マヤとセーニャのものがたり (だる )
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マヤとセーニャのものがたり 1
雪国のおわりかけた短い夏の空は、少女の髪とおなじ色をしていました。
少女はお気に入りのゆたかな三つ編みを頭のうしろで揺らしながら、布をかぶせたバスケットをだいじそうに抱えて、石畳の町の路地裏へと入りこんで行きました。
入り組んでならぶ家々のあいだをなれた足どりで進み、みっつめの角をまがると、うすぐらい石階段をそろそろと上って、いちばん上の部屋のドアを肩で押し開けました。
片側がななめに傾いたちいさな屋根裏部屋で、少女とおなじ髪の色をした青年は、ドアを開ける音に気が付いてストーブにかけたおなべから目をあげると、しずかにほほえみました。
「おかえり、マヤ。ちょうどイモが煮えたところだ」
少女に向かってマヤと呼びかけた青年は、名前をカミュと言い、ふたりは兄妹なのでした。
「ただいま、兄貴」
マヤはそう言ってテーブルの上にバスケットをおろすと、おおきく息をつきながら、仲良くならんだふたつのベッドの片方に腰をおろしました。
「ごくろうさん、今日はなんだった?」
「えっとね、スープの赤いやつと…あと、今日はちょっとおまけしてもらったんだぞ。ほらこれ」
マヤがバスケットの中から、飾り気のないちいさな焼き物のポットを取り出してフタをあけると、部屋にツンとしたにおいが立ち込めました。
「ニシンの酢漬けなんだけど、残っちまったやつだから、タダで良いってさ。おやじさん、今日のうちに食えば、たぶん当たらないからって言ってたぜ」
マヤはそう言って表情をくずし、ししっと声をだして笑いました。
ふしぎな笑い方は、少女のふしぎなクセなのでした。
カミュは調子をあわせるようにははっと笑い、ポットの中身をたしかめました。
「おいおい、それ大丈夫か。酒場のおやじさん、いいかげんだからなあ」
カミュはポットからニシンをひときれ指でつまみだし、鼻を鳴らしてにおいをたしかめてから、かじってみせました。
「うーん、まあ食えるだろう。タマネギがまだ残ってたよな。いっしょに食うと当たりづらいって話だ、和えてみたらちょうどいいな。たしか、ニンジンの酢漬けも残ってたな…」
カミュはそう言うと、壁につり下げた麻袋から赤いタマネギをとりだし、テーブルに敷いたぼろ布の上で、ナイフをつかってざくざくと刻みました。
ぼんやりしたようすで手際を見つめるマヤに気がつくと、カミュは服のそでで顔をごしごしとこすって見せました。
「タマネギってのは、この目に染みるのがな…おっと、イモを鍋からあげないとな。それ、ボウルにいれて、酢漬けと混ぜといてくれるか」
「うん。全部入れちまっていい?」
「ああ、食いきれないぶんは晩飯にしよう」
マヤは言われたとおりに戸棚からボウルを取りだし、ニシンとタマネギを木のスプーンでぐるぐるとかき混ぜながら、テーブルにお皿をならべておイモとスープを取り分け、慣れたようすで食事の準備をすすめるカミュのすがたを、感心した様子でながめていました。
「よし、あとはそいつに塩をふって仕上げだな。こっちに貸してくれ」
「うん。なあ兄貴」
「ん、なんだ?」
「おれたちさ、できることもできないこともいっしょだったじゃん。それが、いつのまにか料理なんてさ。兄貴、ずいぶん違っちゃったね」
マヤが冗談めかしてそう言うと、カミュは手をとめて、眉をひそめました。
「こんなの料理のうちに入らないって。だから買いに出てもらったんだろ?それに……まあ、オレはマヤより五年も長く生きちまったからな。きっと五年後には、オレなんかよりずっと、出来ることが増えてるだろうぜ」
「そうかな。そうだといいけどな。わりぃね、なんだかいろいろ頼っちまって」
マヤがそう言い終えると、ふたりの間にかたとき沈黙がながれましたが、兄妹はすぐに、そろってくすくすと笑いだしました。
「急になにを言い出すのかと思ったが。マヤ、お前なにかたくらんでやがるな。まあいい、冷めないうちにさっさと食おうぜ」
「おう、そうしよう。おいのり、するか?」
「ああ、しよう」
ふたりはそう言って湯気のたちのぼるテーブルにつくと、両手を合わせてうつむき、声を合わせてお祈りの言葉をとなえ、食事をはじめました。
「それにしても」
ゆでたおイモをフォークの背中でぐにぐにとつぶすマヤに、カミュは感心したように言いました。
「マヤが食前のお祈りとはなあ。ちょっと信じられないものを見た気分だ」
「へへ」
マヤはすこし照れたように、顔の前で手をぱたぱたさせました。
「兄貴が戻ってくるまで、神父さまのとこにいただろ?みんなお祈りしてんのに、おれだけしないってのも、決まり悪くてさ。マネしてお祈りすると、みんなほめてくれるし」
「はは。オレも同じだよ。いっしょに旅をした仲間にな、双子の……やっぱりお祈りを欠かさないのがいてさ。マネしてやってたら、どうもクセになっちまった」
カミュがそう言うと、マヤはおかしそうに、ししっと歯を見せました。
「なーんだ、おんなじか。まあ、悪いことじゃねえよな、きっと。兄貴もほめてもらえたか?」
「聞くな」
小さな声でそう言ってスープを口に運ぶカミュを見て、マヤはいじわるそうな笑みを浮かべて、もぐもぐとおイモを食べ始めました。
テーブルの上のお皿がほとんどからっぽになったころ、意味ありげな視線を何度もおくるマヤに、カミュは呆れたようすで切り出しました。
「なあ、もう良いだろ?いったいなんだってんだ、なにを隠してるんだ?」
それを聞かれるのを待ちかねていたとばかりに、マヤはしししっと目を細めて言いました。
「それがさあ。あっ、そうだ、すわったまま目をとじてくれよ。いいって言うまであけるなよ」
「はいはい」
カミュが言われたとおりに目をとじると、マヤはテーブルの下によけていたバスケットを取り上げ、ごそごそと底をあさりました。
イスから立ち上がってカミュのうしろにまわると、すこし背伸びをして、金属がふれあう音をさせながら、カミュのツンツン頭になにかをぽんと置きました。
「なんだ?今日はオレの誕生日だったのか?そいつは初耳だな」
カミュが目をとじたまま口元をゆるめてそうつぶやくと、マヤはいそいで席にもどり、もういいよ、と声をかけました。
カミュはゆっくりと頭の上におかれたものに手をのばし、顔のまえでたしかめると、すぐにぎょっとしたようすで、マヤの顔と手元に交互に目をやり、やがてしぼりだすようにうめき声をあげました。
「お前、これ……」
カミュは手の中のものをおそるおそるつまみあげると、形がよくわかるようにテーブルの上にそっと広げました。
宝石をはめこんだ円盤をいくつか組み合わせたかたちの、黄金色のにぶいかがやきを放つ首飾りは、ふたりにとって見覚えの深いものでした。
「へへ、よく見つけただろ?通りのがらくた屋にならんでたんだけど、おれもびっくりしちゃってさ。はまってる玉の色は違うけど、形はおなじだよな?」
「ああ……玉は緑色だが、見事なまでに同じだ。あの首飾り、よくある形のものだったのか?」
カミュは首飾りをもういちど取り上げると、はまった宝石や裏側をじっくりとたしかめ、やがておおきなため息をつきながら、マヤに向かって苦笑いをうかべました。
「マヤ、お前……よく買ってきたよな、これを。オレはもう、見たくもねえぞ、こんなもの」
「なーんだ、おもしろいかと思ったのにな。いがいと冗談が通じねえな、兄貴」
そう言っておおきな声で笑うマヤに、カミュはおおげさに肩をすくめてみせました。
「まあ、いちおう礼は言っておくか。ありがとよ」
「おう。なあ、ちょっとつけてみてくれよ」
カミュはすこしためらうような表情を見せましたが、すぐに呆れたようにふっと笑うと、首飾りを広げて、首元にあてました。
「わかった。なにか罪滅ぼしでもさせられてるような気分だな……この酒には毒が入っているかもしれない、飲めるか?ってよ。どうだ?似合うか?」
そう言ってむりやりにほほえんで見せるカミュに、マヤはうれしそうに手をたたいて見せました。
「にあうにあう。兄貴には緑色がにあう気がしてたんだ。あと、そういうちょっとハデなやつね。だいじにしてくれよ」
「こいつを目にしたくないのは、どっちかっていうとオレよりマヤのほうだと思ってたんだがな。お前、心が強いなあ」
カミュは渋い調子でそう口に出しましたが、マヤのたのしそうな姿を見て、悪い気はしていないようでした。
首のうしろに両手をまわして金具をとめると、カミュはなにかを思いついたように、にやりと笑いました。
「なにしろおなじ形だ、これにも呪いがかかっていたら面白いよな。なあマヤ、欲しいものはあるか?」
「欲しいもの?うーん、きゅうに言われても思い浮かばねえな。兄貴はなんかないの?」
「そうだな……」
カミュは口元に手を当ててすこし考えこむと、テーブルの上のスープが入っていた焼き物のポットを取り上げて、目の前におきました。
「今はなにか飲みたいな。ぶどう酒でもはちみつ酒でもなんでもいい。ポットの中を飲み物で満たすってのはどうだ」
カミュがそう言っておどけて見せると、マヤはおかしそうに、ししっと笑いました。
「いいね。できるかもしれないぞ。ちょっとやってみせてよ」
カミュはわざとらしくゴホンとせきばらいをすると、おごそかな調子でとなえました。
「うむ、神よ……ってのはまずいか。なんでもいいが、オレはのどが渇きました。これなる器に、なにか飲み物を授けたまえ」
カミュはそういってまじないをかけるようにポットの上に片手をかざし、渦をまくようにゆっくりと回しました。
儀式をおえるとカミュはポットをひょいっと取りあげ、人差し指の背中でかるく叩いてみました。
ポットは、中にはなにも入っていないよと答えるように、コンコンという音をひびかせました。
カミュの芝居にマヤは大きな声でけらけらと笑い、にっと目を細めてなーんだ、と言いました。
「あはは。できたらおもしろかったのにね。そしたらふたりで酒場でもさあ……あれ、それなんだ?首飾り、なんか光ってる」
「はは。やめろよ、その冗談は面白く……」
カミュがそう言いかけたところで、首飾りはちいさな部屋を覆い隠すようにまばゆい光を放ち、マヤはわっと悲鳴をあげながら腕で顔をおおって、椅子からくずれおちました。
「なっ、なんだよ……」
マヤはなにが起こったのかわからないまま、うめき声をあげてふらふらと立ち上がりました。
あわてて部屋を見まわすと、見慣れた屋根裏部屋のなかに、カミュの姿がたりないことにすぐに気が付き、悲鳴のような叫び声をあげました。
「兄貴、兄貴!」
マヤはいそいでカミュがすわっていたはずのイスに駆け寄って、がたんと引きましたが、カミュの姿はどこにも見当たりませんでした。
「ウソだろ……どっ、どうしよう、どうしよう……」
マヤはすっかり表情をうしなってその場にぺたんと座りこみ、ぼうぜんとしたままどうしよう、となんどもつぶやきました。
すぐに心に後悔とかなしみがどっと押しよせてきて、座りこんだまま両手で顔をおおうと、マヤはどこか自分のそばから、かぼそい声が聞こえてくることに気が付きました。
「マヤ……マヤ……」
マヤは、はっと立ち上がり、きょろきょろとあたりを見まわしましたが、からっぽの部屋にかわった様子はありませんでした。
「兄貴……?」
「マヤ……おい、マヤ……」
マヤはカミュのものらしい声が足元から聞こえることに気がいて、がばっとその場に伏せると、テーブルの下でなにか動くものがあることに気が付きました。
「マヤ……なんだ、なにが起こったんだ……」
「兄貴……えっ……これか?」
マヤがあたりをさがすと、ちいさなテーブルの下で、ふたつの足で立ち上がったネズミのようなちいさな生き物と目が合いました。
「うそだろ……」
「うそだろ……」
不意に声が重なり合い、ひとりといっぴきはしばらくのあいだそのまま見つめ合っていましたが、マヤが両手をそっとさしだすと、ネズミは四つ足でちょこちょことその手にのりました。
「兄貴……なの……?」
「ああ……オレ、なにが起こったんだ?」
「わかんない……ネズミ……?なんで……?」
ネズミは手の上でたちあがり、自分のすがたをたしかめるように体のあちこちを動かすと、カミュがいつもするのと同じような、肩をすくめるようなしぐさを見せました。
「うーん……なにがなんだかわからんが……なあ、鏡を見せてくれるか」
「あ、ああ」
マヤは手の上にネズミを乗せたままゆっくりと立ち上がって、ベッドに腰をおろすと、ちいさな机にネズミをおろし、ふるびたコンパクトのふたを開きました。
ネズミは鏡のまえで、ドレスを身に着けた婦人がするようなしぐさで自分のすがたをたしかめると、首元にちいさな首飾りがかかっていることに気が付いて、ううむ、とうめき声をあげました。
「なるほど……こりゃハリネズミだな」
「ハリネズミ?おれ、はじめて見たな。あ、ほんとだ。背中、ちくちくしてる」
マヤはネズミの背中をおそるおそるなでると、感心したようにそう言いました。
「まあ、そんなことはどうだっていいんだよ。これ、外せるか?」
「ちょっとまってね……いてっ、トゲの山のなかだからむずかしいな……」
マヤは指先でハリネズミの首元にかかる首飾りをなんども引っ張ってみましたが、どうやらかんたんにははずれそうもありませんでした。
「とれないや……無理にひっぱると、ハリネズミをダメにしちゃいそう。これ、ハサミとかで切れないかな?」
「難しそうな気がするな……呪いだろ、これ?お前のときも、首飾りを壊せばと思ったんだが、どうやってもダメだったんだ」
「そっかあ……」
そう言って、泣き出しそうな顔で肩を落とすマヤを見て、カミュは明るい調子をつくって声をかけました。
「まあ、オレはこうして動いてしゃべれるんだ。なんとかなるだろ、きっと」
ふたつの足で立ち上がって自分をはげまそうとするハリネズミに、マヤはうつむいたまま、ごめんね、とつぶやき、ちいさな背中をそっとなでました。
「背中のトゲをさわって、痛くないか?」
「うん、なでるだけならだいじょうぶ……なあ、兄貴、おれ、どうしたらいい?」
「そうだな……」
ハリネズミはちいさな手を器用に顔にあてて、しばらく考えこむと、とりあえず、と答えました。
「首飾り、がらくた屋で買ったって言ってたよな?作ったヤツがわかれば、呪いの解き方もわかるかもな」
「うん、そうだね……」
暗い顔をしたまま、元気なくそう答えるマヤに、ハリネズミはもういちど明るく声をかけました。
「そんな顔すんなって。ほら、どうやらオレは死ぬわけじゃなさそうだし、頼れるのはお前だけなんだ」
「うん」
マヤはそうつぶやくと、じぶんの顔を両手でかるく叩き、むりやりに笑顔をつくって見せました。
「そうだよな。よし、おれに任せとけ。なんとかする。なんとかするから」
「ああ、頼むぜ」
ハリネズミがそう言って立ち上がり、片手を高くあげると、マヤはくすっと笑って人差し指の先でかるくタッチを交わしました。
「よし、とにかく行ってみるか。えーと……兄貴、おれの肩に乗れるか?」
そう言って手のひらを差しだすと、ハリネズミはちょこちょこと上に乗りこみました。
マヤがゆっくりと腕をあげて、左肩のあたりに持っていくと、ハリネズミはマフラーにしがみつきながら、器用に向きを変えて、マヤと同じほうを向きました。
「こんな感じか。しがみつくと、ツメが痛くないか?」、
「服の上ならだいじょうぶみたい。ツメはだいじょうぶだけど、ハリを立てないでくれよな。顔の横だからね」
「ああ、気を付けるよ。じゃあ、行こうぜ」
ふたりは家をでて、迷路のような裏通りをぬけて、にぎやかな大通りに出ました。
てっぺんをすこしすぎたお日様は、石造りの港町にもうすこしだけ夏をのこしてくれるようでした。
「なあ、兄貴。みんなこっち見てるね。肩乗りハリネズミ、めずらしいもんね」
「ああ、どっちを向いてもだれかと目が合うな。なんだか妙な気分だ」
「おれも」
いくらか元気をとりもどし、歩きながらそう話しかけるマヤに、肩のハリネズミはすこし安心しているように見えました。
「目立っているから、オレはしゃべらないほうが良さそうだな。人目のあるところではだまってるよ」
「そうだね、それがいいかも……お、おっちゃん、まだ店開けてるな」
棒切れで組んだかんたんなテーブルに、おナベや食器から装飾品をごちゃごちゃと並べた屋台に、マヤはとことこと駆け寄り、店の主に元気よくあいさつをしました。
「よお、おっちゃん」
「なんだ、嬢ちゃん。また来たのか。さっきの首飾り、人にやったんだろ?気に入ってもらえたか?」
茶色のヒゲを顔じゅうに生やした男は、愛想よくそういうと、人懐こい顔でにかっと笑いました。
「へへ、まあね。そんでさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「お、なんだ?その肩のヤツは?なんて生き物だ?」
店主の男がマヤの言葉をさえぎるようにそう言うと、マヤはすこしうろたえて、つっかえながら答えました。
「あ、ああ……えっと、ね、ハリネズミって言うんだって。ほら、背中にハリがあるでしょ」
「へえ、ネズミにはそんなヤツもいるのか。はじめて見たぞ。ちょっと触ってもいいか?」
「う、うん」
店主の男が、毛深い腕をのばしてそっと背中をなでると、ハリネズミは肩の上でくるんと丸まって、ハリを立てました。
男はおおっ、と大げさな歓声をあげると、指先でちくちくとハリの鋭さをたしかめ、満足したように笑いました。
「面白いなあ。そのペット、きっと流行るぜ。そのハリネズミ、なんて名前なんだ?」
「えっとね、カミ……じゃない、えーと……エ、エリック。エリックっていうんだ」
「エリック、いい名前だなあ。お、そうだ。ネズミの仲間ってことは」
男はなにかを思いついたようにテーブルの下をごそごそと探ると、ちいさな革袋をとりだして、中からナッツを何粒かとりだしました。
「きっとナッツが好きだろ?食わせてもいいか?」
「えーと……た、たぶん。食べるか?エリック」
指でつまんで目の前に差しだしたナッツを、ハリネズミが両手でうけとってカリカリとかじると、男は顔をくしゃくしゃにして喜びました。
「かわいいなあ、おい。そのハリネズミ、俺も欲しいな。嬢ちゃん、どこで捕まえたんだ?」
「へへ……えっと……えっとね、ちょっと人から預かってる……そう、預かってるだけでさ、おれも知らないんだ」
マヤが答えると、男は腕組みをしながら心底ざんねんそうに、そうかあ、とうなりました。
「残念だな……なあ、こんど聞いといてくれよ。で、嬢ちゃん、なんか用があったんだろ?」
「あっ、そう、そうなんだよ。さっきの首飾りさ」
「金なら返さないぞ?嬢ちゃん、いくらで買ったと思ってんだ」
男がさえぎるようにそう言うと、マヤはえへへ、と笑顔を作って胸の前で手をふりました。
「そうじゃなくてさ。えっと……人にやったんだけど、自分のやつもほしくなってさ。おなじやつがいいんだ。おっちゃん、どこで買ったのか教えてくれない?」
マヤが両手をあわせてねだるようにそうたずねると、男は腕組みをしたまま答えました。
「ああ、それがなあ。なにしろがらくた屋だからよ。みんな一山いくらで仕入れたものばっかりなんだよ。捨てるならまとめて買うよってな。だから、俺ももう覚えてねえんだ」
「そっか……」
返事をきいてがっかりするマヤを見て、男はもうしわけなさそうに続けました。
「すまん、誓ってウソは言ってないぞ。もしよ、似たようなの見つけたら取っておいてやるからさ。そんな落ち込むなって」
「うん。おっちゃん、ありがと。じゃあ、またね」
「ああ、またな、嬢ちゃん。おっと、ハリネズミのこと、聞いといてくれよな」
力なく手をふってきびすをかえすマヤを、男は心配そうに見つめていました。
とぼとぼとした足取りで屋根裏に帰りついたマヤは、かるくため息をつきながら、ベッドに腰かけました。
肩のハリネズミを手のひらにのせて見つめると、ハリネズミは立ち上がり、かるい調子でマヤに話しかけました。
「どうだ、俺のハリネズミの真似、上手かっただろ?」
「へへ……完璧だったぜ、兄貴。ハリネズミって、ナッツをたべるんだな」
「そうみたいだ。なにが食えてなにが食えないのか、自分で知らないってのも変な話だな」
ハリネズミの言葉にマヤはなにも答えず、ちくちくする背中をだまってなでました。
ながい沈黙のあと、マヤがごめんね、とちいさな声でつぶやくと、ハリネズミは言いづらそうに口を開きました。
「なあ。俺、なにかアテがないか考えてみたんだが……」
「うん」
「呪いってのは、きっと魔法の一種だろ?仲間によ、賢者……魔法に詳しいのがいるんだ。そいつなら、なにかわかるんじゃないかと思ってな」
「うん」
表情のないまま相槌をうつマヤをみて、カミュが困ったようすで黙り込むと、マヤはハリネズミの鼻先をつんつんとつつきました。
「どうしたの?」
「ああ、いや……」
マヤはふたたび黙ってしまったハリネズミをじっと見つめて、まじめな顔で口を開きました。
「なあ、兄貴。おれ、なんだってするよ。できることなんか、たいしてないけどさ……おれに頼るのはイヤか?」
ハリネズミはすこし考えこんだあとに、自分を見つめるおおきな目に向かって、はっきりした口調でこたえました。
「いや……すまなかった。セーニャってヤツなんだ。山の上のラムダってとこで暮らしてるんだが……行ってくれるか?」
「あたりまえだろ」
マヤはにかっと歯を見せて、きっぱりとそう答えました。
「行こう。おれ、旅なんか出たことないからさ。どうしたらいいのか、おしえてくれ」
マヤはカミュに言われるとおりに家のなかから旅の道具をかきあつめ、片手でかかえられるほどの袋に詰め込みました。
ふだん使っている、あちこち穴のあいた毛布に金具を縫いつけ、マントの代わりに身にまとって、テーブルの上のハリネズミにくるりと回ってみせました。
「あはは。ボロだからカッコわるいね。これでだいじょうぶそうか?」
「ああ。俺のコートはマヤには大きいからな。毛布のほうが使いやすいはずだ。水筒も持ったか?」
マヤがマントをあげて、ベルトに下げた皮の水筒を見せると、ハリネズミはちいさくうなずきました。
「せいぜい二日の道行きだからな。水と食い物があれば、なんとかなるよ。荷物、重くないか?もっと減らしてもいいぞ」
「だいじょうぶ。ほとんど食いものだから、重たきゃ食っちゃえばいいよな。あ、兄貴のナイフ、借りてもいいか?」
「ああ、ベッドの下の箱の中だ」
マヤはカミュのベッドの下からちいさな箱を引きだすと、がちゃがちゃとあさって大きさのちがう二本のナイフを取りだし、鞘から抜いてテーブルにならべました。
どちらのナイフもきれいに手入れがされていましたが、柄に巻かれたぼろ布はすっかりよごれていて、鞘もあちこち傷だらけでした。
「こんなボロを使わなくても、マヤには自分のがあるだろ?」
ハリネズミがそう言うと、マヤはししっと笑って、小さいほうを手にとりました。
「こっちのがいいかな。まあ、かたいこと言うなって。兄貴のナイフは長い旅からぶじに帰ってきたんだ、エンギがよさそうじゃんか」
「はは。そういうことか。まあ、好きなようにしてくれ。さあ、日が高いうちに出発しよう」
「おう」
マヤはハリネズミに手をさしだして左肩にそっと乗せ、右肩に荷袋をかつぐと、いきおいよくドアをあけて、軽やかに階段を駆け下りました。
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マヤとセーニャのものがたり 2
ゆるやかな山肌にはさまれてうねるように伸びる山道では、背のひくい草花たちがゆったりと体を揺らしながら、気持ちよさそうに陽の光を浴びていました。
うすい色をした空に堂々と浮かぶ大樹のおかげなのか、あたりには雪の名残りさえ見当たらず、ふもとに広がる雪原を忘れさせるかのようでした。
のどかな景色のなか、マヤはかるく息をはずませながら、山頂にむかって軽やかに歩みをすすめていました。
「マヤ、まだ昼にもなってないんだ。もっとゆっくりでいいぞ。山は息があがりやすいんだ、無理をするなよ」
心配そうにそう言った肩の上のハリネズミに、マヤは機嫌よく答えました。
「おう。でもだいじょうぶ。なんか楽しくてさ。天気がいいからかな」
「それならいいが。お前、体を動かすの好きだったんだな……待った、ちょっと止まってくれ」
マヤが言われたとおりに立ち止まると、ハリネズミは鼻をひくひくさせながら遠くをじっと見据えて、うーん、とうなりました。
「どうしたの兄貴。なにか見つけたか?」
「さっきから何度も魔物の気配がするんだが……どういうわけか逃げていくんだよな。不思議だ」
「そうなんだ。まあ、逃げていくならいいんじゃないの?」
「まあ、そういうことにしておくか。念のため、気をつけておく」
「たのむぜ。おれにはそういうの、全然わかんねえから」
マヤはハリネズミを指でかるくつつくと、腰のベルトからはずした皮の水筒に口をつけて何度かのどを鳴らし、ふうと大きくため息をついて、ふたたび歩きはじめました。
「でもさ、外を旅するひとたちって、魔物にであったらどうしてんの?」
「普通は隠れるか逃げるかだな。見境なく襲ってくるわけじゃねえから、気を付けていればそうそう危ない目には合わねえな」
「へえ。野犬とかクマなんかとおんなじようなもんか。それにしても」
マヤは片手でひさしを作り、空にうかぶ大樹ととおくの山々をまぶしそうにながめました。
「けっこう登ってきたけど、なんにも見えてこないぞ。まだ先なのか?こんな山の上に、ほんとに人なんか住んでるのか?」
「この調子なら、日が昇りきるころには着くと思う。オレも初めて行った時には驚いたな。マヤにはつまらない場所かもしれないが」
「ふーん。なんとなく想像はつくな。きっとボロボロの服を着たやつらが、おいのりしながらヘンな修行とかやってんだろ?」
「はは。まあ、着いてのお楽しみってヤツだ」
「なんだよくそ兄貴、もったいぶりやがって」
そう言ってマヤがハリネズミの鼻を指で軽くはじくと、かわいそうなハリネズミは甲高い声で悲鳴をあげ、マヤはけらけらと笑いました。
空のてっぺんにたどりついたお日さまがほんのすこし傾いたころ、山道の向こう側がすっとひらけて、連なる山のいただきのひとつと、雪をかぶったかのように真っ白ななにかが顔を出しました。
マヤがじっと目をこらすと、白いものはどうやら雪ではなく、石でできた屋根や長い階段であるようでした。
「あれか?」
「ああ、あれだ。おい、走るなよ」
ようやく山道のおわりにたどりついたマヤが、すこし足早に階段を上りきると、そこには石の柱にかこまれたまるい広場をとりまくかたちで、建物がすり鉢のように広がっていました。
広場の正面では、人の姿をしたおおきな石像が、里を抱くかのようにやさしく両手をひろげていました。
「すげえな。こんな山のうえに、いったいどうやってこんなもの作ったんだ?」
「ああ。おまけになんだかずいぶん古い時代からあるらしいぜ。なんにしても、おつかれさん。マヤ、よくがんばってくれた」
「へへ。ここで、セーニャって人をさがせばいいんだな……あっ兄貴、ちょっとだまってて」
里の者らしい、白にうすい紫をあしらった服をまとった人間と目があったので、マヤはハリネズミにそう注意して身構え、ふうと息を吐いて、すこしはずんだ呼吸を整えました。
口元にひげを生やしたすこし腰のまがった男性は、杖をつきながらゆっくりと歩みより、にっこりと目を細めてマヤに話しかけました。
「やあ、こんな山の深くまで、よくぞいらした。ご苦労様です。巡礼の方ですかな……」
老人は目をほそめたまま、マヤの背格好をよくたしかめると、ふたたびマヤと目を合わせてつづけました。
「ずいぶんとお若いようじゃが、おひとりで来なすったのかね?」
「え、えーと。おじいちゃん、こんにちは。えっとね……兄貴といっしょなんだ。ちょっと、ここの人に用があって」
「それはそれは。近ごろは、外の方が増えておりましてな。里はこんな有様じゃが、なにぶん里には若い人手が足りませんでな……」
老人はそう言いながら、しずかに首をふって、あたりを見まわしました。
マヤも真似をしてあたりを見まわすと、まるでシーツにインクをこぼしたように里のあちこちに黒い岩がころがり、そばの建物が崩れてしまっていることに気が付きました。
「うわあ……どこもおんなじだね。おれ、ふもとのクレイモランてとこから来たんだけど、おれたちの町も似たようなもんだよ。兄貴も、あちこち直すの手伝ってんだ」
「さようで……まったく、痛ましい出来事でしたなあ。わしは息子夫婦を亡くしましてな。恨んだところで仕方がないが、どうして生き残ったのが息子でなくわしだったのかと思うと、やりきれませんでな……」
そう言ってしょげる老人の肩を、マヤが見かねてぽんぽんと叩き、じっと手を当てると、老人は片手で目頭をおさえ、やがて顔をあげました。
「つまらん話を聞かせてしまって、すまんかった。お若いの、ちょうどいま、里では昼の炊き出しをやっておりましてな。ほらあそこ、女神さまのお膝元じゃ。よければ食べていかれよ」
「うん、行ってみるよ、ありがとう。おじいちゃん、元気出してね」
老人が力なく手をふってマヤに背をむけると、肩のハリネズミは感心したように口を開きました。
「マヤ、お前……」
なにかを言いかけたハリネズミを片手でおおって口をふさがせると、マヤはすこし照れたようすでつぶやきました。
「だまってろって言っただろ。炊き出しか、そういや腹がへってるな。ごちそうになるか」
マヤが里の奥へすすむと、女神像のあしもと、おおきな神殿らしき建物へとつづく階段に、おおぜいの人が座りこんでいるのが見えました。
さきほどの老人とおなじ、白い衣装をみにつけた者たちにまじって、ぼろぼろのマントをはおった者、里の雰囲気ににあわない屈強そうな男たちも目にとまりましたが、みな一様に湯気のたちのぼる木のスープ皿をかかえて、食事を楽しんでいるようでした。
神殿のまえでは、もくもくと煙をあげるストーブにかけた大鍋をかきまぜ、前にならぶ者たちにとりわける数人の女性たちのすがたが見えました。
マヤはおそるおそる鍋に近づくと、いちばん背の高い、緑のヘアバンドで髪をとめた金髪の女性におずおずと声をかけました。
「あの、こんにちは。これ、おれにも食べさせてもらえますか」
女はまっすぐにマヤの目を見つめて、にこっとほほえみました。
「もちろんです。ソバの実を煮たものですが、食べられますか?ときどき、苦手な方がおられますので」
「う、うん。だいじょうぶ、よく食べてるから」
マヤがそう答えると、女はおおきな鍋の底をかきまぜてお皿によそって、木のスプーンを刺しこむと、両手をそろえてマヤに手渡しました。
「熱いのですので、どうかお気をつけください……あら、はじめてお目にかかりますか?」
「あ、ありがと。そう、おれ、さっき着いたばっかりなんだ」
「まあ。こんな山の奥まで、大変でしたね。ようこそおいでくださいました」
女は祈るように両手を合わせ、かるく頭を下げましたが、マヤは慣れない物腰にすっかりたじろいでしまったようでした。
マヤは逃げ出すようにその場を立ち去ろうとしましたが、肩のハリネズミがなにか言いたげに背中のハリを首元に押しつけてくることに気がついて、すこしこわばった表情で女に向きなおりました。
「あ、あの。おれ、セーニャって人を探してるんだけど。お姉ちゃん、知らな……知りませんか」
「まあ。セーニャは私ですが……?」
「えっ。そ、そうなの」
ふしぎそうな顔で自分を見つめるセーニャの前で、不意をつかれたマヤはすっかり固まってしまいましたが、なんとか言葉をしぼりだしました。
「えーと……えっと。兄貴……兄貴のことで、ここまで来たんだけど……お姉ちゃん、カミュって人を知ってますか」
「ええ、よく存じていますわ。カミュさまがいったい……あっ」
セーニャはとつぜんなにかに気が付いたように声をあげると、目を丸くして続けました。
「もしかして、妹さまですか?カミュさまの?」
「えっ……そ、そうだけど。どうして知ってるの?」
セーニャは腰をかがめてマヤの顔をじっとのぞきこむと、うれしそうに目を細めました。
「旅のあいだ、妹さまのことをよく話されていましたので……目元がよく似ていらっしゃいますわ。髪の色と、瞳の色も同じなんですね」
「そ、そうなんだ。それでえっと……兄貴のことなんだけど、ヘンな話なんだけど……」
「すこし、お待ちくださいね」
セーニャは話しづらそうにするマヤの言葉をさえぎって、大鍋のそばの女たちになにか声をかけると、自分のぶんの食事をお皿によそって、マヤの隣に歩みよりました。
「いっしょに食べながらお話ししましょう。どうぞこちらへ」
ふたりは神殿のわきの、りっぱな石柱が立ち並ぶ石台に、そっと並んで腰をおろしました。
すこし木陰にはいった石台はじんわりとあたたかく、目の前にひろがる石の水路にかこまれたちいさな草地では、にわとりたちがせわしなく何かをついばんでいました。
「お食事、冷めないうちに召し上がってください」
「うん。あっ、これずいぶん甘いね。うまい」
「ええ、甘めに煮てあるんですよ。甘いものは、元気が出ますからね。足りなかったら、まだありますから」
お皿を顔にちかづけて、そばがゆをもぐもぐと食べだしたマヤを見て、セーニャはすこし安心したように、自分もスプーンを口に運ながら、ゆっくりと切り出しました。
「こんな山の奥まで、おひとりで……はないですよね?カミュさまもご一緒ですか?」
「う、うん。たぶんそうかな、いちおう……でも兄貴、おれのこと他人に話してたんだね」
「それはもう。はじめのうちは話しづらそうでしたが」
セーニャは顔をあげ、とおい出来事を懐かしむように話しました。
「呪いが理由だったのですね。ある日、無事に助けることができたと打ち明けてくださって。それ以来は、よくお話をされていました。たいへん大切にされていることが、よくわかりましたよ」
「そ、そっか……」
「旅を終えたらしたいことなどを、うれしそうに話されていました。カミュさまご自身も、ずいぶん明るくなられたようで……お名前もよく口にされていましたわ、たしか、マヤさま?」
「そ、そう。合ってる」
セーニャはすっかりうつむいて耳を赤く染めるマヤの肩で、見慣れない生き物がくるんとまるくなっていることに気が付いて、興味深そうにたずねました。
「その、肩に乗せていらっしゃるのは生き物ですか?」
「うん。これ、ハリネズミっていうんだ。さわってみる?」
マヤが肩のハリネズミを指でつついて片手を差し出すと、ハリネズミはもぞもぞと手の上に乗り込みました。
セーニャがお皿をわきに置いて手をさしだすと、マヤはハリネズミをそっと乗せました。
ハリネズミはセーニャの手の上で、所在なさげに鼻をひくひくさせました。
「まあ、なんと愛らしい……それに、ずいぶん人に慣れていますね」
セーニャはハリネズミの背中をおそるおそるなでてから、指先でハリのするどさをたしかめました。
「ふふ。ハリの生えたネズミだから、ハリネズミなんですね。世界には、このような面白い生き物がいたのですね」
「ね。おれも、ぜんぜん知らなかった……あっ、顔はあぶないよ」
セーニャはハリネズミを口づけをするように鼻先に近付けると、なんどか鼻を鳴らして、においをたしかめているようでした。
「や、やめてくれ……」
ハリネズミが弱々しい声でうめくと、セーニャはなにかに気が付いたようにあたりをきょろきょろと見まわしました。
「におい……ハリネズミ、なんのにおいだった?」
マヤがふしぎそうにたずねると、セーニャは照れたように眉をひそめました。
「はしたない姿をお見せしてしまって……そうですね、ネズミのにおいはわかりませんが、生き物にはみな、独特のにおいがありますね。それと、汗のにおい。マヤさまのものでしょうか?」
「あはは。きのうは野宿だったし、おれ、たぶんクサいかも。山登りでずいぶん汗かいたし」
「ふふ。よろしければ、後ほどお湯をご用意します……ところで、いまカミュさまのお声がしませんでしたか?」
そういってあたりを見まわすセーニャを見ると、マヤはいじわるそうな笑顔を浮かべて、ハリネズミを指でつんつんとつつきました。
「こ、ここだ。セーニャ、ここだよ」
「カミュさま……?」
「ここだよ、ここ。お前の手の上だよ」
セーニャが手のひらの上のハリネズミと目を合わせると、ハリネズミはふたつの足で立ち上がって、片手を振ってみせました。
「よお、セーニャ。久しぶりだな」
ハリネズミがそう呼びかけると、セーニャは里じゅうに響きわたるような、大きな声をあげました。
「そうですか……お話はわかりました」
兄妹からだいたいの事情を聞かされて、セーニャはハリネズミをまじまじと見つめながら、そう言いました。
「そういうわけなんだ。お姉ちゃん、頼っちゃってわるいけど、なんとかできる?」「はい。上手くいくかは試してみないとわかりませんが、呪いを解く方法なら、私にもできるものがありますわ」
セーニャがそう伝えると、マヤはおおきなため息をついて、すっかり安心した顔でセーニャを見つめました。
「よかったあ……おれ、どうしようとおもって。自分のせいだけど、ずっと不安でさ」
「悪いなセーニャ、助かるよ」
「いいえ、頼っていただけてうれしいですわ。私にできることは、多くありませんので……ですが」
セーニャがハリネズミを乗せた手のひらを、自分の肩のあたりまで持ち上げると、ハリネズミはちょこちょこと肩に乗ってみせました。
セーニャはすこし首をかしげ、ハリネズミに向かってほほえむと、マヤに言いました。
「私、子供のころ好きだった本があるんです。物語の本なのですが」
「本?どんなおはなし?」
「ええ。ある冒険家が、肩に乗せた言葉を話す鳥と旅をするお話です。私、ずっとそのお話にあこがれていて」
「え……」
マヤはこまったような表情を浮かべましたが、セーニャは楽しそうに続けました。
「私の夢だったんですよ。お話のできる生き物を肩に乗せて……マヤさま、よろしければ、呪いはこのままにして、カミュさまを私にいただけませんか?代わりに、里でいっしょに暮らしましょう」
「い、いやだ……お姉ちゃん、兄貴をとらないで……」
マヤはすっかり凍り付いてしまい、いまにも泣き出しそうな顔のまま、なにも言葉が出なくなってしまいました。
ハリネズミは見かねたようすで、哀願するようにセーニャに声をかけました。
「お、おいセーニャ。冗談だろ?頼む、マヤをいじめるのはやめてくれ」
セーニャはハリネズミに腕を差しだし、手のひらの上にもどして見つめると、おかしそうにくすくすと笑いました。
「ええ、冗談ですわ。笑ってくださると思ったのですが……すみません、怖がらせてしまいましたね。下手な冗談でした」
「セーニャがその手の冗談を言うとは思わなかったな……なあ、マヤ……マヤ?」
顔をこわばらせたまま、おびえて立ちすくむマヤの肩に、セーニャはハリネズミをそっと戻し、ひざをついて顔を合わせました。
「ごめんなさい。意地のわるいことを言いました。お兄さまの呪い、私がなんとかしますから」
「う、うん……」
かぼそい声でそう答えるマヤを、セーニャはそっと抱きしめて、ぽんぽんと背中を叩きました。
「ごめんなさい。どうか、お許しください」
「うん。も、もういいよ……おれ、気にしてないから」
マヤも両腕をあげてセーニャの背中に手をまわし、かるく抱きしめると、セーニャはゆっくりと立ち上がり、そっと片手をとりました。
「では、私の部屋へまいりましょうか」
セーニャは広場のそばにあるじぶんの家にマヤを招き入れると、手を引いて階段をのぼって部屋に入り、ふたつ並んだベッドのかたほうに、マヤを座らせました。
ベッドの頭側の窓から日のさしこむ部屋は、左右にチェストや本棚がおなじようにならんでいましたが、マヤの座った側だけ、すこし不自然なほどに片付いていました。
「そちらのベッドは、主が旅に出ていますので、里にいるあいだはどうぞ自由にお使いくださいね。それでは、私は必要なものを集めてまいります。すぐに戻りますので」
セーニャがそう言いのこして部屋を出ると、マヤはベッドの枕元にハリネズミをそっとおろして、大きく息をつきながら、ごろんと横になりました。
「はあ。なんだか、どっと疲れた……」
「なにしろ二日のあいだ、歩き通しだったからな。マヤ、体力あるよなあ」
「ガキの頃からあんだけこき使われてりゃ、ただ歩くくらい、どうってことないよ。それにしてもさ、兄貴が山の上に住んでる賢者なんて言うから、おれはしわしわのおじいちゃんかと思ってたのに」
マヤはそう言ってにやりと笑い、ハリネズミを指でつっつきました。
「まさか、きれいなお姉ちゃんとはね。兄貴がだまってた理由がわかったぜ」
「まあな。きっとそういう事を言うだろうと思って、言わなかったんだよ」
「そういうことにしといてやるよ、くそ兄貴。でもさ、せっかくの金髪なのに、なんだってあんなに短くしてるんだ?」
ハリネズミはうーん、とうなり、すこし考えこんでから、すこし言いづらそうに口を開きました。
「ちょっとな……事情があるんだ。触れないでやってくれるか」
「ふーん。どうしよっかな。おれも、いじわるされたからな」
「おい、マヤ……」
「あはは。冗談だよ、冗談」
兄妹が他愛もない話をしていると、やがて部屋の外からセーニャがなにかを呼びかける声が聞こえました。
「すみません、手がふさがっていますので、扉を開けていただけますか」
マヤが小走りにドアに駆けより、いそいで扉を開けると、セーニャは両手で抱えた木箱を、部屋のテーブルの上にそっと置きました。
「マヤさま、ありがとうございます。必要なものを集めてまいりましたので、準備を手伝っていただけますか?」
「うん。おれ、なにをすればいい?」
セーニャはテーブルに広げた布の上に、持ってきた本を見ながら、丸いかたちに並んだふしぎな模様を羽根ペンで書き写し、塩を指でつまんでぱらぱらと振りかけました。
油で満たした銀色のちいさなお皿を模様のまわりに三つならべ、ひたした灯心に指先でぽっと火をともすと、マヤはおおっと歓声をあげました。
「すごい。いまのって、魔法?おれ、はじめて見た」
「はい。あとは……マヤさま、すみませんが、すこしだけ髪をいただいても?
