酔酒の刃と空飛ぶギロチン (黄金収穫有限公司)
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第1話:七福楼

 竈門炭治郎は陣羽織の襟を立て、やや俯き加減でさりげなく顔を隠しながら街へ入っていった。背中には妹の禰豆子、その後ろには同期剣士の我妻善逸と嘴平伊之助が付いている。

 

「ここが横浜かぁ……」

 

 横浜は日本の中でもかなり大きな街だ。歴史は浅いながらも多くの外国人商館が建ち並び、貿易によって栄える異国情緒ある港町でもある。中心部には日本ではまだ珍しいレンガ造りの建物が建設ラッシュに沸き立ち、市内には日本初の官設鉄道が開通していた。

 

 

 一目でにぎわっていると分かる横浜は、鬼殺隊の移動には好都合だった。道行く人々も余所者には慣れているのか、巨大な木箱を背負った少年と金髪の少年にイノシシの被り物をした少年という奇妙な3人組を見ても、見なかったことにして過ぎ去っていく。

 

 いざ鬼と戦いになれば大騒動になるのは分かり切った事とはいえ、炭治郎にしても余計な騒動は極力避けたかった。

 

 

「炭治郎いまの見た? 金髪の美人さん!」

 

 

 だが同行者の善逸はというと、初めて見る大都市・横浜に圧倒されているようで、先ほどからずっと炭治郎に話しかけてくる。

 

「髪の毛の色、俺と一緒だよ! これって運命じゃない!?」

 

「いや、止めといた方がいいと思うよ。そもそも善逸って外国語しゃべれたっけ?」

 

「愛し合っていれば、会話なんかしなくても目で通じるって!たぶん!」

 

 納得がいかない顔で善逸はなおも食い下がったが、炭治郎もそれ以上は聞き流すことにした。仲間は一人でも多い方が心強いのだが、ちょっとばかり今回は自信を失いかけている。見るもの全てを珍しがるお喋りな同期のせいで、気が散って仕方がないのだ。

 

 

 3人(と禰豆子)に任務が下ったのは、つい4日前のこと。那田蜘蛛山の一件の後、回復した炭次郎たちに与えられたのは次なる任務であった。

 

 

「――東!東! 三人で横浜に行け!」

 

 

 いつもの喋る鴉(名を天王寺松衛門という)から今回の任務を告げられた任務は、目的が告げられず行先だけが告げられるという奇妙なものであった。

 

 

「――目的地は中国人商館! 中国人商館へ向かえ!」

 

 

 横浜には中国人も多い。横浜港が開港すると外国人居留地が造成され、欧米人とともに多数の中国人商人が香港や広東からやって来た。流石に辮髪の風習は廃れたが、着物とは違った身体にフィットする民族衣装のおかげで何となく見分けはつく。

 

 問題は、街が広すぎることだ。昼には市街地に入ったものの、かれこれ4時間近くも街中をずっと探索中である。既に日も暮れ始め、夕日が空を赤く染め上げていく。

 

 

「まいったな……このままじゃ日が沈んじゃう」

 

 任務の開始自体は明日からなので別に遅れるようなことはないのだが、それまでに中国人商館を見つけて鬼殺隊の関係者に会わなければ野宿する羽目になってしまう。

 

 広場を歩いていくうちに、大きな建物に突き当たった。赤や金の派手な装飾が目立つ2階建ての楼閣で、デカデカと『七福楼』と書かれた大きな看板が掲げられている。

 

 

「なんか美味そうな臭いだな」

 

 

 伊之助がすんすんと鼻をひくつかせる。それもそのはず、彼らの目の前にあったのは横浜名物の中華料理店だったからだ。

 

「よし、入ってみようぜ」

 

「いや、任務が……」

 

 渋る炭治郎だったが、伊之助はさっそく食欲という本能的欲求に負けていた。

 

「ちょっとぐらいいじゃねぇか。な、紋逸も興味あるよな?」

 

「誰だそれ! 俺は善逸だ! それはそうとして、この店には興味あるけど!」

 

「善逸まで……」

 

 

 はぁ、と溜息をついて降参とばかりに両手を上げる炭治郎。

 

(まぁ、朝からずっと歩きづめで昼ごはんもちゃんと食べてないし。せっかくだから食事のついでに店員に中国人商館までの道でも教えてもらおう)

 

 うっきうきで先を急ぐ二人に続いて、炭治郎も中華料理店に足を踏み入れた。 

 

 

 **

 

 

「お、美味しい……!」

 

「うめぇな! 何だおいコレ! めっちゃうめぇぞ!」

 

「あ~~~、生きてて良かった~」

 

 炭治郎、伊之助、善逸は初めて食べる中華料理に舌鼓をうつ。正直、何の食材かよく分からない肉やら野菜やらがゴロゴロと入っているが、とりあえず旨い。日本料理ではあり得ないぐらい大量の油と香辛料がふんだんに使われ、唐辛子と花椒がピリッと舌を刺激する。

 

「辛い! でも美味い! なに使ってるのか全く分からないけど!」

 

「旨けりゃ何でもいいじゃねぇか!」

 

「いやー、お客さん良い食べっぷりですねぇ! もしよかったら、ウチの看板商品の豚角煮とかどうです? 頼んでくれたら、サービスで饅頭(マントウ)も付けちゃいますよ?」

 

 出っ歯の店員に勧められるがままに、ついつい他にも燒鵝腿(ローストチキン)やら油鸡鹵味(焼き豚)、蒸条老石斑(揚げ魚)に虾球面(エビそば)といったよく知らない料理を注文してしまったが、とりあえず今のところ後悔は無い。

 

 

 騒ぎが起こったのは、その時だった。

 

 

「おいこらテメェ、イカサマしやがったな!」

 

 炭治郎が耳につく声にふと目を向ければ、自分とは少し離れた席で4人の男が揉めていた。5、6人ほどのガラの悪い男たちが、奥の席にいる酔っ払いを取り囲むようにして詰め寄っている。詳しい内容は分からないが、どうやら賭け事がトラブルの原因らしい。こうした食堂ではよくある風景だ。

 

「おいジジイ! 聞いてんのかコラ!」

 

「やかましいのぉ。第一、儂がイカサマした証拠でもあるのか? 負けて悔しいからって難癖付けていいのは小学校までじゃ。 ほれ、さっさと賭け金を渡さんか」

 

 場慣れしていのか、あるいは酔っているだけなのか。酔っ払いの方も怯むことなく、明らかに堅気ではなさそうな男たちを煽っている。

 

 

 男たちは互いに顔を見合わせ、おもむろに懐から手斧を取り出した。それを見て、さっと周囲の客が青ざめる。

 

「オイオイオイ、死ぬわアイツ……」

 

 この街で手斧は特別な意味を持つ。

 

 急発展した大都市の例に漏れず、横浜にも大規模な歓楽街がある。こうした金と女が行きかう派手な街を牛耳っているのが、『片腕会』という新興のヤクザだった。気性が荒いことでも有名で、構成員は手斧を武器にライバルの殺戮でのし上がってきた武闘派の暴力組織だ。

 

「おいジジイ、悪いことは言わねぇからとっとと金出して余所へ行きな。この斧を見て、俺たちが誰だか知らねぇとは言わせねぇぞ?」

 

「うんにゃ、木こりかのぉ」

 

「このクソジジイ――」

 

 ついに堪忍袋の緒が切れた男の一人が酔っ払いに斧を振り下ろそうとした、その時だった。

 

 

 ぽん。

 

 

 男の肩に、炭治郎の手が置かれた。

 

「なんだァ? てめぇ」

 

 ドスを利かせた声で、男はぎろりと炭治郎を睨む。対して炭治郎は柔和な表情を浮かべ、殺気立った表情を作る男たちに向かって一言。

 

 

「落ち着いて。弱い者いじめは良くないよ」

 

 

 次の瞬間、炭治郎の顔に男の右ストレートがめり込んだ。 

 

             




鬼滅の刃×B級香港カンフー映画

需要があるのか謎なのですが、なんか思いついたので書いてみました。ご笑覧いただければ幸いです。

タイトルの元ネタは『七福星』から。


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第2話:赤鼻老人

 

 

「お客様!困ります!あーっ!いけません!あー!お客様!あーっ!あー!」

 

 

 店員が半泣きの声で弱弱しく制止する音がむなしく響く。

 

 10分後、食堂の奥には小さな山が作られていた。

 

 小山の材料は昏倒したガラの悪い男たちだ。その周囲では台風でも通ったかのように荒れていて、椅子はひっくり返り、机は真っ二つに割れ、地面には食べかけの中華料理が無残に転がっている。

 

 

「お前らバカなのぉ!? 任務前にチンピラと殴り合いとか、どういう神経してんの! ねぇ!?」

 

 この凄惨な状況を引き起こしたのは主に2名の鬼殺隊員であり、残るもう一人の隊員から絶賛説教中である。

 

「こんな派手に店ぶっ壊して、弁償できると思ってるの!? 任務外だし、これ絶対に俺たちの給料から引かれるよ! どーしてくれんのさ!?」

 

 口から泡を飛ばし、ぜいぜいと荒い呼吸でまくしたてる善逸。

 

「知らない酔っ払いに売られた喧嘩を買って弁償とか馬鹿じゃなぁい!?」

 

 かれこれ10分以上もこんな調子であった。このまま放っておけば永遠に説教を続けそうな勢いである。

 流石にずっと黙ってるわけにもいかないと感じたのか、炭治郎が抗議を試みる。

 

「いや、でも先に手を出したのはあの男たちだし……あんな風に6人がかりで武器まで持ち出して、お爺さんを寄ってたかって脅すのは良くないと思うんだ」

 

「俺はなんとなく面白そうだから殴り合いに入ってみた」

 

 あはは、と照れくさそうに頭をかく炭治郎に対して、伊之助は腕組みしてドヤ顔である。そんな二人を見て、善逸は「はぁ~~~~」と大きくため息を吐いた。

 

「……お前ら、反省する気ないだろ」

 

「してる、よ?」

 

「してる」

 

「はいそこ、流れるように嘘つかない! 疑問形で言われても信じられると思う!? 無理だよね! はい、ウソ確定!」

 

 

 善逸が背後に他人の存在を感じ取ったのは、その時だった。

 

 ついに店員が弁償を取り立てにでも来たのだろうか。思わずびくっと振り返ると、そこにいたのはあの酔っ払い老人であった。

 

「うわ出た。元凶の酔っ払いのじーさん」

 

「元凶とは失礼な。それに儂は酔っ払いなんて名前じゃないわい。このクソガキが」

 

 いきなり初対面の相手をクソガキ呼ばわりするお前も大概失礼だけどな、と心の中でツッコミを入れる善逸。喉まで出かかった言葉を飲み込み、改めて目の前の老人を観察してみる。

 

 ―――はっきりいって、変な爺さんだ。

 

 見たところ服もボロボロ気を使ってる様子がないし、髪も雑に切っているせいかボサボサだ。手首にはいかにも酔っ払いですと言わんばかりの瓢箪が括り付けられているし、酔っているせいか赤らんだ鼻が良く目立つ。

 

「しっかし、兄ちゃんたちも強いのぉ。あのチンピラ共、地元じゃ有名なヤクザで腕っぷしも悪くは無いんじゃが、お前さんたちはそれ以上じゃ」

 

 かか、と酔っ払いが大きく笑う。手首に括り付けた瓢箪から豪快に酒を飲みつつ、話しかけている間にも地面で伸びているチンピラから賭け金を集めるのを忘れない。豪快なようで、どうにもケチくさい。

 

「いや、俺たちはその……」

 

 炭治郎が言いよどむ。鬼殺隊の隊員であることを隠している訳ではないが、あまり大っぴらにするものでもない。もっとも、これだけの大乱闘を起こした後では否が応でも目立つのであるが。

 

「お主ら、ひょっとして鬼殺隊か?」

 

「え、いや、まぁ、そうですけど……」

 

 

「奇遇じゃな、儂もじゃ」

 

 

 ブフウッッッ!!

