暗黒の勇者姫/竜眼姫 (液体クラゲ)
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開眼編
1 アルキード王国第二王女


 眼前の兵士Aの振り下ろす剣を、自分の剣でスルッと逸らしてやる。すると彼の剣は、隣の兵士Bのすぐ前を横切った。

 

「うわっ」

 

 兵士Bは怯み、剣を振るうのを一瞬忘れる。その隙にBに肉薄、柄打ちでダウンを奪いつつ、その立ち位置は同時に『Bを巻き込まないために、ほかの兵士が攻撃を躊躇する』位置取り。

 つまり、一瞬の安全地帯。

 その一瞬が過ぎる前に、Bの背後に回り込んで突き飛ばし、後ろからこちらを狙っていた兵士CDEにぶつけてやる。

 突き飛ばした反動で、すぐ傍にいた兵士Aの突きも避けた。

 

「速ッ――!」

 

 そして突きの直後、腕の伸び切ったAの手首を切断した――設定。

 使っているのは敵も味方も木剣代わりの長い(ひのき)の棒だし加減している、斬れないし怪我もしない。Aは打たれた痛みに剣(棒)を取り落とし、手首を押さえて呻くが、その程度のこと。

 

 そうしてAを無力化すれば、次は突き飛ばしたBと、それに巻き込まれて倒れたCDEに対して、立ち上がる前に首を掻き切って――そういう設定で檜の棒を首に滑らせて――いく。

 最後に改めてAの首も掻き切り、これにて1対5の模擬戦は、1の圧勝で終了となった。

 

「はい、お疲れさまでした~」

 

 言ってにっこりと笑む勝者は、ほんの10歳にも満たないような童女であった。

 雪のように白い肌、流れる銀髪、深い赤の双眸――容姿を切り取ってみればどこか儚げですらあるのに、今は木剣を振って、薄らといい汗を掻いているありさま。

 その濡れた肌ツヤの良さは、食事も運動も睡眠をも存分に取ることのできる、恵まれた生活をしている証。つまり、高貴な身分。

 

 そんな童女を囲み、青年や中年の男性兵士たちは、痛みに耐えながら起き上がっていく。

 そして童女に頭を下げ、感謝を述べる。

 

「あ、ありがとうございました……!」

「お疲れさまでした!」

「最近の姫は、ますますお強くなりましたな……」

 

 姫。そう、童女は姫である。

 アルキード王国第二王女――名をリュンナ。古い言葉で『月』を意味するという。

 

「まったくですな、この幼さで……。何度驚嘆しても足りませんよ」

「なんか僕ら、面目丸潰れですよね。いえ、姫にこうしてご指導いただけるのは、本当にありがたいんですけども」

 

 兵士らが口々にリュンナを褒め称えるのは、決してお世辞ではない。

 模擬戦で、檜の棒で――とは言え、兵士らも本気でリュンナと戦っていた。

 

 こうして模擬戦をするようになった当初こそ、尊い身に傷をつけてはならぬと緊張しながら、姫の剣士ごっこに付き合う――という風情ではあった。

 が、その認識はすぐに一変する。幾度か繰り返すうち、リュンナは恐るべき速度で剣の心技体に熟達していった。気付けばもう、兵士らが本気を出しても、こうして一蹴されるありさまにまでなったのだ。

 

 これを周囲の人々は素晴らしい天賦の才であると褒めそやし、リュンナ当人は、別に戦う予定もないのに、調子に乗って更に力を高め続けているのである。

 

 何しろリュンナは、平和な21世紀日本から、その記憶と人格を保ったままに転生してきた人間なのだ。

 しかもそうして生まれた先がアルキード王国。ほかの国の名や世界地図、各種呪文や道具の存在などからして、確実にドラクエ漫画『ダイの大冒険』の世界である。

 

 そう、ドラクエなのである! じゃあ剣と呪文で戦ってみたいでしょ! そんなミーハー根性でリュンナが動いていることを、当人のほかには誰も知らない。

 もっともそこには、半ば以上に現実逃避も含まれているのだが。

 

 なにしろ、アルキード王国である。そのうちバランがやって来て、国土ごと消し飛ばしてしまう、あのアルキード王国である。未来は暗い。

 そもそも現在も暗い。地上は魔王ハドラーの侵略を受けている真っ最中なのだ。幸いと言うべきか、未だアルキードは王都にまで攻め入られるようなことがなく、リュンナは平和な生活を送ることができている。

 だが、それがいつ壊れるのかは分からない。

 

 何ともストレスなのだ。現実逃避のひとつやふたつ。

 ひとつやふたつというのは、剣の他に呪文にも手を出しているからだ。攻撃呪文なら、ヒャド系やバギ系が得意である。地味。

 

「お疲れさま、リュンナ。ほら、タオルと飲み物よ。兵士の皆さんも」

「ありがとうございます……姉上」

 

 これでもう何戦目になるか、そろそろ模擬戦を切り上げようと使った武器や防具を片付けていると、国の第一王女がお盆に支援物資を乗せて現れた。

 それぞれに礼を述べて受け取り、汗を拭き拭き、冷たい果実水で喉を潤す。

 

 第一王女――黒髪の美しいソアラだ。その名は古い言葉で『太陽』を意味する。

 その名の通りに、暖かく人々を包み込む太陽のような少女で、身分の上下を問わず人気が高い。

 笑顔と包容力を武器に、よく市井に下りては民と交流し、王家の人気を高めることに一役買っている――本人は完全に無自覚のままに。天然ものである。

 

 聖人かな、とリュンナは半ば呆れて思う。

 まあ本当に聖人なら、後のバラン事件は起きない気もするが――とも。

 聖人と言うか、単純に頭の中がお花畑なんだろう。とても綺麗なお花畑。

 

 そんな内心を隠しても隠し切れるものではなく、姉妹仲はあまり良好とは言えない。

 ソアラはリュンナと仲良くしたいらしく、よく構ってくるのだが、リュンナはソアラにどう接したものかを決めかねるまま、どうにも硬い態度を取ってしまいがちなのだ。

 今も果実水を飲み終えると、リュンナは早々に立ち去ろうとした。剣の練習を終えたから、次は呪文を――

 

「リュンナ」

「はい」

 

 ソアラに呼び止められてしまっては、流石に足を止めて振り向かざるを得ない。

 

「父上がお呼びよ。執務室で待ってるって」

「分かりました」

 

 何の用だろうか、小首を傾げる。

 剣だの呪文だの遊んでいないで、いい加減そろそろ帝王学にも身を入れろ、とか?

 何にせよ、行けば分かる。

 

 国の中枢である王の城、その主の執務室は、落ち着いた雰囲気ながらも流石に豪華な装いであった。もう慣れてしまったが。

 既に動きやすい服から王女らしいドレスに着替えたリュンナは、父――アルキード国王と対面する。

 

「リュンナ、参上いたしました。何の御用でしょうか、父上」

「うむ。まず単刀直入に言うと、プレーシの町へ慰問に赴いてもらいたい」

 

 プレーシの町。

 もちろんアルキード王国の領土内であり、先ごろ、ハドラー率いる魔王軍の襲撃を受け、大きなダメージを負った町だ。現在は復興作業中。

 

「復興の激励を?」

「そんなところだ。ソアラでもよいのだが、あれは別の町に行く予定がある。そこでリュンナ……お前は……こういったことは初めてだが。やれるか? もちろん近衛や侍女はつける」

 

 やれるだろうか?

 転生前の日本でも、例えば震災を受けた地域に尊い方々が――といったことがあった。まあ、つまり、そういう感じのアレだろう。

 

 こちとら今は9歳である。そう難しいことは要求されないハズだ。

 いや、難しいことも必要ではあるだろうが、それは大人が代わるか導くかしてくれるだろうという意味で。

 

「問題ありません」

 

 だからそう答えたのだが、父王は少し渋い顔をしていた。

 大人を頼りにする先ほどの思考が、どこか舐めた態度となって表出でもしてしまったろうか、とリュンナは不安になった。

 転生者とは言え、前世で王族経験などないのである。大目に見てもらいたい。

 

「どうなさりました」

「いや、うむ……。そうだな……。気付くのを待つ、という育て方は放任だな。よし、言っておこう。聞きなさい」

 

 居住まいを正す。緊張に生唾を飲んだ。

 王はゆっくりと語り出した。

 

「我々王家は偉大な存在だ――が、臣民の支えなくしては生きていけぬ、か弱い存在でもある。民の尽力や血税を……。リュンナ、お前が着るその美しい衣も、美味で栄養に満ちた食べ物も。好きなことを学ぶことのできる余裕も……。

 国に尽くされた分、国に尽くす義務があるのだ。それこそが我々の使命。まだ幼いお前だが、きっとこの使命を理解し、相応しい行動を取ってくれると信じている。なぜならお前は、ワシの娘だからだ」

 

 最後の言葉を口にする辺りで、王はにっこりと笑った。

 凄むときには本当に凄い形相になる男だが、笑うと愛嬌のある男でもあるのだ。

 前世の家族のことも忘れていないリュンナだが、この父王の笑顔は好きだった。

 

 そしてなるほど、言われた通りである。

 前世の高度な文明に支えられた生活には及ばないものの、それでも大きな違和感や不便もなく毎日を暮らせているのは、リュンナが王家に生まれたからだ。市井の民の生まれでは、きっとこうはいかなかった。

 そのことに気付きもせず、権利を貪ってばかりだったのだ。リュンナは猛省した。

 

 思考の間に俯いていた顔を上げると、よく通るハッキリとした声で述べた。

 

「かしこまりました、父上。未だ浅学の身ですが、必ずや立派な王女になってみせましょう。今はまず、プレーシの町への慰問の成功を」

「うむ! 期待しているぞ」

 

 こうしてリュンナは旅立つことになった。

 



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2 無の瞑想

 旅とは言っても、別段、数日ほど馬車に揺られるのみだが。

 この世界は『狭い』のだ。各大陸は日本列島をモチーフにされているが、実際の総面積も日本とそう変わらないのではないか。地図の縮尺、実際の旅程――リュンナはそう感じる。

 

 それでも楽な旅ではない。魔王ハドラーによる地上侵略中の今、そこかしこに凶暴な魔物が跋扈している。

 大半の魔物は、馬車を守る近衛の上等な装備や覇気を見て逃げていくが、そんな弱小ばかりではないこともまた当然。日に1~2度ほどは戦闘になる。

 

 その戦闘の全てにおいて、リュンナには出番がなかった。近衛で充分だった。

 ミーハー根性で修行しているのみで実戦経験のないリュンナとしては、こうして外に出た以上は経験を積みたいという考えもあり、一方で「でもやっぱ戦うの怖いよね」という思いもあり、何とも悶々とした時間を過ごすハメになった。

 

 こんなときには瞑想だ、瞑想に限る。

 リュンナは馬車内の座席で胡坐を掻き、目を閉じた。

 この世界の瞑想は上下逆さの姿勢で行う場合もあるが、そうするとスカートが思いっ切りめくれてしまうので避けた。それをするのは、部屋でひとりのときのみだ。

 

「リュンナさまー! ご覧になりましたか!? おおありくいを一撃で――」

「バカ静かにしろ、瞑想なさっている」

 

 いや別にいいよ、そのくらいで途切れるほどヤワな集中してないから。

 そう思って片手をひらひら振ってみせたが、近衛らは逆の意味に捉えたのか、敬礼して静かに馬車の護衛に戻っていった。

 進みを再開する馬車に揺られながら、集中を深める。

 

 思い出す――できれば思い出したくはないが――前世の死に際を。

 いや、本当に詳しく思い出したくない。車に轢かれたですらない、何もないところで独りで勝手に転び、頭の打ち所が悪くて死んだなどと……!

 ともあれしかし、リュンナは死の感覚を知っているということだ。死にゆく感覚ではなく、死そのものの感覚を。何の感覚もないという感覚を。

 

 それを想う。心の中に死を再現する。絶対の無。

 全てが消えたとき、逆に全てがよく見える。自己の内も、外界も。死者は物理に囚われず、自由だ。

 何もないから、悩みも苦しみもない。落ち着く。

 

「リュンナさま……?」

 

 馬車内の近衛が、ふと視線を巡らせた。

 

「どうした?」

「いや、リュンナさまは……どこへ……?」

「は? お前の隣に――おられぬだと!?」

 

 いや、いるけど。

 無の瞑想が深まると、こうして気配も無になってしまうのが常だった。

 

 死から転生してきた再誕の感覚を想起、無に同化していた気配をリュンナは戻した。

 慌てて馬車内外を探そうとしていた近衛らが、声を上げて驚く。

 

「リュンナさま!? いつそこに!?」

「最初からずっといます」

「ああ……。って、そこまで深い瞑想はどうかご遠慮ください! 肝が冷えます」

「ごめんなさい」

 

 気軽に瞑想もできないとは、王女とは窮屈なものである。

 この無の瞑想こそが、年齢の割に異常に強いことの理由なのだが。

 

 自他も内外も等しくよく見える無の瞑想により、理想的な姿勢が体で理解できた。すると芋蔓式に、理想的な動き方も。

 健全な精神は健全な肉体に宿るとはよく言ったもので(誤訳らしいが)、そうして体の使い方が分かれば、それに必要な筋力も伸びるし、更に心の使い方も分かってきた。剣術に重要な無念無想も、呪文に必要な集中力も。

 この世界の瞑想は普通、魔法力を増す修行として扱われるが、リュンナの場合はそれのみに留まらないということだ。

 

 この瞑想を誰にも教えることができないのが、本当に残念である。

 正確には、教えたのだが、誰も実践できなかった。死んだことがない以上は当然なのだろうが。

 リュンナ自身はその際、「死んだ夢を見た」と説明したが、普通に恐ろしい悪夢を見たのだと思われ、しばらくソアラに添い寝されることになった。暑かった。

 

 ともあれ暇潰しに瞑想をしたりしなかったりで馬車の旅は過ぎ去り、やがてプレーシの町が見えてくる。

 プレーシの主な産業は漁業や海上貿易で、リュンナが王都で美味しい魚介類を食べることができるのも、一端にはこの町の貢献があってこそ。

 そう思えば、仕事に気合も入るというものである。

 

 問題があるとすれば、潮風の香りに混じって、血と炎のニオイもまた強烈に漂ってくることか。

 それに遠目に見ても、町から煙が無数に上がっている上、何ならガーゴイルやキメラなどの空飛ぶ魔物の姿すら見える。

 恐らく町中には更に魔物がいるだろう。

 

 様子を見た近衛たちが、緊張の面持ちで述べる。

 

「これは……いかん! リュンナさま、王都へ引き返します!」

「えっ?」

「えっ?」

 

 思わず素で疑問の声を出してしまった。

 数秒の静寂の後、リュンナが改めて口を開く。

 

「王国の町が、魔物に襲われてるんですよね?」

「さようでございます。ここにいては危険です!」

「わたし王女ですよね……?」

「いかにも! 御身は必ずお守りいたします!」

「助けに行かないと」

 

 近衛らがぐっと言葉を詰まらせた。

 もちろん彼らも助けに行きたいのだろう。だが彼らの役目は、民を守ることよりも、王家を守ることだ。今は特に、この場にいる第二王女リュンナを。

 それが近衛という役職の義務なのだから。

 

 しかし、しかしである。

 

「あのね、ぶっちゃけ、今近衛の皆さんが一度に襲い掛かってきても、わたしひとりで無傷で制圧できますよね?」

「そ、それは……そうですが……」

「ね? 強いんですよ、わたしは。じゃあ行くでしょ。わたしの民が襲われてるんですよ!? わたしの! 民が!」

 

 リュンナは使命感に燃えた。出発前、父王の語った言葉を思い出す。

 国に尽くされているのだから、国に尽くさねばならぬ。

 力がないならともかく、リュンナには力があるのだ。そして意志も。

 

 その意志は、しかし結局、遂に実戦で力を振るうことができる、というミーハー根性にしか過ぎないかも知れない。だとしても、それで助かる民がひとりでも増えるなら。

 経験もないくせに力ばかりはあるから天狗になっていて、いざ現場に立てば震えて動けなくなるのかも知れない。だとしても、回復呪文で後方支援くらいなら。

 

「リュンナさま……!」

 

 近衛も侍女も、感動に胸を詰まらせたように涙を溢れさせていた。

 前世的に普通に考えれば、ここはそれでも帰還を選ぶところだろう。

 だがこの世界、高潔と勇敢を体現する騎士道精神が罷り通っているのだ。前世では騎士が戦場の主役を退いてから理想化されて生まれた精神性が、騎士現役の時代に生きているのである。

 

 だからリュンナのそんな言い分も、全く通ってしまう。

 近衛らは決意の頷きを見せ、反転しかかっていた馬車は再び鼻先をプレーシの町に向けた。

 

「全速力!」

 

 命令を受けた御者が、馬に鞭を入れる。加速、激しい揺れ。

 数分をそうして走ると、町を囲む魔物の群れの背後に出た。

 何とか逃げ延びようとする町民たちに、フォーク槍を持った小悪魔、ベビーサタンらが立ちはだかっている。

 

 そんな場面に王家の紋章を掲げた馬車と、それを囲む乗馬騎士らが走ってくるのだから、絶望に染まっていた町民たちの目に一転して光が戻った。

 それを見たベビーサタンどもも気付き、馬車に反転、一斉に冷たい息を吹きかけて迎撃してくる。

 

「剣を!」

「は!」

 

 リュンナは近衛の持っていた予備の鋼鉄(はがね)の剣を、半ば引っ手繰るようにして受け取ると、馬車から更に馬の背を蹴って前方へと飛び出していく。銀髪が尾羽めいて靡いた。

 

 迫る冷気は、触れるのみで身が凍結し壊死に至るだろう酷寒。

 近衛らは対抗してメラの呪文を唱えているが、それが放たれるより、リュンナが剣を振るう方が早い。

 

「真空斬り――ッ!」

 

 横一文字、圧倒的剣速が太刀筋の延長線上に剣圧の刃を広げ、冷気を斬り裂いて散らし、その向こうのベビーサタンどもすらをも両断した。

 それでいて打ち下ろす角度のこの斬撃は、獲物の背後で地に突き立ち、更に奥の町民たちまでは届かない。

 

 リュンナが純白のドレスの裾を翻し着地する頃には、近衛らは冷気の余波をメラの炎で滅し、ダメージを完全にゼロに抑えていた。

 

「あ、あなたは……!」

 

 町民たちが、まるで救世主でも見るかのような目を向けてくる。

 いや、ようなではないのか、この際。

 リュンナは剣を下段に下げながら、鷹揚に頷いた。

 

「第二王女、リュンナです。助けに来ました」

 



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3 勇者姫

 リュンナと近衛騎士たちは、プレーシの町に切り込み、魔物どもを打ち倒して町民を救っていく。

 戦闘力のない侍女ですら、ホイミの呪文や応急手当の心得により、怪我人の助けとなる。

 

 敵はベビーサタンやグレムリンといった悪魔系、ガーゴイルやキメラといった飛行系、パワーと頑丈さに優れたゴーレム、スライムつむりやそれに呼ばれてくるホイミスライムなど――多数。

 

 この場の最強戦力であるリュンナを最大限に活かすため、近衛の陣形は彼女を中心とした円陣ではなく、リュンナを先頭に、その側面や背後を固めるもの。

 

 炎を噴きかけられればヒャド系呪文で、冷気を浴びせられればメラ系呪文で防ぐ。

 或いはどちらであろうと、イオ系呪文やバギ系呪文で散らすか、リュンナの真空斬りで斬り裂く場面もあった。近衛らの盾で受け止めることも。

 飛行系も呪文攻撃や真空斬り、或いは近衛らの石つぶてなどで落とし、硬いゴーレムやスライムつむりはリュンナの剣が打ち砕く。

 

 リュンナの使う剣は近衛が予備で持っていた言わば脇差であり、大人には短いがリュンナにはちょうどいい長さだった。手の大きさに対して柄がやや太いため、両手持ちは必須だが。

 

 無の瞑想の感覚を呼び起こし、精神を統一。心身一如、剣心一如。肉体の理想的な駆動が、人体の出し得る最大限の威力を剣に集中。真っ向唐竹割り――

 ――と見せかけてガードを上げさせ、剣は雷光めいた鋭角の太刀筋を一切の力のロスなく描く。防御意識が逸れて脆くなった下段を薙ぎ払い、ゴーレムの脚を爆砕。

 

「――魔神斬り」

 

 狙って繰り出された会心の一撃に、脚を失ったゴーレムの上半身は地に倒れる。

 そこへ近衛やプレーシの町の兵隊、更には斧や銛を手にした町民たちさえもが群がり、袋叩きにすることでトドメを刺していく。

 

 そうしてゴーレムに戦力が集中してしまう間に、小回りの利くグレムリンやキメラに囲まれていた。

 一斉に口から炎を吹くその寸前、

 

「ヒャダルコッ!」

 

 リュンナの広域凍結呪文が、冷気を爆発的に広げた。

 魔物どもは炎を吐こうとした口を氷漬けにされて塞がれ、炎が口内で暴発、頭部が内から吹き飛んで死ぬ。

 

 呪文を撃つために剣から放した片手を再び柄にやりながら、リュンナは一息をつく。

 気付けば、今いる区画周辺の魔物は粗方が片付いたようだ。

 

 町民らは涙を流して抱き合って喜び、近衛らも残心しつつも一旦気を緩め、まだ続く戦いに備えていた。

 

 リュンナの側近でもある近衛第三部隊隊長、この場の近衛を指揮する女騎士が、剣の血脂を拭き取りながら、主へと駆け寄ってきた。

 

「リュンナさま! お怪我は」

「ありません」

「ではベホイミを」

 

 怪我はないと言っているのに、問答無用で回復呪文をかけてきた。とは言え、体力の回復は助かる。温かい。

 何しろ初の実戦が、無数の魔物との連戦なのだ。町民も助けなくてはならない。生き物を殺すことの心理的衝撃にも慣れていないのに、ここまで数十分、息つく暇もなかった。

 逆にそのおかげで、途中で立ち止まらずに済んだのかも知れないが……。

 ともあれ思ったよりも心身が疲れていたことを、隊長のベホイミを受けて自覚する。

 

「ありがとうございます。皆さんがいてくれて良かった」

 

「何を仰いますか。リュンナさまの一騎当千のお強さがあってこそ、我らも誰ひとり欠けることなく戦えております。

 しかし流石にそろそろ限界が近いかと。リュンナさまは初陣で昂ぶっておられ、お気付きでないかも知れませぬが……その、お顔色が」

 

 隊長は見るのもツラそうに目を伏せた。

 自分では分からないものの、なるほど酷い顔色をしているのだろう。返り血で染まった、純白だったドレスのありさまとも相俟って。

 剣を鏡代わりに顔を見てみようとして――やめた。自覚すれば心が折れてしまいそうだ。こんな所で動けなくなるワケにはいかない。

 撤収するなら撤収するで、町の入口に置いてきた馬車までは、自力で歩いて戻らねば。

 

「では……落ち着くために、少しだけ瞑想をしますね。それから休みます」

「それがよろしいでしょう。では瞑想の間は、不肖我々がお傍で警護を。お前たち!」

 

 隊長が部下を呼び、リュンナを囲む形を取る。

 囲まれた当人は剣を彼らのひとりに渡すと、座すことをせず、立ち姿勢のままで瞑想に入った。少しだけならこれで充分だ。

 

 死の感覚――無の境地――全てが消え去れば、全てが見える。

 今――物陰から気配を消して、巨躯の魔物がこちらを狙っていることも。

 

「イオラ……!」

 

 囁くような静かな呪文。誰も気付かぬ間に、魔物の手から放たれた爆裂光球が、矢のような速度で飛んでくる。

 

「どきなさい!」

 

 リュンナは慌てて近衛を押しのけた。剣を取っていては間に合わない。

 素手の手刀で真空斬りを放つ――『かまいたち』と呼ぶべきか?――初めてだが、上手くいった。思わぬ重い負荷に手首が折れたことを除けば。

 真空の衝撃は爆裂光球と衝突、虚空の誰もいない位置で誘爆させる。

 

 響く爆音、広がる爆炎に、ようやく人々は不意打ちに気付いた。

 町の兵隊が民を誘導して避難させ、近衛らは再び気を入れる。

 

「ぐっふっふっふ……!」

 

 重くも嫌らしい笑い声と共に、煙を突っ切って現れたのは、二足歩行の牛に似る姿をした巨漢の悪魔だ。手にしたフォーク槍は、その体躯同様、ベビーサタンが持つそれとは比にならぬほどに大きい。

 

「げえっ!」

「あ、あの姿は……まさか……!?」

「アークデーモン!?」

 

 アークデーモン――その名の通りの上級悪魔である。

 近衛らに動揺が広がった。その威容と知名度とに相応しく、弱さとは無縁の怪物。

 背後に魔物の群れを引き連れながら、悪魔は口元を笑みに歪め、ねっとりと語った。

 

「ハドラーさまにお預かりした軍団が、気付けばあっと言う間に半壊だ。まあ焦ったがな……。まさかまさか……この国の第二王女さまがいらしていたとは……!

 貴様の首を取れば、ハドラーさまも寧ろお褒めくださるだろう!

 この俺と勝負といこうじゃあないか……。お姫さまの割にはやるようだが、果たして人間の身でどこまで動ける? なあリュンナ姫……!」

 

 アークデーモンはフォーク槍を構え、

 

「ぐははははー!」

 

 歩数にして20歩分以上はあった距離を、一息で詰めてきた。速い!

 それでも辛うじて反応できる。近衛に預けていた剣を取り、フォーク槍の刺突を受け止めた。

 打ち払うことはできなかった――利き手の右が、手首が折れている。渾身の力を込められない、添えて支えることしかできないから。

 そもそも受け止められたこと自体、アークデーモンの手抜きでしかない。

 

「おっと!」

「う、ッ……!」

 

 フォーク槍の穂先、3本の歯の隙間に入った剣を、アークデーモンは槍を捻って巻き取ろうとしてくる。

 逆にその勢いに乗って跳躍、剣を槍から引き抜いて、脳天に真空斬りを放った。

 

「カァッ!」

 

 まさかの吐息で掻き消された。その肺活量の暴風。

 両手が万全であれば、それでも突き抜ける威力があっただろうものだが……!

 そして跳躍後の空中、そこに再びの刺突が迫る。

 

「リュンナさまをお守りしろ!」

 

 近衛たちがようやく反応し、動き出した。

 片手に剣、もう片手に盾を持つ剣騎士が前。杖を手にした魔法騎士が後ろの布陣。

 

 しかし剣騎士たちは構えた盾ごとフォーク槍に薙ぎ倒され、魔法騎士たちの放ったメラミやヒャダルコ、バギマは、アークデーモンのイオラに吹き散らされた。

 基礎的な筋力も魔法力も、桁が違うのだ。

 

 あまつさえ引き連れられていた魔物の群れが、先行したアークデーモンに追いつき、近衛らに襲い掛かりリュンナから引き剥がしていく。

 乱戦の流れの中、リュンナとアークデーモンのふたりだけが、ぽっかりと穴の開いたような間隙にいた。

 

「ぐっふっふっふ……! どれリュンナ姫、大将同士の一騎打ちと洒落込もうじゃあないか! その勇気があればな……!」

「勇気――とか言われても……ッ」

 

 雑魚を蹴散らしているうちは良かった。だが今眼前にいるのは、本物の強敵なのだ。

 リュンナは剣を構えながらも、今にも零れそうな涙を目に浮かべていた。

 

 剣が震えているのは、手が震えているから。

 手が震えているのは、心が震えているから。

 

 悪魔はそれを見て、鷹揚に笑った。

 

「おおスマンスマン、王女とは言え小娘には刺激が強過ぎたか? 分かった分かった。なるべく痛くないように―― 一撃で首を飛ばしてやろう!」

 

 悪魔がフォーク槍を振り被る、薙ぎ払いの構え。

 

 リュンナは――目を閉じた。

 

「諦めたか、潔いぞ! そうらッ!」

 

 瞑想――死の感覚――無の境地――全てが消え去れば、全てが見える。

 震えが消え去り、太刀筋が見えた。

 恐怖は消えずとも、未来を捉えた。

 

「魔神斬り――ッ!」

 

 それをこそ勇気と呼ぶのなら、

 

「バ――カ、な!?」

 

 振るわれたフォーク槍を弾きながら踏み込み、直後に悪魔の腹部を深く斬り裂いた第二王女を見て、近衛隊長は叫んだ。

 

「勇者……! 我らには勇者姫がついているッ! 負けるなッ!」

「うおおおおお!」

「リュンナさま万歳!」

「勇者姫万歳!」

「かかってこいやああああああ!」

 

 今、リュンナは、勇者だ。

 



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4 開眼

「バカな、バカな! 小娘――こんな……ッ」

 

 深く斬り裂かれた腹から滂沱めいて血をこぼしながら、アークデーモンが呻く。

 無論、そのセリフが終わるまで待ってやるリュンナではない。更に一閃、片膝を断った。骨の間を通り、肉や腱を切り離す手応え。気持ち良くはない。

 巨躯の悪魔と9歳の童女――身長差から、首や心臓といった急所を一手で狙うのは難しい。まず脚を奪って体勢を低くさせるのは定石だろう。

 

 もう片膝をついたアークデーモンには、しかし第三の脚があった。

 フォーク槍――石突を地について杖代わり、腕力で跳躍。大きく後退し距離を取る。

 

「待ッ――」

 

 咄嗟に追撃をかけようとするリュンナだが、間に合わない。

 あまつさえ悪魔の投擲したフォーク槍を打ち払うために足を止めた瞬間、魔物の群れが道を塞いでしまった。

 

 近衛らも奮闘してはいるのだが、数も平均レベルも敵の方が上のようだ。

 既に何人かが血を流し倒れ、敵を押さえることが出来なくなっていた。

 

「リュンナさま、も……申し訳……」

「ちくしょう、魔物どもめ……」

 

 息はあるようだが、時間の問題だ。

 リュンナは邪魔なグレムリンを火炎の息ごと斬り捨てながら、最も近くに倒れていた近衛に駆け寄り、

 

「ベホイミ!」

 

 回復呪文の光を灯す。傷が塞がり、蒼白だった顔に少し赤みが差した。

 しかしこうしてひとりを癒すうちに、視界の端でふたりが手傷を負う様子、焼け石に水。

 

「リュンナさま……!」

 

 ベホイミをかけた近衛が、這いつくばって何とか立ち上がろうとしながら、言葉を紡いだ。

 

「我らの命は、既に、リュンナさまの……モノです! どうかお気にせず……為すべきことを……!」

「為すべきことって……!」

「あなたさまは、既に、勇者なのですから……! 我らの希望!」

 

 勇者だなどと、近衛隊長が先ほど急に言い出したばかりのことだ。

 大方この緊迫した戦場における『その場のノリ』の産物であり、深い考えはあるまい。あったとして、『味方を鼓舞するため』程度か。

 勇者たる覚悟も、実績も、リュンナにはないのに。

 

 だがノリに流されるのはきっとリュンナも同じで、そして、今はそれでいいのだろう。

 

「国を害する魔物を斃します」

「はい! どうか、どうか……! 不甲斐ない我らに代わり、彼奴らに天誅を!」

 

 剣を構え直し、アークデーモンに視線をやる。

 距離を取った悪魔はそのまま逃げたのかと思ったが、そうではなかった。奴は離れた場所でホイミスライムの回復を受けながら、全身に気合を入れ、魔法力を高めていた。

 

「ふぬおおおおおおああああああ……!」

 

 バチバチと放電すら伴うような光の塊を、それぞれ左右の手に宿して。

 

「あれは――ッ」

 

 そうだ。

 ゲームでのアークデーモンの得意技は、槍術でもイオラでもなかった。

 極大爆裂呪文――イオナズン! 撃たせてはならない!

 

 駆け出そうとしたリュンナを、悪魔たちが身を挺して足止めする。群がり、体重をかけてくる。

 こいつら、巻き添えが怖くないのか!

 

「魔物は力が全て……! 強者の命令は絶対! そいつらは死んでも剥がれんぞ! お仲間諸共、灰になるんだな……! イ――オ――ナ――」

 

 悪魔どもが組みつき、しがみついて、噛み付こう引っ掻こうとしてくる。

 何とか身をよじり被弾は防ぐも、視界は真っ暗で、剣を振る隙間もロクにない。

 

「バギマッ!」

 

 中級の真空呪文、吹き荒れる気圧差の嵐が、悪魔どもを斬り裂き散らす。

 アークデーモンは詠唱を続けていた。

 

「ズ――」

 

 巨躯の悪魔に真空斬りを放つ、ダメだ、スライムつむりが身を挺して庇ってしまった。それを貫通するような高威力がもう出ない。

 だったらヒャダルコで凍らせて動きを止め――ようとして、既に魔法力の尽きていたを実感する。ここに来るまでの戦いで、いくらも消耗があったせいだ。

 初陣の失敗――後先考えずに呪文を使い過ぎた!

 

「――ンンンンッ!」

 

 アークデーモンは光を宿す両手を前方に伸ばして重ねた。ぶつかり合うふたつの光は渦を巻き、ひとつの極大威力の奔流となって迫る。手下をも巻き込みながら。

 『イオナズン』。

 命中すれば、文字通りに全てが吹き飛ぶ。

 リュンナ自身も、近衛たちも、ともすれば後方に避難した町民も、その誘導を終えて戻ってくる最中の兵隊も。

 

 ――赦せない。

 赦せるものかッ!

 

 今、リュンナの集中力はそれこそ極大にまで高まった。

 契約はしたものの実力不足で発動しなかったバギクロスも、今なら使えるだろう。だが肝心の魔法力がない。バギクロスの構えを取る時間もない。

 できるのは剣を振ることのみだ。下段に構えた剣を、上に振り抜くことのみだ。

 

 その事実に、リュンナは絶望を感じてはいなかった。

 

 国を害する、民を害する、魔物ども。

 わたしの国だ、わたしの民だ。国のわたしであり、民のわたしなのだから。

 尽くされている以上、尽くさねばならぬ。

 

 それは正義感ではなかった。

 煮え滾る憤怒であり、深淵よりも深い憎悪だった。

 子供や巣を守ろうとする野獣の母のような、容赦なく、善悪もなく、苛烈な想い。

 

 だから魂の奥底から湧き出し噴き上がってくる莫大な濁流は、光ではなく暗黒。

 

「ぁ――」

 

 突如の全能感。いける気がした。だからいった。

 

「――ッああああああああああああああああ!」

 

 自らの暗黒の全てを剣に託し、ただ振り抜く。

 どす黒い闘気の刃が、眼前にまで迫っていたイオナズンを左右に分けた。

 あまつさえその光の爆発力さえも闇は喰い尽くし、極大呪文は静かに果てゆく。

 

「あ……あぁっ? へっ?」

 

 リュンナとアークデーモンとを結ぶ直線状には、もう、魔物はいなかった。

 イオナズンに散らされ、暗黒剣に斬り捨てられて。

 いるのはその脇にだけ。

 

 人間は無事だ。誰も皆、リュンナの後ろ。最も強いリュンナが、最も前にいたから。

 そして誰もを守った。

 

 アークデーモンは、あんぐりと口を開けていた。

 

「イオナズンを……! きっ、斬った、だと? め、目の錯覚……いやそんな……あり得ん。あり得んぞ!

 新たな勇者……。ハドラーさまに、報告、報告しなくては……!」

 

 大悪魔が背を向けようと身を捻ったとき、彼の左右半身がズレた。

 

「あえっ……?」

 

 正中線を通るように、その身を左右に分かつ線があり、それに沿って――そのまま左右に分かれて、まず左半身が地に倒れ、そこに右半身が重なり崩れた。

 血の海が広がっていく。

 

「……」

 

 誰もが沈黙し、動きを止めていた。人間たちも、魔物たちも。

 その圧倒的に過ぎる力に。禍々しい暗黒の様相に。

 斬撃を放ったリュンナ当人でさえ、呆然のありさま――だったのは数秒。彼女が最も早く立ち直った。

 

「たっ――」

 

 声が裏返ってしまった。

 改めて、剣を振り翳しながら。

 

「大将首はこのリュンナが討ち取ったッ!」

 

 戦国武将か。内心、自らへと。

 いや、戦国武将なのかも知れない。人と魔物との戦争に立つ、武力振るう王女は。

 実際、人々は雄叫びを轟かせて盛り上がった。近衛や町の兵隊はもちろん、避難したハズの町民たちでさえも日用品を武器に再び駆け付け、残った魔物どもを掃討していく。

 

 それは最早戦いではなく、蹂躙だった。

 魔物は力が全て、とアークデーモンは言っていた。圧倒的な力によって配下を従えていたそのアークデーモン本人が、より上回る力で斃されたのだ。

 残敵の士気は最早ボロボロ。背を向けて逃げた者から順に始末されていくようなありさま。

 

 ほどなくして人々の体力が半ば尽きる頃、もう、逃げる魔物はいなかった――全て殺されたから。

 

 人々はリュンナを取り囲み、口々に褒め称え、賛辞を述べ、感謝を捧げ、その武勇を崇めるような言葉すらあった。

 

 こうしてリュンナの初陣は終わった。

 



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5 戦い終わって

 初陣を勝利で飾ったのはいいとして、それで全てが丸く収まるワケではない。

 町民に死者は少なからず出ているし、生きていても怪我をしている者は更に多い。破壊された建物などもある。

 回復呪文の使い手たちも、残り少ない魔法力をリュンナに回したため、人々は呪文治療を受けられなかった。町の道具屋が薬草を無料で配布したことで事なきを得たが。

 この薬草の分は、あとでわたしのお小遣いから出そう――リュンナは、奉仕が無料では済まないことを学んでいた。

 

 比較的被害の少なかった宿屋に部屋を取り、湯浴みを終えて着替え、ようやく一息をつく。

 触っても温かいで済むほど微弱なメラで、髪を乾かしてくれる侍女を背後に、向き合う先には近衛隊長の女騎士。

 もう何度目かになるか、隊長が頭を下げてくる。

 

「本当にお疲れさまでした。リュンナさまなくして、とてもこの勝利はなかったでしょう。

 ある程度復興が進んだ町を再び襲い、半壊と復興とのイタチゴッコに陥らせて苦しめようとは、魔王軍もエゲツナイことを考えるものです。しかし我らが勇者姫のお力の前では、そんな粗雑な策はこの通り……! いや、あのような神話の如き戦いに立ち会えるとは、まことに騎士冥利に尽きます」

 

 うんうんとひとりで頷き、とても満足そうだ。

 リュンナもそうまで言われて悪い気がするハズもなく、気恥ずかしさはあるものの、素直に褒められておいた。

 

「まあ『勇者姫』はちょっとどうかと思いますけどね。そんなガラじゃないでしょ」

「何を仰いますか! 剣と呪文とを自在に操り、圧倒的な強さで邪悪を砕く! これが勇者でなくて、いったい何だと仰るのでしょう!」

 

 拳を握って力説された。鼻息が荒い。

 しかしそこでふと、隊長の顔が訝しげに顰められた。

 

「ところで剣と言えば、気になっていることがあるのですが」

「うん?」

「最後の、あの敵将をイオナズンごと斬り捨てた凄まじい技は……剣が黒く染まっておりましたが、あれはいったい……?」

 

 あー、そこ聞いちゃいます? そっかー。そっかあ……。

 リュンナは反射的に目を逸らした。

 

「リュンナさま……?」

 

 隊長の声が不安げに揺れる。

 感付かれたか? あれが邪悪な力であると!

 

 原作知識を持つリュンナは、あの闇の濁流が暗黒闘気であろうことを察している。

 闘気とは攻撃的生命エネルギー。中でも暗黒闘気は負の感情などから生じ、禍々しく邪悪な雰囲気や用途を持つ、半ば呪いのような危ない力である。

 本来勇者が使うべき正義の象徴、光の闘気の正反対に位置するものなのだ。

 

 そんな力を使ったことが明るみに出れば、どうなるか。

 勇者姫どころか、逆に魔族扱い一直線の可能性が高い、とリュンナは感じていた。それはもう清々しいほどの掌返しが待っているに違いない。

 

「何か危険なお力なのですか? じゅ、寿命が縮まってしまうですとか……! 我々のためにご無理をなさったのでは!?」

「そんな! リュンナさま!?」

 

 隊長の疑念に、侍女も悲痛な声を出すが……。

 

 えっ、いや、特にそういうことは。たぶん。

 むしろ寿命が延びそうな気すらするよね。暗黒闘気って回復に使われる場面も割とあったし。

 闇堕ちの気配も別に感じないし。あれは自分自身の素直な怒りと憎しみの発露であり、それはすなわち愛国心の裏返しだから。愛国心!

 

 などと考えているうちに、ふたりの顔がどんどん暗くなっていく。

 リュンナは思考を切り上げ、適当に取り繕うことにした。

 

「ええと、あれは『闘気』の一種なのですが……」

「闘気……ですか?」

 

 あっ、まず闘気を知らない。キョトンとしている。

 思えば気まぐれに武術書などを漁ったときにも、闘気のとの字も出て来ない文献が殆どだった。闘気が出てきた文献は、王家以外は読めない伝説級の古文書か、胡散臭い眉唾モノかだ。

 

「攻撃的生命エネルギー、と言って伝わります? 魔法力とはまた違うんですけど……」

「ピンとは来ませんが、何となくは……。生命エネルギー……。思うに、超一流の戦士や武闘家は時に常識を超えた技を繰り出すとされる――それでしょうか?」

「そうそう! それですそれ! たぶんそれ!」

 

 しきりに頷いてみせた。

 正解した隊長は鼻高々の様子だ。

 

「しかし生命の力ということは、やはり寿命が……!」

「いえ、特にそういった代償はないです。よほど使い過ぎない限りは……」

 

 ヒュンケルみたいに。

 

「そうですか、良かった。

 闘気……まさにリュンナさまが超一流となられた証ということですね! 目にするのみで身震いし、肌にビリビリと来るほどの、空恐ろしさすら感じるお力……流石です……!」

 

 やはり誤魔化し切れないのだろうか。と一瞬危惧したが、そうでもないようだ。

 自分が感じた不吉さを、単純に力の強大さに戦慄したものだと、隊長は誤解している様子。

 そして戦闘のプロである隊長がそうと結論を出したのなら、ここにいる侍女も、この場にはいない近衛のメンバーも、誰もが納得するだろう。

 これでひとまずは安泰だ。助かった。

 

 しかし、いずれは説明せねばなるまい。でなくばアルキード国軍に闘気を伝授する道が閉ざされる。

 リュンナ当人も完全に感覚やノリで開眼したため、そもそも伝授方法が分からない、という問題はあるのだが。

 しかし試してみない選択肢もない。

 

 成功すれば、無数の闘気使い兵士が国を守ることになる。最強では?

 カールの騎士団、リンガイアの城塞、パプニカの賢者たち、ベンガーナの戦車隊――それら各国に勝るとも劣らぬ重要な戦力となり、バーン軍の攻撃を防いでくれるハズだ。

 

 バランに国を吹き飛ばされなければ、だが。

 考えたら非常に腹が立ってきた。癒しが必要だ。

 

「おやつを所望します。甘いの」

「はい! お任せください!」

 

 唐突な甘いものの要求にも間髪を容れずに応えてもらえる、王女とはかくも恵まれた身分であった。

 リュンナの髪を整え終えた侍女が、宿屋の主人に菓子を貰いに行くのだろう、下階に下りて――ややあって、

 

「きゃあーっ」

 

 悲鳴。

 闘気の習得方法を知りたい隊長と、ノリとは言い難くシドロモドロになっていたリュンナは、一瞬だけ顔を見合わせると、すぐに部屋を飛び出していった。

 

 1階、侍女は外に出ていく間際の位置。菓子を買いに行くところだったか。

 そんな彼女を守る位置にほかの近衛らも立ち、おのおの剣を抜いていく。

 

「おのれ魔物め!」

「たった1匹になろうとリュンナさまを討ち果たすべくここまで来るとは、魔物ながらに見上げたものだが……看過はできぬ!」

「ひええ、ひい……」

 

 侍女は腰が抜けて座り込んでいる。

 近衛らの首の角度からして、彼らの足元に小さな魔物がいるらしいが、侍女が邪魔でよく見えない。

 

「どうした!」

 

 隊長が近衛たちを掻き分け、リュンナがそれについていく。

 

「隊長! リュンナさま……! 魔物の残党が」

 

 そこにいたのは、1匹のホイミスライムであった。

 傷はないようだが、浮く体力がないのか、黄色い触手で這っている。

 

「あら可愛い」

「リュンナさま!?」

 

 思わず近付いて抱き上げてしまった。

 いやだって、可愛いでしょ……ホイミスライム……。戦闘中はスライムつむりに呼ばれ、折角削った敵を回復させてしまう邪魔者として、真っ先に薙ぎ払っていたが。

 ゲームでは、仲間にできる作品なら毎回使っていたものだ。たとえただのホイミタンクだとしても。

 しかし近衛たちは緊張を顔に浮かべ、ホイミスライムを剣で突くべきか、まずリュンナから引き剥がすべきか、と深刻な表情を浮かべる。

 

「リュンナさま! 危険です!」

「今すぐ其奴をお捨てください!」

「えぇ……。そんな皆さん、ホイミスライムに危険とか……」

 

 回復は確かに厄介だが、それは相手に味方がいてこそ。

 単独なら恐れることはない。

 ほら、ひんやりぷるぷるだし。

 触手を顔に絡めてきたが、これも別に呼吸を塞ごうなどの意図もなく、じゃれているだけのようだ。

 

「リュンナさまああああああああああ」

 

 うるさい。

 

 しかし、とは言え、どうもホイミスライムに懐かれていることが不思議なのは事実だ。

 戦闘中に目についたホイミスライムは全て殺したと思うが、そのうちの1体が起き上がり、『仲間になりたそうにこちらを見ている』をしに来た――のか?

 まさか。

 

 まさか、とは思うが、見詰めあってみる。

 仲間になりたそう――ではない。

 既に、仲間だ。

 

 このホイミスライムの内に、リュンナは自分の暗黒闘気を感じた。もうリュンナの色に染まっている。

 イオナズンごとアークデーモンを斬り捨てた暗黒闘気斬に巻き込まれた個体か? 暗黒闘気が隅々にまで染み入った末に復活し、最早、半ばリュンナ自身の体の一部とすら感じるほど。

 そしてホイミスライム自身も、リュンナを親のように感じている。

 

 ゲームの魔物使いというよりは、バーンがハドラーを復活させた技術に似ている気がする。

 これも暗黒闘気の力の一端、ということか。魔物を狂暴化させるハドラーの邪気よりも、このホイミスライムに限ってはリュンナの支配力の方が上回ったのだ。

 ならば結論は出た。

 

「この子、飼います」

「リュンナさま!?」

 

 ホイミスライムが仲間に加わった!

 ああ、名前つけてあげないと。

 



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6 ホイミスライム

 第二王女にして勇者姫と化したリュンナが飼うと言っているのに、なおも危険だの考え直せだのとうるさい臣下たちに辟易していると、やがて思いついた。

 アークデーモン戦の際に技の負荷で負った右手首の骨折、これは呪文治療でも魔法力不足でまだ治り切っていないのだが、そこをホイミスライムに指し示してみせる。

 

 するとホイミスライムは気付いて、目を閉じて魔法力を集中し――

 

 ――ホイミ。

 

 人間に分かる言語での発声はないものの、それは確かに呪文であった。

 患部に当てた触手が光を放ち、癒しの作用を発揮する。

 数秒の後、光が止むと、鬱陶しかった疼痛も消え、しっかりと骨が繋がった感じがある。

 

 それを臣下たちにも示すよう、リュンナは右手を突き上げてグーパーしたり、ホイミスライムを両手で高い高いしたりしてみせた。

 こうなると臣下たちも、流石に黙らざるを得ない。このホイミスライムは味方だと、明確に示されたのだ。

 

「なるほど……」

「隊長?」

 

 ふと近衛隊長の女騎士が納得の声をこぼすと、近衛らが反応した。

 

「いや、リュンナさまは闘気という生命エネルギーのお力に開眼なさったと、先ほどお聞きしたのだが……それによる恩恵ではないかと思ってな」

「どういうことです! 隊長!」

 

 この隊長、察しが良過ぎる。

 そりゃ魔物を仲間にすれば、暗黒の力だとバレるのも当然かも知れないが……!

 

「つまりリュンナさまの圧倒的生命力の威光に惹かれ、自ら家臣になりに来たのだ! リュンナさまの偉大さは魔物にすら通じる!」

「おお!」

「そういうことでしたか!」

「凄い! 流石はリュンナさま」

 

 この臣下ども、チョロ過ぎる。

 ダイ大は割と純朴な人が多い印象がもともとあったが、それが更に深まった。

 

「えーっと、はい、まあ、だいたい隊長の言う通りのようですね」

「おおっ、やはり!」

 

 生命力の威光=暗黒闘気の力によって、自ら仲間に加えてもらいに来たのは事実だ。実際、大筋は間違っていない。前提が決定的に間違っているだけで。

 

「それではこのホイミスライム――うーん、やっぱり名前が必要ですね。ホイミン、は安直過ぎますし……」

 

 ホイミスライム本人も不満そうだ。

 そこに隊長が割り込んできた。

 

「失礼ながらリュンナさま、まずはその者に装飾品を下賜なさっては如何でしょう」

「装飾品」

「はい。それにより、自分はほかのホイミスライムとは異なる特別な存在なのだ、いつでもリュンナさまのために生きるのだ、と自覚を促すのです」

 

 騎士らしいことを述べる隊長だが、それは本音半分建前半分だろう。

 隠された本音はきっとこう――我々含む余人の目には、ほかの邪悪なホイミスライムとの区別がつかないから、何とかしてほしい。

 全くその通りだと思う。

 せっかく仲間にしたのに、敵と間違えられて殺されても嫌だし、逆に敵か味方かと悩んだが敵だった、という事態も避けたい。

 

「そうですねえ、リボンか何か……うーん。あっ」

 

 思いついたリュンナは、侍女を雑貨屋に走らせた。

 店舗が無事だといいが……。ついにでお菓子も買ってきてもらって。

 やがて侍女が帰ってくると、購入したモノを受け取り、ホイミスライムに装備させる。

 

 しゃららん、と、涼しげな音が重なった。

 

「なるほど、鈴ですか」

 

 鈴であった。本来は猫の首輪につけるもののようだが、それをリボンで触手に結びつけたのだ。予備の意味で、左右にふたつ。

 

「ええ。これなら視界の外でも、味方だと分かるでしょう?」

「ッ、お気付きでしたか……。差し出がましいことを申しました。お赦しください」

「構いません」

 

 頭を下げる隊長に、鷹揚に頷いた。

 ホイミスライムは踊るように鈴を鳴らして遊んでいる。嬉しそう。

 さて、名前……。ホイミのみならず、ベホイミやベホマも使いこなせるようにと願いを込めて、「ベ」の字をつけたい。ベ……ベル……? 鈴。ふたつ。

 

「ベルベルと呼びましょう」

「存外可愛らしいお名前になさりましたね」

 

 いや普通に可愛いでしょうが……?

 

「ぷるる? ぷるるん!」

 

 ホイミスライム――ベルベルは笑顔でぷるぷるした。機嫌が良さそうだ。

 

 人間の言葉を喋ることはできないが理解はしているらしく、その後、会話を重ねてみた。

 するといろいろと判明した――ベルベルは女の子であるとか、もともと仲間だった魔物と戦うことへの葛藤は特にないとか、回復呪文のほかに物理戦闘もある程度いけそうだとか。

 

 その夜はそのままプレーシの町の宿屋で、ベルベルを抱いて寝た。ぷるぷるの肌触りが心地よい。

 殺し殺されの悪夢に魘されもしたが、夢の中のベルベルがホイミをかけてくれると落ち着いた。暗黒闘気の繋がりが、心をも繋いだのだろうか?

 

 明けて翌日、ようやく本来の仕事である慰問に移った。

 昨日のうちに町の衛兵から伝令を出し、王都にこの事件のことを報告させているので、そのうち経済的あるいは物質的な支援も届くだろう。が、今はまだ、心から応援することしかできない。

 それでも王族に励まされれば気力が湧くものなのか、町民たちは笑顔で、あるいは感涙の顔で迎えてくれた。

 

「リュンナさまに救われたこの命、きっとお役に立ってみせましょう……! 僕は兵士になります!」

「おいおい、美味い魚を捕るのも重要だぜ! リュンナさま、この町にいる間はたっぷり食べてってくだせえ!」

「我々アルキード国民には、勇者姫がついてくださっている……! これほど心強いことがありましょうか! ありがたや……」

「お姉ちゃん魔物のモノスゴイのやっつけたってほんとー?」

「ほんとだよー! おれ見てたもん!」

「握手してください!」

 

 ひとりひとり顔を見て、声をかけ、話を聞き、安心させ、怪我人には回復呪文をかけていく。

 相手の人数が多いためベホイミでなくホイミ止まりではあるが、リュンナ自らの呪文治療は、多くが喜んでくれるという抜群の効果を発揮した。

 子供相手には、王女の権威よりもホイミスライムの可愛さだ。子供にはちゃんと分かるのである。ぷるぷるぷにぷにつつかれて、ベルベル本人はちょっとウザそうだが、耐えてもらいたい。

 

 また大人相手にも、ある程度はベルベルにホイミをかけさせた。もちろん人気取りのためだ――リュンナではなく、ベルベルの。

 魔物は必ずしも邪悪な敵ではない、とは、ドラクエファンなら誰でも知っているだろう事実だが、その世界の内にいると気付けないこともあろう。

 ベルベルの主人として、リュンナには彼女を人々に受け容れさせる義務があるのだ。

 

 結果は上々。

 ホイミスライムが単体では危険な魔物でないこともあり、何より先頭に立って誰よりも勇敢に戦ったリュンナ自身がそう言うなら、という信頼もあり、人々はおおむねベルベルを受け容れてくれた。

 

 尽くした分だけ尽くされる。

 戦って国に尽くしたリュンナの役得だろう。

 

 そうして慰問は数日続く――予定だったのだが、更に翌日には、宮廷魔法使いのルーラによって父王が文字通りに飛んできた。

 リュンナが魔王軍と激突したと聞き、いても立ってもいられなかったらしい。勝利報告だったハズだが、それはそれ、ということか。

 

 結果、リュンナは父と共にルーラで帰還、近衛や侍女は数日をかけて普通に帰還、となった。

 



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7 次の戦いに向けて

「お前が強いことは分かっているつもりだったが、まさか初陣でこうまでとはな……。本当に怪我はないのだな?」

「はい、結局敵の攻撃は受けませんでしたから。自爆してしまったダメージも、既に呪文治療を終えています」

 

 アルキード国王は、私室にリュンナとソアラとを呼び、本人の口からの報告を聞いていた。

 しかしこの同じ会話を、もう何度繰り返したろうか。9歳の娘が魔物と戦ったともなれば、当然の心配ではあるのだろうけれど。

 ソアラに至っては、リュンナを膝の上に乗せて抱き締めたまま放そうとしない。そんなリュンナの膝にも、ホイミスライムのベルベルが乗っていた。

 王は興味深そうにベルベルを見詰める。

 

「ベルベル――と名付けたのだったか。魔物を仲間にするなど……いや、魔王がいない時期であれば不可能ではないが……」

「そうなのですか?」

 

 と思わず驚いてしまったが、考えてみれば当然か。

 ダイ大の世界では、野生の魔物は魔王の邪気によって狂暴化させられているのだ。本来の性格は温厚だとか、人間に友好的だとかいった者も多い。

 そういった個体と運良く出会い、運良く分かり合えれば、魔物と心を通わすこともできるだろう。

 

 と考えていると、父王の口からも実際にそういった説明がなされた。

 ソアラがリュンナの銀髪を撫でながら、その後を続ける。

 

「わたしもね、小さいころはスライムのスラリンと友達だったのよ。リュンナも会ったことはあるのだけど、小さかったから覚えていないかしら」

「そう言われてみると……そんなことも……?」

 

 転生してからしばらくは、意識や記憶が曖昧だった。

 明確にいろいろを自覚し始めたのは、ここ最近のことである。

 

「スラリンは、ちょっと怖がりだけれど、優しい、いい子だったわ。でも数年前に魔王ハドラーが現れて、世界中の魔物は……。そのときに……」

 

 ソアラの声音が沈み、窄んで消える。

 ああ――思い出した。確かに昔、スライムが身近にいた気がする。まだ意識が曖昧で、ドラクエの夢を見ていると思っていた頃だ。しかしいつからか、姿を見なくなってしまった。それからしばらくソアラが酷く塞ぎ込んでいた。

 ソアラのスラリンは、ハドラーの邪気に飲まれ、危険な魔物として……恐らく……。

 

 ベルベルを仲間にすることに近衛たちがうるさかったのも、そういう過去があったからなのかも知れない。

 或いはソアラのスラリンは、処分されたのではなく、ほかの魔物と間違えられて? だとすれば、まず装飾品を、と具申してきた隊長は、それを踏まえたものだったのか。

 

「だからねリュンナ、わたし、嬉しいのよ。まるでスラリンが帰ってきたみたいで……。なんて、ベルベルに失礼かしら」

「ぷるる?」

 

 ソアラはリュンナ越しに、ホイミスライムのぷるぷるボディーを撫でた。

 なるほど、もともとソアラは、人間だ魔物だなどで差別をしない性格だった――ということか。後にバランを受け容れることも、その延長線上にあるのだろう。

 それが厄災の種なのだが。

 ついそう思って、ソアラには冷たくしてしまうリュンナである。ベルベルを撫でる彼女の手をそっとどかし、自分の腕だけでベルベルを抱き締めた。

 

 それは傍から見れば、お気に入りのペットをひとに触れさせたくない、子供らしい独占欲にでも感じられたろうか。そこ、微笑ましそうな顔をしない。父上! ちょっと!

 リュンナは頬を膨らませた。転生してからこちら、こういう仕草は普通に出てしまう。あー若返った気分で嬉しいなー、と皮肉めいて思っておく。

 

 咳払い。

 

「ともあれ、父上。先ほども述べました通り、わたしという新たな『勇者』の誕生の噂で、プレーシの町は持ち切りです。早晩、ほかの町にも伝わっていくでしょう」

「うむ。新たな勇者の噂が広まれば、魔王軍も怯むだろう。そうして牽制しているうちに、軍備を改めて整え――」

「そうじゃなくて」

「どうした」

 

 この父上、分かった上で分からないフリをしているな。

 

「軍備増強はもちろん必要ですが、わたしが本当に勇者として――」

「ならぬ」

 

 喰い気味に遮られてしまった。

 ソアラも後ろからぎゅっと抱き締める力を強めてくる。苦しい。

 

「そうよリュンナ。あなたはまだ、こんなに小さいのだから……。戦う必要なんてないわ。そういうのは大人に任せればいいの」

「その大人が頼りにならないから言ってるんですが」

「それは……」

「むう……」

 

 国のために命を懸けている騎士兵士らに対し、あまりにも思いやりのない言葉ではあろう。

 が、事実である。プレーシの町では、アークデーモンどころか配下の魔物たちにさえ、近衛部隊は押されていた。リュンナなしでは、町ごと全滅していたのだ。

 

「何なら今から騎士団長を伸して来ましょうか? それとも近衛を全員纏めて?」

「いや、言いたいことは分かるが、しかしだな……」

「小さければ、魔王軍は待ってくれるんですか」

「いや……いや、そのようなことはないが……」

 

 中にはバルトスのように、待ってくれるどころか拾って育ててくれる者もいるが。

 いや、あれはあれで、ちょっとどうなのかなとリュンナは思うけれど。

 ともあれ。

 

「国に尽くされている以上、国に尽くす義務がある……! そう教えてくださったのは父上ですよ」

「父上?」

「いや違うぞソアラ、そういう意味で言ったわけでは……だが……。ぐぬぬ」

 

 父王が歯ぎしりをした。苦悩の顔。

 

 もちろんリュンナとて、戦わずに済むなら戦いたくはない。

 原作にリュンナの存在はない――それは、この世界が必ずしも原作通りに進むワケではないことの証明なのか? それとも逆に、原作展開が始まる前にリュンナが世を去ってしまう運命だということなのか?

 分からない。分からないなら、危険からは遠ざかっておきたい。それは本音だ。

 

 しかし危険から逃れることは、義務から逃れることなのだ。

 それはそれで心が死んでしまう。かと言って、王女たる身が、義務から自由になるために身分を捨てるなど、それこそ認められるハズもない。

 

 既に、戦う他ないのだ。

 そして何より、リュンナ自身が戦いたい。何不自由ない暮らしを約束してくれているこの国に、その恩を返したい。

 前世では思いつきもしなかったこと。

 立場が変われば、人は変わるものだ。

 

「確かに……ワシも若いころには、陣頭に立ち剣を振るったこともある。国のために、民のために。血は争えぬ――か」

「父上! ありがとうございます!」

 

 戦う許可を明言されてはいないが、もう明言されたテイで進めてしまうことにした。

 勢いが大事だ。

 父王は重々しく頷いた。

 

「ただし次の条件を課す。まずルーラを習得せよ。そしてキメラの翼と魔法の聖水を用意させるゆえ、それらを常に携帯するのだ」

 

 つまり――いつでも逃げられる足を持っておけ、と。

 言われてみれば当然の用意だろう。問題ない。

 

「承知しました」

「そんな……! リュンナはまだ9歳なんですよ!」

「しかし既に、この国の誰をも超える力を持っている。それを振るう覚悟もな。天の導きやも知れぬ……」

 

 ソアラはまだ納得していないようだが、父王さえ分かってくれれば充分だ。

 とは言え、ソアラの膝の上で抱き締められているこの拘束を外す必要はあった。意外と力が強い……。しかもその力が、更に一段と強まっていく。ぐええ。

 それは別にリュンナを苦しめるためではなく、ソアラの硬い決意が表出してしまった事故のようだが。

 彼女は深呼吸の後、遂に言い放った。

 

「ならば父上! わたしも戦います!」

「えっ」

「は!?」

 

 爆弾発言であった。

 

「もちろん、すぐにとは申しません。戦いの練習などしたこともありませんし。しかし必ずや力をつけて……! 可愛い妹ばかりを戦わせるワケにはッ!」

 

 それは明らかに、国のためよりも、リュンナのためという言葉だ。

 しょっちゅう素っ気ない態度を取ってしまっているのに、なぜこうまで可愛がられているのだろうか。リュンナは首を傾げた。

 

 とは言え、戦ってくれるならありがたい。実戦の恐ろしさで頭の中のお花畑が多少散れば、バランへの対応も変わり、国の消滅を免れるかも知れないし。例えば駆け落ちをやめるとか。

 などと思ってしまうリュンナは、やはり自分は相当冷たくドライなのだな、と自覚しつつだが。

 

 しかし、どこの馬の骨とも知れぬ男を引き入れ、未婚の身で子作りに及び、あまつさえ全てを捨てて駆け落ちした挙句、バランを始末することでソアラの名誉だけでもという父王の想いさえ無にする――

 国に尽くされていたハズの王女が、国に尽くし返さないばかりか、全力で弓を引くありさまである。自覚がないからなおタチが悪い。

 信じられない、とはこのことだ。

 

 変わるのだろうか。そんな未来が。

 



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8 ソアラという女 その1

 王城の一角、兵士らの訓練場の隅を借り、リュンナはソアラの訓練を始めていた。

 両者とも、服装は簡素な布の服である。本当に簡素で、本来なら王族の着るようなモノではないが、動きやすく汚れてもいい服としてこれ以上はない。

 

「姉上。準備はよろしいですか?」

「ええ、リュンナ。よろしくお願いね」

 

 ソアラは頷いて、柔らかく微笑んだ。

 まるで緊張感がない。緊張のあまりに変に力が入って思わぬ怪我をするよりは、遥かにマシと言えよう。

 もし怪我をしても、隣でふよふよ浮いているホイミスライムのベルベルが治してしまう手筈だが。

 

「ではまず基本の瞑想から。一般的には魔法力を増す修行とされていますが、わたしの瞑想はあらゆる能力を高めることができます」

「確か……死を想う、のだったわよね。そんなことが本当にできるのかしら。兵士の人たちも、誰も成功しなかったんでしょう?」

「まあそうなんですけど。新しい伝授法を思いつきましたので、試してみたいなと」

「そうなの? やってみましょう」

 

 人体実験に使うと言っているも同然なのだが、構わないのだろうか……?

 

 リュンナが胡坐を掻き手指を組むと、ソアラも見様見真似で対面に座った。最初は隣に座ろうとしたが、対面の方が見てマネやすかったのだろう。

 

「なるべく力を抜いて、楽にしてくださいね。呼吸は口から吐いて、鼻から吸います。ゆっくりと、一度に何秒もかけて……」

 

 ソアラは素直に従う。この素直さは好ましい。

 素直過ぎて、バランからの求愛も素直に受けてしまう、ということだろうか。

 いや、今はいい。

 

「目を閉じて……」

 

 目を閉じる。

 

「額にもういっこ目があって、その目だけでわたしを見る、とイメージしてみてください。本当の目は開けちゃダメですよ。第三の目だけ……。まあイメージなんですけど」

 

 説明している間に、ソアラは既に深い集中状態に移行しつつあった。

 やはり、この素直さだ。太陽が万象に分け隔てなく光を注ぐように、この第一王女にはあらゆる差別というものがない。何でも受け容れてしまえる、受け容れてしまう。

 それは圧倒的な才能であり、そして時に呪いであろう。

 

 呪いを解くにはどうすればいい? 素直さの結果として、痛い目に遭ってもらう他ない。

 原作では死に際ですら自分の悪性を自覚している様子がなかったから、望み薄だが……。そんな余裕がなかったのもあるだろうが。

 

 ともあれ瞑想である。

 今、ソアラはとても美しい。外見の話ではなく、それだけ深く瞑想状態に適応している、ただ第三の目で眼前のリュンナを見ることだけに没頭している、その集中力こそが美しいのだ。

 

 試しにリュンナが自らの頬を両手で潰すようにしてあっちょんぶりけ顔を披露すると、ソアラがクスッと笑った。もちろん、肉眼は閉じているままだ。

 そのことに本人も一拍遅れて気付いたようで、不思議そうに首を捻った。見えていないのに見えている境地。

 

「大変素晴らしいですよ、姉上。そのまま集中状態を維持してください」

 

 ソアラの額に、彼女の気が窺える。

 闘気というほど苛烈ではない、もっと静かで穏やかな気配。ただ感じ取ろうとする感覚の気。

 そこ目掛けて、リュンナは自らの殺気を叩き込んだ。魂の奥から暗黒闘気をすら呼び起こし、その不吉で禍々しい匂いを乗せて、ソアラの首を刎ね――いや――火炎で全身を焼き払うイメージ。

 

 びくん、と、ソアラが痙攣するように震えた。そしてすぐに、カタカタと、継続的な震えに移る。脂汗が噴き出し、涙すら幾筋も流れる。

 しかし目は開けられず、姿勢は崩れなかった。呼吸すら乱れない。

 本当に何なの、この人……? バラン処刑時、火炎呪文から我が身で庇うのは伊達ではない、ということなのか?

 

 ならばと殺気を強めていく。

 焼かれる苦痛は消えゆき、逆におぞましい快楽が緩やかに広がっていくだろう。死の恐怖から精神を守るため、脳内麻薬が分泌される段階だ。

 ソアラの姿勢が僅かに崩れ出した。ふらふらと頭が揺れる。

 

 そこから更に強めれば、最早、全てが消え去る死の境地――ソアラはその場に崩れ落ちるように倒れた。

 

「やべっ」

 

 脈と呼吸を見る、弱い。意識もない。

 ベルベルにホイミをかけさせ体力を回復しつつ、抱き締めてゆっくりと撫でてやる。そして殺気とは正反対、慈しみの心気をそっと送り込む。

 リュンナの暗黒闘気は愛国心の裏返しだから、裏を表に返し直せば、そういうこともできると直感した。言わば、穏やかに安らげる夜の気。

 

 様子を見ていた訓練中の兵士らが慌てて寄ってくるも、問題ないと追い払って数分、ソアラは実際に問題なく目覚めた。

 

「リュンナ……?」

「どうでしたか?」

 

 ソアラは答えず、リュンナをぎゅっと抱き締めた。

 しまった、こちらから抱き締めているままだったせいだ。

 

「あの……」

「こんなに。こんなに恐ろしいことに耐えて、あなたは戦うのね……リュンナ……。未熟な姉だけれど、必ず助けになるわ。待っていてね」

「あっはい」

 

 タップしても放してくれないので、痛めないようにしつつも無理やり引き剥がし、改めて対面する形へと持っていく。

 不満そうな顔をされた。

 

 咳払い。

 

「えー、今の『死の感覚』――これを受けても平然と瞑想を続けられるようになれば、わたしと同じか近いところまでレベルアップできると思います。――できるといいなと思います」

 

 言い直すと、ソアラは冗談とでも思ったのか小さく笑った。

 冗談ではないのだが。まだ実験第1号だし。

 

「実際、どうでしたか? かなりの殺気を叩き込んだつもりですが」

「殺気……あれが殺気というモノなのね。まるで全身が燃え上がるような……火刑に処されたら、あんな感じなのかしら。とても苦しくて……このまま死ぬのかしらって……。

 でもリュンナ、可愛いあなたのためなら、怖くはなかったわ」

「さようですか」

 

 本当にこの人は……。

 リュンナは呆れの溜息をついた。

 

「それじゃあ、もう一度お願いできる?」

「えっ」

「えっ?」

 

 ふたりして、目をぱちくりして見詰め合ってしまった。

 何を言っているのだろうか。たとえ本当に怖くなかったとしても、精神的な消耗、疲労は大きいハズだが。

 疲労の自覚が薄いのか?

 

「いえ、ごく短時間とは言え、強烈な殺気を浴びたのです。少し時間を置かないと……」

「そうなの? ……そうね、焦ってはいけないわね。先生がそう言うんだもの」

「先生って……」

「こうして教わるんだもの、先生でしょう? リュンナ先生」

 

 年下に教わるということに抵抗がないらしい。むしろ嬉しそうですらある。

 リュンナがどれだけ素っ気ない態度を取っても、ソアラはずっとリュンナを構おうとしてきたのだ。それが成就したような気分なのだろうか。姉妹愛。

 何だか気恥ずかしくて、リュンナは目を逸らした。

 

 先生と言われて真っ先に思い浮かぶのは、やはりアバンである。

 あれほど上手い先生にはなれまいが、せいぜい気張るとしよう。

 咳払いをして気を取り直すと、再びソアラを向いた。

 

「この瞑想と殺気浴びは、なるべく毎日やりましょう。

 実際に死の感覚を得て無の瞑想に至れるかどうかは、正直分かりません――が、戦いにおいて、痛みや死への恐怖は、最も注意すべき敵のひとつだと思います。その辺りの耐性を鍛えることにもなると思いますので」

 

「身が竦んでいては、何事も上手くいかないものね。分かるわ」

 

 ソアラにも身が竦む経験があるのだろうか。リュンナには想像がつかなかった。

 

「じゃあ次は、実際的な戦闘手段――武器や魔法について考えてみましょうか」

 



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9 ソアラという女 その2

 引き続き、訓練場の隅にて。

 布の服姿のリュンナとソアラ、浮くホイミスライムのベルベル。

 

「姉上は、呪文は何が使えるんですっけ」

「護身用にメラとイオ……。それからホイミとベホイミ、キアリー、といったところね」

「あら賢者」

 

 芯は強いが身はか弱い女の典型例のイメージもあったものの、この第一王女は意外と力があるのだ。侮れない。

 

「大したものじゃないわ。リュンナは攻撃呪文も中級まで使えるんでしょう?」

「はい、ヒャダルコとバギマを。でもイマイチ地味と言いますか……。ギラ系が欲しかったんですけどね。炎熱系自体に適性ないらしくって」

 

 精々がショボいメラを使える程度である。

 自分の呪文適性を知るにつれ、どんどん落胆していったものだ。勇者などと呼ばれようとも、(ドラゴン)の騎士ではないからデイン系も使えないし。

 こうピカーッグワーッという派手な攻撃呪文のレパートリーがないことは、リュンナのミーハー根性にダメージを与えていた。いや、どうでもいいのだが。

 

 一方、それを聞いたソアラは嬉しそうにしていた。

 

「なら、わたしが頑張ればいいわね。ギラもまだ発動はできないけれど、契約はできているのよ」

「羨ましいです……。目指せベギラマ」

「あら、ベギラゴンじゃなくていいの?」

 

 クスクスと上品な笑みで、恐ろしいことを言ってくれる。

 しかしそこまでを求める気はない。もし武器の適性がなく純粋に呪文使いになるとしても、あのポップですら極大呪文はメドローアひとつのみしか使えず終いなのだから。

 それに、使えたとしても使い勝手が悪い面もある。

 

「極大呪文は両手が必要ですからね。ベギラマなら片手で撃てますから、剣と併用しやすく、バランスがいいんです」

 

「そう言われるとその通りね。流石はプレーシの町を救った勇者姫さんね?」

 

「本当にそうですよ。近衛の剣を借りたんですけど、わたしの体格じゃ両手持ちしないと落としそうで……。呪文使う度に、いちいち手を放して、握り直して、でしたもん。もうテンポが悪いったら。

 そこ解決できたらもっと楽に戦えましたね」

 

 冗談抜きの本音で語るリュンナである。

 両手武器は純戦士向きであり、武器も魔法も使う勇者向きではないのだ。

 少なくとも、呪文が基本的に『手から撃つモノ』であるこの世界では。

 

「これからはどうするの?」

「既に鍛冶師やらに頼んで、わたし用の装備を用意してもらっています。姉上のは修行がある程度進んだら、ですね。まだどんな武器に才能があるかも分かりませんし」

「呪文はともかく、武器は……銅の剣を持ってみたことはあるけれど」

 

 蝶よ花よの雰囲気があるし、さもありなん。

 しかし血筋的に考える限りでは、才能がないことはないハズだ。父王は鎧兜に身を固めて戦場を駆けたこともあると言うし、リュンナも剣を使うことができる。父と妹がこうならソアラ本人も、と考えるのは自然だろう。

 

「武器、武器か……。殺すのよね。敵を」

「……。はい」

「殺気……殺されるという『感じ』だけで、あんなに恐ろしいのに。それをするのよね……」

「はい……」

 

 武器を持つと考えたことで、実感が追い付いてきたか。

 そう、戦いは綺麗事では済まない。リュンナも初陣を終えたばかりとは言え、だからこそ、そこのところはよく理解していた。

 殺し殺される、それは生半可ではないストレスを生じる。たとえどれだけの大義や使命感があってもだ。

 

 勢いで自分も戦うと言ったところで、やはりソアラには無理なのか。

 リュンナは当たり障りのない慰めの文句を考え始めた。

 しかしソアラは、自らの手に視線を落とし、ぽつりと呟く。

 

「でも、今度は……必要なことだから……」

「今度は?」

 

 まるで殺しをしたことがあるかのような。

 それも不要な殺しだ。あるいは、不本意な。

 彼女は遠くを見るような目をして、細い声で言った。

 

「スラリンを手にかけたのは、わたしだから」

 

 凍る。

 

「魔王が現れて、スラリンも凶暴になってしまって……。わたしの傍から逃げ出したの。今思えば、少しでも理性が残っているうちに、わたしを傷付けまいと離れたんでしょう。

 けれどわたしは、それを追いかけてしまった。ひとりで探すうちに森にまで入って……不意に後ろから襲われて……咄嗟に、メラを。

 燃えて……融けていくのは、スライムで。あの子の声で鳴いてた。高いところに上がって下りられなくなったときとか、犬に吼えられたときとか……そういうときの、『助けて』って声で――泣いてたのよ」

 

「それは……。察するに余りありますね……」

 

 リュンナは何と言って慰めようか考えて――何も浮かばなかったので、胡坐から立ち上がってソアラの後ろに回り、抱き締めて頭を撫でる。ベルベルも真似して撫でた。

 ツラい想い出に負けまいとするその気丈な顔を見ることがツラくて、逃げた結果の体勢なのだが、ソアラは微かに笑う声をこぼしてくれる。

 何だかんだ言って、自分はこの姉が好きなのかも知れない。複雑な気持ちだ。

 

「どうやって炎を消せばいいのかも分からなくて、ホイミは焼け石に水で……。ベホイミを覚えたのは、それからね。

 ねえ、わたしは既に、いちばん大切だった友達をこの手にかけてしまっているのよ。もう何も失いたくないの。大切なものを捨てないためになら、きっと他の全てを捨てられるわ」

 

 バランを捨てないために、国を捨てるんですね。分かります。やっぱりこれ矯正無理では……?

 父王を説得して、バラン捕縛や処刑をやめてもらうのが現実的だろうか。次代に関しては、この第二王女がいれば最低限いいよね? と。かくなる上はぽこじゃか産んでくれる。いちばんいい男を頼む。

 しかし最悪、バラン(全ギレ)に勝てるところまでレベルを上げておかないと安心はできないが。絶望。

 

「まあ、はい。えっと。戦うに当たって、迷いはない。ということですね? 姉上」

「ちょっと重い話になっちゃったわね、ごめんなさい。そういうことよ」

 

 凄いことである。

 何しろこの姉は、決断力や実行力に非常に長けている。やると言ったらやるし、言わなくてもやると決めたらやるのだ。やってしまう。

 無の瞑想に至る実験修行を受けることも、バランに尽くすことも。

 ならば良心を押して敵を殺すくらいのことも、確かにやってのけるだろう。

 

 良くも悪くもそこは信頼しているため、では試してみよう、とはリュンナは思わなかった。試すまでもない。

 この期に及んで「口では何とでも――」などと言い出すようでは、節穴もいいところであろう。

 

「そういうことなら……分かりました。いざというときには頼りにします。で、そのときに向けてですね、呪文だけじゃなく武器戦闘もできると大変ありがたいワケでして。

 どんな武器が向いてるか、いろいろと試してみましょう。ベルベル」

 

 ホイミスライムに呼びかけ、使いに出した。

 その触手にいっぱいの武器を持ってきてもらうのだ。

 

 それを待つ間、ソアラの疑問点に答えていく。

 

「剣ではダメなの? リュンナも使っているから、教わりやすいと思うのだけど」

「ダメってことはないですけども、何事も向き不向きがありますからね。苦手な武器に固執するのは悪かな、と。もし剣に才があるようなら構いません」

「あることを祈るわ」

 

 言葉通りに、両手を組んで祈りを捧げ出した。そこまで……?

 教わりやすさを本人は述べたものの、実際には単に『大好きな妹と同じ武器を使いたい』だけではないか、とも思える。

 

 祈りを終えると、更なる質疑。

 

「そういえば、リュンナはどうして剣を選んだの? ほかに適性がなかったとは思えないけど」

「えっ、はい。そうですね……」

 

 だってカッコいいから……。

 と本音を口にしたところで、イメージダウンどころか微笑ましく思われるだけで、別段の損はしそうにない。

 ただしそれはソアラ相手に限った話であり、少し離れて訓練中の兵士ら相手には、そうもいかないだろう。

 

 リュンナは考えながら述べた。

 

「剣はね、えーっと、まず、ほら……ああ、持ち運びやすいじゃないですか。携帯性が高いんです。槍、斧、杖、弓……だいたい嵩張るでしょう?」

「そうね、普段から持って歩けるのは剣と杖くらいかしら。杖も片手は塞がってしまうわ」

 

 鞘に入れて下げておく――何と便利なことか。

 剣の特権のひとつである。

 

「もちろんナイフとかはもっと携帯性が上ですけど、そうすると今度は攻撃力が低いんですよね。携帯性と攻撃力! このバランスが最も取れてるのが剣なんです」

「そういえばさっきベギラマの話のときも、バランスがいいって言ってたわよね。バランスはとっても大事なのね」

 

 勇者というバランス職の極みとなったリュンナである。当然のようにバランス信者と化していた。

 ソアラも感化されていく。

 

「ねえリュンナ。ひょっとしてだけど、剣って守備力も高いんじゃないかしら」

「守備力ですか? そうですね……うーん……」思案し、「はい、ああ、その通りですね。長い剣身でガッと受け止める、スルッと受け流す。スパッと打ち払う……。槍は長すぎて受けにくいし、斧は先端が重いから勢いが必要で打ち払いにくい。

 携帯性に攻守、総合的なバランスでは剣が最強ですね!」

 

 拳を握って力説したところで、ベルベルが武器の多数突っ込まれた箱を抱えて戻ってきた。

 

「じゃあやっぱり、剣を使うわ」

 

 結局剣なのか。

 



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10 リュンナの剣技

 せっかくいろいろと武器を運んできたのに――という不満げな顔をベルベルは浮かべた。

 苦笑しながらぷにぷに撫でて誤魔化す。

 先方は溜息をつき、誤魔化されてくれた。

 

「じゃあまあ姉上、とりあえず剣を持ってみてください。利き手でね。もう片手は呪文用に空けておくのが基本ですから」

 

 言われたソアラが手にしたのは、兵士の制式装備のひとつである鋼鉄(はがね)の剣だ。

 最初は重さによろけるかとも思ったが、平気な様子で、誰もいない方向に軽く振り回している。

 

「意外と軽いのね」

「……」

 

 銅の剣は持ったことがあるとのことだから、それとの比較の問題だろうか。

 鉄は銅よりも軽いし、当時は今ほどの年齢ではなかったろうから。

 

 さて、リュンナは(ひのき)の棒を手に取った。

 大人用の太さでも、軽いこれなら片手持ちができる。

 

「基本の構えはこうです」

 

 右手、武器を緩やかに前方へ。切先は水平より上を向く、片手持ちだが正眼に近い。左足は引いて半身になり、左手は腰の辺りに。

 ソアラにも真似てもらいながら。

 

「さっき剣は守備力も高いって話が出ましたけど、まあその通りですね。こうして武器を前に出しておくことで、攻防どちらもすぐにできるように。

 左手は呪文用です。前に出し過ぎると敵に斬られますから、体の近くに。或いは背中の後ろに隠してしまうか、ともすれば開き直って武器を両手持ちすることも」

 

「攻撃や防御って、具体的にはどうするのかしら」

 

「基本はどっちも同じですよ。勢い良く剣を振って、叩き付ければいいんです。ただし攻撃するときは刃を、防御のときは剣身の腹の方がいいですね。本当はもっと細かい注意点やら方法やらいろいろあるんですけど、最初はそれだけで。

 例えば正面に敵がいるなら――」

 

 リュンナは左足を引き付けて右足を前へ、一気に踏み込んで――その慣性に引かれるように檜の棒を自然と振り被り、踏み込みが成ると同時に、真っ直ぐに鋭く振り下ろした。

 風を切る音が遅れて聞こえる頃には、振るった延長線上にあった訓練場の地面と壁とが粉砕される。

 そして手の中の檜の棒もまた引き裂けるようにへし折れ、落ちた。

 

「……やべっ」

 

 ついうっかり、プレーシの町で戦ったときを超える力加減で振ってしまった。魔物の群れやアークデーモンを斃した今の自分は、どれだけがレベルが上がったのだろうか――ふとそう思ってしまったのだ。

 結果はこのありさまである。壁を砕き、床を抉り、備品の武器も壊した。

 これで闘気は使っていないのだから、何とも。

 

 訓練中の兵士たちがざわめき、様子を見に来る。

 間近で見ていたソアラはと言うと、困りながらも感心している様子。

 

「ダメじゃないリュンナ、こんなに壊して……。でも檜の棒でこんな威力が出るなんて、凄いのね。離れたところにも攻撃が届いているけれど、これはどうやったのかしら」

 

「もしかして、今のが噂の真空斬りというヤツでしょうか!? リュンナさま!」

「なるほど、これが」

「凄い威力だ」

 

 兵士たち、うるさい。

 

「今のはただの余波ですよ。真空斬りとは、もっとスピードやキレを高め――」

 

 壊れた棒を空中に投げ上げ、別の棒をそこに振るう。

 今度は余計な力を省き、肉体を鞭のように扱い振るうことで先端速度において音を超え、込めた力の最後までを手首のスナップで空間に伝え切る。

 不可視の剣圧が飛び、軽やかな音と共に、投げられた棒がふたつに分かれて落ちた。

 

 そして、それで終わりだ。その向こうまでにも斬撃が飛んでいって余計な破壊をもたらす――ということはないし、手の中の新しい棒も折れない。

 真面目にやればこの通り、リュンナの中で、武器を振るう感覚はより深まっていた。

 

「――こうです」

 

 どや顔。

 

 斬れた棒をソアラが拾う。

 その滑らかな断面を覗き込み、兵士たちと共に感嘆の声を漏らした。

 

「檜の棒で檜の棒を斬るなんて……」

「しかも結構高く投げましたよね、リュンナさま。間合どれだけ広いんです?」

「剣じゃ防ぎにくいハズの、呪文やブレスなどの攻撃も斬り捨てることができそうですね」

 

 絶賛の嵐である。

 立場から来る世辞も多分に含まれているだろうが、それを差し引いても気分がいい。

 

「そういうことです。形なく実体もない真空をすら斬る、故に『真空斬り』」

「おお……!」

 

 まあ要するに、おおむね海波斬なのだが。

 一応、あちらが不定形を斬り裂くために剣速を上げた結果として剣圧も飛ぶようになったのに対し、こちらはまず剣圧を飛ばすために剣速を上げたら不定形も斬り裂けるようになった、という成り立ちの違いはある。実現するための体の使い方も違うかも知れない。

 とは言え、結局はだいたい海波斬である。

 

「間合が伸び、不定形な攻撃への防御手段も得られる。この技を体得すれば、戦士として数段上のレベルに至れるでしょう。皆さんも励んでください」

「はっ!」

 

 兵士たちの気合の入ったいい返事に、ソアラの声も混ざっていた。

 敬礼まで真似して、悪戯っぽく笑う。

 

「ついでだから、もうひとつの特技も見せておきましょうか。魔神斬りっていうんですけど」

 

 ゲームでは斧の特技だが、刀で使うキャラクターもいるし、そもそも登場当初は武器を問わなかった。

 剣技として使ってもまあいいか、という気持ちである。

 

「この技は3段階に分かれています。まずは、己が身の出し得る最大限の力を発揮する体遣いを会得します。『魔神斬り・序』――さっき壁を壊しちゃったやつです……」

 

 これはアバン流でいう大地斬に当たる。

 その被害を受けた壁にベルベルがホイミをかけてくれているが、効果はない。当然だ。

 

「『破』においては、殺気で相手の防御を誘導し、逆に隙が出来た部分に打ち込みます」

 

 兵士に武器を持って対面してもらった。

 リュンナは明らかに下段に構えているのに、踏み込んだ瞬間に兵士は上段を守り、がら空きの脛を見事に打たれてしまうありさま。

 傍から見るとどう見てもヤラセなのだが、兵士らは誰が何回試してもリュンナの檜の棒を防げなかった。

 

 なおソアラは殺気に騙されずに反応したが、剣速が遅すぎて防御が間に合わない、という結果。

 なぜもう反応できるのか……。

 

「最後に『急』。太刀筋を曲げます」

「太刀筋を曲げる」

「はい」

「……?」

 

 再び兵士と対面。

 リュンナは上段に構え、兵士は身長差から中段防御の構え。魔神斬り・破の殺気誘導は行わない。

 この条件で、リュンナは真っ向から振り下ろし――防御構えの剣に触れる寸前、檜の棒の進む道が不自然に曲がった。一切の減速なく最高速を維持したまま、雷光のように鋭角に曲がり、防御を迂回して胴を打突したのだ。

 兵士の反応を完全に超えた一撃だった。

 

「うッ」

 

 打たれた兵士が呻く。

 数秒間、それ以外は静寂に包まれる場となった。

 

「……とまあ、こんな感じにですね。あとは序破急を状況に応じて組み合わせて、相手の無防備な部位に最大限の威力を叩き込む――『会心の一撃を意図的に繰り出す』のが魔神斬りの本質というワケです」

 

 解説したが、まだ静寂だった。

 いや、ソアラが呆然としながらもそれを破る。

 

「その……太刀筋を曲げるっていうのは、どうやるのかしら」

「ええっと、丹田の回転で螺旋状に力を錬り上げて、任意の間でその遠心力を解放し――」

 

 全員が、何を言っているのか分からない、という顔だった。

 

「ああ、武闘家いないんですね、ここ……」

 

 武闘家なら分かる。分かるハズだ。きっと。たぶん。

 

「ごめんね、分からなくて。つまり、武闘家の人たちが時々偶発的に凄い一撃を繰り出すことがあるけれど、それを洗練して剣技に落とし込んだ――ということかしら」

「そういうことです。だいたい。おおむね。はい」

 

 これがリュンナなりの魔神斬りである。

 無の瞑想をして剣を振るううち、真空斬りともども、何となく会得していた。

 

「まあ魔神斬りの急が難しいのは分かりますので……。姉上には、序と破、それから真空斬りですね、ここまで覚えていただければと。兵士の皆さんも」

 

 兵士たちはそれでも絶句した。

 やる気に満ち溢れているのはソアラと、

 

「ぷるる?」

 

 それ自分にもできる? という顔をしたベルベルのみだった。

 

 その後は組手も交えて修行を行い、怪我をすれば治療して、型を修正して、また組手をして。

 ソアラが順調に育っていくことを意外だとは、もうまるで思わなかった。

 



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勇者編
11 予感


 リュンナの毎日は忙しいものとなった。

 自分の修行をして、ソアラやベルベルに修行をつけ、兵士たちの訓練にも付き合う。

 それだけならともかく、国内の町々を視察に訪れる用事が劇的に増えたのだ。

 

 視察の目的は、ひとつには、リュンナのルーラでの飛び先を増やすため。魔王軍がどこを襲ってきても、勇者としてすぐに駆けつけることができるように、という準備。

 そしてもうひとつ、リュンナの顔を売るためである。ソアラと違い露出の少なかったリュンナは、名前はともかく顔を知る者が少ない。

 もちろん顔のみでなく、周辺の魔物を掃討したり、各町の腕自慢と模擬戦したりで実力も知らしめ、信頼を勝ち得ていく。

 

 これはいざというときへの備えであると同時に、その備えているという事実をアピールすることでもあった。

 勇者姫が助けに来てくれるなら、魔王軍の攻撃があっても安心だ――こうして国民は、恐怖に負けず、日々を平穏に過ごすことができるのである。

 

 そのためには、いちいち馬車で行き来していては時間がかかり過ぎる。

 宮廷魔法使いのルーラで各町へ赴き、帰りも同じくか、もしくはリュンナ本人のルーラで。

 同時に飛べる人数はそう多くないが、往復すれば近衛も侍女も同行できる。

 

 そして同行者の中には、ソアラも含まれていた。

 彼女もリュンナと同じく、戦いに出るなら常にルーラを使えるように――と条件を課されたのだが、それを姉妹ともども早々にクリアしてしまったのだ。

 だからと言って本当にふたりして戦いに出ようというのだから、父王の心労は如何ばかりか。

 

 もっとも魔王軍の跋扈を放置すれば、最早心労では済まない。

 原作通りに進めば最終的にアバンがハドラーを倒すとは言え、それまでに出る犠牲を少なくすることには意味があるハズだ。

 ――バランに帳消しにさえされなければ。

 

 この思考も、いい加減に飽きてきたものである。

 どうせ今はできることなどない、ハドラーが倒れるまでは忘れてしまいたい。

 

 ともあれ、そんな多忙な日々を過ごすこと数週間、視察に回るべきも残すところあと僅か。

 今回は北のベンガーナ王国との国境近くにある、ルアソニドの町へと訪れていた。

 ベンガーナとの交易によって商業が盛んであり、かの国を通してカールやリンガイアなどの品も入ってくる、珍品や高級品に溢れた町だ。

 

 それだけ重要な町であり、魔王軍に落とされたら困る――が、だからこそ元々かなり強固な防備を敷かれており、実際、これまでも魔物の襲撃を跳ね返し続けている。

 その実績が逆に、視察を後回しにすることに繋がっていた。

 

 とは言え後回しで問題がなく、実際に後回しにしたということは、それだけ町が国から信頼されている、ということでもあるだろう。

 町長に至っては、「なぜいちばん最後にしてくださらなかったんです?」などと冗談を飛ばしてくる始末である。

 それに対して、「そろそろまた遊びに来たかったから」、と間髪を容れずに答えたソアラは流石と言えた。

 

 町長は上機嫌で、茶と菓子で持て成してくれた。

 さて、すると次は、町の内外をどう視察し巡っていくかの計画を練ることになる。関係各所に連絡もしなくてはならない。

 電話もメールもないこの世界、面と向かわなければ話は進まないのだ。

 

 カール産だという高級茶を味わいながら、町長はふと「そういえば」と切り出した。

 

「先日、勇者を名乗るパーティーが訪れましてな」

「勇者を名乗るパーティー」

 

「ええ。ウチで勇者と言ったら、勇者姫リュンナさまのこと。なのに勇者を名乗るとはフテブテシイ手合いだと思ったものです。

 しかしそのパーティーのリーダー当人はむしろ謙虚で、何かお困りのことがあれば――などと言い出しまして。では試しにと、境の山の調査に行ってもらったのです」

 

 テーブルに地図を広げ、ここです、と指さす。

 境の山――その名の通り、ここアルキードとベンガーナとの国境に聳える山だ。

 両国の貿易は主に海路で行われており、山には魔物が住み着いていることもあって、基本的に人は寄りつかない。

 そしてその魔物も、狂暴化こそしているものの、ハドラー率いる魔王軍に組み込まれているワケではない野生の魔物であり、近付かなければあまり害はない。

 

 それでも繁殖し過ぎて食料の足りなくなった魔物の群れが、町まで下りてくることは稀にある。

 時期的に今はそういった氾濫が起きる可能性はごく低いのだが、念のため魔物の様子を調べるよう、町長は『勇者パーティー』に依頼したのだ。

 しかし――

 

「帰って来ないのですよ。これが」

 

 数日で帰ってくると言ったのに、音沙汰がないまま、もう1週間にもなるという。

 

「魔物にやられてしまったのか、それとも遭難したのか……。我々も捜索を考えていたのですが、そこへ勇者姫リュンナさまにソアラさま、両王女がいらっしゃった。

 我々の兵では、山を下りてきた魔物から町を守るならともかく、相手の慣れ親しんだ場所である山中で戦うのは厳しいのです。

 どうかお力添えを願います」

 

 町長は丁寧に頭を下げた。

 しかし言っていることは、要するに、どこの馬の骨とも知れぬ輩の尻拭いである。断ったら断ったで、町長は諦めるのみだろう。どうせこの町の人間ではないのだから。

 毎年欠かさず税を払っている民であってこそ、いざというときに上に助けてもらえるのだ。

 

 とは言え町長はそれでいいが、リュンナは王女である。町単位でなく、国単位で考えねばならない。

 勇者パーティーがこの国の別の町から来たのなら、探しに行く必要があるだろう。

 聞いてみた。

 

「仲間は知りませんが、勇者当人は確かカール王国出身と」

 

 ――カール王国。最強と言われるカール騎士団を擁する、騎士の国である。

 なるほどその出身ならば、勇者を名乗れるほどの強者がいても不思議ではない。

 

「カール王国……。勇者、ですか」

「どうしたの? リュンナ」

「いえ……」

 

 訝しんだソアラに首を振る。これは説明できないことだ。

 カール王国出身の、勇者。――アバンでは? という疑念は、原作知識を前提としているから。

 

 もしこの世界が原作通りに進むなら、わざわざ探しに行く必要はないのでは。彼はハドラーを倒す運命なのだから、ここで遭難して終わりなどあり得ない。

 いや、『リュンナ』がいる時点で原作からは乖離している。保証はない。

 本当に乖離しているか? 原作では全てが描かれていたワケではない。実はあの世界にもリュンナはいて、ここでアバンを探しに行くのが正史だったりはしないか。まさかだが……。

 そもそも、山に行った勇者はアバンなのか? 聞き出した容姿は知識と一致しているが――でろりん系の偽物かも知れないし。

 

 アバンなら会いたい。本当にハドラーを倒せるのか。いっそ対バランに協力してもらえまいか。

 アバンでないなら骨折り損だが、マイナスを避けるためにプラスを捨てるのは本末転倒だろう。

 結論は出た。

 

「行きましょう」

「おおっ、行ってくださりますか! ではこちらも、町の兵士から腕利きを遣わせましょうぞ」

 

 勇者姫などと持て囃されようと、流石に国の王女に護衛を出さなかったとあっては、この町の立場が悪くなってしまうだろう。

 リュンナの強さは既に、そういった護衛が全く不要なレベルにあるのだが。

 とは言え勇者ではなく勇者『姫』、政治も大切である。仕方ない。

 

 かくしてリュンナらは、境の山に向かうこととなった。

 



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12 境の山

 境の山に向かうパーティーメンバーは、以下の通りである。

 

 リュンナ。アルキード王国第二王女にして勇者姫。9歳。

 流れる銀髪と深い赤の双眸は、どこか儚くも妖しげな雰囲気を醸し出す――が、口を開くと丁寧語なのにどことなく粗雑で、王族らしさに欠ける。

 装備は子供用にと小さく誂えられたもの。武器はある種の聖剣であるゾンビキラー、ゾンビ以外もよく斬れる強力なレアアイテムだ。防具は体捌き重視で身かわしの服。

 

 ベルベル。リュンナの仲間となったホイミスライム。♀。

 ほかのホイミスライムと区別するため、赤いリボンで鈴をふたつ、触手に結び付けてある。

 装備は刃のブーメラン。

 最近、回復呪文はベホイミまで覚えた。

 

 ソアラ。リュンナの姉、第一王女。14歳。

 リュンナの指導の賜物なのか、元々の才能なのか、メキメキと実力を伸ばしている。闘気こそ未だ使えないが、勇者系の万能職的な成長性。何だこれ、とリュンナは思った。

 装備は鋼鉄(はがね)の剣、魔法の法衣(ほうい)、念のための鱗の盾。

 

 第三近衛部隊隊長の女騎士。20代。

 リュンナを担当する近衛部隊の取り纏め役であるため同行しているが、当の護衛対象が強過ぎるため、最近はむしろソアラの護衛としての色が濃い。この人事に、本来ソアラを担当している近衛は不満を示しているそうだ。

 装備は鋼鉄の剣、鋼鉄の鎧、鉄の盾、鉄兜。

 元は僧侶であったが戦士に転職したといい、剣技のほかにベホイミなども使うことができる。

 

 ルアソニドの町の腕利きの兵士。30代。人間。

 町長に派遣されてきた戦士。熊のような巨漢で、実際に「熊さん」「豪傑熊」などの愛称で親しまれているベテランらしい。元は(きこり)だったが、その斧で魔物を追い払っているうちに、いつの間にか兵士に転職していたという。

 装備はバトルアックス、皮の腰巻、皮の帽子。

 どう見ても蛮族であった。

 

 ――以上5名。

 筆頭戦力はリュンナだが、権威そのものは第一王女のソアラが上で、しかし実際の指揮を執るのは経験値から言って隊長――近衛隊長の女騎士でありつつ、一方で山を案内するのは慣れた元樵の熊さんだ。

 指揮系統が混乱しないだろうか、とリュンナは不安に思った。

 そんな中、指揮に一切関わらないベルベルを撫でて落ち着く。

 

 隊長と熊さんを前に、リュンナとベルベルを後ろに、ソアラを中央に置いた布陣で、一行は山に分け入っていく。

 

 魔王ハドラーが侵略を開始する以前――魔物が大人しかった頃には、普通に人が行き来していたらしい。山道が通っていて、登るにそう苦労はなかった。

 しかし山道はやがて途切れ、険しい山の本性がじわじわと露。

 

 獣道を辿ることになってからは、当然のように野獣系の魔物と遭遇する。

 大ねずみは気配を感じ次第逃げていくが、豪傑熊は襲ってくるし、マッドオックスに至ってはギラを噴いてくる始末。

 

 それでも味方の方の熊が存外頼りになる熊であり、豪傑熊相手でも一歩も引かずにバトルアックスを振るってくれるため、戦線は安定していた。

 マッドオックスのギラも、真空斬りや呪文攻撃による相殺で対処できる。或いは木々や地形を盾に使ってもいい、生木は意外と燃えない。ソアラが防具の耐性で受け止める場面もあった。

 

 そこまでは良かった。

 ある程度登ると、野獣系とは異なる魔物が出現するようになったのだ。

 例えば鎧兵士――いわゆる彷徨う(さまよう)鎧系、ほかにギズモ系、シャドー系、泥人形系など、非生物系の魔物ばかり。

 

「この山に、こんな魔物は棲んでなかったハズですぜ。何かありやがるな……」

 

 熊さんが怪訝そうに言った。

 地元民がそう言うなら、リュンナとしても同意見である。

 

 非生物系と野獣系は敵対している風でもなく、混成で出現した場合、いずれも非生物系が指揮を執っている雰囲気があった。

 かと言って、両者のレベルはおよそ同じくらいで、片方が一方的に従うほどの差は見られない。

 つまり――恐らく、より上位の非生物系魔物が親玉として君臨している。少なくとも、プレーシの町を襲ったアークデーモン程度のレベルはありそうだ。

 

「これは……リュンナさま、一度持ち帰るべき案件かと愚行いたします」

「そうですね……」

 

 隊長の具申に頷く。

 このまま親玉を探して、一気呵成に斃してしまうこともできるだろう。ただその場合、敗残兵となった非生物系魔物たちがどう動くかが読めない。

 大人しく撤退してくれればいいが、混乱して、或いはヤケクソでルアソニドの町を攻撃されては困る。

 町はその可能性を把握していないため、不意打ちとなってしまい、少なくない被害が出るだろうからだ。

 

「では撤収で。帰り道で例の勇者パーティーが見付かる可能性もありますので、徒歩で行きましょう」

 

 全員で頷き合い、そして来た道を戻った――戻った、ハズだ。

 気付けば知らない道に出ていた。ここまでの登山で一度も見ていない風景。

 

「バカな……!」熊さんが呻く。「さっきの場所からこんなところに出るハズがねえ! 俺はガキの頃から何度もこの山に登ってたんだ! 確実におかしい!

 本当だ姫さま、信じてくれ……!」

 

 ルアソニドの町のベテラン戦士である熊さんには、リュンナでも比肩できない豊富な経験値がある。

 その彼がここまで取り乱すのだ、責任を取らされたくないという思考はあるのだろうが、それにしても異常事態が起きていることは間違いなさそうである。

 

「熊さん、大丈夫ですよ。こんなこともあろうかと、わたしや姉上はルーラを習得しています。はい皆さん手を繋いで」

 

 全員で輪になるように手を繋ぎ、

 

「ルーラ!」

 

 しかし、不思議な力で掻き消された!

 ルーラルーラルーラ――リュンナの声が山彦となって、虚しく響き渡る。

 

「リュンナ、魔法力が切れてたの? それならわたしが――」

「いえ、掻き消された感覚がありました。たぶん結界か何か……脱出を妨害するような……」

 

 目を閉じて瞑想に入った。

 死の感覚――無の境地――全てが消え去れば、全てが見える。

 額に開く第三の目で、世界を見通すイメージ。

 

 見えた。

 確かにここは結界空間の中だ。山の半ばを包むような、広大な結界。

 入ってくる者は拒まないが、出ようとする者は閉じ込める――結界壁を通り抜けようとすると、内部の別の場所に転移させられてしまう効果がある。ルーラも掻き消されるのは先ほどの通り。

 またマヌーサの魔法効果が常時発動しており、転移に伴う風景変化の違和感を消すほか、魔物のアジトを風景の幻で隠しているようだ。そしてそのアジトに、結界の起点がある気配。

 

 町に帰るには結界を破壊するしかない。

 その上で、結界を破壊するには起点の破壊が必要で、起点は結界に隠されているため、結界を破壊しないと辿り着けない――堂々巡りの結界。

 

「そんな恐ろしい仕掛けを……! おのれ魔王軍め、こうして気付かれずに戦力を整え、ルアソニドの町を一気に落とすつもりか!」

 

 隊長が拳を握り、敵の姦計に怒りを見せた。

 熊さんはと言えば、絶望的な顔をしている。このまま手を拱いているしかないのか、と。

 一方でソアラとベルベルは、促すようにリュンナを見る。

 

「でもリュンナ、分かるんでしょう? アジトの場所」「ぷるるー」

「ええ」

 

 全てが見えるのだから、当然、アジトの場所すら見通せる。いや全てが見えるのは流石に誇張表現だが、とは言え、遠くのマヌーサ程度ならば見破れるのも事実。

 透視能力つきの『鷹の目』の特技と言えようか。

 

「方向としては、あっち……あの尾根の、」指さしながら、「あの一か所だけ、木々がやたらと高くなってる……分かります? あそこです。行きましょう」

 

 行くことになった。

 

「流石はリュンナさま! 日増しにお力が高まっておられる……!」

「これが勇者姫さまの力ってやつかい……。ただ強いだけじゃねえんだな。これなら我が国は実際安泰かもしれねえ」

 

 隊長と熊さんは頻りに感心していた。

 今は、どや顔も謙遜もするつもりはないが。

 



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13 オークキング

 思えば例の勇者パーティーも、結界に囚われて出られなくなったのだろう。

 そして起点を破壊して結界を解除するべく、アジトの場所を察知し、そこへ向かったハズだ。

 というのも、アジトへ向かう道行きで、真新しい野営跡を発見したのである。その様子からして、少なくとも2日ほど前まではこうして生きていた痕跡――続いて1日前の痕跡をも。確実にアジトに近付いていた。

 

 リュンナたちがスムースに移動している距離に彼らが数日をかけたのは、魔物の数が違うからだろう。先行した勇者パーティーが粗方を倒したからこそ、後続のリュンナパーティーが楽に進めているのだ。

 その事実を示すように、腐り始めたばかりのような野獣系の骸や、打ち砕かれた鎧兵士の破片などが、そこかしこに転がっていた。

 

「どうやらこの勇者パーティー、実力は本物みたいですね。早く追い付いて共闘したいところです」

「そうね、とても頼りになりそうだわ」

 

 リュンナとソアラはあくまでもマイペース。

 一方、隊長や熊さんは戦慄の様相。

 

「このゴールドオーク、たった一太刀で……。リュンナさま以外に、これほどの実力者が……」

「合流したら、もう俺いなくてもいいんじゃねえか」

 

 仮にいなくてもいいとしても、帰ることはできないのだ、行くところまで行ってもらうしかない。

 そしてもちろん、いてくれた方が助かる。

 と、思うだけなら意味はない。

 

「そんなことないですよ、熊さん。あなたの斧捌きは頼りになるものです」

「へへっ……! 勇者姫さまにそう言われちゃあ、気張るしかねえや! 前は任せてくだせえ!」

 

 熊さんが力強く笑みを見せ、パーティーの士気は取り戻された。

 隊長? 彼女は「流石はリュンナさま」の平常運転だから……。

 

 ともあれそんな矢先であった、不意に殺気が飛んできたのは――

 

「前ッ!」

 

 ――投げ槍であった。

 リュンナの叫びに、弛緩していた熊さんが一気に緊張。前に出てバトルアックスの巨大な刃で受け、逸らし、それでもなお衝撃に押され轍を作る。

 

「ぐううう、……ッ!」

 

 彼はバトルアックスを取り落とし、膝をついた。両腕がブランと垂れ下がっている――肩が外れたのか。

 

「大変……! ベホイミ!」

 

 ソアラが慌てて回復呪文をかけるが、脱臼相手には効果が薄い。

 駆け寄ったリュンナが彼の肩を嵌め込み、ベホイミがその痛みを緩和する間、隊長が盾を構えて前衛に出た。

 

 向かってくるのは、青い毛皮の猪獣人――オークキングだ。

 先ほど投げてきたのとは別に、まだ槍を持っている。

 

「ここまで来ただけはある……! 俺の槍投げを防ぐとは!」

 

 重く力強い声、人語を介する高等な魔物だ。山の野獣系のヌシか何かか。

 彼は見事な刺突を放ち、しかしそれを隊長が鉄の盾で受け流す。

 

「王女さまがたに手は出させぬッ!」

「ぬかせ」

 

 隊長はカウンター気味に鋼鉄(はがね)の剣を叩き込もうとするも、オークキングはなんとそれを素手で掴んだ。

 そして引き寄せ、鎧をモノともせずに隊長の胴に膝を入れる。

 

「うぐ、ッ……!」

 

 隊長が崩れ落ちる――と、その頭上を高速で通り過ぎるのは、ベルベルの刃のブーメラン。

 オークキングは余裕の顔でそれを弾こうとするが、ブーメランは変化球めいて突如として軌道を変化、猪の腹に突き立った。

 

「うおおっ!?」

 

 傷は浅いが、虚を突くには充分。

 前衛を迂回して左右からオークキングを挟み撃ちにする立ち位置に、既にリュンナとソアラは移動していた。

 

「ヒャダルコ!」

「ギラ!」

 

 冷気呪文がオークキングの脚を氷漬けにし、地に釘付けに。

 同時に閃熱呪文が顔面を狙ったが、これは片腕で防がれた。逆に言えば、片腕を焼いてダメージは確実に与えたのだが。

 

「小癪な人間どもめ……! だが!」

 

 続いて白兵戦に移ろうとしていたリュンナとソアラの背後や、ベルベルの呪文治療を受ける隊長と熊さんの脇――木々の陰から不意に気配が湧く。

 伏兵としてゴールドオークどもが隠されていたのだ。こちらが勝ったと油断した瞬間を突くために!

 

「まあ油断してないんですけどね?」

 

 リュンナの真空斬りが、ソアラのメラミが、隊長の剣や熊さんの斧が、ベルベルの予備の刃のブーメランが、ゴールドオークどもに逆にカウンターを浴びせた。

 

 瞑想までせずとも、リュンナの気配察知は優秀なのだ。あまつさえ目線で仲間たちにも合図済み。

 アイコンタクトにそこまでの情報量を詰め込めるのは、殺気による威圧の親戚――単純に相手の感覚に訴えるのみの、言わば心気を飛ばすことによる言葉なき会話の賜物。

 

 ゴールドオークどもは目を剥いて驚愕、狼狽し、万全の攻撃力を発揮できない。

 だがオークキングのみは揺れない。脚を固める氷を気合の踏み込みで内から砕き、身を自由にするや否や、

 

「ならばこうだ! ザラキ!」

 

 その手から死の言葉の奔流を放った――隊長、熊さん、ベルベルを巻き込む角度で。

 

「しまった……!」

「みんな!」

 

 そこで咄嗟に3名に駆け寄ってしまうところが、ソアラの戦闘者として未熟な点だろう。ザラキの範囲に踏み入れば、自分もその威力を受けることになってしまうのに。

 あまつさえ、ソアラが突き飛ばして救ったのはベルベルだった。生命力を活性化する回復呪文使いだけに、死の威力に耐性があるのか、ベルベルや隊長は比較的余裕がありそうだった――最も危険そうなのは、熊さんなのに。

 

 こうしてソアラ、隊長、熊さんが死の言葉の渦に囚われた。今すぐに即死する気配こそないものの、全霊の気力体力で耐えるために身動きが取れない状況。

 顔を青くし、頭を抱え、蹲る様子。熊さんに至っては、完全に地に伏している。呼吸はしているが……。

 

 すると今、敵はオークキング1、ゴールドオーク4に対し、味方は動けるのがリュンナとベルベルのみ。

 ゴールドオークどもは、ザラキに耐える人間たちにトドメを刺そうと、その範囲外から槍による刺突を繰り出そうとしていた。

 

「ベルベル!」

 

 リュンナは鋭く心気を飛ばし、オークキングをベルベルに任せた。

 ベルベルでは4匹ものゴールドオークを押さえ切れないが、たった1匹のオークキングなら、しかもザラキで片手が塞がっているなら何とかできる。いわんやもう片手はギラの負傷があり、満足に槍を振るえないのだから。

 

「ぷるん!」

 

 気合の声、刃のブーメランの投擲。

 顔面に纏わりつくようなその軌道にオークキングは鬱陶しげ、集中が欠けてザラキの威力が緩む。

 

 同時にリュンナは、ゴールドオークどもに剣圧を飛ばした。

 ただの真空斬りではない――それでは仲間たちを囲む形の猪どもを、一撃で一網打尽にはできない。その隙に誰かが突き殺されてしまう。

 

 魔神斬り・急による、一切の減速なく自在に曲がる雷光の太刀筋。そのジグザグの軌跡の切先が、ほぼ同時とすら言える瞬時に、それぞれ別々の方向に真空斬りを放つ――味方の間を縫って、確実に敵の群れのみを斬り裂くつるぎのさみだれ。

 

「――五月雨剣ッ!」

 

 ゴールドオークどもの首が飛び、心臓が穿たれ、内臓が弾け、頭頂から股下までが両断された。

 今は一振り四斬が限界、オークキングまでは手が回らなかったが。

 

「なんと……!」

 

 しかしこれにはオークキングも驚愕したようだ、ベルベルへの警戒が疎かに。

 その瞬間、自在に飛び回るブーメランとベルベル本体との波状攻撃により、オークキングは遂に完全に集中を切らし、ザラキが掻き消えた。

 

「ぷるるるー!」

 

 ベルベルがまず、最も重症の熊さんの体力を補うためベホイミをかけに行き、入れ替わりにリュンナがオークキングと対峙する。

 

「最後は一騎打ちか……! 良かろう!」

「楽しむ余裕はないと思いますけどねッ!」

 

 互いに踏み込んでいく。距離が殺される。

 オークキングは無事な手に槍を移し、螺旋を描く回転をかけての強烈な刺突。

 リュンナは魔神斬り。雷光の太刀筋で槍を弾き、返す刃でほぼ同時にその胴を割る――ハズだった。

 

 槍の回転に巻き込まれ、剣が手から弾かれて飛んでいくまでは。

 

「!」

「ぐはは! 勝った――ッ」

 

 しかしリュンナは構わず懐に潜り込み、素手の掌打をオークキングの胴に叩き込んだ。

 ベルベルが最初に投げて突き立てた、刃のブーメランを狙って。

 

「油断ですよ」

 

 ブーメラン自体は浅い刺さりだった。ベルベルの力はそこまで強くない。

 だがリュンナがそれを更に深く打ち込み、あまつさえその威力に暗黒闘気を乗せればどうなるか。

 闘気の威力はブーメランを介して確実に猪に突き刺さり、有り余る衝撃が背中を内側から弾け飛ばして、その臓腑をぶち撒けさせるのだ。

 

 体重の数割を背後に撒き散らしたオークキングは、それでも立ち続け――

 

「お前の勝ちだ……人間……」

 

 その獣面が笑ったように、リュンナには見えた。

 肺も吹き飛んだから、既にその言葉は声ではなかったのだが、辛うじて心気で聞き取れる。

 

「リュンナです。人間ですけどね」

「リュンナ……俺を斃した勇者は、リュンナか。俺は……俺は……。俺は、オークキングだ……」

 

 その言葉は、どこか悲しげにこぼされた。

 そしてオークキングは前のめりに倒れ、地に伏す。

 

 久しく見ない強敵だった。プレーシの町のアークデーモンと同等以上のレベルはあっただろうか。

 流石のリュンナも、一息をついて気を抜いた。ベルベルが呪文治療を施している仲間たちの方へと歩く。

 

 そこで、ちょうどこちらを向いたソアラと目が合い――彼女が焦った顔で、リュンナの後ろを指さした。

 



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14 勇者パーティー

 ソアラが指さす背後――この気配、殺気、ここまで接近を気取らせないとは!

 

「くっ、……!」

 

 咄嗟に振り向きざま剣を振るう、相手の剣を受け止めた――いや重い、鍔迫り合いから押し込まれてしまう。肩に刃が食い込む。

 

「あなたは……!」

「魔物を連れて――暗黒闘気まで使うだあ!? テメエ魔族だなッ! 人間のフリをしやがって!」

 

 桃色の髪が印象的な、人間の若い男だった。鋼鉄(はがね)の装備に身を包み、大剣を握り締める戦士。

 これはどう見ても――などと考える余裕もない、このままでは純粋に力で押し切られる。暗黒闘気を呼び起こして肉体の強化を図っても、なお男の方が力が強いのは、彼もまた闘気を纏うがゆえ。

 剣を両手で支えねば、刃は肩に食い込むどころか心臓にまで達するだろう。呪文を使うために手を空けることができないし、僅かでも力を抜けばその瞬間に死ぬ。

 

 あっと言う間にリュンナが片膝をついた、男はますます体重をかける。

 だがその体勢は、リュンナの後方にいる仲間たちが男を狙いやすくなった、ということでもあった。

 

「ギラ!」

「ぷるん!」

 

 ソアラのギラとベルベルのブーメラン投擲、男は怯みもせずに鉄兜で受け止めた。

 が、そのために首を捻る僅かな姿勢の乱れが、リュンナにかけるべき力の緩みを呼ぶ。

 その僅かな隙に、リュンナは力を抜いて男を巻き込むように後ろに倒れた――巴投げの特技。

 

「うおおお!?」

 

 男は頭から地面に落ちた、流石に起き上がるまで一拍の間がある。

 その間に隊長と熊さんが組み付いた。隊長は腕の関節を極め、熊さんは巨漢の体重でのしかかる。

 

「くそっ放しやがれ……!」

「賊め! このお方をどなたと心得る!」

「だから魔族――って待て待て待ていきなり首を刺しにくる奴があるか! お前も魔族なのか!?」

 

 隊長が短剣を抜いて男にトドメを刺そうとし、男は必死に身をよじってそれを避ける。

 が、組み敷かれている以上、時間の問題だろう。

 

「隊長、そこまでで――」

「あーすみません、謝りますので赦してやってもらえませんか」

 

 リュンナの声と、どこか爽やかな青年の声とが重なる。

 振り向く。そこに彼はいた。

 

 原作通りならば精々14~15歳前後といったところだろうに、既にして大人の落ち着きと余裕があり、年齢以上に成熟して見える。

 青い髪は先端近くでくるりと巻かれ、その笑顔はどこか剽軽さと、その裏に相反する静かな凄みとを湛えていた。

 

 その後ろに黒髪の僧侶だろう少女と、魔法使いだろう老爺とがいたが、青年の印象に比べれば霞んでしまう。

 彼らを見上げて、組み敷かれた男が暴れて喚く。

 

「てめえアバン! 何言ってやがんだ! こいつら魔王軍の――」

「だったらあんな風にオークと戦ったりしないでしょう? そこはどうなんです、ロカ」

「うっ……」

 

 一瞬で論破されて、戦士の男――ロカが呻いた。

 

「まったく短気なんですから。すみませんね、皆さん。ウチの仲間が早とちりを……。

 ただ彼の言った通り、魔物を仲間にしていたり、暗黒闘気を使ったり……そこは気になります。どういうことなのか、教えていただくことはできるでしょうか?

 あ、私はアバンと申しまして、元々はカール騎士団にいた者です。そこの彼は戦士ロカ、それから僧侶レイラと、魔法使いマトリフです。よろしくお願いしますね」

 

 仲間をひとりひとり指し示しながら、アバンは滔々と語っていく。

 もう彼のペースだ。

 

 リュンナは咳払いして気を取り直した。

 

「あっはい。えーっと。アルキード王国第二王女、リュンナです。この子はベルベル」

 

 傍らに浮いてきたホイミスライムを抱きながら。

 残りの仲間たちも自ら名乗り、それから、ロカを渋々解放した隊長が語り出した。

 

「どういうことか知りたいと言ったな。ならば浅学な貴様らに教えてやろう……。暗黒闘気にも種類があるのだと!

 リュンナさまのそれは、言わば夜の気。安らかに眠る人々をそっと包み込む、慈悲深い夜のような闇……。古語で月を意味するその名に相応しい、そう、正義の暗黒闘気なのだッ!」

「正義の暗黒闘気」

 

 アバン一行が目を丸くした。

 それを敬服とでも受け取ったのか、隊長がますますヒートアップする。

 隊長の語る設定は、言い訳としてリュンナ自ら考案し伝えたモノであり、しかしまるで中二病のような内容に気恥ずかしさがあるのだが。頬が熱い。

 

「人間に善人もいれば悪人もいるように、暗黒闘気の使い手にも、正しい者と間違った者がいる。リュンナさまは前者! 圧倒的前者……! 民を守り国を救う勇者姫ッ! それを下賤で愚劣な魔族どもといっしょくたにするなど!」

「隊長」

「だいたい、いつまで突っ立っておるのだ! 両王女殿下の御前だぞ! 頭が高い、控え――」

「隊長」

「はうっ」

 

 隊長に膝カックンを入れて暴走を止めた。

 

「熱くなり過ぎです。控えなさい」

「は――ッ、ははっ。ご無礼をいたしました……!」

「そっちも跪かなくていいですからね、別に。えっと、レイラさん?」

「いえ、そういうワケにも……。ってむしろなぜ私だけが!? ロカなんて騎士団長でしょう!?」

 

 仲間のアバンをすらアバンさまと呼ぶほど生真面目なレイラだけが、つい跪いていた。そして自分のみがそうしていることに驚く。

 

「そうだけど、こんなところに王女さまがいたりするか?」

「これでいかがですか」

 

 リュンナの持つゾンビキラーは特別性で、鍔にアルキード王家の紋章が刻まれている。

 アバンが「失礼」と一言断って確認した。

 

「本物ですね。この種類の細工技術は、王家お抱えの彫金師しか持たないハズ……。大変失礼しました」

 

 そう言って跪くアバンに一拍遅れ、ロカとマトリフも倣う。

 

「申し訳ありませんでした! 自分の早とちりでした!」

 

 そしてロカの謝罪。もはや地面に頭突きのありさま。

 良くも悪くも、一度こうと決めたら迷いのない男だ。

 ここまで来ると清々しい。

 

 しかし魔物も出る山の中である。いつまでも跪かせているのも不味いだろう。

 特にリュンナは人格的には凡人を自認しており、こういう場面があまり得意ではないのだ。

 立ち上がるように促し、そのようにしてもらった。

 

「えー、とにかく、そういうワケです。わたしの暗黒闘気は決して邪悪なモノではありませんし、わたしは人間です。ベルベルも、仲間になってから人を襲ったりしたことはないですし」

「確かに、よく懐いているようです。霜降り肉――はありませんが、干し肉ならありますよ。食べますか?」

「ぷるるん!」

 

 アバンが肉を差し出すと、ベルベルは嬉しそうに齧りついた。

 初対面の人間に、彼女がここまで気を赦すのは初めてだ。

 自身はもちろんリュンナに対しても、アバンの中に敵意は全くない――そのことを見抜いているかのように。

 いや、見抜かされたのか。アバンの、あまりにも開けっ広げな雰囲気によって。

 

 心気の感覚により、会話の間中、アバンはリュンナを探っていた。そして同時に、「あなたも探って構いませんよ」とばかり、自らの心気をだだ漏れにしていたのだ。

 だから既に、互いに理解していた――相手がどれだけ邪悪から遠く、頼もしい人物であるのかを。

 

「アバンさん。ルアソニドの町で聞いた勇者その人とお見受けしますが」

「いえ、私は勇者なんていうガラでは――」

「おお、このアバンの奴が勇者ですよ! 魔王ハドラーを追い払ったことだってあるんです! ハハハ!」

 

 アバン当人ではなく、ロカが自慢げに述べた。

 

「勘弁してくださいよ、ロカ。実際追い払っただけで、倒したワケではないんですから」

「そう言うなって! で、そっちの姫さまも勇者……? 勇者姫? でしたっけ? こんなにちっこいのに……」

 

 ちっこいは余計だ。

 とは言え、悪気はないのだろう。

 感情と行動が直結しているような印象を受ける。騎士団長という話だが、それにしてもあまりにも若過ぎる――先代が魔王軍との戦いで没するなどした結果の、緊急的な人事なのだろうか?

 

「そのうちすぐ大きくなりますから……。ところで、情報交換をしましょう」

 

 それぞれの代表として、リュンナとアバンとが向き合った。

 まずリュンナが話し出す。

 

「山は結界に包まれていて、徒歩でもルーラでも脱出不能。敵のアジトはマヌーサで隠されています、あそこです、」発見当初より随分と近付いたその場所の方角を指さす。「そこに結界の起点があり、これを破壊すれば脱出できると見ています」

 

「やはりそこまで察していたのですね。我々も同じ観点で動いています。しかしアジトの警備はここまでの比ではない。抜け道でもないかと探していたのですが……」

 

 アバンがニヤリと笑む。

 

「共同戦線と行きましょう。リュンナ姫」

「ええ。勇者アバン」

「だから勇者はやめてくださいって……!」

 

 一行から笑い声が漏れた。

 真面目な話をしながらも緊張し過ぎない、この適度に弛緩した空気。

 これもアバンの力の一端か。

 



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15 砦への侵入

 境の山に蔓延る魔王軍のアジト、その警備は、なるほど桁が違った。

 雲霞の如き大量の魔物が地を埋め尽くすそのさまは、さながら魔物の絨毯だ。特に鎧兵士が多い。

 

「これは……凄まじいな……!」隊長は呻き、

「悪いんだが俺待ってちゃダメ?」熊さんは弱音を吐いた。

 

「ひとりで待つより、みんなでいた方が安全だと思いますけどね。それでアバン先輩、」

「先輩!? ですか!?」

 

 アバンがツッコミの顔になった。

 これは割と貴重なシーンでは?

 

「勇者の先輩とゆーことで。ともかく、ここから具体的にどうします?」

 

 仰ぐアジト、それは巨大な砦。石造りの建物部分と、山肌の岩をくり抜いた洞窟部分とが有機的に各所で連結する、どこか不気味な威容。

 大規模な幻惑呪文(マヌーサ)で隠されていたが、その幻の膜の内側に踏み込んでしまえば、こうして普通に見えるモノだった。

 

「まずは攻撃呪文を派手にぶっ放して道を開きつつ、そいつが目立って陽動になる」

 

 マトリフが厳しい顔つきで述べる。

 王家という存在にまだ幻滅していない時期ゆえか、最初は丁寧な言葉遣いだったのだが、リュンナにとっては違和感が凄まじかったため、素で喋ってもらうことにした。

 ソアラも気にする様子はない。意外と隊長もだ――曰く「リュンナさまの仰ることは全て正しい」そうである。最早どうにかできる気がしない。

 

 ともあれ。

 

「ベギラマを使える奴は?」

 

 一旦顔を見合わせて、それから全員で首を振った。

 

「俺だけか……」

「私も使えるじゃないですか」

 

 アバンが言うが、マトリフに小突かれる。

 

「テメエは侵入役だろうが、ここで魔法力を消耗するな。おい、この際イオラでもいいんだが」

 

 後半はリュンナパーティーに向けて。

 それを受けて、ソアラが手を挙げた。

 

「それならわたしが」

「よし。合図で同時に撃つぞ、一発撃ったあともどんどん撃て。そしたら敵は混乱しつつもこっちに向かってくるから、ロカと熊が俺たちを守る。レイラと、何っつったっけな、隊長? お前らもここで回復役だ。持久戦になる」

 

 マトリフは滔々と言葉を紡ぐ。

 魔法使いとは常にクールでなくてはならない――それを体現するような、冷静な指揮官ぶりだった。

 

「そうして引き付けてるウチに、アバンとリュンナ姫が、敵の目を掻い潜って侵入する」ベルベルが触手パンチをマトリフに繰り出した。ぷにっ。「ああ、お前もだ、お前もな」

「侵入方法は?」

 

 リュンナひとりのみならば、無の瞑想で気配を消し去るのは得意なのだが。

 そこにアバンが手を向けてきた。

 

「こうします。レムオル!」

 

 それは透明化の呪文。リュンナ自身にさえ、見下ろした自分の身や、抱き締めているベルが半ば透けて、その向こうの地面が見える。

 余人からは、半ばどころか全く透けているのだろう。ソアラたちの驚く声が重なった。

 そしてここで使うということは、ゲームと違って魔物にも見えることはないハズだ。

 

「そしてもういっちょレムオル――と」

 

 アバンは自分も透明になった。

 

「これは結構高度な呪文でして、多人数に長時間かけようとすると、魔法力が持たないんです。すると全員で侵入することはできず、ならばとパーティーを分ければ、片方に陽動を全うできる力が残らないため、侵入役も結局発見されてしまい囲まれ、力尽きる……。

 それゆえ我々のみでの侵入は難しいと判断していたのですが……。リュンナ姫たちが来てくれて助かりました」

「よし、準備はいいな? それじゃあやるぞ。いいか、1、2の、3だ。3のタイミングで呪文だ、俺も撃つから2までしか言わねえが」

 

 準備を問われて慌てて武器を抜くリュンナパーティーに対し、アバンパーティーはとうに落ち着いて構えていた。勇者一行としての経験値が違う。

 

「リュンナ、気を付けてね。ベルベルも」

「ええ、姉上もご武運を」

「ぷるんっ!」

 

 透明でも声は聞こえる、互いを激励し、別れていく。

 そして作戦が始まった。

 

「1、2の、ベギラマァ!」

「――イオラッ!」

 

 閃熱の砲撃が奔り、光球が炸裂する。アジト前を埋め尽くすような無数の魔物たちの一部が焼き尽くされ、或いは砕け散った。

 生き残った大半の魔物たちが攻撃に混乱しながらも、更に途切れることなく飛んでくる閃熱と爆裂とに、その出どころにすぐに気付く。

 

「人間ども!」

「遂にここまで!」

「殺せ! 殺せー!」

 

 人語を解するのは指揮官級の個体だろうか、発見したマトリフたちに向け進撃の合図を飛ばした。

 魔物の濁流が迫る――その先頭を打ち砕くのは、隊長、熊さん、そしてロカ。

 

 隊長の剣技は地味ながらに堅実、無理に急所を狙わず、手足を削いで確実に行動力を奪う。

 熊さんの斧は豪快、重いそれを遠心力で加速し振り回せば、まさに斧無双。

 そしてロカの大剣は闘気を纏い、刃の触れた敵はもちろん、その向こうの触れてもいない敵すら問答無用で斬り飛ばす、常人の限界を超えた技。

 魔物たちは敵に触れることもできず――しかしその後ろに、まだまだそれ以上が控えている。

 

「何だこいつら! 強いぞ!」

「ええい、怯むな! 数で押せ、数で!」

「くっ、ボスに報告を……!」

 

 そしてそんな派手な戦いを後目に、透明と化したリュンナ、ベルベル、アバンの3名が、こっそりと砦に侵入していく。

 あくまでも姿のみで、音や匂いまでは消せていないとは言え、マトリフらに完全に注意が向いている魔物たちは、その気配に気付くことはなかった。

 

 砦の内部は、如何にも魔物の拠点ですと言わんばかりに、悪魔の意匠が多用された禍々しい装い。

 それも落ち着いていれば不気味な威圧感となったかも知れないが、魔物たちが外の戦闘へ応援に行こうとバタバタと駆ける現状では、そんな雰囲気もない。

 3名は魔物たちにぶつからないよう、通路の隅を渡って奥へと踏み入っていく。

 

(先輩、起点の位置は分かります?)

 

 目線とハンドサイン、心気による、声を出さない会話である。

 

(事前に解析呪文(インパス)で空中魔法力の密度勾配を調べておきました。それによると、どうも上の階のようですね。最上層近い)

(上――)

 

 リュンナは軽く瞑想、鷹の目の特技を発動。

 

(――確認しました。それならあそこの角を右、最初の階段は無視して、次の階段を上がると近いです)

(おお、やりますね! 流石は勇者姫!)

 

 アバンが笑顔で親指を立てると、リュンナは俯いた。

 この勇者に認められることが、たとえ些細なことでも、こんなに嬉しいとは。

 誤魔化すように、胸に抱いたベルベルを撫でる。

 

(ぷるる~)

 

 触手でよしよしされた。

 

 ともあれ、鷹の目によって経路を確認し辿っていく以上、初見のダンジョンでありながら一切迷うことはなく、またレムオルによって戦闘に発展することもなく、あまりにもスムースに進んでいく。

 外でマトリフやソアラたちが奮闘し、敵を引き付けてくれているからでもある。そもそもすれ違う魔物の数自体が少なくなってきた。

 

 しかし流石に、最後まで一切戦闘なしとはいかないようだ。

 砦の最上階、奥には明らかにボスがいそうな巨大な門。起点の気配はその向こうであり、その手前には上位の鎧兵士――地獄の鎧が2匹、門番として立っていた。

 斃せば門の向こうのボスに気付かれ、かと言って斃さずに門を潜ることはできないだろう。

 

(ちょうどレムオルの維持もツラくなってきたところです。ひとり一匹ですよ、リュンナ姫)

(了解)

 

 アバンがレムオルを解く――と、3名の姿が露になる。

 しかし気付いた地獄の鎧が構えを取るより、勇者たちが肉薄する方が早い。

 

「大地斬!」

「魔神斬り!」

 

 アバンが渾身の力を込めた一太刀は、地獄の鎧を構えた盾ごと左右に両断。

 リュンナは抱えていたベルベルを振り回し、2名分の力で、ベルベルの持つブーメランを投擲――回転する刃は地獄の鎧の胸を狙うと見せかけて防御意識を誘導、唐突に軌道を変えて、がら空きの顔面をぶち抜いた。

 

 強い生命力を持つ者は、意識を集中することで、その部分の攻撃力や守備力を大きく上昇させることができる。原作でヒムが解説していたことだ。

 そして逆に、どんな強者であっても、意識を集中していないなら、素の硬さでしか防御できない。原作でバーンがやられたことだ。

 

 鎧兵士でも同じこと。

 ある箇所に防御意識を集中させれば、そこは鋼鉄を超えるが、それ以外の部分は素の鋼鉄のままなのだ。

 素のままの箇所ならば、高速で運動する鋼鉄の塊で破壊できるのは道理だろう。厚みや運動量がまるで違う。

 

 地獄の鎧の残骸を足蹴にしながら刃のブーメランを回収し、ふたりで門を押し開けた。

 その向こうへと突入する――

 

「がはッ!」

「ぷる、ッ……!」

 

 ――唐突に、アバンは赤い血を噴いて膝をつき、ベルベルは青い体液を撒き散らして割れ、くたりとうなだれた。

 

「は……?」

 

 リュンナは呆けながらも、ベルベルを抱えたまま、反射的にアバンも引き摺って門の陰へ。

 追撃はなかった。

 

「あ? ああー? 心臓狙ったのによ……抱えてた奴が盾になったか……」

 

 居丈高な声音。突入の一瞬に見えた姿――黄金の鎧兵士の声だろう。

 そいつが手にする剣を振るったのと、2名がやられたのと、いったいどちらが早かったのかは、今思い返しても分からない。

 

「まあいい。どの道、俺に勝てるのはこの世でハドラーさまくらいよ。剣の錆にしてやろう――他でもない、この『皆殺しの剣』のなッ!」

 



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16 皆殺しの剣

 ――皆殺しの剣。

 ゲームでは4から登場した武器だ。

 ダイ大の世界では、1~3の魔物が地上の魔物、4から登場する魔物が、より強力な魔界の魔物として位置付けられている。ならば4から登場する武器も、魔界の武器なのだろうか。ハドラーが魔界から持ち込んできた、地上のそれよりも強力な武器。

 

 ゲームでの仕様は、呪われていて装備すると守備力がゼロになるが、通常打撃が全体攻撃になり、作品によっては更に道具として使うとルカナンの効果がある。

 恐らくはこの中の『全体攻撃』が、唐突な斬撃の正体だろう。全ての敵を纏めて攻撃できる――つまり、間合という概念を超えた剣。対面してさえいるなら、距離や位置取りや人数にすら関係なく、同時に刃の届く魔剣。

 

 リュンナが助かったのは運が良かっただけだ。恐らく見えていないモノには攻撃できない――リュンナの胸が、抱えたベルベルで隠れていたから。

 だからベルベルは、ベルベル自身に向けられた攻撃と、リュンナに向けられた攻撃と、その両方、計2発を受けることになった。

 

 頭を割られ、触手の付け根を裂かれ、満身創痍のベルベル――まるで割って溶かれる生卵のように、今にも崩れて流れ落ちそうだった。両目の位置は歪にズレて。

 潰してしまわぬよう注意して抱き締めながら、必死にベホイミをかける。

 ベルベルもまた、自分自身にベホイミをかける――生きていて意識もあるのだ、この惨状で。生物としての構造が単純なスライム系でなくば、既に即死していて助からなかっただろう。

 

 それでも命に関わる重傷には違いない。なぜ未だベホマを覚えていないのか、自分自身を殴りつけたい衝動。

 だがそんなことをしている場合ではない、魔法は集中力だ、もっと、もっとベホイミに、全ての意識を回復呪文に――

 

 横合いから覆い被さるようにして、アバンがリュンナ諸共に床を転がった。

 気付けばアバンに押し倒されているような格好、目を白黒させたが、すぐに理解する――巨大な門の陰に隠れていたが、その門が斬り裂かれて崩れ落ち、今にも潰されるところだったのだと。

 

「リュンナ姫、集中力の配分を間違えないように。現実から目を逸らしてはいけません。敵がすぐそこにいる、という現実から……!」

 

 それこそ殴りつけられたような衝撃だった。

 そうだ。黄金の鎧兵士。ベルベルを斬った怨敵。

 

 ベルベルはリュンナに尽くしてくれている。

 抱っこすることも、撫でることも、したいときにはいつでもさせてくれる。

 回復呪文ばかりか武器戦闘まで覚え、その腕前はブーメランで魔神斬りの急までを再現するほどだ。

 そして今も、図らずもリュンナを庇うことになった事実を、毛ほども後悔していない。むしろ守れて良かったと思っている。そんな心気が見えてしまう。

 

 尽くされたなら、尽くさねばならぬ。

 それは敵の首を取り報復することか? 何が何でも回復させることか……?

 どちらせによ、これ以上の被害は許容できない。集中力の配分を、決して間違えてはならないのだ。

 

「ごめんなさい、助かりました」

「いえいえ、しっかりとベルベルを治してあげてください。奴は……私が……!」

 

 立ち上がり、リュンナは門の脇の壁の陰へ。

 アバンは――鎧の胴に、心臓を通る位置で袈裟懸けの傷がついているが、鎧で軽減された分だけ傷は浅かったのだろう。既に自前の回復呪文で傷を塞いだのか、門の残骸を越え、決然と広間に入っていった。

 抱えたベルベルの呪文治療を続けるまま、鷹の目でその様子を追う。

 

「よう! さっきぶりだな。そしてサヨナラだ」

 

 20歩分は離れた位置、黄金の鎧兵士が剣を振る。

 同時にアバンも剣を振る。

 アバンの眼前で、実体のない斬撃が弾かれ、消えた。

 

「! ぬ……」

「斬撃は飛んでくるワケではない……。狙った位置に『発生』するようだな? 貴様の太刀筋と全く同じ形で……。ならばそれを打ち払う形で同時に剣を振れば、確実に防げる道理!」

 

 アバンは皆殺しの剣の能力をたった一度で見切ったらしく、そのまま走り距離を詰めていく。これが大勇者の実力。

 しかしそれは、一度は受ける必要があったということ。魔剣のもうひとつの能力を、一度でも受けてはならない――守備力の下がった状態では、防御に失敗する可能性がある!

 

「スゲエじゃねえーか。え? だがな――」

「ルカナンです、避けて!」

「――遅いッ! 蝕め、皆殺しの剣ッ!」

 

 遅くはない。アバンの行動は早かった。

 鎧兵士の魔剣から青い閃光が広がる寸前、既にアバンは大地斬で足元の床を砕いていた――文字通りの粉微塵にされた石材は煙となって噴き上がり、アバンの姿を覆い隠す。

 光は煙に遮られる、届かない。

 

 黄金の鎧兵士が悔しげに地団駄を踏んだ――

 

「かァーッ! 何なのテメエーら!? どういう勘してりゃあここまで見切れんだよ……。初見のハズだべ!?

 ま、だがよォー、煙はいい防御策だとしてもだ……そこから出てきたら、その瞬間に今度こそルカナンをかけるぜ。俺は待つだけだ……。どうせいつまでも漂ってるモンでもねえしな」

 

 ――が、すぐに余裕の声を出す。

 距離は未だ10歩分程度があるまま、アバンは肉薄まではできていない。鎧兵士の方も、背後に見える大きな六芒星を刻まれた水晶塊が結界の起点だろう、そこから動こうとはしないが。

 アバンはどうする、いっそ床を割り砕きながら歩を進めるか? その隙に踏み込まれ、直接斬撃を受ける危険性がある。有効な策とは言えまい。

 レムオルは高度な集中が必要なハズ、戦闘中には発動できないだろう。

 

 だがアバンは勇者であり、つまり、取り柄は剣のみで終わらない。

 煙の中から、炎の渦が立ち上った。

 

「おおッ……!?」

 

 アバンが右拳を繰り出せば炎熱が収束――光の砲撃となって迸る!

