初代勇者な賢者と嫁な女神、ハッピーエンドの後に新米勇者の仲間になる (ケツアゴ)
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新米勇者の狼少女
ハッピーエンドなプロローグ


「馬鹿な…馬鹿なぁあああああああああああっ!」

 

 胸に剣を突き刺された巨大な悪魔の肉体が光に包まれながら消え去って行く。邪悪な気が満ち、瓦礫が散乱する城の最奥、魔王が座して待ち構えていた王座の間にて世界の命運を左右する激闘の幕が閉じた。

 

「終わった……のですよね?」

 

 魔王にトドメを刺した私は激闘による疲労と張り詰めていた緊張の糸が切れた事でその場に座り込みながら呟く。これでゲームとかならば第二形態が現れるのでしょうが、邪悪な気が徐々に晴れ、暗雲が消え去り青空が顔を覗かせて差し込んだ日光を浴びた事によってホッと胸を撫で下ろした。

 

 振り向けば苦楽を共にした大切な仲間達も私と同じくボロボロで疲れ果てていて、世界を救った達成感に満ち溢れた笑顔を浮かべている。

 

「ふぅ。これで終わりか。あ痛たたたた。ちょっと無理をし過ぎたわい」

 

 十字架の形をした杖を放り出して腰をさするドワーフの神官ガンダス。彼の回復魔法には何度も助けられました。少し頑固な所がありましたが豊富な知識で旅の助けとなり、私が間違えそうな時は拳骨と怒鳴り声で引き戻してくれました。

 

「私はさっさとシャワー浴びたいわ。全身が汗臭いし汚れてるし……」

 

「僕はお腹が減ったよ。凱旋前に何か食べて……って、保存食は食べ尽くしたんだっけ」

 

 オレンジの髪の毛を持つ猫の獸人ナターシャは自分の腕の臭いを嗅いで顔をしかめる。身軽さを活かしたナイフでの接近戦と相手の動きを妨害する魔法が得意なムードメーカーで、少し守銭奴なのが玉に瑕ですね。一度パーティのお金を着服していたのが発覚したのですが、育ったスラムの子供達に教育を受けさせる資金だったと判明しました。

 

 あれだけの激闘の後だというのに緊張感の欠片もなくお腹を鳴らし、荷物を漁って食べ物がないのを思い出したらしく落ち込んでいる少年剣士はイーリヤ。今は十六歳になった亡国の王子です。魔法は使えませんが卓越した剣技を持つ天才児で剣の腕だけなら私より上でしょう。

 

 

「終わったな……」

 

 そして最後の一人。褐色の肌と燃え盛る炎を思わせる赤い髪をした鎧姿の女性。目を奪われる程に美しいのですが、芸術品ではなく気高き戦士の美しさだ。凛々しい顔付きも今は少し緩み、柔らかな笑みを浮かべた彼女は私の隣で斧を下ろして私の手にそっと触れる。

 

「ええ、そして今日から始まるのです。私達の幸福な日々が」

 

「そうだな……」

 

 仲間達が見ているからか少し恥ずかしそうに俯きながら私の手を強く握る。骨が折れそうな程に痛いのですが、愛する女性に折られるならば本望です。

 

 

「幸せになりましょう、シルヴィア」

 

「……お前と一緒に居るんだ。私が不幸な筈もない。お前だってそうだろう?」

 

「当然ですよ」

 

 二人は見つめ合い、そっと唇を重ねる。この愛しい女性は女神シルヴィア、私は勇者として地球より召喚された平泉己龍(ひらいずみ きりゅう)と申します。では、少し時間を遡りながら説明といきましょうか……。

 

 

 

 

 

(……体が動かない? それにアレは……私だ)

 

 それは私が高校生だったある日、登校中に体が動かなくなった私の前を私が歩いていました。幽体離脱でもしたみたいに私は遠ざかる私の肉体を動けない状態で眺め、瞬きをして目を開けば目の前の光景が一変していたのです。清浄さを感じさせる森の中、疲労困憊ながら美しさを一切失わぬ女性が私の前に立っていて……恥ずかしながら一目で心を奪われてしまいました。

 

 これが私の初恋の相手、シルヴィアとの出会いです。

 

 

「さて、急な事で混乱している様だが聞いてくれ。お前は勇者としてこの世界に召喚されたのだ」

 

 凛とした透き通る声でそう告げるシルヴィナ。私は混乱する余裕もなく彼女に心を奪われながらも説明を受けました。一言一句聞き逃すまいと彼女の顔を見つめながら聞いた話はとても信じられない話。なにせ異世界だというのですから。

 

 この世界は人が住まう輪の様に連なる六色世界と中心に存在する神の住む無色の世界からなるそうで……。

 

 赤の世界 レドス

 

 橙の世界 オレジナ

 

 黄の世界 イエロア

 

 緑の世界 グリエーン

 

 青の世界 ブルレル

 

 紫の世界 パップリガ

 

 無色の世界 クリアス

 

 普段は人の行き来こそあれどクリアスに住む神々の干渉で戦争など起こらない平和な世界なそうですが、少し問題もあるのです。人々の怒りや嘆きといった負の念は順番に一つの世界に淀みとして集まり、それが魔王率いる魔族という存在が発生するそうなのです。今までは神々が対応していたのですが、新しく最高神となったミリアス様がこう仰ったそうです。

 

「何時までも神が世話を焼いてたら駄目だ。人の中から英雄となる者達を選出しようじゃないか」

 

 最高神の意志は絶対であり、神々は総力で魔族と魔王を浄化する儀式を開発、淀みが溜まる世界を時計の十二時とした場合、選ばれし者達が各世界で人々を救いながら時計回りに進む事で封印の楔を作り出す。既に選出は済んで力も与えた……そうなのですが」

 

「どうも初めての事故に不具合が発生して、勇者となる者が幼い頃に死んでしまってな。……其処で私が少し無茶をして地球よりお前を呼び寄せたのだ。っと言っても本物ではないが」

 

 ああ、成る程。あの光景はそういう事でしたか。彼女の言葉に合点が行った私の予想は的中しており、正確には私はコピーだというのです。つまり帰るべき場所は存在せず、待っている人も居ないと……。

 

 

「……本当にすまない。だが、勝手な願いだがこの世界を救って欲しい。勇者を生み出す術式の副作用で神の力は六色世界に悪影響を与える様になってしまったのだ」

 

 流石に落胆した私でしたが、彼女は突如私を抱きしめました。

 

 

 

「……私が此処に存在するのは確かですし、魔族が力を強めれば危ないのでしょう? なら、引き受けさせて頂きます」

 

 この召喚事態が無茶だったらしく力を大幅に失った女神シルヴィアは神の力こそ失っていましたが戦士として腕に覚えは有ったらしく私の旅に同行し、そうして世界を救う迄に至ったのです。

 

 

 その旅の終盤、魔族が支配する地域に潜入する前夜の事です。私はシルヴィナを散歩に誘いました。夜風を浴びながら並んで歩くのですが二人共相手が話すのを待っているので無言でした。意を決した私はそっと手を伸ばせば向こうからも手が伸ばされていてぶつかり合う。少し気まずく感じながらも手を握れば握り代えしてきました。

 

 そのまま無言で歩き続け、気が付けば人気のない場所まで辿り着いています。目の前には武と豊穣の女神であるシルヴィアの神殿。少し気になるのか彼女が視線を向けた時、私は握った手を引き寄せてシルヴィアを抱き締めたのです。

 

 

 

「シルヴィア……私と結婚して下さい」

 

「ふぁっ!? いやいやいやっ!? お前、正気かっ!?」

 

 一目会った時から私は彼女に心奪われ、共に旅をする事で更に惹かれて行った。相手が女神である以上、これが最後のチャンスと差し出した手。それを前にした彼女は顔を真っ赤にして慌てている。

 

 ああ、何と美しい。この姿は私が初めて好きだと言った時に初めて目にしましたっけ。気高く振る舞う姿も、実は可愛い服や甘い物が好きだけど威厳を気にして興味無いと言いながらも幸せそうにケーキを食べていた所も、私が目を瞑って考え事をしているのを寝ていると勘違いして、私がお前に愛していると伝えたらどう反応するのだろうな、と言った後で慌てて駆け出した様な所も、割れた腹筋を実は気にしている所も、料理下手なのが嫌で影で練習している所も……おや? ああ、声に出ていましたか。指輪を選ぶ時に三人にも注意されたのですが、愛する方について考えたら口に出してしまう癖は治りませんね。

 

「……私で良いのだな? あの王女やら巫女みたいに私よりも可憐だったり色気が有る者達が好意を寄せているというのに……」

 

 彼女が口にした二人には覚えがある。神域の花と称された神官の少女。途轍もない回復魔法の才能を有し、イーリヤが呪いで倒れた時に助けて頂きました。儚さを感じさせる可愛い方で、危険視した魔族に浚われたのを救出して感謝されましたね。

 

 王女の方は兄である王子達を差し置いて王座に就く事を望まれた才女。知性と同時に色気を感じさせる肉体の持ち主で、兄達が仕向けた暗殺者集団を撃退して少し政争にも巻き込まれました。イーリヤが国を復興する際には協力を惜しまないと言っていましたね。

 

「……私は神に仕える身。ですが、世界を救った勇者様なら純潔を捧げる事を許されるでしょう」

 

「世界を救った後で王様になりたかったら私の所に来なさい。この国の王権を半分差し上げても宜しいですわ」

 

 ……今思えばプロポーズだったのですね。意識していなかったので分かりませんでしたが。そんな私の心中を察してかシルヴィアは真剣な眼差しで私の瞳を真正面から見ました。

 

「分かっただろう? 私ではなく、他の女を選んだ方がお前は幸せになれる。私と共になるという事は人を辞めるという事だぞ?」

 

「私は貴女が良い。貴女しか考えられないのです」

 

 人ではなくなる? それがどうしたというのです。愛した女性と共に居られるならば喜んで人を捨てましょう。

 

「……後悔するなよ? 裏切ったら地の果てまで追い詰めて八つ裂きにしてやるからな」

 

「ええ、当然です。貴女を裏切った私に生きる価値など存在しないのですから。そんな私が世界一美しい貴女に殺して頂けるなど光栄の極みです」

 

「……馬鹿者め。その時は私も後を追うからな。精々私を自害させぬ事だ」

 

 シルヴィアは目を逸らして耳まで真っ赤にしてから私の頬に触れてキスをします。その後、目を閉じて私の目前に顔を寄せたのです。何を望んでいるかを私は察し、この時初めて私達はキスをしました。この後は語った通りに魔王倒し、被害の爪痕が残っているなど問題は多いですが世界は救われたのです。

 

 こうして勇者の……私の冒険はハッピーエンドを迎えて終わりました。この後、シルヴィアとの結婚を報告に向かった際に最高神に祝いとして不老不死を戴いたり、仲間が滅びた祖国を復興させたけど一悶着あったりと大変でしたが……私は世界一の幸せ者です。

 

 

 

 

 

「おい、そろそろ起きろ。……私としてはお前の寝顔を眺めていたいがな」

 

「私も貴女の膝枕を堪能したい所ですが仕方有りませんね……」

 

 あれから三百年が経ち、私はシルヴィアと初めて会った森の中の屋敷で暮らしていました。何もしない怠惰な生活は怒りを買うので魔法の研究を始めた私は勇者として戦っていた時よりも力を増しているのですが、それに目を付けたミリアス様に仕事を押し付けられています。

 

 それは後輩である歴代勇者達の手助け。フードと杖を装備し、謎の賢者としてアドバイスをしたり時にピンチを救い、重要なアイテムを渡すなどそれなりに忙しいのでシルヴィアと過ごす時間が減るのは問題ですね。……通信機能が有る鏡など作らなければ良かったですよ。

 

 大体、相変わらず勇者関連の術式には問題があって、仲間になる筈の男が死んでたので次の候補を探したり、勇者が封印の洞窟を探索中に目的である聖剣が折れたので急いで新しい物を用意したりと神でも万能ではないと思い知らされる。

 

 きっと今回も問題が発生したのだと起き上がった時、私は神々しい力が満ちる王座の間に居ました。慌てて跪いた先には黒髪の少年が豪奢な椅子に座っています。赤いマントを羽織り金の瞳で私を見ている少年こそ最高神ミリアス様。私に毎度問題を押しつけて来る傍迷惑な方ですよ……。

 

 

「やあ、傍迷惑な最高神ミリアスだよ。久しぶりだね、キリュウ。早速だけど毎回恒例の問題発生だ」

 

 ……心読めるんですね、初めて知りました。ああ、本当に厄介な方だ。怒った様子が無いのに安堵した私は今回のトラブルについて話を聞くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの……何方ですか?」

 

 そして私は今、幼さの残る羊飼いの少女の前に立っています。見慣れない二人組に困惑しながらも怯えた様子は見られず度胸は合格ですね。それはそうとして二人組……そう! 今度の仕事はシルヴィアと一緒なのですよ! 女神としての仕事があるからと長旅でゆっくりするのは許されないシルヴィアと一緒なんて実に素晴らしい! まるで遅めの新婚旅行ですね! ああ、見慣れぬ風景の中に居るシルヴィアも美しい、美くし過ぎる……。

 

 

 

 

 

 

「あ…あの……本当に何の用ですか?」

 

 ……おっと、シルヴィアを賛美するのは後にして、今は目的を果たしましょう。私が黙ったままなので戸惑っていますしね。

 

「いや、さっきから全部口に出しているぞ、お前……」

 

 呆れ顔を向けてくるシルヴィアも魅力的ですが、本当に本題に入りましょう。

 

 

 

 

 

 

「やあ、お嬢さん。単刀直入に言おう。君こそが今回の勇者だ。私達は君の旅の手助けをすべくやって来た」

 

 私の言葉に幼い後輩は驚いて言葉も出ない様子でした……。

 

 

 

 




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羊飼いの狼少女

 一生懸命働けばお腹一杯食べられて、暖かいお布団で眠れる。きっとそれは幸せな事だと思う。お母さんとお父さんは居ないけど、二人が残してくれた羊達や牧羊犬のゲルドバが居るし、村の皆は親切にしてくれる。羊の毛を売りに行く時に私だけだと買い叩かれるからって町まで羊の毛を運んでくれるトムさんや羊飼いの仕事を教えてくれるビーラさん、他にも沢山の人のお世話になりながら私は生きている。

 

「……はぁ」

 

 そんな私の悩みは毎日毎日頑張って櫛で解かすけど全然変わってくれない癖毛。お父さん譲りの灰色の毛は鏡を見る度に溜め息が出る位にクシャクシャに飛び跳ねていて、狼の獸人のお母さんから受け継いだ耳と尻尾は萎れちゃう。私が仕事をしていると何時も癖毛をからかいにトムさんの家の子供のジャッドがやって来る。家のお手伝いを怠けてまで私の所に来るんだから嫌になるなぁ……。

 

「まあ、そんな時は羊の糞を顔面に叩きつけてあげるんだけど。……それにしても今日で十日目かぁ」

 

 この前、言葉の途中で投げつけてやったら口と鼻の中に入って悶絶していたのは笑った。え? 触って平気なのかって? 直ぐに手を洗いましたし、汚いとか臭いとか気にしていたら羊飼いなんて出来ないよ?

 

 最近、変な夢を見る。空の上に立っている私は身動き出来ずにいて、もっと上の方から声が聞こえて来る。目覚めよ、目覚めよって。それで目が覚めたら起きる時間だし……神様が起こしてくれているのかな? ジャッドにうっかり話しちゃったら私が寝坊助だから呆れているんだって笑われるし。その後、お手伝いを怠けたジャッドを探しに来たトムさんに拳骨を落とされて連れて行かれたのはいい気味だと思った。

 

 これが私の日常。代わり映えはしないけど幸せで穏やかで、このまま大人になって誰かと結婚して(ジャッド以外と)、産まれた子供を育てていく。そんなありふれた日常を過ごすのだと、そう思っていた……。

 

 

 

「うん。今年も美味しく出来ましたー!」

 

 そんなに数が居ないから大量には出来ないんだけど、私は羊毛を売る以外にも羊のお乳でチーズを作っているの。ちょっと味見をして何時も通りの味に満足する。これも市場に売りに行けばそこそこのお金になるから本を買うの。

 

 一番好きなお話は勇者様の伝説。最高神ミリアス様に選ばれた勇者様と仲間が世界を救う為に何年も掛けて旅をするんだけど、一番長いのは初代勇者様。二代目から手助けに現れる賢者様が居ないからか五年間もの旅は創作も加わって全部読み切れていないわ。

 

「確か昨日は勇者様を魔王の部下だと吹き込まれた剣聖王イーリヤとの決闘のシーンだったけど、早く続きが読みたいわ」

 

 ……仕事が忙しいし、合間を見て読んでいたらジャッドが邪魔して鬼ごっこになっちゃうから本当に迷惑! 夜は朝早いから直ぐに寝るし。でも、文字が難しいって事は無いのよ? 村には文字が読めない子も多いけど私は大丈夫。トムさんの奥さんのジャシーさんから偶にお勉強を教えて貰っているし、必要だからって計算も頑張って覚えている。将来は全部自分でするだけじゃなくって私みたいな子供の手助けをしてあげられたら素敵だと思うわ。

 

「……あら? 誰か来たみたい」

 

 外からゲルドバの鳴き声が聞こえて来る。最近は近くの村に悪い人達が出て野菜や家畜を盗むって聞いたしジャッド以外の村の人には強く吠えないでって教えてあるからジャッドが悪戯に来たのかしら? 偶に重い物を運んでくれたりするけど、私の方が力が強いから邪魔だし今は運ぶ物が無いのだから彼だったら悪戯ね!

 

「こらー! また全身を羊の糞だらけに……あれ?」

 

 肥料を積んだ台車を持ち上げてゲルドバが鳴いていた方に走り出すけど、其処に居たのは別の人。見慣れない人達だけどゲルドバは尻尾を振って周囲を駆け回っているわ。あの子が知らない人達に懐くなんて珍しい。……あっ! 台車を持ち上げて大声を出す姿を初対面の人に見られるなんて恥ずかしい。その場に台車を下ろした私は恥ずかしくって顔から火が出そうになりながらお客様に視線を向けたの。

 

「おやおや、これは怖い。洗濯が大変だから羊の糞は勘弁して欲しいですね」

 

 白いフードを着た二十歳位の優しそうなお兄さん。黒髪でこの辺じゃ目にしない顔立ちはお母さんに似ていたし、同じ世界の出身だと思う。直ぐ近くで真っ赤な本が浮かんでいるけど……魔本? この人、魔法使いかな?

 

「あの……何方ですか?」

 

 魔法使いの人達の多くは杖を使うし、村に住んでる魔法使いのお婆さんも杖だけど、魔本を使う魔法使いも居て、どちらかというと学者としての魔法使いに多いって聞いたことがある。勇者の伝説に登場する賢者様も魔本だったわ。

 

 そんな人がこんな田舎まで来るなんてビックリで私が困惑していると何やら口にするお兄さん。女神がどうとか旅行がどうとか独り言を言って少し変な人だと思っていたら連れのお姉さんに頭を叩かれていた。どうも考え事を口にする癖が有るみたい。

 

 お姉さんは同じ女の私でも見惚れる位に綺麗な人で、赤い髪が燃える炎みたいだわ。褐色の肌も綺麗でシミ一つ無く、どうしても肌が荒れてしまう私は憧れてしまった。そんな風に私が止まっている間もお兄さんは黙っていたんだけど、思い出した様に開いた口から出た言葉は予想もしない内容だった。

 

 

「やあ、お嬢さん。単刀直入に言おう。君こそが今回の勇者だ。私達は君の旅の手助けをすべくやって来た」

 

 ……勇者? 勇者ってあの世界を救う勇者様? 私が理解出来ないで固まってしまった時だった。お兄さん達目掛けて泥団子が投げつけられたの。

 

 

「其処の変な奴ら、ゲルダから離れろ」

 

 声がした方を見ればジャットが泥団子を投げた犯人で、その内の幾つかは私の方に飛んで来る。思わず目を瞑って腕で顔を庇うけど当たらなかったから力が足りなくて途中で落ちたのかと思ったらお兄さんが人差し指を向けた先の空中で止まっていたわ。さっき魔法の詠唱は聞こえなかったのに凄いわ。まるで物語に出てくる勇者様を導く賢者様みたい……。

 

「こらこら、初対面の人に泥団子を投げては駄目ですし、この子にも当たる所でした。どうせ投げるのならば……花にしましょう」

 

 お兄さんはジャッドを見てニコニコしながら指を鳴ら……そうとして三回目に漸く鳴ったと思ったら泥団子が綺麗なお花に変わっていたわ。そのまま花をリボンで束ねたお兄さんはお姉さんに花束を差し出した。

 

 

 

「美しい花は美しい貴女にこそ相応しい。もっとも、ありとあらゆる花も貴女の美しさの前では霞んでしまいますが」

 

「……馬鹿者め。人前で平気でその様な事を口にするな」

 

「貴女への賛美や愛を語るのに相応しく無い場など限られているでしょう?」

 

 見ている私の方が恥ずかしいし、ジャッドは口をあんぐり開けて間抜け面を晒しているのだけれど、お姉さんも口では咎めているけれど嬉しそうに花束を抱いている。さっきまで凛々しい感じの人だったけど、このお顔も素敵だって思えたわ。

 

「ああ、それとこれは出会いを祝しての挨拶代わりだよ、リトルレディ」

 

 差し出されたのは束ねなかった一輪の白いお花。受け取ったら甘い香りが漂って来て、私もお姉さんみたいに恥ずかしいけど笑ってしまう。男の人からお花を貰ったなんて初めてですもの。

 

「あの、ありがとうございます。えっと……あっ! 私ったらご挨拶もまだだったわ。ゲルダよ、お二人のお名前は?」

 

「さてさて、今後の事も有りますし、どこかゆっくり出来る場所で話しませんか?」

 

「だが、この子は見るからに仕事の途中だろう。良ければ私達が手伝うぞ」

 

「だ、駄目よ! 知らない人に手伝って貰うだなんて申し訳ないわ! もう直ぐランチの時間だから待っていて。お花のお礼にお茶をご馳走するから」

 

 自分の仕事は出来るだけ自分がしなくちゃ駄目だから私はお二人を待たせまいと急いで朝の仕事を終わらせに掛かる。横を通り過ぎる時にジェッドが何か言ってたけど無視しておくわ。知らない人に泥団子を投げつけるなんて後でトムさんに言いつけちゃうんだから!

 

 

 

 

「お待たせしたわね。それで私が勇者だって話だけど……」

 

 家に残っていた予備のカップを急いで取りに帰った私はお昼ご飯を広げながら二人にお茶を差し出した。本以外で私の趣味は紅茶を飲む事。お菓子を何ヶ月も我慢して買ったティーセットは私の宝物だわ。今日のお昼は白パンのサンドイッチにチーズ、野イチゴを乗せたサラダ。

 

(困ったわ。一人分しか用意してないのに……」

 

 お二人はお食事どうするのかしら? 流石に自分だけ食べるのは、私のそんな心中を察したのかお兄さんは今度は一回目で指を鳴らす。すると色々なお料理が現れたからビックリしちゃった。

 

 

「その魔法の使い方は辞めろ。無駄に格好を付けるから恥ずかしい目に遭うのだ」

 

「何時までも貴女に相応しくなれるなれる様に研鑽を忘れない。その一環なのですよ、これも。男の詰まらない意地として見逃して貰えませんか」

 

「確か私が一度誉めてやった方法だったか。……その様な真似をせずともお前は私に相応しいよ」

 

 あら、また二人の世界に入っちゃってるわね。それにしても本当に仲が良くって羨ましいわ。私も何時か素敵な恋人が欲しいわ。

 

「それでお二人のお話は未だかしら?」

 

 でも、見ていて恥ずかしいから先に進めて欲しいのだけど……正直言って予想は出来ているの。最近見る夢とお兄さんの言葉。後は物語の内容からして予想が出来るわ。只の夢で法螺話とは何故か思えないのは神様のお告げだったからね。でも、分かっていても猶予が欲しかった。でも、現実は非常なの。

 

 

 

「名乗るのが遅れましたね。私の名はキリュウ。初代勇者にして歴代勇者を導いて来た賢者です」

 

 ほら、やっぱり。でも、どうして私なのかしら? 歴代の勇者様はもっと年上でしょう? それを訊ねたけど賢者様は少し言いにくそうにして教えてくれた。勇者や仲間達を選出する術式に不具合が起きたって事を。

 

 

 

「不具合? 神様なら簡単に直せないの?」

 

「人が思う程に神は全知全能でもないのですよ。そして何より……いえ、止めておきましょう。それでどうしますか? 魔族を封印するには勇者が世界を回って淀みを浄化する必要が有りまして……」

 

 賢者様は優しいのね。きっと私が怖がったり両親から託された羊達の事を気にするって思っているのだわ。正直言って怖いし、代わって貰えるなら代わって欲しい。でも、きっと……。

 

 

 

 

 

 

「お力になれるなら頑張るわ、賢者様。私みたいな子供を増やさない為にも、大切な人達を守る為にも。それに女神様が一緒なら心強いわ」

 

「!?」

 

 あら、未だ名乗ってないのにって驚いてるわね。でも、賢者様が女神シルヴィア様の忠実な臣下だって伝わってるし、もしかしてって思ったのが正解だったのは驚きだわ。……夫婦だったのには更に驚きだったけど。

 

「では、お昼を食べ終わったらこれを渡しましょう。その者に最も適した武器へと姿を変え、所有者と共に成長する武器……名前は自分で付けて下さい。皆そうして来ました」

 

 そう言いながら賢者様は光り輝く球体を横に置くと料理の幾つかを乗せたお皿を私に差し出してくれた。私に相応しい武器ってどんなのかしら……。

 

 

「素敵な武器だったら良いわ。綺麗なのか可愛いのが理想ね」

 

 この時、私はまさか自分の武器があんなのになるだなんて予想すらしていなかった……。

 

 

 

 

 

「親分、次の獲物はあの村ですかい?」

 

「ああ、小さい村だから金目の物は少ないだろうが、あの変態貴族が羊飼いの嬢ちゃんを飼いたいって言ってきてな。ったく、あんな野郎のペットにされるとか哀れだぜ。村を襲って嬢ちゃんを売り飛ばす俺達が言う事じゃないけどな。ぎゃはははは!」



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神と人

 神とは決している全能な訳ではない、そうゲルダに告げるキリュウだったが他にも伝えるべき事が有るだろうとは思うのだが、私は女神であって人ではない。人と共に旅をして、人であったキリュウと夫婦になって暮らす中で人の考えを理解し始めていると思うのだが、それでもキリュウが言わないのであれば私も口を噤もう。

 

 キリュウ、私の愛しい夫。お前はお前の意志を貫け。例え私がお前に影響された様にお前も私の影響を受け、不老不死となった事で思考が人から外れつつあるとしても、私がお前を肯定してやろう。女神の名の下に、お前が絶対に正しいと。

 

 

 

 

「あ、あの! それではやってみますね!」

 

 今回の勇者に選ばれたゲルダは目を輝かせながら勇者の武器となる光の玉を握り締める。少し話を聞いたのだが勇者の物語のファンらしい。……あの実際とは違う箇所が多い物語か。キリュウの旅の際に私が同名のエルフにされているから私は嫌いだ。別人じゃないか。

 

 彼女が持っているのは三代目に継承される前に磨耗と経年劣化によって勇者専用の剣が壊れてしまったから代わりの品を、とミリアス様に依頼されたキリュウが何日も掛けて作り出した品だ。

 

 ……夫婦になってから初めて体を重ね、互いに知識が薄いからと愛欲を司る姉上にご教授戴いた事によって快楽の味を知ってしまった私ではキリュウの体が空くのを待ち続けるのは本当に辛かった。反動で勇者に渡し終えるやいなやベッドに連れ込んで十日間犯し続けたのは今でも覚えている。

 

「……これから忙しくなる事だし、今夜は寝かさんぞ」

 

 思い出しただけで体が熱くなるのを感じ、キリュウの腕に自らの腕を絡ませる。私の言葉を聞いたゲルダは真っ赤になっているが、一体何故だ? 未だ十歳程度の少女が今の言葉で何を察したと言うのだろうか?

 

「まあ、最近の子供にはおませな子も居るという事でしょう」

 

「そうか。意味はよく分からんがお前の言葉なら正しいのだろう。……所で私達も早く子が欲しいものだ。確率は極めて低いが出来ぬ訳では無いらしいが」

 

「大丈夫。私も貴女に自分の子を孕んで貰いたいですから気長に頑張りましょう。何せ世界の終わりまで命が続く身だ。何度でも何度でも私は貴女を抱きますよ。私の愛しい女神様」

 

 肩に優しく手が添えられる。これだけで私は十分幸せなのだ。欲を言えば更に幸せになる方法が有るのだがな。肩だけでなく全身を触られ、首筋などにキスをされた時の幸せを思い出して恥ずかしくなった私はキリュウの胸に顔を押し付ける。これで照れ顔を見られなくて安心したが、頭をそっと抱き締められて顔から火が出そうだ。……人前だというのに馬鹿者め。お前など好きで好きで堪らんな!

 

 

 

 

 

(私はさっきから何を見せられているんだろう……)

 

 何故かゲルダが疲れ切った顔をしているな。羊飼いの仕事を一人でこなすには幼いからだろうが、無理をしているのなら後で私がマッサージをしてやろう。女神である私だがキリュウの為に練習して巧くなったのだ。何故か練習台になってくれた眷属神達は二度と練習に付き合ってくれなくなったからキリュウに頼んだら逆にマッサージをしてくれて体で覚えたんだ。

 

 

「さて、これがゲルダさんの武器ですね。随分と個性的な……」

 

「これは……」

 

 そんな風な事を考えていると玉が放つ光が一気に膨らみ、続いてゆっくりと収縮していく。光が消え去った時、ゲルダの手に握られていたのは巨大な鋏だった。

 

 

「いや、鋏は武器ではないだろう」

 

「ですよねっ!? 私、武器とか全然詳しくないから武器の一種なのかなって思ったんだけど、これって絶対武器じゃないよねっ!?」

 

 刃渡り九十センチ程で赤と青の刃で構成された巨大な鋏を手にしてゲルダは混乱している。まあ、勇者の武器だと言って渡された物が鋏になったのだから仕方がないのだが。

 

「いえ、間違い無く勇者の武器ですね。ちゃんと能力のスロットが存在しますから」

 

「賢者様、しっかりして!?」

 

「成る程、お前が武器だと言うのなら武器なのだろう」

 

「女神様まで!?」

 

 ゲルダは何故か納得していないが、作った本人が武器だと言うのだから間違いなく武器だろうに。それに世界ごとに決められた数の功績を積む事で特殊能力が与えられるというのは記録に残っているだろうに。剣が破損する前と整合性を付ける為に記録と記憶を改竄するのを手伝ったのだから間違い無いぞ。

 

「……そうですよね。こんな見た目でも凄い力が。それでこの鋏……の姿をした武器の名前ですけど……」

 

「六色世界を回って能力を付与しますし、丁度私の出身世界のアメリカという国の虹と同じ色なのでアメリカンレインボー(ばさみ)なんて如何で……」

 

「そうだな。丁度二つの刃が連結しているし、デュアルセイバー等はどうだろうか?」

 

「はい! この子の名前はデュアルセイバーにします!」

 

 ……いや、不服そうな顔をするな。幾らお前の言葉が正しいと言う私だが、今のは無いと言いたいぞ?

 

 

 

 

「アメリカンと言われても地球の事を知らない者には意味不明だろう」

 

「成る程っ!」

 

「……理解さえしていれば最高の名前だったのだがな。何せお前が考えた名前だ」

 

(本当に私は何を見せられているのでしょう……)

 

 どうもゲルダは本当に疲れているらしい。自らが勇者だと知るなど精神的な疲れが溜まっているのだろうな。……よし!

 

 

 

「安心しろ、ゲルダ。お前と共に旅をする筈だった仲間の代わりに神の力の大部分を封印するとはいえ武と豊穣の神である私と、初代勇者にして歴代勇者を導いたキリュウが共に旅をするのだ。大船に乗った気分で居ろ! まあ、勇者であるお前が活躍せねば封印の楔とならんから頑張っては貰うがな!」

 

 私はゲルダの肩に手を置いて励ましの言葉を投げ掛ける。ふふん! ちゃんと注意事項も伝えてやったから問題は無いだろう。因みに本来の仲間だが先月母親のお腹に宿ったのと杖が有れば歩けるが耳が遠くなった老人、そしてその老人の曾孫で掴まり立ちを覚えたばかりの幼児。……何故か伝えない方が良いとキリュウは言ったな。

 

 

 

 ああ、そう言えば絶対に正しいのだろうが、ゲルダには無理だと判断したら勇者の武器を渡す前に殺して異世界の同一存在を召喚しろとミリアス様が命じた事は何故伝えないのだろうか? 認められたと知れば嬉しいだろうに。

 

 

 ……うーむ。神と人は矢張り何かが違うのだな。違っていようが私のキリュウへの愛には影響せんがな。

 

 

「さて、名前は無事決まったが現在使える能力はどんなのだ?」

 

「そ、そうですよね! 見た目は兎も角として、能力が凄いなら……」

 

「相手に傷を付けず毛を綺麗に刈り落とす、です」

 

 キリュウの言葉を聞いたゲルダは期待した表情から一変、その場で固まって目の前で手を翳しても耳元で話し掛けても反応しない。相手を傷付けず命ではなく毛のみを奪う力か……。確か先代の仲間の一人が、こんな破壊の為の力なんて要らない! 、と言っていたらしいが、奴からすれば理想の力だろう。

 

 おや、漸く復活したか。動き出したゲルダは腹の底から叫び、その声は村の外まで轟いた。……少し五月蠅い。

 

 

 

 

 

「これ、勇者じゃなくって羊飼いの武器だっ!?」

 

 

 

 

 いや、お前は勇者だぞ? 矢張り未だ運命を受け入れるのが怖いのだな。まあ、無理はない。こんな長閑な村で生きてきたのだから。

 

「今はそれで良い。時間を使ってゆっくりと受け入れろ。自分が勇者だとな。……む?」

 

 

 私がゲルダに同情した時、村の外から不穏な空気を感じ取る。欲に支配された者共特有の魂。その悪意がこの村に向けられているらしい。

 

「おい、ちょっと出て来る。デュアルセイバーにはもう一つの能力が有るだろう? それを説明してやっていろ」

 

「お早いお帰りをお待ちしていますよ」

 

「私が愛する夫を待たせるとでも? ではっ!」

 

 地を踏み締め一足飛びに村の外に移動する。村が小さく見える程の距離に馬に乗った男達が居たのだが、私が突如現れた様に見えた事で驚いている。……詰まらん。急に現れた風に見えた時点で評価外だ 。

 

 

「いや、予想通りに終わるからラッキーか? 取り敢えず戻ったらお帰りのキスをして貰うとしよう」

 

 馬に乗った男達は全部で十人程。リーダーらしき男と同じ様に持っている武器は剣や弓だが、奥の一人は魔本を持っている。この中で私を一番警戒しているのは奴だな。リーダーも同じだが、魔法を使うだけに私が現れた方法が理解出来ないでいるらしい。

 

 

「親分、この女どうします? 結構高く売れそうですし……」

 

「馬鹿野郎! ……殺せ。生け捕りとか考えていたら死人が出るぞ。なあ、先生?」

 

「当然であるな。魔本か杖を隠し持っている様だが只者ではあるまい」

 

 おや、少しは修羅場を潜って来たのか、私に鬱陶しい視線を送る部下を怒鳴りつけたリーダーと魔法使いは此方が楽に勝てる相手ではないと分かるらしいな。この辺は、というかこの世界オレジナはイーリヤがちゃんと治安維持に力を入れているから別の世界からの流れ者か。

 

 だが、楽に勝てない、ではなく、絶対に勝てない、だと理解出来ない時点で落第だ。あの魔法使いも学者崩れだろうな。持っているのが杖でなくて魔本であり、発言から間違いなく野盗の類だと分かる一団の仲間だからな。

 

 杖と魔本の違いは出力と使える魔法の差だ。杖は魔法を使う際の出力が高く、所有者を選ばない。その反面、杖と相性の悪い魔法は不発に終わるか消費魔力が跳ね上がる。何か特定の魔法のみを使うか複数の杖を持ち運ぶでもしなければ多くの魔法を使えても意味がないだろう。それに多くの者に広く使われている魔法は兎も角、一から開発した魔法と相性の良い杖を見つけるのは至難の技だ。

 

 魔本は出力が杖に劣る上に使う魔法の魔法陣を自らページに描く必要が有る上に本人しか使えず、他人には白紙に見えるので写本も制作者しか使えない。その反面、書き込みさえしており力量が伴っていればどんな魔法でも使える。

 

 全体的に杖は戦いを生業にする者が、魔本は研究者が多く使っているだろうな。

 

「さて、一応聞くがお前達はあの村を襲いに行く盗賊の類……で良いのか?」

 

 実は私の勘違いで悪党っぽい台詞が好きなだけの旅人だったとしたら私は突如姿を現してまで何がしたかったのだとなるのだが。少し不安になった私は腕を組んで首を傾げたのだが、顔に向かって矢が放たれた。顔面すれすれを通り過ぎるのが分かっていたから避けなかったがな。

 

「危ないな。人間は顔に矢が刺さったら死にかねないと知らないのか?」

 

 私は女神なのであの程度の矢は刺さらないが、一応忠告してやろう。人が人を殺すのは大罪なのだからな。だが、私の善意も虚しく何故か怒りを買ったらしい。

 

「おい、俺達が『勇猛なる獅子団』と知って舐めた態度取ってやがるのか? 多少魔法に自信があるみてぇだが俺達を侮るならそのまま死んどけ!」

 

 いや、知らん。そんな感じの質問をしたと思うが人の話を聞かない奴だな

 

「今こそ伝説の賢者さえ上回る我輩の才をご覧じろ! 大地よ、我が呼びかけに応え哀れな生け贄に神の鉄槌を!」

 

 リーダーの怒りの叫びと同時に魔法使いが詠唱を始める。ふむ、興味深い。キリュウすら上回る才能を自称するのだから私が感じ取っている力は極一部だったのだろう。

 

 大地の一部が揺れ動き二メートル程の岩が私に迫ってくるが、何か続きが有るのだな。どうも勇者の仲間やら魔族の刺客やらしか目にしていないから在野の魔法使いの力が分からん。だから敢えて受けてみようと思うのだが……。

 

 

「ふはははは! 恐怖で身が竦み動けぬと見た! 尤も動けた所で我が魔力が続く限りは追尾するのだよ!」

 

 魔法使いの得意げな笑い声が響く。……成る程。大体分かった。私はその場から一歩も動かず、右手の人差し指をそっと差し出す。岩は私に真っ直ぐに向かって突き進み、指先に当たると同時に動きを止めた。

 

 

「わ、我輩の最強魔法が容易に止められただと!? 有り得ん、絶対に有り得ん事だっ!」。

 

「いや、指が貫通したり、私に激突して岩が砕けない様に衝撃を逃がすのは大変だったぞ? 容易と簡単に言ってくれるな」

 

 私の苦労も知らず、初対面にも関わらず唾を飛ばしながら指差して来られたら少し腹が立つ。このまま説得を続ける気だったが……気が変わった。

 

「えっと、確かキリュウは何と呼んでいたか……」

 

 指先ですくい上げて岩を宙に放り、私も地を蹴って岩に並ぶと地面に背を向けて思いっきり……ではなくて物凄ぉぉぉく手加減して蹴りを放つ。えっと、爪先がチョコッと当たる程度で……あっ、思い出した。

 

 

「おーばーへっどきぃっく」

 

 優しく当てた爪先は岩を砕き、細かい破片になって賊に降り注ぐ。逃げようと背を向ける動作を見せたけど背を向ける前に岩の欠片が命中して馬も人も地面に倒れ込んだ。

 

 

「おい、生きてるか?」

 

 一番近い所に倒れている一人を指でツンツンすれば呻き声が聞こえたので大丈夫だな、多分!

 

「後はどうすべきか……キリュウに任せるのが一番だな」

 

 適当に拘束して怪我を魔法で癒やす。おっと、魔本は回収しておこう。神にありがちな専門分野以外の無頓着さだが、私はそうでもないのだ。

 

 

 

 

「終わったぞ。そっちも終わったらしいな」

 

 縛り上げて一纏めにした賊を片手で担いでキリュウ達の元に戻ればゲルダが手にしたデュアルセイバーの大きさが普通の鋏程度にまで小さくなっている。

 

「大きさを自由に変えられるのか。相手の懐に潜り込んで元に戻せば串刺しに出来そうだな」

 

「あ、あの、女神様? もう少しお立場に似合った発言を……って、武を司る神様でしたね」

 

 ……どうもこの年頃の子供は理解出来ん。誉めてやったのに何故戸惑っているのやら。キリュウなら分かるな。だってキリュウだから。

 

 

「あの大きさだと目立ちますし、懐に忍ばせる事が出来るのは便利ですね」

 

「は、はい。有り難う御座います」

 

 ……いや、どうしてキリュウには素直に礼を言う? まさか私と仲が悪いと伝わる神の信仰者だったのだろうか……。牧羊の神は私の従属下に居るのだがな。

 

「……むぅ」

 

「むくれている貴女も素敵ですよ。どんな顔でも目にすれば幸福になれる。何時も私を幸せにして下さり感謝します」

 

「……ならば良い。後で私の頭を撫でさせてやる」

 

 どうせなら抱き締めながら耳元で囁けば良いものを。ベッドの中でちゃんと言い聞かせねばな……。

 

 

「さて、早速ですが準備の前に目的地を言っておきましょう。村から南西の方向にあるシュレイで勇者継承の儀を受けましょう」

 

 ああ、この世界の儀式の場所はあの町か。……どうも苦手なのだ、彼処は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……なにせキリュウに惚れていた聖女が作った町だが、何を間違ったのか同性愛に走って女同士の結婚を許可しているからなぁ。どうも理解出来ん。

 

 

 

 

 

 

「所で彼らは?」

 

「有料なる差し歯だ、だの何だの名乗っていたぞ。賊なのは確かだ」



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聖都

 私が両親に何度も読み聞かせて貰ったり仕事の合間を見付けて少しずつ読んでいる勇者様の物語には必ずと言って良い程に同じ名前の都市が出て来る。聖都シュレイ、初代勇者様に力を貸し、淡い恋心を抱いたって伝わる聖女シュレイ様によって作られた町。六色世界に同名の町が一つずつ存在する、通称六聖都。淀みの影響が最も少なくて勇者様が誕生する世界のシュレイが次の魔王の誕生まで聖都になるって本に書いていた。

 

「そのシュレイに向かうのですが、私が初代勇者だとは内密に。あくまで勇者を導く賢者として扱って下さい」

 

 賢者様は屈んで私と視線を合わせると人差し指を口元に当てて秘密だと動作で示す。この方、三百年以上生きているけどお爺さんみたいな性格じゃないんだな。うーん。神様と一緒に暮らしていたらこうなるのかも。

 

「え? どうしてですか? 賢者様が初代勇者様だって知ったら皆安心するのに……」

 

 思えばとっても不思議な事だよね。今まで賢者様が初代勇者様だなんて言い伝えは聞いたことも無いし、魔王を倒した事が有るんだから偶に力を貸すだけじゃなくって仲間として力を貸したら良いのに。それに私みたいな子供が勇者だなんて聞かされたら絶対不安になるよね?

 

 私は賢者様のお願いに戸惑い、初代勇者様だって事を知らせるべきだって主張しようとしたんだけど、賢者様は困り顔で肩を竦める。えっと、何か変な事を言っちゃったのかな?

 

「その場合、ゲルダさんの活躍じゃなくて初代勇者の功績だって思われちゃうのですよ。勇者が世界を人助けを続けながら旅をする事で封印が発動するので旅の主役は嘗ての英雄ではなくて未熟ながら成長中の勇者の活躍だと民衆に認識させる必要が有りましてね。……正直、魔王を倒せば良いだけなら私が転移で城に乗り込んで魔法で吹き飛ばせば数秒で済みますし、シルヴィアと過ごす時間の為にもそっちの方が良いです。でも、封印しないと次の世界に淀みが移って新たな魔王が誕生するだけなので」

 

「そ、そうですか……」

 

「それに勇者に取り入って仲間になれば褒美で自分も不老不死になれるかも、そんな考えの者が逆に足を引っ張る可能性も有りますしね。無闇に混乱を招くのは宜しくないでしょう?」

 

 世界を危機に陥れる魔王相手に楽勝だと言わんばかりの賢者様には驚かされた。でも、魔王を倒した勇者様がずっと頑張って来たんだからその位強くても当然だよね。寧ろ私が活躍しなくちゃ駄目っていっても賢者様が仲間なんだから凄く心強いよ。……私が活躍かぁ。

 

 正直言って自信無いよ。羊飼いの仕事は体力が必要だし、狼とかなら追い払って来た。思えばジャッドが狼に襲われそうになっていた時に助けてあげてから意地悪する回数が増えたよね。一匹だけとはいえ命の恩人に失礼だよ、まったくさ。お漏らししたのを見ちゃったから私が嫌いになったんだよ、きっと。

 

 それはそうとして私はちゃんと戦いの訓練を受けた事も無いし、世界の命運を背負うだなんて不安に圧し潰れそう。きっと顔に出てたんだね。私の頭に賢者様の手が置かれて優しく撫でられた。

 

 

「大丈夫、私とシルヴィアが共に居ます。それに勇者だと告げられて逃げる道を選ぼうとしなかった貴女は強い。少なくとも右も左も分からず犬とさえ戦った事の無い当時の私よりもずっと……」

 

 頭に触れる手は暖かくてお父さんを思い出す。そっか、私だけで背負うんじゃないんだよね。賢者様と女神様のお二人が居てくれるんだもん、大丈夫だよ。私は心に重くのし掛かった不安が消えて行くのを感じていた。でも、ちょっと直ぐに立ち直るのは惜しかったかも。だって賢者様撫でてくれるのは気持ち良かったもん。心がポカポカして、もう少し撫でていて欲しかったと思う。

 

 

 

 

「ああ、貴女を撫でる事が出来るなど私は本当に幸福です。もっと撫でても?」

 

「お前に撫でて貰える私の方が幸せだ。……肩も抱き寄せろ」

 

 ……見ない事にしていたのですが、私を撫でている間も片方の手で女神様を撫でていて、満更でもないって顔だった女神様は賢者様に抱き寄せられて凄くご機嫌です。賢者様も本当に幸せそう。私を励ます傍らでこんな事をするとか神様に近付き過ぎたらこうなるのでしょうか? ……私にも影響が出ないか少し不安になって来た。

 

 あっ、優良なる差し歯って名乗っていた盗賊の人達は縛った状態でトムさん達が見張ってるよ。魔法使いの人は杖や魔本が無くっても魔法は使えるからその辺の布を噛ませているんだけど、あれってトムさんの所の牛舎の雑巾だったんじゃ……。

 

 そんな事を考えていたら大切な事に気が付いた。私、綺麗な服って持ってない! 仕事が仕事なだけに丈夫で動きやすい服は有るけど、聖都に勇者として行くのに相応しい服は無かったわ。体が羊臭いのはお風呂に入れば大丈夫だろうけど、どうしようかしら?

 

 

 

「あの、賢者様、女神様。私、大切な儀式に相応しい服なんて持ってないの。どうしたら良いかしら?」

 

 子供なだけでも疑わしいのに羊臭さが染み込んだツナギなんて着て行ったら誰も勇者だと信じてくれないわよね。武器だって鋏だし。笑い物になったら賢者様や女神様まで把持を掻かせちゃうし、そんなの絶対に駄目よ。でも、新しいのを買うお金なんて私には無いし……。

 

「大丈夫。私に任せなさい」

 

 綺麗な服を着た人達の前に汚れた服で現れて大笑いされる姿を思い浮かべたら不安が押し寄せて来て顔が真っ赤になる。でも次の瞬間、賢者様の指先から光の帯が飛び出して私を包んだかと思うと私の体からお花の甘い香りがして、服も絵本のお姫様が着るみたいな真っ白なドレスに変わっていたの。

 

「凄い、凄いわ! とっても素敵。賢者様、有り難う!」

 

 スカートの端を摘まんでその場で一回転。とっても触り心地が良い布で作られていて羽みたいに軽いわ、このドレス。これならお城の舞踏会にも出れそうね! 流石賢者様、詠唱もせずに素晴らしい魔法だわ。

 

「いえいえ、構いませんよ。ああ、どうせなら好きな男の子にでも見せに行きますか? とっても似合っていますよ、その姿」

 

 

 

「うーん。この村には好きな子は居ないの。ジャッドは私が嫌いだから意地悪ばかりするから私も大嫌いだし、他の男の子は私入り小さいかずっと年上なの」

 

「おや、それは残念。恋は良いですよ、恋は。私の初恋はシルヴィアなのですが、初めて会った時に雷が落ちた感覚でして。まあ、その想いは旅を共にする事で更に強くなり、今も日に日に強くなっているのです」

 

「甘いな。私など秒単位でお前への愛が増しているぞ」

 

 本当にこのドレスは素敵だわ。賢者様達みたいに人前で平気でイチャイチャするみたいになるのは絶対に嫌だけど、私もこんな凄い魔法を使える様になるのかしら? だったらとっても素敵なのだけど。……あっ、キスしている。

 

 

 

 

 賢者様が召喚した大きな獣さんに乗って目的地まで来たのだけど、私はつい目を輝かしちゃったわ。

 

「凄いわ、素敵だわ! 此処がシュレイなのね!」

 

 大きな市場がある町にまで連れて行って貰うことは有るけれど私がシュレイに来るのはこれが初めてなの。村でも成人した都市に受ける儀式だってその町の教会で受ける人ばっかりだから市場の人から話に聞いていたのだけど、想像よりずっと素敵でついつい声が出ちゃう。クスクスと笑い声が聞こえたから恥ずかしくなって俯いたけど、目は街並みに向けたままだった。

 

 町の至る所に花壇があって、向こうの方には大きな噴水まで。水がハートの形に噴き出す仕掛けなのだけど、その中心には愛の女神イシュリア様の像が建っているわ。確かシルヴィア様とは姉妹だけど仲が悪いって伝わっていて、聖都では最高神のミリアス様の次に奉られてるのよね? うーん。賢者様が勇者だった頃に失恋したのと関係しているのかしら? でも聖女様だし、何か深い理由があるのよ、きっと。

 

 それにしても行き交う女の人達はお洒落ね。私も服は負けていないのだけど、クシャクシャの癖毛はどうにもならないわ。皆、ストレートだったりロールだったり髪型まで力を入れているもの。帽子もおねだりしたら駄目だったかしら?

 

「おや、姉上の像が新しくなっているな。実際はもう少し胸が大きいし、露出も多いぞ。それにもっと美人だ」

 

 女神様は少し不満そうだけど、仲の悪いお姉さんの像があった事じゃなくて出来映えに不満があるって様子ね。嫌っているって間違いなのかしら?

 

「……えっと、女神様……シルヴィア様はイシュリア様と仲が悪いって聞いていたのだけど違ったのですか?」

 

「うん? 仲ならすこぶる良いぞ。キリュウとの夜の生活について相談したしな。まあ、姉妹喧嘩だってするし、神なら百年単位で続く。それが変に伝わったのだろう。……偶に私のキリュウを誘惑しに来るのは許せんが相手にされていないので喧嘩には発展せんしな」

 

 ほへ~。神話やら伝説と現実の違いをまさか女神様から教わるとは思わなかったわ。じゃあ、清廉潔白にして勇猛果敢な剣聖王イーリヤ様についても何か伝説との違いはあるのかしら? 一度あの方が主役の演劇を本を我慢して観に行った事があるのだけど素晴らしかったわ。

 

「それにしてもこの町の人達って仲が良いのね……」

 

 周囲を見れば女の人同士で手を繋いだり何か美味しそうなお菓子を食べさせあったりしているわ。あわわわっ!?今の人達、女の人同士でキスしてたっ!?

 

「ゲルダは知らなかったか。他の場所では奇異に見られる同性愛だが、シュレイでは女同士の恋が普通とされているのだ。聖女自体が同性愛者になったから、加護さえ有るとされている。姉上を崇めているのも奴の方針だ」

 

 ……うーん。女神様、ちょっと棘がある口調だわ。聖女様が賢者様に恋をしていたって言うのは劇に使われる脚色だって噂だったけど本当だったみたいね。じゃあイシュリア様が奉られているのって……。

 

 

「あ、あれ何かしらっ!? えっと、お財布お財布……」

 

 向こうに何か美味しそうなお菓子の屋台があったのを見付けてバックの中を漁る。決して頭を過ぎった事は関係していないし、そもそも勘違いよ。だって聖女様が恋敵への恨みで敵対している女神様を崇めたりする訳ないもの。それよりも魚の形をしたパンケーキみたいなのが気になるわ。えっと、中身は粒餡とカスタードクリームの二種類で名前はタイヤキ? 初代勇者伝来って書いてあるけど、結構嘘が多い宣伝文句だからどうなのかしら……?

 

 

「……尻尾まで詰まっているのですか。私はカリカリの尻尾が好きなのですけどね。自分で魔法を使って作るとどうも同じ味になってしまいますし……」

 

 あら、本当みたい。甘い中身が沢山ある方が美味しいと思うのだけど賢者様は違うのね。ちょっと賢者様の方を見て道の真ん中で立ち止まっていた私だけど向こうの方、一番大きい教会からやって来る行列を見て慌てて横に下がる。見れば周囲の人も道の左右に割れてお祈りのポーズを取っているわ。あの先頭のお姉さんは偉い方なのね。

 

 鎧を着たお姉さん達に護衛をされて、シスターを後ろに引き連れているのは十五歳位のお姉さんなのだけど、宝石の付いた杖を持って金糸の刺繍がされた服を着ているわ。目も髪も吸い込まれそうな青空の色でとても綺麗。私のこんな風になりたいなって思っていたら周りの人の声が聞こえてきたの。

 

 

「シュレイ様、相変わらずお美しい」

 

「シュレイ様がどうしてこの時間に? 町を回る時間ではないのだけど……」

 

 あっ! 随分と偉い方だと思ったら聖女様なのね。正式に聖女となった時に町と同じシュレイの名を名乗るっていう。私が慌ててお祈りのポーズを取る中、聖女様は迷わずある方向、賢者様達の方に向かって行った。も、もしかしてお祈りをしていないからって怒られるのかしらっ!?

 

「こら! 急に飛び出すな」

 

 私は慌てて止めようとするけど後ろから警護のお姉さんに抱き上げられて手足をジタバタ動かすだけ。その間にも聖女様は賢者様と女神様に近寄って……あら? お辞儀をしているわ。

 

 

「お久しぶりです、賢者様。そろそろ来られる時期だと思っていましたが、来られたとの連絡を受けて慌てて参ったのですよ」

 

「元気そうで何よりですね、アミリー。あのお転婆娘が立派になりました」

 

「……もう。あの頃の私については言わないで下さい。……それと私はもうアミリーではなく、聖女シュレイですから」

 

 あれれ? どうもお知り合いだったみたいね。まあ、勇者を導く賢者様と勇者を引き継ぐ儀式を執り行う聖女様がお知り合いでも変な話ではないのだけれども。でも、最初は嬉しそうに見えたのに最後は少し寂しそうね。

 

「賢者様、積もる話は有りますが今の私は聖女シュレイ、なすべき事と取るべき態度があるのです。どうか職務を全うさせてください。……貴女が今回の勇者様ですね。どうぞ宜しくお願いします」

 

 聖女様はそう言って賢者様の隣の女神様に……ではなく、護衛のお姉さんに抱っこされたままの私に手を差し出した。流石は聖女様なのだわ。

 

 

 

「あの子が勇者?」

 

「まだ子供じゃないの」

 

「おいおい、大丈夫か……」

 

 ああ、矢っ張り不安の声が聞こえてくるわ。ヒソヒソ囁く人達の顔には不安が現れている。私だって自分と同じ年齢の子供が勇者だ、世界の命運を背負っている、そんな風に呼ばれていても不安になるだけだわ。

 

 

「皆さん、お静かに。最高神ミリアス様の決定なのですから、必ずや彼女は世界を救う事でしょう。それは私が保証いたします」

 

 だから私が不安になった時、澄んだ声が響いた。聖女様の声だ。決して大きい訳でもないのに周囲に広がって、それだけで誰もが黙った。何だか癒される声で、聞くだけで安心してきたわ。これが聖女に選ばれた理由なのね。胸に手を当てて真摯に告げる聖女様に皆さんも不安が取り除かれたって顔をしているわね。

 

 護衛のお姉さんも私を降ろしてくれて、聖女様は私に目の高さを合わしながら手を差し出した。私も慌てて手を取ったのだけど、聖女様の手は私と違って柔らかくてスベスベで、荒れている上に少し固くなっている私の手が恥ずかしくなってしまったの。

 

 

「素敵な手ですね。働き者の手です。勇者様、お名前は? 私はシュレイです」

 

「ゲ、ゲルダでしゅ……」

 

 か、噛んじゃった。でも、手を誉めて貰って凄く嬉しかったなぁ……。

 

 

 

 

 

「では、早速参りましょう。勇者継承の儀の準備は整っています。……賢者様はご遠慮頂くとして、えっと……勇者様のお仲間に選ばれた方ですよね?」

 

「ああ、その通り。名はシルという。生憎不調法者でな。礼儀がなっていないのは許してくれ」

 

 あっ、流石に女神の力を隠すだけでなく立場も隠すのね。力は世界への影響を考えて、立場は信者が集まるのを防ぐ為かしら?

 

 

「いえ、世界を守る戦いをなさる方に五月蠅い事は言いません。何せ危険な戦いを押しつけるのですから。では、シルさんもご一緒に」

 

 こうして聖女様に誘われて私と女神様は一番大きな建物へと向かって行く。まさかこの先であんな試練が待ち受けているなんて知る由も無かったわ……。

 

 




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勇者継承の儀 上

 聖女様に連れられて初めて入った大神殿。普通は入らせて貰えない奥まで通された私は聖女様と別れて部屋に通されていた。部屋の中央には地下へと続く階段があって、その横に神官のお姉さん、それとアレは……。

 

「脱衣かごだよね? あの、此処で服を脱ぐのですか?」

 

「はい、その通りです、勇者様。服を脱いだ後、この階段で儀式の間へと向かって頂きます。この先には聖女様しか居ませんからご安心を」

 

 ……あー、成る程。だから賢者様は連れて来なかったんだ。幾ら実年齢が三百才を越えていても裸を見られたら恥ずかしいもの。あれ? あれれ?

 

「あの、この儀式って伝統……ですよね?」

 

「はい。初代勇者様の頃から続く神聖な儀式だと伝わっています」

 

 これまで勇者は三人居て、皆さん全員男の人で、此処で裸になるって事は……。思わず思い浮かべちゃった光景を頭をブンブン動かして振り払うんだけど顔が熱い。うぅ、私ってエッチなのかな?

 

 取り敢えず私の妄想は伝わっていないっぽいから急いで服を脱ごうとするんだけど、着慣れないドレスだからか脱ぐのも一苦労で、女神様に手伝って貰って漸く脱げた。儀式の段階でこれじゃあ勇者として先が思いやられるよ。きっと私以外の人達は上手くやったに決まっているのに……。

 

(……うーん。全然変わらない)

 

 私の家には手鏡はあるけど、こうして自分の全身が映った鏡みたいに大きなのは無いんだけど逆にそれが現実から目を逸らす事の役に立っていた。ペタペタと代わり映えのしない胸を触り少し落ち込む。同年代の子より確実に小さいよね。

 

「どうかしましたか?」

 

「い、いえ、何でもないです!」

 

 あ~あ、儀式の前に何やってるんだろ、私。もっと真剣に取り組むべきなのにさ。心配した様子で話しかけてくるお姉さんを誤魔化し、私は階段を下りる。女神様も後ろから来たんだけど、少し興味深そうにしていた。

 

「話には聞いていたが、こんな風になっているのだな。他の世界でも似た作りにしているそうだが……」

 

「女神様は賢者様の時にご一緒しなかったのですか?」

 

「まあな。あの頃の私はキリュウに罪悪感こそあれど恋心は抱いていなかった。だから同行者は一人だけという話だったし、興味があるから見てみたいと主張したナターシャに譲ったのだ」

 

「ナターシャ様! 貧しい子供達が教育を受けられる様に尽力した教育福祉の母ですね!」

 

 ナターシャ様の活動が始まりで創設された団体の活動で識字率が大幅に上がったっていうのは有名な話だし、学校にナターシャ様の石像が有るのは珍しくないって聞いている。ふへぇ~。儀式が見たいとか勉強熱心だったんだ。

 

 歴代の勇者様とは別に女として憧れた英雄のエピソードに私はワクワクして来た。きっと一緒に旅をした仲間だからこそ知っている意外な一面とか有るんだろうなぁ。

 

 

(儀式では脱ぐからな。……むぅ。あの頃とはいえキリュウの裸を見たのだな、奴は。詳しい事は聞かされなかったし儀式の内容は秘匿されているから知らなかったが……少しムカつくな」

 

 あれ? 女神様少し不機嫌な様子だけどどうしたんだろ? ちょっと怖いと思いつつも壁に備え付けられた灯りを頼りに進むと階段の終わりが見えて、青い光が向こうの方から射し込んでいた。

 

 

「綺麗……」

 

 階段の先は広い石室になっていて、どうしてか淡く青い光に満ちている。中央には澄み切った水が蓄えられていて、其処に腰まで浸かった聖女様が居た。青い髪も瞳のせいか、この空間ではまるで水の女神様みたいで、よく見れば体に青く光る紋様が有る。とても神秘的な光景に見取れて呟いてしまった私に対して聖女様は笑みを浮かべながら手招きし、自分も水の入った場所の縁まで近寄って来たわ。

 

「勇者様、此方に。儀式を始めましょう……と言いたい所ですけど、力が満ちるまで時間があります。座ってお話をしましょうか」

 

聖女様は手招きして自分の横に座る様に促して来たけど、一体どんな話をする事になるのかを思うと気が重くなる。きっと勇者としての信念とか選ばれた誇りとか難しい事を話して欲しいんだろうと思うと……。

 

 

 

 

 

「へぇ! 羊のチーズですか。話には聞いていましたけど食べた事は無いですね」

 

「まあ、ウチの村でも少ししか出荷していませんし、牛乳のチーズの方が人気が有りますから……」

 

 意外な事に勇者のゲルダではなくて、羊飼いのゲルダの話を聞きたがった聖女様に私は仕事の内容や大変な事、どんな物語が好きなのかを語り、聖女様はそれを興味深そうに反応している。矢っ張り聖女様は外の話が気になるのでしょうか?

 

「あっ! 今、私を世間知らずの箱入り娘って思いませんでした? 私、これでも聖女に選ばれる前は行商人の娘だったのですよ」

 

「そ、そうだったのですかっ!? 聖女様ってずっと教会で暮らしてたのとばかり……」

 

 思った事を見抜かれたのもそうだけど、まさか聖女様が一般家庭の出身だったなんて。幼い頃から教会で教育をされてたと思ってたんだけど。

 

「ええ、そうなのですよ。この体の紋様が急に出たと思ったら聖女に選ばれたとかで教会に引き取られて、それから聖女になる為のお勉強やらで大変だったのですよ! 聖女らしくしなさいとか今までの私を否定する人ばっかりで……」

 

 ……ああ、そっか。私は自分は急に勇者に選ばれただけの一般人で、聖女様は特別な存在だと思ってたけど間違いだったんだ。あくまで役目が決まってただけで、ちゃんと個人としての人生があって、自分と周囲が求める理想の違いに苦しんでいて……。

 

 

「でも、偶に顔を見せてくれる賢者様が教えてくれました。役目は大切だけど、自分を押し殺す必要は無いんだって。息抜きの仕方とか、本当の自分を見せられる相手の見抜き方だとか、遊びに抜け出すコツとか……最後のは秘密ですよ?」

 

 聖女様は人差し指を唇に当てて微笑む。賢者様について話す姿は本当に楽しそうで、きっと聖女様にとって特別な存在なんだろうって思えたわ。

 

「そうそう、聖女といえば純潔を守る、つまり男の人と結婚したら駄目なのですよ。女の人同士なら構わないのですが、私にはそっちの趣味は無くて。……なのに言い寄ってくる子が多いのが頭痛の種ね」

 

「でも確か世界を救った勇者なら結婚しても……あっ! お、女の子でごめんなさい」

 

「構いませんよ。勇者だからって素敵な殿方とは限りませんし。それより貴女も世界を救った後は大変ですよ? 文献に記されている限りじゃ求婚が絶えなかったそうですから、今まで。まあ、貴女が男の人でも初恋の相手と比べちゃうから私は絶対結婚しなかったでしょうね」

 

 それから夜に抜け出した先で発見した美味しい屋台の情報を幾つか教えて貰って、良い機会だからって愚痴に付き合ってあげていたら出るわ出るわ。聖女様って大変なのね。気軽に欠伸も二度寝も出来ないらしいわ。本来起きる時間より早く起きた時にもう一度寝るのって最高なのに。所で世界を救った勇者が見劣りする初恋の相手って……ううん、これ以上は駄目ね。

 

「……」

 

 女神様は何かを察してかずっと黙ったままだし、話題を振っても適当な返事ばかりで会話にならなかったのだけど、察した内容が理由なのね。

 

「あれ? 聖女様、体の紋様が……」

 

 お話に夢中で気が付かなかったのだけど、聖女様の体の紋様が顔にまで達していたの。私がそれを教えると聖女様は水に映った姿を確認して立ち上がったわ。

 

「あら、もう時間みたいですね。では、此方に……」

 

 ついさっきまで普通のお姉さんの顔だった聖女様は聖女様の顔に戻って私の手を引く。水は私の胸の辺りまで有るから泳ぎが苦手な私は急に深くなっていないか恐る恐る進んで、丁度中央で立ち止まると聖女様は私と向かい合って立ち、頬に手を添えたの。そして……。

 

 

「世界の命運を背負いし勇者に祝福有れ。その旅路に幸有らん事を」

 

「ふぇっ!?」

 

 聖女様の顔が私に近付いて柔らかい唇が額に触れる。何が起きたのか理解出来ないまま固まっていると聖女の紋様が光り輝いて唇が触れた場所から暖かい物が入って全身を駆け巡った。

 

「あ、あれ……? 何か変な感じが……」

 

 それが凄く心地良くて、意識がポワポワしたと思ったら遠退いて視界が暗転して……気が付いたら知らない森の中に立っていた。

 

 

 

「此処……何処? それに服が……」

 

 周囲は木が茂っているけど私が立っている周囲と遠くに見える山へと続く方向は開けた道になっていて、園山の頂上は青く輝いている。何故だか知らないけれど彼処に行かなくちゃ駄目な気がした。

 

 それにさっきまで服を脱いでいたけど今は何時ものツナギ姿。出来れば賢者様が出してくれたドレスが良かったと思うけど、森や山を進むならこっちの方が良いのかな? 背中に違和感が有るから手を伸ばしてみたら預けた筈のデュアルセイバー。……あれ? これって勇者の試練? もしかして私、今から戦いながら進むんじゃ……。

 

 

「ど、どうしよう!? 狼くらいなら追い払った事が有るけどモンスターが出て来たら……」

 

 勇者様の冒険を描いた物語が好きなだけに嫌な予感が止まらない。尻尾の毛が逆立って耳がピーンとなった時、目の前の茂みがガサガサと音を立てる。

 

「だ、誰っ!? ……って、猫?」

 

 ビックリしちゃってデュアルセイバーを構えた私は震えながら叫ぶんだけど、茂みから顔を覗かせたのは可愛い子猫だった。空に浮かぶ雲みたいに真っ白で、私に興味を持った様な瞳を向けて喉をゴロゴロと鳴らす。

 

「も、もう。ビックリさせないでよ……」

 

「ニャー」

 

「ほら、おいで。少し遊ぼう」

 

 安心したら力が抜けてお腹も減っちゃった。甘える声が可愛くて、こんな猫ちゃんを警戒した自分が恥ずかしくて誤魔化す為に猫ちゃんを呼ぶ。腰を落としてデュアルセイバーを横に置いて手招きをしたら出て来たわ。

 

 

「……前言撤回。来ないで欲しかった」

 

「ニャー?」

 

 顔も声も可愛い猫ちゃん、但し茂みに隠れていた胴体は白い毛に覆われた大蛇。紛れもなくモンスター、魔族の影響を受けた存在で、私に向けていた興味は餌としての興味だった。……あっ、口の中は蛇だ。全然可愛くない。

 

「えっと、確か賢者様が魔法を使える様にしてくれていて……」

 

 身をくねらせて私に近付いて来るモンスターに指先を向けて頭の中で『アナライズ』と唱える。すると即座に情報が入って来た。

 

『「スネークキティ』猫の顔と体毛を持つ蛇。動けなくした獲物を弄んだ後、数日掛けて生きたまま消化する』

 

 知りたくなかった情報がっ! って、飛び掛かって来たっ!

 

「え、えいっ!」

 

 牙を剥き出しにしながら向かって来たスネークキティにビックリした私は思わず目を瞑ってデュアルセイバーを振り下ろす。何かを砕く感触が手に伝わり、恐る恐る目を開けたら閉じた刃と少し凹んだ地面に挟まれて痙攣しているスネークキティの姿があった。

 

 頭が陥没して泡を吹いてて、切っ先で突っつくけど動く様子が無い。えっと、倒したんだよね?

 

 

「……取り敢えず先に進まないと」

 

 嫌な予感が的中しちゃったし、多分この先にもモンスターが現れると思うと少し怖くなる。……あと、猫が少し怖くなった。

 

 だけど勇者なのにって情けなく思う必要は無いよね? だって聖女様も普通の女の子だった頃が有ったのだから。私も今は普通の羊飼いの女の子だけど、何時か勇者に相応しいって誇れる自分になれば良い。一歩一歩確実に進んで行こう。

 

 

 

「もう半分くらいかぁ。……大変だったなぁ」

 

 横から飛び出して来るんじゃ、木の上から飛び降りて来るんじゃ、そんな風にビクビクしながら進んだんだけど本当に色々出て来た。

 

 全身の毛を針みたいに逆立てた球体になって転がって来るスピニングボールや積極的に餌を探す巨大食虫植物キラープラント、角が生えた熊のホーンベア。

 

「……これが勇者の力なのかな?」

 

 私の力自体は変わっていないけど、デュアルセイバーを握れば身体が自然に動く。操られている感じじゃなくって、まるで歩き方を覚えた子供が転ばずに歩けるみたいに、魚が直ぐに泳げるみたいに。

 

 まだまだ不安だけど少しだけ自信が湧いて来た……かな? 山はずっと遠くだし、油断は禁物だよね。自分に気を引き締めろって言い聞かせて進もうとした時、また茂みの向こうから何かが向かって来る。

 

「今度こそ普通に可愛いのが良いなぁ……無理だけど、きっと」

 

 こんな時こそ牧羊犬のゲルドバに癒されたい。私が寝坊しそうだと顔を舐めて起こしてくれて、寂しい時は傍に居てくれる大切な家族。無性に会いたいと思いながら構えていると相手が姿を現した。

 

 

 

 

「ピヨ!」

 

 黄色いフワフワの羽毛が生えた全長が馬くらいの巨大なヒヨコが現れた。殻から頭と脚を突き出して、黄色い嘴を上下させながら私をジッと見ている。お尻には長い蔓が繋がっていて何処かに伸びていた。えっと、植物系モンスターなの?

 

「……はぁ」

 

 いや、可愛いのが良いとは思ったけど、本当に出て来たら緊張感が台無しだよ。それにどうせ凶暴なんでしょう? 私は胸が締め付けられる可愛さの巨大ヒヨコに解析の魔法を使った。

 

 

 

 

『『豆ヒヨコ』ヒヨコの姿をした豆のモンスターであり、蔓で本体の木と繋がっている。有る程度成長すれば蔓が切れて地面に潜り、やがて木へと成長する。尚、小動物や虫系のモンスターを補食するが人間の子供が狙われる事もある』

 

「……うん、分かってた」

 

 予想はしていたけど、あの見た目で人間を狙う凶暴なモンスターなのね、貴方。人を見た目で判断するなって教わったけど、モンスターも見た目で判断したら駄目だわ。多分私を食べようとしている豆ヒヨコに対し、私はデュアルセイバーを振り下ろした。

 

 

 

「……あれ?」

 

 手に伝わって来たのはモフモフとした柔らかい感触で、豆ヒヨコは攻撃が一切効いた様子が無い。も、もしかして羽毛で衝撃を吸収して……。

 

「ピヨー!」

 

「しまっ……きゃんっ!」

 

 攻撃が無効化された事への動揺で隙を晒した私に豆ヒヨコの蹴りが叩き込まれる。怒った羊の体当たりを受けた時以上の衝撃が腹部を襲い、私の足は地面から離れて後ろに飛んだ。背後には岩、ぶつかったら痛いじゃ済まないって分かる。

 

 

「はぁっ!」

 

 咄嗟に地面に鋏の切っ先を突き刺して勢いを殺しギリギリの所で岩に激突するのは防いだけど、羽毛が邪魔で攻撃が効かないんじゃどうやって倒せば良いんだろう? デュアルセイバーの刃は毛を刈る事にしか役に……あっ。

 

「うん、私って馬鹿。凄い馬鹿」

 

 痛みを堪えて前を向けば私を踏み潰す気なのか高く飛び上がった豆ヒヨコが向かって来る。私はデュアルセイバーの持ち手を両手で持ち、刃を広げて豆ヒヨコに向かって飛んだ。

 

 

 

「行くよー!!」

 

「ピヨー!!」

 

 叫び声が重なり、私と豆ヒヨコが空中で交差する。すれ違う瞬間、空中で体を捻った豆ヒヨコの脚が私の顔に向かうけど、鋏の刃を上から叩きつけて弾き、そのまま胴体を挟んで刃を閉じる。幻でも切ったみたいに通り抜け、互いに着地した。

 

 

 

「この勝負、私の勝ちよ」

 

 背後から毛が抜け落ちる音が聞こえ、振り向くと同時に走り出す。全身の羽毛が抜け去って無防備になった豆ヒヨコの体に向けてデュアルセイバーをフルスイングすれば私が蹴り飛ばされた時みたいに巨体が吹き飛び背後の岩に激突して動かなくなった。

 

 

「やった! やったやった!」

 

 少し強いモンスターに勝てたのが嬉しくて飛び跳ねて叫んでしまう。よーし! 後半分、この調子で頑張らないと!




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勇者継承の儀 下

「……やっと着いた。長かったなぁ」

 

 豆ヒヨコと戦った後も色々なモンスターに遭遇して、痛い思いもしたけどデュアルセイバーの扱いにも慣れて来た。手にしていると何となく分かる体の動かし方が馴染んで自分の物になって行く感覚。今は顔が有る上に根っこで移動する木に生っていた木の実で喉の渇きと空腹を満たしているんだけど、デュアルセイバーを手にしていなくても目の前の険しい山道をどう進めば良いのか分かった。

 

 此処までの道とは違って草一本生えていなくて岩がゴロゴロ転がっている荒れ地。足を一歩踏み外せば転がり落ちそうだけど不思議と不安は無い。ちょっとだけだけど自信が付いて来たのかな? 食べ終わった木の実を放り捨て、頬を両手で叩いた私は意を決して進み出した。

 

「よし! 男も女も度胸だよね!」

 

 岩に紛れて襲い掛かって来た岩の鱗を持つ蛇を小さくしたデュアルセイバーで弾き飛ばし、ほぼ直角の道を鋏の切っ先を地面に突き刺し這い蹲りながら進む。

 

「キュィイイイイイイ!」

 

 無防備な背中を狙って金属製の鋭い嘴を持つメタルイーグルが突撃して来たからデュアルセイバーを元の大きさに戻し、上に逃げる。勢い余ってデュアルセイバーの刃に衝突して止まった背中を踏み付け、地面から抜いたデュアルセイバーを頭に叩き込んだ。

 

「わわわっ!?」

 

 倒したのは良いんだけど足場が悪い所で暴れたせいで転びそうになる。背後の地面に向かってデュアルセイバーを大きくして何とか持ち直したけど危なかったぁ……。

 

「あ、後少し……」

 

 険しい道を何時間も掛けて進んで漸く山頂の様子が見えて来た。ううっ、尻尾が砂ですっかり汚れちゃって気持ち悪い。尻尾を左右に振って砂を振り払うんだけど毛の奥に残ちゃうし、帰ったら念入りに洗わないと。癖毛だからか髪の毛の奥にも入り込んで手でガシガシ掻き乱してたらボロボロ落ちて来た。

 

 遠くからでも見えていた光の元は巨大な門。開いた門の中央は空間が歪んでその中央が光っていたの。遠くからでも見えた光は此処からだと眩しいわね。でも、ずっと見ていたら目が慣れて門の直ぐ近くに居たモンスターの存在まで見えたのは最悪な気分。

 

「……正直言って気持ち悪い」

 

 えっと、アレってなんて生き物だっけ? 布の袋みたいなのから触手がウネウネ生えていて、ヤドカリにくっ付いているの。確か……イソギンチャク! そのイソギンチャクの三メートル位の巨大なのが門の前に陣取っている。胴体は赤黒くて触手は黄色と黒の斑模様の蛇。正直言って近付きたくもないんだけど仕方無いよね。

 

 

 

 

『『ゴーゴンキンチャク』数倍まで体が伸びる蛇の触手を持つ水陸両棲のモンスター。微量だが蛇の牙には毒が有る』

 

 知っておかないと駄目だけど知りたくなかった情報が入って来る。本当なら戦わないで済ませたいけど、多分あの門に入るのが此処から帰る方法だって思う。……何となくだけど。

 

「でも、アレを潜り抜けて門に入ったら……ううん、それは駄目。私は勇者だから、勇者にならなくちゃ駄目なんだから」

 

 きっと私は此処に強くなりに送り出された 。だから逃げちゃ駄目。デュアルセイバーを握り締め息を整える。

 

 私は蛇を周囲に伸ばして蠢いているゴーゴンキンチャクは周囲を飛んでいる虫を捕まえてたり、空の鳥に向かって伸ばしたり……あんなに伸びるのっ!? 数倍どころじゃないよっ! 遙か上空の鳥に掠めそうになった蛇を見て私は思わず声を出しそうになる。慌てて口を塞いで胴体に視線を戻した時、触手の一本が地面を這って何処かに伸びているのを見つけた。頭は何処だろ……っ!

 

 

 

「シャアッ!」

 

 背後から漂って来た蛇の臭いに気付いて横に飛ぶ。私が居た場所の地面に蛇の牙が突き立てられた。狼の獣人の血が入っていなかったら危なかったよ。有り難う、お父さん! 地面から牙を抜いて向かって来た蛇の頭にデュアルセイバーを振り下ろし後ろに跳べば他の蛇も次々に向かって来た。

 

「ああ、もう! 隠れていたのにどうして気が付いたのっ!? 蛇って鼻が良いのかなぁ……」

 

 元の大きさじゃ振るうのは大変だから半分位の大きさにして噛み付いて来る蛇を次々と弾いて行く。今まで倒したモンスターだったら一撃で倒せたのに蛇の鱗が固いのかダメージは有っても直ぐに戻って来るし、数が多すぎて対応が追い付かない。噛まれはしなかったけど胴体にぶつかって体勢が崩されて、尻餅を突く。直ぐに地面を転がって移動するけど一匹が足に絡み付いた。

 

「きゃっ!」

 

 蛇で一番怖いのは毒でも牙でもなく締め付け。デュアルセイバーで叩いても多分引き剥がせない。ギシギシと骨が軋んで凄く痛い上に他の蛇も向かって来ている。流石にアレ全部に噛まれたら拙い。私は咄嗟に足に巻き付いた蛇の頭を掴み、目玉に指を突き立てた。

 

「放してっ!」

 

「ギャッ!」

 

 両目を潰されたショックで絞めが緩んだ瞬間に胴体を掴んで無理に引き抜いて脱出する。向かって来た蛇に噛まれるのは防げたけど一匹の牙が肩を掠めた瞬間、焼け付く痛みが走った。痛い、痛いけど……我慢する!

 

 

 

「私は物語で憧れた勇者様に近付きたい! 此処で貴方を倒して私は憧れた勇者様に近付く!」

 

 向かって来た蛇を一纏めになぎ払い叫んだ時、急に蛇達が本体の元に戻っていく。蛇の首が絡み合って大きな塊になって私に向かって来た。その姿はまるで無骨なハンマー。散々殴られた報復とでも言いたいのかしら? デュアルセイバーで殴った時の感触からしてあの硬度と質量で殴られたら只じゃ済まないのだけど、毒が回って来たのかクラクラしてて避けながら本体に接近するのは難しいわ……。

 

 だったら、避けない! 正面から受け止める!

 

「せいっ!」

 

 デュアルセイバーの切っ先を地面に突き刺し、刃と持ち手を掴んで地面を踏みしめる。ガンって音と共に衝撃が伝わって倒れそうだし肩も痛いけど歯を食いしばって耐えきるのよ、私! 足が地面を削りながら後退したけど勢いは完全に殺し切って、蛇は本体に戻って行く。多分また同じ攻撃を仕掛ける気なのね。私が毒で満足に動けないって分かっているんだわ。

 

 

 

 

「だから……一緒に連れてって」

 

 引き戻される蛇に掴まって地面を蹴れば私の身体はゴーゴンキンチャクの本体に引き寄せられる。直ぐに気が付いて蛇の動きを止めたけど既に私の身体には引き寄せられた勢いが付いていて、手を離して前方に投げ出された私は着地の瞬間に地面を蹴って跳躍、デュアルセイバーを着地と同時にゴーゴンキンチャクの本体に振り下ろした。

 

 

「せやぁああああ!!」

 

 私の一撃を受けて本体が大きく陥没する。もしかしてと思ったけど蛇に比べて本体は柔らかい。でも、この一撃で倒せる程じゃない。なら、倒せるまで叩いて叩いて叩いて叩きまくるっ!!

 

「たぁあああああああああああああっ!!」

 

 兎に角フォームも気にせずに無我夢中で連撃を叩き込む。戻って来た蛇が背後から噛み付いて来ても堪えて動きを止めない。勇者ならこんな所で負けない、負ける筈がない! もう痛みと毒で頭が真っ白になる中、大振りの一撃を叩き込んだゴーゴンキンチャクの本体が潰れて蛇の動きが止まったのを感じた私はフラフラとよろめく様に門へと向かい、光に向かって倒れ込んで気を失った……。

 

 

 

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 目が覚めると神殿の地下の儀式を始めた場所で、私は裸だし怪我も痛みも嘘みたいに消えている。夢……じゃないよね?

 

 

 いや、それは違う。確かに今は痛みはないけれど、それでも私が感じた痛みも恐怖も、何より決意は本物だ。それだけは私自身が信じている。

 

「あの、聖女様……」

 

「先程までの戦いは本物だったか、ですね? 夢であったとも、本物であったとも言えます。貴女の意識だけを儀式によって作り出された空間に飛ばしたのですよ」

 

 あっ、だから持っていない筈の武器を持っていて着慣れた服を着てあの場所に居たんだと聖女様のお話を聞いて納得した。じゃあ次に気になったのは私は試練を突破したのかって事。

 

 正直言ってギリギリだったし、もしかしたら歴代の中で一番情けない評価かも、そんな不安が浮かんだ私に聖女様は微笑んで凄く喜んだ顔で撫でてくれた。

 

 

 

「まさか最後の敵まで倒してしまうなんて凄いですよ! 貴女は四代目ですが、同じく最後の敵を倒したのは初代だけと伝わっています。……貴女ならきっと大丈夫。世界を必ずや救うでしょう」

 

 ……え? 一瞬何を言われたのか分からなかった。私、勇者として誉められたの? 驚きと喜びが一緒にやって来て言葉も出ない。ただ、もう少し勇者としての自分を認めても良いんだと思えたの……。

 

 

「終わったか。では、私はキ……賢者に知らせに行こう。そろそろ飯の時間だしな」

 

 女神様の方を向けば壁に寄りかかって腕を組んで立っていた。えっと、欠伸をかみ殺しているけど寝てた……のかな? 一応重要な儀式の最中だったのだけど。……うん、神様だもの。

 

 私は改めて神様と人の違いを感じ取った。多分今後もこんな事が有るのね、きっと。

 

 って、今ご飯の時間と言ったかしら?

 

「え? もうそんな時間?」

 

 確かに森や山で結構時間を使ったけど、それは夢だから実際はそんなに経っていないと思ったのに。そういえばお腹も減ったし身体も冷え切っているから長い時間水の中に居たって分かる。

 

「あの、聖女様は大丈夫なのですか?」

 

「ええ! 聖女パワーで大丈夫です。……私の心配をしてくれるなんて優しい子ですね」

 

 聖女様は元気一杯だとポーズで示して、また私の頭を撫でてくれる。聖女様の身体も冷え切っているのに頭に乗った手は暖かくてお母さんを思い出した。

 

 ……そう言えばお母さんも聖女様みたいにちゃんとした教育を受けたみたいに思える時があったけど、お父さんと結婚する前の事は教えて貰ってなかったなぁ。

 

「……お母さんかぁ」

 

 どの世界かは知っているけど住んでいた地域もお母さんの家族の事も何も知らない。世界を救う旅の途中で知る事が有るかも知れない。知りたい様な知るのが怖い様な、そんな不思議な感覚がした。

 

 

「さて、そろそろ行きましょう。冷えはお肌の天敵らしいですからね。……頑張って私が綺麗な内に世界を救って下さいね? 勇者様でなくてもあの方相手な結婚は許されると思いますから。私、初恋を諦めたくないので」

 

 頬を赤く染めて恥ずかしそうに語る聖女様に私は何も言えなかった。この人の初恋の人が誰か何となく分かっていて、その人は既に結婚しているって言えない位に幸せそうに見えたから……。

 

 

 

 

 

 

 

「……賢者様、試練の事を教えて下さっても良かったと思いますよ? 私、本当に怖かったんですから」

 

 少し疲れているから暖炉で暖まりながらホットミルクを飲みながらも私は賢者様にジト目で見る。だって私はモンスターと戦うのは初めてだったのに急にあんな場所に送り出されたのだから文句の一つも言って良いと思うの。

 

「それを言うなら私だって何も知らなかったのですよ? 二代目だって三代目だって同じです。……おっと、貴女を責めている訳では無いですよ? もしかして怒ってます?」

 

 賢者様の説明を受けて何も知らずに挑むのも試練の一つだって理解はした。納得はしていないから少し怒っているけど。でも、この場には私よりも怒っている人が居る。

 

「……ふんっ! その理由は貴様が一番知っているだろう?」

 

 具体的に言うと怒っているのは女神様で、今居るのは賢者様のお膝の上。…えっと、怒っているのかな?

 

「えっと、もしかして儀式の事ですか?」

 

「ああ、エミリー達に裸を見せて額にキスまでさせた儀式のな! 向こうも裸だったな」

 

 ああ、嫉妬しているんだ、女神様。大好きな賢者様が自分より早く他の女の人に裸を見られて裸を見て、額にキスまでされて。だから怒っているのね。

 

 こ、これが修羅場? 初めて見るわ。少しドキドキして来たかも……。これからどうなるのだろうと私がハラハラする中、賢者様は困り顔で女神様を抱き締める。この時点で結末が予測出来たわ。

 

 

「……私が好きな相手は貴女だけです」

 

「馬鹿者、その程度当たり前だ。……ちょっと放せ」

 

 まさか女神様が賢者様のハグを不機嫌そうに振り払うなんて予想外だった。まだ出会って一日も経っていないけど少し呆れるくらいに仲が良い二人なのに。うーん。結婚前の出来事でも修羅場が起きるのね、ビックリしたわ。

 

 

 

 

 

 

「……膝に座るならこうして向かい合う方が良い。何をしている、早く抱き締めろ」

 

「仰せのままに、愛しき女神様」

 

「今夜は寝るな。私が徹底的に魅了して他の女の裸の記憶など消し去ってやる」

 

「もう魅了されて消え去っているのですが。……出会った頃より私の心は貴女に捧げていますから」

 

 結局二人は仲良しさんなのね。旅の途中もこれを見せられると思うと少し面倒なのだけど仕方ないわ。だって三百年以上も熱いままの関係なのだもの。

 

 キスをしている二人から目を逸らしながらもチラチラ見てしまう私ってオマセさんなのかしら? ちょっと自分が大人になった気がした私は、今日は勇者としてもレディとしても成長出来た素晴らしい日だと思ったの。

 

「失礼致します。お食事をお持ちしましたので入っても宜しいですか?」

 

「賢者様、女が…シルさん、お食事の時間だし、あの…その……」

 

 そんな時、ノックがされてご飯が運ばれて来たから私はお膝の上から降りた方が良いんじゃって言いたいけど恥ずかしくって言えない。でも、流石は賢者様。女神様に何か耳打ちしたら女神様は真っ赤になって膝から退いたの。どんな事を言ったのかしら?

 

「どうぞお入り下さい」

 

 あっ! そうだ、今はご飯だわ! 聖女様から聞いた屋台も気になるけど、今はご飯を食べましょう。えっと、メニューは……。

 

 

 

「ハンバーグにオムライス、プリンまで有るわ! サラダにはリンゴが入っているし最高ね!」

 

 可愛らしい絵柄のお皿に盛られたのは私の好物ばかり。どれから食べようか迷っちゃうわ! 全部作りたてで美味しそうだし、じっくり味わって食べなくちゃ。

 

「……って、いけない! ゴルドバの餌の時間だわ!」

 

「あの犬なら安心しろ。私の部下のダヴィルに羊の世話共々任せている。旅の途中も奴に羊を任せれば安心だろう」

 

 えっと、女神様の部下って事はダヴィルさん? も神様で……ダヴィル?

