主人さまはサイコパス! (加賀崎 美咲)
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主人さまはサイコパス!

 主さまの名前は長尾景虎、そして、家臣さまの名前は宇佐美定満。
 ごく普通の戦国人二人はごく普通の出会いをし、ごく普通の義兄弟の分違いをしました。
 でも、ただひとつ違っていたのは……
 主さまはサイコパスだったのです。



 主さまの名前は長尾景虎、そして、家臣さまの名前は宇佐美定満。

 ごく普通の戦国人二人はごく普通の出会いをし、ごく普通の義兄弟の分違いをしました。

 でも、ただひとつ違っていたのは……

 主さまはサイコパスだったのです。

 

 

 

 あなたはカルデアのマスターだ。シミュレータの中で信長ことノッブが増殖して天下を奪い合ったぐだぐだした戦国絵巻が一段落して少しの時間が経った。

 

 新たな拠点であるノウム・カルデアでは来たる第五のロストベルトに備え、新たなる戦力の増強が必要と判断され、その準備が進められていた。

 

 これまで何度も行われた英霊召喚の儀式。マシュの円卓の盾を設置し、召喚の依り代となる星晶石を砕き、あなたの味方となってくれる過去の英霊の影、サーヴァントが英霊の座より現れる。

 

 今回もその一連の動作は成功した。召喚陣が光り、その向こうから一つの人影が現れる。

 

 まばゆい虹色の光が収束し、現れた人物をあなたは見る。一見して、その人物にあなたは親近感を覚える。黄色い肌に和風の甲冑、腰に下げた刀、武士と呼ばれるあなたの国の人間だ。

 

 その人物と目が合う。生気を感じさせない覇気の無い両目があなたを見定めるように見ている。

 

 少し人を避けるような雰囲気を発しながらその人物は口を開いた。

 

「サーヴァント、ライダー宇佐美定満。召喚に応じ参上仕りました。

 

 微力ながら軍師、内政担当として、できることをさせていただきましょう」

 

 薄い表情の変化ながら、努めて友好的に見せようとする宇佐美というサーヴァント。

 

 差し出された手を取ろうとあなたが手を伸ばした時、それに待ったをかける声があった。

 

 いつの間にか隣にいたその人物はあなたの手を引くと宇佐美から離すようにした。

 

 隣を見ると、そこにいたのはこの前の特異点より縁の生まれた毘沙門天の化身、長尾景虎その人だった。笑顔を絶やせない彼女は、戦さの只中にいるような剣呑さを笑みの中に見せていた。どうして彼女がそのような様子なのか分からないあなたは首を傾げそうになっていると宇佐美が口を開く。

 

「おや、これは景虎さまではありませんか。やはり人類を守護する集団、あなたが召喚されていないはずがありません。ええ、定満は景虎さまを信じていますもの。だからこそ——」

 

「ウサミン、あなた今マスターを殺害しようとしましたね?」

 

 朗らかにかつての主人に挨拶する宇佐美の言葉を景虎が遮る。問いかける景虎に宇佐美は覇気のなかった表情を崩し、実ににこやかに笑う。

 

「当然ではありませんか!」

 

 当然だと言う宇佐美に景虎は、ああやっぱりかと言いたげにため息をついてみせた。

 

「いいですかウサミン。このマスターは私が仕えるのに十分と判断した人です。その意味が分かりますね」

 

 そう言う景虎を宇佐美は意外そうに見ていた。景虎を見て、あなたを見て、それを交互に何度か繰り返し、納得したのか頭を下げてみせた。

 

「そう言うことでしたら……。この度は大変失礼つかまつりました。マスター殿がよろしければ、今後もこの宇佐美を使っていただければ結構です」

 

 あなたが短く許したことを伝えると宇佐美は満足そうに一例をして、部屋から出て行った。早速カルデアの中を探検しに行ったようだ。

 

 それを見て、慌てて景虎も後を追って部屋を出る。一人残されたあなたはそれをぼんやりながめている。

 

 その後数時間が経ち、夜更けに入りあなたは眠気を感じた。自室のベッドに寝転がり、睡魔に身を任せて意識を暗闇の中に落としていく。

 

 そんな折、何か温かいものが魔術回路を流れてくる感覚がした。そしてそれが夢に混じり合い、どこかの、誰かが見た景色を作り出していった。

 

 

 

  ●

 

 

 

 長尾家の中央、当主である景虎を前にして家臣団が集まり今年度の収支報告や合戦の報告、今後の家の方針を話し合う場が設けられていた。家臣筆頭である定満は今年度の年貢の収支と戦などの支出についてまとめていた。

 

「——という訳でですね、今後もこんなに合戦で経費がかさむようであれば、今度の合戦にかこつけて、後ろからドスっ! という感じで景虎さまを殺ってしまおうかと考えているんです」

 

「そういう話、本人を前にしてします普通? ウサミン、口でそう言いながら絶対にしないの分かってるから私怒りませんけど、普通ならお家お取り潰しですよ?」

 

「お黙りなさい! だったら少しは内政にも力を入れませぬか。このへべれけ軍神! 毘沙門天の加護がなんぼのもんじゃい!」

 

 定満の怒声と共に、彼の手に持ったそろばんと今期の決済書が景虎へ投げつけられる。定満の渾身の投擲を、首を少し傾けて景虎は軽くかわしてしまう。そして何か思いついたのか、手を叩く。

 

「あぁ、なるほど! 毘沙門天のバチを恐れぬことと、毘沙門天の加護がお金の面では特に役立たないことをかけたのですね! さすがウサミン。今日も洒落が効いてます」

 