 

 心を落ち着けるために茶を飲んでいた善逸が見事に噴いた。

 

 

「げほげほっ……ちょ、じーさん今なんて言った!?」

 

「奇遇じゃな、儂もじゃ」

 

「じーさん、鬼殺隊員だったの!?」

 

「なんじゃ、悪いか?」

 

「いや、悪いっていうか……」

 

 ちらり、と善逸は食堂の惨状を横目で見る。

 

 鬼殺隊員が食堂で賭博やってちゃ駄目だろ。しかもあの調子だとかなり日常的にやってるっぽいし。

 

 だが、それはさておき、目の前の老人が鬼殺隊であれば色々と説明はつく。

 

(道理で強気だったわけだよ。いざとなればそこら辺のチンピラ5、6人をぶん殴るぐらいわけないし)

 

 勿論それはそれで大問題な気はするが、それ以上は敢えて考えないようにした善逸であった。

 

「でもじーさん、隊服着てないじゃん。日輪刀もないし」

 

「あー、それな。儂の隊服と日輪刀は今、質屋に入れとるからな」

 

 おいこら。

 

「別に売った訳じゃないぞ。あくまで一時的に預けてるだけで、今日の勝負に勝てばすぐにでも取り戻せる」

 

 そう言って老人はチンピラたちから巻き上げた銭を袋に入れ、どうだと言わんばかりに見せつける。どうにもがめついジジイである。

 

 

「んで、そう言うお前さんたち何でこんなところで油売ってるんじゃ? 鬼殺隊のくせに」

 

 お前が言うな、というツッコミを呑み込み、善逸は任務で中国人商館を探している途中、道に迷ったことを説明する。

 

「なぁじーさん、ひょっとして中国人商館がどこにあるか知ってたりしない? それなら俺たちだいぶ楽になるんだけど」

 

「ああ、中国人商館か。それなら知ってるが、別に行く必要はないぞ」

 

「え? なんで?」

 

「だってあの任務、依頼出したの儂じゃからな」

  




 カンフー映画といえば食堂での乱闘、あと赤鼻の老師


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第3話:天地動乱

(まぁ、なんか途中からそんな気がしてたんだよねー)

 

 店の主人に何度も頭を下げ、4人は店を後にする。結局、弁償の方は老人が(かくし)にツケとして回してもらうことになった。なんだかんだで隊歴は長いのか、それなりにコネはあるらしい。

 

 

「まっ、色々あったが手間も省けたし、儂の方から今回の任務を説明しよう」

 

 老人は腕を組み、ぞんざいな態度で口を開いた。

 

 

「とその前に、自己紹介がまだじゃったな。儂の名は(ウォン) 飛鴻(フェイフォン)、生まれは広東省じゃ。なに、日本語が上手じゃと? そうじゃな、もともと地元の広東には多くの商人がいて外国語に触れる機会も多いんじゃが、あれは20年前のこと……」

 

 

 聞いてねーよ。あと、話なげーな。

 

 三者三様に突っ込みたい気持ちが顔に表れるが、大先輩の手前、我慢しなければならない。

 

 

「という訳でな、日本で鬼殺隊に入ってから去年でようやく定年退職したというわけじゃ。んで、今は育手としてのんびりと10人の前途有望な若者を預かり、弟子共が訓練で四苦八苦する様を眺める悠々自適の毎日よ」

 

「最低だ、このじーさん……」

 

 思わず心の声が漏れてしまう善逸。自分の師匠(爺ちゃん)は厳しかったが、そういう趣味は無かったはず。

 

「まっ、とりあえず儂の道場に案内しよう。付いて来い」

 

 

 ***

 

 

「よし、そろそろ着くぞ」

 

 一行が町はずれの村にある小さな道場の前に到着したのは、そこから更にたっぷり3時間歩いた後だった。とっくに日は暮れており、遠くには横浜の街の光が見える。

 

「なんだってこんな遠くに……」

 

「中国人商館じゃないのかよ」

 

「町の中心地に道場があるわけないじゃろ」

 

 炭治郎と伊之助のぼやきを、ばっさりと切り捨てるフェイフォン。言われてみればその通りなのであるが、だったら道場の方で直接待ち合わせにすればいいのに、という善逸の正論に対しては一言。

 

 

「だって儂、街で飲みたかったんだもん。こういう理由でもないと道場離れられないじゃろ?」

 

 

「「「……」」」

 

 とりあえずこの人が育手じゃなくて良かった、と3人は心の底から思うのであった。

 

 

 そうこうしている内に道場の正門前にまで到着する。正門はかなり立派な作りで、4人の身長の倍ぐらいはあろうかという巨大な扉と、その上には瓦葺の屋根と『葉問道場』と書かれた看板が掲げられている。

 

 

「儂じゃ! 扉を開けい!」

 

 

 どんどん、と取っ手を扉に打ち付けるようにしてフェイフォンが帰還を知らせる。鉄製の重厚な扉に、同じく鉄製の取っ手がぶつかって鈍い金属音が重く響き渡っていく。

 

「わーしーじゃー! 早く出てこんか!」

 

「ちょっとフェイフォンさん、近所迷惑ですよ!」

 

 炭治郎の制止も聞かず、フェイフォンは夜中であるにもかかわらず大音量で叫び続ける。

 

 

 一方で生真面目な炭治郎と違い、善逸と伊之助は関わっても面倒が増えるだけと判断したのか、ちょっと離れて道場の周りを散策していた。

 

 

「しっかし立派な道場だなー」

 

 善逸が見る限り、道場の周りは日本ではあまり見ない土を固めた壁で作られており、漆喰で塗り固められている。どこかの華族のお屋敷であると言われても納得してしまえるほど、立派な道場であった。

 

「……あの滅茶苦茶なじーさんには勿体ないな」

 

「ああ、まったくだぜ」

 

 伊之助と意見が一致する。珍しいこともあるもんだなと善逸が思っていると、不意に伊之助の動きが止まった。

 

「伊之助?」

 

「おい、これ見ろよ」

 

 そう言って伊之助が指で指し示したのは、道場の壁だった。より正確には道場の壁の地面である。そこにあったのは。

 

 

「藤の……花?」

 

 

 鮮やかな紫色の花。それが地面に無造作にうち捨てられ、何度も踏まれたように土と泥にまみれている。

 

 酷い、という風流な感想が出てきたのはまだ善逸に普通の人間だったころの感覚が残っているからなのだろう。だが、それとは別に鬼殺隊員としての感覚が別の警戒心を呼び起こす。

 

 藤の花といえば、鬼が日光、日輪刀に次いで嫌うものだ。鬼は藤の花の香りを嫌い、近づく事さえできない。だから鬼殺隊の入隊試験が行われる藤襲山は一年中藤の花が咲いており、中に閉じ込めた鬼の逃走を阻む自然の結界となっている。

 

(ひょっとして、鬼除けのために道場の周りに藤の木を……?)

 

 善逸も心がざわつくのを感じた。伊之助はじっと動きを止めたままだ。表情はイノシシの被り物で伺い知れないが、恐らく考えていることは一緒だろう。

 

(いや、それだけじゃない。この道場は―――)

 

 

 静か過ぎる。

 

 

 これだけの広さを持つ屋敷であれば、それなりの人数がいてもっと色々な音が聞こえてくるはずなのだ。

 たしかに日は暮れているがまだ寝静まるような時間ではないし、フェイフォン老人は弟子が10人はいると言っていた。全員が訓練に耐え兼ねて脱走したのか、あるいは――。

 

「ねぇ、これって……」

 

 善逸が刀に手を当てた時には既に、伊之助は二振りの刀を抜いて高く飛び上がっていた。そのまま驚異的な跳躍力で塀の上に飛び乗り、道場へと消えていく。

 

 

「え、ちょ」

 

 

 そして次の瞬間、爆発でも起こったかのような轟音が周囲一帯に響いた。

 




タイトルの道場の名前である「葉問」は「イップ・マン」から。ドニー・イェン主演で映画化もされた実在のカンフーの達人です。


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第4話:男兒復仇

 

「マジかよ……」

 

  

 驚愕の表情を浮かべる善逸の視線の先には、木端微塵に粉砕された鉄扉の残骸があった。炭治郎に聞けば、事態の緊急性を悟ったフェイフォンが拳ひとつで吹き飛ばしたという。

 

 だが、問題はそれどころではなかった。

 

 

「戦闘の跡だな」

 

 

 靴底で削られた地面に膝をつき、観察していた伊之助が立ち上がるなり呟いた。薄い下草がこそぎ取られたのはつい先程といった様子であるし、そこに真新しい血痕まで確認できるとあればもはや疑う余地もないだろう。

 

「これ、血痕だよね……」

 

 無論、そんなものを見ただけで、それが誰のものかであるかなど善逸に分かるはずはない。だが、この場で間違いなく襲われた人間と、襲った何者かがいるはずだった。

 

「あっ」

 

 炭治郎が何かに気づき、道場の庭に生えていた木に走り寄っていく。太い桃の木に刺さっていたのは、片手で持てるサイズの手斧だった。

 

「これって昼間の……!」

 

「片腕会じゃな。あやつらめ、さっそく復讐に来たか」

 

 フェイフォンが呟く。今までの破天荒な姿は鳴りを潜め、静かで落ち着いた声だった。

 

 

 フェイフォンは大きく息を吸うと、炭治郎たちが聞いてもいない道場と片腕会の因縁の経緯を語り始める。

 

「片腕会と儂らの因縁は今に始まったことではない。あやつらは長い間、この道場の土地を狙っておった。この村は将来的に、国が勧める鉄道計画で駅が近くに建設される予定じゃ」

 

 早い話が地上げ屋である。この時代、鉄道のもたらす経済効果は莫大なものがあり、横浜駅から伸びる路線の駅が近く敷設されるともなれば地上げによって大きな利益が期待できるだろう。

 

 フェイフォンによればこの道場はもともと、地元の地主の土地だったらしい。家族を殺された跡取り息子が鬼殺隊に入り、引退した後に育手として道場を立て、以後は遺言により鬼殺隊の育手が道場として使用しているという。

 

「じゃが、今回ばかりは片腕会のチンピラ共の仕業ではないようじゃな。あんな連中に倒されるほど、儂は弟子をヤワに育ててはおらん」

 

「まさか……」

 

 

「ああ、そのまさかじゃ――――これは鬼の仕業じゃな」

 

 

 何の迷いも無く、きっぱりとフェイフォンは告げた。悔しそうにぎりっと歯を食いしばる。

 

「お主たちを横浜に呼んだのは、この街に住む鬼を討伐するためじゃ。だが、奴らに先手を打たれた」

 

 フェイフォンによれば、先週にも近くにいた鬼殺隊員を集めて討伐部隊を編制したものの、一人も戻ってこなかったという。そのため現役を退いたばかりの育手であったフェイフォンが急きょ動員され、横浜の街の治安維持にあたっていたのだ。

 

(なんだ、ただ飲んでいただけじゃなかったのか)

 

 3人のフェイフォンに対する評価が少しだけ上がる。もっとも、ほんの少しだけであるが。

 

「儂が街へ出向いている間、念のため道場の周りには藤の花の匂い袋を配置して備えていたんじゃが、まさか片腕会と組むとはな」

 

 悪知恵の回る奴め、とフェイフォンが渋い顔をする。

 

 たしかに鬼は藤の花が苦手だが、普通の人間であればどうという事は無い。地上げのためにフェイフォンたちを追い出したいが武力では敵わない片腕会と、藤の花が邪魔で道場を襲撃できなかった鬼……その両者が手を組めば、片腕会のチンピラが藤の花を撤去した後で鬼が乗り込んでフェイフォンの弟子たちを制圧することも可能だろう。

 

 

「恐らく片腕会の連中は完全に利用されているだけじゃろう。だが、それでもこの可能性を予測できなかったのは儂の失態じゃ」

 

 感情の抜けたフェイフォンの声。表情こそ穏やかであるが、秘めた怒りを残る3人は敏感に感じ取っていた。

 

「フェイフォンさん……」

 

 不幸中の幸いと呼べるものがあるとすれば、片腕会が関わったおかげで弟子たちが襲撃の場で殺されてなかったことか。鬼だけであればその場で弟子たちを皆殺しにしていたであろう。

 

 しかし、殺してしまっては交渉が出来なくなる。片腕会は弟子たちを人質にとることで、フェイフォンに土地を立ち退くよう暗に告げているのだ。そうであれば、弟子たちはまだ生きている可能性が高い。

 

 

「ッ―――」

 

 それでも、炭治郎が全身に感じる寒気は止まらなかった。危機に対する恐怖ではない。入隊後の短い期間の中でこのような危険な状況にそう何度も陥ってきたわけではなかったが、それでもは大抵のものであれば克服できるという自負があった。

 

 だが、いま炭治郎が感じている悪寒は、気温の所為でも恐怖の所為でもない。その寒気の発生源は、すぐ真横にあった。

 まるで那田蜘蛛山の戦いの後、柱と対峙した時のような。一瞬でも気を抜けば即座に刀で斬り落とされそうな、張りつめた緊張感がフェイフォンから伝わってくる。

 

 

「よし、任務変更じゃ。今夜、鬼を討伐に向かう」

 

 まさに即断即決、といった切り替えの早さである。

 

 本音をいえばずっと歩き詰めだったので少しぐらいは休みたい気もするが、誘拐された弟子たちのことを考えればそうも言っていられない。炭治郎たちが急速をとっている間に、いつ危害が加えられるか分からないからだ。

 

 自由気ままなフェイフォン老人には振り回されっぱなしだが、こういうさっぱりした部分は炭治郎たちも嫌いではなかった。

 

 フェイフォンはすっくと立ち上がると、じっと炭治郎を見据える。

 

「それからお主、炭治郎といったな。その背中に背負っている鬼も出しておけ」

 

「き、気づいてたんですか?」

 

 炭治郎が驚いた表情を浮かべる。

 

「これだけ近くにいれば、鬼の気配ぐらい犬でも分かるわい」

 

