった。

 彼らが貴重な数秒を失ったのをいいことに、その隙に手だらけヴィランは地面から落ちた手を拾い上げると、再び地面に装着する。

 彼はボソボソと独り言を話し始めた。

 

「救けるついでに殴られた……。ははは、国家公認の暴力だ。さすがに速いや、目で追えない。

 ──けれど思ったほどじゃない。やはり本当だったのかな?」

 

 少年はそこで言葉を一度切ると、手のひらの隙間から、隠された眼球をギロリとヒーローたちに向けた。

 そして皆に聞かせるかのように一言告げる。少年は歯を剥き出しにして、醜く嗤っていた。

 

「弱ってるって話…………」

 

 その真実は、この場で本人以外唯一それを知っている少年を寒からしめる。

 善意と恐怖を混ぜこぜにした感情を込めて、緑谷は先代に対して叫びをあげた。

 

「オールマイト! 駄目です! あの脳みそヴィラン! あいつ相澤先生をオールマイトみたいな力で痛めつけて……。

 それにあの眼鏡の女の子も! 僕がワン……っ、本気の力を込めたスマッシュでも、傷一つつかなかった! きっとあいつら──」

「──緑谷少年」

 

 オールマイトは少年の慟哭を遮り、顔の横でピースサインを掲げて笑う。

 

「大丈夫!」

 

 オールマイトの笑顔、そして平和の象徴(ピースサイン)

 それはヒーロー社会における絶対安全保障である。自他共に認めるヒーローフリークである緑谷は、そのことをよく知っていた。

 その上でなお、腹の底にこびりついた不安は消えなかった。

 

 

 脳筋と揶揄されることもあるオールマイトであったが、彼は決して愚かではない。彼はこの状況の不味さについて十分に理解していた。

 オールマイトは笑顔の仮面に不安を隠して、三人のヴィランに朗らかに語りかける。

 

「──おい! ヴィラン達!」

 

 彼の呼びかけに、いの一番にリボンの少女が、瞬間遅れて手だらけ少年が顔を向ける。友好的な表情と憎しみに満ちた表情がオールマイトに向けられた。オールマイトは、どこか彼ら二人に見覚えがあるような気がした。

 一方脳みそ男は何ら反応を示さない。先ほど殴られた姿勢のままで、ただ立っている。

 オールマイトは三人のうち二人──とりわけ要注意の一人を釣り上げられたことに、内心ホッとした。オールマイトには彼ら三人の注意を引く必要があったのだ。

 戦略の基本は数である。無論オールマイトほどの超人にとっては、どんなに塵を積もらせても無意味ではあるが、それでも数は力だ。

 ましてや自身と同程度の速度で動ける敵が最低一人、緑谷の証言が正しければ二人いるとなればさしもの彼でも注意せざるを得ない。たとえ彼ら全員を逮捕できても、背後に庇う四人の一人でも傷つけられたら何の意味もないのだから。

 オールマイトは彼らの意識と敵意を引きつけるために、返事がないとわかってなお陽気に話しかける。

 

「君ら初犯でこれは……っ、覚悟しろよ!」

 

 何も期待しない、無意味なトラッシュトーク。

 それ故に返答があったことにオールマイトは驚く。

 

「いや、すみません、オールマイト。他のみんなは知らないですけど、私は初犯じゃないんですよね〜」

 

 リボンの少女が笑みを浮かべて答えを返した。平和の象徴を前にして何ら気負うことのない語りようだった。

 ヒーローはヴィランとの会話を続ける。後ろ手で皆の避難を求めながら。

 

「ならなおさら許せないな! ……参考までに、君たちは何のためにここに来たんだ?」

「ふっふっふ〜。連合としての目的はあなたを殺すことなんですけど〜、私個人としてはそこも違うんですよね〜」

 

 表面上は和やかに会話しながら、ヒーローはヴィランにゆったりと歩み寄る。敵三人の一挙手一投足に注目するのも忘れずに。

 彼の背後では、未だ避難は始まっていなかった。

 オールマイトは更なる情報を求めて、この口の軽いヴィランから聞き出そうとする。

 

「HAHAHA! それは物騒だ! だが私は死んであげるわけにはいかないな!」

「えぇえぇ、そうですともそうですとも。応援してますオールマイト、これからも頑張ってくださいね!」

「おいおい、ヴィランの君が応援していいのかよ? でも応援サンキューな!」

 

 一般大衆のファンから向けられるのと同じような、あるいはそれ以上の熱量でもって声援を投げかけられたことに若干面食らいながらも、オールマイトは様子を伺うことをやめない。

 残り二人のうち、脳みそ男は一切動くことなく、手だらけ少年もわずかながら見える表情を歪めるばかりで手を出そうとはしていない。

 いける、そう思ってオールマイトは話を引き延ばした。

 

「ところで少女! 君の目的って何だい? わざわざヒーロー学校の制服を着てさ!」

「ええっとですね……」

 

 それまで軽快に話していた少女が言い淀む。男は警戒して先を促した。

 

「なに、思うだけ、口に出すだけなら罪じゃない」

「……わかりました。オールマイト、あのですね。私、あなたのサインが欲しいんです!」

 

 ずるり、足を踏み外してオールマイトの体勢が崩れる。コメディリリーフの面目躍如だった。

 予想外の一手であったが男は一瞬で立ち直り、ヴィラン達を一瞥する。

 彼に見えたのは、目をキラキラと輝かせるリボンと、はぁと呆れる手だらけと、微動だにしない脳みそ達。どうやら何らかの戦術ではないようだ。

 オールマイトを気を取り直して問いかける。

 

「……ぇ、サイン? それってあの紙に書く?」

「ええ、そうですそうです! 私あなたの大ファンなんです!」

 

 向けられる純真な瞳。

 それはどこか、彼の後継者に似通った眼差しで。オールマイトは思わず彼女に声を投げかける。

 

「サインくらい幾らでも構わないよ! というか何故君は直接貰いに来なかったんだ?」

 

 オールマイトのサインを貰いに、雄英高校を襲撃する。誰が聞いても意味不明な、まるで道理の通らない思考回路である。

 少女はその問いかけに対し、僅かに笑顔を影らせて答える。

 

「……ええっと、ですね。まず私逮捕されたくないですし、それに保護者のジジイ──『教授』が五月蝿いんですよね〜」

 

 ヒーローに憧れるような言動。

 毒気のない話し方と仕草。

 なによりも明らかに背後を示唆する表現。

 少女は黒幕である『教授』と呼ばれる老人に犯罪を強要されている可能性もある。

 オールマイトはそのように()()した。ヒーローはジリジリと亀の如く歩み寄りながら、少女に対してカマを掛ける。

 

「フム! ……ところで少女、サインを書くのは構わないが、君の名前を知らないといくら私でも書けないぞ?」

 

 少女の身元さえ判明すれば、芋づる式に黒幕まで引っ張り上げられる。そう思っての問いかけだった。

 果たしてうまくいったのか、リボンの少女はワタワタと慌てて返事をする。

 

「……あっ! そうでしたそうでした! 自己紹介まだでしたね!」

 

 少女は畏まってぺこりとお辞儀すると、自らの名を名乗った。

 