「あぁん? なにを本人が意図してないこと見つけているんです? そんな余裕があるなら今年の決算に目を向けろください」

 

 本人としては場を和ませようと思っての発言だったが、どうやら余計に定満の機嫌を傾けるものだった。後方へ投げ出された決済書を拾い、座った景虎の前に置かれる。その一ページを開き、赤く線と丸がつけられた箇所を定満が示す。順調に増えていた資産が蒸発するように減っていった記録を定満は指で指し示し、それを何度も繰り返すから紙があっという間にしわだらけに変貌する。

 

「どこかの誰かさんが合戦ふっかけてくれたおかげで、順調だった台所事情が一気に火の車ですよ。どうしてくれるんですかコレ」

 

「えーっ、そこはホラ、ウサミンの敏腕、手管、立ち回りで私の甲斐を救う、軍師の腕の見せ所でしょ」

 

「ザッケンナ、コラー!」

 

 そこいらが我慢の限界だった。定満が部屋を舞い、景虎へ飛びかかる。驚いた景虎も負けじと対応するが、互いに幼い頃からの勝手を知ったもの同士、武術の腕の差は互いへの慣れで均一となり、あとは怒りという気持ちのアドバンテージを持った定満が有利を取った。

 

 完璧な腕ひしぎ十字固めを組み、二人の男女が広い床に転がる。しかしそこに色気は微塵もなく、あるのは何度目か数えるのも馬鹿らしくなる長尾家の日常風景だった。

 

「うぐぐ……、いけません、コレでは折れちゃいます。ウサミン、私の腕はそっちに回りませんよ?」

 

「うるせぇ! 回ってないのはうちの台所じゃあ!」

 

「あぁ! 今日もウサミンの洒落のキレが良い!」

 

 そして部屋にボキリと骨が外れる音が響いた。

 

 

 

  ●

 

 

 

 気を失って部屋の転がる物体、景虎さまを背負い、家臣たちがざわつく部屋を後にする。

 

「ああ、何と。腕を折られたのに笑っておられた……。しかしあの景虎さまに、ああも果敢に詰め寄るなど、宇佐美の当主は肝が据わっておられる」

 

「いやはや……。わたくしなど、景虎さまの、あの埒外の目つきに見られるだけで身がすくむもの。宇佐美殿には今後も景虎さまをうまく操縦してほしいものだ」

 

「そうでなくともあの化け物の景虎さまだ。あの矛の先がいつか我々に向かうかもしれないと思うと……」

 

 襖ごしに家臣たちの肝を冷やして、ついついこぼれただろう陰口が聞こえてくる。それに定満は良い顔はしないけれど、彼らの言い分に理解は示していた。彼らの殿様である長尾景虎は毘沙門天の再来とうたわれ、諸国に武に優れながらも義を重んじる人格者であると評判だった。しかし景虎の身近な家臣たちはそんな批評を聞けば鼻で笑うか、それともかぶりを大きく振って否定するかのどちらかだ。

 

 聖人君子と謳われるその実、長尾景虎の実態は、聖人君子の振る舞いを機械的にこなす人のようなナニカ、というのが長尾家一党の共通認識だった。人が当たり前に持っている感受性や共感を何一つ持たず、どこか超然としたそのありようは家臣はおろか、実の兄弟両親にまで恐れられて疎まれる有様だった。

 

 仏門に目覚めたから寺へ奉公に出たのもただの世間体を気にしての方便であり、その実ただの家からの追放も同然だった。

 

 そんな薄ら寒い義を重んじる歪んだ彼女に一人だけ付き従う家臣がいた。

 

 それが宇佐美定満だった。父は景虎の、先代長尾家当主に従う重臣であり、年が近かったこともあって、彼は半ば長尾家からは押しつけられるように、父からは彼の野心のために景虎、当時は幼名の虎千代、に幼少の頃から付き人のように仕えさせられた。

 

 仕えたその日から、定満にとっては苦労の嵐のような日々だった。鍛錬と言って景虎と一対一のど突き合いに何度も付き合わされた。その度に生傷、擦り傷、青痣を増やしていく日々。何よりもこたえたのはどれほど疲弊しようと主である景虎がそれを意に介さず、正確に言えば定満が疲れ弱っているのを理解できず、話が噛み合わないために二人の間にはぎこちない空気が、定満が一方的に感じていた。

 

 もとより定満は体が丈夫ではなく、体を激しく動かすこともそれほど得意ではなかった。むしろ部屋の中で茶を淹れ、詩を読むことの方が性に合っている。

 

 だからこそ元来それほど相性が良いわけでもない二人。それでなお景虎が人の機微を欠片も理解できないが故に、二人の主従関係もすぐ破綻するだろうと周囲は思っていた。

 

 ところがそのすぐだ。唐突に定満の景虎への態度が軟化した。乾いた砂のような関係が、親しいものへと変わった。その予兆もなかった変化に周囲は首を傾げていたが、二人の間柄がうまくいっていたから、殊更余計な藪を突かないよう、追求する者もいなかった。

 

 そのすぐ後に景虎の父である為景と兄の道一丸が同時期に続けて逝去してしまったため、嫁に出た綾御前を飛ばして定満と共に寺へ出されていた景虎が長尾家を請け負うこととなった。

 

 君主が立て続けに亡くなり混乱する中、父が亡くなり宇佐美の当主になったばかりの定満が音頭を取り、景虎を新しい殿として立てたことで混乱は驚くほど素早く沈静化した。

 