 そういえば犬って鬼の気配を察するんだろうか。ふと頭に浮かんだ素朴な疑問をよそにやり、炭治郎は慎重に言葉を選ぶ。

 

「……禰豆子のこと、聞かないんですね」

 

 やや警戒の色を滲ませながら、フェイフォンをじっと見つめる炭治郎。これまで会った鬼殺隊員は、善逸を除けば皆が禰豆子を殺そうとしてきたのだから無理もない。

 

 だが、フェイフォンはあっさりと肩をすくめるだけだった。

 

「役に立てばそれでよし。もし襲ってきたら、その場で儂が斬る。 どうやって手懐けたか知らんが、猛獣使いのようなもんだと思えば問題はなかろう」

 

「猛獣……」

 

 炭治郎はぐっと拳を握りしめる。

 

 鬼になったとはいえ、妹を猛獣扱いされるのは本意ではない。だが、それ以上の理性を持った人間の味方だと、この場でフェイフォンを納得させられるだけの材料を炭治郎は持ち合わせていないことも理解している。

 

 辛うじて、なんとか言葉を絞り出す。

 

「禰豆子は……俺の妹です」

 

「……そうか」

 

 フェイフォンも何か炭治郎に思うところがあることを察したらしい。それ以上追及しようとはせず、すっくと立ち上がる。

 

 

 ――何はともあれ、今は弟子たちの救出が最優先だ。

 

 

「ちょ、ちょっとじーさん! 方向そっちなの?」

 

 何の迷いも無く足を踏み出すフェイフォンを見て善逸が問うと、帰って来たのは実にシンプルな回答。

 

「片腕会が根城にしている場所なら分かっておる。何か所かあるが、ハズレでも世直しだと思って全て潰せばいい」

 

「わー、発想が悪い意味で体育会系だー」

 

 そうして善逸が減らず口を叩いている間にも、フェイフォンの背中はかなりのスピードで遠ざかっていく。慌てて善逸たちは駆け足で追いかけるが、まったく距離が縮まらない。

 

「あー、やっぱりじーさん怒ってるでしょ! ちょっと待ってよ~」

 

 ちょっとでも感覚の鋭い鬼殺隊員が見れば、どう穏やかに取っても怒り狂っているとしか言えない雰囲気を放ちまくっているフェイフォンを、炭治郎、善逸、伊之助、そして禰豆子の4人は全速力で追いかけて行った。

 

 




香港映画あるある道場の土地を狙って道場破り


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第5話:打倒「片腕会」

  

 神奈川県一帯を根城とする新興の地元ヤクザ・片腕会が根拠地にしている倉庫街は、夜でもにぎわう横浜港の埠頭近くにあった。

 

 黙々と走り続けたフェイフォンの後について辿り着いた先が、この倉庫街である。聞けば斧頭会の前身は、この周辺の港湾労働者たちからなる組合だったらしい。

 

「ま、倉庫というのは仮の姿でな。実態は密造酒の製造工場だ」

 

「じーさん、やけに詳しいな」

 

「儂もたまに飲むからの」

 

「………」

 

 何でこんな人を育手にしちゃったんだろう。フェイフォンを見る善逸たちの視線は、ジト目のそれであった。慢性的な人員不足を理解しつつも、もう少し鬼殺隊は人事制度を見直す必要があるのではないか。

 

 

「さて、そろそろ敵が来てもいい頃合いだとは思うんじゃが……」

 

 そう言って、倉庫街を見渡すフェイフォン。倉庫といっても、炭治郎の近くの村にあるような貧相な掘っ立て小屋ではない。高さは軽くお城にも匹敵する程で、日本ではまだ珍しいレンガ造りの城塞のような建物であった。それが幾つも連なっており、夜の闇に佇む様子は中々の威圧感がある。

 

(あ、これヤバいやつだ……)

 

 ぶるっと身震いする善逸。ここまで来れば、鬼特有の禍々しい気配が嫌でも伝わってくる。

 とはいえ、広い倉庫街ともなればピンポイントで居場所を探し出すのは困難だ。ひょっとしたら空間転移系の血鬼術を使える鬼がいる可能性もある。

 

「どうします? フェイフォンさん」

 

 炭治郎の問いに、フェイフォンの出した答えは完結だった。

 

「決まっている。男子たるもの、正々堂々と正面突破じゃ」

 

「ですよねー」

 

 見張り役のチンピラたちが気付いて近づいてくるよりも早く、驚異的な脚運びでウォン・フェイフォンは埠頭を進んでいく。そして炭治郎のように鼻が利くのか、善逸のように耳が利くのか、あるいはただの勘なのかは知らないが、彼特有の感性を生かして選んだひとつの倉庫に接近し、重厚な正面扉へと近づいていき、そして。

 

 

 ―――本日2度目の轟音が、夜の横浜港に響いた。

 

 

「……またか」

 

 これ、横浜中の寝てた人がびっくりして起きるんじゃなかろうか。そう善逸が心配するほどの爆音が、夜の静寂に包まれるべき埠頭で鳴り響く。その音はあたかも怒れる龍神が大地に落とす雷鳴の如く、善逸たちの鼓膜を揺るがした。

 

「もう問題はないな。行くぞ」

 

「……へい」

 

 深く追及する事なく、善逸は短く答えた。もう色々と突っ込むのも面倒になってきたからという気分的な理由と、文句をつける相手であるフェイフォンが既に倉庫内部に向かって走り出していたという物理的な理由の2つからなる。

 

 

 薄暗い倉庫内に踏み込んでやや進むと、突然、フェイフォンの足が止まった。

 

「あ、師匠だ」

「えっ、師匠!? どこ?」

「あ、いた。ししょーーー!」

 

 そこにいたのは、誘拐されたフェイフォンの弟子たちだった。

 

 意外なほどあっさりと見つかった弟子たちは縄で古典的に縛られてこそいるが、幸いにも大きな怪我などはないようで、誰かが鬼に食われたようにも見えない。

 弟子たちは現れた炭治郎ら5人を見て安堵の表情を浮かべており、むしろ簡単過ぎて炭治郎たちの方が面食らう程だった。

 

「おお、お前たち無事だったか!」

 

 喜びの表情を浮かべてフェイフォンが近づいていこうとすると、突然バタン!と大きな音が響く。

 

 

「そこまでだ、このクソ野郎どもがァ! 今日という今日こそ、てめぇら纏めてぶっ殺してやらぁッ!」

 

 

 4人が入ってきた部屋にある扉という扉が開き、下品な罵声が飛んでくるのを善逸たちはゲンナリとしながら聞いていた。同時に外からドタバタと大勢の足音が近づいてくる音も聞こえてくる。

 

(まっ、そんな気はしてたんだよねー)

 

 内心でひとりごちる善逸。周囲を見渡せば、こちらの10倍はあろうかという人数に包囲されている。しかも各々が手斧だけでなく、棍棒やら刀やらで武装しており、中には猟銃を持っている者もいた。

 

「完全に待ち伏せされたね、炭治郎」

 

「ああ。道理で抵抗が少なかったわけだ」

 

「んで、どうするよ? やるか?」

 

 伊之助がぎらり、と二振りの日輪刀を振り上げる。

 

「退屈してたところだ。この程度の雑魚なら丁度いい肩慣らしになる」

 

「雑魚だと!? 言ったなイノシシ頭!」

 

 伊之助のナチュラル煽りは雑魚……もとい、斧頭会のチンピラたちにも聞こえたらしく、いとも簡単にヒートアップしていた。

 

 

「思う存分やっちまえ、野郎ども!」

 

 ボスらしきチンピラが吠えると、一斉に斧頭会の雑魚たちが各々の武器を振り上げて突進してきた。

 

「しゃらくせぇ、かかってこいやァ!」

 

 伊之助が叫んだ。そのまま片腕会のチンピラ相手に日輪刀で斬りつける気満々の同期を見て、炭治郎と善逸はぎょっとする。

 

 ――鬼殺隊は本来、鬼から人を守るための組織である。いかにヤクザといえど、ただの人間相手にその超人的なパワーを振ってよいものなのか。

 

 

「ちょ、まずいって伊之助! 俺たちの敵は第一に鬼だ!人間じゃない!」

「そうだぞ落ち着け! 鬼ならともかく、人間を殺したらチンピラでも色々ヤバイって!」

 

「あン?」

 

 しかし同期2人の言葉は届かなかったようで、伊之助は二人を引きずったまま刀をぶんぶんと振り回す。

 溜まりかねた炭治郎はフェイフォンの方を見て、伊之助を制止するよう懇願した。

 

「フェイフォンさんもなんか言ってください!」

 

「うむ」

 

 フェイフォンはゆっくりと息を吸う。そして心を落ち着けるためか、手首にくくりつけた瓢箪からぐびっと一口の酒を飲んだ。それから、おもむろに口を開く。

 

 

「ええい面倒じゃ、全員まとめて儂が相手してやる! いっぺんにかかって来んかい!」

 

 

 まがりなりにも鬼殺隊の育手ともあろう老人が吐いた言葉は、どっちがヤクザだか分からないようなセリフであった。

    




 すでに気付いている方もいるかもしれませんが、片腕会のモデルは『カンフー・ハッスル』の斧頭会で、名前は『片腕ドラゴン』からです。片腕ドラゴンことジミー・ウォングさん演じる主人公とその弟子たちがどう見ても悪役なので……。


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第6話:酔いの呼吸

 

 ―――師曰く、酒は男を磨く水。

 

 

 ―――師曰く、酒は心の穢れを落とす水。

 

 

 ―――師曰く、酒は百薬の長。

 

 

 

(えーっと、あと何だっけ?)

 

 なるべく相手を傷つけないよう迫りくるチンピラを峰撃ちしつつ、炭治郎はフェイフォンの教えを反芻する。

 

(滅多に無い機会だし、勉強させてもらおう!)

 

 その熱心さに感心したのか定かではないが、フェイフォンの方もチンピラ相手に戦う合間にそれっぽい台詞を伝えている。

 

「空は屋根、大地は寝床じゃ!」

 

「はい!」

 

 含蓄の深いような、単にそれっぽくカッコつけてるだけのような、そんなフェイフォンの教えを頭の隅に置きながら、目の前で大暴れしている当のフェイフォン本人の動きと合わせて見て覚える炭治郎。

 

 

 眼を見張るべきは、その戦い方だった。

 

 

 フェイフォンは一時たりとも酒から手を離さず、隙あらば実に美味しそうに飲んでいるのが、それでいて敵を一方的に倒している。

 

「なんなんだよ、あれ……」

「すげぇな、あのジジイ!」

 

 ほぼ一人でチンピラの大群相手に無双するフェイフォンを見て、炭治郎ばかりでなく善逸や伊之助たちも絶句する。

 

 

 通常、全集中の呼吸には何かしらの“型”がある。それは変幻自在をモットーとする水の呼吸でさえ例外ではなく、複数の歩法を組み合わせてることで攻撃を繰り出すのが基本だ。それゆえ強い剣士とは単純に力や素早さに秀でた者だけでなく、そうした複数の剣戟からなる戦術構築が巧みな者であるとも言える。

 

 しかし、フェイフォンのそれは根本から異なっていた。

 

 有体にいえば、これといった戦術が無い。どう考えても酔っているとしか思えないふらついた足取りで、行き当たりばったりに動いているだけのように見える。

 

(いや、酔っているように見えるんじゃない! あれは実際に酔っているんだ……!)

 

 炭治郎は初めて見るウォン・フェイフォンの動きに魅せられていた。

 

 今まで見た事ない歩法だが、どちらかといえば自分や冨岡義勇の使う水の呼吸に似ている。どんな形にもなれる水のように、変幻自在な歩法で如何なる敵にも対応する。

 

 だが、酔っ払ったようなフェイフォンの動きは、まるで次の一手が読めない。一人で複数人を相手にしているはずなのに、いいように翻弄されているのはチンピラたちの方だった。非常に変則的で予測困難な動きが次々に攻撃が繰り出されるため、敵からすれば戦いにくい事この上ないだろう。

 

 しかも、フェイフォンが酒を飲めば飲むほど、動きにトリッキーさが増していく。

 

 

「よーく見ておけ、これぞ秘儀“酔いの呼吸”じゃ!」

 

(名前になんの捻りもないッ……!?)