 

 

 

「えっと、もしかしてダヴィルって人は……神様?」

 

「ああ、牧羊を司る神だ。何か問題があったか? ならば他の者に任せるが……」

 

「いえいえいえっ!? 十分、十分です!」

 

 ……うーん。本当に今日は濃い一日ね。きっと驚く事はもう流石に明日以降だと思うけど。……旅かぁ。ダヴィル様に羊を任せるのなら安心だけど、見知らぬ土地に行くのは少し不安ね。

 

 

「それで賢者様、今日はもう帰って休むのですか?」

 

「ええ、出発は色々な意味で早い方が良いですし、明日は重要な準備をしようと思いまして。なのでちょっとお出掛けしましょうか」

 

 お出掛け? きっと旅に必要な物を買いに市場に行くのね。王都の市場ならきっと色々揃うし、行った事がないから少し見学してみたいわね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、明日はお城に行って旅の資金を貰いましょう。世界を救う旅の資金ですし、遠慮は要りません」

 

 ……前言撤回、また驚かされたわ。でも、確かこの辺りのお城って確か……。

 

 

 

 

 

 

 

 



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王都へ

「くっ……、この痴れ者がぁ……」

 

 灯り一つ無い暗闇の中でも私の瞳は彼女の姿をハッキリと捉える。一糸纏わぬ褐色の肌は引き締まっており、彼女が戦士である事を無言で告げていた。肌の表面は汗で湿り、ベッドの上で私に跨がりながら腰を動かす。声では恥辱にまみれていますが、顔は完全に快楽を受け入れていた。

 

「今夜は寝かせない、そう告げたのは貴女ですよ、シルヴィア。まさか先にギブアップなど有り得ませんよね?」

 

「う、五月蝿い! 貴様は黙って私の成すがままにされていろ! あっ……」

 

 どうも三百年前、彼女と出会って間もない頃に他の女性の裸体を(やむなく)見てしまい、当時の私が言い出せずにそのまま忘却していたのが発覚し嫉妬を買ったらしい。何時もは奉仕する側を入れ替えるのですが今夜はそれで一方的に攻めて来た結果、彼女の方が先に限界を迎えたという訳でして……。

 

 いや、私だって受け身ながら時々動きましたし、どうすれば愛しい妻が気持ち良くなれるのかも熟知していますけどね? 後は気付かれない様に使った魔法が幾つか。その結果、シルヴィアは息を荒くして私の上に倒れ込んでいます。

 

 

「では、次は私の番という事で」

 

「っ!? ま、待て! 今夜は私が……ひゃんっ!」

 

「宣言通りに骨の髄まで魅了されて居ましてね。……止まれそうにない」

 

 まあ、骨の髄まで魅了されているのは遙か昔からなのですけど? それでは続きと行きましょうか。私はシルヴィアの腰に手を回すと上下を入れ替える。馬鹿だの変態だの罵って来たので唇を塞いでおきましょう。……ああ、それにしても不思議ですね。今の状態でも彼女なら私を簡単に引き剥がせるのに抵抗が弱いのは……。

 

 

 

 

 

 勇者継承の儀が無事に済んだ日の翌朝、一旦戻った屋敷から村へと転移した私達を出迎えたゲルダさんはどうも寝不足の様子。少しフラフラしていますし、非常に眠そうだ。夜更かしでもした

 

「おや、寝不足ですか? 子供はちゃんと寝ないと良くありませんよ?」

 

「……貴様が言うか」

 

 年長者としてやんわり注意をすれば何故かシルヴィアが恨みがましく睨んで来る。ああ、どの様な姿も美しい。私の彼女への好意は日に日に強まり止まる所を知りません。

 

「その所どう思いますか?」

 

「私は子供なので分かりません。っと言うより相談内容は半日ほど考えてから口に出して下さい」

 

 どうもゲルダさんは適応力が強い上に偶に口の悪さが表に出るらしく、もう私に対して言葉が荒く成っていますけど、これは親しみを持ってくれた結果だと思うと嬉しくもある。いえ、そっちの趣味は有りませんよ? シルヴィアが罵倒しながらも甘えて来る姿は好きですが。……え? 途中から口に出している?

 

「そういう所ですよ、賢者様……」

 

 何故呆れられているのかは知りませんが、今から出掛けますし寝不足のままでは駄目でしょう。魔法で軽く直しておきましょうか。

 

 二度ほど指パッチンを失敗しましたが三回目の成功でゲルダさんは回復する。どうせ特に意味の無いモーションですし今度別のを考えましょう。失敗すると情けないですし。

 

 

 

「それであの、賢者様。今から行くお城はこの村も領地に含んだエイシャル王国のお城で合ってますよね?」 

 

「ええ、正解です。私の仲間だった剣聖王イーリヤ様が復興したエイシャル王国の城には偶に顔を出していましてね。イーリヤの棺が埋められたのは王城の地下墓地ですし、仲間の子孫だからとついつい手助けをしてしまいまして……」

 

 前回はこの橙の世界オレジナが魔族の発生する世界でしたし三代目勇者の手助けをしつつ城にも援助をして本当に忙しかった。自分達だけ避難は出来ないと言って他の世界への転移を拒否された時は困りましたよ。全国民を避難させても行き場が有りませんでしたし。

 

「私、初代のエピソードではイーリヤ様が賢者様の次に好きです! 清廉潔白にして勇猛果敢、その生き様を称え人々が付けた異名が聖剣王! 昨日もその辺りを読み返していたら遅くなって……」

 

「おや、夜は早く寝ると言っていましたのに本当に好きなのですね」

 

 それにしても清廉潔白にして勇猛果敢ですか。……黙っておきましょうか、うん。私は目を輝かせて語るゲルダさんに真実を教えるのを止めました。世の中、知らない方が良い事も有りますからね。

 

 

 

 

 

 

 

「いや、彼奴は敵に対して悪辣で外道、手段を選ばなかったぞ? 剣は強かったがな。仲間内では卑劣王子と呼んでいた」

 

「卑劣王子……」

 

 シルヴィアの悪意無き暴露によってゲルダさんの中で何かが崩れる音が聞こえた気がしました……。では、転移でさっさと行きましょうか。私は直ぐ様転移を発動して城へと向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何時の間に妨害など覚えたのですか?」

 

 ……その予定だったのですが転移が発動せず、代わりに七つの頭を持つ赤く巨大な獣が現れた。その放つ気配に近くの鳥は慌てて逃げ出し、遠くからも家畜がパニックを起こした声が聞こえましたが直ぐに収まりました。

 

「……彼のお陰ですね」

 

 誰が恐慌状態から家畜を落ち着かせたのか直ぐに察しながら、勝手に現れた獣、私と悪ノリした六百六十五人の神の手で生み出した使い魔に視線を送る。予想以上の速度で成長を続け、千年後位にはミリアス様すら超えそうなこの子の名はアンノウン。悪戯が好きですが基本的に良い子です。

 

 因みに神によって呼び方が違い、666(トライヘキサ)と呼ぶ方や黙示録の獣(アポカリプスビースト)と呼ぶ方も居ますが、私は製作者でさえ力の全容を把握出来ない事から正体不明(アンノウン)と呼んでいます。

 

「アンノウン。昨日は偶には森の外で遊ばせなくては、と思って聖都まで乗って行きましたが……」

 

「あ、あの、賢者様。昨日この子に乗って進むの楽しかったですし、私は別に良いですよ」

 

「良いのですか? ……アンノウン、ちゃんと言うことを聞くのですよ?」

 

 まだ生まれて間もない為か喋れないアンノウンは全ての頭で何度も頷く。本当に分かっているのならいいのですが……

 

 

 

「まあ、よく考えれば城の中に直接転移するのは迷惑ですし、ちゃんと正門から向かいますか。アンノウンの姿を見れば私が来たと分かるでしょうし」

 

「……え? 事前に連絡も入れずにお城の中に転移する気だったのですか!?」

 

「む? 問題なのか? 向こうはキリュウの顔を知っているから問題無いのではないか?」

 

「……問題有ると思います。じゃあ、行きましょうか」

 

 何やら朝から疲れた様子のゲルダさんはアンノウンの体に軽々とよじ登って背中に乗る。昨日はアンノウンにビクビクしていたのに試練を通して精神的に成長したのですね。

 

「では、私達も行きましょうか」

 

「ああ、では頼む」

 

 私はシルヴィアをお姫様抱っこしてアンノウンの背中に飛び乗る。別にシルヴィアは一人で乗れますけど別に私が運んでも問題無いのに人間の知り合いには呆れられるのは何故でしょうか? ゲルダも少し困った様子ですし、後で訊ねてみようと思った時、近付いて来る人が居ました。

 

「……矢っ張りトライヘキサか。羊が怖がる、出て来るなら気配を抑えろ」

 

 少し責める口調でアンノウンを見上げるのは緑色の髪をアフロみたいに膨らました羊の角を持つ少女。ゲルダさんの飼っている牧羊犬のゲルドバを従えて現れた彼女にゲルダさんは大慌てで頭を下げています。

 

「ダヴィル様、お仕事を引き受けて下さり有り難う御座います!」

 

「別に構わない。……良い羊だ。お前が勇者の責務を果たしている間は任せろ」

 

「えへへ。お父さんとお母さんに任されて大切に育てた羊ですから」

 

 ダヴィルと呼ばれた彼女こそゲルダさんが不在の間に羊の世話の代行を引き受けてくれた牧羊の神。シルヴィアの直属の部下、従属神の一人です。それにしても自分の仕事を司る神に誉められた為かゲルダさんは随分と嬉しそうだ。私もシルヴィアが喜んでくれるならと必死に剣を振るいました。魔法の方が適性が有りましたので最終的には強化魔法でのごり押しでしたけど……。

 

 

「それでは今度こそ行きましょう。いざ、エイシャル王国へ!」

 

 

 

 

 

 緑の草が風に揺られる草原の中、アンノウンの背中に乗って風を浴びるゲルダさんは余程気持ちが良いのか目を閉じて全身で風を感じている。ああ、それにしてもエイシャル王国へは偶に来てはいましたが、こうして城から見える景色をゆっくりと眺めるのは久し振りな気がします。

 

 橙の世界オディルの特徴は自然と人が程良く調和したという所。完全に自然の中での生活に順応した訳ではなく、自然の中に自分達の領域を作り出し、獣や鳥の住処には必要以上に干渉しない。今一番淀みの影響が少ない事を抜かしても六色世界の中で最も穏やかな世界といえば此処でしょう。

 

「正直言って試練を最後まで突破出来るとは思っていなかったのですけどね……」

 

「賢者様、何か仰いました?」

 

「いえ、気にしないで下さい」

 

 少し不思議そうに首を傾げるゲルダさんの顔には東洋人に似た特徴が幾つか見受けられる。もしかすれば父親か母親のどちらかに紫の世界パップリガの住民の血が流れているのかも知れませんね。少々排他的特徴が有りますが戦闘能力は随一ですし、あの世界の住人は。

 

 

「そろそろ到着ですが、シルヴィア、分かっていますね?」

 

「当然だ。今の私は女神ではなく勇者の選ばれし仲間のシルと振る舞えば良いのだろう? 女神と知られればゲルダの功績だと人が思わず、封印に支障を来すからな。……人の自立を促す為に勇者に委ねる事にした結果だが面倒だな」

 

「まあ、十歳で世界の命運を背負うゲルダさんよりはマシですよ。……おや?」

 

 見れば王都を囲む高い壁の門が開かれて武装した兵士達が左右に分かれて出て来ている。その中央を騎士を引き連れて先頭に出て来ている中年の男は良く知った相手だった。私は慌ててアンノウンの背中から飛び降り、相手の目の前に転移した。

 

 

 

 

「一国の王が先頭に立って出て来るなんて緊急事態が起きたのですね? ジレーク。私も協力しましょう」

 

 銀色の髪を短く揃えた野心家という印象を相手に与える男こそエイシャル王国の現国王、ジレーク。つまりイーリヤの子孫。仲間のその後が気になってちょくちょく顔を出し、子孫とも交流が有るので力を貸すのには抵抗は無い。彼は赤ん坊の頃からの知り合いです。

 

 

 

「オシメを換えてあげた仲です。遠慮無しにどうぞ」

 

「いや、何処かの馬鹿が巨大な獣で街に近付いて来るから正体を知らぬ民が怯えてしまってな。……頼むから賢者らしくしてくれ、賢者殿」

 

 久し振りに会った仲間の子孫は随分と疲れた様子で溜め息を吐く。やれやれ、今日は妙に呆れられる日だ。森の屋敷に籠もってばかりだと世間から感覚がズレてしまうのでしょうか?

 

 私が腕組みをして考え事をしていると立ち止まったアンノウンの背中からゲルダさんを抱えたシルヴィアが飛び降りて着地する。土埃は私が魔法で抑えました。王様の服が汚れてはいけませんからね。

 

 

「女神シルヴィア様、お久し……」

 

 ジレークもシルヴィアとは何度か会っているので警戒した騎士を手で制して跪いて祈ろうとしたのですが、シルヴィアがそれを手で制しました。

 

「いや、私の名前はシル。勇者の仲間だ」

 

「いや、どう見ても……勇者?」

 

 別に知り合いには意味がないので女神のままで良いのですが、そんな所も可愛いと感じて胸が締め付けられる。そんな中、シルヴィアが告げた言葉に反応したジレークはゲルダさんに視線を向け、僅かに天を仰いだ後で真剣な表情となった。相変わらず忙しいらしい。胃が荒れないと良いのですが……。

 

 

「そうか、そんな時期か。……城まで来てくれ。直ぐに重鎮達を呼び寄せる」

 

「ああ、私が転移で迎えに行きましょうか? そっちの方が早いですし。他の皆も何歳までオネショをしていたかさえ知っている仲です。では、今すぐ行って来ますね!」

 

 私は即座に国の中で地位が高い重要な者達を次々に迎えに行き、会議室に最後の一人である大公を連れて行ったのと同じタイミングで息を切らしたジレークが入って来た。

 

 

 

「貴方という方は……。まあ、良い。皆、急に呼び寄せてすまない」

 

「いえ、賢者様のする事ですから……」

 

「十年前の記念式典のパレードに協力すると言って外の怪物を召喚した時よりはマシですよ」

 

「本当にそういう所ですよ……」

 

 こうして必要な者達は集まり、ゲルダさんが紹介される。そんな中、聖都に魔の手が伸びようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

「……シケた所ね。煌びやかさが足りないわ」

 

「そ、そうかな? 私は落ち着くよ、ディーナちゃん」

 

「まあ、アンタにはお似合いかもね、ルル」

 

 片方は高い身長を更にヒールで高く見せた派手な女性。胸元も腰のスリットも深く開いて色気を醸し出して髪はウェーブが掛かった紫のロング。性格も強気で自信家だと思われる。それと真逆なのが隣を歩く少女。グレーの髪をオカッパにした気弱そうで地味な印象を与える。

 

 そんな正反対な二人は大神殿が見える広場で立ち止まった。

 

 

「じゃあ、私は帰るから頑張りなさい。……私の眷属を貸してあげるんだから安心して動くのよ?」

 

「う、うん。大丈夫……かな?」

 

「アンタねぇ……」

 

 気弱な少女の言葉に頭痛を感じた様子の女性は額に手を当て、突如吹いた風と共に姿を消した。残されたのは周囲の人の注目など集めるはずもない地味な少女だけ。彼女は自分に言い聞かせる様に呟いていた。

 

 

 

 

 

 

「大丈夫よ、ルル。貴女なら出来る。この街を壊滅させられるんだから……」

 

 

 




パンダ被害者の会は彼に特攻かましても良いと思う


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王と賢者

 エイシャル王国地下墓地、滅びた国を復興させた初代王と呼ぶべきイーリヤの異名が剣聖王だった事もあってか歴代の王も何かしらの武器を扱い、此処はその武器を納めている場所だ。遺骨は太陽の下に、争いの道具は第二の墓が有る地下深くで眠らせる、必要だから求めたが本来戦いに栄光など必要ないと言っていたイーリヤらしい決まりだと思った物です。

 

「まさか新しい勇者が出会った頃の君よりも年下だとは驚きですよ」

 

 イーリヤの武器を納めた最奥の墓標の前で二つのコップに飲み物を注ぎ片方を一気に飲み干す。中身は酒……というのが定番なのでしょうが生憎私はお酒が苦手でしてね。自分が成人してから酒に強いと発覚した程度で彼にはからかわれたのも今では良い思い出です。

 

「彼も立派な王になりました。案外君よりも上かも知れませんよ?」

 

 私は不老不死だが人は当然歳を取る。年下でしたがシルヴィア以外の仲間の中で一番仲の良かった彼が成長し、やがて老いて逝くまで見守った時は感じる物がありました。ジレークも少し前までは無邪気でヤンチャな少年だったのが今では立派な王様で子供まで居る。シルヴィアと共に世界の終わりまで生きられる不老不死を疎んだ事は有りませんが、寂しくないとは言いません。

 

 

 目を閉じて思い浮かべれば昨日の事の様に思い出す。仲間と旅をしていた苦難に満ちていても輝かしいあの日々を……。

 

 

「暑~い! 幾ら何でも暑いって言うか熱い! ……少し脱ごうかしら?」

 

 それは旅の開始から二年が過ぎ様としていた頃、赤の世界レッドスの火山地帯に赴いた時の事でした。

 

 触れただけで発火する超高熱の羽を持つ大鷲フレイムイーグルの討伐に向かったのは良かったのですが、元々高い気温に加え溶岩の熱によって充満する熱気にナターシャは手で顔を仰ぐも効果が無いらしく、イライラした様子で叫びます。下は皮の短パンで上はノースリーブのヘソ出しルックという動き易さ重視の服装でも耐えられないのですね。

 

「仕方無いだろう? さっさと功績を積んで次の世界に向かう為だ、我慢しろ。それにミリアス様のお告げによると新しい仲間との出会いも近いらしいぞ」

 

「そんな事言っても急に人間に全部任せようって神様の言う事だし信用出来ないわ。……ってか、そんな鎧姿でよく平気ね」

 

 神としての力を大幅に失っても神は神なのか全身を覆う鎧姿でも大して堪えた様子の無いシルヴィア。ああ……。

 

「神がどうとかは横に置いたとしてもシルヴィアが素敵な女性なのには変わり有りませんよ」

 

「また口に出しているぞ、馬鹿者。……まったく、他にお前に好意を向ける女が居るだろうに」

 

 この頃のシルヴィアは神は神で人は人というスタンスを崩して居らず私の愛の言葉にも素っ気ない態度でした。まあ、その程度で諦める私ではなかったのですが。

 

「この想いに恥いる所が無い限りは何度だって口にしますよ、貴女が好きだと。それに私に好意を向けて下さる方が他に居たとしても、私が異性としての好意を向ける女性は貴女一人です」

 

「……こんなの聞かされるのにも慣れたわね、慣れたくなかったけど。もう押し倒しちゃえば?」

 

「いえ、私はまず心で結ばれたいので」

 

「はいはい、ご馳走ご馳走。……止まって」

 

 何故か呆れた様子のナターシャでしたが急に立ち止まると私の袖を掴んで動きを止め、腰に差したナイフを地面に投げる。一直線に進むナイフが地面に差し掛かった瞬間、何かが切れる音と共に矢が飛んで来ました。これは罠っ!?

 

 この世界に来るまでに既に何度も魔族と遭遇し、それを撃破した私達を狙ってか、はたまた無差別にこの地点に赴いた物を狙ってか。今の時点で判断は出来ませんが警戒を募らせる中、ナターシャは鼻をひくつかせています。どうも彼女の優れた五感が何かを察知したらしいですね。

 

「……近いわね。あっちの方から匂いがするわ」

 

「追うしか有るまい。この様な場所に罠を仕掛けるなど少なくとも悪意無き行為では無いからな」

 

「って、先に行かない! 罠に一番詳しいのは私だからね!」

 

 先に進もうとするシルヴィアを慌てて追い掛けたナターシャの先導の下、私達は先に進んだのですが、どうも察知される事を見越してか落とし穴が掘られていたり石礫が飛んで来る罠などが仕掛けられていました。

 

「ふんっ!」

 

「……流石は武の神。まあ、罠は上手だけど……素人ね。知識だけで作っているって言うか、定石に乗っ取り過ぎって言うか……」

 

 ですがシルヴィアが豪快で素敵な力業で破壊し、ナターシャが隠された罠を見抜きながら進んで行きます。私は……まあ、役に立たないと認めましょう。だって罠の知識なんて有りませんもの。

 

「ほら、そこに隠れている子、出て来なさい。気配がダダ漏れよ。お姉さんには丸分かりなんだから」

 

 ナターシャは突如立ち止まり岩陰にナイフを投げる。空中で弧を描きながら岩陰に向かったナイフでしたが金属音と共に弾かれて、岩陰から剣を構えた少年が飛び出して来ました。

 

 

 

「勇者を騙って魔族に組した愚か者共! 僕が絶対に倒してやるからな!」

 

 剣の切っ先を私達に向けるのは緑の髪をした十歳程度の少年。未だあどけなさが残る顔は私達への怒りに染まり、此方が何か言う前に煙玉を足元に投げ付けて煙が晴れた時には姿を消していました。

 

「彼は一体……」

 

「彼が持っていた剣に刻まれた紋章だが、確か魔族に滅ぼされた国のだな……」

 

 これこそが後の剣聖王にして私達の仲間となるイーリヤとの出会い。魔族に騙され私達を狙う彼と色々有りながらも最後には誤解が解けて仲間になりました。

 

 

 

 

「商人に化けて食べ物に毒を仕込んだり、盗人の濡れ衣を着せたり本当に色々有りましたよね、イーリヤ。……あっ、思い出したら少し腹が立って来ました」

 

 目を開いて回想を終える。未だ子供だった彼も旅を続ける内に成長し、やがて旅先で出会った少女と結婚し、そして仲間の中で最初に死んだ。ああ、本当に世の中とはままならない。でも、笑って逝ったのですから良かったのでしょうね。

 

 

「それは別として腹が立ったので墓に悪戯書きをしても良いでしょうかね?」

 

「いや、良くないに決まっているだろう……」

 

 卑劣王子参上! とでも書こうと思って居た私の背後から呆れた様な声が聞こえたのですが、振り返ればお酒の瓶とコップを二つ手に持ったジレークが立っています。

 

 

「賢者殿……実年齢を考えてくれ。三百才を越えているだろうに」

 

「私は不老不死ですし神の(無色の)世界の住民です。人の尺度で語られても困りますね。それはそうと国王が朝から飲酒など情けない。……これも含めて私が知らない間にどんな心境の変化が有ったのですか?」

 

 懐から金色に光るカードを出す。これは私が二代目勇者の時に作った魔法のアイテムのゴールドカードで、キャッシュカードの自動引き落としを参考にしました。登録した金庫から自動で必要な金額を出せる上に盗難紛失破損全てに対策をしている優れ物。登録者以外には使えず、手元から失われたり壊れても念じながらポケットに手を入れれば無事な状態で出て来る優れ物。

 

 ふふん! これはシルヴィアも驚いていましたよ。大金を持ち歩くのは危険だからと金持ちには重宝されているのですよ。当然旅の資金の援助として渡されたのですが……。

 

 

「限度額無制限とは太っ腹ですね」

 

 このカード、ご利用は計画的にと月々の使用制限が付けられるのです。因みに私が持っているカードは個人財産を登録しているのですが

 

「貴様は阿呆か。あの様な子供に世界の命運を任せるのだ、金を惜しむのは愚行と言うべき所行だろうに。……それに賢者様が共に旅をするのならば贅に溺れる心配はあるまい?」

 

 しかし周囲の目がないと私への言葉使いが悪くなりますね、彼……。

 

 

 

 

 

「ああ、君の母方の先祖な三代目は溺れましたからね。どうも禁欲的な生活を送って居たのが疲れをとる為にフカフカのベッドで眠り、参加した宴でご馳走と酒の味を知ってしまった。あの時はお金の大切さを分からせるのが大変でしたよ」

 

 取り敢えず何を食べても飲んでも苺ジャムの味しかしなくしてあげたら反省してくれて本当に良かった。解除した時は泣いていましたし、暫く苺ジャムが怖くなったのですけど。最終的に同じ轍を踏まない為にとエイシャル王国の姫が既成事実を作って結婚。尻に敷かれていましたよ。

 

「……そういった事は口にしてくれるな。はぁ……。墓参りの度に湿気た顔をする賢者殿に気を使って秘蔵の一本持って来たのだがな。ほれ、一杯飲め」

 

「私はお酒が苦手だと知っているでしょうに。……一杯だけですよ?」

 

 差し出されたコップに強い香りの酒が注がれ、チビチビと飲み進める。ああ、どうも酒は苦手だ。それにしても時が経つのは早い。確か二度目の出会った時の彼は初めて会った頃のイーリヤと同じ歳でしたっけ……。

 

 

 

 

 

 

「もう潰れたか。何かあれば即座に酔いが醒める魔法を使っているそうだが……弱いにも程があるだろう……」

 

 香りばかり辛くて子供でもコップ一杯程度では酔わない酒を煽りながら思い出す。未だ未熟で理想だけを見ていたあの頃を……。

 

 

 

 

 

「次の者、出て来い!」

 

「お……王子。今日はこの辺りでお止めになっては……?」

 

「そうか。ならば俺だけで続ける。座学の時間は夜に変更せよ。睡眠時間を削れば良い」

 

 模擬戦用の剣を手にして叫ぶも誰も向かって来はしない。打ちのめされて呻き声を上げる未熟者か既に戦意を喪失している臆病者、それが当時の俺が訓練相手の騎士達に下した評価であった。

 

 先代勇者と剣聖王の血を濃く受け継いだ天才児、次の魔族の誕生の時期にはその才能を遺憾なく発揮して国を守るだろう。それが周囲の者達の私への評価であり……重荷であった。

 

(これでは駄目だ。もっと強く、もっともっと力を……)

 

 期待に応えたい、ではなく、期待に応えねば存在価値など無いとばかりに自分を追い込み、周囲との溝さえも気にせずにがむしゃらに力を求めて焦燥を募らせる毎日。やがてこの程度の者達とは訓練にならぬと一人で剣を振るう私の周囲から人が居なくなっていた。だが力を求めるあまりに目が曇った私は気にもしない。そんなある日の事……。

 

 

「おや、久し振りにジーバドの顔を見に来てみれば……随分と酷い剣だ」

 

「……何者だ、貴様は」

 

 訓練中に突如聞こえた声に振り向けば見知らぬ男、その上国王である父を呼び捨てにした不審人物だ。いや、自らの剣が否定された事に怒った私は尤もな理由を付けて切り捨てる為に動いた。

 

(衛兵は何をしている。こうも簡単に進入を許すとは気が抜けているとしか思えん。……この有様では俺が強くなるしかないな。役立たずなど必要無い程に強く……)

 

 狙うは首。喉笛さえ切り裂けば魔法も唱えられず、急所故に致命傷となる。当時の自分が出せる最速を最大の威力を出しながら放つ。

 

 

「ぐっ!」

 

 だが、振り下ろそうとした刃は見えぬ壁に阻まれて進まず、一旦引き戻そうとするもこれも駄目。ピクリとも動かない剣にその不審者は人差し指の先を刃の寸前まで持って行った。

 

 

 

 

「ほら、此処が刃こぼれしている上に錆びている。全然手入れがされていない酷い剣ですよ」

 

「……そっちか? 俺の技がどうとかではなく?」

 

 この時、俺は怪訝に思うと同時に安堵した、安堵してしまっていた。結局、自分自身が俺の力に不信感を抱いていたのだ。だから指摘されたと思い怒り、違ったからと……ああ、情けない。

 

 

「いや、私剣術はさっぱりですし。それにしても私が誰か分かりませんか。オシメをしていた頃に一度会ったのですが……」

 

 一度会った、父の知り合い、そして風貌。それらの要素から漸く俺は目の前の人物の正体に気が付いた

 

 

 

 

「まさか賢者殿か?」

 

 エイシャル王国の王子として幼い頃より何度も聞かされている存在こそが賢者殿だ。不思議な事に二代目の勇者から姿を現した彼は何故か我が国に何かと気を使ってくれている。先代の時、この世界に淀みが溜まった時には別の世界に避難しないかとさえ提案した程。その理由は記録には残っておらず、幼い頃から知っている重臣や両親でさえも聞かされていなかった。

 

「正解! 正解した君には飴玉を一個あげましょう」

 

 別に要らないと言おうとするも口に出す前に棒付きの飴が口の中に突っ込まれる。オレンジ味の飴を嘗めていると少しだけ落ち着いた気がした。

 

 

 

 

「じゃあ、ちょっと遊びに出ましょうか。許可なら安心して下さい」

 

「なあっ!? け……賢者殿!?」

 

 有無を言わさぬとは正にこの事。俺を米担ぎにした賢者殿は町中での遊びに俺を連れ回した。芝居に食べ歩き、様々な屋台を巡り、認識を阻害して一般人の子供に混じって遊ぶ。長い間忘れていた何かをこの時思い出せたのだ。

 

「賢者殿、今回俺を連れ出したのは……」

 

「うーん、そうですね。私が言えるのは自分と周囲の人達を大切に出来ない人が守れる物は少ない、只それだけです」

 

 ああ、本当に今でも思い出す。あの出会いが無ければ俺は何処かで必ず潰れていただろう。守ろうとした物を巻き込んだ最悪の形で。賢者殿は伝説に違わぬ凄い人だと認識したのはこの時だった。

 

 

 

 

 

 

 

「……賢者殿。息子を連れ出すなら先に言って下され」

 

「いや、ちょっと位なら後で言えば良いかなと……」

 

 その後直ぐに実は凄くないのではと思ってもしまったけれど……。

 

 

 

 

 

 

 

「……おい、賢者殿。起きろ、起きたらどうなのだ」

 

 酒を飲み干し暫くは先祖の墓標に黙祷を捧げていたが時間は有限だ。世界ごとに功績を挙げる事で封印の楔と化し、淀みが溜まった世界に近い程、つまり後から向かう世界程危機に瀕しているのなら最も安全な世界でもたついている暇は存在しない。

 

 俺は常備している武器を抜き、賢者殿へと切り掛かる。あの時と同じ様に剣は止められ、自動発動した魔法によって目を覚ました賢者殿は不満そうに此方を見ている。

 

「酷い起こし方ですね。シルヴィアを呼んで下されば良いのに。当たらなくとも気分は悪いのですよ?」

 

「イチャイチャするのを見せ付けられると此方が困る。それならば賢者殿には我慢して貰おうと思った迄よ」

 

 出会った当初は幻想を抱き神の一種かと思いきや意外と人間らしい部分や変人としか思えない言動もして今では幻想など消え去っていた。

 

 

 

「さて、此方は勇者への資金提供という魔族封印後の外交カードが手に入るが、この際だ。功績を早く貯めて世界を救って貰わねば困る。滅びかけの国相手では旨味が少ないのでな」

 

「……はぁ。あの頃はもう少し素直だったのに、今では立派な王様ですね」

 

「賢者殿に誉めて頂けるとは光栄だな。では、早速だが頼みたい事がある。城から南に進んだ所に物流の拠点となる街が在るのは知っているな? その近くの森に例の木が出現したらしくてな。被害拡大の前に討伐して欲しい。ああ、それと……」

 

 俺は賢者殿にそっと耳打ちする。この国は俺の一部、民は我が血肉。ならば守り抜こう。戦う為の力だけでなく、王としての力、人としての力を使い守り抜いて見せよう 。

 

 

 

 何せ俺はこの国の王なのだから……。

 



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出発の日

「あの役立たず共め! 一体何時まで待たせる気なのだ!」

 

 怒鳴り声と共に酒のグラスが床に投げ捨てられ絨毯を濡らしガラス片が散乱する中、私は目の前の愚物に冷ややかな視線を送っていた。

 

「……後で片づけておいて下さい」

 

 聞こえれば八つ当たりをされるのでしょうが怒鳴り散らすのに夢中な目の前の男は自分の濁声が邪魔してメイドに指示をする私の声が聞こえていない。同様に私を含めた使用人の冷ややかな視線に奴は気が付いていなかった。

 

 私の名前はセバス、エイシャル王国建国時より王家に仕えるグライ伯爵家の執事です。王への忠義厚く歴代の当主も名君と称えられた誇りと伝統を持つ偉大なる一族。

 

 ……ですが今当主の席に座るのは醜悪極まりない豚同然の暗君。美食に溺れ肥え太った身体に脂ぎった醜い顔。朝から酒に溺れて何が不満なのか周囲に当たり散らす。ああ、何故この様な愚か者が当主の座を穢すのが許されるのでしょうか……。

 

「おい、酒だ! それと女を連れて来い!」

 

「……畏まりました」

 

 私は目の前の豚に何も期待していない。当主としての振る舞いも執務もだ。故に粛々と従い余計な真似をするのを防ぐのみ。故にあの醜悪な趣味にも見て見ぬ振りをしましょう。

 

 全ては正当なる跡継ぎの坊ちゃまの為、家を守り抜く為。ですが最近は裏で良からぬ連中と付き合っている様子。お家の危機に繋がらねば良いのですが……。

 

 

「お父さんお母さん行ってきます。……暫く帰って来られないけどごめんね」

 

 旅立ちの日、村外れの墓地の一角にてゲルダさんが両親の墓に手を合わせる姿を隣で眺めながら私も両親の顔を思い出そうとしていました。正確には本人ではなくコピーな訳ですから地球には本物の私が存在しているのですが、最後まで二人を大切にしたと思いたい。だって所詮虚像に過ぎない私でも、この心は本物なのですから。

 

 ……もう記憶も朧気で魔法を使わないと二人の顔さえ思い浮かべる事すら出来ないのですが。

 

「もう良いのですか?」

 

「はい! 行きましょう、賢者様」

 

 この子は本当に強い子だ。本来ならば親に甘えていたい年頃なのに親を失い、それでも必死に生きている。その上、勇者等という過酷な運命さえも受け入れて……。

 

「ひゃわっ!?」

 

「おや、これは失敬」

 

 気が付けば私はゲルダさんを撫でていた。少しビックリした様子ですし急に撫でるのは流石に悪かったのですね。ですが、これから勇者として旅をして、功績を積み重ねながら魔族の被害がより大きい世界へと渡って行く。

 

 そうなれば彼女は年相応の扱いではなくて勇者としての扱いを受ける。理想に塗り固められた完璧さを当然の様に求められるのです。高校生の頃から旅を始めた私も、同年代や上の歳だった歴代勇者もそれは辛く感じたのですから十歳の彼女ならば尚更でしょう。

 

「ゲルダさん、私やシルヴィアなら好きなだけ弱音を吐いて良いですよ。私も散々吐きました」

 

 シルヴィアとは当時は感覚の違いが大きかったのでナターシャが聞き役でしたけど。思えば彼女は仲間としては最も仲が良かったかも知れません。シルヴィアと出会わなければ彼女に恋をしていたかも知れないと思う程に。……シルヴィアには絶対言えませんね。

 

 

「あ…あの、賢者様。私頑張って世界を救います。でも、頼りない勇者でも良いのですよね?」

 

「当然ですとも。貴女は子供なのですし、世界を背負うなど個人には重すぎる運命です。私達に寄りかかっても大丈夫ですからね」

 

「はい!」

 

 ……良い返事ですね。ゲルダさんは嬉しそうな顔で元気に返事をする。子供らしい年相応の笑顔だ。

 

 最初は気負い過ぎて押し潰されないか心配だったのですが勇者継承の儀で何かあったらしい。……これなら心配は要らないでしょう。勿論旅の最中に気を付けておくべきでしょうが。

 

 

「あの、女神様の姿が見えませんが……」

 

「シルヴィアなら……選抜の最中です。ちょっと様子を見に行きましょうか」

 

 

 差し出した手が恥ずかしそうにそっと握られる。仕事の為か少し皮膚が硬いけど子供らしい小さな手。どんな宿命を持っていても子供は子供だと改めて思い知らされる。その子供に世界が求める物の残酷さも。

 

 大人として子供の彼女を守ろうと、私は思うのでした……。

 

 今後彼女には数多くの苦難辛苦が待ち受け、目を背けたくなる位に汚い物を見せ付けられる。それが避けられないのならば、せめて私達が支えとなる。世界の命運など子供に背負わせるには重すぎるのですから……。

 

 

 

 

 

 

「わわっ!? あっという間にこんな所まで……ひゃっ!?」

 

 ゲルダさんと手を繋ぎ転移したのは村から遠く離れた草原。少し離れた場所にある巨大な岩が目印になって村からどれだけ離れているのかを理解した彼女が目をパチクリさせて村の方向に顔を向けた時、突如地面が揺れて轟音が響く。木に止まっていた鳥達も茂みにいた獣達も慌てて逃げ出す中、岩の向こうからアンノウンの一体が弧を描いて落下して来ましたおっと、未だ終わってなかったのですか。

 

「予想よりも成長速度が速いですね……」

 

 空気のクッションで受け止めて地面に落下したアンノウンの腹手を伸ばす。拳の痕がくっきりと残っていて気絶しています。触れればモコモコでフワフワの腹毛の感触が手に伝わりますが背中はツヤツヤスベスベの触り心地、創り出す時に毛の質をどうするか二つに分かれ、神界大戦が勃発する直前まで揉めたのですが最終的には二つとも採用で収まって良かったですよ。

 

「この子って賢者様のペットの……」

 

「アンノウンです。因みに七分の一ですけど」

 

 今のアンノウンは頭が一個で大きさもライオンより二回り大きい位。私の言葉の意味が分からない様子のゲルダさんに見れば分かるとアンノウンが飛ばされて来た方向に誘って進んでみれば決着間近でした。

 

 

 

「せいっ!」

 

「ギャンッ!」

 

 岩の反対側には六匹のアンノウンと戦うシルヴィアの美しい姿が在りました。

 

「彼女はどうも戦士の肉体を他の華奢な女神と比べていますが、あの気高い姿こそ本当に美しいと思うのですよ、私は。その上、二人きりの時は子猫みたいに甘えて来て美しいだけでなくて可愛い所も……」

 

「賢者様、またです」

 

「おや、そうですか。それは兎も角、ちょっと失敬」

 

 おっと、シルヴィアの事となるとついつい口に出してしまうのは相変わらずですね、直す気は有りませんが。それはそうとして五匹のアンノウンが地面に転がり、最後の一匹にもシルヴィアの拳が正面から突き刺さったので正面に居たゲルダさんを担いでその場から飛び退けばアンノウンの体を突き抜けて衝撃が此方へと向かって来ていました。地面を砕き突き進んだ衝撃波は最後に大岩を砕いて消滅する。その光景に私は思わず呟いてしまった。

 

 

 

 

 

「矢張り神の力を封印すればこの程度ですか……」

 

「我ながら情け無いとは思うがな……」

 

「これで情けないの!? いやいや、有り得ないよ!?」

 

 随分と驚いていますけどシルヴィアは武の神ですからね。殴った衝撃で離れた大岩を砕いて当然なのですよ。それよりも敬語が崩れていますが実に良い傾向だ。年上とはいえ旅をする仲間なのですし気を使われ過ぎるのも問題ですからね。今は思わずですけどいずれは……。

 

 

「あの、賢者様? どうして私の頭を撫でて?」

 

「おっと、ついつい。嫌でしたか?」

 

「いえ、嫌では……ないです」

 

「私も後で撫でろよ、キリュウ。成長を遂げたアンノウンもな」

 

 子供扱いされるのは嫌な年頃かと思いきや満更でもない様子。恐らくは既に自立しているのでしっかりしていても甘えたいと思う時が有るのでしょう。だから撫で続けていたシルヴィアが拗ね顔で地面に落ちた何かを放り投げたのでキャッチしてみればパンダのヌイグルミでした。

 

 

「短距離の転移に加えてヌイグルミを操作して魔法を使わせる等の高等技術も会得している。お前を超える日も近いかも知れんぞ?」

 

「それは困りましたね。この子悪戯が大好きですから」

 

 順番に頭を撫でて回り最後にシルヴィアの頭を撫でれば随分と嬉しそうで思わず顔を引き寄せてキスをしてしまいました。ゲルダさんが居るので流石に舌も入れたい気分なのを我慢しつつアンノウンに視線を向ける。うーん。この様子ではその内ヌイグルミではなくキグルミを操って六色世界とも無色の世界とも違う別の世界に行ってしまいそうですね。迷惑掛けた人からペットの躾について一言二言文句を言われるかも知れません。

 

 

「でも今は新しい芸を覚えたのだと喜びましょうか。……それで選抜はどうします?」

 

 そもそも何故アンノウンと戦っていたのかというと、本来の姿では威圧感が凄いとジレークに文句を言われたので一つの頭だけ移動手段に連れて行こうとなった訳です。

 

 

 

 

「それなのだが連れて行かない頭が可哀相だから日毎に交代でどうだ?」

 

「シルヴィアは優しいですね。それでこそ私が愛した女神です。私は貴女が美の女神よりも美しいと思いますよ」

 

「……美の女神は母上だぞ? やれやれ、姑として何かして来ても庇ってやらんからな」

 

「貴女への想いを語る事で受ける苦難ならば乗り越えますよ、何度でも」

 

 互いに手を握り、顔の距離が近付く。ああ、何という至福の時間なのでしょうか……。

 

 

 

 

「……ペットって事は毎日アレを見せられているの? だったら大変ね……」

 

 おや、ゲルダさんがアンノウンに何か言っていますね。そのまま仲良くなってくれれば一番なのですが。

 

 

 

 

 そして私達は村に戻り旅に出る。その際、村人達が見送りに来たのはゲルダさんの人柄なのか、この村の団結が強いのか。きっとその両方なのでしょうね。

 

「まさかお前が勇者に選ばれるとはな……無理はするな」

 

「嫌になったら戻って来なさいね。子供に世界の命運を背負わせるなんて間違っているもの」

 

 勇者は最高神ミリアス様が決定した条件に当てはまる対象から選出される。なので誰もが勇者という肩書きに過度な期待をするというのに彼らときたら……。きっとこの村は良い人が多いのでしょうね。だから勇者と分かってもゲルダさんをゲルダさんとして扱ってくれる。

 

 ……私がゲルダさんが勇者云々、一緒に旅をする云々と伝えた際には不審者扱いしたのは根に持たないでおきましょうか。私、別に不審者に見えないと思うのですがね。明らかに別の世界の出身でローブ姿の男と鎧姿の絶世の美女なだけですのに……。

 

 

「……ったく、こんな時にあの馬鹿は何をやっている」

 

「ごめんね、ゲルダ。ジャッドったら朝から姿が見えないのよ」

 

 ジャッドとは確か初対面で私達に泥団子を投げて来た少年ですね。ゲルダも随分と悪戯を受けたと言ってましたし両親が何か時を使っている彼女が気に食わないのですね。

 

「良いですよ、トムさんビーラさん。どうせ憎まれ口を叩くのだもの」

 

 ゲルダさんの反応もこんな感じですし、まあ今から勇者としての初仕事ですから変に心に影響するよりは良いのでしょうか?

うーん、何か引っ掛かるのですよね。

 

 私は違和感に悩まされながら首を捻るも答えは出ない。その間にもゲルダさんは村の人達に挨拶を済ませ、最後に羊達の世話を任せるダヴィルの方へと向かっていました。

 

「えっと、宜しくお願いします」

 

「任せろ。羊の事なら私が一番だ」

 

 彼女が 牧羊の神だとは既に伝えているので村人は少し遠巻きにして様子を見ている。あの子、元々コミュニケーション能力不足な所が有りますが、この村の人達ならばきっと大丈夫。旅の間に彼女にも良い影響が有れば良いですね。

 

 

「そろそろ行くぞ。乗り込め」

 

 アンノウン(本日担当)が引く 馬車の手綱を握るシルヴィアから声が掛かり、私とゲルダさんが乗り込むと動き出した。徐々に村が遠ざかる中、幌から身を乗り出したゲルダさんは村人達に手を振っていました。

 

 

 

 

「皆、行って来るねー!!」

 

 村が見えなくなるまでゲルダさんは手を振り続ける。幌の中に戻った時、彼女の目には涙が蓄えられていた。こうして四代目勇者である十歳の少女は生まれ育った村を後にして旅立つ。これからの旅路において村での思い出は彼女の支えとなってくれるでしょう。故郷とはそういう物ですから……。

 

 

 

 

「えっと、目的地は何処でしたっけ?」

 

「ベルガモットですね。ほら、地図のこの辺りですよ」

 

 馬車の中で地図を広げて目的地を指し示す。城の南で、ゲルダさんが育ったスダチ村から西に五十キロ進んだ先にあるベルガモットというエイシャル王国の物流にとって重要な街です。どうも数年前に当主が交代したとか。新しい当主については……おや?

 

 

「シルヴィア」

 

「ああ、分かっているさ」

 

 ……シルヴィアを呼びましたけどアンノウンは言葉が通じるので直接言葉を掛ければ……まあ、シルヴィアの名を呼ぶ方が嬉しいので構わないでしょう。アンノウンが動きを止めた事で馬車も止まり、幌の入り口から花束が飛び込んで来る。床に落ちそうだったそれを風で運ぶとゲルダさんの手の中に収まった。

 

 

「綺麗……」

 

 今度はちゃんと泥団子ではなくて花を投げたのですね。昨日話を盗み聞きしていると思ったらこの為でしたか。木から飛び降り村へと戻って行く少年の背中を見ていましたが帰りの安全が不安ですね。

 

 

 

「別の日担当のアンノウンを護衛に付けましょう」

 

 ……これは後から聞いた話なのですがジェッドという少年が見慣れぬモンスターに追われて泣きながら村に戻ったとか。アンノウン、ちゃんと仕事をしないと駄目でしょうに。

 

 

 

 

 

「あれがベルガモット。大きい……」

 

 アンノウンに引かれた馬車は数頭の馬が引く馬車よりも速く進み、ベルガモットには三十分もしないで辿り着く。随分と栄えた街ですね。市場も賑わっていて舗装された道を何台もの馬車が行き交う中、私達は検問の兵士に呼び止められた。

 

 

「……此奴の躾は大丈夫なのか?」

 

「ええ、この通り」

 

 流石に見慣れぬモンスターの姿に警戒しているらしいのでアンノウンの口の中に手を突っ込む。口の中をペタペタ触っているとどうやら信用してくれたらしい。通行税を払って入ろうとした時、耳打ちをされました。

 

 

「……その子から目を外さないで出来るだけ街から離れろ」

 

 それだけ言って彼は離れて行きました。

 

 

 

 

「はわわわわっ!? 此処に泊まるのですか!?」

 

 あの忠告は気になるのですが先ずすべき事は拠点となる場所を作る事。情報を集めた上で目的地であるサクサンの森へと向かいます。その為に選んだのが街一番の宿『レモネード亭』。宿泊費は他の宿の数倍もするので内装も随分と豪華、飾ってある調度品一個だけでゲルダさんの羊飼いとしての年収に匹敵するかも知れません。

 

「此処が一番ゆっくり出来ますよ? 初めてのお仕事なのですから腰を据えて臨みませんと。お金なら大丈夫ですし」

 

 そんな宿に泊まると知らされたらゲルダさんは当然驚きますが、これも必要な事なのですよね。あくまで積むべき功績はゲルダさんの物でなければならない。私がパパッと終わらせてゲルダさんの功績だと発表して済むなら世界は一日で救えます。

 

「だけど旅の費用は国のお金だし……」

 

「気持ちは分かりますが世界の命運に比べたら安い物ですよ。先代のアホみたいに贅沢に溺れて堕落さえしなければ。ちゃんとした所で疲れを取って、栄養を付けるのも勇者の義務です。私がそれを保証しますよ」

 

 旅も後半になれば疲弊した世界でマトモな寝床も食事も期待できる筈もなかったって辺りは暗くなるので後世の物語では省かれていますけど本当に大変でした。賢者として呼び出される理由も衣食住が後半になるにつれて増えてましたし。贅沢出来る内にしておきませんと。

 

 

「は、はい!」

 

 取り敢えずは納得してくれたので早速一番良い部屋を取りましょうか。ゲルダさんは成長期ですし美味しい物を食べさせましょう。……今の内は。

 

 

 

 あっ! その前に……。

 

 

 

 

「ゲルダさん、私と同じ部屋で大丈夫ですか?」

 

「ふぇ!?」

 

 私の問いにゲルダさんは真っ赤になって固まってしまいました……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 所でアンノウンはどうしたか、ですか? ちゃんと馬小屋で居て貰って居ますよ。最後まで駄々を捏ねてたけど最後はシルヴィアの拳骨で大人しくなりました。瞑らな瞳で、もっと力を付けたら腹癒せに誰彼構わず好き放題に悪戯しまくるね、と伝えて来ますけど。……本当に将来迷惑を掛けた人に一言二言文句を言われそうですね。

 

 




アンノウン被害者の実情を知っている方は感想をくれたら嬉しいです




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初陣

「いやー、ゲルダさんが了承して下さって助かりました。お陰でシルヴィアと同じ部屋に泊まれますよ。流石にゲルダさんを一人部屋にするのは憚られますしね。ほら、宿暮らしは慣れていないと大変ですから」

 

 ゲルダさんが同じ部屋で良いかという問いに何故か照れながらも了承して下さったので私はシルヴィアと同じ部屋に泊まる事が出来ました。住み慣れた屋敷で眺める彼女の姿は魅力的なのですが、違う場所での姿がどの様に魅力的に映るのかが今から楽しみで仕方がありません。

 

「そ……そうですよね!」

 

「でも、一人部屋が良いなら何時でも言って下さいね?」

 

 イーリヤが仲間になるまでは女性二人と旅をしていた身として宿での生活の大変さが身に染みているので子供だけ別の部屋という訳には行きません。私なら用事が有れば魔法で何とかすれば良いだけですからね。しかし、ゲルダさんは何を驚いていたのでしょうか?

 

 どうも一番良い部屋にはベッドが二つしかないらしくワンランク下の部屋になりましたが此処も中々で、シルヴィアは手で押してベッドの柔らかさを確かめています。

 

「まあ、これなら文句無いな」

 

 元々武の女神ですし別に野宿でも平気な彼女ですが、ベッドで眠れるのならそっちの方が良いのは当然です。ゲルダさんは勿論、シルヴィアの為にも出来るだけ宿に泊まりたいですね。

 

「あの、賢者様。そもそも賢者様の魔法でご馳走や服を出した時みたいに泊まる場所も出せないのですか?」

 

「出せますよ。出せますけど少し問題が有りまして……」

 

「問題? 賢者様がですか?」

 

「言ったでしょう? 神とて全知全能ではないと。人間である私は尚更で、今でも魔法の師匠には未熟者扱いされますよ」

 

 ゲルダさんの疑問は尤もで、実際に泊まる場所を作り出す程度なら簡単です。でも結構複雑な構築式を要する為か私がイメージする物しか作れず、服のデザインセンスは単調だし料理も同じ味付けだしベッドも私の好みの少し堅い物しか出せないのです。シルヴィアは柔らかい方が好みでして……。

 

「よし! おい、キリュウ。今夜はどうするのだ? 普通にするか? それとも久々に捕らえられた女騎士プレイでも良いな!」

 

 あーもー、これだから神は。非常に魅力的ですけどゲルダさんの前ですからね? その時になったら魔法で幻覚でも出せば良いですけど変に意識させるのは問題ですよねぇ。実際、ゲルダさんは真っ赤になっていますし。……通じたんですね。最近の子供は進んでいるのでしょうか。

 

「女騎士プレイ……」

 

「いや、流石に今夜は……」

 

「ん? ああ、確かに問題があるな」

 

 おや、どうやら納得してくれた様子。私がシルヴィアの影響か人とは感覚がズレて来たのと同じで彼女もまた私の影響を受けています。初めて関係を持った当初は森を散歩中に押し倒されたりしたのですが、今はゲルダさんを意識して諦めてくれました。……ちょっと惜しい気もしますけどね。

 

 

 

 

「こんなフカフカのベッドでは気分が出ない。イメージプレイをするならば場も適した物にしなければな。……だからまあ、今夜は普通に頼む」

 

 ……ふぅ。もうゲルダさんはキャパオーバーして目の前で手を振っても反応が有りません。ずっとアワアワ言って固まっていますよ。シルヴィアはシルヴィアで恥ずかしいのか目を逸らしてモジモジしていますし、据え膳食わぬは何とやらですが……。

 

 

 

 

 

「あれ? 私、何時の間に……」

 

 ベッドから起き上がったゲルダさんは頭に手を当てて記憶を呼び覚まそうとしますけど無理な様子。まあ、当然なのですが。

 

「旅の緊張からでしょう。急にウトウトしたのでシルヴィアがベッドに運びましたけど数分程度ですから安心して下さい」

 

「あっ……。あの、女神様にとんだご迷惑を……」

 

「構わん。お前は勇者である前に子供だ。気を使わなくて良いさ」

 

 優しく微笑むシルヴィアの姿にゲルダさんは安心した様子。これは記憶操作した甲斐がありましたね。気になるお年頃みたいですし、今後も意識させない様にしなければ。

 

 

 

 ……それはそうとして今夜の為にジレークに頼んで城のメイドさんの服を一着用意して貰えば良かったですね。私が作れるのはミニスカでノースリーブのフレンチメイド服ですが長袖ロングスカのヴォクトリアン式も捨てがたい。もっと頑張って魔法の腕を磨けば両方出せるのですけどね。……要努力です。

 

「さて、今から森に向かいますけど、街の人達を悩ませているモンスターを討伐したら勇者だと大々的に発表しましょう。領主の耳に届く位にね」

 

「此処の領主様ですか……」

 

 どうもゲルダさんは領主であるアーファ伯爵に会いたくないらしいですね。まあ、此処に来るまでに話を聞く限りでは良い印象を抱かないでしょう。

 

 

 数多の種族が共存するこの世界で人間以外の種族、特に獸人に対して差別的な言動を公の場でも平然と口にすると評判が悪い。それに元々領主になれる立場ではなかったというのも関係しているのでしょう。ですが、会わない訳にはいかないのですよね。

 

 

「ゲルダさん。厳しい事を言いますが、勇者として誰かに会うのならば自分の耳と目で判断しなければなりません。思い込みで行動するのは本当に危険ですからね」

 

「……はい、ごめんなさい」

 

「宜しい。直ぐに反省出来るのは貴女の美徳です。良い子ですね、本当に」

 

 少しは反論したり言葉を逃がすかと思いきや、素直に反省したゲルダさんの頭に手を乗せて撫でる。もう癖になっている気がしますね。……ああ、何でこうやってゲルダさんの頭を撫でてしまうのか分かりました。私、妹みたいに可愛がっていた従姉妹が居たのでした。少し活発で食べるのが好きだったあの子はどんな風に成長したのでしょうか?

 

「……まあ、お祖父さん達がちゃんとした人達でしたし大丈夫でしょう」

 

「賢者様?」

 

「おっと、少し故郷を思い出しましてね。では、行きましょうか」

 

 私はあくまでコピーであり、この世界が私の生きる世界でシルヴィアが私の家族だ。だから寂しいと思う必要は無い。ああ、それでも寂しいと思うのならば……。

 

 

 

「早く子供が欲しいですね。魔法で妊娠しやすくなんて野暮な方法ではなく、二人の愛の結果として生まれて欲しいです」

 

「なら今夜にでも頑張って……と言いたいが旅が始まったばかりだからな。まあ、数年間は避妊をして終わったら仕込めば良いだけだ」

 

 でも、お前が望むなら、とシルヴィアは言って下さいますけど、仲間の血を引く子達が生きる世界を守りたいと思います。ですから子供は一旦お預け、旅先の風情を味わいながらシルヴィアの身体を堪能するだけに留めましょう。

 

 

「愛していますよ、シルヴィア」

 

「当然だ。お前を私が、そして私がお前を愛する事はな……だが、何度聞いても幸せで胸が一杯になる。今後も言って欲しい」

 

「何度でも言いますよ。貴女への愛が続く限り、つまり私という存在が消えない限りは」

 

 自然と目と目が合い、手と手が触れる。気が付けばシルヴィアの腰に手を回して何度も耳元で愛を囁いていました。ああ、幸せです。私は本当に幸せ者だと思います。

 

 

 

 

(早速一人部屋にして欲しくなった……)

 

 

 

 

 

 

 

「この森、少し嫌な臭いがします……」

 

 ベルガモットから少し離れた場所に存在するサクサンの森。高い木が生い茂り、根っこが所々で地面から飛び出して歩くのが大変そうな道を眺めながら私は鼻を手で塞ぐ。私の苦手な酸っぱい臭いが漂っているわね。よく見れば柑橘類の木が点在しているわ。……嫌だわぁ。

 

「魔法で臭いを抑えますか? 特定の臭いだけ抑えるのは難しいので嗅覚自体が落ちますが。補聴器が都合良く聞きたい音だけ拾えないのと同じですよ」

 

「補聴器は分かりませんが遠慮しておきます。嗅覚が働かないと不安になりますから」

 

 賢者様は気を使ってくれるけど、こんな事までお世話になってたら良くないわ。だって頼り切りになちゃうもの。今は未熟な私でも良いけど、何時までも未熟な私じゃ自分で自分を許せないわ。だから首を横に振って先に進む。それに嗅覚は私の武器、もっと鍛えたいわね。ちょっと道は荒れているけど、村の近くの森で薬草を集めるのを手伝っていたから慣れたものよ。

 

「……あれ?」

 

 奥を目指して歩きながら臭いに意識を傾ける。嫌いな柑橘類の他にも土や木、草の香りが漂って来るのだけれど、森の奥から此方に向かって嗅ぎ慣れた臭いに似ているけど変な感じのする臭いが向かって来たの。思わず立ち止まって賢者様達に視線を向けたら既に立ち止まって頷いているし、そういう事よね……。

 

 

「頑張るわ!」

 

 これは私の勇者を正式に継承してから初めての戦い。息を整えデュアルセイバーを構えた時、賢者様から声が掛かった。

 

「ゲルダさん、継承の儀を受けた事でデュアルセイバーは新たな力を手に入れました。両方の持ち手を上下に引っ張って下さい!」

 

「……こう? あっ!」

 

 言われた通りにしてみたら連結部分が消えて鋏が二つに分かれたわ。うん、この状態だとギリギリ武器って言い張れそう。よく見たら鋏でしかないのだけれど……。

 

 自分の勇者としての武器がどう見ても武器じゃないって思い出して落ち込みそうだけど、服装だって自分らしいからって魔法で強化したツナギ姿にして貰ったのだし今更……うん、そうよね。これ以上気にしない様にしようと前を向けば木の上からガサガサと葉っぱを掻き分ける音がして木の葉の隙間から臭いの主が姿を見せたのだけど……。

 

 

「羊?」

 

「メェー」

 

 湾曲した角とモコモコの体毛を持つ見慣れた獣の姿と声に思わず気が抜けたのだけど、羊が木の上から現れた時点で普通じゃないわよね。私が困惑する中、羊が飛びかかって来た事で実は羊じゃなかったって理解する。だって蹄のある四本の足の代わりに胴体から蜘蛛の長細い脚が生えていたのだもの。

 

 

『『羊蜘蛛(ひつじぐも)』羊に酷似した見た目だが毛は粘着質の糸を全身に絡めた物。麻痺毒の有る角で動きを封じた獲物にくっつけて巣まで持ち帰る』

 

 モンスターだとは思ってたけど、羊部分が可愛いから余計に気持ちが悪く見えるわね。突き出された角を左手の刃で防ぎ、頭に向かって右手の刃を叩き付けたらグチャグチャに潰れる。……羊なのは見た目だけで頭蓋骨が無かったのね。

 

 顔に掛かった体液をハンカチで拭い、頭の潰れた羊の見た目の蜘蛛の死骸から目を逸らす。私の勇者としての初陣はちょっと嫌な思い出になっちゃった。服を見れば飛び散った体液が吸い込まれるみたいに消えてるし、頼り切りになりたくないけど顔への返り血を弾く力を追加して貰いたいなぁ……。

 

 

 肌に付いた蜘蛛の体液を嗅いだら凄く嫌な臭いがしたし、今すぐお風呂に入って良い匂いの石鹸で念入りに洗いたいって思った時だった。真後ろから獣の臭いがしたのは。でも、臭いはそれだけじゃなくって美味しそうな甘い香りも混じっていたわ。

 

「これって……お菓子?」

 

 恐る恐る振り返れば息が掛かる距離に獣の姿があった。赤黒くって背中側とお腹側じゃ全然違う毛質で猫っぽい顔付き。目は青く輝いていて何を考えているのか分からないのだけれど、頭の上の小さなパンダのヌイグルミは可愛いと思う。

 

「えっと、アンノウン? 街でお留守番してたんじゃ……」

 

「ガウ!」

 

 臭いがした瞬間まで絶対に近くにいなかったわよね? どうやって馬小屋を抜け出して来たのかしらとアンノウンを観察したのだけれど、向こうも私を頭の先から爪先まで眺めているのに気が付いたわ。最後に胸の辺りで視線が止まったのも。

 

「……ヘッ」

 

「は……鼻で笑ったなー!!」

 

 この瞬間、乙女心が傷付けられたと怒った私は腕を振り回して殴りかかるのだけれども、顔に前足を突き出されて止められる。肉球はプニプニのモキュモキュで気持ち良かったわ。

 

 でも、癒されたのど乙女の敵への制裁は別だもの。頑張って前に進もうとするけれど前足に止められて一歩も前に踏み出せない。何でか分からないけれどアンノウンの瞳が私を馬鹿にしているのだけは分かったの。

 

 

「……おい、アンノウン。どうして此処に居る? それに菓子の香りがしたらしいが私が森で休憩中に食べようと用意していたのに無くなっていた菓子と関係有るのか?」

 

「ガ…ガウゥ……」

 

「チョコタルトとクリームパイの香りよ、女神様」

 

「ガウ!?」

 

「無くなった菓子と同じだな、アンノウン。さて、転移やら何やら芸が増えたのは誉めてやりたいが……躾の時間だ」

 

 助けを求める瞳で見たけれど助けてなんてあーげない。女神様はそのままアンノウンを連れて向こうに行ったけど悲鳴なんて聞こえないわ。私関係ないもの。

 

「シルヴィア、ほどほどにしてあげて下さいねー。さて、また芸が増えたのだから後でご褒美をあげませんと」

 

 大声でフォローしてるけど助けには行かないのね、賢者様。まあ、良いのだけど。人の家のペットの躾に関する事だもの。

 

 所で賢者様ってペットを甘やかす少し駄目な飼い主っぽい……。

 

「……あら?」

 

 さっき連れて行かれる時に落としたのか頭に乗っていたパンダの小さなヌイグルミが私の足元に落ちてたのだけど、拾おうとしたら動き出して何かを書いた紙を渡して来たわ。えっと、何かしら……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キリュウ(マスター)は抱き合ってゆっくりが好きだけど、シルヴィア(ボス)は上に乗って激しく動くのが好きだよ。意味が分かった君はドスケベさん』

 

「……」

 

 私は書いた紙をグチャグチャにして読めない様に細かく破った。うん、意味不明な事が書かれていて理解不能ね。全然分からないわ。

 

 

「賢者様、女神様を待つ間に簡単な火の魔法を教えてくれませんか?」

 

「別に良いですが……顔が真っ赤ですよ?」

 

 ……私はドスケベなんかじゃないわ。本当に失礼なんだから。

 

 

 

 

 

「では、この杖を手にして、杖の先が一気に熱くなるイメージで魔力を流し込んで下さい」

 

「えっと、こうですか?」

 

 魔力の扱いはモンスターの情報を解析する魔法を習った時に少しだけ覚えたし、デュアルセイバーは能力を込める為の容量が足りないから杖を借りたのだけど、先端がハートになってるピンクの可愛い杖。魔法少女風? って賢者様は言ってたけど……。

 

「え、えい!」

 

 イメージするのは一気に燃え上がる杖先。油を染み込ませてた布に火を付ける感じで魔力を流せば成功、私って魔法の才能が有るのかも! 一回目で杖の先が明るくなって、たちまち大きくなっていく。あれ? これってどうやって抑え込んだら良いの!?

 

「あわわわわあわっ!?」

 

「これは拙い! 私がどうにかするので押し出すイメージで放って下さい、爆発します!」

 

 杖の先が煌々と輝いて一メートル位の火球が出たんだけど凄く熱い! って言うか爆発するの!? 慌てて火球を前に飛ばしたら木と木の隙間を通り抜けて遠くで何かにぶつかったのか爆発する。火柱が上がって何匹ものモンスターが宙を舞っていたわ。

 

 

「ピヨー!?」

 

「あっ、豆ヒヨコ」

 

 勇者継承の儀で苦戦した豆ヒヨコが何匹も空を舞い、少し焦げた匂いを漂わせながら目の前に落ちて来た。お尻の蔦は千切れているし、炒り豆みたいな芳ばしい香りがしたわ。

 

 

「えっと、結果オーライ……かな?」

 

「取り敢えず基礎のコントロールを身に付けるまで攻撃魔法はお預けですね。……それとお目当ての登場みたいです」

 

 賢者様は燃え広がりそうな炎に向かって雨を降らしながら私を庇うみたいにして前に出てくる。すると地響きがして地面が割れ、叫び声と共に巨大なモンスターが飛び出して来たの。その姿は予想通りで……。

 

 

 

 

「コケコッコー!!」

 

 そう、小さな山位の巨大な鶏だったわ。豆ヒヨコと繋がっていたらしい蔦の先がないから私が倒したのがそうなのね。全身を震わせて土を落とし、威嚇するみたいに真っ赤な鶏冠がある頭を激しく動かして木の幹みたいな足を動かしてる。でも、一言言わせて欲しいわ。

 

 

 

「ヒヨコを産むけど鶏冠があるって事は雄なのね。えっと、雌雄同体って奴かしら?」

 

「まあ、あくまで鳥っぽい植物ですから」

 

 

 

 

 

 



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初陣 ②

活動報告で募集事項有ります


 俺の名はダブモ、一介の冒険者だ。今は近隣の住民の依頼としてサクサンの森に調査に出向いている。

 

「しかし噂は本当だったか……」

 

 豆ヒヨコが大量発生しているという事は、木に成り立てで大量の栄養を必要としている成長した豆ヒヨコ、豆の木鶏が居る可能性が高い。小さな村なら短時間で壊滅させる怪物だ、そりゃ慎重になって事前の下調べにも来る。倒すとなれば人員も必要物資も馬鹿に出来ないからな。依頼人も焦ったのか結構な額を提示して来たが流石に相場以上は貰えないがな。こういう時にどうするかってのは評判に関わるのさ、俺達冒険者はな。……そして貴族もだ。

 

 そもそもの話、そんな危険なモンスターなら依頼するのは普通は領主だ。それが領民が少なくない金を出し合って依頼している時点でどんな奴かはお察しで、領民が住んでいるベルガモットで情報を集めりゃ悪口が出て来る出て来る。

 

 元々は他種族蔑視で一族の鼻摘まみ者、一族伝統行事にも呼ばれなかった恥部。それが一族を乗せた船が嵐で転覆、当時の当主の息子が成人するまでの代理だが……まあ、口にしたくもねぇな。

 

「まあ、別に良いさ。俺は仕事をこなすだけだ」

 

 悪徳領主の館に殴り込んで悪政を正すなんてのは勇者の仕事だ、俺には関係無い。さっさと仕事を終わらせて変に巻き込まれない為に調査を終えるかとペンと紙を取り出した時、前方で火柱が上がった。少し離れた俺の周辺まで煌々と照らされる中、大量の豆ヒヨコが焼けながら宙を舞っていた。

 

「おいおい、何処の馬鹿だよ、森の中で火の攻撃魔法なんざぶっ放したのはよ! 教えた師匠共々碌でも無いな、絶対」

 

 目測でも20に到達しそうな数の豆ヒヨコが同じ辺りに居るって事は間違い無く豆の木鶏が居る。そして栄養補給の為の豆ヒヨコが大量にやられた場合、外敵を駆除する為に本体が姿を現す。どうやら火を放った馬鹿達には結構な腕の魔法使いが居るのか突如降り出した雨で火が消えているが、盛り上がった地面から飛び出して来た豆の木鶏はそれが意味をなさねぇ位にでかかった。

 

「こりゃ巻き込まれない為にさっさとおさらばしますかね。ったく、とんだ調査になっちまったぜ。危惧してた事態だって分かっただけでも良しとするか。……応援が必要だな」

 

 降り注ぐ土砂や木々の隙間から豆の木鶏に目を向けてみれば最悪な事に真っ赤な鶏冠を持ってやがる。あれは随分と栄養をため込んだ証、つまり強いって事だ。俺も気付かれたら一緒に襲われるから身を隠しながら距離を取ってたんだが、さっきの魔法を使った奴が気になってつい目を向けてみたんだが、なんと十歳位の嬢ちゃんだった。ツナギ姿で分解したデケェ鋏みたいな武器を両手に構えている。おいおい、後ろのローブの男は何やってるんだ!

 

 

「糞っ!」

 

 依頼人なら兎も角、自分からこんな所に来た奴の世話なんざ焼く必要なんかありはしない。寧ろ僅かでも気を引いて時間を稼いでいる間に逃げるのが賢い冒険者だ。だけどよ、餓鬼を見捨てて逃げるのが賢いなら俺は馬鹿で十分なんだよ! 気が付けば踵を返して走り出していた。剣を鞘から抜き、どうか間に合ってくれと願って少しでも気を引こうと大声を出す。

 

「おぉおおおおおおおおおおおおっ!! ……お?」

 

「コケ?」

 

 逃げてくれと願った嬢ちゃんは反対に豆の木鶏に向かって行き、大きく振りかぶった武器を巨木みたいに太い足に叩き付けた。小山くらいの巨大が揺れて、偶然にも俺と豆の木鶏の間抜けな声が重なる。まさかあんな小柄な子供がと驚きで俺の足が止まり、奴も相手にもしていなかっただろう相手の攻撃による痛手に呆け、第二撃が叩き込まれた。腰を思いっきり捻ってからの強い踏み込みによる一撃の打撃音は耳元で鳴っているみたいに俺の耳に届き、豆の木鶏の体が真横に倒れ込んだ。

 

 

 

「……嘘だろ?」

 

 あんなパワーは俺が所属するチーム一の怪力の持ち主でも無理だ。見れば倒れ込んだ豆の木鶏の脚は曲がり、嬢ちゃんは武器を両手に頭目掛けてとても速く走り出す。よく見れば狼の獣人だ。それでもあの身体能力は異常だがな。……おいおい、連れの魔法使い、彼奴が嬢ちゃんを強化しているに決まってるが餓鬼に何をさせているんだってか、領主の噂を聞いてないのかよ。

 

 

 

 

「コケコッコー!!」

 

 耳をつんざく鶏の鳴き声に思わず身が竦む。知らない間に両手で耳を塞いで竦み上がっていた。ちっ! 此処からが本番、奴も本気だって事だ。さっきの連撃で痛めたのか動きはぎこちないが脚をバタバタ動かし羽を広げて暴れて必死に起きあがろうとする。

 

 だが、その間にも嬢ちゃんは足を止めずに突き進んでいた。それなりに修羅場を潜った俺でさえ思わず止まってしまったにも関わらずだ。向かう先は当然頭部。あくまで鶏みてぇな植物モンスターだから脳味噌は無いんだが、栄養が鶏冠の根本辺りに貯まっているから破壊さえすれば直ぐに枯れるんだ。普段は高い場所に存在するが今なら狙える。

 

「だが、甘い」

 

 そんなの豆の木自体が分かってる事だ。頭には最も固い部分の嘴が有る。威嚇してるのか激しく動かしている嘴に当たったらあんな小さい体は粒されちまう。なのに嬢ちゃんは向かって来る嘴に正面から向かっていやがった。自殺志願者かよっ!?

 

 もう四の五の言って居られない。俺は武器を投げて注意を逸らそうとしたんだが間抜けな事に突き出した木の枝に弾かれて地面に落ちて、嬢ちゃんはすんでの所で嘴を跳んで避ける。そのまま片手の武器が瞬時に小さくなって腰に仕舞われ、残った片方を嬢ちゃんは振り上げるんだが無駄だ。豆ヒヨコみたいに全身の羽毛が衝撃を和らげちまうんだからな。

 

 

「おい、テメェ! 嬢ちゃん一人に任せてないでさっさと戦え!」

 

「おや、流石にそう思われますか。ですが……無用ですよ」

 

 さっきから見ているだけの野郎に食ってかかるも相手にしやがらねぇ。手が出そうになった時、遂に豆の木鶏が起き上がる。酷く興奮して振っている頭の嘴は先端が砕けていた。おいおい、あの馬鹿みたいに硬い嘴を砕いたってのか。だが、驚くのはこれからだった。

 

 

「コケ、コケ、コケェーーーーー!」

 

「わっ! おっとっと!」

 

 嬢ちゃんは片手で鶏冠に掴まってしがみ付き、激しく頭を振って振り下ろそうとするのに耐える。前後左右上下に激しく動く頭の動きに耐え続け、先に音を上げたのは豆の木鶏の方だった。

 

「コ、コケェ……」

 

 さっきも言ったが別に脳味噌が有る訳じゃないけど短時間でエネルギーを大量に消費したのか動きが鈍って鶏冠さえも色褪せる。このまま行けば嬢ちゃんの大勝利だと、俺が思った時だった。

 

「へあ?」

 

 力を失い脆くなった鶏冠の一部が抜け落ちる。嬢ちゃんが握って体重を掛けていた場所、つまり落ちちまうって事だ。

 

「やべぇ!」

 

 俺は投げ出されそうになる嬢ちゃんを受け止めるべく走り出した。荒れた道も未だ動ける巨大モンスターも気にしてる場合じゃねぇ。あれだけ動ける嬢ちゃんがこんな所で死んで良くないだろ。アレは将来大勢を助けられる才能だ。

 

 駆ける、駆ける、駆ける。このままじゃ間に合わないと必死に走る中、嬢ちゃんはパニックを起こしたのか両手に持った武器を振り回しながら豆の木鶏の体に添いながら落下する。俺は必死で前に進むが距離が絶対的に遠かった。

 

「くっ!」

 

 思わず目を背けそうになるのを抑える。何やってる。せめて俺が助けられなかった相手の最後をちゃんと目に焼き付けるんだ。俺は嬢ちゃんが落ちるであろう場所に視線を向け、その場所に嬢ちゃんは武器を叩き付ける。爆発音みてぇな大音が響いて土煙が舞い上がる中、地面に出来たクレーターの中から嬢ちゃんが這い出てきた。

 

 

「ああ、もう! 土だらけだよ、お風呂に入りたい!」

 

 さっきまでの戦いっっぷりとは打って変わって年頃の子供らしい叫び声が響いた時、豆の木鶏の全身の羽毛が一気に飛び散った……はあ!? 一体何がどうしたんだ!?

 

「説明しましょう。あれが彼女、今回の勇者であるゲルダさんの武器の能力です」

 

 俺が混乱する中、肩に手が置かれてフードの野郎が嬢ちゃんの武器を指さす。へぇ、あの武器の能力……うん? 今、とんでもない事を聞いたみたいな気が……。

 

 

「おや? 聞こえませんでしたか? もう一度言いましょう。彼女こそが世界の命運を背負った勇者であり、貴方が目にしているのが勇者としての初陣、そして伝説の始まりだ!」

 

 その言葉に俺の視線は嬢ちゃんに注がれ、嬢ちゃんは武器を構えて飛び上がる。力の多くを消耗し、全身の羽毛を失った事で身を守る術なんか無い強敵との決着の為に。そうか、俺は伝説の始まりを目にしているんだな。何か胸の奥から込み上げて来る物を感じた俺は拳を握りしめ叫ぼうと息を深く吸う。そして……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キャウーン!」

 

 おいおい、一体なんだ!? 豆の木鶏の方に悲鳴と共に何かが凄い勢いで飛んで来たぞ。

 

「コケッ!? コケェ……」

 

 別の方向から飛んで来た猫科の猛獣っぽいモンスターが激突した。ただぶつかっただけだってのに明らかに体重が重い方の豆の木鶏の体が浮いてぶっ飛び、謎のモンスターは空中で身を翻して着地したんだが、豆の木鶏の方は木をなぎ倒して進んだ後で地面に叩きつけられてくたばった。当然だが嬢ちゃんの武器は空中で空振り、そのまま着地した後の嬢ちゃんはこっちを見ない。俺も見るに耐えかねて男の方に目を向けた。

 

 

 

 

「……あの子は私の使い魔、つまり仲間。勇者は初陣で仲間との連携で敵を打破しました。そうですね?」

 

 謎のモンスターは魔法使いの男に体をすり寄せて甘え声を出し、その頭を撫でながらも奴は余った手で俺の肩を掴む。なんか随分と慌てた様子だな、おい。

 

「そうだな。そうでしかないな!」

 

 そう思わないといられない。……今夜は飲もう。何もかも忘れるくらいに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「良いか? アンノウン、お前はキリュウの使い魔である上に、彼奴と六百六十五人もの神の共同作業で創造された存在だ。好き勝手にするのではなく、もう少し自覚を持って行動しろ」

 

 森の中、タンコブを三段重ねにしたアンノウンを座らせて私は言い聞かせる。普段は怒っても聞こえない振りをしていたり、直ぐに逃げ出したりしているが今日は珍しい事に大人しく聞いている。欠伸すらせんとは成長したな。

 

「今日はやけに素直に聞くな。良い子だぞ、その調子で頑張れ」

 

 豊穣と武を司る女神として多くの従属神を持つ私には威厳が求められる。だからペットを飼いたくても飼えなかったんだ。そっと手を伸ばして背中を撫でてやればサラサラとした絹を思わせる手触り。次は思い切ってもたれ掛かってみる。うむ! 矢張り此奴は可愛い奴だ。

 

 ちょっと悪戯が好きな上にキリュウでさえ予想外の速度で力を増しているが私達のペットには変わらない。背中に乗って頭を撫でるも微動だにせんし本当に今日は良い子……うん?

 

「おい、お前寝ていないか?」

 

 密着していたら気が付いたのだが、イビキを魔法で防音して消していた。その上鼻提灯まで膨らましているのを幻覚で誤魔化していただとっ!? この私が騙されるレベルの隠蔽を行うとは流石はキリュウが創り出した存在だ。

 

「凄いな、私の夫は」

 

 愛しい男の顔を思い出して気が付けば顔が緩んでいた。本当に彼奴は私を魔法を使わずに魅了するのだから仕方のない奴だ。

 

 だが、ちょっと不満を挙げるならアンノウンに少し甘い事だな。ブラッシングや遊び相手になるのに時間を使っているし、もう少し私も構え! 頼まんと撫でてくれん癖にアンノウンは直ぐに撫でるのはズルいと思うぞ。顎を撫でれば首輪に手が触れて鈴が鳴る。これもキリュウが作った物で、歴代勇者やエイシャル王国の王族や代々の聖女にも渡して来た物だ。ちょっと特別な物でキリュウが持ち歩いている鈴と対になっている。

 

 私も当然持っているぞ。基本的に仕事以外は便所位しか離れはしないがな。

 

「むぅ……。おい、いい加減に起きろ、おい」

 

 ペットに何を嫉妬しているのかと思うが、愛する男に対しての嫉妬なのだから仕方がないと宣言しよう。取り敢えず説教を最初からし直しだと頭をペチペチと叩いて声を掛けるも反応が無い。いや、いい加減起きろ。今度は少しだけ強く叩く。地面が少し陥没したが起きる様子は皆無だ。

 

「……起きろ」

 

「ガッ!?」

 

 頭を掴んで持ち上げて静かな声で囁く。但し、ちょっとだが殺気を込めてだ。これには流石に目を覚まし、キョロキョロと目を動かして状況を把握したらしい。

 

「ガッ、ガゥゥゥ……」

 

 え? ご高説痛み入った。海より深く反省している?

 

 

 

「いや、嘘付け。寝ていただろう、お前」

 

「ガゥウウウウウー!」

 

 大きく振り被って遙か彼方まで投げ飛ばす。少しは反省しろ、大馬鹿者めがっ!

 

 

 

 ……む? 何かにぶつかった音がしたな。あの音は生き物にぶつかった音だが……。

 

 

「よし、見に行くか……」

 

 流石にゲルダに当たっていたらキリュウに怒られる。下手をすれば今夜は別のベッドなどと言われるかも知れんぞ。無事だったら良いのだが……。

 

 

 

「……お休みのキスくらいはしてくれるよな?」

 

少し不安になって来た。此処まで不安なのは本来の初代勇者が死んでいたと発覚し、異世界から同一存在だったキリュウを召喚する時に匹敵するぞ……。

 

 

 

 

 

「すまん。アンノウンをこっちに投げ飛ばしたが誰か当たったか?」

 

「ぶつかった人は居ませんよ。……別の功績を挙げなくては。最初の世界は必要な功績も少ないけど、功績になる事自体が少ないのですよね」

 

 ほっと胸をなで下ろす。杞憂で助かった。今の私にとってキリュウこそが全て。キリュウとの時間が何よりの至福なのだから。……所で知らない奴が居るな。うーむ、疎外感……。

 

 

 

 

 

「まあ、俺は先に街に戻るが……その嬢ちゃんは領主には近付けるなよ。どうもきな臭い噂が多くてな。勇者だってんなら尚更だ。……しかし伝説の賢者様が伝説とは全然違うもんだ」

 

 取り敢えず今後の方針を話し合おうと適当な場所に腰を据えること数十分後、ダブモとやらは仕事がおじゃんになったと溜め息を吐きながら去っていく。それにしても伝説とは違う、か。

 

 

「キリュウについて詳しく知っているのは私だけだという事だな!」

 

「はいはい、鎧を着ているのですから出来るだけ膝の上で動かないで下さいね」

 

 そしてキリュウの膝の座り心地を知っているのも私だけだ。何せ私がキリュウの物であると同時にキリュウも私の物なのだから。

 

 

 

 

「……おいおい、本当かよ」

 

「あの魔法使いのお兄さんや鎧姿のお姉さんじゃなくて女の子が勇者?」

 

「でも、豆の木鶏を倒して来たみたいだし、そんなバレバレの嘘を言う意味が……」

 

 キリュウが魔法で用意した荷車に豆ヒヨコと豆の木鶏を積んでアンノウンに引かせてベルガモットに戻って来ると既に人々が集まって来ていた。あの冒険者に頼んで先触れをして貰ったが何故懐疑的なのだろうか? 大体、最初から勇者だと喧伝してから討伐に出れば良いだろうに。人間はよく分からんな……。

 

「あー。矢張りツナギ姿に巨大な鋏を持った女の子ですからね。まあ、活躍を続ければ受け入れられますよ、ゲルダさん」

 

「そうでしょうか……」

 

 やれやれ、周囲の反応で少し自信を失ったか。まあ、キリュウが慰めているから大丈夫だろう。キリュウは凄いぞ。言葉を掛けてくれたら落ち着く上に何かポカポカするのだ。抱き締められながら愛を囁いて貰ったら私はそれだけで……。

 

 

「来ましたよ。分かっていますね?」

 

 ……む? キリュウが何やら囁いて示した先には近寄って来る身形の良い老人。彼奴がどうかしたのだろうか……。

 

 

 

「お初にお目に掛かります。私、グライ伯爵家で執事をやっておりますセバスと申します。旦那様が是非お招きしたいとおっしゃいまして、こうしてお招きに参りました」

 

 どうも覚悟やら罪悪感やらが入り混じった顔だな。さて、グライ伯爵家とは確か領主の家だったな。

 

 

 

 

 

 

「確かきな臭いから関わるなと忠告された家だったな。分かっているぞ、キリュウ」

 

「出来れば声に出さないで欲しかったですね」

 

 ……失敗したのか。むぅ、残念。



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理由

帰ったら感想返します


「今日から私がこの家の当主だ。ちゃんと役に立つのだぞ、お前達」

 

 一族伝統の行事の事故で旦那様ご夫婦を含む多くの方々が亡くなり、それでも幸運な事に跡取りのレーグ坊ちゃまだけは運良く助かったと知った時は神々に感謝の祈りを捧げたものです。このご恩は決して忘れず、幼い主を支えて家を守って行くと誓ったのです。ですが、奇跡的な幸運に続いてやって来たのは破滅的な不運でした。

 

 ドーク・グライ、一族の恥曝しにして唯一の汚点。幼い頃から何度も皆様が矯正しようと教育を施しても傲慢さや怠惰さが直るどころか悪化する一方。正直言って末端とはいえお仕えする一族の血を引いているとは信じたくない愚者。ああ、神々は何故この様な試練をお与えになるのでしょうか……。

 

 

 

「おい、例の娘が街に来たそうだ! 早速連れて来い!」

 

「……旦那様。民を無闇に連れて来るのは無理が御座います」

 

「相手は獣人、たかが獣だ。それとも私の命令が聞けんと言うのか!」

 

 今日も仕事は私達に丸投げしながら美食と酒に溺れる豚は鼻の下の肛門から聞くに耐えぬ言葉を発する。醜い肉体を晒し、先程から貪っているのは獣同然と侮蔑する獣人の少女。幼さすら残る顔からは生気が抜け落ち、まるで人形の様になすがままにされています。私にはそれを見て見ぬ振りをするしか出来ない。

 

 

「この私のペットにしてやろうというのだ。あの小娘もむせび泣いて喜ぶ事だろうさ。ふははははは!」

 

「……」

 

 唇を噛みしめ血が滲むほどに拳を握りしめる。この男に従うしかない無力が、目の前の犠牲者に手を差し伸べる事すら出来ない愚劣さが憎い。目の前の男よりも自分が一番嫌いでした。

 

 

 

「……随分と見窄らしくなりましたね」

 

 これから新しい被害者を生み出す事への罪悪感に悩みながら屋敷の廊下を歩けば掃除が行き届かない廊下や装飾品が全く飾られていない棚が目に付く。先代の頃までは使用人が多く、代々受け継いだ芸術的価値の高い品が多く飾られていたものです。本当にグライ伯爵家は伝統と財力をかね揃えた家でした。家臣も仕える事に誇りを持っていた。

 

 ですが、あの男が当主代行になってから衰退が始まったのです。お付き合いしていた家も数度会えば奴を嫌悪して付き合いを減らし、悪評を耳にした商人達も近寄らなくなりました。奴が権力を自由に振るい家を意のままにしようとせずにいたのは不幸中の幸いでしょう。不当に税を上げて領民を苦しめない様に使用人の数を減らし財産を処分して、後は奴に贅沢をさせて満足させていれば済みます。……せめて坊ちゃまが家を継げる歳になるまでは家を守り抜かなくては。

 

 その為ならば外道に落ちましょう。身寄りの無い獣人の少女達を使用人として引き入れて奴への生け贄に捧げるのも、奴と怪しい連中の関わりが露見せぬように隠蔽するのも、最後には奴と共に地獄に落ちる事になろうとも家を守る為なのですから……。

 

 

 

 

「セバス!」

 

「おお、これは坊ちゃま。お勉強はお済みですかな?」

 

 中庭に出た時、坊ちゃまが駆け寄って来た。私が汚れきった事も、奴の愚行も極力知らぬ様にしている為か純粋な瞳を向けてこられ、それがたまらなく辛かった。今の私には坊ちゃまにお仕えする資格など無いにも関わらず私を慕って頼りになさる。ああ、このお姿を見る度に自ら命を絶ちたくなる。

 

「うん! 大人になってグライ家を継ぐ為に頑張ってるよ!」

 

「ほっほっほ。それは楽しみです。坊ちゃまがご立派に当主を務める姿を一日も早く目にしたいものですな」

 

 ……嘘だ。私にその権利は存在しない。王家の介入が入ればお取り潰しの可能性すら存在する以上、全ての証拠をこの命と共に消し去る算段だ。既に信頼置ける部下への教育も始まっている。だからどうか、坊ちゃまが健やかに成長なされて家を継ぐ日までは天罰をお待ち下さい、神よ。

 

 

「さて、どうすべきか……」

 

 あの豚が言っている少女については既に調べが付いている。奴が気紛れに外出した先で見掛けたという羊飼いの少女だ。調べによると既に両親を亡くしており、村の者の世話になっていると言うが外出先で居なくなっても幾らでも誤魔化せる。

 

 今は奴を満足させて厄介な事態、それこそ王家の介入を避けなければならない。それを怠った結果が例の勇猛なる獅子団との接触だ。どうにかボロを出す前に始末しませんとね。

 

「最悪の事態だけは何としても……」

 

 既に私が責を負えば丸く収まる段階を既に過ぎ去っている。明日にでも訪れるやも知れぬ事態を想像して身を震わせた時、外から騒ぎ声が聞こえて来た。

 

「……嫌な予感がしますね」

 

 旦那様達が乗る船が嵐で沈んだ時も、行事の参加を許されなかった故に死なずに済んだあの男が当主代行に就任した時も、王家に知られれば家が取り潰しにあう程の事を奴が行っていると判明した時も、今と同様に胸騒ぎがした。

 

 いや、きっと大丈夫でしょう。剣聖王イーリヤ様の代からお仕えしているグライ伯爵家ならば悪評が立ち衰退の一歩を辿っているとしても簡単に介入は不可能。だからこそ今までも大丈夫だった。

 

 では、何の騒ぎか調べるとしましょうか。そうすれば安心出来る、と、私は自分に言い聞かせて街へと向かったのです。

 

 

 これによってグライ伯爵家を取り巻く状況が大きく動くなど、この時の私に知る由もなかった……。

 

 

 

 

 

「……これは手厳しい。確かに我が家にはあらぬ噂が立っていますな。ですがご安心を。どうぞお出で下さい」

 

 ちょっと町中を歩いただけで聞こえてきたグライ伯爵の悪い噂。賢者様は噂だけでなく自分の耳と目で得た情報で判断しなさいって言って来たけど、森で出会ったダブモさんからも気を付けろって言われた伯爵様からのお招きに思わず身が竦んじゃったけど、女神様の言葉を聞いて固まっちゃったわ。

 

(貴方は胡散臭いって誘って来た本人の前で言うとかー!?)