 そして景虎と定満が越後を率いるようになり、景虎の毘沙門天の加護とうたわれるほどの武勇もあって、越後はかつてないほどの勢力を誇るようになった。

 

 

 

  ●

 

 

 

 物心がつく頃にこの世の何もかもに嫌気がさしていた。

 

 嫌気を感じるものはいくつもあった。病弱なこの体、野心ばかりで足元がおぼつかない父、そして人がたやすく死んで消えていくこの戦国の世が嫌いだった。

 

 どうせ生きていてもそれほど面白くないのだ。なのに死んでいくなど、それ以上に面白くないだろうに、それなのに頭の悪い武士どもは死ぬことに美学だの箔だのをつけたがる。

 

 無意味なものに価値を見出そうとする様はひどく滑稽で不愉快だった。本人たちだけはそれに気づかずにいる。そんな武士の子らしくない感想を抱きながら、今日も嫌気ばかりが募っていく。

 

 ある日のこと、父が面倒ごとを持ち込んできた。あの悪い意味で家臣団の中で有名となっている景虎様、この時はまだ幼名の虎千代を名乗っていたけれど、に私がお仕えすることになった。その機会を得るために父がしただろう小汚い政略を考えると吐き気がするが、逆らえる身の上でもなく、渋々とその命に殉じる。

 

 病み上がりで動きたがらない体に鞭打ち、長尾家に上がる。どういうわけか景虎様の周囲にはほとんど人が置かれていなかった。普通あの年頃であれば付き人や幼少から仕える家臣が周囲にいるはずなのに、景虎さまのそばには誰も配置されていなかった。

 

 そんな彼女と顔を合わせて、初めて出た感想は「気持ち悪い」という、人に対して思うにはあまりにも失礼なものだった。

 

 だけれど分かってほしい。あの顔を見て、あの存在を感じて、嫌悪感を抱くなという方が無理な話だ。ただただ笑みを浮かべているだけのはずなのに、原始的な本能が逃げろと叫んでいる。

 

 気がつけば足は思考から独立して逃亡を始めていた。そんなことをすれば父の立場がどうなるかなど火を見るよりも明らかだったがそんな打算を考える余裕もなかった。そのままであれば殿の不評を買い、宇佐美家は閑職へ追いやられるはずだった。

 

 しかしその状況を止めたのは、皮肉にもこの窮地を作り出した目の前の獣だった。

 

「あなたが父の言っていた定満なのですね。今日から私に仕えてくれると父から聞きました!」

 

 貼り付けたような満面の笑みを浮かべ、彼女は僕の両手をその手で掴み何度も上下へ振らせた。そのせいで逃げようにも逃げられない状況になっていた。

 

 顔がひきつるのを自覚しながらも、表情筋に全力を注ぎ笑みを浮かべる。初対面の二人は双方とも作った笑顔で相まみえるなど、どういう冗談だというのだろう。

 

「はい、虎千代さま。今日から虎千代さまのお側人として置いていただく宇佐美定満でござます。お役目を果たせるよう一生懸命務めさせていただきます」

 

「ええ! こちらこそよろしくお願いします。ではさっそく鍛錬といきましょう。戦国の人間はやはり強くないといけませんからね!」

 

 言うや否や景虎さまに引き回され屋敷の奥、道場のようになっている広い空間に連れて行かれる。連れ去られる中、置いていかれた父と為景さまがこちらを見ていて、目が合う。

 

 父は企みが上手くいったのだろう卑しい含み笑いを、為景さまは同情するような視線と厄介事がどうにか片付いた安堵の様子を浮かべていた。

 

 その日起きたことはもう思い出したくもない。日が傾く頃にはボロボロとなった私が道場に転がっていた。手加減を知らない景虎さまと病弱で運動音痴の私が組み合わさればこうなることは明らかで。木刀を片手に、変わらず貼り付けた笑みを浮かべた景虎さまに見下ろされる。

 

「どうしたのですか定満。まだまだ続けますよ? それとも、すでに動けないのですか? いけませんよ、武士の子がそのような体たらくでは」

 

 強く打ちつけられると人は動かなくなるんだよ。などと元気そうな彼女を罵りたかったけれどそんな元気もなかった。

 

 結局その日はもう時間も遅いと家に返され、また続きは後日とお流れになった。家に帰ると女中たちが待機しており、風呂に入れられ、一息つくと父に面会させられる。

 

 顔を合わせた父は見慣れた探るような顔で今日一日のことを根掘り葉掘り聞いてきた。要するに私が景虎さまに気に入られたかどうかが気になっているというだけのことだ。きっとこの父は私が殺されかけたことを聞いても、やめるとは言わないだろう。むしろ息子の出来が悪かっただろうか、などと平然と言ってのける男にそんなものは期待していない。

 

 それに抵抗しない私にも非はあるが、だがしかし、親に大切にされない子供が果たして自身を大切にすることを覚えるのだろうか。少なくとも私にはそんな考え方も感覚もなかった。

 

 そして次の日も、その次の日も、そのまた次の日も、おおよそ一日の時間の全てを景虎さまの稽古という名のしごきに付き合わされる。

 

 体にかかる負荷がついに骨折に変わった時、私は景虎さまを殺そうと思った。主人の継子を殺すなど、武士の基準で考えれば言語道断だ。自身の命どころか、一族郎党もろともに処刑されるくらいで済めば軽い。

 

