山落意無 (月兎耳のべる)
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偽のアクアリウム

「ん?」

 

 学校帰り、何気ないアイツの一言を受けてアイツの部屋に上がった私。

 勝手知ったる部屋の中で何の憂いも遠慮もなくくつろいでいると、とある物が目に入った。

 

「アクアリウム特集……」

 

 この前来たときには無かった本のように思えるが……それにしてもアイツ、こんなもの好きだったっけ。割とミーハーな所があるのは知っていたが、今度はこれを始めるのか。

 

 眺めていたスマホを脇において、カーペットの上に無造作に置かれていたそれを手に取る。

 めくってみれば色とりどりの魚、草、小岩とか木がそれっぽく並べられて、何となくいい感じの写真が沢山載っている。紙面上では魚の飼育方法やら、水草の成長の説明やら、魅せるレイアウト配置やら。はたまた撮影にはどれこれすればいいやらと、ワンサカ書かれている。

 

 うん。まあ綺麗だな。

 

 ふと頭によぎったのはその程度の感想。

 何か目を惹くものを探す訳でもなくパラパラと紙面をめくり。

 巻末の広告欄で良くわからない高そうな機材の値段を見てうへぇ、と零して。

 雑誌を元の位置に戻そうとした所で――、

 

 

「お待ちどおさまー、今日はオレンジジュースだよ」

 

 

 アイツが帰ってきた。

 既に着替えたアイツはお盆にジュースとクッキーを乗せて、テーブルの上に載せ始める。

 何となく運ぶ様が危なっかしく見えるのはいつもの事だが、そんな様子を見守っていたので、掴んでいた雑誌を戻すタイミングを逸してしまう。

 すると、アイツは目敏(めざと)くも「あ、それ」と雑誌に気付いて、少し照れ臭そうに頬をかいた。

 

「アクアリウム、やってみたいのか?」

 

「うーん…………うんっ。何か、ほら。部屋にこういう小さな水槽があると、落ち着くかなーって。すっごい綺麗だしね」

 

 何か歯切れ悪いな。

 

「まあ確かにな」

 

「私の部屋って何かふつーじゃん? なので一段上のインテリアに凝ってみようかと思いまして!」

 

「ぬいぐるみだらけの部屋に水槽なぁ……」

 

 部屋のいたるところにはどこから手に入れて来たのか様々なぬいぐるみが所狭しと置いてあり。なんとなくぬいぐるみに囲まれた魚達は自分の場違いさに肩身を狭くするのではないのかと思ってしまった。

 

「でもさ。さっきチラ見したけど用意するとなると大変だし、お金かなりかかるんじゃ?」

 

「そう! そうなの!」

 

 よくぞ聞いてくれました、とアイツが机から乗り出す。

 特徴的な癖っ毛を揺らして一瞬だけ見えたアイツのおでこには、未だ薄っすらと前転んだときの傷が見えた。

 

「水槽と水とお魚と、あと水草だけだと思うじゃん。私、おっきな水槽じゃなくて小さな水槽みたいなのでいいから、苦しいけど5000円くらいで用意出来るかなって思ってたの! そしたら全っっっっ然足りてなくて! ポンプとか、濾過材とか、水質検査とか、何か色々必要で! その全部が高くて!」

 

「机揺らすのやめれ」

 

 ぺしぺしぺし、と机が控えめに叩かれ、そのたびにアイツの癖っ毛が揺れる。

 私は何となくアイツの怒りとも驚きとも思えぬ証言を耳に入れつつ、ストローのささったオレンジジュースを飲んでゆく。とても甘い。

 

「でね。でね。でね。インターネットとかで色々探して、もっとお手軽でお金かからなくて、それでいて綺麗なやつないかなーって探して、そしたら詫び草だけってのも何か良いよーって書いてあって。それにしようかなーって思ったの」

 

()び草」

 

 誰に対して詫びてるのだろう。

 それとも、詫びたい相手にその草を渡すのか。

 頭の中で思い浮かんだツッコミは口の中で封殺しておいた。

 

「ほら見て見てっ」

 

 アイツは私から雑誌を受け取ると、ずい、と私に体ごと寄せてくる。

 何度も読み返されたのだろう、少し皺になったページ上に映されるのは本当にアクアリウムに定番のよくある水草にしか見えない。特徴があるとすればその水草と土がセットになっているような。

 

