「平和的」独裁者の手放せない相談役 (高田正人)
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第1話:始業

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「そしてお姫様は王子様と結婚し、二人は幸せに暮らしました……か」

 

 読んでいた絵本を閉じ、私は目を上げる。故郷の神州を遠く離れ、今は海を隔てたこの連邦に身を置く私だ。部屋の内装はことごとく西洋風。ラジオからは、近年の技術革新についてアナウンサーが熱く語っている。やがて、テレビも映画のようにカラーで見られる時代が来るらしい。

 

 それにしても、洋の東西を問わず、物語というものは似通っていて面白い。枝葉末節に違いこそあれ、人々の望むものは大まかに言って同じようだ。しかし同時に、決定的に違うところもある。恐らくこれは宗教観や死生観の違いだろう。私のような職種の人間は、案外こうした物語を通して、依頼人の心情を知る一助を得ることが多いのだ。

 

 本を置き、私は側に置かれた鏡を見る。そこに写っているのは、故郷の桜色の着物を着た女性、つまり私だ。切りそろえた前髪に、長く伸びる後ろ髪。そろそろうっとうしくなってきた。顔立ちはまあ、普通の部類だろう。余人には、長身に似合わぬ童顔と評されることが多い。とりあえず、人前に出ても恥ずかしくはない姿形だと自負はしている。

 

 私の名前は燕雀寺祢鈴(えんじゃくじねすず)。二十三歳。仕事は「傍耳(かたみみ)」と呼ばれるものだ。この仕事は、簡単に言ってしまえば、村や里の御老体がしていることとたいして変わらない。つまり、悩みを抱えた人の話をよく聞き、相談に応じる仕事だ。田舎のお爺ちゃんやお婆ちゃんがしていることを、私は有力者相手に料金をもらってしているというわけだ。

 

 しかし侮るなかれ。私にはきちんと、「御伽衆(おとぎしゅう)」いう家業の名称がある。燕雀寺の一族は御伽衆の家系だ。代々時の権力者の傍らに控え、彼らの懊悩に耳を傾け、相談事を拝聴してきた。言わば、聞き役のプロフェッショナルである。その腕を買われたのか、それとも単に物珍しかったのか、けったいなことに私は今神州を離れ、遠く離れた連邦にいる。

 

 私が絵本を本棚に戻すのと同時に、ノックの音が聞こえた。御伽衆は耳と舌に長じた家だ。ノックただ一つ取っても、そこに人の性質を感じ取れる。規則正しく三つ。礼儀正しく几帳面。同時に力強く自信に溢れている。少なくとも、そう装うことはできている。何から何まで、私の知る「彼」の記憶そのままだ。

 

 余人は御伽衆を、人の心を盗み見る手妻遣いと揶揄するが、そうではない。わざわざ心眼で人の魂を覗かずとも、心中は外面に如実に表れる。

 

「どうぞ、入りたまえ」

 

 私は即応じる。誰だ? と問うまでもない。ノックの音を聞けば誰が来たかは一目瞭然だ。もうじき日付が変わる時刻だ。あまり婦女の部屋の前で待たせるのも酷というものだろう。

 

 ノブが回され、ドアが開かれる。入ってきたのは、やはり彼だ。まず目に留まるのは、その長身だ。百九十センチはあるだろう。しっかりと鍛えられた全身を包むのは、黒光りする組織の制服。外見は軍服に程近い。糊のきいた襟と袖。気障なデザインの制帽。軍人ならば勲章のある場所には、月の描かれた盾の紋章。新品の如き光沢を放つ長靴。

 

 遠目に見るならば、さしずめ彼は「士官学校をトップの成績で卒業し、今は陸軍でめきめきと頭角を表してきた、『零下の剃刀』の異名を取る若きエリート将校」とでも言ったところだろうか。まあ、当たらずとも遠からずだ。彼の所属する組織は、政界のみならず軍部にも大変太いパイプがある。そして、彼はその両方から覚えがめでたい。

 

 だが、何よりも人目を惹くのは、彼の体躯ではなく容貌だ。ほどよい長さで整えられた、輝くような金髪。猛禽類によく似た、相手の心の底まで見通すような鋭い碧眼。氷のような冷徹さを思わせる白い肌。高い鼻梁と薄い唇。有り体に言ってしまえば、絶世の美男子だ。この美顔がここまで見事に制服を着こなしているのだ。ちょっとした目の毒だろう。

 

 アシュベルド・エリエデン・ハルドール・ヴィーゲンローデ。ずいぶんと長いが、これが彼の正式な名前だ。年齢は私より三歳年上の二十六歳。この年齢で既に、一つの組織のトップ――血族対策機関「月の盾」長官――にまで登り詰めたエリート中のエリートだ。そして何より、神州にいた私を連邦に招いた、大事なクライエントである。

 

 世間では、彼を何と呼んでいるか知っているだろうか? 曰く「黄金の鷹」である。溢れ出るカリスマをもって月の盾という組織を率い、闇に跳梁する血族を狩る正義の執行者。強く美しく何よりも冷徹な、勝利の女神さえ利用する徹底した合理主義者。やがて大総帥の座に付き、この国を弱肉強食の思想の元に支配するであろう、恐るべき救国の英雄。

 

 そんな世間の期待を一心に受けた我らが長官は、入室するや否やこう言った。

 

「…………今、時間空いてる?」

 

 カリスマなど欠片もない、等身大の青年の声と顔で。そう、私は知っている。黄金の鷹の本当の顔を。世間の奇妙に膨れ上がっていく期待に一心に応えるべく、がんばってカリスマ溢れる指導者を演じる、舌先三寸の英雄殿の気苦労を。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第2話:傾聴

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 この連邦という国は、今恋の病を患っている。四百四病の外に、一つの国が丸ごと陥っている。そのお相手とは、黄金の鷹と称される彼、アシュベルド・ヴィーゲンローデなのだ。いやはや、実に面白い話じゃないか。傾城傾国の人間を相手に傍耳として仕えるなんて、御伽衆冥利に尽きるというものだ。

 

「もちろんだとも、少佐殿」

 

 私は彼の(断られたらどうしよう……)と心配そうな問いかけに、快く応じる。少佐と言うものの、彼は軍属ではない。月の盾という組織において、彼が長官であると同時に大隊指揮官であるため、少佐というあだ名がついているのだ。長官なのだから大将とか元帥とかの方が適切な気もするのだが、詳しくは私も分からない。

 

「ほ、本当か? 邪魔だったら、出直すけど?」

 

 けれども、今夜の彼は特に遠慮がちだ。何かあったわけではないだろう。面と向かって彼をけん責できる人間は数少ない。少なくとも、月の盾にはいないはずだ。また何か、厄介事を背負い込んでしまったのだろう。自分の周りの人間がすべて、自分に過剰な期待を寄せているように見えるのだろうか。

 

「なあに、ちょうど私も暇を持て余していたところだ。例え忙しくても、ほかでもない君が来てくれたんだ。喜んで歓迎するとも」

 

 多少大げさに私がそう請け負うと、やっと彼は安心した表情になる。普段のあの、目の前の相手が萎縮してしまうような怜悧極まる表情よりも、ずっと人間的に魅力のある顔だ。

 

「よかった。ありがとう。助かるよ」

 

 だが、いかんせん彼が世間に期待されているのは、その怜悧極まる表情なのだが。

 

「おいおい、壁に耳あり障子に目ありだぞ。そうやって異国人に頭を下げる君を誰かが見たら何と言うか」

 

 私が危惧するのはそこだ。私に見せるような顔を、世間に知られたら悪評が立つのは想像に難くない。

 

「そ、そうだな」

 

 慌ててアシュベルドはドアを閉める。

 

「そうそう。背筋は伸ばしてしゃんとして。いつも演説の時に国民を見据えるような目で。うんうん、そうやって見るとなかなかの好男子じゃないか」

 

 本当はもう周囲の目などないのだが、私は彼に近づくと肩を軽く叩いて姿勢を矯正する。ただそれだけで、さっきまでおどおどしていたアシュベルドが自信ありげに変わっていくから面白い。

 

「貴公の賞賛はなかなか耳に心地よいな。配慮に感謝しよう」

 

 口調まで大仰に変わるからますます面白い。

 

「どういたしまして。改めて私の部屋にようこそ、大隊指揮官殿。今夜も君の安らかなる眠りのために、わずかながら尽力させてくれたまえ」

 

 芝居がかった口調だが、私の方はこれが本性なのだ。御伽衆の教育の賜物とでも言えばいいだろうか。

 

 

 

 

 やかんに張った発熱用の印紙を起動させて湯を沸かしながら、私はアシュベルドに尋ねる。

 

「抹茶でよいかね?」

「もちろん。君の国のお茶は飲むと落ち着くんだ。あの苦味が俺の舌によく合う」

 

 彼はソファに深く腰掛け、すっかりくつろいだ様子だ。よそ行きの顔と口調はさっきの一瞬だけ。今はもう、彼は素の顔を見せている。

 

「ビールじゃないんだね。この国の人間はビールを水代わりに飲むと聞いたんだが?」

 

 私は記憶を巡らす。たしか戸棚の一番下の奥に、もらい物のビールが一瓶あったはずだ。冷却の印紙を貼っていたかどうかは定かではない。しかし、アシュベルドは大げさに首を左右に振る。

 

「やめてくれ。俺は下戸なんだ」

 

 本気で嫌がっているのがよく分かる。

 

「無理に飲むのは本当に辛い。飲まなきゃいけない時は事前に酔い止めの薬を飲んでいるんだけど、あれを飲むと悪夢を見るから嫌なんだ」

 

 なるほど。以前アシュベルドがどこぞの祝賀会に参加した時に同席したことがあったが、あの時彼は「貴公らに栄誉を。そして連邦に勝利を」とのたまいながらワイングラスを傾けていた。実際はそうだったのか。

 

 益体もないことを話しつつ、二人分の抹茶を点ててから彼に渡す。

 

「ありがとう」

 

 言葉少なに彼は碗を受け取ったので、私もソファの隣に座る。比較的近い位置だ。恋人のような親しさ? いや、そうでない。しかし、他人ような行儀ではない。どちらかというと親族のような感じだろうか。血はつながっていないのは百も承知だが、何となくそう思う。

 

「さあ、今日も傾聴してやろう。いったいどんなことがあったんだ?」

 

 茶を飲み終えた私がそう言うと、待ってましたとばかりにアシュベルドは私の方を見る。

 

「ううう……。本当に本当に、今日もとっても辛かったんだよぉ……」

 

 その目に、見る見るうちに大粒の涙が浮かんできた。ああ、本当に彼は泣き上戸だなあ。酒など一滴も飲んでないけど。

 

「はいはい。慰めてやるから泣くのはやめたまえ。いったいどうしてなんだ?」

「ああ、聞いてくれる? 本当に? 本当に? じゃあ、最初から話すけどさ…………」

 

 こうやって夜は更けていく。これが私の仕事だ。一人の御伽衆と、彼女が仕える主人との、愚痴と泣き言と世迷い事と、それからほどよい笑いと涙で味付けられた寝物語である。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第3話:血族

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 さて、血族について少し簡単に説明しよう。彼らについては、古くから吸血鬼とかヴァンパイアなどという卑称がある。一見するとオカルトの産物だが、実際は血中に線虫という生物が寄生した感染者だ。だから伝承にあるような、陽光で灰になり、聖なるシンボルを恐れ、流水を渡れず、心臓に杭を刺さない限り死なないわけではない。

 

 確かに血族は夜行性で、全体的に泳ぎが苦手で、心臓に杭を刺されたら重傷を負う(死なないところが恐ろしい)。だが、彼らは生きているし、治療も可能だ。投薬と特殊な処置で、血中の線虫を殺して快癒させることはできる。そういった血族を狩り、さらには転化した犠牲者を確保して治療するのが、アシュベルドの属する月の盾という組織である。

 

 恐ろしいことに、血族は自分が血族であるという認識が薄い。表面上人間として振る舞いつつ、「仲間を増やす」という線虫の目的を遂行することを第一としていることに自覚がないらしい。だから、血族の被害は知らぬ間に広がる。ある夜いきなり配偶者に噛み付かれて線虫を寄生させられ、次の日の夜には自分もまた子供に噛み付くといった具合だ。

 

 特に西洋では、一時血族の被害が甚大だったらしい。いくつもの国の中枢、つまり王族や議会や政界が丸ごと血族に乗っ取られ、危うく国家というものが機能しなくなる寸前だったようだ。だからこそ、彼ら血族を狩る月の盾は単なる害虫駆除業者ではなく、超法規的な権限がいくつも認められている、言わば秘密警察のような組織となっているのだ。

 

 そして、その月の盾の長官こそ、私のクライエントであるアシュベルドである。彼の両親も、まさか彼が二十代で月の盾のトップにまで登り詰めるとは思いもよらなかっただろう。私も幼少の頃に彼と会っているのだが、あの気の小さそうなひ弱な少年が、再会した時は憂国の青年将校とでも形容すべき姿形になっていてずいぶんと驚いたものだ。

 

 

 

 

「だからありえないだろ! なんで俺を大総帥にしようとする動きがあるんだ!」

 

 アシュベルドが私の部屋を訪れてしばらく時間が経ち、いい感じに彼の緊張もほぐれてきた。私以外の人目がないことをいいことに、すっかり彼は口調を素に戻して息巻く。ソファの背もたれに身をもたせかけ、信じられないと言った感じで首を左右に振り回す始末だ。

 

 まったく、日中月の盾の長官として振る舞う時の彼とは、別人のような振る舞いだ。絵に描いたようなカリスマの持ち主、深謀遠慮の権化にして逆らう者を決して許さない冷徹な自信家、といった仮面はすっかりどこかに消えている。今の彼は、周囲からの過剰な期待と思い込みに頭を悩ませる、等身大の男性そのものだ。

 

 機密の漏洩という点ではご心配なく。我が燕雀寺の家は代々御伽衆として、権力者の傍らに侍ってきた。彼らの人に知られたくない悩みや秘密を打ち明けられ、相談に乗ってきた。当然私も、アシュベルドの素顔を誰にも教える気はない。クライエントに対して守秘義務を貫くのは、当然のことである。御伽衆とは信頼関係が命の仕事だ。

 

 仮に私から強引な方法で――たとえば暴力や洗脳など――で機密を知ろうとするならば、私の頸部に打ち込んである三本の鍼が反応するよう施術されている。これが私の脳細胞を物理的に破壊して記憶を抹消し、機密は無事保護されるというわけだ。まあ、私の方は運がよければ死なずに済むだろう。死ぬことよりも、機密がもれることの方が困る。

 

 この通り、御伽衆という仕事は真っ当ではない。言わば権力者の影に控える者たちだ。燕雀寺という家は代々それを行ってきた。その末裔である私も、ご覧の通り海外の権力者の傍らに仕えているのだが。アシュベルドとは幼少の時にほんの数回会っただけなのだが、なぜかこうして彼に招かれ、私は月の盾で長官直属の客員として働いているのだ。

 

「それだけ君が皆にとって魅力的なんだろう」

 

 私は彼にそう返答する。傍耳として傾聴を仕事とする御伽衆だが、だからといって無言でただ聞いているだけではない。話し手が求めているのは何を言ってもうなずくだけの張り子のトラではなく、会話の応酬ができる聴き手なのだから。それにしても、大総帥とは大きく出たものだ。

 

 今、連邦の政治のトップに立つのは大統領である。しかし、何らかの非常事態が発生した場合、大統領は辞任し、議会は解散し、すべての権力が特定の個人に集中するシステムがある。その個人こそ、大総帥と呼ばれる存在である。一応任期は決められているが、大総帥は自分の権限で任期を無期にすることも可能だ。早い話が、独裁者の片道切符だな。

 

 そして大総帥になれば、晴れて連邦の諸問題が一気に双肩にのしかかってくる。各州の税金の不平等、南部穀倉地帯の不作、北東の二つの州の長年にわたる因縁、流浪の民なれど優秀なある民族への差別、北部工業地帯の環境汚染、海を挟んだ帝国とそれに付随する列強の内政干渉。まさに大総帥の座とは、毒蛇と毒虫がいっぱいに詰まった壺に等しい。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第4話:独裁

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 その大総帥の地位に、アシュベルドを就かせようという動きがあるそうなのだ。本人が大総帥の地位を虎視眈々と狙っているのではない、というのが面白い。彼としては、そんな大それた地位に就く気は毛頭ないそうだ。見た目こそ彼は、猛獣の如き野心を内にくすぶらせる青年将校に見えるが、中身は優しく平和的で、気弱と言ってもいいくらいだ。

 

 想像してみる。満員の講堂。埋め尽くすのは政財界の要人と軍の関係者、それと月の盾の面々。彼らを睥睨する場所に設置された演説台に立つのは、もちろんアシュベルドだ。背後では連邦の象徴である、槍を噛む鷹と三重の十字が描かれた国旗がはためく。彼が立つや否や、一斉にすべての出席者が敬礼する。そして斉唱される連邦国歌。

 

 まさに、鋼鉄の意志を有する独裁者と、彼に率いられる親衛隊。そして心酔する国民という取り合わせだ。うん、当人たちにとっては理想郷でも、端から見れば単なる愚者の寄り合い所帯だろう。この連邦という、州が複雑に利権を巡り水面下で争うような国家を、たった一人の大総帥が治められるはずがない。できたら世界史に残る偉業だ。

 

 そして、神仏に誓ってもいい。私のクライエントであるアシュベルドは、大総帥という器ではない。確かに彼は、二十代で一組織の長官という異例の出世を遂げた男だ。だが、さすがに大総帥の座は荷が重すぎる。彼の才能は主に外面のよさと、聞く者が心酔せざるを得ない話術の上手さにある。口八丁だけで大総帥になるのはさすがに無理だ。

 

 もちろん、当人もそう思っている。だが、いかんせん彼の周囲にいる信奉者にとってはそうではない。彼の話術に魅了された者たちにとって、彼は月の盾の長官どころか救国の英雄に見えるらしい。ゆくゆくは大総帥の座に就き、この国を導いて欲しいのだ。それも独裁者として、冷酷に、残酷に、エゴイスティックに、厳しく、冷徹に、情け容赦なく。

 

 ――どうやら連邦はマゾヒストの天国のようだ。彼の信奉者たちは、彼に厳しく支配してもらいたいらしい。残酷に扱ってもらいたいらしい。有無を言わさず従えられ、無慈悲に統率してもらいたいらしい。いやはや、何とも業の深い欲求だが、何よりも連邦の国民を被虐の性癖に目覚めさせてしまったアシュベルドに私は敬服せざるを得ない。

 

「魅力的なだけで大総帥になれるわけないだろ! せっかくこの国が合議制で動いているのに、なんでみんな時代に逆行したがるんだよ。おかしいぞ!」

 

 彼の言うことは実に正論だ。けれども、恋は盲目と昔から言うように、彼に恋してしまったこの国の面々に、正論が通じるはずもない。

 

「せっかくだから、大総帥になってみたらどうだ?」

「鈴までそんなことを言わないでくれ!」

 

 私の提案に、アシュベルドは目をむいて反論する。私の名前は祢鈴だが、彼はいつも子供の頃の愛称の「鈴」と呼ぶ。思えば、今も私のことを「鈴」と呼ぶ人間は、もしかすると肉親以外では彼しかいないかも知れない。ふむ、彼だけに呼ばれる特別な呼び名、か。少々こそばゆいが、悪い気はしない。

 

「権力の一極集中は自殺行為もいいところだ。俺は自分を終生律する自信なんかないぞ」

 

 彼の反論はいたって真面目だ。こう言うところも、彼の性格がよくあらわれている。

 

「留学した身だから分かるけど、今の連邦の政治は保守的すぎるんだよ。そもそも、俺には才能なんてない。あるのは両親からもらった顔と口だけだ」

 

 顔と口だけ、か。その二つも充分才能だと思うのだが。何しろ、その二つが手に入らなくて苦しむ人間は数多い。恐らく彼は、大総帥という座は、何か神意のようなものに選ばれた特別な存在だけが就けるものだと思っているのだろう。私はそうは思わない。大総帥だから座に就けるのではなく、座に就くから大総帥になるのだ。

 

「まあまあ、そう自分と周囲を卑下することもあるまい。君を信じてついてきている君の部下たちが、軒並み無能といっているようなものだぞ」

 

 私がそう言うと、彼は真顔になる。

 

「……言い過ぎたな。ごめん」

 

 そしてすぐに謝る。まったく、こんな場面は絶対に、彼の信奉者に見せられないな。彼に幻滅する前に、私の命が狙われかねない。

 

「少し落ち着いてきた。そろそろ寝よう」

 

 その後も少し世間話に興じた後、彼は抹茶を飲み終えて立ち上がった。

 

「また来たまえ。君のためならばいつでもここは開いているよ」

 

 私がそう言うと、彼は嬉しそうに笑顔を見せる。

 

「ありがとう。おやすみ」

 

 うん、この顔だ。彼にほほえみかけられて、心が躍らない人間などおるまい。

 

 

 

 

 アシュベルドを見送り、私はひと息つく。燕雀寺の歴史を辿っても、彼のような権力者のタイプはいなかった。

 

「私としては、果たしてどちらになってほしいものか、迷うよ」

 

 彼が一人の人間として等身大の幸福を得て欲しいのか、それともこの危うさを忘れずに覇道を突き進んで欲しいのか。それは今の私には、まだ到底断言できないのだった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第5話:敵性

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 月が満ちていく。少しずつ満月へと、空にかかる月の形状は変わっていく。満ちて欠ける月。それは二面性、不安定、曖昧、変化と流動の象徴。故に月は古来より狂気と関連づけられ、魔物たちは月の盈虚に強く感応するとされてきた。それは単なる迷信ではない。ヒトの血中に潜む線虫たちの行動パターンは、確かに月の満ち欠けとリンクしている。

 

「何も怖がらなくていいんだよ」

 

 月明かりの照らす静まりかえった室内に、一人の男性の声が響く。この家の住人の声ではない。それどころか、住人の親戚でもなければ、隣人でもない。赤の他人の声だ。

 

「怖いことなんて一つもないんだ」

 

 不気味なまでに落ち着き払った声だ。話しかける相手に対し、慈しんでいるかのような感情さえ見受けられる。

 

 だが、室内の状況を一目見れば、彼に慈しみの感情など何もないことが分かるだろう。部屋の片隅で縮こまり、怯えた目で男性を見つめる少年がいる。まだ年齢は十代前半だろう。寝間着のままがたがたと震える少年に対し、男性はにっこりと笑ってみせる。

 

「最初はちょっとだけ痛いけど、注射みたいなものだからさ」

 

 少年の目が、開きっぱなしになったドアに向けられる。そこを通れば玄関にたどり着き逃げられるかもしれない。だが、ドアと自分の間には、男性が立ちはだかっている。そして外には、彼の両親が倒れている。いずれも首筋からわずかに血を流し、その体はぴくりとも動かない。少年は知っている。この凶行の原因は、目の前の男性だということを。

 

「俺だって最初は怖かったさ。安心した?」

 

 男性はなおも笑いかける。四十代程度の、特徴のない男性だ。どこにでもいる一市民、といった風体でしかない。だが、今彼の血中には線虫という異質な蟲が蠢き、その行動を操っている。彼のような線虫に感染した人間を、血族と呼ぶ。そして古くは、ヴァンパイア、と呼んだ。

 

「なんて言うか、頭が二つあるみたいなんだ。今まで以上にスッキリして、ハッキリして、クッキリする」

 

 線虫は宿主である人間の行動をある程度操作する。仲間を増やすために、宿主を駆り立てる。そして同時に、宿主を保護するために様々な恩恵も与える。古来よりヴァンパイアが超常の能力を有するとされるのは、決して無知蒙昧な迷信ではないのだ。

 

「体験すれば君も分かるよ。今なら言える。俺たちが自動車なら、人間なんてよぼよぼのロバ同然だ。速さが違うんだよ、速さが」

 

 男性は言いつつ、少年に手を伸ばす。少年は目を限界まで見開いて怯えの表情をはっきり顔に出しているが、それでも決して泣こうとしない。

 

「じゃあ、そういうことで。改めて血族に――兄弟になろうじゃないか」

 

 男性の口から、犬歯の変化した乱杭歯がかすかにのぞいたその時だ。背後に気配を感じたのか、男性が電光石火の勢いで振り向く。

 

「誰だッ!」

 

 照らされる強力な光に、男性と少年が目を細める。無骨な懐中電灯を片手に、一人の眼鏡をかけた女性が彼に拳銃を突きつけていた。黒いタイトな制服の胸元には、月の描かれた盾のエンブレムがある。

 

「ガレード・シュページン。あなたを潜血症感染と判断し月の盾が保護します」

 

 女性の名はミゼル・オリュトン。対血族対策機関『月の盾』の構成員である。

 

「――――そうか」

 

 ガレードと呼ばれた男性の顔から、笑みが消える。表情の一切が消えた昆虫のような顔で、彼は跳躍し、壁を蹴り、頭上からミゼルに襲いかかる。

 

 昆虫の牙のように突き出された両の手を、ミゼルは転がって避け、次いで発砲する。だが、人間ならばなすすべもなく両脚を貫かれたはずのその弾丸を、見えているかのようにガレードは回避した。

 

「遅い、遅すぎるんだよ」

 

 表情が変わらないのに、口だけが独立して動く不自然な動作だ。

 

「いいえ、遅いのはあなたです」

 

 ミゼルの言葉と共に、銃声がガレードの背後、窓の外から聞こえた。割れるガラス。足を撃たれ倒れるガレード。ミゼルが発砲したのは、外にいる狙撃手が撃ちやすい場所まで彼を誘導するためだったのだ。

 

「くそっ!」

 

 線虫にとって致命傷となるルーンを刻んだ弾丸で傷つけられ、ガレードは呻きつつもなおも跳び、部屋の隅にいた少年を捕らえる。

 

「う、動くな! 近づいたら、こいつの首をへし折ってやるぞ!」

 

 少年を人質にし、ガレードは吠える。

 

「武器を捨てろ、早く!」

 

 線虫に操られているとは言え、血族は人間の知性も持ち合わせている。線虫の衝動と、人間の狡猾さ。この二つを平然と両立させて使い分ける故に、血族は人種の天敵として恐れ忌み嫌われているのだ。

 

「チェックメイトです。この建物は私たちが包囲しています。逃げ場なんてどこにもありませんよ」

 

 油断なく銃口をガレードに突きつけつつ、ミゼルは告げる。

 

「はったりはやめろ!」

「はったりではありません」

「嘘だ!」

 

 頭ごなしに自分の意見を否定され、だんだんとミゼルの顔付きが変わってきた。冷静さのメッキが剥がれていくのが、見ていて分かる。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第6話:論破

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「あなたのパーソナリティが嘘だって思いたいだけでしょう。そうやって自分に都合のいいデータだけ信じて、都合の悪いデータを嘘と断じたところで現実は変わりません。そういうのを確証バイアスと言ってですね、一部の政治家のマニフェストに代表されますが、柔軟性のないマヌーバーとメルクマールがコンセンサスにおいては――――」

 

 顔を真っ赤にしてまくし立てるミゼルを目の当たりにし、急にガレードの表情が変わる。線虫に操られた無表情から、人間らしい微妙に白けた表情へと。

 

「…………お前」

「な、なんですか?」

 

 じっとりとした視線を向けられ、ミゼルは一歩下がる。

 

「話が長くてつまらない上にすぐ脱線するから、同僚から避けられているだろ?」

「そ、そそそそそんなことないですよ! わ、私はタスクフォースの中でもちゃんとリスペクトされてますから。イーブンなリレーションシップにおいても良好だと断言できます! はい!」

 

 口では否定するものの、滅茶苦茶に焦る彼女の態度から、ガレードの指摘が図星であることは丸わかりだ。

 

 このミゼルという女性は、大学の経済学部を卒業後、紆余曲折あって月の盾に所属することとなった。最初は経理を担当していたが、現在は現場に出向くことも多い。口を開けばインテリ気取りの長広舌を振るうため、他の職員からは煙たがられている。

 

「自分に都合のいいデータだけ信じて、都合の悪いデータを嘘だって言っても現実は変わらないぞ」

 

 ものの見事に論破されたミゼルの顔が、トマト顔負けに真っ赤に染まった。

 

「はあああああ!?」

 

 経済学部卒業の肩書きをかなぐり捨て、彼女は顔を歪めて叫ぶ。

 

「何で何で何で私が血族に論破されなくちゃいけないんですかああ!? 絶対にこれはアンフェアです! 全然システマチックじゃありませんよ!」

「うるさい! そんなことはどうでもいいからさっさと――」

 

 泥沼化していく現状に、いい加減ガレードとその中にいる線虫が怒り始めたのと同時。一発の銃声が響く。放たれた弾丸は正確に、ガレードの腕、それも、ちょうど抱きかかえた少年を傷つけない位置である肘を貫き、骨を砕く。

 

「ぐぅッ…………!」

 

 血族の怪力という拘束が緩むのを、少年は見逃さない。そして、激昂していたミゼルもまた、少年がガレードの腕から身をよじって逃れたのを見逃さない。ガレードに飛びかかると同時に背負い投げの要領で投げ飛ばし、その首筋にピストルの形状をした注射器を押し当てて引き金を引く。中身は線虫用に調合した特製の麻酔薬だ。

 

「多少手間取ったな、ミゼル・オリュトン」

 

 長靴の硬い靴音と共に部屋に入ってくる人物の顔を見て、ミゼルが顔色を失った。

 

「ちょ、長官!」

 

 片手に煙の上がる拳銃を持ち、怜悧な視線で彼女を見据えるのは、彼女の上司どころか所属先の最高責任者である、アシュベルド・ヴィーゲンローデだった。

 

「か、確保に手間取り申し訳ありません、私は……!」

 

 大慌てで彼女は動かなくなったガレードから手を離し、敬礼する。月明かりに照らされるアシュベルドの容貌は、普段ならば見とれるほどの美麗さだ。けれども、その両眼の放つ冷たい眼光に、彼女は心底身震いする。

 

(ちょ、長官がお怒りですっ! 私がキャリアーとあんなノン・プロフェッショナルなティーチングをしていたからだああああ!)