「──改めまして、私、黒野真央って言います! ()()()()()()()、オールマイト!」

 

 オールマイトの足が止まった。

 五年前の古傷、脇腹がチクリと痛んだ。

 

 

 




ヴィランネーム:ネガ・フェアレディ
本名:黒野真央
個性:オールマイトの「世界」に入門できる超スピード。
備考:自称親友を盾にして投げつける系ウーマン。
   オールマイトのサインめっちゃ欲しい系ウーマン。
   五年前の関係者系ウーマン。


これいつまでUSJ編やってんの? 平均文字数に拘りすぎじゃない?
二話連続名前名乗りとかアニメ版DB並みの引き伸ばしかな?
誤字脱字報告本当にありがとうございます! 査読無しだと酷い誤字率。


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「死にたくない」

なんかお気に入りとかすごく伸びててめがっさびっくりしました。
やっぱNO.1だけあってオールマイトの人気は凄い。


 

 遡ること五年前、今となっては地図上からも抹消された名もなき場所。何処かで行われた神話の戦い。

 その日は太陽も見えず、されども雨が降るわけでもない一面の曇り空。

 立ち並ぶビル群の境目で、二人の男が雌雄を決そうとしていた。

 空から地上を見下ろし、黒の魔王が厳かに告げる。数多の人々から奪った飛行系個性、浮遊系個性は、男を重力の軛から解き放っていた。

 

「──決着をつけようか、オールマイトッ!」

 

 それを受けて、地上の星が高らかに宣言する。彼の個性はたった一つ。されどもそれは数百年前から、世代を超えて繋がってきた強い思いの結晶だ。

 

「ああ、これで終わりだ! オール・フォー・ワンッ!」

 

 オール・フォー・ワンは怨敵の元へ向け空を滑り堕ちる。

 彼の左手は一本の槍の様に、硬く、鋭く、醜く変質していった。

 

 『筋骨発条化』+『瞬発力×4』+『膂力増強×3』+『先鋭化』+『硬化』+『エアウォーク』+『槍骨』 。

 

 この広い世界、長い時代でただ一人。彼にのみ許された、オール・フォー・ワンの「個性」。

 これすなわち複数の「個性」の同時起動。

 小さな力を束ねて戦うといえば聞こえはいいが、その実彼の力は皆簒奪し、強奪したものだ。「個性」とは人間のアイデンティティの発露、持ち主が積み上げた人生そのものに他ならない。「個性」を奪うというのは、人一人を廃人に変えてしまうも同然だ。この槍を組み上げるために、一体どれだけの個性保持者が再起不能になったのか。

 それを思うと、ただただやりきれない。

 オールマイトは砕けんばかりに奥歯を噛み締めて、地面を踏み付け天に向けて跳躍した。

 高く、高く、更に向こうへ(Plus Ultra)

 

MISSOURI(ミズーリー)──」

 

 オール・フォー・ワンの絶死の貫手が自身に迫ったとき。

 意趣返しとばかりにオールマイトは左手をピンと突き立て、一本の刀と変えた。彼のフェイバリット(お気に入り)が一つ。殴りつけるよりも更にインパクトの対象を絞った、相手がただ一体の邪悪だけである時のみ抜かれる破魔の刃。

 彼我の距離がぐんぐん縮まる。

 クロスレンジ。

 刀が、槍が。敵を見据えて煌めく。

 二人は裂帛の気合いと共に叫んだ。

 

「──死ねッ! ワン・フォー・オールッ!!」

「──SMASH(スマッシュ)!!」

 

 お互いの得物(左手)が相手を滅さんと抜き放たれ。鏡合わせの必殺の一撃は、互いの急所に向けて疾駆し。

 結果として同じ道筋を辿ることとなった刀と槍は鍔迫り合い、喰い合い──弾きあって目標位置をわずかに逸れた。

 ヒーローの一撃は胸からわずかにかち上げられて顔面へ。

 ヴィランの一撃は心臓狙いからずり下げられて脇腹へと向かった。

 

 空が裂かれる。

 大地が抉られる。

 正義が放った断罪の剣は、悪の首魁の顔面を切り裂き、その衝撃波は浮かぶ雲を斬りはらう。

 悪が放った怨嗟の槍は、正義の味方の腹を貫き、なおも止まらず地面を抉り穿つ。

 晴れ間と引き換えに、雲から漏れ出た水滴が土砂降りのように降り注いだ。

 衝撃で地面が振動し、付近の建物が崩落を始める。

 オールマイトとオール・フォー・ワンは、弾かれあって共に地球の重力に引き寄せられた。

 

「お〜! オールマイトがんばれ〜! ついでにクソジジイ死ね〜!」

 

 そんな二人の決戦を、当時12歳の一人の少女が眺めていた。

 彼女の周辺には、夥しいほどの赤が転がっている。

 神話の戦いに巻き込まれまいと、一目散に逃げ出そうとした名もなき民衆。

 その成れの果てだった。

 

 

 

 時間を戻して、現代。

 雄英高校、USJにて。男と少女は忌むべき再会を果たした。

 

「──やあ、久しぶり! 黒野少女! 五年ぶりかな?」

 

 動揺を心のうちに押し込めて、オールマイトは気さくに声をかける。

 彼の呼びかけに、黒野は目をキラキラと輝かせて答えた。

 

「──覚えていてくれてたんですか、オールマイト! 感激です!」

 

 身を乗り出して感動をあらわにする少女。頭にちょこんと乗せたリボンがふわふわと揺れる。

 大人ならいざ知らず、成長期の子供にとって五年の歳月はあまりにも大きな隔たりだ。12歳の少女と17歳の少女では、身長や体つきなど似ても似つかぬ姿に変貌していても不思議ではない。

 だからこそオールマイトも初めは少女の正体に気がつかなかった。しかし名前を聞いた後だと、二つのリボンに人を食った様な性格には覚えがある。かの決戦の日、致命傷に等しい傷を負った宿敵を回収していったのが、目の前にいる少女だった。

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「ああ、勿論さ! 私はファンのことは忘れないからね。君こそどうだい? 今投降すれば私のサインの他に、特別グッズもプレゼントするけど?」

「…………………………………………いや! やっぱり無理ですね! 私まだ死にたくないんで!」

「HAHAHA! ずいぶん迷ったな!」

 

 ところで……。

 少しの間和やかに交わされる他愛ない会話。場の温まったその後に、オールマイトは本題に切り込んだ。

 彼の超人的な心臓が、ばくばくと早鐘を打つ。

 

「ところで、黒野少女。君の保護者、『あいつ』は元気にしてるかい?」

 

 ぼかした表現。

 ここには自分と彼女だけではなく、生徒たちを含めた多数のオーディエンスが存在している。背後の後継者たる少年にはいずれは話さねばならないが、その他の人々には国家最重要機密とも言える存在について気軽に教えることはできなかった。