 だけど私は父がどうなろうとどうでもよかったし、このままでは私が死んでしまう。だから私の主人を殺す。そう決めた。

 

 

 

 ●

 

 

 

 しかし結果は私の決意とは裏腹に無残なものだった。

 

 冷たい道場の床に私が転がっている。天井には私が景虎さまの喉笛を裂こうとした短刀が深々と刺さっていた。

 

 想像していたよりも私は簡単に返り討ちにあってしまっていた。

 

 傷む関節の節々。仰向けの胸には足が乗り、身じろぎひとつ許されない。彼女の持った木槍の先が割れ、鋭い木の端がこちらにいつでも振り下ろせるようになっていた。

 

 どうやら私の命はここまでらしい。頭の中の想像ではせめて同士討ちくらいには持ち込みたかったが、現実はあっさりと一方的に言い訳のしようがないほどに負けた。しょうもない人生だったが自分なりには頑張ったような気がする。そんな虚しい慰めを自分にして最期の時が来るのを目を閉じて待つ。

 

 しかし観念の中にいても、いつまでたってもその時が来ずにいる。

 

 おずおずと目を開いていくと、こちらを見下ろした景虎さまが、大きく目を見開いた笑みを浮かべていた。

 

 いや、違う。あんなのは笑みではない。顔の形は笑みでも、それに伴って生まれる感情の動きが付随していない。表面だけ形をなぞったようなその笑みは、目だけが大きく開かれ私には読み取ることのできない彼女の意思を伝えていた。

 

 口角は上がったまま、一度天井に突き刺さったままの短刀を見て、見開かれた二つの瞳が私を見て、彼女は口を開いた。

 

「……どうして、ですか?」

 

 彼女がどうして命を狙ったのかを問うてくる。あれだけ人に強く当たって、それで怨まれないと思ったのか、それとも武士の子なら辛い修練は当然と言いたいのか。

 

 これだから、こんなだから、世の中は、武士の世は嫌いなんだ。

 

「今度こそは上手く出来ていたと思ったのに」

 

 平素の声で、いつも通りの笑顔で、しかし困惑の言葉を、いつでも私を殺せる彼女は呟いた。

 

「兄上の時は全力で頑張ったから、だから今度は頑張って抑えましたのに……。どうして上手くいかないのでしょう」

 

 景虎さまの兄でおられる道一丸さまはこれよりもっと酷い目にあっていたらしい。聞いてもいないのに、景虎さまは過去の情報を整理するように経緯を吐いていく。そして彼女のつぶやく言葉を拾って、こちらが困惑する。

 

「……本気でそれを言っていますか? もしそうだとしたら頭おかしいんじゃないか いや、違う? ……は?」

 

 動揺のあまり口調が荒いものへ変わる。それまであった彼女への違和感が線で繋がっていき、不気味な全体像を浮き彫りにしていく。

 

 じゃあ何か。この人はあれで、私と仲良くなろうと精一杯努力をしていたと言いたいのか。だとしたら頭がおかしいとか、そういう状況じゃない。このヒトモドキは初めから言葉を交わしながら、その実何一つ共感せず、ただ目に見える人の所作、表情や言葉を模倣していただけという、その異常性に背筋を冷やす。

 

 そう理解すると、今までの貼り付けたような笑みも、それまでと違ったものに見えてくる。本来は自然な心の動きによって生み出されているものが、中身が伴わない外見だけを取り繕ったチグハグな動作、それが私が彼女へ感じていた気持ち悪さの原因だった。

 

「どうしてですか? 私はちゃんとあなたと仲良くなろうと努めていたんですよ。それなのにそんな言い方……」

 

「具体的にどこがそうだったと?」

 

「現にあなたは無事でしょう? 兄上の時より反省して、手加減を覚えたんですよ? これではダメなのですか?」

 

 本気で分からないという口ぶりだった。口元は変わらず笑みを作っているが、それに目が同期出来ていない。動揺しているのか、瞳からは表情が失われ、底の見えない淵と化していた。

 

 人の気持ちなぞ何一つ分かっていないのに、コレは一生懸命にその真似をしている。でも表面をなぞるだけだから、モノマネが上手くいかず、どこが良くないのかも分かっていない。なまじ見目麗しいが為に、その不自然さが余計に目立つ。

 

 それならいっそ獣として生まれていたら幸せだっただろうに。余計なものがついた人に生まれてしまったが故に、その差異を埋められず、人と同じになれないことを不和に感じている。

 

 これはどうしたって幸せになれない人間だ。人のことなどちっとも分からないくせに、人になろうと初めから終わりのない道を歩んでいる。自分も大概不幸せだと思っていたが、こんな初めから幸せになりようがない生き物は初めてだった。

 

 困惑するこちらをよそに景虎さまの問答は続く。

 

「どうしてなのでしょうか。どうしてこうも、ことごとくが上手くいかないのでしょうか。私はこんなにも頑張っているのに、どうして皆揃って私を拒絶するのですか。何が足りないと言うんです。どうしたら私を受け入れてくれるのですかぁ!」

 

 彼女の叫びと共に木槍が振り下ろされ、顔のすぐ横の床が音を立てて抉れる。肌で感じる破砕。しかしそんなことは気に留めていなかった。

 

 私の思考は覆い被さるように近づいた景虎さまの顔でいっぱいいっぱいになっていた。見開かれた瞳がジッと私を見ている。私を見つめて離さないその目は虎のようにで、恐ろしくあり、私はなんとか逃れようと身をよじらせるけれど、景虎さまに襟元をその両手でつかまれ、逃げることも目を逸らすことも許されないでいた。