 

 徹底したリアリストにして、成果主義者。それがミゼルの知るアシュベルドの顔だ。その姿は恐怖を感じると同時に、彼女にとっては人間的にも経済的にも完璧だった。彼の演説を生で聞いたその日以来、ミゼルにとってアシュベルドは理想の体現者となった。だからこそ、彼女は大手金融機関の内定を蹴って、この月の盾に就職したのである。

 

 それなのに、今まさに自分は長官の目の前で無能さを晒しているのだ。自分の醜態に、ミゼルは猛烈に拳銃で自分の頭を撃ち抜きたくてしょうがなくなる。

 

「貴公が今するべきことは、私に自分の行動の理由を事細かに説明することかね?」

 

 だが、まるで彼女の自殺願望を見抜いたかのように、アシュベルドは間髪入れずに質問する。

 

「いえ、違います!」

「では、何だね?」

 

 そう問われ、ミゼルは頭から自殺の誘惑を振り払い、必死で考えを巡らせる。

 

「月の盾の職員として、感染者の確保と、被害者の保護と治療です!」

 

 何とか形になった返答に対し、アシュベルドは氷のような視線を変えない。

 

「そのとおりだ。速やかに事に当たりたまえ。私は月の盾を預かる者として、貴公の一挙一動に関心を払っている」

 

「は、はいっ!」

 

 彼女にはよく分かる。失態を演じた部下を即座に切り捨てるのではなく、汚名返上の機会を与えて奮起させ、組織に役立てる。人材を代替可能な駒として見る合理的観点だ。

 

(次こそは必ずコーポレート・ガバナンスに沿ったアクションをお見せいたします!)

 

 この時より、ミゼルはますます月の盾とアシュベルドに心酔するのだった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第7話:憧憬

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「もう大丈夫だ。安心したまえ」

 

 昏倒したガレードが運び出され、それにミゼルが付き添っていくのを確認した後、アシュベルドは少年に声をかける。

 

「あ、ありがとうございます。ええと、お兄さんは……」

 

 たどたどしく名を聞こうとする少年に、彼はほほ笑む。

 

「私の名はアシュベルド・ヴィーゲンローデ。血族と戦う月の盾を率いる者だ」

「は、はいっ」

 

 少年はぎこちなく一礼する。少年の目にはアシュベルドが英雄のように見えるのだろう。

 

「貴公はなかなかの勇気の持ち主だ。よく、今まで泣かなかった」

 

 彼の指摘に、少年はうなずく。

 

「……妹がいたから。あそこに」

 

 少年がアシュベルドの後ろを指差す。そこにあるのは大きなクローゼットだ。その扉がゆっくりと開く。

 

「……おにいちゃん」

 

 中から出てきたのは、少年よりも一回り小柄な寝間着姿の少女だ。今までずっと、クローゼットの中に隠れていたのだろう。少年の妹の目に見る見るうちに涙が浮かび、兄に縋り付いて泣き始める。ようやく緊張が解けたのだろう。少年もまた妹を抱きしめて泣く。今まで、恐怖のあまり泣いてしまうのを必死でこらえていたのだ。

 

「自分が泣けば、つられて妹も泣いてしまう。そうすれば血族に感づかれてしまう。だから、貴公は今まで涙を我慢していたのか」

 

 強い家族愛をまざまざと目にし、やがて泣き止んだ少年にアシュベルドは告げる。

 

「私は貴公の勇気に敬意を払おう。勇敢なる少年よ。貴公の勇敢さと優しさに、月光の導きがあらんことを」

 

 

 

 

「――っていうことが少し前にあったんだ」

「ふむふむ」

 

 今夜もまた、私はアシュベルドの傍耳として彼の話に耳を傾けている。今回は悩み事の相談ではない。ただ、最近あったことを語る世間話の類だ。

 

「正直に言っていい?」

「もちろんだとも。私は君の傍耳だぞ」

 

 内心で少しだけ、私は身構える。これは……いつものが始まるな。

 

「じゃ、じゃあ――あれは我ながら百点満点だったね!」

「左様か」

 

 拳を握りしめるや否や、彼は熱っぽく早口で語り始める。

 

「絶体絶命の窮地に颯爽と現れ、失態を犯した部下を激励し、しかも健気な家族愛に敬意を払う。どう? 厳しさという料理の中に優しさというスパイスをきかせた、まさに月の盾長官として完璧な振る舞い! 決まったな!」

 

 これが「いつもの」である。人心とは実に複雑怪奇。アシュベルド・ヴィーゲンローデの心思は、相反する要素が複雑に絡み合ったモザイクの様相を呈している。気弱で小心者の内面と、それを隠すために冷徹かつ傲慢で武装された外面。しかしながら、同時に彼はかなりの見栄っ張りで、明らかに時折格好良く装った自分に酔っている節があるのだ。

 

「……君のその自己陶酔の気について、今はあれこれ私は言わないがね。しかしその真綿は少しずつ、君の首を絞めていると知りたまえ」

 

彼は目立ちたくない、と普段から私の前で口にしている。しかし、同時に明らかにわざわざ目立つことをしては、周囲の賛嘆の視線に怯えつつ胸を躍らせているのだ。いやはや、実に業が深い。だが同時に、実に興味深い。

 

「そ、そうかな?」

「君がそうやって格好をつければつけるほど、大総帥の座は確実に近づいているぞ」

 

 私が警告するのはそのことだけだ。

 

「でも、あの男の子には感動したのは本当だよ。俺が同じ年で同じ状況だったら、とてもあんな風に勇敢には振る舞えないな」

「なるほど、ならば化粧部屋に隠れていたのが、私だったらどうかな?」

「鈴が?」

 

 私がいたずらっぽくそう言うと、彼は目を丸くした。

 

「そうだ。いたいけな少女だった頃の私が、君の家を訪れていた時、血族に襲われたのだよ。それでも君は、我が身可愛さに私を血族に差し出して助かろうとするのかね?」

「そ、そんなことは絶対にしない!」

「さすが月の盾長官。やはり君は勇敢だよ」

 

 私の賛辞に対し、彼は少し困った顔をする。

 

「いや、そうじゃなくて……」

 

 やや言い淀んでから、彼は思いきった顔で私を見る。

 

「月の盾とは関係なくて、俺は鈴を見捨てたりしたくないんだ。俺個人として、鈴のことは守りたい」

「……光栄だね」

 

 私の頬が少し赤くなったのが、彼に分かってしまっただろうか。まったく美形は得だよ。陳腐な言葉でも、この御伽衆の心をざわつかせるのだからね。

 

 

 

 

 一方その頃。少年は寝付けないでいた。今両親は、月の盾と繋がりのある病院で治療を受けている。少年と妹は親戚の家に引き取られ、両親が退院するまではそちらで寝泊まりしていた。少年は隣で寝ている妹を起こさないようにそっと起き上がると、窓を開ける。空にかかるのは、神秘の象徴であり、闇を優しく照らす白い月。

 

「アシュベルド・ヴィーゲンローデさん……」

 

 少年は彼の名を、まるで聖人のように呟く。口にするだけで、胸が高鳴っていく。黄金の鷹。親戚に教えてもらった、彼の称号。自分はあの、黄金の鷹に誉められたのだ。自分も是非、あの方のお役に立ちたい。あの方の側に立ちたい。

 

 ――この出会いが、後に少年の将来を月の盾へと導くのであった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第8話:追憶

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 これは、かれこれ十五年ほど昔の話だ。ご覧の通りひねくれ者に育った私こと燕雀寺祢鈴が、まだ世間知らずの少女だった頃のことだ。自分で言うのなんだが、あの頃の私は実に可愛らしかった。外見に限って、だが。もっとも、口調や態度に今の片鱗が見え隠れしていることからして、もしかしたら生まれつきひねくれていたのかもしれないが。

 

 先に話した通り、我が燕雀寺は御伽衆と呼ばれる一族だ。仕事の内容は、権力者の傍らに侍り、その話し相手や相談役となること。特にその仕事に従事する者たちを、私たちは傍耳と呼んできた。耳を傾け、物語ること。この二つが私たちの生業だ。御伽衆たちはそうして帝を含む権力者のそばで、この神州を影から支配……ではなく支えてきた。

 

 そして私も、当然のように御伽衆として育てられた。幼い頃から、燕雀寺に伝わる御伽衆の技術を余すところなく教えられた。御伽衆の技術は二つ。一つは「傾聴」。耳を傾け相手の心を癒す術。そしてもう一つは「誣言」。まあ、これについてはそのうち語るとしよう。どちらも真っ当な人の技であると同時に、異質な力を使う左道でもある。

 

 さて、そうやって幼いながらも将来を嘱望された御伽衆見習いである私の話だ。その日は小雪のちらつく寒い冬の日だった。私は発熱の印紙によって温められたこたつに入りながら、一人で本を読んでいた。両親は何やら客人を迎えに行くとのことで、帝都の駅まで出かけている。つまり、私は一人で留守番中だったわけだ。

 

 読んでいたのは、この神州に伝わる昔話や伝説を集めた説話集だ。今ならば民俗学者がもっともらしく注釈を入れた専門書を読むが、その時読んでいたのはもっと簡単な本だ。昔話はよい。ただのご老人が孫に語る寝物語と侮るなかれ。昔話にはすべてが語られている。人の心のありようがある。私たち御伽衆が知るべき、魂の形がある。

 

 物語とは、人の心の痕跡を書き残したものだ。私たち御伽衆といえども、人心そのものを一言で言い表すことも、そこに土足で踏み込むこともできない。心とは、注視すれば見えず、よそを向いているとおぼろげに見えてくる気まぐれな幻のようなものだ。だから私たちは物語というよすがを用い、心をそっと伝い、辿り、解きほぐしていく。

 

 そうやって、私が黙々とページをめくり、時折雑にむいたミカンを口に入れ、古人の語りに没入していた時のことだった。

 

「な、なんだなんだなんだこいつは! どっかいけぇ! いけってばぁ!」

 

 同時に聞こえてくるのはワンワンという吠え声。何やら庭が騒がしい。

 

「やめろぉっ! くるなぁ! くるなっていってるだろっ!」

 

 そして再びワンワン。

 

 騒々しい。まだ幼く集中力に欠ける私は、二種類の騒音であっという間に物語の中から現実の世界へと引き戻されてしまった。仕方なく私は本を閉じ、こたつから両脚を抜き、着物の裾を直しつつ立ち上がる。

 

「ひいいっ! なんでおっかけてくるんだよぉ! うわああああっ!」

 

 障子を開けて縁側に出、私はうんざりした目でガラス戸越しの庭を見た。

 

 小雪など知ったことかと言わんばかりに、元気いっぱいに庭を走り回っているのは我が家の飼い犬だ。白梅、という名前の通り、全身の毛は白。北部の猟犬の血を引いているだけあって、体格だけは無駄にでかい。そして頭の中身は、体格に反比例して絶望的にお粗末。人なつっこいだけが取り柄の、番犬としては致命的に役に立たない駄犬だ。

 

 その白梅が尻尾を千切れんばかりに振りながら、とてつもなく楽しそうに追いかけている代物。それは、仕立てのよいコートを着た一人の少年だった。ただの少年ではない。帽子からのぞく髪の毛の色はまばゆいばかりの金色。涙で潤んだ両目の色は、空の色と同じ青。神州の人間ではない。西洋人だ。年齢は私と同じくらいだろうか。

 

 いったいどうして見知らぬ子供が、それも西洋人の子供が我が家の庭にいるのか。首を傾げる私の目線の先で、延々と追いかけっこが繰り広げられてる。必死になって少年は庭を走り回り、それをうちの駄犬が追いかけ回す。少年の方は必死の形相で半泣きだが、駄犬の方はそれはそれは嬉しそうだ。明らかに、遊んでもらっていると思っている。

 

 まあ、少年が半泣きになるのも分からないでもない。白梅は無駄に体格だけはでかい。大人でも少し驚くくらい大きいのだ。少年の背格好では、さしずめ恐ろしい猛獣に襲いかかられていると勘違いしても無理はない。実際は大違いだ。白梅は頭の中身こそ完膚無きまでに空っぽだが、人様に噛み付くような真似は一度もしたことがない。

 

 いずれにせよ、そろそろ運動会はお開きにしてもらおう。少年が雪に足を滑らせたら派手に転び、せっかくの仕立てのよいコートが台無しになってしまう。そうでなくても、白梅に捕まってしまえば、顔中を舐め回されることは確実だ。少年はそろそろ息が切れてきたようだ。頃合いだろう。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第9話:駄犬

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 私はガラス戸を開くと、沓脱ぎ石の側に置かれた突っ掛けを履いて庭に出た。

 

「おい駄犬、それくらいにしておけ」

 

 昔から、私の口調は変わらないものだ。私の言葉に、ちょうどよそを向いていた少年がこちらを見てびっくりした顔になる。

 

「な、なんだ貴公は!」

 

 人のことを言えた義理ではないが、少年もずいぶんとかしこまった物言いだ。

 

 どうやら、よそを向いていたせいで、私が家から出てきた所を見ていなかったようだ。駄犬から逃げるのに必死で、周りを見る余裕などなかったのだろう。冷静に考えれば、私が白梅の飼い主でありそうなことが分かるだろうが、今の少年の状況を見ればとてもそこまで気が回るとは思えない。

 

 一方で、駄犬は少年に続いて大好きな飼い主まで出てきたことで、ますます盛り上がったらしい。ワンワンと吠えると、尻尾をなおいっそう振りながらこちらに向かって駆けてくる。憎たらしいまでのアホな面構えだ。

 

「あ、危ないぞっ!」

 

 私にむかって走ってくる駄犬を見て、少年は転びそうになりながら必死に駆け寄る。

 

 どうやら、私が襲われそうになっているように見えたらしい。つんのめった拍子に、少年がそれまで手に握っていた何かが地面に落ちた。恐らく、翻訳用の印紙だ。無我夢中で枕を抱いて火事から逃げる人のように、何気なく持ったそれを今までずっと握りしめていたのだろう。それに気づかず、少年は私と駄犬との間に立ちはだかると、両手を広げる。

 

「Yko Yken Kmoeu! Abaok ieugatd! Nokahonkio iuipy obpn ahresao uenizs!」

 

 案の定、少年が何を言っているのか分からない。ただ、仕草を見るに、怖いのを我慢して私を駄犬から守るつもりらしい。たいした根性じゃないか。

 

「お座り!」

 

 だからこそ、少年は私の一喝で白梅がその場に座り、こちらを期待に満ちた目で見つめるのを目にし、目をまん丸にしていた。

 

「君、悪かったね。こいつはうちの飼い犬だよ。ほら、お手!」

 

 私が手を差し出すと、白梅はゆさゆさと尻尾を振りながら手を出す。いい子いい子、と頭を撫でてやると、今にも飛びついて顔を舐め回しそうな勢いだが、そうはさせない。

 

「こ、この猛獣は貴公のペットなのか!?」

 

 ようやく印紙を拾った少年は、現実が信じられないといった様子で叫ぶ。

 

「ああ、そうだ。粗相をしてすまないね。こいつは見ての通り人好きで困る。これではまったく番犬にならない」

 

 誰彼構わず吠えつくような番犬はごめんなのだが、渋面を取り繕って私はそう言う。

 

「く、食い殺されると思ったぞ!」

「そのわりには、私を置いて逃げなかったが?」

「……き、騎士の家の男児たるもの、女性を見捨てるものか!」

 

 少年の言うことは何とも勇ましい。改めて少年の顔をよく見てみる。涙と少しの鼻水でやや見苦しいことをのぞけば、まるでビスクドールのようにきれいに整った顔をしている。白い肌なんて、まるで陶器そのものだ。遠目に見れば少女のようにも見える華麗さを秘めているけれども、よく見れば体格や顔の造作はやっぱり少年のそれだ。

 

「それは素晴らしい。よい心がけだ。だが、無意味だったようだね」

 

 私が嫌みを言うと、むっとした様子で少年は顔を赤らめる。

 

「き、貴公はどうしてそう意地悪なことを言うんだ」

「悪いね、これが我が家の特徴なんだ」

 

 さて、そろそろいったいなぜ彼が我が家の庭で白梅に追い回されていたのか、それを私が聞こうとしたその時だった。

 

「鈴、どうした?」

 

 ちょうど父母が帰宅したようだ。枯れ木のような痩身と、それに寄り添う人影がやってくる。客人を連れてきたとのことだが、どんな人か……と私がそちらを見たのと同時に。

 

「おやおや、すっかり仲良くなっているようだね、アシュベルド」

 

 父母の側に立っていたのは、これまた金髪碧眼のびっくりするほど背の高い男性だった。

 

「ち、違いますお父様! 僕はむしろ――――」

 

 親しげに彼は少年に近づくと、肩を叩く。お父様? ということは、少年はどうやら我が家の客人らしい。御伽衆の家に西洋人が客として招かれるなど、ずいぶんと珍しいことがあるものだ。何やら両手を振り回して鼻息も荒く、少年は自分の身に降りかかった惨状を父親に説明しようと息巻いている。

 

「ええ、そのとおりです。騎士としての名に恥じない振る舞いを見せてもらえました。実に眼福ですね」

 

 けれども、少年が我が家の駄犬を猛犬として表現し、ただ単にちょっと追いかけられたのを決死の逃避行と針小棒大に語る前に、私は先手を打つことにした。実際、面白いものを見せてもらった。

 

「え、ええっ!? いえお父様、そうじゃなくて――」

「ははは! そうかそうか。さすがは私の息子だ。父は鼻が高いぞ」

 

 少年の言い分は聞き入れられず、彼の父は私の発言の方を真実と取ったらしい。なおも上機嫌で少年を誉めちぎる彼の言動に、少しずつ少年の機嫌も直っていく。私はその様子を、自分も仲間に入れて欲しいとうずうずしている白梅と一緒に、してやったりと見つめているのだった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第10話:騎士

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 そして現在。

 

「『月の盾長官、山岳救助に従事する僧院を慰問』か。いやいや、なかなかよく撮れているじゃないか」

 

 今夜も私の部屋を、アシュベルドは訪れていた。私が手にしているのは、『進撃』という誌名の政治雑誌だ。そこには大きく一枚の写真が掲載されている。多くの人に囲まれ、大型犬を足元に従えたアシュベルドの写真だ。

 

「冗談じゃない。俺が犬嫌いなのは君が一番よく知っているじゃないか、鈴」

 

 ソファに座る私の隣、という指定席に腰掛けた彼は顔をしかめる。話題は、少し前に彼が慰問で訪れた僧院でのことだ。山岳救助を行う彼らは、お供に大型犬を従えている。アシュベルドはその犬と一緒に写真に写っていた。犬が苦手にもかかわらず、表面上は平静そのものだ。

 

「それをおくびにも出さない君の豪胆さには、正直言って感心したよ」

「ああ、本当によかった。今にも飛びつかれるんじゃないかと思って生きた心地がしなかったよ」

 

 私も側にいたのだが、彼の内心は見事なポーカーフェイスで無事隠しおおせていた。写真だけ見ると、まるで彼はライオンを従える古代の王侯だ。今月の『進撃』は売り切れ必須だろう。

 

「そういえば、『長官は犬がお嫌いですか?』って記者に聞かれたね。内心が透けていたのかな?」

 

 私が少しだけ動揺させるようなことを言うと、たちまち彼はうろたえる。

 

「そ、そうだったらどうしよう。悪いことをしちゃったな」

 

 まったく、人前では泰然自若とした面持ちを一切崩さないのに、本当の彼はこの通り実にデリケートだ。

 

「大丈夫大丈夫。君の答えは見事なものだったよ。『率直に言えばあまり好ましくは思わない。忠実なのは美点だが、無私が過ぎて自立という点では少々物足りないな。私が貴公らに求めるのは、自ら考え自ら判断する有能さだ。犬のようにただ伏し、命令を待つだけではふさわしくない』ときたものだ」

「うう……。口が滑った。言い過ぎたよ、ごめん」

 

 私が一言一句違わず彼の発言を再現してみせると、彼はうつむいてしまった。

 

「私に謝る必要などないさ。むしろ、みんな顔を輝かせて聞き入っていたよ。『さすがは月の盾の大隊指揮官殿。盲従を一笑に付されるとは恐ろしいまでの冷徹さです』と彼らの目が語っていたのが分かる」

「それでいいんだろうか……」

 

 深々と彼はため息をつく。つくづく、今の連邦の国民と彼は奇妙な蜜月の関係にある。国民が期待し、それに彼が応える。なまじ彼が表面を取り繕うのが上手だから、国民は未だに夢から覚めない。自分たちが崇拝しているカリスマ溢れる月の盾長官は、実のところ等身大の一人の男性でしかないということを、未だ知るものはいない。

 

「まあ、あの犬はそもそも大人しいし従順だ。君の心配は杞憂だったんだがね」

 

 私は話題を犬に戻す。

 

「分かってるよ。分かっているけど、苦手なものは苦手なんだ」

「確かに、私は君が犬に苦手意識を抱く決定的瞬間を目にしているから分かるよ」

 

 私がそう言うと、彼は非難がましい視線を私に向けた。

 

「……思えば、鈴はあの頃から口が達者だったな」

 

 私が何を言わんとしているのか、彼は即座に理解したらしい。初めて私とアシュベルドが出会った雪の日。彼は我が家の駄犬に追い回されて半泣きだった。それがきっかけで、彼は犬が苦手になったのだろう。

 

「『口では立派な城も立つ』と昔から言うが、私たち御伽衆にとってそれは、口先だけなら何とでも言える、という意味ではなくてね」

 

 言葉を侮るなかれ。神州には言霊というものがある。口にしたことは本当になる、という思想だ。

 

「口にするからこそ、城は建つ。言葉というものはそれだけ力があるのだよ」

 

 と、そこまで言ってから私は苦笑した。こんなこと、彼は百も承知のはずだ。

 

「まあ、君に言っても聖者に説法か。大衆を熱狂させる演説は、ほかでもない君の十八番だ」

「そんなことない。俺はいつだって、演説の前には緊張で吐きそうになる。目の前が暗くなって、頭が痛くなって、足ががくがくして、逃げられるんだったら逃げたいよ」

「そんなことを言って、いざ演台に立つと変わるからなあ。御伽衆顔負けだよ」

 

 私は正直に彼を賞賛する。実際、大勢を扇動するという点においては、彼の才能は御伽衆を超えている。

 

「なあ、一つ聞きたいんだが」

 

 私は一つ彼に尋ねる。

 

「なに?」

「あの時、私と駄犬の間に立ちはだかった君は、なんて言ったんだ? 印紙がなかったから聞けなかったんだが」

 

 私の問いかけに対し、彼は一瞬だけ顔を赤くすると、露骨にそっぽを向いた。

 

「……忘れたよ」

 

 お生憎様。御伽衆の記憶力を舐めないでもらいたい。あの時の言葉はこうだ。

 

 

 

   『きょ、狂犬め! 僕が相手だ! この子には指一本触れさせないぞ!』

 

 

 

 印象的だったからきちんと覚えているんだよ。そして、自力で調べたんだよ。正直に言って、若干照れくさいな。まあ、嬉しくはあるよ。でも、できれば、君の口から今、改めてはっきりと聞きたかったんだけどな。……それと、犬に対して『指一本』という表現はどうかと思うぞ。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 






 さて、次回から「帝国王女編」が始まります。
 アシュベルドを未来の独裁者と勘違いしている、帝国の王女リアレが連邦にやってきます。帝国の王族を歓待することになり、胃が痛いアシュベルド。相変わらずつかず離れずの絶妙な位置をキープする祢鈴。さらに暗躍する血族たち。そして事態が進退窮まった時、アシュベルドは堂々と言い放ちます。

「さあ、諸君。今宵も素晴らしき惨劇を始めよう」

 炸裂するカリスマ。誰もが恐れおおのく絶対的強者のオーラ。血族を殲滅する至高のユーバーメンシュ。しかしその実体は、何となく格好いいことを言って現状を有耶無耶にしようとする実に小心者の行動。
 明日からは本作『「平和的」独裁者の手放せない相談役』のベーシックとなる物語の開幕です。


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第11話:敬愛

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「『親愛なるアシュベルド・エリエデン・ハルドール・ヴィーゲンローデへ 貴君の活躍によって私が一命を取り留めてから早くも二ヶ月が経った。これも偏に、貴君が身を挺して私を助けてくれたおかげだ。帝国人ではない貴君の献身は、王家への忠誠ではなく人道に則った博愛の精神であり、何よりも血族から人々を守るという自己に課した使命によるものであると分かっている。しかし、それでも私は貴君に感謝しよう。今も、私を支えてくれた貴君の手の感触はこの身に残っている。連邦を訪問する前に、少しでも貴君を疑っていたことは、私の人生における汚点の一つだ。この失態をあえてここに書いた意味を、分かってくれるだろうか? 貴君が私を軽蔑したりはしないと信頼しているからだ』……」

 

 時候の挨拶や格式張った挨拶などを適当に省きつつ、私はある手紙を音読している。ソファの隣では、深刻な顔をしたアシュベルドが私の朗読に耳を傾けている。こうやって横顔を見ていると、実に美形だ。愁いを含んだ青年将校の横顔など、なかなか絵になるじゃないか。世間の婦女子が垂涎する位置に、私は座っているというわけだ。

 

 それにしてもこの手紙は長い。延々と数ページにわたって、彼に対する感謝と尊敬がじっくりたっぷりと書き連ねてある。ただの紙とインクの産物のはずが、手に持つと妙に重たく感じるのは私の気のせいだろうか。

 

「『……変わらぬ敬愛と共に。帝国王女リアレより』」

 

 しかし、何とかそれに屈せず、私は最後の差出人の名前まで読み終えた。

 

「うわあ……」

 

 言葉を操る御伽衆として面目ないが、本当に「うわあ……」以外の感想が出てこない。

 

「鈴の言いたいことは分かるよ。すごくよく分かる」

 

 隣のアシュベルドも、げんなりした顔でこちらを見る。私が音読する前に、一通り目を通したのだろう。

 

「実に重いね」

「ああ、本当に重いよ」

 

 愛が重い、としか言いようのない手紙だ。

 

 これは、二ヶ月前に連邦を訪れた隣国の王女リアレからの手紙だ。彼女が訪問した際に血族の襲撃があり、その時に救出の大立ち回りを演じたのがアシュベルドである。当初は彼に対して「将来の独裁者の可能性あり」として警戒していた王女も、この一件ですっかり彼の虜になってしまったというわけだ。我らが長官殿は人たらしの達人だな。

 

「この内容を一言で言い表してもよいかね?」

 