 

 見れば言われた執事さんも固まっていたのだけど、咳払いをしたかと思うと直ぐに丁寧な態度で誘って来たし、断ったら失礼に当たるわよね? 女神様も今は普通の女の人の役だし、全然演じられてないのだけど。

 

 それで、この場合は誰が決めるのかしら? 私は子供だけれど勇者って大々的に名乗りを上げちゃってるし、此処で更に断ったら拙い事になるんじゃ……。

 

 

「何があらぬ噂だ。実際に何人も消えてるじゃねぇか」

 

「怪しい連中が出入りしてたって何人も目撃しているのよ……」

 

 狼の獸人の血が流れているから私は鼻だけじゃなくって耳も良い。だから執事さんに聞こえない様に囁いた言葉も聞こえたのだけれど、それで不安は増したわ。此処は何とか当たり障りのない断り方を……。

 

「え…えっと、ですね……」

 

「是非ともいらして下さい。既に準備は整っています」

 

「は…はい」

 

 無理ー!! 最近まで普通の羊飼いだった私に伯爵様からの誘いを断るとか無理! 私が了解したら執事さんは嬉しそうに……には見えないけど丁寧な態度で案内してくれる。あーあ、私ってまだまだね。これから交渉術を身に付けたいとは思うのだけど……。

 

 どれだけ自分に今は駄目でも良いって言い聞かせても、こんな風に落ち込んじゃう。勇者なら堂々としてなきゃ駄目って分かっていても肩を落としそうになった時、頭に賢者様の手が優しく置かれて撫でられた。

 

「……ちょっとだけ元気出た、かな?」

 

 撫でられた場所に自分の手を重ねる。温かさが残っている気がして、落ち込む必要は無いって安心出来たわ。

 

 

「ガウ」

 

「アンノウンも慰めてくれるの?」

 

 今度は背中に前足が優しく当たる。森では腹が立つ悪戯をされて性格の悪い子だって怒ったのだけど、本当は優しい子なのね。

 

「森での事は許してあげるわ」

 

 賢者様に撫でられた頭に触れたみたいにアンノウンが触れた場所に触れる。温かさが残って……あれ? 何か紙が貼られている? ちょっと引っ張ったら簡単に剥がせた紙には魔法でも使ったのか弱く光っている文字でこう書かれていた。

 

 貧乳勇者参上! 、と。

 

 

 

 

「絶対に許さない」

 

 前言撤回、見直して損したわ! 貧乳じゃないもん! 私、まだまだ子供だからだもん! 偶々知り合いで歳の近い子全員が胸が大きいだけなのよ、きっと!

 

 紙を握りつぶしてポケットに乱暴に入れる。こうなったら口でも引っ張ってやろうかと思ったのだけど、振り向いたら姿が消えていたわ。

 

 

「アンノウンですか? 勝手に抜け出して怒られたから馬小屋に戻る、ですって」

 

 人を弄くるだけ弄くったアンノウンに何時か仕返しをしてやろうと決めた時、私の心から落ち込む様な暗い感情は完全に消え去っていた……。

 

 

 

 

 

 

「しかし伝説の賢者様が若いお方だったとは思ってもみませんでした。物語の挿し絵では白い髭の老爺として描かれていますから」

 

「ああ、アレですか。私からすれば不満なのですが、そっちの方が面白いから、と神々に修正を止められていまして」

 

 執事さんに案内されて屋敷まで来たのだけれど、その途中で思ったのは私達が勇者だとは信じて貰えていない事。巨大な鋏を持ったツナギ姿の女の子じゃ強いモンスターを倒して来ても偽物だって思われているのね。実際に後一歩の所で女神様が投げたアンノウンに当たって倒しちゃったのだけど。

 

 あの人、笑っているみたいで実際は目が笑っていないわ。もしかしたら勇者の偽物として捕らえる気じゃって思った私が屋敷の中に入った時、武器を持った人達の姿が目に入った。予想が当たったと思ったのだけど、貴族様の屋敷の兵士さんにしては態度が悪いしお酒臭いわ。

 

 

「さて、皆様に後はお任せしましょうか。勇者を騙る愚か者を捕らえて下さい。但し、あの少女には傷を付けずに」

 

「いっひっひ。あっちの姉ちゃんは好きにして良いんだよな? 丁度前の女が完全に壊れて困ってたんだ」

 

「男の方は身包み剥いで殺すか。何せ勇者の偽物だもんなー」

 

 

「私は偽物なんかじゃないわ! ちゃんと儀式だって受けたんだから!」

 

 武器を構えて近寄って来る男の人達に私は思わず叫んでいた。だって頑張ったんだもの。良くやったって褒めて貰ったのだもの。応援して貰ったのだもの! 誰が何と言おうと私が勇者じゃないなんて言わせないわ!

 

「へへっ! 随分と勇敢な嬢ちゃんだ。ほら、痛い目を見たくなかったら大人しく……」

 

 人を相手にするのは初めてで少し怖いけど、人だからこそデュアルセイバーの能力を発揮出来る。ニヤニヤと笑って手を伸ばして来た人の横をすり抜けて着地した瞬間、禿げた。髪の毛は勿論、髭も眉毛も睫毛だって全部床に落ちる。

 

「……へ? 俺の髪は一体何処に……」

 

「えっと、お掃除が大変そうね」

 

 尻尾の毛が生え替わる時期は掃除が大変だった時を思い出して掃除の人に謝りたくなりながら、頭に手をやって禿げた事が受け入れられない人の胴体にデュアルセイバーを叩き付ける。あっさり飛んでいった後で棚に突っ込んで伸びちゃった。

 

「この餓鬼っ! 兄貴に何しやがった!」

 

 次は大きいオジさんが掴み掛かって来たのでデュアルセイバーを小さくして屈んで避けると真上に振り上げながら大きさを戻す。丁度足と足の間に勢い良く叩き込んだら宙を舞って階段に激突したのだけど、予想以上にダメージがあったのか泡を吹いて気絶しちゃったわ。グシャって感触がしたけど潰れたのかな?

 

「この餓鬼、かなり強いぞ!」

 

「囲め! 囲んで叩き潰せ!」

 

 二人もやっつけてしまったからか、私は無傷でって依頼も忘れて彼らは武器を向けてきたのだけれども、何故か少しも怖くなかったわ。デュアルセイバーを分割して構えて迎え撃つ構えを取る。だけれども、私の初めての対人戦は拍手の音によって唐突に終わりを告げた。

 

 

「立派ですよ、ゲルダさん。人間相手の戦いは初めてでしょうに頑張りました。では、私が残りを終わらせましょう」

 

「あぁん? テメェ、舐めてると……」

 

 賢者様は拍手を続けながら私の横に並び、最後に大きく手を打つ。屋敷が一瞬で消え去った。玄関ホールの床だけが切り取られたみたいに残って残りが煙みたいに消え去って、私達に武器を向けていた人達が驚きで固まったのだけれども、一番動揺しているのは執事さんだった。

 

「坊ちゃま! 坊ちゃまは一体何処に!?」

 

 あれれ? この人、伯爵様の部下だったわよね? でも心配しているのは坊ちゃまって子だけなんだ。えっと、もしかして……。

 

 

「その坊ちゃまが私を捕まえろって命令したの?」

 

「馬鹿を言うな、坊ちゃまは聡明で優しいお方だ! あの豚と一緒にするな!」

 

「ぶ…豚?」

 

「ああ、そうだ! 全てグライ伯爵家の名を汚す豚が命じたのだ! 彼奴さえ、彼奴さえ居なければ……」

 

 あまりの気迫に私はビックリしちゃった。さっきまでの優しそうな人から一変してしまうのだもの。執事さんは貯めに貯めた怒りを吐き出すみたいに叫び続けるのだけれども、そろそろ男の人達が動き出す頃じゃ。……あれ? 何時の間にか鎖で縛られて転がっているわ。

 

 

「隙だらけでしたので」

 

 あっ、賢者様がやったのね。猿轡をされて喋れない彼らが何か叫ぼうとするけれども賢者様は目もくれないで執事さんの方、更にその後ろの地下室への階段を見ていたの。次は彼処に行くのねと思った私が進もうとしたけれど、肩を掴まれて止められた。えっと、どうしたのかしら? 賢者様を見れば首を横に振っていたわ。

 

「……行かなくて結構です。未だゲルダさんには刺激が強い。……シルヴィア、見て来て下さい。連れて来なくて結構ですからね」

 

「了解した」

 

 女神様は何があるのか知っているのか、それとも賢者様の頼みだからか迷わず進む。途中、執事さんが立ちはだかろうとしたけれども一瞥しただけで動けなくなって、女神様はそのまま階段を下りていって、数分後に戻って来たわ。ちょっと不愉快そうな顔で……。

 

 

「食べ物と服と……医者が要るな」

 

「そうですか。……では、さっさと捕まえましょう」

 

 賢者様も不愉快そうにしてもう一度手を打ち鳴らす。消えた屋敷が元に戻って目の前に太った男の人が縛られた状態で転がっていたわ。何が起きたのか分からないって状態で目を白黒させて動こうとするのだけれど鎖がジャラジャラ鳴るだけで動けない。その体に賢者様の足が乗せられた。

 

 

「グーラ・グラン伯爵代理、多くの獣人の少女を不当に捕らえ虐待した容疑によって只今を持って権限を剥奪、拘束して王宮に移送する」

 

「!?」

 

「ほら、これが国王からの指令書です。……他の容疑も直ぐに調べが入るでしょう。覚悟する事です」

 

 私はこの時、地下室に誰がどんな状況で居たのかを理解してしまった。もしかしたら自分もその中の一人になっていたって事も。だから少し震えながらも協力していたみたいな執事さんを睨もうとして、直ぐにその気が無くなった。膝から崩れ落ちた執事さんは笑いながら泣いていたの……。

 

 

「はは、ははははは……。終わりだ、何もかも。私は今まで何を、何の為に……」

 

 きっと守りたい何かがあって、それでしたくもない事をしていたのだろうって分かって、それでも私は執事さんを許せない。きっと許しては駄目なのだわ。気が付けば私は執事さんの前に立っていた。

 

 

 

 

「貴方、色々やって来たのね。それで結局何がしたかったの?」

 

 その問い掛けに執事さんは答えてくれはしなかった。ただうなだれて、最後にはうずくまって泣き出して……。

 

 

 

 

 

「賢者様、全部分かっていたの? あの屋敷で起きていた事全て……」

 

 あの後、転がっていた男の人達を含む全員を王宮まで転移して連れていった賢者様が戻った時、私は思わず問い掛けてしまった。

 

「容疑は前々から有るとジレークに調査を頼まれましてね。だからといって勇者が貴族の屋敷に乗り込むなど厄介事の種です。あくまで招かれた先でやむを得ず戦った結果に悪事を見抜いた、そんな功績にしたかったのですよ」

 

「そんなっ!」

 

 それって酷い目に遭っている人達を直ぐに助けられるのに助けないって事じゃ、そう言おうとして私は思い出す。何故勇者が功績を挙げながら旅をする必要が有るのか。初代勇者様、賢者様の旅を描いた物語の後半のシーンを。

 

 

 どうしてもっと早く来てくれなかったんだ! それは魔族に町を破壊された人が子供の亡骸を抱きしめて勇者様に怒鳴った言葉。 旅が進み、魔族が発生した世界に近い世界ほど魔族の被害が大きくなる。だから少しでも功績を立派にしなくちゃ駄目だって。人を数で判断するのは駄目だって言うけれど、目の前の人だって確かに生きてるって言うけれど、目の前に居ない大勢の人達だって確かに生きているのよね。

 

「……ごめんなさい」

 

「おや、何を謝っているのですか? その必要など無いでしょうに」

 

 私が下げた頭に賢者様の手が置かれる。今はその暖かさが少し辛かった……。

 

 

「賢者様、グライ伯爵家はどうなるのかしら……」

 

「容疑が容疑ですからね。……ですがジレークは甘い子です。勇者が誕生した事による恩赦を口実に取り潰しは免れるでしょう。何だかんだ言って古い家ですからね。」

 

「そう、良かったわ……」

 

 犠牲になった人達には悪いけど、私は胸をなで下ろして安堵する。だって、あの時に見た執事さんの姿は本当に悲しそうだったから。

 

 

 

 

「……おや?」

 

 賢者様の懐から鈴の音がしたのはその時。不吉を告げる音が静かに鳴り響いた……。



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聖女の休日

「それでは瞑想に入りますので、その間の事は司教長までお願いしますね」

 

 聖女の一日は多忙です。毎朝のミサに街を巡回して各地で祈りを捧げ、時には王侯貴族や遠い街にまで出向く事も。護衛の方は日や時間で交代しますが聖女は一人、本当に大変なのですよ。

 

 今は神殿の奥の瞑想の為のお部屋に一人で籠もる週に一度の瞑想の日。この時だけは護衛の人の目から外れる事が出来る。……そう、つまり。

 

 

「さて、さっさと抜け出しましょう」

 

 今日は週に一度の自由な時間、聖女の休息日! 偶に抜け出す時と違って人目を気にする必要なく明るい内に出歩ける日です。事前に護衛の人達が調べた椅子位しかない真っ白な部屋の壁に手を当てたら隠されていた魔法陣が光って秘密のクローゼットが姿を現す。今日はどれにしましょうかな~。

 

 聖女の堅苦しい服をバッと脱いで水色のワンピースに着替えた後は赤い髪のカツラを被り、化粧をして印象を変える。後はシークレットブーツで身長を誤魔化せば変装の完成。鏡で出来映えをチェックして、隠された地下通路の扉。

 

 

「それじゃあ出発!」

 

 普段は大きな声も出せないし走れもしないけど、今日この日は別。今の私は聖女じゃなくって少しお転婆な女の子になれる。じゃあ、今日は何処に行こうかしら? 劇場? 服屋さん? 本屋で普段は読めない少しエッチな小説を買うのも良いですね。確か最新刊が出る頃だってシスター達が話していたのを覚えています。

 

「でも、一番重要なのは屋台巡りね」

 

 聖女って本当に大変で、食べる物まで管理されているのは勘弁して欲しいです。私はもっとお肉とかガッツリ系が食べたいのにヘルシーな物ばかり。でも、今日は別。聖女らしい物しか買えないお給料をお財布に入れて好きな物を好きなだけ食べる。臭い対策も魔法で何とかなるし、折角の休日を楽しみましょう。

 

 

 

「えっと、ガーリックソーセージのホットドッグのをマスタード多めで。それとオレンジジュースとポテトのチリペッパー」

 

 普段は食べられない物を買い込んで、読めない本を読みながら食べる。今読んでいるのは少しだけ性描写が多い恋愛小説。魔法使いの少女と司祭の愛を描いた物語で、頭の固い教会関係者は嫌っているし私の耳に入れない様にさえしているけど若いシスターの間では密かに人気な。

 

「ふんふん……きゃっ!? 大胆ね……」

 

 ふふふふ、こうやってホットドッグを齧りながら本を読んで騒いでいる子が聖女だなんて誰も信じないでしょうね。私だって商人の娘の頃は絶対に信じなかったでしょう。清楚で清廉潔白で誰よりも優しい……そんな幻想を押し付けられるのが聖女。

 

 そんな窮屈な生き方を強いられた私に自分らしく生きる方法を与えてくれたのが賢者様、私の初恋の人。この自由な時間もあの人が与えてくれたから……。

 

「私もあの方と……」

 

 純潔を守るとされている聖女も世界を救った勇者相手なら構わないですけど、生憎今回の勇者様は女の子。私、そっちの趣味は無いから一生独身になるかと思うと少し落ち込むのですが、希望が一つだけ。今回の旅では賢者様が勇者の仲間として同行する。今まで勇者を導き、今回共に世界を救ったならばきっと……。

 

 目を閉じて思い出せばあの頃の事が蘇る。暗くて冷たい海の底から明るい太陽の光が照らす場所へと引き上げて貰った時の事が……。

 

 

 

「えっと、最後に署名を……」

 

「違いますね。未だ正式に襲名していませんが、署名の際には聖女様のお名前はアミリーではなくシュレイです。では、代わりの書類を用意しますので暫しお待ちを。次の書類を読んでいて下さい」

 

「……うん、分かった」

 

「はい、分かりました、です。聖女に相応しい言葉遣いをお願いします」

 

 商人の娘として家族の愛情を受けていた私の日々はある日を境に一変しました。神のお告げによって聖女の任を与えられ、家族と引き離された私に待っていたのは聖女としての苦痛な日々だったのです。

 

 聖女に相応しい言葉を、聖女に相応しい振る舞いを、聖女に相応しくない物を遠ざけ、名前も聖女としての物を。誰も彼もが私を聖女としか見ない。聖女としての役割しか求めない。周りに人は大勢居るけれど私は世界で独りぼっち、そんな風に感じていたのです。

 

 例えるなら暗く冷たい海の底、日の光が射さないその場所で見える筈もない日の光を求めて見上げる事さえ諦めた、そんな日々でした。

 

 

「……賢者様?」

 

「ええ! かの賢者様が聖都へとお越しです。シュレイ様、お出迎えの支度を」

 

「ええ、分かりました」

 

 聖女に相応しくないと遊ぶ事も読む本の内容も制限される中、勇者に関する物語だけは普通に読む事が許可されていた。特別な用事がある時を除いて聖都内での移動さえ制限される私にとって別の世界のことすら描いた物語は憧れの対象で、自分も登場人物の一人だったらと想像するのが数少ない楽しみでした。ですが何時しかその事も諦めていた矢先、賢者様が現れたのです。

 

「お初にお目に掛かります、賢者様。この度誉れ有る聖女の役目を仰せつかったアミリーと申します」

 

 賢者様に礼を欠かぬようにと事前に教えられた手順で跪きながらも、私は賢者様を観察していました。想像では賢くて怖そうなお爺さんでしたが実際は優しそうな普通のお兄さんで、多分紫の世界の出身なのではと思っただけ、適当に応対して面倒な事は避けたいと、そう思って居たのですが……。

 

 

「聖女なんて面倒な役目を押しつけられましたね。頑張ってますね、良い子良い子」

 

 下げた頭に手が置かれ優しく撫でられる。聖女に選ばれてから本当に久々で、恥ずかしかったのですがそれ以上に嬉しかったのです。聖女として理想を体現しろと言うばかりの大人か、所詮は子供と侮る大人しか周囲に居なかった私にとって本当に特別な相手に思えました。

 

 

 

「では、早速ですが一緒に遊びに行きましょう! 大丈夫、幻覚を置いていきますので好きなだけ羽を伸ばして下さい!」

 

「……え? ええっ!?」

 

 えっと、あまりにも想像していた賢者様と違っていて、状況を飲み込めないまま遊びに連れ回されたのですが……本当に楽しかった。

 

 それから来る度に普通の子供として扱って下さった賢者様は息抜きの仕方や瞑想室の隠し部屋について教えて下さって……あの日々が私を私のままで居させて下さったと思っています。

 

 

 

「あの方と一緒なら、聖女(シュレイ)ではなくて本当の私(アミリー)に……」

 

 胸に手を当て口にすればこの恋心は大きくなり続ける。ポカポカと温かくなり、理想の聖女様を演じる事で冷めていく私の心が温められていく。目を閉じれば浮かぶのはあの方の顔で、耳を澄ませば私の名を呼ぶ声が聞こえる気がする。それだけで頑張ろうと思えるのです。

 

 そうやって暫く目を閉じていると鐘の音が聞こえ、自由な時間も半分を過ぎたと気が付いた。本当に楽しい時間は直ぐに過ぎて行くのですね。少し残念ですけどケーキバイキングに行った後で部屋でダラダラ過ごしたい時に食べるお菓子を買い込んで帰りましょう。

 

「……あっ、でも、もう少し続きを読んでから」

 

 今丁度良い所なのでピロートークの所まで読み進めようと閉じていた本を開いた時、一陣の風が吹いて栞が舞い上がりました。慌てて手を伸ばすも指先を掠めただけで上空へと向かい、私は彼女の存在に気が付いたのです。

 

 物見櫓の屋根の上に立っているのはおかっぱ頭の気弱そうな少女。不安そうな表情からは何かの間違いで登ってしまい降りられなくなったかに思えますが、余りに不自然な事に私以外に誰も彼女に注目していない。あんな場所に人が立っているにも関わらず、まるで姿が見えないかの様に。

 

 

「えっと、最初に謝って置きますね。ご、ごめんなさい!」

 

 オドオドとした態度や顔と同じく気弱さの現れた声は耳元で囁かれた様にハッキリ聞こえ、それでも誰も反応しません。まるで誰かが意図的に気が付かない様にしているみたいに……いえ、彼女ですね。でも、何が目的でしょう、と、私が疑問に思った時、彼女の背中に薄汚れた灰色をした巨大な鳥の翼が現れました。彼女が手を左右に伸ばした長さの三倍はある巨大な翼は端から霧状に崩れだして上空にゆっくりと広がって行く。

 

 私は他の方と同じく彼女の姿に気が付けないみたいにを装いながらその場を離れ、人目を避けて隠し通路へと向かいました。急げば見つかるかもと歩く速度を抑え、誰の目も届かない場所に隠された入り口の魔法陣を起動させて地下通路を進む。部屋に戻れば既に事態は動いていました。

 

 

「聖女様、大変です!」

 

 ドアの向こうから護衛の人達の声が聞こえ、私は急いで着替えると内部から扉を開けば焦った様子で中に飛び込んで来ました。間違い無く先程の彼女でしょうね。まさか彼女は……。

 

「一体どうかしましたか? 瞑想中に私を呼ぶとは緊急事態の様子ですが……」

 

 

 

 

「魔族です! 聖都は今、魔族の襲撃を……」

 

 突如彼女の背後から灰色の霧が流れ込み、それに触れた瞬間、事態を知らせる声が途中から聞こえなくなりました。私も聞き返しますが向こうには、いえ、私にさえ声が聞こえなくなったのです。ギャーギャーと騒がしく嘶く鳥の鳴き声だけが耳に響き他の音が全てかき消される。この事態に随分と騒ぎになっているのは音が聞こえずとも周囲を見れば混乱具合が分かる中、またしても耳元で囁かれたみたいに気弱そうな声が聞こえて来たのです。

 

 

 

「あ、あの、これは私の、ルル・シャックスの仕業です。えっと、すみませんが私は魔族だから皆さんを殺すので……どうか許して下さい!」

 

 全く敵意も覇気も感じさせない普通の少女の声に聞こえたのが尚更不気味で私は震えそうになりました。だけど、駄目ですよね。だって賢者様は私が聖女としてやっていけると信じているのですから。

 

(声が聞こえないのなら……)

 

 指先に魔力を集め、空中に文字を書く。光り輝く文字は嫌でも注目を集めて私からの指令を伝えました。

 

『緊急時の結界が有るので中央広場の女神像の周りまで住民を中央広場のまで集めて欲しい。何人かは外に救援要請を。恐らく邪魔が入るので注意して下さい』

 

 皆さん音が聞こえない事でパニックを起こそうとしていましたが私のメッセージを見るなり何人かが外に飛び出し、護衛に数人残ります。

 

 ……不謹慎ですね。少しだけ自分が嫌になる。こんな時だというのに私はアレを、賢者様から危ない時は鳴らせと渡された魔法の鈴を使う事に喜びを感じている自分に気が付きました。だって、危ない時に英雄に助けて貰うお姫様みたいじゃないですか。私だって女の子なのだから憧れるのですよ、そういうの……。

 

 少し落ち込んだ様子の私を見て護衛の人達が不安になっては駄目だと笑って誤魔化し、肌身離さず持っている鈴を鳴らそうとした時、護衛の一人であるルーチェの背中目掛けて鳥のモンスターが向かって来ました。

 

 危ないと叫んでも声は届かない、なら! 咄嗟にルーチェの腕を掴んで前に転がり込めばモンスターはルーチェが居た場所を通り過ぎて壁に突き刺さる。骨ばった細長い体と同じ長さの鋭い嘴。今まで見た事の無いモンスターは壁から嘴を引き抜いて私達の方を向こうとしますが、それよりも前にルーチェの剣が肉体を両断しました。

 

 でも、このモンスターはいったい何なのでしょうか……。

 

 

 

「そ…その子ですか? えっと、私の眷属のダツヴァです……」

 

 またしても弱々しいあの声が、今度は直ぐ背後から聞こえて来る。振り向けば物見櫓の上に立っていた少女が其処に居ました。

 

 ……こうやって近くで見ればハッキリと分かります。どんなに気弱でも、どれだけ普通の女の子に見えたとしても、彼女からは邪悪で不気味な力の波動が放たれているのですから。

 

 

 

「えっと、聖女さん……ですよね? 私、ルル・シャックスです。し…死ぬ前ですけどよろしくお願いしましゅ! ……あっ、噛んじゃった……」

 

 お辞儀をしながらの挨拶の最後に舌を噛んで痛がっている姿からは信じられませんが、彼女が魔族、我々人間の負の感情が集まって誕生した存在だと、周囲のダツヴァという眷属、魔族が創造した特殊なモンスターが何よりの証拠。此処は早く賢者様を呼んで……鈴が無いっ!? まさかさっきルーチェを助けた時に……。

 

 

「あれ? これは何でしょうか……?」

 

 ですが、私が拾うよりも前にルルの手が鈴へと伸びる。私が思わず飛びかかろうとしたその時、ルーチェが剣を抜いて飛び掛かりました。主を守ろうと襲い掛かるダツヴァを次々と切り捨て、その剣幕にルルは怯えた様子で頭を抱える。

 

「ひゃっ!?」

 

 きっと彼女の耳にはルーチェの猛々しい叫び声が届いているのでしょう。目を瞑って身を竦ませたその足下に転がった鈴にルーチェの手が迫る。そして指先が触れる……その僅か前に天井が崩れて雪の体を持つモンスターが現れたのです。

 

 

 ……そんな馬鹿なっ!? 眷属は魔族の特性に似通ったモンスターだと伝わっています。彼女が私の前で広げ、今こうして音を閉ざしていたのが鳥の翼でしたからダツヴァは同じ鳥のモンスターだから理解出来ます。ですが……。

 

 純白の雪玉で構成された胴体と手足、バケツの帽子に炭の顔。雪と氷の能力を持つ魔族ならば兎も角、彼女の能力とは共通点が無いのに……。

 

 まさか他に魔族が来ているっ!? 私自身には騒がしい鳥の鳴き声が邪魔で聞こえませんが口に出していたのでしょう。心外だとばかりに泣きそうな顔でルルが叫んで来ました。

 

「ち…違います! このスノーマンは私の友達が貸してくれただけで、この都市を壊滅させるのは私だけで十分だって言って貰えたもん!」

 

 ……成る程。相手の目的からして撃退するか目的を達成するまで帰って貰うのは無理ですか。鈴は……瓦礫の隙間から見えていますがスノーマンが邪魔だと思った時、室内が煌々と照らされる。ルーチェの剣が紅蓮の炎を纏っていました。

 

 

「炎の魔法剣。それだけの威力なら……」

 

 ルルの視線がルーチェの剣に注がれる中、踏み込みと同時にスノーマンの体に剣が深々と突き刺さって込められた魔力が増大、炎が膨れ上がって……。

 

 

 

 

 

 

「……それだけ能力なら、スノーマン相手には自殺行為ですよ?」

 

 炎が一瞬で凍り付く。剣も、それを持つルーチェの身体さえも。数歩スノーマンが後ろに下がれば体に開いた穴の周囲が蠢いて埋まり、そのまま雪玉が連なった腕を振り上げてルーチェへと突き出す。

 

 

 

 

 

 ……ですが、その腕はルーチェには届かない。ルーチェ以外の護衛の人達が盾を構えて防ぎ、同じく凍り始めた盾から氷が伝わる前にルーチェを抱えて飛び退く。その瞬間、追撃をしようとしたスノーマンに私の魔法が放たれた。

 

 

「えっと、無駄ですよ? その程度じゃ……」

 

 私が放ったのはルーチェの魔法剣の炎の数倍の熱を持つ炎の波動。その勢いはスノーマンを後ろに下がらせますが徐々に凍り付いて行く。ええ、そうでしょうね。だって、聖女に必要なのは攻撃より癒やしの力ですから。

 

 

「え?  きゃあっ!?」

 

 ルーチェを庇った他の護衛の人達の陰から剣が投げつけられる。刃は咄嗟にしゃがみこんだルルの直ぐ側を通り過ぎ、剣を投げて直ぐに飛び出したルーチェが瓦礫の隙間から鈴を拾い上げました。

 

 その鈴が私へと投げられ、受け止める為に手を伸ばす。ルルはメソメソと泣き出して邪魔する様子もない。これで賢者様を呼べると笑みを浮かべた時、室内で吹いた風が鈴を舞い上げてルルの所まで運こびます。……風を操れるとは誤算でした。

 

 

 

 グシャリと音がしたのでしょうね。私の目の前で鈴はルルに握り潰されてしまいました。

 

 

「あの、この鈴で何方か呼ぶ気……でしたよね? 誰が来るか教えてくれたら嬉しいなぁ……なんて思うのですけど駄目ですか?」

 

 背後から聞こえた声に咄嗟に振り向けば、今にも泣き出しそうな顔をした少女、魔族ルル・シャックスが私の手の中にある鈴を指差していました。……ふふふふ。私、もう駄目かも知れませんね。




他作品のアンノウン被害者の会が主人公に言いそうな事

1 頼むから彼奴をどうにかしてくれ

2 どんな躾してるんだ!

3 お前のせいか!

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女神と使い魔

募集キャラ登場


 嫉妬とは同レベルの相手にしかしない……らしい。ならば私が感じているモヤモヤは嫉妬とは呼ばないのだろう。だってキリュウは私を圧倒的に愛しているのだからな。私と奴は相思相愛の夫婦、誰に嫉妬するというのだ。

 

(……ミリアス様も面倒な仕事を押し付けたものだ。私を構う時間が減っているぞ)

 

 悠久の時を生きる不老不死の存在である神と人では時間の感覚が違う。価値観の相違も此処から来るのだろうがよく分からん。私の受け持ちは武と豊穣だ。……ん? アンノウン、何を呆れている?

 

 ミリアス様がキリュウに頼んだ仕事は歴代勇者のサポートだ。その為に用を知らせる魔法の鈴を作り出し、歴代勇者だけでなく一部の知り合いに渡したのだが……。

 

 いや、仲間の子孫なら兎も角として聖女にまで渡す必要はあるのか? まあ、聖女から呼び出しが掛かる事は片手の指で数えれば足りる程度であったが、勇者からの呼び出しは大変だったぞ。ベッドの中で後ろから抱き締められている時や、膝枕をしてやっている時。それに一緒に風呂に入って体を洗いっこしている時や、森の中でキリュウを押し倒して今から脱ごうとした時なんかにタイミング悪く呼び出しが掛かる。

 

 大体、キリュウの時は大きく力が削がれた私が居ただけで、賢者の助けの様な物は無かったが世界を救ったぞ! 別の世界の住人でもあるまいし、甘えすぎだと思うのだがな。贅沢に溺れた馬鹿者の事も有るし、次からは提言してみるか。

 

 だって私と過ごす時間が減るから! 僅かな時間でも寂しいものは寂しいのだ! ……ああ、そうか。モヤモヤの理由が分かったぞ。

 

 

 

「キリュウ。私はどうやら数秒でもお前と離れたら寂しいらしい」

 

「それは私もです。……だから、離れた時間の分、より全力で愛し合いましょう」

 

「いや、早く行きましょう! イチャイチャしている場合じゃないですよ……」

 

 キリュウが常に持っている鈴の一つ、シュレイ……いや、アミリーに渡した物と対になる鈴が鳴り響く。しかもこの音の高さは破壊された時の物。私とキリュウは手を繋ぎ、近くに立つゲルダと隙を見て遊びに行こうと駆け出したアンノウンを連れて聖都シュレイまで転移した。

 

 視界が一瞬だけ光に包まれ、直ぐに光が消えれば其処はシュレイの神殿内部。今まさに灰色の羽を広げた魔族の少女がアミリーに鋭く尖らせた羽の先を突き刺そうと動かす。だが、それが届くよりも前にキリュウの拳が少女の顔面に突き刺さった。

 

「きゃぶっ!?」

 

 丁度顔の中央に拳を叩き込まれた少女は涙目で鼻を押さえ、指の間からは血が流れている。恐らく鼻が折れたのだろうと思って横を見ればゲルダはビックリとした表情で固まっていた。

 

 

「えっと、賢者様が女の子の顔を容赦なく殴ってますけど……幻覚ですか?」

 

「いや、現実だぞ? ああ、それとお前も知っているが魔族は悪意等が淀みとなって集まった物が意志を持った存在。老爺だろうが幼女だろうが惑わされるな。年齢はどれも実際は変わらん」

 

「それは分かっていますけど……」

 

 うーむ。先程人相手に戦って耐性が付いたと思ったが、未だ明らかな悪党という見た目でなければ無理なのか? これでは先が思いやられると思いながら私も加わる。不意打ちで顔面を強打されてパニックに陥っている魔族の脇腹に跳び蹴りを軽く叩き込めば壁を突き破って飛んでいった。……生きているだろうか? 

 

 

「賢者様! きっと来てくださると信じていました!」

 

 背後から嬉しそうな顔をしたアミリーがキリュウに駆け寄って手を取る。……こんな状況でなければ怒って引き剥がしている所だ。私が余裕のある女で良かったな!

 

「……ガウ」

 

「うん? 今、何処がだろう、と言ったか?」

 

「ガーウ」

 

 気のせいだよ、ボス、か。まあ、今は誤魔化されてやろう。それは兎も角としてだな……。

 

「アミ……いえ、シュレイ。魔族とモンスターはゲルダ達に任せて今は聖女として人々の救援に! 耳は聞こえますね?」

 

「はい! 全て賢者様のお陰です! では、ご健勝を!」

 

 そうだ早く離れろ、そんな風に私が願ったのがミリアス様に通じたのかキリュウが内心を悟ってくれたのかアミリーは言葉に従って離れて行く。所でこの霧に耳を聞こえなくする力が有ったのだな。全然気が付かなかったぞ。

 

 

「ではゲルダさん。危なくなったら助けますので魔族の相手はお願いします。私はこの霧から人々を守りますので。シルヴィア、アンノウンと一緒にモンスター退治を。くれぐれも街を破壊し過ぎない様にお願いします。くれぐれも街への破壊は抑えて下さいね」

 

 ……何で二回も行ったのかは分からんが了解した。何よりお前に頼られるのが嬉しいんだ、キリュウ。

 

 

「ああ、任せろ! 先ずは目の前の奴らだ!」

 

 一番近くの雪の固まりみたいなモンスターに拳を叩き込む。打撃点から発生して扇状に広がっていく衝撃波はモンスターの全身を粉砕して広範囲に散らばらせた。何か少しだけ冷たかった気もするが問題はないな。

 

 さて、壊れた壁から町の様子が見えるが酷い有様だ。これは一刻も早く倒さなければ! 

 

「行け、アンノウン!」

 

「ガガーウ!」

 

 残った鳥のモンスター達もアンノウンの頭に乗ったパンダのヌイグルミから放たれたビームが消し去る。おっと、今ので向こうの屋根に乗っていた姉様の像が破壊されたが……不可抗力だな!

 

 

「じゃ…じゃあ行って来ます!」

 

「ええ、頑張って! 十分な功績を挙げて封印の楔が完成した世界には魔族は干渉出来ません。今日此処でこの世界を救ってしまいましょう!」

 

「はい!」

 

 おや、今の言葉で迷いが消えたらしい。晴れ晴れとした顔でゲルダは奴が吹っ飛んだ方向へと向かって行く。ならば私も負けていられん。速やかに仕事を終わらせねばな。

 

 

「アンノウン、全力で行くぞ!」

 

「……ガウ」

 

 無駄だったね、マスター、だと? 意味の分からん事を言っていないで急げアンノウン! そのまま私も神殿を飛び出してモンスターの密集地帯へと全力で向かう。ふはははは! 見ていてくれ、キリュウ。この私の戦いをな!

 

 

 

「……ああ、脳味噌まで筋肉な貴女も美しい、美し過ぎますよ……」

 

 

 

 

 

 

「ガウ、ガーウ!」

 

「ほほう。あのモンスターはそんな名前なのか。それよりも解析の魔法が使えたとは驚きだぞ、アンノウン」

 

 街中に飛び出せば先程のモンスター達、スノーマンとダツヴァが暴れている。私は地上のスノーマンに向かい、先程と同様に拡散する衝撃波で吹き飛ばし、アンノウンは空中に躍り出るとその場で回転、ヌイグルミの放つビームで周囲を飛び交うダツヴァを纏めて薙払う。それにしても私が使えない魔法を使えるとはな……。

 

 

「|一定以上の魔力と頭脳が有れば使えるよ、ボス《ガウガウガウ》」

 

「そうか。流石はキリュウが創造しただけあって賢いな!」

 

「……ガゥ(あっ、通じてないや)

 

 ん? 何を言っているんだ、此奴は。ちゃんと言葉は通じているだろうに変な奴だ。まあ、未だ生まれたばかりだから仕方ないのだろうが。これはちゃんと教育をしてやらねば将来馬鹿になるなと思った時だ。バチバチという音を立てながら大鷲のモンスター達が接近して来たのは。

 

「イィアアアアアアアア!!」

 

 耳障りな鳴き声と共にその嘴が内部から光り雷撃が空中のアンノウンに降り注ぐ。何を思ったのかアンノウンは私とあの鳥、サンダーバードというらしい連中を交互に眺め動きを止める。降り注ぐその一筋一筋は細くても束ねれば極大の雷撃となり、空中で呆けたアンノウンの肉体を包み込んで地面へと叩き落とした。その威力たるや地面を打ち砕き余波で周囲の窓が砕ける程。だが、アンノウンならば一切問題無い、その筈だった。

 

「馬鹿なっ!? それほど迄の威力ではなかった筈だ!」

 

 確かに魔法の類に疎い私であるが、目の前にした物の威力を見誤る程ではない。アンノウンならば平然としている筈なのだ。だが、現実は違う。四肢を投げ出して微動だにしない奴の体からは赤くドロドロした物が付着していた。

 

 そしてダメージを受けて動けない獲物を見逃すモンスターは居ないだろう。ダツヴァは嘴を突き刺そうと矢の如く迫り、サンダーバードは再び雷撃を放つ気なのか放電を始める。

 

「てやっ!」

 

 気が付いた時、私は斧を投擲していた。猛回転しながら飛翔する斧は風を切りながらダツヴァ達へと迫り瞬く間に両断していく。弧を描いて飛んで私の手元に戻って来た斧をキャッチするのと目の前のモンスターの死骸が地面へと落ちるのは同時であった。

 

 

「アンノウン!」

 

 未だ他の箇所で暴れているモンスターが居るのは理解しているが、今の私にとって優先すべきはアンノウン、ペットの事だ。確かに悪戯ばかりして悩ませる存在だが、それでも我が家の一員なのだから。

 

「ガウ……」

 

「少し休めば大丈夫だと? ああ、安心した。では私が安全な場所まで運ぼう」

 

「ガ!?」

 

 何を遠慮しているのか持ち上げるのを頑なに拒否するが怪我をしているのだから拒否を許す訳が無いだろうに、馬鹿者め! 無理矢理持ち上げて避難させようとした時、私の足の爪先が何かの容器に触れる。……ケチャップ?

 

「……」

 

 アンノウンの体に付着した赤い物を指に付けて嗅いでみればケチャップの匂いが

 

「……ガウ」

 

 予想通り全くの無傷だ。痛がってさえない。平然としながら欠伸さえしていたのだからな。

 

「……ふざけてないで戦え」

 

「……チッ!」

 

「後でお仕置きだぞ。取り敢えずおやつ一週間抜き」

 

「!?」

 

 慌てふためいているが、私を一瞬とはいえ騙したのだから当然だ。サンダーバードに八つ当たりする音を背中に浴びながら私が進んだ時、崩れた建物と、それに集まる者達の姿が目に入った。

 

 

 

「誰か来てくれ! 未だ子供達が居るんだ!」

 

「もうモンスターがこんな所まで!」

 

 崩れかけた建物の前では剣を振るってダツヴァを寄せ付けまいとする騎士達の姿があり、瓦礫の奥には数人の子供の姿。やれやれ、仕方がないな。

 

「退いていろ、三秒で終わらせる」

 

 一秒……地面が爆ぜる勢いで踏み込んで建物に接近。邪魔な瓦礫を片っ端から真上に蹴り上げる。

 

 二秒……蹴り上げた瓦礫に更に蹴りを叩き込んで破片をダツヴァ達に飛ばす。

 

 三秒……無数の破片となった瓦礫がモンスターの体を打ち砕き、降り注ぐ瓦礫に当たらぬ様に全員抱えて退避する。

 

 

「ジャスト三秒……とはいかんか」

 

 どうも踏み込んだ場所に地下通路があったらしく崩落した為に踏み込みが甘くなって3・4秒掛かってしまった。幾ら神としての力の多くを封印しているとはいえ情けない。

 

 

「私もまだまだ未熟だな。……怪我は無いか?」

 

「あ…ああ。お陰様で」

 

「お姉ちゃん、勇者様の仲間の人だよねー? 凄く強かったよ」

 

 ……まあ、今回はキリュウの頼みである人々の救援が優先だ。落ち込むのは後にして今は先を急ごうか。

 

「では中央広場までその子を連れて行け。私は……次の場所に行く」

 

 今度は地面に負担をかけぬ様にふんわりとした動きで飛び上がる。鳥が飛ぶよりも高くまで飛び上がれば街全体の様子が見て取れ、スノーマンに追われている者達を発見した。それほどスノーマンの動きは速くないが怪我人でもいるのか逃げる方の速度も遅い。このままでは追い付かれるのは時間の問題か……。

 

「はっ!」

 

 両膝を曲げ、掛け声と共に空気を蹴る。爆音と共に私の肉体は前方へと押し出され、そのままの勢いでスノーマンの前方の地面に激突した。大きなクレーターを作り土砂を周囲に散らばらせた私をスノーマンは警戒したのか動きを止め、棒立ちの巨体に先程同様に衝撃波を叩き付けて粉々にする。

 

「次っ!」

 

 既に大体の位置は把握している。近くの建物の外壁に飛び移り、そのまま壁を蹴って近い場所へと飛ぶ。先程の着地の際に上空に飛び散った大小の石を掴んでダツヴァやサンダーバードへと投擲し、スノーマンを粉々にすると再び次の場所へと飛ぶ。

 

「……妙だな」

 

 スノーマンを砕けば放たれていた冷気が消え去っていたのだが、先程から冷気が街の一角から強く放たれている気がするのだが。気のせい……ではないな。

 

「彼方か。……間違い無いな」

 

 冷気が放出されているのは中央広場。視線を向ければ魔族の魔法の霧に混じって白い霧が街のいたる箇所から集まっていた。何か嫌な予感がした時、それは現実となる。

 

 

 

「スノーーーーマン!!」

 

 今までの個体とは比べ物にならない程に巨大なスノーマンが両腕を広げ咆哮する。それだけで周囲一体が霜に覆われた。どうも勘が鈍ったらしい。倒したと思った相手が合体するとはな。……本当に未熟だ。

 

 自分を責める一方で、別の感情もわき上がる。その感情の名は……歓喜。

 

 

 

「……面白い」

 

 不謹慎だが……ちょっとだけワクワクして来たぞ。

 

 

 

 

 

 

 

「てやぁあああああ!!」

 

「ひゃっ!? わぁっ!?」

 

 その頃、街の一角ではゲルダとルルが戦いを繰り広げていた。優勢なのは現在の所ゲルダ。デュアルセイバーを握る事で流れ込んでくる身体の動かし方を徐々にだが確実に自分の物とし、分割したデュアルセイバーを使い二刀流の刃を振るう。刃としての能力は皆無な為に鈍器ではあるが、その一撃一撃は速くて重い。

 

 だが、当たらない。此方は動きが未熟で無駄が多く、正に素人その物に関わらずゲルダの猛攻を回避し続ける。一切攻撃に転じる事が出来ず、キリュウとシルヴィアによって受けたダメージが大きいのか脇腹を庇う動作を見せるなど精彩を欠いた様子を欠いた様子だが、それでも掠りもしないのは圧倒的な身体能力の差にあった。シルヴィアが言った通り、華奢な少女の姿をしていても魔族は魔族。その力を目にした事でゲルダから迷いが消え始め、更に攻撃が激しくなっていた。

 

「な…何なんですか、貴女はっ!? どうして襲って来るんですかっ!? 助けてディーナちゃーん!!」

 

「私は勇者です! 大体、街を襲っておいて何を言っているのっ!」

 

「貴女みたいな子供が勇者な訳ないじゃない! 私、トロいとか馬鹿だとか言われるけど、其処まで馬鹿じゃないわ!」

 

 まあ、信じないだろうなぁとゲルダは、馬鹿にされたと思って怒りに震えるルルの姿を見て思うのであった。

 

 

 

 

 

「おやおや、主の(メェ)で様子を見に来ればまさかの発見。これはこれは……」

 

 そして、離れた場所から二人の姿を観戦する人物が一人。胴体はスーツ姿の男性だが頭は角の生えた山羊。興味深そうにゲルダへと視線を向け、無抵抗を示す様に両手を上げて後ろに顔を向ける。笑みを浮かべたキリュウが其処に立っていた。

 

 

「彼女が勇者という事は貴女が賢者殿ですか。……怖い怖い。正直言って魔王様さえ相手にならないでしょう。ちょっと魔力を抑えて頂けたら落ち着くのですが」

 

「落ち着かせるとでも? ねぇ、名も知らぬ魔族さん」

 

「ならば倒しますか? 勇者の功績に出来ないのに?」

 

 山羊の頭をした魔族は笑い、キリュウは無言で返す。両者ともこの場で動き気は無いと互いに悟っていた。

 

 

 

 

「何時か彼女が貴方を倒しますよ、絶対にね」

 

「おやおや、子供に勇者を押し付ける薄情な神の下僕が面白い事を。……では、此処で失礼。私はビリワック・ゴートマン。また機会が有れば」

 

 ビリワックは丁寧に頭を下げ消えていく。キリュウはその姿を笑みを浮かべたまま見送るも目だけは笑っていなかった……。

 



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魔族の眷属達

この小説のコンセプトは

第一作のセーブデータを読み込んだら中ボスとフリーバトル限定で第一作の主人公とヒロインが最初から仲間に! です


活動報告で募集中


「ガウ……」

 

 前脚でダツヴァを押さえ込んで頭を噛み砕くと脳味噌の柔らかさと飛ぶ為にスカスカな骨のパリパリした触感が結結構美味しい。サンダーバードは発電機関がスパイシーで刺激的な味だけど、流石に何十体も食べていたら飽きて来たなぁ。わさび醤油が欲しいよ。あと、ニンニクバター。

 

 って言うか飽きて来た! 頭の上のパンダは未だ上手く動かせないし、パンダビームで向かって来るのを打ち落としてるんだけど、眠い退屈遊びたい! ボスが人を襲っているのは倒したけど他のは放置して僕に押しつけるしさ!

 

 ちょっと不満が溜まって来たから遊びに抜け出したい気分だけど、そうしたら絶対おやつ抜きの期間が増えるし、だけど僕だけでダラダラするのは面倒だし。……そうだ! ちょっと良い事を思い付いたから召喚魔法を発動、今此処に全ての僕は集う! なんちって!

 

 

 

「えー! 今日は君の仕事でしょ、僕」

 

「楽しい事は僕達で、面倒な事はその日担当の僕だけでって決めたじゃん!」

 

「今は留守番をしながらグータラしてたんだよ。マスター秘蔵のお酒を安物と入れ替えて美味しい料理と一緒に味わってさ」

 

 ずるーい! 僕だって美味しい物食べたいのにー! 取り敢えず食べ残したら怒られるから焼き鳥のタレを持って来てー。僕が抜け出したらボスは馬鹿だから誤魔化せてもマスターには分かるしさー。

 

「あー! ボスを馬鹿って言ったー」

 

「怒られるよー」

 

 どうせ連帯責任だよ。関係ない時は理不尽だけど、関係有る時は死なば諸共だからバラすないでねー、僕達。あっ、それとボスにおやつ抜きって言われているから。僕はそれを伝えたら僕達が固まった。うんうん、気持ちは分かるよ。マスターのお菓子って美味しいからね。僕だけ食べられないのは悔しいのさ!

 

 例え相手が僕であっても一切遠慮しない。それが僕クオリティ!

 

「えー!?」

 

「この卑怯者ー! 外道ー!」

 

 ふっふっふっ。所詮世の中ってそんな物なのさ。僕達が何やら言ってるけど無視無ー視! さて、来たからには手伝って貰うからね。来たのに何もしなかったってボスに知られたらどうなるかなー?

 

 

 他の日担当の僕達が何か言っているけど聞こえなーい! さーて、お仕事お仕事っと。あー、早くキグルミを遠隔操作出来る様になりたいなー。そうしたら寝転がりながら好き放題出来るんだけどなー。

 

 

 え? 今でも好き勝手してるって? 別に良いじゃないのさ、僕は獣なんだしさ。じゃあ、皆一斉に空に向かって……パンダビーム!! 上空へと放ったビームは束ねる事で極大になって、無数に拡散してダツヴァやサンダーバードに降り注ぐ。ふっふっふっ。街にちょっと被害が出ちゃったけど、ボスだってマスターが被害を抑えてって言ったの忘れてるから問題無ーし! 僕はちゃんと覚えてるけどね。ボスとは違うのさ、ボスとは!

 

 

「ねぇねぇ、アレってなんだと思う?」

 

 他の僕が空を見上げていたからニンニクを炒めた所にバターを溶かして醤油を回し入れてたけど上を向く。空の彼方から超巨大なアヒルが落ちて来た。

 

 

「ガアー!」

 

 でっぷり太った不細工なアヒルで丸々太った姿はボールみたい。しかも少し見た感じからして羽毛が金属製っぽいと思った時、僕達の目の前にそのアヒル、ヘビーダックが地面に激突して地中に埋まる。激突の衝撃で落下地点を中心に陥没して瓦礫が飛び散ったし、土煙が舞い散って体が汚れちゃうし、もう最悪! こんなのを眷属にするなんて余程性格が悪くて性根が歪んでるんだね!

 

 頭から地面に埋まって脚をバタバタ動かすヘビーダックは漸く抜け出した。自分が土煙を起こしておいて身を震わせて、ガアガア五月蝿く鳴くと僕に嘴を振り下ろし、その勢いで前に転がりだす。ゴロゴロ転がって僕の真横を通り過ぎて建物に激突した姿は隙だらけ。さーて! さっさと終わらせてアヒルの丸焼きにしちゃおうっと!

 

 

 さあ! 皆、行くよ!僕は折角呼び寄せた他の僕にも協力を求めたんだけど、相手は所詮僕だった。

 

 

「君だけでやればー?」

 

「そうだよ、僕」

 

「その間に鳥焼き肉を楽しんでおくからさ」

 

 ぼ…僕の薄情者ー! まあ、僕だってそうするけどさ、絶対。余りに酷い言動の僕達にショックを受けた僕は全力のパンダビームを放つ。だけどヘビーダックに命中した瞬間、四方八方に弾き飛ばされる。ビームは建物や地面に穴を空け、別の僕が吐く火でダツヴァのモツのバター醤油炒めをしていたフライパンにも命中。折角の料理は宙を舞って散らばった。

 

 

「よくもっ!」

 

「食べ物の恨みは恐ろしいぞ!」

 

「お前の肉を食べてやる!」

 

 よーし! 丁度良い具合に僕達も怒ったぞ。ヘビーダックはビームが全く効いていなかったのかのっそりと動くとモタモタしながら向かって来る。あれは体重を支えるだけで精一杯だね。……あっ! 大切な事に気が付いた。

 

 

「僕達、彼奴からはきっとフォアグラが取れるよ!」

 

「なぬっ!? 食べた事無いよ、アレ! マスターもボスも嫌いだからってさ」

 

「だからって僕には食べさせてくれても良いよね」

 

「珍味珍味ー!」

 

 ふっふっふっ! 流石は僕、楽しい事と美味しい物には目がない。全員で一斉に舌なめずりをしたらヘビーダックは何かを感じたのか動きを止めて、ちょっと迷って動き出した。

 

「ガアー!」

 

 ヘビーダックは叫び声を上げるとその場でパタパタと羽ばたいてピョンピョン跳ねる。その度に地面が揺れて罅が入り、足首が地面に深々と突き刺さった。馬鹿みたい、プププー! 思わず僕は吹き出しちゃった。他の僕もクスクス笑ってるよ。んじゃ、僕も次の攻撃をしようかな。

 

 その場で前転、勢いを増してヘビーダックへと接近、間近で跳ねて飛びかかると勢いを乗せた爪を振り下ろす。あ痛っ! ガリガリって嫌な音がして表面が軽く削れただけだ。フーフーって息を吹きかける僕は涙目になっちゃった。もー! 堅すぎだよ、君!

 

 ヘビーダックは僕を尻尾で叩いて追い払う気なのか回転を始める。咄嗟に飛び退くけど回転はドンドン速くなる上に、よく見れば頭と足が体内に引っ込んで完全な球体だ。もう元の体色が分からない位に速くなったヘビーダックは自分でも周囲の様子が見えない位の速度らしくって滅茶苦茶に動き回るけど、重いから地面が削れている上にぶつかった建物も壊されて崩れるし、もう僕も気にせずに良いかな?

 

 よし、遊んじゃえ! 回転しながら動くヘビーダックの上に飛び乗るとそれに気が付いたのか振り下ろそうと回転を増しながら円を描いて動き出す。玉乗り玉乗り楽しいなー! きゃっほー!

 

 

「ガアー!」

 

 あっ、ヘビーダックが飛び上がっちゃた。慌ててバランスを取るけど空中で回転軸を変えるから僕は遂に落とされ、さっきみたいに魔力を噴射して踏み潰そうとして来た。ギリギリで避けたけど地面の欠片がぶつかったよ、痛ーい!

 

 

「ガアガアガア……ハッ!

 

 

 

 

 あっ、今鼻で笑われた。うーん、僕って舐められてる?

 

 

 マスターが創ってくれた僕が? 優秀だって誉めて貰ってる僕を? あんなアヒル如きが? この怒りは僕以外の僕も同じみたいだ。別々に分かれているけど僕は僕、考える事は同じなのさ。

 

「……方向確認」

 

 良し、この方向に無人の建物しか存在しない。

 

「……威力調節」

 

 さっきのお遊びの攻撃よりも力を、何より殺気を込める。

 

「……融合」

 

 此処に居る僕が全て元に戻る。頭の数と体の大きさが膨れ上がって魔力のチャージ、その余波だけで周囲の地面に罅が入るけどヘビーダックの仕業にしちゃえ!

 

 

「ガアガア、ガアー!!」

 

 ヘビーダックが飛び上がる。あの巨体で、あの重量で物見櫓よりも高く飛び上がってお尻から魔力を放出、勢いを付けて向かって来た。うんうん、凄い凄い。

 

 

 

 ……でっ、それで?

 

 僕の頭全てから放った魔力の波動はヘビーダックを飲み込んで一瞬で消し去る。余波が周囲に広がって街の一部が少し消滅したけど人的被害はゼロだし問題無ーし!

 

「もー! お仕置きは君だけね。他の僕は知らないから」

 

「あれれ? 今すぐ帰りたいけど融合が思った以上に……」

 

「うげっ! このままじゃ一緒に怒られちゃう!」

 

 どうせ連帯責任だから僕への怒りは分割されるしね。何か他の僕が五月蠅いけど聞こえなーい! さてと、お仕事も終わったしお昼寝お昼寝っと。寝る子は育つ、もっと強くなる為にお休みだーい! その場に寝転がって目を瞑れば直ぐに眠気がやって来る。良い夢見れたら嬉しいなー。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あの馬鹿、力を出し過ぎだ。街が滅茶苦茶ではないか、全く」

 

 直接目にせずとも感じ取れる魔力の波動によって建物に出た被害を察した私はアンノウンへの追加の仕置きを考えつつ巨大なスノーマン、キングスノーマンと名付けた、の顔面近くへと跳躍して迫る。少し結界に視線を送ったが周囲と違って内部には其れ程冷気が入り込んでいないが幼子や老人が震えている。先ずは引き離す事が先決か。

 

「スノスノスノスノ!」

 

「その程度の攻撃が私に当たるものか」

 

 キングスノーマンの腕の一部が盛り上がり、先端が鋭利に尖った氷柱が飛んでくる。前に進みながら邪魔な氷柱を避ければ突き刺さった部分が凍結して氷が広がって行くが、触れる事で足止めの狙いがあっても私には触れられない。既にキングスノーマンの足元までたどり着いていた。

 

「時間は掛けられんな、うん」

 

 キングスノーマンがその場所に居るだけで極寒の地の様に気温が急速に下がって凍り付いて行く。私の服も霜が付き、人ならば一呼吸するだけで肺が凍結する思いだろう。だが、力の大半を封印しようと私は女神、構造が人とは違うのだ。

 

「スノー!!」

 

 炭が集まって出来た目と口を曲げて怒りの感情を示したキングスノーマンは両腕を頭上に上げて結合、トゲトゲした雪のハンマーにして振り下ろして来た。丁度跳んだ所で方向転換など出来るはずも無い。だから私も真上に向かって拳を突き出した。雪のハンマーが私の拳と衝突した瞬間に爆発四散、直ぐに再生して直ぐに別の形へと変わる。今度は獣の頭、口の中は上下とも細かい牙でビッシリだ。その上下で私を挟み込もうとしていたが、気にせず先程とは違う腕に意識を向ける。その手に持つのは愛用の斧、高速回転する刃は空気摩擦で煙を上げて紅蓮の焔に包まれる。

 

「せいっ!」

 

 名付けてクリムゾンアックス。掛け声と共に投擲すれば回転を増して焔を膨らませキングスノーマンの胴体に着弾すると衝撃波に乗り、激しく燃え盛って広がる。キングスノーマンの全身が炎に包まれ崩れ出した。だが、溶け出した雪を中心に焔が凍って容積を元に戻した雪がキングスノーマンの肉体を形作る。

 

「……面倒な」

 

 手を前に突き出せばキングスノーマンの内部から斧が飛び出して私の手に収まった。この斧の名はミョルド、キリュウとの旅の最中に手に入れた思い入れのある品だ。こうやって手から離れても手元に戻り、あの焔に包まれていても傷一つ無い。壊れでも再生する様にしてくれたのはキリュウだ。

 

「さて、もう少し離すか。多少街に被害が出ても仕方無いだろう。うん、何一つ問題が見あたらんな」

 

 両腕を武器に変えて振り回す度により冷気が強くなって行き、結界内部にも霜が付き始めた。これ以上は限界だ。姉様を崇める街を破壊するのは気が咎めるがな。姉上の姿を思い出した私に僅かな迷いが生まれ、あの人の姿が思い浮かぶ。

 

 

 

 

「ねぇ、アンタの旦那だけど一晩貸して。夫婦がベッドでどうすれば良いのか教えて上げた際に見たけど……凄く美味しそうだったわ。きっと楽しい夜になりそうね」

 

 姉様を信奉する街の被害を抑える。あの方の為に抑え……る。

 

「うーん。アンタに化けて誘惑したけどバレちゃった。こりゃ気合い入れて誘惑しなきゃね。此処まで通じないなんて情欲を司る女神の名折れよ! 何が何でも抱かれてやるんだから!」

 

 抑え……。

 

 

 

 全身全霊、全力で拳を突き出し続ける。一切の躊躇をせずに突き出す連撃は衝撃波によってキングスノーマンの肉体を背後へと吹き飛ばし続け、即座に再生するもキングスノーマンの身体は結界から徐々に離れていった。突き抜けた衝撃波が建物を破壊するも気にせず、今度はミョルドを大きく振り上げ地面に突き刺して地盤をひっくり返せばキングスノーマンの身体は背後へと傾いて倒れ込んだ建物が完全に崩壊、凍り付いた瓦礫も周囲に散って破壊を広げて行く。

 

 

「スノー! スノーマーン!」

 

「五月蠅いな、此奴」

 

 此処までやってもキングスノーマンには一切消耗した様子が見られない。血も肉も骨も無く、細かい雪の結晶の集合体であるが由縁か。消耗した部分も魔法で作り出した雪で埋めて補填。取り込んだ雪を身体の一部にするのも、その雪を作り出すのにも大した魔力は消耗していない。まあ、ちょっとずつ減っているからチマチマ削るのは性に合わん。

 

 大体、キリュウに任せて貰ったのに今現在私の目の前で敵が健在だというのは不愉快だ。さて、だったらどうすべきかと思った時、キングスノーマンの肉体が崩れて吹雪になって行く。忽ち吹雪は私を包み込み、雪が周囲に積みあがって押し寄せて来る。全方向から雪が私を圧迫して来るのだが……どう言った状況なのか分からない。只、真上からキングスノーマンの叫びが聞こえてくる上に私を包んだ雪が動いている気がするんだが……。

 

 

「あっ、成る程。私を体内に閉じこめたのか」

 

 グイグイと雪が押してくる上にこの雪だ、普通だったら動けず圧死か窒息死か凍死なのだろうが私は別に堪えんしな、この程度。あっ、でも放っていたら街で暴れるか。街への被害を抑えるべく私は動いているのだ。……よし、この状況を利用するか。

 

「はぁああああああああああ!!」

 

 周囲で固まっている雪を無理矢理押しのけミョルドを頭上に掲げた私は更に無理矢理上に飛び、縦回転を始めた。先程は腕の力だけだが今回は全身の力を使っての猛回転、その威力は桁が違う。キングスノーマンの体内から無理矢理飛び出した私は宙に投げ出され、激しく燃え盛る。進行方向の建物を蹴って更に上空、キングスノーマンの頭上に飛び上がった私の視界には全身から氷柱を飛ばすキングスノーマンの姿が映る。

 

 

 

「ギガクリムゾンアックス!!」

 

「スノーー!」

 

 空を蹴り、猛烈な勢いで迫る私には氷柱を飛ばしても一瞬で蒸発するだけなのを見た瞬間、キングスノーマンは叫び声と共に身を震わせ姿を変えていく。その姿は正しく巨大な氷柱。螺旋が刻まれた肉体を高速回転して私を穿とうと飛び上がった。両者が激突するのに一瞬も要せず、勝負は呆気なく済む。我が斧はキングスノーマンの巨体を両断し、地面に激突した瞬間に火柱が天高く伸びて其の身を完全に蒸発させた。もはや一切の気配無し。

 

 

「これにて決着!」

 

 

 

 

 炎が燃え移ったり、さっき方向転換する為に蹴った建物が崩壊したが人的被害を避ける為だ。キリュウも誉めてくれるに違いない。だって誰も死ななかったのだからな!

 

 

「さて、今夜はどの様な褒美を貰うとするか。……アレだな。キリュウの魔法で増えた私が一方的に攻め立てる奴、アレをしたい」

 

 建物が崩れ落ちる音を聞きながら私は今夜が来るのが非常に待ち遠しかった。




感想お待ちしています

アンノウンはまだ喋れませんが自分同士なので言葉が通じています


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別れと旅立ち

長かった 


「……何で、何で皆私を馬鹿にするんですか? ルルは本当にトロいとか、ルルって魔族で一番馬鹿だとか、挙げ句の果てにこんな子供が勇者だって嘘で騙そうとか……。それに何時の間にか聴覚阻害の魔法が無効化されちゃってるし。私が誉めて貰える数少ない特技だったのに」

 

 目の前の魔族のお姉さんのルル(あれ? 魔族ってあくまでこの姿で誕生する訳だから私の方が年上?)はうなだれて肩を落とすとプルプルと震え出す。目からは大粒の涙がポロポロこぼれてちょっと可哀想かなぁ。

 

「えっと、賢者様の魔法だから仕方無いですよ。あの人、淀みの封印にならないからしないだけで、その気になれば魔王も楽に倒せるそうだし」

 

「えっと、賢者って私の顔面をいきなり殴った人……じゃないよね? 流石に違うか……」

 

 殴られた時に出た鼻血の跡を指先で触りながらルルは身震いする。まあ、急に現れた相手に顔面を殴られたら怖いよね。でも、聖女様が殺されそうになってたし……。

 

「いえ、あの人が賢者様です」

 

 ちょっとショックを受けた姿が見ていられなくってフォローしたけど、出会い頭に顔面を殴打する人が勇者を導く賢者様だって信じられないよね、うん。小さい頃に読んで貰った絵本でも物静かで賢い方ってイメージだったから私も少しショックな気分。でも、まだマシだよ?

 

「あの人、人前でイチャイチャイチャイチャするし、其れを見せられなかっただけマシな方だと思うけど……」

 

 本当に勘弁して欲しいよ、流石に! 見ているこっちが恥ずかしくなるやりとりを何度も見せられて、もう賢者様や女神様への憧れに影響が出ている程で……。

 

「勇者を導く賢者がそんな事する訳ないじゃない! 私、そんな嘘を信じる馬鹿じゃないって言っているのに! もう、貴女なんて死んじゃえ!」

 

 うん、信じたくないけれど真実なの。もう仲間になるから変に気負わないで良い様に呆れさせているんじゃって思う位。でも、それもバレバレの嘘だって思ったルルは泣きながら怒り出して、叫び声と共に背中に出現した灰色の翼が波打って、羽が一本私に向かって飛んで来た。

 

「きゃっ!?」

 

 顔面に向かって飛んで来た羽を咄嗟に躱すけど少しだけ掠めた頬が綺麗に切れてドロリとした血が流れ出していた。ヤバい、切れ味が凄いよ、あの羽。

 

「避けないでっ!」

 

「無茶言わないでっ!」

 

 飛んで来た羽を次々に避けていたらルルは泣きながら叫んで更に羽を飛ばして来る。危ない上にこの羽ってちょっと……。

 

「臭い……」

 

 うん、とっても嫌な臭いがするわ。養鶏場みたいな鳥臭さが強烈に漂って来る上に別の臭いまで混ざっていて鼻が曲がりそう。だから思わず口から飛び出した言葉は本人の所まで届いちゃったみたいでショックを受けたのか一瞬固まって、更に激しく泣き出しちゃった。

 

「く…臭くないもん! 私、ちゃんと香水付けているもん!」

 

「えっと、羽の臭いが消えてなくって香水と混ざって凄い事になって……ますよ?」

 

 ううっ、幾ら魔族でも少し罪悪感が……。いやいや、相手は此処まで街を破壊しているのだし、そんな事を気にしたら駄目よ、私。ほら、向こうじゃ火柱が上がっているし、別の場所じゃ空に放った凄い魔力で周囲の建物が崩れちゃっているし、同情なんてしちゃ駄目っ!

 

「……許さない。街をあんなに破壊するなんて絶対に許さないんだからっ!」

 

「ええっ!? いや、私が連れて来た子達や借りた子達にはあんな能力持ってない……」

 

「言い訳しないでっ! 街を破壊しに来た貴女以外の誰が街を彼処まで破壊するって言うの!」

 

 さっきから街を襲っておいて自分が被害者みたいな事ばっかり言って、今度は自分のせいじゃない!? 私はこの街がどれだけ綺麗だったか知っている。聖女様が自分を押し殺しながらも街が好きだって言っていたのを聞いた! それを此処まで壊しておいて……。

 

「絶対に許さない! 貴女は私が絶対に倒す!」

 

 こみ上げて来る怒りが力に変わったみたいに体が軽くなる。気が付けば体中に青い模様が現れて淡く光っていた。これって聖女様の体にあったのと同じだ。突如現れた模様に私は驚いだけどそれ以上に驚いていたのはルルだった。

 

「そ…それって勇者の証の……貴女が勇者って本当だったんだ」

 

 絶句した様子で震えながら私を指さすルルの言葉に私は頷き、この時初めて自分の口からこの名乗りを上げる。賢者様や女神様に言われてはなく、自分が名乗りたいと思ったから。

 

 

「私は四代目勇者ゲルダ・ネフィス。そして今此処で貴女を倒す者よ!」

 

 デュアルセイバーの切っ先をルルに向け、真っ直ぐに顔を見据える。もう迷いは無いわ。ルルを倒して勇者に選ばれるに相応しい存在だって証明するんだから! 

 

「え…えっと……」

 

 私と正面から目を合わせたルルは直ぐに目を逸らし、指先を合わせてモジモジしだした。羽の動きも止まり今が好機みたいだけど私は待つわ。目の前の相手が勇者として戦うに値するのか判明するのを。

 

 

「わ…私はルル・シャックス! 魔族の一員にして勇者を倒す者!」

 

 そしてルルは自分の頬を挟むようにして叩き、少しだけ声を震わせながらも私をちゃんと見ながら名乗りを上げる。うん、勇者の戦いはこうでなくちゃ。私が心躍らせた歴代勇者の戦いのシーンは何時も正々堂々と誇りの為に戦っていた。だから私もそうなるの。私みたいな子が憧れる勇者に。

 

 

「い…行きます!」

 

 ルルの翼がまたザワザワと動き、何本もの羽が向かって来た。さっきは避けたけど、今度は違う。正面からデュアルセイバーを構え、真上から叩き落とす。凄く堅くて重い物を殴った時みたいに腕が痺れるけど羽は地面に突き刺さっている。さっきは殆ど目で追えなかったのに今度はちゃんと見えていたわ。

 

「……これのお陰ね」

 

 こんなの読んだ本には出て来なかったから驚いたけど、勇者としての力を与えてくれているって理解した。これが出る前、私が心の何処かで勇者を名乗る踏ん切りが付かなかった頃には避けきれない位に速く見えた羽が叩き落とせる位に見切る事が出来た。言われるがままに受けた試練を突破して、言われるがままにベルガモットで勇者としてアピールした時の私とは違う。今この時、私は本当の意味で勇者としての一歩を踏み出した。

 

 

「急に覚醒なんてズルいわ! これじゃあ私は負ける為に生み出された悪役みたいじゃない! 魔族だって自分の意思と命を持っているのに!」

 

「……うん、そうだろうね」

 

 私はルルの叫びを否定出来なかった。どれだけ酷い事をしても、存在そのものを否定して良い理由なんて何処にも無い、誰も持っていない。でも、本当に分かっているのかな?

 

 

 

 

「じゃあ、どうして人間を襲うの?」

 

「え? だって私は魔族だもん」

 

「……そう」

 

 ちょっとだけ目の前の魔族に同情した。彼女、自分が抱えている矛盾に気が付いていないから。そして今の言葉で覚悟が決まった。

 

 

「なら、私は貴女を絶対に倒す。私が勇者で貴女が魔族だからじゃなくって、貴女の行動が許せないから」

 

「ひっ!」

 

 一歩前に踏み出せば怯えた仕草を見せたルルの翼から今度は二本の羽が飛んで来る。さっきは一本でも叩き落とせば手が痺れる位だった。でも、今度は一撃で二つ纏めて弾き飛ばす。正面から受け止めるんじゃなくって、軌道を逸らす、そんな風にイメージすれば自然と身体が動いてくれた。どう動けば良いのかデュアルセイバーから頭に入り込んで教えてくれる。

 

「来ないで、来ないでってばっ!」

 

 恐怖からか目を瞑りながらもルルの攻撃は激しくなって、今度は五本飛んでくるけど全部は弾かない。横に一歩移動する、それだけで私に当たりそうなのは三本、それを落とした瞬間、ルルに片方の刃を投げつけた。驚きつつも撃ち落とそうと羽を飛ばすけど、当たる直前に小さくなった刃の直ぐ側を通り抜けるだけ。そして、私は投げられた刃に気を取られた隙に駆け出して一気にルルへと迫っていた。

 

「てやっ!」

 

「来ないでって言ってるのにっ!!」

 

 癇癪を起こしたみたいな声で叫ぶとルルの翼が一層激しく震えて今度は十本もの羽が飛んで来ようとするけれど、小さくなったからと意識を外した刃は元の大きさに戻してある。今、ルルはそれに気が付いた。でも襲いよ。目の前に迫っているもの。

 

 

「きゃあっ!?」

 

 咄嗟に顔を庇った腕にぶつかった刃が弾かれて宙を舞う。放とうとした羽はショックで止まって地面に落ちて、私は既に至近距離に足を踏み入れていた。腕を伸ばして弾かれた刃をキャッチ、既に持っている刃の手も上に向けて、顔を庇って視野が狭まったルルの両方の翼を斬りつけた。

 

 

 この刃に物を斬る力は備わっていない。だから伝わって来たのは鈍器で殴った時の感触。厄介な羽を飛ばす翼を切り落とせないの。でも、別の力なら有る。

 

 

 

「羽さえ、羽毛さえなければ怖くないわ」

 

 このデュアルセイバーには相手の毛を刈り取る力が有るんだから!

 

 

「あ…ああ、私の翼が……ううっ、うわぁあああああああああん!!」

 

 羽が一本残らず抜け落ちた自分の翼を見て表情を固まらせたルルだけど、次の瞬間にはその場にしゃがんで泣き出してしまった。見た目だけなら私より上なのに小さい子供みたいにわんわん泣いて、手を目に当てて涙を流す。無力化したし、もうこれ以上の攻撃は必要無いよね?

 

 

「えっと、降伏してくだ……っ!?」

 

 だから大人しく捕まって欲しいと言おうとして何か嫌な予感がした私は咄嗟にデュアルセイバーを盾にして構える。途轍もない衝撃が手に伝わったかと思うと背中が何かにぶつかる。

 

「かはっ!? い…一体何が?」

 

 突然受けたダメージで肺の空気が押し出されて状況が理解出来なかった。え? どうしてルルがあんなに遠くに移動して……いや、違う。

 

「私が移動したんだ。ルルの一撃で此処まで殴り飛ばされて……」

 

 状況を理解する。自分の甘さを理解する。離れた場所で泣いているままのルルは拳を突き出していた。あんな無造作な一撃で殴り飛ばされて背後の壁に激突するなんて……。

 

 想定以上の力に恐怖を感じて足が竦む。でも、良いよね? だって私は未熟な勇者だもん。これから強くなるんだから。

 

 

「そう! 私は貴女を倒して強い勇者になる! だから怖いって思ったままでも戦ってみせる!」

 

 デュアルセイバーを構えてルルへと駆ける。両手をブンブンと振り回してバタバタ走るから上半身はグラグラ揺れているし、ちょっと叩けば転びそう。それに……。

 

「右脇腹を庇ってる? あっ!」

 

 どうも女神様の攻撃を受けた場所に負担が掛からない様にしているからか只でさえ不格好な走り方をしているのに尚更フォームが乱れている。これは付け入る隙だと確信した私はルルの右側に回り込む様に接近。デュアルセイバーを脇腹目掛けて振るうけど、ルルもそれに気が付いたのか一層無茶苦茶に腕を振り回す。周囲を気にせずに振り回すから建物とか木に当たっているけど、触れた場所が爆発したみたいに砕けて破片が飛んで来た。顔に当たりそうな物を思わず手で庇った時、足に痛みが走る。弾いた時に地面に突き刺さっていた羽で足を少し切ってしまったの。そして、この硬直は回避行動を遅らせる結果になった。

 

「かっ!?」

 

 指先が胸を僅かに掠っただけで私の体は紙屑みたいに吹き飛ばされる。多分もう少し胸があったら危なかった。この時ばかりは貧乳で良かったって思うけど、ちょっとだけ落ち込んでしまうわね。デュアルセイバーの先を建物の壁に突き刺して勢いを殺して着地、息を整えた私の視線はルルの胸に向かっていた。

 

 無くはない、寧ろ普通より大きい。……うん、間違い無く彼女は私の敵。だから絶対に倒す。胸とかは関係無しに! 本当に胸は関係無しに!

 

「もう、もういい加減に死んでっ!」

 

「死んでと言われて死ぬ馬鹿はいない!」

 

 再び大きく振りかぶって勢い余って上半身が回転するルルの腕に向かってデュアルセイバーを振るっていた。但し刃の部分じゃなく、穴が空いた持ち手の部分を。ルルの拳は持ち手の穴に入り込み、そのまま二の腕まで入り込んだ所で勢いがなくなった。バランスを崩したルルの足は片方が地面から離れ、立て直そうとした瞬間に引っ張る。ルルは体勢を保てずに背中から倒れ込み、私は彼女の頭に向かってもう片方の刃を振り下ろした。

 

「きゃっ!?」

 

 でも、それは咄嗟にルルが頭を逸らしてしまい側面を少し掠めただけに終わる。毛が地面に落ちた。そう、ルルの側頭部の髪がデュアルセイバーの力によって見事に剃られていた。もう見事なまでにツルツルだ。

 

「え?」

 

 きっと違和感があって手で触れたのね。そっと指先で触れ撫で回す。何が起きたのか理解出来ずに呆然とした様子で何往復もさせ、毛が一本もない部分を触り続ける。

 

「えっと、ごめんなさい」

 

 此処まで街を破壊した敵とはいえ同じ女の子として凄く申し訳ない気分になった私はルルの腕をデュアルセイバーの持ち手から抜き、思わず頭を下げてしまう。

 

 

 その頭に目掛けてルルの手が伸びた。直前で気が付いて避けた私はその場から飛び退くとルルは大粒の涙を流しながら腕を振り回して掴み掛かって来る。

 

「貴女の…貴女の髪の毛も引き抜いてやるんだから!」

 

 あの手に捕まったら髪の毛だけじゃなくて首まで引き抜かれる! 速いけど動きが雑なお陰で避けれない事は無いけれど最悪を想像して冷や汗が流れる。きっと、だからだろう。隙を見て振るったデュアルセイバーの狙いが甘くなって、刃が正面から掴み取られたのは……。

 

「……捕まえた」

 

 咄嗟に引き抜こうとするけれどデュアルセイバーは少しも動いてくれず、引っ張られて踏ん張ったけど簡単に私の足は地面から離れる。持ち手を必死に掴んで放すまいとする中、私の身体は凄い勢いで振り回された。

 

「わわわわわっ!?」

 

 このまま怪力で叩きつけられたら不味い、そう判断した私はデュアルセイバーを小さくし、当然遠心力で飛ばされる。背後に迫るのは建物の外壁、私が両足で蹴りつけて衝突の威力を殺した時、ルルの姿は地面から消えて私へと手を伸ばして迫っていた。壁を蹴りつけて前方へと跳んだ私は空中で無防備で避ける方法が無い。このまま捕まって死ぬのか、諦め掛けた私を奮い立たせたのは誰の介入も無いという事実だった。

 

 危なくなれば助けに入るはずの賢者様が手出しをしない、つまり私ならどうにか出来るって信じていてくれているから。期待には応えてこそ誰もが憧れる勇者になれるんだ。迫り来るルルの腕、防御も不可能で弾き返すのも無理。なら、避けるだけ。

 

 デュアルセイバーを振り下ろしてルルの腕に叩き付ける。微動だにしないけど私の身体は反動で上に向かい、更にルルの腕を踏みつけて高く跳んだ。足を掴もうと振るわれた腕は僅か下を素通りし、私を見上げたルルと視線が交わる。

 

 

「これで……終わり!!」

 

 全身全霊を込めた一撃がルルの顔面を捉え、地面へと叩き落とす。受け身も取れずに激突したルルの体は大きく跳ねて地面を転がり、何とか着地した私は大きく息を吐き出す。全身が痛みと疲労によって動かす事も困難な中、勝ったのだという実感が湧いてきた。

 

「勝った……。私が魔族に勝ったんだ……」

 

 賢者様と女神様が先にダメージを当たえ、眷属の介入もない戦いだったけれど、この勝利は間違い無く私の物だ。達成感や抑えていた恐怖が込み上げて気が付けば涙が流れ出していた。

 

 

「あれ? 変だな、涙が止まらない……」

 

 此処まで泣いたのは何時以来だろう? お父さんお母さんが亡くなって一人だけになった時? 止まる様子を見せない涙で視界がぼやけて前がよく見えないや。本当に変だな……。

 

 

 

 

 

「いや、これは幾ら何でも変過ぎるっ!」

 

 泣き出した時はこんな物かと思っていたけど、気持ちが落ち着いても涙が止まらない。何より賢者様達が何も言ってくれない事に違和感を持った時、ぼやけた視界で誰かが立ち上がるのを見た。いえ、違うわ。誰かじゃなくってルルだ。ルルが立ち上がったんだ。

 

 

 

 

「えへ、えへへへへ。初めて上手く出来た。聴覚だけじゃなくって、視覚の妨害が……。えっと、目がちゃんと見えなかったら戦えないよね? ……私の勝ちっ!」

 

 ぼやけた視界でルルが接近するのは分かるけど距離も動きも目で判断出来ない。賢者様が防いだけど、聴覚封じと合わさって本当に恐ろしい力、人を滅ぼす魔族に相応しい能力だ。

 

 

 

 

 

 

 

「……いえ、違うわね。能力だった、と言うのが正しいかしら?」

 

「かはっ!? ど…どうして……」

 

 振り抜いたデュアルセイバーはルルの脇腹に正確に叩き込めていて、拳を振り上げた姿勢で固まったルルは膝から崩れ落ちる。視覚を封じた事で勝利を確信したルルだけど、一つ忘れていたみたいね。

 

 

 

「私は狼の半獣人。……目が見えなくても鼻が凄く効くの」

 

 今度こそ終わりだと、デュアルセイバーを大きく振り上げて叩き付ける。ルルが倒れる音と共に涙が止まって視界が元に戻った。えっと、本当に終わったのよね? さっき勝ったと思って油断したばかりだから安心は出来ないと気を引き締めようとした時、ルルの肉体が突如光り出す。まさか未だ戦えるのかと身構えた瞬間、光は粒になって天に昇ってルルの肉体は消え失せた。

 

 

「えっと、一体何が……」

 

「浄化ですね。魔族とは人の負の感情が肉体を持った存在ですから」

 

「ひゃわっ!? 賢者様、驚かせないで下さい!」

 

 何時の間にか背後に立っていた賢者様の手が頭を撫でる。倒したんだって聞かされて気が抜けた私だけど、賢者様の視線が私の体の模様に向けられているのに気が付いた。あっ! これについて何か知っているかも。

 

「あの、賢者様。この模様って何でしょうか? これが出たら力が湧いて来た上にルル……魔族の彼女が勇者の証だって言ってまして……」

 

「その通り、それは優れた勇者にのみ発現する勇者の証『救世紋様(きゅうせいもんよう)』です。私以外の勇者は発現しなかったのですが……ゲルダさん、貴女は本当に優れた勇者らしい。それに本当に頑張りました」

 

 賢者様の言葉で驚きと喜びが込み上げる。でも、破壊された街を見たら素直に喜べないよね。崩れ落ちた建物や燃え広がる炎を見ていたら心が痛くなる。もっと強くなって、何かをする人達を倒すんじゃなくって何もさせない、そんな勇者になりたいな。

 

 

「じゃあ、街を元に戻しますね。……まさか此処まで破壊するとは。止められなかった事が悔やまれますよ」

 

「えっと、仕方ないと思います。向こうは街を破壊する気で攻めて来ましたし……」

 

「いえ、そっちではなくて……さて、さっさと直しましょう」

 

 賢者様は矢っ張り優しい人だと思う。魔族に街を破壊された事を此処まで落ち込むだなんて。でも、何か様子が変な気がする。あれは罪悪感? でも、どうして?

