Seahorse (麦茶の茶)
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一話

 

空から舞い降りるとそこは雪国であった。

 

「うん、白いわね」

 

サクヤは広がる景色を眺めて並みの感想を呟いた。

ここはドラム島。偉大なる海路の前半の海に位置している島であり、寒冷地の気候ゆえに野原、山、平原と島の全てが白雪に覆われていた。

 

一見するところ、ここは一際目立つものもない普通の冬の島である。だが、この島には知る人ぞ知る医療大国“ドラム王国”が存在していた。世界の数ある国の中でもずば抜けた医療技術を持つ国。サクヤはそれらの知識を学ぶため故郷から遥々この島へとやって来たのである。

 

とはいえ、当然サクヤにとってここは初めての地であった。文化や内情など知る由もない。争い事は嫌いではないが下手に問題を起こして、肝心の医学の知識を学べなければ元も子もなくなる。だから一先ずは近くの人里でも探し、国の様子を探ろうと考えたのだ。

 

それから雪道を歩いていると真っ白な看板を見つけた。吹雪によって看板に雪が張り付いてしまったのだろう。サクヤは素手でその雪を払い落とした。すると看板には“ココアウィード”と書かれており、看板は矢印の形をして東の方を示していた。サクヤは東の方へと足を進めた。

 

“ココアウィード”に辿り着いたとき太陽は空のてっぺんに位置していた。サクヤは昼食をとろうと『Stool』という看板を掲げた店に入った。ここは飲食店であり、サクヤはメニュー表の一番上に書かれていたミックスグラタンという料理を注文した。注文が来るまでの時間、サクヤは店内を見回した。店は故郷にない珍しい内装をしていた。

 

「別に見世物じゃないのだけどねぇ…」

 

サクヤはぼんやりと溜息をついた。周囲から感じられる奇異な視線。寒雷と雪の結晶の柄をした純白の着物はよほどに目立つらしい。と言っても、そう思うのは大人だけでたり、まだ物を知らない少女は物珍しいサクヤに目を見開いて言った。

 

「お姉さんの服とっても可愛いね」

 

サクヤはその娘を見下ろすも、腰を下ろして優しく微笑んだ。そして頭を撫ぜながら言った。

 

「ありがとう」

 

おそらく、こんな己の顔を見たら故郷の野朗供は驚愕の顔を浮かべることだろう。旅の恥はかき捨て。サクヤは心の底から無垢な少女に見えぬ血に染められた手を乗せていること、そしてそれを平然と隠しながら善人のふりをする己を自嘲しながら笑みを浮かべていた。だけどふと気付いた。撫でられて揺れ動いた少女の前髪。その隙間から見えた少女の目尻には赤く膨れ上がった腫物ができていることに。

 

「ねぇ、目の上の辺り痛くないの?」

 

サクヤは尋ねた。すると少女は答えた。

 

「痛いよ。でもお母さんは大丈夫だって。寝てれば直ぐに治るって言ってたよ」

 

そんな訳あるかい。サクヤは内心でツッコんだ?少女の目の上の腫物。ここまま放置していても治るはずなく、やがては細菌が眼球にまで入り込み、猛烈な激痛を伴いながら失明することになるだろう。

 

「お医者さんに診てもらったの?」

 

「ううん。この島のお医者さん皆んな、いなくなっちゃったから診てもらえないの」

 

「いなくなったて…ここドラム王国でしょ?」

 

「うん、そうだけど」

 

“ドラム王国”が医療大国だという話は嘘だったのか。いや、そんなはずはない。これは凡ゆる媒体から知った確かな情報だ。だが目の前の現実はそれを否定するかのように存在している。サクヤは少し困惑した。

 

「あんた、もしかして医療大国の噂聞いて来たくちかい?」

 

注文した料理を持ってきた店主が言った。テーブルの上に湯気が立つミックスグラタンが置かれた。

 

「そうだけど何かあるの?」

 

「まぁな。念の為に聞いておくがアンタ医者か?」

 

医者。それは医療によって人々を救う者達を称する言葉。サクヤは己にそれを名乗る資格がないことを理解していた。だから敢えてこう言った。

 

「いいえ。ただの医学に詳しい研究者よ」

 

「それを医者って言うんじゃ…」

 

「私はそんな崇高な人じゃないわ。そうね。医学に詳しい研究者がダメなら、とっても悪い悪い海賊とでも名乗っておきましょうかしら」

 

サクヤはくすっと悪戯な笑みを浮かべた。店主は触れて欲しくない事情があるのだろうと考えて、それ以上の詮索はせず言葉を続けた。

 

「取り敢えず君が何であれ病人を治療できる技術があるのなら早くこの国から去ったほうが良い。この国では王が認可した医者以外が存在してはいけないんだ」

 

「それって普通じゃないの?」

 

でなければ医者の腕を誰が保証するのだろうか。政府が認可しない闇医者が社会から追放されるなんて当たり前のこと。深刻な顔で問題視することでもない。

 

「いや、そうだけど、そうじゃないんだ!」

 