 リアレ王女殿は御年十三歳。銀糸のような美しいプラチナブロンドと、まるでビスクドールのような美しい容貌。そんな可憐なリアレ殿下と、彼を守るべくして血族に立ち向かうアシュベルド。間近で見させてもらったが、いやはや、映画の中に入り込んだかのような素敵な体験だったよ。

 

「うん、頼むよ」

 

 私は、殿下が手紙に込めた感情をたった一言で言い表す。

 

「熱烈なラブコールだ」

「はあああ!?」

 

 分かっているだろうに、それでも彼は跳び上がって驚く。

 

「おや、どう見てもそうにしか見えないが。手書きの一文字一文字から、文章の一句一句から押さえきれない、そして隠そうともしない君への熱烈な愛情が伝わってくるよ」

 

 海を隔てた帝国も、血族の被害に悩まされている。あちらは月の盾の代わりに、聖体教会という組織が血族の確保と治療を受け持っている。殿下はアシュベルドを聖体教会にスカウトしたいのだろう。しかし、明らかに彼に対する尊敬と愛情が過剰である。

 

「今回は手紙で済んだけど、俺は何だか、殿下が連邦に留学してくるんじゃないかと心配なんだ」

「ある日君が自宅のドアを開けたら、そこにトランクを重そうに持つ殿下がいらっしゃるというわけか。そしてこうのたまう。『貴君の為に全てをなげうってここに来た。王族としての身分も、地位も、名誉も、何もいらない。どうか私と共に生きてくれ』とね。そして君もまた、月の盾長官の地位を捨てて、彼女と共に愛の逃避行と洒落込むだろうね」

 

 殿下が思い詰めた場合どうするか語ってやると、彼は首をぶんぶんと左右に振る。

 

「駆け落ちじゃないか! 俺は嫌だぞそんなのは! 聖体教会が目の色を変えて追いかけてくるに決まってる!」

「はっはっは。冗談はそのくらいにしておいて――」

 

 私は笑みを消して真顔になる。

 

「――明らかに殿下は君に惚れ込んでいるぞ」

「ああ。殿下はまだお若いから、一過性のはしかのようなものだと思うんだけどなあ」

「でも、聖体教会がこれを知ったら、枢機卿の顔が蒼白になること請け合いだ」

 

 これはよくない。一国の王女が他国の一組織の長官を盲信しているようでは、帝国の権力者たちにとって面白くない話どころではないな。

 

「あああ…………。どうしてこんなことに」

 

 頭を抱える彼に、私は冷静に突っ込まざるを得ない。

 

「君が無駄に格好をつけるからだよ。いやはや、実に素敵だったとも」

「そ、そうかな? そうだよね?」

 

 私の誉め言葉が、彼にとっては嬉しいらしい。

 

「反省の色が見えないが……まあ仕方ないか」

 

 さて、では少し過去を振り返ってみよう。これは、彼と麗しの殿下が初めて出会った話だ。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第12話:王女

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 さかのぼること一年前。

 

「――――以上が、諜報部の集めた月の盾についての資料になります」

 

 連邦とは海を挟んだ位置にある帝国。その首都にある王宮の一室。分厚いレポートを差し出すのは、礼服を着こなし、鎖付きの眼鏡をかけた老人だ。既に老境に至って長いと思われる外見だが、積み重ねた年月は確かな重みと優雅さとなって老人を飾っている。

 

「ご苦労だった、ヒューバーズ」

 

 壮麗な庭園を一望できる窓を背後に、そのレポートを受け取ったのは、輝くばかりの美貌の少女だった。白銀の如きプラチナブロンド。理知的で人を惹きつける双眸。白雪よりもなお白い肌と桃色の唇。誰もが「天使のようだ」と形容するその容貌の持ち主は、この帝国の最高権力者の娘である、王女リアレである。

 

 外見こそ天使と見まごうばかりの可憐なリアレ王女だが、むしろその美貌は、王家が引くとされる妖精の血が色濃く出た結果かもしれない。一見するとか弱く見えるが、その実彼女は折紙付の俊才でもある。知力、胆力、決断力と冷静さ。まだ十代前半でありながら、既に指導者に必要な要素を着々と身につけつつあるのだった。

 

「やはり看過できないな、月の盾、特に――」

 

 レポートに目を通しつつ、リアレは口を開く。

 

「アシュベルド・ヴィーゲンローデの動向は」

 

 その憂慮に対し、王女が生まれた時から側で仕えてきた侍従長ことヒューバーズは一礼する。

 

「ごもっともです、殿下」

 

 リアレの関心は、連邦で血族を狩る月の盾という組織、特にそこの上部に向けられている。

 

「二十代でここまで登り詰め、連邦国民の圧倒的な支持を得ている“黄金の鷹”か……」

 

 リアレはアシュベルドについての情報を読みつつ呟く。ほぼ既知の情報ばかりだ。内心彼女は、黄金の鷹という彼の通称を羨ましく感じた。リアレの通称は“白銀の名花”だ。花のような可憐さよりも、尊敬すべき父のような威厳が欲しく思うのが悩みの種である。

 

「これは?」

 

 彼女の繊細そうな指が、レポートに留められていた別紙を取り上げる。

 

「連邦で発刊されている保守派の新聞の切り抜きです」

 

 そこには、議員と握手するアシュベルドが写っている。

 

「やはり、彼は政界にも人脈を作っているのか。血族から人々を守る盾となるべき者が、政治に手を出すとはな。帝国の聖体教会を見倣ってもらいたいものだ」

 

 帝国で血族を狩る聖体教会は、公平性を失わないために政治にも経済にも一切干渉しないことを自らに課していた。それとは対照的に、月の盾は率先して政治にも経済にも軍にも関わり影響力を強めている。リアレからすれば、月の盾のあり方は世俗的で好きになれない。出世欲に駆られた俗物が、その踏み台として組織を利用しているように見えるのだ。

 

「……ずいぶんと多いな」

 

 切り抜きは一枚にとどまらない。見る間にリアレの手に、トランプよろしくアシュベルドの写真が揃っていく。どのアシュベルドも、冷たいカリスマに装われたよそ行きの顔をわずかでも崩すことはない。

 

「連邦では、彼の外見や話術に魅了される国民も多いそうです。ですが、真にお美しいのは彼ではなく殿下でございます」

「外面だけで私を判断するのはやめてもらいたいな。私は花のように愛でられるだけの存在になどなりたくない。お父様のような皆を導くに足る王族でいたいのだ」

 

 ヒューバーズの賛辞に対し、リアレは眉を寄せる。不愉快そうな表情でありながら、その顔は思わず息を呑むほどに美しかった。

 

「も、申し訳ありません」

「いや、よい。気にするな」

 

 侍従長の謝罪を、リアレは鷹揚に受け入れる。

 

「彼は、自分の容姿をどう思っているのだろう。やはり、利用するべき道具としか思っていないのだろうか?」

 

 リアレは呟く。時折彼女は、誰もが自分の外見しか見ようとしないことにがっかりすることがある。ならば、同じ眉目秀麗のアシュベルドの心境はどんなものだろう、と思いを馳せるのだ。

 

「恐らくそうでしょう。この合理主義者は、権力を手にするためならば手段を選ばないともっぱらの噂です。一切は、他人を思い通りに操るための道具に過ぎないのでしょう」

 

 ヒューバーズの言葉は冷たい。

 

「もしそうだとするならば、私はやはり確かめざるを得ないな」

 

 写真に写ったアシュベルドを見つめつつ、リアレは決意を新たにする。

 

「黄金の鷹……。この男がやがて大総帥となって連邦を牛耳る独裁者に変じ、我が帝国に仇なすかどうか。この私自ら、それを確かめなければならない」

 

 自らの仕える主人の抱負を耳にし、改めてヒューバーズは深々と一礼する。

 

「おっしゃる通りでございます、殿下。私は心より、殿下のご決断を支持させていただきます」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第13話:憂慮

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「あー緊張する、すごく緊張する、滅茶苦茶緊張する」

 

 今夜もまた、私の部屋でアシュベルドがうんうんと唸っている。

 

「胃が痛い、頭が痛い、肩が痛い、胸が苦しい、肺が苦しい、めまいがする、吐き気がする、歯まで痛くなってきた」

 

 ソファのクッションに顔をうずめ、ぐりぐりと額を押しつけつつ、彼は現在の体調を事細かに実況してくれている。

 

「君の、四百四病をことごとく網羅しようとする心意気は買うがね。だが御伽衆である私は、職務を一時無視して言いたい」

 

 ひとしきり愚痴が終わってから、私は口を開く。

 

「いい加減覚悟を決めたまえ」

「やだ」

「私は君の母君ではないぞ」

 

 傍耳の私でも、彼の返答にはさすがに呆れる。今の彼は、まるで母親の前で駄々をこねる小児そのものだ。

 

「昨今、若い少年や青年の間では、婦女子の好みに母性が混じっているそうではないか。君も、その手の影響を受けてしまった類かな?」

 

 冗談めかして私はそう言う。どうも、世間の好みはそうなっているらしい。映画にせよ小説にせよ、登場するヒロインに母性が求められているようなのだ。

 

「女の人の鈴から見て、あれはどう思う?」

「別に、何とも」

 

 クッションから顔を上げた彼がそう尋ねるので、私は即答する。

 

「受け入れがたいとか、思わないんだ」

「男性が恋人に母の姿を見いだそうとするのは別段不思議ではないよ。もっとも、それは神州に多い傾向だがね。連邦でも父性が弱まり母性が活気づいてくるとは予想外だな。少なくとも、我々御伽衆からすれば、人の心の表現として珍しくはないね」

 

 私が述べる持論に、彼はやや驚いた顔をしている。てっきり『恋人に母親を重ねるなんて気持ち悪い』という感想を予想していたのだろうか。あいにく私に母性なんて高尚なものはわずかだが、他者がそれを求める心の動きは理解できる。

 

「俺は、鈴にお母様の姿を重ねてなんかいないぞ」

「ああ、そうかね。ならば、もう少ししゃきっとすることだ」

 

 益体もない話で少し気が紛れたのか、彼は姿勢を正してソファに座りなおす。

 

「あーやだ。すごくやだ。絶対にやだ。滅茶苦茶面倒だ。出たくない出たくない」

 

 しかし、彼の口から出る言葉は同じだ。目下アシュベルドの頭の中を埋め尽くす悩みとは、帝国の王女殿下を迎えた式典に関する事柄だ。開催日時は既に決定済みである。

 

「まあ、君の気持ちも半分は分かるとも。まさか帝国の王女が来られるとはね。しかも、君に会いに」

 

 栄えある帝国の王女が、海を隔てた連邦にやって来る。その目的は親善――とあるが、実のところ名指しで月の盾を訪れたいと言っているのだ。連邦ではなく、アシュベルドに関心があるのが丸わかりの素振りである。しかしてその理由は?

 

「十中八九俺を未来の独裁者扱いして監視に来たんだよ……。痛くもない腹を探られるのは不愉快以外の何ものでもないぞ」

 

 彼は頭を抱える。一概に被害妄想と言えないところが悲しい。アシュベルドが大総帥の座を虎視眈々と狙っているという噂は、海外にまで広まっている。とうとう日の沈まぬ帝国が、直々に検分に来たということか。

 

「リアレ王女殿はその可憐な容貌とは裏腹に、大胆かつ聡明なお方らしい。母方の実家は聖体教会の枢機卿を輩出した家でもあるそうだ。聖体教会は、政経に対し絶対的な不干渉を貫いているんだったな。対する月の盾は、政界にも財界にも、君が声をかければ協力を惜しまない方々がごまんといる。見事なまでに正反対だな」

 

 私は事前に調べておいた王女殿下についての情報を述べる。もっとも、この程度の情報は、彼ならばとうの昔に知っていることだ。彼は私の前では打たれ弱くて愚痴ばかり言っているが、きちんとオンとオフはわきまえている。月の盾の重鎮として、その辣腕は瞠目に値するものだ。表向き、彼はきちんとカリスマ溢れる人物として振る舞えている。

 

 それにしても、帝国の王族がわざわざ月の盾の見学に来る、か。明らかに、殿下はアシュベルドを警戒している。どのような人物か自分の目で見極めようとしているのか、それとも今のうちに帝国の走狗として飼い慣らそうとするのか、はたまた大総帥の座につかないよう、何らかの方法で潰そうとするのか。

 

「殿下は絶対俺にいい印象は持ってないよなあ……」

 

 彼はため息をつく。実のところ、殿下がどう思っているのかは知らないが、彼は別に帝国を脅かすつもりもなければ、大総帥として連邦に覇を唱えるつもりもない。殿下の警戒は明らかに杞憂なのだが、さて、それをどうすれば分かっていただけるのだろうか。

 

「がんばりたまえ。君の本質は善良だから、それを分かってもらうよう今回の訪問で務めるんだ」

 

 御伽衆である私は、今はこのような毒にも薬にもならぬ物言いしかしない。しかし、だからといって彼を見捨てることはしない。

 

「ああ、がんばるよ……」

 

 私は傍耳。雇い主の側に寄り添い、問題解決まで共に寄り添うのが仕事なのだから。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第14話:対面

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 連邦の首都からやや北東に位置する街、ウーザークフト。森林と大きな湖が特徴のこの街は、古くから避暑地として知られている。その街の駅に列車が到着し、悠々と停車する。中からまず出てきたのは、物々しい警備の一団だ。それもそのはず。続いて駅に降り立ったのは、ほかでもない“白銀の名花”の異名を取る若き美貌の王女、リアレだった。

 

 リアレにとって、連邦とはさして興味をそそる場所ではなかった。船旅を終え、港に一歩足を踏み出した時から、それは痛感していた。いや、そもそも予想できていたのだ。どこも変わらない。貴族も市民も、報道陣も有力者も、皆注目するのは自分の外見だけだ。

 

「ようこそいらっしゃいました、リアレ殿下」

 

 彼女を出迎えたのは、連邦議会の議員だ。

 

「栄えある帝国の王女をお迎えできて、我ら一同心から光栄に思っております」

 

 スーツのボタンが今にも弾け飛びそうなくらいに膨れ上がった下腹と、ハムのように太い手足。そして二重三重に贅肉のついた顔は、リアレに以前動物園で見たカバを連想させた。その、へつらわんばかりの腰の低さ。この手合いは、リアレにとって見飽きた存在でしかない。

 

「国政の手を止めてまでの歓迎、感謝しよう」

 

 リアレの声には皮肉が混じっている。帝国と連邦とは、決して友好関係にはない。表面上は紳士的に振る舞いつつ、お互いを出し抜こうとしている緊迫感のある関係だ。それなのに、この議員の態度はまるでリアレの下僕だ。国民の代表たる議員とは思えない振る舞いに、リアレの言葉も自然ときつくなる。

 

「ありがたいお言葉。殿下のためならば、この程度のことは当然です」

「なるほど、当然か」

「はい、ええ、もちろん」

 

 その皮肉がまったく通じないことに、リアレはかすかに頭痛を覚えた。

 

(ふん、連邦の誇りはどこへ行った。貴君はいつから帝国の臣民になったのだ?)

 

 内心で痛罵するものの、リアレはそれをまったく表に出すことはない。

 

 改めてリアレは左右に目をやる。周囲には絶世の美少女である王女を一目見ようと集まった大勢の市民と報道陣。そして、彼らとは一線を画す者たちがいる。直立不動でずらりと二列に並ぶ、軍服のような制服を着て、軍帽のような制帽をかぶる者たちだ。周囲の喧噪など無視し、彼らは一糸乱れぬ動作で、リアレが通り過ぎるのに合わせて敬礼する。

 

「彼らが月の盾の職員か」

「はい、さすがは殿下。聡明でいらっしゃる」

 

 議員の世辞を聞き流し、リアレは月の盾の面々を見る。軍人そのものの立ち居振る舞いだ。しっかりと訓練されているのだろう。血族はどこかの廃城にひっそり住まうのではなく、ヒトの社会のただ中でヒトを襲う。常在戦場の心意気が徹底していることに、リアレは感心した。

 

 帝国の聖体教会に属する治療者たちは、皆聖職者の格好をしている。一方こちらはまるで軍隊だ。血族を狩る、あらゆる権力に対する特例となり得る軍。そして、リアレの行く先で待っていたのは――

 

「ようこそ、連邦へ」

 

 その姿を一目見た時、リアレの脳にある幻視が刻まれた。それは、猛々しく翼を広げた、金色に輝く羽毛に覆われた一羽のタカだ。

 

(黄金の鷹……!)

 

 その人物に与えられた尊称を、改めてリアレは思い出す。他の誰よりも際だって人目を引くその風貌。あたかも神話時代の英雄が、近代的な軍服に身を包んだかのようだ。彼が前線に赴くだけで、兵士たちは喜んで死地に飛び込むだろう。死後に行く英雄の館へ、戦士の守護者たる戦の乙女の手ではなく、黄金の鷹に導いてもらうために。

 

 一歩一歩、リアレは歩を進める。近づく度に、彼の容貌がはっきりと目に焼き付けられる。酷薄そうな口元。絶対零度の青い瞳。制帽からのぞく黄金の髪。そして何よりも、この世の全てに飽きつつも、この世の全てをひざまずかせようとする、押さえがたい野望に縁取られた美貌。自らが捕らえた獲物を、鋭い嘴で貪る恐ろしいタカがそこにはいた。

 

「貴君が月の盾長官、アシュベルド・ヴィーゲンローデか」

 

 自分の声が震えていないことに、リアレは安堵した。かつて面と向かったどんな相手よりも、この黄金の鷹が与える重圧は凄まじかった。だが、自分は帝国の王女である。法と神以外に屈する膝は持ち合わせていない。揺れる内心を押し隠し、歓迎を当然という顔でリアレは彼の方を向く。

 

「はい、王女殿下。私が月の盾長官にして大隊指揮官、アシュベルド・エリエデン・ハルドール・ヴィーゲンローデと申します。日没を知らぬ帝国の王女のご尊顔を拝せる光栄に、心からの感謝を」

 

 片方の手を胸に当て、優雅にアシュベルドは一礼する。頭を下げる行為でありながら、その所作には何一つ卑屈さも惨めさも、そして謙遜さもない。

 

「貴君の活躍はかねがね耳にしている。日々、連邦を血族から守る務めに従事しているそうだな」

「はい。これが今生において、主宰の与えた自分への天命と思っています」

 

 自分が月の盾の長官となったのは、神慮である。アシュベルドが言わんとすることをリアレは理解し、一瞬背筋が寒くなった。この男は、神さえも野心に利用するつもりなのか。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 





 2019/09/27 22:30の段階で、総合日間ランキング第44位、オリジナル日間ランキング第5位を獲得できました。これも読んでくださった皆さんのおかげです。ありがとうございました!




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第15話:疑念

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 たとえ王女であっても、ヒトであることに代わりはない。故にヒトは絶対的上位存在として神を崇拝する。それはリアレにとって当然の摂理だ。だが、このアシュベルドは違う。あたかも神を品定めし、それが有益か無益かを判断し、そして自分の利益のために利用しているかのようだ。何という、神をも畏れぬ傲慢さと冷徹さだろうか。

 

「連邦では月の盾。帝国では聖体教会。名こそ違うが、どちらも血族から人々を守るという点では同じだ。良きところは率先して学び、かつ共に競うことによって錬磨する。良い考えだとは思わないか?」

 

 知らず、リアレは話題を変えていた。何らかの共通項を一つでもいいから、この機械の如き青年に見つけたかったのかもしれない。

 

「人類の理智と文明は競争によって、より高みへと押し上げられてきました。優等な存在のみが、この惑星に居住する権利があります。殿下のお考えには私も賛成ですね」

 

 適者生存を当然とする思想。弱肉強食を鉄則とする信条。間違いない、アシュベルド・ヴィーゲンローデは既に月の盾長官の時点で、紛れもない独裁者の片鱗を見せている。

 

「ほう。つまり、私と貴君とで見解の一致が見られたということだな」

 

 ならば遠慮は無用だ。リアレは初対面からの数分間で、アシュベルドの本質を掴めたことに満足する。もはや、思わせぶりな言動は不要だ。ここからは帝国の王女として、思い上がった連邦のタカを狩るのみ。その風切り羽を切り、鳥籠に入れて飼い慣らしてやろうではないか。

 

「堅苦しいことは抜きとしよう。私を貴君の個人的な客人として、存分にもてなしてくれ」

 

 わざと親しげな態度をリアレは見せる。貴君の行動をこれから一つ一つ品定めしてやろう、といわんばかりの不敵な余裕。そうして悠然とリアレは手を差し出す。常ならば、リアレの態度に意味深なものを感じ、相手はわずかでも絶対にたじろぐはずだった。

 

「殿下がお望みならば、私としては断る理由もありません。貴き客人よ、今宵は連邦の歓迎をお楽しみ下さい」

 

 しかし、その例外がここにいた。差し出したリアレの手を、アシュベルドは平然と握りしめる。同時に、一斉に報道陣がカメラのシャッターを切る。二つの国の両雄が握手したその瞬間は、まさにマスコミにとって理想的な構図だったのだ。

 

 

 

 

「お見事でした、殿下」

「そう見えるか? ヒューバーズ」

 

 用意された送迎車に乗り込み、リアレは大きく息をつく。隣に座るのは侍従長のヒューバーズだ。リアレは素早く周囲に目を配る。要所要所に施された遮音の施術の痕跡を確認する。運転手も帝国人だ。

 

「はい。帝国の王女として、非の打ち所がない振る舞いであったと愚考いたします」

「ならば、私も少しは鉄面皮に振る舞うことができたというわけだな」

 

 リアレは自分で自分を皮肉る。最後の最後で、ものの見事に切り返された。大胆不敵なリアレの態度に、アシュベルドは平然と乗って見せたのだ。しかも、眉一つ動かさず、冷徹な表情を崩さずに。品定めするならば存分にするがいい、完璧に応じて見せよう――と暗に示していたのだ。

 

 何よりも、そのタイミングには舌を巻く。二人がちょうど握手した瞬間に、カメラのシャッターが一斉に切られた。群がる新聞記者たちに囲まれながらも、アシュベルドは冷ややかな笑顔を見せる余裕さえあった。最高の衆人環視の環境。帝国の王女の挑戦を堂々と受けて立ち、さらにそれが高らかに衆目に晒されるよう計算するとは。

 

「ヒューバーズ、あの男にだけは、決して油断してはならないぞ」

 

 底知れない人心掌握の技巧に、リアレは恐怖に近い感情を抱いていた。今までこんな感情など、経験したことがない。

 

「アシュベルド・ヴィーゲンローデのことですね」

「そうだ。こうして実際に会ってみてよく分かった。あの男は、人の形をした野心だ」

 

 リアレは知らず生唾を飲み込む。

 

「恐ろしい男だ。あの男は何ものにも束縛されない。だからこそ、何ものも敬わず、何ものにも満足しない。人にも、神にも、栄誉にも、支配にも。彼は冷え切った、氷山の浮かぶ極北の海のような目をしていた。あれほどまでに全てに退屈したような目を、私は見たことがない。それなのに、氷海の底にはどす黒い野心が暗い業火のように燃えているのだ」

 

 だが、ここでリアレははたと気づく。いったい、自分は何を言っている? この自分が、日没を知らぬ帝国の王女ともあろうものが、あの野心を肥え太らせた独裁者の前身如きを恐れているのか? まるで幼女のように? そのようなことなど、絶対にあってはならない! 帝国の未来のためにも、ここで相手の手中にはまってはならないのだ!

 

「あの男は必ず大総帥の座を狙う。だが、その程度で満足するはずがない。タカの爪は続いて帝国へと伸びるはずだ。私はそれを阻止しなければならない」

 

 リアレはその手を強く握りしめ、決意をはっきりと口にする。

 

「アシュベルド・ヴィーゲンローデ。貴君の野心がどれほどのものか、確かめさせてもらうぞ……!」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 





次回、リアレがアシュベルドに感じた「目」の理由が判明します。



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第16話:随伴

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 帝国王女を迎えての祝賀会は、連邦政府主催でここ、アウフューデン城で行われる。湖畔に建てられたこの古城は、改装を繰り返しつつ海外からの国賓を迎えてきた。既にリアレ王女は到着し、今頃は晩餐会に向けて身支度を整えていることだろう。それは私、燕雀寺祢鈴と彼、アシュベルド・ヴィーゲンローデも変わりない。

 

「う~ん」

 

 クラシックな夜会服に身を包んだアシュベルドが、鏡台の前で何やら唸っている。ちなみにここは、私にあてがわれた部屋だ。足しげく女性の私室に入り浸る我らが大隊指揮官殿だが、私の月の盾での立ち位置は長官の信頼できる相談役であり、非公式だが腹心扱いだ。ありがたいことに誰一人、私と彼の関係を邪推する職員はいない。

 

 彼は既に身支度を終え、こうして私の部屋に顔を出している。幸い私もほぼ着替え終わっていた。裾の長い濃いワイン色のイブニングドレスは、着物と勝手が違って動きにくい。首からは黒真珠のネックレスと、耳にも同じイヤリング。久方ぶりに豪奢に着飾るな。しかし、私が彼に「どう? 似合っているかね?」と聞くことはない。代わりに――

 

「君、穴の空くほど鏡を見つめてどうしたのだね?」

 

 椅子に座る私の疑問は、自分についてではなく彼についてだ。さっきから彼は鏡に顔を近づけている。

 

「ストレスが顔に出てるなあ、って思ってさ」

「なるほど」

「正確には、目に出てるなあ。鈴は気づかないかもしれないけど、目が死んでるみたいな感じになってる。ちょっと嫌だな、この感じ」

 

 鏡から顔を離し、彼はこちらを見る。言われなくても、私は彼の顔の変化には気づいているが? 確かに、どことなく目つきに陰鬱さがある。元より鋭利な顔立ちの彼だ。眼光に暗い輝きが混じると凄みが増す。

 

「むしろ、いい感じに相手に威圧感を与える双眼になっていると私は思うがね。頽廃的な雰囲気が出ていて、それはそれで魅力的だ」

「そ、そう? そうかな? こんな感じとか? それともこうかな?」

 

 私が誉めると、アシュベルドはたちまち嬉しそうになる。実に分かりやすい人間だ。彼は鏡に向き直ると、様々な角度でポーズを取り始めた。格下を蔑むような表情。不敵な笑みを浮かべた表情。一切に飽いたようなニヒリストの表情。だんだん自分に陶酔してきたのが分かるぞ。

 

「鏡の前で百面相はやめたまえ。見ていて笑えてくる」

 

 私は冷静に突っ込みを入れる。

 

「べ、別にいいだろ。周りの人にどう見られているのかっていうのはいつも気にしなくちゃならないんだから」

 

 まあ、それは正しい。そして実際、彼は衆目を惹きつけ、魅了する才能を有しているが、同時に努力を怠らない。

 

「それに、まだ気は抜けないからな」

 

 ナルシシズムから脱却した彼は、打って変わった真面目な顔でそう言う。この切り換えの速さと的確さは、さすが一組織の頂点と言えよう。

 

「リアレ王女殿下の第一印象はどうだったかね?」

「帝国では“白銀の名花”として親しまれているけれど、あえて俺はこう言いたいね」

 

 意味ありげな沈黙の後、彼は言う。

 

「――綺麗な花には刺がある」

 

 この真面目な表情。私からすれば、先程までの変に格好をつけた面持ちよりも余程魅力的だ。もっとも、世間は後者の方に熱狂しているのだが。

 

「油断ならない相手、ということか」

「ああ、そうだ。王女殿下は正真正銘の王族、人の上に立つべき支配者の器だ」

 

 どうやら、彼の目に王女殿下は、理想にして完璧な指導者の姿に映ったようだ。

 

「あー辛い。祝賀会なんか出たくない。殿下も適当に月の盾を見学して帝国に帰って下さればいいのに。あんなカリスマ相手に自分を装い続ける自信、俺にはないぞ」

「心中、察するよ」

 

 私はわざとそっけない返事をする。

 

「察する、か」

 

 案の定、やや不服そうな顔を彼はする。

 

「それ以上の言葉を、御伽衆から聞きたいかね?」

 

 私はそれだけ言って黙る。

 

 御伽衆は依頼主の悩みを聞くのが仕事だ。代わって解決案を出すのが仕事ではない。

 

「……いや、ありがとう。そうだね」

 

 私の言わんとすることを、彼は理解したようだ。

 