 

「ベギラマッ!」

「おおおおおお……ッ!」

 

 黄金の鎧兵士が閃熱に飲み込まれ――

 

「はい無駄ァー」

 

 ――閃熱が、丸ごと跳ね返った。

 

「うわああああッ!」

「先輩、ッ……!」

 

 彼のもとに飛び出そうとして、しかしベルベルはまだ放置できる傷ではない。踏みとどまった。

 アバンは自らのベギラマを反射され、咄嗟にヒャドの冷気で少し防御したものの、それが限界だった――ヒャダルコすら使う余裕がなかったのだ。

 全身を焼かれて倒れ、煙も吹き飛ばされ晴れてしまった。

 

「蝕め、皆殺しの剣!」

 

 青い閃光が走り広がり、アバンを飲み込んだ。一見、何も変化は見えない。

 しかし彼が剣を杖代わりに立ち上がろうとしたとき、異変が生じた。

 

 ――ぐにゃり、と。剣がまるで粘土細工のように折れ曲がったのだ。アバンは地に突っ伏すように倒れて、慌ててそこにもう片手をつき、それも乾いた音を立てて手首が折れた。

 アバンの体重がかかったくらいで、鋼鉄(はがね)の剣が曲がるハズがない。自分の身長の何割もない高さから手をついたくらいで、簡単に手首が折れるハズがない。

 その『あり得ない』を、魔法が現実にしてしまう。

 

「ぐ、ッ、あああ……! これは……この効果は……!」

「そう、ルカナンの魔法効果よ。守備力の低下ッ! 分かるか? 今……自分がどれくらい脆くなってるのかよォ~。体も、服も鎧も、武器もだ……光を浴びたモノは全てッ!」

 

 言いながら、黄金の鎧兵士は魔剣を振るった。

 アバンは先と同様に眼前に剣を振るって防ぐが、その刃は根元から折れて吹き飛んだ。

 

「くっ……!」

「やるねえ~ッ。で、次はどうする? 呪文で防ぐか? 俺の体は、さっきので分かったと思うが、呪文を跳ね返すんだ。『ミラーアーマー』なんだよ、俺は。

 だが皆殺しの剣の斬撃までは違う……。そいつは呪文で相殺なり何なり防げる。どれだけ持つか――試してみるのも悪くねえよなァーッ!?」

 

 魔剣が振るわれる、何度も、何度も。

 発動の早い下級呪文で防げる威力ではなく、中級呪文では発動が一瞬遅い。

 辛うじて防ぎ、防ぎ、防ぎ、防ぎながら斬られる。

 

 イオラの爆裂で『全体攻撃』を散らすも、線の攻撃に対して面の攻撃では防ぎ切れず、鎧に傷が増えていく。その奥の身にも。急所こそ守っているが、これでは時間の問題だ。

 しかもイオラの溜めが段々遅く、威力も低くなっていく。防げる度合いの低下。

 アバンが斬られ、だが、血が滴ることはない――至近距離のイオラは同時に自爆に近い、その炎熱で傷を焦がして、出血を防いでいるのだ。

 

 もしアバンが万全なら、そこまでせずとも、もっと防げたハズだった。ここに来るまでに、レムオルで魔法力を大きく消耗していなければ。

 もしアバンの仲間がここにいれば、ルカナンを受けてもフォローし合って、苦戦はするかも知れないが勝てただろう。

 

 恐らく本来の歴史では、アバンはここを強行突破で攻略したのだ。侵入と陽動でパーティーを分けることなく、レムオルも使わずに。

 それが結果的に、ミラーアーマーを相手に、4人全員で戦うことに繋がった――それが勝因だった、のだろう。

 だが今、彼は、ひとりで。

 初見殺しの塊を相手に、どんな達人でも、たったひとりで勝てるワケがないのに。

 

 助けなくては。だが――これだけベホイミをかけ続けているのに、なおもベルベルが峠を越えない。

 それどころか、傷の治りが遅くなってきているような。回復呪文の効きが、悪くなってきているような。

 

 不意にベルベルが、結び付けられた鈴を鳴らしながら力なく触手を持ち上げ、頬に触れて――

 

「ぷる……」

 

 まるで別れを告げるように、笑って。

 

「や……ダメ……。ダメッ……! ベルベルッ!」

 

 ベホイミでは数分の延命が限界なのか。ベホマがあれば、いや、最早、この生命力の減り方では、恐らくベホマですら。

 視界が歪むのは、涙のせい? 気が遠くなっているから?

 

「負ける――もの、か……!」

「無理だよ。テメエーは負ける。仲間もな……。皆殺しだ!」

 

 満身創痍のアバン。

 臨死のベルベル。

 リュンナは何もできず。

 

 ――来た道、通路の先に、ふとオークキングの姿が見えた。

 



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17 砦前の攻防

 ソアラは砦の外で、仲間たちと共に戦っていた。

 自分たちのパーティーからは他に隊長と熊さん、アバンのパーティーからは、当のアバン本人を除くロカ、レイラ、マトリフ。

 

 場の指揮は主にマトリフが執っていた。

 魔法使いという触れ込みだったが、攻撃系や補助系のみならず、回復系や防御系すら平然と使いこなす辺りは賢者と見える。

 

「スカラ!」

 

 マトリフの呪文、赤い光が熊さんを包む。

 すると熊さんに突き立てられた鎧兵士の剣は、しかし皮1枚で止まり、まるで刺さらないありさま。

 

「おおっこいつぁあスゲエ!」

 

 それは物体としての柔軟性や可動域を下げないままに硬さを増す、生身が鎧に変わる防御呪文。

 文献には存在が語られているものの、使用者を見るのはソアラは初めてだった。

 

「気を付けろよ熊、多少硬くなったところで――」

 

 熊さんは調子に乗って敵陣深くに斬り込んでいき、しかしそこでヒートギズモの集中砲火を受けた。

 

「ぐわああああああー!」

「――炎には無駄、って遅かったか」

「世話の焼ける!」

 

 もともと鎧で頑丈なロカと隊長が突っ込んでいって熊さんを守るさま。

 ロカが片手で剣を振り回し魔物を牽制しながら、もう片手で熊さんを後衛まで引き摺り、隊長は片手の盾で魔物を防ぎながら、もう片手で火傷にベホイミをかける。

 

「す、すまねえ……」

「パーティーは助け合いだぜ!」

 

 ロカは伊達でカール騎士団長だったワケではないのか、熊さんの半分程度しか生きていないだろうに、実力は倍はある。熊さんを庇いながらでも、その太刀筋の鋭さはまるで落ちないのだ。

 そうして迅速に熊さんを連れ戻し、隊長はレイラへとベホイミ役をバトンタッチ、再び前衛に専念する。

 

 とは言えしかし、熊さんもすぐには復帰しない。今、前衛の枚数が減った。

 そこで魔物たちが勢いに乗る。

 

「今だ、魔法使いを殺れ! 奴が要だ!」

「テメエら如き三下にやられるかよ。ヒャダルコ!」

 

 マトリフの冷気が、魔物たちを凍らせて動きを止める。それは氷漬けと化しただけで、体はそのままそこにある――後続の魔物たちの進行を妨害する障害物となるのだ。

 いや、なるハズだった。のっそりと歩み出たゴーレムたちが、凍った魔物を何の躊躇もなく蹴り飛ばし踏み砕いて進むまでは。

 

「ちッ――」

「マトリフ!」

 

 ロカと隊長とが1匹ずつゴーレムを押さえ、だが、残る1匹が抜けてしまう。

 後衛に迫る――レイラは熊さんを回復中、マトリフはギリギリで呪文の溜めが間に合わない。

 守るのは、ソアラの役目だ。

 

「ふッ、……!」

 

 元は呪文用に空けておいた片手に、既に鱗の盾を装備していた。

 ゴーレムの剛腕を、盾が受ける――受け流すでも受け止めるでもなく、受け弾かれる。

 だが吹き飛ばされる方向を後ろから前へと変える、受けの角度、回転の体捌き。ゴーレム自身の力でゴーレムへと踏み込み、己の力を上乗せして、鋼鉄(はがね)の剣を瞬間的に剛剣へと変えて叩き込んだ。

 その威力に胴体を丸ごと粉砕され、ゴーレムはその場に崩壊。

 

 盾持つ腕の筋肉断裂と引き換えに、肉を斬らせて骨を断った――『諸刃斬り』。

 やると決めたらやる、恐怖や躊躇を凌駕してしまうソアラの気質が導いた特技だ。

 そしてしかし、ソアラは戦士ではなく勇者の素養――自らのベホイミで傷を治してしまえば、デメリットは魔法力の僅かな消耗のみになる。

 冷や汗の出るような痛みに耐える精神力さえあれば、イオラを数発撃ち込んでようやく斃すより、遥かに安い出費であった。

 

 ふと魔物の群れを数えるでもなく数える、当初よりはだいぶ減った。

 そしてその向こう、砦を見上げる。

 

「リュンナは大丈夫かしら……!」

「ベギラマ!」マトリフが閃熱で敵を薙ぎ払いながら。「こうしてこっちで敵を引き付けてるんだし、大丈夫だとは思うがな。アバンの野郎もいるしよ。そんなことよりテメエの心配をしな」

「ふふっ」

 

 マトリフのブッキラボウながらに直球の気遣いの言葉を耳にし、ソアラは思わず笑みをこぼした。

 ソアラも立場的には態度や言葉遣いの修正を求めなければならないハズなのだが、異様に器が大きく受容性の高いその気質から、やはり全く気にしていない。リュンナと差を作らぬように、という意識もあるのだろうが。

 

 と、その時だ、不意にパーティーの後方から、草木を掻き分ける物音が。

 

「ちッ、回り込まれたか……!」

 

 これまではマトリフやソアラの範囲攻撃呪文により、こちらを囲もうとする敵を優先的に排除してきていた。

 そもそも後ろは鬱蒼とした森であり、敵としても動きづらいため、そう積極的に回り込もうとするでもなかったのだが、それでも数回はあった。

 

「わたしが!」

 

 前から来る怒涛の敵の群れは戦士たちが押さえる以上、後ろを押さえるのもソアラの役目である。中衛、遊撃、どのポジションでもこなせることの強み。

 いずれはリュンナと背中合わせで――などと考えて気力を回復しつつ、回復を終え戦線に復帰していく熊さんとすれ違う形で後方へ。

 

 そこにいたのは、青い毛皮の猪の獣人――オークキング。

 見れば腹に傷があり、そして体力を酷く消耗している様子だった。

 

「あなたは……」

 

 ソアラは、咄嗟に攻撃をやめた。

 

「おい何やってる!? 敵だろうが!」

 

 マトリフが前方にベギラマを放ちながら、振り向きざまに叫ぶ。

 それでもソアラは攻撃しないし、オークキングも攻撃しなかった。

 

「メダパニにでもかかったか!? オークキングが使うとは聞いたことがねえが……! メラゾ――」

 

 片手でベギラマを維持しながら、もう片手でメラゾーマをオークキングに向けようとし――しかし、それが放たれることはなかった。

 オークキングの更に背後に回り込んでいたガストの群れを、猪は槍を振るって薙ぎ払い、散らしたから。

 

「こいつ……! いったい!?」

「我が姫は?」

 

 オークキングが口を開いた。重く力強い声。

 

「やっぱりさっきのオークキングなのね? リュンナなら砦の中よ」

「承知した」

 

 オークキングは短く応え、魔物の群れへと踏み込もうとする。正面突破しようというのか。だが彼は、文字通りに死ぬほどのダメージから回復し切っていない様子。

 だからソアラは、その毛皮に触れて、

 

「ベホマ」

 

 ぱあっと温かい光が広がった。

 猪の顔色が見る見る良くなっていく。

 

「これは姉君……! (かたじけな)い」

「リュンナを」

「必ずや」

 

 会話は短く、それで充分だった。

 

「何で普通に通じ合ってんだ!? 色々とおかしくねえか……!?」

 

 マトリフが叫ぶ。後ろを見る余裕がないが、声から察知はしているロカや熊さんも同意するように頷いた。レイラに至ってはキョトンとしている。

 ベルベルがいるから、そういうこともあるのは分かるとして――しかし実際に目の当たりにすれば、困惑しないハズがない。倒した魔物が起き上がって仲間になりに来るなど、前代未聞なのだ。

 しかもそれを当然とばかりに受け容れるソアラの存在が、困惑に拍車をかけているのだろう。

 

 そんな空気の中、隊長だけが、まるで我がことのように自慢げに述べた。

 

「ベルベルのときと同じだ……! リュンナさまの威光は魔物にすら通じるッ! そしてソアラさまもまた、妹君と以心伝心! 麗しき絆ッ!」

「ええ、だって、リュンナと同じ感じがしたの。だから大丈夫よ」

 

 それはつまり暗黒闘気の気配なのでは。いや、正義の暗黒闘気らしいけど……。

 誰も口にはしなかったが、誰の顔にもそう書いてあった。もちろん、隊長を除いて。

 

「うおおおおおおおおッ!」

 

 オークキングが魔物の群れに突進していく。螺旋状に回転をかけた槍を振り回せば、いっそ面白いように敵が吹き飛んだ。

 そうして包囲に風穴を開け、

 

「イオラ!」

 

 ソアラの呪文支援でそれはより大きな穴となり、彼はそのまま砦へと入っていった。

 一行は戦いながらそれを見送り、そしてマトリフは気を取り直すよう、疲労から粘性の増した唾液を吐き捨てる。

 

「まあいい、味方が増えるってんなら歓迎すべき……! どうせなら、こうムチムチっとしたねーちゃんに増えてほしいところだがな」

 

 皆の溜息の音が、妙に響いた。

 

 オークキングが仲間に加わった!

 



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18 我が姫

 ベルベルもアバンも満身創痍。

 ベルベルを助けようとすれば、最早風前の灯火の生命力には回復呪文が効かず、ベルベルは死ぬし、アバンも助けられない。

 アバンを助けようとすれば、彼を庇って2発分の斬撃を防ぎ続ける必要がある。とても防ぎ切れない、共倒れするのみだ。当然、ベルベルも万にひとつの奇跡すらなく死ぬ。

 

 二律背反ですらない、どちらを選んでもどちらも死ぬのだ。

 なまじ実力をつけ、勇者姫などと持て囃され調子に乗った結果、アバンに間違った戦略を採らせてしまった。

 

 どうする? どうすればいい? どうしようもない。

 ここまで詰んだ状況を覆す策などあり得ない――事前に手を打っておかない限りは。そして、事前に打ってなどいない。

 

 あまつさえ、来た道、通路の向こうに、オークキングの姿が見えた。走ってこちらに向かってくる。

 殆どの魔物は外の陽動に引っかかって出払っていたが、残りがまだいたのか。

 奴が肉薄してくれば、ベルベルとアバンとのどちらかを選ぶ余裕すらなくなる。リュンナがオークキングを倒しているうちに、どちらも……。

 

 なのに、なぜだろう。そういう絶望的な思考が妥当なハズなのに、オークキングが近付くにつれて、逆に不思議なほど安心感が湧き起こってくるのは。

 敵意を感じない。親近感がある。これは、この感覚は――ベルベルと同じ。

 確率なのか、何らかの条件があるのか? あれ以来、どれだけ魔物を斃しても起き上がっては来なかったが。今。

 

「我が姫!」

 

 重く力強い声、オークキングが叫ぶ。

 オークキングと言えば、確かゲームでの得意技は――どうか習得していて!

 

「お願い、ベルベルを……!」

「御意!」

 

 オークキングは最早意識を失ったベルベルを受け取ると、その身を床にそっと横たえ、傍らに跪いて祈りを捧げる構えに移った。

 

「神よ、ご加護を。その御名において、この者の尽きようとする生命の炎に、今一度輝きを与えたまえ……!」

 

 ベルベルの身に重なるように、十字の光が浮かぶ。

 邪悪の六芒星、正義の五芒星に加えての、生死の四星十字。

 

「ザオラル!」

 

 生命力を活性化させ自然治癒を強化する回復呪文を超えた能力、失われた生命力そのものを補い魂を繋ぎ止める――蘇生呪文。

 完全な死からの復活ではそれでも失敗の可能性が高かったろうが、臨死状態から引き戻すことならば。

 

 その神々しくもどこか不気味な光がベルベルを包むと、回復呪文の光が更に重なる。対象の生命力のなさゆえに行き場を失い蓄積されていたベホイミの作用が、今、一気に噴き出したのだ。

 更にそこに闇の色もまた混じる。暗黒闘気の奔流。バーンがハドラーにしたように何度でも死から蘇らせるのは無理そうだが、死の淵から辛うじて引き摺り上げる助けとなる程度のことは。

 

「……ぷる?」

 

 だからベルベルは目を開けた。

 

「ぷるん! ぷるるん!」

「ベルベル――ッ!」

 

 抱き締める。力いっぱい抱き締めても、斬られ割れたところから体液が漏れて潰れたりはもうしない。ひんやりふにふにした触手を絡め、ベルベルからも抱き付いてきた。

 とは言え死ぬところだったのだ、すぐに戦線復帰はできないだろう。

 リュンナは改めて、ベルベルをオークキングに預けた。

 

「しっかり守ってね、リバスト」

「御意、――リバスト?」

「名前」

 

 それは逆転の一手、伏せられていた切札。リバースカード。

 それは希望の光明、再生の呪文の使い手。リバーススペル。

 そしてそこから、窮地を救う『英雄』の名へと繋ぐ。

 

「いいでしょ?」

「感謝する。我が姫よ……!」

 

 リバストは、跪くまま、深く頭を下げた。臣下の礼。

 もう、人間だのオークキングだのと呼び合うことはないのだ。

 

「俺は間違っていなかった。我が姫ならばきっと、欲するものをくださると……。我が群れのオークたちを、魔王の邪気から解放してくださった姫ならば。この俺も!

 ゆえにこの命、全て捧げよう。生も死も……。我が偉大なるリュンナさまに!」

 

 ふと、殺到の気配。ここまで突破してきたリバストを追ってか、遂に通路の向こうに魔物の群れが現れた。

 リバストは決然と立ち上がると、片腕にベルベルを抱え、もう片手に槍を取って迎え撃つ構え。

 そして激突前、アバンのもとへと向かう間際のリュンナに呪文をかけた。

 

「スカラ」

 

 守備力強化、物理的強度の向上。

 先の戦いでは使わなかった――もともと契約はしていたモノが、暗黒闘気の力で偶発的に蘇った影響で使えるようになったのか?

 皆殺しの剣を使うミラーアーマーを相手に有効な呪文だとも、何の説明もなしに知らないだろうに。

 やっぱりわたしの英雄だ、リュンナは満面の笑み。

 

「ここは頼んだよ!」

「我が姫もご武運を!」

 

 門の残骸を越え、広間へと。

 それはアバンが遂に魔法力をほぼ使い果たし、イオラで魔剣の一撃を防げなくなった瞬間――

 

()った! 死ねィッ!」

 

 リュンナがアバンの前に飛び出し庇う。

 黄金の鎧兵士の視界に入った以上、皆殺しの剣の『全体攻撃』はふたりを狙い、2発が発生。リュンナを狙った分と、アバンを狙ったがリュンナに庇われた分――2発ともがリュンナを襲う。

 

「ぐ、う……!」

「リュンナ姫!?」

 

 1発をミラーアーマーと同時に剣を振って防ぎ、1発をスカラを頼りに身で受けた。

 それでもなお斬撃が食い込み血が散る。かわすことのできないこの攻撃が待つと知っていたなら、身かわしの服でなく鎧を着てきたものを!

 

「硬えな。しかしならば――蝕め、皆殺しの剣!」

 

 ルカナンの青い光が迸る、リュンナは無視して突撃した。

 黄金の鎧兵士とアバンとの間、ちょうど敵の視界の中でアバンを覆い隠す位置取り。満身創痍のアバンに、これ以上斬撃が向かないように。

 ルカナンでスカラは引き剥がされたが、逆に言えばスカラのおかげで一度はルカナンを受けても平気ということ。

 もしルカナンを2度受けてしまえば――

 

「うっ、ごほ、ぐ、うお……!」

 

 今のアバンのように、呼吸による肺の圧力のみで肋骨が折れるほど、身が脆くなってしまうから。

 流石に不定形に広がる光からは、完全には庇い切れなかった。

 真空斬りで斬り捨てて防ぐことはできたろうか? できたかも知れない。だがリュンナはそれよりも、『気合溜め』を優先した。

 

 歩数にしてあと5歩の距離、ミラーアーマーが魔剣を振る。

 

「オラァッ!」

 

 その場に身を縮めるように蹲ったアバンはリュンナを遮蔽物にして、すっかり敵の死角に入った。

 これで最早『全体攻撃』も、一度に生じるのはリュンナを狙う一発のみ。

 敵と同時に剣を振って、眼前に発生する斬撃を打ち払い――ほぼ同時に真空斬りが飛んだ。五月雨剣、一振り五斬。

 

 気合を溜めたその威力は大きい。並の鎧兵士相手なら、五斬合わせて20匹以上に至る数を一気に斬り伏せるだろう。

 しかし敵も然る者。ミラーアーマーの体は単純な守備力も高いのか、剣圧は食い込むのみで断裂には至らない。しかし体勢を崩させ、肉薄までにもう一度剣を降らせることは防いだ。

 

 しかし皆殺しの剣の呪いで守備力はゼロになっているハズでは? 呪いに耐性があるのか。

 いや違う、心気の感覚で分かる――奴は自分の身のどこにも、意識を集中して守備力を上げるということができない。全気力が常に攻撃に傾いているのだ。

 それがこの世界における呪いの仕様。ミラーアーマーとしての素の硬さは変わらないらしい――が、それは突破し得ると既に証明された。

 直接攻撃で決める!

 

「蝕めェーイ!」

 

 体勢を崩されて剣を振れないならとばかり、道具効果を発動してきた。

 ルカナンを浴びる、リュンナの守備力が下がった。だがここまでは耐えられる。先にスカラをかけてもらったから、まだ自壊領域には届かない。

 近付いた分だけ、アバンに届く光も完全に遮ることができた。

 そして遂に、剣の間合へと。敵も体勢を取り戻している。

 

「終わりだ勇者ッ!」

「魔神斬りッ!」

 

 両者の刃が激突――普段なら敵の剣を弾きながら踏み込んで一閃するところ、リュンナの剣に敵の剣が食い込んでいた。

 ある種の聖剣であるゾンビキラーは、その名の通り不死者によく効く以外にも、純粋な剣としての性能においてもかのドラゴンキラーにすら迫るという、圧倒的な強度を誇る。

 しかし万全の皆殺しの剣を相手に、ルカナンを受けたゾンビキラーでは、あまりにも分が悪かった。

 

「言っただろおーが、終わりだってよォッ!」

 

 黄金の鎧兵士が、リュンナにまで刃を届かせるべく、そのままゾンビキラーを断ち切ろうと力を込め――つるりと姿勢を崩した。

 

「あっ……?」

「――ヒャド。今ですリュンナ姫!」

 

 アバンのヒャドが、奴の足元を凍らせていた。摩擦が死に、滑る。

 たとえその身が呪文を反射しようとも、その身以外には普通に呪文は効くのだ。

 

「流石です先輩! だいたい全部先輩のおかげ!」

 

 そして自らの剣に敵の剣が食い込んでいるということは、自らの剣で敵の剣を挟んでいることと同義。

 魔神斬り・急、雷光の自在な太刀筋――滑ったその勢いを後押しし加速するように、剣ごと鎧兵士を振り回す。単純な力任せではなく技による、それは『投げ』だった。

 あまつさえ聖剣による螺旋状の『巻き』の動きが、魔剣をその手からもぎ取り弾く。代償に聖剣は、食い込んだところから完全に折れてしまったが……

 

「終わるのは――お前の方ですッ!」

 

 ミラーアーマーが落ちて床に叩きつけられる頃には、リュンナは、宙を舞う皆殺しの剣を手に取っていた。

 

「お、俺の――」

 

 一閃、唐竹割り、両断。

 それで終いだ。

 



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19 勇者アバン

 黄金の鎧兵士――ミラーアーマーを斬り、戦いは終わった。

 リバストも魔物を平らげ終えたらしく、アバンに駆け寄ってベルベルと共に回復呪文をかけ始める。

 

 リュンナの手には皆殺しの剣。それはまるで誂えたように手に馴染んだ。

 大人の体格をした鎧兵士が普通に振るっていたのに、今はリュンナが片手で振って違和感のない柄の太さ、剣身の長さ。物理的なサイズそのものが変わっている。

 そして一体感も凄まじい。武器は手足の延長である、剣は体の一部である――などと王城で読んだ武術書にはあったが、それを強く実感する。

 

 ふとその切先をアバンに向け、虚空で刃を翻す仕草を見せる――と、

 

「おお……っ? 体が楽になりましたね。今のはリュンナ姫が?」

「ええ。ルカナンを解除しました」

 

 ミラーアーマーのかけた魔法効果が消え去った。自分自身にも同様にする。

 

 皆殺しの剣は従順だった。守備力ゼロの呪いも、逆に意識しないと発現しないほどに。

 前の持ち主から奪い殺したことで、剣に認められたのか? それとも暗黒闘気の影響か。両方かも知れない。

 

 ともあれ、ボスを斃した以上、あとは結界の起点である。元々そのために来たのだ。

 ミラーアーマーの立っていた場所のすぐ後ろ、大きな六芒星を刻まれた水晶塊。それに向けて魔剣を振るい――

 

「ストップですリュンナ姫! ストップ!」

 

 ――振るいかけて、止まる。

 振り向いて首を傾げた。

 

「この砦の魔物は大半が片付いたと思いますが、まだまだ残党はいるでしょう。単純に結界を解除すれば、彼らも大将の敗北を察し、周辺へ散ってしまうことになる……。そこで、結界に手を加えます。

 あ、もう大丈夫ですよ、ありがとうございます」

 

 リバストとベルベルの呪文治療に礼を述べながら、アバンは立ち上がり、水晶塊へと歩いてきた。

 唐突に加入したオークキングにも、全く動じていない。流石はアバン。

 

「今の結界は、魔物たちは出入りでき、それ以外――我々など人間ですね、は入れるが出られない、というモノです。これを逆にしちゃいましょう。我々は出ることができ、魔物たちは出られないという形にね」

「そんなことが可能なんですか? いえ、可能だから言ってるんでしょうけど」

「もちろんですよ。私は学者の家系でしてね、こういったことは得意なんです。ちょっと失礼」

 

 リュンナに水晶塊の前からどいてもらうと、アバンはそこに魔法力の光を走らせ、何やら作業を始めた。

 

「インパスっと。えー、ここがこうなって? なるほど、じゃあこっちをこう繋げ替えて――」

 

 そんな光景を後目に、リュンナは黄金の鎧兵士の残骸から鞘を奪い、皆殺しの剣を収める――が、こちらはサイズが変わらず、ブカブカになってしまった。王城に帰ったら、鞘を作らせなくては。

 折れたゾンビキラーも回収。鍛冶師が精魂を込めてくれた逸品だった。最後に役目は果たしてくれたと言えよう。

 

 それから仲間の方へと歩を向けると、先方も寄ってきていて、中間地点で止まった。

 

「我が姫! お怪我は――」「ぷるん!」

 

 まず診察しようとしたリバストを置いて、ベルベルが飛び付いてきてベホイミをかけ始めた。

 胸を横一文字に裂く傷、血が滲んでいる。

 

「こらベルベル、何でもかんでも回復呪文をかければよい、というモノではないのだぞ。傷をよく見て適切なかけ方をしないと、例えば骨が歪んで繋がったり――」

「ぷるる?」

 

 やってるけど? みたいな顔のベルベル。実際のところ、彼女は触手を使った繊細な触診により、問診を経ずとも即座に負傷状態を見抜ける特技を持っている。

 そして言いたいことは、リバストにも通じたようだ。

 

「そ、そうか……。ともあれ、我が姫! 何とも見事な戦いぶりだった! 流石はこのリバストを打ち破った勇者姫だと感服の至り」

「ありがと。リバストも――凄いね、全部返り血?」

「おっと、お見苦しいところを。申し訳ない」

 

 彼の身は血に染まっていたが、自らが負傷している様子はない。もちろん既に回復したのだろう、とは言え流血はそれで消えるモノではないのだ。

 慌てて一歩下がる彼を、頭は手が届かないのでその胸を、汚れるも構わずぽんぽんと撫でた。

 

「いいよ。わたしとベルベルのために頑張ってくれたんでしょ? わたしの英雄」

「おお……! うおおっ! なんと勿体ないお言葉……! これからも貴方を支えさせてほしい、我が姫よ!」

 

 感激して臣下の礼を取るリバストに苦笑していると、ベルベルが顔に纏わりついてきた。

 

「ぷるる? ぷるるん?」

「うん、ベルベルはね、わたしの友達。無二の親友! 英雄とは違うけど、掛け替えのない大切な存在だよ」

「ぷるん!」

 

 撫でながら答えると、嬉しそうにぷるぷると震えた。

 実際ベルベルに対しては、互いの立場を気にせずに接することができて、とても助かっているのだ。心の癒し、清涼剤。頼れる相棒でもある。

 ベルベルのためならば、リュンナはきっと何でもしてやれるだろう。具体的には――まずはベホマを覚えることから。

 

 さて、そうこうするうちに、アバンが作業を終えたようだ。仕上げにマホカトールで結界起点を覆い、魔物たちが仕掛けに気付いても解除できないようにすらしている。

 

「フフッ、私も一緒に戦ったハズなんですが、リュンナ姫の英雄の座を取られてしまいましたね……! うーん残念です」

 

 冗談交じりにおどけて言う様子、いったいどこまでが本気なのか。

 

「あ、ごめんなさい先輩。でもほら、先輩は先輩ですから」

 

 てへぺろ。

 

「勇者の先輩、ですか。ロカが先走って名乗るから勇者ということになってしまってますが、自分で名乗ったことはないんですけどね。

 しかし――国民に勇者姫と認められている貴方に先輩と呼ばれるなら、それも悪くないでしょう。ええ、これからは勇者アバンということで」

 

 笑顔で人差指を立ててウィンクする、その所作だけでドキッとする。

 戦いに夢中で気にしていなかったが、見れば見るほど爽やかなイケメンぶりだった。ズルい。こっちはちんちくりんなのに。

 

「それじゃあ先輩、砦を出ましょう。外でまだ戦ってるかも……。行くよベルベル、リバストも」

「ぷるん!」

「はッ!」

 

「――リュンナ姫」

 

 来た道を戻ろうとしていた足を、ふと止めた。とても真剣な声だった。

 振り返る。

 彼は窓を指さしていた。

 

「飛び降りちゃった方が早くないですか?」

「あっ」

 

 このくらいの高さで怪我をするようでは、勇者は務まらないだろう。リバストも体は頑丈だし、ベルベルに至っては浮ける。

 

「ですね! じゃあ早速――」

「ところで、こんなことを一国の王女さまに言うのもアレなんですが」

 

 窓を開けて足をかけたときだった。

 

「一緒に魔王ハドラーを倒してくれませんか」

「……えっ?」

 

 振り返った。

 とても穏やかな、そして決意に満ちた顔つきをしていた。

 

「いや、あの……わたしは、この国を……」

「もちろんそうでしょう。それは分かります。しかし守っているだけでは勝てない……。根元を断たねば、いつまでも戦いが終わらないんです。そして貴方には、それを終わらせることが出来る。私はそう思います」

 

 手を差し伸べてきた。

 

「貴方には実力があり、魔物さえも仲間にしてしまう魂の力がある。貴方のような仲間がいてくれれば、我々は決して挫けず、何度でも立ち上がることができるでしょう。どうかお力添えをお願いできませんか? リュンナ姫」

 

 ――この砦を攻略できなければ、ルアソニドの町は滅ぼされていただろう。そしてそれを取っ掛かりに、アルキード王国がどれだけ食い荒らされていたことか。

 尽くされたなら、尽くさねばならぬ。

 アバンはこの国に庇護されているワケでもないのに、命懸けで戦ってくれたのだ。

 対バランに協力してもらうために恩を売りたい気持ちもあるが、それよりも恩を返したい気持ちの方が強い。

 

「分かりました」

 

 だから自然とその手を取っていた。

 意外と柔らかい――剣ダコがないのは、太刀筋にブレがなく、剣を振るう衝撃負荷が偏らないから。皮膚が分厚くも硬くはなっていないのは、余計な力を抜くことで逆に最大限の力を出す大地斬を会得しているからか。

 

「おや、柔らかい手ですね。その歳でよくぞここまで」

 

 アバンもリュンナの手に同じ感想を持ったのか、きゅっと握って微笑んだ。

 熱くなる頬を見られまいと、慌てて俯く。

 

「それでは、これから――」

「あっいえ、あの、仲間にはなりますけど、すぐは無理ってゆうか……。わたしがいなくても大丈夫なくらい、我が国の武力を……もっと、こう。全体的に上げて。それからでないと」

「ああ、それはそうですね。ではそれまで、旅を続けながら待っていますよ。まあ先に私がハドラーを倒しちゃうかも知れませんが!」

 

 カンラカンラとアバンは笑った。

 完全に彼の空気だ。敵わない。 

 

「それでは行きましょうか。仲間たちのところへ!」

 

 アバンはリュンナを横抱きにして、颯爽と飛び下りていった。

 あの、地元にフローラさんいるんですよね? あんまり王子さまムーブして大丈夫なの? それともこれが素なの!? ちょっとー!?

 



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20 新たな冒険に向けて

 仲間たちと合流すると、魔物の群れも残り僅かだった。挟み撃ちにして磨り潰すように殲滅する。

 逃げ散る敵も多かったが、結局味方に死者はなし、重傷者も回復済み。全員五体満足での完勝となった。

 

 そんなことよりも、アバンがリュンナを抱き上げて飛び下りてきたことの方が、いろいろと問題を生じたが。

 あまつさえリュンナが嫌がるどころか、しっかりと彼のマントを握り締めていたことが、余計に隊長の憤怒を助長した。いや別に、落ちないためにね。

 

「リュンナさま、騙されてはなりませぬ! こんなどこの馬の骨とも知れぬ男に……!」

「カール王国のアバン=デ=ジニュアール3世だって判明してますよね……? そもそも騙されてませんし」

 

 隊長はリュンナを崇拝し理想化するあまり、最早リュンナ自身の手にも負えない存在となり始めていた。怖い。

 

「騙されていない!? 真実の愛ということですか!?」

「何が愛ですか! そりゃ勇者の先輩として好きではありますけど」

「好き!!?!?!?!?!?!」

 

 もうやだこの隊長。

 

「惚れたの腫れたの……! 早い! あまりにも早過ぎますリュンナさま……! その清らかな身を守らねば!」

「まずリュンナ自身の気持ちを大切にしてあげないの?」

 

 ソアラがそっと問う。

 隊長はうんうん唸ったあと、渋々といった感じで引き下がった。

 

「今日のところは、これくらいにさせていただきましょう……!」

「小悪党の捨て台詞ですか。ともあれ姉上、ありがとうございます。別に気持ちとかそーゆーのはないですけどね!」

 

 ない。

 そりゃイケメンで勇者で強くて何でもできて性格も良くて、しかもそれを鼻にかけない、かなり完全無欠な男ではある。歳も言うほど大きく離れているワケではない。

 が、それとこれとは話が別だ。

 勇者としてパーティーに誘われていることも。

 

「ところで先ほど、リュンナ姫を勇者としてパーティーに誘ったんですが」

「ちょっと先輩?」

 

 この流れで!?

 案の定、隊長が再びいきり立ち、今度はソアラさえもが不満そうに頬を少し膨らませた。

 

「アルキード王国をもっと強くしてから、とお断りされてしまいましたよ。いやー残念です」

「あー、テイのいい断り文句だな。行けたら行く、みたいな」

 

 マトリフが鼻をほじりながら言った。

 続けてロカとレイラは落胆を隠さず。

 

「何だよアバン、一瞬期待したじゃねーか。俺の剣をあれだけ防ぐ腕前、絶対心強いと思ったのに」

「リュンナさまは、こんなに小さいのにアバンさまのように立派な方ですからね。私も少し残念です」

 

 会話が進む度、隊長やソアラの様子がホッとしていく。

 空気の熊さんを、ベルベルとリバストが両側から肩を叩いて慰めていた。

 

 しかしこの流れは良くない。

 断ったつもりはなかった。普通に言葉通りに、自分がいなくても安心なくらいに国を強化できたら、アバンに合流する予定なのだ。もちろん、間に合うかどうかの問題はあるが……。

 

 原作展開をどこまで変えられるのか? という実験の意味合いもある。ようやく出会えた原作展開なのだ。

 この世界に対して、原作はどの程度の強制力を持っているのか。歴史を変えることはできるのか?

 例えば、もしもアバンではなくリュンナがハドラーを倒せたら。魔王が倒れるという点では変わらないが、後世に伝わる勇者の名は変わるし、復活ハドラーの恨みの対象や行動も変わる。歴史を変えられるハズ。

 それともその場合、リュンナがアバンの役をこなすのみで、実質的に変わらないのか?

 

 いい加減、この世界が『現実』なのか『漫画の中』なのかを知りたい。

 自分が会話している相手が、『人間』なのか『キャラクター』なのかを。

 運命に支配されているのかどうかを。

 

 それはそれとして、国には尽くす。国の脅威であるハドラーは斃したい。

 勇者姫にその意志なし、と外堀を埋められては困る。ここはしっかりと明言しておかねばなるまい。

 

「いえ、あの、誤解ですよ。合流はいずれするつもりです。ホントに」

 

 隊長に二度見された。怖い。

 

「ただ、アルキード王国には、まだまだわたしが必要ですから。最低限、姉上が今のわたしくらい強くなったら、になりますけど」

「えっ?」

「えっ?」

 

 なぜソアラに不思議そうにされるのか。

 

「わたしはリュンナと一緒に行かなくていいの?」

 

 そういうことか。

 

「流石にふたりしかいない王女が、ふたり揃って国外遠征は無理でしょ……。どっちかは保険で残らないと。そして残るのは、もちろん継承権順位の高い姉上です」

 

 遺書も書いておかないと。

 

「リュンナ……それは……」

「もちろん、死ぬつもりはないですよ。まだ国のために尽くし足りないですから」

 

 バランのこととかね! いっそ来なければ――バーンで詰むが。

 原作展開を変えたいと思いつつ、原作通りに進んでほしいこのジレンマよ。

 もうバーンも来るな。

 ともあれ。

 

「姉上だから、安心して後を任せることができる――ってつもりなんですけど。いけませんか?」

 

 潤む上目遣い――に、負けたワケではないだろう。

 それでもソアラは折れて、頷いてくれた。溜息と共に。

 

「父上には何て説明したらいいのかしら」

「その前に、絶望的な顔で固まってる隊長に何て説明したらいいのかを、わたしは知りたいですけどね」

 

 本当にこの人は、もはや愛国心というより、愛リュンナ心で困る。

 自分は置いていかれるということに関しては、言葉にせずともしっかり理解してくれている辺り、どうも憎めないのだが。

 

「我が姫! そのとき我々は……」「ぷる?」

 

 リバストとベルベル。

 

「えー、どっちかをどっちかに、ですかね……」

 

 片方は国に残し、片方は連れていく、くらいの想定を雑に行う。

 と、

 

「フッ……。負けぬぞ」「ぷるるん!」

 

 両者は平和的に張り合い始めた。

 ついてくる方が勝ちのようだ。

 

「というわけで、いずれは先輩のところにお邪魔する予定です。そのときはよろしくお願いします。まあ理想は、その前に皆さんが大勝利しちゃうことなんですけどね~」

 

 アバンパーティーに頭を下げた。

 

「そう上手くいきゃいいがな。まあ俺は反対しねえ、精々頑張んな」

「よーし、よろしくお願いしますよリュンナ姫! 女の子だけど剣の稽古に付き合ってもらえそうだな……これはノーカン……?」

「何がノーカンなのかしら……。私もリュンナさまに負けないように頑張りますね」

 

 女の子なんか好きにならない、一生剣に生きる、というアバンとの賭けの話だろうか?

 まあこの場合、好きになるとしても純粋に友情で、どの道ノーカンと見た。

 

 ともあれ、あとはルアソニドの町まで帰るのみだ。結界の構造を書き換えた以上、最早徒歩はもちろん、ルーラも阻害されない。

 比較的魔法力の残っていたリュンナとマトリフが、それぞれのパーティーを分担してルーラを唱え、山を後にした。

 

 以上、秘密裏に軍勢を整えて町を襲う、という魔王軍の計略は中途で阻止された。

 山に陣取っていた魔物の大半は蹴散らされたし、残党も結界で外に出られない。そのうちルアソニドの町の兵が部隊を編制し、少しずつ処分して、それで山は元の姿を取り戻すだろう――野獣系の魔物は棲みつき続けるにしても。

 

 収穫は皆殺しの剣と、ミラーアーマーの残骸と。

 剣はリュンナが自分のモノとしたため、鎧の方はアバンに譲ろうと思ったのだが、旅の身には嵩張るから、と断られてしまった。

 ならばと、鎧はリュンナが買い取るという形にし、アバンに金銭を進呈することに。これも固辞されかけたが、何とか押し通した。地上の命運を背負っているのだから、アバンはもっとお金や道具に拘るべきだ。

 

 なおアルキード王家からの公式的な支援という形にしたところ、纏まった現金のほかに、必要なときに王家からお金を引き出す権利をも与えることになった。

 そしてそれら諸々の手続きのため、しばらくはこの国に――具体的には、王城に留まってもらう、ということに。

 

「何だか悪いですねえ……」

 

 などと、城のテラスで優雅にお茶をしながらアバンは述べる。

 

「悪いとお思いなら、そのケーキ貰ってもいいですか?」

「まだイチゴを食べていないのですよ! ダメです」

 

 お茶請けのケーキを、大事そうに抱えるように守られた。

 晴れた昼下がりの平穏である。

 

 ――リュンナは構わない。国内の視察巡りがおおむね一段落した今、あとは己や仲間の修行に専念する段階であり、王城に留まることに問題はない。

 だがアバンは、ハドラーを倒す旅を急がねばならぬ身ではないのか。

 なぜ付き合ってくれているのか。

 

 リュンナが挑発するようにフォークをチョイと振るうと、その剣圧(フォーク圧)が宙を駆け、アバンのケーキのイチゴを左右に分かった。

 

「『それ』ですよ……」

 

 その途端、まるで見透かしたようにアバンが言う。

 

「あなたの武術です。それが気になっている。ロカに協力してもらいながら独自の『アバン流殺法』を構築しているのですが、最近ちょっと行き詰まりがありまして。新しい刺激をね……。参考にさせていただきたいんです」

「えー。逆にわたしが、先輩の技を参考にするばかりかも知れないですけど」

「それはそれで構いません。その分だけ貴方が強くなってくれるのならね」

 

 これだもの。

 だからアバンには敵わない。

 

「模擬戦をお願いします。もちろん、このケーキを食べ終えてから……」

 

 言って、アバンは美味しそうに頬張った。

 



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21 リュンナ対アバン その1

 かくしてリュンナとアバンの2名は、訓練場で対峙した。

 装備は木剣代わりの長い檜の棒と、あとは布の服程度。

 両者ともにスカラの呪文を既に受けており、その守備力の高さと使用武器の貧弱さにより、直撃しても致命傷にはなるまいと普通に攻防を行うルールとなっている。ただし呪文と闘気の使用は禁止。

 

 訓練場には見物人――ソアラやベルベル、リバスト、隊長、アバンの仲間たちや、城の騎士兵士たち。更には王や大臣たちすら。

 暇を持て余している人物は少ないハズだが、揃って詰めかけているありさま。とは言え、見ることもまた修練であるし、文句を言うつもりはリュンナにはなかった。

 

 およそ10歩分の距離を置いての対面。

 構えはいずれも無形の自然体。

 静かな睨み合い――闘気の使用は禁止されているが、闘気に限りなく近い心気が、その意思の昂揚を表すように張り詰めている。

 触れれば斬れるような凄みが、そこには確かにあった。

 

「先輩」

 

 リュンナが口を開く。ハッキリとした、よく通る声。

 

「たかが模擬戦、されど模擬戦……勝たせてもらいますよ」

 

 アバンが受けて不敵に笑む。

 

「おや、頼もしいですね。しかし残念ですが、リュンナ姫相手と言えども、今回ばかりは花を持たせるワケにはいきません。何しろ、この勝負――」

「ええ、わたしも同じ気持ちです。だって――」

 

 ごくりと誰かが生唾を飲み、

 

「「――明日のケーキがかかっている!」」

 

 と、ふたりの声が重なった。

 

「負けた方が差し出す約束! 無慈悲! 遠慮容赦なく……!」

「コーヒーやチーズを使ったケーキだそうですね、先ほど料理長からお聞きしました」

「ああティラミス。美味しそう」

 

 空気は弛緩するどころか、より緊張を高めていく。

 審判役の老騎士が、咳払いをして進めた。

 

「では、準備はよろしいですな? 始め!」

 

 ――動きはない。

 合図が聞こえなかったのか? 違う。

 既に始まっているのだ。

 

 心気を発し、或いは相手の心気を読み、虚実と、その看破と、こう来るならこうする、そうするならああ来る、無数の分岐する想定、2手3手先どころか10手も20手も先を読み、詰んだ枝を廃棄して、確実に攻撃の通る一なる未来を選び取っていく過程。

 ただの睨み合いではない、達人同士のそれ。

 

 綻びは合図から7秒後。

 アバンが突如として虚空を振り払い、その反対側面に、既にリュンナが踏み込んでいた。

 

「くっ!?」

「ふ、ッ――!」

 

 魔神斬り・破、アバンが虚実に引っかかった。

 もともと心気の扱いにおいて、リュンナは戦闘面に、アバンは非戦闘時の交流面に特化している傾向があった。

 戦闘そのものはアバンに一日の長があっても、戦闘における心気の使い手としては、リュンナの方が一枚上手なのだ。

 

 しかし勇者たるもの、そう容易く敗れもせぬ。

 リュンナの切先で引っ掻くようなコンパクトな剣(棒だが)に片方の手首を抉られながらも、それを盾に脇腹は守った。同時に弾かれたように距離を取り、

 

「海波斬!」

「真空斬り!」

 

 剣圧がぶつかり合い、弾け合う。

 その位置は両者の中央――よりもリュンナ寄り。体格と筋力の差か、剣速はアバンが明確に上。

 掻き乱された大気が歪み、余波が土埃を撒き散らして、互いから互いの姿を隠す一瞬。

 

 直後、更なる海波斬が煙を斬り裂き散らし、視界を取り戻す――が、そこにリュンナの姿なし。

 訓練場の平坦な地面の上、煙も散った今、最早遮蔽物はないのだが。

 上かと仰げど、影すらない。

 

 リュンナはどこに行ったのか?

 瞑想――死の感覚――無の境地。気配を無にして背景に溶け込ませる隠形、常軌を逸した『忍び足』。

 煙を晴らせば見えるハズ、という心の隙を突いた一手。

 既に眼前まで肉薄、アバンは気付かず――

 

 ――笑った、だと?

 

「大地斬ッ!」

 

 渾身の振り下ろし――リュンナは攻撃をやめ、即座に防御へ移行。隠形も維持する余裕を吹き飛ばされた。

 鍔迫り合いへ至るが、これはやはりフィジカルに勝るアバンが有利。押し込まれる。

 

「なぜ……!?」

 

 そう、しかしなぜ、アバンはこうまで正確にリュンナを捉えた。

 目は合っていなかった、アバンの心気は確実に見失っている気配だった。

 見失ったまま、彼はリュンナに当てたのだ。

 

「貴方の性格上、拍子を半分ズラしたこのタイミングで、真正面から来るでしょうね――と」

「そんな……!?」

 

 隠された心気をその場で読めずとも、見切りの土台となる性格そのものを、試合前から既にアバンは把握していた。

 気の昂ぶる戦闘中における読みでは劣るが、平常時の読みでは上回ること。

 

 かくん、リュンナが唐突に膝を抜き後ろへ倒れ込むさま。押し合う力の方向性を奪い、引き摺り込むような巴投げ。

 だがアバンは自らの力に振り回されることなく、冷静に半歩引いて投げを外す。

 ただしそれは、リュンナが後方へ跳ね起きるようにして間合を取ることを赦してしまう選択でもあった。

 

「コォォォォ――」

 

 深く濃い呼吸、気合溜めのリュンナ。大技で決めに行く構えだ。

 アバンは応じるように剣を右の逆手に構え――ようとして考え直したのか、別の構えに移った。

 それは剣を左腰の鞘に収めたかのような、抜刀直前の形。そしてそのまま静止。目すら閉じている。

 

 同じく気合いを溜めるのかと思えばそうでもなく、むしろアバンの心気は凪の水面めいて落ち着いていく――最早眠っているのかとすら思うほどの落ち着きぶり。瞑想……?

 何を企んでいる? 波がなさ過ぎて読み取れない。

 ならば全て纏めて吹き飛ばすのみ。

 

「五月雨剣――ッ!」

 

 一切の減速なく鋭角にすら曲がる雷光の太刀筋が、その各頂点で真空斬りを刻んで飛ばす。一振り五斬、超常の剣技。防げるものなら――

 

 ――そこまで思って、リュンナは、それが幻覚であると気付いた。

 自らの心が先走り、現実ではなく願望を見ているのみだと。

 

 アバンは既に剣を振り抜いていた。その鋭利な剣圧は迅速で、気配なく、リュンナをして斬られたことにすら気付かせないほど。

 そして技の起点となる丹田を精確に撃ち抜かれ、溜めた気合も散り、五月雨剣は不発に終わっていた。

 あまつさえ立つ力すらも。体が痺れるようだ。膝をつく。

 

「うッ、――先輩、今の……!」

 

 ――空裂斬。光の闘気は使っていないが、それに限りなく近い。

 完成形を蝶とするなら、蛹に当たるような技だった。

 

「未完成の技ですが……今、完成に一歩近付いたようです。リュンナ姫、貴方のおかげですよ」

 

 アバンは動けぬリュンナに近付き、首筋に剣を添わせた。

 決着だ。

 

「し、勝者アバンどの!」

 

 審判の老騎士が、何秒も遅れてようやく判定を出す。

 誰の目にも明らかなことだったが。

 

「先輩、わたしのおかげって……?」

 

 リュンナ、悔しげに見上げながら。

 

「ええ。リュンナ姫は心気と呼んでいましたか、相手の動きや考えを心の目で読むというのは、非常に難しいことです。

 リュンナ姫には普通に出来てしまうことのようですが……。しかしそれも納得ですね。試合前に教えてもらったあの瞑想、あれをやってみたのですよ。剣を収めて心を沈め、肉眼に頼らないよう目を閉じて……。

 見事に弱点を見抜いて撃ち抜けました。貴方が強いから、私も強くなれたのです。ありがとうございます」

 

 穏やかに笑みながら差し伸べられた手を、リュンナは掴む。

 会話のうちに痺れも抜けてきた、支えてもらえば立ち上がれる。

 

 しかしそれにしても、無の瞑想を戦闘に直接組み込むとは。

 リュンナにとってのそれは、修練であったり、気分のリフレッシュであったり、鷹の目の予備動作であったり――戦闘外で使うばかりであった。

 戦闘中にもこれほど有効なモノだと、教えられてしまった。

 

「うー。わたしのおかげ、ってゆーのはいいですけど。ホントに花持たせてくれないんですね……」

「ケーキは大事ですからね! リュンナ姫はいつでも食べられるかも知れませんが、私はほら、旅の身なもので。なかなかね」

 

 カンラカンラとアバンの笑い。

 リュンナは虚空に武器を振り回し、空気に八つ当たりした。

 

「でもアレですよ先輩! そんな風に解説されたら、こっちだって同じ技を使えるようになりますからね!

 次はこうはいきません……。明後日のケーキを賭けて! 第2戦目といこうじゃないですかッ!」

「おや、いいんですか? また私が勝ってしまうかも……」

「だとしても何かしらは吸収してみせます!」

「ベリーグッド!」

 

 向上心に溢れるふたりであった。

 なおケーキは根こそぎ取られたし、「代わりに」とアバンが作ってくれたお菓子は美味しかった。

 二重に勝てない。

 



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22 リュンナ対アバン その2

 剣を収めた瞑想の構えのアバンは、意外なほどに攻略しにくかった。

 殺気立ち昂ぶった心の正反対、生半可な平常心をすら超えた凪の水面。

 心に殆ど波が立たず、心気をロクに読めないのだ。読みやすい殺気レベルにまで、心気が高まらない。

 

 すると一瞬、リュンナはアバンを見失ってしまう。目には確かに映っているのに、存在が消え去ったように感じるのだ。

 同じことはリュンナにもできる――死の感覚から来る無の境地による隠形――が、敵に回すとこれほど厄介だとは。

 その状態から繰り出される攻撃は空裂斬であり、その状態そのものは最早無刀陣の域にすら達しつつあると思えた。

 

 そして、それをウッカリ口に出さないように自制した。

 アバンはまだ技名をつけてないのだ。ここでその技名をリュンナ考案という形にしてしまうワケにはいかない。

 

 ともあれ、2戦目は互いに同じ構えでの対決となった。

 リュンナは無の境地の恩恵により、戦闘中でも気の昂ぶる心の部分と、落ち着いた心の部分とを同時に持つことができる。だがそれをひとつに集約したなら、より強力な心気使いになれるハズ。

 そう考えての、同じ空裂斬の構えだ。ルール上、飛ばすのは闘気ではなく剣圧に過ぎないが、それでも動きの起点や力の集中点などを撃ち抜くことで、相手を麻痺させることができるのは証明済み。

 

 いくら心が凪でも、立って構えている以上、必ずどこかに力の偏りはある。相手のどこを狙うかで、部位ごとの力の入り具合が変わるからだ。そうして弱点が生じる。

 自分のそれを隠しつつ、相手のそれを見付けて先に撃ち抜く。早撃ち決闘めいた勝負は、しかし、

 

「あっ」

「えっ」

 

 と、アバンが急に目を開けて明後日の方向に意識を逸らした瞬間、釣られてそちらを見てしまったと同時に撃ち抜かれる――という酷い負け方を喫した。

 

「ああああああああああああああ」

「はっはっは。弱点探しに集中し過ぎましたね~。ダメですよ、集中力の配分を間違えては……。せっかく才能があるんですから」

 

 あまりの悔しさに絶叫しながら、四つん這いで訓練場の地面を叩くありさま。

 第二王女として転生してからこちら、ここまでの醜態を晒したことがあっただろうか。見物人たちもキョトンとするか、ざわめくか。

 

 そんな周囲を気にする余裕もなく、リュンナは今にも溢れそうな涙を湛えた双眸で睨むようにアバンを見上げ、3戦目を希望した。

 

「3日後のケーキも賭けるのですか? うーん、流石に太ってしまいますね」

「もう勝った気ですか! 屋上へ行きましょう……。久し振りにキレちゃいましたよ……」

 

 思えばキレて冷静さを欠いた時点で、敗北は決まっていたのだが。

 屋上での3戦目は、最早開始の合図すら待たないリュンナの不意打ちで始まった――が、殺気がだだ漏れであり、あっさりと対処されてしまう。

 しかしそこで反則のバギマ。真空の嵐が暴風を生み、アバンは吹き飛ばされ、屋上から中庭へと落ちた。

 

 これで勝ったと思った。そもそも実戦にルールなどない、何をしてでも生き残った者が勝ちなのだ! という自己正当化も、半ば以上に本気で叫んだ。

 屋上の胸壁の向こうから、巨大なドラゴンがぬうっと顔を出すまでは。

 

「えっ」

「呪文解禁ルールなんですね? ドラゴラムです」

「ちょ……」

 

 焼かれた。

 真空斬りで炎を斬ろうにも爪攻撃で阻害してくる上、ヒャダルコではジリ貧の灼熱。

 それでも何とか粘りはしたものの、最終的に酸欠でダウンと相成った。

 

 運び込まれた医務室でベッドに上体を起こしながら、見舞いに来たアバンを涙目で睨むのは、その一刻後の光景である。

 

「大人げない……」

「勇者姫として活躍している以上、リュンナ姫だって大人ですよ。大人同士、対等の試合をしたつもりです。いけませんでしたか?」

「ぐぐぐ……! うぐうううう……!」

 

 最早唸り声しか出ない。

 抱っこしたベルベルをびよんびよん伸ばして八つ当たりする。ここで大人しく伸ばされてくれるから好きだ。あまつさえホイミをかけてくれる、いや、もう既にダメージは抜けているのだが、温かくて気持ちいい。

 傍らに座るソアラは目を白黒させながら、果物を切って食べさせていた。

 

「はい、あーん」

 

 リュンナ、雛鳥めいて大人しくいただく。

 

「こんなリュンナは初めてね……。本当に……。いつも冷静で、それはちょっと冷たいくらいで、でも内にはちゃんと熱い感情を持っている――という印象だったのだけど。どうしてアバンには……。少し嫉妬しちゃうわ」

 

「どうしてでしょうねえ……。しかしそうやって」あーんの構えで次を催促するリュンナをアバンは目線で指し示した、「遠慮なく甘えるのも、ソアラ姫やベルベル相手にくらいではありませんか? 人それぞれ、相手によって見せる顔が違うのは普通のことです」

「そういうものかしら」

「そういうものですよ」

 

 穏やかな空気。

 アバンとソアラの方が、よほど大人の会話をしている。

 転生前なら年上だったのに、どうしてこうなってしまったのか。転生したからだ。精神年齢は単純に足せないし、ともすれば下がりすらするのである。

 

「だとしたら……この子がこんなに感情を露にする相手がアバンだけなら……。アバン、あなたはきっと、リュンナに必要な人なのね」

「だと嬉しいですね。私としても頼もしい仲間ですし」

「そうではなくて」

「?」

 

 にっこりと分からない顔をするアバン。

 分からないフリをしているのかどうか、見た目では分からない。

 ともあれ、リュンナとしてもそういう感情はないので、これはソアラの先走りである。

 

「ところで先輩」

「はい?」

 

 話題を変えることにした。

 

「屋上を火炎の息で焼いてくれた件に関してですが……」

「焼いてませんよ?」

「えっ」

 

 屋上にいるリュンナに、思い切り炎を吐いていたハズだが。

 

「バギマで作った空気膜を、屋上にはこっそり纏わせておきました。空気というモノは、意外と断熱性が高いんです。さっき見てきましたが、焦げ跡どころか、煤がついていたくらいですね。ああ、もちろんお掃除させてもらいましたとも」

 

 にっこり笑顔のアバン。

 勝てない……!

 

「て言うかドラゴンの炎ってバギ系で防げるんですね……」

「石造りのお城ですからね。同じ方法で人体を守ろうとしても、炙り焼きにされてしまうでしょう。ヒャド系か海波斬――リュンナ姫の場合は真空斬りですね、その辺りがやはり有効かと」

「真空斬りでもヒャダルコでも防ぎ切れなかったんですけど!?」

「はっはっは」

 

 笑って誤魔化されてしまった。

 単純にレベルが足りないのか。かなり強くなったつもりでいたが、上には上がいる。

 

「それにしても、先輩はいろいろ呪文使いますよね。ウチじゃ契約方法が分からないやつも……」

「学者の家系ですからね。よろしければ呪文書を差し上げましょうか?」

「あら、いいんですか」

「伝えちゃダメなのはちゃんと省きますから。それじゃあ明日にでも」

 

 と言ってアバンは医務室を辞していった。

 持っている本をくれるのではなく、どうやら今から自分で書くらしい。

 

 その後ろ姿を、溜息と共に見送った。

 あまりにも遠過ぎる背中だ。

 見えなくなっても、ぼーっとそのままの方向を眺め続ける。

 

「リュンナ……。やっぱりそうなの?」

 

 何がやっぱりで、何がそうなのか……。

 いや、言わなくていいです。聞きたくないです、姉上。

 

 聞けば本当に、『そのつもり』になってしまいそうだから。

 それは困る。色々と困る。

 意に反して熱くなる顔を、ベルベルのひんやりぷるぷるボディーに押し付けて冷やした。

 

「ぷるる~」

 

 触手でよしよしされた。

 おお、絶対の味方はあなただけだよ。あ、リバストもか……。

 

 果たしてアバンがこの国から再び旅立つまで、何事もなくいられるのだろうか。

 ちょっとだけ不安になった。

 



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23 大魔道士マトリフ

 契約の間。

 その名の通り、呪文の契約に使う部屋だ。下は砂地で、魔法陣を描きやすくなっている。また内から鍵をかけることのできる構造は、選ばれた者にのみ赦される高位の儀式を流出させないため。

 

 今日は朝からずっと、リュンナがこの部屋を独占していた。魔法陣を描いては中央に座り契約し、の繰り返しだ。

 アバンからもらった呪文書を、早速使っているのである。当のアバン本人は、今日はソアラや仲間たちに修行をつけてくれていた。

 

 呪文書に記されていたのは、例えば境の山の砦で使っていたレムオルやインパス、先日の模擬戦(?)で使ったドラゴラム、ほかにもラナ系やパルプンテなどなど。

 直接的な攻防系よりも、特殊系の呪文が多い印象だった。

 

 それらを片っ端から契約していく。

 契約そのものは、儀式に手間と時間を要する以外にはデメリットなどない。

 全ての呪文を使いこなせずに持て余す可能性こそあるものの、使いたいときに使えないよりは遥かによい状態だろう。

 

 しかし今更ながらこの『契約』、何とどんな条件で契約しているのだろうか。

 儀式は各呪文ごとの魔法陣の中央で瞑想をするのみで、祈りや供物なども必要とされない。何か神や精霊などのような存在と繋がるような感覚もない。むしろ自分の内側の奥底に繋がっているような。

 

 ドラゴラムの契約儀式に伴い、リュンナは瞑想を深めた――死の感覚――無の境地――全てが消え去れば、全てが見える。

 魔法陣の発光、その光が空気を歪める音、歪んだ空気の独特の匂いと味、渦巻く風の感触、頭の中で何度も響き渡る呪文。

 儀式がもたらす全ての刺激は、脳を通して無意識の深層へと辿り着き、そこにひとつの『構造』を焼き付けるように刻んだ。リュンナの額に意識される仮想第三の目には、それは魔法陣がそのまま写し取られたように見える。

 

 同じ無意識の深層に、魔法陣がいくつも並んでいた。これまで契約してきた全ての魔法だ。

 呪文を意識することで、これらの中からその呪文と繋がる魔法陣が活性化、魔法力を引き込み、魔法に変えて放出するのだ、と――そう理解できる。

 

 契約儀式とは、無意識の変容、反射行動の追加。

 それを契約と呼んだのは、その事実を知らず、神霊との取引によって魔法を得るという迷信を信じた古代人だろうか。

 いや、ミナカトールなど、本当に神と契約する呪文もあるのか。

 

 ともあれ、脳内魔法陣をこうしてイメージ化できた以上、そこに手を加えることもできそうな気がした。

 例えば既存の呪文を改造したり、合成したり、或いは新たな呪文を創造することさえも――

 

「アバカム」

 

 部屋の外から呪文。

 マトリフの声か。

 

「入ってますよ」

「だから来てんだろうが」

 

 鍵のかかった扉をノックもせずに開錠呪文で開け、無遠慮に入ってくるさまは、まさに横暴が服を着て歩いている風情。

 リュンナはジト目を向けた。

 

「もしわたしが裸だったりしたらどうするんですか……。ほら契約って意外と体力使って汗かきますし」

「ガキの裸に興味はねえよ。そんなことより、どうだ、調子は」

 

 述べた通り、契約は意外と疲れる。

 汗を拭き、用意しておいた飲み物で喉を潤しながら、座ったまま立ちもせずに老爺を見上げた。

 

「まあぼちぼちですね。契約できた呪文のうち、どれだけが実際に使えて、更にそのうちどれだけを効果的に使いこなせるやら、全く分かりませんけど」

「ふん。――ドラゴラムか」

 

 魔法陣を一瞥して看破するマトリフ。

 いちいち呪文書を開きなどしなくても、その頭の中にあらゆる魔法陣が入っているのだろうか。

 ――頭の中に魔法陣。知識という意味ではなく、脳内魔法陣のイメージが彼は完璧にできているのでは?

 聞いてみた。

 

「あ? ……お前……」

 

 ドン引きされた。

 深い溜息つきで。

 

「どういう才能してたらその歳で……。まあ、しかし、実際そういうことだ。呪文の契約ってのは、言わば自分自身との契約なんだよ。そこを認識することで、呪文の改造や創造も可能になる――まあ、並大抵のことじゃねえがな。

 この大魔道士マトリフさまでさえ、独自呪文なんて数えるほどしか持ってねえ。確かにお前は天才だが、調子に乗るなよ」

 

 嫌味や揶揄ではなく、純粋に心配してくれているのが分かる。

 微笑んだ。

 

「ありがとうございます。気を付けます」

「ちッ……。やりづれえお姫さまだ」

 

 不機嫌そうにしながらも、不満そうではない。

 ふとマトリフは、今もリュンナが中央に座しているドラゴラムの魔法陣を、足で砂を払って消した。

 そして新たな魔法陣を描き込んでいく。

 

「あの……?」

「ひとつ伝授してやる。使いこなしてみろ」

 

 瞑想、魔法陣に意識を集中。陣が起動し、光を放つ。

 頭の中に響く呪文名は――ベタン。

 

「これは……」

「分かるだろ? 使ってみなくても」

「はい。重圧呪文――ってところですね。範囲は結構広い? んーでもこれ……んー」

「何だ。言いたいことがあるなら言ってみろ」

 

 マトリフは睨みつけてくるようだが、そこに敵意や怒りはない。

 ひとつの呪文をどこまで応用できるか。まず発想がなければ、技術を磨くこともできない、そこを試すような。

 

「たぶん、もっと収束して……敵単体に威力を集中したら、必殺性がかなり高いですよね。広範囲を巻き込むと無駄やムラが多く出ますし。――あ、逆にムラを大きくして、範囲内の各単体に威力を集中? 誰もいないところは威力ゼロで。マルチロックオン的な、できるかな、どうかな……。ほかには自分自身に使うとか。打撃を当てる瞬間に発動して、衝撃をより重く! みたいな……」

「ほう……」

 

 マトリフが目を見開く。

 

「センスもあるみてえだな」

「まだ発想だけですけどね」

 

 前世の知識、無数のフィクション作品に触れた経験がある。

 応用案そのものは、いろいろと思いつくものだ。

 

「修行でもつけてやろうかと思ったが、出来が良すぎて教え甲斐がなさそうだ」

「そんな! せっかくだから何か教えてくださいよ。わたし剣も呪文も両方やるから、器用貧乏になりそうで怖いってゆうか……。器用万能になれるように。ね、大魔道士さま」

「ふん……」

 

 マトリフは背を向けた。

 考えを纏める間、顔を隠すかのように。

 数秒の後には、もう次の言葉を語り始めたが。

 

「魔法使いの役目。分かるか?」

「パーティーの頭脳になることですか?」

 

 原作にあった彼の信念を、リュンナなりに噛み砕いた解釈である。

 同時に先日の山の砦への侵入作戦で、彼の指揮ぶりに触れての感想でもあった。

 

「そうだ。そのためには、魔法使いは常に冷静でなくちゃいけねえ。一方で勇者ってやつは、仲間を引っ張る熱を持ってなきゃいけねえんだ。相反してるんだよ。心は熱く、頭は冷たく……言うほど簡単じゃねえ。

 お前のパーティーには専業魔法使いがいない。お前は勇者だとして、ほかに誰がその役目をやる?」

 

 振り向いた彼の目は、これまでのどの瞬間よりも真剣。

 それに対して、リュンナは苦々しげに。

 

「わたしが兼ねちゃダメですかね……?」

「兼ねるのがメチャクチャ難しいと言ってるんだ。だが……そうだな……」

 

 ふとマトリフが両掌を上向け、右手にヒャドの冷気を、左手にメラの炎を同時に宿した。

 

「できるか?」

 

 固まった。一瞬メドローアかと思った。

 だが今の時期、マトリフはまだそこに辿り着いていないハズ。

 単純に適当に思いついた呪文をふたつ並べただけで、できるかと聞いているのは、つまりふたつの呪文を同時に発動することだろう。

 

「……」

「おい?」

 

 と頭では理解しても、フリーズからの復帰に時間がかかった。

 慌てて頷く。

 

「あっはい! はい。えーっと。無理です。たぶん無理。やったことないですし」

 

 頷いたのは間違いだった。

 

「やってみろ」

 

 顎をしゃくって促してくる。

 

「えーっと。まずヒャド」

 

 右手にヒャドの冷気を宿す。

 更に左手に意識を集中し――

 

「バギ、って、ああああ……」

 

 真空の渦を宿すと同時、ヒャドが消えてしまった。

 

「できません」

「いや、できる」

 

 マトリフは断言する。

 どういうことなの。

 

「本当にできねえやつは、まず右手のヒャドを維持しながら左手に意識を向ける、ってことができねえ。バギを唱える前に、左手に意識を向けた時点でもうヒャドが消えちまうんだ。

 だがお前は、集中力を配分するところまでは出来た。配分のバランスが悪かっただけだ。あとは練習すりゃいい」

「はあ」

 

 生返事。

 確かに強力で便利な技術だが、魔法使いの役目と勇者の役目、の話からの繋がりが分からない。

 

「分からんか? ふたつのことを『同時』にやる練習なんだよ。それができたとき、勇者の役目と魔法使いの役目を兼任できるようになるだろう。右手と左手を、心と頭を、意識と無意識を、『統括したまま分離』できるようになるんだ。上手くいけばな」

「統括したまま分離……」

 

 言葉で言うのは簡単だが、並大抵のことではあるまい。

 だが分かる。もしそれが可能になれば、剣と呪文との連携もより洗練される――両方を使える勇者として、単に使い分けるのではなく、相乗効果でより高めていくことが。

 その極致が魔法剣だとしたら、人間の身でも使えるようにならないだろうか。流石に無理か。

 とは言え、だとしても勇者として格段にレベルアップすることはできるハズ。

 

 リュンナは立ち上がり、マトリフに頭を下げる。

 顔を上げると、彼は部屋を出ていくところだった。

 

「なぜ」

 

 呼び止めるでもなく言う。

 

「なぜ、わたしにここまで?」

「アバンのためだ」

 

 間髪入れずに彼は答えた。

 

「あいつは善良で正しい。過ぎるほどにな……。オメエみたいな――ちょっと悪い奴と付き合うことも必要なんだよ。そして対等に付き合うには、力が要る。それだけだ……!」

 

 そして出て行く。

 普通に見送った。

 

「こうまで言って罰しようって気配が全く出て来ねえんだから、本当にどういうお姫さまなんだか……」

 

 独り言。

 

 ――悪い奴、か。

 本当のことを言われたのは、ここに生まれて初めてだ。

 リュンナの暗黒闘気は愛国心の裏返し。それは、もし必要なら、祖国のためになるのなら――地上や人間全体はどうなってもいい、ということなのだ。

 

 いつか、来るのだろうか。人間の敵に回るときが。

 



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24 リバストとアバン

 午前の訓練を終え、昼食を摂ろうと通路を歩いていたときのことだ。

 角を曲がって現れた兵士2名が、

 

「うおっ」

「わっ」

 

 と驚いて仰け反り、転びそうになった。

 その目線はリバストに向いていた。ベルベルを抱いたリュンナの隣を歩く、オークキングの巨躯に。

 何とか転ばずに立ち直った兵士が、立ち止まったリュンナに気付く。

 

「し、失礼いたしました……!」

「申し訳ございません! 敵の侵入かと……一瞬……」

 

 そして謝るのはリュンナに対してで、リバストに対してではない。

 リュンナは憮然として溜息をついた。

 

 ホイミスライムという比較的弱く無害な印象のあるベルベルはともかく、リバストは見るからに脅威的なのか、こういったことが度々起こる。

 ベルベルに鈴を与えたように、王家の紋章の入った毛皮のコートを着せてあるのだが、それより先に猪顔に注目して驚いてしまうらしい。

 

 ちなみに、リバストにも鈴を、という案は没になった。

 ベルベルが「鈴は自分だけが」と主張したことと、リバストが「可愛過ぎてちょっと……」と難色を示したことによる。後者はベルベルを気遣ったのが真相ではあるが。

 

 ともあれ。

 

「城を守る職務に忠実なのは素晴らしいことです。これからも、我々の頼れる味方でいてくださいね」

 

 我々の、の辺りでリバストと腕を組み、その意味を言外に述べる。

 直接は言わない。

 実際、こうしてリバストに慣れない以外では、優秀な兵士たちなのだ。悪意があるワケでもない。あまり責めて萎縮させたくはなかった。

 

 かと言って、このままでいいとも思わないが……。

 やはり実績がないのが問題だろうか。

 土壇場でベルベルを救ってくれたリバストは、リュンナにとっては正真正銘の英雄だが、それは第三者から見れば『お気に入りのペットが死んで姫の機嫌が悪くなるのを防いだ』のみである。

 民を救ったワケでも、国を守ったワケでもない。

 

 恐縮しながら巡回する兵士たちと別れながら、リュンナは思い悩む。

 リバストは大切だが、国も大切だ。実績を積む機会として魔王軍に襲ってきてほしいだとか、そんなことは冗談でも考えられないし、考えたくもない。

 

 それに今この瞬間に考えるべきは、リバストの気持ちだろう。

 腕を組んだまま歩きながら、そこにぎゅっと力を込めた。ベルベルは頭の上に移動済み。

 

「ごめんね、ウチの兵士が」

「気にするな、我が姫は泰然としておられよ。俺が魔物なのは事実だ」

 

 言われて気付く。

 気にしているのはリバストではなく、自分ばかりなのだと。

 

「そうだけどさあ……。人間がひとりひとり違うように、魔物だって……。魔王の邪気にも、もう操られてるワケじゃないのに」

「邪気は関係ないのだろう。いや、歴史上これまで何度も、魔界からの侵略者がその邪気で魔物を扇動してきた。魔物とは、魔王の尖兵である――それが常識となるほどに。

 常識を覆すのは、難しい」

「うん……」

 

 リバストは冷静に述べた。

 そこに怒気はないが、落胆もまたない。最初から期待していないのだろう。

 或いは、期待がありそれを裏切られたのならば、リバストの側から奮起して関係の改善に繋がったかも知れない。

 が、どちらからも歩み寄ろうとはしていない、それが現実だ。

 

 兵士の意識を何とかしたいが、リバストの意識も何とかしたい。

 しかし、具体的にどうすればいいのか? リュンナの頭は回らなかった。

 

「ぷる~」

 

 回らないのは、ひょっとして頭が重いせいだろうか? 頭上に乗るベルベルの影が、思案するような間延びした声を出し――

 

「ぷるん!」

 

 すぐに「いいこと思いついた!」の声に変わる。

 そして触手で顔を引っ張ってくる。連れていきたい場所があるようだ。

 

「えぇ……。お腹空いたし、回り道したくないんだけど……」

「ぷるぷる……!」

「いたっ、ちょっ、分かった、分かったって……。仕方ないなあ」

 

 触手の1本で、ほっぺをベチンとやられてしまった。一瞬痛いだけで、殆ど赤くもならない程度の力加減だが。

 

「こらベルベル、我が姫に手を上げるとは何事だ」

「ぷる~ん」

「確かにお前にとっては、姫だの何だの、地位や呼び名は関係ないのだろうがな……。しかし我が姫も、しっかり言い聞かせてくだされ」

「いや、わたしは別に……。ベルベルだからいいかなって」

 

 リュンナもベルベルも、リバストの注意にどこ吹く風のありさま。

 周囲からは、やれペットだの、いや腹心の側近だろうだのと扱われているベルベルだが、リュンナからすれば友達だし、ベルベルからすれば半ば親のようなものである。間を取って親友。

 甘えたりじゃれたり、いちいち目くじらを立てるようなことではない。

 

 ともあれベルベルに引っ張られていった先は、客室だ。今はアバンたちが滞在している辺り。

 部屋の扉をノックすれば、アバンが顔を出した。

 

「おや、リュンナ姫。ベルベルにリバストも……。どうしたんです?」

 

 アバンは極めて自然体だった。

 ベルベルやリバストに対し、『魔物だから』どうこう、という態度が一切ない。

 それは魔物だからと忌避することだけではない、忌避せずに受け容れてやらねば、という気持ちすらないのだ。

 そう考える前に、既に自然と受け容れているから。

 

 それがどれだけ稀有で、今のリュンナにとって心温まることか。

 ここ数日の交流で分かっていたこととは言え、改めて突きつけられると胸が詰まって、咄嗟に声が出ない。

 

 その沈黙の間をも、アバンは苦にすることはなかった。

 ぱっと微笑み、まるでリュンナを代弁するかのように言う。

 

「そうだ、これから一緒にお昼を食べませんか。王さまや大臣との会談やら何やら、いろいろと予定の合わないことも多いですからね~。今日はご一緒しましょう。あ、ロカたちも呼んで構いませんか?」

「え、はい。はい。じゃあ一緒に……」

 

 こくこくと慌てて頷いた。

 するとアバンは一旦引っ込み、間もなく支度を終えて、改めて部屋を出る。

 そしてリバストの肩に手を置いた。

 

「じゃ、手分けして呼びに行きましょう。リュンナ姫とベルベルは、先に食堂で待っていてください」

「あっはい。じゃあねリバスト」

「ああ、またすぐあとで、我が姫」

 

 そうしてアバン、リバストと別れ、ベルベルを抱っこして食堂に向かう。

 ――はたと気付く。

 

「なぜリバストだけを? 別にわたしも一緒でいいのでは」

「ぷるん」

 

 ベルベルが気のない相槌を打った。

 釈然としないものを感じながら、仕方がないので、鷹の目でアバンとリバストとの様子を探ってみる。

 額に開く仮想第三の目のイメージ――音声すらも読み取る超常の、架空の目。

 

「で、なぜ俺だけを?」

 

 ちょうどリバストが、リュンナと同じ疑問をアバンに向けるところだった。

 

「まあまあ、こうしてふたりになる機会はなかったでしょう? 改めて、元カール王国騎士、今は勇者のアバンです。よろしくお願いします」

「あ、ああ……。オークキングの、リバストだ。我が姫の忠実なる騎士だ」

 

 アバンが握手を求め、リバストがぎこちなく応じる様子。

 手を握る、放し、その間にもアバンは言葉を続ける。

 

「国や王ではなく、リュンナ姫個人に忠誠を誓った騎士なのですね。そんな騎士を持てるとは、リュンナ姫はさぞ頼もしい気持ちでしょう。

 私も故郷では騎士なのですが、騎士団長だったロカにはいろいろと迷惑や心配をかけてしまいましてね。貴方と比べれば未熟もいいところで、いやお恥ずかしい」

 

「いや、俺は……大したことはしていない。出来ることをしただけだ」

 

「それが大事なのですよ。私は出来ることもしませんでしたから……」読み切り短編の話だろうか? 力をひけらかすことを嫌い、道化を演じていたことの。「おっと、つまらない話をしてしまいました。ところで、これから昼食なワケですが、リバストは好き嫌いとかはあるんですか? 私は小さいころ、ピーマンがどうしても苦手でしてね~」

 

 アバンの言葉は留まるところを知らない。

 その勢いに押されながらも釣られて、普段は口数の少ないリバストも、最初は戸惑いながらも言葉を紡ぐ。

 

「そ、そうだな……。人間からは肉食だと思われることが多いと思うんだが、実は、芋が好きだ」

「お芋! いいですねえ~スープの具にしてよし、コロッケにしてもよし……。そのまま蒸かしても美味しいですよね」

「それだ! ホクホクに蒸かした芋……。こんなに美味いものはない。他には筍だな。あのコリコリした食感が堪らん」

「筍と言えば――あれっ、竹は、リバストのいた山には生えてませんでしたよね?」

「そうなんだよ。その前に住んでた場所では、いくらでも筍を食べられたんだが……この王都ではどうなんだろうな」

「料理長に聞いてみましょう」

「それがいい。……おい、俺が好きな食べ物の話をしたんだ。お前も聞かせろ」

「もちろん構いませんよ。実は甘いお菓子に目がなくて。作る過程も錬金術の実験のようで、なかなか面白いですよ」

「ほう……? 我が姫も甘いものは好きだな。おい、作り方を教えろ。今度作って贈ることにする」

「ナイスアイディアですね~! 私とリバストのふたりがかりなら、きっとリュンナ姫も喜んでくれるでしょう」

「フッ……。ところでロカたちを呼びに行くのでは? こっちなのか?」

「おや? おっと、どうやら道を間違えたようです。遠回りになっちゃいましたね~。まあ食前のお散歩だと思ってもらって……」

「こいつ……。まあいい。より腹を空かした方が美味いからな……」

「でしょう? そうそう、散歩と言えばリバストは――」

 

 何なの? このコミュ力は……? リュンナは唖然とした。

 話している内容そのものは、他愛のないことばかりだ。重要な話題など出ない、いや、お菓子を作ってプレゼントしてくれるのは重要だが。嬉しい。

 しかしともあれ、リバストがここまでお喋りするのを、リュンナは初めて見た。なまじ言いたいことが心気で分かってしまうから、リュンナとリバストは意外と会話をしないのだ。

 

 すれば良かった、と思った。

 だって、そうして会話する2名とすれちがう人は、兵士も騎士も、侍従も、誰もリバストに驚かなかったから。角を曲がって顔を見る前から、普通に話す声が聞こえて、ごく普通に『リバストがいる』ことを認識するから。

 『オークキングがいる』ではなくて。リバストという、ひとつの個性を。人間と大して変わらないのだと。

 

「ベルベル。まさかここまで見越して先輩のところに……?」

「ぷるん?」

 

 ホイミスライムは素知らぬ顔をした。

 



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25 竜の力

 ルーラ――空を貫いて飛ぶ。

 

 つい先ほど、ルアソニドの町から、緊急用のキメラの翼で伝令が飛んできたのだ。

 曰く、ベンガーナ王国に行って帰って来た貿易船が魔物に襲われている、と。

 船には人はもちろん、ベンガーナで購入した輸入物資も山と乗っている。これが海の藻屑となれば、ルアソニドの町はもちろん、アルキード王国そのものに大打撃だ。

 

 アルキードは海軍力もあるものの、魔物が多すぎてジリ貧とのこと。

 ゆえに勇者姫に救援要請が出されたのであり、そして要請されたなら、文字通りに飛んでいって解決するのが、勇者姫の役目。

 民を守る、国を守る。尽くされた分だけ、尽くす。

 

 高速で流れていく地上の景色、ルアソニドの町が近付いてきた。このまま行くと町中に着地してしまう――それは時間のロスだ。

 リュンナは上空にいるうちにルーラを解除。手を繋いでいたベルベル、リバスト、ソアラ、隊長ともども、激しい向かい風の中で落下に移る。

 

 だがそれは一時的なこと。

 リュンナが気合を溜め、それを呪文と共に一気に解放すれば――

 

「ド・ラ・ゴ・ラ・ムッ!」

 

 爆発的な冷気が一瞬吹き荒れ、最早そこには白銀の巨竜1匹。

 滑らかに輝く鱗、皮膜の翼、長い尾――竜と化したリュンナは仲間たちを背に乗せ、翼で大気を斬り裂き、直接に現場へと向かう。

 

 間もなく海上――ルアソニドの町近海。

 1隻の大型貿易船が、3匹もの大王イカに纏わりつかれていた。甲板にも、マーマンやお化けうみうし、ガニラス、しびれくらげ――無数の魔物の群れ。

 船員や駆けつけた海兵、船乗りたちが剣を取り必死に戦っているが、次々と倒れていくさま。特に大王イカが辛そうだ。

 

 しかしそこに、アバン一行が先行していた。

 もともとベンガーナ王国からルアソニドの町へ来るに当たって海路を使っていたらしく、ルーラで一気に海上まで飛ぶことができたためだ。あとはそこから、眼前の船の上へと近距離ルーラ。行ったことがなくても、見えているならルーラで飛べる。

 

「海波斬!」

「オラァッ!」

「バギマ!」

「ベギラマ!」

 

 それぞれの剣が、呪文が、魔物の群れを屠っていく。

 それは大王イカさえも例外ではなく、白い巨体が沈んでいく――だがそこに、より上位のイカであるテンタクルスが入れ替わりで現れた。

 アバン一行は攻撃後の一瞬の隙。触手が迫る――

 

 ――それをイカの胴体や頭部ごと、竜の爪が引き裂き散らした。

 船とすれ違うように低く飛びながらの、ドラゴラムリュンナの会心の一撃だ。

 同時に仲間たちが甲板に飛び下りていく。

 

「ゲェーッドラゴン!」

「こんなのまで襲ってくるなんて! もうお終いだ!」

「いやでも、今攻撃したのテンタクルスだよな……?」

 

 船乗りたちは恐慌、混乱の様子。中には冷静な者もいるようだが。

 リュンナは構わず、大きく息を吸い込んだ――そうして口から噴き放つのは、極低温の凍てつく息。

 続いて浮上してきたテンタクルスの群れを次々と海ごと凍らせ、鞭めいた尾がそれを打ち砕き、砕かれて飛んだ破片が更に後ろの個体を撃ち抜く弾丸とすらなる。

 同時に腕は、船によじ登ろうとするマーマンどもを爪で引っ掻いて落とす。船は傷付けないように注意しながらだ。

 

 そのありさまに、船員たちも、この竜はどうやら味方のようだと気付いたか。混乱は治まり、彼ら自らも再び魔物に対処していく。

 そこにソアラたちも加勢。

 

「うおっ、俺見たことあるぞ! 第一王女のソアラさまだ!」

「そういえばさっきも、あのドラゴンから飛び下りてきたような……? やっぱり味方!」

「リュンナさまはいないのか!?」

「あ、わたしがリュンナです」

 

 海上を迫るしびれくらげの群れを爪真空斬りで薙ぎ払いながら、思わず喋ってしまった。

 巨体ゆえに声は大きく、だが声の高さは変わらない便利仕様。

 一瞬の沈黙、と、爆発。

 

「ゲェーッドラゴン!」

「そうか……。あれはドラゴラム!」

「知っているのか!?」

「唱えたその身を巨竜へと変えるという伝説の呪文……! 俺たちの勇者姫は、そんな凄まじい技すら……!」

 

 船乗りたちに理解が広がっていく。

 喋れないベルベルを除き、ソアラたちもそれを肯定する声を上げた。

 あまり自分たちから説明しても逆に胡散臭いかと思って、控えてもらっていたのだが。

 

「おのれええええええええええええ」

 

 そこで突如の怒号、海が割れ、巨大な水柱が上がる。

 これまでの大王イカやテンタクルスは、それでもまだ貿易船そのものよりは小さかった。

だが海の化身めいて出現したその橙色の巨体――クラーゴンは、最早船を軽く掴んで振り回せそうなほど。

 

「ミラーアーマーの奴が死んで、海と陸から挟み撃つ作戦は頓挫……! ならばもう好き勝手させてもらうぜ! ――と思えばこれだ! どいつもこいつも邪魔しやがってよおおおおおお! どうして俺と部下どもに気持ち良く殺戮させねえんだ!」

 

 人語を解する高等な魔物――のようだが、あまりにも理不尽なことを大音声で述べるものだから、リュンナは唖然としてしまった。

 愚劣極まりないとは、このような者のためにある言葉だろうか。

 

「死ねィ、ゴミどもおおおおおおお!」

 

 その触手を振り下ろす先は船だ。

 させるワケにはいかない。リュンナは飛翔し、その勢いで鋭い爪を振るった。

 半ばまでは断ち切れた――太く肉厚で靱性が高い、刃が食い込みにくい。そのまま押され、船に落とされそうになるのを堪えて身を捻り、海に落ちる。

 そして触手はそのまま振り下ろされ――

 

「アバンストラッシュ!」

 

 アバンの放つ光の斬撃の威力が触手を完全に断ち斬り飛ばし、船を救った。

 その威力はあまつさえ触手の向こうにまでなおも伸び、クラーゴンの片目を破壊し奪う。巨体がよろめき後退した。

 

「ぐおああああああああああ!」

「リュンナ姫! 今です!」

 

 言われるまでもない!

 海から飛び出したリュンナは、クラーゴンの潰れた片目、その死角に入り込んだ。

 触手は闇雲で単調、避けるのは簡単。しかし船を叩いてしまいそうなものもある――だから巨大イカの腹部へ突進、更に後退させ、まず船から引き剥がす。

 

 流石にそうして触れていれば、相手もこちらの位置が分かってしまう。触手に打たれる――が、鋼鉄を超える竜の鱗は、その衝撃を見事に拒んだ。

 とは言えイカの触手の本領は、打撃ではなく拘束にある。巻き付かれ、締め付けられ、だが、それは狙い通り。

 翼と尾を最大限に利用して全身を回転、触手を巻き取るようにしながら浮き上がり、自らの力とクラーゴンの重過ぎる自重とを利用して、触手をブチブチと引き千切ったのだ。

 

「ぎゃあああああああああああああ!」

「さあ、一丁上がりですよ!」

 

 最後の悪足掻きに墨を吐いてきた――それは目潰しでは済まない、その質量と速度自体が一種の兵器とも言える液体砲の威力だったが、千切った触手を盾にして凌いだ。

 その触手が粉々に弾け飛ぶのだから、竜の身と言えど直撃は危険だったろう。

 

 そして敵の第2射――リュンナはそこを見計らって氷の息を噴きつけ、漏斗を凍らせて出口を塞いだ。つまり、

 

「あばあああああああああああ!」

 

 暴発、自爆だ。墨袋は破裂し、最早吐くことができない様子。

 ならばあとはトドメを刺すのみ。海面に浮かぶクラーゴンの巨体を持ち上げて宙に放り、それを追って飛翔。暗黒闘気を漲らせた爪の一閃――クラーゴンはバラバラになった。

 そうする頃には、船に上がった魔物は全て掃討され、更に周囲から迫っていた魔物の群れも、親玉の死によって逃げ散っていく形。

 

「リュンナ! お疲れさまー!」

「ぷるるーん!」

 

 ソアラとベルベルが笑顔で手を振ってくる。

 

「おお、流石は我が姫」

「ああ、流石はリュンナさま」

 

 リバストと隊長は似てきた気がする。

 いや、最初から似ていた……?

 

「ドラゴラム状態であそこまで自在に動くとは……。いやー、あれは私にも真似できませんね」

 

 アバンは素直に褒めてくる。嬉しい。

 別に才能でも努力でもなく、いつもの無の瞑想による恩恵なのだが。もともとそれで心身の使い方を悟って剣術ですら熟達したのだ、体が変わっても、その使い方をすぐに知れるというもの。

 

 ともあれ船へと飛び、その上でドラゴラムを解除――甲板に下り立った。

 船乗りたちがざわめく。

 

「リュンナさまだ……!」

「本物……なのか?」

「す、凄い戦いぶりだったな……凄過ぎた……」

 

 普段なら歓声が沸き上がるところ、現実は戸惑いがちに遠巻き。船乗りたちは互いに顔を見合わせ、どうにも態度が定まらない。

 これはあれか。原作で、ダイがベンガーナでヒドラと戦ったときの……。

 彼と異なるのは、第二王女という強固極まりない立場がリュンナにはあること。

 彼らがどんな反応をしようと、税を納め国民として生活する以上、それはリュンナに尽くすことである。ならばリュンナも、彼らに尽くすのみだ。

 

 今は――これ以上ここにいないことが、尽くすことだろう。

 

「帰りましょう」

 

 一行はどこか不満そうに、しかしそれを口に出すことはなく、ある者は悲しげに、ある者は淡々と、ある者は飄々と、ある者は唾を吐き、手を繋いでいった。

 ――ルーラ。

 ただリュンナのみが、平静だった。

 



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26 正義とは

 アバン一行がアルキード王城を辞する日が決まった。

 そもそも彼らが王城に逗留していたのは――アルキード側としては、アバンを支援する契約を公式に結ぶ手続きのため。アバン側としては、リュンナと武の技術交流を行うためである。

 手続きは無事に終わり、技術交流も互いに有意義なものと終わった。

 再び旅立ち、魔王ハドラー打倒を目指すのだ。

 

 だから、今日が最後である。

 こうしてテラスでお茶会を開くのは。

 リュンナとアバン、ふたりで。

 

「先輩が行っちゃうと、寂しくなりますね……」

「ええ、私も同じ気持ちです。しかしそれもまた旅の醍醐味。別れは再会のスパイスですからね」

「またそうやってカッコいいことを……」

 

 本当にこの男、欠点が見当たらない。欠点のなさに嫌味がない、ということも含めてだ。

 対面で苦笑をこぼしながら、苺のケーキをつついた。

 

「次はどこへ?」

「ホルキア大陸へ行こうかと。ハドラーの本拠地はそこにあると聞きます」

「あら、もう最終決戦ですか。わたしは間に合いそうにないですね」

 

 苦笑すると、アバンも困ったように笑んだ。

 

「そうなるといいんですがね。まだ分かりません。敵は強大ですから」

「ですねえ……」

 

 この戦闘面でもそれ以外でも欠点のない勇者が、仲間の助けを借りてやっと辿り着き、奥義を惜しみなく注ぎ込んでようやく斃せるのが、魔王ハドラーである。

 そのハドラーですら、後の原作本編では更に幾度ものパワーアップをしていくのだから、本当に上には上がいるものだ。

 

「勝てますか?」

 

 だから、気付けば聞いていた。

 原作通りなら勝てる――そんなこと、何の保証になるだろう?

 アバンは即答した。

 

「勝ちます」

 

 それはただの願望や決意ではなかった。

 当然のことを当然のように行おうとする、正義の心。

 湧き上がる安心感に、しばし身を任せた。

 

「機嫌が良さそうですね?」

 

 思わず微笑んでいたか、アバンがそこをつついてくる。

 カップで口元を隠すように、茶を一口。

 

「先輩が言うなら、信じられますから」

「それは光栄です」

 

 会話が途切れた。あれだけ話し上手で聞き上手のアバンなのに。

 しかしその沈黙は、決して居心地の悪いものではなく。

 

 ふと緩やかな風が吹き抜けた。

 アバンの匂いがする。修練を終えて一度湯を浴びたからか、石鹸の匂い。それから服に染み付いた微かな血と汗の匂いは、もうどれだけ洗っても落ちないのだろう――リュンナの鋭敏な感覚だから分かるようなものだが。

 なんだか気恥ずかしくなって、視線を逸らした。

 テラスから見下ろせる庭園が視界に広がる。庭師が毎日手を入れている、優美なそれ。

 

 この王都はまだ平和だから、そうやって庭を弄る余裕がある。

 いつそれが壊れるかは分からない。

 だから兵を鍛えてそれを防ぎ、そうなる前に根元を断たねばならない。

 

「どうして」

 

 どうして?

 

「どうして戦うんですか、先輩は」

「これはまた急に」

 

 それは急だろう。リュンナ自身、急に思った。

 一度思ってしまえば、もう、止まらなかった。

 

「わたしは、国のために戦います。王女ですからね。国に尽くされていて、その分だけ国に尽くす。

 でも先輩は……国を出て……。国を守るために魔王を斃すなら、それだけに邁進すればいいハズですよね? でも他国であるこのアルキードの危機にも、進んで力を貸してくれました。経験を積むため? それもあるでしょうけど……それだけには見えない……」

 

 分かっている。

 アバンはきっと答えるだろう。

 

「それはもちろん――」

「正義のため」

「はい、そうです。富や名声、個人的満足――そういったモノではない、正義のために戦うことこそが、勇者の役目なのだと今は思います」

 

 喰い気味に割り込んだのに、嫌な顔ひとつしない。

 あまつさえ穏やかに笑んで。

 

「だからリュンナ姫。勇者姫と呼ばれる貴方は、貴方も、正義のために戦っているハズです――本人はそう思っていないようですが」

「分かりますか」

 

 冷めてしまった茶を飲む。

 

「さっき正義のためと言ったとき、不満そうでしたからね」

「正義って何なんです?」

 

 リュンナには分からなかった。

 国に尽くすことが正義なら、自分が目覚める闘気は光だったハズだ。だが現実には暗黒のそれ。

 正義を問う声は、思ったよりも遥かに切実な響きが宿ってしまった。俯く。

 

「正義とは――」

 

 アバンは何と答える?

 綺麗事やお為ごかしが来たら? 悪を正すことだ、などと何の答えにもなっていない答えが来たら。

 アバンに限ってそんなことはない、とは思うが、恐ろしい想像が止まらない。

 既に正義はリュンナを高潔に拒絶したのに、それがつまらないモノだったら、あまりにも報われない。

 

 勇者は、大勇者は、今日は天気がいいですね、と言うような口調で述べた。

 

「――人々が、笑って明日を迎えられるようにすることです」

「笑って、明日を」

「だからリュンナ姫も、ちゃんと正義の勇者だと思いますよ。この国に尽くすということは、つまり国民が笑って明日を迎えられるようになるワケでしょう?

 魔物から助けてもらった、良かった、また家族と明日を迎えることができる。友と明日に会うことができる。

 今日を笑って終えるだけじゃない。何かあれば、またきっとリュンナ姫は助けてくれる。貴方は信頼され、安心感を与えているんです。立派な勇者で、王女ですよ」

 

 それは、そうかも知れない。

 でも。

 

「でも」

「はい」

「わたし……わたしは……」

 

 声が震える。

 

「例えば、もしも、魔王が常軌を逸して強くて……とても倒せないとき……。もしも、魔王が、わたしに取引を持ちかけてきたら。部下になれば世界の半分をやろう、とでも言われたら。わたしは――もしかしたら、頷いてしまう」

「それは……」

 

 アバンがキョトンとした。

 理解できない、のだろうか。心があまりにも正義に傾き過ぎて。

 そんな取引に受ける価値はなく、約束が守られると信じるに足る理由はなく、故に石に齧りついてでも戦うべきだと。

 なんて、眩しい。

 

「それでこの国が助かるのなら」

「……ッ」

 

 ああ、やっと見つけた。この人の欠点。

 こんな自明の結論に、言われて初めて気付くだなんて。

 善良過ぎる。正し過ぎるのだ。

 

「先輩とわたしの、これが決定的な差ですよ。わたしは勇者と呼ばれていても、不完全なんです。先輩みたいにはなれない」

「いえ、前言を翻すつもりはありません。貴方は立派な勇者です」

「そんな、」

「私も同じですから」

 

 今度はリュンナがキョトンとした。

 何が同じなのか? 国ひとつと、全ての国を合わせた世界ひとつ。まるでレベルが違うだろうに。

 アバンは険しい顔をしていた、それは怒りではなく――彼の苦しみだった。

 

「貴方に言われて気付きました。私は取引を持ちかけられるまでもなく、それをやってるんです」

「それ、って……」

「守りたいものを守るために、それ以外を切り捨てること。人間を守るために、魔物を、です。魔王を倒さない限り邪気は払えず、魔物を殺さずに魔王へは辿り着けないと言い訳をして」

「言い訳って……ただの事実では……」

 

 ただの事実であり、故に仕方のないことだ。

 こちらがどれだけ友好的に接しようと、話し合いを試みようと、邪気に冒された魔物には関係がない。問答無用で襲ってくる。

 

 チウのように、魔物自身の気力で邪気を払えるようになるまで鍛えることは出来るかも知れない。

 だがそんなことをしている間に、それ以上の人間が死ぬ。

 集中力の配分を間違えてはならないのだ。

 

 そんなことはアバンも分かっている、と、リュンナには察せられた。

 

「確かに私は光の闘気に目覚め、一方でリュンナ姫は暗黒闘気の使い手です。しかしそれは、どんな感情で正義を行うか、という差異に過ぎません。どんな感情であれ、正義は行われているんです。

 たとえ不完全な正義でも、だからと言って、何もしないよりは遥かにマシでしょう? 力なき正義が行動しても無意味に終わってしまうように、行動なき正義が力を持っていても、やはり無意味なものです。

 力と行動。私も貴方も、それを兼ね備えている」

 

 アバンはテーブル越しに手を伸ばし、そっとリュンナの手を取った。

 優しく、あまりにも優しく握る。

 

「だから、安心してください。私が保証しますよ。そして何度でも言いましょう、リュンナ姫、貴方は立派な勇者の――後輩だとね」

 

 パチンとウィンクされたが、視界が歪んでよく見えなかった。

 よく見えなかったが、よく分かった。

 

「はいっ。先輩。力も行動も――もっと磨いて、必ず会いに行きますね」

「そのときを楽しみにしていますよ」

 

 ――そうして、アバンはアルキード王国を旅立った。

 

 

 

 

 数週間後、野生の魔物の様子が変わった。

 それまでは人を見れば積極的に攻撃してきていたものが、逆に人を避け、逃げるようになった。

 魔王軍の活動の噂を聞かなくなった。実際にアルキード内でも、あのミラーアーマーやクラーゴンのように、軍勢を整える魔物はもう出ない。

 人々が、平和が訪れた、と喜び始めた。

 

 結局、リュンナは間に合わなかった。

 ソアラやベルベル、リバスト、隊長辺りはだいぶ出来上がったものの、一般の騎士兵士たちも底上げしなければならない。でなくば国を守るには不安がある。

 そうこうしているうちに、アバンがハドラーを倒してしまったようだ。

 

 以前それとなく聞いてみたところ、アバンは凍れる時間の秘法をまだ使っていない時点のようだった。

 しかし原作で彼がこの秘法に頼ったのは、刀殺法やストラッシュが未完成だった故。

 リュンナとの技術交流により、既にアバン流がほぼ完成を見た今、ハドラーを普通に斃してしまったのだろう。今頃はヒュンケルを連れて、修行をつけながらの旅でも始めているのだろうか。

 マトリフがメドローアを開発するフラグを潰してしまったが、これもそれとなく誘導して、あとで開発してもらえばいい。

 

 アバンは来ない。

 別に、それでいい。

 

 

 

 

 ある日、マトリフが訪れた。ひとりだった。

 

「アバンの野郎が凍った。呪法を解きたい。手伝ってくれ」

 

 結局、歴史は変わらないのか。

 じゃあこの国も、結局はバランに?

 アバンのことよりそちらに絶望してしまう自分が、リュンナは嫌だった。

 



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27 凍れる時間の秘法

 ――凍れる時間の秘法。

 数百年に一度来る皆既日食の瞬間にだけ使える大呪法。対象の時間そのものを止め、半永久的に封印してしまう術である。

 アバンが古文書を頼りに研究を重ね、遂に発動を可能としたものだ。

 

 数百年に一度のその日がつい先日に訪れたのは、偶然か、天の配剤か。

 アバンはこれを以てハドラーを倒そうとし――レベル不足で自身も呪いに巻き込まれ、ハドラー諸共に時が凍ってしまった。

 

「そんな……。ストラッシュだってもう完成したのに! 普通に斃せば……!」

「足りなかったんだよ。頭数がな」

 

 王城の応接室で向かい合いながら、大魔道士の老爺は重々しく述べた。

 ロカとレイラは密かに愛し合っており、それは既にレイラの妊娠にまで至っていたことを。新たな家族の誕生をアバンは気遣い、彼らをパーティーから外したことを。

 

 武術の神とも呼ばれる拳聖ブロキーナを臨時に加えはしたものの、長きを共に戦った仲間ほどの連携力は期待できず、そもそも彼は高齢から体力に難がある。

 幸いハドラーを荒野に誘き出し、本拠地である地底魔城の攻略を省いて決戦に挑むことはできた。しかしそれでもなお、頭数と連携力と継戦能力の低下は無視できなかったのだ。

 

 マトリフが呪文で雑魚を散らし、ブロキーナがハドラーを押さえる。

 そこでハドラーに生じるほんの僅かな隙は、あまりにも僅か過ぎた。渾身のストラッシュを急所に直撃させるには、到底足り得るものではなかったのだ。

 ロカとレイラがいれば可能だったろう。特に気心の知れたロカとの連携は、アバンの戦果を何倍にも高めるものだから。

 

 ――ロカとレイラ。

 リュンナは忘れていた。何しろ9歳、転生して9年である。原作の細かいところまで、完璧には覚えていない。

 この後1~2年程度の時を経て封印は自然に解除されてしまうのだから、元々変える必要のない歴史ではある。

 だがまるで、自分と交流してアバンが強くなったことが、自分の存在が、まるで無駄だと世界に否定されているようで。

 

 だが現実は、その更に上を行く。

 

「そして問題なのは、アバンが凍っちまったことじゃない。凍り方が不完全なことだ」

「不完全」

 

 マトリフは語る。腕を組み、ソファに深く腰を下ろして。

 その顔には、濃い疲れが滲んでいた。

 

「アバンは、秘法を発動できる程度にはレベルが高かった。だが完全に制御できるほどには高くなかった。自分も巻き込まれて凍っちまった――その上で、その巻き込まれにほんの少し、奴の魔法力は抵抗しちまったんだ。

 分かるか? ほんの少しだ。秘法は遠からず解け始める、そのときにムラが出る(・・・・・)可能性が高い。

 例えば、心臓が動き出しても血管は凍ったままだったら? 破裂だ。血流は正常に動いても、肺が凍ったままだったら? 窒息だ」

 

 それは、なんという――おぞましい死に方だろうか。

 そんな死に方をしなければならない理由が、あの勇者にあるワケがない。

 嘘だと言いたかった。言えなかった。マトリフの心気は、本物だ。

 

 リュンナがいたからだ。リュンナと交流し、アバンは本来のこの時期よりもレベルを上げていた。半端にレベルを上げたせいで、秘法に殺される。

 

 頬から顎へ、熱いものが流れた。

 

「ごめん……なさい……」

「あん?」

「ごめんなさい、わたし……わたしが……! わたしがいなければ……!」

 

 堰を切ったように溢れ出す。拭っても拭っても止まらない。

 生まれてきたことを後悔させてやる、などというセリフがフィクションにはよくあるが、今はリュンナがその後悔する感覚を実感していた。

 原作通りなら上手くいくのだ。そこに異物が入って、ぶち壊した。

 望んだ転生ではないけれど、それならそれで、もっと大人しくしていれば良かったのだ。

 民が、国が、どれだけ傷付こうとも、最終的には上手くいくのだからと――

 

 そんなことできるかッ!

 

 できるわけがない。たとえ過去の自分に戻っても、リュンナは何度でも同じことをするだろう。

 だから、自分が自分であることをも後悔する。

 心がぐちゃぐちゃで、もう、何も考えたくない。

 

 ――ドガンッ! と。

 戦士並の力感をすら伴い、マトリフが拳をテーブルに打ちつけた。

 驚いて固まる。

 

 マトリフはそこから怒鳴るでも激昂するでもなく、中身がこぼれて濡れたカップを気にもせずに摘まみ、茶を啜る。

 それをリュンナは、固まったまま見詰めていた。マトリフの落ち着きぶりを。

 すると自分が泣いていることの方が不思議に思えてきて、嗚咽の衝動が薄まってくる。

 間もなく、未だ時折しゃくり上げながらではあるが、涙の追加は途絶えた。

 

 そのタイミングを見計らったように、マトリフがやっと言葉を紡ぐ。

 

「悪かったな。話す順番を間違えたかも知れん。女を泣かさねえのが俺の主義だったんだが……」

 

 どことなく気まずそうに視線を逸らしている。

 そもそもガキに興味はないなどと言われ、女扱いされていなかった気がするが。

 

「オメエがいなければってのは、よく分からん話だから置いておくぞ。まあ感情がいっぱいいっぱいになって、混乱しちまうこともあるわな。どこもオメエのせいじゃないってのによ……。

 重要なのは、助ける見込みがあるってことだ」

 

 目を見開いた。

 マトリフもリュンナに視線を合わせてくる。

 

「要は先に秘法を解いちまえばいいのよ。内からの自然解凍でムラができる前に、外から一気に解く!

 奴の持ってた古文書やその他の文献をいろいろと漁って、方法にも目星がついた。桁外れの大呪法とは言え、魔法力による技だって点じゃあ普通の呪文と同じだ。だから、魔法を消し去る手段があればいい。もちろん、メチャクチャ強力な手段が必要だが……。

 或いは、時間の止まったものさえも消し飛ばせるような手段があれば……。ハドラーの野郎を消しちまえば、秘法の効果の中心はそっちだ、巻き込まれたアバンの奴も解放されるハズ」

 

 魔物が大人しくなってから、マトリフがここに来るまでに、日数的に間があった。

 それを調べていたのか。

 

「タイムリミットは」

「半年――あるかどうか、ってところだ。俺の見立てじゃな」

 

 半年。長いのか短いのか。

 いや、短いハズだ。

 ポップはメドローアをたった数日で習得した。師匠が良かったからだろうが、原作においてそれを開発したマトリフも、リュンナが概念さえ伝えればすぐに開発できるだろう。

 

 思うにメドローアとは発想とセンスの問題であり、センスはあるのだから、メドローア開発にかかる苦労の殆どは発想にあったハズである。

 それをリュンナは、原作知識によって省ける。この世界の異物だからこそ、アバンを救えるのだ。

 

 もちろんその場合、ハドラーは消滅してしまう。跡形がなくなっても、バーンは彼を拾い上げるのだろうか。もしかしたら、ここからの歴史がまるきり変容してしまうかも知れない。

 だが既に変わり始めているし、アバンが死ぬことに比べれば、あまりにも些細なことだ。

 

 最悪、万が一今のマトリフに、ポップに教えたときほどのセンスがないとしても、それならリュンナ自身がメドローアを開発する手もある。

 左右の手で同時に呪文を使うことはできるようになった――両方同じ呪文なら、だが。しかし別々の呪文を使うことも、そのうち出来るようになりそうな感触がある。

 

 行ける。アバンを助けられる。

 マトリフが来てくれて良かった。子供だからと侮ることなく、助けになるハズだと、頼ってきてくれて。

 リュンナはマトリフの手を握った。細いのに、無数の年輪を刻んだ大樹のような手。

 

「頑張りましょう、マトリフさん。必ずアバン先輩を……!」

「おうよ。オメエはなかなかセンスがある方だしな……。この大魔道士と勇者姫とのふたりがかりだ、不可能なんざぶっ飛ばそうぜ。

 ――悪かったな」

 

 リュンナは首を傾げた。

 

「俺が止めてりゃ良かったんだ。自爆の可能性がある手なんかやめろってな。だが奴ならできると思っちまった……。信頼と盲信は違うってのに……」

 

 マトリフはリュンナの頭に手をやると、傾げた首の角度を戻させ、――あれ、今撫でられた? 一瞬だった。

 いや、それから肩に手を置かれた、そこに手を移動するまでの経路が、たまたま撫でるように感じられただけだろうか。

 

「今度は『信頼』するぜ……。やるぞ、リュンナ姫」

「はい!」

 

 今は、アバンを救うことを。

 



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28 マトリフ、その技量と知識

 メラ系とヒャド系は、熱を操るという点で、実は同じ呪文系統である。

 魔法力をプラスに高めれば加熱を行うメラ系に、マイナスに低めれば冷却を行うヒャド系になる。

 どちらも同じ――故に、メラ系単体、ヒャド系単体での極大呪文は存在しない。極大とは、その系統の発展の終着点だからだ。

 そしてだから、メラ系とヒャド系とを合わせた極大呪文が別に存在する。

 運動をプラスにする魔法力と、マイナスにする魔法力とをスパークさせ、その中間であるゼロにする魔法力を生む――『存在にゼロを乗算する』消滅のエネルギー。

 これなら時間が止まっている相手でも消し飛ばせる。

 

 ――といったことを、それとなくマトリフに伝えてみた。

 原作だの未来だの面倒なことを省くため、あくまでも自分の思いつきとしてだが。罪悪感はゴミ箱に放った、そんなものは今は重要ではない。

 

「極大消滅呪文――ってところか。なるほど、理論としては面白え」

 

 ところ変わって、王城近郊、郊外の森。

 魔物が大人しくなったとは言え、これまでの習慣から特に誰も寄りつく場所ではない。

 

「無理そうですか?」

「分からん、というのが正直なところだ。確かに俺は左右両手で同時に別々の呪文を使えるが、それを合成するなんぞ考えたこともなかったからな。しかし――そのために、ここなのか?」

「はい」

 

 メドローアを試すなら、屋内ではダメだ。壁も天井も、その向こうの人も、丸ごと消えてしまう。

 屋外で空にでも向かって撃つのがいいだろう。

 相殺できる人材がいれば別なのだが……。

 

「よし! 試してみるか。メラ、ヒャド――と」

 

 マトリフは、左右の手にそれぞれ火炎と冷気を宿した。

 

「これを……?」

 

 その両手を合わせるように閉じると、火炎と冷気は相殺されて消えた。

 

「……」

「……」

 

 再び左右の手に火炎と冷気を宿す。

 両手を合わせる――今度は反発し、まるで合成されない。

 

「……スパークさせるって何だ……?」

「えぇ……」

 

 原作で未来のあなたが言ったことなんですけど。

 

「いや、まあ、どっちも俺自身の魔法力だ。元々は同じもの! 合成ってのはできるんだろう。例えばメラとヒャドじゃなく、メラとイオで爆発する火球だとか、そういった呪文を作ることはできると思う。

 だが極大消滅呪文は、メラともヒャドともまるで性質の違うものになる。そんなことが本当に可能なのか……?」

 

 深刻な顔で考え込みながら、再びメラとヒャドを合わせる。

 どちらも消え去ったが、相殺というより、純粋な魔法力に還元され、呪文として分解されたように見えた。

 だがマトリフは、落ち込むどころか奮起する。

 

「いや、可能かどうかじゃねえ、やるんだ。極大消滅呪文! 理論上は確かに、時間が止まっていようが問答無用……! それでハドラーを吹っ飛ばせば、アバンの奴は助かる。

 リュンナ姫、俺はこいつを何とか完成させる。そっちはそっちで動いてほしい。魔法の無効化手段を探ってみるんだ」

「別行動ですか?」

「どっちかが失敗しても、どっちかが成功すりゃあ、それでいいんだからな。もしひとつの策に拘って失敗した場合、目も当てられねえ。手分けをするべきだ」

 

 一理ある。

 努力は必ず報われるとは限らない。

 見えている道も、ひとつではない。

 

「分かりました。ただ、進捗は毎日報告し合いましょう。それとまず、魔法の無効化についての講義をお願いします。文献を漁るにしても、やっぱり大魔道士に基礎を教わってからの方が効率がいいと思いますので」

「よし。善は急げだ、今ここでやるぞ」

 

 ちょうどいい高さと広さの岩があった。ふたりで腰を下ろす。

 

「魔法ってのは魔法力を加工して放つ以上、魔法力そのものを消し去るか、加工された構造を消し去るかで無効化できる。

 攻撃呪文に攻撃呪文をぶつけて相殺するのとはワケが違うぞ。それは言わば、剣を剣で打ち払うようなもの。剣を材料の鉄の塊に戻すだとか、剣を構成する鉄そのものをその場から消し去ってしまうだとか、そういう尋常じゃねえレベルの手段が必要だ」

 

 つまり――現実的には、非常に難しいのだろう。

 

「例えば強力な防具の中には魔法に耐性を持ってるモノもあるが、大抵は特別な素材に特別な呪法をかけて作るもんだ。それでさえ、メラは遮断できてもメラミは軽減するだけ、のようなものがザラにある。装備してる奴の魔法力次第で、効果は上下するが……」

 

 ソアラが冒険に着ていく魔法の法衣は、魔法に耐性がある。

 彼女はそれでマッドオックスのギラを受け切ることができていた。だがベギラマは流石に無理だろう。

 その程度のレベルでは、話にならない。

 

「或いは呪文だな。マホステっつってな、俺も契約方法は知らないんだが……。受けた呪文を全部無効化しちまう凄まじい呪文が、かつてあったそうだ。もしこいつをアバンにかければ、凍れる時間の秘法も解けるかも知れねえ」

「ああ、ウチの古文書にもありましたね、名前と効果だけ……。魔法陣が見付からなくって」

「そうか……。まあ戦闘面では、攻撃を跳ね返しちまうマホカンタの方が有用だからな。魔法陣を残す価値もないと思われて、廃れちまったんだろう」

「そのマホカンタじゃ――ダメ、ですよね」

 

 マトリフは嘆息しながら頷いた。

 

「飛んできた呪文を光の壁で反射するのがマホカンタだからな。既にかかっちまった魔法にはどうしようもねえ。

 あとは、そうだな――ああ、凍てつく波動なんてのもあったな」

 

 凍てつく波動。

 

「その技は……?」

「既にかかってる魔法効果を全て消し去る――らしい。ただ大昔の大魔王が使ったくらいしか情報がなくてな、そもそも実在するもんじゃなく創作の可能性も高い。

 ――今どうして技って言った?」

 

 一旦は説明を終えたマトリフが、ふと疑問に気付いてリュンナを二度見した。

 リュンナは目をぱちくりする。

 

「どうしてって……?」

「凍てつく波動だぞ。そりゃいわゆる呪文っぽい名前じゃねえが、それ以外の何らかの呪法や、儀式の可能性もあるだろ。技かどうかは……。いや、アルキードの古文書にはそうあるのか? 凍てつく波動は『技』だと……!」

 

 マトリフが身を乗り出すように迫ってきた。

 唾が飛ぶが、気にしている場合ではない。

 

「えっ、えっと。あー」

「どうなんだ!? 俺が知ってるより詳しいことが分かるのか!?」

 

 肩を掴まれ揺さぶられる。

 魔法使いの老爺とは思えないほどに力が強い。

 痛いくらいに。それは必死さの表れ。

 

 リュンナは目を泳がせながら、混乱を押さえて思考を巡らせた。

 

「む、昔……その……。その古文書がどこになくなっちゃったかは、もう……」

「何かが嘘だな。古文書ってところか?」

「……」

「だが凍てつく波動を知ってるのは本当だろう。話せ! 言えることは全て! 思い出すんだ!」

 

 凄まじい形相だ。

 怖い――とは、思わない。

 

「ぜ、ぜんぶ、『たぶん』ですけど。わたしが言えることは」

「構わん!」

 

 マトリフの手首に触れると、彼はようやく、自分がリュンナの肩を掴んでいることに気付いたらしい。ゆっくりと手を引っ込めていった。

 深呼吸。

 咳払い。

 

「凍てつく波動は、特技です。極まった魔王や勇者の一部が使うような……」

「勇者……。……!」

 

 マトリフの視線が、リュンナを真っ直ぐに貫いた。

 慌てて首を振る。

 

「む、無理ですよ! アバン先輩でさえ使えない技を、わたしが……!」

「アバンは知らなかった。知らないことは誰もできねえ。だがお前は知ってる! なら、それなら可能性は……! アバンの奴を……!」

 

 アバンを助けられる可能性。

 尻込みしている場合ではない。

 

「習得方法は」

「分かりません。でも……歴史上、いちばん最初に凍てつく波動を使ったとされるのは、闇の衣を纏い、冷気の攻撃を得意とする大魔王だったそうです。だから『凍てつく』波動なのだと」

 

 ドラクエ3、大魔王ゾーマ。

 それより昔の時代の物語である11にも使い手はいるから、その意味ではゾーマが最初ではないが、メタ的な意味なら話は別だ。

 

「闇の衣――恐らくその名からして、暗黒闘気の力に染まった防具か。或いはそういう防御技か……」

 

 勇者姫リュンナの闘気は、しかし光ではなく闇。

 

「そして冷気」

 

 リュンナの得意呪文はまずヒャド系、バギ系はそれに次ぎ、炎熱系は苦手。

 ドラゴラム状態では氷の息を吐く。

 

「たぶん……暗黒闘気と冷気呪文、それらの力を混ぜ合わせたものが凍てつく波動だって、ことに、なりますね……現状……」

「そうだ、リュンナ姫。つまり――お前が身に付けるんだ。それを!」

 

 マトリフはメドローアを。

 リュンナは凍てつく波動を。

 あとは半年以内に実現できるか、だ。

 



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29 気付き

 そうしてリュンナとマトリフの戦いが始まった。

 

 まずは文献を漁る。リュンナが第二王女の立場をフルに使って父王に直談判、アルキード王国内のあらゆる文献・古文書の類を読める権限を得た。リュンナ自身はもちろん、マトリフもだ。

 メドローアに似た呪文がないか、凍てつく波動の情報がないか、ひたすらに探す日々。

 いちいち解読作業が必要な古語や、或いは魔界の言語による禁書すらも。

 

 同時に技量を磨き、文献に頼らずとも自らで実現できないかを探っていく。

 マトリフは、メラ系とヒャド系をスパークさせる感覚を掴むために。

 リュンナは、ヒャド系魔法力と暗黒闘気を重ねられないかを。

 

 ――アルキード王城内、訓練場。最早リュンナの定位置となった隅の方。

 胡坐を掻き、手指を組んで、目を閉じ、額の第三の目のイメージだけを開けて、瞑想に沈む。

 己の内を見る。

 

 闘気とは――攻撃的生命エネルギー。中でも暗黒闘気は、怒りや憎しみなどといった負の感情から生じるもの。リュンナの場合は愛国心の裏返し、国を害するものへの敵意。

 魔法力とは――魔法力とは?

 

 魔法を使うための力、それは分かる。だが、魔法を使うために魔法を使うための力を使うのでは、あまりにも同語反復が過ぎる。何の説明もしていない。

 魔法力とは――それが理解できねば、暗黒闘気と重ねることはできない。

 

 逆にそれが分かれば、取っ掛かりは掴めるハズだ。

 原作において、超魔ハドラーは魔炎気を操った。あれは彼がもともと炎熱系の呪文を得意とし、更に暗黒闘気を戦闘利用する技術を得たからこそ可能なことだろう。キルバーン曰く、彼の体は魔炎気を発する超魔生物細胞でできていたと言うから、技術でなく生物的な機能として実装されたモノかも知れないが……。

 他にフレイザードの炎半身も、ミストバーンの手で魔炎気生物と化していた。彼は炎を吐き、炎の呪文を操る以外に、そもそもの体が炎でできていたから、参考にはならない気もするとは言え。

 

 瞑想――死の感覚――無の境地――全てが消え去れば、全てが見える。

 全てが見えるは流石に誇張だが、それでもそう考える。自己を鼓舞する。

 

 原作を更に思い出す。暗黒闘気について。

 竜闘気が攻防に、光の闘気や普通の闘気(?)がほぼ攻撃にしか使えないのと違い、暗黒闘気には多岐に渡る利用法がある。

 それこそ攻撃の他、拘束、操作、使役、回復、蘇生――魔法を増幅して撃ち返す。

 

 ミストバーンが一度見せた技だ。あれは何だったのか? 確かベギラマを受け止め、ベギラゴン級の威力にして一行に返した、あれは。

 本人がベギラゴンを使ったのではない。受け止めたのも、寧ろ受け止めたというより飲み込んだという方が近いような。

 真バーンの肉体は時が停止していて呪文は使えまいし、あれはミスト本人の技だと考える方がしっくり来る。つまり、暗黒闘気による技だと。

 

 暗黒闘気は魔法力を飲み込めるのか。

 魔法力が何なのか、が分からずとも?

 

「ヒャド」

 

 瞑想状態のまま呪文を唱え、手の中に冷気を生み出す。

 その過程で、無意識の深層にあるヒャドの脳内魔法陣が魔法力を引き込み、分子運動をマイナス方向に傾ける魔法力として加工、放出した。

 

「ヒャド……ヒャド……ヒャド……」

 

 その魔法力の流れを辿るため、とにかく呪文を唱え、魔法力を流しっぱなしに。

 邪魔な冷気は空気を凍らせた氷を作り、その辺に投げ捨てていく。

 傍らに氷の山ができても、魔法力の何たるかは未だ掴めず。

 

 魔法力を感じるのは、非常に難しいのだ。リュンナの無の瞑想を以てして、脳内魔法陣に引き込まれて加工されている一瞬しか分からない。どこから来て、どうなるのか、捉えられない。

 原作ではあのマトリフでさえ、呪文が不発して初めて魔法力不足に気付いたシーンがあるほどだ――いや、あれは体力不足だったのかも知れないが。それでも、自分が魔法力を操れるかどうかを、咄嗟に分からなかったのだ。

 

 だからと諦めるワケには、いかない。

 リュンナはただ続けた。反復した。深い瞑想に沈み、ヒャドを唱え続け、魔法力を知ることを試み続けた。

 瞑想――死の感覚――無の境地。殆どのことは、それですぐに何とでもなった。

 こうまで必死に繰り返し練習をするのは、生まれて初めてだ。

 

 何日も、何週間も、何か月も。

 そのうちに、マトリフが遂にスパークの感覚を掴んだ。

 

「随分と遠回りしちまったが、気付いてみりゃあ簡単なコツだったぜ。お前も両手で別々の呪文を使うことさえできりゃあ、すぐに同じことができるハズだ。俺がやるのを1回見ればな」

 

 そう述べ、次には両手の呪文のパワーを全く同じにする修行に入っていった。

 

 気付き。暗黒闘気と魔法力を重ねることにも、気付きが要るのかも知れない。

 例えば闘気に関しては、それが攻撃的生命エネルギーであると、原作で知っていた。認識があったのだ。だからこそ闘気があっさりと目覚めたのだとしたら。

 いやそれでは、魔法力を知るために魔法力を知る必要がある、堂々巡り。

 

 考えてみる。発想してみる。イメージしてみる。

 闘気は、攻撃的生命エネルギー。では魔法力も、何らかの生命エネルギーでは? 何だろう。魔法的生命エネルギー? それでは何も変わらない。例えば、精神的生命エネルギー。それは感情で色の変わる闘気の方が、より精神的だな。それに漠然とし過ぎている。それに呪文は、誰が使っても、規模の大小はあれど基本的には同じことが起きる。使い手ごとに個性的な剣技や闘気技とは違う。そうなると、例えば秩序的生命エネルギーとか? この世の秩序、法則に、働きかけて――それは生命エネルギーか? 逆だとしたら。もっと個人的な、けれど、共通の。共通。同じ呪文。同じ呪文名。で、同じことが起きる。同じ現象。呪文名を聞けば、それを知っていれば、誰でも同じ現象を思い浮かべる。例えば、メラは小さな炎だ。なぜ『メラ』なの? なぜメラという文字列、メラという発音なのか。メラ――メラメラ燃える様子。だからメラは炎の呪文だと覚えやすい、誰でも、そこから炎を想像できるから――

 

 あっ。

 想像的生命エネルギー。だ。

 

 掴んだ。

 何らかのイメージを結び、それを現実に変える力。それ自体は材料に過ぎず、加工を経ずにはおよそ役に立たない力。それのみでは役立たずなのは想像そのものも同じ、だが、想像力こそが、誰かが何かを実現する原動力である。

 火炎を想像し、火炎を作るのがメラで。

 冷気を想像し、冷気を作るのがヒャドなのだ。

 簡単なことだった。あまりにも簡単な。

 

 ヒャド、ヒャダルコ、ヒャダイン、マヒャド。

 アバンに追いつくために契約した呪文、それら脳内魔法陣がひとつに融合し、魔法力と暗黒闘気とを合わせて引き込む。飲み込み、溶け合い、混ざり合い、ひとつに――そして現実に放たれる。

 ただどす黒いのみだった闘気に、無数の光の粒が浮かぶ様相。寒々とした星の海めいた光景――極寒、極低温、その具象化。

 氷の暗黒闘気――魔氷気、といったところか。

 

 この世界の遥か過去に存在した大魔王ゾーマは、きっと魔氷気の使い手だった。

 闇の衣を纏い、凍てつく波動を放つ彼。ああ、想像できる。

 ならば、現実にできるハズ。

 

 魔氷気をどう使えば凍てつく波動になるのかは、まだ分からない。

 だが確かに、一歩、近付いたのだ。

 あとは手遅れになる前に。

 

 アバンの自然解凍まで――あと、1か月。

 



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30 ひとつ

 正しく想像できないことは、正しく実行できない。

 魔法力が想像的生命エネルギーである以上、魔法に関しても同じことが言える。理解していない呪文を使うことはできないのだ。

 

 メドローア――未だ誰も見たことのない呪文を正しく想像することなど、いったい誰にできよう? マトリフは苦戦していた。

 メラ系とヒャド系を全く同じパワーでスパークさせ、それでなお上手くいかないのは、想像が足りていないからに他ならない。消滅エネルギーの光の球体を作っても、それがすぐに崩壊してしまうのだ。

 

「弓矢みたいにして放ったら?」

 

 と、最早ヒントどころか直球で言ってしまうリュンナだが、それでも効果はなかった。

 まずマトリフ自身に弓矢の心得がないのに、それを想像のネタにしても仕方ないのだ。

 とは言え弓矢にしっくり来るものを感じはしたらしく、マトリフは実物の弓矢を手に取って練習を始めた。

 

「手応えはある……」

 

 訓練場で的を射ながら、マトリフはぽつりと呟いた。

 

「形を与えることで魔法力を安定させ崩壊を遅らせつつ、しっかりと狙いをつけて高速で撃つ――弓矢のイメージは、確かに理想的だ。俺も少しは弓矢ってもんが分かってきた。もっと練習すれば、メドローアに応用できるだろう。

 そして弓矢が分かってきたから、間に合わねえ、ってことも分かる……。あと2カ月、いや、1か月あれば……」

 

 アバンを巻き込んだ凍れる時間の秘法が半端に解けるまで――すなわちアバンの死までの猶予は、既に2週間を切っていた。

 

「誰かが完璧なメドローアを使ってるのを見りゃあ、一発でモノにできる自信はあるんだがな……。自分で開発するとなると、まったく難度が桁違いに上がりやがる。

 もちろん、諦めはしねえ。ギリギリまで足掻いてやる。2週間で1カ月分の成果が必要だってんなら、2倍3倍の密度で修練してやるよ。だがリュンナ姫……」

 

 滴る汗を拭いもせずに、乱れる息を必死に整えながら。

 

「たぶん、お前が、頼りだ。……そっちはどうだ……?」

 

 傍らで瞑想をするリュンナは、彼に視線を向けないどころか目を閉じていた――肉眼に限っては。

 額に第三の目があって、彼を向いているイメージ。彼の痛みも苦しみも見抜く目。

 その身は星の海の光景めいた魔氷気に覆われ、皆殺しの剣で自分にルカナンをかけては、それを魔氷気で解除しようと試行錯誤している。

 

 魔法力に闘気の強さを相乗できるようになったため、魔法耐性が上がっており、ルカナンは放っておいても勝手に解けてしまう。

 そうではない、そんな力技では、皆既日食の力を利用した秘法の強大な魔法力に対抗できない。

 相手の力を引くのではなく、ゼロをかけるような規格外の技が必要なのだ。それこそメドローアめいた……。 

 

「あまり順調とは言えないですね。思いついたことを片っ端から試してる段階です。どれが正解の道なのか分からないから、どの道にも全力を投入できない……」

「そうか……」

 

 傍らにはベルベルが浮き、魔氷気を纏ってすらなお噴き出るリュンナの汗を拭い、飲み物を口元に運び、体力補填にベホイミをかけ――と、触手を総動員して甲斐甲斐しく世話を焼いていた。

 リバストはこの場にいない。最悪、アバンが死ぬなら蘇生させれば良かろう、と述べ、ザオラルの熟達に励んでいる――魔王の邪気が消えたとは言えもとから狂暴な魔物はいて、それと戦い、殺して蘇生させる、を繰り返しているのだ。

 ザオリクの魔法陣が不明で契約ができない以上、死からの復活は絶対ではない。ベルベルを臨死から救い上げた時でさえ、実は成功率は2割程度と見積もっていたという。いわんや、完全な死から救おうとなれば――とても、頼れるものではない。

 

 しばし、リュンナは瞑想に、マトリフは弓を引くことに集中した。

 まるで的に中らない。やがて腕が震え、マトリフは弓を取り落とすに至る。

 

「ちッ……これだから歳は取りたくねえ……。おいベルベル、」

 

 俺にも回復呪文を、と続けようとした彼の背に、別人のホイミが当てられた。

 

「あんたは……」

「リュンナもマトリフも、根を詰め過ぎよ。少しくらい休んだらいいのに」

 

 ソアラだった。呆れつつも困り果てた顔。

 その心配を一顧だにせず、ふたりは即答した。

 

「そんな暇はねえ」

「そんな暇ないです」

 

 何しろ時間がないのだ。あと2週間を切ったというその猶予自体、そもそもマトリフの計算と推測によるものに過ぎない。

 毎日のようにルーラでアバンのもとに飛んではインパスで状態を調べて再計算しているものの、対象の秘法が未知数過ぎる。実際には3週間かも知れないし、1週間かも知れないのだ。

 ソアラは深い溜息をついたが、そんなことをされても変わらない。

 再び修練に集中しようとし、

 

「もう……。ラリホー」

「えっ」

「あ……?」

 

 マトリフが倒れた。

 疲れ切って抵抗力が落ちているところに、ホイミの心地よい温かさで緊張状態も弛緩させられてしまった――決定的な間隙に、その入眠呪文はよく刺さった。

 およそ大魔道士とは思えぬ、呆気ない陥落。兵士がタンカを使い、彼を部屋に運搬していく。

 

 その光景を、呆然と眺めた。

 

「ちょ……。姉上?」

「こんなになるまで疲れ切って、能率なんてもうゼロも同然でしょう。休まなきゃダメ」

 

 言いながら鋼鉄(はがね)の剣を抜くのはなぜなのか?

 マトリフにしたように、優しく眠らせてはくれないのか。

 

「避けちゃうじゃない」

 

 顔に出ていたらしく、指摘された。

 いや、それはそうだが。

 

「普段ならあなたの方が強いけど、今はわたしの方が強いのよ。リュンナ。ほら立って、お姉ちゃんが相手してあげるから」

「お姉ちゃんなんて呼んだことないんですけど。姉上」

「そうだったわね」

 

 クスリ、余裕の笑み。

 仕方がないので立ち上がる――その動作中の隙に、ソアラが合わせてきた。予備動作のないあまりにも迅速な攻め、『疾風突き』。

 だが純粋に反応速度の差で防ぐ。皆殺しの剣で突きを打ち払い、同時に『全体攻撃』――皆殺しの剣の呪力、精確に位置を捉えている相手に対して、攻撃をそこに発生させる――彼女の胴体を剣身の腹で打つ。

 ボディーを打てば内臓に利く、悶絶の苦しみだ。悪いが……

 

 ――鈍い音と共に跳ね返された。

 

「は?」

「リバストにスカラもらってから来たの」

「えぇ……」

 

 ガチだ。ガチで物理的に眠らせに来ている。

 慌てて後退し、それをまた疾風突きで追ってくる、距離が空かない。

 ベルベルはいつの間にか離れ、どちらの味方もせずに傍観。本当は休んでもらいたいけど、リュンナの気持ちも分かる――といったところか。責めまい。

 

 肉薄してくる足を魔氷気で凍らせようとして、不発した。

 ここに来て疲労が重い。どれだけ呪文で体力を確保してもらっても、精神疲労までは抜けないのだ。闘気を操る力が落ちている。

 ならば呪文だと思えど、ずっと魔氷気に集中していたせいで、ヒャド系以外の魔法陣を上手く認識できず発動できない。ならばとヒャド系を使おうとしても、魔氷気に混ざったまま上手く魔法力を取り出せず、これも不発。

 

 故に剣戟へと至る。

 ソアラの鋼鉄の剣を、皆殺しの剣で打ち払う、受け止める、跳ね返す、受け流す。

 足元がおぼつかない。ステップで避ける余裕がない。剣と、剣だ。

 

 足を止めてのタイマンでの斬り合いなど初めてだ、それも姉と、真剣で。

 何だかおかしな気持ちになってきて、笑えてきて、そうしたら楽しくなってきた。

 

 ソアラは情け容赦なく刃を向けてくる。この疲れ切った状態で、当たれば死。リュンナの防御を信頼しているのだ。

 ならば応えないのも失礼だろう。リュンナはソアラの防御を信じて、心臓を狙って突き、首を刎ねようと薙ぎ払い、頭を割ろうと振り下ろした。全て防がれた。

 

 ああ、この姉なら、火炎呪文からバランを庇っても死なない。呪文攻撃などあっさり斬り払って、恥晒しと呼ばれたら自分の手で父を殴って、バランが激昂する前に全てを決着させてしまう。

 国が救われる、明るい未来を信じられる。

 

 ソアラも似たことを感じている、と感じられる。

 これだけ強いリュンナがいれば、たとえ新たな魔王などの脅威が現れても、きっと国を守ってくれると、心から感じてくれている。

 

 互いに信じているから、剣を振るえる。

 剣さえもそれに応えて、決して折れず曲がらず、この剣戟を続けさせてくれている。

 

「まるで――」

「――そうね」

 

 まるで、剣とひとつになったような。

 まるで、姉妹ひとつになったような。

 いや、ようなではないのか?

 

 交差する剣、螺旋の力、ソアラの剣を巻き取ろうとする一瞬――ソアラもまた巻きを仕掛けてくる、その瞬間、何かが繋がった。

 

「あっ」

「あら」

 

 皆殺しの剣の回転が鋼鉄の剣のそれを飲み込み、上回り、剣から腕へと伝達して――ソアラはまるで自分がそうしたかったかのように、全身が宙を回り、引っくり返って、地面に叩きつけられた。

 スカラのおかげかダメージはない様子で、すぐに立ったが――

 

「これだ」

 

 リュンナの呟きで、反撃が止まる。

 

「相手とひとつになる感覚。ひとつになって、ひとつだから、操れる感覚。流し込む力を『そうなるように』流し込めば、『そうなる』んだ」

 

 リュンナは剣を持たぬ徒手の左をソアラに向け――その指先から、凍てつく波動が迸る。

 ソアラにかかっている全ての魔法の効き目がなくなった。

 本人もそれを感じたのだろう、驚きの様子。

 

「これは……スカラが……!?」

 

 理屈を述べるなら――それは、放たれた魔氷気の波動が他者の魔法力に染み込み、ヒャド系の力で想像の原動力となる情熱を冷却、加工構造を消し去って無効化してしまう技術。

 理念を述べるなら――それは、相手の魔法力とひとつになり、まるで『相手自身がそうしたいかのように』操り、魔法に自殺させる行為。

 

「ありがと――姉上……」

「リュンナ!?」

 

 力が抜けて、倒れて、支えられた気がする。

 

「これで……助かる……」

 

 今は眠る。

 そして。

 



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31 おかえりなさい

 マトリフのルーラで現場へと飛ぶ。

 ホルキア大陸の一角、人里離れた荒野。そこにアバンとハドラーは、向かい合って凍りついていた。

 周囲にはゴーレム、フレイム、ブリザードなど、非生物系の魔物が群がり、アバンを殴りつけたり、ハドラーを融かそうと炎を当てたりしていた。いずれも、まるで効果はないのだが。

 

 ハドラーの時間が凍ったことで地上を覆う邪気は途絶え、魔物は狂暴化から解放されたものの、それで全ての魔物が無害になるワケではない。

 そもそもハドラーの手で創造されたタイプの魔物は、邪気に関係なく生みの親に忠実であり、またハドラーが凍ったとは言え生きてはいるために、仮初の生命が尽きることもなかったのだ。

 もっとも魔王の指揮がない以上、そういった魔物も作戦行動は最早取らず、人間全体の脅威にはなり得ない。ここで無駄な足掻きを繰り返すのみだ。

 

 流星めいたルーラの着地衝撃、暴風が吹き荒れ魔物らを怯ませる。

 そしてマトリフは交差していた両腕を広げながら、

 

「ベギラマ!」

 

 左右それぞれの手から個別に、同じ呪文攻撃を放射。閃熱の帯は腕の振りに合わせて薙ぎ払われ、全周囲の魔物たちが焼かれ果てる。

 それでも熱に強いフレイムや、燃えにくいゴーレムは残る。それを、

 

「魔氷気……!」

 

 星の海めいて輝きを宿した常闇と冷気の具象化、氷の暗黒闘気が広がり、凍て殺した。

 フレイムは丸ごと鎮火され、ゴーレムは石材同士の隙間に入り込んだ氷によって割り砕かれ、バラバラに崩れ去る。

 

 そして距離があった故に生き延びた魔物たちは、すごすごと逃げ去っていく。

 その背にリュンナが魔氷気を伸ばそうとし、

 

「いい。キリがねえ」

 

 魔氷気は引っ込んだ。

 

「いつもこうだからな。俺が来る度に蹴散らしてんのに、一向に……。地底魔城で生産が続いてんのかね? ハドラーはここで凍ってるんだが。どうなってんだかな……」

 

 言い、マトリフはハドラーを一瞥した。それからアバンを。

 両者とも、瞬きひとつすることなく停止していた。呼吸も心拍もなく、風に髪や服が揺れることも、体勢がブレることもない。その辺に転がっている石ころの方が、まだしも生きた気配を感じられるほどに。

 表面は氷に包まれたように白く凍結していて、それだけ見れば火炎呪文などで解凍できそうだった。無論、そんなことはあり得ない。リュンナの仮想第三の目には、既に、凍れる時間の秘法の魔法構造が見えている。あまりにも強固で、精妙なそれ。

 

 だが何よりも目を惹くのは、時の静止したふたりの美しさだ。

 アバンの勇壮さも、覚悟も。ハドラーの邪悪さも、驚愕も。

 永遠に切り取られた一瞬。

 

 この秘法を、アバンは敵を封印するために使い、バーンは寿命の軛から解き放たれるために使った。

 実はその後者の方が、もともとこの呪法を開発した者の目的に近いのではないか。美しいものを美しいまま永遠とするために、編み出されたモノではないのか。

 そう思ってしまうほどに。

 

 涙が溢れてくる。

 そんな自分の感性に、嫌気が差す。

 

「ギリギリ――だな……! 明日にはもう解け始めていたかも知れねえ」

 

 リュンナに背を向け、マトリフはアバンの状態を解析呪文(インパス)で調べていた。

 正確には、アバンに作用している秘法の状態を。

 

 その隙に涙を拭った。

 

「マトリフさん」

「ああ……間に合ったってこった。お前が間に合わせたんだ。リュンナ姫! ――やっちまえ」

 

 マトリフが道を空けるように、アバンの傍らから下がった。

 歩み出て、触れる。

 

 凍ったアバンを見るのも、こうして触れるのも、今が初めてだ。

 マトリフは状態確認のため、頻繁に訪れていた。それについてくだけで良かったのに、リュンナは一度たりともそうしなかった。

 

 咎を突きつけられることが怖かった。アバンの痛ましい姿を見たくなかった。秘法の強固さを目の当たりにして、心が折れることを避けたかった。実は全てがマトリフの勘違いで、アバンは無事でピンピンしている可能性がある、という妄想を捨てたくなかった。何も知らされていないロカとレイラが当然ここに来ないことに、理不尽に腹を立てたくなかった。

 全て、もういい。

 もういいのだ。

 

 背伸びをして触れた頬は、思ったほどには冷たくなかった。

 荒野で吹き曝しにされている肌の、その相応の温度。

 岩よりも鋼よりも硬い。いや、きっと、この世の何よりも。

 

「先輩。今……助けます……」

 

 腰に抱き付いた。

 包み込むように、総身から凍てつく波動を発する。

 自他一如。魔氷気の波は、凍れる時間の秘法の魔法構造とひとつになる。染み入り、感染し、侵蝕する。騙す。お前は死にたいのだ、と。氷の棺に抱かれて、何も思わずに眠りたいのだ、と。

 皆既日食の力を利用した秘法の魔法力は莫大だ、正攻法では無効化など不可能。だから力ではなく、心で殺す。魔法力そのものを唆し、自殺させる。思考運動をマイナスにする、ヒャド系闘気の力で。

 

 解ける。

 融ける。

 

「やった……!」

 

 だからそれは、誰の言葉だったのか。

 

「一瞬巻き込まれたかと思いましたが……ハドラーだけが凍って! 私は――」アバンがふと見下ろした。自身の腰に抱き付く小柄を。「……リュンナ姫?」

「はい」

 

 震える声。

 

「これは……。どうやら、助けられたようですね?」

「はい……!」

 

 本人の主観では凍ったと思った直後だろうに、こうも瞬時に状況を把握できる。

 この欠点のなさが懐かしい。

 

 アバンの手が頭に乗せられた。ぽん、ぽん、と。

 

「ありがとうございます。貴方と仲間で良かった。……もちろんマトリフ、貴方もですよ」「ヘッ」

 

 彼の笑う声を聞いたのは、いったいいつぶりだろう?