 

 見たまんま、そのまんまのネーミングセンスである。4人とも初めて聞く呼吸法だが、実際に見た通りの奥義なのだろう。

 

「儂に見惚れるのも良いが、弟子たちの解放は終わったか!?」

 

「あとちょっとです!」

 

 炭治郎が答える。チンピラはほとんどフェイフォンが一人で相手をして、しかも殺すことなく峰討ちか拳で昏倒させていた。

 

 数があるといっても所詮はチンピラ、さほど苦もなく作業は進んでいる。もっとも斧頭会の腕っぷしが弱いという事ではなく、喧嘩には慣れているだろうが集団で戦うための訓練を積んでいないチンピラたちは、フェイフォンの動きに翻弄されて一人、また一人と倒されていった。

 

 酩酊状態のフェイフォンはふらふらと千鳥足に引きずられているように見えるが、よく観察するときちんと地形を選んでいる。なるべく広い空間を避け、一度に何人もが突撃できないような狭い場所で敵の各個撃破していく。

 

 さらにフェイフォンは、足場の悪い場所を積極的に選んで移動しているように見えた。足元がぐらつく場所で戦っていると、不思議なことに酔っているはずのフェイフォンの方に謎の安定感がある。フェイフォンに倒される以前に、勝手にバランスを崩して転げ落ちたり、密集している味方にぶつかって自滅する敵の方が多いぐらいだ。

 

 

 

 気づけば、片腕会で動ける男たちは炭治郎と同じ数まで減っていた。

 

「ひっ……!?」

 

 怯んだのか、リーダー格の男が逃亡を試みる。だがその際、相手の意識に隙ができたのをフェイフォンは見逃さなかった。飛び込むようにして、一気に男たちの中に踏み込む。

 

「……っはぁッ!」

 

 ともすればそれだけで相手を竦ませてしまう程の気迫を呼気と剣に乗せ、フェイフォンは腕を風に唸らせる。無謀にもその一撃を剣で受けようとしたリーダーは、骨のひしゃげる嫌な音と共に崩れ落ちた。

       

 

 

 ***

 

 

 

「――ほう、まだ腕は衰えていないようだな」

 

 

 声が響いたのは、チンピラの最後の一人がぶちのめされたタイミングとほぼ同じだった。

 

 

 いつからそこにいたのか。

 

 

 気づけば、炭治郎たちの背後には、僧侶のような姿をした一人の老人が立っていた。

 

(いつからそこに……!? まったく気づけなかった……)

 

 本能的な警戒心に従い、炭治郎はさっと後ずさる。

 

 

 ――およそこの場には似つかわしくない風貌の男だった。

 

 

 剃り上げた頭に、腰まで伸びる真っ白な髭。瞳は盲いているようで焦点が定まっていなかったが、その老人から放たれる陰鬱な雰囲気だけで、盲目程度では到底ハンデにすらならないことが伝わってくる。

 

「阿弥陀佛(ウー ミィー トゥオ フォー)」

 

 老人は手を合わせると、ゆっくりとした中国語で念仏を唱えた。実にゆったりとした優雅な動きだが、救済や浄化といった尊みが感じられることは一切なかった。

 

 例えるなら、人間が動物を食べる時に「いただきます」と手を合わせるようなものに近い。生きるために殺生を行っている自覚はあれど、それが当たり前になり過ぎて形式的な習慣だけが残ったような、そんな感覚だ。

 

 

 ――この老人は、鬼だ。

 

 

 それも、ただのはぐれ鬼ではない。何人もの人間を食らった、強力な血鬼術の使える鬼だ。炭治郎たちの間にぞわっと悪寒が走る。

  




オリジナル設定:酔いの呼吸
 
 水の呼吸の派生形。酒を飲みながら酩酊状態のまま戦う。酔っ払い特有のトリッキーで予測不能な動きが特徴。酔えば酔うほど強くなるが、酒が切れると実力を十分に発揮できない。

以上、雑な解説でした。


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第7話:封神無忌

       

「久しいな、ウォン・フェイフォン」

 

「お主、まさか封神無忌なのか……!?」

 

 

 鬼を見るなりフェイフォンの目が見開かれ、驚愕の表情を隠せないでいる。その様子をみて、封神無忌の髭に埋もれた唇が吊り上がった。肉食獣が牙を剥くような笑顔と共に、部屋中に強烈な血の匂いが充満する。

 

「驚いたか、フェイフォン。かつて貴様が殺した男が目の前にいるのだ。無理もないだろうがな」

 

「儂は……」

 

「安心しろ。貴様の弟子どもに手を付けてはいない。かつて“酔柱”として我々を使い捨てにして貴様と違ってな!!」

 

 

 最後の方は不快感もあらわに、封神無忌は口元を歪ませて叫ぶ。その剣幕に圧倒される炭治郎たちに、封神無忌の顔が向けられる。

 

 

「1、2、3人……一般の隊士だな。一人は二刀流で、あとは水と雷の流派か。3人ともまだ若いが、うち2人は筋は良さそうだ」

 

 視覚が失われた分、聴覚と嗅覚は鋭くなっているのだろう。盲目であるのがウソのように、封神無忌は驚くほど正確に炭治郎たちの特徴を当ててきた。

 

 封神無忌の首がぐるりと回り、焦点定まっていない盲眼が炭治郎たちを見据える。

 

「哀れなものだな……鬼への憎悪を煽られて、柱の露払いとして使い捨てにされてゆく。10人の一般隊士が死のうとも一匹の鬼が狩れれば良い―――それが鬼殺隊の一般隊士に対する扱いの現実だ」

 

 鬼気迫る封神無忌の剣幕に、炭治郎がはっとする。

 

「貴方は、まさか……」

 

 

「貴様の想像通りだよ。拙僧もかつては、鬼殺隊であった。そこの“酔柱”と共に十二鬼月を狩りに向かったのが人間としての最後の任務だった」

 

 

 封神無忌の独白に、フェイフォンの顔が曇る。

 

 

 酔柱………聞いたことのない柱の名前だ。少なくとも、そんな流派が存在していたことを炭治郎は知らない。

 

 

 ――というより。

 

 

「フェイフォンさんって“柱”だったんですか!?」

 

 

 炭治郎が驚愕の表情を浮かべる。善逸と伊之助も「嘘だろ……」と内心の声が顔に書かれているような顔で、思わずフェイフォンの方を見た。

 

「……昔の話じゃ。『酔いの呼吸』という、『水の呼吸』から派生した呼吸の一種を儂は師匠から受け継ぎ、鬼を退治しながら無駄に年月を重ねただけのこと。儂は……ただの一匹も十二鬼月を倒しておらぬ」

 

 返ってきたのは、まるであまり自分が柱だった過去に触れてほしくないと言わんばかりの、憮然とした声だった。

 誇るようなものは何もない、とフェイフォンはらしくなく自嘲する。

 

 

「柱になる方法は“十二鬼月を倒す”ことだけではない。もう一つ基準があってな、“鬼を50体倒す”ことでも柱になれる。儂は後者でな、ただ運よく長生きしただけじゃ。家族を鬼に殺されたわけでもなく、辛亥革命で故郷を追われて食いつめた流れ者が行き場を失い、鬼殺隊に入ってもなるべく危険を避けながら漫然と任務をこなしていたら、ある日に鬼の討伐数が50を超えていた」

 

 その頃には既に、ウォン・フェイフォンは40代後半であった。ただの一人の十二鬼月を倒したこともない自分が、若くて新進気鋭の柱たちと同じ敬意の目で見られることは重荷でしかなく、新しい柱候補が現れるとすぐに席を譲ったという。

 

 

「この封神無忌は、儂の弟弟子じゃ。儂の柱としての初任務で共に鬼の討伐に向かい、儂だけが生き残った……」

 

 

 ある日、フェイフォンたちに討伐隊の命令が下された。理由は「鬼が徒党を組んでいる」というものであり、フェイフォンをはじめ封神無忌たちを含めて10名ほどからなるチームが結成される。結束や連携を重視したのか討伐隊のメンバーは全て同門の出身者からなり、当初は順調に任務が進行していたという。

 

「鬼の首領はなかなか姿を見せず、襲い掛かってくるのはまだ鬼になりたての者ばかりじゃった。そこで儂は一計を案じて隊を二手に分け、片方が雑魚の相手をしている間に残った方が鬼の首領を探すことにした」

 

 雑魚の相手をするのは、最年長で経験豊富なフェイフォンが担当した。首領の捜索は数が多い方が効率がよいこと、多少強力な鬼であっても密に連携をとって9人がかりで集中攻撃すれば勝算も上がこと、等を考慮すれば悪い判断ではなかった。むしろ1人で複数の手下鬼の相手をするフェイフォンの負担の方が心配されたほどだ。

 

 

 ――だが、思わぬ誤算が生じる。

 

 

「別動隊が見つけた鬼の首領というのはな、鬼舞辻無惨そのものじゃった」

 

 フェイフォンが駆け付けたころには既に鬼舞辻無惨は立ち去っており、後には無残な姿となった討伐隊の死体が残されていた。

 

 

 しかし、ひとつだけ例外があった。

 

 

「それが目の前にいる、封神無忌じゃ。奴はあろうことか鬼殺隊を裏切り、自らも鬼となった!」

 

 わずかに怒気を含んだフェイフォンを見て、封神無忌がせせら笑う。

 

「あのお方を前にして、そこらの一般隊士が戦って勝てるとでも? 生きるには鬼になるしかなかった!」

 

 

 客観的に見れば運が悪かった、としか言いようがないだろう。そこに鬼舞辻無惨がいるなどと予想できたはずもなく、誰に落ち度があるわけでもなかった。

 

 だが、だからといって「素直に自分の不幸受け入れて、戦って死ぬ」という自己犠牲を誰もが選べるわけではない。そして幸か不幸か、封神無忌が出くわしたのは自らの血で人を鬼に変えることの出来る、鬼舞辻無惨であった。

 

 その鬼舞辻無惨から「死ぬか、鬼になるか」と問われた時、封神無忌は迷わず後者を選んだ。

 

「フェイフォン、貴様との一件だけではない。似たような経験は何度も味わってきた。柱が投入される時は、決まって一般隊士が先遣隊として捨て駒同然の偵察を命じられる」

 

「そんな事は……!」

 

 無い、とフェイフォンに断じることは出来なかった。

 

 実際、柱が投入される任務は危険度が高く、相対外の危機に陥る事も少なくないため、どうしても増援が到着するまで一般隊士の犠牲でもって時間稼ぎを行う必要がある。そのつもりはなくとも、結果的に一般隊士が柱の露払いとして犠牲になっている側面は否定できまい。

 

 

「小僧ども、貴様らにも経験はあるだろう?」

 

「っ……!」

 

 封神無忌の問いに、那多蜘蛛山での一件が炭治郎たちの脳裏に浮かぶ。結果論かもしれないが、十二鬼月である累は下弦とはいえ、炭治郎たち一般隊士の手に余る強さだった。村田さんなど一部を除いて隊員のほとんどが殺され、実質的な役目は水柱である冨岡義勇と蟲柱である胡蝶しのぶが到着するまでの時間稼ぎでしかなった。

 

 

「拙僧が憎いのは、鬼殺隊という不条理な組織そのものだ。その復讐の第一歩としてまずはフェイフォン、貴様に拙僧の仲間たちが味わったのと同じ苦しみを与えてやろう」

 

 

 そして次の瞬間、封神無忌の身体が幾つにも分裂する―――。

 

 

「分身した!? これが、奴の血鬼術……!」

 

「その通り! これぞ我が必殺の血鬼術――“分身”!」

 

 

「こっちも名前そのまんまだ!?」

 

 炭治郎のツッコミには答えず、封神無忌はニヤリと笑う。

 

 否、正確には“封神無忌たち”と呼ぶべきだろうか。そこにいたのは、異形の集団だった。

 

 

「なっ……!?」

 

 

 分裂した封神無忌たちを見て、フェイフォンが驚愕する。封神無忌が分裂したことに、ではない。分裂した異形の“封神無忌たち”一人一人を見て、ショックを受けたような表情だった。

 

 

「モナシン、ナイマン、ミー、長谷川、坂田、それにフーまで……!」

 

「いや誰だよ」

 

 

 知らない名前のオンパレードに思わず突っ込む善逸。

 

「じーちゃん、この国際色豊かな人たちと知り合いなの?」

 

「うむ、かつての討伐隊メンバーじゃ。モナシンはヨガ使いのインド人、二谷は沖縄カラテの師範でな、長谷川と坂田は彼の弟子じゃ。ナイマンとミーの兄弟はムエタイ使いで、フーはチベット=禅=ボクシングの使い手じゃ」

 

 

 剣士じゃないじゃん、とか突っ込んではいけない。

 

 

「その通りだフェイフォン! かつて貴様が見殺しにした仲間たちで、貴様に復讐してやる! 拙僧の血鬼術において分身能力はあくまで従、主は食った相手の能力を取り込む力だ!」

 

 

 地味に強力な能力ではある。が、能力を取り込む人選を若干ミスったんではなかろうか。

 

 どうせ取り込むならもっとマシな相手が他にいなかったのか……と、かなり失礼なことを思いながら、善逸も渋々と刀を抜く。

 

「炭治郎、伊之助、禰豆子ちゃん……」

 

 

「分かってる。――行くぞ!」

 

 炭治郎の掛け声を合図に、5人の鬼殺隊が一斉に斬りかかった―――。

   

         




にわかに語られる敵の悲しい過去ッ!!(大嘘)

次回、国際色豊かな外国人鬼軍団がかまぼこ隊に襲い掛かるッ!!