」
「いいけど、髪の毛?なんで?」
「髪には強い力が宿っているんです。おふたりは兄妹ですから、そういった意味でも」
「わかった。ねえお姉ちゃん、みつあみを結える?これ、ほどくと自分でやるの大変なんだ」
「ええ、できますよ。マヤさまの三つ編みは、いつもカミュさまが結われていたのですね」
セーニャがそう言ってマヤの肩に乗ったハリネズミにほほえみかけると、ハリネズミはくるんと丸まって顔を隠しました。
「へへ。都合がわるいとすぐそれだ。便利だなハリネズミ」
マヤが赤いリボンをとって三つ編みをほどき、髪をおろすと、セーニャは立ち上がってうしろにまわり、すこしだけ指でつまんで、ナイフで切りとりました。
「ありがとうございます。後ほど、とかしてさしあげますわ。では、カミュさまを模様の真ん中へ」
マヤがハリネズミを肩からおろすと、セーニャは切り取った髪を、ハリネズミの首のあたりにくるくると結びつけました。
「これで、準備ができました。それでは……私が言葉をとなえますので、マヤさまもいっしょに祈っていただけますか?」
「えーと。おれ、なにを祈ったらいい?」
「普段のお祈りと同じで良いですよ。カミュさまのご無事を、祈ってさしあげてください」
「うん、わかった。兄貴もじぶんで祈っとけよ」
「ああ。オレには祈ることしかできないが、頼むぜ」
「それでは、始めましょう」
セーニャが胸のまえで両手を組み、目をとじてぶつぶつと祈りの言葉を唱えはじめると、マヤもおなじように両手を組んで、じっとハリネズミを見つめ、祈りました。
部屋にセーニャの声がしずかに響きはじめてから、なにも起こらないまま、しばらくの時が流れました。
マヤの心に不安が満ちてきたころ、銀の小皿にともした小さな炎が、突然おおきくゆらめきはじめました。
炎に釣られるかのように、布に描かれた模様もちかちかと光をはなち、やがてハリネズミはあわい光に包まれました。
かがやきはどんどんと増していき、マヤがたまらず目をとじると、ぽん、という小さな音が耳を打ちました。
音におどろいたマヤとセーニャがゆっくりと目をひらくと、ともしびの消えた小皿にかこまれて、ハリネズミがきょとんとしていました。
「あ、あれ……ダメだった……?」
「まあ……すみません、どこか間違えてしまったのでしょうか……」
「うーん、オレにはなにもわからんが……すまん、確かめてみてもらえるか」
セーニャは本と布の模様をなんどもたしかめ、祈りの言葉を声にだして読みあげると、うーん、と首をかしげました。
「とくに間違いはなかったはずなのですが……もう一度、試してみましょうか」
セーニャはそう言って、小皿に火をともすと、目をとじて両手を組み、祈りの言葉を唱えました。
しばらくのあいだなにも起こりませんでしたが、炎がふたたび大きくゆらめくと、模様がまたちかちかとまたたきはじめ、ハリネズミが光に包まれました。
二人が目をとじると、先ほどより大きな、なにかが破裂するような音が響きました。
セーニャが目をひらいてそっとたしかめると、こんどはハリネズミをかこむ模様が、きれいに消え去ってしまっていました。
「変ですね……私、何度か里に来られた方の呪いを解いてさしあげた事があるのですが、こんなことは初めてですわ。この方法では及ばない、強い呪いということでしょうか……すみません……」
「お姉ちゃんは悪くないよ。でも、どうしようか……」
「他のアテ、オレにはちょっと思いあたらねえな。ううむ……」
二人と一匹は、すっかり肩を落とし、うつむいたままだまりこんでしまいました。
「ひとつ、思いついたことがあるのですが」
すっかりおもたい空気につつまれてしまった部屋で、セーニャが沈黙をやぶってぽつりとつぶやきました。
「呪いとは、魔法の種類のひとつですよね?」
「おれにはわかんないけど、兄貴もおんなじこといってたな、たしか」
「ああ。オレには、どっちも同じようなものに見えたんだ。炎を出すのも、傷を癒すのも、魔法ってことでは同じだろ?」
ハリネズミの言葉に、セーニャはええ、とうなずきました。
「もしかして、ですが……強い魔力をお持ちで、呪いをあやつる方なら、呪いを解く方法にも明るいかもしれませんね?」
「たしかに、ワナや仕掛けだったらそういう理屈になるな。だが、強い魔力と呪い……ああ、そうか」
「ええ。力を貸していただけるかは、おたずねしてみないとわかりませんが」
「呪いをあやつる?兄貴とお姉ちゃん、そんな危なそうなひとと、いっしょに旅をしてたの?」
マヤが心配そうにそう言うと、セーニャはほほえみを浮かべて答えました。
「いえ、ご一緒したわけではないですわ。なんと言いますか、ご縁がありまして。魔女と呼ばれる方です」
「魔女?魔女ってほんとにいたんだ……」
「ああ。しかも、オレたちが住んでるクレイモランで城暮らしをしてんだ」
「えー……クレイモランって、そんなヤバい国だったの?」
不安そうなマヤを横目に、セーニャとハリネズミは目を合わせて笑いました。
「なんて言うんだろうな。悪い魔女だったんだが、いまは良い魔女?になったんだ。」
「ええ。王女さまとお力をあわせて、国を治めるお手伝いをされているんですよ」
「そうなんだ。なんか不安だけど……ほかにアテもないもんな。じゃあ兄貴、クレイモランにもどるか」
「ああ、そうしよう。セーニャ、世話になったな。助かったぜ」
「いいえ、お礼にはまだはやいですわ。私もご一緒します」
セーニャがきっぱりとそう告げると、マヤとハリネズミは困ったように顔を見合わせました。
「い、いや。気持ちはうれしいが、セーニャにそこまでしてもらう義理なんて、オレたちには……」
「そっ、そうだよ。だって、悪いのはおれだし……兄貴といっしょなら、なんとかなるよ」
申し出をそろって断ろうとする兄妹に、セーニャは目を細めて、にこやかに笑いました。
「やはり、ごきょうだい……いえ。カミュさまが人の姿でしたら、簡単だと思いますが、マヤさまおひとりでは、お城に通していただけないのでは?」
「まあ、そうかもしれないが……」
「私が行けばすぐですわ、きっと。ね、お役に立たせてください」
ハリネズミが意見をもとめるようにマヤに目をやると、マヤは渋い表情を浮かべながら、つぶやくように言いました。
「うん。お姉ちゃんの言うとおりだとおもう……でも、ほんとに良いの?」
「もちろんですわ。そうと決まれば、さっそく……そうでした、マヤさま、ここまでの旅でお疲れなのでは?何日か休まれてからにしましょうか?」
「だいじょうぶ。町にもどるなら、くだりの道だから」
「わかりました。もし気が変わりましたら、言ってくださいね。それでは、したくをしてまいります」
セーニャはそう言っておじぎをすると、しずかに扉をしめて、部屋をでていきました。
マヤはセーニャを見送ると、だまったままテーブルの上のハリネズミをとりあげ、ベッドの枕元にそっとおろして、ごろんと横になりました。
すっかりかたむいたお日さまが、山の合間から里を夕焼けにそめるころ、セーニャはじぶんの部屋の扉をかるく叩いて、そっと中へ入りました。
「マヤさま、お食事をお持ちしました……まあ」
ほのかに窓からさしこむ夕焼けが、ベッドで眠りこむマヤを、やさしく浮かび上がらせていました。
セーニャが食事をのせたトレイをテーブルにおいて、ゆっくりとベッドに近づくと、マヤの頭のそばでハリネズミが立ちあがり、見つけてほしそうに両手をふっていました。
セーニャはハリネズミをそっと抱きあげて、音を立てないように自分のベッドに腰をおろしました。
「マヤさま、やはり疲れていらっしゃったのですね」
「ああ。町の外に出たこともねえのに、元気なフリしてここまで歩いてきたんだ。たいしたヤツだよ」
「ええ、本当に」
すなおに妹をねぎらうハリネズミに、セーニャがふふっと笑いかけると、ハリネズミは手のひらの上であわてて顔をそむけました。
「ああ、いや……なあ、本当にいっしょに来てもらっていいのか?セーニャが里をあけると、誰か困るんじゃないか」
「いいえ。私が里にいて、どなたか困ることもないでしょうが……今のところは、私にしかできない仕事もありませんので。私が力持ちの男性でしたら、良かったのですが」
「そうか……はは。オレが人の姿に戻ったら、ここで力仕事でもやって、借りを返すとするか」
「ふふ。きっと、里のみんなも喜びますわ。ですが……どうかお気になさらないでください。カミュさまは、大切な友人ですから」
自分をじっとみつめてそう話すセーニャに、ハリネズミはすっかり困ってしまって、きょろきょろと頭をふって言葉をさがすと、なんとか声をしぼりだしました。
「……ありがとな。じゃあ、迷惑ついでに頼む。マヤのヤツ、ちょっと足が痛そうにしてたんだ。マメでもできてるかもしれない、ちょっと見てやってくれるか。オレが言っても、嫌がるんでな」
「ええ、わかりました。食事はどうしましょうか、このまま眠らせてさしあげたほうが?」
「いや、たぶん腹が減ってると思う。起こしてやってもらえるか?」
「わかりました。それでは」
セーニャはハリネズミをマヤの枕元にそっともどすと、やさしく頭をなでながら、マヤさま、と呼びかけました。
夜のとばりがおりて、里がすっかり静かになったころ、ちいさなランプのともしびが揺れるテーブルについて、マヤとセーニャは旅のしたくを進めていました。
セーニャは旅に出ていたころの荷物を、袋にいれたまま残していましたが、こんどは長い旅に出るわけではないので、いらないものをよりわけて、できるだけ荷物を少なくしているのでした。
「持ち出すものは、こんなところでしょうか。あとは食べ物ですが……すみません、外で食べられそうなものが、えん麦くらいで。マヤさま、食べられますか?」
そう言ってセーニャがすまなそうに皮の袋をさしだすと、マヤはごそごそと中をたしかめて、ししっと笑いました。
「食べられるもなにも、おれたち、こればっかり食わされて育ったから。お、すごい。干した果物が入ってるやつだ」
「甘いやつはなかなか食えなかったよな。おまけにミルクじゃなく、水で戻したのばっかりで」
「まあ、そうでしたか。旅ではほとんど目にしなかったので、外の世界の方は、あまり口にされないものかと思っていましたわ」
セーニャが感心したようにそう言うと、ハリネズミはおおげさに笑って、おどけてみせました。
「旅ではあんまり食わないようにしてたんだよ、これ。一人ならともかく、仲間にこれを食わせたら、気分が下がるだろうと思ってな。セーニャたちも同じだったんだな」
「ふふ。私たち、同じことを考えていたんですね。私にとっては故郷の味ですが……いっしょに食べていただくのは、なんだか気が引けて」
「べつに、きらいじゃないんだけどね。でもおれ、帰りの食べ物のこと、ぜんぜん考えてなかった。お姉ちゃん、ありがとね」
「いいえ、私も安心しました。あとは、着替えですね」
セーニャはじぶんのベッドの側のチェストの引き出しをあけて、一着の衣装をとりだすと、ていねいにひろげて、胸元にあてて見せました。
肩口のふくらんだ白いドレスに、ヘアバンドと同じ緑色の袖のないコートを重ねたようなその服は、セーニャがかつての旅で身につけていたものでした。
「旅の衣装は、これ一着しか持っていないんです。なんだか、懐かしいですね」
「おれ、てっきり白い服で旅に出るのかとおもってた。そっちの服なら、クレイモランでもあんまり目立たないね」
「はい。外の世界で人目を引かないように、仕立てていただいたんです。明日の朝に落ち付いて出発できるよう、いま着替えてしまいましょうか」
セーニャはチェストから取りだしたドレスをベッドにかけると、ラムダの衣装の袖を腕からゆっくりとはずして、ていねいにベッドにならべました。
両腕をうなじにまわし、首元にかかるヒモをほどいて背中をあらわにすると、マヤはあっと声をあげ、ハリネズミをつかんであわてて部屋の外に飛び出し、いそいで扉をしめました。
マヤは大きなため息をついて、指でハリネズミの鼻をぐりぐりと押しながら、眉を釣りあげて怒ったように言いました。
「このくそ兄貴。黙ってみてるんじゃねえよ」
「い、いや……言い出す間がなくてな……」
「ふーん。おれがいなかったら、あのままずっとながめてたってことか」
「お前だって、黙って見てただろ……」
「そのいいわけ、お姉ちゃんの前でもしてみるか?」
「いや、すまん……」
「おれにあやまってもしょうがねえだろ」
マヤの罵倒はとぎれることなくいつまでもつづきましたが、やがて扉がひらき、セーニャがすこし照れたような表情で、マヤを部屋に招きいれました。
「すみません、お見苦しいものを目にかけてしまって……」
「お姉ちゃんがあやまることないよ。ほら、くそ兄貴、あやまれよ」
「悪かった、セーニャ。許してくれ」
「いえ、もう良いんです。それより、この服を確かめてもらえませんか?だいぶ傷んでいるので……変なところはありませんか?」
セーニャにうながされて、マヤが衣装をよくたしかめると、ランプのたよりない明かりの元でも継ぎのあとが目立ち、すそもあちこち擦り切れてしまっているようでした。
「うーん……穴とかやぶれてるとこはないかな。でも、けっこうボロボロだね」
「ええ。傷みにはそれぞれ旅の思い出が詰まっているので、直さずにそのままにしていたんですよ。もう、袖を通す事はないと思っていましたので」
「そっか。でもさ、おれのマントがわりのボロ毛布よりは、よっぽどいいと思うよ」
マヤがそう言ってししっと笑うと、セーニャも安心したように表情をゆるめました。
「でしたら、大丈夫ですね。では、そろそろ休みましょうか」
セーニャの寝息だけがかすかに聞こえる、闇につつまれたしずかな部屋のなか、ハリネズミはなにかに触れられる感覚で目をさましました。
あたりを見まわすと、暗闇のなかで背中をなでるマヤと目があいました。
「どうした、眠れないのか?」
「なんか、不安でさ……おれ、なんにもできないね」
「そんなことないだろ。ここまで連れてきてくれたじゃないか」
「そういうことじゃなくてさ」
マヤは指でハリネズミをなでながら、ひとりごとのように続けました。
「兄貴が動いてしゃべれるから、兄貴にたよって、お姉ちゃんにたよって。でもさ、もし、おれの時みたいに金の塊にでもなってたら……おれ、ただ泣いてただけかもね」
「マヤ……」
「兄貴も、おれが動けないあいだ、こんなふうに不安だったのか?」
マヤはそうつぶやいて、だまりこんでしまいました。
ハリネズミはながいあいだ考え込んだあと、ははっと笑いました。
「マヤ、起きてるか?」
「うん」
「お前のくそ兄貴はもっとヒドいぞ。オレはな、諦めてお前を死んだことにしちまった。諦めて、死んだお前に報いるにはどうしたらいいかなんて、そんなことを考えてたんだ。ヒドい兄貴だろ」
「最悪だな」
マヤはくすくすと笑いました。
「だから、オレがマヤに求められることなんか、何もねえんだ。マヤが元気でいるなら、オレのことなんか、どうだっていい。ずっとハリネズミのままだろうが」
「やっぱり、くそ兄貴だな……」
マヤは寝返りをうって、ハリネズミに背をむけました。
「そうじゃないだろ……」
マヤはそう言ったきりだまりこみ、やがてすうすうと寝息をたてはじめました。
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マヤとセーニャのものがたり 3
岩まじりのうす黒い大地をのぞかせる夏の雪原で、わずかに顔をだす青々とした下草を、お日さまが赤く照らしだしていました。
すらっと伸びたモミの木たちの合間をぬって、まぶたにさしこむ光で目をさましたマヤは、毛布の中からゆっくりと体をおこして、まぶしそうに目をほそめながら、みだれた前髪を手でなでつけました。
三つ編みを揺らしてあたりをきょろきょろと見まわして、岩陰に敷いたベッドがわりの木の板の上から、くるくるとまるめたあわい黄金色のマフラーを両手でとりあげると、中にくるまって眠るハリネズミを、指でやさしくなでました。
ハリネズミはまるめた体をゆっくりとひらいて、ちいさな瞳でマヤの顔を見上げました。
「おはよう、兄貴。さむくなかったか?」
「……ああ、朝か。おはよう、マヤ。このマフラー、暖かくてな。バカでかいベッドで寝てるような気分だった。お前は眠れたか?」
「うん。でも、イヤな夢をみたな」
マヤはおなじ毛布のなかで背をむけて眠るセーニャを見つめて、すこし遠い目をしながら言いました。
「あの穴ぐらで、いつもどおりに暮らしてる夢。お姉ちゃんと、くっついて寝てたからだな」
「はは。あの場所は寒くって、とても一人じゃ眠れなかったもんな。ちょうどこんな、板っきれの上でな」
「思いだしたくもねえな……お姉ちゃん、よく寝てるね。きのうみたいに、起こしたほうがいいか?」
「ああ。たぶん、起こさねえと日が昇り切るまで寝てるよ」
ハリネズミが笑いながらそう言うと、マヤもくすくすとおかしそうに笑い、夜露でしめった毛布の上から、セーニャをゆさゆさと揺りうごかしました。
「お姉ちゃん、朝だよ。起こしてわるいけど、こんな寒いとこじゃなくてさ。町についてからゆっくり寝てよ」
マヤがそう呼びかけると、セーニャは背中を向けたまま体をまるめました。
「お姉さま、おはようございます……私は、ちゃんと起きていますよ……すぐに起き上がりますから……」
セーニャが寝ぼけたようすでむにゃむにゃとそう答えると、マヤはいたずらっぽい顔をしてハリネズミを抱き上げ、背中のハリをセーニャの顔にそっと押しつけました。
セーニャは悲鳴をあげて飛び起きて、あわててあたりをたしかめると、歯を見せてわらうマヤに、決まりのわるそうに言いました。
「ああ……すみません、起こしていただいて。おはようございます、マヤさま」
「おはよ。ごめんね、ぐっすり寝てたのに」
「いいえ。ゆうべは、よくお休みになれましたか?」
「うん。一回も起きなかった。ねえ、ちょっとハリネズミ持っててくれる?」
マヤは毛布にくるまったまま体をおこすセーニャのひざに、そっとハリネズミをのせると、ゆっくりと立ち上がって、うーん、とうなり声をあげながら、お日さまに向かってのびをしました。
マフラーを手に取って、慣れた手つきでくるくると首元に巻きつけると、セーニャのほうを向いて、片手で口元を隠しました。
「わたし、ちょっとお花を摘んでまいりますわ」
マヤがセーニャの真似をするよう声をつくってそう言うと、セーニャはおなじように口元を手で隠し、ふふっと笑いました。
「ええ、お気をつけて」
マヤが小走りに岩陰のむこうに消えると、セーニャのひざの上で、ハリネズミがおかしそうに笑いました。
「マヤ、なんだか元気そうだな。ラムダに向かう途中もここで一晩過ごしたんだが、マヤのやつ、ロクに眠れなくてな。どうも、たき火を消すのが怖かったらしいんだ」
「まあ……それはお気の毒に」
セーニャが背中のハリをそっとなでると、ハリネズミは続けました。
「一晩中、たき火の前でひざを抱えてうとうとしててな。見ちゃいられなかった。オレに出来ることもねえし……だが、今日はよく眠れたみたいだ。ありがとな、セーニャ」
「いいえ。夜のあいだ、寒さに目を覚ますことがありませんでした。マヤさまのおかげですわ。それに……私、はじめて一人で夜を明かした日のことを、よく覚えています」
セーニャはそういって目を伏せ、つぶやくように語りはじめました。
「あの日、目を覚ましたら自分がどこにいるのかもわからず……歩き続けるうちに日が暮れても、私には火を起こすことさえできませんでした」
「セーニャ……」
「暗闇の中で、私はただうずくまって、子供のように泣きながら朝を待つばかりで。今でも思い出しますわ。お姉さまや、みなさまの顔が思い浮かんで、私はどれほど無力で、他人に頼ってきたのだろうと。ただ、みじめで……ですから」
セーニャは眠たそうな目をしたままほほえんで、ハリネズミの鼻を指でつんつんとつつきました。
「私にはわかります。カミュさまがそばにおられて、マヤさまがどれほど心強かったか。きっと、すぐに楽しかった旅の思い出のひとつになりますわ。カミュさまにとっても」
ハリネズミは言葉をさがしてすっかりだまりこんでしまいましたが、セーニャはなにも答えなくていい、とでも言うかのように、ハリネズミを両手でそっとつつみました。
やがて、どこか遠くからひびく鳥たちの声にまじって、ざくざくと雪を蹴る元気な足音がちかづいてきて、両腕をかかえたマヤが岩陰から顔を出しました。
「おまたせ。やっぱり、日がのぼらないとさむいね。その毛布、着といたほうがすぐかわくかな?」
「ええ、きっと。お借りしてしまって、すみません。では、私もお花摘みに……」
セーニャが立ちあがって岩陰のむこうに消えると、マヤは自分のぶんの毛布をひろげて砂をおとし、マントのように羽織って左肩にハリネズミをのせました。
マヤが寝床のうえに腰をおろし、両手を口元にあてて吐息であたためていると、ハリネズミが、なあ、と呼びかけました。
「マヤ、どんな気分だ?」
「ん?なにが?」
「旅って、だいたいこんな感じだぞ。楽しいか?」
マヤはししっと笑うと、カミュがよくするように、両手を広げて肩をすくめました。
「ズルいこと言うな、兄貴。まあ、しんどいこともあるけど。なにしろ、はじめてだから。ハリネズミにゃ悪いけど、たのしいかな」
「そうか……それなら良いんだ」
「でも、お姉ちゃんはどうなのかな。こうやって、ただ助けてもらうのって、なんだかな……兄貴ならいいんだけど」
ほんのりと青さの見える夜明けの空を、ぼんやりとながめるマヤのもとに、セーニャはすぐに戻ってきて、いつもと変わらないほほえみを浮かべました。
夜明けとともに女神像のみまもるキャンプ地を出た二人と一匹は、お日さまがてっぺんにたどりつくころには、クレイモラン城の頭をのぞめるところまで、順調に歩みをすすめていました。
すこしづつ家や人の姿がみえはじめると、すぐにたくさんの船の泊まる桟橋までたどりつき、いそがしそうに人々が出入りする門をくぐって、にぎやかな城下町にたどりつきました。
目の前にひろがる見慣れた景色に、マヤは安心したように、ふう、と大きく息をつきました。
「ええと……ウチを出て山のふもとで寝て、次の日はお姉ちゃんとこで……四日くらいだっけ?なんだか、ずいぶんひさしぶりに帰ってきた気がするな」
マヤは指折り数えてつぶやくと、ハリネズミは小さな声で、ああ、と答えました。
「歩きっぱなしでよくがんばったよ。城に行く前にちょっと休んじゃどうだ?セーニャも疲れてるだろ」
「私は平気ですわ。お昼も過ぎてしまいましたし、すこし急いだほうが……マヤさま、大丈夫ですか?」
「うん。おれ、城に入れるの楽しみにしてんだ。魔女もみてみたいし」
「そうか。ああ、本人の前で魔女って言うのは、たぶんやめたほうがいいな。というより、マヤはできるだけしゃべらないほうが良いだろうな」
「あはは。そーだね。おれ、ことばづかいとか、全然わかんねえし。お姉ちゃん、たのむよ」
「ええ、お任せください。それでは、まいりましょうか」
マヤたちは人通りの多い城下町の広場をとおりぬけて、ゆっくりとお城のほうへ向かいました。
家々に色とりどりのガラスのはまったクレイモランの町並みは、くずれた大樹の傷跡をあちこちに残しながらも、かつての美しさを取り戻しつつあるようでした。
セーニャは歩きながらそんな町のすがたを見て、さびしそうに言いました。
「この町でも、きっと多くの方が亡くなられたのですね。それなのに、こんなことを言うのは申し訳ないのですが……私のふるさとも、いつかこの町のように、元の姿に戻れるでしょうか」
「ああ。人の手で作ったものは、人の手で直せるさ。時間はかかるかもしれないが、かならず」
「この町も、さいしょはお姉ちゃんとことおなじくらい、ボロボロだったもんね。みんなでがんばって直してたよな、お城の兵隊さんたちまで。ねえ、お姉ちゃん。女王さまにたのんでみたら?この町がすっかりもとどおりになったら、お姉ちゃんとこも直してくれって」
マヤがそう言うと、セーニャはきょとんとした顔でハリネズミと目を見合わせて、一緒にくすくすと笑いました。
「そうですね。せっかくですから、お願いしてみましょうか」
「女王さん、優しいからな。イヤとは言わないだろうな。さて、城は目の前だ、オレはもう黙ってるよ。悪いが頼むぜ、セーニャ」
クレイモランのお城は、切り立った岩山を背にして、空に向けて連なるたまねぎのようなふしぎな屋根を、きらきらとかがやかせていました。
あざやかな装飾のほどこされた門の前で、りっぱな槍をたずさえたふたりの衛兵が、ときおり言葉をかわしながら、退屈そうに番をしていました。
セーニャがマヤの手を引きながらゆっくりとそばに歩みよると、ふたりに気がついた衛兵たちは槍をかまえて、止まりなさい、と落ちついた調子で呼びかけました。
衛兵たちはふたりの身なりをたしかめるように、頭から足元までじっくりと見つめると、すぐに槍をおろして手招きをしました。
「ご婦人、我らが城になにかご用かね?」
りっぱなあごひげを生やした衛兵がそうたずねると、セーニャはスカートのすそをもち上げておじぎをして、両手を胸のまえでそっと組みました。
「ごきげんよう……あの、ええと……私、セーニャと申します。お城にいらっしゃる、リーズレットさまにお力添えをいただきたく、旅をしてまいりました……」
「ふむ、魔女どのに?」
衛兵は目を細めて、あごひげをなでながら、おだやかな声で言いました。
「大樹が落ちてからと言うもの、城には多くの者が助けを求めてまいりましてな。女王様は、何者も無下に拒むなと仰せ付けられた。ご婦人、なにかお困りなら、城の者も助けになれるのだが、いかなる用件で」
「それは……すみません、お話しづらいことなんです。直々にお目にかかれればと……セーニャという者が訪ねてきたと、お伝えしていただくことは、できませんか?」
「ご婦人は魔女どのと面識がおありで?」
「はい。女王さま……シャールさまのことで、ゆかりがありまして」
セーニャがそう答えると、となりでだまって話を聞いていた若い衛兵が、おそるおそる口を開きました。
「あの。こんなきれいな方が、こんなぼろぼろの身なりで、子供を連れて……どう見てもワケありじゃないですか?とりあえず、通してさしあげたほうが」
「うむ……そうだな。我々も力になりたかったのだが、失礼した。急ぎお伝えしますゆえ。お名前は、セーニャどのと言われたか?」
セーニャがだまってうなずくと、ひげの衛兵はかるく一礼してきびすを返し、扉の中へと消えてゆきました。
セーニャがお礼を言って、若い衛兵に頭をさげると、衛兵は照れたようにかぶとのつばを片手で下げました。
「ちょ、ちょっとお堅いのがあれなんですけど。あの方は、すごくやさしい人なんで……気を悪くしないでくださいね」
「ええ、とても親切にしていただきましたわ。感謝しています」
「そ、それなら良かったです。あの、客間……ってほど立派じゃないんですけど、俺たちで勝手に通しちゃっていい部屋があるんで……良ければ、そこで休んでください」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきますわ」
「よ、良かった。じゃあ、こちらへ」
衛兵はそう言って背を向けると、お城の扉をひらいて、中へ入るよう案内すると、セーニャはマヤの手を取り、衛兵のうしろをついて歩きだしました。
マヤは、セーニャの手がかたくこわばって、汗でじっとりとぬれていることに気がついて、ふしぎそうにセーニャを見上げました。
マヤたちが通された部屋は、横にながい広々としたつくりで、廊下に続く扉がふたつあり、中には数台のちいさなベッドと、六人ほどが座れそうなテーブルがならんでいました。
家具はどれも、お城にはあまり似つかわしくない、木目をそのままにして組まれたかんたんなもので、部屋をかざるものは、石炭の燃える暖炉のまえに敷かれた、りっぱなじゅうたんくらいでした。
「ベッドとか、自由に使ってもらって大丈夫なので……じゃあ、なにかあれば伝えに来ます」
ふたりを案内してくれた衛兵が礼をして部屋からでていくと、セーニャはほっと胸をなでおろしました。
「お姉ちゃん、すごいね。ほんとうに入れちゃった」
「ふふ。大きなことを言ってしまったので、不安だったのですが。なんとかなりましたね」
「でも、なんか勘違いされてるよな。まあ、このカッコじゃな」
ハリネズミがそう言うと、ふたりは羽織ったぼろぼろの毛布や、泥はねの目立つスカートのすそをひろげて、苦笑いをうかべました。
「そういうことか。そうだね、おれたち、どうみてもワケありだね」
「本当にワケがあるんだから、別にだましたわけじゃねえよな。セーニャ、助かったよ」
「いいえ。まだ、お会いできると決まったわけではないですし」
ふたりが荷物をおろして、暖炉のそばにすわりこんで休んでいると、扉のひらく音とともに、恰幅のいい男が部屋に入ってきました。
栗色の髪をうしろで結わえて、エプロンをかけた男は、ふたりをじっと見つめると、すぐに愛想よく笑って、声をかけました。
「ちょうどよかった。若い女の客を待ってたんだ。なあ、あんたたち、腹減ってないか?甘いもの好きか?」
「ご、ごきげんよう」
セーニャはあわてて立ち上がり、おじぎをしましたが、男はだまったまま、返事を待っているようでした。
「ええ、甘いものには目がありませんわ。それに、今日はあまり食べていませんので……」
「おお、そうか。ちょっと待っててくれ」
男はうれしそうにそう言って、足早に部屋を出ていきました。
「……なんだろ?」
「なんでしょうね?」
ふたりは不安そうに顔を見合わせましたが、すぐに廊下からかちゃかちゃと食器のゆれる音をひびかせながら、男がおおきなトレイをかかげてもどってきました。
「さあ、テーブルについてくれ。ちょっとな、食ってもらいたいものがあるんだよ」
ふたりがおそるおそる席につくと、男は数枚のお皿をならべて、ちいさなカップにお茶を注ぎました。
お皿の上では、きれいな小麦色に焼きあげられた、平たいかたちの丸いパンのようなものが、甘い香りとともに湯気を立ちのぼらせていました。
「外国から来たヤツから教わった菓子をな、試しに作ってみたんだが。女王様にお出しするには、まだちょっと不安でな。よければ、感想が聞きたい」
「えっ、これ食って……たべても、いいんですか?」
「ああ、遠慮なく食ってくれ。いくつか味を変えてみたんだが、どれが好きかね」
男はジャムやバターの乗った丸いパンを、すこしづつナイフで切り分けると、お皿に盛り合わせてふたりの前に差しだしました。
マヤはフォークを手にして一切れほおばると、すぐに幸せそうな顔を浮かべました。
「あまい。それに、スゴくふわふわしてる。おれ、白いパンは、あんまり食べたときないんだけど、こんなにふわふわしたのははじめて」
「ええ。甘いものは久しぶりなので、身にしみますわ……この、コケモモのジャムもいいですね。甘酸っぱくて、ほんのり苦みがあって」
「おれは、この色のついてないやつが好きかも。あまいのかしょっぱいのか、よくわかんなくておもしろいね」
「それはバターだな。ちょっと素朴すぎるかと思ったが、そうか、うまいか」
男は腕組みをして、ふたりの食べるすがたを満足そうな顔で見つめました。
「それでな、意見が欲しい。ここをこうしたらと、そういうものはあるかね」
ふたりはフォークをせわしなく口に運び、もぐもぐと食べながら話し合いをはじめました。
「うーん。そーだね……塩味のもいろいろあったらいいかな。たまごとかどう?合いそう」
「良いですね。パンが甘いので、りんごのジャムはちょっと甘すぎるかもしれません。私は好きですけど」
「うん。おれはちょっとニガテかな。ジャムは、この黄色のやつがすき。これはなに?」
「あんずでしょうか?おそらく。ジャムとバターは一緒でも良さそうですね。はちみつも良さそうです」
「ミルクにひたしても、おいしいかもね。チーズは……だめかな、きっと」
「なるほど。なにしろ女王様はたいへんお若いのでな、若いお嬢さんがたの意見は参考になるよ。ありがたいね」
テーブルの上のたべものがほとんど片付いてしまったころ、不意に扉のひらく音が聞こえると、男はおどろいた顔をして、いそいで姿勢をただしました。
「すみません、お待たせしてしまって。セーニャさん、お元気でしたか?」
セーニャが声のしたほうを振りむくと、白いドレスとだいだい色のマントを身にまとった女性が、おおきな丸めがねの奥で、上品なほほえみを浮かべていました。
セーニャはあわてて立ち上がり、スカートのすそをもち上げて、深々とおじぎをしました。
「シャールさま、お久しぶりです」
「あら、その髪、どうしちゃったの?シャールと同じ、きれいな髪をしていたのに」
シャールについで部屋に入ってきた、うす紫のふしぎな色の肌をした女性がセーニャに声をかけるのをみて、マヤはあっとあげそうになった声をおさえて、肩のハリネズミにひそひそとつぶやきました。
「この人かあ……魔女っていうから、しわしわのおばあちゃんかと思ってた」
「ああ……マヤ、イスから立ちな」
セーニャがひとしきりあいさつを終えると、シャールとリーズレットはそろってマヤを見つめて、セーニャにたずねました。
「そちらの方、お会いするのははじめてですよね?勇者様の、ゆかりの方ですか?」「ええと……この子は、マヤと申します。カミュという者を覚えておいでですか?この子と、同じ髪の色をした」
「ええ。よく覚えてるわよ。ツンツン頭の、寒そうな格好をした男の子でしょ」
「はい。実は、彼のことでご相談があって、訪ねてまいりました」
「そうでしたか。マヤさん、はじめまして」
シャールがほほえみかけると、マヤはセーニャの真似をして、ぎこちなくひざをまげてスカートをつまむしぐさをして、緊張したようすで声をしぼりだしました。
「は、はじめまして。よろしく、おねがい、します」
「よろしくおねがいします。では、座ってお話をうかがいましょうか。あら、なんだかおいしそうな香りがしますね。私たちのぶんもありますか?」
「は、はい。すぐにお持ち致しますので」
男が駆け足で部屋から出てゆき、セーニャがシャールのためにイスを引こうとすると、シャールはどうかおかまいなく、と言って、テーブルにつくよううながしました。
「大樹が落ちてしまったとき、家や身寄りをなくされて、お城を頼ってこられる方が多かったので……この部屋はそんな方たちのためのものなんです。すみません、ちゃんとしたお部屋を用意できなくて」
「いいえ、こちらこそ、急におたずねしてしまって」
「で、シャールじゃなく、私をたずねてきたってことは、なにか面倒な事情があるんでしょう?どんな話なの?」
リーズレットがそう言うと、マヤとセーニャは困ったように顔を見合わせました。
「それが、どこからお話すればよいものか……そうですね、まずは」
セーニャはマヤの肩からハリネズミをそっと抱き上げて、テーブルの上におろしました。
テーブルの上でふたつの足で立ちあがり、鼻をひくひくさせるハリネズミを見て、シャールはまあ、と歓声をあげました。
「実は、先ほどから気になっていたんです。かわいいですね。この子は、なんという名の生き物ですか?触っても?」
「えっと、ハリネズミっていう……んです。噛まないけど、ハリ、けっこうするどいから、気をつけて……ください」
シャールがにこにこしながらハリネズミの背中をなでたり、鼻をつついたりする姿を、リーズレットはすこし呆れたようすでながめていました。
「ふーん。こんなに人によく慣れてるのは、私もはじめて見るわね。それで、このハリネズミがどうしたって言うの?」
リーズレットがそう言うと、ハリネズミは意を決したように言いました。
「えーと……こんにちは。オレ、カミュです」
ハリネズミがそう言うと、シャールとリーズレットはふしぎそうにあたりを見まわしましたが、テーブルの上で両手を振るハリネズミに気が付くと、えっと声をあげて、目を丸くしました。
「見ての通りなんですけど。この首飾り、見えます?どうも、コイツの呪いらしくて」
ハリネズミがちいさな両手で首飾りをひっぱってみせると、リーズレットはおおきな声で笑いだしました。
「あはは。ハリネズミ……そうか、ハリネズミね。よく似合ってるじゃない?かわいいわよ」
「ちょっと、リーズレット。笑いごとじゃないでしょう?」
「好きに笑ってください。自分でも笑えるんで……」
声をあげて笑い続けるリーズレットに、ハリネズミが自嘲するように言うと、シャールは申し訳なさそうに眉をひそめました。
「カミュさん、お気の毒に。ですが、事情はわかりました。リーズレット、なんとかしてあげられませんか?」
「ちょ、ちょっと待ってね。おかしくて……ふう。そうね、まずは見てみましょうか」
リーズレットはハリネズミに顔をよせて、首飾りを指でひっぱって、じっくりとたしかめました。
しばらくのあいだ、眉を寄せながらハリネズミをなでたり、首飾りをつまんだりしていましたが、やがて、うーん、とうなり声をあげました。
「なるほどね。まあ、そんなに強い呪いじゃないと思うわ。ただ……ちょっと試してみてもいいかしら?」
リーズレットが左手を差しだすと、ハリネズミはちょこちょこと乗り込み、つぶらな瞳でリーズレットを見つめました。
「ふふ……ゴメンね。ちゃんとやるから。それじゃ」
リーズレットが右の手のひらを胸のまえにかかげると、手のひらの上に、暗くゆらめく玉のようなものが浮かび上がりました。
真剣な面持ちで手のひらを見つめると、玉のようなものはみるみる小さくなっていき、のばした人差し指の先にともりました。
リーズレットは指先をすこしづつ、慎重にハリネズミに近付けていきましたが、触れるか触れないかのところで、ふう、と大きなため息をついて、右手をふりました。
「ダメね。強い魔力を送り込んで、壊してしまえばと思ったんだけど。小さすぎて、ハリネズミを無事にすませる自信がないわ」
「そう、ですか……」
リーズレットはそう言ってうなだれるハリネズミをテーブルの上におろすと、足を組んで、両手を肩のあたりでひらひらさせました。
「でも、言ったでしょ。たいした呪いじゃないわよ。姿を変えるほかに悪さはしないし、それもせいぜい二年か三年……そうね、長くても五年はもたないわ」
「五年、ですか……」
そうつぶやいて目を伏せ、肩を落とすセーニャとマヤを見て、リーズレットは不満そうに言いました。
「な、なによ。五年でしょ?壊そうとして失敗しました、じゃ話にならないじゃない。待っていれば解けるんだから、それでいいでしょう?」
「リーズレット、人間にとっての五年は……」
シャールが悲しそうな目をしてそう言うと、リーズレットは両手で頭をかかえて、髪をくしゃくしゃといじりました。
「まあ、そうだけどさ。だからって、私にはどうしようも……」
リーズレットはそう言いかけて、部屋にいる全員がすがるように自分を見つめていることに気が付き、もう、と声をあげて腕組みをしました。
「わかったわよ。私には無理でも、呪いを解く方法、心当たりがあるわ」
「まあ……本当ですか?」
セーニャがそう言うと、リーズレットは渋い顔をして答えました。
「ええ。しゃくだけど、あなたたちと一緒にいた勇者なら、こんな呪いくらい、簡単に解けるはずよ。勇者の力って、そういうものだわ」
「勇者さまが……そうですか」
セーニャががっくりとうなだれるのを見て、リーズレットは腹を立てたように言いました。
「なによ?あなたたち、一緒に旅をしてきたんでしょう?そんな頼み事くらい、聞いてくれるでしょう?」
「それが……勇者さまは、もうおられないんです」
「いない?どうして?」
セーニャは顔をあげて、ベロニカの身に起こったこと、時渡りのこと、そして勇者が下した決断のことを、しずかな口調でゆっくりと語り終えると、シャールとリーズレットは、同情をしめすかのようにうつむきました。
「そんなことがあったのね……知らずにひどいことを言ってしまったわね。謝るわ」
「私も存じませんでした。そうですか、お辛いですね……」
「いえ、勇者さまの決められたことですから。私はそれで良いんです」
「でも、勇者って……いえ、やめましょう。とすると、他の手立てが必要ね」
リーズレットは顔に手をあててしばらく考えこむと、すこし自信がなさそうに口を開きました。
「もしかしたら、の話なのだけど。あなたたちと一緒に、背の低いおじいさん、いたでしょう?」
「ロウさまのことでしょうか?赤い帽子をかぶって、おヒゲを生やした?」
「ええ。あの人からは、勇者とおなじ類いの力を感じたわ。強くはないけれど。残念だけど、私が力になれそうな事はもうないわ。あの人を頼ってみたらどうかしら」
「そうですね、そうしてみますわ。リーズレットさま、ありがとうございます」
「いいえ。悪いわね、せっかく頼って来てもらったのに。それと……さっきから気になっていたのだけど」
リーズレットはそう言って立ち上がると、マヤの席にゆっくりと歩みよって、にっこりとほほえみかけました。
「あなた、ちょっといいかしら?」
「な、なん……ですか?」
マヤがあわてて立ちあがると、リーズレットはマヤの瞳の奥をしばらくのあいだじっと見つめて、質問をしました。
「マヤと言ったかしら。あなた、呪われていたことがあるでしょう?」
「え。わかるの?」
「もちろん。あなた『残ってる』わよ。それも、かなり強く」
「のこってる?呪いが?」
「いいえ、魔力とでも言うのかしら。難しい話になるから、詳しくは言わないけど。あなた、魔法や呪いには、この先できるだけ関わらないようにしたほうが良いわね。気をつけなさい」
「そ、そう……ですか。ありがとう、ございます」
「ええ。そのハリネズミの呪いも……いえ、なんでもないわ。もし、この先なにか困ったことがあったら、私をたずねてちょうだい。その時はきっと、力になれるわ」
すっかり困ったようすのマヤの肩を、リーズレットはそう言ってぽんぽんと叩きました。
「さて、もういいかしら。ごめんなさいね、あまりゆっくりお話もしていられないの。女王様って、忙しいみたいでね」