 

「いつまでも寝こけやがって! だが甲斐はあった。魔王を倒した勇者は、しっかり凱旋しないといけないだろ」

「いやー面目ない。今更ノコノコ『私が倒しました~』とか名乗り出ても、皆さん信じないでしょうねえ。フローラさまくらいでしょうか」

「ウチも」

 

 リュンナがささやいた。

 

「アルキード王国も、信じますよ。わたしもマトリフさんも、頑張ったんですから」

「……ですね。それはそうと……」

 

 見上げる。

 やっと顔を見ることができた。

 柔らかく微笑んでいる。

 

「ただいま。リュンナ姫」

「はいっ。おかえりなさい、アバン先輩……っ!」

 

 凍っていたときよりもずっと、彼は美しかった。

 それに引き替え自分は何だ、こんなに大声を上げて、アバンの服のお腹を濡らして、こんなくしゃくしゃに歪んだ顔、とても見せられない。

 だから八つ当たりに、力ない拳で叩きながら。

 

「もっと早く帰ってきてくださいよ! わたし10歳になっちゃいましたよ……!」

「確かに――少し、背が伸びましたか。誕生日を祝えなくてすみません。その分、来年は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ぴしり、と。

 封印に亀裂の走る音が響く。

 

 振り返る。アバンもマトリフも、そちらを見た。

 魔王ハドラーの表面に、無数のヒビが。

 一瞬ごとにヒビは増え、広がっていく。

 

「くっ……。結局私のレベルでは、一時的な封印にしかなりませんでしたか……!」

 

 アバンが呻く。

 だが違う。知っている。

 原作ではこの倍以上の期間に渡って、ハドラーは封印され続けたのだ。このタイミングで自然解凍するハズがない。

 いわんや、原作のこの時点よりもアバンのレベルは高いのだ。ハドラーの封印期間が延びることはあっても、こうまで縮まることなどあり得ない。

 

 だからこれも、わたしのせい。

 恐らく、ハドラーとアバンと、ふたりの封印は『ひとつ』だった。どちらかを解けば、どちらもが解けてしまうものだったのだ。

 封印の中心はハドラーだとか、アバンは巻き込まれただけだとか、そんなことには関係なく。

 

「くそっ、ヒャダイン!」

「ヒャダルコ!」

「マヒャド!」

 

 マトリフが、アバンが、リュンナが、咄嗟に冷気呪文を放つ。集中攻撃。

 ハドラーの得意呪文は炎熱系であり、当然、それに耐性も持っている。ベギラマでは弾かれてしまう。リュンナに至ってはベギラマ自体を使えない。

 封印が解ける間際、ハドラーが動けず状況も掴めないタイミング。圧倒的な冷気の嵐は、それこそ秘法がなくても魔王を氷漬けに封印してしまいそうなほど。

 

 だが着弾の寸前、ハドラーは両手に光を宿した。

 3人の攻撃に反応したのではない。恐らく封印される寸前、先にアバンを吹き飛ばすことで逃れようと考えたのだ。事実はそうなる前に封印が成り、そして彼にとっては一瞬後である今、ようやくそれを実行するさま。

 それが中級呪文であれば、重ねがけされる冷気に耐えることは到底不可能だったろう。

 

 その光景は、実際は一瞬だったが、リュンナの目にはあまりにもゆっくりに見えた。

 ハドラーが両手を前方に伸ばして重ねると、それぞれの手に宿っていた光がぶつかり合い、渦を巻き、ひとつの破壊の奔流となって撃ち放たれる。

 極大爆裂呪文――

 

「イオナズン!」

 

 冷気が、蹴散らされる。

 



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魔王ハドラー編
32 最後の戦いへ


「いったい何だったのだ、今のは!? まるで時間ごと凍らされたかのようだった……! だが失敗したようだな、アバン! 俺はこの通り――健在ッ!!」

 

 イオナズンを放ちながら、魔王ハドラーは猛る。

 極大の爆裂光は、爆裂すべきその地点を目掛けて、3人分のヒャド系呪文による冷気の奔流を押し返していく。

 1対3だというのに、1の側が圧倒しているのだ。勇者たちが完全に押し切られるまで、あと何秒あるのか。

 

 もしその場から身をかわそうとすれば、冷気の放出が途絶え、かわし切る前に着弾し吹き飛ばされるハメになるだろう。

 いつかのアークデーモンのイオナズンなど、まるで足元にも及ばぬ威力。

 

 ハドラーは顔こそアバンに向けたまま、視線のみを動かし周囲を探った。

 

「部下どもは……おらんな。そこそこの時間が経ったようだ。あの猿のようなジジイも……」ブロキーナのことか。「しかし代わりの助っ人がいるようじゃないか、アバン! ええ? そのような子供に頼るとは……! 勇者も堕ちたものよッ!」

 

 ハドラーの気勢に応じてか、イオナズンの進みが勢いを増す。

 冷気は押され、最早、陥落寸前。

 

「堕ちた――と、思うか……! ハドラー!」

 

 だがアバンは、決然と。

 

「私の頼もしい仲間を侮辱される筋合いはない……!」

 

 アバンは放っていたヒャダルコを消した。

 素早く右手に剣を抜き、逆手に構えて、身を捻るように振り被る。

 抱き付いていたリュンナは、マヒャドを放つまま地に伏せ、刃の通り道を作った。

 

 ヒャダルコが消えた分だけ迫りくるイオナズンは、

 

「アバンストラッシュ!!」

 

 しかし、光り輝く斬撃に割られた。

 リュンナとマトリフの冷気呪文が押されながらも支えていたから、ギリギリまで気合を溜めることができたのだ。

 

「ぬう、……!」

 

 イオナズンは斬り裂かれたその時点で誘爆、大爆発が巻き起こるが、その位置では直撃にならない。

 あまつさえリュンナとマトリフが呪文をヒャド系からバギマに切り替え、爆風を斬り裂き散らし、身を守る。

 ダメージは互いにゼロ。

 

 荒野の冷たい風が、すぐに煙を浚っていく。

 

「ふんッ……。この俺のイオナズンを防ぐとは生意気だが、確かに人間にしてはやるようだ。もっとも、それもすぐに意味のなくなることだがな……!」

 

 ハドラーが不可解なことを述べた。

 すぐにアバンが問う。

 

「何を言っている……!?」

「今回俺が地底魔城から出陣した理由は、単に目障りな貴様を排除するためだけではない、ということだ。この荒野と……ホルキア大陸の残り5か所! 『起点』を仕掛けた。その意味が分かるか?」

 

 ここと5か所。計6か所。

 

「邪悪の六芒星……!?」

「そういうことだ! 中心には我が地底魔城! 六芒星範囲内のあらゆる人間から力を吸収し俺に還元する結界呪法が、次の満月の日には発動する……! 

 ああ、起点を探し出して破壊しても意味はないぞ。俺が生きている限り6つの起点同士は支え合い、修復し合う性質がある……。全てを同時に破壊でもすれば話は別だが……。

 何しろこれまで、そこそこの期間をかけて世界を血に染め、準備してきたのだからな。生半可な代物ではない」

 

 無理だ。どんな達人でも、互いに目も耳も届かない超遠距離で、全く同時に目標物を破壊することなど。

 ましてや次の満月と言えば――

 

「おっと、どうやら俺は封印されていたんだったな。次の満月と言ってもいつだか分からんが――ククッ、どの道1か月以内には必ずその日は来る」

 

 ハドラーはそう言うが、実際には、既にして1週間もない。

 アバンはともかく、リュンナとマトリフはそれを理解していた。

 その戦慄の表情から、猶予期間の短さをハドラーも察したか。いよいよ笑みを深くする。

 

「六芒星飢餓結界呪法が発動すれば、最早俺に勝ち得る者はいなくなる。たかが人間の力でも、大陸ひとつ分を集めれば膨大よ。それを俺に上乗せするのだからな……! やがては結界の範囲を広げ、地上全ての人間を我が家畜としてやろう!」

 

 それは正真正銘、魔王の所業。

 バーンの地上消滅に決して見劣りしない、地上支配の策。

 

 この策の優れている点は、ハドラーが強くなるのみではなく、人間は弱くなるところにある。

 一度結界を張ってしまえば、あとはもし危なくなったときには、その中に逃げればいい。それだけでもう、誰もハドラーに手出しできない。

 結界に踏み入った者は、力を吸われて弱り果てる――ハドラーに対抗できる戦力など残らないのだから、攻め入る選択肢が完全に消滅するのだ。

 

「なぜ」

 

 知らず、リュンナは口を開いていた。

 

「なぜ、そんなことを言うんです?」

「黙って実行すればいいのに――か?」

 

 ハドラーは凶悪に笑んだまま、ぎょろりとリュンナを睨んだ。

 

「知れたこと。アバンを逃がさぬためよ! 

 そうだろうアバン、貴様は来るだろう? 最早結界が発動する前に俺を殺すしか、人間を守る道はないのだからな! そして決着の場はここではない――地底魔城で、たっぷりと歓迎の準備をして待ってるぞ! クッハッハッハッハッハ……!」

「ま、待て……ッ!」

 

 言いたいだけ言うと、魔王はルーラで飛び去った。

 あとにはただ、沈黙する勇者のパーティーのみ。

 

 やがてアバンが剣を鞘へ収めると共に、静寂を破って言葉を紡ぐ。

 

「大変なことになりました」

「本当、なんでしょうか……先輩。結界呪法って……」

 

 リュンナが呆然と問う。頷きが返る。

 

「ハドラーは残酷ですが、どこか正々堂々としたところのある男です。余計な嘘はつかない……! 私を誘き出して始末しようということも、それを私が避ければこの大陸が犠牲になることも、どちらも真実でしょう。

 ならば選択肢はひとつです」

 

 勇者に迷いはなかった。

 どんな罠が待っているかも分からないのに。本当に正々堂々としているのなら、まず誘き寄せるということをせず、自分から挑みに来るハズだ。もし罠が特にないとしても、それはそれで無限めいた魔物の群れが待つだろう。

 

 そしてダンジョン内ではルーラが使えない。リレミトも場所によっては掻き消されることがある――魔王の本拠地なら、恐らく。

 つまり、十中八九逃げられない。死にに行くようなものだ。

 

 それでも。

 それでもあなたは、きっと。

 

 リュンナが思考に沈むうち、アバンはマトリフから、この半年近くのことを聞き出していた。

 

「ロカとレイラの子は、時期的にちょうど今頃生まれたかどうか、というトコロですか。流石にそんな子供から両親を奪うワケにはいきません。ふたりの協力は望めない……」

 

「ブロキーナの大将も、体力の問題がある。俺と同じジジイだが、呪文と格闘じゃあ体力の減りが違い過ぎる。いきなり決戦だったこの場所ならともかく、地底魔城になんぞとてもな……」

 

「となると、私とマトリフと――」

「わたし」

 

 名乗りを上げるのは当然、リュンナだ。

 ふたりを見上げ、暗黒闘気を漲らせるのは――それは、無意識な闘志の高まり。

 

「リュンナ姫」

「おいおい……」

「まさか今更、断らないですよね?」

 

 自然な顔で微笑めたと思う。

 ふたりは、力強く頷いてくれた。

 

「ええ、リュンナ姫。共にハドラーを討ち、真の平和を取り戻しましょう!」

「ヘッ! 俺もよくよく運のねえ奴だぜ。最後のパーティーに美女がひとりもいねえとは……! ま、美女よりお前がいた方が嬉しいがな」

 

 アバンは直球で。マトリフは捻くれているのか直球なのか。

 思わず噴き出してしまった。人間、笑えば何とかなるものだ。何とかなる気がしてくる。

 

 アルキード王国に出た魔物の退治を、アバンは手伝ってくれた。国に尽くしてくれたのだ。ならば今度こそ、アバンに尽くす。

 それは愛国心か? 半ばは。もう半ばは――愛では、ない。

 

「――ふふっ、良かったです。ああでも、その前に一度アルキードに戻らせてください。ベルベルかリバストか、せめてどっちかは連れて行きたいですし」

「もちろん構いませんよ、頼れる仲間は多い方がいい。と言うより、満月まで数日あるなら修行に費やしましょう。ギリギリまでレベルを上げたいところです」

「だったら俺たちもアルキードだな。組手の相手に事欠かねえ」

 

 そうして3人はアルキードに飛んだ。

 決戦が近い。

 



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33 ゼロの気

 魔王ハドラーの復活を、世界は間もなく認知した。

 大半が大人しくなっていた魔物たちが、再び狂暴化したからだ。

 

 狂暴性を失っていた魔物たちはそれゆえに人里を離れ、人間に殺されない場所で繁殖していた――それが、一斉に邪悪の尖兵となった。

 つまり封印前と比べて、魔物の個体数が爆発的に増大している。

 

 各国は迅速な、そして命懸けの対応を迫られた。

 個体数増大は恒常的なものではなく、今を凌げばやがて落ち着くものである。しかし逆に今を凌げねば、そこで人間は滅ぶ。

 

 アルキード王国でも、ソアラが陣頭に立ち、騎士兵士を総動員で対応に当たることとなった。

 傍らにはベホマを覚えたベルベルと、更にザオラルを使えるリバストが控え、万一に備える形。

 日に何度もルーラを使い、救援要請があった中でも、特に危険で重要度が高いと判断された町から順に巡っていく。

 巡る合間に帰ってくる度に、顔に浮かぶ疲労の色は濃くなっていった。

 

「なのにわたしたち、こんなコトしてていいんですか? 先輩……。修行は? 連日こうですよね!?」

 

 いつものテラスで、リュンナとアバンはお茶をしていた。

 今日の茶葉はアルキード伝統の高級茶。スッキリと爽やかな苦みが、ケーキの甘みを引き立てる。

 アバンは鼻歌を歌いながら、ケーキをフォークで割って頬張った。

 

「いいんですよ。これも修行ですから」

「やっぱりそう来るんですか……」

 

 いったい何の修行だというのか。

 国全体が未曽有の危機に殺気立っている中、呑気におやつタイムを楽しむことが?

 

「てゆーか、『修行は?』って聞きはしましたけど、それ以前に、そもそも修行してる場合ですらないですよね? どこかの国が落ちる前に、とっととハドラーを斃しに行くべきでは……」

 

 ゆっくりと香りを楽しみながら茶を飲むアバンに、リュンナは常識的な言を述べる。

 全く応えた様子はない。

 

 リュンナは溜息をついた。

 凍れる時間の秘法による封印期間が約半年だったこの世界と、1年以上だった原作――魔物の個体数爆発のによる氾濫の被害は、原作の歴史の方が大きかったハズ。

 そこを考えれば、確かに多少は悠長にすることも出来なくはない。ギリギリまで修行をして万全のレベルアップを果たし、それから挑む、という。

 だがアバンは原作だの何だのは認識していないのだ。なのになぜ、この判断に至る?

 

「ちょっと先輩?」

「集中力の配分を間違えてはいけませんよ、リュンナ姫。ゆっくりするときには、ゆっくりしなくては……」

「ゆっくりするときじゃない、って言ってるんですけど」

 

 アバンは微笑んだ。

 

「それが意外とそうでもありません……! これが修行である以上は。

 しかし、そうですね、そろそろ修行の成果を確認してみましょう。訓練場へ……。あ、これ食べ終わってから。残したら勿体ないですからね」

「……」

 

 お茶とケーキをお腹に片付け、まるで腹ごなしの散歩めいたゆっくりさで、訓練場へと赴く。

 

 そこは新兵に溢れていた。

 国の危機に、新たに志願してきた一般人たち――彼らに促成訓練を施し、魔物の大発生から国を守る一助とするためだ。

 

 彼らの視線を、リュンナは「痛い」と感じた。

 勇者姫と呼ばれたリュンナが、連日アバンとのんびりティータイムを楽しんでいることは、既に王城では噂となっていた。なぜ戦いに出ないのか、と。

 アバンに無理やり付き合わされているからなのだが、そのアバン自身も勇者のハズなのにこの行動であり、批判の的となっている。

 マトリフはメドローア開発を間に合わせようと、邁進しているというのに。

 もっとも視線を痛いと感じはしても、もはや柳に風と受け流せるようにはなってしまったのだが。

 

 アバンもまた気にした風もなく、訓練場の隅に陣取る。リュンナの定位置を、以前逗留していたころに見知っていた。

 そして自らの鋼鉄(はがね)の剣を抜き、それを見てリュンナもまた皆殺しの剣を抜く。真剣での組手だろうと。

 しかしアバンは、リュンナに剣を捨てるよう促した。

 

「鞘に入れるのもダメです。完全に手放してください。その辺に放るのでも構いませんから」

「はあ……」

 

 指示に従い、とりあえずその辺の地面に突き立てた。

 多少汚れはするが、この程度で傷がつくような粗大ゴミではない。

 

 アバンは、右逆手に握った剣を、身を捻り大きく振り被る――ストラッシュの構えを取った。

 殺気と闘気を漲らせ、それは空気が鳴動すらするほど。

 

「あの、先輩。殺す気ですか?」

「なーに、見立て通りなら死にませんよ。闘気も呪文も使わず、避けずに受けてみてください」

「殺す気ですか!?」

 

 悲鳴。

 

「貴方は既に知っているハズですよ、リュンナ姫。殺気立った環境の中で、自らは殺気を持たぬこと。想像してみてください――さっきのお茶会の光景を。今貴方の眼前に、その光景が広がっていると」

 

 目を閉じる。想像する。

 何だかんだ不平不満を述べながらも、お茶会は楽しかった。憧れの先輩とふたりきりなのである――さもありなん。

 それは殺気もなく、闘気もない世界。平和、平穏。平常。

 

「そう、そうです、リュンナ姫。行きますよ――アバンストラッシュ!」

 

 突進し直接斬りつける、(ブレイク)タイプのストラッシュ。

 避けずに受けろと言われたが、そもそも避けられる速度ではない。

 リュンナは無防備に刃を受け――刃はドレスを裂き、皮を断ち、肉に食い込んだ。骨にまで届かない。なぜだ? 一瞬で両断されるハズでは。いや、そうはならないだろうとアバンを信じたから受けたのだが……。

 リュンナを斬れない刃はそれでも振り抜かれ、リュンナは剣の長さの分だけ押され、後退した。

 

 振り抜かれたストラッシュ、その直後のアバン。溜め込んだ力を命中の瞬間に爆発させた、だから、今は力が抜けて全身が弱い。

 あ、隙だらけだ。ごく自然に思った。

 剣を振った腕をくぐるようにそっと踏み込み、突き立てておいた皆殺しの剣を拾って――やべっ、斬ったら死んじゃうな――柄尻を、ごくソフトに胸に打ち込んだ。

 

「うッ、……!」

 

 途端、アバンが後方へと吹き飛び、壁に激突する。

 打った力は柔らかくても、無防備な瞬間に、アバン自身が爆発させた力をカウンターで返した形になったからだ。

 これは、この技は……

 

「ごほっ、ぐ、おおお……べ、ベホイミ……!」

 

 アバンは自らに回復呪文をかけながら、何とか立ち上がる。

 その時ようやく、自分が忘我状態になっていたことにリュンナは気付いた。無念無想と言えば聞こえはいいが、要は理性よりも体の反応が優先されている状態である。

 自らの頬を張って気を入れ直すと、駆け寄り、身を支えながら、ベホイミを重ねてかけていく。

 

「おっと、ありがとうございます……。ってリュンナ姫は自分にベホイミをかけてくださいよ!」

「あっ」

 

 そうだった、ストラッシュで胴を斜めに斬られたのだ。幸い、臓腑どころか肋骨にすら達していないが、出血で服が染まっていた。

 しばし、互いに自分自身へとベホイミをかける。

 傷が粗方塞がったころ、アバンが口を開いた。

 

「さて、どうでした? アバン流奥義『無刀陣』の威力は……!」

「無刀陣……」

 

 やはり、これは。

 

「自らの闘気を完全に消し去ることで、防御回避不能な大技でさえ確実に受け流す……。舞い落ちる羽毛を斬ろうにも、軽さで押してしまい、斬ることができないように。そうしながら冷静に敵を観察、大技直後の隙にカウンターを入れる――これが無刀陣です。

 魔王は強い……。まともに正面からぶつかっては、勝ち目はないでしょうからね。

 そしてそのためには、殺気立った環境下においてさえ、闘争心を抑えることが出来ねばなりません。お茶会はそこを掴む修行でした」

 

 なるほど確かに、対魔物の軍勢で殺気立った王城内で呑気にお茶会をできるメンタルがあれば、戦場でもその境地に至れるかも知れない。

 

「それでも自分が剣を手にしてしまえば、それも難しいでしょう。だから剣を手放してもらったのですが……。リュンナ姫なら、剣を持ったままでも行けるかも知れませんね」

「いえ、剣を手放せば敵は油断か、或いは警戒か――何かしら態度を変えるでしょう。そこに隙を見い出すこともできるかと」

「おっ! 目の付け所がグッドですよ!」

 

 ――無刀陣。

 原作においてアバンは、地底魔城での対ハドラー決戦において、この奥義を掴んだという。

 それをほんの数日の差とは言え、決戦前に、それもひとに教えられるレベルで習得している現状。

 

「実は、もとは空裂斬なんですよ、この技。ほら、あれも剣を鞘に収める構えを取ることで昂ぶった心を抑えて、落ち着いて敵の弱点を探るでしょう? それの究極形と言いますか。

 リュンナ姫と修行をしていたお蔭ですね」

 

 つまり、確実に勝てる、ということだ。

 原作においてハドラーを斃した、静と動の奥義が揃った。ぶっつけ本番でアバンが原作通りに開眼することを祈る、最早そんな必要はない。

 ロカとレイラが参戦しないマイナスをリュンナが埋めて、アバンひとりでもハドラーのところに送り込めば、それで勝ちは決まる

 ならばあとは、実行するのみだ。

 

 ハドラーが原作通りの強さなら、だが。

 



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34 地底魔城突入

 マトリフのルーラでパプニカ王国首都へ――そこから北東の山岳地帯に、地底魔城の入口はあった。

 

 死火山の火口に続くあまりにも遠大な螺旋階段を、いちいち歩いて下りることはしない――陽光の影になっている底をアバンの照明呪文(レミーラ)で照らし直接目視、近距離ルーラで飛んで一気に下りた。

 火口の底で扉を開き、中へ。

 

 ――ばたん、と。

 扉は独りでに閉じ、鍵がかかって、外側で(かんぬき)の嵌る音がした。これでは開錠呪文(アバカム)でも開けられまいし、材質的にも破壊するには相当の手間がかかると見た。

 しかし今更、入ったばかりの地底魔城を慌てて出るとでも思ったのか? その背を魔物の群れで討てると?

 

「来たか……勇者ども……!」

「グヒョヒョヒョ」

「殺せェ! 皆殺しだ!」

 

 斧と盾を装備した上位の鎧兵士、悪魔の騎士。

 おぞましい桃色に染まった体、スターキメラ。

 黄色いローブを纏い杖を手にした亜人、大魔道。

 その他諸々、群れ、無数。

 

 火口の入口までは何もいなかった。

 一歩入った途端にこれだ。

 

 その全てを殲滅する余裕はないし、その必要もない。

 ハドラーさえ斃せば魔物を操る邪気は断たれ、大半は戦意を喪失するハズだ。

 

 無刀陣の習得に日数を要し、時間がないこともある。

 六芒星飢餓結界呪法――ホルキア大陸全土の人間をハドラーの生贄にする儀式は、最早、今夜に満月が昇れば始まってしまうのだ。

 

 だから、

 

「ラリホー!」悪魔の騎士の入眠呪文も、

「クワァッ!」スターキメラの火炎の息も、

「ベギラマ!」大魔道の閃熱呪文も、

「うおおおお!」「シャアア!」「死ねッ!」それ以外の全ての魔物の攻撃も、

 

「ここは俺が引き受けた……」

 

 全てを、たったひとりの男が吹き飛ばす。

 前に出たマトリフは、頭上を通って左右の手を繋ぐアーチ状の炎熱を掲げていた。

 それを頭上で圧縮、前方に伸ばした両手から、圧倒的な光の砲撃として撃ち放つ。

 今代の魔王ですら未だ身につけざる、地上では今唯一大魔道士のみが使い得るひとつの到達点、極大閃熱呪文――

 

「ベギラゴン、ッッ!!!」

 

 問答無用の光が、全ての攻撃を飲み込み押し流し、魔物の群れを貫いた。

 一瞬で蒸発できた個体は幸せだったろう。射線の端にいたばかりに半身だけが焼けて苦しんで死んだ者もいるし、掠りすらしなかったのに輻射熱のみで炙り焼きにされて絶叫を上げた者も多い。

 極大の閃熱は魔物のみに飽き足らず、ダンジョンの地形すら削り飛ばした。本来はここの魔物を全て斃さねば開かぬハズの、呪法のかかった奥の扉も含めて。

 

「今だッ!」

 

 魔物は全滅したワケではない、それどころか、これでようやく2割が削れた程度に過ぎない。モタモタしていれば囲まれてしまう。

 だから、誰も、躊躇わなかった。

 

「任せましたよ、マトリフ!」

「ご武運を! マトリフさん!」

「ぷるん!」

 

 アバン、リュンナ、ベルベル。それが先に進むパーティーメンバーである。

 ロカとレイラは娘――マァムと名付けたそうだ――が生まれたばかりで、とても戦いには駆り出せない。ロカはそれでもと猛ったが、娘と妻に泣かれてあえなく諦めたという。

 ソアラは第一王女だ、死地には引き摺り込めない。そもそも今アルキードで魔物の氾濫に対抗していること自体が、本来ならばおかしいのだ。

 だから万一の蘇生担当として、ザオラル使いのリバストは残さねばならなかった――父王の指示だ。もちろん、リュンナは納得している。国のためだからだ。

 隊長はついて来たがったが、魔王に挑むには単純にレベルが足りないと判断された。近衛騎士では飛び抜けて最強なのだが、それでもなお。

 

 勇者アバン、大魔道士マトリフ、勇者姫リュンナ、ホイミスライムのベルベル。

 だから、それだけ。

 そして今マトリフが、道を切り開くために独り残る。

 

 パーティーは広間を駆け抜け、先の通路へ。魔物たちがその背に殺到しようとし、

 

「ベギラマァ!」

 

 立ちはだかったマトリフの双手ベギラマ薙ぎ払いが、それを止める。

 攻撃範囲のみなら、反動が重く迂闊に射線を動かせないベギラゴンよりも上だ。あまりにも容易いこと。

 

「言ったろ? ここは俺が引き受けたってな……。理解できなかったか、三下ども」

 

 そう、ベギラゴンは反動が重い。それは肉体にかかる負荷という意味でも。

 不敵に笑むマトリフの口元には、臓腑から溢れてきた鮮血が垂れていた。高齢のマトリフでは、強過ぎる呪文には体がついて来ないのだ。

 

 それをアバンは察していたし、リュンナも鷹の目で今まさに様子を窺い知った。そんなリュンナの雰囲気から、ベルベルもまた。

 その上で、3名のうちの誰も、引き返そうとはしない。

 たとえマトリフと魔物たちとの死闘が、本格的に始まっても。

 

「マトリフさん……!」

「リュンナ姫、前を向いてください。あれはそう簡単に死ぬような人ではありません……! 我々がハドラーに辿り着く頃には、ケロッとした顔で追いついてくるかも知れませんよ」

「……ッ、ですね!」

 

 リュンナは前を向いた。いや、肉眼はもとから向いている――そうでなく、鷹の目を前に向けたのだ。

 ヒャダルコで敵の前衛を凍らせて後続への障害物にしながら、なおも進撃を防ぎ切れず、死の蠍に刺される――そんなマトリフの姿から、無理やりに引き剥がすようにして。

 

 瞑想――死の感覚――無の境地――全てが消え去れば、全てが見える。額に第三の目が開くイメージ。

 この仮想第三の目から視点を飛ばし、遠隔を眼前のように見る特技が鷹の目だ。遮蔽物すらモノともしない。

 境の山の砦を走破したときのように、鷹の目の視点のみを先行させダンジョンの地形を探査――目的地に続く道筋を割り出し、それを辿って進むのだ。

 

「先輩、そこ右です! 次の階段は上!」

「その調子ですリュンナ姫! ――海波斬ッ!」

 

 通路一杯に詰まるような巨体のキースドラゴンが吐く炎を、アバンが斬り裂き、剣圧が鼻先にまで届き穿つ。

 痛みに呻くドラゴンは前進をやめ、十字路は塞がれずに済んだ――右に曲がる。

 

 上下ふたつが並ぶ階段のうち上を選ぶ間際、ベルベルが下の階段に向けて刃のブーメランを放った。

 

「ぷるん!」

 

 影に同化していた暗黒色の骸骨――影の騎士を、その投擲が斬り裂く。危うくリュンナの背を剣で突くところだったそれを。

 リュンナが鷹の目で道を知り、アバンがその道を切り開く。ならば側面や後方を警戒するのは、ベルベルの役目なのだ。

 

 入口広間に大半の魔物が集まっていたのか、3名の前に現れる魔物は散発的だったが、だからこそ時に警戒が弛緩し、その隙を隠密型の魔物が突いてくることが多い。

 だがベルベルの触手は同時に触角でもあるらしく、目を向けずともほんの僅かな気配すら察して対処してくれる。

 

 影の騎士を斃したブーメランは旋回し、リュンナの頭にしがみつくベルベルのもとへ戻ってきた。

 

「流石わたしのベルベル!」

「いやー頼りになりますねえ」

「ぷるる~ん」

 

 如何に正しい道が分かろうとも、地底魔城は広大だ。満月が空に顔を出すまで半日、それは長いようで短いタイムリミット。

 ならばと急げば体力を消耗し、精神も疲労する。

 だから笑う。些細なことでも褒め合い、楽しく、嬉しく進む。そうして気力を保つのも冒険のコツだと、アバンは語った。

 

 直進し、曲がり、上って、下りて。

 時に同じ場所をぐるぐる回っているようであっても、鷹の目で全て見えている、騙されない、惑わされない。

 

 出現は散発的ながらに、気を抜けばその瞬間に襲い掛かってくる魔物ども――休息を取る余裕はなかった。

 体力の消耗は回復呪文で、呪文を使う魔法力は魔法の聖水で補う。

 アルキード王国が後ろ盾になっているのだ、貴重なアイテムとは言えそれなりの数は揃い、背嚢に詰まっていた。

 

 それでも気力の消耗は如何ともし難い。

 リュンナに限っては瞬間的な瞑想で何度でもリフレッシュできるが、アバンとベルベルはそうもいかない。

 だから笑う。ツラいときこそ、笑うのだ。

 

 ベルベルは笑った。

 

「ぷるるん」

 

 リュンナとアバンを進ませるために、キラーマシンに独り立ち向かいながら。

 



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35 夢見るベルベル

 ベルベルは思い出す。

 生まれてからずっと、夢を見ているようだったことを。

 

 人間と戦う魔物たちにホイミをかけたときも、時には自らの触手で人間を絞め殺したときも、意識はふわふわ揺蕩うようで、なぜ自分がそんなことをしているのかも理解できなかった。

 力を振るうのは楽しかったし、嫌悪感も特になかったが、一方で満ち足りるものもなかった。

 

 なぜ? いつもそう思っていた。なぜ自分は戦い、殺す? 特にそうしたいワケではないのに。

 人間が傍にいないときは、陽光の下、泉に浸かりながら微睡む。その方がずっと心地よい。

 なのになぜ、人間が寄ってくると、途端に自分は戦うのか。

 

 ある日、アークデーモンに出会った。その強大な力に怯え、震え、ただ従った。

 別に痛めつけられたり、理不尽なことを要求されたりはしなかった。彼の部隊に加わり、人間の町を襲うのみだ。規模こそ違うが、いつもやっていることと同じである。

 なぜ人間を襲うのかは分からないが、とにかく人間は襲うべき獲物らしいから。

 

 とは言え部隊にはほかに強力な魔物が大勢いるから、ホイミスライムの身で敵と直接戦うことはない。傷付いた魔物を回復し、再び立ち上がらせ、人間を襲わせるのが仕事だった。

 それは大将のアークデーモンでも同じだ。とても強い人間――信じがたいことに子供だった――に斬られた彼にホイミをかけた。焼け石に水だったが。

 

 なぜ? なぜ死にそうな魔物を延命させ、人間と戦わせるのか。

 別にそいつのことが好きなワケでもないのに。人間が嫌いなワケでも。自分が死にたくないから? 言うほど死にたくないか……?

 

 自分が死にたくないのだと知ったのは、アークデーモンが放ったイオナズンごと斬り捨てられ、その巻き添えになったあと。

 真っ二つになって地面に転がり、同じく真っ二つになったアークデーモンの骸の下敷きになって――体から力が抜けていった。心からも力が抜けていった。

 

 今なら分かる。そのときに魔王の邪気も抜けたのだ。意識が覚醒した。ずっと夢のようだった意識が、死に瀕して、明瞭になってしまった。

 恐怖した、絶望した、世の理不尽に嘆いた、己を操っていたモノに怒り狂った、操られる己の弱さを憎んだ。

 

 死ぬ。死ぬ。自分が消えていく。眠りよりも深く、二度と目覚めることのない暗黒の淵へと落ちていく。

 嫌だ、嫌だ! 助けて! 誰か! ああ、でも、けれど――これが、本当なんだ。

 ただ誰かに言われるままに生き続けていた、それを強いられていた、生まれてからずっと、『自分』ではなかった。

 でも、今、自分は、『自分』だ。本当の感情の激しさを知れた、最後の最後で、生きているって実感できた。

 

 だから無限の負の感情の中、ただ一点の光――自分を斬った人間への、この上ない感謝が生じて。

 それが身に染み入っていた暗黒闘気との結びつきとなり、死の闇とは異なる生の闇へと飲み込まれ、新生した。

 

 ――ベルベル。

 

 鈴をもらった。名をもらった。愛情をもらった。居場所をもらった。

 自分は世界一幸せなホイミスライムだと、何の疑いもなくベルベルは思う。

 リュンナのためなら死んでもいい。なぜなら生きるとは、単に生存するということではない、何を為し、何を遺すかということだ、と知ったからだ。

 リュンナを守ることを為し、リュンナに希望を遺せるなら、何の悔いがあるだろう?

 

 だからミラーアーマーに皆殺しの剣を振るわれたとき、自分が偶然リュンナを庇う形になって本当に良かったと思った。

 リュンナは必死に助けようとしてくれて――ああ、自分が死んでも、自分が彼女の中に残るんだ、と安心できたものだ。それがどれだけ素晴らしいことか!

 

 人間も魔物も知ったことじゃない。

 ただ、リュンナのために。

 

 だから今も、ベルベルは刃のブーメランを投げつける。

 

「ぷるん!」

 

 それは敵の放った巨大(ボルト)の風圧に逸らされ、だがそれは計算ずくのこと。むしろ風圧を後押しに加速し回転飛翔、クロスボウの弦を断ち斬った。

 同時にベルベル自身も、投擲の反動で既に矢の射線から身をかわしている。

 

 敵は巨体。右手に刀、左手にクロスボウ付き手甲を装備した、四本脚の単眼。

 ハドラーが開発した殺人機械、その名の通りの『キラーマシン』。

 

「ヤルナ……小サキ者ヨ……」

 

 巨躯に似合わぬ甲高い声で、機械は淡々と言った。

 

「ぷるっ!?」

「我ガ名……『ロビン』……キラーマシン、ノ、統括者……」

「ぷるぷる!」

「ソウカ。オ前ヲ殺ス」

「ぷるるる……っ!」

 

 ベルベルが会話に応じたのは、時間稼ぎのためだった。

 クロスボウの弦を断ってなお飛び続けるブーメランが、旋回の末、機械の無防備な後頭部に突き刺さる――乾いた音を立て、何らの痛痒も与えずに落ちた。

 

「ぷるッ……」

「無駄ダ……コノ身……剣デモ呪文デモ、傷付ケル事、能ワズ……」

 

 キラーマシン、ロビンが歩いて迫る。ベルベルは動かない。

 それはギリギリまで引き付ける行為。まだだ、もう少し、あと一歩――刀が振るわれた、ここだ! 回避!

 逃げ遅れた触手がいくらか斬り落とされたが、今、ロビンの足元がなくなった(・・・・・)

 

 ここは一定時間で床が少しずつ崩壊していく、罠の階層なのだ。落ちた先は、地の底に横たわるマグマの川。

 これがリュンナとアバンを先行させた理由。こんな場所でキラーマシンに粘られては堪らない、あまつさえルーラ系呪文を阻害する結界すら張ってあるのだ。

 唯一モノともせずに戦える例外は、先天的にトベルーラを習得済みで、生態として常に浮遊しているホイミスライム――ベルベルのみ。その熟練したトベルーラのみが、結界を無視して発動できるのだ。

 

 わざわざ4本も脚をつけて歩行移動するキラーマシンに、どう考えてもそれだけの熟練度はない。まずルーラ系を習得しているかも怪しい。

 崩壊する床の位置とタイミングを読み、誘導し、その足場を無にしてやったのだ。

 

 勝った!

 落ちていく機械の巨体を見下ろしながら、ベルベルは安堵し――

 

 ――その身に、クロスボウの弦が巻き付いた。

 

「ぷる……ッ!?」

「ソウ来ルダロウト……思ッテイタ……」

 

 ベルベルが斬った弦だ。遠隔攻撃を封じ、確実に接近してもらって、マグマに落とすために。

 その弦が、斬られたからこそ自由になり、あまつさえ弓幹(ゆがら)の中から長く伸びてきた。熟練の鞭めいた拘束、引っ張られて諸共に落ちる。

 射撃を封じて安心した相手を、その隙を突いて殺す――明らかにそのための機構。

 

 だがいい、とベルベルは思う。

 どの道ロビンはマグマに落ちるのだ、剣も呪文も効かぬ悪夢の殺人機械がリュンナを背後から狙うことはない――重要なのはそこだ。

 

 アバンは語っていた。敵陣に突入する際に最も注意する必要があるのは、立ちはだかる敵を倒すことより、後続の追い打ちを断つことだと。

 如何な勇者でも、キラーマシンは容易くない。別の強敵と戦っているときに挟み撃ちにされれば、一気に全滅が見えてくる。

 それを防いだのだ。だからどうなろうと、これで自分の勝ち――

 

「甘イ」

 

 がんッ、と。

 落ちるロビンが壁に刀を突き立て、その上に立った。

 

「ぷる――っ、」

 

 更に左腕を振るい、弦で拘束したベルベルをマグマへと振り下ろす。

 予備の刃のブーメランを振るい弦を断とうとするが、とても無理だった。先ほどは弦がピンと張り詰めていたから斬れたのだ、自由に曲がりくねる今の弦が相手では!

 

 ――ヒャダルコ!

 

 マグマの水面を凍らせてそこに落ち、焼死を防ぐ。

 だがそれは氷に叩きつけられることだ、身が弾け飛びそうな衝撃。

 

 しかも氷は瞬く間に融けてしまう、痛みに呻く暇はない、すぐに浮遊上昇。

 だがベルベルの身は、キラーマシンの左腕に繋がる弦に拘束されたまま。奴が腕を振るい、再びマグマへ落とされる。ヒャダルコ、凍らせ、氷に身を打たれ、融け、浮き、奴が腕を振るい――

 

「ぷる、……ぷるぷる……」

 

 堂々巡り、それも一方的にベルベルのみがジリ貧な。

 だがヒャダルコをやめれば死ぬ、他に選択肢はない。

 本当に?

 

「諦メタカ? ナラバ、武器ヲ捨テロ……投降スレバ赦シテヤル。再ビ、ハドラーサマノ……シモベトナレ……」

 

 嫌だ。

 

「ソモソモ……ナゼ、人間ナドニ従ウ?」

 

 人間に従ってるんじゃない。

 リュンナのために生きてるんだ。

 

「ナゼ?」

 

 リュンナは、ぼくの、お月さまだから。

 太陽みたいに、激しくも苛烈でも、一方的でもなく。

 見上げればそこにいて、優しく包んでくれて。

 闇の中、ほんの少しだけ道を照らしてくれて。

 ぼくはただ、ぼくのいきたい道を選べるんだ。

 

「ナラバ……ソノ道ノ果テデ……」

 

 刀を壁に突き立てて空いた右手が、背の矢筒から矢を抜き放つ。

 

「死ヌガイイ!」

 

 ――投擲。

 投げ矢はクロスボウに勝るとも劣らぬ威力で、弦に拘束されたベルベルに迫る。避けようにも鞭めいて弦を振られ、その力が浮遊飛行の力を上回る――無理だ。

 だからベルベルは、避けなかった。

 

「ぷる、ッ……!」

 

 瞬間、ほんの僅かに身をよじる。頭部の半分が弾け飛んだ、右眼球が宙を舞う。スライム族の単純な身体構造なら、この程度はまだ致命傷ではない。

 同時にその弾けた反動をすら乗せてブーメランを投擲。肉を斬らせて骨を断つ、相手の力を自分に上乗せする諸刃斬り!

 

「フン!」

 

 ブーメランは届き、そして右拳にあっさりと叩き弾かれた。

 

「往生際ノ悪イ――! ……?!」

 

 そう、その角度で弾くように調整して投げたんだ。魔神斬りの破と急だよ。

 弾かれてから旋回して、お前の足の裏にちょうど滑り込むように。

 

 ぬるり、と。

 ブーメランにたっぷりと付着していたホイミスライムの青い体液が、キラーマシンの足を滑らせた。

 

「ウワッ――」

 

 壁に突き立てた刀の上という、不安定に過ぎる足場。踏ん張りはロクに利かず、咄嗟に刃を掴んだ手さえ体液に滑る。

 投げ矢を受けて飛び散った体液だ。

 

「死ヌノハ――ワタシ、ダッタ、トハ――」

 

 ロビンがマグマに落ちた。

 呪文には強くても、天然の灼熱にはどうしようもないのか。巨体が炎上爆発し焼け焦げながら、ゆっくりと沈んでいく。

 ベルベルに繋がったままの弦、それ諸共に。引かれる。引っ張られる。

 

 ベルベルは思い出す。

 リュンナの仲間になってからずっと、夢のように幸せだった日々を。

 



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36 地獄の騎士バルトス その1

 リュンナとアバン、ふたりの勇者は地底魔城を駆け抜けた。

 死霊の騎士を斬り捨て、ギガンテスを撃ち抜き、ゴールドオークを砕いて。

 無限回廊の謎を解き、落とし穴を跳び越え、マグマの噴き出す罠を避け、暗闇の道を仮想第三の目で踏破して。

 

 ――地獄門。やがて辿り着いたそこは、ハドラーの待つ地獄の間へと通ずる、最後の障害。

 門の前には地獄の騎士。6本の腕に6本の刀、異形の褐色骸骨。

 

「来たか……勇者ども……」

 

 骸骨は口を利いた。

 

「ワシは地獄の騎士、バルトス……! この地獄門を守る最後の砦よ」

「アバンです」

「リュンナ」

 

 名乗られたら名乗り返す。

 勇者2名は距離を置いて止まり、身構えた。

 そしてリュンナがアバンにささやく。

 

「強力な呪法の門です。あのバルトスを斃すか許可を貰うかしない限り、決して開くことはない……。ここはわたしに任せて先に行け、は無理っぽいです」

「そのようですね……。ならば彼には悪いですが――」

 

 一気に決めようとした、そのときだ。

 バルトスの言葉には続きがあったらしい。

 

「勇者アバン! ワシと一騎討ちの決闘だ!」

「おっと、そう来ましたか……。いいでしょう――と言いたいところですが」

 

 アバンは傍らのリュンナを一瞥し、それから再びバルトスに向き直る。

 

「事は私と貴方だけでは済まないのです。互いに自由な身分の剣士ならばいざ知らず、私は勇者で、貴方は地獄門の門番だ。ハドラーを斃すため、ここは押し通らせてもらいますよ……!」

 

 アバンが鋼鉄(はがね)の剣を抜く。

 その横でリュンナも皆殺しの剣を。――ほっと一息つきながら。

 

「良かった」

「何がです? リュンナ姫」

「いえ、変な騎士道精神を発揮して、決闘を受けたりするんじゃないかと……ちょっとした危惧を」

 

 アバンは苦笑した。

 

「本当はそうしたいんですがね。あと数時間で満月が昇り、ハドラーの結界呪法が発動してしまいます。ここは正義のため、個人の主義主張は曲げるとき……!」

 

 理想的な騎士道精神が普通に罷り通ってしまいがちなこの世界で、リュンナは本当にそこを危うく思っていたのだ。いくらアバンとは言え、と。

 現実は流石の大勇者、柔軟である。

 

 ふたりで闘気を高めていく。

 と、バルトスが慌てて待ったをかけた。

 

「ま、待て! 本当にその小娘を戦わせるつもりなのか!?」

「リュンナです。よろしくお願いします」

 

 リュンナは半ギレで述べた。

 

「そのリュンナを……! 戦わせるのか?」

 

 言い直すバルトスは、そこはなるほど紳士だったかも知れない。

 だが言っている内容がいただけない。

 アバンも小首を傾げた。

 

「戦わせると言いますか、一緒に戦うのですよ。彼女はアルキード王国の勇者姫、私と並ぶ勇者ですから」

「勇者……! このような……!」

 

 このような女子供が、か?

 あまりに的外れな物言いに、緊張感を削がれてしまう。

 

「ここまで辿り着いた相手に、何を今更、って感じなんですけど……」

「だとしてもだ。たとえ敵でも女を殺したくはない……! 武人として最低限の礼儀ではないか。下がっていろ」

 

 こいつは。

 こいつは、何を、言っている?

 

「卑怯者」

 

 思わず口をついて出た。

 魔氷気のように冷たい声音。

 

「リュンナ姫?」

「なッ……! 言うに事欠いて卑怯!? リュンナ、貴様、ワシを愚弄するのか!?」

「はい」

「……ッ」

 

 流石に絶句の様子。

 

「むしろ愚弄されないとでも思ったんですか? そんな露骨な差別……。しかもそれを高潔だと思ってるからタチが悪い」

「さ、差別……! そんなつもりはないが……」

「つもりがなくても差別でしょうが。いえ、非戦闘員の女ならまだ分かりますよ。だいたい抵抗する力もなくて、それを一方的に殺すのはさぞ後味が悪いでしょう。

 しかしわたしには力があり、行動もある。女は殺したくないから仕方ないって、今から負けたときの言い訳ですか?」

 

 バルトスは最早言葉がない。カタカタと骸骨の顎が震え歯が鳴るのは、怒りによるものだろう。

 怒りたいのはこっちの方だ。リュンナは唾を吐き捨てたい衝動にかられた――品がないからやめた。

 

「そもそも女を殺さずにおいて、そのとき何が起こるか考えたことないんですか? 貴方以外の誰かが殺すんですよ。貴方は自分の手を汚したくないだけのクズ野郎です」

「ワシは地獄門を守る最強の騎士だぞ! 貴様を殺さぬよう、魔王軍に通達することができる! ハドラーさまも、そのくらいはお赦しになる」

 

 原作で実際にヒュンケルを育てる酔狂を赦されていたからか、その言葉には説得力がある。

 いや、この世界ではどうなのだろうか。あの手作りの星形首飾りが見当たらない。

 どちらであれ、関係はないが。

 

「だから? 私以外は殺すってことでしょう。アバン先輩も、マトリフさんも。ベルベルは女の子だから別だとしても……。頼れる仲間を失って、機を逸して、最早人間には絶望しかなくなる。

 そういう生き地獄を……。死ぬよりツラい苦境に叩き落とすことが、あなたの望みですか。そこまでされなきゃいけない咎を、女という生き物は負いましたか? 『現実』に『心を殺される』ことを……」

「そ、それは……!」

 

 バルトスが狼狽えた。

 考えたことがなかったのだろう。考えたことがあれば、そんな戯言は言えたものではないからだ。

 少なくともリュンナはそう考える。

 

「礼儀とは、相手のためのモノのハズ。相手に失礼がないように、と注意すべきモノ。なのにあなたは、自分の信じる礼儀を優先して、わたしを軽んじる。これだけ罵倒してもまだ、わたしに対する殺意がまるで湧いてこない……」

 

 分かる。殺気がない。

 アバンに対してはあるのに。

 

「そういうのを礼儀とは言わないんですよ。『個人的な好き嫌い』と言うんです。或いは『信念』と。なのにあなたは、それをさも相手のためのように、礼儀と称した。こんな……こんな卑怯者が最強の騎士をやってるような軍……」

 

 それを突破するために、マトリフは、ベルベルは、独り残っていったのに。

 バカバカしくなってしまいそうだ。そんな場合ではないのに。

 目の奥がツンと熱くなった。

 

「貴様の言いたいことは分かった……。しかしワシは、やはり女を殺すことはできぬ。たとえ敵でも……」

 

 バルトスは静かに、しかし確かに、微笑んだ。

 

「嫌いだからだ。女を殺すのは」

「じゃあわたしが前ですね。先輩は隙を見てストラッシュでも打ち込んでください」

「手厳しいですねえ、リュンナ姫……」

 

 途端に涙が引っ込むリュンナに、アバンが苦笑する。

 だって、嫌いと言うなら仕方ない。礼儀ならともかく、それは否定できない。

 そしてしかし、こちらは地上の人間全ての命運を背負っているのだ、やはり決闘には応じられない。そして相手に欠点があるなら、そこを突くのは当然だろう。

 

「そういう布陣で、文句はないですね? バルトスさん」

「ああ。ワシは地獄門の門番! 死んでもここを守るが務め……。しかし死のうがどうしようが、女を殺すのは性に合わん。ならば殺さず勝つまでよ!」

 

 清々しい顔をしていた。

 ああ、それなら、いい。

 

「いざ――勝負ッ!」

 

 リュンナが皆殺しの剣をその場で振り抜いた。全体攻撃の呪力――間合という概念を超え、斬撃がバルトスの眼前に直接発生する。

 しかし地獄の騎士は3本の刀であっさりと受け流すと、前進疾駆、刀を返して峰打ちを仕掛けてくる。

 

「知ってましたか、皆殺しの剣……!」

「もとは魔王軍のモノゆえ、当然に!」

 

 リュンナからも踏み込んだ。魔神斬り――防御意識の集中箇所を誘導し、生じた隙を、自在に曲がる雷光の太刀筋で突く。

 だが地獄の騎士は視野が広く、殺傷圏も濃かった。どれだけ意識を誘導しても、どの刀にもカバーされていない部位、というモノが発生しない。6刀流の強み。防がれた。

 

 ならば逆に剣1本の強みとは、そこに全力を集中できること。鍔迫り合いに持ち込む。

 小柄な童女のリュンナだが、暗黒闘気を全身に漲らせることで、侮れない力を発揮するのだ。バルトスは刀を重ねて防御するが、それでは力のロスが大きかろう。押し込まれていく。

 

 一方で地獄の騎士の強みももうひとつ、それは不死者であること。痛みがなく、怯みも恐怖もない。

 押し込まれて肩を裂かれるのも構わず、刀の1本を鍔迫り合いから外し、リュンナの胴へ峰打ちを叩き込む――

 

 ふわり、羽毛の防御。無刀陣とまではいかないが、脱力による『受け流し』の技。

 流した力の先は剣。鍔で相手の刀を絡め取るようにしながら、後ろへ倒れる――巴投げに引き摺り込んだ。

 

「うおお……ッ!?」

 

 もともと小柄なリュンナが重心の下に潜り込んでいて、バルトスが上から体重をかけていたこともあり、彼は堪らず宙を舞った。

 

「――アバンストラッシュ!」

 

 そして光の斬撃が、全てを断つ。

 バルトスはバラバラになり、散らばり落ちた。

 

「む、無念……!」

 

 ただしストラッシュが完全には入らないコースで投げた――辛うじて、まだ、彼は。

 

 



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37 地獄の騎士バルトス その2

 バルトスの攻撃はヌルかった。必殺の気迫がないのだから当然だ。

 それでも彼は、己にできる範囲で真摯に戦った。もはや愚弄するまい。

 八つ裂きよりも遥かに多い数になって落ちるバルトスを振り向きながら、そう思う。

 

「ワシが死ねば……門は開く……。トドメを、刺すがいい……」

 

 手足と分断されたシャレコウベが語る。

 戦いは終わった。そう、あとはトドメのみ。

 しかし、気になることがある。

 

 先ほども確認したのだが、バルトスの首に星の首飾りがないのだ。ヒュンケルが手ずから作った贈り物が。

 それが何を意味するのか? ヒュンケルを拾って育てていないのか。拾ったが、首飾りを作る前だったのか。地底魔城突入のタイミングは、原作と比べて半年以上前倒しになっている。

 

 最悪なのは、ヒュンケルはいて、アバンが本当にバルトスの仇になってしまう場合だ。

 トドメを刺す役目をリュンナが担ったところで、単に復讐対象がふたりに増えるのみだろう。

 そもそもトドメを刺さずに放置しても、あとでハドラーに処分される可能性が高い。結局は地獄門を守れていないので、そこをヒュンケルにウツツを抜かしていたからだ、とでもされて。そうすれば、めでたくヒュンケルの復讐リスト入りだ。

 或いはハドラーがバーンに拾われず、バルトスも普通に死ぬかも知れない。

 かと言って首飾りがない以上、彼に子供がいることを指摘できない。和解の道を目指すには……。まずは探りを入れる。

 

「何か言い残したいことがあれば聞きますよ」

「……ワシは……」

 

 例えば、息子を頼む、とか。

 

「今までどれだけ、女を苦しめて来たのだろうな……」

「……」

 

 黙って先を促す。

 

「ハドラーさまの指示で、部隊を率いて町々を襲ったこともある。ワシが直接手を下さずとも、父を、夫を、息子を、兄弟を……失った女たちは……どれだけ……」

「働き手がいなくなるワケですからね。別の町に逃げても、お金を稼げず路頭に迷うか……」

 

 アバンが後を継ぎ、しかしそこで言葉を切った。

 リュンナを気遣うような心気。

 だが、無用だ。

 

「あるいは不本意な仕事に就くか、自殺に至るか、ってトコロですか」

「リュンナ姫」

「こちとら第二とは言え王女ですよ。社会の闇なんて、いくらでもね……」

 

 転生者でもある。かつて成人していたのだ。

 

「その闇に、ワシが女たちを突き落としたのだな……」

「そうです。まあ、悪いのは全部ハドラーですけど」

「いや違う。ハドラーさまが命じられたのは、町を制圧すること。方法はワシに一任されていた。ワシが……ワシが、生き地獄を……」

 

 それだけ信頼された騎士なのだ。

 性格的に、ハドラーとは反りが合いそうにないが……。

 

「あの子の親も……今思えば……」

 

 おっと。

 

「あの子とは?」

「ヒュンケルという……。赤子のころに拾って、育ててきた――ワシの息子よ。親に見捨てられてしまったらしいのを、哀れに思って拾った……が……今、気付いた。見捨てさせたのは他でもない、町に攻め入ったワシなのだ……」

 

 そう、それだ。リュンナは原作で、ずっとそこが引っかかっていた。

 いかにも美談のように語られていたが、事実はどう考えてもただのマッチポンプである。

 女を殺さないことにも似て。

 

「アバンどの、リュンナどの……! 恥を忍んでお頼み申す……! ワシが奪ってしまった、本当の人間の温もりを……どうか、あの子に……」

 

 アバンは――頷きながらも、困惑の様子だった。

 例の首飾りがなく、バルトスとヒュンケルとの絆を見ていないのだから、仕方がない。

 だがリュンナは知っている。ふたりがどれだけ想い合っているかを。

 

「どうか……どうか……」

「ええ、任せてください。ヒュンケルはわたしたちが保護します。そして伝えましょう――あなたの父は、最期まで立派に戦った、騎士の中の騎士だったと……」

「フフッ……この冷たい骸の身に、そのような……望外の、名誉が……」

 

 騎士の中の騎士と評されたことが、ではない。

 ヒュンケルの中で、そう尊敬される父で在れるだろうことが、だ。

 わざわざ心気を読まずとも、それくらいは分かる。

 

 バルトスの身が急速に崩滅を始め、

 

「ありがとう、リュンナどの……ワシの曇った目を、覚まさせて……くれて。そして、ああ、ヒュンケル……想い出を……あ……り……が――」

 

 最後まで言い切る前に、灰の山と化した。

 

「まさか地獄の騎士が人間の子を育てていたとは、まだ飲み込み切れていない部分もありますが……。彼を高潔な騎士とその子に伝えることに、私も否やはありませんね」

 

 アバンは黙祷し、そして再び目を開けたとき、バルトスだった灰の山が蠢いているのを見た。

 

「これは……!? リュンナ姫、離れてください!」

「大丈夫ですよ」

「どういうことです……?」

 

 灰は渦を巻き、盛り上がり、異形の人型を形作っていく。

 6本腕の、褐色の骸骨を。

 

「地獄の騎士!? しかしこの暗黒闘気は――」

「はい、わたしのです」

 

 暗黒闘気による攻撃でトドメを刺し、相手がリュンナに対して心底から『感謝』の気持ちを持ったとき、その魔物は新生する。ベルベルとリバストから聞き取り調査をして得た結論だ。

 バルトスが崩滅したのは、仮初の生命力がストラッシュで尽きたからではない。リュンナが鍔迫り合いで肩を裂いたとき、剣を介して暗黒闘気を感染させていた――それによる攻撃である。ダメージ原理としては、恐らく闘魔最終掌に近い。死に際まで弱って初めて効果が出るような弱攻撃だが。

 感謝の気持ちを確認してから、トドメを刺したのだ。

 

 バルトスが気が付いた。

 

「……? こ、ここは……ワシは!? バカな、ヒュンケルを託して……死んだハズでは……!?」

 

 彼を正面から見上げる。

 

「ええ、あなたは死にました。でもね、あなたにもう一度機会をあげる。分かるよね? 暗黒闘気の繋がり……」

「リュ、リュンナどの……!? 確かに……この感じは、ハドラーさまの気ではない……。もっと安らかで、心地良いものだ……」

 

 流石にそうまで言われると照れる。

 バルトスから目を逸らす――その先にアバンがいて、ようやく得心の顔をしていた。

 

「なるほど、ベルベルやリバストと同じなのですね? 斃した魔物を、新たな仲間として再び起き上がらせる能力……!」

「そういうことです」

 

 どや顔。

 これがリュンナの策――力技だ。バルトスが死ぬことでヒュンケルに狙われるなら、バルトスが生きていればいい。

 

「魔物と人間とは言え、ヒュンケルはバルトスを慕っているハズ。でなければバルトスの方だって、今際の際にあんなに必死に頼み込まないでしょう」

「確かに」

「父の仇! とか言ってヒュンケルに狙われるのは御免ですよ、わたしは。これから保護する相手なんですから。そういうわけで、バルトスにはわたしに鞍替えしてもらいました。

 非生物系の魔物は基本的に創造主が死ぬと道連れですが、今はわたしが『親』です。これで心置きなくハドラーを斃せます」

「お、おおお……! つまり! リュンナどの……! ワシは、ワシは、まだヒュンケルと一緒に……!?」

 

 バルトスが熱い涙を流す。骨の身でどうやって……。

 

「女を殺すのは嫌いなんでしょ。じゃあ、好きなことは? 騎士として魔王に忠誠を誓うこと?」

 

 バルトスは膝を折り、座り込んで、嗚咽をこぼした。

 

「違う、違う……! 本当は違った! 女を殺さぬのも、『せめて』と思っただけだ。人間を襲わねばならぬなら、せめて女だけでもと……!

 ワシは不死者! 元は人間……! 生前の記憶などほとんどないが、それでも、それでも……騎士として、せめて……ワシは……!

 そして、だが、今はそれより……ああ……ヒュンケル……!

 ワシの好きなことは! ヒュンケルと共に生きることです……! リュンナさま!」

 

 座り込んだ姿勢から、美しく跪く姿勢へ。臣下の礼。

 その肩を、リュンナは剣の腹で叩いた。

 叙勲の儀。

 

「ならば、バルトス。これからはわたしの騎士となりなさい。わたしの仲間には、既にホイミスライムとオークキングがいる――今更地獄の騎士くらいどうってことないから。そしたらわたしの国で、ヒュンケルと暮らせるから」

「おお、おおお……! 誓います! ヒュンケルと、そしてリュンナさまのために生きると!」

 

 剣を引くと、バルトスは決然と立ち上がり――よろめいて再び座り込んだ。

 

「ううッ!? 力が入らぬ……!」

「新生したばっかりだもの。無理しないで、ここで休んでなさい。――先輩」

「ええ」

 

 アバンと視線をかわす。

 

「まったく驚きの展開ですが、重要なのはやはり魔王ハドラーの討伐! 遂に大詰めというワケです……」

 

 バルトスが死に、新生したとは言えハドラーの眷属でもなくなったことで、地獄門は既に錠が外れていた。

 押して、開く。その先へ。

 地獄をも踏破するために。

 



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38 戦いのとき その1

 地獄門をくぐった先は、長い長い上り階段であった。

 闇の中を、リュンナが鷹の目を先行させて罠のないことを確認しながら、アバンのレミーラで照らして駆け上っていく。

 ふと振り向いても、まだそう経っていないハズなのに、もはや入口の光すらロクに窺えない。

 

「事ここに至って、ハドラーはひとりで待ち受けているハズです。マトリフとベルベルとは別れてしまいましたが、リュンナ姫と共に戦える……! 2対1! 頼もしいことです――本当に!」

 

 足を止めないまま、アバンは語る。

 傍らのリュンナを見下ろして、ぱちんとウィンクすらしてのけた。

 余裕のある所作、それは己への鼓舞でもあろう。

 

「それで、先輩。作戦は?」

「激しい攻撃が予想されます。ベホマも必要な集中力が高く、戦闘中に使うのは難しい……。守勢に回れば勝ち目はないでしょう」

「ではガンガン行きます?」

「いえ、攻撃ばかりを考えても無防備になり過ぎます。バランスが肝要……! 集中力の配分を間違えないことがね。互いにフォローし合い、バッチリ頑張っていきましょう!」

 

 高度な柔軟性を保ち、臨機応変に対処するらしい。

 実際、それしかないだろう。ハドラーがどんな手札を持っているのか、幾度か戦ったことのあるアバンでも、未だに底が見えていないらしい。

 そんな状況で、相手を上手く嵌めるような策など実現は不可能だ。想定外の手札がひとつあるのみで全てが瓦解するのに、想定外の手札は必ずあるのだから。

 それを確認し頷き合うと、あとは黙って上っていく。

 

 地獄門前で、回復は既に済ませてある。

 呪文による体力の回復、魔法の聖水による魔法力の回復。そしてそれを座って行うことで、僅かな時間とは言え休息を取り、気力の回復までも。

 万全とは到底言えないが、それでもこの状況でこれ以上は望めない体調だ。

 

 原作において、アバンは最終的にひとりで魔王ハドラーに勝った。

 この世界ではリュンナがいて、アバンのレベルも上がっている。負ける要素はない。勝てるハズだ。

 リュンナは確信と共に歩を踏み――

 

 アバンに押し倒され、階段に伏せた。

 

「先輩!? 何を――ッ」

 

 血の匂い。魔物とは違う、人間の。

 回復は済ませたばかりだ。服に染み込んだ古い血か、いや、新鮮な匂いがする。

 アバンの血。

 

「ぐう、ううう……!」

 

 彼の体の体越しに振り向けば、アバンの背に『影』が突き立っていた。

 赤黒い影の体、悪魔めいた異形――その鋭利な爪の貫手が。

 もしアバンに庇われなければ、自らが貫かれていたと知る。鷹の目に集中していて、自身の警戒が疎かになっていた。

 しかしその鷹の目を掻い潜って接近してくるとは!

 

「先輩、今ベホイミを――」

 

 アバンは応えず身をよじり、影の異形の貫手を振り払う。

 すると影はもう片手を向け、

 

「ザラキ」

 

 死の言葉の渦が迫る。

 アバンはリュンナを階段の上へ向けて押しやり、渦から逃れさせた。

 

「ちょっ……何で――」

「行ってください、リュンナ姫! 急いで!」

「何を!? ふたりがかりで……!」

「ダメなんです! 早く!」

 

 鬼気迫る様子に、リュンナはもう迷わなかった。

 アバンに背を向け、階段を駆け上がる。広い空間の気配がある。

 そして鷹の目だけを後ろに残し、アバンの言葉を読んだ。アバンもそれを心得ていた。

 

「ハドラーがバルトスの異変に気付いた可能性があります。裏切り者として処刑に向かう可能性が……! せっかく助けた命を散らさせてはなりません!」

 

 一度新生した魔物は、再び同じ方法で復活できるのか? 不明だ。

 それが可能だとしても、条件に『リュンナの暗黒闘気でトドメを刺すこと』がある以上、離れてしまった今はどの道、実現できない。

 

「この影の魔物は、そのために我々を足止めするつもりでしょう。或いは影を無視してふたりで進めば、影自身がバルトスを始末する手筈か……。

 残念ですが、我々は分断されざるを得ません」

 

 リバストのザラキとは比較にならぬ呪いの奔流に、さしものアバンも動きが重い。

 あまつさえ影は、同時に甘い息すらも吐いてきた。ザラキの渦の中で眠ってしまえば、それこそ永遠の眠りに就くことになる。

 アバンは海波斬で息を散らすが、それが精一杯。ザラキは健在で、剣圧も影本体まで届かない。

 

「影を斃し、必ず後から追い付きます……! 先に行って、ハドラーを止めてください! 斃してくれとは言いません、時間稼ぎで構わない……! どうか!」

 

 そこまで読んでから、鷹の目を引き戻した。

 声を届ける。叫ぶ。

 

「ええ、時間を稼ぐのはいいですが……! 別に! 斃しちゃってもいいんですよねえ!?」

 

 冗談でも言わなきゃやってられない! リュンナは心中で嘆息した。

 激しい攻撃が予想される、守勢に回れば勝ち目はない。そんな相手にひとりで時間稼ぎなど――半ば自殺だ。

 

 だが行く。

 だって、嬉しかったのだ。アバンはバルトスに対し、原作ほどの思い入れはあるまい。けれど彼を拾い上げたリュンナの意を汲んで、彼を生かそうとしてくれている。

 そもそも身を挺してリュンナを庇い、それを当然のこととして動いた。

 

 それだけ大切に思われている、ということだ。他でもないリュンナが、アバンに。もちろん、仲間として。

 大勇者の大切な仲間! これほど誇らしい立場が他にあるか?

 

 だからリュンナは駆け上がった。疾風のように走った。

 階段を駆け抜け、大広間――地獄の間に辿り着く。闇の中、一定の間隔で幾本もの柱が立つそこ。

 

 そこに、魔王はいた。

 暗黒のローブとフードを纏い、大きな宝石の首飾りを下げた姿。

 魔王ハドラー。

 

「む……!」

 

 彼はリュンナの姿を認めると、眉根を寄せた。

 

「貴様は確か、あの時アバンにくっついていた……! 我が影め、しくじりおったな」

 

 ハドラーの影――いや、『魔王の影』か、あの魔物は。

 そんなことはどうでもいい。

 

 疾風の走りが歩きに変わり、間もなく止まった。ハドラーまではまだ距離がある。

 なのに、これだけ気圧される。

 凍れる時間の秘法を解いた時と違い、今は傍らにアバンもマトリフもいない。ベルベルもリバストも、この場にはいない。

 呼吸が速い、鼓動が速い。知らず、冷や汗が噴き出す。

 

「貴様ごときに用はない……! アバンが来ないのならば、失敗作のバルトスを俺自ら処刑しに行くまでよ! まさか俺以外の暗黒闘気に阿るなどとは……」

 

 眷属との繋がりの切れ方に、不審さがあったのだろうか。バルトスの状態を把握しているようだ。

 リュンナにはまだできないこと。ベルベルが無事かどうかも。

 

「ともかく、そういうワケだ。どけ」

「いいえ」

「……ほう?」

 

 ハドラーが不敵に笑んだ。即答は予想外だったのだろう。

 自分でも予想外だ。リュンナもまた笑った。不格好に引き攣っていようとも。

 

「それは……俺と戦う、ということか? この魔王ハドラーさまと……!」

「はい」

 

 はいだのいいえだの、ドラクエの主人公かよ。ウケる。

 ああ、冗談のひとつやふたつ飛ばさなきゃ、とても耐えられない。

 ハドラーとは、これほどまでに圧倒的な怪物だったか。ただ気配のみで。

 

「クックックッ……! そんな無様な姿でか!」

 

 魔王の指さした先は、リュンナの足元だった。

 見下ろすと、いつの間にか水溜まりができていた。

 何これ? どこから湧いて出た?

 ああ――自分からだ。この両脚の間から。涙がこぼれた。視界が歪み、揺らぐ。

 

 ぎゅっと目を閉じる――けれどそれは、逃げるためでなく、立ち向かうため。

 瞑想――死の感覚――無の境地――全てが消え去れば、全てが見える。

 額に第三の目が開くイメージ。

 リュンナは自分の恐怖を見た。恐怖の形を知った。恐怖の乗り越え方が見えた。

 

「あなたは」

「ククッ、どうした」

「アルキード王国を、どうしますか」

 

 思わぬ問いだったのか、ハドラーは少しだけ沈思黙考した。

 だが間もなく答える。

 

「無論、滅ぼすとも。アルキードのみではない――地上全ての国を破壊し、全ての人間を我が家畜としてやろう! なに、案ずるな……。少し世代を重ねれば、人間ども自身がそれを幸せだと感じるようになる」

 

 牛や豚が、外敵に襲われずエサの豊富な生活に耽溺するように?

 

「赦さない」

 

 そんなことは赦さない。

 

「わたしの国。わたしの民」

 

 国のわたし。民のわたし。

 

「絶対に守る」

 

 それは正義感ではなかった。

 煮え滾る憤怒であり、深淵よりも深い憎悪だった。

 子供や巣を守ろうとする野獣の母のような、容赦なく、善悪もなく、苛烈な想い。

 形振り構わぬ魔獣の境地。

 

 だから魂の奥底から湧き出し噴き上がってくる莫大な奔流は、光ではなく暗黒。

 星の海めいて無数の輝きを宿す、常闇と冷気の具象化――魔氷気。全身に纏う。

 

 恐怖を乗り越えるのは、愛国心だ。

 

「わたしはアルキード王国第二王女――『勇者姫』リュンナなんですから……ッ! ハドラーッ!」

「フンッ! やっと楽しめそうな面構えになりおったか。良かろう、遊んでくれる」

 

 今――戦いのとき。

 



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39 戦いのとき その2

 皆殺しの剣をその場で振り抜く――全体攻撃の呪力。

 バルトスにも防がれたモノだ、ハドラーに通じるとは思えないが、防御させることで肉薄の隙を作り出す。

 その予定だった。そうなるハズだった。

 

「カァァッ!」

 

 彼の眼前に直接発生する斬撃が、防御どころか、気合の一声で吹き飛ばされた。

 それは魔法力の放出だった――魔剣の魔力は跳ね返され、斬撃の発生がリュンナと重なる位置にまで後退してくる。

 

「うう、ッ……!」

 

 魔剣本体で打ち払って防ぐ。

 だがそれは、

 

「イオラッ!」

 

 魔王の放つ爆裂光弾を、剣で打ち払えない間ということ。

 剣持つ右とは逆、左手を光弾に向け、自身も呪文を唱える。

 

「ヒャド!」

 

 呪文の位階を落として速射性を上げた。

 冷気に生じた氷の礫が光弾を撃ち抜き、被害の少ない手前で誘爆させる。

 爆風に煽られる中、しかしその範囲を素早く後退して抜け出す――身軽さを増す身かわしの服の加護。

 

「上手いこと防ぐじゃないか小娘……! リュンナだったか? なら、これはどうかな!」

 

 真空斬りの剣圧は煙を斬り裂き、しかし魔王の纏う炎熱の渦に散らされた。

 彼は渦を左手に集約し、それを右拳で打ち抜くようにして放つ。

 

「ベギラマッ!」

 

 閃熱の奔流。

 リュンナは既に接近を試みていた。攻撃をすれ違って回避し、行動直後のハドラーの隙を突くために。

 だがベギラマ――閃熱の範囲が広い。敢えて収束度を緩め、命中率を重視してきた。ベギラマほどの呪文なら、それでも充分な火力が出る。

 尊大な態度だが、意外と戦い方が利口だ。

 

 これを避けていては、いつまで経っても接近できない。真空斬りで防ぐのも敵本体まで剣圧が届かず、すぐに次の攻撃が来てしまう。

 そして遠距離で呪文の撃ち合いになれば、極大呪文を擁する魔王相手に勝ち目はない。

 リュンナが選んだのは、

 

「ベタンッ!」

 

 マトリフ直伝、重圧呪文。

 

「俺の知らん呪文を……!? う、おおおッ……!?」

 

 重圧がベギラマを床に叩き付けた、足裏のみ魔氷気で防御しながら駆け抜けていく。

 更にハドラー本体さえも重圧は捉え、膝をついてこそいないものの動きが鈍っていた――いやダメだ、呪文が破られる!

 

「ああああああああああッ!」

 

 叫ぶ。絶叫する。ウォークライ。

 わたしは獣だ。魔王を殺す魔獣だ!

 剣速ではなく間合を詰める速度において最速の剣技、疾風突き――ここまでの生涯で最高の速度。

 

 その脇腹を抉るように斬りつけ、しかし、より深くまで突き込む前に拳で打ち払われてしまう。

 そこでベタンも破られた。吹き抜ける余波衝撃を素手のかまいたちで斬り裂いて、近い間合を維持。

 

「接近戦が望みか? だが今の呪文なしで、どこまでやれるか!」

 

 一足一刀。

 大上段に構えた皆殺しの剣を、袈裟懸けに振り下ろす。

 

「ふん!」

 

 拳で打ち払われた――その勢いすら吸収し、折り返し迫る雷光の太刀筋、魔神斬り。

 

「おおッ!?」

 

 これにはハドラーも驚いたか。

 だがリュンナは、剣を振りながら、既に失敗を認識していた。

 完全な魔神斬りは意識の虚を突くため、相手は斬られてから気付くのだ。先に驚ける時点で――ああ、やはり!

 

「惜しかったな!」

 

 ハドラーの反応が間に合い、逆の手の2本指で挟み止められた。

 やはりベタンがなくてはハドラーの素早さに追いつけないのか。だがあれだけ集中の重い呪文を、この間合ではもう使えない。

 

 それに剣を引こうにもビクともしない――何たる力か!

 だが魔剣の呪力はまだある。

 

「蝕め、皆殺しの剣!」

 

 魔剣から青い光が放たれる。浴びた敵を物体としてあまりにも脆くしてしまう、ルカナンの魔法効果。

 ハドラーはまともに浴び――しかし彼の首飾りの宝石が、反応するように怪しい光を放つ。

 ルカナンが掻き消された。

 

「あ――」

「メラゾーマ!」

 

 火炎が、まるで導火線を走るように剣を伝ってくる。全身を包まれる――大丈夫、全身に纏った魔氷気の膜がある! 防げる。

 事実、防げた。リュンナは燃えない。

 

「妙な闘気を……! ククッ、しかし――」

 

 ハドラーは挟み止めた剣を振り上げた。

 そのまま剣を握り続けていては、体ごと振り回されてしまう――咄嗟に剣を手放し、だから、ハドラーの左拳を剣で打ち払えない。

 だが魔氷気がある――全開の気を右拳に集中、正拳突きにて迎撃!

 

 膨大な衝撃に弾かれながらも、打撃の威力は殆ど相殺できた。代償に、集中した魔氷気はおよそ吹き飛ばされてしまったが――

 ――熱い。

 

「う、あ……、ああぐう……!?」

 

 気付けば火達磨。のたうち回る。

 魔氷気が吹き飛ばされてしまった分、メラゾーマの火炎を防げなくなったのだ。

 だがベギラマの炎熱でさえ突っ切れたのに、上級呪文とは言え、たかがメラゾーマの炎、魔氷気で掻き消し切れるハズだったのに。

 

「――俺のメラは地獄の炎。相手を焼き尽くすまでは決して消えん! そら、妙な闘気はもう出せんのか? 出せたところで、いつまで持つか、だがな……!」

 

 そうだ、原作でも殆ど使われていない能力だから忘れていた。

 ベギラマより、イオナズンよりも、ハドラーのメラゾーマだけは絶対に受けてはならなかったのだ。

 

 何とか気を入れ直し、魔氷気を再び纏って防いだころには、身かわしの服は燃え尽きていた。

 下に着ていた魔法の鎧が露――ミラーアーマーの残骸を宮廷錬金術師が研究、呪文を反射は出来ないが大きく軽減は出来る、劣化模造品の製造に成功していたモノだ。

 これがあってこそ、リュンナは未だ戦闘力を失わずにいることができている。

 

「なかなか上等な装備をしているじゃないか。脆弱な人間の涙ぐましい努力よな」

 

 ハドラーは既に皆殺しの剣を後ろに放り捨て、リュンナに肉薄してきていた。掬い上げるような蹴りが迫る。

 脱力、受け流しの特技――蹴りのダメージは避けた、しかし爪先に乗せて投げるようにして、身を宙に浮かされてしまう。

 

「そうらッ!」

 

 そこにハドラー渾身の右拳。最早かわせない。

 せめてものクロスアームブロックを挟むが、その両腕を諸共にへし折られ、鎧の胴がひしゃげ、内臓がかき回され、身ごと吹き飛ばされた。

 咄嗟に防御しなければ、吹き飛ぶことも出来ず、腹で上下に分断されていたか。

 飛ばされた先で柱に激突、倒壊させ、その向こうの壁でようやく止まりながらそう思う。

 

「ご――ほッ、お、――ぇぇッ! ひっ、ひぐっ……」

 

 呼吸が上手くできない。腹の中身が丸ごと飛んでいったような衝撃。視界は涙よりも、散る火花で塞がる。どちらが上でどちらが下か分からない――ああ、こっちが下だ、嘔吐物の流れる方向。殆ど胃液しかないが。

 魔氷気もまた吹き飛ばされ、改めて纏い直す、その間にメラゾーマにまた蝕まれた。

 

 凍てつく波動で消せるか? 消せるハズ。

 ハドラーが丁寧に魔法力を高めてイオナズンの構えを取っている今、ようやくその余裕ができた。

 

 凍てつく波動がリュンナの全身から迸る。

 リュンナを害し続けるメラゾーマの効き目がなくなった。

 鎮火。

 

「むッ? 俺の地獄の炎を……。思ったよりは危険な存在かも知れんな。

 良かろう、遊びは終わりだ。喰らえィ!!」

 

 ハドラーが両手を前方に繰り出す。

 リュンナはベホイミで、折れた腕の骨を辛うじて繋ぎながら――

 

「イオナズンッ!!」

「ルーラ!」

 

 ルーラの高速移動による回避。

 行先は――皆殺しの剣が放り捨てられたその地点!

 

「剣を……!?」

「五月雨剣ッ!」

 

 剣を拾い上げざま、そのまま振り上げ振り抜いた。

 自在に曲がる雷光の太刀筋、そのジグザグの頂点で真空斬りを放っていく―― 一振り四斬、つるぎのさみだれ。

 四つの剣圧のうち、ハドラーは両手でふたつを、蹴りでひとつを防いだが、残りひとつが首飾りを打ち砕いた。

 

「ッ!? おのれ……!」

「蝕め、皆殺しの剣!」

 

 今ならルカナンが通るか。青い光。

 ハドラーは魔法力の放出で防ごうとしたが、流石に極大呪文を使った直後だ、圧力が弱い。ルカナンの光が咆哮を貫通した。

 リュンナは脆くなったその身へ斬りかかろうとして、

 

「うッ、……!」

 

 痛みに呻き、剣を取り落とした。

 腕の骨の繋ぎは、完全ではなかったのだ。

 魔氷気の膜も、力尽きたように消えていく。

 

 ハドラーはそれを好機とばかり、疾駆し踏み込んでくる。

 

「少々驚いたが! もはや闘気もないらしい……! これで終わりだ、小娘ェーッ!!」

 

 再び渾身の右拳、狙うのは顔面。直撃すれば首から上が吹き飛ぶ。

 リュンナは避けない、動かない。目が霞み、フラつく所作。

 

 だからハドラーは、疑いもせずに右拳を突き刺し――羽毛の感触、リュンナは鼻が潰れて血を噴き出すものの、それ以外の損傷はなく、拳に押された分だけ後退した。

 

「――ッ!?」

 

 無刀陣。

 

 あとは刹那。

 ぬるり、拳とすれ違い踏み込んで、落とした剣を踏んだ反動で跳ね上げ右手へ回帰。逆手、身を捻って大きく振り被り――あらん限りの魔氷気を集約、命中と合わせて爆発させよう。

 

 先輩の名を冠するには、闇の使い手の自分は相応しくない、とリュンナは思う。

 あれは光の技であるべきだ。だから、この一手は――

 

「――ゼロストラッシュ!」

 

 絶対零度の斬撃が、敵の命運をゼロに導く。

 



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40 開眼 その2

「どうして逆手持ちなんですか?」

 

 以前、そう問いかけたことがある。

 アバンは悪戯っぽく笑み、逆に問い返してきた。

 

「どうしてだと思います?」

「えぇ……。カッコいいから、とか? いえ、あり得ないですね……」

「そうでもありませんよ。カッコいい技は、自分や味方を鼓舞し、敵を威圧することができます」

 

 確かに、アバンストラッシュはカッコいい。

 如何にもな必殺技感がある。

 

「もちろん、それだけではありません。

 人体の力の出しやすさや刃物の性質などの要素から、この逆手の構えの方が、実はよく斬れる面もあるのです。まあ人それぞれ体格や癖など違いますし、場合によりけりな面もありますから、一概には言えませんが……。

 つまり心身両面で、私という人間に合致している。そういう技だということです」

 

 必殺技に自らの名を冠するのは、何よりも自分に合った技だから、という背景もあるのか。

 

「じゃあ、もしわたしが使うなら」

「おっ、リュンナストラッシュにします?」

「えぇ……ヤです……」

 

 アバンストラッシュはカッコいい。だがリュンナストラッシュはちょっと……。

 そのアバンストラッシュにしても、アバン自身やその使徒が使うからカッコいいのだ。リュンナには荷が重い。

 暗黒闘気版の空裂斬を会得した以上、闇のストラッシュは撃てるハズだが、どうにも気が乗らなかった。

 

 ――だが今、全ての力と闘気を一瞬で爆発させる技として、これより相応しい技はないと思った。

 光の闘気ではなく魔氷気を込めた、ゼロストラッシュ。

 

「ぐおッ、おッあああああああ! バカなッ! こんな!」

 

 ハドラーがよろめき、後退する。その身には左腕がなかった。

 無刀陣ですら反応防御された、ということだ。剣の前に左腕を差し込まれた――だがルカナンで脆くなっていた腕は、耐えられず、斬り裂かれながら魔氷気に凍てつき、粉々に砕け散った。

 

 腕を失った左肩口も凍って、出血がない――代わりに、氷の範囲がじわじわと呪いのように広がっていく。

 これでは魔族特有の再生力も働くまい。

 

 だがリュンナにも、追撃をする余裕はなかった。

 闘気を消耗し過ぎた。視界が暗い。音が遠い。

 打撃で拉げた魔法の鎧に内臓が圧迫され、呼吸が浅い。

 

 そうだ、鎧を脱げばいい。しかし留め金や紐をひとつひとつ外していくのは大変だ。

 リュンナは魔氷気を鎧に作用させ――結露から凍結へ――氷の膨張力で鎧を内側から破壊し、ガラガラと部品を足元に落としていく。

 あとに残るのは、鎧下の布の服のみ。

 

 これで呼吸ができる。呪文にも集中しやすい。ベホイミ。気分が楽になってくる。

 

「メラゾーマ! メラゾーマァァ! 解けん、なぜだ、この俺の呪文で……! あり得ん……!」

 

 ハドラーは左肩の凍結を火炎呪文で排除しようとしているが、凍結の広がりを遅らせる効果しかないようだ。

 暗黒闘気によるダメージは回復呪文を受け付けない、という話があったが、その現象の親戚だろうか。

 好都合だ。

 

「もはや女子供と侮らんぞ! リュンナッ! 全身が凍りつく前に――バラバラにしてやるッ!!」

 

 ハドラーは左肩の直接解凍を諦め、殴りかかってきた。闘気の源であるリュンナが死ねば、氷も解けると考えたのだろう――リュンナ自身にも確証はないが、恐らくそれは正しい。

 対してリュンナは満身創痍。ベホイミでは焼け石に水。

 だから剣を捨てた。

 

「バカめ! 勝負を捨てよったかああーッ!!」

 

 暗黒闘気を込めた右拳。

 純粋な肉体の力のみなら先ほどから既に全力だったが、それを超える本気の本気。

 なけなしの闘気では防ぎ切れない。

 ならば無刀陣しかない。

 

「……ッ」

「くっ、さっきと同じか! 面妖な動きを……ッ!」

 

 頬を打ち抜く拳を受け流し、それでもなお首が折れそうに軋んだ。

 反撃はハドラーの手首への手刀。

 闘気はゼロのまま、しかし、敵の威力を吸収反射する諸刃斬りの術理、その手首をへし折る。

 

「うがあああー!?」

 

 ハドラーが絶叫を上げて苦しむ。

 やはり無刀陣は効く。だがアバンほどの才人でないリュンナでは技が不完全なのか、トドメを刺すに至らない。

 ここまでのダメージで体力が足りないのもあるだろう。

 

 そして次の一撃で死ぬ。

 受け流しも100%ではないからだ。流し切れなかった僅かな威力でも、もう充分に死んでしまう。

 

「ならばこうだ! 喰らえッ!」

 

 後退したハドラーの闘気弾。イオラめいて飛び来る暗黒の塊。

 受け流したところで距離がある、これでは最後に反撃もできない。

 

 せめて。

 せめてもう一撃。

 追い付いてくるアバンが、ほんの少しでも楽になるように。

 

 既に役に立たない目を閉じた。濃密な死を感じる。

 瞑想――死の感覚――無の境地――全てが消え去れば、全てが見える。

 全てを見通す第三の目、額に開く。

 

 闘気弾。迫る。見る。

 なにか隙は、弱点は、突破口は。

 

 暗黒闘気。負の感情。

 ハドラーは何に怒り、何を憎んでいる?

 或いは力を振るって我を通し、弱者を虐げて愉しむこと、それもまた負の感情なのか。

 

 違う。見える。

 怒りの裏返しの、使命感。憎しみの裏返しの、愛。

 同じだ。

 

 なら、ひとつになれる。

 闘気弾を受け――リュンナは、小揺るぎもしなかった。

 耐えたのではない、弾いたのでもない。

 闘気弾は消えた。リュンナの中に吸い込まれて。

 

「な――に?」

 

 ハドラーが困惑する。

 狼狽えて仰け反っている。

 

「何だ……それは……。貴様、本当に人間なのか!?」

「自他一如、凍てつく波動に開眼したわたしなら、闘気の吸収も――」

「違う、違う!」

 

 魔王の声が、不自然に震えた。

 

「そんなことを言ってるんじゃあない! き、気付いて……いないのか……?」

 

 ハドラーが鼻水を垂らしながら指さした先は、リュンナの額だった。

 第三の目が開く――イメージに過ぎない、彼に見えるワケではない。ただの額があるのみだ。

 そのハズだった。

 

 第三の目が、ある。

 瞬きできるし、肉眼と同じ感覚で視線をあちこちに向けることもできた。

 動かす度に、ハドラーがビクリと反応する。

 

 鷹の目――視点移動の特技。自分を見た。

 最早イメージではなかった。そこにあった。

 縦に開いた眼窩、縦に割れた瞳孔。

 竜の瞳の様相。

 竜眼――という言葉が、自然と浮かんだ。

 

「人間……ではない……! 貴様は! だが魔族でもない……血は赤い……。いったい何なんだ!?」

「人間ですけど」

「人間の目はふたつだ!」

 

 そう、人間の目はふたつだ。リュンナにもふたつのみ。

 新たに生じたのは、竜の目なのだから。

 

 瞑想。死を想うこと。だが、それのみではなかった。転生に伴う再誕の感覚。『生まれ変わる』瞑想。

 それが積み重なるうちに、後天的に人から竜へと生まれ変わったというのか?

 

 正確なところはリュンナ自身にも分からない――分かるのは、それが外的な何かが宿った結果ではなく、あくまでも自己の内に起因しているということだ。

 竜眼の使い方が分かる。その力が理解できる。

 著しく体力の減っている今、それも万全ではないが。

 

「くっ……! しかし! だからどうした……!? たかが気味の悪い目がひとつ増えただけ! この俺の勝ちに変わりはない!!」

 

 ハドラーが気を取り直し、

 

「イオラ!」

 

 爆裂光弾を撃ち放ってくる。

 竜眼。呪文の構造がよく見える。どこにどう隙があるか。竜眼から湧き出す魔氷気の膜は、光弾が触れたとき、隙に染み入って感染、掌握、呪文に自殺させ――残った魔法力を吸い取った。

 闇の衣――と呼べようか。

 

 回復した魔法力でベホイミを唱え、体力を補っていく。

 

「と、闘気のみならず呪文までをも……!」

 

 ハドラーは忌々しげに歯軋りをすると、右腕を振って調子を確かめた。

 魔族の再生力、先ほどの無刀陣からの手刀で折った骨が治ったらしい。

 逆に左の肩から胸、脇腹にかけては、氷に覆われていたが。

 

「ならばこの身で直接! 打ち殺してくれるわーッ!」

 

 ハドラーは暗黒闘気を漲らせると、瞬く間に距離を詰め、右拳を繰り出してきた。

 その右拳にそっと手を触れる。流し込んだ魔氷気で力の流れを滞らせた――ハドラー自身が込めた力が暴発し、右拳が炸裂する。

 

「げえッ……!?」

 

 高速で動くべき部位に無理やりブレーキをかければ、そこで力は暴発し負傷に繋がる。まるで相手自身がそうしたいかのように、ブレーキをかけさせる操作。

 凍てつく波動の親戚――いや、むしろ未熟な闘魔傀儡掌か。今は一度に一部位を一瞬だけしか操作できず、操作内容も魔氷気の性質を利用して自爆させる以外にはないが。

 言うなれば氷魔傀儡掌。

 

 膝蹴りを入れれば膝が、肘打ちを入れれば肘が、回し蹴りを入れれば脛が、頭突きを入れれば額が、肩から突進すれば肩が、力の暴発で内から弾け飛んでいく。

 リュンナはその全てに、ただ手で触れていくのみ。物理的な力を込める必要はなく、ただ素早く触れればいい。

 

「バカな……! バカなバカなバカなバカな……! かっ、完全無欠――なのか!?」

 

 魔王は立つ力を失って座り込み、それでも襲い掛かってくる。

 

「いやそんなハズはない! 俺は魔王ハドラーだぞーッ!!」

 

 組みついたその右腕は、破裂しなかった。

 

「はッ! ク、ククッ……! 読めたぞ! 理解したぞ! 俺自身の力を使って反撃していたなら、力を一気に爆発させなければいい……! こうして!」

 

 リュンナの後ろに回り込み、右腕のみで首を絞める構え。

 

「ゆっくりと圧迫してやれば……! 思った通りだ! もはや貴様には、自分自身の力で戦う余力は――」

 

 魔氷気がその腕を物理的に凍らせ、扼殺を阻害した。

 

「うおおおおああああ!? こんな、こんな余力あるハズが……!」

 

 ハドラーの闘気や魔法力を吸収したのだ、これくらいはできる。

 

 それでも魔王は諦めなかった。

 必死に首を捻り、こちらの首を噛み千切ろうと試みてくる。

 

 どうして。

 

「どうして、そうまでするんです?」

「知れたこと! 俺は魔王――」

「止まって」

 

 再び踏んで跳ね上げ手に戻した皆殺しの剣、その切先を、すぐ背後のハドラーの喉に突きつけ、

 

「止まらんッ!」

 

 貫いた。

 いやダメだ、骨が硬くて逸れた。延髄を断てていない!

 

「かはァーッ!」

 

 ハドラーの牙が、首筋に食い込む――

 



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41 王

 首筋に食い込むハドラーの牙――が、魔氷気で凍り止まる。

 だが、

 

「メラゾーマ……!」

 

 自分自身を地獄の炎に包み込み、氷を解かしてしまう。

 ゼロストラッシュで渾身の闘気を打ち込んだ呪いの氷はともかく、それ以外の氷は地獄の炎に耐えられないようだ。

 腕が完全に解凍される前に身を沈め脱出、首から剣を抜きながら距離を取った。

 

「ぐ、はあ……はあ……。おのれ……!」

「ハドラー……」

 

 リュンナは竜眼を開いたが、肝心の体がボロボロでベホイミでは追い付かず、体力の余裕が少ない。

 ハドラーは左腕を失い、呪いの氷が更に胸へ、腹へと広がりつつある。だがそれ以外の物理ダメージは自然回復してしまう。ただし回復したところで、魔氷気の膜を無傷では突破できない。

 互い、決め手に欠ける。

 

 膠着状態を、言葉で繋ぐ。

 

「魔王だから戦うって……。魔王って、何なんですか。どうして地上を侵略するんですか」

「魔王とは、俺だ。このハドラーこそが魔王!! 必ずや地上を支配してくれる……!」

 

 なぜ地上を支配しようとするのか。今更のように、リュンナは気になっていた。命を懸けて戦う理由。『ドラクエの魔王だから』――で済む領域では、最早ない。

 支配する必要があるから、ではないのか。

 支配する必要とは?

 これは侵略戦争だ。人間同士なら、土地や資源が欲しくて仕掛けるモノ。

 

 ハドラーは魔族だ。魔界から来たのだろう。

 魔界は太陽がなく、マグマの海が広がる、不毛の大地。

 土地があっても資源がない。

 資源――具体的には?

 まず思いつくのは。

 

「食べ物ですか?」

「……!」

 

 ハドラーが、息を呑んだ。

 

「魔界では、太陽がなくて、ロクな作物が育たないから……。家畜も……。そうなんですね?」

「黙れッ!」

 

 叫びながら右拳で床を叩き砕く、その時点で、それが答えだ。

 野心でも、嗜虐心でも、支配欲でも、権力欲でもなく。

 

「ハドラー、あなたは……あなたも……!」

「黙れと言っているッ!」

 

 魔王が更に闘気弾を床に叩き付けた。

 建材が弾け飛んで瓦礫が飛ぶ――散弾めいて。

 

「うぐ、ッ……!」

 

 ただ単純に飛来してくるだけの物体に、未熟な氷魔傀儡掌で滞らせるべき力の流れは乏しい。暴発させて防ぐことができない――剣で打ち払い切れず被弾し、蹲った。

 

「やっと攻略法が見付かったな……! クハハ! 今すぐ、その小うるさい口を聞けなくしてやろう……!」

 

 ハドラーは足元に転がる瓦礫の中から、一際大きな――人の頭ほどもあるそれを拾い上げた。

 ゼロストラッシュの後遺症、呪いの氷は既に彼の左脚にも及んでいて、屈むためにハドラーは凍った脚を自らへし折りすらした。

 笑う顔も、左半分に霜が降りている。

 

「国のため……なんですね……。自分の国民に、食べさせてあげるために……。自然の恵み豊かな……地上を……」

「だったらどうした……!?」

 

 振り被る。

 身を捻ると、凍った部位に亀裂が走り、彼の破片が散った。

 

「俺が何のために戦っていようと、貴様ら人間どもの敵であることに変わりはない……! そもそも、あんな役立たずどものために戦っているツモリもないがな!」

「ウチに来ませんか」

「はあ……?」

 

 流石に呆けた顔で止まった。

 

「土地を用意します。あなたも……あなたの民も……。あまり広くはないかも知れませんけど。わたしは勇者でなく、勇者姫ですから……そういうことも、できます」

 

 もちろん、相当な無茶だ。魔王に土地を明け渡すなど、常軌を逸した国策である――いや、たとえ人間同士だったとしてもだ。

 

「ふん、くだらん……」

 

 しかしハドラーが拒んだ理由は、もっと感情的なモノのように思えた。

 

「俺が欲しいのは地上全てよ! 小娘のママゴトに付き合えるかあーッ!!」

 

 ハドラーが瓦礫を投擲する――リュンナの頭部を微塵に砕く威力――その寸前だった。

 

「アバンストラッシュ!!!」

 

 彼が背後から両断され、床に倒れ転がったのは。

 

「ア……バ……ン……!?」

 

 悲しげな顔をした勇者を、彼は見上げた。

 

「ハドラー、貴方にも貴方の正義があったのですね。しかしそのために、誰かの平穏な幸せを踏み躙っていいことには……なりません……!」

「い、いつの間に……!」

 

 リュンナと会話しているうちに、だ。

 竜眼でアバンの接近を感じていたから、会話で気を引きながら時間を稼いでいた。

 そして皆殺しの剣のルカナンがかかったままのハドラーでは、不意打ちのストラッシュに耐えることはできなかったのだ。

 

「くッ……!」

 

 それでも死なぬ魔族の生命力。

 闘気弾を放つ――間際、空裂斬で右の心臓を撃ち抜かれ、暗黒闘気の操作が不全となり霧散。

 それは単なる心臓の破壊よりも深刻な――暗黒の生命力の源泉を光の闘気で撃ち抜く行為は、まるで魂ごと破壊するかのような、決定的な致命傷。

 

「勇者ども……! 忘れん、決して忘れんぞ、この恨み!! たとえ死すとも蘇り、必ずや――!!」

 

 逆側の左心臓も、呪いの氷に呑まれて。

 

「リュンナ……!! アバン……! 必ず復讐してやる! 必ず! 必ずだ……首を洗って待っていろ……! ――ぐふっ!!」

 

 内臓の損傷によるものか、最後に激しく鮮血を吐き、ハドラーは息絶えた。

 リュンナは知っている。この後、本当に蘇ってくることを。15年か16年か後まで自分が生きていれば、再び会うだろうことを。

 ――またね。

 唇すら動かさず、心の中のみで思った。

 

「リュンナ姫……。遅れてすみませんでした」アバンが頭を下げる。「しかし流石ですね。本当に斃す寸前まで追い詰めてしまうとは……! その額は――ええ、気になりますが」

 

 額。

 縦に開いた眼窩に嵌る、縦に割れた瞳孔の第三の目。

 

「これは竜眼です」

「竜眼」

 

 自己の内側から生じたものであること、高い感知能力と、高い闘気生成及び操作能力を持つこと、これは竜眼であると直感的に何となく理解したこと、あとは分からないことを伝える。

 

「そうですか……ふーむ。私の方でも、あとで文献などを漁ってみようと思いますが……。発生原因に心当たりはないのですか?」

「瞑想するとき、第三の目をイメージするじゃないですか。それがそのまま現実になったような感覚……ですね」

 

 本当に何が何だか分からないため、会話もどこかボヤけていた。

 とりあえずといった風情で、アバンが顎を撫でながら述べる。

 

「普段は隠しておいた方がいいかも知れませんね。隠せますか?」

 

 ずっと閉じていた肉眼を開けると、入れ替わるように竜眼は閉じ、額に1本の縦線が刻まれているような外見となった。

 アバンはまじまじと見て、

 

「うーん、それなら斬られた傷痕のように……見えなくも……。まあ大丈夫でしょうか……」

 

 自信なさげに首を傾げた。

 その下に竜眼があると知っていればともかく、知らないなら、実際、傷痕だとしか思わないだろう。

 

 隠すか、開示するか。

 隠せば何かの拍子にバレたときに詰む。

 開示すれば、その時点で詰まないように言い訳が必要だ。

 

「それはともかく……先輩」

「ええ、ともかくで片付けていい事ではありませんが……ともかく、ですね。ハドラーの骸を……」

 

 話している間に、ハドラーは遂に全身を呪いの氷に蝕まれ――氷に無数の亀裂が走り、粉々に砕け散るところだった。 

 

「ニフラム」

 

 それをアバンは、聖なる光の呪文で浄化する。

 二度と蘇らぬように、という対策だろう――実際にはバーンから新しい肉体を与えられてしまうため、意味はないのだが。

 新しい肉体……。

 

 そうだ、バルトスは無事か?

 原作では、ハドラーの断末魔の声からバルトス粛清までは、ほぼ間がなかったハズ。竜眼を開き、暗黒闘気の繋がりを確かめる――バルトスの感覚を共有する。

 ハドラーの気配はない。アバンが念入りに葬ったからか?

 しかし、一瞬後には来るかも知れない。

 

「先輩、バルトスが心配です。マトリフさんもそうですけど……。戻りましょう」

「ええ。――ベルベルは心配ではないのですか?」

 

 共に地獄の間を出て、階段を駆け下りていく。

 呪文治療を施し施されながら。

 だいぶ内股気味なのは気にしないでほしい。

 

「あの子は生きてますから。竜眼で見えました」

 

 そう、見えた。

 あのマグマの落とし床の次の部屋で、ぐったりと壁に凭れつつも、自分に呪文治療を施している姿が。

 傍らには、何か長いワイヤーのようなモノ。途中で焼き切れていて、その辺りの端に、大きな手が炎上しながら握ったような跡がある。

 

 ベルベルは何度も、そのときの記憶を想起していた。感覚共有に伴い、ふと知る。

 マグマに落としてやったキラーマシンが、そのままならベルベルを道連れにできたものを、勝者を称えて助けたのだ。ワイヤー、いやクロスボウの弦をマグマで焼き切り、掴み振り回し、上の無事な床に投げた。

 敵が騎士道精神の持ち主で助かった。

 

「なるほど、仲間にした魔物の様子を窺えるのですか。……じゃあバルトスのことも見えるのでは?」

「……そうですね?」

 

 笑って誤魔化した。

 

 バルトスもキラーマシンも、ハドラーの作品だ。作品は作者の精神性の影響を受ける。

 ハドラー、本当はあなた、高潔なんじゃないの……?

 地獄の間を振り返ったところで、もう誰もいない。

 



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42 星月夜

 結局、バルトスは無事だった。ハドラーは現れないまま。

 どの行動がどう作用してそうなったのかは分からないが、とにかくそうなったのだ。

 

 となれば次は、バルトスの案内でヒュンケルを回収することである――と思うや否や、当のヒュンケル少年の叫ぶ声が聞こえてきた。

 

「父さん! 父さーん!」

「おお、ヒュンケル! ここだ、父さんは無事だよ」

「父さん!」

 

 地獄門前。

 銀髪の男の子が通路の先に現れ、あっと言う間に駆け寄り、地獄の騎士に抱き付いた。

 

「父さん! 良かった……! 勇者をやっつけたんだね!」

「いや、そういうワケではないのだが……」

 

 バルトスがチラリと動かした視線をヒュンケルは追い、そこでようやく勇者2名に気付いた反応を見せる。

 彼の表情にまず浮かんだのは、強い警戒心だった。バルトスを庇うように前に出るそのさまは、幼くとも戦士の素養充分か。

 

「初めまして。アルキード王国第二王女、リュンナです」

「アバンです」

 

 とりあえず挨拶をすると、ヒュンケルはポカンとした。

 

「これ、お前も挨拶をしなさい」

「え、あ、うん。えっと、ヒュンケル、です……」

 

 父に促され、戸惑いながらも名乗りを返すヒュンケルに、勇者たちは満足げに頷いた。

 

「ヒュンケルくん。ハドラーはわたしたちが斃しました」

「えっ……? 嘘でしょ。ハドラーが死んだなら、父さんが――無事なハズがない……!」

 

 振り向く彼の目に、バルトスは健在だ。

 触って確かめても、結果は同じ。

 

「それはバルトスがハドラーの眷属である限りのことです。そこで、新しくわたしの眷属になってもらいました」

「そ、そんなことが……!? じゃあ、アンタも魔王なのか!?」

 

 ヒュンケルが驚愕を見せる。

 なるほど、そういう解釈もあるのか。竜眼は今は閉じているが。

 しかし否定する前に、バルトスがヒュンケルを窘めた。

 

「これ、アンタじゃない、『リュンナさま』だ。ワシは魔物の身だが、本当は殺戮など嫌いだった……ヒュンケル、お前を拾って育ててしまうほどにな。

 リュンナさまは、ハドラーの呪縛からワシを解放してくださったのだ。そしてワシらを自国にお招きくださるという。

 分かるかヒュンケル。お前は人間の中で暮らせるようになるのだよ」

「人間の中で――って言われても……」

 

 困惑の様子。

 それはそうだろう。そもそも、今初めて自分以外の人間と会ったほどではあるまいか。

 ずっと魔物の中で育ってきたのだ。人間と暮らせることをさも幸せかのように語られても、そんなモノより父さんがいればいい、という感想が関の山に違いない。

 

「まあまあ……」アバンが取り成しの声と手つき。「いきなり言われても、はいそうですか、とはならないでしょう。ともかく、まずはこの地底魔城を出ませんか? ヒュンケルは出たことがないんでしたね?」

「えっ、うん。ハドラーが出るなって言ってたって、父さんが」

 

 そこで見せた柔らかい笑みは、流石アバン、と言うべき代物だった。

 一切の敵意を持たず、一切の敵意を持たせない、純粋な笑み。

 

「我が家に別れを告げるのは寂しいでしょうが、一度は外を見てみましょう。広い景色、太陽の光……。一見の価値がありますよ。ねえバルトス」

「そうだな……。特に太陽は美しいモノだ」

 

 地獄の騎士がしみじみと頷いた。

 魔王として太陽を――陽の光を浴びる土地を求めていたハドラー、彼の創造した魔物であるバルトスは、創造主の影響を受けているのだろう。太陽への憧れ。

 父がそう言うならと、ヒュンケルも少し乗り気になったようだ。表情から硬さが取れた。

 

「では……」

 

 そうして4人は、勇者たちが進んできた道を逆に辿っていく。

 魔物の死骸が転がる凄惨な光景だが。生きている魔物は、魔王の邪気から解放され、既に逃げ去ったのだろう。

 

 途中でベルベルを拾って抱き上げ、ベホマで再生を促しながら進み、更にマトリフと合流――戦闘の痕跡を辿り、勇者たちに追いつこうと進んできていた。

 互いに事の顛末を説明しながら、更に入口へと。

 

「やれやれ……。地獄の騎士を眷属にした上に、そいつが人間のガキを育てていたとはな。珍妙なこともあるもんだぜ。どうするんだ、そんなの」

 

 マトリフが呆れた声を出し、父子を眺める。

 ヒュンケルがバルトスの陰に隠れた。骨なので、ロクに陰はないのだが。

 

「ウチに連れて帰りますよ。バルトスはもうわたしの騎士で、ヒュンケルはその息子ですからね」

「おいおい、そこのベルベルや、オークキングのリバストとはワケが違うだろ。地獄の騎士だぞ、地獄の騎士。アンデッドだ。いくらオメエが王女でも、相当な反発がだな……」

「そこは魔王討伐の功績で黙ってもらって」

「それでいいのかよ……」

 

 国に尽くされたから、国に尽くす。それがリュンナである。

 ならば国に尽くした以上、国からも尽くしてもらう。それもリュンナだ。

 

「ぷるる~ん」

「いや楽観し過ぎだろ! 人間、皆が皆お人好しじゃねえんだ……!」

「ベルベルの言葉分かるんですか?」

「半年も一緒にいりゃ、何となくな」

 

 人語を理解はするが発声できないベルベルと、平気で会話するマトリフ。

 その様子を見て、ヒュンケルのマトリフへの態度は軟化した。バルトスの陰から出てきただけだが。

 そしてベルベルをチラ見する。

 

「ぷるる?」

 

 気付いたベルベルがリュンナの腕を抜け、ヒュンケルの方へと浮いていった。

 

「わっ……」

 

 ヒュンケルは慌ててそっと抱き締めた。鈴が鳴る。

 ひんやりぷにぷにのスライムボディーは、さぞ可愛くて気持ち良かろう。思わず嬉しそうに笑ってから、恥ずかしげに顔を引き締めるさま。

 微笑ましい。

 

 やがて地底魔城を出た。火口の出入口。

 頭上に広がるのは、満天の星月夜だった。満月。

 

「あちゃ~」アバンが額に手を当てる。「とっくに陽が沈んでいましたか……! 呪法の阻止は間に合ったみたいですが、脱出にも時間がかかりましたからねえ……」

「太陽はまた明日ですね」

 

 苦笑する勇者たちを後目に、ヒュンケルはキラキラ輝く目で夜空を見上げていた。

 釣られてリュンナも改めて仰ぐ。

 太陽ではないが――なるほど確かに、美しい。さながら空いっぱいの宝石の海。

 

「スゲエ……! ねえ父さん、あのデッカイのが月ってやつ!?」

「そう、あれが月だよ。満月だ。しかしこんな見事な満月……いつ振りに見るのか……」

 

 父子揃っての月見、邪魔するのも悪い。

 勇者たちはしばらく思い思いにその場で休み、ヒュンケルが飽きるまで待とうとしたが――結局彼は、飽きる前に笑顔のまま眠ってしまった。

 バルトスが多腕を使い、安定感抜群の抱き方で持ち上げる。

 

 ルーラの加速負荷や着地衝撃で起こすのも忍びない。

 その夜はそこで野宿を取り、翌日にルーラでアルキード王国に帰還した。

 

 魔王討伐の報告を受け、王はその日を祝日に制定。更に盛大な宴を開き、国を上げてのお祭り騒ぎとなった。

 祖国カールへ報告に飛んだアバンも、恐らく似たような激しい歓迎を受けているだろう。

 

 それはそれとして、当然、地獄の騎士バルトスの受け容れは容易いことではなかった。

 一も二もなく「流石はリュンナさま! 不死者にすら新たな生きる喜びを!」と納得したのは、側近の近衛隊長くらいだ。

 ソアラですら、一度は「うーん」と悩んだ。2秒後には「ではバルトス、よろしくお願いね」だったが。

 

「リュンナ、我が娘よ」

 

 そして今は、まず父王を説得する段である。

 

「流石に骨は……何とかならなかったか」

「やはり難しいですか」

「うむ……。ホイミスライムはよく見れば愛らしいし、オークキングも逞しくて精悍だ。人間に受け容れられやすい、と言える。だが骨は……。骨はな……」

「骨ですからね……」

「うむ……」

 

 何しろ骨である。性格や立場云々の前に、まず見た目が強烈に過ぎる。

 

「腐った死体でないだけマシだがな……」

「はい」

 

 そうだ、前向きに考えよう。

 骨だから悪臭まではない、と。

 

 ともあれ、ここで諦めるワケにはいかない。

 ベルベルとリバストに次いでバルトスをも受け容れさせることで、この国に『人外にも味方はいる』と印象付けたい。

 すると――バランが受け容れられやすくなるから。彼が人間でないのは事実なのだが、かと言って悪い人物でもないのだ。

 むしろ竜の騎士を――ともすればその血筋を王家に取り込めれば、最早アルキード王国は地上最強である。バランとダイ(ディーノ?)に加えて、更にダイの兄弟が増えれば、それはもうバーンにも勝てるのではないか。

 

 結局、バルトスには実績を作ってもらうことになった。

 魔王の邪気が晴れて魔物の狂暴化が解け、ハドラーを創造主とする非生物系の魔物は全滅し、魔王軍は瓦解した――が、元から狂暴だった魔物は、変わらず人を襲うことがある。

 それを探し出し、お忍びで出ていたリュンナかソアラが適当に襲われて、そこをバルトスが颯爽と助ける筋書きである。

 半ばマッチポンプだが、仕方ないことだろう。

 

 何だかんだ言ってベルベルとリバストで魔物に慣れている、バルトスも少しずつ受け容れられていくハズだ。

 

 ハドラーを倒したのはアバンだが、バルトスは生存し、これならヒュンケルが闇堕ちする要素はない。

 歴史の変わる手応え。ほんの少し――だがきっと、確実に。

 

 ならば次の時代も変えていこう。

 魔王ハドラーの時代は終わった。

 

 遂に現れるのだ。

 バランが。

 

「ところで父上」

「うむ」

「その……目がですね……」

「目……?」

 

 その前に言い訳が必要だが。

 





【あとがき】

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
明日から始まるバラン編には、欝展開が含まれます。予めご承知おきください。
 


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バラン編
43 予言


全8話。
ちょっとダイジェスト気味なところがある章です。(駆け抜けたい)
今日のうちは平和です。


1/8



 運命は変えられる。まず運命の強度が低い、という感触。

 アバンが凍れる時間の秘法でハドラー諸共に凍ることは変わらなかったが、その解放は半年以上前倒しされた。ともすれば、アバンがここで死ぬ目もあった。

 ハドラーが倒されることは変わらなかったが、討伐メンバーはアバンのみならずリュンナが加わった。ともすれば、今後のハドラーの動きも変わる。

 手を加えれば、運命は変わるのだ。

 

 ならばバラン事件をそもそも起こさないことも出来るだろう。

 ソアラとバラン、ふたりの出会いは原作では偶然だ。示し合わせたワケではなく、偶然に同じタイミングで、同じ奇跡の泉を訪れたのみ。ほんの少しのズレで成立しなくなる出会いである。

 だから、ほんの少しズラしてやればいい。むしろ勝手にズレるかも知れない――リュンナの存在で、ソアラの行動は自然と変わっているから。

 

 その場合、バランは死ぬ。ダイが生まれず、次の(ドラゴン)の騎士も生まれないか、生まれても成長が間に合わないかで、バーン相手に詰む。

 つまり、バランを引き入れ、ソアラと子供を作ってもらいつつ、国も守る――これがベストの道。

 でないと半島どころか、地上ごとアルキード王国を吹き飛ばされる結末になってしまう。

 

 もちろん、バーンは来ないという可能性もある。

 だがそれに賭けて楽観するのは、愚かに過ぎるだろう。

 

 生まれてくるのがディーノではない可能性もある。

 だがどの道、(ドラゴン)の騎士ハーフは生まれるのだ。汚い考え方だが、戦力的にはひとまず充分だろう。

 

 だからリュンナは奇跡の泉を見付け出すと、いずれかの眷属を置いて見張らせ続けた。

 確実にバランを拾うために。未来を得る代償に、災厄の可能性を自ら引き込むのだ。

 

 そして遂に、その日、満身創痍のバランが奇跡の泉に出現した。

 魔王ハドラー討伐から、およそ3年後のことであった。

 

 13歳に成長した――歳の割には小柄だが――リュンナは、その日の見張りであったベルベルから念話連絡を受けると、ルーラで急行。

 傷だらけのバランは仰向けに寝かされ、ベルベルのベホマを受けていた。口元には濡れた跡、奇跡の泉の水も飲んだのか。

 

「お……お前は……」

 

 それでもなお立ち上がる余力はない様子。

 目だけを動かして、下り立ったリュンナを見上げてくる。

 

 案の定、このタイミングでソアラには別の用事が入っていた。泉に来ることはない。

 太陽でなくて悪いね。

 

「アルキード王国第二王女、リュンナです。魔王軍の残党辺りと戦ったと見受けますが……」

 

 バランは目を逸らした。

 地上の人間に魔界での戦いのことを言っても仕方ない、とでも思ったのか。

 

「ならばそれは、民を危険から救ってくれたということ。ウチへどうぞ。休んでいってください」

「く……お、恩に……」

「無理に喋らない方がいいです。ベルベル、帰るよ」

「ぷる」

 

 王城へルーラ。

 医務室へと連れ込み、宮廷医師と協力して、身を支えながらベッドに座らせる。血で汚れるが、構うことはない。

 

「この男が、リュンナさまの予言なさっていた……」

「ええ」

「予言……?」

 

 宮廷医師との会話にバランが引っかかりを見せた。

 が、今はそれよりも治療だ。まず鎧を脱がせ、

 

「ま、待て……」

 

 バランが弱々しく抵抗した。

 

「女が、みだりに……」

「医療行為ですよ。怪我人は大人しくするように」

「だが……」

 

 リュンナは右手にラリホーを、左手にメダパニの魔法力を灯した。

 手を合わせ魔法力を合成、ひとつの別の魔法へと昇華する。

 

「ラリパニ~」

「!?」

 

 眠らせる魔法力と、現実認識を歪め混乱に陥れる魔法力――合わせて『現実認識の一部を眠らせる』ことで、苦痛を感じる身体機能を麻痺させる合体魔法。

 麻酔呪文だ。

 

「これは……痛みが……」

「痛くないだけで怪我はそのままですから、早く治療しないといけないんですよ。大人しくしてくれますね? ラリホーマで完全に眠らされるのと、どっちがいいです?」

「ぬ、……分かった、頼む」

「はい」

 

 鎧と服を脱がせ、半裸へ。まず身を綺麗にしたい気もあるが、そんな暇はないかも知れない。

 泉で倒れているのを発見してからリュンナが来るまで、ベルベルはベホマをかけていた――その効果がロクに現れていないのだ。

 触れて探れば、なるほど、大量の暗黒闘気が傷に蟠っている。呪文治療を拒む魔性。

 万全の彼ならば竜闘気(ドラゴニックオーラ)で吹き飛ばせそうなモノだが、その余力もないのか。

 

 呪文以外は効くとすれば――奇跡の泉の水は汲んできてあるから、これを投与し続けてもいい。

 原作の歴史では恐らくそれで回復し切ったが、この世界でもそうなるとは限らない。

 そしてもっと手っ取り早い方法がある。

 

 リュンナは深呼吸をひとつ。

 バランには第二王女の権威も、ハドラー討伐の実績も通じない。

 果たして受け容れてもらえるか……。

 

 雰囲気の変化を察したか、バランが訝しげに首を傾げた。

 

「どうした……?」

「あんまり驚かないでもらえると助かります」

「……?」

 

 肉眼を閉じる――入れ替わるように、額の竜眼が開いた。

 

「なにッ!? 人間――では、ない……!?」

 

 バランは身構えようとするが、体がついて来ないようだ。

 むしろ痛みがないだけ、どこがどう負傷しているのかを忘れ、かえって身を動かしにくい様子。震えて呻いただけだった。

 

「失礼な。この国の第二王女さまは、れっきとした人間だぞ。その上で竜の神の啓示を受け魔王を討伐した、真の勇者でもある。額の竜眼はその証……!」

 

 宮廷医師が猛る。

 そういうことになっている――と、リュンナは心中のみで思う。

 

 第二王女の権威を笠に着れば反発を生む。

 魔王討伐の実績を盾にすれば恐怖を生む。

 竜眼、人外の様相。隠してもいずれは。

 ならばそれを、信仰にすり替えた。

 

 竜眼を開けば、全てが見える。

 自分の心がよく見えて、その求める先にある闘気をより大量に生成できる。

 自分の闘気がよく見えて、その操作をより精緻に行える。

 相手の状態がよく見えて、強大な相手でもより的確に隙を突いていける。

 

 バランを透視し、体内に残留する暗黒闘気を捕捉。

 魔氷気を活性化し、凍てつく波動として放つ――病魔めいて傷に残る暗黒闘気を『自殺』させ、残りカスすらも触れた指から吸い取ってしまう。

 そうして回復呪文を阻害する暗黒闘気がなくなったところで、ベルベルや宮廷医師が呪文治療を施していくのだ。

 

 バランは癒えていく我が身を信じられない面持ちで見下ろしながら、困惑と感心の表情を浮かべていた。

 

「これは、魔氷気による凍てつく波動か。実物を見たのは初めてだな……。氷の気で相手の気の精神性を凍てつかせ、無力化してしまう技……」

「あらご存知」

 

 闘いの遺伝子の為せる業だろう。

 

「何者なのだ? お前は」

「アルキード王国第二王女、リュンナです」

「そうではなく……」

 

 宮廷医師が割って入る。

 

「さっきも述べたであろうが。このお方は、竜の神の啓示を受けた勇者姫なのだと……! その暗黒闘気は、民の安からな眠りを守る月夜の気。護国の気、正義の暗黒闘気なのだ」

「正義の暗黒闘気」

 

 聞いたことがない、という顔をするバラン。

 わたしも余所では聞いたことないです。

 

「だいたい先ほどから、王女さまに対して礼儀というモノがなっておらん。どこの田舎者なのだ」

「ちょっと、言い過ぎですよ」

 

 宮廷医師をリュンナが窘めるが、彼は不満を隠せていない。

 当然と言えば当然なのだが。

 

「しかしですな……! こんな男が、本当にリュンナさまの予言の……?」

「それだ」

 

 バランが指摘する。

 

「先ほども言っていたな。予言とは何だ? 私が何だと言うのだ」

「竜眼は多少の未来も見通せるんです」

 

 捉えた情報から高精度の未来予測をすることができる――のは、本当だ。

 それは数秒から十数秒ほどの近未来であって、バラン来訪は原作知識だが。

 

「あなたの存在が、運命の転換点となる……。我が国に幸いをもたらすハズだと」

「私が――幸いを? フッ、この血塗られた戦鬼がか……」

 

 自嘲の笑み。

 (ドラゴン)の騎士の使命だから戦っているのみで、心底から納得しているワケではないのかも知れない。

 彼はベッドから立ち上がり、

 

「世話になったな。いずれ礼はするが、今日のところは――うッ!?」

 

 そしてすぐに崩れ落ちた。

 身を支える。

 

「あれだけの重傷、いくらベホマでもそうすぐには治らないでしょ……。しばらく療養してください」

「だが……! 分かるハズだ。お前も竜の神の啓示を受けたなら……! 私と関わることは……」

 

 ごめんなさい、啓示とか受けてないです。国民向けの言い訳です……。

 とはとても言えない。

 代わりに、意味深に微笑んでおく。

 

 それをどう受け取ったのか、それでも力の入らぬ腕でリュンナを振り払おうとしたときだった――医務室の扉が外から開いた。

 

「リュンナ? ここにいるって聞いたけれど……」

 

 ソアラだ。用事は済んだのか。

 そっと部屋を覗き込み――血まみれのバランを見付けるや否や、慌てて駆け寄っていった。

 呪文治療を受けたところで、傷は消えても、流れた血や浴びた返り血が消えるワケではないのだ。瀕死にも見えるだろう。

 

「大丈夫!? ベホマ!」

「いや、それなら先ほど既に――」

「座って。こんなに酷いダメージ……いったいどんな……」

 

 固辞しかけたバランが、しかし止まる。

 大人しくソアラのベホマを受けた――直前まで、あれほど立ち去りたがっていたのに。

 

 然もありなん、とリュンナは思う。バランに打算なく優しさを見せたのは、ここではソアラが初めてだからだ。

 ベルベルはリュンナに命じられたのみで作業的、宮廷医師は居丈高、リュンナもどこか淡々としていた。

 バランの生命を助けようとはしていたが、彼の人格を慮っていなかったのだ。

 

 ソアラだけが、彼の心と向き合った。

 

「温かい――」

 

 バランが思わず呟いた言葉は、太陽のように、とでも心の中で修飾されているのだろうか。

 

 経緯は違えど、ソアラとバランは出会った。

 ここからだ。

 



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44 バランという男 その1

2/8



 ソアラとバランの仲は、あっと言う間に縮まっていった。

 まさに運命的という言葉が相応しい。単に性格的な相性が抜群だった気配もあるが。

 

 食客扱いで王城に逗留するうち、その出で立ちと覇気からか、バランが凄腕の騎士であるらしい、との噂も立った。

 王女ふたりがふたりとも高い戦闘力を持つ国だ、いつの間にか武を尊ぶ国風となっており――バランもまた、騎士兵士たちからはおよそ好意的に迎えられている。

 

 そのうち傷が癒えると、兵の訓練にも顔を出すようになり、凄腕との噂が証明されていく。ますます人気が高まる。

 ソアラとバラン、仲睦まじい様子はお似合いではないか、と言われるようにも。

 

 しかしアルキードは男系の国である。王の子が王女のみならば、王女本人でなく、その婿が次の王となるのだ。

 どこの誰とも知れぬ男が次期国王でいいのか? と疑問を持つ家臣たちも出始めた。

 

「リュンナさま……」年嵩の大臣が言う、「あのバランめのことですが」

 

 場所はリュンナの私室、他には誰もいない。

 しかも扉に鍵をかけさせてきた。

 密談の構えだ。声も密やか。

 

「本当にあれが、リュンナさまの予言の……? この国に幸いを齎すという」

「信じられませんか?」

「いえ……確かに彼奴は現れました。予言通りに……。ならば幸いもまた齎されましょう。しかしそれは、彼奴が王になることによってではないと愚考いたします」

 

 大臣は企みを持った顔で笑んだ。

 

「我が孫はご存知の通り、この城で騎士をしておりますが……言っておりましたよ。バランの闘気には人間味を感じない、と。私もそう思います。まるで魔獣……。彼奴め、人間ではないのかも知れませぬ」

 

 実際に人間ではないだけに、反論はできないが……。

 

「つまり、何を言いたいんです?」

「リュンナさま、貴方が次の王妃となられませ。バランを選ぶようでは、ソアラさまも相応しくはない……。魔物に国を明け渡してはなりませぬ。姉君を追い落とし、リュンナさまこそが!」

「相手がいませんけど」

「ウチの孫などいかがですか」

 

 結局はそこか。リュンナは静かに嘆息した。

 なんて浅はかな策だ。

 

 これまでにも、そういう話は何度も出た――その度に蹴ってきた。

 特別な理由がない限り、長子相続が原則だろう。それが最も無難で、混乱がない。

 そもそもリュンナは戦闘以外は凡人だ。ソアラの方が遥かに王妃に向いている――今となっては、そう感じられる。

 それにバランが王になれば、アルキードは(ドラゴン)の血筋を取り込むことができる。この上ない国益だ。

 

「わたしは第二王女です。次の王は姉上の婿ですよ」

「しかし、それではバランめが! あの魔物が……!」

「どう見ても魔物じゃないでしょ、あの人は……」

 

 見た目は普通に人間だ。確かに並外れた凄みはあるが……。

 しかし大臣は、まるで取り憑かれたかのように語気を強めた。

 

「どう見ても魔物ですぞ! リュンナさまが広めなさった闘気の技術……。ここ数年、私も多数の人間の闘気を見て参りました。あの輝きは人間ではない……確実に……!」

 

 悪くない勘をしている。

 が、それなら、彼を取り込んだ方が得だということも直感してほしいモノだ。

 それに――

 

「それならわたしの闘気だって、人間じゃないでしょうに……。竜眼も」

「リュンナさまは護国の鬼。多少の人間離れもございましょう――人間故にこそです」

 

 信仰にすり替えたのが裏目に出たか。このダブルスタンダードよ。説得は無理か?

 バランが(ドラゴン)の騎士であると公表するか――本人からは隠しておきたい空気を感じるが。

 ともあれ、いずれにせよ、大臣の提案には頷けない。

 

「魔王ハドラー討伐の英雄であるリュンナさまが、次代を担う……! 国のためですぞ」

「いいえ、わたしはこれ以上の権力の座に立つことを望みません。大臣、あなたには申し訳ないですが……」

「くっ! さようですか。しかし必ず、必ずお考え直しいただきますぞ……!」

 

 大臣はとりあえず引き下がっていった。

 見送りつつ、リュンナは考える――やはりバランと話すべきだろう。

 

 原作でのバラン事件は、そもそもバランのコミュ力が圧倒的に不足していたことで起きた気配もある。

 (ドラゴン)の騎士、神の使いであることを公表し、支持を得るべきだ。

 方法は考えてある。

 

 この時間なら、バランは訓練場だろうか。

 足を向けてみる――と、いた。

 

 ギガブレイクの存在から比類なき剛剣使いのイメージがあるが、繊細な剣技も会得しているらしく、兵士らに教導している。

 こういうところではしっかり人気を取っているのだが、どうやら無自覚らしい。

 ソアラとは天然同士、やはり相性がいいのか。

 

「バラン」

「リュンナ……」

 

 声をかけると、もともと気配に気付いていたのだろう、指導を一段落してから振り向こうとした――が、先に相手の兵士がリュンナにかしこまったことで、指導は中断された。

 そこでバランも振り向いた。

 その様子に、兵士らは複雑な表情を浮かべる。

 

 バランはその強さから兵士の間では人気があるが、王女に対して敬語を使わない点でマイナス評価をも受けている空気。

 外面を取り繕うということをしないのだ、この男は。

 常に自然体、思うがままに動く。良くも悪くも。

 

 だからリュンナも、あまり丁寧に接する気は起きない。呼び捨てだ。

 眷属たちに親しみを込めて砕けた言葉で話すのとは正反対に。

 

「話が」

「あとではダメか? もう少しキリのいいところまで訓練を……」

「構いません」

 

 急ぐ話ではない。

 あの大臣が暴走したとしても、バランが追放されるのは、まだまだ先だろう。

 

 と、そこにソアラが駆け寄ってきた。

 

「バラン! リュンナも。そろそろ昼食の時間よ、一緒に食べましょう」

「今行く」

「……」

 

 バランは一も二もなく道具を片付け、小走りでソアラに寄っていった。

 勢い良く振られる犬尻尾すら幻視しそうだ。

 もう少しキリのいいところまで訓練するんじゃなかったのか。

 それを微笑ましそうに見送り、一方でリュンナを気の毒そうに窺う兵士たちも、少々純朴が過ぎる。

 

 嘆息し、肩を竦めた。

 

「どうしたの? リュンナ」

「いえ、特には」

 

 昼食の席を共にした。

 

 ソアラはよく笑った。

 リュンナに話しかけ、バランに話しかけ、それは一見まるで昔と変わらないのに――リュンナに向ける顔と、バランに向ける顔が、明らかに違う。

 バランに向けるのは、他の誰にも向けたことのない顔。

 恋をする女の顔だ。

 

 ソアラはどこか天然で超然としたところがあり、それが魅力ではあるのだが、恋愛には興味のない印象もどこかにあった。

 心に刺さる出会いがなかっただけなのか。

 

 素性も知れぬ男を第一王女が愛することの危うさを、ソアラは――分かっている、ように思える。

 自分と第二王女の命を比べたときにどちらが重いのか、ハドラー戦役で学んだからか。

 ただそれでも、溢れ出す感情を抑えることができないのだろう。

 ここまでに初恋を済ませておけば、その熱を御する手腕もあったろうに。

 

 そういう策も実際に考えた。先にソアラが別の誰かと結婚していれば、と。まさか浮気はすまい。

 しかしソアラに釣り合う男など、そうそういるモノではない。

 また戦力的にディーノは欲しい。我ながらエゲツナイ思考だと、嘆息した。 

 

 そして同時に、姉には、心のままに幸せになってほしい――そう思う面もある。

 バランが『運命の人』なら、バランと。

 

 だからバランと対話せねばならない。

 彼に宛がわれた部屋へと共に赴き、向かい合って座る。

 隣にソアラもいるが……。

 

「それで、話とは?」

(ドラゴン)の騎士」

「やはり知っていたか」

 

 バランは然もありなんと頷いた。

 リュンナもまた、竜の神の使いである――と認識されているからだろう。

 竜眼に尤もらしい説明をつけるのは、本当に苦労した。

 

「公表しないんです?」

「するワケがあるまい。人間どもを無駄に怯えさせるだけだ」

(ドラゴン)の騎士って?」

 

 ソアラが疑問を呈した。

 彼女のみには既に打ち明けている可能性も考えていたが……。

 

「遥かかつて、人間の神、魔族の神、竜の神――三柱が創った最強の生物ですよ、姉上。天地魔界のバランスを崩さんとする者が現れたとき、それを討ち果たす――この世の均衡を守るモノです」

「つまり――勇者ということ?」

「違う」

 

 バランが即座に否定した。

 

「魔族や竜が地上侵略を企めば潰すが、逆に人間が魔界侵略を企んでも潰すのだ。必ずしも人間に味方する勇者ではない」

「人間が魔界侵略を企むことなんてあるのかしら」

「いや……」

「じゃあやっぱり勇者よ。リュンナと一緒ね」

「いや……」

 

 リュンナとバラン、ふたり揃って否定。

 互いに「こんなのと一緒にするな」の顔。

 ソアラはそれを見比べて、噴き出すように笑んだ。

 何がおかしい。

 

「とにかくね、人間じゃあないワケですよ、バランは。人間も混じってはいますけど」

「だからソアラから離れろ――か?」

 

 剣呑な雰囲気。

 気が早い。

 

「そう述べる者もいる、って話ですよ。ある人は魔物扱いでしたよ、闘気が人間じゃないって。慧眼ですよね」

 

 意趣返しに半笑いで述べてくれる。

 バランは苦悩の顔へ移った。

 

「ソアラを――不幸にする気はない」

「バラン……! 早まらないで!」

「所詮、私は(ドラゴン)の騎士。世界のバランスのため、ただ戦い続けるが定め……。君と過ごした日々は楽しかった――ソアラ」

「バラン!」

 

 咳払い。

 

「えー盛り上がってるところ悪いんですけど、そーゆー話じゃないんですよ。違うの。姉上が早まるなっつってんでしょうに……」

 

 ふたりが目を丸くしてリュンナを見た。

 

「テラン王に協力を頼みましょう。神話伝承に詳しく、竜信仰のあるかの国のお墨付きがあれば――認めさせることができるハズ。(ドラゴン)の騎士が如何に神聖で尊い存在かということを……。ふたりの仲を。平和的に」

「な、仲って……リュンナ……」

 

 ソアラが目を泳がせ、サッと頬を染めた。

 

「違うんですか?」

「ち……違わないけれど」

「う、む……」

 

 バランもまた戸惑い、だが、温かみがそこにある。

 いっそこの時間が、ずっと続いたらいいのに。

 



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45 バランという男 その2

3/8



 (ドラゴン)の騎士バランは神の使い、天地魔界の平定者。故に人間が善良でいる限りは人間の守護者でもある――そうテラン王から教わって、むしろ国の大半がバランの敵に回るなど、どうして予測できよう?

 

「竜ということは魔物ではありませんか!」

 

 最初にそう口にしたのは、例の大臣だった。

 父王に提案し、許可を得て、まず国の首脳陣のみで発表し話し合う席でのこと。

 その場では大臣が説き伏せられて終わったが、翌日にはもう悪性の噂が野火のように城下にまで広がっていた。

 

 それがバーンの工作なのか、大臣の素直な暗躍だったのかは分からない。

 前者なら竜眼で影すら捉えられない時点でどうしようもなく、後者なら幾ら何でもこうまでするとは思わなかった時点で負けだ。

 

 竜は竜であって魔物とは別種なのだが、知恵ある真の竜族が地上から去って久しい今、それを説いたところで何の意味もないことだった。

 

「バランを出せ!」「追放しろ!」「殺せ! 処刑だ!」「魔物の分際でソアラさまを誑かすなど!」「城に潜り込んだのも、アルキードを滅ぼすためだろう!」「魔王軍の残党なんじゃないのか?」「そうか、リュンナさまはハドラー討伐の勇者。復讐に来たのか!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」――

 

 王城を民衆が取り囲み、喉よ枯れよとばかりに叫び続けている。

 彼らは恐ろしくはないのだろうか。バランが本当に凶悪な魔物なら、それこそ自分が殺されてしまうとは考えないのか。

 それが分からないほどに、正義に酔っているのか。

 

「リュンナさま! バランを討ってください!」「そうだ、ハドラーを討ったように!」「勇者姫!」「俺たちの勇者! 希望!」「でもバランを拾ったのはリュンナさまだって聞いたわよ」「騙されてしまったんだろうぜ! 魔物は卑劣だからな」「なあ、竜眼と(ドラゴン)の騎士って違うの?」――

 

 王城のどこにいようとも聞こえてくるような、地獄の底から響いてくるような、声、声、声。何となれば、城内の者たちも多くがその考えに染まっているのだ。

 白昼堂々トベルーラで分かりやすく逃げようとしたバランを、リュンナとソアラは止めた。

 

「なぜだ、なぜ止める! いや、ソアラは分かる――私と離れがたいと思ってくれることは嬉しい。だがリュンナ、お前は……!?」

「姉上」

 

 竜眼で既に察している。だがリュンナの口から言うのは無粋だ。

 だからソアラを促した。

 

「リュンナは分かっているのよ、バラン。私の、私の中に――今――」自らの腹をさすった。「もう、いるの。私たちを……置いていかないで……!」

「ま、まさか……子供が……!?」

 

 第一王女は頷いた。

 とんでもないことだ。

 だが、止めなかった。

 変えなかった。

 

「この私が――(ドラゴン)の騎士が、子供を授かったというのか。ソアラ……!」

 

 感極まったバランは彼女を抱き締め、そのまま浮く。

 

「分かった、ならば共に――」

「いいえ」

「なに……!?」

 

 だが、何も変わらなかったワケではない。

 ソアラは強くなった。

 無責任に投げ出すことをしなかった。

 

 バランを掴み、リュンナを掴み、浮いた彼を引き摺り下ろす。

 

「私が出ていけば、残ったリュンナに全てを押し付けることになってしまう。貴方も、人間に受け容れられないままに……!」

「私は君さえ、いや、君と子供さえいてくれれば……!」

「そうしたら、子供には私たちしかいなくなってしまうのに? それを本人が望んだワケでもないのに?」

「そ……それは……!」

 

 そうだ、逃避行は、あまりにも我儘だ。

 生まれてくる子供には多様な可能性を用意してやるべきだと、ソアラは至極真っ当なことを述べた。

 

 俄かに立ち上る闘気は、戦ってでも止める心の現れか。

 それを受けたバランは気を静め、トベルーラを解いた。

 

「そうか……。子供には、そうしてやるモノなのだな。私は――歴代の(ドラゴン)の騎士も……子供を持ったことがない。知識でしか知らないのだ。すまなかった……。

 だがしかし、現実問題としてどうする? 私はこの国に拒絶されてしまったのだぞ」

 

 結局、そこだ。完全にリュンナが墓穴を掘った形。

 最早バラン擁護派と排除派で争いが始まる始末だ。

 ひいてはソアラ排除派、リュンナを王妃に派の勢いすらある。

 

「本当にごめんなさい……」

「いや、私もこれは予測できなかった。お前のせいではない……」

「私もよ、リュンナ。だって、リュンナの仲間の魔物さんたちは受け容れられたのに……」

 

 ベルベル、リバスト、バルトス――リュンナの眷属は、それがリュンナの眷属だから受け容れられたのだろう。つまり、明確に人間の下だからだ。

 だがバランは、このままでは王になってしまう――人外の者を従えるのではなく、人外に従うことになってしまう。

 その差異。

 

 そこまでか? そこまで拒絶感のあることか? リュンナには分からなかった。

 どう見ても人間で、心も人間で、それは城中の者たちが分かっていたハズなのに。

 

 竜眼を得て、人間の感覚からズレてしまったのか。

 転生者故に、この世界の感覚からズレているのか。

 浅はかな凡人故に、当然のことさえ見誤ったのか。

 

 ともあれ、何とかしよう。

 

「一応、考えてる策はあるんです。実績もある」

「それは?」

「魔王軍残党の本物を探し出して、それを正義の勇者としてバランがやっつける……。人間の味方だと証明するんです。リバストもバルトスも、特にバルトスは、そうやって立場を作りました」

「オークキングと、地獄の騎士だったか……。後者は会ったことはないが」

 

 バルトスは、旅のアバンのもとに出向させている。

 しばらくはリュンナに剣を教わっていたヒュンケルが、後にアバンにも弟子入りしたため、それに付随する形だ。

 それにこうしておけば、バルトスを介していつでもアバンに連絡を取ることができる。

 今がそのときだろうか? いや……。

 

「しかしそう都合よく残党がいるか? 本当に凶悪で、積極的に人を襲うようなモノでなくてはならんだろう」

「探します。わたしの竜眼で」

「! そうか……。多少ならば未来すら見通せるという目。それなら希望は……」

 

 ――ない。希望は、ない。

 既に探したのだ。見付からなかった。

 それはそうだ、ハドラー討伐から既に3年以上が経過している。そういった危険な魔物は治安維持のために積極的に狩っていたこともあり、既に残っていないのだ。いつか使うために残すことも考えたが、リスクが大き過ぎて自ら却下した。

 狂暴化を解除された結果、本来の温厚さを取り戻した魔物を標的にするワケにもいかない。それはあまりに無体に過ぎる。

 ならば――。

 

「必ず探し出します。わたしはハドラー討伐の勇者姫ですしね……。そういった魔物からすれば恨み骨髄。必ず、この国にもまだ潜伏しているハズ」

 

 とにかく今は、そう述べるしかない。

 

「分かった……。それまで待つ。だが私は良くても、この国は待てぬかも知れんぞ。今はまだ声高にがなり立てるだけだが、もし実力行使をしてくるとあらば……そのときは……」

 

 バランがソアラを一瞥した。

 ソアラも決意と共に頷きを見せる。

 

「ええ。――リュンナには悪いけれど」

「そのときは仕方ないでしょうね。わたしも覚悟しておきます」

 

 いっそふたりをデルムリン島にでも駆け落ちさせてしまおうか。

 流石の父王も、そこまでは探しに行かないし、行けないだろう。ブラスとご近所付き合いでもしながら、ディーノを育てたらいい。

 

 だがそれは最後の手段だ。まだ、全ての手を試してはいない。

 リュンナ自身は、まず国の味方である。(ドラゴン)の騎士やその血を取り入れることが国益になると考え、バランを拒絶することが国難に繋がると考えるから、そのように動く。

 そして次に、ソアラとバランという『個人』の味方でもある。

 

 こんなことなら、自分が女王になっておくべきだったか。それも容易いことではないが。

 ソアラとバランを支えればいいと思っていた――それが失敗だったのか。

 

 リュンナは呼吸ひとつ、気を入れ直して。

 

「ただ出奔は本当に、万一の場合ですからね。決して早まらないように。

 わたしはちょっと国内を飛び回って、魔物を探してきますので――少し留守にしますけど……。帰ってきたら姉上もバランもいなかったとか、本当ショックですからね!? なるべくベルベルかリバストを攫って逃げてください、そしたら合流できますから」

「あ、ああ」

「気を付けてね」

 

 その日の極秘会談は、おおむねそれで終了した。

 

 

 

 

 ――数日後、アルキード王国内、ノドンの村が魔物の群れに襲われた。

 死者は出なかったが、多くの村人が拉致されてしまった。魔物ども曰く、魔王復活の生贄に捧げるのだという。

 

 折りしも勇者姫リュンナは突如の病で臥せっており、討伐に出向くことが不可能なありさま。

 しかし自らの代わりにバランを向かわせよ、と提言。それが身の潔白の証明にも繋がるだろう、と。

 

 バランが魔物なら、魔物の群れの味方をするハズ。

 バランが人間なら、魔物の群れを蹴散らし、村人を救うハズ。

 世論がそうなったことで、バランの出撃が決定した。

 助力と監視に、多数の騎士を伴って。

 



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46 背中合わせのプラスとマイナス

4/8



 そしてバランは帰ってきた。

 自ら傷を受けながらも、同行したアルキード騎士に死者を出さず、拉致された村人も取りこぼさず救い、逆に魔物の群れは全てを討ち滅ぼして。

 

 騎士や村人たちは、口々に述べたという。

 

「鬼神の如き強さ――だとばかり思ってた。あの人も人間だったんだ」「ストーンマンに殴られて血を流してたよな」「ああ、血が赤かった。魔族じゃないらしい」「剣捌きは凄かったけどな」「あたしが人質に取られたとき、抵抗せずに魔物にやられてたの。気にしないで蹴散らすこともできたハズなのに……」「あの人は高潔な騎士だ」「て言うかライデインが使えるなら、もっと早く言ってほしかったよな」「つまり勇者じゃんね!? ビビるわ」「でもハドラーのときいなかったよな? どこで何してたんだ」「別の敵と戦ってた、とか?」「あり得る」「なんか額が光ってたって」「神々しさでそう見えたのかな」――

 

 反応はおおよそ友好的なモノに切り替わっていた。

 それもそのハズ、そうなるように行動しろと言い含めたのだ。

 (ドラゴン)の騎士特有の能力はなるべく使うな。魔法剣や竜魔人化は、不要だろうが間違っても以てのほか。ただし逆にライデインは必ず使って。適度にダメージを受けて。戦闘力の配分は剣技と呪文半々で。常に味方を気にして、守って。攫われた村人の安全は自分自身よりも優先、などなど――。

 

 つまり、理想的な人間の勇者像である。

 弱いところも見せて、意外と身近な存在なのだと印象付けもする。

 

 人は見たいモノしか見ず、信じたいモノしか信じない生き物だが――ならば見たくなるモノを見せ、信じたくなるモノを信じさせてやればいい。

 強く華麗な勇者を。正義の光ライデインを。傷付いても立ち上がる騎士を。身を挺して人々を守る献身を。

 特にライデインは、真実は(ドラゴン)の騎士の呪文だが、一般には勇者の呪文として認識されている。それを最高の舞台で放つのだ。

 

 リュンナの策は成功した。

 連日王城を取り囲んでいたデモ集団は散発的になり、やがて消えるまでに1週間もかからなかった。王城内も落ち着いた。

 

 (ドラゴン)の騎士は分からないが、勇者なら分かる――そんな人々の純朴な認識もあり、バランはリュンナと同様に竜の神の啓示を受けた勇者だ、と噂されるようになっていった。

 そうして勇者だと認識したから、(ドラゴン)の騎士という名前も、そういう称号、『竜のように強い』勇者という意味なのだと解釈されていく。

 

 これでもはやバランは排斥されまい。

 ――勝った。今度こそ勝った!