 それは遠くから耳立てている有精卵たちにも言えることだ。

 オールマイトは続々と駆けつけ、物陰からこちらを伺っている生徒たち──金髪の爆発小僧や紅白頭の同胞の息子、ツンツン髪の赤髪少年を目で諌める。

 おそらくはヴィランに対し奇襲しようと考えていたのだろう。しかし今はまずい。未熟な実力で対応能力が不明な相手に斬りかかるのは極めて危険だ。

 そんな彼の思いが伝わったのか、彼らはおとなしく鉾を収める。

 宥められた三人のうちの一人、爆豪少年がチッと舌打ちするのが目に入った。

 オールマイトは少年たちに思わず苦笑する。

 そんな男に対し、黒野は不思議そうに小首を傾げる。

 

「……? どうしました、オールマイト? ……まあ、いいや。ええっと『教授』、ジジイのことですね?」

 

 そうして彼女は、隣にいた死柄木が止める間もなく一から十まで自白した。

 

「相変わらずですよ〜! 相変わらず棺桶に片足突っ込んだまま元気に悪巧みしてます!」

「そうか……ッ!」

 

 なんら躊躇することなく行われる情報漏洩。これには流石の死柄木も──元々沸点は低い方ではあるが──堪忍袋の緒が切れた。

 堪らず彼は少女の後ろ襟を掴み引っ張る。ぐぇぇと蛙が潰れた時の様な悲鳴をあげ、黒野の口は物理的に塞がれる。

 意識をヒーローに残し、少女は少年の方に顔を僅かに傾けた。

 

「痛っ。何をするんですか、ラッキーく──」

「──いや、いやいや。お前ッ! 何ゲロってるんだッ! 一発でゲームオーバーじゃないかッ!」

「え〜、考え方が硬いなぁ。これはある意味でチャンスですよ、ラッキー君! 私たちだけだとただのちゃらんぽらんな雑多なヴィラン扱いになりますけど、『教授』の名前出せば一発でゲキヤバ案件じゃないですか!」

 

 確かにそうだろう。「教授」、「先生」の名が出たからには、ヒーローたちも黙ってはいられない。(ヴィラン)連合は間違いなく最重要案件として取り沙汰されることだろう。

 だが、そうして生まれるのは「死柄木弔の(ヴィラン)連合」ではない。「オール・フォー・ワンの(ヴィラン)連合」だ。

 反骨心溢れる死柄木にとってそれは到底許せることではなかった。

 少年がなおも少女を詰ろうと口を開いた時。

 トン、と、死柄木は胸にかすかな衝撃を受けた。

 

「──っと、危ない、ラッキー君」

 

 言葉と共に、少女は少年を押しのけ腕を振るう。

 バランスを崩してたたらを踏む死柄木。先ほどまで彼が立っていた場所、丁度手のあった位置で銀の煌めきが光った気がした。

 それに僅かに一瞬遅れて届く風切り音。

 少女は飛来してきた銃弾を指の間に挟んで呟く。

 

「あっちゃあ。ごめんラッキー君。マジでゲームオーバーだわ」

「──来たか!!」

 

 落ち込むヴィランの少女とは裏腹に、孤軍奮闘していたヒーローの男は喜色ばんだ。

 撃ち込まれた銃弾の根本。発射ポイントは施設入り口。オールマイトによって破られた扉から大勢の人々が駆け込んでくる。

 テンガロンハットを被ったガンマン、鞭を持った女王様、スーツを着た鼠、DJ姿のチャラい男……。統一感のない人物達が、続々と姿を見せる。

 老若男女、種族も問わず。彼らは一つの群体であった。

 そう、これぞプロヒーロー、雄英高校教師陣だ。

 その中でただ一人、この集団に属さない存在。彼らをここに連れてきた先導者が声を上げた。

 

「1-A、クラス委員長、飯田天哉! ただいま戻りました!」

 

 

 

 雨あられと銃弾がヴィラン達の元に降り注ぐ。

 魔弾の射手は雄英高校三年教師、ヒーロー・スナイプ。

 「ホーミング」の個性に偽りなしと証明するかのように、施設内に存在するすべてのヴィランは狙い撃たれる。有象無象は急所への一撃で昏倒し、有精卵を人質にとって追い詰めていた電気男は両腕を撃ち抜かれ無力化された。

 当然その銀弾は、黒野達にも襲い掛かる。

 直撃弾、跳弾、偏差射撃弾。銃撃一本で雄英クラスにまで上り詰めたガンアーツは伊達ではない。直線という常識を無視して四方八方からスナイプの弾丸は放たれた。

 技量では勝負の場にすら立てない。黒野は撃たれた弾丸を目視して、銃弾より速く動いて掴み取る、という肉体性能に任せたゴリ押しで金属雨を防ぎきる。

 円を描いて忙しなく動き回る少女を尻目に、死柄木は怨嗟の声を彼女に向けた。

 

「……黒野。お前が無駄話をぺちゃくちゃ話してたせいでタイムオーバーになっちゃったよ。どうすんの、お前?」

「え、ちょっ、今それ話す!? いやマジでごめん! 庇ってあげてるので勘弁して……くれない?」

 

 リズムが狂ったのか、動揺を声を荒げて表現する少女。慌てふためく姿を見て多少溜飲を下げたのか、少年は退却の指示を出した。

 

「チッ、わかったよ。じゃあ今日は挨拶だけってことで出直すか、黒霧」

 

 言葉とともに、黒い靄が黒野、死柄木、脳無の近くに開く。

 撤退しようとする彼らを引き止めたのは、近くにいるナンバーワン・ヒーローの声だった。

 

「おっと、ヴィラン諸君! まさかこのまま何事もなく帰れると思っているのか?」

 

 先ほどまでは、ヒーロー一人に対しヴィラン複数人という状況であった。一人の相手をしているうちに残りの悪党が生徒を襲うかもしれないという懸念が捨てきれない。オールマイトといえど消極策を取らざるを得なかったのだ。

 だが今は状況が逆転した。ヴィラン四人に対し、プロヒーローが圧倒的多数。この状況では、生徒への攻撃などという無価値な行為に余力を割くことはできない。それどころか数の暴力で押し切られることは半ば決まっていた。

 それ故にオールマイトは投降を期待したのだが……。

 返答は()()()()()()送り返された。

 

「……帰れると思っていますよ、オールマイト」

 

 飛んできた銃弾をキャッチしたオールマイトが見たのは、指で何かを押し出したかのような体勢で立つ少女。もう片方の手には、つい数秒前に調達(・・)した銃弾がジャラジャラと握られている。

 少女たちに向けて放たれていた銃弾の雨──別称・弾薬補給がすぐさま止められた。

 黒野は一度周囲を見回して呟く。

 あたりに集まってきていた生徒達、彼らは今この瞬間、人質になったのだ。

 

「というか帰してくださいよ、オールマイト。生徒さん方の眉間に穴、開けたくないでしょ?」

 

 相澤消太が懸念していた遠距離からの一撃。オールマイト級の攻撃は文字通りオールマイトにしか止められない。この上なく人質として機能していた。

 二転三転する状況。自分たちが優位に立ったことで、死柄木は再び暴虐を再開しようとする。

 

「……よくやった、黒野。もう一度コンティニューだ」

「いや〜。帰れるうちに帰りましょうよ、ラッキー君。ほら見てくださいあのヒーロー、顔めっちゃ怖いですよ?」

 

 しかし、おちゃらけた言い草で黒野はそれに反論した。

 