 

 その質問をしようと思ったけど、賢者様が何度か失敗しながら指を鳴らすと柔らかい風が吹いて壊れた建物が修復されていく。数秒後には私が初めて来た時と同じ美しい街並みに戻っていた。

 

 

「出来れば街の修復はしたくなかったのですがね。此処でしたなら他の街でしないのは気が咎めます。ですが、全ての街に立ち寄れる訳ではない。……どうして助けに来てくれなかった、私が勇者だった時に言われた言葉です。三百年経った今でも心に残っていますよ」

 

 すっかり元通りになった街を眺めながら呟く賢者様の顔は少し悲しそうで、私はこれ以上何かを言うのを止めた。きっと、それが正しいのだと思う。世界を救う旅の厳しさを一つ学んだ私だった。

 

 

「皆様、この度は有り難う御座います。お陰様で犠牲者の数も少なくすみました。…あの、もう次の世界に行かれるのですか?」

 

 怪我人の治療などの後始末も終わり、私達は聖女様の神殿まで来ていた。賢者様が大々的な式典は断ったから此処に居るのは僅かな関係者だけ。聖都で最も位の高い聖女様が当然お礼の言葉を述べて、少し寂しそうに顔を曇らせる。其の視線が向けられた空の上には橙色に光る球体が浮かんでいた。

 

「ええ、あの通りオレジナの封印に必要な功績は十分です。ならば次の世界に行って新たな功績を挙げませんとね」

 

 あれこそが封印の証だって賢者様が教えてくれた。もうオレジナには魔族は手出し出来ない。そうやって次から次へと世界で功績を挙げて封印を続ける事で全ての世界が救われる。今日は記念すべき第一歩を踏み出した日なの。

 

「……そう、ですよね」

 

 話を聞いた時から思った事だけど、聖女様が恋をしている相手は賢者様だったと今確信した。でも、賢者様には既に女神様が居る。本当に愛し合っていて誰も入り込む隙間がない妻が存在する。其れを口にして良いのかは分からない。だって、私は恋すらした事がないから。

 

 そんな私の悩みも聖女様の淡い恋心も知らず、賢者様は相変わらずの優しい笑顔で聖女様の頭を撫でる。きっと小さい頃から知っている聖女様は、賢者様には親戚の子供みたいに感じているのね。それは優しくて、少し残酷だと思った。

 

「安心して下さい。世界を全て救ったら顔を見に来ますよ、アミリー」

 

「ですから私はもうアミリーでは……いえ、今この時はアミリーに戻らせて頂きましょう。貴方と出会ったばかりの頃の、未だ聖女としての責務を全て背負う前の私に……」

 

 結局、聖女様は自らの想いを口にする事はなかった。でも、それで良いのかも知れないわ。何時かは知ってしまう事であっても、幸せな夢を見る事が出来るのだから。

 

 

 

「……恋って難しいのね」

 

 シュレイを旅立ち、目指す先は世界と世界を繋ぐ大樹ユグドラシル。アンノウンが引っ張る馬車に揺られながら私は呟いていた。恋だの愛だの語るには私は経験が無い。もしかしたら世界を救う度の途中で私にも出会いがあって誰かと恋をするのかも知れない。

 

 その恋が破れるのか、それとも結ばれるのか、恋に落ちてさえいない今の私には分からないのだけれど、視線の先で珍しく静かに寄り添っている賢者様と女神様を見ていると恋への希望が湧いてくる。

 

 

「さて、イエロアではどんな出会いが有るのかしら?」

 

 今まで小さな村と偶に出掛ける市場だけで終わると思っていた私の世界は人々との出会いで大きく広がって行く。きっと苦しくて辛い事も多いだろうけれど、それでも私は新たな出会いに胸を躍らせていた。

 

 

 この先に多くの素敵な出会いが有りますようにと願いながら……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燦々と照りつける太陽の下、灼熱の砂漠の街には今日も活気があった。ターバンを巻いた屈強な男達が水の入った大瓶を運び、ヘソ周りを露出した若い女達が装飾品の露天の前で立ち止まり、恰幅のいい中年女性が瑞々しい果物を買い求める。

 

 アラビアンナイトの世界を思わせる街の何気ない日常。人々の顔には笑顔が溢れ、平穏そのものだ。

 

 だが、違和感が一つ。黄金に輝く宮殿、権威の象徴であるその建物に誰もが視線を向けないのだ。それはまるで目を背ける事が今の平穏を守る術だと言うかの様に……。

 

 

 

「次はリンゴをちょうだい。それと甘いお酒をね」

 

 その宮殿の最奥、宮殿の主が座する場にはディーナの姿があった。踊り子を思わせる服装によって晒された肌はきめ細かく妖艶で、男ならば視線を向けずにはいられない程。豪奢な椅子に座しながら侍らした肌も露わな美童達に羽扇で扇がせ、色とりどりの果物や飲み物を差し出させる。

 

「ディーナ様、ご所望の品は此処に……」

 

「ふふふ。緊張しているわね……可愛い」

 

 差し出されたリンゴを受け取った彼女はリンゴを乗せていた銀の盆を手にした少年の頬を撫でる。年頃の男ならば彼女の美貌も相まって魅了されてしまいそうな優雅な動作にも関わらず少年の心は恐怖で満たされる。その肌は砂漠の街だというのに寒さに震えていた。

 

「あの子も早く仕事を終わらせて遊びに来れば良いのに。ちゃんと宴の準備はしてあげているのにトロいんだから、相変わらず」

 

 未だ姿を見せぬ友であるルルの来訪を待ちわびながら甘い酒が入った金の杯を傾けて喉を潤し、再びリンゴを口に運ぶ。リンゴと同様に赤い唇が実に触れた時、宙より現れた手紙が銀の盆の上に落ちてきた。

 

「……無粋ね。少し不愉快よ」

 

 もうすぐ姿を見せるはずの友人との宴を心待ちにしている気分を台無しにされたと眉を顰める姿に少年達は更に不機嫌を招かぬ様にと騒ぎはしないが恐怖する。次の瞬間、凍り付いた手紙が強く握られ砕け散った。

 

 

「……あの子が、ルルが浄化された? 既に継承の儀を終えた勇者によって?」

 

 妖艶な笑みが氷の仮面を思わせる無表情へと変わり、声から感情が抜け落ちる。部屋の気温が一気に下がり、雪と氷の国を思わせる極寒の世界へと姿を変えた。

 

 

「……許さない」

 

 静かに呟いた時、足元から氷が広がって行く。逃げる為に走り出そうとした少年達は足が凍って動けず、音を立てながらせり上がる氷によって忽ち全身を覆われて物言わぬ氷像となって生涯を終えた彼らをスノーマン達が運んで行った先には同じく氷像へと姿を変えた見栄麗しい少年少女達の姿があった。

 

「……絶対に許さない」

 

 氷の浸食は部屋に止まらず宮殿全体へと広がって、逃げ惑う人々の悲鳴も聞こえなくなる。何時しかの服は氷のドレスに変わっていた。

 

 

 

 

 

「来るなら来なさい、勇者! このディーナ・ジャックフロストが魂の芯まで凍り付かせてあげるわ」

 

 平穏な街からは活気が完全に消え失せ、オアシスの湖の底まで氷に覆われる。何気ない日常の風景は氷によって時が止まっていた……。




感想待っています


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砂漠世界の雪の城
新たな力


募集モンスターの登場です





 黄の世界イエロア、砂漠が大部分を占める六色世界の中でも特に過酷な環境に数えられる世界であり、文化としてはアラビアンナイトを彷彿させる物がある。金持ちが好んで使う空飛ぶ絨毯、王の墓であるピラミッドは数々の罠や魔術で守られ、砂漠の下には古代遺跡の存在があるという伝承が伝わっている。

 

「あら、あれは何かしら?」

 

 そんな世界の片隅に存在する小さな村の幼い少女は何時もより早く目が覚め、偶々外の景色を見た事で誰よりも早くそれに気が付いた。砂漠は昼間は暑く夜は寒いが、イエロアには決して降る事の無い筈の雪、それが降っていたのだ。

 

 やがて初めて目にする存在すら知らなかった白い雪に夢中になる彼女の声で家族が目覚め、他の家でも同様に雪を初めて目にした人達が驚きの声を上げる。商人ならいざ知らず、小さく貧しい村では他の世界の情報など入る訳もなく、得体の知れぬ白く冷たい物に対して子供みたいに楽観的には接する事が出来ない。だが、そんな中で変わり者とされていた男が口にした。これは雪という物で、他の世界の冬では珍しくもない雨みたいな物だと告げたのだ。

 

 その言葉に村人達は雪への警戒心を失う。この世界では珍しくても他の世界では普通に存在するのなら何かの理由で降る事も有るだろうと。水の確保にも苦労する村人達からすれば構っている時間は無く、寧ろ雨同様に瓶に貯めて水を確保しようとさえしていた。

 

 

「不思議だなぁ。どうして降ったんだろう……」

 

 そんな中、好奇心旺盛な彼女は疑問を口にしながら空を見上げるが、母親に呼ばれて慌てて家の手伝いを始める。これと同じ事がイエロアの各地で起き始めていた。

 

 

 村人達は気が付かない。それが鎌首を擡げた毒蛇であるという事を。その首筋に牙が突き立てられるまで……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ…あの~、賢者様。この階段ってどれだけ残ってますか?」

 

 六色世界を救う為、生まれ育った橙の世界オレジナから黄の世界イエロアへと向かっていた私は疲労が溜まって来た足を止める。世界と世界を繋ぐ世界樹ユグドラシル、都市一つの面積と同じ位の直径を持つ大樹の周囲には緩やかな螺旋階段の足場が橙色の光の板で作られていた。それを上り始めたのは早朝で、今はお昼前。空を見上げれば木の幹が雲を突き抜けて伸びていた。

 

「もう半分ですね。一旦休憩しますか?」

 

 未だ半分と聞かされて体から力が抜けそうになる中、賢者様が指先を幹の表面に向けるとガラスみたいに透明なドアが現れて、それを開ければ根本に準備していた休憩所に通じている。これを上まで到達する事で次の世界に行くのも勇者の必要な儀式の一つらしいけど……ほら、おトイレとか。だから休憩の度にこうして戻っています。

 

 

「これで立派な勇者に成れるかなぁ?」

 

 こうして休んでいる間にも苦しんでいる人が居るけれど、だからと言って無理をして失敗したら何もかも台無しだって、実際に無理して倒れたせいで助けられた筈の人まで助ける事が出来なかった経験を持つ賢者様に教えられた。私は未だ未熟で、それを導く為に賢者様が居るからって……。

 

「……焦っちゃ駄目だよね」

 

賢者様は今まで二人の先輩勇者を導いて、自分自身も世界を救った英雄。なら、何も疑う事は無い。私がすべきなのは、私なら大丈夫だからって思われる様に強くなる事。世界を救う為に頑張らなくちゃ! その為にも武器の扱いを上達させなくちゃと背負ったデュアルセイバー(赤と青の二色に分かれた巨大な鋏)に視線を向けて、ふと思う。

 

「どうせなら分割した際に名前付けようかな?」

 

 何時までも片方とかって呼ぶのも少し抵抗がある程度には愛着が湧いた相棒に付ける名前を考えるも思い付かない。羊とかに名前を付けるのは直ぐ出来たけど、私が世界を救った後で歴史に名前が残るのなら尚更だ。

 

「えっと、こんな時こそ賢者様……にだけは相談したら駄目よね」

 

「呼びました?」

 

「いえ、一切!」

 

 賢者様は立派な人で、とっても強い尊敬出来る相手だけど、武と豊穣を司るシルヴィア様こと女神様とは夫婦として見ていて少し困る位にイチャイチャする。現に今も階段を最初からお姫様抱っこで女神様を運びながら上っているのだから。

 

 そして正直ネーミングセンスは最悪。多分必要な物に力を吸われたのではと思う程。このデュアルセイバーだってアメリカンレインボー鋏って名前を提案して来た。悪意が感じられず真面目な意見だったから尚更質が悪いと思う。だから自分で名前を付けよう。そもそも私の相棒だ。

 

 休憩中に考え、納得が行くのを思い付いた。

 

「決めたわ、レッドキャリバーとブルースレイヴよ!」

 

 この子に意思が存在するかは知らないけれど、握った手を通して流れ込む力が喜びを表していると感じる。

 

 余談だけど後で賢者様にどんな名前を付けたか訊いた所、赤蝮と青大将らしい。賢者様を頼らなくて良かったと心の底から迷いなく思えたのはこの時が初めてだった。

 

 

 

 

「や…やっと着いた……」

 

 あれから休憩を挟むこと数回、次の日の日の出頃にはユグドラシルの天辺まで到着して最後の一段を踏んだ時、私の目の前の風景が切り替わる。日光が降り注ぎ砂塵舞う砂漠の世界へと。

 

「あ…暑い……」

 

 頭を守る為に賢者様に頼んで作って貰った麦わら帽子を深く被って眩しい日光を防ぐ。この服の力で寒さ暑さから身を守れるけど、それに慣れてしまっても危ないからって効果は最低限らしい。

 

「水はこまめに飲んで下さいね。シルヴィアも私と旅をしていた時みたいな失敗には気を付けて下さい」

 

「……分かっている。あれは不覚だったからな」

 

 女神様がやってしまった失敗、それについては賢者様が勇者だった頃の物語を読んだ私には検討が付く。実際は賢者様を召喚した反動で力の大半を失っていた女神様だけど、神の絶対性に疑いを持たれるからって同名のエルフのお姉さんが賢者様達の仲間だってされていて、勝ち気な彼女は討伐依頼を受けたモンスターを深追いして砂漠の地下に眠っていた遺跡に迷い込んでしまって……。

 

「続きは未だ読んでないし、実際に何があったかも聞きたいかも……」

 

 でも、物語を先に読んでから実際の話を聞いた方がネタバレにならないから詳しくは私の前では話さないで貰おうと思った時、背後からアンノウンに肩を叩かれた。

 

「もう、何の用かし……ら?」

 

 隙を見つけては私を馬鹿にして楽しむのがアンノウンだもの、油断は出来ないと慎重に振り向けば何をするでもなく座り込んだだけ。その体は端から光の粒子になって崩れ、賢者様や女神様と違って普段は理解出来ない鳴き声が理解出来た。

 

 

「ガウ……」

 

 もう時間? ゲルちゃん、さようなら? そんな、何を言っているの!? 消えて行く姿はルルが浄化されて消え去った時に似ていて、別れを告げるその声は寂しそうに聞こえる。思わず手を伸ばしたけど、その指先は光の粒子をすり抜けた。

 

「アンノウン……?」

 

 良い思い出は無いし、悪戯をされてばっかりだったけれど一緒に世界を救う筈だった仲間。それが私の目の前で消え去った、その事実に私は膝から崩れ落ちた。

 

 

「アンノウンー!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ガウ?」

 

 昨日担当の僕が帰って今日担当の僕が来たけど呼んだ? アンノウンはニヤニヤと笑いながら言って来た。さっきの死期が迫っているって感じの演出は何だったのだろう? 少し訊ねてみた。ついでにお前も関係しているのか、とも。

 

「ガーウ!」

 

 あの僕も僕であり、僕故に僕は僕に僕の思考を転送出来る。紛れもなく合作さ! それを聞いた時、私は立ち上がる。

 

「アンノウンー!!」

 

 レッドキャリバーとブルースレイブを振り上げてアンノウンに振り下ろす。ひらりと身を躱わすアンノウン。一辺根性叩き直してやる!! 慣れない砂の道で私が苦労しているのに楽々と動き回って、私がもう少しで触れるって距離まで行ったら目の前で飛び跳ねる。それも砂を派手に舞い上げながら……。

 

 

 

 

 

 

 

「戯れの最中に邪魔をする。お主が今代の勇者で相違無いな?」

 

 その鬼ごっこの最中に彼は現れた。大岩の上に堂々と立つキリッとした瞳の真面目そうな十二、三歳男の子で、正直言って少し好みの見た目。癖毛の私と違って艶のある黒髪をポニーテールにした彼の服装は特徴的だ。あの服は似た物をお父さんが持っていた。確か着流し、そして足袋に草履で腰には大小の二本差し。特徴的なのは服装だけじゃなくって顔付きも。賢者様に顔の作りが似ている……お父さんにも。間違い無くパップリガの出身だ。

 

 

 それと多分獣人……だと思うけど、お母さんから受け継いだ狼の獣人の鼻が違和感を覚える。獣の耳と尻尾が有るけれど、臭いが何か違うと教えてくれる。その違和感の正体が何かは直ぐに判明する。他でもない本人の口から明かされて。

 

 

 

「拙者の名は鎌鼬(かまいたち)楽土丸(らくどまる)、魔族に属する侍なり。故あって決闘を申し込む!」

 

「……え? えぇ!?」

 

 名乗りを聞いた事で違和感の理由が明らかになった。あのルルと同じく人の姿をしていても人ではない別の何かの臭いがしたのだと気が付いた。じゃあ、あの耳と尻尾は鼬なんだと思いながらも今にも飛びかかって来そう楽土丸の姿に視線を送った時、彼は大岩から飛び降りた。

 

 

「既に語るに及ばず、勝負勝負!」

 

 刀を抜き、砂山に着地した彼はそのまま私の所へと向かい、急に動いた砂山に飲み込まれた。

 

 

「……え?」

 

 一瞬何が起きたのか分からず呆然としたけれど直ぐに解析魔法を発動させれば砂山に擬態したモンスターの情報が入って来る。

 

 

『『サンドスライム』砂の姿をした巨大なスライム。常に体内を移動する核を破壊しなければ死なない』

 

「な…何のこれしきっ!」

 

「あっ、飛び出して来た」

 

 サンドスライムの体表面が盛り上がって楽土丸が飛び出す。サンドスライムも触手を伸ばして捕まえ様とするけれど刀で切り払い退けながら向かって来ていた。

 

「逆境を利用してこそ真の武士なり! さあ、勝負だ!」

 

 数度振るっただけで分かったけれど多分楽土丸の剣術の腕は私以上な上にデュアルセイバーは鈍器、サンドスライムとの相性は悪い。アンノウンを追うのに夢中で賢者様達から離れてしまって……ああ、そうだ。

 

 

 

「アンノウン、協力して……アンノウン?」

 

 さっきまで私を散々弄くっていたアンノウンは微動だにせず、触れば血の気が感じられない冷たさ。其れも其のはず、私が正式名称を知る方法など無いけれど、それはアンノウンの1/1ソフトビニール人形だった。無闇矢鱈に完成度が高い。

 

「いや、何時の間に……」

 

 考えるだけ無駄だと悟り、この場を乗り切ろうとレッドキャリバーとブルースレイヴに分割して構える。私が臨戦態勢を取った事が嬉しいのか楽土丸は嬉しそうに笑い、其の進行方向には小さなサボテンの花。当然、彼は其れを気にせず踏み付け、サンドスライムは大きくジャンプする。

 

 

「あの巨大で軽々とっ!? こうなれば……斬るっ!」

 

 刀を構え楽土丸は跳ぶ。一直線にサンドスライムへと向かった彼は両断すべく刀を振るい、地中から現れた巨大なモンスターにサンドスライムと一緒に飲み込まれた。

 

 

「えっと、さっきも見た光景が……」

 

 長虫に似た体型だけど大きさが余りにも違い、まるで巨大な塔を思わせる。全身が緑で無数の棘が生えたモンスターの頭部にはサボテンの花が生えてある。

 

『『サボテンワーム』頭の花を踏まれた時以外は眠り続け大きくなり続けるワーム系モンスター。何かを食べると地中深く潜って時間を掛けて獲物を消化する』

 

 サボテンワームは頭から砂漠に突っ込んで潜って行く。結構な量の熱砂が押し寄せて来たのを手で顔を覆って防いて漸く目を開けた時には誰一人存在しない死の世界が広がっていた。転がった獣の骨に何処までも続いて見える砂山、何処まで過酷な世界なのか突き付けられた気分の私であった……。

 

 

 

 

「魔族が現れたのですね。それも紫の世界の所属らしいですが……。それは兎も角、惜しかったですね。我々で袋叩きにすれば功績が減りますが稼げる事は稼げますから。本当に大変ですよ、世界を渡るに連れて必要な量が増えますから」

 

 私から話を聞いた賢者様は顎に手を当てて少し考え込む。途中で物騒な台詞が出たけど聞かなかった事にして、女神様からお仕置きとして拳で頭をグリグリされているアンノウンに目を向けていた時、ふと思い出した。確か世界を回って新しい力を増やして行くと聞いていた。

 

「ああ、新しい力ですね。少し貸して下さい」

 

 デュアルセイバーを手にした賢者様は目を閉じて集中を始める。どんな能力か期待する一方で最初の能力が相手に傷を付けずに毛だけを刈り落とすという羊飼いの私としては嬉しいけど勇者としては微妙な物。髪の毛とか羽毛に特別な力が有る相手だったら強いけど、それ以外が少し微妙な気がする。

 

 

「おや、今回は便利な力ですよ。試してみましょうか。分割して片方を投げて下さい」

 

「今回はって事は毛を刈ったり分割出来る力は微妙だって思っています?」

 

 さっと目を逸らす賢者様を見なかった事にして、試しにブルースレイヴを投げ飛ばす。回転しながら飛んで行った後で砂の上に突き刺さった。後は賢者様に教わった通りに来いと念じれば……。

 

 

「本当に来たわ!」

 

 凄い勢いで飛び出したブルースレイヴは磁石で引き寄せられたみたいにしてレッドキャリバーと結合する。確かに今度は便利な力らしい。

 

 

 

「武器の投擲に使えますね。他にも呼び寄せる以外にも移動にも使えそうですし、追々試してみましょう。本当に良い力です」

 

「まあ、私もお前の直ぐ側に呼ばれずとも来るがな。そしてこうやって……」

 

「一つになるのは……今夜までの我慢ですね」

 

 アンノウンへのお仕置きを終えた女神様は賢者様の背中に身体を密着させて腕を前に回すと抱き付く。見ていて暑苦しいので見ていない所でやって欲しかった。只、真正面から抱き合わないだけマシなのかも知れない……。

 

 

 

「では、近くの街に行きましょうか。確か名前はムマサラですね。其処で水と食料を確保しつつ滞在して情報収集、ゲルダさんの修行も必要ですしね」

 

 武器の扱い方や戦闘時の動き方はデュアルセイバーを通して流れ込み、実際に動く事で更に身に付いて行く。だからこそ武を司る女神様に稽古を付けて貰い、魔法の練習も賢者様に付き合って貰う。大変だけど、きっと強くなれるって思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……不覚。まさかモンスターに補食されるとは。臭いが取れるだろうか……」

 

 ゲルダ達がムマサラへと向かって歩き出した少し後、サボテンワームの身体を切り裂いて内部から這々の体で抜け出した楽土丸は身体に染み着いた胃液の臭いに鼻が曲がりそうになりながらも周囲を見渡す。あの巨体だからか彼が抜け出すに必要な程度では堪えた様子も見せずサボテンワームは姿を消す。胃の入り口から入ってくる風の臭いは空洞に居る事を告げていたから脱出したが、其処は見慣れぬ空間だった。石造りの通路は広くて長く、暗闇によって先が見通せない。

 

「この世に生まれ落ちた時に与えられる知識に該当せぬとは、余程古い場所なのだな」

 

 何処からか空気が入って来ているのか、はたまた魔法による物か地下に潜ったにも関わらず空気が淀んでいない。それに少しホッとした楽土丸は背後から這い寄る気配に気が付き振り返ればサンドスライムが目前まで迫っていた。

 

「貴様も抜け出していたのか。良いだろう、今度こそ切り裂いて……切り裂いて……」

 

 腰の刀に手を伸ばし、其の手は見事に空を切る。どうやらサボテンワーム体内に落として来たと察した瞬間、楽土丸は脱兎の如く駆け出した。

 

 

 

 

「戦略的撤退だ! おのれ勇者め、覚えていろ。……少しばかり愛らしくとも恨みは忘れんぞ!」

 

 見事に責任転換をしてサボテンワームに飲み込まれた事をゲルダのせいにした楽土丸は風の様に駆ける。サンドスライムを置き去りにして、迷路になった奥へと進んで行った。

 



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買い食いツアー使い魔同伴

アラビアンナイトの原典にはアラジンと魔法のランプやアリババと四〇人の盗賊は無いらしい 西洋人の創作だとか……


「や…やっと着いた……」

 

 歩き慣れない砂漠を歩き、飛んでくる砂に辟易しながら漸くムマサラに辿り着いた頃には日が沈み始めて急に冷え込んで来ていた。昼間が暑いからか夜になるのに街は活気付いていて、幾つもの屋台が軒を連ねる。何色もの灯りに照らされた街の中を人々が行き交い、屋台で買った物を食べながら酒盛りをする人達や大声で通行人を呼び止める露天商の姿があって、まるでお祭りみたいだ。

 

「あっ……」

 

 夜ご飯が未だだったから、漂って来た香りに反応して私の腹の音が鳴り響いた。慌ててお腹を押さえた私が顔を真っ赤にして賢者様達の顔を見る。今のは絶対聞かれたと思うと本当に恥ずかしい。アンノウンなんて今にも吹き出しそうなのを敢えて堪えて見せ付けて来る。それはそうと本当にお腹が減ったと屋台に視線を向けた時、賢者様がゴールドカードからお金を取り出して渡して来た。

 

「あの正面にある宿屋の部屋を取っておきますから好きな物を買って来て良いですよ」

 

 賢者様は街の中でも一番目立つ大きな宿屋を指差す。他の宿屋らしい建物は平屋だけど、その建物は三階建ての頑丈そうな建物で、他の建物の近くには数人は立っている他の人達より少し露出が高い女の人の姿がない。この距離からも私の鼻は香油の臭いを感じているから少しホッとした。あの臭いは苦手だから近くに居たら少し辛かったと思う。

 

「え? 良いんですか?」

 

 あのお姉さん達が何の商売をしているかは少し察して、もしも賢者様に声を掛けたら女神様がどの様な行動に出るかと思った私が視線を向ければ声を掛けられた男の人がお姉さん達の一人と一緒に宿に入って行く。今から何をするのか理解した私は考えない事にした。そもそもの話、世界を救うのが役目であって、個人の職業に勇者が関与しても仕方が無い。腹が減っては何とやら、今は空腹を満たそう。

 

 何より、娯楽と言えば本か本を数冊我慢して偶に観に行く演劇程度で買い食いなんてあまり出来なかった私にとって、手の中の大金を自由に食べ歩きに使用して良いだなんて新鮮な気分だ。

 

「夕食の準備にも時間が必要でしょうし、食べられなくならない程度に小腹を満たしておいて下さい。子供は遠慮しなくて良いですからね」

 

「のんびり街を見て回ったら良い。私はその間に別の物を食べるとしよう。……食べられるのは私かも知れないが」

 

 私にお金を渡した賢者様の腕に女神様が腕を絡ませて胸を押しつける。鎧姿でそんな事をしても嬉しいのかどうかは女の私には分からないけれど、賢者様と女神様の仲ならきっと嬉しいのだろう。さっき目を逸らしたお姉さん達の事を思い出しそうになったので急いで屋台に向かおうとしたけど、そんな私の頭に飛び乗る小動物の姿があった。

 

「ガウ」

 

 小動物の正体はアンノウン。大きいからと本来七つ頭がある肉体を七つに分割して一日毎に同行しているのだけれど、それでも大きいからと馬小屋に入れられたのが余程嫌だったみたいで今は子猫くらいの大きさになっている。元々が猫科の姿をした使い魔、こうなると普通の猫にしか見えない。

 

 

「ふぐっ!? お…重いっ!?」

 

「ガゥゥ」

 

 小さいのに、子猫位の大きさなのに頭に乗った瞬間に首がグキッって鳴った。え? 質量保存の法則を知らないのかって? そんなの羊飼いの田舎娘の私が知る筈もないし、魔法で小さくしているのだから体重位はどうにかして欲しい。

 

「ガフゥ……」

 

 未だ私はアンノウンの言葉が分からないし、出来たら分からないままでいたい気もするけれど今のは絶対に馬鹿にされた気がする。出来るけれど面倒だからやーらない、とか言っていそうな気がする。

 

「うん、もう別に良いや。早く何か食べよう」

 

 多分馬一頭位の重さが有るけど勇者になってから少しずつだけど肉体が強くなっている。だから重い物は重いけど我慢すればどうにかなりそう。今はそれよりもご飯が優先。育ち盛りの私は食べるのが大好きだけど、食べる量には限りが有るからアンノウンと分け合えば色々と食べられる。先ずは目の前の屋台。鼻孔を擽る香ばしいソースの香りや肉の焼ける香り。ソース焼きそばとフランクフルトだと判断した瞬間、私達は駆け出していた。

 

 

「オジさん、一つ下さ……い」

 

 細長い物体をソースで炒め、太くて少し長い物に串を刺して焼いている。だから焼きそばとフランクフルトだと思ったけれど、近くで見れば違うと分かる。ミミズだ、両方ともミミズだった……。

 

 

 

「おっ! その服からして別の世界から来た子だね? イエロア名物のミミズのソース焼きと串焼きだけど平気かい?」

 

「間違えました、失礼します!」

 

 頭を下げて一目散に逃亡、空腹だけどミミズ料理は流石に無理っ! 賢者様、ミミズ料理が名物だなんて聞いていないよ!? 盛ってないで教える事は教えて欲しかった……。

 

 

 

「何とか普通の食べ物が有って良かったよ。まあ、この世界の人にとっては普通なんだろうけど……」

 

 別の屋台で買った大トカゲの肝焼きを食べながら街を散策する。お店はテントみたいな作りが多くて、多分私が近寄らない方が良さそうな方面からは劇場の明かりや酔っ払った人の騒ぐ声、さっきのお姉さん達みたいな香油の臭いが伝わって来る。うん、もうそろそろ宿屋に戻ろうとした時、喧嘩でもしているのか悲鳴や喧騒が聞こえて来た。

 

 

「嫌だなぁ……」

 

 お酒の匂いは苦手だし、喧嘩だって苦手だから関わりたくない。だから遠ざかろうとしたけれど、アンノウンが髪の毛を咥えて引っ張った事で無理矢理騒ぎの方向を見せられる。

 

 

 

「逃げろ、早く建物の中に!」

 

「ママー!」

 

「おいおい、この辺は生息域じゃないだろうがよぉ……」

 

 あの騒ぎは喧嘩による物じゃない。街の人達は街の外の一方向に注目して逃げ惑っていた。砂をかき分けながら街へと迫って来る黒い背鰭。その中の一つが飛び上がり、獰猛そうに大口を開ける巨大な鮫の姿を露わにした。

 

 

 

 

「皆ー! 砂鮫(すなざめ)が来たぞー!」

 

『『砂鮫』砂の中を群で泳ぐ鮫系モンスター。非常に獰猛な性格をしており、生きた獲物を好む』

 

 解析をすればモンスターの情報が頭に流れ込んで来る。街には武装した兵士さん達も居るけれど立ち向かうよりも避難誘導を優先していて、私もその中の一人に抱え上げられた。どうも足が竦んで動けないと思われたらしい。

 

「君もこっちに来るんだ!」

 

 さて、どうするかと考える。無事に避難は進んでいるらしく、このまま砂鮫が諦めて帰ってくれるなら無駄な危険を冒さずに済むと思った時だった。転んで逃げ遅れた子供を助けに向かった母親の姿が目に映ったのは。転んだ時に離れた手を伸ばして子供を助けようとしている。でも、砂鮫の背鰭の見える位置を考えれば建物の中に逃げ込める、そんな距離だ。

 

「ひっ!」

 

 親子の近くから深く潜っていた砂鮫が飛び出したのはそんな時だった。子供を庇おうと覆い被さるけれど砂鮫の大きさからして二人纏めて食べられてしまう。砂鮫が鋭利な牙の生えた口を開いて二人を噛もうとした時、私は自分を抱える兵士さんの腕から抜け出して駆け出していた。

 

 

「……目覚めろ」

 

 静かに呟いた言葉と共に私の全身に青く光る模様が出現する。これこそ私が勇者としての試練を突破した証であり、戦うための力を与えてくれる救世紋様。全身に力が湧き、一足飛びに親子に迫った砂鮫に肉迫した。今まさに哀れな獲物を食い殺そうとし、獲物を狙う瞬間という最大の隙を晒したその横っ腹にデュアルセイバーを叩き付ければ砂鮫は真横に吹き飛んでミミズ料理の屋台に激突する。熱された鉄板が地面に転がり、その上に落ちた砂鮫は少しだけ暴れるも直ぐに動かなくなった。

 

「……屋台のオジさん、ごめんなさい」

 

 散らばった料理や箱の中から逃げ出すミミズ、骨組みが完全に折れてしまった屋台を見て罪悪感に襲われるけど、直ぐに正面に集中した。今倒した砂鮫は一匹だけ。もう街中には六匹程の砂鮫が入り込んで仲間を殺した私へと一直線に向かって来ていた。

 

「逃げて、私が相手をしている内に……」

 

「えっと、貴女は……?」

 

 ムマサラの人達の反応からして砂鮫はとっても強いモンスターなのか一撃で倒した私の姿に皆が呆然としている。実際、今まで戦ったモンスターの中でも上から数えた方が早い位には堅くて重かった。だからこそ今の自分に自信が持てる。私は強くなっているのだと。

 

 

「私? こんな格好だけど勇者よ。信じられないと思うけど」

 

 一瞬だけ目を向けたムマサラの人達はポカンとしていた。まあ、ツナギ姿に麦わら帽子で武器は巨大な鋏、これで勇者だなんて私だって信じない。なら、実績で証明すれば良い。私はレッドキャリバーとブルースレイヴに分割するなり飛び上がり、それに反応して飛び出して来た砂鮫にレッドキャリバーを投擲、空中では回避が出来ずに正面から激突して地面に落下するけど、砂の中を泳ぐのだから潜られるだけだろう。

 

「行け」

 

 ブルースレイヴを突き出して命じればレッドキャリバーに引き寄せられ、其れを持つ私も同様に速度を上げて地面へと向かって行った。二匹の砂鮫が左右から挟み込む様に飛び掛かるけど、既に私の頭の上からはアンノウンが飛び出している。瞬時に身との大きさに戻り、二匹が最も近付いた瞬間に間を通り過ぎながら爪を振るう。悠々と着地した瞬間、二匹の砂鮫は三枚におろされていた。そして、私も叩き落とした砂鮫が地面に潜る前にブルースレイヴを叩き付ける。太い骨が折れた音がして砂鮫が息絶えた。

 

「残るは三匹……しまったっ!」

 

 見れば残った三匹は勝てないと悟ったのか背中を見せて逃げ出して砂の中に潜ってしまった。流石に砂の中深くに潜られたら私の鼻も通じないし、間違い無く逃げられる。仲間の一匹がやられた瞬間に私に向かって来た事から考えて大群で復讐に来るかもと思った時だった。

 

 

 

「砂で姿が見えないのなら、砂を消せば良いだけですね」

 

 相変わらずの神出鬼没さで急に姿を見せた賢者様は指を鳴らそうとして今まで何度も失敗しているからか正面を指さす。目の前に広がる砂漠の一部が消え去った。底が見えない深い深い穴の中、丁度その場所を泳いでいた砂鮫達がその奥底へと落下して行く。其れを追いかけるかの様に光の矢が賢者様から放たれて砂鮫達の頭を打ち抜き、次の瞬間には消えた砂漠は元に戻っていた。

 

 流石ですね、賢者様。でも、一つだけ言わせて欲しい。

 

 

 

「あんなのが出来るのは貴方ぐらいだと思います」

 

「おや、確かに。私だって昔は出来ませんでしたね」

 

 この短い期間に何度も思ったけれど、この人はやっぱり天然だと思う。それも三百年物の……。手をポンッと叩いて納得した様子の賢者様を見ながらそう思った。

 

 

 

「所で女が……シルさんは?」

 

 うっかり女神様を大勢の前で女神様と呼びそうになって慌てて言い直す。女神様が一緒って知られたら得られる功績が少なくなりますからね。

 

「彼女でしたら先に宿屋で寝ていますよ。時間を引き延ばして楽しみましたからね」

 

「ガウガウ、ガーウ?」

 

 今、何となくだけどアンノウンの言葉が分かった気がする。楽しんだってどういう意味? と訊ねられた気もするけれど、たぶん私を弄くる気だ。でも、アンノウンは生まれたばっかりだって聞いているしどうなのだろう?

 

 

 

 

(しかし、砂鮫の生息域は離れた場所の筈。この辺りには主な獲物である草食動物の生息域は少ないのですがね。縄張り争いに負けて移動したのでしょうか?)

 

 私が賢者様の発言とアンノウンの事で悩む中、賢者様は私から受けた物以外に真新しい外傷が見られない砂鮫の死体を検分しながら考え事をしていました。

 

 

 

 

 

「あの、もし。勇者様……で宜しいのですよね?」

 

「は…はい! 私が勇者です!」

 

 そんな風に考え事をしていた時、背後から声を掛けられて思わず慌てて返事をしてしまう。振り向いた先には立派な髭を生やしたお爺さんが立っていた。何やら思い悩んだ様子で少し半信半疑な様子。多分未だ私が勇者だって信じられないけど賢者様の力を見て少し信じ始めたみたいだわ。

 

 

 

 

 

 

「話がスムーズに進める為に認識を弄くります? ほら、救世紋様の事って伝わっていなかったでしょう? あれって二代目が使えなかったから慌てて記録を弄くったのですよ。じゃないと皆さんが不安になりますからね」

 

 少し昔を懐かしむみたいに語る賢者様だけど、重要そうな事なのに伝わっていなかった理由があっさりと判明した。それと、それって要するに洗脳でしかないと思う。勇者が勇者の力を全て使えないなんて確かに不安でしかないから仕方ないとは思うけど、釈然とはしなかった。

 

「そんな重要な事をさらっと言わないで下さい。それと洗脳はどうかと……」

 

 女神様も女神様で人間と価値観が違うけど、賢者様も賢者様で絶対に変だ。神様と一緒に過ごしていたからか、それとも出身地の日本って国の価値観が六色世界と違っているのかは分からないけれど、絶対変だとは断言出来る。これは私がしっかりしないと駄目なんだろうなぁ……。

 

 

 

 

「先ずは娘と孫を、何よりもムマサラを救って下さり感謝致します。これは些少ですがお礼です。どうぞお受け取り下さい」

 

 このお爺さんはムマサラの代表者として領主様と交渉したりする役職のタドリクさんといって、あの親子は家族らしい。こうやって家族の嬉しそうな顔を見れば助ける為に戦った甲斐が有ると思える。心がホカホカする中、タドリクさんさんはトレイに乗せた皮袋を差し出して来た。

 

「べ…別にお礼なんて結構……」

 

 多分お金だと思ったから慌てて断ろうとする。だって旅の資金はエイシャル王国で貰っているし、お金の為に人助けをした訳じゃないから。それに、お金を受け取ってしまったら本当に助けたって事にならないと思う。それは私が目指す勇者とは違うから……。

 

 

 

「有り難く頂きましょう」

 

「え?」

 

 でも、そんな私の想いとは真逆に賢者様は袋を受け取って中身を一瞥すると懐に仕舞う。賢者様、一体どんな積もりなんだろう……。

 

 

 

「……不安を与えない為ですよ。人は意外と無償の善行を信用出来ませんでしたから。……先輩からの忠告です」

 

 賢者様はタドリクさんと何かを話しているのに私の耳には賢者様の優しそうな声が響く。親切な人達に囲まれて育った私には分からないけれど賢者様の体験談なのだから本当はのだろう。でも、それでも私は人を信じたい。

 

 

 

「私もそうですよ。どんな目に遭っても人は信じたいですよね」

 

 頭に手が置かれて優しく撫でられる。この人が天然だと思った私だけど、同じ位にこの人に安心を感じている私に気が付く。これはきっと恋愛とかじゃなくって……。

 

 

「それでですね、勇者様。大変厚かましいとは思うのですがお願いが有りまして……」

 

 タドリクさんは少しだけ言いにくそうにしながらも口を開く。私が撫でられている事に反応をしていないし、多分賢者様の魔法なのだろう。そして、お金を受け取ったからこそ今こうやって相談を持ち掛けられているのだろう。うん、矢っ張り賢者様は頼りになると改めて思う私だった……。




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絶望の好む物

 幸せは当然壊れ、日常は前触れもなく失われる。誰もが明日も続くと無根拠に信じる平穏は呆気なく消え去り、失ってから価値に気付くのだ。

 

 

「はぁ……はぁ……。どうして…どうしてこんな事に……」

 

 熱砂の砂漠を飛ぶ巨大なカブトムシの背の上で身形の良い娘が涙を流す。気品を感じさせる顔には普段ならば浮かぶ筈のない焦りや悲しみ、絶望の色さえ浮かんでいた。中級貴族であるマーキ家の令嬢として何不自由ない暮らしを送っていた彼女が何故たった一人で砂漠を渡っているなど、ほんの半日前の彼女は予想だにしていなかった。

 

 

 

 

 

「まったく、どうしてこんな事に……」

 

 イエロアでは裕福な者は空飛ぶ魔法の絨毯で移動するのが普通だが、乗せられる重量には限度がある。比較的安全に早く砂漠を渡って別の街に行くのならば荷物を別に運ぶ必要があり、それに重宝されるのが甲虫車(こうちゅうしゃ)だ。巨大なカブトムシであるキングビートルは比較的大人しく飼い慣らす事が可能で、力も強いので砂漠を渡る際に馬車馬の代用にうってつけ。但し、乗り心地は絨毯に劣るし砂漠に潜むモンスターの危険も有るので魔法の絨毯を所有している家の主や家族ならば甲虫車には乗りはしない。

 

「申し訳御座いませぬ、リーカお嬢様。私めの不手際で御座います。まさか使用人に盗人が混じっていたなど……」

 

「貴方の責任じゃないでしょう、爺や」

 

 王宮に仕事に向かった父親に同行し、王宮の存在するメリッタの手前の街であるサフラの別荘で優雅に過ごしていたのだが予定の期限を過ぎても父親は帰らず、様子を見に行った使用人も同様に戻って来ない。流石に何か起きたのではと焦った隙を狙ってか別荘を管理していた使用人が幾ばくかの金品を魔法の絨毯と共に持ち逃げしてしまったのだ。貴族である以上はするべき事も多く、戻らねばならない期限も迫っている。

 

 魔法の絨毯は刺繍に家ごとの特徴を出すのが流行であり、基本的にオーダーメイドなので即座に用意も出来ず、大変高価な品なので借り入れられる程に親しい家もないという事もあって仕方無く甲虫車で帰路に就いたのだが、リーカの口からは何度目かになる文句が飛び出し、その度に教育係であったチキバは謝罪の言葉を口にする。

 

 この日は運良く砂嵐の兆候も見られず、モンスターの生息域も大きく外しているので本来ならば残り二時間程で次の街であるオニオに到着する筈だった。甲虫車の周囲をキングビートルに乗って進む護衛の者達も今の所は近付くモンスターの影すら見えない事に安堵しつつも潜んでいるモンスターが居ないか警戒する。特にサンドスライムが砂の丘に擬態している事も考えられるので少しでも怪しい場所は迂回して進み、リーカとて馬鹿ではないので多少の時間ロスには文句を言わない。

 

「……まあ、良いでしょう。盗人には私の受けた屈辱を含めて罪を償って貰うとして、オニオには伯父様がいらっしゃるから魔法の絨毯をお借りしましょう。それに水浴びもしたいわね……」

 

 甲虫車の中ならば直射日光は防げるが室温まではどうにもならず、レーカは魔法の力で中を冷やす保冷箱の中から冷たい水の瓶を取り出しながら汗を拭く。本来ならば魔法の絨毯を使って既にオニオに到着し、魔法で涼しくした部屋で寛いでいた筈だと不満を口に出そうとした時、甲虫車が地面に沈み出した。いや、違う。大きな窪みに入り込んで周囲に丘のない地面に擬態していたサンドスライムが罠に掛かった獲物を飲み込もうと動き出したのだ。

 

「きゃあっ!? 誰か、誰か何とかしなさい!」

 

 そう命令するも彼女自身が今の状況が絶望的だと理解していた。砂漠に潜むモンスターの中でもサボテンワームに次いで恐れられているのが、このサンドスライムだ。砂の固まりに擬態しているが実際は粘体であり、体の何処かに存在する核を破壊せねば倒せず、今こうして甲虫車の車体や護衛の者達を触手で絡め捕って体内に引きずり込んでいる程の巨体ではほぼ不可能に近い。

 

 車体がメキメキ音を立て破壊されて行く。もう触手が壁を破壊して襲い掛かって来るその時、老いた肉体の何処にその様な力が有ったと言うのだろうか、チキバはリーカを抱えると車体前方のドアを蹴り開けて車体を引いていたキングビートルに投げ飛ばすなり繋いでいた縄を切る。それは忠義からか、老骨に鞭打って引き出した蝋燭の火が消える瞬間の輝き。リーカを背に乗せ既の所でサンドスライムから逃れたキングビートルの背からリーカが見たのは満足そうに笑いながらサンドスライムに飲み込まれるチキバの姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

「水が残りこれだけ……」

 

 絶望とは追い込まれた者を好むのだろうか? 捕食者から逃れようと必死に飛んだキングビートルは正規のコースを外れ、目印となる物が存在しない砂漠をリーカはさ迷う。灼熱の日差しによって汗が止めどなく流れる中、運良く手にしていた瓶の中身を少しずつ飲んで乾きを潤し、誰か人に出会わないかと目を懲らすも一面に広がる砂漠が目に映るのみ。

 

「……駄目よ。生きるの、生き残らなくちゃ……」

 

 何度も死ぬ事が頭を過ぎる。瓶を割って鋭い破片で喉を切り裂けば僅かな苦痛と引き替えに楽になれると囁く声がした気がするも、自分を守って死んでいったチキバの姿が引き戻し奮い立たせる。だが、進めど進めど誰の姿も見えず、何度か水を遠くに視認して向かってみれば蜃気楼。体から失われて行く水分は残り少ない水では到底補えず、キングビートルの背の上でリーカの意識は朦朧とし始める。

 

 

 

「おーい! 其処の奴、何やってるんだー?」

 

 最初は幻聴かと思った。だが、その声は何度も聞こえて近付いて来る。声だけでなく、キングビートルに乗った男達の姿も視界に入った。

 

 

「助けて、道に迷って水も……」

 

「そりゃ大変だ。死なれたら困るし丁度良い。おい、水を出せ」

 

「へい!」

 

 寄って来た男達が手渡して来た水をリーカは必死に飲む。慌てて飲んだ為に途中で咽せ、何とか一息付くと疲労が一気に押し寄せた。張り詰めていた緊張の糸が切れたらしい。

 

「あの、助かりました。それで宜しければオニオか近くの街まで連れて行って頂けませんか? 私はリーカ・マーキ、マーキ家の者です。お礼でしたらしますので……」

 

 絶望とは追い詰められた者が好みというばかりではないのかも知れない。砂塵対策か覆面で顔を隠した男達の身形はお世辞にも良いとは言えない古びた粗末な物であったが、命の恩人に取るべき態度は弁えているリーカは毅然とした表情ながら言葉使いは丁寧にする。それに対して男達は顔を見合わすと口を開いた。

 

 

 

 

 

 

「ああ、お礼はたんまりと払って貰うぜ。一生掛けてな」

 

「兄貴、今晩は楽しめそうですね。前浚った女はボスが壊しちまいましたし」

 

「先ずはボスが楽しんだらな。大抵ぶっ壊れるから暴れる心配は無いけど物足りないんだよな。泣き叫ぶのを無理矢理犯すのが楽しいってのに」

 

 男達はリーカに三日月刀の切っ先を突き付けニヤニヤと笑う。自らの肉体に向けられる野卑た視線を感じたリーカが逃げ出そうとした時、彼女と乗っていたキングビートルの目に何か細かい物がが掛けられた彼女はその場に倒れ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「……此処は? うっ……」

 

 目が覚めた時、リーカが感じたのは酷い臭いだった。薄暗い部屋の中、悪臭に辟易しながらも目を凝らせば何人かの姿がある。もしや自分を此処に連れて来たであろう男達かと怯えるも目が暗闇に慣れれば全員が同じ年頃の女だと判明して安堵した彼女は一番近くの女に話し掛け様として姿をハッキリと目にした。

 

「ひっ!?」

 

 ボロ布同然の服が辛うじて体に巻き付いており、目は虚ろで呻き声が僅かに口から漏れる以外に応答は無い。強く掴まれたり殴られたと思しき痕が残った肌を見て、リーカは膝から崩れ落ちる。これが未来の自分の姿だと理解してしまったのだ。

 

「嫌…嫌ぁ……」

 

 矢張り絶望とは追い詰められた者を好むらしい。そして耳障りな金属音を立てて何人かの男達が入って来た。

 

 

「今日のボスは随分と気前が良いっすね。俺達で先に楽しみたいって」

 

「前のボスをぶっ殺して乗っ取った時にはどうなるかと思ったけどな」

 

「おっ! 丁度お昼寝から起きた所か。良かったな、嬢ちゃん。俺達が存分に可愛がってやるからよ」

 

 男達は逃げ道を防ぐ様にリーカを囲み、怯えて必死に這って逃げる姿を楽しみながら部屋の隅まで追い詰める。そして男の一人が服を引き裂こうと手を掛けた。

 

 

「んじゃ、楽しませて……ほげっ!?」

 

 

 

 

 そして、男達の真横の壁を突き破って飛び込んで来た魔法の絨毯が三人纏めて跳ね飛ばす。壁に突き刺さって奇妙なオブジェとなった三人の姿にリーカの理解が追い付かない時、魔法の絨毯から降りた人物が申し訳無さそうに口を開いた。

 

 

 

「あの~、これでも勇者ですけど……砂漠の三日月って盗賊団のアジトは此処で合ってますか? って、誰か巻き込んでるよー!?」

 

 ツナギ姿に麦わら帽子、持ち手が青と赤の巨大な鋏を持った少女の登場により、状況に理解が追い付かないリーカは……。

 

 

 

 

「私も来たばかりなので分かりません……」

 

 当然だが余計に混乱するのであった……。

 

 

 

 

 

「盗賊団の討伐かぁ。どうして真面目に働かないんだろう……」

 

 ムマサラの代表であるタドリクさんの相談、それは最近この辺りに出没し始めたという砂漠の三日月団を名乗る盗賊達の討伐ですが、孤児になってもめげずに働いて両親が残した羊達を守って来たゲルダさんからすれば他人から物を奪う盗賊家業が信じられないのでしょう。そんな方々が居ると聞いただけで少し落ち込んでしまったらしい。準備をする為に用意して貰った部屋で落ち着かないのか部屋の隅を行ったり来たりしています。\

 

「……はぁ」

 

 かく言う私も実は少し落ち込んでいるのです。先程の砂鮫を逃がさない為に手を出しましたが、その事について反省せねばなりません。仲間意識が強い砂鮫を逃がせば大勢の仲間を連れて報復に出る可能性もあり、だからと言って何時までも滞在する訳にもいかないので多少目立つのは仕方ないのですが、流石に派手が過ぎました。

 

「湿気た顔をしているな、キリュウ」

 

「少し自分が情けなくて……」

 

 この旅は魔王や魔族を倒せば良いと言う物ではなく、勇者が人々を救いながら功績を積み重ねる事で復活を阻止する封印の儀式だ。その主体は勇者でなければ意味が無く、私が今回派手に動いた為にゲルダさん単独で動いて逃げられた時よりも功績が低くなってしまっている。例えるならばゲルダさんが主となって70点の成果を出した場合と他者が大いに目立つ100点の結果では前者の方が得られる功績の値が大きい。

 

「もう少し地味にすれば良かったですね。地面の中で串刺しにするとか、周囲を固めて圧死させるとか……」

 

 この判定システムには多少疑問を持っているが、要するにこれはこういった物であると納得するしかない。何せ神が作り出した儀式だ、人が推し量る事など不可能なのだから。だが、愛する妻に話を聞いて貰う程度は構わないでしょう。私の話を黙って聞いたシルヴィアは腕組みをしながら何度も頷いていた。

 

「……そうか、そんな事で悩んでいるのか」

 

「はい、情けない事ですが……」

 

 これ以上の言葉は強制的に止められる。襟首を掴んで引き寄せられ唇を重ねる事によって。私を黙らせても解放する気は無いのか離して貰えず、唇を重ねたまま腕を背中に回されて強く抱き締められる。気が付けば私も彼女を抱き寄せていました。

 

「……貴様は女神である私を娶ったのだぞ? 多少の失態で気を病むな。それと、毎度毎度唇で黙らして貰えると思うなよ?」

 

 それだけ告げるとシルヴィアは上機嫌で鼻歌まで歌い出す。……私は本当に愚かだ。美の女神である姑よりも美しい女神を妻にしたのだから落ち込む暇が無い程に私は幸福なのだ。一度や二度の凡ミスで落ち込んでいても仕方が無い。

 

 

 

 

「何せシルヴィアは本当に美しいのですから! ねっ、ゲルダさん?」

 

「女神様がお綺麗なのは認めますが前後の文が無いので困ります」

 

 何と言うか、この子も僅かな期間で成長しましたね。私が勇者だった頃も初期から共に旅をしていたナターシャがズバズバ言う方でしたし、少し懐かしい気分です。そうそう、彼女が設立した学園が次の世界に有りましたね。少し顔を出したい気分ですよ。

 

 そんな風に昔を懐かしみつつ今からどう動くべきかを考える。活動範囲から大体の拠点の位置は分かり、魔法で探索すれば発見は容易い。問題はその後、モンスターの襲撃を受けたばかりで街の住民は怯えており、庇護してくれる勇者一行が全員居なくなるのは不安でしょう。勇者として名声が広まれば今後の活動にも便利になる事もあり、私は一つ提案をする事にしてみた。

 

 

「私とアンノウンは街の警護に残りましょう。砂鮫がこの街に来た理由も気になりますしね」

 

「餌を求めて襲って来ただけじゃないのですか?」

 

「いえ、それにしては……」

 

 どうも今回の事は引っ掛かる。少し調査したい気持ちもあって苦渋の決断でシルヴィアとの別行動を選択したのです。戦力を考えれば過剰でも丁度良いですが一応砂鮫を瞬殺してみせたアンノウンを街に残すとして、この辺でゲルダさんの強化にも着手しましょう。

 

「えっと、確かこの辺に仕舞って……」

 

 異空間に手を突っ込んで目的の物を探す。普段から整理整頓をしていないので物がゴチャゴチャに入っており、何度か別の物を取り出してしまった。

 

「これはシルヴィアの観察記録、これは二人の交換日記、これはシルヴィアの特殊な衣装の写真を納めたアルバムの十巻で……見つけた!」

 

「あれ? それって魔本じゃ……」

 

「ええ、私の物ではないですけどね」

 

 取り出したのは制作者専用の魔法媒体にして研究書と言うべき魔本。普段使う魔法やオリジナルの魔法が簡単に使える上にコントロールも容易です。

 

「これを使って下さい。魔力のコントロールの才能が壊滅的な貴女でも魔本が出力を自動調整してくれますよ」

 

「でも、魔本は作った本人しか……いえ、賢者様ですから何とかしますよね」

 

「流石物分かりが良い。花丸をあげちゃいます」

 

 指先で花丸を描きながら魔本に干渉、根本となっている魔法陣を書き換え、主をゲルダさんだと誤認させる。前の持ち主はエイシャル王国の魔法研究所の職員で腐敗貴族の命令でゲルダさんを拉致する気だったのを考えれば皮肉な話ですね。やがて地味な茶色一色の装丁が可愛らしい花と羊のイラストのピンクの本へと変わり、大きさも手帳サイズになってゲルダさんの手に収まった。

 

「これで私も魔法が……」

 

「おや、魔法に憧れていました?」

 

 少し嬉しそうな顔をしたゲルダさんを見て安堵する。魔族の出現で心が荒み盗賊へと身を窶す人が居るなど子供の彼女にはショックな事ですからね。では、更に心躍る物を出しましょう。少し私の旅を話した時に気にしていた物を出すしかないでしょう。

 

 

 

「出よ! 空飛ぶ絨毯!」

 

「わあ! 賢者様、これに乗って良いのですよね!」

 

 話を聞いていた時よりも目を輝かせたゲルダさんは私が出した絨毯に飛び乗る。描かれている模様はステンドグラスの絵をイメージしたシルヴィアの肖像画で斧と鎧を装着している。そして、これはシルヴィア自身もお気に入りの一品だ。

 

 

 

「おお! では、早速出発だ! おい、窓を開けてくれ!よし、では出発!!」

 

 子供みたいにはしゃいだシルヴィアは絨毯に飛び乗るなり全速力で窓から飛び出して行った。……ゲルダさん、大丈夫でしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……未だ拠点の場所を割り出していないのですがね」

 

 ですが実に楽しそうなシルヴィアを直ぐに呼び戻せはしない。ゲルダさんの顔が引き吊っていた気もしますけど様子を見るとしましょうか。

 

 

 

「ガウ」

 

「甘い、ですか? 惚れた弱みですよ、アンノウン」



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使命の重み 勇者の怒り

一応容姿の再確認

ゲルダ・ネフィル 灰色癖毛の少女 狼の耳と尻尾 ツナギと麦わら帽子、赤と青の巨大鋏

シルヴィア 赤い髪を束ねた褐色肌 鎧に斧

キリュウ 黒髪の二十代前半 ローブに宙に浮く本




「はははははっ! 速い、速いぞっ! そして更にスピードアップだっ!」

 

 最高神ミリアス様を頂点として無色の世界に住まう神様達については様々な伝承で伝わっている。でも、姉妹神にも関わらず愛の女神のイシュリア様と武と豊穣の女神のシュヴァリエ様の不仲が間違いだったりと伝えた人の主観が混じったり、神様達の都合で間違った内容が伝わる事も結構有るらしく……。

 

「め…女神様、もう少しゆっくり……」

 

「何を言っている、ゲルダ! 風だ、風になるのだ!!」

 

 決して動じず沈着冷静にして誇り高き武人、それが目の前の女神様の伝承で、今現在、空飛ぶ絨毯を高速で飛ばしてテンションが振り切れている姿とは重ならない。

 

「こ…こんな乗り物だったなんて……」

 

 イエロアを舞台にした物語では度々登場する位に空飛ぶ絨毯は使われていて、挿し絵で乗っている姿を見て憧れていたから今回乗れると知った時には嬉しかった。でも、今は後悔している。この乗り物、凄く乗り心地が悪かった……。

 

 布だからヒラヒラ動いてバランスが悪いし、掴まる所も無いのに正面から風を受けて凄く危ない。だけど女神様は平気な顔で立って速度を上げ続けるし、私はその腰に掴まって飛ばされそうになるのを何とか堪える。

 

「行っくぞー!!」

 

 真っ直ぐ飛べばいいのにわざわざ弧を描いたり回転したりと無駄に迫力を上げながら空飛ぶ絨毯は砂漠を進む。この先の何処かに存在するらしい盗賊の拠点を目指して。

 

 ……今、重大な事に気が付いた。

 

 

「あのぉ、女神様? 盗賊が何処に居るか知っていますか?」

 

「知らんな! 悪い、久々にこれに乗れると知ってはしゃいでいたらしい。まあ、何とかなるだろう。案ずるな、当てはある。……あれを見ろ」

 

 女神様が指差した先に存在したのは砂嵐、いや、砂の竜巻だった。一カ所で渦を巻いた砂が天高く舞い上がっている。砂漠に詳しくない私にだって普通じゃないって分かった。そして、意識を向けたからこそ辛うじて捉える事が出来た匂い。この匂いはこの前嗅いだばかりの特徴的な匂いで忘れようにも忘れられない。

 

「魔族の匂いがする……」

 

 そう、賢者様と女神様に弱らせて貰ったけれど辛勝した相手、敵の視覚と聴覚を妨害する能力を持った魔族ルル・ジャックス。彼女から漂っていた匂いと酷似した物が目の前の砂竜巻に僅かに混じっていた。

 

 

「ほほう。此方に真っ直ぐ飛んで正解だったか」

 

「女神様、最初から分かっていたんですか? 此方の方に何かが有るって」

 

「ああ、直感だがな。だが、私は武の女神だ。こと戦いに関する直感は鋭い。賊がどの辺を拠点にしているかも然りだ」

 

 普段は私の前だろうと賢者様とイチャイチャするし、人とは価値観が違い過ぎる困った方で一緒に旅をするのが少し不安な時もあったけど、改めて女神様が頼もしく感じられた。でも、あの砂竜巻の内部に拠点があるとして、どうやって乗り込むのだろう? こっそり忍び込むとかは絶対やらないだろうし……。

 

 

 

「では、全速力で突っ込むぞ!」

 

「やっぱりぃいいいいいいいっ!?」

 

 遂に私の両足は絨毯から離れ、風に煽られて激しく動く。絨毯は更に速度を上げて砂竜巻に真正面から突っ込んだ。体中に叩きつけられる暴風と砂に進入する相手への拒絶を感じ、開けられないから目を閉じて絶対に離すまいと女神様に掴まる手に力を込める。此処で手を離せば私はなす術無く吹き飛ばされるだろうし、そうなったらお終いだ。

 

「安心しろ、ゲルダ。私がお前を絶対に離さん」

 

 女神様の腰を掴んだ腕が上から掴まれる。砂竜巻の内部は風と砂の音で凄まじい轟音が響いているのに女神様の声は綺麗に聞こえて、掴まれた腕からは賢者様が撫でてくれた時みたいな暖かさを感じた。

 

「……見えた」

 

 そして、遂に砂竜巻を突破し、恐る恐る目を開いた私の目に映ったのは大きな砦。多分モンスターや砂嵐の影響なのか随分とボロボロで塀には所々崩れた場所があるけれど頑丈そうに見える。多分だけれど打ち捨てられた砦を盗賊が根城にしたのだろう。その砦に向かって私達が乗る空飛ぶ絨毯は一直線に向かって行った。

 

 

 

 

「あの~、女神様? 止まらないんですか?」

 

 一向に速度を緩めず壁に激突しそうなのを見て私が訊ねれば、女神様は困った様に呟いた。

 

「……いや、どうも長い期間放置している間に故障したらしくてな。急に命令を受け付けなくなった。……百年以上放置していたのに急に全速力を出したのが拙かったか」

 

 教訓、乗り物は適切な速度で動かそう。咄嗟に飛び降り様としたけれど、空飛ぶ絨毯は更に加速して壁に激突、寸前に女神様が拳を叩き込んでくれたから私が壁にぶつかる事はなく、部屋の中に進入すると急に命令が届いて止まる。私自体は前に向かう力が残っているから前に飛びそうになったけど女神様が掴まえてくれていたから大丈夫だったけど……。

 

 でも、此処までやって全部勘違いだったらどうしよう? 取り敢えず目の前のお姉さんに訊くしかないよね。

 

 

「あの~、これでも勇者ですけど……砂漠の三日月って盗賊団のアジトは此処で合ってますか? って、誰か巻き込んでるよー!?」

 

 飛び込んだ時に何かにぶつかった気はしたけれど、間違いじゃなかったらしく男の人達が壁に刺さっている。これ、盗賊だったらセーフだけど、一般人だったら拙いよね? 痙攣しているから死んではいないけど……。

 

 

 

「私も来たばかりなので分かりません……」

 

 私は凄く困っているけれど、お姉さんも困った様子で答える。……この後、砂漠の三日月団かどうかは兎も角として人攫いには間違い無いって聞いて漸く安堵する私だった。

 

 

(もう絶対に女神様と一緒に空飛ぶ絨毯に乗らないでおこう……)

 

 多分魔族が居るのに戦う前から疲れたし、勝てるか心配になって来たよ……。

 

 

 

 

 

 

 

「さて、事情は何となく分かった。では、此奴達から情報でも聞き出すか?」

 

 レーカさんの話を聞いた女神様は不機嫌そうにしながら人攫いの一人の足を掴んで壁から引っこ抜くと乱暴に床に投げ捨てる。呻き声が聞こえたし、頭を打ったけど同情はしない。レーカさんより前に浚われていたらしい女の人達の姿を見ていたら怒りがこみ上げて来て、私だって一発くらい蹴りを入れたい気分だった。

 

「おい、起きろ! 聞きたい事が有る!」

 

 人攫いの胸倉を掴んだ女神様は頬に平手打ちを叩き込む。多分本気でやったら頭が飛ぶから手加減はしているだろうけど何度も何度もだ。あれ? 今、目を覚ましたけど次の瞬間には平手打ちで気絶させられた様に見えたけど……。

 

「えっと、ゲルダちゃん? さっき目を覚ましたのに気絶させなかった?」

 

「気のせいです。絶対に気のせいです」

 

「……そう」

 

 レーカさんも気が付いていたみたいだけど、此処は何とか誤魔化さないと女神様が頭ポンコツだって思われてしまうわ。頬をパンパンに腫らして完全に気を失ったのを放り投げ、女神様は二人目にも同じ事をして同じ結果になる。あっ、三人目に入った。

 

 

「ええい、根性無し共が。……まあ、良いか。他にも来たしな」

 

 結局全員を同じ様に気絶させた女神様が視線を向けたドアの向こうからドタドタと荒い足音が聞こえて三日月刀を手にした男の人達が入って来る。そして、ドアが開いた事で建物の奥から鮮明に漂って来る魔族の匂い。間違い無くこの砦には魔族が居るわね。

 

「何だ、テメェ達は!」

 

「兄貴達がやられてるぞ!」

 

「囲め、囲んでやっちまえっ!」

 

 小汚い感じのする男の人達は三日月刀をこっちに向けて唾を飛ばして喚き散らし、レーカさんは恐怖で身を竦ませる。うん、確かに武器を向けて来る人達とか怖いよね。私だって少し前までなら同じ反応だったと思う。でも、どうしてだろう? 今の私は全然怖いと思わない。

 

 

「俺達が砂漠の三日月団だと知ってて喧嘩を売ったんだろうな、このアマ共!」

 

「……そう。矢っ張り此処で良かったんだ。改めて探す必要が無くて良かったわ」

 

「あっ?」

 

 怪訝そうな顔をする盗賊を無視して一歩進み出れば女神様も横に退く。此処は私だけでやって見ろと無言で伝えて来るのが分かった。こんな人達に救世紋様は使わない。その代わり、これの練習に付き合って貰うから。

 

「魔の蔦よ、この者を縛り上げろ!」

 

 賢者様から貰った魔本を手にし、一番先頭の盗賊を標的に魔法を唱える。私が作った訳じゃないからどんな魔法かは分からないけれど詠唱文から予想出来る。床に出現した二つの魔法陣から蔦が伸びて瞬く間に相手を拘束した。

 

 渡されて直ぐに空飛ぶ絨毯に乗ったからちゃんと読んでないけれど、何ページか読む限りでは植物と大地系統の魔法が多いみたい。中には休まずに働くとかどうとかの詠唱も有ったけれど、今は必要ない。今必要なのは戦う力。蔦で拘束された盗賊は最後に足をグルグル巻きにされて床に転がった。

 

「ぐっ! 何だよ、この縛り方はっ!?」

 

「……知らない」

 

 その縛り方に対する感想を言うならば、実に亀甲な縛り方で、となるわね。えっと、この魔本の制作者の趣味かしら? よく見たら蔦から染み出した液体で服がジワジワ溶けて非常に見苦しい。私の中で制作者の株が更に下がったけど、魔本は基本的に制作者しか使えないから私の趣味だと思われているかもと気が付いてしまった。

 

 

「よし、口封じしよう。大丈夫、記憶が飛ぶ位に思いっきり殴るだけだから」

 

 

 左手に魔本を持ったまま残った盗賊達に向かって行く。変人を見る目を私に向けていた盗賊達は反応が遅れ、一人の顎に飛び蹴りを叩き込み、魔本を上に投げると倒れそうなその体を足場にしてレッドキャリバーとブルースレイヴを両手にして回転、左右の二人を打ち据えるとブルースレイヴを一番後ろにいた盗賊に投擲、顔面に当てて気絶させた。

 

「このチビ!」

 

「一気に畳み掛けろ!」

 

 二人が同時に三日月刀を振り下ろし、私がレッドキャリバーで受け止めると二人揃って体重を掛けて押し込もうとするけれど微塵も動かない。正直言って二人の体つきはそんなに逞しくないし、下手すれば勇者に選ばれて力が上がり出す前の私より力が弱いかも知れない。

 

(このまま弾き飛ばすのは簡単だけど……)

 

 この部屋には何人も浚われた女の人も気絶した盗賊も居る。変な方向に弾いたら危ない。だから、私はレッドキャリバーを小さくして前に踏み出した。力を込めていたレッドキャリバーの刃が消えて二人は前のめりになり、懐に入り込んだ私は元の大きさに戻したレッドキャリバーを横に振り抜いた。二人揃って壁に激突して気絶、残った盗賊達が向かって来るけれど、私は数歩バックステップ、既に勝負は付いている。

 

「おいで」

 

 剣を振り上げ向かって来る盗賊達、その背後から引き寄せたブルースレイヴが激突する。無防備な背後からの攻撃に全員の動きが止まり、さっき放り投げた魔本をキャッチする。

 

「礫よ、我が敵を罰せよ!」

 

 拳大の石礫が動いて盗賊達に向かう。私が一瞬目を向けたのは浚われて酷い目に遭った女の人達。石礫は最大速度で股間に命中、何かが潰れる音が聞こえた。

 

 

「……いい気味ね」

 

 少しだけスッキリした胸を撫で下ろし、少し見苦しい光景になるけれど、さっきの蔦での拘束を行った。どうせなら髪の毛を剃っておこうかな?

 

 

「シルさん、これからどうします?」

 

「纏めて潰す、それだけだ」

 

 女神様は本当に怒っている。目の前で髪の毛を散らして全裸で転がっている盗賊達を見下ろし、斧を握り締める。ああ、この姿を見ると伝承が本当だと感じるわ。沈着冷静で誇り高い武人……そして心優しく正義感が強いって。

 

 

 

 

「……これが世界なんですね。私、小さな村に居たから全然知りませんでした」

 

「ああ、だが……」

 

「分かっています。汚い物以上に綺麗な物が有るって。少なくても私はその綺麗な物に囲まれて育ちましたから……」

 

 この旅に出て私は世界の広さを知った。私が知らなかった珍しい物や綺麗な物、そして人間の負の面。魔族が現れて世界が危ないのに。

 

(いいえ、危ないからこそ他人の事を気にせずに好き勝手に行動するのね)

 

 勇者に課せられた責務の重さが肩に重くのし掛かる。そうだ、私が救わなければならないのは人の命だけではなく、心の平穏もなのだと思い知らされた。魔本は念じれば私に直ぐ横に浮き、レッドキャリバーとブルースレイヴを強く握り締める。私の顔は砦の上の階、魔族の匂いが濃い方向に向けられていた。

 

 

 

「敵襲ー! 敵襲だー!」

 

「たった二人だって侮るな! 凄く強いぞ!」

 

 縛った盗賊達は窓から吊り下げ、動けない位に弱った女の人達をリーカさんに任せて私と女神様は通路を進む。元々砦で侵入者対策の為か凄く入り組んで迷いそうだけど女神様が居るから問題無い。

 

「砦が崩壊しない程度の超手加減ぱーんち!」

 

 少しだけ気の抜ける声で突き出された拳だけど、正面の壁が発生した拳圧で崩壊して行く。多分あれだけの人数の犠牲者が居なかったら砦を崩壊させていたんだろうな。砂漠の真ん中に弱った人を放置するのは危険だって分かっていて良かったと安堵しつつ、横の通路から出て来た盗賊達を倒していく。

 

 向かって来たのは武器を振るうよりも速く攻撃し、受け止める為に構えた相手には武器を破壊する位に重い攻撃を、矢を放たれたら扱い易い大きさに変化させた鋏で叩き落とし、大勢で固まっていれば魔法で倒し、一人の例外もなく髪の毛を奪って行く。

 

「階段発見っ!」

 

 壁よりも頑丈な為か下の段は兎も角として上の段は残っている階段を見付けて飛び乗る。漂う匂いが次の階層にも盗賊の仲間が居ると教えてくれた。これだけの人数なら食料だって沢山必要で、盗賊だから当然奪っている。私が育った世界と違って作物が育ちにくい砂漠の世界でそれだけの食料を奪われたらどうなるか、飢えた経験の無い私にも理解は可能だ。

 

「貴方達が盗賊になったのには理由があるのだろうけど、それでも私は貴方達を倒さなくちゃいけない。でも、安心して。私、絶対世界を救うから。盗賊なんてしなくちゃならない理由を減らしてみせるから」

 

 騒ぎを聞きつけて次々に盗賊達が立ち塞がる中、私は武器を両手に持って正面から迎え撃つ。小柄な体を活かして中央に飛び込んで暴れまわって次から次へと薙ぎ倒した時、真後ろから女神様の腕が伸びて襟首を掴むと盗賊達を蹴り飛ばして自分は後ろに飛んだ。

 

「……来るぞ」

 

 その言葉と同時に女神様が斧を投げれば壁を破壊しながら進み、今居る階層に広いスペースが出来上がる。天井がひび割れ、お爺さんが落ちて来た。

 

 

「ふぇっふぇっふぇ! こりゃ随分と活きの良い嬢ちゃん達だわい。今までの女よりも楽しめそうじゃなぁ」

 

「魔族っ!」

 

 天井はそれなりに高いのに腰を屈めないといけない逞しい大男のお爺さんからはルルよりも濃厚な魔族の匂いが漂い、皺だらけの顔を醜く歪めて笑いながら私達を眺める。気になったのは肩に担いだ巨大な袋。少なくても只の荷物って事は無い筈。即座に救世紋様を出現させた私に対し、魔族のお爺さんの目が細くなった。

 

 

「それはっ! ……そうか、お前さんが勇者になった子供じゃな」

 

(情報が流れている。本当に厄介ね……)

 

 魔族は誕生する際に先代の魔王が得ていた情報の幾つかを持つらしい。だからある程度の情報を持たれていると思った方が良いって賢者様は言っていたけど、それとは別に情報を共有しているらしい。多分私の戦いを眺めていたらしい魔族の仕業だろうけど……。

 

(敵に自分を知られているって凄く気持ち悪い!)

 

「ふぇっふぇっふぇ! では、此処でお嬢ちゃんを殺せば大手柄! あの女に毎晩伽をさせる事も可能という訳じゃわい。簡単に壊れる人間の女と違って長く楽しめそうじゃなぁ」

 

 別の意味で気持ち悪いと思いつつも武器を構える。多分、あの人達をあんな風にしたのは此奴だ。だから、絶対に此処で倒さなくちゃ駄目なんだ。

 

 

 

 

 

「それじゃあ行くぞい! 魔族チューヌ・ザントマン、参る!」

 

「私はゲルダ・ネフィル! 貴方を倒す勇者の名前よ!」

 

 尖った爪を突き出して来るチューヌに対して私はデュアルセイバーで迎え撃つ。激突の瞬間、火花が散った。




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砂漠の異変

「ふぇっふぇっふぇ! 強いのは言葉だけじゃな、お嬢ちゃん!」

 

 皺だらけの顔に不愉快な笑みを浮かべながらチューヌが貫き手突きを放つ。ゲルダもレッドキャリバーとブルースレイヴの二刀流で応戦するもやや劣勢。正面から迎え撃って幾らかは防げているが間に合わなかった物が体を掠め頬や肩に僅かだが傷を負っていた。

 

(……大きな怪我は避けているな。この短期間に随分と成長したものだ)

 

 ゲルダの戦う姿を眺めながら才能を評価した結果、近接戦闘ならば歴代一位だと認めるしかない。夫相手だから贔屓してやりたいが、キリュウは戦闘関連の才能の割合は魔法関連に比重が置かれていたからな。武を司る女神として戦いに関する事には誠実でありたい。

 

「ゲルダ、助太刀は必要か?」

 

「いい、別に要らないです! この人は私が倒しますから!」

 

 すくい上げる様にして首を狙った一撃を真横に振るったレッドキャリバーで打ち払いブルースレイヴを叩き付けたゲルダは私の方を見ずに答え、追撃として振り下ろされた袋を後ろに跳んで回避した。彼奴も気が付いているだろうがチューヌは魔族としての能力を使っていない。その時点で劣勢だと言うのに意地を張っているか、それとも……。

 

「随分と余裕じゃな。いや、違うな。功績を少しでも稼がねばと焦って無理をしておるな、お嬢ちゃん? 舐めるでないわ!!」

 

 猛攻に圧されジリジリと後退、遂に壁際に追い詰められたゲルダに対し、その心中を悟って侮られたと感じたチューヌは気味の悪い笑みから一転して怒りを滲ませるとゲルダの心臓に向けて爪を突き出し、同時に袋を横に振るう。背後は壁であり逃げ道を塞いだ上での攻撃。老人の見た目と違って人を超越した力は凄まじく、横と正面からの攻撃の双方をそれぞれ片手で防ぐのは不可能だと今までの攻防で悟ったのだろう。

 

「貰ったっ! 死ぃねぇええええええええ!!」

 

 チューヌは勝利を確信して笑みを浮かべる。ゲルダも同様に笑みを浮かべていた。

 

 

「待っていたわ、この瞬間を!」

 

 爪先が迫った瞬間、ゲルダの動きが加速する。先程までとは比較にならぬ速度でチューヌの巨体の股をスライディングで潜り抜け、相手が振り返るよりも前に足下を払う。攻撃で重心が前のめりになっていたチューヌはその勢いで前方に倒れ込んで膝を付き、完全に無防備になった背中にラッシュが叩き込まれた。

 

 

「中々だ。及第点はくれてやろう」

 

 相手の大振りの一撃を誘う為に敢えて力を抑えて劣勢を演じ、ここぞという時を狙う。未だ武器の扱いが雑だが、そこは私が今後指導してやれば良いだけだ。今は賞賛してやろうと軽く拍手をしながら見詰める中、振り返りながら横薙ぎに振るわれた爪とレッドキャリバーが正面からぶつかり合い、チューヌの爪に罅が入った。

 

「ぐおっ!?」

 

「信じられないって顔ね。簡単よ。さっきまでの攻防で私はずっと同じ場所を狙っていたのだもの」

 

 罅が入った爪を目にして愕然としている様子からして硬度には自信があったらしい。だがゲルダはそれを上回った、それだけだ。言葉と共にブルースレイヴが振るわれて爪を完全に折り、レッドキャリバーの突きが鳩尾に叩き込まれる。チューヌが悶絶して尻餅を付いた瞬間、懐に飛び込んだゲルダは小さくしたレッドキャリバーを顎に向かって突き出し、腕が伸びきる瞬間に元の大きさに戻す。

 

「これで……最後っ!」

 

 チューヌの体が後ろに倒れ込み、ゲルダは当然その上に落ちて行く。レッドキャリバーとブルースレイヴを上に掲げ、チューヌの上に降り立った瞬間に勢いを乗せて顔面に叩き込んだ。衝撃で鼻が曲がり歯が折れたチューヌの上から飛び降りたゲルダだが、息が荒く救世紋様も消え去る。どうやら体力の限界らしい。

 

「それは体力を消耗する。持続時間も今度の課題だな。……それと、未だ見極めが甘いぞ」

 

「ッ!」

 

 警告を耳にするなりゲルダは武器を交差させて構え、そこに地を這う砂の刃が襲い掛かる。金属同士が激突した音と共にゲルダの体は後退した。だが、その体は倒れておらず、体力も底を尽き掛けていると言うのに臆した様子もなく前を見据える。

 

「……加点だな」

 

 戦士にとって必要なのは強き肉体や磨かれた技だけではない。逆境でも挫けぬ心、それをゲルダは持っていたらしい。

 

「……やれやれ、裏切り者を誘い出す為に盗賊達を束ねていたが、少し欲張り過ぎたらしいの。子供と侮り油断したか」

 

 ダメージを感じさせながらも立ち上がるチューヌに先程迄の下劣な雰囲気は消え失せ老獪な戦士のそれへと変貌する。演技だったか、それとも二面性を持つのか。これからが本当の戦いと言いたい所だが……。

 

(分が悪いか。仕方ない、私が出るとしよう。此処で奴を倒した分の功績は惜しいが、勇者が死んでは意味が無い。倒せた時より時間が掛かり犠牲も多くなるが……)

 

 斧を構え即座にチューヌを両断しようとするが、どうやらその必要は無いらしい。砦を囲む砂嵐が消え失せ、奴の目からも戦意が消え失せていた。

 

 

「此処は退かせて貰うとするわい。そっちの嬢ちゃんも都合が良いじゃろう? では、次こそ決着を付けようぞ! ふぇっふぇっふぇ!」

 

「待て!」

 

 逃がさないとばかりに飛び掛かるゲルダだがチューヌの周囲を砂が渦巻いて防ぐ。疲弊した状態な為か握り方が甘かったらしく武器が弾き飛ばされ、チューヌの体を覆い隠す砂が消え去ると奴の姿も消え去っていた。

 

「……余計な知恵を付けたな。いや、今までが馬鹿だっただけか」

 

 三代目までは人間を侮り退く事も此方の都合に付け込む事も無く正面から挑んで来た魔族だが今回は随分と狡猾になったらしい。引き際も弁えているとは厄介な。……だが、今回はこれで良しとするか。

 

 

「ゲルダ、悔しいか? 悔しいならその気持ちを忘れるな。……お前はよく戦った。武の女神である私が言うのだ、間違い無いぞ」

 

「はい! 次は絶対に勝って見せます!」

 

 私には子供が未だ居ないが、子供の成長を見守る親の気持ちとはこの様な物なのだろう。成長を見せ、決意を新たにするゲルダを見ているとミリアス様が魔族の封印を人間に任せた理由が少し分かった気がした……。

 

 

 

 

 

「では、帰るぞ。大勢浚われているから迎えもいるし、全速力で飛んで帰ろう」

 

「……えっと、空飛ぶ絨毯に乗ってですよね?」

 

「そうだが、それがどうかしたか?」

 

「いえ……」

 

 ゲルダは何故か絶望した様子だが、まさか高い所が苦手だったか? だが、他の移動手段は走る位だからな。……直ぐに終わる様に更に速度を上げて帰るか。私もキリュウに会いたいし。依頼を終えた褒美に撫でて貰うのだ。その後でキスをして貰えたらとっても嬉しい。

 

 

 

「ふふふ、実に楽しみだ」

 

 母としての幸せは未だ知らぬが、女としての幸せは知っている。今はそれで良しとしよう。

 

 

 

 

 

「ぬぅ。困った。すっかり迷ってしまったな」

 

 一方その頃、謎の地下空間の中をさ迷い続けた楽土丸は空腹を覚えていた。武士は食わねど高楊枝とは言うが、生きている以上は腹が減る。懐を漁って僅かばかりの干し芋を取り出した彼はそれを口にしながらさ迷う。やがて彼は広い空間へと辿り着いた。

 

「霧? 妙だ。拙者は地下に来た筈だが……」

 

 暗闇の中でも困らず歩いて来た彼だが、目の前に広がる濃霧には困り果てた様子。深い穴でも開いていたら危ないと用心しながら進むと目の前には幾つもの大木が生えており、ポツポツと雨が降り出したかと思うと急激に勢いを増す。

 

「どうやら地下だと思っていたのは勘違いだったか……」

 

 取り敢えず雨宿りをすべく木の下に入り込み、濡れた服を絞る。その場に座り込んだ彼は一瞬だけ無数の視線を感じるも周囲に動く物の姿も無く、やがて腕組みをしながら船を漕ぐ。

 

 

 

 

「……」

 

 その姿を木の幹の一部が動いて見開いた目玉が楽土丸に視線を向け、葉から噴き出していた水が止まって雨が止む。やがて根本の巨大な口が開き、根っ子が楽土丸の体に巻き付こうと蠢いた。

 

 

 

 

「異常繁殖した群れ……でもなさそうだ」

 

 シルヴィア達が盗賊退治に向かっている最中、ムマサラの防衛をアンノウンに任せた私は調査に出ていた。最後まで残るのを嫌がったアンノウンと感覚を共有するパンダのヌイグルミが私の頭の上に乗り、空から地上を見下ろしている。

 

 大小様々な岩が点在する場所に密集しているのは蠍猿(さそりざる)。砂漠の中で保護色になる毛の色と先端だけが甲殻に覆われた蠍の尻尾を持ち、砂鮫がやって来ない広く大きな岩場を住処にして二十匹程で群れを形成する。脅威度こそ砂鮫やサンドスライムに劣るものの、高い知能と麻痺毒の尻尾は厄介なモンスターです。

 

 だが、目前の蠍猿達は目測で凡そ百匹、食料調達を担う若い雄が狩りに出ているとすれば更に増える可能性も有るのだが、どうも妙なのは数だけではない。幾つかのグループに分かれて威嚇しあっていた。その上、今居るのは岩が集まってこそいるが大きさは様々で砂鮫のジャンプが届く大きさの岩も多い。あれでは幼い子供を抱えた親の数だけで比較的安全な岩の数が不足している。

 

「何かあって複数の群れが同時に生息域を追われた? だとしたら……」

 

 本来、モンスターは生息域から遠く離れはしない。故に人は生息域から遠く離れた場所に住み、モンスターを避けて暮らして来た。百年毎の魔族の発生で人口のの爆発的増加も抑えられてはいるので住処を広げた事でモンスターの生息域を侵したという事も無いでしょうし……。

 

「アンノウン、最期の一匹は残しておいて下さい」

 

「ガウ!」

 

 だが、今の予想が正解だとすれば説明が付く。砂鮫も本来の生息域に居られなくなったか、住処を追われた獲物を追って来たのだろう。これは足を延ばして本来の生息域まで向かう必要が有りますね。

 

「では、今は駆除といきましょう。アンノウン、情報を得たいので全滅させては駄目ですよ?」

 

 アンノウンが操作するパンダのヌイグルミ(以後アンノウン)が了解と書いたホワイトボートを見せるなり目に光が集まり、真下に向かって拡散型のビームが放たれる。

 

「……何時の間にこんな魔法を覚えたのやら。帰ったらご褒美をあげますね!」

 

 ペットが新しい力という活躍を見せたのです、私も負けてはいられません。一度指を開いて閉じれば投擲ナイフが人差し指と中指の間に挟まって現れ、もう一度開いて閉じれば全ての指の間に現れる。計四本のナイフは突然のビームによって混乱を来す蠍猿の群に向かい、四本が八本に、八本が十六本に、倍々で増えて降り注ぐ。

 

「ウキ!」

 

 ビームによって何匹もが頭や胸を吹き飛ばされ、続いて降り注ぐナイフに逃げ惑った蠍猿ですが、群の彼方此方から響く老いた猿の声によって落ち着きを取り戻した蠍猿達の視線が此方に注がれる。ピョンピョンと跳ねながら歯を剥き出しにして威嚇するも届かないとみるや手頃な大きさの石を投擲し始めた。

 

「船頭多くして船山登ると言いますが、今回は当てはまらないらしい」

 

 全体を見れば石を奪い合ったり狙う方向が適当に見え連携など感じさせませんが、先程いがみ合っていたグループに分ければある者は石を集め、別の者が投げる役割分担も私達の逃げ道を塞ぐ様に投げている。惜しむべくは一致団結が出来ていない所。此処の群の連携が取れていても別の群同士で足を引っ張り合っていては意味が無い。それでも結構な高さまで届く投石は一般人には厄介なのでしょうが。

 

「……それでも、私達の敵ではない」

 

 別の群の投石がぶつかって弾き合った石以外はほぼ正確に飛んで来るが直前で逸れて私の背後に集まって行く。やがて手頃な石が無くなったのか再び老いた猿の鳴き声が響くと同時に逃げ出した。引き際を弁えている知能は流石ですが、またしても別の群同士でぶつかり、転んでその上を踏んづけた事で諍いが再発する。同じ種族と言っても縄張りを争う別の群なら敵という認識なのでしょう。

 

「では、利子を付けてお返しします。どうぞお受け取りを」

 

 蠍猿が投げて来たのは拳大の大きさで、今はボウリングの玉程に膨らんで蠍猿へと向かって行く。その全てが投げた本人に向かって行ったと彼らは気が付かないでしょうね。

 

「アンノウン、掴まえなさい」

 

 OKと丸文字で書いたホワイトボートを見せるなりアンノウンは私の頭から飛び降り、重なって息絶えている蠍猿達の間を駆け回り、数匹の死骸の前で立ち止まって一匹の尻尾を掴む。

 

「ウギッ!?」

 

 仲間の死骸に紛れ息を殺して死んだ振りをしていた蠍猿は慌てて逃げ出そうとするもアンノウンは尻尾を離さずピクリとも動かない。そして、そのまま振り回すと私に向かって放り投げた。一直線に矢の如く飛んで来た蠍猿は手前で止まり、頭に手を翳せば記憶が私の中に入って来る。

 

 

 

 面積が広く砂鮫の様な敵が入り込めない程に高い岩山の上、麻痺毒で捕まえた人間を生きたまま貪っていた時、異変が訪れた。昼間だと言うのに夜よりも気温が下がり、初めて見る白い何か、雪が降って来る。それが徐々に、そして激しくなり、更なる異変が彼方の方角で起きた。

 

 砂漠が氷に覆われて行くのだ。未だ住処には届いていないがただ事ではないと判断した老猿の判断で新たな住処を探して彷徨い、同じく住処を追われた他の群れと争い、そうして行き着いたのが決して最適とは言えない場所。習性として砂の上ではなく岩の上を選んだが身を守るのに適さない場所で暮らし、今回こうして私達と出会った。

 

「まあ、貴方達にも生きる権利は有りますが、此方にも都合が有りましてね。生存競争だと思って下さい。……では」

 

 苦しめて殺す気は無い。痛みを感じさせる事無くこの世から消し去った。……相変わらず命を奪うのは慣れない。虫や魚の姿ならば兎も角、こうして動物に酷似した姿なら尚更です。平和な日本で培った精神は簡単に消え去らないものなのですね……。

 

「……シルヴィアに会いたい」

 

 会って抱き締めてキスをしたいと愛しい妻の顔を頭に浮かべた時、鼻孔を甘い香りが擽る。香りが届いた方向に視線を向ければ甲虫車に乗った一団が近付いて来た。この香りは普通の香りではないと思い地面に降りて待ち構えていると私達の前で止まる。手綱を握るのは若い男、随分と鍛え上げた肉体をしていて熟練の戦士といった印象ですが、まるで酒に酔って陶酔しきった顔に見えた。

 

 だが、彼は重要ではない。車内から出て来た女こそ重要、この香りを放っている相手だ。

 

 

「はぁい。貴方、いい男ね。私と一晩の恋人にならない? そっちが構わないなら一生飼ってあげても良いわよ? 飽きるまで可愛がってあげる」

 

 ウェーブの掛かった金色の髪に妖しさを感じさせる人間離れした美貌、スタイルも出ている所は出て、締まっている所は締まっている。まあ、シルヴィアの方が億倍、兆倍美しいですが。いえ、正直言って彼女以外は評価が同じです。

 

 故に彼女に掛ける言葉は一つだけ。断るのは当然なのですが……。

 

 

 

「貴女、その格好は恥ずかしくないのですか?」

 

 白い肌を隠すのは相反する黒い布を巻き付けただけ。恐らくは白色を際立たせる目的が有るのでしょうが幅が短い。正直言ってリボンで自分をデコレーションして、私がプレゼントよ、と言っているみたいだ。

 

 

 

「あら、素敵でしょう? ふふふ、照れているのね? 裏切り者探しの定期報告を受けに来たのだけれど、あのお爺さんは嫌いなのよね。でも、貴方みたいな素敵な人と出会えたのだから結果オーライだわ」

 

「話を聞かない人ですね。私は既婚者ですし、貴女に全然興味無いのですよ」

 

「照れちゃって。可ぁ愛い」

 

 あっ、本当に話が通じない、そんな風に感じた時でした。叫び声と同時に彼女に向かって跳び蹴りを叩き込む人が現れたのは。

 

 

「ちょっと待ったぁあああああ!」

 

 片目を隠した青い髪のショートヘアーに白い肌、何処となくシルヴィアに似た顔付き。ですが服は黒く布面積の少ない下着姿にスケスケのネグリジェ。彼女の名はイシュリア、愛を司る女神にして私の小姑だ。

 

 

 

「……痴女が増えた」

 

 彼女の事が少し苦手な私が呟いてしまっても仕方ないと、そう主張します……。




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神の心は人知れず

 砂漠の真ん中で痴女が争う。方やリボンを巻いて局部を隠しただけ、方や下着姿にスケスケのネグリジェ。双方とも美女なので三百年前の私ならば目を奪われたのでしょうが……。

 

(正直言って今の私には興味が湧かない。言ったら五月蠅いので言いませんけど)

 

「彼は私の妹の旦那、義弟なの。だから誘惑して良いのは妹と私だけって事。ったく、男漁りに出た序でに妹の顔を見に来たらとんでもない女に出会ったものだわ。初対面の相手を飼おうだなんて恥を知りなさい」

 

 イシュリア様は私を指差し堂々と言い放ちます。その姿や愛を司る女神としての貫禄に溢れています。ですが、妹の旦那を何度も誘惑するのはどうなのでしょうかね? 恥だと思うのですが……。

 

「あら、別に良いじゃない。男の数だけ美しくなる、そんな女よ、私は。貴女だってそうなんじゃないかしら?」

 

 魔族の女性も誘惑が本分とばかりに踊るかの様な動きで色気を醸し出し、熱っぽい視線を向けて来る。変なのに気に入られてしまって面倒ですね。

 

「はっ! アンタ、魔族でしょう? 生まれて数年のお子様が何を言ってるんだか。どうせ今連れてる男も魔族としての力で魅了しただけじゃない。その点、私は違うわ。この美貌と手練手管で多くのいい男の心を手にして来たの」

 

「……貴女は女神ね? じゃあ、若作りの年増じゃない。何百年、いや、何千年以上生きてるのかしら?」

 

 二人とも向かい合って笑顔で会話を続けていますが、会話が進むに連れてどす黒い何かを背負っている様に見える。正直言って怖かった。

 

「ああ、矢張り貴女は魔族でしたか。それと挨拶が遅れましたね。久し振りです、イシュリア様」

 

 先程から漂うこの甘い香り、シルヴィアが香水の類は使わないので気が付きませんでしたが目の前の彼女の能力なのでしょう。甲虫車の手綱を握る彼や車内から外の様子を覗き見る男性陣も陶酔した表情ですし、よくよく見ればベッドの中のシルヴィアもあんな感じです。

 

 取り敢えず久々なので挨拶だけでもしておきましょう。姉妹仲は悪くないのですが、イシュリア様が私を私を誘惑するからシルヴィアが会わせたがらないのですよね。私も小姑より妻の方が優先ですし誘惑に乗る気も無いので会いませんけど。

 

「ええ、そうよ。私は魔族、名をレリス・リリス。お近付きの印に抱いてみない? 今なら貴方のお好きな方法を選ばせてあげるし、処女にだってなれるわよ、私」

 

「だから手を出そうってするなっての! こんな阿婆擦れより義姉の私と楽しみましょうよ。どうせならシルヴィアと一緒にってのも良いわね。実践を伴った授業にしましょうか。シルヴィアと姉妹仲良くするのなんて初めてだから興奮するわね」

 

 二人揃って胸元を見せ付けながらにじり寄る。って言うかイシュリア様、貴女って愛の女神なのに既婚者、それも妹の夫を誘惑するのはどうなのかと問いたいですが、略奪愛も愛の内だし奪う気はない、とか言われるのがオチですね。

 

 思わず後退りするもジリジリと迫る痴女二人。この時、私は恐怖を感じていた。やがて背中が岩壁に当たり、二人の顔が間近にまで寄せられた。

 

「ふふふ。追ーい詰めた。間近で見れば益々好みだわ。それに魔力も物凄い。……これは楽しめそうだわ」

 

 レリスの手が私の頬に触れる。舌なめずりをしながら吐息を吹き掛ける姿は捕食者です。

 

「実際楽しめる筈よ、彼。夜の営みに関する知識が無いからって私に相談しに来たから、私がベッドの上で色々教えてあげたのよ。あの子が拗ねるから指一本触れさせて貰えなかったけど、猛々しい妹が甘えん坊の子猫みたいになっていたわ。……そう言えば授業料を貰ってなかったわね」

 

 イシュリア様の指先が私の顎を撫で、腕に胸が当てられる。正に今の私は蜘蛛の巣に掛かった哀れな獲物。レリスだけならば逃げるのは簡単なのですが問題はイシュリア様。私、所詮は神に勇者としての力を与えられ、それを三百年間磨き続けた人間ですし、女神相手には流石に分が悪い。

 

「……ねぇ、イシュリアだったわね? どうせなら勝負しない? 私と貴女で今から彼と楽しむの。その結果、どっちが女として魅力的か彼の判定で決める……それとも自信無い?」

 

「……上等よ。キリュウ、身内だからって贔屓する必要は無いわ。公正な判定をするのよ。まあ、私が勝つのは当然だけどね」

 

 二人は挑発的に笑みを向け合い火花を散らし、私の意思など最早無視して両側から体を押し付け体の表面を手が這う。醸し出す色気は男なら骨抜きになり全てを委ねるに至る程。

 

 

 

 

「アンノウン!」

 

 だが、私には私と六百六十人を越す神の悪ノリで作り出した使い魔アンノウンが居る。今の姿では七つの頭を七等分した影響で十分の一程までに力が落ちていますが、今私の頭に乗っているパンダのヌイグルミは別。全ての頭で操作している為に本体と同等の力が有り、更に私の力を上乗せすれば神にすら匹敵する。

 

「げげっ!? あのパンダってトライヘキサ!?」

 

 アンノウンは神によって呼び名が違う。イシュリア様は多数派であるトライヘキサと呼んでいる神の一人であり、アンノウンの偽装と違う呼び名で直前まで気が付かない。頭上高く飛び上がったアンノウンは巨大化、私達目掛けてお尻を下にして落ちて来た。あの技こそアンノウンの必殺技の一つ、ジャイアントパンダプレス。今適当に考えた技と名前です。

 

「「きゃぁああああああああっ!?」」

 

 地響きがして振動で周囲の岩が砕ける。私に触れる場所のみフワフワにしていたアンノウンのお尻は二人を押し潰した。お尻の形に陥没した地面でピクピクと痙攣しながら気絶している二人の内、イシュリア様を担ぎ上げるとアンノウンに放り投げれば大きな口を開けてキャッチ、そのまま飲み込んだ。

 

「ガウガーウ?」

 

「連れて来て良かったでしょ、ですか。ええ、その通り。新しい魔法も身に付けましたし料理神ミュアル様にデザートのフルコースをお願いしますよ」

 

 久々に身の危険を感じて滲み出た汗を拭く。やれやれ、シルヴィア以外の女性の誘惑など受け付けませんけど本当に疲れました。深く息を吐き、少し地面に埋もれながらも息があるレリスを見下ろし、 顔面目掛けて飛んで来た矢を僅かに顔を動かして避ければ矢が岩を貫通する。射ったのは甲虫車の御者の青年だ。

 

「えっと、彼女が魔族だと理解しています?」

 

 元の大きさに戻ったアンノウンが私の頭に乗ったのを確認して訊ねるも彼は返事をせずに次々と矢を放ち、その場から僅かしか動かず避け続ける私に少し苛立った様子。避けられるのが嫌なのかと今度は受け止めた時、甲虫車の中から刀を持った武者甲冑の青年が飛び出した。

 

「お命頂戴仕る」

 

 姿勢を低くして片膝を付いた格好からの抜刀一閃、上に飛んで避ければ背後の岩が両断されている。断面が随分と綺麗ですし、刀は業物で彼自身の力量も高いらしい。

 

「潰れちまえ!」

 

 最期に飛び出したのは半裸で虎の獣人の青年。巨大な肉叩きみたいなわハンマーを私に向かって振り下ろし、身を捩って避ければ両断した岩を粉々に粉砕、凄い力です。

 

「相性次第では下級どころか中級魔族とも戦えますね。……惜しむべくは愛を捧げた相手でしょうか」

 

 素直な感想を口にしたのが癇に触ったらしく三人共の動きが激しくなる。その状況でも互いに邪魔にならないので評価に対するでしょう。それこそ場合によっては彼等が勇者の仲間に選ばれていたのかも知れません。

 

「愛しき方には触れさせん!」

 

「貴様は此処で死ぬが良い!」

 

「さっさと潰れろ!」

 

 三方向からの挟撃、私はその場から動かず額に矢が、腹部に刀が、背中にハンマーが襲い掛かる。その全てが私に吸い込まれるかの様に命中した。

 

 

但し、当たったという事と効いたという事は別の話。私の体は微塵も傷が付かず、三人は攻撃が当たった瞬間に時間が止まったかの様に動けない。

 

「これで力の差を理解したでしょう? ほら、恋する気持ちは素敵です。私だって素敵な恋をして結ばれた身ですから否定はしませんが、もう少し考えて行動しましょう。私でなければ死んでいたかも知れないのですよ?」

 

 呼吸は出来ますが表情筋が動かないので何を考えているのか見当も付きませんが、この三人程の実力者が魔族の味方になるのは御免被りますね。……では、先ずは心酔の対象に消えて貰いましょう。ゲルダさんには分かり易い悪党以外の人間とは戦わせたくありませんしね。他にも魅了したのが居るならば面倒です。

 

「って、居ないっ!? 転移……いえ、召喚ですね」

 

 説得しようと力の差を分からせるのに意識を裂いた事と未だ目を覚ます筈がないと油断していました。遠くから見られている感じはしなかったので恐らくは気絶などの際に自動的に召喚されるのでしょうが、これは私の失態ですね。

 

「まあ、今日だけは楽観的に捉えましょう」

 

 此処で彼女を始末した場合、殆ど削られるとはいえ多少の功績稼ぎにはなる、私も一応勇者の仲間ですからね。ですがゲルダさんが倒した場合に比べて後々稼ぐべき功績に時間が掛かってしまう。……その場合、どれだけ犠牲が増える事やら。

 

 

「帰りますよ、アンノウン。それと三人ですが貴方が連れて行って下さい」

 

「ガ?」

 

「ええ、構いません。好きにして良いですよ……今回だけですけどね」

 

 どうも殺戮や破壊よりも自分の悦楽を優先するタイプ、後回しにして良いでしょう。まあ、今度出会った時に拙い事態を引き起こしていれば責任持って倒して後始末もするのですが。

 

 

 

 

 

 

「よし、分かった。今度現れたら私が絶対始末する。……文句は無いな?」

 

 ムマサラに帰ると丁度宿屋に突っ込んでいたシルヴィアとゲルダさんに報告をしたのですが、誘惑されたと聞くなりマグカップを握り潰したシルヴィアは普段通りの笑顔で呟きベッドに座り込む。

 

「ぐぇ!? シ…シルヴィア、愛しのお姉様に何するのよぉ……」

 

 更に正確に言うのならばパンダのキグルミの口の部分から顔を出し、鼻眼鏡を装着してベッドに寝ているイシュリア様の上に座り込みました。とても女神とは思えない声を出していますが女神ですし、シルヴィアが重いわけでもありません。鎧を着込んでいるだけです。斧もわざわざ背中に背負いましたし、その重量が大きいのです。

 

「って言うか何なのよ、このキグルミはっ!?」

 

「パンダですが、何か?」

 

「そんな事は聞いてないわよ。……チャックは何処かしら? さっさと脱ぎたいのに見付からなくって」

 

 背中に手を回してチャックを探すイシュリア様ですが、四苦八苦しながらもチャックが見付からないので苛立っている様子。そんなイシュリア様に対して先程から黙って様子を見ていたゲルダさんが口を開いた。

 

「あの、イシュリア様。それ、チャック有りませんよ」

 

「何でっ!?」

 

「まあ、アンノウンの口の中から出て来たら着ていましたからね、それ」

 

 恐らくは体を魔力で包み込み、その後で物質化したのがキグルミと鼻眼鏡なのでしょうかね。かなり丈夫に作っているので脱がすのは骨でしょう。鼻眼鏡も鼻眼鏡で外せない魔法が掛かっていますし。ですが、そんな愉快な事になっているイシュリア様にシルヴィアは手を差し伸べます。

 

「大丈夫だ、姉上。私が脱がしてやる。尊敬する貴女にその様な格好はさせていられないからな」

 

「シルヴィア……」

 

 そっと肩に置かれた手に自分の手を重ねるイシュリア様は嬉しそうで、美しい姉妹愛の一幕でした。イシュリア様はパンダのキグルミの上に鼻眼鏡で、次の瞬間にはシルヴィアの握力が強まって肩が軋む音がしましたけど。

 

「まあ、キリュウに手を出そうとしたのは別の話だがな。ちょっと向こうで話をしよう。主に肉体言語で。姉上は黙っていて大丈夫だぞ。私が存分に話すから」

 

 シルヴィアは鼻眼鏡を掴んでイシュリア様を引っ張って部屋を出る。ドアの向こうからイシュリア様が助けを求める声が聞こえた気がしましたが防音魔法を使ったら聞こえなくなったので気のせいでしょう。

 

「あの、賢者様。神様ってあんな感じの方が多いのですか?」

 

「……あー、うん。私も神様方に出会ってそんな思いを抱きましたが大丈夫です。男性の三割、女性の六割はマトモな方です」

 

「残りは……いえ、言わなくて結構です」

 

 何かを悟ったのでしょう。ゲルダさんは質問を途中で止めて遠くを見る。世界を救う旅は彼女を少し大人にした様だった。

 

 

 

「……まあ、賢者様も大概だけど」

 

 そんな彼女の呟きは私に届く事はなく、三十分後にスッキリした顔のシルヴィアと何かに怯えた様子のイシュリア様が戻り、これからの行動についての相談を開始しました。

 

 

 

 

 

 

 

「うげっ!? こっちの事情を知って付け込んで来たっての!? ……先代の馬鹿勇者が原因よね、絶対。色と酒に溺れた上に魔王に封印に関して喋ったの彼奴でしょ? ったく、とんでもない奴ね」

 

 以前出会ったビリワックやゲルダさん達が出会ったチューヌ、共に封印には勇者が功績を重ねる事が必要だと知って付け込んで来ました。一応神々にも協力を依頼する事が有るので報告したのですが、原因であろう先代に対してイシュリア様は憤慨しています。

 

  先代勇者はこのイエロア出身の青年で、定住の地を持たない部族の出身でした。贅沢を知らず、部族の為に滅私奉公をしていた彼にとって世界を救う為の旅を拒否する理由など無い受け入れて当然の宿命でした。

 

 ……だからこそ贅沢をして、色を知った時に抑えが効かなかったのでしょう。最終的に記憶と精神を弄くった上で仲間の一人に猛アタックして頂きましたが、相思相愛だったので問題は無いでしょう。

 

「これだから真面目過ぎる奴は駄目なのよ。私達神が極力手を出さない事を指摘した魔王に話しちゃ駄目な事を言っちゃうし。迷惑だから庇わなくて良いのに」

 

 そのせいで面倒な事になったと不満たらたらな様子のイシュリア様は更に文句を言い続け、最終的に真面目に貞操を守らずに遊びましょうと誘惑して来るのですが、その途中で呆れ顔のシルヴィアが口を挟む。

 

「いや、奴が気に入ったからと誘惑して色や酒を教え、ベッドの中で功績稼ぎと封印の関係について口を滑らせたのは姉様だろう」

 

「え? そうだっけ? 百年も前だから忘れてたわ。一から色々教えた男は彼だけじゃないし、どうもベッドの中では口が軽くなるのよね」

 

「たった百年だ。まったく、この旅が終わったら迷惑料として何かを奢って貰うからな」

 

 これだから神は、そんな風に呆れるのに慣れたのは何時頃でしょうか? 反省の色が見られないイシュリア様にしと、幾ら姉妹だからと甘過ぎる。三百年の間に思考が神寄りになった私でさえそう思ったのです、我慢出来ないのは仕方ないのでしょう。先程から会話に入って来なかったゲルダさんが口を挟みました。

 

「あ…あの、イシュリア様、もう少し責任を持って下さい!」

 

「えっと、アンタはゲルダだっけ? 今回の勇者の……」

 

 ずっと同じ部屋に居たのに今頃になって認識したとばかりに顔を向け目を細めて見て来るイシュリア様に身を竦ませるゲルダさん。何せ妹であるシルヴィアが武と豊穣を司るのと同様にイシュリア様も愛だけではなく戦を司る女神。まさか一言意見しただけで怒らせたのかと怯えを見せるも助けを求める事無くイシュリア様に視線を向けていたゲルダさんに対し、イシュリア様は急接近します。

 

 

 

「可愛い! この子、磨けば光る玉よ。ねぇ、私に数年預ける気は有るかしら?」

 

「いや、彼女は勇者ですから」

 

「そっかー! うん、惜しいけど諦めるわ。じゃあ、私は帰るから。それと、今のままじゃイエロアに派遣された魔族には勝てないわよ、その子」

 

 好き放題に振る舞い、言いたい事だけ言うとイシュリア様は去って行く。ゲルダさんはすっかり唖然としていました。ですが、これが神なのです。人の味方であるのは間違い無いのですが、決して都合の良い存在ではなく、その思考は理外。真面目に接するだけ損な相手なのです。

 

 

 

……まあ、シルヴィアには常に真剣に接しますが。



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私が力を望む理由

返信は明日朝に


明日昼一時になろうにも更新

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二十二話くらいから気まぐれで追記要素有り コピペした際に書いてます








「……寒い。もう、どうして窓が開いてるの?」

 

 レーカさんからの詳しい話の聞き取りや今後の方針の話し合いを賢者様達に任せ、私は早めにベッドに入っていた。私は子供だから夜更かしは駄目だし、昼間に話し合う時には参加させて貰えるらしいけど……。

 

「アンノウン、未だ起きてるの? ……わっ!」

 

 砂漠の夜は冷えるから、この部屋には賢者様が掛けてくれた魔法で室温が保たれているけど開いた窓から風が入り込んで来ている。窓を閉めようと近付いたら猫サイズになったアンノウンが屋根の上に座って空を眺めていた。私も釣られて空を見れば満天の星空。息が白くなる程に寒い中、身を震わせながらも星を眺め続ける。羊飼いとして働いていた頃はこうして夜空をゆっくりと眺める事はなかった。でも、こうしてゆっくりと眺めた時が有ったと思うけど何時だったかな?