 一時はどうなることか思ったが、もう心配はない。

 

 だからリュンナは、転生してから初めて酒を飲んだ。浴びるように飲んだ。祝杯だ。

 ソアラもバランも巻き込んだ。何時間も騒ぎ、歌い、踊り、吐き、それでも飲んだ。

 

 そして深夜、酔い覚ましに王城の屋根上へと上った。

 明るい月夜――柔らかな夜風が心地よい。

 三角屋根に腰を下ろし、尻が汚れるのも厭わず、ひとり。

 

「あー……」

 

 阿呆のように口を開け、ただ、今を実感する。

 王女に生まれた。国に尽くされた。だから、国に尽くした。

 魔王ハドラーを倒し、バランを平和裏に取り込んだ。

 勇者同士、ソアラではなくリュンナがバランと婚姻を結ぶべきでは、という派閥も生じてしまっているが、そんなモノは愛には勝てないだろう。ゆっくりと解体していけばいい。

 

 もちろん、懸念は幾らもある。

 例の大臣は失脚し、尋問の結果、バランの悪性の噂を広めたのも彼自身だと自白した。しかし噂の広がる速度が速過ぎた点は不可解だった。

 竜眼に全力を注ぎ込み透視して、それでようやく大臣に取り憑いたシャドーを発見、捕縛したのがつい昨日のこと。

 

 案の定、バーンが裏工作を仕掛けてきていたのだ。

 いや、シャドーならミストバーンか? それともキルバーン辺りがシャドーを借りて……? そこまでは分からない。シャドーの中で、主に関する記憶は消されていた。

 だがそれ以外の記憶は残っていた。竜眼で頭の中を覗き込んだ。

 どうやら小さなシャドーを無数に生み出し、人から人へと渡り歩かせ、暗示によって人々を噂と不安へと駆り立てたらしい。それらは、もう寿命で残っていないようだったが。

 道理で気付けなかったワケだ。そんな小さなモノが、しかも人々が動き出したときにはもう消滅していたのでは。

 その後、捕縛したシャドーも自害した。

 

 これからも、こういった攻撃はあるかも知れない。

 しかし、魔王軍のシャドーの気配は覚えた。次はもっと早く楽に気付ける手応えだ。

 

 一方で、ソアラとバランが駆け落ちする流れそのものを断ってしまったから、『ディーノ』は産まれても『ダイ』は生まれない、という不安もある。

 もはや原作の流れなどあってなきが如し。

 

 それでも何とかなるだろうと楽観的に思えてしまうのは、酒の力なのだろうか。

 

「こんな所にいたのか」

「バラン」

 

 ふとトベルーラで、彼が背後に下り立ってきた。

 

「姉上が心配してました?」

「いや、もう眠っている。私が勝手に探しに来ただけだ」

「そうですか」

 

 どこかぎこちない会話。

 互いに背を向け空を見上げ、視線は絡まない。

 

「お前のお蔭だ、リュンナ。確かにあの魔物たちは凶悪だった。この時勢で魔王が復活などすれば、なるほど、世界のバランスは崩れよう。(ドラゴン)の騎士に相応しい仕事――それをこなすことで、ソアラとの平穏を得られるとは、な」

 

 少し笑った気がする。

 鷹の目で見てなどいなかった。

 気のせいかも知れない。

 

「リュンナ」

「はい」

「お前なのだろう?」

「はい」

 

 肯定した。

 バレているのなら、迷う必要もない。

 取り繕える相手ではない。

 

「そうか……やはりな……」

 

 バランは深く深く息をついた。

 しばしの沈黙。

 

「人間は魔物を恐れてはいても、魔物を詳しくは知らないモノなのだな。誰も疑問に思っていなかった。それも見越してのことか?」

「まあ、はい」

「そこまで計算したならば、私を騙せぬことも分かっていたハズだが……?」

 

 そうだ。分かっていた。きっとこうなるのだろう、とは。

 

「非生物系の魔物しかいなかった。創造主が死ねば道連れになる魔物しかいなかったのだ。シャドー、フロストギズモ、氷河魔人、ストーンマン、マドハンド……。どれもそうだ。親玉さえキラーアーマーだった。

 ならば、ほかに黒幕がいる、ということ」

「それがわたしだ、と」

 

 その通りだ。

 殆どの魔物の材料は、その辺の自然物を使った。影、水、石、泥……。

 キラーアーマーだけは、ハドラーとの戦いで破壊された魔法の鎧の残骸を使ったが。思い入れのせいか、大本がミラーアーマーの鎧兵士だったからか、なかなか強力に仕上がった。

 

 そして闘気を見慣れた騎士たちでも、それがリュンナの眷属だとは気付けない。

 そこにあるのは最早リュンナの闘気ではなく、それぞれのその魔物の闘気に変質しているからだ。

 

「あまりにも都合が良過ぎた。最早いるハズのない『魔王軍の残党』が、あんなたった数日で見付かり――しかも村を襲って脅威を演出しつつも、儀式の生贄に使う名目で攫い、誰も殺さずに終わるなど……。

 どう考えても仕組まれているだろう。

 では誰が仕組んだのか? この企みで最も得をするのは私――つまり、私の味方だ。ソアラか、お前。……お前しかおるまい」

「ですね……」

 

 笑う。

 思ったより乾いた笑いが出てしまった。

 

「愛国心なんですよ」

「なに?」

「わたしの闘気。わたしの暗黒闘気……。源泉は、愛国心です。愛を裏返せば、国を害する者への憎しみですから。

 もとが愛だろうと何だろうと、闇の力に変わりはないんですけどね……。竜眼で闘気の操作能力も上がってますし、できることは分かってました」

 

 魔物を創造することが。

 既存の魔物を眷属に加える、他者の眷属を奪うのではなく――自らの眷属をゼロから作ることが。

 

「暗黒闘気の魔力か……」

「はい。まあ初めてでしたから、加減を間違えたりして、ちょっと寝込みましたけどね。

 ――どうします?」

「私は(ドラゴン)の騎士だ。天地魔界の秩序を保つが役目」

 

 だから殺す?

 だから見逃す?

 

「貴様の力は危険だ。しかし、だからと排除するなら、(ドラゴン)の騎士はまず自分自身を排除しなければならん。それは……おかしなことだ……」

 

 迷い――いや、戸惑いの雰囲気。

 

「二度と作るな」

「そうします」

 

 実際、作る必要性など最早発生しないだろう。

 それからはもう、会話はなかった。感謝も糾弾も。

 バラン自身、自分がどんな感情を持っているのか分からないのかも知れない。

 

 しかし決して、不愉快な沈黙ではなかった。

 少なくともリュンナはそう感じた。

 



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47 アルキード王国第二王女 その2

5/8



「魔物めっ! 覚悟!」

 

 突然のことだった。

 日課の訓練を終えて訓練場を出ようとしたそのとき、兵士のひとりが不意に槍で攻撃してきたのだ。

 寸前には殺気が見え見えとなったため軽く避け、槍は虚空を突くのみで、その兵士も周囲の兵士らにすぐに取り押さえられた――が、第二王女を狙ったのだ、ただで済むハズがない。

 しかも王女に向かって魔物呼ばわりである。尋常ではない。

 

 尋問の結果、彼はリュンナ排斥派の中でも更なる過激派の人間だと分かった。

 穏健派は政治的な派閥で、ソアラこそが次期王妃に相応しいとし、その地位を揺るがすことのないようにリュンナを抑えたい、という立場。

 過激派は思想的な派閥だ。リュンナは魔物、もしくは魔物に憑かれているから排除するべき――という立場。

 

「おかしいと思わないのか、お前ら!? 竜眼……! 額にもうひとつ目がある人間なんているわけねえだろ!」

 

 例の兵士は、取り調べを受けながらそう叫んだ。

 ごもっとも。

 しかしだからと言って、生まれが人間なことは間違いないのだ。

 リュンナは自分が人間だと思っている――少し、揺らいではいるが。

 

「いるわけないってお前……リュンナさまという実例が」

「実例があること自体がおかしいんだよッ! 洗脳でもされてんのかッ!」

 

 犯人兵士は唾を飛ばして叫び、尋問兵士は困惑する。

 

「しかし竜の神の啓示を受けて……」

「啓示を受けたから何だ? 勇者バランみてーに、それでライデインの呪文を授かるってんなら分かるよ。スゲーよく分かる。でも目が増えるって何だ……!? 何なんだよッ!?」

 

 本当に何なんだろうね。隣の部屋で聞きながら、リュンナは思う。

 それは瞑想の果て、死と再誕の先、生きながらに死んで再誕したことの産物。人間の限界を超えた成長。自己進化。

 ならば最早、人間ではないのだろうか。

 

 尋問兵士は書記官と顔を見合わせ、眉根を寄せた。

 それから再び犯人兵士に向き直る。

 

「いや、まあ……うーん。そりゃな、確かにな。目が増えるってのは不思議だよ。とても不思議だ。しかしだからって、王女さまを槍で突いていいってことには、ならない。そうだろ?」

「王女さまならな」

「と言うと?」

 

 犯人兵士は顔を引き攣らせた。笑ったらしい。

 直後に激昂した。

 

「『と言うと?』じゃねえよ盆暗がッ!! 何度も言ってんだろ……! あれは、魔物だ。リュンナさまじゃねえ」

「偽物って言いたいのか?」

「知るかよ。とにかく魔物だ。魔物が王女さまのフリしてたら殺すだろ。違うのか?」

 

 その数日後のことだ。

 リュンナが中庭を散策していると、上階の窓から花瓶が降ってきた。

 問題なく回避したため怪我はなかったが、犯人の侍女は捕えられ、間もなくリュンナ排斥過激派だと判明した。

 

「リュンナさまは取り憑かれてるんです。魔物に取り憑かれてる……。竜眼です、あれが魔物です。だって同じ勇者のハズなのに、バランさまと全然違うじゃないですか。頭、頭なんです。だから頭を砕かなきゃ……頭を砕いてお助けしなきゃ……」

「いや……頭砕いたら死ぬから」

 

 尋問兵士は困惑し、侍女は猛った。

 

「リュンナさまが死ぬワケないじゃないですか!!!」

 

 その数日後のことだ。

 リュンナの食事に毒が混じっていた。

 別段キアリーで済んだが、料理人は捕えられ、調査の結果、リュンナ排斥過激派だと判明した。

 

「地底魔城に行くまでは普通だったでしょう、リュンナさま。そして帰ってきたら、目がおひとつ増えていた……。僕も最近やっと思い至りましたよ。あれは魔王ハドラーに取り憑かれちまったんだってね。

 きっとハドラーは悪霊の神みたいな存在で、自分を斃した相手に取り憑いて復活するんだ。そうなる前に……僕たちのリュンナさまを、せめて、お止めしなければと! ううッ……」

 

 その数日後、夜、眠っているリュンナの部屋に賊が侵入した。

 抱かれて眠っていたベルベルが触手の鋭敏さで気付き、結果、賊はヒャダルコを受けて凍死した。

 遺体を調べた結果、裏稼業の人間と見られた。

 

 その数日後、訓練中のベルベルとリバストが、魔法騎士のベギラマに狙われた。

 リバストの真空斬りが、閃熱ごと下手人を斬殺した。

 死に際の言葉は「魔物死すべし」だった。

 

 その数日後、廊下を渡っていたリュンナの前に宮廷神官が突如として立ちはだかり、ニフラムを唱えた。リュンナに憑いた魔物を払うために、と。

 闇の使い手であるリュンナには原理上効くハズだが、レベル差によるものか、効果は特になかった。

 

 その数日後、リュンナの側近、近衛第三部隊隊長の女騎士が、リュンナとの組手中に本気で斬りかかってきた。思わず斬り伏せてしまったが、辛うじて生命は助かった。

 

「死は禊だ。リュンナさまは復活なさるだろう。そのときこそリュンナさまは一切の悪性を喪失して純化し、真なる救世主として再誕されるのだ。死は禊……禊なのだ……」

 

 隊長は陶酔した顔でそう語った。

 彼女は狂っていた。

 

 その数日後――

 その数日後――

 その翌日に――

 その日再び――

 

 リュンナが、或いは将を射んと欲すればなのか、ベルベルとリバストも、狙われる頻度が上がっていった。

 その全ては撃退され、死亡或いは捕縛へと至り、捕縛された者は皆がリュンナ排斥過激派だと判明した。隊長はともかく。

 

 リュンナはバーンの工作を疑った。

 厄介な(ドラゴン)の騎士を擁する形となったアルキード王国を、裏から糸を引いて今度こそ瓦解させようとしているのではないか、と。

 

 だがどれだけ竜眼で見通しても、怪しい影は窺えない。

 シャドーの気配は覚えたのに。いれば分かるのに。

 

 マッチポンプもバレた気配がない。

 

 だから全ては、ただの自壊だ。

 正義の光ライデインを擁する『真の勇者』バランの出現により、ライデインを使えず、人外の様相の強いリュンナが再認識された。

 実はこちらが魔物ではないのか、と。

 

 信仰が裏返った。

 信仰が深かった分だけ、今、疑惑も深い。

 

「これは……わたしが出ていく形かな……。駆け落ちする相手いないけど」

「ぷるるっ……」

「我が姫……どこまでもお供させてもらう」

 

 ああ、ベルベルとリバストがいた。

 ふたりを抱き寄せて、ぷるぷるボディーと毛皮を撫でる。

 リュンナの私室、今は3人のみ。静かだ。

 

「まあ、上々の結果だよね。凡人が一生懸命頑張って、この国の消滅を防いだんだから……」

「ぷる……?」

 

 原作知識のことを、そろそろ言ってしまってもいいのかも知れない。

 特に自分の眷属には。ああ、それとアバンだ。バーンに対抗する準備をしてもらわないと。いやバランもか、ディーノを強く育ててもらおう。

 しかしバーンに原作知識を奪われるのが怖い。

 でも。

 

「未来がね、ちょっとだけ分かるの。もしわたしがいなかったら……バランは姉上と駆け落ちして……連れ戻されて……処刑される運びになって。姉上が庇って、バランは逆上して……竜の騎士の全力で、この国は、半島ごと消し飛ぶ」

「ぷるるっ!?」

「なんと……。そのようなことが!?」

 

 ふたりが素直過ぎて、思わず笑ってしまった。

 どれだけ信頼されているのか。

 

「それを防いだんだから、わたし、頑張ったよね?」

「ぷるん」

 

 ベルベルが顔に触手を絡めてきた。

 そのまま頭に乗せる。

 

「我が姫の心中、察して余りある。己のみが知ることのできる未来を変えようなど、誰にも相談できずツラかったろう……。我々には話してほしかったが」

「ぷる~ん」

 

 リバストが苦笑し、ベルベルは締め付けてきた。痛い。

 

「我が姫は――どこで何をしようと……たとえ王女でなくなっても、我が姫だ。必ずついていく。ベルベルもだ」

「ぷるん!」

「だから、何も心配しなくていい。これから先、どうするにしてもな……」

「うん……。ありがと……」

 

 ベルベルを頭に乗せたまま、リバストの青い毛皮に顔を埋めた。

 思い切り吸い込む――石鹸の匂いの中に、獣臭さが微かにある。心地良い。

 暫しそのまま――そしてふと離れた。人が来た気配。

 

「リュンナ」

 

 ソアラの声。

 

「姉上」

 

 扉を開けて迎え入れようとするが、彼女は硬い顔で立ち尽くすばかり。

 顔色は青白く、酷く憔悴して見える。

 昼前に会ったときは、こんな状態ではなかったが……。

 

「姉上……?」

「父上が……」

 

 か細い声。

 

「父上がお呼びよ。執務室で待ってるって」

 

 まるで死刑宣告のようにソアラは言い、フラついて倒れそうになった。

 慌てて身を支える。

 

「ちょっと……! どうしたんですか姉上!」

「ごめんなさい、休ませてもらって……いいかしら。このまま、この部屋で……」

「それはもちろん……。わたしの部屋なら、それは姉上の部屋も同然です。ベルベル、リバスト、姉上のことよろしく。わたしは行くから」

「ぷるるん」

「承知した」

 

 そして執務室へ辿り着く――と、そこには父王の他に、多数の騎士が詰めていた。物々しい。 

 王は険しい表情を浮かべ、しかしそれを隠したいかのように、顔の前で両手を組む形。

 

「……リュンナ」

「はい」

 

 執務机を挟んで向かい合う。

 

「お前が魔物に取り憑かれている、という噂だが」

「はい」

「真か」

「いいえ」

 

 静寂。

 破ったのはリュンナだった。

 

「まさか父上にそのようなことを聞かれるとは……。わたし、そんなに豹変しました?」

「いや。お前は昔からお前のままだよ」

「ならば」

「竜眼だ」

 

 やはり、そこなのか。

 

「もう3年以上昔になるか……。ハドラー討伐から帰ったお前は、ワシに言ったな。竜眼は突然生えてきたモノで、自分でもよく分からないが、悪いモノではないと。だが詳細不明では周囲が納得しないから、竜の神の啓示を受けたことにする、と」

「それは……」

 

 騎士が多数集まっている――集められたこの場所でそれを口にすれば、欺瞞は瓦解してしまう。

 なぜ、なぜそれを言ってしまった? 父上。

 

「ワシはお前を失いたくなかった。だからそれで自分を納得させ、頷いた……。しかし――それでいいワケがない! そんな得体の知れぬモノを害がないと思う時点で、お前の意識がそれに乗っ取られているのは明白ではないか!」

 

 拳が机を叩く。インク壺が揺れた。

 

「そう思いながらも、手は出せなかった。我が娘は強い。その気になれば、恐らく、たったひとりでこの国の全てを敵に回して戦えるほどに……。諦めかけていた……。

 だが天はワシを見放さなかった! 『勇者バラン』ッ! 彼なら対抗できる……! お前の中から魔物を追い出してくれるだけの力があるッ!」

 

 父の視線を追って振り向く。

 バランが、そこにいた。

 

「戦え! 傷付いて弱れば、魔物も堪らず出ていくだろう。そのときこそ、我が娘は助かるのだ……ッ!」

 



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48 勇者バラン その1

6/8



 バランの表情は苦渋。

 既に告げられていたからだろう――

 

「やれるな? 『勇者バラン』。やれぬと言うなら、お前も結局魔物だったという事になるが……」

 

 ――との言葉を。

 リュンナは思わず笑いそうになってしまった。

 もう、誰にも、何が何だか分かっていないのかも知れない。

 

「父上」

「……」

「父上?」

「……うむ……」

 

 今のお前に父と呼ばれたくはない、とでも考えているのだろうか。

 反応が鈍い。

 

「そもそもバランを拾ったのはわたしなんですけど。その辺りはどうお考えに?」

「本当のお前からの救難信号だろう。バランの力で助けてほしいとな」

「もしバランが魔物だったら」

「お前たちが結託して国の乗っ取りを企んだ、というだけだろう」

「あは」

 

 もう耐えられなかった。

 笑ってしまった。

 

「……何がおかしい?」

「随分と危険な賭けをなさるモノだなと。わたしたちが結託していたなら、もう、誰にも止められないのに……」

「なら考える必要はあるまい。どうしようもない事を考えても、どうしようもないのだからな。それに、彼は勇者だ。ライデインの使い手だぞ。先ほどのは言葉の綾だ」

 

 人は信じたいモノしか信じない。

 ああ、まったく、それに尽きる。

 メチャクチャだ。

 

 暗黒闘気の繋がりを介し、遠くアバンと共にいるバルトスの感覚を乗っ取った。

 魔物を作ってバランに退治させるマッチポンプを思いつく――その前に呼んでおけば良かったと後悔する。マッチポンプを始めた以降には、あまりにも後ろめたくて呼べなかったのだ。

 もう、それを気にしている場合ではない。

 

 だがアバンは、ヒュンケルの修練中、弟子の思わぬ強烈な攻撃にうっかり本気で反撃し、彼を川に落としてしまったという。あまつさえ流されてしまったらしく、まだ発見できていない――と。

 バルトスが生存している以上、ヒュンケルに闇堕ちの要素はないから、そこをミストバーンに拾われるということもないとは思うが……。

 どの道、ヒュンケルを発見するまで、アバンはアルキードには来られない。

 運命を感じる。イヤな気分だ。

 

「バラン」

「リュンナ……」

 

 バランに決断できるワケがない。

 彼はマッチポンプを理解しているのだ。

 自分が誰のお蔭で、ソアラの故郷で共に暮らせるのかを。ソアラを家族から引き離さずに済んだのかを。

 なのに――その家族と、妹と、王は戦えと言う。

 

 だが戦わないことを決断するのも無理そうだ。

 竜の神の啓示を受けた勇者――竜眼のその触れ込みは、真っ赤な嘘だったのだから。そう示された。

 彼の中には間違いなく、リュンナに騙された衝撃、恨み、落胆、失望、疑念がある。

 とは言えそれは、しかし、死ぬほど痛めつける理由に足り得るモノでもあるまい。

 

「……構いませんよ」

 

 緩やかに両腕を広げた。迎え入れるように。

 

「リュンナ?」

(ドラゴン)の騎士の力は、一度本気で体験してみたいモノでした」

 

 マッチポンプ用の魔物越しにでなく、直に、本物を。

 後のバーン軍に対して、自分の今の実力がどの程度なのかを計るひとつの物差しとして。

 

「いつやります?」

「今だ」

 

 王が即答した。

 

「中庭で――」

 

 続けて何か言ったようだが、それは――皆殺しの剣が襲い掛かり、真魔剛竜剣が防御する、その激突轟音に呑まれて掻き消された。

 

 リュンナは肉眼を閉じ竜眼を開いて、魔氷気を全開に。それは剣越しですら触れた相手を凍てつかせる極寒の権化。

 だがバランもまた(ドラゴン)の紋章を輝かせて竜闘気(ドラゴニックオーラ)を全身に纏い、魔氷気による凍結を赦さない。闘気としての位階の差か、吸収もされない。

 その上で魔氷気による闇の衣は呪文を吸収してしまい、竜闘気(ドラゴニックオーラ)に並の呪文は効かない。

 故に剣戟。

 

 剣圧余波が壁を斬り刻み、床を斬り崩し、天井を斬り飛ばす。

 王も騎士たちも、ほぼ抵抗できずに吹き飛ばされ、転がり、城に開いた大穴からふたりが空中へ飛び出していくのを見守るしかない。

 飛び出してなお着地せず、虚空を自在に飛び回り剣を交わし合うふたりを。トベルーラ。

 

「あはははははっはははっ!」

「リュンナ……お前は……!」

 

 リュンナが攻め、バランが守る。

 バランから攻めるときは、それも対処行動を取らせることでリュンナの攻め手を弱めるための、防御の一環としての攻撃だった。

 未だ両者に傷はないものの、それも時間の問題だろう攻め手の威勢。

 

「どうしたんですバラン? もっとやる気を出しましょうよ!」

 

 常人では見ているのみで呼吸さえできなくなるような戦いの中、平気で言葉を紡ぐ。

 

「そんなワケに行くか! 私とお前ほどのレベルでは、本気でぶつかり合えばどちらが死ぬか分からんのだぞ!」

「姉上と一緒にいられなくなりますよ」

「ソアラといるために、ソアラから妹を奪えと言うのかッ!?」

 

 皆殺しの剣が唸りを上げて迫り、真魔剛竜剣が堅実に防ぐ。

 その度に刃毀れが起こる――皆殺しの剣のみが、一方的に削れていく。

 如何な魔界の魔剣でも、神が創りしオリハルコンの剣に強度で敵うモノではないのだ。

 バランはそこに希望を見い出した――そんな顔をしていた。

 

「何も奪えとまでは言いませんよ。わたしをズタボロにしてくれれば……。それが父上のお望みなんですし」

「それで解決するのか!? その竜眼は……! 本当に魔物の憑依によるモノで、弱れば出ていくモノだと!?」

「違いますけど」

「だろうな!」

 

 バランが一転攻勢をかけてくる。

 それはリュンナ本体ではなく、皆殺しの剣を狙ったモノ。

 剣が削られ、へし曲がっていく。

 

「分かるんですか? 竜眼のこと!」

「恐らく――伝説にいう『第三の目』! 異常極まる精神修行や精神体験により、ごく稀に開く者が現れるという。数百年か……数千年にひとりの事だが……! そうして常軌を逸した力を得る、と、(ドラゴン)の騎士の知識にはある。思い出すのに苦労したがな」

 

 転生を自覚して以来日常的に続けている無の瞑想を、異常極まる精神修行呼ばわりされてしまった。

 ともすれば転生に伴う再誕の感覚、それ自体も異常な精神体験なのだろう。

 なぜ『竜』眼なのかは分からないが。(ドラゴン)の騎士こそが最強種族だという認識が、自らをそれに近付けたのだろうか。

 

「詳しいことは私も知らぬ……! だが第三の目は、あくまでも内因的なモノ! 何かに取り憑かれたワケではないし――仮に取り憑かれたのだとしても、それは魔物ではなく、むしろ神憑り的な何かだろう!

 だから竜の神の啓示というのも、少なくとも本人にとっては事実なのだろうと思っていた!」

「それを聞いて安心しました」

 

 ああ――わたしはちゃんと、わたしだった。微笑む。

 皆殺しの剣が半ばから折れ飛んだ。

 

「安心している場合かッ! 最早どうしたところで、王を納得させる事は出来んという事だぞ!」

 

 それでも戦う。

 剣身が半ば減ったということは、半ばは残ったということ。短剣の間合で真魔剛竜剣を受け流していく、どうせ先方に本人を攻撃する気はないのだ。

 

「先輩でも呼びましょうかね。マホカトールを使ってもらって……。いっそ国全体を、こう、覆ってもらって。破邪結界の中なら、わたしの潔白を証明できるでしょう?」

「それで竜眼は消えない……! ただの言い訳だ!」

「まあそうなんですけど」

「分かっているなら……! 通用するとはお前も思っていないだろう!」

 

 その短剣分の長ささえ破壊された。

 共に魔王ハドラーと戦った皆殺しの剣は、今、死んだのだ。

 武器を奪ったことで、バランの闘気が緩む。

 

 そこをリュンナの剣が薙ぎ払い、胴を斬り裂いた。

 

「……?! 闘気の剣(オーラブレード)!?」

「はい」

 

 魔剣の残った柄から魔氷気が伸び、剣を形成していた。

 剣心一如。深い瞑想と度重なる戦いの果てに、剣とひとつになる境地へと至ったリュンナなら、最早物品としての剣はなくてもいいのだ。

 

 剣の応酬が再開。

 だが最早リュンナの武器は破壊不能――たとえ柄さえ消し飛ばされたところで、その手に架空の剣を握って現実に斬りつけることが、今のリュンナには可能だった。それをバランも察している。それほどの剣術階梯。

 

 そして闘気の剣(オーラブレード)には本質的に重さも硬さも質量も形も存在せず、破壊だの反動だのといった概念もない――物理的な反動を恐れずに全力を込め、その全ての力を相手に押し付けることができる。

 それはオリハルコンさえ打ち抜き得る威力。バランは竜闘気(ドラゴニックオーラ)を集中させて剣を守るが、体に回す闘気はその分だけ減る――守備力が落ちた、剣圧に浅い傷が増える。

 

「ベホイミ!」

「あははははっ! それなら無効化されないですもんね!」

 

 リュンナの魔氷気剣は竜闘気(ドラゴニックオーラ)の鎧を貫くが、傷に魔氷気が残留することは、内から噴き上がる竜闘気(ドラゴニックオーラ)の渦が跳ね除けて防ぐ。回復呪文は効く。

 

「何がおかしい……! 何が! 何を笑う、リュンナ!」

「国に尽くされ、国に尽くすのがわたしですよ! あなたに倒されることが、今、国への貢献なんです! 『勇者バランが邪悪な魔物を退治した!』 ここでもう一回やっておきましょ!? ねっ?

 そしたら国民は安心! 国は安泰! これからも姉上と王国を頼みますよ、ねえ、バラン! あっは!」

「死ぬ気か……! リュンナッ! こんな、こんな、人間どものために……!?」

 

 鍔迫り合いから、互いに弾き合い、距離が空いた。

 

「そんな広く括るのは乱暴ですよ。姉上だって人間でしょう? ね」

 

 その距離を使って、力を溜めた。

 剣は右逆手、身を捻り大きく振り被る。

 星の海めいて無数の輝きを孕んだ常闇――魔氷気が渦巻き、逆巻き、剣そのものとして集約されていく。

 

 それは、バランですら、全力の必殺技で相殺せねば防御できない暴威。

 それは、バランがもし避ければ、王城が丸ごと凍て死ぬ災厄。

 

 ソアラも、そこにいるのに。

 ベルベルもリバストも、そこにいるのに。

 それでも。

 あなたなら、ちゃんと。

 

 バランは咄嗟に呪文を唱えた。

 

「ギガデイン!」

 

 真魔剛竜剣に轟雷が落ち――だがそのままバランへ感電するのではなく、剣が雷を溜め込み一体化する。

 天を操る(ドラゴン)の騎士の、その全力を一気に爆発させる神秘の奥義。

 

 両者の激突が、

 

「ゼロストラッシュ!!!」

「――ギガブレイク!!!」

 

 今。

 




ご愛読ありがとうございます。
感想全レスを諦めました。
よろしくお願いします。


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49 勇者バラン その2

7/8



 暗黒闘気とヒャド系魔法力を合成した魔氷気を、心技体の完全に一致した剣と共に繰り出し、一気に爆発させる――絶対零度の斬撃、ゼロストラッシュ。

 剣を介してギガデインの魔法力と竜闘気(ドラゴニックオーラ)を合成、闘いの遺伝子を持つ竜の騎士の完成された剣の型と共に繰り出し、一気に爆発させる――天の裁きの斬撃、ギガブレイク。

 技の原理がおよそ似通っている以上、ならば勝敗を分けるのは、それ以外の要素だ。

 

 構えが決まっているために太刀筋も限定されるゼロストラッシュと違い、ギガブレイクの太刀筋は自由だった。

 リュンナの薙ぎ払いに対し、重力を味方につける大上段からの振り下ろしを選択する決断がバランにはあった。

 

 体格も違う。

 小柄な少女のリュンナは、相手の懐に飛び込まねばならない。一方大柄な成人男性のバランは、相手の剣は自分の体に届かないが、自分の剣は相手の体に届く間合がある。

 剣圧は届くが、その威力は剣本体には劣る――剣本体を当てるバランが有利。

 

 そして魔王ハドラー以来に強敵と戦っていないリュンナよりも、魔界で冥竜王ヴェルザーの勢力と死闘を繰り広げてきたバランの方が、レベルにおいても上だ。

 そう大きな差ではないが。バランとそこまで差を縮めている竜眼の力の異常さ。とは言えそれでも、バランの方が上なことは間違いない。

 

 ――結論、勝つのはバランだ。それは互いに、ぶつかる前にもう分かっていた。

 だからリュンナは呪文を唱えた。

 

「ベタン」

 

 収束された重圧呪文が、重さのない闘気の剣(オーラブレード)に重さを与える。

 

「魔法剣だと……!? 人間が!?」

 

 これは魔法剣なのか?

 単に闘気の剣(オーラブレード)にベタンを作用させているのみだ。剣をメラで炙れば、それは赤熱するだろうし、その状態で剣に触れれば熱いが、それを魔法剣とは呼ばないだろう。同じこと。

 

 だが意表を突くには充分だったか。

 激突の瞬間、バランの計算が狂った感触。

 

 魔氷気の爆発に伴い、凍てつく波動の原理が強烈に作用してギガデインオーラを掻き消し、しかしそれで魔氷気も闘気の剣(オーラブレード)形成分を除いて消費され切った。

 超威力同士の激突としては意外なほど静かに、爆発も起きず、ただ剣の衝突音のみが響き渡る。

 そして最後に残った、体の純粋な『ちから』で、バランが一方的に押し切る――ハズだったのだ。

 

 ベタンが生んだ重みが、バランの剣の進みを押し留める。

 鍔迫り合い。

 

 バランにもう手はない。

 竜の騎士の魔法剣は、デイン系呪文のみではない――それが最も安定して強力だから多用されるが、それ以外の呪文で魔法剣を行うこともできる。リュンナが闘気の剣(オーラブレード)を補った呪文を自分の剣に吸収して魔法剣化、反撃することができるのだ――それがベタンでさえなければ。

 マトリフから伝授された、彼の独自呪文。(ドラゴン)の騎士が持つ闘いの遺伝子の中にも情報がない、初見の呪文。故にコツを掴んでおらず、吸収できない。

 

 だからバランは鍔迫り合いに応じるしかない。

 そして互いの闘気と魔法力の殆どが吹き飛んだ今、最低限の闘気の剣(オーラブレード)が、裸の真魔剛竜剣に勝る。

 オリハルコンは確かに他のどんな素材よりも強靭だが、それでも裸では意外と脆いのだ。

 

 リュンナが押し切る。剛竜剣ごとバランを斬り裂く――

 

「……あれっ……?」

 

 ――鮮血を噴いて落ちるのは、リュンナだ。

 

 全ては一瞬だった。バランが鍔迫り合いに応じたのは一瞬だ。

 彼は剣同士の接触点を支点に剣を回転させ振り下ろすことで、押し込んでくるリュンナの力を、剛竜剣の回転力へと吸収して反撃した。

 左手は柄にあるまま、右手は刀身の峰を押さえ、回転をより効率的に行う形。

 同時に鍔で闘気の剣(オーラブレード)の腹を押さえ込み、斬られるのを防ぎながら、自分の剣のみが敵に当たる道を作り出す。

 

 闘気も魔法も、(ドラゴン)の騎士も人間もない、誰にでもできる純粋な『剣術』で。

 リュンナは左肩から右腰までをバッサリと斬られ、真っ赤な血の華を咲かせながら、トベルーラの浮力さえ失って墜落に至る。

 

「リュンナ……!」

「あ、は……」

 

 中庭の花畑に。花々がクッションになったのか、落下ダメージは小さい。

 だが気力体力を使い果たし、真魔剛竜剣に深く斬られたのだ、戦闘不能の重傷だった。

 潰れた花々が、赤く染まっていく。

 

「すまない、今、回復呪文を……!」

 

 激突の結果――バランが生き残るには、リュンナを斬るしかなかった。

 そうなるように、本気の殺気と全力を注ぎ込んだのだ。

 バランの実力を信頼して――実力が足りなかったならそのまま殺してしまっても構わない、とばかりに。

 

 バランが降下、傍らへと下り立つ。

 

「ベホマ!」

 

 治癒の光が灯る。

 だが(ドラゴン)の騎士は孤独な戦闘生物。自分の体は熟知していて治しやすいかも知れないが、他者を癒すのは苦手だったか。

 大技の激突のあとで闘気の吹き飛んだ体を袈裟懸けにされては、ベホマとは言え治りが遅くて当然だが。

 

「リュンナ……! リュンナ! 目を開けろ!」

 

 頬を叩かれる。

 目なら開いている――竜眼なら。

 肉眼を開ければ竜眼は閉じてしまう。今、竜眼の高度な闘気生成操作能力を失うワケにはいかない。なけなしの暗黒闘気で自己回復を行っているのだ。

 

 だから顔に落ちてくる熱い雫も、その源泉が何なのか、見えている。

 そんなに声を抑えなくてもいいのに。バラン。

 無理して笑う必要も。

 

「お前のゼロストラッシュ……! あれはいい技だ。お蔭でギガブレイクの威力が、殆ど殺された……。普通に斬っただけで済んだ。助かるハズだ!」

 

 そこに王や騎士らが、恐る恐る、しかし駆け足で訪れた。

 

「おお、勇者バラン! やったか!? 魔物は――ダメか……」

 

 彼らはリュンナの額に未だ開き続ける竜眼を見て、肩を落とす。

 傷よりも先に、そちらを見るのか。

 

「だがこれだけ弱れば……!」

 

 騎士に混じっていた宮廷神官が前に出る。

 気合を入れて魔法力を溜め――

 

「何をする!」

 

 バランがそれを制した。

 宮廷神官は驚いて尻餅をつき、魔法力が霧散。

 

「た、ただのニフラムです……! 聖光呪文! 人間に害はありませんぞ!」

「そうとは限らん。聖なる光は暗黒闘気にダメージを与えてしまう。今リュンナの闘気が減れば、助かる命も助からんのだ!」

 

 一喝に神官は騎士らと顔を見合わせ、最後に王を見上げた。

 王は動揺していなかった。

 

「思えば暗黒闘気を使う時点で、おかしかったのかも知れんな……。いや、それで魔物に目をつけられたのか? もう何も分からぬ。だがリュンナが苦しんでいるのは分かる……!」

「ならば!」

「神官。ニフラムだ」

「やめろ……ッ!」

 

 バランが体を張って止めようとするが、彼も疲労が重い。

 人間を傷付けないようにと注意するあまり動きも硬くなり、騎士らの人の波で押し退けられてしまう。

 激昂して殺人に走ることはないか。良かった。

 

「くっ、放せ……! リュンナ! 逃げろ、逃げるんだ! 聞こえないのか!」

「我が娘を慮ってくれるのは嬉しいが、魔物を祓うためだ。仕方がない。もちろん同時に回復呪文もかける」

 

 リュンナに立ち上がる余力はなかった。

 今すぐにでも意識を落としてしまいたいほど。

 

 意識を落とすと言えば、今、ベルベルとリバストは眠っている――暗黒闘気の繋がりで分かる。戦闘中には見る余裕がなかったが。道理で飛び出して来ないワケだ。

 なぜこの昼に眠っている? ラリホーでも受けたか。ソアラも一緒に眠っている様子。

 ソアラの看護に訪れたとでも言って、部屋に入った誰かが、か。

 

 バランから迷いと魔法力の気配。

 その構成はバシルーラ。しかしどこへ飛ばすべきかと迷っているのか。どこへ飛ばしたところで、その先で死ぬのみだ。

 何もしなくていい。

 

 宮廷神官のニフラムを受けた。普段なら何ともないが、この消耗では流石に効く。

 なけなしの暗黒闘気が祓われ、騎士や神官たちの呪文治療が命綱となった。

 それをぼんやりと認識しながら、心が、無に沈んでいく。

 

 果ては追放か、いや、幽閉だろうか……?

 追放なら、名を変えて先輩と旅をしようかな。

 幽閉でも、姉上やバランに原作知識を伝えることは……。バーンに察知されて逆利用されるのが怖いけど……。

 

 或いは。

 



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50 転換点

8/8



 数日後に判明した。

 処刑だった。

 

「あは」

 

 追放か幽閉か、と思っていた。

 原作でバランが処刑されたのは、然もありなん――結局は素性不明の余所者で、彼らの認識では魔物だ。

 だがリュンナは、この国の第二王女である。魔物疑惑も、本人が魔物なのではなく、取り憑かれているという話だったハズ。

 

「リュンナ姫……」

 

 急遽用意された座敷牢の扉――嵌った鉄格子の向こうに、アバンの姿が窺えた。

 あまりにも沈痛な面持ちだった。

 

「私のせいで……。本当に……」

「いいえ」

 

 バルトス越しに連絡を取った――リュンナとバランが戦った翌日には、アバンはルーラで駆けつけてくれた。ヒュンケルは無事見付かったらしい。良かった。

 そしてアバンはマホカトールを使った。五芒星魔法陣で破邪の結界を張る呪文。闇を祓うのでなく邪悪を破るため、正義を為すリュンナの暗黒闘気にはダメージを与えず、しかし魔物は祓えたと言い訳できる――つもりだった。

 

 結局、竜眼そのものが消えるワケではない。

 何の誤魔化しにもならなかった――むしろ、伝説的破邪呪文でさえ祓えない魔物なら、最早殺すしかないのだ、と。

 

「先輩のせいじゃないです」

 

 定期的に何度もニフラムをかけられ、暗黒闘気は回復した傍から削られていく環境。

 その弱った身に、更にマホトーンとラリホーをかけられ、呪文は使えず、眠気で体の動きも鈍い。

 何重にも封印されている状態。

 

 原作ではバランを縄で縛るのみでロクに対策を取っていなかったアルキード王国が、リュンナの発想と指導でここまで改善されたのだ。

 敵を捕まえるなら、徹底的に封じること。

 

 ベルベルとリバストも、同様に囚われているそうだ。ふたりは機を窺うためか、大人しくしている気配。

 アバンと共に来たバルトスも捕まりそうになったが、こちらはヒュンケルごと逃げ出したらしい。

 

「しかし、リュンナ姫……。せっかく貴方が頼ってくれたというのに……!」

「頼るのが遅過ぎましたね……。だから、自業自得なんです。わたしの」

 

 王は最後の手段として、遂に竜眼を物理的に摘出しようとしたが、試みた者は道具ごと手が凍り付いてしまって不可能だった。

 自己防衛本能が、生命力を削って魔氷気を作り出したようだった。

 

 自己防衛本能! この期に及んで、わたしにそんなものが? リュンナは自嘲した。

 我が身可愛さを無意識レベルで捨てられなかった――自業自得。

 

「もっと早くに頼ってほしかった――確かにそれは、そう思います。こうまで状況が出来上がってしまう前に……! しかしそれは決して怠惰ではなく、自分自身で何とかしようと努力したのでしょう。それを責めることは、私には出来ません……」

 

 本当に善良な人だ。リュンナは苦く笑んだ。

 自分もこんな性格なら良かった。正義のために、で動ける人間なら。

 

 現実は違う。国難を避けるのはいいとして、(ドラゴン)の騎士を取り込むという国益に目が眩んでいた。

 そもそもそれを国益だと思うこと自体が間違っていたのか。

 

 あれもこれもと欲張って、結果がこれだ。

 バラン処刑に至るまで放置して、最後の最後でふたりを攫うくらいで良かったのに。

 どこまでも自業自得。

 

「ヒュンケルのこと――頼んでいいですか。わたしが死ねば、バルトスも……」

「もちろんです。彼らには非常にツラいでしょうが……。こんなことなら、私も暗黒闘気を身に付けておけば……!」

「いや……無理でしょ」

 

 こんな眩しい人間に、闇の力を使えるワケがない。

 笑ってしまった。楽しい気分だ。

 しばらく笑い転げた――いや、転げてはいない、そんな体力はなかった。気持ちだけ笑い転げた。

 

「ああー……。はあ。おっかしい……」

「リュンナ姫……」

「助けようとは、しないでくださいね」

「……」

 

 アバンは答えない――口に出しては。

 必ず助け出す、と心気のみで語っていた。

 しかし処刑を止めることは出来まいし、出来たとしても、実行すること自体が問題だ。やはり寸前に連れ去る形になるだろうか。

 

 何にしても、リュンナという人外の異形がのうのうと生きているから、国民は不安なのだ。

 しっかりと処分され、安心できる結末を提示しなくてはならない。

 たとえ行きつく先が死でも。

 

 いつの間にか呪文を更新する時間が来た。

 彼らはアバンを押しのけ、リュンナに、ニフラム、マホトーン、ラリホーをかけていく。

 

 そうして気付けば眠っていた。

 目を覚ましたのは――これはもう、いつなのだろう? 処刑の日。

 

 リュンナは手枷をかけられ、刑場に移送された。

 縄で柱に縛り付けられた。

 眼前には魔法騎士たち。

 そして王と、民衆。

 公開処刑。

 

「我が娘リュンナは、魔物に成り代わられてしまったのだ。本物を探し出さねばならぬ! そしてその前に――この偽物を処刑する!」

 

 最終的に、父王としてはそういう事になったらしい。

 娘が異形と化したと、最早手の施しようがないと、そう思いたくないのだろう。

 どこかに本物がいて、探し出せば再び娘は帰ってくるのだと、そう思いたいのだろう。

 自分の心を守るために。

 

「魔物とは言え、リュンナさまの姿をしたモノを……」「だからこそ赦しちゃおけねえだろ! 俺たちの勇者姫を!」「魔王軍の残党なんだって?」「ずっと騙されていたなんて……本物のリュンナさまだとばかり……」「そうして最後に我々を絶望させる手口だったのだろう」「じゃあ本当のリュンナさまはどこに?」「ハドラーが何かしたのか」――

 

 ざわめく声、無数。

 バーンの工作はもうないのに、マッチポンプもバレていないのに、このありさま。

 

 いわゆる原作の修正力だろうか。過程は違っても、役者が違っても、同じことは起きる――という運命?

 そんなモノで片付けるのは、冒涜だ。

 

 これから死ぬというのに、心は凪だった。落ち着いている。

 アバンが助けてくれると信じているから? それともベルベルが、リバストが、或いはバランが、ソアラが?

 助けてくれなくていい、と思っている。

 ここで死ぬことが、国に尽くすことなのだ。

 

 瞑想で死の感覚を想い続けるうちに、死が怖くなくなってしまったのか。それも多少はあるだろう。多少だ。全てではない。

 

 ベルベルとリバストは、魔物リュンナの配下として、その後に処刑されるのだそうだ。

 アバンには彼らの方をこそ逃がしてほしい。リュンナが死んでも、ふたりの生は続くのだから。

 

 逆にバルトスは道連れになってしまう。ヒュンケルには申し訳ないが、どうにかする手段がない。

 どうか人間を憎まずに生きてほしい。バルトスが世界の全てだった頃に失うよりは、ダメージが小さく済むだろうか。アバンもいる。

 

 バランはソアラとの関係を盾にされて動けないだろう。それを責めようとは思わない。

 ふたりが幸せになれば、それで勝ちだ。

 

 大好きな妹を失って、ソアラが幸せになれるか? 難しいだろう。しかしバランが上手く支えてくれれば。

 結局彼女は、一度しか面会に来なかった――リュンナを脱走させようとして扉を斬ったところで、兵士たちに寄ってたかって押さえられて、それ以来、姿を見せない。軟禁でもされたか。

 

 アバンはどう動くだろうか。今どこにいるのだろうか。

 近くに気配はない――余力がなくて、感知できる範囲が狭過ぎる。

 

 以前バルトスから貰った魂の貝殻を、部屋に隠してある。

 そのときソアラには場所を教えておいた。見付けてくれるハズ。

 そこに原作知識を込めれば、もう、いい。

 

「何か――」

 

 アルキード王が言う。

 

「言い残すことはあるか?」

 

 合わせて処刑人の魔法騎士たちが、メラゾーマをその手に灯していく。

 

 息を吸って、吐く。

 ゆっくり。

 

「わたしのことは、要らないのですね? 父上」

「貴様の父ではないが――そうだ。お前は要らぬ。この国に不要な存在だ」

 

 そうか。

 

「たとえこの先、新たな魔王がまた襲ってくるとしても?」

「勇者バランがいる。だからお前は要らぬ。リュンナ……ワシのリュンナ……どこへ消えてしまった……」

 

 ごめんなさい。

 ここにいます。

 あなたの目の前に。

 

 どこで間違ってしまったのだろう。きっと数え切れないくらいに間違ったのだろう。

 でも、いい。

 国は続く。バランはアルキード王国を滅ぼすまい。ソアラがいるのだから。

 最悪滅ぼすとしても、ソアラは残る。せめてその血は残るのだ。

 

 ああ。

 

「さらばだ、我が娘に成り代わった魔物よ。

 撃て……。

 撃てェーッ!!」

 

 要らないと言われた。

 国に尽くす必要がなくなった。

 国に尽くされることも最早ない。

 

 尽くされたなら、尽くすべし。

 じゃあ、尽くされ終えたなら、尽くし終えていいよね。

 

 戦い抜いたんだから。

 戦い抜こうと思って。

 いつか心折れ力尽きるか、或いは――要らなくなるまで。

 

 もう、頑張らなくて、いいんだ。

 だからこんなに、安らかなんだ。

 

 メラゾーマの火炎。いくつも、いくつも。

 燃える。熱い。

 でも、どこか感覚が遠い。

 思ったよりは苦しくない。

 温かみすらある。

 

 死んでいく。

 心が、色褪せていく。

 愛国心が、崩れ落ちていく。

 

 どうして、こんな人たちのために、こんなに一生懸命に。

 弱くて、愚かで、流されやすくて、信じたいモノしか信じない人たちの。

 

 いや……。

 わたしも、同じか……。

 

 疑心に勝てないほど弱くて。

 先を見通せないほど愚かで。

 国益のためと思って余計なことをしてしまうほど、流されやすくて。

 信じたいモノ――それでも何とかなるという甘い希望しか、信じなかった。

 

 これが――人間――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不意に、音が止んだ。

 火炎の揺らめく音が消えた。

 風を感じる。焼け爛れた皮膚を蝕む風。

 

「こやつ、リュンナ……。貴様らが要らんと言うのなら、この俺が貰ってやろう」

 

 声が聞こえる。

 太い腕で、わたしを抱いている。

 拘束が引き千切られた。

 

「ふん、忘れたか? このハドラーの名を!」

 

 ハドラー?

 え?

 ああ、先輩のモシャスか。

 先輩自身が攫ったら、カールとの国際問題になりかねないもんね。

 

「無様なことだ……。リュンナ、この俺をああまで追い詰めた貴様が……」

 

 先輩、迫真過ぎ……。

 

 腕の感触。胸板の感触。

 浮遊感。

 魔法力の高まり――

 

「待って、処刑は待ってください! 見付かりましたよ、竜眼を消す方法が! この古文書にあった伝説の破邪呪文マジャスティスで――」

 

 えっ? 先輩?

 先輩の声?

 

「ハ、ハドラー!? バカな……!」

「アバンか……。だが今は、貴様に構っている暇はない」

 

 このハドラー、先輩のモシャスじゃ、ないの?

 はあ……?

 

 直後、ハドラーの魔法力が作用する気配。

 人々の声が一瞬で消え去って、静寂。

 消した?

 違う、わたしたちが移動した。

 

 ああ。

 そろそろ、気を、失う……。

 



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魔軍司令ハドラー編
51 竜眼姫


 長い長い夢を見た――本当は今見ているのが現実で、ここから目が覚めた先が夢なのではないかと思うほど、長い夢だった。

 具体的には、これまでの人生を追体験するくらいに。

 

 目が覚めると、窓から乾いた風が入ってきていた。カーテンが緩く揺れる。

 窓の向こうの光景は、高く険しい山脈だ。長大な壁めいて。

 

 身を起こした。

 長い銀髪がさらりと、白い裸体にかかる。

 13歳になって何か月経ったのだったか? 見慣れた小柄な体。

 

 どこか違和感がある。

 とりあえず衣服代わりにシーツを纏って立ち上がった。裸足。

 窓を閉じ、硝子に姿を映した。

 

 肉眼と竜眼が、同時に開いている。

 竜眼を開くために、わざわざ肉眼を閉じる必要がない。

 違和感はこれか? まだある。

 

 ああ、全身の奥底に力が漲っている。人間ではあり得ないような膨大な力。

 やはり竜眼を得た時点で、自分は人間ではなかったのだろう。

 その力が体に合わせて進化したらしい今は、更に。

 

 力のみではない。総身が生まれた変わった感覚がある。

 あれだけの火傷が――そうだ、アルキード王国で火炙りに処されたハズだが、そのダメージが全く残っていない。

 ベホマで治したというよりは、まるで新品の体と取り換えたような。

 

 いや、ようなではない――竜眼の感知能力でよく見れば分かる。

 主にハドラー戦やバラン戦で負った傷、もはや回復呪文でも治り切らない傷痕がいくつかあったのだが、綺麗さっぱり消えていた。

 

 暗黒闘気もより強まっている。

 自己の愛国心の裏返しというより、単により強大な存在から与えられた力という感覚だが。

 どうやらバーンか何かの力で復活したらしい。

 

 では、ここは大魔宮? 鬼岩城?

 窓から身を乗り出し、上下左右を眺める。

 大きな岩の顔が見えた。鬼岩城だ。

 

 身を部屋に戻すと、改めて部屋を見回した。

 狭い。ただ寝るのみの部屋だ。

 

 唯一の扉には、鍵はかかっていなかった。

 開け、くぐる。

 

 似たような――どこか悪魔的な内装の、もっと広くて設備も整った部屋がそこにあった。

 高貴な者の私室のようだ。

 

 ハドラーがいた。

 あの竜王のようなローブを纏った姿で、リュンナに向き合う形で、脚を組んで革張りの長椅子に座していた。

 

「座れ」

 

 向かいの椅子を指し示して言う。

 包まったシーツの裾を引き摺って歩き、座った。

 

「まずは……久し振りだな、とでも言うべきか……。リュンナ。よもや俺の顔は忘れておるまい」

「魔王ハドラー」

「ククッ」

 

 ハドラーは愉快げに笑った。

 

「クッハハハハハハハ……! ところが違う……。

 あの時、貴様とアバンに敗れた俺は、魔界の神とも呼ばれる大魔王バーンさまに救われた……。新たな肉体をいただき、以後13年間眠りについて力を蓄え、遂に復活したのだ。

 眠っている間は夢で世界を見ていて――死にそうな貴様の姿に、慌てて飛び起きて手に入れに行ったりもしたがな」

 

 思い出すような口調。

 あれがハドラー討伐から3年以上過ぎた日だったから、今はそれから10年、或いはそれ以上が経っているのか。

 

「しかしあの時、ミストバーンが妙に動揺していたのは何だったのか……」

 

 自分が拾うつもりで、ハドラーに先を越されたのか。

 リュンナはボンヤリと、その光景を想像した。

 

「ともかく、今の俺は、バーンさまの軍を預かる総司令官――魔軍司令ハドラーだということだ!

 分かるか、リュンナ!? そして貴様は俺の所有……。生かすも殺すも俺次第。あの痛みと屈辱を如何にして晴らしてくれようか? 考えるだけで胸が躍るわ」

 

「つまり、あなたは――わたしを助けたのではなく」

 

「そうだ! 人間どもに処刑されては、俺がこの手で縊り殺せぬではないか! 憎きアバンともども、貴様は俺の獲物よ。どうだ、絶望したか?」

 

 嗜虐の笑みを浮かべる――が、気になることがある。

 リュンナは表情を変えることもなく、淡々と問うた。

 

「どうして10年も待ったんです?」

「む……」

 

 ハドラーの勢いに歯止めがかかる。

 彼は心底つまらなそうに舌打ちをし、それから首を振って気を入れ直した。

 

「バーンさまは、貴様にも新たな肉体を与えた……。今にも死にかけていたからな、これでは意味がないと思い、俺が頼み込んだのだ。

 正確には、バーンさまが与えたのは『材料』として魔物や人間の遺骸であり、新たな肉体を形成したのは貴様自身――その竜眼の力らしいが。それが完成し馴染むのに10年を要したのは、全く予想外だ」

 

 魔物や人間の遺骸とは……。キメラ化、いや、超魔生物のようなモノか?

 と思って自身を探るが、どうも違う。単にそれらの肉を食べて養分にした、という方が近い気がする。

 

 ともあれハドラーは一度言葉を切り、低いテーブルの上に用意されていたボトルから、グラスに赤い酒を注いだ。

 呷る。

 

「貴様は俺の預かりだが、復活にバーンさまのお手を煩わせた以上、無駄遣いはできん。生殺与奪は俺が握っているとは言え……正当な理由なしに処刑はな……」

「正当な理由とは」

「例えば、貴様が俺に反抗するなどだ。構わんぞ――俺は、それで」

 

 リュンナの前にもグラスはあって、そこに酒が注がれた。

 

「飲め」

 

 グラスを手に取る。

 この酒は魔族にとってはただの酒だが、人間には毒となる成分が多量に含まれている――竜眼に映った時点で、既に分かっていた。

 

 グラスを回し、酒を揺らす。香り立つ。

 一口。

 口の中で広がる味と香りを楽しみ、飲み込む。

 

「ククッ……」

 

 もう一口。

 

「……?」

 

 半分ほど呷る。

 一息置いて、更にカラまで。

 

 寝起きで喉が渇いていたのだ。助かる。

 だがまだ足りない。

 

「お代わり貰えます?」

「どういうことだ!?」

「お代わりはダメですか」

「そうじゃないッ!」

 

 ハドラーがテーブルを叩いた。揺れる。

 鼻水垂れてるけど、拭いていい?

 

「人間には毒の酒だぞッ! いくらキアリーが使えても、発症と解毒に多少のタイムラグがあるハズ……。そしてやせ我慢で何とかなる毒ではない! いったい……!?」

「人間じゃないんでしょう」

 

 自分で勝手に注いで飲むことにした。

 美味しい。

 

「バーンでしたっけ? 大魔王に材料を与えられ、竜眼が体を作った――竜の眼が作ったんですから、きっと竜の体なんですよ。これは」

「どう見ても人間だが」

「人間の目はふたつですよ」

 

 ハドラーは黙った。

 如何にも面白くなさそうだ。

 お代わりを飲み終える頃、沈黙は破られた。

 

「つまり貴様は、あの時から人間ではなかったのか」

「はい――たぶん、半ばは。

 つまり『リュンナという人間』としては限界の才能に、わたしは辿り着いてしまったんでしょう。それを超えてレベルアップするために、人間であることを捨てることを無意識が選んだ……。それを可能とする修行を、知らず知らずのうちにしてましたから。

 きっと、そういうことだと思います」

 

 ハドラーはグラスを傾け、中身が既にカラだったと気付いた。

 そっとボトルを持ち上げて、そこに注いでやる。

 一転して機嫌が良さそうになった。

 

「ククッ、悲しい話じゃあないか、リュンナ! 人間どものために必死に俺を討ち果たそうとして、人間の限界を超えた――その結果が、人間どもから拒絶され処刑の憂き目とは……な!」

「本当に」

 

 ハドラーは味も香りもロクに楽しまず、水のように酒を飲み干すと、芝居がかった調子で述べた。

 

「そして処刑から逃れたと思えば、今度は怨敵の俺のもとで虜囚の身……。どうだ、気分は」

「悪くないですね」

「……なに?」

 

 訝しげに眉根を寄せた。

 当然だろう。

 以前のリュンナなら、きっと考えられない答えだ。

 

「解放されたんです。

 国に尽くされている王女なのだから、国に尽くさなきゃならない。どんなに……国が気に入らなくなっても……。どんなにわたしが間違って、進退窮まっても。呪いですよ、それは。

 あなただってそうじゃないんですか、ハドラー。地上を欲したのは――」

「やめろ!」

 

 凄まじい闘気が吹き荒れた。

 それは威圧のために放出したのではなく、無意識に溢れ出てしまったモノのようだ。

 ハドラー本人がリュンナよりも驚くありさま。

 彼は一呼吸を挟み、言う。

 

「……やめろ」

「はい」

 

 彼は魔王だった。『王』なのだ。国に、民に尽くす立場。

 そこから解放されたのだろうか? バーンの部下になって、王ではなくなって。

 地上を支配し、民に、太陽の光を、豊富な食料を。

 しかしバーンの真の計画は、地上消滅だ。

 

「ふん、相変わらず生意気な小娘よ。拷問したところで、果たして貴様は悲鳴のひとつも上げるのか……? 人形のようではないか」

 

 目覚めてからここまで、リュンナのほぼ表情は淡々としたまま。

 泣きも笑いもしていない。

 

「空っぽですから」

 

 空っぽだから。

 

「義務も、権利も……。生きてる理由がないんです。ここであなたに殺されたら、わたしはきっと『ありがとう』と言うけれど――そのためにわざと反抗したり、或いは自殺したりだとか、そういった気力はありません」

 

 アルキード王国第二王女で、勇者姫だった。

 もう、どちらもない。

 自嘲の笑みが浮かびかけ――結局はそれすら浮かばぬさま。

 

「くっ……! 10年も待ったのに、これでは俺が報われんではないか! そんな状態の貴様に、いったい、俺は……!!

 ……いや、待てよ? クククッ、そうだ、いいことを思いついたぞ!」

 

 苛立つハドラーは、しかし俄かに笑みを広げていった。

 大仰な動作でリュンナを指さし、宣告する。

 

「俺の部下になれ! そうすれば世界の半分を与えてやるぞ……!」

 

 中間管理職に、そんな権限ないでしょうに。

 リュンナは呆れ――

 

「そして生き甲斐もだ」

「……!」

 

 身が、強張った。

 竜眼ともども目を見開く。

 

「反応したな……? そうだ、貴様という空っぽの器に、俺が中身を注いでやろう! かつては魔王と勇者――しかし今度は、共に魔の側に立つのだ。

 貴様を虐げ迫害した人間どもを根絶やしにしたくはないか? 同じ業火の苦しみを味わわてやりたくは――特になさそうだな」

 

 リュンナの顔を見て、ハドラーの勢いが萎んでいく。

 が、すぐに気を取り直した。

 

「いや、なるほど、貴様にはこう言えばいい……! 俺は、貴様に、尽くしたな?」

 

 命を拾い、上司に頼み込んでまで新たな肉体を用意し復活させた。

 そしてリュンナの寝所が彼の私室の奥にあったのも――恐らくは、誰にも手出しをさせぬため。魔王軍から守るためだ。

 思惑はどうあれ、それは確かに、自ら骨を折った行為。

 

「ならば俺に尽くせ」

「――はい」

 

 体が自然と動いた。

 革張りの長椅子を立ち、床に跪いて、頭を垂れる。

 恭順の姿勢。臣下の礼。

 

「あなたに尽くします。ハドラーさま」

「クッ……! クックク、ハハ、クハハハ……!」

 

 ハドラーがリュンナの頭に手を乗せた。

 ぐりぐりと力をかけられ、素直に頭を下げ、そのまま彼の靴に口付けをする。

 

「悪くない……! 悪くないぞ! いささか拍子抜けではある――あの冷たい殺気に満ちた貴様に、もう会えんと思うとな。だがいい! 空虚よりは……! 精々可愛がり、使い倒してくれよう」

「はい。ありがとうございます」

 

 ああ――なんたる安らぎ。

 1対1だ。国などという得体の知れないモノではなく、無数の個の混沌とした集合体ではなく、個と個の繋がり。あまりにも単純。極めて純粋。露骨なほど明確。

 そこには集団心理による迷走はなく、派閥は生まれず、二律背反もない。

 受容がある。ただ、求め合える。

 

 地上を侵略することにはなるが、別に構わない。

 もともとアルキード以外は、割とどうでも良かったのだ。

 そう、アルキードだけ助命嘆願しよう。世界の半分をくれるらしいし。そのくらいの義理と気持ちはある。

 

「いっそのこと、貴様には軍団長の地位をくれてやろう。どこがいいか……。いや、考えるまでもないな」

 

 ハドラーは竜眼を見た。

 

「超竜軍団長――『竜眼姫』リュンナ! これだ……!」

「拝命します。ハドラーさま」

 

 暗黒闘気が、胸の奥で渦を巻く。

 我が敵の首を刎ねよと言われたなら、容易くできそうな気がする。

 まるで花を摘むように――たとえバーンが相手でも。

 

 竜眼には、彼の胸の中に、黒の核晶(コア)が薄らと見えていた。

 自分に与えられた暗黒闘気と似た匂い。バーンの魔法力の匂いだ。

 ハドラーを死の淵から救い上げた時に、万一のために埋めておいた――と、原作ではバーンの口からそう語られたモノ。

 

 原作通りなら、バーンの感知能力は意外と低い。自分を基準にして、どうせ見通せぬと高を括ったか。

 竜眼を侮った――その代償は高くつく。

 

 しかし今ハドラーに伝えても、それで叛意を見せる前にと、バーンに粛清されるのみ。摘出しても同じこと。

 ならば魔王軍の獅子身中の虫となろう。忠実に地上を攻撃しながら、ハドラーを助け、バーンを斃す力を用意しよう。

 ハドラーのために。ハドラーのためと思う、己のために。

 




次回、原作開始。


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52 デルムリン島にて その1

「知ればきっと後悔するぞ。貴様は相変わらず俺が魔王だと思っているらしいからな……」

 

 そしてハドラーは不敵に笑んだ。

 眼前には、ベギラマを防ぎ切れず膝をつくアバン。

 彼の弟子だという少年やその他は、洞窟の外に逃げていた。

 

 その圧倒的な力、存在感。もはやハドラーの独壇場だ。

 彼は陶酔するように大仰に両腕を広げ、自らの立場を語る。

 大魔王バーンの力で復活し、その軍を任されたことを。

 

「今の俺はバーンさまの全軍を束ねる総司令官……! 魔軍司令ハドラーだ!!」

「なんということだ……!」

 

 ハドラーはアバンを上回り、そのハドラーすら上回る巨悪が存在する――なるほど、絶望するには充分だろう。

 だがアバンは立ち上がった。それこそが勇者の精神。

 

「ならば私は、尚更ここで倒れるワケにはいかない……! 弟子たちを強く育て、必ずバーンの野望を打ち砕くために……!

 ハドラー! お前はここで倒す!」

 

 ああ。

 相変わらずですね?

 

「流石は勇者アバンよ……! 少しの衰えも見えぬわ。これは俺も負けてしまうかも知れん」

 

 微塵もそんなことを思っていない顔で、ハドラーはおどけてみせる。

 当然、アバンは怪訝。

 

「助っ人を呼ばせてもらおう。なあ、アバン……。頼もしい助っ人をだ」

「それは――魔法の筒!?」

 

 ハドラーの手にしたその筒は、特定の呪文に反応し、生物を大きさに関係なく閉じ込め、或いは解放する魔法のアイテム。

 

「デルパッ!」

 

 煙が爆ぜ、すぐに晴れる。

 そうして現れたのは、流れるような銀髪、深い赤の双眸、額に第三の眼を持つ小柄な少女。

 竜の顔を模す胸当てのついたドラゴンローブを纏い、腰には吹雪の剣を下げている。

 

 アバンが、震えた。

 この登場のためだけに魔法の筒に入れられた甲斐がある。

 あは。

 

「――リュ、リュンナ姫……!」

「はい、先輩。お久し振りです」

 

 ごく薄く微笑んだ。

 装備はともかく、背格好、外見年齢は最後に会った頃とおよそ変わっていない。

 13年前と同じ――13歳の小柄な身。

 異なるのは肉眼と竜眼が同時に開いていることと、その内に秘めた膨大な暗黒闘気の禍々しさ。

 

 アバンは絶句し、ハドラーを一瞥。

 魔軍司令は心底から愉快げに肩を揺らしていた。

 

「無事――では、なかったのですね……。ハドラーに何かされたのですか?」

「残念ながら、手は出されてないですね」

「おい! 俺はその手の冗談は嫌いだ」

「これはしたり」

 

 上司からの叱責に、リュンナは肩を竦めた。

 

「リュンナ――姫? アバン先生の知り合いなの? ポップ知ってる?」

「いや、知らねえ……。でも知り合いだとしてもだぜ、ハドラーが助っ人って言って呼んだんだ! 見た目子供だけど、強いに違いねえ。

 ど、どうすんだよ……ただでさえハドラーがヤバいのに、1対2なんて……!」

 

 アバンの後方、洞窟のすぐ外で、弟子たちが言う。

 ダイとポップ。

 やはりダイはここにいた。アバンがデルムリン島で発見された時点で、そうだろうとは思っていたが。

 

 アルキード王国は滅びていない――が、秘密裏に調査した結果によると、ソアラは第一子ディーノを死産し、以後出産していないという。

 死産だったハズのディーノがダイとなってここにいるなら、それは運命の悪戯か、それとも誰かの策謀なのか?

 或いはディーノではない全くの別人が漂着し、ダイと名付けられる偶然があったのか……。

 確かめる必要がありそうだ。

 いや、十中八九ディーノなのだろうが。面影がある。

 

「おれも戦えば2対2だ!」

「ダメだって! やめろダイ! 先生の足手纏いになっちまうだろ……!」

 

 ポップがダイにしがみつき、必死に押さえる。

 その光景に、アバンは振り向かなかった。

 

「クククッ……。どうしたアバン。懐かしのリュンナ姫に会えて嬉しいだろう? 存分に殺し合うといい……!

 やれッ! リュンナ!」

「はい」

 

 吹雪の剣を抜き放った。

 アバンも慌てて構える――その剣へと一気に踏み込んで鍔迫り合い。

 

「先輩――先輩っていうのも変ですね、勇者の先輩って意味だったんですから」

「構いませんよ、先輩で……!」

 

 吹雪の剣の宿す冷気が、アバンの剣を蝕む。

 相変わらずの鋼鉄(はがね)の剣――武器に拘らないアバンらしいが、ハドラーの復活を知っていた以上は、もっと上質な武器を用意しておくべきだっただろう。

 冷気に蝕まれた剣は靱性を失い脆化、接触点からヒビが入っていく。

 

「う……ッ! これは!」

 

 咄嗟にアバンが剣を引くが、合わせて剣を鋭く押し込むことで、使い手ごと洞窟の外にまで吹き飛ばした。

 弟子たちの横を通り過ぎて転がっていく。

 

「先生!」

「アバン先生!」

 

 ふたりは咄嗟に師へと駆け寄り、

 

「ダメです、危ない!」

「弟子諸共灰になれ……! イオナズンッ!!」

 

 ハドラーの極大爆裂呪文が、彼を纏めて飲み込もうと奔った。

 寸前まで射線にいたリュンナは、既に避けて道を空けている。

 

 逆にアバンが弟子たちを避難させるのは、もはや間に合わない。

 彼は前に出て、イオナズンの相殺を試みる。

 

「アバンストラッシュ!!」

 

 だが剣には、リュンナが入れたヒビ。

 だから彼は剣を捨て、素手でストラッシュを放っていた。

 

 手刀が剣閃を放ち、イオナズンを割る――万全の剣を使えば、それで防ぎ切れたばかりか、ハドラー本体にも強烈な剣圧を届かせたに違いない。

 だが手刀では剣の威力に及ばず、イオナズンの相殺は不完全。爆熱がアバンを中心に吹き荒れ、ハドラーに届いた掌圧も浅い傷を刻んだのみ。

 

 裸の胸部を斜めに裂いた傷を撫でながら、魔軍司令は笑む。

 

「ククッ、やはり恐ろしい男よ、アバン。素手でこうまでの威力を届けてくるとは。だがこの俺と――忠実なる部下! その力の前には、さしもの貴様も膝をつくしかないようだな?」

 

「ぐッ、うう……!!」

「先生!」

「先生……!」

 

 爆熱から弟子を庇ったアバンは、既に満身創痍だった。

 ダイとポップがドラゴラムの話を出す――原作通り、魔法力も元から消耗していたらしい。

 原作より強くなっている感触はあるが、そう大きな差でもないようだ。リュンナの存在を覆すほどでは。

 

 ハドラーとリュンナが、甚振るようにゆっくりと歩み寄っていく――

 アバンの前に、ダイが立ちはだかった。

 

「何のつもりだ? 小僧……。大人しくしておれば、見逃してやってもいいものを」

「これ以上先生に手を出すな!」

「あがが……! やめ、やめろってダイ~! 逃げろ~!」

 

 かく言うポップ自身はアバンの背で腰を抜かしており、逃げることはできそうにない。

 アバンもまた、すぐには立ち上がれないようだ。

 

「くっ! ハドラーを倒す、リュンナ姫を正気に戻す……! せめて、どちらかだけでも……!」

 

 正気……? まるで洗脳されているかのような。

 あ、されてるか。バーンの暗黒闘気を与えられていた。

 伴って暴力的な衝動は、確かにある。悪意の渦。アバンはそれを感じているのだろう。だからそれさえ剥がせば、と思っているようだ。

 

「ふん! どちらも貴様らには無理よ。諦めて、仲良くあの世へ行くがいい……!!」

 

 迫るハドラーに、ダイが猛る。

 

「無理なんかじゃないっ! 勇者は絶対に諦めない……! 先生の分まで――おれが戦うっ!」

「面白い! やってみるか!?」

 

 ハドラーはその手に炎を宿した。

 傍らで、リュンナは静かに剣を構えている。

 

「ダイ君……!」

「先生、任せて。おれ――なんか、行ける気がする!」

 

 ダイが本当にディーノなのかどうか――紋章を見るのが最良の判別だろう。

 そのためにはやはり、アバンに死んでもらうのがいいか?

 

 先輩を殺すのは――ちょっと、ヤだな。

 でもやろう。ハドラーさまにやれって言われたし。

 ダイの向こうのアバンへと踏み込もうとして――

 

「世界中の人たちを傷付けて……。先生の友達まで操って! おれは赦さない……! ハドラー!! ――アバンストラッシュ!!!!」

 

 ――パプニカのナイフによるダイのストラッシュが、ハドラーの胸を穿っていた。

 

「ぐっ、バカな……!?」

 

 速過ぎる!

 油断はしていたが、それでもリュンナが目で追うしかない素早さの持ち主など、数えるほどしかいないハズ。ましてやダイが当て嵌まるとは。

 しかもその額に、(ドラゴン)の紋章は輝いていなかった。紋章なしでこのレベルとは。

 

 疑問に思う間に、ダイとハドラーは激しい格闘戦を繰り広げていた。

 片やパプニカのナイフ、片や地獄の爪(ヘルズ・クロー)

 呪文も海波斬で斬り捨て互角。

 

 だがどこか、アバン流のみでない、リュンナ流の気配も感じる。

 これは先輩が余計に修行をつけたな。

 

「リュンナァー!! アバンを始末しろォ!!」

「させるか!」

「貴様の相手はこのハドラーだ!!」

 

 ハドラーの指示に、ダイの集中力が散る。

 逆にダイが押され始めた。流石に未熟か。

 

「リュンナ姫……!」

「先輩」

 

 リュンナは、アバンを。

 



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53 デルムリン島にて その2

 ダイに押されたハドラーが下がって、ハドラーがダイの集中を乱して持ち直し――結果、少し離れたところでふたりは戦っている。

 

「おれたちの島から出ていけえっ!」

「ふん! アバン当人ならまだしも、弟子如きが俺に敵うか!」

 

 すぐには決着がつきそうにない。

 ハドラーはメガンテを受けておらず万全に近く、ダイは時期の割に妙に強い。

 太刀筋にリュンナ流が混じっている。魔神斬り――確かに昔、空裂斬と交換で教え合ったが。

 

「先輩。わたしの剣、教えたんですね」

「ええ、リュンナ姫。あなたは……強い勇者ですから……」

 

 となると、無の瞑想も――か?

 死の感覚が不完全でもかなり利くことは、かつてのソアラや眷属たちのレベルアップが証明している。

 あるいは、まさかソアラのレベルすらある程度受け継がれている……?

 

 それで時期の割に強いのか。

 別段、油断しなければ問題にならないレベルだが……。

 アバンに集中するあまり、それ以外に対して気を抜き過ぎていたか。真バーンでさえそれでレオナに不覚を取ったのは、原作の話だが。

 

 アバンが立ち上がる。

 その後ろで、ブラスとゴメちゃんがポップを物陰に引き摺ろうとしていた。

 ポップも抜けた腰を何とか入れようとしながら叫ぶ。

 

「ど、ど、どういう関係なんだ先生……! 雰囲気的には古い友達って感じだけどよ! だとしたら年齢おかしいけど……。ともかく、そんな相手と戦えるんですか!?」

「戦います。彼女を取り戻さなくては……! しかし、その前に――」

 

 アバンは即答し――そして懐から取り出したのは、小さな神々しい宝石のついた首飾り。

 

「構いませんね? リュンナ姫」

「はい。わたしと先輩の仲ですから」

 

 リュンナは吹雪の剣を垂れ下げるように持つ。抜き身。

 しかしアバンは、躊躇うことなく背を向け、ポップへ向いた。

 

「ポップ……」

「そ、それは……! アバンのしるし!? 卒業の証……!」

 

 アバンのしるしはふたつ。

 アバンはひとつをポップの首にかけ、もうひとつを手に握らせた。

 

「あとでダイ君に渡してあげてください。修行が中断されてしまったのは残念ですが、君は必ず立派な勇者になれるハズだと……」

「やめてください先生! 自分で渡してくださいよ! それに俺、俺にまで……! こんな未熟なのに! もっと先生に教えてほしいのに……!」

 

 縋りつき泣き叫ぶポップを、アバンは宥め、励まし、諭す。

 

「安心してください、ポップ。リュンナ姫さえ正気に返れば、あとは彼女が何とかしてくれますから」

 

 人間を恨んでいる、という可能性は考えないのだろうか。

 いや、その上で、アバンの味方はするハズだと?

 間違いとは言い切れない。実際、相対していて、殺気はあっても恨みなどの心気は感じられないハズだ。ないから。

 

「それって、それじゃあ先生は死ぬ気じゃないですか! そんなの嫌だっ! 先生……!」

「ブラスさん、ゴメちゃん、彼を頼みます」

 

 鬼面道士とゴールデンメタルスライムが、ポップを引き摺り避難していった。

 アバンがリュンナに向き直る。

 

「お待たせしました」

「……」

 

 アストロンを使わなかった……。メガンテではない、のか。

 確かにメガンテでは、リュンナを正気に戻すどころか殺してしまう。

 ではいったい?

 

 アバンはヒビの入った剣を拾うと、静かに構えた。

 鋼鉄(はがね)の剣。

 

「先輩って、昔から武器に拘りませんでしたよね」

「最低限のモノさえ装備すれば、あとは地力が大事かなと……。猛省するところですね。まともに打ち合うこともできないとは」

 

 吹雪の剣の冷気は強烈だ。まして使い手が、ヒャド系呪文を得意とするリュンナなのだから。

 剣同士が触れれば、冷却脆化、砕かれるのみ――分かっているハズ。

 もちろん生身に受ければそのまま凍て死ぬのだから、剣で一手防ぐことはできる。

 そこで何を狙っている……?

 

「ところで、リュンナ姫。貴方にもひとつ言っておきたいことがあります」

「あとでじゃダメですか?」

「本当は真っ先に言わなきゃいけないことだったのですよ。あの日――」

 

 リュンナは構わず踏み込んだ。

 剣と剣が打ち合い、そしてアバンの剣のみが一方的に斬り砕かれる。

 無数の破片がアバンの身を刺し、裂き、爆発するように鮮血が散った。

 

「ぐうう……ッ! あの日、私は間に合わなかった……!」

 

 目の当たりにしたポップの悲鳴を背景に、アバンは怯まない。

 素手での大地斬に当たる技か、凄まじい力感を伴った拳打を繰り出してくる。

 当たればタダでは済むまい――当たらないが。

 

「あと数分ッ! ほんの少し……! 伝説の秘呪文マジャスティスの古文書を解読するのが、あとちょっとだけ早ければ! 貴方を失わず、火炙りにもさせずに済んだのです!」

 

 半歩の後退で拳の間を外し、その手首に剣を振り下ろす。

 だが振るわれた鞭めいて素早くその手は引き戻され、反動で逆の手が掌圧を繰り出す――海波斬に当たる技か。半歩下がりながらのこと。

 リュンナは掌圧に対し、暗黒闘気を込めた弧拳で打ち払った。

 そして、剣を持つ手は――

 

「謝って済むことではありません。しかし、リュンナ姫……本当にすみませんでした……! 今、その償いをッ! 貴方を止めてみせる!!」

「五月雨剣」

 

 自在に曲がる雷光の太刀筋、切先が描くジグザグの各頂点で、ひとつずつ真空斬りを放つ。

 ほぼ同時の連続、つるぎのさみだれ。

 一振り六斬――六芒星の斬。

 

「うわあああああ!」

 

 アバンは意識を集中して防御を固め、それでもなお骨肉を断たれていく。

 まるで竜巻に弄ばれるかのように手足を振り乱し、鮮血を撒き散らして。

 そしてボロ雑巾のようになって倒れ伏す。

 左腕が、離れて落ちた。

 

「せ、先生……っ! ち、ちくしょう……! こんな、いつまでも……震えてる場合じゃねえっ!!」

 

 その光景に、遂にポップが立ち上がった。

 

「ポップ!?」

「うおおおおお! メラゾーマァァッ!!」

 

 火炎迫る――しかし、吹雪の剣の冷気を乗せた真空斬りで打ち払った。

 未熟な魔法使いのメラゾーマなど、所詮この程度のモノ。

 アバンの命運は一瞬のみ延びたに過ぎない。

 

 その一瞬で、アバンは魔法を使った。

 リュンナが光に包まれる。

 

 足元に飛び散った鮮血が、血溜まり五か所――五芒星を描いていた。

 ヒビの入った剣を砕かせたのも、接近戦を挑んだのも、血を流すためだった。

 素手海波斬の掌圧も、五月雨剣を派手に受けた動きも、血の落ち方を調整して魔法陣を描くためだった。なんと器用な!

 残り少ない魔法力を、血に溶けた生命力で補うつもりか?

 

「ベリーベリーグッドですよポップ……! お蔭で間に合いました! この一瞬!」

 

 その集中の時間を稼いだのは、ポップだ。

 

 聖なる光に包まれたリュンナは、暗黒闘気が押さえ込まれ、身動きができない。

 数秒あれば打ち破れそうな気配だが――その数秒がない。

 

「邪なる意志よ……消え去れ……! マジャスティス!」

 

 血の五芒星の放つ光、莫大。

 その魔法力を竜眼が知る――マホカトールのような永続型ではなく、瞬発的な効果を発揮する呪文だ。それだけに破邪力そのものの強さはマホカトールよりも遥かに上。更に異常な進化を無効化する作用すらある。

 暗黒闘気ごと身を縛られ、常に開眼させておくことが可能になったハズの、額の竜眼さえも閉じてしまう。

 いや、閉じるどころか、竜眼による進化が、このままでは。

 

「やっ……やった! 決まったあ! すげえや先生!」

「貴方がいてくれたからですよ……! 流石は私の弟子です。さあ、そして仕上げに――」

 

 最後の気力を振り絞ったか、アバンは立ち上がっていた。

 そして左の腰に手刀を『溜める』構え。

 剣を鞘に収めるような、その静かな構えは。

 そこから繰り出されるのは――

 

「植えつけられた暗黒闘気の源は――そこです!」

 

 胸の中央やや右側、心臓の鏡の位置。

 架空の暗黒心臓が暗黒闘気を全身に送り出していると、アバンの心眼は見抜いたか。

 そして光の闘気の宿った掌圧――素手の空裂斬が、それを撃ち抜いた。

 

「あっ……」

 

 空の技とは言え、それなりの物理的破壊力はある。

 リュンナは喀血して座り込んだ。

 

 同時に血の五芒星の光も止んだが、リュンナの暗黒闘気は復活せず、竜眼も閉じたままだ。

 血まみれのアバンが、その前で片膝をつく。

 

「竜眼は――消し切れませんでしたか。しかし魔法力が回復したあとにもう一度やれば、それもいけそうな感触ではありました。

 そして私も、何とか死なずに済んだ……。ポップ、腕を取ってくれませんか?」

「はい、腕――ってそうだ先生、斬られて……! 大丈夫なんですかこれ!?」

 

 リュンナの五月雨剣を受け切れず、アバンの左腕は肘のところで落ちているのだ。

 ポップは恐る恐るそれを持ち上げた。

 

「大丈夫ですよ。断面をこっちにくっつけてもらって……そう、そうです」

 

 懐から取り出した小瓶は魔法の聖水か。多少の魔法力を回復するモノだ。

 アバンは一気に呷った。

 

「ふう……。ベホマ!」

 

 治癒の光が溢れ、断面が癒着する様子。

 左手の指がピクピクと震えた。

 

「くうー、痛い! しかし繋がった証拠です……。あとでもう何度かベホマの必要がありそうですが……。リュンナ姫も、少し乱暴にしてしまいましたね――」

 

 アバンが目を向けた先に、リュンナはいなかった。

 先に気付いたのは、傍らのポップだ。

 

「後ろだ先生―!」

 

 だが彼が叫んだ時には既に、アバンの背は吹雪の剣に貫かれ、串刺しにされていた。

 



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54 デルムリン島にて その3

 串刺しの吹雪の剣は、傷口を凍結させるために出血は少ない。

 だが凍るということは、動きを封じられる、死に近付くということ。

 

「ごっ……う、……! リュ、リュンナ姫……!!」

「先輩……」

 

 リュンナはアバンの背後に立っていた。

 邪悪な魔力で編まれたドラゴンローブは、空の技で胸当て部分が砕け破れ、白くなだらかな胸部が露。

 

「暗黒闘気による支配は、もう……! ならば、では、やはり……!」

 

 背中からアバンに刺した剣を凍った傷口ごと捻じり、抉る。

 声にならない悲鳴がこぼれた。

 

「てめえ、先生から離れやがれ!」

 

 吹っ切れたポップは強い。破れかぶれの先ほどよりも、更に集中力が上がっている。杖に宿した火勢がまるで違う。

 将来が楽しみだ。

 もっとも、今は敵ではないが。

 

「メラゾ――」

 

 身を捻り、足捌き、立ち位置を回してアバンを盾にする。

 

「うっ……!」

「ヒャダルコ」

 

 アバン越しに放つ冷気呪文。

 ポップはメラゾーマで身を守るが、それが精一杯のようだ。

 大勇者もまた、血を流し過ぎている――体力も魔法力も空っぽ。もはや呻くのみ。

 

「確かにね、先輩、確かに――バーンに植え付けられた暗黒闘気の影響はありました。暴力的な衝動です。悪意の渦。人間を苦しめてやろうっていう……。それは、消えました」

「やはりあの時に、折れてしまったのですね。最早、人間そのものを……! 私ばかりは例外かと、期待していましたが……! 間に合わなかった私を恨んでいる、そんな雰囲気はなかった……」

 

 折れた? それは少し違う。

 善良過ぎて、そういう想像しか出来ないのだろうか。

 抜け殻だったのだ。空っぽだった。

 

「アルキードがわたしを要らないと言った。ハドラーさまがわたしを拾った。それだけ、ただそれだけ、ほんのたったそれだけ。それで充分なんです。充分過ぎる」

 

 うっそりと笑みながら述べる。

 そう、それで充分だ。

 

「しかし、それで魔王軍に与するとは……!! アルキードや人間を滅ぼしても、貴方は救われるワケではないのですよ!!」

「救われてますよ。既にね」

 

 ハドラーの手で。

 彼のためなら何でもしたい。

 

 だがバーンの暗黒闘気に冒されていた頃ならともかく、それが祓われた今となっては、ソアラやバラン、アバンをあまり悲しませたくない、とも思ってしまう。

 だから耳元に口を近付け、アバンにしか聞こえぬ小声で続けた。

 

「何とか人死にが減るようにはしてみますよ。先輩もお元気で」

「リュンナ姫……!?」

「ヒャダイン!」

 

 ポップを押さえていたヒャダルコを、そのひとつ上の位階の呪文へと変更。

 彼は最早メラゾーマで防ぎ切ることができず、四肢胴体を氷の塊に覆われ、身動きが取れなくなった。手が動かねば呪文の狙いも定まらない。

 

 そしてリュンナは吹雪の剣を鋭く振り上げる――と、アバンは剣からすっぽ抜け、上空へと投げ飛ばされた。

 ベホマを腕の接合に使ってしまったアバンに、もはや体力的余裕はない。為す術はないのだ。

 

「さあ、わたしからの手向けです。この技で送ってあげましょう」

 

 剣、右逆手、身を捻り大きく振り被る。

 

「その構えは……!」ポップが叫ぶ。氷を脱しようとモガきながら。「やめろ! やめろー! そんなのねえだろ、そんな、あり得ねえ、そんな酷いこと……! 嘘だ! 嘘だっ!!」

 

 バーンに植え付けられた暗黒闘気ではない、リュンナ本来の素直な暗黒闘気が噴き上がってくる。

 それは既に、愛国心ではない。

 

「クククッ、よく見ておけダイとやら! 愛しい師匠の最期だぞ!」

「アバン先生! 放せ、ハドラー……!! 放せえ!!」

 

 愛国心ではないが――愛ではあった。

 そして愛は、狂気だ。

 

「アバン――ストラッシュ!!!」

 

 闇のアバンストラッシュが放たれる。それも容赦ない(ブレイク)タイプ。

 跳躍にトベルーラを重ねたリュンナが、上空でアバンに剣を叩き込み――暗黒闘気の大爆発が巻き起こった。天を覆わんばかりの莫大な闇。

 そのどす黒い煙の中から――落ちてきたのは割れた眼鏡で、下りてくるのは、リュンナのみだ。

 

「あ、ああ……! うわあああああ!」

「そんな……アバン先生……」

 

 ダイはハドラーに組み伏せられたまま。

 ポップは最早モガくことも忘れて、氷漬けのまま項垂れる。

 

「ワッハハハハハハ! よくやったぞリュンナ! まさか跡形も残さんとは……! 骸を手ずから火葬にしてやる心算が、まったく台無しではないか! これほど愉快な台無しもないがな!

 かつてこの俺を倒した勇者同士が戦い、この結末とは! ククッ、ククハハハ……!」

「勇者……だって……!?」

 

 ダイが地に手をつき、身を起こそうとする。

 しかしハドラーの手がそれを赦さない。

 

「そうだ! リュンナは元アルキード王国の王女にして勇者! かつてアバンと共に俺を殺し――そして今では、俺の部下というワケだ。

 可哀想になあ、俺を斃そうと人間の限界を超えたばかりに、国に捨てられるなどと……! 貴様も勇者を目指すなら気を付けた方がいいぞ、小僧。まあ……その前にここで死ぬがな!」

 

 ハドラーは片手でダイを押さえたまま、もう片手の地獄の爪(ヘルズ・クロー)を少年の首に当てた。

 

「し……死ぬもんか……!」

「ダイ、逃げろー! クソッ、氷が解けねえ……!」

 

「クククッ、そう嫌がることもあるまい。死ねばあの世へ行けるんだ。大好きな先生が一足先に待ってるぞ!」

 

 嗜虐心に満ちた笑みだった――が、そのセリフは不味い。

 原作とは展開が違うが、確かそのセリフでダイが覚醒を……。

 

「そうだ、先生は……おれたちも、敵になっちゃったリュンナ姫さえも守るために……死ぬ気で戦って……!」

「こ、この力は……!?」

 

 ダイが地に手をつき、身を起こしていく。

 押さえているハドラーを押しのけて。

 地獄の爪(ヘルズ・クロー)も、皮膚で止まって刺さらない。

 

「だったらおれが!! おれが先生の分まで、勇者をやるんだあっ!!」

 

 ダイが黄金の光に包まれた。

 光の出どころが見えないほどに激しく。

 (ドラゴン)の紋章で間違いないハズだが、しっかりと確認しておきたい。

 

 そう考える間にも、ダイはハドラーを跳ね除けると、振り向きざまにパプニカのナイフで斬りつけ、更に後退させた。

 

「ハドラー!! お前を倒す!!!」

「ほざけガキがァーッ!!」

 

 ダイはあくまでもハドラーを狙っていく。

 リュンナのことは、それでも操られていると考えたのか。

 純粋で、かつ未だ経験の少ない彼は、人間の悪意をよく知らないのかも知れない。

 

 新たな勇者とかつての魔王との激突――

 眺めていると、ポップが話しかけてきた。

 

「リュンナ――だったか……? てめえは加勢に行かなくていいのかよ」

「そんな力、さっきのストラッシュで使い果たしましたよ。マジャスティスと空裂斬のダメージもあります」

 

 事実だ。いや、空裂斬は素手だったから、正確には別の技名なのだろうが。

 

 それにしてもマジャスティスで竜眼が閉じてしまって、感覚能力が落ちているのが痛い。時間を置けば回復しそうだが、今、ダイの紋章が見えないのだ。崩れた洞窟の土煙、単純に素早さ。

 ダイ=ディーノの重要な証拠だ、原作知識のみで軽々に判断はできない。

 

 だが無理なモノは無理だ。

 諦めて、氷漬けのポップに向き直った。

 

「あなたこそ、わたしとお喋りしてていいんです?」

「良くねえよ! テメエは先生を……! 先生をっ!」

 

 涙を流し、声が裏返りすらする。

 それを滑稽だとは思わない。

 

「でも……なんかまだ信じらんねえ。だって先生の友達だったんだろ!? じ、実は殺したフリで……どっかに逃がしたとかさ。なあ。なあ!?」

「……」

 

 呆れの目を向けてやった。

 

「う、うう……! やっぱり先生は……!?」

 

 打ちひしがれるのみなら用はない。

 地獄の爪(ヘルズ・クロー)とパプニカのナイフ、イオラとヒャダイン、ベギラマと海波斬が激突する戦場へと視線を戻す。

 その途端だった。

 

「メ、ラ――ゾー、マァァァ!」

 

 渾身の気合を込めた呪文の発声。

 バカな、両腕ごと氷漬けにしたハズ。手が塞がっては、呪文は。

 振り向けば、既に火炎が眼前に迫っていた。

 

「う、あああッ!」

 

 弱り切った今、不意打ちのメラゾーマは効いた。

 全身が炎上する――あの日を思い出す。

 燃やされているのに、寒気が酷い。

 

 涙も瞬く間に蒸発する中、必死に暗黒闘気とヒャド系魔法力を合成、魔氷気として呼び起こし放出した。

 だが気力体力が残り少ない今、闘気が弱い。鎮火し切れない。

 のたうち、暴れる。

 

「ヘッ! やりゃ出来るもんだな……俺も……! アバン先生の、弟子――あ、つつッ……!」

 

 苦悶の中で見上げた姿――残り火に腕を焼かれるポップ。

 氷に塞がれた手で、自爆覚悟でメラゾーマを暴発させて氷を脱したのか。

 

「もう一発……もう、一発……!」

 

 彼は魔法力を高めていく。

 この時期のポップは、勇気に欠けた『逃げ出し野郎』のハズだ。

 実力もそこそこ程度で、特筆すべきことはなかったハズだ。

 

 リュンナが成長させた。

 アバンの腕を斬り落とすという凄惨過ぎる光景が、彼の恐怖を振り払ってしまったのだ。

 氷漬けにして文字通りに手も足も出なくすることで、彼の覚悟を促してしまったのだ。

 それを結果に繋ぐ実力の土台は、アバンが既に築いていた――バーンは知らなくてもハドラーの復活は10年以上前から知っていた彼が、来たるべきときに備えないワケがなかった。修行は原作の歴史よりも厳しかったに違いない。

 

 このポップを捨て置くことはできない!

 更に魔氷気を放出した。

 

「アバンストラーッシュ!!!!!」

「ぐはあああーーーーッッ!!!!」

 

 ダイのストラッシュに、ハドラーが斬られ、吹き飛ばれる絶叫。

 ここまでか。

 

「リリルーラ」

 

 まず上空のハドラーの元へ飛び、

 

「おのれ、おのれ!! 必ず殺してやるぞ、ダイ……!!」

「ハドラーさま」

「リュンナ……!? くっ、貴様もか……!」

 

 全身の半分ほどを火傷に冒されながら、彼を抱き締めた。

 メラゾーマの火炎にまだ纏わりつかれているが、ハドラー相手なら問題はない。

 撤収だ。

 

「ルーラ」

 

 飛びながら胸に触れる――黒の核晶(コア)が誘爆する様子は感じられない。

 今の時期、今の状態なら、爆発しても生命を削って無理やり魔氷気を絞り出せばギリギリで止められそうに思うが、実際に試したくはなかった。

 

 そう考えたら、急に恐ろしくなった。

 鬼岩城に帰るルーラを途中で切り、トベルーラに移って、名も知れぬ山中に不時着していく。

 



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55 リュンナとハドラー

 ルーラで鬼岩城に帰る――途中でルーラを切ってトベルーラに切り替え、名も知れぬ深い山中に不時着した。

 

「どうした!? 魔法力切れか……!?」

「どっちかって言うと体力切れです……」

 

 マジャスティスと空の技のダメージが重い。

 竜の生命力で肉体は再生し始めているが、力が戻るには時間がまるで足りない感触。

 

 場所としてはテラン付近――国力がなさ過ぎて侵略対象から外れているテランに、悪魔の目玉は配備されていない。

 鬼眼の感知能力は、竜眼と比べれば低い。遠く死の大地にいるバーン本人に、ここなら見られない。

 

 今が初めてだ――鬼岩城の外で、誰にも見られず、ふたりきりになれたのは。

 

「ごめんなさい、少し、休ませていただいても?」

「構わん……」

 

 彼を支え、落としそうになりながら、木陰に座らせる。

 そして自分も傍らに。

 

 ハドラーの胸には、紋章ダイのストラッシュの傷。両腕もない。

 原作よりも傷が深い。

 

 胸の奥に――見えた。見えてしまった。

 説明のために胸を抉る必要はなかったようだ。

 肉眼で見ると、なんとおぞましい。

 

「ハドラーさま……」

 

 震える手で指さす。

 ハドラーは眉根を寄せながら自分の胸を見下ろすが、その奥など見えない。

 吹雪の剣を抜き、よく磨かれた剣身を鏡代わりに見せた。

 胸に、黒の核晶(コア)が埋まっているのを。

 

「なん……だ? これは……?」

 

 ハドラーは困惑の声音。

 名を聞けば知っていても、実物を見たことはないのだろう。

 

「大きな魔法力を感じます。それを、爆発力に変えるアイテムのように、見えます」

「竜眼は閉じているようだが……感知できるのか?」

「辛うじて」

 

 嘘だ。

 以前見た情報を語ったのみ。

 

「爆弾、ということか? そんなモノが……お、俺の中に……!?」

「ということは、ご自分で仕込んだモノじゃないんですね?」

 

 ハドラーは呆然の顔で首肯した。

 全てはリュンナの先走りで、この世界では原作と違い自決用に彼が望んだ――という線はなかったようだ。

 

「こ、この色……輝き……。まさか悪名高き黒の核晶(コア)では……!! いやまさか……だが……」

「ご存知ですか」

 

 黒の核晶(コア)の解説が語られた。

 黒魔晶という魔法力を無尽蔵に吸収する鉱石を呪術で加工して作る爆弾で、その威力は、ともすれば大陸ひとつを丸ごと吹き飛ばす、と。

 

「こんなことが出来るのは……こんなモノを用意して入れられるのは……バ、バーンさま……」

 

 ハドラーは震えた。

 そして胸の傷に腕を突っ込み、核晶(コア)を掻き出そうとした。

 ロクに届いていないが、それでもリュンナは止める。

 

「ダメです! もしこちらが気付いたことに向こうが気付いたら、粛清されてしまいます」

 

 自分で仕込んだ核晶(コア)がハドラーの体内にあるかないか、という程度のことは、バーンも近くで見れば分かるハズ。

 それは以前竜眼で見た際に感じたこと。

 

「た、確かに。だが……!」

「大丈夫」

 

 ハドラーの手をどかし、リュンナは自分の手を入れた。

 

「わたしの気は魔氷気。核晶(コア)を凍結停止できるハズです。バーンが直接魔法力を送り込めば……分かりませんけど……」

「それは気付かれないのか?」

「と思います」

「なら、やれ」

 

 魔氷気で黒の核晶(コア)を凍結しつつ、ハドラー自身の肉体には悪影響を与えない――繊細さが要求される作業だった。

 施術を受けながら、ハドラーは述べる。

 

「俺は……バーンさまに勝てん。あの方の超魔力は絶大だ」

「力を蓄えましょう」

「勝てると言うのか?」

「勝ちます」

 

 見上げた。決然。

 ハドラーは小さく笑んで――それをなかったことにするかのように、鼻を鳴らした。

 

「お前に教えられるとはな……。そうだ、俺は、勝たねば……。だがそれまでは、忠実な魔軍司令と竜眼姫を演じるのだ。勇者ダイも斃す! どの道、地上征服には邪魔だ」

「ともすれば協力も出来るかと思いますけど」

 

 敵の敵は味方で。

 

「軍団長どもをぶつけていく。それで斃れるようならそれまでよ。当てにはできんわ」

「はい」

 

 ここで反対するほどの意見ではない。

 

 ともあれ、魔氷気での凍結処置は終わった。

 これで魔法や火炎を受けても、不意に誘爆はしないハズだ。

 

「ご苦労。――俺たちは何も気付かなかった。いいな?」

「はい。……ごめんなさい、ハドラーさま」

 

 ハドラーは沈黙。

 

「本当は、分かってました。鬼岩城で目覚めた日から」

「そうか」

 

 頬を殴られた。途中までしかない腕で。肘の辺り。

 痛い。

 涙が出て来る。

 

「俺を侮ったな? 知った上で隠し通す腹芸の出来る男ではない、と……」

「……はい」

 

 頬を撫でられた。

 張られた側だから痛い。

 しかし傷付いた腕でそんなことをすれば、自分も痛かろうに。

 涙が落ちた。

 

「鬼岩城では、誰に聞かれるか分からん……。それは打ち明けられんわ。だとしても、もっと早くこの場を設けることは出来たハズ」

「怖かったんです。失敗することが……わたしは、また……」

 

 それがハドラーがダイと戦って、胸を抉られて、もし誘爆していたらと――急に不安が膨らんで。

 不安に負けて言えず、今、不安に負けて言ったのだ。

 

 昔から――あまりにも惰弱な、そのままだ。

 何も変わっていない。

 

「ごめんなさい……」

「俺に任せろ」

 

 太い腕に包まれた。

 ストラッシュに切断されて途中までしかない腕なのに、こうも安心感があるのか。

 

「お前は堕ちた王女で、俺は……俺は魔王だ……」

 

 だから、とも、しかし、とも、言葉は続かなかった。それで終わりだった。

 それで充分だということだ。

 あとは、更なる秘密をいくつか共有するくらいで。

 

 しかし、おかしい。

 愛だと思っていた。尽くされ、尽くす、その気持ちを。

 ならば、この胸のうるささは? なぜ顔が熱い? かつて愛したアルキードに対して、こうはならなかった。

 アバンに対してが近いが、あれは大勇者に認められる照れや誇らしさだろう。

 

 これは違う。

 これは。

 

 

 

 

 ――鬼岩城。

 ハドラーは原作通りに、傷を癒しながら、バーンからアバン抹殺を労われた。

 実際にアバンを下したのはリュンナだが、「わたしの手柄はハドラーさまの手柄です」と進言し、そういうことになった結果。

 

 実際、どちらが戦おうともアバンには勝てただろう。

 彼は原作と違い自分の修行を怠っていなかったようだが、レベルの限界というモノがある。一方ハドラーも、気が向いたときに行ったリュンナとの修行により、原作の同時期よりある程度レベルアップしていた。

 

 しかしこれからは、気が向いたときには、などとは言っていられないだろう。

 魔族はもともと寿命が長く自然にレベルアップもしやすいせいか、修行という行為に慣れていないらしく、ハドラーなどは瞑想中に寝てしまって可愛かったのだが……。

 より厳しくして行かねばなるまい。アバンの使徒の成長に追いつけなくなる。

 

「ハドラーさま」

「うむ……」

 

 治療を終え椅子から立ったハドラーに、あの竜王のようなローブを着せる。背丈の違いが大きいため、トベルーラで浮きながら。

 終わると、その場から共に歩き去っていく。

 

 リュンナ自身は既に、肉体ダメージに関しては、竜の生命力と自前のベホマで回復済み。

 衣服も魔力で修復されている。

 

 ハドラーが口を開いた。

 

「どう思うリュンナ。あのダイとかいう小僧……!」

「どうとは」

「かつての勇者ふたりのうち、ひとりは最早俺の部下、ひとりは死んだ。だがあのダイが新たな勇者となるなら……叩き潰さねばならん! まだヒヨコのウチに……!」

 

 偉大なる我が魔王軍と共に?

 あのシーン、いきなり説明的になって面白かったよね。

 気が抜ける。

 

「確かに、強かったですね。流石はアバンの使徒」

「アバンの使徒――その通りだ、死してなお厄介とは、あの勇者め……!」

 

 この世界ではリュンナがいるせいなのか、あのシーンはなく――この方向は司令室か。

 

「彼らはデルムリン島を発つでしょう。最も近いのはロモス王国ですね」

「うむ。悪魔の目玉を重点的に配置しておこう。他に可能性があるのは、次に近いアルキードやパプニカ辺りか?」

「特にアルキードは、わたしの出身国だとハドラーさまが話題に出しましたからね……。印象は強いでしょうね」

 

 アルキード王国は健在である。リュンナの成果だ。誇らしい。

 もっとも、そのアルキード攻略を担当しているのは、リュンナ率いる超竜軍団なのだが。

 勇者王バランに対抗できる軍団は他にない。

 

「貴様はアバンめの仇だしな。ダイはどうも、この俺が全て悪いと思っているようだが」

「別に操られてないんですけどね」

 

 操られている――なんと都合のいい想定だろうか。

 諸悪の根源を殴り飛ばしさえすれば全てが助かる、だなんて。

 

「本当に――か?」

「はい?」

「本当に操られていないのか? アバンが貴様に放った空の技……。暗黒闘気や呪法の核を撃ち抜き無力化する技だろう。あの時まではバーンさまに操られていたんじゃないのか」

 

 その通りだ。

 別に絶対的な支配ではなく、何となく暴力性や悪意を増幅される程度のモノだが。

 

 急に不安になったのだろうか。

 あんなことがあった後だ。

 

「だからこそですよ。先輩は確実にバーンの呪いを撃ち抜きました。もう同じモノは残ってません」

「うむ。それはそうと、バーン『さま』、だ」

 

 ハドラーは静かに訂正を求めてきた。

 だがリュンナはどこ吹く風。

 

「臣下の臣下は臣下じゃないですから」

「何だ、それは?」

「古い時代の騎士の慣習ですよ。主従関係は直接的なモノで、間接的には成立しないんです。わたしの主はあくまでもハドラーさまであって、それ以外のひとは関係ありません」

「ここは魔王軍であって騎士団ではないぞ」

「そうですね?」

 

 笑って誤魔化した。

 ハドラーが嘆息する。

 

「まあいい。誰かに聞かれない限りはな……。ところで、どうだ、体調は。もしダイが貴様の担当であるアルキードに出現したとして、対処できるか?」

 

 ハドラーに体調を気遣われるとは何とも、長生きはするモノである。

 ともあれ感傷に浸りつつも即答していく。

 

「無理ですね。回復に暫くいただきたいです。

 効果が一瞬な代わりに出力でマホカトールを遥かに超える破邪呪文マジャスティス、それに邪悪な魔力を撃ち抜く空の技……。まあ酷い攻撃を受けましたから。体が治っても、力までは……。あまつさえメラゾーマで焼かれましたし。トラウマですよ。

 時間さえ置けば回復できるだけ、むしろわたしの強さの証です。褒めてください」

「そうか」

 

 褒めてもらえなかった。悲しい。

 軽く肩を竦めた。別にいつも通りだ。

 

「ただ、わたしが弱ると眷属も弱りますから、侵攻もしばらく滞ります。申し訳ないですけど」

「それは仕方ない。それに、今最重要なのはダイの抹殺……! 奴の個人的な力もそうだが、勇者を旗印にして世界中の強者が団結すること、これが厄介だ。逆に強者が個々でいるうちは、時間をかけて磨り潰せばいいだけだからな」

 

 そのための魔王軍、なのだろう。少なくともハドラーの想定では。

 世界を同時多発的に襲うことで、各地を自衛に徹させ、連携をさせない。

 

「そう、ダイさえ斃せば地上征服は目前……! で、そのダイだが……(ドラゴン)の騎士だ。紋章が見えた」

「やはりですか」

 

 この目で確認は出来なかったが、原作知識で合っていたらしい。

 あれは(ドラゴン)の騎士で、つまりディーノだ。

 

 アルキードの勇者王バランが(ドラゴン)の騎士であることは、魔王軍には既に割れている。

 そしてダイが(ドラゴン)の騎士であれば、バランの血縁者と確定する。その相手が性格上ソアラしか考えられない以上、それは同時に、リュンナの血縁者でもあるということ。

 

「淡々としているな……。あれだけ国に虐げられて、全く復讐心の湧かないお前のことだ。甥を見て里心でもつくかと思ったが……」

「まあ多少は……。かと言って、ハドラーさまを裏切るには程遠い感情です」

「そうか」

 

 厳つい顔が、ほんの少し緩んだ。

 魔王軍の司令官と部下として、違和感のない会話だろうか。

 

「そうそう、ハドラーさま。反抗防止の呪法がマジャスティスで解けちゃいましたんで、かけ直してください」

「うむ。しかし貴様もおかしな奴だ……。そういう呪法を自分から提案するとは……」

 

 呆れの目を向けられたが、それは仕方のないことだ。

 そもそもリュンナの方が強い以上、そうでもしなければ安心して部下にできないだろうに。

 反抗を考えると力が抜けて動けなくなるというモノで、眷属にも波及するかなり強力な呪法である。

 発動したことは一度もない。これからもないだろう。

 

 その後は司令室で悪魔の目玉の監視網を手配し、私室に帰って呪法儀式を行った。

 六芒星の陣を描き、血を流し、混ぜ、そして言葉で誓う。

 

「俺は貴様の生命を助け、復活の手配をし、居場所を与えた。貴様に尽くしている」

「はい」

「故にリュンナよ、俺に尽くせ」

「はい。ハドラーさま」

 

 尽くされたい。尽くしてくれなくてもいい。

 抱き締められたい。抱き締めてくれなくてもいい。

 わたしを逃がさないで欲しい。手を放してしまってもいい。

 

 それでも、わたしは、あなたを求めるから。

 これは、恋だ。

 



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56 竜騎衆

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

賛否両論あるだろうと思っていましたが、想像以上に作者のメンタルは脆弱でした。
感想を受け付けない設定へと、試験的に変えさせていただきました。
ご了承ください。

続きは書きます。


 あれから再びハドラーと話し合い、ダイの打倒または取り込みを画策した。

 表向き魔王軍として、言葉の裏で反逆者として。

 

 しかしどちらにせよ、リュンナは現在、主にマジャスティスのダメージで弱っている。これが回復するまでは、返り討ちに遭う危険を避けるため、他の軍団長がダイに対応することとなった。

 それでダイが倒れるなら、それはそれである――とはハドラー談。

 しかし彼としても、強くなったダイを取り込めるなら歓迎のようだ。

 

 結果的に、原作にごく近い流れになるのかも知れない。

 好都合と言えば好都合。

 

 ダイを強く鍛え上げるために。

 大魔王バーンを始末するためには、強力な勇者が欲しい。それがダイである必要はないが、ダイほど都合のいい存在もいない。

 素質、種族、戦意――どれを取っても、ダイは一級品なのだから。仲間も多い。更にハドラーとリュンナ自身をも加えられれば、如何なバーンとて……。

 

 恩義と忠誠を当然の態度で受け取りながら、実は黒の核晶(コア)を仕掛けて最初から裏切っていた――死ぬべき邪悪、バーン。隠された黒の核晶(コア)の存在を、竜眼は見抜き、ハドラーも知るところとなった。バーンは殺す。

 しかしもし原作通りなら、真バーンはまさに神をも超える桁外れの強者である。あまつさえその先に鬼眼王バーンすら控えているし、そも老バーンの時点で――幕越しに謁見した際に、その圧倒的プレッシャーは感じていた。

 

 先にミストバーンを斃して合体を防ぐ方法もあるにはある。凍てつく波動を持つリュンナであれば、凍れる時間の秘法を解いて普通にダメージを通すことが可能だ。が、『若さと力』の権化であるミストバーンは、たとえ無敵でなくても充分過ぎるほどの強敵だろう。

 ともすれば彼は、老バーンにいつでも肉体を返すこともできる。合体を防ごうとして合体を誘発しては、本末転倒の極みだ。

 或いは、よしんば上手くミストバーンを斃せたとして、それで消耗したところを老バーンや死神などに刈り取られる危険性も高い。

 

 リュンナやハドラーのみで事を為すのは、現実的には非常に難しいと言える。

 故にダイたちを鍛え、バーンに敵対する強者を増やす。

 敵も味方もなるべく死なせずに、厳しい戦いでレベルを上げさせようという算段。

 

 そのために都合良く事が進むよう、監視と調整を行わなくてはならない。

 が、鬼岩城司令室――悪魔の目玉の情報が集まるその場所に常駐することは出来ない。

 回復するまでの間、各国の侵攻をしっかり進めるように仰せつかってしまったからだ。魔王軍に忠実な駒として振る舞うには当然のこと。

 

 百獣魔団はロモス王国を。

 不死騎団はパプニカ王国を。

 氷炎魔団はオーザム王国を。

 魔影軍団はカール王国を。

 妖魔士団はリンガイア王国を――それぞれ担当し、攻撃している。

 

 そしてテラン王国は弱小過ぎて捨て置かれ、残るベンガーナ王国とアルキード王国を超竜軍団が担当しているのだ。

 

 リュンナのところだけ2か国なのである。

 確かに立地的には近いし、超竜軍団そのものは最強だが、全く異なる2か国を同時に相手取る以上、上位者の指揮は必須。

 いわんや知恵ある竜は冥竜王ヴェルザーが最後と言われており、事実、魔王軍の竜種には人間並の知性を持つ者がおらず――それはリュンナ自身が創造した眷属も当て嵌まる――しっかりした指揮がないと作戦行動を取れないのだ。

 

 そういうワケで、リュンナは鬼岩城を半ば追い出されるようにして現場に送られた。

 砦――暗黒闘気を使いゴーレムを創造するにも似た要領で、その辺の土石を固め組み上げて過日に建造したモノ――その執務室で、リュンナは眷属から報告を受け取る。

 

「あー、やっぱり?」

「そりゃリュンナが破邪呪文で弱ったら、眷属竜も弱るよ。スノードラゴン、メタルドラゴン、虎の子のグレイトドラゴンやバトルレックスまで……もう戦車隊にメタクソにやられちゃって」

「ごめんねー。流石に先輩は強くって……」

 

 その眷属は、青い肌に長く尖った耳――魔族の少女の姿。明るい金髪は多数の束に編み込まれ、触手めいて長く垂れ下がっている。頭部左右に鈴飾りふたつ。身に纏っているのは水の羽衣。

 眷属でありながらリュンナを呼び捨てにすらし、リュンナもまたそれを当然とばかりに、砕けた口調で返していた。

 

「じゃあ今は通常竜で?」

「うん、それと竜戦士を肉盾にしてる」

「おお」

 

 竜戦士もリュンナが創造した眷属だが、その材料は捕えた敵兵だ。そしてわざと呪法を緩めにし、瀕死ギリギリに追い込むことで元の人間に戻るようにしてある。

 これが死体利用なら人間側の赫怒と苛烈な反撃を呼ぶだろうが、生きて取り戻せるとなれば話は別だ。

 敵は竜戦士を殺さぬように加減して戦わねばならず、それを盾にすれば超竜軍団の被害は抑えられるという寸法。

 

 眷属は照れと不安の入り混じった顔で、もじもじと身を揺らした。

 多数編み込まれた金髪が、伴って揺蕩うよう。

 

「あの、ね、ぼくの考えた作戦なんだ。勝手にやっちゃったけど……大丈夫だった……?」

「大丈夫! とってもいい作戦だもの。ベルベルはやっぱりいい子だね~」

 

 リュンナは自分と同じくらいの少女を傍らに跪かせると、上体をぎゅっと胸に抱き締め、頭を撫でた。

 眷属――魔族の少女の姿をしたホイミスライムが、嬉しそうに抱き返し、胸に顔を摺り寄せてくる。金髪の多数の束が、うねうねと動き絡みついてくる。

 

 竜眼の大魔力による魔物の進化。バーンが鬼眼の力で、ドラムーンのゴロアを超重力の支配者に変えたように。

 つまり竜眼とは、鬼眼の親戚なのか。

 バーンが肉体の材料を与えてまでリュンナを復活させたのは、そこが関係しているのかも知れない。

 とは言え、今はいい。

 

 処刑の日――アバンの手でベルベルとリバストは解放された。だが間に合わなかったアバンと行動を共にすることをふたりは厭って離れ、リュンナの行方を求めて長く旅をした末、目覚めた当のリュンナ本人から接触し、やっと合流した。

 そして竜眼姫へと新生したリュンナの助けとなるため、彼らは竜眼の魔力を身に受けたのだ。

 また旅の中で加わった仲間もリュンナの旗下に入り、合わせて『竜騎衆』と呼ばれている。(ドラゴン)の騎士ではないが、ほかに適当な呼称も浮かばなかったので。

 

 ホイミスライムのぷにぷにぷるぷるに、更に人肌のもちもちと髪のサラサラが相乗されたベルベルの抱き心地は、筆舌に尽くしがたい。いつまでもこうしていたい――が、そういうワケにもいかない。

 名残惜しみながらもベルベルを立たせる。

 

「わたしの可愛いベルベル。わたしが復帰するまで、そのまま遅滞戦闘をお願いね」

「うん! 任せて! リュンナはどうするの?」

「リバストは今前線だっけね。じゃあ悪いけどベルベルからよろしく言っておいてもらって。わたしはアルキード側の指揮を執るから」

「分かった! 行ってらっしゃ~い」

 

 その後、細かい指示を終え、対ベンガーナ戦線を後にする――ルーラ、対アルキード戦線へ。

 下り立つのは、ベンガーナとの国境にある山の砦――旧ハドラー軍のミラーアーマーが陣取っていたそこを改装し、指揮拠点とした場所。

 

「おお、リュンナさま! 心配しましたぞ!」

 

 出迎えたのは、立派な牙を生やした巨漢のトドマンだった。

 

「ごめんなさいね、ボラホーン。大丈夫でした?」

 

 そう――ボラホーンである。

 

「グフフッ、心配ご無用。

 竜戦士用の材料として捕えていた人間どもを、これ見よがしに人質にしましてな。助けに来たところを一網打尽! 在庫を倍にしてやりましたわ。グッハッハッハ!」

 

 豪快に笑うトドマン。

 似た策をベルベルも用いたが、何となく印象が違う気がする。

 

「この海戦騎ボラホーン! 天下無双の力などと驕っていたワシの目を覚まさせてくださったリュンナさまのためなら、何でもいたしますぞ」

 

 彼はベルベルとリバストがリュンナを探す旅の中で出会い、仲間となったらしい。特にリバストとの腕力対決で友情が芽生えたそうだ。そしてそのままリュンナの配下に入ってきた。

 この世界のバランは竜騎衆を組織していないのか、未だにそれらしき敵は出現していないし、ボラホーンはこの通りである。

 

「アルキードの戦士どももそこそこの腕前ですが、この海戦騎と超竜軍団には敵いませぬ! リュンナさまは養生され、疾く回復なさるべきでしょう。鬼岩城にいなくて宜しいのですか?」

「それがハドラーさまに追い出されちゃいまして」

「なんと! あの中間管理職め……! もっとリュンナさまを大切にすべきだ!」

 

 いきり立つボラホーンを、ぽんぽんと叩いて宥める。

 

「まあまあ、時間を置けば回復する程度ですから。さ、全体の指揮はわたしが執りますよ。最前線で暴れたらどうです?」

「グフフッ、流石リュンナさまはお分かりでいらっしゃる……! やはり自らの手で敵を薙ぎ払ってこそ、戦士冥利に尽きるというモノ!」

「殺さないように注意してくださいね」

「もちろん心得ております。なかなか手強い兵士が多く、手加減で逆転される心配はありますが……それをも技量で勝ってこその一流戦士ですからな!」

 

 殺さずに――重傷者を増やし治療看護に手を割かせる。そうして生存者=恐怖の語り部を増やすことで、敵の士気を挫いていく。或いは捕えて竜戦士に転生させ、人質兼戦力に変える。

 バーンの暗黒闘気の影響を受けていた頃から、リュンナはそういう方針だった――悪意の渦。弱者を弄ぶ戯れ。

 

 アバンの空の技で解放された今も、それを変えるつもりはなかった。

 なるべく人死にを減らしてみるって言ったからね。

 或いはもともと、人を殺したくない無意識の現れだったのか。

 

 眷属のシャドーを放ち、超竜軍団に指示を飛ばしていく。

 だがそれとは別のシャドーもいる――砦でひとり、そのシャドーの感覚を乗っ取り様子を窺う。

 デルムリン島での戦いの折、密かにポップに憑けておいたシャドーだ。

 



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シャドー編
57 魔の森のマァム


 得意のメラゾーマで、果敢にも挑んできたポップ。

 直接的或いは間接的に、リュンナが彼を成長させてしまったのだ。

 半端な成長が逆に凶事を呼び込むこともある――監視が必要だ。

 

 そう考え、ポップにはシャドーを憑けておいた。

 メラゾーマに燃やされながらも魔氷気を放出し、自分の影と混ぜてその場で創造。ダイのストラッシュで吹き飛ばされるハドラーへと注意が向いた、まさにそのタイミングで。

 たとえ竜眼が閉じていようとも、そのくらいは出来る程度には、リュンナの能力は成長していた。

 

 そしてアバンほどの実力者であるか、メルル級の感知能力などがあれば気付かれるだろうが、今のポップならその心配は要らないようだ。

 暗黒闘気の繋がりで憑依シャドーの感覚を乗っ取ると、ポップや周囲の様子を一方的に窺うことができた。

 

 場所は鬱蒼と茂った森林――魔の森か。

 傍らにはダイと、幼女。毒のスライム(バブルスライムか?)に噛まれた母親を救うため、毒消し草を求めて森に入り、迷ってしまったらしい。

 そこに桃色の髪の、気の強そうな少女が現れた。マァムだろう。

 

「ミーナ!」

「マァムおねえちゃん!」

 

 ミーナがマァムに飛びつく。

 ダイとポップは顔を見合わせた。

 ところで、魔弾銃の披露がない――リカントはポップのメラゾーマでしっかりと焦げカスになっていた。詰めが甘くないのだ。立ち上がらない。

 

「走ってくる途中で様子が見えたけど、やるじゃない、貴方たち。この魔の森の魔物を一方的にやっつけるなんて……!」

「魔の森!?」

 

 魔の森の説明が入った。

 魔王軍の百獣魔団が棲みついた上、もともと迷路のような森であることから、魔の森と呼ばれるようになったと。

 

「そんな迷いやすい森だったのか……! じゃあおれの地図が悪かったんじゃないよね! なあポップ」

「いや地図は悪かっただろ! 普通に考えて!」

「ええ~っ」

 

 ダイとポップのやり取りにミーナが笑う。

 マァムの態度も柔らかい。ポップがやらかしていないからだ。

 もっとも視線はチラチラと胸に行っているし、マァムもそれに気付いているが――触るまでしないなら赦すといったところか。

 

「ロモスの王宮に辿り着く頃には、もう陽が落ちてしまうでしょうね。今日は村に泊まっていったら? ミーナを助けてくれたお礼もしたいし」

「ホント!? 助かるよ!」

「だな! ここはお世話になっておこうぜ」

 

 悪魔の目玉がダイ一行を発見するのは、確かここでマァムと喧嘩別れしたあとだったハズ。今村に行かれては不味いか……?

 最終的な到達点をどうするかは考えても、細かい過程については考えが浅かった。今更のように思案に沈む。

 その間にも時間は過ぎていく。

 

「しかしよ、マァムだっけ、アンタはひとりでこの森をウロついて大丈夫なのかよ?」

 

 村へ向かいながら、ふとポップが疑問を呈した。

 マァムの強さはまだ披露されていないし、妥当な思考だろう。

 

「あら、心配してくれるの? ありがとう、でも大丈夫よ。私こう見えて、あの勇者アバンの弟子なんだから!」

「先生の!?」

「先生を知っているの!?」

 

 アバンの使徒バレも早い。

 彼らは互いにアバンのしるしを見せ合った。

 先ほどよりグッと距離の縮まった気配。

 しかしアバンは既に――と意識したか、逆にダイとポップは委縮する。

 

「懐かしいわね、アバン先生……。もう4、5年前? それからもちょくちょく会いに来てくれたけど……。

 貴方たちが卒業したってことは、先生はまた新しい弟子を探しに旅立ったのかしら。それとも魔王軍を相手に?」

「えっ!? あ、うん! そうなんだよ、先生は先生で、別に戦うって……!」

「そ、そう……」

 

 ダイが事実を隠蔽する。

 そのあまりの慌てように、傍らで不安そうな顔をするポップ――これで騙される人は少ないだろう。原作のレイラは、あれは察しながらも『騙されてあげた』のではないか。

 しかし歳若いマァムに、そこまでの洞察と機転を求めるのは酷か。

 怪訝そうにしながら、一方で追及することが怖いのか、そのまま黙り込んでしまう。

 

 重い空気。

 払拭しようと、ポップが声を上げる。

 

「な、なあ、マァムは先生からどんなことを習ったんだ!? 俺は主に魔法使いの修行をしたんだけどよ! 戦士か?」

 

 背負われたハンマースピアを一瞥しながら。

 マァムは一瞬驚いて、しかしすぐに平静を取り戻す。

 

「ええ、戦士の修行もしたわよ。父さんが、俺の血を継いでるんだから立派な戦士になれるハズだ~って張り切っちゃって……。でも僧侶の才能もあったから、そっちの修行も受けたの」

「へえ~、凄いなあ! ふたつの修行を同時にこなすなんて……!」

「いやダイ、お前は勇者なんだからもっと凄いだろ……」

「へへっ、そうかな」

「勇者!? 凄いじゃない!」

 

 ワイワイ盛り上がる。空気は取り戻された。

 

「でも僧侶と戦士かあ。何て言うか、中身が全然逆で大変じゃない?」

「そりゃあ大変よ! でもね、仲間を守って戦い抜くのにこれほど向いた職業はないわ。パラディンって言うんですって」

「ああー、先生から聞いたことある」

 

 パラディン。

 リュンナは思い出す。祖国において自身の側近であった女騎士――近衛第三部隊を取り纏める立場であることから、隊長と呼んでいた彼女を。

 彼女は元僧侶の戦士で、そういった重装備による白兵戦と僧侶呪文を兼ねる存在を、リュンナが後年のゲームに(なぞら)えてパラディンと呼んだのだ。特に隊長は、盾を持ってリュンナを守る存在でもあったから。

 それをきっかけに、かの国ではパラディンの育成が流行った。アバンもそれを知り、自流派に概念を取り入れたということか。

 

「本当は鎧や盾を使うらしいんだけど……」マァムの装備は原作と変わりない様子。「ネイル村は小さいし、そういう装備は手に入らなくって」

 

 パラディンの装備は、しっかり揃えようとすると特にお金がかかるし、そもそも上等な品物がないこともある。まず戦士自体がそうだ。

 ただそれも闘気による自己強化で補えるし、それでも攻撃呪文は使えないために魔弾(ガン)を渡したのだろうか。

 

「装備か~。確かに俺たち、装備が貧弱だよな」

「そうだね……。レオナから貰ったナイフはともかく」

 

 少年たちが嘆く。

 強力な装備は憧れであり、また実用面でも切実に必要だ。

 

「そこはちょっと力にはなれないわね……。ロモスの都でも、このご時世じゃ品不足でしょうし……」

 

 武器防具など、真っ先に兵隊に召し上げられてしまうモノだろう。

 仕方のないことだ。

 

「まあその分、おれたち自身が強くなればいいよね! 今のところはさ。今日はもう遅いから――マァム、明日訓練に付き合ってよ」

「ええ、もちろん」

「俺も参加するかな~」

 

 疲れたミーナがマァムの背で眠るころ、進む先に、多くの人の気配を捉えた。ネイル村が近い。

 悪魔の目玉は、既にダイ一行の姿を捉えていた。シャドーの感覚網に、幾度にも渡る引っかかり。

 

 ハドラーに進言し、ロモスへの配置を多めにした結果か。

 これで今頃は、「獣王クロコダインよ……」「おお、魔軍司令どのか! これは無礼をした」などとやっているのだろうか。

 流石にハドラーにまでシャドーは憑けられないから、リュンナはそのシーンを想像だけしておいた。

 

 ネイル村ではダイとポップは歓迎され、ミーナの親から感謝され、同じ師匠の弟子同士まだまだ積もる話もあるだろうとマァム宅に宿泊することになり――

 

 夜。

 

「オオオオーーーーン!」

 

 獣王の咆哮が、響き渡る。

 

「これは……! 魔物が群れを成してお城を襲うときの……!」

「何だって!?」

「この辺の魔物の親玉が来るってことかよ……!」

 

 3人のアバンの使徒たちは家屋を飛び出し、叫び声の方へ走る――と、村の外れに辿り着く頃、それと鉢合わせることになった。

 二足歩行のワニめいた巨体は、それに相応しい重厚な片手斧と鎧を装備している。

 眼前に立てば、その威圧感はまさに圧倒的。

 

「我が名は獣王クロコダイン! 魔軍司令ハドラーさまが指揮する6つの軍団のひとつ、百獣魔団の軍団長だ! ダイ! ハドラーさまの勅命により、お前を討つ!」

 



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58 獣王クロコダイン その1

 相変わらずのシャドー中継――獣王クロコダインとの戦いが始まった。

 原作と比べると、ダイたちはリュンナ流の修行でレベルアップしているが、クロコダインもリュンナとの組手などでレベルを上げている。

 結果的に、原作と似た流れに落ち着いた。

 

 具体的には、当初こそその圧倒的パワーとタフネス、真空の斧の威力により優位に進めていたクロコダインだったが、奥の手のハズの焼けつく息(ヒートブレス)を魔弾(ガン)キアリクであっさりと覆された辺りから、雲行きが怪しくなってきた。

 キアリクで消し切れなかった微かな痺れがあるのか、ダイは海波斬を放つほどの素早さは失っていたが、それでも力には陰りなし。

 マァムがハンマースピアで繰り出した海鳴閃がバギ系効果を割り、そこにポップがヒャダルコを通らせ、振り上げた斧ごと腕を凍らせた。

 そしてダイが跳躍からの振り下ろしを繰り出し――

 

「くっ! しかしそんな見え見えの攻撃を!」

 

 ――朝日が目に入らない。

 ダイたちが悪魔の目玉に発見されたのが、原作より早かったのだ。そのためにクロコダインとの戦闘も早まり、まだ夜が明けるには程遠い。

 獣王は自由な左腕を振るい、ダイをナイフごと打ち払った。

 

「うわっ!」

「ダイ!」

 

 ダイが転がる。

 真空魔法効果から逃れていたポップとマァムは遠い。

 

「少々驚いたが! この程度で獣王が止まるかあーッ!」

 

 クロコダインは、凍った右腕をそれでも振るった。肘まで凍っているならと、肩を回し、更に身を捻り体ごと叩きつける一撃としたのだ。

 動作が大きすぎて隙だらけの打撃、だが転がって身を起こす瞬間のダイには回避し切れる間では――

 

「ヒャダイン!!」

 

 ポップの冷気呪文、猛吹雪が吹き荒れた。

 クロコダインは右腕どころか右半身の大半が凍り付き、軋むような音を立てて動きが止まる。

 

「こ、こんな高度な呪文を……!?」

「やったわポップ!」

「良かった……。初めて成功したぜ」

 

 そしてその隙を見逃すダイではない

 

「アバンストラッシュ!」

 

 空の技を会得していない、竜闘気(ドラゴニックオーラ)も乗っていない、弱いストラッシュだ。

 だが腐ってもストラッシュであり、凍って脆くなった獣王の右腕を斧ごと粉砕するには充分だった。

 

「ぐわあああああああーー!!!」

 

 死んだかと思うほどの絶叫を上げ、クロコダインが吹き飛び転倒する。

 勝負あったと思ったか、ダイは追撃せず、ポップとマァムは走り寄っていった。

 

「バカな、バカな! 俺の……俺の! 俺の腕! 真空の斧ッ! こんな、こんなことがァッ……!」

 

 クロコダインは狂乱した。

 可哀想だが、ここから助ける術はない。

 リュンナ本体は、遠くアルキード王国にいるのだから。

 

「諦めて降参するんだ! マァムは回復呪文を使えるから――」

「しかも情けをかけようだとッ!?」

 

 獣王、赫怒の形相。

 

「戦士の誇りを……よくもここまで……!! 必ず殺してやる、この俺の手で!! ダイッ!!」

 

 左手で闘気弾を放ち、土煙で煙幕を張ると、クロコダインは逃げ出した。

 回り込む者はいなかった。

 

 

 

 

 その後はダイもポップも平等にマァムのベホイミによる回復を受け、村に大きな被害がなく済んだことを確認し、眠って身を休めていく。

 翌日になると、3人は修練を共にし、更に連携力を高めていった。

 そして一通りの修練を終え、お開きにしようという時分のことだ――マァムが悲壮な顔つきで、ふたりを問い詰めたのは。

 

「先生は――別の場所で戦ってるのよね?」

「う、うん……。どうしたの急に……?」

「具体的にはどこで?」

「そ、それは……」

 

 答えられるハズもない。

 見ているだけしか出来ず、師を失った――それがダイの現実なのだから。

 ポップが友の肩を叩いた。

 

「ダイ……。やっぱ、無理じゃねえか?」

「ポップ……! でも!」

「だいたいこんな会話しちまってる時点で、もう白状してるも同然だしよ……」

「あっ……」

 

 ダイが一気に暗い表情に。

 その重さを見れば、マァムも遂に明確に察した。

 

「やっぱり……先生は……」

「うん。ハドラーのせいで……」

「いや、リュンナだろ?」

「どういうこと……?」

 

 ここに来て、ダイとポップの語る内容が食い違った。

 マァムが怪訝の色を浮かべる。

 

「リュンナ姫は先生の友達なんだけど、ハドラーに操られてるんだ! それで先生を……殺させられて……!」

「正気っぽかったけどな……。王女だったのに国に捨てられた、とかハドラーも言ってたし」

 

 ダイは納得できない様子を見せた。

 

「アルキード王国だっけ? その国を恨むならおれだって分かるけど、アバン先生は関係ないんじゃ……」

「助けが間に合わなかったって言ってたし、その逆恨みかもな。それとも、ハドラーに心酔っつうのか、してる風だったから、それか」

「それを操られてるって言うんじゃないの?」

「うーん」

 

 釈然としないようだ。

 ダイはハドラーと戦っていて、リュンナとは顔こそ合わせたものの、ほぼ会話をしていない。

 直接会話をしたのはポップの方だが、彼もそれで人となりの全てを知れたとは言えないだろう。

 

 一方、マァムは沈痛。

 

「よく分からないけど……つまりどっち道、先生はもう……」

「うん……。ごめん、黙ってて……」

「いいのよ、とは言えないけど……。仕方ないわよね。軽々しく言えることじゃないもの」

 

 そして声もなく、はらはらと涙をこぼした。

 少年たちは暗い顔を見合わせ――しかしポップが意を決し、

 

「つ、使うかよ……?」

 

 ハンカチを差し出した。

 その親切心が嬉しかったのか。マァムは微笑み、受け取って、涙を拭いた。

 

 ここまで来れば、もう心は仲間になっている。

 だからネイル村を発つ彼らを見て、母レイラに背中を押されたマァムは、素直に旅立つこととなった。

 

 

 

 

 そして魔の森を抜け、ロモス王都に辿り着き、王城で門前払いにされ、宿を取って、偽勇者パーティーと出会い――翌日。

 

「出て来いダイ!!! さもなくば――ロモス王国は今日で壊滅だ!!!!」

 

 響き渡る獣王の絶叫が、最悪の朝の訪れを告げた。

 空も陸も区別なく埋めるような魔物の群れ、百獣魔団の大進撃だ。

 

「行け行けえッ!! ロモス城を殲滅するのだ!!」

 

 ガルーダに掴まれて空を行くクロコダインが、赫怒に歪んだ形相にて。

 見上げた者たちは、例外なく心胆寒からしめられたことだろう。

 

 しかし勇者は、その恐怖に打ち勝つ。勝ってしまう。

 何も言わずひとりで飛び出したダイは、

 

「ヒャド!」

 

 ポップに足元を凍らせられ、滑って転んだ。

 顔面から床に行った。

 

「いってて……! 何すんだよポップ!」

「何してんだはこっちのセリフだぜ! ひとりで先に行くな!」

 

 ダイは鼻の頭を赤くしながら起き上がる。

 

「その通りよダイ、百獣魔団を突破しなきゃいけないんだから……! 3人で行きましょう」

「ピィ!」

「あ、ゴメちゃんもね」

 

 言いながら装備を整える仲間たちの光景。

 ダイはポップに不思議そうな目を向けた。

 

「そういえば、島じゃあんなに怖がって逃げたがってたのに……。村で戦ったときも、逃げずに普通に戦ってくれたよね」

「ああ、まあな……。自分が死ぬよりも怖いことがあるって……知ったからよ……」

 

 恐怖を更なる恐怖で塗り潰しているのが、今のポップであるようだ。

 ともあれ、

 

「よしっ、準備できた!」

「行こう!」

「ええ!」

 

 3人は恐怖する偽勇者パーティーを後目に、王城へと駆け抜けていく。

 ダイの出発こそ原作から遅れたが、道中の魔物を3人で排除できたことで、進行速度は寧ろ高まったようだ。

 ロモス王はまだ、クロコダインに捕まっていなかった。あと少しではあったが。

 

「王さまから離れろ!」

「来たか――ダイ!」

 

 瓦礫の山と化した城内。

 マァムは負傷した兵士らを回復するべく走り、ポップはダイと並び立つ。

 震える頬を両手で張って、喝を入れて。

 

 獣王クロコダイン――右腕を失い、左手に代わりのバトルアックスを握っている。

 過日よりも明らかに弱っているハズだが、威圧感はなおも衰えず、むしろ増してすらいた。

 そんな姿に、少年たちは果敢に立ち向かっていく。

 

「メラゾーマ!」

「王さま! こっちに!」

 

 ポップの火炎がクロコダインを押さえる隙に、ロモス王の前にダイが立ちはだかる。

 王は瓦礫が多少当たったくらいの負傷で、歩ける体力があったため、ゆっくり下がっていった。

 

「ぐううう……おおおおお……!」

 

 炎上するクロコダイン、のたうちながら斧を振り回す。

 刃の圧力が炎を散らすが、不定形をしっかりと斬り裂けるほどの、海波斬のようなキレがない。

 炎はすぐには緩まない。

 

「よしっ! もういっちょ――メラゾーマ!」

 

 そこに重ねがけだ。

 堪らず苦悶の絶叫を漏らすクロコダインに、しかし諦めの様子はない。気迫はそのままだ。

 何かするつもりならそれを察知して潰そうと、ダイはパプニカのナイフを構えた。

 

「使うしかないか……!」

 

 獣王は斧を床に突き立てると片手を空け、魔法の筒を取り出し――しかしプライドが齎した一瞬の躊躇の隙に、

 

「海波斬!」

 

 助っ人を出される前にと、ダイが炎ごと剣圧で筒を斬った。

 破壊された筒は中身を溢れさせる。

 剣圧に深い傷を刻まれた、鬼面道士ブラスの身を。

 



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59 獣王クロコダイン その2

「じい、ちゃん……!?」

 

 魔法の筒諸共に斬られたブラスは、鮮血を噴き出しながら、力なくクロコダインの手から足元へと落ちた。

 斬られたメラゾーマの余った炎が、そこでまだ燃えている。

 ブラスが、斬られて逃げる体力も失ったブラスが、燃える。

 

「じいちゃあああああん!!!!」

「ダイ!?」

 

 ポップもマァムも、反応できなかった。ポップに憑けたシャドー越しに見ているリュンナもだ。

 誰にも予想外だった。

 リュンナにとっては、ダイがデルパ前に魔法の筒を斬ったことが。

 ダイとポップにとっては、ブラスが出てきたことが、だろうし。

 マァムにとっては、ダイが鬼面道士をじいちゃんと呼び、助けようと走っていくことが、だったろう。

 

 予想していたのは、クロコダインのみだったのか。

 ブラスしか目に入らず無防備なダイを、獣王の剛拳がカウンター気味に迎え撃った。

 少年は吹き飛び、壁を粉砕して、城外へと。その手にブラスの手を握るまま。

 

「そんな、ダイ……! 今のは!?」

 

 マァムにとっては本当に意味不明な光景だったろう。

 ポップが早口で言う。

 

「言ったろ、ダイは怪物島のデルムリン島で育ったって! 今のが育ての親のブラスじいさんだ! 野郎、島から攫ってきやがった……!」

 

 城内に驚愕と、そして獣王への侮蔑の感情が満ちる気配。

 戦士の誇りとの発言をマァムに論われ、卑劣な人質作戦を糾弾される――が、

 

「武勲のない武人など、張子の虎も同然! 何とでも言うがいい、誇りなど――とうに捨てたわァッ!」

 

 獣王は開き直った。

 

「しかしダイだけは……! あのダイだけは、我が手で直接殺さねばならん!」

 

 最早その執念のみが彼の原動力なのか。

 城外へ吹き飛んだダイを追おうと、クロコダインは斧を拾い上げ、一歩を踏み出す。

 その前に、ポップが立ち塞がった。

 

「何の真似だ小僧……!」

「マァム! ダイとじいさんを頼む!」

「そんな、ポップひとり置いてなんて……!」

 

 マァムは渋るが、ポップは彼女を振り向きもせずに言った。

 

「見ただろ、あのダメージを!」剣圧と、炎と。「すぐに回復しなきゃ助からねえ……! ベホイミを使えるのはお前だけだ! マァム!」

「わ、――分かったわ……!」

 

 マァムは王と護衛兵士たちをこの場から避難させつつ、外へ向かって行った。

 クロコダインは重々しい声音で問う。

 

「もう一度聞くぞ……! 何の真似だ小僧ッ!」

「俺がここで――テメエを止める……! じいさんは放っておいたら死んじまうし、ダイはきっとじいさんを庇おうとして、まともに戦えねえ! 俺がやるしかねえんだ!」

 

 震えながらも、決然と。

 

「ド汚え人質野郎が次はどんな卑怯な手で来るやら、怖くて仕方ねえけどよ……!」

「貴様ッ……!」

「だがじいさんが負傷したのは、考えようによっちゃ好都合かもな。あれならテメエらに操られても、ダイを襲えねえ。ダイはじいさんと戦わずに済む……!」

 

 それはまるで、パーティーにおける魔法使いらしいクールな考え。

 そこまで覚醒するとは。

 

「フンッ、そういうことならこちらも好都合! ポップとかいったか……。貴様の呪文攻撃がなければ、ダイに後れを取ることはなかった! 貴様もしっかりとこの場で仕留めてくれる……!」

「そうかよ……」

 

 それこそポップにとっては好都合だろう。

 クロコダインが自ら自分に足止めされてくれると言うのだから。

 

 と――そこでポップは急に走って立ち位置を変えた。クロコダインとの距離は変えず、彼の側面に回り込む形。

 寸前までポップのいたところには、悪魔の目玉の触手が伸びていた。

 そして現在のポップは、目玉との間にクロコダインを挟む位置だ。

 

「これは……! ザボエラ!?」

「ヘヘッ、俺なんだか勘が冴えてんのかな!? 急にこっちに来たくなったんだよな……」

 

 シャドーを介したテコ入れである。

 この場にポップひとりしかいないのに、そのポップが拘束されては、最早勝ち目がない。

 ポップがクロコダインと戦うならそれは大きな成長を呼ぶが、クロコダインがザボエラの助力で勝っても成長には繋がるまい。

 

 悪魔の目玉が瞬きをすると、そこにザボエラが映っていた。

 

「クロコダイン、小僧がこっちに来るように立ち回るんじゃ!」

「黙れ! 貴様の指図は受けん!」

「確実な勝利が欲しくはないのか!?」

「要らんッッ!!!!」

 

 獣王は一喝した。

 背後のザボエラを振り向きもせず、それでも目玉の映像の中で、ザボエラは引っ繰り返っていた。

 

「吹けば飛ぶような貧弱な魔法使いが、身を張って獣王を足止めすると言うのだぞ! 仲間のために……! こんな卑怯な俺に対して、正々堂々と!