「ね、綺麗でしょ? それでね。この侘び草なら空の水槽に置いて水を入れてあげるだけって言うの。これなら何かお金かからなそうじゃない」

 

「まあ……うん」

 

 ……自分の感性が枯れているとは思わないけど。やっぱり、私にはただの草だな。

 というかだな。

 

「草だけ? 魚は?」

 

「とりあえず魚に関しては侘び草マスターになってから投入する事にする!」

 

「偉大さが感じられないマスターだな。で、侘び草ビギナーさんはそれをいつ頃始めるんだ?」

 

「……えーっと」

 

「……」

 

「ら、来週……来月?」

 

「やらねえパターンだな」

 

「ち、違うの! 聞いて、聞いてよー! ちょっとノリ気になれない理由がありましてー!」

 

 

 

 アイツの話から、近所にアクアリウムショップがあると言う事を知った。

 本当に民家立ち並ぶ市街地にぽつねんと佇むその古いショップには、当然ながらアクアリウムに必要な機材、魚、水草、景観用の石木。そして侘び草も置いてあったという。

 

「こんな近所にあるなんて私知らなくてさー。大小色んな水槽に綺麗なお魚とか一杯いたなー。みんなキラキラって光ってて~……なんだろ、整頓されてない宝石店みたいな感じ!」

 

「泥棒なら飛び付くだろうな」

 

 そしてアイツはお上りさん丸出しでキョロキョロと店内を物色し、最終的に侘び草コーナーでどれを買おうかなんて、しゃがみこんでうんうんと迷い出したそうな。すると、そこに現れるのは店長。どうやら店長も暇をしているのか、アイツに対して話しかけていったという。

 

「めいあいへるぷゆーって来たから、侘び草欲しいです!って素直に答えたんだよー。そしたら店長さんがどんな水槽でやるの? とかー。お魚は、どんなのと一緒にするの? とかー」

 

「ふぅん」

 

「最初は私も淀みなく応えていったよ。でも質問に応えて行くうちにね、どんどん私の欲しい方向とは違った物を提示されていくの。私のイメージとしてはね、ちっちゃい金魚鉢みたいな所に侘び草ちょこんって置いて、あとちっちゃいライト置くぐらいで完成の筈だったのに……」

 

 やれ、初心者なら60cm水槽にしなさい。

 やれ、水温計やフィルターやら、これこれこういう器材を変えなさい。

 やれ、冬の対策はどうするのかとか。フィルターの説明とかバクテリアがどうとか塩素なんとかとかぱいろっとふぃっしゅ?とか水を腐らせるとかなんとかかんとか。

 

「それで初めてスタートライン。お値段15万からですって言って、私は崩れ落ちそうになったの……」

 

「そんなお金ないですって言ったら?」

 

「言ったけど、だとしたら数ヶ月くらいでゆるゆると衰弱して冬には持たないですよって……」

 

「……」

 

「店長さんが言った15万のセットのは、魚も水草も生き生きと生きられる最低条件なんだってさ。何か、そう言われた瞬間、私説明されてるんじゃなくて叱られてるんだって思えちゃって……うん。侘び草だって生きてるんだよね。甘く見てたのを思い知らされちゃって」

 

 その店長は興味、関心事にだけ早口になるイキリ野郎だが、多分、それだけアクアリウムを愛しているのだろう。魚達や侘び草を商品として扱ってはいるものの、その商品が無碍(むげ)に扱われる事を忍びなく思ってるからこそ、懇切丁寧に説明したのかもしれない。

 

「むかーし、学校でも何気なく花とか育ててたけど……買ったからにはちゃんと生かし続ける責任があるんだもんね」

 

「私にとってはインテリアだけど、侘び草にとっては逃げ場のない監獄だなーって」

 

「そう思うと、途端に手が伸びづらくなっちゃった」

 

 侘び草ビギナーはもう戦えないのです。べちょり。

 なんて言ってアイツは頭だけ机に突っ伏してしまう。

 

 その様子を眺めながら、私はコップの奥に残り続けるオレンジジュースを吸い上げるのだった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「今日は紅茶にしてみましたー」

 

 ティーポットに入った紅茶を運ぶ姿を見守りながら、今日も私はアイツと駄弁る。

 会話がなくなることもあるが、その静寂もどこか嫌じゃない毎日。

 