「ええ。すみません、セーニャさん、マヤさん、カミュさんも。よろしければ、また訪ねてくださいませ。城の者に、通すように言っておきますので……次はもうすこし、ゆっくりお話しできると思います」
シャールはそう言ってゆっくりと席を立ち、セーニャとマヤと両手で握手を交わしました。
「ありがとうございます、シャールさま。リーズレットさま」
「親切にしてくれて、ありがとう……ございます。おれ、この国で暮らしてて、女王さまと会えたの、はじめてだったから……魔女さんも、たすかり、ました」
たどたどしく感謝のことばを述べるマヤに、シャールとリーズレットは仲良く笑顔を浮かべてみせました。
「それでは、またお会いしましょう。それと、よろしければ受けとっていただきたいものが。城の者に案内させますので、この部屋でお待ちくださいね」
マヤとセーニャがおじぎをすると、シャールとリーズレットはしずかに扉をひらいて、部屋から出ていきました。
「お城の中って、あんなにきれいだったんだね。外もだけど。それに、みんなやさしかったな。魔女さんもさ、魔女っていうから、もっと怖いかとおもってた」
だいぶ日のかたむいたクレイモランの広場で、マヤは上機嫌に話しました。
「へへ。こんな良いものも、もらっちゃったし」
お気に入りのマフラーとよく似た、あわい黄金色の立派なマントを、マヤは誇らしげに両手で広げてみせました。
「あのボロ毛布が、よっぽど哀れに見えたんだろうな……良かったな、マヤ。しかし、ずいぶん上等な毛織だな。これ一枚で、オレたちのあの屋根裏部屋に、半年は住めるぞ」
「私も肩掛けをいただいてしまいました。助けをもとめてお訪ねしたのに、なんだか申し訳ないですね」
「うまいものも食わせてもらっちゃったしね。でも、ハリネズミはハリネズミのままか……これから、どうしよう」
マヤの肩の上で、ハリネズミはセーニャの顔をうかがいながら言いました。
「ロウさんか……オレ、どこにいるのか、はっきり知らないんだよな。なんとなく、マルティナさんと一緒なんだとは思うが」
「ええ。おそらく、ご一緒にイシの村におられるのではないかと」
「オレも、そんな気がする。とすると、船旅になるか。うーん」
ハリネズミが口ごもると、セーニャは眉をつりあげて、ハリネズミの鼻をつんつんとつつきました。
「みなまでおっしゃらないでくださいませ。私もお供しますわ」
「……そうか。すまん。とりあえず、今日はこの町で休んでくれ。ふたりとも、疲れてるだろ」
ハリネズミがそう言いながら、なにかの合図をするようにマヤの首元にハリを押し付けると、マヤはハリネズミの心を察したように、頭をかきました。
「うん。ずっと、歩きっぱなしだったもんな。ちょっとつかれたかも。きょうは、ベッドで寝たいな」
「ああ、それがいい。じゃあ、セーニャの宿を探すとするか」
「宿じゃなくてもさ、兄貴のベッドあいてるから、お姉ちゃん、ウチに泊まったらいいんじゃない?」
「いや、それは……あんな狭いとこに、セーニャを泊めるのは、ちょっとな」
兄妹の話を聞いて、セーニャは申しわけなさそうに、あの、と切り出しました。
「すみません、これ、里のみなさまに持たせていただいたお金なのですが。私、じぶんでお金を持ったことが、ほとんどありませんので……これで、旅を続けられますか?」
マヤはセーニャが懐からとりだした小さな袋を受けとると、口をあけてハリネズミといっしょに中身をたしかめました。
「うーん。けっこうあるけど……おれ、旅をするのにどのくらいかかるのか、わかんないや」
「まあ、心配ない程度にはあるが……あまり贅沢はできないな。そうだな、狭いとこだが、ウチで我慢してもらうか。セーニャが良ければ」
「ええ。助かりますわ」
「そっか。じゃあ、案内するよ。ということは、メシの用意もいるよな。お姉ちゃん、魚とか貝とか、食べられる?」
「はい。あまり得意ではなかったのですが、旅のあいだに、おいしくいただけるようになりました」
「それじゃあ、買い物しながらウチにいこう。えーと、市場はこっち」
マヤはそう言ってセーニャの手を取り、元気よく歩き出しました。
夕暮れの赤さがかすかにさしこむ、兄妹のくらす薄暗い屋根裏は、ストーブにかけたおナベから立ちこめる香りでいっぱいになっていました。
マヤは、ハリネズミにひとつひとつ手順を聞きながら、おナベでスープをこしらえていました。
「ちょっとイモをクシでつっついてみな。うん、すっかり煮えてるな。ちょっと味見させてくれ」
マヤはおナベの中身をスプーンですくって、ふうふうと吹き冷ましてから、左手にのせたハリネズミに差しだしました。
ハリネズミは鼻先をちかづけてスープをなめると、おどろいたようにビクっと顔をひっこめました。
「わるい、まだ熱かったか?」
「ああ。どうやらハリネズミ、とんでもない猫舌みたいだ」
「ハリネズミも、なかなか大変なんだな」
マヤがもういちど、念入りにスープをさましてハリネズミになめさせると、横でながめていたセーニャが、ふふっと笑いました。
「ハリネズミさん、本当に愛らしいですね」
「だ、だめだよお姉ちゃん。あげないからね。兄貴、味はどう?」
「ああ、なかなかいい感じだ。うまいよ。最後に塩だが、マヤにはちょっと難しいな。テーブルで足したほうがいい。あと、ナベからローリエの葉を抜いといてくれ」
「わかった。でも、お姉ちゃんが料理ニガテなの、ちょっと意外だな。おれも、兄貴がいなきゃ、できないけどさ」
「私のお姉さまも、お料理はあまり得意ではなかったので……そこは、姉妹で似たのですね」
マヤはふーん、と言いながらスープをお皿によそって、テーブルにならべました。 ふたりは向かい合ってテーブルにすわると、おなじ姿勢で手を合わせて、声を合わせてお祈りの言葉をとなえました。
小皿に盛られた塩を指でつまんで、スープにすこしづつ振りかけながら、マヤはすこし遠慮しながら言いました。
「お姉ちゃんのお姉ちゃん……あはは、ややこしいね。ベロニカさんだっけ。さびしいね」
「すみません、気をつかっていただいて。そうですね……マヤさまとカミュさまのように、ずっと一緒に育ってきましたので」
「そうだよね……なあ、兄貴はいっしょに旅をしてたんだろ?どんな人だったの?」
「うーん、そうだな……」
ハリネズミがどうしたものかとセーニャの顔色をうかがうと、セーニャはしずかにほほえんで見せました。
表情を作れないハリネズミも、セーニャに合わせるように、すこし笑ったように見えました。
「とにかくクチが悪かったな。チビのくせに気も強くて。旅のあいだ、いつもケンカばかりしてた気がする。元気がよくて、ギャーギャーうるさいヤツだったな」
ハリネズミがそう言うと、セーニャは口元をおさえて、おかしそうに笑いました。 セーニャとハリネズミのようすを見て、マヤは呆れた顔をして、肩をすくめました。
「あはは。わかったよ。おれに似てたって言いたいんだろ、兄貴」
「まあ、そんなところだな。なんというか……セーニャとほとんど正反対だったな。双子なのにどうしてだろうって、不思議だった」
「そっか。でも、なんとなく想像できるな」
マヤはセーニャの顔をじっと見つめて、眉をひそめました。
「お姉ちゃん、しっかりしてるもんね。正反対ってことはさ、お姉ちゃんがベロニカさんの面倒みて、世話焼いてたんでしょ。ちょうど、おれと兄貴みたいなかんじでさ」
マヤがそう言うと、セーニャはきょとんとした表情を浮かべました。
「おれみたいな手のかかるやつでも、いなくなったらさびしいのかな……あ、ごめんね、お姉ちゃん。イヤな話しちゃって……」
「いいえ」
セーニャはぽつりとそう言って、スープを口に運びました。
すっかり闇につつまれた屋根裏で、寝息をたてるマヤのベッドに、セーニャはしずかに歩みよって、枕元のハリネズミをそっと抱き上げました。
自分のベッドにもどって、マヤに背を向けて横になり、顔の前にハリネズミをおろして、そっと背中をなでました。
「ん……どうした、セーニャ?眠れないのか?」
眠たそうにそう言うハリネズミに、セーニャは小さな声でひそひそと話しかけました。
「ええ……ちょっと、考えごとをしていて」
セーニャは暗闇のなかでハリネズミを見つめながら、ひとりごとのようにつぶやきました。
「マヤさま、私がしっかりしていると……カミュさまがマヤさまにされるように、私がお姉さまの面倒をみていたのだろうと……私は……今の私は、そんなふうに見えますか……」
「……ああ。セーニャはずいぶん変わったよ。少なくとも、オレにはそう見える。
だが……」
ふたりのあいだにながい沈黙がながれ、やがてハリネズミは言葉を待つセーニャに耐えきれなくなって、迷いながら声を出しました。
「……ちょっとな。セーニャの本心なんて、オレにはわからないし、わかりようもないが……すこし、無理をしているようにも見える。あの日から、セーニャは別人のように変わったが……オレは、出会ったころのセーニャを、よく覚えているんだ……」
ハリネズミがなんとか声を絞りだし、そう言い終えると、セーニャはだまったまま、ハリネズミを何度かやさしくなでました。
セーニャは起き上がって、ハリネズミをマヤの枕元におろすと、マヤの頭を起こしてしまわないようにそっとなでてから、自分のベッドにもどって、眠りにつきました。
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マヤとセーニャのものがたり 4
あたたかな潮風にゆられる前髪を片手でかきあげながら、マヤはおだやかな海原をぼんやりと見つめていました。
かすかに望む、切りたった岩山をてっぺんから見下ろす灯台は、内海へと通じる運河の入り口をしめしているらしく、甲板では船乗りたちがマストを見上げて、大声でなにかを話し合っていました。
船が波風にゆられて、きしみをあげながら身を大きくゆらすと、マヤはそろそろとした足取りで、船員たちの邪魔にならないよう、甲板のうしろのほうにぺたんと座りました。
「ちょっと揺れるね。ハリネズミ、きっと泳げねえもんな。海に落としたらたいへんだ」
「ああ。おぼれる前に、サメか魚に食われちまうだろうな」
「まるのみにされちゃ、ハリも意味ないよな。でも、おおきな船って、こんなかんじなんだね。兄貴もああいうの、やってたのか?」
かけ声をあわせてマストにつながるロープを引く、たくましい船員たちをマヤが指さしてそう言うと、ハリネズミはすこし渋い口調で、笑いまじりに話しました。
「いいや。オレは、掃除だの、メシの用意だの、ひたすら雑用をやらされてたよ。たいして急ぎの仕事でもねえのに、人に見つかっちゃどやされてたな」
「そーなんだ。おれ、兄貴だけ船にのせてもらえて、うらやましいと思ってたんだけど。たいへんだったんだな」
「まあ、連中の機嫌のいいときは、楽しいこともあったが。それよりも、殴られた回数のほうがずっと多いだろうな。あまり思いだしたくないな」
ハリネズミがそう言うと、マヤは両手を頭のうしろで組んで、投げやりな調子で、あーあ、と空を見上げました。
「ほんとにな。おれたちの思い出、おもいだしたくないことばっかり。こうやって、自由になってみたらさ。しあわせってよりは、いままでの苦労はなんだったんだろ、っておもっちゃうね」
「はは。他人に話したら、贅沢と言われるかもしれないが……オレもそう思うよ」
兄妹が呆れたように笑い合い、とりとめのない会話をつづけていると、ハリネズミはそばに寄ってくる人の気配を感じて、口を閉じました。
マヤが座りこんだまま人影を見上げると、セーニャがいつものほほえみをたずさえて、マヤの顔をのぞきこんでいました。
「おはようございます、マヤさま。こちらにいらしたのですね」
「お姉ちゃん、おはよ。よく眠れた?」
セーニャはマヤのとなりにゆっくりと腰をおろすと、潮風にむかって、気持ちよさそうに目を細めました。
「はい。揺れと、波の当たる音が心地よくて。もう、運河の入り口まで来てしまったのですね」
「そうみたい。こんなおおきい船で、あんなせまいとこ通るんだね。ちょっと怖いね」
「ふふ。私も、ここを初めて通るときは怖かったですわ……マヤさま、船旅ははじめてですか?」
「うん。小舟はのったことあるんだけど。オールでこぐやつね。でも、おれさ」
マヤは、セーニャの顔を見つめて、苦笑いを浮かべました。
「兄貴とお姉ちゃんが、おおきな船に乗るって話をしてるとき、どうやって乗るんだろ?っておもってさ」
「どうやって、ですか?」
「そう。おれ、船に乗せてもらえなかったんだよ。女が船にのってるとエンギが悪い、お前はダメだって、ずっと言われてて。だから、どうすんのかなって。見つかんないように、こっそり乗るのかとおもってた」
マヤがそう言うと、セーニャはすこし首をかしげて、同情するように言いました。「まあ。私は定期船に何度か乗りましたが、断られたことはありませんね……バイキングのみなさまの、しきたりのようなものなのでしょうか?」
「どうやら、そうらしいな。オレも、旅をするようになって驚いたよ。昔はどこもそうだったらしいが、ずいぶん古い時代の話なんだとさ」
「そっかあ……」
マヤはつぶやくようにそう言って、背中をまるめて足元に目を落としました。
「男ばっかりのとこでさ。おれだけ、みんな仲間ハズレで。なんでおれだけ、兄貴やみんなとちがうのかなって、ずっとイヤだったんだけどな」
「マヤさま……」
「セーニャ、ちょっといいか?」
なにかをうったえるハリネズミを、セーニャがマヤの肩からそっと手につたわせて、顔のそばにちかづけると、昔のことを思いだしていたのだと、ハリネズミはちいさな声で事情を話しました。
セーニャはちいさくあいづちを打ちながら、ハリネズミの話をひとしきり聞きおえると、そうですか、と言って空をみあげました。
「マヤさまがどうして"おれ"と言われるのか、ずっと不思議に思っていたのですが。理由がわかった気がします」
「あっ、それはちがくて」
マヤは歯を見せて笑いながら、顔の前でぱたぱたと手を振りました。
「まわりに"おれ"しかいなかっただけ。みんな"おれ"だから、そういうもんかとおもってたんだよね。ヘンかな?お姉ちゃんみたいに"わたし"のがいい?」
「いいえ。旅をご一緒した方に"アタシ"の男性がいらっしゃいまして。女性のようなことばをお使いになるので、同じように不思議に感じたのですが。すぐに慣れましたわ」
「そーなんだ。おれとは逆で、まわりが女ばっかりだったのかな?お姉ちゃんみたいに、ひらひらした服きてた?」
「よそおいは男性のものでしたわ。あまり、ご自身のことを話されない方だったのですが、なにか深い考えをお持ちのようでした。マヤさまは、こういった衣装、お好きではないですか?」
セーニャがスカートのすそを指でもちあげてたずねると、マヤはうーん、と難しそうな顔をしました。
「わかんない。おれには、にあわない気もするし。着てみたいとおもったこともないかな、あんまし。お姉ちゃんはそういう服、すき?」
「そうですね……ふふ。あまり、考えていませんでした。私は女子ですので、こういった衣装を身につけるものだと。ただ、お姉さまはすこし嫌がっているようでした」
「ベロニカさん?性格が、おれに似てるっていってたもんね」
「ええ。里で私が身につけていた衣装、覚えていらっしゃいますか?」
「あの白いやつ?きれいだよね、あの服」
「はい。里にいるうちは、私とおそろいで、あの衣装を身につけていらしたのですが。旅の衣装を仕立てていただくときに、スカートの丈をひざまで短くされて……」
セーニャはそう言って、口元をかくしておかしそうに笑いました。
「お姉さまが身につけて見せたときの両親の顔が、いまでも忘れられませんわ」
「あはは。そっか。あんなふうに、みんなでおんなじカッコしてると、ヒトとちがうことしたくなるよね。ちょっと、わかる気がする」
「そうですね。それに……」
セーニャはなにかを言いよどむと、すこし考えこんでから、口に出しづらそうに続けました。
「反発もあったのだと思います。マヤさま、私からどんな印象を受けますか?」
「うーん。どんなって?」
「たとえば、私がマヤさまとお話していて感じるものは……そうですね、とても明るくて、快活そうで……ふふ。物怖じしないと言いますか。気が強そうに見えますね」
セーニャがそう答えると、マヤはなんとなく気まずそうに、ししっと笑いました。
「目の前のひとにそんなふうに言われるの、ヘンな気持ちになるね。お姉ちゃんは、そうだね……やさしいひとだよね。あと、おれとちがって、上品っていうか。ひとのこと、わるく言ったりしないよね。それと、なんていうか、のんびりしてるよね」
マヤがそう言うと、セーニャはしばらくのあいだ両手で顔をおさえてから、照れたように言いました。
「おかしな気分になりますね、本当に。それで、ええと……両親は、私とお姉さまをよく比べていたんです……お姉さまに、セーニャのようになりなさいと、口ぐせのように言われていました」
「ああ……そーだよね。兄貴もほんとうは、おなじこと、おもってるんじゃないかな。言わないだけでさ」
マヤがそう言うと、ハリネズミはあわてて口を開きました。
「い、いや。オレは、マヤが元気ならそれでいい。まあ、セーニャを見習ってほしいところが無いワケじゃないが。お前だって、そういうこと言われるのイヤだろ」
「やっぱりそうか。まあ、言われたところで、お姉ちゃんのマネなんか、できねえけどな」
マヤがそう言って、ハリネズミの鼻を指でぐりぐりと押す姿をみて、セーニャはおかしそうに笑いました。
ひとしきりハリネズミをいじめて満足すると、マヤは肩ごしにセーニャを見つめました。
「おれたちには、親がいないから、たぶんだけど。お姉ちゃんも、そんなふうなこと、いろいろ言われたんでしょ?イヤじゃなかった?」
「いえ。言われた通りにしていれば、褒めていただけたので……私は、そんな子供でした。ですが、お姉さまにとっては……きっと、お辛かっただろうと思います。私には、それがとても心苦しくて」
「そっか……おれはさ」
マヤは話をきかれないように、ハリネズミを両手で包み隠してから言いました。
「ほんとは、知ってたんだ。船にはのせてもらえなかったけど……兄貴とちがって、殴られたりしなかったし。兄貴とちがって、へとへとになるまでこき使われたり、しなかったんだよね。おれが、女だからでしょ」
マヤは目を伏せて、つぶやくように言いました。
「でも、おれ……そういうのがイヤだったんだ。兄貴といっしょがよかったな。お姉ちゃんは、じぶんが女の子でよかったとおもう?」
マヤがそうたずねると、セーニャはにっこりとほほえんで言いました。
「はい。お姉さまといっしょですから」
「そっか。そうだよね。うらやましいな」
マヤは手をひらいてハリネズミを肩に戻すと、元気よく立ち上がって、セーニャの手を引きました。
ふたりがあたりを見まわすと、船は海原から運河へと入りこみ、赤い岩壁のあいだを、カモメたちといっしょにゆっくりと進んでいました。
「ごめんね、ヘンな話しちゃって。もう、海みえないね」
「いいえ、こちらこそ。まだ、しばらくは着きませんから、中に戻りましょうか」
「うん。あるく旅とちがって、船はけっこうヒマなんだね。兄貴はみんなと船のってるとき、いつもなにしてたの?」
「うーん、色々だな。だれかと話してることが多かった気がする。あとは、服や荷物のちょっとした修理とかな」
「私、船の上でカードの遊び方を教えていただいたこと、覚えていますわ。雨の日など、よく遊んでいましたね」
「あっ、お姉ちゃん、カードできるんだ。もってくればよかったね」
マヤたちは、いつもの調子でおしゃべりをしながら、うす暗い船倉へつづく階段をおりていきました。
ふたりと一匹をのせた定期船は、水門をくぐって内海へと抜けだすと、砂浜へつづくちいさな入り江のそばで、錨をおろしました。
ほかの乗客たちといっしょに乗りこんだ小舟を、日にやけた船員が桟橋に漕ぎよせると、マヤは軽やかに桟橋にとびうつって、砂浜へと駆けてゆきました。
ゆるやかに寄せては返す波打ちぎわで、そっと波に手をひたして、マヤは歓声をあげました。
「ぬるい、ってよりあったかいね。すごい。おれ、海ってつめたいもんだとおもってた」
「空気が暖かけりゃ、海も暖かいんだよな。当たり前なのかもしれないが、オレも不思議に思ったな」
「な。だってさ、この海、クレイモランとつながってるんだろ?あっちの海はつめたいのにな」
「ああ……マヤ、セーニャが呼んでる。みんなとはぐれないようにな」
マヤは、砂浜をふみしめながら、数人の乗客たちのそばでおおきく手をふるセーニャのそばへと駆けもどると、ソルティコの町にむけて、いっしょに歩きだしました。
色とりどりのポピーやダリアの花が、おだやかな潮風をうけて身をゆらす草原では、花々にまけないほどのりっぱな蝶たちが、優雅におどっていました。
草原のむこうから、ふたつあわせの壁が頭をのぞかせると、やがて壁に見えたものは門であることがわかり、すぐに見上げるほどの大きさになりました。
門をくぐって、町につながる水門の上をわたると、目の前にはゆるやかにくだって砂浜へとつづく、ソルティコの町並みがひろがっていました。
町はクレイモランとおなじように石畳が敷かれ、家々は雪のかわりに真白い漆喰で化粧をほどこされていましたが、深い色の青空のせいか、クレイモランとくらべて、ずいぶんと陽気な印象をたたえていました。
「なんていうか……」
マヤはマントを片手でもちあげて、顔をぱたぱたとあおぎ、息をはずませながら、あえぐように言いました。
「おれたちの町と、おなじ世界とはおもえないね。あと、あつい……」
「きれいなとこだが、オレたちにはちょっと暑いよな……とりあえず、おつかれさん。このままイシの村に向かうのは、ちょっと無理だな。今日はこの町でゆっくりするといい」
「そうですね。まずは、宿を取りましょうか。マヤさま、どこかで少し休まれますか?」
「だいじょぶ。でも、お姉ちゃん、水筒のなかみ、まだ残ってたらもらってもいい?」
セーニャが肩にかついだ荷袋から、革の水筒をとりだして手渡すと、マヤはのどを鳴らして中身を飲み干し、ふう、とため息をつきました。
「ありがと。おれ、南のほうはストーブもたき火もいらないって聞いてさ。いいなあっておもってたんだけど。陽ざしがこんなにあつくなるんだね」
「ええ。空気のにおいもまるで違いますね。おなじ海のそばでも北のほうとは違って、潮風がすこし焼けたような、生ぬるいような、そんな香りがします」
セーニャはそう言いながら、マヤの背にまわり、マントについたフードを引きだして、すっぽりと頭にかぶせました。
「陽ざしを避けると、暑さがすこし和らぎますよ。お身体がしんどければ、言ってくださいね。それでは、まいりましょうか」
「悪いな、セーニャ。この町、たしか宿が多いんだよな。あちこちから人が集まるもんで」
「ええ、よく覚えていますわ。大勢で泊まれる宿がなかなか見つからなくて、あちこち探しましたよね。今日は、私とマヤさま、それにカミュさまだけですから、きっと大丈夫でしょう」
マヤたちが人の流れにまぎれて、家々のあいだを縫って町の中にはいりこむと、見物客を相手にしたみやげ物のお店や、料理をだすお店がたちならび、おおぜいの人たちが、めいめいに町を楽しんでいました。
セーニャは路地のなかから宿屋の看板をみつけだし、両手で扉をゆっくりと押しあけると、さほど広くはないロビーに置かれたカウンターには、だれも人がいないようでした。
セーニャはあたりを見まわすと、カウンターの奥にむかって呼びかけました。
「すみません。どなたか、いらっしゃいませんか?」
セーニャの澄んだ声が部屋にひびくと、奥の部屋からがたんと物音がきこえて、愛想のいい笑顔をうかべた女将らしい女性が顔をだしました。
「やあ、いらっしゃい、旅のお方。お泊まりですか?」
「こんにちは。はい、一晩泊めていただけましたらと。この子と二人なのですが」
「その子と二人?えーと、あなたの娘さん、じゃないわよね。妹さん?」
「いえ、家族ではありませんわ。すこし、事情がありまして」
「うーん。旦那さんも、いらっしゃらない?」
「ええ、二人だけです」
セーニャがそう言うと、女将は眉をひそめ、困ったように言いました。
「ごめんなさいね。ウチは、ワケありはちょっとね。よそを当たってもらっていいかしら」
「そうですか……わかりました。お時間取らせてしまって、申し訳ありません」
セーニャはそう言っておじぎをすると、マヤの手を引いて、ふたたび通りに出ました。
マヤは、セーニャの顔をみあげて、不安げなようすで声をかけました。
「ごめんね。おれのせいだよね」
「いいえ、マヤさまは何も悪くありませんわ。私の考えが足りませんでした。すこし、工夫が必要かもしれませんね」
セーニャはそう言って、人の気配のない路地裏にはいりこみ、ハリネズミに向かって話しかけました。
「カミュさま、なにか良い考えをお持ちではありませんか?」
「そうだな……マヤを連れて、赤の他人ってのはやっぱりマズいよな。姉妹ってことにしとくか?」
「うーん。おれとお姉ちゃん、ぜんぜん似てないけど、だいじょうぶか?目の色も、髪の色もちがうしさ」
「いや、きょうだいで瞳と髪の色が違うってのは、割とあるみたいだな。そのフード、深めに被っとけば、まあ大丈夫じゃないか。ただ、女二人ってのがな……」
「女二人は、ダメなの?」
「ああ。なかなかな。女一人でもだが……どうしてもワケありに見られちまうからな」
ハリネズミが苦々しく口にすると、セーニャは目を細めて言いました。
「そうですね……お姉さまと二人で旅をしていたころも、宿には苦労していましたわ。なにか、懐かしいです」
「ああ、そうだよな。ベロニカと二人のときは、一体どうしてたんだ?」
「それが……」
セーニャはおかしそうにくすくすと笑いました。
「たいていは、お姉さまがお怒りになられて。なにしろ、口の立つ方でしたから」
セーニャが笑いながらそう言うと、ハリネズミも声をあげていっしょに笑いました。
「はは。そうだよな。セーニャのお姉さまなら、口先ひとつでなんとかできそうだ。でもな、どうするか。セーニャに同じことはできないだろ?」
「ええ、出来ません……ですが私、思いつきました。シルビアさまのお父さま、ジエーゴさまがこちらの町にお住まいですよね?」
「ああ、そうか。頼ってみるのも、良いかもしれないな」
「はい。泊めていただくのは申し訳ないですが、宿に口を利いていただくくらいは、さほどご迷惑にはならないかと思いまして」
「そうだな。だが……」
ハリネズミはちいさな瞳でセーニャを見つめて、感心したように言いました。
「そういう"工夫"、セーニャはあまり好きじゃないかと思っていたんだが。ちょっと、意外だな」
「いけませんか?」
セーニャがはっきりとそう言うと、ハリネズミはたじろいだようでした。
「い、いや。なにも悪くない。なにも。ただ、ちょっと意外だったんだ」
「そうですね……私一人のことなら、きっとしませんね。ですが、マヤさまが一緒ですから」
「そうか……悪いな、セーニャ」
セーニャが腕を伸ばして、マヤの肩にのったハリネズミの背中をそっとなでると、マヤはフードを片手でひっぱって深くかぶりながら、力なく言いました。
「おれ、やっぱり邪魔だよね。迷惑かけて、ごめんね」
「マヤさま、そういったお話ではないんです」
セーニャはマヤの頭をやさしくなでると、フードをあげて、マヤの空色の瞳をじっとのぞきこみました。
「邪魔でもなければ、迷惑でもありませんわ」
「で、でも……おれのためって」
「これは、私のためなんです」
「お姉ちゃんの?」
セーニャはほほえみを浮かべて、ちいさくうなずきました。
「おれ、よくわかんないけど……」
「大丈夫です。私にお任せください」
セーニャはしずかな口調でそう言うと、マヤの手を取って、町の入り口に向かって元来た道をたどりはじめました。
「この町にきてから、ずっと気になってたんだけど」
セーニャに手を引かれながら、マヤはふしぎそうに言いました。
「あの、ハネの人たちってなんなの?おなじカッコした人、あちこちにいるよね」
マヤの視線のさきでは、明るい色彩の衣装をまとって、鳥たちが翼をひろげるように、背中にたくさんの羽根をつけた男たちが、楽器のリズムにあわせて軽快に踊っていました。
あたりには彼らを取りこむように、道行く見物客たちが足を止めて、たのしそうに見入っていました。
おおきな身ぶりでいっしょに踊ったり、リズムにあわせて手をたたく者もいるようでした。
「オレも気になってたんだよな。なんか見覚えがあるというか。あのカッコ、シルビアさんと似てるんだよな。シルビアさんの仲間だか友達だか、そんなやつか?」
「私も同じことを考えていました。雰囲気が似ていらっしゃると言いますか。シルビアさま、この町におられるのでしょうか」
「え?ハネのひとたち、兄貴たちのしりあいなの?」
「いや、そういうワケじゃないんだが。似てる人を知ってるもんで、もしかしたらって話だな」
「へー。いっしょに踊ったり、してたのかとおもった。あれとおなじハネつけてさ」「ふふ。私たちはしていませんが、勇者さまはマヤさまのおっしゃるとおり、いっしょにハネをつけて踊っていたと話されていました。なんでも、すごく楽しかったそうで」
セーニャがくすくすと笑うと、マヤとハリネズミもおなじように笑いました。
「言ってたな。アイツ、なんかそういう事に照れがないというか。変わったヤツだったな」
「なんか、兄貴たちから話をきくたびに、ほんとはどんな人だったのか、どんどんわかんなくなっていくな。おれも、いちど会ってみたかったな」
「きっと、マヤさまも仲良くなれたと思いますよ。残念ですね……さあ、着きました」
町の入り口、水門をわたりきってすぐの場所でセーニャたちは立ち止まりました。
家々のたちならぶ街並みの反対側には、きれいに手入れのほどこされたお庭と立派なお屋敷が、空と海を背にして堂々とひろがっていました。
セーニャたちが目をこらすと、遠くにみえる海に面した広場では、剣をもった兵士のようなひとたちと、町でみかけたハネのひとたちが、せわしなく動き回っているようでした。
庭先へとつづく門はひらいたままにされていましたが、あたりに人や門番が見当たらず、セーニャがどうしたものかと悩んでいると、不意に背後から声をかけられました。
「あら、お姉さんたち、どうしたのかしら?お屋敷になにかご用?」
甲高い裏声にセーニャたちが振りむくと、黒髪をみじかく刈り込んだ男が、体をくねくねとしならせながら、満面の笑みをたたえて背中の羽根をゆらしていました。
「ご、ごきげんよう。わたくし、セーニャと申します。ジエーゴさまにお目通り願いたく、訪ねてまいりました」
「あらま。残念だけど、パパはおネエさまと一緒にお出かけ中なのよ」
「まあ……そうでしたか」
セーニャがそう言って目を落とすと、ハネの男は明るい調子で、はげますように言いました。
「でも大丈夫よ。なにか、用事があって来たんでしょ?セザールちゃんにお願いしたらどうかしら、パパに伝えてもらえると思うわよ。さあ、こっちにいらっしゃい」
ハネの男はそう言うと、セーニャの返事もまたずに、体を揺らしながらお屋敷の扉をひらいて、中へ入るよう手招きしました。
セーニャたちがおそるおそるお屋敷に足を踏みいれると、中ではハネの男が、白髪をぴっちりと後ろになでつけた、立派な口ひげを生やした男に、なにかを伝えていました。
「ええと、お名前、なんと言ったかしら?」
ハネの男がセーニャに向かってそう呼びかけると、白髪の男は、セーニャが答える前に口を開きました。
「おお、セーニャ様ではございませんか?」
「まあ、お知り合いだったのね。それなら話が速いわ」
白髪の男は品のいいほほえみをたたえて、ゆっくりとセーニャたちに歩みより、うやうやしく頭をさげました。
「ようこそおいでくださいました。私のことを、覚えておいででしょうか。セザールと申します」
「ええ、もちろんです。水門を開いていただいたときに……その節は、お世話になりました」
セーニャが頭をさげると、マヤも真似をするように、ぺこりと頭をさげました。
「お力になれたのなら、私もうれしいです。さて、お話はうかがいました。申し訳ありませんが、旦那様はお屋敷をあけておられまして。旦那様のお顔を見に来られたのでなければ、ご用件は私がうかがわせて頂きます」
「ありがとうございます。実は――」
セザールはちいさく相づちを打ちながら、セーニャの話を聞きおえると、ぴんと背筋をのばしたままわずかにうつむき、すまなそうに言いました。
「そうでしたか。町の者が、大変失礼を致しました」
「いいえ、セザールさまのせいではありませんわ。それに、慣れたことですから」
「ご苦労をされましたね。ですが、ご安心ください。少々お待ちを」
セザールがすこしはなれて様子をうかがっていたハネの男に手で合図をして、なにかをひそひそと耳打ちすると、ハネの男は真面目な顔をして、背中のハネをゆさゆさと羽ばたかせながら、外へと駆けだしてゆきました。
お屋敷にはどこか不似合いな光景に、マヤがくすりと笑うと、セザールは目を細めて言いました。
「旦那様のお屋敷にお泊まりいただいてもよろしかったのですが、きっと気を遣われるだろうと思いまして。勝手ながら、宿の手配をさせて頂きました。こちらから、門を出てまっすぐ進んだ突き当り、二階にバルコニーのある宿です。どうか、ゆっくりと休まれてください」
セザールの言葉に、セーニャはきょとんとしていましたが、はっと気が付いたようにお礼を述べました。
「あ……ありがとうございます。ご迷惑をおかけしてしまって、すみません。ジエーゴさまと、シルビアさまに、お世話になりましたこと、お伝えくださいませ」
「お礼には及びません。旦那様も、坊ちゃまも、きっとセーニャ様にお会いしたかったと思います、残念ですね。訪ねてこられたこと、しっかりとお伝えしておきます。町にいらっしゃる間、なにか困った事がありましたら、どうぞ気兼ねなくお申しつけください」
セーニャはもう一度お礼を言ってお屋敷を出ると、空をあおいで、ふう、と大きなため息をつきました。
マヤはセーニャとすこしはなれたところで立ち止まって、ハリネズミにひそひそとはなしかけました。
「えーと……コトバがむずかしくて、よくわかんないけど。うまくいったのかな?」
「ああ。宿を取ってもらえたみたいだ。良かった」
「そっか」
マヤは小走りに駆けよって手を取ると、セーニャがどことなくうつろな表情をしていることに気が付いて、心配そうに声をかけました。
「お姉ちゃん、だいじょうぶ?」
「ええ。少し、緊張していただけですわ。目上の方とお話することに、あまり慣れておりませんので」
「ごめんね、おれ、いつもだまってるだけで。あのコトバづかい、ぜんぜんできないから」
「いいえ。こうして旅をご一緒した甲斐があるというものです」
「かい?ってなに?」
マヤがそう言ってセーニャを見あげると、セーニャはふふっと目を細めました。
「すみません、コトバが混ざってしまいました。お役に立てたのならよかった、ということですよ。では、まいりましょうか」
マヤたちがお屋敷をあとにして、ふたたび人の流れに混じって通りを歩いていると、ひとだかりの向こうで、さきほどと同じように、ハネの人たちが踊っているようすが目に入りました。
踊っているひとたちも、あたりを取りかこむひとたちも、みな一様に楽しそうに見えました。
「ハネのひとたち、あのお屋敷のひとだったんだね。みんな、さっきのひとみたいに、女みたいなコトバでしゃべるのかな」
「はは。たぶんそうだろうな。屋敷に居たってことは、連中の親玉がそうだからな」「そーなんだ。さいしょはちょっとキモチわるいとおもったし、おもしろいとおもったんだけど……なんかさ、おれもヒトから見たら、たぶんあんなかんじなんだろうなって、いまはおもってる」
しみじみとそう言うマヤに、ハリネズミはかける言葉が見つからず、助けをもとめるようにセーニャを見つめました。
セーニャはハリネズミに目くばせすると、歩きながらすこし考えこみ、やさしく言いました。
「イヤですか?」
「うん。たぶんだけど。あのひとたちって、笑ってもらいたくて、やってるんでしょ。でも、おれ、ヒトに笑われたり、キモチわるいっておもわれるの、イヤだな」
「そうですね……」
セーニャはまじめな顔をして、もういちど考えこみました。
「二つ、考え方があると思います」
マヤがだまったままセーニャを見あげると、セーニャは諭すようにつづけました。
「ひとつは、そうですね。皆と同じよう、目立たないようにふるまえば良いのですが。それとは別に、もうひとつ。気にしなければ良いのですよ」
「そんなこと、いわれてもさ……」
マヤが不満げに口をとがらせると、セーニャは眉をつりあげて、だれかの真似をするように、声をつくって言いました。
「バカね。そんなこと気にするなんて。アンタ、他人のことを笑うような人間と、ホントに付き合いたいと思う?あたしはゴメンね。笑うヤツには、笑わせとけばいいのよ。あたしはあたし。他人がどう思うかなんて、どうだっていいわ」
おどろいて目をまるくするマヤに、セーニャが歯をむきだして笑顔を見せると、マヤはおかしそうに、ししっと笑いました。
「そーだね……それ、だれのマネ?」
「セーニャのお姉さまだな。はは。よく似てた。いかにも、アイツが言いそうなセリフだ」
「そーなんだ。おれに似てるって、いってたけどさ。おれなんかより、ずっと……なんていうか、つよいヒトだったんだね」
「私の、自慢のお姉さまですから」
セーニャが得意げにそう言うと、マヤはどことなくすまなそうに、ほほえんで見せました。
マヤたちは通りの突きあたりで、宿屋の看板をみつけると、二階へとつづく外階段のさきにバルコニーのあることをたしかめてから、扉をひらいて中へ入りました。
絵画や鉢植えでかざられた横長にひろいロビーには、いくつかのイスやテーブルが整然とならべられており、何人かの客たちが、のんびりとくつろいでいました。
カウンターには、赤毛を三つ編みにたらした、桃色の服をまとった女が、姿勢よくあたりのようすをうかがっていました。
セーニャたちがカウンターに近づいて声をかけると、女は品のいい笑顔をくずさないまま、ごきげんよう、とあいさつをしました。
「ごきげんよう……私、セーニャと申します。あの、宿のことでお話が」
「すみません、お泊まりの方はあちらのほうへ」
女が手のひらでしめした先では、カウンターの上にのった青いスライムが、笑っているかのように口をひらいて、セーニャを見つめていました。
「え……そ、そうですか。それでは」
セーニャたちが正面に立つと、スライムはぷるぷると身をゆらしながら、声をかけました。
「ごきげんよう。金色の髪に緑のヘアバンド、お話うかがっておりますわ。セーニャ様で間違いありませんか?」
「え、ええ。私がセーニャです」
「ようこそおいでくださいました。お部屋をご用意させていただきましたので、どうぞごゆっくりご滞在くださいまし」
「あ、ありがとうございます。助かりますわ」
セーニャがそういっておじぎをする横で、マヤはハリネズミにちいさな声で話しかけました。
「おれ、スライムをそばでみるの、はじめてかも。スライムって、しゃべるんだな……」
「なんだか、時々しゃべるのがいるんだよな。全部ってわけじゃないんだが。不思議だ」
「へー。なあ、さわったら怒られるかな?」
「聞いてみちゃどうだ?」
ハリネズミがそう言うと、マヤはスライムに顔を近づけて、表情を真似するように、にかっと笑いました。
「ねえ、スライムさん。ちょっと、さわらせてもらってもいい?」
「ええ、どうぞ。どうしてみなさん、わたくしの身体に触れたがるのでしょ。ふふふ」
マヤが両手で頬をなでるようにスライムに触れると、すこし湿り気をかんじる肌は思いのほか弾力があり、人肌とおなじ程度に柔らかいものの、指が入りこんだりはしないようでした。
頭や背中をなでまわして、口のはしに両手の指をさしこんでむにっと伸ばすと、マヤはおお、と感心したような声をあげて、満足そうにツノをつつきました。
「ありがと。なんていうか、もっとひんやりしてるのかとおもってたんだけど。けっこう、あったかいんだね」
「なにしろ、私たちもこうして生きているわけですから。ただ、寒いところに行きますと、身体が冷えて硬くなってしまいますわ。苦手です」
「そうだったんだ。スライムも、なかなかたいへんなんだね」
マヤとスライムのやりとりをながめていたセーニャが、自分も触ってみたそうに指を伸ばすと、スライムはおおきな瞳でセーニャをみつめて、なにかを思いだしたようにあっ、と声をあげました。
「すみません。申し忘れていましたが、ことづけをお預かりしておりまして。お代の心配は無用ですので、幾日でもゆっくりされてください、とのことです」
「まあ、それは……ありがとうございます」
セーニャはお礼を言って、スライムの頭をぷにぷにとなでました。
セーニャが受け付けのスライムを抱きかかえて階段をのぼると、スライムは二階の海側のドアのひとつに、ふたりを案内しました。
スライムは、おじぎをするように顔を伏せ、それでは、とあいさつをすると、ぽよぽよと床を跳びはねて、転がり落ちるように階段をくだっていきました。
ふたりが扉をあけると、それほどひろくはないものの、ロビーと同じようにこぎれいに飾られた部屋のなかに、寝心地のよさそうなベッドが二台ならんでいました。
マヤが部屋の奥からベランダに出ると、町のたかいところある宿からは、空に負けないくらい青い海と、真白い砂浜へとゆるやかに下る町並みが、目の前にひろがっていました。
「すごい。おれ、海なんかキライだったんだけど。ここの町の海は、きれいだね」
「ああ。オレも海なんか嫌いだった。マヤと同じで、暖かい海を見て、考え方がちょっと変わったな」
マヤは中にもどってテーブルの上の水差しをみつけると、そばに並んだガラスのコップのなみなみと注いで一気に飲み干し、ふう、と大きなため息をつきました。
「これ、なんか果物の味がついてる。ちょっとあまずっぱい」
「へえ、気が利いてるな。なあ、セーニャにも注いでやってくれるか」
