鹿と骨 (5³₃)
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鹿と骨








「あれ、ないじゃん。」

 

 

 

 

 

夕方と言うには早すぎる時間。壁に立てかけられた時計からは、3時を知らせる鳩が鳴いていた。

 

 

小腹が空いたのでなにか作ろうと冷蔵庫を覗く。が、買ってあったはずの卵がない。

大方、同居人が昼食にでも使ったのだろうか。

 

 

 

「しまったな、これじゃあクッキー作れないよ。」

 

 

 

 

冷蔵庫にあるバターの期限が切れそうなのを見つけたのは午前中のこと。

だからお菓子の時間はバターの多く使うクッキーを焼こうと決めていたのに。

これじゃあ冷蔵庫のバターが可哀想だ。

 

仕方がない、買ってこようとトートバッグの中に財布と貴重品を突っ込む。

お店に「準備中」のボードを下げて、激安スーパーのあるあさひまわり宿へと向かった。

 

 

 

 

 

 

「残ってて良かった〜!

値引もされてたしラッキーだったなぁ」

 

卵は主婦が多いこの時間まで残ってることはほとんどない、残っていたのは運が良かった。

時々、運がとても良い日がある。今日がその日なのだろうか。

 

「なにはともあれ、今日はいい日なのかもしれないなぁ....」

 

ふわふわと吹く暖かい風も、ちょっと傾いた太陽も、全部が素敵に思えてくる。

なんだかうれしくなって思わずぐーっと伸びをする。なんだかとても気分がいい。

今日はちょっと遠回りしていこうかななんて思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ兄ちゃん、これどうしてくれんだ?」

 

 

遠回りしようなんて思った数分前の自分を殺したい。

普段通る、人通りの多い道を通らずに帰ったのがまずかったのか。目の前にはガタイの良いチンピラが二人。

一人がシャツの端っこに着いたアイスクリームを指さし、ものすごい形相で詰め寄ってくる。

 

 

「兄ちゃんが急にぶつかってきたから

アイスついちまったじゃねーかよ、あ?」

 

「あーあ、兄ちゃん、このシャツ高かったんだけどなぁ」

 

 

嘘だ、あからさまに目の前で転んだ癖に、悪いのはそっちじゃないか。頭ではなんとでも言えるが言葉にはならずただただ俯いてしまう。

口は一文字に結んでいる。自分に非はないのにこんな奴らに謝ってたまるか。

俯いてる私が気に食わなかったのか、一人が近づいてきた。

 

 

「なんとか言えよおい、.......へぇ」

 

 

 

ぐいっと髪の毛を上に引っ張られる。つられて顔も強制的に上を向く形になった。ぱちりと目があった。

私と目が合った瞬間男は目を見開いた、がそれは一瞬、直ぐに気持ち悪い笑みへと変わる。

 

 

「なんだ、よく見てみるとかわいい顔してんじゃん」

 

 

「かわっ......!?え?」

 

 

「なぁ見てみろよ」

 

 

「ほんとだ、よく見ると身体も女みてぇに細くて白いな」

 

 

「は!?女って、え、え....?」

 

 

何言ってんだ、何言ってんだこいつ、え、こいつ何言ってんだ。

女ってなんだ、私は男だぞ。

確かに男なのにかわいい顔をしていると言われたことはあるが、女みたいな身体ってなんだよ。

言ってる意味がわからなくてはてなを飛ばす私に男は言う。

 

 

「兄ちゃん」

 

「な、なんですか」

 

「俺、兄ちゃんぐらいの男だったら余裕でイケるわ。はは」

 

「は?」

 

 

いけるってなにが、どこへ?どこに行くの?

 

そう思ったのも束の間。急に腕を掴まれ、ものすごい力で路地裏に連れ込まれる。

 

 

 

 

 

 

 

路地裏は先ほどの道とはうって変わって、まるで夜のように暗い。

若者の溜まり場なのだろうか。ゴミのにおいと大量に落ちている煙草の吸い殻で気分が悪くなってくる。

 

 

 

「あの、私帰りたいんですけど...」

 

「は?兄ちゃん状況わかってる?」

 

「帰れるわけねーじゃん」

 

ゲラゲラと笑うチンピラ二人。

私が何をしたっていうんだ。

 

「シャツ汚したことを身体でチャラにしてやるっつってんだよ、さっさと服脱げや」

 

「はぁ???!!」

 

ほんとに何言ってんだこいつ!?

身体で?肉体労働じゃなくてケツで?