 裏切れん……ッ! この男の勇気はッ!」

「クロコダイン……。ヘッ、嬉しいこと言ってくれるじゃねえかよ……!」

 

 ポップが杖を構え、魔法力を高めていく。

 クロコダインは残る左手にバトルアックスを構え、

 

「ぬおおッ!」

「おっと!」

 

 当たれば両断を通り越して粉砕へ至るような、重い一撃を繰り出す。

 が、右腕を失ったリハビリが済んでいないのか、予備動作が見え見えで振りも遅い。ポップがある程度の余裕を持って避けることができるほどだ。

 

「ちょこまかと……!」

「避けなきゃ死ぬんでね!」

 

 間もなく痺れを切らしたのは、クロコダインの方だった。

 

「ならば喰らえ!」

 

 焼けつく息で動きを止めようと、大きく息を吸い――

 

「今だ、ヒャダルコ!」

 

 その口を氷に塞がれた。

 

「むぐッ……!?」

 

 ブレスは口の中で渦を巻き、氷を融かしていくが――ポップに向けて放たれるまでには、あと数秒が必要だった。

 そしてその数秒を待つ必要はない。

 

「メラゾーマ!!!」

 

 口の氷を除去することに意識が向いた、その心の間隙を突いた上級火炎呪文。

 猛火がまるで生きているように、獣王を焼き尽くそうと纏わりつく。

 都合3発目のメラゾーマだ、さしもの獣王も膝をついた。

 

「やっ――」

 

 だが「やった」と言う前に、ポップを斧が襲う。

 距離はあった。だが投擲がそれを埋めた。

 炎に巻かれ目測が不正確だったか、当たったのは刃ではなく柄だったものの、それでも充分に重い打撃だ。

 肋骨が何本か折れた。ポップは殆ど声も出せずに倒れ、そのまま起き上がれない。

 

「うッ……! ……!」

「かああーーーッ!!」

 

 そしてクロコダインは、空いた左手に気合を溜めて闘気弾を放ち、炎を吹き散らした。

 息は荒く、焦げ臭い煙を纏って。

 

「もう、もう耐えられん……! あと一撃でも受ければ……! だが……まだ、あと一撃! まだ戦える……!」

「ど、どんだけ……頑丈な……!」

 

 たかがメラゾーマ、されどメラゾーマである。

 こうまで何発も耐久されては、魔法使いの立つ瀬がない。

 しかし、それがこの世界なのだ。

 ならば倒れるまで打ち込むしかない。

 

「くっ、……メラ――ゾ――」

「ぬおああああああああああああッッッ!!!!!!」

 

 そしてクロコダインは、その左腕に全身の闘気を集中させ膨張、鎧の腕部分を内部から爆発させた。

 その飛び散った破片の一部が、ポップの身を打つ。

 

「ぐえっ……!」

 

 衝撃に、高めていたメラゾーマが散ってしまった。

 魔法力の残量が心もとない。

 

「手加減はせんぞ、ポップ……! さあ、我が最大最強技で――消し飛べッ!」

「ここまで――か……!?」

 

 避けられない体勢。

 呪文で技を相殺するしかない、たとえメラ系がこの手の技の相殺に向いていなくても。

 必死で魔法力を絞り出し、火炎を高め――間に合わない――

 

「獣王痛恨――」

「空裂斬」

 

 光の闘気を宿した剣圧が獣王の左腕を――その闘気の流れの集中点を撃ち抜き、暴発させた。

 腕が内から弾け飛ぶ。

 ついでながら、悪魔の目玉もその肉片散弾で潰れた。

 

「ぐわあああああああああああああああ!!?!」

 

 先日のマヒャドとストラッシュで右腕を既に失っている今、これで獣王は両腕を失ったのだ。

 滝のような流血。

 

「誰だッ! 1対1の決闘にッ――」

「先に卑怯を働いといて、今更なに寝ぼけたこと言ってやがる? 既に話は聞かせてもらったんだぜ」

 

 男の声だった。

 低く力強い、戦士の声音。

 

「今のは先生の技! あ、あんたは……!?」

 

 ポップが振り返れば、鋼鉄の装備に身を包んだ、桃色の髪の偉丈夫。

 

「よう! お前がポップか。さっきウチの娘から聞いたぜ、アバンの野郎のことは残念だった。赦せねえよな、魔王軍はよ……」

「き、貴様は――ロカ!!」

「おうよ。数日ぶりだなクロコダイン」

 

 マァムの父、レイラの夫、勇者アバンの仲間。

 戦士ロカ。

 



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60 獣王クロコダイン その3

 ロカは生きていた――と、知っていた。

 ハドラー討伐後からバランが来るまでにも、何度か会ったことがある。

 

 なぜ生きているのかは不明だ。そもそも原作での死亡理由が不明なのだから。

 だが原作の歴史とこの世界でのロカの差異は、魔王ハドラーの最終攻略に参加したかどうかがやはり大きいだろう。恐らくはそこが分岐点。

 例えば地底魔城で重傷を負い、その後遺症で後に死ぬことになるハズだったとか。

 

 ともかくロカは死亡フラグを知らぬ間に避け、ごく普通に今日まで生きていた。

 ネイル村にいなかったのは、ほかの男手同様、王都を守るために駆り出されていたからだ。

 

 そして今日も、戦っていた。

 

「町の魔物を半分くらいは片付けてきたぜ。お蔭で来るのが遅くなっちまった……。だがよく踏ん張ってくれた」

 

 ロカがポップの頭を乱暴に撫で、前に出ていく。

 

「ウチの娘って……それにその髪……マァムの親父さん!?」

「おうよ。このクロコダインとは、王都に襲ってくる度にやり合ってんだがな……。なかなか決着がつかなくてよ。しかし今日こそ終わりにさせてもらうぜ」

 

 鋼鉄の大剣を緩やかに構える姿は、強さよりも美しさをすら感じられる。

 だが武において、美しいということは、それは裏に強さを秘めているのだ。

 

「ほざけッ! 不意打ちでいい気になりおって……!」

「テメエだって毎回不意打ちだろうが、いつもいつも急に軍団率いて襲ってきやがってよ。宣戦布告してきたことが一度でもあったか?

 だいたい戦士の誇りだの何だの言うがよ、実態は自分が可愛いだけなんだよな。だから追い詰められたら簡単に卑怯な手に頼るし、そんな自分の汚さに耐えて卑怯を貫徹するってこともできねえ。

 薄っぺらいんだよ。テメエは」

「う、……ううッ……!」

 

 クロコダインが、押されている。

 痛恨撃を潰した空裂斬以来、剣を振られてすらいないのに。

 ロカが背後のポップを一瞥した。

 

「その点、こいつは見込みがありやがる。ポップ、さっきも言ったがよ、お前がひとりで持ち堪えたから、このロカおじさんが間に合ったんだぜ。お前は立派に、ウチの娘とダイの坊主を守った! あの鬼面道士も、王さまも、兵士も! 自分自身もだ!」

「ロ、ロカのおっさん……!」

「おじさんだっつってんだろうが! 丁寧に呼びやがれ!」

 

 ロカひとりだけ、明るい空気で笑った。

 

「さあ立ちな、ポップ。戦士が前で戦い、魔法使いが後ろで支える。パーティーってのはそういうモンだろ」

「お、おう……! 俺だって守ってもらってばかりじゃないぜ!」

 

 ポップが立ち上がり、再び魔法力を高める。

 クロコダインは両腕を失った満身創痍だが、ロカは一切油断していないのだ。

 

「好き放題言ってくれる……! ならばここで貴様らを殺し、我が誇りを取り戻してくれるわッ!!」

「バーカ。戦士の誇りってのはよ、何を守ったかだ。誰を殺したかじゃねえ。

 俺の最高のダチを殺しやがった魔王軍がよ――誇りだの何だの、御大層なことブチ抜かしてんじゃあねえぞッッッ!!!!」

 

 ごめんなさい。

 先輩を退場させたのはわたしです。

 

 ともあれ、怒号と共に大剣を担ぎ構えるロカ――が、くるりと背を向けた。

 

「――と思ったが、俺はもう要らねえみてえだわ」

「なに!? ――はッ!」

 

 マァムと――そして額に(ドラゴン)の紋章を輝かせたダイが、壁の穴から戻って来ていた。

 クロコダインの注意がそちらに向いた瞬間、

 

「こいつが最後だ! メラゾーマ!」

 

 ポップが火炎を放つ。

 

「うっ、うおおお……あああ!!!」

 

 炎上するクロコダインは、闘気弾で敵諸共に炎を吹き飛ばそうするが、

 

「海鳴閃!」

 

 前に出たマァムのハンマースピアが、それを斬り裂いて不発に。

 声にならぬ絶望の声を漏らした獣王は、そして、

 

「じいちゃんを攫って、仲間を傷付けて……! 赦すことは――できないッ!

 ――アバンストラッシュッ!!!」

 

 ダイに掻っ捌かれて、終わった。

 

「こんな! こんな! どうせ負けるなら――正々堂々――! せっかく、せっかく誇りを取り戻せると……! 俺は……!」

 

 獣王の声は酷く震え、掠れていた。

 泣いているのだろうか――涙も燃えて、分からない。

 ストラッシュの余波で崩れた背後の壁の穴へと、炎上しながらよろめいて後退していく。

 

「すまない――」

 

 最後に漏れたのは、謝罪だった。

 

「すまない、ポップ……ダイ……。俺が……俺が愚かだった――」

 

 そして断末魔の叫びと共に落下し、あとに残るのは一瞬の静寂。

 生き残った百獣魔団が、潮の引くように町から撤退していき、そして兵士や民が歓喜を叫んだ。

 

 一度は避難させられた王も、護衛の兵士すら追い越して真っ先に戻ってくる。

 本当は逃げたくもなかったのだ、この人は。

 

「見事じゃ! なんと見事にやってくれおった……! ありがとう、ロモスを救ってくれてありがとう……!」

 

 ダイ、ポップ、マァム、ロカ。

 ひとりひとり手を握って、王は喝采した。

 

 

 

 

 その後、改めて公式的に、王は勇者たちに感謝と賛辞を送った。

 そして原作通りに、ダイは勇者を名乗ることを勧められ――緊張と共に受け容れた。島で「先生の分まで勇者をやる」と述べただけはある。

 

 一方、ブラスとの微笑ましいやり取りはなかった。

 マホカトールが使われていないからだ。鬼面道士は、ダイが島から持ち出していた魔法の筒に封印された状態。

 自分で歩けないほど負傷した仲間を連れて逃げるなどの運用が、本来は想定されていたモノだ。

 

 だから装備を貰ってお披露目をした際も、嬉しさにはどことなく陰りがあった。

 眷属の憑依によって、ある意味で誰よりも近くで見ているからこそ、分かることかも知れないが。

 

「じゃあな、マァム。村や城は父さんに任せて、しっかり戦って来い!」

「うん、父さん。私頑張るわ……!」

「これからもよろしくね! マァム!」

 

 ロカは同行しない。

 獣王は斃れたとは言え、百獣魔団を構成する魔物そのものは多く残っているし、別の軍団が送り込まれてくる可能性もあるのだ。

 守り手は必要である。

 

「なあ、ダイ。これからどうすんだ?」

「じいちゃんを島に送り返したら、パプニカに行くよ! 王女のレオナとは友達なんだ」

「それ、ちょっと遅らせることできねえか?」

 

 ダイはキョトンとした――それから不満と疑問の表情。

 世界中が魔王軍に襲われている今、知り合いから助けていくという優先順位は自然なこと。それを覆す何かがあるのか、といったところか。

 

「どこに行くって言うのさ」

「行くんじゃなくてよ、ここで修行すんだよ。ロカのおやっさん!」

「おう?」

 

 国民へのお披露目から引っ込んだ後の王城内である。

 帰ろうとしていたロカが、呼ばれて戻ってきた。

 ポップはダイをズイッと彼に向けて押し出す。

 

「頼む! ダイに空裂斬を教えてやってくれ!」

「あ、そっか!」

「どういうこった? アバンから教わってねえのか」

 

 ハドラーが襲ってきたため、アバンからは海波斬までしか教わっていないのだ。

 ロカは納得の頷きを見せた。

 

「言われてみりゃ、クロコの野郎にやったストラッシュ――ありゃどこか歪だったな。パワーで押し切っちゃいたが、力の集中が甘かった。道理でな……。よし! そういうことなら、おじさんに任せな!」

「やったあ! ありがとう!」

 

 ダイが飛び上がり、ロカは微笑ましげに見る。

 ふとロカは小さく息をついた。

 

「懐かしいぜ……。リュンナ姫にも、アバンとふたりがかりで教えて差し上げたもんだ。暗黒闘気向けに調整するのが大変で、なかなか苦労したんだよなあ。

 それでも数日で済むんだからマジで天才だよ、あの方は。まあ剣に関しちゃ俺ほどじゃねえが――」

「――何だって?」

「うん? おじさんが天才剣士だって話か?」

「ちげーよ! リュンナって――」

 

 ポップが驚き、喰ってかかるにも似たありさま。

 

「お前ら会ったんだろ? ハドラーの部下になって、アバンをやっちまったとか」

「そうだけどそうじゃねえ! あいつ、もともと暗黒闘気の使い手だったのかよ!? 操られてたからじゃなく!?」

 

 ロカは平然と説明する。

 

「ああ。なんか愛国心の裏返しだとか言ってたけどな。実際あの方は、『国のため』って常に考える高潔な方だったよ。

 しかしホントに操られてんのかね……いや、違うと思いたいだけなのか。メチャクチャな目に遭ったからな……。正直、口にするのも嫌だ。もしお前らがアルキードに行くってなったら……そんときゃ覚悟決めて説明するけどよ……」

 

 後半の言葉を、ポップは半ば聞いていなかった。

 ぶつぶつと、思わず漏れたという風情の小声。

 

「先生が空の技で支配を解いたあとも暗黒闘気を使ってたから、やっぱ操られてんのかなって……考え始めてたけど……。違うんだ。あいつ正気で人間の敵をやってる……! そんな人間がいるのかよ……」

 

 さて。

 空裂斬の修行でロモスに滞在するなら、その間はこちらの監視に集中する必要はない。

 別の場所でもやっておきたい工作がある。

 



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61 暗躍

 リンガイア王国将軍の息子にして、戦士団団長を務めるノヴァは、弱冠16歳である。

 それはあからさまな身内人事であり、ノヴァはお飾りに過ぎない――初見の者の多くはそう思うかも知れない。

 だが彼は『北の勇者』とも呼ばれるほどの、超一流の実力者だ。立場はその実力の裏打ちあってこそであり、彼の戦いを一目見れば、誰もが納得するのではないか。

 少なくとも、強さに関してのみならば。

 

 そんなノヴァは今、戦士団の幾つかの部隊を引き連れ、オーザム王国へと遠征に向かっていた。

 オーザムは魔王軍6大軍団のひとつである氷炎魔団に包囲されており――原作ではこの救援は僅かでも間に合った様子がまるでなく、更に母国リンガイアをも遠征中に滅ぼされてしまう。

 

 が、この世界でリンガイアを攻めているのは、超竜軍団ではなく妖魔士団だ。数々の呪文と卑怯な戦術は確かに脅威だが、強固な城塞と屈強な戦士たちの手で、リンガイアはしっかりと守られている。

 ノヴァは後ろを気にせずに戦えるということだ。

 ただし、このままではオーザム滅亡には間に合わない。

 

 だからリュンナは眷属シャドーを通して指示を飛ばし、超竜軍団を動かした。

 リンガイア・オーザム間の海と、この世界の超竜軍団のテリトリーとの間には、幸い、テラン王国しかない――ほかの軍団が駐留していないのだ。悪魔の目玉にバレることなく工作できる。

 

 具体的にはスノードラゴンとスカイドラゴンを派遣。

 まず雪の竜が冷たい息で霧を作って身を隠し、その上で氷と炎のブレスを同時に、遠征軍の船に吹き付ける。

 ブレスの温度は相殺されて普通の突風となり、帆船の速度をぐんぐん上げるのだ。

 

 ただの力技だが、全ては霧に隠され、たまたま都合のいい風が吹いたようにしか見えない。

 もともとこの辺りの海上は霧が多いこともあり、疑う者は少ないだろう。

 疑われたところで、そう不都合もない。

 

 なるべく人死にを少なくしてみる――そうアバンに告げたのだから。

 ノヴァ率いる戦士部隊が氷炎魔団を撃退することを、ここは期待しておく。

 フレイザードにどこまで通用するかは分からないものの、原作通りなら、残る全ての軍団長に間もなく集結指示が下る。そのタイミング次第では、ノヴァも助かるハズ。

 オリハルコン兵にすら傷を与える実力者だから、逆にフレイザードを斃してしまっても驚きはすまい。

 

 念のため、ノヴァにもシャドーを憑けておくか?

 マジャスティスと空の技のダメージがまだ残っているとは言え、それでも多少は回復してきた。そのくらいの余力はある。

 

 そうと決まれば夜を待ち、ドラゴンにリアルタイムで指示を出すために同行させていたシャドーを船へ。ドラゴンたちは既に帰路についている。

 夜闇に紛れて、眠っているノヴァにシャドーが近付き取り憑いた。

 

「む……むぐぐ……」

 

 寝苦しそうだ。無意識に憑依を察知されたか。

 暗黒闘気の塊であるシャドーにとって、闘気の高度な使い手であるノヴァは天敵なのかも知れない。たとえその闘気が、光でも闇でもない中庸でも。

 ノヴァを諦め、もう少しレベルの低そうな戦士団員に乗り換えた。こちらはどうやら気付かれない。

 

 明けて翌日。

 もう数日かかるハズだった航路を大幅に短縮した戦士部隊は、迅速に下船し、オーザムの町を目指した。

 オーザムの地は極寒ながら、筋肉による基礎代謝の高さなのか、屈強な戦士たちは寒さをモノともせず、列を乱さず進んでいく。

 

 するとやがて、フレイムやブリザードの群れと遭遇し始める。

 しかし戦士たちはブレス攻撃を頑丈な鉄の盾で防ぎつつ堅実に攻め、ノヴァに至っては剣技や呪文で無双のありさま。闘気剣(オーラブレード)すら必要としていない。

 

「こんなモノか……。僕の敵ではないな」

「ご油断召されるな、若。ブリザードには稀にザラキを使う個体もいるのですぞ」

「若と呼ぶな。団長と呼べ」

 

 シャドーが憑いたのは、ノヴァの副官のような立場の男だった。

 その男の注意喚起を、若き戦士団長は一蹴する。

 

「僕の闘気量があれば、ザラキだって通じんさ。それにしても、魔物たちはここで何を……?」

 

 特に何もない――そう見える場所だ。

 しかし調査してみると、巨大な氷の檻を作る呪法の罠が仕掛けられていることが判明した。起動には大きな魔法力が必要なため、軍団長が使うことが想定されていたのだろう。

 

「町から逃げ出したオーザム民を捕える罠ではないでしょうか」

「なるほどな……。逃げ道があると見せかけて、希望を踏み躙る――残虐な魔王軍め! 破壊してから進むぞ!」

 

 義憤に燃えるノヴァらは呪法の核を破壊すると、更に進軍を速めていった。

 そして遂に――

 

「うん? 何だ、テメエらは……?」

 

 氷の右半身と炎の左半身がひとつとなった怪物――フレイザードに、戦士団は追いついたのだ。

 オーザムの町を一望できる、万年雪の丘の上だった。

 

 見たところ、町は無事な様子である。

 入念に追い詰める準備をして、最後に一気呵成に決めるのが氷炎魔団の作戦だったのだろう。その最後の手前に、ノヴァが間に合ったのだ。

 

「僕はノヴァ。人呼んで『北の勇者』ッ! リンガイア王国からの救援さ。この国は僕が救う!」

「勇者! 勇者だと!」

 

 フレイザードの形相が歓喜に歪んだ。

 

「ならテメエの首級を上げれば大金星! フカシじゃねえ本物であることを祈るぜ!」

「ふん、すぐに思い知ることになるさ。本物の力をな……! みんな、雑魚は任せた!」

「はっ!」「団長もご武運を!」「お気をつけて!」

 

 戦士団は周囲のフレイムやブリザードの群れを押さえていく。

 戦場の中央には、対峙するノヴァとフレイザード。

 

「さて始めようか……。寒いだろうから温めてやるぜ! クカカカカーッ!」

 

 フレイザードの炎のブレスを、ノヴァは剣で打ち払った。

 海波斬というほどのキレではないが、充分に重い剣圧が乗っているのだ。

 

「おっと、暑いのは苦手か? じゃあ涼しくしてやるか! シャアアー!」

「単調な攻撃を!」

 

 続いては凍てつく息。

 これも同様に打ち払い――

 

「そこだッ!」

 

 更にフレイザード本体の氷拳をも受けた剣は、粉々に砕け散った。

 急激な温度差が、剣の強度を奪ってしまった結果。

 

「ヒャッハッハ! そうらこれで終い――ううッ!?」

 

 更に追撃を繰り出そうとしたフレイザードの炎の拳は、腕ごと斬り落とされていた。

 

闘気剣(オーラブレード)……! やっとこれを出せる相手に会えたな」

「野郎、舐めた真似を……!」

「違うな。君が僕を舐めたッ! その代償は――高くつくッ!」

 

 ノヴァは更に剣を振るい、フレイザードは堪らず後退。

 しかし避け切れず、腹の岩石が削られ身が傾く。

 

「つ、強い……!」

「やっと理解したか。もう遅いけどな!」

 

 ノヴァは高く跳躍、上空で闘気を爆発的に高める。

 最大出力となった闘気剣(オーラブレード)は、鍔と柄と剣身のシルエットが光となって伸び、空に巨大な十字を描いた。

 

「トドメだッ!」

「マ――ヒャ――ド――!」

 

 フレイザードは炎の腕を再生するよりも、残った氷の手で反撃することを選択した。

 5本の指全てに膨大な冷気が宿る。

 

「ノーザン・グランブレードッ!!」

永久凍土掌(エターナル・フォース・ブリザード)!!!!!」

 

 ごめん……。リュンナは心中でフレイザードに謝った。以前ジョークでその技名をつけてしまって、本当にごめん……。

 本人が気に入っているらしいのが救いだ。

 要はヒャド系版の五指爆炎弾(フィンガー・フレア・ボムズ)なのだが。

 

 そしてヒャド系を得意とするノヴァとは言え、この圧倒的冷気の前には耐性が心もとない。

 グランブレードで斬り裂いた冷気の余波のみでも、身が凍てつく様子。ただでさえ極寒の地なのだ。

 とは言え見えてはいたため、闘気を纏って防御はできている。

 

 一方でフレイザードも、抜けてきた剣圧を炎半身で受け止めた――既に傷付いている側を犠牲にして、氷半身を健在なまま保とうとしたのだ。

 左の肩や胸までが斬り崩される中、それでも禁呪法生命体の彼に生命の危険はない。

 

「くっ!」

 

 ノヴァが着地と共に膝をつき、フレイザードが再生に勤しむ、一瞬の間。

 体温が戻るまで剣を振れないことを自覚したか、ノヴァは呪文を放った。

 

「マヒャド!」

 

 ヒャド系に特化したノヴァのマヒャドは、先ほどのフレイザードの吹雪に迫るほどの威力を持つ。

 それをフレイザードは、氷半身で吸収していく。

 

「ギャハハハハッ! できればメラ系が欲しかったがな……! どっちにせよご馳走よ!」

「そうか。毒入りだけどな」

「なにッ……」

 

 ノヴァのマヒャドが止まらない。

 フレイザードの左半身が膨張し――それは彼の核の制御を振り切ったのか、デタラメな形に成長しながら、周囲の凍土と一体化し始めた。

 

「バカなッ! これはァ~ッ!! う、動けねえ……!?」

「君が純粋に『氷の化物』なら、こんな戦法効かなかったろうにな……。氷と炎! バランスが崩れてしまっただろ?

 そして僕の体温も回復したぞ……」

 

 ノヴァは全身に闘気を纏い、冷気ダメージから復帰していた。

 そのまま跳躍し、再びの十字の輝き。

 

 フレイザードは、弾丸爆花散で対抗しようとした――が、氷半身がガッチリと固まり過ぎている。岩石単位で分離することができない。

 つまり氷炎爆花散も使えず、起死回生の合図もできない。そもそも部下のフレイムもブリザードも、戦士団と互角に戦っていて、結界呪法用の塔を作る余裕はないのだが。

 

「あ、あああ――」

「これで本当にトドメだッ! ノーザン・グランブレードッ!!」

「ウギャアアア~~~~~!!!!」

 

 もはや必殺剣を防ぐ手は、フレイザードにはなかったか。粉砕の憂き目。 

 

 ただしリュンナは別だ。副官に憑けたシャドーが、自然の吹雪に紛れさせる形で密かにヒャダルコを唱えていた。

 その冷気と風圧が、ノヴァの手元をほんの少しだけブレさせ――フレイザードの(コア)から攻撃を逸らした。

 放射状に伸びる多数の太いトゲの塊、といった形状のその2色の岩石は、結果的に必殺剣を受けた爆発のどさくさで吹き飛び、転がり、無傷のまま配下のフレイムに拾われた。

 

「フレイザードさまがやられた!」

「逃げろ!」

「退却だ~!」

 

 それは敗走であり、大将を復活させるための転進でもあるのだ。

 ノヴァはただ勝利に酔い痴れ、またひとつ強くなり――そしてオーザムが救われたのは事実であった。

 

 ――これでいいんだろ? リュンナさまよ。

 そんな声が聞こえた気がした。

 上出来だ、とリュンナは思った。ハドラーの炎の力と、リュンナの氷の力を継いだ禁呪法の子は、とても忠実だった。

 

 人死にを減らしつつ、強者を増やす。魔王軍の仕事をこなしながら。

 フレイザードが復活するときには、もっとレベルを上げてやれる。その頃にはハドラーもリュンナも、強くなっているハズだから。

 

 そして人死にを減らしたいのは、尽くすも尽くされるもない、ただ、リュンナ自身の。

 



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62 6大団長集結……!?

 ダイが空裂斬を会得した。

 ポップに憑けたシャドーに意識を戻す。

 

 彼らはロモス王国に船を手配してもらい、まずデルムリン島へとブラスを送り返した。幸い、傷は呪文治療で事足りるものだった。

 操られていた間のことを説明し、護衛にロモス騎士が残る。

 説明役はダイ自身が務めた。ブラスは旅立ったダイにこのタイミングで合うことを――ダイのことを想って――不満がったが、ブラスに対する説明役としてダイ以上はいない。

 

 大きな悶着はなく、船は次にパプニカ王国へと航路を取る。

 常に聖水を垂れ流すことで海の魔物を除けながら進む、とてもリッチな船だ。

 

 ――などと思っていると、伝令用悪魔の目玉から、全軍団長集結の指示が来た。

 シャドーに引き続き監視することを改めて命じ、意識を本体に引き上げる。

 そして暗黒闘気の繋がりを介してベルベルとリバストには念話を飛ばし、その繋がりのないボラホーンには別のシャドーを遣わした。アルキード・ベンガーナ両国の攻略について、遅滞戦闘を続けるようにと。

 

 さて、どうなることやら。ヒュンケルこっちにいないし。

 思いながら、リリルーラでハドラーの傍らに飛んだ。

 

「ッ!? リュンナか……。驚かすな」

 

 鬼岩城――窓の外には、雷鳴轟く荒涼とした山脈の光景。

 既に左肩(レフトショルダー)の間に彼はいた。

 

 見上げる巨躯は変わらぬまま。一方で銀髪は一部逆立っていたものが、今はオールバックに。左目の上下、額から顎近くまでを繋ぐ黒い模様が顔にできている。服装も、胸当てと一体化した豪華なマントになっていた。

 様変わり。ベギラゴンも習得したのだろう。

 

 ドラゴンローブを纏い吹雪の剣を携えたリュンナは、頭を下げて挨拶した。

 

「ただいま帰りました。ハドラーさま」

「うむ……。それはいいが、なぜ毎回俺のところに直接……。ルーラ港を使えと言っているだろう」

 

 ルーラ系で鬼岩城に帰るときはここに着地してね、という場所のことだ。

 前世で言うヘリポートのようなモノで、屋上に六芒星が描かれたスペースがある。この六芒星は塗料にルラムーン草を使っており、本来は人物を目印にする呪文であるリリルーラの飛び先として使うことができるのだ。

 そして普通はそれを使う。瞬間移動でいきなり相手の背後に出るのは、とても無礼だからだ。

 機密などの問題もある。

 

 だがリュンナはどこ吹く風。

 ハドラーの腕に腕を絡めて抱き付き、頬を摺り寄せながら述べる。

 

「1秒でも早くハドラーさまに会いたいからです」

「そういう冗談は気に入らぬと言ったハズだが」

 

 すげなく振り払われてしまう。

 酷い。リュンナは頬を膨らませた。

 ハドラーが苦々しい表情を浮かべる。

 

「そういう顔もやめろ……! 威厳に関わる!」

「誰も見てないんですから、いいじゃないですか」

「すぐに誰かしら来るわ! 座れ」

 

 ハドラーの隣の席に座ると同時、表情は凪。

 

「クロコダインがやられたそうですね」

 

 悪魔の目玉を介した伝令には、その情報も含まれていた。

 何食わぬ声音。

 

「うむ。やったのはダイ……! またしても! 早くどうにかしなくてはならん……!」

 

 ハドラーは拳を握り歯を食い縛った。

 実際のところ、ダイが強くなったなら、それはそれでいい。

 取り込むか、なし崩しに共闘するかだ。

 

「わたしに出来ることがありましたら、何なりと……」

「うむ」

 

 やがて軍団長がひとり、またひとりと現れ、着席していく。

 超竜軍団長、『竜眼姫』リュンナ。

 魔影軍団長、『魔影参謀』ミストバーン。

 妖魔士団長、『妖魔司教』ザボエラ。

 不死騎団長、『魔槍戦士』ラーハルト。

 

 百獣魔団長、『獣王』クロコダインは蘇生液に浸かっており、欠席。

 

「遠路遥々ご苦労……!」

 

 そこまで集まったところで、ハドラーがそう口を開いた。

 しかしひとり足りないことに気付いたザボエラが、

 

「フレイザードの奴はどうしたんじゃ?」

 

 と様子を窺う。

 

「そのことなのだが……諸君には申し訳ないことになってしまった……」

 

 重々しく言葉を紡ぐハドラー。

 一同が彼に注目する。

 

「俺は全軍団力を集結させダイを叩くつもりだった。そしてその際に要となるのは、敵対者の力を激減させるフレイザードの結界呪法だろうと。しかしフレイザードは――」

 

 魔軍司令は懐から、掌に乗る程度の岩石を取り出した。

 放射状に伸びる多数の太いトゲの塊、といった風情の2色それを、机に置く。

 

「そっ……それはあっ!?」

 

 ザボエラが鼻水を垂らした。汚い。

 

「フレイザードの(コア)だ。奴め、やられおった……。幸い復活は可能だが、時間がかかる。それまでは作戦が実行できん」

「いったい誰が? ダイはクロコダインと戦ってたハズですよね」

 

 リュンナのポーカーフェイス。

 ハドラーもまたごく普通に話を続ける。

 

(コア)を回収したフレイムによると、リンガイア王国の戦士ノヴァだそうだ。『北の勇者』を名乗っていたとのことだが……」

「ふん! 勇者がふたり現れ、軍団長もふたりやられた――と。不甲斐ないことだ」

 

 ラーハルトが鼻で笑った。

 バランが竜騎衆を結成していないせいか、この男はこんなところで不死騎団長をしているのだ。

 どうもミストバーンに拾われたらしい。原作ヒュンケルの代役といったところか。

 彼は言葉を続ける。

 

「不甲斐ないと言えば貴様もだな、ザボエラ。貴様がリンガイアをとっとと落としていれば、フレイザードは無様な姿を晒さずに済んだだろう。可哀想に」

 

 口だけで可哀想だと述べながら、酷薄に笑む。

 ザボエラは鼻水と唾を飛ばしながら猛った。汚い。

 

「何を言うか! お前こそパプニカを落とせておらんくせに……!」

「攻めあぐねている貴様と違って、こちらは時間の問題だ。各地の人間どもは我々に町を追われ、王都に逃げ込んでいる――あとは王都を囲んで磨り潰すのみ!」

「ぐぬぬっ……!」

 

 ラーハルトは人間とのハーフであることから軽んじられがちだが、それで腐ることなく相手を煽り返す根性の持ち主であった。

 一方でリュンナは最早人間の形をしているのみの『竜』であるため、侮られてはいない。

 

 と、そのリュンナが軌道修正を図る。

 

「フレイザードが敗北し、勇者が増えた。どうなさるんです、ハドラーさま」

「うむ……。ノヴァとやらもだが、ダイはこの俺に手傷を負わせた強者だ。念には念を入れて挑みたい。よってフレイザードの復活まで総攻撃は延期する」

 

 途端、ラーハルトが食ってかかった。

 拳が机を叩く。

 

「臆したか? 魔軍司令どの! そこまで慎重にならずとも、ごく普通に囲んで叩くのみでよいではないか!」

「仮にダイを仕留めても、また軍団長が減ればどうなる。後の地上征服に支障をきたすぞ。解放されてしまったロモス王国も再侵攻せねば」

「勇者討伐が最優先だろう! ミストバーン、貴様はどうなのだ!」

 

 ミストバーンは微動だにせず、ただ沈黙のみで返した。

 名台詞「大魔王さまのお言葉は全てに優先する……」は聞けないようだ。

 何しろ今回、大魔王は何も言っていない。バーンはラーハルトに対しては、原作ヒュンケルほどの強い興味がないらしい。

 ラーハルトは舌打ちをこぼし、次はリュンナに矛先を向けてくる。

 

「リュンナ! 貴様は――」だがすぐに考え直した。「いや、貴様にとっては、恨み冷めやらぬアルキードを落とす方が、勇者抹殺よりも優先か……」

 

 リュンナはただ肩を竦めた。

 そして再び軌道修正を図る。

 

「ちなみに、ダイ一行は今どこにいるんです?」

「パプニカ王国に向かっているようだ」

「なんと! 俺の担当地域ではないか」

 

 ラーハルトは一転、歓喜に顔を歪めた。

 

「ならば魔軍司令どの、俺がダイと戦うことに何らの異論もありますまいな? まさかせっかく追い詰めたパプニカを捨てろなどとは……」

「もちろん、そんなことは言わん。パプニカ攻略に障害が発生したなら、それを排除するのは貴様の仕事だからな」

 

 ハドラーはしれっと言った。

 熱の籠っていない声音だ。

 

「よろしい! ならば俺の槍がダイを貫くことになるだろう!

 ――ああ、様子を見て勝てそうだったら援軍を送ってくれても構わんぞ。ついた頃には全てが終わっているだろうがな……。

 方針は決まったな? では失礼する!」

 

 勝手に席を立ち背を向けて出ていくラーハルトを、誰も追わない。

 ハドラーもリュンナもミストバーンも沈黙で見送り、ザボエラのみが、

 

「混じり物の分際で……!」

 

 と毒を吐くのみ。

 やがて立ち去る足音すら聞こえなくなったころ、ハドラーが沈黙を破った。

 

「では――お手並み拝見と行こうか。『援軍』の準備をしつつな……」

 

 意地の悪い笑みだ。

 これはつまり――ラーハルトを捨て駒にする気か。

 

 ラーハルトの母は人間、父は魔族である。父は早くに死に、母は女手一つで彼を育てたが、彼が幼いころ、魔王ハドラーによる地上侵略が発生。彼が魔族の血を引くことで、彼自身ばかりか母までをも迫害された過去がある。

 ――と、人間に迫害された同士として聞く機会があった。

 そのことで彼はハドラーを恨んでおり、すると当然、ハドラーとしてもラーハルトが気に入らない。

 

 何より『人間を滅ぼす』という点でラーハルトとバーンの思惑は一致しており、対バーン戦線に取り込むのが難しい。

 この機にダイにラーハルトを始末させつつ、経験も積ませる気だろう。

 

 なおハドラーのこの態度は、表向きには――

 この機にダイにラーハルトを始末させ、弱ったダイを仕留める気だろう。或いはラーハルトが勝ったら『援軍』で殺して、ダイにやられたことにし、上前を撥ねるか。

 ――と見える。

 

 それはそれで、『魔軍司令ハドラー』として違和感は小さい。

 未だ、全ては水面下だ。

 



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63 妖魔司教ザボエラ その1

 そのまま一同で、ダイ一行と不死騎団の戦いを眺めることになる――かとも思ったが、リュンナはそこで別の話題を出した。

 ダイは不死騎団だとして、ノヴァはどうするのか。

 

「妖魔士団ではリンガイア戦士に敵わんことは証明済み。かと言って魔影軍団も、カール騎士が強力で手が放せん……」

「となると……」

「リュンナ。お前だな」

 

 墓穴を掘った。

 

「既にアルキードとベンガーナを攻めてるんですけど」

「竜騎衆にでも任せろ。行け」

 

 にべもない。

 

「まだわたし先輩のダメージから回復し切ってないんですけど」

「その上でかなりの強者だろう、お前は。ノヴァがダイほど強いワケでもあるまい」

 

 その通りだが。

 何とも部下遣いの荒いことである。

 

「お前しかおらんのだ。行ってくれ」

「はい」

 

 ハドラーの命令だから、行くのは最初から決まっている。

 

「では、そのように――」

「待つんじゃ、リュンナ」

 

 ザボエラ。

 

「リンガイア王国は、本来は我が妖魔士団の担当地域! 手柄を横取りされては堪らんわい。ハドラーさま、ワシも同行して構いませんな?」

「む……。まあいいだろう。ただ『援軍』を送る準備もしておけ、そして召集にはすぐさま応じるのだ」

「もちろん分かっておりますよ。ヒョエッヘッヘ……」

 

 何だその笑い方は。

 この妖怪ジジイは、よく鼻水を垂らすことも含めて清潔感がなく、品性もなく、どうもあまり好きになれないところがある。

 魔王軍の侵攻開始前に顔を合わせた際に、「そんなにハドラーさまが好きならワシ特製の惚れ薬を――」などと持ちかけてきたことは記憶に新しい。

 そんな冒涜的なことはしたくないと断ってもしつこくて、何とも困ったものだった。

 

「そういうことじゃて、よろしく頼むぞリュンナよ」

「仕方ないですね……」

 

 本当は嫌なのだが、ハドラーの指示とあれば仕方がない。

 そして任務をこなしつつ最終的に失敗するには、どうしたものか。いや、失敗の責任をザボエラに押し付けることができると考えれば、むしろ好都合かも知れない。

 

 リュンナにノヴァを殺す気はない――ノヴァのみではない、人死にそのものを減らすつもりだ。

 バーンに対抗するため、強者の芽をあまり摘みたくない。

 とは言え、未だ完調ではないリュンナ程度に勝てないようなら、あまり期待は出来ない。再起不能くらいにはなってもらう。

 

 ともあれ、ザボエラのルーラでリンガイア王国へと飛ぶ。

 制圧した町をそのまま前線基地として利用しているらしい。下り立った先は、元は町長の屋敷だったのだろうと思われる場所。

 共に執務室へと赴いた。

 

 まずは部下たちに現状を説明、指示を出す。

 妖魔士団をふたつに分け、一方にはダイ抹殺の援軍を編制させる。残る一方が、引き続きリンガイア攻略を担当する形。

 

「さて、リュンナにはどう動いてもらうかのお……」

「あなたの指揮なんですか」

「そりゃそうじゃろ、ワシの担当国じゃぞ。まあ安心せい、必勝の策を授けてやるわい。オヌシはその通りに戦えばいいんじゃ」

 

 ザボエラは下品に顔を歪めて笑った。

 

「あなたの策でクロコダインが負けたって聞いたんですけど」

 

 途端、老爺は忌々しげな表情。

 

「ありゃクロコダインの間抜けが指示に従わなかったからじゃ! ワシの言った通りにしておれば……!」

「まあ、そうですね」

 

 飛んでくる唾から逃げつつ、表情をピクリとも変えずに相槌を打つ。

 確かにザボエラの策は完璧だった――実行者の性格的に完遂不可能だという点を除けば。つまり、前提が破綻している。成功するハズがない。

 ザボエラには策を考える頭はあっても、策に従わせる心がないのだ。

 

「参考までに、これまではどんな感じでリンガイアを攻めてたんです?」

 

「そうじゃな……。まず、野生の魔物を集める。魔王軍に組み込まれてはいないが、バーンさまのお力で狂暴化しておる奴らじゃ。これを町にけしかける。

 そこへ我が妖魔士団の魔術師どもが颯爽と現れて助けに入る。アホな人間どもは味方と勘違いして内部へ引き入れてくれる……。人間に変装しやすい亜人タイプの魔物が多いのも、我が妖魔士団の特徴よ。

 あとは町の権力者を暗殺して混乱を招くなり、井戸に毒を放るなり、城壁の門を内側から開けて雪崩れ込むなり……。好き放題というわけじゃ」

 

「なるほど」

 

「ほかにも魔法力を調整したメダパニで敵兵を洗脳して裏切らせる、というのもあるのう。その場では何ともなかったフリをして、町の中に帰ってから内応を始めるんじゃ。

 ここで傑作なのはな、奴ら疑心暗鬼になって、呪文にかかってない奴まで味方同士で殺し始めるんじゃよ。何とも見物じゃぞ、ギョエッヘッヘ……!」

 

 何とも卑怯で汚いが、合理的である。

 こういうところは尊敬できる――妙なプライドや拘りを持たず、自軍のために最大限の成果を求める姿勢だ。

 

「よく分かりました。流石はザボエラさんです」

「安心しろと言ったワケが分かったか? では、今回は具体的にどうするか……。ノヴァめの現在地はどうじゃったかな」

 

 配下の悪魔の目玉が語り出す。

 曰く、ノヴァはオーザムを発ち、リンガイアに帰国する船旅の途中であると。

 

「なんじゃ、それなら船を沈めてしまえば――いや、良くないのう」

「生死確認が難しくなりますからね」

「うむ」

 

 殺したと思ったが健在だった――これが最も厄介である。

 何しろ殺したと思って自分は油断しているため、物凄い不意打ちを食らうことになってしまうのだ。

 

 しかもノヴァはヒャド系の使い手で、低温には耐性があろう。

 北の海に落ちて見失った結果、陸地まで漂流して生き延びてしまうかも知れない。

 

「じゃが船の上なら逃げ場がないのは確か。ルーラでは数人しか逃げられんし、まさか勇者を名乗る奴がそれを選びはせんじゃろう。

 その上で、船を沈めるのはなるべく避けて……船を止めてしまうのがいいかのう。奴らは応戦せざるを得んし、死兵化も避けられる」

 

 船底に穴が開けば、最早生きることを諦め、死なば諸共とばかりに思わぬ力を発揮して来るかも知れない。

 だが船を再び動かせば逃げられるという希望をチラつかせれば、覚悟を妨げることができるだろう。

 

「我々妖魔士団は、肉体的には脆弱……。恐らくこの作戦も力技で跳ね返されてしまうじゃろうが……」ザボエラがリュンナを一瞥し、嫌らしく笑む。「オヌシがおれば話は別よ! 期待しておるぞ」

「期待に応えましょう。ところで船を止める方法は」

「確か帆船じゃったな……航路は……」

 

 ザボエラは海図を広げた。

 

「出ていった港に帰るとすれば、航路はこうじゃな。となると、ここを通る――ここは海流が乏しいから、あとは風を止めてしまえばよい。バギ系呪文の持続的運用で可能じゃ。

 船も沈まん程度に攻撃して、焦らせてくれよう。船を守るか? バギを止めて船を動かし逃げるか……? せいぜい迷って、どちらも取りこぼせばよいわ! キィ~ッヒッヒッヒ!」

 

 この性格の悪さよ。頼りになる。頼りたくはないが。

 

「じゃあわたしは身ひとつで?」

「うーむ、いや、何かしら竜種を連れて行くんじゃ。よい威圧になるじゃろ」

「それもそうですね」

 

 こうして敵の心理は読んで誘導できるのに、なぜ味方の心理を読んで上手く乗せることができないのだろうか。

 

「さて、飛行部隊に悪魔の目玉を持たせて、位置を正確に知らんとのう。襲うべき海域に辿り着くタイミング次第じゃが、恐らく明日か明後日には作戦が決行できるハズじゃ」

「しかし、意外と卑怯さのない策にしましたね」

 

 ザボエラは心外そうな顔をした。

 

「オヌシ、ワシを卑怯者と勘違いしとりゃせんか? 卑怯な策は有効じゃし、嵌ると楽しいから使うが、最も大切なのは『成果を上げる』こと!

 卑怯な策は回りくどいことも多い……。オヌシのような特別強大な戦力がおるなら、真正面からの力攻めの方が勝率が高いこともあるんじゃよ」

 

 何だかんだ、未だにこの男を見誤っていたのだろう、

 リュンナは反省し、頭を下げた。

 

「大変失礼しました。仰る通りだと思います」

「キヒヒ。じゃろ?」

 

 更に細かいところを詰めて作戦会議は終わり、明後日――

 

 

 

 

 ――オーザムからリンガイアへと帰っていく戦士団の船を、突如の無風が襲った。

 

「急に風が止んだ……?」

「お、おい! あれを見ろ!」

 

 戦士たちが見る先には、空を飛ぶサタンパピーの群れ――そして何より、スノードラゴンの威容。

 船に向かって飛んでいる。

 

「げえっ! ドラゴン!」

「何でこんなところに……!」

「団長だ……! ノヴァ団長を狙ってるんだ! この間、魔物の軍団長を斃しただろ! 報復に来たんだ!」

 

 狼狽する戦士たちを、その当のノヴァが一喝した。

 

「落ち着けっ!! 竜種の1匹くらい、僕の敵じゃないさ。

 それより、一緒にいるのはサタンパピーだろ? メラゾーマで船を焼かれたら厄介だ。近付く前に片付けてやる……!」

「若っ!」

 

 ノヴァはトベルーラで飛び出してきた。

 使えたのか――と思うが、ルーラの応用呪文だから別におかしくはない。特に、彼ほどの実力者であれば。

 思えば原作でも、飛ぼうとするシーンはあった。重い疲労からか、飛ぶことは出来ていなかったが。

 

 飛ぶスノードラゴンの頭に乗って、リュンナは思う。

 マジャスティスと空の技で受けたダメージも、ある程度は抜けてきた。だからスノードラゴンも創造できたワケだが、この辺りで更にリハビリをさせてもらおう。

 実戦だ。

 



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64 妖魔司教ザボエラ その2

 スノードラゴンの頭にて微動だにせず直立するリュンナは、トベルーラで迫ってくるノヴァに目を向けた。

 リュンナの傍らには、同じくトベルーラのザボエラと、翼で飛ぶサタンパピーの群れ。

 

「ノヴァの奴めが来おったな……。ではリュンナ、あとはオヌシの仕事じゃ」

「ええ」

 

 バギの壁――真空によって空気の通りを遮断する無風結界を維持しながら、ザボエラはそのまま後方に留まった。

 逆にスノードラゴンは先行し、サタンパピーの群れは大半がそれに追従する形。一部はザボエラの護衛に残る。

 

 飛ぶノヴァは、既に剣を抜いていた。

 

「この『北の勇者』の首を狙ってきたか、魔王軍! 望み通りに相手をしてやる……!」

「超竜軍団長、『竜眼姫』リュンナ」

「ノヴァだ。ご存知の通りにな……!」

 

 名乗り合い、そして、リュンナは肉眼を閉じて竜眼を開いた。額、第三の目――縦に開いた眼窩、縦に割れた瞳孔。感知能力、闘気の生成及び操作能力が増大する。

 その異様に、さしものノヴァも気圧されたか。一瞬飛行速度が落ち、しかしすぐに気を取り直した。

 

「そんな虚仮脅しでっ! 喰らえマヒャドッ!!」

 

 まずは雑魚から片付けるつもりか、サタンパピーの群れを巻き込もうという広範囲の冷気を放ってきた。

 が、無駄だ。

 

「ヒャダイン」

 

 リュンナが唱えたのは、位階のひとつ落ちた冷気呪文。

 にも拘わらず、両者の氷の魔法力は互角の威勢を見せ、反発し合って相殺。冷たい爆発が巻き起こった。

 

「ううッ!? バカな……!」

 

 呪文の相殺現象による爆発は、それ自体には大した威力はない。サタンパピーの群れは分散して爆発を迂回、船に向かっていく。

 スノードラゴンも、トベルーラのリュンナをその場に残して船へ。

 

「くっ、待て……!」

 

 魔物どもを追おうと振り向きかけたノヴァが、咄嗟に首を逸らし頭を傾けた。

 そうしなければ――リュンナの素手真空斬り、鋭利な掌圧が、頭を上下ふたつに分けていただろう。頬が裂けるのみでは済まなかったハズ。

 剣を構え、睨みつけてくる。

 

「今の技――真空攻撃か? 貴様が風を止めているのか!」

「それは後ろの妖怪ジジイです」

「誰が妖怪ジジイじゃ。妖魔司教ザボエラ!! 覚えなくてもいいぞ……どうせここで死ぬんじゃからな。キッヒッヒ……!」

「その通りだ。ただし死ぬのは貴様らの方だけどな……!」

 

 ノヴァは速度を上げてザボエラへ斬りかかろうとし、しかしリュンナの吹雪の剣がその進行を遮った。

 衝突の金属音。

 

「この強度の手応え、伝説級の武器に相違あるまい。しかし我が闘気剣(オーラブレード)にッ!」

「魔氷気」

 

 ノヴァが物体剣を芯に闘気剣を形成。

 対抗して、暗黒闘気とヒャド系魔法力の合成――魔氷気を剣に纏った。オリハルコンさえ裸であれば打ち抜く威力も、こうして闘気で防げば問題はない。

 ノヴァは忌々しげに顔を歪める。

 

「ヒャド系呪文に闘気剣(オーラブレード)……! どうやらお互い似たタイプの戦士らしい!」

「かも知れませんね」

 

 魔氷気は更に吹雪の剣の秘められた冷気とすら混ざり、鍔迫り合いへと至ったノヴァの剣を侵蝕していく。

 金属は極低温の冷気により靱性を失い、急速に脆化。剣同士の接触点、力の集中するそこから蜘蛛の巣状に亀裂が広がった。

 

「ふん! 氷の闘気――というところか? 聞いたこともないが……。しかし、剣が壊れるから何だと言うんだ! 僕の闘気剣(オーラブレード)には些かの支障もない……ッ!」

 

 ノヴァは空中で後退して鍔迫り合いを外すと、闘気剣(オーラブレード)の出力を上げ、それでいて闘気の収束は緩めた。

 闘気による剣圧を飛ばす構えか。

 

「はァッ!」

 

 案の定、リュンナを薙ぎ払わん剣圧の暴威。

 しかも亀裂の入った物体剣はその一振りの負荷で砕け、無数の破片も剣圧と共に飛んでくる――刃の散弾。

 

「真空斬り」

 

 それを、一網打尽。

 ただ一振りの剣圧にて、左右に分けて除け切った。

 

「ぎょえええーーー!! リュンナ! ちゃんと防がんか!!!」

 

 ただしリュンナの斜め後方にいたザボエラは巻き込まれていた。

 非道にもサタンパピーの群れを盾にして、自分のみは無事に済んでいたが。

 しかし驚いて呪文の集中が乱れたか、バギによる無風結界が揺らいだ。風が少し蘇る。

 

 前線に出るタフネスがないのに、前線に出て来るから……。

 しかし無風結界を作れるほど器用なのは、ザボエラのみなのだ。仕方ない。

 

「よしっ! やはり奴を斃せば船は動くようだ……。リュンナだったか? 果たして守り切れるかな……!」

「本当に船は動きますか?」

「なに?」

 

 後方を指さしてやる。

 ノヴァは警戒して振り向かなかったが、しかし意識は向けたのだろう。

 その音、声を聞く。

 

「メラゾーマ!」

 

 サタンパピーどもが飛び回り火炎を放つ。

 

「火を消すんだ!」

「ヒャド! くっ、これじゃ焼け石に水……!」

「くそっ、ちょこまかと飛びやがって!」

「うわあああーっ」

 

 戦士団が苦戦する。

 そのありさま。

 

「くっ、皆を助けなくては! しかし……!」

 

 リュンナと戦えば、戦士団は全滅。

 だが戦士団を助けようと背を向ければ、ノヴァ自身がリュンナに斬られる。

 どうする?

 

 もっとも、以前憑けておいたシャドーで副官を操り、戦士団が致命的なダメージを受けないようには立ち回らせているが。

 それを知らないし気付かないノヴァは迷い、悩む。

 

「仲間を助けなくていいんですか?」

「いいワケがないッ! だが――貴様らを斃すのが先だッ!!」

 

 吹っ切ったか。どちらにせよ、迷って何もできないよりはマシだろう。

 ノヴァは先ほど後退した距離を再び詰め、リュンナに斬りかってきた。

 

「喰らえッ!!」

 

 鋭く重い剣の連撃を、刃を滑らせ受け流していく。

 その度に闘気剣(オーラブレード)は出力を上げ一撃の重さを増し、剣圧も吹き荒れる。

 それでもリュンナには届かぬが、周囲の大気は激しく掻き乱され、嵐の様相。

 

「おいリュンナ! 後ろに! 後ろにワシがいるんじゃぞ!!! うぎゃあー!!」

 

 ついでにザボエラにも流れ弾が飛ぶ。蒼い血が散った。

 

「そう言われても、わたし勇者アバンにやられた病み上がりですし……。ちょっと万全からは遠いって言いますか……」

 

 事実だ。いや、本当に。

 ザボエラもそれは承知しているのか、苦い顔で歯軋りはしても、怒りの矛先はリュンナではなくノヴァに向かう心気だった。

 

「もう我慢ならん……ッ! サタンパピーども、ワシにメラゾーマを撃てェッ!」

 

 リュンナとノヴァが切り結ぶ背景で、ザボエラが火炎を集束していく。

 一方、ノヴァは不敵に笑った。

 

「まさか病み上がりとはな……! そういうことなら好都合! 本調子になる前にノコノコやってきたことを後悔させてやるっ!!」

 

 剣を弾いて距離を取り、北の勇者は上空へと飛んだ。

 そして闘気剣(オーラブレード)の出力を最大に――闘気が巨大な十字状に光り輝く。

 そこからの、全力での急降下唐竹割り。

 

「ノーザン・グランブレードッッ!!!」

 

 実際、大した威力である。

 だが溜めが長く、動作も大きい。リュンナはその間に、既に溜めを終えていた。

 多大な魔氷気を集約した吹雪の剣を右逆手で握り、身を捻って大きく振り被り――そこから放つ薙ぎ払いで剣圧を飛ばす。

 

「ゼロストラッシュ!!」

「マホプラウス・メラゾーマッ!!」

 

 合わせてザボエラも、極大呪文めいた業火を放った。

 狡猾で合理的、作戦立案もできるのに――現場での戦術眼に劣るザボエラらしい一撃。

 

 リュンナが冷気使いなのは、彼も知っていること。ならば連携技として有効なのはヒャド系呪文であり、メラゾーマではない。

 もちろんこの場にヒャド系を使える彼の配下はいないから、マホプラウスは使えない――受けた呪文を吸収し、自分の威力を上乗せして放つ超呪文の威力でヒャド系を放つことは、できない。

 だがそれでもヒャド系を使うべきだったのだ。

 

 ゼロストラッシュ(アロー)の冷気と集束メラゾーマの熱気は、相乗どころか逆に相殺し、ノヴァの手前で爆発してしまった!

 なまじ集束メラゾーマが強力だから、ストラッシュに負けて散ることもなく、相殺のありさまなのだ。

 

「ちょっ――タイミングはズラしてくださいよ!!!」

「ワ、ワシのせい……!?」

 

 その爆発の煙を突き破って、グランブレードが降ってきた。

 慌ててカウンターを取ろうとし――間に合わない。

 

「――ッああああ!!!」

「勝った……!!」

 

 グランブレードを派手に受け、リュンナは鮮血を散らしながら吹き飛び――海に没した。

 

「な、な、な……! い、いくら病み上がりとは言え! あの『竜眼姫』リュンナが……! しかも、ワシの……ワシのせいで……!?」

 

 ザボエラが鼻水を垂らして狼狽える。

 それは仲間の足を引っ張ってしまった後悔ではなく、手柄を取りに来たハズなのに逆に失態を演じてしまったことの衝撃だろうが。

 

 ノヴァは肩で息をしながらも、不敵に笑んでザボエラを睨む。

 

「リュンナだったか……。可哀想にな、仲間が間抜けで。それで貴様はどうする……?」

「ぐ、ぐぐぐ……!」

 

 ザボエラは悩んだ。

 ノヴァは疲れてはいるが、ダメージは皆無だ。不幸な行き違いがあったとは言えリュンナを倒すような相手に、自分が勝てるワケがない。集束メラゾーマを直撃させればともかく、前衛のリュンナがいない今、溜めている間に斬られる可能性が高い。

 戦うのは危険な賭けだ。賭ける価値は大きいが……。

 そしてしかし、戦っている間にリュンナが死んだら困る。勇者を斃したが軍団長もひとり減りましたでは、功績が相殺されてしまう。しかもリュンナはハドラーの玩具だ、捨て置いて万が一があれば、どんなお咎めを受けるか……。

 

 ――といったところだろう。

 鷹の目で表情を見れば分かる。

 

「サタンパピーども、奴を足止めしろっ!!!」

 

 ザボエラは配下を捨て駒に、バギマで海を割ってリュンナを引き上げると、そのまま撤収した。

 

 彼は策士だが手柄に飢えており、意外と前線に出るタイプだ。しかし策や研究など机上での知性に優れている反動なのか、戦士としての勘には欠ける。

 だから、もしかしたらこうなるかも知れない、とは思っていた――が、本当になるとは。

 力の入らぬ身をぐったりと垂らしながら、リュンナは心中で嘆息した。

 もとからノヴァを仕留める気はなく、何かしら誤魔化すつもりだったとは言え……。

 

 戦士団の副官に憑けたシャドーで様子を窺ったところ、船を襲っていたサタンパピーやスノードラゴンはその後ノヴァに斃された。人間に死者はなく、船も修復が可能。

 彼らは無事リンガイアに帰りつくだろう。

 

 一方、ポップに憑けたシャドーもある。

 ダイたちの次の戦いだ。

 



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65 魔槍戦士ラーハルト その1

 クロコの兄貴の仇! などと叫んで攻めてきたガルダンディーなる鳥人とその乗騎のスカイドラゴンを一蹴し、追い払ったダイ一行は船旅を続け、やがてパプニカ王国近海に差し掛かった。

 

 あなたそんなところにいたの……。

 

 ともあれダイたちがそこで見たものは、何隻もの幽霊船。今にも沈みそうにボロボロなのに沈まず、不死の魔物どもが乗るそれ。海に面したパプニカ王都を、その海から攻撃している不死騎団の船の群れだった。

 

「な、なんということだ……!」

 

 目の当たりにした船長は顔面蒼白。

 一方でダイは猛る。

 

「助けなきゃ!」

「ダイ、待って! 船で近付いたら、船長や船員の人たちが危ないわ!」

「そっか……! じゃあボートを出してもらって――」

 

 そこでポップが、仲間ふたりの肩を抱く。

 

「見えてるからルーラで行けるぜ! 掴まれ!」

 

 クロコダインが王城を襲ったとき、ルーラで城まで飛べればもっと早く王を救出できたハズ――その認識がポップに習得を促したようだ。

 ダイが空裂斬を修練する間に、ポップはルーラを修練していた。

 

 船長にはロモスに引き返してもらいながら、3人はポップのルーラで幽霊船に乗り込んだ。

 骸骨や幽霊などが襲ってくるが、しぶとくて通常の攻撃ではトドメを刺すに至りにくい以外には、大したレベルの敵ではない。

 むしろダイにとっては、覚えたての空裂斬で次々に仕留めることのできるいいカモだった。動くハズのないモノを動かしている魔力の核を心眼で見付け出し、最低限の光の闘気で撃ち抜くのだ。

 

 配備されていた大砲を奪い、更に別の幽霊船を撃って沈めるなどの攻撃も織り交ぜながら、彼らは敵勢力を殲滅していった。

 幽霊船から港へと上がった敵も排除し、その末に――

 

「ダイ君!」

「レオナ! 無事で良かった!」

 

 この国の王女と小さな勇者は、再会を果たした。

 

「貴方たちのお蔭よ。私だけでも逃がそうってことになって、船に乗る直前に、それが沈められちゃって……。こうなったら戦うしかないって覚悟を決めたはいいけど、多勢に無勢で。かなりギリギリだったわ」

 

 かく言うレオナ自身こそ無傷なものの、護衛の賢者たちは実際に血を流していた。

 もちろん、彼らは晴れ晴れと笑んでいる。大切な王女を守り切ったのだから。

 だがその顔も、海の反対側を向いてすぐに険しい表情へ。

 代表するようにレオナが述べる。

 

「でもまだ戦いは終わっていないわ。魔王軍はこのパプニカ王都を完全に包囲しているのよ。これまで幾つもの町が滅ぼされて――避難してきた人々が集まっている、この王都を。

 最初からここで全てを決する戦略だったんでしょうね。今までは死者も少なかったけど、もう、そうもいかない……。どこにも逃げ場がない以上、死守するしかないわ。

 ダイ君――」

 

「任せて! レオナ!」

 

 ダイは問われる前から即答した。

 

「先生に習ったんだ。こういう『死んだのに生きてる』タイプの魔物は、親玉をやっつければ消滅するって! だから、不死騎団の軍団長をおれたちが倒す!」

「この国を救いましょう。ロモスでそうしたように……!」

「そのために来たんだしな。問題はどこにいるのかだけどよ」

 

 一行は城で指揮を執る王に合流、負傷して前線から下がってきた兵士たちから話を聞く。

 そうして軍団長と思しき存在の所在を知り、そこへ向かった。王都の北方面。

 

 出会ったのは、酷薄な笑みを浮かべ槍を携えた、軽装の魔族の男だった。スカルゴンに騎乗している。

 影の騎士や骸骨剣士の群れを蹴散らした先にて。

 

「おまえが不死騎団の軍団長か……!?」

「如何にも、骸どもを操っているのはこの俺だ。『魔槍戦士』ラーハルト……! そう言う貴様は勇者ダイだな?」

「そうだっ!」

 

 ダイは怒りに燃えながらも、素直に叫ぶ。

 

「こんなこと、今すぐやめろ!」

「やめてどうする? 俺は人間を殺したいのだ」

 

 その目には――多くの魔物や魔族が持つような、人間への侮蔑や殺戮の愉悦ではない、怒りや恨みの色が濃く浮かんでいた。

 ダイ一行も思わずゾッとするほどだ。

 

「な、何でそこまで……!」

「勇者ダイ……。聞けば貴様、怪物島で鬼面道士に育てられたそうだな」

「そうだけど……。だったら何だって言うんだ!?」

 

 問答の間、ラーハルトは動かない。一行がここに来るまではパプニカ兵士を殺戮していたが、余裕ぶっているのか、今は静止の状態。

 この隙にと、ポップは雑魚アンデッドを焼き払い、マァムはまだ生きている兵士たちにベホイミをかけて回っていく。

 ダイは、ラーハルトと相対して。

 

「俺は人間と魔族の混血でね。魔族の血を引いているからと、人間どもに迫害された――それだけなら、耐えられた。だが奴らは、同じ人間の母までをも! やがて母は弱り、病で……!

 ダイ、貴様もそうなる。今はまだいいだろう……貴様はどこからか現れた都合のいい勇者に過ぎん。だがその出身が広く知られたとき、魔物の子として貴様は必ず迫害されるぞ。人間は人間以外の存在を赦さんからな……。可哀想にな、ダイ」

 

 ダイは困惑した。

 

「そんなこと――ならないだろ! おれが会ってきたのは、みんないい人ばっかりだ! そりゃ中には、ちょっとイヤな奴もいたけど……! そいつらだっておれを迫害はして来なかった!」

 

 偽勇者のことだろうか。

 

「それは羨ましいな。で――貴様の育て親はどうかな。いやそれだけじゃない、島の『友達』どもは? 人間に攻撃されたことはないのか?」

「うっ……!」

 

 まさに偽勇者に、狂暴な魔物として討伐されかけた。

 ロモス王も、最初はそれを信じ込んでいた。

 魔物は、殺していい、殺すべき存在だ、と。

 

「それが人間というモノだ。奴らは愚かで、残酷で、生きている必要のないゴミだ」

「そんなことは……っ!」

「ならばなぜ、俺の母はあれほど苦しまねばならなかった? 食べるモノを売ってもらえず、いつもボロを着て、石を投げられ、弱った末に病に殺されるなど……!」

 

 ダイは二の句を継げない。

 人間の悪意に晒された経験が少な過ぎる。

 

「命を張ってまで、守る価値があるのか? ダイよ」

「で、でも……おれは勇者として――」

 

 迷ったままに答えを出そうとして、ダイの心に隙ができた。

 心の隙は、同時に体の隙だ。

 ラーハルトの手元から閃光――閃光としか見えぬほどの素早い突きが走り、生じた真空刃がダイを貫いた。

 

「ぐあっ……!」

「ダイッ!! テメエ、不意打ちかよ!」

 

 右上腕――腕が落ちかねないほどの深い傷を押さえて尻餅をつくダイに、ポップが駆け寄る。

 ラーハルトは嘲笑を浴びせた。

 

「ずっと真正面にいた相手に攻撃されて、不意打ちも何もなかろう。油断した方が悪い。まあ、そうなるよう隙を誘導したのは俺だが……」

「クソッ……! マァム、来てくれ!」

「分かったわ!」

 

 マァムもまたパプニカ兵を一通り助け終えて合流、ダイにベホイミをかける。

 が、傷が深い。すぐには塞がらない。

 ダイは血を流しながら、スカルゴンに乗ったラーハルトを睨みつける。

 

「誘導って……さっきの話は、嘘だったのか……っ!?」

「嘘ではない。全て本当のことだ。ゆえに人間を滅ぼすため、俺は大魔王さまに力をお貸ししているのだからな……。

 そしてその障害となる勇者のレベルを、今の一撃で計らせてもらったが――どうやら、取るに足りないようだ。魔軍司令どのは、よくこんな雑魚に手傷など受けたものよ」

 

 低く笑うラーハルトに、ポップが噛み付く。

 

「さっきから聞いてりゃ、好き放題言いやがって……! そりゃテメエのお袋は可哀想だよ。愛した息子が殺人鬼になっちまってな!」

 

「なに……?」

 

「実際に迫害してきた奴を殺すなら……それも良くねえけど、まだ分かる。でもこんな国ひとつ……! 関係ない人間まで巻き込んだら、もうテメエはただの『悪』じゃねえか! どんな事情があったって、悪いことは悪いことなんだよ!

 今世界のどこかに別の魔族ハーフがいたら、ああ、きっと迫害されるだろうぜ……。魔族ハーフのテメエがとんでもないド悪党だから、きっとこいつもそうに違いねえってな!! テメエがそいつを迫害『させる』んだ!!」

 

「貴様ッ……!」

 

 ラーハルトがいきり立つ。

 怒りは身を強張らせ、動作からキレを奪う――激情に任せて繰り出した突きの真空刃は、マァムの盾に遮られた。

 

 ロモスを救った褒美として、王から貰った鉄の盾だ。

 原作ではダイが装備していたが、この世界では『パラディン』であるマァムのモノとなったらしい。腕に嵌めて固定でき、盾と両手武器を併用できる作り。

 

「ポップの言う通りよ、ダイ! ラーハルトは恨みのあまり、悪に心を飲まれてるわ……!」

「そうだ、遠慮するこたねえ! ぶっ飛ばしちまえ!」

「ポップ、マァム……! ありがとう、おれ、戦うよ! あいつは絶対に間違ってる!」

 

 ダイが右腕の傷を押さえながらも立ち上がり――

 

「その通りだ……!」

「……」

 

 ふたりの剣士が、不死者の群れを突破して現れた。

 ひとりは長剣一本を携えた銀髪の若い男、鎧姿。

 ひとりは双刀使いか、ローブとフードと仮面と手袋で全身を隠した姿。

 

「誰だか知らんが、なかなかの啖呵だった。協力して奴を仕留めるぞ!」

「あなたはいったい……!?」

「ヒュンケル……」

 

 銀髪の剣士は、ただ、敵を睨みながら。

 

「ふたりの勇者に修行を受けた――正義の戦士だ!」

 



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66 魔槍戦士ラーハルト その2

「ヒュンケル……! また貴様か!」

 

 ラーハルトが忌々しげに吐き捨てる。

 

「こちらのセリフだ。今日こそ決着をつけるぞ……! 不死騎団長!」

 

 ポップに憑けたシャドー越しに聞きながら、感慨深い気持ちになる。

 原作でも対決したこのふたりだが、それがこういう形になるとは。

 ヒュンケルは闇に堕ちなかったのだ。改めての安堵がある。

 

「ヒュンケルさん! これまでにもあいつと戦って……!?」

「ああ、奴が町を襲う度に、何とか駆けつけてな。だが奴は素早い……! 奴の軍団を片付けて撤退させることはできても、俺はまだ一太刀も奴に当てたことがない」

「マジかよ……!」

 

 強力な助っ人が来たと思ったら、敵はより強大だったと判明する絶望感。

 それを吹き飛ばすからこその、勇者一行だ。

 

「だったら今日ここで何とかするだけだっ! あ、おれはダイです!」

 

 ダイに続いてポップとマァムも名乗り――ローブの双刀使いもまた、バルトスを名乗った。更にヒュンケルが「俺の父さんだ」と補足する。

 ラーハルトは余裕ぶってそれを眺めていた。

 

「相談は済んだか?」

「ラーハルトっ! 絶対におまえを止めてみせる!」

「ほざけ! やれ、スカルゴン!」

 

 死後も動き続ける竜の骨格、スカルゴン――肺もないのに大きく息を吸い込み、凍てつく息を吐き出した。

 しかしそれを、マァムの海鳴閃が斬り裂き防ぐ。

 

「アバン流!? お前たちも先生の弟子なのか!」

「ってことは、ヒュンケルさんも!?」

「ヒュンケルで構わん。そういうことならな……!」

 

 パーティーの防御は、パラディンであるマァムの役目。

 ならば残った者たちは攻撃だ。ダイは既に跳躍、スカルゴンに乗るラーハルトへと肉薄しようとしていた。

 

「大地斬!」

「ギラ!」

 

 一瞬迎え撃つ構えを取ったラーハルトを、ポップのギラが襲う。

 閃熱の帯が高速で迫り、しかしそれ以上にラーハルトは素早かった。その回避行動は、まるで消え去ったとしか見えぬほどの迅速。

 だがその回避が逆に、ダイの大地斬をスカルゴンに命中させた。骨が砕け散る。

 

「はっ!」

「そこだッ!」

 

 そしてヒュンケルの後ろに回り込んでいたラーハルトの突きは、ヒュンケルの剣に辛うじて防がれた。

 勇者たちが振り返れば、戦士はなんと目を閉じている。

 

「相変わらず勘のいい……!」

「肉眼に頼らず心眼で探れば、反応防御は間に合う……。こう何度も戦えばな」

「だが俺に当てることはできまい!」

 

 一瞬動きの止まったラーハルトに斬りかかったバルトスだが、それは既に残像であった。

 本体は跳躍し、

 

「かあああーッ!」

 

 連続突きで雨のような真空刃を放ってくる。

 ヒュンケルは剣で打ち払い、バルトスは当たっているのに、金属音が響きダメージになった様子がない――ローブの下に残り4本の腕があり、その刀で防いでいるのだろう。ダイたちは鎧だと思っただろうが。

 一方マァムは、最も脆いポップを庇った。盾を逸れて幾つもの刺突が霞め、血が噴き出す!

 

「マァム!」

「私のことは! それよりダイ、ごめんなさい……!」

「うわああああ!!!」

 

 ひとりが庇えるのはひとりのみ。ダイは刃の雨にあちこちを穿たれ、膝をついた。

 咄嗟に魔弾銃を抜いたマァムがベホイミ弾を撃とうとし――ポップが後ろからその手を押さえつけた。

 

「イオラ!」

「ポップ!?」

 

 あまつさえダイに向けて攻撃呪文を唱える始末。

 混乱でもしたかと焦った様子のマァムだが、次の瞬間は納得の顔になっていた。

 

「ぐああああッ!?」

 

 爆発を受けて上がった苦悶の声は、ダイではなくラーハルトのモノだ。

 刃の雨で最もダメージを受けたのがダイなら、次に狙うのはダイのハズ。まず頭数を減らすと言う戦いの鉄則からしても、ダイが魔王軍に狙われて然るべき勇者だという事情を鑑みても。

 ポップはそこまで読み、ダイに突っ込んでくるラーハルトに当たるように呪文を放った形。

 

 ラーハルトは転がり、起き上がろうとモガく。

 

「おっ、俺の素早さを……超えただと……!?」

「超えちゃいねえよ。いい感じのところにイオラを『置いた』だけさ。今だみんなッ!」

 

 ポップが叫ぶ頃には、既に戦士たちは動き始めていた。

 

「海波斬!」「海波斬……!」「海波斬ッ!」

 

 ダイ、ヒュンケル、バルトスが、アバン流最速の技で剣圧を飛ばす。

 マァムは念のために仲間を庇う構え。

 

「はァッ!!」

 

 ラーハルトは立ち上がりざまに槍を振るい、剣圧を2発まで打ち払ったが、ひとつを胴に受けた。両断には至らぬまでも、浅くはない傷だ。

 そこから更に畳みかけるべく、戦士たちが肉薄していく――

 

「――鎧化(アムド)ッ!!」

 

 ラーハルトの装備している槍――その巨大な穂先が展開、膨張伸展しながら彼の身を覆い、軽装の鎧として結実する。要した時間は一瞬。

 真っ先に飛び込んだのは、骨ゆえか身の軽いバルトスだった。だが双刀は鎧に遮られ、敵は無傷。

 

「見せてやろう。貴様らを侮っていた侘びに――俺と『鎧の魔槍』の力をなッ!」

 

 バルトスが貫かれた。

 

「バルトスさん!!! くそっ……!!」

 

 骨盤を砕かれたらしく、その場に座り込むように崩れ落ちるバルトスは、更にラーハルトの槍捌きによって投げられた。

 後に続いていたダイとヒュンケルは、それを受け止めさせられる。

 

「父さん、大丈夫か!」

「ワシは大丈夫だ! それより奴を……!」

「あの人、血が出ねえ……?」

 

 ポップがふとバルトスの違和感に気付いたが、首を振って忘れる仕草。確かに、今はそんな場合ではないだろう。

 ラーハルトが次に出現するのは――

 

「そこだッ! ギラッ!!」

 

 狙うのはバルトス、だが直接攻撃をしてはダイとヒュンケルに反撃を受ける恐れがある。だから真空刃を飛ばすだろう――その威力が弱まり過ぎない距離まで離れて。

 ポップの読みは的中し、ラーハルトはギラを無防備に受けた。

 しかし、何も起こらなかった。

 

「えっ……!?」

「無駄だ! この鎧に呪文は効かん!」

「そんなのありかよ!?」

 

 結果、ラーハルトの攻撃は止まらず。

 バルトスは寧ろダイとヒュンケルの巻き込みを防ぐべく身を挺し、ローブの内から褐色の骨の破片が散る。

 そしてそれでもなお、ダイもヒュンケルも手足を斬り裂かされる。

 特にダイの出血が激しい。

 

「ダイ! 今回復を!」

「させん!」

 

 マァムがダイへと駆け寄ろうとし、ラーハルトがそれを狙う。

 

「イオラ!」

「バカめ、呪文は効かんと――」

 

 ラーハルトは、ポップのイオラを避けなかった。

 爆発は彼の足元で起こり――

 

「うおおあッ!?」

 

 ――転倒に至った。

 イオラが地面を抉って開けた穴で、足を踏み外し躓いたのだ。

 素早さに優れる分だけ、転倒のダメージもまた大きい。

 ラーハルトは轍を作りながら、全速力の馬にでも轢かれたかのように手足を振り乱して吹き飛ぶ。

 

「敵そのものに呪文が効かないなら、敵の周りに呪文をかけろ! 先生に教わったことだぜ!」

「流石ポップ! 頼りになる!」

「先生はいい弟子を育てた……!」

 

 しかしそれは、後から振り返れば悪手だった。

 吹き飛び何度も地面でバウンドする激しい転倒はラーハルトと勇者たちの間に距離を作り、また狙いもつけづらく、すぐには追撃できなかったのだ。

 もちろん海波斬は放たれる間際だった――が、それより先に、

 

「闘魔傀儡掌!!」

 

 ラーハルトから放たれた暗黒闘気の糸が、ポップとバルトスを絡め取っていた。左右の手、それぞれ。

 原作の彼にこんな能力はないが、この世界ではミストバーンとリュンナから暗黒闘気の扱いを学んでいるのだ。

 

「なっ、何だ!? 体が動かねえ……!」

「うおおお……!!?」

 

 傀儡の糸は捕えた獲物を引き寄せ、勇者たちに対する盾とした。

 海波斬は放たれない。

 

「おのれ……おのれ、おのれ! 人間の分際で……この俺にッ! こうまでッ!」

「ラーハルト……貴様……! 戦士としての誇りはないのか!?」

 

 土まみれの魔槍戦士はゆっくりと立ち上がる。

 

「誇りだと……!? 俺から誇りを奪ったのは、貴様ら人間だろうが! あんな惨めな生活……!! 何度、俺を盾に取られ、母が殴られたか!」

 

 この世界の彼は、バランに巡り合っていない。尊敬できる主を、このラーハルトは持たないのだ。

 そのせいだろう。誇りがないのは。

 あるのはただ、怨恨のみか。

 

「空裂斬!」「虚空閃!」「空裂斬……!」

 

 ダイ、マァム、ヒュンケルが空の技を放った。

 空の技が三つ。だがラーハルトは素早い――命中したのは、ダイが放ったモノのみだった。ポップを縛る暗黒闘気がほどける。

 

「ぐええっ……!」

 

 ポップは尻から地面に落ちて呻き声を上げ、

 

「ちッ! ならばこいつだけでも貰っていくぞ! ルーラ!」

 

 バルトスは縛られたまま、飛び去るラーハルトに連れ去られた。

 

「父さんッッ!!! クソッ……!」

「バルトスさん!!」

 

 ――軍団長であるラーハルトが指揮を放棄していたせいか、不死騎団の魔物は途中から勢いを失っており、パプニカ兵によって粗方が撃破されていた。

 ダイたちも掃討戦に加わり、こうして、パプニカ王都は守られたのだ。

 しかし軍団長は健在。放置すれば、やがて再び攻めて来よう。

 

「そうなる前に、奴の本拠地に乗り込んで叩く! ダイ、ポップ、マァム、手伝ってくれるか?」

「うん!」

「おうよ!」

「ええ、バルトスさんを助けないと。それで、本拠地って……?」

 

 ヒュンケルは東に目を向けた。

 

「地底魔城。俺の故郷だ」

 



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67 リュンナ、かつてと今

 パプニカ王城内に与えられた居室で、アバンの使徒は一堂に会していた。

 最初に重々しく口を開いたのはヒュンケルだ。

 

「俺の父さん――バルトスは、『地獄の騎士』だ」

 

 魔王ハドラーの門番をしていたバルトスが、赤子のヒュンケルを拾い育てたのだ、と。

 そしてハドラーが斃れても(生きていたようだが)、リュンナの暗黒闘気で永らえているのだと。

 

「道理で攻撃を受けても血が出なくて、骨だけ飛び散るハズだぜ」

「魔物に育てられたなんて……! おれと同じだね! ブラスじいちゃんは鬼面道士なんだ」

 

 このご時世、ヒュンケルとしては、覚悟して開示したことだろう。しかしそれは、とりあえず仲間内のみとは言え、あっさりと受け容れられた。

 

「しかし、リュンナか……。ここでも名前が出るなんて……」

 

 むしろポップはそこに引っかかっていた。

 途端、ヒュンケルが身を乗り出してくる。肩を掴み揺さ振らん勢い。

 

「リュンナさまにお会いしたのか!? いつ、どこでだ!?」

「うわわっ!」

「す、すまん……!」

 

 呼吸を整え、落ち着きを取り戻す間。

 

「少し前に……デルムリン島でよ……」

 

 パプニカ王家からの依頼でダイに勇者の修行をつけるため、アバンと弟子のポップはデルムリン島に向かった。

 そこで魔王改め魔軍司令ハドラーの襲撃を受け、彼は助っ人としてリュンナを召喚。彼女はハドラーに操られ、アバンを殺した――と。

 

 憑けたシャドー越しに見聞きしているリュンナとしては、本当にごめんね、と肩を竦めるところである。

 彼らより大切なモノがあるのだ。

 

「先生を――リュンナさまが!? おのれハドラー!!」

「……」

 

 ポップは黙った。彼は疑っている――リュンナが正気であると。

 だがそれを話してどうなるのか、とも考えたのだろう。

 

「リュンナって……どんな奴なんだ……?」

 

 代わりにそう問うた。

 ヒュンケルは少し考え……

 

「リュンナさまは――そうだな、よく月に喩えられていた。その美貌と、安らかな夜を思わせる護国の暗黒闘気に(なぞら)えてな。

 俺にとっても……彼女と共に生まれて初めて見たあの月夜の美しさは、今なお忘れられん」

 

 遠くを見る目だった。

 遥か遠い過去を。

 

「立場としては、アルキード王国の第二王女であり、先生と共に魔王ハドラーを討伐した勇者のひとりだ。

 その後は父さんが彼女の騎士となったことで、俺もついでに剣を教えていただけることになり――卒業に至ると、次はアバン先生に師事して共に旅をしたので、その間のことはよくは知らない。しかし……」

 

 ヒュンケルは一度言葉を切り、用意された茶で喉を潤した。

 それは覚悟を行う意識の集中でもあったろう。

 

「彼女は父王の手により、処刑される運びになった。阻止はされたが……」

「それだ! ロカのおやっさんから大筋は聞いたけど、あの人、嫌な話だから言いたくねえっつって、ホントに言わねえんだよ。詳しく教えてくれ!」

 

 ポップが食いついた

 

「お前たちの会ったリュンナさまは、額に第三の目がなかったか?」

「ああ、あったな。不気味だった……」

 

 その素直な感想に、ヒュンケルが沈痛に目を伏せた。

 

「あれは彼女が修行で後天的に得たモノだという。だがそれを理由に魔物扱いされてしまったんだ。

 リュンナさまは抵抗せず火炙りにされ――幸いと言っていいのか、死ぬ前にハドラーに攫われた。それから10年以上……。俺も先生も、彼女を探していたのだが……」

「10年……? えっ、おれと同じくらいの歳に見えたけど……」

 

 ダイがきょとんとする。

 彼は12歳。リュンナは――外見的には13歳だ。

 ヒュンケルもきょとんとした。だがすぐに表情を引き締める。

 

「ハドラーによる何らかの呪法かも知れんな。リュンナさまの身も心も好きに操るなど……! 早くお助けしなければ! たとえあの方が、どれだけ人間を憎んでいたとしても――これ以上、罪を背負わせるワケには行かない」

 

 ふと東の方角を彼を見た。

 

「だが今はラーハルトだ。不死騎団長! 手傷は与えたが、放っておけば回復して再び攻めてくるだろう。その前に叩く!」

「バルトスさんも助けないとね!」

「……ありがとう」

 

 そして彼らは――

 

「しかし、魔物扱いで処刑か。俺、隣の国のことなのに、聞いたことなかったな」

 

「もう13年も昔のことだからな……。処刑後すぐにアバン先生がリュンナさまの潔白を説明し、それを当時の王は信じず……彼は間もなく体調を崩して、処刑反対派だったバラン王に代替わりしたのだが……」

 

「そこで何か悶着が?」

 

「いや、バラン王がリュンナさまの潔白を布告しても、国民は多くが信じなかったのだ。ハドラーに攫われたのが、裏で魔物と繋がっていた証拠だ、と言う者もいた。結局リュンナさま本人がいらっしゃらない以上、何も証明できなかった……。

 本物のリュンナさまがどこかにいると信じる者、リュンナさまを処刑してしまったと悔やむ者、恐れる者。状況は混沌として……。

 以来、アルキードはリュンナさまの話を広めぬようにし、他国も言及をやめた。バラン王に気を遣ってな……。今では自ら興味を持って調べなければ、知ることの出来ない情報になっているようだ」

 

「なるほどねえ……」

 

 眠くなってきた。

 おやすみ。

 

 

 

 

 リュンナが目を覚ますと、傍らにハドラーの姿があった。

 腕を組み、むっつりと口を引き結んで、ベッドの上のリュンナを見下ろす形。

 きょとんとして、思わず見詰め合ってしまった。

 そして数秒。

 

「……おはようございます。ハドラーさま」

「今は夜だ」

 

 確かに、窓の外が暗い。

 

「こんばんは。ハドラーさま」

「言い直せという意味ではない」

 

 では体勢の問題だろうか。ベッドに寝たままではなく、しっかり跪けと。

 身を起こそうと力を入れると、痛みが走り――そしてハドラーに肩を押さえて止められた。

 

「無理に起きるな」

「……はい」

 

 しばしの沈黙。

 次に破ったのは、ハドラー。

 

「ザボエラには罰を与えておく」

「勘弁してあげてください」

 

 リュンナが彼を放置せず、上手く誘導していれば防げたことだ。

 罪悪感に襲われた。

 

「信賞必罰だ」

「……はい」

 

 そう言われると仕方ない。

 ここは魔王軍なのだから。

 

「ごめんなさい」

「何を謝る」

「負けました」

「いい。病み上がりに期待し、あまつさえザボエラを離さなかった俺が愚かだった」

 

 淡々とハドラーが言う。

 顔も仏頂面だ。

 けれど。

 

「痛むか」

「動くと」

「動くな」

 

 ノヴァのグランブレードに袈裟懸けにされた傷は、粗方塞がっているように感じる。

 しかし如何な回復呪文でも、深い傷は治りにくい。しっかりと休息を取る必要が出る場合もある。

 例えば、今がそうだ。

 今――気遣われた、のだろうか。

 

「何か欲しいモノはあるか。喉が渇いたとか、腹が空いたとか」

 

 どう考えても気遣われている。相変わらず表情も態度も硬いが。

 リュンナは竜眼も含めて、目をぱちくりさせた。

 

 そして改めて、自分の状態をよく認識する。

 確かに渇きも飢えもある。斬られて血を失ったし、再生には栄養が要る。

 だが何より――

 

「トイレ行きたいです……」

「!?」

「正直漏れそうです」

「ま、待て……! それはどうすればいいのだ!?」

 

 おっ、やっと表情が崩れてくれた。リュンナは笑った。

 そうそう、ハドラーはそうやって鼻水を垂らしているのが似合うよ。可愛い。

 キリッとしてるのも、もちろん好きだけど。

 

 それにしても狼狽え過ぎだろう。想定が甘い。

 もともと寒い場所にいたし、その上で何時間も寝ていれば、誰だって催すモノだろう。実際に何時間寝たのかは分からないが。

 

 北の海でノヴァと戦い、意図的に敗れ、ザボエラに回収され――

 リンガイアのザボエラ基地でサタンパピーのベホイミを受けたが、呪文の位階が足りないのか治りが遅く――

 そうこうするウチに悪魔の目玉を通してハドラーから報告を求められたザボエラは、誤魔化そうとしたのを見抜かれ叱責され、ハドラー親衛隊のアークデーモンによってふたりとも鬼岩城に連れ戻され――

 ベホマスライムの呪文治療を受け、蘇生液に浸けられ――

 その間ずっと動く体力がなくて暇だったので、自己回復を促しながら、憑依シャドーを通してポップの様子を見ていたのだが、やがて眠気に負けて――

 目覚めたのが、つい先ほどだ。

 

「ええい、こうなれば誰かを呼んで……」

「間に合いそうにないんですけど」

「ならどうしろと!?」

「ハドラーさまが連れてってください」

「立てるのか?」

「無理です……」

 

 真面目に無理だ。

 グランブレードにカウンターを取ろうとしたのが不味かったらしい。少しでも防御を試みていれば、こうまでの直撃はなかっただろうに。

 痛みに耐えて動こうにも、まず上手く力が入らない。

 

「くっ……! 仕方ない!」

 

 ハドラーは布団を引き剥がすと、包帯まみれのリュンナを横抱きに抱え上げた。

 姿勢や力のかかり方が変わり、胸から腹に痛みが走る。

 

「つっ……」

「我慢しろ」

「抱き方下手ぁ……」

「うるさい……!」

 

 人を抱くことに慣れていないのだろう。むしろ抱く機会はあったのだろうか。

 左右の腕の支える位置も、高さも、バランスが非常に悪い。胴体が自然と丸まってしまい、傷が圧迫されて苦しい。

 ついでに下腹部も圧迫される。

 

「あっ……」

「えっ」

 

 魔王軍の威厳を穢すなといつも言っているだろう、と叱られてしまった。

 重傷者相手に理不尽だ。自分もよく鼻水垂らすくせに。

 

 ――けれど何だかんだ言って優しくて。

 泣きながら笑った。

 きっと、悪い記憶にはならない。

 



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68 魔法使いポップ

 ダイ、ポップ、マァム、ヒュンケル――地底魔城に乗り込むのは、4名のアバンの使徒たちである。

 パプニカ王家も戦力を提供しようとはしたのだが、レベル不足で断念となった。

 無駄な犠牲を増やすワケにはいかない。それよりも、王都防衛戦の負傷者を癒す方が建設的だろう。

 

 ラーハルトの傷が癒える前に攻め込むため、巧遅よりも拙速を採った彼らは、翌日にはもう地底魔城へと乗り込み――内部で分断された。

 不死の魔物たちを蹴散らしながら、かつてここに住んでいたというヒュンケルの案内で玉座のある地獄の間を目指していたのだが、いつの間にか仲間同士はぐれていたのだ。

 

 最初はヒュンケルが曲がった角をダイたちも追って曲がると、そこにヒュンケルがいなかった。

 ふと気付くと、シンガリを務めていたマァムがいなかった。

 事ここに至って、ならば二度とはぐれぬよう手を繋ごうとポップが手を向けた先にいたのは、ダイではなく骸骨だった。

 

「ちくしょう、いったいどうなってやがんだ……!? 何かの魔法で幻惑されてるのか――って考えてみると、実際さっきから同じ場所を延々回ってるような気も……。

 っつーか、魔物が出なくなったけど……これって確か……」

 

 アバンの教え曰く、ダンジョンで急に敵が出なくなったら――それは雑魚の供を不要とする強力な個が待ち構えている可能性が高い、と。

 ポップは警戒を強め、一歩一歩慎重に周囲を窺いながら歩いていく。

 どれほど経ったろうか。ぺたり、ぺたりと、ごく軽い足音が前方から響いてきた。

 

「まったくハドラーさまもお人が悪い……」

 

 その声は、嗄れた老爺の雰囲気。

 

「罰としてひとりで正面から戦えとはのう。そしてその相手が――キッヒッヒ、魔法使い1匹とは! 魔法に頼るしかないくせに、その魔法の力において完全にワシの下位互換! こりゃあ~カモじゃて……!! 汚名返上の機会ッ!」

「テメエは……!」

 

 闇からぬうっと現れたその顔に、ポップは見覚えがあったろう。

 ロモス城での戦いで悪魔の目玉に映っていた、クロコダインに指示を出して突っ撥ねられていた、年老いた小柄な魔族。

 彼は名乗った。

 

「妖魔士団長――妖魔司教ザボエラ!!! 幻惑の魔香気によって、お前たちを分断したのもこのワシよ……! 変化の少ないダンジョンの景色の中、ほんの少し方向感覚を狂わせてやることでのう。

 ならばあとは1匹ずつ消していくだけ……。今頃はお前の仲間たちも、ほかの軍団長やハドラーさまに襲われているワケじゃ」

「何だって……!?」

 

 ただ迷わされているのみではなかった。ここに来て、まさかの総攻撃とは……。ポップは驚愕と戦慄に襲われた。憑けたシャドー越しに、リアルタイムにその感覚が伝わってくる。

 原作ではバーンはヒュンケルを気に入って彼に勅命を与えたが、この世界ではヒュンケルは魔王軍にいない。逆にしっかりと全軍でダイを討つように命じてきたようだ。

 

 ザボエラは下品に笑った。

 

「ギョヘヘヘ、そう悲観するでないわ。お前の相手は正真正銘ワシのみじゃからな。配下の魔物を引き連れとる他と違って、一番生き残る目が高いんじゃあないかのう。

 ほれ、どうじゃ。そう聞けば勇気が出てきたか?」

 

 いつもの杖を片手に持ち、もう片手で「かかって来い」のジェスチャーをする妖魔司教は、余裕たっぷりだった。

 

 ポップはぐっと歯を食い縛り、逸る気持ちを一旦抑えた。

 いくら何でも余裕過ぎる。何か罠があるハズだ。伏兵? 幻惑の魔香気だとか言っていた――目の前にいるのも実は幻覚? 落とし穴や吊り天井など、この地底魔城そのものの仕掛けか?

 

 もちろん、悩んでいても始まらない。

 せっかく相手が余裕をかましているのだ、先制攻撃するべきだ。

 それもこの際いきなり最強の手札を出して、相手の出端を挫くのがいい。

 

「ああ……。お望み通りやってやるぜ!」

 

 ポップは全身に、立ち上る炎の渦を纏った。

 渦は左手に収束――それを右拳で打ち抜くようにして放つ!

 閃熱呪文――

 

「ベギラマッ!!」

「おおっ……!?」

 

 数ある攻撃呪文系統の中でも、伝説の呪文であるデイン系を除けば、最強はギラ系である。

 その高速の光熱を避けられる者は少なく、その攻撃力に耐えられる者も少ない。

 メラ系やイオ系と違い、撃って終わりではなく『照射し続ける』ことができるのも大きい。ただでさえ高い威力を、更に長時間浴びせることができるのだ。

 ベギラマは位階こそ中級だが、イオラやメラゾーマなどといった他系統の中級上級とは一線を画す――それこそ使い手次第では、極大呪文にも迫る威力を持つ。

 

 さしものザボエラも、ポップのベギラマには驚いたか。

 驚きに固まった表情のまま、棒立ちで閃熱を受け――

 

「マホプラウス」

 

 閃熱はザボエラを一切傷付けることなく、その身に纏わせられた。

 

「なっ……!? えっ?!」

 

 ポップは咄嗟に出力を高めて照射を続けたが、すぐに無駄だと悟って呪文を切る。

 しかしそれで、ザボエラの纏うベギラマのエネルギーは消えず、そのまま。

 

「哀れなお前に教えてやろう。これは集束呪文(マホプラウス)!! 我が身に受けた他人の呪文を吸収し、自らの魔法力を上乗せして放つことができるんじゃ。

 その意味が分かるか? ワシに――呪文攻撃は効かんということがなッ!!」

 

「ラーハルトの鎧に続いて……!! こんなんばっかりかよッ! やべえッ……!」

 

 ポップは慌てて背を向けて逃げ出した。

 ザボエラの言った通りなら、今から2発分が重なったベギラマが飛んでくるからだ。

 だが――背を向ける間際に見たザボエラの構えは、ベギラマではなかった。

 

 ザボエラは、両手を繋ぐ炎のアーチを頭上に掲げていた。正確には、片方は手ではなく杖だが。

 その杖の先端ともう片手を頭上で合わせ、炎熱を圧縮し――

 

「そして見せてやろう。魔法力に限ってならばハドラーさますら超える――このワシの極大呪文をッ!!」

 

 両手で支える形となった杖を振り下ろすと、その先端から莫大な光が迸った。

 

「ベギラゴンッッ!!!!」

 

 吸収したポップのベギラマの威力もそこに乗っている以上、ポップの呪文では相殺できない。ベギラマで相殺できるのは、同じベギラマ分の威力のみだ。ベギラゴンそのものの威力は素通りしてくる。

 

 だからポップは防ぐ選択肢を捨て、大急ぎで地底魔城の通路を駆け抜け、十字路を曲がって逃げた。

 逃げたつもりだった。

 閃熱は十字路の左右の道にも膨れ広がり、その余波のみでポップの脚を焼いた。

 

「ぎゃっ――あがあああああああ!!?!?」

 

 走るどころか立つ力すら失い、激しく転ぶ。

 直撃よりはマシだが――ただ少し寿命が延びたのみ。

 うつ伏せ状態から振り向けば、地底魔城の通路がごっそりと削り取られたように『広がって』いた。

 

 焼かれた脚を見る。黒焦げだ。

 仮にこの場を切り抜け仲間と合流できたとして――マァムのベホイミで、これは治るのか?

 まあ無理だ、ベホマ案件だろう。リュンナは経験的にそう思う。

 

「キィ~ッヒッヒッヒ! 逃げ足の速いことじゃ……。外してしまったわい。しかし――2度目はない。のう、……何じゃったか……。名前は忘れたが」

「ポップだよ、ボケ老人……!」

「おお、おお、好きなだけ囀るがよいわ。それしか能がないんじゃからなあ~」

 

 足音なく、声のみが近付いてくる。

 トベルーラだろう。自分で焼いた高音の床を歩くのを避けたか。

 一方のポップは、先日ルーラを覚えたばかりで、トベルーラはまだ使えない。

 逃げられない、ということだ。

 

 十字路の角の向こうから、ザボエラが姿を現した。

 

「さて、あとはトドメを刺すだけじゃが……。先に撃たせてやろう」

「なに……!?」

「マホプラウスも完全無欠ではない。ワシ自身が使えぬ呪文は吸収できん……。そら、先に撃たせてやる。ワシの使えぬ呪文を、自分が使えると思うならのう!!」

 

 ザボエラの意図は明白だ。

 そもそもポップに使えてザボエラに使えない呪文などほぼない。破れかぶれの攻撃を吸収し、増大した威力で確実なトドメを刺す気だろう。

 もうひとつ、甚振って弄ぶ、というのもあるだろうが。

 ポップは――

 

「ひっ……! い、いやだ、来るな! 来るんじゃねえ~!!」

 

 錯乱した様子で、這って逃げ始めた。

 

「ヒョヘヘ、もう心が折れたか? 人間は身も心も脆いのう~。ほれほれ」

 

 ザボエラはじりじりと近付き、その度にポップは下がる。

 それを楽しそうにゆっくりと追いかけるザボエラだったが、すぐに飽きたようだ。その手に火炎を宿し――

 

「やれやれ、先に撃ちたくないなら仕方ない。普通に殺してやるわい」

「いや! 先に撃たせてもらう――」

 

 ポップの目は、直前の醜態が嘘のように、死んではいなかった。

 同時にザボエラの足元が五芒星の光が立ち上る。

 

「なッ……!? いつの間に!?」

 

 ベギラゴンを受けて激しく転倒した際に、手にするマジカルブースターの魔宝石が砕けていたのだ。その破片を繋ぎ、五芒星を描いた。

 恐れたフリで下がったのは、その位置までザボエラに来てもらうためだ。

 

 賭けだったが――それを咄嗟に思いつき、咄嗟に実行できる、この度胸よ。

 ポップに使えてザボエラには使えない、数少ない例外の呪文を。

 

「邪なる威力よ……退け……!! マホカトール!!」

 

 光は更に激しさを増し、ザボエラを包む。

 



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69 勇気

 そして聖なる結界が形成され、ザボエラを閉じ込めた。

 ザボエラは――

 

「ぐ、おおお……! この手の呪文は賢者しか使えんハズが!? 吐き気がする……!」

 

 苦しんでいた。苦しんではいたが、その程度だった。

 アバンのマホカトール結界に難なく出入りする妖魔司教である。小さい分だけ密度は上がっているとは言え、ポップ程度の結界に彼を祓う威力はなかった。

 ザボエラは結界をすり抜けようと魔法力を込める。脱出に10秒はかからないだろう。

 

「ふん! なるほど意表を突かれたが、何の意味もないわ……! すぐに殺してやる!」

 

 その間にポップがしたことは、第一に、魔法の聖水を飲むこと。

 本来使えない呪文を、魔宝石を触媒にし、全魔法力を込めることで何とか成功させたのだ。パプニカ王家からの支援物資を、今こそ使うとき。

 そして第二に、その回復した魔法力で、呪文を唱えること。

 

「ベギラマァー!!」

「バカめ! マホプラウス!」

 

 閃熱の帯は吸収され――なかった。

 ザボエラを飲み込む。

 

「あっ……? うぎゃああああ~~~!!!??」

 

 結界の中で彼は焼かれてのたうち回り、その度に結界壁に頭を手足をぶつける鈍い音が響く。

 

「マホカトールはテメエを封じるためのモノじゃねえ……! 『杖』だ! その杖で魔力を増幅してるんだろ!? 魔力が下がれば、高度な呪文は使えねえと踏んだぜ!」

 

 あまつさえ閃熱は特に杖を持つ腕に威力を集中、その腕を遂に焼き切って、杖をザボエラから引き剥がした。

 破邪結界で機能が下がっていた杖とは言え、それを失ったザボエラは更に決定的に魔力が低下。結界をすり抜ける魔法のためには、更なる集中が必要となる。

 つまり、結界からなかなか出られない。狭い結界の中、ベギラマから逃れられる場所はない。焼かれ、更に魔法への集中力が低下する。

 

 まさかの反撃を受けた驚愕からも立ち直っていないのに、戦士勘のないザボエラに冷静な立ち回りはできなかった。

 ポップの魔法力が切れ、ベギラマが途切れるまで、ザボエラはただ焼かれ続けたのだ。

 

「ぐ、うぐぐ……! に、人間の魔法使いごときが……バカな……!」

 

 杖を握ったままの左腕を落とされ、這い蹲って焦げ臭さを漂わせながら、それでもザボエラは生きていた。

 魔法の聖水は貴重なモノだ、ましてや戦時中のパプニカである。ポップにはもう予備はない。

 

「ヘッ! そうやって他人を見下してるから、足掬われんだよ……!」

「それでも――ヒョヘヘ、ワシの勝ちじゃ……! お前にもう魔法力はないが、ワシにはまだあるんじゃからな……!」

 

 ザボエラはマホカトール結界から這い出ていく。まずは伸ばした右手のみが外に出て、そして、今はそれで充分だろう。

 

「焼け死ねィ! メラゾーマ!!」

「くっ……!!」

 

 動かない脚を引き摺って、ポップは避けようとした。間に合うハズもない。

 ポップひとりなら、だ。

 

「――獣王痛恨撃!!!!」

 

 凝縮された竜巻めいた闘気流の渦が、ザボエラを後ろから襲った。

 それはザボエラを掻き回し、吹き飛ばし、メラゾーマを散らし――その向こうのポップに届く頃には渦が弱まり突風程度に落ちる、調整された威力。

 

「うぐえッ!!」

 

 ザボエラは天井に叩きつけられ、床にべしゃりと落ちた。

 その度に骨の折れる乾いた音が混じる。

 

「こ、……この技は……!!」

「テメエはッ――!」

「俺だッ!!」

 

 鰐めいた巨躯のリザードマン、『獣王』クロコダインが歩いてくる。再生された真空の斧と新品の鎧を装備した姿。両腕も復活している。

 蘇生液の水槽から脱走したと聞いていたが、やはりここに現れるのか。

 

「ど、どういうつもりじゃあっ……!! クロコダインッ! 獲物を横取りしようというのか!?」

「いかにも」

 

 クロコダインは真空の斧を振り上げ、

 

「――ただしポップの獲物をだ!!」

 

 ザボエラに振り下ろした。

 圧力の衝撃余波のみで床が砕け散る威力、その場にクレーターができる。

 瓦礫から頭を庇ったポップが再び見る頃には、煙は晴れ、そこにはクロコダインしかいなかった。

 ザボエラは影も形もない――落ちた腕や杖までも。

 ただ蒼い血痕のみ。

 

「逃げたか……」

「ク、クロコダイン……! 生きてやがったのか!」

 

 ポップは戸惑いながらも身構える。

 立つこともできず魔法力もない今、しかしそれでも闘志を失っていない。

 本当に強くなってしまったモノだ。眩しいほどに。

 一方、クロコダインは斧を引く。そこに殺気は最早ない。

 

「魔王軍に蘇生されてな。ダンジョンを利用してお前たちを分断し、各個撃破すると聞いて――いても立ってもいられなかった」

「……?」

 

 獣王の様子に、ポップは訝しみ、警戒を維持できない様子。

 見ていれば、クロコダインは懐から道具袋を取り出し、ポップに投げてきた。

 

「薬草だ。使え」

「お、おう……」

 

 ポップが薬草を食べる。素早い滋養強壮、自然治癒促進、免疫力向上などの効能があるのだ。

 一方でクロコダインはその場に座った。手を伸ばしてもポップには届かない距離だ。攻撃する意思のないことの表れか。

 

「どうして……俺を……?」

「あのとき、お前はたったひとりで立ち向かってきた」

 

 クロコダインは滑らかに語る。

 

「そこに『勇気』を見た。俺にはなかったモノだ。失わせてはならないと思った」

「アンタに勇気がないって……とてもそうは見えねえけど」

 

 獣王の名に相応しいだけの威容と貫禄が、クロコダインには確かにある。

 少なくともポップはそう感じている。

 

「俺にあるのは力だけなのだ。だから自分より弱い相手とは落ち着いて戦えるが、それはダメージを受ければすぐに揺らいでしまう、仮初の自信に過ぎなかった。真の自信とは、誇りとは、誰が相手でも揺るがないモノだろうにな……。

 その点、お前の勇気は、誰が相手でも揺るがないのだろう。実際、さっきのザボエラ相手にもな……。本物だ」

 

 ポップは苦笑した。

 笑えるくらいには、気力が戻ってきたようだ。

 

「クロコダイン……。よしてくれよ。俺はただ、大切な人が死ぬのが怖いだけなんだ。自分が死ぬことより、俺が死んで仲間が泣くことが……嫌なだけなんだ……」

「それを勇気と呼ぶのではないのか?」

「……。かもな……」

 

 しばしの沈黙。

 ただ薬草を齧る音がもそもそと響く。

 やがて。

 

「魔王軍――裏切っちまったのかよ」

「ああ。俺はお前のために戦いたい。俺に勇気を教えてくれたお前のために……! 人間など取るに足らん存在だと思っていた俺の目を覚まさせてくれた、お前のために。

 そのためならば、今度こそ生命を失おうとも後悔はない!」

 

 クロコダインは力強く言い切った。

 晴れ晴れとした顔だ。両目に光がある。

 

「それに戦士の誇りとは、誰を倒すかより、何を守るからしいからな。勇者を守るのだ、これほど誇らしいことはあるまい」

「そうか……。そういうことなら、一緒にダイの奴を支えてやろうぜ! あいつは地上の希望だ」

「うん? グフフッ、そうだな……。そうしよう」

 

 クロコダインの言った『勇者』は、ダイではなくポップのことなのだろう。

 

 ところで百獣魔団長としてロモス人を殺してきたことは追及しなくていいのか、とリュンナとしては思うのだが、無粋だろうか。追及したところで、これからの戦功で補うという形に収まるだろうが。

 加えてロカがロモスを守っていたため、恐らく原作の歴史よりも死者は少ないのではないか、とも考えられる。

 

 それにしても良かった――クロコダインがしっかりと復活するよう、蘇生液の改良をしておいて。

 バーン軍の侵攻開始までの間に、ザボエラと共同で研究していたのだ。結果的に、リュンナの竜の血を加工して混ぜることで、蘇生率の大幅な向上に繋げることができた。

 ダイたちとの戦闘で失った両腕もこの通りだ。

 

 ――と、不意に轟音と震動がふたりを襲った。

 

「こ、この揺れは……!?」

「他の軍団長との戦いだろう。誰かが大技を……! 行くぞポップ!」

 

 クロコダインはポップを肩に担ぐと、震源地へと走り出した。

 



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70 合流

「マァム!」

「ポップ! ――ってクロコダイン!?」

 

 クロコダインに担がれたポップが合流したのはマァムだった。

 彼女は警戒心より驚きが勝っているようで、ポカンとしている。

 

「大丈夫だ、味方になってくれたんだよ。俺もさっき助けられてさ。そっちは――」

 

 マァムの周囲には、無数の鎧兵士の残骸が転がっていた。

 空気もどこか瘴気めいて気分が悪い。これはスモーク系の残骸だろうか。

 クロコダインが唸る。

 

「魔影軍団か。ならば戦っていたのは、魔影参謀ミストバーン」

「そういう名前だったのね……。全然喋らなくて戸惑ったわ」

「ああ、それなら間違いなくミストバーンだ」

 

 とにかく無口な男なのだ。

 

「ミスト『バーン』って……。何だそれ、大魔王が確かバーンだろ? 何か関係があるのかよ」

「俺も詳しいことは知らん。バーンの影の代理人だなどと、噂があるのみだ」

「得体が知れないわね……」

 

 原作知識では意外と激情家で熱い性格をしているのだが、リュンナ自身は未だ彼の声を聞いたことすらない。6大団長集結の巻でも、例の名台詞はなかった。

 

「で、そいつっぽい姿がないってことは……。やっつけたのか? マァム」

「いいえ、ひたすら手下をけしかけてきて……気が付いたらいなくなってたの」

「奴は読めんところがあるからな……」

 

 むしろ大半が読めないだろう、普通に付き合っている限りでは。

 原作知識を元にするなら、所詮魔王軍はバーンの壮大な戯れに過ぎず、ミストとしては威力偵察くらいの気持ちだったのだろう。どうせいつでも滅ぼせる、と。

 或いは主の戯れだからこそ、『遊び相手』であるダイ一行を自ら削るのは憚られたのかも知れない。

 

 ともあれ――

 

「ところで、ちょっと待てよ……。俺たち凄い揺れを感じてこっちに来たんだけど、なんかそれっぽい攻撃跡がないよな? ここ」

「それなら私も感じたわ。向こうよ」

「じゃあダイかヒュンケルがあっちに! 行こうぜ!」

「この際だ、マァムも俺に乗れ」

 

 クロコダインは左右の肩にそれぞれポップとマァムを乗せると、鎧兵士の残骸を踏み潰して猛然と走り出した。

 彼は巨体ゆえに歩幅が広く体力もあり、小回りでは人間の戦士に劣るものの、長距離を素早く移動するには向いているのだ。

 

 不死騎団のアンデッドどもを蹴散らしながら進むと、再び轟音が聞こえてきた。

 何かの燃える焦げ臭さもある――が、火薬や油の匂いはない。炎熱系の呪文だろう。

 

 進む先に見えた光へと飛び込むと、そこは地底魔城の屋外闘技場であった。

 かつて魔王ハドラーが捕えた人間を魔物と戦わせ、その死闘に酔い痴れたという場所。

 

 そこにいたのは、

 

「ベギラゴンッッ!!!」

「アバンストラッシュ!!!」

 

 魔軍司令ハドラーと、勇者ダイ。

 両者が持ち得る最強の攻撃手段をぶつけ合う、まさにその瞬間だった。

 ついでと言っては何だが、ハドラー親衛隊のアークデーモンどもの骸が周囲に転がるありさま。

 

 デルムリン島での戦いと比べると、両者ともレベルは上がっている。ハドラーはバーンから新たな肉体をもらい、ダイはクロコダインやラーハルトとの戦いを経験して。

 その上で(ドラゴン)の紋章が上乗せされている――ハドラーに勝ち目はなかったか。

 

 ダイの振るう剣圧が閃熱を割り、ハドラー本人をも穿つ。

 (アロー)タイプで良かった。(ブレイク)タイプであれば両断されていたかも知れない。

 それでもなお深手。ハドラーは胸から滂沱の血を流しながら、がっくりと膝をついた。

 

「バカな……! バカな、バカな! なぜ俺が、こんな、こんなガキに……!」

「観念しろハドラー! アバン先生の仇……!」

 

 ダイは油断なく剣を構え直した。

 そこへポップたちが寄っていく。

 

「おーい! ダイ!」

「ポップ、マァム! それにクロコダイン……!? 無事だったんだね!」

 

 ここでクロコダインについては「なぜここに」と思うのみで、無事だったことは素直に喜んでいるのが、ダイのダイたるところだろう。

 一方でハドラーは、あんぐりと口を開けて驚愕していた。

 

「ク、クロコダイン!? どういうことだ! その様子は――勇者どもの軍門に下ったというのかッ!?」

「俺を捨て置かず蘇生してくれたことには感謝している……。だが俺は考え直したのだ! 人間も捨てたモノではないと……!」

「う、裏切り者……!!!」

 

 ハドラーが拳を振り下ろし、地に亀裂が走る。万全なら打ち砕けたろうに。

 主に裏切られ、部下にも裏切られたのだ。

 酷過ぎる。

 

「貴様はその忠誠心を見込んで……! この俺がッ! それを、それを……! それに、ザボエラとミストバーンは……! 奴らも失敗を!?」

 

 魔軍司令がその赫怒を原動力に、再び立ち上がろうとする。

 が、重傷と疲労がそれを赦さない。

 

 クロコダインが真空の斧を、その肩から降りたマァムがハンマースピアを構える。

 反対側の肩にいるポップは、既に魔法力が尽きているため動かないが。

 

「もう何も心配は要らんよ、魔軍司令どの。貴方はここで終わる……!」

「覚悟しろっ! ハドラー!」

 

 ダイが剣を振り上げた。

 

「ライデイン!!」

 

 晴天の霹靂。稲妻が剣に落ち、持ち主へと通電せずにそのまま剣に留まる奇怪。

 剣を介して、雷の魔法力と竜闘気(ドラゴニックオーラ)が合成されていく。

 

「ダイ!? 何だその技……!?」

「魔法剣! さっき思いついた!」

「さっき思いついたァ!?」

 

 地底魔城に来るまでに聞いていた会話によると、ライデインは本来、鎧の魔槍を持つラーハルトへの対策として習得したそうだ。

 しかしそれが今、ここで新たな必殺技として結実していた。

 原作で言うヒュンケル編やフレイザード編に当たる今、やはりこの世は運命に導かれているのか……? だが、緩い運命だ。必ず覆せる。

 

「あ、ああ……あううう……!!」

 

 ハドラーが漏らす絶望の声も、すぐに。

 

「ライデインストラッーーーッシュ!!!」

 

 心技体を一致した上でライデインオーラを纏う剣の一撃は、それはまさしく凄まじい。

 しかも今回は(ブレイク)タイプだ、ダイは直接ハドラーにトドメを刺そうと懐に飛び込んで――

 

「ブラッディースクライド!!!」

 

 槍から放たれる螺旋状衝撃波の刺突を横合いから受け、軸をブラされた。

 

「ううッ!!」

「ダイッ……!?」

 

 逸れたライデインオーラの剣圧が、ハドラーの向こうの観客席を吹き飛ばした。

 更に自ら放った刺突を追うように踏み込んできた影が、槍の薙ぎ払いでダイを打つ。

 ダイは威力に逆らわず受け流し、後退した。

 

「誰だっ!?」

「き、貴様……」

 

 それはオークキング――青い毛皮の猪獣人だった。ただし腕が四本あり、両手用と思しき長槍を2本持つ。クロコダインにも匹敵せんばかりの巨躯。

 猪はハドラーを背に庇い、彼に回復呪文をかけ始めた。

 

「ベホマ」

「リ……リバスト……!!」

 

 ハドラーが呻く。

 一方、クロコダインは警戒を強めた。

 

「リバストか……」

「知ってるのかよ、クロコダインのおっさん!」

 

 ポップがおっさん呼ばわりをし始めた。

 好き。

 

「超竜軍団長リュンナの配下だ。魔王軍そのものではなくリュンナ個人に忠誠を誓っていて、我々軍団長と同等の力を持つと聞く『竜騎衆』のひとり……」

「あんなのが、まだもっといるってのか……!? 不意打ちとは言えダイの必殺技を外したみたいな奴が!」

 

 必殺技の連発にダイが疲労し、紋章の輝きが消えていく。

 察知したポップに肩を叩かれて、クロコダインは少年勇者の前に出た。それを見てマァムも倣う。

 

 一方、リバストも身構えてはいるものの、攻撃はしない。

 

「少々遅れたが……。我が姫は、自分も援軍を送ると言って聞かぬでな。こうして俺が遣わされた。戻るぞ、ハドラーどの」

「も、戻るだと……!! このままおめおめと、か!?」

「そうだ」

 

 即答。

 

「我が姫はハドラーどのの死を望まぬ」

 

 たとえすぐに蘇るとしても。

 たとえそうして蘇った方が強くなるとしても。

 あなたが死ぬのは、イヤだ。

 

「わ……分かった」

 

 ハドラーが頷くと、リバストは彼を抱え、フッとその場から消えた。

 リリルーラだ。鬼岩城へ。

 

 ダイたちは、構えを解いた。

 そして傷を確かめ回復を行いながら、情報を交換していく。

 

 この闘技場がハドラーが見て愉しむためのモノである以上、ここから玉座の間は近いハズ。

 そう考えて探ったところ、案の定、道を発見。

 恐らくそこにラーハルトとヒュンケルがいるだろうと一行は進み――

 

「ブラッディースクライドッッ!!!」

 

 ヒュンケルがバルトスを打ち砕く場面を、見た。

 



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71 リュンナとハドラー その2

 しかし、どうでもいい。

 バルトスも、ヒュンケルも、ラーハルトも、今はどうだっていい。

 ダイもポップもマァムもクロコダインも、好きにしてくれていい。

 

 ハドラーは鬼岩城の玉座に座していた。

 この場所には、魔族特有の再生能力を増幅する作用がある――デルムリン島での戦いを終えた後に両腕を生やしたあれだ。

 リバストによって鬼岩城に帰った彼は、ベホマを続けようとする猪の手を振り払ってここまで来たらしい。

 

「ハドラーさま」

「リュンナ……! もう動き回れるのか」

 

 既に手厚い治療を受けたあとのリュンナより、今まさに戦いから帰ったばかりの自分の方が重傷だろうに。

 胸の奥が喜びに震えるのを感じた。

 それと同時に――今のハドラーはそんなに弱っているのか、という悲しみを。

 

「はい、もう大丈夫です。ご心配をおかけしました」

 

 腰を折って頭を下げた。

 

 頭を上げ、近付いていく。

 拒むように、ハドラーは言う。

 

「何をしに来た」

「治癒のお手伝いを」

 

 ハドラーの傷は大小さまざま、特に大きいのはストラッシュで受けた胸の傷だ。いつかのデルムリン島で受けたそれよりも、更に深い。

 そして治癒が遅い。

 玉座の再生機能は正常に稼働しているのに、こうして見ていて、遅々として傷が塞がらない。

 

「要らん。既に貴様のペットからベホマを受けたわ」

「足りません」

 

 そう、足りていない。竜眼で見て分かる。

 暗黒闘気と同じく竜闘気(ドラゴニックオーラ)も、相手の呪文治療を阻害することがあるのだ。呪文のみでなく、魔族の再生能力でもそれは同じらしい。

 ダイの闘気が、ハドラーの傷に滞っている。

 だからリュンナは指を差し向けた。

 

 リュンナの指から凍てつく波動が迸る。

 ハドラーの傷から残留闘気が消え去った。

 

 すると目に見えるほどの速さで、治癒が進んでいく。

 ホッとした。

 

「ぬ……」

 

 ハドラーは顔を歪め、治癒に身を任せる。

 何か言いたそうな、言いたくなさそうな、複雑な顔。

 

 そうして間もなく治癒が完了し、ハドラーは席を立つ。

 戦闘で破損したマントに代わり、同じデザインの新しいモノが傍らに既に用意されていた――リュンナは甲斐甲斐しく、それを彼に纏わせた。

 

「お疲れさまでした。ハドラーさま」

「皮肉か」

「まさか」

 

 まさかだ。心からの労いである。

 アバンの使徒の成長は速過ぎる――ほんの少しの戦いで、本当に見違えるほどに。

 あまつさえリュンナの存在が直接的・間接的に作用し、原作の同時期より全体的にレベルが上がっているのだ。

 そこに喰らいついていくのは、とても大変だったろう。

 

「しかし、考え直してはもらえたでしょうか」

「あの話か……。だがそれでは、俺が貴様の部下ではないか! 冗談ではない」

 

 バーンは死に、ハドラーは生き残る。それがベスト。

 そのために超魔ハドラーの戦闘力は欲しいが、寿命を縮めてほしくはない。

 そこで代替案として、竜眼の力で彼を進化させることを考えたのだ。ベルベルやリバストにそうしたように。

 断られてしまったが。

 

「わたしの力はあなたの力。あなたの心が、わたしの心です。部下などと」

「俺の心に従うと言うのなら、その話は二度とするな!」

「……はい」

 

 運命は変えられても、人の心を変えることの方がずっと難しい。

 俯き――視界の外から、頭に手を乗せられた。ハッと顔を上げる。

 ハドラー。

 彼はすぐに手を放して、舌打ちしながら目を逸らしてしまった。

 

「……見たか」

「何をでしょう」

「ダイの力をだ」

「はい」

 

 リュンナは眷属の感覚を共有できると、ハドラーは知っている。特に竜騎衆ほどの側近眷属となれば、暗黒闘気の繋がりはより強い。リバストの見たモノは、リュンナの見たモノなのだ。

 紋章を輝かせライデインストラッシュを繰り出すダイの姿を、そこからハドラーを救ったリバストは見ていた。

 

「凄まじい力だ。打倒するか、取り込むか……。どちらだとしても、本当に可能なのか?」

「彼の精神性は勇者として理想的です。取り込みは難しいかも知れません」

 

 取り込めようが取り込めまいが、どの道、成長したらバーンとは戦ってもらう。

 リュンナとしては何れでも構わない。

 

「まるで打倒なら出来るような口ぶりだな」

「はい」

 

 ハドラーが歩き出す。

 玉座の後ろにあるバーンのシンボルに、魔法力の残り香がある。報告は既に終えたのだろう。

 ならば向かう先は私室か、司令室か。

 傍らの傍らを歩いていく。

 

「ふん……。俺を一蹴した奴に、お前は勝てるのか」

 

 その言葉には、悲しみと絶望の色が湛えられている気がした。

 しかし謝ることは、なおも侮辱だろう。

 リュンナは目を伏せた。

 

「取り込むとしても、上下関係を決めるために一度は打倒する必要はありますし」

「具体的にはどうする」

「ダイにはちょっとした地獄を味わってもらいましょう。人間からの拒絶……悪意……。頼りにならない実の両親。ウチに靡くようにね」

 

 ハドラーは肩を竦めた。

 具体的ではないな、と思ったのかも知れない。

 

「上手く行くか?」

「行かなくても、勇者への精神ダメージにはなるでしょう」

「フッ……」

 

 遂に声を出して笑った。

 訝しんで見上げる。

 

「見通しが甘いですかね?」

「何のために取り込む? 魔王軍の勝利と栄光のためか? 人間への復讐のためか?」

 

 質問に質問で返されてしまった。

 しかもよく分からないことを。

 首を捻る。

 

「ハドラーさまのためですよ。全てはね」

 

 ハドラーのため。

 ハドラーのためと思う、己のため。

 

「そうか」

 

 何だか機嫌が良さそうだ。

 

 やがて司令室に辿り着くと、既にザボエラとミストバーンがいて、悪魔の目玉が映す地底魔城の光景を眺めていた。

 ハドラーが重々しい声を出す。

 

「貴様ら……。まさかひとりも仕留められんとは」

「そう仰るハドラーさまこそ……!!」

 

 正論を言い募ろうとしたザボエラは、一睨みで黙らされた。

 ミストバーンは我関せずのありさまで、悪魔の目玉が壁に光景を投影している大画面にばかり目を向けていた。

 

 無口どころか完全に無視だ。

 しかしハドラーは慣れ切っているのか、特にそれを咎める様子はない。

 

 画面の中でダイが言う。

 

「おれは、おれは自分の両親って知らないけど……! おまえは知ってるんだろ! 母さんは人間だったんだろ!? なのに人間を憎むって、そんなのおかしいじゃないかっ!! おまえの母さんだって人間なのに!!」

「母を……あんな薄汚いゴミどもと一緒にするな……!」

 

 ラーハルトは既に倒れていた。満身創痍。

 

「一緒にするも何も、どっちも同じ人間だっ!! ただ、人間にもいい奴と悪い奴がいて、それはちゃんと見極めなきゃいけないんだ」

「いい人間などいないッ!!」

「おまえの母さんは悪い人間だったのか!? 違うだろ!」

「うっ、……ぐうう……!!!」

 

 どれだけ悔しげに歯軋りしたところで、事実は変わらない。

 ラーハルトが最早復讐心ですらない個人的な怨恨で、全く無関係の人間を大量に巻き込み傷付けた、ただの悪党だという事実は。

 ちょうど、原作バランのように。

 あるいは、今のわたしのようにか? 怨恨でこそないが。

 

「だが俺は……俺は母の仇を……!」

「今度はおまえが誰かの母さんの仇になってるんだぞ! もうやめようよ!」

 

 ふと、ヒュンケルがダイの肩に手を置く。

 

「無駄だ。この男は既に魔道に堕ちている。リュンナさまから教わった暗黒の技を、悪事に用いてきた……!」

 

 ラーハルトに暗黒闘気を植え付けたのはミストバーンだが、その扱いを教えることはリュンナも手伝ったのだ。

 主に武器に乗せて攻撃の瞬間に爆発させる技術や、眷属を作り操る技術だとかを。

 

「そして我が父バルトスをも操った! 俺は父さんと約束していた――魔物として操られてしまうことがあれば、そのときは……俺が止めると……!!」

 

 握り拳に、血が滲んでいる。

 バルトスのことは、ずっと放置していた。確かにリュンナの眷属だが、ベルベルやリバストとは立場が違う。人間の子を持つ彼は、魔王軍で人間を傷付けることを良しとはしないだろうから。

 ヒュンケルもそうだ。せっかく闇堕ちせずに済んだのだから、そのまま光の道を進んでほしい。その方が本人も心安らかだろう。

 

「引導を――渡さねばならんッ!!」

 

 ヒュンケルの全身から暗黒闘気が噴き出した。

 ……あれっ?

 

「俺だって人間は憎いッ!! アルキード王国はリュンナさまを……散々守られておきながら……!! だがそのために、かの国を滅ぼしたり、ましてや人間全体を巻き込んだりしようなどとは思わん。それはどうしようもなく悪ゆえに……。リュンナさまとて、本当はそうお考えのハズだ!

 お前はその一線を越えたんだ、ラーハルト。同じリュンナさまから教わった技で……今、楽にしてやる……!」

 

 右手で持った剣を引き、左手を切先に沿わせ照準を合わせる構え。

 この世界では、槍使いのリバストと協力してリュンナが編み出した技なのだ。

 

「ヒュンケル……っ!」

「止めてやるなよ、ダイ。本当に……どうしようもねえ奴ってのは、この世にいるんだ! そして何かの事情がひとつ違うだけで、誰だってそうなる可能性がある……! 俺もあの時デルムリン島で吹っ切れなきゃ、ずっと勇気を持てずに逃げっ放しだっただろうしな……」

 

 ポップが目を伏せて述べる。

 原作ではクロコダイン戦で成長していたし、言うほど卑下する必要はないと思うが。

 ともあれダイは、納得できない表情を浮かべながらも、理解を示していた。止めない。

 

 暗黒闘気を噴き出すヒュンケルは、更に光の闘気をも同時に纏う。

 光と闇が螺旋状に入り混じり――

 

「ブラッディースクライドッッ!!!」

 

 螺旋はそのまま刺突剣圧と化し、ラーハルトを貫いた。

 光と闇の爆発が、全てを飲み込むように巻き起こる。

 



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72 リュンナとハドラー その3

 まさかヒュンケルが、光と闇の闘気を併用するとは思わなかった。

 しかもそれがどっちつかずの中途半端ではない。光は闇の誘惑に負けまいと己を強く律し、闇は光の潔癖さに唾棄しより燃え上がる。そしてそのどちらもが、ヒュンケル自身の素直な本音なのだ。

 だから強い。

 

 両者は強く混じりながらも反発して、大爆発を起こし――お蔭でその爆煙に紛れて、気付かれて警戒されることなくリバストがラーハルトを回収できる。

 些細なことだが、それ自体は嬉しい誤算と言えた。

 もっともスクライドそのものは直撃しているため、数分以内に死ぬようなボロ雑巾のありさまだが。

 

「ラーハルトは蘇生液に浸からせておきます」

「ふん、半端に生き残りおって……!」

 

 彼を嫌うハドラーは吐き捨てるように言うが、リュンナに捨て置くよう指示は出さない。

 役立たずは処刑しろと言うなら、今回は全員が役立たずだったせいもあるだろうが。

 

 ザボエラとミストバーンが去っていく。

 ハドラーも去ろうとしたが、リュンナが未だ悪魔の目玉の映す画面を眺めていることに気付いたせいか、足を止める。

 

「どうした」

「あれを」

 

 指し示した画面には、健在のバルトスが映っていた。

 

「何だ……!? ヒュンケルの奴めが粉砕したハズでは」

 

 当のヒュンケルたちも驚いている。

 落ち着いているのは、蘇ったバルトス本人のみだ。

 彼は語る。

 

「ヒュンケル……。どうやらワシは、今度はお前の眷属になったようだ」

「俺の……!?」

「暗黒闘気には魔物を作ったり操ったりする力がある。そしてある条件が揃うと、斃した魔物が起き上がって仲間になることがある――リュンナさまから聞いたことがあるだろう?」

 

 ヒュンケルは己の手を見詰めた。

 そこにある暗黒を。

 

「暗黒闘気でトドメを刺し――相手が『感謝』する……」

「そう、ワシは感謝したのだヒュンケル。お前は憎しみと激情に駆られながらも、己を見失うことなくワシとの約束を守った。だから……よくぞ立派に育ってくれた、ありがとう――とな」

「父さん……!!」

 

 親子の抱擁。

 

 正直、ラーハルトが他人の眷属まで操れるほど暗黒力を高めていたのは想定外だった。ラーハルト諸共にバルトスも回収して、ザオラルの必要があるかも知れない、と。アンデッドに蘇生液は効かない。

 しかし映像越しに暗黒の胎動を感じ、その必要はないと判断した。

 バルトスを止めたスクライドには、その時点でもう暗黒闘気が籠っていたのだろう。

 

 ヒュンケルがいつ闇に目覚めたのかは分からない。まさにそのバルトスを粉砕した時かも知れないし、もっと前かも知れない。

 眷属バルトスの感覚を盗めば、その時点で知れたのだろうが――その気はなかった。

 バルトスは、そう、ヒュンケルと一緒にいたらいい。

 

 ならばラーハルトは、誰といたらいいのか。

 人間憎しで意気投合できる原作バランはいない。

 ラーハルト当人はそこをリュンナに求めている素振りだったが、リュンナはそれを正直に受け流し続けてきている。

 

 問題を人間全体に一般化するのは誤謬も甚だしいし、そもそもあれはリュンナの自業自得だ。

 欲張った結果、深く考えずに安易な手に走り、その先を予測できず、それでも甘い見通しでい続けた。

 人間に、祖国に憎しみはない。愛ももうないが。家族はともかく。

 

 ラーハルトに対しても、別段愛はない――ただ、なるべく人死にを減らしてみると、約束したから。

 ハドラーの障害になるワケでもない。

 むしろ軍団長を助命するのは、魔王軍として違和感はない行動だろう。

 

 それに本人に自覚こそないが、原作の歴史よりもパプニカの死者は減っているハズ。

 魔剣戦士ヒュンケルは普通に攻め滅ぼしたが、魔槍戦士ラーハルトは人を一か所に集め、最後に一網打尽にしようとして失敗したから。

 その分の情状酌量があってもいい。そう思った。

 

 その策を提案したのはリュンナだが。

 ラーハルトはリュンナに一方的な仲間意識を持っている――それを利用した形。

 そうでなくば、今頃パプニカは滅びていただろう。

 

 ともあれ。

 映像の中、アバンの使徒らは空の技を死火山に放ち、マグマ溜まりを刺激して地上に噴き出させていた。噴火というほどではない、ただ、不死騎団ごと地底魔城が沈む程度にマグマが溢れ出す。

 妙なところで原作通りの結末だ。

 

「良かったの? ヒュンケル……」

「これでもう、この先どんな悪が現れても、誰にも利用されることはない。俺の故郷に――これ以上の悪名は要らないんだ」

 

 ヒュンケルは寂しげに、しかし晴れ晴れと微笑んでいた。

 それを映していた悪魔の目玉が逃げ遅れてマグマの海に消え――映像が途切れる。

 

「沈んじゃいましたね。地底魔城」

「ふん、どうでもいいことだ。貴様とアバンに敗れ、バルトスが裏切り、最早アバンの使徒となったヒュンケルが育っていた場所だぞ。ロクな想い出がないわ」

 

 本当にどうでも良さそうだ。

 ただし地底魔城のみではない、バルトスやヒュンケルのことまでも含むどうでも良さ、という雰囲気。失敗作と、それが育てた敵対者――その手で捻り殺したくはないのだろうか。そういう殺意が見えない。

 

 口で言うほどには、バルトスのことも気にしていないのだろうか。

 思えばリュンナを部下にしてからも、眷属としてバルトスを操れだの処分しろだの、そういった指示は一切なかった。むしろバルトスに言及したことがない。

 

 男の価値というものは、過去への(こだわ)りをどれだけ捨てられるか――原作クロコダインの言葉だが、ハドラーは過去への拘りを捨ててしまったのだろうか。

 なんだか不気味だ。

 

 ハドラーは、ならば、何をこそ求めているのか。

 推測したことはある、共感したことはある。『国』を背負っているのではないかと。だがその話は拒まれてしまい、踏み込めない。

 太陽がなく、食料の乏しい魔界に民がいて、腹一杯に食わせてやるために地上の豊かな土地を求めている――だとしたら、『焦り』がないのもおかしい。早くしなければ餓死者が増えるハズなのに、『地上征服』ばかりを気にしている。

 

 それが魔軍司令としての仕事だから? なぜバーンに従う?