「よし、がんばるぞ」

 

 少しは気が晴れたのか、アシュベルドは拳を握りしめて気合いを入れる。

 

「期待しているよ。私も共に行こうじゃないか」

 

 私は椅子から立ち上がる。

 

「ありがとう、鈴」

 

 その私に、彼はさりげなく手を差し出してくれた。

 

「おや、エスコートとやらをしてくれるのかね?」

 

 冗談めかして言うが、彼はうなずく。

 

「周りの目があるから、途中までだけどね。……駄目かな?」

 

 確かに、皆の憧れの的である長官殿を私が独占するわけにはいかないな。

 

「ふふん、私が断るわけないじゃないか。嬉しいよ」

 

 しかし、こうやって彼に淑女として扱われるのも悪い気がしない。ああ、確かに悪くないとも。私は彼の手を取り、彼もまた私の手を取る。不思議なものだ。手と手を通して、見えない私の心と彼の心とが一瞬つながるような気がするのだから。

 

 ――――こうして私は、彼による密やかなエスコートをほんの少しの間だけ楽しませてもらうのだった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第17話:祝宴

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 日は没し、アウフューデン城では盛大な祝賀会が催されている。連邦と帝国の要人が互いに歓談し、親交を深め合う。だが、現実は単純ではない。例えば、この祝賀会を主催したのは連邦政府である。しかし、同時にこの祝賀会の主導は帝国でもあるのだった。その証拠に、普段ならば公式の場での武装が許される月の盾職員が、全員非武装である。

 

 どのような場所でも、どのような相手でも、血族ならば躊躇なく保護し治療に当たる。これが月の盾のポリシーであり、常時武装はプライドの具現である。それが保安の名目で制限されるのは、有り体に言えば月の盾という組織に対する非礼である。この制限がまかり通るのは、偏に帝国の強大さと、決して譲らないイニシアチブのあらわれであった。

 

 

 

 

 立食形式のパーティ会場内で、リアレはひと息つく。

 

「お疲れですか?」

「いや、問題はない」

 

 ヒューバーズの言葉に、彼女は首を横に振る。その視線の先。会場の中心で大勢の人に囲まれているのはアシュベルドだ。連邦の要人のみならず帝国の貴族たちも、彼の紳士的な物腰とどこか謎めいた危険性に、誘蛾灯に向かうガのように惹きつけられている。

 

 リアレが見ていると、アシュベルドにさりげなく近づく一人の女性がいる。長い黒髪の理知的な女性だ。肌の色や顔立ちからして、東洋人であることに間違いない。思いのほか身長が高いことと、履いている高いヒールの靴も手伝って、会場内で彼女は結構目立つ存在だ。しかし、女性はそれを嫌がる素振りも見せない。なかなか度胸のある人物だ。

 

「あれが、資料にあった燕雀寺祢鈴か」

 

 リアレは彼女の名を口にする。

 

「はい。アシュベルド長官専属の相談役です。何でも、彼が個人的に指名し、わざわざ遠く神州から呼び寄せたとか」

 

 彼女がアシュベルドに何やら囁くと、彼はうっすらと笑みを浮かべる。何事にも心が動かない冷血漢のように見えた彼が感情を見せたことに、内心リアレは驚いた。

 

「ということは、相当な実力者か」

「はい。月の盾では絶対的なカリスマを有する長官に、面と向かって意見できるただ一人の人物とされています。まさに、黄金の鷹の腹心、大隊指揮官の懐刀とでも呼ぶべき人物でしょう」

 

 なるほど。アシュベルドが一目置くのは、彼女が有能故か。リアレはアシュベルドの笑みの理由が分かった気がした。

 

 

 

 

「いや~、何ともこれはまさにオーセンティックな祝賀会ですねえ。私としても、これからロング・ラスティングになるに違いない両国のアジェンダに興味津々ですよ!」

 

 私の隣で、流行の最先端の夜会服に身を包んだ女性が、大きく何度もうなずく。月の盾の職員の一人、ミゼル・オリュトン。自意識の高さが長広舌に表れる、月の盾の問題児だ。

 

 彼女を一言で言い表すならば、まさに才女という言葉が適当だろう。大手金融機関の内定を蹴って、月の盾に就職したという異色の経歴の持ち主で、おまけに文武両道。経理担当だったのがなぜか血族確保の現場にまで出張し、しかもそれなりの成果を上げている。この前もアシュベルドの助けを借りて、血族に囚われた人質の救出もやってのけた。

 

「ミゼルさんも、今回の祝賀会には多大な期待を寄せている様子だね」

「もちろんですとも!」

 

 彼女の眼鏡の奥の両眼が、子供のようにキラキラと輝いている。私と共に、アシュベルドを少し離れた場所から見守る立ち位置だ。私が彼と共にいたのもつかの間。すぐに帝国と連邦の要人たちが押し寄せたため、私は彼らにアシュベルドを譲った。

 

「だってアシュベルド・ヴィーゲンローデ長官が、月の盾と聖体教会という二つのオーガニゼーションがカニバライゼーションするリスクを恐れずに設けた親交ですよ。前に踏み出す勇気によってこそ、ブランド・エクイティは高められ、ひいてはマルチパーパス的な視点からよりプライオリティの高いキャッチング・アップができるというものです!」

 

 ……知っての通り、御伽衆という家業はやや後ろ暗いものがある。人を癒すだけでなく、時に病ませるのも仕事だ。二重三重の暗示、自由自在の言い抜け、不安や猜疑を引き起こす甘言。こういった怪しいものも御伽衆は操ってきた。しかし、どうしたことか。ミゼルのまくし立てる高尚と思われる言辞は、御伽衆の私をもってしても解読不能なのだ。

 

「それにしても今夜のドレス、よく似合っているね」

 

 人の話を聞くことそれ自体は嫌いではない。ミゼルの奇妙な長広舌にはやや閉口するが、嫌悪するほどでもない。私がそうやって彼女の服装を誉めると、ミゼルは嬉しそうに胸を張る。私より年上だが、仕草がやや子供っぽい。ドレスを誉められて喜ぶところが、普段と違って女性らしく見える。

 

「ふふん、今日という日のために貯蓄したキャッシュを使って購入しちゃいました。将来的マネジメントの一環です!」

 

 いや、やはり彼女はいつも通りのミゼル・オリュトンだ。

 

「眼鏡も変えて知的な感じが出ているよ」

「『知はまず形から入れ。思考はすぐ発言せよ』! 私の大学時代のメンターの金言です。彼はですね……」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第18話:急転

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 なるほど。彼女のぶっ飛んでいるとしか言いようのない言動は、大学時代の恩師によって植え付けられたのか。しかし、私がそれ以上彼女の過去を聞くことはなかった。

 

「おや」

 

 パーティ会場がざわつく。それもそのはず。ついに王女殿下が動き出した。侍従長から離れ、アシュベルドに近づくとその隣に並ぶ。

 

「黄金の鷹と白銀の名花が揃ったな」

 

 実に絵になる構図だ。精悍な笑みを浮かべる猛禽めいた美青年と、その隣に凜と咲く花のように美しい美少女。しかもどちらもその国で尊敬される俊英同士だ。まさに至高の組み合わせだろう。

 

「うほほはぁ! イイ! これはイイ! すごくヴィヴィッドにイイですねぇ!」

 

 無駄に盛り上がるミゼルと共に、私は二人の様子を見守ることにした。

 

 

 

 

「それにしてもすごい人数だな」

 

 場所を移し、ここは城の外。城のあちこちから突き出した塔の上に設けられた見張り台だ。そこには、小銃を持った二人の警備員がいる。二人が双眼鏡で見ているのは、照明で照らされた城門から、城の中へと続々と入っていく侍女の一団である。その数は明らかに多すぎる。今回の祝賀会の雑事に必要な人数以上だ。

 

「さすがはクラーリック侯爵。メイド狂にしてメイド卿ってのは本当だな」

 

 もう一人の警備員も、感心した声を上げる。彼女たちは、有名な帝国貴族であるクラーリック侯爵お付きの侍女たちだ。この侯爵、警備員の発言通りのあだ名をもらっている。何しろ常軌を逸したメイド好きにして、世界的に有名なメイドの衣装専門のデザイナーでもあるのだ。

 

 確かに、彼女たちは全員、まるでモデルのように見目麗しい。その服装も、主人の徹底的なこだわりが見て取れる。そこには清楚さと洒脱さが奇跡の両立を見せていた。

 

「今回の祝賀会を新作モデルの発表会と兼ねたいんだよ、侯爵は」

「そりゃずいぶんと商売上手だな」

 

 そう言って二人は、疑う様子もなく彼女たちの監視を続けるのだった。

 

 

 

 

「貴君は皆の注目の的だな」

 

 リアレはアシュベルドの隣に立つと、改めて周囲を見る。

 

「殿下ほどではございません。騎士の家の出身故、貴き血に連なり人々の上に立つのではなく、むしろ貴き血の方々をお守りするのが私の役目です」

 

 対するアシュベルドはそう言って謙遜する。確かに、彼の家は由緒正しい騎士の家柄だった、とリアレは思い出す。

 

「ということは、私も守ってくれるのか?」

 

 いたずらっぽい笑みを浮かべてリアレは尋ねる。

 

「殿下がお望みとあらば、夜陰に跳梁する悪しき者どもの牙から、殿下の寝所を死守いたしましょう」

 

 アシュベルドはうやうやしく一礼する。

 

「それにしても、貴君のような勤勉な指導者を得て、大統領も果報者だな。さぞ喜んでいることだろう」

 

 その落ち着いた挙措に舌を巻きつつ、リアレは話題を変える。

 

「私たちの働きが、連邦国民の安全につながっていますので」

「では、その果てに何を求める?」

「と、申しますと?」

 

 いぶかしげな表情で、アシュベルドはこちらを見る。本題に入る時が来た、と柄にもなくリアレは一度深呼吸する。彼の前では、年相応の少女になってしまった気がする。

 

「これは、貴君を一人の男児と見込んで尋ねている。貴君にとって確固たる大義とは何だ? 貴君の生涯における大望を聞かせてもらいたい」

 

 逃げも隠れもしない、正々堂々たる一手に、アシュベルドは躊躇なく答えた。

 

「私が求めるものは、公正です」

 

 公正。明白で正しく公平なこと。実に分かりやすい言葉だ。

 

「差別なく、邪曲なく、虚偽なく、万民が穏やかに安心して暮らせる社会。もし私に力があるのでしたら、それを実現したいのです」

 

 まるで若き政治家が有権者に語る理想論だ、と一瞬リアレは感じる。

 

「ならば……」(その頂点に貴君は立つつもりなのか?)

 

 もはやその先に続くのは、雑談ではなく詰問だ。リアレがためらいつつも口を開いたその時。

 

「殿下、一大事です!」

 

 パーティ会場に続くドアが突如開け放たれ、転がるような勢いで入ってきた者がいる。周囲の人影が、不審そうにざわめきつつ左右に分かれていく。

 

「何事だ! ヒューバーズ!」

 

 見間違えようがない。それは侍従長のヒューバーズだ。アシュベルドと会話している間彼に注意を払っていなかったが、少し外に出ていたのだろうか。

 

「奴らは……!」

 

 青ざめたヒューバーズは懸命に言葉を続けようとするが、それは叶わなかった。彼の背を蹴って床に叩き付け、会場に入ってきた侍女の一団がいる。彼女たちの侍女の制服でありながら、猛烈なこだわりを感じさせるデザインは見間違えようもない。メイド狂にしてメイド卿である、クラーリック侯爵お付きの侍女たちだ。

 

「不作法極まる闖入をどうかお許し下さい、リアレ殿下」

 

 先頭に立つ眼鏡をかけた侍女が、周囲のざわめきを一切無視し、丁寧に一礼する。

 

「我らクラーリック・モデル一同、殿下をお迎えに上がりました」

 

 彼女は顔を上げ、真顔で告げる。

 

「人の興じる宴会は終わりとなります。続きまして、血族の夜会の開催と相成りますので、皆々様ご承知下さいませ」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 






 2019/10/01 23:30の段階で、総合日間ランキング第24位、オリジナル日間ランキング第7位を獲得できました。読んで下さった皆さんに感謝です。




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第19話:暗転

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 血族。その言葉に、大広間に居合わせた帝国貴族たちと連邦政府の要人たちが驚愕するよりも先に、眼鏡の侍女が動く。彼女が手を伸ばすと、隣にいた侍女がその手に陶器のポットを差し出した。眼鏡の侍女はそれを持つと床に叩き付ける。ポットが割れるのと同時に、中の液体が飛び散る代わりに、その周りの空間が見る間に暗くなっていく。

 

「暗幕か」

 

 リアレを守るようにしてアシュベルドは前に出る。

 

「血族だと……?」

 

 リアレは、自分の声が震えているのを実感していた。

 

「ええ、殿下」

 

 対するアシュベルドは、悽愴な笑みを浮かべていた。あたかも、悪魔の討滅に歓喜する懲罰の天使の如く。

 

「どうぞ特等席でご覧あれ。これより我ら、残酷なる歌劇の役者となって、殿下のために歌いましょうぞ」

 

 

 

 

 さて、人間が血族に転じてしまう元凶、即ち線虫について少し話そう。この虫が血中に入り込むことで、人間は血族に転化してしまう。こう書くと、単純な寄生虫のように感じることだろう。しかし、線虫とは実に奇妙な生命体だ。言うなればこれは「受肉した呪詛」とでも呼ぶべき存在なのだ。あるいは「感染する生きた呪い」とでも言い換えようか。

 

 線虫はもしかすると、古代の誰かが蠱毒をやらかした果てに生まれた人工生命体かもしれない。その時の呪いが虫の形を取って未だに息づき、人を血族に変えていく。おかげで血族は病態という異能を有することが多い。光や電波を遮断する即席の暗闇を作る、暗幕もその一つだ。あれをやられると、凡人が血族から逃げることは極めて困難となる。

 

 暗幕によって作り出された暗闇と、血族と化した侍女たち。一刻前まで優雅な祝賀会が開かれていた大広間は、この二つの要素によって一方的な狩り場に変じた。血族たちは次々と犠牲者を組み伏せ、体のどこかに噛み付き、線虫を感染させていく。その感染力は並外れている。もしかすると爵位クラスの血族が、この侍女たちの元締めかもしれない。

 

「さて、私はいろいろ貴君に言いたいことがある」

「何なりとおっしゃって下さい、殿下。私は聞いております故」

 

 私たちが今いるのは、大広間の上階にある、凝った作りの礼拝堂だ。結婚式などのセレモニーも行われるため、内装は豪勢で間取りも広く実に立派だ。しかし今、ここは城を占拠した血族からヒトを守る拠点と化していた。

 

 入り口には椅子やら家具やらでできたバリケードが積まれ、そこに二重三重にルーンによる防護が施されている。先程も書いた通り、生ける呪詛である線虫には、この手の施術が有効だ。放心している帝国貴族たち。混乱している連邦の要人たち。そして彼らの間をきびきびとした動作で行き来し、着々と防衛戦の準備を整える我ら月の盾の職員たち。

 

 まったく、月の盾は有能で実にありがたい。私の隣にいるアシュベルドがいちいち命じなくても、自分で判断して行動してくれるのだ。おかげで彼は、今回一番守るべき対象である、リアレ殿下との会話に集中できている。適材適所という奴だな。そして私の役目とは、アシュベルドの傍らに立ち、彼と殿下の会話を聞き逃さないことだ。

 

 

 

 

「まず、私を助けてくれたことに礼を言おう」

 

 何はなくとも、リアレは素直にアシュベルドに感謝することにした。これは事実だ。暗幕によって見る間に暗がりに覆われていく大広間から、慌てることなく自分を避難させたのはほかでもないアシュベルドだからだ。彼が隣にいてくれなければ、リアレの首筋に血族の毒牙が刺さっていた可能性は高い。

 

「月の盾を預かる者として、血族の暴挙は許せない。私の行動理念は、ただその一言に尽きます」

 

 祢鈴を秘書、あるいは副官のように隣に立たせたアシュベルドは、鷹揚に応える。今の状況を考えるならば、信じられないほどの冷静さだ。血族に追い込まれ、外部と連絡がつかない窮境など、この男には休日の散策と同程度でしかないのだろうか。

 

 しかし。だからこそ。アシュベルドのあまりにも落ち着き払った態度が、逆にリアレから平常心を奪ってしまった。

 

「ならば……なぜ彼らはこのような状況に陥っているのだ!?」

 

 リアレは声を荒げて周囲を見回す。そこには礼服を汚し、戸惑いと恐怖と焦燥感で顔を青ざめさせた、放心状態の帝国貴族と連邦の要人たちがいる。

 

「戦略的撤退です、殿下。これは敵前逃亡などではありません」

 

 しれっとアシュベルドは言い放ち、側を通り過ぎる際に敬礼した月の盾の職員に軽くうなずいてみせる。

 

「大広間にはまだ多くの人々が残っていたのだぞ! 月の盾は助けに行かないのか!?」

 

 リアレの質問に、アシュベルドは意外そのものと言った表情を見せた。

 

「助けに? なぜです?」

 

 リアレの名誉のために補足するが、普段の彼女はここまで感情的ではない。国王の娘として、年齢にそぐわない落ち着きと威厳をこの少女は持ち合わせている。だが、やはり子供であることに代わりはない。今夜のような予想外の事態にも沈着冷静に対応しろと言うのは、無理な注文である。まして、リアレの隣には侍従長のヒューバーズはいない。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 




 次回、独裁者アシュベルドがノーブレス・オブリージュと適者生存について語る!


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第20話:退転

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「な、なぜって……月の盾は血族から人々を守るのが本分ではないか!? 貴君は何を考えているのだ!?」

「私の考えは単純ですよ、殿下。助ける価値があるか、そうではないかです」

 

 アシュベルドはリアレの方を見る。その瞳のあまりの冷酷さに、リアレは背筋に寒いものが走り抜けた。この男は、人間をまるで食用の家畜のように選別しているのか。

 

「今私が欲しいのは、私の命令に従い、血族どもに対して反撃の爪牙となり得る者。つまり、実戦経験を積んだ私の部下たちです」

 

 アシュベルドの視線を追って、リアレは周囲に目を配る。月の盾の職員たちは今も持ち場につき、あるものは見張りを続行し、あるものはルーンを刻み、あるものは今後の作戦を話し合っている。手持ちぶさたな者は皆無だ。

 

「な、ならば、貴君の国の要人たちは無価値だというのか?」

 

 祝賀会の時に言ったアシュベルドの言葉をリアレは覚えている。彼の望むものは「公正」だった。その言葉には、理想を求める気高さがあった。なのに、今のアシュベルドはそれとはかけ離れている。あの時の言葉は嘘だったのか? リアレのその質問には、すがるような響きが含まれていた。

 

「ああ、あれですか。あれはまあ、単なる必要な犠牲という奴です。そういう意味では、彼らもまた私の役に立ってくれました」

 

 しかし、リアレのわずかな期待は、続くアシュベルドの言葉によって粉微塵に砕かれることとなる。彼の言葉には、連邦の要人たちに対する配慮や憐れみなど、欠片もなかったのだ。

 

「血族と化した侍女たちが、右往左往する彼らに気を取られてせっせと増殖に励んでくれたおかげで、私の貴重な戦力はほとんど減ることがなかった。実に素晴らしい」

 

 一人一人の人間を、ただのチェスの駒のようにしか考えていないその発言。人倫も人命も人権も、彼にとってはただの無意味な雑音でしかないのか。

 

「き、貴君は何を言っている……?」

「何よりも殿下、彼らの犠牲によってあなたをお守りすることができたのです。これは重要ですよ。帝国貴族の方々も、殿下の盾となって血族から殿下をお守りできたのなら、貴族の本懐ではないですか。彼らもきっと喜んでいますよ。ははははは、まさにノーブレス・オブリージュの鑑と言っておきましょう。実に素晴らしい。感動させていただきました」

 

 リアレには、目の前で冷え切った笑い声を響かせるアシュベルド・ヴィーゲンローデという存在が、同じ血の通った人間にはとても思えなかった。この男は、必要とあらば味方でも平然と切り捨て、目標の達成のためならばどれほどの犠牲を払おうとも、それを笑って受け入れるのだ。人の上に立つものとして、これほど恐ろしい人種はいない。

 

「さて、私は少し席を外させていただきます」

 

 絶句するリアレを尻目に、アシュベルドは優雅に一礼してからきびすを返そうとする。

 

「どこに行くつもりだ?」

 

 口にしてから、リアレは自分の口調がきついものになっていることに気づく。

 

「少々この服装では動きづらいため、着替えるだけですよ。やはり、狩りにはそれ相応の装束がありますからね」

 

 帝国王女の詰問に、怖じる様子もなくアシュベルドはそう答える。

 

「祢鈴、貴公も着替えるといい。その格好では動きにくいだろう?」

「はい。ではお言葉に甘えて」

 

 それまで一度も会話に加わらなかった腹心の祢鈴も、彼に続いてその場を後にする。残されたのはリアレだけだった。正真正銘、手持ちぶさたになってしまったリアレだけが。

 

 

 

 

 礼拝堂を後にした私は、アシュベルドと共に彼に割り当てられた部屋に直行した。部屋に入った彼は、まずドアを閉め、脇目もふらずに部屋の四隅に刻まれた施術を確認する。防音の効果を持たせた彼特製のルーンだ。さらに他の防犯用のルーンにも目をやり、この部屋が完全に彼と私の二人きりであることを徹底して確認する。そして――――

 

「はああああぁぁぁぁ……………!」

 

 それはそれは長いため息だった。まるで、ウシかゾウかクジラのため息だ。いや、私はその三種のため息など聞いたことがないので、比喩なのだが。彼は恐ろしく長いため息を絞り出すと、同時に部屋の壁に手を当ててがっくりと肩を落とす。凄まじい量の負のオーラが全身から立ちのぼっているのがよく分かる。

 

「ああ、ああああぁぁぁ…………!」

 

 アシュベルドが呻きながら身もだえする。額をゴンゴンと何度となく部屋の壁に当てている。

 

「うがあああああぁぁぁ…………!」

 

 ああ、これは少々まずいことになった。このままだと彼は人外の慟哭を喉から絞り出しつつ、壁を頭突きで割りかねない。そろそろ、気を逸らす必要がありそうだ。

 

「いやはや、さすがは徹底した合理主義者。本来守るべき要人さえ、勝利のための道具にして使い潰すとは。まさに冷血、まさに無情、まさに非道。殿下もかなり怖がっていたように見えたが?」

 

 私は今の彼に対する周囲の反応を予想してみる。何と恐ろしい人物だろう。まさに獰猛なる黄金の鷹。彼にとって万人は、すべからく盤上の駒でしかないのだ。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第21話:本音

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「そうだよねぇぇえええ!」

 

 弾かれたような勢いで、彼は私の方に振り向く。あの氷像の如き美貌はどこへやら。両目から滝のように涙が流れている。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 助けてあげられなくてごめんなさい見捨ててごめんなさい見殺しにしてごめんなさい血族に感染させちゃってごめんなさいぃぃぃいいい!」

 

 怒濤の如き謝罪の連打。先程リアレ殿下の前では「単なる必要な犠牲」と言い放った者たちに対し、アシュベルドは謝って謝って謝り続ける。

 

「いや、あれは仕方がなかったと私は思うが。あの状況でさっさと私たちが撤退していなければ、今頃この城は血族の支配下だ。まるで恐怖小説だな」

 

 私はさすがにフォローする。だが、彼の謝罪は止まない。

 

「そうだけど! そうなんだけど! ああああああ! 本当に本当にごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃぃぃいい!」

 

 頭を抱えて彼は叫ぶ。このままでは、床に手をついて全方位に謝罪しかねない。さすがにそんな彼を見たくなくて、私は話題を逸らすことにした。

 

「さて、ここで質問だ。外面を取り繕った君ならば、現状をどう言いくるめる?」

 

 彼の動きが止まった。数秒考え込むと、近くのタオルを取って顔を拭う。目つきが変わった。

 

「犠牲のない勝利などが存在すると、貴公は本気で思っているのかね? 我が月の盾は進軍する。敵の死骸を踏みにじり、味方の死骸を乗り越え、血塗れの勝利を私の手にもたらす。そのために貴公も奏でよ。私が指揮する交響楽の音色となることを許そう」

 

 その自信に満ちた声。他者を駒のように扱う傲慢さ。勝利に対する貪欲さ。何よりも万人を威圧する暴力的なまでのカリスマ。泣きながら謝っていたへなちょこは消え去り、そこにいたのは正真正銘の若き独裁者だった。

 

「はい、完璧だ。今の言葉を月の盾の職員に聞かせたいね。全員目を潤ませて聞き入るよ。連邦のお偉方も感無量だ」

 

 いやはや。つくづく思うのだが、この切り換えの速さと外面のよさ。万人を狂奔させる弁舌と振る舞い。どんな御伽衆でも真似できない、人心掌握の体現だ。

 

「そうだといいけどね…………」

 

 私の感心を知らず、彼は深々とため息をつく。

 

「さすがに今回は犠牲が大きいよ。一歩間違えれば月の盾の責任問題だ。ああ、どうしよう。俺のせいだ」

「いや、うまく言い抜ければ何とかなるぞ。何しろ、我々は今回保安の名目で武器の携行を許されていなかったからね。君はルーンが使えるからいいけど、わずかな投薬武装だけであの数と互角に渡り合うのは難しいよ。むしろ、君の指揮でここまで被害を押さえられたんだ」

「鈴にそう言ってもらえると、少し肩の荷が下りるよ。ありがとう」

 

 素直に彼は私に礼を言う。

 

「どういたしまして。何しろ我らは御伽衆。雇用主の心に降り積もる灰を払うのが飯の種なのだからね」

 

 私の言ったことは世辞ではない。実際、今夜月の盾の職員は武装していない。主催者である帝国の意向だ。携行できたのは、投薬武装という対血族専用の武器がごくわずかだけだ。

 

 アシュベルドはルーンという文字化された神秘を扱えるが、いくら彼でもあの人数の血族から、会場内の全員を守りきるのは至難の業だ。彼は大いに後悔しているが、あそこでさっさと撤退したのは戦略的に見れば正解だろう。万全の布陣で迎え撃つならともかく、奇襲を許してしまった時点で、彼一人でどうにかできる問題ではない。

 

 見たところ、帝国の侯爵が連れてきた侍女たちが感染源のようだが、果たしてどうなのか。何はともあれ、今はこの城から脱出するか、あるいはこの城を丸ごと消毒する必要がある。

 

「あ、そろそろ着替えるよ」

「ああ、すまんすまん」

 

 彼がそう言ったので、私は後ろを向く。そろそろ私も、この動きにくいドレスから制服に着替えたいのだが。

 

「私が言いたいのはね、うまい具合に事態の責任を帝国側に追求できるということだよ」

「いや、それはしたくないな」

 

 私の提言を、彼は否定する。

 

「ほう?」

「リアレ殿下はまだお若い。先程お話ししたけれども、かなり憔悴しておられた。この上さらに責任まで押しつけたら、さすがに可哀想だよ」

 

 ずいぶんと真っ当な意見だ。

 

「おやおや、我が大隊指揮官殿はずいぶんお優しいね。君のことを将来の独裁者と疑っているから、この辺りで少し飴をあげるつもりかね?」

「それもあるけどさ。第一印象は、まさに王族の器、って思ったけど、こうやって事態が滅茶苦茶になると、さすがにお辛そうだった。ここで弱みにつけ込むんじゃなくて、むしろ支えてあげたいんだ」

 

 私は押し黙る。

 

「……鈴?」

 

 その沈黙に、彼が不思議そうな声を上げる。

 

「いや、君はやはり立派だよ。私のような左道の話し手が側に控えるには、もったいないくらいの君子だ」

 

 それが私の正直な感想だ。御伽衆は言葉を通じて人心を操る技術者たち。対して、今の彼は王道を行く正しき為政者だ。後ろ暗い職種の私には、少々彼の立ち位置は眩しい。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第22話:壺中

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「それはさすがに買いかぶりだよ。俺はただ、良心に恥じないことを口にしただけで……」

「実際に行動に移すから、君は英雄の器たり得るんだ。大抵の人間は、口にすれど行わないからね」

 

 彼の反論を私はふさぐ。私の前では、彼は黄金の鷹ではなく一人の気弱な青年だ。しかし、だからこそ、彼は人の弱さも脆さも知る英雄の器なのだと思う。

 

「――よし」

 

 しばらくして、彼が着替え終わった気配を感じ、私は振り向く。そこには、見慣れた月の盾の制服に身を包んだアシュベルドがいる。

 

「うん、いつもの君だ。凛々しく、格好良く、そして恐ろしい。安心したまえ。君が虚勢でもいいから自信を見せれば、優秀な君の部下は一騎当千の働きをみせてくれるとも」

 

 鍛えられた長身の彼には、軍服のようなこの制服がとてもよく似合っている。気障な制帽の下の凍てつく美貌は、多くの人にとって尊敬と同時に恐怖を抱かせるだろう。しかし、私だけは知っている。その凍土の下には、確かに血の通った優しさが息づいていることを。もっとも、今はそれを余人に教える気はないがね。私だけの特権という奴だよ。

 

「ありがとう。鈴にそう保証してもらえるから、俺もみんなの望むアシュベルド・ヴィーゲンローデでいられるんだ」

「光栄だね。今後もこの不出来な御伽衆をどうぞごひいきに」

 

 まったく、彼にそう言われると柄にもなく嬉しくなってしまう。つくづく、私という御伽衆はよい雇用主を得られたものだ。

 

「それはそれとして、鈴も制服に着替えた方がいいよ」

「ああ、そうするとも。すまないが、少し一緒に来てくれないか」

 

 私の提案に、彼は目を丸くする。

 

「え? ええっ!?」

 

 驚いた顔の彼に、私はにやりと笑ってみせた。

 

「ほら、この背中のボタン。ここだけはずしてくれないかな。手が届きにくくて難儀するだろうからさ。ね?」

 

 

 

 

 世の中には、ちぐはぐな組み合わせというものがある。シャザーム・バルズスフがまさにその体現者だ。月の盾の職員であり、主に輸送と調達が仕事だ。年齢は四十代。体格は中肉中背。肌の色は濃い褐色。やや悪人顔だが、人なつっこそうなその顔を覆う黒い口ひげとあごひげ。人種は、この連邦においてやや風当たりの強い、中東からの移民だ。

 

 彼は若い頃から、ほぼ身一つで世界中を飛び回っていた。そんな彼の人生の転機は、神州の隣の大陸、即ち中夏国で仙人を自称する老爺に出会ったことだ。彼の話によると、

 

「爺さん、俺に仙人の素質があるとか言って、いきなり山の奥に連れてったんだよ。こっちもちょうど素寒貧で、薪割りでもして日銭を稼ごうかなって思ったんだけどさ……」

 

 彼はその後、三十年もの間老爺のところに拉致された。下男としてこき使われつつ、老爺に仙人の修行を積まされたらしい。だが、結局彼は仙人にはなれなかった。気がつくと彼は、山のふもとに立っていたそうだ。そして彼は知った。たった三ヶ月しか、実際は経過していないことに。本当かは分からない。この男は飲むとしょっちゅうほらを吹く。

 

 無論、御伽衆の耳をもってすれば、彼が嘘をついているかどうかは分かるが、いちいち確かめはしない。大事なのは、彼がある規格外の技能を使えることだ。それは彼曰く「壺中天の術」という、たった一つだけ老爺から教わった仙人の術だそうだ。中東の移民が中夏の仙人の技能を使うなんて、実にちぐはぐだろう?