「なんども言ってるじゃないですか。だいたいオールマイトを殺すなんて無理ですって。三対一でも勝てないのに他のプロもいたら絶対勝てないですよ」

 

 どこか確信めいた物言い。

 死柄木は自分のおもちゃを自慢するように、勝てる根拠を並び立てる。

 

「あのなぁ。脳無の個性は『ショック吸収』に『超再生』。オールマイト殺しの個性だ。それに俺と黒──」

「いや、だからそんな粗大ゴミでオールマイトを倒せるってどうして思えるんですか?」

 

 続く内乱。

 これ好機と動こうとしたヒーローの足元に銃弾を撃ち込んで牽制し、黒野は語った。

 彼女はおもむろに脳無の側へと歩み寄る。

 

「だってこの人、弱い上にオールマイト対策になってないですもん」

 

 そして彼女は左手を一本の刀へと変える。

 その予備動作に気がついたのは、一組の教師と生徒。

 オールマイト (オリジナル)緑谷出久(熱狂的ファン)だった。

 起こる惨劇を直感的に悟ったオールマイトは少女に叫ぶ。

 

「やめろ黒野少女──ッ!」

MISSOURI(ミズーリー)──」

 

 しかしその言葉は聞き入れられない。

 それはオールマイトのフェイバリット(お気に入り)が一つ。殴りつけるよりも更にインパクトの対象を絞った、相手がただ一体の邪悪だけである時のみ抜かれる破魔の刃。

 かつて少女が目撃した必殺の一撃。

 ただし今回抜き放つのは、ヒーローではなくヴィラン。

 故に活人剣は殺人剣へと姿を変える。

 

「──SMASH(スマッシュ)!!」

 

 手刀が鈍い煌めきを湛えて。

 黒野の刃は脳無の首を薙いだ。

 

「────────ッ!!」

 

 飛び散る血液、吹き飛び転がる生首、崩れ落ちる()だった()

 突如訪れた惨劇。それを目にした──それも生まれて初めて──生徒達は殆どが悲鳴をあげる。スプラッタな風景と血錆びた香りに、精神の弱いものは吐き気を催し崩れ落ちた。

 教師陣や強固なメンタルを持つ一部の生徒も思わず眉を顰めてしまう光景の中で。

 血液のシャワーを浴びた黒野は嬉しそうに嗤う。

 

「……ほらね? オールマイトは私より強くて、私の方が脳無より強い。だったら脳無がオールマイトに勝てるわけないじゃん!」

 

 自信満々に自説を唱える少女。

 死柄木ははぁと深く長いため息をつくと、渋々号令をかけた。

 

「今回は失敗だったけど……。今度は殺すぞ、オールマイト」

「じゃ〜ね〜。またいつか来ま〜す!」

 

 人数が劇的に少なくなったこともあってか、混乱に乗じて三人のヴィランはワープゲートで脱出を図る。

 ゲートを潜り抜ける直前、黒野はヒョコと顔を出して叫んだ。

 

「あっ! そっちのオールマイトファンの緑の子! 梅雨ちゃんによろしくね〜! 後今度オールマイトについて語り合おう!」

 

 

 

 (ヴィラン)連合が去った後も、雄英高校の混乱は続いた。

 破壊された設備。負傷した生徒。大量に置き去りされた有象無象。

 そして何よりも、首切り死体となった脳みそヴィラン。

 猟奇的な死体とその作られ方は、まだ高校に入学して数日と経っていない生徒達にはあまりにも酷だった。錯乱しかけた生徒も、その場に居合わせたミッドナイトの「眠り香」によって意識を断たれたものの、それだけでは傷は癒えない。

 人の死はヒーローになるならばいずれは超えねばならないだろう。だが、少なくとも殻を破ってさえいない今ではない。予後の措置が求められていた。

 

 事件後、雄英の一室にて、一組の師弟が密談していた。

 緑谷出久はオールマイトに問いかける。

 その顔は、多少和らいだものの青白く染まっていた。

 

「……オールマイト、彼女は、黒野真央という子は何者なんですか?」

 

 オールマイトはヒーローである。

 ヒーローの基本は人助け。ヴィランを倒すのは人を救けるため。

 故に五年前、彼が後悔したのはオール・フォー・ワンを倒し切れなかったことでも、ましては自身が重篤な怪我を負ったことでもない。

 痩身の男は脇腹を一撫でした後、弟子の質問に答える。

 彼らしくもない、悔恨の言葉だった。

 

「彼女は、五年前、私と『奴』が戦っている現場に居合わせて──」

 

 彼の後悔は、罪なき人々の命を守り切れなかったことだ。

 

「──逃げようとした人々を次々に殺害したヴィランだ」

 

 

 同時刻。(ヴィラン)連合本部のバーにて。

 黒野真央は自棄酒をかっ喰らっていた。

 

「……そりゃあ悪いことしましたけど〜。ラッキー君もクッキーさんもあんなに怒んなくてもいいじゃないですか〜」

 

 少女はウォッカをストレートで口の中に流し込む。アルコールが喉を焼く感触が彼女の体を刺激した。

 先ほどまで、黒野は死柄木と黒霧にお説教を受けていたところだ。

 当然だろう。オールマイトを殺す、という当初の目的を果たせなかったばかりか、連合の闇に潜む黒幕についてもバラし、更には脳無までも殆ど無意味に殺したのだから。処刑されても文句は言えない明らかな背信だった。

 そんなことは百も承知で、それでもなお少女はなんら反省していない。彼女には彼女なりのロジックがあった。

 とはいえお説教はこりごりだ。

 話すべきことをあらかた言い終えて彼らがバーを後にしたのが一時間ほど前。それ以降ずっと彼女は一人で酒を飲んでいる。電気も点いていない、薄暗い無音のバーで。

 部屋の中には、少女がグラスを置く音と、喉を鳴らす音だけがわずかに聞こえる程度。

 そんな中で、テレビの画面がひとりでに点く。

 

「……くっく。弔達に随分と絞られたそうじゃないか、レディ(お嬢さん)?」

 

 液晶の中から声が投げかけられる。

 少女は苦みばしった顔でおざなりに応対した。

 

「あ〜、酒が不味くなるんでやめてくれませんかね〜? 熟成した加齢臭、いやもう死臭か。死臭が臭くて吐きそうなんですよね〜」

 

 グラスに対して吐き気を催したジェスチャーを繰り返す黒野。

 画面越しの男はやれやれと首を振ると、彼女に問いかけた。

 

「レディ。何故、弔達の邪魔をしたんだい? すごく怒っていたよ?」

「あのですね〜。いくら私でも絶対失敗する作戦なんてやらせませんって。ていうか爺さんもその辺わかってたでしょ?」

「弔はまだ若い。失敗から学ぶこともできたろうに」

「おじいちゃんはそろそろ寿命ですもんね〜?」

 

 交わされる軽口。それはどこか気安いものだった。

 ひとしきり冗談を言い合ったのち、黒野は少しばかり真面目な話をする。

 

「……ねぇ、『教授』。本気でオールマイトに勝つつもりなの? 私的には無理だと思うんだけど?」

 

 「教授」と呼ばれた男は、はぐらかして答えた。

 