店主は頭を抱えて言った。どうやらこの国には深い事情があるのだろう。取り敢えず、その事情の続きを聞こうとした時だった。

突然と店の扉が勢いよく開けられた。その音に一同は扉の方を注目した。そこには頬から大粒の汗を流しながら上気した大人の男性が立っていた。彼はサクヤの方を見つめると、近付ついて土下座し叫んだ。

 

「オレの息子を助けてください‼︎」

 

サクヤは目を細めてその男を見つめた。男は頭を下げたまま言葉を続けた。

 

「たまたま店の外で聞いたんだ。アンターー「別に話さなくて良いわよ。息子が高熱に苦しんで大変なんだってね」

 

「何でそれを⁉︎」

 

「当てずっぽう。それよりもどうしましょうかね。見ず知らずの誰に無償で施しをするほど私もお人好しじゃないのだけど」

 

「医療費なら払います!あまり裕福な家庭ではありませんが出来る限り払いますから‼︎」

 

サクヤはじっと男を見つめると小さく溜息をついた。たかが凡人から摂れる財産などたかが知れている。損得勘定で考えれば答えはNOであった。

だが男にその溜息が聞こえていたのか、頭がより深く下がり額が床に衝突した。その様子を見て、サクヤは静かに瞳を閉じた。

 

「分かったわ。診てあげるわよ」

 

「ありがとうございます‼︎」

 

「礼は治療が済んでからにして頂戴。それよりも急ぎましょう。急患なんでしょ」

 

それからサクヤは男の家に行くと彼の息子の診断をした。息子の病気はウイルス性の感染病であった。身体の至る所に虫に刺されたような赤い斑点状の発疹があり、発熱がある。だが、その病気はサクヤの故郷にも知られていた病気であったので、滞りなく治療は行われたのだった。

 

「まぁ、こんなものね。取り敢えず飲み薬と塗り薬を10日分調合しておいたから、それを毎日欠かさずに服用すること。それと熱が下がっても暫くは室内で安静にさせておくように」

 

ひとまず治療が終えるとサクヤは調合した男に薬を渡した。男はそれを受け取ると申し訳なさそうにズッシリと重みのある袋を差し出した。

 

「ありがとうございます。おかげで息子の体調も良くなったようです。それで治療費なのですが」

 

「別にいらないわよ。そんな端金貰ってもしょうがないし、適当に子供の養育費にでも当てておきなさい」

 

「そんな、ここまでしてもらっておいて何もしない訳には…!」

 

「良いのよ。ここだけの話、私はとっても酷い悪党なのよ。だからこれ以上善人みたいに扱われるのはとっても居心地が悪いからやめて欲しいの」

 

「そんな貴方はオレにとっては恩人です」

 

「違うわ。私が勝手に貴方の息子に薬を飲ませて貴方の息子が勝手に救われた。それだけのこと」

 

サクヤは男の顔をじっと見つめてそう言った。男はサクヤの何とも形容し難い表情に黙り込んでしまった。サクヤは男が眉を顰めたまま沈黙してくれたことに満足したのか、笑みを浮かべて、その場から去ろうとした。行き場所は先程食べ損ねたグラタンの店。だが、その前に一つ用事があることをサクヤは知っていた。

 

「動くな‼︎お前だな。ワポル様の許可なく医療行為をした者は‼︎」

 

サクヤは複数の兵士達に囲まれたのだ。統一された服装からしてドラム王国の軍隊だろうか。彼らの構える銃は一点にサクヤの方に向けられていた。取り敢えずサクヤは鞄を下ろし両手を上げた。

 

「熱烈なアプローチね。だけど女性にたいして鉛玉というのは些か品がないとは思わないかしら」

 

「黙れ闇医者。ひとまずお前を逮捕する。無駄な抵抗をしたら命はないと思え」

 

「はいはい」

 

サクヤは呆れながらも両腕を前に差し出した。一体自分は何の罪で裁かれることだろうか。サクヤには罪の数が多すぎて数える気にもなれなかった。だが自分史上もっとも下らない法律に触れて裁かれようとしていることだけは確信していた。

 

 



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二話

その日、ワポルは上機嫌であった。何でも己の法に触れたカバが一人逮捕されたからである。犯罪者の逮捕。それは本来、国王として頭を抱えることなのであろうが、ドラム王国の国王ワポルにとってはその限りではなかった。何たって彼は絶大な権力で弱者を痛ぶることに快楽を感じる男であったのだから。

 

「ワポル様、かの者を連れてきました」

 

部下の男が平伏したまま玉座に座るワポルに告げた。ワポルは咳払いをして身なりを整えると、声を低くして言った。

 

「よし。通すがいい」

 

その命令により重い扉が開かれて、王の間に一人の女性が入ってきた。彼女の手には錠が付けられており、両脇にはドラム国王の兵士が付き添っている。だが、その佇まいは法を犯して捕まった罪人などではなく、誇り高き貴族のように堂々としたものだった。しかも、その容貌は技巧を凝らされた人形のようで麗しきもあり凛々しくもある。

ワポルは口を開いて彼女に見惚れていた。

 

「あのワポル様…。いかがされなさりあそばれましたか?」

 

「はっ!なんでもない。それよりもお前だな。オレの法律を無視して勝手に治療行為をしたカバは?」

 