 

 

 

 

 自室で制服に着替え終え、私はアシュベルドと並んでアウフューデン城の廊下を歩いている。

 

「手伝わせてすまなかったね」

「ああ、気にしないでいいよ。それより、男の人がいて嫌じゃなかった?」

 

 まったく、あのドレスは背中にボタンがあって実に大変だった。彼にはずしてもらったが、今も彼は何やら少し照れているようだ。

 

「それこそ気にする必要などないとも。君と私の仲じゃないか」

「鈴はおおざっぱだな」

「いやいや、私だってうら若き乙女とまではいかないまでも女性だぞ。単に気心の知れた君ならば、嫌がる理由など何もない、と言いたいだけさ」

 

 と言っても、彼は私の背のボタンをはずしたらさっさと後ろを向いてくれたのだが。

 

「嬉しいよ、そう言ってもらえると」

 

 こういうところが彼は実に紳士的で、私としては好感が持てる。

 

「それはさておき、これからどうする? 警備用の武器庫の武器を使いたいけど、いくつかは血族の監視下にあるから衝突は避けられないだろうね」

 

 私は話を現状に向ける。何はともあれ、今の私たちに欲しいのは武器だ。

 

「大丈夫だ、いい案がある」

 

 と、ここで頼もしい彼の発言。

 

「さすがは少佐殿。準備がいい」

「いや、これは偶然なんだ。もっとも、誰も信じないだろうけどさ」

 

 少し自嘲気味に彼は笑うと、先程から手に持っていたものを掲げる。それは、金属製の古びたランプだ。優美な曲線で構成されたそのデザインは、明らかに連邦のものではなく、中東のものだ。彼はそれを、ポケットから出したハンカチでこすり、呟く。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第23話:誤解

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「――急ぎに急ぎ、律令の如く厳しくせよ」

 

 急急如律令。中夏でよく用いられる文言だ。中東のランプに中夏の成句とは、実にちぐはぐだ。だが、変化はすぐに生じる。何も入っていないそのランプの先端から、もくもくと黒煙が生じる。中には彼の刻んだルーンともう一つ、別の人物の施術が刻まれている。

 

「お呼びとあらば即参上。日用品から軍需物資まで何でも運ぶ皆さんのための便利屋、シャザーム・バルズスフさんですよっと」

 

 煙の中から、あたかも中東の精霊であるジンのように姿を現したのは、中年の男性だ。褐色の肌に濃い口ひげとあごひげ。どこか憎めない悪人顔。そう、彼こそが月の盾の職員の一人、シャザーム・バルズスフだ。

 

「私の期待通りだな、シャザーム」

「そりゃもう、ほかでもない少佐殿の命令ですから。たとえ大統領から依頼されててもうっちゃってあんたのところにはせ参じるってもんですよ、ええ」

 

 すっかりよそ行きの顔で、アシュベルドはシャザームに話しかける。対するシャザームは、滑稽ささえ感じる大げさな動作で、うやうやしく彼に一礼する。

 

 彼の使う技能は「壺中天」。中夏の仙人の術で、小さな壺の中に別世界を作り上げるというものだ。相手に錯覚させるだけなら御伽衆でもできるが、こちらは実際に空間を変異させる。と言っても、彼は仙人になれなかった人間である。本物の仙人のように壺の中に別世界を作ることはできないものの、壺などを媒介にある程度空間を操作できるのだ。

 

 ご覧のように、ランプを介してシャザームは離れた場所からアシュベルドの前に空間を越えてやって来た。ああ、なるほど。確かにこの人物は今の私たちに必要だ。彼さえいれば、占拠した倉庫から武器を一度に運んだり、あるいはそもそも外部から武器を取ってくることも可能となる。

 

「おや、隣にいらっしゃるのは腹心の燕雀寺殿じゃないですか」

 

 私に気づいたらしく、シャザームがこちらを見、次いでにやりと笑った。小悪党が悪だくみを思いついた、といった感じの顔だ。

 

「ってことは、必勝の策が既にできあがっている、ってことですか。さすがは長官殿。まったくもって恐ろしいお方だ」

 

 何やら一人で納得し、シャザームはうんうんとうなずいている。

 

「下はどうなっている?」

 

 シャザームの思わせぶりな態度を完全に無視し、アシュベルドは簡潔にそう尋ねる。

 

「いやはや、とんでもないですなあ。約束通り来てみたら驚きましたよ。まるで角砂糖にたかるアリだ。メイドにぼんぼんにレディにノーブル。一緒くたになって防壁を突破しようと苦心惨憺って感じですよ」

 

 おどけた様子でシャザームは状況を説明する。

 

「血族とは接触したか?」

「まさか。俺はこう見えて荒事は苦手なんですってば。こっそり隠れてうかがってましたよ」

 

 どうもこの男は手癖が悪い。月の盾の職員という肩書きはあるが、どちらかというとうさん臭い悪徳商人、あるいはこそ泥と言われても仕方がない物言いと態度だ。

 

「でも、少佐殿はこれから打って出るんでしょ? ね?」

 

 期待に満ちた表情でシャザームは食いつく。

 

「そのとおり。故に、貴公の壺が必要になるということだ。私の部下たちの手に握らせる武器を用意できるな?」

「もちろん。長官殿の命令一下、ここにたかったアリたちを瞬く間に戦場の花火にして差し上げますよ」

 

 どんと来い、と言わんばかりにシャザームは胸を張る。まあ、頼もしい人材ではある。

 

「貴公の働きには期待しているぞ。早速準備にかかれ。他の者はこの階下、礼拝堂に集まっている」

「了解しました、長官殿。ではお先に失礼します」

 

 わざとらしく敬礼してからシャザームは駆け出そうとしたが――

 

「あ、これは純粋な好奇心って奴なんですがね」

 

 何やらにやつきつつ、シャザームはきびすを返し、アシュベルドに近づく。

 

「ねえ長官殿。あんた、こうなることを予測していたんじゃないですか?」

 

 シャザームは訳知り顔だ。まるで『大丈夫大丈夫。俺はあんたの味方ですから否定しなくてもいいじゃないですか。分かってますって』と言わんばかりのなれなれしさだ。勝手にアシュベルドの行動を深読みし、勝手に自分もそれに一枚噛んだ気になっている。

 

「俺の壺はこういう時こそ役に立ちますが、普通にものを運ぶならトラックの方が余程便利だ。じゃあ、なんで俺は今夜、移民でありながらこうして城に招かれたんでしょうなあ? あまりに都合が良すぎません?」

 

 シャザームの予想によると、アシュベルドは今夜血族の襲撃があることを知っていた上で、わざと見逃したということになる。

 

「なるほど――」

 

 思わせぶりなシャザームに対し、アシュベルドも思わせぶりに腕を組む。その目が細められ、冷たい眼光が相手を射る。

 

「おおっと、いかんいかん。今のはただの戯れ言ですってば、戯れ言。本気にしないで下さいよ」

 

 彼の全身から滲み出る威圧感に怯えたのか、白々しく笑いながらシャザームは手を振って愛想を振りまく。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 




 総合評価777pt突破。これも皆様のおかげです。
 ありがとうございました。


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第24話:有耶

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「俺だって命は惜しい。本当のことをあんたの口から聞いた日には、次の日消されたって文句は言えませんからなあ」

 

 まったくもってこの男の妄想はたくましい。きっと彼の頭の中では、自分だけがアシュベルドの野望(血族の襲撃計画をわざと見逃し、自分が華麗に解決することで帝国に恩を売る作戦)に気づき、危うく粛清されかかっているのだろう。

 

「大丈夫ですって。このシャザーム・バルズスフはあんたの役に立ちますよ。絶対に損はさせません」

 

 生死が天秤にかけられるスリルを楽しんでいるシャザームに、アシュベルドは温度のない声音で告げる。

 

「その言葉、今は信じておこう。ただし――」

 

 言いつつ、彼は笑みを浮かべる。冷え切った氷河のような、見るものの背筋を凍らせる笑みを。

 

「指し手の意を無視して盤上で動く駒に、果たしてどれほどの価値があるのか。貴公も分からないわけではあるまい?」

 

 シャザームがへらへらとした笑みを消して、一瞬怯えたような顔になった。

 

「……お言葉、肝に銘じておきますよ。ええ、俺の安楽な老後のためにも、ね」

 

 そう言うと彼は、真顔で今度こそ私たちの側から去っていった。

 

「……行ったか」

 

 彼の姿が見えなくなり、気配も消えたことを確認してから、私はアシュベルドの方を見る。まったく、彼は変な男に変な期待をされているものだ。シャザームは彼の行動を勝手に深読みし、勝手に彼を深謀遠慮の冷血漢だと勘違いしているが、悲しいかな、連邦の人間は現在誰しも似たり寄ったりの状態である。

 

「ワインだよ」

「ワイン?」

 

 私は首を傾げる。

 

「ここの城に保管してあるワインが、彼の故国のものだって以前ガイドブックで読んだことがあったんだ」

 

 ああ、なるほど。シャザームは無類の酒好きだ。そして彼の故国のワインなど、今移民に風当たりの強い連邦ではなかなか扱っていない。

 

「だから、後でこっそり招くつもりだったんだけど……」

 

 アシュベルドはため息をつく。

 

「分かるよ」

 

 せっかくの彼の親切が、こうして彼への誤解をさらに深める要素に変わってしまったのだ。

 

「分かる?」

 

 私の言葉に、彼は同志を見る目で私を見てくれる。

 

「明らかに彼は誤解しているね」

「そうだよね……」

 

 それでも彼は行く。たとえ誤解され、勘違いされても、月の盾長官の義務を果たすために前に進まざるを得ないのだ。

 

 

 

 

 不安が、悪寒のように這い上がってくるのをリアレは感じていた。今ここに、長年寄り添っていた侍従長のヒューバーズはいない。そのことが、リアレにとって何よりも心細い。

 

(何を気弱なことを考えているんだ、私は。帝国の王女とあろう者が、この程度で動揺してどうする!)

 

 リアレは内心で自分を叱咤し、事態を直視しようと努力する。

 

 クラーリック・モデルと呼ばれるメイド卿の侍女たち。彼女たちが祝賀会を惨状に変えた。それは厳然たる事実だ。

 

(ならば、なぜあの男は私を責めない?)

 

 リアレは首を傾げる。アシュベルドの行動は謎だ。あの冷徹な合理主義者は、ここぞとばかりに帝国をけん責し、ありとあらゆる不備に対する責任を押しつけてくると思っていたのに。

 

「そもそも、誰のせいでこんなことになっていると思っているのですか!」

 

 不意に大声が上がり、リアレは驚く。

 

「ほう? 連邦で起きた事件に帝国が責任を持つべきだと?」

 

 声のする方に目をやると、二人の人物が言い争っている。片方の巨漢にリアレは見覚えがある。彼女がこの街の駅に着いた時、出迎えた連邦議会の議員だ。

 

「我々に襲いかかってきたのは、そちらのクラーリック侯爵お抱えのメイドたちではないですか! 帝国はこのことについてどんな見解をお持ちなのか、はっきりと今ここでお聞かせ願いたい!」

 

 醜悪なまでに太ったその議員は、顔を真っ赤にして大声を張り上げた。それに対し、中年の帝国貴族は負けじと声を荒げる。

 

「言いがかりもいいところだ! 我々は全員、出国時に血族の検査は受けている。聖体教会のお墨付きだ。むしろ我々の貴重な人材が血族に転化するのをむざむざと許すとは、連邦の血族対策のずさんさには驚くばかりだ!」

 

 二人とも、血族に追われ礼拝堂に立てこもるというこの異常事態に、すっかり精神が参っているのだろう。これは憂さ晴らしだ。

 

「な、なんですと!? それは月の盾が、ひいてはアシュベルド・ヴィーゲンローデ長官が無能だとおっしゃりたいのですか? 今のは聞き捨てなりませんよ!」

「月の盾が、とは言っていない。何か……ほら……ほかにもあるだろう!? 血族の跳梁を許しそうなところが!」

 

 さすがにアシュベルドを非難する気は、貴族になかったらしい。

 

「……ちょうどよかったです、リアレ王女殿下」

 

 リアレが二人をじっと見ていることに、とうとう議員の方が気づいた。内心ぎくりとしつつ、リアレは努めて平静を装う。

 

「私がどうかしたか?」

「帝国の代表者として、この事態をどう思っているのか、責任の所在がどこにあるのか、そして今後の展望を是非、具体的にお聞かせ下さい」

「――――ッ!」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第25話:無耶

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 リアレはとっさに二の句が継げなかった。普段ならば、淀みなくその場にふさわしい言葉を発することができただろう。けれども、リアレもまた精神的に参っている。しかも、議員のした質問はどれも、答え方次第では揚げ足を取られるようなものばかりだ。

 

「どうされましたか? 皆、固唾を呑んで聞いていますので、遠慮なく。さあ、どうぞ」

 

 議員はあたかも詰め寄るかのように一歩前に出る。リアレは周囲を見回す。誰も彼も、こちらを注視している。連邦の高官たちは、内心の帝国への不満を隠さない顔で。帝国の貴族たちは、王女にふさわしい起死回生の発言を期待した顔で。誰一人、リアレと並んで彼女を助けようとする者はいない。一人もいない。その事を痛感しつつ――――

 

「わ、私は…………」

 

 リアレが何も思いつかず、それでも口を開いたその時だった。

 

「――具体的に、と言ったな」

 

 その声は、あたかも満員の聴衆を前にして、堂々とアリアを歌う歌手の如く、礼拝堂の中に響き渡った。

 

「えっ……!?」

 

 リアレは目を疑った。いつの間にか、礼拝堂の裏口が開いている。そこに立っていたのは…………

 

「ならば、皆に分かるよう、簡潔に教えよう」

 

 長靴の音も高らかに彼は大股で近づくと、リアレの横に当然のように並ぶ。

 

「ちょ、長官殿!?」

 

 議員が驚愕一色に染められた顔で後じさる。月の盾の制服に身を固めた偉丈夫の名は、アシュベルド・ヴィーゲンローデ。栄えある月の盾の大隊指揮官である。そして、後ろに控えているのは燕雀寺祢鈴だ。

 

「この事態をどう思っているのか。私としては、大いに楽しんでいる」

「なっ……!?」

 

 リアレは絶句した。楽しむ? この非常事態を? 彼女の動揺を無視し、アシュベルドは冷酷な笑みと共に言葉を続ける。

 

「諸君、私が貴公らに期待するのは、無意味な能書きや肩書きなどではない。危難の際に、どれだけ実際的な対応ができるかどうかだ」

 

 周囲の貴族も高官も顔を見合わせている。

 

(つまり、血族から避難できた我々は、長官の眼鏡にかなったということか?)

 

 と思っているのだろう。それは事実だった。

 

「喜ぶがいい。有事の際に見事冷静に対処し、こうして未だ人であり続けられる貴公らは、見事合格だ。ならば合格者の余裕と慈悲をもって、これより不合格者を救出しようではないか」

 

 皆が顔を上げ、アシュベルドの方を見る。かすかな喜びが波紋のように広がっていく。あの月の盾の長官に合格と言ってもらえたのだ。これを喜ばずにいられるだろうか。

 

「そして次に、責任の所在がどこにあるのか。もちろん、全て私にある」

 

 今度こそ、リアレは驚きを隠せなかった。アシュベルドは、全ての責任が自分にあると言ったのだ。

 

(なぜだ!? なぜそんなことを言う!? そんなことを言えば、自分に不利になるのは分かっているのに!? どういう裏があるんだ!?)

 

 目を白黒させるリアレに気づいたのか、アシュベルドは横目でこちらを見た後、安心させるかのように一瞬だけ笑って見せた。その笑みに、不思議なくらい安堵するのをリアレは感じた。

 

「故に、今この城にいる血族は、爵位の有無を問わず、男女の別を問わず、身分の差異を問わず、全て私の獲物となる。全て、全て、全てだ。帝国の聖体教会には指一本触れさせるものか。この私の、そして月の盾の獲物だ。ただの一人も、逃がすつもりなどない」

 

 その笑みとは裏腹の、苛烈極まる言葉が、アシュベルドの口から発せられる。

 

 それはあたかも烈火だ。言葉を通し熱意が伝わっていく。熱意は情熱へ、情熱は容易に狂騒へと変わっていく。人々は理解したに違いない。アシュベルドは狩りを始めるのだ。黄金の鷹にとって血族など、狩りの対象でしかない。彼は狩りの愉悦のためだけに、この城と集う人々を生贄にしたのだ。何と恐ろしく――なのに素晴らしく感じてしまうのか。

 

「最後に、今後の展望を聞きたいか」

 

 心酔の表情でこちらを見つめる人々に、アシュベルドは畳みかける。

 

「――無論、殲滅だ。それ以外の選択肢など、私の眼中にはない」

 

 彼は拳を握りしめる。もはや、礼拝堂は彼の独壇場だった。神に捧げる敬虔な祈りの代わりに、人々の狂信的な熱気を飲み干し、アシュベルドは告げる。

 

「我々は進軍する。敵の死骸を踏みにじり、味方の死骸を乗り越え、血塗れの勝利を手にするまで、我々は戦いをやめるつもりなどない。月の盾ではない貴公らは、そこで聞くがいい。我が月の盾が奏でる、破壊と浄化の協奏曲を」

 

 ふと、リアレは燕雀寺祢鈴がうつむくのを見た。笑いをこらえているように見えたが、あれはきっと感動で涙ぐんでいるのだ。

 

「長官殿!」

 

 誰かが、感極まったかのように叫んだ。

 

「長官殿!」

「少佐殿!」

「大隊指揮官殿!」

「アシュベルド・ヴィーゲンローデ殿!」

「ご命令を!」

「どうかご命令を!」

「我らに命令を!」

 

 勇みに勇む月の盾の職員の歓呼を浴びつつ、黄金の鷹はあたかも聖者を堕落させる悪魔のように微笑した。

 

「さあ、諸君。今宵も素晴らしき惨劇を始めよう」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第26話:反撃

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 あのアシュベルドが刻んだルーンとはいえ、絶対の防壁とはなり得ない。まして、それを破ろうとする相手が、群れをなす血族ならばなおさらである。礼拝堂の出入り口に刻まれた、城壁を意味するルーン。迫撃砲にすら耐えるその文字列が、ついにその効力を失った。自らの血によってそれを塗り潰した血族たちは、表情一つ変えずに扉を引きちぎる。

 

 続いて始まるのは、一方的な蹂躙、祝賀会の再現のはずだった。数は圧倒的に血族の方が上。月の盾が有している武装は数少なく、城の警備に必要な武器がしまわれた倉庫に、彼らが出入りした形跡はない。血族たちは、血中の線虫を通じて非常に効率のよい情報の共有ができている。彼らは皆一様に、此度の突入は成功するものと確信していた。

 

 しかし、礼拝堂に飛び込んだ侍女たちを待ち構えていたのは、ルーンや医薬によって強化された、血族にとって致命傷となる銃器の集中砲火だった。ただ血族を傷つけ、線虫を休眠させることのみに特化した、まさに猛毒としかいいようのない攻撃の数々。この大量の武器が、シャザームによって運び込まれたものであることを、侍女たちは知らない。

 

 予想外の抵抗に、完全に血族たちの出鼻はくじかれた。そして、それに乗じて月の盾は反撃を開始する。慣れた動作で、彼らは血族たちを次々と無力化させ、城内を占拠していく。あたかもそれは、患者の体内に巣くった病原菌を、免疫とそれが作り出す抗体が見る見るうちに駆逐していくかのようだった。今や形勢は完全に、逆転していた。

 

 

 

 

「ば、馬鹿な……」

 

 城門近くで、彼女は足を撃たれその場にうずくまっていた。眼鏡をかけた知的なその外見は、見間違えようもない。祝賀会に乱入し、暗幕によって会場を暗闇で覆い尽くした張本人の侍女だ。光源となる印紙の作り出す強烈な光に照らされ、今の彼女は既に籠の中の鳥、あるいは虫籠の中の小さな羽虫でしかなかった。

 

「こちらです、長官殿!」

 

 彼女を取り囲む月の盾の職員が、不意に緊張した様子になる。

 

「夜会はもう終わりだ。貴公らのもてなし、少しは楽しめたぞ」

 

 長靴の音を響かせつつ、白熱した光の中に無手で入ってきたのは、ほかでもないアシュベルドだ。

 

「いいえ、まだ終わっていません。メイドたるもの、お客様のお帰りをきちんと見送らねばなりません」(拳銃さえ携行していないとは、余裕を周囲にアピールしているつもりでしょうか。侮られたものです。ですが、むしろ好都合)

 

 アシュベルドを睨みつつ、内心で侍女はそう判断する。血族となった彼女は、未だ一矢報いることを諦めてはいない。

 

「貴公は何か勘違いしているようだな」

 

 しかし、彼女が身動きする前に、アシュベルドの右手が踊った。

 

「貴公らは血族だ。その性別、外見、強弱を問わず、私の敵でしかない」

 

 その手に握られた万年筆が、離れた彼女の喉元にルーンを描く。万年筆は施術の媒体だ。ルーンに込められた神秘は瞬く間に血中に広がり、線虫の活動を停止させていく。

 

(ああ、どうか……)

 

 薄れていく意識の中、彼女は未だ血族の思考で願う。

 

(どうか、あなた様だけでも……!)

 

 

 

 

 一方その頃。

 

「こちらです、殿下」

「あ、ああ、分かった……」

 

 城の裏手へと通じる廊下を、小走りで進む二人の人物がいる。先を行く老人は侍従長のヒューバーズ、その後をついていくのはリアレだ。

 

「どうかお急ぎを。事は一刻を争います」

 

 時折振り返ってリアレがついてくるのを確認するものの、ヒューバーズは歩調を緩めない

 

(どういうことだ……?)

 

 彼の後に続くリアレは、手に握った赤い宝石のペンダントを握りしめつつ、頭の中で何度も疑問符を浮かべる。このペンダントは、先程アシュベルドが彼女に渡したものである。

 

「これをお持ち下さい。危険が迫った時に役立つルーンを刻んでおきました」

 

 そうアシュベルドは説明しながら、これをリアレの手に握らせたのだ。

 

 ただの宝石に、ルーンを一文字刻んだだけのものだ。けれども、不思議とそれを握りしめると、リアレの心に巣くった不安が消えていく。だからこそ、先程突如現れたヒューバーズの言葉は、リアレにとって信じがたいものだった。しかし、ヒューバーズはあえて姿を消し、血族と月の盾両方から隠れつつ、事態の真相を突き止めたと言っている。

 

「ヒューバーズ、本当なのか?」

「何がですか?」

「その……アシュベルド長官が血族だというのは、本当に本当なのか?」

 

 アシュベルドは実は血族であり、一連の惨劇は全て、彼が帝国の面々を血族に転化させるために引き起こしたものである。ヒューバーズはリアレにそう力説した。故に、彼は今リアレを秘密裏に城から逃がそうとしている。

 

「もちろんですとも、殿下。まったく、血族がこれほど強引な手段を取るとは、思いもよりませんでした。一時とはいえ、殿下のお側を離れたこと、心からお詫び申し上げます」

 

 ヒューバーズはリアレに謝罪する。たしかに、敵を欺くにはまずは味方から、と昔から言う。リアレの側を離れ、あえて間諜に徹したのは理解できる。

 

「いや、謝る必要はない」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第27話:暗躍

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「さすがはリアレ殿下。殿下の勇敢なご様子をお父上に報告すれば、必ずやお喜びになることでしょう」

「そうだろうか?」

 

 ヒューバーズの賛辞に喜ばず、リアレは立ち止まった。

 

「殿下? いかがなさいましたか?」

 

 やや苛立たしげな様子で、ヒューバーズもまた足を止める。しかし、リアレは逆に徐々に落ち着いていく。

 

「此度の襲撃で、私は何の役にも立てなかった。うろたえ、狼狽し、右往左往しているだけだった」

「殿下、決してそのようなことはございません」

 

 ヒューバーズは否定するが、リアレは首を左右に振る。

 

「だが、そんな私を、自らが悪役となることでかばってくれた者がいる。アシュベルド・ヴィーゲンローデ。私は彼に救われたのだ」

 

 口にしてみれば、実に簡単なことだ。先入観を捨てれば、彼の人柄など最初からはっきりしていた。

 

「実際に会うまでは、私は彼を自分の利益しか考えない利己的な合理主義者だと思っていた」

「殿下、それは事実だったのではないですか? 恐れながら、どうか冷静になって下さい。言葉巧みに人心を掌握するのは、あの男の十八番ではないですか」

「そうだ。事実、彼はそう思われても仕方のない発言をする。だがそれは、周囲を欺くためだ」

「何ですと?」

 

 ヒューバーズは目を見開く。侍従長の驚愕に目もくれず、リアレは言葉を続ける。

 

(ああ、そういえば。面と向かってヒューバーズの意見を否定して持論を述べることなど、思えば初めてかもしれないな)

 

 そんなことを思いつつ。

 

「礼拝堂に立てこもった折、私は連邦の議員に追い込まれていた。こんなことになった責任の所在はどこにあると詰め寄られ、恥ずかしいことに私は何を言っていいのか皆目見当がつかなかった。けれどもそこに、彼が現れたのだ」

 

 今でもその時のことは、はっきりと思い出せる。隣に並んだ彼の頼もしさ。ほほ笑みかけてくれたその目の優しさ。

 

「そして彼は言った。責任の所在は全て、自分にある、と。信じられるか? 皆の前で、事態の責任は自分が取ると言ったのとほぼ同じことだぞ。言い淀む私を尻目に、彼はそう言って皆の不満を瞬く間に消し去ってしまったのだ。もし自分本位の合理主義者なら、間違いなく責任を全て私に押しつけていたに違いない。けれども、彼はそうしなかった」

 

 だからこそ、リアレははっきりと宣言する。

 

「彼は、私をかばってくれたのだ。この私を、連邦国民ではない、敵対していると言っても過言ではない帝国の王族を、高潔な彼は自らが悪役となって大言壮語を吐くことで、守ってくれたのだぞ」

 

 たとえヒューバーズの言っていることと真っ向から異なるとしても、リアレは己の信じる真実を擁護する。

 

「そして今、血族は狩られ、我々は勝利しようとしている。だから私は信じない。彼が血族であり、私を狙っているなどとどうして信じることができようか」

 

 ヒューバーズの目をはっきりと見て、リアレはそう告げた。

 

「左様ですか、殿下」

 

 ややあって、ヒューバーズは二、三度うなずく。

 

「分かってくれたか、ヒューバーズ」

「ええ。まったくもって……」

 

 彼は首を左右に振りつつ言った。

 

「あの男は危険です。これほどわずかな時間で、殿下を心酔させてしまうとは予想外でした。この城を丸ごと使っても、なお立ち向かうとは」

「ヒューバーズ……ッ!」

 

 リアレは絶句した。嫌悪と苛立ちがありながら、無機質なその言葉。眼前の侍従長が、別人にすり替わっていた。とっさに彼女は背を向けて走り出す。

 

「これはこれは。長年あなた様にお仕えした侍従長を捨てて、会ったばかりの異国人を選ぶとは。私は実に悲しいですねえ! 悲しいですよ!」

 

 その背中をヒューバーズはゆっくりと追う。ネズミをいたぶるネコのようだ。遊ばれている、と分かっていても必死で逃げるリアレだったが、ついに階段で足を踏み外して派手に転び、足を捻ってしまった。

 

「ぐぅっ……!」

 

 それを見逃すヒューバーズではない。子ネコのように倒れたリアレの襟首を片手で掴み、壁に叩きつける。

 

「くっ……! 離せっ!」

 

 リアレはもがくが、ヒューバーズの拘束は微動だにしない。

 

「本当は傷一つつけずに殿下をお連れするはずでしたが、仕方がありません。殿下、不作法をお許し下さい」

「やめろ! ヒューバーズ!」

 

 ヒューバーズが口を開けた。その犬歯は異常に長く鋭くなっていた。明らかに血族の特徴だ。それを見てリアレの顔が青ざめる。

 

(私も転化させられてしまうのか? 誰にも知られず、こんなところで?)