 

 彼女の笑みが深くなっていく。いや、そう見えるだけで、本当はその笑みに普通の笑みが持つ意味はない。それ以外の表現を持っていないから、景虎さまの顔は笑みの深度でしか区別できない。

 

「ほら、定満。私こんなに笑っているんですよ。みんな笑っている人は好きでしょう? みんないつも笑っていますものね。それなのにどうして私だけ、除け者にされてしまうのでしょう?」

 

 そう訴える彼女の声は震えていた。だから彼女はいつもああして笑みを貼り付けていたのか。

 

「定満だって笑うのに、どうして私だけがこうも違うのです」

 

 揺れ続ける彼女の瞳が私の答えを待つ。しかし何か答えようにも襟元を掴む力が強く、肺を上から押し潰して苦しい呼吸が漏れるだけで言葉にならない。

 

 こちらが何も言えないのを良いことに彼女の詰問が続く。けれど返答を受け取れない彼女の襟を締める力だけがどんどん増していき、それがいつしか首を絞める力へ変わっていく。

 

「どうしたら私は受け入れられるのですか?」

 

 その質問が我慢の限界だった。

 

「いい加減にどけってんだ!」

 

 重くのしかかる彼女の手を掴み、籠手を返す要領で彼女を投げる。問い詰めることに夢中になっていたからか、驚くほど簡単に、想像通りにことが運ぶ。

 

 上下が入れ替わり、私の下敷きになった彼女が変わらない表情で私を見上げている。その色白で艶やかな首筋に私の両手が添えられる。魚を絞めるように首筋を握り、力を込めていくが彼女は抵抗しなかった。

 

 主人の娘に手を挙げるというのに、私はひどく興奮してそんな当たり前のことをしつねんしていた。苛立ちに任せ、首に添える手に力が募っていく。

 

「どうしたら受け入れられる? そんなものあるわけないでしょう? 人からかけ離れたナニカが受け入れられる訳がない。人は自分とは違うものを排除する。そして自分の世界を守るんだ。こんなあるだけ無駄な世界にさぁ!」

 

 両手により一層、力が入る。時折景虎さまの口から苦しげな声が漏れ、少なくとも今までで一番こちらからの攻撃が通用していた。抵抗を諦めてもらわねば勝負にすらならないことに根本的な格の差を突きつけられる。

 

 どうしようもなく強いこの人は、きっと誰よりも雄々しく、けれどそれゆえに凡夫のことなど理解できないだろう。そして世の中は凡夫がほとんどを占めているのだから、自然と彼女が排除される側に回ることになる。

 

 それこそ、この世で彼女が生き延びるには排除する側、支配する側へいなければならない。それなのにどうして彼女は人と同じようにいたいと言うのか。私にはちっとも分からない。同化する価値などこの世にはないだろうに。

 

 しかしそんな心配をする必要もない。もう間も無く、このケダモノは生き絶える。少なくとも呼吸が止まれば死ぬはず。もう少なくとも窒息するに間違いない時間、彼女は首を絞められ、顔を青くしていた。

 

「——俺も、あなたも、きっとさっさと死んでしまったほうが良いんだ。こんな世界で生きていたって、苦しいだけ。だったら初めからいなければ良かったんだ……」

 

 景虎さまが暴れないよう、最後に力を込めながら、そんなつぶやきが溢れていた。

 

 彼女が死んで、それが発覚すれば私も死罪だ。すぐに打ち首になる。思っていたものとは大きく違うが、こんな終わり方も悪くない。生きづらいのに無理して生きていく必要などない。だから……、

 

「定満は生きているのが辛いのですか?」

 

 心臓に冷たいものが流れ、大きく跳ねたのがわかった。あんな小さなつぶやきを聞かれていると思わなかった。

 

 動揺したせいで、せっかく首を掴んでいた手を放してしまう。絞首から解放されたことで、自由になった景虎さまは私の両の手を掴み、離さないように引き寄せた。顔と顔が少しでも動けば触れてしまうほどの距離となり、しかし景虎さまは気にした様子もなく私と目を合わせる。

 

 人には到底理解できない感情を映した瞳が私の目を覗き込んでいる。それは仲間を見つけた獣のような、すがるような視線だった。

 

「私と同じように、定満もあるがままの世間に馴染めないのですか?」

 

「同じにしないでいただきたい。あなたのように人が分からないんじゃない、分かっているからこそ、あなたが馴染めないそれが私には嫌になる」

 

 この世界が嫌。その言葉を景虎さまは理解できないと言いたそうに、困惑に目を開いていた。

 

「どうしてですか? 人は共感し群れを成すことを正しいことだと思っていないのですか? 私はそうしたいのに、それができないというのに、そうしなければ迫害されるというのに、どうして……?」

 

「あなたが思っているほど人は、そんな素晴らしいものなんかじゃない。その群れを成す行為を経て、人は何をしました? その結果がこの戦国の世だ。人の死が貨幣のように消費され、死体の上に社会が成り立つ。そんなものに迎合して何がしたいんだ。あなたのように初めから人と理解しあえない方がずっと幸福だ」

 

「幸福なものですか!」

 

 景虎さまが叫ぶ。譲ることのできない分水嶺だと言うように私にそれ以上の発言を許さない叫びだった。

 

「幸福? ただそこにいるだけで周囲の人々が顔を引きつらせ、己を避けるように振る舞う、それが幸福だと? お前はなんて冷酷なのですか。私はこんなにも人とありようを同じくしたいというのに」