 いや、密かに裏切ってはいるのだが……。そもそも味方にならなければ、裏切るも何もない。

 元々は、単に復活させてもらった恩なのだろうか。

 

「何をじろじろ見ている」

 

 不快そうにされてしまった。

 

「失礼しました」

「戻るぞ……」

 

 司令室を後にした。

 

 

 

 

 そして、しばしの日数を置いてのことだった。

 

「グッドイヴニ~~~ング、鬼岩城の皆さん……!」

「しっ……死神……!」

「……キルバーン!」

 

 一つ目ピエロを連れ、大鎌を持つ、道化師めいた仮面の怪人が訪れたのは。

 それにしても、ミストバーンの声を初めて聞いた。ここでだけ、彼はキルでなくキルバーンと呼ぶのだ。

 現れたその男が他でもない『死神』であると、周囲へ明確に印象付けるためだろう。

 特に、ハドラーに対して。

 

「ところで……ハドラー君! 最近、君は戦績が優れないみたいだねえ……」

「そうそう! てんでだらしないんだよ!」

 

 一つ目ピエロ――ピロロが言い募る。

 勇者ダイを討ち漏らして以来、ロモス、パプニカを奪回され、地底魔城に全軍を集結してさえ逆にやられてしまったと。

 このままではバーンさまの機嫌を損ねる、と。

 

 しかしハドラーは揺れない。

 

「ふん、心配無用だ! そろそろ計画の準備が整う頃――」

「お待たせしました。ハドラーさま」

 

 そしてその場に、リリルーラでリュンナが現れる。

 先行させた鷹の目で会話は聞いていた――直前までベンガーナにいたのだが、そこから鬼岩城まで感覚を飛ばせるほどに回復が完了したということだ。竜眼の力。

 

「うおっ!? リュンナ……! だからいきなり背後に出て来るなと、いつもいつも!」

「ごめんなさい」

 

 狼狽えるハドラーに棒読み気味に謝りながら、キルバーンとピロロを窺う。なるほど、竜眼には魔法力の繋がりが見える――操り人形だ。

 ともあれ、ハドラーに報告する。

 

「ベンガーナ王国の制圧を完了しました。王家は全員を人質に取り、国民には魔王軍のための労働を強いています」

 

 主に食料や武装の生産などだ。

 ハドラーは聞くなり破顔した。

 

「クククッ、そうか……! これで例の計画を始めるだけの余裕ができたな」

「はい」

 

 キルバーンが興味深げに笑む。

 

「ウフフッ、なあんだ。しっかり次の手を考えてたんだね。しかも、かの『竜眼姫』リュンナを動かすとなれば、これは一安心かな?」

「ふん、見ていろ。必ずやダイを……!」

 

 それはそれとして、キルバーンが鍵を使い、鬼岩城が立ち上がり移動する。

 この揺れ、内側にいてすら腹に来る重い力感。莫大な質量を動かすバーンの魔力か。

 

 さて、始めよう。

 バラン編ならぬ――リュンナ編を。

 



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竜眼姫リュンナ編
73 買い物へ


 新しくより強力な装備を手に入れるには、復興中のパプニカより、今まさに激戦を繰り広げている国に行くのが有効なのでは?

 ポップの提案に、パプニカ王女レオナは即答した。

 

「ならアルキードかベンガーナね。――って言いたいところだけど、どうもベンガーナ、魔王軍にやられちゃったみたいなのよ。物資の、つまり武器の豊かさでは最大の国だったのに……」

「そんな……!」

 

 ロモス、パプニカはダイたちが救った。オーザムはノヴァが。リンガイア、カール、アルキードは持ち堪えている。テランは狙われていない。

 そんな中、ベンガーナが落ちた――ついに魔王軍に屈する国が現れてしまったのだ。

 

 滅ぼしたワケじゃあないけど。人を殺さずに支配している。

 だからポップ、そんなに苦い顔しなくてもいいよ。

 

「でも大丈夫――って言うのもおかしいけど、今回はアルキードに行きましょう。あそこはパラディンの国だから、装備に関してはベンガーナに匹敵するし。

 て言うか、質の上限では上回るわね……。伝説級の武器を作る職人もいるって聞くわ」

 

 ダイの目が輝いた。

 

「伝説級の武器!? それって、クロコダインの真空の斧とか……」

「そうそう、そういう感じの。それにマァムの鎧なんかも揃うんじゃないかしら」

 

 僧侶戦士の素養を持つマァムは、それを通り越してパラディンになっているのだ。

 なのに未だに旅人の服なのだから、この世界の装備事情は厳しい。

 

「へえ~っ、すっげーな~!!」

「ダイ君……。行きたい?」

「行きたい!!!」

「おい、イヤな予感がするんだけどよ……」

 

 ポップの予感通り、レオナはアルキードに行くため、城にひとつしかない気球を奪ってしまった。脱走である。

 今回の戦でパプニカ王家に死者はなく、王が健在であるため、ある意味今レオナがいなくても問題はないと言えばない。

 だからと言って、管理員をラリホーで眠らせてまで気球を奪い、王女が勝手に国外まで行くというのは、相当に大問題ではあるが……。

 

「まったく、とんでもねえ姫さんだぜ……!」

 

 ポップがぼやき、ダイが宥める、空のありさま。

 

「まあまあ……。国が残るかどうかの瀬戸際だったんだし、レオナだってちょっとくらい羽目を外したくなるって」

「さっすが、ダイ君は分かってるわね!」

「これ、ちょっとか……?」

 

 一方、ヒュンケルは遠く北東へ視線を飛ばしていた。

 マァムが気遣わしげに話しかける。

 

「お父さんが心配なの……?」

「ああ、マァムか。いや、心配と言うとどうなのか……。単に俺が親離れできていなくて、寂しいだけかも知れん」

 

 自嘲の笑み。

 クロコダインが鬼岩城の動向を探りに行ったのだが、それにバルトスもついていったのだ。

 身軽さを失わない程度にもうひとり仲間がいても良かろうし、魔物同士で親睦を深めてくる、と述べて。

 

「私は心配だわ。バルトスさん、地獄の騎士の姿のままだったし……」

 

「それは……まあな。

 人間たちが怯えないようにと、父さんはいつも骨の体を隠していた。だがクロコダインに倣ったのか、今回はそのまま……。吉と出るか凶と出るか、確かに不安なところはある。

 だが大丈夫だろう。父さんは誇り高き騎士だと、人間たちも少し接すれば分かるハズだ」

 

 それは楽観というより、父への深い信頼と尊敬なのだろう。

 マァムは微笑ましげだった。

 

 そうして空の旅の中、クロコの兄貴の仇! などと叫んで攻めてきたガルダンディーなる鳥人とその乗騎のスカイドラゴンを一蹴し追い払い、やがてアルキード王国の東端の町へ到着。

 そこから馬車を借りて王都へ向かった。

 

 王都は賑わっていた。

 国そのものは超竜軍団の攻撃を受けているものの、主な戦場は北のベンガーナとの国境近くの地域で、南寄りに位置する王都には戦火が届いていないのだ。

 とは言え野生の魔物の狂暴化もあり、人々の目には確か不安と、それを超える闘志が渦巻いているありさま。

 

 一行は商店街を回って買い物に勤しみ、装備を更新していった。

 資金は不死騎団撃退の報奨金がメイン。

 

 ポップはギラ系の魔法が封じられた魔道士の杖と、更にホイミ系の魔法が封じられた賢者の杖も予備に持ち、防具には呪文耐性を持つ魔道士のローブ。

 ヒュンケルはギラ系の魔法が封じられた破邪の剣と、炎や吹雪に耐性を持つドラゴンメイル。それからバルトス用にガイアの剣を6本、この世界では単純に性能のいい刀だ。

 マァムは多彩な攻撃のできるハルベルトと、呪文耐性を持つ魔法の鎧、炎や吹雪に耐性を持つドラゴンシールド。盾はベルトで腕に固定し、武器の両手持ちが可能となっている。

 レオナはデザイン重視の旅人の服とワイズ・パーム、原作通り。

 特にようやくパラディンらしい重装備ができたマァムは、殊更に喜んだ。

 

 しかしダイの装備が見付からない。武器にせよ鎧にせよ、小柄な彼に合うサイズがないのである。武器は両手持ちすればまだしも、鎧は尚更に。

 店などで聞いてみたところ、そういうのは需要が少ないから受注生産になる、と言われてしまった。

 いつ再び魔王軍が大きな行動を始めるか分からない今、アリモノで済ませたいところなのだが。

 

 仕方がないので防具は隠れ身の服――身かわしの服の上位品を裾上げすることとして、問題は武器である。

 どうしたモノかと歩き回っていたところ、一行は占い屋を発見した。

 占い屋といっても、道路の端に机と椅子が設置してある即席のモノだ。路銀を稼ぐ旅の占い師といった風情。

 

 占い師と思しき老婆と、助手か孫かという少女の組み合わせ。有体に言って、ナバラとメルルである。

 原作ではベンガーナで出会ったのに、別の国に来たこの世界でも同じタイミングで合うのか。これが歴史の修正力というモノか――と、リュンナは心中で嘯いた。

 

 先にベンガーナを落としてダイたちの行先をアルキードに絞った上で、占いに干渉してナバラとメルルを誘導したのみだ。

 都合の悪い行動を選ぶことに対して殺意を強く持てば、占いによってそれを察知して避けてくれるのだから、楽なモノだった。

 

 ともあれ、一行は占い屋に寄ることにしたようだ。

 

「何を知りたいんだい?」

「おれにちょうどいい武器がどこで手に入るか、占ってくださいっ!」

「5Gもらうよ」

 

 それだけに、この占いの結果がどうなるのかは気になる。

 手を加えずに見ていよう。

 

「ふうーむ……」

 

 水晶玉にダイの手を乗せて、ナバラは精神を集中している。

 

「ロモス王国……。あるいはここアルキード王国だね。あっちの方に職人街があるから、そこに行ってみるのが一番早いだろう」

「どうもありがとう!」

 

 ダイは素直に感謝している。

 一方で他のメンバーは、思い思いにコメントしていた。

 

「ロモスにそんな強い武器なんてあったか?」

「あったら王さまから貰った褒美の品に混じってそうよね」

「出し惜しみしたんじゃない? それとも忘れてたとか……」

 

 レオナが酷い。

 しかし実際、なぜ覇者の剣をあそこでダイに託さなかったのか。メタ的なことを言えば、それが存在するという設定がまだなかっただけかも知れないが……。或いはダイの体格には合わないと思ったのか。

 

 だとしても、オリハルコンの剣が『ダイにちょうどいい』と出るとは、割と的確な占いのようだ。

 するとアルキードの職人街には、どんな職人がいるのだろう。まさかロン・ベルクか?

 ベンガーナ王国は各町や村まで――ランカークス村も含めて制圧したが、ロンやポップの家族は確認できなかった。ロンが連れて逃げたのではないか、と思っていたが……。

 

 ともあれ占い屋を後にしようとしたとき、

 

「待ってください!」

 

 メルルだ。

 妙に切羽詰った表情。冷や汗が酷い。

 そんな様子で、ポップの腕を掴んで止めていた。

 

「え、な、なに?」

「どうしたんだいメルル。もうそのお客さんたちの用は済んだだろ」

「違う、違うんです……! この人に……!」

 

 ――目が合った。

 憑けたシャドー越しに、リュンナとメルルの、目が合ったのだ。

 



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74 超竜軍団猛攻!!!

 メルルは咄嗟に占い用の水晶玉を掴むと、

 

「わああああっ」

 

 震える声で叫びながら、地面に――ポップの影に叩き付けた。

 途端、影が起き上がる。比喩でも何でもなく、地面に横たわる影の中から、影の化物が立ち上がったのだ。

 デルムリン島以来、ずっと憑けていたシャドーが。

 

 別に水晶玉でダメージを受けたワケではないが、彼女の感知能力でバレた以上、もう誤魔化しは利くまい。

 大人しく姿を現すことにした。

 

「なっ、何なのそれ……!?」

「レオナ離れて!」

 

 急な展開に驚くレオナを、ダイが庇いながら下がらせる。

 

「これ……シャドー!? 魔影軍団なの!?」

「俺に憑いてくれれば、すぐに気付けたものを……!」

 

 マァムとヒュンケルは武器を構えた。

 そしてポップは、驚きのあまり尻餅をついていた。

 

「いやーバレちゃいましたね」

 

 このシャドーの自我は薄い。創造してからこちら、大半の時間をリュンナの目としてのみ過ごしてきたからだ。自分の思考というモノを持たない。

 その声も、言葉も、リュンナ自身のモノだ。

 

「その声……!! バカな!! そんな前から……!?」

「はい正解ですよ、ポップくん。お久し振りです」

「どういうことだよ、ポップ!? そいつは誰なんだ!?」

 

 ダイはデルムリン島ではハドラーと戦ってばかりで、リュンナとほとんど会話をしていない。気付けなくても無理もない。

 ポップは地を這って後退し、それからようやく立ち上がりながら述べる。

 

「リュンナだ……! こいつリュンナなんだよ! たぶんデルムリン島で俺に取り憑かせてやがったんだ! いつの間に……!」

「リュンナさま……! 本当にリュンナさまなのですか!?」

 

 ヒュンケルもまた、すぐに気付いていたようだ。

 ただ衝撃が大き過ぎて、数秒固まっていたが。

 

「はい、わたしです。リュンナですよ。大きくなりましたね、ヒュンケルくん」

「リュンナさま……。やはり、人間を深くお恨みに!? しかしそんなことをしても――」

「いえ別に、恨みとかそういうのは。ところで、そっちはいいんですか? わたしの名前なんか連呼して」

 

 リュンナの名は、この国では半ば禁忌となっている部分がある。

 小さな子供はともかく、周囲を行き交うある程度以上の歳の者は、皆恐々と、そして不審者を見るように一行を見た――それからシャドーに気付き、或いは叫び、或いは縮こまる。

 誰も皆、まるで一行がシャドーを引き入れたかのような視線。

 

 ポップに憑いていたのだから、ある意味で間違ってはいないのだが。

 どちらにせよ、一行としては歓迎できる状況ではないだろう。

 

「早く倒しちゃった方がいいんじゃないかしら……!」

 

 レオナが焦燥の顔で言う。正しい手だろう。

 だがヒュンケルは会話を続けたいらしく、まごまごしている。

 

「ごめんなさいね、わたしここじゃ歴史上の汚点ですから。それとも、わたしを処刑したことが汚点なのかな。まあいいや、近いウチに――」

「ベギラマ!」

 

 動いたのはポップだった。

 魔道士の杖の力で増幅した魔力で、先端の魔宝玉から閃熱を放つ。

 シャドーはあっと言う間に蒸発した。

 

「ポップ……!」

「文句は言わせねえぞヒュンケル! 昔はどうだったか知らねえけど、今のリュンナは敵なんだ。その辺の人にでも取り憑いて人質にされたら困るだろ!」

「それはそうだが……!」

 

 言い争いが始まりかけた――だがヒュンケルの口から溢れたのは、言葉ではなく鮮血だった。

 

「――ぐふっ!」

「えっ……」

 

 ヒュンケルが膝を突く。

 ドラゴンメイルに穴が開いていた。空中に鮮血が連なっている。まるで透明の剣に後ろから貫かれたかのように。

 ――ようなでは、ない。

 

「後ろだ! ヒュンケルの後ろにいやがる!」

「大地斬!!」

 

 ダイが虚空に鋼鉄の剣を振り下ろす――と、鈍い音と共に、それは一見何もない空中で止まった。

 彼の感覚ならば分かるだろうか。それは、闘気で強化した素手で受け止めたのだと。

 直後、ダイが吹き飛び、商店街の店先に突っ込んで、商品を撒き散らした。

 

「ダイ!?」

「ちょっと、大丈夫!?」

 

 ベホマを使えるレオナが、ヒュンケルを治療しようと近付く。

 マァムが慌てて止めようとした。

 

「ダメ! まだいる!」

 

 そう、透明な下手人はまだヒュンケルの背後にいる。

 今――透明な剣を引き抜いた。空中に連なる鮮血の移動で分かるだろうか。

 

「あっ――」

 

 そしてマァムの伸ばした手は間に合わず、不用意に前に出たレオナもまた腹を貫かれる。

 

「――ッ、……!!!」

 

 声も出せずに崩れ落ちた。顔は苦痛に苛まれるより、何が起こったか分からないという混乱の色が濃い。

 

「地雷閃!」

 

 マァムのハルベルトが唸りを上げる。

 透明の剣が受け、透明の使い手ごと吹き飛んだ。

 その威力の衝突衝撃が、剣に付着した血を、吹き飛ぶ軌跡に尾を引くように撒き散らす。

 ヒュンケルの血、レオナの血。充分な『素材』だ。

 

「ベホマ!」

 

 マァムは一瞬迷い――レオナを先に治療し始めた。

 レオナならある程度回復すれば自力でベホマができるし、戦士と賢者では、より体力に劣るのは後者のレオナである。妥当な判断だろう。

 一方、ポップはダイを助け起こし――彼の鋼鉄(はがね)の剣が、引き裂かれたようにへし折れているのを見た。

 

 今――透明なリュンナを止める者はいない。

 軽くリストカット、透明ではない赤い血を流す。

 続いてその身から噴き出す暗黒闘気も透明ではなく、どす黒い。闇が六芒星を描き、地面に撒かれた鮮血が暗い輝きを放つ。

 そして血が沸騰したように泡立ち、次々に膨張し――それぞれの『形』を成し、仮初の命を得るのだ。

 

 ヒュンケルの血からは――曲刀、盾、胴鎧、兜を装備した、翼ある竜人剣士。黄色い鱗、シュプリンガー。

 レオナの血からは、蝶のような翅を生やした小さな竜、フェアリードラゴン。

 更に自傷の血からは、黄金に輝く二足歩行の巨竜、グレイトドラゴン。

 

 その姿のみで既に、人々の悲鳴が弾けた。

 

「うわああああっ!!」

「ちょ、超竜軍団だ! ついにここまで……!」

「聖騎士隊を呼べ!」

 

 逃げ惑う人々に、グレイトドラゴンがマヒャドめいた凍てつく息を吐き出す――

 

「ベギラマー!!!」

 

 ポップの閃熱が相殺。

 ダイがその下をくぐるように駆け抜け、剣を構える。折れた剣の代わりに、その辺の店から拝借したモノだ。

 構えはストラッシュのそれ。

 

「ギシャアッ!!」

 

 だがそこに、シュプリンガーの海波斬。

 打ち払うために、ダイは構えを解くことを余儀なくされる。

 

 そしてフェアリードラゴンが不思議な踊りを踊ると、ポップが呻いた。

 

「クソッ、魔法力が……!」

 

 シュプリンガーがダイに斬りかかり、足止めをする。

 同時にグレイトドラゴンが長大な尾を振るうと、商店街の向かい合う建物が薙ぎ払われ、瓦礫が散った。

 建材の散弾が人々を打つ。悲鳴、怒号、流血。

 

 一方マァムは、レオナをある程度回復。レオナは自力回復に移り、マァムは更にヒュンケルの回復に移っていく。

 そしてヒュンケルもそこまで放置されていたワケではなく、ナバラとメルルの回復呪文を受けていた。

 肺に穴を開けて呼吸を封じたが、そろそろ立ち上がってくるか……?

 

「ブラッディースクライドッ!!」

 

 立ち上がるどころか、未だ座り込んだままながらに技を撃ってきた。

 フェアリードラゴンが翅を撃ち抜かれて墜落、踊りを封じられる。

 

「くっ! 狙いがズレたか……!」

 

 一撃で殺すことを狙っていたらしい。

 弟子ながら何とも恐ろしく育ったものだ。

 

「それにしてもどういうことなんだ!? いきなりこんなに敵が現れるなんて……! それにヒュンケルやレオナが刺されたのも……!」

 

 ダイがシュプリンガーと切り結びながら叫ぶ。

 シュプリンガーのルカナンが剣を脆化し、斬り飛ばした。

 勇者は呻き、また別の剣をその辺の店から拝借する。苦渋の顔。

 

「リュンナだろうよ! レムオルだ……! 透明呪文! ここに来てた! この場で魔物を作りやがった……!」

 

 ポップはグレイトドラゴンにベギラマを放ち、その鱗にあえなく弾かれていた。

 凍てつく息を吐いたから炎熱が効くと思ったか? 炎の息も吐くのだ、そいつは。

 証明するように、その口から激しい炎がポップへと迸る。ヒャダルコで防ぎながら、しかしベギラマほどの威力のないその呪文では防ぎ切れず、逸れた炎で人々が焼かれていく。

 

「リュンナさま……! いらっしゃるのですか! くっ、心眼でも見えない……!」

 

 ヒュンケルは今遂に立ち上がり、

 

 ――メダパニ。

 

 フェアリードラゴンの声なき呪文が、混乱に陥れる。目が虚ろに。

 彼には全てが敵に見えているのだろうか――しかし、グレイトドラゴンに迷うことなく突貫していった。

 確かに、その巨体が味方であるハズはない。クロコダインはこの場にいないのだから。

 

 もっとも巨体がグレイトドラゴンであることは分かっても、その具体的な動作の認識さえ混乱させられているようだ、剣が当たる気配がない。

 逆に爪の一撃を受け、人混みに吹き飛ばされる始末。

 

「ヒュンケル!! くそっ……!」

 

 だから、さあ、見せてあげたらいい。

 ダイ――あなたの力を。

 



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75 恐怖と嫌悪

 鎧袖一触だった。

 

 グレイトドラゴンが尾で叩き崩した建物の中、瓦礫に阻まれて逃げることもできずにいる泣き声を聞いて――あまつさえそこに炎の息が向けられたとき、ダイはその額に竜の紋章を輝かせた。

 

 自分を足止めしていたシュプリンガーを装備ごと大地斬で両断すると、ベギラマでフェアリードラゴンにトドメを刺しながらその閃熱を放った反動をも使い跳躍、グレイトドラゴンの炎の前に飛び出し、ヒャダインの魔法剣海波斬で炎を消滅。

 ブレスが効かないと見て肉弾攻撃に移ったグレイトドラゴンに対し、薙ぎ払ってきた尾を掴んで振り回し地に叩きつけ、そうして動きを止めたところにアバンストラッシュ(ブレイク)で首を刎ねてトドメを刺したのだ。

 

 素早く逃げた者たちは良かっただろう。

 だが瓦礫や人混みに阻まれて逃げ遅れた者たちは、その光景を目の当たりにする破目になった。

 

「おばあさま! あの紋章はまさしく……!」

「うむ、これが伝説の(ドラゴン)の騎士さまの戦い……!」

 

 メルルとナバラは、恐れながらも感動の様子ですらあったが。

 

 ダイは紋章を消し、剣を収めようとして――その辺の武器屋から勝手に拝借した剣であり、鞘を持っていないことに気付く。

 だからその店の逃げ遅れた店主と思しき男に近付いていき、

 

「ごめんなさい、勝手に使わせてもらっちゃって――」

「ひいいっ!」

 

 謝りながら代金を払おうとしたところ、店主は怯え、尻もちをついた。

 

「あの、剣……」

「く、来るな! やっ、やる、剣はやるから……! どっか行ってくれっ!」

 

 ダイは困った顔で――剣を誰もいない方向に振るい、付着した血を払う。

 ただそれだけの動作に、店主はもちろん、腰を抜かし逃げ損ねた客や、路上の瓦礫に阻まれている人々さえビクリと過剰に反応する。

 それでいて、逃げる流れは止まっていた。まるで目を離したらやられる、というように、誰もが固唾を飲むありさま。

 

「ど、どうしたんだよ……! みんな……」

 

 ダイは戸惑う。初めての経験だろう、無理もない。

 それでも邪魔な瓦礫を腕力で放り捨て、建物に閉じ込められる形となっていた子供が脱出できるようにした。

 しかし子供はダイを見て、余計に泣くばかりだ。

 

「これって……おれのことが怖い、のか……!?」

 

 ヒュンケルを叩いて混乱を解いたマァムは不安そうだ。

 逆にポップは憤っていた。

 

「くそっ、俺たちを狙ってきた竜とは言え、助けてもらっておいて……!」

「人間などそんなモノだ。俺は人間を守るが……そこに期待はしていない」

 

 鎧を外して血を拭いながら、ヒュンケルは淡々と述べた。

 特にアルキードの民となれば、彼にとってはある種の仇敵ですらあるだろう。

 

「ところでさっき……」レオナがナバラとメルルを振り返る。「貴方たち、ダイ君のこと(ドラゴン)の騎士って……」

 

(ドラゴン)の騎士!?」

(ドラゴン)の騎士だと……」

「そういえばさっきも言ってたけど」

「あれが!? ふざけるなよ……」

 

 不意に、人々がざわめいた。

 そこには恐怖の他に、匹敵する怒りがある。

 

「な、何だよ……。(ドラゴン)の騎士って何なんだ……!?」

 

 戸惑うダイにナバラが答えようとして、人々の声に掻き消される。

 

(ドラゴン)の騎士とは我らが勇者王バランさまのことだ! それを騙るとは!」

「お、俺、見たぞ……! あいつの額、何か……目みたいなモノが……!」

「まさか竜眼!?」

「リュンナさまだ! リュンナさまの呪いなんだ!」

 

 ポップが慌てて言い返す。

 

「ばっ、バカ野郎! ダイの紋章は目じゃねえ! 竜の顔だろが!」

 

 人々は沸騰した。

 

「顔!?」

「額にもうひとつ顔があるの!?」

「竜眼どころの騒ぎじゃねえ……!!」

「魔物だ! 絶対魔物だ!」

「助けてえっ……!!」

 

 人混みと瓦礫に阻まれてなお逃げようとして、人々は将棋倒しになり、人が人を押し、踏み、潰し、怪我人があっと言う間に増える。

 原作ベンガーナよりも更に深刻な恐怖だ。

 然もありなん。リュンナの呪いと言うなら、この現実そのものが呪いだろう。アレルギーなのだ。ダイの紋章は、そう、この国の民には竜眼の親戚にしか見えまい。

 

 呪ってないけどさ。

 

「どくんだ! どきなさい!」

 

 そんな人々を掻き分けて、聖騎士隊が現れる。揃いの鎧が眩しい。

 元はリュンナの発想からパラディンを育成することが流行り、それが定着し部隊を編制するまでになったモノだ。

 リュンナが魔物扱いの時期にさえ、それは運用され続けた。現代まで続いていたことに不思議はない。それだけ有用だということ。

 

 聖騎士隊は竜どもの死骸を見て息を呑み、それからダイたちに視線を移した。

 

「我々はアルキード王国の誉れ高き聖騎士隊! 諸君の戦いは我々も見ていた……現場に辿り着くのは間に合わなかったが」

 

 避難民が物理的に邪魔だったのだろう。

 

「その少年の額の輝き! 尋常のモノではなかった。魔物であれば、撃退せねばならん……!」

「ま、待ってよ! おれは人間です!」

 

 ダイが慌てて首を振り、仲間たちが彼を庇う。

 特にポップの剣幕は険しい。

 

「ダイはな、ドラゴンをもやっつける勇者なんだよ! 何で魔物になるんだ!」

「ロモスやパプニカの魔王軍だって、ダイがいたから追い払えたのよ!」

「て言うか、私がそのパプニカの王女なんだけど……」

 

 マァムに続いたレオナの発言に、俄かにざわつく。

 近隣国の王女ともなれば、聖騎士の中には顔を見たことがある者もいるのだろう。本物のようだ、という声も聞こえてくる。

 

 代表として出てきた聖騎士が、レオナに跪いた。

 

「大変失礼をいたしました。お赦しください。

 しかしお聞きいたしますが、それでは、あの額に現れたモノはいったい何だったのでしょうか!? 竜の眼だ、いや顔だ、と我が国の民衆も不安がっております。それでは魔物ではないかと」

「そ、それは……」

 

 知らない、答えられない。

 知っているのは――ナバラとメルルだ。視線を送った。

 

「あれは(ドラゴン)の騎士さまの紋章だよ」

 

 聖騎士がいきり立つ。

 

「老婆よ。(ドラゴン)の騎士とは、この世の秩序を守る神の使い――バラン王の称号だ。こんなどこの誰とも知れぬ少年が、なぜ(ドラゴン)の騎士になる!」

「そういえば13年ほど前か……。そんな話も聞いたね。アルキードに(ドラゴン)の騎士さまが現れたと。だがすぐに、新たな勇者や第二王女の処刑の話に移り変わって、聞かなくなった……」

 

 ナバラは遠くを見る目。

 

(ドラゴン)の騎士とは、テラン王国の伝承にある神の使いの名だよ。バラン王だって、テランのお墨付きで(ドラゴン)の騎士ということになったんじゃなかったかい」

「ぬう……!」

「こんなところで話していても埒が明かない。バラン王に聞いてみちゃどうだね」

 

 聖騎士たちは沈黙の後、小声で協議を始めた。

 一方でそれはダイたちも。

 

「おれ、自分が何者なのか知らないんです。赤ん坊のころ島に流れ着いて……!」

(ドラゴン)の騎士って、どんな人種なの……?」

 

 レオナが核心に触れる問い。

 

「人かどうかは分かりません」

 

 その答えに、ダイは愕然とした。

 本当に自分は魔物なのか? 或いは、魔物ですらないのか。

 

 その肩に、ポップが手を置く。

 

「もしここの王さまも(ドラゴン)の騎士ってのが本当なら、何か話を聞けるかも知れねえ。城に行ってみようぜ……」

「い、行けるの……!?」

 

 ダイの不安そうな顔に、ポップが聖騎士へ顎をしゃくった。

 すると聖騎士の代表は相変わらず跪いたままに――

 

「パプニカの王女さまとそのご一行を、城にご招待したい」

 

 と言い出した。

 

「お互いに興味深いお話ができるものと……」

「ええ、お招きに(あずか)るわ。ダイ君、いいわね?」

「……うんっ!」

 

 その様子に、民衆は噂した。

 

(ドラゴン)の騎士を騙る魔物を引き入れて大丈夫なのか……!?」「だからこそだろ。我らが勇者王が直々に対処してくださる」「早く討伐してほしい」「王都は安全だと思っていたのに……。ついに魔王軍の手下が……」「あいつら、ああやって城に潜り込む魔物の作戦なのか?」「だが城の中で囲まれれば、いくらあの魔物でも」――

 

 誰も皆、明るい顔をしている者はいなかった。

 民衆も、聖騎士も、ダイたちも。

 

 中でもメルルが、震えて自分を抱きながら述べる。

 

「まだ……います……!」

「マジかよ。でも、手は出して来ねえみたいだな……」

 

 如何(いか)にも。

 レムオルで透明になり、気配を消す忍び足を重ね、今もいる。

 だがこれではバランには気付かれるだろう――城には鷹の目で入らせてもらおうか。

 



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76 家族と国家

 一行が城に入って半刻も経たぬうちに、王並びに王妃との面会が行われる運びとなった。

 これには報告に行ったり来たりした聖騎士たちも驚きの表情だった。

 しかも謁見の間には警備の聖騎士を入れず、王夫妻とダイ一行のみが入ることを赦されるという。王からの命令だ。ナバラとメルルも、纏めて一行に数えられていたが……。

 

「くれぐれも粗相のないように」

 

 聖騎士に言い含められながら謁見の間へ。

 玉座には黒髪に髭の偉丈夫、その傍らには黒髪の物憂げな美女。

 扉が閉められた。

 

「あ、あの……初めまして……」

 

 ダイはおずおずと頭を下げながら挨拶をした。

 

 王は応えず、口元を引き結び――それをも超えて、歯を食い縛って、

 

「――かああッ!!」

 

 気合の声と共に、ヒィィィン――と、輝く音。

 王の額に、(ドラゴン)の紋章。呼応してダイの額にも。

 

「あ、あれは……! ダイと同じ!?」

「おれの紋章も勝手に……!」

 

 謁見の間が、共鳴するふたつの紋章の輝きに染まり――間もなく、光は止んだ。

 

「今――確信できた。ソアラ……」

「ええ、あなた……」

 

 肩で息をしながら紋章を消し去った王は、王妃と頷き合い、立ち上がって歩いてくる。

 王を足労させるとは無礼だと、そんなことを言えるほど冷静な者はひとりもいなかった。

 目の前で止まる。

 

「ダイ――といったかな」

「は、はい……」

 

 見上げるダイは、寸前よりよほど落ち着いていた。

 紋章の共鳴が、敵意のなさを実感させたのだろうか。

 その紋章も、今ダイのそれも消えゆくところだが。

 

「私の名はバラン。彼女はソアラ」傍らの王妃も併せて紹介する。「我々が――お前の両親だ」

「えっ……!?」

 

 だが流石に、その事実には驚愕したか。

 とは言えダイ自身はポカンとしている色が濃く、騒ぐのは残りの面々だ。

 

「ダイ、お前王子さまだったのかよ!?」

「良かったじゃない、ご両親が見付かるなんて!」

「でもどこか……不穏な雰囲気じゃないかしら……」

 

 喜ぶマァムとは裏腹、レオナがその機微に気付く。

 実際、バランとソアラの顔に笑みはない。まるで申し訳なそうに俯くばかりだ。

 ダイもまた不安を覚えたか、バランに掴みかからんばかり。

 

「ど――どうして……! どうしておれはデルムリン島に!?」

「そうか、そこに流れ着いて生き延びたのだな。魔物だらけの島と聞くが……」

「じいちゃんが……鬼面道士のブラスじいちゃんが育ててくれたから……!」

「よいお方に拾われたようだ。……すまない」

 

 バランは片膝をつき、目線を合わせる。

 

「どうして謝るの……?」

「我々が……お前を、手放してしまったからだ」

 

 手放した。

 船が沈んでデルムリン島に漂着したのは偶然か運命だが、そもそも船に乗せたのは彼らの意思なのか。

 

「城下町で魔物扱いされたそうだな」

「う、うん……。おれの紋章が、そんなの人間じゃないって……。これ、(ドラゴン)の騎士の証なんだよね? おじ――と、父さんも、(ドラゴン)の騎士なんだよね!? (ドラゴン)の騎士って、いったい何なの……!?」

 

 ダイは焦ったように叫ぶ。

 魔物扱いをされたこと自体よりも、魔物だからと『恐れられ拒絶された』ことに傷付いたのだろう。

 

「遥か昔、人間と魔族と竜、三つの種族の神々が創り上げた究極の生物だ。天地魔界のバランスを崩す野心を持った者が現れたとき、それを討つことが役目」

「つまり――勇者ってこと?」

「フッ……」

 

 バランが、初めて笑った。見上げればソアラもだ。

 ダイは目を白黒させた。

 

「ごめんなさい。初めて聞いたときの私と、同じ感想だったから……」

 

 ソアラは笑む口元を両手で隠し――だがその手はすぐに、寧ろ溢れる涙を隠すモノとなった。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……!」

「母さん……?」

(ドラゴン)の騎士は勇者ではない。人間ではないのだ。――故の迫害を恐れた」

 

 バランが述べる。

 

(ドラゴン)の騎士は本来、一代にひとりしか出現しない定め……! 長い歴史の中で、子を持つのは私が初めてなのだ。どんな子に育つか分からなかった。紋章の力をコントロールできるのかどうか……。もしできなかったとき、お前は迫害されるだろう。

 だから……だから我々は……! 愚かな選択を……!」

 

 震える声。

 

「王家の遠い親戚が、ロモスの貴族にいるの。死産と偽って存在を隠して――そこに預けるつもりだったのよ。長じたらアバンにも庇護を頼もうと……。でも貴方を乗せた船が……沈んだと聞いて……」

「生きていてくれてありがとう、ディーノ。いや、ダイか……」

 

 バランは緩く首を振った。

 ディーノ。手放したからこそ、せめてもの繋がりにと、しっかりと名をつけたのか。

 

「ダイ。本当に、お前が生きていて良かった。だが……この国は、お前を受け容れられない……! すまない! すまない……」

 

 バランですら、涙に声を詰まらせるありさま。

 

「おれは……父さんや母さんと暮らせない、の?」

「そうだ。それに、今は我々だけだからいいが……余人のいる場で、我々をそう呼んではならない」

「……」

 

 父や母と呼ぶことすらできないとは。

 ダイにはどれだけショックなことだろうか。

 

 とは言え、死んだと思っていた息子が突然現れて、いきなり受け容れる体勢や心構えが整っている方がおかしい。

 恐らく、ここからはフォローの言が始まるのでは……。

 

「お、おい……! (ドラゴン)の騎士だか王さまだか知らねえけどよ!」

 

 が、その前にポップが前に出た。

 

「そりゃないんじゃねえのか!? ダイの、ダイの家族なんだろ!?」

「お前は」

「ポップ! 魔法使いで、アバン先生の弟子で、ダイの親友だ!」

 

 言葉と同時に、ダイの肩を抱き、グイッと引き寄せた。

 

「ポップ……!」

「いい友達を持ったな、ダイ。大事にしてやるといい……」

 

 バランが立ち上がる。

 

「ま、待てよ! どうしてダイを受け容れてやれねえんだ! 自分だって(ドラゴン)の騎士なのに王さまやってんだろ!!」

「ちょっとポップ君、せめてもう少し言葉遣い――」

「すまねえ、今は黙っててくれ姫さん! 俺は怒ってるんだぜ!」

 

 レオナの制止すら振り切り、ポップが掴みかかる。

 バランはいっそ冷たいくらいの声を出した。

 

「私は国民に紋章を見せたことがない。そうと分かる形ではな。何か光っている――というくらいならともかく」

「……!」

「手遅れだ、ということだ。人間に受け容れられるには、同じ人間だと認識されるしかない。そして人間は、額に目だの紋章だのが出たりはしないのだ……」

「か、家族より……! 自分の子供より! 国の方が大事なのかよっ!」

 

 遂にポップが殴りかかる。

 バランは甘んじて頬に受けた――小揺るぎもしなかったが。

 

「友に国を頼まれた」

「そ、そりゃあ友達は大事だろうけどよ……!」

「私が追い詰めてしまったのだ。せめて信頼できる養子を取って国を託すまで、その約束は――」

 

 ソアラが首を振った。

 

「違うわ、バラン。リュンナのことはあなたが悪いわけじゃ……」

「違わん。私が倒してしまったばかりに、拘束から逃げる力も残らず……。そして私は、結局、あの日も……!」

「そんなの、私だって……。リュンナ……」

 

 確かに処刑の日、バランもソアラも助けに来なかった。

 それでいいと思ったし、今でもそう思っている。恨みはない。

 むしろ感謝すらある。今日までこうして国を守ってくれて、ありがとう。

 

「リュンナ……。ここでもリュンナかよ! そりゃ故郷なら当然だけどよ……!」

「ここでも――とは?」

 

 王夫妻が疑問を顔に浮かべた。

 ダイが答える。

 

「リュンナ姫は魔王軍に操られてるんだ! 魔軍司令ハドラーって奴に! さっきも町で……」

「ハドラーだと……。そうか、13年前にあいつを攫った……。そんなことになっていたとは……」

 

 俄かに緊張感が高まる空気。

 

「勇者王バランよ」ヒュンケルが口を開いた。「リュンナさまを助け出すためのお力添えをお願いできますまいか」

「ヒュンケル!?」

「今はそんな場合じゃ……」

 

 詰め寄られるが、本人はどこ吹く風。

 

「いや、こんな場合だからこそだ。ポップの話では、竜眼を消せる呪文があるのだろう?」

「あ、ああ。先生が古文書とかから習得したっていう破邪呪文マジャスティス……でも先生はもう……」

「先生のパーティーにはもうひとり、大魔道士マトリフという偉大な呪文使いがいたのだ。彼を探し出せれば、或いはリュンナさまの竜眼を消せるだろう。するとどうなる?」

 

 一同を見回して。

 

「ど、どうなるってんだ……!?」

「そのさまを民衆に見せてやるのだ。竜眼は消せるのだ、と。あとは同じ呪文で、ダイの(ドラゴン)の紋章を消す『フリ』をすればいい。これでリュンナさまは国に戻られ、ダイも受け容れられよう」

「なるほど……?」

 

 殆どの面々はおおむね納得の顔をしているが、ポップは怪訝の表情。

 

「それ、マホカトールでダイのを消してみせるんじゃダメなのか……?」

 

 そう、別にわたしの部分は必要ない――鷹の目で眺めながら、リュンナは思う。

 だがヒュンケルは平然と即答した。

 

「説得力が違うだろう。この国はリュンナさまを魔物と信じて恐れ、遂には処刑にまで至った――その前提を、今度こそ明確に覆してみせるのだ。ダイに関しても説得力が大きく変わるハズ。つまり成功率の高さがだ」

「う、うーん……そう言われると、そうか……」

「そこで――バラン王」

 

 ヒュンケルが跪いた。

 

「どうかこの策にお力添えを。策が成るためには、リュンナさまを捕縛しなくてはなりません。地上にほぼ並ぶ者なき強者であるあのお方をです。

 それを可能とするには、恐らくは同じく圧倒的な強者であろう(ドラゴン)の騎士のひとり――貴方さまのお力が必要かと」

「むう……」

 

 バランは唸った。

 確かに成功すれば、誰もが幸せになれるだろう。少なくとも、彼らの視点では。

 失敗しても、戦闘で味方に死者が出ない限りはマイナスも生じない。

 

「念のために聞くが――あいつは魔王軍でどのような位置にいるのだ」

「超竜軍団長です」

「……ッ!」

 

 超竜軍団。アルキードを攻撃している軍団だ。

 つまり、どの道いずれはリュンナとの戦いを避けられない――それはバランを決断せしめるに充分な要素だったのだろう。

 

「分かった。協力しよう」

 

 バランが重々しく頷いた。

 一方でソアラは、明後日の方向を見ていた――いや、それは彼らにとってのであって――つまり、『こちら』を。

 

 ――姉上。

 



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77 リュンナとソアラ

 ダイ一行とバランは会議室で作戦を練り始めた。

 ダイのことは、対外的には『邪悪な魔物かどうか、行動を共にして見極める』――としたようだ。ギリギリの線。

 

 ソアラはひとり、私室にて。

 

「リュンナ」

 

 虚空に言う。

 

「いるんでしょう?」

「はい」

 

 正確にはいなかった――鷹の目で視点を飛ばしていたのみだ。だがつまり意識はそこにいて、今、リリルーラで姿を現した。

 

 ドラゴンローブ、吹雪の剣。

 流れる銀髪、深い赤の双眸、白い肌。

 額に縦に開いた眼窩、縦に割れた瞳孔、竜眼。

 

 13年前と殆ど変わらぬ、13歳の小柄な姿。

 竜に生まれ変わった、人の姿だ。

 

「変わらないのね。あなたは」

 

 リュンナの姿に一瞬驚きこそすれ、ソアラは微笑んで普通に受け容れた。

 そういう人だ。昔から。

 

「お久し振りです。姉上」

「ええ、久し振り」

 

 彼女は手振りで椅子を勧めてきた。座る。

 

「どうして分かったんです?」

「そんな気がしたから。あなたに見られている気がしたの」

「さようですか」

 

 どういう感知力をしているのか。メルル以上か?

 いや、そういう予知だの占いだのといった超常感知とは違うのかも知れない。

 ただ単に、そう――家族だから。

 

「お茶でも飲むかしら」

「姉上が淹れてくださるなら」

「ふふ、待っていてね」

 

 ソアラは隣のキッチンに消え、やがてお盆を持って戻ってきた。

 心地良い香り。国産の高級茶の中では、単体ではそこそこの味――しかし小麦の素朴な甘みをメインにしたクッキーと合わせると、それを引き立てて殊更に美味いのだ。

 案の定、お盆にはクッキーも乗っている。

 

 リュンナは遠慮なくいただいた。

 懐かしい味だ。アルキードの味。

 姉上と楽しむ味。

 

 自然と笑みが浮かんでくる。

 ああ。

 

「ごめんなさい、姉上。ずっと留守にしていて。これからも、ですけど」

「ハドラーの部下をしていると聞いたわ。かつての魔王よね」

「はい」

 

 淡々と頷いた。

 

「それはこの国を恨んで? それともあの子が言っていたように、ハドラーに操られているのかしら」

「どちらも『いいえ』です」

 

 ソアラは僅かに目を瞬いて、不思議そうにする。

 

「どちらも?」

「はい」

「そう。――魔王軍では、どんなことを?」

 

 どんなことを、と来たか。

 魔王軍のすることなど、侵略以外にあるまいに。

 

「主に侵略です」だからそう答えた。「超竜軍団長『竜眼姫』リュンナ――それが今のわたしです。竜眼に因んで、ドラゴンの軍団を任されたんですよ。さっき謁見の間でも言われてましたけど」

「この国を攻めてる軍団ね」

「はい。あとベンガーナも。そっちはもう制圧しました」

 

 ソアラは頬に手を当て、首を傾げた。

 

「制圧って、具体的には?」

「王家を全員人質に取って、国民を魔王軍のために強制労働させています。主に食料や武器の生産ですね。

 あと人をエサにするタイプの魔物のエサになってもらったり……。呪文で治せる範囲で、ですけど。殺しちゃったらそれ以上利用できませんから」

「ふふ」

 

 ソアラは笑った。

 きょとんとして見る。

 

「笑いごとじゃないと思うんですけど」

「だって……。あなた何人殺したの?」

「ゼロです」

「ほら」

 

 敵を殺さないことで、看護に手を割かせて戦力を圧迫し、恐怖の語り部を増やして士気を挫く。或いは捕まえて眷属に改造するが、それも相手が努力すれば生きて戻せるモノだ。

 徹底的な『殺さない』戦略を貫いてきた。

 

「それは、ハドラーの命令で?」

「いいえ。侵略しろとしか言われてませんから、わたしの考えで」

「ならやっぱり、笑いごとね」

「……かも知れませんね」

 

 お茶を飲む。カップで口元を隠す所作。

 ソアラはますます楽しそう。

 

 大丈夫か?

 確かに軍団も含めて人は殺していないが、だからと言って、そこまで笑うことか。

 

「ハドラーはどう思ってるのかしら。あなたのやり方」

「文句は何ひとつ。ぶっちゃけ、魔王軍でいちばん戦果上げてるのわたしですし」

「まあ」

 

 ロモス、パプニカは勇者ダイに救われた。同様に、オーザムは北の勇者ノヴァの手で。カールとリンガイアも持ち堪えている。

 結果、『魔王軍に敗北した国』は現状ベンガーナのみで、それはリュンナの成果だ。

 魔軍司令として、文句など言ってくるハズもない。

 

「ハドラーってどんな人なの? 私会ったことないのよ」

「そうですねえ……」

 

 どんな人?

 改めて考えてみると――。

 

「可愛い人です」

「可愛い人」

 

 目をぱちくりされた。

 それから身を乗り出してきた。

 

「どんな風に可愛いの?」

「尊大なのに小心者なところあるんですよ、あの人。ちょっと計算外のことがあるとすぐ狼狽えて、でもプライドが高くてそんな自分をなかなか認められなくて、周りに助けを求めることもできなくて。ビックリするとすぐ鼻水垂らすの。何度鼻かんであげようと思ったことか」

「あらまあ」

「あとあれね、照れ屋なのか朴念仁なのか、わたしがいくらモーションかけても『そういう冗談は嫌いだ~』って突っ撥ねるんです。ヤですよね、女の子の素直な気持ちを受け取れない人って」

「そうねえ」

「でもわたしが弱ってるときは、傍にいてくれるんですよ。ひとの看病なんか全然したことなくてヘマばっかりするんですけど、その気持ちが嬉しいって言いますか。いてくれるだけで安心するって言いますか。いや、ほんとヘマばっかりだったんですけどね、冗談抜きでね。『喰って治せ!!』ってめっちゃお肉用意したり。いや重いわ! と」

「ふふ、そうなの。大事に思われてるのね」

「だといいんですけどね~。だってアレじゃないですか? 強引に攫われてモノにされるって――もちろんお互いに愛があってこそですけど、乙女の最強憧れシチュのひとつで再会したんですよ。まあモノにされるって、傷物にされたワケじゃないですけど。残念なことに。ともかくね、そんなの好きになっちゃうじゃないですか」

「分かるわ。私もバランに駆け落ちを誘われたときは、正直ドキッとしたもの」

「でしょう? 純粋に『わたし』を求められたんですよ。肩書きでも役職でも立場でもなく。もちろんね、そういうのだって自分の一部ですよ。それは間違いない。でも『それこそが』自分かって言うと、そうじゃないワケで。『これがわたし!!!』って部分を求めてわたしを攫ったんです、あの人は」

「勇者ということ? それは肩書きではないのかしら」

「ちょっと違いますね。勇者という肩書きじゃなく、それに至る実績、『魔王ハドラーを倒した』ことの方です。そしてそれは、わたしがわたしである限り、避けられない激突でした。互いに自分の国を背負っていた以上はね……。だからそれは、わたしがわたしであることだったんです。あの人は、わたしを求めたんです。獲物としてですけど」

「獲物」

「『自分の仇』なワケじゃないですか。復讐としてね。でもわたしほら、そのとき国から拒まれて空っぽになってまして」

「それは……ごめんなさい……」

「いいえ、お蔭であの人のモノになれましたから。もっとモノになりますし、モノにしますけどね!! 聞いてくださいよ姉上~~~この間はね、こう頭を撫でられたんですよ、まあ撫でたって言っても殆ど手を乗せるだけみたいな触れ方で、実際単なる気まぐれなんでしょうけど、それでもああいうのは初めてで――」

「リュンナ」

「はい」

「あなた、操られていないし、国を恨んでもいないのね」

「はい」

 

 喋り過ぎて喉が渇いた。お茶、クッキー、お茶。美味しい。

 

「私、てっきりアバンといい仲になるものだとばかり思っていたのよ」

「そんな時期もありましたっけね。まあ先輩はこの間わたしの手で退場してもらいましたけど」

「本当に?」

 

 唇に右手人差指を当ててみせた。

 くすり、ソアラが上品に笑う。

 

「先輩ってほら、ちょっと完全無欠なところあるじゃないですか。確かに先輩はいい人で、造形も良くて、強くて知性もあって、ユーモアもあって、優しくて、勇者で……。でも――可愛くないんです。あの人と違って」

「そう。そうかも知れないわね」

「あと故郷に女いるらしいですし」

「まあ」

 

 13年振りだ。

 にも拘わらず、どうしてこうも自然と会話が弾むのだろう。

 ソアラが聞き上手なのか?

 あるいは。

 

「あー……」

 

 感慨深く、思う。

 

「どうしたの? リュンナ」

「いえ……。やっぱりわたし、姉上のこと、大好きなんだなあって」

 

 こんなに好きだ。こんなに。

 

「だから、姉上。ごめんなさい」

 

 こんなに好きなのに。

 わたしは。

 



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78 ソアラという女 その3

「何を謝るの? リュンナ。謝らなきゃいけないのは――」

 

 ソアラは訝しげに眉を寄せた。

 そして悲しみの表情。

 

「違うんです。そうじゃない」

 

 処刑のことはいいのだ。自業自得だし、結果オーライだ。

 ソアラが謝ることなど、何もない。何ひとつ。

 

「覚えてますか、姉上。わたし小さい頃、姉上のこと避けてましたよね」

「そうだったかしら」

「……」

「うそ。そうね。そうだったわね」

 

 ソアラは観念したように肩を竦めた。

 それだけ思い出したくもないのか。

 違う? 思い出させたくない?

 

「一緒に戦い始めた頃からかしら、いつの間にか普通に仲良くなれていたけれど……。どうして避けていたのかを、今……?」

「はい」

「私が構い過ぎてしまったから、煩わしかったのではなくて?」

 

 そんなこと、思ってもいないだろうに。

 そういうことにしたいのか。

 違う? 言わせたくない?

 

 わたしがツラそうだから……?

 それでも。

 

「何て言えばいいのか……。わたし――未来を知ってたんです」

「予知能力ということ?」

「まあ……そうです。この際そう。いや違うな……」

 

 逃げたくなくなった。

 

「『物語』です。生まれる前に見た夢の中で、『この世界のことが描かれた本』を読んだんですよ」

「そこに私のことも載っていた――のかしら」

「はい。姉上は――バランとの愛に狂い、結果的に国を滅びに導く役回りでした」

 

 飲み込めていない顔をしている。

 然もありなん。このソアラは、あの流れを想像することも出来まい。

 

 だから述べた。

 バランが魔物扱いで追放されること。ソアラがついていって駆け落ちになること。王に発見され、連れ戻されること。処刑されるバランをソアラが庇い、死ぬこと。それを受けた王の言にバランが激昂し、(ドラゴン)の騎士の力で半島ごとアルキードを消し飛ばすこと。

 その顛末を。

 

 ソアラは首を捻る。

 

「それ――リュンナはどこにいたの?」

「いません。『本』にわたしは出て来ないんです。わたしがいない世界です」

「そう……」

 

 ますます不可解そうだ。

 

「じゃあリュンナのお蔭で、私は国を滅ぼさず、バランも独りにせずに済んだのかしら」

「あ、そっち行っちゃいます? ……でもね姉上、『この世界』でも『そう』なったかは分からないんですよ。わたしがいるかどうか。『本』と『この世界』は、わたしがいる時点で明確に分岐しています。同じ運命を辿った保証はない」

「辿らなかった保証もないわよね?」

「はい」

 

 それもまた事実だ。

 だからこそ……。

 

「同じ運命を辿ったかも知れない、辿らなかったかも知れない。『分からない』……。なのにわたしは……姉上のことを……」

 

 震えるな、わたしの手。

 

「――姉上を、この国を滅びに導く存在として憎んでいました。あなたがまだやってもいないことで」

「そう……」

 

 流石にソアラも少しずつ飲み込めてきた気配がある。

 噛み砕いていく。

 

「私は、それをしたのかも知れない」

「しなかったかも知れません」

「あなたの目から見て、どう? しそうだった?」

「最初の頃は、かなり……」

「なら、いいんじゃないかしら」

 

 えっ。

 

「例えば、落ち着きのない子供がいたとするわね。注意力が散漫で、常に、どこへ走り出してしまうか分からないような、元気過ぎる子……。大きな町中にでも行ったら、きっと馬車の前に飛び出してしまう。怪我をするし、迷惑もかける。ああ、なんて面倒な子なんだろう。

 ――そういうことじゃないのかしら」

「そう……です、ね……?」

 

 ソアラは平静だった。

 リュンナの方が、よほど当惑していた。

 

「でしょう? 未来を知っているだとか、そんなことは関係ないのよ。だって、人はもともと未来を考える生き物だもの。未来に期待し、未来を恐れ、そのために現在の態度も変わっていく」

「でもわたしは……! 嫌うばかりで、避けるばかりで、姉上を変えようとは……! 怖くて!」

「それも」

 

 それすらも、ソアラの器からは溢れない。

 泰然、微笑み。

 

「変わらないわ。『まだやっていない』んだもの。さっきの例の元気過ぎる子だって、自分が怪我をするまでは、何を言われたって真剣には聞かない、聞けないのよ。リュンナも、それは分かっていたのでしょう?」

「それは……」

「だから言わない。それこそ嫌われるだけで、何もいいことがない」

 

 確かにそうだ。

 だって、何と言って注意すればいい?

 嫌われて、それこそソアラが城を出る決意に繋がってしまったら?

 

「もちろん、私があなたを嫌うなんてあり得ないけれど」

 

 それは自信? 信頼……?

 

「ねえリュンナ。『本』の中では、もしかして私が勇者姫だったのかしら」

 

 ふと話題が変わった。

 

「え? ――いいえ、姉上は戦う人ではありませんでした。ハドラーは先輩が一対一に持ち込んで倒したんです」

「そうなの? じゃあ――そうね、それなら確かに、リュンナがいなかったら、私は国を滅ぼしていたのかも知れないわ」

 

 なぜそれを、そんなに平然と認めることができるのか。

 しかも、いっそ嬉しげに。

 

「だって『本』の中の私には、『戦ってでもバランを止める』発想がなかったと思うの。でも『私』にはあった。あなたが教えてくれた瞑想の方法で、強くなったのだもの。だからあの時、バランを止めることができた……」

 

 ソアラはテーブル越しに手を伸ばし、リュンナの手を握った。

 

「あなたがいたから。リュンナがいたから」

 

 柔らかな手。優しい手。

 強い手、だ。

 

「だから私は、あなたを『赦す』わ。リュンナ。あなたの懺悔を、私は受け容れる」

 

 全てを受容するソアラの器は――ちっぽけなリュンナを、丸ごと飲み込んでしまうかのよう。

 ふと立ち上がると、彼女もまた席を立つ。

 ごく自然と抱擁し合っていた。

 

 温かい。

 視界が歪む。

 声が真っ直ぐに出ない。

 そっと髪を梳くように撫でられる。

 

「あね、うえ……ごめんなさい、ごめんなさい……!」

「いいの。いいのよ」

「ありがとう……。ああ……」

 

 今世、母はいなかった。物心つく前に亡くなったらしい。

 だからと言って姉に母を感じるなど、予想だにしていなかった。

 13年分、歳を取った姉。前世で言えばアラサーだ。ますます包容力に磨きをかけて――魅力は、衰えるどころか増していた。

 

 そのまましばらく。

 鼻を啜りながらも落ち着いたリュンナが顔を真っ赤にして離れ、再び座って俯いた。

 

「これからどうするの?」

「ダイくんに酷いことをします。この国にも」

「魔王軍として?」

「わたしとして」

 

 顔を上げた。

 真っ直ぐに見詰め合う。

 

「あの子には――ダイには、可哀想なことをしてしまったわ。可哀想なんて言葉じゃ、とても済まないくらいに……。あの子の敵になるのなら、今度こそ赦さない」

「あは」

 

 ソアラが『赦さない』と来た。

 なんて――素敵な。

 

「そもそもどうして手放してしまったんです。迫害を恐れたって言っても……」

「あなたの件で、国民の多くは極端に魔物を嫌うようになってしまったのよ。たとえ疑惑に過ぎなくてもね。それまでずっと受け容れていたことの反動で、逆にどうしても赦せなくなった……。

 誰々は魔物だから処刑してほしい――だなんて嘆願が届く日々が、何年も続いたわ」

「ごめんなさい……」

「――あなたのせいじゃ、ないわね」

 

 だとしても、リュンナが「どうして」と聞いていいことではなかった。

 少なくとも問うた本人は、そう思う。

 

「私の方こそ、ごめんなさい。リュンナ――あなたを助けられなくて」

「それは本当にいいんですけどね……。わたしの自業自得ですし」

「それでもよ。あの日――私、バランと戦ってたの」

 

 目を丸くしてソアラを見た。

 姉上が? バランと?

 

「だってあの人、ギガデインであなたの周りを丸ごと吹き飛ばそうとしたのよ」

「えぇ……」

 

 それは――困る。

 

「『あいつらいったい何様のつもりだ!』なんて言いながら……。そんな助けられ方、リュンナ、嫌でしょう?」

「はい」

 

 全力ではい。

 

「だから必死で止めていたのだけど……。そのためにあなた本人を助け損ねるなんて、本末転倒よね。本当にごめんなさい」

「いいえ、めちゃくちゃグッジョブです。流石姉上! 大好き!」

 

 親指を立てた。

 彼女は苦く笑った。

 

「それ以来、私もあの人も腑抜けてしまって……。父上はもっとね。王位を譲られてからは、ただ国を維持していたわ」

「ありがとうございます。姉上になら任せられると思いました」

「その国を、あなたは荒らすの?」

「はい」

 

 必要なことだ。

 

「仕方ないわね。でもダイは絶対に守るわ」

「そうしてください。

 それじゃあ、姉上。また近いうちに……」

 

 リリルーラで消え――

 ――出現したのは、ソアラの背後だ。

 

「まあ近いうちって今すぐなんですけど」

 

 抜き放った剣の切先を、肉に埋める。

 



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79 勇者王バラン

 咲いた鮮血は、バランのものだった。

 部屋に飛び込んでくるなりソアラを突き飛ばして、代わりに身に受けることになったのだ。

 

「ぐ、ううう……ッ!!」

「バラン!? リュンナ、どうして……」

 

 部屋の奥側で、バランはソアラの上にのしかかる形で倒れている。

 その背から脇腹にかけて、深く抉られ斬り裂かれていた。

 

「どうしてって――このためですよ。バランを斬るためです。部屋の外で隠れてるのは分かってましたからね。(ドラゴン)の騎士は正面戦闘の権化――隠形(おんぎょう)の技量はさほどでもない。我が竜眼からは逃れられません」

 

 分かっていた。

 会話は聞かれていないが、殺気を感知されたのだということも。

 

「リュンナ、貴様……! 私が間に合わぬ可能性もあったのだぞ……!」

「ないですよ、そんなの。おふたりの愛と力を、わたしは侮っていません」

 

 バランが傷に震えながら、辛うじて立ち上がっていく。

 ソアラがベホマをかける――

 

「マホトーン」

 

 封じた。

 

「!! ……ッ!」

 

 声そのものが出まい。

 助けも呼べない。

 それを補うよう、バランが雄叫びを上げようと大きく息を吸い込んだ。

 

「ベタン」

 

 収束された重圧が、その呼吸ごと彼を押し潰した。

 再び這い蹲る。

 空気すら重くて、ロクに呼吸も出来まい。

 

「う、お……! おおおあ……!」

 

 必死の気合の声すら掠れて。

 紋章はどうした? ああ、出すのに時間がかかっている。先ほどもそうだった。

 この13年、ずっと封じてきたのだろう。錆びつき過ぎだ。

 

「――ッ!!」

 

 ソアラが剣を抜いて斬りかかってくるが、吹雪の剣で打ち払う――冷気が彼女の剣を脆化、粉砕。

 諸刃斬りを狙っていたのでしょう? 受けた部位を完全に破壊されては、その技はできない。

 間を外されたソアラは、姿勢を崩して激しく転倒した。

 

 その頃になってようやく、バランが(ドラゴン)の紋章を出す。

 ベタンを破られる前に――

 

「氷魔傀儡掌」

 

 氷の暗黒闘気――魔氷気の糸が、その心身を縛る。

 心身を、だ。身のみではない。

 

「バカな、竜闘気(ドラゴニックオーラ)が――出ない!?」

 

 凍てつく波動は魔法力を精神的に冷やして『自殺させる』技だが、それを相手の闘気に対してもかけ続けるのがこの技だ。

 全盛期ならともかく、今のバランにこの技を弾くだけの強い精神力はない。

 

 転んだソアラの背を――丹田の上を踏みつけ、動きを掣肘しながら。彼女が動こうとするのと逆方向へと、踏み方で丹田をズラしてやることで、動きを封じる技術。

 弱点を見抜いて撃ち抜く、空裂斬の親戚だ。

 こうなっては最早、肉体や闘気の技は繰り出せない役立たず。そして呪文はマホトーン済み。

 詰みである。

 

「リュンナ、そこまで……我々が憎かったのか……。だが、ソアラは……ソアラだけは! お前の姉だろう……!!」

「前半はともかく……。後半はもちろん、はい。傷ひとつ付けていませんね?」

 

 マホトーンと空の踏みで封じたのみだ。

 斬ったバランと違って。

 

「バラン王……!」

「父さん! 母さん!」

「無事か!?」

 

 ダイ一行が駆けつけてくる声、足音。あと数秒か。

 メルル辺りに感知されたのだろう。

 

 急がねば。

 リュンナは傀儡掌を構成する魔氷気の糸越しに、呪文を唱えた。

 

「ヒャドカトール」

 

 ヒャド系の力を利用した結界呪文。

 バランの身をあっと言う間に分厚い氷が包み込む――その氷そのものがひとつの封印結界なのだ。

 原作フレイザードがレオナに使ったアレを再現した独自呪文である。

 

 如何な(ドラゴン)の騎士とは言え、長いブランクの末に竜闘気(ドラゴニックオーラ)も封じられれば、こんなものだ。

 その光景を、

 

「父さん……! 父さんっ!!! 母さんまで……っ!!」

 

 今、ダイたちが目撃した。

 

「リュンナあああああああ!!!」

 

 ダイが素手で殴りかかってくるが、

 

「ベタン」

 

 部屋の扉前に這い蹲らせた。

 一歩入ろうとすれば、その超重力場に巻き込まれるのだ。後続も二の足を踏む一瞬。

 収束し範囲を狭めたベタンは、強い。

 

「父さんを……! 母さんを、放せッ!! うわああああああ!!!」

 

 ダイが紋章を出した。バランよりずっとスムースだ。

 ベタンが破られ、衝撃がソアラの私室に吹き荒れる。

 仲間たちも部屋に入ってくる。

 

「氷魔傀儡掌」

 

 そのダイの動きを止め、後続の仲間たちをも(つか)えさせる。

 ダイは竜闘気(ドラゴニックオーラ)の力ですぐに拘束を破ったが、その頃には既に、リュンナは凍ったバランごとリリルーラで離脱したあとだった。

 

 空間跳躍の出現先はベルベルの傍ら。

 超竜軍団の対アルキード前線基地、境の山の砦である。

 

「リュンナ! ――んあ、それって」

「バラン」

「わあ」

 

 蒼い肌の魔族の少女の姿をしたベルベルは、触手めいた金髪の束を揺らして笑いながら、冗談半分に怒った。

 

「ひとりで親玉取ってくるなんて! ぼくも連れてってくれたら良かったのに~」

 

 リバストとボラホーンもいる。

 腕が4本ある巨躯の猪獣人、それすら超える巨躯のトドマン。

 

「流石は我が姫。地上に敵なしよ」

「幾度となくドラゴンどもを追い散らした実力者を、傷ひとつなく……! これがリュンナさまのお力!」

 

 このヨイショどもめ。

 素でやっているから苦笑するしかない。

 

「バランの方に凄くブランクあっただけ、なんだけどね……。まあ何でもいい」

 

 リュンナはバランを抱えたまま、砦の屋上へ。

 背景に竜種が蔓延るアジトの様相。

 

「極大マヌーサを準備して」

「おっけ~」

 

 ベルベルが結界装置に魔法力を送り、起動する。

 かつてこの砦は魔王ハドラーの配下が使っていた――その頃に砦を包み隠す結界を司っていた装置だ。

 巨大な幻影を映し出すことができる。当時より格段に広範囲に。

 

「準備よしっ! 3~2~1~ゼロ!」

 

 途端、アルキード王国上空に、空を覆うような影が現れた。

 リュンナの姿が、空に巨大に映し出されているのだ。

 そしてその声もまた、王国全土に届く。

 

「えー、アルキード王国の皆さん、初めまして、或いはお久し振りです。魔王軍、超竜軍団長、『竜眼姫』リュンナです。以前の肩書きは――述べるまでもないですね?」

 

 リュンナの背景には、砦周辺の竜種が多数映り込んでいる。その威容。

 

「今回は特別なお客さまをお招きしています。さて、誰でしょう――」

 

 次いで映像は広がり、リュンナの傍ら、凍り付いたバランもが映り込む。

 背中から貫通されたあと脇腹へと払われたと見える、深い、あまりにも深い傷が、生々しいままに凍て止まっている。

 

「はい! なんと勇者王バラン! 拍手~~」

 

 ベルベルとリバストとボラホーンによる拍手の音が、ぱらぱらと入った。

 

「こんなに凍ってしまって、いったいどれだけ生命が持つのか? 1か月くらいかな……。1週間かも。1日ってことはないと思いますけどね。

 もちろん皆さん、偉大なるバラン王を助けたいと思います。そこで交換条件を考えました」

 

 息を吸い、ハッキリと。

 

「勇者ダイ一行を捕まえてください」

 

 幻影に、ダイ一行の肖像が映り込んでいく。

 リュンナの記憶にあるイメージの投影だ。

 

「この人たちですよ。こっちから順番に、勇者ダイ、魔法使いポップ、パラディンのマァムに、戦士ヒュンケル。パプニカ王女レオナ。それから、あとでこの国に来るかも知れない獣王クロコダインと、地獄の騎士バルトス」

 

 取るに足らぬ戦闘力しかないレオナも、今この場にいないクロコダインとバルトスも。

 

「動けないように捕まえてくれたら、こっちから預かりに行きますからね。どこに連れて行くか、とかは考えなくていいです。とにかく捕まえてください。

 あ、殺しちゃダメですよ。それはこっちの仕事です」

 

 両腕でバッテンを作るジェスチャー。

 次いでその腕を解き、バランを撫でる。

 

「期限は特に定めません、バランが死ぬまでです。あーあ、胴体こんなに斬られて、本当にどれだけ持つのか知らないですけど」

 

 バランの足元から頭までを、ゆっくりと幻術は映していく。

 その額にて輝きごと凍り付いている、(ドラゴン)の紋章をも。

 額に、竜の顔が、あるのだ。

 

「あは」

 

 笑う。

 

 この国に恨みはない。滅ぼしたいとは思わない。

 だが愛もない。踏み躙って利用することに躊躇はない。

 

「まあともかくね、バランを助けたかったら――この国の王を失いたくなかったら、ダイ一行を捕まえてください。それだけです。ではまた……。ごきげんよう」

 

 そこでベルベルが魔法力の供給を断ち、幻影の装置を止める。

 空の幻影は消えた。

 

「あー。あー……」

 

 砦の屋上で深呼吸。

 そっと噛み締めるように。

 

「さあ……。どうします? ダイくん。おばちゃんが遊んであげますよ」

 

 砦の玉座に座り、膝にベルベルを乗せて抱き、リバストとボラホーンを侍らせる。

 そして鷹の目を全力発動。無数の視点を国中に飛ばした。

 自身の戦闘力はほぼ封じられてしまうような技だが、今は問題ない。

 

 民の声を聞く。無数。

 バランを助けよう、ダイ一行を捕まえよう――という勢力は、ごく一部に過ぎなかった。むしろ大半は、それを妨害する動き。

 だろうね。

 



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80 勇者ダイ

 魔王ハドラー復活の生贄を求めてノドンの村を襲った魔物の群れ――これを討伐し、攫われた人々も全て助け出した。

 当時の第二王女に成り代わっていた魔物だか、魔物に憑かれた第二王女本人だかを打倒し、捕縛へと導いた。

 大魔王旗下の超竜軍団の侵略に対し敢然と立ち向かい、その剣とライデインで多くの竜を葬り、民を守っている。

 

 勇者王バランの偉業である。人間としての。

 (ドラゴン)の紋章の存在が、それを一手で覆す。

 

 リュンナが当初竜眼ありでも受け容れられていたのは、竜の神の啓示を受けた勇者という言い訳が通っていたから。

 だがライデインを使う『真の勇者』バランが現れたとき、その欺瞞は脆くも崩れ去った。

 本当に神の啓示を受けたなら、なぜライデインを使えないのか。なぜ『人間』のバランと違い、異形と化しているのか。納得される答えを用意できなかった。

 

 当初はバランがその人間離れした凄みから魔物扱いされていたことの反動もあり、今度はリュンナが魔物扱いとなった。

 

 リュンナの配下として受け容れられていた魔物たちは、それは明確に人間の下だからであり、人間でないモノが上や対等の立場に立つことを、人間たちは決して認めていなかったのだ。

 魔物だが、王女のペットだ。魔物なのに、王女に従っている。魔物の割に天晴な奴だ。――魔物を見下す認識は、そもそも何ひとつ変わっていなかったのだから。

 

 そうしてリュンナは魔物として処刑の運びとなり――しかしそのリュンナは魔物に成り代わった偽物ではなく本物だという説もあり――そのトラウマからアルキード人は、『人の額に何かが追加されている』ことに凄まじいアレルギーを持つことになった。

 それがたとえ、偉大なる勇者王バランの額であっても。

 それがたとえ、目とも呼べないような、生々しさのない、何となく顔の輪郭を模った程度の紋章であっても。

 

 だからリュンナが無数の鷹の目で見聞きする国民たちの様相は――バラン救助派が1割以下、バラン放置派が9割以上、それが現実。

 

 アルキード王城。

 ダイ一行は、困惑していた。

 

「なんで……」

 

 ダイたちは先ほど、商店街で竜種を相手に大立ち回りを演じたばかりだ。そこから聖騎士隊によって城へ連れられたのも、何人もが見ている。

 だが城に来た民衆は、誰もダイを捕まえようとはしていない。

 

「勇者なんだって? 頼む、リュンナさまを倒してくれ!」

「あなたたちが頼りです……!」

「ウチの武器を使わんか? タダで構わんぞ」

 

 と、むしろ応援のありさま。

 それは城に詰めていた聖騎士たちも同じだ。

 

「戦うなら一緒に行くぞ!」

「あの幻影の背景から、奴らの場所を探れるハズだ。調べておく」

「勇者さま! ライデインを見せてください!」

 

 いっそ好意的だ。異様なほどに。

 

「なんで……誰もおれたちを捕まえようとしないんだ……!?」

 

 ダイは愕然としていた。

 いや、ポップも、マァムも、レオナも。

 ヒュンケルのみが、予想通りだとでも言いたげに憮然としている。

 

 実際のところ、捕まえようとする者が皆無なワケではない。町でダイの紋章をハッキリと目の当たりにしてしまった者などだ。

 だがその数は少なく、ダイの『味方』に埋もれてしまっている。

 

 ともあれマホトーンの解けたソアラが、この国の歴史を説明した。

 リュンナとバランの歴史を。

 

「だからもう、バランはみんなにとっては『魔物』なのよ。それもずっと国民を騙していた、狡猾で卑劣な魔物。助けようとは思わない……。いえ、むしろ――」

 

 窓の遠く、民の張り上げる声が聞こえた。

 

「バランを殺してくれーっ!!」

「あの野郎、あのまま凍り死ぬなんて楽な死に方赦さねえ!!!」

「信じてたのに……!!! ちくしょう、ちくしょうーーー!!!」

 

 ダイはそれこそ凍り付く。

 

「こんな……! こんな……! おれの生まれた場所、なんだよね? それが……! 額に紋章があるだけで、ここまで……!!」

「ダイ……!!」

「ダイ君!」

 

 足元が崩れたようにフラつく彼を、左右からポップとレオナが支えた。

 

「おれ――ど、どうすればいいの? みんなに、おれを捕まえるように言う……? でもそれって、違うよね、おかしい……」

「おかしいのはこの国だ! どうかしてるぜ……!」

「そんなにおかしいかしら……」

 

 レオナがポツリと呟いた。

 集まる視線を感じたか、慌てて首を振る。

 

「いえ、そりゃ私だってこんなの良くないと思うわよ!? でも――人間は、弱いから。

 パプニカだって、不死騎団に内通して自分だけ助かろうとした人もいたわ。逃げる中で、隣の人を転ばせて、その人が殺されてるうちに自分だけ逃げたり……。腐肉を纏ってゾンビのフリをして、魔物の仕業に見せかけて盗賊行為を働いたり、っていうのもあったわね。

 全部聞いた話だけど……」

 

「そんなことあったのかよ……」

 

 ポップがゲッソリした顔。

 

「人間は気高くて素晴らしい生き物――確かに、そういう人もいるわ。ダイ君みたいに……。でもどうしようもなく弱くて、狡くて、身勝手な人たちもいるの。

 勇者として人間を守るなら、そういう人たちも守らなきゃいけない……。

 王家として国を導くなら、そういう人たちも導かなきゃいけないように……」

 

「姫さん……」

 

 それは彼女なりの、王族としての覚悟なのか。

 パプニカ不死騎団戦役は、原作とは違った流れを見せた。そこで、また違った現実を知る機会があったのだろう。

 

「でもレオナ……。ダイは、きっと紋章の力を使うことになるわ。もしそれを、あの幻術で映し出されたら……」

「そうね。ダイ君はこの国にいられなくなるでしょう。さっきの商店街の戦いの比じゃなく……決定的に。今は単に勇者としてリュンナに紹介されたから、まだ問題はないけど……」

 

 誰かがごくりと生唾を飲んだ。

 

「どうする、ダイ。俺は準備が整い次第、戦いに行くが」

 

 ヒュンケルが低い声で。

 

「どの道、リュンナさまは戦って捕えるしかないからな。ソアラ王妃には申し訳ないが……」

「ええ、分かるわヒュンケル。あなたには、バランのことは関係ないものね。

 でも私は捨て置けない。だから私も行くわ。この手であの人を取り戻す」

「母さん……!? 危ないよ!」

 

 ダイが制止する、が、ソアラはどこ吹く風。

 

「ふふ、大丈夫。こう見えて、あなたのお母さんは強いのよ。さっきはやられちゃったけれどね。もう油断しないわ」

 

 ふと、周りがざわめく気配。

 聖騎士たちの会話。

 母さん、という言葉。

 

「い、いいの? 母さん。お城の人たちに聞かれちゃってるけど……」

「もう構わないわ。戦いの結果がどうなろうと、バランはもう戻れない。あなたとの関係を隠す必要はなくなったのよ。

 ――本当にごめんなさい、あんな冷たいことを言ってしまって……!」

「わっ、わ……!」

 

 ソアラはぎゅっとダイを抱き締めた。

 今日会ったばかりの物憂げな美女に抱かれ、さしものダイも顔を赤くした。

 

「いいよ、母さん。確かに……悲しかったけど……おれ、じいちゃんいるし。

 それに、もういいんだろ? じゃあおれも、もういいよ」

「ディーノ……!!」

「い、いたい……!」

 

 慌てるダイ、しかし、無理やり引き剥がそうとはしなかった。

 

「しっかしディーノか……。そういやダイの名前って、揺り籠のネームプレートが削れてて、頭文字しか分からないからってブラスじいさんが付けたんだよな」

「そ、そうだよ……! せめて頭文字だけでもって思ったんだってさ」

「優しい方に拾われたのね。本当に……感謝してもし切れないわ。ダイ――力強くて、サッパリしていて、とてもいい名前……」

 

 ソアラの抱擁する力は、留まるところを知らなかった。

 

「うん、じいちゃんは、本当に……厳しいけど、おれのこと大切に思ってくれてるって、よく分かるって言うかさ。じいちゃんなら――こんなとき、どうするのかな……」

 

 ダイは目を閉じ、沈思黙考した。

 その内心を直接に覗くことまでは、鷹の目には難しい。

 

 溢れ出る感情の心気を拾えるのみだ。

 熱く、深く、濃く、重い。

 

 繋げて重ねる。

 見えてくる。

 きっとこうだ。

 

 ――いちばん大切なモノは何かを考えるんじゃ。ワシにとってはダイ、お前じゃよ。お前のためなら、ワシは何でもするじゃろう。

 

 ――おれの、いちばん大切な……モノは……。 

 

 やがてソアラの抱擁をそっと外すと、自らの足でしっかと立つ。

 

「おれは――リュンナと戦って、超竜軍団を倒して、父さんを取り戻す。

 それを、この国の人たちが気に入らないって言うなら……おれや父さんを怪物だって言って嫌うなら! この国を救って――そして去る……!」

 

 皆が、胸がいっぱいになった顔で彼を見た。

 ああ、わたしもそのひとりだよ。ダイくん。

 それでこそ勇者。

 

 それを引き出したくて、この状況を作った。

 救うべき人間の醜さを前にして、なおも勇者でいられるかどうか。

 あなたは、本物だ。大魔王に挑めるだけの素質がある。戦力として役に立つ。

 

「幻影の場所が判明しました! ベンガーナとの国境にある山中の砦です!」

 

 ならば来るがいい。

 



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81 氷と炎

 ハドラーが砦を訪れた――

 

「この結果は……予想の内のひとつではあったが……」

「はい」

 

 ――困惑の顔で。

 

「まさか本当にこうなるとは……。王を人質にされて大半が動かんとは、な。いや、こうなるだろうと貴様は言っていたが」

「そういう国民性ですからね、もう」

 

 額のアレルギーについて解説する。

 

「お前を処刑した後遺症……。そこまでか」

「別にどっちでも良かったんですけどね」

「うむ。国民に狙われて勇者にダメージが行くか、王を失って国にダメージが行くか……。どちらでも、魔王軍としては得だ」

 

 魔王軍としては得。では、潜在反逆者としてはどうか。

 勇者ダイにダメージが行けば、その弱みを突いて取り込み、手駒にし得る。

 国にダメージが行けば――最低限、魔王軍としてのポイントは稼げる。王を失えば軍事力の統制が緩み、侵略がしやすくなるだろうから。

 

「ともあれ、あとは勇者ダイを討つのみ……!」

 

 拳を握り述べる。

 

「ダイを叩く戦力は我々だけですか?」

「妖魔士団の担当するリンガイア王国も、魔影軍団の担当するカール王国も、抵抗が激しいからな……。今そこから軍団長を引き抜けば、これまでの戦果が水の泡になるほど徹底的に反撃されるだろう。

 勇者ダイ討伐という一大事だが、ここは俺と貴様でやるしかない」

「承知しました」

 

 リュンナは丁重に頷いた。

 今のところは、おおむね理想的だ。

 

 バーンが死にハドラーが生き残るには、ダイの成長はほぼ必須だろう。そのために強敵との死闘を強いつつ、戦場の不確定要素は小さい状況になった。

 ほとんどをリュンナの『味方』が占めているからだ。

 竜騎衆。

 

「ぼくたちは物の数じゃないってことかな、魔軍司令さま?」

 

 ベルベルが膨れっ面で言った。

 リバストとボラホーンも不満そうだ。

 

「リュンナのペットどもか……」

 

 ハドラーはまるで、今気付いたとでも言わんばかりだった。

 ずっとここにいるのだが。

 

「別に期待していないワケではないがな。精々役に立て」

「ふん! リュンナの役には立つけど、おまえなんか知らないもん!」

「我が姫の役には立つが、それ以外は知らぬ」

「お前ら、もう少し協調性を持つべきではないかとワシは思うが……」

 

 ここに来てボラホーンが常識人とは。いや、元からこういう性格か?

 ともあれ。

 

「実際、わたしとハドラーさまで結界呪法を使って迎え撃つ手筈だからね。それが主軸だから」

「分かってるけどさあ~」

 

 ベルベルを撫で倒して何とか宥める。

 

「そういうワケで、ダイたちが来次第――今日か明日か、もっと後かは分かりませんけど。準備はよろしいですか、ハドラーさま」

「問題ない」

「上手くダイを仕留めたら、傷を癒しつつ暗黒闘気と呪法で操っちゃいましょう」

 

 それも本音だ。

 ここで負けるようなら、素質は素質止まりだったということ。

 本物を、魅せて。

 

 

 

 

 そして数日後、ダイ一行は境の山を訪れた。

 かつて魔王ハドラーが尖兵に軍勢を整えさせていた場所。勇者アバンや勇者姫リュンナが、異変を調査しに登った山。

 そこに今、勇者ダイが。

 

 現在では超竜軍団の前線基地となっているその山には、多数の竜種が生息していた――が、最早この程度は、勇者たちの敵ではなかった。

 

「海波斬!」

 

 ダイの斬撃が、炎ごとドラゴンの首を断つ。

 その剣はドラゴンキラー。従来のジャマダハル型ではなく、普通の刀剣型のそれである。城の聖騎士団長から貸し出され、鍛冶師のサイズ調整を受けたモノだ。

 同様に鎧も調整してもらい、ドラゴンメイルを着ていた。

 

 ポップはスノードラゴンを、魔道士の杖で増幅したベギラマで焼き払う。

 マァムは前に出て、ドラゴンシールドでブレスを防ぐ。

 ヒュンケルは空裂斬で竜の急所を撃ち抜き、一撃で昏倒させていく鮮やかさ。

 ソアラに至っては竜と正面から切り結び、反撃の諸刃斬りで一方的に打ち勝つ始末。

 レオナは回復呪文を担当しているが、未だ出番はない。

 

 パーティーは以上6名――と数日前は想定していたが、まだいる。

 

 クロコダインの斧の一撃が、大型竜を叩き潰す。

 一方で小型の竜を、バルトスの6刀流が狩っていく。

 鬼岩城の足跡を死の大地の手前まで追跡し、その後戻ってきて合流したふたりである。

 

 そして最後にもうひとり――大魔道士マトリフ。

 ホルキア大陸の外れに隠棲していたところを、ナバラとメルルの占いで居場所を特定――迎えに行こうとしたが、マトリフが自分で感知されたことに気付き、アルキードにルーラで飛んできたのだ。

 

「くだらん王家のために戦うのは御免だったがな……。昔の仲間のためとなりゃ仕方ない」

「ごめんなさいね、マトリフ。あなたは静かに暮らしたかったのでしょうに」

「ふん、ソアラ王妃におきましてはご機嫌麗しくねえようで……! 俺もだ。リュンナの奴、何をやってやがる……」

 

 山を歩きながら『アバンの書』に目を通し、転びもよろけもしない器用さを見せながら。

 彼はカールにも寄ったようだ。その図書館に寄贈されていた、かつてアバンが自らの手で著した書物を手に入れてきた。

 

「瞬間的な破邪力においてはマホカトールをも遥かに超える、古の秘呪文マジャスティス――か。俺にこれを使えと」

 

 アバンの書、海の章に記されているのだろう。

 ソアラが頷く。

 

「ええ。大魔道士に使えない呪文はないもの」

「デイン系以外ならな」

「最早アバン先生のいない今、貴方にしか出来ないことです」

 

 作戦を発案したヒュンケルが述べる。

 

「マジャスティスで竜眼を消し去れば、リュンナさまは『人間』です。これで再び受け容れられる」

「……」

 

 ポップがその会話を一瞥した。

 本当に受け容れられるか? 彼女がそれを望むか? ――そんなところか。

 それでも竜眼を抑えるのは倒すに有効だろうという計算か、作戦そのものには賛成しているようだ。

 

 しかしマトリフは唸る。

 

「契約はできた。発動もできる。理屈の上ならな」

「どういうことです? マトリフさん」

 

 ヒュンケルは鋭い表情。

 

「血の五芒星を描いて魔法力を増幅する必要がある。もちろん術者の俺自身の血じゃなきゃダメだ。だが血を流し過ぎれば、呪文を使う体力が残らない……」

「そこは私がベホマでサポートするわ」

 

 レオナが名乗りを上げた。

 

「パプニカ王家としての責任もあるしね……」

「ふん」

 

 原作通り、マトリフはパプニカで相談役の地位に就いたが、周囲の家臣に冷遇されて出奔した流れがあるようだ。

 

「まあベホマがあってもだ。どの道、そうデカい五芒星は描けない。そこにリュンナを誘い込む必要が――」

 

 不意に大地が揺れた。地震。

 

「うわあっ!?」

「ダイ、トベルーラだ! 宙に浮け! 浮けない奴は掴まれ!」

 

 ダイ、ポップ、ソアラ、マトリフといった浮遊できる面々は浮遊し、ほかの仲間はそれに掴まって揺れから逃れた。巨躯のクロコダインのみは普通に伏して耐えたが。

 

 そうするうち、山の景色に異変が生じる。

 向かう先の砦を左右に大きく離れて挟むような位置に、巨大な構造物が地から生えるようにして出現したのだ。

 

 向かって左手側には、氷でできた塔。

 向かって右手側には、炎を纏う岩でできた塔。

 地震はそれらが出現する際に大地を裂いたことによるモノだと、誰もが知っただろう。

 

 ふたつの塔を繋ぐように光の橋が架かり、光が広がって――結界が生じる。

 ダイたちをも包み込む。

 

「こ、これは……っ!?」

「魔王軍の攻撃だ!」

「効果は――ひゃっ!?」

 

 トベルーラで浮いていたソアラが落ちた。

 次いでポップも落ち、マトリフは墜落ではなく着地に成功したが、やはり浮く力は失った様子。

 

「これって……?」

「メラ」

 

 大魔道士が確認のために火炎呪文を唱える。

 しかし何も起こらなかった。

 

「なるほど……まあ、つまりそういうことだな。敵対者の力を封じる結界呪法だ。恐らくあの氷の塔と炎の塔が起点! あの塔を破壊して結界を解かない限り、リュンナは倒せないだろう。それどころか、俺たちもここで襲われれば死ぬ。

 まあダイを除いてだが……」

 

 皆がダイを見る。

 彼は未だに浮いていた。額には(ドラゴン)の紋章が淡く輝いている。

 

「あの……おれ全然力が減ってる感じしないんだけど……」

 

(ドラゴン)の騎士の力か……。結界の呪力を跳ね返してるみたいだな。

 よし、パーティーを三つに分けるぞ。

 ダイはひとりでリュンナのところに行って戦え。上手くダメージを与えて追い込めば、結界も消えるだろう。

 あとは半々に別れて、それぞれ塔を壊して自力で結界解除を試みる。ダイについていっても足手纏いになるだけだしな」

 

 マトリフは冷静に述べた。

 

「塔を壊すって……壊せるのかよ?」

「結界を出て外側から攻撃すりゃいい。それなら力は元通りだろ」

「でも、危険じゃないですか!? おれもみんなと行動した方が……!」

「ダメだ」

 

 言い募るダイを、やはりマトリフは止める。

 冷淡なまでに。

 

「向こうはいつでも逃げられるんだぞ。待ち構えてくれてる今しか機会はねえ……! バランごと逃げられないように、お前が押さえなきゃならねえんだ」

「そ、そうか……! おれが父さんを……!」

 

 方針は決まったか。

 鷹の目を通して見ながら、リュンナは歓迎の笑みを浮かべた。

 



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82 勇者ダイ その2

 ――氷炎結界呪法。

 氷魔塔と炎魔塔を立て、その間の空間に作用し、敵対者の力を著しく減じる呪法である。

 

 別段、フレイザードが蘇ったワケではない。

 同じ(コア)を使って同じ種類の魔物を作ることはすぐに出来るが、記憶と人格を残すにはいろいろと面倒な手間がかかるそうで、まだ成っていないのだ。更にレベルアップもさせようとすると……。

 

 現実に結界呪法を実行したのは、リュンナとハドラーである。

 すなわちリュンナが氷魔塔を、ハドラーが炎魔塔を。

 それぞれの得意属性の塔を分担して立て、それらの力が、最終的に竜眼に作用して結界を形成している。

 

 そもそもフレイザードが生まれたのは、ハドラー単体では氷魔塔を立てられずに使うことのできないこの呪法を実現するため――という理由もあるそうだ。

 リュンナも最近やっと出来るようになった。

 

 ともあれ、結界は成った。

 国中に撒いた鷹の目の視点は既に回収し、今発動しているのはダイたちと氷炎それぞれの魔塔を見る三つのみ。ここまで減らせば、本体の戦闘力には影響はほぼない。

 

 案の定、彼らはパーティーを分ける様子。

 もちろんそれを見越して、氷炎両魔塔には護衛を置いてある。道中の超竜軍団も厄介だろう。

 存分に経験値を稼いでほしい。

 最終的に――

 

「――それがハドラーさまのためですからね……」

 

 全てはそこに帰結する。

 あまりにも自分勝手に、身勝手に。

 それでも。

 

 黒の核晶(コア)を排して、バーンに気付かれれば、殺される。

 そこで殺されない力を。

 そもそもハドラーの肉体そのものがバーンの暗黒闘気に依存しているのだから、やはり摘出のみでは意味がない。それこそ裏切り者として処分されてしまう。

 

 これはダイを鍛える戦いであると同時に、リュンナを鍛える戦いでもあるのだ。

 

「リュンナあああああ!!!」

 

 砦屋上、リュンナの傍らには氷漬けのバラン。

 そこにダイが飛んできた。トベルーラ。

 さあ、気持ちを切り替えていかないと。

 

「父さんを返せ!」

 

 長剣型のドラゴンキラーを振るい、容赦なく斬りかかってくる。

 吹雪の剣で受け止めた。

 

「そんなに返してほしいですか? あなたを捨てた父ですよ。憎くはないの?」

 

 吹雪の剣の冷気が魔氷気と混じり、ドラゴンキラーを冷却脆化――いや、竜闘気(ドラゴニックオーラ)の守りで届かない。

 鍔迫り合い。

 

「そりゃちょっとは怒ってるよ! でも――だからこそ、それをちゃんと伝えなきゃいけないんだっ! 言葉で! 心で! それをおまえに邪魔される筋合いなんて、ないっ!!」

 

 押し込んでくる。力が強い。

 よくぞその小柄で。ひとのことは言えないが。

 

「ダイ、あなたはソアラ姉上の子。わたしは叔母で、あなたは甥なんですけどね。それでも斬るんです?」

「家族が悪いことしてるなら、なおさらおれが止めなきゃいけないだろっ!!」

「これはしたり」

 

 脱力、後ろに倒れる力に巻き込む――巴投げ。

 ダイは床に叩き付けられる前に空中で身を翻し、閃熱を撃ち放ってきた。

 

「ベギラマ!」

「闇の衣――」

 

 魔氷気の膜を身に纏う。

 触れた呪文を支える想像力を冷やして自殺させる、凍てつく波動の原理――それを強烈に作用させて呪文を無効化、残りカスの魔法力も吸い取ってしまう。

 

「効かない!?」

「ヒャダルコ」

 

 吸い取った魔法力で冷気呪文を放つ。極寒の吹雪。

 ダイは咄嗟に海波斬で斬り裂くが、それでも余波に包まれ――何らのダメージもなかろう。

 

「お、おれにも効かない……! 母さんから聞いた通りか!」

「お互い、闘気の作用で呪文は効かない……。剣で来なさい、ダイくん。おばちゃんが遊んであげますから」

「その見た目でおばちゃんって言われてもな……!?」

 

 ダイは12歳、リュンナは外見13歳、ましていずれも小柄な方だ。

 

 しかし繰り広げられる剣戟は熾烈かつ鮮烈。

 ダイは大地斬の重い一撃と海波斬の素早い一撃で緩急をつけ、リュンナの呼吸を乱そうとしながら、隙を見せればそこに空裂斬すら飛ばしてくる。

 リュンナはそれを受け流し打ち払うことで相手の拍子を崩し、次の攻撃を都合のいい方向に誘導、そうしてできた隙を狙っていく魔神斬りの極み。

 

 ひとまず及第点か。

 

「そうだ、ずっと不思議だった……! どうして歳を取ってないんだ!?」

「おばちゃんは最早『竜』なんですよ、ダイくん。処刑で火炙りにされた体は、もうきっとベホマでも追い付かなかった。だから大魔王は材料を与え、わたしはそれで新しい竜の体を作った――」

「どの辺が竜なんだよ! どう見ても人間じゃないか! そりゃ額のそれはあるけど……!!」

 

 ごもっとも。

 しかし。

 

「中身が違うんですよ。人間、大切なのは中身だということです。人間じゃねーですけどさ。そう、つまり、結局処刑は正しかった――だからわたしは、アルキードを恨んでないんです」

「恨んでない……! 母さんも言ってたけど、ホントに、」

 

 その戸惑いが隙となった。

 剣同士を噛み合わせるように止め、空いた胴に膝を叩き込む。

 

「ぐ、っ……!!」

 

 そのまま蹴り飛ばして距離を開けた。

 仕切り直しの気配。

 

 13年前のバランに比べれば、剣術も精神も未熟だ。

 なんと御しやすいことか。

 まして今のリュンナは、当時より強くなっているのだ。

 

「だったらどうして!!」

「ハドラーさまのためです」

 

 問いに、あまりにも端的に。

 

「あの人に救われました。だから今度は、わたしが救って差し上げたい」

「くそっ、やっぱり操られてるのか!!」

 

 よほどハドラーの人望を信じられないらしい。

 思わず笑ってしまった。

 

「ま、気持ちは分かりますけどね……」

「みんなが来るまで、持ち堪えるしかない……っ!!」

 

 一触即発の空気――

 

「レムオル」

 

 リュンナの姿が、消える。

 

「それって……透明になる――、!」

 

 言い切る前に、背後に回って刺突。

 ダイは殺気で感じ取ったか、身を捻り、剣を鎧で滑らせて回避した。

 素晴らしい反応だ。

 

「アバカム」

「鍵を開ける呪文……っ!?」

 

 疑問に思ったでしょう?

 そうして一瞬でも思考に囚われることが隙になる。突きが薙ぎへと変化、その首を狙った。

 

「ううッ!」

 

 ドラゴンキラーで受け止められた。やはり反応がいい。

 彼は受けた衝撃で半歩下がり――そこで余計なモノを踏んで転ぶ。

 

「うわっ!? ――な、何で……!!」

 

 ドラゴンメイルが脱げて、部品ごとに散らばって落ちているのだ。それを踏んだ。

 

「アバカムですよ。留め金やベルトなんかを『開錠』しました」

 

 真空斬り、最早鎧下の布の服しか着ていない胴体へ剣圧。

 竜闘気(ドラゴニックオーラ)の膜で防いでもなお、鮮血が散り吹き飛んでいく。

 

「じゅ、呪文は効かないハズじゃ……!!?」

竜闘気(ドラゴニックオーラ)にはね。だからその膜の内側に剣を刺し込んで、そこから放ったんじゃないですか」

 

 魔法使いが杖越しに呪文を撃つように、リュンナは剣越しに呪文を撃った。それだけのことだ。闘気のバリアの内側で。

 戦闘面での感知能力は高いようだから、余計になったレムオルを解除する。

 次の呪文は――これだ。

 

「竜眼からマヒャド――」

 

 額の竜眼が、莫大な冷気を灯した。球体状の発射待機状態。

 

「両手でバギクロス――」

 

 両腕をクロスさせ、それを解くように振り下ろす。

 極大の十字真空刃が、マヒャドの冷気を巻き込みながら。

 

「――氷刃乱舞、マヒアロス」

 

 真空刃の圧力と冷気が無数の氷刃を生み、嵐の如く叩き付ける。

 合体魔法――元来は『この世界』にはなかった発想だ。

 しかし『呪文とは何か』を悟ったリュンナには、理論上は16年前から既に可能なことだった。それでも会得するにはかなりの時を要したが。

 

 ダイは竜闘気(ドラゴニックオーラ)の防御を頼りに、突撃の構え――その身が氷刃に抉られ、叩かれ、前進できないありさま。

 

「ぐあっ、あああああ!!? な、なんで――ッ」

「だってそれ、物理攻撃ですもの」

 

 竜闘気(ドラゴニックオーラ)に並の呪文は効かない。だが呪文の作用で生じた物理現象までは別だろう。

 その氷刃は空気が凍った氷で、それをバギクロスの力で強烈に飛ばしている。要は『その場で石を拾って投石している』のとある意味で同じなのだ。

 凍らせたのはマヒャドの力だから命中と同時に空気に戻るが、それ自体が爆発的な体積の膨張を伴うため、結局はダメージになるという寸法。

 

「魔法なのに、魔法じゃない、なんて……!!」

 

 ダイは伏して這い蹲り、立ち上がろうとする。

 

「世の中、完全な呪文耐性を持ってるからって、完全に呪文を防げるとは限らないんです。勉強になりましたね?」

「負、け、る、……かぁぁっ!!」

 

 阻害するように剣圧を飛ばしてやると、トベルーラで浮き上がることで避け、然る後に下り立った。上手い。

 

「父さん……待ってて。必ず、おれが……!!」

「あは」

 

 やっぱり勇者は、眩しい。

 さて、ほかの戦場はどうか……。

 




いつもお読みくださり、ありがとうございます。

試しに感想欄を再開してみました。
場合によってはまた閉じます。

返信はあまりしないと思います。
よろしくお願いします。


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83 炎魔塔の戦い

 炎魔塔を守るのは、ハドラーとリバストだ。

 

「――バルトス」

 

 そして現れた一行の中でハドラーの目に真っ先についたのは、地獄の騎士だった。

 

「ハドラー……」

「ククッ、もうハドラーさまとは呼んでくれんのか。やはり失敗作よな……。貴様も俺のもとに生まれたことを後悔していよう」

「いいや」

 

 褐色の骨の姿を晒したバルトスは、笑みすら浮かべて述べた。

 

「お蔭で息子と巡り合うことができたのだ。感謝している。貴様はワシに望まぬ非道を強いた残虐な魔王だったが――同時に、ワシの父でもある」

「ふん……」

 

 ハドラーは――頭上を通って両手を繋ぐ、炎熱のアーチを掲げた。

 極大呪文の構え。

 

「ならば『父親超え』でもしてみるか……? 不可能だろうがなァッ!!」

「くっ、海波斬!」

「海波斬ッ!!」

 

 バルトスと、そしてヒュンケルの斬撃がハドラーを止めようと襲い、前に出たリバストに弾かれる。

 4本腕のオークキングは、デーモンスピアを2本も携えていた。

 

「我が姫の命令だ。この『陸戦騎』リバスト、好きにはさせぬ!」

「私が退くようにお願いしてもダメかしら」

「ダメだな。姉君」

 

 ソアラが寂しげに、嬉しげに笑んだ。

 

「纏めて灰になれッ! ベギラゴンッ!!」

 

 リバストが射線からどき、ハドラーが極大の閃熱を放った。

 ドラゴンメイル、ドラゴンシールドといった炎に強い防具、或いは呪文に強い魔法の鎧――そういった装備があってなお、ベギラゴンの威力は絶大。

 海波斬を放った直後にヒュンケルとバルトスでは、更に相殺を狙うのは難しい瞬間。

 

「雑魚め……ッ!!」

 

 ハドラーは嗤い――

 ソアラが炎熱のアーチを掲げているのを見た。

 

「バカなッ……!! できるハズがないッ!!」

「――ベギラゴン!!」

 

 極大の閃熱同士が、激突した。

 まるで雷鳴めいた轟音を響かせながら、閃熱が押し合う。互角か。

 

「あり得ん、あり得んぞッ!! 人間風情がベギラゴンを使うなどとは……ッ!?」

「リュンナはギラ系を使えないから……! 代わりに私が覚えたの」

「う、ううう……ッ!!」

 

 姉上、腑抜けていたんじゃないんですか……?

 まさかベギラゴンまで覚えていようとは。

 

 ベギラゴンの撃ち合いを覚悟していたソアラと、魔族の専売特許だと思っていたハドラー。その意志力の差が、そのまま閃熱の威力の差となって表れる。

 

「ヒュンケル、バルトス! リバストを!」

「承知!」

「御意に……!」

 

 ソアラがハドラーを押さえている隙に、戦士たちがオークキングのパラディンを押さえる形。

 だがそのリバストも、黙ってやられるワケではない。

 

「ザラキ!」

 

 死の言葉の渦をヒュンケルに放ち――

 

「ワシには効かんな!!」

 

 バルトスが庇う。

 もともと死んだモノが動いている彼に、死の呪力は効かないのだ。

 

「くっ、素早い……!!」

 

 それでもリバストがザラキを選んだのは、確実にヒュンケルに当てる自信があったからだが、骨しかない体の身軽さや素早さが、計算を超えていたということ。

 バルトスはそのまま近付き、斬撃の嵐、6刀流。リバストも2本槍で打ち払うが、文字通りに手数が足りないありさま。

 

「ブラッディースクライドッ!!」

 

 そこにザラキから逃れたヒュンケルの、螺旋状の刺突剣圧が飛ぶ。

 猪の肩が抉れ弾けた。

 

「ベホマ! くっ、ダメか……!!」

 

 剣圧には暗黒闘気が乗っていたのだ。回復呪文が阻害される。

 同じく暗黒闘気の眷属であるリバストはそれを解除できるが、バルトスの剣を防御するのに忙しく、集中力が足りない。

 いわんや肩をやられ、2本の左腕の動きが鈍くなった今は。

 

 そうしている間にも、ベギラゴンのせめぎ合いは続く。

 ハドラーは一時の衝撃から持ち直し、自分寄りの位置でとは言え何とか押さえ防ぐことに成功していた。

 それどころか、少しずつ押し返していく。

 

「このハドラーを舐めるなァッ!! 人間がああー!!」

 

 ソアラのみなら、それで終わっていた。

 レオナがいた。

 

「ベギラマ!!」

「なにッ――」

 

 ソアラのベギラゴンに、更なる閃熱が上乗せされた形。

 これもハドラーの想定外だった。パプニカ不死騎団戦役でも、アルキード王都における竜との戦いでも、レオナにベギラマを使うほどの魔力は確認されていなかった。

 この数日で成長したのだ。

 

 それを可能としたのが――リュンナが編み出し、アバンが取り入れ、弟子のダイたちへと受け継がれ、そこからレオナへも伝えられた技術、死を想う『無の瞑想』によるモノだと、ハドラーは察した。

 それを察せる程度には、リュンナと時間を過ごしてきたから――だったら嬉しいな、と、鷹の目で見ながらリュンナは思う。

 

「ククッ、厄介な奴だ……!」

 

 だからハドラーが笑ったのは、目の前のソアラやレオナ相手に限ったことではないのかも知れない。

 

 レオナのベギラマを取り込み、ソアラのベギラゴンは肥大化。太陽めいた黄金の輝きをすら宿し、ハドラーのベギラゴンごと魔軍司令本体を飲み込む――その刹那。

 ハドラーは呪文を切って自由にした手で、マントの内から剣を取り出した。重厚に過ぎる鞘を備えた、物々しい剣だった。

 

鎧化(アムド)ッ!!」

 

 そして唱えた合言葉に反応して、鞘が展開膨張――ハドラーの身を包み、禍々しい全身鎧となって結実する。

 直後に3人分の閃熱エネルギーを身に受け、しかし、ハドラーは柳に風とばかりに平然と立っていた。

 

「そ、それは……!?」

「かつてバーンさまから賜った『鎧の魔剣』! 部下にでもやれと言われたが、リュンナはもともと呪文が効かんし、死蔵していたモノだ。今回引っ張り出してきた。存外役に立つモノだ……」

 

 それがどういったモノか、すぐに理解したのは、まずレオナだった。

 

「呪文が効かない……! 不死騎団長が使ったっていう、鎧の魔槍の仲間ってところみたいね」

「厄介な……! ソアラ王妃、交代を!」

 

 次いでヒュンケルが、担当する敵を入れ替えようとする。

 元から呪文の使えぬヒュンケルとバルトスならば、ハドラーの呪文耐性は関係ないからだ。

 

 だがハドラー自らソアラに踏み込んでいき、格闘戦に移行。

 この近い間合で下手に意識を逸らせば、その瞬間に殴り殺されるだろう。

 

「父さん、レオナ姫、任せた!」

「ああ、息子よ!」

「私もあっちってワケね……!」

 

 ヒュンケルはリバストから離れ、ハドラーの背に向かっていく。

 そのヒュンケルの背をリバストは狙ったが、バルトスの6刀流とレオナのベギラマに阻まれる。こちらには呪文が普通に効くのだ。

 逆にザラキに関しては、戦士のヒュンケルより賢者のレオナの方が耐性がある。

 

「ブラッディースクライドッ!!」

 

 鎧は斬撃には強いが、板金に覆われていない部分をピンポイントに狙う刺突には比較的弱いと言えよう。

 螺旋状の刺突剣圧がハドラーを背後から襲う。が、ハドラーはその途端、ソアラに組みつき反転した――ソアラを盾にする体勢。

 

「しまった!」

「いいえ――これでいいわ」

 

 ブラッディースクライドは、この世界ではリュンナの編み出した技だ。

 ソアラもまた妹の技として気に入り、会得していたらしい。

 胸に触れる剣圧に対し、体内の闘気に全く同じ螺旋回転を描かせることで受け流す――そんな芸当ができるほどに。

 そして受け流す先は当然、背にピッタリとついたハドラーの腹。

 

 あの、姉上、それわたしちょっと出来る気がしないんですけど。

 

「うおおおう……ッ!?」

 

 想定外の衝撃に、ハドラーは堪らずソアラを置いて吹き飛んだ。くの字。

 さしもの鎧にも穴が開く。いわんや、ハドラー自身の胴にも。

 

「空裂斬!」

 

 その傷にヒュンケルが光の闘気を打ち込んだ。

 筆舌に尽くし難い激痛と共に体内の暗黒闘気を掻き乱され、ハドラーの動きが止まる。麻痺。

 そこにソアラが、再び炎熱のアーチを。

 

「穴の開いたその鎧で耐えられるかしら。このくらい凌げなくては――」

 

 姉上、その続きは何ですか?

 妹を任せられないわ、とでも言うつもりですか!?

 

「ベギラゴン!!」

「うごあああああーーー!!!!」

 

 麻痺していたハドラーには相殺も防御もできない。

 太陽の閃熱が包み、弾け、炎の嵐。

 すぐに悲鳴は途切れ、光が晴れると、そこには両膝をついた鎧姿――

 

「カラね」

「逃げたか……」

 

 鎧の背中が開いている。

 麻痺が切れるまで自前の耐性で堪えた後、重い鎧を脱ぎ捨てて素早さを補うことで、何とか脱出したようだ。

 呪文を通さない鎧を纏えば、当然装備者自身も呪文を使うことは難しい――ハドラーには向かなかったか。剣も使わないし。練習はしたのに……。

 

 その頃にはリバストも更なる痛手を負っていた。不利を悟って離脱に至る。

 

 最終的に、炎魔塔はブラッディースクライドで破壊された。

 



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84 氷魔塔の戦い

 氷魔塔を守るのは、ベルベルとボラホーンだ。

 その姿を遠目に観察しながら、ポップ、マァム、マトリフ、クロコダインは地形の陰に潜んでいた。

 

「極大呪文は何か使えるか?」

 

 マトリフがポップに問う。

 

「いや……。契約はしたんだけど、レベルが足りないみたいだ」

「ベギラマは?」

「それなら」

「じゃあ俺はベギラゴンを撃つ。一緒に撃て。そっちの――クロコダインか、オメエも何か大技があるならそれを」

「うむ」

「私は?」

 

 ひとり名を呼ばれなかったマァムが首を傾げる。

 

「オメエはパラディンだろ? 防御だ」

「奇襲なのに?」

「隙があり過ぎる。見ろ、あくびしてやがる」

 

 金髪の魔族の少女の姿をしたベルベルがふわふわとあくびを漏らし、巨漢のトドマンに凭れかかって眠そうにしていた。

 

「いつ俺たちが攻めてくるか分からんのに、あり得ないだろ。あからさまな誘いだ。何を企んでるのかは分からんが、何かを企んでる。だから防御の準備だ」

「……分かったわ」

 

 まだ半ば釈然としていない様子だが、マァムは盾を構え、闘気を高め始めた。

 ポップが肩に手を置く。

 

「頼りにしてるぜ、マァム。お前が守ってくれりゃ、俺も本気で呪文をぶっ放せる」

「ええ、任せて」

 

 マァムにとってのポップは、最初から頼れる魔法使いだった――それがこの世界のありさま。

 ヘタレやスケベによる確執がないからこそ、ポップの側からのマァムの印象も良くも悪くも『仲間』の一語に集約されるモノで、その信頼関係はとてもサッパリしていると見える。

 

「よし、狙うのは氷魔塔だ。行くぞ……」

 

 マトリフが合図をし、

 

「ベギラゴン!!」

「ベギラマ!!」

「獣王痛恨撃!!」

 

 閃熱と闘気渦が奔り、氷魔塔を狙った。

 それと全く同時に、ベルベルはふわりと浮き上がる――彼女の触手は鋭敏な触角を兼ね、それが髪になったことで更なる繊細さを得たのだ、奇襲に気付かない理由がない。

 射線上に飛び込んで――

 

「マホカンタ」

 

 呪文反射呪文。

 

「クソッ!!」

 

 マトリフがベギラゴンの照射をやめ、ポップの腕を叩いてベギラマも止める。だが既に撃った分は止まらない。

 ベルベルの前に輝く光の壁が、ふたりの閃熱を跳ね返す。

 痛恨撃すら、ボラホーンが凍てつく息で気圧を掻き乱してそよ風に変えてしまった。

 

「相殺――いや、マァム!」

「安心して!」

 

 マァムが前に出る。

 炎熱にも強いドラゴンシールドが闘気で輝き――その物体盾を芯にして、闘気盾(オーラシールド)が生じた。闘気剣(オーラブレード)の技術の親戚だ。

 闘気盾(オーラシールド)は芯よりも巨大で広範囲を守る、最早壁めいた様相。

 反射された閃熱を受け切った。

 

「なあ、呪文ってなんか不遇じゃねえか……!? 今更だけどよ! 簡単に無効化されたり跳ね返されたり!」

「それでも呪文を使うしかねえんだよ、俺たちは……! スカラ!」

 

 マトリフの発した赤い光がクロコダインを包み込む。

 

「守備力の強化だ! 頑丈になったろ、突っ込め!」

「心得た!」

 

 隠れていた岩場を出て、クロコダインが走る。

 迎え撃つのはボラホーンだ。

 

「如何にも怪力に優れそうなその巨体! グフフッ……ワシと勝負してもらおう」

「望むところよ……! 我が名は『獣王』クロコダイン!」

「『海戦騎』ボラホーン!!!」

 

 がっぷり四つに組み合った。互いの吐息が届く距離。

 それをより高く浮いたベルベルが見下ろす。

 

「『空戦騎』ベルベル。さて、スカラがかかってるね? これは公平じゃないな~。ルカニ!」

 

 青いが光が走り、クロコダインのスカラを剥がした。

 だがそれは、その一手分、ベルベルに他の行動をさせなかったということ。

 

「誰かと思えばベルベルかよ……!」

 

 トベルーラで接近したマトリフは、

 

「イオ!!!」

 

 呪文の位階を落とし、量で攻めた。

 両手から次々と放たれる光弾は、マホカンタの光の壁を迂回し、ベルベル本体に迫っていく。

 

「バギ。久し振りだね~元気だった?」

 

 だが真空の渦が光弾を煽って道筋を歪め、光弾同士で衝突させ相殺してしまう。

 あまつさえ同時に、氷のブーメランを投擲。炎のブーメランと対を成すレア武器だ。

 

「当たるか!」

 

 マトリフのトベルーラは一流だ。地上を自らの足で走るより、魔法で飛んだ方が彼は遥かに素早く身軽。真正面から来るブーメランを避け、

 

「危ない、マトリフさん!」

 

 地上からマァムの投げた槍が、マトリフの背後でブーメランと激突した。

 あまりにも鋭角に旋回し、マトリフの背を狙っていたブーメランとだ。

 

「反応いいね? それとも勘がいいのかな」

「前よりやるじゃねえか……!!」

 

 マトリフがその左右の手に、放電めいたエネルギーの表れさえ伴う光弾をそれぞれ宿した。

 

「効かないよ?」

「試してみろ。――イオナズンッ!!」

 

 その両手を前方で並べれば、ぶつかり合う光弾はひとつの渦となって混ざり迸る――ベルベルのマホカンタで反射――

 

「イオナズン……!!」

 

 2発目で相殺。大爆発――爆煙が視界を殺す。

 

「目潰しのつもり? いや――」

 

 触手を触角として使おうにも、空気が激しく掻き乱されている。精確な感知ができない。

 だがそれは相手も同じハズ――トベルーラで位置を変えながらも、ベルベルは警戒した。

 

「おぐああああああああああああああ!!!!!」

 

 そしてボラホーンの絶叫で、真意を知る。

 ベルベルは放置されたのだ。

 爆煙の中、彼女を置き去りにして、先にトドマンを片付ける作戦だった。

 

 晴れた煙の向こうに、焼け焦げて倒れる巨躯が見える。

 

「ボラホーンしっかりして!!」

「む、無念……!」

 

 傍らで座り込むクロコダインは、重い疲労に襲われている様子。

 肩で息をしている。

 

「俺に勝るとも劣らぬ力の持ち主だった……! 一対一で戦えなくてすまないが……これは、正義と悪との戦争なのだ……!!」

 

 クロコダインが押さえている隙に、ポップとマトリフが呪文で焼いたのだろう。

 撃ち終えた姿勢のふたり。

 ――もうひとりは?

 

「虚空閃!」

 

 マァムは氷魔塔を駆け上がり、既にベルベルの上を取っていた。

 心眼が魔法力のムラを暴き出し、闘気の刺突がマホカンタを撃ち抜く――光の壁が粉砕。

 

「闘魔傀儡掌!!」

「ううッ……!?」

 

 だがそのマァムを、ベルベルの放つ暗黒闘気の糸が絡め取った。

 あまつさえ彼女のすぐ背後にある氷魔塔、その極太の棘めいて尖った氷へと叩き付けるように操る。

 

「マァムーー!!! ルーラ!」

 

 行ったことがなくても、見えている範囲にはルーラで飛べる。

 ポップがマァムを抱き止めて庇い――身代わりに彼が氷に抉られた。トベルーラの浮力で抵抗し、貫通するほどではないが。

 

「ぐああっ!」

「ポップ……!!」

 

 更に予備の氷のブーメランが放たれた。

 それはマァムの魔法の鎧を拉げさせ、その向こうにいるポップを更に氷魔塔へと押し付けていく。

 

「そのまま塔のオブジェになりなよ。ぼくに勝てないようなら、どうせリュンナにも勝てないんだからさ。

 マ――ヒャ――ド――!!!」

 

 その両手と、髪触手、その全ての先端に冷気の塊が灯った。計11。

 

永久凍土衝(エターナルフォースブリザード)ッッ!!!」

 

 リュンナの影響で、攻撃呪文ではヒャド系を得意とするベルベルだ。

 なおかつ本性はホイミスライム故に、魔法を放てる『手』の数が抜群に多い。

 その威力も、範囲も、フレイザードが同じ技を使った際の比ではない。

 

「ベギラマ!」マトリフは自分に降る吹雪を、背後にクロコダインを庇いながら防ぎ、「ニフラム!」もう片手で聖なる光をマァムに飛ばし、傀儡掌の縛めを解いた。

 

 マァムが闘気盾(オーラシールド)を再形成して防ぐが、闘気ごと凍結していくありさま。

 ポップはその後ろからベギラマを放ち――押さえ切れない。

 

 ふと吹雪の向こうに、マトリフが片手を用の済んだニフラムから切り替え、両手でベギラマを放っているのが見えた。

 それでもジリ貧だ。極大呪文を既に3発も放った以上、

 

「ガフッ、……!!!」

 

 体がついて来ない。血を吐く。

 如何に無の瞑想を取り入れて魔法力の運用を効率的に行おうと、体力までは如何ともしがたいのだ。

 

 だがそれは、ポップにきっかけを与えた。

 右手からベギラマ。それとは別に、左手からベギラマ。

 できた。吹雪を防げる。だがやはりジリ貧。

 その上で。

 

 もしそれを別々でなく、ひとつにできたら――と、思い至れたか?

 

「マァム、一瞬でいい、防御を!」

「それが役目だもの……ッ!!」

 

 闘気盾(オーラシールド)を凍結粉砕される傍から補強、ベルベルの永久に続くかのような吹雪を支える。ポップのベギラマなしで。

 なぜならポップは、両手に灯したベギラマの光を頭上で重ね合わせ――

 

「うおおおおおおおお!!!!」

 

 ――両手で支えて撃ち放つまでに、この数秒が必要だったから。

 

「ベギラゴンッッ!!!」

 

 マァムを後ろから挟み抱くように両腕を前方へ伸ばし、その組み合わされた手指から極大の閃熱が生じる。

 

「うそぉん……」

 

 ベルベルは半笑いでその光景を見た。

 敵4人に拡散する永久凍土衝(エターナルフォースブリザード)の吹雪よりも、一点に集中したポップの閃熱の方が強い――吹雪が貫かれるのを、見たのだ。

 かと言ってそちらに吹雪を集中すれば、マトリフのベギラマに焼かれる。

 どの道やられるなら――

 

「――見事!! ってやつだ」

 

 閃熱を前に吹雪は蒸発し、弾け、多少は威力を減じたが、そこまでだ。

 マホカンタも使えなかった――必要な集中力が極めて大きいからだ。この鍔迫り合いの最中では、とても。

 ベルベルは、ベギラゴンに焼かれた。

 

「ぎゃっ、あああああが、!! ……ッ!!!」

 

 炎上しのたうちながらトベルーラの浮力を失い墜落、それでもリリルーラでボラホーンを回収して逃亡はする。

 

 最終的に、氷魔塔はベギラゴンで破壊された。

 



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85 勇者ダイ その3

 氷炎の両魔塔が崩れ去り、結界呪法は潰えた。

 そんなことは、リュンナにもダイにも関係はない。この呪法は術者には効かないし、竜闘気(ドラゴニックオーラ)の噴き出すダイにも効かないのだから。

 故に結界の有無に一切影響されることなく、ダイはただ一方的に打ちのめされていた。

 

 息は荒く、血溜まりを作り、それでも立つありさま。

 かつて全盛期のバランと渡り合ったリュンナが、それに劣るダイに負ける要素はない。まして当時より強くなっているのに。

 

 ダイの力が『正面戦闘の力』に特化している、というのも原因のひとつだが。

 搦め手や騙し討ちがない、特殊な力もない。(ドラゴン)の紋章は特別ではあるが、結局は攻撃力と防御力を上げて正面から殴るための力だ。

 (ドラゴン)の騎士として完成していれば、それでも充分過ぎるほど強いのだろう。

 

「ど、どうし……たんだよ。攻めて来ない、のか……?」

 

 距離を置いて向かい合う形。

 ダイが掠れた声で問う。血まみれ。

 

「疲れたかと思いまして」

「まだまだ、やれるぞ……」

 

 対するリュンナは無傷、泰然。

 

 何度打ち合い、斬られず、斬ったことか。

 多くのヒントを与えた。こんな技もある、こんな戦い方もある。じゃあ、どうする?

 答えを掴むのはダイ自身だ。これからの成長で。

 しかしそろそろ、打ち止めだろうか。

 

 砦内部に逃げ戻ったベルベルが呪法装置を起動し、屋上のリュンナとダイの様子を天空に映し出していることにも、気付いた様子がない。

 

 長剣型ドラゴンキラーを振るう――あら鋭い。

 力を『入れる』のではなく『出す』体の使い方。

 いちいち意識せずとも、全ての一撃が大地斬の境地。

 大地斬相当の技である魔神斬り・序でなくば、逸らすのは難しかった。

 

 人間、メチャクチャ疲れると、いちばん楽な動きをしようとするモノなんです。つまり、いちばん自然な動きをね……。

 アバンの声が聞こえてくるかのよう。

 自然な動き、つまり、最も合理的な動きだ。強い。

 

「どうしてそうまでして戦うんです?」

 

 誰に対してもそこが気になってしまうのは、自らが凡人の故だろうか。

 凡人ではないダイは、即答した。

 

「おれは、勇者だから……っ!」

「勇者だから、どれだけ酷い人間でも?」

「そうだっ! 勇者は絶対に見捨てない!!」

 

 ダイの剣速が上がってくる。

 力を『込める』のではなく『通す』体の使い方。

 いちいち意識せずとも、全ての一撃が大地斬であり海波斬でもある境地。

 殺気による防御動作の誘導、そしてわざと隙を見せる心気での攻撃動作の誘導を交える魔神斬り・破でなくば、受け流すのは難しかった。

 

 地の技の次に海の技が来るのは、テキトーじゃあありませんよ。力があってこそ速さが生まれるのです。速さとは、力をどう使うかということですから。

 先輩。アバン先輩。

 だからそれは、合理を超えた更なる高みの追求。

 

「どうして勇者なんです。アバン先輩に憧れたから?」

「その前から!!」

「どうして?」

「大切なモノを守りたい気持ちに、『大切なモノを守りたい』以上の理由なんて――要るかあっ!!」

 

 ダイの心が研ぎ澄まされていく。

 力を『ぶつける』のではなく、『突き刺す』心身の使い方。

 いちいち意識せずとも、全ての一撃が大地斬であり、海波斬であり、空裂斬でもある――それすなわち、全ての一撃がアバンストラッシュである境地!

 持ち手こそ順手だが、決まった型こそないが、その在り方がストラッシュだった。

 

「あは」

 

 魔神斬り・急。減速なしに鋭角自在、雷光描く太刀筋。

 それですら、もう、打ち払うのが難しい。剣から伝わる衝撃で手が痺れる。じわじわと追い詰められていく。

 あと13手で、詰む。

 

「会ったことも見たこともない人の方が多いでしょうに、勇者として地上全てを守るんですか? 本当にそれは大切なんですか?」

 

 ただし詰みに持ち込まれるのはダイの方だ。

 最早呪文で小細工をする余裕もなく剣戟に集中しているが、それでも使える技がある。まだ使っていない技が。

 正面から不意を打ってくれる。

 

「これから会うかも知れないだろっ!」

「だからって全員に会うワケじゃないでしょ?」

「でも、おれが会った人も、別の誰かに会ってるんだ。出会って、話して、喧嘩したり、笑ったり――それで、『おれが会ったその人』になった! その別の誰かにおれが会うことがなくたって、おれには必要な人だっ!」

「それは」

 

 あと7手。

 

「その別の誰かが出会った、また別の誰かも……その人が会った、もっと別の誰かも! みんな! 魔王軍が無闇に傷付けていい人なんか、ひとりもいないっ!!」

「それは――」

「ポップも、マァムも、ヒュンケルも……。ほかのみんなも! おれの知らない出会いがあって、そうして仲間になったんだ!」

 

 5手。

 

「わたしね、ダイくん。わたし、自分の国以外、どうなってもいいと思って勇者やってたんです。魔王ハドラーの時代ね」

 

 4手。

 

「でも、違ったんですね……。わたしはアルキードの勇者だったけど……ダイくん――」

 

 3手。

 

「あなたやアバン先輩みたいな、本物の勇者じゃなかった」

 

 2手。

 

「そして今も」

 

 1手。

 ――竜眼閃!

 

 竜眼から放つ、魔氷気の閃光、一条。紋章閃の親戚と言える。

 決して相手を見逃さぬ竜眼の視線が、そのまま照準に、そのまま威力になる技。

 視線で人を殺せたら――を現実にするようなモノ。見ると当たるが同時。

 故に必中、故に必殺。

 最後の一撃のために大きく剣を振り被るダイの、そのがら空きになった胸を――

 

「アバン流」

 

 その声は、やけにゆっくりと聞こえた。

 時間が粘つくほどに遅くなる感覚。

 死の、手前の感覚。

 

「雷光斬!」

 

 振り被っている最中だったハズの剣が、もう、眼前に来ている。

 一切の減速のない自在鋭角、雷光の太刀筋。

 そうだった。

 わたしの剣も、教えてたんですよね。先輩。

 しかも、こんな練度にまで……。

 

 ダイのドラゴンキラーが、竜眼閃を弾き、そのままリュンナの胸を真一文字に斬り裂いた。

 この戦いで竜眼姫が受けた、最初のダメージがこれだ。

 胸骨を断ち、肺を断ち、心臓――はギリギリ避けた。

 

「ぐふ、っ……!!」

 

 たたらを踏む。

 鮮血の華、大輪。

 

 ダイもまた息切れし、追撃はないのが救いか。

 

「痛い……」

 

 胸を押さえて、呻く。

 胸が痛い。奥深くが、痛い。

 

「もし、13年前に……今のダイくんと会えてたら……。きっと、あんなことには……ならなかった。

 わたし、わたしは、この国に拒まれて……魔物扱いで……。王女として、尽くされたから、尽くしていたのに……もういいって、捨てられて……。ハドラーさまが拾ってくれたんですよ。それは、嬉しかったんです。でも。ああ」

 

 ダイは油断なく剣を構えながら、それでも攻撃して来ない。

 その立ち姿は悠然。全身傷のない部分がないほど血まみれなのに、反撃を始めてからの方がいっそ調子が良さそうだ。

 

「一国に捨てられたからって、地上全部を捨てるなんて――やっちゃいけなかった……。アルキードだって、周りの国に支えられて……周りの国は、また別の国に支えられて……みんなで生きてるんだから。

 わたしは地上全てに支えられていて、地上全てに尽くさなきゃいけなかったんだ」

 

「尽くさなきゃ――『いけない』っていうのは、ちょっと違う気がするけどね。おれは、尽くしたい。この地上が……好きだから……」

 

「好きだから?」

 

 ダイは頷いた。

 何の躊躇いも、衒いもない。

 素直に、純粋に。

 

「そうだね。好き――わたしも……ハドラーが好きだから」

「リュンナッ、……!」

 

 内臓の再生が終わった。竜たる身の圧倒的生命力。これまでも何度も傷を負い、その度に強くなってきたのだ。

 次にもう一撃を受けたら、体力的に危険だが……。

 だから吹雪の剣を右逆手で持ち、全霊の魔氷気を集中、身を捻り大きく振り被った。

 

「おばちゃん頑張っちゃうよお、ダイくん……!」

「やり過ぎた、って思ったけど……そうでもなかったみたい……!?」

 

 ダイが苦く笑った。

 

「ライデイン!」

 

 そして剣に雷を落とし、右逆手、身を捻り大きく振り被った。

 

「ねえ、リュンナ……さっきはごめん。ハドラーに操られてるんじゃないんだね」

「はい、素面なんですよ。おばちゃんは」

「そっか」

 

 ダイは納得したようだった。

 

「どんなところが好きなの?」

「可愛いところ。放っておけないところも」

「おれも……リュンナを放っておけない……!!」

 

 だから、激突する。

 

「――ゼロストラッシュッ!!」

「ライデインストラーーーッシュッ!!!」

 



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86 勇者たち

 ――などとヒロイックに激突したところで、ギガブレイクとすら相殺したゼロストラッシュが、位階の落ちるライデインストラッシュに負けるワケがない。

 たとえダイの剣術技量が尋常でなく高まっても、純粋な攻撃力が違う。

 魔氷気がライデインオーラを殺し、余った威力でダイ自身の身をも縛り付ける。氷漬け。

 

「くっ、おおおおおお!!!!」

 

 気合の叫びと共に竜闘気(ドラゴニックオーラ)を全開にして吹き飛ばそうにも、氷が邪魔で闘気が噴き出して来ないありさま。氷魔傀儡掌やヒャドカトールに近い状態だ。

 

 これで少し余裕ができた。

 先ほどの激しい剣戟は、全ての感覚をダイに集中しなければならなかった――別行動の敵味方を監視する鷹の目も回収していたのだ。

 それを今、再び放つ――

 

「ベギラマー!!!」

 

 ――間際、ポップの呪文。

 大技の直後、闇の衣が薄い。避けた方がいい。

 後退し避難すると、閃熱は即座に向きを変え、ダイを縛る氷を排除した。

 

「空裂斬!」「虚空閃!」

 

 ヒュンケルとマァムの空の技が、竜眼を狙ってくる。

 竜眼閃で薙ぎ払った。

 

「リュンナさま! ご無礼を!」

 

 魔氷気の閃光を掻い潜って、バルトスが肉薄。

 6刀流を纏めて跳ね飛ばすが、それが隙。

 

「獣王痛恨撃!!!」

 

 クロコダインの闘気渦による足止めを、甘んじて受けることになった。

 

「これはまたゾロゾロと……」

「ダイはやらせねえ! 俺たち全員倒さなきゃ、ゲームオーバーにはならねえってことだぜ! リュンナ!!」

 

 ポップが啖呵を切り、イオラを放ってくる。

 回避、或いは真空斬りによる打ち払いは難い。

 呪文を無効化し魔法力を吸収する闇の衣を纏い直し、

 

「空裂斬」

 

 ソアラの光の闘気が、右腕を後ろから撃ち抜いた。

 その部位のみだが、闇の衣が剥がされる。

 爆裂呪文が着弾――防げず、右腕が焦げ、吹雪の剣を弾き飛ばされた。

 

「姉上……!!」

「悪戯が過ぎるわね、リュンナ。バランは返してもらうわ」

「冷たい声の姉上も素敵」

「もう」

 

 イオラの爆風に乗る形で痛恨撃の渦から脱し、氷漬けのバランに駆け寄った。

 一同、攻撃を一瞬躊躇する気配。凍結したバランを砕いてしまうことを恐れたか。

 

 ダイのみが、躊躇わなかった。

 同じ(ドラゴン)の騎士だから、という無言の信頼なのか?

 

「ベギラマ――」閃熱を剣に宿し、「ストラーッシュッ!!」

 

 閃光、光熱――斬撃がそれを鋭く収束し打ち込む魔法剣の一撃。ストラッシュ(アロー)

 また的確なタイミングで闇の衣を剥がされては敵わない。氷バランを盾に凌いだ――が、ダイはそのまま攻撃を続行。もともとバランの氷を融かすことが狙いか。

 だが禁呪法レベルの封印は容易くは解けぬ。

 

「だったら、これでどうだよ……!!」

 

 ポップが炎熱のアーチを頭上に掲げた。

 本当に成長したモノだ。

 

「マヒャド!」

 

 冷気呪文で相殺する――いや、マァムの闘気盾(オーラシールド)が冷気を阻んだ。

 あまつさえヒュンケルのブラッディースクライドが横合いから迫り、冷気放射を阻んできた。

 

「もいっちょマヒャド!!」

 

 だがそれも剣圧ごと――凍らない。

 

鎧化(アムド)!!!」

 

 鎧の魔剣が、ヒュンケルを包む。

 剣自体にも呪文は効かない。

 その性質はスクライドの剣圧にすら波及し、身を穿たれた。

 

「んあっ、……!!」

 

 吹き飛ばされる。ポップに向けマァムに防がれたマヒャドも逸れた。

 故にマァムもその射線からどき――

 

「ベギラゴンッ!!」

 

 禁呪法レベルのヒャドカトールとは言え、流石に極大閃熱呪文はキツい。

 何となれば、封印されているバラン自身もまた内から抵抗しているのだ。その相乗効果。

 それでも解け切らない。

 

「カアアーッッ!!」

「シャアアッ!!」

 

 クロコダインの焼けつく息(ヒートブレス)を、自らの口から吐く吹雪で相殺。

 更にソアラの剣とヒュンケルの剣をそれぞれ片手ずつで防ぎ、ポップを竜眼閃で狙ってマァムを防御に釘付けにする。

 

 ――束の間の膠着。

 

「マトリフさんとレオナちゃんはどこです?」

「さて、どこかしら」

 

 ソアラは素知らぬ顔。

 鷹の目で周囲を探る――いた、少し離れた森の中。

 

 マトリフが血の五芒星を描き、レオナがベホマで回復してそれを補助している。マジャスティスの準備だ。ついでにゴメちゃんがレオナの肩に。

 そこに追い込む、誘い込むではなく、誰かが抱きついてルーラ辺りで連れ込む気か。マジャスティスなら巻き添えになっても問題はないから。

 その周囲には超竜軍団の死骸、残骸。山に放った竜はほとんと片付けられたようだ。

 

 マトリフ、レオナは砦の外。

 今、屋上にいるのは、ダイとポップはバランを解かそうとして、マァムがそれを守り、クロコダインとヒュンケルとソアラはリュンナを押さえている。

 あとひとり。

 

「ワシをお忘れですかな、リュンナさま」

 

 背後、バルトスの声。

 忘れてはいない。

 その気合溜めを妨げる余裕がなかったのみだ。

 

「ヘキサ・ブラッディースクライドッ!!」

 

 6刀流、6本のブラッディースクライド――それは、非合理的だ。

 少なくともリュンナの編み出したスクライドは、全身を協調させ、力を一点に集中するから強いのだ。6等分のスクライドなど、威力が分散し過ぎて、一発一発が闇の衣を貫けない。

 いや、違う、この角度は――

 

「がはッ、……!!!」

 

 貫かれた。『6本の刺突剣圧を一点に集中する』ことで、その交差した一点での破壊力を飛躍的に向上させたのだ。

 しかもそれは『線』から『点』への集中でもある。弱いワケがない。

 

 右脇腹が内から弾け飛び、右腕の力が低下。

 そちら側の手で相手をしていたヒュンケルが押さえられなくなり、右腕をも斬り落とされた。

 

「ちょっとバルトス、ヒュンケルも!」

「申し訳ない、ソアラ王妃。しかしあとで治せます――今は必要なこと!!」

 

 バルトスやヒュンケルとてリュンナを敬愛しているにも(かか)わらずの蛮行。

 それだけの覚悟か。

 

 リュンナがフラついて倒れそうによろめくころ、ダイの絶叫が響き渡る。

 

「目覚めろ――おれの中の竜よ!!!」

 

 ベギラマストラッシュを(アロー)から(ブレイク)に切り替え突っ込む――それどころではない、ポップの極大閃熱呪文すら剣に吸収していく。

 ベギラゴンストラッシュ。

 

「目覚めてよ!!! 父さん!!!!」

 

 額の紋章が眩いばかりに輝き、呼応して氷の中のバランの紋章さえ輝きを増す。共鳴。

 そしてストラッシュの命中と同時、氷は内外から蒸発し、吹き飛ばされた。

 

「ディーノ――いや、ダイ。聞こえていたぞ……お前の声が……」

「父さん……」

「私が愚かだった。私のすべきは、まずお前を抱き締めてやることだったのに……!! 自慢の息子だ、と言って!!」

 

 バランがそれを今まさに実行し、ダイを抱き締めた。

 

「もう放さん……!! 国民がどれだけ反発しようとも――私とソアラとダイ!!! 家族で共に生きるぞッ!!」

「うん、父さん!! あ、でもブラスじいちゃんも一緒がいいな」

「その方は魔物だったな。ならば大魔王を斃し、世界を平和にしなくてはな……!」

 

 ダイからもバランを抱き返し、更にソアラがふたりを包む込むように抱くさま。

 

「おかえりなさい。あなた」

「ああ。心配をかけたな……」

 

 涙を堪える声、洟を啜る音さえ聞こえてきた。

 

 リュンナは胸に一文字の傷、右脇腹が内から弾け飛び、右腕が上腕で落とされている状態。吹雪の剣も弾き飛ばされた。

 魔氷気で傷を凍らせて出血を防ぎながら、竜の再生能力とベホマでダメージを癒しているが、それでも完治は遠い。

 座り込む。

 

「良かった、良かったなあダイ……!! 本当に良かった……!!」

 

 涙脆く泣くポップだが、言っていることは全員の代弁のようなモノだろうか。

 それこそ、リュンナも含めての。

 

 ヒュンケルが鎧の魔剣の剣部分を、鎧化した兜にバチンと嵌め込んだ。剣身が鞭めいて撓る状態へと。

 

「リュンナさま」

 

 そして告げる。

 

「マジャスティスを受けてください。竜眼を消し去り、再び我々の世界に戻って来ていただきたいのです。

 人間をお恨みかも知れませんが、心底から魔道に堕ちたワケではないでしょう? でなくば我が父を操っていたハズ。貴方にはまだ正義の心がある……!」

 

 手を差し伸べられ――もちろん、その手を取らない。

 そしてふと、ソアラが、

 

「そのことなのだけど……ヒュンケル」

「ああ、母さんも分かるよね」

 

 ダイも、ヒュンケルを制止するよう、彼がリュンナに差し伸べた手を下げさせた。

 

「何だ……? ダイ。ソアラ王妃も……」

 

 不思議そう。

 

「リュンナは、それでは来ないわ」

「うん。リュンナはハドラーが好きだから」

「そんなハズがあるか!! いくら助けられたからとて、なぜハドラー如きを……!! そんなことのために、アルキードを苦しめるのはともかく、アバン先生やベンガーナをまで攻撃したと言うのか!?」

 

 ハドラーはどうしてこうも人望がないのだろうか。

 彼のカッコいいところを、わたし以外は見ていないからか。

 人望なんかなくてもいい。

 

「空っぽになったわたしに、中身を注いでくれた人だから」

 

 座り込んでいたリュンナが、立ち上がる。

 

「放っておけない、可愛い人だから」

 

 傷は塞がっていない。

 

「誰よりも頼りになる人だから」

 

 だから体力よりも、気力で。

 

「ハドラーさまのために、あなたたちと。まだ」

 

 この程度ではバーンに勝てない。

 もっとだ。もっと、もっと、限界を超えて絞り出せ!

 更なる高みに上り詰めろ!