 

 その後どうなるのかも、リアレの頭脳は想像してしまう。何食わぬ顔で帰国し、父と母に牙をむく自分の姿を。血族が支配した帝国の中枢を。

 

(嫌だ! そんなことは絶対に嫌だ!)

 

 無駄と知りながらも、リアレは必死に抵抗する。

 

(約束は!? 貴君の約束は嘘だったのか!? 私を守ってくれるのではなかったのか!?)

 

 その手からルーンを刻んだペンダントがこぼれ落ち、床に転がっていく。

 

(アシュベルド! 貴君は……!)

 

 どこにいる? とリアレが思ったその瞬間だった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第28話:颯爽

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 銃声が響いた。

 

「ガアアッ!」

 

 ヒューバーズが人間とは思えない声で呻くとのけぞった。頸動脈の付近から煙が上がる。投薬武装だ。

 

「つまらん。見え透いた芝居で人心を惑わそうとするばかりか、もくろみが潰えれば実力行使に訴えるなど、あまりに下策、下劣、下性。狩りの本命がこれでは、何のために私は舞台を整えたのだ? そうだろう?」

 

 ヒューバーズの腕が離れ、リアレは尻餅をつく。立ち上がろうとしたが、片方の足首に走った痛みに耐えかねて再び座り込んだ。先程転んだ時に捻挫したらしい。その目が、すぐ近くに立つ人影を捕らえた。片手に煙の上がる拳銃を持ち、一分の隙もない制服に身を包んだその長身は、見間違えようがない。アシュベルド・ヴィーゲンローデだ。

 

「き、貴君……来てくれたのか?」

 

 信じられないものを見るリアレに対し、黄金の鷹は静かにほほ笑んだ。

 

「はい、殿下。不肖アシュベルド・ヴィーゲンローデ、祝賀会にて殿下の寝所を守ると約束しました故、それを果たしに参りました。遅れて申し訳ございません」

 

 その凛々しい立ち姿が、リアレには伝説に謳われる救国の騎士のように見えた。

 

 アシュベルドは手を伸ばすと、床に転がっていたペンダントを拾い上げ、持ち主の手に渡す。

 

「このペンダントが、殿下の危険を教えてくれました。それより、お怪我はございませんか?」

「あ、ああ。大事ない」

 

 そう言いつつ、リアレはアシュベルドの用意周到さに舌を巻いていた。まるで、全てが彼の思惑通りに進んでいるかのように見える。

 

「それはなによりです。殿下がご無事であれば、私にとってこれ以上の喜びはありません」

 

 けれども、もう彼女はアシュベルドを疑うことはない。

 

「そ、それは……私も同じだぞ」

 

 しかし、改めて自分の思いを形にしようとすると、リアレはなぜか言葉に詰まってしまう。まるで、自分が年齢相応の一人の少女のようになってしまったかのようだ。

 

「と、申しますと?」

 

 首を傾げるアシュベルドに、内心少しだけリアレは苛立つ。分かっていて焦らしているかのようだ。一度深呼吸してから、ようやくリアレは覚悟を決めた。

 

「き、貴君がこうして、私を助けに来てくれたこと。そ、それが……その……一番嬉しい……と、思って、いる」

 

 何とか、リアレは自らの思いを言葉にできた。

 

「血族の脅威から人々を守ること。それが私が自らに課した使命ですから」

 

 しかし、返ってきた言葉には、リアレの感謝に対する心の躍動はない。あくまでも一組織の長官として、他国の内情には踏み込まない合理的なものだった。

 

「あ、ああ、そうだな……」

 

 リアレは、アシュベルドの態度が政治的には正しいと分かっていても、少し物足りなかった。

 

「まさか最後の最後で、殿下がお前を選ぶなど……。こんな番狂わせなど、予想外だったぞ……」

 

 リアレは目を声のした方向にやる。そこには、憎々しげにアシュベルドを睨むヒューバーズが倒れている。自分を血族にしようとした相手にもかかわらず、リアレはその変わり果てた表情に憐れみを覚えた。あれは、本来のヒューバーズが絶対に見せない顔だ。

 

 だが、それ以上の会話はなかった。

 

「殿下を連れて行く約束、守れぬのが無念だが致し方なし……!」

 

 ヒューバーズはそう呟くと、自らの首筋を手で締め上げるかのように押さえた。次の瞬間、彼の目が白目になると、全身が大きく痙攣する。開いた口を筆頭に、全身から煙のようなものが立ちのぼり、やがてヒューバーズは動かなくなった。

 

「自決だと!?」

 

 這って近づこうとするリアレを、アシュベルドは手で制し、自分が用心しつつ近寄り観察する。

 

「血中の線虫が、一斉にアポトーシスを引き起こしたようです」

 

 ややあって彼がそう言うのと同時に、ゆっくりとヒューバーズは目を開いた。その目はもはや、血族の無機質なものではない。

 

「ああ、殿下……。私は、何という愚行を……」

 

 震える手を、ヒューバーズはリアレに差し伸べる。

 

「喋るな。大丈夫だ。あれはお前ではなく血族の仕業だと分かっているぞ」

 

 優しくヒューバーズをねぎらうリアレに対し、静かにアシュベルドは告げた。

 

「失礼。まだ彼が完治したとは思えません。こちらで確保させていただきます」

 

 事務的な彼の対応に、むしろ嬉しそうにヒューバーズはうなずく。

 

「もちろんですとも。主人を傷つけた恥知らずの侍従など、どうかもっとも卑しむべき犯罪者として扱って下さい……」

 

 ヒューバーズの願いを、アシュベルドは聞き入れなかった。

 

「私はえこひいきはしない。その逆も然りだ。血族である時の貴公が何を行おうとも、月の盾はそれによって治療の方針を変えることはあるが、憎んだり卑しんだりはしない」

 

 恐らく、ヒューバーズこそが、全ての元凶だ。侍女たちを血族に変え、陽動を仕掛け、その隙にリアレを血族に変えようとした。だが、惨劇の張本人を前にして、アシュベルドは微塵も私情を交えようとしない。改めて、リアレは感嘆して口を開いた。

 

「アシュベルド・ヴィーゲンローデ。確かに貴君は公正だ。その事が今、私にははっきりと分かるぞ」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第29話:早暁

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 太陽が昇り、アウフューデン城を照らしていく。血族の夜会は終わり、人道はからくも守られた。その全てを成し遂げたのは、今テラスでリアレと共に昇る朝日を眺めているアシュベルドである。

 

「殿下、お加減はいかがですか?」

 

 リアレは自分の足を撫でた。

 

「大事ない。見ての通り、ちゃんと歩くこともできる。貴君のルーンのおかげだな」

 

 くじいたリアレの足には印紙を挟んだ包帯が巻かれ、さらに治癒を意味するルーンが記されている。包帯と印紙はこの城の医務室にあったものを使ったが、ルーンはアシュベルド特製だ。

 

「私のルーンは神話のそれとは異なり万能ではありません。どうか、過信なさらないで下さい」

「分かっている。ただ、今は皆に壮健な私を見させたいからな」

「お察しいたします」

 

 アシュベルドがかしこまるのが、リアレには少々面白い。

 

「貴君には、その必要はないがな。あんなことをされてしまっては、これからどう威厳をもって振る舞えばいいのか……」

 

 あんなこと、とは、足をくじいたリアレを医務室まで連れて行った時のことだ。歩けない彼女を、アシュベルドは横抱きにして運んでいったのだ。

 

「申し訳ございません。医務担当の部下を呼べばよかったのですが……」

「いや、気にするな。重くなかったか?」

 

 冗談めかしてリアレが言うと、真面目な顔でアシュベルドは首を左右に振る。

 

「いいえ、まったく。殿下の名誉のため、この件について私は終生口をつぐみますから、ご安心下さい」

「そうしてくれるとありがたい。よく分かっているな」

「私の腹心が、機密とその保持については一家言ある優秀な人物ですので」

 

 そう言われ、リアレは思い出す。あの長い黒髪が印象的な、東洋人の女性だ。

 

「確か、燕雀寺祢鈴、と言ったな。神州の人間か」

「はい。得難い人材です」

 

 アシュベルドの声には、彼女に対する無条件の信頼があった。彼をしてそこまで言わせるとは、どんな傑物なのだろうか。

 

「私の周りにも、そういった人材が必要だな」

「既におりますとも。殿下のお人柄に惹かれ、皆殿下を慕っております」

「そうだといいのだが……」

 

 リアレの脳裏を、多くの人物が通り過ぎていく。皆、彼女を羨望の眼差しで見ていく。だがそれは、白銀の名花と誉めそやされる容貌故だ。

 

「貴君、アシュベルド・ヴィーゲンローデ」

「何でしょうか?」

「もう一つ、貴君に秘密を科してもよいだろうか?」

 

 その言葉は、リアレにとって決死の覚悟と共に言い放ったものだった。秘密を打ち明けること。それは自分がアシュベルドに決定的な弱みを見せることであり、同時に秘密を知ったアシュベルドにも、一種の枷がはめられる。秘密とは人を縛るものだ。

 

 だが、もはやリアレには失うものはない。プライドや優雅さなど、彼に助けられたあげく、抱き上げられて医務室まで運ばれた時点で雲散霧消している。

 

「それで殿下のお心が平らかになるのであれば、喜んで」

 

 アシュベルドのその返答に、リアレは内心深く安堵した。秘密を知る重みを知らないわけではないのに、彼は快く応じてくれたのだ。

 

「貴君が黄金の鷹と呼ばれるように、私は帝国では白銀の名花と呼び習わされている。分かるか? 私は王族だ。それなのに、まるでいたいけな少女を誉めそやすかのように、弱々しい花にたとえられている」

 

 それまでのためらいが嘘のように、リアレの口から思いが言葉となって発せられていく。彼女自身も、自分の舌がよく回ることに驚いていた。

 

「父と母、そして神から与えられたこの容貌を疎むことはない。しかし、時折思うのだ。私がもう少し、凛々しく威厳のある容貌だったらよかったのに、と。ちょうど、そう……き、貴君のような」

 

 さりげなく誉めたつもりだったのだが、いざ口にしてみると少し気恥ずかしい。アシュベルドが照れる様子もないのが、ほっとしたような残念なような。

 

「私は、おかしいのだろうか? あるいは、贅沢なのだろうか?」

 

 改めてリアレは尋ねる。会ったばかりの人間に、それも帝国の臣民ではなく連邦の人間にこんなことを尋ねるなどどうかしている。理屈では分かっているのだが、それでもリアレには尋ねずにはいられなかった。リアレはこの美貌の策士に、我知らず共感を覚えていたのかもしれない。

 

「殿下、市井の人々は残念ながら殿下ほど賢くはございません。人を判断する際に、その外面にのみ囚われ、内面にまで思慮が及ぶことなどなかなかないのです。ですから殿下、ご自分のお姿とお顔を存分に活用なさいませ。王族にして名花、大いに結構ではないですか。輝かしい二つの文言が揃えばこそ、他者に忘れられぬ印象を残すというものです」

 

 黙考の後、アシュベルドはそう語る。まるで、歌手を売り込もうとするプロデューサーのように。

 

「わ、私にアイドルになれと言うのか?」

「アイドル――すなわち偶像ですか。ええ、権力者とは得てして偶像となるもの」

 

 その身も蓋もない発言に、以前のリアレなら眉を寄せたかもしれない。しかし今の彼は、アシュベルドの言葉に耳を澄ませる。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第30話:宣誓

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「殿下、人々が見たい姿、信じたい姿を演出なさいませ。そうすれば、盤石の権力という玉座が向こうから進んで、陛下に座っていただきたいと身を差し出すことでしょう」

 

 そう言って、彼は持論を締めくくる。まさにそれは、アシュベルド・ヴィーゲンローデの権力に対する所信だった。彼は一度現世という舞台に立ったら、踊りきる自信があるのだ。

 

「貴君には、私に今言ったことと同じ覚悟があるのだな。やはり、貴君は素晴らしい」

「恐悦至極に存じます」

 

 一度頭を下げたアシュベルドだが、顔を上げるとリアレの方に少し近づく。

 

「……それと、一つだけ、お耳に入れたいことがあります」

「なんだ?」

「これはとても個人的なことなので、どうかお聞きになったらそのまま忘れて下さい」

「ふふ、面白いことを言うのだな。いいぞ」

 

 茶目っ気を見せつつ、リアレは改めて聞く姿勢を取る。

 

「私と致しましては、殿下の今のお姿もとても魅力的です。白銀の名花と聞き及んでおりましたが、一目見て真にそのとおりだと実感いたしました。殿下、ご自分の外見をどうか恥じないで下さいませ」

 

 ――まさか、そんな賛辞を彼の口から聞くとは。

 

「そ、そうか? いや、その、わ、私としては嫌っているわけではないのだぞ。だけど、その、き、貴君がそう言うのならば……や、やぶさかではないな」

 

 ――そして彼の賛辞が、なぜ普段よく聞く世辞と同じなのに、こんなにも胸を高鳴らせるのか。

 

「わ、笑わないでくれ。珍しく、て、照れているだけだ! 貴君はまったく口が上手だな!」

 

 本当に調子が狂ってしまう。アシュベルドには弱みを握られてばかりだ。けれどもそれが、なぜかリアレには少しも嫌に感じなかった。

 

「それと、どうか時をお待ち下さい。必ずや、殿下は強く美しく凛とした、帝国の頂点にふさわしいお姿になられます」

 

 アシュベルドは力強くそう断言してくれる。

 

「貴君のような、か?」

「私などとても……と申し上げたいのですが、人物画にモデルが要るように、時には練習台が必要なこともあります。もし殿下がお望みならば、不肖このアシュベルド・ヴィーゲンローデ。殿下の目指すべき里程標にして、いずれ追い越すべき通過点として、これからもあり続けましょう」

 

 彼のその約束が、闇を煌々と照らす灯火のようにリアレは感じた。

 

 この光に沿って自分は歩めばいいのだ。その先に必ず、黄金の鷹は翼を広げて待ってくれている。

 

「貴君、約束だぞ。必ず、必ず果たすのだぞ」

 

 リアレの差し出した手を、アシュベルドは握りしめる。

 

「はい。月の盾の誇りにかけて、私は殿下に約束いたします」

 

 誰も見ていない、けれども厳かで真摯な誓いが、確かに今、ここで結ばれたのだった。

 

 

 

 

 帝国王女を迎えた祝賀会を、血族が襲撃するという衝撃的な事件から二ヶ月が過ぎようとしていた。国賓が襲われるという前代未聞の事件でありながら、事態はあっさりと終息した。帝国も連邦も、失態の責任を互いになすりつけることがなかったのが大きい。今もこの二つの国の関係は良好である。もちろん「表向きでは」という前置きがつくが。

 

 リアレ王女の侍従長であるヒューバーズ。彼が今回の感染源である。彼が侍女たちを血族に変えて駒とし、大々的な襲撃を計画したのだ。その目的は、王女を血族に転化させることだったらしい。あいにく彼の内部の線虫はアポトーシスで死に絶えてしまったため、詳細は分からない。今回の件は、肝心の部分で真相が究明できなくなってしまった。

 

 通常ならば、ここぞとばかりに月の盾は大きく出るだろう。聖体教会の防疫の不備を指摘し、さらに連邦の要人を危険にさらしたことに対する責任を追及。賠償やら何やらも要求することだって可能だ。帝国だって、今回の失態を世界中に大声で喧伝されてはたまったものではない。月の盾のどんな要求でも、聖体教会と帝国は飲むしかないはずだ。

 

 ――しかし。

 

「君、また聖体教会から手紙だよ。彼らもしつこいね」

「丁重にお断りするしかないなあ。今度はなんて言ってお引き取り願おうか」

 

 月の盾の本部の執務室。ぴかぴかに磨かれた立派な机に向かうアシュベルドに、私は手紙を渡す。差出人の名前は、帝国の聖体教会だ。月の盾長官にぜひ会いたい、と彼らは何度も接触を図ってきている。

 

「教会も、君が何もしないから戦々恐々としているのだろうね。人はまだ見ぬものをこそ恐れる。見えぬからこそ、人は恐れを際限なく肥大させる。古人曰く、幽霊の正体見たり枯れ尾花。適当な難癖でもつけて、主教の一人か二人呼びつけて謝らせれば、きっと向こうも気が済むだろうな。今からやるかね?」

「いや、そんなことはしたくない」

 

 私の提案に、彼は首を左右に振る。アシュベルドは今回、何一つ帝国と聖体教会に要求していない。言い訳や責任転嫁もしていない。今回の事件について、月の盾がまとめたあらましは簡潔だ。現在の防疫体制では感知できない血族が祝賀会に侵入し、同胞を増やして襲撃を図ったものの、無事に撃退できた。このように、事実を淡々と公開して終わりだ。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第31話:後日

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 だからこそ聖体教会には、月の盾が不気味な沈黙を守っているように見えているようだ。何か裏があるのではないか? 安心させておいて、いきなり態度を急変させるのではないか? もしかすると、決定的な弱みを握っていて、これからそれをちらつかせるのではないか? そんな妄想に駆られ、帝国と聖体教会は気が気ではないのだろう。

 

「俺は殿下と約束したからな。殿下の目指すべき存在であり、同時に追い越すべき存在であり続けるって。あまり帝国にあこぎなことはしたくないな」

 

 けれども、事実はこうだ。アシュベルドは公正かつ高潔に振る舞っているだけなのだ。私はよく覚えている。二ヶ月前、ルーンのペンダントを通じて、王女の危機を感知した彼がどうしたのかを。

 

 

 

 

 そもそもアシュベルドは途中から、今回の事件はもしかすると、リアレ一人を狙ったものなのかもしれないと思っていた。あまりにも分かりやすい血族による襲撃。その陽動は何から目を逸らそうとしているのか。そして、姿を見せないヒューバーズ。保険として、アシュベルドはリアレにルーンのペンダントを渡し、血族の接触を警戒していた。

 

「シャザーム、今すぐ私を転送しろ」

 

 ルーンで線虫の活動を封じた侍女の拘束を部下に任せ、彼は大広間の隅でしゃがみ込んでいるシャザームにそう告げた。まったくたいしたものだ。誰にも見られていない時は大広間まで全速力で走ったのに、今の彼は息一つ切らしていない。一方私は情けなく肩で息をしているので、こっそり物陰に隠れている。

 

「はあ? いや待って下さいよ少佐」

 

 疲労困憊と言った調子のシャザームは当然反論する。立て続けに空間を操作し、この城に月の盾の武装を運び込んだのだ。神秘の行使は、肉体的にも精神的にも疲弊する。実際、シャザームの顔は青ざめている。

 

「おっしゃりたいことは分かりますがね、こっちもへばってるんですよ。少し待ってもらえないと……っ!」

 

 シャザームはそれ以上言葉を続けられなかった。

 

「さえずるな、シャザーム・バルズスフ」

 

 なぜ彼が黙ったのか。答えは簡単だ。アシュベルドの手には、銃口から煙を上げる拳銃が握られている。

 

「私は貴公に、できるかできないかなど聞いてはいない」

 

 床に向けた銃口を徐々に上げつつ、彼はもう一度命じる。

 

「私を転送しろ」

「は、はいぃぃ! やりますっ! やらせていただきますっ!」

 

 あの時のアシュベルドの目は、彼の本性を知らないものが見れば、まさに人命を虫けら同様に見ているように感じたことだろう。事実、シャザームは可哀想なくらい縮み上がっていた。まあ、でもシャザームが死力を尽くしたおかげで、王女殿下は九死に一生を得たのだが。

 

 ちなみにその後。

 

「こ、これはまさか、ハシェム・シュロー産のしかも祈念の年の奴じゃないですかぁ! 本当にこれ、もらえるんですか?」

「貴公は私のためによく働いてくれた。その報償には報いる必要がある。遠慮なく受け取るがいい」

 

 アシュベルドはシャザームに、ボーナスとして彼の故郷のワインを与えた。まさに信賞必罰とはこの事だろう。

 

 

 

 

「相変わらず、君は立派だよ」

 

 私は素直にアシュベルドの高潔さを誉めたのだが、彼はややいぶかしそうな顔をする。おや、もしかして私の普段の言動から、遠回しに嫌みを言っているように聞こえてしまったのだろうか。

 

「いや、勘違いしないでくれ。皮肉じゃないんだ。こう見えて、私は心底感服しているんだよ」

 

 すると今度は、彼は驚いた顔になる。

 

「何を驚いているんだ? 驚くような要素はないと思うんだが?」

「いや、鈴でもうろたえることがあるんだなって思っただけだよ。珍しい」

「おいおい、私はこう見えてただの人間だぞ。まして御伽衆だ。喜怒哀楽を実際に体験したこともない人間が、他者の懊悩を傾聴できるはずがないだろう。大悟した覚者など、現世に居場所はない」

 

 人生に苦難や難儀は少ない方がいいのだが、あいにくこれらを実体験していないと御伽衆として半人前もいいところだ。私の職業に対する経費のようなものだ。

 

「でも、珍しいよ。君はいつだって自由闊達に振る舞っているからなあ」

 

 彼はそう言う。君と同じで、私も外面を装っているからな。他人からは好き勝手に生きているように見えるらしい。

 

「やれやれ。簡単に言えば、他者はともかく、君には誤解したままでいて欲しくないんだよ。私に悪感情を持ってもらいたくない。何しろ君は、私の信頼すべき雇い主なのだからね」

 

 私は正直な感想を口にする。

 

「俺だって、君を信頼しているよ。君に負けないくらいね」

 

 彼は柔らかな笑みと共にそう言う。いやはや、まったく長官殿は口が上手で困るよ。

 

「……それはそれとして、気になることがある」

 

 けれども、甘い言葉の後にすぐ、彼は真顔になる。

 

「なんだね?」

「血族となっていたヒューバーズが最後に言い残した言葉だ」

 

 彼によると、ヒューバーズは今回の襲撃に何者かの関連を匂わせた後、体内の線虫をアポトーシスさせたそうだ。同時に、彼が血族にした侍女たちの線虫も自滅してしまった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第32話:執心

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「この件、もう少し根が深いかもしれないぞ」

 

 明らかに機密保持のための自死だ。おかげで、月の盾は今回の事件を起こした線虫を特定できていない。聖体教会の防疫をすり抜けるのだから、きっと何らかの変異を遂げた種類だろう。

 

「爵位クラスが一枚噛んでいる、ということか」

「恐らくはね。もしかすると、今後月の盾も忙しくなるかもしれない」

 

 爵位とは、血族の中でも特に強力な個体を識別する称号のようなものだ。ヒューバーズはどうも、より上位の血族によって作り出された従僕だったようだ。

 

「厄介なことだ。君も麗しの殿下のためにがんばり給え」

 

 爵位持ちの血族は、恐らく帝国の国政そのものに干渉することを狙っていたのだろう。私は改めて、事態の厄介さを痛感するのだった。

 

 

 

 

「神の祝福があらんことを。新たなる枢機卿――――」

 

 帝国の首都にある、聖体教会本部。大聖堂を改築したそこで、今新しい枢機卿を任命する儀礼が執り行われている。

 

「――アシュベルド・ヴィーゲンローデよ」

 

 首座に座るリアレの前にひざまずくのは、聖体教会の制服に身を包んだアシュベルドだ。

 

「神と帝国と殿下に、変わらぬ忠誠を誓います。我が身は殿下のために。これより栄光と勇気と信仰をもって、闇に潜む血族を討ち果たしましょう」

「うむ。貴君の働きに期待しているぞ」

 

 努めて堂々とリアレは振る舞っているが、内心では躍り上がりたいくらいだった。あの黄金の鷹が、帝国の聖体教会に加わってくれたのだから。

 

「それにしても、よく来てくれた。貴君が我が帝国に加わったことが、私にとっては百万の軍が参じたことよりも嬉しいぞ」

「殿下に傘下に加わるよう招かれた時は、正直に言って迷いました。既に私は月の盾の長官でしたから、築いてきた地位を捨てるのに抵抗がなかったと言えば嘘になります」

「しかし、貴君は来てくれた」

「はい。殿下が直々に私を招いて下さったのです。その栄誉は他と比べるべくもありません。月の盾長官の地位も、給料も、殿下のお声に比べればどれも色褪せてしまいました」

 

 改めて、アシュベルドは頭を垂れ、リアレに最上級の敬意を示す。

 

「何卒このアシュベルド・ヴィーゲンローデを、殿下の佩剣の一振りとしてお使い下さい」

 

 

 

 

 リアレは目を開けた。

 

「…………夢か」

 

 ここは聖体教会の本部ではなく、宮殿の寝室だ。自分がいるのは首座ではなくベッド。何もかも、リアレが見ていた夢でしかなかったのだ。

 

(……あまりにも都合がよすぎる。夢で当然だ)

 

 そう思うよりほかない。いくら何でも、アシュベルドが月の盾の長官を辞して聖体教会に加わるなど、まずあり得ないからだ。

 

「ふふふ、彼が枢機卿か……」

 

 それでも、ついリアレは空想してしまう。もし彼が聖体教会に所属し、自分の配下で血族から帝国を守ってくれたのなら。きっと彼は見る間に出世街道を駆け上がり、史上最年少の枢機卿となることだろう。帝国を脅かす血族たちは、自信の命運が尽きたことを知るに違いない。

 

(……だったら、どんなによかったか)

 

 けれども、すぐにリアレは冷静になる。

 

(仕方がない。私は帝国の王女であり、彼は連邦の月の盾の長官。それぞれの立場がある。まさか今の立場を捨てて私に仕えろなどと、言えるはずがない)

 

 そう、言えるはずがない。この思いは秘めておかなければならない。彼への思いは、ただ尊敬だけで済ませておかなければならないのだ。

 

「でも……もし…………」

 

 いつか自分が成長し、父の如き凛々しき王族になったその時。その時、隣に枢機卿のアシュベルドがいてくれたのならば。

 

「殿下、ご立派になられました」

「貴君のおかげだ。貴君を目指したおかげで、私はこのようになれたのだぞ。これからも、私を側で支えてくれ」

「殿下のためならば、喜んで」

 

 ……という感じだ。

 

「い、いかんいかん、ここまでいくとただの妄想ではないか!」

 

 慌ててリアレは頭を振って、妄想に発展しかけた空想を終わらせる。思わず独り言が口をついて出てしまった。アシュベルドが、リアレが倣うのにふさわしくなると約束したのだ。自分もまた、アシュベルドの後を追うのにふさわしくならなければならない。

 

(そ、そうだ。手紙を書こう。彼に先日の件について、感謝の手紙を書くのだ。それがいい)

 

 妄想を打ち消したリアレは、改めて建設的なことをしようと思考を切り替える。そこで思いついたのが、私的な手紙をアシュベルドに書くことだった。文通という形になるが、彼とコミュニケーションが取れるのは素晴らしい。

 

(さて、なんて書こうか。まずは…………)

 

 早速リアレはうきうきと机に向かうと、ペンを片手に思いを馳せる。書くべき内容はとめどなく出てくる。そして、ペンを握る手はいつになく軽い。

 

 ――かくして、アシュベルドが冷や汗をかくほどの分厚く重い愛に溢れた手紙が書き上げられ、それを彼女はためらいもなく投函させるのであった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第33話:催眠


 投稿再開。二月いっぱいほぼ毎日投稿します。
 まずは、ここから読み始めても本作の概要が分かるエピソードから。



 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 私の名前は燕雀寺祢鈴。故郷の神州を遠く離れ、ここ連邦で暮らす身だ。血族という吸血鬼紛いの連中を狩る組織「月の盾」で相談役の仕事に就いている。権力者の傍で悩みを聞く「御伽衆」という家業を生かすことができて、境遇としては実に申し分ない。一重に私を見いだしてくれた月の盾長官、アシュベルド・ヴィーゲンローデのおかげだな。

 

 これは、そんな私のとある日常だ。

 

「ついに届いてしまった……」

 

 月の盾本部の一室が、先日注文した家具によって占有されていた。

 

「これが件の『人類を堕落させるソファか』……」

 

 私の視線の先にある大きなソファの色は灰色。分厚いクッションと、上に掛けられたふかふかの毛布によって装われたソファは、私に向かって優しく手招きしている。

 

 曰く「人類を堕落させるソファ」。基本的に物品に頼らず、自らの口舌と操る施術で人の心に働きかけるのが我ら御伽衆なのだが、今回私は興味を引かれてこのソファを購入してしまった。もちろん経費でだが? 私は、ソファの上にかかっている毛布を撫でる。子ネコのような手触りだ。続いて軽く手に力を入れる。適度な弾力が返ってきた。

 

 灯蛾、とはこの事を言うのだろう。私はソファの魅力にあらがえず、思わずその上に腰掛けた。背もたれを倒し、天井を見つめる体勢で横たわる。

 

 ――――脱力。

 ――――放心。

 ――――悦楽。

 

 そして同時に私は確かに見た。全身を弛緩させ、ややだらしない顔で虚空を見つめる、長い黒髪と桜色の着物姿の女性を。……は!? 私じゃないか!?