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第8話:我妻善逸 vs ヨガ使いのインド鬼モナシン

 我妻善逸の前に立ちはだかったのは、ターバンを巻いた肌の浅黒いインド人であった。

 

 ちなみにインド人といえばターバンという巷のイメージとは異なり、現実にターバンを巻く習慣があるのはインドの中でも少数派のシーク教徒だけである。目の前にいるインド人風の鬼がそうなのかは分からないが、人を喰らう鬼な時点で戒律も何もないだろう……。

 

 という豆知識はさておき、シーク教徒がターバンを巻いている理由のひとつが防御のためだ。

 元は戦闘民族であった名残とも伝えられているが、確かにちょっとした衝撃や斬撃であれば頭部を保護できそうである。

 

 

「我が名はモナシン、ヨガの使い手にして解脱せし鬼なり」

 

 おもむろに発せられたその口上は、中々に貫禄のある声であった。それはそれで様になっていたのだが、惜しむらくは善逸の知識量である。

 

「え、ヨガ? ヨガってなに!?」

 

 同年代の日本人の平均と比較して特に善逸が一般常識に欠けているというわけでは無いのだが、当時の多くの日本人にとってヨガは馴染みの薄い概念であった。聞いたこともなければ、見たこともない。

 

「ふっ、ヨガを知らんとは田舎者め。ヨガとはインドに伝わる由緒正しき健康法である。呼吸を整え,精神統一を図る修行を積むことで、輪廻から解脱できるのだ」

 

「いや健康法って……」

 

 武術でも何でもないじゃん、と善逸は軽く頭を抱える。露骨に呆れた様な態度を見せる善逸に、モナシンは頬を引きつらせて食いかかる。

 

「想像力のない剣士だな。貴様ら鬼殺隊の使う“全集中の呼吸”だって、考えようによってはヨガの一種のようなものではないか」

 

「っ……たしかに!」

 

「ようやく理解したようだな。そして考えてみるがいい。それを極めた者が鬼と化し、独自に血鬼術にまで昇華したとしたら……」

 

「なッ―――!?」

 

 ようやくモナシンの脅威を把握して、善逸の顔がさっと青ざめる。

 

「ヨガで鍛えた我が鍛錬の成果、とくと見よ!」

 

 もはや問答無用という事なのだろう。叫ぶが早いが、インド鬼が跳びかかってきた。

 

「ちょっ! ちょっと待っ―――」

 

 当然のように善逸の制止は無視され、モナシンの腕から長く伸びた爪がが威勢良く振り下ろされる。慌てて後ろに飛んで避ける善逸を追って撃ち出される攻撃は目を見張るほどの速度であったが、善逸の方もどうにか更に身を捻ってモナシンの連続攻撃をかわす。

 

「中々やるな。その雷光の如き速さ……さては貴様、雷の呼吸の使い手だな?」

 

「くっ……」

 

 中々に観察眼もあるらしい。ビビりという本人の性質もあるだろうが、ちょこまかと動き回ってモナシンの攻撃を避け続ける善逸の動作や足運びを見て、雷の呼吸の使い手であることを見抜かれた。

 

「はぁっ!」

 

 気合の声をあげ、モナシンが再び爪による攻撃を繰り出してくる。今度も同じように後ろに跳んで避けようとする善逸だったが、そこで彼は想像を超えるものを見た。

 

「腕が伸びた―――!?」

 

 モナシンの腕がまるでシャコのように伸び、間合いから逃れたはずの善逸を打ち据える。

 

 直撃を喰らうギリギリで体を捻って躱したため、幸いにも傷は深くない。だが、今のは完全に不意打ちだった。もう少し気づくの遅ければ、今頃は……。

 

「ほう、我が血鬼術“涅槃解脱”を躱したか。だが、二度目はないぞ!」

 

 モナシンが叫び、続く攻撃を予想して善逸は身構えた。だが、モナシンがとった次なる行動は善逸の予想を遥かに超えたものだった。

 

「え? 逆立ち?」

 

いったい何がしたいんだこの人!?

 

 

だが、善逸の戸惑いとは裏腹に、モナシンは勝ち誇ったような高笑いをあげた。

 

「いかにも逆立ちである!だが、それだけではない!――ヨガの秘儀から生まれし究極の血鬼術、“煩悩輪廻”をとくと見よ!」

 

 モナシンは鷹揚に肯定すると次の瞬間、逆立ちしたまま蟹のように腕を曲げて移動し始めた。

 ぎょっとして刀を握りしめる善逸だったが、逆立ちで突撃してくるような様子はなく、それどころか善逸の周囲を旋回するように高速でぐるぐると移動し始めた。

 

「えーと……」

 

 ツッコミ慣れした善逸でさえコメントに困るモナシンの行動でえあったが、徐々に善逸の体に変化が表れ始めた。頭がぼぅーっとし始め、眩暈に襲われるようになったのだ。

 

(あ、やば……)

 

 目の前で行われるモナシンの血鬼術と思しき謎の動きが、催眠術の類であったことに善逸が気付いた頃には既に時遅く。全身の力が抜け落ち、善逸の思考は暗転した。

 

 

 **

 

 

「ふっ……所詮はこの程度か。いかに鬼殺隊いえども、ヨガを極めし我の前では無力よ」

 

 地面に崩れ落ちた善逸を見て、モナシンが呆れとも嘲りとも取れる感想をもらした。既に逆立ちから普通の姿勢に復帰しており、トドメを指すべく爪を伸ばす。

 

「手慣らしとしては丁度よかったぞ。せめて苦しませずに……」

 

 モナシンが善逸を仕留めようと片腕を振り上げようとする。だが、そこにあるべきはずの腕が無い。

 

 そして数秒ほど遅れて、モナシンの目の前で宙から腕が降って落ちた。

 

「!?」

 

 モナシンは自らの腕と地面に落ちた腕を交互に確認し、倒れた善逸の方に驚愕の視線を向け―――ようとするも、既にそこに善逸の姿は無かった。

 

 音もなく、気配もなく。ただ少しの風の動きだけが乱れている。

 

 ここまでくれば、馬鹿でも何が起こったか想像はつく。慌ててモナシンが警戒姿勢をとろうとした、次の瞬間―――。

 

「ぬっ……!?」

 

 断末魔の悲鳴を上げる間もなく、モナシンの首は宙を舞っていた。その背後には、いつの間にか刀を抜き放った善逸の姿。

 

 

 ―――これこそが、我妻善逸の真の実力。

 

 

 極度の緊張と恐怖に置かれた時、彼は失神するように眠りに落ちる。そして睡眠によって余計な感情や雑念が一切消え失せたときこそ、本来の力が覚醒するのである。

 

 そして善逸が極めし技は、ただの一撃で敵を仕留める必殺の居合斬り。神速の踏み込みからの居合い一閃。呼吸の力を脚に集中させ、強烈な踏み込みから文字通り雷光の如き速さで居合いの斬撃を繰り出す。

 

 

(寝たままの状態から居合斬り……だとぉッ!?)

 

 

 ようやく自らが何をされたのかモナシンが悟った時には、既に勝負は終わっていた。

 

 




 いつものごとく『片腕ドラゴン』シリーズより、1作目と2作目のインド人がモデル。ヨガとはいったい何なのか……。


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第9話:竈門禰豆子 vs ムエタイ使いの双子タイ鬼ナイマン&ミー兄弟

 

 

「「ほう、モナシンを倒したか」」

 

 倒れたモナシンを横目で見て、双子らしきタイ人の鬼が同時に言う。彼らの目の前に立ちはだかるは、同じ鬼である禰豆子だった。

 

 呑気に他人の心配をしている余裕がどこから生まれているのかと言われば、実のところこちらの組合せはまだ戦闘には至っていない。

 何故なら双子の鬼――兄のナイマンと弟のミーは鬼となってなお、ムエタイ使いの誇りを忘れずワイクーを舞っていたのだから。

 

 ちなみにワイクーというのは師と両親に礼を示す舞であり、自己の競争心を高めて戦いの神に無事と勝利を祈るというムエタイの伝統だ。また、実利的な側面としては、屋外で戦うにあたって地面の状態を確かめるという意味合いもある。

 

 その隙に禰豆子から奇襲攻撃を受けてもおかしくない状況ではあったのだが、元は鬼殺隊であり、幹部への復讐のために鬼になったという経歴に加えて、生前の風習を守るという律儀さが禰豆子をして敵認定を遅らせたのかもしれない。ワイクーを舞っている間、禰豆子は実に大人しく首をかしげながら不思議なものを見るように双子を眺めていた。

 

 

 しかし、ワイクーを舞い終えて双子のタイ鬼が戦闘態勢に入るや否や、禰豆子も目の前にいるのが「敵」であることをはっきりと認識した。爪が伸び、瞳孔が開き、血管が太く浮き上がる。

 

「せいっ!」

「やぁッ!」

 

「―――ッ!」

 

 

 双子の鬼が跳びかかるのと、禰豆子が動いたのはほぼ同時であった。

 

 

「ミー! 今だ!」

「はいよっ!」

 

 ナイマンが合図をすると、ミーが短い返事と共に地面を蹴り上げる。蹴り上げられた大量の砂が宙を舞い、大きく見開かれた禰豆子の瞳に突き刺さった。

 

「んッ―――!?」

 

 砂による目潰しという実に単純な技だが、いかに鬼といえども視覚を奪われては戦えない。思わず顔をしかめた禰豆子に対して、双子は息の合ったコンビネーションで次々に打撃を与えていく。ひとつひとつの攻撃はさほど致命傷にならないが、目も止まらぬ速さで繰り出される連係プレーに禰豆子は防戦一方となっていた。

 

「はははは! どうした? 貴様の力はこの程度か!?」

「同族の癖に情けないな! ぺッ」

 

 嘲るように禰豆子をなぶりつつ、唾を吐いたりとやりたい放題のムエタイ使い兄弟。このまま一方的になぶり殺しにすれば終わりそうだなと考えていた矢先、弟のミーが何気なく引っ掻いた爪によって禰豆子の白い柔肌は大きく切り裂れる。異変が起こったのは、その直後だった。

 

 

「「!?」」

 

 

 油断していたわけではないのだろうが、双子が予想もしていなかった場所から、禰豆子の反撃が始まった。

 

 

 ずどん!!

 

 

 大きな爆発音と共に、禰豆子の血が爆ぜる。その発生源は、禰豆子を切り裂いたミーの爪や腕に付着していた血。それが突如として、驚異的な回復力を持つ鬼の細胞をもってすら再起不能なほどのダメージを与えたのだった。

 

 

 血鬼術『爆血』――。

 

 

 それは自らの血を爆熱させる事により、血が付着した対象を焼却あるいは爆裂させる術。その火力は鬼舞辻無惨の直属である十二鬼月、塁の鋼糸すら滅却せしめたものだ。

 

 轟音と共に見開いた目のまま倒れたミーは、恐らく今自分が何をされたかも気づかなかっただろう。

 

「ふーっ、ふーっ」

 

 禰豆子の方も、まだ使い慣れていないのか大きく肩で息をしている。

 

 この攻撃は禰豆子としても不本意なものであった。基本的に彼女はエネルギー消費の大きい血鬼術を避けて可能な限り体術で戦おうとする傾向がある。

 だが、傷つけられて噴き出した自分の血を無駄遣いせず、即興で有効活用しようとする程度には現実的な戦闘センスがあった。

 

 ほぼ思いつきで発動された『爆血』を予想できるはずもなく、完全にノーマークだったムエタイ使いの兄弟はその片割れを失ってしまう。残されたナイマンは茫然としていたが、すぐに恐怖心を顔に滲ませて逃げようとする。

 

「ひっ」

 

 慌てて背を向けて逃亡を図るナイマンであったが、そうは禰豆子が卸さない。

 

「フッ! フッ!」

 

 今の不意打ちで味を占めたのか、禰豆子は自らの爪で己の体に傷をつけ、手首にスナップをきかせながら爪先についた血をナイマン目掛けて飛ばしていく。逃げようとするナイマンの逃走進路を塞ぐように禰豆子の血が爆発し、哀れにもナイマンの周囲は必殺の炎で囲まれてしまった。

 

「わーッ!? 熱い! あちッ! 焼け死ぬゥッ!」

 

「…………」

 

 ナイマンの周囲は炎に覆われ、苦しげな声が響いてくる。それは相手が人食らった鬼であると知っていても思わず憐れみを催さずにはいられないほどであったが、敵である鬼を滅ぼすべく禰豆子は沈黙を以てナイマンの悲鳴に答えた。

 

「ん」

 

 10秒後――さすがに不憫に思ったのか、せめて苦しみを長引かせず一息に終わらせてあげようと禰豆子は判断したらしく、爪先にやや多めに血をとってからナイマン目掛けて投擲した。

 

 

 どんッ!と大きな爆発音が炎の中心から響き、それまで聞こえていた鬼の悲鳴や地面を転がり落ちる音が静まり返る。後には鬼の肉を焼くパチパチという小さな音と、特に香ばしくもない焦げた匂いがあたりに漂う。

 

「………」

 