部下の言葉にワポルは正気を取り戻した。そして彼女を見下して言った。

 

「いいえ。私は医療行為などしておりません」

 

「この後において嘘をつくな。この街の全てはオレ様の監視下にある。貴様が数日前から病気で苦しんでいたガキに治療を施したことなど把握済みだ」

 

「数日前から?つまり貴方はあの子の病気を知ってなお放置していたということですか?」

 

彼女は静かに尋ねた。その口調にはワポルの行為を責めるような意思は感じられなかった。だからワポルは平然と答えた。

 

「当たり前だ。ガキ一人が病気でどうなろうともオレ様には関係ないことだからな!だが、病気に罹ったことで法を犯したカバ一人を捕まえられたことだし、その点については褒めてやらないこともないな!オレ様のために病気になれて光栄に思うが良いと‼︎」

 

「それで私の罪は王様に見捨てられた憐れな子供を助けたことかしら?」

 

「そうだ。だがこのオレ様に媚び諂えば命を助けてやらんこともないぞ」

 

ワポルはそう言うと下卑た笑みを浮かべた。それを見て彼女は静かに溜息をついた。

 

「なんだお前?このオレ様に何か文句でもあるというのか?」

 

ワポルは高笑いをやめて真顔で彼女を睨みつけた。何がどうあれ、ワポルが上で彼女が下だ。ワポルはその気になればいつでも彼女を処刑できる立場にいた。

 

「ええ。だって貴方は大きな勘違いをしているようですから」

 

「なんだと?」

 

「先程も言いましたように私は医療行為しておりませんし、そもそも私は医者ではありません。私が勝手に与えた毒薬が、偶々あの少年を蝕む病気を殺し、あの少年が勝手に救われたに過ぎません」

 

「だから見逃せと?」

 

勘違いと聞いて耳を傾けてみれば滅茶苦茶な理論だった。ワポルは眉を顰めて彼女を睨んだ。

だが彼女は怯む様子もなく寧ろ微笑みを浮かべて言った。

 

「それが最大の勘違いよ。私は逮捕されてここに来た訳じゃない。私はーー」

 

そのとき、城の付近に巨大な雷が落ちた。ワポル達は驚いて窓のある方を振り向いた。この国では寒冷地ゆえに偶に寒雷が起きることもある。だが天気は先程まで晴れ渡る青空であったはずなのに、何故だが暗雲が立ち込め始めていた。

 

ワポル達は少しばかり疑問を抱いたのだが、次の瞬間、部屋に金属の何かが落ちたような音が鳴り響いた。今度は何だと思いながらワポルは正面を向き直したのだが。

 

「そんなカバな…‼︎」

 

また背後では幾つもの雷が落ちていた。しかしワポルは振り向くことはなかった。目の前に現れた怪物に驚愕していたからである。

 

それは王の間を埋め尽くさんとするばかりの巨大な怪物であった。身体はごつごつと堅牢そうな青い鱗に覆われており巨大な鹿のような骨格していた。その一方で脚には馬のような蹄があり、何よりもその顔は伝説の神獣、龍そのものであった。

 

「貴方を殺しに来たのよ」

 

その怪物は大きく口を開くとワポルに向けた。そして眩い巨光の息吹を撃ち放ったのである。

 

一瞬にして通り過ぎた轟音の後、ワポルは失禁していた。巨大な光線はワポルの真横を通り抜けて王の間の壁に巨大な穴を開けていた。ワポルはガクガクと顔を震わせながら振り返り、その穴から外の様子を見た。

 

その息吹が通り過ぎた辺りの木々や雪は消し飛ばされ、大地は真っ黒に焼け焦げていた。また、そのところどころの地面は融解して赤い溶岩と化してさえいる。それから大地を抉った息吹は海に衝突し、その場の海水を丸ごと蒸発させ、ぽっかりと空いた空間には大量の水蒸気が昇り、海水が滝のように流れ落ちていた。

 

まさに超破壊の一撃。ドラム王国のどんな強力な兵器を使ったとしても、こんな惨状は起こらないだろう。この国の兵力では奴には勝つことができない。ワポルの思考は如何に犯罪者をいたぶることから、如何に安全に逃げるかへと切り替わった。

 

そんな時である。王の間を勢いよく開ける男がいた。その男の名はドルトン。ドラム国王の護衛隊長である。

 

「ワポル様‼︎大変です。あの女、とんでもない悪党でした!百獣海賊団幹部 天災のサクヤ。11億5000万ベリーの賞金首です‼︎」

 

11億5000万ベリー。それはそこらの海賊がカスみたいに思えてしまうほどの懸賞金であった。懸賞金の額は必ずしも実力と一致しないというのが通説だが、圧倒的な破壊力と凶暴な風貌を見せられてはそれが正当な評価であるのは明らか。真面に敵対したら滅亡は必然である。故にワポルは叫んだ。

 

「ドラム王国護衛隊長ドルトン‼︎お前が相手をしろ!」

 

「ワポル様は⁉︎」

 

「オレ様には王としての務めがある。お前は護衛隊長としての務めを果たすのだ‼︎」

 