マヤは自分のぶんともうひとつのコップに水を満たすと、ひとつづつを両手にもって、ベッドに座って荷ほどきをしているセーニャに片方を手渡して、となりに座りました。
マヤがコップの水をすこし手ですくって、肩のあたりにさしだすと、ハリネズミは細い舌を伸ばして、ちろちろとなめました。
セーニャは二人のようすを見ながら、受け取ったコップの中身を半分ほど口にすると、マヤがしたのとおなじように、ふう、とため息をつきました。
「すみません、気が付かず……ありがとうございます。なんだか、ずいぶん良いお部屋ですね」
「そうだな。オレたちだけじゃ、ちょっと泊まれない部屋だな」
「ええ。なんだか、悪いことをしてしまいました。お任せくださいなどと、大きなことを言ったところで、けっきょくは私、他人に頼ってばかりですね」
セーニャがうつむくと、マヤはセーニャの肩を、指でつんつんと突っつきました。
「ねえ、お姉ちゃん。おれなんか、ただくっついて歩いてるだけでさ。お姉ちゃんがそれをいうとさ、なんか、すごく……かなしいキモチになる。おれ、お姉ちゃんがついてきてくれなかったら、きっとこの町にきても、どこか外で寝てたとおもう」
マヤが眉をひそめてそう話すと、セーニャはすこし口元をゆるめました。
「すみません。私、マヤさまの気持ちを考えていませんでしたね……」
セーニャの言葉をさえぎるように、マヤはもういちどセーニャをつっついて、にかっと笑いました。
「ちがくて。宿がみつかったね、なんとかなったね、よかったねって……うまく言えないけど、おれ、そういうのがいい」
マヤの言葉に、セーニャはなにかに気が付いたように、はっと目を丸くしました。
視線をおとして、思いをめぐらせるように片時だまりこむと、やがて片手でゆっくりと目元をぬぐい、マヤの瞳をのぞきこみました。
「そうですね……そうでした。私、いろんなことを忘れていたみたいです。ありがとうございます、マヤさま」
「だ、だからさ。そうじゃなくって」
マヤが困ったように口をはさむと、セーニャは眉をつりあげて、いつもとちがう調子で口をひらきました。
「いいお部屋を用意してもらえて、よかったわね。あたしたちには、もったいないくらいだわ。いつか、ちゃんとお礼を言わないとね。ねえ、ちょっと休んだら、砂浜に遊びに行きましょうよ」
声を作ってベロニカの真似をするセーニャに、マヤはハリネズミといっしょに、声をあげてけらけらと笑いました。
「それ、おもしろいね。だけど、そう。そんなかんじがいい。ねえ、お姉ちゃん。そのマネ、ずっとやらない?ハネの人たちが、ずっと女のマネ、してるみたいにさ」
「ふふ。マヤさまが、ずっと私の真似をしてくださるのなら、そうしてもよろしいですよ」
「そりゃ面白いな。マヤ、そうしろよ」
マヤがだまっていろとばかりにハリネズミの鼻を指ではじいて、ハリネズミが甲高い声で悲鳴をあげると、セーニャは口元をおさえて、おかしそうに笑いました。
ふるさとの北国にくらべてずっと長い一日に疲れたのか、なれない南の国の暑さがよほどこたえたのか、ふかふかのベッドの上で、マヤは日のあるうちから寝息をたてていました。
ながかった今日がようやくおわりを迎えようと、世界をあざやかな朱色に染めるころ、ハリネズミはベッドの上で、困りきったようすで、すがるようにマヤに呼びかけていました。
「マヤ、なあマヤ。悪い、起きてくれないか」
ハリネズミが何度も呼びかけるうち、マヤはようやく声に気がつくと、むくりと体を起こし、夕日にうつくしく染まる窓の外をぼんやりとながめて、眠たそうに眼をこすりました。
「ああ……もう、夕方なんだ。すっかり寝ちまった。兄貴、どーしたの……」
「マヤ、起こしてすまん。セーニャが戻ってこないんだ。外を歩いてくるって言ってたんだが……何かあったならマズい。ちょっと、探しに行ってもらえるか」
マヤはあたりをきょろきょろと見まわして、セーニャがいないことをたしかめると、うーん、とうなり声をあげながら、両腕をたかくあげて体を伸ばしました。
「わかった。どこに行くっていってた?」
「いや、それが何も。ちょっとお散歩に、くらいの感じだったな」
「そーなんだ……夕焼け、きれいだな。お姉ちゃん、どっかですわって、ながめてんのかもね」
「ああ、それならいいんだが。念のためな」
マヤは立ちあがってお気に入りのマフラーをくるくると首元に巻きつけると、左肩にハリネズミをのせて、部屋を飛びだしました。
階段をリズムよく駆け下りると、レストランも兼ねたロビーでは、お肉やお魚の焼けるおいしそうなにおいに包まれて、数人の客たちが食事を楽しんでいるようでした。
ロビーからでも奥をみわたせるキッチンの中で、見たことのない食べ物にかこまれてせわしなく働くコックたちを、マヤが感心したようすで眺めていると、ハリネズミがあたりに聞こえないように、声をひそめて耳打ちしました。
「マヤ、あそこだ。海側の、いちばん奥の席」
「ん?あ、ほんとだ。なーんだ、ここにいたのか。あれ、でもだれかといっしょだな」
広いロビーの片隅のテーブルでは、セーニャが黒い髪をした背の高い男と、身ぶりをまじえながら、たのしそうになにかを話しているようでした。
「あれ、シルビアさんだな。町に戻ってきてたんだな」
「へー、さっきはなしてたヒトか。兄貴、お姉ちゃんをとられちまったな」
マヤがからかうようにそう言うと、ハリネズミは黙りこんでしまいました。
笑いを噛み殺しながら、マヤがゆっくりとセーニャたちのテーブルに近づくと、セーニャはすぐに気がついたようでした。
セーニャがマヤに声をかけようとすると、セーニャがなにかを口にするより早く、いっしょにテーブルについていたシルビアが、イスからすっと立ちあがり、マヤのそばでひざまづいて、両手を取りました。
「マヤちゃん!元気そうじゃない!良かったわあ、アタシ、ずっと心配してたのよ。ねえ、お兄ちゃんとは仲良くやってる?」
どこか涼しげな印象をうける、切れ長な目元の奥の、兄妹より灰色がかった青いひとみに見つめられると、マヤは言葉に詰まってしまいました。
「あっ、いきなりゴメンね、マヤちゃん。会えてうれしいわ。ね、座ってお話しましょ」
シルビアは立ちあがってセーニャのとなりのイスを引くと、マヤの背中にそっと触れて、席につかせました。
「アタシ、シルビアって言うの。マヤちゃん。ね、アタシたち、はじめましてじゃないんだけど。アタシのこと、覚えてないかしら?」
「う……えっと……あの……」
マヤが助けを求めるようにセーニャに視線をおくると、セーニャは心配のいらないことをしめすように、おだやかなほほえみを返しました。
「シルビアさまは、勇者さまといっしょに旅をされた方ですよ。私とカミュさまも、とてもお世話になりました」
「あ……そ、そうなんだ。でもおれ、会ったこと……」
マヤは、はっとなにかに気がつくと、かぼそい声で、おそるおそるシルビアにたずねました。
「たぶん、だけど……おれを、クレイモランで、たすけてくれたヒト?」
シルビアがええ、とうなずくと、マヤは肩をおとして、すまなそうに言いました。
「ごめんね。おれ、あんましおぼえてないんだ。すごく、ツラい夢をみてて、兄貴たちが助けにきてくれたって、そのくらいのかんじで。それで、おれ、みんなにひどいことしたんだろ」
マヤがそう言うと、シルビアは胸のまえで両手をあわせて体をしならせると、明るい調子をつくっていいました。
「そんなことないわ。悪いのはマヤちゃんじゃないって、みんなちゃあんとわかってるんだから。辛いことを思い出させちゃって、ゴメンなさいね。それじゃ、あらためて。よろしくね、マヤちゃん」
「うん……よろしくね、シルビアさん」
「シルビアでいいわよ。呼んでみてちょうだい」
さあ、とでも言うように、両手をひろげて笑顔をみせるシルビアに、マヤは照れたようにつぶやきました。
「シルビア、よろしくね……ねえ、兄貴たちが、言ってたんだけど。この町のさ、ハネの人たちって、シルビアのナカマなの?」
「ええ、そうよ。みんな、アタシのおトモダチ。楽しいでしょ?マヤちゃんも一緒に踊ってみる?」
「や、やだ。おれはいい」
マヤが両手をつきだして、あわててそう言うと、セーニャはおかしそうに笑いました。
「それで、お話しましたよう、こちらのハリネズミがカミュさまです……人目がありますので、こちらでは話すことができませんが」
「まあ。かわいそうにね、カミュちゃん。ねえ、触ってもいいかしら」
マヤがハリネズミを肩から手につたわせて、シルビアが差しだした両手にそっと乗せると、シルビアはまあ、と歓声をあげました。
「なんてカワイイの。へえ~、背中のハリってこんなカンジなのね。アタシも、触るのははじめて。お鼻がずっとひくひく動いているのはなにかしら。カミュちゃん、おいしそうなにおいがする?なにか食べるかしら?」
シルビアがテーブルの上のナッツをひとつつまんで差しだすと、ハリネズミは二つの足でたちあがって両手でうけとり、かりかりとかじってみせました。
シルビアはすっかり言葉を失ったまま、しばらくのあいだ見つめていましたが、やがて言葉にならないおおきな悲鳴をあげて、ハリネズミに頬をおしつけ、口づけをしました。
されるがままになっているハリネズミを見て、マヤは同情するようにいいました。
「あはは……兄貴、なんかかわいそ。とめてあげたほうが、いいかな……」
「ふふ。いじめられているわけでは、ありませんので……でも、遠慮がありませんね……」
シルビアの執拗な愛情表現に、ハリネズミはやがて音をあげて、うめくようにつぶやきました。
「ちょ……シルビアさん……もういい……たのむ、やめてくれ……」
「まあ、しゃべったわ!イイわね……ねえ、マヤちゃん。お兄ちゃん、アタシにもらえないかしら?大切にするわ」
「だ、だめ」
マヤがあわててシルビアの手からハリネズミを取りもどすと、シルビアは片手で口元をかくして、おほほ、と笑いました。
「ゴメンね、マヤちゃん。冗談よ、冗談。でも、そうね、ここじゃカミュちゃんがお話できないわよね。ねえ、ちょっとイイお店があるの。お食事しながら、お話しましょうか」
シルビアはすっと立ちあがると、マヤとセーニャの手を順番にとって、席を立たせました。
外はすっかり暗くなっていましたが、ソルティコの町は夜のおとずれを拒むかのように、あちこちでたいまつを燃え上がらせ、幻想的な雰囲気をかもしていました。
夜でも人の出のおおい通りを、マヤたちはシルビアに連れ添われてゆっくりと歩き、やがて一軒のお店のまえで足をとめました。
「ごめんなさいね、ちょっとここで待っていてもらえるかしら」
シルビアはふたりにそう告げて、そばのベンチに腰をおろさせると、しずかに扉をひらいて、お店の中へ消えてゆきました。
となりにすわるセーニャにちらりと目くばせをして、マヤはふしぎそうに言いました。
「なんかさ。ハネの人たちも、そうだったけど……女みたいなしゃべりかた、してるけど。うまくいえないけど、なんか、ちゃんとしてるよね。ヘンなかんじ」
「そうですね。これは、私の考えなのですが……先ほど、お屋敷でお世話になったセザールさま、覚えていますか?」
「うん。白髪の男の人だよね。すごく、むずかしいコトバでしゃべる、ちゃんとした男の人」
「ええ。マヤさま、あの方とおしゃべりができますか?たとえば、ここまでの旅のことや、この町のこと、何でもかまいませんが」
「むり。ぜったい」
マヤがくすっと笑って、すぐにそう答えると、セーニャも同じように笑いました。
「そうですよね。私も難しいです。きっと、そういった理由ではないでしょうか?マヤさまの言われるような"ちゃんとした"男性とは、なかなかお話しづらいですが。シルビアさまや、ハネのみなさまのように振る舞っておられましたら、おそらくは」
「あっ……そーだよね。カッコつけたり、ミエをはるのと、逆っていうか。そっか」
マヤたちがそんな話をしていると、シルビアはすぐにふたりの元に戻ってきて、お店の建物の裏手の、めだたないところにある扉へ案内しました。
こじんまりとした部屋のなかでは、壁にかけられたいくつかの燭台にかこまれるように、テーブルの上のランプがあたりを照らしていました。
シルビアがイスを引いてふたりを席につかせ、お店の中へつづく扉をすこし開いてなにか合図をすると、白いエプロンをかけた男が、透明なガラスでできたツボのようなものを、いくつかのグラスといっしょに、トレイの上からテーブルにならべました。
男がおじぎをしてドアの向こうへ戻っていくと、シルビアはにっこりと笑って、ハリネズミに話しかけました。
「ここなら、ゆっくり話せるわ。カミュちゃん、お久しぶり。大変だったわね」
「……シルビアさん、久しぶりです。宿のことと言い、ずいぶん世話になっちまって。すみません」
「いいのよ。水くさいこと言わないでちょうだい。お話したいことはいっぱいあるけど、まずは乾杯しましょうか。マヤちゃんは、お酒じゃないほうがいいわよね?」
「そうすね、できれば。マヤも、飲めないことはないんですけど」
ハリネズミがそう答えると、マヤはしぶい顔をして言いました。
「うん。ちょっとだけ、飲んだことはあるんだけど。なんでみんな、こんなまずいもの、飲んでるのかなっておもった」
「ふふ。お酒にも種類があってね。苦いの、辛いの、甘いのって、色々あるのよ。いつか、マヤちゃんにもお気に入りが見つかると思うわ。でも、とりあえず今日はこれね。マヤちゃんのための特別製よ」
シルビアはそういって、オレンジやレモンにベリー、それに見なれないたくさんの果物のはいったビンから、マヤの目の前においたグラスに中身をそそぐと、しゅわっと泡だって、あたりにあまい香りが広がりました。
「セーニャちゃんは、ぶどう酒好きだったわよね?」
「はい。渋みの強いものは、あまり得意ではありませんが」
「それなら、大丈夫よ。これ、とっても甘いのだから」
シルビアは、マヤに注いだものと同じように、果物たちがぶどう酒に浸かったもうひとつのビンから、セーニャのぶんと、自分のぶんをグラスに注ぐと、あっと声をあげました。
「カミュちゃんは、お酒ダメよね?」
「はは。そうすね、ハリネズミは酒が飲めるのか、自分でもワカんないんで。やめときます」
「じゃあ、マヤちゃんが代わりにやってあげてね」
シルビアはマヤの左手にもグラスを持たせると、中身を満たして、満足そうにうなずいて、席にもどりました。
「これでいいわね。それじゃ……かんぱーい!」
三人が四つのグラスをかちん、と音をたてて合わせると、マヤは自分のぶんを飲み干そうとして、げほげほとむせました。
「どうした、マヤ。大丈夫か?」
「……うん。ちょっと、びっくりしただけ。なんだろ、これ。ぱちぱちする」
「ソーダって言うのだけど、マヤちゃん、苦手だったかしら?」
シルビアが心配そうにマヤをのぞきこむと、マヤは首を横にふって、グラスを空にしました。
「うん。うまい。もっともらってもいい?」
シルビアはにっこりと目を細めて、マヤのグラスにおかわりを注ぎました。
「ねえ、シルビア。これってなに?」
「これはタコよ。タコをオリーブの油と、ニンニクで煮たお料理なの」
「タコって、あのタコ?足がいっぱいで、にょろにょろしてるやつ?」
タコの真似をするように腕をくねくねと動かすマヤに、シルビアがええ、とうなずくと、マヤはおえっ、とわざとらしく言って、眉をひそめてみせました。
思いもよらず、すぐにシルビアと打ち解けたようすのマヤを見て、ハリネズミはすっかり安心したようでした。
「オレも最初は、こんなもん食うのかと呆れたんだが。慣れたらウマいぞ。食ってみろよ」
「えー……ねえ、お姉ちゃんは食べられる?」
マヤがそう聞くと、セーニャはだまったままタコを一切れ口にして、いかにもおいしそうな表情で食べてみせました。
酔いがまわったのか、すっかり口数の少なくなったセーニャのようすを見て、マヤはおかしそうに笑いました。
「あはは。お姉ちゃん、なんでもおいしそうに食べるよね。おれも食べてみるか」
マヤもタコを口に放り込んで、もぐもぐと噛みしめると、難しそうな顔を浮かべました。
「うーん。味はウマいとおもうけど……なんかね。もとのカタチを、考えちゃって。ダメだな」
「ふふ。無理しなくていいわよ。こっちはどう?」
シルビアが黄金色に焼き上げられた丸いケーキのようなものを、切りわけてマヤの前にさしだすと、マヤはもぐもぐと口にしながら、にこっと笑顔をうかべました。
「うまい。たまごとおイモと、きのこかな。ニクもはいってるね。これ、すきだな」
「それ、ウマそうだな。オレももらって良いか?」
和やかに食事をすすめるふたりと一匹の横で、セーニャはなにも話さずに、目の前にならべられた料理を、手当たりしだいに胃に収めていました。
幸せそうに食べるすがたを、マヤたちもはじめのうちはにこにこしながら見ていましたが、あまりにも言葉をしゃべらないので、しだいに不安になり、マヤはおずおずと声をかけました。
「ねえ、お姉ちゃん?そんなに、おなかすいてたの?」
セーニャはなにかを答えるかわりに、すこし首をかしげてほほえみました。
なにも言わずに、ぶどう酒のグラスに伸ばそうとしたセーニャの手を、シルビアはあわててつかみました。
「セーニャちゃん、もうやめておきましょ。お酒は弱くないはずなんだけど、今日はよっぽど疲れていたのかしら。ちょっと、飲ませすぎちゃったわね」
シルビアは弱った顔でそう言いましたが、セーニャはゆらゆらと揺れながら、いつもと変わらないほほえみを浮かべるばかりでした。
「……ダメっぽいな」
「うん。どうしよ。宿にもどったほうが、いいよな」
「ごめんなさいね、アタシが送っていくわ。それと、お話はだいたいわかったわよ。ロウちゃんのところ、アタシも行くことにするわ」
シルビアはきっぱりとそう言って、マヤを見つめてウインクしました。
「えっ、ほんとに。でも、いいの?」
「もちろん。女の子が二人で苦労してるのに、アタシだけ見てるワケには行かないわ。カミュちゃんの事も心配だしね。でも、そのお話はまた明日にしましょ」
シルビアは席を立つと、セーニャに歩みよって、手を取りました。
「セーニャちゃん、立てるかしら?」
ふらふらと立ち上がったセーニャのまえで、シルビアは背中を向けてかがみこみ、両手を首に回させると、もものあたりを抱えて背負い、よっ、とかけ声をかけて立ちあがりました。
「マヤちゃん、悪いけど扉を開けてもらえるかしら?」
「う、うん。シルビア、チカラもちだね」
「うふふ、ありがと。マヤちゃんたちも行きましょ」
マヤが急いで立ちあがり、扉をひらくと、シルビアはしっかりとした足取りで、宿へ向かって歩き出しました。
まんまるの月と、通りでゆらゆらとゆれる松明のともしびに照らしだされた、セーニャを背負うシルビアのすがたを目にして、マヤは不意に足をとめました。
立ちどまったまま、ぼうぜんとふたりを見つめるマヤに気がついたハリネズミは、ちいさな声で呼びかけました。
「マヤ、どうした?マヤ?」
ハリネズミの声も、マヤには届いていないようでしたが、シルビアがようすをうかがうように後ろを振りかえると、マヤは、はっと気がついたように、片腕で顔をごしごしとこすって、歩きだしました。
「マヤ?だいじょうぶか?」
ハリネズミが心配そうに声をかけましたが、マヤはだまりこんだまま、すこし離れてシルビアたちのうしろをついていきました。
宿にたどりついたシルビアは、セーニャを背負ったまま、すこし重そうな足音をたてて階段をのぼりきると、ふう、と小さく息をつきました。
マヤがいそいで扉をあけると、月明かりのさしこむ部屋は、テーブルの上に置かれたランプのともしびの色に、ぼんやりと染まっていました。
シルビアはセーニャをそっとベッドに降ろし、子供のように抱きかかえて、枕に頭をのせて寝かせました。
「ごめんね、セーニャちゃん。ねえ、マヤちゃん、悪いけど、セーニャちゃんが目覚めたら、お水をたくさん飲ませてあげてもらえるかしら」
「うん。お姉ちゃん、だいじょうぶかな?」
「ええ。疲れていたのよ、きっと。明日、また様子を見に来るわ。それじゃ、ゆっくり休んでちょうだいね。それじゃ、おやすみなさい」
「ありがと、シルビア。おやすみね」
シルビアがウインクをして部屋から出ていくと、マヤはベッドで眠るセーニャに、そっと毛布をかけました。
マヤは自分のベッドの枕もとにハリネズミをおろして、ごろんと横になると、うすぐらい天井をぼんやりと見つめたまま、ハリネズミに話しかけました。
「なあ、兄貴」
「ああ」
「兄貴はさ、シルビアみたいに、なりたいって思う?」
「なりたい?あんな感じでしゃべって、ハネの連中みたいになりたいかってことか?」
「ちがくて。なんていうか……あんなふうな、ちゃんとした人に、あこがれたりする?」
マヤがそう言うと、ハリネズミは、ははっと笑いました。
「ちょっとな。憧れようにも、遠すぎるんだよ。オレは、あんな風にはなれないよ」
「へへ。そーだよね……って言うのは、さすがにヒドいよな」
「いいや。オレにだって、そのくらいはわかってるよ」
マヤは、ししっと笑ってハリネズミに背を向けると、つぶやくように言いました。
「なあ、兄貴」
「ああ」
「笑わないか?」
「ああ。笑わないよ。約束する」
マヤは片時だまりこむと、ぽつりと言いました。
「おれ、さ。なんか、見とれちまった」
「シルビアさんにか?」
「ううん。ふたりに。お姉ちゃんが、シルビアに、背負ってもらってるのみてさ。なんか、うまくいえないけど……あのふたり、きれいだなって、おもった」
「ああ、そうだな。きれいな姿だった」
「そんでさ……おれ、おもったんだ。おれ、あのふたりの、どっちにもなれねえんだなって。そうおもって、なんか……すごく、かなしかった」
「そうか……まあ、オレにもなれやしないんだが……そんな話じゃないよな」
「うん。おれ……なんだろ。うまくいえないや……」
兄妹はすっかりだまりこみ、しずけさが部屋を包みこみました。
やがて、となりのベッドから、ベッドの上でシーツのこすれる音がきこえると、マヤはそっと立ちあがり、ハリネズミをかかえて、セーニャを見つめました。
「お姉ちゃん、だいじょうぶかな」
「大丈夫、眠っているだけだよ。はは。明日の朝は、ちょっとツラいかもしれないが。マヤも寝たらどうだ」
「そっか。そーする」
マヤはセーニャの頭をそっとなでて、おやすみ、と小さく声をかけると、自分のベッドにもぐりこんで、眠りにつきました。
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マヤとセーニャのものがたり 5
ソルティコの町を出発したマヤたちは、一夜の野営をはさみながら、落ちた大樹のひろげた炎でいくぶん風通しのよくなった密林を抜けて、ふかい山間へとすすんでいきました。
山肌がむきだしになった谷間に沿ってうねうねと伸びる山道を休み休み歩くと、やがて空がぱっとひらけて、見晴らしのいい丘が山あいに横たわっていました。
丘をつつんでいたはずの緑はあちこちが黒く焼けこげていて、なにかの建物の名残りであろうガレキの山が、あたり一面にちらかっていました。
「まあ……このあたりは、ずいぶんヒドいわね」
シルビアがあわれみを込めてそう言うと、セーニャは歩きながら顔を曇らせました。
「ええ。大樹さまからとおく離れた土地も、このように荒れてしまっているのですね……ソルティコのあたりは無事でしたのに」
「そうよね。そんなに距離があるわけじゃないのに、ここは特にヒドい気がするわ。そういえば、セーニャちゃんのふるさとも同じくらいヒドかったわよね……どう?少しづつ、元に戻っているかしら?」
「あまり、はかどっているとは言えませんね。人手が足りていませんので、どうしても……」
かなしみの色を浮かべながら、足並みをそろえて進むセーニャとシルビアを見て、すこし後ろをついて歩くマヤは、機嫌のよさそうにハリネズミに話しかけました。
「兄貴さあ。お姉ちゃん、すっかりシルビアにとられちゃったね」
「そうだな。まあ、積もる話もあるだろ。ジャマすることはねえさ」
気のない返事をかえすハリネズミに、マヤはししっと笑いました。
「つまんないこと言うな。なあ、おれがジャマさせてやろうか?」
「お前な……」
ハリネズミはあきれたように言いました。
「まさか、マヤに気を回されるとはなあ。わが身が悲しいよ、まったく」
「へへ。でもさあ、お姉ちゃんとシルビア、おにあいってカンジだよね。まあ、ハリネズミじゃ、勝負にもならねえよな」
そう言ってけらけらと笑うマヤの肩の上で、ハリネズミはそういうことか、と小さくつぶやき、冗談めかして言いました。
「ああ、ならねえが、勝負するつもりもねえから、安心しろ。オレはどこにも行かねえよ」
「あはは。そんなこと、言うなって。まあ、とにかく、まずは人間にもどらないとだな」
マヤの笑い声に気がついたシルビアは、歩きながらうしろを振りかえり、目を細めて声をかけました。
「マヤちゃん、山道で疲れてないかと思ったのだけど、元気そうね。きっと、もうすぐ着くわよ。ねえ、お兄ちゃんと何を話しているの?」
「うん。シルビアとお姉ちゃん、仲がいいよねって。ねえ、兄貴は旅のあいだ、みんなと、なかよくやれてたの?」
「ええ、もちろんよ。だけど、やっぱり若い子同士のほうが仲が良かったみたいね。アタシが出会ったときは、カミュちゃんと勇者ちゃん、それにセーニャちゃんとベロニカちゃんの四人だったのだけど。ちょっと妬けるくらいだったわ」
「まあ。シルビアさまには、そのように見えていらしたのですね」
セーニャはそう言って歩調をゆるめてマヤのとなりに並び、ほほえみかけました。「カミュさまと勇者さまは、とても親しくされていて。はじめて出会ったときは、ご兄弟なのかと思いました。私、男の方とあまりお話したことがなかったので、不安だったのですが……おふたりには、なにかと気にかけていただけまして。すぐに慣れましたわ。カミュさまには、ずいぶん気をつかわせてしまったかと思います」
「い、いや。オレは……」
カミュがそう言ったきり口ごもってしまうと、マヤはからかうように、ししっと笑いました。
「なんかさ、兄貴が、だれかとなかよくやってるとこって、おれにはあんまし、想像できないんだよね。おれたち、トモダチとか、いなかったから。でも、そーなんだ。よかったな、兄貴」
「それはオレだって同じだよ。マヤがこんなに他人と上手くやれるとは、思ってなかったな。セーニャやシルビアさんに、オレにするのと同じように突っかかったらどうしようって、オレは不安だったんだ」
「ま、まあ。ふたりとも、やさしいからな……」
マヤがぶつぶつと言うと、シルビアとセーニャは、笑顔を浮かべて顔を見合わせました。
「マヤさまのお兄さまは、私などよりずっと気がつく方ですし、お優しいと思いますよ?」
「そうよ。でも、マヤちゃんたちを見ているとなんとなくわかるわ。カミュちゃんがやさしい理由。それに、カミュちゃんにとっても、マヤちゃんは心を許せる相手なのね。きょうだいって良いわねえ」
シルビアが細いまなざしをもっと細めて見つめると、マヤはすこし照れたように目をふせました。
あちこちに転がるガレキの山を避けながら歩くマヤたちは、やがて山を割るように南へのびる谷と、丸太を組んでこしらえた門のようなものに気がつきました。
谷への出入りをこばむために作られたはずの門は、どういったわけなのか、あちこちの丸太が取りはずされて閉じることのできないようになっており、すでに門としての役目を終えているようでした。
マヤたちがふしぎそうに顔を見合わせて奥へとすすむと、風にのって人の声が聞こえ、それはだんだんと大きくなっていきました。
ゆるやかな登り坂になった谷を抜けると、目のまえが不意にひらけて、丸太で組んだ小屋ややぐらと革張りのテントが、山あいを埋めつくすように立ちならび、ちいさな村のようなすがたになっていました。
砦のような村には、田舎らしい素朴な衣装をみにつけた村人たちにまじって、鎧を身につけた兵士らしき者たちもあちこちを行き交っていました。
人々のようすはどこかおだやかで、ゆったりとした雰囲気が村をつつみこんでいました。
「えーと。こういうの、トリデって言うんだっけ。兵士もいっぱいいるし。でも、いくさってカンジにもみえないね」
目の前にひろがる村の景色にマヤが首をかしげると、肩のハリネズミはちいさくうなずいて、口をひらきました。
「オレは一度来たことがあるんだ。ここは相棒……いや、勇者のヤツの故郷で間違いねえよ。あの時とは、ずいぶんようすが変わってるが」
「ええ。グレイグが言ってたわよね。勇者ちゃんの故郷を砦にして戦っていたって。ねえ、ロウちゃんのこと、誰かに聞いてみましょうよ」
「そっか。ねえ、おれがきいてくるよ」
マヤはそう言って元気よく駆けだすと、あたりの小屋のかげからとつぜんクリーム色の大きなかたまりが飛びだしてきて、マヤにむかって勢いよくとびかかりました。
マヤはあわててきびすを返し、助けをもとめるようにセーニャの後ろに逃げ込みましたが、垂らしたマフラーをぐいぐいと引っ張られて、悲鳴をあげました。
「まあ。ずいぶんおおきなワンちゃん。ねえ、そのマフラー、放してあげてもらえませんか?」
しっぽをぱたぱたと振りながら、マヤのマフラーをうれしそうに引っ張る犬の頭をセーニャがそっとなでると、犬はくわえたマフラーをぱっと放して、はっ、はっと息をあげながら、うれしそうにセーニャを見つめました。
「で、でっけえイヌ。ね、ねえお姉ちゃん、噛まれるよ」
マヤが必死にセーニャの腕をつかんで止めようとすると、すみませーん、と叫ぶ声が聞こえて、すぐに女の子がそばに駆け寄ってきました。
マヤよりすこし背の高い、金色の髪をした、真っ赤なバンダナを頭に巻いた女の子は、息をきらせて犬の首輪をひっぱりながら、こまった顔をして頭をさげました。
「ご、ごめんなさい。ルキが……あの、噛みついたりしませんでした?」
セーニャは犬の頭をなでながら、女の子にむかってにっこりとほほえんで見せました。
「ええ、かわいいですね。このワンちゃんはあなたの……あっ、マヤさま、大丈夫ですか?」
マヤは顔をしかめながらお気に入りのマフラーのすそをたしかめると、口をとがらせて女の子をにらみました。
「うん。穴はあいてない、けど、よだれでべとべと……」
「ごめんなさい……あの、よければお洗濯を」
「いーよ、自分でするから」
すこしすねたようなマヤをみて、セーニャは話題を変えるように切り出しました。「あの、すみません。こちらはイシの村で間違いないでしょうか?」
「は、はい。そうです。最後の砦なんて呼ぶ人も、いますけど」
「良かったですわ。私たち、ロウさまという方をたずねて旅をしてきたのですが、こちらの村にいらっしゃいますか?」
「ロウ様、ですか。うーん……村の人じゃないですよね?お城の人のことは、ちょっと私には」
「ええと、背のちいさくて、まんまるのお身体をされた、赤い帽子をかぶって、立派な白いおヒゲを生やされた、おじいさまなのですが……
セーニャがロウのすがたかたちを伝えると、女の子はああ、と声をあげて、にこっと笑顔を浮かべました。
「私、見たことあります。この村にいますよ。お話したことはないんですけど。たぶん、こっちです」
女の子がそう言って返事も聞かずに歩きだすと、おおきな犬もしっぽを振りながらとことこと近寄り、寄り添うようにとなりを歩きました。
マヤたちは女の子に案内されて、小川にかかる石橋をわたり、村の奥にあるもうひとつの谷へと入りこみました。
村のほかの場所とおなじように、丸太の小屋とテントの立ちならぶ谷をすすむと、ちいさな桟橋のかかった川のてまえで、女の子はたちどまってあたりを見まわしました。
「いつもは、このあたりにいるんですよ。おじいちゃん、けがした人の手当てをしたり、お薬を作ったりしているので、私はお城のお医者さんなのかと思ってました。お姫様とも、よく話してるので」
「まあ。マルティナさまは、お元気でいらっしゃいますか?」
「はい、私たちとも、よくお話してくれます。もしかして、みなさんはお姫様とおともだち……あっ、いました、あそこです」
女の子が目でしめした、入り口を開け放ったテントの中では、机や棚に雑然とならぶ本と薬ビンのわきで、ちいさな老人がベッドに体を横たえていました。
シルビアはテント中へそっと入りこむと、ゆっくりとベッドに歩みよってひざまづき、老人の耳もとでロウちゃん、ロウちゃん、とささやきました。
「ロウちゃん、お昼寝のとこ悪いんだけど、目を覚ましてもらえるかしら?ロウちゃーん」
シルビアが呼びかけるうち、ロウと呼ばれた老人はゆっくりと開くと、大声をあげて飛び起きました。
「な、なんじゃシルビア。気色の悪い起こし方をするでない……ん?シルビア?シルビアではないか」
「ごめんなさいね、起こしちゃって。ロウちゃん、久しぶりね。元気そうじゃない」
シルビアが笑顔を浮かべてあいさつをすると、ロウは顔をしわしわにして、うれしそうに言いました。
「もちろんじゃ。元気だとも。おヌシも変わりなさそうじゃな……おや、そこにおるのはセーニャではないか。二人で旅をしてきたのか?」
「ロウさま、お久しぶりですわ。お変わりありませんようで、安心しました」
「おお、よく来てくれたのう。しかし、珍しい組み合わせじゃな。わしの顔を見にきたのか?」
「ええ、元気でやってるかと思って。ねえ、マルティナちゃんは元気?グレイグはしっかりやってる?」
「うむ、姫は相変わらずじゃよ。お主たちにも、会いたがっておったぞ。グレイグは……そう、ちょうど相談したいことがあったんじゃ。実はのう、ここのところ、姫とあまり上手く……」
マヤはロウとの再会を喜びあうシルビアとセーニャを、テントの入り口からそっと見ていましたが、不意に女の子に肩をぽんぽんと叩かれました。
女の子はこまった顔をしてマヤをみつめて、おずおずと口を開きました。
「ねえ、さっきはルキがゴメンね」
「あはは。だいじょぶ、気にしてないよ、もう。そのイヌ、ルキって言うんだ。なあ、おれもなでていい?噛まない?」
「うん、ときどき吠えるけど、人に噛みついたことはないよ。ね、ルキ」
女の子がそう言って頭をぽんぽんとなでると、ルキはうれしそうにしっぽを振りました。
マヤもおそるおそる腕を伸ばし、そっと頭をなでると、ルキは喜びをしめすように、マヤの手に頭をおしつけました。
「へへ、かわいい。おれ、でっかいイヌ、さわったのはじめて」
「ふふ。ルキも喜んでるわ。ねえ、あなたは遠くから旅をしてきたの?」
「そう。ずっと北のほうの、クレイモランってとこから来たんだ。船にのって。ああ、おれ、マヤだよ」
「私はエマよ。そうなんだ。あのふたりは、マヤのお父さんとお母さん?」
エマがそうたずねると、マヤはししっと吹き出しました。
「ちがうよ。おれ、親はいねーんだ。だから、あのふたりは……なんだろね、話すと、ながくなるんだけど」
どうやって話したものかと、マヤが腕組みをして考えこんでいると、テントの中から、マヤさま、と呼びかける声が聞こえました。
「あっ、ごめんね、行かなきゃ」
「ねえ、旅のお話、聞きたいな。あとで話さない?」
「うん、そうしよ。じゃあエマ、またあとで」
「マヤ、あとでね」
エマと手を振りあって、マヤがテントの中に入ると、ロウはベッドに腰かけたままマヤの顔をじっと見つめて、おだやかにほほえみました。
「やあ、よく来てくれたのう。わしらみんな、お主のことを心配しとったんじゃ。身体はもう、すっかり良さそうじゃな」
「こんにちは……おじいちゃんも、おれを、たすけてくれた人なんだ」
「なに、わしはたいした事はしとらんよ。話は一通り聞かせてもらったぞい、あまり覚えていないなら幸いじゃ、すっかり忘れてしまったほうがよかろうな」
「ありがとう、ござい、ます。メーワクかけて、ごめんなさい。でも、ちょっと慣れてきたけど……おれがしらない人が、おれのことしってるの、フシギなかんじ」
マヤがそう言ってはにかむと、ロウは大きなお腹をさすって、ほっほっと笑いました。
「そうじゃろうな。わしにも覚えがあるよ。さて……その肩に乗っとるのがカミュか。わしに見せてもらえるかね?」
マヤが左肩に手をのばし、手のひらにハリネズミをつたわせて差しだすと、ハリネズミはロウの両手にちょこちょこと乗りこんで、二本足で立ちあがりました。
「ロウさん、お久しぶりです。まあ、見てのとおりっす……」
「ははは。まったく、あの鋭い目をした男が、ずいぶんと愛らしい姿になったのう。ふうむ、しかしハリネズミ。わしも触れるのははじめてじゃ。よく調べてもいいかね」
「好きに笑ってください、もう慣れたんで……ハリ、するどいんで気を付けてくださいね」
ロウは目をほそめて顔を近づけると、鼻をつっつき、背中のハリをなでまわして、ちいさな首飾りを指でひっぱり、ハリネズミのすがたをじっくりとたしかめていきました。
マヤたちは、ロウの姿をかたずをのんで見守っていました。
「どう?ロウちゃん。なんとかなりそうかしら?」
「うむ、たいした呪いではなさそうじゃ。しかし、おかしいのう……セーニャよ、解呪のまじないを試したと言っておったな?」
「はい。いままでに、上手くいかなかったことはありませんでしたので、私の手には負えない、強力な呪いなのかと思ったのですが」
「ふむ、そうか。どれ、ひとつ試してみるとしよう。マヤよ、カミュを持っていてくれるかね」
「うん。おじいちゃんから、見えるとこがいい?」
「うむ、頼むわい」
ロウがマヤの手のひらにハリネズミをそっと乗せると、マヤは両膝をあわせて、祈るようなすがたでロウの前にひざまづき、胸のまえにハリネズミをかかげました。
ロウは背筋をぴんとのばすと、深くしわをよせてふたつの眼をかたくつむり、なんどか深く息をつきました。
やがて太い眉をつり上げて、かっと目を見開くと、ハリネズミに向かって右腕をのばし、縄ををたぐりよせるかのようにぐるぐるとまわすと、マヤの頭の上から、きらきらとかがやく光の粒が、雪のようにはらはらと舞い落ちました。
光の粒がマヤを覆いつくすように降りそそぎ、やがてマヤのからだが淡い光につつまれると、ロウはなにかに気がついたようにはっと目を見開いて、手をとめました。 ロウが手をおろすと、マヤをつつんでいた光は、煙のようにぼんやりと立ちのぼって、すぐに消えてしまいました。
「ふうむ……なるほど。そういうことか」
ロウがマヤの空色の瞳の奥をじっとのぞき込むと、マヤはおそるおそる口を開きました。
「だ、だめだったの……?」
マヤの不安とかなしみを織り交ぜたような表情を見て、ロウはマヤを安心させるように、おだやかにほほえんで、マヤの頭をぽんぽんとなでました。
「いいや、心配はいらないよ。なあ、セーニャよ、シルビアも」
ふたりが返事をすると、ロウは笑顔を浮かべたまま、やさしげな声でふたりにたずねました。
「この子とな、カミュと、それとわしのために、すこし助けになってはもらえんかな。おぬしたち、どのくらいの間、旅をしていられるかね?」
シルビアとセーニャはおたがいに目くばせをして、なにかを確かめ合うと、きっぱりとした調子でいいました。
「アタシ、カミュちゃんを元に戻してあげるって、マヤちゃんに約束したのよ。だから、ちゃあんと約束を守るわよ」
「私もです。里のみなさまにも、そう伝えて旅に出てきましたので」
ふたりがそう答えると、ロウは目を細めながら、りっぱな口ひげをなでました。
「そうか、ありがたい。実はの、姫とグレイグの助けがいるんじゃ。話の続きは、二人が戻ってからにしよう。日のあるうちには戻るはずじゃ、しばらく休んでいてくれ。おお、そうだ。部屋を用意せんとな」
ロウに案内された、ありあわせの木切れで組まれたベッドが二台と、かんたんな机とテーブルのならぶ小さめのテントの中で、マヤは感心したようすで、革の天幕をぽんぽんと叩きました。
「へー、けっこうじょうぶだね。風もとおらないし。このへんのひとたち、みんなテントで暮らしてるんだね。このへん、あったかいから、これでいいんだな」
「うーん、そういうワケじゃないと思うぞ。でも、そうだな。これでも快適そうだ」
「ええ、助かりますわ。マヤさま、勇者さまが悪魔の子と呼ばれていたことを、ご存じでしょうか?」
「うん。兄貴が、なんか言ってたな。お城の王様が、じつはわるいヤツだったんでしょ?」
「はい。それが理由で、お城のみなさまが村を焼いてしまったのだそうで……元はマヤさまたちと同じように、石造りの家で暮らしていたそうですよ。今は、お城のみなさまで、元のすがたに戻しているのだそうです」
セーニャがそう教えると、マヤは荷物をおろして、干し草のしかれたベッドに腰をおろし、そっか、と答えました。
「それで、お城のひとたちが、いっぱいいるんだ。村のひとたち、よく平気だね。さっきのおじいちゃんも、お城のひと?」
「それが……うーん」
セーニャはマヤのとなりに腰かけて、ハリネズミに向かってひそひそとたずねました。
「ロウさま、こちらでもご身分を秘密にしていらっしゃるでしょうか?」
「どうなんだろうな?まあ、マヤが人に話さなければ、それでいいよな。マヤ、ナイショにできるか?」
「で、できるけど。なに?」
「あのじいちゃん、ロウ様な。もう無くなっちまったんだが、ユグノアって国の王様だったんだよ」
「え。そんな、エラい人だったんだ。おじいちゃんじゃ、まずかったか?」
「いや、それは大丈夫だ。たぶん、喜んでたと思う」
「よかった。でも、なんでなくなっちまったの?」
「それがな。ここにいる城の人たち、デルカダールって国の人なんだが。ユグノアを滅ぼしたのも、デルカダールなんだよ」
ハリネズミがそう言うと、マヤはうーん、とうなって、腕組みをしました。
「なんか……みんな、たいへんなんだな。おれ、町でバイキングのやつら、みかけるとさ。まだ、すごくイヤな気持ちになる。でも、ここのひとたち、いっしょに暮らしてるんだろ」
「そうだな。全部忘れた、水に流した、とは行かないだろうが、まあ、恨んだところで、しょうがねえよな」
「ええ。わだかまりが残っていても、手を取り合えるのなら、私はそれで良いのかと思います」