 こうして禰豆子の戦いはあっさりとケリがついた。内心で「血鬼術を積極的に使ってみるのも悪くないな」と思っているのかどうだか知らないが、彼女は自らの腕に付着した血を、しばらくの間じっと眺めていた。




 ムエタイ使いは炎で倒すに限るんだよなぁ・・・・・・。


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第10話:嘴平伊之助 vs 沖縄空手の達人鬼・二谷と愉快な弟子たち

 

「チクショー、なんだありゃあ!」

 

 禰豆子の戦場からやや離れた場所では、伊之助が激しい悪態をついていた。二振りの刀を振るう肩はぜいぜいと息が上がっており、これまでの激しい動きを物語っている。

 

 それに対峙する形で伊之助と対面しているのは、文字通り牙を剥いた柔道家風の男とごく普通の柔道家風の男であった。

 キレ気味の伊之助と同様に、こちらの二人も激しい怒りの表情を湛えている。

 

 

 よくよく見れば両者の間には、一人の斬られた鬼の亡骸が転がっていた。既に半分ほど消えかかっており、伊之助が斬り伏せたばかりのようだ。

 

「このイノシシ頭、よくも高橋を!」

 

 普通の柔道家風の男が叫ぶ。

 

 どうやら彼らの憤りは、同門を殺されたことに起因しているらしい。意外に仲間思いである点は、心優しい炭治郎あたりであれば多少の動揺を引き起こしていた可能性もあるのだが、あいにく伊之助はそうした繊細な感傷とは無縁な戦士である。

 

「うっせぇ! 斬られたくなかったら人様を3対1で取り囲むとかセコい真似すんじゃねえ!」

 

「なんだと!? 二谷師匠の名乗りをロクに聞こうともせず、いきなり斬りかかってくるような無礼者に礼節を尽くす義理など無いわ! 獣畜生の如く怯えて今夜の人間鍋の材料になるがいい!」

 

「上等だコラァ! テメェこそ今夜の鬼鍋にしてやんよ!」

 

 

 ちなみに牙を生やしているのが沖縄空手の師範:二谷太郎であり、伊之助と挑発し合っているのが一番弟子の長谷川、既に完全消滅した鬼が二番弟子の坂田である。

 

一応、謎の外国人軍団の中では沖縄出身とはいえ日本人であるはずなのだが、牙を生やしていたりと一体どこの日本なのかは不明だ。いや、単に鬼だから牙を生やしているのは当然なのだが、どうやら目の前の鬼たちは生前の姿を模しているらしく、だとすれば生前から牙を生やしていることになる。

 

 まぁ、今更封神の持つ謎の人脈についてツッコミを入れるだけ野暮というもの。伊之助は考えるのを止め、長谷川との罵倒合戦に注力する。

 

 

 そうしてしばらく安い挑発合戦を繰り広げていた二人であったが、やがて長谷川の方が意を決したように表情を改めた。

 

(………来る!)

 

 伊之助がそう感じた次の瞬間、戦闘の火蓋は静かに切って落とされた。

 

 長谷川と二谷が共に動き出す。同時に、ではないのは訓練不足のためではなく絶妙な連携の賜物であり、道着を風になびかせることで巧みに伊之助の防御の隙を突こうとしてくる。

 

 いかに二刀流で刀は二つあるにしても、頭はひとつしかない。絶妙な時間差で攻撃してくる二人に注意が追い付かず、ヒヤリとした場面は一度や二度ではない。

 

(見えた―――!)

 

 だが、伊之助とて伊達に死線をくぐってきたわけではなかった。振り下ろされた二谷と長谷川の必殺の一撃を刀で受け止めると、同時に力を込めて一気に二人ごと力技で弾き返す。そのまま二谷を蹴り飛ばした反動を利用して長谷川に急接近すると、二振りの刀で斬りかかった。

 

「なんのこれしき――――ぐぁ!?」

 

 両腕で伊之助の二刀流を受け止めた坂田に対して、伊之助は躊躇なく頭突きを喰らわせた。

 

 斬りつけからの頭突きは炭次郎が得意とする技であり、炭次郎の石頭ほどの威力は無いにしても長谷川を昏倒させるには十分な威力だった。

 

「ぎゃああーーーっ!」

 

 倒した相手を伊之助は全く容赦なく殴り倒し、日輪刀に力を込めて心臓を突き刺した。そのまま体を真っ二つにするように、縦に刀を移動させて首のところで横薙ぎに振うと、憐れな悲鳴と共に長谷川が絶命する。

 

 

「おのれ……坂田のみならず、長谷川まで!」

 

 

 二谷が怒りに口元に生えた牙を震わせ、一気に伊之助との距離を詰める。そのまま鋭く伸びた爪を、伊之助の刀が高らかな金属音と共に弾いた。

 

 伊之助が摺足でじりじりと間合いを計ろうとすると、二谷もまた足を動かした。相対的な位置を変えないまま伊之助から少し距離を取る。

 

 

「はあっ!!」

 

 気合の声を発し、二谷が走り出してきた。

 

「おらァっ!」

 

 ヒュッと風を切って迫る二谷の攻撃に、伊之助は剣で斬りかえした。鋭い音を立てて金属と爪がぶつかり合う。二谷は間髪を入れずに伊之助の死角を狙うように残る片方の腕で迫ってくるも、伊之助もまた別の手に持った日輪刀で受け止める。

 

 そのまま二合、三合と撃ち交わし、伊之助の目は二谷の動きの一瞬の隙を見出す。

 

「せあぁッ!!」

 

 気合一閃、全力を込めて振り抜いた剣の一撃は、見事、二谷の腕を刎ねた。

 

 

「くっ……」

 

 二谷の痛恨の声が上がる。切り飛ばされた腕は宙を舞ってくるくると弧を描き、さくりと地面に刺さった。だが、それしきのことで怯む二谷ではない。

 

 

「ぬんッ!」

 

 

 気迫の声と共に、二谷が腕に力を込めると一瞬で切り落とされた腕が再生する。

 

「チッ……やっぱこのぐらいじゃ死なねぇか」

 

「無論だ!」

 

 二谷は再び構えをとると、再び伊之助に対峙した。腕の再生で体力を消耗したような気配は一切見られず、意気軒昂なようだ。

 

 対して伊之助の方はというと、残念ながら無事では済まなかった。二谷の腕を切り落とした際、左腕にダメージを追ってしまったのだ。辛うじて刀を握りしめてはいるが、腕の骨は完全に折れている。もはや刀を振るうことは出来まい。

 

 

 ―――だが、それでも。

 

 

「おおおっ!」

 

 伊之助は残ったもう一本の日輪刀を刺突の構えに保持し、受け身を取る二谷に向かって疾走した。

 

 目の前にいる鬼は強い。筋力も自分と互角かそれ以上。しかも、鬼特有の回復力まで持っている。長期戦になれば振りなのは人間である自分の方だろう。こうなった以上、出来る限り早く短期決戦で始末するより他はない。

 

 しかし伊之助がが想像していたよりも、ずっと速い速度で二谷の腕が唸った。

 

「うおっ!?」

 

 豪快に突きだされた拳を前にして、伊之助は回避運動を取らざるを得なかった。しかし体勢を立て直す間もなく、そこへ追加の一撃が迫る。

 

(速い―――!)

 

 伊之助は、二谷の体術を素直にそう評価した。

 

 

「でも、俺の方がもっと早ぇええんだよぉおおおッ!!」

 

 

 伊之助は大きく叫ぶと、腕の筋肉に力を込めた。そして、更に筋肉へ力を込める。もっともっと、最大限に、限界まで力を込める。

 

 二人はほとんど同時に腕と刀をぶつけ合い、鍔迫り合いとなった。これまでのところ二人の力は同程度、千日手とならぬように賭けに出るにはリスクが大きすぎるが、かといってこのまま延々と戦い続ければ共倒れは免れないだろう。

 

 

「うぉおおおおおおおッ!」

「おらぁああああああッ!」

 

 

 二谷と伊之助が同時に叫ぶ。まるで気合が勝る方が勝つと言わんばかりの勢いで、あらん限りの空気を吸い込んで叫ぶ。

 

 

「ああああああああああああああッ!」

「おおおおおおおおおおおおおおッ……ぉッ!?」

 

 

 騒がしく張り合っていた二人の争いに変化が訪れたのは、唐突であった。二谷の声のトーンがふいに墜ちると、次の瞬間には二谷の首が宙を舞う。二谷の全身から力が抜け、その体は不自然に傾いた。

 

 

「へっ?」

 

 

 素っ頓狂な声を上げた二谷が首だけのまま目線を伊之助に向けると、折れたはずの伊之助の左腕で握りしめられた日輪刀に自分の血がべっとりと付いていた。

 

「貴様、骨が折れていたはずでは……!? いつの間に―――」

 

「気合だ! 痛いけど頑張った! 筋肉でどうにかした!」

 

「馬鹿な! そんなバカな話があって堪るか―――!?」

 

 

 べちょ、と力なく崩れ落ちた二谷を伊之助は一瞥してから、動ける方の腕でガッツポーズを決める。

 

 

「俺の、勝ちだぁぁああああああッ!!」

 

        




 結局、片腕ドラゴンの沖縄空手の人の牙って何なんだろ・・・


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第11話:竈門炭治郎 vs チベット=禅=ボクシングの達人鬼・フー大師

 

 幾度となく繰り出した剣閃は一向に衰えを見せず、炭治郎は飽きることなく渾身の力を込めて斬撃を繰り返す。

 チベット=禅=ボクシングの達人・フー大師との戦いは熾烈を極めていた。

 

 

「はぁぁぁぁッ!」

 

 

 炭治郎が放った斬撃は、既に100をゆうに越えるだろう。しかし、敵はいっこうに倒れる気配を見せない。必殺の攻撃を何度も加え、技を変え力を変えて打ちのめしたというのに、目の前にいる僧侶風の老人は未だ平然と立っている。

 

(どうしてだ! なぜアイツは平然と立っていられるんだ!?)

 

 どんなに攻撃を与えても、どんなに切り裂いても、どんなに渾身の一撃を与えても目の前のチベットから来たというラマ僧侶(自称)は倒れない。否、傷を負っている素振りすら見せはしない。

 

 恐らくはそれが敵……ラマ僧のフー大師の血鬼術なのであろう。戦いが始まるや否や、フー大師は即座に何かを唱えて体を膨らませた。防御力を向上させる類の血鬼術らしく、相手の攻撃はそれほど脅威ではないが恐ろしく硬い。

 

「くっ――――」

 

 自分の攻撃が通っていない。何か得体の知れない不気味さを感じながらも炭治郎が今、分かることは一つだけ、この攻撃を決して中断してはいけないという直感のみ。

 

「はああああああッ!」

 

「無駄なことを」

 

 今度こそ、ついに炭次郎は身体は僧侶――フー大師の張り手で軽く吹っ飛ばされる。

 

「が、は……っ」

 

「警告したはずだ、儂は鍛錬によって急所を消し去ったと。儂の言葉を信じて、早く逃げていれば無駄な殺生をせずに済んだというのに」

 

 

 瞬間、再び距離を詰めてきたフー大師の掌底が炭治郎の鳩尾に突き刺さる。

 

「ッ―――!?」

 

 そのまま服をつかまれ、投げ捨てられる。勢いよく天井に激突し、落下しながらも炭治郎は日輪刀を構えなおす。

 

 

「それでもッ! 俺はッ! 諦めないッ!」

 

 

 何度も斬りつける。ただの一撃でフー大師に致命傷を与えられないのは百も承知だ。だが、だからこそ炭次郎は斬撃繰り返す。

 

(いくら硬くたって、無限に硬いわけじゃない。どれだけ硬い岩だって、何度も斬りつけていればいつかは割れる―――!)

 

 炭治郎はそう信じて、何度も何度も繰り返し攻撃し続ける。どれだけ気の遠くなるような作業であろうと、決して手を抜く気はない。いつか必ず、道は開けると信じて斬り続ける。

 

 

「学習力に乏しい少年よ。なんと哀れな」

 

 フー大師は再び、炭次郎を殴りつける。防御力に比べて攻撃力はそれほど強化されていないのか、炭次郎は何度も打ち据えられているものの、未だ致命傷には至っていない。だが、この我慢比べが続ければ恐らくフー大師に軍配が上がるだろう。

 

 

「それとも少年、もしや血鬼術の連続使用による体力切れを狙っているのかね?」

 

「だったら何だと言うんだ!?」

 

「無駄なことよ。修行を積んだラマ僧に体力切れは無い。心を無にし、心頭滅却すれば火もまた涼し」

 

 フー大師の言葉を無視し、炭次郎は再び日輪刀を強く握りしめる。

 

「無駄かどうかは、貴方が決めることじゃない!」

 

 深くかがんでフー大師の張り手を交わすと、そのまま地面を蹴った反動で突っ込む炭次郎。だが、渾身の斬撃はまたもや軽く防がれた。

 

 

「まったく、単調な攻撃だ。さっさと音をあげると思っていたのだが。どうやら、貴様の愚かさを侮っていたようだ」

 

「ああ、そうだとも! 俺は優秀じゃないから、努力する事しかできない! でも、それを無駄とは思っていない!」

 

 

 再び、炭次郎は刀を構え直す。

 

(相手に隙が無いのなら、作るまでッ!)