 

(意識が遊離しただと!? 座っただけで!?)

 

 私は慌てて意識を五体に引き戻し、ソファから跳ね起きる。恐ろしいほどの即効性だ。ただ座っただけで、あまりの心地よさに放心状態になり、意識が霧散する。私は生唾を飲み込みつつ、自分の内から好奇心がわき上がってくるのを感じていた。

 

「これを使って傾聴を行ったら、果たしてどうなるか……」

 

 

 

 

 それから数日間、私は様々な月の盾の職員をこのソファに座らせて反応を記録した。「自分は催眠などには絶対負けません!」と豪語する巨漢が、座ると同時に私をママ呼ばわりして甘えてきたのには、正直言って引いたね。どうやら、私の存在が座る人をリラックスさせる重要な要因となっているらしい。ならば、極めつけの変人はどうだろうか?

 

「多忙な身でありながら、協力に感謝するよ。ミゼル・オリュトン」

 

 私が部屋に招いたのは、月の盾きっての問題児であるミゼルだった。外見は眼鏡の似合う知的な金髪の美人。しかしながらその中身は、暇さえあれば経済書やビジネス書から得た知識を周囲に振りまく折紙付の変人である。溢れるほどの自意識の高さが、全身から常時放射されている。

 

「いえいえ。祢鈴さんのようなメンタル&マインドにおけるニュートリショニストとしての活動は、私も大いにリスペクトしてますから。互いへの協力こそ、コ・プロスペリティーへのワン・ステップです」

 

 ……まあ、こうなのだ。一度ミゼルが口を開けば、そこから機関銃のように乱射されるのは高尚とおぼしき謎に満ちた表現ばかりなのである。

 

「ここに座ればいいんですか?」

 

 ミゼルは私を信頼しきった様子でソファに腰掛ける。

 

「そうだよ。遠慮なくどうぞ」

 

 私もソファの隣に置いた椅子に座る。

 

「ふひゃぁぁぁ…………」

 

 彼女の口から、気の抜けきったふんわり、もしくはふにゃりとした声がもれていく。手に取るかのように、ミゼルの全身の筋肉が弛緩し、精神がほぐれていくのが分かる。

 

「くつろげるだろう?」

「そ、そふみたひでふ……」

 

 ミゼルの答えはろれつが回っていない。あの長広舌と屁理屈の申し子さえ陥落させるとは、恐るべし「人類を堕落させるソファ」。

 

「では、簡単な実験を少し行おう」

「はひ……」

 

 私は御伽衆の顔と声でそう言う。

 

「今から言う単語から連想するものを、思ったまま口にしてみてくれ」

「了解でふ……」

 

 ちょっとした心理テストだ。

 

「山」

「……緑」

「ガラス」

「……透明」

「病気」

「……病院」

 

 だが、私が何気なく次の単語を口にした瞬間だった。

 

「お金」

「基本的ビジネス・アライアンスにおける契約とエネルギズムの象徴であると同時に、マーケティング・インフォメーションを包括的にローテーションさせる非構造的ファクターです」

 

 あろうことか、ミゼルは上半身を起こして私をしっかりと見つめていた。

 

「そうなのかね?」

「そうなんですよ! お金は現在のエゴイスティックなノー・ワーク・ノー・ペイのマネー・グラビングによって必要悪とされていますが……」

 

 とまあ、後は想像通りだ。ミゼルは理想的経済論についてひとしきり論じた後、生き生きした顔で帰っていった。

 

「これでよく分かったよ」

 

 ミゼルのケースで納得した。どうやら、このソファに腰掛けた人間は、極めて即効性の催眠状態になるらしい。一見するとこれは深いようでいて、その実すぐに冷める浅いものだ。さて、いよいよこれで本命を迎える準備が整えられた。もちろんその本命とは、月の盾長官ことアシュベルド・ヴィーゲンローデである。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第34話:深謀

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 月の盾本部の長官室。連邦国民を血族から守る組織の中枢部であるそこを、ある若い職員が訪れていた。彼の眼前には、執務用の机に向かう一人の青年がいる。この青年こそが、アシュベルド・エリエデン・ハルドール・ヴィーゲンローデ長官である。二十代で長官となったこのエリート中のエリートのことを、人々は畏怖を込めて「黄金の鷹」と呼ぶ。

 

 アシュベルドの外見は、その通称に相応しい。軍服に似た月の盾の制服に包まれた、均整の取れた長身。輝くような金髪と碧眼。内に秘めた情念が、暗い炎のような彩りを添えたその美貌。まさに憂国の青年将校とでも形容すべき容姿は、見る者を魅了するのみならず恐れさせる。養豚場のブタのような恐怖を味わうのは、月の盾職員とて例外ではない。

 

「最後にこちらが、ノルダーガントにおける血族のみが罹患した疾病と、その推移についての報告書になります」

「ご苦労だった」

 

 ガチガチに緊張した職員から、アシュベルドは書類を受け取りめくっていく。

 

「実に興味深い。貴公もそう思うだろう?」

 

 話題を向けられ、職員は目の前が一瞬真っ暗になった。

 

「は、はいっ。長官殿のおっしゃる通りです」

 

 職員は必死になってアシュベルドの好奇を肯定する。平凡な自分が、深謀遠慮の化身である黄金の鷹とまともに会話できるはずがない!

 

「さて、これをどう活用するべきか――」

 

 アシュベルドが口元に浮かべた笑みの酷薄さに、職員はめまいを覚えた。

 

(長官殿はこの病気を利用なさるつもりなのか?)

 

 瞬く間に、職員の脳内で妄想が膨れ上がっていく。

 

 

 

 

 ――遠くない未来。連邦全土に改良された対血族ウイルスが散布された。発症し苦しみ悶える血族たちは、月の盾に行けばこの病気を治すワクチンがあると知る。

 

「貴公らも、憎き血族どもが慈悲を懇願する姿を見たまえ。実に滑稽ではないか」

 

 助けを求めて月の盾に集まる血族たちを、アシュベルドは幹部たちと共に展望室から見下ろし嘲笑する。

 

 ――そしてさらに未来。

 

「さて、私の手元に優秀な兵士が揃ったのならば、始めようではないか」

 

 アシュベルドが掲げる戦旗の元に集う軍人は、全員血族だ。彼らは定期的に月の盾が作る治療薬を投与しなければ、再び発症してしまう。故に彼らは皆、アシュベルドの忠実な走狗となるよりほかない。

 

「これより、連邦は鉄と炎の元に生まれ変わる!」

 

 ついに革命が始まった。血族は瞬く間に首相官邸を占拠し、国内に非常事態宣言を布告し、全ての権限をただ一人に捧げる。ついに連邦は、黄金の鷹の巣となったのだ。その頂点に立つのはアシュベルド・ヴィーゲンローデただ一人。彼は偉大なる大総帥として、鉄の規律と炎の恐怖をもって連邦を完全に掌握したのである……。

 

 

 

 

「体調が優れないようだな、貴公」

 

 職員は我に返った。

 

「……えっ!?」

「私の問いにも上の空だが、困ったものだな」

 

 はたと気づくと、机の向こうでアシュベルドが怪訝そうな顔をしている。

 

「も、申し訳ありませんっ!」

 

 必死に謝る職員だが、返ってきた返答は冷たい。

 

「いや、これは看過できない。この後、貴公は医務室で診断を受けるように」

「え、あ、あの、それは……」

 

 絶望。恐怖。この二つの語が職員の全身を瞬く間に侵蝕していく。もうおしまいだ。自分は長官を怒らせてしまったのだ。きっとこの後、自分は医師に偽装した長官直属の秘密組織の面々に拉致され、ウイルスの実験台にされるのだ。

 

「後ほどドクターに、貴公が受診したかどうか確かめておく。逃亡は不可能というわけだ」

 

 アシュベルドは薄い笑みを浮かべている。醜態をさらした部下を粛清する、残忍な楽しみに酔いしれているのだ。

 

「貴公にとっては不本意かもしれないが、これも月の盾のためだ。分かるな?」

 

 そう言われては、職員に逃げ場などない。完全に詰みだ。

 

「はい。ありがとうございました……」

 

 彼は涙ぐみながらそう言い、アシュベルドに敬礼するのだった。

 

 

 

 

 職員が退室してから、アシュベルドはため息をついた。先程の職員は風邪らしく、返答が曖昧だった。彼を「受診したかどうか確かめる」と脅したのは、注射を嫌がって受診しない職員が案外多いからだ。職員を疑うのは気が進まないが、これも月の盾内部で風邪が蔓延しないためだ。幸い、職員は涙ぐんで感謝していたので、誠意は伝わったらしい。

 

 とりあえず彼のことを脳内から片づけ、改めてアシュベルドは手元の書類を眺めた。今回の件で、月の盾はノルダーガント市と、隣接する山間部を徹底的に調査した。結果判明したのは、それまでは暗い森と険しい山としてしか認知されていなかった市の周辺が、道路さえきちんと整えれば風光明媚な観光名所となる事実だ。

 

 この記録を何かしら市の経済活動に役立てないだろうか、とアシュベルドは思っている。しかし、あに図らんや。あの職員を含む月の盾の面々は全員、アシュベルドの狙いは血族に感染するウイルスだと誤解しているだろう。かくして彼は「血族討伐のためならば生物兵器の開発さえ平然と行う恐ろしい人物」と月の盾の内部で噂されるのであった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第35話:脆弱


黄金の鷹は人類を堕落させるソファ如きに負けるわけにはいかない!


 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 夕食を終え、件のソファのある部屋で私が座って待っていると、遠慮がちなノックの音が聞こえてきた。

 

「どうぞ、入ってくれたまえ」

 

 私がそう言うと、おずおずとドアが開かれた。

 

「ど、どうかな……? 今、大丈夫?」

 

 案の定、そこにいたのはアシュベルドだった。

 

「もちろんだとも。君を待っていたんだ。遠慮なく中へどうぞ。歓迎するよ」

 

 昼間、ついに私が入手したソファを試す時間ができたと彼の口から聞いたのだ。

 

「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて……」

 

 いそいそとアシュベルドは部屋に入ってくる。その口調は、普段のカリスマ性に満ちた冷酷なものではない。今の彼は畏怖すべき黄金の鷹ではない。アシュベルド・ヴィーゲンローデという一個人が、私の前に立っているのだ。

 

「これが、例のソファ?」

「そう。人呼んで『人類を堕落させるソファ』とはこのことさ。もちろん危険性はないよ。これに座って日頃の疲れを癒し、ストレスを霧散させてくれたまえ」

 

 何はともあれ、私はこのソファの安全性を保証する。

 

「わ、分かったよ。じゃあ、座るから」

 

 幸い、彼はそんなに疑う様子もなく、私が促すままにソファに腰掛けた。

 

「うわあぁ……あははぁ…………」

 

 人類を堕落させるソファは、たとえ相手が月の盾の長官であろうとも容赦しなかったらしい。クッションに沈み込みながら、アシュベルドは気の抜けた声を上げる。

 

「どうかね? 座り心地は」

「さ、最高……だね……」

 

 その絶妙に緩んだ声と表情。いやはや、これは何というか、余人にはとても見せられないね。

 

「……鈴」

 

 不意に、彼の方から私の名を呼ぶ。私のことを愛称の「鈴」で呼ぶのは、家族以外では彼だけだ。

 

「何だね?」

「いつもありがとう」

 

 その物言いは、どことなく少年のような言い回しだった。軽い退行だろうか。

 

「こんなにいいものまで用意してくれて、本当にありがとう」

 

 私は彼の言い回しに危ういものを覚えたので、ついはぐらかす返答をする。

 

「はっはっは、何もこれは君のためだけに誂えた家具ではないよ。どちらかというと、私の興味の産物さ。結果的に、君のお気に召したようで実に一挙両得だね」

 

 すると彼は黙り込んだが、何か言いたげでもあった。

 

「……どうかしたかね?」

 

 私が問うと、長い間彼は沈黙していたが、やがて口を開いた。

 

「鈴には、さみしい思いをさせちゃっている」

「今日の君の発言は藪から棒だね。いったいどういうことだい?」

「君を神州から連邦に呼んだのは俺だ」

「それは知ってるよ」

「ご両親からも、友達からも引き離して、君を知らない国に住まわせたのは、この俺なんだ」

 

 アシュベルドが、己の心の中に描いた心象を言葉という媒体に書き換えて語る。私は、蜘蛛の糸を手繰るように耳を傾ける。

 

「ずっと思っていたんだ。俺の招聘に応じたことを、君は後悔しているんじゃないかって」

「何を馬鹿な……」

 

 つい、私は彼の言葉を否定してしまう。

 

「……でも、俺は嬉しかったよ」

 

 アシュベルドの天井を見つめていた顔が、私の方を向く。ぼんやりとした表情だが、彼の顔の造作が嫌みなくらい整っているため、ただそれだけで絵になる仕草だ。

 

「君がここにいてくれたおかげで、俺は何度も救われた。誰にも話せないことを君になら話せるし、誰にも見せられない顔を君になら見せることができる。それが、どんなに俺にとってありがたかったか」

 

 罪深き連邦国民よ。黄金の鷹の翼下に集う無責任なひな鳥たちよ。君たちが崇高な救世主、あるいは未来の独裁者と慕うのは、等身大の青年なんだぞ。

 

「ままならないね。君に無理をさせていることが分かっているのに、俺はそ知らぬ顔をしたままそれを続けようとしているんだ」

 

 それは、思いもよらなかった告白だった。私を連邦に招いたことが、彼の心のどこかで棘となって刺さっていたなど、私は想像もしていなかった。何気なく身じろぎした私に、彼の手が伸びた。私の細腕を、彼の手がつかむ。

 

「どこにも行かないで」

 

 握る力は決して強くはない。まるで、途方に暮れた迷子がすがってくるかのようだった。私が、彼を置いてどこかに去ってしまうと感じたのだろうか。

 

「このまま、隣にいてほしいんだ」

 

 アシュベルドは言葉を続ける。

 

「俺を一人にしないで」

 

 私の知る彼は、こんなにも弱々しかっただろうか? 

 

「君は…………」

 

 私たち御伽衆は、心の急所が分かる。アシュベルドは今まさに、その急所を完膚無きまでにさらけ出していた。今ここで、私が一言何か言えば、それはたやすく彼の行動を根底から支配する暗示となるだろう。

 

 ――でも、だからこそ。

 

「……やれやれ」

 

 私は私の腕をつかむ彼の手に自分の手を添えてはずすと、大きく一度手を打ち鳴らした。

 

「さあ、今すぐ起きたまえ! ほら!」

 

 それだけで、アシュベルドは目を覚ました。

 

「え!? あ、あれ!?」

 

 目を白黒させてソファから上体を起こす彼に、私はにやりと笑って見せた。

 

「目は覚めたかね?」

「ええと、俺は変なことを言った……かな?」

「一笑に付せないが、かと言って深刻に受け取るほどでもない、実に微妙な内容だったね」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 




やっぱり鈴には勝てなかったんだ……


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第36話:願望

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「あ、あの……ごめん」

 

 アシュベルドは小さく謝る。

 

「いやいや、謝るようなことではないよ。しかし、せっかくだから言っておこう」

 

 私は姿勢を正す。

 

「私こと燕雀寺祢鈴は御伽衆でね。依頼があり、しかもそれが仕えるに足る相手からならば、この星の裏側であろうとも赴くのに逡巡はないよ。それが我ら燕雀寺という家の誇りだ」

 

 私にとってアシュベルドは、よき雇用主であり、旧知の仲であり、親しき友人だ。

 

「つまり、そういうことだ。長官殿、どうぞ君お抱えの御伽衆に、達者――言い換えればプロフェッショナルとして振る舞うことを許してくれたまえ」

「鈴……」

 

 彼は感動している様子だが、少々困る。あまり美辞麗句を囁きすぎると、私への心証がよくなりすぎてしまう。

 

「もちろん、君が私に滞りなく給料を支払っているならば、だがね」

 

 私がわざと俗っぽい言い方をすると、案の定彼は胡乱な目つきをする。

 

「……鈴、君は今せっかくいいことを言っていたのに。そうやって棒に振ってしまうはどうかと思うけど」

 

 その幻滅したような言い方は、彼の精神が現実に引き戻された事の証だ。

 

「横文字で言わせてもらえば、ビジネスライクで悪かったね。けれども、私は公私をはっきりさせたい性分なんだ。私は君に依存してもらいたくはないし、君だって私が私生活にまで口を差し挟むのは嫌だろう?」

「ああ、確かにそうだね」

 

 金銭の授受。御伽衆にとってこの部分は、案外譲れない部分だったりする。仕事だからこそ、達者に徹せられるのだ。

 

「さて、満足したのならばもう少し座っていたまえ。飲み物でも用意しよう」

「いや、必要ないよ」

 

 私はそう提案したが、彼は首を左右に振る。

 

「そのかわり、もう少しこうしていてくれないかな」

 

 私はただ隣に座っているだけなのに、アシュベルドはこれで充分らしい。

 

「君は無欲だね」

「鈴をここに縛っているのだから、むしろ俺は強欲だよ」

「私は何も不満はないよ。御伽衆として外国で働けるなんて得難い経験だ。感謝しているのは私の方だよ」

「そう言ってもらえると、肩の荷が少し軽くなるよ。ありがとう、鈴」

 

 彼の気鬱をどこまで和らげられたのか、私には分からない。けれども、私の言葉が彼の心に届くと信じて、私はただ一言応える。

 

「どういたしまして、私の大事な雇用主殿」

 

 

 

 

「――私は諸君らに明言したい。今、この連邦は重大な転換点に立とうとしている。既にこの時――」

 

 それからしばらく後。私とアシュベルドは首都で開かれた政治集会に参加していた。党の幹部や役員たちと同列の特等席から、私は演台に立つ彼を見ている。国民から絶大な支持を受ける月の盾長官の演説は、政治家にとって最高の広告塔だろう。

 

「血族たちに抗する者は誰か? 諸君らはこのように考えていることだろう。『私は一市民でしかない。私には何もできない』と。あえて言おう。そのような惰弱なる精神こそ、最も唾棄すべき無責任であると!」

 

 アシュベルドは演台を叩く勢いで腕を振るい、檄を飛ばす。彼の一挙手一投足に、聴衆は加速度的に酔いしれ、熱狂し、興奮していく。

 

「私は願う。連邦国民が皆兵の精神を抱くことを。結束して共に血族と戦わぬ限り、人類に待つのは暗澹たる未来しかない! 断じてそのような未来を、我々の子孫に継がせるわけにはいかない。ならば今こそ問おう。諸君らは血族の跳梁にどう応じる。逃避か? 戦いか? そのどちらだ!?」

「戦いを!」

「戦いを!」

「戦いを!」

 

 挑発的なアシュベルドの問いに、満員の聴衆が一斉に叫ぶ。

 

「ならば誰が戦う!?」

「我らが!」

「我らが!」

「我らが!」

「いつまで戦う? 一日か? 三日か? それとも一年か!?」

「最後まで!」

「最後まで!」

「最後まで!」

「諸君らは何だ!?」

「戦士!」

「戦士!」

「戦士!」

 

 全身全霊の賛同を一身に浴び、彼はとどめとばかりに告げる。

 

「ならば私に従え! 今この瞬間より、諸君らをこの私が率いる暁の大隊の義勇兵として、共に戦うことを許そう! 我が軍旗の下に集え!」

 

 会場の興奮は最高潮に達した。万雷の如き喝采がわき上がって止まない。拍手する者、万歳を叫ぶ者、感極まって泣き出す者。その全てを、アシュベルド・ヴィーゲンローデという黄金の鷹が作り出したのだ。

 

「相変わらず、君は煽動にかけては一流だね」

 

 私は特等席で拍手しつつ舌を巻く。大観衆を舌先三寸で熱狂させる彼の手腕は、御伽衆以上だ。

 

「……おや?」

 

 悠然と周囲を見下ろす彼の視線が、ふと私のそれと交錯する。私が周囲の注意を引かないようさりげなく手を振ると、彼は一瞬だけうなずき、再び尊大な態度で周囲を睥睨する。

 

「安心したまえ。私はここにいるとも」

 

 聴衆は誤解している。アシュベルドは冷徹な独裁者などではない。彼は公正で正義感の強い、誠実な一人の人間だ。だから、彼が外圧に潰れないように、心労に病まないように、私は御伽衆として彼に寄り添う。

 

「君が臨む限り……ずっとね」

 

 それが御伽衆の仕事であり、私、燕雀寺祢鈴の願いなのだから。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第37話:駐屯

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 ウーザークフトの北に広がる暗い森。中世の争乱の時代に築かれた古城の周囲に、月の盾の中隊が駐屯していた。時刻は深夜。冷え切った空気を吸い込み、小銃を構えた隊員が足踏みしつつ体を震わせている。

 

(あ~畜生、早く撤収しないかな)

 

 若い隊員の頭の中を占めるのは、とにかくさっさと寮に帰宅することだけだった。

 

「そんなことは分かっている! とにかく突入しろ! さっさと血族を捕獲するんだ! 長官殿のお手を煩わせるわけにはいかんからな!」

 

 彼の前を、この中隊を率いる壮年の小太りな隊長が、副隊長に怒鳴りながら通り過ぎていく。

 

(やだやだ。そんなにやりたきゃ勝手に一人で突撃して血族に食われちまえ)

 

 内心で隊員は隊長に毒づく。

 

 現在、月の盾と古城に住まう血族との戦いは、膠着状態に陥っている。中隊は既に何度か戦力を小出しにして突入したが、ことごとくが未帰還である。古城の周囲は不可思議な霧が取り巻き、それに入り込んだ隊員たちはそのまま消息を絶っている。隊員は知らないが、今この中隊は他の隊とは孤立し、ほとんど独断専行に近い状態だった。

 

 その時、暗闇を裂く前照灯の光と共に、一台の車両がこちらに向かって走ってくる。周囲の隊員がどよめく中、車両が停車すると一人の人物が降りてきた。外套をなびかせた長身の美青年の姿を見るや否や、隊員は大慌てで敬礼する。あの氷のような美貌は間違いない。月の盾の頂点に立つ黄金の鷹、アシュベルド・ヴィーゲンローデ長官だ。

 

「だ、大隊長殿! ご視察、感謝いたします!」

 

 突然の長官の出現に、中隊長は直立不動の体勢で敬礼した。アシュベルドは長官であると同時に、月の盾が保有する戦力の区分で最大である大隊を指揮する。故に彼は長官にして大隊長でもあるのだ。

 

「これは視察などではない、中隊長」

「は、はいっ! 申し訳ありません!」

 

 アシュベルドの口から聞こえた言葉の冷たさに、近くで聞いていた隊員は身を震わせた。深夜のこの冷えきった空気さえ、長官の口調に比べれば春のそよ風だ。まして、直々にその言葉を浴びせられた中隊長が平静を保てるはずもない。必死で謝罪する彼の顔が見る見る青ざめていく。

 

「貴公の形ばかりの謝罪は、私の心には何一つ響かないな」

 

 アシュベルドが中隊長を睨む。

 

「そ、それは、どのような意味でしょうか?」

 

 中隊長がどもりつつそう言った時。

 

「君は不惜身命という語を完全に取り違えている、と大隊長殿はおっしゃっているのだ。分かるね?」

(げぇっ!? 何で大隊指揮官の懐刀までここにいるんだよ。弱り目に祟り目ってレベルじゃないぞ!)