「さぁて、どうだろうね。……ところでどうしてそんなことを?」

 

 何気ない疑問。

 黒野は彼女にとっての真実を口にする。

 

「だって、()()()()()()()()()()()ものでしょう?」

「……くっくっくっ」

 

 オール・フォー・ワンはそのような世迷い言に聞き覚えがあった。

 太古の昔、記憶の彼方で同じように宣言されたことがある。

 あの時は反論できなかった真理だったが、今となってはただの戯言だ。

 彼こそが生き証人だ。

 

「────残念。()がいる」




ヴィランネーム:ネガ・フェアレディ
本名:黒野真央
個性:最終決戦のすぐそこで火事場泥棒(命)
   捕まったら死ぬ(断定)
   スナイプ先生の銃弾を借りパクして指弾人質作戦
   オールマイトの必殺技で仲間の首を斬りとばす。名前改名しろ
備考:秘匿情報ゲロ女。
   生徒にトラウマ植え付ける女。
   弔君と黒霧さんの計画を台無しにする女。


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蠱毒のグルメ

 感想欄にて前話の描写について質問がありました。弁明を垂れ流させていただきますので興味ない方は飛ばしてください。今回はほんわか日常回です。
 質問の内容は、以下の通りです。

>「個性」を奪うというのは、人一人を廃人に変えてしまうも同然だ。

Q.過去の回想を見る限り、一般人を襲う犯罪者が個性を奪われても普通の人間になっただけみたいですし、逆に個性がなくなって感謝してた人もいたような……?

 確認したところ、原作第193話「面影」にて該当の描写が確認されました。ここじゃなかったらごめんなさい。でも多分問題ないはず。
 内容的には初代ワン・フォー・オールの記憶の追体験。時は「個性」がまだ「異能」と呼ばれていた黎明の時代。混乱の最中、オール・フォー・ワンが「秩序」を作る過程を描いたお話です。

 感謝していた人がいるという点ですが、異能保持者がマイノリティで迫害されることも少なくなかった時代です。両親の介護をしていた優しい男も「牙が生え続ける」という異能のせいで両親からさえも隔離されてしまいました。それを思えば「施術」されて感謝しても不思議ではないはず? 自分の顔を触って思わず涙ぐむ彼はめっちゃいい人です。
 しかし原作一話冒頭からもわかるように。いつしか「超常」は「日常」に変わってしまいました。個性保持者が世界人口の約八割。個性がマジョリティの現代だと件の牙男もなんら問題なく生きていけたでしょう。寧ろ無個性は先天的ハンデ持ちみたいな扱いですので「施術」は喜ばれないかな。デクも進学先を決めた程度でクラス中から笑い者にされてますし。いくら偏差値5の人間が東大受けるようなものとはいえ。

 個性を奪われても普通の人になっただけという点。これは個性の種類によって反応が違うはずです。一概にはなんとも言えませんのでいくつかの類型で考えていきましょう。
 まずあまりにも見た目がエグい異形だったり「崩壊」や「洗脳」みたいな日常生活に支障をきたすほどの個性ガチャ爆死勢。これは昔と変わらず喜ばれそう。悪性腫瘍とまでは言いませんが多指症くらいには切除したい。心操君のメンタル強い。
 次に大半の発動系。これも人体的には無くなって問題なさそう。腎臓一つ摘出しても死なない理論。ただ急に無個性になるとヒーロー目指してた勢とかは絶望しそう。かっちゃんとかはそれでも天辺目指しそうだけど。初期轟君はエンデヴァーに放逐されても不思議ではない。でも意外と面倒見良さそうだしそれはないか。ハイエンド脳無戦での心情吐露はいい話。
 ここまでは社会的地位はさておき生きるだけなら問題ないでしょう。
 ここからは支障をきたすレベル。「尻尾」みたいなダイレクトに肉体に影響を及ぼす異形系はどうか。これは辛い。急に足一本失ったら長期のリハビリは必要ですね。幼少期からの自分の体が無くなった場合、日常に戻るまでどのくらいかかるのか、そもそも今までの「日常」に真実戻れるのか。「複製腕」とかついついいつもの調子で高いところのものを取ろうとする。そしてもう一生不可能なことに気づいて顔が曇りそう。「蛙」の子もついうっかり水に飛び込んで溺死とかしそうで怖いですね。泳ぎ方も人と蛙じゃ筋肉の動かし方から違うでしょうし。知らんけど。
 最後に致命的なのが「ハイスペック」みたいな知能系。脳直下のものは脳無よろしく影響が酷そう。校長は奪われたらその時点で再起不能もやむなし。正確に該当するかはわかりませんが「サーチ」の人も救助された時はグロッキーな感じでしたね。
 要するに推定知能系でヒーローとしてのキャリアが断たれたというのに、腐らずかつての同僚と同じ職場で働いてるラグドールさんめっちゃ素敵って事です。一流の演奏者が誘拐された上に腕切り落とされて、それでも楽団のために働く。彼女こそヒーローの鑑、ナチュラル・ボーン・ヒーローではないでしょうか。
 そうだろ? そうって言え、ステイン。
 本作品ではラグドール氏を応援するとともに贔屓にしております。「サーチ」は主人公のある種のメタ個性。その一つです(ネタバレ)。

 基本的には原作設定に遵守しているつもりですが、勘違いや把握違い。意図的な変更点があるかもしれません。疑問点があれば感想欄にて質問ください。可能な限りどしどし答えます。長くなる場合にはこのように本編で取り上げます。2000字オーバーを感想欄に書くのはいささか長すぎるので。
 まぁ、ユニバース(世界)が違いますと答える可能性も否定できませんが。その時は許してね。
 原作内容を把握していても、書くときにちょうどいい表現が思いつかなくてそれっぽく書いちゃう。今回のご質問の件も別段深い伏線があったわけではなく、只の過剰表現の一つでした。誤字脱字報告共々指摘していただけると助かります。

 ……余談ですが、前話ラストから分かるように193話自体は把握していました。文頭と文末で漫画の内容の記憶違いを起こすトリ頭っぷり。炙られてチキンになってしまえ(自戒)。




 


 信賞必罰。

 功績には報いを。罪過には罰を。

 全ての団体や組織において守られるべき、健全な運営の基本である。

 これは到底健全とはいえない犯罪者集団、(ヴィラン)連合においても適応されていた。

 

「え〜!? お酒くれないんですか、クッキーさん!?」

 

 先だって行われた雄英高校襲撃事件。その戦犯である黒野は、バーカウンターに両手を叩きつけて憤慨した。

 酒は百薬の長、命の雫と言わんばかりに普段から常飲しているアル中女。断酒は彼女にとって寿命を削るに等しい。

 プリプリと怒る少女に対し、黒霧は黙って首を振る。

 普段ならその背後には棚一面に並べられた各種ボトルが存在していたが、今ではその姿は一本とて見当たらない。異空間を通して黒霧が隠してしまった後だった。

 それでもなお酒を出せ〜、酒を出せ〜と駄々をこねる少女に対し、離れたテーブルに座っていた少年が一喝する。

 

「──黙れ、黒野」

 