 

 それには、相手の意表を突かねばならない。それほどの隙を作るのであれば、こちらにも相応の覚悟が必要だ。

 炭次郎はジャンプしてフー大師から初めて距離をとる―――そして。

 

 

「全集中、水の呼吸――――」

 

 必殺の一撃を繰り出すべく、意識を集中させる炭治郎。これから放つは、水の型で最強の技――。

 

 

「拾ノ型、生生流転ッッ!!!」

 

 

 うねる龍の如く刃を回転させながらの連撃。一撃目より二撃目の、二撃目より三撃目の威力が上がっていく。それを何度も何度も、フー大師に叩きつける。

 

「うぉぉおおおおおッ―――!」

 

 炭次郎が荒ぶる嵐と化し、猛然とフー大師を巻き込んでいく。余力など一つも残さない。水の型の特徴である変幻自在の歩法が使えなくなるほどに、全ての力をここで出し切る。文字通り、捨て身の特攻だ。

 

 だが、しかし。

 

 

「哀れなり」

 

 

 無機質に、フー大師の言葉が響く。そして次の瞬間。

 

 

「ぐ、はぁッ―――!」

 

 いつの間にか側面に回り込んだフー大師の腕が炭次郎を捉え、そのまま万力のようなパワーで炭次郎を地面に叩きつけた。全集中の呼吸が止まり、肺から空気が一気に吐き出される。

 

「っ――――」

 

 もはや声にならない悲鳴をあげる炭次郎。彼は全ての力を使い、余力を振り絞って戦い……そして勝負に負けたのだ。今度こそ、完全に力が抜ける。

 

 崩れ落ちる炭次郎を見て、フー大師がほくそ笑む。

 

 ついにトドメの時だ。

 

「勝負あり、だな」

 

「それは……こっちの台詞だ!」

 

 振り下ろした拳を紙一重で躱され、フー大師は驚きを隠せない。

 

「なにっ」

 

 炭次郎の勝負は総ての余力を使い、フー大師に全てが終わったと錯覚をさせた後。わずかに血鬼術に乱れが生じた、その瞬間を叩く。

 

 勿論それだけの体力が残っているのか分からないし、フー大師が最後まで気を抜かないかもしれない。だからそれは文字通り、命懸けの賭けだった。全身全霊の一撃を凌ぎ、ゼロからの二撃目を放つ。

 

 

「うぉおおおおおッーーー!」

 

 

 フー大師が体勢を立て直すより早く、炭次郎の刀が突き出される。その刃はついに、無敵のラマ僧の鎧を突き崩す―――――……事は無かった。

 

 

 がつん、と大きな音を立てて炭次郎の刃が弾かれる。気合いを込めた炭次郎渾身の一撃は失敗に終わったのだ。

 

 

「なっ……!?」

 

「ふんッ!」

 

 驚愕の表情を浮かべる炭次郎をフー大師は再び張り手で突き飛ばし、大きな笑い声をあげた。

 

「はっはっはっはっは! 面白い! 面白いぞ子憎! よくぞ儂をここまで楽しませてくれた! 人間であるのが惜しいぐらいだ!」

 

 今の一撃は危なかった、とフー大師はひとりごちる。もう少し彼に運があれば、致命傷だったかもしれない。だが、天は信仰を欠かさぬ自分に味方した。

 

「愚直な努力家の少年に、心からの称賛を。誇るべきその魂よ、永遠なれ」

 

 全てを終わらせるべく、フー大師が突撃する。今度こそ、この戦いに幕を引くと己に誓いを立てて。

 

 この無敵の防御を誇る血鬼術を得てから、久しくスリルというものを感じたことはなかった。久々にそれを感じさせてくれた少年に敬意を示し、フー大師はとどめの一撃を与えるべく矢のように飛んでいく。

 

 そして―――。

 

 

「ぐっ!?」

 

 

 苦悶の声を上げたのは、フー大師の方だった。

 

 

「はぁ……はぁ………」

 

 肩で息をつく炭治郎の前には、脇腹からどくどくと血を流すフー大師の姿。

 

「そうか……あの一撃で、我の急所を見切ったか……」

 

「はい」

 

 鬼の問いに、炭次郎が答える。彼が拾ノ型:生生流転を使ったのは、フー大師を仕留めるためではない。全ての力を出し切った大技を繰り出すことで、鬼の急所を探るのが真の狙いだった。

 

(あの時、フー大師はとっさに腕で右脇の下を庇った。恐らくはそこが唯一の急所……俺の予想は当たっていた……!)

 

 そして急所が分かれば後はそこを狙えばいい……というほど単純な話でもない。フー大師がとっさに身の危険を案じるほどの大技ともなれば、それを繰り出した炭治郎も無事では済まない。現に炭次郎の意識は朦朧としており、フー大師に突きの一撃を加える力すら残っていなかったほどだ。

 

 だから炭次郎はとっさに、日輪刀の柄を地面で固定し、フー大師が突撃してくるエネルギーを利用することでその急所を突き刺した。否、そうしなければ出来なかった。

 

 その動きでさえ、半ば脊髄的な動きによるものだ。数々の幸運と偶然に頼った勝利でしかない。

 

 ……だが、それでも。

 

 

「これで終わりです、フー大師」

 

 

 最後の力を振り絞って、炭治郎は刀を横薙ぎに振う。血鬼術を破られたフー大師の首は、驚くほどあっさりと炭次郎の刃を受け入れた。長年、多くの日輪刀を弾いてきたフー大師の首はついに胴から永遠に別たれたのであった。

 

 




 別にフェイフォンが都合よく秘孔を教えてくれるとか、そうはなりません(ジミー・ウォンからそっと目を逸らす)


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第12話:黄飛鴻 vs 封神無忌

 ぐびっ、と瓢箪に入っていた最後の一杯を飲み干したフェイフォンは、封神無忌の攻撃に備えて身構えた。

 対する封神無忌もまた、得体の知れぬ笑みを浮かべたまま、背中から隠し持っていた武器を取り出す。

 

 

 血滴子…………別名『空飛ぶギロチン』とも呼ばれるこの一風変わった武器は、清の雍正帝が秘密裏に敵対者を排除すべく結成した暗殺集団を起源に持つと伝えられている。

 

 鎖の先には伸縮する大きな帽子のようなカゴがつけられており、このカゴを敵の首に被せてから紐を引っ張ると、被せた帽子状のカゴの首元に仕込まれている刃が飛び出して、首を胴体から斬り落とすという恐怖の武器である。

 

 

 ここまでの説明で多くの者が想像する通り、実はこの武器、相当に使い勝手が悪い。単に首を切り落としたいのなら、普通に剣でも薙刀でも持ってきて、ぶった斬った方がどう考えても早いし確実だ。

 

 

 だが、裏を返せばわざわざそんな七面倒くさい武器を使うということは、その使い手が相当な手練れであることを意味する。

 

 事実、空飛ぶギロチンの使い手たる封神無忌はフェイフォンの知る弟弟子たちの中でもひときわ高度な訓練を受けており、彼の操る空飛ぶギロチンは百歩離れた場所からでも、百発百中で標的を捉えていた。

 ひとたび封神無忌が空飛ぶギロチンを投げたのなら、もはや回避姿勢や通常の武器防具で回避することは不可能であり、それはそのまま標的が斬首刑となることを意味する。

 

 

 フェイフォンと封神無忌は、互いの武器を構えたまましばし睨み合う。

 

 そして数秒の静寂の後、先に動いたのは封神無忌の方だった。

 

 

 

 ドギューン!ピューン!

 

 

 空飛ぶギロチンの不吉な音が風を切り裂き、とっさに構えたフェイフォンの刀とぶつかり合う。封神無忌は無駄な力比べや鍔迫り合いをするでもなく、一撃で仕留められぬと悟やすぐにギロチンをヨーヨーのように回収した。

 

 

「まだまだァッ!」

 

 立て続けに、封神無忌の攻撃が繰り出される。円状のギロチンがギュルンギュルンと唸り声を響かせ、もの凄い勢いで加速しながら回転していく。

 

 

「はぁっ!」

 

 

 封神無忌がブーメランのように腕を振り上げてギロチンを飛ばすと、甲高い風切り音を立てながら弧を描いてフェイフォンの首へと刃が迫る。

 

 がん!と大きな音がしてフェイフォンがギロチンを弾き返すも、封神無忌はその反動を活かしてギロチンを大きく空に舞い上げてから再び首を狙う。何度か打ち合いが続くも、一向に決着がつかない。

 

 

 だが、この状況で有利なのは明らかに封神無忌の方だった。フェイフォンが生身ひとつで空飛ぶギロチンを交わしているのに対して、封神無忌はかなり離れた安全な場所から一方的にアウトレンジ攻撃をしかけているのだから。

 

 もちろんフェイフォンも可能な限り距離を詰めようとしているのだが、掠っただけでも首を持っていかれそうな空飛ぶギロチンの威力を前にしては、下手にリスクを冒して飛び込むことも出来そうにない。

 

 

 封神無忌はギロチンを閃かせながら、その髭面に愉悦の表情を浮かべた。

 

「どうしたフェイフォン。かかって来ぬのか?」

 

「やかましいわい」

 

 酒が足りんな、と毒づいてフェイフォンは額に浮かんだ汗を軽く衣服で拭き取った。齢のせいもあってか、既に息が上がり始めている。

 

 対して封神無忌は同じ老人の風貌こそしているが、その実態は鬼である。人間であったころの全盛期と同等、いやそれ以上の恐るべき体力と腕力で連発される必殺のギロチン攻撃は、かわしきれぬほどに素早く、また受けとめきれぬほどに重い。

 

(ならば……!)

 

 続けて繰り出されたギロチンの一撃を前にして、フェイフォンは躱すことと受け止めることの両方を諦めた。

 

 

(全集中――――っ!)

 

 

 フェイフォンが呼吸を整えると、体中の血管という血管にアルコールが染み渡っていく。アルコールによって活性化された細胞が限界まで反応し、フェイフォンは目にも止まらぬ速さで空飛ぶギロチンを掴んだ。

 

 

「なにッ!?」

 

 

 一瞬、封神無忌の目が驚愕に見開かれるも、すぐにそれは嘲りへと変化する。フェイフォンは酔いの呼吸によって得られた爆発的なエネルギーを使ってギロチンを受け止めるでもなく、かといって回避運動に使うでもなく、ただギロチンを掴んだだけだったからだ。

 

 真剣白刃取りの真似事でもしたいのか知らないが、馬鹿には相応の報いを受けてもらおう。

 

「せいっ!」

 

 封神無忌は加速されたギロチンの運動エネルギーをそのまま活かして、フェイフォンごとギロチンを壁に激突させた。轟音と共に壁が吹き飛んで大穴が開き、衝突したフェイフォンの身体は見るも無残な姿で地面に崩れ落ちた。

 

 

 

 やがて土煙が晴れたとき、そこにいたのは満身創痍の老人がただ一人。

 

 

「うぅ……」

 

 フェイフォンは何度も立ち上がろうとするが、その度に足を滑らせて地面に転倒する。その姿に元とはいえ鬼殺隊“柱”としての威厳はどこにもなく、控えめに見てもただの酔っ払った老人でしかなかった。

 

 

 だから、何故その姿に違和感を感じたのか、封神無忌にも最初は分からなかった。

 

「どうしたフェイフォン! そんな千鳥足で拙僧と戦えるとでも!?」

 

「うんにゃ。千鳥足だから、じゃよ」

 

 焦点の合わない目で、顔を真っ赤にしたフェイフォンが答える。その姿はまさしく正真正銘の酔っ払い……だが、既にフェイフォンの瓢箪の中にあった酒は切れたはずだ。

 

 

「……まさか」

 

 

 封神無忌は、今しがた自分がギロチンごとフェイフォンをぶつけた場所に目を凝らす。そこには何十本もの割れた工業用アルコール瓶が転がり、地面には工業用アルコールの池が出来ていた。さらによく見れば、そこかしこに密造酒の瓶まである。

 

 何故そんなものが……と頭に一瞬だけ疑問が思い浮かぶが、すぐに封神無忌はこの倉庫が地元ヤクザ「片腕会」の密造酒工場であったことに気づく。

 

(フェイフォンの狸め、最初からこれが狙いだったか―――)

 

 見れば工業用アルコールの池の中心には、見るからに酩酊したフェイフォンが浮かんでいる。何度も立とうとしては転倒し、その度に池のアルコールをかぶ飲みしている。

 

 

 ――酔えば酔うほど、よく斬れる。

 

 

 かつてフェイフォンの“酔いの呼吸”を見て、他の柱たちはそう評したという。 

 

 

 **

 

 

「おのれ――――!」

 

 

 再びギュルンギュルンと甲高い金切り音を立てて、空飛ぶギロチンがフェイフォンに迫る。だが、そのカゴが首にすっぽりと嵌る寸前、フェイフォンは膝をついてギロチンの魔手からすっぽりと抜け逃げた。