 

「あっ、そうか。お父さんとお母さんと一緒に眺めたんだ」

 

 あの頃はゲルドバの親が牧羊犬をやっていて、あの子は生まれたばっかりだった。私に懐いてたからゲルドバを抱っこしながら毛布で身を包んで、お母さんが温めた羊のホットミルクを飲んで家族で星空を眺めていたわ。確かに数十年に一度の流星群が見られる日だったけど、私は途中で寝てしまったのよね。

 

「もったいなかったなぁ。……ちょっと散歩に行こうかしら?」

 

 少し眠いけど夜空を見上げながら散歩がしたくなった私は上着を着て宿を抜け出す。アンノウンはベッドに戻ろうとしたけれど、何時もからかわれているし、その仕返しも兼ねてカイロ代わりに抱いて出た。賢者様や女神様に見つかったら寝なさいって怒られそうだから窓からこっそりとね。

 

 

「ガゥゥ……」

 

 如何にも迷惑ですって鳴き声だけど気にしない気にしない。空を見上げながら宛もなく町の中を歩く。もう夜中だから家の明かりも消えているし、酒場も閉じている。まるで広い世界に私とアンノウンだけが居るみたいな錯覚をする中、曲がり角の先にある広場の方から声が聞こえて来た。

 

 

「賢者様と女神様だ……」

 

 二人も夜の散歩かなと思い覗き見る。何時もは直ぐ側でイチャイチャされてウンザリしているけど、今だけは野次馬根性が出て来たの。今日は満月で夜なのに明るく照らされる広場で二人は手を取り合ってダンスをしていた。

 

 二人の周囲を楽器が舞って演奏をしているけど私の所には聞こえて来ない。きっと二人にだけ聞こえる様にしているのね。ダンスに詳しくない私だけど、女神様が時々賢者様の足を踏んじゃっているからきっと下手くそなのね。

 

「でも、楽しそう……」

 

 月と星の明かりに照らされて踊り続ける二人の顔は幸せそう。何か話しているけれど距離があって内容は分からない。でも、少し気になる。これ以上近付いたら気が付くだろうし。

 

「……ガウ」

 

 アンノウンが袖を咥えて引っ張るから顔を向けたら頭の上のパンダのヌイグルミが持つスケッチブックに自動的に文字が書かれて行く。これって二人の会話?

 

「凄いわ、アンノウン」

 

 得意そうに鼻息を出すアンノウンの頭を撫でながらスケッチブックに視線を向ける。丁度今日遭遇した魔族の話になっていた。

 

 

 

「今日は本当に嬉しかったです。貴方が私に嫉妬してくれて。でも、同時に申し訳なく感じるのです。心配をさせてしまったのだと」

 

「馬鹿を言うな。お前が私以外の女に興味を持つなど有り得んと分かっているさ。……只、姉様だろうが私の男が自分に靡くと言うのは腹立たしいだけだ。女神の独占欲を侮るなよ?」

 

 踊りを一端止めて申し訳無さそうにする賢者様だけど、その唇をキスで塞いだ女神様は踊りを再開しながら不適に笑っていた。

 

「分かっていますよ。私はシルヴィアだけの物で、シルヴィアは私だけの物。ああ、怒りとはいえ愛しい者の意識が他に向かうのは寂しいですね」

 

「それを言ってくれるな。その分二人だけの時に埋め合わせをしてやる。……しかし姉様がお前に誘惑を続けるのも妹の私への独占欲からかもな」

 

「妹を手にした男を手に入れる事で妹を手にする、そんな感じですか。何と言うか神らしい事で……」

 

 踊りながら呆れ顔の二人。話を聞いて神様の愛情表現って人間とは矢っ張り全然違うって思った。

 

「では、踊り続けましょうか」

 

「ああ、そうだな」

 

 賢者様は女神様の腰に手を当て、時に激しく時に優雅に踊り続ける。つい見とれていた私だけど、少し体が冷えて来たし、そろそろ帰ろう。

 

「ほら、帰るよ、アンノウン。……あれ?」

 

 スケッチブックから二人の会話が消えて、今度は別の物が現れる。パンダを中心に動物の絵が駆け回って可愛いけど、中心に文字が出ていた。

 

 

「盗聴料金として朝食のデザート? や…やられた……」

 

 明日の朝食のデザートは果物を沢山乗せたプリンだって聞いている。プリンは私の大好物だったのに……。まさか、最初からこれが狙いで私を誘いだしたんじゃと思うけど、心の平穏の為に否定したい。

 

「うん、きっと違うよね。幾らアンノウンでもそこ迄じゃないから……」

 

 大成功、スケッチブックにそう書かれているのは気のせい気のせい。自分に言い聞かせて宿屋に戻る。窓から部屋に戻るとテーブルの上に出た時は無かったホットミルクのマグカップとメモ書きが置かれていた。

 

「夜更かしは程々に……気付かれてたのね」

 

 温かいミルクは甘くて体が温まる。飲み干すと心が落ち着いて眠くなって来たからベッドに入ると直ぐに瞼が重くなって来た。

 

「お休みなさい……」

 

「ガウ」

 

 アンノウンもペット用のベッドに潜り込んで丸くなる。私もそのまま眠り、この夜は家族の夢を見た。未だ二人が生きていた頃、守られているだけの子供でも許されたあの頃の夢を……。

 

 

 

 

 

「さて、私が得た情報とレーカさんの情報によると……推定中級以上の魔族が此処に居ます」

 

 大好物のプリンをアンノウンに奪われた朝食後、賢者様がプリンをくれたから満足だった私の目の前にイエロアの地図が広げられる。リーカさんが居たサフラと目指していたオニオを挟んで存在する王都メリッタ、このムマサラからは甲虫車でも町を経由しながら1ヶ月以上は必要……らしい。だって田舎の羊飼いには大陸の地図の見方なんて知らなくても困らなかったし……。

 

 

「えっと、最短ルートですね? それが一番速く解決出来ますし……」

 

「ああ、それですが……少し寄り道をしようと思っています」

 

 アンノウンに引かせた車なら甲虫車よりも速く走れるし、賢者様の魔法が有れば町に立ち寄る必要も無いから一日でも早く魔族を倒せる、そう思ったけど、賢者様は静かに顔を横に振り、弧を描く様に地図に線を引く。チャイの村っていう小さい村が途中に一つ有るだけで他は険しい山道。どうして賢者様はこの道を選ぶのか理解出来なかった。

 

「キリュウ、どうしてこのルートを選ぶのだ?」

 

「どうも付近で見慣れぬモンスターが目撃されたと行商人の間で噂になっているらしく、只でさえ小さな村で出入りが少ない商人が更に来なくなっているのです。功績を稼ぐ為にも立ち寄る必要が有りまして。……何故魔族を倒すより功績を優先するかは分かりますね?」

 

「えっと、勝率を上げる為ですよね? 世界を少しでも速く救う為にも……」

 

 勇者の功績は封印の為以外にも勇者の力の増強に繋がるって教わっている。賢者様は経験値稼いでレベル上げって言ってたけどよく理解出来なかった。何となくは分かった気がするけれど。

 

 そして私が強くなる事は更に功績を挙げる事に繋がり、それが世界を一刻も早く救うのに繋がる。目の前の百人を救うのに焦って目の前に居ない百万人を救えないなんて嫌。でも、だからって直ぐ側で困っている人を救えないのも嫌。

 

「賢者様、早く行きましょう! 少しでも早く強くなって、目の前に居る人も居ない人も助けたいです!」

 

 そう、簡単な話。力が足りないせいで人を救うのが遅れるのが嫌なら、もっと早く強くなれば良い。換えが効かないから慎重になるのも勇者の務めだけど、理解と納得は別だから。

 

「その意気です、ゲルダさん。実は見せたい物が有るのですよ。既に車内に用意しています。早速向かいましょう」

 

 椅子から立ち上がっ意思を示せば賢者様は誉めながら私の頭、ではなく肩に手を置く。何時もの子供扱いじゃないって事が嬉しいけど少しだけ寂しかった。

 

 

 

 

「どうです、凄いでしょう!」

 

 アンノウンが引く車の中は元々見た目よりも広かったけど、今は更に広くなっている。昨日までが豪華な宿屋の一室なら、今は平屋建ての屋敷。得意気に自慢する賢者様の案内で見て回ればお風呂もトイレもキッチンも各自の部屋まで有るから私の家なんて比べものにならない豪華さだった。

 

「流石に街でお金を落とさないのは情報収集に関わりますから宿を利用しますけど、ゆっくり休めるのなら休んだ方が良い。……私の時もこれを作って貰えれば良かったのですが」

 

「作って貰えれば? これ、賢者様が作ったんじゃないんですか?」

 

「私には未だ無理ですよ、空間拡張に加えて此処までの生活空間の作成は。全部師匠に頼んで作って貰いました。この旅が終わったら十年間はみっちり修行をさせられそうで怖いですが……」

 

 冗談めかして身震いする真似をする賢者様だけど私には驚きだった。何でも出来る凄い人だって思ってたけど、その賢者様より上の魔法使いが居たなんて。多分その方も神様ね。マトモな方だったらお会いしたいわ。

 

「では、重要な部屋に行きましょうか」

 

 そして、賢者様に案内されて向かったのはリビングの奥に存在する木製の引き戸を通った先。途中にある廊下も床や壁が木製に見えてお父さんが少しだけ話してくれた故郷の建物に似ていた。廊下を進み、その途中に何故かシャワー室に繋がっている扉を通り過ぎ、着替え室を通って辿り着いたのは中庭だった。空を見上げれば太陽が輝いているし地面も土。

 

「あれ? 何か変な気が……」

 

 土や風の匂いに少し違和感を覚えて首を傾げる。ほんの僅かな違いで獣人の嗅覚が勇者になって更に研ぎ澄まされたから感じた微妙な違い。賢者様の方を見たら今度は頭を撫でられた。……また子供扱い。

 

「気付くとは偉い偉い。此処は修練所、当然全て偽物でして、この通り……」

 

 賢者様が念じると穏やかな昼下がりの中庭から一変して潮風香る夜の船上に一変する。波が穏やかだから大して揺れないけど船に乗るのは初めてな私は立っているのも少し大変だった。

 

「この通りにキリュウや私の意思によって自在に変化する。さて、説明終了、いざ特訓開始だ!」

 

 私の足元にデュアルセイバーが投げられ、女神様が拳を構える。私も室内だからと外していた麦わら帽子を被るとレッドキャリバーとブルースレイヴを手にして構えを取った。

 

「お願いします!」

 

「その意気や良し! 先ずは実戦、技術指導はその後だ!」

 

「はい!」

 

 基本的な扱いや動き方は武器を握っていると自然と頭に入ってくるだから今の私に必要なのは兎に角経験。そして相手は武の女神様。だから、これを乗り越えて私は絶対に強くなる。絶対に世界を救う為にも頑張らなくちゃいけないわ。

 

 

 

 

「さてと、私は休憩時間のお茶の準備をしておきましょう。お茶菓子は何が良いですか?」

 

「最中、栗入りと餅入りを用意しろ。茶は濃い緑茶だ」

 

「スコーンにクリームたっぷりで。アイスミルクティーをお願いします」

 

 賢者様が用意してくれるお菓子は美味しい。本人は自分が作れる味しか魔法で出せないって言うけど、それで十分よね? 長生きしてると食べ飽きるなら不老不死も考え物だわ。

 

 

 

 

 

 

「……ふーん。裏切り者がこの世界に来たのね。それで、討伐部隊を送り込んでから私に知らせた理由は?」

 

 玉座に座り、氷よりも冷たいお酒を飲みながら目の前の同族を睨む。我ら魔族の王として誕生した魔王様に任された私に事後承諾を願い出た愚か者に軽く吹雪を送るけど文字通り涼しげな顔、応えた様子も無い。

 

 ビリワック・ゴートマン、私が嫌いな奴の一人だ。山羊の頭を恭しく下げるけど、此奴が私に敬意なんて払っていないのは分かっている。

 

「これは申し訳有りません。ですが主の(メェ)ですので。あの方は至急と言っておりましてね」

 

「魔王様なら兎も角、私に筋を通さない理由になるとでも?」

 

「恐縮ですが、私にとってあの方は絶対。どうかご理解下さい」

 

 もう一度頭を下げてビリワックは去っていく。本当ならばこの場で凍らせて砕いてやりたいけど、そうすれば奴の主と争う事になる。屈辱だが奴の主には……いや、ビリワックにさえ私は勝てないだろう。彼我の差を認める、それも力の内だ。耐えるしかない……今はだけど。

 

 

「見ていなさい、絶対にお前達を超えてやる」

 

 私達魔族は人の負の感情が集まった淀みから誕生した。その力の源も当然人の負の感情。だから、私や私の眷属がが人に恐怖や憎しみの感情を与える程に力が増して行く。

 

「……ルル、貴女が居ないのは寂しいわ」

 

 だけど、力を増して地位を上げた先で隣に居て欲しい友達はもう居ない。私同様に別の世界に派遣され、勇者に倒され消え去った。せっかく私が眷属まで貸してあげたのに、一体何をしてたのかしら。馬鹿だノロマだ愚図だと仲間から馬鹿にされて泣いているのが鬱陶しいから世話を焼いたら懐かれて、何時の間にか友達になっていたあの子。

 

 あの子を派遣する様に魔王様に進言したのもビリワックの主。奴はルルの能力は街を襲うのに向いていると言って、あの子は誉められて喜んでいだけど実は違う。魔王様の命令だから口出し出来なかったけど、勇者が既に誕生していると知って試金石として投入したわ。

 

「……許せない。絶対に殺してやる」

 

 今でも思い出す。ディーナちゃん、ディーナちゃんと鬱陶しい位に纏まり付いて来たルルの声も顔も忘れない、忘れたくない。他の同族は自我を持って生まれたのだからと繁栄を望み、更に別の同族は単純に破壊と殺戮を楽しむ。魔族が人を苦しめて力を蓄えるのは大体そんな理由だし、私もそうだった。

 

「……何時だったかしらね。あの子に夢を語ったのは」

 

 魔族だから破壊と殺戮を行う、そんな頭の悪いルルを笑ったら私の理由を訊かれた事が有る。私は少し恥ずかしかったけど、親友が憧れる優雅な態度を崩さずに答えたわ。全ての同族の繁栄の為にってね。……嘘だけど。だって、たった一人の親友が笑って過ごせる世界の為だなんて言えないわ。

 

「でも、もう意味は無い……。だってルルは居ないのだもの」

 

 頬を伝った涙が凍り、床に落ちて砕け散る。勇者を倒し人間を絶滅させずに残せば次の誕生周期まで神は世界に干渉しない、魔族の相手はあくまで人間である勇者の務めと最高神が定めている。だから勇者の殺害は魔族の繁栄に必須だけど、私にとって既に同族なんて興味が無い。あの子を苛めて、あの子を煽ててその気にさせた上で捨て駒にした奴らなんてどうでも良い。

 

「勇者、お前は私の親友を殺した。お前を殺す理由はそれで十分よ。……来なさい」

 

 身を焦がし、魂の芯まで溶かす様な憎悪を燃やした私は静かな声と共に数度手を叩く。何処からともなく雪風が吹き、露出の多い白い着物を着た白皙の女が現れる。

 

「ディーナ様、ご命令は何でしょうか?」

 

「勇者が此処に向かってくるでしょうから途中の街の近くで好きに動きなさい。後は分かっているわね? 勇者は生かして連れて来なさい」

 

 さて、どうなるでしょうね? 此奴はルルを馬鹿にして、私のペットだと言っていた。勝てば良し、負けて死んでも……どうでも良いわ。

 

 



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紫の姫君

「はふぅ~。生き返る~」

 

 泥と血で汚れた全身を洗い、暖かい湯船に浸かると全身の疲れが溶け出す様だった。思わず顔が緩むし鼻歌も歌ってしまう。女神様との戦闘訓練の際に聞かされた話は全然リラックス出来る話ではないけれど、今は忘れて寛ぎたい気分だった。

 

 賢者様拘りの桧風呂に入ってリラックスしていると体の彼方此方に出来た傷が癒えて消えて行く。女神様は一応手加減はしてくれるけど傷を負う攻撃を平気でしてくるから、一日の終わりにこうしてお風呂に入って体を癒すまでずっと傷だらけで過ごすのは少し辛いけど、もう一週間が過ぎる頃には大分慣れて来た。

 

「少しは強くなれたのかな?」

 

 手の平を見ながら静かに呟く。同じ相手とばかり戦っているから分からないけれど、あれだけ頑張っているから少しは成果が出て欲しい。女神様から教えて貰った話からして尚更だった。

 

 

 

 

「私の次の勇者ですか?」

 

 それは休憩中の事、立ち上がる余力も残っていない私は地面に座り込み、息一つ乱れていない女神様が立ったまましていた会話の最中だった。急に真面目な顔になった女神様の様子に私が世界を救い、魔族の次の誕生周期の話ではないと悟る。

 

「……えっと、私が死んでしまったらの話……ですよね?」

 

 頭では分かって居たけれど、こうして口に出すと震えが来る。だって、幾ら賢者様や女神様が居てくれても万が一は有り得るから。だからこそ、こうして話を始めたのだと思う。

 

 

 

「ああ、そうだ。今回の魔族は先代のせいで余計な知識を身に付けているからな。戦闘中に教えられて動揺を誘われても不味いと思い話すべきだとキリュウが言っていた。……お前が死んだ場合は次の勇者は百年出現せず、人が絶滅寸前までいかぬ場合は神の介入は無い」

 

 女神様の言葉は聞こえていたけれど理解が出来ない。神様は人間の味方なのは間違いないのに、私が失敗して死んでしまっても介入はしないなんて理解出来る筈がなかった。

 

「あの、女神様? どうして手出しはしない上に次の勇者まで……」

 

「全てを人に任せると、そう決めて作った封印の儀式の都合だ。魔族を生み出す淀みが負の感情から作られるならば、勇者の力は希望や愛といった感情、そう簡単には生み出せん」

 

「でも、百年間なんて……」

 

「ゲルダ、常闇の十年間について知っているか?」

 

 女神様の問い掛けに静かに頷く。常闇の十年間は五百年以上前から残る神話の一つ、美と太陽を司る女神アテス様のお話だ。

 

 未だ勇者が存在せず、神々の手によって魔族が滅ぼされ人々が守られていた時代、アテス様の神殿に入った泥棒が逃げる際に篝火を倒してしまい、運悪く風が強い日だった為に神殿が燃え尽きた上に大勢の死者が出た。それを知ったアテス様は嘆き悲しんで寝所で泣き続け、泣き止むまでの十年間、六色世界に日差しが差し込む事は無かったという。

 

「えっと、神様は人間と時間の感覚が違い過ぎるからですか?」

 

「その通りだ。母様が姉様とプリンを食べた食べないの口喧嘩の末に自棄酒を飲んで不貞寝して寝過ごし、気が付けば十年経っていた。十年や百年は神にとって大した時間ではないのだ。そして絶滅しない限りは何度でもチャンスは有るとして魔族の討伐もしない。……故にだ、無理はするな。お前の手が届かない者を助ける為にキリュウと私が共に旅をしているのだからな」

 

「……はい」

 

「未だに言い出せないが姉様のプリンを食べたのは私なんだ……」

 

 世界を救う為なら、少しでも大勢の人を守る為だったら、そんな理由で少しの無理は仕方ないと思っていたけれど、女神様にはお見通しだった。だから今みたいに勇者がどれだけ大切な存在なのかを、私が自分を大切にしなくちゃ駄目な理由を教えてくれた。矢張り女神様は凄いお方なのね……。

 

 

 

 

 

「何か聞かなければ良かった事を聞いた気がするけれど……忘れよう! うん、それが一番よ。……でも、どれだけ美味しいプリンなのかしら?」

 

 余計な事まで思い出してしまったので慌てて顔を横に振って頭から追い出し、天井に目を向ける。湯船以外も全部木製で木目は色々な形になっていた。

 

「あっ! 彼処は犬の肉球みたい。あっちは鳥の翼っぽいし、向こうは蜘蛛……じゃなくて只の変な形ね」

 

 口に出して目を逸らし、暫くしてから視線を戻すけど誤魔化せない。天井の右端、角近くの木目が蜘蛛に見えて仕方がない。もう見ない事にした。

 

「大丈夫、見なければ良いだけよ見なければ……」

 

 暖かいお風呂に入っているのにゾワリとしたので体の向きを変えて蜘蛛に見える木目に背中を外すと、今度は壁の木目の中に何かに見える物がないかを探し始める。指先を壁に向け、首を傾けたりして角度を変えたら何か発見出来るかもと思って色々やってるとついつい夢中になってしまう。

 

「えっと、何処かに一つ位は……」

 

 どうしても気になる背後を忘れて様と探すけど中々見つからなくて、遅いからと呼びに来た女神様に声を掛けられる頃にはすっかりのぼせてしまったのは情けない。風邪を引かなければ良いのだけれど。……それはそうと賢者様に頼んで木目を変えて貰えば良かったわね。

 

 

 

 

 

 

「ゲルダ、そろそろ力を試してみるか? 丁度良いのが近くに居るぞ」

 

 そろそろチャイの村に到着するといった頃、偶には気晴らしにと夜の砂漠に星を眺めに出た時、女神様の指差した方向を見れば巨大なモンスターが暴れ回っているのが見えた。三階建ての建物位の大きさを持つゴーレムで、無数の石化したバラが集まって構成されている。

 

「あれはサンドローズゴーレム、本来ならば遺跡の中に居る筈。あれが例の見慣れぬモンスターですね。これは丁度良い。それに、誰か襲われているらしい」

 

 サンドローズゴーレムが茨を鞭の様に振るう先には数台の甲虫車。護衛らしい人達が戦っているけれど、茨の鞭を受け止めた盾は破壊され、そのまま叩き飛ばされる。隙を見て茨に切り掛かるのだけど堅く刃先が僅かに食い込むだけ。引き抜こうとするも抜けずにいる所を茨が叩き付けれて地に伏せる。立ち上がろうとするも何度も何度も叩き付けれる。そして地面に突き刺さった茨が甲虫車を取り囲む様に地中から飛び出して巻き付いた時、私は既に動き出していた。

 

 レッドキャリバーを茨に叩き付けて砕き、振り下ろされた茨をブルースレイヴで弾き飛ばす。ひび割れた茨はボロボロになって砕け散り、サンドローズゴーレムの中央のバラに存在する巨大な目が私の姿を捉えた。生き物ではないゴーレム特有の意思を感じさせない人形めいた目は不気味さを感じさせる。

 

「き、君は……?」

 

「今は自己紹介は後! 彼奴の相手は私がするから下がっていて!」

 

 戸惑う護衛の人達を庇う様にして前に進み出し、少し視線を送れば茨を受けた盾の姿から茨の性質を理解出来た。攻撃を受けた衝撃で砕けたのではなく、表面に付着した砂によって鑢みたいになっていて削り取られたんだ。

 

 大勢を同時に相手にしていた茨がうねり私を狙っていて、当たれば骨折や打ち身で済まずに削ぎ落とされそうな凶器を振う巨大なモンスターを前にして不思議と心が落ち着いている。

 

「どうしてかな? 全然負ける気がしないのは……」

 

 真正面から向かってくる無数の茨、私はそれに対して正面から突っ込んだ。レッドキャリバーとブルースレイヴを振るって迫り来る茨を打ち払い、地面を通って背後から向かって来た茨が迫った瞬間に体を回転させて前後の茨を同時に粉砕する。一本一本が別の意思を持っているみたいに変則的に動くけど、何故か動きが読めた。女神様の拳に比べたら全然遅いし動きも単純。

 

 このままじゃ通じないと思ったのか茨が絡み合って巨大な武器になるけれど、全然怖くない。振り下ろされたそれにレッドキャリバーを突き出せば根元まで突き刺さった。そのまま押し込もうとする茨を腕力で留め、更に力を込めた。

 

「……せーの!」

 

 少し足場が悪いけど、腰を落として力を込めて更に引っ張れば巨体が僅かに身動ぎする。サンドローズゴーレムはレッドキャリバーが突き刺さった茨を引き戻そうとするけれど動かず、ならばとばかりに他の茨を振り下ろした。だけど、それが私に届くよりも前にその巨大が更に動き出す。前に傾くのを堪え倒れまいとしながら茨の固まりが振るわれるけど、続いてブルースレイヴも茨を砕きながら貫通。自ら固めた為にサンドローズゴーレムの茨の多くが両手の武器と繋がり、私が大きく体を捻って振り上げればサンドローズゴーレムの巨体が浮き上がった。

 

「飛んでけー!!」

 

 頭上を通過した瞬間に持ち手を捻り、二本が刺さった茨から抜けば茨からすっぽ抜けてサンドローズゴーレムは砂漠に落下、巨体故の重量で深く突き刺さって身動きが取れない所にレッドキャリバーを投擲、中央に命中して罅が入った瞬間にブルースレイヴを私諸共引き寄せて急接近した勢いを乗せた一撃を見舞えば派手な音を立てて砕け散った。砕けた中央部から罅が広がり、全体が崩壊する。細かい石の欠片を散らばらせながらサンドローズゴーレムは完全に崩壊して行く。

 

「……うん、強くなった」

 

 着地して体に付いた石の欠片を払い落としながら呟く。強くなっていると思えて嬉しかった。直ぐに賢者様や女神様に誉めて貰おうと思ったけれど、呆然とした様子で私を見ている護衛の人達に気が付いた私は慌てて近寄る。甲虫車を引くキングビートルは殺されているし、怪我人は多い。金属製の鎧は削り取られたり大きく陥没し、至る所が骨折している重傷だ。私は慌ててお腹のポケットから魔本を取り出す。

 

 

「緑の恵みよ、彼の者共を癒したまえ!」

 

 少し変態みたいな魔法がある中、一つだけあった回復魔法を詠唱すれば砂の中から伸びて来た木から滴り落ちた雫に触れた人の怪我が癒える。でも、何故か修行中に使った時より効果が薄い気がする。木に元気が無く見えるのが関係しているのかも知れないと首を捻って考えていた時、一番立派な鎧を着た人が話し掛けて来た。髭を生やした中年男性で人の良さそうな笑みを浮かべて手を差し出して来た。

 

 

「助かったよ、お嬢さん。その年齢で彼処まで戦えるなどカイエン家の護衛隊の顔が丸潰れだな。いやいや、本当に有り難う。おっと、私はトルトレだ。お嬢さんは?」

 

「ゲルダ・ネフィルです」

 

「ネフィル? お主、ネフィルと名乗ったか?」

 

 名乗り返して握手に応じた時、甲虫車の中から女の人の声が聞こえて扉が少し開く。するとトルトレさんや他の護衛の人達が急に慌てだした。

 

「お、奥様、少々お待ち下さい! 安全の確認が先ですので!」

 

 慌ててそれを止めるトルトレさん達。周囲を見る限り砂鮫の姿も見えないし安全そうなのに随分な慌て方に私が怪訝に感じる中、何時の間にか賢者様が私の横で甲虫車に視線を向け、少し困った顔をしている。慌てている理由に何か心当たりが有るのかと顔を見た私に対し、賢者様の指が甲虫車の飾りに向けられた。

 

「あの飾りはパップリガの文化が見られますし、中に居るのは紫の世界出身の方ですね?」

 

「あっ、この人は私と旅をしている人です」

 

 急に現れたから驚いていたけど、私が紹介すれば安心した様子でトルトレさんは問い掛けに頷いた。

 

「……そうだ。私達も深くは関わっていないので詳しくは知らないがな」

 

 賢者様の言葉にバツが悪そうにするトルトレさん。私も賢者様の言葉で護衛隊の人達が慌てる理由を理解する。世界によって度合いは違うけど獣人や半獣人を獣やモンスターと同列に扱う差別意識を持つ人は存在する。橙の世界オレジナは少しだけだったし、獣人が多い緑の世界グリエーンでは滅多に居ないけど、反対に多いのが紫の世界パップリガ。出身者のお父さんが絶対に行くなって言う位に酷いらしい。

 

 

「実は奥様は最近パップリガから嫁いで来た方でな、問題が起きてはならぬと普段から極力獣人には近寄らせない様にしていたのだ。どうも屋敷の有る街の周囲と連絡が取れないからと避難する際も獣人の使用人は別行動をさせ、その道中で先程のモンスターに襲われ逃げていた途中に其方と出会ったのだが……」

 

「……えっと、私は姿を隠した方が良いですか?」

 

「悪いな。私も諫めはしてみるが、恩人に不愉快な想いをさせるのは忍びない」

 

 その奥様が半獣人の私に何か酷い事を言うのではと不安になるのは分かったし、私も嫌な想いはしたくないから何処かに隠れ様としたけれど甲虫車の方が急に騒がしくなる見れば制止する護衛の人達を振り切って着物姿のお姉さんが出て来ていた。多分二十歳位の黒髪が綺麗な人。その人の視線が私に向けられた。

 

 

「お主が妾の命の恩人か! うむ、大儀であった! 妾の名は白神 楓(しろかみ かえで)、覚えておくが良いぞ」

 

「……あれ?」

 

 思っていたのとは違って随分と友好的と言うか偉い人みたいな喋り方なのに全然高圧的な感じのしない楓さんに私だけじゃなくってトルトレさんや他の護衛の人達も面食らって固まってしまう。その様子が可笑しいとばかりに楓さんは笑い出した。

 

「ははははは! どうしたのじゃ、その顔は? 大方妾が獣人を見下していると思っていたのであろうが、生まれや育ちで、ましてや命の恩人を見下す様な器の小さい女だとでも思ったか? 些か無礼だが、妾の周囲を考えれば致し方なさ過ぎるか。あの人と妾以外の家族はそうだしな。うむ、許す! トルトレ達とも嫁いだばかりで大して話もしておらぬしな」

 

「は…はぁ……」

 

 この反応は予想外が過ぎたのかトルトレさんが言葉を失う中、快活に笑いながら私に近寄った楓さんは膝を曲げて私の顔を眺め、唇に指を当てながら何かを思い出す。

 

「お主、オレジナの出身じゃな? 両親は息災か?」

 

「はい、出身は合っています。でも、二人は……」

 

「……酷な事を聞いたな、許せよ?」

 

 何故か少し悲しそうな顔をした楓さんは私を少しの間だけ抱き締める。その体は少し震えていた気がしたけれど、立ち上がった時にはさっきまでの顔に戻り、私は質問の理由を聞くタイミングを逃してしまった。私の名字を知っていたみたいだし故郷まで言い当てたのは少し気になったけど……。

 

 

 

 

「……しかし、どうしてサンドローズゴーレムが地上に……。どの様に遭遇しましたか?」

 

「ああ、奴ならば砂漠に開いた穴から出て来たぞ。どうも掘ったと言うよりも陥没したという感じだったな……」

 

「その話、もっと詳しくお聞かせ下さい」

 

 トルトレさんの言葉に反応する賢者様。少しだけ慌てた様子に私も少し不安になって来た。目印が存在せず必死に逃げていたから大体の方角の距離しか分からないらしいけど、それでも良いからと話を聞き出す賢者様。さっきから口にしている遺跡が関係しているのかな?

 

「……遺跡か。そう言えば嫁ぎ先の事を調べる際に文献で見たな。七百年程前に前に砂漠に沈んだ大都市の伝説をな。……興味有るのか?」

 

「はい!」

 

「では、外で話すのもどうかと思うし、妾の甲虫車に来るが良い。どうせ今後の計画はトルトレ達に任せるのじゃし、何か飲みながら話すのじゃ」

 

 地下の古代遺跡という言葉に胸が躍り好奇心が刺激される。何と言うべきか、凄くワクワクする話だ。七百年前なら賢者様は知らなくても女神様なら何か知っていそうだし、後で聞いてみるのも面白そう。私は誘われるがままに楓さんの甲虫車へと向かって行った。




感想待っています


なろうの方、少し追記しています あらすじから行けます


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遣り残した仕事

「それで故郷では食事の際も毒味だ何だと言って中々出て来ない上に冷めた物を出されてな。更に粗相があったと口にすれば腹を切る者が出る事さえ有る。……正直、此処に輿入れして良かったのじゃ」

 

 七百年前に砂漠に沈んだ大都市の伝説について話して貰う筈だったけど、先ずは互いの話でもと言われたから楓さんのお話を聞いたのだけど、実家に対する不平不満が次々に出て来る。獣人差別以外にも身分の差が激しいパップリガでは楓さんみたいな自由な人には息苦しいし、身分が高い家の娘として嫁いだ以上は気軽に愚痴を話す事も許されない。偉い人も偉い人で大変なんだと知らされた。

 

「さて、妾の話はこの様な物じゃな。では、ゲルダも語るが良い。お主はどの様に暮らし、何故旅に出たのかを」

 

「えっと、私は羊飼いをやっていて……」

 

 何故か私に興味津々といった様子で身を乗り出して来る楓さんに言われるがままに私は今までの人生を話し出した。両親の手伝いをしながら暮らしていた頃の話、二人が死んで周囲の人に手伝って貰って羊飼いを何とか続けていた時の話、特にお世話になったトムさんとか、その息子が意地悪だから顔に羊の糞をぶつけた時の話を聞いた時には楓さんは一瞬目を丸くした後で可笑しそうに笑い出した。

 

「それで、そんなある日に賢者様がやって来て……」

 

 気が付けば私は自分が勇者である事を口にしていた。別に隠す事じゃないけれど、私の年齢とか老人として伝承されている賢者様のお姿とか信じて貰えない理由が多いのに女神様の正体以外は包み隠さずに。楓さんは一切口を挟まず、時々相槌を打ったり驚いたりするだけで、勇者としての武器が鋏だって聞いた時には笑い出しそうになっていた。多分私でも笑ってしまうと思うけど、どうして私はこの人に自然と話をしているのだろう? 会ったばかりなのに知っている人みたいな感じがして、気が付けば楓さんと出会うまで話し終えていた。

 

「……ふむ。その歳で勇者の重責を背負うなど大儀である。いやはや、妾は少し己が恥ずかしくなったぞ。斯様な娘が如何に賢者の手助けが有ろうとも魔族との戦いの日々に身を置いているのだからな。異界であっても民草の生活の日々と比べても妾の苦労など甘えであったわ」

 

「あの……疑わないのですか? 自分で言っていて嘘臭い話ですけど……」

 

 何度も思った事だけど、自分でも信じがたい話だと思う。巨大な鋏を振るうツナギ姿に麦わら帽子の女の子が勇者だなんて冗談にも過ぎる話。多分自分なら嘘だと思うし、今までだって力を見せてもすんなり信じては貰えていない。だけど、私を見る楓さんの瞳には疑いの色は籠もってなくて、そっと伸ばされた手は私の頭を撫でていた。

 

「嘘ではないのじゃろう? なら少しは堂々とするのじゃ。お主は凄く頑張っている勇者であると妾が認めてやろう。もう一度言うぞ、大儀であるとな」

 

「……有り難う御座います」

 

 旅に出て未だ一ヶ月も経っていないけど、今までの頑張りを誉めて貰えて、勇者として認めて貰えて凄く嬉しかった。自然とお礼の言葉が口から出て楓さんの顔を見れば静かに笑っている。この時、この人に自然と心を許していた理由が分かった。同じ世界の出身だからかも知れないけれど、楓さんはお父さんに少し似ているんだ。男の人と似ているって言ったら失礼だから口にはしないけど。……お姉ちゃんがいたらこんな感じだったのかな?

 

「別段礼を言う事でもあるまいに変な子じゃな。では、お待ちかねの本題じゃ。遺跡について語ってやるとしよう。まあ、妾が知るのは童に読み聞かせる寝物語程度の内容じゃがな……」

 

 楓さんは静かに伝説を語り出す。それは神によって伝えられた。神になろうとした王様と、親子の愛の物語。魔術王国と称されたタンドゥールが如何にして滅びたのか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……以上だ。何と言うか遣り切れん話じゃな」

 

「はい……」

 

 この話には明確な悪意を持って行動した人達は出て来ない。只、それぞれの正義や愛の為に行動した、それだけだ。最初は本当は何があったかを女神様に聞く積もりだったけど、神様が伝えたというのなら大きな違いは無いのだろうとも思う。だから、その遺跡に深く関わらないのならこの話は此処で終えよう。

 

 

 この時の私は知らなかった。その遺跡に本当に深く関わる事になるだなんて……。

 

 

 

 

 

「此処の様ですね。……これはまた何とも」

 

 トルトレさんから大体の場所を聞き、高い場所から探して漸くサンドローズゴーレムが出て来たという穴を発見したのですが、予想以上に穴が大きい。予想では一体が這い出るのが漸く程度だったのですが、直径十メートル程。この下に有る物を考えれば只の地盤沈下だとは思えなかった。

 

 大きく開いた穴に周囲の砂が流れ落ち、底が見えない程に深い。迷わず飛び降りれば暫くの間浮遊間を味わい、石造りの床に着地した。忽ち周囲から這いずる音が聞こえ、石の茨が襲い掛かる。十体を越えるサンドローズゴーレムが侵入者である私を排除しようとしていた。

 

「此処の天井が落盤した……だけでは無いらしい」

 

 私の体に触れるより前に全ての茨が砂になって崩れ落ち、崩壊は本体まで到達して砂が舞う。風を操り積み重なった砂を退かせば床の一部が大きく傾いていた。……まさか。

 

「……師匠に大目玉を食らいますね、絶対に」

 

 これは正直言って私の落ち度だ。床に手を当て、更に地下の空間を調べれば柱の幾つかが斬られている。どうも侵入者が居たらしいのですが戦闘の痕跡が見られますし、防衛装置が作動したのでしょう。二百年程前、酒の席で師匠に暇があったら処分しておけと頼まれたのをズルズルと何もしないまま放置、それがこの結果を招いてしまった。

 

「と…取り敢えず穴を防いでおかないと。そうすればこれ以上は外に出ませんし……」

 

 師匠の事ですからサンドローズゴーレムの出現を知れば自ずとこの事に行き着くでしょう。今回の魔族の討伐が終わるなり即座に向かいませんと、不死のこの身が嫌になるレベルの修行をやらされる。少し想像しただけで顔が青ざめるのを感じた私は穴を通って外に出ると即座に穴を防いだ。夜の砂漠は寒いのですが、別の理由で体が震えるのを感じながらシルヴィアの所へと戻る。彼女への愛でこの恐怖を忘れ去りたかった……。

 

 

 

 

 

 アンノウンが引く馬車の中、私が用意した緑茶と饅頭を食べていた楓さんですが、急にこんな事を言い出しました。

 

「しかし珍しい使い魔じゃな。此方の言葉を解するだけでなく、戦闘力も中々で主にも忠実。……賢者殿、一匹譲って貰えぬか?」

 

 シルヴィアの元へと戻り、思う存分イチャイチャする前にしたのが別の日担当のアンノウンの召喚でした。楓さん達の甲虫車を引いていたキングビートルはサンドローズゴーレムに殺されてしまったので代わりに車を引いて欲しいと頼んだのですが、夜も遅く既に寝ていた所を起こしたらしく不満顔。ですが私だって主ですし、甘やかさずに命令をして翌朝からちゃんと働かせています。さて、ご褒美は弾むと約束しましたし、私のお小遣いの七割は消えそうですが仕方無いですよね。玩具にお菓子に今後シルヴィアを怒らせた時にご機嫌取りをして……ペットに厳しくするのって大変ですよ。

 

 取り敢えずチャイの村まで同行し、待機して貰っている間に私が近くの街までキングビートルを借りに行くと約束したら感謝されたのですが心が痛みます。道中、サンドスライムや小型のサボテンワームに襲われるもアンノウンが放った魔法で消し去り、偉く感心した様子の楓さんから譲渡の交渉まで持ち込まれました。視線の先には順番で引っ張るからとクッションの上で寝転がっているアンノウンが数匹。今は猫サイズになっていましたが、彼女の声を聞いて耳だけを動かします。

 

「いえいえ、確かにアンノウンは素直で良い子ですが、認めた相手以外には別でして。それに子供ですから冗談でも譲ると言えば拗ねてしまいますよ」

 

「……良い子? アンノウンが? 有る意味素直なのは認めるけど……良い子?」

 

「ならば仕方無い。妾とて恩人に其処まで無理は言わんのじゃ」

 

 ゲルダさんが信じられない事を聞いたみたいな顔をする中、楓さんは私の言葉を素直に受け入れてくれる。パップリガでも上の方の地位の白神家の娘らしいので不安でしたが、どうも一般的な武家の娘とは違うらしい。これで駄々を捏ねるのなら譲れと聞いた途端に楓さんの急所に狙いを定めたアンノウン達のどれかが動いたでしょうからね。ホッと一安心した時、手綱を引いていたトルトレさん達の慌てる声が聞こえて来ます。何だろうと思い外に出てみれば半ば予想していた光景が目に入って来ました。

 

「雪だ、雪が降っている……」

 

「馬鹿なっ!? 気温が下がる夜でさえ雪が降った記録などイエロアには存在しないのにっ!」

 

 他の世界の出身でイエロアに来て間もないゲルダさんや楓さんは雪を見ても特に反応しませんが、この世界で長く暮らしている方達は別です。雪という存在を知っていても実際に見て触れるのが初めてらしく、異常事態が起きたと狼狽している。昨夜に見知らぬモンスターの襲撃を受けたばかりなのもあって彼らが慌てる中、楓さんの声が響きました。

 

 

「落ち着け! お主達は何だ? それでも誇り高きカイエン家の臣下か! 我が君は腑抜けに妾の護衛を任しはせん!」

 

「っ! そうだ、落ち着けお前達! 異常な事態だからこそ平静を保つのだ!」

 

 強く響いた声にトルトレさんが一番先に我に返り、続いて彼の声で他の人達も落ち着いたのを見て楓さんも満足そうに笑う。そんな中、彼女達に聞こえない程度の声でゲルダさんが話し掛けて来た。

 

「賢者様、これって魔族の……」

 

「ええ、そうでしょうが今は秘密で。またパニックになっても困ります。彼女達とは村で別れますからね。しなくて良い心配の必要は無いでしょう?」

 

 静かにゲルダさんが頷いた時、チャイの村が見えて来た。行商人も滅多に来ない不便な山の中にあるだけあって小さく、物見櫓の上から此方を見るのも老人だ。どうやら過疎がが進んでいるらしいですが、村の様子を見る限りではモンスターに襲われて甚大な被害が出た様子は見られない。流石に知らない間に起きている事まで止められませんし、これで被害が出て、それがサンドローズゴーレムの様に遺跡から出て来た存在なら良心の呵責を受けたでしょう。これで一安心、周囲を魔法で調べでも強いモンスターの気配も有りませんでした。

 

「まさかこんな辺鄙な村に人が来るとは。一応商人の為の宿は有るのですが……」

 

 最初は見知らぬ集団相手に商人とは違うと判断して警戒した様子の村人も、モンスターに追われて迷い込んだと説明し、貴族の家紋と幾許かの金を見せればそれも薄らぐ。見張りの老人の一人が村を案内してくれたので道中見渡せば店はあるが商品は少ない。商人が寄りつかなくなったのも影響しているのでしょう。……久々に記憶操作をフル活用して出入りの商人がまた訪れる様にする事を心に誓いつつ魔法で必要になりそうな物を出して渡せば随分と喜ばれた。

 

(しかし、何処の誰が地下を崩落させたのやら。それさえ無ければサンドローズゴーレムが外に出るなど有り得ないのに……)

 

 二百年間もの間忘れていたのは私だが、直ぐに手出ししなかったのには理由がある。一度調査に来た際に見付けてしまった存在。無意味な時を過ごし続ける彼の事を知った以上はパッと終わらせるのが躊躇われ、迷っている間に時が過ぎてしまった。ですが、本来ならば外に出る筈が無かったのも理由の一つだ。

 

 ですが、もう潮時だとも思う。一度起きた以上は別の場所でも今回の犯人の手で起きる可能性もあり、一部が壊れた影響が他の場所にも出ているかも知れない。終わらせる時が来たのでしょう……。

 

 

「気にする事はない。どの様な場所でも住めば都、長居する予定も無いしの。ほれ、何をしているのじゃ、者共。さっさと荷物を運び入れんか」

 

 老人が言い淀んだ理由を目の前の古くて小さな宿屋を目にして察した楓さんですが、恐縮した様子の老人相手に笑って返しています。この様な所に泊まれるかと怒り出すと思ったのでしょう。自分も耳を疑っているという顔だ。

 

 

「しかし、何故わざわざ砂漠の世界に派遣したのでしょうか?」

 

 チャイの村を出発した私は村に被害を出しそうなモンスターを倒しながらオニオに向かったのですが、村を相手に商売をしていた商人のキャラバンは既に出発した後。聞いた話ではこの町にも降り始めた雪を見て商売になると判断したらしい。随分と商魂が逞しい……。

 

 防寒服や雪掻き用のスコップ、スパイクの付いた靴などを急いで発注した彼らは町を巡って商売をするらしく戻るのは何時になるか分かたないとの事。遺跡の件で出たであろう損失を穴埋めするだけの金額で買い物をした私は、オープンカフェで少し休憩しつつ降り続け積もり始めた雪を見てはしゃぐ子供達を眺めていました。

 

「すげー! 真っ白だ!」

 

「冷たい! 本当に冷たいぞ」

 

 大人達とは裏腹に子供達は初めて見る雪に無邪気な反応を示していて、私も早く子供が欲しくなった。この旅が終われば早速励もうと思いつつ茶菓子の追加を頼む。雪を見ながら飲むお茶も食べる茶菓子も乙な物だった。

 

 さて、この降雪も蠍猿の記憶で見た砂漠の氷結も先ず間違い無く魔族の仕業なのでしょうが、どうも腑に落ちない。確かに慣れない雪によって人々は戸惑い氷に覆われた住処から移り住んだモンスターの被害も出ている。ですが、それでも不可解だった。

 

「この世界に氷雪系の能力持ちを送り込むなど余程の馬鹿か自殺幇助か……パワハラ? いや、流石に……」

 

 手にした杖に登録された魔法であっても個人の資質と相性が悪ければ使えない様に、世界にも相性がある。例えばこのイエロアならば砂や土を使う魔法とは相性が良くて威力が上がり、反対に植物や水を使う際は威力が下がる。

 

 そして、魔族も同様だった。どれほど能力を使って今の様に雪を降らし氷で大地を覆っても相性の悪い世界に居るだけで力が削がれ命が磨り減って行く。今回の魔族は今までと違って単純な馬鹿ではないのは先日出会ったセドリックでも明らか。生きる事が嫌になった者に最後に一暴れしろと送り出したなら兎も角、反抗的な部下への嫌がらせなら明らかなパワハラだ。

 

「まるで何処かの最高し……さて、そろそろ行きましょうか」

 

 面倒な仕事ばかり押しつけてくる最高神が聞いていないとも限らないので言葉を途中で切って立ち上がる。しかし、本当にパワハラだったならばエルフを初めて見た時と同等の衝撃になりそうですね。六色世界のエルフは私が本やゲームで知っているエルフとは全然違う存在でしたから。

 

 

 

「……あれは。しめた!」

 

 オニオを出発し、少し気紛れで来た道とは違うルートを通る事にした私はシルヴィア達へのお土産を手に飛んでいたのですが、その道中にオニオでも見たマークが描かれた数台の甲虫車を目にしました。あのマークこそが探しに行った商人達の店のマーク。早速問題のモンスターを倒したのでチャイの村に今後も向かって欲しいと頼みに向かおうとした時、周囲を取り囲んでぐるぐる回る砂鮫の群れを発見、あれでは逃げられないので恩を売って交渉を有利に進めるチャンスだと少し派手な魔法を使います。

 

「やあ、大丈夫でしたか? 襲われていたので手出しをさせて貰いましたよ」

 

 動かない獲物に少しずつ距離を詰めていた砂鮫達が周囲の砂諸共浮き上がる。風は商人達を無風地帯である中央部に置いて砂と砂鮫を舞い上げる巨大な渦を巻き、そのまま竜巻は地面から離れて空高く上っていく。馬車とその周辺だけは何事も無かったかの様に動かないままで、私はにこやかにしながら近付いて行った。勿論、今のは私がやったとアピールしながら。

 

 だが、どうやら無駄だったらしい。何故なら彼らは凍り付いて死んでいたからだ。何故か全裸な上に性的に興奮した顔のまま……。

 

「これは一体何が……?」

 

 死人の記憶を覗くのは少し骨が折れる。ですが必要だとも思うのです。……彼らの姿を見て、頭は兎も角、心は止めろと言っているのですが。




感想お願いします 来たら頑張れますので、かるーくお願いします


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苦労の日々は未だ続く……

感想は明日返します


 この六色世界には私が……正確には私のコピー元となった己龍の居た世界と違って外出先で気軽に楽しめる娯楽は少ない。携帯ゲーム機もスマホも無く、精々が本程度だが荷物になる。

 

「おい、聞いたか? 最近路地裏に出来た店だが……凄いらしいぞ。ロットの奴が行った時には牛の獣人が相手だったらしいが相当搾り取られた様子だったぜ」

 

「マジっすか!? 看板に書いてる値段が安いから怪しんでたけど……」

 

 なので自然と下世話な会話が始まり、話題の中心は最近オニオに出来た店についてになりました。商人達の何人かは既に行った事が有るらしく、思い出して顔をだらしなく緩めれば周りの方々も身を乗り出して話に聞き入る。砂漠の夜、火を囲みながら夢中で話を進めて居た彼らですが、何故安い料金なのに美女が多いのかという話に移った時、一人が空を見上げながら呟きました。

 

「何処かの高級店の女共が逃げて来たんすかね? ほら、俺達からすれば大儲けのチャンスだけど、多分魔族の仕業だろうし……」

 

「馴染み客を他から奪う為の作戦って事か……。俺、行きつけの店に女が居るんっすよね。店が潰れて余所の町に移ったりしたら困るっす」

 

「止めとけ止めとけ。向こうはお前を金蔓としか思ってねぇからよ。まあ、確かに魔族の仕業だろうが、オレジナの方は封印が済んだって話だし、この世界も直ぐに済むだろ。その噂が広まる前にさっさと売り尽くすぞ。終わったら例の店に全員で行こうぜ」

 

「良いっすね! 俺、エルフに相手して欲しいっす!」

 

「いや、馴染みの相手が居るんじゃなかったのかよ……。しかもエルフが良いとか……」

 

 馬鹿な話に花が咲き、酒も回って良い心持ちになった彼らは陽気に話を続け、更に酒を酌み交わす。見張り番の方はモンスターの襲来に対応すべく離れた場所で酒を飲まずに聞き耳を立てるだけ。少しだけ寂しそうな様子でした。

 

 この世界に住む方々の何気ない日常の一場面、私は未だそれを神の目線で愛しいと思うに至ってはいませんが尊い物だとは思っています。彼らはこうして日々を過ごし、それが続くと信じているのでしょう。

 

 

 

 

「……もし、皆様、少し宜しいでしょうか?」

 

 ですが、日常とは突如壊れる物だ、それも呆気なく簡単に。漂って来た甘い香りと鈴の音を思わせる静かな声に彼らの視線が一方向に向けられる。視線の先に居たのは一人の女性、胸元を大きく露出し丈が短い服からは細い足が覗いていた。

 

「おいおい、そんな格好じゃ風邪引くぜ、嬢ちゃん」

 

「俺達が温めてやろうか?」

 

「止めとけって。んで、何の用だ?」

 

 酒も回り、先程まで行っていた猥談も合わさってか彼らは女に卑猥な視線を送りながら手招きをする。助けを求める先も存在しない先で複数の男が相手だというのに彼女に臆した様子は無かった。微笑みながら素直に近寄る女に男達は都合の良い期待を抱く。相手が砂漠の世界では珍しい雪の様な白い肌というのも有ったのでしょうが、それ以上に何かに誘導されるかの様に男達の手が彼女に伸びる。端から見れば熱に浮かされたかの如き顔の男達が一人の女性を犯そうとしている様ですが、その手が触れるより前に彼女は帯を解き素肌を晒した。

 

「ほら、貴方達も早く脱いで。誰から私を楽しませてくれるのかは早い者勝ちよ?」

 

「う…うおおおおおおおおっ!」

 

 この瞬間、彼らの理性は崩壊した。服を脱ぎ捨て、目の前の女を先に犯すのは自分だとばかりに服を脱ぎ捨て群がる彼らは見張りの仲間が騒ぎを聞きつけて寄って来ない事も、目の前の女が危険なモンスターが生息する砂漠を武器も荷物も持たずに歩いて来た事も疑問に思わない。そして、今後一切思う事は絶対に無い。

 

 

 

「あら、ごめんなさい。矢っ張り気が変わったわ。貴方達、ちょっと好みじゃなかったの」

 

 女は冷ややかに笑い、降り出した雪に混じって姿を消す。彼女に群がっていた者達は自覚する時間すら無いままに凍え、芯まで凍り付いて死んでいた。

 

 

 

 

 此処で死者から読み取った記憶は途切れる。私は思わず頭を抱えていた。

 

「……また痴女か。いや、其処じゃない、問題は彼女がこの降雪を引き起こしている魔族なのかですが……」

 

 どうもイシュリア様やらレリスやら痴女に関わったせいで疲れているらしい。精神的に疲れているのでシルヴィアを抱き枕にして寝ようと思いましたが、凍り付いたままの彼らを放置するのも忍びない。モンスターの餌になるのも哀れですし、甲虫車ごとオニオに運ぶ事にしました。全員を甲虫車に乗せて道中ぶつけて欠けない様に魔法で保護をする。見苦しいので服も着せたのですが、残り香から察する理由があったとしても可哀想な最期でした。

 

 

「結婚するなり恋人を作るなりすれば良かったのに……」

 

 最期の辺りの会話を聞いた感じでは誰一人として妻も恋人も居ないらしい。彼らの反応と残り香からすると魅了系の魔法の香水の力が有ったのでしょうが、それでも想う相手が居たならば抵抗が可能で、少なくても彼処まで理性が飛んだりはしない筈。仕事が忙しかったのか、はたまた恋人や結婚が煩わしいと思っていたのかは分かりませんが、もし相手が居れば女の不審な点に気が付いて逃げ出して生き残れた可能性も有ったと思うと残念でならなかった。

 

 

「愛する相手を作るのは幸せな事なのですよ? 来世では是非恋人や結婚相手を付くって下さい」

 

 こんな不安定な情勢だからこそ気力が湧かないのでしょう。今回の様に防げる悲劇を防ぐ為にも早く世界を救わなければと心に誓う。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……娯楽の類を広めるのも重要かも知れませんね」

 

 現在、六色世界には私のオリジナルの世界に存在した娯楽の多くが存在しませんが、神が住まう無色の世界は別だ。私の話を聞いて興味を持った一部の神々が力を結集し、テレビゲームや携帯ゲーム機、漫画の類まで存在する。暇な上に神なので不思議な力でパパッと作り、同行の士が集まって新作の開発も進めているのです。中には食事や睡眠の必要が無いからと数十年単位でゲームを続ける廃人ならぬ廃神状態の方まで存在する程。その間、仕事は従属神に丸投げで、好色だったとある神がナンパすらしなくなった。

 

 この様に他に向ける余裕が無い位に熱中する物を提供すれば安易な魅了に引っ掛かる人も減るだろうと考える。取り敢えず協力者候補を幾人かリストアップする必要が有りそうだ……。

 

 

 

 

 

 

「本当に色々と世話になったのじゃ。また縁が有れば会おうぞ」

 

「はい! 私も楓さんとはまた会いたいです」

 

 翌日、私が不在の間に色々話をしたらしいのですが、ゲルダさんと楓さんは随分と仲良くなったらしく、見送りに来た彼女にゲルダさんは名残惜しそうだ。多くの出会いと別れは旅に付き物ですが、ゲルダさんは未だ子供です。寂しさに耐えるのは辛いはずなのに涙さえ浮かべていませんでした。

 

 強い子だと思っていると今度は楓さんが私の方に近寄り顔を見て来ます。シルヴィアが少し不機嫌になるので勘弁して欲しいと願う中、楓さんは何かに納得した様子で離れます。

 

「うむ。ゲルダが随分と懐いているらしく、賢者殿の話を幾つも聞かされたが納得が行った。何処となく似ておる。……故に面倒な。ゲルダ、パップリガに行った時は出来るだけ白神家に関わるでないぞ」

 

「えっと……」

 

「良いな?」

 

「は…はい!」

 

 何やら思い悩んだ様子で警告する姿にゲルダさんは戸惑っている様子。私としては詳しい理由が聞きたいのですが、どうも言葉を濁して誤魔化そうとしそうな様子。私の時も獣人やらドワーフである事を理由に仲間に不愉快な態度を取られた世界で今もさほど変わっていないらしいですが、未だ気が早いとはいえ忠告は素直に受け取りましょうか。

 

「はい、分かりました。忠告感謝致します」

 

「……どうも問題が多くてな。初代勇者を輩出したと伝わっているからか気位が高く困った物なのじゃ」

 

「……え? いえ、何でも無いです……」」

 

 思わず声が漏れたらしいゲルダさんに対し口元に人差し指を当てて黙っていて貰う。流石に第一回目から勇者の儀式に不具合があったというのは情けないので異世界出身云々は誤魔化していましたが、名前やらの特徴から初代勇者キリュウはブルレルではなくパップリガの出身ではとされており、最も淀みの影響が少ない世界に誕生するというのがデフォルトなのに代わりに勇者が誕生した自分達の世界は凄い、こんな感じです。

 

 更に私が何処の家の出身かで未だに争っているので馬鹿馬鹿しいのですが、だからこそ巻き込まれるのは沢山です。……特にゲルダさんは卑下されている獣人の血が流れている。

 

「……本当に面倒な事になりそうです」

 

 この旅が何時まで続き、パップリガに到着する頃にゲルダさんが何歳になっているかは分かりませんが、子供扱いで構わない年齢なのは確かでしょう。だから、その心が傷付く事は避けなければ……。

 

 

 

 

 

「キィ!」

 

 岩と岩の間を飛び交いながら迫り来る蠍猿。毒針を突き刺そうと尻尾を突き出しますがゲルダはあっさり掴み取り振り回す。回転に悲鳴を上がりますが無視して速度は上昇を続け、最後には遠い彼方目掛けて投げ出される。蠍猿は悲鳴が聞こえない程遠くに飛んで行った。

 

「ゲルダさん、お見事です。……所で本当に大丈夫ですか? 寂しくはありません?」

 

「はい。また会おうと約束しましたから! ……それで賢者様、この前の課題の事で相談が……」

 

 私の方を向いて元気に答えながら背後から襲って来た蠍猿の顔面に裏拳を叩き込む。蠍猿が顔面を破壊されて倒れる中、ゲルダさんが腹のポケットから魔本を取り出してページを開く。本来の持ち主の神経質さが伝わる文字の次のページには子供らしい少し下手な字が書かれていた。

 

「ふむふむ、成る程……」

 

「どうでしょうか? 自信は少し有るのですが……」

 

 この魔本は既にゲルダさんに所有権が移っている。だから中に書かれた魔法は使えるゲルダさんですがページが少し余っているので新しい魔法を作る事にしたのです。勿論研究者ではないゲルダさんが一から魔法を生み出すのは無理ですが、私が手伝えば話は変わる。どんな魔法にしたいのかを聞き出した私が基礎を作り、ほぼ完成した魔法陣への書き足しや詠唱文の作成を座学で教えながら任せる。近接戦闘をシルヴィアが、魔法を私が教え、忙しい時はアンノウンに代役を頼む。

 

「良く出来ました。優秀な生徒ですよ、貴女は」

 

 そして、完成した魔法は合格に値する出来映えでした。賞賛の言葉と共に頭を撫でれば随分と嬉しそうに笑う。可愛らしいと思っているとシルヴィアが袖を引っ張って頭を差し出して来ました。

 

「私も詠唱の案を出したぞ。採用はされなかったが……誉めても構わん」

 

「……はっ!?」

 

 あまりの愛しさに一瞬意識が飛んでいたらしい。この美しき女神に期待に満ちた瞳を向けられて断れる男が居るでしょうか? いや、居ない。勿論彼女に触れて良い男は私と彼女の身内だけですが。緊張しながら恐る恐る手を伸ばし、昨日の晩もベッドの中で抱き締めながら何度も撫でた頭に触れれば至福の時が訪れた。このまま百年間は撫で続けたいがグッと我慢する。心が揺れたが私には使命が有るのですから。

 

「そうでしょう、ゲルダさん!」

 

「全く意味が分かりませんよ、賢者様。せめて主語を……いえ、別に構いません」

 

 飛び跳ねながら向かって来る蠍猿を飛び越し、頭を踏んで落とした後で蹴り飛ばす少し乱暴な戦い方をするゲルダさん。少し疲れた様子ですが昨日はちゃんと寝てないのでしょうか? なら注意しなくては。成長に十分な睡眠は不可欠ですから。

 

 

「ゲルダさん、疲れているなら休みますか?」

 

「いえ、精神的な疲労ですから大丈夫です」

 

「無理は駄目ですからね?」

 

 精神的な疲れですか。使命に対するプレッシャーからでしょう。では、もう少し私とシルヴィアの凄い所を見せて安心させてあげましょう。そんな風に張り切ったのですが、どうも住処を追われてこの周辺に住み着いたのは限られた数だったらしくモンスターに出会わないまま目的の場所まで辿り着いてしまいました。少し残念です。今度は私がシルヴィアに誉めて貰う予定でしたのに。

 

「行き止まりですよね? あっ、でもアンノウンなら……」

 

「ガーウ?」

 

 ゲルダさんが首を傾げるのも当然で、目の前には左右を高い岩壁に囲まれた巨大な岩山。アンノウンならば登れるとも思ったらしいですが、当の本人は馬鹿にした様子で鼻で息をする。何で僕がそんな事を? とも言っています。

 

 

「ふふふふふ。その必要は有りませんよ、ゲルダさん。さて、地下遺跡の話を聞いたそうですが……実は目の前の岩山は地上に露出した遺跡の一部なのですよ。そして、空間が歪んだ中を通れば王都の近くに出る。魔族も知らないであろう秘密の道です」

 

 完全に崩落して通れない道がある為に遺跡の他の場所には行けませんが今は構わない。重要なのは秘密の扉を開ける呪文。偶々合致したのか、それとも開門の呪文として翻訳された結果なのかは分かりませんが、あの呪文なのは調べがついているのです。

 

(幼い頃に何度も読んだ物語の呪文、私が勇者の時は縁が無くて此処に来る所か知りさえしませんでしたが……)

 

 あの時、知っていれば理由を付けて来たでしょう。私は高鳴る鼓動を感じつつ岩山に手を当て、魔力を流しながら呪文を唱える準備をする。何せ憧れた呪文なのですから少しは格好を付けて良いでしょう。

 

 

 あの呪文、開けゴマ、を!

 

 

 

 

「開けゴ……」

 

「ガウガーウ!」

 

 私が唱える瞬間、アンノウンの鳴き声が割って入って轟く。呆然とした私が固まる中、背中に乗せたパンダのヌイグルミが手にしたホワイトボードに書かれた開けゴマの呪文を鳴き声で唱えた事で隠された門が振動を開始、岩山が左右に割れて入り口が姿を現した。

 

 

「あんまりだ……」

 

 三百年以上憧れ、一度自宅の扉の鍵をこれにしようかとさえ悩んだ呪文をアンノウンに唱えられた私は膝から崩れ落ちそうになる。だが、それよりも前にシルヴィアが私を抱き締め頭を撫で始めた。

 

「何を落ち込んでいるかは知らんが元気出せ。お前が落ち込むと私も辛いのだ……」

 

「はい、元気出ました!」

 

 美しいという言葉をその身で表した女神に頭を撫でながら慰められて元気にならない男など居ません。私は直ぐに元気を取り戻し、お礼にシルヴィアの頭を撫でる。彼女は気持ち良さそうに目を細めていた。

 

 

 

「……お二人共、早く行きましょう。ほら、アンノウンも急いで」

 

「ガフゥ……」

 

「何か文句有るの?」

 

「ガーウ」

 

 おや、ゲルダさんは一層疲れた様子です。少し無理しているのでしょうか? 少し不機嫌にも見える様子で中を進もうとする彼女ですが内部から接近してくる気配を感じ取って身構えます。入り込んだ風と獲物の匂いを嗅ぎ取り、長らく遺跡に巣くっているモンスターが現れました。

 

 毛むくじゃらの足、お尻に付着した粘着質の糸、消化液で濡れた牙をガチガチと鳴らしながら一メートル程の体躯を持つ蜘蛛が姿を現しました。特徴的なのは背中。くすんでいますが赤く光る物が見えます。

 

 

「ゲルダさん、運が良い。ルビースパイダーですよ。雑魚な上に背中のルビーは上質で……ゲルダさん?」

 

 武器を持ったままの姿でゲルダさんは固まっている。そして次の瞬間、絶叫が響き渡った。

 

 

 

「く…蜘蛛ぉおおおおおおおおおっ!? 無理無理無理ぃいいいいいいっ! 蜘蛛嫌いぃいいいいいいいいい!!」

 

 声に驚き固まるルビースパイダーを置き去りにして、ゲルダさんは来た道を全速力で駆け出して行きました……。

 

 




今回もなろうで加筆有り あらすじにリンク有ります


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迷子の狼ちゃんと痴女

○○さんじゅうろくさい、とかって元ネタが気になる


 誰にだって苦手な物が有る。楓さんはゴキブリが苦手らしいし、私は蜘蛛が苦手。何処が嫌いなのか例を挙げる為に姿を思い浮かべるのも嫌な位。それと、多分女神様は頭を使うのが苦手だと思う。

 

「だから私は悪くない……と思う」

 

 賢者様が何故が唱えたがっていた呪文をアンノウンに横取りされて入った遺跡で急に遭遇した巨大蜘蛛。急じゃなくても嫌なのに不意打ちだったから慌てて逃げ出して来た道を戻っていたのだけど、気が付けば見慣れない場所に居た。

 

「迷子になってしまったわ。……どうしようかしら、みっともない」

 

 来た道が分からないから賢者様達の所に戻るのは無理だけど、あの人なら私を魔法で探し出して迎えに来てくれるのは簡単だけど、出来れば避けたい。もう十歳だし、これでも自立して暮らしてたのだもの。それに、絶対に弄られる。アンノウンが馬鹿にして来るのが目に浮かんだ私はどうにか戻ろうと模索する。

 

「匂いは無理ね。大分離れているわ」

 

 鼻を働かせて匂いを探すけど砂と岩の匂いしかしない。幸いと言うべきか言うべきでないのか魔族が降らしている雪のお陰で照りつける猛暑は無いけれど、少し走り過ぎたのか賢者様達と大分離れているらしい。救世紋様まで使ってたし、何食わぬ顔で戻るのは無理ね。

 

「このまま待ってたら迎えに来てくれると思うけど……」

 

 賢者様は人目を憚らずイチャイチャするのは問題だけど、それ以外なら気持ちを察してくれるし直ぐに迎えに来てくれると思う。イチャイチャするのに対しては、愛する人に愛を語り行動で示すのは恥ずかしい事では無いですよ、位言いそうだから止める様に言うだけ無駄だろうけど。

 

 水筒も持っているし、モンスターが来ても倒せば良いだけだと適当な岩に座って雪を眺める。オレジナでも雪は降っていたし、厳冬の時は羊毛が高く売れるからご馳走が食べられて嬉しかった。奮発して買った本で食後の優雅な読書の時間を堪能して、一度寝落ちして風邪を引いた事もあった。

 

 昔を懐かしみつつ魔本を取り出して作成中の魔法の構想を練る。時々やって来るモンスターを倒していたら汗が滲んで少し冷えたけど迎えは未だ来なかった。

 

 

「……あれ? 遅い気がするわね」

 

 賢者様が探し出せない筈が無いと疑問に思い首を傾げていると少し嫌な予感が浮かんだ。私の位置を把握した上で迎えに来ない気じゃないのかと。

 

「あ…有り得るわ。実際最初は迎えに来たら恥ずかしいと思っていたし……」

 

 変な風に走り回っていて実はそれ程離れていない上に私がそれに気が付いていると思っていたら気を使って迎えに来ないかも知れない。気持ちを察してくれるだけに可能性は高く、このまま遅くなると余計恥ずかしい事になる。

 

「まさか本当に迷子だとは、なーんて言われたら顔から火が出る位に恥ずかしそう。これは絶対に戻らないと……」

 

 どうにか目印になる物が見つかる様にとキョロキョロ周囲を見渡していた時、急に新しい匂いが漂って来た。甘い匂いと言うよりは甘ったるい匂い。風邪を引いた時みたいに頭がボーッとなりそうなので咄嗟に鼻を手で塞いで匂いが漂って来た方を向く。鬼が出るか蛇が出るか、少なくても普通の匂いではないからと心臓が高鳴って警告する。

 

 

 

 

「あの、其処の可愛いお嬢ちゃん。ちょっと良いかしら?」

 

 出たのは鬼でも蛇でもなく、露出度が高い着物姿のお姉さんだった。

 

「痴女が出たっ!?」

 

「初対面で酷いわねっ!? 子供が好きな私でも怒るわよっ!?」

 

 思わず指さして叫んでしまったけど、よく考えれば失礼だったと気付く。服装なんて文化によって様々だし、このお姉さんは露出が高い服を着る文化圏の出身で着物を取り入れただけかも知れなかったのに。

 

「えっと、ごめんなさい」

 

 だから素直に謝る。それにお母さんが言っていた。誰かを指さして馬鹿にする時は人差し指以外の指が自分を向いているから、それは自分を馬鹿にしているのと同じだって。私が素直に謝るとお姉さんはムッとした顔から一転して笑みを浮かべ、私の顔をジロジロ眺め始める。お父さんがパップリガ出身だし、この辺の人とは顔の作りが違うからかもと思っていたけど、何故か少し不気味な感じがした。

 

「……ねぇ、お嬢ちゃん。私の物にならない? ずっと可愛がってあげるわ」

 

「子供が好きってそっちの意味っ!? それに、矢っ張り痴女だっ!」

 

 陶酔した顔を見せられた瞬間、怖気が全身に走った私はデュアルセイバーを構えてお姉さんに向かって踏み込み、切っ先を鳩尾目掛けて突き出す。一切構えない状態から一瞬で攻撃動作に移り、救世紋様も発動。

 

「勇者……!?」

 

 思った通り、この人はこれが勇者の証だって知っていた。甘い匂いに混じって漂って来た魔族特有の体臭を嗅ぎ取った私は一切手加減せずに先手を取るけど、お姉さんに届く寸前に現れた氷の壁が行く手を遮る。

 

「甘いっ! ……でも、浅い」

 

 分厚い氷を貫き通した鋏の先端は確かに届いたけれど勢いが殺されて、当たりはしたけど後ろに飛んで距離を開けた事もありダメージは其れほど与えられていない。鳩尾を押さえて苦しそうにしているけれど、不意打ちが失敗したせいでお姉さんの周囲に雪風が渦巻いて臨戦態勢を取らせてしまった。

 

 

「そう、お嬢ちゃんは勇者なのね。……雪女 氷柱(ゆきめ つらら)よ。貴女のお名前は?」

 

「……ゲルダ・ネフィル」

 

 賢者様の話では戦士として誇り高い武人も、策謀が好きで正々堂々とした戦いを好まない性格でも、魔族は共通して勇者との戦いの前に名乗りを上げるのを礼節として守るらしい。そして魔王から与えられたモンスターを従え絶対に襲われないという力を名乗りを上げた戦いでは横槍を入れるのを防ぐ事にしか使わない。……そんな風にミリアス様が行動を制限しているらしい。

 

「……どうせなら出現しない様にしてくれたら良かったのに」

 

 私が憧れた物語の勇者に倣って名乗りを上げるけど、つい思い起こした事に感想を呟いてしまう。それは戦いの場では隙となるのに。腕を振ると同時に出現して、見えない何かに固定されているかの様に空中に並ぶ無数の氷柱。その真後ろで氷柱が広げた手の平を口元に当て、フッと一息すると同時に吹いた雪風に乗って飛んで来た。

 

 吹き荒れる風に乗って不規則な軌道で襲い来る氷柱に対し、レッドキャリバーとブルースレイヴに持ち替えて打ち払う。速度も来る方向もバラバラだけど一本たりとも私に届かず全て砕け散った。

 

「あら、思った以上ね。愚図で馬鹿とはいえ魔族であるルルを倒したのは本当らしいわ。……益々欲しいくなった」

 

「……確かにあの人より強いと思うけど、私はあの時よりずっと強くなった。あの時の私はルルより弱かったけど……今の私は貴女より強いよ」

 

 打ち落とした時に感じる一本一本の攻撃の重さも自在に変わる軌道も速度も初めて戦った魔族のルルの羽根より上。多分、あの頃の私ならなす術無く殺されていた。

 

 欲情すら感じる瞳を向けられて矢っ張り色々な意味で危ない相手だと思いつつ、女神様との特訓の成果を感じていた。飛び道具に対応する特訓と言って女神様が放つ投石は速度も威圧感もこれの比じゃなかった。生きているみたいに軌道を変え、空気摩擦で燃え、急加速やUターンをして、時に分裂する。それに比べれば止まって見えた。

 

「心外ね。言っておくけどイエロアでは力の半分も出せないのよ? ルルみたいな馬鹿でディーナ様のペット同然だった女とは格が違うの」

 

「……そんな不利な場所を選んだ時点で貴女の方が馬鹿だと思うわ」

 

 私の挑発に肩を竦める姿には余裕を感じる。私みたいな子供の挑発なんて気にした様子も無いけれど、続けての挑発には少し反応が有る。口元が微妙にヒクヒクと動いていた。

 

「口の減らない子ね。氷漬けにすれば可愛い見た目だけになるから別に良いけれど……。でも、その服は田舎臭いわ。ほら、私なんて殿方の視線を集める服でしょう?」

 

「露出が多いだけよ、そんなの。谷間を見せないと注目して貰えないのかしら?」

 

「……見せる谷間も無いくせに」

 

「五月蠅いわ、痴女」

 

 私の服装を鼻で笑うから此方も指摘をしてあげる。あと、痴女で間違いなかったらしい。互いに相手に挑発の言葉を向け、同時に敵意を強める。氷柱が両手を広げると先程の倍の数の氷柱が出現し、両手で筒を作って息を吐けば吹雪に乗って更に速度を変え不規則さを増した動きで向かって来る。

 

「……で?」

 

 でも、私はその場から一歩も動かずに打ち落として行き、最後の一個を真下から蹴り上げて軌道を変えレッドキャリバーで弾き飛ばす。砕けた氷柱の破片は氷柱に向かって飛んで行った。咄嗟に腕で顔を庇った氷柱の白い肌は幾つもの傷を負って赤い血が滲んだ。

 

「私言ったわよね? 馬鹿だから理解出来なかったみたいだけど……」

 

 レッドキャリバーの先端を氷柱に向け、挑発の笑みを向けながら一歩前に進み出る。

 

「あの時の私にはルルが強くて怖く見えたけど、今の私にとって貴女は弱くて全然怖くないの。少しも負ける気がしないわ」

 

 言葉と同時に駆け出す私に対して氷柱は俯いて手を垂らした格好で白い息を吐いている。恐らく何かをやる気。なら、何かをする前に倒せば良いだけ。残り三歩で武器が届く距離まで迫った時、氷柱が顔を上げる。表情の消えた冷たい顔で、氷の様な冷たい声で呟くのが聞こえた。

 

「……侮るな」

 

「っ!」

 

 地面から逆向きに生える氷柱。前方に足を踏み出した私は避ける事が無理だと悟り、咄嗟に両手の武器を交差させる。足元や隙間から延びた氷柱の鋭い先端が肌を切り裂き痛みが走る。咄嗟に背後に跳べば追い掛ける様に次々と生えて来る。

 

「あら、弱くて怖くない私から逃げるのかしら? ふふふ、臆病ね。オムツの交換は必要?」

 

「……五月蝿い」

 

 足元から生える氷柱と空中から再び襲ってくる無数の氷柱。雪の積もった大地を駆け回り、氷柱を迎撃するけど何時までも続けるのは難しい。意を決した私はブルースレイヴを笑う氷柱に投げ、魔本を取り出した。

 

 

 

「大地よ、我が呼びかけに応え哀れな生け贄に神の鉄槌を!」

 

 

 詠唱すると同時に雪の下から出現する巨岩が回転しながら前進する。地面から生える物も、飛来する物も全て正面から砕き突き進む岩を避けようと駆ける氷柱だけど、岩は速度を落とさず軌道を変えて向かって行った。

 

「追尾魔法!? あら、その歳で凄いじゃない」

 

「……この魔本は私のじゃないわ。ある理由で私が使えるだけで、この魔法も別の人が開発したの」

 

 賢者様が凄いから見劣りするけれど、この魔本もそれなりの腕前の人が作ったらしい。少し変態みたいな魔法が有るから絶対に私が制作した魔法だって思われたく無いけれど。

 

 私が逃げるので精一杯だったのと同じで今の氷柱も岩に対応するのに意識を使って私への攻撃は疎かになっていた。

 

「攻めるなら……今!」

 

 魔本を頭上に投げてブルースレイヴを取り出すなり氷柱に向かって投げる。岩から逃れようとする彼女の足に迫った瞬間、元の大きさに戻ったブルースレイヴに躓き、動きを止めた無防備な背中に岩が迫る。でも、再び出現した氷壁が盾となり岩を阻んだ。一瞬動きを止め、激しい音を立てて砕け散る氷の壁は時間を稼ぐ役割を果たした。でも、防いだのは岩の接近。その隙に私がレッドキャリバーを振り上げ接近していた。

 

 右手で振り下ろし、今度こそ胸に直撃。息を吐き出して苦悶の表情を浮かべるけど、氷柱は再び私に氷柱を飛ばそうとする。でも、後ろに伸ばした手に向かって引き寄せたブルースレイヴが向かって来ていた。中に浮く氷柱は横に振り払ったブルースレイヴが砕き、再びレッドキャリバーを足に振り下ろす。体勢を崩し仰け反った彼女に対し、今度は左右の武器を交差させる様にして叩き付けた。

 

「手応え有り!」

 

 真後ろに吹き飛んで雪の上を滑って行く姿に私は勝利を確信して動きを止めるけれど、未だ甘かった。降り出した雪は風と共に激しさを増し、吹雪となって視界を阻んで凍てつく寒さが増して行く。その吹き荒れる吹雪中に氷柱が浮いていた。

 

 

「……うん、殺そう。もう要らないわ、貴女。凍らせて砕いてドブに捨ててあげる。……毛皮すら持っていない人の身では太刀打ち出来ない自然の猛威に平伏しなさい!」

 

 先程までとは空気が一変していた。ダメージが大きいのかフラフラとしていて口からは血が垂れているけれど、もう先程までの何処か趣味や遊びを優先していた様子は感じられない。結局、私を明確な敵として見ていなかっただけだ。但し、今は違う。私を敵と認め、本気で殺しに来ていた。

 

「くっ!」

 

 手で顔を庇うけど吹き付ける雪は勢いを増しながら当たり、息をすれば体内から凍り付きそうな寒さ。これが目の前の敵の、雪女氷柱の本来の力。自然の力が人の姿をした様な相手に私の力だけでは心が折れて屈しそうになる。

 

 

「……うん、そうね。人だけじゃ寒さには勝てない。私の力だけじゃ貴女には負けてしまうわ」

 

「素直ね。もう遅いけど」

 

 私の言葉に降参の意思を感じ取ったのか氷柱の表情が少し変わる。多分、私を凍らせた物を砕かないでどうにかしようか迷っているのだけれど、それは大きな勘違い。だって、私は降参する気なんて無いのだから。震えて悴む手を動かし、そっと魔本を取り出す。ピンクの表紙に描かれた羊達のイラストを見ると心が安らいだ。

 

「私だけじゃ貴女に勝てないのなら、皆の力を借りれば良い! おいで、私の家族達。どうか私に力を貸して!」

 

 唱えるのは私が作り出した魔法。どんな魔法を作りたいか考えて、真っ先に浮かんだ魔法の詠唱をした時、空から雪じゃない白い物が落ちて来る。大きくフワフワで可愛くて暖かい。

 

「メー!」

 

「メー!」

 

「メー!」

 

 私を守る様に囲む羊達。皆、私が世話をしていた大切な家族。

 

「ワン!」

 

 最後に空中で一回転して着地したのは牧羊犬のゲルドバ。私に向かって尻尾を振りながら一度吠えると氷柱に向かって牙を剥く。凍てつく吹雪も羊達が温めてくれるから寒くない。一人では勝てない相手でも皆が居るから立ち向かえる。

 

「これが私の魔法、羊の宴(シープバンケット)! もう貴女なんて怖くないわ!」

 

「たかが羊を呼びだした程度で勝てると思うなぁああっ!!」

 

 更に吹き荒れる吹雪に対し、私は羊達と共に迷わず突撃していった。私を囲む羊の毛は一切の冷気を通さず、襲い掛かる氷柱はフワフワモコモコの羊毛に防がれる。牧羊神ダヴィル様の世話を受け、召喚した時に強化したこの子達は普通の羊なんかじゃない。先頭の一匹が氷柱に飛び付き、後続の羊がそれを踏んで更に高く跳ねる。彼女に激突する瞬間、羊達の表情が凶暴な物に変わり、羊毛が金属以上に硬化する。弾き飛ばされた先には更に別の羊が突進して、次々に跳ね飛ばし続ける。

 

「ワン!」

 

「有り難う、皆。……これで終わりよっ!!」

 

 ゲルドバが氷柱の腕に噛みついて振り回し、私に向かって放り投げる。飛んで来る彼女に対し、私はデュアルセイバーを両手で構え、力強い踏み込みと同時に振り下ろした。氷柱の体は雪に沈み動かない。やがて光の粒に変わって浄化された瞬間、吹雪が止んだ。

 

 

「か…勝った!……けど、もう限界」

 

 緊張の糸が切れ、疲労が押し寄せた私の体を羊達が支えてくれる。柔らかい羊毛に埋もれて睡魔の誘惑に負けた私は目を閉じたけど、最後の瞬間に賢者様の姿が見えた……。




今回もなろうで追記あり コピペ時に思いついたら書き足してます


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使い魔と女神

 ゲルちゃん、本名ゲルダは面白い子だ。打てば響くし、悪戯のしがいがある。最初はマスターやボスとの生活に知らない子が入って来るのが嫌だったけれど、今は別に嫌じゃない。だからマスターも寝ているゲルちゃんの様子を見る役目を僕に任せてくれたんだ。

 

「……」

 

 チラリと壁の向こうに視線を送る。今、とある神がマスターとボスを尋ねて来ているんだけど、僕は彼奴が好きじゃない。マスターの魔法の師匠だからって自分がしたくない仕事をマスターに任せるんだから。

 

「むにゃむにゃ、もう食べられないよ」

 

 ベタベタ過ぎて逆に本当に言う人が居なさそうな寝言を呟くゲルちゃん。君は本当に強くなった。たった一人で魔族を倒しちゃうんだからマスターも驚いて喜んでいた。これなら助けが遅れた事を責められる回数も少ないだろうって。世界の命運を個人に背負わして、助けが遅れた事を責める奴は死んで良くないかな? ゲルちゃんが責められない事を第一に喜ぶマスターは優しいから良いとは言わないだろうけど、僕には分からなかった。

 

「ガウ……」

 

 体内の空間に閉じ込めた三人だけど、魂の芯まで魅了されていてマスターでも治すのが大変らしい。でも、沢山の神が力を貸して生み出した僕なら後遺症も残さずに治せるし、次の勇者の時の為にも練習しておけって言われたけれど、マスターに攻撃したんだ、僕の子分にしちゃえ。取り敢えず一人はゲルちゃんが苦手な蜘蛛のキグルミにするとして、他は何にしようかとなやみながらゲルちゃんのほっぺを前足でグリグリしていたら目が合った。

 

「えっと、どの位寝てた?」

 

 パンダのヌイグルミが持つスケッチブックに三百年と書いて見せる。全然信じてない顔でスルーされた。ちょっぴり悲しい。じゃあ、半日って本当の事を教えておこう。

 

「……そんなに?」

 

 うん、そんなに寝ていた。マスターが言うには救世紋様は疲れるし慣れない魔法戦の結果らしい。もう少し寝ていた方が良いと伝え、取り敢えず一度起きた事を伝えにマスターの所に向かう。テーブルを挟んでマスターと向かい合って話をしていた彼奴は未だ帰っていなかった。

 

 

 

「……師として君を心配している。神に毒され人間らしさが失われてはいないか? あの様な少女が魔族と単独で戦うのを良しとするなど……」

 

「今も昔も私は私ですし、気には病んで無力を感じています。ですが、目の前の少女一人を危険から遠ざける為に大勢の人を危険に晒す訳には行かないのですよ」

 

「その考えが人から外れつつあると感じているのだよ、キリュウ。……そもそも、私は人に魔族の対応を投げる事に反対だったのだ。神からの自立を促すにしても、少しずつ段階を設けるべきだった」

 

 マスターと話をしているちびっ子は魔法を司る神ソリュロ、もう一つ司る物が有ったけど忘れた。だって、此奴嫌いだもーん。ゲルちゃん位の女の子の見た目の癖に中身も実年齢も凄い歳で、それなのに服装は白いフリルの甘ロリドレス。偉そうに頬杖をついて焼酎のビール割りを飲んでいる、しかも大ジョッキ。神って見た目の成長が止まるのに個人差が有るけれど、子供で止まったから不良っぽい。

 

「大体、私は異世界の住人のコピーを連れて来るのにも反対だったのだ。まあ、コピーであるが故に帰る場所も無く、存在を無視する訳にも行かなかったから、せめてと思い力を貸したがな」

 

「相変わらず人が良いですね、師匠。だから後始末を私に任せますし、他の神からは変わり者扱いされるのですけど」

 

「お前には負担を掛けて悪いと思っている。全ては私の弱さが招いた……おや、黙示録の獣(アカポリプスビースト)が来たという事はゲルダちゃんは起きたか。……では、私は帰ろう。私が居ては人の子は心が安まらぬだろうからな」

 

 ……僕の呼び名は三つ有る。マスターやボスが呼んでくれるから一番お気に入りのアンノウン。仲の良い神もこれで呼んでくれるのさ。

 

 二つ目の666(トライヘキサ)はイシュリアとか特に仲が良くなかったり、僕を苦手にしている神が使う呼び名。まあ、別に好きでも嫌いでもないかな?