 死柄木はグラス片手に少女を叱咤した。

 それは一見すると、気の短い少年らしからぬ静かな雰囲気だった。

 しかしそれはあくまで見かけ上だ。

 赤々と燃える炎は温度を更に増すと青く色を変えるように。沸点を大幅に吹っ切れて冷静に見えるだけだった。

 死柄木は淡々と事実を口にする。

 

「『先生』の頼みでもなきゃ、俺はお前を殺してたよ」

 

 「崩壊」の個性を持つ少年の脅し。それは銃口をこめかみに突きつけるようなものだ。

 しかし、黒野の「個性」にとって、それは必殺のものではない。先日も戯れで死柄木に五指で触れられたが、傷一つとして残っちゃいない。

 よっていつもの軽口と思い、黒野はおちゃらけて返答をしようとして、

 

「……でもラッキー君の『個性』じゃ、私は──」

「──()()()()()()

 

 少女の頬を、一筋の冷や汗が流れた。

 少年の言葉には、一切の遊びがなかった。

 黒野には、死柄木の個性に対して耐性がある。それでも「崩壊」で死なないかどうか、と問われれば、結局のところ黒野は死ぬのだ。

 無論、抵抗することは可能だろう。だがそれは事態の先延ばしにしかならない。仮に抵抗して死柄木の息の根を止めたとして、遠からず黒野は死ぬ。それは決まりきっていた。

 無論、逃走することは可能だろう。だがそれは事態の先延ばしにしかならない。仮に死柄木の目の届く範囲、(ヴィラン)連合のクモの巣の中から抜け出したとしても、意味がない。ヒーローに助けを求めても無駄だ。少女は死柄木の、というより『教授』の庇護下でなければ遠からず死ぬ。それは決まりきっていた。

 黒の魔王の後継者は死柄木弔だ。よって黒野の生成与奪権も、死柄木が実質的に握っているに等しい。

 

 両雄にらみ合い。

 両者の視線が喰い合い──耐えきれなくなったのか、少女はついと視線を地面に落とした。

 黒野は諦めたように叫ぶ。

 

「……ああ、もう! わかった、わかった、わかりましたよ! これから暫くの間、許可が出るまではお酒を飲みませんし、命令にも極力何でも従いますって!」

 

 それでいい。

 死柄木は満足そうに頷き、グラスを傾ける。

 格付けは完了した。死柄木が「主」で、黒野が「従」である。それはオール・フォー・ワンの敷いたレールの上だった。

 

「……でも、ラッキー君。お酒の方だけでも早めに解禁してくれません? でないと私、死んじゃいますから」

 

 座席から立ち上がり死柄木の元へと()()と駆け寄る黒野。彼女は上目遣いで少年に請い強請る。

 死柄木はそんな少女を一瞥し、ハッと鼻を鳴らすと命令した。

 

「──じゃあ、仕事しろ、仕事」

 

 少年はついと部屋の一角を指差す。そこにあったのは何の変哲も無い収納ケース。掃除用具入れだ。

 少女は念のため問いかける。その顔は僅かばかり引きつっていた。

 

「……え、まじ? 私の『個性』知っててそれ言うの?」

「さっさとしろ」

 

 汚部屋系女子である黒野に対して、それは一種の拷問であった。

 泣き言を喚きながら少女は掃除を始める。

 彼らの掛け合いを傍で眺めていた黒霧は、はぁと嘆息した。

 深い、深い、ため息だった。

 

 

 

 それから暫く。

 ぎゃーわー悲鳴をあげた果てに、遂に少女は掃除を完遂する。その手際は、少女の立ち振る舞いからは想像ができないほどによく、家庭レベルではあるもののまさしくピカピカになっていた。普段の掃除担当である黒霧も、その結果にはどこか満足げだ。

 黒野は痛む全身を揉み解しながら、死柄木に酒解禁の許可を求める。

 

「ふぃ〜。終っわりましたよ〜! で、ラッキー君。もうお酒飲んでいいですか?」

 

 死柄木はテレビに目を向けたまま、面倒くさそうに答えた。

 

「アホか。スライム一匹じゃ全く足んないよ」

「そんなぁ……」

 

 掃除用具を放り出して、黒野はがくりと崩れ落ちる。

 そんな彼女に死柄木は続けた。

 

「おい、黒野。これ読め」

「わ! ん、とと。どれどれ……」

 

 死柄木は黒野に自身が読んでいた雑誌を投げ渡す。

 名を「週間ヴィラン」と称するその雑誌は、文字通り毎週のようにヴィランについての記事を掲載する専門誌だ。犯罪者を飯の種にする編集部がけしからんのか、はたまた毎週のように取り上げられるヴィランが存在するこの個性犯罪の時代を嘆けばいいのか。議論は分かれるところである。

 多くの問題を孕んだ雑誌ではあるが、コアなユーザーに対してニッチな需要がある。

 雑誌の中の悪党と対峙するヒーロー、あるいは紙面を潤すヴィランにも購読するものは少なくない。裏の情報とまではいかないが、グレーゾーンのあれこれはちらほら乗っていた。

 渡された雑誌を受け取った少女は、パラパラとページを捲る。

 

「ん〜。うちらの事はそんなに書いてないですね〜」

 

 そこには(ヴィラン)連合についての記事は少ししかない。

 雄英高校に多数のヴィランが襲撃した点。生徒達にけがはなく、大勢のヴィランが逮捕された点。仲間割れにより一名死亡者が出た点。表面的な出来事しか載っていなかった。

 当たり前だ。雄英高校に喧嘩を売ったとはいえ、それ以上に機密性の求められる情報が多い。脳無の件にまで行き着いている記者を褒め称えるべきだろう。

 その代わりに特集記事で、とある新進気鋭のヴィランが取りざたされていた。

 

「なになに、『ヒーロー殺し、またも凶行か!?』? ヒーロー殺しって、最近頑張ってるあの?」

 

 ヒーロー殺し、ヴィランネームをステインというその男の名は、普段ニュースを見ない黒野の耳にさえ入るほどに有名になっていた。

 東京都内で散発的に起こっていた連続ヒーロー殺人事件。凶器が刃物によるものである点、マスコミによく出るヒーローを中心的に狙ったその犯行から、何らかの思想犯それも単一犯であると多くの有識者に分析されている殺人鬼。

 ヒーローを17人殺し、23人を再起不能にした社会の敵。犯行現場は刃物によって切り刻まれ、殺害されたヒーローの血でドス黒く染められていたことから「ステイン」と名付けられたそのヴィランは、連日ワイドショーを騒がせている。ある意味では(ヴィラン)連合の同業者にして商売敵だった。

 死柄木は少女の言葉に同意する。

 

「ああ、そのヒーロー殺しだ」

「んで、この人どうするの? うちに勧誘するの? それとも殺す?」

 

 気軽に言ってのける黒野。そんな彼女をしっかりと見据えて、死柄木は言った。

 

「勧誘だ」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 沈黙が流れる。会話が途切れる。

 テレビ画面から、「これ! 騎馬戦よ!」と女の声が響いた。

 いたたまれない耐えかねて、少女は声を上げた。

 どうか冗談であってくれ、と。

 

「え!? 私が勧誘に行くんですか!?」

「ああ、そうだよ」

 

 そんな願いはあっさりと崩れ去り、少年は指示を出す。

 

「ブローカーが言うには奴は保須にいるらしい。探し出して連れて来い」

「でも、私馬鹿ですよ? 頭良い交渉なんて出来ませんけど? というか捜索能力無いんですけど」

 

 少女はか細い抵抗を繰り広げるが、死柄木は取り合わない。

 

「知っているよ、そんな事。探して見つけるだけで良い。あとはこっちで適当にやるさ。捜索能力がない? マッピングついでに足で探せよ」

 

 黒霧、やれ。

 死柄木は手をかざすや否や、黒野の足元にワームホールが開かれた。

 暗闇に飲み込まれる寸前、少女は声を張り上げた。

 

「わかりましたよ! もし見つけたら連絡しますんで!