 

「その結果があの猿芝居だと? なら、諦めください。あなたは生涯、人の機微を読み取られることはない。獣が人語を解さぬように、あなたに人と分かり合える性質は初めから存在しない。今のあなた自身がその証左だ」

 

 私は否定する。穢れた人の世を。そしてその穢れを塗り続ける人々、その下賤な人々になろうとする行いを。

 

「人の価値観にどれほどの価値がありましょうか。あなた自身を隠して、人に合わせる必要がありますか。誰かがあなたに、それを願ったのですか」

 

「人は正しく、私が間違っていたのではない……? だったら何が正しいと、何をあるべき道筋と定めろと?」

 

 初めから間違っていたのだ。人の心だの、機微などを分かり合う必要などなかった。彼女はただその有り様を隠すことなく、さらけ出していればいいのだ。人の価値観などどれほどの価値があるというのか。獣の理屈が下劣で、人が上等など誰が決めれられるか。

 

 ああ、なんだ。そんなことなのか。

 

 言葉を交え、疲れ、支えを失ったのか、しな垂れるように私に重なった。人の真似をやめた、本来の濁った眼が、貼り付けられた笑みに用意された窪みに嵌められ、答えを求めていた。

 

「だとしたら定満。人の無価値さも、私の間違いも、あなたの言う通りなのだとしたら、私は一体何のために生まれてきたというのですか。このような力、精神の有り様を持たせられて、私はどうすべきだと、あなたは言うのですか。答えてください」

 

 人の世では有り余ってしまう己の存在、その意義を景虎さまは問いかける。こんな戦国の世でそんなものの使い道など一つしか存在しない。

 

 殺し奪う。そんな単純で、何もかもを乱す使い道しかない。生まれが戦国であるがゆえに他の価値観は無残に壊され、議論をする前にその姿を消していく。

 

 ——戦国の世? 

 

 ふと、私はそんな当たり前のことに引っかかりを覚えた。私たちは戦国の世に産まれた。戦の結果が人の命運を定め、さらに生きるために戦が行われ、戦が起きていない時もまた戦の準備のために費やされる。

 

 私たちはそのような生き方を強いられ、そしてそれ以外の生き方を知らない。お題目に叫ばれる太平の世というものを知らない。だが、もしそのようなありえない時代があるというなら。人に不必要な力を持ってしまったが故に、人を理解できない景虎さまが力に何の意味を持たない時代にいられたなら。景虎さまはその空間になら馴染むことが出来るかもしれない。

 

 何よりも、そんな時代なら、私は何もかもに嫌気を持たなくていいのかもしれない。

 

「太平の世を築きましょう」

 

「……え?」

 

 転がり出るような私の言葉に、景虎さまは呆けたような声を出して私を見た。

 

 うつ伏せとなった彼女を起こし、その肩を掴み、私自身の目で景虎さまの目を捉え、真っ直ぐに見つめる。

 

 そうだ、この人から外れた力があるなら、出来るかもしれない。そんな青写真を描いて思わず笑みが漏れる。

 

「景虎さまが疎んでやまない、その生まれついての力を存分に使い、この世から、人々から戦う力を奪うのです。国を壊し、大名の家々を砕き、乱れた世をまっさらに馴らして、戦うことの出来ない新しい世を作り出すのです」

 

「定満、あなたは何を言って……」

 

「分かりませぬか? 人に人の世を変えることはできませぬ。それは変わったようで結局は人の世から外れていない。だからこそ、人から外れたあなたの力が必要なのです。私たちに必要なのは、菩薩による救済の慈悲などではなく、長尾景虎による無慈悲な破壊なのです」

 

 これは一つの天啓だと、私は感じた。南蛮の神はその信者に時々自身の言葉を伝えると聞いたが、私にとっては景虎さまこそが破壊の神であり、汚らしいこの世を壊してくださる救いだった。

 

「私がこの戦国の世を壊す?」

 

「そうです。景虎さまが人の世に迎合するのではなく、景虎さまが居心地良いと思える場所を、景虎さま自身の手で作り出すのです。あなただからこそ出来ること。他でもないあなたを私は必要としています」

 

 だからこそ、私は一切、景虎さまを否定しなかった。あの方の人から外れた在り方、その全てが必要なのだ。

 

 自らが環境に適応するのではなく、環境そのものを自己に適したものへ変えていく。景虎さまが人と上手く共存できなかったのはきっと、進化の経過に現れる新しい世代を担う個体として景虎さまが現れたからだ。

 

 だから私は景虎さまの手を取った。この方に人の心は分からない。だからどうしたというのだ。ならばそれを分かる者が補佐すればいい。景虎さまの価値はそんな段階には存在しない。戦場で暴れ、国を壊していくことにこそ意味がある。

 

 なら私はそのために自分ができることを全て行おう。嫌気しか残らないこの世に、景虎さまの存在を刻みつけよう。

 

 私はきっとこのために生まれてきたのだ。

 

 

 

  ●

 

 

 

 昔のことを思い出していた。

 

 私と景虎さまが走り出したあの日のことを。今日まで多くを殺してきた。

 

 景虎さまには困ったものだ。ああも合戦ばかりされていては、安定した戦争と侵略が行えないというもの。戦争とは内政とのバランスが肝要。どちらかだけに偏っていいものではない。

 