王としての務め。それは国に降りかかる厄災から国民を守ることにある。ドルトンは、その必死なワポルの形相から自らの国を守るために抗戦しようとしているのだと考えた。おそらく国中の全兵士を集めてから彼女を征伐するつもりだろう。それならば、たとえ命を落としたとしても召集までの時間稼ぎをするのが己の役割である。ドルトンは怪物の前に立ち塞がった。

 

「憐れだな。私の正体を知ってなお挑むというのか?」

 

怪物は心臓の真まで震わせるほどの低く悍ましい声で言った。ドルトンは大きく身震いしたが、それが武者震いであると信じて一歩前で踏み出して叫んだ。

 

「憐れみなど不要‼︎この国を!民を!守る盾になれるのならオレは喜んで命を差出そう」

 

「そうか。なら、くたばるがいい」

 

それから始まったの戦いとは呼べるものではなく、怪物による一方的な蹂躙であった。

 

 

 

一方のドラム王国の海岸では。

 

「ワポル様!御命令の通り、兵士と戦艦を用意しました」

 

ワポルの側近が幾千の武装した兵士を背にして告げた。早急で集めた割にはこの規模の兵力、悪くない。ワポルは満足げに笑みを浮かべた。

 

「よし、ならば全員船に乗れ。直ちにこの国から脱出する!」

 

側近を含めて兵士達に動揺とざわめきが広がった。

 

「ワポル様。恐れ入りますが、あの城を乗っ取った憎き怪物と戦わないのであらせますか?」

 

「お前はカバか。なら聞くがあの惨状を見てお前はアレに勝てると思うのか?」

 

そう言いながらワポルは怪物が放った光線の跡地を指差した。そこはまさに焦土。アレを正面から喰らっては骨すら残るまい。しかも見上げると城からは、あの悍ましい光線が何度も放たれていた。光線は空に浮かぶ雲を消し飛ばし空の彼方にまで伸びている。そして偶然か。流れ弾の光線がワポル達がいた海岸のすぐ側に着弾して雪景色を焦土に変えた。兵士達は絶句した。こんな怪物と戦っていては命がいくつあっても足りるはずがない。

 

「流石はワポル様。ご賢明にあらせおられる」

 

部下の一人は態度を改め、ワポルに諛うような笑みを浮かべて言った。兵士達も同様に生き残りたい一心にワポルに向けて膝をついて忠誠を示して叫んだ。

 

「流石はワポル様‼︎」「天才であられるワポル様」 「ワポル様万歳‼︎ワポル様万歳‼︎」

 

その光景を見て、ワポルは気分を良くして高笑いをしながら言った。

 

「うむ、そうであろう。ならば急いで出航するぞ。一年近く避難しておけば、奴も飽きてこの島から離れるに決まっておる。この国にはそれから戻れば良いのだ!」

 

 

 

 

 

王の間は原型がないほどに荒れ果てており、壁や床は一人の人間の量とは思えないほどの血で染められていた。

 

「憐れね。貴方は一体何のために戦っていたのかしら」

 

サクヤはこの島から離れゆく船を眺めながら言った。王の間はサクヤの光線で開けられた穴により島の海岸が一望できるほどに破壊されていた。そしてシンプルな勝者の絵という訳か、サクヤは倒れているドルトンの背中に腰をかけて座っていた。

 

「黙れ…」

 

サクヤに座られているドルトンは大粒の涙を流し、絞り出したような声で言った。その雫は自らの血と混じり合い赤い涙となって床を濡らしていた。

 

「まぁ、別に珍しいことでも恥じることでもないわ。人は脆い。絶対的な力を前にしたとき、できる選択なんて逃亡か服従だけだもの」

 

「それは個人のあり方だ。一国の王が国の危機に先陣を切って逃げだすなど決してあってはならない」

 

「まぁ、確かにトップに逃げ出されたら困るわね」

 

そう思いサクヤは自らの提督の姿を思い浮かべた。あの化物は自らより強い奴に遭遇したとき果たして無様に逃走するだろうか。いや、寧ろ嬉々としながら突っ込んでいくだろう。あの男はそういう奴だ。サクヤは思わず笑みを浮かべた。

 

「何がおかしい?」

 

「ごめんなさいね。ちょっとした個人的なことだから気にしないで。それよりもどうしようかしら」

 

ドルトンが見上げるとサクヤは冷たい瞳でこの国を見渡していた。ドルトンは慌てて叫んだ

 

「この国の国民に手を出すことは絶対に許さんぞ‼︎」

 

「別にそこまで忠義を貫かなくても良いのよ。貴方が忠義を誓った王も身を捧げて国はもう存在しないのだから。貴方は自分が思うがままに勝手に生きればいい」

 

そう言いながらサクヤはドルトンの背中を優しく撫でた。だが、その身体はサクヤの手を拒むかのように熱く滾っていた。

 

「…勝手か。一人の王の身勝手でこの国がどれほど病んでしまったのか、お前には分かるまい」

 

国民に対する理不尽な圧政。謂れもない罪で裁かれる人々。憐れなのだろう。苦しいのだろう。だが彼等の痛みを決して理解してはならない。何故ならサクヤは人々を虐げられる側の人間であるのだから。サクヤはそっと目を閉じて言った。

 

「分からないわね」

 