 わたしのハドラーのために。

 

 莫大な魔氷気が、リュンナを中心に吹き荒れた。

 

「そんな――まだ戦うの……ッ!? そのダメージで!?」

 

 マァムはリュンナの心配をした。

 

「本当なのですか……!? リュンナさま! 本当に、あのハドラーに心を売ってしまわれたと!?」

 

 ヒュンケルは困惑した。

 

「こっ、この闘気は……!!」

 

 クロコダインは戦慄した。

 

「今度は不覚は取らんぞ……! ――真魔剛竜剣がない!?」

 

 バランは今更のように気付いた。

 

「あは」

 

 リュンナは、笑って。

 そして歯を食い縛り、叫んだ。

 

「――ド・ラ・ゴ・ラ・ム!!!!」

 



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87 竜の親子

 魔氷気が吹き荒れ、逆に大気はリュンナを中心に渦を巻いて収束していく。魔氷気が空間を冷やし、それが低気圧を生じているのだ。上昇気流が竜巻めいて駆け抜け、暗雲が天蓋を覆う。

 天変地異のありさま。それに比べれば、リュンナ当人に現れる変化は小さい。

 

 脱ぎ去ったドラゴンローブの下、手足が白銀の鱗に覆われていく。下着は弾け飛び、鱗がそこに生体鎧を構築した。

 銀髪が伸び、絡み合って複数の束を作ると、それが骨格となって背には皮膜の翼が、臀部の上には細長い尾が形成される。更に頭部の左右には角が。

 半竜半人。人竜。

 その溢れる生命力が、胸や脇腹の傷を塞いだ。流石に右腕が生えるには時間がかかるが。

 

 雨が降り始めた。

 それはすぐに(みぞれ)へと変わり、更に(ひょう)に変わる。

 

「りゅ――竜魔人……!?」

 

 バランが呻いた。

 その言葉の意味を知らずとも、そこに込められた戦慄を、誰もが感じただろう。

 

「ドラゴラムって言ったじゃないですか」

「だが、その姿は……!! (ドラゴン)の騎士の最強戦闘形態(マックスバトルフォーム)を、人の身で再現したというのか!?」

「竜の身です」

 

 そう、竜だ。

 人の姿をした竜から、人の形をした竜へ。

 竜の力の更なる解放。

 

「ハ――ハハハ……」

 

 ポップが笑った。

 

「し、しかしスゲエ格好だよな……! 腹とか太腿とか丸見えじゃねえかっ! 恥ずかしくねえのか――な……?」

 

 声はすぐに萎んでいった。

 誰も皆、分かっているからだ。その力の強大さが。全身をガタガタと震わせ――いや、しかしそれは、恐怖のためではない。

 

「て、言うかよ! なんか、寒い……! 寒いぞ!?」

「魔氷気だ……! とにかく動け! 体温を上げないと凍え死ぬぞ!!」

 

 叫んだのはバランだ。

 氷の暗黒闘気である魔氷気は、ただ放出するのみでも冷気となって広がる。それでも普段なら、そんな垂れ流しの魔氷気は、各自の闘気や魔法力で無意識のうちに耐えられる程度でしかない。

 だが今は、オーザムの地すら軽く凌駕する極寒のありさま。

 

 雨から(みぞれ)に変わった(ひょう)は、最早吹雪と化していた。

 それぞれが動こうとしても、いつの間にか身が凍てついているほどに。

 

竜闘気(ドラゴニックオーラ)!」

 

 それでもバランは、この世界における最強の闘気で身を守る。

 更にソアラを自分の闘気の内側へと抱き締めた。

 

「メラミ!」

 

 ダイは闘気に加えて、火炎呪文の魔法剣で吹雪に耐えた。

 ヒュンケルに至っては、鎧の魔剣のお蔭で冷気が効かない。

 

 だがバルトスは、既に全身が凍結し氷像と化していた。

 

「父さん!!」

「迂闊に触るな! 砕け散るかも知れん!」

「くっ……!」

 

 マァムは闘気盾(オーラシールド)で吹雪を防ぎ、ポップをも庇う。

 ポップはメラゾーマで自分とマァムの暖を取る。

 だがそこから動けない。

 

 クロコダインもそうだ。真空の斧で空気流の障壁を作り、内側に焼けつく息(ヒートブレス)を充満させても、それでなお防御が精一杯。動けぬ。

 

「ベタン」

 

 ポップ、マァム、クロコダインが――潰れた。

 

「なにッ!?」

「ぐわああああああーーーー!!!」

 

 広範囲ベタンにわざと大きなムラを作り、個人個人に狙いを定めて無駄を省いたマルチロックオン・ベタンだ。

 ダイ、バラン、ソアラ、ヒュンケルも狙ったのだが、こちらは闘気や鎧の呪文耐性で弾かれてしまった。

 

 マァムの闘気盾(オーラシールド)は拉げ、ポップのメラゾーマやクロコダインの防御も平たくなった――もはや魔氷気を防げず、凍てついていく。

 

「ポップ!!」

 

 ダイが駆け出し、メラミ魔法剣で氷を融かし助け起こそうとする。

 バランもソアラを守るために動けない。

 自由なのはヒュンケルのみか。

 

「おのれ、父さんを……!! 父さんをよくも!! 如何なリュンナさまと言えどッ!!」

 

 氷漬けのバルトスを前に自失していたヒュンケルが立ち直り、怒りの咆哮を上げた。

 光と闇、ふたつの闘気が渦を巻く。リュンナへの敬愛と憎悪――いずれも本音。

 渦は魔剣へと収束し、その勢いのままに螺旋の刺突剣圧と化してリュンナに迫る。

 

「ブラッディースクライドッ!!」

 

 リュンナはまるで弓を引くように左手を大きく引き絞る。

 この世界では、それは、リュンナが編み出した技だ。

 

「ブラッディースクライド」

 

 左手、指を揃えた貫手の形。螺旋の貫手が光と闇の渦に出会い――宿した魔氷気が、闘気を殺し尽くす。どんな熱い感情も、冷やして冷まして塗り潰してしまう。

 あとに残る剣圧の威力は、竜たるリュンナが遥かに上。

 

「うおおおおお……ッ!?!?」

 

 ヒュンケルは剣を握る右腕を中心に、全身を鎧ごとズタズタに引き裂かれた。鮮血を散らして吹き飛ぶ。

 

「終わりですか?」

 

 終わっていいワケがない。

 勇者には奇跡が起きるべきだ。

 新たな力に目覚めるべきだ。

 

 原作で描かれた範囲で、ダイのこれ以上の力は双竜紋と、その先にある竜魔人化しかなく、それはバランの死を前提としている。バランが健在なこの世界で、それは望めない――分かっている。

 それでも、それ以上を求めるのだ。

 この人竜リュンナですら、真バーンには勝てないだろうから。

 

 鎧に穴の開いたヒュンケルがマルチロックオン・ベタンに飲み込まれ、抵抗力を失い、凍えていく。

 最早まともに動けるのは、竜闘気(ドラゴニックオーラ)を擁するダイとバランのみで、彼らはポップやソアラを守るために力を傾けている。それが精一杯。

 

 ここまでなのか?

 本当にこれ以上はないのか?

 

 このダイたちに、人竜リュンナと超魔ハドラーもしくは竜眼進化ハドラーを加えて――バーンに勝てるか? (ドラゴン)の血復活ラーハルトや昇格(プロモーション)ヒムが加わる保証もないのに?

 ゴメちゃんは離れたマトリフとレオナのところにいる。だから奇跡が起きないのか? たったそれだけのことで?

 

 先ほどのダイの剣戟は見事だった。あのダイなら、もっとやってくれると思った。

 ベギラゴンすら使えるようになったポップなら、もっとやってくれると思った。

 勝手に期待して、勝手に失望する――醜いな。

 

 終わりにしよう。

 

「ダ……イ……!」

「ポップ、しっかりしてよ! ポップ!」

「俺に、構うな……!! 戦え……!」

 

 ポップがベタンに潰されながら、魔氷気に凍えながら、それでも述べた。

 

「でもっ!」

「リュンナが倒れりゃ、みんな助かる……! それが俺たちを守ってくれるってことだ! 間違えるなよダイ……!! 見捨てろって言ってんじゃねえ。助けてくれって言ってんだ!」

「ポップ……!」

 

 ダイが――ポップを守っていたメラミ魔法剣を下げ、立ち上がった。

 

「う――が、あああ……!!」

 

 ポップは重圧に肉が裂け血を噴き、その血すらも凍っていく。

 マァムやクロコダインが、既にそうなっていたように。

 ダイは振り向かなかった。

 

「リュンナ……っ!! 勝負だっ!!」

「はい」

 

 微笑んで、迎えた。

 

「火炎大地斬っ!!」

 

 メラミ魔法剣を素手で受け止める。

 魔氷気の膜、闇の衣――魔法の部分を殺し、ただの大地斬に貶めて。

 

「くそっ!」

 

 それでもダイは剣を止めない。

 そして理解している。魔法剣ではない素の剣で斬りつければ、剣ごと凍るのだと。

 

「ベギラマ!!」

 

 だから何度でも閃熱を剣に宿して、より鋭く、より速く、より強く。

 素手で受けられない。左手の竜鱗が裂かれた。

 

 翼を広げて飛ぶ。トベルーラで追従してくる。

 トベルーラのみのダイと、加えて翼を持つリュンナでは、三次元機動の自由度がまるで違う。翻弄。

 

 ――隙。ブラッディースクライド。

 

「閃熱海波斬っ!!」

 

 弾かれた。

 弾けるのか! その体勢から!

 剣圧が本体に届く。生体鎧にヒビ。

 

 突っ込んでくる。懐。

 だが竜の尾が貫いた。

 

「がはっ……!!」

 

 喀血。墜落。

 バランとソアラの傍ら。

 ソアラは――守ってくれるバランを振り払い、極寒と重圧に身を晒した。

 

「ソアラ!!」

 

 彼女は応えず――ダイに空裂斬を撃って、傷に残留する魔氷気を排除、その上でベホマをかけた。

 そのままの姿で凍てついていく。

 

「バラン」

「ソアラ、私から離れては……!」

「戦って」

 

 バランが、踏みとどまる。

 

「ポップの言う通りだわ。ダイの友達……流石にいいことを言うわね。

 お願いよ、バラン。私たちを――」

 

 続きの言葉は紡がれない。

 もう凍ってしまった。

 

「立て、ダイ!」

「う、と、父さん……! 母さん……!!」

 

 バランがダイを助け起こした。

 

「もはや我々だけだ。(ドラゴン)の騎士の、底力を振り絞れ……ッ」

「うおおおおおおーー!!!」

 

 トベルーラ。竜の親子が来る。

 ダイはドラゴンキラーを構えて。真魔剛竜剣を失ったバランは素手で。

 真魔剛竜剣――どこに行ったと思う?

 

 リュンナは暗黒闘気で虚空に穴を開けるようにして、そこに手を入れた。引き摺り出す――神の金属で創られた、最強の剣を。

 

「お前、リュンナ……!! (ドラゴン)の騎士の剣をッ!!」

「これだけ解凍して奪っておきました」

 

 真魔剛竜剣で放つ真空斬りは、ただ一振りでふたりを纏めて斬り裂いた。

 

「うわあああっ!!」

「ぐおおおお……!!」

 

 砦の屋上に叩き落とされたバランは、左目の飾り――竜の牙(ドラゴン・ファング)を外して握り、手から血を流す。

 竜魔人と化す気か。

 

 それを見たダイは、具体的に何をする気かは知らぬだろうに、時間稼ぎを務めようと斬りかかってくる。

 だがバランの血は赤いまま、一向に蒼くならない。

 

「くっ!」

 

 そこまで錆び付いていたのか。

 ダイを失ってから腑抜けていたとは聞いたが。

 

「父さん!!」

 

 そんなブランクを吹き飛ばすように、ダイが叫ぶ。

 

「一緒に戦ってくれ!!!」

「――ああ!」

 

 喰らいついてくる。

 

 真魔剛竜剣は暴れ馬だ。御するのは難しいが、支配下に置けたときの破壊力は抜群。

 (ドラゴン)の騎士がふたりでも、圧倒できる。

 

 圧倒できる――ハズだ。

 

 斬り払い、斬りつけ、打ち払い、打ちのめしながら、疑念。

 なぜ倒れない? なぜ力尽きない?

 それだけ血を噴いて、それだけ肉を抉られて。

 その力はどこから湧いてくる?

 

 ダイを斬っても斬っても、その剣のキレが衰えない。

 バランを斬っても斬っても、その拳のキレが衰えない。

 むしろ瞬間ごとに強くなっていくありさま。

 

 ふたりの額で、(ドラゴン)の紋章が、何よりも強く輝いていた。

 ダイの紋章がより輝けば、バランの紋章が追うように輝きを増し、バランの紋章がより輝けば、ダイの紋章が負けじと更に輝きを増す。

 底のない、圧倒的な竜闘気(ドラゴニックオーラ)の海。

 

「――ああ」

 

 奇跡は、正義の勇者に、舞い降りた。

 



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88 王 その2

 (ドラゴン)の紋章の共鳴だ。

 それは原作では、バランがダイへの攻撃として利用した現象だった。共鳴を介して強烈な思念波を叩き込み、その津波で記憶を浚い消してしまう、という。

 だからダイはその攻撃から逃れるため、紋章を額から右拳に移す奇跡を起こした。

 

 この世界では違った。

 ダイにとって紋章の共鳴とは、親子の絆を確認する行為だったのだ。

 恐らく、だからダイは意識的に共鳴を起こし、バランと互いの力を高め合っている。それがこの、底なしに湧き上がる竜闘気(ドラゴニックオーラ)の正体。

 

「双竜陣――といったところですか! (ドラゴン)の騎士がふたり揃うと、こんなことが起きるとは……!!」

 

 紋章が額にあることで、思念波を互いに送り合うことが重要なのだろう。

 だから右拳に紋章を移した原作ダイには、この道は開かれなかった。

 

 いや、もともとこの世界には、リュンナがいる以外にも原作世界との差異はあった。

 怪物(モンスター)ではなく魔物だ、とか。キラーマシーンではなくキラーマシンだ、とか。ほんの些細なこと。

 そういった差異のひとつに、双竜陣の可能性もまた含まれていたのかも知れない。

 

「長い(ドラゴン)の騎士の歴史の中で、こんな戦いができたのは我々だけだ……!! ダイ、お前を誇りに思うぞッ!」

「父さん……! 父さんの想いが、流れ込んでくる……!! 分かる、分かるよ! おれを大事に想ってくれてるって、分かる……!!」

 

 ふたりの攻撃は更に激しさを増す。

 真魔剛竜剣でも打ち払い切れない、細かな傷が増えてくる。

 

 満身創痍まで追い込まれて、傷だらけの体でこれなのだ。

 万全の体で双竜陣の境地に至れば――勝ち得る。あのバーンにも!

 

「あっはははははははっ!!!」

 

 やった。やった!

 

 ふたりを打ち払い吹き飛ばし、反動で上空へ飛び上がって、ゼロストラッシュの構えに移った。

 避けたり受け損ねたりすれば、砦ごと仲間たちは死ぬ。

 これを打ち破って、完全に証明して!

 

「ギガデイン!!!」

 

 バランが上級雷撃呪文を唱え――それがダイのドラゴンキラーに落ちた。

 

「いいか、ダイ。(ドラゴン)の騎士が全力で戦うとき、並の武具ではそのパワーに耐え切れずに燃え尽きてしまう。その剣も例外ではないだろう……。だが一撃は持つハズ。

 一撃だ! 故に一撃で決めるのだ。隙は私が作る……!!」

「分かった!! 任せて!!」

 

 ダイもまたストラッシュの構えへ。

 互いに互いへと飛び込んでいき――その狭間にバランが入る。

 

「かああッ!!」

 

 竜闘気(ドラゴニックオーラ)を最大限に乗せた貫手。

 だが長い尾で胴体を貫き、貫手を届かせない。バランが落ちた。

 そしてダイが来る。もはや尾を使えない間だ。

 

「ゼロストラッシュッ!!」

「ギガ――」

 

 ストラッシュ同士をぶつけ合い相殺すれば、剣術で勝つのは辛うじてリュンナだ。

 だがダイの剣は、唐突に跳ね上がり、ゼロストラッシュを身ごと避けた。

 それはもうストラッシュの構えではなかった。上段振り下ろし――

 

「――ブレイク!!!」

 

 ギガブレイク!

 双竜陣で闘いの遺伝子をも共有したのか!

 

 完全に意表を突かれた。

 魔神斬り・急の要領でゼロストラッシュの太刀筋を変え迎撃するも、それではストラッシュとしては不完全――威力が足りない。

 真魔剛竜剣は、半ばからへし折れて飛んだ。

 

 ドラゴンキラーはそのまま進んでくる。

 もう手がない。

 竜眼で放っているマルチロックオン・ベタンを解いても、竜眼閃も間に合わない。

 

 直撃する、と分かる。

 死ぬほどのダメージを受けるだろう。

 流石のダイとは言え、ようやく会えた父母や仲間をこうも痛めつけられた末なら、手加減せずに殺しに来るか。

 それとも信じてくれているのか――凌げるハズだと。

 

 ちょっと、無理だ。

 最終的にはルーラで離脱撤退する予定だったが――そのほんの一瞬の魔法力の溜めも。

 

 ハドラーは、超魔生物化はするかも知れないが、何とか生き延びられるのではないか。そう期待する。

 極まった才人の先輩や、古の知識を持つ(ドラゴン)の騎士がいてくれれば……。

 

 そしてダイのギガブレイクは、命中した。

 

「ぐふっ、……!!!」

「――えっ」

 

 リュンナを庇った、ハドラーに。

 

「がはあああああああああッッ!!!」

 

 ハドラーは剣を介して臓腑に叩き込まれた雷撃により、内から弾け飛んで、上半身と下半身に分かれて散った。

 

「ハ、ハドラー!?」

「庇った、だと……!!」

 

 竜の親子が驚愕する。

 

 ハドラーの両脚がバラバラに落ちて、胸から上が、リュンナの腕の中にあった。

 折れた真魔剛竜剣は、いつの間にか打ち捨てていた。

 

 ベタンと魔氷気が止んだ。

 砦屋上で、ダイの仲間たちが起き上がり始める。

 火炎呪文を使えるポップとソアラ、焼けつく息(ヒートブレス)を吐けるクロコダインが、まず自分を、そして仲間たちを解凍していく。

 

 リュンナが落ちる。

 ハドラーひとりが間に挟まった程度で防ぎ切れるギガブレイクではない。威力は彼を貫通し、剣圧がリュンナに届いていた。

 翼の片方を失い、トベルーラの浮力ももうない。胸から腹にかけて、深く抉られている。

 

 落ちて、座り込む。膝の上に彼。

 血溜りが広がる。リュンナの赤い血と、ハドラーの蒼い血が混じる。

 

「ハドラーさま……?」

 

 やっと声が出た。

 蚊の鳴くような小さな声。

 

 胸から上のみがそこにあるハドラーが、視線を巡らせ、リュンナの傷を見た。

 嗤う。

 

「フッ……ククッ……」

「ハドラーさま、どうして……どうしてこんな……」

 

 ハドラーはバーンの暗黒闘気で蘇れる。

 リュンナが知っているから、ハドラーも承知している。

 だがそれはバーンの胸三寸だ。

 なのに。ならば。

 

「どうして……だと……?」

「だって、こんな……。違うじゃないですか。どうして……。おかしい……。逆ならともかく! そう、逆……逆でしょ!」

 

 血を吐くように叫んだ。

 

「知らぬわ――そんなこと」

 

 ハドラーは嗤っている。

 それは、リュンナを? 自分を?

 

「俺の国はもうない」

「え……?」

 

 これまでそんなこと、一度も言わなかった。

 言及すれば、やめろと拒まれた。

 

「奴らの王は、この俺は、誰よりも偉大なのだと――奴らの欲しかったモノを……手に入れて、証明するほかに……もう何も……」

「そんな、まるで……やだ……そんな言い方!」

 

 視界が歪む。

 世界が歪む。

 吐気がする。

 寒気がする。

 

 蘇る可能性はある。

 本当に? 本当に可能性はあるか?

 負け続けの彼を。わざわざ。

 

 アバン打倒の手柄はハドラーのモノにしてある。

 それで行けるか? 分からない。

 

 こんなことなら、勇者たちの誰かを生贄にしておくべきだった。

 適当にひとりハドラーに仕留めてもらって、功績を積んでおくべきだった。

 そんなおぞましい考えが浮かぶほどに。

 

 だが、まだ生きている。

 魔族もまた強靭な体を持つモノだ。

 

「ベホマ……!」

 

 効かない。

 傷に竜闘気(ドラゴニックオーラ)が残留しているワケでもない。それは稀な現象だ。

 ならば。

 

「リバスト……! リバストッ!!」

 

 来ない。

 炎魔塔を守る戦いでの負傷により、そこから撤退はしたが、今は気絶しているようだ。

 目が覚めたところで、そんなコンディションではザオラルは成功しない。

 

「たす、け、て……」

 

 ダイたちの誰も、手を出しに来なかった。

 今更追い打ちをかけるでもなく、かと言って、出来ることもなく。

 

「マァム……あれ、無理なのかよ……?」

「回復呪文は、ある程度の生命力が残ってる体にしか効かないのよ。あれではもう……」

 

 マァムは力なく首を振った。

 

「あ、姉上……姉上なら……!」

「ごめんなさい。ザオラルは、私にも……」

 

 ソアラは沈痛に目を伏せた。

 

「誰か……誰でもいい……。何でもするから……」

「何もするな」

 

 ハドラーが、そっと、頬に、手を。

 

「何もしなくていい。思えば、部下は大勢いたが……『民』を持ったのは、久し振りだった。そうだ、俺の民……反抗防止呪法など、必要なかったのだ。リュンナ。だったら、堂々と……していろ……」

「ハドラーさま……」

「魔王ハドラーだ」

 

 魔王の誇り。魔王の重み。

 泣き笑う。

 

「だったらわたし、ハドラーって呼んじゃうけど」

 

 あの頃みたいに。

 魔王だった頃みたいに。

 

「……好きにしろ……」

「眷属にするのも!?」

「無駄だと思うがな」

 

 無駄なものか。無駄なものか!

 リュンナは渾身の暗黒闘気を集中し――集中、できない。

 

「あ、」

 

 がくん、と。全身から力が抜ける感覚。

 ギガブレイクのダメージは通っているのだ。ハドラーを間に挟んだとは言え、無防備に受けてしまったのは大きい。

 ドラゴラムによる変身が解け、人の姿――裸身に銀髪が流れる。

 赤と蒼に染まる。

 

 そして魔に近い闘気による全力戦闘の反動は、闘気を使った本人に来るのだ。

 自己回復できない。暗黒闘気が使えない。眷属化――できない。

 

「うそ……うそ……なんで、だって、ハドラー、……こんなの……」

「リュンナ……」

 

 ハドラーが囁くように名を呼んだ。

 続く言葉に、必死に耳を傾けた。

 

「……」

 

 何もなかった。もう息は切れていた。

 



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89 暗黒の勇者姫/竜眼姫

 静寂――ではなかった。

 リュンナがずっと、泣き腫らしながら、ハドラーの名を呼んでいるから。

 

 仇敵同士だった。

 報復のために、彼の満足のために、中身を与えられた。

 尽くされたから尽くすことの延長だった。

 

 恋をした。

 

「まさか……ハドラーが庇うなんて……おれ、夢にも思わなかった」

 

 ダイがぽつりと呟いた。

 

「残酷な奴だと思ってた。卑劣な奴だって……。でも考えてみたら、いつも戦い自体は正面から挑んできたし……リュンナのことも操ってなかったし……。残酷だけど、卑怯じゃなかった……」

「だな……」

 

 ポップが頷く。

 

「リュンナは正気だった。正気で先生をやりやがった。恨んでるワケでもねえハズの……! ならハドラーは、俺たちの大切な人を殺してねえ! そりゃリュンナに命じたのはハドラーだけどよ……」

「で……どうする」

 

 クロコダインが冷静な声を出す。

 

「ダメージを受け、戦意も喪失しているようだが……。トドメを刺すのか? 赦すのか?」

「そりゃあもちろんッ……もちろん……」

 

 ポップは迷った。

 

 ヒュンケルも、流石に迷っているようだ。

 リュンナと同じくらい、アバンも彼には大切な人だったから。正気だったとは――冷静に考えればそうだとしても――考えたくないのだろう。

 だいたいリュンナ自身にとっても、アバンは大切だったハズなのだから。

 それは間違っていない。

 

「トドメを刺すなら、私はその敵に回るけれど」

 

 ソアラがリュンナの前に立つ。

 

「赦してあげてとも、なかなか言いにくいわね……」

「捕まえよう」

 

 ダイが述べる。

 

「捕まえて、傷を治して……みんなで話し合うしかないよ。ここじゃ決められない」

「それがいいと思うわ。この状態からマジャスティスをかけるのも、それこそ……追い打ちみたいで……」

 

 マァムはリュンナを心配してくれるようだ。

 

「それに、ハドラーの骸も……。お墓を作ってあげたいわ」

 

 骸。骸か。

 腕の中のそれを見下ろす。存外、安らかな表情だった。

 

 ハドラーが庇いに来るなど、全く想定外だった。

 ダイたちも驚いていたが、誰よりも驚いたのはリュンナだ。或いはハドラー自身だ、という線すらもある。

 

 とんだ計算違いもあったものだ。

 バーンは、ハドラーの目の上のたんこぶだ。恩人ぶって酷使しておきながら、黒の核晶(コア)を仕込む裏切りを働いている。気付けば切り捨ててくるだろう。核晶(コア)を摘出したとしても安心できない。排除しなくては。

 バーンを殺す。そのために、ダイたちを強くする。そのために、リュンナやハドラーが戦う。自分たちも強くなる。

 その結果がこれだ。どこまでも自業自得。

 

 今ここで核晶(コア)が爆ぜなかっただけ、まだ幸運なのだろうか。

 幸運? これで?

 

 今は祈るしかない。バーンがハドラーを蘇生することを。

 バーンに祈るしかない自分に腹が立つ。

 こんな計算違いでハドラーを失う危惧に陥った、自分の間抜けさに腹が立つ。

 

 咄嗟に庇ってしまうほど、ハドラーが自分を大切に思っていただなんて。

 そこまでではない――と、考えていた。

 

 いや待て、自身の竜の血で復活出来ないだろうか?

 なけなしの力を込めて、拳を握り締め血を流し、ハドラーの口に。

 

「……、」

 

 しかし、何も起こらなかった。

 

 力が足りないのか。

 竜として不完全なのか。

 ダメージが重過ぎるのか。

 

 ダメージと言えば、自身の受けたギガブレイクのダメージが重い。

 闘気そのものの位階の関係か、竜闘気(ドラゴニックオーラ)での攻撃は闇の衣で防ぎにくいのだ。大技で相殺すらも、間を外されてできなかった。

 

 リュンナはベホマをかけられ、マホトーンをかけられ、ニフラムをかけられ、マントをかけられ、縄をかけられ、ラリホーマをかけられ――意識が落ちていく。

 

「――て言うかよ! ずっと気になってたんだけど……」

 

 ポップが天空を見上げると、そこに自分たちの光景が映っていて、声も聞こえる。

 マヌーサを応用した広域幻影呪法だ。この砦の呪法装置によるモノ。

 

「どうなるんだろうな、これ。国中にいろいろとぶち撒けちまったワケだろ……」

 

 さて、どうなるだろうね。

 どうなったところで、もう、どうでもいい気分だ。

 

 

 

 

 懐かしの座敷牢。何日経ったのか、時間の感覚が曖昧だ。

 ふと訪れたのは、老人のように掠れて力ない声の男だった。

 

「リュンナ」

「――父上?」

 

 先代アルキード王。父だと、たった一声で分かった。

 扉の鉄格子の向こうに、声のみではない、枯れて覇気のない老人めいた姿があった。

 

「あは」

 

 笑ってしまった。

 父も笑った。

 

「そうだな、おかしいだろうて……。今更この私が、お前をリュンナと呼ぶとは」

「本当に」

 

 ベッドに腰掛けたリュンナは、体ごとそちらを向いた。

 

「……バランも、ダイも、人間ではないのだな?」

「バランは1/3が、ダイくんは2/3が人間ですよ」

「難しいな」

「はい」

 

 事実を噛み砕くような間。

 

「ワシの義理の息子も、孫も、人間ではないが――人間だ」

「それは、『人間であることは素晴らしいから特別に人間だと認めてやる』、って意味ですか?」

「いいや」

 

 父は緩く首を振った。

 

「言い方が悪かったな。ああ……こうだ。彼らは『我々と同じかそれ以上に素晴らしい』」

「あは。そりゃそうでしょ」

 

 いっそ尊大に踏ん反り返ってみせた。

 父は楽しそうに、寂しそうに笑っていた。

 

「彼らは、必死に、お前と戦っていた。誰も皆、あの戦いの光景に心打たれたよ。本当の勇気というモノを……愛というモノを……教えられた。

 我々が間違っていたのだ。人間でない者にも、人間と同じように、善も悪もいる――そんな簡単なことに、ずっと気付かなかった」

「はい」

 

 ベルベルやリバストを引き入れてそれを訴えてきたつもりだったが、意味はなかった。

 竜眼を信仰にすり替えて誤魔化したことも、或いは事態を悪化させたのだろう。

 

「お前は人間か?」

「竜になりました」

「そうだったな」

 

 処刑の頃はどうだったのだろう。

 竜眼がある時点で竜だったのか、まだ人だったのか。

 今となっては分からない。

 

「ならばお前はよい竜か、悪い竜か、だな」

「どっちだと思います?」

「よい竜とは言えん。相応の事情があったとは言え、魔王軍に(くみ)して我が国を襲った時点でな」

「はい」

 

 然もありなん。

 

「だが悪い竜とも一概に言えん。お前も、配下の竜も、誰も殺していない。重傷者はいる、再起不能者もいる、トラウマを刻まれた者は数多い――だが、ひとりも死んでいない。なぜだ?」

 

 看護に手を割かせて戦力を削るため。

 恐怖の語り部を増やし、士気を挫くため。

 竜戦士に作り替えて、人質兼戦力に使うため。

 

「怖かったからです」

「なに?」

 

 ――どれも、後付けの理由に過ぎない。

 

「わたしは、竜で――人間ですから。人間を手に掛けるのが怖かったんです。夢に見そうで」

「そうか。そうだな。あれは夢に見る」

 

 父の声には、重い実感が籠っていた。

 

「リュンナ」

「はい」

「……すまなかった」

 

 気付けば父が膝をつき、頭を下げていた。

 

「謝って済むことではない。だが……ワシが間違っていたのだ」

「仕方ないですよ。額に竜の眼が生えるとか、普通ビビるでしょ」

「うむ、ビビった。ビビり過ぎて、目が曇ったわ……」

 

 こんな砕けた言葉を併せて使ってくれるほど、心の距離が近い。

 ああ。

 

「だがそれを差し引いても、お前のやったことは悪だ。侵略だ。

 ――我が孫たちと共に戦え。それでお前は、帰ってくることができる。そういう話に決まった」

 

 はい――とは、即答できなかった。

 口を噤む。

 

「魔王軍に(くみ)したことが罪なのだ。あれは地上全ての敵ゆえな。ならばその罪は、魔王軍の敵に(くみ)することで(あがな)われる。再び勇者姫として立て、リュンナ」

「その呼び名はどうかと思いますけどね。今更ながら……」

「そうか?」

 

 父は本気で首を捻っているようだった。

 咳払いして続ける。

 

「こう言うのは躊躇われるが……ハドラーはもういないのだろう。あの魔王を好いたことが魔王軍についた理由なら、もういいハズだ。何を迷う?」

「蘇る可能性があります」

 

 告げる。

 

「大魔王バーンの暗黒闘気で……」

「そうなるとよいな」

「なぜです」

 

 それが理由で、裏切りに頷けないのに?

 

「奪ってしまえ」

「はい」

 

 反射的に頷いていた。

 遅れて驚く。

 

「――はい?」

「幻像で見たぞ。彼奴はお前を命を捨てて庇った。たとえ蘇るとしても、相当の覚悟が必要だろう。可能性止まりではな。見上げたものだ」

 

 父は感嘆の声音。

 

「魔族にも素晴らしい者はいる、ということだな。あれならよい」

「よいって……」

「奪って来い。祝福するから」

 

 獰猛なまでの笑み。

 若い頃には鎧を着て戦場を駆けていた父らしい、力強い笑み。

 枯れた老人めいた姿に、覇気宿る。

 

「恐らく、バランやダイが人間でないところを見せて、我が国と完全に決別させる策略だったのだろうがな。見事に逆効果だ。――もしかして狙ったか?」

「まさか」

 

 魔王軍にはそういう策略だと説明した。そうなっても別に良かった。どうせ捨てた国だ。

 だがこうなることを、心のどこかで期待してもいた。

 ダイならやってくれる、と。

 ダイ自身もバランも、救ってくれると。

 

「さて……。それで、どうする。我が娘よ」

「戦いますよ。あの人を奪うために」

 

 ――そう答えないと、流石に始末されるかも知れないし。

 本当に蘇るかどうかなど、まるで分からないのに。

 



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武術大会編
90 それから


 それから幾らかの時が経った。

 

 ダイはバランに竜の騎士の戦い方を教わり、バランはダイとの組手で全盛期の力を取り戻そうとしている。

 ポップはマトリフに弟子入りした。加えて、メルルに懐かれて満更でもない様子。

 マァムとヒュンケルはアバンの書で技を復習し基礎に磨きをかけ、またクロコダインにアバン流を教えもしていた。

 バルトスは仮初の生命体故に自らの闘気を持たない欠点を克服しようと、ヒュンケルの闘気を借りる技を試している。

 レオナは、『まだ言えないこと』――世界会議(サミット)だろう――のために世界中を奔走するありさま。またパプニカとアルキードの技術を糾合(きゅうごう)して装備も作らせているそうだ。

 

 そしてソアラは――常にリュンナと共にいる。

 ベンガーナにも一緒に赴いた。バランとダイも、だったが。

 リュンナが直接作った眷属は素材に還元して消し去れる――竜戦士も人間に戻せる――が、元々普通に生きていた竜を従えたモノは、直接排除しなくてはならない。

 それが説得し立ち去ってもらうことであれ、殺すことであれ。

 どちらにせよ、『竜眼姫』の闘気を全開にしての威圧が有効だった。

 

 人質に取っていたベンガーナ王家は解放した。

 リュンナは恥も外聞もなく土下座して謝罪に勤しんだ。そしてソアラやバランが説明するのだ――魔王軍に操られていたのだと。共に頭を下げながら。

 操られていた当人はともかく、当代の王夫妻がそうまですれば、向こうも納得するしかなかったのだろうか。操られていたなら仕方ない、ということになった。もちろん、アルキードから復興支援も行われる。

 アルキード全土の上空に投影した幻像では、操られていない真実が暴露されていたのだが――操られていたことにしたい、のか。その方が赦しやすいから。下手につついてリュンナに逆上されるのを恐れている気配。

 

 ランカークス村はベンガーナの一部として超竜軍団が制圧していたのだが、どうもその前にポップの両親は逃げていたそうだ――ロン・ベルクの手引きで、隣のアルキード王国に。

 そして王都で武器職人として生活していた。

 もう遠い昔のことのようだが、ナバラが占った『ダイに相応(ふさわ)しい武器が手に入る場所』で王都の職人街が示されていたのは、そういうことだったらしい。

 

 リュンナの振るう真魔剛竜剣を強度的に劣るドラゴンキラーで折ったことで、ロンはダイを気に入り、剣を作ってくれることになった。

 甲斐があるというものだ。

 この世界では、ダイが真魔剛竜剣と本気で戦うには、ああするのが手っ取り早かった。

 材料は覇者の冠。

 

 ベルベル、リバスト、ボラホーンの傷も癒えた。

 特にリバストはしばらくは自殺しそうなほど落ち込んでいた。ザオラルを求められたときに動けなかったことが、よほど申し訳ないのだろう。炎魔塔の防衛を命じたリュンナの自業自得なのだが。

 いつも自業自得だ。溜息が出る。

 そもそも竜の血が効かないのに、その上あれだけの損傷で、ザオラルが効いた気はしないが。埋葬前に何とか試すタイミングはやってきたが、それも効きはしなかった。

 

 キルバーン辺りが粛清に来るかと思ったが、どうもそういった気配がない。

 ハドラーも音沙汰がない。蘇ったのかどうか、分からない。山に作った墓は、いつの間にか空っぽになっていたそうだが……。

 リリルーラで会いに行こうにも、不思議な力で掻き消されてしまう。大魔宮の結界か何かか。リュンナは大魔宮に行ったことがないから、それで結界に他人判定されているのかも知れない。

 

 リンガイア王国は妖魔士団と、カール王国は魔影軍団と戦い続けていたが、それもいつの間にか魔王軍側の勢いが弱まり、何となく終戦したらしい。

 リンガイアはノヴァが、カールはホルキンス辺りが奮闘したそうだ。

 援軍に行ってポイント稼ぎでもしようかと思ったが、その機会もなくなってしまった。いいことだが。

 

 マジャスティスは結局施されなかった。

 竜眼の力を失くしたリュンナなど、旧時代の遺物に過ぎない。今はまだこの力が必要だ、と判断された。

 

「あー……」

 

 そして今はソアラの私室で、ベッドを占拠している。

 

「やっぱり元気が出ないかしら」

「わたしのせいでハドラーが……。本当に蘇るのかどうかも……」

 

 本当に、それに尽きる。

 これだけ掻き回した末に、原作知識などロクに当てにはならない。ハドラーが死んだ時点で、反抗防止呪法も切れてしまった。繋がりがないのだ。一切ない。

 それがあまりにも寂しく、切ない。

 

 原作では――と、それでも考えてしまう。

 原作では、ロモス・パプニカを奪回され軍団長ふたりを敵に回し、バルジ島で負け、バラン離反を招いた――これで失点が3つ。ただしアバン打倒の功績で1点回復し、首が繋がった、という形。

 

 この世界では、ロモス・パプニカを奪回され軍団長ひとりを敵に回し、地底魔城で負け、リュンナを人間に捕えられた――これで失点が3つ、だろうか。

 アバン打倒の功績はリュンナからハドラーに献上されているが、これで1点回復するのか。

 分からない。

 

「体でも動かしたら? 組手しましょうか」

「あー……」

 

 そこで突き放さずに自分で相手をしてくれる気配のソアラは優しいが、体を動かして何になるのだろうか、という気持ちが先に立ってしまう。

 もちろん、体は動かした方がいい。無の瞑想でどれだけ理想的な体の使い方を覚えても、それを実践するための筋力や反射を鍛えることは必要なのだ。

 ハドラーを奪うためにも、更なる力を求めなくてはならない――のだが。

 

 13年振りに空っぽの気分だ。

 いや、あの時よりも酷い。

 あの時はどん底で、今は、言わば底なし沼。

 

 頭が重く、思考が鈍い。

 体が重く、動きが鈍い。

 冗談でも比喩でもなく、病気としての欝ではないか。そんな概念に逃げ込もうとする自分が、ひたすらに嫌だ……。そんなことあり得ないのに。

 

 もう死んだ方がいい。死のう。実行するには体が重過ぎるが。死ぬ程度のことすら出来ないなら、生きている価値はない。死のう。実行するには体が重過ぎるが……。

 そんな堂々巡りの思考を、何度繰り返しただろうか。

 

 自分への悪意に、暗黒闘気の、ひいては魔氷気の質は深まるばかり。

 これはこれで修行か。あは。

 

 と、ソアラが問う。

 

「うーん。ねえ、『本』ではこの後どうなるのかしら」

 

 原作知識については、生まれる前の夢の中で『本』を読んだ、とソアラには伝えてある。

 さて、ともあれ、どうだったか……。

 

「『本』ではそもそも、ハドラーはこのタイミングで死なないんですよね……。ズタボロにはなりますけど。それでパワーアップ改造を受けて復活してくるんです」

「改造?」

「超魔生物って言って……無数の魔物の長所を移植して体を強化するんです」

 

 ソアラにはピンと来ていないようだ。

 然もありなん。ここだけSFじみている。

 

「ハドラーは復活してきてどうするの?」

「ダイくんに戦いを挑んで……あー、その前に、ダイくんが最強の剣を手に入れるんですよ。今ロンさんに作ってもらってるやつ。で、ハドラーもそれとは別で、最強の剣を手に入れてて」

「オリハルコンの剣ということ?」

 

 オリハルコン――神の金属。

 その割には脆いが、この世界で最強の武器と言えば、それでもオリハルコン製であろう。

 

「そうです。何だっけ、あー、ロモス王国の覇者の剣を」

「国宝じゃないの。またロモスが襲われるのかしら」

「いえ、剣自体は盗まれる感じですね……。武術大会の景品にされてるんですけど、それはすり替えられた偽物で――」

 

 止まる。

 

「どうしたの」

「ちょっとロモス行ってきます!」

 

 重い気分が一気に抜けた。

 ベッドから跳ね起き、窓を開けてルーラ――しようとして、

 

「待ちなさい!」

 

 ソアラの鋭い声で止まった。

 

「行先を告げてから、バランとダイを伴って、よ」

「そう、でしたね……」

 

 双竜陣状態のダイとバランなら、リュンナを倒せる。

 だからどこかに行く場合、必ずそのふたりを伴うこと。そういう条件で、拘束も監禁もされずにいる。

 

 ダイもバランも自分たちの修行があり、常に監視はできないから、振り切って飛び出すことは物理的には可能だ。

 だがそれをしたが最後、完全に決別してしまうことになるだろう。

 対バーン戦力として計算に入れることが難しくなる、ということ。まだ未練がある。

 勇者たちはそこまで把握しているワケではないが、あれ以来リュンナは特に悪さを働かずにいるためか、この甘い処置となっている。

 

 ともあれソアラと共に、ダイとバランのもとに赴いた。

 そしてロモスに行きたい旨を伝えると、もちろん、なぜロモス、となる。

 

「えー竜眼で……予知的なアレで。武術大会がね、あるんですけども」

「へえ! 武術大会!」

 

 ダイがやる気を出した。

 

「魔王軍の攻撃がありそうなんですよ。そこに」

 

 場に緊張感が走る。

 バランが代表して問うた。

 

「どのような攻撃かは分かるのか?」

「確実なことは言えないんですけど……。たぶん、こう、選手を攫おうと……」

「強者を集めて手駒にでも変えるつもりか? 捨て置けんな。大会はいつだ?」

 

 それが分からない。

 そもそも大会が本当に開催されるのかどうかも。

 何しろ竜眼予知ではなく、原作知識であるからして。

 それを(ぼか)して伝えた。

 

「では確認に行こう」

 

 リュンナ、ソアラ、バラン、ダイ、の4人でロモスに飛んだ。

 ダイのルーラだ。

 

「あの」

 

 着地してからリュンナが言う。

 

「何だ」

「王と王妃と王子が揃って国を空けていいんですか?」

「構わん。トップがいないだけで回らん組織は不完全だ」

 

 この13年で、バランは王としての能力を身に付けたらしい。

 つまり有能な人間を配置して、仕事を任せる能力を。

 伊達に腑抜けていたワケではない、ということか。

 

 ともあれロモスの町で、その辺の適当な人に話しかけた。

 武術大会はやっているのかどうか、と。

 

「ああ、来週開催ですよ。楽しみですよね!」

「ありがとうございます」

 

 更に場所を聞いて、現地の闘技場に行ってみた。

 出場の事前申し込みを受け付けているようだ。当日の混雑防止か。

 

「それで、どうします? バラン」

「そうだな……」

 

 思いのほか立派な闘技場を見上げながらバランは思案して――ダイの頭を撫でた。

 

「出場しろ。ダイ」

「いいの!?」

 

 彼は見るからにワクワクしていた。

 

「お前は戦いの場から、我々は観客席から見張る。事が起きたらすぐに動く」

「うん!」

「我々……?」

 

 リュンナは首を傾げた。

 

「私とお前だ」

「あっはい」

 

 いや、願ったり叶ったりではあるのだが。

 原作では、正体を現したザムザが、ハドラーについてチラッと話題に出すのだ。

 それを聞きたい。聞いて、生存を確かめたい。

 

「ほかに予知できることはあるか?」

「……疑わないんですか?」

「なに?」

 

 ついこの間まで魔王軍にいたリュンナである。

 武術大会も事前に魔王軍の計画として知っていたモノで、これ自体が罠かも知れない――とは考えないのだろうか。

 

「お前はそういうことはしない」

「……はい」

 

 その通りだ。

 ハドラーのためになるならともかく。

 

「それで、予知は? 何かあるか?」

「あっ、えー、はい。そうですね……」

 

 まだ少し鈍い頭を必死に働かせる。

 

「出現する敵に凄く有効な技がありますね。閃華裂光拳――拳聖ブロキーナの必殺技です」

「ブロキーナ……。噂を聞いたことがあるな。このロモスの山奥に住む、武術の神と呼ばれる男」

「はい」

 

 原作ではマァムが覚えて来てくれるのだが、この世界ではマァムはパラディンだ。武闘家に転職していない。

 (ドラゴン)の騎士がふたりもいる以上、別に閃華裂光拳がなくても、何とでもなりそうな気もするが……。

 しかし生体牢獄(バイオプリズン)の正確な耐性が分からない。闘気技や魔法剣はどの程度通るのか。

 閃華裂光拳があった方が安心できるのは確かだ。

 

「ブロキーナは武術大会に来るのか?」

「分かりません。来ないかも……」

 

 ゴーストくんとしての出場は、マァムとチウの様子を影ながら見守るためだろう。

 マァムが弟子になっていない以上、その線は望めないかも知れない。

 

「探すぞ。山奥か……」

 

 探すことになった。

 一方ダイは、どんな強い人が出るんだろう! とワクワクし、ソアラと予想話に花を咲かせていた。

 



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91 拳聖ブロキーナ

 ブロキーナの居場所はロモスの山奥である――ロモスに山がどれだけあると思っているのか。

 ひとまず町でブロキーナに関する噂を集め、それを元に探すべき範囲をある程度絞った上で、鷹の目で無数の視点を飛ばして探索する。結局、最後は力技だ。

 

 数個程度ならばともかく無数の視点を飛ばせば、集中力をそちらに費やす以上、本体はロクに動けなくなる。

 宿屋でソアラに甲斐甲斐しく世話をされながら、探索に身を入れた。

 

 結果としては1日で見付かった。

 鷹の目の視点に向けてピースするブロキーナが見える。

 傍らには大ねずみのチウが。

 

「老師……。なにやってるんですか?」

「ちょっと挨拶をね~」

「誰もいないのに……」

 

 チウは不思議そうにしていた。

 不思議そうにしたいのはこちらだ。あのメルルでさえ、リュンナ本体の存在は感じても、鷹の目の視点までは見落としている様子だった。

 気付けたのは、長年の付き合いと絆のあるソアラのみだったというのに。

 

 ともあれ、見付けたなら話は早い。見えているその光景へ、ルーラで飛んでいくのみだ。

 ソアラ、バラン、ダイを伴い、ロモスの山奥、ブロキーナとチウのところへ。

 静かな着地。

 

「うわっ! な、なんか来た~!」

「驚かせてごめんなさい。ブロキーナ老師にお話がありまして」

 

 尻もちをつくチウに謝り、それからブロキーナに視線を移す――いない。

 ソアラが首を捻った。

 

「いないわね?」

「あれっ、老師!? さっきまでいたのに……」

 

 チウもきょろきょろと慌て出す。

 これは悪戯か、それとも試練なのか……?

 

 竜眼は全てを見通す。遮蔽物も隠形も関係ない。

 ゆえに――気配を消したブロキーナが、斜め後ろからリュンナに拳を繰り出してきていることは分かっている。避ければソアラに当てる気であることも。

 

 リュンナの裏拳が、バランの貫手が、ブロキーナに迫る――寸止め。

 ブロキーナもまた、リュンナへの拳を寸止めしていた。

 

 一方、ダイは反射的に剣を抜こうとしていたが、間に合わず。

 ソアラは逆にリュンナを庇おうと動いていたが、これも不発。

 

「あぶな――って、まさか、この人が……!?」

「老師!?」

 

 一番驚いているのはチウだった。

 ブロキーナは寸止めの姿勢から拳を引き――

 

「ぜえ……ぜえ……」

 

 息切れした。

 寸止めの裏拳を動かし、ごくソフトに頬を打っても、避ける体力はもうないようだ。ぺちん。

 

「久々にフルパワーで動いたよ……。恐ろしい子たちが来たもんだね」

「初めまして、ブロキーナさん。リュンナといいます。恐ろしいはこっちのセリフですよ、どういうレベルの身のこなしですか」

 

 ほんのごく一瞬とは言え、この竜眼を相手に背後に回り込んでみせるとは。規格外の素早さと気配隠蔽の技量がなくては、これはできない。

 凄まじい実力者だ。

 

「伊達に武術の神とか呼ばれてはいないよ……。弟子入り希望かな?」

「1週間以内に奥義を教えてもらえるなら」

「舐め過ぎだね?」

 

 はい。

 

「――と言いたいところだが、逆に、わしの修行受ける必要ある? 4人が4人とも、既にどれだけの高みに至っているのか……」

 

 ブロキーナはチウの手を借りて歩き、丁度いい切り株に座った。

 どっこいしょ。

 しかしその隙だらけの姿が、どこまで本当なのか……。

 

「必要なのは格闘技術ではなく、奥義なんです。『閃華裂光拳』」

「む……」

 

 遮光眼鏡の奥で、眼光が鋭く煌めく気配。

 

「人前で使ったことはないのだが」

「予知能力で」

「ふーむ。一笑に付すには……ちょっと……アレだね」

 

 事実として実力を見せ、また閃華裂光拳も間違いなく実在する技なのだろう。ブロキーナは深刻な顔を作った。

 

「しかし聞いたことがあるかも知れんが、わしは『おへそぷにぷに病』に冒されておる。奥義を伝授することはとてもできんのじゃ。ごほっ、ごほっ」

 

 おへそぷにぷに病でなぜ咳を……?

 

「では、ロモスの武術大会に出てもらえませんか」

「武術大会……?」

 

 町で貰ったチラシを渡した。

 

「そういえば予知と言ってたね。閃華裂光拳が必要になる事態が、この大会で起こる――と?」

「はい」

「老師、僕にも見せてください!」

 

 チウが武術大会のチラシを覗き込む。

 

「おお、国中から猛者が? ふふふっ、これは僕の実力を世に知らしめるチャンス! 老師、参加してもいいですか?」

「うーん」

「ダメなんですか……」

「いやー……」

 

 必ずしもダメというワケではなさそうだが、悩んでいる様子。

 原作ではマァムがお目付け役をしていた。それがいないからか?

 

「ねえ、ブロキーナさん」

 

 ふと、ソアラが。

 

「何かな、お嬢さん」

「ソアラと申します。やっぱり弟子に取ってもらえませんか? 閃華裂光拳だけじゃない――私だけの力が必要なの」

「姉上?」

 

 いきなり何を言い出すのか。

 ソアラは既に、地上において最上位クラスの実力者なのに。

 バランとダイは――逆に半ば納得の顔をしているが。

 

「私は中途半端なのよ。何でもできるけれど、何にもできない。

 バランやダイ、リュンナのように、特別な闘気は持っていない。ヒュンケルのように光と闇の両方を持つワケでもない。普通の、光の闘気だけ……。

 マトリフやポップのように、両手で別々の呪文を使うこともできない。

 マァムの盾やクロコダインの耐久力のように、味方を庇うことも得意じゃない。

 バルトスのように、人間にはできない動きももちろんできない。

 私だけのモノなんて、何もない……!」

 

 途中からはもう、血を吐くかのような声音だった。

 そこまで思い詰めていたのか。

 

「ブロキーナさん。さっき私たち、ここで修行を受ける必要はないと思う、のようなことを言いましたよね」

「言ったね」

「本当にそうですか? 私も修行を受ける必要はありませんか」

 

 遮光眼鏡の奥で、ブロキーナの目が改めてソアラを観察する気配。

 そして間もなく述べる。

 

「さっき……わしがお前さんたちを狙ったとき――」

 

 気配を消して攻撃してきたときだ。

 

「リュンナだったか、君と……そちらの――」

「バランだ」

「リュンナとバランは、わしを迎撃しようとしたね。そっちの」

「ダイです!」

「ダイもだ。間に合ってはなかったが」

 

 ダイが眉を下げた。

 

「そしてソアラ。君は……リュンナを庇おうとしたね」

 

 それも間に合ってはいなかったが、確かにそうだった。

 ソアラが動き出した頃には、ブロキーナはもう止まっていた。

 

「武術的には、それは未熟の証かも知れない……。だが美しい『献身』の心を見た。だから、君ならまあ……いーのかもね。もしかしたら。奥義を教えても……」

「では」

 

 ソアラが身を乗り出すような前傾。

 普段の彼女ならば、自分以外を弟子にと推しそうなイメージがある――が、しかし今、彼女は自ら立候補した。

 その覚悟を推し測れる。

 

「良かろう、ソアラ、お前を弟子に取ろう。指先ちりちり病の発作もしばらく起きそうにないし」

 

 おへそぷにぷに病ではなかったのか。

 

「ありがとうございます!」

「わしのことは老師と呼ぶように」

「はい、老師」

 

 ソアラは希望に満ちた笑みを浮かべていた。

 彼女の才と覚悟があれば、それこそ本当に数日で閃華裂光拳を習得しかねない、とすら思えるほどに。

 

「そういうことなら……頼りにしますよ、姉上」

「頑張って! 母さん!」

「しっかりな」

「ええ、任せて。必ずみんなの力になるわ」

 

 眩しさすら感じる。

 目を逸らしたくないほどに、眩しい。

 

「武術大会までにもし奥義を会得できたら、ソアラは参加するとして……そのときはチウ、お前も出てい~よ」

「本当ですか!? 何でソアラさんの奥義会得が僕の参加と関係あるのかはまるで分かりませんけど、分かりました!

 ソアラさん……兄弟子としていろいろ教えてあげますよ。ふっふっふ」

「よろしくお願いね、チウ」

 

 小さな子にそうするように、ソアラはチウを撫でた。

 いや、小さな子なのだが。

 

 ともあれ、かくしてソアラをブロキーナのもとに残し、リュンナらは一度アルキードに帰った。

 

 その後、自分なりに閃華裂光拳を再現できないかと試してみた――原作知識で原理は分かっているのだ。ホイミ系魔法力を、拳打の命中の瞬間に合わせて一気に爆発させる、と。

 が、どうやら武神流特有の打ち方が必要なのか、上手くいかなかった。

 

 そして武術大会の日が訪れ――ソアラは来なかった。チウも、ブロキーナも。

 代わりに手紙が届いた。

 曰く――流石に1週間で閃華裂光拳は無理だったが、今日中には何とかするから粘ってくれと。

 

「えぇ……」

 



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92 妖魔学士ザムザ

 マトリフとはまた方向性が違うが、ブロキーナにもどこか浮世離れしたところがある。

 何しろ百獣魔団によるロモス侵攻中、彼はロモスや人間のためにはロクに戦っていないのだ。これは本人との会話で確かめた。何となれば、なるべく世界は若い世代が救うべきだ、と。

 

 老人が若者の出番を奪うのは、確かにあまりいいことではない。ともすれば老人が寿命で去った後、若者に経験が蓄積されておらず次の脅威で詰む、ということはあり得る。

 だがまず次の脅威まで辿り着けるかどうかの相手なのだ。それを口で説明はしたが、伝わった気がしない。

 

 伝わったなら、既に閃華裂光拳を使えるブロキーナ本人が何を置いても来てくれるハズ。それをソアラに頑張って教えるから出来るまで粘ってくれと言うのだから……。

 若い世代が死力を尽くし、その上で無理そうなら全霊で力を貸すスタンスだそうだが。

 

 ともあれ、つまり、閃華裂光拳なしでザムザに挑む必要があるのだ。

 普通に力押しで何とかなる気もするが、万が一そうでなかったら困る。

 

 そこで代わりと言っては何だが、ポップを呼んだ。

 するとメルルもくっついてきた。

 

 彼らは闘技場を見上げた。

 

「へえー、田舎の武術大会かと思ってたけど、結構本格的なんだな」

「ポップさん、失礼ですよ……」

 

 呼べたのはここまでだった。

 ほかは万一のため、アルキードの守りとして残る形。

 

 またロモス側にも予知のことは伝えていない。

 第一に、出せる証拠がない。第二に、魔王軍がここでの作戦を諦めて全く別の場所を襲うことにした場合、その情報を掴んで止められる保証がないからだ。

 

「受付は開始の1時間前までです。混まないうちに行きましょう」

 

 リュンナ、バラン、ダイ、ポップ、メルル。

 うち、受付に名を告げるのはダイのみ――

 そのダイがふと言った。

 

「ポップも出たら?」

「俺、魔法使いだけど……。武術大会だろ?」

「おや、魔法使いの方も幾名か参加なさりますよ」

 

 係員がにこやかに述べた。

 

「ふーん。じゃあ俺も出るか……?」

「ポップさんのカッコいいところが見たいです!」

「おっ、そう?」

 

 メルル、デートではないのだが。

 過日の決戦においては、幻像を見て、勝利のために我が身が凍てつくも厭わぬポップの勇気に心打たれたらしい彼女である。浮ついている。

 

 しかし敵がどこからどう来るか分からないなら、リングと観客席で半々に分かれるのは手だろう。

 ポップもそう考えたのか、参加を申し込んでいく。

 

「おれもポップの修行の成果を見たいしね。おれとポップで決勝になったりして!」

 

 ダイは楽しそうに述べ――まあ魔王軍が来ちゃうらしいけど、と言わんばかりに表情を曇らせた。

 

 メルルもそれを見て、感知を働かせようする仕草。しかし未だ引っかかりはないようだ。妖魔士団なら、呪法による気配隠蔽くらいはやってのける。

 ザムザ自身、今日はまだ会場に来ていないのかも知れない。

 

 ともあれ、ダイとポップの出場が決定し――予選を危なげなく勝ち抜き、決勝戦の8名に残ることとなった。

 8名とは――

 

「怪力無双の戦士ラーバ!

 万能鞭の名手スタングル!

 強大な呪文を誇る魔法使いフォブスター!

 百発百中の腕前を誇る狩人ヒルト!

 パワーに加えてレスリングテクニックにも長けたレスラー、ゴメス!

 旋風の如き剣の使い手、騎士バロリア!」

 

 司会役はそこで一旦言葉を切り、溜めた。

 

「そして! 皆さんも覚えておいででしょう、我が国を百獣魔団から救ってくれた英雄! 勇者ダイと魔法使いポップ! 本大会の優勝候補筆頭です!!」

 

 リング上で照れるふたりを、微笑ましげに眺めるリュンナ――の隣にバラン、更にその向こうにメルル。彼女は気分が悪そうだった。

 寒気がするのだろか、両腕で自分を抱くような所作。

 

「どうしたんです?」

「いえ、何か……良くない感じがするんです。でも出どころが掴めなくて……」

「来たか、魔王軍。どこだ……?」

 

 メルルが目を閉じ集中し、逆にバランが視線を巡らせる。

 リュンナも竜眼でリングを探る――実は最初からずっとそうなのだが、生体牢獄(バイオプリズン)の存在が透視できない。

 

 間もなく決勝戦の準備が開始された。

 8名がリング上に集い、主催者ザムザが現れて説明を述べる。

 

「あの人……!」メルルが青くなって震える。「とてもイヤな感じ。大きな悪意……!!」

「奴か! しかし見た目は人間だな。モシャスか?」

「ですね」

 

 ザムザを注視。竜眼には真の姿が見えている。

 

「リュンナ、モシャスを掻き消せ。正体を露見させてから仕留める」

 

 相談するうち、リング上では8個の宝玉がそれぞれの手に取られ、『GAME OVER』が出来上がっていた。

 ゴメスが怒りに任せて宝玉を握り砕く。

 

「こっ……こりゃあ何の冗談でえっ!!」

「冗談も何も、見た通りの意味さ。遊びはここで――」

 

 メルルを残し、観客席からリュンナとバランが飛び出した。

 

 リュンナの指から凍てつく波動が迸る。

 ザムザにかかっているモシャスの効き目がなくなった。

 魔族の姿――妖魔学士。

 

「なにッ……!」

「魔族だ!」

「魔族が化けてやがった!」

「逃げろー!」

 

 観客たちが混乱し、一斉に逃げ出す。

 それを確認しながら、バランは真魔剛竜剣を抜いてザムザに迫った。

 

「げえーっ、バラン……!!」

「消えろ、魔王軍!!」

 

 原作ではダイの拳打を防ぐほどの守備力を見せたザムザだが、流石に竜闘気(ドラゴニックオーラ)を伝わらせたオリハルコンの剣は無理だったか。しかも不意打ちだ。

 見事に一刀両断の結末。

 

 同時に――リュンナは下を見た。

 地中で膨張の気配。竜眼透視。

 生体牢獄(バイオプリズン)は種のような状態で仕込まれ、ザムザの合図で急成長するモノだったらしい。見落としてしまうほど小さかった種が、今。

 

 宝玉の用意されていたリング端の8か所から、それぞれ骨のような爪のようなモノが生え、伸び――それらは皮膜で繋がっていて、参加者を大きく包み込むように閉じた。

 それは一瞬だった。分かっていてもなお素早い。

 会場がどよめいた。

 

「ああっ、ポップさん……!!」

 

 ダイくんの心配もしてあげて……!

 ついでに、わたしの心配も。

 

 リュンナは閉じる牢獄から選手たちを救おうと飛び込み、傀儡掌の応用で全員を浮かせつつ運んでの脱出を図ったところ、牢獄の内壁に正面衝突した。

 もう一瞬早く気付くか、人数が少なければ、何とか間に合ったのだが……。

 浮かせも解けて、全員が落ちる。

 

「いてて……」

「リュンナ、大丈夫!?」

 

 ダイは相変わらずリュンナと呼んでくる。

 外見年齢が自分と変わらないのに叔母と呼ぶことに、抵抗があるのだろう。然もありなん。

 呼ばれる当人としては、全く気にならない。

 

「おばちゃんは大丈夫ですけど……ごめんなさい、間に合いませんでしたね……」

 

 三々五々、選手たちは立ち上がっていく。

 多くはまず状況を把握していく風情だが、勇者とその仲間は別だった。

 

「こういう攫い方かよ……! ダイ、壊すぞ!」

「うんっ!」

 

 ポップは掲げた炎熱のアーチを圧縮して放ち、ダイはそれを剣に受けて魔法剣化、竜闘気(ドラゴニックオーラ)と合成して威力を高めた。

 

「ベギラゴン――」

「――ストラーッシュ!!!」

 

 牢獄の内壁は剣を受けて――ゴムのように外まで大きく伸びたが、刃は食い込まず、最終的にボヨンと跳ね返した。宿した閃熱も吸収され受け流されている気配。

 

「何だこれ!? (ドラゴン)の騎士の技で貫けないのかよ!?」

「ギガブレイクなら行けるかも知れないけど、おれひとりじゃまだ……!」

 

 見たこともない必殺技と、しかしその結末に、選手たちは唖然としていた。

 

「キィ~ッヒッヒッヒ!」

 

 外からザムザの声が聞こえる。生きていたのか。

 しかも声がより巨体から発せられる低さに変化している。超魔生物に変身したらしい。一刀両断の傷もそれで再生回復したのだろうか。

 バランが立ち向かっていく気配。

 

「どうだバラン! 超魔生物の力は!! 神が創った究極の生物であるお前も捕まえて、更なる化物を生み出してやるぞ!」

「そんなことは不可能だ……! 貴様はここで死ぬ!」

「ふん、ついでにリュンナだ! 人間どもに捕まって、脅されていいように使われているらしいと聞いたが、本当だったとは。連れ帰ってやればハドラーさまが喜ぶだろう!」

 

 ハドラー。

 生きている。

 胸にばかり力が入って、それ以外から力が抜けて、全力疾走した直後みたいに、立っていられない。座り込んだ。

 

 ダイが心配してこちらに来る。

 ポップは吐き捨てるように言った。

 

「ハドラーの野郎、生き返りやがったのか……! まあ今はいい。ダイ、双竜陣は出来ねえのか?」

「うーん……あー、ダメみたい。思念波がこの檻に邪魔されちゃってる」

「そうか。じゃ、あれだな」

 

 ポップは左右の手に、メラ系とヒャド系の魔法力を同時に灯した。

 その構えは。

 

「師匠から教わったばっかの極大呪文だぜ。呪文の威力を受け流すんであって、魔法力そのものを吸収するんじゃねえなら、これが効くハズ……!!」

 

 そして火炎と冷気は合成されスパークし、光の弓矢と化した。

 

「メドローア!!!」

 

 天井が消えて、空が見える。

 そして生体牢獄(バイオプリズン)が再び閉じる前にと、選手たちを連れてルーラでリング脇に脱出した。

 

「っふう! 効いた効いた」

「すごい呪文だなあ……! ポップ!」

 

 ダイとポップは盛り上がりながら、様子を窺う。

 と、

 

「ギガブレイク!!!」

「ぎえッ、……!!」

 

 超魔ザムザが、バランの一撃に倒れるところだった。

 周囲には打撃や闘気弾による破壊の跡、そして広範囲に渡る凍結があった。

 超魔ザムザは呪文を使えまいし、バランもわざわざヒャド系を使う理由はなく、使ったとして外さないだろう。

 

「バカな、バカな! 最新の知恵ある竜であるリュンナの血すら……組み込んだのに……!」

 

 リュンナの血だった。超魔ザムザが吹雪を吐いたのか。

 以前ザボエラに、蘇生液の改良のために提供した血液がある。それの余り――いや、それこそが本命だったのかも知れない。

 

 実際、バランがこの戦闘でギガブレイクを使ったのは、これが初めてではない。生体牢獄(バイオプリズン)の中にいる頃から、一度はその叫びが聞こえていたのだ。

 バランは息を切らしていた。

 

 竜の生命力が、ザムザを耐久させていたのだろう。

 そしてその力は、ハドラーにも継がれるのだ。

 恐らく、元が小柄なリュンナよりも、更に効果的に。

 

 ザムザは変身こそ解けたものの、灰となる気配もないまま、ルーラで逃げ去った。

 



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ミスト編
93 襲来、鬼岩城


 結局ソアラが来たのは、日が暮れてからだった。

 

「ごめんなさい、間に合わなかったわね……。みんな大丈夫だった?」

「はい、姉上。大過なく」

 

 リュンナもダイもポップも、傷はない。

 ザムザと直接戦ったバランも、呪文治療で既に十分だった。

 

 姉は軽鎧に剣を携えた姿で、ブロキーナのもとに行く前と変わっていない。

 武闘家に転職したワケではなく、勇者のまま武闘家の特技のみ覚えた――といったところか。

 

 事の経緯を報告し、労い合う。

 閃華裂光拳以外にも、いくつかの技を覚えてきたらしい。

 しかもそれらの多くを、剣技として使用できる形で。

 やはりこの人は凄い人なんだなあと、改めて思うリュンナだった。

 

 その後、ロモス王から感謝され、そして世界会議(サミット)の開催が明らかとされた。

 この世界では、どの国の王家も滅びていない。8か国が揃い踏みとなる壮観な光景を拝めることだろう。

 

 そして覇者の剣は偽物だとザムザが述べていた(とバランが語った)が、実際にどうかと確かめられ――竜闘気(ドラゴニックオーラ)で燃え尽きないかどうか――見事にボロボロになった。

 が、ダイは既に『ダイの剣』を手に入れている。問題はない。

 ポップもメドローアを覚えている。他の面々も、原作の同時期よりも大きくレベルアップしているハズだ。

 

 この分なら、鬼岩城が襲って来ても勝てるだろう。

 もちろん楽観はせず、その時まで更なるレベルアップに励むワケだが。

 

 何しろ、鬼岩城は実際に来る可能性が高い。

 あれはハドラーが超魔生物に改造される時間稼ぎを頼んだ結果であり、そしてこの世界でもどうやら超魔生物に改造されつつあるようだ。

 ならば備えよう――と思えど、これ以上何を備えればいいのかは分からないが。

 

 ハドラーが超魔生物と化すことは、できれば避けたかった。あれは寿命を縮める。

 それともリュンナの血を組み込んだことで、竜の生命力により解消されるだろうか。正直、それを狙ってザボエラに血を提供した面もあるのだが……。

 

 そうなれば、勇者たちには双竜陣あり、ハドラーには超魔の力あり。

 黒の核晶(コア)を排除して結託し、バーンに反旗を翻したいところだ。

 

 

 

 

 さて、世界会議(サミット)である。

 原作では強気だったベンガーナだが、この世界ではむしろ唯一魔王軍に負けた国となってしまった。そのせいか居丈高な態度はなく、会議は順調に進んでいる気配。

 

 旗頭とするべきは竜の勇者ダイか、北の勇者ノヴァか? という論争はあるが。

 実際、ノヴァはオーザムを氷炎魔団から救い、祖国リンガイアも妖魔士団から守り抜いた実績がある。

 百獣魔団と不死騎団と超竜軍団に勝ったダイ一行と比べれば一見霞むが、ダイには多くの仲間がいるのに対し、ノヴァには同格の仲間がいない。およそひとりで戦い抜いてきた強さは本物。

 

 それを本人も自覚しているのだろう。

 

「君が勇者ダイか……。そっちは元超竜軍団長のリュンナだな。一度戦ったが……」

 

 だから会議室の外でダイと出会ったとき、ノヴァはあからさまな観察の目を向けてきた。本当にこいつが勇者ダイなのか? とばかりに。

 逆にリュンナの方は一瞥してきたのみだ。小物扱いされている気がする。人格的に小物なのはその通り。

 ダイ本人よりも先にムッとするポップを眺めつつ、ノヴァは堂々と名乗る。

 

「僕はノヴァ。人呼んで『北の勇者』……!」

「あっ、おれ聞いたことある! オーザムやリンガイアを守ったんだよね?」

「知っていたか。――フッ」

 

 ノヴァは思わずといった顔で笑う。

 そして何の皮肉も含まぬ、素直な声音で続けた。

 

「光栄だな……! 君ほどの勇者に名前を知られていたとは」

「おれほどのって……」

「おう、そうだろうよ! ダイはなあ、ロモス、パプニカに続いてアルキードをも――」

 

 ポップが勢い込んで述べる。まるで自分のことのように自慢げだ。

 ダイはそれに困った顔を浮かべ、ノヴァも苦笑した。

 

「そういう意味じゃない……。実際に会うのは初めてなんだ、口では何とでも言える」

「何だとォ!?」

「ただ、一目見て実力は分かった! いや……正確には、底知れなくて分からないほど強い、ということがね。僕は自分の感覚を信じている。その感覚が言ってるんだ、ダイ、君は本物だと」

 

 このノヴァは、恐らく原作より大幅にレベルアップしている。

 特にフレイザードを倒したことが大きいのだろう。その後もリンガイアを守る戦いにも参加し続けた。相手は超竜軍団ではなく妖魔士団だったが、とにかく経験を多く積む機会があったのだ。

 そして強者は強者を知る。

 ダイの強さを測れるだけの物差しを、ノヴァは手に入れていた。

 

「今――会議室では、僕かダイか、どっちを中核にするべきか話し合っているハズだ」

 

 防音が施された部屋から、会話は漏れ聞こえて来ない。

 だが彼は確信を滲ませて述べた。

 

「勇者の名のもとに、力と心をひとつに束ねる必要があるからだ。勇者のような猛者は何人いてもいいが、その意味で、真の勇者はひとりでなきゃいけない……! だからダイ! 僕と勝負してくれ」

「ええっ!?」

 

 ダイ一行の驚きをモノともせず、ノヴァは指を突きつけた。

 

「誰が真の勇者かなんて、当事者以外がどれだけ話し合ったって決まるもんじゃない。僕たちが直接雌雄を決する! それが最も手っ取り早い。そうは思わないか?」

「みんなを束ねるんなら、そのみんなに認められるっていうのは、強さより重要なんじゃないかな」

 

 ダイがあっけらかんと正論を述べる。

 だがノヴァは怯まない。

 

「一理ある。しかし――」

 

 そのときだった。

 ゴウウウウン――あまりにも重い、遠雷めいた、しかし地の底から響くような音。

 それはしかも一定の間隔で、段々と近付いてくるようでもある。

 

 すわ何事かと、会議室の内も外も、皆が窓の向こう――パプニカ南海の方角を見る。

 天を突くような岩の巨人が、海を歩いてきていた。

 停泊していた船を軽く拾い上げ、握り潰しながら。

 

「きっ――鬼岩城!!」

 

 クロコダインが呻く。

 皆の視線が集中した。

 

「魔王軍の基地だ。ギルドメイン山脈に、歩いていった跡があったが――本当にそうして移動するとは……!! この目で見てもまだ信じられんっ!」

「ということは、間違いなく魔王軍の攻撃! ダイ――」

「うん、ノヴァ。勝負はあとだっ!」

 

 勇者たちは巨人を討つべく飛び出していった。

 ベンガーナの戦車隊はない――ベンガーナ王にそういった示威の意思がないからだ。

 いや、最低限の戦車は船に積んでいたのだが、それも今、船ごと引っ繰り返されてしまった。

 

 まずはトベルーラを使える者たちが飛び立つ。ダイ、ポップ、ノヴァ。彼らに掴まる形で、ヒュンケルとマァム。

 マトリフは「疲れた」と言って、元から来ていない。竜騎衆はアルキードを守っている。

 次いでソアラとバランも飛び立とうと――

 

「ってちょっと姉上! バランも! どっちかはここに残って王さまたちを護衛してくださいよ!!」

 

 自分も飛んでいこうとしたリュンナだが、その前に指摘せざるを得なかった。止まる。

 バランは渋った。

 

「しかし……!」

「姉上と離れたくないとでも?」

「……」

 

 戦場で離れるのは心配なのだろう。

 然もありなん。

 

「じゃあふたりでここですね」

「お前は?」

「そりゃ行きますよ」

「仕方ない」

 

 ザムザの謀略を潰すことに一役買ったため、扱いは一段良くなっているのだ。

 ある程度の自由が認められつつある。

 

 ともあれ、そういうことになった。

 そしてリュンナはクロコダインとバルトスを抱えて飛んでいく。

 

「どうしてわたしだけふたりも……!! 軍団長時代もウチだけ2か国だったんですよ!?」

「ぬう……」

「すまぬ、リュンナさま……」

 

 ともあれ、戦場だ。

 先行した勇者たちの攻撃によって、リュンナが到着する頃には、既に岩の覆いは剥がれていた。無数の砲門を備えた城の様相が露。

 

「世界の指導者たちよ……」

 

 不気味な声が響く。

 それは名乗った――魔影軍団長ミストバーン、と。

 そして突きつけた。

 

「命令する――死ね」

 

 人間どもには一片の存在価値もなく、大魔王バーンの大望を汚す害虫に過ぎぬ、と。

 極まったバーン信者であるミストからすれば、それはそうだろう。リュンナは平然と受け止めた。

 しかし勇者たちの中には、怒りでより奮起する者もいるようだ。

 

「ちくしょう……!! 何さまのつもりだああーーーッッ!!」

 

 飛ぶポップが鬼岩城の頭上を取る。

 そして左右の手に、それぞれメラ系とヒャド系の魔法力を灯し――合成して――

 

「メドローア!!!!」

 

 巨人の頭頂から股下までを、光が貫通した。

 結果、文字通りの風穴が開いて、それで鬼岩城の動きは中途半端なところで止まり――しかし立ち続けるだけのバランスは取った。

 動力源を破壊したというよりは、操縦者がいなくなったような雰囲気。

 

 これは――まさか、ミストバーンが死んだか?

 



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94 魔影参謀ミストバーン

 ミストバーンが死んだかも知れない。

 だとすれば、今にも踊り出したいくらいだが……。

 

 メドローアを魔王軍が受けるのは、これが2度目だ。

 最初は先日のザムザ戦、生体牢獄(バイオプリズン)に内から穴を開けたときだが――バランに追い詰められていたザムザに、果たして冷静に観察してメドローアの性質を看破する余裕があっただろうか。

 今、ミストバーンにとってはあまりにも初見殺しだったハズ。

 

 凍れる時間(とき)の秘法がかかっている若バーンの肉体、それにダメージを与える唯一の例外。

 しかもミストが表に出ている状態では、究極の防御技フェニックスウィングも使えまい。咄嗟に気付いたとしても、避けるしかない。避ける余裕はあったか?

 

 ミストバーンが死の宣告と共に出撃させた鎧兵士の群れ、地上ではそれらとの戦いが始まっている中、リュンナはそこにクロコダインとバルトスを投下。

 自身も巨人に近付いていく。

 

「……」

 

 フラフラとおぼつかない足取りで、ミストバーンが鬼岩城の顔から姿を現した。

 生きている。

 

「……も……」

 

 だが決して無傷ではなかった。

 出てきたミストバーンには、右腕がなかったのだ。肩さえない。

 避けようとして、避け切れなかった――のだろう。

 

「もうしわけ……、ありえない……こんな……。バーンさま……」

 

 今ならトドメを刺せるのではないか。

 飛べる面々も同じことを考えたのだろう、次々とミストバーンに殺到していく。

 

「アバンストラッシュ!!!」

「ノーザン・グランブレードッ!!」

「ベギラゴンッ!!」

 

 だがその攻撃ではダメだ。

 ベギラゴンは言わずもがな、ストラッシュは竜闘気(ドラゴニックオーラ)で、グランブレードも中庸の闘気で繰り出されている。光の闘気であれば良かったが。

 案の定、爆煙が風に浚われても、ミストバーンは小揺るぎもしていない。

 

「ポップくん、メドローアを!」

 

 リュンナが追い付いた。

 

「そうか、アレなら効くのか……! よく分からねえけど分かったぜ!!」

 

 メラ系とヒャド系、ふたつの魔法力が再び灯される。

 

「おれたちは!?」

「敵は暗黒闘気の使い手です。光の技を!」

「どうやる?」

 

 ノヴァが戸惑った。

 闘気技は教えられる者が呪文より遥かに少ない。ここまで独学で来たのだろう。

 

「見てて!」ダイが剣を一度鞘に収めて瞬間的に瞑想し、「――空裂斬!」

 

 居合めいて放たれた光の闘気剣圧が、ミストバーンの脚を抉った。

 ガクリと膝をつく様子。

 

「なるほど。こうかな……。ノーザン――」

 

 ノヴァが構えを取り――そこを突如現れた大鎌が襲う。

 甲高い風切り音は、死神の笛による感覚攪乱攻撃の始まりだろう。

 が、リュンナが刃を摘まんで止めたことで、それは不発となる。

 

「そこまでだよ、リュンナ君……!」

「キルバーンさんじゃないですか。ごきげんよう」

「こ、こいつは……!?」

 

 ノヴァは一旦戸惑ったが、すぐに気を取り直した。

 

「いや、今はミストバーンだ! ノーザン・ステラブレードッ!!」

 

 光り輝く闘気剣(オーラブレード)を伸ばし、ミストバーンに突き立てる。飛ばして当てるのは難しいため、咄嗟に選んだ手法のようだ。

 実体のない闘気の塊は、ミストバーンを巻き込んで形成され、ガッチリと拘束していた。

 

「ミスト! いつまでボケッと――ううッ!?」

「げえーっ! キルバーン!!」

 

 死神の肩の上、一つ目ピエロ――ピロロが悲鳴を上げる。

 キルバーンはリュンナの手で氷漬けにされていた。

 

 血液が魔界のマグマだろうと何だろうと、それを凌駕する冷気の前では関係ないことだ。

 実際、キルバーンの中の黒の核晶(コア)は、マグマ血液の熱に晒されていても爆発しない。同じこと。

 

凍結封印呪文(ヒャドカトール)。慌てて出て来るからですよ。罠の用意もないのに……! 友達思いも考えモノですね」

「ハ、ハドラーのこと好きなんじゃないの!? 何で普通に裏切ってるんだよ~!!」

「好きだから、ですよ。あの人を奪うために」

 

 そういうことになっている。

 

 更に呪いの氷がピロロにさえ伸びようかという間際、彼は慌ててルーラで逃げ去った。人形を置き去りに。

 そして同時に――ダイに脚をやられ、ノヴァの新技で縫い止められているミストバーンに向けて、

 

「メドローア!!」

 

 2発目の消滅呪文が放たれた。

 極大の光の矢が迫る。

 

「うおおおおおおおおーーーー!!!!」

 

 ミストバーンが爆発的に暗黒闘気を放出、光の闘気を打ち破り、拘束を外した。

 そして跳躍してメドローアを避けるも、避け切れず右脚を喰われる。

 光の矢は鬼岩城の顔面を後頭部へと抜けていった。

 

「すまない、あと一瞬動きを止められていれば!」

 

 ノヴァのせいではない。

 キルバーンが現れなければ、リュンナも拘束に加われていたのだ。

 老バーン本人が来なかっただけマシだが――むしろなぜ来ない?

 

「悪い、メドローアはもう品切れだ! あとは頼む!」

 

 更にメドローアを撃つには、ほんの少しだけ魔法力が足りないようだ。ポップが後退する。

 一方ダイは既に、ミストバーンが避けた先に空裂斬を飛ばしていた。

 

「ぐううう……ッ!!」

 

 白衣の悪魔は、右の手足を失い、脚と胸を空裂斬に撃ち抜かれ、トベルーラで辛うじて浮く状態だった。

 

「赦さぬ、赦さぬぞ……絶対に……! バーンさまの、この私の! 何よりも……! 捻り殺してくれるッ!! 闘魔滅砕――」

「氷魔傀儡掌!」

 

 ダイ、ポップ、ノヴァ、リュンナ。4人もを一度に相手取ろうと暗黒闘気の網を伸ばしたミストバーンは、しかし彼ひとりを狙ったリュンナの傀儡掌で不発に追い込まれた。

 その傀儡掌もすぐに外されたが、その次の瞬間には、

 

「空裂斬!」

「ノーザン・ステラブレードッ!!」

 

 更なる光の技が再び襲いかかるありさま。

 漏れ出た暗黒闘気が煙のように霧散していく。

 

「か、か、かくなる……上は……!」

 

 ミストバーンは、震えて満足に動かぬ左手で自らの衣を掴み、引き裂くように開こうとする。

 その手から、氷が生じて全身を侵蝕していく。

 ミストバーンの闇の衣は、脱がさせない。

 

凍結封印呪文(ヒャドカトール)

「リュンナ……! 貴様ッ!!」

 

 氷漬けのキルバーンを虚空の穴に放り込んだリュンナが、既に肉薄していた。

 真正面から抱き締める形。

 

 メドローアが『全てを消滅させる』から時間が止まっていても関係ないように、ヒャドカトールも『上から氷の封印結界を被せる』から時間が止まっていても通用するのだ。

 

「危険だと思っていた……! 無力化しておくべきだとッ! バーンさまのご厚意で生かされているだけの分際でッ!!」

「凍てつく波動!!」

 

 リュンナの全身から凍てつく波動が迸る。

 ミストバーンにかかっている、全ての魔法の効き目が――なくなっていく。

 

「リュンナ、その技は……!?」

「メドローアや光の闘気しか効かない、何らかの防御呪法がかかってるんです! 今それを解除してます……! そうすれば何でも効きますよ!」

 

 凍れる時間(とき)の秘法とは言わない。

 今更隠す意味もないかも知れぬが、しかし、そこまで詳細に説明する必要もない。

 事実、ダイもポップもノヴァも、防御解除に備えてすぐに大技の準備に入った。

 

 ヒャドカトールで氷漬けにして物理的に動きを封じながら、凍てつく波動で無敵の理由を排除する。

 ふたつの行動を同時に行えるのは、竜眼による闘気の高度な生成及び操作能力があってこそ。

 

 勝てる。勝てる!

 ここでミストバーンを斃せば、もう真バーンは降臨できない!

 老バーンが相手なら、今のメンバーで充分に勝てる。ダイとバランの双竜陣でお釣りが来るだろう。

 バーンが消えれば――ハドラーが魔の頂点だ。

 

 この期に及んで老バーンが出て来ないのは不気味だが――感知が遅れているのか? とにかく今はやるしかない。

 そして凍れる時間(とき)の秘法が、遂に解かれた。

 

「やりました! 今で――」

 

 今です、と最後まで言うことは出来なかった。

 闘魔最終掌。ミストバーンの決死の反撃が、リュンナの胴をぶち抜いていた。

 暗黒闘気があらゆる物質の結合を解く――万物を塵と化すそれ。闇の衣で威力を半減してなお、貫通してきたのだ。

 

 リュンナ、と名を呼ぶ声が聞こえた。

 ダイとポップ。ノヴァは息を呑んでいる。

 そしてもうひとり――ハドラーの声が。

 

 次いで腕もまた粉微塵。

 ミストバーンはリュンナを引き剥がし、その場から煙のように消え去った。

 

 しまった。仕留め損ねた!

 ドラゴラムを使っていれば抑え切れただろうか。だが変身中の隙に逃げられでもしたら、と思うと躊躇してしまった。どの道無理だったということか。

 

 そしてハドラーが――あの超魔生物特有の三本角の兜を被ったハドラーが、そこにいた。

 リュンナに飛んできて、手を伸ばしている。

 掴もうとして、

 

「レムオル! バシルーラ!!」

 

 ポップの左右の手からの呪文が、リュンナに作用した。

 普段なら容易く無効化する程度のモノだが、ミストバーンからのダメージで闇の衣が不完全だった。

 咄嗟に鷹の目の視点をその場にひとつ残す、それが関の山。

 彼方へ飛ばされ――しかも透明化されているから、ハドラーはその行先が分からず、追うことが出来ないのだ。

 

「ポップ、貴様……!!」

 

 ハドラーがポップを睨む。

 ポップはごくりと喉を鳴らしながらも、毅然としていた。

 

「魔王軍に連れ戻させはしねえぜ。せっかくこっちで捕まえたんだ。これ以上、人間を苦しめる手伝いなんぞさせねえ……!!」

「リュンナがそれを望んでもか!」

「当たり前だろうが!! 侵略者の魔王軍に、正当性なんか欠片もねえんだからよ! 悪事がありゃ止めるし、ありそうなら防ぐだろ!」

 

 一方リュンナ本人は、パプニカ大礼拝堂、世界会議(サミット)が行われるその会議室に飛ばされていた。その頃には、もうレムオルも解けている。

 ルーラを唱えて戻ろうとして、

 

「マホトーン」

 

 バランに封じられた。

 ソアラは慌てて空裂斬で傷口の残留暗黒闘気を排除し、抱き締めてベホマをかけてくれるが、その抱き締める行為は同時に拘束でもあるのだ。

 アルキード城からバランを攫ったときと、ちょうど逆のありさま。

 

「反応……いいですね……。姉上」

「バランが状況を教えてくれてたの」

 

 紋章の共鳴か。

 双竜陣状態になるには遠いが、それで慣れたためか、この距離でもダイとテレパシーをする程度は出来るようだ。

 

「あなたを放さないわ。リュンナ」

 

 放してもらうには――まず腕を再生したい。が、ソアラは胴体の傷しか治してくれていない。凍てつく波動で腕の残留暗黒闘気を除去し、回復を促さなくては。

 しかしそのために集中しようとすると、ソアラが察知して抱き締める力を痛いくらい強くし、集中を阻害してくる。

 切離された腕を治せない。

 それでもベホマでその傷以外の体力は補給され、死は遠い。

 

 血を流しても、涙を流しても、暴れても叫んでも、本当に放してもらえなかった。

 ハドラー。すぐそこにいるのに。

 何も考えずに、ただ、抱き締めたいのに。

 

 戦略も戦術もなく、ただ、衝動のままに。

 



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95 超魔ハドラー その1

 ミストバーンの苛烈な反撃を受け、そうして闇の衣が剥がれたところにマホトーンをも受けた。

 あまつさえソアラに抱き締められ拘束されている。どう動こうとも、動きの起こりを察知され潰されてしまう形。

 出来るのは、残してきた鷹の目の視点を窺うのみだ。

 

「ソアラ、頼んだ」

「ええ」

 

 バランが飛び出していった。

 パプニカ南海にて立ったまま沈黙する鬼岩城へ――その顔の前辺りの空中で、ハドラーと対峙するダイたちのもとへ。

 

 リュンナは息を荒げた。

 

「放してください、姉上……! ハドラーを奪って来いって、父上は言ったんですよ!」

「今のあなたじゃ無理よ。奪い返されるだけだわ。それを認めるワケには行かないの」

 

 ハドラーは蘇ってきた。言葉を交わす暇もなかった。

 超魔生物への改造を受けたことは、寿命が縮まるという点では良くないものの、肉体がバーンの眷属でなくなった点では歓迎できる。寿命も策は講じてある。そこはいい。

 だが黒の核晶(コア)は健在だ。いよいよ以て活性化し、胎動しているだろう。ハドラーもそれは分かっていたハズ。それでも改造を受けたのか。

 

 今、突然バーンが核晶(コア)を起爆して全てを吹き飛ばす――それの可能性は、およそ半々といったところか。

 

 彼は強者を好む。ハドラーの覇気を気に入っている節がある。

 ハドラーが命を捨ててまで強さを求めて、その通りに手に入れたなら、とりあえずは引き続き運用しようとするだろう。

 

 つまりミストバーンが追い詰められてもバーンが助けに来なかったのは、こうしてハドラーが来るから。

 そうなれば、最悪、ハドラーの核晶(コア)で全てをご破算にする。それに自分が巻き込まれないために。

 

 爆発を防ぐには――ダイたちに加減してもらう方法はないか。

 そう思いながら、鷹の目でハドラーたちの様子を。

 

 ダイ、ポップ、ノヴァに加えてバランが到着。全員が飛行可能。空中戦だ。

 バランがポップに魔法の聖水を投げた。メドローアを撃つ分を回復させる気か。そしてダイと紋章を共鳴させ、双竜陣に入っていく。

 

 ポップは魔法の聖水をがぶ飲みし、ノヴァがその護衛につく。

 前衛を務めるのはダイとバラン。双竜陣状態においては、それぞれが双竜紋相当のレベルであるとリュンナは見ている。それがふたり。

 いくら超魔ハドラーでも勝てるワケがない。

 

「リュンナはとうにアルキード王国のモノではない! 返してもらうぞッ!!」

「だからと言って、魔王軍に与していいことにはならん!」

「そもそもリュンナはモノじゃないよ!!」

 

 13年間のブランクでリュンナに惨敗した経験からか、バランは余計なプライドを失っていた。鍛え直した今となっても、最初からダイとふたりがかりで戦う構え。

 大柄なバランがハドラーに突っ込み、小柄なダイがその陰から隙を狙っていく。

 

 ハドラーの左腕が、金属的な衝撃音を響かせて真魔剛竜剣を受け止めた。

 

「なに!?」

「ふんっ!!」

 

 そのままハドラーはバランを剣ごと殴り飛ばし、後続のダイにぶつけてその動きを一瞬止める。

 

「イオラ!!」

 

 続いて両手でイオラの連発。

 竜闘気(ドラゴニックオーラ)に並の呪文は効かない――だが、

 

「うおっ!?」

「うわああ!!」

 

 爆熱の嵐が、(ドラゴン)の騎士たちに確かなダメージを与えていく。

 親子は衝撃に後退を余儀なくされる。

 

 鷹の目越しにも分かる。

 魔炎気だ。炎の暗黒闘気。炎熱系魔法力と暗黒闘気の合成――これを純粋な魔法力の代わりに、呪文に注ぎ込んでいる。魔法力耐性を半ば貫通する性質。

 最早『並の呪文』ではないのだ。

 

 なお、魔氷気を使おうという気配はない。

 リュンナの血を組み込んだとは言え、使ったところで、もともと適性のある炎属性ほど強力なモノにはならないからだろう。

 

「バカな! ハドラー如きがこうまで……!?」

「たぶん、超魔生物だ……!! それより今は反撃しよう、父さんっ!!」

 

 ダイが構えを取った。

 ハドラーも既に、炎熱のアーチを掲げる構えを取っていた。

 

「アバンストラッシュ!!!」

「ベギラゴンッ!!」

 

 ストラッシュ(アロー)の剣圧が、ベギラゴンを斬り裂き――それで威力のほとんどを消耗した。

 一方で上下に分かたれたベギラゴンは、その余波のみですら(ドラゴン)の親子を炙る威力。

 しかしその熱気を突っ切って、バランが前に出る。

 

「腕に何か仕込んでいるようだが! (ドラゴン)の騎士最強の秘剣を前にして、防ぎ切れるモノではあるまい!!」

 

 前進飛翔の最中、ギガデインを剣が受ける。

 雷光と竜闘気(ドラゴニックオーラ)が合成されていく。

 

「確かに、仕込んだモノのみでは防ぎ切れん。しかし……!!」

 

 ハドラーの左腕から、不意に(つか)が飛び出てきた。

 彼はそれを右手で掴み、一気に引き抜く。

 暗黒闘気による空間歪曲を利用しているのか、明らかに腕よりも長い刃が現れた。

 

「覇者の剣……!!」

「武術大会の賞品の本物か! オリハルコンの剣!!」

 

 ハドラーは覇者の剣を、両手で握る。

 リュンナが瞑想や剣術を教えたこともあった。それが今、リュンナの血すら改造に取り込んだ超魔生物と化したことで、完全に花開いたのか。

 美しい構えだった。

 そして剣が、激しい魔炎気を纏う。

 

「そうか……! 魔炎気をオリハルコンの剣に伝わらせて戦えば、魔法剣と威力は変わらん……!!」

「そういうことだ。行くぞバランッ!!」

 

 ギガデインオーラを纏う剣の振り下ろし。

 魔炎気を纏う剣の薙ぎ払い。

 

「ギガブレイクッ!!」

「超魔爆炎覇ッ!!」

 

 激突――大爆発。

 

 武器は互角。

 闘気と魔法力の位階はバランが上。

 だが合成闘気の総量と、本体の『ちから』はハドラーが上だった。

 

 ハドラーは左肩を粉砕され、その場に。

 バランは胴を半ばまで断たれつつ全身を黒焦げにされ、落ちた。

 

「げえっ!! ダイの親父さん……!!」

「おいポップ、逃げろ! 僕もバラン王を助けてすぐに――」

 

 ポップとノヴァが動揺する中、しかしダイのみが、いっそドライなほど冷静に戦況を見ていた。

 彼には分かっていたのか――バランが落ちると。

 リュンナの目にはそう見えた。少なくとも、そう思うほどに、彼の行動は迅速だった。

 

 バランのギガブレイクから一拍遅れて、

 

「ギガブレイク!!!」

 

 既に準備されていたダイのギガブレイクが、ハドラーを抉った。既にひとりでギガデインを使えるダイだ。

 超魔爆炎覇の直後、再び相殺するには溜めが間に合わない。

 それでも彼は剣で受け――バランにつけられた左肩の傷が、更に深く。

 そのまま鍔迫り合いへ。

 

「流石は勇者ダイ!! 幾度もこのハドラーを退けてきた、未だ実力の底が見えぬ戦の化身よ」

「ハドラー……!! リュンナに悪いことを、おれはさせたくない……! リュンナだっておれの家族なんだ!」

 

 ダイの紋章が明滅する。

 バランが落ちたことで、双竜陣が切れかかっているのだ。

 むしろ未だ切れていないだけ、戦闘不能となってなおバランが意識と気力を振り絞っている証拠だろう。

 

 ハドラーは淡々と返す。

 

「そのために、再び俺を殺すか? 超魔生物と化した俺は、今度こそ蘇れんが……」

「くっ……!!」

 

 ダイは動揺はしなかったが、明らかに迷った。

 その一瞬でハドラーはメラゾーマを唱え、ダイを焼いて怯ませる。

 一瞬の隙。蹴りでダイを突き放した。

 

「もらった!!」

 

 覇者の剣が振り下ろされ――止まった。

 

「ノーザン・ステラブレードッ! ほんの一瞬なら……僕でも!」

「小賢しいわっ!!」

 

 ノヴァの光の闘気がハドラーを捉え、それはすぐに振り払われるが、ダイが斬撃から逃れるには充分だった。

 あまつさえ、

 

「空裂斬!!」

「ぬっ、……!!」

 

 持続していたトベルーラの魔法力を撃ち抜かれたハドラーは、ガクンと高度を落とす。

 すぐに復帰はするが、それは、もう一拍の時間、そこに留まってしまうことだった。

 

「メドローア!!!」

 

 消滅の光の矢が迫る。

 

「やった! これはもうかわせねえ……!!」

 

 トベルーラはかけ直す瞬間。

 肩のスラスターは左が粉砕されている。

 ハドラーの飛行は不全だった。

 

 当たると思った。

 リュンナも、絶望に胸を締め付けられた――

 

「ドラゴラム」

 

 ――ハドラーが人竜の様相に、瞬時にして変容するまでは。

 



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96 超魔ハドラー その2

 超魔生物と化したハドラーはもともと異形だから、人竜の様相とは言え、リュンナのそれよりも更に人からかけ離れている。胴体から頭部と四肢が生えている、という基本部分のシルエットが人型であるというのみだ。

 加えて翼と尾。

 

 その翼は飛行能力を増大する。

 トベルーラもスラスターも不全でも、竜翼のみですら圧倒的飛行能力を発揮した。

 

 気付けばハドラーは、ダイの背後を取っていた。

 それはメドローアから逃れつつ、死角に入り込む位置取り。

 必殺の間合を外したことで、同時に意識の死角ですらある。

 

「超魔爆炎覇ッッ!!!」

 

 そして溜めが速過ぎる。

 ダイは振り向くことすらできず、一撃を受けた。

 ついに双竜陣の輝きが陰り、ひとり分の紋章の力のみが残る――吹き飛び、墜落へ。

 

「ダイーーーーッ!!」

「ダイッ!!」

 

 ポップとノヴァが叫び、助けに飛ぶ。

 ハドラーは、ダイも彼らも、どちらも追わなかった。

 

「クッ……。本当に流石だ、ダイ。あの間合から反撃するとは……」

 

 ハドラーの胴に、深く抉られ貫通した傷があった。

 ダイには振り向く間すらなかった。だから咄嗟にアバンストラッシュの構えを取ったのだ。右逆手の剣を、身を捻り大きく振り被る――その動作で、背後のハドラーを突き刺した。

 

 竜闘気(ドラゴニックオーラ)を集中して一瞬に爆発させたことで、再生が遅く、魔炎気もかなりの程度が吹き飛ばされて弱まっている様子。

 上下半身が分断されそうなほどだ。

 

「しかし、諦めて帰るワケにはいかん。リュンナを取り戻さねば……。俺の民を、俺の手に……!!」

 

 わたしを。そうまで。

 

 双竜陣を得た今、リュンナとしては反撃の準備が整いつつある。ハドラーもそれは把握しているハズ。

 だが胸の中に黒の核晶(コア)がある以上、ハドラーは堂々と裏切ってこちら側に来ることは出来ない。

 それ故の、疑いもせずにバーンに従っているというポーズのための戦いだと思っていた。

 

 違うのか。

 まるで、後先を考えずに、ただ。

 

 リュンナは重い体を引き摺ってでも飛ぼうとして、相変わらず押さえられた。

 ハドラーからは遠くて見えない、パプニカ大礼拝堂でのこと。

 ここだと伝えたいのに、鷹の目はただ見るのみだ。

 

 ハドラーはポップを追おうと飛んだ。

 リュンナをバシルーラで飛ばしたのは彼だから、彼を捕まえて飛ばし先を聞き出そうと思ったのだろう。

 だがそれを阻むモノがある。

 

「獣王痛恨撃!!」

 

 この世界ではバダックの前で使う機会がなく、ずっと痛恨撃のままの、クロコダインの闘気渦。

 地上から放たれたそれが空中のハドラーを捕え――あえなく打ち払われる間際、もう片腕からも闘気渦が飛ぶ。逆回転。ハドラーはまるで人に弄ばれるアリめいて、腹の部分で捻じり切られた。ダイのストラッシュの傷口から裂けたのだ。

 オリハルコンですらそうして破壊する威力なのだ、然もありなん。

 

「――獣王激烈掌!!!」

「ぐおおおおお……!!?」

 

 如何な超魔生物の再生能力でも、半身を欠損してはすぐには治らない。

 飛行のバランスが崩れ、錐揉み回転して天地上下を見失う様子。

 

 そこに地上班の更なる攻撃が飛んだ。

 ヒュンケルのグランドクルス、バルトスのヘキサ・ブラッディースクライド、マァムの槍アバンストラッシュ。

 まるで容赦がない。

 それでもハドラーは魔炎気を全開にして防御し、ボロボロになりながらも生き残るありさま。千切れた下半身は消し飛びつつも。

 

「しっかりしろ! ダイ!!」

 

 一方、ポップはダイを、ノヴァはバランを救助していた。

 どちらもまともに応える体力もなさそうだが。

 

「邪魔をするな、有象無象どもッ! 大人しくしておれば放っておいても良かったモノを!」

 

 上半身のみのハドラーは、覇者の剣を仕舞った。

 右手で持ち、左腕の中へと差し込む形。内部に空間の歪みが感じられる。

 

 そして左右の手を繋ぐ炎熱のアーチを掲げた。

 圧縮し、放つ。

 

「ベギラゴンッ!!」

 

 それはこれまで見てきたモノではまるで比にならぬ、まさに最強のベギラゴン。

 極大の閃熱は地上を薙ぎ払い、傍らに立ち続けていた鬼岩城すら爆炎に煽られて、半ば以上が焦げカスと化して海に倒れ込む始末。

 

 地上班は――無事とは、言えない。

 マァムの闘気盾(オーラシールド)も、クロコダインの鋼鉄の肉体も貫かれ、鷹の目で見ても一瞬焼死体かと思ったほど。

 呪文が効かない鎧の魔剣を纏っているハズのヒュンケルでさえ、僅かな隙間から熱に侵入されたのか、膝をつく様子。

 バルトスはその背後に庇われていた。それでなおピクピクと動く程度が関の山か。

 

 そしてポップが、ハドラーの頭上を取っていた。

 ルーラか。

 ダイを抱えたままに。

 

「貴様、ポップ……!!」

「テメエにもくれてやるぜ、この呪文を!!」

 

 ハドラーは再び覇者の剣を繰り出してポップを貫こうと近付き、

 

「バシルーラ!!!」

 

 そこに撃たれた追放呪文をまともに受け、彼方に飛ばされた。

 

 最善の判断だ、と言えよう。

 まさか胴体を抉られ捻じり切られ、上半身のみになってなお、たったひとりで敵を圧倒する――そんな化物をまともに正面から相手取れるワケがない。

 

 バシルーラは本来格上に通るような呪文ではないが、それでも弱っている今ならば、と考えたのだろう。

 そして確かに、ハドラーは弱っていた。あれで弱っていたのだ。

 

 しばらく、ポップは警戒を続けた。

 

「戻って来ねえ――な。そこまでの余力は流石になかったか……。おい皆、生きてるよな!? 助けを呼んでくる!」

 

 ポップはルーラで世界会議(サミット)を開催していたパプニカ大礼拝堂へ、回復呪文の使い手たちを呼びに飛んだ。

 そして鷹の目で追ったところ、更に国外へルーラ――間もなく、ベルベルとリバストを連れて戻ってきた。

 

 鬼岩城は上陸前に止められたため、民間の犠牲者はいない。停泊していて鬼岩城に粉砕された船の乗組員も、多くは咄嗟に海へ逃げて助かったらしい。

 だが勇者のパーティーには重傷者が多かった。

 

 マァム、クロコダインは全身大火傷。

 ヒュンケルはそれよりは軽傷。

 バルトスも焼けたが、庇われた上、ヒュンケルの暗黒闘気で回復しやすいため、すぐに復帰できるようだが。アンデッドの強み。

 ダイとバランは超魔爆炎覇のダメージで黒焦げ。

 

 リュンナは闘魔最終掌で胴と両腕を貫かれている。

 それを見てベルベルは取り乱し、リバストは神に祈った。

 

 とは言え誰も彼も、治る傷だ。

 

 だからリュンナにとっての問題はダメージよりも、今後どうするのか、だった。

 つまりハドラーと合流しつつ、ダイたちとも協力してバーンと戦う流れに持っていくには。

 

 超魔ハドラーは想像を遥かに超えて強かった。更に双竜陣も手札にある今、バーンにも勝てるハズだ。

 それでも不安になるのは、リュンナがそのレベルアップに最早置いていかれつつあるからだろうか。

 状況が自分の手から離れることが怖いのか。

 それとも結局はバーンの底が見えたワケではないからか。

 

 原作ではこの後、魔王軍の本拠地のある死の大地へと突入し、一転攻勢をかけるべきだと世界会議(サミット)は進む。

 この世界ではどうなるのか分からないが、どちらにせよノンビリとはできない。

 せっかくここまで、どの国も滅ばないようにしてきたのだ。ピラァ・オブ・バーンによる空襲を赦すワケには行かない。

 

 死の大地に乗り込み、そこで決着をつける――そのために、短期間での劇的なレベルアップが欲しい。

 そもそも竜眼自体が劇的なレベルアップそのものなのに、これ以上どうやって。

 

 原作でバーンが鬼眼王と化したように、自分自身を竜眼の魔力で進化させるか。

 できるか? 二度と戻れないのに、それだけの覚悟があるか。

 ハドラーのためならとは思うが、もし魔獣の姿を拒まれたら……。いや、十中八九ないだろうが……。

 

 リュンナは瞑想した。

 瞑想して、ずっと考えた。

 治療されている間も、終わってからも。

 ずっと。

 



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97 魔影参謀ミストバーン その2

 世界会議(サミット)の流れは、最終的に原作通りに進んだらしい。

 

 あの後、ノヴァはダイの力を認め、彼こそを旗頭にすべきと進言。それが受け容れられ、世界は勇者ダイの名のもとに一致団結することになった。

 

 また、クロコダインの「以前、死の大地へと向かう鬼岩城の足跡を見た」証言、及びメルルの占術から、魔王軍の本拠地が死の大地であると判明。

 一転攻勢に移ってそこへ乗り込み、一気に決着をつけてしまうべきとの論が賛同を得る。

 

 具体的には各国が力を結集して戦艦を建造、勇者たちを送り込む足とするのだ。

 道中に戦闘があれば、それは軍艦の兵装で行い、勇者たちの力を温存する策である。

 建造完了まで、勇者たちは回復と更なるレベルアップに努めた。

 

 しかし遂に建造が完了して勇者たちが集うその日、港は襲撃され、船は破壊された――白衣の悪魔と4体のオリハルコン生命体によって。

 

「ミストバーン! ――は分かるけど、他のはいったい何だよ!? あの姿は……!?」

 

 勇者たちのうち、トベルーラで先行したメンバーがその地に下り立つ。

 ダイ、ポップ、ノヴァ、リュンナ、バランとソアラ。

 そして見た。完全に回復したと思しきミストバーンと、全身銀色の金属の塊のような人型たちを。

 

 リュンナにはすぐに分かった。

 親衛騎団――ヒム、シグマ、フェンブレン、ブロック。だが様子がおかしい。

 全員がほぼ無言――操り人形というよりは、どこか陰鬱で刺々しい雰囲気がある。

 港の作業員や戦士たちを殺すより甚振ることを目的とするそのさまも、鬱憤晴らし、という言葉を連想させた。騎士道精神が感じられない。

 アルビナスの姿もない。

 

 ポップが勇んで前に出る。

 

「てめえミストバーン! この間は鬼岩城で、次は妙な金属人形! 手を変え品を変えて来るけどよ、俺のメドローアには敵わねえのを忘れたのかよ!」

「……」

 

 ミストバーンは沈黙。

 しかし聞いてはいるらしく、猛るポップに向かって半歩前に出た。

 

 その足音がやけに重い。

 体格からすれば、人間や魔族ならばもっと軽い足音のハズだ。

 中身が違う?

 

 ミストバーンは手振りで、親衛騎団に合図を出した。

 剣呑な雰囲気ではない。それを受けて、4体が名乗りを上げていく――「名乗れ」の合図だったか。

 

兵士(ポーン)、ヒム」

騎士(ナイト)、シグマ」

僧正(ビショップ)、フェンブレン」

「ブローム」

 

 淡々を通り越して陰鬱な声音だった。

 ブロームとの発声を受けて、ヒムが「おっと」とこぼす。

 

「こいつは喋れねえんだったな。城兵(ルック)、ブロックだ。

 そしてこの名乗りで分かったと思うが、俺たちはチェスの駒から禁呪法で作られた金属生命体……。オリハルコンの駒から生まれた、オリハルコンの戦士。バーン親衛騎団だ」

 

「はあっ……!?」

 

 リュンナは思わず声を上げて驚いた。

 ハドラー親衛騎団ではないのか。

 

「どうしたの!?」

 

 ダイが心配そうに聞いてきた。

 胸に手を当て、呼吸を落ち着けていく。

 

「い、いえ……。特には。おばちゃんのことは気にしなくていいです」

「そう……?」

「そうだな……!」

 

 ノヴァが剣を抜いた。

 

「敵が何であれ、戦って倒すだけだ! そして6対5か……。ちょうどいいな」

「はい。ひとりで1体を押さえ、纏めたところにポップくんのメドローアを。ただわたしの竜眼によると、あれは呪文を反射する装備を持っています」

 

 シグマを指し示して述べる。

 原作知識を前提に探ってみると、実際、そういう気配があったのだ。

 

 オリハルコンの騎士(ナイト)は不機嫌そうに唸った。

 

「厄介な……」

「ふん、知ってることと対処できることは違うだろうぜ」

「そうだな。で……誰がどいつをやる?」

 

 親衛騎団が物色の目。

 一方、勇者たちもそれは同じか。

 リュンナが述べる。

 

「オリハルコンの身に、並の呪文は効かないでしょう。その意味では、最も与しやすい相手はミストバーンです――彼の中身もオリハルコンでなければですけど」

「貴様……ッ!!」

 

 ミストバーンが怒気も露に声を漏らした――その声は、しかし、従来のミストバーンの声ではなかった。

 女だ。

 

「な、何だ!? 今、ミストバーンが喋ったんじゃないのかっ!?」

「中身が違う……? 新しい敵がミストバーンのフリをしてやがったのかよ?」

 

 驚くダイとポップ。

 

 ミストバーンは拳を握って震えた。

 それは怒りか、屈辱か。

 

 そしてリュンナの指摘。

 

「チェスと言いながら、女王(クイーン)の駒がいない……。大方、ミストバーンの中身はそれでしょうね。魔影軍団長ってことを考えても、恐らく奴の正体は実体を持たない霊体か、ガス状の魔物の類……! 他者の肉体を乗っ取って活動するタイプと見ました。

 そして鬼岩城を破壊され自らも負けた先日の一件で、処分を受けたんでしょう。格落ちする別の肉体に着替えさせられたんです。

 どうですか、ミストバーン。合ってます?」

 

「リュンナアアアアアアアアアアアア!!!!!!」

 

 咆哮。図星か。

 

 しかし、それはつまり――真バーンの降臨は避けられない、もしくは既に降臨している、ということだ。

 ミストバーンがミストアルビナスと化したなら、若バーンの肉体は老バーンに返還されているハズ。ミストバーンを斃すことで真バーン降臨を阻止することは、もうできない。

 

 千載一遇の機会だった。

 あの時――ポップが既にメドローアを覚えていたとは言え、あまりにもピンポイントにミストバーンのいる位置に撃つとは思っていなかった。何となれば、鬼岩城内部での彼の正確な位置など、誰も把握していなかったのだから。

 ポップも狙ったワケではない。偶然だった。偶然が、運命を、命運をも破壊したのだ。

 

 ならば、あとは祈るしかない。

 若バーンは2発のメドローアを受け、右の手足を喪失していた。それがすぐには治らないことを、その前にバーンを斃せるように、どうか神よと祈るしかなかった。

 

 ともあれ今は、ミストバーンと親衛騎団だ。

 ハドラー親衛騎団ならぬ、バーン親衛騎団。その名の通り、バーンの親衛戦力としてのミストバーンに与えられた手駒か。

 凍れる時間(とき)の秘法も解けた以上、最早バーンがミストに肉体を預けておく意味はなかろう。だから代わりの肉体と、その分の戦力ダウンを補う手駒を。

 

 さて、ミストバーンは一旦は激昂したが、やがてそれは懺悔と謝罪に変わっていた。相手はもちろんバーンだ。

 

「どうしたんです、ミストバーン。かかって来ないんですか? 女王(クイーン)の駒の名前でも考えてるんです?」

「……貴様は確実に殺す!!」

 

 リュンナに煽られ、結局は突貫してきた。

 合わせて親衛騎団4人も、ダイたちも動く。

 

 シグマがポップを狙い、ダイが阻んだ。

 この場で最も剛力に優れるバランが、パワー型と思しきブロックを押さえに行く。

 ヒムとノヴァがぶつかり合う。

 フェンブレンが地面に潜り――

 

「土竜昇破剣!!」

 

 ソアラが足元に剣を突き立て、大地へと剣圧を送り込んだ。広がる剣圧によって大地が寸断され、噴火めいて噴き上がる。

 その中にフェンブレンがいた。

 

「うおおおっ!?」

「空裂斬!」

 

 ソアラは剣を跳ね上げ、空裂斬へと繋ぐ。

 本来は『剣を鞘に収め、目を閉じて瞑想に入る』ことが予備動作として必要なハズだが、それを省けるこの技量。

 武神流で何かコツでも掴んだのか。

 

 だがその光の闘気は、フェンブレンの表面で跳ねて逸れた。

 全身の8割が刃物という性質。曲面が多く、真っ直ぐに突くことが難しいようだ。

 

「おのれ人間! ワシを舐めおって!」

 

 フェンブレンがソアラに突撃していく。

 その脇で、ノヴァとヒムが近い間合の斬り殴り合い。

 

「俺の体に傷をつけるとは……!」

「我が闘気剣(オーラブレード)は、伝説級の武器にも引けを取らないということだ!」

 

 メドローア使いのポップを執拗に狙うシグマに対し、ダイは逆にその動きを読んで効率的に攻撃を置いていく。

 ダイ自身がシグマに狙われていない以上、攻撃を阻害されることもない。

 

「大丈夫か、ポップ!?」

「って言いながら、半分俺を囮にしてねえか!? いいけどよ!」

「くっ、例の呪文を撃たせるワケには……!」

 

 一方でバランは、小手調べなのか、ギガデインから位階を落としたライデインの魔法剣でブロックを削っていく。

 その剣術と素早さに、ブロックはついていけない様子。

 

「ブローム……!」

「確かにオリハルコンの体だが――それだけだな。大したことはない」

 

 そう、この親衛騎団、別に大したことがない。

 もちろんそれぞれ強者ではあるのだが、個々での戦いに集中していて、チームワークを取ろうとしないのもある。

 

「リュンナ! おのれリュンナああああ!!! 貴様さえ、貴様さえ……!! ハドラーのオモチャだけやっていれば良かったものを!!」

 

 何しろ大将のミストバーンがこのありさまだ。

 激昂のあまり、味方を指揮しない。そもそも『何千年もひとりでバーンを守ってきた』自負からなのか、連携というモノを重視していないのかも知れない。

 禁呪法を使ったのがミスト自身であれば、その気質が影響して、親衛騎団が個人戦闘に走るのも然もありなん、というところ。

 

「ハドラーにオモチャにされるなら嬉しいですけどね。あ、あなたはバーンのオモチャなんですか?」

「オモチャなどであるものか!! 私は、私こそがバーンさまの! 誰よりも……!!」

 

 高速で伸びる鋼の爪――ビュートデストリンガー。

 高速ではあるのだが、リュンナに斬り払えないレベルでは到底ない。

 

 爪を伸ばし刃に変えたデストリンガー・ブレード。

 魔神斬りを擁するリュンナに敵うほどの剣術技量がない。

 

 闘魔傀儡掌、或いは滅砕陣。

 闇の衣を打ち破れない。

 

 ミストバーンの攻めは苛烈だが、最早リュンナのレベルに届いていない。

 (ひのき)の棒を芯にした闘気剣(オーラブレード)と、布の服――そんな最低限の装備のリュンナに。

 闘気剣(オーラブレード)を前提にするなら、吹雪の剣よりも、この方が軽く振れて素早く強いと気付いた。

 

「――闘魔最終掌!!!」

 

 暗黒闘気を限界まで集約させた右手で掴みかかってきた。

 破れかぶれに過ぎる。

 

 魔神斬り・破。殺気で最終掌の矛先を誘導、実体はそれを避ける形で踏み込んだ。虚空を貫く最終掌を掻い潜り、懐。

 闘気剣(オーラブレード)を胸に突き立てる――中央やや左、心臓の位置。(コア)を貫いた手応え。

 アルビナスは可哀想だが、『親』がハドラーでなかった時点で諦めてもらう。丁寧にミストの憑依を解いて救うほどの相手ではないし、ミストが『親』ならその意味もない。

 

凍結封印呪文(ヒャドカトール)

「ううッ、……!!」

 

 あまつさえミストごと氷漬け。呪いの氷はそれ自体がひとつの結界であり、物理を超えて対象を捕え封じる。凍れる時間(とき)のミストバーンですら例外ではなかったのだ、ミストアルビナスなど物の数ではない。

 封印――そうして確実に空の技でトドメを刺してもらう算段。空の技そのものはリュンナも使えるが、闇の者にはやはり光の闘気の方が効く。

 アルビナスが爆発するどさくさで逃がしたりはしない。封印は爆発も抑えるのだ。

 

 ブロックが外殻を脱ぎ捨ててスリムな本体を露出、走ってくるのが横目に見える。

 キャスリングの力か。速い。知覚は辛うじてできても反応できない――しかしバランのギガデインが撃ち抜いた。

 如何なオリハルコンとは言え、(ドラゴン)の騎士の雷撃呪文には威力でも速度でも敵わないらしい。ブロックは粉々に砕け散った。それでも外殻を纏っていれば、まだもう少しは耐えられたろうに。

 

 均衡は崩れた。終わりだ。

 



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98 ミスト その1

 ミストバーン――ミストアルビナスは、中身の(コア)を貫いた上で、氷漬けにして封印状態。

 ブロックはバランがギガデインで仕留めた。

 

「やはりデイン系ならば通じるか。ソアラ!」

「ええ! ――土竜降破剣!!」

 

 足元に突き立てた剣から大地へと剣圧を通す――土竜昇破剣の逆か、此度は地が大きく陥没し、フェンブレンの足場を奪った。

 咄嗟にトベルーラを使おうとするようではあったが、遅い。

 

「うおッ――」

「ギガブレイク!!!」

 

 そこにバランが奥義を叩き込んで粉砕する間に、ソアラはミストバーンに切先を向ける。

 

「空裂斬!!」

 

 光の闘気剣圧が呪いの氷をすり抜けて、アルビナスに憑いたミストを断った。

 凍結封印の中で外見には変化がないが――いや、今、ミストバーンの闇の衣が溶け崩れていった。オリハルコンの女性像、アルビナスの顔が窺える。

 憑依の証であるミストの顔のようなモノが、その額にあり――それも崩滅していく。

 

 残った親衛騎団のヒムとシグマも、その場でガクンと倒れ、動かなくなった。

 

「リュンナ! これって……!?」

 

 ダイが駆け寄ってきた。

 

「ミストバーンが斃れましたからね。禁呪法で創造された生命体は、『親』が死ぬと道連れなんです」

「なるほどなあ」

「結局俺何もしてねえや」

 

 ポップがぼやく。

 しかしメドローアは、ただ存在するのみでも強力な手札だ。事実、メドローアを阻止するためにポップを執拗に狙うシグマは、ダイからすれば逆にカモだった様子がある。

 その辺りのことを述べてフォローしてやろう。

 

「やれやれ、強敵だった……! 僕もまだまだだな……」

 

 一方、ヒムを相手取っていたノヴァは、その場に座り込んでいた。

 疲労が重そうだ、頭からバケツの水でも被ったような汗。しかし成長の手応えがあったらしく、満足げな笑みを浮かべるさま。

 原作ではほぼ圧倒されていたのが、よくぞ互角に渡り合ったモノである。感慨深い。

 

 ソアラとバランは既に怪我人の救助や呪文治療を始めていた。

 自分はどうするか――リュンナは迷う。

 ミストバーンや親衛騎団の死体処理も必要だ。一か所に纏めてメドローアか。

 

「おーい」

 

 ふと、徒歩組の声。

 もともとここにはトベルーラを使える飛行組が先行し、使えない者たちは徒歩で追ってきていたのだ。

 具体的には、ヒュンケル、バルトス、マァム、クロコダイン、ベルベルとリバストとボラホーン。

 飛べるハズのベルベルも混じっているのは、徒歩組の回復要員を増やすためだ。移動中に魔王軍の別動隊に攻撃される危険性を考えてのこと。杞憂だったようだが。

 

「もう戦いは終わったようだな……」

「リュンナ~~~」

 

 冷静に様子を窺うヒュンケルを後目に、ベルベルが抱きついてきた。

 よしよしなでなでしながら、一行に状況を報告する。

 ミストバーンと、オリハルコンのチェスの駒の親衛騎団。『親』のミストバーンを斃したことで、金属生命体は道連れになったのだと。

 

「オリハルコンの戦士たちか……」クロコダインが観察の目を向けた。「装備に加工できたりはしないのか?」

「エグいこと考えるな、クロコダインのおっさん……」

「そうか?」

 

 野獣の世界においては、敗者は文字通りに食い物にされる。その辺りの倫理観は、人間とは違うところがあるのだろうか。

 しかし残念ながら、無理だ。

 

「禁呪法生命体は、部位を切離したり、著しく形を変えたりすると、その部分は消滅してしまいますからね。親衛騎団のまま、足でも掴んで振り回すくらいでしょうか……。それも『親』が死んだ今、いつ消滅するか分かりませんけど」

「そういうモノか……。残念だな。ここに来て、全員にオリハルコンの装備を行き渡らせることができれば、と思ったのだが……」

 

 柔軟かつ合理的な発想と言えよう。

 なかなか理知的な獣王である。

 

「言うほどオリハルコンって実際強くないですけどね……」

(ひのき)の棒で貫いたリュンナが言うと説得力あるなあ」

 

 ダイが感心の声音。

 見ていなかった徒歩組にぎょっとされた。

 

「ちょっとダイくん、そんなおばちゃんのこと化物みたいに! (ひのき)の棒を芯にした闘気剣(オーラブレード)、です。(ひのき)の棒じゃないです」

闘気剣(オーラブレード)の強度って、芯の影響をある程度受けるハズなんだけどな……」

 

 ノヴァが呆れていた。

 リュンナはビックリした。

 

「え、そんな影響あります? そりゃ芯があった方が形成しやすいですけど、わたし素手の闘気剣(オーラブレード)でオリハルコンを傷付けたことも……」

「まず素手で闘気剣(オーラブレード)を形成できる時点でドン引きだぞ。思い返せば鬼岩城のときもやってたが」

 

 世界有数の闘気剣(オーラブレード)使いであるノヴァにドン引きされてしまった。

 そんな、ひどい。

 

「それにしても、チェスの駒の戦士か……。あれが兵士(ポーン)騎士(ナイト)……。これは女王(クイーン)

 

 ヒュンケルは、形の残った親衛騎団を観察していた。ヒムとシグマ、そして氷漬けのアルビナス。

 ブロックとフェンブレンは粉砕され、既に爆発消滅した。

 

(キング)は『親』のミストバーンかも知れないが……女王(クイーン)はともかく、それ以外は複数体存在するのがチェスのルールだ。まだ油断しない方がいい」

「確かに」

 

 流石は超一流の戦士。

 実際原作でも、それ以外の駒として、マキシマムの率いる部隊が存在していた。

 最早どこまで通用するか分からない知識だが、警戒はしておくべきだろう。

 

「ところでリュンナさま」ヒュンケルは続ける。「リュンナさまは、こういった眷属をもうお作りにならないのですか? 超竜軍団長時代には、かなり作っていらしたようですが」

「あーそれね……」

 

 氷漬けのアルビナスの傍らにて。

 犬のように懐くベルベルをわしわししながら。

 

「それこそ親衛騎団クラスのを作るとなると、結構な消耗があるんですよ。わたし本体の力が落ちちゃって、回復に時間がかかるんです。そしたら、最初から自分で戦う方が強いでしょう? っていう。倫理面を置いておいたとしてもね」

「なるほど。いつ戦いが起きるのかも分かりませんしね。例えば――」

 

 ふと腹に冷たさを感じた。

 それはすぐに灼熱へと変わる。

 見下ろすと、ヒュンケルの剣が、ベルベルごとリュンナを貫いていた。

 

「――例えばそう、『今』起きるかも知れない。そうだろう? リュンナ」

「ぐふっ、……!!」

 

 吐血。

 あまつさえ剣を抉られた、リュンナの赤とベルベルの蒼が混じって流れ落ちる。

 

「ヒュンケル!? 何を……!!」

「リュンナ!! ベルベル!!」

 

 剣を抜かれ、崩れ落ちる。

 あまりにも不意打ちだった。殺気はなかった。ごく自然過ぎて、思わず見逃すような所作だった。

 無防備なところに、痛恨の一撃を受けてしまったのだ。

 

 ヒュンケルの額に、おぞましい眼光を湛えた暗黒の顔が開く。

 

「ミストバーンです! 取り憑かれッ……。ご、ごふッ……!!」

 

 ベルベルとベホマをかけ合いながら叫ぶ。

 空の技の使い手たちは咄嗟にその構えを取るが、

 

「この男の暗黒闘気はなかなかいいな。――闘魔滅砕陣!!!」

 

 蜘蛛の巣状の暗黒闘気網が広がり、絡め取られ、不発。

 10人にも及ぶ超一流の戦闘者が、一網打尽に身を縛られているのだ。

 圧倒的暗黒力。

 

 そしてヒュンケルの口で、ヒュンケルの声で、ヒュンケルでない者が述べる。

 

「いや、なかなかどころか、まるで私のために生まれてきたような……。ああ、もっと早くに出会い、より私に合うように育てたかった。

 尊敬する者たちへの愛と――それを害する者たちへの憎しみ……! 分かる、ああ、分かるぞ。ヒュンケル……!」

 

 しかし竜闘気(ドラゴニックオーラ)を擁するダイとバランは例外だ。振り払った。

 闘気そのものの位階の差――それを覆すには、まだあと少しだけ足りない。

 

「ヒュンケルを放せ!!」

「いつまで(さえず)っているつもりだッ!!」

 

 額に輝く(ドラゴン)の紋章が共鳴し、共感し、共有し、互いの力を更に高め合う――双竜陣の境地。

 こうなった(ドラゴン)の親子は、事実上ほぼ無敵。

 だが敵をただ粉砕すればいい戦いではない。ヒュンケルを殺さずに解放する必要がある。

 

「闘魔傀儡掌!!」

「かあッ!!」

 

 個別にかけてきた傀儡掌を、バランが竜闘気(ドラゴニックオーラ)を込めた剣で打ち払う。

 その後ろから跳び越えたダイが、空裂斬を放つ――直撃、しかし弾かれた。

 

「ダメだダイ、双竜陣で強化されるのは竜闘気(ドラゴニックオーラ)だぞ! 光の闘気では!」

「でも竜闘気(ドラゴニックオーラ)じゃヒュンケルを殺しちゃうよ!」

 

 言っている間にも、ヒュンケルが――ミストヒュンケルが剣を構え、蹲るリュンナの首を刎ねようと動いた。

 痛恨の一撃を受け重傷、あまつさえ滅砕陣に囚われ、回復は途中、回避も防御もできない――そんなありさまのリュンナに。

 

「やめろっ!!」

 

 ダイが飛び込んで剣を受け止め、切り結ぶに移っていく。

 超一流の戦士であるヒュンケルが、更にミストとの融合によって暗黒闘気を増大させている状態だ。ヒュンケルの剣術、ミストの暗黒力。それは双竜陣ダイですら容易には打ち崩せぬ鉄壁。

 もちろん、殺してはならぬというハンデも大きな一因だが。

 

 次いで加わるバランもまた、太刀筋が鈍い。

 原作バランならヒュンケルごと殺したかも知れないが、このバランはだいぶ丸いのだ。

 結果、ふたりがかりでも互角のありさま。

 

 あまつさえミストヒュンケルは、滅砕陣で捕えたメンバーを積極的に巻き込もうとする。

 自らの剣を滑らせ、或いはダイたちの剣からの盾にしようとすらするのだ。

 戦いにくいにも程がある。

 

「つ、強い……っ!!」

 

 ダイが呻いた。

 バランも苦渋の顔。

 

「ベホマで治る程度に斬ろうにも、それすら叶わぬとは!

 それにしても、いつの間にヒュンケルに……!!」

 

「フハハッ!! リュンナにやられる間際、自分の一部を切り離して避難していたのだ。吹けば飛ぶゴミのような、ごく微弱な存在となってな……。その状態で気配を隠せば、どうだ、全く気付かなかっただろう?

 そしてこのヒュンケルの暗黒闘気に惹かれて入り込んだが、全く大当たりだったよ! その闇を吸収し、既に私は完全に回復したのだ!」

 

 分身していたとは。リュンナが凍らせ、ソアラが空裂斬で断ったのは、言わばミストの抜け殻だったのか。

 しかしあの時、ヒムとシグマは確かに事切れた。竜眼で見ても生命反応の欠片もない。だから確実にミストも死んだと判断したのだ。

 あれは死んだフリ――いや、何度探っても本当に死んでいる。

 

 ミストにとって、駒は駒。

 自ら駒の生命を断ったのだ、この騙し討ちのために。

 

「死ね! 勇者ども! バーンさまのお耳に届くよう、精いっぱい苦痛と絶望の声を上げてな……!!」

 

 魔剣に更なる暗黒闘気を纏わせ、ダイとバランに反撃しようと攻勢を強めるミストヒュンケル。

 その光景に――バルトスの歯が、カタカタと鳴っていた。

 



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99 ミスト その2

 ミストがヒュンケルに憑依した。

 その圧倒的暗黒力からの闘魔滅砕陣で、動けるのはダイとバランのみ。

 (ドラゴン)の紋章を共鳴させて力を高め合う双竜陣により、負けることはないものの、ヒュンケルを人質に取られている形であり、勝つこともできない。

 空裂斬は弾き返された。ミストヒュンケルにも、滅砕陣にも。

 

 絶望的というには未だ余力があるが、しかし打開策がないのも事実だ。

 

「流石にしぶといな……!!」

 

 ミストヒュンケルが舌を打つ。

 が、すぐに不敵に笑んだ。

 

「だが私には、この底なしの暗黒闘気がある。器の疲労も私には関係ない……。このまま何日でも戦い続けてやろう! しかしお前たちはどうかな?」

「くっ、……!!」

「貴様……!!」

 

 ダイとバランが呻いた。

 それでも(ドラゴン)の騎士であるふたりは、戦い続けることも出来るかも知れない。

 だが滅砕陣に囚われているメンバーは――特に胴を貫かれたリュンナとベルベルは、到底ついていけない。途中で力尽きる。

 

「焦れ焦れ。そうすれば――フハハッ!!」

 

 焦燥から、一瞬、ダイの攻めが大振りで単調なモノになる。

 それを見逃すミストヒュンケルではなかった。

 大地斬――その身を裂く。真っ二つにされるほどではないが、衝撃に押されたダイは、更にバランに叩き付けられた。

 

「うわあああっ!!」

「ダイッ!!」

「そら、この通り……! やはり私こそがバーンさまの一の腹心! 勇者どもを全滅させるのはこの私だーッ!!」

 

 ふたりの体勢が崩れる。

 その隙に、ミストヒュンケルは構えた――剣持つ右手を大きく引き、左手は逆に前へ伸ばして照準とする。

 

「「ブラッディースクライドッ!!」」

 

 声が重なった。

 ミストヒュンケルが螺旋状の刺突剣圧を繰り出すその間際、もうひとつの刺突剣圧がその腕を撃ち、ダイとバランから攻撃を逸らす。

 

「なにッ……!」

「ヒュンケルを放せミストバーン!! その子はワシの子だッ!!」

 

 バルトスだった。

 闘魔滅砕陣から逃れているのは、竜闘気(ドラゴニックオーラ)で弾き返せるダイとバランのみ――そんな状況だったハズが、今、バルトスは自由の身になっている。

 

「お前如き地獄の騎士が……!? 闘魔傀儡掌!!」

 

 ミストヒュンケルは個別の傀儡掌をバルトスにかける――しかし何も起こらなかった。

 バルトスは弾き返しもせず、打ち破りもせず、避けることもしていない。

 まるで何事もなく、ミストヒュンケルに斬りかかっていく。

 

 そして打ち合う。

 まったく互角に、いや、僅かにバルトスが押している。

 

 双竜陣状態のダイとバランは、リュンナの目には、それぞれが双竜紋クラスの力を持っていると感じられる。

 そのふたりを相手に一歩も引かなかったミストヒュンケルを、バルトスはひとりで圧倒しようとしているのだ。

 

「ヒュンケルのことは、ワシが誰よりよく知っている……! その体からどんな太刀筋が繰り出され得るか! この姿勢なら、この間合なら、このタイミングなら!! 全て分かるぞ!!」

「バカな、バカなッ!! しかも、この感じは……!!」

 

 ミスト自身は自前の肉体を持たないためか、器を操りはするものの、具体的にどう動くか、という細かい部分は器任せにしているようだ。

 つまり、器の癖が強く出る。

 その癖を知り尽くしていることによる先読みの極みが、バルトスの強み。

 逆にミストはバルトスの癖を知らないため、いいように誘導され翻弄されていく。

 

 そしてしかも、バルトスもまた暗黒闘気を纏い、身体能力をかなり引き上げている。

 アンデッドという仮初の生命体である彼は自前の闘気を持たない――代わりに、『親』であるヒュンケルの闘気を引き込んで使えるようになっていた。

 滅砕陣や傀儡掌が効かないのも、それが理由。バルトスの闘気はミストヒュンケルの闘気なのだ。暗黒の技をバルトスに当てても、技自体が『これは自分の体だから攻撃対象ではない』として、すり抜けてしまう境地。

 

 あまつさえ、事はそこに留まらない。

 

「バルトス、貴様!! 私の……私の暗黒闘気を……! 私が萎んでいく……!?」

 

 バルトスの闘気引き込みが加速する。それはあたかも、ヒュンケルが自分から闘気をどんどん送り込んですらいるような。

 つまり、ミストヒュンケルの力が加速度的に弱まっていく。

 天秤が一気に傾いた。

 

「息子を放さんと言うなら仕方ない……! そのまま死ね、ミストバーン!!」

 

 バルトスが6刀を巧みに操り、ミストヒュンケルの剣を弾き飛ばした。更に刃ではなく峰を使った棒術的な技も交え、傷付けずに動きを封じる。

 

「今だ!!」

「空裂斬!!」

 

 バルトスが言うが早いか、ダイの光の闘気がミストヒュンケルに迫る。

 暗黒闘気を吸われて弱った今ならば、もう弾かれない。

 通った。

 

 滅砕陣が消え、ヒュンケルがその場に倒れる。

 意識を失っているが、生きてはいるようだ。

 

 だがリュンナが叫ぶ。

 

「待って、まだ生きてます! 寸前に抜け出したのが見えました!」

「何だと!? どこだ!」

「そんなことより回復しなきゃ! リュンナ!」

 

 滅砕陣から自由になった今、貫かれた胴の回復は確かにできる。

 だがリュンナはそれをベルベルに任せきりにし、ミストを探す。実体がないせいか、竜眼でさえ追い切れない気配の薄さ。

 もっとも、この場にヒュンケル以上の器がいるとは思えない。誰に憑こうと、空の技で対処すれば、最悪でも負けることはないハズだ。

 

 ただひとり――例外を除いて。

 

「リュンナッ!!」

 

 ベルベルが悲痛に叫びながら、暗黒闘気の奔流に弾かれて離れていった。

 

 この感覚。

 この気配。

 

 無数の触手めいた暗黒闘気の奔流。

 いる。入ってくる。

 

「お前が本命だ、リュンナ。ヒュンケルも思いがけず素晴らしかったがな……!」

 

 ミストの声が響く。

 それ以外の声が遠い。

 

 反射的にミストを跳ね除けようとする。

 どこまでが自分で、どこからがミストなのかが、既によく分からない。

 

「あの処刑の日、私がお前を拾うハズだったのだ。我が予備の体へと鍛え上げるために! だがハドラーに先を越されてしまった。バーンさまもそれをお認めに……。正直、諦めていた……。しかし結局はこうなる運命だったようだな!」

 

 ハドラーを愛する、その敵を憎む。

 バーンを愛する、その敵を憎む。

 パズルのピースがピタリと嵌るように、重なり、冒される。

 

 仲間たちが空の技を放ってくる。

 魔氷気の膜――闇の衣に阻まれて散った。

 闇の衣の密度は更に上がり、全身をぼんやりと覆う膜を超え、衣装となって身に纏われる。

 

 勇者であり姫であるに相応しい、鎧でありドレス。

 胸当ては体型のなだらかな曲線を模ったモノ。

 スカートは前後で長さを違え、太腿の前側が露出する。

 ブーツは戦闘的に重く編み上げられ、逆に手袋は極薄。

 そして翻るマントも――それら全てが、薄青い黒の中に無数の光を宿した星の海の様相、常闇と冷気の具象化、魔氷気のうねりから成る。時々刻々と、輝きの渦巻き蠢くそれ。

 

 ミストバーンの闇の衣も、こうして高まった闘気が具現化したモノだったのだろうか。

 

「魂は……硬いな、すぐには消せぬか……。だが支配力は私が上! 時間をかけてゆっくりと消化してやろう」

 

 額、竜眼と連なる形で、小さなミストの顔が開く。

 

 理解する。なぜミストを感知できなかったのか。

 魔界で数千年にも渡って繰り広げられてきたどす黒い戦いの思念の中から、ミストは生まれてきた。

 個であって、個でない。

 個であることを極限まで薄め、自然に溶けていた。無念無想で気配を消すのではなく、周囲と融和し気配を同じにしていたのだ。気配の穴を作らなかった。

 

 そういうことだ。

 今更分かったところで遅いがな。

 

 お前は私になるのだ。

 ハドラーを主軸にしたその愛も憎しみも、バーンさまを主軸にしたモノに変わる。

 

 ミストリュンナの声が、頭の中で響き渡る。

 ミスト? リュンナ?

 

 空の技が効くようになるまで弱らせる算段か、バランが容赦なくギガブレイクを向けてきた。

 だが無駄だ、ダイはそれを止めようとしている。心をひとつにしなければ、双竜陣は維持できない。

 

 闇の衣に触れた途端、ギガデインオーラは自殺消滅した。

 残った純粋な剣の威力を、指1本で受け止め切る。

 その指を一瞬引っ込め、デコピン。

 剛竜剣ごと、バランは彼方に吹き飛んだ。巻き込まれた仲間も多い。

 

 耐性も守備力も充分。攻撃力も申し分ない。

 では蹂躙を――

 

「ルーラ」

 

 反射的に呪文を唱え、大魔宮へと飛んだ。

 

 何をする、リュンナ!