 しかし国同士の戦いに意義や楽しみを見出していただけたのは僥倖だ。初めは上手くいかなかった。合戦の経験がなかったこともあるが、なによりも慎重だった父や先代当主さまが他国との合戦に乗り気でなかった。土地が痩せている越後で足元固めばかりを気にされていた。

 

 しかしこのままでは景虎さまが存命のうちに太平の世を築くには時間が足りない、何よりも合戦そのものへの経験が足りない。

 

 だから父や先代には黙っていただくことにした。幸運なことにこの身には内政の才能があったらしい。誰彼に取り入るのは簡単だった。あとは内部での争いを誘発し、邪魔となる全てを抹殺して、景虎さまがこの長尾家を家督できるようにした。

 

 愉快だった。自分の一挙手一投足が景虎さまの築く太平の世に礎になると考えると、全てが輝いて見えた。かつて感じていた嫌気など、もうどこにもありはしない。

 

 太平の世は近づいただろうか。なにぶん戦国の世しか知らないのだから、どこからが太平なのか、その境界線はどこかおぼろげだ。だが確実に前へ進んでいるのだ。ならいつか訪れると自分を信じ、なによりも景虎さまを信じよう。

 

 

 

 ●

 

 

 

 あなたは自室のベッドで眼を覚ます。どうやらこれまでも何度か経験したサーヴァントとの夢を介した同調をしていたらしい。長く寝ていたからか軽い寝汗の不快感を感じ、シャワーを浴びようと電気をつける。

 

 宇佐美定満がそこにいた。彼は何をするでもなく、ただじっとベッドの側に立ち、あなたを見ている。

 

「……なるほど、夢を通して私や景虎さまのことを知ったのですね。奇怪な、しかし影法師である我らの存在を考えれば、それも今更」

 

 その宇佐美の発言にあなたは驚く。この現象のことをあなたは彼に話していないし、今日召喚されたばかりの彼がそれを知っていると思えなかったからだ。

 

「あぁ……、そんなに身構えずに。表情を見れば分かります。私や景虎さまの本性を悟った者は一様にそのような顔をしていましたから」

 

 召喚時とは違い、コロコロと鈴のように笑ってみせる宇佐美にあなたは警戒心が薄れるのを感じる。それまでの壁が失せたからだろう、あなたは意を決して彼に質問を投げかけた。

 

『宇佐美さんはどうして出会ってすぐに私を殺そうとしたの?』

 

 そう質問すると宇佐美は眼を丸く開いて、驚いてみせた。

 

「あ、あぁ。いえいえ、まさかそんな直球に質問を投げかけてくるとは思ってもみなかったものでして……。それで、ええ、どうしてあなたを殺そうとしたか、でしたね」

 

 一度息を大きく吸ってから、宇佐美は話を続ける。

 

「簡単なことです。人理が危機に陥り、このカルデアは敗北を許されない状況に強いられている。敗北が一度でも許さない以上、その指揮官は優秀でなければなりません。そう、一騎当千のサーヴァントを活かすことが肝要。そう考えれば、どこの凡骨かも分からないあなたよりも、景虎さまが担われる方が幾分以上に確実」

 

「人理の未来のため、宇佐美はあなたを害そうと思い立ちました。別にマスターなど、魔力供給を経由する魔術回路と脳だけ残っていればいいのです。でしたら生身よりも脳みそだけにした方がマスターという荷物がない分、戦力的にも有効。殺さない方が不思議だと思います」

 

 宇佐美は彼の理屈を語る。倫理観を度外視すれば実に効率的な考えだった。そしてなによりも彼の景虎への信頼がその言葉の端々からうかがい知れた。

 

「しかし景虎さまはあなたを害するなと、あなたを生かしてこの異聞帯同士の抗争を勝ち抜けと私に命じました。故にあなたは凡夫といえど、我が主人より信頼を勝ち取った凡夫。主人の意見を私は蔑ろにできません」

 

『お虎さんのこと信頼してるんだね』

 

「えぇ、もちろん。生前の全てを持って仕えた主人ですから。景虎さまが空が赤いと申せば空は赤いのです」

 

 そう景虎をかたる宇佐美の表情は、昔を思い返しているからかとても穏やかだった。そんな世話話をしているとあなたの自室の扉が開いた。そして扉の向こうには話題の人物である景虎がいた。

 

「おや、ウサミンこちらにいましたか。もう、ダメですよ、こんな夜半にマスターの部屋にお邪魔して。すいませんマスター、すぐにウサミンを持って帰りますから」

 

「いえ、景虎さま。実は私これから夜通し、陳宮殿をはじめとした内政系キャスターたちと戦術や内政について語る場を設けていただき、参加するところなのです。急ではありますが私はこれにて失礼」

 

 やって来た景虎と入れ違うように宇佐美は部屋を後にした。今日一日という短い間に親交を深めたサーヴァントに陳宮の名が挙がったことに、あなたは少なからず薄ら寒いものを感じたが、少なくともこちらに害はなさそうなので放っておくことにした。下手に刺激して爆発しては目も当てられない。

 

 ウキウキして早足に去っていく宇佐美を見送り、景虎が仕方がないなと言いたげにため息を零していた。

 

『大丈夫、お虎さん?』

 

「あ、いえいえ。基本的にウサミン、生前は私のことを放ったらかしにして内政や戦会議に動きわまっていたことが殆どでしたからね。あれが平常運転ですよ。彼の場合」

 

 そしてもう一度景虎はとても疲れたと言いたげにため息を零した。そんな彼女を様子を見て、あなたは先ほどまで夢を通じて見ていた過去の二人の様子の中で、一つ気になっていたことを思い出した。