「そーだね。おれもべつに、うらんでるワケじゃないし。そのうち、なんともおもわなくなるのかな、っておもう」
「ああ。その気になれば、オレたちはあいつらを目にすることのない土地で暮らすことだって、できるワケだしな。まあ、人間の姿に戻ったらの話だが……」
マヤは頬杖をついて、ふう、とちいさくため息をつくと、左肩のハリネズミを、そっとなでました。
「でもさ。あのおじいちゃん、スゴい人なのは、わかったけど。だいじょうぶって、言ってたけど。だいじょうぶかな。お姉ちゃんたちに、ヘンなこと、きいてたよね。なんだか、時間がかかるかもって」
マヤがそう言うと、セーニャはマヤの肩をぽんぽんと叩きました。
「大丈夫ですよ。ロウさまは、しっかりと今を見つめられる方ですので。出来ないことは、出来ないと正直におっしゃるはずです。きっと、なにかお考えがあるのでしょう」
「ああ。オレもそう思う。まあ、他に手があるわけでもないんだ、今は信じるしかないよな。しかし、悪いなセーニャ、あそこまで言わせちまって」
ハリネズミがすまなそうにそう言うと、セーニャはハリネズミの鼻をつんつんと突っつきました。
「いいえ。おふたりには悪いですが、私はまだいっしょに旅を続けられることを、うれしく思っているんですよ。いけませんか?」
セーニャがそう言ってほほえんで見せると、兄妹はおかしそうに笑いました。
「いつまでもハリネズミのままじゃ、こまるけどさ。おれひとりだったら、きっとこまってたけど。お姉ちゃんがついててくれるから、いまんとこ、おれもたのしいや。シルビアもいるしね」
「はは。まあ、それならいいか。マジメな顔してりゃ、なんとかなるってわけでもないもんな……ん、誰かいるみたいだぞ。オレは黙るよ」
ふたりが外のようすをうかがうと、エマがあちこちをきょろきょろと見まわしながら、なにかを探すように歩きまわる姿が目にとまりました。
マヤがテントから顔を出して、エマ、と声をかけると、エマのそばを歩いていたルキはいきおいをつけて走りだし、マヤにとびつきました。
しめった鼻先を顔におしつけられて、マヤがうわっ、と悲鳴をあげると、エマはあわてて駆けよって、首輪をひっぱりました。
「こら、ルキ。人に飛びついちゃダメって、いつも言ってるでしょ?マヤ、ごめんね」
「だ、だいじょぶ。びっくりしただけ。でっかいから、チカラあるね」
マヤが腕でごしごしと顔をぬぐっていると、エマの顔に見覚えのあることに気がついたセーニャは、こんにちは、とあいさつをして、ほほえみかけました。
「まあ、あなたは。先ほどは、案内していただいて助かりましたわ。お礼を言わなければと思っていたところでした」
「あっ、いいんです。たいしたことじゃ……私、エマっていいます」
「私はセーニャです。すこしの間、こちらの村でお世話になるつもりです。エマさま、よろしくおねがいしますね。ワンちゃんも」
セーニャはそう言って、腰をかがめてルキの頭をぽんぽんとなでました。
「ねえ、お姉ちゃん。おれ、ちょっとエマと話してきても、だいじょうぶ?」
「ええ、もちろんですわ。村の方とご一緒でしたら、安心ですね。私はすこし休んでおりますので」
「ありがと。じゃあ、ちょっと行ってくるね」
マヤがエマに目くばせして、いっしょにテントを出ようとすると、セーニャはなにかを思いだしたように、ふたりに声をかけて、引きとめました。
セーニャは自分の荷袋をほどいて、油紙につつまれた、こぶしほどの大きさのずっしりとしたかたまりを取りだし、マヤに手渡しました。
「シルビアさまに用意していただいた食べ物ですが、すこし残りましたので。おふたりで分けてくださいね」
「あっ、お姉ちゃん、ありがと。これ、うまいよね。エマは甘いものすき?」
エマはにっこりと笑ってうなずき、セーニャにお礼を言うと、マヤを連れて外へ出て行きました。
ルキはしっぽをぱたぱたと振りながら、別れを惜しむようにセーニャに体を押し付けると、マヤたちのあとを追いかけました。
エマはマヤを案内しながら、ガレキのあいだにテントがたちならぶ村の中を歩いて、あたりにいくらかの草むらがのこる大きな木のかげで、いっしょに腰をおろしました。
あたりには丸太や木箱がちらかっていましたが、人の声や物音があまり聞こえてこない、村のなかでは落ちついた場所のようでした。
エマはとなりに座らせたルキをなでながら、眉をひそめてマヤに言いました。
「ごめんね、落ちつかないとこで。前は、もっとしずかな村だったんだけど」
「だいじょぶ。おれ、ここでなにがあったのか、なんとなく、聞いちゃったから……たいへんだったね」
「ううん。大変だったのは、みんな同じだもの。それに、元に戻そうって、みんなでがんばっているし。お城の人たちも」
そう言ってエマは目をそらし、どこかさびしそうにひざを抱えると、ルキがなぐさめるように顔をよせました。
「ねえ、マヤは、大樹が落っこちちゃった時、どうしてたの?お家はだいじょうぶだった?」
エマがそうたずねると、マヤはうーん、とうなって、苦笑いを浮かべました。
「う、うん……なんか、いろいろあって……ヒトにメーワクかけてたみたい……あ、あんまし、聞かないで、それ。なあ、これ食おうよ」
マヤが油紙の包みをひざの上でひろげると、お酒のような甘いにおいと、バターのこうばしい香りが、あたりにふわっとたちこめました。
がばっと立ちあがって、鼻先をつっこもうとしたルキを必死でおさえるエマをみて、マヤはししっ、と笑いました。
「うまそうなにおい、するもんな。ルキにもちゃんとやるから、ちょっとまってなよ」
マヤは腰の短剣を抜いて、干した果物のたくさん入った四角いケーキを、食べやすい厚さに数枚切りわけると、はい、とエマに手渡しました。
「ねえ、ルキは、投げてとるやつ、できる?」
「うん、できるよ」
マヤが自分のぶんをすこし指でちぎって、ルキの顔にむかって山なりに投げると、ルキはちいさく飛び上がって、ぱくりと食べました。
「あはは。すごい。かしこいなあ」
「ふふ。食いしん坊なだけだよね、ルキ。みんながそうやって投げてくれるから、いつのまにか覚えちゃった」
もっとちょうだい、とでも言うかのように、しっぽを振りながら目を輝かせるルキを見て、エマは笑いながらケーキをかじりました。
エマのようすをみて、マヤは安心したように笑うと、半分に割ったケーキを口に放り込み、のこりをハリネズミに差しだしました。
ハリネズミが肩からそっと身を乗り出して、ケーキをちまちまとかじる姿を見て、エマは、わあ、と歓声をあげました。
「ねえ、ずっと気になってたんだけど。その子、ハリネズミよね?」
「あっ、しってるの?そう、ハリネズミだよ」
「うん。このあたりには、たくさんいるよ。でも、ハリネズミって、こんなに人に懐くのね。ねえ、お名前は?」
「え、えーと……エリックだよ。さわってもいいよ」
エマがハリネズミにそっと手をのばして、おそるおそるなでていると、ルキが鼻先を近づけて、くんくんと鳴らしました。
ハリネズミが怖がってくるんと丸まり、ハリを立てるすがたをみて、ふたりはくすくすと笑いました。
「ヘンな生き物だよね、ハリネズミ。だけど、マヤの住んでるところにもいるんだね。ねえ、どんなところなの?」
「う、うん。たぶん、外にはいないんだけど……えっとね、寒いとこだよ。夏でも、ここよりずっと寒くて。一年のほとんど、雪がふってるね」
「そうなんだ。この村も、冬のあいだは雪も積もるよ。でも、そっか。寒いところから来たから、暑くってそんなに薄着をしているのね。ねえ、怒らないでね。私、最初はマヤを男の子だと思ってた。足を出してるし、"おれ"なんて言うし」
エマが探るように話すと、マヤはあー、と声をあげて、困ったように答えました。
「そー見えるんだ、やっぱし……ヘンかな?ヘンだよね……」
「うん。とってもヘン。でもね、似合ってるよ」
エマが目を細めてほほえむと、マヤは力なく笑いながら、居心地わるそうに頭をかきました。
肩の上のハリネズミも、表情を出さないまま笑っているかのように見えました。
谷間の青空にほのかに赤みがさしはじめたころ、マヤとおしゃべりを続けるエマのそばで、退屈そうにうとうとしていたルキが不意にたちあがり、遠くをじっとみつめて鼻を鳴らし、しっぽをぱたぱたとふりました。
「ルキ、どうしたの?だれか来た?」
エマたちがルキのみつめる先をたしかめると、シルビアがふたりに向かって手を振っているのがみえました。
「ここにいたのね、マヤちゃん。それと、セーニャちゃんからお名前を聞いたわ、エマちゃんよね。さっきは、案内してくれてありがとうね」
シルビアがそう言ってほほえみかけると、エマはあわてて立ち上がりました。
「いえ、たいしたことはしてません……私もマヤちゃんから聞きました、シルビアさん、ですよね?」
「ええ。シルビアでいいわよ。アタシもしばらくエマちゃんの村でお世話になるわ、よろしくね。それで、仲良くしてるところ、悪いんだけど、マヤちゃん、マルティナちゃんが戻ってきたみたい。一緒に来てもらってもいいかしら?」
「うん、わかった。じゃあ、いってくるよ。エマ、またね」
「また明日ね、マヤ。シルビアさんも」
マヤは名残り惜しそうにしっぽをふるルキの頭をなでると、エマに手を振って、シルビアといっしょに歩きだしました。
シルビアはそっとうしろを振りかえり、自分たちをみおくるエマとルキの姿をみとめると、ふふっとほほえみました。
「マヤちゃん、お友達ができたのね。良かったじゃない。どんなお話をしていたの?」
シルビアがそうたずねると、マヤはどこか浮かない顔をして、シルビアを見あげました。
「うん……村のそとのこと、いろいろ、知りたいみたい。でもさ、シルビア」
「なあに?」
「うまく、言えないんだけど……」
マヤは目を落としてすこし考えこみ、つぶやくようにぽつりと話しました。
「おれさ。ジマンしてるつもりじゃ、なかったんだけど。おれが、クレイモランとかさ、旅の話してると、なんか、さみしそうなカオするんだ。うらやましいって、思ってたのかも……そういうとき、どうしたらいいのかな」
マヤがそう言って肩をおとすと、シルビアはマヤの肩にのったハリネズミをみつめて、しみじみとつぶやきました。
「カミュちゃん、こんなにやさしい子、なかなかいないわよ。きっと、お兄ちゃんのおかげね……」
マヤがふしぎそうにシルビアを見つめると、シルビアは口元に手をあててすこし考え、そうね、と口をひらきました。
「マヤちゃんはどう思っているかしら?イヤな気持ち?かなしい?それとも、なんとかしてあげたいかしら」
「うーん……イヤじゃないよ。だけど、思ったんだ……おれ、住んでるところもさ、旅もだけど。たまたまだよね。すきなとこえらんで、住んだわけじゃないし。旅だって、そう。だから、おれがエマだったら、きっと、うらやましいって、思ったとおもう」
「そうよね。そんな時は……そうね、マヤちゃんはどうしたいかしら?自分がエマちゃんだったら、なにをして欲しいって思うかしら」
マヤはうーん、としばらく考えこんで、弱々しく言いました。
「わかんない。言えることなんて、ないかもって、おもう」
「うふふ。それじゃあ、ちょっと考えてみてちょうだい。アタシならそんな時、どんなことを言うかしら」
シルビアがそう言うと、マヤはなにかを考えるようにすこし目をふせて、すぐにふふっと笑いました。
マヤは目を細くして両手を組み、体をしならせながら声を作って、おどけたようにシルビアの真似をしました。
「ダイジョーブよお。アナタにだって、きっとイイことあるわ。なんにもなかったら、いってちょうだい。アタシが、ゲンキにしてあげるから」
シルビアは自分の真似をするマヤを見て、同じように首元で両手を組んで、大笑いしてみせました。
「そうよ!上手だわ!じゃあ、次はセーニャちゃんのマネをしてみてちょうだい」
「あはは。お姉ちゃんは、ちょっとむつかしいな……えーと」
マヤは胸のまえで両手を組むと、シルビアの顔をじっとのぞきこみました。
「どうか、ゲンキをだして、くださいね。わたしが、そばにいますから。わたしに、できることがあれば、なんでも いってくださいね」
マヤが高い声でそう言うと、肩のハリネズミが、ぶっと吹きだしてこらえるように笑いました。
マヤが照れた顔をして、ハリネズミの鼻を指ではじくと、シルビアは拍手をしながら、笑顔を浮かべました。
「マヤちゃん、ものまねが上手ね。やってみてわかったかしら?アタシたちに言えることだって、そのくらいなのよ。励ましたり、なぐさめたり。だけど、アタシはそんな言葉には意味がないだなんて、思わないわ」
「うん。そーだよね……ありがとね、シルビア」
「いいのよ。エマちゃんも、笑顔にしてあげられるといいわね」
マヤがちいさくうなずくと、シルビアはマヤの頭をやさしくなでました。
マヤがシルビアに連れられてロウのいるテントに戻ると、中ではセーニャが、長い黒髪を腰までたらした女性と、親しげにことばを交わしていました。
女性のとなりで、背のたかいシルビアでも見上げるほどの大男が、いかめしい顔をしてたたずんでいるのを見て、マヤはシルビアの背中にそっと隠れました。
マヤのようすをみて、シルビアは大男に向かって、冗談めかして声をかけました。
「ちょっと。グレイグが怖い顔をしてるから、マヤちゃんが隠れちゃったじゃない」
「む……仕方がないではないか。俺は、元々こういう顔なのだ」
グレイグが顔をしかめてそう言うと、セーニャはくすっと笑って、マヤの手をとりました。
「大丈夫ですよ、マヤさま。グレイグさまは、外見はすこし怖いですが、やさしい方ですので。こちらの女性は、マルティナさまです。私たち、いっしょに旅をしたんですよ」
「う、うん」
マヤがセーニャに手をひかれて、おそるおそる前に出ると、ふたりは笑みを浮かべて、マヤに声をかけました。
「マヤちゃん、元気そうじゃない。みんな、心配していたのよ。ごめんね、グレイグが怖がらせてしまって」
「ああ。話は聞かせてもらったぞ。だが、安心してくれ。俺には、君の兄上に大きな借りがあるのだ。なにしろ、一度は命を狙った男だからな。俺に出来ることは、何でもさせてもらうつもりだ」
「え……いのちって……」
ことばを失って、表情を凍りつかせるマヤを見て、マルティナは呆れた顔をして頭をかかえました。
見かねたロウがマヤのそばに歩みより、おだやかにほほえんで見せました。
「心配はいらないよ。もう、過ぎた話だからのう。言葉の通りに、助けてもらうとしようじゃないか。ひとまず、ふたりにカミュを見せてやってもらえるかね」
ロウにうながされて、マヤがこわばった動きでハリネズミを両手にのせ、ふたりに向けてさしだすと、ハリネズミは手のうえで立ち上がり、口をひらきました。
「ふたりとも、お久しぶりです。なんかもう、ハリネズミにもすっかり慣れちまって……笑ってやってください」
ハリネズミが話すあいだ、マルティナは必死で笑いをこらえているようでしたが、グレイグが真面目な顔をして鼻をつっつく姿をみて、耐えきれなくなったようでした。
「あはは……ごめん、なさいね……気の毒だけど……ハリネズミって……ハリネズミでしょ……」
大声で笑いながら、苦しそうになにかを言おうとするマルティナを見て、グレイグは表情をゆるめました。
「ハリネズミか……いや、すまん。笑いごとではないな。ふうむ、呪いか。君は、ずいぶんと呪いに縁があるようだ」
「いえ、せめて笑ってもらえれば……呪い、なんなんでしょうね」
みんなが見つめるなか、マルティナはお腹を抱えて笑いつづけていましたが、ようやく落ちつくと、ふう、と大きく息をついて、目元をおさえました。
「ああ……ごめんね、カミュ。マヤちゃんも。私、ちょっと疲れているのかも……それで、どうするの?ロウ様……あっ、ごめんなさいね」
マルティナはなんとかそう言い終えるとまた笑いはじめましたが、ロウはやれやれ、と首をふって、テントのすみから木箱をかかえあげて、みなの前にごとんと置きました。
ロウは首飾りや腕輪、それにちいさなアクセサリーのたくさん詰まった木箱のなかをごそごそとあさると、親指ほどの太さにぶい黄金色をした、輪っかの一部が欠けたかたちの腕輪を取りだして、グレイグに手渡しました。
「すまんが、ちょっとそれを身につけてもらえるかね?左腕がよかろうな。大きさは大丈夫だと思うんじゃが」
「はい。これは、腕輪ですか?すみません、自分には着けかたが……」
「私が着けてさしあげますわ。グレイグさま、腕を出してくださいませ」
セーニャがグレイグの腕をとり、手首の細いところに欠けた部分を押しあてると、腕輪はすぽっとはまりました。
グレイグは感心したように手首をくるくるとまわし、腕輪をながめましたが、右手で腕輪をたしかめようとして、なにかに気がつきました。
「む……この腕輪、どうやって外せばよいのです?」
「着けたときと同じようにすれば、すっと外れますよ。このように……あら?」
セーニャはグレイグの手をとって腕輪をはずそうとしましたが、腕輪は貼りついたようにびくともしませんでした。
「もしかして、これは呪いですか?」
セーニャがロウにたずねると、マルティナがあわてた顔でグレイグの手をとりました。
腕輪をさわって、外れそうにないことをたしかめると、マルティナはけわしい顔をしてロウをにらみました。
「ちょっと、ロウ様?これはどういうことです?」
「姫や、そうにらみつけんでおくれ。これにはちゃんと、ワケがあるんじゃ。教会の神父たちが、呪いを解くまじないを使えることは知っておるかね?」
「はい。目にしたことはありませんが、私が試したやりかたと、おなじものだと耳にしたことがありますわ」
セーニャがそう答えると、ロウは片手でひげをなでながら、うなずきました。
「いかにも。それでの、神父たちが解呪を学ぶためには、呪いの品が必要なんじゃ。実際に試してみないことには、効き目があるのかわからんからのう。そういうわけで、頼まれて害のないものを作っておるのじゃ」
「まあ。それではこの腕輪は、ロウさまが呪いをかけられたのですか?」
「そうじゃ。だが、安心してくれ。わしがかけられるものは、ごく弱い呪いだけじゃ。グレイグよ、左手を動かしてみてくれんか」
ロウがそう言うと、グレイグは言われたとおりに左手の指を曲げて、いろいろな動きを試しました。
「ううむ、これといって不自由はないようですが……おや」
なんどか手を閉じたり開いたりするうち、グレイグはなにかに気がついて、顔をあげました。
「グレイグ、大丈夫なの?」
「ええ、見てください」
心配そうに見つめるマルティナに、グレイグはこぶしを作ってみせました。
「いいですか、このように……小指が勝手に動いてしまいます」
グレイグがじゃんけんのチョキを出すように中指と人さし指を立てると、小指もいっしょにぴょこんと立ちあがりました。
おなじ動きをなんども繰り返して見せると、マルティナは呆れたように肩をすくめました。
「冗談かと思ったけど。グレイグにそんな冗談が言えるわけないわよね。そうね、たしかに弱い呪いだわ」
「あはは。呪いって、そんなのもあるんだね。ねえ、おっちゃん。おれとじゃんけんしよーよ」
「はは。左手では、絶対に勝てないだろうな」
すっかり気の抜けたようすのみんなを見て、ロウは安心したように、セーニャに声をかけました。
「それでの。セーニャに覚えてもらいたいものがあるんじゃ。ある呪文なのだが」
「呪文、ですか?私にもできるでしょうか?ロウさまの身につけられた呪文には、私にはできなかったものもありますので……」
「いいや、おそらくはセーニャの得意とする種類のものじゃ、大丈夫じゃろう。今から試すのでな、よく見ていておくれ。グレイグや、腰をおろしてもらえるかな」
グレイグがひざまずくと、ロウはグレイグの左腕をとり、両目をかたく閉じ、まんまるのお腹をなんどかふくらませて、おおきく息をつきました。
やがて、かっと目を見開くと、腕輪に右手をかざして、おごそかなようすで、シャナク、と唱えました。
呪文のちからなのか、腕輪はぼんやりとにぶい光を放ちはじめると、あちこちにひびのような光のスジが浮かび、やがていくつもの破片にくだけちって、床にとびちりました。
ロウが大きなため息をついて手をおろすと、セーニャたちは感心したように、おお、と歓声をあげました。
「どうじゃ、セーニャ?できそうかね?」
ロウが顔をのぞきこんでたずねると、セーニャはまじめな面持ちでうなずきました。
「ええ、呪文について書かれた本などがありましたら、おそらくは。ですが、この呪文でカミュさまの呪いを解いてさしあげることは、できないのですか?」
「うむ、実はの。この呪文、わしはあまり得意ではないのじゃ。だから、旅の中では見せなかったじゃろ?呪文は使い手によって、おおきく力が変わる。セーニャの魔力をもって用いれば、おそらくずっと強いものになるじゃろう」
ロウの話をきいて、セーニャは不安そうにうつむきましたが、ロウはにっこりとほほえんで、セーニャの肩をぽんぽんと叩きました。
「なに、安心せい。上手くいかずとも、ほかの手立てを考えるまでじゃ。それに、身につけておけば、いつかは別のところで役にたつじゃろう」
ロウはそう言って、テントのすみにある棚から一冊の本を取りだして、セーニャに渡しました。
「これは、他人に伝えるためにわしが書いたものじゃ。理解しづらいところがあれば、なんでも聞いとくれ」
「助かりますわ。すこし、目を通させてください」
セーニャは何度か目をとめながら本のページをぱらぱらとめくり、書かれたことをたしかめると、ロウの目をじっとみて、力強くうなずきました。
「なんとかなりそうです。すこし、時間はかかると思いますが、がんばりますわ」
「うむ、苦労をかけてすまないが、頼むぞ。じゃが、くれぐれも無理はせんようにな」
ロウとセーニャが呪文についての話をしていると、不意にマヤがおじいちゃん、と呼びかける声が聞こえました。
ふたりがマヤのほうを振りむくと、マヤは呪いの品の入った箱を、なにやらごそごそとあさっているようでした。
「ねえ、お姉ちゃん、呪文のベンキョー、するんでしょ。かんたんなので、ためせるようにさ。おれも、なにかつけてみてもいい?」
「マヤ、お前なあ……オレたち、呪いでずっと苦労してるのに、自分から呪われたがるヤツがいるか?」
ハリネズミが呆れはてたように言うと、マヤは歯を見せて、ししっと笑いました。
「いーじゃん。よわい呪い、なんかおもしろそう」
「ほほ。好奇心の強いのは良いことじゃ。ただのう、実はその呪い、かけたわしにも何が起こるかわからんのでなあ。まあ、危ないものならすぐに解いてしまえばよいかの」
「へへ、おじいちゃん、ありがと。ねえ、これはなに?」
マヤがすこし暗めの赤色に染められた革でできた、輪っかの形をした金具のついたベルトのようなものを取りあげてたずねると、マルティナが自分の首元を指さしてこたえました。
「それはね、チョーカーって言うのよ。首飾りの仲間ね。ほら、私が着けているものと、同じものよ」
「へー。お姫さまとおそろいって、なんかいいね。これにしよっかな」
「マルティナでいいわよ、マヤちゃん。でも、なにが起こるかわからないんでしょう?首はちょっと、怖いような気がするわよ?」
「ああ。それに、なんだか犬の首輪みたいじゃねえか?さっきの犬が、似たのをつけてただろ」
「む……貴様、姫様のよそおいをそんな目で見ていたのか?なんと無礼な」
ハリネズミがあわててあやまると、マヤたちはおかしそうに笑いました。
「ごめんね、カミュ。私は気にしてないから」
「あはは。おっちゃん、おもしろいね。あっ、ごめんね、おっちゃんはまずいよね……グレイグさん」
「いいえ、おっちゃんでいいわよ、マヤちゃん。じゃあ、私が着けてあげるわね」
マルティナはマヤのうしろにまわると、三つ編みをすこし避けて、細い首元にチョーカーを巻きつけ、金具をとめました。
マヤが両手で触ると、チョーカーは貼りついたように動かなくなっていました。
「あっ、もう動かない。それで、なにがおこるの……いてっ」
マヤがしゃべりながら舌を噛んでしまい、口元をおさえると、シルビアは心配したようすで、マヤの顔を見つめました。
「マヤちゃん、大丈夫?しゃべれなくなる呪いだったら、困っちゃうわよね」
「う、うん。らいじょーぶ。えも、なんか、しゃべいづらい」
マヤがもごもごと答えると、シルビアは目を丸くしておどろきました。
「そういうことね……ねえ、みんな、見てちょうだい。マヤちゃん、ちょっと歯を食いしばって、いーってしてちょうだい」
シルビアがそう言うと、皆はかわるがわるにマヤの口元をのぞきこんで、ぎょっとおどろいた顔をしました。
「な、なんだ?オレにも見せてくれ」
マヤの肩のハリネズミを、シルビアが手にのせてマヤの顔先にちかづけると、ハリネズミはうわっ、っと悲鳴をあげました。
「これは……まずいんじゃねえか?ふわふわの毛とか生えてこねえだろうな……」
「え、なんらの。おれ、どうらったの?かがみ、とか、あう?」
ロウが小走りに机にかけよって、銅でできた小さな鏡をとってマヤに手渡すと、マヤはあわてて鏡をのぞきこみ、皆とおなじようにぎょっとした顔をしました。
鏡には、上下の犬歯が牙のように伸びたマヤの口元が映し出されていました。
「そっか……ちょ、ちょっとあってね」
マヤは口の中で舌をあちこち動かし、指で牙に触れてみたり、口をぱくぱくさせたりしていましたが、やがて落ち付いたように、声をだしました。
「うん、だいじょーぶ……ちょっとジャマだけど、ふつーにしゃべれる。でも、牙かあ……」
マヤは鏡をみながら歯を食いしばると、満足げに笑ってみせました。
「いいね。これ、カッコよくない?」
「うーん……首輪もつけて、犬みてえだぞ」
「私には、お話に出てくる吸血鬼のように見えますね……ちょっと、怖いです」
たのしそうなマヤのようすをみて、大人たちは笑いながら、すこし呆れたように顔を見合わせました。
「まあ、本人が気に入っているなら、いいのかしら?でも、マヤちゃん、外で人に見せないほうがいいわよ。みんな、びっくりしちゃうから」
「そうね。ねえ、マヤちゃん。マフラーで隠したらどう?ほら、こんなふうに」
シルビアがマヤのマフラーをほどいて、口元が見えないようにくるくると巻きなおすと、マヤは鏡を見ながら、眉をうごかしていろいろな表情をつくりました。
「うん。ありがと、シルビア。でも、チョーカーが見えないのが、ちょっとだけ、ざんねんだね」
マヤがそう言って、片手でマフラーをおさえてくすくすと笑うと、シルビアは苦笑いを浮かべて、肩をすくめて見せました。
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マヤとセーニャのものがたり 6
「ねえ、お姉ちゃん。魔法をおぼえるのって、どんなかんじなの?」
すっかり日の暮れたころ、テントのなかで、ベッドに腰かけてランプのあかりで本をめくるセーニャにマヤが声をかけると、セーニャは本から顔をあげて、すこし困ったようすで答えました。
「そうですね……よくたずねられるのですが、なかなか、うまく答えられませんね。例えのお話でも、かまいませんか?」
マヤがとなりに座って、うん、とうなずくと、セーニャは両手で身ぶりをまじえながら、語りはじめました。
「お料理に似ていると言われた方がおられまして。私もそう思います。マヤさま、クレイモランで私にスープをふるまってくださいましたよね?」
「うん。兄貴におしえてもらいながら、つくったやつだけど」
「とてもおいしかったですよ。あのスープは貝やお魚、それにおイモでしたが、たとえばマヤさま、あのスープをお魚ではなく、お肉で作ることはできますか?」
マヤは頬杖をついて、うーん、とすこし考えこんでから、首をかたむけてハリネズミに聞きました。
「できる、よね?やりかたはたぶん、だいたいおんなじで。じゅんばんが、ちょっとちがうのかな?
「そうだな。肉の種類によって、ちょっと変わるが。例えばスジ肉だったら、最初に入れてじっくり煮込んでいく感じだ。鶏のももなら、魚とそんなには変わらないな」
「そーなんだ。さっき食べたやつも、うまかったよね。マメとカボチャのやつ。ニクもサカナもなしで、あんなにうまいの、できるんだな」
「ああ。村を出るまえに、作り方を聞いといてくれよ。オレ、豆の使い方はよく知らねえんだ」
魔法からどんどんはずれていく兄妹のはなしに、セーニャはふふっと笑って、口をはさみました。
「ええと、つまり……スープの作り方は、ひとつ知っていたら、使う食べ物や味を変えたものでも、大きくは変わりませんよね?やり方を教わればできますし、味のほうもなんとなく、思い描けると言いますか」
「うん、そーだね。おしえてもらえば、たぶんつくれるよ」
「魔法にも、それと似たところがありますわ。ひとつ身につけましたら、たぐいのものを学ぶことも、そう難しくはないんです。ですから、先ほどロウさまに見せていただいたときに、なんとなくですが、私にもできそうだと思いました」
セーニャが語り終えると、マヤはハリネズミといっしょに、へえ、と感心した声をあげました。
「ちょっと、わかった気がする。ありがとね、お姉ちゃん。でもさ、その、スープのはなし。魔法で言うとさ、さいしょに、スープのつくりかたをおぼえるのは、どんなかんじ?おれにも、できるのかな?」
「もちろん、できますよ。よろしければ、私が最初に教わったやり方を、お教えしましょうか」
「えっ、いいの?」
マヤが目をかがやかせてそう聞くと、セーニャはゆっくりとうなずいて、本をぱたんと閉じました。
「マヤさま、魔法と聞いて、まず思い浮かべるものはどんなものですか?」
「うん。お姉ちゃんが、いつもつかってるやつ。ぽっと火をだすやつ」
マヤがそう答えると、セーニャは右腕をあげてこぶしをつくり、ちいさく手首をふりながら、人さし指をぴんとはじいて、指先にちいさな炎をともしてみせました。
「そう、それ。もっとおおきい、火の玉とかもつくれるの?」
「ええ。危ないので、ここではお見せできませんが。では、まずこの魔法を覚えてみましょうか。マヤさま、右手をお貸しくださいませ」
マヤが右手をさしだすと、セーニャはマヤの手のひらを両手でそっと包みこみ、マヤの瞳をのぞきこみました。
「よろしいですか?今から、マヤさまの右手に、私の力を吹き込みます。いっしょに目をとじて、手のひらの感覚をすましてみてください」
「わ、わかった」
セーニャが祈るように目をとじると、マヤも真似をするようにうつむいて、ぎゅっと目をつぶりました。
マヤがセーニャの手のぬくもりと、心臓から伝わるかすかなふるえをじっと感じていると、やがてセーニャがそっと手をはなしたことに気がついて、顔をあげました。 マヤは、とくに変わったことのない自分の右手を、ふしぎそうに見つめました。
「いかがでしょう?なにか、感じられましたか?」
「うーん……わかんない。なんか、じわっとしたかんじで、あったかかったけど」
「ええ、でしたら大丈夫です。それでは、印の結び方をお教えしますね」
「しるし?ってなに?」
「魔法の力を呼びだすための、おまじないのようなものですわ。言葉で呪文を唱えるかわりに、手の動きで示すんです。いまからお見せしますので、よく見てくださいね」
セーニャはそう言うと、先ほどと同じようにこぶしを作り、手首をふりながら、人さし指をはじきました。
おなじ動きを一回、二回、とくりかえし、三回目に立てた指の先から、火の粉がぱっ、と飛び散って、指先にちいさな炎がともりました。
セーニャがもういちど軽く手をふって指をおろすと、炎はかすかに音をたてて、ふっと消えました。
「いかがでしょう、マヤさま。覚えられましたか?」
「う、うん。えーと……こう、ちいさく手をふって……」
「はい。そうですね、親指と人さし指を火打ち石に見立てて、いち、に、さん、と、かちかちと叩くような感じです。三度目はすこし強く、火の粉が飛びだす姿を思い描いてみてください」
マヤは手元を見ながら何度か指をはじいて、わかった、とうなずきました。
セーニャがしたのと同じように、声にださずに、いち、に、とつぶやきながら手をふって、三回目につよく指をはじくと、マヤの指先からちいさな炎がぽっと灯りました。
「おお……できた。す、すごい……」
マヤはしばらくのあいだ、ぼんやりした表情で炎を見つめていましたが、もういちど手をふって炎を消すと、にっと目をほそめ、牙をむきだしてセーニャに笑顔を見せました。
うす暗いテントの中で、ランプに照らしだされたマヤの口元をみて、セーニャはぎょっと身をすくめ、苦笑いを浮かべました。
「牙にまだ慣れませんね……びっくりしてしまいます。ですが、うまくいきましたね」
「へへ、ごめんね。うん、うまくできた。もういっかい、やってみる」
マヤがうれしそうに、なんども指先に炎をともしては消す姿をみて、ハリネズミは感心したようにセーニャに話しかけました。
「すごいな。マヤにもこんなことが出来るとは……これは、誰にでもできるのか?」
「ふふ。これには仕掛けがありまして。魔法の学び方のひとつなのですが……」
セーニャがなにかを言いかけたところで、マヤが、あれ、と声をあげました。
マヤは手をふって指をつきだす、おなじしぐさをなんども繰り返していましたが、もう炎はでないようでした。
「なんでだろ……ねえ、お姉ちゃん。どこか、やりかたがまちがってる?」
マヤがセーニャの顔をみあげて、こまったようにたずねると、セーニャは首をちいさく横にふりました。
「ごめんなさい、マヤさま。実は、私がこっそりお手伝いしていたんですよ」
「なーんだ、そういうことか……そーだよね、こんなにカンタンに、できるはずないよね」
マヤががっかりしたように、両手をひろげて肩をすくめてみせると、セーニャはマヤの瞳をしっかりと見つめて、まじめな調子で言いました。
「いいえ、このやり方で、本当に出来るようになる方もおられるんです。私のお姉さまがそうでした。マヤさま、魔法とはなんだと思いますか?」
「え……おれには、よくわかんないけど……なんか、すごいチカラ、かな?」
「ふふ。これは、私の考えなのですが。魔法とは、なにかを信じ、思い描く力なのだと思います。指先から炎を出すことも、手をかざして傷を癒すことも、信じて思い描いたものが、じっさいに形として現れるのではないかと」
セーニャがそう言うと、マヤは眉をひそめて、困ったように笑いました。
「あはは。お姉ちゃんの言ってること、むずかしくて、わかんないけど。えーと、ぜったいできる、と思ってやったら、できるってことかな?」
「ええ。あるいはお祈りをするよう、こうなりますように、と強くお願いするような感じでしょうか」
「そっか。とりあえず、おれには、うまくできなかった、ってことだよね」
「大丈夫ですよ、マヤさま。私も炎の魔法は、自分の力ではできませんでした。それに、魔法の学び方は、ほかにもたくさんありますので。ひとつづつ、試していきましょう」
セーニャがそう言ってほほえむと、マヤは安心したように表情をゆるめました。
「うん。ねえ、おれ、ちょっとさ、思ったんだけど。さっきのやつ、もういっかい、やってもらってもいい?チカラをふきこむ、ってやつ」
「ええ、もちろんですわ。では、もう一度右手を」
セーニャが隣にすわるマヤの手を両手で包みこみ、祈るように目をとじると、マヤはじぶんの左手をセーニャの手にかさねて、目をつぶりました。
ふたりはしばらくのあいだそのままでいましたが、やがてセーニャが手を放すと、マヤは目をひらいて、セーニャに言いました。
「ありがと。お姉ちゃん、ちょっと、うしろをむいててくれる?」
セーニャがうなずいて言われたとおりにすると、マヤは手元をじっと見つめて、思い切ったように小さく手をふりました。
いち、に、といきおいをつけて、三度目に人さし指をはじくと、指先から、ちいさな火花がぱっと飛び散りました。
マヤが音をたてないように、そろそろとセーニャをのぞくと、セーニャは背をみせたまま、両手で顔をおおって、目を隠しているのが見えました。
「うーん。ぱちっとでるけど、火はつかないね。やっぱ、ダメかな。できそうな気が、したんだけどな」
「だが、今度はセーニャが手伝ったワケじゃないだろ?ああ、でも力を吹き込むとか言ってたか」
ハリネズミがそう言うと、セーニャは顔をあげてふりかえり、マヤの顔と手元をかわりばんこにながめました。
「マヤさま、もう一度やっていただいても?」
マヤがうなずいて、指先からぱちんと火花を出してみせると、セーニャはまあ、と歓声をあげました。
「すごいですわ。それは、マヤさまの力の証です。すこし学べば、すぐに炎も出せるようになりますよ。いつか、ちゃんとお教えしますので」
「え、そうなの。でも、おれ、お姉ちゃんに、ちょっとだけ、てつだってもらったら、できるかなと思って。さっきみたいに、手をこう、やってもらったんだけど」
マヤがふしぎそうな顔をして自分の手をかさねてみせると、セーニャはマヤに手をかさねて、ふふっとほほえみました。
「私がしたことはこうして、上手く行きますように、とお祈りをしただけですわ。ですから、その火花はマヤさまの思い描く力です」
「あはは。じゃあ、このやりかたって、ぜんぶウソなんだ……ウソだけど、それがホントだって、信じたらできるってことね」
「ええ、だましてしまって、ごめんなさい。ですが、そういうことですわ。ですからこの方法は、すっかり大人になってしまった方には、あまり上手くいかないのだそうです。そういう方は、魔法の成り立ちから学ぶのがよろしいようです」
マヤは感心したようにふーん、と答えて、もう一度ぱちんと火花を飛ばすと、ししっと笑いました。
「それってさ。おれがコドモだから、カンタンにだまされた、ってことだよね」
「はは。そういう事になりそうだ。まあ、炎は出せなかったんだ、半分くらいだまされたってとこだな」
「ホントのことでも、ハリネズミに言われると、なんかムカつくな」
マヤがそう言ってハリネズミの鼻に指をぐりぐりと押しつける姿をみて、セーニャは片手で口元をかくして、おかしそうに笑いました。
村に着いた次の日、お日さまがそろそろてっぺんに差し掛かるころに、マヤは木で出来たトレイのような形の浅い箱をかかえて、テントに戻ってきました。
マヤはセーニャが本をひらくテーブルのはす向かいに砂の詰まった箱をおろすと、脇に抱えてきた古ぼけた本を、ぱたんと置きました。
どちらもよく見覚えのあるものらしく、セーニャは一目見るなり、まあ、と声をあげました。
「マヤさま、読み書きのお勉強ですか?」
「そう。エマに、旅がおわったら、手紙をだしてよって、いわれてさ。おれ、読み書きあんましできないって言ったら、かしてくれた」
マヤはそう言うと、ペンの代わりの小枝をぎこちなくにぎって、箱にしきつめた砂の上に、自分の名前を書いてみせました。
「文字は、もう覚えていらっしゃるんですね。カミュさまとご一緒に?」
「うん。あんまし、書けないけど、読むのはできるよ。兄貴も、たいしてできなかったんだけど。いつのまにか、おぼえてやがって。ちょっと、ムカついたな」
マヤが口をとがらせると、ハリネズミはなだめるように言いました。
「なにしろ、マヤより五年も長く生きてるからな。読み書きくらい覚えるさ。マヤにも教えてやれるんだから、いいだろ」
「そーだな。セキニンもって、教えてもらわなきゃ。へへ、お姉ちゃんひとりだけ、がんばってもらうのも、いやだしね。おれも、いっしょにベンキョーする」
「それはちょっと違う気もするが……まあ、ちょうどいいか。セーニャ、横でうるさくしても大丈夫か?」
「ええ、ご一緒しましょう。テーブルで他人といっしょになにかを学ぶのは、久しぶりですね。懐かしいですわ」
セーニャがそう答えると、マヤはたくさんの絵が描かれた本をひらいて、たどたどしい手つきで砂に文字を書き写しはじめました。
ハリネズミがなにかを教えようと口を開いては、マヤが怒ったように言い返す姿を、セーニャはおかしそうにしばらく眺めていましたが、やがて本に目をもどし、ときおり紙になにかを書きつけながら、ページをめくりました。
はじめは賑やかになにやら言い合っていた兄妹も、疲れたのかあきらめたのか、ハリネズミの口数がしだいに少なくなり、マヤも退屈そうにあくびをはじめました。
ふたりのようすをちらちらとうかがっていたセーニャが、そろそろ助け舟をだそうかと思いをめぐらせはじめたころ、胸のまえにトレイをかかげたマルティナがテントに顔をだし、マヤたちに声をかけました。
「こんにちは。まあ、いっしょにお勉強をしているのね。どう?うまく行っているかしら」
「こんにちは、マルティナさま。ええ、そう長くはかからないと思いますわ」
「そう、よかったわ。私には呪文のことはよくわからないけど、ロウ様が無理を押しつけたんじゃないかと思って、心配だったのよ。ねえ、お昼を持ってきたわ、いっしょに食べましょうよ」
セーニャたちがうなずくと、マルティナはテーブルにトレイを置いて、テントの中をきょろきょろと見まわし、隅に置かれたスツールを見つけると、外でなんどか叩いてホコリを落としてから、セーニャの正面において、腰をおろしました。
セーニャが焼き物のポットに満たされたスープをお皿に取り分けてならべると、だれが言い出すでもなく、三人は両手を組んで目をとじ、おいのりの言葉をとなえました。
マルティナがパンを一切れ手にして、スプーンのかわりに豆のスープにひたして食べる姿をみて、マヤは真似をするように口にはこびました。
「うまい。白いパンって、こんなかんじで、たべるんだね。ねえ、黒いパンと、白いパンって、なにがちがうの?」
「私もくわしくないのだけど、使う粉が違うらしいわ。マヤちゃんたちは、いつも黒いパンを食べているの?」
「うーん、パンをあんまし、たべないかな。イモとか、おかゆが多いよね」
「そうだな。同じ北国でも、暮らしのいいヤツは食ってるのかもしれないが。セーニャのとこも、あんまり食わないのか?」
「そうですね、里でパンを焼かれている方を目にしたことがありませんので。黒いパンは、酸っぱくてすこし苦手です」