 今日はそんな静寂にさしかかった所でカバンからある物を取り出す。

 

「これ。やる」

 

「え? なになに? ……えぇっ? これって! ……あれっ?」

 

 ビニールに包まれたそれを取り出せば、中から出てくるのは――侘び草。

 ――に似ている感じの人工芝の造花だった。

 アイツは手渡されたそれの草を軽く弾いたり、色々な角度から眺めたりして出来栄えに驚いていた。

 

「うん。偽物だよ」

 

「なんだー……ちょっとびっくりしちゃった。でも、どうして?」

 

「水槽飾りたいんだろ? 本物じゃないけど、綺麗じゃないかもしれないけど。これなら()()()()()気にする必要ないぞ」

 

「……!」

 

 アイツの顔が驚きから、喜びに変わる様がまざまざと見える。

 気のせいか、アイツの癖っ毛まで反応しているようにも思えるが……まあ、うん。よしとしよう。

 

「ありがとう!」

 

「どーいたしまして。水槽は自分で用意しろよ」

 

「うんっ!」

 

 私はぬいぐるみに囲まれたこの子供部屋に大人の要素が少し混ざるのを想像し。そんなに似合わない訳ではないかな、とちょっとだけ考えるのだった。

 

 

 

 

 

【後日談】

 

 

「造花にカビが……」

 

「……小まめに掃除しなきゃだな」

 

 どっとはらい。



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仮病の専門医

仮病記念。
あと何となくだけど二人のLINEやり取りが見たかったので妄想。


 曜日。月曜。

 太陽。快晴。

 体調。良くもなく悪くもなく。

 眠気。まあまあ。

 時刻。そろそろ出ないと遅刻。

 

 いつものようにいつもの始まりを告げた週明けの朝。

 私は布団の上で少し微睡みながらも、枕元においてあったスマホを再度手に取る。

 時刻は間もなく7時半。いつもならここでシャワーを浴びて着替えて朝食食べて出かける時間だが……その気になれない。

 

 今日は気分が完全にお休みモードであった。

 

 常日頃、気怠い朝は休みになればいいなとは思っていたりはする。

 そういう時は仕方無しに身体に活を入れて無理矢理学校へと向かった物だが……。

 

 時々。ほんの時々。

 どうしても「あ、これは休まないと駄目だ」って時が現れる。

 

 別に体調が悪い訳でも気分が優れない訳でもない。

 体力が枯渇している訳でも、宿題をやってない訳でもないし、嫌な奴が待ち受けている訳でもない。

 学校に()()()()()()()()問題なくその日を過ごせるようなコンディション。だけど『休まないと行けない』と頭も身体も同時に頷く時がある。

 

 時々どうしてそうなるか、その日を無駄に過ごしながら考えた事もあった。

 

 学校が嫌い? どちらかと言うと嫌い寄り。

 やる気が足りない? まああってるかも。

 根性がない? うーん、ちょっと遠いかな。

 やりがいがない? やりがいってなんだよ。

 もう飽きているから? 間違いじゃあない。

 

 自問自答を繰り返す事数十分。ベッドの上で寝転りながら出した結論は――自分の心が「電池切れ」だという事。そう、私は私の心を動かす電力が枯渇しているから行動に移す事が出来ないのだ。

 

 人によってはその電力の事を「根性」だの「やる気」だの「精神力」だの「MP」だのと言い表すかもしれないが、私は心を「充電電池」だと考えている。

 それはプラスの行動――美味しいものを食べたり、眠ったり、アイツと交友を深めたり。面白い映画を見たり、散歩をしたり、あるいはその複合――をする事で補充出来るものだ。

 対してその電力はマイナスの行動――両親との会話、煩わしい皆の視線を受ける、またそれ以外のやりたくない事、どうでもいい事――を行う事で消耗してゆく。

 

 いつも電力は平均的に1/3以下を水準で保っているが、今日はそれが完全に0に近い。

 だからこそマイナスの行動に移せず、部屋でぐだ巻いてしまう。

 

 既に親は出かけて家は誰もいないため自己判断で休めるところにだけ母子家庭である利点を感じる。私は慣れた手付きでスマホを何度もタップすると学校へと連絡をする。

 

「おはようございます。――――です。はいすみません……少し腹痛が酷くて。今日はおやすみさせて頂きますと○○先生に伝えて頂けますか? 親はもう出かけたので自分で病院に行きます。……はい、はい。分かりました。すみません」