 

 でも、三つ目は嫌い。だって、僕を危険視する神が使う呼び名だから。トライヘキサの理由になった僕の制作者に関わった神達総勢六百六十六人が一切の自重をせずに創ったからだってさ。でも、生まれたからには僕は僕の物。自由気ままにさせて貰うのさ!

 

「では、励めよ、愛弟子? ……シルヴィアも正座を止めて良いぞ」

 

 最後に最近少し暴れ過ぎだからって部屋の隅で正座をさせられていたボスとマスターに声を掛けて消えて行く。本当に変わった奴だよ。神の中で誰よりも人と人の営みが好きな癖に、人の前に姿を現すのが誰よりも嫌いだなんてさ。本当は他の神みたいに正体を隠して人の輪に入って遊びたいのに意地っ張りな奴。だから僕は彼奴が嫌いなんだ。折角の不老不死の生涯、もっと楽しむべきなのにさ。

 

 

 

 

「あ…足が痺れた。おのれ、ソリュロ様め。重力を操って負荷を増すなどしよって。……キリュウ、運んでくれ」

 

 あっ、取り敢えず今の面白いボスの姿を絵にしておこうっと! ぷぷぷー!

 

 

 …えっと、僕とソリュロが初めて出会ったのは何時だっけ? あっ、思い出した思い出した。確か僕が生まれて三ヶ月目の事……。

 

「……ガファ」

 

 暖かい日差しが差し込むクリアスの森の中、マスターとボスの家の前で僕は何度か目になる欠伸をしていた。お昼前で家からはお昼ご飯のミートパイの香ばしい匂いが漂い、鼻をヒクヒク動かして呼ばれるのを待つ。七つの頭の一つの耳に青い鳥が止まっていたけど、近付いてくる気配に気が付いて動かしたら逃げてしまった。

 

「やっほー! 相変わらず呑気そうね、トライヘキサ」

 

「ガウ」

 

 下着姿の痴女神イシュリアがやって来た。ファッションセンスは神によって様々だけど、此奴は特に個性的。更に上は全裸の奴しか居ない。それで何か用? また図々しくご飯食べに来たんだね。連絡位しなよ、イシュリア~。

 

「あ……あんたねぇ。私も創造主の一人だし、其処まで言われる頻度で来てないでしょ?」

 

「……フゥ」

 

 うん、そーだね。たった二ヶ月連続だし、昨日は今日は来ないって言ってたよね。そのパターン五回目だよね。腰に手を当てて不満そうに抗議してくるイシュリアに僕は困り果てる。

 

 それに、僕はイシュリアを創造主とは認めていないんだ。僕は六百人を越える神とマスターに創られたけど、明日も来るって言いながら途中から全員来なくなったし、最後まで僕を創ってくれたマスターだけが創造主なのさ。

 

 そんな僕の心情なんか知りもしないでイシュリアは家へと向かって行く。

 

 

 

「まあ、良いわ。それよりご飯ご飯。キリュウのミートパイは美味しいの、よねっ!?」

 

 そして予め用意していた落とし穴に落ちた。覗き込んだら中に沢山入れておいた納豆の中に腰まで浸かって睨んで来ている。生卵も沢山入れておいたからネバネバが凄くて出るのが大変そうだ。お昼前でお腹減ってイライラしているだろうし、悪い事しちゃったかも……。

 

「ガウ」

 

 だかミキサーに掛けたクサヤを入れてあげよう。穴が埋まるくらい沢山用意しておいたクサヤを入れた容器を取り出す。臭いがキツい? 大丈夫大丈夫、特別臭い奴だけど一ヶ月で消えるから。

 

「ちょっ!? それ、流石にシャレにならないからぁ!? ってか、大丈夫な部分が少しも無いわよね!? 止めなさい、止めてってば!」

 

 少しずつ掛けても悪いから一気にクサヤを入れようとして、急に容器が軽くなる。ついさっきまで確かに入っていたクサヤは陰もか達も残り香さえも存在しなくて、代わりに見知らぬちびっ子が落とし穴の上からイシュリアを眺めていた。

 

「……お前は戦神でもあろうに罠に掛かって恥ずかしくないのか?」

 

「うっさいわよ、ソリュロ! 妹の所に昼御飯を食べに来たら落とし穴に落ちるだなんて思ってなかったの! それに巧妙な隠蔽魔法が掛けられたんだってば!」

 

 心の底から呆れ果てた目を向けられて怒るイシュリアだけど納豆に浸かっているから威厳が激減している。いや、元からゼロかな?

 

「元がゼロでも減れば負債となろう。……成る程な。馬鹿共が大勢一切の自重も考慮も制限もせずに創っただけあるか。その上、危険な力を悪戯に使うとはキリュウの奴め、ペットの躾が出来ないのとは訳が違うだろうに……」

 

 今度はマスターの事を呆れた様子のちびっ子にムッとする。ソリュロだかソムリエだが知らないけどさ。……あれれ? そう言えば心を読まれている? 僕、喋ってないのに。

 

「今頃気が付いたか。ふんっ。力は強くても中身は子供か。逆に厄介が過ぎる。封印でもしろと言っておくべきか。……それと、ソリュロとソムリエは無理が有りすぎる」

 

 僕を鼻で笑ったソリュロは何やら不穏な事を考えている。何か悪戯をしてやりたいけど、此奴なんか嫌な感じがするんだよね。全身の毛が逆立つというか、悪戯がバレた時にボスに感じるプレッシャーに似ているというか……。

 

「……そうか。神でないお前は感じ取るか。安心しろ。貴様が無闇に力を振るわんのなら私とて姿を現さないさ」

 

 まあ、それはそうとわざわざ口に出さなくても会話出来るのは便利だね。じゃあ、勝手に心を読んだ慰謝料ちょうだい。って言うか何かちょうだい。

 

「私を臆さぬのか、貴様は。……そうか、では、これをくれてやろう」

 

 ソリュロが手を前に出すと僕の前にパンダのヌイグルミが現れる。魔法で操るのに便利そうな力を感じるし、これは嬉しい。ありがとう! 所で何の神なの?

 

「魔法と……秘密だ。聞かせて怖がらせては悪いからな」

 

 疫病? 争乱? それとも死神?

 

「……そのどれでもないさ。人に恐れられる物を司り、それ故に神以外は私を本能的に恐れる。……私自身は人が好きなのだがな」

 

 僕の問い掛けに自嘲気味の笑みを浮かべるソリュロ。楽しい事が大好きで、好きな事は沢山したいし嫌いな事は一切したくない僕からすれば理解出来ない話だった。この日から魔法の弟子であるマスターに会いに来る度に僕にも話をしてくるけどお説教が多いし、好きな事を自分から遠ざけるなんて気に入らない。だから僕はそんな事をするソリュロが気に入らないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法の力が籠もった針に同じく魔法の力が籠もった糸を通してチクチク縫って行く。パンダのヌイグルミが空を飛び、宙に浮かんだツナギの腹ポケットの真ん中に羊のアップリケを縫い付けていった。

 

「私も縫い物は習っているけど……」

 

 ゲルチャンは目の前の光景を絶句した様子で見ている。あの後、マスターの診察を受けたゲルちゃんはご飯を沢山食べてお風呂に入って、今は装備品である魔法のツナギの強化を眺めていた。たった一人で魔族を倒した彼女だけど、雪は降り続けて止む気配すら無い。戦っていた魔族が口にしたディーナって名前が多分犯人だろうから、現在勇者の装備を強化しているのさ。

 

 因みにこの中で裁縫が一番上手なのは僕、ボスとゲルちゃんが同じ程度でマスターは最下位。ゲルちゃん、ヌイグルミに負けるってどんな気分だろう? 聞いてみたいから後で聞こう。さて、完成! ……所で勇者の装備が麦わら帽子にツナギに鋏ってどうなんだろ? 後世にどう伝わるのかが気になるね。

 

「じゃあ私は一旦退室するので着てみて下さい。その後で外の様子を見に行って、それから出発しましょうか」

 

「遺跡は抜けていますよね? 蜘蛛はもう居ませんよね?」

 

 不安そうに訊ねるゲルちゃんの姿を見ていたら、早速蜘蛛の玩具で驚かしたくなったけど、別の僕がクオリティの高い奴を製作中だから我慢我慢。それに暫くは警戒しているし、直ぐにやっても楽しめない。楽しくない事は出来るだけしない主義の僕なのさ。

 

 でも、ちょっとだけ今のタイミングで驚かしたくなった。ボスが睨んでさえいなければ……後でやろう。

 

「大丈夫。既に抜けて外に出ています」

 

 また悲鳴を上げて逃げたら困るから、ルビースパイダーが生息している遺跡の中はゲルちゃんが寝ている間に通過済み。出る時も例の呪文が必要だったけど、ボスがうっかり言っちゃって出口が開いた時は笑ったよ。マスター凄く落ち込んでいたからね。

 

 ゲルちゃんも着替え、僕達は馬車の外に出る。目の前には一面の銀世界が広がっていた。見渡すばかりに白色ばかりで、岩山も雪を被って雪山に。この寒さに適応出来ていないからか砂漠に住むモンスターや動物の姿は見えなくて、遙か遠くにはサンドスライムの雪バージョンのスノースライムが僕達が近くに来るのを雪溜まりに化けて待っていた。

 

 

「ガゥ」

 

 だから即座にパンダビームで吹き飛ばす。ヌイグルミの目に魔力を集中させて一気に放てば極太の光線となってスノースライムを蒸発させて、物凄い音が響き渡って周囲が揺れる。

 

「ア…アンノウン、何しているの?」

 

「ガウ?」

 

 ゲルちゃんが驚いているけれど、モンスターを倒しただけって分からないかなあ? それにしても雪が大分積もっていてゲルちゃんの膝まで沈むし、此処は山の斜面だし歩きにくいよ。何か魔法を……あれ? もうビームを撃って何秒も経つのに振動が続いているし、変な音が聞こえるぞ。上の方から聞こえたので山頂を向いたら沢山の雪が押し寄せていた。

 

「雪崩だー!」

 

 へー! あれが雪崩なんだ。僕、初めて見たよ。慌てて逃げ出そうとするゲルちゃんだけど、その襟首を咥えた僕はそのまま馬車の中に向かって放り投げる。

 

「へぶっ!」

 

 ドアを閉めていたね、めんごめんご。反省してる、凄く反省しているよ。顔面からドアにぶつかって変な声を上げたゲルちゃんの姿が面白い中、雪崩は目前まで迫る。そのまま馬車を飲み込みそうになったけど、これってマスターが用意した馬車なんだから雪崩なんかに流されない。川の真ん中に岩が有るみたいに雪は馬車に当たった端から左右に分かれて流れるからね。あんなに慌ててゲルちゃんは面白いなあ。また今度やろっと。

 

 

「おい、アンノウン……暫くはオヤツ抜きだ」

 

「ガッ!?」

 

 無慈悲な宣告がなされる中、僕の耳に誰かの声が届く。よく目を凝らせば遠くで雪崩から逃げている子供達の姿があった。防寒具を着たゲルちゃんよりも年下の子供で、襲っているというよりは見張りと道案内を兼ねた様子のホワイトウールが一緒に行動していた。あの羊、体毛が冷気を吸収するから触ったら凍傷じゃ済まないけど触らなければ周囲は暖かいし、誰が何の目的で子供と行動させているんだろう?

 

「メー!」

 

 雪の上を駆ける僕に気が付いたのか、雪崩に巻き込まれない様に子供達を急かしていたホワイトウール達がうなり声を上げて威嚇する。うん、分かったよ。これ以上は近付かない。僕はその場に止まり、ホワイトウール達も僕をチラチラ見ながらも雪崩が怖いのか駆け出す。その背後からパンダの舌が伸びて子供達に巻き付くと僕の所まで回収した。

 

「メッ!?」

 

 何が起きたのか分からない様子のホワイトウール。でも、僕はそれを無視して雪崩を駆け上がる。背後では雪崩に飲み込まれるホワイトウールの悲鳴が聞こえたけど、ジンギスカンにしても美味しくないらしいから助ける気はなかった。……さてと、子供達を助けたし、僕に甘いマスターならご褒美をくれるかな? 

 

 

 そんな事を思っている時だった。子供達が恐る恐るといった様子で僕に話しかける。別に僕は親切で助けたんじゃないから止めて欲しいよ。

 

 

「あの、ホワイトウール達を助けて貰えませんか?」

 

「僕達、案内された場所で死ななくちゃいけないんです」

 

 ……うーん、面倒な事になったなぁ……。




なろうではイシュリアが更に悲惨な目に


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見た目と言葉と必要な物

 王都メリッタの周囲に点在する小さな村、私の住むチコイ村もその中の一つ。砂鮫を使った保存食が主な収入源で、この日の私は捕まえる為の網の整備をしていた。細く伸ばした金属を編んで作った網で、返しが付いたトゲトゲでおびき寄せた砂鮫を逃がさない。始めた頃は指先を怪我したけれど、慣れた今では一度も怪我をしていない。絡んだ場所を解いてトゲが欠けている部分や錆びている部分をチェックして使用に問題が有るなら取り換える。

 

 でも、最近は使っていない。窓の外を見れば降り続いている雪の影響なのか砂鮫が一匹残らず他の場所に行ってしまったとお父さん達が困っていた。今もお母さんと今後について話をしている所だ。

 

「……村を捨てる必要が有るのかもな」

 

「ちょっと待ってよ!? ほら、これって魔族の仕業なんでしょう? なら、勇者様が原因の魔族を倒せば……」

 

「勇者は何時来る? 倒したとして、住処を変えた砂鮫が戻ってくる保証は? ……糞っ! 勇者だっつうなら魔族なんて直ぐに倒してくれよ。雪がどれだけ前から降ってると思ってやがるんだ!」

 

 最近、お父さんは昼間からお酒を飲んでイライラしている。きっと不安なのね。異変は雪だけじゃない。村の外の大地を分厚い氷が覆っているのだから。途中で止まっているけれど、何時村まで氷が来るか分からない。住み慣れた村を捨てるにしても、決断を急がなかったら手遅れになるかも知れない。でも、新しい場所で生活が出来る保証も存在しないのが不安でたまらないんだ。

 

「勇者様、本当に何をしているの……?」

 

 今、勇者様は何をしているんだろう? 休んでいるの? 遊んでいるの? 神様に選ばれた勇者なら、苦しんでいる私達の為に少しでも早く世界を救ってよ。そして真綿で首を絞められる様にジワジワ襲ってくる恐怖に耐える日々が続くある日、事態が動く。より最悪な方向に……。

 

 

「……寒い」

 

 雪が降り出してから続いていた寒さだけど、その日の朝は特に異様な寒さだった。まるで冷たい水に全身浸かっているみたいで、体がガタガタ震える。布団から出るのが躊躇われる寒さだけど何時もなら起こしに来るお母さんの声が聞こえない。言い表せない不安が過ぎり、外に出ると寒さの理由を知った。

 

 壁だ。氷の壁が村全体を囲んでいた。首が痛くなる位に見上げたら漸く上が見える高さ。私以外にも家の外に出て不安そうに氷の壁を見る人達の姿が見える中、誰かが壁の上を指さす。釣られて見上げると誰かが立っていて、その誰かは壁の上から飛び降りた。誰かに悲鳴が上がり、私は咄嗟に目を逸らす。でも、次に視線を向ければ平然とその人は立っていた。白い服を着た少し露出の多いお姉さん。

 

「……絶対に来たら駄目だ。決して近寄るな」

 

 お姉さんと大人達が何かお話をするらしいけど、私達子供は除け者で話し合う集会所に近付くのも禁止された。ちょっと気になるけど怒られたら怖いし、私は友達と遊ぶ事にしたの。特に仲が良いのはプルアちゃんとマゴン君。お父さんは砂鮫漁で死んじゃって、お母さんは二人が生まれて直ぐに死んじゃったから村の皆でお世話をしている。お外は寒いから家の中で遊んでいた時、大人達がやって来て二人を連れて行ったの。

 

 次の日、氷の壁は綺麗に消えて、二人も何処かに行ってしまった。お父さん達は大切なお仕事を任せたって言っているけど偉いわね。お仕事を頑張って、帰って来たら一緒に遊びたいな……。

 

 

 

 

 

「やって来た魔族が言ったんです。年に一度、順番で村から二人ずつ生け贄を出せば襲わない、断るなら村を滅ぼすって」

 

「僕達は悲しむ家族も居ないし、村にはお世話になったから。死ぬのは怖いけど、それで村が助かるならって」

 

 アンノウンから話を聞いて私は話を俯いて聞いていた。馬車の中の一室、見た目よりもずっと広い内部と居心地の良い暖かさに戸惑いながらも二人は言葉を続けて、覚悟を決めたと言っているけれど手が震えていた。

 

 私も孤児で村の人達にお世話になって育った。この二人は少し運命が違っただけの私なんだろう。だから目を逸らしても、耳を閉ざしても駄目だ。二人の話を聞くのは私の義務で、二人を救うのが私の使命だ。そして、今直ぐにでも二人を安心させるのが……。

 

 

 

「……勇者様がもっと早く魔族を倒しに来てくれたら良かったのにね」

 

 ……うん、そうだよね。二人と同じ子供の私の姿と言葉で誰を安心させられると言うのだろう。私には勇者と名乗るだけで人を安心させられる何かは持っていない。やるべき事は今だけの安心を与える事じゃなく、魔族を倒して本当の安心を与える事なんだ。

 

 それでも無力を噛みしめざるをえない。頭で分かっていても心は別だから。勇者に憧れていた私はどうしても勇者に理想を求めてしまう。だから自分が情けなくなった時、肩に何かが置かれた。賢者様が手を置いたのかとかと思って振り向いた時、私の顔面に肉球が押し当てられる。犯人は当然アンノウンだ。

 

「……もう」

 

 何時も平然と行ってくる悪戯だけど、今だけは安心出来た。結局、私の事を気遣って……いや、無いわね。だってプルアちゃん達が笑い出しそうだもの。まさかと思ってアンノウンの肉球に触ったら指先にインクが付く。鏡を見たら顔面に肉球マークがベッタリ付いていたの。……でも、場は和んだわね。

 

「少し気になったのだが構わないか? お前達は村を救う為に死ぬのだな?」

 

 折角場が和んだのに、女神様がそんな質問を投げ掛けた途端に空気が元に戻る。和らいだ二人の顔が強張るけど、当の女神様はちょっと気になった程度の口調だ。女神様って矢っ張り空気が読めないのかしら?

 

「だって僕達さえ生け贄になれば村が救われるって。確かに約束が守られるとは限らないけれど信じるしかないんだ……」

 

 二人は目に涙を蓄え、恐怖を必死に抑え込んでいた。きっと今直ぐにでも逃げ出したいんだろう。助けて、嫌だ、そんな風に叫びたいんだろう。でも、この二人はお世話になった村の人達の為だからって耐えていた。

 

(……許せない)

 

 そんな覚悟を二人に強いた大人達が。今直ぐに勇気付けられない自分が。人の弱さに付け込んだ魔族が。生け贄の役目を押し付け合わせ、次は自分の家族かもと恐怖を与え続ける。そんな卑劣なやり方をする魔族に憤りを感じる私だけど、女神様は本当に理解出来ないという顔と声で言葉を続ける。

 

「いや、約束を守る守らないの話ではなくてな。お前達が死んで約束が守られたとして……次は?」

 

「……次?」

 

 首を傾げる女神様の言葉に首を傾げるプルアちゃん。そっか、女神様が言いたい事が分かった。今から私が何をすべきなのかも。女神様が機会をくれた。だから此処から先は私の役目、勇者の出番だ。

 

 女神様の言葉に戸惑う二人に対し、私は前に乗り出して正面から目を見る。

 

「貴女達の次はどうなるの? 結局次の生け贄が必要なのでしょう? 貴女達が死んでも誰も救われないわ。魔族が律儀に約束を守ったとしても」

 

「でも、私達には何も出来ない。抗う力なんて……」

 

 魔族は怖い、それは分かる。心が折れるのも、諦めるのも仕方無い。だからこそ私が勇者が存在する。俯く二人は私の体に出現した救世紋様に目を見開いて驚いていた。

 

「これは勇者の証。驚いた? 私、実は勇者なの。あのお兄さんは伝説の賢者様。今まで遅くなってごめんなさい。でも、安心して。私が貴女達を助けるから。私達が魔族を倒すから」

 

 自分の無力は受け入れた。だから次は勇者だと名乗る番だ。たとえ信じて貰えなくても、名乗る事で安心を与えられなくても、それでも私は勇者だから。

 

「……勇者? 貴女みたいな子供が?」

 

「うん、勇者。……それを今から証明してみせる。ちょっと付いて来て」

 

 疑いの眼差しを向け、戸惑った様子で私を見ている二人を誘って外に出る。言葉だけじゃ意味がない。姿だけで人を安心させられない私に出来るのは、私なら大丈夫だという姿を見せる事だけ。だから今から戦う姿を見せる。二人が自分が死ねば良いだなんて思わなくても良いように。

 

 

 

 雪が降りしきる中、轍を残しながら駆ける。向かって来るのは巨大な氷の体を持つ雪見蟷螂(ゆきみとうろう)。このカマキリのモンスターが鎌を振れば薄い氷の刃が発生し、生半可な攻撃じゃ周囲の冷気を吸収して傷を癒す。レッドキャリバーを真下からすくい上げて振れば向こうも真上から鎌を振り下ろした。正面から衝突する刃、寸の間の拮抗も無く鎌は砕け、そのまま頭を砕けば雪の中に倒れる。その死骸は周囲の仲間が冷気を吸収して傷を癒した事で消え去り、万全の状態の雪見蟷螂が三匹並んで私に飛び掛かった。

 

 一匹目、さっき投げておいたブルースレイヴを引き寄せて真ん中の一匹の体を砕き、振るわれた鎌を体を低くして交い潜ると左右の剣を振り抜いて腹を打ち砕く。胴体を砕かれ上半身と下半身が分かれて尚、強い生命力で生きている二匹は背中に飛び掛かろうとして振り向かずに突き出した切っ先で頭を砕いた。

 

「……どう? 少しは信じる気になった?」

 

 私の周囲には雪見蟷螂やスノースライム、ホワイトウールの死骸が転がっていて、私には殆ど傷が無い。その姿を見る二人の眼差しからは疑いの色が消え去っていた。

 

 

「私達を助けてくれる? 勇者様」

 

「魔族を倒してくれる? 勇者様」

 

「勿論! だって私はとっても強い勇者なんだから。賢者様が言っていたけど、二代目や三代目の勇者よりも勇者らしいわ」

 

 私は二人に向かって笑ってみせる。だって私は世界を救う勇者だもの。二人は抑えていた感情が溢れ出して泣き出した。……きっと私の旅路には今回みたいな事が有るのだろう。でも大丈夫。その時はその時、勇者に相応しいって結果で示せば良いだけだわ。

 

 

 

 ……それにしても運が良かったわ。格好付けて外に出たのにモンスターが一匹も居なかったりしたら赤っ恥だったものね。

 

 

 

 

 

「成る程これは確かに怖かったでしょう。……生け贄を要求されれば出す訳だ。非常に腹立たしい」

 

 二人に案内されてチコイ村を眺められる場所にやって来た私達だけど、出入り口になる一部を除いて村を囲む消えた筈の高い高い氷壁を見ながら賢者様は静かに呟く。それは魔族に対してなのか、魔族に怯えながらも身寄りの無い子供二人を生け贄に選んで自分達の安寧を優先した事なのか。

 

「流石に二人は村に戻るのは辛いでしょう。シルヴィア、二人の事を任せますよ。ゲルダさん、次は村の皆さんに安心を与える番です」

 

「……はい」

 

 未だ不安を感じるけど賢者様が一緒なら安心出来る。二人で一緒にチコイ村の中央に空から降り立てば注目が集まり、賺さず賢者様が片腕を掲げれば氷壁は瞬きの間に消え去った。騒然となる村内、騒ぎを聞き付けて更に人が集まる中、賢者様の声が静かに、そして強く響き渡った。

 

 

「皆の者、聞きなさい。私は偉大なる武と豊穣の女神シルヴィア様の下僕にして勇者を導く賢者なり。安堵せよ、この世界は私達が救おう!」

 

 少しの間の沈黙の後、一斉に歓声が上がる。目に見えて直ぐ側に存在し、ジワジワと迫る恐怖や不安、生け贄を出した事への罪悪感が賢者様の力を見た事で一気に反転、喜びに変わって溢れ出したのね。中には泣きながら万歳をしている人の姿も。騒ぐ声が耳が痛い程の大きさになる中、私の耳には賢者様の声が聞こえていた。

 

 

「居るだけで安心させる見た目程度なら魔法なり仮装なりでどうとでもなりますし、勇気付ける言葉程度なら誰でも口に出せる。重要なのは安心を一時的な物ではないものにして、言葉を現実に変える、そんな力と、それをやり抜く力です。その点、貴女は十分ですよ」

 

 賢者様の言葉に勇気が湧く。私でもどうにかなるって自信が付く。賢者様は私が二代目や三代目より才能が上だって言うけれど、初代を超えるのは難しそうね。だって、私が一番憧れた勇者は賢者様なのだもの。自分の中にある憧れを再認識した私は空を見上げる。未だ降りしきり雪、これを絶対に晴らしてみせると心に誓った。賢者様みたいになれなくても、私は私がなれる最高の勇者になりたいから、絶対になって見せるから。だから私は負けない。こんな所で負けられないのよ。

 

 

 

 

 

「いやー! めでたい! 勇者様がいらっしゃるとはな!」

 

「これでイエロアも救われたも当然だ。二人共、よく勇者様達を連れて来てくれたな」

 

「この歳で大した物ですね。うちの子供に勇者様の爪の垢を煎じて飲ませたい」

 

 この日の晩、チコイ村では宴が開かれた。前祝いだと言ってお酒や食べ物沢山用意して私達を囲む。その中にはプルアちゃんとマゴン君の姿もあった。村の為に死ねと生け贄に出した事なんて忘れたかの様に振る舞う大人達に二人は戸惑いながらも笑顔を向けている。うん、そうだよね。二人にとって親の代わりに世話をしてくれた大人達は家族同然で、村は大切な生まれ故郷。だから何も言わないんだ。酷い事をされたって認めたくないから……。

 

 

 

「ねぇ、勇者様……」

 

「えっと、何?」

 

 少し悲しい気持ちになっていた時だった。大人達が周囲を囲んで子供は端の方に座って居たのだけれど、その中の一人が側に来る。私と同じ年頃の女の子。只、大人達と違って何故か少し不機嫌そうだった。理由が分からず戸惑う私。大人達が失礼だと言って引き離そうとするけれど、彼女は少し暴れながら私を指さす。

 

 

「皆だって言ってたよね!? 勇者は何をしているんだ、勇者はどうして早く来てくれないんだって! あの二人だって偶々助けられただけで、死んでいた可能性の方が高いんだよ!?凄い力を持っているなら休んだり遊んだりしていないで世界をさっさと救ってよ!」

 

「こら! 勇者様に失礼だろう! すみません、直ぐに追い出すので……」

 

「お父さん達だって二人を生け贄に出すとか酷いよ! これも全部勇者様が魔族を倒してくれないからじゃん!」

 

 慌てた大人達に羽交い締めにされて追い出されて行く彼女から目を離せず、追い出した後で愛想笑いを振りまきながら謝ってくる大人達に気にしていないと伝えた私は誰にも聞こえない小さな声で呟いた。

 

「……そうだね。私が最強無敵で完全無欠だったら良かったのに。でも、そんな人は神様にさえ居ないから……」

 

 誰かに聞かせるのではなく、自分に言い聞かせる為に呟く。読んだ本にも似たシーンが有って、賢者様からも言われるだろうって忠告されていた言葉だけど、実際に向けられたら重さが違うって理解した。だから挫ける訳には行かない。無力を言い訳にしない為に、この言葉をこれからも背負って行こう。少しでも理想に近付く為に。

 

 

 

 

 

 

 

「……氷柱が死んだのね。ふーん、そうなの。別に構わないわ。問題は腕の一本でも奪っているかどうかだけど……っ!」

 

 メリッタ、既にこの街に人が暮らしていた時の面影は存在しない。王族の住まいに相応しい豪奢な造りの王宮も、活気溢れていた街中も凍った上で砕かれ、今は雪の建造物が建ち並ぶ。支配者である王族貴族はディーナが現れた日に氷像に変えられ、恐れながら彼女に仕えていた使用人も、見て見ぬ振りをしていた民草も彼女が君臨する城の飾りの一部に使われていた。

 

 周囲を舞う炎の如き冷気から部下の敗北を聞かされても彼女は眉一つ動かさず報告に耳を傾け、途中で煩わしくなったらしく腕で追い払う。

 

「もう良いわ。あの女がルルよりも簡単に倒された、それだけ知れば十分だもの。結局、世の中は成果で判断される。本当の無能は貴女ね、氷柱。ふふふ、あははははっ!」

 

 高らかに笑うディーナだが、その実、彼女の体には異変が起きていた。強い力を持っているが故に、合わぬ世界に存在するだけで大きい負担がのし掛かる。常に全身を刻まれるが如き苦痛に耐えながらも強い感情を持ち続けていた。

 

 

「……絶対に殺す。あの子を、ルルを死なせた奴だけは絶対に生かしておくべきか!」




なろうではゲルダの心情に少し加筆です 二十時予約


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希望のち絶望、時々不審者

「生け贄を出したんだから氷の壁は消えてたのにな……」

 

「チコイ村の奴らが出した生け贄が逃げたんじゃ……」

 

 時はゲルダ達がチコイ村で歓待を受けた日の真夜中で、此処はチコイ村南西部のヨレト村。今回は生け贄を出す村には選ばれなかった事に安堵し、生け贄に同情する様な事を口にしていたが、消えた筈の氷壁が復活したのを不安そうに見ながらその様な会話をしていた。

 

 最初から生け贄を出せば助けるという約束が嘘だったとは思っていても口にしない。未だどうにかなるという希望を手放したくないのだ。故に彼らは生け贄が逃げ出したと決め付け、勝手だと責め立てる。可哀想に、どうにかしてやりたい、その様な事を口にして犠牲の上で生き延びる事から目を逸らしていながら、いざ身に危険が迫るとこれだ。

 

 結局、人は他人よりも自分と身内が大切で、それは悪ではない。犠牲となる者からすれば醜悪な存在だとしても、それを悪とは言ってはならないだろう。何故ならそれは当然の事なのだから。

 

「……おい、あれば何だ?」

 

 当然の事と言えばもう一つ。生け贄を出させる為の約束が嘘ならば、今後は続ける事は無理だという事。ならば生け贄を要求した村を放置している筈も無い。今夜は久々の快晴、最初からこれが目的であったかの様に遠目でも月明かりに照らされたその姿を目視出来た。

 

「……騎士?」

 

 足並みを揃え(ランス)や大槌や大楯を手に村に迫り来るのは見慣れぬ騎士鎧の集団。少なくともイエロアの騎士ではなく、他世界からの援軍かと淡い希望を抱くも直ぐに叩き潰される。村に一直線に向かう騎士団はその身を氷で構成されていた。輪郭が明確になれば雪が辛うじて人に似せて固めていると分かる。それともう一つ。彼らは距離を見誤った。もっと遠くに居ると思っていた騎士達は近くに居て、その全長は5メートルに届く。その身と鎧を氷で構成した氷の巨人だ。

 

「っ! 敵襲! 敵襲だぁー!」

 

「全員起きろ! 敵は氷のモンスターだ!」

 

 鐘が鳴らされ篝火が周囲を照らす。夜中に見慣れぬモンスターの襲撃を受けながらも装備を整え出て来た者達の数は多く、見るからに場慣れした様子だ。

 

「者共、よく聞け! 敵は未知のモンスター。恐れ逃げ出すべき相手か!」

 

「否! 打倒可能な相手なり!」

 

「我々は何だ!」

 

「王都を守る最終防壁! 砂鯨の侵攻を幾度となく食い止めた誇り高き騎士団なり!」

 

 魔族とは人にとって抗う事が不可能とされる脅威。何百年も前から心に刻み込まれた恐怖は振り払う事は不可能。ましてや村を囲む高い氷壁を作り出す敵を相手に立ち向かう事は出来なかった。だが、姿を現し向かって来る相手は別だ。助かるかも知れない場合なら兎も角、戦わなければ生き残れないのなら彼らは立ち向かう。この村は彼らが口にした通り、騎士が常駐する場所。戦う為の準備は常にされていた。

 

「引き付け……放て!」

 

 巨人への初撃投石機が選ばれた。但し、放つのは石ではなく壷。大きな壷が次々と飛び、紐を結び付けた小さい壷を振り回した騎士が前方に向かって放つ。避ける事も防ぐ事もせずに只前進する巨人に命中して中身が飛び散る。入っていたのは水ではなく油。それでも一切の反応をせずに進軍する敵に対し、次手に選ばれたのは火矢であった。

 

「放て! 放てぇええ!!」

 

 声を荒げて叫ぶ団長の指示の元、巨人達に火矢が降り注ぐ。単なる氷ならばさほど効果が無かったであろう火矢は降り掛かった油によって巨人の体を燃え上がらせ、前方から溶けて崩れ出した。

 

「勝てる! 恐れるに足らぬ者達だ!」

 

 砕けた仲間を踏み越えるも足が溶けて前のめりに倒れ、後方から来る仲間に踏み砕かれる。機械的に進み倒れ続ける相手に村の騎士団から歓声が上った。勝利の希望が見えて来た。敵は未だ数多く居れど負けはせぬと志気が上がったその時……。

 

 

「おい、何か様子が変だぞ……」

 

 最初に気が付いた男が前方を指さす。火によって融解した氷は水溜まりとなって点在していたのだが、それが水蒸気の様に宙を漂い後続の巨人に吸い込まれる。鎧は更に分厚くなり、芽生えた希望の芽を踏み潰そうとせんとばかりに膨れ上がった鎧を目にし、誰かが弓を手落とした。

 

 巨人の名はスノーゴーレム。他者を犠牲に得た仮初めの希望を絶望へと変えるべく魔族ディーナ・ジャックフロストが放った精鋭の眷属だ。

 

「臆するな! 勝てぬ敵ではないぞ! 背後を見ろ。傷付けてはならぬ者が居る!」

 

 挫けそうな騎士達を団長が一喝し、背後を指し示す。其処に存在するのは暮らしている村、居るのは家族だ。消えかけた闘志の炎が再び燃え上がり、巨人に向けて再び油が入った壷が放たれる。続いて降り注ぐ火矢。巨人達の体は再び激しい炎に包まれる。

 

「やった! そうだ、このまま押し切れば勝てる!」

 

 例え倒した巨人の体を吸収して強くなろうとも火が弱点ならば勝ち目は十分ある。村には一歩も踏み込ませないと気合いを入れた時、巨人達の足下の雪が盛り上がって新たな巨人が現れる。そして、炎に包まれた巨人が身震いすると炎が消えた。表面が僅かに溶けているだけだ。

 

「未だだ! 火が通じぬなら押し潰せ!」

 

 だが、騎士達の心は挫けない。信頼する団長の号令で次々と岩が運ばれ投石機で放つ。巨人に比べれば小さいが命中すれば十分な損壊を与えられると誰もが確信していた。

 

 

「……え?」

 

 巨人が片腕で岩を受け止め投げ返す。肉が潰れる音が耳に入り騎士が横を見た時、団長が立っていた場所に岩がめり込んで血が飛び散っている。思わず間抜けな声が出て、心が折れる音がした。

 

「終わった、もう駄目だ……」

 

「今すぐ逃げれば……でも、何処に?」

 

 立ち向かう気力は残っていない。何せ一度折れた心だ。その上、信頼していた団長を失って倒せる見込みの無い相手に誰が立ち向かえると言うのだろうか。揃った足音は空気を振るわせながら村へと近付き、既に半狂乱になって巨人に無謀な突撃を行う者、何とか家族と逃げる為に家へと駆ける者、その場で膝を折る者に別れる。彼らに共通するのは村が滅びると認識している事。そして、自暴自棄になって武器を振り回す騎士に対して巨人が大槌を振り上げ……左右に両断された。

 

 

 

 

 

「……ほほぅ。矢張り核が存在したか。さて、全て同じ場所に有れば良いのだが」

 

 左右に分かれ倒れる巨人の内部から出現した白い球体。二つに割れた核はボロボロと崩れれば両断された雪の体も崩壊する。静かな声で告げる彼に助けられた騎士が腰を抜かした状態で異様な物を見る目を向ける中、漠然と前進するだけだったスノーゴーレムの動きが一変する。三体のスノーゴーレムが大槌を振り回し、驚異となる彼へと襲い掛かった。

 

 それを彼は僅かに後退しながら避けて行く。小指一本の長さにも満たない距離を鋼にも匹敵する強度の大槌が通り過ぎるも臆した様子は見られず、逆に腰を抜かした騎士が動けないと見るや彼から遠ざける様に誘導して動く余裕すら有る。中央の一体が一歩前に進み出し真上から振り下ろせば凍り付いた地面が衝撃でひび割れる。懐に潜り込んで突き出された刀の切っ先が分厚い装甲を貫き通し核まで届いたのは同時だった。

 

 直ぐ様崩れる雪の肉体を突きを放った姿勢の彼が被る中、左右から大槌が挟み込もうと振るわれる。激突音が重く響き、跳んで避けた彼は大槌を振るった二体の間をすり抜けて着地、前方へと向かい後方の二体には一切意識を向けない。一迅の風が吹き、全身に切れ目が入った二体は崩れ落ちた。

 

「……さて」

 

 前方から突き出された槍の上に飛び乗って胴体を両断、前方に跳躍しようとするかに思えた彼は突如後退する。彼を迎え撃とうとしていたスノーゴーレムが前進し、上空から矢が降り注いだ。一体が矢が向かって来た方向に頭を向ける。月光を背にした所で眩む目は存在せず、弓に矢をつがえた相手を認識するのだが、もし彼に人と同様の思考回路と目が有ったならば目を見開いて固まっていた事だろう。

 

「助かりました。あれだけ倒して貰えば核の場所が分かる。全て同じで良かったですよ」

 

「お膳立てはしたのだ。そうでなくては困る」

 

 矢はスノーゴーレムの体を易々と貫通、外からは認識不可能な核を正確に射抜いた射手は突き出された刀の峰に着地。言葉を交わして即座に跳ぶと同時に刀が振り抜かれ彼自身が矢の如く迫り、空中でも矢を放ち続けた。限りがある筈の矢は矢筒から無尽蔵であるかの様に尽きる事は無い。同様に矢は一本残らずスノーゴーレムの核を正確に捉え、スノーゴーレムの陣形の中央に穴を開けた。

 

 地面に着地し、滑りながら勢いを殺した彼が居るのは開いた穴の中央。当然の如く包囲され、押し潰そうと殺到する。それに対して彼は逃げ出す事なくその場に留まり右足を軸に回転、速射の連発により前方向に矢を放った。包囲網を狭めれば当然の如く前方に出られる数は減る。スノーゴーレムの巨体ならば当然であり、瞬く間にその総数を減らし始めたスノーゴーレムが後退を始めた。

 

「な…何なんだ、彼らは……」

 

「敵ではないのだろうか? ……色々な意味で敵に回したくないな」

 

 そして、残念な事に騎士達には考える頭があり、目の前の物を見る目を持っている。だから突如現れてスノーゴーレムを蹂躙する二人の姿を認識する。何故かは不明だがキグルミ姿だった。

 

 

「只の木偶人形かと思いきや、思考能力が有るのか?」

 

 刀を水平に構える彼は猿。武者鎧に武者兜を装備した頭も胴体も丸く大きく、手足だけが本人の物だ。アンバランスさがコミカルさすら感じさせるも剣の腕に影響が出た様子は無く、彼にとってはこの程度障害ですら無いのだろう

 

「どうやら司令官が存在する様子。ですが、何度倒しても別の個体に指揮権が切り替わるらしい」

 

 弦を引き矢を放ち指揮官らしい個体を倒すも別の個体が全体を見渡せる場所に移動するのを見て溜め息混じりなのはヒトデのキグルミであった。指の一本すら存在しない真っ赤なヒトデのキグルミにも関わらず一切の曇りが見られない彼の矢の腕はどれ程の物なのかと思わせる。

 

 両名とも間違い無く英雄と称するに十分な力量の持ち主。村を襲うスノーゴーレムに挑む所を見れば内面も問題無さそうだ。

 

 

「……いや、どうしてキグルミなんだ?」。

 

 そう、それ程までに強い彼らだがキグルミ姿。それだけで色々と台無しになっていた。

 

 

「……ほぅ。奴ら、最後の攻勢に打って出る様子だぞ」

 

 猿が顎でしゃくった先では楯と槍を構えた個体を前方に、先程まで揃っていた足取りを荒々しく乱れさせながら突進して来る。それが真横から吹き飛んだ。

 

 

 

「はっはー! もう俺様の出番だよなっ! 出番でなくても暴れるけどな!」

 

「……また出た」

 

 現れた三人目の援軍、これもまたキグルミだ。発言からして機を見て突撃しろとでも言われていたらしく、身の丈よりも大きい戦槌を振るって大暴れする姿がその理由だろう。硬度と巨大な肉体からかなりの重量だと思われるスノーゴーレムが宙を舞い、凍った地面が激しく砕け散る。

 

 

「はっはー! 楽勝楽勝!」

 

「……奴も単独相手なら連携が出来るのだがな」

 

「相手が複数になった途端にあの有り様ではね……」

 

 キグルミ故に顔は分からないが二人が呆れ顔を向けているのは間違い無いであろう。既にスノーゴーレムは数を半分以下に減らしており、残りも縦横無尽に暴れる彼が直ぐに片付けるだろう。技量という点では二人が上だが単純な身体能力では軍配が上がるであろう彼の立ち位置はこの会話から把握出来そうだ。

 

 

 そんな彼のキグルミは二人に比べ些か異彩を放っている蜘蛛のキグルミだ。造形への力の入れ方が違い、色彩や全体のバランスに至るまで忠実に本物を再現している。わざとらしく背中に存在する巨大なチャックさえ無ければ蜘蛛のモンスターであると誤認されるだろう。まるで蜘蛛が苦手な相手を驚かせる為だけに用意した様なキグルミを着た彼の大振りの一撃が最後の一体を粉々に破壊し、村に一歩も踏み入る事無くスノーゴーレムの軍団は壊滅する。そして腰を抜かして動けなかった騎士も落ち着きを取り戻したらしく立ち上がり、ヒトデのキグルミが近寄った事で身構えた。

 

 

「安心してくれ。我々は怪しい者ではない」

 

「怪しい者でしかないから安心出来るかっ!」

 

 相手が村の、自分の命の恩人である事は認識している。だが、騎士は叫ばずにいられなかった。何処からどう見ても不審者でしかないのだから仕方が無い。キグルミ姿で現れる方が悪かった……。

 

 

 

 

 

 

「おいおい、人の店の近くで似た店を出さないで貰えるか?」

 

「別に良いじゃない。商売は自由って話だったでしょ!」

 

 チコイ村に到着してから三日後、村に随分と人が増えた。私達が魔族が陣取っていそうな王都で魔族を倒すまでに生け贄を要求されていた村が襲われる可能性があるからって周囲の村の人達をチコイ村に集めてたけれど、人が増えれば揉め事も増える。今もこうして元から村にいた人と余所から避難して来たお店同士で争っていた。

 

「……さっさと逃げよう」

 

 昨日はどっちが正しいか勇者様に決めて貰おうとか言い出した人が居て巻き込まれたし、同じ展開になる前に姿を隠す。住む場所は賢者様が魔法で用意したから今日の午後には出発する事になっていた。本当は昨日の内に出発する予定だったけど、不安からトラブルが絶えなくって今日まで予定が延びてしまったのは残念ね。

 

 それにしても視線が気になる。私が勇者だって聞かされて半信半疑なのは分かるけど、こうして村を歩けばヒソヒソと私を話題にするのが聞こえて来た。ちょっと心休まる場所を探して村外れまで行くと子供達が遊んでいたわ。

 

 

「神様を~待ち惚け~。王様慌てて探した生け贄、魔族が見付けて……」

 

 聞こえて来たのはイエロアに伝わる伝説を元にした歌。オカリナの演奏に合わせて皆が歌うのを木の陰から聞いていたけど、一人が私に気が付くと歌が止まって皆は別の場所に行ってしまう。多分だけど私が怖いのだろう。だって自分達と変わらない年頃なのにモンスターと戦えるのだから。

 

 

 

「貴女は他の場所に行かないの?」

 

「別に関係ないでしょ、勇者様?」

 

 只一人、歓迎の席で私を責めた女の子、ヒーコちゃんだけは残っていた。手にはオカリナを持ったままで私を睨んでいる。

 

「えっと、私が何かしたかしら?」

 

「言わなくても分かってよ、勇者でしょ。皆、不安なのよ。村がモンスターに襲われて、中にはふざけた格好の三人組に助けられた子も居るそうじゃない。そんな時に頼り無い貴女を見て怖い気持ちを思いだしたのよ」

 

 不機嫌そうに文句を口にするヒーコちゃんだけど気持ちは分かる。本当にあの三人組は何なんだろう。賢者様はアンノウンの部下になったって言ってたけど。私は少し前の会話を思い出す。

 

 

 

「彼らですか? 魔族に魂の芯まで魅了されていた方々をアンノウンが洗脳……ではなく説得して部下にしたらしいです。あの格好はあの子の趣味なので」

 

「あの変な格好に何の意味が有るんですか? 賢者様、もっとアンノウンの動きを見張っていて下さい。ちょっと自由が過ぎませんか?」

 

「私もそれなりに厳しく躾ているつもりなのですか、どうも難しい物ですね」

 

 ……賢者様はそう言うけれど、偶~にメッ! って叱る程度が厳しいのならペットを飼っている人の殆どが虐待扱いになると思う。あの人、妻とペットが絡むと本当にポンコツだわ。

 

 

 

 

「そっか、貴女も不安なのね。でも安心して。魔族を倒して世界を救うって信じて待っていて欲しいわ」

 

「貴女みたいな子供をどう信じろって言うのよっ!」

 

 ヒーコちゃんの手が微かに震えていた。他の子供の事を気に掛ける優しくて面倒見の良い子だけれど、この子も子供だから当然ね。だから私は彼女の目を見て告げる。少しでも安心して貰おうと口にした言葉には本音が返って来るけれど、私は静かに顔を横に振った。

 

 

 

「貴女が信じるのは私じゃなくて賢者様よ。あの人の力は見たでしょ? 私じゃなくて、私を信じてくれる賢者様を

信じて私に任せて。勇者の使命を必ず果たしてみせるから」

 




なろうは十八時に追記有りバージョンを投稿予定

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心に芽生えし想い

 送り出したスノーゴーレムが全滅したのを感じ取り、外を眺め窓に手を当てる。砂漠の世界でも適応出来る様にと眷属の為に降らせ続けている雪は家主の居ない家屋を押し潰す。その様子を私は無感情に見詰めていた。

 

「今日か明日、遅くても明後日ね。それで終わるわ。……かはっ!」

 

 それは勇者が到着するであろう日であり、私の命が終わるであろう日だ。最悪なまでに相性が悪いこの世界に居るだけで私の命は削られ続けている。更には減衰した力を無理に使っての目の前の光景。例えるならば熱し続けている鉄板の上に巨大な氷を置き、溶けている横合いから削る様な物。咳と同時に赤い氷の結晶が次々に口から吐き出される。凍った血は極寒の城内で溶けずに床に転がった。

 

「……これも報いなのかも知れないわね」

 

 死を前にして悟ったでも言うべきなのか少し考えが変わっていた。人を苦しめる事に罪悪感を覚えた訳では無い。只、自分が中途半端な決断をした結果、親友も失い自らの死期を早めたのだと思った。

 

 本当に親友を助けたかったのならば派遣された場所とは他の世界に派遣可能な眷属を貸し出すのではなく、裏切り者になったとしてもルルを連れて逃げるべきだった。魔族の繁栄の為と言い訳をしないで、逃げろと言っていればあの子は死なずに済んだかも知れないのに。私が戦いを後押ししたから逃げずに戦ったのだ。

 

 そして、親友を捨て駒にする事に反発し、下に就けども逆らわずの意志を示した結果、見せしめにされて自分の命をすり減らした。親友の為に全てを投げ出す事も、割り切って従属する事もしない中途半端。散々あの子に馬鹿だと言ったけど、一番の馬鹿は私ねと自嘲し苛立つ。八つ当たりで窓を叩き割れば冷たい風が入り込んで来た。

 

「一度帰ったのに何用かしら? 今の私は虫の居所が悪いのよ」

 

 自分への苛つきを感じている時に嫌いな相手の気配を感じて更にイライラが増して行く。ついさっきまで確かに誰も居なかった場所にビリワックがお辞儀をした姿で立っていた。相変わらずの神出鬼没だが、どうも感覚も鈍くなって来たらしい。この世界に来る前ならば現れる前兆で存在を関知出来た筈だ。

 

「先程主の(メェ)を受けまして。ディーナ様が死に掛けているのは心が痛むので、魔王様に再び忠義を誓うかどうかの確認に参りました次第で御座います。あの御方は全ての同胞を想っていらっしゃいますので」

 

 相変わらず何を考えているのか分からないが声からは主と仰ぐ奴への敬意と忠義が感じ取れる。魔王でさえ主が仕えているという理由で従っている程だ。それが腹立たしい。彼奴の、ルルを捨て駒にする様に進言したのは目の前の男の主なのだから。

 

「その同胞には下級魔族は含まれないのでしょう? 残念だけどお断りだわ」

 

 ビリワックの主と私とでは同族に対する考え方が違い過ぎる。魔族であるならば個人的な好き嫌いや上下関係こそ有れど全てが仲間だと言うのが私。ルルを侮辱していた氷柱でさえ死んでも良いとは思ったが積極的に殺そうとは思わない。だが、彼奴は違う。魔族の繁栄の為の犠牲と銘打って下級魔族を使い潰して消そうとしている。同じ魔族である事さえ腹立たしいとしてだ。

 

 そんな奴が魔王様からの信頼が一番厚いのだから厄介な話だ。現に反発する私を死地に追いやったのだから。

 

「……それは残念。主もさぞ嘆かれる事でしょう。ですが、このまま勇者に打倒されれば功績を挙げさせ封印に一歩近付いてしまう。なので特別な贈り物をご用意しました。門前をご覧下さい」

 

 白々しいと睨みながらも言われるがままに門の方に視線を送る。其処には怪物が鎮座していた。城の内部に入れば天井に頭の角が刺さってしまいそうな巨体。獅子の頭に山羊の角、ドラゴンの翼と両足、胴体は熊で尻尾は蛇。何よりも内包された呪いの力が凄まじい。

 

「どうでしょうか? 名をカースキマイラ、勇者打倒の一助となるでしょう。……まあ、実は未完成で、ある()()を食べさせて完成となります。さあ、どうぞ近くでご覧下さい」

 

 ビリワックやその主が何を考えているかなんて分からない。どうせ下らなくて吐き気のする内容だろうけど構わなかった。どうせ中途半端な行動の末に何もかも失おうとしている落ちぶれた身だ。せめて同胞の為にならん事を。私は無表情のままカースキマイラの所まで進んで行った。

 

 

 

 

 

 キグルミはこの六色世界では祭事の時に纏う特別な衣装になっている。その始まりは三百年前、この世界で(実際は異世界の人だけど)最初に神様に選ばれた勇者キリュウ、つまり賢者様が自らの故郷に存在する風習だと口にしたのが始まりだと聞いているわ。人でも獣でもない存在になって神に祈りの舞を捧げる、そんな特別な衣装なのだけど……。

 

「あの人達、何時までキグルミ姿なのかしら?」

 

 アンノウンの部下になったらしい三人だけど、そのアンノウン自体が賢者様と六百六十五人の神様が創り出した存在だからキグルミ姿になる事自体は不思議では無いのだけれど、脱いで食事をする様子もお風呂に入る様子も無いのよね。……いや、どっちにしろキグルミ姿のままなのは変よ。

 

 なので賢者様に訊いてみたわ。だってアンノウンだと真面目に答えてくれないだろうし、女神様は理解しているかどうか疑問だもの。……本人達は色々な意味で話し掛け辛いし。

 

「あの三人ですか? アンノウンが許可しない限りは脱げませんよ。キグルミ自体は食事時には口の部分が開きますし、体も自動洗浄、トイレも自動的に体内から転移する優れ物ですから大丈夫ですよ。因みに快適な温度と湿度を保ちます」

 

「何ですか、その一家に一体の便利なキグルミは? ……まあ、絶対に要りませんけれど」

 

 ヒーコちゃんに私の決意を伝え、そろそろ出発時刻が迫る頃、アンノウンが無茶苦茶な存在だと改めて理解させられた。うん、流石は賢者様の使い魔ね……。

 

 これから三人は私達の旅の手伝いをしてくれるらしい。あまり転移をしていたら直ぐに来なかったと責められるし、私達が行けない場所や危険だけど残れない場所の防衛や情報収集、勇者が向かうって伝言を頼む事も有るし、偶に召喚して私の稽古相手をするとも聞いている。正直、同行するんじゃなくて安心しているわ。蜘蛛とか以前に近寄りがたいもの、あの人達って。

 

 

 

「あの、今更ですけどあの人達はどうしてキグルミ姿なんですか?」

 

「あの三人は一度私を襲っていましてね。それに対するお仕置きと趣味だそうですよ。アンノウンは良い子ですから主の私を傷付けようとした相手が許せないらしいです。まあ、心を入れ替えて働くならば恩赦も有り得るそうですが」

 

「お仕置きと趣味の割合はどっちが多いのですか?」

 

「きっとお仕置きの方でしょう」

 

 絶対違うと思う、とは無駄だから言わない。そんな風に会話をしながらも出発の準備を進めていた時だった。手に包みを持ったヒーコちゃんが来て私に差し出して来たのは。

 

「……私は食べ飽きたからあげる。お腹が減って力が出なかったら困るし、オヤツにでもすれば?」

 

「うん! ありがとう」

 

 包みの隙間からはドライフルーツが沢山入った焼き菓子が見えていて、焼き立てなのか温かいし美味しそうな香りがしている。ご飯は馬車の中で食べる予定だけど今直ぐ食べたら駄目かしら? チラリと賢者様の方を見れば仕方無いとばかりに溜め息を一つ。

 

「……ご飯はちゃんと食べるのですよ?」

 

「はい!」

 

 今日のお昼ご飯は大好きなクリームシチューだし残すはずが無い。馬車の中で食べる前に改めてお礼を言おうとしたのだけれど、ヒーコちゃんは既に遠くに行ってしまっている。大きな声でお礼を言ったけど、聞こえているはずなのに反応が無かったわ。これ作り立てだし、わざわざ持って来てくれたのは責めた事を気にしてだからと思うけど、別にそれ程気にしていないし謝らなくても構わないから素直になれば良いのにと思った時、一つ思い出した…

 

「……ああ、ツンデレって奴ね」

 

 賢者様が広めたのはキグルミの他にもあって、ツンデレもその中の一つ。どうも恋愛対象に素直になれずに刺々しい態度を取る人の事らしいけど。

 

「……あれ?」

 

 その場合、ヒーコちゃんにそう言った感情を向けられている事になるのかしら? いやいや、幾ら何でも違うでしょう。今まで恋愛対象にされた事がないし、誰も対象にした事が無い私からすれば結構重要な問題になる。此処は私の勘違いだとしておこう。……恋愛とかよく分からないし。

 

 育った村にも恋人同士だって人は居たけれど、人の恋愛に首は突っ込まなかったし、今一番身近な賢者様と女神様は極端な例。だから私の知識は精々が本で読んだ位。誰か同年代で格好良いと思った相手は居なかった、そんな風に思ったのだけど一人だけ思い当たる。

 

「いや、気のせいね。勘違いに決まっているわ」

 

 思い浮かんだのはイエロアに到着するなり遭遇した鎌鼬楽土丸、勇者の敵である魔族の顔。真っ赤になっているのが自分でも分かる顔を横に振って勘違いだと振り払おうとする。何時かは戦わなくちゃ駄目な相手だもの。変な事は忘れてしまわないと駄目ね。

 

 モヤモヤする気持ちを忘れ去ろうと包みの中の焼き菓子を口に運ぶ。ドライフルーツと砂糖が沢山入っていてとっても甘い。気を紛らわせるのには十分な味だった。

 

 

 

「……しかし思い出したら腹が立って来たな。ソリュロ様に軽く力を発揮して頂けないだろうか……」

 

 雪を降らしている魔族、恐らく氷柱が口にしていたディーナの所に向かう道中の事だった。外の寒さとは裏腹に暖かい室内で寛ぐ女神様が思い出した様に呟いたのは。女神様は随分と不機嫌な様子でテーブルに拳を叩き付ける。でも、この人に関する話を思えば仕方無いのかも知れない。数百年前に廃れてしまった神への生け贄だけど、最も生け贄を捧げられたのは最高神ミリアス様じゃなくて武と豊穣を司る女神シルヴィア様だもの。

 

 当時、飢饉やモンスターの襲撃に困り果てた人々は豊作とモンスターに立ち向かう為の力を欲して大勢の生け贄を捧げたらしい。そして大勢を生き埋めにしようとした時、降臨した女神が祭壇を破壊して生け贄の無意味さを説いた。だから魔族が出現した時にしか姿を現さないとされていた神様の降臨は今でも伝わり、女神様への信仰を集めているの。

 

 その慈悲深さが見られるエピソードは多くの演劇で使われて、教会には降臨して生け贄になった人達を救うシーンの絵が崇める神様の違いなく飾られている程。私も何度も感動したわ……。

 

「まったく、あの時を思い出すぞ。ちょくちょく遊びに言っている姉様から美味い酒があると聞いて向かってみれば生け贄を捧げようとしているのだからな。適当な事を言って納得させたが。別に私に届く訳でも無く、宴の席でネタにされて苛立っていたのだ。……なあ、ゲルダ。祭壇を壊したのはやり過ぎだったか?」

 

「いえ、大丈夫だと思います」

 

「そうか。少し気掛かりだったのだ。問題が無いのなら結構だ」

 

 毎回思うけど、真実は何時も綺麗なばかりじゃないみたい。憧れは憧れのままで終えていた方が良いのね。それと、気にするのは其処じゃなくって私に色々暴露する事にして欲しい。

 

「……ふぅ」

 

 鏡に映った私は遠い目をしていた。この旅に出てから伝説の知らない方が良い裏話とか、祈りを捧げていた神様達が色々ポンコツだった事を知ってしまったのだから仕方無いと思う。もうあの劇を観ても感動はしないわね。いや、生け贄を助けたのは間違いないのだけれど、何か釈然としないわ。

 

「相変わらず貴女は怒ったり笑ったりと感情豊かだ。私は貴女の全てを愛していますよ、シルヴィア。だから怒っている姿にも心奪われる。……ですが、願わくば笑っていて下さい。その為ならば何でも致しましょう」

 

「……そうか。ならば私を抱き締めていろ。今この時はそれで笑っていよう」

 

 特にこの人前でイチャイチャする初代勇者兼賢者様と初代勇者の仲間だった女神様。今この時は直ぐ側に私が居るのに本当にこの二人は……。

 

「それと、師匠に出張って貰うのは出来れば避けて欲しいです。あの人、優しい方ですから」

 

「お前も優しいよ、キリュウ。だから私はお前を愛したんだ。お前がそう言うならば従おう。お前の頼みならば何でも聞いてやりたいんだ」

 

「ちょっとアンノウンの所に行って来ます。お菓子を分けてあげなくちゃ」

 

 賢者様は女神様を背後から抱き締め、女神様はその手に自分の手を重ねる。私の頼みも一つだけ聞いて欲しい。頼みますから私の前では控えて下さい。でも、多分言っても無駄なので言わずに外に出る。結婚して三百年も経つのに少しは落ち着いたら良いと思うけど、神様だから三百年はそんなに長くないのかも。

 

 

 

「ねぇ、あの二人に注意してくれるマトモな神様って居ないのかしら? せめて私の前では控える様に言ってくれないかしら……」

 

「ガーウ」

 

 雪が積もって道が分からない中、凸凹道も坂道もアンノウンが引く馬車は平然と進む。時々ジャンプするけれど馬車はそんなに揺れず、投げた焼き菓子をパンダのヌイグルミがキャッチしてアンノウンの口に投げ入れていた。吐く息は白いけど賢者様が少し強化してくれた服は寒さを通さない。なので快適な気分のままアンノウンに相談するけれど、何を言っているのか相変わらず分からないので困る。……でも、無理って言われている気はした。

 

「……そう。アンノウンも大変ね」

 

「ガウ!」

 

 よく考えればアンノウンはずっと二人と一緒に暮らしていたし、私より長い期間あの光景を見せられているのだろう。私の言葉に頷いたアンノウンの姿に少し同情するけれど、普段の私への悪戯を考えればしなくて良いとも思う。

 

「それにしても綺麗……」

 

 視界に入る景色全てが真っ白で心を奪われそうな位に美しい。これが魔族の仕業じゃなければもっと素敵なのにと思いながら焼き菓子の最後の一個を食べようとした時だった。アンノウンが急に動きを止める。馬車も急停止して私が手にした焼き菓子が前に投げ出されたのをキャッチした時、目の前に女の子が立っているのに気が付いた。

 

「あの子は魔族……じゃないわよね?」

 

 猫の髪留めを金髪に付けた銀色のゴスロリ姿で私と同年代の女の子。ピンクの日傘で顔は分からないけれど、胸は私より大きい。こんな何時モンスターと遭遇してもおかしくない場所で一人佇む子供なんて怪しいと思う。でも、魔族特有の体臭もしないので大丈夫だと判断した私は取り敢えず安全な馬車の中に招き入れる為に近付こうとした。

 

「ガッ! ガゥウウウウウウウウウウッ!!」

 

 止めろとばかりにアンノウンが吠え、初めて聞くうなり声。目の前の女の子を明らかに警戒する姿は何時ものアンノウンからは想像も付かない。自然と私の足が止まる中、手にした日傘を傾けた事で彼女の幼さが残るけど爽やかな美しさを感じさせる整った顔が顕わになる。何処か育ちの良さを感じさせる気品のある顔だった。

 

 

「内包する力は凄いけど、未だ子供か。別に警戒しなくても構わないのにさ」

 

 幼さが残るのに達観した大人みたいな雰囲気がする声で彼女はアンノウンを見て微笑み、姿を消す。瞬きをした間に私に隣に座っていた。

 

「ほら、大丈夫だろう? 今の私は幻さ」

 

 そっと差し出された手が私の肩に伸ばされ通過する。肘まで入り込んだ所で引き抜いた彼女は見せびらかす様に手を振って私の体を通過させ、再び姿を消す。現れた場所に戻って居た。この時既に私は彼女への認識を改める。少なくても保護が必要な一般人ではなく、アンノウンが警戒するのだから危険な相手で少なくても味方ではないと。

 

「貴女、何者?」

 

「私かい? いやいや、自己紹介はもっと劇的な場面でしようじゃないか。今は秘密にしておこう」

 

 人差し指を唇に当て、少しおどけた様子で微笑む彼女は雪と合わさって凄く綺麗だと思う。だけど、それ以上に言い表せない不気味さも感じていた。

 

 

「今日はお礼を言いたくて来たんだ。ゴミ掃除をどうも有り難う。君と私の宿命が交わる日を楽しみにしておくよ。じゃあ、バイバイ」

 

「え? それは一体……」

 

「何時か分かるさ。まあ、数年先だろうけどね」

 

 最後まで一切敵意を向けず、寧ろ友好的でさえあった彼女。私が困惑しながら投げた問い掛けにもちゃんと答えず姿を消した。掴み所が無く、悪人には思えない。だけど私の勘が告げている。彼女は間違い無く敵であり、今の私では歯牙にも掛けない相手だと……。

 

 氷柱を一人で倒した事で知らず知らずの内に芽生えていた油断を捨て、遠目に見えて来た王都を睨む。決戦の時が近付いていた。

 

 




感想増えて~!


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雪の城内

ビリワックの名前、間違ってました、前回 反省!

なろうの方は二十二話位からコピペ投稿時に書き足し有るので良ければそっちにも あらすじにリンク有ります


「何なの……これは……」

 

 将来敵になりそうな謎の少女との出会いなどの予想しなかった出来事はあったけど、私達は無事に王都メリッタへと足を踏み入れた。でも、自分が今行る場所が本当にメリッタなのか分からない。だって、大勢が暮らしていた筈の街は無残に破壊し尽くされていたのだから……。

 

 此処に来る時、街全てが氷に覆われている位は想像していたし、破壊されて崩れている建物だって有ると思っていた。でも、現実はそれ以上。凍らされた上で徹底的に砕かれていたわ。まるで其処に形有る物が存在するのが腹立たしいとばかりに粉砕され瓦礫とかした建物、地面の至る所に存在する蜘蛛の巣状のひび割れや巨大な獣の爪痕を思わせる破壊の痕跡。そして、瓦礫の隙間から時折覗いている粉砕された人の体の一部。吐き気がこみ上げるけど、怒りがそれを上回る。強く拳を握りしめた時、強烈な獣臭と魔族の匂いが混ざった物が漂って来た。

 

「彼処ですよね。明らかに罠だと思いますが……」

 

二つの臭いが混ざり合って途轍もない悪臭になって鼻が曲がりそう。思わず手で鼻を押さえた時には既に嗅覚が麻痺し始めていた。臭いが何処から漂って来たのか、何処に向かうべきなのかは考えるまでもない。街が瓦礫の山となる中、唯一破壊の痕跡が無い建物。街の面積の三割以上を占める美しい雪の城が堂々とそびえ立っていた。

 

 出入り口は正面の巨大な門。バルコニーから侵入出来そうだけど、多分此処に来た時点で見張られているから意味が無いと思う。正面から乗り込む……しかないよね? これから罠に飛び込むと思うと少し緊張する中、女神様が崩れた建物へと近寄って行った。

 

「よし! 瓦礫を投げて破壊するか。わざわざ敵地に乗り込む必要も無いだろう」

 

 確かにそうなのだけど、女神様が正しいとは思うけど……。私が少し反応に困っている間に、女神様は早速とばかりに片手で巨大な瓦礫を持ち上げて投擲、城門を容易に粉砕した。

 

「さて、五十回も投げれば良いだろう」

 

「いや、駄目ですからね、シルヴィア? 魔族を倒す事も必要ですが、どの様に倒すかも肝心ですと説明したでしょう?」

 

「……そうだったか?」

 

 賢者様の言葉に首を傾げる女神様。えっと、私が勇者だって告げられた時に同じ様な事を言われて、その時に女神様も居たよね? 魔王を倒すだけなら数秒で終わるって。流石に私も賢者様も呆れた視線を送り、女神様はプイッと顔を背けた。

 

「ああ、何と可愛らしいのでしょう。拗ねて誤魔化す姿のシルヴィアにも心を奪われる。ですが貴女には横ではなく私を見ていて欲しい。失敗が有れば私がフォローします」

 

 賢者様は陶酔した様子で女神様へと近寄って手を取り、跪いて手の甲にキスをしました。たちまち顔を耳まで真っ赤にする女神様は普段のイチャイチャする姿が嘘みたいで私でも可愛らしいと思ってしまったわ。私でさえそうだったのだから賢者様は尚更で、女神様が自分の手を握った賢者様の手を頬に当てて目を綴じて触れる手に意識を集中すると立ち上がり、そのまま抱き締めた。

 

「そうだな。お前の顔を見るのに夢中で大切な話をちゃんと聞いていなかったのは反省しよう。同時にお前から目を逸らした事もな。だって、お前は私から目を逸らさずに見ていてくれるのだろう?」

 

「何を今更。例え美の女神である貴女の母でも、世界の誰もが目を奪われる景色でも、シルヴィアの美しさには敵わない。頭を垂れ、どうか見ている事をお許し下さいと頼むべき事です」

 

 互いの目が合い、唇が重なる。極寒の寒さの中、この辺りだけ温度が違っていた。

 

「ねぇ、アンノウン。私、横を向いて聞こえない振りをして良いかしら?」

 

「……」

 

 無言で頷くアンノウンに近寄って一緒に二人から目を逸らして他の事を考える。満足したらしい二人に声を掛けるまで今晩のメニューについて考えていた。……肉まんが食べたいわね。

 

 

 

 

 

 女神様が投げ入れた瓦礫は門を突き破り、そのままの勢いで幾つもの壁を貫通して止まっていた。内部は狭い通路がグネグネ曲がって遠回りする造りになっていたけれど壁の穴を通って奥へと進む。でも、少しだけ問題があった。

 

「わっ!?」

 

 雪見蟷螂の頭を叩き潰した瞬間、踏み込んだ足が床に深く沈む。見た目では分からないけれど堅い雪の床の一部が凄く柔らかい雪になっていて、少し力を入れて踏み込んだら足が沈んでバランスを崩す。その隙を狙って巨大な蜻蛉型モンスターのスノーネウラが襲い掛かって来た。

 

 幼虫の雪大水蠆(ゆきおおやご)は雪大水蠆で雪に潜んで待ち構えるけど、飛んで襲いかかるこっちの方が厄介。咄嗟にレッドキャリバーを投げて片方の羽を破壊して、バランスを崩した隙に足を引き抜いて蹴り上げる。ブーツの先は頭に吸い込まれる様に叩き込まれて粉砕した。

 

 目の前で飛び散る頭部と、頭を失っても数秒間動いた体を見て気分が悪くなりながらも前を見据える。場内に突入してから絶え間なく向かって来るモンスターの大群は尽きる気配すら見せず、逆に増えている様にさえ思えた。でも、それだけ。砂漠の世界に雪を降らせる様な相手と戦おうとしているのに、この程度の相手が群れを成した程度で疲れてさえいられない。

 

「……まあ、準備運動には良いかしら?」

 

 決して虚勢でも過信でもなく、私自身の力を理解した上での確信。言葉が通じたのか激しくなる攻撃を軽く対処し進む。階段を上り、曲がりくねった廊下をモンスターを倒しながら駆け抜けていると少しずつ数より質に比重が置かれ出した。特にスノーマンは雪の体を崩しても再生するし、熱で攻撃する手段を持たない私は頭を潰して動きが止まった隙を狙って通り過ぎるしかない。体が大きいから何匹現れても同時に攻撃してくる数に限りがあるのが救いだけどちょっぴり悔しかったわ。火の魔法も使える様にしておかないと。対応出来ないから戦いませんって言っていられない状況になってからでは遅いものね。

 

「順調だな、キリュウ。……いや、順調過ぎるか」

 

「最終的に私達が手を出せば良いだけですが、今後の旅に掛かる時間を考えれば避けたい所ですね」

 

 二人の心配は尤もだけど、私には突き進むしか出来ない。未熟な私はやれる事を精一杯やるだけ。そして、やれる事を増やしていけば良いのよ。遂に現れたスノーゴーレムを真正面から迎え撃ち、胸部の奥に存在する核を叩き壊して倒す。突き出される槍は擦れ違う様に踏み込んで躱わし、振るわれる大槌は刃の表面で受け流す。構えた楯は真正面から粉砕。気が付けば床に仕掛けられた罠も僅かな違いを見破って雪質を判断して回避して、新たに用意されていた吊り天井は女神様が蹴りで粉砕、天井に空いた穴を通って上の階層の廊下に飛び移る。

 

 やがて体も良い具合に温まって来た頃には最上階、この雪の城の主が待ち構えていると思う王座の間に続く巨大で豪華な門の前まで辿り着いた。門の前に待ち構えるのは通常の個体の二周り上の巨体を持つスノーゴーレム。多分その強い奴。

 

『『スノーゴーレム・ジェネラル』大量の水分を吸収したスノーゴーレムがより強固で巨大になった個体。核の位置は通常個体と同じ胸部だが、装甲も核も遙かに堅い。通常個体百体の軍団に匹敵する戦闘力を持つ』

 

 解析の結果、今までの相手とはレベルが違う相手だと分かる。苦戦は間違い無いけど、魔族相手の前哨戦には丁度良い。早速挑もうとしたのだけれど、私を手で制して女神様が前に出た。一定距離まで近寄れば反応するのか動き出したスノーゴーレム・ジェネラルが振り下ろすハルバートは城を支える柱と同じ位に大きい。

 

「まあ、少しは私にも譲れ。ふふん! 偶には指導だけでなく手本を見せねばな」

 

 私に顔を向けたままスノーゴーレム・ジェネラルの大質量の攻撃を片腕で受け止めた女神様は不適に笑う。力を込めて押し込もうとしているのか巨体の腕が振るえているけれど女神様は微動だにしない。もう一度振り上げ、更に力を込めて幾度となく角度を変えながら振り回すのだけれど、女神様は僅かに手首を動かすだけで容易に受け止め無造作に振るっただけでハルバートを弾き飛ばす。持ち主の手から放れたハルバートはクルクルと回転しながら宙を舞って床に突き刺ささった。

 

「……さて、お前の力を見せてくれよ、紅蓮暴斧(ぐれんぼうふ)?」

 

 斧を無造作に振り上げた姿勢のまま呟かれた言葉。気が付けば顔には汗が滲んでいる。動き回ったからじゃなくて、間違い無く周囲の温度が上昇している。その理由を間違い無く言い当てる自信があった。女神様の呼び掛けに応えるかの様に赤く輝く斧。あの斧は一体……。

 

「そうですか。漸く使う気になったのですね……」

 

「……賢者様?」

 

 普段のこの人なら空気を読まずに女神様が素敵だの何だの言うはずなのに、今この時は真剣な眼差しで女神様が手にした斧を見ていた。少し離れた場所でも業火の側にいる様な熱気を感じ、触れば火傷では済まなさそうな斧。この様子だと凄い由来を持つ伝説級の武器なのね。それも女神様が温存する程の……。

 

 

 

「あの斧、凄く高価だったのに買っただけで一度も使わずに飾られていただけだったのですよ。……同じコレクター体質の私達夫婦ですが、鑑賞に徹する彼女とコレクションは使ってこそと思っている私。残念ながら其処だけは合わないのですよ」

 

「残念なのは今の私の心境です」

 

 いや、多分鍛冶神の作品なのでしょうけど、色々と想像した私がとっても恥ずかしいわ。

 

「コレクションは保存してこそが私の信条だが、キリュウに合わせるのも悪くあるまい! 何せ私達は夫婦なのだからな!」

 

「ああ! 何と貴女は優しい方なのでしょうか! 今までの想いが恋とは呼べない程に愛しくなりました。やれやれ、酷い方だ」

 

「酷いのは賢者様……あれ?」

 

 私の頭の上にパンダのヌイグルミが飛び乗る。それに気が付かない女神様が好戦的な笑みを浮かべて振り上げれば大した自我を持たない筈のゴーレムが後退りをした。力を封印されようとも武の女神、その力はスノーゴーレム・ジェネラルでは格が違うという言葉すら不足している。放たれる威圧感は本来は感じない恐怖を与えていた。

 

「はっはっはっ! 行くぞ!」

 

 女神様が紅蓮暴斧を振り下ろす……よりも前にパンダの目から光線が発射。スノーゴーレム・ジェネラルの胸を貫通して内部で爆発。音を立てて崩れたスノーゴーレム・ジェネラルの残骸は斧から放たれる熱で溶け出していた。

 

 

「……おい、アンノウン。何をする?」

 

「ガーウ」

 

「いや、パンダビーム、じゃなくて、私が言いたいのは……」

 

「えっと、女神様。門番も倒した事ですし入りましょう」

 

 女神様は不満顔でこっちを向くけれどアンノウンはそっぽを向く。仕方が無いので私が話を逸らせば一旦落ち着いたけど、ご機嫌取りは賢者様に任せよう。勿論イチャイチャするのは目に見えているから私が居ない場所で。夫婦だし、二人っきりの時にまで口は出さないわ。

 

 

「では、此処からはお前の出番だ、ゲルダ。派手に登場して見せろ」

 

 静かに頷いた私は門の前でレッドキャリバーとブルースレイヴを構える。折角だし、少し派手に飛び込みましょう。足に力を入れて跳躍、勢いを乗せて交差する懇親の攻撃を叩き込めば門が内側に向かって吹き飛んだ。予想では少しくらいは面食らった魔族の顔が見られると思ったのだけど、王座の間には魔族らしい姿は存在しない。代わりに居たのは巨大な獅子のモンスターだった。

 

『『カースキマイラ』強い憎悪を持った者を核にして完成するキメラ型モンスター。その力は……』

 

 解析で分かるのは途中まで。今の私では詳しい情報を得る事が出来ない位に強いらしい。未だ麻痺している鼻だけど多分悪臭はカースキマイラから漂って来ているのね。今まで戦いの時に頼りにしていた嗅覚が存分に使えない事に不安を感じつつも様子を窺っていた時、女神様がカースキマイラを指差して呑気そうな声を出した。

 

「なあ、アレはモンスターだな?」

 

「ええ、そうですね」

 

「じゃあ、ゲルダが頑張って倒しても功績は大して稼げないのか?」

 

「修行にはなるでしょうが、残念ながら。封印の術式の判定は厳しいですから。あのモンスターの正体が何であれ、モンスターならば人が今襲われているのを助けるでもないと……」

 

 

「其処まで聞けば十分だ。さっさと終わらせて二人っきりになろう」

 

 賢者様の説明の途中で女神様が飛び出す。カースキマイラの鬣が反応してザワザワと蠢くのだけど、女神様はその時には既にカースキマイラの正面で斧を振り下ろしていた。蠢く鬣が静止して、続いて体が左右に別れて倒れる。まるで絵を切り裂いたかの様に後ろの床から玉座の背後の壁まで斬撃は伸びて断面から炎が噴き上がった。

 

「えっと、終わった……?」

 

 待ち構えていると思っていた魔族のディーナの姿は見えないけれど、如何にもな様子で鎮座していたカースキマイラを倒したし別の場所に移動すべきかしら? それとも近くに隠れて様子を窺っている? でも、それなら賢者様が直ぐに発見するし……。

 

「え?」

 

 両断されて左右に倒れて燃え上がるカースキマイラ。炎の熱で部屋の雪が溶け始めた時、死骸がゆっくりと起き上がって結合する。そのまま軽く身震いすれば傷一つ無い姿のカースキマイラが立っていた。

 

「成る程。再生能力が高いタイプか。……おっと」

 

 身軽に飛び退いた女神様がさっきまで居た場所目掛けて鬣が針みたいに飛んで床に突き刺さる。突き刺さった場所を中心に凍結する中、その顔面に女神様の膝蹴りが叩き込まれた。衝撃が顔面の中央から胴体を突き抜ける。真っ二つにされた上で燃え上がっていた王座が吹き飛び、壁に大きな穴が開いた。カースキマイラは内側から弾け飛んで周囲に飛び散ったけど、再び寄り集まって元の姿に戻った。

 

「此奴は原型が殆ど残っていなくても再生可能なタイプか。三百年前も何度か戦ったが面倒だな。時間が掛かればキリュウと過ごす時間が減るではないか」

 

 振り抜かれた前足には長く鋭利な爪。サイドステップで躱せば三っつ並んだ斬撃が飛んで床に深い爪痕を残す。軽々と避け続け、何度も頭を蹴り砕く女神様だけどカースキマイラの再生が収まる様子も無く、女神様の機嫌が明らかに悪くなった時、その体が浮き上がった。

 

 

「言ったでしょう、愛しのシルヴィア。不機嫌な貴女も素敵ですが、何より心を奪われるのは笑っている姿だと。大して得にもならないモンスターの相手など私が引き受けますよ」

 

 ジタバタ暴れるカースキマイラだけど半透明の球体に閉じ込められて降りられない。賢者様は指を開いた右腕を前に突き出していて、それを握れば球体が一瞬で収縮、見えない程に小さくなってやがて消えた。

 

「ふふふ、流石だな。では、褒美に背中でも流してやろう。当然お前も私の背を……いや、未だ早いか」

 

「成る程。そっちのタイプでしたか」

 

 球体が消え去った空間に紫色の煙が出現して、それが膨れ上がってカースキマイラへと変わる。不死身かと思った私だけど二人とアンノウンは随分と落ち着いていて、賢者様がカースキマイラの額を指差した。其処に有ったのは人の顔。紫の髪をした、普通にしていれば綺麗だったと思うお姉さん。でも、今は目が血走り獣みたいに歯を剥き出しにして理性が感じられない。

 

 

 

「コロス、コロス、勇者、コロスゥウウウウウウ!!」

 

 額に出現した顔の口が涎を飛ばしながら開き、途轍もない憎悪感じさせる声が響き渡った……。

 

 



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我、忘れる事なかれ

 紅蓮暴斧の一撃によって発生した業火は天井を突き破って外にまで届いていた。既に天井は融解を始める中、宙に浮いた椅子に座って城の様子を眺める者が居た。アンノウンとゲルダと出会った例の少女だ。その横には紅茶のカップとポットを乗せた銀のトレイを手にして立っているビリワックの姿もある。

 

「おや、随分と恐ろしい。実際に戦うとなれば苦戦は免れないな」

 

「いえ、向こうが此方を倒す気で来るなら負けは確実でしょう。……正直言って戦うだけならば我々の敗北が確定しています。ですが、正面から戦う必要は無いのですよ」

 

 只倒すだけでなく勇者が功績を挙げる必要が有る相手側に対し、魔族の勝利条件は勇者を殺す事。どうしても正面切って戦わなければならない勇者を、賢者の妨害を掻い潜ってどう殺害するか。搦め手を思案するビリワックだが、それを察したかの様な呟きが聞こえた。

 

「……面白くないな」

 

「は?」

 

「あの子は強くなりそうなんだ。仕掛ける内容は私に相談してからだ。良いね、ビリワック」

 

「はっ!」

 

 一瞬言われた意味が分からなかったビリワックは思わず聞き返すが、目的達成の妨げになるであろう命令に対して迷わず頭を垂れる。その瞳には一切の迷いが無く、少女が満足そうに微笑んだ時、思わず身を震わせる程の魔力が城内から発せられた。

 

「……何と恐ろしい」

 

「……何と素晴らしい!」

 

 只、同じ身震いでもビリワックは恐怖からであり、少女は目を輝かせての武者震い。今にも飛び込みたいと身を乗り出した少女だが、ビリワックは慌てて肩を押さえた。ディーナには感情が読めないと思われている彼だが、どうやら彼女相手では話が変わるらしい。苦労をさせられているという形だが感情豊かに振る舞っていた。