 ──美味しいお酒、用意しててくださいね!」

 

 ……やかましい少女が居なくなった後。沈黙を貫いていた黒霧が口を開いた。

 

「──死柄木弔。何故わざわざ彼女に行かせたんです? 私の『個性』なら労せずヒーロー殺しを連れてこれるでしょうに」

 

 死柄木は薄い笑みを貼り付けて答えた。

 

「ただの嫌がらせだよ、嫌がらせ。

 ……あとはまぁ、『先輩』とあいつを合わせたかったから、かな」

 

 

 

「と〜言っても〜。ヒーロー殺しなんてどこにいるかわかんないですし〜?」

 

 放浪。

 ワームホールで裏路地に落とされた黒野は、保須市をぶらぶらと散策していた。

 彼女の持ち物は、少しの金銭と連絡用の携帯電話くらい。捜索用サポートアイテムのような奇特なものは当然持っていない。

 彼女はお尋ね者だ。今日の彼女は眼鏡を置いてきたとはいえ、見るものが見れば要注意ヴィランと分かるだろう。カメラに顔を写さないように注意しながら街を歩くのは存外疲れる。

 その上、街を練り歩く黒野に初夏の陽気が襲いかかった。身体中の汗腺からだらだらと汗が流れる。ベタベタとしたそれは少女の服と皮膚とを貼り合わせた。

 恨みがましげに見上げると、太陽は天頂に位置している。そろそろ12時、お昼時だ。そう意識すると無性に腹が空いてくる。

 進まぬ進捗、衰弱する神経、不快な気候、くぅくぅ鳴るお腹。

 少女が根をあげたのは、僅かに一時間と少し後のことだった。

 

「うん、無理! 一旦休憩!」

 

 少女は捜索対象を、ヒーロー殺し・ステインから美味い飯処へと変更した。

 

 

「ファミレス……は一人で行きたく無い。フライドチキン……はジャンクすぎて体に悪い。回転寿司……はなんか違う。フレンチ……は金がない」

 

 少し歩いて。

 当初の目的は何処へやら、黒野は様々な店を物色し始めた。

 究極的には彼女は酒さえあればなんでも良いのだが、禁止されている手前、流石の彼女も飲むのは気が咎める。となるともう選択基準はないに等しい。

 様々な店をさんざんばらにこき下ろした後、彼女がたどり着いたのは一軒のラーメン屋だった。

 この女、つくづく趣味が親父である。

 木製のスライド扉を開くと、外気を超える熱気と強いニンニクの香りが煙に乗ってやってくる。店内に入った彼女に、中から声が投げかけられた。

 

「へい、らっしゃい!」

 

 カウンター席と向かい合うようにある厨房から歓迎の声をあげたのは、首元からタオルを吊り下げたスキンヘッドの店主。

 それっぽい雰囲気に気を良くした黒野は意気揚々と歩みを進める。

 掻き入れどきというのに、店内には客は疎らで数人しかいない。店の壁際、天井付近に設置されたテレビが一人虚しく音を奏でている。これ幸いと黒野はカウンター席に陣取った。

 向かい側から毛の生えた手がヌッと突き出される。その手にはお冷が握られていた。受け取って口をつける。ほかほかと温められた体内にひんやりとした水が流れ落ちる。ビールだったら尚良し、少女は懲りずにそう思った。

 一息ついた後、テーブルに置かれていたメニュー表を一瞥した黒野は、店主に注文の意思を伝える。男はぶっきらぼうにそれを問うた。

 

「注文は?」

「豚骨、チャーシュー乗せて麺の硬さは普通で!」

 

 あいよ。

 男は調理に取り掛かる。

 麺を茹でている間。包丁でチャーシューをざっくばらんに切り分け──否、少女の超人的な目はその特異性に気がついた。切り分けられるチャーシューは、その厚さが全てミリ単位で等しく同じ厚さだ。弛まぬ努力の結果か? それともなんらかの「個性」か?

 男が調理を続ける間に、店内にいた客、黒野を除いた最後の一人が店を後にした。この店は券売機を使うスタイルではないらしい。どうやって会計をするのか黒野が伺っていると、客は徐にレジカウンターの横に現金を置いて去っていった。

 ──それで良いのかこの店。黒野は思わず戦慄する。ヴィランを怖れぬ大胆不敵さだった。この店のあっけらかんとした防犯体制に比べると、自分がどこかちっぽけに思えてくる。

 勝手に気を落とす黒野の前に、一杯の器が差し出された。

 

「お待ちどうさん」

 

 待望の飯だ。ラーメンだ。

 黒野は無駄な思考を打ち切って、両手を合わせて軽くお辞儀する。育ちは悪いはずなのに、育ちの良さをうかがわせる振る舞いだった。

 

「いただきます」

 

 割り箸を割り、蓮華を持って戦いに挑む。

 まずはスープだ。黒野は蓮華を水面に突き刺し、掬い上げる。琥珀色のそれにはうっすらと油が幕を張っていて、蛍光灯の光をアトランダムに反射していた。

 少女は手を動かして液体を口に運ぶ。

 

「──美味しい」

 

 実のところヴィランの少女は普段店に行くことなど滅多にない。自由に出歩く機会などほとんどなかった。それ故に今までに食べてきたラーメンも、ヴィランになってからは殆どがカップ麺だ。それと比べるとこれはまさに雲泥の差。

 美味い理由を具体的にどうとは言えない少女ではあるが、スープが美味ければ大概当たりだと何処かで小耳に挟んだことがある。それに従えばこれも当たりだろう。

 器の中からは絶えず湯気が湧きあがり、水蒸気は黒野の顔を優しく撫ぜた。どうやら眼鏡を置いてきて正解だったらしい。自身の慧眼に思わず顔がほころぶ。

 黒野は次に麺へと向かう。箸を豚骨の海に沈め、小麦の束を引き上げて啜りあげる。豪快に音を立てる様は、ティーンの少女にはふさわしくない。だが構うものか。どうせ行きずりの店、ここには知り合いなぞ誰もおるまい。

 そう意気込んだ彼女の瞳は無意識的に輝いた。月並みな表現ではあるが、この麺はスープによく()()()いる。麺がスープを、スープが麺を引き立てるとでも言うべきか。恐らくはスープの種類ごとに麺をも変えているのだろう。この麺には醤油ではダメだ、味噌ではダメだ、豚骨でなければならぬという気迫を感じた。

 続いてチャーシューに挑む。

 と、その前に。

 