 

 無性に演技ぶりたくなるのを抑え、努めて冷静に休む事を伝えると足早に電話を切り、役目を終えたスマホをぽん、とベッドに投げ捨てては自分自身もベッドに身を投げた。

 

「……」

 

 これで目出度く追加の日曜日を貰えた訳なのだが、お生憎様。充電の切れた私は何もする気が起きない。

 ゲームもやりたくない、TVも見たくない。スマホも弄りたくない。ご飯も別に食べたくないし、なんだったら眠りたくもない。

 

 ただ何もしたくない。

 

 動きたくない。瞬きもしたくない。呼吸すら面倒臭い。

 野ざらしになって錆びて風化しかけたおもちゃみたいに、私は動けない。

 柔らかな布団の沼に身体が飲み込まれ、そのまま暗闇を漂いたい。

 隕石が偶然、それも私の部屋だけに落ちて、唐突に意識を永遠に失いたい。

 黒面をつけた謎の殺人鬼が、私を一息に殺して。痕跡もなく私を消して欲しい。

 

 こういう日は、いつも終わらない虚無感に支配されてしまう。

 大概、そういう時は心に整理がつくまで好き放題虚無を堪能させるしか方法がない。

 

 だから私はぐるぐるぐるぐると巡り巡る虚無に浸り続ける。浸り続けるのだが――、

 

「……?」

 

 布団越しに伝わる微かな振動音。

 虚無が少しだけ顔をのぞかせた私は、その発信源に手を伸ばして画面を眺めてみる。

 

●アイツ 『大丈夫!?!? お腹痛いの!?!? Σʕ òᴥó ʔ 』 9:25

 

 いつものアイツが、画面越しでも分かるくらいに大げさに驚いていた。

 

 最初は返信をするかしないかどうしようか迷ったが、もうこのメッセージを見た時点で既読がついてしまっている事だろう。私は気怠い身体に残り少ない電力を流して返信をする。

 

○自分 『平気。授業に集中しろ』 9:30 既読

 

●アイツ『心配だもん集中できないよーーー!! ๐·°ʕ ;ﻌ; ʔ°·๐ 大丈夫だよね? お見舞い行った方がいい? 何でもするよ! ʕ •̀ω•́ ʔ✧ 』 9:30

 

「返信はえーよ」

 

 授業そっちのけで机の下で必死に返信するアイツの姿を考えると、少しだけ笑えて来た。

 本当はこのまま返信を止めても良かったが、折角心配してくれたアイツを無碍にすると本気で早退して部屋に突撃してきそうなので、それを止めるためにも返信を続ける。

 

○自分 『多分普通に寝てりゃなんとかなるだろ。お見舞い不要』 9:32 既読

 

●アイツ『 ʕ´•ᴥ•`ʔ 』 9:33

 

 その返答にはどういう意図があるんだ。

 

○自分 『元々朝は弱いんだよ。知ってるだろ? 昨日脂っこい物食べたからそのせいかも』 9:35 既読

 

●アイツ『じゃあ後で黒烏龍茶持ってきます!!! ʕ •ɷ• ʔゞ 』 9:36

 

○自分 『あれって食中に飲まなきゃ駄目な奴だろ……』 9:37 既読

 

●アイツ『ずっと食後に飲んでた私ぃぃぃぃ…… =͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ =͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ =͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ =͟͟͞͞ʕ•̫͡•ʔ 』 9:39

 

 熊を連投するな。と思いながら私は仰向けからうつ伏せに体勢を変えてスマホに没頭し始める。

 というかコイツ本当にこんなに頻繁に返信して、先生とかにバレてないのか?

 気になったので聞いてみる。

 

○自分 『私は暇だからいーけど、お前本当に授業大丈夫か?』 9:41 既読

 

●アイツ『平気だよ! 教科書を縦に立てて寝てる振りをしながら机の下でスマホいじり。完璧な作戦であります隊長 ʕ •ɷ•ʔb✧ 』 9:48

 

○自分 『二重でアウトじゃねーか』 9:48 既読

 

●アイツ『道徳の授業だし、みんな寝てるからセーフ』 9:49

 

○自分 『(ワル)だな』 9:49 既読

 