 だってまだ馴染み切ってないでしょう? ミスト。

 完全なミストリュンナとなるには、まだ時が要る。

 

 それまでに、どうか、わたしを。

 



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100 ミストとリュンナ

「どういうことだ、ミストバーン!!!」

 

 具現化した闇の衣――星の海の鎧ドレスを纏うミストリュンナに、ハドラーが掴みかかった。

 肩を掴む手を、そっとどけようと触れる。

 

「痛いですよ、ハドラー」

「余計な演技はやめろ! リュンナの声で、リュンナの顔で……! 貴様に言っているのだぞ、ミストバーン!!」

 

 そう言いながらも、掴む力は弱まったが。

 

「リュンナ……! 俺の声は、届かんのか……?」

「……」

 

 届いては、いる。

 ただどう反応を返すか返さないかを決めるのは、この体を動かすのは、ミストだ。リュンナではない。

 

 ハドラーは手を放し、半歩退いた。

 

「俺はリュンナを取り戻すために、この身を魔獣と変えた。バーンさまもそれをお認めくださった! にも(かか)わらずミストバーン、バーンさまの臣下である貴様が、それを反故にするなど……!」

「今はミストリュンナです」

 

 大魔宮の床が、ハドラーの足元で砕け散った。闘気の噴出に耐え切れなかったようだ。

 元気なモノである。原作のように、超魔改造に伴う黒の核晶(コア)の副作用で苦しんでいる様子はない。リュンナの血の圧倒的生命力が為せる業か。

 

 ともあれ、ミストリュンナは肩を竦めた。

 

「バーンさまは仰った――新しい器は好きに探せ、と。だから好きに探したまで。大魔王さまのお言葉は全てに優先するんですから……」

 

 そうだ。バーンは言った。

 わたし(ミスト)に言ったのだ――次の皆既日食では、お前に肉体を預けぬと。しかしこうも言った。その次は分からぬが、と。

 ならば慈悲深い主の期待に応えなくてはならない。

 最強の肉体を得て、最強の守護者となるのだ。今度こそ失敗しないために。

 

 若バーンの肉体は、老バーンの魔力で再生を促されている。

 分身に過ぎず自我のない若バーンの肉体では、闘気を生成し自己再生を行うことが出来ないからだ。老バーンが力を加えてもなお遅い。

 終われば融合するだろう。

 

 ハドラーとしては歯痒いか。

 もし今リュンナが健在なら、黒の核晶(コア)を取り除いてバーンを討つ、千載一遇の機会だったろうに。

 それは先日の鬼岩城で合流できていれば、でもあるが。

 

 ともあれ。

 

「ぬう……!」

 

 ハドラーは歯を食い縛って唸った。

 最早言い募ったところで仕方ないと悟ったか。

 いや、数秒の後、覚悟を決めた顔。

 

「ならば俺の体を」

「え、ヤです」

「なぜだ!!」

 

 その胸の奥に、黒の核晶(コア)が埋まっているからだ。

 そこまでは口にしないが。

 ミストは知らないからね。

 

「くっ……! お前が実体のない存在だとは薄々気付いていたが……その手のモノを取り除くには、光の闘気がやはり最善の手! それは俺には出来ん技……」

「諦めたら?」

「バーンさまにかけ合う! 勇者どもの首を手土産に……!」

 

 ふと目が合った。ハドラーと――リュンナの。

 瞬き。アイコンタクト。

 

 ハドラーは背を向け、立ち去っていく。

 

「待っていろ、リュンナ。必ずお前を奪い返す! 俺はそのために……!」

 

 見送る――と、今度はザボエラがぺたりぺたりと歩いてきた。

 

「ミストバーン……いや、ミストリュンナじゃったか……。ハドラーさまを放っておいてよいのか?」

「と言うと?」

「今のハドラーさまは……改造したワシだから断言するが、大魔王さまを除いたら地上最強じゃろ」

 

 このミストリュンナより上だと述べるのは、いい度胸だ。

 面白い。

 

 ザボエラは寒気を感じたように震えた。

 

「ともかくじゃ、勇者どもを本当に纏めて討ち取ってしまうかも知れん……! それは困る。手柄首を根こそぎにされるのはな……。オヌシだってそうじゃろ? それこそバーンさまが、リュンナを返してやれ、と言うかも知れんのじゃぞ」

「それは……」

 

 それは、あり得る。

 わたし(ミスト)は既に重大な失態を犯した身。最強になったのはいいが、それで何もしないのでは意味がない。

 ハドラーに全ての手柄を奪われれば、この器さえ奪われてしまうかも知れないのだ。

 

 先にリュンナの魂を消せれば、手遅れだとしてその沙汰はないかも知れないが、なかなかしぶとく、半端に混じり合っているのが現状である。支配力はミストが圧倒的に上だが……。

 ともあれ、手柄を立てねばならない。

 

「そうですね、ザボエラさん。言う通りです」

「ミストバーンがそれ言ってると思うと気持ち悪いのう」

 

 失礼な。

 自分だって妖怪ジジイのくせに。

 

「そういうのいいですから。で?」

「うむ。つまり、協力して事に当たらんか、ということよ」

「具体的には?」

「それなんじゃが……」

 

 今回、勇者たちが死の大地に攻めてくることは既定事項である。

 大魔宮の離陸を祝うため、勇者たちの血で場を彩りたい、というバーンの企てがあるのだ。そのために、離陸準備を兼ねてあからさまに死の大地を変形させた。ここが確かに本拠地だ、と示してみせた形。

 じきに海底の魔宮の門の存在にも気付くハズだ。開かずの門だが、双竜陣を以てすれば容易く砕かれてしまうだろう。

 

 しかし海底で自在に活動できる者は少ないことを考えると、大多数は死の大地の地上で敵を引き付けようとするハズ。

 つまり、ダイとバランの突入班、それ以外の地上班。こう分かれる。

 

 現状と原作知識を元に考えればこうなる、という想定。

 どこにどう介入していくのか。

 

「ハドラーさまに毒を打ち込むんじゃ。言葉の毒をな……」

 

 ザボエラは嫌らしく笑った。

 

「ダイ、バラン、ソアラ……。リュンナの家族さえも討ち果たす気か? と。眷属もそうじゃな……。リュンナを奪い返したとして、そのとき受け容れてもらえるか? とな。今は頭に血が上って、そこまで考えが至ってないようじゃが」

「確かに。いえまあ他の仲間なら殺していいってワケでもないですけどね。その辺は確かに、特に」

 

 ミストリュンナは(しき)りに頷いた。

 

「その上で、ハドラーさまを突入班の対処に回す。ハドラーさまは攻めあぐねるが、向こうにとってはただの仇敵、容赦する理由はないじゃろ。ハドラーさまは倒れる……。あとはミストリュンナ、オヌシが代わりに平らげたらよい。恩着せがましくな」

「ザボエラさんはどうするんです?」

「地上班を適当に蹴散らすわい。そのための兵器は出来上がった! ザムザは過労で倒れたが、まあよくやってくれたものよ」

 

 超魔ゾンビでも作ったのだろうか。

 原作では、この時期のザボエラは魔牢に閉じ込められていたが、この世界では全く自由だったし、ザムザも生きている。そのくらいの余裕はあったということか。

 いや、超魔ゾンビは閃華裂光拳対策で、この世界ではその流れにない。何か別の……? 何でもいいが。

 

 リュンナ(わたし)としては色々と止めたい部分もあるが、ミスト()としてはそれで構わない――そして後者の方が強いのがミストリュンナだ。

 

「じゃ、そのようにお願いします。わたしが言うより、ザボエラさんが言った方が効果的でしょう」

「じゃろうな。では、ワシのこの貢献を忘れんように……」

 

 ザボエラはぺたりぺたりと去って行った。

 

 ところでリュンナよ――魂に響くミストの声――この際だ、キルを返してもらおう。

 

 キルバーンは鬼岩城襲来のあの日から、凍結封印呪文(ヒャドカトール)で氷漬けに封印したままである。居場所はアルキード王城のリュンナの私室――悪趣味なインテリアと化していた。

 魔氷気が虚空に穴を開けるようにして離れた空間を繋ぎ、この場にキルバーンを取り寄せた。

 呪文を解くと、氷が蒸発して消えていく。

 

「ウウッ……。僕としたことが……! ッ、リュンナ!?」

 

 キルバーンは咄嗟に半歩引きながら大鎌を構えるが、

 

「ミストだよ、キル」

「なに……。確かに、リュンナとはかなり気配が違う……。むしろミストに近いモノだね」

「でしょう?」

 

 すぐに理解を示してくれた。

 旧友とは得難いモノだ。

 

 ミストがどういった存在であるか――バーンの若い肉体のことに関しては伏せたまま、大雑把に説明する。

 

「なるほどね……。ウフフッ、僕が暗殺したかったのに。でもミストがそうして『着替え』たのなら、あの時失敗したのも善し悪しか」

「そう言ってもらえると嬉しいよ」

「……違和感はあるけど」

「魂を消し切れなくて、リュンナと半端に混ざってる状態だからね。そのうち完全に支配するさ。この凝り固まった重い魂を……」

 

 ミストリュンナ、キル、ハドラー、ザボエラ。その他、魔物たちなど。

 戦力は意外と残っているモノだ。

 

 一方で勇者たちの戦力も充実している。

 原作と比べて、バランはいるわ、ソアラが生きて勇者職と化しているわ、バルトスも生きているわ、ノヴァが大成長しているわ、メンバーが違うとは言え竜騎衆もいるわ。

 残りのメンバーも、それぞれレベルは原作より高いハズ。

 

 まるでどうなるのか分からない。

 だから、ミストにいいように支配されている場合ではない――のだけれど。

 真っ向から抗おうとすれば、より強くぶつかり合うことになる。より混じり合うことに。混じった結果、そこで重要な記憶知識を知られた上で離脱されたら、目も当てられない。

 ミストに隠し通さねばならないことが、まだあるのだ。

 

 ミストの方が支配力は強いが、完全ではない。

 リュンナが頑なに秘密を抱えているから。裏から無意識を誘導しているから。

 その微妙なバランスの上に、ミストリュンナは成り立っている。

 

 どの道、長持ちするモノではないだろう。

 



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101 死の大地にて

 そして勇者たちは、死の大地への突入を敢行した。

 メルルの占術でも使ったのか、海底の魔宮の門にもしっかりと気付き――ダイとバランをそちらへの突入班に、それ以外を地上で敵を引き付ける班としたのだ。想定通り。

 

 原作ではここでフェンブレンが突入班に立ちはだかるが、この世界ではもういない。

 地上班を相手取るのも、親衛騎団ではない。

 

 ミストリュンナとザボエラの傍らに並ぶのは、

 

「お前は――氷炎将軍フレイザード! 僕に斃されたのでは!?」

「魔槍戦士ラーハルトも、俺のブラッディースクライドに散ったハズ……!!」

 

 そう、氷炎魔団長と不死騎団長だ。

 片や禁呪法による記憶と人格を保ったままでの再生成、片や改良された蘇生液による瀕死からの復活。

 トドメを刺したつもりでいたノヴァやヒュンケルは、さぞ驚いた様子。

 

「ギャハハハハハッ! 禁呪法生命体の俺が、そう簡単に死ぬワケねえだろうが!!」

 

 笑うフレイザード、

 

「やかましい奴だ……」

 

 呆れるラーハルト。

 

「ああ!?」

「いきり立つな、暑くて敵わん。どうせ我々は手柄を競い合う者同士、連携などない……。別々に戦うべきだろう」

「ま……一理あるな」

 

 言うや否や、軍団長たちは距離を開けていく。

 裏切り者のクロコダインを含め、ひとつになっているミストリュンナを別々にカウントすれば、さり気なく6大団長が勢揃いしている貴重な場面であった。

 そんなミストリュンナのどうでもいい思考をよそに、敵味方が構えていく。

 

「バラバラに来られると、メドローアで一網打尽にできねえな……!」

「ポップ、欲張っちゃダメよ。むしろ敵が連携しないことを喜んだ方がいいわ」

 

 ポップはパプニカ布による法衣に、輝きの杖を装備。

 マァムは魔法の鎧にドラゴンシールド、ハルベルト。

 

鎧化(アムド)ッ!!」

鎧化(アムド)……!!」

 

 ヒュンケルは鎧の魔剣を、ラーハルトは鎧の魔槍を纏う。

 

「何度蘇って来ようと、その度に粉砕してやる!」

 

 ノヴァは闘気剣(オーラブレード)を形成した。

 

「ザボエラ……ロモスの時の礼をさせてもらおう」

「今回はワシも共に戦おう!」

 

 クロコダインが真空の斧を、ボラホーンが鋼の錨を構える。

 

「リュンナ!」

「我が姫!」

「リュンナさま……!」

 

 ベルベル、リバスト、バルトスはミストリュンナに呼びかけるが、返らぬ反応に悲しんだ。

 

「……」

 

 ソアラは破邪の剣を抜きながら、更なる敵を警戒した。

 一瞬の静寂――

 

「ハーケンディストールッ!!」

 

 最速のラーハルトの一撃が、開戦の合図となった。

 ミストリュンナも滅砕陣を広げながら、一方、鷹の目でハドラーの様子を見る――

 

 

 

 

 ハドラー、対、ダイとバラン。

 (ドラゴン)の紋章を共鳴させることで互いに力を高め合い、竜闘気(ドラゴニックオーラ)を無尽蔵に生み出す双竜陣の境地――それでなお、ハドラーは互角に渡り合っていた。

 

 既にドラゴラムを唱え、翼と尾を備えた人竜の様相。肩のスラスターの推力に翼の揚力が加わり、ハドラーの素早さと小回りは(ドラゴン)の騎士ふたりを圧倒していた。

 

「遅いッ!」

 

 背後に回り込んだダイの更に背後へと一瞬で移り、ハドラーは小さな勇者の背に覇者の剣を走らせる。

 咄嗟にバランが割って入ってダイを守るも、ふたり纏めて吹き飛ばされる始末。

 

 壁を砕いてめり込むふたりを睥睨しながら、ハドラーは両手に炎熱のアーチを掲げ――考え直し、

 

「ベギラマ!!」

 

 中級に位階を落とした閃熱呪文を放って追い打ちとした。

 竜闘気(ドラゴニックオーラ)に並の呪文は効かないが、実際のところそれは無効化ではなく極大の軽減耐性であり、並でないなら効いてしまう。

 そしてハドラーの呪文は、既に並ではない。ベギラマとは言えノーガードで受ければ、ダイもバランも小さくないダメージを受ける。純粋な魔法力ではなく、暗黒闘気と混ざった魔炎気で呪文を構成しているからだ。

 

「海波斬!!」

 

 ダイの剣圧が斬り裂き――余波のみでも身を炙られるようだが、それくらいなら闘気防御で充分。

 そしてダイの剣圧を追うように飛び立っていたバランが、真魔剛竜剣で白兵戦を挑む。

 

「かあッ!!」

「ふんっ!!」

 

 鍔迫り合い――拮抗は一瞬。

 

地獄の爪(ヘルズ・クロー)!」

 

 覇者の剣を握るハドラーの拳、その指の付け根から長大な爪が伸び、バランの手を抉った。

 鍔迫り合いの力が緩み、ハドラーが押し切る。

 覇者の剣がバランの肩に食い込んだ。

 

「ぐッ、……!」

「……、」

 

 このまま超魔爆炎覇に繋げば、バランを真っ二つにしながら吹き飛ばし得る――迷って、それが出来る間が過ぎる。

 バランが引き、入れ替わるようにダイが前に出た。

 

「アバンストラッシュ!!!」

 

 迷いの隙に直撃。

 ハドラーは胸を深く抉られながら吹き飛び――しかし壁に激突する前に空中で止まった。その程度のダメージ。

 胸の傷そのものも、ボコボコと泡立ちと共に急速再生していく。

 

 そのさまに、バランが絶句していた。

 いや正確には、胸の傷の奥に見えた黒の核晶(コア)に。

 地獄の爪(ヘルズ・クロー)を受けた手にベホマをかけながら、ダイに解説と注意喚起を行っている。

 ハドラーはそれを聞くでもなく、作戦会議ならさせようとばかり、待ちの構え。

 

 ハドラーはザボエラに言葉の毒を受け、ダイとバランを殺せない。

 ダイとバランは黒の核晶(コア)を恐れ、積極的に攻撃できない。

 互いに消極的な戦いへと移る。

 

 どうやら、それがザボエラの策だった。

 ハドラーの戦いを長引かせ、その隙に地上を平らげて、然る後にダイとバランも自分とミストリュンナが、という。

 

 だがそれは、黒の核晶(コア)の存在を知っているのが、埋め込んだバーン本人以外では改造を担当したザボエラのみ――という前提に基づいている。

 リュンナもハドラーも知っていることを、ザボエラは知らない。

 

 バランが戦闘中に気付くことは計算に入れていたようだが――そのバランが覚悟を決め、この場で敢えて爆発させた上で抑え込むことにより、被害を最小限に食い止めようとすることも計算外だろう。

 そういった戦士の機転と覚悟を、ザボエラは想像できない。

 

 全てを把握している者は、ごく少ない。

 

 

 

 

「デルパッ!」

 

 ザボエラが魔法の筒から繰り出したのは、多数のスライムだった。

 

「スッ……スライム!? どういうつもりだ、妖魔司教! この海戦騎ボラホーンさまに、獣王さえいるのだぞ! 今更そんな魔物が助っ人になると……!?」

「いや待て、ボラホーン」

 

 いきり立つボラホーンを、クロコダインが冷静に宥めた。

 

「敵を侮るな。絶対に何かある! ザボエラはそういう男だ」

「キッヒッヒ……! 一度はワシの策を使っただけあって、よく分かっとるのうクロコダイン。では見せてやろう!」

 

 戦士としての礼儀か、警戒心が先に立ったか。クロコダインもボラホーンも、身構えはするが攻撃を躊躇した――その一瞬だった。

 

「超魔! 合成~~ッッ!!」

 

 スライムたちが飛び上がってザボエラに纏わり、ひとつに融合肥大化していく。

 それはキングスライムへと合体するさまに酷似していた――事実、ザボエラを中に含んだ巨大スライムへと変容する。

 

「超魔……!? 超魔スライム!?」

「そう! スライム族こそは最も単純にして、それ故に最も適応力の高い魔物じゃ! どんな環境にも生息することができる……! その意味が分かるか!?」

「分からんわ!! 喰らえィッ!!」

 

 ボラホーンが凍てつく息(コールドブレス)を吐き出した。超魔スライムは瞬く間にガチガチに凍り付く。

 そこに鋼の錨の投擲。クロコダインも、ここは警戒し過ぎるより攻撃をと思ったか、痛恨撃を重ねる。

 ブレスで凍り付いたところを打撃で粉砕する必勝戦法は――

 

「無駄じゃ無駄!」

 

 凍っていたハズの超魔スライムが突如として柔軟性を取り戻し、錨も痛恨撃もボヨンと弾いてしまった。

 あまつさえそれは、獣王と海戦騎を狙い撃つような、正確な反射。

 

「唸れッ! 真空の斧よッ!!」

 

 バギ系の魔法効力で気流の障壁を生み逸らすが、それでも身が軋む威力。

 

「どういうことだ!? ワシの凍てつく息(コールドブレス)が効かんとは!」

「いや、効かないのではない! 効かなくなった(・・・・・・・)のだ!」

 

 クロコダインが睨みつける先――ブレスが晴れて再び姿が見えるようになった超魔スライムは、まるで雪で出来ているかのように白くなっていた。

 冷気を具現化したようなその姿に、冷気攻撃が効くハズもない、と一目で分かる。

 

「ギョヘ~ッヒャッヒャッヒャ!!! そう、これこそが超魔スライム!! その『適応力』を極大に増幅させたことで、どんな攻撃にもあっと言う間に耐性を得てしまうんじゃよお!!

 そして柔軟極まるボディーは元から打撃を受け付けない! たとえダメージを受けても、身体構造そのものは単純なため再生能力がよく働く! 無敵!! 不死身!! で、操るワシはその中にいる……。一切の攻撃は届かぬ!」

 

 あまつさえ超魔スライムは口を開くと、猛烈な凍える吹雪を吐き出した。耐性どころか、攻撃手段さえ学習吸収してしまうようだ。

 

「カアアーーッ!!」

 

 クロコダインが焼けつく息(ヒートブレス)で対抗するが、この技の本質は高熱よりも、その吐息成分で相手を麻痺させることにある。吹雪を防ぐには威力が足りなかった。押される。

 

「ぬううん!!」

 

 しかしボラホーンは吹雪に強い。彼は前に出て、鋼の錨を直接叩き込んだ。全身全霊で押し込む――が、ボヨヨン、あえなく跳ね返されてしまう。

 

 そうして姿勢が崩れたところに、超魔スライムが圧し掛かった。潰される。

 その重さ、そのちから、その柔軟性。ピッタリと張りつき、呼吸を封じられ、じゅうじゅうと音すら立てて装備や肌が溶かされ始めた。

 

「ぐおおおおおお……!!?」

「無駄無駄無駄ァ!!! 超魔スライムは完全無欠よ!! お前ら如き力しか能のない木偶の坊が敵うかあ~! キィ~ッヒッヒ!!」

 

 なるほど――リュンナは思う――この世界で、閃華裂光拳は未だ魔王軍に披露されていない。だから超魔ゾンビではなく、生きたスライムを超魔化したようだ。

 極めて単純な生物であるスライムには、痛覚のない個体も多い。超魔ゾンビ同様、ザボエラが同調操作をしても苦痛はないのだろう。

 

 だが、つまり、閃華裂光拳なら効くハズ。

 ソアラは――

 

「殺す! 人間は殺す!」

「させないわ。そんなことは」

「ソアラ王妃……!」

 

 ――ラーハルトと戦っていた。

 



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102 ソアラという女 その4

 ソアラとヒュンケルを、ラーハルトはその圧倒的な素早さで翻弄する。ふたりが攻撃しても、ただラーハルトの残像を貫くのみ。

 だが噴き上がる闘気に守られたふたりの防具や肌はラーハルトの槍を受け付けず、強固に弾き返してみせるありさま。

 

「くっ、人間……人間め……!!」

 

 ラーハルトの恨みは深い。

 蘇生液で復活したところで、何も変わっていない。

 

 原作ではバランという尊敬できる主に出会えて多少丸くなっていたが、この世界ではそういった出会いに恵まれていない。

 人死にを減らそうと思って助けたが、死なせておくべきだったかも知れない。或いは今からでも。

 ミストの底で、リュンナは思った。

 

 その思考を斬り裂くように、ソアラが述べる。

 

「前にリュンナから聞いたわ。魔族の血を引く自分どころか、人間のお母さんまで――と」

「そうだ! 人間は身勝手で薄汚い、最低の生物……!! 俺は必ず人間を滅ぼす!!」

 

 ソアラは片手にイオの光弾を宿し――

 

「そんなこと、あなたのお母さんは望んでいるのかしら」

「貴様に何が分かる! 人間の貴様に!!」

「分かるわ」

 

 光弾を握り潰すと、光が爆ぜた。

 ラーハルトが目を晦まされ、一瞬、動きが止まる。

 そこにヒュンケルが海波斬を放ち、ラーハルトの脚を深く抉った。

 

「ぐあっ! わ、分かるだと……!! 知った風な……!」

「私も(ドラゴン)の騎士の妻で、(ドラゴン)の騎士ハーフの母だもの」

「……ッ!」

 

 ラーハルトが膝をつく。脚をやられた今、自慢の素早さは半減していよう。

 動き回るのではなく、後の先を取って紙一重の回避をすることに切り替えたか。

 実際、ヒュンケルの続く大地斬も、ギリギリまで引き付けてから避けた。

 

「どうか幸せに、笑っていてほしい」

「バカなッ! なぜ、なぜその言葉を……!!」

「ね? 分かるでしょう」

 

 それがラーハルトの母の、今際の際の言葉だったのか。

 ソアラはそれを、ただ『母』としての感覚のみで当ててみせた――いや、当てずっぽうではない、カマかけではない。

 本当に、ただ『分かる』のだ。

 

「あなたは笑っている? ラーハルト」

「お、俺は……!!」

 

 背後からソアラを襲いかけていた槍が、止まった。

 

「人間を赦せなんて言わないわ。迫害されたのは事実なんでしょう? でもあなたは、そこに囚われてはいけない。幸せに、笑って生きなくてはいけないの」

「ソアラ王妃!!」

 

 槍は止まったが、いつ動き出すか分からない。ヒュンケルが叫ぶ。

 しかしソアラは振り向きもせず、闘気の昂ぶりさえも抑えてみせた。

 

「母は……母は死んだのだ。病だった。薬を売ってもらえず……苦しみながら……! もう何も思うことはできない。母は……何も言わない……!」

「いいえ」

 

 ソアラは断言する。

 

「あなたのお母さんは、今でもあなたの幸せを願い続けているわ」

「ッ、……う、……あうう……!!」

 

 何が分かる、とは、ラーハルトはもう言えないのだろう。

 本当に分かるということを示されて、納得してしまった。

 魔族を愛し、そのハーフを産んだ彼の母――その代弁者として、(ドラゴン)の騎士を愛し、そのハーフを産んだソアラほどの適任はいまい。

 

「人間を殺して、あなたは、気が晴れたことがあるのかしら」

「あるに決まっているだろう!! だが、……だが、すぐに……! いつも……!」

 

 槍が落ちた。

 

「ラーハルト!! テメエ何やってんだあーッ!!」

 

 少し離れた場所で戦うフレイザードが激昂する。

 

「いけ好かねえ野郎だが、人間を滅ぼそうって心意気の強さは認めてたってのによ! けっ、所詮は半分人間か……!」

「よそ見をするなっ! マヒャド!!」

「メラゾーマ!!」

 

 ノヴァとポップの呪文をフレイザードは同属性の半身で吸収しようとし、

 

「地雷閃!!」

 

 その動きを読んだマァムに体勢を崩され、呪文の直撃を受けていた。

 

「ウギャアアア~~~~~!!!!」

「あちらは大丈夫そう、か……? こちらは……」

 

 ヒュンケルはラーハルトに未だ警戒の様子を見せるが、容赦なく斬りかかろうとは最早しなかった。

 逆にソアラは一度剣を収めすらしながら、ラーハルトを振り向く。

 

「人間の味方をして、とは言わないわ。でもラーハルト、あなたは幸せにならなきゃいけないし、そのために行くべき道は、人間を滅ぼすことではないの。そこを間違えてはダメ」

「……」

 

 ラーハルトは応えず、槍を拾い、

 

「貴様ッ!!」

 

 反応したヒュンケルの海波斬を避けて、そのまま姿を消した。

 近くにラーハルトの殺気はもうない。

 

「行ったか……」

「そのようね。少なくとも、この場ではもう敵に回らないでしょう」

「信用できるのですか? ソアラ王妃」

 

 不死騎団によるパプニカ攻撃中には、ラーハルトとは何度も戦ったヒュンケルだ。そう簡単に信じることはできないのだろう。

 だがソアラは、あっけらかんと微笑んだ。

 

「根は悪い子ではないもの。大丈夫よ」

 

 ヒュンケルは呆気に取られ――それから小さく笑うと、次の戦場を見定める。

 

 フレイザードにはポップ、マァム、ノヴァ。

 ザボエラ――超魔スライムにはクロコダインとボラホーン。

 ミストリュンナには、ベルベル、リバスト、バルトス。

 

「最も呪文を多用するのは――フレイザード! 俺は奴のところに!」

「ええ」

 

 ソアラはザボエラの方へ。

 そちらは超魔スライムがボラホーンを押し潰し、クロコダインを吹雪で氷像へと導いているところだった。

 

「疾風突き!」

 

 一度決めたら恐れず突き進むソアラの気質が、剣技として昇華された一撃。ただ真っ直ぐに、最速で疾走し斬りつけるその特技。

 破邪の剣が超魔スライムの柔軟な肉体に食い込み――その弾性を、素早さと切れ味が上回った。喉(?)を裂かれ、凍える吹雪が中断。

 そして破裂するようにスライムの体液が散り、武器が溶解する。

 

「おっと、言い忘れとったがのう。超魔スライムの細胞は、そのひとつひとつが凄まじい消化液を分泌しとるんじゃ。打撃は通じず……通じても武器が死ぬ! 言ったじゃろう、完全無欠とな!」

 

 ザボエラが述べる間に、超魔スライムの裂かれた傷は復元していく。

 ソアラは半分ほどの長さになった破邪の剣を振るって、体液を落とすと、一度下がった。クロコダインの傍ら。

 

「ソアラ王妃!」

「大丈夫」

 

 自らの頬に散った体液を、表情ひとつ変えずに指で拭い去り、ベホイミを作用させる。

 

「まずボラホーンを助けましょう。クロコダイン」

「心得ました!」

 

 クロコダインの接近に対し、超魔スライムは再び凍える吹雪を吐いた。

 真空の斧が振り被られ、そして迅速に振り下ろされる。

 

「海割断!!」

 

 アバン流斧殺法、海の技。アバンの書をもとに、アバンの使徒たちに教わり身に付けたモノだ。

 キレのある衝撃圧は、ほぼ拡散減衰せぬまま走り、吹雪を断って超魔スライム本体をも斬り裂いた。

 消化体液が散る――

 

「唸れッ! 真空の斧よッ!!」

 

 それをバギ系魔法力で空気流の障壁を作って防ぎながら、クロコダインは肉薄し、その勢いのままに突進した。

 巨体のぶつかり合いに、超魔スライムが傾く。

 下敷きにされていたボラホーンが自由になった。消化液は皮膚を溶かし、肉にまで達していたが、歯を食い縛って耐える様子。

 

「ボラホーン!」

「ありがたい、獣王! どっせい!!!」

 

 ふたりは協力して、超魔スライムを宙に投げ放った。

 同時にかけられた回転に、中のザボエラが目を回す。

 

「ぐえええーッ!!」

 

 そこへソアラが跳躍、半ば溶けた剣を突き立てる。

 

「剣神流――」

 

 剣を使うため、武神流を名乗ることは止められたらしい。だが今この地上において、純粋な『剣術』において最強の人間はソアラだ。

 鎧の魔剣を装備したヒュンケルでさえ、組手での勝率は5割を切る。

 

「閃華裂光剣ッ!!」

 

 剣と合一し、手からではなく剣から呪文を放つ。

 命中の瞬間に剣圧と魔法力を合一し爆発させ、大きな作用を生み出す。

 

 過剰回復。

 水を与えられ過ぎた植物が根腐れを起こすように、超魔スライムの身は再生力の限界の向こう側へと押しやられた。

 まるで石化するように干からび、亀裂が走り、砕け散るのだ。

 

「ば、ば、バカなァ~~~!!!! ワシの究極の超魔が……!!?」

 

 あまつさえ拳ではなく剣を使うこの技は、その威力がより深くへと突き刺さっていく。

 過剰回復の波が、ザボエラ本体にすら届いた。

 

 やった――のか?

 



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103 超魔スライム

 それはほんの僅かな傷だった。

 ザボエラの片手、手の甲に浅くヒビが入った程度。

 

「ぎょええええ~~~~~!!!」

 

 それでもザボエラは絶叫し、取り乱した。

 超魔スライムに守られて安心し切っていたのだろう。その心の隙。

 たとえ超魔スライムにダメージが通っても、しかし自分のみは安全なハズだ、という油断。

 

 ――とぷん、と。

 超魔スライムの、過剰回復が届かなかった後ろ半分が蠢いた。

 中のザボエラが突如としてモガき出す。

 

「がぼっ、ごぼ……っ!!」

 

 気泡、無数。

 ここまで問題なく呼吸し会話していたのに、今は超魔スライムの中で溺れるさま。

 いやそれのみではない、ザボエラの衣装や肌が溶けていく。

 消化液の作用。

 

 混乱によりザボエラの支配が綻び、超魔スライムが暴走しているのか。

 

「がばばっ! あう、ぐええ……!!」

 

 クロコダインとボラホーンが後退し、寸前までいたそこに超魔スライムの巨体が落ちる。

 体液が飛び散り、しかしザボエラが飛び出て来るようなことはない。

 逆に超魔スライムが内部を流動させ、ザボエラを確実に逃がさぬ構えと見えた。

 

「ソアラ王妃、トドメを! ザボエラを助けることになるかも知れませんが」

「いや、ワシにも分かるぞ! 放っておいた方がヤバい!」

 

 クロコダインとボラホーンが口を揃えて述べる。

 聞くや否や、ソアラは再び肉薄し――

 

「閃華裂光剣ッ!!」

 

 ――がきん、と。

 その一撃は、灰色の輝きに遮られた。

 

「これは……! メタルスライム!?」

 

 硬質な金属膜が、再生していく超魔スライムを覆っていた。あっと言う間だった。

 動きに合わせて自在に形を変え、それでいてオリハルコンに次いで頑丈な流体金属装甲。

 しかも生命活動を行っていないらしく、マホイミ効果が通らない。人間で言えば爪や髪のようなモノなのか。

 そして更にその上、闘気を纏って強度が増している。堅牢に過ぎた。

 

「クロコダイン! ボラホーン!」

「は! 獣王激烈掌!!!」

 

 左右ふたつの竜巻めいた闘気渦が、クロコダインの両腕から放たれた。

 重なる回転は、原作ではオリハルコンをも引き裂く威力を見せていた――この世界においても、見事にメタル装甲を拉げ剥がす。

 

「ふんぬっ!!」

 

 そこにボラホーンが鋼の錨を全力で打ち込んで、傷口を広げた。

 ならばあとは、ソアラが今度こそ必殺技を突き刺すのみ――だが現実は無慈悲。

 ソアラは超魔スライムの軟体に突き込んですぐ、あまりにも硬質なクッションめいた矛盾する感触を得た。メタルスライム装甲の感触を。

 マホイミ効果が塞き止められる。

 

「二重に……!?」

 

 超魔スライムがウニめいて無数の棘を全身から伸ばした。メタルスライム装甲の変形したモノだ。

 

「きゃあっ!!」

「ぐわああああああ!!!」

「ぐふっ……!!」

 

 至近距離の3人が3人とも、各所を貫かれる。

 受け流しに長けたソアラと鋼鉄の肉体を持つクロコダインはまだ傷が比較的浅いが、ボラホーンは大きな動脈を断たれたらしく、棘が引っ込んで抜けると、血溜まりを作りながら倒れ伏す。

 クロコダインがボラホーンを掴み、後方に放り投げた。

 

「ソアラ王妃、最低限の回復を! その間は俺が!」

「無理はしないでね」

 

 ボラホーンを追ってソアラが駆けた。

 ベホマ。生命は繋がったが、しばらくは動けないだろう。

 

 一方クロコダインは、超魔スライムの巨体と重量に突き飛ばされ、死の大地の岩山にめり込んだ。

 

「こ、このスライム! 急に大きく……!?」

 

 そう、超魔スライムは――ソアラの閃華裂光剣で体の半分ほどを壊死して失ったハズなのに、今はそれよりも巨大化しているのだ。

 周囲の土石から鉄分やその他元素を吸収し、長く伸ばした触手で地下水を汲み上げて水分を補給し、それらを次々に代謝して膨張していく様子。

 最早クロコダインでは押さえ切れないし、閃華裂光剣も多重メタル装甲に阻まれ効果がない。

 

 やはりザボエラは天才だ。こうまでのモノを創り出してしまうとは。

 だがそれを制御するべきザボエラ本人が飲み込まれ、暴走のありさま。

 (ミスト)としては、それで勇者たちが全滅するなら、それはそれで構わない面があるのだが。眷属たちを相手にしながら考える。

 

「ウゲェーッ!!」

 

 超魔スライムが、フレイザードを踏み潰した。

 あまつさえザボエラの魔法能力を吸収したのか、ベギラゴンをミストリュンナに向けて撃ってくる。

 ダメだ、敵味方の区別がない。闇の衣でベギラゴンを無効化吸収しながら嘆息する。

 

「リュンナ!」

「我が姫、今、我々を……!?」

 

 ミストリュンナと超魔スライムの間には、ベルベルとリバストとバルトスがいた。

 咄嗟に前に出て、彼らを庇った形。

 

「この器を完全に支配するために、あなたたちは自らの手で殺さないといけないんです。そうして『リュンナ』の心を折るのが、『ミストリュンナ』のすべきこと」

「それだけワシらを大切に思っていてくださることの裏返し、か……! リュンナさま、どうか、どうかミストに負けないでくだされ!!」

 

 バルトスが叫ぶ。柳に風と受け流す。

 受け流した――つもりで、本当は、心が揺れる。

 それが『リュンナ』の力になる。

 

「リュンナ……! ぼくのお月さま! 絶対、絶対に取り戻すからね!!」

「我が姫の強さは、その程度の闇に屈するモノではないハズ!」

「ワシもリュンナさまの騎士として……!! と言いたいところだが……!」

 

 超魔スライムは既に、丘を見上げるような圧倒的サイズ感。

 無数のメタル触手を棘状に伸縮させ、更にその先端からメラゾーマやベギラマ、時にベギラゴンをすら乱射し、口からは凍える吹雪を吐く――最早、怪獣と化していた。

 

「マホカンタ!」

 

 ベルベルが前に出て呪文を防ぎ、リバストとバルトスが2本槍や6刀流で棘を防ぐが、ジリ貧のありさまだ。少しずつ貫かれていく。

 かと言って背を向けて逃げようとすれば、それこそその瞬間に急所を貫かれてしまいかねない。

 ミストリュンナは闇の衣で無事だが。鎧ドレスとして具現化されるに至った闇の衣は、呪文や闘気を吸収するのみならず、最早物理打撃にも強いのだ。

 

「こうなったらメドローアで……!!」

 

 マァムの闘気盾(オーラシールド)とヒュンケルやノヴァの剣捌きに守られながら、ポップが覚悟を決める。

 左右の手に同時にメラ系とヒャド系を灯す構え――そのとき、超魔スライムが跳躍した。

 ふわり――とすら形容できるほどに軽々と、だが山のような巨体が重々しく、その場で垂直に跳んだのだ。

 

 着地すれば、凄まじい地震が起こるだろう。

 下敷きにされれば、圧死は確実だろう。

 先ほど踏み潰されたままそこにいるフレイザードは死ぬ、ということだ。

 

「ぐっ、うう……ッ!!」

 

 フレイザードはダメージで動けないのか、逃げる様子がない。

 ポップが超魔スライムの真下へと飛び出していった。

 

「ポップ!」

「待て! 戻れ!!」

 

 マァムにもヒュンケルにも想定外過ぎたのだろう、制止が間に合わない。ノヴァに至っては、手は動かしながらだが、顔はポカンとしていた。

 ポップはフレイザードの傍らに立つと、氷炎を合成した光の弓矢を真上に向けた。

 

「メドローア!!!」

 

 消滅の光が突き抜け、超魔スライムの底から頭頂までに風穴が開く。

 着地したスライムのその空隙に、ポップとフレイザードはちょうど入る位置だった。

 四方をスライム肉に囲われた牢獄の中、揺れ、転ぶ。

 

「テメエ!! なぜ俺を……!?」

「いくら悪い奴でも、味方にやられるなんて……放っておけねえだろうが!!」

 

 ポップは吐き捨てるように叫んだ。

 同時にメドローアで開いた肉の空隙が狭まっていく。

 

「掴まれ!」

 

 掴まれと言いながら、ポップは自分からフレイザードの手を掴んだ。その燃え盛る炎を纏った、灼熱の岩石の手を。

 フレイザードが驚きで固まった。

 

「ルーラ!!」

 

 瞬間移動呪文とすら呼ばれるほどの高速。超魔スライムの胃の腑から、ふたりは逃れ出た。

 一瞬前にいた場所で肉が閉じる。

 

「ポップ! 大丈夫!?」

「とんでもない無茶を……!!」

「何でそんな奴を助けたんだ! くっ、あとで始末してやる……!!」

 

 マァム、ヒュンケル、ノヴァがふたりを迎えるが、殆ど目を向ける余裕もない。超魔スライムの猛攻は続いているのだ。

 ポップはフレイザードを引き摺りながら、3人の後ろへと潜り込む。

 

「ちくしょう、メドローアですら効かねえ……! いや、効きはするけど、サイズと再生力がデカすぎて意味がねえんだ。かと言って放っときゃもっとデカくなるし……。どうすりゃいいんだ!? このままじゃ下手すっと全滅するぞ……!」

 

 フレイザードはそんなポップを眺めて、沈黙のままニヤリと笑んだ。

 



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104 氷炎将軍フレイザード

 死の大地の鉱物や水分を吸収して肥大化を続ける超魔スライムは、最早ちょっとした山だった。

 その巨体が多重のメタルスライム装甲に覆われ盤石の鉄壁を成し、あまつさえその装甲を触手や棘に変形して自在に伸縮させ攻撃、それぞれの先端から無数に呪文攻撃すら放つ。

 超魔生物は変身すると呪文を使えないのが欠点だが、これは変身機能を省いて元の姿に戻れなくすれば解決する、とハドラーが身を以て証明済み。この超魔スライムも、そういうことなのだろう。

 

 猛攻にボラホーンが倒れ、ソアラを庇ったクロコダインが倒れ、マァムを庇ったヒュンケルが倒れ、ベルベルを庇ったリバストが倒れた。必要ないと分かっていながら、反射的にリュンナを庇ってしまったバルトスも。

 全滅は時間の問題だ。

 そんな中、マァムとノヴァの後ろのポップの陰で、蹲ったフレイザードがほくそ笑む。

 

「クククッ……」

「何がおかしいんだよ……! て言うかテメエも戦え!!」

「いやあ、リュンナさまの言った通りだと思ってな……」

 

 一度は叫び返したポップも、その奇妙な言に眉を顰めた。

 

「リュンナが……!?」

「そこのノヴァにやられて、(コア)だけになっていた俺にな……」

 

 そう、言った。

 ミストリュンナが、リュンナの記憶を拾い上げる。

 

 同じ(コア)を使って同じ魔物を作ることはすぐに出来る――だが記憶や人格を継続させるには、少なくともハドラーには専用の儀式が必要で、時間のかかることだった。

 だから(コア)は保管され、そこにリュンナが密かに接触を図る隙があったのだ。

 

「な、何て言われたんだ……!?」

「どうでもいいだろ、んなこたあ」

 

 もし人間を味方につけることが出来たなら、この上ない栄光が約束されるでしょう。

 

「どうでもいいって、おい……!」

「氷炎爆花散!!!」

 

 突然弾け飛ぶようにして、フレイザードから無数の小さな岩石が飛び散った。

 しかしそれは誰にも、至近距離のポップにさえ当たらない。

 

「なッ……!! テメエ、今のは……!?」

「落ち着けよ。今のは攻撃じゃねえ……。その辺に潜んでいる俺の部下どもへの合図! 間もなく――そら、来やがったぜ」

 

 超魔スライムの跳躍にも負けない地震が巻き起こる。体感するところ、震源地は離れた2か所。フレイザードを中心にして、正反対の位置にだ。

 地を突き破って、それらの位置に生える塔――燃え盛る炎を纏う岩石の炎魔塔、攻撃的に尖った氷で出来た氷魔塔。

 

「げえっ! あれは!!」

「リュンナさまとハドラーが使った、氷炎結界呪法!?」

「ご名答!! なら効果は知ってやがるな?」

 

 氷炎両魔塔がフレイザードの(コア)に作用し、一帯に結界が張られた。

 その内側では、術者の敵の力はおよそ2割にまで抑制される。呪文に関しては魔法力の溜めが必要な水準に達せず、発動自体ができない場合すらあるほどだ。

 

 途端、超魔スライムの動きが鈍った。

 一方で勇者の仲間たちは、誰も動きの鈍った感覚がない。

 

「フレイザード……!!」

「俺の『親』はハドラーさまとリュンナさまだ。この場を切り抜けてよォ、テメエらに手を貸してバーンをぶっ斃したなら!! どうだ? ハドラーさまが新たな大魔王で、俺は魔軍司令の地位に就けるかもなあ……。軍団長から大出世だぜ~!!」

 

 フレイザードがチラリと、意識のみでミストリュンナの様子を窺った。

 魔王軍を裏切るその行為に、しかしミストリュンナは反応しない。

 今は超魔スライムの暴走を止めるのが先だ。そうでしょう? ミスト。

 

 ともあれ。

 

「テメエ、フレイザード……!! そんなこと考えてやがったのか!?」

 

 ポップが驚愕と呆れの中間くらいの声を出した。

 一方、ノヴァは侮蔑の色が濃い。

 

「なんて汚い奴だ……!! そんな裏切りが通用するか!!」

「いえ、心強い味方だわ」

 

 逆にマァムは受け容れる構え。

 慈愛の心の為せる業か。

 

「たとえ今だけだとしても、フレイザードの中に、私たちに対する裏切りの心はないわ……! それは本当だと思う」

「信用してもらえて嬉しいぜ」

 

 そして彼らは超魔スライムを一瞥した。

 ベギラゴン以外の呪文を撃たなくなり、そのベギラゴンも威力はギラ程度にまで落ちている。

 メタル触手の棘は伸縮速度が明らかに落ち、必死に防がずとも回避可能なありさま。

 

 だがメタル装甲の強度そのものはロクに変わらない――硬さと極度な流動性を両立している分、ともすれば硬いばかりのオリハルコンよりも頑丈かも知れないそれが、あまつさえ闘気を纏って硬さを増しているのだ。

 そして肥大化も止まらない。死の大地の土石と水分を吸収し、膨張し続ける。

 しかもそれが、結界に抑えられる現状が気に喰わないのか、めちゃくちゃに跳んで跳ねて暴れ始めた。

 

「これで弱ってやがんのかよ……! そのうち全員踏み潰されちまうぞ!」

 

 必死に逃げ惑いながらポップが叫ぶ。

 その背には倒れたヒュンケルを負っていた。

 

「ポップ、何か思いつかないの!?」

「打撃も呪文もロクに効かねえんだ。メドローアか……さっきソアラ王妃が使ってた、あの何とかって光る剣技を体内に捻じ込むしかねえだろうな! どっちもそう易々と耐性は得られねえハズ……! でもどっちにしたって、破壊の範囲が足りなくてすぐに再生されちまう!」

「範囲が足りりゃあいいんだな?」

 

 フレイザードが不敵に笑み、超魔スライムと相対した。

 

「なっ、何か手が……!?」

「まあ……ある。俺の両手がな……」

 

 氷炎将軍はそう呟くと、左右氷炎の手を開き、指先の1本1本に、同時にメラゾーマとマヒャドを灯していく。

 

「メ、ド、ロー……ア……」

「げえっ!? バカなッ!!」

「ぬうううううん!!!」

 

 あまつさえ、その五つのメラゾーマとマヒャドを、両掌を合わせて纏めて合成、スパークさせる。

 形成された光の弓を引くと、5本もの光の矢が同時に番えられている状態。

 

「一瞬でいい、誰か奴の動きを止めやがれ!!」

「こ、こいつ、俺のを1回見ただけでメドローアを……!? ええい、クソッ!! 動きを止めりゃあいいんだろ! ベタンッ!!」

 

 大魔道士マトリフ直伝の重圧呪文が、ポップの杖を向けた先で超魔スライムを押し潰す。

 

「ベタン――」

 

 ベルベルがそこに、リュンナから教わった同じ呪文を上乗せした。

 

「ベタンベタンベタンベタンベタンベタンベタンベタンベタンベタン!!!!!!」

 

 あまつさえ両手と髪触手を総動員し、圧倒的に連発してみせる。

 

「くっ、この……! メドローアもベタンも、師匠からちゃんと教わったのは俺だろーが!! もいっちょベタン――」

 

 ポップがもう片手からもベタンを放ち、重ね、その先にある感覚を知る。

 

「――おおおッ!! ベタドロンッッ!!!」

 

 天から地へと両手を振り下ろす、極大重圧呪文。

 傍目には合計で無限とすら感じられるほどの超重力が超魔スライムを押し潰し、それでもなお水滴型を保つ威容――とは言え、動くことは最早できないようだ。

 

 だからフレイザードは、そこにメドローアの光を解き放った。

 

「上出来だ……。行くぜ、双手終焉光(ハンズ・オブ・ジ・エンド)ッッ!!!」

 

 同時に5発ものメドローアを、だ。

 ひとつひとつが人の身長の2、3倍を飲み込むような半径の光が、更にその5倍の範囲を一斉に呑み込んでいく。極大消滅の光。

 

 超魔スライムはあっと言う間に穴だらけとなった――いや最早、穴と穴を繋ぐ部分が薄く泡のように残るのみ。

 すぐに泡が凝集し、1匹の普通のメタルスライムの姿と化す。

 逃げる――

 

「――閃華裂光剣」

 

 それをソアラが、疾風突きの早さで貫いた。

 溶けた破邪の剣の代わりに、鎧の魔剣の剣を借りて。

 超魔スライムは石化するように硬く砕け散り、灰となり散った。

 ザボエラの姿はない。既に溶かされ切ったか、フレイザードのメドローアで、諸共に消滅したか……。或いは。

 

「おい」

 

 そのフレイザードに、ポップが声をかける。

 

「あん?」

「テメエのお蔭だ。助かったぜ」

「ふん」

 

 フレイザードは面白くなさそうに鼻を鳴らした。

 

「そうね。今回はフレイザードのお蔭だわ」

「悔しいが、僕は何もできなかったな……。流石は氷炎将軍ってところか」

 

 マァムとノヴァが追従する。

 

「テメエら……」

 

 フレイザードは不機嫌そうに顔を歪めた。

 

「ありがとう。フレイザード」

 

 しかしソアラが笑顔を浮かべて礼を言い、更にベルベルが偉そうに述べる。

 

「この武勲は無視できないね!!」

「……そうか。武勲か」

 

 するとフレイザードは理解を示した。

 

「なるほど……。どうも慣れねえ言い回しだったが、要は俺の武勲を称えていたワケだな? クッ、ククク……そうか、そうか!!」

「単純な奴……」

 

 嬉しそうに拳を握るフレイザードに、ポップがぼそりと呟いた。

 リュンナの忠実さと、ハドラーの野心を継いだ子である。

 

 かくして、ラーハルトは撤退、ザボエラは超魔スライムごと消滅? フレイザードは味方になった。

 この場に残る魔王軍は――

 

「――リュンナ?」

 

 ベルベルが振り向いた先に、ミストリュンナはいなかった。

 ふと天から轟雷が落ち、メドローアに巻き込まれて消えた山脈の向こうで、死の大地を貫いていった。

 



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105 黒の核晶

「企みなどないッ!! ――ギガデイン!!!」

 

 バランは上級雷撃呪文を唱え、自らの真魔剛竜剣にその轟雷を宿した。

 雷と竜闘気(ドラゴニックオーラ)が剣を介して合成され、莫大な威力を溜め込んでいく。

 

「バラン……!! 遂に本気になりおったか」

「今まではお前の能力を見るために力を抑えてきただけよ! だがそれももう見切った! もはや手加減は要らん、我が最強剣ギガブレイクで葬ってくれるッ!!」

 

 (ドラゴン)の紋章の共鳴を利用したダイとバランの念話を、竜眼が盗聴する。

 曰く、ギガブレイクでハドラーの首を刎ねて仕留める――これなら、黒の核晶(コア)は即座には爆発しない。その一瞬の猶予に、全竜闘気(ドラゴニックオーラ)を注ぎ込んで爆発の規模を抑える、と。

 

 ハドラーは自分の中の爆弾の存在を知らない――と、思われている。

 そしてハドラーは、リュンナをミストから取り戻す取引材料として戦果を求め、しかしダイやバランを殺せばリュンナに拒まれるという二律背反の毒に冒されている――と、思われている。

 

 つまりバランは本気を出せるが、ハドラーは出せない。

 原作と違い、真魔剛竜剣も腐食していない。

 原作よりもハドラーのレベルは大幅に上がっているが、バランも双竜陣で大幅に強化されている。

 そういう状況が出来上がっていた。

 と、思われている。

 

「あ、あれ……! リュンナ!?」

 

 ふとダイが、ミストリュンナに気付き指さした。

 地上から、地下の大魔宮外周部へと移動し、気配を消して見ていたのだ。

 ハドラーとバランが気を取られ、動き出すのが遅れる。

 

「こっ、ここは危ないよ! おれと一緒に上へ……!」

 

 バランのギガデインで開いた天井の穴を指し示しながら、ダイが述べた。

 ミストリュンナは淡々と拒む。

 

「そういうワケには。あなたたちを殺さなくては……」

「だったら、まずはおれが相手だ! 来いっ!!」

 

 ダイは天井の穴へと飛び上がっていき、ミストリュンナはそれを追う。

 打ち合い――ダイの剣術は更に磨かれていた。

 

「リュンナ……。必ず元に戻してやる」

「元魔王ともあろう者が、随分と人間ひとりに執着するモノだ」

 

 ハドラーとバランは視界の端でそれを見上げた。

 視線そのものは、あくまでも互いを見る。

 

「リュンナは俺の民だ。今や、たったひとりのな……!」

「魔軍司令に民が要るか?」

 

 ハドラーは答えなかった。

 答えに窮したのではなく、必要性を感じなかったのだろう。

 そして示し合わせたように、ふたりは飛び出した。

 

「ギガブレイクッッ!!!」

「超魔爆炎覇ッッ!!!」

 

 牽制はなく、ただ虚実のみがあった。

 剣をどの位置からどの角度でどう振るか、偽を見せかけ、真を隠し、敵の剣を避けて自らの剣のみを当てようという一瞬の駆け引き。

 

 技の威力ではハドラーが上であり、そして駆け引きではバランが上だった。

 もともとハドラーに、バランを吹き飛ばす気などない――技同士を激突させて相殺に持ち込もうとしており、ならばとバランは鍔迫り合いから切先を梃子で押し込んだ。

 

「ぐはっ、……!!」

 

 技同士の激突により、魔炎気もギガデインオーラも周囲へと爆発的に散っていた――だからハドラーの胸を抉るのは、純粋な真魔剛竜剣そのもの。

 剣の位置取りの問題から刎頸を諦めたバランは、魔法力の飛んだ剣で胸を掘り、

 

「ぐああああ……!!」

「ふんっ!!」

 

 切先で、黒の核晶(コア)を穿り出した。

 

「なっ、何だ……これは……!!」

 

 ハドラーの迫真の声音。

 ただちに核晶(コア)が脈動を始めた。バーンが魔法力を送ったのだ。

 

「何なんだッ! これはああーーッッ!! なぜッ、俺の……俺の体に……!!」

 

 バランは真魔剛竜剣を放り捨て、両手で黒の核晶(コア)を握り締めた。

 全身全霊の筋力と竜闘気(ドラゴニックオーラ)を込め、爆発を抑えにかかる。

 

「魔界に名高い黒の核晶(コア)……!! お前も聞いたことくらいはあろう!」

「こっ、これが……! これがッ!? こんなことが出来るのは――俺を改造したザボエラ!? いや、奴はこんなモノ使わん! では、ならば……ならば……!」

「知れたこと! バーン以外にはいまい……!」

 

 バランはハドラーの身を蹴りつけつつ、黒の核晶(コア)と彼とを繋ぐ血管めいた配線を引き千切った。

 

「ぐあおうッ!!」

 

 激痛にハドラーが呻く。

 リュンナの血を改造に組み込んだために得た圧倒的生命力は、黒の核晶(コア)の活性化による体調不良から彼を遠ざけていた。

 この痛みは想定外だろう。

 

 それでも、必要なことだった。

 

「なるほど、道理で……! 道理でな……! 戦い方が消極的だったワケだ! クッ、クク……ッ!」

「笑うか。ハドラー」

「ああ。全て分かっていたからな」

 

 言葉と同時に、覇者の剣が、バランの背後に気配なく出現したキルバーンを貫いていた。

 

「バッ、バカな……! 反応が早過ぎる……!!」

「死神!? いつの間に……!!」

 

 バランが驚く間に、ハドラーは剣を捻って中身を抉る。

 キルバーンが、大鎌――死神の笛を取り落とした。

 

 黒の核晶(コア)の脈動が高まっていく。

 如何な双竜陣状態の竜闘気(ドラゴニックオーラ)とは言え、竜魔人の闘気密度には劣るのか。抑え切れていない。

 このままでは爆発する。

 

「ハドラー! 分かっていたとは、どういうことだ!! 何か手が――」

「あるさ。だろう、リュンナ」

「はい」

 

 ダイと戦っていたハズのミストリュンナが、ふたりの間に割って入った。

 

「リュンナ!? 操られているのでは!?」

「今この瞬間に反逆するために、ずっと気合を溜めてたんですよ!!」

 

 魔氷気が爆発を遅らせる。

 それを見て、キルバーンが呻いた。

 

「ミ、ミスト……!! いや、ミストじゃあ、なかったのか。あの後――僕にバランを暗殺するよう言ったのは!!」

 

 そう、死神にバランを狙うことを勧めたのは、ミストリュンナだ。

 完成された(ドラゴン)の騎士――彼さえ落とせば双竜陣はなく、残る勇者ダイも(ドラゴン)の騎士としては未熟、必ず勝てると。

 

「はい」

 

 死神を唆し、ハドラーに目と心気で最低限のみを伝え、この状況を作った。

 

「ぬおおおおッ!!」

 

 ハドラーが血管配線を全て引き千切り、黒の核晶(コア)を完全に分離する。

 長年埋め込まれていたそれは、最早肉体と一体化していたが――その摘出によってハドラーの生命が脅かされる様子はない。

 リュンナの血を、竜の生命力を取り込んでいるからか。

 

 しかしどの道、爆発はする。

 

「ダイ、お前も闘気を絞り出せ!! 爆発を抑え込むのだ!!」

 

 バランが叫び、天井近くから合流してきていたダイが頷いた。

 だがリュンナは――同時にキルバーンの首を刎ねていたリュンナは、平然と述べた。

 

「その必要はないです」

 

 ハドラーの核晶(コア)と、キルバーンの首。

 今ここに、黒の核晶(コア)が『ふたつ』揃った。

 両手に掴み、左右の手から同時に同じ呪文を発動する。

 

「バシルーラ!!!」

 

 核晶(コア)をこの場から消し去った。

 ――静寂。

 

 ダイが恐る恐る聞いてくる。

 

「リュンナ!? ど、どこにやったの……?」

「あれだけの莫大な魔法力の塊に、平然とバシルーラを作用させるとは……」

 

 バランは呆れていた。

 別に平然ではない。純粋な魔法力の代わりに、暗黒闘気と混ざった魔氷気を呪文に用いていることと、ミストの力でその闘気量が大きく増強していてこそ出来たこと。

 

 しかしそれぞれに答える前に、死の大地の奥深くから響くような地震、轟音。

 周辺が崩れ始める。

 こんなモノは言わば前振りに過ぎず、本来の爆発衝撃波がすぐに来るだろう。

 

 だがそれがどの方向からいつ来るのかは、飛ばした先を知るリュンナにしか精確には測れない。

 説明している時間もない。

 

 だからリュンナは両手に冷気を宿し、それを円を描くようにしてひとつに混ぜ合わせ――そして前方に押し出すように放った。

 

「――マヒャデドスッ!!」

 

 極大冷気呪文。

 本来、ヒャド系の極大はない――メラ系と合わせてのメドローアしかない。極大とは、その系統の発展が終わったことを示すモノだから。

 だが物理的に、温度には下限がある。どんな高温だろうと絶対零度へと導く、究極の冷気がここにある。

 

 それは吹雪ではなく、青白い光の奔流の輝きだった。

 大魔宮の奥へと向けて放射され――襲い来る爆圧を、その大半を呑み込み鎮めていく。

 

 数秒だったのか、数十秒か――数分は経っていないと思うが。

 やがて爆発は止まった。

 場は――天井から空が広く見え、瓦礫だらけだが、辛うじて原形を保っている風情。

 地上班も無事だろうと分かるほどに。

 

 ダイとバランは呆然。

 最初に口を開いたのは、ハドラーだった。

 

「リュンナ、お前……バーンのところに飛ばしたな?」

「はい」

 

 ハドラーに答える。

 

「一石二鳥でしょう? 摘出と同時に、大魔王を始末する。これなら粛清の余裕はないですからね」

「そのために、俺がどれだけ苦しんだと……」

 

 その胸の傷も、既に再生が始まっているが。

 そこにバランが声を向けてきた。

 

「てっきりハドラーは知らぬモノと思っていたが、知っていたのだな……。だがバーンの粛清を危惧し、知っていたことを隠していた……」

「はい」

「そういうことだ」

「いったい、いつからだ……」

 

 バランは呻くが、最早そんなことは問題ではない。

 肩を竦めた。

 先方も、それより気になることに気付いたようだ。

 

「しかし……黒の核晶(コア)にしては、爆発が大人しかったな。キルバーンの首を飛ばしたのも――察するに、そこにも核晶(コア)が仕掛けられていたのだろう?」

「はい」

核晶(コア)ふたつ……。ひとつでさえ、この死の大地が吹き飛んでもおかしくなかったハズ……」

 

 だが死の大地は原形を残している――天井から見える岩山の様相で分かる。

 

「大魔宮の結界のせいだろう」

 

 ハドラーが胸を再生しながら述べる。

 

「死の大地の内側に存在する、真の本拠地……! それを覆う結界がある。リュンナ、お前は核晶(コア)を結界の内側に送り込んだな? だから爆発は結界に引っかかり、全てのエネルギーがこちらまで来ることはなかった……!」

「はい。それが一番安全な処理かなって」

 

 天空で爆発させるのも、どこまで打ち上げればいいのか分からない。

 だが原作で、消し飛ぶ死の大地の中で、大魔宮は全く無事だった。実際ミストリュンナとなって結界の内側に入ってみれば、そのくらいの強度は感じられたモノだ。

 ピラァ・オブ・バーンに配された核晶(コア)に誘爆はしなかった――そこには更に多重の結界が張られていたことは、確認済みだ。

 

「そして……いや……」

 

 ハドラーは更に言葉を続けようとして、一旦、口を噤んだ。

 そして述べる。

 

「ダイ、バラン。貴様らはバーンを斃しに行け」

「生きていると言うのか!? 今の話が本当なら、バーンは核晶(コア)の直撃を……!!」

「だとしても、確認は必要だろう。先に進め。俺はバーンに裏切られていた……。体と融合していた核晶(コア)を抜き取られたダメージがある。少し休んでから、追って合流する。いいな?」

 

 バランは迷う素振りを見せた。

 一方、ダイはすぐに頷いた。

 

「分かった! リュンナはどうするの?」

「ハドラーをひとりで置いていくのは心配ですから……。おばちゃんのことは気にせずに」

「うん、じゃあハドラーをよろしく!」

 

 物分かりがいいというより、本当にもう蟠りがないのだろう。

 ハドラーが味方として振る舞うことに、何の躊躇もない。

 そんな様子にバランは、微かに嬉しそうに笑んで――そしてふたりは、瓦礫を吹き飛ばして先に進んでいった。

 

 その背が見えなくなってから、ハドラーが言う。

 

「ミストバーンを利用したのか」

「はい。この外周部からバシルーラでバーンのところに黒の核晶(コア)を送るには、大魔宮の結界を通り抜ける『許可』が必要でしたからね。『ミストリュンナ』は魔王軍――結界を越えてルーラ系を作用させることが可能です」

「なら、俺は道化か。お前を取り戻す方法を悩む必要は――」

 

 ミストリュンナの闘気剣(オーラブレード)による刺突を、ハドラーは覇者の剣で逸らした。

 

「リュンナ――」

「おのれ!! リュンナァ!!!」

 

 リュンナの口で、リュンナの声で、リュンナでないモノが猛る。

 

「私に、この私に……よくもバーンさまのところに!! 黒の核晶(コア)を! と、飛ばさせるとは……ッッ!!!」

「リュンナ」

「ハドラァー!!!」

 

 更にミストリュンナは斬りかかる。

 ハドラーは魔炎気の爆発で互いを吹き飛ばし、距離を取った。

 

「お前は亡くすには惜しい戦士だが……! バーンさまに叛意を抱いたな? 処刑する。眼前でお前を亡くせば、リュンナの魂も私に屈することだろう!!」

「リュンナはどうした」

 

 ハドラーの声音は静かだった。

 

「気力を使い果たしたようだ。先ほどの瞬間のために、ずっと雌伏していた――私の支配の下で、私に気付かせず!! だがこれでハドラー、お前は『戦闘で負ける』以外では死ななくなった。埋め込まれた核晶(コア)がなくなったからな。

 それで気が抜けたようだぞ。安心して、緊張の糸が切れたのだ。フハハッ!! ミストリュンナは、最早9割以上がミストだ。バーンさま、すぐにコイツを片付けてお傍に……!!」

「そうか」

 

 ハドラーの声音は――

 

「世話の焼ける奴だ」

 

 微笑みを湛えていた。

 

「俺に任せろ、リュンナ。必ず助ける」

 



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106 魔王

 ミストリュンナも超魔ハドラーも、属性つきの暗黒闘気を習得している。

 片や氷、片や炎。いずれにせよ、魔法力の代わりにそれらの『魔法力と合成された闘気』を用いることで、呪文に耐性貫通力を持たせることが可能だ。

 例えば並の呪文の効かない竜闘気(ドラゴニックオーラ)を貫いてダメージを通すことや、マホカンタでの反射比率を下げるなどである。

 その上でなお、魔氷気により『相手の気の精神性を凍てつかせて無効化吸収する』闇の衣に呪文は効かないし、ハドラーの肉体は魔炎気防御を抜けてきた威力を普通に耐久する。

 

 かつての魔王ハドラーを超えた魔軍司令ハドラーを超えた超魔ハドラーを超えた、ドラゴラム超魔ハドラー。異形の人竜の様相。

 ミストリュンナは、その化物と、ドラゴラムなしで互角に戦っていた。

 

 (ひのき)の棒を芯にした闘気剣(オーラブレード)の二刀流。常人には残像さえ追えないような高速の剣戟。

 対するハドラーは覇者の剣一振り。リーチと筋力で上回り、打ち払い打ち飛ばして、連撃を妨げていく。

 

 魔界のマグマを血液とするキルバーンを斬れば、たとえオリハルコンだろうと、その剣は腐食し切れ味が半減する。

 だが覇者の剣はそのとき、纏った魔炎気が吹き飛んだ直後で、その高熱がまだ残っているタイミングだった。灼熱が魔界のマグマをすら蒸発させ弾いたか、およそダメージはない様子。

 リュンナに至っては、モノが闘気剣(オーラブレード)である。闘気の供給ですぐに直ってしまう。

 

 だから互いの剣そのものは互角。

 

「どうしたミストバーン。ドラゴラムは使わないのか!」

「くっ……! リュンナめ、この期に及んで!」

 

 使わせない。

 でなくばハドラーの勝ち目が大きく減じてしまう。

 ミストリュンナの中で、リュンナは懸命に呪文を抑えていた。

 

「だが問題はない! 時間はかかるが――ハドラー、どうせお前はこの体を攻撃出来ないのだからな!」

 

 ミストリュンナは余裕を見せて、見せつけるように両腕を広げ――その左腕がポロリと落ちた。

 剣圧で斬られていたのだ。

 

「は……?」

「生憎と俺やリュンナの超魔力を以てすれば、その程度の傷は治せるのだ。気にする必要はない」

 

 ミストリュンナは自らの左腕に傀儡掌をかけて引き寄せ、接合治癒を試みた。

 それは攻撃も防御も出来ない隙の一瞬だ。

 左腕が繋がる頃、ミストリュンナの、今度は右腕が落とされた。

 

「お、おのれ……!!」

 

 更なるハドラーの追撃を、ミストリュンナは左手の剣で防御し、がら空きの右脇腹に回し蹴りを叩き込まれて吹き飛んだ。

 

「うがあっ……!!?」

「戦い方が下手だな、ミストバーン。他人から他人へと乗り移るしか能のない寄生虫めが」

 

 吹き飛んだ先で、転がり、瓦礫の壁に激突してめり込む。

 よろめきながら身を引き剥がしていく。

 

「ぶ、侮辱を……! 私はその手の侮辱が、一番嫌いなのだ……!」

「そうか。俺の超魔改造の時間稼ぎをしてくれたことには感謝しているが……今のお前には、尊敬出来るところが少ないな」

 

 ミストは本来、器の戦い方を再現し、それを状況に応じて操縦することが出来る。

 だが今、ミストリュンナは、リュンナ本来の戦い方を喪失していた。

 力は限界を超えている。だが、それのみだ。

 

「フハハ……。私はお前を尊敬しているよ、ハドラー。その飽くなき闘争心! 覇気……! だが結局は力の戦い。それで私を斃すことは出来ぬ。リュンナごと滅ぼす以外にはな……」

「かも知れんな。で? 俺だけを相手にしていていいのか」

「なに……!?」

 

 バランがギガデインで天井に開けた穴は、黒の核晶(コア)の爆発で更に広がっていた。

 そこから下りてくる影、三つ。

 

「闘魔傀儡掌!」

 

 ベルベルの傀儡掌がミストリュンナの動きを一瞬止め、

 

「ブラッディースクライドッ!!」

「ヘキサ・ブラッディースクライド!!」

 

 リバストとバルトスの刺突圧が、その身を穴だらけにした。

 ミストリュンナが膝をつく。

 

「お、お前たちまで……!? リュンナの心配をしないのか!」

「するに決まってるじゃん!!」

 

 ベルベルが叫ぶ。

 涙が散った。

 

「だから……! だからこそ! ぼくの、ぼくたちの……! 返してもらう!」

「我が姫! 帰ったら美味しいケーキを焼くぞ。皆で食べよう」

「リュンナさま! ヒュンケルと生きることの出来るこの恩、まだまだ返し足りませんぞ!」

 

 ハドラーとミストリュンナが戦っている中で、眷属たちは、迷わずミストリュンナを狙ったのだ。

 

「暗黒闘気の技を使え!」

 

 ハドラーは叫んだ。同時に自らも炎の暗黒闘気、魔炎気を高めていく。

 

「おまえに指図されたくない!」ベルベルは憎まれ口を叩き、「でもやる!」

 

 魔族の少女の形をしたホイミスライム、4本腕のオークキング、地獄の騎士。

 それぞれが武器に暗黒闘気を込め、ミストリュンナに繰り出した。

 

 ブーメランの、槍の、刀の――魔神斬りが突き刺さる。

 ミストリュンナは避けられなかった。傷を再生回復しながら、打ち払おうと剣を振るい、しかし空を斬るのみに終わったのだ。それが魔神斬りを受けるということ。

 

「フハハッ! しかし無駄だ!」

 

 闇の衣が、込められた暗黒闘気を吸収してしまう。

 だから無駄か?

 違う。

 

「何だ……この感覚は……!? ざ、ざわざわする……心が……!」

 

 ミストリュンナが苦しみ出した。

 器の苦痛は伝わることはない――だからそれは、ミスト自身の。

 

 ハドラーは淡々と述べた。

 

「その闇の衣は魔氷気で構成されている。リュンナの闘気で、ということだ。お前自身は魔氷気を使えるわけではないからな……。だから吸収した闘気は、幾らかはリュンナのモノになる。いや、普通はならないのかも知れんが、眷属の闘気であれば。

 さっきは9割がミストだと貴様は言ったが……どうだ? 今は8割くらいだと思うのだが」

「そ、そんな……そんなバカな……!?」

 

 ミストリュンナはメチャクチャに剣を振り回し、眷属たちはそれを後退して避け、全員で全霊の傀儡掌をかけた。

 闇の衣で吸収する。吸収し続ける。吸収させられ続ける。

 だが吸収をやめれば、身を縛られるのだ。

 詰み。

 

「必死に考えて、賭けた甲斐があったな。俺の勝ちだ」

「俺たちの、でしょ!!」

 

 ベルベルの指摘を聞き流しながら――ハドラーは、覇者の剣を構えた。

 まるで煉獄めいた高まりを見せる、魔炎気の業火を纏って。

 

「うおおおおおおおおおお!!!」

 

 飛び出した。

 ミストリュンナはそれでも傀儡掌を抜け出し、魔氷気を使うのをやめ――闇の衣も消して布の服姿。

 純粋な暗黒闘気を闘気剣(オーラブレード)に収束して、振るった。

 

「闘魔最終剣ッ!!」

「超魔爆炎覇ッッ!!!」

 

 魔炎気の斬撃が闘気剣(オーラブレード)を粉砕した。

 その先の身を断つ。

 

「フハハッ! 私は死ぬ、が……これで、リュンナも……」

 

 闇の衣で吸収しないならそうなる。

 それでいいと、リュンナは思った。

 

 だって、ハドラーの黒の核晶(コア)を処理出来たのだ。

 自分の血を改造に組み込ませて竜の生命力も与え、寿命問題も最初から解決している。

 最早ハドラーは、完全無欠だ。

 

「俺を舐めるなよ、ミストバーン」

 

 だが身を断たれながら、リュンナは感じた。

 

「俺は魔王ハドラーだぞ」

 

 攻撃に込められた全ての闘気を、吸収させられ(・・・・)ているのを。

 

「……ハドラー?」

「俺の中にお前の血がある。お前の『見本』がな。闘気の波長を調整し、お前に合わせたのだ」

 

 闘気が、流れ込んでくる。

 臓腑がハドラーの熱で満ちて――そしてそれは、同時に、リュンナなのだ。

 

 リュンナの支配力が上がる。ミストの支配力が下がる。

 あっと言う間に逆転した。

 

「こ、こんなところで犬死にして堪るかッ! 私はバーンさまに永久にお仕えするのだ……!!」

 

 ミストが抜け出そうとして――額に開いたミストの顔が、凍って微動だにしない。

 

「あ……ああ……! リュ、リュンナ……!!」

「分かりますよ、ミスト。あなたの気持ちは」

 

 ハドラーは何も言わず、剣を引き、リュンナを抱き締めていた。

 リュンナひとりでは、身がボロボロで、とても立っていられないから。

 

「全てはバーンのために。バーンのためと思う、自分のために」

「そうだ! そのために、私は、全てを……!」

「なら――わたしの気持ちも分かりますよね?」

 

 ミストの絶望が伝わってきた。

 

「ううッ……! す、全てはハドラーのために……!」

「そう。ハドラーのためと思う、わたしのために」

 

 ミストが、凍てつき、砕け――リュンナに呑み干された。

 ミストリュンナは、リュンナになった。

 

「ただいま。ハドラー」

「よく帰ってきた。リュンナ」

 

 巨躯のハドラーが、矮躯のリュンナを抱き上げた。

 腕の上に座らせて、顔の高さを合わせる形。

 

「俺の妃になれ。共に世の頂点に立つのだ」

「はい。――わたしの魔王」

 

 ふたつの影は、完全にひとつとなり――

 

「わあ」

 

 リバストとバルトスが晴れがましく見やる中、ベルベルは指の間からそっと見ていた。

 



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神と魔王編
107 大魔王バーン その1


 眷属たちから話を聞いた。

 超魔スライムを斃したあと、マキシマムを名乗るオリハルコンの(キング)と、以下チェスの駒が現れ戦闘が続いたという。

 それを他の仲間たちに任せ、リュンナを心配して眷属のみこちらに来た、と。

 

「連戦連戦で……もうくったくただよ……」

「ワシも骨格が崩れそうで……」

 

 ベルベルは床にべちゃりと伏し、バルトスはただの屍めいて崩れ落ちた骨の山になりそうだった。

 そんな中、リバストのみが辛うじて立つ。

 

「我が姫。今ベホマを」

「あっ、ずるーい! ぼくもやる!」

「ワシも回復呪文を会得したかった……。代わりにこちらを」

 

 眷属たちのベホマと薬草を受け、ミストを呑んで増大した闘気量もあり、傷が回復していく。

 落ちた手足でさえ、血と闘気で眷属を作る要領で部位を作り、生やすことができた。

 

 と、そこでハドラーを振り向いた。

 

「ハドラー」

「何だ」

「降ろして」

 

 無視された。

 抱き上げられたままなのだが。

 

「降ろしてってば」

「勝手に降りれば良かろう」

 

 無視した。

 眷属たちを見下ろす。

 

「動けるようになったら、地上班を助けてあげて。わたしたちは先にバーンのところに行くから」

「リュンナ……最後まで一緒に行けなくてごめんね」

 

 リュンナはハドラーの腕から降りると、ベルベルを抱き締め、リバストを抱き締め、バルトスも抱き締めた。

 

「ありがとう。皆の声、ちゃんと届いてたからね」

「うん。うん……!」

 

 そしてハドラーの腕の上にまた座った。

 

「降ろしてほしいんじゃなかったのか」

「いいじゃない、細かいことは。ほら行くよ! 出発!」

「分かった分かった」

 

 ハドラーの肩を叩く――と、肩のスラスターを開き、竜翼をはためかせ、ハドラーは宙を駆けた。

 大魔宮の外周部から内部へ、結界をすり抜けた感触。

 美しかったのだろう大魔宮は、進めば進むほど、ただの瓦礫の山と化していた。黒の核晶(コア)による破壊の跡。

 

 しかし黒の核晶(コア)はまだ残っている。

 大魔宮の6か所に設置されたピラァ・オブ・バーンだ。

 これらを起爆されては堪ったモノではない。

 ハドラーに飛ぶ方向を指示し、1か所ずつ巡っては凍らせていく。

 

 作業を終えれば、中央、天魔の塔跡へ。

 爆心地だ。見上げればまるまる上空を窺えるほど、死の大地の土地が吹き飛んでいた。

 魔力炉もゴロアも、跡形も残っていない。

 

 やがて前方に、超越的な力同士の激突の気配。

 そのまま更に進むと――

 

「――カラミティウォールッ!!」

 

 地を走りながら噴出し続ける衝撃波流を、ダイとバランが闘気を同調させ受け流していく様子があった。

 ハドラーは高度を上げ、ウォールを上から迂回するコースで飛ぶ。

 間際、ピロロの遺骸がウォールに砕かれるのが見えた。

 

 着地し、合流する。

 

「ダイくん、バラン、大丈夫?」

「リュンナ……! へへっ、まだまだ平気だよ!」

 

 ダイは笑みを浮かべるが、既に肩から血を流し、息を切らしていた。

 バランも全身に焼け焦げた跡がある。

 

「バーン……」

 

 ハドラーがリュンナを降ろし、前に出た。

 

「ハドラーに……リュンナか」

 

 応えるバーンの姿は、若々しいモノだった。

 バランが言う。

 

「気を付けろ、リュンナ、……ハドラーもな。

 奴は体をふたつに分けていた。満身創痍のところから、融合して真の体を取り戻し、こうして復活してきたのだ……!」

「そういうことだ」

 

 バーンは具合を確かめるように、手を閉じ開きしながら述べる。

 

「いやしかし、本当にヒヤッとした記憶があるぞ……。ミストの凍れる時間(とき)の秘法が剥がされたときにはな。分離した体に秘法をかけて時を止めていたのは、そちら側に新たな自我が生じるのを防ぐためでもあったのだが……。若い体が治ってからは、自分同士でどちらが本体かと争う破目になったわ」

 

 いっそ愉快げに、大魔王は笑う。

 

「それも黒の核晶(コア)で中断された。まさか余がハドラーに仕掛けていた以外に、死神も、とはな。1個なら何とでもなったが……。これは本当に予想外だった。しかし余は、老いた身を盾にして生き延びたのだ。

 つまりそなたのお蔭だな、リュンナ。礼を言うぞ」

 

 ボロボロの光魔の杖が、傍らに落ちていた。

 老バーンはあれの最大出力で核晶(コア)の爆圧を防ぎ――しかし、若バーンがその陰に入って盾に利用した末に吸収合体した、と。

 

 これはこれで、老バーン戦を省いて真バーン戦に進むことが出来た、と言えよう。

 その分の消耗がない。

 

 ともあれ、リュンナは眉根を寄せた。

 

「あなたに感謝されたくはないですね。バーン」

「そう言うな。余とそなたの仲ではないか」

「今初めて会うんですけど」

 

 バーンはそっと、自らの額を指し示した。

 第三の目。鬼眼。

 

「やっぱり――同種のモノなんですね?」

如何(いか)にも。遥か遠い昔……最早思い出せぬが、余もかつては人間であったのかも知れぬな。そなたのように、戦い、鍛え、そして開いた――朧にそのような気がするのだ」

 

 遠くを見る目つき。

 

「結果、余は魔界へと追いやられた。時の(ドラゴン)の騎士によってな。そして知った――魔界の環境の厳しさを。魔界には太陽がない! 如何に鬼眼を開いた余でも、太陽ばかりは作り出せぬ!」

 

 バーンは拳を握った。

 まるで憎しみを握り潰すよう。

 

「ならば余が新たな神となり、魔界に太陽を齎そう。それが大魔王バーンよ」

「そのために地上を消し飛ばしてでも?」

「知っていたか」

 

 興味深げに見てくる。

 リュンナは鼻を鳴らした。ただの原作知識だ。

 

「だがその計画も半ば潰えた。世界中に黒の核晶(コア)を落とすハズだった大魔宮は、この通り――そなたの策略で、最早、自由な飛行能力を失ったのだからな」

 

 バーンは薄笑いを浮かべて述べる。

 この事態に、まるで応えていない雰囲気。

 

「しかしリュンナ、ハドラー。そなたらが再び我がもとに参じるなら話は別だ。世界中の強者どもを打ち倒し、核晶(コア)をひとつひとつ手ずから設置していけばよいだけのこと。天地魔界に敵なしと謳われた余と戦うより、その方が幸せだと思うが……。そうではないか? 竜眼姫に魔軍司令よ」

「魔王だ」

 

 ハドラーは静かに、だが、覇気に満ちた声音で。

 

「バーン、俺はあなたに復活させられ、その超魔力に屈した……。ただの使い魔に成り下がったのだ。しかしリュンナが、俺の目を覚まさせてくれた」

 

 おい。

 シリアスな話をしながら頭を撫でるな。

 

「魔界に俺の国はなくなった。民の僅かな生き残りも封印状態にある。食わせることが出来ないからだ……。だからこの地上に新天地を求めた。豊かな土地を手に入れてみせ、どうだ、お前たちの王は偉大なのだと――奴らが、誇りに思えるように……。なぜなら、俺は魔王ハドラーだからだ」

 

 バーンは笑った。

 それは嘲笑であり――どこか、嬉しそうでもあった。

 

 ハドラーが猛る。

 

「この地上は俺のモノだ!! 消滅などさせんぞ、大魔王ォッ!!」

如何(いか)にも、余は大魔王バーンであるッ! 『魔王』ハドラーより上だという意味が分かってのことか?」

「リュンナがいる。業腹だが、勇者たちもな……」

 

 ダイは頼もしげに笑い、バランは溜息をついた。

 そしてバーンは――天地魔闘の構えを。

 

「あれがバーンの奥義だっ……! あの構えから、強烈な連続技を……!」

 

 ダイが身構える。魔法の闘衣、ダイの剣。

 バランは呻いた。竜騎将の鎧、真魔剛竜剣。

 リュンナは布の服の上に闇の衣を――薄青い常闇に無数の輝きを宿した星の海の様相を、鎧ドレスに固めた。更に(ひのき)の棒を芯に、闘気剣(オーラブレード)を形成。

 ハドラーは魔炎気を高め、覇者の剣を両手持ち。

 

「さあ勇者に魔王たち、どう来る? 来ないのならば、こちらから行くが……」

「同時攻撃です。まずは相手の限界を見極めねば」

「よし」

「心得た」

「うんっ!」

 

 バーンは余裕の笑み。

 

「フッ……。限界などないわ。冥土の土産に教えてやろう。完全無欠とはどういうことかを、な!!」

 

 上は死の大地の山脈すら吹き飛んで、天空が天井の様相。

 雲間から差し込む陽光に、バーンが照らされ――刹那、青天の霹靂。双竜が剣に雷を宿した。

 

「ギガストラッシュ!!!」

「ギガブレイク!!!」

 

 竜と魔王は、それぞれの闘気を込める。

 

「ゼロストラッシュッ!!」

「超魔爆炎覇ッ!!」

 

 原作通りなら、天地魔闘は3回行動。

 ひとりは攻撃が通る計算――

 

「フェニックスウィング!!」

 

 超高速の掌撃が、ギガブレイクをギガストラッシュに向けて逸らし、同士討ちへと導いた。

 そう来たか……!

 

「カラミティエンドッ!!」

 

 究極の手刀が超魔爆炎覇を打ち払いながら、ハドラー本体をも斬り裂き、

 

「カイザーフェニックスッ!!」

 

 リュンナは炎の不死鳥に呑まれ――闇の衣で、吸収し切れない!

 だが軽減は出来た。腐っても、同じ第三の目の開眼者同士。

 

「ッあああああああ!!!!」

 

 焼き払われながら、しかし、突っ込んでいく。

 

「なにッ――」

 

 カイザーフェニックスを放った直後の、前に伸ばしていた左手に切り傷を刻んだ。

 傷口が凍てつき、呪いの氷が広がり始める。

 

「小癪な! この程度――」

「メドローア!!!」

 

 ポップの叫ぶ声。走る光の矢。

 何のために、バカ正直に会話に応じたと思っているのだ。

 待っていた。

 そして最高のタイミングで撃ってくれた。

 

「おッ――おおお……!?」

 

 リュンナは避難した。

 消滅が迫っていく。

 間に合うか?

 



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108 大魔王バーン その2

「くっ……! フェニックスウィング!!」

 

 バーンはメドローアをギリギリまで引きつけ、凍った左手ではなく右手で上空へと弾いた。

 引きつけた――いや違う。

 天地魔闘で一時的に力を使い果たし、再び動けるまでの硬直があったのだ。竜眼は誤魔化せない。

 

「くそっ! もう魔法力が残ってねえんだぞ……!!」

 

 ポップが嘆く。

 だが仕事はしてくれた。原作通り、天地魔闘には隙がある。

 そしてその隙を、メドローアを陰から追っていたソアラが突く。

 

「閃華裂光剣!!」

「バカなッ……!!」

 

 バーンのフェニックスウィングで振るった右腕を、肩口から斬り落とした。

 傷口には石化したようにヒビが入り、更にそれが広がっていく。

 

 原作では、腕を飛ばされたバーンは呆然自失に陥り、更なる被弾を招く流れ。

 だがこのバーンは、違った。

 若い肉体側に芽生えた自我が、新たな本体となったせいか。

 

「ぬうんッ!!」

「ぎ、っ……!!」

 

 バーンは即座に蹴りでソアラを吹き飛ばし、骨の幾つも折れる鈍い音を響かせた。口から吐き出された鮮血が尾を引く。

 更にバーンは傷口へと暗黒闘気を収束し、壊死した細胞を除去し再生を働かせようとする様子。

 

「背伸びした弱者が、余に傷をつけおって……!」

 

 先の天地魔闘のダメージから、魔王と勇者たちがようやく立ち上がる頃には、バーンの鬼眼から放たれた光が一行を貫いていた。

 ポップもソアラも、傷付きながら共に来ていた他の仲間たちも――皆、宝玉と化して落ちる。超魔スライム戦や、その後のマキシマム部隊戦での疲労もあるのだろう。

 

「それは『瞳』。余と戦うに値しない弱者や重傷者は、そのような宝玉と化すが定めよ。『見る』『聞く』『考える』以外の、一切の行動を取れぬ状態にな……!」

 

 述べながら、バーンは右腕を生やすと、凍った左手も斬り落として再生した。

 ここまでに与えたダメージは無に帰した――だが仲間たちのお蔭で、天地魔闘のダメージから復帰する前に追い打ちを受けることは避けられた。

 いきなり全滅せずには済んだのだ。希望は繋がった。

 

「リュンナ、ハドラー、ダイ、バラン……。そなたらには、まだ資格があるようだな。戦うことが出来る――というだけのことだが。勝つことは出来ぬ。この天地魔闘を破ることはな……」

 

 先ほどは一瞬焦っていたバーンだが、すっかり余裕を取り戻した様子。

 再び天地魔闘の構えを取る。

 

 この構えを破らねばならない。

 なぜならバーンは構えを解かない――如何な大魔王とは言え、地上最強の猛者4人を同時に相手取ろうというのだ、それだけの警戒が必要と判断しているハズ。

 事実、こちらがベホマや再生能力で回復を施しても、向こうからは攻めてこない。完全回復には至らないことも理解されている。

 

「バラン、竜魔人にはなれないんですか?」

「なれるにはなれる――が、恐らく双竜陣の効果でダイも竜魔人化してしまう。人間の血が濃いこの子の体は、それに耐えられんだろう」

 

 双竜陣はふたりの(ドラゴン)の紋章を共鳴させて力を高め合い、無尽の竜闘気(ドラゴニックオーラ)を得る技術だ。その際には思考や感覚、闘いの遺伝子もかなりの部分が共有されるらしい。

 だが度を超えた共鳴は、原作ダイも危惧していたように、危険があるのか。

 ふたりのレベルは、個々がおよそ双竜紋と同程度と見ているが、事実上、それが限界のようだ。

 

「そう言うお前は、ドラゴラムを使わんのか」

「ミストを食べた今の体が、まだ馴染み切ってないんですよ……」

 

 今ドラゴラムを使えば、制御できずに全身が内から弾け飛んでしまうかも知れない。

 

「すぐ馴染ませろ。時間は稼ぐ。ダイ」

「うん、父さん」

 

 ダイとバランが前に出た。

 

「来るか……。(ドラゴン)の親子よ」

「俺も忘れてもらっては困る」

 

 ハドラーもその隣に立つ。

 闘気を高めていく……。

 

「ちょっ、待ってください! そんなことしなくても、バーンの天地魔闘には弱点が!」

「なに?」

 

 バーンが聞き咎めた。当然だ。

 

「余の究極の奥義に弱点がある――だと? 妄言も大概にしろ」

「さっきのメドローア。随分と引き付けてから弾きましたよね? その割には、こっちに跳ね返すでもなく……」

 

 リュンナは半笑いで述べた。

 

「一瞬で3動作――そのための莫大な力の消費。それは直後、一時的に、体がまるで動かなくなるほどに……」

「確かにおれも見た! かなりシビアなタイミングだけど……!」

 

 まず頷いたのはダイだった。

 やはり勘がいいのは、誰よりも彼だろう。

 

 バーンはしかし、それでも笑みを浮かべる。

 

「なるほどな……。先ほどの硬直はそれか。天地魔闘で相手を仕留め損ねたことなどなかった故、まるで気付かなんだわ。

 そしてそなたらに対しては、構えを解いて普通に攻めれば、逆に余が負けてしまうだろう可能性がある」

 

 やはりそれを認識していたか。

 バーンは構えを解かない。

 

「余は天地魔闘の構えを取らざるを得ず……そなたらはその弱点を突く間合を見切った! なるほど、絶体絶命だ。――ならば試してみるがよい。天地魔闘の3動作を全て受け切り、直後の隙に必殺の一撃を当てる! やってみろ」

 

 あくまでも余裕の態度だった。

 その理由を、こちらも認識している。

 

「ただし……3動作だから、3人プラスひとりの時間差で攻めればいい――とは、ならんぞ。そなたらの攻撃をぶつけ合わせ、同士討ちを狙えることは先ほどもやってみせた通り。3人だろうが4人だろうが、10人だろうが、余の3に敵わぬのだ」

 

 それだ。

 同時攻撃では、同士討ちさせられる――いっそひとりで突っ込んだ方がいいと思うほどに。

 だがそうすれば、そのひとりは確実に死ぬ。

 僅かな時間差での連続攻撃でもダメだ、やはり先頭のひとりが死ぬ。

 

 原作ではシャハルの鏡の呪文反射効果を用いてポップひとりで凌ぎ切ったが、この世界ではそうは行かない。

 リュンナ、ハドラー、ダイ、バラン――誰もシャハルの鏡を持ち込んでいないからだ。

 ミストリュンナがサババ港を去ったあと、誰かがシグマから回収はしただろうと思うのだが、どうやらその誰かは今『瞳』と化しているらしい。

 

「そうやって待ちの構えで……。わたしたちが逃げるとは考えないんですか?」

「逃げるなら逃げればよい。余を斃すには、今しかないと思うがな……。余には永遠に近い寿命がある。最悪、生涯を逃げに徹すれば必ず勝てるのだ」

 

 プライドが高いくせに、逃げを選べる合理性もある、か。

 それにバーンは口にしなかったが――逃げようと背を向ければ、その瞬間に構えを解いて攻撃してくるだろう。流石にそれは死ぬ。逃げようという体勢は、攻撃力も守備力も下がってしまうモノだ。

 

 ここで決める他ない。

 そのために、誰かひとりが犠牲になる必要があるとしたら――

 

「おれがやるよ」

「私がやろう」

「俺に任せろ」

「わたしが――ってちょっと!!」

 

 ほぼ同時だった。

 協調性があり過ぎて協調性がない。

 思わず笑ってしまった。

 

「ははっ」

「フッ……」

「ククッ」

「あは」

 

 バーンも流石に唖然としていた。

 すぐに憮然に変わったが。

 

「うぬら、余を舐めているのか……?」

「まさか」

 

 ただ、誰も彼も、覚悟が決まっているのみだ。

 なんて頼もしい仲間たち。

 夫と、義兄と、甥だ。

 気付けばリュンナを中心に、全員が家族だった。

 

「それでリュンナ、会話で時間は経ったが」

 

 バランが問うてくる。

 

「ダメですね。もう2、3発ほど必殺技を撃たないと、ドラゴラムは……」

 

 体に慣れるのには、時間のみならず、体を動かすことが必要なようだ。

 ならば。だから。

 

「わたしが天地魔闘を抑えます。その後に3人で」

「リュンナ」

 

 ハドラーの静かな声。

 

「死ぬなよ」

「はい」

 

 もちろん。

 

「来るのはリュンナ――そなたか。同じ開眼者同士、仲良くしたいのだがな……?」

「ごめんなさい。わたしはハドラーのモノですから」

 

 前に出る。

 (ひのき)の棒を芯にした闘気剣(オーラブレード)を手に。

 

「では、ハドラーを殺せば余のモノかな?」

「いえ夫婦になりましたんで、そういうのはちょっと」

 

 バランが真魔剛竜剣を取り落としそうになった。

 

「えっ、そうなんだ!? おめでとう!」

 

 ダイの笑顔が眩しい。

 

「ありがとう。おばちゃんは幸せですよ、ダイくん。だから――これからもっと幸せになるのに、死にませんから。安心して、任せてください」

 

 闇の衣、星の海の鎧ドレスをはためかせ、ストラッシュの構え。

 

「気のせいかな、リュンナ……。手が足りないように見えるぞ」

 

 バーンはせせら笑う口調だった。

 

「そなたのその技――確かに生半可なモノではない。余の一手と同等だろう。そなたほどの猛者ならば、瞬間に2動作は可能ゆえに、更にもう一手を稼げるだろう。が……それまで! 3手目はない……! 死ぬぞ」

「死にませんよ」

「簡単な計算も出来ぬのか?」

「あなたの知らない3手目がある――としたら?」

 

 バーンは目を細めた。

 笑みを消し冷徹に睨みつけるそのさまは、こちらを見透かすようだ――

 が、見透かすことは出来まい。これまでの感触からして、竜眼は感知に、鬼眼は力に特化している傾向がある。強いのはバーンだが、感知すること、そしてさせないことに関してはリュンナの方が上なのだ。

 

「良かろう」

 

 地の底から響くように、大魔王は言う。

 

「来い」

 

 後ろでは男たちが、必殺技の準備をしている。

 リュンナを信じて。

 だからリュンナも、信じている。

 

「――ゼロストラッシュッ!!」

「フェニックスウィング!!」

 

 絶対零度の斬撃を、バーンは究極の掌圧で砕き弾いた。

 

「ポーラドラゴンッ!!」

 

 すかさず左手に冷気の氷竜を形成、投射する。

 大魔王のメラゾーマがカイザーフェニックスなら、竜眼姫の本気のマヒャドはこうだ。

 

「カイザーフェニックスッ!!」

 

 火炎の不死鳥と冷気の氷竜は生きているかのように喰い合い、敵本体を傷付けるには至らぬ。

 

「終わりだッ! カラミティ――」

 

 究極の手刀が迫る。

 リュンナに手はもうない。

 幻の3手目などないのだ。

 リュンナには(・・・・・・)

 

 ふとリュンナの背後に、男がひとり。

 

「!? お前は……!」

 

 その時には既に、男の手から黄金の羽根が5本投射されていた――バーンを囲うように床に刺さり、五芒星が描かれる。

 

「――マジャスティス」

「お前はッ!!」

 

 聖なる光が迸り、大魔王の身を、力を縛る。

 カラミティエンドは一瞬のみ停止した。

 

 その隙にリュンナと男が、射線からどいた。

 ダイのギガストラッシュが、バランのギガブレイクが、ハドラーの超魔爆炎覇が、今度こそ命中。

 バーンの右腕が飛び、腹が抉られ、胸が弾け飛ぶ。

 

「バカな……! バカな、そやつは……!! 生きていたなら、必ずどこかで発見出来ていたハズなのに……!!」

 

 それでも生きているのだから、まったく驚くべき生命力だが。

 

「切札は最後まで隠しておくモノですよ。ねえ先輩」

「全く恐ろしい人に成長しましたね、リュンナ姫は……」

 

 大勇者アバン――帰還。

 



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109 大魔王バーン その3

 デルムリン島での戦いにて、リュンナはアバンを打倒した。

 得意のゼロストラッシュではなく、わざわざそこから魔法力を抜いた闇のアバンストラッシュで。

 

 魔氷気では爆発が起きにくいからだ。純粋な暗黒闘気なら、爆煙で全てを覆い隠せる。

 ストラッシュを寸止めしつつ闘気を暴発させることで、直撃を演出しつつダメージを抑えもした。

 

 その上でレムオルとマヌーサの合体魔法――如何なる場所・体勢でもリアルタイムで背景に溶け込む幻像を纏う擬態幻術を施し、シャドーを憑けて、バシルーラの余裕まではなかったから遠くに蹴り飛ばした。

 

 あとはシャドー越しに連絡を取り合い、破邪の洞窟に挑んでもらったり、雌伏してもらったり――そして最後に、タイミングを見てリリルーラで合流してもらったのだ。

 憑依シャドーもリュンナのミスト吸収に伴い進化しており、アバンごと気配を隠蔽していた――ほとんど眼前にいるのにも(かか)わらず、バーンが気付くのが一瞬遅れるほどに。

 

 その間隙で、アバンは破邪の秘法を行使――極大化したマジャスティスで、バーンの動きを一瞬止めてみせた。それでも一瞬なことに恐れ入る。

 天地魔闘の硬直に、マジャスティスによる硬直が重なり、バーンは3人の必殺技をまともに受けたのだ。

 

「と思ったんですけどね……」

 

 それでもなお、バーンは反応反撃していた。

 ダイのギガストラッシュは、バーンのカラミティエンドと相討ちになった。ダイは右腕を飛ばしたが、その頃には自身の右腕と胴体と骨肉を砕かれていて、倒れた。

 バランのギガブレイクは、バーンのカイザーフェニックスと相討ちになった。彼は焼かれながら何とかバーンの臓腑を抉り、膝をついた。

 

 返す刀でバーンはフェニックスウィングを繰り出し、ハドラーの超魔爆炎覇を逸らし、その衝撃で腕すら折り――しかし覇者の剣が自在な雷光の太刀筋を描き、バーンの胸を貫いた。リュンナ流、魔神斬り。

 直撃したのはそれのみだ。

 

「この大魔王バーンを舐めるでないわーッ!!」

 

 バーンは右胸を魔炎気に消し飛ばされながら、構わず重い蹴りを繰り出してハドラーを吹き飛ばした。

 もっともハドラーはそれを腹に貰わず、腕で防御することは出来ていたが。

 折れた右腕を、使い潰す勢いでクッションにした。

 

「アバン、勇者アバン! 早々に消えて、安心していたのだがな……! まさかそれが……!!」

 

 バーンの鬼眼から閃光。ダイとバランが『瞳』と化す。

 アバンはバギの応用で風を起こし、瞳を集めると、纏めてマントに包んだ。更に後退し、避難していく。

 去り際に、戦うふたりにシルバーフェザーを投げ刺しながら。魔法力の回復。

 

「私のレベルでは、この程度の援護が精一杯です……! あとは頼みましたよ、リュンナ姫! ……そしてハドラー!」

「言われるまでもない!」

 

 ハドラーとアバンは、一度も視線を絡ませなかった。

 しかし確かに通じ合っていた――リュンナにはそう見えた。

 

「おのれ……おのれ、おのれ!!」

 

 如何にも苛立たしげに床を打ち砕くバーンは、右腕がなく、その土台となる右の肩や胸もない。

 三つある心臓のうち、右側のそれはハドラーの魔炎気で焼かれたせいか、腕ともども再生する気配がない。

 腹の傷からは内臓が零れている。少しずつ這うように、体内に戻っていくが――亀の歩みだ。

 

「リュンナ……! 最初から余を(たばか)り、裏切っていたワケか!」

「最初からハドラーを(たばか)って裏切っていたのは、あなたでしょうに。黒の核晶(コア)を埋め込み、地上消滅の本意を隠して、さも地上征服を今度こそ達成できるかのように……」

「それも竜眼の力か? リュンナ」

 

 ハドラーがふと問う。

 なぜ気付き、なぜ知ったのか、と。

 

「いえ、夢で見ました。生まれる前に」

「そうか」

 

 ハドラーは納得した。

 

「夢で見た……だと……!? 生まれる前にッ!? ふざけているのかッ!」

 

 バーンは納得しなかった。

 激昂し、闘気を激しく噴出――周囲が崩壊していく。

 

「ふざけてるのは、あなたですよ。バーン」

 

 リュンナは淡々と述べ、ハドラーが相槌を打つ。

 

「そうだな……。黒の核晶(コア)をあれだけ用意していたのなら、魔王軍など必要なかった。粛々と地上を吹き飛ばせば良かったのだ。先制の奇襲で……!」

「わたしを取り込んだのも、竜眼への興味と、ミストのスペア候補と、理由はあったんでしょうけどね。不可欠な行動ではなかった。で、結果がこれです」

 

 もちろん、バーンにも言い分はあろう。

 彼にとっては、地上を消し去って終わりではない。地上攻撃を機に、後々まで続く最強の軍団を作り上げる――なるほど、一石二鳥だ。

 だが二兎を追う者は、一兎をも得ない。それもまた世の習い。

 

 バーンは拳を握り、震えた。

 

「最新にして最後の神となるべき余を、どこまでも愚弄しおって……!! 確かに天地魔闘を破られ隻腕となったが、うぬらも既にたったふたりを残すばかり! 充分だ……! 左腕があれば充分ッ!!」

 

 バーンは負傷をモノともしない電光石火で駆け抜けた。リュンナに迫る――が、機動力にかけては、スラスターと竜翼を併せ持つ人竜超魔ハドラーに勝る者はない。割り込んだ。

 

「大魔王バーン! 魔王ハドラーとして、あなたは超えるべき壁だ……!! 挑ませてもらうぞッ!」

「しゃらくさいわッ!!」

 

 魔炎気を纏う覇者の剣と、暗黒闘気を纏う手刀。

 それで互角なのだから、なおもバーンは底が知れぬ。

 バーンは隻腕。ハドラーも五体こそ繋がっているものの、胴にカラミティエンドを受け、右腕もへし折られている。左手のみで覇者の剣を振るう形。

 

 近距離での打ち合いでは、超魔爆炎覇の溜めの隙がない。

 一方バーンも、白兵戦に集中するため、呪文攻撃を併用できない。

 力は互角。だがリーチはハドラーが上――魔神斬りがバーンの脚を払い、

 

「カラミティエンドッ!!」

「がぐ、ッう……!?」

 

 だがバーンはトベルーラで、一切姿勢を崩さなかった。

 あまつさえ流石に溜めが速い。究極の手刀がハドラーの胸を穿つ――心臓がひとつ潰れた位置。

 

「がはッ……!」

 

 ハドラーが鮮血を吐いて倒れる。

 

「フハハハ!! ハハ――」

 

 だがその間に、リュンナは、魔氷気を最大限に高めていた。

 高めた気を、呪文に注ぎ込む。

 

「ドラゴラム」

 

 闇の衣の鎧ドレスの、マントのみが吸収還元される。

 銀髪が異様に伸び、無数の束になって枝分かれして骨格を(かたど)り、それを芯に皮膜の翼が、細長い尾が、2本の角が形成される。

 人竜の様相――それが完成しゆく中、

 

「リュンナアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 バーンがトベルーラで突貫してくる。

 左手、暗黒闘気の闇の輝き。

 

「――カラミティエンドォッッ!!!」

 

 その名は『災厄の終わり』を意味する。

 使い手に対する災厄――敵対者の命運を終わらせる、痛恨の一撃。

 

 それを繰り出しながら、しかし、バーンの顔に浮かんだのは驚愕と絶望の色だった。

 竜眼にはそう窺えた。

 

 リュンナの構えを見てしまったからだろう。

 天地魔闘の構えを。

 

「闇の翼」

 

 究極の手刀は、常闇の輝きを宿したリュンナの左掌打により、あっさりと威力を殺された。

 闇の衣の力を一点集中して放つ、必生の一打。フェニックスウィングの親戚。

 

「ポーラドラゴン」

 

 その手がそのまま、竜眼姫のマヒャドを放つ。

 冷気の竜がバーンに喰らいつき、全身を凍てつかせ(いまし)めた。

 それは魔法力の代わりに魔氷気を用いた、呪いの氷。

 

「あ、ああ……あああ……!!」

 

 その時には既に、右手の(ひのき)の棒を芯とした闘気剣(オーラブレード)は振り被られていた。

 魔氷気の輝きを限界まで凝縮した、究極の剣だ。

 あまつさえ竜翼の振りの反動すら乗せる、人間には絶対に実現不可能な威力。

 振り下ろした。

 

「アルテマソード――ぉおおおおおおおおッッッ!!!」

 

 その全威力を、呪いの氷が逃がさない。

 余波はなく、爆発も広がらず、一切の力のロスなしにただ敵のみを殺す剣技。

 バーンは一瞬で斬断され、凍結粉砕された。

 

 既に元から瞬間2動作が可能な以上、そこから人竜と化し更なる強化を施せば、瞬間3動作が可能となるのは必然。

 あまつさえ感知に優れた竜眼で、バーンのそれを何度も見たのだ。

 リュンナの天地魔闘は、ならば、成る。

 

 それでも咄嗟にイオラを唱えて自爆気味に吹き飛ぶことで、辛うじてバーンは逃れていた。流石と言えよう。

 最早、頭部と胸の一部しかない姿が、ボテッと落ちるのが結末だが。

 

 ――まだ、終わっていない。

 



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110 鬼眼王バーン

 頭部と胸の一部しかない――半死半生どころか8割以上死んでいるも同然なバーンの様相に、油断しそうになる。

 腕すらない以上、鬼眼を抜いて自己進化を施すことも出来ないハズ。

 それでも、ここまで来て、たった一瞬の油断で全てを台無しにはしたくない。

 

 そして油断しないとは、反撃を警戒して様子を見ることではない。相手が何かする前に、迅速にトドメを刺すことだ。

 

「ポーラドラゴン」

 

 竜眼姫のマヒャド――冷気で形成された氷竜が飛ぶ。

 属性的に相反するハドラーは魔炎気を使わず、後詰めとして剣を構えていた。バーンがポーラドラゴンを回避するなどすれば、即座にその回避先に剣が飛ぶだろう。

 先ほどカラミティエンドで潰された心臓はまだ回復していないようだが、彼には心臓が左右にふたつあり、ひとつが残っていれば行動に支障はないのだ。

 

 氷竜がバーンに噛み付き――内から弾け飛んだ。

 その際、一瞬、鬼眼から闇の輝きが見えた。圧縮した暗黒闘気の放出だろう。鬼眼閃とでも呼べようか。

 鬼眼は彼の魔力の源。文字通りに手も足も出なくなっても、鬼眼さえあれば戦えるらしい。

 

「バーン! 往生際が悪いぞ!!」

 

 ハドラーが疾駆し、覇者の剣を走らせる。

 その瞬間、悪寒に襲われた。

 

「ダメ! 止まって!」

「なにッ――」

 

 剣が纏うのは、リュンナの攻撃を邪魔しないよう魔炎気ではなく純粋な暗黒闘気であり、威力的には一段下がるモノだった。

 それでも込めた必殺の気迫は、超魔爆炎覇に決して劣らないレベル。止まれと言われて、急には止まれない。分かっていた。

 

 だから即座に次のポーラドラゴンを撃つ。せめてハドラーより先にこれでトドメを刺すしかない。

 だがハドラーは素早かった。魔炎気を噴き出す肩のスラスターと、風を切る竜翼。

 間に合わない。バーンは切先で頭を割られ――ながら、凄絶に笑んでいた。

 

「感謝するぞ、ハドラー」

「きっ――斬れん!?」

 

 覇者の剣は頭頂から入り、額を割って、だが鬼眼で引っかかった。

 それでもなお振り抜く威力と、バーンの絶妙な首の角度により、鬼眼がコロリと、額から抉れて落ちる。

 暗黒の血が、不自然なほど大量に迸った。ポーラドラゴンが阻まれ、散る。

 

「くっ、これは……! これがバーンの鬼眼が持つ真の力なのか!?」

 

 暗黒の血は魔力の具現化だ。まるでバーンを包む巨大な岩山めいたモノが形成されていく。

 伴って凄まじいエネルギーの波動が吹き荒れる。

 巻き添えを避けるためにハドラーは下がったが、それは魔力の嵐に煽られるようでもあった。

 

「すまんリュンナ、俺のせいで……!」

「いいえ。たぶん、わたしが自分で斬りかかっていても……」

 

 バーンを覆う暗黒の岩山を見上げる。雲が近い気がした。

 いや、気のせいではない――この天魔の塔跡は浮いている。もともと浮遊する材質で建造された大魔宮が、黒の核晶(コア)2発による破壊を受けたことで制御機能を失くし、浮力を遮るモノがなくなったのだろう。

 戦いの中で既に浮き始めていて、今、ようやくそれに気付いたのだ。

 

「このバーン、本当に感服したよ。うぬらの強さ……全く想像を超えていた……」

 

 中天の太陽から光を浴びながら、青空を背景に、バーンは語った。

 

「特にそなただ、リュンナ。そなたの……その『狂気』の強さ……!! 依存的な狂気だ。王女に生まれては国に尽くし、ハドラーに拾われてはそやつに尽くし……。

 なぜそうまで徹底的に、『自分』というモノを持たずにいられるのだ? 地上も人間もどうだってよいにも(かか)わらず、余の足元を掬い、追い詰める執念……。理解しがたい」

「――マヒャデドスッ!!」

 

 返答は言葉ではなく呪文だった。

 万象を絶対零度に導く極大の冷気が突き刺さり――あっさりと弾かれた。特殊な耐性というより、純粋な強度そのものが高過ぎる手応え。

 

「ならばこれはどうだ!! 超魔爆炎覇!!」

 

 一瞬ごとに肥大化していく暗黒の岩山に、ハドラーの必殺剣が突き刺さる。

 着弾点を中心に、蜘蛛の巣状にヒビが走り――それのみだ。

 

「くっ……!!」

「お前もだ、ハドラー。聞けばリュンナを妻としたとか……。こんな女の何がよいのだ。力か? それなら分かる。従順さか? それも分かる。だが薄っぺらな人格の持ち主を伴侶に選ぶことは、お前自身の品格をも貶めるのだぞ」

「黙れ! この期に及んでつまらん侮辱はやめろ!!」

 

 バーンの言うことも一理ある。

 尽くされたから尽くす――それのみならば、そこに心の介入する余地はない。ただの機械だ。その歪さが、アルキード王国との関係が破綻した遠因なのかも知れない。

 ゼロストラッシュを打ち込んで更なるヒビを入れながら、思う。

 ハドラーへの気持ちは恋と自覚しているが、それすらも依存の誤魔化しではないと証明はできないのだ。

 

「力こそが正義! 常々そう考えてきた余だが、事ここに至って、ひとつ悟ったぞ。力には相応の品格が伴うべきだ――とな。つまらん侮辱はやめろとお前は言ったが、それは余のセリフなのだ、ハドラー。うぬら如き矮小でつまらぬ精神性に……大魔王が負けるワケにはゆかぬ!!」

 

 暗黒の岩山は、刻んだ亀裂が広がり、内から弾け飛ぶように崩れ去っていく。

 圧倒されながら、それでもハドラーは叫んだ。

 

「確かにリュンナは、その意味では脆弱な精神だろう。それがどうした!? 俺が守れば済むまでよ!」

 

 こんなときだが、胸が高鳴ってしまった。

 気力が湧いてくる。勇気が湧いてくる。

 

 そしてバーンの纏う岩山が完全に崩壊した。

 その後に残るモノは、異形の巨人の姿。バーンの僅かに残った本体が、その額に埋まっているのが見える。胸には巨大化した鬼眼。

 

「こっ……この姿は……!?」

「第三の目の超魔力による進化――それを自分自身に施したみたい。でも、それをすれば……!」

「そうだ!」

 

 バーンが3本指の手を振るった。

 リュンナとハドラーは避ける間もなくまとめて薙ぎ払われ、瓦礫の壁に叩き付けられた。

 壁を貫通して外に落ちずに済んだのは、殴られたその時点で運動エネルギーの大半が肉体の破壊に消費され、逆に吹き飛ぶ勢いが弱かったからだ。

 

 ふたりで血を吐き、折り重なるように床に落ちる。

 竜の生命力があっても小柄なリュンナより、大柄なハドラーの方が一瞬早く復帰した。

 続くバーンの踏み潰しを、ハドラーはリュンナを抱えて回避。

 

「魔力の源である自分自身を進化させれば、二度と元には戻れぬ……! 鬼眼の全力を解放した鬼眼王! ――それがどうした!? 余が負ければ魔界はどうなる!! 永遠の地獄のままだ……! 赦せるモノかよ!!」

 

 ふたりは続く拳圧に煽られながらも、空中で散開。

 それぞれ魔炎気と魔氷気を漲らせた剣を叩き込む――が、ロクに効いていない。傷は付くのだが、あまりにも小規模なのだ。

 

 原作の竜魔人ダイは、オリハルコンの剣で充分な傷を与えていた。今の人竜超魔ハドラーとミスト吸収人竜リュンナは、彼にも劣らないレベルと武器を持っている――にも(かか)わらず。

 バーンが『若さと力』の肉体を本体として合体したせいか? 肉体的な力が、本来よりも強まっているとでもいうのか。

 

「先生、フレイザードだ……! フレイザードの魔法力を回復してやってくれ!!」

 

 ふと、ポップの声。

 鬼眼の全力がバーン自身に費やされたことで、『瞳』が解除されたらしい。天魔の塔跡の端に、仲間たちの気配があった。

 

「極大消滅呪文を同時に5発! あの化物みてえなバーンをぶっ飛ばすには、もうそれしか考えられねえ!!」

「確かに、リュンナもハドラーも攻撃が殆ど通じてない……!! おれたちより強いハズなのに……!!」

 

 言いながらも、ダイは飛び立とうとしていた。

 

「ダイ!」

「行こう、父さん!! 最後まで戦うんだ!! 地上を守るために……!!」

「よく言った!!」

 

 ダイとバランが(ドラゴン)の紋章を輝かせて、戦線に復帰した。双竜陣。

 ソアラはベホマで自己回復すると、仲間たちの前に立ち、吹き飛んでくる瓦礫の流れ弾を打ち払い始める。

 アバンはフレイザードにシルバーフェザーを何本も刺した。

 

「来た来た来た! 魔法力が回復するのを感じるぜ~~~!!!」

 

 気合を入れるフレイザードを守りながら、傷付いた仲間たちは悔しげな表情。

 ここに来て役に立つ能力のないことが苦しいのか。

 ポップのみは違った。フラつきながらトベルーラを使う。

 

「ポップ、どこへ行くの!?」

 

 マァムが制止の声。

 

「戦いに行くに決まってんだろ……!! 魔法力がロクになくたって、ダイたちの弾除けくらいにはなってやれる! 前衛がシッカリしてりゃあ、フレイザードだって当てやすいだろ!」

「いえポップ、貴方もメドローアの担当ですよ」

 

 アバンがシルバーフェザーをポップに投げ刺す。

 

「うっ……!!」

「弾除けはそれ以外です。私も含めてね。ここが最後の踏ん張りどころ……!! ポッと出の私が言うのも何ですが、皆さん、死力を尽くしてください!! 弱点は胸の鬼眼!!」

 

 もう、誰も気後れはしなかった。

 頷きが重なった。

 

 巨躯のバーンに殴り飛ばされ、後ろにいたハドラーに受け止められて、入れ替わりにダイとバランが雷撃を纏う剣を繰り出していく――そんな中、リュンナは不思議と安らかな気持ちでいた。

 ハドラーだけじゃない。皆を守るためになら――この竜眼を抉り出しても、

 

 ……いや。

 

「そうだリュンナ。独りで戦うな」

 

 ハドラーに後ろから抱きすくめられる。

 

「俺は魔王だが……。人間の強さと尊さが、今、確かにここにある。いや、人間だの魔族だのを超えたモノが。――信じてみたいのだ。お前もそうだろう?」

 

 ああ。

 わたしの弱さを知って、理解して、一緒に戦ってくれる。

 本当に、本当にそうなんだ。

 

 ただ尽くし尽くされるとは違う。

 支えてもらえる。

 そしてそれによって、彼はより力を得る。

 支えてあげることも出来ているのだと、感じられる。

 

「大好き」

「俺もだ」

 

 負ける気がしない。

 



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111 大空に戦う

 例えば人間に襲い掛かる蜂の群れは、こんな気分なのだろうか。

 

 異形の巨人、鬼眼王バーン――彼は最早呪文も闘気技も使うことなく、ただただ圧倒的な肉体による打撃のみを繰り出してくる。

 それがあまりにも強過ぎた。リュンナはもう、どこの骨がどれだけ折れているのかを考えることをやめていた。どうせベホマと竜の生命力――自動回復で治るのだ。

 体力と魔法力が尽きる前に決することさえ出来れば、それでいい。

 

「虫のように群がって来おって、うざったいわッ!!」

 

 バーンが手足を振るう度、誰かしらが落とされる。前衛の4人を守る誰かが。

 パラディンのマァムはバランを庇い、闘気盾(オーラシールド)ごと腕を砕かれて落ちた。

 ダイを庇ったクロコダインは、死ぬような叫びを上げて倒れた。

 ハドラーを庇ったボラホーンもそれに続く。

 

「ドルオーラ!!!」

「ドルオーラァッ!!」

 

 だからダイとバランは、竜闘気砲呪文を溜めて放つことが出来た。竜魔人化せずとも、双竜陣による強化状態ならば放てる。

 魔法力によって超圧縮された竜闘気(ドラゴニックオーラ)の奔流は、それこそ黒の核晶(コア)の爆発さえ抑え込めるようなモノだろう。

 

 バーンは腕を十字に組んで堪え――跳ね返した。

 ダイとバランが落ちた。

 

「超魔爆炎覇ッ!!」

「ゼロストラッシュッ!!

 

 その間に溜めた闘気を漲らせる剣、二振り。

 バーンは片腕で纏めて弾き、もう片腕で更なる打撃を打ち込む。

 

 ヒュンケルとバルトスがふたりを庇った。

 鎧の魔剣が砕け散り、骨の身が砕け散っても、そうして倒れるまで一歩も引かなかった。

 

 防御の際にゼロストラッシュが掠めたか、バーンの右手を呪いの氷が這っていた。

 リュンナは魔氷気を高める。

 

「この鬼眼王の身すら凍てつかせようとは……!! だがほんの僅かだ! 問題なく叩き殺してくれるッ!」

「させるかッ!!」

 

 ハドラーが魔炎気を高め構えるが、間に合わない。

 

 だからベルベルとリバストがふたりを庇った。

 手足がもげて吹き飛び、ベルベルに至っては顔が半ば抉れても、笑っていた。

 

「超魔爆炎覇アアアッッ!!!」

 

 渾身の一振りが、凍てついて脆くなったバーンの右手を粉砕する。

 だがバーンは怯まなかった。

 

「今更この程度でッ!!」

 

 砕けた手首の断面でハドラーを殴り飛ばし、その向こうのリュンナにすら襲い掛かる。

 リュンナは避けなかった。

 受けて、身を砕かれ、その血をたっぷりとバーンの傷口に浴びせる。

 

凍結封印呪文(ヒャドカトール)ッ!!」

「ぐ、ぬう……!!」

 

 硬い皮膚よりも傷口に触れた方が、呪いを浸透させやすかった。

 氷竜としての血を浴びせれば、そこに宿る力が呪いを増強した。

 バーンの右腕があっと言う間に凍てつき、それは胴体までをも侵蝕する。

 動きが、鈍った。

 

 リュンナもハドラーも、ダメージと消耗で力尽きて落ちていく中。

 

「今で――」

 

 メドローアを構えるふたりにアバンが叫びかけ、それでもなお素早過ぎるバーンを見た。

 撃たれる前に術者を潰そうと迫ってくる。

 

「「「アストロン!!」」」

 

 だからアバンとソアラ、ノヴァは、特殊な鋼鉄の塊へと身を変え、ふたりを庇った。

 無敵のハズのその状態でさえ殴り飛ばされ、身を砕かれても。

 

「よう、バーン! テメエをぶっ殺して!! この世の英雄になれば、最強の武勲だぜーッ!! 気持ちいいーーーッッ」

「くたばりやがれ、大魔王! 地上は俺たちのモンだッ!!」

 

 流石にアストロン体を殴り飛ばすのは、鬼眼王と言えどかなりの力が要ったのか。右半身が凍てついていることもあり、バーンの動きが――遂に、一瞬、止まった。

 故に当たる。

 

「メドローア!!!」

双手終焉光(ハンズ・オブ・ジ・エンド)ッッ!!!」

 

 極大消滅の光の矢――ポップは1発、フレイザードは左右10本の指を組にして同時に5発。

 計6発の破滅がバーンを襲った。

 

「余は大魔王バーンなりッッ!!」

 

 フェニックスウィング――この姿でもそう呼べるのだろうか、バーンの左手が超高速で振るわれる。

 光の矢がひとつ弾かれ、別のひとつと激突し相殺。

 更に蹴りが同様にひとつを弾き、別のひとつと激突させ相殺。

 

 そして腕が足りない。

 右腕が凍っておらず自由に動けば、バーンはこれをすら無傷で切り抜けたのだろう。

 

「うっ、おおおお……ッ!!」

 

 鬼眼に向かう光の矢を、バーンは腕を無理やり動かして防御した。

 バーンの両腕が消し飛んだ。

 それのみだ。

 

「メドローアで貫通出来ねえ!? 腕で止められたッ!」

「逆だぜポップ。腕を奪ったと考えろ……! もう防げねえってことだ! もう一度ッ!」

「お、おう!!」

 

 ポップがメドローアの構えを取る。

 一度で魔法力を使い果たしたフレイザードは、アバンから受け取っていたシルバーフェザーを使う。

 

 しかしその僅かな動作でさえ隙なのだ。

 バーンの蹴りが、ふたりを吹き飛ばした。

 血反吐と、岩石の破片が散る。

 

「勝った……!!! フッ、ハハハハッ!!」

 

 天魔の塔跡の中心で、鬼眼王が高らかに笑う。

 浮遊する材質で作られたこの大魔宮の一部は、制御を失い、既に雲を眼下に見下ろす高度へと達していた。

 

「おお……! 太陽に手が届きそうではないか!! 素晴らしい光景だ……!! ククッ、まずは腕を再生せねばだが……」

 

 バーンは光を見上げ、歓喜に打ち震え――だからほんの小さな、ゴメちゃんの存在を見逃した。

 ダイと共に在り、ずっとついてきて、そして今また寄り添うゴールデンメタルスライムを。

 

「ピィー!」

「リュンナと、ハドラーを……。ふたりが、いちばん、おれたちより……強いから……」

「ピィ!」

 

 それはまるで、ゴメちゃんが『何』であるかを理解しているような。

 これまでの冒険で、一度たりとも『神の涙』としての奇跡の発動はなかったのに。

 それ自体、「今、助けが欲しい」というダイの願いを、ゴメちゃんが叶えた結果なのかも知れない。

 

「ピピィー!」

「何だ……?」

 

 バーンが気付いたときには、だから、竜眼姫と魔王が立ち上がっていた。

 傷だらけで、今にも倒れそうで、実際に直前まで倒れていたが、それでも。

 

「見てよ、ハドラー。バーンの腕がなくなってる」

「ああ……。だが放っておけば再生しよう。それに脚だけでも、今の俺たちでは……」

 

 バーンが憤怒と侮蔑の入り混じった表情を浮かべた。

 

「そこまでしぶとく戦って、何の意味があるのだ……? 余の鬼眼とリュンナの竜眼では、開眼してからの歴史の重みが違うのだぞ。断言しよう! もしそなたが『竜眼王』と化しても、余には敵わぬとな……!!」

 

 リュンナは自嘲の笑みを浮かべた。その通りだ。レベルアップの幅が異なろう。

 それにもともと、鬼眼は力に、竜眼は感知に特化している傾向がある。今更感知力が上がったところで、鬼眼王の圧倒的な力には追随できまい。

 それでも。

 

「それでも、まだ、手はある」

 

 リュンナは闘気剣(オーラブレード)を右手に、ハドラーは覇者の剣を左手に。

 空いた逆側の手を握り合った。

 

「心中でもするか?」

 

 バーンが嘲り、踏み潰しを繰り出して――その足が弾かれる。

 

「おおッ……!?」

 

 魔氷気と魔炎気が、渦巻き、混じり合って、場に漲っている。

 ふたりを中心に、氷炎の気が台風めいて。

 

 それはリュンナの主導で、しかし、ハドラーもまた察した。

 

「上手く行くか?」

「行く」

 

 勝てるかと問われて、勝つと答えたのだ。

 今、それを遂げるとき。

 

 だって、今なら出来る。

 最後の最後、追い詰められた極限の集中力で。

 竜眼を開いた時のように。

 

「わたしを薄っぺらだと……そう言いましたよね……。バーン」

 

 その通りだと思う。

 

「でも刃は、薄いほど鋭いんですよ」

 

 凡人だからこそ、ここに至ることが出来た。

 崇高な信念、確固たる矜持、輝ける正義――そんなものを持っていては採れない道を、幾つも歩んできたのだ。

 

 ハドラーのために、ハドラーのためと思う自分のために。

 今は、仲間たちのために、も付け加えてもいい。

 

 ああ。

 そんなちっぽけな愛も、きっと、人の強さなのだから。

 

 竜眼が、ハドラーの心を覗き込む。

 見られていると、彼は感じる。その視線から、リュンナの心を知る。

 感じ合う。ひとつに混じり合うほどに。

 

 ならば、呼吸は重なる。

 ならば、心気は重なる。

 

 精神性を凍てさせ死へと誘う魔氷気と。

 精神性を昂ぶらせ生へと導く魔炎気と。

 ひとつになり、スパークして、新たな気がそこに生じる。

 

 それはまるで世界に開いた暗黒の穴。

 絶対無の虚空そのもの。

 

 あまつさえその暗黒を、ふたりはそれぞれの剣に宿し――

 

「さらばだ。大魔王」

「さよなら……バーン」

 

 飛び込んで斬撃を放ち、交差させた。

 バーンは弱点の鬼眼のみでも守ろうと瞼を閉じ――何の抵抗も出来ずに消え去った。

 腹部で斜めに十字を描いた剣閃、その交差集中点で増幅された威力が全身に波及して。

 それで終いだ。断末魔の声すらない。

 

 額に埋まる程度の本来の大きさに縮んだ鬼眼のみが、ただ、こつん、と床に落ちた。

 下り立ったリュンナは、それを拾う。

 




次回、完結。


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112(最終) そして始まりへ

 強い風が唸っていた。

 天魔の塔跡は浮遊し、雲を見下ろす高度。

 

 リュンナとハドラーはドラゴラムを解き、立つ。

 

 倒れた者たちは、幸い誰も落ちてはいなかった――三々五々、立ち上がり、自己へ他者へ呪文などで治療を施しながら、歩いて集まってくる。

 

「いてて……。生きてるかよ、ダイ?」

「ポップもね……。やっと終わったんだ、これで」

 

 晴れやかな空気だった。

 未だ実感が薄いのか、爆発的ではないものの、じわじわと喜びが広まっている気配。

 

 ふと、アバンがリュンナを見た。

 

「それを――どうするのです? リュンナ姫」

 

 言葉に、皆がリュンナに注目する。

 バーンの鬼眼を手にしたリュンナに。

 

「……」

 

 リュンナは、答えなかった。

 迷っていた。

 鬼眼はごくゆっくりと石化し始めていた。死が近い。死んでからでは遅い……。

 

 問うた。

 

「ハドラーをどうします?」

 

 皆は顔を見合わせた。

 

「うーん、先生は生きてたから、もう仇じゃないんだよね」

「だな。魔軍司令ってことだったけど、どの国も滅んでねえし……」

「どうしても倒さなければ、という敵ではないことは確かだ」

 

 ダイとポップが覇気の抜けた調子で述べ、ヒュンケルが纏めた。

 マァムが続く。

 

「もう人間を攻撃しないのなら、私たちから何かする必要はない……わよね。貴方だって、そんなこと望んでいないでしょう? ハドラー」

 

 ハドラーは少し考えて、それから口を開く。

 

「俺はもともと、人間を滅ぼそうとは思っていなかった。目的のために必要なら幾らでも殺すし、支配もするがな……」

「今はどうなのだ、ハドラーさま」

 

 かつての魔王時代を知るバルトスが、先を促す。

 

「今も変わらん」

 

 一触即発の気配。

 重い身に鞭を打って、地上の勇者たちが構える。

 

 一方、ハドラーは泰然。

 

「だが、こうして共に戦い、俺はお前たちに――何なのだろうな? この気持ちは」

「何なのって、お前の気持ちだろ? こっちに聞かれても……」

 

 ポップが顔を顰めた。

 アバンが述べる。

 

「それは――『感謝』や『友情』ではありませんか? ハドラー」

「アバン……。フッ。そうかも知れん」

 

 満足げな笑み。

 

「俺は魔王ハドラーだ。民を喰わせてやれるようになるため、新たな国土を求めて地上に打って出た。ダイ」

「なに?」

「お前の育て親は、鬼面道士ブラスだったな。奴は特別な魔法の筒を持っていなかったか?」

 

 ダイが首を傾げ――すぐにポンと掌を打った。

 

「ああ、あの! 見たことない魔物がいっぱい出てきたやつのこと?」

「それだ。それが俺の民の生き残りなのだ……。充分な国土を得ていないのに封印を解くことは出来ず、ブラスに預けたままだった。今は?」

「島で皆と暮らしてるよ!」

「そうか」

 

 ハドラーのこうまで優しげな顔を、初めて見た。

 嫉妬を覚えてしまう。

 ヤだな、わたし。

 

 まるでそれを見透かしたように、ハドラーはリュンナの頭に手を乗せた。

 撫でられる。

 

「だがそれでは、生きているというだけだ。俺の民は誇り高くなくてはならん。偉大な魔王に仕えているという誇りだ」

「そのために……地上を侵略するの?」

「お前はどうだ、リュンナ」

 

 ハドラーに問われた。

 見上げて目を瞬く。

 

「欲しいか? 地上が」

「えー……。んー、うーん」

 

 欲しいと答えたら、それこそ本当に侵略するのだろうか。

 だが侵略してまで欲しいか、と言われると。

 しかしハドラーからのプレゼントと思えば……。

 

「いや、そこで悩むのかよ……」

 

 ポップのツッコミに気が抜ける。

 決めた。

 

「要らない」

 

 言葉にすると、気持ちも清々しくなった。

 

「わたしは竜眼を捨てる気はないし、そしたら人間もアルキードも、今は良くても、たぶん結局迫害してくるんだろうし」

「そんなことには――ならん、とは、言えんな」

「そうね……」

 

 バランとソアラが沈痛。

 ダイはふたりを見上げて見比べて、悲しげに。

 

 それが現実だ。

 リュンナはもう勇者ではないが――大魔王を斃して、この地上を去る。

 そう決めた。

 

「未練はないのですね。リュンナ姫」

「はい」

「それで――最初に戻りますが、それをどうするのですか?」

 

 リュンナの手の中にある鬼眼を、アバンは指さした。

 

 どうするって?

 竜眼による感知力で、鬼眼の構造は見抜いた。どうすればどう利用できるのか、文字通りに手に取るように分かる。

 

「こうします」

 

 だから飲み込んだ。

 騒然。

 

「テメエッ……! 新たな大魔王にでもなるつもりかよ!? 地上が要らないから消そうってか!?」

「リュンナ、待って! それ飲んで大丈夫なの!? ぼく聞いてないよ!!」

 

 ポップがいきり立ち、ベルベルが慌てた。

 ハドラーでさえ混乱の面持ちだ。

 

「お、お前は……いったい何を!?」

「――ッ、」

 

 答えようとして、声が詰まった。

 心臓が強く脈打つ。苦しい。

 胸を押さえ、しゃがみ込む。

 

「リュンナ!!」

 

 ハドラーに身を支えられる。

 姉やベルベルが、ベホマをかけに走り寄ってきた。

 

 回復呪文など効かない。これはダメージではない。

 痛みは全身に広がり、やがて額に集中した。

 頭が割れるようだ。押さえ、のた打つ。

 

 皆が必死に声をかけてくれる。優しい人たちばかりだ。

 そんな地上で暮らすのも、悪くないのかも知れない。

 しかし――バーンが滅び、全てから解放された今、リュンナのしたいことは違った。

 

 だって、もう、必死に戦わなくてもいい。

 ない頭を無理に絞る必要もない。

 使命も義務も持っていない。

 全ての重荷は肩を降りた。

 

 あとはただ、欲望のみだ。

 最早ハドラーのためですらない、ただ自分のために。

 

「ッあああああああああああああ!!!」

 

 間もなく痛みが限界を超え、その向こう側で、逆に楽になった。

 終わったのだ。

 息を荒げながら、ゆっくりと立ち上がる。

 

 皆は絶句。息を呑む気配が濃く伝わってくる。

 ハドラーが代表するように言葉を紡いだ。

 

「……気付いているか?」

「はい」

 

 視覚がひとつ増えている。

 竜眼の眼球に浮かぶ瞳が、『ひとつ』から『ふたつ』に増えているのだ。

 眼球は三つで、瞳は四つ。

 

「鬼眼を吸収した」

 

 もはや驚愕を通り越して、呆れの目を向けられるありさま。

 

「考えてはいたの、もともとね。竜眼と鬼眼が同じ種類のモノなら、取り込んで力を重ねることも出来るハズ。そのためにはしっかりと鬼眼を残して倒す必要があって、難度が高過ぎるから、諦めてたんだけど……。最後の最後で、『鬼眼以外の部分を全て消し飛ばす』ことが出来るだなんてね」

 

 あの名もなき暗黒剣は、圧倒的な消滅力を持っていた。

 だから斬撃であろうとバーンの全身が消し飛んだのだが、それでもなお瞼のみは抵抗し、中の鬼眼を守ったのだ。

 ちょうど鬼眼のみが残る形で。

 

 そうして主を失った鬼眼は、力はそのままに、ただ『在る』のみの存在と化す。

 竜眼の魔力ありきだが、吸収は容易かった。

 

 恐らくバーンも、これを狙っていたのだろう。

 リュンナを手元に置こうとしたのは、竜眼を育て、最後に収穫するためだったのだ。

 そう思う。

 

(ちょう)竜眼――といったところか。何をする気だ?」

「見てて」

 

 背に竜翼を形成。

 大空に羽ばたいた。

 

 天魔の塔跡は、もはや地上を丸ごと一望できる高度。

 遠く、雲上に広がる天界が見えた。

 

 それを後目に、雲を越え、空を越えていく。

 より高く、より遠く、暗黒の世界へ。星の海へ。

 

 真空と無重力の中を、リュンナは光めいて飛んだ。

 そして月に辿り着く。

 誰もいない。何もない。

 

 いや違う。まるまる空いた土地がある。

 

 リュンナは竜眼の力で、月の全てを把握した。月と同調し、月の自然の気と合一する。

 そして鬼眼の力で、それを支配し、そこに自分の無限の気を上乗せした。

 鬼眼を吸収した(ちょう)竜眼の力は、加算ではなく乗算なのだ。

 

 芽吹く。

 リュンナの足元から、次々と、無数の、草が、花々が、木々が。

 スライムが、ドラキーが、メーダが、リカントが、他にも様々が。

 あっと言う間に、月が無数の命に覆われていく。

 

 薄かった空気が濃くなり、空は暗黒の色から、抜けるような青へ。

 水が湧き出し、海が生じて、陸と分かれる。

 雲が流れ、雨が降り、虹がかかった。

 

 虹はどこまでもどこまでも伸びるようで――その虹を辿って、リュンナは地上に飛び帰った。

 天魔の塔跡へ。

 

 誰も、唖然としていた。

 リュンナが飛び去ったと思えば、白く浮かんでいた昼の月が、青空よりも青くなっていったのだから、然もありなん。

 

「何をした……?」

「月を、新たな地上に」

 

 ハドラーに端的に答えた。

 

「新たな地上……だと……?」

「はい。新たな地上、新たな世界。天地魔界に続く第四界。地上は――先輩とかバランとか姉上とかダイくんとか、まあ、いろいろと任せましたからね。わたしは、行きます。月へ」

 

 沈黙が場を支配した。

 リュンナは咳払いをして、呼びかける。

 

「ハドラー」

「う、うむ」

 

「ベルベル、リバスト」

「うん!」

「ああ、我が姫」

 

「フレイザードも」

「クククッ」

 

「行こう!」

 

 皆、頷いてくれた。

 ハドラーは苦笑しながらだったが。

 

「待って……待ってリュンナ。展開についていけないわ……」

 

 ソアラが額を押さえながら。

 

「あとで旅の扉を作って、あっちとこっちを楽に行き来できるようにしますよ。それ使って、姉上もたまに遊びに来ていただいて」

「だから話をどんどん進めないで!?」

 

 ソアラがこういう声の荒げ方をするなど、初めてではあるまいか。

 リュンナは笑った。

 

「ハドラーの民も呼ぼうね。それから魔界の、永遠の戦いに嫌気が差してる人たちも。地上の人間でも、来たかったら来ていいですし」

 

 地上を去る。

 ハドラーに地上を侵略させない。

 ハドラーに土地を手に入れさせる。

 魔界の住民すら救ってみせる。

 これが答えだ。

 

 こうすれば、禍根は残りにくい。

 新たな魔王が地上を襲うこともなくなるかも知れない。

 姉たちも敵に回さずに済む。

 そしてバーンは敵だったが、それでも彼の願いそのものは間違っていなかったと思う。だから、彼の分まで、魔界の民にも希望を。

 

 尽くす尽くされるではなく、ただ、そうしたいのだ。

 

 月には太陽の光が注ぐ。自転周期は、あとで弄る必要があるかも知れないが。重力も。

 そこは最新の神が創造した世界。古き神々の力は及ばない。

 天地魔界の誰をも受け容れよう。

 

 そして、楽しい世界にしよう! この世界を楽しみたい――だってもともと、自分はそういう性格だったのだ! リュンナは思い出していた。一周回って、やっと『自分』が本格的に帰ってきた。

 人が――人間だけでない、魔族も魔物も竜も、たくさん集まれば、自分の創った世界でも、自分の知らない場所が出来るだろう。冒険が、そこには溢れるだろう!

 

 戦乱もあるかも知れない。それはそれで世の習いだ、構わない。

 しかし魔王ハドラーが、きっと、民がお腹いっぱいで幸せになれる国を作ってくれる。

 でしょ?

 

「ふん」

 

 彼は笑った。

 そこには呆れと、それ以上の親愛と。

 

 虹の橋を飛んで、月に招いた。

 いっそのこと――と思い、その場の全員を、試しに。

 

「で? 天地魔界のいずれでもない……。月と呼ぶのも味気ないだろう。何と呼ぶ」

「んふ」

 

 もう決まっている。

 新たな物語が始まる世界。

 新たな冒険が始まる世界。

 

始まりの地(アレフガルド)――なんてどうかな?」

 

 竜眼神はこうして誕生したのだと――そして、伝説は締め括られるのだ。

 あとにはただ、無限に広がる未来ばかりが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以下、蛇足。

 その後をちょっとだけ。

 

・ダイ

 アルキード王国の王子であり、デルムリン島の領主。

 本土と島を忙しなく行き来しているが、本人は楽しそうだ。

 レオナをいろいろと意識し始めた。

 

・ゴメちゃん

 神の涙としての力を殆ど使わなかったため、ダイの傍らで長く生きた。

 

・バラン、ソアラ

 ダイに弟妹を作ってやることにした。パプニカに婿入りしてもいいように!

 時々アレフガルドに遊びに行く。

 

・レオナ

 次期パプニカ女王となりダイを婿入りさせるか、アルキードに嫁入りするか。

 王家でいつも話し合っているが、なかなか結論が出ない。

 本人は嫁入りする気満々なのだが。

 

・アバン

 一方、フローラ女王の王配となることがアッサリと決まった。

 今度こそ逃げられなかったのだ。

 

・ポップ

 ランカークス村に帰った。

 村人に魔法を教える教師の仕事を開始。

 メルルのルートに入った。

 

・メルル

 大勝利。

 

・ナバラ

 孫にくっついてランカークス村へ。

 

・マトリフ

 弟子のポップに引っ張られてランカークス村へ。

 穏やかな余生を過ごした。

 

・ロン・ベルク

 ポップ父の友達をやりつつ、自分の剣の完成に勤しむ。

 

・マァム

 ネイル村に帰った。

 今よりも人を守り助けるためにはどうすれば、と考えた結果、今後は僧侶系の能力を中心に磨いていくようだ。

 

・ロカ、レイラ

 今後もおしどり夫婦を続けるだろう。

 

・ヒュンケル

 アレフガルドを旅する冒険者に。

 光も闇も抱えて正義を貫く、そんな生き方が染み付いてしまったようだ。

 行く先々で誰かを助ける日々。

 

・バルトス

 そろそろ子離れせねばと思いつつも、何だかんだで共に旅を。

 

・クロコダイン

 野生の魔物が無闇に人を襲わぬよう統率するため、百獣団を結成。魔団ではない。

 本拠地はロモスの山奥。

 ロモス王国に侵略の謝罪はした。

 

・ガルダンディー

 この世界では魔王軍でクロコダインの副官をやっていたらしい。

 何だかんだ再会して嬉しかったが、話を聞いて人間の強さを思い知り、人間蔑視をやめた。

 百獣団に所属。

 

・ボラホーン

 リュンナと別れ、地上に残ることを決意。

 そこにはクロコダインとの熱い友情があった……。

 百獣団に所属。

 

・ブロキーナ

 ご近所の百獣団に武術の手解きをするのが楽しい。

 

・チウ

 武神流師範代。

 

・ノヴァ

 リンガイア王国戦士団長。いずれは父の後を継ぎ、将軍となる。

 自身の強さを磨くことも大切だが、仲間を鍛えることも重要と知り、部下の教練に力を入れるように。

 母国をますます堅牢にしていく。

 

・ラーハルト

 八つ当たりをやめても、結局人間が憎いことには変わらない。

 未だ人間の少ないアレフガルドに移住した。

 ゆっくりと傷を癒していくのだろう。

 

・ザボエラ

 超魔スライムの中から、辛くも逃げ延びていた。

 そしてアレフガルドでハドラーに取り入るありさま。主に作物や家畜の品種改良などの研究職。

 

・ザムザ

 超魔スライム開発の過労で死にかけていた。

 吹っ切れて父ザボエラからの支配を断ち切るも、行先がアレフガルドのハドラーのもとで全く一緒だったため、結局は研究者仲間という形になってしまった。

 罵り合いながら協力の毎日。

 

・冥竜王ヴェルザー

 祝辞を述べる出番すらなかった人。

 天界からアレフガルドへの移住者が出た関係で封印の管理が綻び、そこを突いて復活、地上とアレフガルドを狙い一悶着を起こす。が、並居る猛者たちの手で鎮圧される。

 最後はリュンナに食べられ、不滅の魂を以てしても復活できなくなった。

 

・ベルベル、リバスト

 アレフガルドでリュンナと一緒。

 リバストが立派なパティシエになりつつあり、ベルベルは自分も何か特技を――と焦っている。抱き枕という重要な役目があるのだが。

 

・フレイザード

 一度はアレフガルドに渡ったが、後に大魔王打倒の栄光が強く通用する地上に帰還。自分の国を求め始める。

 死の大地を開拓して初代氷炎王となり、地上とアレフガルドの橋渡しを行った。

 

・先代アルキード王(リュンナとソアラの父)

 元から隠居していたが、そのまま続行。

 ハドラーを奪って来いと言ったのに――と落ち込んでいる。

 しかし新天地で幸せになるなら邪魔はすまい、とも。

 生きているうちにアレフガルドの土を踏むことはないだろう。

 

・隊長

 リュンナ処刑前の暴走で重傷を負って以来13年間、ただの廃人だった。

 しかしリュンナが最新の神と化したことをなぜか察知し覚醒、アレフガルドへと渡り、再び騎士に。

 リュンナが自分を見て苦笑していることには気付いていない、幸せ者。

 

・ハドラー

 魔王。

 アレフガルドに最初の国を建て、平和と秩序をもたらした。国を回すことと、領土を狙う他の魔王たちと戦うことが仕事。

 好きな娯楽は闘技場観戦。たまに自ら参戦する。

 自由過ぎる妻に手を焼く日々。

 寿命は恐らく魔族並。

 

・リュンナ

 竜眼神。

 アレフガルドの環境を整備、維持しつつ、更なる創造に勤しむ。

 天地魔界に旅の扉を繋げ、移住者を大々的に募集中!

 一方、記憶や力を制限した化身(分身)をいくつも作り、同時に複数の人生をすら楽しんでいる。

 本体はハドラーの隣にいたり、好き勝手に遊び回っていたりする。自由。

 

 寿命は不明。

 別れはいつか必ず来る。

 それでも。

 




完。

後書きは割烹で。


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