「おやっさん。このチャーシュー、どうやって切ったの?」

「わかるか、嬢ちゃん」

 

 掟破り。

 味から意図を探求することなく、黒野は直接問いただした。論客失格とも言える仕草だったが、店主は鷹揚に受け入れた。あるいは自身のさりげない仕込みに気づいてくれたことが嬉しかったのかもしれない。

 

「こりゃあ、俺の『個性』よ」

 

 そう言って店主は豚肉をもう一塊取り出して、まな板の上に乗せた。

 

「『精密動作』。こいつぁ、ミリ単位の動作を完璧にこなしちまう『個性』だ。スープの油の分量も、計量するのは俺の腕だ」

 

 店主は包丁を振るう。切り分けられたチャーシューは、今まさに黒野が口に入れようとしたものと完全に同じ厚み。彼が生涯で解き明かした究極の厚みである。

 黒野は意地悪げに問いかける。

 

「でも、それって『個性』の不正使用じゃない?」

 

 法律上では確かにそうだ。ヒーロー等の特定の資格を持った人物以外は、原則として個性の使用は禁じられている。店主のこだわりは、セーフかアウトかの二元論で語ればアウトだろう。

 そんな黒野の問いかけに、店主はカカ、と哄笑した。

 

「馬鹿野郎。ここは俺の店だぞ? 俺の城で俺が自由にできないわけがあるかよ!」

 

 そう言って、店主は切り分けたチャーシューを黒野の器に上乗せした。

 

「無駄に切っちまったからな。目のいい嬢ちゃんにサービスだ」

「え、まじ? ありがとう、おやっさん!」

 

 粋な店主との交流に、上司にいびられた──と思っている──黒野の身体と心は温まった。

 これから先も頑張れそうだ。

 黒野は器の中に精神を集中した。

 

 十分かそこらが経って。

 黒野の腹が満腹になるのと引き換えに、器の中身が消え失せた。

 さて、ここで帰ってもいいのだが。

 どうせ客もいないことだ。回転率も気にすることはない。黒野はサボりを続行した。

 

「おやっさん! テレビのボリューム上げていい?」

「おお、いいぞ!」

 

 許諾を受けて、少女はリモコンのボタンを押し込む。

 テレビで流れていたのは、選ばれし高校生たちがしのぎを削る夢の祭典。古き時代、オリンピックと呼ばれた祭りの後釜。雄英高校体育祭だ。

 少女がテレビを見ていると、店主の親父が忌々しげに話しかけてきた。

 

「……全く、何が体育祭だ。商売上がったりだよ」

「ふーん。やっぱり今日はお客さん、少ないの?」

「まぁな、毎年そうさ。それどころかウチのカミさんと息子まで観に行きやがる。一人で切り盛りしろってか?」

「……そこまで言うならいっそのこと閉めればいいじゃん」

「ハッ、盆正月以外は年中無休がウチのポリシーなんでね」

 

 店主はそこで言葉を切ると、少女の方を向いて続けた。

 

「それに、嬢ちゃんみたいな客がこんな日でも来るもんだから、おちおち休んじゃいられねぇだろう?」

「あはは、助かってます〜」

 

 回る、回る、会話が回る。二人はまるで竹馬の友のように語り合った。

 そんな彼らの語りを止めたのは、テレビの中のヒーローだった。

 

「──君の!! 力じゃないか!!」

 

 緑髪の少年・緑谷出久が、紅白頭の少年・轟焦凍に向かって叫ぶ。なにがしかのやりとりがあったのだろう。あいにくと少女は見ていなかったが。

 とはいえ片方は()()だ。黒野の口から言葉が漏れ出た。

 

「へぇ〜。彼、緑谷出久君って言うんだ。ん〜、ミー君かな? それとも梅雨ちゃんみたいに呼んでほしい名前があるのかな?」

 

 画面の中では、エンデヴァー・ジュニアがミニ・オールマイトを超えていた。

 

 

 

「おやっさん、鏡か何かない?」

「んにゃ、ねぇぞ!」

 

 いくら行きずりの店でも普通のティーンエイジャーならそこまでしないが。

 店を出る前、少女は爪楊枝で自身の歯を掃除していた。ラーメンに入っていたネギが歯間に詰まっているのを気にしたのだろう。

 鏡を求めたが色よい返答が返ってこない。

 よって黒野は次善の策を提案した()()()()()()()()

 

「ありゃりゃ。じゃあおやっさん、私の歯、綺麗か見てくれない?」

 

 少女はそう店主に求める。

 会話を交わして気を許していたのか、店主はそれをあっさりと了承した。

 

「おお、いいぞ! どぅら……、ってよく見えねぇな……」

 

 店主が少女の頼みに応えようとする。

 が、席に座ったままで、なおかつ若干俯いているせいで影ができてよく見えない。

 そう告げると少女はさらに提案した。

 

「ん、そう? じゃあもっと近づいて見てくれる?」

 

 図々しい提案だったが、店主は苦笑いしてそれを受け入れた。

 店主の顔が、少女の顔に近づけられる。店主の目が、少女の歯に()()向けられる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 黒野はぼそりと呟いた。

 

「──ごめんなさい」

「あん──」

 

 ブラックアウト。男の意識が暗転する。

 男は最期に、迫り来る風切り音を耳にした。

 

「本当にごめんなさい。全部嘘です」

 

 少女は()()()()()()()()()()()()()()()、独り呟く。爪楊枝の先は赤黒く染まり、べちゃりと肉片がこびりついていた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 痛みもなく、気づきもせずに、スキンヘッドの男は黄泉路へと旅立った。

 少女はがま口財布から750円取り出すと、レジカウンターの隣に置いて店を出ようとする。

 扉をくぐる直前、黒野は振り返って店主を見据えて、

 

「ご馳走様でした。美味しかったです〜」

 

 いけしゃあしゃあとそうのたまった。

 

 

 

「ただいま〜って、あら、あなた。眠っているのかしら?」

 

 ──雄英高校体育祭から帰ってきた母子は、店の中で眠っている家長に気がつく。

 それが永遠の眠りだと気がつくのは、果たしていつのことやら。

 それが病ではなく人災であると気がつくのは、果たしていつのことやら。

 

 




ヴィランネーム:ネガ・フェアレディ
本名:黒野真央
個性:酒を飲まないと死に近づく。掃除をしても死に近づく。死柄木と敵対しても死に近づく。
   爪楊枝アサシネイト、爪楊枝が無駄に硬い、長いのはただの演出。
備考:眼鏡は伊達。趣味が親父。
   ネーミングセンスはゴミ。財布はがま口。


単純な黒野真央つよつよ期間は前話で打ち止めです。ここからはつよつよムーブだけでなくタイトル通り「くそったれ」な側面も多く描かれます。それでもチート臭いのは変わりませんが。




 ……店内に設置されていた防犯カメラ、それを見たとあるヒーローは呟いた。

「おい、あんた。その画面、巻き戻せるか?」
「ん? ああ」

 爪楊枝ザク-

「おそろしく速い爪楊枝。俺でなきゃ見逃しちゃうね」

 彼は目撃ヒーロー・見逃さなかった人。数話でいいから覚えててね(ステイン枠)。


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