●アイツ『みんな悪だよ! この学校に良い子はいません! ✧ʕ̢̣̣̣̣̩̩̩̩·͡˔·ོɁ̡̣̣̣̣̩̩̩̩✧ それよりも本当に何か必要な物とかない?』 9:51

 

 まあそういう自分も仮病を申告した時点で悪なのは違いないのだが。

 それにしてもアイツはこのままだと家に来てしまうのは間違いない。気持ちは嬉しいが意味なく心配させるのもあれなので、私も悪であることを自白してしまおう。

 

○自分 『まあ、私も悪だけどな。実は仮病だから本気で見舞いは大丈夫』 9:54 既読

 

●アイツ『えー ʕ •ᴥ• ʔ 』9:54

 

○自分 『無駄に心配かけて悪い。が、今日は何か行く気にならなかったんだ。充電切れ』 9:56 既読

 

●アイツ『電池切れちゃった? ʕ •ﻌ•; ʔ 』 9:57

 

○自分 『からっけつだ』 9:57 既読

 

●アイツ『そっかぁー、そういう時もまぁまぁあるよねー ʕ´•ᴥ•`ʔ 』 9:58 

 

 コイツが電池切れになった所は見かけた事はないが『予備バッテリー』で動かしている所は何度か見かけた事がある。唐突に世界から色が消えてしまったような顔をして、表情は能面のようになり、一挙一投足が無味乾燥さを持ち始める。こいつの電池が切れる時は、それこそ命が止まる時なのではと思うくらいには、少し冷や冷やしてしまう。

 

●アイツ『まあそれはそれとしてお見舞いには行くけどね! ʕ •̀ω•́ ʔ✧』 9:59

 

○自分 『は?』 9:59 既読

 

「は?」 

 

 ただ次なる発言に電子の私も、現実の私も同時に声を出していた。

 仮病だと言っているのにどうして見舞いに来る必要がある? 私はただズルを謳歌しているだけだぞ?

 

●アイツ『電池が切れたなら充電が必要でしょ? 私も手伝うよ!』 10:01

 

○自分 『いやいや、この電池は別に寝てりゃ充電されるから』 10:02 既読

 

●アイツ『ふっふっふ、及ばずながら仮病の専門医たる私が手伝えば二倍以上の効率を約束するよー! ʕ •ɷ• ʔゞビシィ 』 10:03

 

○自分 『何だよそのヤブ医者以下の職業は』 10:04 既読

 

 ぐいぐいと来るアイツの攻勢に、私はどうしたものかと考えてしまう。

 別に嫌ではない。来て貰ってもいいが、ズル休みに見舞われて私はどう反応するべきか迷うのは間違いない。大体お茶請けも特に用意してなかった筈だから……。

 

●アイツ『あ、でもごめんね。もしも邪魔だったら行かないから、そこは遠慮なく言ってね?』 10:10

 

 あぁもう。案の定ちょっと迷ってたらやっぱり断りを入れてきた。

 それをされると私に選択肢がなくなるのをアイツは分かっているんだろうか。

 嫌じゃない。嫌じゃないけど、本当そういう所はずるいと思う。

 

○自分 『分かった、じゃあ放課後な』 10:11 既読

 

●アイツ『いいの!? Σʕ òᴥó ʔ 』 10:11

 

○自分 『自分で言いだしたんだろうが……その代わり買い物とかは別にいいからな』 10:12 既読

 

●アイツ『え、でもでも家にお邪魔しちゃうし…… ʕ •ﻌ•; ʔ 』 10:13

 

○自分 『仮病に見舞いを持っていく前例を作るのはおすすめしないぞ』 10:15 既読

 

●アイツ『前例を作ったら仮病の人はこれからみんな喜ぶだろうね! ฅʕ •ﻌ• ʔฅ♬*゚ 』 10:16

 

○自分 『むしろみんな気まずく思うだけじゃねえかな……』 10:17

 

 

 それ以降、あいつからの返信はしばらく途絶え。

 私は再度スマホをベッドに投げ出して変わらぬ天井を眺め始める。

 それは数分、あるいは数十分かもしれないが、そんなに長い時間でなかったのは間違いなかった

 

「迎える準備、するかぁ……」

 

 ――不思議でもなんでも無いが、この時点で私の心の充電ゲージは1/3ぐらいには回復していて。私はのそりと起き上がると仮病の専門医を迎える準備をするのであった。

 

 

 

 ◆おまけ◆

 