「………っ!」

 

ドルトンは激しい歯軋りをした。

ただサクヤにとっても今の現状は困った状況だった。本来の目的は医療大国であるドラム王国の留学であったはず。だが実際に来訪してみたら、それは既に過去の栄華であり、何だか腹が立つことが多かったので気分で滅ぼしてしまった。しかも、この島には師事を受けれるような医者はいないという。これからどうするべきか。

 

「一つ尋ねるのだけど、この国の研究施設や医学書の貯蔵庫とかどこにあるのかしら?」

 

「……何を言っている?」

 

「元々、私はこの国の医学を学びに来たの。正直に言って王とか国とかなんてどうでも良かった。だけど、あのカバ王は馬鹿のくせにあまりにも調子に乗りすぎていたようだからノリで滅ぼしちゃった」

 

ドルトンは絶句した。これが海賊というものなのか。その絶大ななる力とは裏腹にその行動原理はあまりにも身勝手であった。だが、彼女の目的が知れた以上、この島に被害を出すことなく穏便に事を収める方法が見出せた。

 

「この国の医療の叡智はこのドラム城に集結している。調べたければ勝手に調べていくがいい」

 

「そう、ありがとう」

 

「だが、ここで何を調べようが構わないが、ここに住まう者達には絶対に危害を加えないでくれ。もうこの国で苦しむ者達を見たくない」

 

ドルトンは懇願するような思いで言った。彼にとって、世界に誇る医療大国の叡智より島の住人達の幸せの方が遥かに大切であった。そのためなら野蛮な海賊にこの国が築き上げてきた医療の全てを奪われることなど惜しくはないほどに。

 

「私は海賊。本来なら貴方のお願いなんて聞く道理なんて一欠片もないんだけどねぇ…」

 

サクヤは困った表情を浮かべながらも、椅子代わりにしていたドルトンから立ち上がり彼の前へと移動した。そして彼を見下ろして言った。

 

「良いよ。約束してあげる」

 

「本当か…!」

 

「ええ。だけど私からも一つ条件がある」

 

サクヤは表情を一変させて静かな口調で言った

 

「ドルトン、貴方は強くなりなさい」

 

予想外の条件にドルトンは戸惑った。命を要求する訳でもなければ金でもない。何を意図してこの条件を課したのだろうか。だが、考えようとしていた途端、サクヤは厳しい口調で怒鳴った。

 

「悩むな。強くなるのか、弱いままここで死ぬのか、どっちなの?今すぐに決めなさい」

 

「あ、ああ!その条件を呑もう。俺は強くなる」

 

思わずドルトンは気圧されながらも了承した。

するとサクヤは少しだけ黙り込み、再び穏やかな表情となり呟いた。

 

「そう。なら精々努力しなさい。弱っちい忠義なんて哀れで哀れで仕方がないもの」

 

それから彼女は王の間から立ち去った。おそらく貯蔵庫を探しに向かったのだろう。一方のドルトンはその場で倒れ伏せたままであった。それはサクヤとの戦闘で深いダメージを負い動けないからでもあった。だが、それ以上にドルトンの脳裏には厳しくもどこか儚げな少女の顔が妙に焼き付いていた。



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三話

その日、サクヤは忙しく煉瓦を運んでいた。何でも自分が破壊したドラム城の修復を早急にせねばならなかったからだ。

 

ドラム城はこの島で最も高い山ドラムロッキーに頂上に位置している。気温は昼でもマイナス20℃を下回り、城壁の穴が入り込んだ風は瞬く間に城内を凍土へと変えた。それは身体の丈夫さ故に環境の適応力が高いサクヤの健康にとっては問題のない環境であったが、書物や研究資料の管理環境としては最悪であり、こうも室内が凍りついては研究どころでもなかった。

 

ただ工事をしようとも地上からほぼ垂直の山肌をもつドラムロッキーには山頂への道はなく、頂上から麓に架かる幾つかのロープウェイしかない。そのため業者に修復の依頼をしたものの、作業も物資の運搬も過酷な環境に左右されて芳しくはなかった。だから、サクヤはこうして業者達が帰った夜でも一人修復作業を続けていたのである。しかしである。その日の晩、サクヤは一人と何か奇妙な存在の来訪を感じた。

 

「ヒッヒッヒッヒ。自分で壊した城を自分で直そうとするなんて可笑しな海賊がいたもんだね」

 

サクヤが作業を止めて振り返ると、胡散臭い笑みを浮かべた老婆と白のばつ印が特徴のピンク色の帽子を被ったトナカイがいた。

 

「貴方達は?」

 

「私はDr.くれは。そしてこいつは弟子のチョッパーさ」

 

ドクター。彼女は医者なのだろうか。サクヤはその言葉に疑問を感じた。

 

「私の記憶違いでなければ、この島に医者はいないって聞いていたんだけど?」

 

「ああ、そうさ。元々この国にいた医者どもは皆どっか行っちまったさ。だけど医者はいなくても闇医者もいないとは聞かされていないだろう?」

 

「まぁ、そうだけど。その闇医者様が何の用かしら?」

 