 

『そういえばお虎さん。どうして宇佐美さんの攻撃をかわさないんですか? お虎さんなら簡単にかわせたでしょう?』

 

 マスターの夢がサーヴァントと通じることを知っている景虎はどうしてそれを知っているとは聞かなかった。

 

 彼女は一度顔を背け、やはりいつも通りの作った笑みを見せ、だけれど、少しだけ意味深に眼を細めてみせた。

 

「あぁ、その事ですか。いや、何、そんな深い意味はありませんよ」

 

 後ろで手を組み、大切な宝物を出し惜しみするような所作をみせ、彼女は一歩前に出て、部屋の扉を開ける。小さく笑う声が漏れ出る。

 

「自分の全てを受け入れてくれた人が、どういう形であれ、自分に触れにきたんですよ? どうして避けたりさばいたりできるというんです。きっとそういう人が相手なら、誰だってそうやって受け止めようとするのではないでしょうか。……あ、このことはウサミンには内緒ですよ? こんなこと言ったのがバレたら、彼の神さまとしてはガッカリさせてしまいますから」

 

 顔だけをこちらへ振り返った景虎は人差し指を唇にあてて、黙っていてほしいと示していた。それは変わらず、人に見せるために作られた笑みの顔だ。

 

 だけれど、そこには恋をしていた乙女のような、群れの中で安らぎを得た獣のような、どちらもないまぜにした柔らかい表情があった。

 

 あなたは教養として知っている。長尾景虎、戒号上杉謙信は生涯妻を持つことはなかった。彼/彼女はその生涯を越後の発展のため、争いに身を投じて、最後は病により志半ばで事切れたこと。宇佐美定満は上杉謙信が長尾家を掌握すると後々には重用されず、記録による歴史の表舞台からは姿を消したこと。

 

 事実がどのようなものであったのかは、当の本人たちに聞かなければわからないことで、きっと彼らは語られている以上の真実を語ることはないのだろう。

 

 しかしその二人の表情から読み取れるものはあった。

 

 例え結果がどのようなもので、それが志半ばで終わってしまったのだとしても、二人はそれでも一つの満足を得ていた。

 

 世に嫌気を抱いていた少年は、その世界を壊してくれる軍神に希望を抱き。人を理解できなかった少女は、自分の異常性すらも肯定して受け入れてくれた少年に安らぎを見出していたのだから。

 

 だから確かに、そこには彼らの幸福があったのだ。

 

 人理が崩壊し、世界が白紙に消えようとも、そこにあったものは、確かに二人の中で刻まれ、失われることはない。それは悠久の人理の中に刻まれている。

 

   ●

 

 オマケ

 

 宇佐美定満

 クラス・セイバー

 

 ステータス

 筋力E

 耐久D

 俊敏D

 魔力E

 幸運A

 宝具A++

 

 クラス別スキル

 対魔力D

 

 保有スキル

 精神汚染B

 軍師の忠言C

 鋼鉄の決意A

 

 

 宝具

 

『我が忠義、我が軍神のために』

 ランク:C

 種別:対人宝具

 レンジ:–

 最大補足:一人

 生前の行いが宝具として成立した部類の宝具。

 長尾景虎が全力を持って戦えるように場を整えるというという彼の生涯が昇華したもの。これはその場の事実を改変し、軍団の組織、戦場の選択、状況の再現など、景虎が戦う為の場を生みだす効果がある。

 そのため対象が常に、現世に顕現してる長尾景虎ただ一人が対象になる宝具であり、本人一人では発動もできない。

 

 

 

『我が忠義、我が軍神のために』

 ランク:A

 種別:対人宝具

 レンジ:0

 最大補足:一人

 忠義によって発生する隠匿。マスターを対象とする自己ステータスの隠蔽。

 マスターは宇佐美が許可しない限りはその正しいステータスやスキルを確認することができない。またこの宝具自体が第三宝具を隠す為の宝具である。

 彼の全ては景虎のためであり、また彼にとっての主人は景虎ただ一人である。そのため魔術的に呼び出され従うことになるマスターは、彼にとって何一つ従う価値のない存在であり、同時に景虎が召喚されていた場合、彼女を主人としていた生前を再現しようと行動する。

 

 

『我が忠義、我が軍神のために』

 ランク:A

 種別:対人宝具

 レンジ:1

 最大補足:一人

 宇佐美定満、その人の最大の功績は内政でも戦での指揮でない。その真の功績は主である景虎が台頭するための暗躍がその全てである。彼が直接害した者のほとんどはその身内である。景虎の父兄弟、自身の父、長尾家の重臣たち、景虎が長尾家の主人になるために障害となるありとあらゆる人物を彼は排除した。そのため宇佐美定満という人物には下克上、景虎よりも上の立場にいる者限定の下克上の概念が付与されている。

 宝具は脇差しの形で具現化しており、景虎と契約をしているマスターに親密そうに接近するだけで発動、景虎の主人を殺害したという状況が逆説的に発生することで回避不能の致命傷をマスターに与える。

 つまり宇佐美が召喚される条件である、召喚主がすでに景虎を召喚している時、彼はマスター殺害特化というサーヴァントとしては矛盾した性能を発揮する。

 しかしそれはマスターへの害意からくるものではなく、人理守護という負けられない状況において、その指揮をマスターではなく、生前の最も信頼できる景虎に譲渡するための行いであり、人理を守るという英霊の方針に殉じた行動であるため、抑止力などによる制限をすり抜ける。

 

 



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