仮病に効く薬(お見舞いの品)買ってきたよー!」

 

「いらないって言っただろ……」

 

「仮病の人にも優しくする前例を作るのに必死なのです」

 

「はぁ……で、何を買ってきたんだ」

 

「えーっとね。エナジードリンク。にんにくチューブ、単三電池……」

 

「……」

 

「あいた! なんで!?」

 

 どっとはらい。



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しょっぱい黒と甘酸っぱい白の戦争

譲れないのです。


 アイツが言う。

 

「どうしてそんなに意固地なの」

 

 私が言う。

 

「価値観が違うだけだろ。私はずーっとこれで通してきた。変えるつもりはない」

 

 アイツが言う。

 

「そうやってずーっと変化を拒み続けるつもりなの?」

 

 私が言う。

 

「変化は嫌いじゃない。ただ他人にとやかく言われてやる変化を私は好まないだけだ」

 

 私が白だと言うならば、アイツは名実ともに黒だろうさ。

 

 いつになく真剣な顔をしたアイツが私に対して静かに、そして熱を持って説いてくる。

 何だかんだでアイツにだけは甘くなってしまう私であるが、しかして今回ばかりは譲るつもりはない。

 

 これはもう根本的に変えられない問題。

 誰しもが持つ決して曲げることの出来ない『主義』という強固な軸なのだから。

 

「……むむむ」

 

「……」

 

 私達は今部屋のカーペットの上で向かい合って座っている。

 そうして一つ述べては指を動かし。一つ吐き出しては指を動かしあう作業を続けている。

 現時点でお互いの主張は平行線。決して灰色に混ざり合うこともなく駆け引きは行われていく。

 

「……そもそもの話、私の方が一般的なのは分かってるよね?」

 

 乾いた音に、回る音。

 

「こっちがマイナーなのは十分承知している。だが大事なのはみんながそうしているから、って話じゃないだろ?」

 

 指が動くたびに、二人の間に音が響く。

 

「勿論そういう話じゃないよ。でも最初に言ってたよね。『そんなのかける奴が気がしれない』って。私に言わせればそっちの方がおかしいよ!」

 

 ぱちり。ぱたん。ぱちり。ぱたん。

 

「私の好みは私の好み。それ以外の好みについては知ったことではないね」

 

 弾き、弾かれ。盤が揺れては色が増える。

 

「知ったことではなくても、私としては大いに主張しないといけないのです! さっきの発言はこのやり方でずっと通してきた私にケチをつけたって事なんだから!」

 

 互いに互いの目は中々合わされない。

 ただ下を向いて言いたい事だけ言い合う、喧嘩にしては異例の一幕。

 

 気付けば私の形勢はアイツの裂帛の前にまさしく厳しい物になっていた。

 このままではまともに応対しなければ押し返す事も出来ないだろう。……まあ、そんなに危惧はしていないんだけどさ。

 

「咄嗟に出た言葉であって他意はなかったと主張しよう。でも私は私のやり方が一番だと考える」

 

 ぱちたん。

 

「私だって私のやり方が一番だと思ってるもん。だからこそ考えを改めて貰うためにも……私のやり方で食べて欲しいの!」

 

 ぱちたんぴたん。

 

「えぇー。だってさぁ……それだとただ、しょっぱいだけじゃん」

 

 ぱちたん、ぱたぱた。

 

「しょっぱいだけじゃないよ! 確かにしょっぱいけど、風味とか香りもいいもん! そっちなんて一緒だよ!? ほとんど材質一緒の物かけてるんだよ!?」

 

 ぱちり。ぱたり。ぱたん。

 

「一緒だからこそ味がフィットするんじゃねえか。こっちは酸味と甘味があるんだぞ。あ、スミ貰った」

 

 私の指は動揺もなくある場所に置かれれば、アイツは途端に「う゛っ」と呻きだした。

 しばらく下をじーっと見つめ、うんうんと唸り声を上げた結果。あいつが搾り出した声は、

 

「……今のナシで」

 

「ダメ」

 

「う、うぅぅ……」

 

 こっちをそんなに見ても時は戻らないし、戻せないかなら。

 それがお互いの意地や主張を賭けたものであれば尚更だ。

 

 ……そんな縋るような目をしても駄目なものは駄目だからな。

 

「……美味しくないなんて戯言、信じないもん、多分そっちは間違えて変なのをかけてたんだよ! きっと! ちゃんと小瓶にラベルとか貼ってなかったんじゃないの?」

 