 

「うい~~、ヒック」

 

 間の抜けた、呂律の回らぬ状態のフェイフォン。フラフラとあっちへ行ったりこっちへ行ったりと足取りはおぼつかず、時おり転倒すらしているほどだ。

 

 だが、何故か立て続けに繰り出される封神無忌のギロチンは当たらない。どれだけ複雑で回避不能な動きをさせようとも、まるでギロチンの方が回避しているのでは錯覚するほどに、するっとそれが当然であるかの如く、攻撃がことごとくすり抜けていく。

 

 フェイフォン自身は半ばトランス状態にあって意識こそしていないが、その身体に張り巡らされたアルコールによって活性化されたフェイフォンの肉体は、完全に空飛ぶギロチンの動きを見切っていた。

 

「ほいっとな」

 

 複雑な軌道を描く空飛ぶギロチンを、身ひとつでひらりと躱す。ゆっくりと、だが着実に安全地帯にいるはずの封神無忌へと近づいていく。

 

 

「っ……!」

 

 封神無忌の顔に、焦りの色が浮ぶ。

 

 この空飛ぶギロチンという武器は、早い話が初見殺しの武器である。ヨーヨーの原理と同じで使い手が好きなタイミングで好きな長さに間合いを調節できるのが大きな強みであるが、基本的には物理法則に従っているためしっかりと観察していれば軌道は予測できる。

 

 封神無忌の場合、鬼となっている上に血鬼術の影響で多少強化されているため、物理法則は超越しているものの、武器としての限界までは超える事が出来なかった。自らの身体と違って武器である以上、動きにはワンテンポのラグが生じる。

 

 もっとも、こうした時間のズレは必ずしも不利に結びつくものとは限らない。むしろそのラグを利用して、相手が攻撃を予測しづらい状況を作り出すことで空飛ぶギロチンはその真価を発揮してきた。

 

 

 ―――しかし、相手が元“酔柱”のウォン・フェイフォンともなれば話は別である。

 

 

 フェイフォンの操る“酔いの呼吸”は、複雑怪奇かつ予測不能な動きをその神髄とする。空飛ぶギロチン以上に変則的でトリッキーな動きにより、逆に翻弄されてしまったのは封神無忌の方であった。

 

 

 結論からいえば、封神無忌は奇策でフェイフォンを攻めるべきではなかった。ただ純粋に鬼のパワーとスピードを生かして、正面から正々堂々と挑んでいればまだ万に一つぐらいは勝ち目もあったかもしれない。

 

 

 だが、トリッキーな技の比べ合いでは、フェイフォンに一日の長があった。“酔いの呼吸”を使ったフェイフォンの動きは酔えば酔うほど、研ぎ澄まされていく―――。

 

 

「逃がさんぞい!」

 

 叫んで、フェイフォンは倒れ込むようにして、一気に封神無忌に接近した。迎え撃たんと、封神無忌がギロチンに加えて手榴弾を投げる。

 

 どぉおおおおおんんッ!と派手な爆発音が響き、煙がもくもくと立ち上る。封神無忌が手榴弾を投げたのは攻撃の為でもあるが、同時に爆炎と爆煙によってフェイフォンを遠ざける防御の意味合いもあった。

 

 

 しかし、爆発の速度以上の速さでフェイフォンはひらりひらりと躱していく。それどころかキャッチボールでもするかのように投擲された手榴弾を掴むと、封神無忌に向かって笑顔で投げ返す。

 

 余裕が失われるにつれてどんどん真顔になる封神無忌と、酔いのせいか焦点の定まってない笑みをニコニコと浮かべるフェイフォン。二人の距離が一歩づつ詰められていくと、まるでそれが封神無忌に残された寿命のように感じられた。

 

 

 そしてようやくフェイフォンの刀と拳が封神無忌に届く距離まで近いづいた時。

 

「馬鹿め! これを喰らえ!」

 

 封神無忌が仕込み刀をフェイフォンに向かって突きだす。しかしその切っ先がフェイフォンの肉体を貫くことは無く、右の脇でまるで白羽取りのようにがっちりと受け止められてしまった。目を見開く封神無忌に対して、フェイフォンはニッコリと笑いかける。そして――。

 

 

 がっ!

 

 

 フェイフォンは手首に括り付けられていた瓢箪を、封神無忌めがけて強く投げつけた。瞬間、封神無忌の意識がそちらに向く。

 もちろん瓢箪ごときがぶつかった所で致命傷が与えられるはずもない。だから封神無忌はすぐさま意識をフェイフォンに戻して次の攻撃に備えようとする。

 

 しかし、その一瞬の意識の隙でフェイフォンには十分だった。

 

 

「勝負あり、じゃな」

 

 

 ぽつりとしたフェイフォンの言葉が、封神無忌の耳に入ったかどうかは定かではない。だが、次の瞬間に封神無忌の首は、フェイフォンの袖から伸びた短刀サイズの日輪刀によって刎ねられていた。 

           




 空飛ぶギロチンこと「血滴子」、実際にあった武器だそうです(実用性は眉唾モノですが)


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第13話:劇終 ~フェイフォンの修行~

 戦いは終わった。

 

 だが、炭治郎たちにすぐ任務が下される事は無く、フェイフォンの勧めでしばらく彼の道場に居候させてもらう事となった。善逸は「久々の休みだー」と無邪気に喜んでいたものだったが、すぐにそれを後悔することになる。

 

 

「ほれ、もっと早く動かんかい」

 

 道場には朝早くから、呑気にパイプをふかすフェイフォンの声があった。お気に入りの煙草を一服しながら椅子に腰かけ、そして伸ばされた足が乗せられているのは善逸の背中。

 

「もう指が折れそうだよ~……」

 

 フェイフォンの足を背中に乗せながら、上半身裸になった善逸は必死に腕立て伏せをしている。それも普通の腕立て伏せではない。フェイフォン曰く「指を鍛える修行」らしく、善逸はつま先と指先を細めの切株に乗せるようにして、全身を支えながら体を持ち上げては下げるという動きを繰り返している。

 

「無理、もう無理ぃぃいい~ッ!!」

 

「諦めるな。諦めたら腹に線香じゃぞ」

 

 しかもこの修行、腕立てをする善逸の腹の下には何本もの線香が突き立てられており、身体が沈むと下の熱い線香で火傷するという鬼畜仕様である。それが嫌なら、意地でも腕立てを続けるしかない。

 

 が、しかし。そんな事を言っても疲れるものは疲れるのである。ついに耐え切れなくなった善逸の体は沈み込み、燃え立つ線香が腹に食い込んでゆく。

 

 

「ああああああああああああああッッ!!」

 

 

 その瞬間、ほとんど反射のように善逸の体が浮いた。線香の熱さに耐え兼ねた脊髄反射であったが、とにもかくにも一応は腕立て伏せの動きを達成している。

 

「ふむ、まだ動けるようじゃな。あと50回じゃ」

 

「いやいやいやいやいやいや!!」

 

 哀れ善逸の懇願は聞き届けられることなく、修行は続けられていく……。

 

 

 **

 

 

「うおらぁあああッッ! せいッ! せいッ!」

 

 そのすぐ隣では、伊之助が背筋を鍛える修行をしていた。丸太で作った鉄棒のようなものに両足をかけ、さらに反対側にある同じ丸太で作った鉄棒のようなものに両腕をかけている。その状態で全身を弓のようにしならせるブリッジを行う。

 

「ふむ、では次のステップに進もうかの」

 

 善逸の修行を別の弟子に任せたフェイフォンが、伊之助をみておもむろに言う。何が始まるのかと伊之助が訝しむのも束の間、フェイフォンはいきなり仰向けになった伊之助の腹の上に座り出したのだ。

 

「じじい!てめぇ―――」

 

「これも修行じゃ。この状態で、さっきの背筋運動(ブリッジ)を続けよ」

 

 フェイフォンによれば、柔軟性も強さの秘訣らしい。それを鍛えるのにはもってこいの修行らしいのだが、とにかくキツイ。いかに老人といえども、人ひとり分の体重を背負ってブリッジを行うのは強靭な肉体を持つ伊之助をしても、容易な作業ではない。

 

「だぁあああッ! くそっ、やればいいんだろ! やってやんよぉッ!」

 

 半ばキレ気味に伊之助は背筋を必死に動かし、高速ブリッジを繰り返し行う。その様子にフェイフォンは満足したような表情を浮かべた。

 見るものが見れば弟子たちを愛しく思う師匠の麗しい師弟愛に見えるのかもしれないが、傍目にはあまりにもシュールな光景であったことは多くの証言者が物語っていた。

 

 

 **

 

 

 そして伊之助の横では、炭治郎が腹筋を鍛える修行をしていた。

 

「はっ! はッ!」

 

 こちらは大きな鉄棒のようなものに足を引っ掛け、さかさまになった状態で上半身を起こすようにして腹筋運動を行う。これはこれで中々に大変なのであるが、こちらにも当然のようにフェイフォン流の謎アレンジが加えられていた。

 

(さっきまでは手首に水が触れていたのに、もう指先まで減っている……!)

 

 炭次郎の両手には、小さなお猪口が握られていた。そのお猪口を使って、地面に置かれた壺の中にある水を掬い上げ、腹筋運動で状態を起こした際に鉄棒に括り付けられた木製バケツの中に水を移すのである。

 

「お前さんは筋がいいな。特に言う事もない。訓練を続けよ、継続は力なりじゃ」

 

「はいっ!」

 

 威勢よく答える炭治郎。正直、3人の中では一番教えやすいのが炭治郎だった。こちらの修行はフェイフォンもあまり煩く口出しするようなこともなく、だいたいの要領を伝えてからひたすら反復練習をするに任せている。

 

 もっともその間、ひっきりなしに指で砕いた胡桃を食べていたのを善逸と伊之助が目撃しているから、単に指導を横着しただけなのかもしれないが。

 

 

 **

 

 

 そして3人の鬼殺隊員が外で訓練を受けている頃、禰豆子はというと、こちらはこちらで謎修行の洗礼を受けていた。

 

 日の当たらない屋内にはいるものの、フェイフォンの弟子たちの協力もあって修行を続けている。

 

 フェイフォンの謎修行は、鬼だろうが女だろうが容赦はない。その修行は老若男女の例外なく、教えを受ける者をカンフーの達人へと鍛えあげていく。

 

 

「~~~~~っ!」

 

 

 禰豆子がしているのは、足腰を鍛える修行だ。馬歩の構えと呼ばれる伝統的なカンフーの修行で、粘り強い足腰を作るとされている。方法は早い話が、空気イスだ。

 

 だが、フェイフォンが編み出した馬歩の修行はそれをさらにグレードアップさせたもの。禰豆子は空気イスの状態をキープしつつ、両腕を前に突き出している。よくよく見ると禰豆子の頭と両肩、そして両膝の上には熱々のお湯が入った茶碗が乗せられているではないか。

 

「ん、――」

 

 この訓練、実際にやってみるとわかるがかなりキツイ。ついに耐え切れなくなった禰豆子がバランスを崩した瞬間―――。

 

 

「ん~~~~ッ!?」

 

 

 見事に茶碗の中身が零れ落ち、全身にこぼれた熱湯を浴びた禰豆子があまりの悶絶する。鬼殺隊特有の人権ガン無視の修行なので、もちろん軽く火傷するほどの熱さだ。いくら禰豆子が鬼の力による再生能力を持つとはいえ、年頃の少女にするような修行ではない。

 

 しかし勿論、そんなことで修行の手を抜くようなフェイフォンではない。その代わりといってはなんだが、新しい刺激を与えることで修行の辛さを和らげようとする。

 

「ふむ、ちと疲れているようじゃな。ほれ、儂秘蔵の酒でも飲むか? 人間の血とか肉より美味いと思うぞ」

 

 特に悪気もなく禰豆子に酒を勧めるフェイフォン。この時代であれば一応は合法なのであるが、禰豆子の口が酒瓶に触れる直前、どこからかそれを聞きつけた炭治郎がすっ飛んできたという……。

 

 

 **

 

 

 そんな感じでフェイフォンの謎修行は1週間ほど続いた。日中はひたすら修行に明け暮れ、昼と夕には豪勢な中華料理をたらふく食らい、夜には浴びるように酒を飲む。

 

 やがて修行が終わってフェイフォンたちと別れたあと、炭治郎たちは一様に同じ感想を抱いた。すなわち―――。

 

 

(((酒っていいな)))

 

 

 

 

 

 

 

 

  ―――劇終 THE END―――

 

 

   




 カンフー映画名物・謎修行シーンは外せないと思ってラストに無理やりぶっこみました。

 今回をもって、本作は完結です。最後まで読んでくださった読者の皆様に感謝いたします。

 粗の多いストーリーと文章でしたが、こうして最後まで走り切ることができたのは、ひとえに読者の皆様のおかげです。本当にありがとうございました。

 
 ※NGシーン集は検討中


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