「そうだったのね。私はパンで育ったものだから。世界中を旅してきたけれど、食べられないときは、ちょっと寂しかったわね。ロウ様も同じだったみたいで、よく一緒に探したわ」
マヤはふーん、と感心したようにうなると、テーブルの上のりんごをひとつ取りあげて、牙を突き立てて、がりっとかじりました。
くだけたひとかけらをハリネズミに差しだすと、マヤはなにかを思いだしたようにマルティナを見つめました。
「ねえ、マルティナさんは、おじいちゃんに魔法をおしえてもらったり、したの?」
「うーん、それがね……」
マルティナは食事の手をとめて腕組みをすると、どことなくおかしそうに言いました。
「私、呪文が使えないらしいのよ。ロウ様も、いろいろ試してくださったのだけど。ダメだったわ。魔法の素質がまったくない人間は、けっこう珍しいとおっしゃっていたわ」
マヤがそっか、とつぶやいて、気の毒そうな表情をうかべると、マルティナは顔の前でひらひらと手をふりました。
「いいのよ。使えたら便利でしょうねって、思わないわけではないけど。ダメなものは仕方がないわよね。それに、代わりに武術を教わったわ。私には魔法より、そっちのほうが向いていたみたい」
「ブジュツ?ってなに?」
「ふふ、食べ終わったら見せてあげる。マヤちゃん、セロリは苦手?」
「あはは……うん、ヘンな味。これ、セロリっていうんだ」
「ちょっとクセがあるわよね。無理して食べなくていいわよ、こっちにもらえるかしら」
マルティナはマヤが苦手なものをよけた酢漬けの皿を受けとると、わざとらしく笑顔をつくって、音をたててかじってみせました。
テーブルの上がすっかりきれいになると、マルティナはふう、と息をついて立ち上がり、大きく伸びをして、マヤたちといっしょにテントの外にでました。
マルティナはあたりをうかがって、まわりに人の姿のないことをたしかめると、マヤを正面にたたせて、手足をかるく振りました。
「じゃあ、ちょっと見せてあげる。マヤちゃん、じっとしていてね。動くと危ないわよ」
「う、うん」
緊張した面持ちで体をこわばらせるマヤにむかって、マルティナは体の向きを変え、腰をおとして、肩ごしにじっとにらみつけました。
マルティナは風を切る音をひびかせながら、マヤの顔にむかって、右腕で勢いよく突きをはなちました。
マヤがうわっと悲鳴をあげて目をつぶると、マルティナはマヤの肩をぽんと叩いて、やさしく声をかけました。
「大丈夫よ、当てないから。目をとじないで、よく見ていてね」
マヤがちいさくうなずくと、マルティナはすこし間合いをはなして、リズムを取るように体をゆらしながら、マヤに向かってするどい突きや蹴りをなんども放ちました。
最後におもいきり踏みこみ、マヤのこめかみに向かって足先をとばすと、ゆっくりと脚をおろして姿勢をただし、両手をあわせてぺこりとおじぎをしました。
「ふう。武術ってこういうことよ。手足を武器にして戦う手段ね。どうだったかしら?」
「こ、こわかった……でも、すごいね。ニンゲンの足って、そんなに高くあがるんだ……」
マヤはそう言うと、マルティナの真似をして右足を蹴り上げてみましたが、伸びきらない脚は腰よりすこし上までしかとどかず、姿勢をくずしてよろめきました。
マルティナはあわててマヤの体をささえると、ふふっと笑いました。
「いきなりは出来ないわよ。でも、魔法と違って、時間をかければ誰でもかならず出来るようになるわ。良かったら、ちょっといっしょにやってみましょうか」
「うん、おもしろそう。おしえてもらっても、いい?」
「ええ、いろいろ教えるわ。ねえ、マヤちゃんを借りても大丈夫かしら?」
セーニャがもちろんです、と言ってうなずくと、マルティナはマヤの肩にのるハリネズミの背中をつんつんとつついて、マヤの目をのぞきました。
「マヤちゃん、体を動かすのに、お兄ちゃんはちょっと危ないかもね。セーニャに預けておいたらどうかしら」
「あっ、そーだね。お姉ちゃん、兄貴をみといてくれる?」
「ええ。しっかりとお預かりしておきますわ」
マヤがハリネズミをセーニャの両手にそっと乗せると、マルティナはセーニャに向かって、なにやら目くばせをして、マヤの手をとりました。
マヤたちが足早に歩きだし、すっかり背中が見えなくなると、ハリネズミはセーニャの手のひらのうえで、呆れたように言いました。
「まさか、マルティナさんにまで気を回されちまうとは……いや、マヤがそばにいると、うるさくてジャマだろうと思ったのかな」
「気を回される、とはどういうことですか?」
セーニャがふしぎそうにたずねると、ハリネズミはすこしあせったように、ははっと笑いました。
「いや、なんでもないんだ。静かになって良かった。邪魔しちまって、悪かったな」「いいえ、おふたりといっしょで、私は楽しかったですよ。では、続きをしましょうか」
セーニャはテントの中へもどり、テーブルにつくと、本をひらく手元のそばに、ハリネズミをそっとおろして、背中をなでました。
だまったままページをめくるセーニャの顔と手元を、ハリネズミは交互にちらちらとながめていましたが、やがておずおずと口を開きました。
「ただ見てるだけってのも、なんか居心地が悪いな。なあ、なにかオレに出来ることはないか?まあ、ないよな……」
「そうですね……私がなまけてしまわないように、見張っていていただけますか?」「わかった。ずいぶんとヒマな仕事になりそうだ」
ハリネズミが冗談めかしてそう答えると、セーニャは顔をあげて、申し訳なさそうに言いました。
「すみません。それでは、カミュさまが退屈してしまいますね。でしたら……マヤさまの代わりに、私となにかおしゃべりをしましょうか」
「い、いや。そういうことじゃないんだ。オレのことは良い、気にしないでくれ」
セーニャはふたたび本に目を落とし、手をとめたまましばらく考えこむと、くすっと笑って切り出しました。
「マヤさまは、小さなころからずっと、カミュさまを兄貴と呼ばれているのですか?」
「はは。はじめはお兄ちゃんだったな。いつから兄貴になったのか、もうよく覚えてないんだが。なにしろ言葉の荒い連中に囲まれて育ったから、恥ずかしくなったのかもな」
「そうでしたか。呼び方が変わったとき、どう思われました?」
「そうだな……もう、よく覚えてないな。まあ、すぐに慣れたんだろうな。オレとしては、呼び方なんてどっちだっていいしな。でも、これは覚えてる。マヤのやつ、しばらく兄貴とお兄ちゃんが混ざってたんだよ。あれは笑えたな」
カミュがそう言うと、セーニャはおかしそうに口元をかくし、目を細めました。
「ふふ。すみません、笑ってはいけませんね。私はずっと、誰からも、ただセーニャと呼ばれておりましたので……マヤさまが、お姉ちゃんと呼んでくださることに、まだ、すこし慣れませんわ。なんだか、くすぐったい気持ちになります」
「ああ、そうだよな。上のきょうだいの呼び方は色々あるが、下はほとんど名前だけなんだよな。ベロニカも、ただセーニャと呼んでいたよな」
「ええ。なんだか……すこしだけ、お姉さまの気持ちがわかったような、そんな気持ちになっています。呼び方もですが」
セーニャは深く息をついて、テーブルの上で両腕を組み、あごをのせて、ハリネズミを目の前に見つめました。
「マヤさまといっしょにおりますと、私はお姉さまから、こんなふうに見えていたのかなと……そんな事を考えます」
「ベロニカから?うーん、マヤとセーニャはまったく似てないと思うが……」
「性格や気性のお話ではなく、なんと言いますか……いえ、すみません、カミュさまにお話するようなことでは、ありませんでした」
「いや、その話、気になるな。続けてくれないか?」
セーニャは目をそらして、テーブルにつき伏したまま、しばらくのあいだ悩んでいましたが、やがてぽつりと口を開きました。
「どうか、笑っていただきたいのですが。私、お姉さまをうたがったことがなかったんです。強い心をお持ちで、落ちこむことなどなく、私が頼れば、どこまでも手を引いてくださる……私にとって、お姉さまはそんな存在でした」
ハリネズミから目をそらしたまま、セーニャは続けました。
「マヤさまのおそばにいると、思うんです。マヤさまが私を信じてくださるすがたは、お姉さまがそばにいてくださったころの、私自身のすがただと。それが、なんだか……たまらなくて」
ハリネズミはなにか言葉をかえそうとして、そうか、とつぶやきましたが、それきりなにも言えなくなってしまいました。
セーニャはだまりこんでしまったハリネズミを、指でそっとなでて、ふたたび話をはじめました。
「ですが……ひとつわかりました。自分をどこまでも信じて、頼ってくださる存在が、どれほど人を強くするものか。私は、自分がずっと、お姉さまの足をただ引っ張っているのだと、思い続けていましたが……これは、うぬぼれかもしれませんが、そばに私のいたことが、お姉さまの強さの理由のひとつだったのかもしれないと……マヤさまのおかげで、今ではそんなことを考えています」
セーニャがそう言ってほほえむと、ハリネズミは困ったようすで、声をしぼりだしました。
「そうか……オレにも、すこしわかる気がする。その話、マヤに聞かせてやりたいな……いや、本人が聞いても、きっと落ち込むだけだな」
「ええ。以前の私が聞いても、きっと落ち込むでしょう。すみません、おかしな話を聞かせてしまって」
「いいや。マヤが……はは、オレもだな。セーニャに頼っちまって、心苦しかったんだが。すこし、気持ちが軽くなった。ありがとな」
ハリネズミが照れたようにそう言うと、セーニャはハリネズミに顔をよせて、鼻をつっつきました。
「不思議なものですね。頼られてみれば、信頼を寄せてくださる方の大切さがわかりますのに……それでも、他人を頼るのは心苦しいのですよね。どうしてなのでしょう」
「なかなかな。頼る、甘える、利用する……自分の中で線を引くってのは、難しいもんだ。相手からどう思われてるかなんて、わかりゃしないからな。自分の力が足りないことに、引け目もあるのかもしれないな」
ハリネズミとセーニャがそんな話をつづけていると、不意に外から力強い足音がちかづいてきて、入るぞ、という太い声がひびき、だれかが腰をかがめてテントの中に入ってきました。
セーニャがあわててテーブルから体を起こすと、目のまえでは、グレイグがすこしはにかんだようすでセーニャを見下ろしていました。
「セーニャ、邪魔してすまないな。はかどっているか?」
「はい、おかげさまで、なんとかなりそうですわ。あの、よろしければ、おかけになってください」
「いや、たいした用事ではないのだ。姫様を見かけなかったか?」
「マルティナさんなら、マヤと遊んでくれてますよ。どこにいったのかは、ちょっとわかんないっすけど」
ハリネズミがそう答えると、グレイグはあごひげに手をあてて、首をひねりました。
「ふむ、そうだったか。それでは、俺が水を差すのはまずかろうな……」
「いえ、マルティナさまは、マヤさまに武術を教えてくださるとおっしゃっていましたわ。グレイグさまも、兵士のみなさまに教えていらっしゃるのですよね?」
「おお、そうであったか。うむ、それなら俺も力になれそうだ。ありがとう。セーニャよ、なにか困ったことがあれば、気軽に俺に言ってくれ」
そういって拳で胸をどんと叩くグレイグに、セーニャがうなずいてお礼を言うと、グレイグはいかめしい顔をゆるめて、足早にテントを出て行きました。
グレイグのすがたを見送ると、ハリネズミは声をふるわせて、こらえるように言いました。
「はは。なんだろうな……グレイグさんとマルティナさん。見てるぶんには笑えるが、ロウさんの気持ち、よくわかるぜ。ガラじゃねえが、オレたちで気を回してやったほうがいいのかな……」
「カミュさま、なんども言われていますが、気を回すとは、いったいどのようなことでしょう?」
「そうだな。セーニャのように言うなら、あの二人、お互いに"お慕い申しております"ってやつだろ。どうして、あそこから話が進まないんだか」
ハリネズミがそう言うと、セーニャはまあ、と驚いて、目を丸くしました。
「それは……気がつきませんでした。お姫様と、寄りそう騎士さまのお姿かと……カミュさま、どうして気がつかれたのですか?」
セーニャが胸のまえで両手をあわせて、わくわくしたようにそうたずねると、ハリネズミはみじかい両腕を広げて、肩をすくめるしぐさをして見せました。
谷間のかげにすっかりと陽が落ちて、赤らむ世界のなかで、セーニャがそろそろ明かりをともそうと、ランプの手入れをはじめたころ、マルティナとグレイグに連れられて、マヤがテントに戻ってきました。
元気よくテントに飛び込んできたマヤは、ちいさな子供のように無邪気にはしゃいだようすで、三人がすっかり打ち解けたことをしめしているようでした。
「ただいま。お姉ちゃん、ごめんね、おれだけあそんじゃって。でも、いろいろおしえてもらって、たのしかったな。剣とかヤリとかも、さわらせてもらったよ」
「いいえ、せっかくの旅なのですから。うまくできましたか?」
「うーん、わかんない。でも、剣はムリそうだったかな。剣ってあんなに、重たいものなんだね。ヤリは、ちょっとできるかも。ねえ、お姉ちゃんがヤリもできるって、ほんと?」
「ええ。マルティナさまほど得意ではないですが 一通りは身につけましたよ。カミュさまも、剣がお得意なんですよ」
「えっ、そうなの。兄貴、剣なんて、どこでおぼえたの」
「いや……オレのは、ちゃんと教わったわけじゃねえから。オレの剣を見ると、グレイグさん、いっつも渋い顔するんだぜ。相当でたらめなんだろうな」
マヤがグレイグを見上げて、そーなの、とたずねると、グレイグは胸をはって、大声で笑いました。
「ああ。まったくのでたらめ、奇怪な太刀筋だ。だが、人間を相手にするのと、魔物を相手にするのとでは、勝手が違うからな。マヤの兄上の剣は、頼もしかったぞ」
「ふふ、そうね。だけど、やっぱり兄妹なのね。マヤちゃんも、カミュと似て身のこなしが軽いのよね。体を動かすのも好きみたいだし。強くなるわよ、きっと」
ふたりにほめられて、すっかり照れてしまった兄妹をみて、セーニャはふふっとほほえみました。
「良かったですね、マヤさま。私のほうも、だいぶはかどっていますので。明日か、遅くともあさってには」
「そっか、よかった。兄貴は、お姉ちゃんのジャマ、しなかった?」
「ええ。私がなまけないように、ちゃんと見張っていてくださいました。助かりましたわ」
セーニャがそう言うと、マルティナは眉をひそめて、すこし困ったように笑いました。
「うーん、いまひとつ……まあ、いいわね。それでね、私たち、お城のほうと行ったり来たりしているのよ。この村も、がんばって直しているんだけど。なにしろ、人が多すぎるから、あっちにも人が暮らせるようにしないといけなくて」
「ああ、そうなのだ。明日はまた向こうに戻らねばならん。ゆえに、稽古をつけてはやれんが、折を見ながらな。マヤよ、ゆっくり休んでおくのだぞ」
「うん。またおしえてね、おっちゃん。マルティナさんも、ありがと」
「いいのよ。私たちも楽しかったわ。じゃあ、またね。セーニャも、無理はしないようにね」
セーニャが立ちあがってあいさつをしようとすると、マルティナたちは気づかいはいらないと言うように手をふり、背を向けてテントから出て行きました。
マヤはまたね、と手をふりかえすと、満足そうな顔でテーブルについて、ふう、と息をつきました。
「マヤさま、夕食はとられましたか?汗をかかれていましたら、お湯をいただいてきましょうか」
「あっ、だいじょぶ。いっしょにご飯たべて、体もふいたよ。お姉ちゃんは?」
「ええ、私も済ませましたので、大丈夫ですわ。お疲れでしたら、すぐにお休みになられてもよろしいですよ」
セーニャがやさしくたずねると、マヤはすこし気まずそうに、頭をかきました。
「へへ。ごめんね。あそんじゃって悪いから、もうちょっとおきてる。読み書きでも、やろっかな」
「ああ。グレイグさん、ああ見えて頭もいいんだぞ。文武両道、とか言ってたな。力の強いものは、賢くなけりゃならないんだと」
「へー。おっちゃん、むつかしいコトバ、つかうもんな。お姉ちゃんも、アタマいいのに、ヤリもするんでしょ。おれも、がんばらないとね」
マヤはそう言って本をテーブルにひらき、砂にぐりぐりと文字を書き写しはじめました。
はじめのうちは、セーニャとハリネズミに、今日あったことをたのしそうに報告していましたが、すぐに口数がすくなくなり、あくびをしながら、目をこすりはじめました。
セーニャはときおり本から顔をあげて、ようすをうかがっていましたが、まぶたの落ちかけたマヤの顔をみて、心配そうに声をかけました。
「マヤさま、眠たいときは、頭も動きませんので……もう、お休みください」
「うん……ちょっとだけ、ねる……」
マヤはねぼけたようにそう言うと、本をわきにはらって、テーブルの上で組んだ両手をまくらにして、つき伏しました。
しばらくのあいだ、楽な姿勢をさぐるように、体をもぞもぞと動かしていましたが、やがて、すうすうと気持ちよさそうな寝息が聞こえてきました。
「まったく、素直に寝りゃいいのに……おい、マヤ。ここじゃなく、ちゃんとベッドで寝ろよ」
ハリネズミがマヤの耳もとで声をかけ、背中のハリを押しつけようとすると、セーニャは腕をのばしてハリネズミの動きをそっとさえぎり、立ち上がりました。
セーニャはマヤの背にまわると、肩を引いて体をおこし、よいしょ、と掛け声をかけて、両腕で抱きかかえました。
すこしよろめく足どりでマヤをベッドにおろすと、そっと毛布をかけて、やさしく頭をなでました。
セーニャが物音をたてないようにしずかにテーブルにもどると、ハリネズミはちいさな声で、感心したように言いました。
「悪いな。それにしても、力があるよな、セーニャ。いや、マヤが軽いのか」
「ええ、まだ小柄ですから。ですが、来年にはもう、できなくなっているかもしれませんね」
「そうだな、まだまだ背が伸びそうだ。オレより大きくなられちまったら、イヤだな」
「マルティナさまのようにですか……」
セーニャはとつぜん、ふふっと吹きだすと、両手で顔をおさえて、肩をふるわせて笑い、目元をこすりながら言いました。
「すみません……マヤさまと同じ格好をされたマルティナさまが思い浮かんでしまって……おふたりに悪いですね」
「はは。笑えるが……なにか、考えちゃいけない気がする。なんでだろうな」
セーニャとハリネズミはたのしそうに言葉をかわし、やがて夜はふけていきました。
次の日の朝、マヤはすっかり昇りきった朝日のまぶしさに目をさますと、ベッドの枕元にハリネズミがいないことに気がついて、きょろきょろとあたりを見まわしました。
テーブルにつき伏して眠るセーニャに気がつくと、マヤはセーニャのそばで丸まって眠るハリネズミを見つけて、ほっと胸をなでおろしました。
鼻先をつんつんとつつくと、ハリネズミはぱちっと目をひらき、体をのばしてマヤを見上げました。
「兄貴、おはよ。おれ、いつのまに寝ちゃったんだろ。覚えてねえや」
「おはよう、マヤ。テーブルで寝てたんで、セーニャがベッドに寝かせてくれたんだ」
「そっか。お姉ちゃん、ずっとおきてたの?」
「ああ。寝たのは、空が明るくなりだしてからだ」
「なんだよ。兄貴もおきてたんだろ?お姉ちゃんにムリさせたら、ダメじゃねえか」
「そうなんだが……すまん、何度も言ったのに、聞かなかったんだ」
マヤがセーニャの肩に手をかけて、起こそうとすると、ハリネズミがあわてて言いました。
「このまま寝かせてやってくれ。起こすときっと、また無理しちまうから」
「ダメ。テーブルで寝てちゃ、つかれるだけだろ。ベッドで寝てもらおうよ」
マヤがセーニャをゆさゆさと揺り動かすと、セーニャはゆっくりと体を起こし、ほとんど開いていない目で、ぼんやりとマヤを見つめました。
「あら……おはようございます……すみません、私、いつのまにか眠っていたんですね……」
「お姉ちゃん、ムリしちゃだめだよ。いそぐわけじゃ、ないんだし。ベッドで寝てよ」
「いえ……私はだいじょうぶです……起こしてくださって、ありがとうございます……」
セーニャは寝ぼけたようすで目をこすり、本を手に取ろうとしましたが、マヤは腕をつよく引っ張って、むりやり立たせました。
背中を押してベッドに横たわらせ、毛布をかけると、セーニャはすぐに夢の世界へもどっていったようでした。
マヤがちいさくあくびをして、テーブルにつくと、ハリネズミはちょこちょことマヤのそばによって、声をかけました。
「すまんな、マヤ。助かった」
「まあ、ハリネズミじゃ、しょうがねえよな。ムリヤリってわけに、いかねえし」
「ああ。しかし、よく寝てたな、マヤ。疲れてたんだな」
「そーみたいだね。でも、もう元気。ちょっとハラへったけど、朝メシのジカンは、もうおわっちゃったよね」
「たぶんな。でも、人に聞けば、食いものはなにかあるんじゃねえか。果物とか」
マヤがそーだね、とうなずいて立ち上がり、ハリネズミを肩にのせると、テントの外で、マヤのほうへと向かってくるエマと目が合いました。
ふたりがあいさつを交わすよりさきに、ルキが勢いよくマヤの元へと駆け寄ってきて、なでてくれとばかりに、体をおしつけました。
「ルキ、おはよう。ごめんな、お姉ちゃんが寝てんだ、そとにでてくれよ」
マヤがそう言ってかるく頭をなでて、外にでると、ルキもしっぽを振りながらあとをつづきました。
「マヤ、おはよう。よく眠れた?」
「エマ、おはよ。うん、今おきたとこ。ちょっと、寝すぎちゃって、朝メシを食べそこねちゃった」
マヤがそう言うと、エマはくすくすと笑って、ポケットから緑がかった小ぶりのりんごを取りだし、マヤに手渡しました。
「ちょっと、酸っぱいやつだけど。食べて」
「あっ、ありがと。へへ……でも、ちょっとね、ヒトのいるとこだと、ダメなんだ」
マヤが目をほそめながら、口元を隠すマフラーを指さしてみせると、エマは心配そうにたずねました。
「それ、どうしたの?歯が抜けちゃったとか?」
「うーん。その逆っていうか……ねえ、ヒトにみられないとこって、ある?」
「うん。えっとね、神の岩ってところがあるんだけど。そっちのほうなら、人は来ないよ。行こう」
マヤはエマに案内されて、村の奥へとすすみ、登り坂になっているうねうねとした谷間をしばらく歩くと、やがて目の前に青々とした草原につつまれた峰が、姿をみせました。
峰の上からあたりをみまわすと、どちらの側にもつらなる山々がはるかに見渡せ、峰のてっぺんには、ふしぎな模様が白く染めぬかれた、見上げるような岩山がそびえていました。
エマといっしょに木のかげに腰をおろすと、マヤはかなたを見つめながら、ため息をもらしました。
「すごいね。おれ、ずいぶん、山のうえのほうまで、きてたんだなあ。谷のなかからだと、わかんないんだね」
「うん。あそこの、神の岩のてっぺんからだと、海も見えるよ」
「そーなんだ。大樹もきれいにみえるね。おれ、あの大樹の、すぐそばからきたんだ。ここからだと、ずいぶんちっちゃいね」
マヤが北側の青空に浮かぶ、命の大樹を指さすと、エマはルキの頭をなでながら、さびしそうに言いました。
「いいな。私、村から外に出たこともないのよ」
「おれもね、いまの旅をするまで、町からでたこと、なかったから。なあ、ナイショにするって、ヤクソクできる?」
「うん、できるけど……なに?」
エマがふしぎそうな顔で見つめると、マヤはハリネズミをひざにおろして、首元に巻きつけたマフラーをするするとほどきました。
首に巻かれた赤いチョーカーと口元をあらわにすると、にっと笑って、牙をむきだして見せました。
エマがえっ、と声をあげて目を丸くすると、マヤはエマにもらったりんごを、牙を突き立ててかじってみせました。
「え、そのキバ……村に来たときは、なかったよね?どうしちゃったの?」
「へへ。これね、呪いなんだ。この、クビのやつ、ひっぱってみて」
エマはおそるおそる手をのばして、マヤの首元のチョーカーの金具に指をひっかけて引っぱってみましたが、まるで肌に張り付いたかのように、びくともしませんでした。
「ほんとだ。ぜんぜん取れそうにないね……平気なの?」
「うん。よわい呪いなんだって。だから、とれないけど、キバがはえるだけ」
マヤがそう言って、牙をむきだして笑顔を見せると、エマも表情をゆるめて、くすくすと笑いました。
「そうなんだ。びっくりしちゃった。なんだか、首輪もつけて、ルキみたい。ちょっと怖いね」
「あはは。それ、ほかのヒトにも言われたな。イヌみたいって。おれ、カッコいいと思うんだけどなあ」
「マヤって、ヘンな子だよね。でも、呪いって、どうして?ずっと村にいたよね?」「うん、それがね……なあ、ナイショにできる?」
「なに?ほかにも、なにかあるの?できるけど……」
エマが困ったように答えると、マヤはハリネズミを抱きかかえて、手のひらの上で立たせました。
「兄貴、なんかしゃべって」
「なんかって、お前……まあ、いいか。えーと……こんちは、エマ。マヤと仲良くしてくれて、ありがとな」
エマがええ~、と大声をあげると、ルキが驚いてわんわんと吠えだし、ハリネズミもびっくりして、くるんと丸くなりました。
マヤがししっと笑って、なだめるようにルキの頭をなでると、エマは混乱したようすで口を開きました。
「しゃ、しゃべるんだ……しゃべるハリネズミ……」
「えっとね、これも呪いで。これ、おれの兄貴なんだけど……元はちゃんと、ニンゲンで。おれたち、元にもどすために、旅してんだ」
「……そうなんだ……えーと、エリックって言ってたっけ……」
エマがハリネズミをじっと見つめて声をかけると、ハリネズミは丸めた体をゆっくりと開いて、エマを見上げました。
「うーん……好きに呼んでもらっていいか。まあ、そんなワケなんだ」
「こ、こんにちは。マヤのお兄さんって、本当のお話なの……?」
「ああ。信じられないと思うが、オレだって信じられないからな……すまん、その犬、大きくて怖いんだ。ちょっと、遠ざけてもらえるか」
エマはハリネズミに顔をちかづけて、くんくんと鼻を鳴らすルキの首輪に手をかけ、マヤたちの反対側にすわらせると、ルキがしたのとおなじように、ハリネズミに顔をよせました。
「ごめんね、エリック。そっか……本当なら、大変だね。元に戻れるといいね」
「ありがとな。なんだか、ハリネズミにもすっかり慣れちまってな」
「へへ。そう、おれも、なれちゃった」
「慣れるものなんだ……でも、なんだか……マヤとお兄さん、物語に出てくる人たちみたい。遠い世界のお話っていうか」
エマはハリネズミの背中を指でそっとなでると、ひざを抱えて目をふせました。
「私もね……ねえ、ナイショにできる?」
「できるよ。指きりしよう」
マヤがひざを抱えるエマの片手をとって、小指をからませると、エマはすこし表情をゆるめたようでした。
エマは思いをめぐらせるように彼方にうかぶ大樹を見つめていましたが、やがて、思い切ったように切り出しました。
「ねえ、マヤたちって、お城の人じゃないんだよね?」
「うん。おれたち、とおくから来たって、言ったよね」
「そうだよね。それで……悪魔の子、って聞いたことある?」
「ああ。勇者のことだろ」
ハリネズミが答えると、エマはちらりとハリネズミをのぞきましたが、すぐにまた目をふせました。
「そう。私ね、あの子といっしょに生まれて、あの子といっしょに育ったの。でもね、ある日、あの子は勇者になっちゃって。どこか、遠いところに行ってしまったの」
エマがひざを抱えたまま、ふるえる声でそう言うと、マヤとハリネズミは顔を見合わせました。
「村がこうなっちゃってから、何度か戻ってきてくれたんだけど……お城の人たちが話してるのを聞いたわ。あの子、この世界には、もういないのね」
「うん……おれも、兄貴たちからきいた。なあ、エマはしってる?兄貴、勇者といっしょに、旅をしてたんだ」
マヤがそう言うと、エマは驚いたようすでハリネズミをじっと見つめて、言葉を待っていました。
ハリネズミはエマの瞳をのぞきこみ、重々しい口調で口をひらきました。
「オレはな……アイツがこの世界から旅立つところを、見送ったんだ」
「そう……なんだ。それまでは、ずっと一緒だったの?」
「ああ。オレは、アイツの旅の最初の仲間だったんだ。だから、旅のほとんどを知ってると思う。悪魔の子と呼ばれていたことも、どうして旅立っちまったのかも。聞きたいなら話すが……」
「聞きたい」
エマはハリネズミの言葉をさえぎるように、きっぱりと告げました。
てっぺんを回ったお日さまが、村をかこむ谷のかげに隠れてしまったころ、テントの中で本をひらくセーニャの元に、マヤがエマを連れてもどってきました。
エマがテントの入り口でルキを待たせて中に入ると、セーニャはすぐに顔をあげて、おだやかにほほえみました。
「マヤさま、おかえりなさい。エマさま、こんにちは。すみません、すっかり眠ってしまって。おふたりで、ご一緒に出かけられていたんですね」
「うん。ねえ、お姉ちゃん……エマにさ、勇者のハナシ、きかせてあげてくれない?」
「勇者さまの、ですか?」
セーニャがふたりの暗い表情をみて、首をかしげると、ハリネズミがふたりの代わりに答えました。
「ああ。この子、勇者の幼なじみらしいんだ。アイツの旅のこと、なにも知らないらしくてな……」
「まあ……そうでしたか。わかりました、なんでもお話いたしますわ。どうぞこちらへ」
セーニャがイスを引いてエマを座らせると、マヤはハリネズミを肩からテーブルにそっとおろして、エマの肩をぽんぽんと叩きました。
「おれ、外でルキをみてるから。ゆっくり、話してね」
「うん。マヤ、ありがとう」
テントの外から中をのぞきこむルキに、マヤはゆっくりと歩みより、やさしく頭をなでました。
「ルキ、おれといっしょに待ってよ。こっちだよ」
マヤがそう呼びかけると、ルキはしっぽをぱたぱたと振って、テントのそばに腰をおろしたマヤのとなりに、ぺたんと座りました。
首元に腕をまわして抱きよせると、ルキのほうもマヤに身をよせて、肩のあたりにあごをのせました。
「おまえのトモダチ、かわいそうなんだ。ハナシがおわったらさ、こんなふうに、なぐさめてやってくれよな……」
マヤはちいさくつぶやいて、ルキのぬくもりを感じながらぎゅっと抱きしめ、背中をなでました。
すこしづつ夕陽にそまっていく村で、エマを待つあいだ、マヤが木の枝を投げてルキと遊んでいると、ルキがとつぜん、マヤをすり抜けて、背中のほうへと駆けてゆきました。
振りむくと、エマが腰をかがめて、ルキを抱きしめるすがたがありました。
エマに歩みよったマヤが、かける言葉が見つからずに立ちつくしていると、エマは体をおこしてマヤの瞳をじっと見つめ、ふるえる声で言いました。
「ごめん……今は、なにも話したくないの」
「うん。いいんだ」
ふたりはおたがいに、なにか言葉をかけようと見つめあっていましたが、やがてエマが、またね、と一言だけ口にすると、マヤに背をむけて、重たい足どりで去っていきました。
あくる日、マヤとセーニャはおなじテーブルで本をひろげ、呪文と読み書きをそれぞれに学んでいました。
はじめのころよりすこし慣れた手つきで文字を書くマヤが、いつもの調子でハリネズミとおしゃべりをしていると、不意にセーニャが両手でぱたんと本をとじて、立ち上がりました。
「マヤさま、すこしよろしいですか?呪文を試してみようかと思います」
「あっ、できた?うん、おねがい」
マヤがマフラーをほどいて立ち上がり、背中をのばすと、セーニャは目をかたく閉じて、深く息をつきました。
ひらいた右手をマヤの首元によせて、おごそかな口調で、シャナク、と唱えると、
チョーカーがにぶい光につつまれ、しだいにかがやきを増していきました。
やがてマヤの細い首筋があらわになり、チョーカーについていた丸いかたちの金具が、ことんと小さな音をたてて、床に落ちました。
マヤは両手でじぶんの首をさわり、すごい、と歓声をあげました。
「きれいに消えちゃった……あっ、キバはどうなったかな?どうなってる?」
マヤはいそいでテントのすみの机に走り、手のひらほどの銅の鏡をのぞきこんで、歯を食いしばってみました。
鏡には、すっかり元のすがたにもどった歯並びが、にぶく映し出されていました。「うん、元にもどった。なんか、クチがすっきりした……でも、ちょっとざんねん」
「ふふ。ずっとそのままのほうが、よろしかったでしょうか」
マヤは口に指をつっこんで、前歯にふれてたしかめてから、ししっと笑いました。「おじいちゃん、またつくってくれるかな?でも、すごいね、お姉ちゃん。これなら、兄貴の呪いも、とけるんじゃないかな」
「うまく行くとよろしいですね。どうなるかわかりませんが、ロウさまと、みなさまにも見ていただくことにしましょうか」
「ああ、オレには呪文のことはわからないが、念のためな。セーニャ、ありがとな」「お礼にはまだ早いですわ、カミュさま。では、まいりましょうか」
マヤたちがテントを出て、ロウの元をたずねると、マルティナといっしょにベッドに腰かけて、なごやかになにかを話しているようでした。
ふたりはすぐにマヤたちに気がつき、そばにすわるようにと、手招きをしました。「こんにちは、セーニャ。マヤちゃんも。どう?上手くいってる?」
「はい。ちょっと、こちらを見てください」
セーニャがそう言って目くばせすると、マヤはハリネズミをひざにのせてマフラーをほどき、ふたりに細い首元をみせました。
片手で首筋をなでてみせると、ロウとマルティナは声をあげて、笑顔をうかべました。
「おお、上手くいったか。良かったのう。もう少しかかると思っていたのだが。がんばったんじゃな」
「すごいわね、セーニャ。ねえ、カミュにも試してみた?」
「いえ、これからですわ。上手くいきますか、まだわかりませんが、みなさまに見ていただこうと思いまして」
「うむ、そうじゃな。姫や、グレイグとシルビアを呼んできてもらえるか」
ロウがそう言うと、マルティナはかるくうなずいて、外へと駆けだしていきました。
マルティナを見送ると、ロウはおだやかにほほえんで、ひげをなでながらマヤを見つめました。
「のう、マヤよ。姫とグレイグ、ふたりと仲良くしてくれて、ありがとうな。おヌシたちがやって来てから、すこし明るくなったようじゃ」
「へへ。ふたりとも、いそがしそうなのに。いろいろ教えてくれて、おれも、うれしいから。でも、あかるくなったって、なにかイヤなことでも、あったの?」
「ほほ。まあ、たいしたことではないんじゃ。カミュとセーニャも、気を回してくれたそうじゃな。ありがとうよ」
ロウがそう言うと、ハリネズミはおかしそうに、ははっと笑って、つぶらな瞳でロウの顔を見上げました。
「オレも、ロウさんと同じ気持ちになったんで……一緒に旅をしてたころから、なんにも変わってないんすね、あのふたり。グレイグさんは、まあわかるんすけど。マルティナさんのほうも、意外と……」
「ああ。困ったことに、そうなんじゃ。わしからもふたりに、なにかと水を向けておるのだが。上手くいかんのう」
「あの、おふたりに、そのままお伝えしてはいけないのですか?その……ご結婚のことなど」
セーニャがすこし照れたようすでそう言うと、ロウたちはあっけにとられたような顔を見せてから、おおきな声で笑いました。
「うーん……そういうことじゃねえんだ。まあ、セーニャにも、いつかわかるよ」
「うむ、わしもな、そうしてやりたい気持ちでいっぱいなんじゃが。人の心は難しいのう」
「あはは。おれにも、そういうの、よくわかんねーけどさ。みんな、たいへんなんだな」
マヤたちがたのしそうにふたりのことを話していると、やがてマルティナが、グレイグとシルビアを連れて、テントに戻ってきました。
シルビアはすこし身をかがめてテントに入ると、セーニャと目をあわせて、ウインクをして見せました。
「セーニャちゃん、聞いたわよ。がんばったじゃない。カミュちゃんの呪いも、きっとさっぱり解けちゃうわ。マヤちゃんも、よかったわね」
「ありがとうございます、シルビアさま。ですが、こればかりは、試してみないとわかりませんので。上手くいきますよう、お祈りください」
「もちろんよ。ごめんなさいね、アタシはなにも力になれなくて。ちょっと、グレイグたちのお手伝いをしていたのよ」
「うむ。ゴリアテは、上手く兵らを鼓舞してくれるのでな。助かっている。そういうところは、俺に欠けた部分だな」
「ゴリアテ?って、シルビアさんのこと?」
ふしぎそうにたずねるマヤに、シルビアはにっこりとほほえんで見せました。
「ええ、そうなのだけど、あまり気にしないでちょうだい。古いあだ名みたいなものよ。ねえ、そんなことより、カミュちゃんを助けてあげましょうよ」
「そうですね。マヤさま、よろしいですか?」
マヤは返事をしてうなずくと、ハリネズミを手につたわせて、胸のまえでかかげました。
セーニャはマヤの正面に立ってかたく目をとじて、なんどか深く息をして、ハリネズミをじっと見すえました。
右腕をゆっくりと伸ばして手のひらを向けると、つよい調子で、シャナク、と呪文をとなえると、ハリネズミのからだが、あわい光につつまれました。
光はハリネズミからマヤの両手につたわって、マヤのすがたを覆うようにゆっくりとひろがり、すこしづつかがやきを増していきましたが、やがて音もたてずに、ふっと消えてしまいました。
セーニャは腕をおろすと、眉をひそめて、困ったようすでロウにたずねました。
「呪いは解けませんでしたね……ロウさま、私の呪文はどこか失敗していましたか?」
ロウはゆっくりと首を横にふって、セーニャを見あげると、やさしい声を作ってこたえました。
「いいや、見事じゃった。おなじ呪文でも、わしのものとは比べ物にならんな。ふうむ、しかしダメだったか。だが、安心してくれ。次の手は、ちゃんと用意してあるぞ。次はな……」
「ちょっと待って」
マルティナは話をさえぎるようにそう言って、ロウの正面にかがみこむと、にらみつけるように、じっと瞳をのぞきました。
「ロウ様?ちょっと、切り替えが早すぎませんか?上手くいかなかったから、次はって。まるで、最初から上手くいかないことを知っていたみたいに。なにか、隠していませんか?」
「そ、そんなことはないぞ。姫や、そんな目でわしをにらまないでおくれ」
「本当に?私の目を見て、誓えますか?」
ロウはたじろいでマルティナから目をそらし、言い訳をするようにあわてて言いました。
「ち、違う。わしだって、呪いのことは気の毒に思っておるんじゃ。なあ、次こそ、次こそは大丈夫。姫や、信じておくれ。後生だ」
マルティナはなにも言わずにロウをじっとにらみつけていましたが、気の毒におもったのか、シルビアが明るい調子でふたりのあいだに割って入りました。
「ねえ、マルティナちゃん。考えがあるって言っているんだから、聞いてみましょうよ。ロウちゃんがアタシたちにヒドイことなんて、するはずないでしょう?きっと、なにか考えがあるのよ」
「そ、そうじゃ。シルビアの言うとおりじゃ。なあ、とにかく話を聞いてくれんか」 シルビアになだめられて、マルティナがちいさくため息をつきながら立ちあがり、腕組みをすると、ロウはうなだれて、ふう、と深く息をつきました。
ロウはすぐに体をおこして、ひげをなでながらグレイグを見上げて名前を呼びかけると、グレイグはロウのそばで、視線をあわせるようにひざまづきました。
「グレイグよ、ドゥルダ郷のことを覚えているかな?」
「は。たしか、ドゥーランダ山の中腹でしたか。あの、不思議な様式の建物ですよね?頭を丸めた僧侶たちのおられる」
「うむ、そうじゃ。皆をな、あの場所へ案内してもらいたい。頼めるかな?」
「むろん、それは構いませんが。いったい、あの場所でなにを?」
ロウがおおきくせきばらいをしてセーニャを見上げると、セーニャはきょとんとした顔をして、ふしぎそうにたずねました。
「ロウさま、なんでしょう?」
「うむ、実はな。ドゥルダ郷と言う、かつてわしが修行をしていた場所があってな。セーニャが身につけた解呪の呪文の力を、さらに高められるものがあるんじゃ。それを使えば、きっとカミュの呪いも解くことができるじゃろう」
「まあ。そういうことでしたら、ぜひ。ただ、私は行ったことのないところですので……」
セーニャがそう言うと、グレイグは右手でこぶしをつくり、自分の胸を、どんと強くたたきました。
「心配いらんぞ、セーニャ。俺が案内できる。そうだな、三日はかからん程度の道行きだ。明日には発てるぞ」
「グレイグさま、よろしいのですか?」
「ああ。言っただろう、カミュには大きな借りがあるのだ。役に立たせてくれ」
グレイグがはにかんで見せると、シルビアもふたりのそばによって、笑顔を見せました。
「もちろんアタシも行くわよ。さっそく準備しなくちゃね。マルティナちゃんはどう?村でのお仕事があるかしら?」
「いいえ。私も行くわ。ロウ様のおっしゃることが、すこし心配だし。いいですね、ロウ様?
マルティナがそう言ってロウをにらむと、ロウは顔じゅうにしわをよせて笑顔を作り、うなずきました。
「うむ、もちろんじゃ。まあ、長い旅にはならんはずだ、村の事はみなに任せておけばいいだろう。カミュたちを助けてやってくれ」
「わかりました。じゃあ……よろしくね、セーニャ、マヤちゃん」
「うん。マルティナさん、ありがとね。でも……ねえ、あしたにはもう、旅にでるの?」
「ええ、私とグレイグは問題ないわ。シルビアは?」
「アタシも平気よ。だけどマヤちゃん、もうすこし村で過ごしたいんじゃないかしら。何日かゆっくりしても、大丈夫よ」
シルビアが心配そうにたずねると、マヤは悩むようにすこしうつむいて、なにかを考えこんでから、首を横にふりました。
「へーき。でも、ごめん。おれ、旅にでるまえに、エマと話さなきゃいけないこと、あるんだ。なあ、行ってきてもいい?」
「もちろんよ。旅のことはアタシたちに任せてちょうだい。セーニャちゃん、良いわよね?」
「はい。マヤさま、私たちのことは気になさらず、ゆっくりお話してきてください」
「ありがと。お姉ちゃん、ハリネズミ、すこしあずかってもらっていい?