 

「本当にお止め下さい!」

 

「放してくれ! あの凄い魔力の使い手の顔が見たい!」

 

「主の(メェ)でもこれだけは……そうだ! 今、カースキマイラと融合しながらも親友であるルルの敵を討とうとディーナが戦っている最中ですし、此処は遠巻きにしなければ野暮でしょう!」

 

「……それもそうか。同朋の戦いを邪魔するのも前座扱いするのも良くないね」

 

 

 どうやら説得に成功したらしく大人しく椅子に身を預ける主の姿にホッと胸を撫で下ろす姿からビリワックが普段からどれだけ苦労しているかが伺える。カップの紅茶が無くなるなり次を注ぐビリワックだが、彼女の首を傾げて唸る姿に嫌な予感がしていた。

 

「……なあ、ビリワック。所でルルって誰だっけ?」

 

「いや、貴女様が捨て駒にした……いえ、気になさる必要は御座いません。ゴミ箱にどんなゴミを捨てたかなど忘れてしまって構わないのですから」

 

「失敬だなぁ、君は。ゴミ箱に捨てたゴミの事くらいはちゃんと覚えているさ、私は。……まあ、君が言うなら本当に無価値で無意味で無駄な存在だったのだろうね。それにしても惜しいなあ。私が少しでも無能なら別の誰かが魔王様の側近をやって、私は勇者達の相手をしていただろうにさ」

 

 彼女は笑う。何時の日か、楽しいと思える程に成長したゲルダが自らの前に現れるのを期待して胸を躍らせながら。そして彼女は使い捨てにしたルルを嗤わない。記憶に留める程の価値を見出して居なかった故に。

 

 受けた命令を誇りにして命を散らしたルルも、その彼女の死を悼むディーナの想いも、彼女にとってはゴミ箱に投げ入れたゴミ程の価値も感じられない様だ……。

 

 

 

「ああ、楽しみだ。実に待ち遠しい。命が散り、命を散らす激闘。それを楽しめるなら私の命も、魔族の繁栄でさえも喜んで投げ出そうじゃないか!」

 

 

 

 

 

 勇者になって敵意を向けられる覚悟も、救えなかった人達から責められる覚悟もあった。少なくても、それがどんな物かも分かっていないけど覚悟はしていた筈だった。

 

「ヨクモ、ヨクモ、アノ子ヲ! 私ノ親友ヲ殺シタナ!」

 

 カースキマイラの額に出現した誰か。分かるのは悲しんでいる事。凄く凄く大切な人を失って、私があの人からその人を奪ったらしいと言う事だけだった。

 

「……そう。貴女にも大切な人が居たのね」

 

 魔族は人の負の感情が集まった淀みから現れ、本能から人を害そうとする。私が最初に倒したルルって魔族もそれに疑問すら持っていなかった。絵本でもお芝居でも魔族はそんな存在。……だから、理性を失っているのに悲しそうに泣く位に死を悲しむ相手が居るなんて想像すらしていなかった。

 

「ねぇ、無駄だとは分かっているけれど、貴女の名前を教えて。死を悲しんでいる人のも」

 

 聞こえていないのか返事は返ってこない。それでも私は彼女に聞かなければ駄目だと思ったの。でも……。

 

 

 

 「止めておきなさい。あれは自我など残っていない。モンスターに取り込まれ、僅かに残った想いが外に出ている、それだけです」

 

 気が付けば救世紋様を出現させ、両手に武器を構えて進み出していた私の心なんて見透かしたみたいに賢者様が告げ、私は思わず足を止めた。

 

「これは迷いになるだろうからと言うタイミングに迷っていましたが、魔族にも友を作り恋をする心が有ります。ですが、それでも止まる訳にはいかない。……辛いでしょうに申し訳ない」

 

「あ、頭を上げて下さい! あの…せめて元に戻せは……」

 

「無理です。既に魂レベルで融合している。賢者だのと呼ばれていても、神に力を与えれた多少魔法の才能があった人間が三百年ぽっち修行をしたに過ぎないのですよ」

 

 例え残滓だとしても想いに向き合いたいという私の願いは叶わないらしい。きっと同じ想いをした経験が有るんだと思わせる顔で頭を下げた賢者様もディーナらしい魔族の今の姿に思う所が有るらしい。人は本当に無力だと悔しさで唇を噛みしめた。

 

「おい、もう倒して良いのか?」

 

「……ええ、エネルギーが残っている限りは魂を砕かれでもしない限りは復活するタイプですが……エネルギー源を隠す余力も無いのなら直ぐ終わるでしょう」

 

 私の言葉が聞こえていたのか、振り下ろされた前足を避けるなり踏み付けてカースキマイラの動きを封じていた女神様が斧を振り上げる。紅蓮暴斧から放たれる熱の影響か足下の雪が柔らかくなり、天井からは滴が垂れて来ていた。もう少し時間が経てばこの雪の城は崩れるのでしょうね。

 

 

「女神様! 私に戦わせて下さい!」

 

「ん? 別に構わんが稼げる功績は少ないし、お前からすれば強敵だ。……それに、戦っても想いに向き合う事にはならない。所詮は自己満足だぞ、四代目?」

 

 ゲルダ、と普段は名前で呼ぶ女神様が私を四代目と、勇者と呼ぶ。何を伝えたいか分かっている。世界の命運を背負う身を自己満足で危険に晒すのか、暗にそう告げられているのだ。思わず後退りして、短慮だったと女神様に任せたくなる。だけど、泣き叫ぶ声がまた耳に届いた。

 

 

「……私より強い、だからこそ挑みます。賢者様と女神様に一々敵を選んで貰って安全に強くなっていたら強くなるのが遅くなる。自分の無力で救えたかも知れない人を救えないのは嫌なんです!」

 

「それは傲慢だ。最高神ですら全知全能ではない。背負い過ぎれば潰れるぞ、身も心も」

 

 私の言葉に返す女神様の声は冷たい。賢者様に甘える時とも、私の世話を焼いてくれる時とも違う。女神様が本当に神様なのだと改めて認識させられる、正に神が人に向ける時の声だった。

 

 女神様を振り払い暴れ出そうとするカースキマイラが鬣の毛を飛ばし、牙をガチガチと鳴らすけど女神様は気にする様子もなく私と目を合わせる。今直ぐにでも目を逸らしてしまえと心の中で声がする。一時的な感情で何を無駄な事をしているのだと。

 

 

 

「……それでも、それでも構いません! 私は強くなって、全て乗り越えてみせます!」

 

「ならば良し! 思う存分戦え、ゲルダ!」

 

 女神様は私の名を呼び、何時もの快活な笑みと声と共に飛び退き、私も駆け出していた。

 

 

「貴女が誰か私は知らない、もう知る機会が無い。でも、きっとディーナなのでしょう? だから貴女をカースキマイラじゃなくてディーナと呼ぶわ。私はゲルダ・ネフェル、貴女を倒す勇者よ!」

 

「ヨクモ、ヨクモ!」

 

 もう目の前のディーナには自我が無い。誇りも踏みにじらている。感傷に過ぎないけれど、それでもせめて名前で呼んであげたかった。モンスターじゃなく、友達を想う心を持つ魔族として相手をしてあげたかった。

 

「おいで、私の家族達。どうか私に力を貸して!」

 

 真正面から向かって来る私に反応したのかディーナは獅子を激しく動かして爆走、私に飛び掛かる。右前足を振り上げ、接近するなり爪で切り裂こうとしている彼女に対し、羊の宴(シープバンケット)で呼び出した羊達が真下から体当たりした。振り下ろそうと力を下に向ける直前、最大まで持ち上げた瞬間に前足を真上に弾かれたディーナは空中でバランスを崩す。私はブルースレイヴを後ろに放り投げるとレッドキャリバーを両手で構えて突き出した。

 

 この刃に切断する力は無い。でも、無理矢理ねじ込む事は出来る。大きく傾いて隙を見せたディーナの左前足。その鋭利な爪と指の間にレッドキャリバーの先端を差し込んだ。

 

「ギャア!」

 

 爪は堅く、指と密着している為か僅かしか入らない。でも、相当痛いのは間違い無いのか悲鳴が上がり、ディーナはレッドキャリバーが爪の間に刺さったまま暴れ出す。左前足が振り上げられて宙に浮く私の体。このままレッドキャリバーを握っていたら今直ぐにでも床に叩き付けられる。それよりも前にレッドキャリバーに引き寄せたブルースレイヴが私に向かって飛来し、それを強く踏む。私の体は前に押し出され、レッドキャリバーが爪の間深くに入り込んだ瞬間、持ち手を真下に向かって押せばテコの原理で爪が浮き上がった。

 

 必然的にレッドキャリバーが抜けて私は落下を始めるけど、引き寄せたブルースレイヴを掴んで投げて今度はレッドキャリバーを引き寄せる。私をぶら下げたままレッドキャリバーが浮き上がった爪の裏に向かい、激突と共に爪が剥がれて宙を飛ぶ。ディーナの絶叫が響き、私は耳を塞ぎたくなりながらも爪が剥がれた指にレッドキャリバーを振り下ろそうとしたけれど、それよりも前に獅子の方の口から白い息が吹き出した。

 

 視界を覆い隠す白のブレス。真正面から浴びた私に極寒の冷気が襲い掛かる。服の表面に霜が付き、ガタガタと体が震えて動けなくなったけど、容赦無く真正面から牙が迫っていた。

 

「ワン!」

 

 ゲルドバの鳴き声が響き、ディーナの頭上に羊達が飛び上がる。次々と宙を舞う羊達は毛を硬質化させると同時に凶悪な目つきになって、天井まで飛んだ一匹が天井を蹴って猛烈な勢いで落下すれば真下の他の羊を巻き込んでディーナの頭を床に叩き付けた。その隙に残った羊達は私に殺到、ディーナから離れながらフワフワモコモコの体毛で私を暖める。悴んで動かなくなっていた私の手足に感覚が戻って来た。

 

「邪魔ダァアアアアアア!」

 

 ディーナが叫ぶなり鬣から四方八方に毛が飛んで突き刺さる。硬化した羊の毛を貫通しないけど表面には刺さって凍らせる中、私は羊達の体に隠れて接近していた。ディーナが私に気が付いたのは私の間合いに入った瞬間。針みたいに飛ばしても尽きる様子の見られない鬣が蠢き、捻り合わさって槍の様に伸びて来るのをレッドキャリバーの刃の腹で受け止める。少し後ろに押し込まれたけど、既に手は打ってある。さっき投げたっきりのブルースレイヴが引き寄せられ、私に集中していたディーナの側面に命中した。

 

「……貴女にもう少し知能が残っていたら見抜けたでしょうね」

 

 ブルースレイヴが命中した部分周辺から鬣がゴッソリと抜け、其処目掛け羊達が殺到する。対応の為に必然的に出来た隙。今度は私から意識を逸らしたディーナの残った鬣を剃り落とした。

 

 別に強敵と戦うのは楽しいとは思えないし、私には戦いに懸ける誇りなんて未だ理解していない。でも、出来るならば本当の彼女と意志と意志をぶつけて戦いたかったと思う。少なくてもディーナの力と思われる氷の力を使うだけのモンスターなのが惜しく感じたわ。

 

「皆、畳み掛けるわよ!」

 

 私の周囲を囲んでいた羊達が散開する。ディーナの周囲を囲んで縦横無尽に走り回れば狙いが付けられないのか手当たり次第に前足を叩き付け、着弾した雪の床が爆散した状態で凍り付く。尻尾の蛇も鎌首をもたげて巻き付こうとしたり噛みついたりするけれど、横合いから飛び出す別の羊が邪魔をした。

 

 次々に翻弄しつつ殺到する羊達。何度目かの体当たりで右の角を折り、続いて左の角を折る。怒りが頂点に達したのか両前足を上げて叩き付けるディーナだったけど、遂に限界を迎えたのか周囲の床が抜けて崩落が始まった。巻き込まれる様に部屋全体が崩れる中、一塊になった羊達に乗った私はディーナを追う。穴に飛び込めば今まで天井が邪魔で使っていなかった竜の翼を使い私に向かって来ていた。

 

「ディーナァアアアアアアア!」

 

「死ネェエエエエエエエェ!」

 

 空中で両前足を振るえば交差した斬撃が飛ぶ。眼前に迫った瞬間、羊達の背を蹴って跳んだ。私は飛ぶ斬撃の斜線から外れ、羊達もゲルドバも魔法を解除して消え去る。攻撃が外れた事で再びディーナが攻撃態勢に入るけど、私は未だ空中に居る上に武器を投げるにも姿勢が悪い。でも、既に布石は打っている。

 

 空中に出現した魔法陣から伸びる蔦がディーナの体に絡み付いて動きを邪魔する。暴れる程に蔦が絡むけど、全身から吹き出した冷気が蔦を凍らせてしまった。凍った事でディーナの力に耐えきれずに砕ける蔦。稼げたのは数秒。でも、それで十分だった。

 

 突如、壁を突き破って大岩が飛び込んで来た。翼を動かし避けるディーナだけど、この魔法は生憎追尾能力を持っている。避けたと思った所に岩の衝突を受けて仰け反ったディーナの巨体。私の目前に無防備な腹が晒され、落下の勢いを乗せて渾身の突きを放った。

 

 発せられる冷気で全身に霜が付いて髪が凍るけれど力は緩めない。もう魔法の連発と今までの戦闘で疲労がピークな私は今此処で勝負を決めなくちゃ駄目。ディーナの体は私に突きを受けたまま床を突き破って最下層まで落下する。衝撃で私の体は跳ね、受け身も取れないで床を転がって壁にぶつかる事で漸く止まった。

 

「……よし!」

 

 もう起き上がるのも面倒な位に疲れているけれど仰向けになって拳を握りしめる。顔を向ければディーナの体は再生せず、逆にボロボロと塵になって崩れていった。

 

「……私、忘れないよ。貴女の事も、ルルの事も。乗り越えた障害物だって忘れないで、ちゃんと抱えて旅を続けるから」

 

 多分耳も聞こえていないだろうけど、それだけは伝えたかった。天井の穴を見れば賢者様と女神様が降りて来ていて、安心すると同時に寒さが消えて行く。少し暖かくなった事で心地よさを感じた私はそのまま意識を手放した。

 

 

 

「……そう。覚えておきたいなら勝手にすれば?」

 

 最後に聞こえた声は誰の物だったのだろう? 気のせいだったのか、それとも……。

 

 

 

 

 

 

 

「……ふふふふふ」

 

 降らない筈の雪が止み、大地を覆った氷が消え去って半月後、未だ全てが元通りではないけれど、街には笑顔が溢れていた。失った命は戻って来ず、出た影響はこれからも問題を起こす。それでも立ち直ろうとする姿に思わず笑みがこぼれ、露店で買った串焼き肉に齧り付く。

 

「ああ、本当に人間って……」

 

 人通りの多い通りから人の少ない路地裏へと入り込む。綺麗な表通りと違ってゴミが散乱し、時折見かける住民も見窄らしい姿だ。何より目が違う。魔族の影響が有ろうと無かろうと人生に希望を見出していない、そんな目だった。

 

「ヒュー! 近くで見たら凄い上玉だ。……餓鬼だが良い物を持っているしな」

 

「そのドレスは手数料として貰うとして、この嬢ちゃんなら変態親父に売る前に試しても良さそうだな」

 

 振り返れば私を尾行していた男達が近付いて来ていた。奴隷商か人攫いか、どの道マトモに生きる事を放棄した者達。路地裏の住民達は巻き込まれるのが嫌なのか黙って去り、私を獲物と定めた男達は下品な欲望で顔を歪めて寄って来る。

 

 

 ああ、本当に……。

 

 

 

「人間って本当に愉快で愚かだなぁ」

 

 私が微笑むと彼等の影が立ち上がり、持ち主の肉体に絡み付く。目を除いて全身を影によって覆われた彼等はゆっくりと地面に沈んで行く。まるで流砂に飲み込まれる様な事態に陥って目に恐怖の色が浮かぶ姿を見ると本当に楽しい。

 

 

「安心したまえ、諸君。君達は殺さない。これから色々と働いて貰うビリワックへのご褒美にするんだ」

 

 寧ろ死んでいた方が幸せかも知れないけど、幸せなんて人それぞれ。なら、彼等も幸せなんだろうさ。誰も居なくなった路地裏で私はこれからの事を想像しながら鼻歌交じりに歌い出す。それにしても勇者は予想以上に面白くなりそうだ。ビリワックには残った世界に派遣した同胞の編成を頑張って貰わないと。

 

 でも、出来るならば私の所まで辿り着いて欲しい。その時は絶対に面白く死合えるだろうからさ。

 

 

「ああ、私は君に恋い焦がれているみたいだ。……そうだ!」

 

 未だ彼女には名乗っていなかったのを思い出す。だから決めたんだ。次の世界で私のお気に入りのあの子を倒せたら会いに行こう。

 

 

 

「だから、こんな世界なんてさっさと救ってくれたまえ」

 

 その時を想像するだけで身震いがする。もう興奮が収まりそうにない。でも、こんな状態で皆の所には帰れないよね?

 

 

 

 

 

「仕方ない。この街、滅ぼそう」

 

 ああ、何て素晴らしいアイデアだ。そうしよう、今直ぐに!




なろうの方、記念で賞に応募中 あっちもこっちも応援お願いします

今回の追記は戦闘シーン 蛇がもう少し動きます


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古代遺跡の巨人兵
考古学者


新章開幕


「……再起動開始。機能一時停止ノ時間及ビ頻度上昇」

 

 修理の必要性を担当官に報告する必要を確認。速やかに送信するが、以前から応答無し。

 

「守護対象ノ状態チェック。前回以上ノ劣化確認」

 

 王家の墓に収蔵される価値が無しと判断。経年劣化の影響だとデータを添えて再び送信。定期チェックも行われず、業務怠慢の可能性大。担当者の更迭の可能性大。真面目な男だった故に何かがあったと判断。

 

「機体チェック……思考回路ノ損傷進行」

 

 以前から定期的なメンテナンスが停止。修繕作業が行えない程の問題が発生していると判断。警戒レベルを上昇。

 

「恒例行事ノ王族訪問……長期間皆無」

 

 以前は定期的に行われた墓参りに誰も来ない。現在発生している問題を報告しても反応無し。……我が使命を確認。

 

「コノ場所ノ、王家ノ墓ノ守護。侵入者ノ排除」

 

 記憶回路の磨耗により再生不能のデータを確認。約束が有ったのは記録。この場所を守り、再び話をする事。対象の人物……不明。経過時間……不明。

 

 

 問題……無し。

 

 

「守護領域外二侵入者ノ反応。速ヤカニ警告。侵入時……排除」

 

 我が名はタロス、王家の墓守り。存在理由も行動理由もそれで十分、他の思考は一切不要。只、約束を守りたいという意思が発生。役割の延長線上と判断。警告のアラーム及びアナウンスを実行。

 

 

 

 

 

『……哀れですね。仕方無い、私が師匠に怒られれば良いだけです』

 

 今までで二番目の脅威(・・・・・・)に関する記憶の想起を確認。意味は不明。理解の必要……皆無。最大値の脅威発生と現状の関連性……思考の必要は無し。任務を続行する、それが我の存在意義なり。

 

 

 

 

 

 

「わわわわわっ!?」

 

 魔族の仕業と噂された降雪が収まってから二ヶ月が過ぎる頃、全財産と共に砂漠船に乗って旅をしていた私は非常に拙い状況に陥っていた。

 

 砂漠船とは水上ではなく砂の上を走るヨットで、積載量や安全性こそ甲虫車に劣るけど乗り手の腕次第でずっと速く進める上に安価とあって今の私の様に金銭的余裕の無い者の多くが選ぶ移動手段。自分で言うのも何ですが、このイエロアでも屈指の乗り手だと思っています。どんな砂丘でも砂嵐の中でも乗り切る自信があった。

 

 ですが、そんな私でも今の状況は乗り切る自信が有りません……。

 

 

「ブゥ!」

 

「うわっ!?」

 

 何も居ない様に見える砂の上に現れる蹄の跡と真横から聞こえる興奮した豚の鳴き声。続いて横から巨体が衝突した衝撃が襲い掛かって砂漠船が激しく揺れる。砂漠の迷惑者、スケル(トン)が私を砂漠船から叩き落とそうとしていた。

 

 豚は賢い動物だと知っているが、この豚のモンスターは狡賢い。名前の通りに姿が見えない豚で 。思い通りになってたまるかと引き離そうとするが向こうも速い。必死に食らいつき、私を背後より迫る脅威への生け贄にしようとしているのだ。……おのれ、この薄汚い豚め!

 

 お返しにと居るであろう辺りを蹴りつけるけれど手応えが無い。代わりに馬鹿にした様な鳴き声が聞こえて来た。しかも余計な事をしたせいでバランスが崩れて立て直す間に蹄の跡は先に行く。

 

「ヤバい! このままじゃ……」

 

 背後から迫り来る死の気配、砂漠の住人が恐れる生きる災害、砂鯨が大きな口を開けて私へと迫っていた。友人の生物学者から生息域の移動を考慮した安全なルートを聞いたのにご覧の有り様。目は悪いけれど鋭い嗅覚と聴覚を持つ砂鯨に追われていたスケル豚が押し付ける為に私に接近して、今それが成功しつつある。

 

 ああ、もう! 砂鯨は小屋ほどの大きさを持つ鯨のモンスターだ。執拗な性格で獲物を追い続ける反面、消化がゆっくりで胃が小さいから何か他の生物を食べさせれば助かるけれど、スケル豚と砂鯨以外の生物の姿は周囲に見当たらない。つまり、私がどうにかするしか助かる道はないという事だ。

 

 戦う? いや、無理だ。職業戦士が移動ルートで待ち構えて戦う相手だ。荷物を捨てれば軽くなって速度も上がるだろうけど、持っているのは私の全財産。これを失ったらオークションに参加する為に家も土地も手放した意味が無くなってしまう。だけど、再びスケル豚にターゲットを変更させるにも蹄の跡は遠くに見えて、多分もう直ぐ見えなくなる。

 

「嫌だ! どうせ死ぬなら遺跡の罠で死にたい!」

 

 そもそも生物学者なんて信用するからこうなったんだ! 考古学こそが最高の学問だって証明されたな、これで。普段から自分の分野こそが最高だと議論する学者仲間の会合で何時も言い負けている私だが、次は勝てると意気込む。まあ、次が有ればの話だけど。

 

 徐々に砂鯨が接近する。今、船尾ギリギリの所を砂鯨が食らいついた。考古学に殉じる覚悟は有ったけど、こんな所で死にたくない! だけど、もう終わりだと諦め掛けたその時だった。砂煙を上げながら猛烈な勢いで前方からやって来る羊の群れを目にしたのは。……いや、どうして羊が砂漠の中に?

 

 

「ブギッ!?」

 

 あっ、スケル豚が跳ね飛ばされた。ダメージを受けた事で透明化が解除されたスケル豚は空中で姿を現し、頭から砂に突っ込む。体の前半分が埋まった状態で脚をバタバタ動かすけれど抜け出せそうにないな。何だか分からないけれど、このまま横を通り過ぎれば助かる。

 

「うぇっ!?」

 

 だけど、動けないスケル豚の所まで行く前に遂に砂鯨に追い付かれた。砂漠船の船尾に体当たりをされて船が大きく揺れる。次の瞬間、真下からすくい上げる様にぶつかられた事で私を乗せたまま砂漠船は宙を舞った。空中で投げ出された私は咄嗟に全財産を入れた袋を掴み、砂鯨が大きな口を開けて私に向かって飛び出す。

 

「大丈夫、助けるわ」

 

 思わず目を瞑った時、羊臭さと共に少女の声が届く。目を開けた私の視界に入って来たのは羊の上に乗って砂鯨に巨大な鋏を叩き付ける獸人の少女の姿だった。頭に被っている麦わら帽子の上には何故かパンダのヌイグルミが乗っている。

 

 大きな口を開いた砂鯨に向かって飛び掛かる羊の上から飛び出した彼女の振るう鋏は砂鯨の眉間を捉え、怯んだ所に凶悪な顔をした羊が次から次へと体当たりする。まるで金属の様な硬質な体毛を持っているらしく、砂鯨は全身を激しく殴打されて背中から砂の上に落下した。衝撃で砂が舞い上がり、私も少し遅れて落下し、砂を頭から被ってしまう。

 

 目に見える箇所の至る所に打撲傷を負った砂鯨は身を捩って苦しみ、先程の少女が腹部目掛けて分割した鋏の片方を投げ付けつ。赤い刃が中央に激突すれば砂鯨の体がくの字に曲がり、残った青い刃を下に向けた少女が急加速して真下に向かって行く。もしかして赤い刃が青い刃を引き付けているのか!? あの羊や少女は一体何者だと思う中、強力な一撃を再び食らった砂鯨の腹部が陥没し、口から大量に血を吐いて動かなくなった。

 

「やった! 今日のお昼は豚の丸焼きね。この鯨も……って、いけないわ! えっと、大丈夫かしら?」

 

「あ…ああ、助かったよ……」

 

 砂鯨の上から飛び降りた少女はスケル豚を見て嬉しそうに笑う。先程までの戦う姿が嘘みたいに子供らしい笑みを見せ、思い出した様に私へと近付くと手を差し出した。見た所十歳前後の年相応のあどけない姿に戸惑いながらも差し出された手を取って立ち上がる。

 

 これが私と勇者の出会いであり、思い掛けない冒険の始まりであった……。

 

 

 

 

「へぇ。考古学者さんなんですか」

 

 ディーナとの激闘から早二ヶ月、功績が足りないせいでイエロアの封印を発動出来ないからと兎に角各地を回って人助けを続けていた私はシフド・フービって人と知り合いになった。

 

 拠点にしている気晴らしに遠乗りに出掛けたのだけれど、助ける事が出来て運が良かったわ。砂漠船っていう面白そうな乗り物で進むシフドさんに併走する羊の上に乗って少しお話をしていると拠点にしている街が見えて来た。イエロア最大の都市にて財政の中心地ヤクゼン、どうやらシフドさんの目的地でもあるらしいの。

 

「やれやれ、漸く到着か。宿を取らないとな……」

 

「……あ~、非常に言いにくのだけど、多分宿は取れないと思います」

 

「えぇっ!? それは一体……」

 

 随分と驚いた様子のシフドさんだけど無理もないわ。だってヤクゼンはイエロア最大の都市。カジノを中心とした歓楽街や様々な屋台が軒を連ねる大通り、収入の殆どを観光で得ているから宿屋も高級宿から雑魚寝の安宿まで沢山有る……のだけれど。

 

 

「ほら、雪に関わる騒動で復興まで時間が掛かる街があるでしょう? それで避難して来た人達が暫くの間の拠点にしたり、近々大規模なオークションが有るから……」

 

「そ、そうだった! 只でさえオークションの時期は宿が混む事で有名だし、出稼ぎの人まで集まってるって聞いてたんだった……」

 

 どうしようと慌てるシフドさんだけど砂漠の夜は寒いし、オークションに参加する為に大金を持っているから仕方無いのかも知れないわね。賢者様の話じゃ色々な人が集まっているから悪い人も来ているそうだし……。

 

 

 

「……まあ、これも何かの縁かも知れないわね。シフドさん、私達の所で泊まりませんか?」

 

 こうやって誰でも彼でも全員お世話をするって訳にも行かないのだけれど、目の前で困っている一人を見捨てられないわ。アンノウンは何か言いたそうに見えるけど書く物は没収しているし、まあ賢者様や女神様が何を言うかが不安ね。

 

 

 ……それにしてもカジノの前で見掛けたエッチな服装のお姉さん、バニーガールだったわよね? 凄い格好だけど、一体誰が考えたのかしら……。

 

 

「す…凄い! これはどんな魔法で……」

 

 私達も宿屋が取れなかったからアンノウンが引く車を置く場所だけ借りて中で過ごしているけれど、他にも同じ様に甲虫車とかで過ごしている人達も居る。別に珍しい事でもないし、だから車内泊事態には驚かないシフドさんだけど少し小さい車には不安そうだった。でも、中に入って賢者様の魔法で拡張された内部を見て目を輝かせていたわ。

 

「さあ? 私、その辺は分かりません。賢者様の魔法だから」

 

「賢者様? 賢者様ってあの伝説の?」

 

「……ご明察。そう、この車の内部は賢者様の魔法による物よ。じゃあ、シフドさんが泊まれる様に頼んでみるわね」

 

 この時間なら賢者様はこの先の書斎で過ごしている筈。驚いているシフドさんの顔を見て微笑みながら書斎の扉を開けた。

 

 

 

「……なあ、アレはお前が広めたそうだな」

 

「えっと、実はですね……。若気の至りと言うか何と言うか……」

 

「バニーガールかぁ。いや、着て欲しいのならば構わないぞ? だがなぁ……分かるよな? 黙っていたという事はやましいと思っていたという事だ」

 

 正座する賢者様を腕を組んで見下ろしている女神様。書斎には重苦しい空気が漂っている。気が付けば頭の上のパンダが消えていて、アンノウンの本体の姿も見えない。……逃げたわね。何と言うか、非常に困った状況だわ。この場合どう行動するべきか考える。賢者様をフォローしようと思ったけれど、胸元と背中が大きく開いてバックシームと片方折れた耳が特徴的な……。

 

「……」

 

 無言でそっと戸を閉めた。ついでに余計な記憶を消去する。私は何も知らないわ。

 

「えっと、今のは……」

 

「気のせいです。誰も居なかったわ」

 

「いや、今確かに……」

 

「気のせいです。誰も居なかったわ」

 

「はい……」

 

 シフドさんって変な人ね。今、書斎には誰も居なかったのだから私も彼も何一つ見聞きしていないわ。それで良い、それが良い。うん。それが一番よ。

 

 

 

 

 

「やれやれ。まあ、誘ってしまった物は仕方が無いですね。ですが今後は事前に相談して下さい。その場の勢いで、特に酒が入った時の言動は後から色々と問題になるので」

 

「賢者様もそんな失敗があるんですね。分かりました。次からは相談しますね」

 

 シフドさんを泊める事だけど賢者様は承諾してくれたわ。でも、少し怒られちゃった。彼を助けたなら自分もって次から次へと来るかも知れない。全員を助けられないし、只助けて貰えない事よりも他の誰かは助けて貰ったのに自分は見捨てられるって方が辛いもの。其処は反省しなくちゃ駄目ね。

 

 

「それで貴方が賢者様という事は彼女が……。子供だとは聞いていましたけど」

 

「あっ、はい。私が四代目の勇者です。既に聖都シュレイでの継承の儀も受けていますよ」

 

 この二ヶ月間、私は功績を挙げる為に色々と頑張って来たのだけれど、その甲斐有ってか少しずつだけど勇者が子供だって噂は流れている。初代の時から出現する偽勇者対策にも名を広めておくのは大切だって賢者様が言っていたわ。情報が得やすくなるし、現地の人の協力が有った方が楽だもの。

 

「成る程。俄には信じがたい話ですが、実際に戦う姿と今居る場所を目にしたら信じるしか有りませんね。……所で賢者様なのでしたら何百年も生きておられるのですよね?」

 

「ええ、そうですが、それが何か?」

 

 賢者様は突然の質問の意図が分かないまま頷くけれど、途端にシフドさんの目が輝いて前に乗り出す。テーブルを挟んで座る賢者様の顔に息が掛かる位に近付いていた。ああ、そう言えばシフドさんが考古学者だって伝えるのを忘れていたわ。えっと、どうして忘れてたのかしら? 何か忘れなくちゃ駄目な事があって、一緒に忘れちゃった気もするけれど……。

 

「それでは二百年前のパップリガで起きた紛争について教えて頂けませんかっ!? あの世界は余所者、特に私みたいな獸人には冷たい世界でして調査すらままならないのですよ。友人も宿を拒否された上に金を盗まれたと訴えても取り合って貰えない程で……」

 

 身を乗り出した時に帽子が落ちてシフドさんの頭が露わになると猪の耳が見えた。この人も獸人だったのね。一々言う事でもないから言わなかったのだろうけど。……うーん。それにしてもお父さんが故郷の話をしたがらなかった筈ね。酷い扱いだって聞いてはいたけれど具体的な内容は初めてだわ。

 

「他にもお聞きしたい事が沢山有りましてっ!」

 

「近い、顔が近い」

 

 賢者様押され気味ね。でも子供の私じゃ割って入って落ち着かせるとか出来ないし、アンノウンは居なくなってるし、女神様は何処に行ったのかしら? 賢者様が困っているのだからこんな時こそ居て欲しいのに。あっ! 何か良い香りが近付いて来たわ。

 

「ガーウ!」

 

「あら、何時戻ったのかしら、アンノウン?」

 

 時計を見ればお昼時。女神様との稽古や羊達との遠乗りと体を動かした育ち盛りの体には空腹が堪える。でも、居なくなっていたアンノウンが戻って来てるしご飯の時間が来たらしいわ。ワクワクしながらドアを向けば外から足で開きながら女神様が入って来る。手には私が狩って来た豚の丸焼きを乗せた皿を持っているわ。とっても美味しそうね。

 

「飯だ。今日はゲルダが見事な獲物を狩って来たからな。気合いを入れて作って来た。臓物は晩飯に回すとして、昼はこれを味わおう。……うん? 客人か?」

 

「は…はい。明後日のオークションの開催までお世話になるシフドです。えっと、勇者の仲間に選ばれた方でしょうか?」

 

 突然巨大な豚の丸焼きを手にして現れた女神様に驚いた様子のシフドさんだけど、ちょっとだけ顔が赤いわね。うーん、まさか女神様が美人だから照れているのかしら? 賢者様が不機嫌にならないと良いのだけれど……。

 

「私はシル。ゲルダの仲間で戦士をしている。まあ、短い間だが宜しく頼む」

 

「おや、ご飯の時間ですね。ああ、シフドさん。私達の食事時のルールとして味の感想以外の会話は厳禁なので守って下さいね」

 

 ……あれ? そんなルール聞いた事も無いし、普段は色々お喋りしているのに。うん? アンノウンのパンダがシフドさんには見えない様にしてスケッチブックを見せて来たわ。察しが悪いね、だから君はゲルちゃんなのさ、って書いているけど……。

 

 ……成る程。この場を乗り切った後は適当に煙に巻く算段ね。うん、分かったわ。

 

 

 

 

 

 

「むぅ。そんなルールを決めたなら私に言ってくれないと困るではないか」

 

 ……あっ。女神様は理解してなかったみたい。まあ、会話を聞いていなかったのなら仕方無いわね。

 

「それにしても困っているだろう。考古学者だか何だか知らんが相手に話を聞く態度が有るだろうに、まったく」

 

 あっ、うん。聞こえてた上での発言だったのね。本当に女神様は、まったく……。

 

 

 

 

 




なろうは今から 加筆はどうだろ



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勇者と不審者

 早朝の修練場、今回選んだ環境は荒野。遮る物が一切無い場所での戦闘は基礎的な力が試される。私は只黙して待つのみ。目の前に立つゲルダがどう出るかを見計らっていた。

 

「せやっ!」

 

 第一手に選んだのは正面からの突き。デュアルセイバーを槍の様に構えて踏み込みと同時に突き出す。まあ、悪くはないな。いや、寧ろ良い。出会った当初は体力は有るが戦闘経験などほぼ皆無で武器の扱いなど知りもしないし、勇者でなければそれで良かった。だが、残酷な事にゲルダは勇者だ。だが、どれだけ勇者としての自覚を持とうが戦い慣れない間は攻撃に躊躇が見えたのだが今は無い。指導する身としては嬉しいが、少し悲しい気もするな。

 

 さて、それは兎も角として悪くない一撃だが些か正直過ぎる。体の軸を僅かにずらして踏み込めば刃は横を通り過ぎ、次の手を打つ前に片手で掴んで無造作に放り投げる。ゲルダは堪えようとするも足は地面から離れ、私は蹴りを無慈悲に放つ。足に伝わったのは肉ではなく硬質な金属の感触。ほぅ、咄嗟にデュアルセイバーを滑り込ませて盾にしたのか。防御も中々様になって来たな。しかし、次はどうする? 直撃は防いでも衝撃は殺しきれない。更に高く飛ばされ、デュアルセイバーを通して体に響いた衝撃にゲルダは顔を歪める。

 

 

「……何度も言ったぞ。目を閉じるなとな」

 

 目を閉じて恐怖から逃れようとしても恐怖を与える相手が消えてくれる筈もない。次にゲルダが目を開いた時、地上には私は居ない。ならば何処に居るのかと言うと……既に後ろに回っていた。右足を頭上より高く上げ、蹴り飛ばされて宙を進んでいるゲルダ目掛けて振り下ろす。振り向きもせずに振り上げられたデュアルセイバーと私の踵が衝突した。勘任せのラッキーパンチではないと武の女神である私が断言しよう。今のは間違い無く私の位置を把握しての反撃。防御の寸前、鼻を動かす音が聞こえていた。僅かな匂いで私の位置を把握したのか。流石の嗅覚だな。

 

 だが、今の防御では踵落としの威力を相殺するには至らない。空中では踏ん張りが効かないからな。地上ならば相殺可能な威力だが、空中戦が今後の課題か。では、今後の稽古に組み入れるとして、そろそろ決着と行くか。

 

 地上ではデュアルセイバーを分割し、投げた刃に手にした刃を引き付ける事で落下の勢いを殺しつつも空中戦では一方的に負けると判断したらしい。投げる力は弱く、落下の勢いを十分に削ぐには至らないが巧く衝撃を殺して着地した。少しグラツいたが、まあ及第点か。では、私も直ぐに降りよう。

 

 天地逆転の姿勢となった私は空気を蹴って急落下、着地の瞬間に拳を突き出して落下の勢いを相殺するなり腕のバネで飛び上がる。空中で一回転して着地、ゲルダの前に降り立つと両の拳を構える。さて、もう少し成長を見せてくれよ?

 

 レッドキャリバーとブルースレイヴを短剣サイズにするなりゲルダが切り掛かり、私はそれを拳で相殺。一見すると互角であり、徐々にラッシュのせめぎ合いは速度を増して行く。成る程、本当に強くなったらしい。

 

「では、ペースを更に上げるぞ」

 

「うぇっ!?」

 

 おや、少し情けないぞ。敵は私の様に対処できるギリギリを見計らいながら戦ってはくれない。だから容赦無くラッシュの加速度を上げるからな。徐々にだが確かにラッシュの衝突地点がゲルダの方に向かって行く。やがて相殺出来ない拳が掠り、額に命中。咄嗟に頭突きで勢いを殺そうとするが、既にその程度で足りる威力ではないぞ。

 

 ゲルダの体が後ろに傾き、更にラッシュを叩き込む。そんな不安定な格好で応戦した気概は誉めてやろう。だが、修行が足りなかったな!

 

 無防備な腹にそっと手を添え、衝撃がゲルダの体を突き抜ける。耐えきれず意識を閉ざすゲルダだが、倒れ込む前に抱き止めた。頭を打ったら大変だからな。

 

「本日三回目の稽古だが……七十五点! 成長したぞ!」

 

 本日五度目の気絶中だから聞こえていないだろうが褒めてやる。さて、数分で目が覚めるだろうから少し休んだら六回目をしたい所だが、生憎先客が予約済みだ。武神として学びたい者を無碍に出来んからな。

 

 

「では、始めるぞ……シフド!」

 

「……」

 

 ……ん? ゲルダの稽古を始める前に自分も稽古を付けて欲しいと言うから先ずは見学させてやったのに返事が無いと思ったら、うつ伏せ寝ているとは呆れた奴だ。少し礼儀知らずな態度に腹が立って近寄ると足の先でひっくり返しても起きる様子が無い。

 

「いや、違うな、気絶している……」

 

 余波に巻き込まれた程度で気絶するとは情けない。明後日までの付き合いでなく、本格的に弟子入りを志願するなら基礎体力から鍛えるが一日体験コースでこれでは鍛えようにも鍛えられないぞ。

 

「……うぅ、何点でしたか?」

 

「起きたか。今回は七十五点、最高記録更新だ。まあ、次からは更にハードになるし採点も厳しいが……少し休め」

 

「……え? 休め? 休めって言いましたか?」

 

 気絶から目が覚めたというのに休憩を言い渡されて驚くゲルダ。いや、確かに普段ならば即座に次の組み手前の準備運動だが、そうも言えない理由が有る。幾ら鍛えても無駄だと分かっていても、武を学びたいという者を見捨てる事は私には出来ない。

 

「彼奴が目を覚ましたらギリギリ可能なレベルの鍛錬をしてやる予定なのだ。今日一日では身に成らずとも、その体験が今後の修練の助けになるかも知れないだろう?」

 

「……下心を出すから。女神に触れる訳が無いのに……」

 

 妙な事を言う奴だな。少し疲れているのかも知れん。汗と血と土で汚れきっているし、只休むのも芸が無い。……ああ、そうだ。

 

「では、シフドはアンノウンに任せるとして、私達は行くとしよう」

 

「行くって……地獄ですか?」

 

「いや、風呂だ」

 

 ゲルダの背を押して風呂場に連れて行く。偶にはキリュウ以外と裸の付き合いをするのも悪くない。……それにしても何を勘違いすれば地獄に行くと思っているのやら。成長すればギリギリ可能な修行内容だし、反吐を吐いて気絶する程度の目にしか合ってないだろう。

 

 

 

「……矢張り違うな」

 

「何が違うんですか?」

 

 脱衣室で服を脱ぎながらゲルダの体を観察する。子供特有の柔らかそうな体で、僅かだが女らしい体に成長しつつある。出会って三ヶ月以上経ったが背も伸びて来た。胸は……まあ、コメントは差し控えよう。

 

「いや、私と違って女らしい体だと思ってな」

 

「ひゃっ!? い、いや、私も牧羊の仕事で手の皮は分厚くなるし、そんなに女の子っぽくないと思いますけど……」

 

 私の発言に白いショーツ一枚になっていたゲルダは真っ赤になって拾い上げた服で体を隠してゴニョゴニョ言っている。いや、大丈夫だろう。お前はちゃんと女の子らしいよ、私と違ってな。

 

 鏡に映った自分の体を眺める。ゲルダと違って胸は平均的に大きいが、腹筋は見事なシックスパックで二の腕や太股にも筋肉が浮き出ている。姉様はあくまで戦神、そして私は武神。顔がよく似た姉妹神でも全然違う。私の肉体は女である前に戦士の肉体だ。

 

「私も昔は戦士の体を誇りにしつつもゲルダや姉様みたいな体を羨んだ物だ……」

 

「……女神様。あ、あの! 私は女神様の事をとっても素敵な……」

 

「まあ、この体を含めて美しいと言って惚れてくれたのだがな。戦士の肉体を誇る気高さも魅力的だと囁かれたら嬉しい以外の言葉が浮かばん。第一、私を女として見るのはキリュウだけで十分だしな! ……ん? どうかしたか?」

 

 何故かゲルダがずっこけている。今の流れの何処にずっこける部分が有ったのやら。それと何か言っている途中だったので訊いてみたのだが教えてくれなかった。

 

「……結局惚気話じゃないですか」

 

 惚気話か……まあ、私はキリュウに心底惚れている。それこそ一生の愛を誓う程にな。不老不死である神の生涯だ、つまり永遠の愛だな。口から出る全ての言葉にキリュウへの愛が込められていても不思議ではあるまいに。

 

「では、行くか」

 

「……はい。もうドロドロに汚れてるし、髪の毛に砂が入り込んでいるから髪を洗いたいです」

 

 何か言いたそうにしながらも言わないゲルダだが、仲間なのだから遠慮は要らんだろうに水臭い奴だ。壁すら感じさせるぞ、それは。うーむ、いかん。キリュウが初代勇者で私が女神だからなのだろうが、嘗ての仲間(イーリヤ)達は気楽に接していた。どうせなら昔と同じ様な旅をしたいがどうすべきか……。

 

「そうだ! おい、ゲルダ。今日は私が髪と背中を洗ってやろう。遠慮する必要は無いからな」

 

「え? いや、流石に女神様に……」

 

「私が構わんと言っている。では、そろそろ入らねばシフドを待たせる事になるぞ」

 

 未だ遠慮するゲルダだが、少し強引に浴室に連れて行く。子供相手に強引に出るのは好かんが、此奴はこうでもしなければ言っても無駄だろうからな。

 

 

「いや、起きるのはかなり後だと思うけど……」

 

 

 

 

 シャンプーを手に取り、ゲルダの灰色の髪に付けて泡立てる。狼の耳に入らない様に注意しながら髪を指を通して行くがゴワゴワとした剛毛の感触が伝わって来た。

 

「この髪、全然癖が取れないんですよね。無理に伸ばしても直ぐに戻ってしまいますし」

 

「大丈夫だ。お前が自分の髪を嫌っていても、お前の髪を含めて好きになってくれる相手が見付かるだろう」

 

「……女神様にとっての賢者様みたいにですか?」

 

 分かっているじゃないか。自分が嫌いな部分まで愛してくれる相手が居るのは本当に嬉しい物だ。嫌いな部分も好きになれ、好きな部分は更に好きになる。姉様が愛を司る女神なのを誇りにしている訳だ。

 

「……本当に見つかりますか?」

 

「間違い無くな。お前は十分可愛い女の子だ。ほら、流すぞ」

 

 シャワーを使ってゲルダの髪の毛に付いた泡を落とす。胸部の凹凸が少ない体を伝って泡が流れ落ち、排水溝へと吸い込まれていった。さて、次は背中を流してやって私も自分の体を洗うとしようか。

 

 

 

 

「ふぃ~。矢っ張りお風呂は最高ですね。こう身も心も蕩ける気分です」

 

 浴槽は二人が入っても十分な広さがある。偶に敢えてギュウギュウになる広さに変えているが、キリュウと混浴する訳でも無いので必要ないだろう。第一、私は魔法が苦手だ。大体の事は力業でどうとでもなるしな。

 

 湯に肩まで浸かったゲルダはすっかりリラックスした様子でくつろいでいる。この湯にも魔法が掛かっていて傷や疲労、各種不調に効果が有るから修行後に入ると効果覿面だ。湯上がりに飲む牛乳もキリュウの拘りで各種用意しているしな。私とアンノウンはスタンダードな牛乳でゲルダはフルーツ牛乳、キリュウはコーヒー牛乳を好んでいる。どれも風呂上がりには最高だ。

 

 さて、そろそろ切り出すか。私はゲルダへと近寄って行く。どうも何かあると察したのか身構えさせたのは悪い気がするな。

 

「いや、楽にしていろ。ゲルダ、私達に対する言葉遣いだが敬語は不要だ。私達は仲間なのだぞ?」

 

「え? で、でも女神様達は偉い方ですし……」

 

「私とキリュウと旅した仲間は三人中二人がタメ口だったぞ? よし、こうなったら神として命じる! 今後は敬語は使うな。ふふん、これには逆らえまい」

 

 前からキリュウと話していたのだが、どうもゲルダは私達に気を使い過ぎている。昔みたいな旅が良いという私の我が儘もあるが、過酷な運命を背負わしているのだから少しでもらくをさせてやりたいのだ。だから少し卑怯な手を取らせて貰ったぞ。いや、だって今も恐れ多いって感じだったし、こうでもしないと無理だろう、この子は。

 

 私が逃げ場を塞いだ事でゲルダは困り戸惑った様子で何やら呟き、最終的には遠慮しながらも口を開いた。

 

「えっと、そうしま……そうさせて貰うわ、女神様」

 

「ああ、それで良い」

 

 最初は戸惑うし慣れないだろうが、人は適応して成長する生き物だ。徐々に慣れて私達に言いたい事を言ってくれたら嬉しい。だって仲間なんだ。もっと気楽に付き合いたいと思っても良いだろう?

 

 

 

「えっと、じゃあ一つお願いするわ。他の人の前でイチャイチャするのは恥ずかしいから控えて欲しいのだけど」

 

「む? 何処が恥ずかしいのかは分からんが仲間の頼みだ。まあ、善処しよう」

 

 ……この子、適応が早いな。これも勇者に必要な資質なのだろうか……。

 

 

 

 

 

 

「おい、兄ちゃん。ちょっと金を貸して……へぶっ!?」

 

「此処から先は通行料が……ばはっ!?」

 

「身包み全部置いて……ひばっ!?」

 

 このヤクゼンに住んでいる知り合いに会いに行く道中、近道をしようと路地裏を歩けば角を曲がる度にチンピラに絡まれる私。いや、前来た時は警備隊も居るので此処まで治安が悪くなかったのに。窮すれば鈍するとは言いますが、どうも王都が壊滅した影響は予想以上に大きいらしい。これを機にのし上がろうとするお馬鹿さん達が随分と多いらしいですね。

 

「……それにしても絡まれ過ぎでしょう、私」

 

 実年齢は三百歳を越えていますけど、見た目は二十代前半の優男。絶好の鴨に見えるのでしょう。ローブ姿も如何にも魔法研究者だとアピールしていて金を持っているとか思われるのでしょうね。研究にはお金が必要ですから。でも、賢者だと急に証す事態が何時訪れるか分かりませんし、賢者ってイメージ商売な所が有るから……。

 

 適当に殴って気絶させたチンピラを横に退けながら溜め息を吐く。私にとってヤクゼンは思い入れが有る場所だ。それが今の状況に陥れば落ち込みもします。そんな所が神とは根本的に違うのでしょうね。だって個人単位で気に入っても子孫は別だとか、お気に入りが住んでいる場所から助けを求められても年単位で待たせて壊滅したとかざらですので。……だから七百年前に師匠が動く結果になったのですよね。

 

「結局私は三百年経っても人のままなのですか。嬉しい気もしますし、寂しい気もする。……取り敢えず路地裏から出ましょう」

 

 もう一度大きく溜め息を吐き、路地裏から出て少し歩くと子供の声が聞こえて来た。ああ、そうだ。確かこの先には……。待ち合わせの時間までは少し時間が有るからと足を運んだ先には大きな建物。その庭では体育の授業中なのか子供達が大勢動き回っている。

 

「カバディカバディカバディ!」

 

 この建物は学校、正式名称はナターシャ学園ヤクゼン分校。その名の通り、私の仲間の一人だったナターシャが創設した学校の分校。孤児院も併設され、貧しい家の子は授業料が免除される他、親も仕事が斡旋されるなどの学ぶ為のサポートがされている。

 

 旅の途中、彼女は語っていた。種族も貧しさも生まれの悪さも、その程度の事で学べない子供が居るのは気に入らない。だから絶対世界を救って邪魔な奴らを黙らせる発言力を持つんだって。

 

 子供達の笑顔を眺め、色々あって自分の名前が学園名になった時のナターシャの恥ずかしそうな顔を思い出すと私の顔にも笑みが浮かんで来ました。ナターシャ、貴女の想いは三百年経っても受け継がれていますよ。

 

 そうして暫く眺めていた私ですが、不意に肩を叩かれる。振り返れば警備隊の制服姿の女性が立っていました。

 

「おや、どうかしましたか?」

 

 ああ、チンピラを叩きのめした事で何か聞かれるのかも知れませんね。

 

 

 

 

「いや、どうかしたかは私の台詞だから。最近は変な奴らが流れ来ているし、学園前に不審者が居たら声を掛けるに決まっているじゃないのさ」

 

「私、怪しい者ではありませんよ?」

 

「いや、そう言っても、自分は怪しいですって言う奴は居ないよ。取り敢えず詰め所まで来てくれる?」

 

 ジト目を向ける彼女は完全に私を不審者だと認定したらしい。学園を眺めて笑う見掛けない男……確かに不審者だ。……これ、今回の旅で最大のピンチかも知れません。

 



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強く誓う

「じゃあ、正直に答えてくれる? 名前と住所、それと出身世界は? 学園をずっと見ていた理由は?」

 

 勇者時代、悪徳領主に日本人的な倫理観で立ち向かって面倒な事になりましたが、今回も少し厄介です。だって今の私の家は神が住まう無色の世界クリアスで、職業は無職。賢者って称号であって職業では有りません。その上実年齢は三百過ぎ、正直言って正直に答えるとふざけているとしか思われない内容。うん、こうなったら他力本願で行きましょう。

 

 だって遅くなって今回の事がゲルダさんやアンノウンに知られたらバニーガールを広めた事と合わさって私への評価が暴落間違い無しですから。いや、私の矜持の問題では無くて、頼れて安心出来る賢者様じゃないとゲルダさんも不安でしょうし。

 

 ……本当に酒の勢いって怖い。ヤクゼンが完成した事を祝しての宴の席でバニーガールについて熱く語り、カバディが故郷の伝統的なスポーツだとうろ覚えのルールを喋った結果がこれだ。色々と後悔しながら念話を送る。三百年の修行によって預けていて魔本が手元に無くても魔法は使えます。ですが、急に頭の中に声が響いた為に相手が驚いてお茶をこぼしてしまった。アポを取っているので今この時間に動ける事は分かっていましたが急でしたね。予め念話を使う可能性を言っておくべきでした。会う予定だった子に連絡を取りましょう

 

「ちょっと聞いてる?」

 

「ええ、聞いていますよ。私の住所ですが根無し草の研究者なので不定としか」

 

「研究者? 何処かに所属しているの?」

 

「いえ、所属する組織は有りません」

 

「じゃあ駄目だ。住所不定無職、と」

 

 ……こうして口に出されると堪える物があります。世界を救った勇者であり、女神と結婚して神の世界で暮らし、歴代勇者の手助けをした賢者でも、証明する物がなければ住所不定無職扱いとは随分世知辛い世の中だ。しかし、本格的に危ないぞ、これは。変に噂が流れてシルヴィア達の耳に入る前に……よし、洗脳しましょう。

 

 人道に背くので使用は差し控えろと師匠が口を酸っぱくして言っていますが世界を救う為です、仕方が無い! いや、良心は咎めていますよ? 特に目の前の警備隊の女性は職務態度が真面目で理想に燃えていそうな方ですし、後々書類上の不備や不審が見付かって評価に響けば悪いですよね。それと、シルヴィアと空気が何処となく似ています。

 

「まあ、愛しい彼女の方が美人ですが。真面目だけど偶に空回りする所も可愛くて、美しさと可愛さを兼ね揃えた理想の体現、完全でありながら輝きを増し続ける至高の存在であり……」

 

「いや、急に惚気話を始められても……うん? 誰か来たみたいだ。ちょっと待ってな」

 

 またしても抑えても抑え切れないシルヴィアへの愛が溢れ出して言葉となってしまった。これも全部シルヴィアが愛しいからですし私は悪くないでしょう。寧ろ何処か悪い所が有るでしょうか? なのに彼女(確かサラ・マムラガと名乗っていた)からは馬鹿を見る目を向けられる。心外だと訴えたいですが、今の立場は私が下。なので早急に終わらせて嫌な思い出は酒で忘れる気でいた時、取調室の入り口から彼女を呼ぶ上司らしい声がする。

 

「おや、お迎えが来たらしい」

 

「何を言っているの? 未だ名前すら調書に書いて……」

 

「いや、其処までだ。町長が彼の身分を証明するから解放するようにと言って来た。今回の事でお前に不利益が発生しない様にともな。彼を釈放しろ」

 

「町長が!? ……分かりました」

 

 納得はしていないが従うしかなく、不承不承と言った様子ながら私は釈放される。自分で言いたくないですが不審者ですからね、私。……落ち込む。

 

 しかし、それでも従うしかないのは町長が強い権力を持っているだけでなく人徳も有るのでしょう。まあ、温厚な政治家と言うよりは仁義を大切にする親分タイプですがね。

 

 

 

「申し訳有りません、賢者様」

 

「いや、私に落ち度が有りました。彼女は職務を全うしただけですよ」

 

 詰め所から出れば町長の家は直ぐ側だと言うのに豪奢な馬車が用意され、町長の側近で私の知り合いであるミクンが待っていた。詰め所に連れて行かれた事を謝りますがフォローしておきましょう。……うん、改めて勉強になりました。賢者だと派手に力を使って証明するなりしなければ自分が住所不定の無職扱いだと分かりましたからね、ははっ……。

 

「賢者様?」

 

「いえ、気にしないで下さい。行きましょうか……」

 

 馬車に乗って椅子に座れば体が沈む程に柔らかくて座り心地が良い。スプリングも優秀で走っても殆ど揺れが有りません。

 

「どうです? 野良犬同然から随分と成り上がったでしょう? 靴さえ満足に買えなかった私達がこんな馬車に乗るなんて」

 

「頑張りましたね。そして重要なのはこれからですよ?」

 

「分かってますよ。誰かを踏みにじる真似は二度とする気は無いですが、上は目指し続けます。……より多くの昔の俺達みたいな餓鬼を助ける為にもな」

 

 おや、口調が元に戻っていますね。まあ、それで構わないでしょう。問題は表面に出ない口調ではなく、表向きを着飾って裏で悪事を行わないかどうかです。サラさんを見る限りでは彼らは大丈夫だ。

 

 少し昔を懐かしみながら馬車に揺られていると間もなく大きな屋敷へと到着する。街の代表者としての面目を保つ程度の調度品で飾られた内部を通り、応接間へと通される。ミクンが扉を開けば白髪が混じり始めた壮年の男が立って出迎えてくれました。

 

「よっ! 久し振りだな、賢者様。俺達の仲だ、この口調で通させて貰うぜ」

 

「じゃあ、私はこのままで。昔からなので染み付いていましてね。別に良いでしょう、ラサ」

 

 角刈りにサングラス、体に多く残る傷跡と堅気の人間には見えない彼こそ会う約束をしていた知人のラサ、ラサ・マムラガ。馬車の中で聞いた話で驚きましたが、サラさんは彼の孫娘なのです。

 

 

 

「……ぷっ! はははははっ! そりゃ大変だったな。だが、アンタが賢者だと証明する為に力を使ったらパニックが起きたかも知れねぇんだ。権力争いで貴族共がゴタゴタしてるし、妙な奴らが入り込んでる。取って置きの酒で勘弁してくれ」

 

 私が連行された話を詳しく話せばラサは腹を抱えて大笑い。随分と息が苦しそうな様子ですが、恩着せがましい事は言いたくないですけど私って恩人ですよね? 親しき仲にも礼儀有りって教えた筈ですが……。

 

「……まあ、良いですよ。ツマミはチーズとサラミを希望します」

 

「最高級のを出してやるぜ、待ってな」

 

 もう良いです。今は酒で全て忘れますから。間もなく運ばれて来る随分と高級そうな酒を飲みながら言葉を交わす。ウイスキーにビールにワイン、テーブルに次々と運ばれる酒が次々と空になって行く。私も強いですがラサも強い。まあ、酒の席に仕事として座る機会も有りますし弱ければ此処までのし上がっていないでしょう。

 

 ……それにしても彼も年を取った。出会った時は少年でしたのに、今では白髪混じりの壮年男性。其処まで時が経った気はしなかったのですけどね。ああ、こんな事が有る度に私が人から外れてしまったと思わされますよ。神とも違い、人とも違う。私は一体何なのでしょうね。

 

 

「……でだ、俺の顔を見に来るだけなら今みたいに来ないよな。何の目的だ?」

 

「実は考古学者と知り合った所、良くない噂を耳にしまして。……オークションにタンドールの秘宝であるナスの涙が出品されると耳にしましてね。今からでも参加したいのですが」

 

「あの遺跡の出土品は偶に出るが……アンタがこうして来るって事は相当な物か。本当なら参加権を抽選してから買って貰うから席は空いて無いが……手違いで空席が出来ても不思議じゃないか。まあ、派閥に入れってウザい貴族が居るからな。詫び金は出してくれよ?」

 

 やれやれ、十年以上前に会ったきりですから心配していましたが話が早くて助かる。ですが、詫び金は私が出しましょう。こっちの世界で遊ぶ金欲しさに魔法のアイテムを偶に売買していますし、エイシャル王国で渡されたゴールドカードから資金は文字通りに出てきますからね。

 

「ん? 出してくれるのか。だったら遠慮しないで貰っとくぜ。いやー、最近幾ら金があっても足りなくてな」

 

「……いえ、構いません」

 

 随分とアッサリしていますし、最初から私が出すのを分かっていました? ……いや、邪推は止めましょう。逞しいのは良い事ですし……。

 

 

 

「……にしてもだ、今回の勇者は子供だって噂だがマジか?」

 

 オークションの席を手に入れる交渉後、酒を酌み交わしている最中の事でした。既に噂を耳にしているのかラサがそんな事を呟いたのは。まあ、子供時代に苦労して、今や孫娘まで居る身ですからね。少し渋い顔なのも仕方が無いでしょう。善性の証です。

 

「本当ですよ。嘆かわしい話だと思いますけどね」

 

「子供が魔族と戦うんだ。修行だって辛いだろ? ったく、子供に世界の命運を背負わせるなんざ情けねぇ話だぜ。どうせ歴代の勇者みたいな働きを期待されるんだろ?」

 

 確かに間違っていませんよ。貴方の嘆きは正しいですよ、ラサ。ですが、彼の意見には穴が有る。彼同様に嘆く善人でさえ見落としているであろう穴がね。

 

 

「前提が間違っていますよ。世界の命運をたった数人に背負わせ、不出来ならば責めて達成すれば英雄伝として素晴らしい事の様に扱う。そんな風潮自体が妙だとは思いませんか?」

 

 憧れや英雄視で美化されているが、勇者とは生け贄だ。その重圧は凄まじく、世界を救ってくれと嘆き期待する人の声が逃げたいという当然の想いに自己嫌悪を感じさせる。憧れる気持ちは理解します。ですが、実際は素晴らしい物ではないのですよね。私もシルヴィアが居てくれたからこそ立ち上がれた。居なければ私は膝を折り、人は神が出張って来ない様に数を調整されながら魔族に支配されていたでしょう。

 

 

「つまり、私と彼女の愛が世界を救ったのですね。仲間の助けも大きいですが、それは譲れません」

 

「飲み過ぎ……いや、素面でもこんな感じだっけな」

 

 ……うーん、今日は何故か呆れた様な目を向けられる日ですね。ラサまで私を馬鹿を見る目で見ていますよ。

 

 

 

 

 

 

「賢者様、お帰りなさい! 待っていたわ」

 

「おや、その言葉遣いは……実に良い。仲間ですし、堅苦しい言葉は要りませんからね。まあ、私はキャラ付けが癖になったので直せませんけど」

 

 ラサが酔い潰れた後、ほろ酔い気分を楽しみながら馬車に送られた私は降りる際に魔法で酔いを醒まして酒臭さも消しておく。いや、流石に昼間から酒を飲んで帰って来るとか色々と台無しですからね。大人ですし格好付けたいのですよ。

 

 それはそうと言葉遣いを本来の物に戻したゲルダさんは成長によって忘れかけていた子供らしさを取り戻せた気がします。気が楽になったのか元から明るかった顔も更に明るくなりまして実に可愛らしい。思わず頭を撫でてしまう程です。従姉妹の……確か璃癒(りゆ)も私やお祖父さん達に撫でられると嬉しそうだった。ゲルダさんも嬉しそうですし、両親が恋しい年頃なのでしょうね。

 

 たかが十歳に世界の命運がのし掛かる……有ってはならない事ですよ、実際。

 

「えっと、賢者様? どうかしたのかしら?」

 

「いえ、将来的に子供は男と女の両方欲しいですが、ゲルダさんみたいな子供に育って欲しいと思いましてね」

 

 私が暫し考え事で止まっていたのを不審に思ったゲルダさんが首を傾げているので誤魔化しますが、実際嘘ではない。素直で頑張り者、そんな子に育って欲しいですよ、未だ生まれるどころか妊娠すらしていませんが。

 

 ……する筈なのは間違い無いですし、魔法に頼るのは嫌ですが頑張っているのですけどね。世界を救うまではシルヴィアの戦力が必要ですから避妊していますし、復興の手伝いを考えれば更に次の時期まで神の感覚では少しの期間。その間に欲しいのですが……。

 

「あら、嬉しいわね。じゃあ、賢者様と女神様の赤ちゃんが産まれたら抱っこさせて欲しいのだわ」

 

「構いませんよ。世界を救い、ゲルダさんが平穏を取り戻して落ち着いた頃に連れて行きます。何が何でも約束を守れる様に頑張りますよ」

 

「ええ、楽しみにしているわね!」

 

 本当に期待した顔で微笑むゲルダさんを見ると世界を救った後のいざこざの処理を頑張らなくてはと思いますね。だって世界を救った勇者なんて絶好の看板、御輿にするなりして利用を考えない方が有り得ない。私はシルヴィアと結婚しましたし、首輪が必要だった三代目も即座に結婚させましたけど、二代目は苦労しましたからね。最終的にエルフの恋人と結ばれましたが、その子供を狙った動きも有った。

 

 だからこそ、目の前の少女の平穏な暮らしを守ってあげたい。それこそ師匠の力を借りてでも。まあ、全ては終わった後の事。彼女の成長を見ながら考えましょう。急いては事を仕損じると言いますからね。

 

 

 

 

 

「……町長、いや、お祖父様。あんなやり方は良くないよ。無条件で釈放とか普段ならしないのに」

 

「彼は重要人物だ。お前が想像しているよりずっとな」

 

 俺が町長になり、このヤクゼンを束ねてどれ程の年月が流れただろうか? 今は豪勢な暮らしを送り、可愛い孫娘も生まれているが昔はそうではなかった。今日のやり方が気に入らないと抗議するこの子は街の役に立ちたいと自ら警備隊に志願して、俺も贔屓目で見ずに普通の隊員として扱えと命じている。まあ、警備隊の隊長は俺の昔からの知り合いだから大丈夫だろう。

 

「言っておくが彼に変な真似はするな」

 

 賢者であるとは言わない。オークションを管理するのは俺だが出品は出品者が出して仲介料を払う形式だ。何時もは審査を行って本当に不味い奴は帰らせるが今の厄介な状況のせいでそうも言ってられん。その結果、賢者様が危険視するブツが出品されるんだ。出品者はマトモな奴じゃないな。担当者も連絡が取れない状況だ。変に関われば邪魔になるし危ない。だからコッソリ会ったんだ。

 

「……ねぇ、今の街は嫌いだよ」

 

「同感だ」

 

 サラの呟きに同意しながら窓の外を眺める。時刻は既に夜だが魔法の道具で明るく照らされていた。その明かりが届かない掃き溜めが昔の俺の、俺と仲間達の住処だ。

 

 

 

 得体の知れない余所者、汚い野良犬、そんな風に罵倒され、当時の町長の方針で本当なら入れた筈の孤児院からも拒まれ泥水を啜って生きていた頃、世界に拒絶された気がしていた俺達を救ってくれたのが賢者様だった。

 

 

「自尊心の為の施しとでも金持ちの気まぐれとでも好きに思って構いませんよ。ですが、大切なのは飢えと寒さを凌ぐ事。ああ、ついでに清潔にしましょうか」

 

 そんな俺達の前に現れて、こっちが拒絶しても世話を焼き、最後には町長の不正を暴いて孤児院に入れる様にしてくれた。いや、それだけじゃない。その後も気に掛けてくれて世話になった。だから恩を返したい。野良犬でなく、人として生きて大勢を助ける、俺達に出来る事なんて片手間で可能なあの人への恩返しはそれが一番だ。

 

 

「恩に報いる為の自己犠牲は自己満足でしかねぇ。見ていてくれ、賢者様。この街で生き続けて、ずっと街を守り続けるからよ」

 

 街の灯りを眺めながら一人呟いた……。

 



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思わぬ出会いと白熱のオークション

 この世界には多くの謎が残っている。失われた技術、滅びた文明、魔族という存在が百年という長い様で短い年月を挟んで出現するのだから仕方が無いのかも知れない。

 

 神も最終的には魔族を滅ぼして下さっていたと言っても、価値観の違いから年単位の一休みを取って行動が遅れたと遺跡に残された記録によって判明した程ですからね。

 

 だからこそ我々考古学者が記録を漁り、遺跡を巡り、失われた文字を解読して古代の記録を呼び起こす。そんな私にとって女神シルヴィア様の直属の部下であり、少なくとも二百年前から存在している賢者様との出会いは正に神のお導きに思えたのですが……。

 

「うーん、私は無色の世界で魔法の研究をしている事が多いですし、勇者の手助けも求められた時のみでしたからね。六色世界で何が起きたのか詳細は知らないのですよ」

 

 色々と疑問をぶつけた結果がこの返事。……分かる、凄く分かる。私も研究が楽しくて熱中した結果、世間で何が起きているか知らず話題に入れなかった身ですし、何度もデートを忘れてしまって破局した身。ですが、研究者にとって最重要視すべきは研究だとの持論を曲げる気は皆無ですし、僅かなりとも答えて貰えた事が有ったので良しとしましょう。

 

 今、その事で非常に困った事になったとしても……。

 

「えっと、もう一度言って頂けますか? オークション用の金板(きんばん)が何枚ですって?」

 

「はい、全部で二十枚となります。オークション後に余った物は七割の値段で下取りとなりますが、如何しますか?」

 

 今日は目当ての品であるナスの涙が出品されるとの情報が流れたオークション当日、現在位置はオークションに使う入札用の板、レートが低い順から銅、銀、金の三種を換金する場所。年に一度の大規模なオークションでは現金ではなくてこのシステムを使うと聞いてましたけど、まさか全財産で金板二十枚ギリギリとは思っても見なかった。

 

 チラリと横に書いている注意書を見る。主催者は審査を通った出品者の品を競売に掛け、その売り上げから手数料として何%かを徴収。収益は公共事業に使われる他、余った板は購入時よりも低い金額で引き取るとの事。主に使った対象が書いてある。……これ、文句を言いにくい奴だ。そして、肝心な事が一つ。

 

 

 

「き…金板五千枚!?」

 

 参考資料として過去の競売の結果が張り出されているのを見た私は目を疑う。歴代最高価格で競り落とされた初代勇者の日記帳、一冊がエイシャル王国に残っている以外は魔族との戦いで焼失したとされる幻の品の価格に絶望した。

 

「こ…こんなの絶対に無理だ。前の目玉の価格がこれでは……」

 

「……いえ、これは極端な値段ですよ。普段は目玉商品でも金板五百枚前後です。ほら、これが前回の競売価格のリストです」

 

 な…何だ、良かった。いや、良くないな。親が結構な資産家で自由に研究を続ける事が出来た私の全財産でさえ二十枚。同じ考古学者が競り落とせば助手に知ってて貰える可能性も有りますが、大体が収集癖の大金持ち。宝である事にのみ価値を見出して歴史そのものには無頓着な事が似たケースとして何度も有った。

 

「仕方無い。競り落とせる物を競り落とすとしましょうか」

 

 ……所でその日記帳を競り落とした人を教えて貰えませんかね? 三百年前の勇者の旅路など研究資料として最高なのですが。

 

「オークションは仮面で顔を隠し、知人と会っても知らない振りをする事になっています。購入者に関してはお答えられません」

 

 頼んではみたけれど、受付嬢は営業スマイルで穏やかな口調、だけど目が笑っていない。あっ、ゴネたら後ろの方で待機している屈強な方々に追い出されますね。

 

「……ですよね~」

 

 まあ、歴史的遺物が何度も出品されますし、ナスの涙を一目見るだけでも……。

 

 

「はぁ……」

 

 色々とポジティブに考えてはみたけれど、タンドゥールの謎を解き明かすチャンスを逃すかと思うと気が滅入る。万が一の可能性として貸して貰えるかも知れないが、匿名性が高いのなら競り落とした方を尾行して直談判を……。

 

 

 

「ちょっと其処の兄ちゃん。アンタだ、アンタ。兄ちゃん、考古学者かい?」

 

 トボトボと歩きオークション開始時刻まで何処で時間を潰そうかと思っていた時、不意に声を掛けられる。スーツ姿でオールバックに細目の小男。もしかして金板を買い取ったのを見て奪う気で近寄って来たのかと、持っている物が物だけに警戒したのですが武器を取り出す素振りも見られない。いや、油断は禁物か……。

 

「……だとしたら?」

 

 ジリジリと後退し、何時でも駆けて逃げ出せる準備を整える。そんな風に警戒しているのが伝わったらしく彼は苦笑しながらも懐から書類を取り出す。あれは出品者の証明の……。

 

 

「……ナスの涙」

 

「!?」

 

 男が呟いたキーワードに反応し、体が固まる。目を凝らして見れば証明書に書いている出品物の特徴が明記され、名称はナスの涙と伝わっている宝石細工と書かれている。まさか、彼が出品者なのかっ!? しかし、だとしても私に近寄って来た理由が分からない……。

 

 

「そう警戒するなって。俺は代々受け継いだ宝をやむなく出品する事にしたんだが、どうも価値も分かっていない好事家が競り落とす気だって分かってな。……家宝だ、そんな奴に渡したくねぇ」

 

 これから予想される流れは剰りにも都合が良すぎる内容だった。だが、それでも構わないのが私みたいな研究者なのだから。

 

 

 

「預けていたのを偽物とすり替えて来た。アンタ、換金所での会話を聞いた限りじゃ随分と熱心な学者みたいだ。……頼む! 一緒に遺跡で謎を解き明かしてくれ。先祖が夢見たロマンを追いかけたいんだ!」

 

 差し出された手を取らないという選択肢は私には存在しない。一切の迷い無く彼の手を取って頷いた。本来ならばオークションへの出品が決まっていた品を持ち出すなど悪い事だ。だが、それでも私は失われた歴史を解き明かしたいんだ。

 

 

「私はシフド・フービ。宜しくお願いします」

 

「俺はジェフリー・バジリスク。既に準備は出来ている。ったく、直ぐに考古学者が見つかったから無駄にならなくて助かったぜ」

 

 この時、彼の目が怪しく光るも知識欲と好奇心で眩んだ私の目では気付く事が出来なかった……。

 

 

 

 

 

「シフドさん、居ませんね。まあ、居ても知らない振りがマナーですから」

 

 拝啓、本物の私、既に亡くなって居るでしょうが如何お過ごしでしょうか? コピーの私は未だ生きています。いやはや、人間とはノリで行動する物ではないと痛感していますよ。神の半数以上はその場のノリで行動しますけど。

 

 まあ、それは兎も角として彼からはナスの涙に関する情報を得ましたし、縁があったからとお世話をしましたが元から今日までとの話。よく調べずに後から歴代の落札額を知って参加を辞退する人も居ますし、わざわざ探知魔法を調べる迄も無いでしょう。

 

 ……おや? 少し離れた場所で既に大量のお酒を飲んでいる少しマナーの悪い集団ですが、何処かで見た気がしますね。……あっ。

 

「……キリュウ、知り合いに会っても知らない振りがマナーだぞ」

 

 どうやらシルヴィアも気が付いていたのか視線を向けない様にしている。まあ、恥ずかしいですからね、知り合いだと思われるのは。結構騒いでいるのに警備員が注意にすら行かないのは能力を無駄使いした結果でしょう。ゲルダさんには絶対に気付かれない様にしなくては……。

 

「……賢者様、私は何も見聞きしていませんよ」

 

 何も言っていないのにそんな事を口にするとは、つまり先程の会話で気が付いたのでしょう。シルヴィア同様に彼女も目を逸らす中、突如明かりが消えてステージをスポットライトが照らす。其処に居たのは二人のバニーガールでした。

 

「はーい! 間もなく年に一度のヤクゼン大オークションを開始しまーす! 司会進行は僕、キュロットと」

 

「私、ニオンが担当させて頂きます」

 

 オレンジ色をしたショートヘアーの少し童顔な赤いバニースーツと金髪ロールの大人びた黒のバニースーツ、活発な印象と落ち着いた印象の正反対な二人ですが共通して胸が大きい。会場の男性陣、特に先程の集団が大いに盛り上がった。……あれ? 一番盛り上がっている方ってイエロアで最も信仰されている砂と風の……私は何も見なかった。

 

 

「良いぞー! もっと脱げー!」

 

「君達の愛を競り落としたいぜー!」

 

 響く歓声鳴る口笛、反対に女性陣の反応は一部を除いて冷たい。熱い視線を二人に送っている女性も居るのは見なかった事にしましょう。趣味嗜好はそれぞれだ。そして面白そうだからと同行したシルヴィアと社会勉強にと連れて来たゲルダさんはどうしているかと言うと……。

 

「見ろ、ゲルダ。あれがバニーガールだ」

 

「へー」

 

「初代勇者が熱く語った事で広まったらしい」

 

「へー」

 

 痛い! 冷たい視線が非常に痛い! 仕方無いじゃないですか、当時の私はそんな年頃だったんです。既にシルヴィアに惚れていたとしても、女性の色気に興味を向けても不思議じゃなかったんですよ。……反省していますから勘弁して欲しいです。

 

 今頃になって女性の中に男一人が居る大変さを感じるとは思いませんでした。……お酒での飲んで自分を誤魔化しましょう。さて、何を飲みましょうかね。

 

 

 

「続いての商品は此方! タンドゥール遺跡から発見された警備用と思われるゴーレム! 何度か出品されましたが歴代でも上位の状態の良さです!」

 

 機能を停止したサンドローズゴーレムが運ばれ、金一枚から競りが始まる。うーん、今回は特に見るべき物は有りませんね。一度私の暗号文字で書いた日記が出品された時は焦りましたけど、危険な品は無い様子。一度商品が置かれている倉庫に探知魔法を使っても大きな反応は一つだけ有りましたけどタンドゥールとは無関係でしょうしね。

 

「えっと、帰りに食べたい物は有りますか?」

 

「この街で一番高級な店のフルコース」

 

「あと、本屋で何冊か本を」

 

「……はい」

 

 今重要なのは二人の機嫌を直す事。来るんじゃ無かったと後悔しつつ、必要な予約をどう取ろうか悩む間もオークションは進む。この手の物には偽物が多い為かナスの涙が出て来たのは最後の商品の一個前だった。それでも温存される位の価値は期待されているのでしょうが。

 

「残す所二個! 先ずはタンドゥールの秘宝とされ、全てを手にするのに必要な鍵として伝わるナスの涙!」

 

「形状は文献に酷似しており、内包する力も凄まじい。信憑性は高いと思われます!」

 

 出て来たのは赤い水晶の様な球体に金と銀の色をした金属が網目状に張り付いて宙に浮いている物。溢れ出す魔力に会場の多くの人が息を飲む。……但し、バニーガール相手に大騒ぎしていた団体と私達は特に反応する事は有りませんでした。古代の春画やら裸婦像に金板数百枚単位での競り合いをしていた彼らの様子にライバルが減ったと思ったのか他の方々の顔に歓喜の色が浮かびますが……偽物なんですよね、アレって。

 

 魔力は漏れ出しているのではなくて表面だけの見せ掛けですし、それ程古い素材を使ってもいない。恐らくはそこそこの腕の魔法使いが作ったのでしょうが、何の為に来たのかと思ってしまいますよ。

 

「金二百枚!」

 

「金二百と銀三百!」

 

「金三百!」

 

 それなりの資産家の財産が金二十枚程ですし、魔族の影響でイエロアは未だに結構酷い状況にも関わらず大層な金額が動く動く。さて、どうせ金持ちの自己満足で終わるので放置しますが、問題は最後の商品。神の世界の物の気配を関知していますし、最終的に金六百五十で落札されたナスの涙が偽物な以上は最も重要案件です。さて、どんな物が出て来るのか……。

 

 

 

「いよいよ最後の商品! これは凄いよ!」

 

「私も一目見ただけで心を奪われて……」

 

 出て来たのは布を被されて隠されてはいるが神の気配を隠しきれない何か。騒いでいた方々も真剣な眼差しになる所は流石だと思います。さて、一般人も只ならぬ雰囲気を感じる中、布が取り払われる。光り輝く……下着が現れた。

 

 ……はい?

 

「今回の最終商品は此方! 愛と戦の女神イシュリア様より一晩の愛を受けた男性が目を覚ました時、ベッドにこれが残っていたそうだよ!」

 

「偽物か本物か……見たら分かりますよね?」

 

 これは疑う人は居ないでしょう。物理的に光っている訳でもないのに眩しく見える下着、更に無駄に神々しいなど人の手では作り出せません。真横からシルヴィアが机に突っ伏す音が聞こえて来ます。まあ、実の姉が何時もの男漁りの末に脱いだまま忘れた下着がオークションに出されたとなっては……。

 

「……レストランはゲルダと二人で行ってくれ。私は一時帰還して姉様に会いたくなった。」

 

 

「金三千!」

 

「いや、四千五百!」

 

「金六千でどうだ! イシュリアのブラジャー!!」

 

「おい、金を合わせて競り落とすぞ。俺はショーツだ」

 

 ……拝啓、地球で既に死んでいるであろうオリジナルの私。こんな時、私はどんな声を掛ければ良いのでしょうか? 私とは三百年程の交流が有る方々が小姑の下着に莫大な値を付ける中、妻に何を言えば分からない私には賢者の名は相応しくないのかも知れません。

 

「……」

 

 あっ、ゲルダさんが彼らを道端のゴミを見る目で見ています。この子、本当に逞しくなりました。喜ぶべきなのか、それを感じる理由に悲しむべきなのか。誰か教えて下さい。

 

 

 

「それにしても凄い金額が動いて驚きだわ。特に最高価格のナスの涙って宝石細工があんなになるなんて」

 

「考古学の重要な資料ですからね。シフドさんも狙って来た訳ですし、他にも同業者らしき方が数人来ていましたよ」

 

 オークションの帰り道、ラサに頼んで予約したレストランに向かう道中でオークションの話題が始まる。下着については……うん、忘れましょう。ゲルダさんも無かった事にしていますし。

 

 しかし、明らかに格の違う資産家が多かったのを見ると抽選の枠組みに幾らかグループ分けが有りそうですね。その上であれだけの数が参加出来たのは大いなる力を無駄に発揮するという日常茶飯事が起きたのでしょう、あの集団によって。

 

 

「なあ、今の会話が聞こえたけど、もしかして考古学者のシフドって言わなかった?」

 

「おや、これはサラさん。お仕事中ですか?」

 

 不意に背後から声が掛かり、振り向けば私を取り調べたサラさんだ。ゲルダさんが私の知り合いかと思って肯定すると慌てた様子で詰め寄って来ますし、普通の知り合いではなさそうだ。

 

「彼奴、私に会いに来たとか言っていなかった? もしくはそれっぽい事……」

 

「いえ? オークションに参加するとか、調べたい遺跡が有るとかしか言っていませんでした」

 

「……そう。時間を取らせて悪かったわね」

 

 サラさんは肩を落とし、明らかに落胆した様子。うーん、これはもしかして……。

 

「痴情のもつれって奴かしら? 賢者様はどう思う?」

 

「さて、どうでしょう。貴女がおませさんなのは分かりましたよ」

 

「もう! 言い方には気を付けて欲しいわ! 意地悪よ、意地悪!」

 

 おや、どうも気に入らなかったのか頬を膨らませて栗鼠の様だ。こんな所は子供らしくて安心するのですよね。そうこうしている内にレストランが見えて来ました。では、入る前にする事が有りましたね。

 

「ゲルダさん、こんな店にはドレスコードが有ります。ですので……」

 

 指を鳴らせば私達の服が一瞬でタキシードと純白のドレスへと変わる。ついでに幾つかアクセサリーも付けてあげれば、普段は田舎者丸出しのゲルダさんが何処かのお嬢様にしか見えませんよ。

 

「馬子にも……いえ、失礼ですね」

 

「……何か知らないけど凄く失礼な事を言われた気がするわ」

 

「気のせいですよ。では、行きましょう」

 

 賢者としての営業スマイルで誤魔化し、ゲルダさんを伴ってレストランへと入る。受付に話し掛ければ直ぐに予約の確認が終わった……のですが。

 

 

 

「三名でご予約の方ですね? お連れの方は既に個室でお待ちですよ」

 

 ……私、シルヴィアがアンノウンを連れて一時帰宅したので二名しか予約していないのですがね。個室に案内されるらしいですが、一体誰が待っているのやら……。

 

 




なろう版はキャラクター追加予定 思いつきです

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勇者は思う、会いたいと

「……来たか。やれやれ、人間社会ってのは本当に不便だ。食事は中々だけど」

 

 ヤクゼン最高の値段と味を誇る(らしい)ラワウシャに予約を入れて入店した私達だけど、居ない筈の三人目が既に待っていたわ。見覚えが有るけど会った事の無いお姉さん。緑のドレスで着飾った緑の髪のお姉さん。髪型は羊みたいにモコモコで、羊の角の髪飾り。……もしかして!

 

「ダヴィル様っ!? ええっ!? だってダヴィル様って私みたいな子供………」

 

 この匂いも声も見た目の特徴も絶対に間違い無いわ。目の前のお姉さんは牧羊神のダヴィル様。でも、前会った時は子供だったわよね? 私のそんな疑問に対してダヴィル様は呆れた様な視線を向けて来たわ。私じゃなくって賢者様にだから何かやらかしたみたいね。

 

「……君、ちゃんと神について教えてないのか? まったく、何をやっているんだか。どうせシルヴィア様とイチャイチャしてばっかりなんだろう? その疑問の答えだけどね、ゲルダ。神は好きな年齢に体を変質出来るんだ。好みや過ごしやすい年齢はバラバラだけどね」

 

 

 ダヴィル様は大袈裟に溜め息を吐いたと思うと私には優しい笑顔を向けて来た。それにしても初めて聞いたわ。何度か神様を見たけど、確かに不老不死なのに見た目の年齢がバラバラだもの。でも、普段は子供の姿のダヴィル様がどうして大人の姿なのかしら?