「聞いたよ。アンタこの島に医学を学びに来たんだってね。だけど、実際に来てみたら医者がいなくてあるのは城の中に眠る大量の書物だけ。正直なところ医療を教えてくれる師匠が欲しくて困ってるんじゃないかと思ってね。助けてやろうと来たんだよ」

 

そう言うとDr.くれはは手に持っていた酒を呑んでニヤリと笑った。

一方のサクヤは目を細めて彼女を見つめた。おそらく自身の目的についてはドルトン辺りから話を聞いたのだろう。たしかに彼女の言う通りサクヤは困っていた。いくら城に大量の医学書があるからと言って、その本を全て読み込めばこの国の医療の全てを理解できる訳ではないし効率的にもかなり悪い。だから師匠となってくれる人がいるのならとても有り難かった。ただ初対面の彼女に親切にされる理由が思い当たらない。気配から悪意がないことは分かるのだが、動機が不明だと不気味で仕方がなかった。

 

「それはそれは親切にどうもありがとう。だけど無償でやってくれるという訳じゃないでしょう。何が望みかしら?」

 

「そうだね。アンタは私の弟子になる訳だし、私がこの城に住み着く間は料理に掃除、買い物、洗濯と家事全般でもやって貰おうかね」

 

Dr.くれは悪い笑みを浮かべて言った。サクヤは眉を潜めた。こいつ素性を知った上で私に家事をやらせる気なのか。そもそもーー

 

「…まさかここに住むつもり?」

 

「もちろんさ。こんなにも馬鹿でかい城だ。一人と一匹増えようが構いはしないだろう?」

 

些か図々しい闇医者だと思った。教えてやるから城に住まわせろ。しかも家事もしろと。まぁ、彼女の仕事場にどれほどの設備が整っているかは知らないが、普通に考えて医学書の埋蔵量や医療機器を比べたらワポルにより医学の叡智が集約されたドラム城の方が遥かに優れているだろう。弟子を抱える者としても医療の教えを受ける者としても、その環境は必要なのかもしれない。

 

「まぁ、別にいいでしょう。だけど家事全般を押し付けられるのは了承できない。せめてシフト制にしましょう」

 

「ちっ、面倒だか仕方がないね。良いだろう。家事はシフト制だ。それと海賊のアンタには申し訳ないが、城の天辺にこの旗を掲げさせてもらうよ。それが最後の条件だ」

 

Dr.くれははそう言いながら桜の花弁と髑髏マークが描かれた海賊旗を見せてきた。

 

「知らない海賊旗ね。貴方達海賊だったの?」

 

「いいや。アタシ達は医者だよ。この海賊旗は昔ここで死んじまった馬鹿野郎が掲げた信念の象徴だ。海賊のアンタなら、これをこの城で掲げたい理由は分かるんじゃないんかね?」

 

亡き者の海賊旗を死んだ場所で掲げる理由。サクヤは直感で理解した。

 

「墓標というわけね」

 

「ああ、そうともさ」

 

だけど海賊が住まう城に他人の海賊旗を掲げることが何を意味するのか二人は理解しているのだろうか。サクヤは二人をじっと見つめながら考えた。

 

海賊旗は己の信念の象徴だ。それを自らの住まいの頂上に掲げさせるということは、サクヤはその信念の下にいる者ということになる。己の信念を勝手に決め付けられるのだ。普通の海賊なら間違いなく反発する。というか殺してしまうだろう。

 

ただサクヤは迷っていた。ここで百獣海賊団として己の根城に海賊旗を掲げようとする身の程知らずの二人をぶち殺すべきか、医療を学ぶことを優先して他人の信念を容認するべきなのか。

 

「…これ以上、気分で目的から遠ざるのも馬鹿らしいし好きにするといいわ」

 

信念よりも目的。サクヤは悉く自身が海賊に向いてないと思い自嘲した。

 

「そうかい。なら勝手に掲げさせてもらうよ」

 

「ええ。ご自由に」

 

それから押しかけ闇医者のDr.くれはとその弟子のチョッパーも元ドラム城に住み着くことになった。ただ普段のサクヤとDr.くれは達の生活は別々であり、指導も学校の授業のように定期的に行われるものではなく、サクヤが自身の勉強の中で躓いたところを質問に来るくらいだった。しかも彼女はほぼ不眠不休で勉強をしているためか質問の内容は日を増してより難解な内容になり、その度にDr.くれはの下を巻かせることになった。

 

ただDr.くれはが城に住み着いて二ヶ月が経った頃、サクヤは勉強をすることなく珍しく酒を飲んでいた。しかも麓の村々から買い占めたのであろう。床に未開封の多くの酒瓶を並べて。そして、その光景を目にして佇んでいたDr.くれはを見て、サクヤは微笑みながら言った。

 

「漸く研究が完成したのよ。良ければ貴方も飲まないかしら」

 

 



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四話

 

 

「これがSMILEで発現した動物系能力者ね」

 

今より数年前、サクヤは鬼ヶ島にて次世代兵器の披露会に参加していた。ただ、その兵器は聞かされていた宣伝文句より、あまりにお粗末な完成度であった。

 

「ウヒャヒャヒャヒャ、カイドウ様、可笑しいです。何故だか笑いが止まりません」

 