「ええ。大事におあずかりしますわ」
マヤはハリネズミをセーニャにそっと手渡すと、勢いよくテントから駆け出しました。
ふだんと変わらない、どこかのんびりした空気につつまれたお昼下がりの村のなかを、マヤはよくめだつ赤いバンダナを目印にしてエマを見つけようと、歩き回っていました。
頭といっしょにながい三つ編みを振って、きょろきょろとあちこちを見まわしながら、小川にかかる石橋にさしかかると、川のむこうでぱちゃぱちゃと水遊びをするルキと、だれかといっしょに洗濯をしているエマが目に入りました。
マヤが橋からおりて歩みよると、ルキはすぐにマヤをみつけて、しっぽをふりながら飛びつきました。
「うわっ。びちょびちょだね、ルキ。服、ぬれちゃうから、いまはダメ」
エマは両手でルキを押しのけようとするマヤに気がつくと、あわてて駆けよりました。
「マヤ、探してくれたの?ルキ、こっちおいで。ごめんね、ルキは水遊びが大好きで。ぬれちゃった?」
マヤはちいさく首を横にふると、まじめな顔をしてエマを見つめて、口をひらきました。
「だいじょぶ。なあ、おれさ、あしたになったら、また旅にでるんだ。それで、ちょっと話したいこと、あって……あんまし、ヒトに聞かれたくないんだ」
「……ちょっと待ってね」
エマはいっしょに洗濯をしていた女たちのそばへ行って、ひとしきりなにかを話して手を振りあうと、ルキといっしょにマヤのもとに戻ってきました。
「おまたせ。ゆっくり話しておいでって。昨日のとこ、行こっか。あれ、キバはもう、なくなったんだね。じゃあ、お兄ちゃんも?」
「兄貴はね、ダメだったんだ。それで、旅にでるの。あるきながら、話すよ」
マヤたちは、村の中を抜けて神の岩のふもとまで並んで歩き、昨日とおなじ木のかげに腰をおろしました。
あたりをいくつかの岩山にかこまれた峰から、抜けるような青空をみわたすと、おおきな雲のあいまから、大樹がはんぶんだけ顔をだしていました。
ふたりはしばらくだまったまま、あたりの景色をぼんやりとながめていましたが、やがてエマが、おずおずと切り出しました。
「話って、なに?」
「……じつは、おれね。きのう、兄貴が勇者のハナシ、してたでしょ」
「うん。あの子、ずいぶんすごい旅をしてたんだね」
「そーだね。おれも、ほとんどしらなかった。それでね……兄貴が話さなかったこと、いっこあるんだ。おれね、勇者に、たすけてもらったんだ」
「マヤが?会ったことないって、言ってなかったっけ?」
「へへ。ちょっと、ながい話になるんだけど……」
マヤは背中をまるめてひざを抱え、ときおりエマの表情をうかがいながら、自分のことについて、語りはじめました。
生い立ちのこと、両親をしらないこと、苦しい生活や、飢えと寒さが辛かったこと、自由にあこがれていたこと、カミュが支えになっていたこと。
自分のことばで、自分のことを他人に話すのがはじめてだったので、何度も考えこみながら、ぽつりぽつりと口にするマヤの話を、エマはだまってうなずきながら、ただ聞いていました。
さいごに、カミュにもらった首飾りと、自分の身にふりかかった呪いのこと、そして勇者たちに助けられたことを語りおえると、マヤは大きくため息をついて、肩ごしにエマを見つめました。
「……だいたい、そんなカンジ。だれかに、きいてもらうの、はじめてだったんだ。うまく、はなせたかな」
「うん……話してくれて、ありがとう。大変だったんだね、マヤ」
エマがあわれみの色を込めて答えると、マヤはちいさく首を横にふりました。
「だからさ……おれ、勇者がいなかったら、ここでさ、エマとはなすことも、なかったんだ。だから、カンシャしてる。それで、勇者もさ……おれと、兄貴みたいに。うまく、いえないけど……エマに、ありがとうって、おもってるんじゃないかな」
そう話しおえて、マヤが顔をのぞくと、エマはひざを抱えたまま、なにも言わずに遠くを見つめていました。
マヤはひざにあごをのせてじっと考え込み、目をおとしたまま、エマに語りかけました。
「なにも、言わなくていいし。怒るかも、しれないけど……おれ、じぶんでも、こんなことしか、言えないのかって、おもうけど。わるいこととか、イヤなこととか、いっぱいあるけどさ……いいことだって、あるよ、きっと。おれにだって、あったんだから……エマにだって、きっと……」
マヤが声をしぼりだしてそう言うと、エマはとつぜん立ちあがって、スカートをはたいてほこりを落とし、マヤににっこりと笑いかけました。
「ねえ、マヤ。あの岩……神の岩、いっしょに登ってくれない?」
「あの岩って、のぼれるの?」
「うん。ちゃんと道がついてるから、すぐだよ。行こ」
ルキとならんで歩きだすエマを見て、マヤもすぐに立ち上がって、あとを追いかけました。
マヤたちが神の岩のふもとにぽっかりとひらいた穴ぼこに足を踏み入れると、中はうねうねと登っていく、ひろい洞窟になっているようでした。
あちこちにかかる木で作られた橋のひとつを、足元に気を付けながら渡り切ると、マヤはししっ、とたのしそうに笑いました。
「中は、こんなふうになってたんだね。おれ、ずっと、こういうカンジのとこを、冒険してみたかったんだ」
「ふふ。あんまり長くはないんだけどね。ルキ、遠くにいっちゃダメよ」
先を歩いて、急かすようにうしろを振りかえるルキを追いかけて、ふたりは洞窟をすすみました。
やがて空が見えて、岩のまわりを沿うように伸びる切りたったガケをのぼりきると、ふたたび岩山が口をあけていました。
みじかい洞窟を通りぬけると、あたりはちいさな広場のようになっており、どうやらてっぺんにたどりついたようでした。
あたりにはさえぎるものが何もなく、はてしなく続く山々のかなたをのぞむと、水平線がかすかに顔をだしていました。
「すごい。おれ、山にのぼったこと、あるんだけど。こんなふうに、ずっと遠くまでみえるのは、はじめて」
片手でひさしをつくって、あたりを見わたすマヤのそばに、エマは腰をおろしました。
マヤはあたりを歩きまわり、崖っぷちにかがみこんでふもとをたしかめると、満足したようすでエマのとなりに座りました。
エマは肩ごしにマヤを見つめて、さびしそうに言いました。
「私ね、はじめてここに登ったとき、あの子と一緒だったの。だけど、次の日には、もう遠いところに行っちゃった」
「そっか……じゃあ、ここのながめ、なんだか、かなしい思い出なんだね」
「そうだね。ねえ、マヤ……」
マヤが、うん、と返事をして、つづく言葉を待つように見つめかえすと、エマはゆっくりと立ち上がって、マヤの手を引きました。
「さっきのお話、ほかの人には話したことないって、言ってたよね」
「うん。おれから話したのは、エマがはじめて。あはは、でも、兄貴が、おんなじハナシ、みんなにしてたみたいだ」
「ふふ。でも、いいや。私もマヤに、他の人に言ったことない話、するね」
マヤがうなずくと、エマはかなたにひろがる空をじっと見つめて、吐き出すように言いました。
「私、うらやましかった。マヤのお兄さんのお話、うらやましいと思いながら聞いてたの。どうして私じゃないんだろうって……私、あの子といっしょに旅をしたかった」
エマは両手をおおきくひろげて、空をみつめたまま、声をふりしぼりました。
「私、セーニャさんがうらやましかった。同じ女の子だもの。だけど、あの人は私とはぜんぜん違う。私は、なんにもできない。村から出たこともない、つまらない女の子。だけど、私だってセーニャさんと同じように、あの子と旅をしたかった」
マヤは心配そうにエマの顔をのぞきましたが、エマはマヤが目に入らないかのように、大声で叫びました。
「私、ベロニカさんがうらやましかった。だって、あの子、ベロニカさんのために、遠い世界に行っちゃったんでしょう。私じゃなくて、違う女の子のために。私には、なんにも言わずに。さよならの一言だって言わないで……」
エマはぼろぼろと涙を流しながら体をふるわせて、マヤをぎゅっと抱きしめました。
「私、自分がイヤ。こんなことを考える自分がイヤ。自分より小さな子の前で、こんなことを言う自分がイヤ。だけど……だけど、私には……なんにもないの……」
ちいさな子供のように嗚咽をもらす背中に、マヤが両腕をまわしてつよく抱きしめると、エマはふるえる声で、苦しそうに言葉をつむぎました。
「それでも、私……あの子のこと、好きだったんだ……」
マヤはなにも言えないまま、肩をゆらして泣きじゃくるエマと、ながいあいだ、ただ抱きあっていました。
村のテントの中で、セーニャがハリネズミとおしゃべりをしながら荷造りをしていると、すっかり肩を落としたマヤが、とぼとぼとした足どりで、ふたりの前に戻ってきました。
セーニャはうつろな目をして自分を見上げるマヤに、心配するように声をかけました。
「マヤさま、おかえりなさい……どうされました……?」
セーニャがたずねると、マヤは涙をうかべて、なにも言わずにセーニャの胸に顔をうずめました。
体をふるわせ、声をあげてすすり泣くマヤを、セーニャは両腕でやさしく抱いて、背中をなでました。
やがて、マヤが腕の中ですっかり泣き疲れてしまうと、セーニャはマヤをベッドに寝かせて、毛布をかけました。
つぎの日の朝早く、まだ空の赤みが抜けないうちに、マヤとセーニャは荷物をまとめて、テントをあとにしました。
村は、日のあるあいだのにぎやかさが信じられないほどに、静まりかえっていました。
ゆっくりと歩いて、村の入り口にさしかかると、いくつかの人影が、ふたりに向けて手を振っていました。
「おはよう、マヤちゃん、セーニャちゃん」
マヤたちに声をかけるシルビアのとなりでは、マルティナとグレイグが、おおきな荷袋をかついで、出発を待っているようでした。
ふたりは小走りに近づいて、シルビアたちに向かって、ちいさく頭をさげました。
「おはようございます。すみません、私たちが最後だったのですね」
「いいのよ、アタシたちが早起きしすぎちゃったのね。ふたりとも、ゆうべは、よく眠れたかしら?」
「うん。おれ、外があかるいときから、ずっと寝てたみたい」
「あら、ずいぶん疲れていたのね、マヤちゃん。だけど、よく休めたなら良かったわ。それじゃあ、行きましょうか」
「ちょっと待って。ねえ、マヤちゃん。あの子」
マルティナはそう言って、村の奥に向かって、片腕を高くあげました。
マヤが振りむくと、まだうす暗い村のなか、マヤたちからだいぶ離れたところで、ルキを連れたエマが、ひろげた両手をおおきく振っているすがたが見えました。
マヤと目が合ったことに気がつくと、エマは両手をおろして、おおきな声で叫びました。
「マヤ!ありがとう!また会おうね!」
マヤは歯をむき出して笑顔を浮かべ、両手をぶんぶんとふりまわして、エマに負けないくらいの大声で叫びました。
「エマ!また会おうね!」
エマはもういちど手をふると、マヤたちに背をむけて、ルキといっしょに村の奥へと歩いてゆきました。
エマの後ろ姿が見えなくなると、マヤたちは入り口のほうへ振りかえり、村をあとにしました。
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マヤとセーニャのものがたり 7
イシの村を出たマヤたちは順調に旅をすすめて、とちゅう密林の丸太小屋で一夜を明かしてから、あくる日の明るいうちに、ドゥーランダ山のふもとまでたどりつきました。
ドゥルダ郷への山登りにそなえて、ふもとで一泊することをきめた一行は、めいめいに野営の準備をすすめていました。
あたりにひろがる草原よりすこし高いところにある、女神像のみまもる野営地は、マヤたちの通りぬけてきた密林よりずっとすずしく、砂と砂利のあいまのような地面もよく乾いていて、絶え間なくひびくおおきな滝の音をのぞけば、気持ちよくすごせそうな場所でした。
シルビアはグレイグといっしょにテントを張りながら、そばでおもしろそうに見つめるマヤにすこし気をつかって、できそうなところを手伝わせていました。
マヤはテントを張るためのロープの杭を、あたりに転がっていた石でなんども叩いて打ち込み、ふう、とため息をついて、額の汗を腕でぬぐいました。
「兄貴、これでいいかな?」
「杭はぐらつかないか?ちょっとロープを蹴ってみな」
マヤがハリネズミに言われたとおりに靴をおしつけてみても、ロープはぴんと張られたまま、たわむことはないようでした。
「良さそうだな。もうほとんど出来上がりだ、あとは二人に任せとけばいいだろ」
「わかった。なあ、中にはいってみても、だいじょうぶかな?」
「ああ。ロープに気をつけろよ、足を引っかけるとあぶねえから」
マヤが腰をかがめて、開いたままのちいさな入り口にもぐりこむと、まるいかたちのテントの中は、まんなかの柱にむかってとんがり帽子のようなかたちになっていて、小柄なマヤがなんとか立ちあがれるほどの高さがありました。
皮の天幕は村で寝泊まりしていたテントよりずいぶん薄いらしく、お日さまの光が透けて見えましたが、それでも風は通さないようでした。
マヤは中を歩きまわって、天幕を手でぽんぽんとたたきました。
「村のやつは、しっかりしてて、ほとんど家みたいだったけど。旅でつかうのは、こんなカンジなんだね」
「そうだな。あんなのは、馬でもなけりゃちょっと運べねえからな」
「そーだよね。これだっておもたそうなのに、おっちゃんはすごいな。でもさ、おれ、おもったんだけど。こういうテントなら、きっと、おれたちのねぐらにも、つくれたよな。こんなのがあったら、凍えずにすんだのにな」
「はは。そうだな。こんな形のテントを作るって考えが、まず頭になかったもんな。オレたち、本当にモノを知らなかったんだな」
マヤとハリネズミが、あきれたように笑いあって外に這い出ると、どうやらテントはこれで完成らしく、グレイグとシルビアがならんで腰をおろして、ひとやすみしているようでした。
マヤがそばに駆けよっていっしょに座ると、シルビアはにっこりと笑って、マヤに声をかけました。
「マヤちゃん、お手伝いありがとうね。中はどうだったかしら。穴が開いたりしていなかった?」
「うん。めだつカンジのヤツは、なかったよ、たぶん」
「そうか。それでは、これで完成だな。姫様にお休み頂くには少々小さいが、まあ仕方が無かろう」
「おっちゃんのおもたそうな荷物、これだったんだね。みんなで旅をしてるときも、おっちゃんがテント、かついでたの?」
マヤが感心したようにたずねると、グレイグは胸を張ってこたえました。
「ああ。俺は皆より身体が大きい。そのぶん、他人より多く荷を担がねばな。それに、女子供を寒空の下に眠らせては、騎士の名が廃るというものだ」
グレイグの言葉に、シルビアもそうよ、と言ってうなずくと、マヤはいじわるそうに歯をむきだして、ししっと笑いました。
「じゃあさ。おれがオトコだったら、おっちゃんたちは、たすけてくれないの?」
「いいや。若者は世の宝だ。男であれ女であれ、騎士たるものには助ける義務がある」
「じゃあ、おれがオトナだったら?」
「ふむ、己より力の弱きものは、誰であろうと助けてやらねばな」
「じゃあ、おれがおっちゃんよりでっかい、クマみたいなオトコだったら?」
グレイグは言葉に詰まり、あごに手をあてて考えこむと、すこし表情をゆるめて言いました。
「そうだな。そんな男が困っているのであれば、手助けをしてやれば、いつか俺よりも多くの人間を救うことができるだろう。力になってやらねばな」
「あはは。騎士っていうのも、たいへんなんだね。でも、おれさ……おっちゃんたち、じぶんがたすけたひとに、なにしてほしいって、おもう?」
「して欲しい事か。ううむ、見返りを求めているワケではないのでな。ゴリアテも同じであろう?」
「ええ。アタシは、みんなに笑顔になってもらいたいだけ。ただ、それだけよ」
シルビアがそう言うと、マヤはうーんとうなって、困ったような顔で腕を組み、言いづらそうに口をひらきました。
「うーん……おれね、じぶんがなんにもしてあげられないヒトに、たすけてもらうのって、ちょっと、イヤなキモチになるんだ。ジャマだったり、メーワクじゃないかって……おっちゃんたち、だれかにたすけてもらったことって、ないの?」
マヤがたずねると、グレイグとシルビアは顔を見合わせて、おかしそうに笑いました。
「いいや、俺たちも他人に助けられてばかりだ。だからな……いや、俺よりゴリアテのほうが上手く言葉にできような」
「ふふ。アタシはね、自分が笑顔にしてあげられた人が、他の誰かを笑顔にしてくれたなら、それがサイコーって思ってるわ。マヤちゃん、わかるかしら?」
「えーと……だれかにたすけてもらったら、おんなじふうに、だれかをたすけてやれ、ってこと?」
「そうよ。それがいちばん大切なことなの。もし、気が引けるのなら……そうね、マヤちゃんのお兄ちゃんみたいに言うなら、借りだと思えばいいわ。だけど、アタシたちには返さなくてもいい借りね。いつか、ほかの誰かに返してあげてちょうだいね」「そっか……わかった。でも、そんなこといっても、おれには、なんにもできないんだけどね」
マヤがさびしそうにつぶやくと、グレイグはのそっと立ち上がり、マヤを見つめて右手でこぶしを作り、左の手のひらを叩きました。
「なあに、焦ることはない。俺だって、お前と同じ歳のころは、なにも出来ない子供だった。他人を助けるためには、まずは己が強くならねばな。どうだ、疲れていなければ、稽古でもするか」
グレイグがそう言うと、マヤは笑顔を見せて立ち上がり、グレイグに向けて、こぶしを突きだしてみせました。
お日さまがすっかり山のかげにかくれて、空に赤みがさしはじめたころ、マヤはたき火にむかって煮炊きをするセーニャにハリネズミをあずけて、グレイグとマルティナといっしょに汗を流していました。
マヤの物怖じしない態度がきにいったのか、あるいは子供あいての気安さなのか、三人はすっかり打ち解けてしまったようでした。
マルティナは自分の体をあちこち動かしながら、マヤになにかを教えているようでした。
「マヤちゃん、自分の身体を武器に使おうと思ったとき、強いところがどこだかわかるかしら?」
「つよいところ?うーん、手でなぐったり……あっ、ケリのほうがつよいかな?」
「ええ。うんと鍛えればそうね。でもね、人間の身体には、鍛えなくてもはじめから強いところがあるのよ」
マルティナはそういって、自分の頭、肩、ひじ、ひざを、声に出しながらじゅんばんに指でしめしました。
「あー、そっか。きたえなくても、はじめっからカタいもんね。だけど、アタマはじぶんがいたそう」
「ふふ。ちょっと覚悟がいるわね。だけど、ひじやひざなら、自分がケガする心配がないわ。あとは、背中ね」
「せなか?あんまし、つよそうじゃないけど……」
「そうね、見せたほうが早いかしら。グレイグ、いい?」
マルティナが合図をすると、グレイグはうなずいて腰をおとし、体をまもるように、力強く腕をバツの字にかためました。
マルティナは肩ごしに向きあうようにグレイグの正面にたつと、すこしひざを落とし、下から上に斜めにつきあげるように、肩と背中でおもいきり体当たりをしてみせました。
体のぶつかるにぶい音がして、よろめくようにあとずさりをするグレイグを見て、マヤはすごい、と歓声をあげました。
マルティナはグレイグの肩をかるく叩くと、マヤのほうを振りむいて、すこし得意げにほほえみました。
「わかったかしら?これだけ背の丈が違っていても、体ごと思い切りぶつかれば、姿勢を崩すことくらいはできるってワケね」
「そっか。だけど、たいあたりって、マモノとかケモノみたいだね。あはは」
「ふふ。だけど、バカにしちゃいけないわよ。こういう技はね、武器を持っていても使えるの。剣を持っているからといって、蹴りや体当たりを出してはいけないワケではないわよね?」
「うん、そうだね。おれも、やってみる。おっちゃん、うけてくれる?」
「ああ。全力でぶつかってみろ。いいか、体当たりは足腰の力を使うのがコツだ。腰を落として、下から相手を突き上げるようにな」
グレイグはそう言って、さきほどとは違い、おおきく両手をひろげて腰を引いてかまえると、いかめしい顔をゆるめて、さあ来いとかけ声をかけました。
マヤがすこし離れたところから、かるくはずみをつけて踏みこみ、よっと声をあげて体でぶつかると、グレイグは胸でかんたんに受け止めました。
グレイグが両腕をマヤの肩ともものあたりにまわして、子供を抱くようにひょいと抱え上げると、マヤは大きな悲鳴をあげました。
はやく降ろせと暴れるマヤにほほえみかけるグレイグを見て、マルティナは声をあげて笑いました。
「なんというか……不思議なものを目にしてるな。マヤがふたりにあんなに懐くなんて、思ってもみなかったな」
あたりの岩を積みあげてつくった、かんたんなかまどで料理をするセーニャの肩のうえから、マヤたちをながめてハリネズミはおかしそうにつぶやきました。
セーニャはお鍋のなかみをぐるぐるとかき混ぜながら、マヤたちのほうをのぞむと、おおきな声で騒ぎながらグレイグに肩車をされているマヤのすがたが目に入り、ふふっと笑いました。
「マヤさま、とてもたのしそうですね。まるで親子のように見えますわ。グレイグさまは、お子さまにたいしてはあのようになるのですね」
「そうだな。マヤはあんな風に子供扱いされると、いつも嫌がるんだが。優しくされるぶんには、構わないってことか。オレたちの周りには、ロクな大人がいなかったからな」
「そうですね。カミュさまのほかにも、自分を受け止めてくださる方を見つけられて、マヤさまもきっとうれしいのでしょう。ですが……ふふ、グレイグさまとマルティナさまも、ずいぶん和やかなようすで」
「はは、そうだな。マヤがすっかりダシに使われてる気がする。まあ、本人も楽しそうなんだ、構わねえよな」
セーニャは返事のかわりにハリネズミをやさしくなでると、お鍋からスープをおたまですくって、ふうふうと吹き冷まして口にしました。
目をとじてゆっくりと味わうと、うーん、とうなって、困ったようにハリネズミにたずねました。
「すみません、お塩やスパイスを足す前の味の見方が、私にはよくわからないんです……カミュさま、ちょっと味見をお願いできますか?」
「わかった。すまんが、念入りに冷ましてもらえるか。ハリネズミ、人肌よりすこしでも熱いとダメみたいなんだ」
セーニャが言われたとおりにしばらく吹き冷まし、すこし手のひらにこぼして熱さをたしかめると、ハリネズミの鼻先にそっと差しだしました。
ハリネズミは鼻をひくつかせてにおいをたしかめてから、長い舌をのばしてちろちろとなめると、満足そうに言いました。
「ヒヨコ豆とトウモロコシだったか。どっちも使ったことのない食材だったが、わりと上手く行ったみたいだ。良かった。干し肉からも、いい具合に味が出ているな」
セーニャはほっと胸をなでおろして、お鍋におたまを戻すと、ハリネズミを肩から手のうえにつたわせて、瞳をのぞきました。
「良かったですわ。ですが、ここまでは上手くできますのに、私のお料理はどうして失敗してしまうのでしょうか?」
「ここから先は、ちょっと難しいからな。家で作ったとき、マヤにもやらせなかっただろ?コツは、そうだな……一口食べてウマいと感じたら、ちょっと味が濃すぎるんだ。食べてるうちに、辛くなっちまう。物足りないくらいがいいんだ」
「物足りないくらい……そうですか、勉強になりますわ。カミュさまも、はじめは失敗されたのですか?」
「ああ、もちろん。失敗したら捨てられる身分でもねえから、必死で食ったな。まあ、誰でも最初はそんなもんだ。数を作ってりゃ、いずれわかるよ。マヤにもいくつか教えたが、教えながらでもはじめは上手くいかなかったしな」
ハリネズミがそう言うと、セーニャは安心したようにほほえみ、ハリネズミの背中をなでながら、なつかしむように語りました。
「ありがとうございます。実は私、カミュさまたちのお部屋にお邪魔させていただいたとき、マヤさまといっしょにお料理をされているすがたが、すこしうらやましくて。うまく言えませんが……おふたりでいっしょに暮らされているのだなと」
「暮らす姿がうらやましい?うーん、よくわからんが……しみったれた部屋の、たいしたことのない暮らしだからな。ベロニカと一緒だったころを思い出すとか、そんなのか?」
ハリネズミがふしぎそうにたずねると、セーニャは目をそらしてすこし考えこみ、明るい調子をつくってこたえました。
「そうかもしれません。おかしなことを言ってしまいましたわ、忘れてくださいね。そういえばマヤさま、はじめのうちはカミュさまを私に貸してくださいませんでしたが、ちかごろはこうして預けてくださいますね」
「そういやそうかもな。たぶん、マヤは深く考えちゃいないと思うが。しかし、取らないでってのは笑えたな。みんな、冗談で言ってんのにな」
「ふふ。そうでしょうか。ですがきっと、あれはマヤさまのいつわらざる本音なのでしょうね。ふだんは照れていらっしゃるだけで、カミュさまのことを、心から大切に思われているのでしょう。取ってしまっては、いけませんね」
セーニャがそう言って鼻をつっつくと、ハリネズミは照れたようすですっかり黙りこんでしまいました。
しばらくのあいだ、セーニャはときおりお鍋をかき混ぜながら、ぼんやりとかまどの炎のゆれるすがたを見つめていましたが、やがてマヤが駆け戻ってきて、笑顔でとなりに腰をおろすと、なにも言わずにほほえんで、マヤの肩にハリネズミをそっと戻しました。
あくる日の朝、マヤたちは日の昇りきらないうちに荷物をまとめて、ドゥーランダ山をのぼりはじめました。
山のふもとにちいさく口をあけた洞窟におそるおそる足を踏みいれると、松明のあかりに照らされて、中は天井がやぐらほども高い、ひろびろとした空洞になっているようでした。
洞窟の裂け目から音をたてて流れおちる細い滝と、その足元にひろがる、うすぼんやりと光る湖を横目に先へとすすむと、やがて肌を刺すようにつめたい風が吹き込んできました。
風の吹くほうへ歩みをすすめ、洞窟をぬけだすと、あたりには一面に雪化粧をほどこされた山道が、はるかな高みへと向かって続いているようでした。
ここが人の踏みいる地だとしめすかのように、あちこちに張られる五色の旗が結び付けられたロープをくぐって、一行は足元に気を付けながら岩山をのぼりました。
マヤがふと振りかえると、背後にははるかに雲の海がひろがり、山々の頭だけが浮かぶように顔をのぞかせていました。
「すごい、あのとおくにみえる白いのって、雲だよね?おれたち、雲のうえまで、のぼってきたの?」
マヤがそう言うと、一行はおなじようにふりむいて、おお、と歓声をあげましたが、グレイグはすこしだけ口元をゆるめて、腕組みをしました。
「俺も、初めて目にした時は感動したのだが。ロウ様が言うには、あれは雲ではなく、地上にかかる霧や湿気がそう見えるらしい。だが、ずいぶんと登ってきたのは確かだな」
「へー、そうなんだ。でもさ、おんなじ山の上でも、お姉ちゃんのとことちがって、ずいぶんさむいんだね。あっちのほうが、北のほうにあるのに」
「そうですね。私のふるさとは、大樹さまのおそばだからでしょうか?ふしぎです」
「言われてみればそうだな、ラムダはずいぶん暖かかった。ふむ、なぜだろうな」
「へへ、おっちゃんにも、それはわかんないんだ。まあ、おれ、アツいのよりは、サムいほうが得意だから、いいんだけどね。なあ、なんとかごうってやつは、まだだいぶ先なの?」
「いいや、あと半刻ほどだな。そろそろ見えてくるはずだ」
マヤたちがふたたび頂をめざして登りはじめると、旗のついたロープの結わえられたまるい石塔が、山道にそって並べられているのが目にはいりました。
やがて山道の先に、金と朱色の細工をほどこされた門が見えてきて、門をくぐぐるとながい石段が続いており、マヤたちが息を切らせて上りきると、山に抱かれるようにして、りっぱな宮殿がそびえたっていました。
宮殿に足を踏みいれると、外からの旅人はめずらしいのか、そろってうす紫色をした、もこもことした暖かそうな装いの人々が、すこし遠巻きにマヤたちを見つめていました。
グレイグが誰かを探すようにあたりをきょろきょろと見まわすと、だいだい色のゆったりした服を着た、髪をそりおとした頭に黒いあごひげを生やした男が、そばに寄ってきて声をかけました。
「あなたは……たしか、勇者様のご一行でしたね?ようこそ、おいでくださいました」
「ああ、そうだ。俺はグレイグと言う。サンポ大僧正に助けを求めよと言う、ロウ様の言伝で旅をしてきたのだが、お会いすることはできるだろうか?」
「ロウ様の?ええ、もちろんすぐにお連れします。ここまでの旅でさぞお疲れでしょう、それまで奥で休まれてください」
「かたじけない。ほかの皆も一緒で構わないか?」
男はうなずいて、マヤたちの先に立って、奥へと歩きはじめました。
宮殿の外と中をなんども行ったり来たりしながら、ぐるぐると階段をのぼり、扉をひらいて丸い広場のような部屋へとたどりつくと、男はお待ちください、と頭をさげて、どこかへ消えてゆきました。
じんわりとあたたかい部屋のなかは、ドゥルダ郷をつつむ、甘いような香ばしいような、なんともいえないふしぎな香りがつよく立ち込めていました。
セーニャはくんくんと鼻を鳴らしてあたりを見まわすと、壁にうめこまれた棚のなかに、糸のような煙をたちのぼらせるちいさな火鉢を見つけました。
火鉢のそばに歩みよって、顔にむかって手をぱたぱたとあおいで香りをたしかめると、にっこりとほほえんでマヤに声をかけました。
「マヤさま、ごらんください。この不思議な香りのもとは、こちらだったのですね」「ほんとだ。ここの人たち、みんなこのにおいがするよね。これって、なんなんだろ……ねえ、あのオンナのひと、お姉ちゃんがきてたのと、おんなじ服きてるね。色はちがうけど」
「まあ、本当ですね。私のふるさとと、なにかゆかりのある地なのでしょうか。ゼーランダ山とドゥーランダ山、ラムダとドゥルダ……名前もどことなく、つながりがありそうですね」
「あはは、ほんとだ。だけどここって、お姉ちゃんたちのとことは、カンジがぜんぜんちがうね。ソルティコにいったときは、南の国ってこんなカンジなんだ、とおもったんだけど。ここは、もっとずっと、どこかとおい世界ってカンジがする」
「そうですね。建物だけ見れば、ホムラやプチャラオ、東のほうの村とすこしだけ似ているでしょうか」
「そーなんだ。おれも、いつか行ってみたいな。兄貴は、行ったことある?」
「ああ。マヤもいつか連れて行ってやるよ。だが、うんざりするくらい暑いぞ」
マヤたちが部屋にかざられた見慣れないものや飾りを感心しながらたしかめていると、不意にシルビアに声をかけられました。
「マヤちゃん、セーニャちゃん、ちょっと良いかしら。みんなにお話があるみたいだわ」
シルビアがそう言って、なにかをうながすようにグレイグとマルティナのほうに顔を向けました。
ふたりは腰をかがめて、つるつる頭にまんまるのメガネをかけたちいさな男の子と、なにかを話しあっているようでした。
マヤたちがそばにちかよると、男の子は胸のまえで両手をあわせて、ぺこんとおじぎをしました。
「お初にお目にかかります。私は郷で大僧正を務める、サンポと申します。すみません、どちらがマヤさんですか?」
サンポと名乗る男の子がたずねると、セーニャはしぐさを真似するように、両手をあわせておじぎをしました。
「はじめまして、サンポさま。私はセーニャと申します。こちらの女の子がマヤさまですわ」
セーニャがそう言って片手でマヤをしめすと、マヤも真似しておじぎをして、サンポを見つめてにかっと笑いました。
「こんちわ。そう、おれがマヤ。なあ、そのアタマって、髪の毛をそってるんだよね?さむくないの?」
「ええ、自分で剃髪をしています。寒いと思ったことはあまりありませんね、すっかり慣れてしまったので」
「へー、そうなんだ。おれたちのいたとこには、コドモでつるつるにしてるのは、いなかったな。さわってもいい?」
サンポがうなずくと、マヤはサンポの頭をおもしろそうに両手でぺたぺたとさわり、なでまわしました。
マヤのようすをみて、マルティナはふふっと吹きだすように笑うと、眉をひそめて言いました。
「マヤちゃん、サンポさんは小さくてもこの郷でいちばん偉い方なのよ。そのへんにしておきましょう?」
「えっ、そうなの……ごめんな、えーと、サンポ……さん」
マヤがあわててあやまると、サンポはまるいメガネの奥で、目をほそめました。
「構いませんよ。それで、お話はだいたいうかがいました。ハリネズミと言うのは、肩に乗せられているそちらの生き物ですか?」
「うん。ヒトがいるから、ここじゃ、しゃべれないんだけど。さわってみる?」
「いえ。それには及びません。このあたりにはあまり小さな動物がいないもので。なにしろ山の上ですから。お恥ずかしいですが……触るのは、ちょっと怖いですね」
そう言って照れたように目をそらすサンポを見て、マヤはししっと笑って、ハリネズミを手のひらに伝わせ、サンポの顔の前にさしだしました。
「だいじょうぶ。ハリ、けっこうするどいし、キバもあるから、こわいよね」
「そうですね。よく見れば強そうな姿をしています……人間と違って、はじめから武器を備えているのですね。なるほど」
サンポは片手でメガネをもち上げて、しばらくハリネズミを見つめていましたが、やがてなにかを思いだしたように顔をあげて、ちいさくせきばらいをしました。
「すみません。ええと、カミュさんでしたよね、お気の毒です。それで、魔法の力を高める方法についてなのですが……ロウ様から、詳しいお話をうかがっていますか?」
「いえ、ドゥルダ郷でサンポさんにたずねればわかると、それだけ聞いてきたのよ。だけどね、ロウ様、なにかを隠しておられる気がして……もしかして、ご迷惑なお話だったかしら?」
マルティナがおずおずと答えると、サンポは眉をひそめて、困ったような表情を浮かべました。
「いいえ、迷惑などではないのですが……そうですか。きっと、ロウ様にはなにかお考えがあるのでしょう。ですが……」
なにかを言いよどむサンポに、セーニャは胸のまえで両手をあわせて、不安そうにたずねました。
「あの、なにか事情があるのでしょうか?たとえば、すごく危険ですとか、とても難しいですとか……私、がんばりますので」
サンポはセーニャのようすと、おなじように不安をあらわにするマヤたちを見て、すこし考えこんでから、わかりました、とうなずきました。
「おそらく、実際に見ていただくのが早いですね。すこし歩きますが、みなさん郷まで登ってこられてお疲れなのでは?体を休めてからでも構いませんよ」
「いや、それには及ばない。皆で行ったほうが良いか?」
「ええ、力を合わせていただくことになりますので。もちろん、私もお手伝いします。それでは、背負われた荷物は丁重にお預かりしますので、こちらで降ろしていただいて構いません」
サンポがそう言って合図をすると、部屋の男たちがそばへと寄ってきて、マヤたちの荷物を受けとりました。
グレイグが背中の荷を床へとおろすと、男たちはふたりがかりでなんとか持ち上げて、ふらつく足どりでどこかへと運んで行きました。
「私たちで、みなさんの寝所をご用意させていただきますので、荷物はそちらへ。それでは、まいりましょう」
マヤたちがうなずくと、サンポは宮殿の入り口のほうへ向かって、案内をはじめました。
マヤたちはそれぞれに火のついていないたいまつを手渡され、サンポに案内されて郷をあとにすると、山頂へむかって、ふたたび山登りをはじめました。
寒空の下で雪をかぶったけわしい山道をしばらくのぼり、山にぽっかりとあいた洞窟のそばをいくつか通りぬけると、空がはるかにのぞめる、切りたった崖に突き当たりました。
山道はそこで行き止まりになっているようで、あたりはちいさな広場のようになっていました。
マヤがおそるおそるふちへと近づき、そっと見下ろすと、ふもとには雲の海が一面にひろがって、大地を覆い隠していました。
マヤはあわてて飛びのくと、両腕てじぶんのからだを抱きました。
「うわっ、ぞっとした。エマといっしょに岩山にのぼったけど、あれよりずっとたかいね。地面がみえねえもん」
「ああ。頼むから、オレを落とさないでくれよ……ん?洞窟に入るのか?マヤ、後ろを見てみろ」
ハリネズミに言われてうしろを振り向くと、一行は崖に面するように山にひらいた洞窟の入り口で、なにかを話しあっているようでした。
マヤが駆けよると、洞窟はお札のようなものが結びつけられたロープが何本もはりめぐらされていて、人の出入りをこばんでいるようでした。
サンポは結びつけられた杭からロープをとりはずすと、皆を見上げて言いました。
「すみません、どなたか火をともせる方はいらっしゃいますか?」
「ええ、私ができますわ。みなさま、たいまつをかかげてくださいませ」
セーニャが指先をちかづけて、たいまつに一本づつ火をつけ、最後にマヤのかかげたものにぽっと炎をともすと、サンポは眉をつりあげて、みなに注意するように言いました。
「それでは、中へ入りますが……できるだけ、物音を出さないようにしてください。しゃべるときは、小さな声でお願いします」
マヤたちがたいまつの明かりであちこちを照らしながら、足音をたてないようにゆっくりと洞窟を進むと、やがてサンポが向きなおり、ここで止まるように言いました。
「この先です。いいですか、できるだけ、壁から頭を出さないようにのぞいてください」
サンポは壁にぴったりと背中をつけて、そろそろと前にすすみ、壁の切れ目からすこしだけ身を乗り出して、中をのぞきこみました。
マヤも真似をするようにゆっくりのぞきこむと、洞窟のさきには、岩壁の切れ目からあわく光のさしこむ、おおきな空洞が広がっていました。
目をこらすと、あたりでは子供のようにちいさなものから、グレイグよりおおきなものまで、さまざまな大きさのなにかのかげが、あちこちでうごめいているのが見えました。
「あれは……みんな魔物たちですか?」
セーニャが片手で口をおさえて、ひそひそとつぶやくと、サンポは右腕をのばして、指先でとおくをしめしました。
「そうです。気づかれると大変ですので……それで、見えますか?あそこに、扉があるでしょう。かがやく印のほどこされた……」
マヤがサンポの指さすほうをさがすと、空洞の奥のほうで、あわく光をはなつ、ふしぎなまるい模様を見つけられました。
「うん。トビラはみえないけど、なにかひかってるのは、みえた」
「ええ、それです……みなさま、見えましたか?見えましたら、いったん引き返しましょう」
一行はじゅんばんに身を乗り出してのぞきこみ、中のようすをたしかめると、音を立てないようにゆっくりとした足取りで外に引き返し、日の光の元へ出ると、そろって、ふう、と大きく息をつきました。
マヤは洞窟の入り口にむけてたいまつをふりまわすと、笑顔をうかべて、おもしろそうにサンポにたずねました。
「うーん、なんかいいな、たのしい……それで、おれたち、ここでなにをするの?」
「ええ、それではご説明します。実は、あの扉の先には、かつて修行のために使われていた場があるのです」
マヤたちがじっと見つめるまえで、サンポは身ぶりをまじえながら、語りました。
「あの扉の先は霊場……つまり、魔法の力を高める場所ですね。強力な魔法を上手くあやつる修行をするために、使われていたそうなのですが……ごらんいただいた通り、いつからか魔物たちが棲みついてしまいまして。なにか、魔力を求める魔物たちにとっては、居心地のいい場所らしいんです」
「ふうむ、俺は魔法には明るくないのだが……あの魔物のひしめく中を抜けて、その霊場とやらにたどり着かねばならんと、そういう事か?」
「はい。魔物が居ついているということは、霊場が無事な証ですので……私が生まれる以前からあの状態なので、中へ立ち入ったことはないのですが、封印が生きている以上、扉の先は安全だと思います」
サンポがすこし自信なさそうに言うと、シルビアはサンポの前で目線をあわせるようにかがみこんで、ほほえみました。
「アタシも魔法には詳しくないけれど、魔物ちゃんたちが問題なら、アタシたちでなんとかできるわよ。扉の封印というものは、サンポちゃんに解くことができるの?
「はい、それは大丈夫です。同じ封印をほどこすこともできますので」
「まあ、それは頼もしいわ。それじゃ……グレイグ、ちょっと作戦を考えましょうか」
「ああ、そうだな。サンポどの、もう一度中を見に行っても問題ないか?」
「はい、魔物たちは、中へ入ろうとさえしなければ、襲ってこないようなので。ですが、どうかお気をつけて」
シルビアが立ちあがると、マルティナはあーあ、と呆れたように声をあげて、肩をすくめて見せました。
「なるほどね。ロウ様がくわしくお話してくださらなかったのは、こういうことだったのね。なにを考えているのか、わからないけど……まあ良いわ。帰ったらじっくり聞くことにしましょう。ねえグレイグ、私も一緒に見に行くわ」
マルティナはそう言ってマヤとセーニャのほうを振りかえり、切れ長の瞳をつり上げて、強気にほほえみました。
「だけど、いいわ。要するに、セーニャたちを魔物から守ってあげればいいだけの話でしょう。私たちに任せてくれればいいわ、安心してちょうだい」
「ええ、姫様も含め、私が立派にお守りいたしますゆえ。それでは、参りましょう」
マルティナとグレイグは、そう言ってたいまつをかかげ、洞窟へと入って行きました。
マヤとセーニャが後を追いかけようとすると、シルビアがふたりの前に立ち、引きとめるように言いました。
「マヤちゃんとセーニャちゃんは平気よ、アタシたちに任せてちょうだい。ここは寒いでしょう、戻って休んでいてね。サンポちゃん、ふたりを案内してもらえるかしら?」
「シルビアさま、ですが……」
セーニャが口をはさもうとすると、シルビアはなにも言わなくてよいと伝えるかのように、口元に指先をあてて、ウインクをしました。
「そうじゃないの。今回の主役は、セーニャちゃんたち三人でしょう?アタシたちに出来ることは、アタシたちに任せてもらえるかしら」
「……わかりました。どうか、お気をつけてください」
セーニャがそう言うと、シルビアはマルティナたちを追いかけて、洞窟の中へと消えていきました。
のこされた三人と一匹がそっと顔を見合わせて、おたがいに気まずそうな表情を浮かべましたが、マヤはすぐに笑って、明るい調子で言いました。
「まあ、そーだよね。おれ、マモノとたたかうなんて、できないしさ。せめて、ジャマしないようにする」
「ああ、それがいい。あの三人に任せときゃ、なにも問題ねえよ。オレたちはオレたちで、準備をしようぜ。サンポに……おっと、サンポさんか。もうちょっと詳しく話を聞いといたほうがいいよな」
サンポはしゃべるハリネズミをふしぎそうに見つめていましたが、ふと我にかえってうなずきました。
「はい、そうしましょうか。では、我々は先に郷へ戻っていましょう」
マヤとセーニャがうなずくと、サンポはふたりの先に立って、山道を降りて行きました。
「これは、剣じゃなくて刀というモノよね。剣はないのかしら?片方だけじゃなくて、両方に刃がついているモノなのだけど」
シルビアが一振りの武器をかかげて、目のまえでたしかめるようにそう言うと、だいだい色のゆったりとした衣装を身につけた、ひょろっと背の高いドゥルダ郷の男はすまなそうに言いました。
シルビアたちは、郷の一角にある武具や旅の道具をあつめた部屋で、魔物との戦いにそなえて、準備をすすめていましが。
「稽古に使うようなものならあるんですが、あまり上等なものは無いんです。外の世界の方は、刀を使われないんですか?」
「いいえ、得意な人もいるけど、アタシは身につけていないのよ。グレイグは使える?」
「俺も覚えがないな。ゴリアテよ、俺の剣では重すぎるか?」
グレイグが腰の剣を手渡すと、シルビアは片手で鞘から引きぬいて、かるく振りまわして見せました。
「ちょっと重たいけど、アタシにも扱えるわね。ありがとう、グレイグ。だけど、アナタはどうするの?」
シルビアがたずねると、グレイグは穂先に短剣のような刃のついた槍を一本引きぬいて、腰のあたりでかまえ、かるく突きだすような動きして、使い勝手をたしかめました。
「うむ、俺はこれで良い。守る戦いには槍が向いている。ゴリアテよ、共に腕を磨いたはずだが、槍の鍛錬はしていないのか?」
「ええ。人並みには使えると思うけれど、アタシは剣のほうが得意ね。マルティナちゃん、グレイグの槍のウデはどうなのかしら?」
「そうね、兵たちに教えている姿をいつも見ているけど、私と渡り合えるくらいの腕はあるはずよ。悔しいけれど」
マルティナが素直に言葉にすると、グレイグはおおきなせきばらいをして、照れたように顔をそむけると、シルビアは目をほそめて、おかしそうに笑いました。
グレイグたちのそばで、武器や防具のならぶ棚をながめていたマヤは、棚からすこし外れたところに、先に輪っかのような金具と、ヒスイ色のちいさな宝玉のついた、朱色にぬられた杖のようなものが立てかけられているのを見つけて、取り上げました。
「ねえ、これって、魔法の杖でしょ。お姉ちゃん、こういうの、つかわないの?」
マヤが声をかけると、セーニャは杖をうけとり、先についたかざりをたしかめると、かるく持ち上げて具合をたしかめました。
「ええ、良さそうですね。すみません、こちらの杖をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「はい、もちろんです。すみません、ずっとホコリをかぶっていたものなのですが……私には魔法の事はわかりかねますが、その杖は役に立つものなのですか?」
郷の男がたずねると、セーニャはしずかにほほえみ、かざりに指でふれながら答えました。
「はい。杖がなくとも魔法は使えますが、あったほうが便利なんです。それに、こちらの杖はどなたかが大切に使われていたもののようですね。すこし、感じるところがあります」
「そうですか、それなら良かった。どうぞ、お持ちになってください」
セーニャがおじぎをして、胸のわきで杖をつくすがたを見て、マヤは感心したように言いました。
「へへ。杖、もってると、カッコいい魔法使いってカンジがする。おれも、武器があったほうが、いいのかな?兄貴の短剣なら、あるんだけど」
「マヤ、やめてくれ。遊びに行くんじゃねえんだぞ。いいんだよ、お前は戦わなくて。ケガしたり、ジャマにならないように気を付けてりゃ、それでいい」
ハリネズミが心配そうにひそひそと話すと、マヤはハリネズミの鼻を、指でぱちんとはじきました。
「わかってるけどさ。おれだって、なにかしたいじゃん。まあ、そんなこといったって、なんにもできねえけどな……」
ハリネズミはちいさな両手でしばらく鼻先をおさえていましたが、すねたように目を落とすマヤの顔をのぞくと、なにかを思いついたようにあたりを見まわして、マヤにつぶやきました。
「マヤ、あそこの棚を見てくれ。薬草なんかが並んでるとこだ」
ハリネズミが鼻をつきだして、こまごまとした雑貨やクスリびんのならぶ一角をしめすと、マヤは言われたとおりにそばに近づいて、薬草の詰められたちいさなふくろを手に取りました。
「やくそうか。そーだね、いくつかもっといたら、役にたつかもな」
「ああ、薬草もだが、そっちの隅に並んでる赤い袋、あるだろ」
マヤが小箱に詰め込まれた、手のひらの半分ほどのおおきさの、赤く染められた布のふくろをつまみ上げて、なかみをたしかめようとすると、ハリネズミがあわてて止めました。
「待て、開けるんじゃない。その袋、毒が入ってるんだ」
「えっ、毒?そんなの、なににつかうんだ?」
「それはな、旅人が魔物から身を守るために使うものだ。投げつけると中の粉が飛びだして、目をつぶしたり、動きを鈍らせたり出来るんだ。なにか助けになりたいなら、そいつを投げとけ」
「あはは。そーだな、それなら、おれにもできそう。肩からさげるかばん、おいてたよね。あれに、やくそうといっしょにつめとくか」
「ああ、そうしろ……ん、他にも良いモノが並んでるな。そっちに石ころの詰まった箱、あるだろ?」
マヤは床におかれた木箱から、黒ずんだ小石をひとつ取りあげて手のひらにのせてみると、欠けた小石の芯のところが、炭が焼けるかのようににぶく赤い光をはなっていました。
顔のあたりにもちあげて、光に透かすようにたしかめていると、そばに寄ってきたセーニャが、ぎょっと驚いた顔を浮かべました。
「マヤさま、それは危ないものですわ。あまり、触れられないほうが」
「あぶない?この石ころって、なんなの?ちょっとだけ、ひかってるけど」
「それは……岩の姿をした魔物のひとかけらなのですが、投げつけると爆発が起こるんです。カミュさまがときどき使っておられましたが……」