 

「え、あの。そういうのは、良くないと、」

 

「あ?」

 

「いやあの無理っていうか、無理なんですけど、あの、えっと......」

 

 

焦って頭が回らず、しどろもどろになって答える。

怖くて顔は見れないが、無理だという意思を伝える。

 

 

「ま、お前の意思とか関係ねーし、

はは。力よっわ。」

 

バンッと背中に衝撃がくる。壁に押し付けられてしまい、逃げ場が完全に無くなってしまう。

 

「おい、ちゃんと見張ってろよ」

 

「わかってるって、どーせ誰も来ないと思うけどな」

 

「いや、ちょ、ほんと、むりです」

 

 

やけにゆっくりとした動きで男の顔が近付く、あ、これ、あれだ、しんだ。

ふざけんな、私はファーストキスもまだなのに。

 

せめてもの抵抗で目を瞑ったその時。

 

 

 

 

 

 

 

「おい、何してんだ?おっさん。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上から声が聞こえた

 

 

 

 

驚いて目を開けると

 

 

 

男が一人、ベランダから私達を見下ろしていた。

手すりにバランス良く仁王立ちしている。

煙草を吸っているのか、煙でよく見えない。

その上、フードを深く被っており、顔もよく分からなかった。

 

 

私は誰なのか全くわからなかったが、チンピラ二人はどうやら知り合いらしい。

 

 

 

「げぇ!!???やべぇ!!!なんで!!」

 

 

「な、んでお前....!.....まぁいい、邪魔すんじゃねぇよ」

 

 

 

 

これからいいとこだってのに

 

そう言って私の太ももをするりと撫でるチンピラ、ああ本当に気持ち悪い。

 

 

 

笑うチンピラを見て、フード男もにやりと笑う。

 

 

 

「んー、いやいいんだけどね、お前が女を殴ろうがセックスしようが俺にはカンケーないし」

 

 

 

 

 

 

ただ

 

 

 

 

「ここ、俺のシマなんだわ」

 

 

 

 

煙草が、男の指から

 

 

 

 

ぽとり、と落ちた。

 

 

 

 

 

 

その瞬間

 

 

 

 

 

 

 

目の前のチンピラが血まみれで倒れていくのが見えた。

 

 

 

 

 

 

 

フード男の右ストレートが綺麗にきまった。

と理解したのは殴られて少し経ってから。

 

 

あまりにも早すぎて脳の処理が追いついていなかったのだ。

 

 

続いて見張り番をしていたもう1人に回し蹴りを一発。相当蹴りが重いのだろう、ドスッという鈍い音と共に気絶した。

 

 

 

 

 

 

「めんどくさい事しないでくれよ、余所者が」

 

 

 

吐き捨てるように男達に言う。フードの中からはめんどくさいという思いが詰まった溜息が聞こえた。

 

 

 

しばらく男達を見下したあと、くるり、とこちらを向く。

 

 

 

 

「あー、お姉さん、大丈夫......

 

 

 

 

あれ??男???」

 

 

 

 

パチりと目が合う。

 

その人は目を大きくし、何回も瞬きをしていた。

その表情は、さっきの人と同一人物とは見えないほど幼く見える。

 

 

「あ、えと、男です、あの、助けて頂いて....

 

 

「ちぇーーー男かよ、はぁ、女の子だったらワンチャンあったのに」

 

 

 

悔しそうに頭をボリボリと掻く、なんなんだこの人は、いや助けて頂いたのはありがたいが...。

 

 

じろっと睨みつけられる。

 

 

「あんたさ、この通りって割と危険なワケなのさ」

 

「はい....」

 

「あんたみたいなひょろひょろのかわいい顔した男がね、一人で来るような場所じゃないんだよ」

 

 

「かわっ....!?...いえ、申し訳ないです」

 

 

なんか色々失礼なことを言われた気もするが明らかに悪いのはこちらの方だ。もう調子に乗って危険な道を通るのはやめよう、絶対に。

謝れば男は納得してくれたらしい。

説教がそこで止まった。

 

 

 

 

 

 

風がふわりと吹いて、フードから顔が少しだけ見えた。

 

 

銀色に近い白髪が、射し込んできた夕日できらきらと光る。

長いまつ毛と、スっと通った鼻筋、汗ひとつかいていない肌。キリッとした切れ長の目にはクマがあり、男の癖に妙な色気を出していた。

 

それも一瞬、すぐにフードで顔は隠れる。残ったのは男からする煙草の香りだけ。

 

 

 

うーんこれ、私が女の子だったら惚れてると思う。

 

 

 

 

 

「じゃ、気を付けて。」

 

 

 

とんっとジャンプした男は

まるで猫のように器用にビルからビルへと移動して消えた。

 

 

あまりに一瞬の出来事で上手に息もできなかった。

男が消えた方向をぼうっと見つめる。

 

 

 

「あっ」

 

 

 

 

 

お礼と名前聞くの忘れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日、また会った男に

お礼のクッキーを渡したのは別の話。

 

 

 

 



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