「ワハハハハ、本当だ!俺も笑いが止まらないねぇぜ。ハハハハ」

 

サクヤは狂ったように笑い転げる部下達を横目に溜息をついた。部下達が食したのは人工悪魔の実、通称SMILEと呼ばれる果実である。闇の科学者シーザークラウンによって開発されたそれは、世界を支配する新たな兵器になると期待されていた。

 

しかし、実態はリスクとリターンが見合わない博打品。10人のうち1人、それがSMILEによって発現する動物系能力者の確率だった。残りの九人は副作用により笑いが止まらなくなるらしい。しかも、能力者の容姿を見たところ、本来の動物系能力者に比べてお粗末な点が際立っていた。

 

「ねぇ、その手に生えた狼は消すことはできないの?」

 

サクヤは能力を発現させた部下に尋ねた。その部下はSMILEを食したことで、右腕が狼に変貌していた。ただ部下は困った顔を浮かべて言った。

 

「すみません。なんかできないみたいです。しかも、この狼、なんか俺の意思とは関係なく動いてるみたいで……あぁ痛え⁉︎ この駄犬、俺の左手に噛みつきやがった‼︎」

 

左手と右手で喧嘩する部下を見て、サクヤは呆れて、遠い島国の方角を見た。

 

「随分と適当な仕事をしてくれたわね。クレームはドレスローザに入れれば良いのかしら?」

 

このSMILEを売り込んできたのはドレスローザ国王ドンキホーテドフラミンゴであった。奴は懸命にカイドウの機嫌を取りながら戦力援助やら資金提供を求めていたが、その結果がこれであるのなら、憂さ晴らしに国土ごと消滅させたくなるもの。だが、カイドウは能力を得られなかった者、能力を得た者、まとめて滑稽だど言わんばかりに笑った。

 

「ウォロロロロ。そうキリキリするんじゃねぇよ。良いじゃねぇか。使えねぇなら前線で死ぬまで戦わせて、使えるなら前線で死ぬまで戦わせれば良いだろう」

 

「そうだぜ。お前は完璧主義だからいけねぇ。形になっていれば適当でも何とかなるもんさ。大事なのはどんなアクシデントにでも対応できるアドリブ力だ」

 

クイーンはカイドウに同調していたが、コイツも私と同じ科学者である。 細かな違和感や精密さにな人一倍敏感でなければならない業種だというのに。悲しいけど私と同じ科学者である。

 

「ただ、結果が想定以下なのは確かだ。それを安易に受け入れて百獣海賊団を安いと思われたら困る。落とし前はつけさせるべきだな」

 

キングは無様に慌てふためいている部下を見下ろしながら言った。今や百獣海賊団はこの世界で指折りに数えられる大犯罪組織だ。掃いては捨てるほどに人材がいるが、百獣海賊団の旗下にいる以上、舐められて良いわけではない。

 

「なら、購入の独占を確約したうえでSMILEの製造方法を開示してもらうのはどうかしら?」

 

「ほう、何故その条件を選んだ?」

 

カイドウの問いかけにサクヤは答えた。

 

「ドフラミンゴはまだまだ利用価値がある。だから、一応は彼の提案に沿って取引を進めるけど、この取引の完全に手綱を渡さないために製造方法は押さえておきたい。いざというときには、私達で自給できるようにね」

 

「ほう、お前にこれが作れるのか?」

 

そう言うと、キングは試すような口調で問いかけてきた。

 

「やってみなければ分からないわね。ただ開発者のシーザークラウンは天才ではあるが、クイーンに比べたら見劣りするレベルでしょう?」

 

「当たり前だ。あんな脳みそにガスが詰まった野郎に俺様が劣るわけがねぇ。それに、このSMILEだって元はベガパンクの血統遺伝子のパクリに過ぎねぇからな」

 

そういうことらしい。まぁ、クイーンほどシーザークラウンという科学者を舐めているわけではない。

だが、私はシーザークラウンという科学者をそこまで評価していなかった。SMILE開発施設視察の際に、彼の金銭の流れを調査したところ、援助金の一部を横領して、女遊びに呆けていた野郎だ。信頼と誠実さに欠ける打算的な人間の扱いなど、脅しと適当な餌をあげて利用するに限る。

 

「まぁ、このSMILEの原理については大まかな予想はできているし、製造資料を手にしたとしても何もできないというわけではないわ。最低でも開発に必要な人材と設備を用意するくらいのことはできるでしょう」

 

「ウォロロロロ。良いだろう。SMILEの取引に関してはお前に任せる。世界最強の海賊団を作るために、お前の力を存分に使うが良い」

 

それから交渉は何事もなく終わりSMILEの製造資料を入手した。ドフラミンゴ は、この条件の意図を読んでいたようだが、サクヤの提案を断るほど愚かではなかった。世界は暴力によってできている。七武海であってもその理を覆すのは難しいというもの。そうして、さっそく製造資料の解明を始めたところサクヤは悍しい事実に気が付いた。

 

「え、これゴミじゃん」

 

サクヤは思わず偽物の製造資料を摑まされたと疑った。だが、この製造資料通りに作成したところ

確かにSMILEを生産することができた。それでも、しかしーー

 