「バクハツかあ。落っことすくらいなら、だいじょぶか?」
「ああ。かなり強めに当てないと爆発しないな。まあ、いくつか持っといてもいいだろ」
「そっか。お姉ちゃん、おれにも、できることがありそうだよ」
そう言ってししっと笑い、郷の男にかばんを見つくろってもらうマヤを、セーニャは心配そうな顔で見つめていました。
すっかり日の暮れたころ、マヤたちはあらかたの準備を終えて、あてがわれた部屋に戻りました。
マヤとセーニャ、それにマルティナは、うす暗い部屋のなかで、どこか落ち付かないようすで、そわそわと荷物をたしかめたり、立ち上がってあたりを歩きまわったりしていました。
ベッドの上で、ふしぎな姿勢をとって体を伸ばしていたマルティナは、不意に立ち上がって、かばんの中身をごそごそとあさるマヤに声をかけました。
「マヤちゃん、悪いんだけど、ちょっとお兄ちゃんを借りてもいいかしら?ちょっとグレイグたちのところで、明日の話し合いをしてくるわ。カミュの意見も聞きたいのよ」
「うん、いいけど。おれたちは、行かなくてもいいの?」
「ええ。明日話すから、セーニャと一緒にゆっくり休んでいて。私に構わず、先に眠ってしまっていいからね」
「わかった。兄貴、しっかりやってこいよ」
「ああ。マヤは早く寝ろよ。じゃあ、おやすみ」
マヤがおやすみ、と言ってハリネズミをそっと手渡すと、マルティナは足早に部屋から出て行きました。
マルティナの後ろ姿を見送ると、セーニャもそっと立ちあがり、マヤに向かってほほえみました。
「マヤさま、私もなにか落ち付かなくて。すこし、外を見てまわりませんか?」
「あはは。みんな、キンチョーしてんだね。おれも、ねむれそうにないや。いこっか」
「ええ。だいぶ冷えてきましたので、暖かくしてくださいね」
マヤは立ち上がって、毛布のかわりにベッドに広げていたマントをばさっと羽織ると、セーニャとならんで部屋をでました。
郷のなかは、あちこちに四角いランプがならべられて、夜でも外を歩けるほどにぼんやりとあかるく、昼間ほどではありませんが、いくらかの人影があちこちで動いているのが見えました。
マヤはランプのそばでかがみこみ、美しくほどされた細工に感心していましたが、ふと自分のマントが気になって、すそを両手でひろげて、汚れや傷みをたしかめるようにながめました。
「このマント、あんなにきれいだったのに。ちょっと、ボロくなってきちゃった」
「ふふ。穴が開いたり、破けたりはしていないようですから、洗濯をすればきれいになりますよ、きっと。私の服も、すっかりぼろぼろになってしまいましたね……」
「あはは。もともと、ちょっと傷んでたもんね。旅のあいだ、せんたくもできなかったし……だけどさ、兄貴をハリネズミにしちゃって、お姉ちゃんのとこをたずねて。あれから、まだひと月もたってないんだね。ずっと、むかしのハナシな気がする」
マヤはそう言って立ち上がり、ふたたびセーニャと並んで歩きはじめました。
「そうですね。マヤさまといっしょに始めた旅も、ずいぶんにぎやかになりました」
「ね。おれ、ずっと兄貴と、ふたりっきりだったから。兄貴がいればいいやって、おもってたんだけど……へへ、きのうのキャンプ、たのしかったよね。あんなふうに、ひとがいっぱいで、テントでいっしょに寝てさ……ああいうのも、いいなっておもった」
「本当に。上手く言えませんが、空の下で眠るのは不思議な楽しさがありますね。人が多くとも少なくとも……ふふ」
セーニャは歩きながら、口元を手でおさえて、すこし照れたように笑いました。
「実は私、よく覚えているのですが……マヤさまとご一緒にふるさとを出て、雪原で夜を明かしたとき、懐かしい夢を見たんです。お姉さまとふたりで旅をしている夢……私たちが旅に出て、はじめて空の下で眠りについたのがあの場所だったので、そのせいでしょうか」
「へへ。おれも、夢みたの、おぼえてる。兄貴といっしょにさ、さむいあなぐらで、くらしてたころの夢。イヤな夢だったな。お姉ちゃんのは、いい夢だった?」
セーニャはマヤの顔をのぞきこみ、にっこりとほほえみました。
「私もあのときは、さびしい夢を見たと思いました。ですが今は、幸せな夢だったなと、そう思っています」
「そっか。うわっ、外はさむいね。クレイモランより、さむいかも」
ふたりが建物の外に出ると、山の上からのぞむ夜空では、まんまるの月がまぶしいほどにかがやき、小さな星たちの光を覆い隠していました。
マヤは両手を口元にあてて、吐息であたためながら、お月さまをみあげました。
「おれ、夜の空、キライだった。あのあなぐらで、くらしてたときはさ……夜のあいだに目をさますと、いつもこんなだったから。いつも、さむい、ハラがへった、っておもいながら、ながめてたから……だけど、いまは」
マヤは月明かりのもとでセーニャを見あげて、両手で口元を隠したまま、目をほそめました。
「いまだけじゃないね、きっと。夜の空をみたら、旅のこと、おもいだすとおもう。たのしかったなって。へへ、兄貴にはワルいけどね」
「ふふ。そうですね。早く元のすがたに、戻っていただかなければいけませんね。マヤさまのためにも、カミュさまのためにも」
マヤはちいさくうなずいて、ししっと笑いました。
「うん。おれね……いまでも、はんぶんくらいは、このままみんなと、ずっと旅ができたらいーのにって、おもってるんだけど……だけど、半分くらいは、それじゃダメだって、おもってる」
「カミュさまのことで、気が引けるからでしょうか?」
「それも、あるんだけどさ。みんな、おれをたすけるために、いっしょにいてくれるワケだから。それじゃ、ダメだよね。ずっと旅をしたいとおもったら……うまく、いえないけど。おれも、なにかできる旅じゃなきゃ。いまのおれじゃ、まだ、ムリだけど。おれ、いろんなことおぼえて、できるようになるから」
マヤはセーニャの顔をのぞきこんで、すこし照れたようすで言いました。
「そしたらきっと、もっと、たのしい旅になるとおもう。お姉ちゃんと兄貴と、それにみんなみたいになってさ。そしたら、エマとか……じぶんがいっしょに旅したい人と、旅ができるでしょ。みんながしてくれたみたいに、おれもたすけてやるんだ」
「まあ。それは、すばらしいお考えですね」
「へへ。そしたらさ、お姉ちゃんも、またこんなふうに、いっしょに旅をしようね。兄貴もいっしょにさ」
セーニャは照れるマヤをじっと見つめて、うなずきました。
「はい。そんな素敵な未来があれば良いと……心から思います」
「うん。きっと、兄貴だって……あはは。ちょっと、寒くなってきたね。もどろっか」
マヤがお月さまに背をむけて、部屋に向かって歩きだすと、セーニャもゆっくりとあとに続きました。
あくる日、マヤたちはそろって郷を出て、洞窟のまえで最後の準備をすすめていました。
グレイグたちが息をあわせるように武器を振るって、体を温めるすがたを横目でながめながら、マヤはそわそわようすで、セーニャのとなりにすわって、ハリネズミと話していました。
「なんか、キンチョーしてきた。おれがキンチョーしたとこで、しかたねえんだけど……」
「ああ、その通りだ。マヤはとにかく、落ちついてりゃそれでいい。みんなジャマにならないように、逃げ隠れしときゃいいんだ」
「うん。わかってんだけど……こわいな。兄貴たちの旅って、ずっとマモノと戦ってたんだろ。すごいこと、やってたんだな」
「はは、マヤに褒められるとはな。ありがとよ。だけど、そうだ。みんな慣れてるんだ、あのくらいの魔物なんて、ワケねえさ。安心して、任せときゃいいんだよ」
「はい。カミュさまの言われる通りですわ、マヤさま。私たち、慣れていますから。どうかお任せください」
セーニャがそう言って、体をこわばらせるマヤの肩を抱くと、マヤはふう、と大きくため息をつきました。
やがて、準備を終えたらしいグレイグたちが洞窟の入り口に立つと、マヤたちも駆け寄って、輪を組むようにあつまりました。
「よし。まあ、難しい作戦ではないが、最後にもう一度だけ確かめておく。まずは、俺とゴリアテで、洞窟の奥のほうへ魔物たちを引き付ける。その間に、姫様が機を見計らって、皆を扉の前へ」
「ええ。セーニャたちは、私に着いてきてね。サンポさんが扉の封印を解くまで、しっかりと守ってあげる。だけど、扉の中のことは、よくわからないのよね?」
「はい、すみません……郷の皆にもたずねてみたのですが、立ち入った事のある者はいないようで……こんなとき、ニマ太師がいらっしゃれば」
サンポがそう言って目をふせると、シルビアは腰をかがめて、はげますようにサンポの肩を叩きました。
「いいのよ。サンポちゃんの助けがなくっちゃ、アタシたち、中に入ることも出来ないんだから。それで、あとはセーニャちゃん次第なんだけど……」
シルビアは立ち上がって、セーニャの瞳をじっと見つめ、真剣な顔で言いました。
「いい?セーニャちゃん。絶対に無理はしちゃダメよ。ちょっとでも危ないと思ったら、引き返してきてちょうだい。カミュちゃんを元の姿に戻す方法は、きっと他にもあるんだから。大丈夫よ」
「はい。ありがとうございます、シルビアさま。私は、自分の力のおよぶところを、しっかりと理解しておりますので」
セーニャがシルビアの目を見てきっぱりと告げると、シルビアはすこし表情をゆるめて、うなずきました。
「がんばってね。マヤちゃんは、お兄ちゃんと一緒にセーニャちゃんを助けてあげてちょうだいね」
「う、うん。できることなんて、ないけど、ジャマにならないように、がんばる。あはは」
「ふふ。そんなことはないはずよ。マヤちゃんもケガしないように、気を付けてね。それじゃ、行きましょうか」
シルビアがそう言って目くばせをすると、セーニャはマヤとサンポ、シルビアの持つたいまつに火をつけると、最後に自分のぶんに、ぽっと灯りをともしました。
マルティナは、手にした槍の柄でつよく地面を叩くと、気持ちのこもった声で、よし、と叫びました。
「無事に戻るわよ、みんな。気合を入れていきましょう」
マヤたちがうなずくと、一行はたいまつをかかげたシルビアを先頭にして、洞窟へと入って行きました。
できるだけ足音をたてないようにゆっくりと歩き、うっすらと明るい空洞の手前にさしかかると、シルビアは歩みをとめて、壁に隠れるようにして中をのぞきこみました。
昨日と変わりのないことをたしかめると、シルビアはマヤたちのほうに向きなおりました。
「いいかしら。右手のほうに扉が見えるわよね?アタシとグレイグは、左の奥に魔物ちゃんたちを引き付けるわ」
マヤたちはかわるがわるに中をのぞきこみ、そろって緊張した面持ちをうかべました。
グレイグとシルビアは肩のあたりでこぶしを突き合わせ、それぞれの武器をぐっと握りしめました。
「ゴリアテ、灯りを頼むぞ」
「ええ、任せてちょうだい。よおし、行くわよ!」
シルビアが意を決して走り出すと、グレイグも肩を並べるように走りだしました。 たいまつの明かりで闇に浮かび上がるふたりが、空洞の奥へとたどりつくと、グレイグの空気をふるわせるような雄たけびが響き、魔物たちのかげが群がるようすがみえました。
「よし。私たちも行きましょう!」
声をあげて足を踏みだすマルティナに続いて、マヤたちができるだけ息を殺して扉の前にたどり着くと、マルティナは扉に背をむけて、警戒するようにあたりをうかがいました。
「それでは扉を開きます。マヤさん、たいまつを持っていてください」
サンポは手にしたたいまつをマヤにあずけると、扉に向かって、くねくねとふしぎなおどりをはじめました。
「お、おい。なにやってんの。あそんでる場合じゃ、ないでしょ」
マヤがあわてたように叫ぶと、後ろでマルティナが大地を蹴る音が聞こえて、ネズミのような甲高い悲鳴とともに、魔物の一匹がどさっ音を立てて地面に落ちると、すぐに煙のようになって消えました。
「マヤちゃん、静かに」
マルティナが眉をつり上げてマヤに注意すると、マヤはいそいで両手で口をふさぎました。
両手に杖とたいまつを構えてあたりを照らすセーニャと、飛び掛かってくる魔物たちをあざやかに切り伏せるマルティナを、マヤはたまらない気持ちでただ見つめていました。
やがて、背後からさしこむ青白い光に気がついて、マヤが振りむくと、扉にはりついた青白い印が、つよくかがやきを放っていました。
かがやきと共に、ふしぎなかたちの印はくるくると回りながら大きくなり、やがて粉のような光のつぶをあたりに振りまいて、ぱっと消えてしまいました。
「あっ、き、きえた。お姉ちゃん、シルシがきえたよ」
マヤが呼びかけると、セーニャはすぐに振りむき、両開きのおおきな扉の取っ手のかたほうに手をかけました。
んっ、と声をあげながら、腰をいれて思いっきり引っぱると、扉は耳をさすようなきしみをあげながらゆっくりと開き、人が通りぬけられるほどのすき間ができました。
「開きました。行ってまいります!」
マルティナたちにそう呼びかけて、扉の奥へと消えるセーニャを見て、マヤはいそいでサンポにたいまつを手渡し、扉をくぐりました。
背後からは、サンポがなにかを叫ぶ声が、かすかに聞こえました。
セーニャがたいまつを高くかかげて、ふかい闇につつまれた扉の奥を照らすと、洞窟の壁を人の手でくりぬいたような岩壁にかこまれた通路が、わずかにうねりながらずっと奥まで続いているようでした。
マヤとセーニャはおたがいの瞳をかたとき見つめると、すぐに肩をならべて駆けだしました。
足音とともに、はあはあという荒い呼吸をひびかせて走るうち、マヤは通路のさきで、ゆらめく炎のかげのなかに、なにかがきらりと光ったのを見つけて、足をとめました。
立ちどまったマヤに気がついて、すこし先でセーニャが気づかうようにマヤのほうを振りむくと、セーニャの向こう側から、おおきな影がいきおいよく飛びだしてくるのが見えて、マヤは大きな声で叫びました。
「お姉ちゃん、うしろ!なんかいる!」
セーニャは影に気がつくと、いそいで身をかわそうとしましたが、なにかにつまづいたようにぐらっと体勢をくずして、おもいきり壁にぶつかりました。
セーニャの横を通りぬけて、自分に向かってなにかがまっすぐに飛んでくるのを見て、マヤがあわてて床に伏せると、風を切る音をたてて、頭の上を通りすぎる気配を感じました。
体を起こして背後をみると、おおきな目玉をぎょろつかせた魔物が、たくさんの触手をうねうねと動かしながら、ふたたび飛び掛かろうとするすがたが見えました。
「マヤ、かばんだ、なにか投げろ!」
ハリネズミが叫ぶと、マヤはいそいで肩からさげたかばんに手を突っ込み、言葉にならない声をあげながら、手当たりしだいに中身を投げつけました。
ちいさなふくろがいくつかあらぬ方向に飛んで行きましたが、そのうちのひとつが目玉に命中すると、魔物はきいきいと悲鳴をあげて、もだえるように体を揺らしました。
「マヤさま、伏せてください!」
うす暗い通路にセーニャの声がひびき、マヤががばっと床に伏せると、人の頭ほどの大きさの炎の玉が魔物に命中し、マヤの背中に火の粉がふりそそぎました。
マヤが顔をあげると、魔物は黒い煙のようなものをあたりに残して、消えてしまったようでした。
「や、やっつけたの?」
マヤが床に両手をついて立ちあがり、うしろを振り向くと、セーニャが顔じゅうを血だらけにして、ふう、と息をつくすがたが見えました。
マヤがあわててそばに駆けよって、心配そうに見あげると、セーニャはマヤを安心させるように、ほほえんで見せました。
「マヤさま、お怪我はありませんか?」
「お、おれはへーき……でも、お姉ちゃん、血がでてるよ……」
「ええ、壁に顔を打ち付けてしまいまして。私は癒しの呪文が使えますから、大丈夫ですよ。ですが……マヤさま、短剣をすこしお借りしても?」
「うん、いーけど……」
マヤが腰の短剣を抜いて手渡すと、セーニャは腰をかがめて、スカートの右のもものあたりに突き立てました。
目をまるくして、言葉をうしなったマヤを横目に、セーニャはびりっと音をたててスカートを縦に引き裂きました。
顔の血をごしごしとぬぐうと、布地をよせて左ひざのわきで結び、両足をあらわにすると、目をほそめてマヤに笑いかけました。
「すそを踏みつけてしまって。長いままではうまく走れませんでしたし、これで動きやすくなりました」
「で、でも……その服、だいじなものなんでしょ?」
「いいんです。服は服ですから。あとで直せば良いでしょう」
セーニャはそう言ってマヤに短剣を返すと、床にころがった杖とたいまつを手に取って、立ちあがりました。
ふたたび走りだそうとするセーニャのすがたを目にして、ハリネズミはしぼりだすように声をかけました。
「ま、待ってくれ。扉の中にも魔物がいるとは思わなかった、そうだろ?引き返したほうがいい」
「たしかにそうですが……それほど強い魔物ではありませんでした。私たちが先に見つければ、危険はありませんわ」
「それは、そうかもしれないが……」
肩の上でハリネズミが言葉につまると、マヤはすこし怒ったような声で、ゆっくりと言いました。
「なあ、兄貴。おれ、兄貴のキモチ、なんとなくわかる。じぶんのために、お姉ちゃんに、あぶないことさせるの、イヤなんでしょ。じぶんには、なんにもできねえのに、だれかにたすけてもらうの、イヤだよな」
「ああ、そうだ……マヤ、お前にもな」
セーニャがマヤたちを見下ろして、困ったような表情をうかべると、マヤはぐすんと鼻をならして、声をふるわせました。
「そーだよね。でも、おれ……お姉ちゃんのキモチも、なんとなくわかるんだ……お姉ちゃんと……おれもだけど。いま、言ってほしいコトバ、それじゃない……」
マヤがうつむくと、ハリネズミはふたりの顔を交互にみつめて、重たい調子で口を開きました。
「……すまなかったな。こんな思いをするのは、もうこりごりだ……頼む、オレを人間の姿に戻してくれ……」
ハリネズミがか細い声でそう言い終えると、セーニャは笑顔をうかべて、ハリネズミの背中に触れました。
「もちろんです。もう、間もなくのはずですよ。マヤさま、まいりましょうか」
マヤが顔をあげてうなずくと、セーニャはマヤの頭をぽんぽんとなでました。
通路の先をみすえて、ふたたび走りだそうとするふたりに、ハリネズミは落ち付いたようすで、声をかけました。
「なあ、ふたりとも。どうやら魔物が出るんだ、全力で走ってちゃ気がつくのも遅れるし、気配も出ちまう。もう少しゆっくり進んでくれ」
「そっか。そーだね。ねえ、おれ、マモノを見つけたら、どうすればいい?」
「そうですね、私の腕でも背中でも、体のどこかに触れてくだされば伝わりますわ。私が魔法でやっつけますから、後ろに隠れてくださいね」
「わかった。兄貴も、みつけたらおしえて」
「ああ。ハリネズミ、けっこう夜目が利くみたいだ。よく見張っとく」
マヤたちは、おたがいに視線を交わすと、いきおいよく足を踏みだしました。
左右にうねる通路は見通しがわるく、どこまで奥に続いているのかもわかりませんでしたが、マヤたちは息をはずませて、小走りに先へと進みました。
途中なんども魔物の影をみつけては、立ちどまって息を殺す場面もありましたが、さほど力のあるものではないようで、襲いかかられる前にセーニャが呪文をはなち、あっさりとやっつけていきました。
どれほど奥まで進んだのか、くらやみの中で時の感覚をうしなっているマヤの心に、だんだんと不安が満ちはじめたころ、通路の先のほうが、ぼんやりと明るくなっているようすが目に飛びこみました。
歩みをすすめると、人の手で作られた石だたみのようなものが敷かれた、ひろい空洞であることがだんだんとわかり、どうやらマヤたちは扉の奥の行き止まりまでたどり着いたようでした。
マヤとセーニャが、あえぐようにはあはあと息を上げながらあたりを見まわすと、岩壁のあちこちから、ほのかに青白く光る水が湧きだしていました。
地面には人の腕ほどの細い水路がはりめぐらされていて、よく見ると、空洞のまんなかにある、丸いかたちに敷かれた石だたみのあいまにながれこんで、ふしぎな模様を浮かび上がらせていました。
「ねえ、ここだよね?きっと……」
「はい。間違いないと思います。すこし、お待ちくださいね……」
ふたりは苦しそうに言葉をかわすと、同じようなしぐさで、ひたいに浮かんだ汗を手でぬぐいました。
肩をおおきく上下させながら、ぺたんと地面にすわりこんで息をつくマヤを見て、セーニャもとなりに腰をおろして、息をととのえました。
「マヤ、かばんに水筒を入れてきたろ?ちょっと飲んどけ」
ハリネズミがそう言うと、マヤはかばんをごそごそとあさって皮の水筒をとりだし、のどを鳴らして飲み下しました。
ふう、とおおきなため息をついて水筒を差しだすと、セーニャも水筒に口をつけて、深くため息をつきました。
「ありがとうございます、マヤさま……ずいぶんと、時間がかかってしまいましたね……すこし、急ぎましょうか」
セーニャはかるく息をはずませたまま立ちあがって、マヤの手を引くと、まるい石だたみの真ん中に、ゆっくりと足を踏みいれました。
たいまつに火をともすようなしぐさで、右腕を前にだして、人さし指を伸ばすと、指先にこぶしほどのおおきさの火の玉が、ぼっと浮かび上がりました。
セーニャがあわてて腕をひっこめると、火の玉は薪のはぜるようなぱちんという音を立て、あたりに火の粉をふりまいて消えました。
「すごいですね……魔力が高まるというよりは、炎に風を送り込むような……送り風に背中を押されるような感覚ですわ」
セーニャは感心したようにつぶやいて、マヤの顔をのぞきましたが、すぐになにかに気がついたように、はっと眉をひそめました。
「すみません。ただのひとりごとです。それでは、試してみましょうか」
「うん。おねがいね……おれは、いつもみたいに、兄貴をもってたらいい?」
セーニャがうなずくと、マヤはハリネズミを手のひらにつたわせ、胸のまえで両手をあわせて、祈るようなすがたでセーニャに差しだしました。
「それでは、やってみます」
セーニャはふるえる声でそう告げると、胸に手をあててかるく息をととのえ、ハリネズミに向けて右腕をゆっくりと回しました。
動きをとめて手のひらを向け、おごそかな調子で、シャナク、と呪文をとなえましたが、あたりには、なにも変化が起こらないようでした。
マヤがふしぎそうな顔で見あげると、セーニャはうろたえた表情を浮かべて、もういちど同じ動きを繰り返しました。
セーニャが手のひらを向けて、呪文をとなえても、やはりなにも変化は起こりませんでした。
マヤが心配そうに瞳をのぞきこむと、セーニャは力なく両膝を床につき、両手で顔をおさえました。
「なあ、マヤ」
ハリネズミは手のうえでマヤのほうへ振りかえると、不安をうかべたマヤの顔を見上げて、落ち着きをたもったまま、ゆっくりと声をかけました。
「オレを、床に降ろしてくれないか」
マヤがセーニャのとなりでひざをつき、言われるままにそっと床におろすと、ハリネズミはちらりとセーニャに目をやってから、ちいさな瞳でマヤを見つめました。
「マヤ、頼みがあるんだ」
「うん」
「セーニャの手を、握ってやってくれないか。オレの、代わりに」
マヤはだまったままうなずいて、顔をおさえるセーニャの左腕をぐっとひっぱり、手を取りました。
左手がかたくこわばり、わなわなとふるえている事に気がつくと、マヤはセーニャの顔をみあげて、かたく握りしめました。
マヤはながいあいだ、なにも言わずに、手を握ったままで、祈るように目を閉じていました。
セーニャの左手はすこしづつしなやかさを取り戻し、やがて手を握りかえす力を感じて、マヤが見あげると、セーニャは落ち付いたようすで、いつものようにマヤにほほえみかけていました。
「マヤさま、ありがとうございます……もう、大丈夫です。もう一度、やってみましょう
「うん。なにか、おれにできること、ある?」
「はい。どうかご一緒に、上手くいきますよう、お祈りをしてくださいますか」
マヤはちいさくほほえんでうなずくと、そっと目をとじて、うなだれるように頭をさげました。
セーニャは床の上でじぶんを見つめるハリネズミに右腕をのばして、円を描くようにゆっくりと回しました。
手のひらを突きだすようにかざして、呪文を唱えると、あたり一面から雪のような光の粒が立ちのぼり、すがたを覆い隠すように、ハリネズミのからだを包みこんでいきました。
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マヤとセーニャのものがたり エピローグ
北国のみじかい夏はすっかり過ぎ去ってしまったらしく、朝の聖地ラムダに吹く風は、かすかに冷たさを感じられました。
この場所にあまり似つかわしくない、石を叩くような音や、おおぜいの男たちのかけ声は、宿屋のちいさなロビーにも届いていましたが、マヤとセーニャの耳には入っていないようでした。
ふたりは並んでテーブルにすわり、まっさらな紙をまえにして、なにかを話しあっているようでした。
「ねえ、お姉ちゃんの名前って、どう書くの?」
マヤがたずねると、セーニャは羽根ペンを手にして先をインクつぼにひたし、紙の上でさらさらと走らせました。
「これで、セーニャと読みます。名前はつづりが難しいので、覚えなくとも書き写せば良いですわ」
「そうなんだよね。名前って、みんな、どうしてそんなふうに読むの?ってカンジ。ねえ、みんなの名前、書いてくれない?」
セーニャはほほえみを浮かべてうなずくと、それぞれの名前を声に出しながら、グレイグ、マルティナ、ロウ、シルビアと書き記し、最後にエマとつづけました。
「すみません、エマさまはすこし自信がありませんわ。お兄さまの名前も、書きましょうか?」
セーニャがそう言うと、マヤは白い歯をみせて、ししっと笑いました。
「うん。手紙には書かないけど、いちおう。そーだね、言われてみたら、兄貴の名前の書きかた、しらないや」
セーニャはふふっと笑ってペンを走らせ、カミュの名前を記すと、となりにマヤと書き加えました。
「へー、こんなふうに、書くんだね。ありがと。おれの名前、みじかいから、おぼえやすくてよかったな」
「そうですね、書くのも簡単ですが、呼びやすくて良いと思います。それと……マヤさま、お手紙を読まれたことはありますか?」
「ないや。おれ、もらったことないから。たぶん、兄貴も」
「でしたら、おふたりがクレイモランに戻られましたら、すぐに書きますね。ふふ。はじめて読まれるお手紙が、私のものだなんて、すこし嬉しいですね。それで、お手紙には、ちょっとした決まりごとがあるんです」
「きまり?ってどんな?」
「ええ。本文はなにを書かれてもよろしいのですが、ちょっとしたあいさつと言いますか。こんな風に書きます」
セーニャはみじかい文章をふたつ書いて、指さしながらマヤに教えました。
「こちらは書きだしですね。"親愛なるあなたへ"です。あなた、はお相手のお名前でも良いですよ。そして最後に"マヤより 愛をこめて"です」
「あはは。愛をこめてって……なんか、はずかしーね。それ、ぜったい書かないと、だめ?」
「ふふ。別の言葉もありますよ。例えば……」
セーニャが羽根ペンを手に取ると、階段からだれかのおりてくる足音が聞こえました。
ふたりが顔をあげて階段に目をむけると、カミュがあいさつをするように片手をあげました。
「兄貴、おはよう」
「マヤ、おはよう。セーニャも」
「おはようございます、カミュさま」
カミュはゆっくりとイスを引いて、マヤたちと向きあうように腰かけると、テーブルの上の紙とペンをながめて、感心したように言いました。
「へえ、朝から読み書きのお勉強か。えらいな。だが、勉強に紙を使うのはもったいなくねえか。いいのか?セーニャ」
「ええ。お手紙を書かれるそうなので、書き写せるように、みなさまのお名前を」
「ああ、そういうことか。悪いな。ちょっと見てもいいか?」
セーニャがうなずいて、マヤのためのメモを手渡すと、カミュは上から目を通して、吹きだすように笑いました。
「はは。マヤに"愛をこめて"はちょっとな……なにか、他の言葉はないのか?」
「へへ。おれと、おなじこと言ってる。やっぱし、そーだよね」
兄妹が顔を見合わせて笑うと、セーニャも釣られるように、くすくすと笑いました。
マヤたちがあれこれ話し合いながら、紙にいろいろな言葉を書き連ねていると、
階段からふたたび足音がきこえて、荷物をかかえたシルビアが、ひょこっと顔をだしました。
シルビアは足早にテーブルにちかよって、糸のように目をほそめて、笑顔を見せました。
「みんな、おはよう。朝から、読み書きのお勉強なのね。エライわ」
「シルビア、おはよ。おれ、手紙書くんだ。シルビアにも書くよ」
マヤがそう言うと、シルビアはおおげさに、まあ、と歓声をあげて、胸のまえで両手を組みました。
「うれしいわ。アタシも書くわね、マヤちゃん。もちろん、カミュちゃんとセーニャちゃんにも」
「ふふ。ありがとうございます、シルビアさま。私からも、書きますね」
「あはは。せっかくだから、兄貴も書けよな……あれ、シルビア、荷物もってて、もう行っちゃうの?」
「ええ。あんまりのんびりしていると、お別れが湿っぽくなってしまうもの。だけど、大丈夫。きっと、すぐにまた会えるわよ。アタシ、旅芸人だもの。みんなのところに、旅をしていくわ」
「そっか……ねえ、シルビア。ありがとうね」
マヤがシルビアを見上げてそう言うと、シルビアは顔の前で手を振って、ほほえみかけました。
「いいのよ。マヤちゃん、アタシがグレイグと一緒にお話したこと、覚えているかしら。誰かを笑顔にしてあげてちょうだいね」
「へへ。おれ、がんばる。じゃあ、またね」
「ええ。カミュちゃんと、セーニャちゃんも、また会いましょうね」
ふたりがいそいで席を立つと、シルビアはちいさくウインクをして背中を見せ、宿から出て行きました。
カミュはセーニャの肩をかるく叩くと、強い調子で声をかけました。
「セーニャ、里の入り口まで見送ってやれよ」
「そうですね。では、ご一緒に……」
「オレたちは良いんだ。行ってやってくれ」
カミュはふしぎそうな顔をするセーニャの背中を押して、強引に宿から送りだすと、小走りにシルビアに駆けよるすがたを見届けて、安心したようにテーブルに戻りました。
マヤはカミュを見つめて、いたずらっぽく口をひらきました
「ずいぶん気がきくんだな、兄貴。でも、いいのか?」
「ああ。でっかい借りを作っちまったからな。ちょっとづつでも、返していかねえと」
カミュが目をそらして、頭をかきながら照れたようにこたえると、マヤはししっ、と笑いました。
「だいじょーぶ。だってさ、借りをつくったの、兄貴じゃなくて、おれだもん。おれがちゃんとかえすから、安心していいぞ」
「はは。そいつは、ありがたくって泣けてくるな。それにしても……おかしな旅だったな。まさか、マヤがあんなに頼もしく見える日が来るとは。おまけに、まだ人間の姿に慣れねえんだ」
「おれも、まだ慣れねえな。朝おきると、まくらもとでハリネズミ、さがしちゃうよ。あはは。でもさ、メーワクかけといて、怒るかもだけど……おれには、すごく、たのしい旅だったな」
マヤが素直な気持ちを言葉にすると、カミュは両手を上にむけて、肩をすくめてみせました。
「かまわねえよ。オレは、マヤが楽しかったなら、それでいい。こうして丸くおさまったんだしな。ま、呪いについては、お互い様だ。これで、貸し借りナシってことにしとこうぜ」
「そーだな。そういうことにしといてやるよ、くそ兄貴。だけど、お宝さがしのこと、わすれんなよ」
「忘れねえから安心しな。そのうち、ちゃんと連れていってやるからよ。ほら、指切りしてやるよ」
カミュがそう言って右手の小指を突きだすと、マヤは片手で払いのけました。
ふたりは顔を見合わせて、おたがいに苦笑いを浮かべました。
「子供扱いするなってか。まあ、そうだな。あんな姿を見せられちゃ、もう子供扱いもできねえな。悪かったよ」
「へっ、兄貴もおべっかつかったり、するんだな。でもさ……おれ、なんか、わかったんだ」
マヤはテーブルに目をおとして、ひとりごとのようにつぶやきました。
「いまのままじゃ、旅にでてもさ。兄貴に、メンドーみてもらうだけに、なっちまう。それじゃ、だめなんだ。相棒みたく、ならねえと。おれがなんか、兄貴をたすけられること、ないとだめなんだ」
カミュはすぐになにかを答えようとしましたが、言葉をひっこめてすこし考えこみ、おだやかにほほえみました。
「別に……オレは、それでも構わねえんだがな。まあ、マヤがそう思うなら、それでいい。大丈夫、時間はあるさ。オレに出来ることなら、なんだって教えてやるよ。それにしても……」
カミュがなにかを言いよどむと、マヤは顔をあげて、言葉を待つようにカミュを見つめました。
カミュは両手をひらひらさせて、冗談であることをしめしてから、おかしそうに語りました。
「その悩みな。オレが相棒……勇者たちと旅した時も、似たようなことで悩んでたんだ。マヤ、今回一緒に旅した皆のこと、どう思った?すごい人たちだったろ?」
「うん。スゴくて、リッパなひとたちだった」
「そうなんだよ。あんな人たちに混じって、オレに出来ることなんか、たいしてありゃしなかった。だから、ずっとマヤと同じようなこと考えてたんだぜ、オレ」
カミュがそう言って歯を見せると、マヤはおかしそうにけらけらと笑いました。
「あはは。そりゃそーだよな。そっか、兄貴も、たいへんだったんだな。そんで、やっぱり、おれたちキョーダイなんだな」
「ああ、悲しいほどに兄妹だな。まあ、スゴくもリッパでもない人間同士、仲良くやっていこうぜ」
「へへ。そーだね。おれは、それでいい。みんなみたいじゃなくても、兄貴は兄貴だから」
兄妹がなごやかに旅の話をつづけていると、やがてセーニャが戻ってきて、ふたりのテーブルのそばに立ちました。
「おかえり。シルビアさん、行ったか?」
「はい。カミュさまとマヤさまにもよろしくと、言っておられました」
「そっか。おれたちは、もうすこし、ここにいるよ。兄貴が、こわれた家をなおすの、てつだうって」
「ああ、そのつもりだ。とは言っても、外で修理やってる音が聞こえてくるんだよな。それなのに手伝いもせず、こんな風になまけてる男のセリフじゃねえかもな」
カミュがおどけたようにそう言うと、セーニャは片手で口元をかくして、くすくすと笑いました。
「ようやく人の姿に戻られたばかりなのですから。どうか、しばらくゆっくりなさってください。それで……すみません、すこし、お付き合いしていただいてもよろしいでしょうか?」
「構わないが、なんだ?」
「ええ、お姉さまに、旅のご報告をしようと思いまして。おふたりがご一緒なら、きっとお姉さまも喜びますわ」
「ああ……そうだな、行こうか」
マヤとカミュはそっと立ちあがると、セーニャに続いて、宿をあとにしました。
マヤたちは、ラムダからつづく木々の青々と生い茂る森のなかを、お散歩でもするかのように、のんびりと歩いていました。
森の木々を切りひらいて作られたらしい小道は、木の葉が風でざわざわとゆれる音だけがかすかに聞こえる、ふしぎなほどに静かなところでした。
そう長くはない小道を抜けると、あたりは大木をかこんだ広場のようになっていて、ちいさな花々が、気持ちよさそうにお日さまの光を浴びていました。
マヤたちは大木のそばにちかよると、ふもとでたたずむ墓石のまえにならび、祈るような姿でひざまづきました。
「えーと……ベロニカさんのお墓?」
マヤがたずねると、セーニャはしずかにうなずき、両手をあわせて墓石に語りかけました。
「お姉さま、無事に旅を終えて、こうして戻ってまいりました。ごらんのとおり、カミュさまの呪い、解いてさしあげることができましたわ。それと、こちらの女の子は、マヤさまと言いまして、カミュさまの妹さまなんですよ。ずいぶんと、旅の助けになっていただきました。カミュさまといっしょで、とても頼りになりました……」
兄妹は顔をみあわせて、なにか目くばせをすると、口をつぐんだまま、セーニャのすがたを見守りました。
「みなさまとも、またご一緒に旅ができたんですよ。シルビアさまは、なにもお変わりなく、笑顔で過ごしていらっしゃいました。マルティナさまとロウさまも、お元気そうで……グレイグさまには、また助けていただきました。学ぶことの多く……楽しい旅でした。お姉さまが見守ってくださったおかげです……」
そう語り終えたあとも、セーニャは目を閉じて、しばらくのあいだだまって祈りをささげていましたが、やがて、そっと立ちあがりました。
マヤは、セーニャの真似をするように目をとじて、つぶやくように語りかけました。
「ベロニカさん、こんにちは、はじめまして……おれ、マヤっていいます。お姉ちゃん……セーニャさんには、ずいぶん、おせわになりました。お姉ちゃんが、いなかったら、兄貴はきっと、ハリネズミのままでした……ありがとう、ございます……」
それぞれが祈りをささげると、三人は大木に寄りかかるように、お墓のそばに腰をおろしました。
カミュはなにも話さないセーニャを気づかうように、明るい調子をつくって、声をかけました。
「なあ、ベロニカはマヤのこと、知らないんだったか?」
「はい。おふたりだけで、お話をされたのでなければ。妹さまがいらっしゃることは、なんとなくうかがっておりましたが……大樹さまが落ちてしまったあとに、はじめてお話を聞いて、驚いたことをよく覚えています」
「そーなんだ。兄貴、おれのこと、ヒミツにしてたの?」
「いや、悪気はねえんだ……話すと、みんな気をつかうかと思ってな」
カミュが頭をかきながら言うと、マヤとセーニャはおたがいの顔をのぞきこみ、くすくすと笑いました。
「そっか。まあ、ゆるしてやるよ。ベロニカさんの、まえだしな」
「お姉さまに、マヤさまと会わせて差し上げたかったですわ。きっと、とても気が合ったと思います」
「ああ、オレもそんな気がする……いや、似たもの同士で、ケンカになっちまったかもな。アイツ、マヤに負けないくらい、気が強かったもんな」
「ふふ。私にとってのマヤさまは、とても心のやさしい方なのですが……お兄さまの前では、本音を出せるということなのでしょうか。すこし、うらやましいですわ」
「ベロニカは、誰が相手だろうと変わらなかったもんな。オレには、セーニャがちょっと気の毒に見えてたくらいだ。そう考えると、マヤはかわいげがあるか」
マヤはすっかり照れてしまって、カミュをかるく殴りつけるフリをすると、勢いよく立ちあがって、ふたりの顔を交互にみつめました。
「もういーよ。おれ、先にもどってるから」
「いや……すまん。ちょっとからかっただけだろ」
セーニャが困ったような表情をうかべて、あわてて立ちあがろうとすると、マヤは首を横にふって、ししっと笑いました。
「おこってないよ。ジョーダンだよ、ジョーダン。おれ、なんか、ちょっとねむたいんだ。けっこう、つかれてるのかも」
「まあ。それはすみません、一緒に戻りましょうか」
「だいじょぶ。おれ、ひとりでもどれるから。お姉ちゃん、あとでまた、読み書きおしえてね」
マヤがそう言ってなにかを目くばせすると、カミュはなにかを察したように、肩をすくめて苦笑いを浮かべました。
「わかった、ゆっくり寝ろよ」
「おう。あとでな、くそ兄貴」
「あの……マヤさま、本当に大丈夫ですか?」
マヤはなにも答えず、いそいで振りかえって小走りに駆けだし、小道へと戻りました。
カミュとセーニャが見えなくなったところでマヤは足をとめて、すこし引き返して木のかげに身を隠し、ふたりのほうをのぞきこみました。
セーニャはしばらく心配そうに、なんども立ちあがろうとしていましたが、やがてカミュと隣りあって腰を落ちつけ、笑顔をみせて和やかに話しはじめたようでした。
「お姉ちゃん、兄貴を貸しとくよ。これで、ちょっとだけ、借りをかえせたかな」
マヤは小声でつぶやくと、にやりと笑って振りかえり、来た道を引き返しました。
りっぱな三つ編みをゆらして、はずむように歩くマヤは、首をかしげて左肩のあたりを見下ろし、機嫌よく声をかけました。
「なあ、兄貴……」
そう呼びかけてから、マヤはハリネズミのいないことに気がつき、ふと足をとめて、ハリネズミの乗っていたあたりを、片手でそっとなでました。
マヤは自分自身に呆れたように、口の端をつりあげてむりやりに笑顔を作り、声をあげて笑いました。
やがて、空を見あげておおきなため息をつくと、前髪を手でかきあげて、ゆっくりと歩きだしました。
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[おまけ] マヤより 愛をこめて
マヤとみんなの、お手紙のやりとり。
エピローグ読了後にお読みください。
***
しんあいなる イシのむらの みんなへ
みんなって グレイグ マルティナ ロウ さんの ことです
クレイモランに、もどったので
みんなに、お手紙を、かきます。
こっちは、すっかりさむくなって、雪がつもってます。
そとに出られなくて、することがないので
兄貴から、りょうりとか、読み書きとか
いろんなことを、おしえてもらってます。
グレイグさんと、マルティナさんに おしえてもらった
ブジュツのれんしゅうを、していたら
大家さんに、うるさいって、おこられました。
イシのむらにも、雪がつもるって、ききました。
雪がふったら、テントはさむそうです。
かぜをひかないように、きをつけてください。
とくに、おじいちゃん。
あったかくなったら、また会いましょう。
おげんきで。
ありがとう
マヤより
***
マヤ殿へ
拝啓
此方はまだ雪が無く、実りの季節であるゆえ、
兵らとともに村の農夫に教えを請い、畑仕事に精を出す日々である。
厳しい作業も鍛錬の一環と捉えれば、まことに実り深きものである。
収穫の味はなお格別、村人たちと囲む食卓は
親愛なるマヤちゃんへ
ごめんなさい、グレイグの石頭では、女の子への手紙の書きかたが
わからないみたいです。上のは読まなくていいです。
お手紙ありがとう、みんなで読みました。
こちらは秋がもう少し続くので、雪がふる前になんとか家を直そうと
みんなでがんばっています。心配してくれて、ありがとう。
北国は冬が速くて大変ですね。
音を立てない体の鍛え方もあるので、お兄ちゃんに聞いてみると良いですよ。
わからなかったら、次に会ったときに、武術といっしょに教えてあげます。
また会える日を、楽しみにしています。
体に気を付けて
マルティナから
***
親愛なるマヤへ
こんにちは、お手紙をありがとう。
わしのことを覚えていてくれて、とてもうれしい。
読み書きも、ずいぶんできるようになったのだな。
えらいぞ、そのちょうしだ。
カミュとは、なかよくやれているかな?
なにかこまったことがあったら、
わしらをなんでもたよってほしい。
グレイグとマルティナも、
おぬしと過ごした日々がたのしかったようで、
しきりに会いたがっているぞ。
また、遊びにきておくれ。
冬のさむさに負けんようにな。
追伸:カミュへの手紙を
いっしょにしたためたので、どうか渡してやってほしい。
幸運を
ロウ
***
親愛なるカミュへ
元気でやっているかな。この手紙は、一人で読んでほしい。
どうか、内密に頼むぞ。
実はな、お主にかかっていた呪いなのだが、
あれは、マヤの願いを叶えるものだったのだ。
小さな生き物に化けたのは、おそらく
マヤのお主と離れたくない、手放したくないと、
そういった心の表れだったのだろうな。
気持ちを汲んで、大切にしてやってほしい。
つまり、言いづらいことなのだが、
マヤとお主が離れたところに居れば、
呪いは簡単に解けたということだ。
妹君を危険な目に合わせてしまって、すまなかった。
だが、どうして回りくどい真似をしてもらったのか、
お主なら察しておるじゃろう。
あの二人のために、力になってほしい。
また、会いに来てくれ。
感謝を込めて
ロウ
***
しんあいなる エマへ
おげんきですか。おれは、クレイモランに、かえりました。
すこし、読み書きができるように、なってきたので、
じぶんでお手紙をかきました。
ハリネズミは、ぶじに人間にもどって、
いっしょにくらせるように、なりました。
また、エマとはなしたいって、いってます。
こっちは、雪がすごいけど、そっちはどうですか。
ルキは、げんきでいますか。
ルキといっしょに、たのしくくらせていると、
いいなって、おもいます。
兄貴といっしょに、あったかいきせつになったら、
エマたちのところに、行こうって、はなしてます。
また会ったら、なにをはなそうか、ずっとかんがえて、
たのしみにしてます。まっててね。
あなたにハグを
マヤより
***
親愛なるマヤへ
お手紙、どうもありがとう。
お兄さん、元に戻れて、よかったね。
ずっと、心配していました。
こっちは、まだ雪はふっていません。
畑のお仕事と、家の修理で、みんなとっても、忙しいです。
ルキはあいかわらず元気で、ずっといっしょです。
お城のひとたちにも、すこし慣れてきたみたいで、
よく、頭をなでてもらってます。
会いに来るって、本当ですか?
私も、たのしみです。
なにをお話するか、考えておきます。
マヤ、お話をきいてくれて、どうもありがとう。
毎日、あなたのために、お祈りをしています。
なにか思いついたら、またお手紙を書きます。
お元気で
エマから
***
しんあいなる マヤちゃんへ
こんにちは、シルビアよ。
ソルティコにもどったので、お手紙をかきます。
ぶじにもどって、げんきでやっているかしら?
アタシは、ソルティコにげきじょうをつくるおしごとを
いっしょうけんめい、やっているわ。
ハネの子たちといっしょに、おんがくにあわせて、おどるのよ。
かんせいしたら、きっとみにきてね。
たびのあいだ、アタシの芸をみせてあげられなかったことが
こころのこりです。いつか、マヤちゃんのところに旅をして、
芸をみてもらえる日を、たのしみにしています。
マヤちゃんにも、かんたんなものを、おしえてあげるわね。
お兄ちゃんと、なかよくね。
また会いましょう
シルビアより
***
しんあいなる シルビアへ
シルビア、お手紙ありがとう。
兄貴といっしょに、ぶじにクレイモランにもどって、
へいわにくらしています。
シルビアが、ハネのひとたちと、いっしょにおどるところ、
すごく、みてみたいです。たのしみにしています。
ソルティコは、すごくあついので、すずしいときに、
いけたらいいなって、おもいます。
シルビアはどんな芸をするのって、兄貴にきいてみたら、
いろいろ、おしえてくれました。
おれも、シルビアみたいに、いろんなことができるように、
なりたいから、がんばってます。
また会えたら、いろんなこと、おしえてね。
どうか、おげんきで。
また会おうね
マヤより
***
親愛なるマヤさまへ
ラムダは、すっかり涼しくなってきました。
そちらはいかがでしょう?雪がすごいのだと、言われていましたね。
どうか、暖かくしてお過ごしくださいね。
いっしょに旅ができて、本当に楽しかったです。
ずっといっしょに過ごしていたので、一人で過ごす時間が、
すこし、さびしく感じています。
マヤさまは、カミュさまと仲良く過ごされていますか?
このお手紙は、おふたりが発たれてすぐに書いているのですが、
お話したいことがたくさんあって、考えがうまくまとまりません。
ゆっくりと考えて、またお手紙をだしますね。
カミュさまにも、どうかよろしくお伝えください。
おふたりの幸せを、いつもお祈りしています。
愛をこめて
セーニャより
***
しんあいなるセーニャさんへ
お姉ちゃん、お手紙ありがとう。
クレイモランは、ずっと雪がふっていて、もうまっしろになってます。
そっちは、雪がふらないから、うらやましいなって、
兄貴といっしょに、はなしました。
おれも、いっしょに旅ができて、すごくたのしかったです。
まだ、朝おきると、ハリネズミをさがしちゃいます。
いっしょに、お姉ちゃんも、さがしちゃうんだけど、
かわりに、人間になった兄貴がいるから、ヘンなきもちになります。
はなしたいこと、おれも、いっぱいあるけど、
お手紙に書くのは、むずかしいですね。
読み書き、もっとたくさん、べんきょうします。
お手紙、たのしみにまってます。
追伸:カミュより
元気でやっているか?冬のあいだ、家に閉じこもってやる事もないので、
そっちに行って、修理を手伝うことにした。いま、準備を進めているから、
近いうちには行けると思う。マヤが早く会いたいってうるさいから、急ぎます。
↑
これは、兄貴が書いたウソだから、気にしないでね。
だけど、おれもたのしみです。まっててね。
愛をこめて
マヤより
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