 打音。私の急所への攻撃をなんでもないと言わんばかりに攻撃するアイツ。

 

「まあ間違えそうになった事はあるけどなぁ」

 

 打音。しかしアイツの勢いはやはり衰え、一つの指の動きで瞬く間に場面が漂白されていく。

 

「ほらやっぱり! じゃあ今すぐ試してみてよ! 絶対美味しいって!」

 

 打音。アイツはこの勢い消してたまるものかと自らの眷属を増やし続ける。

 

「おやつの時間にアレを食べるのはちょっとなぁ……朝食ならいいけどさ」

 

「じゃあ朝食ね! 食べてね!」

 

 確約はできねーな、なんて素っ気無く答えて指を動かせば、アイツの眉間に立ちどころに皺が増えた。

 アイツは胸の前で腕組をしてしばらく盤面をじぃぃ、と見つめて数十秒。なんだかヤケ気味に打音をかきならした。

 

「むぅぅ、ならやっぱり今から作るから! 台所貸して!」

 

「今卵切らしてるから作れねえよ。はい、またスミ貰い」

 

「あぁっ!? 待って待って今のナシ! 二手戻って二手!?」

 

「待ったなし。戻るのなし。ゲームにならんだろ」

 

 刻一刻と増えて行くアイツの急所。

 もうここまでくればアイツの逆転はありえないだろう。

 序盤に折角広げに広げて貰った所でアレだが、このまま私の色に染まって頂く。

 

 ……そうして、しばし主張も忘れて二人でぱちたん、ぱちたん、と私達の間で打音を響かせ続けて行ったのだが、ふとあいつの顔を見た所、何だか面白い顔になっていた事に気付く。

 

「むうぅうぅぅうぅぅ~~……」

 

 スマホの待ち受けにしたい見事な顔だ。饅頭かよ。

 そんなに頬を膨らませても事態は好転せんぞ。

 

「……こっちの方が絶対美味しいもん……」

 

「まだその言葉に頷くには如何せん経験が足りないな。……わぁったよ。別に買って食べてもいいけど、その代わり私のも試して貰うぞ」

 

「えぇぇー……私は別に……なんか味が想像出来ないし……」

 

「私にだけ一方的に押し付けるのはフェアじゃないんじゃないか? はい、そっち置くとこないぞ」

 

「えっ!? ちょ、えぇ!? なんで、どうして!?」

 

「どうしてって言われてもなぁ……」

 

 もうアイツが置く場所はどこにも見当たらず、とうとう居場所どころか手番すら無くしてしまう。かすかに残った黒の残骸以外、盤面は全て白に染まり。結末は既に秒読み段階であるという事が目に見えてわかった。

 

「……いや、まだ実は一つぐらいは……!」

 

「ないから。後この先に希望もないからな」

 

「ひぐぅ……」

 

 その後も結局アイツに番が回ってくることはなく、私はオセロに勝った。

 盤面は見渡す限りに白一色に染まり、黒の駒は1つしか残されておらず、そんな歴史的大敗を喫してアイツは盤面に顔を突っ伏して動かなくなってしまった。

 

「……」

 

「……おーい。それでどうすんだ、卵買ってくるのか?」

 

「……買うぅ」

 

「分かった。んじゃちゃんとそっちはマヨネーズかけて食えよな。私も醤油かけて食べるからさ」

 

「……わかったぁ……」

 

 私はぴくりとも動かないアイツを置いて外出の準備をする。

 ……しかし、まぁ……流石に卵だけ買うのもなんだし、アイツが良いって言うなら他の惣菜も買ってしまうか。目玉焼きだけ食べるのは調味料があっても味気ないもんだからな。

 

「なぁ、今日泊まってくか?」

 

「……いいの!?」

 

「別にいいぞ。だから目玉焼きは夕飯な」

 

「分かった! じゃあ今日は目玉パーティだね!」

 

「嫌なパーティだな……あと目玉焼きオンリーは勘弁してくれ」

 

 急に元気になったアイツはいそいそと準備を整え、間もなくして私達は玄関から寒空の下へと足を踏み入れるのだった。

 

 

 ……目玉焼きに醤油か、やっぱりしょっぱいんだろうなぁ。

 

 




私はケチャップ+タバスコ派です(半ギレ


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