「まさかSMILEは悪魔の実とは全く無関係の化学薬品に汚染された果実に過ぎなかったなんて」

 

サクヤは悩んだ。この事実をカイドウに報告するべきか、否か。ただSMILEの能力者は一応のところ戦力にはなっているらしい。

 

「…一先ず取引は放置で良いでしょう。ただ、自分の力で改善できることはしないとね」

 

そういうわけでサクヤは、このゴミを使い物になるゴミにするためドラム王国に来たわけだがーーー

 

 

 

 

 

「それで何を発明したというんだい?」

 

ドラム城の一室。サクヤの話を聞きながら酒を飲んでいたヒルククは苦々しい顔を浮かべながら聞き返した。するとサクヤは言った。

 

「できたのは三つ。一つは安定剤。能力者に宿った動物の血統因子を安定させる薬。二つ目は覚醒剤ね。これは使いどきを選ぶけど一時間、能力者を悪魔の実の覚醒に近い状態にすることができるの。そして、これは最後すっごく時間をかけて開発したんだけど、SMILEの副作用の治療薬ね」

 

サクヤが机の上に置いた錠剤を見て、くれはは少し驚いた。話を聞く限り彼女は海賊であり、悪党である。この島に来た目的も自軍の戦力増強のためと言っても差し支えないだろう。ただ、最後に見せた薬は戦力強化とは全く関係ない医薬品であったのだ。

 

「そんなものを作って何になるんだ?」

 

くれはは食い気味に尋ねた。ただサクヤは既に酔っていた。机の上には空となったウォッカの瓶が林のように並び、床には空瓶の山が出来上がっている。そんな彼女にまともな思考などできるはずももなく、寝ぼけたように答えた。

 

「分かんない。何で作ったんだろう?」

 

くれはは呆れたように言った。

 

「アンタ、海賊向いてないんじゃないか?なんなら、このまま居ても構わないよ」

 

この島にてサクヤの評判は決して悪いものではなかった。島国というのは狭い社会である。彼女の正体やこの国を滅ぼしたことは既に殆どの住人の知るところであった。だが、彼女はあの事件以来誰かに危害を加えたことはなかった。寧ろ、研究の合間に腕が鈍るとか人体実験などと称して適切な診療をしていたのだ。だからこそ、くれはは思った。彼女は海賊なんか続けるよりも医者として生きた方が幸せではないかと。だが、彼女は自嘲するような笑みを浮かべて言った、

 

「それはできない。私は鬼の子だから。どれだけ離れても戦いからは逃れられない」

 

生来の宿命。サクヤのうたた寝混じりに呟いた言葉には鉄の楔のように決して容易には振り払うことができない重みがあった。そして、くれははその言葉の意味を三日後に知ることになった。

 

「ゼハハハハ、この国にある財宝は全て俺たちのものだ。野郎ども、根こそぎ掻っ攫え‼︎」

 

街にある海賊団が襲来してきた。その海賊団は風の噂にも聞かない無名の海賊であった。だが、その強さは本物だった。

 

「ドルトンさん、このままじゃ、あんた死んじまうよ」

 

「誰か!助けてくれ‼︎」

 

国民達を守るために海賊に立ち向かったドルトンは降り積もった雪を血に染めて倒れていた。

街は焼かれ、食糧、水、財宝は奪われ、人々は喉が擦り切れるほどに泣き叫んでいた。彼らの略奪はあまりにも凄惨な光景であり、たまたま薬草を摘みに村の近くまで来ていたチョッパーは急いで城に駆け込み叫んだ。

 

「大変だ!海賊達が街を襲ってる‼︎」

 

「それがどうしたの?」

 

部屋ではサクヤとくれはが何事もないようにお茶会をしていた。そしてチョッパーの叫び声を聞いてもサクヤは依然と他人事のような様子であった。だから、チョッパーはさらに語彙を強めて叫んだ。

 

「襲っているんだよ。助けなきゃ!」

 

ただ、それでもサクヤは変わらぬ様子で言った。

 

「海賊とはああ言うものよ。城まで来たら相手するけど、何もしないなら放置で良いでしょう」

 

サクヤは海賊である。だからこそ彼女は暴力による簒奪を否定しないし、それが生きるためには最も簡単な方法だと理解していた。ただ、だからといってチョッパーは海賊達の行いを放置できず、助けを求めるようにくれはの名を呼んだ。

 

「ドクトリーヌ…」

 

するとくれははニヤリと笑みを浮かべて、サクヤの方を向いた。そして言った。

 

「そうさね。家事三日分で手を打とうじゃないか」

 

するとサクヤは不服そうに眉を顰めて言った

 

「一週間分」

 

「分かった。一週間だ。というわけでチョッパー頑張りな」

 

「え、俺がやるのか?」

 

まさかのキラーパス。自分の意思が介在しないシフト変更にチョッパーは思わず困惑した。一方のサクヤは溜息混じりに立ち上がった。

 

「まったく、どうでも良いことに情けをかけるから損をするのよ。まぁ、多少の運動がてらに殺してくるわ」

 

そうしてサクヤは窓を開けると、そのまま身を飛び出して、海賊達の方へ一直線に向かった、

 



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