 

 隊員は驚きで目を見開いた。いつの間にか、一人の女性が長官の隣に寄り添っている。月の盾のタイトな制服を着こなした、長い黒髪の東洋人の姿を見て、内心で隊員は悲鳴を上げる。あれは燕雀寺祢鈴。深謀遠慮の権化であるアシュベルド長官が信頼する、ただ一人の人物だ。神算鬼謀の人化まで来たなんて、いつからここは魔王の本陣になったのか。

 

「おや、分からないかね? これは困ったことだよ」

 

 祢鈴はアシュベルドとは正反対の、猫なで声とも表現できる口調で中隊長に言う。

 

「他の小隊との協調性もなく突出。血族のテリトリーへ闇雲に隊員を逐次投入し、あたら戦力を損失する。いやはや、実に君は賢いねえ。私が敵の血族だったら、君を獅子身中の虫として月の盾に潜入させるんだが」

 

 だが、その言葉の中身は、鋸で柔肌を裂くような皮肉に満ちたものだ。突き詰めた話、彼女もアシュベルドと変わらない。中隊長の独断専行と愚かな指揮を譴責しに来たのだ。

 

「も、申し訳ありません! 出過ぎた真似を致しました!」

 

 もはや、中隊長にできることは何一つない。完全に心を折られた彼は、ただひたすらに頭を下げる。

 

「よって、これより貴公の中隊は私の指揮下に入る。これ以上は時間の無駄だ。速やかに私の指示に従え」

「もちろんです! 感謝いたします!」

 

 平伏せんばかりの中隊長を見ても、彼の独断専行に付き合わされた隊員は痛快ではなかった。何しろ、中隊長は黄金の鷹の勘気を受けたのだ。その怖ろしさを見た今、むしろ同情したくなるのが人情だった。

 

 

 

 

(危なかった……。何で功を焦って勝手に突っ込もうとするかなあ)

 

 アシュベルドは内心で呟く。

 

(この中隊長も悪い人じゃないんだよ。なぜか、俺の手を煩わせてはいけない、って強迫観念に駆られてすぐ突っ走るだけで)

 

 粗大ゴミを見る目で中隊長を見つめるアシュベルドだが、内心では彼を無能なゴミと軽蔑しているわけではなかった。

 

 しかし、周囲はアシュベルドを、無能に容赦しない徹底したリアリストと誤解している。そしてアシュベルドもまた、周囲の期待を裏切らないよう必死で装ってしまっているのだ。

 

(とにかく、この血族を正面きって攻略するのは自殺行為だ。だから、ちゃんと根回しはしてあるんだよ)

 

 心優しき大隊長は、冷徹な仮面の裏で今後の作戦を考えていた。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第38話:伯爵

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 月の盾が狩る血族とは、平たく言えば吸血鬼、ヴァンパイアに程近い。彼らは人に紛れて人を襲い、同族を増やす。しかし、ヴァンパイアがその発生の原因を神の呪いや死からの蘇生に帰すのに対し、血族はその発生の原因を線虫という寄生生物に帰す。故に月の盾は血族を確保し、その血中の線虫を死滅させ、人間に復帰させることを務めとしていた。

 

 ジェラ伯爵。血族の中でも強力な存在に冠された「爵位」を持つ、古き血の継ぎ手。彼自体は壮年の人間だが、その血に住まう線虫は約百五十年の間、人から人へと感染を繰り返してきた。そのため、ジェラは百五十年間醸造され蒸留された神秘を有している。血族とは単なる感染者ではない。人外の知識と異能を有する、夜の支配者でもあるのだ。

 

「愚かな連中だ。月の盾とご大層な名前を掲げているが、実に脆い」

 

 月の盾によって包囲された古城。その大広間に、古風な夜会服をまとったジェラがいた。彼の眼前には、意識を失った月の盾の隊員たちが転がされている。彼らを拘束するのは、まるで霧が鎖となったかのような不可思議なものだ。

 

(だが、この城が連中にばれたのは少し痛手だな)

 

 大言を口では吐きつつ、ジェラは内心では苦虫を噛み潰していた。どこから嗅ぎつけたのか、月の盾は全力を持って自分を狩りに来た。だが、この居城を捨てるのはあまりにも惜しい。線虫の本能はジェラに逃走を促していたが、ジェラの人間としての意識は、この居心地のいい居城でまだ伯爵として優雅に暮らしたいと訴えている。

 

「お父様、こちらでしたか」

 

 思案するジェラは、後ろからかけられた声に気づいて振り返る。

 

「おお、エルドリーデ」

 

 そこに立っていたのは、床をこすらんばかりの長いドレスに身を包んだ一人の女性だった。くせの強い金髪を結ったその下にあるのは、どこか影のある淑やかな美貌だ。何となく締まりのないジェラよりも、余程貴族らしい容姿である。

 

「まったくもって、お前を我が同族に加えて正解だったな。父も鼻が高いぞ」

「光栄です」

 

 ジェラの賛辞を、当然のようにエルドリーデと呼ばれた女性は受け取り一礼する。父、と言っているが、この二人は血縁ではない。彼女はジェラによって血族とされた故、ジェラを「お父様」と呼ぶのだ。古風な血族は、このような表現を好んで用いる。

 

「お前の霧の前には、奴らなど虫けら同然だ。どれだけ来ようと負ける気がしないな。ははははっ!」

 

 エルドリーデを見て自信が湧いてきたのか、ジェラは大笑する。強力な血族は「病態」と呼ばれる異能を有する。エルドリーデの病態は霧を発生させ操る。それは周囲に立ちこめ視界を奪うのみならず、物理的な拘束ともなる超常の霧なのだ。

 

「黄金の鷹……」

 

 しかし、エルドリーデは追従して笑うことなく、小さくそう呟いた。

 

「なに?」

「ご存じですか、お父様。城を取り囲む月の盾の軍勢の指揮を執るのは、あの黄金の鷹だそうですよ。我らもついに、その血を失う時が来たのでしょうか」

「はっはっは。何を弱気なことを言っている、エルドリーデ。黄金の鷹? それがどうした!」

 

 何やら不吉なことを口にするエルドリーデに対し、ことさら傲慢にジェラは振る舞う。最初の内は空元気だったが、徐々に彼は自分の発する言葉に引っ張られ、本当に気が大きくなってきた。不吉な言葉を否定したくて口にした言葉が、言わば呪いのように自分自身を操っていく。つまり、今の窮境に目をつぶり、根拠の薄い自信にすがっていくのだ。

 

「奴などただの人間。たとえ攻めてこようがお前の霧に撒かれて囚われるのが関の山だ。来るなら来い。是非とも奴の顔をこの目で拝んでみたいものよ!」

 

 確かに、エルドリーデの病態は規格外と言ってもいい。月の盾から一つの城を丸ごと防備するなど、とんでもない異能である。しかし、ジェラは決定的に判断を誤っていた。なぜならば……。

 

「――ならば、貴公の期待に応えようではないか」

「……え?」

 

 城の大広間に、その声は城主のそれのように堂々と響き渡った。城がジェラではなく、声の主に跪いているかのようだ。

 

「よい夜だな、血族よ。黄金の鷹、アシュベルド・ヴィーゲンローデが貴公らに人としての生を戻しに参った」

 

 広間の入り口に、アシュベルドが悠然と立っていた。

 

 

 

 

(「貴公らに人としての生を戻しに参った」。よし! 決まったああああ!)

 

 心中でアシュベルドは自分自身に快哉を叫ぶ。端から見ると、アシュベルドはどこまでもクールに、冷徹に、尊大に振る舞っている。しかし、その中身はこうだ。彼は案外自己陶酔の気があり、目立ちたくないようでいて目立つような言動をここぞという時に発揮するのだ。

 

 あくまでも「血族を狩りの対象としてしか見ていない、冷たく合理主義の長官」を演じつつ、アシュベルドは内心では自分の芝居がかった台詞と登場の仕方にちょっとだけ――いや、かなり――酔っていた。この瞬間をあらかじめ予測して、何度も何度もリハーサルした甲斐があったと言えよう。付き合わされた祢鈴は、当然呆れていたのだが。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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第39話:反抗



2020/2/18の22:30の段階で、総合日間ランキング第21位、
オリジナル日間ランキング第8位、
そして、ついに総合評価1,000ptを突破!
これもすべて、読んでくださった皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。




 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 悠然と月の盾の隊員を率いて現れたアシュベルドに、ジェラはあっけにとられた。エルドリーデは、自分の作る霧の中に侵入したあらゆる生命体を感知できる。それを乗り越えてここに来るなど、想像もしていなかった。だが、彼は慌ててエルドリーデに命じる。

 

「何をしている! 奴を捕らえろ! 俺の配下に黄金の鷹が加わる絶好の機会だぞ!」

 

 ジェラ本人は戦闘が得意ではない。彼の病態は、自分が感染させた子に強力な異能を授けるというものだ。これまで多種多様な子を作ってきたが、その中でエルドリーデは最高傑作と言ってもいい。しかし、なぜか彼女は身動き一つしない。黄金の鷹に恐れをなしたのか? ジェラが不審に思ったその時、エルドリーデが動いた。

 

 アシュベルドの方ではなく、なぜかジェラの背後に。次の瞬間、ジェラは脇腹に激痛を覚えた。振り返ると、エルドリーデがジェラの脇腹に銃に似た武器を押し当てている。月の盾が用いる、投薬武装という対血族用の武器だ。

 

「何をする!」

 

 叫ぶジェラを無視し、エルドリーデは線虫を封じるルーンが刻まれた弾丸を続けざまに撃ち込んでいく。

 

「なぜだ……エルド……リーデ……」

 

 代を重ねて百五十年間世にはばかってきた血族の、それはあまりにもあっけない最後だった。うつぶせに倒れてかすかにもがくジェラを、エルドリーデは見下ろしている。子が親に抱く信愛など欠片もない、冷えきった視線が彼を射貫いた。

 

「いささか遅い反抗期の到来です、お父様」

 

 

 

 

「ようこそお越し下さいました、黄金の鷹」

 

 それは少し前の話だ。ウーザークフト市の隅にある小さな酒場で、アシュベルドとエルドリーデは密会していた。どちらも目立たない私服を着ている。アシュベルドの隣にいるのは、やはり私服の祢鈴一人だけだ。

 

「約束通り、供の方をお一人だけつけて虎穴に入ってこられるとは、勇猛なのか無謀なのか」

 

 酒場にいる他の人間は、誰一人二人に関心を払わない。うっすらと霧が立ちこめている。その霧は彼らの耳から脳に入り、アシュベルドたちをいないものとして扱わせている。エルドリーデの病態に支配されたここは、まさに虎穴そのものである。

 

「貴公が交渉に足る相手と私が判断した。ただ、それだけがここに来た理由だ。それに――」

 

 テーブルを挟んで向かい側に座るエルドリーデを、アシュベルドは睨む。

 

「今ここで貴公を捕らえ、その血の中に蠢く薄汚い害虫を駆除してもいいのだぞ」

 

 いつでも貴公など駆逐できる、とその目は如実に語っていた。

 

「――ただの言葉の綾ですよ。黄金の鷹と聞き及んでいましたが、もう少し余裕のある態度を見せるものと思っていました」

 

 ややあって、エルドリーデは平然と前言を撤回する。この密会は、彼女の方から持ちかけてきた。霧を使って操った人間を通して、月の盾と接触を試みた。根気強くそれを繰り返した結果、ようやく長官本人をこの場に呼び寄せることができた。しかし、千載一遇のチャンスであっても、エルドリーデはアシュベルドに負けじと尊大に振る舞う。

 

「長官殿は、あなたのように優雅に振る舞うことに時間を割くほど暇ではないのだが? 手短に用件を伝えてもらいたいね」

 

 絶妙のタイミングで、アシュベルドの隣の祢鈴が口を挟んできた。気持ちを苛つかせることに特化したような口調だ。

 

「我が父、ジェラ伯爵をどうか討伐していただきたいのです。そのための手はずはこちらが整えます」

 

 エルドリーデは祢鈴を軽く睨んでから、アシュベルドに本題を告げた。

 

「あら、親に反逆する子を見ても少しも動じないのですね」

 

 身内を売り渡す血族を見ても眉一つ動かさないアシュベルドに、エルドリーデは「やはり」と思った。さすがは黄金の鷹。彼にとって義理であっても親子の愛情など、さして意味のない雑音でしかないのだろう。

 

「元より、貴公ら血族に礼儀や情愛など微塵も期待していない。それで、裏切りの見返りに貴公は何を求める?」

 

 そして自分もそうだ。エルドリーデは自嘲した。とうの昔に、人をコレクションのように愛でるだけの父に付き合う気は失せていた。

 

「そうですね。私の身の安全の保証、というのはどうでしょうか?」

 

 

 

 

 笑い声が響く。聞く者の背筋を寒くさせる、暗く恐ろしい笑い声だ。広間に集う月の盾の隊員たちが、その哄笑を聞いて怖じ気づいたかのように後ずさりしていく。

 

「見ろ、この屠殺されたブタのような醜態を。あのジェラ伯爵が、私の足元で無様にも転がっているのだ。実に愉快だな」

 

 アシュベルドは笑いつつ、意識を失ったジェラ伯爵を嘲る。

 

「活劇、堪能させていただきました」

 

 その笑い声が止んだ頃、ようやく彼に声をかけるものがいた。

 

「おや、貴公か」

 

 父を裏切り、月の盾を手引きしたエルドリーデその人だ。

 

「はい。見ての通り、ジェラ伯爵はこの私の協力であなたのものとなりました。では、約束は守っていただけますね?」

「ああ、約束か。そういえばそうだったな」

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 




Q:血族の約束を守るようにとの要求に、冷酷な合理主義者っぽく応じる方法とは?



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第40話:約束

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 約束、とエルドリーデに言われ、アシュベルドは気のない返事を返す。

 

「確か、貴公の身の安全の保証だったな」

「ええ。あなたは私の手引きで父を拘引できたのです。私は約束を守りましたよ。今度は、あなたが約束を守る番でしょう? まさか黄金の鷹ともあろう方が、あっさりと約束を破ることはなさいませんよね?」

 

 挑発するような彼女の言葉に、ようやくアシュベルドはそちらに向き直る。

 

「なるほど、確かに約束は大事だ。守らなければならないな」

 

 だが次の瞬間、城の広間に響いたのは一発の銃声だった。

 

「――とでも私が言うと思ったか? 血族の分際で私に約束を守らせようなど、思い上がりも甚だしい。貴公との約束は反故にする。気が変わった」

 

 銃口から硝煙の漂う拳銃タイプの投薬武装を手に握り、アシュベルドはそう言い放ったのだった。利用するだけ利用して使い捨てる。この悪辣そのものの行動にも眉一つ動かさず、アシュベルドはかつての協力者に告げる。

 

「エルドリーデ・メルシェンラッハ。貴公を潜血症の疑いで確保する。これは強制執行であり、貴公に交渉権や拒否権などない」

 

 

 

 

 ウーザークフトでの一件を片づけた私たちは、連邦首都にある月の盾本部に帰還していた。

 

「やや落ち込んでいるようだね。大丈夫かな?」

 

 時刻は夜。私の部屋が、私が御伽衆として働く主な場所だ。大きめのソファ(件の「人類を堕落させるソファ」とは別物だ)に座るのはアシュベルド。私はその隣で、彼の言葉に耳を傾けている。

 

「ああ、別に落ち込んでいるわけじゃないんだ。ただ……」

「エルドリーデ・メルシェンラッハを騙す形で確保しようとしたのが、気掛かりということかね?」

 

 私がそう言うと、彼は手に持った湯飲みから濃いめの抹茶を一口飲んでからうなずく。

 

「その場の勢いであんな事になったけど、彼女は俺を怨んでるんじゃないかな」

 

 確かに今回のアシュベルドの行動は、実に悪役然としたものだった。ジェラを裏切る代償として身の安全を約束しておきながら、いざその段になったら「気が変わった」と手の平を返すのだから。一部始終を見ていた月の盾の隊員たちは、顔を引きつらせていたな。「長官の気分次第で自分たちも粛清されるんじゃないだろうか」と怯えていたんだろう。

 

「だったら、約束云々については触れずに、問答無用で彼女を確保すればよかったじゃないか。君はいささか回りくどいね」

 

 私は聴き手を務めつつ、彼に正直な感想を述べた。すると、なぜか彼は顔を少し赤らめる。

 

「いや、だって、その、やってみたかったからさ」

 

 何を? と思ったのもつかの間。私はすぐに彼が何を言わんとしているのか理解した。

 

「まさか……『貴公との約束は反故にする。気が変わった』っていう、真正の悪役の演技を?」

 

 アシュベルドの意外に見栄っ張りな性格ならば、充分あり得る可能性だ。衆目の元冷酷な悪役を演じるのは、彼にとってまたとない自己陶酔の機会だろう。……案の定、彼は恥ずかしそうにうなずいた。どうしてそこでうなずくのかなあ!?

 

「そこで肯定するのはどうかと思うよ私は!?」

 

 自分の気持ちにこの上なく正直になって、私は叫んだ。

 

「だ、だって、絶好の機会じゃないか! 一度やってみたかったんだよ!」

「あ~あ、君はまた絶妙に面倒くさい性格をしているねえ」

 

 私は彼の隣で頭を抱える。いや、君の気持ちは分かるがね。でもどうして、そこで自分を抑えられないのかなあ。

 

「何だか、今になって不安になってきたんだよ。ちょっとやり過ぎたかなあ」

 

 黄金の鷹として振る舞っている時は平気でも、素のアシュベルドに戻った今、急に不安になってきたのだろう。

 

「大丈夫大丈夫。感染している時は感じないだろうけど、誰だって血族だった時の記憶なんて不快以外の何ものでもないのだよ」

 

 となれば、我ら御伽衆の出番だ。

 

「たとえ騙されようと、自分の血から線虫を消し去ってくれたのだから、君に感謝こそすれ、怨むことなどあるまいよ」

 

 私は彼の不安を言葉で取り去っていく。もちろん、心にもない世辞ではない。それなりの本心でなければ、他者の心は動かせないのだ。もちろん「それなり」だがね。何しろ私は御伽衆。舌先三寸で国さえ動かす一家の出なのだから。

 

 

 

 

 ――これで事態が収束してくれれば、私としても万々歳だったのだが。この後、アシュベルドのところに月の盾指定の病院から一報が入る。内容は「治療中のエルドリーデが拘束をはずし、病院を占拠している」というものだ。病院は彼女の血族としての異能を軽視したらしい。急行した私たちが目にしたものは、ウーザークフトの古城の再現だ。

 

 超常の霧に覆われた病院と、包囲する月の盾の隊員たち。しかし、ここから事態は古城の時とは異なる様相を呈した。アシュベルドと私が到着するや否や、病院を包んでいた霧が消えていく。変わって入り口に姿を現したのは、エルドリーデその人だ。浴びせられる投薬武装の集中砲火は、彼女の体を素通りしていく。どうやら霧で作られた幻像らしい。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 





A:自分にとって不利な約束を守る必要などない、と開きなおる



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第41話:魔王

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

「長官殿はいらっしゃいますよね? お別れに一言申し上げたいのですが……」

 

 彼女はほほ笑む。

 

「出てきて下さらないのでしたら、病院の方を何名か同族にして連れて行くのも一興でしょうか」

 

 エルドリーデの脅しに動揺する隊員たちを尻目に、アシュベルドは不敵に笑った。

 

「面白い。私が奴と戯れている間に、貴公らは本体を探しておけ」

 

 そう隊員たちに密かに命じると、彼は車を降り、堂々とエルドリーデの前に立った。

 

「相変わらず、小賢しいところは変わらないな、エルドリーデ・メルシェンラッハ。今の貴公は実に醜い。血族の力を振るう貴公を見ると虫酸が走る」

 

 病院の人間が囚われているにもかかわらず、彼はエルドリーデを痛罵する。

 

「ご心配なさらないで下さい。今は誰も傷つけるつもりはありませんから」

 

 彼に蔑まれてなお、エルドリーデは楽しそうに笑っている。

 

「それで、いつになったら一言申し上げる? せっかくだから聞いてやろうではないか」

 

 彼が促すと、一瞬だけエルドリーデはためらうような素振りを見せた。だが、すぐに一度目を閉じ、深呼吸してから口を開く。

 

「ウーザークフトでのあなたは、今まで会ったどんな殿方よりも素敵でした」

 

 突然のエルドリーデの告白に、内心アシュベルドは驚愕しただろう。

 

「ほう? 私がしたことは、血族を捕らえるためならば平然と嘘をついて約束を破るような行為だが?」

 

 がんばれアシュベルド。君の鉄面皮は保たれているよ。

 

「でも、あなたはそれを微塵も悔いていない」

「当然だ。私が約束を守って何になる? 連邦に不利益をもたらすだけだ。良心など単なる感情の雑音に過ぎない。合理的に考えたまえ。人は己自身の主人だ。無意味な罪悪感など捨てた先にのみ、強者への道は開かれている」

 

 彼の口からは、冷徹な合理主義者が言いそうな言葉が次々と出てくる。

 

「ふふふ、やはりあなたは誰よりも強く、恐ろしい方です」

 

 どうやら彼女、アシュベルドに約束を破られたことなど気にしていないらしい。むしろなぜか嬉しそうだ。

 

「実は私、ちょっとだけ悪女になってみたかったのですが、本物の悪の前には私の悪など霞んで消えてしまいました」

 

 は? 本物の悪? いやいや、アシュベルドは君が思うようなご大層なものじゃないんだが?

 

「それではご機嫌よう。私の――」

 

 その言葉と同時に、エルドリーデが動いた。実にさりげなく、しかし素早く。交尾の際に雄を捕食する雌のカマキリのように。

 

「――素敵な魔王様」

 

 頬への親愛のキス。ただそれだけだ。それだけの行為をエルドリーデはアシュベルドに捧げると、その姿を霧へと変えていった。まるで恋人に愛を囁く少女のように、恥ずかしそうにうつむきながら。

 

「厄介な女性に好かれたようだね」

 

 すぐさま隊員たちに病院へ突入するよう命じるアシュベルドに、私は近づくと囁く。なぜか、私の機嫌は急速に悪化している。

 

「……魔王って、何?」

 

 彼もまた小声で私に囁く。

 

「私に聞かないでくれたまえ」

 

 身から出た錆、とはこの事を言うのだろう。ならばこそ、私が不愉快になる理由はないはずだった。

 

 

 

 

 私は、エルドリーデ・メルシェンラッハは、幼い頃からずっと「いい子」だった。

 

「お前はいい子だ、エルドリーデ」

「いい? ちゃんといい子にしているのよ、エルドリーデ」

「貴族であるメルシェンラッハの家名に恥じない、いい子になるんだぞ、エルドリーデ」

 

 周りの大人たちは、口を揃えてそんなことを言ってきた。

 

(いい子って……何?)

 

 表面上は聞き分けのよい素直な少女の顔をして、私は内心で呟く。

 

(わがままを言わない。きちんと勉強して、お祈りして、女の子らしく大人しくしていること。いつもにこにこして、誰にでも優しくて、礼儀正しくすること。これがいい子なの? 馬鹿みたい。これってただの人形じゃない)

 

 自分自身への嫌悪感で吐き気がした。

 

「はっはっは! あのメルシェンラッハのご令嬢が俺の同胞だと!? 今夜の俺は実に運がいいな! これで爵位をさらに上げられる!」

 

 私を血族にした男が間抜けな顔で笑っている。これが血族? 人に敵する夜の一族が、家名や爵位なんかで一喜一憂するなんて、興ざめもいいところだった。

 

(馬鹿みたい。血族も所詮人間と大差ないわ)

 

 だから……。

 

 私は吹っ切れて悪い子になってみた。父を裏切るだけでなく、人間に戻れるチャンスもふいにして、病院を占拠して人質を取る。悪に関しては素人の私が、精一杯背伸びして演じた悪女の演技。でもそんなものは、真正の悪の前では児戯同然だった。

 

「――貴公との約束は反故にする。気が変わった」

 

 あの時の彼の言葉が、まだ私の耳に残っている。

 

 母は常々「いい子は約束を守るのよ」と言っていた。母よ。ここに約束を守らない悪い人がいます。なんてひどい――なのに、なんて美しい――悪人。黄金の鷹よ。こんな病院ではふさわしくありません。いつか私の城にあなたを招き、一緒に踊りましょう。あなたこそ、私の理想。私を壊す悪逆。私を救う邪悪。

 

 私の、私だけの――愛しい魔王様。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 




なお、この自称悪女が帝国の王女と顔を合わせた場合、推しに対する解釈の相違から喧嘩となる模様



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第42話:嘆息

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 暖かな午後の陽光が、公園の芝生を照らしている。私とアシュベルドは、並んでベンチに座っていた。これから彼は、近くのスタジオで撮影の仕事が待っている。月の盾の広報活動の一環で、対外への宣伝用ポスターやらパンフレットやらの写真のモデルになるのだ。その前に少し、私たちはここで休憩を取っている。

 

「ハトはいいなあ……」

 

 目深に帽子をかぶった私服姿のアシュベルドが、焦点の定まらない目で遠くを見ている。つられて私は彼の視線を追う。向こうでは、ご老人の方々がハトにパンをやっていた。

 

「自由で、気ままで、のんきそうで……」

 

 そうだろうか? 私の目には、ハトたちは我先にと老人たちに群がり、必死になってパンをつついているように見えるのだが。

 

「君は既に黄金の鷹じゃないか」

 

 ハトに憧れるタカに私がそう言うと、彼は宙を仰いでため息と共に呟く。

 

「それが結構疲れるんだよ……」

 

 ああ、いつものことか。毎度のことながら、今日も今日とて我らが月の盾の長官殿は重責に心を悩ませておいでのようだ。すべてを捨ててハトになりたいと思うのも無理はない。

 

 そんな折だった。私と彼が座るベンチに、公園の入り口からやって来た一人の若い女性が腰掛けた。私たちの方を一顧だにしない。短めの茶色の髪をした、中肉中背の知的な雰囲気の女性だ。ミゼルのような「自分ってインテリジェンスですよ!」と露骨にアピールすることのない、穏やかで大人しそうな外見をしている。肌の色は少し東洋人に近い。

 

 彼女はベンチに座ると、深々とため息をついて真下を見つめる。昼食後の休憩でここを訪れたのだろう。何やら思い詰めた様子だ。もう一度、彼女は大きくため息をついてから、ようやくこちらを見つめる私に気づいたらしい。ちなみにアシュベルドは、さりげなくよそを向いている。目立たないように努めているようだ。

 

「あ、すみません。お邪魔でしたか?」

 

大人しそうな外見通りの、丁寧で抑えられた抑揚の声だ。

 

「いやいや、気にすることはないよ。ご随意に」

 

 私がそう言うと、照れたような顔をしてから彼女は視線を逸らす。しばらくして、再びため息。そのトーンからして、本気で悩んでいるようだ。

 

「何か、お悩みかね?」

 

 つい、私は彼女に話しかけた。

 

「あ、いえ、そういうことでは……ないような……いえ、あるんですが……あはは」

 

 彼女は曖昧に笑う。無理に何でもないように振る舞っているのがよく分かる。

 

「ご、ごめんなさい。辛気臭いため息ばかりじゃ気が塞ぎますよね。すぐ、どこか行きますから」

 

 彼女が立ち上がろうとするので、私は引き留めた。

 

「ははは、何を言うのかね。こう見えても私はカウンセラーに似た仕事に就いていてね。せっかくだから、悩み事でもあるのならば少し傾聴しようじゃないか。もちろん、無料の範囲内で、だけどね」

 

 もっとも、私はカウンセラーならぬ御伽衆だ。人を癒すが、同時に人を病ませることだってする左道の人間なのだがね。

 

「あの……本当にご迷惑じゃないんですか?」

「私たちもこれから仕事だが、その前に少し時間を無為に浪費しているのが現状でね。単なる暇潰しで、余人が絡んでいるとでも思ってくれたまえ」

「じゃ、じゃあ……」

 

 やはり、誰かに話をして悩み事を聞いてもらいたかったのだろう。彼女は私が促すと、ゆっくりと自分の身の上を語り始めた。

 

 

 

 

 彼女の名はイニーネ・ランズベリカー。新進気鋭のフリーライターだ。身近な健康問題から、各国の政治の問題まで幅広く手がけている。実際、彼女が名前を挙げたいくつかの雑誌は何度か通読したことのあるものだったし、彼女が書いた記事も記憶にあった。若輩でありながら、なかなかの才覚を発揮していると言えるだろう。

 

 しかし、彼女には大きな向かい風となる要素がある。それは、彼女の国籍だ。先祖が中東の九枝人といえば、お分かりいただけるだろうか。九本枝の燭台を旗印に、理想の国家の樹立を千年の悲願とする流浪の民。それが彼女のアイデンティティだ。この九枝人、なまじ頭が良く集団行動が得意だけに、西洋全体でやや疎まれる傾向にある。

 

 曰く、九枝人は西洋を征服する陰謀を企てている、世界の経済を裏で支配している、各国に紛争の種を撒いている云々。幸い表立った迫害はないものの、九枝人に対する冷たい視線は、連邦のあちこちに見受けられる。ちなみに、以前言及したシャザーム・バルズスフは九枝人ではないが同じ中東出身のため、大抵一緒くたに扱われている。

 

 しかし、私の隣にいるアシュベルドは、この手の九枝人に対する差別を一切しない。彼自身の血は一滴の混じりもない連邦人、それも三百年の歴史を誇る正当な騎士の家の血だが、何かと九枝人に助けられてきた家柄らしい。だからこそ彼は九枝人を色眼鏡で見ることはないし、そうする輩を蛇蝎の如く嫌悪しているのだ。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇

 

 

 



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