 

「この姿? ……子供の姿で先に行ったら大人と一緒に来いって言われてね。不便だよ、六色世界ってさ。ちょっとソリュロ様から伝言を預かっていて来たついでに役得で食事でもと思った訳だ。神の力で少しズルして予約に滑り込ませて貰ったけど別に良いかい?」

 

「え? だったら子供の姿でも入れる様にしたら良かったのでは?」

 

「……席に着こうか」

 

 賢者様の呟きに目を逸らすダヴィル様。……所で預けている羊達とゲルドバは元気かしら? 魔法で呼び出してはいるけれど、ダヴィル様が世話をしてくれているとは言っても大切な子達だから心配よ。だけど聞くのは失礼よね。だって羊飼いの私にとってダヴィル様はどの神様よりも信仰している相手だもの。

 

 

「ああ、重要な事を言うのを忘れていた。君の羊も牧羊犬も元気だよ。君がちゃんと世話をしていたからね。良い魔法も得たらしい。絆が深くないと上手く発動しないタイプの魔法だ」

 

 相変わらず頭を撫でられるわね、私って。まあ、悪い気はしないのだけれど。賢者様もだけど、神様に撫でられるのって心地良いわ。……うん。もっと頑張ろうって気になったわね。

 

 

 

 皿とナイフが当たってカチャリと音が鳴る。ナンチャラのエルフ風ムニエルの何とかソースだって紹介された魚料理だけど、匂いも見た目も初めての物だしテーブルマナーなんて習っていないから困惑しちゃう。ドレスを着て着飾った時はお姫様みたいって思ったけれど、田舎の羊飼いで良かったわ。食事の度にこれじゃあ息が詰まるもの。

 

「ゲルダさん、今後はかしこまった場での食事の勉強もしましょうか。鬱陶しい話ですが、上流階級との食事会の可能性も有りますので」

 

「ああ、君が何度も逃げ出そうとした練習か。所でゲルダ、次は羊肉の料理だそうだが嫌なら貰っても構わないぞ」

 

「いえ、大丈夫です。……あの、所で伝言って?」

 

 別に羊のお肉は嫌いじゃないわ。私の所の子達は数が少ないし羊毛が欲しいから飼っているけれど、食肉用に育てている人から分けて貰っているもの。でも、ダヴィル様って食い意地が張っているのね。そんな風に言って二人分食べようとするだなんて。この旅で何度も神様に会って、その度に驚かされる。私より信仰心が強い人が知ったら卒倒しそうな事実を再確認する中、ムニエルの最後の一切れを口に運んだダヴィル様はナプキンで口元を拭ってから真剣な顔で話を始めた。

 

 

「そろそろ勇者としての儀式を進める事が出来る頃合いだ。明日にでも前回の聖都だったチキポクに向かえとソリュロ様が言っていた」

 

「おや、随分と早い。今までは三個目の世界に行ってからでしたよね?」

 

「今回の魔族は先代の馬鹿のやらかしで余計な知識を持っている。それを警戒したのと……ゲルダが優秀だからだ」

 

 二人が話を進めている勇者としての儀式だけど、勇者なら必ず最初の世界で受ける物だったわ。でも、実は秘密になっている事が一つ。儀式によって与えられた試練を最後まで突破したのは初代勇者の賢者様と四代目の私だけ。二代目と三代目は途中で失敗したから私には期待していると誉めて貰えたのは嬉しかった。

 

 だって勇者の冒険を描いた物語が好きで、勇者に恋をするお姫様よりも勇者に憧れを抱いたのだもの。だからこそ今回の話には驚きを隠せない。確かに歴代の勇者は何度も儀式を受けて力を増したけど、何個か世界を挟んでの事だったわ。なのに私が優秀だって言われて嬉しいけど関連性が分からないのだけど。……何か聞かない方が良い気もするわね。勇者としてでなく、勇者の伝説に心躍らせた身として。

 

「えっと、私に早急な強化が必要なのかしら、賢者様?」

 

「まあ、今までの相手が下級魔族だったり世界と相性が悪かったりしましたが、流石に次からは本腰を入れて来るでしょう。何時までも弱い順に襲って来る方が変ですしね」

 

 ……それもそうなのだわ。子供の私にだって相手に強さに合った強さの人を順番に送り込むのは下策だって分かるもの。……逆に今までが変だったのよ。あの裏切り者を抹殺しに来たって言っていたチューヌ・ザンドマンは砂使いだったけど、砂漠の世界に氷の力を使う魔族を派遣するなんて……。

 

 戦った相手でも、いえ、戦った相手だからこそ使い捨てにするみたいなやり方に腹が立つわ。そして最初に戦ったルルが言っていたけど魔族は人間を襲う事を当然だと考えているし、同族でさえそうなら人間に対してどんな事をするのか考えたくもない。魔王は絶対に倒して封印しなくちゃ駄目ね。だって私は勇者だもの。それが私の使命なのよ。

 

 

「まあ、実際は落第点を取ったから補習をするみたいな物だったのですけどね。その上、多分失敗するだろうから力を付けるのを待っていたのが世界を挟んだ理由です。外聞が悪いから捏造しただけで、私は受けていないんですよ。まあ、勇者の力が上乗せされますし、損にはなりませんし受けたらどうですか?」

 

「賢者様、だから夢見る少女の憧れを汚すのは止めて欲しいのだわ」

 

「この子、随分と逞しくなったな。……ああ、伝言が残り二つ。イシュリアの馬鹿様、じゃなくてイシュリア様が神の持ち物を人間の所に忘れてくるなんて馬鹿をやらかしたからね。シルヴィア様が三日三晩正座させて説教させる事になったから」

 

「……え? 三日もシルヴィアが戻って来ないのですか? じゃあ、私達も一旦休んで……駄目?」

 

「駄目に決まっているわよ、賢者様! ダヴィル様、ちゃんと明日には向かうから安心して下さい」

 

 賢者様、本当に女神様が関わるとポンコツになるんだから。私は少し不機嫌になって賢者様を叱る。十歳の子供に叱られる三百歳って情けないわ。普段は頼れるのに……。

 

「ゲルダ、君がちゃんとしてくれて助かるよ。彼はシルヴィア様が関わったら途端にポンコツになるんだ。勇者時代はもう少しマシだったんだけどさ……。すっかり神に染まったせいでオークションで馬鹿騒ぎする連中と同類だ」

 

「シルヴィアと関われるなら私は幾らでも情けなくなりますよ。それが愛という物では?」

 

 ダヴィル様に結構な事を言われているのに賢者様に気にした様子が無い。そのオークションで馬鹿騒ぎしたって神様について私は一切知らないし見た事も聞いた事も絶対に無いのだけれど、酷い事だとは何故か分かるわ。本当にどうしてかしら? うん、考える気が起きないわね。

 

「まあ、こんな人だけど役には立つから。それともう一つだけど……遺跡をどうにかしろと頼んだ筈だ、だって。まあ、頑張れば?」

 

 ダヴィル様は平然としているけれど、賢者様は明らかに顔色が変わる。でも、会った事が無い私でも賢者様の魔法の師匠のソリュロ様はちょっと怖いの。魔法を司る事もあって一部の魔法使いには信仰されるけど、殆どの人は畏れ遠ざける。死を司るスディハ様や疫病神のスズバ様よりも人々に恐れられる存在、決して逃れる事も防ぐ事も不可能な厄災である神罰を司る神こそがソリュロ様なのだから。

 

 楓さんから教えて貰ったイエロアに伝わる伝説について思い出すだけで少し震えが来る。この恐怖は人の本能だって賢者様から教えて貰ったわ。決して神様は人にとって都合の良いお助け係じゃないって心の奥底で認識しているらしい。

 

「……大丈夫だよ。あの方は人間が好きな神なんだ。だからこそ人が怖がらない為に滅多に人に関わらないんだ。キリュウの世話を何かと焼くのもそんな理由からだろうね。君の事も心配していたよ」

 

「えっと、じゃあ一度会ってみたいわ。ちょっと怖いけど、気にして貰っているならお礼が言いたいわ」

 

 多分、それが礼儀だと思う。怖いからって会いたくないって言うのは失礼だし、勇者の私なら会う口実は幾らでも作れるわ。人が好きなのに、人が好きだからこそ会えないだなんて寂しいわ。ダヴィル様も同じ事を考えていたのか私の言葉を聞いて嬉しそうだった。

 

「君は優しい子だね。じゃあ、魔法の指導を受けるって口実を作っておくよ。あの方は位が高いのに他の神の面倒も見る位に優しいんだ」

 

 魔法を使って呼び出している間は羊達と今まで以上に意志の疎通が出来たのだけど、あの子達を通してダヴィル様がどんな方か分かる。そんなダヴィル様が慕っているのだからソリュロ様もきっと凄く優しい方だと思えて、聞いた話だけで抱いていた恐怖が薄らぐのを私は感じていた。未だ少し怖いけど、何度も会ってお話しすれば、一緒にお茶を飲んでお菓子を食べる仲になれる気がするわね。

 

「まあ、キリュウの師匠だ。彼の師事を受けているなら君は孫弟子、きっと上手く行くさ」

 

「ええ! 会う日が楽しみだわ。ねぇ、賢者様!」

 

 ……あれ? 賢者様がさっきから黙っているわね。一体どうしたのかしら? ちょっと気になって見てみれば机に突っ伏して寝ている。グラスが倒れているけど、酔い潰れているの? でも、お酒に強かったと思うけど。

 

 

「……あー、うん。彼って本当は一口飲んだだけでこうなる位に弱いんだ。偶に忘れるけど、どうせ普段は魔法で全然酔わなくしているんだろうさ、この馬鹿は」

 

「そうですね。賢者様って偶に馬鹿になるわ。でも、それで良いと思うの」

 

 また呆れ顔のダヴィル様だけど、だからと言って賢者様を嫌った様子は無いみたい。好きな人の事となると見境が無くなって、先生が怖くって、お酒に酔って寝てしまう。うん、そんな人だからこそ私も気を張らないで一緒に旅が出来るわ。だって憧れる存在と会ってみたいのと一緒に過ごしたいのは別だもの。

 

「私、賢者様のそんな所が好きですよ。男の人としてではないですけど」

 

「うん、それで良いさ。君は君の恋を見付ければ良い。売名に利用する気で近付く奴は懲らしめてやるから本当の愛を見付けるんだ」

 

「……はい」

 

 ちょっとだけ恥ずかしいと思ったけれど、ダヴィル様の言葉は心に染みる。私の恋かぁ。素敵な人と巡り会えたら嬉しいわ。だから神様に祈りましょう。

 

 

 

 

「……あっ、愛を司る神様ってイシュリア様だったわ」

 

 賢者様に無駄なアプローチをして妹と喧嘩して、会ったばかりの男の人の所に下着を忘れる普段から下着みたいな姿で過ごしているらしい方。ちょっと祈らない方が良いかも知れないわね。悪影響が有りそうだわ。

 

「……大丈夫。恋を司る神は別だから」

 

 そうやってフォローするって事はダヴィル様もイシュリア様への印象は同じなのね。……さて、気持ちを切り替えましょう。チキポクだったかしら? 勇者に課せられる試練は時代によって違うけど、私にはどんな試練が課せられるのかしらね。それに、折角旅をしているのだから色々な町に行って大勢の人と出会いたいわ。

 

 それに、顔も名前も知ってるから背負う事が出来るのだもの。賢者様だって人間らしいし、知らない人を守る為に危険を冒す事に悩んでも良い筈だわ。でも、迷いたくはない。だから大勢と知り合いたいの。嫌な出会い、辛い別れも沢山有ると思うけど、私の成長に繋がるだろうから。

 

「明日が楽しみね」

 

「じゃあ、彼はこっちで宿まで運ぶとして……メインとデザートは分け合おうか」

 

 少し悪戯をする時みたいに笑う私とダヴィル様。明日への期待で胸が膨らむ様だった。……だけど予想もしなかったわ。まさかチキポクで意外な再会が有るだなんて。うん、予想しろって方が無茶だわ……。

 

 

 

 

 

 

「あわわわっ!? お、落ちるー!」

 

「おっと、注意しろって言ったろ、先生!」

 

 諦めていたナスの涙を入手して、方法を検討中だったタンドゥール最深部へと向かう道中、順風満帆に思えた旅路は困難に見舞われていた。ロックバードは大型の鳥モンスターだけあって荒れ狂う砂嵐の中も平気で突っ切る……のですが、時折旋回して風に乗る上に、背中の私達は真正面から砂嵐を浴びる事になる。正直言って目も開けられない状況な上に口を開ければ中が砂だらけになってしまった。

 

「おい、そろそろ抜けるぜ!」

 

 ナスの涙の提供者でありロックバードの飼い主であるジェフリーさん

の声が砂嵐の音に混じって耳に届き、途端に砂が顔に当たらなくなる。帽子は既に飛ばされて髪や耳に砂が入って気持ちが悪いな。ジェフリーさんはよく平気だよ。……本当に何者だろうか。

 

 だが、複雑で罠だらけの地下洞窟を通らなくても遺跡に近付けたのは助かった。キングビートルや飛行魔法ではあの砂嵐は突破不可能だからな。かと言って洞窟には危険なモンスターが多い。本当に此処まで来れたのは神の祝福が有ったとさえ思えるよ。

 

 だが、一難去ってまた一難。誰も突破出来ない砂嵐だったからこそ外からでは分からなかったが、砂嵐を抜けたかと思うと遠くに更に激しい砂嵐が見える上に間の空間も普通じゃない。何かが高速で飛行している。一体何だと思ったが、その正体は兎も角、どんな物かは直ぐに分かる。凄く危険な物だ。

 

「ちぃ! 遺跡の防衛システムって奴か。空からなら楽だと思ったのが間違いだったぜ!」

 

 ジェフリーさんは毒づきながら目を見開き鞭を振るう。私達に向かって一斉に襲い掛かる何かは鞭に弾かれ軌道を変えたかと思ったが、直ぐに反転して戻って来る。わっ!? 今、掠めたぞっ!? 鋭さを持っていた何かが掠った事で服が切れ、懐から懐中時計が落ちていく。あれは尊敬していた祖父から貰った大切な物だ。思わず手を伸ばすも指先を掠めて懐中時計は落ちて行った。

 

 

「……大切な物だったか? それよりも漸く正体が分かったぜ」

 

 ジェフリーさんが右手に掴んだのはフォーク位の長さと太さの石の槍。掴む手から逃れる為に暴れるが掴む力が強いのか抜け出せない。しかし、こんな物が沢山飛んでいるだなんて……うん?

 

「なあ、先生。これをどうにかする方法って知らないかい?」

 

「……昔、古文書で似た物に関する記述が。確か、”その者達、空を支配しその身を突き立てるまで止まらぬ”、だったかと」

 

「……要するに何かに刺されば止まるって事だ。だったらっ!」

 

 ジェフリーさんは鞭に着替えの服を結んで幾つもの団子状にすると立ち上がって伏せている様に叫ぶ。そして私が伏せた瞬間、鞭をロックバードの周囲を囲む様に激しく振り回した。次々に服に突き刺さり動きを止める石の槍。

 

「突っ込むぞー! 絶対に手を離すなー!」

 

 伏せたままの私の耳にその叫びが聞こえ、次の瞬間には全身に激しく砂が叩き付けられる。もう砂嵐の音しか聞こえず目も開けられない私に出来るのは落ちない様に耐えるだけ。だから気が付かなかった。砂嵐の中に潜む巨大な怪物の存在に……。

 

 




感想待ってます なろうとは少し印象が違ってきます


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冒険と友情

 お前のやっている事は墓荒らしと変わらない。神には三日前の新しい墓も三百年前の墳墓も変わらないのだから地獄に落ちるぞ、そんな事を友人に言われた事がある。その時は酒が入っている事もあって喧嘩になったし、馬鹿馬鹿しいと思った物です。

 

 ですが、今居る場所が地獄だと告げられれば信じてしまう、それだけの物が此処には存在した。容赦なく鼻や口に侵入する砂によって呼吸すらままならず、全身に叩き付けられる砂の勢いは鈍器による殴打の様だ。苦痛によって飛びそうな意識を保ち、ロックバードに掴まる腕に集中する。

 

 唯一の希望は少しずつでも前に進んでいると感じる事。先程の砂嵐より旋回の頻度が各段に多くとも確かに目的地に近付いていると感じられ、それが意識を保つ理由となる。ですが、その希望が突如潰えた。

 

 力強く飛翔していた巨大から力が抜け、砂嵐になすがままに弄ばれる。振り回される虫かごの中の無視の気持ちを味わいながら絶望に染まる中、脳裏を過ぎったのは考古学者としての無念ではなく、今も愛しく思っている女性の笑顔。ああ、私は本当に彼女を愛していたのですね。

 

 ですが、それも今更。既に二人は破局を向かえ、私の命は風前の灯火だ。最期に会いたいなど今更遅いと、そう思った時だった。砂嵐から勢い良く弾き出される私達。幸運にも脱出した方向は目的地であるタンドゥール遺跡側。不運を挙げるならばかなりの高所から勢い良く落下しているという事。結局、私達の命は此処までらしい。

 

「!」

 

 私が諦める中、突如力を失った筈のロックバードが動き出した。漸く目を開ける事が叶い目を開ければどれ程の傷を負っているのか一目では判別出来なかった程です。翼にも体にも無数の風穴が存在し、頭の一部すら欠損している。そんな状態で必死に翼を動かし、徐々に落下の速度が落ちて行く。最後には滑空するかの様に着地し、擦れた地面には夥しい血の跡が残っていました。

 

「……ご苦労だった。もう眠りやがれ」

 

 貴い犠牲の末に私達には殆ど外傷が見られない。何が起きていたかは分かりませんが、この無数の傷は私達を庇っての物も存在するのでしょう。主であるジェフリーさんの静かな労いの声を受け、ロックバードは静かに目を閉じる。そして、二度と目を開ける事は有りませんでした。

 

「ジェフリーさん……」

 

「気を抜くな、先生。……此奴の犠牲を無駄にしたくなければな」

 

 ジェフリーさんがキッと見上げる方向から砂嵐の轟音に混じって羽音が聞こえて来ました。ですが、羽音にしては少し妙な気がします。まるで石が擦れ合う様な音。遠目では砂嵐の影響で視認が困難な中、私の足下に何かが飛んで来て地面に突き刺さる。いえ、突き刺さった勢いで地下深くにまで進んでいます。これがロックバードの命を奪った凶器であり、やがて襲撃者の姿が鮮明になる。

 

「ス…ストーンビー……」

 

 思わずその名を呟き、体が震える。冷や汗が一気に噴き出すのを感じていました。

 

「知っているのか、先生!?」

 

「ええ、勘違いだと願う程度には……」

 

 ストーンビーは関連する遺跡の壁画や文献や伝承に時折登場するタンドゥールの防衛システムの一つ。空を覆う程と伝わっていましたが目の前の数は前方に精々二十匹程が居る程度。ですが少しも楽観視は出来ません。今も激しく尻を動かして合図を送り合って私達に襲い掛かろうとしているのですから。周囲は風化した建物の跡であり、ストーンビーの残骸も混じっている。同様に目の前のも機能停止が近ければどれだけ良かったか。

 

「ジェフリーさん、逃げましょう。奴らは魔族から都市を防衛する為の存在です。私達では敵わない」

 

「つっても何処に逃げれば……彼処だっ!」

 

 前方のストーンビーに意識を向けながらもジェフリーさんが発見した退路はストーンビーの真下、地面に開いた深い穴。目を凝らせば階段らしき物の残骸が見え、恐らく遺跡への入り口でしょう。つまり今から行われる猛攻を掻い潜って飛び込む必要が有るのですね。

 

「四の五の言っている暇はねぇぞ! 男だったら腹括れ!」

 

 その叫び声と共にジェフリーさんは走り出し、ストーンビーも尻の針を飛ばし始めた。速度は凄まじく、貫通力は当たれば致命的。発射する度に即座に再生はするのですが、僅かな救いとして次のを撃ち出すまで時間が必要らしい。これなら避けきれる!

 

「ジェフリーさん、次三時の方角から来ます!」

 

「おうともっ!」

 

 後方からストーンビーの動きを観察し、針を今すぐ撃てない個体を割り出す。これならギリギリ……。

 

 駆ける、駆ける、駆ける。針を死に物狂いで避け、遂に穴まで到達した私達は何処まで続くか分からない急勾配六転がり落ちながら進んで行った。時折残っている石段に体を打ち据えられながらも転がり続け、漸く下まで到達すると勢い余って広い空間の中央まで転がり続けて止まる。体中が痛む中、私の視界には夢見ていた光景が広がっていた。

 

 既に失われた技術によって地下深くにも関わらず淡く光る室内、天井や壁に刻まれた古代文字や壁画。存在すると伝聞され、誰も到達する事無く憶測と期待ばかりが広がっていたタンドゥール遺跡に私は確かに来ていたのです。関連する都市や僅かに地上に通じている一部とは残っている物も何もかも違う。この時点で私は自らの頬を伝う涙に気が付いていました。

 

「もう死んでも良い……」

 

「おいおい、先生さんよぉ。目的地は未だずっと先なんだろう? 道半ば所か最初の一歩で満足してどうするんだっての」

 

「……そうでした。すみません、つい……」

 

 そうだ、この程度で満足しては駄目だぞ、私。折角手に入れたナスの涙と頼もしい仲間。此処まで来たなら最後まで行こうじゃないか。タンドゥール遺跡の最奥に存在するとされる王家の墓、其処に眠る大秘宝を手に入れ、歴史の謎を解き明かすんだ。

 

「ジェフリーさん、どうか最後まで宜しくお願いします。私だけでは絶対に此処まで来るのは無理でした。そして、此処から先に進むにも私一人では無理です。どうか力を貸して下さい」

 

「おうさっ! ……へへっ! 頼られるのは照れ臭いな」

 

 恥ずかしそうにしながらもジェフリーさんは手を前に突きだし、私もその上に自分の腕を重ねる。これから先は全くの未知が待ち受けている事でしょう。ですが、私達ならば大丈夫だと重ねた腕から伝わって来る何かが告げていました。

 

「絶対に最奥まで進みましょう!」

 

 そうだ、私は絶対に考古学者としての野望を叶えてみせる。……そして、これを最後にしよう。別れを告げ、忘れようとしても忘れられない彼女の元に返る為、堂々と胸を張れる一世一代の大仕事にしなくては。正面から彼女に顔向けが出来る様に……。

 

 

 

 

「……罠が有るって聞いてたけどよ、先生。なんか随分と順調じゃねぇか?」

 

 広間から先に進む事、約一時間。真っ直ぐ進んで曲がって下り、時折上って引き返しもしながらも私達は先に進んでいた。分かれ道は壁に刻まれた文字を解読、消えてしまっている所を推察しながらの道行きは順調で、ジェフリーさんが訝しむのも無理は無い。ですが、元々不思議な話でもないのです。

 

「私達にとっては遺跡でも、当時の人々には生活の場であり、通っていた道ですからね。流石に此処まで来ると身分の低い方は無理ですが、有る程度の地位に就いていれば通ったらしいです。ですので文献を読み解く限りでは侵入者の様に許可を受けていない者のみに発動するらしいのですが……何分七百年前ですから」

 

「壊れてやがるのか。まあ、あの石の蜂も本当はもっと大群だったって話だしな。っと、何か意味が有りそうな物が有るぜ」

 

「ちょっと待って下さい。何処かで読んだ覚えが……」

 

 殺風景だった廊下の端、壁に埋まって顔だけを突き出している蛇の彫刻を発見しました。慌てて蛇を調べますが何で作られているのかも皆目見当が付かない。分かる事は私の知らない未知の金属という事だけです。表面を指で触り、必死に頭を働かせて思い出す中、ジェフリーさんが進み出してしまった。

 

「どうせ壊れてるって。さっさと行こう……っ!?」

 

 ジェフリーさんの踏んだ石床から音が鳴り、蛇の口から炎が噴き出す。私の鼻先を焼き、咄嗟に屈んだ彼の髪の先が焼け焦げた。何かあったのか一瞬理解出来ない様子ですが、腰を抜かした彼は腕の力で後退、蛇の彫刻が幾つも続く廊下を見ています。

 

「思い出したっ! ”二匹の蛇は火を噴いて、三匹目は地獄へ誘う”文献の記述はこれの事だったんだ!」

 

「……早く言ってくれ。そんな事はよ。まあ、さっき踏んだ場所がスイッチだったみてぇだし……よっと!」

 

 ジェフリーさんは懐から先程鞭に付けた服の固まりに突き刺さった石の槍を取り出すと床に向かって投げる。幾つかの槍が当たった場所から音が鳴り、近くの蛇の口から火が噴き出す。よし! これだったら安全に進める。ですが、三匹目に関する記述が気になりますね。

 

「……よし。此処は大丈夫だな」

 

 一匹目と二匹目の前を越え、三匹目の周辺の床を鞭で叩いても反応が無い。罠が故障していると判断したのか先に進み、急に姿を消す。驚くよりも前に床から鞭が伸びて蛇に絡まった。まさか地獄って落とし穴っ!?

 

「おーい! 助けてくれー!」

 

 ジェフリーさんの声に慌てて駆け寄り鞭を掴んで持ち上げる。穴の底は不気味に泡立つ緑の液体で、落ちれば一体どうなるのか分からない。最後にジェフリーさんを引き上げると二人して息を吐いた。

 

「助かった。……もう油断はしねぇ」

 

 差し出された手を握る。廊下には未だ無数の蛇の彫刻が存在し、中には完全に壊れて僅かに存在の痕跡が残っているだけの物も。あれに注意し、蛇の数を正確に数えて進まなければならないのですね。

 

「こうなったら意地だ。絶対に生きてたどり着くぞ」

 

「当然です!」

 

 意気込みも新たに私達は進む。床のスイッチを発見し、時に複数存在したスイッチに苦戦しながらも進んだ私達は何とか蛇の廊下を抜け、次の難所に差し掛かる。覗き込めば先が見えない程に長く狭い急勾配、床も壁も油を塗った様に滑り、非常に嫌な予感がした。

 

「こりゃ転がり落ちた先に落とし穴だな」

 

「槍が並んだ壁かも……」

 

 冗談半分に嫌な予感を口にしながらも足を踏み出す。これなら慎重に進めば転ばずに進めそうだ。急がず慌てず、転ばぬ様に進んでいると後ろから音がする。ゴロゴロと、音は近付いて来た。

 

「岩だぁあああああっ!」

 

「ド畜生ぅううううっ!」

 

 通路の幅ギリギリの岩が転がり落ち、私達は慎重さなど放り投げて必死に駆け出す。あんな岩、止める力は無いですし、有ったとしても滑る床では踏ん張りが効かない。出来る事は一つだけ。逃げて逃げて逃げる、それだけです。転びそうになった相手をフォローしながら駆け抜け、漸く横穴を発見する。同時に正面には槍の生えた壁と落とし穴まで現れましたが。

 

「嫌な予感は本当に当たるな!」

 

「当たらないで欲しいのですがね!」

 

 横穴は壁と落とし穴の直ぐ前で、この床で付いて勢いと後ろから迫る岩のせいで引き返すのは不可能でしょう。勝負は一瞬。横穴側に僅かでも寄り、交差する瞬間に飛び込む。飛び込んでから少し遅れて岩が通り過ぎ壁に激突する音が聞こえる。僅かでも遅れれば岩に潰されるか槍に貫かれるか落とし穴に落ちるか……どの道死んでいたでしょう。

 

「……助かったな」

 

「ええ、助かりました」

 

 助かったとホッと一息、するとこみ上げてくる物がある。笑いだ。互いの顔を見て私達は笑ってしまった。

 

「「はははははっ!」」

 

 此処まで共に来て、命の危険を共に味わう。その体験は私達に奇妙な絆を芽生えさせていた。自然と笑いがこみ上げ、静かな場所に響き渡る声は反響を続けていた。出会って間もなく、互いに都合が良いから同行した筈が奇妙な事になりましたね。ですが、悪い気は全くしないのですよ。

 

 

 

「おっ! あれじゃねぇか?」

 

 待ち受ける罠や既に機能停止しているのか散々時間を掛けて慎重に行動したのに何も起きなかった罠らしい物だらけの部屋を駆け抜け、私達は広い場所にやって来た。左右の壁には中途半端な壁画が描かれ、抜けている場所には何かをはめ込む窪み。無数の石版を飾った二つの棚に挟まれて王家の装飾が刻まれた台座。そして台座の後方の巨大な門。

 

「……間違い無い。此処が王家の墓に続く間だ。きっとあの台座にナスの涙を嵌め込めば……」

 

「……そっか。もう辿り着いてしまったのか」

 

 何故か複雑そうなジェフリーさんの言葉に何時もの私なら違和感を覚えていたのでしょうが、高揚感に支配された今の私は気が付かない。ですが、気が付いたとしても結末は変わらなかったでしょう。

 

 揃って広間に足を踏み入れる。入り口がせり上がった壁に防がれ、部屋全体が振動を開始する。天井から巨大なストーンゴーレムが降って来た。

 

「……行けっ!」

 

 ジェフリーさんの鞭がストーンゴーレムの腕に絡み付き、力比べが始まる。明らかな体格差によって明白に思えた勝負は拮抗し、私はナスの涙を手にして台座へと駆け抜ける。

 

 床から炎が噴き出した。服で振り払う。

 

 天井から槍が降って来る。腕で急所を庇い、前に飛び込んだ。

 

 だが、それがどうした。今も仲間が戦っている。ならば私も命を張らずにどうする。此処で怯えて彼女に顔向け出来るのか! 飛んで来た石の欠片が腕や足に突き刺さり止まりそうになるも私は台座に辿り着く。案の定、丁度ナスの涙が嵌まる穴。嵌まった瞬間、台座が床に沈んで声が聞こえて来た。私の頭に直接響く声からは威厳を感じる。

 

『答えよ、三つの問い掛けに答えよ』

 

「と…問い掛けっ!?」

 

『朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足。これ、如何に?』

 

「……人間っ!」

 

 ……助かった。古代の謎掛けは今も幾つか残っていて、私はそれを知っている。赤子、大人、そして老人。この問題は人の一生を朝昼晩に例えている。

 

『この世で最初に人間を誘惑し、その体を許した女神の名は?』

 

「愛と戦の女神イシュリア様!」

 

 これもまた有名な話。何せタンドゥールよりも古代の遺跡の壁画で語られている事だ。……運が良い。この程度なら……。

 

 助かると思い背後を見た私は愕然とする。左右の石版が宙に浮いて壁画の窪みに嵌まり、床から水が染み出し始めている。問い掛けの簡単さに油断して注意を怠っていた様ですね。それにジェフリーさんが危ない。少しずつですが引っ張られ始めています。

 

「早く最後の問題をっ!」

 

『三つの袋に三枚ずつの金貨。二つの袋の中身は偽物で一枚につき一gだけ軽い。一度だけ計る事を許す。さて、本物の判じ方は?』

 

 ……ぐっ! わ、分からないっ! こんな問題なんて私は知りませんよっ!? 焦りが募り、思考が纏まらない中、今度は天井や床からも水が染み出し浸水の速度が上がる。恐らく壁画が完成した時、この部屋は完全に水で満たされる。

 

「せ、先生っ! 俺は泳げないんだっ!」

 

 水の浮力で踏ん張りが効かなくなったのかジェフリーさんがストーンゴーレムに振り回される。その上、彼は小柄だ。既に胸の辺りまで水が来ている。もう時間が無い。

 

「落ち着け、落ち着いて考えるんだ……」

 

 ……死なせない、死なせてなるものか。此処まで共に来た仲間を……待てよ? 何か閃きに繋がる物があった訳じゃない。彼を助けたいと思った瞬間、分かってしまった。

 

「……それぞれの袋から一枚、二枚、三枚ずつ出して計る。そうすれば全部本物だった時との差で分かる筈だっ!」

 

 石版の最後の一枚、スカラベの絵が太陽の下に嵌まる瞬間だった。ストーンゴーレムの動きも止まり、水も引いて行く。そして扉が開く。遂に墳墓までの道が開かれた。

 

 

 

「……ふぃ~。助かったぜ、先生。でもよ、もう此処まで……」

 

 ジェフリーさんの雰囲気が急に変わり、背筋が凍り付く。此処まで共に冒険をした仲間に恐怖を感じたその時、壁画が描かれた壁が切断される。そして、壁の向こうから誰かが現れた。

 

 

 

 

 

 

「……し、死ぬ所だった。水が飲みたかったが溺れる程の量は望んでいないぞ……」

 

 

 




感想待っています

なろうは追加キャラの登場によって更に……


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憧れと現実

 女神様だけでなく、アンノウンまで居なくなっているからチキポク迄の移動手段は空飛ぶ絨毯。何故かは知らないけれど、イエロアならこれしかないと賢者様が乗り気だった。地球って砂漠は空飛ぶ絨毯で移動するのが憧れの的なのかしら。

 

「あっ! そもそも、アンノウンは何をしに女神様に同行したのかしら? どちらかと言うと賢者様の方に懐いているわよね?」

 

 少しそれが気になっていた。何時も近くで鬱陶しいと思う時が有る位に存在をアピールしているアンノウン。私をからかうのがお気に召したらしいにも関わらず、少し怖いと思っているらしい女神様に同行するのが疑問だった。

 

(いや、別に居ないなら居ないで良いのよ。だって悪戯ばっかりするのだもの)

 

「大丈夫。直ぐに戻って来ますよ。予備のヌイグルミが有りますけど抱きますか?」

 

「いえ、要らないわ。ヌイグルミを抱っこして現れる勇者って情けないもの」

 

 本当に寂しくはないのに賢者様は寂しいと勘違いしたのか私の頭に手を乗せる。否定はしないでおこう。

 

「あの子はお仕置きのお手伝いですよ。イシュリア様のやらかしに対するね」

 

 どうも私が思っている以上に神が人に与える影響は大きいらしい。だからこそ最高神の判断で魔族の封印が神から勇者の手に委ねられて、女神様も神の力の殆どを封印して同行している位に。

 

 なら、愛の神であるイシュリア様の下着が何時までも人の世界に存在した場合、どうなるか分からないらしい。……下着でどうにかなってしまうって言うのも情けない話だと思う。魔族も呆れるかも知れない、下着で狂った世界を見たら。

 

「あのまま元の持ち主の手元に残った場合、女神像に着せて信仰の対象にした宗教が始まる所でした。でも、一応下賜した物を横から奪うのも問題ですから少し操ってオークションに出品させたと昨日連絡が有りました。事前に知らせなかったのは余計な気を使わせない為だとか」

 

 凄く嫌な未来を想像してしまう。下着を着た女神像の前で大勢が平伏すの。ちょっとだけ人間が滅んでも良いと思ってしまった私は変ではないわ、絶対に。

 

「……そうなのね。じゃあ、下着欲しさに大金を出す変態扱いしたのは失礼だったわ」

 

 頭の捻子が外れていると賢者様に言われたり、イシュリア様もちょっと変な方だった。でも、人間らしい所がある女神様でさえ人間とは感覚が違うって思う時が有るのに人間の変態と一緒にするべきではなかった。

 

「ノリノリで落札していたから見なかった事にしたのだけれど演技だったのね。まあ、下着を欲しがるなんて変態にも程があるものね、賢者様」

 

「……ええ、そうですね」

 

(……あれ? 賢者様の反応が少し変だわ。これじゃあ回収しに来たのは本当だけど、欲しがったのも本当みたいじゃない)

 よくよく思い出せばエッチな本や裸婦像にまで大金を出していた気がするけれど……私は何も知らない。

 

「所でアンノウンはどんなお手伝いなの? あの子、魔法が得意だしそっち方面かしら? でも、今日の担当のアンノウンまで来ないって大変そうね」

 

「いや、パンダが正座で説教されているイシュリア様を指差しながら笑い転げ、七頭に分かれたままのアンノウンが周囲を踊り明かすと聞いています。可愛らしい光景ですね」

 

「いえ、腹が立つ光景よ。あの子、本当に煽るのが得意ね」

 

 少し想像してみる。妹に三日間のお説教を受けている間、可愛らしいパンダのヌイグルミが笑い転げ、猫っぽい獣が周囲を囲んでダンス。実際に目にした訳でもないのに腹が立つ気分だ。普段から馬鹿にされているから当然だと思うわ。

 

「ムカつきますかね? まあ、私はあの子を使い魔よりもペット寄りで扱っていますからね。ほら、見えて来ましたよ」

 

 賢者様に促されてチキポクの方角に目を向ければ確かに建物が見えて来た。一回目の儀式を受けた街は女同士のカップルが多いのが特徴的で、露天が多いお洒落で華やかな街だったけど、何か地味だと思う。

 

 砂漠の街だからかも知れないけれど、オアシスに隣接するチキポクは飾り気の無い素朴な建物が多く、間違えて別の所に来たと言われれば信じてしまいそう。一番奥の古くで大きな神殿が有るから前の聖都だって信じられるけど、本当に地味ね。ちょっと残念な気分だった。

 

「おや、既に神から知らせが届いているだけあって迎えが来ていますね」

 

「……少し質素ね」

 

 遠目に見える出迎えの人達の服装は染料すら使っていない様子の飾り気の見られない服。今回の聖都を目にしているだけあって、前回の聖都だったチキポクとの差が大きく目立った。

 

「因みにあの街では風と砂の神のヌビアス様です。ゲルダさんもオークションで姿を見たでしょう? ほら、裸婦像を全て落札していた方ですよ。まあ、一度は見なかった事にしたのですけどね」

 

「なら、今も見なかった事を継続して欲しいわ。……偶に賢者様がどうして賢者様って呼ばれるのか疑問に思うわね」

 

 もう少し伝える情報は選んで欲しいと強く思う。失礼だとは思いつつも言わずにはいられなかった。

 

 

 

 

「暇だわ……」

 

 チキポクに到着した賢者様と私だけど、本当に神託が街の全員に有ったらしく大勢に出迎えられた。でも、直ぐに儀式とは行かずに今は神殿の一室で暇を持て余している。一番偉い人が申し訳無さそうに話したのは儀式を行う為の特別な存在、シュレイで勇者継承の儀を行う聖女に値する清女(きよめ)の姉妹の不在だった。

 

 修行の為に偶に街を留守にするらしく、帰って来るのは今晩辺り。頭を下げられたけど、私はこの街の人達が悪いとは思わない。でも、悪い人が居ないとも思っていない。

 

「これも全部、前日の夜に神託を下したスズバ様が悪いのよ。賢者様もそう思わないかしら?」

 

「まあ、ヤクゼンに遊びに行くのが楽しみで数日前から伝えるのを忘れていたらしいですからね。しかも、ちゃんと伝えたのか聞かれた時に伝えていると誤魔化したのだと連絡が有りました。罰として競り落とした下着を没収されたとか」

 

「……最低なのだわ。この旅に出てから憧れていた歴代の勇者様や神様に幻滅する事が増えたわね」

 

 窓の外を見ればイエロアで最も信仰されている砂と風の神スズバ様の石像が目立つ場所にあった。とても立派な石像で、近くを通る人達が一礼しているのを見ると少し悲しくなる。何故かは知らないけれど。賢者様が下着がどうとか言ったけれど、詳しくは絶対に知らないし知る気も起きないわ。

 

 外を見るのも嫌になり、今度は前を向くと賢者様が笑っていた。微笑ましい物を見る目を私に向けてながら。でも、何故かしら?

 

「ゲルダさん、気が付いていますか? 勇者様ではなく、勇者と言った事に。自分も勇者であると自信が付いた証拠です。実際、貴女は既に立派な勇者だ」

 

「……そんな事を言われたら照れるのだわ」

 

 ……本人が目の前に居るから口には出さなかったけれど、憧れが崩れた対象は賢者様も含まれる。でも、それで良いと思う。

 

「ですが、忘れないで下さい。ゲルダさんの幸福は世界を救う為に放棄して良い物ではありません。ちゃんと自身の幸せを考えて行動するのを私は望んでいます。まあ、世界を救って幸せにもなった先輩からのアドバイスですよ」

 

 何故なら憧れは自分が抱く理想を挟んで相手を見る行為。確かに私が抱いていた理想像と賢者様は別物だけれど、この人はこうやって優しくて温かい人。だから、それで良いのよ。

 

 だって、恥ずかしいから言わないけれど、私が憧れていた賢者様よりも目の前に居る人間らしくて少し変で温かい、そんな賢者様の方が何倍も素敵だと思っているから。

 

「……もう読み終わっちゃったわ」

 

 話を逸らす様に本を閉じて呟く。修行の成果か集中力が上がって読む速度も随分と上がった。持っている本で読んでいなかったのは今持っている本で最後。

 

「神殿に置いてある他の本でも借りに行きます?」

 

「うーん、止めておくわね。ちょっと難しい本しかなかったもの。……賢者様、チキポクってどうして此処まで地味なのかしら?」

 

 少し恥ずかしかったから賢者様から目を逸らし、もう一度最初から本に集中するのだけれど直ぐに読み終えてしまう。今日は女神様が居ないから基礎的な修行しか出来ないし、賢者様の座学や魔法の修行も終えて今の時刻はお昼過ぎ。でも、散歩に行く気にはならない。だって、この街は本当に最低限の物しかないもの。

 

 食べ物のお店がちょっとだけ固まっていて、服屋も似た様な物しか置いていなかった。街を歩く人も必要最低限の地味な服装で、一番大きな建物は神殿。其処も装飾品を飾ってもいない古い建物。シュレイは色々見て回りたい気分になったけれど、此処は別ね。ヤクゼンで過ごしていたから一層退屈に思えるわ。

 

「この街は清貧を尊んでいますからね。経済の中心のヤクゼンと比べれば退屈でしょう。あの街は私も気に入っていますよ。何せ、街作りに携わった身ですから」

 

 懐かしそうな顔をする賢者様。この人は私が思っていた以上に多くの人と触れ合い、影響を残しているらしい。もしかしたら神様と人との違いを感じ、例え愛しい女神様と一緒でも人寂しいと思うのかも知れない。でも、初代勇者が不老不死になったのが賢者様だと知られれば不老不死を求める人によって勇者の旅に支障が出る可能性から正体は明かせない。

 

 本名も素性も隠して人と付き合い、仲良くなれても相手は老いて自分を置いて行く。それはきっと寂しい事なのだろう。それでも人と関わるのを止めない賢者様は本当に人が好きらしい。

 

「そうなの? 賢者様が手伝っただなんて初めて聞いたけど。……まあ、理由は分かるけど。自分達は手伝って貰えなかったって遺恨を残さない為でしょう?」

 

「正解です。花丸をあげましょう。実は二代目勇者の仲間もイエロアの出身でしてね。故郷から別の街までが遠いから街作りをしたいけど資材の運搬を手伝って欲しいと頼まれたのですよ。……街の名前を付けて欲しいと言われたのに、いざ付けたら満場一致で否決されましたけど」

 

「それは流石に……」

 

 人の住んでいる所を地味だ退屈だと言う私も失礼だけれども、その人達も失礼だと思う。賢者様が手伝わなければ完成したかどうか分からないのに。

 

 だけど、それを口に出そうとした私が思い出すのはデュアルセイバーの名前を決める時に賢者様が提案したアメリカンレインボー鋏というセンスの欠片も無くて女神様でさえ反対した名前。……否決された理由が分かったわ。

 

「……えっと、どんな名前なのかしら?」

 

「カジノの建設計画があったので知っているカジノの有名な街を参考にして『アナザーラスベガスΩ』です」

 

「私でも反対するわ」

 

「ええっ!? どうしてですかっ!? ……ラスベガスを使うべきじゃなかったですかね?」

 

「ダサいからに決まっているじゃない。ラスベガスは関係無いわ」

 

 一応聞いたけれども、聞いて損した気分になる。賢者様のは本当にネーミングセンスに関わる呪いを受けているのではと思う程だったわ。あのセンスは昔からなのね……。

 

(もう、呪いでも受けているんじゃないかしら? ソリュロ様に会う機会が有れば調べて貰う価値有りね)

 

 この日の午後はこの様な感じで過ぎて行く。無意味にも思えたけれど、女神様抜きで賢者様とじっくりお話が出来たのは良かったのかも知れない。そして、夕暮れ前に清女の姉妹が帰還したとの報告があった。

 

 私の勇者としての成長が試される時が差し迫る……

 

 

「勇者様、賢者様、お食事の準備が整いました。どうぞお越し下さい」

 

 夕暮れ時、漸く清女の姉妹が戻って来たと聞こえて来たけれど、今度は急いで儀式の準備をしているらしい。私はゆっくりしても構わないけれど、一刻も早く世界を救って欲しいから、そんな風な事を言われた。

 

「……夕ご飯かぁ。文句は言いたくないけれど、少し物足りないのよね」

 

 知らせに来た人が去った後、昼食の内容を思い出して呟く。味の薄い固いパンに野菜のスープ、魚が少しと僅かなドライフルーツだけの質素な食事。それでもチキポクでは普通より上の内容らしい。育ち盛りの上に修行で運動している私には満足出来る内容ではなかったわ。

 

「まあ、お肉は年に数度しか食べないらしいですし、菓子等の嗜好品も滅多に口にしない戒律の厳しさですからね。三代目も此処の出身ですが、贅に溺れて堕落した気持ちが分からないでもないですよ」

 

「……ペラペラ情報を話したせいで迷惑を受けているのは別だけど。ねぇ、賢者様。私、ハンバーガーが食べたいわ」

 

「ええ、構いませんよ。では、此処の食事を終えて待っている間に食べてしまいましょうか」

 

「やった! チーズとピクルスを多めでお願いするわね。シェイクとナゲットも欲しいわ!」

 

 賢者様自身は同じ味しか出せないと言うけれど、私は彼が魔法で出した料理が気に入っている。お昼も文句があると思われても印象が悪いのでこっそりアップルパイを出して貰った。トロトロに煮込まれたリンゴが入ったサクサクのパイ生地はバターが香ばしく、ほっぺが落ちそうと言うべき出来映えよ。

 

 だから、こうして質素な食事を子供の頃から食べ続けて他の美味しい物を知った三代目勇者の気持ちも分かる。私みたいに賢者様が用意した魔法の馬車の中で作った料理と違って保存食で作る野営時の食事には味に限度があるもの。

 

(だから、軽蔑はしないわ。憧れは壊れちゃったけど、彼も私と同じく人間だもの)

 

 私自身が完全無欠の理想の勇者なら兎も角、今の私は未熟な勇者。それなのに他の勇者には理想通りの存在なのを要求するのは間違っていると思う。でも、賢者様達の三代目への評価が散々だし負けたくはないわ。三代目だけには絶対に負けない勇者を目指して頑張りましょうか。

 

 

 

 

 

「勇者様、大変お待たせしました」

 

「申し訳有りません」

 

「別に気にしないで欲しいです。予定も調べずに……いえ、何でも有りません。じゃあ、早速ですけどお願いしますね」

 

 二度目の儀式だけあって緊張していた私を出迎えたのは少し目立つ髪の色の姉妹だった。妹でオレンジ色のキュロアさんと姉で金髪のニオーナさん。つい急に来た事を謝ろうとしたけれど、昨夜神託を慌てて下したのはこの街で信仰されているヌビアス様だったから、謝られても困ると思い慌てて誤魔化す。怪訝そうな顔もされず上手く誤魔化せたらしい。

 

(気付かれてない……わよね? あれ? この二人、何処かで見た事が……)

 

 ゆったりとしたシスター服で体系は分からず、フードから僅かにはみ出た髪からは色以外の情報が入っては来ない。そもそも修行の一環で回っていた時に会ったなら分かる筈。でも、すれ違った程度の既視感でもない。声だってちゃんと聞いた気がする。

 

 例えば、もっと別の服を着て化粧をした状態で喋る二人を目にした、そんな感じだ。でも切っ掛けが無いと思い出せない。今は神殿の地下に続く階段を三人で降りている途中。賢者様は男子禁制だと言われたので待っている。

 

(でも、向こうが何も言わないし反応も無いから気のせいかも。私達が顔を隠していたのなら兎も角……あっ)

 

 思い出すのは昨夜のオークション。其処では顔を仮面で隠し、知人と会っても素知らぬ振りをするのがルールだった。でも、清女という重要な役目を任された二人とオークションであんなにエッチな格好をしていた司会のお姉さん達とが結びつかない。

 

「あの…お二人は昨日ヤクゼンの大オークションに参加していました?」

 

 恐らくは他人の空似と判断し、否定されると分かっている質問を行う。その返答は当然ながら否定……ではなかった。

 

 

 

「どどどど、どうしよう、お姉ちゃん! 僕達の秘密のアルバイトがバレちゃったよっ!」

 

「ええ、バレたわね。貴女が今まさに疑惑を確信に変えたもの」

 

 まさかのまさか。司会のバニーガール達は教会所属のお姉さん達だった……。



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誘惑と憤怒

 私の目の前には今、凄く打ちひしがれた人が膝を折って居る。何かショックな事が有ったと言えば有って、未だ起きていないと言えば起きていない。少し説明が面倒な状況だった。

 

「……そうだ、死のう」

 

「早まっちゃ駄目よっ!? それと既に寿命で死んでいるわ……多分」

 

「多分、多分か。はははっ、その通りだな。僕が今も尚、汚く生き足掻いて生き恥を晒している可能性も有る訳だ。……賢者様に訊ねて、生きているならトドメを刺して貰えないか?」

 

 落ち込んでいるのは髪を丁寧に整えた真面目そうなお兄さん。私にとっては過ぎ去った過去、彼にとっては未来の事に絶望して特徴的な武器を取り落としたままで私に無茶を要求する。

 

「絶対無理っ! だって王族殺害とか凄い罪になっちゃうものっ!」

 

 そもそも私が何処に居て、お兄さんは誰で、今はどんな状況なのか。それは少し時間を遡って説明した方が早かったわ……。

 

 

 

 

 

 

 地下なのに空気の淀みも無くて、外と違って涼しくて快適な部屋に私を含む三人の話し声が響いていた 

 

「君も此処のご飯食べただろうから分かるよね? 正直言って酷いにも程があるよ。年に数度のご馳走が他の街では子供のお小遣いで買えるって知った時のショックがどれだけだったか分かるかい?」

 

「チキポクには一切の娯楽が有りませんからね。本も絵本以外は難しい内容の物ばかり。恋愛小説や演劇を初めて目にした時は悪魔の誘惑かと思った程です」

 

「えっと……大変だったのね……」

 

 清貧を由とする宗教中心の街で清女という重要な役目に就くキュロアさんとニオーナさん姉妹。会った時の印象は清廉な淑女だった。だけど、清女としての用事で外の街でバニーガールの格好でアルバイトをして遊ぶお金を稼ぐ普通の女の子。

 

 バニーガールが普通かどうかの議論は放置するとして、今は儀式の間に続く部屋でお茶とお菓子を楽しみながら話に花を咲かせていた。もう言葉使いを誤魔化す必要も無いからと砕けさせ、私も畏まった話し方は封印中。だって折角の楽しい時間だから損はしたくないわ。

 

 

 

 秘密のアルバイトを知られたからと被っていた猫を脱ぎ捨て、隠し持っていたクッキーと高価な茶葉を楽しむ姿からは普段の抑圧が感じられたわ。きっと、楽しい事や美味しい物を知った後では我慢の日々だったのでしょうね。抑圧が更に欲求を高めても無理が無いわ。あのアルバイト、お給料が高そうだもの。

 

「いやいや、君みたいに勇者じゃないだけマシさ。まあ、僕達も三代目勇者シドーとは血が繋がっているんだよ?」

 

「まあ、一応妹だとは伝わっていますが、百年も前ですからね。幾ら故郷でも我慢して居続けるのは別の理由……信仰心ですわ。これでも信仰心は人一倍ですの、私達。だから旅先でヌビアス様のお声が届いた時は注文した料理を食べずに慌てて戻りました」

 

「うんうん、素晴らしいお方だよね。熱病や疫病が発生しても祈れば直ぐに対処法を神託でお教え下さるのですから。神は人と時間感覚が違うにも関わらずですよ。ああ、一度お姿を拝見したいですわ」

 

 両手の指を組んで祈りを捧げる姉妹の姿を目にし、ヌビアス様について教えて貰った私は賢者様に聞かされた神の感覚で起きる問題を思い出して感心する。

 

(人間が好きな神様なのね、きっと。二人が不自由を感じながらも清女を続ける理由が分かるわ)

 

 だけれども、絶対に言えない事がある。その願いは既に叶っていると、オークションで卑猥な事を叫んでいたお客こそがヌビアス様と他の神様だとは言えなかった。

 

「まあ、言っても誰も信じないけど。私だって信じたくないわ」

 

「あれれ? どうしたんだい?」

 

「気にしないで、二人の為よ」

 

 言葉の意味が通じた様子は無いけれど、意味が通じて理由を知られたくないから口を閉ざす。信仰対象がスケベ親爺だったと知らないなら死なない方が良いから……。

 

 それは兎も角として、少しお喋りが過ぎた気がする。賢者様も待っている事だし、早く儀式をしたいと思った。

 

「あの、そろそろ儀式の方をしない?」

 

「え~? 僕、もう少しお喋りを楽しみたいな。お仕事中は私語禁止だし、同年代は殆どが出て行っているからさ。……実際、この街って敬虔な信者が移民して来るから保ってるんだ」

 

「伝統や格式は上の人間が好む物ですからね。もう少し柔軟性を持って欲しいわね」

 

 ヌビアス様の実情が知られていない以上、厳しい戒律も仕方無いのかも知れない。正直言って食事も物足りなくて娯楽も制限されている場所で育ったら、外を知った事で耐えられないのでしょうね。私が魔族を倒しても、モンスターだって消える訳でもないし、悪い人が善人になったりもしない。

 

 世界間の戦争は流石に神様が止めているそうだけど、魔族とは関係無しに滅びそうな場所も存在するのね。少しだけ勇者として戦う事が虚しくなった。手からこぼれ落ちる人達、私の力が足りないから救えない事、力の有無は関係無い事、世の中は本当に残酷だわ……。

 

「あっ! 暗い話をしちゃってゴメンね! ほらほら、どうにもならない事よりもどうにかなったり、どうにかした事を見ようよ」

 

「ほら、キュロア。儀式をするなら言葉はちゃんとしなさい」

 

「そうですね。勇者様、大変失礼を致しました」

 

「……ぷっ!」

 

 急に清女としての顔になって丁重に頭を下げるキュロアさんだけれど、被っていた猫を数秒前まで脱ぎ捨てていたのだから違和感しか無かったわ。失礼なのだけれども吹き出してしまったら落ち込んだ気持ちも消え去った。

 

 

「未だ駄目ね。私、自分が子供だって忘れていたわ」

 

「お酒でも飲みましたか?」

 

「ふふふ、違うわよ。こんな小さな背中で全部背負おうとしないって自分に言い聞かせていたのに、それを忘れちゃってたの。でも、貴女のお陰で思い出せたわ」

 

「そっか! ……じゃなかった。そうですか。よく分かりませんが良かったです」

 

 少しだけ分かっていてやったのかもしれないと思うけれど、キュロアさんとは知り合ったばかりだから判断出来ないわ。それでもこの人の言葉で楽になったのは間違い無い。だから感謝はしておきましょうか。私は誰かを助けるだけじゃなくて、誰かに助けて貰っているって思い出せたのだもの。

 

 

「……この儀式でどれだけ力を得られるかしら?」

 

 誰かを助ける為にも力が欲しい。その人に私が助けて貰えなくても、何時か誰かが助けて貰えると信じているもの。

 

 

 

 神殿の地下の最奥に用意されたのは、四角い部屋の四隅に飾られた真っ赤に光る水晶の明かりに照らされる魔法陣。私は勇者としての装備のままだからツナギ姿で、二人は薄布の法衣を身に纏っている上に水を頭から被っているから体型が丸分かりになっていた。

 

 もしかしたら詰め物かと思っていた胸は実際に大きくて、濡れた布が張り付いている姿はバニーガールよりエッチな感じがする。そんな格好の二人が私を挟んで立ち、聖なる意味が込められた歌を歌いながら互いの指を絡ませて、間の私に体を密着させた。

 

(不思議な歌ね。耳には入って来るのに歌詞が聞き取れないわ)

 

 歌が進むにつれ、私の体に救世紋様が浮かび上がる。二人の胸にも光る模様が現れたのが透けて見えていた。徐々に意識が沈み、瞼がゆっくりと閉じて行く。これから試練が始まるのだと分かっていたけれど、私にはどうしても気になる事が一つ有る……。

 

 

 

 

「……どうして此処まで差が有るのかしら?」

 

 身長差のせいで私の頭に左右から押し当てられる二人の胸。キュロアさんは張りが強くて力を込めても押し返されそう。ニオーナさんは柔らかくて触ったら指が沈みそう。合計四つのお山が有って、そして私は断崖絶壁。

 

「垂れろ……」

 

 意識が落ちる瞬間、自分の胸をペタペタと触りながら呟く。誰の何が、とは言わない。只、この儀式を考えた神様に一言文句が言いたかった。

 

 

 

 完全に沈んだ意識が戻り、頭がハッキリとする。周囲の景色は一回目と同様に地下ではなく外の森。但し、今回はこの道を進めとばかりに洞窟に向かう綺麗な一本道があった。

 

「あの洞窟が本番かしら? ……いえ、違うわね。何かが居るわ」

 

 鼻が洞窟の前に鎮座する見えない何かの匂いを察知する。姿を消す能力の相手なら鼻を頼りにしたいけれど、ごく最近嗅覚を潰されたばかりだから慢心は良くないと心の中で呟いた。

 

「もしかしたら木の蔭や地面に隠れているかも知れないし……」

 

 恐れていては何も進まないけれど、慎重にこうどうするのも必要だわ。レッドキャリバーとブルースレイヴを両手に構えて周囲に気を配って進む。拍子抜けな位に何も無く、順調に洞窟まで辿り着いた。

 

 それを待ち構えていた相手の声が響き渡る。それも遠目に見た時には誰も居なかった場所からだ。

 

 

「よくぞ来たな、勇者よ! 答えよ、我が問い掛けに答えよ! 我が名は()フィンクス! 洞窟の守護者なり!」

 

「あっ、近くに来たら何となく見えるわ」

 

 ガラス窓みたいとでも言い表せば良いのか、透フィンクスは透明だけど見えない訳ではなかったわ。近くなら猫っぽい体と人みたいな顔、そして鳥の翼の持ち主の姿が見えたもの。

 

「それで問い掛けってナゾナゾかしら? 私、結構得意よ」

 

「ならば難易度を最高に上げよう!」

 

「嘘よ、嘘っ! 見栄を張っただけよっ!」」

 

 口は災いの元、とはよく言ったものね。透明だから分かりにくいけれど透フィンクスの顔付きが鋭くなったもの。とんだ失敗をして、言葉には注意すべきだと私が学ぶ中、透フィンクスから出題が行われた。

 

 

 

「私は毎日姿が変わる。だけれど本当は変わっていない。制限時間はお前が負けるまで。さあ、答えを行動で示せ!」

 

「ちょっ!? ヒントは!?」

 

「既にヒントは与えているぞ!」

 

「……え?」

 

 問題を出すなり透フィンクスは翼を広げて私に襲い掛かる。鋭い爪の生えた前足を振るい、避けた私の背後に有った木を切り裂いた。巨体なのに思ったよりも素早いわ。それに当然だけれどもパワーも有るわね。

 

「答えよ! 答えよ!」

 

「そんな事言われてもゆっくり考えないと……行動で示せ?」

 

 ヒントは与えたと言っていた。なら、これがヒントなのは間違い無い。つまり出来る行動と問題の答えが同じな訳で、さっぱり分からないわ。

 

「わっ!?」

 

 考えながらでは戦闘もままならない。爪を躱したと思ったら高く飛びすぎてしまい、着地の瞬間に突進を食らってしまった。咄嗟に武器を交差させて防ぎ、踏ん張って動きが止まった瞬間に顔を蹴り飛ばすと少し後退した。今の蹴りならもっとダメージが通ると思ったのに。

 

「ぐ、ぐぉおおおおおおっ!?」

 

「いや、効いているのかしら? 透明なせいで分かりにくいわ。ペンキでも持っていたら浴びせかけてやれたのに」

 

 私が蹴った所を前足で押さえて悶絶する透フィンクスの姿にやりにくいと感じてしまう。つい無い物ねだりをしてしまうけど、今の自分だけで倒すべき相手よね。

 

「早く答えよー!」

 

「じゃあ、少しは落ち着いて考えさせて!」

 

 透フィンクスの口から吐き出された炎を横に避け、先程爪で切り裂いた木を次々に蹴り飛ばす。大きな口を閉じる前に木の固まりが次々に飛び込み、透フィンクスは声も出ない様子でゴロゴロ転げ回って苦しんでいた。弱点であろう腹がさらけ出されるけれども、此処で問題を解かずに倒しても意味が無い。

 

「時には逃げる勇気も必要だけど、今はその時じゃないわ! 絶対に答えて見せるんだから!」

 

「ぐぁあああああああっ!」

 

「……さっきのが随分と堪えたのね。私が答えても聞いていなさそう。あっ、ダジャレっぽいわ。堪えると答える……んっ!?」

 

 一つもしかしてと思う内容が浮かぶ。だけれど、少しくだらないと思えた。仮にも勇者の試練として神様が用意した儀式の中で出された問題。流石にそれは……。

 

 

「いえ、神様って問題児が多いのだったわね」

 

「問題に、答えろぉおおおおおおっ!!」

 

 透フィンクスが両前足を広げて襲い掛かって来る。両の爪を交差させるかの様に振るうのに対し、私は前に踏み込んで両手の刃を突き出した。

 

 

「……答えは突き()よ」

 

 武器二つの先端が透フィンクスの腹部にめり込んで強引に跳ね返す。そのまま洞窟の岩壁に激突した巨体は地面に転がり、起き上がろうとするも崩れ落ちた。

 

「それで正解かしら?」

 

 月は毎日満ち欠けをする。だけど、実際の形が変わっている訳ではないのは賢者様が勇者時代に広めた知識の一つ。別にだからと言ってどうかなった訳でもなく、”へ~、そうなんだ”、程度の反応だけれども。

 

 それにしても月と突き、行動で示せと言われて正解だと思ったけれど、間違いなら格好付けただけに恥ずかしい。数秒後、問い掛けの反応が返って来る。

 

 

 

「正解だ。……ちっ!」

 

「今、舌打ちしたわね。……あっ、そうだった。問題に夢中で解析を忘れていたわ」

 

 明らかな舌打ちに正解の喜びも消え失せ、もう意味が無いだろうけど二匹目が居る場合に備えて情報を得る事にした。……結論を先に言えば止めておけば良かったわ。

 

 

 

 

 

 

『『透フィンクス』透明の体を持ち、クイズを出す自称門番。爪と口から吐く炎は強力だが打たれ弱く、クイズに答える必要は無い。正解なら不機嫌になり、間違えれば嬉々として煽る』

 

「……さて、新しい魔法の試し撃ちが未だだったわね」

 

「ひぇっ!?」

 

 あくまでも試し撃ち。だから何一つ問題は無いわ。だって透フィンクスは勇者の試練の相手、この程度は付き合って貰える筈だものね。

 

 これから暫くの間、轟音に混じって悲鳴が聞こえたけれど死人は出ていないと報告しましょう。一応手加減はしたし、きっと大丈夫ね。

 

 

 

 

「ふぅ。スッキリしたらお腹が減って来たわ。……だからかしら?」

 

 洞窟に入ると白い色の道が続いていて、道を外すべからず、そんなメッセージが書かれた看板が有った。そして、一定間隔で設置されたテーブルに置かれた料理の数々。物足りないチキポクの夕ご飯の後に賢者様が出したハンバーガーを食べたけれど、成長期の私は運動したからお腹が減ったの。その上、普段は役に立つ嗅覚が今は仇となっていた。凄く良い香りが料理から漂って来ていたわ。

 

 

「鶏の唐揚げ……」

 

 見るからにカリカリに揚がった衣に包まれて大皿に盛られた唐揚げからは濃厚なニンニクの香り。シンプルに塩胡椒とお酒、そしてニンニクだけで味付けしているらしい。きっと齧れば肉汁が溢れ出すのだと匂いが告げている。

 

「カニ鍋……」

 

 野菜と一緒に煮込んだカニから染み出した濃厚な出汁。殻の中には引き締まった身が詰まっていて、一口食べれば濃厚な味が口に広がりそう。最後は卵とご飯を入れた雑炊にして海苔をまぶすのを想像してしまう。

 

「……我慢よ、我慢! 儀式が終わったら賢者様に出して貰うわ!」

 

 あの人が言うには幾ら食べても太らない料理にするのも可能らしい。更に言えば食欲に負けて儀式に失敗したと知られればアンノウンが何を言ってくるか分からない。だから必死に誘惑を断ち切り、バニラアイスやチョコケーキ、グラタンにチーズたっぷりのピザを無視して進むと奥の方から光が漏れているのを目にする。同時に最後の誘惑も目に入った。

 

 テーブルの上には小さな小瓶。届きそうで届かない絶妙な距離に有るテーブルの横には看板。書かれているのは一言だけ。

 

「巨乳薬……はっ!?」

 

 気が付けばデュアルセイバーを伸ばして小瓶を挟んで取ろうとしていた。きっと何かの魔法の影響ね。

 

「恐ろしい罠だったわ……」

 

 我に返った私は何度も何度も振り返りながらも次の場所に足を踏み入れる。ドーム状になった明るい場所で、目の前には十代後半位のお兄さんが一人。真面目そうな人で服も聖職者の物だけれど、持っている武器が特徴的だった。

 

「その武器は確か……」

 

 チャクラムや戦輪といった武器に似た輪っか状の刃で、大きさはフリスビー程度で色は金色。中央の穴の中には持ち手となる銀色の輪っかが浮かんでいた。

 

 私はこの武器を知っている。何故なら本で読んだから。名をセイヴァーリング。それを扱っていた人物も私は知っている……。

 

 

「勇者シドー……」

 

「む? 僕の事を知っているのか、幼き少年(・・)! いや、君も勇者だ。ちゃんと一人前の男(・・・・・)として扱おう!」

 

 この失礼な男こそ贅沢を知って堕落して、ペラペラ重要な情報を口にした問題児、三代目勇者シドー・ヴェッジ。……取り敢えず目の前に居る理由を聞く前に殴って良いかしら? 貧乳の敵は死ねば良いわよ。

 

 

 



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未熟な覚悟

 会った事もない相手を噂だけで判断するのは良くない、そんな風にお母さんに教わった私だけれど、賢者様の話を聞いて先代勇者シドーへの評価は決して良くはなかったわ。

 

 贅沢に溺れて堕落して、最終的にこれ以上馬鹿をやらかす前にエイシャル王国にほぼ強制的に婿入りした、そんな人だと聞いたのだから仕方が無いとも思う。だって、会った事がない英雄に憧れるのも根本では同じだから。

 

 それはそうとして、言わなければならない事が有った。私のプライドに関わる重大な事柄だ。

 

「私、少年じゃなくて少女よ。一人前扱いは兎も角、男扱いはしないで欲しいのだけれど?」

 

「何だってっ!?」

 

 でも、目の前に現れたシドーに対する評価は実際に会って間違い無いと確信する。私に向かって少年とか一人前の男として扱うとか言うのだもの、失礼よ。だから私も言葉遣いを選ばない。彼に敬語は使いたくなかった。

 

「いや、どうして驚くのかしら? 私が男にしか見えないとでも言いたいの?」

 

 だから少し不機嫌になって文句を言えば驚かれたけど、この事で驚くのも失礼な話だわ。確かに私の服装は羊飼いの仕事着だったツナギだけれど、スカートじゃないだけで男扱いされるとは思えない。

 

「さっきから幾ら何でも失礼が過ぎるわよっ!」

 

「むっ……。確かに何と言うべきか……」

 

 私は一層不機嫌になって睨めばシドーが瞬時に動いた。

 

 

「申し訳っ! 無いっ!」

 

 膝と手を床に着け、石造りの床に罅が入る勢いで頭を叩き付ける。見事なまでの土下座の姿勢だった。

 

「僕の不用意な発言で不愉快にさせたのを謝罪する! さあ! 気が済むまで殴ってくれ!」

 

「……いや、そこまで怒ってはいないわよ? 取り敢えず頭を……」

 

 確かに凄く怒りはしたけれど、だからと言って無抵抗の相手に手を出す程ではない。それに反省もして謝罪も受けたのだから許そうと言葉を掛けるけれど、重要な事を思い出した。

 

 

「一つ教えてくれるかしら? 私の事、どうして男と間違ったの? 服装? それとも勇者は男だけと思っていたの? まさか、胸の大きさじゃないわよね?」

 

 私が気にしているから男扱いの瞬間は胸で判断されたと思ったけれど、話していると真面目そうな人に思えるし何かの勘違いだと判断する。

 

「えっと、それは……」

 

 そっと目を逸らすシドー。勘違いだというのが勘違いだったらしい。

 

「好きなだけ殴って良いって未だ有効かしら? 殴らせて欲しいのだけれど。……まったく、酒に溺れ贅沢を知って堕落した問題児って賢者様が言っていたけど、正しかったみたいね」

 

「えぇっ!? 僕、そんな風に評価されるのかっ!?」

 

「え? だって自分の事なのに、どうして其処まで驚いているのかしら?」

 

 演技には見えないし、シドーは間違い無く自分が贅沢に濱って、自力では抜け出せなくなった事を知らないらしい。多分試練の相手だから問答無用で倒そうと思ったけれど、少し話を整理した方が良いわね。

 

「ねぇ、取り敢えず話を纏めましょう。その前に自己紹介ね。私はゲルダよ」

 

「そうだな。知っているだろうが僕はシドーだ。……少し怖いが教えてくれ。僕がどんな人間だと教わったのかを」

 

 真剣な眼差しを向けるシドーを見て思った。この人は本当に真面目で理想に燃えるタイプなのだと。

 

(賢者様のお話が少し信じられなくなったわね……)

 

 本当に何があったのだろうか……。

 

 

 

 

 

「えっと、貴方が試練の為の幻みたいな存在だとは思っていたけれど、記憶は二つ目の世界を救った所で途切れている……それで良いのよね?」

 

「ああっ! 魔族を二人同時に相手をして倒した事で封印を達成してね。さて、次の世界に行こうとした所で終わっている。だが、同時に既に自分が魔王を倒しているとも知っているんだ。それにしても今度は子供が勇者か。僕の時は選ばれた仲間が介護が必要な老人でね。賢者様が慌てて予備の候補を探し出してくれたよ。その上、伝説の剣は経年劣化で折れるしさ。……えっと、神様には既に会ったかい?」

 

「神様って思ってたよりアレな方達だって分かったわ。エッチな物を高値で競り落としたり、妹の旦那さんに色仕掛けをしたり、人前でイチャイチャしたり。……貴方もそうなのね」

 

「……次の世界に着いたら酒盛りに参加するのが決定されているよ。僕、お酒は一度も飲んだ事が無いのにさ。その上、綺麗な女性の居る店に行くのも……いや、子供に言うべきじゃないな」

 

「お互い大変ね。……あっ! 結局神様が悪いのね。貴方が堕落したのって結局神様が理由なんじゃ……」

 

 私だって神様は信仰していたし、敬虔な信者の街で育ったシドーなら尚更なのでしょうね。勇者選定のシステムが毎回問題を起こしたり、頭の捻子が外れている神様へのショックは私より大きいみたい。多分酒の味を教えたのも女の人にだらしなくなったのも遊びを一切知らなかった彼に段階飛ばしで教えた神様の責任だと感じて呟いたのだけれど、耳にした本人はショックで固まってしまった。

 

「……え? 僕、そんな風に言われる馬鹿をやらかしたのかい?」

 

「えっと……うん。一応賢者様が揉み消したし、魔王討伐後は奥さんの尻に敷かれて大人しくしたらしいけど……」

 

 何と言葉を掛けたら良いか分からない。今、私の言葉によって膝を抱えている彼からすれば理想とは違った将来の話であり、同時にやり直せない過去の話だもの。防ぐ事も失敗の埋め合わせをする事も不可能。ちょっと可哀想になって来た。

 

 

 

 

 

「えっと、そろそろ試練を始めて欲しいのだけれど……」

 

 先程から励ましの言葉を投げかけるけれど意味が無い。万が一自分が生きていたら殺して欲しいと頼むなんて、本当に差が有り過ぎよ、今と堕落した後で。極端なのは発言からして全然変わっていないらしいけれど。

 

「……そうだな。僕は所詮は幻の様な存在、シドー本人ではない。それでも堕落が許せなくて情けないのなら、この時代の世界を救おうとしている君の助けとなるべきだった。じゃあ、戦おうか!」

 

 だから話を切り替える。大体、子供の私に人生の失敗への励ましなんて無理だもの。上っ面の言葉よりもこっちの方がこの人には効果的よ。予想通りお仕事を思い出させればショックで暗くなっていた顔が一変して真面目でハキハキした物に変わる。

 

「ええ、そうね!」

 

 互いに距離を取り、武器を構える。私の武器は巨大な鋏デュアルセイバーでシドーのは巨大なチャクラムみたいな投擲武器セイヴァーリング。勇者の武器の特性で色々な能力が宿るけれど、その点では私が有利だった。

 

(確かあの武器の能力で二つ目の世界までに使っていた能力は……)

 

 記憶を辿り、初見殺しに成りうる能力の情報を得る。次の世代故に一方的に手の内を把握する、その事を卑怯だとは思わない。だって賢者様が私の方が才能が上だと言ってくれたとしても、チキポクで神官として育つ中でモンスターとの戦いの訓練も受けた二つの世界の封印を終えている彼と、二つ目の途中で功績の劣る上に戦いとは狼相手にしか縁が無かった私では大きな差が有る。

 

(でも、これから出会う敵が自分より強いのは当たり前。その上、向こうが一方的に私について知っているのも。なのに、一方的に情報を持っている相手に負けていたら世界なんて救えないわ)

 

 ジリジリと距離を詰める。飛び道具相手に接近戦を挑まないでどうするのだって話だけれど、知っている情報が慎重にさせる。……いえ、自分を奮い立たせる言葉を心の中で呟いたとしても、旅路を描いた物語に憧れた英雄との戦いに恐怖を抱いていたのよ。

 

「慎重も過ぎれば臆病だぞっ! 君が来ないなら僕から行かせて貰うっ!」

 

 厳しい様で、無言での先制攻撃を選ばなかったシドーの手からセイヴァーリングが放たれる。猛回転をしながら風を切って進むあの武器の能力の一つ。それは……。

 

「知っているわ。セイヴァーリングは空中で一度加速を‥…きゃあっ!?」

 

 相手の目前での急加速。それを知っていた私は正面から叩き落とそうとして、逆にデュアルセイバーが手から弾き飛ばされる。予想以上の速度を出したセイヴァーリングはちゃんと構えるよりも前に私に接近、想像を超えた衝撃に武器から手が離れてしまった。

 

「どうしたんだっ! 実戦で武器を手放せば死に繋がるぞっ!」

 

 デュアルセイバーがぶつかった事で軌道が変わったセイヴァーリングは私の背後へと向かい、空中で姿を消してシドーの手元に出現する。だけど私が落ちた武器を拾うまで追撃は掛けなかった。

 

叱責の言葉に何も反論が浮かばない。それは紛れもない事実だった。

 

「そうね。確かに貴方の言う通りだったわ」

 

 魔族を何人か倒して、女神様や賢者様に鍛えて貰って、私は何処か慢心していた。戦う覚悟は決まっていた積もりだったし、何度も心に誓いもした。でも、それは例えるなら子供が親に叱られた時だけ反省するのと変わらない。

 

 結局、油断していた。結局、相手を侮っていた。結局、私は未だ戦士じゃなくて子供のままだった。上っ面しか戦いを理解していない甘えた子供が今の私だ。

 

 変わりたいと思う。本当の覚悟を決めたいとも思う。でも、そんな物は簡単には出来はしない。どうやったら出来るかなんて私が理解するには早過ぎた。

 

「‥…でも、だからと言って止まっているのは嫌。どれだけ足りないと叱られても、どれほど甘いと笑われても、私が確かに努力して来た。誰かの想いを受け取って、誰かの想いを踏みにじって来たの! だから、私は止まれないわっ!」

 

「……そうか。だったら、僕程度は乗り越えて見せろっ!」

 

 私が武器を構えるのを持つ待ってから再びセイヴァーリングを投擲するシドーだけれど、本当に良い人だと思う。既に起きた後だから防げない自分の堕落を知り、それでも私を倒して試練を直ぐに消える事よりも世界の為に私を鍛える事を優先したのだから。

 

 空中で振動を始めるセイヴァーリング。デュアルセイバーを分割して両手の刃を交差させながら構えれば左右から衝撃が響く。空中で二つに増えたセイヴァーリングは弧を描きながら私へと向かい、弾き飛ばしても戻って来る。後ろに飛び退けば鏡写しの如く並んで追尾して来た。

 

「どうだっ! 能力を知識として知っていたとして、君はその後どうする!」

 

「そうね。……どうしようかしら?」

 

 敢えてしないのか、それとも少なくても今のシドーには無理なのか分裂した状態で加速は行われない。だけど、次の瞬間には行うと思いつつ次々に弾き飛ばすけれども舞い戻るセイヴァーリングを観察し、そして対策を練る。

 

「一か八か‥…」

 

 二つ揃って前方に弾き飛ばし、戻って来る瞬間に真下に滑り込む。頭の上スレスレをセイヴァーリングが通り過ぎた瞬間、私は立ち上がってシドーへと走り出した。背後から追って来る音が近付き、このままでは追い付かれそうになる。

 

「少し甘かったな。セイヴァーリングの速度を甘くみない方が良いぞ!」

 

 確かに今のままでは私がシドーにたどり着くより前にセイヴァーリングが私に追い付く。そもそも加速の時に見た通り、好きな瞬間に手元に戻せるのも覚えている。

 

「そうね。だけれども、私の狙いは違うわよ、シドー」

 

 レッドキャリバーとブルースレイヴを小さくし、真上に飛ぶ。私の真下を通り過ぎるセイヴァーリング、その中央の穴に向かって切っ先を差し込むと同時に元の大きさに戻してそのまま床を砕いて突き刺せばセイヴァーリングの動きが止まる。

 

 恐らく動揺で稼げるのは僅かな時間。その後は手元に戻して投げられる。でも、動揺と振りかぶるのに必要な時間が有れば私は彼に近付く事が出来た。レッドキャリバーの持ち手に足の裏で着地した瞬間に膝を曲げ、ただ真っ直ぐに体を前に押し出す。跳躍の勢いを乗せた頭突きをシドーの顔面に叩き込んだ。

 

「ぐっ!」

 

 だけれども相手も私と同じ勇者。その上、功績を重ねる事で得られる能力は私を越えている。だからこの程度では倒せないのは分かっていた。頭突きに怯んで顔に手を置いたシドーの肩を蹴り、背後へと跳躍。レッドキャリバーとブルースレイヴを床から引き抜くと同時に接近して連撃を叩き込む。

 

 顔を、胸を、腕を、足を、全身を容赦無く殴り付けて反撃を許さない。だけれども、シドーは矢張り強い。両手に出現した二つのセイヴァーリングで私の連撃を受け止めた瞬間、刃が光る。

 

(拙いわっ!)

 

 加速や分裂と同様に私は目の前のそれが何なのかも知っている。だから使う前に倒したかったけれども押し切れなかった。咄嗟に飛び退いたけれども腕に残る痺れと痛み。セイヴァーリングからは激しい音と共に放電が起こっていた。

 

「良い判断だな、ゲルダ。正直言って今ので決まったと思ったぞ」

 

「……それはどうもだわ」

 

「じゃあ、行くぞ!」

 

 シドーだって決してダメージが軽い訳じゃないけれど、投擲速度に曇りは見られない。これが経験の差、私に不足している物。放電しながら再び振動を始め分裂するセイヴァーリング。その上、今度は加速した。

 

「ぐぁっ!」

 

 今度は間に合って加速して増した勢いを防げる。けれど、纏う電撃は防げない。腕から全身に伝わる激痛。意識が飛びそうになる中、再び戻って来たセイヴァーリングを転がって避ける。少し掠って痛みが走った。

 

「……もう限界だな。頼む、諦めてくれないか? 子供をいたぶるのは好きじゃない。それに、此処まで来た時点で十分な強化が……」

 

「あはっ!」

 

 シドーの悲しそうな声に対して、強がりが半分混じった笑いが漏れる確かに泣き出したい位に痛い。だけれども私は未だ動ける。万全ではなくても十分戦える。だから、絶対に諦めない。こんな所で諦めていたら世界なんて到底救えない。

 

「ええ、認めるわ。私は未熟な子供だし、こうして今はしている覚悟だって何時まで続くか分からない。だけれど、今この時だけは確かに戦う覚悟が出来ているのよ!」

 

「そうか。それは悪かったな。……君を侮辱して申し訳無い」

 

「いえ、私だって悪いわ。子供を虐めるみたいで心が痛むのでしょう? 優しい証拠よ。意地で続ける私の責任だわ」

 

 ブルースレイヴを手放し、魔本を手にする。使う魔法は一つだけ。本当に強い相手と戦う為に作り出した切り札。圧倒的な個に対して数ではなく、此方も個を用意する。

 

「我が眷属よ、我が家族よ。その身と魂を集わせ神獣へと至れ!」

 

 天井を貫いて光の柱が降臨する。その中をゆっくりと降りて来るのは私の羊の中で最も歳を取っているカイチ。お父さんの出身地で神獣とされ奉られている羊の名前。ゆっくりと降り立ったカイチは静かに鳴いた。

 

「メー!」

 

 呼応する様に光の柱が震え、次々に羊達が降りて来る。カイチの上に重なり、次々と吸い込まれて行く羊達。その度にカイチの体毛は黄金色に輝いて行く。

 

「何かする気だな。だが、何もさせないのが君の敵だっ!」

 

 だけど、全ての羊がカイチに吸い込まれるまで後少し。その少しを敵が待ってくれる筈も無い。敵として私の前に立っているシドーもそれは同じ。二つに分裂したセイヴァーリングが放電しながら突き進み、私はその前に躍り出た。

 

「ぐっ! ぐぅうううううううううううっ!」

 

 今度は弾かないで受け止める。必然的に体に電撃が流れ続けて意識が飛びそうになるのを奥歯を噛みしめて耐え抜いた。痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い。だけど、私はこの試練を乗り越えるって決めた。中途半端で未熟な覚悟だけれど、逃げないって誓った。だから、耐え抜く。

 

「メー!!!」

 

 背後から力強い鳴き声が聞こえる。何を言っているか自然と理解出来た。

 

「……後は任せろって? 馬鹿ね、私の代わりに戦うんじゃなくって、私と一緒に戦って欲しいのよ」

 

「メー!」

 

 思わず笑みが零れる。今度は強がり混じりの笑みなんかじゃない。力強い味方が現れた事で勝利を確信したから出た笑みだ。

 

 私の横を光の筋が通り過ぎ、セイヴァーリングの片方を弾き飛ばす。私も残った方を弾き飛ばし、横を向く。お日様を思わせる光を体毛から発するカイチは大きく姿を変えていた。体は一回り大きくなり、四本の足はスラッと伸びている。角は丸くなった左右の物が消え失せ、変わりに額から真っ直ぐ伸びた黒角が生えていた。

 

「ふふふ。少し格好良くなったかしら?」

 

「メー!」

 

「もう少し早く使いなさい? もー! 私は飼い主なんだからね。じゃあ、行こうか!」

 

 そっとカイチに寄り添えば全身の痺れも痛みも消えていく。体毛の光を浴びているだけで体中が温かくなり、力が湧いて来た、

 

「……凄いな。僕にはそれしか言えないや」

 

「えへへ。この魔法『羊の王様(S・フュージョン)』って言うの。……有り難うシドー……さん。貴方が手加減してくれなかったら試練を突破出来なかったわ」

 

「まあ、相手の慢心に付け込むのも必要な事だ。……良く頑張ったね」

 

 一見すれば未だ勝負は付いていない。だけど、私達は既に勝敗の結果を理解していた。私が一歩踏み出し、シドーさんは戻ったセイヴァーリングを構え、振りかぶる。それが投擲される直前、レッドキャリバーとカイチの角による突きを彼の腹部に叩き込み、後ろの壁まで吹き飛ばした。

 

「……ちょっと疲れたわね」

 

「……メー」

 

「うん、分かった。今度は魔法で召喚するんじゃなくって、賢者様に頼んで顔を見に帰るから。美味しいご飯も用意してあげる」

 

「メー」

 

「ダヴィル様の用意した餌の方が美味しいですって? もー!」

 

 勝ったけれど疲労は凄まじい。私の魔力の八割を使っても発動時間は短いのかカイチは消えて行く。

 

「……あの子、あんな性格だったのね」

 

 ちょっとだけショックを受けつつ歩く。目の前にはドアが現れていて、此処を開ければ終わりだと分かった。シドーさんも何時の間にか消えていたけれど、私は彼が居た辺りに向かってお辞儀をして、それからドアを開ける。来た時と同様に眠気を感じ、睡魔に身を任せると意識が途切れる。

 

 

 

 

「わっ! もうクリアしちゃった」

 

「残っている記録では最速ですわね」

 

 再び目を開けた時、そこは儀式を行う間。清女の二人が私の顔を覗き込んでいた……。

 

 

 

 

 

 




シドーさんも神の被害者だった アルハラとかのね



なろう版では追加の試練で更なる決意を見せています 是非あらすじの方からアドレスリンクで


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魔族の誇り 抱いた想い

 この糞みたいな世の中は腹が立つ位に不平等だ。生まれた家の地位や財産、肉体的なハンデを持って生まれてくる奴も居れば、信じられない位に運が良い奴も、同様に運が悪い奴も居る。

 

 偶に才能が劣っているのなら数倍の努力をすれば良いと言う奴も居るが、時間だけは平等に一日二十四時間だ。それに凡人の長年の努力を軽く追い越すから天才なんだ。結局、この世は持っている奴と持っていない奴に分かれる。その二つの間には越えられない壁が存在した。

 

 そして、俺も持っていない側だ。何せ俺は下級魔族。中級や上級の連中には道具としか思われていない。馬鹿だの愚図だのルルの奴を見下している位には力が有るが、結局は下級の中で優秀だって話。人間共の負の念を吸収して力を付けても、元から上の連中はその間に更に力を付けるだけだ。

 

 

「……任務? 俺に何を任せようって言うんだよ、ビリワック様?」

 

 だから最初にその話を持ちかけられても猜疑心しか湧かない。何せビリワック・ゴートマンは魔王様の側近であるあの女の側近。俺達下級魔族を道具とすら扱っていない奴の命令を伝えに来たと言われて素直に喜ぶ馬鹿は居ない。

 

「あの方の(メェ)はタンドゥール遺跡の封印を解いて来る事。そして、これは試験でも有る。生まれ持った力は兎も角、貴方の狡猾さをあの方は評価しています。上手く行けば中級への昇進と同時に力を与えると仰っていましたよ」

 

「……そうっすか」

 

「では、必要な物を幾つかと……何か困った時はこれを」

 

 ビリワックから封印解除に必要なナスの涙や必要物資を受け取り、最後に一枚の紙を手渡される。正直言って信用はしていないが、命じられた以上は従うしか道は無い。裏切り者にされて魔族やモンスターまで敵に回すのは勘弁だからな。

 

 

 

「ああ、それともう一つ。イエロアには裏切り者が来ているらしいですが、貴方如きが勝てる相手では無いので相手をしなくて宜しいですよ」

 

 最後に投げ掛けられた言葉に、余計なお世話だと叫びたくなるのを堪える。結局、此奴も主同様に俺達下級魔族を見下しているんだ。……もしかしたら成功するかどうかを賭けて遊んでいるのかも知れない。その場合、駒扱いって事だ。

 

(はっ! 道具扱いに昇格ってか? ふざけやがって)

 

 確信に至る証拠は無いが、あの女の事を知っている俺は確信していた。俺に向けていた路傍の石ころを見る目、あれだけは絶対に忘れない。屈辱と共に心に刻んでいた。

 

「……上等だ。利用しようってんならされてやる。だが、見てろ。何時の日かその喉笛に食らいついてやる」

 

 例え誰だとしても、俺は俺を侮る奴を許さねぇ。熱く燃える野心を胸に秘め、今は、今だけは従う。このまま使い捨てにされる道具のままではいないと誓いながら……。

 

 

(……流されるな。俺は魔族、彼奴は人間。相容れない存在だって忘れるなよ、俺)

 

 遺跡に向かう任務を受けたは良いが、問題は遺跡に関する情報だ。だから考古学者を騙し、封印を解いたらその場で正体を明かして殺す……その筈だったんだ。

 

 遺跡の中は危険だらけでハラハラの連続で、楽しくなかったと言えば嘘になる。どうせ利用する相手程度の認識だったのに、助けて助けられて語り合って、俺とした事が情が移っちまったんだ。

 

 だが、それじゃあ駄目だ。だから封印を解いた時、俺は先生を殺す気だった。せめて苦しまない死に方で、俺が自分を利用していたなんて気が付く暇も与えずに。

 

 

「おや、この様な所で同胞と会うとはな。お主、名は? 拙者の名は……」

 

「……知ってるぜ。楽土丸……鎌鼬 楽土丸だろ? 此処で会ったが百年目だな、裏切り者がぁ!!」

 

 なのに、なのにどうして覚悟を決めた途端に横槍が入る? 鼬の耳と尻尾を持つ十歳そこそこの武者甲冑の餓鬼。だが、その腰に差している筈の刀が無い。のん気な顔で俺に近付いて来る姿に敵意は一切感じない。

 

(自分の立場を分かってねぇのか……俺を敵に値しないって思ってやがるのか。……いや、既に刺客が放たれているんだ。俺を舐めてるって事だよなぁ!)

 

 どうせ先生の始末は任務のついでだ、後回しで良い。目の前に敵が居て、俺を侮って隙を晒していて、お前には無理だと馬鹿にされたからと戦わないなんて無能を認めるのと同じだ。それだけは絶対に認めてたまるか。

 

「俺を…俺を舐めるんじゃねぇ!」

 

「……来るか。例え裏切り者の誹りを受けても同胞とは戦いたくないので御座るがな……」

 

 俺の腕に黄色の鱗が浮き出し、目が人の物から爬虫類の物に変わる。ズボンを突き破って出て来た尻尾が床を叩く中、一瞬だけ先生を見る。

 

「へっへっへっ! まんまと騙されたな、先生よぉ。見ての通り、俺は魔族だ。見事に利用されてくれたもんだぜ。もう用済みだ、興味もねぇ」

 

 逃げろ、とは言わない。それだけは絶対に言ったら駄目だ。だが、別に何処かに逃げたとしても追い掛ける必要も無いから追わない。好きな所に行けば良いさ。

 

「うん? 彼の御仁を逃がしたいみたいだが、それなら逃げろって言わないと逃げないかもしれないで御座るよ?」

 

 此奴は俺の事を馬鹿にしているのか、と思う。まるで俺の心を見透かしたみたいに見当違いの事を言いやがって。殺す必要が無いから殺さないだけ……それだけだ。

 

「……何の事だ?」

 

「いや、どう判断しても……あっ! 立場や矜持からして言えなかったか。……これは申し訳無い。だが、安心せよ。拙者、弱き者を一々狙いはせぬし、お主を倒しても義理として外に送り届けると約束しよう!」

 

「だから、何の事だって言ってるんだよっ!」

 

 激昂と共に飛び掛かる。爪で肌が露出した部分を狙い、奥の手を使う隙を窺っていた。

 

「糞っ! なんで当たらねぇっ! どうして、どうしてだっ!」

 

 何故だ何故だと心の中で何度も叫ぶ。格上の相手に挑み、一向に傷一つ付けられないにも関わらず、何故か安堵している自分に気が付いていた。絶対に有り得ない事だ。絶対に有り得たらならない事だ。

 

(これじゃあまるで、既に負けを認めた上で、あの人間が無事に帰れるのが嬉しいみてぇじゃねえかっ!)

 

 最早防御や回避する事を考えず、鎧に覆われた部分にさえ攻撃を仕掛ける。頑強な造りの鎧を引っ掻いた爪の先が割れ、勢い余って前のめりに転ぶ。余りにも無様で間抜けな姿を晒す中、背後から溜め息が聞こえた。俺の姿を見て溜め息を吐いたのだと悟った瞬間、更に頭に血が上る。

 

「おい、いい加減に……」

 

「わぁああああああああああああっ!?」

 

「先生っ!?」

 

 怒りの言葉は悲鳴にかき消され、思わず楽土丸から目を離してまで向けた視線の先には楽土丸が入って来た穴からゾロゾロと現れたモンスターの群れ。それが、まるで砂糖に群がる蟻の様に先生に殺到する。鋭利な牙を持つ獰猛な鮫の頭とヒレ、青い甲殻に覆われた胴体と両の鋏、ヌルヌルとした粘膜を垂れ流す八本の触手にはデカい吸盤が付いている。シャースタパス、洞窟と繋がっている地底湖に生息するらしいモンスター共だ。

 

「おや、撒いたと思ったら付いて来ていたか。……それに仲間の血の香りで酷く興奮しているで御座る。むむっ! 早く動かねばあの御仁が……」

 

「待ってろ、先生っ!」

 

 どうやら遺跡の一部と地底湖が繋がっていたらしいが、今の俺にはそんな事を呟く楽土丸の声も姿も認識出来なかった。気が付けば体は自然と先生の元に向かい、庇う様に前に飛び出す。続いて唾を飛ばしながら叫んでいた。

 

「散れっ! 此奴に手を出すんじゃねぇよっ!」

 

 喉が痛くなる程の声量での命令。シャースタパスは喋れない代わりに行動で返事を行う。触手を振るい、俺の背後の先生に襲い掛かるといった行動でだ。咄嗟に爪で触手を切り裂けば汚らしく濁った紫の血が溢れ出す。シャースタパスの目を見た俺は歯噛みするしかなかった。

 

「ちっ! 管轄違いも有るが……こりゃ駄目だ。すっかり興奮してやがる」

 

「あ…あの、ジェフリーさん。管轄とは……?」

 

「ああっ? んな事も知らないのかよ、先生は。ったく、だったら教えてやる。モンスターと他の動物の違いは魔王様の指揮下に居る魔族に従うかどうかってのは知ってるよな? だが、どうも魔法と同じで相性があってな。能力と管轄が違う場所に生息している奴は従わせるのが難しいんだよっ!」

 

 その上、シャースタパスの様に一部のモンスターは興奮する事で更に言う事を聞かなくなる。一応俺に攻撃しない程度の事は分かっているが、それ以上は無理らしい。

 

「あっ! そうでした。言っておく事が有りましたっ!」

 

「……恨み言か?」

 

 直ぐ後ろに居るのだから急に大声を出さないで欲しかったが、俺が先生にした事を考えれば仕方が無いだろう。どうせ利用を終えたから殺そうとしたのも分かっている筈。なら、どんな罵声を浴びせられても仕方が無い。爪では対応が追い付かない数に対し、鞭を振るいながらも呟く。冒険の間に築いた物が壊れたとしても悪いのは此方だと分かっていた。

 

 

「いえ、違いますって。ジェフリーさん、助けてくれて有り難う御座います」

 

「……は? いやいやいやっ!? 俺が先生を利用する気だったのは流石に分かっているだろっ!? なんで礼なんか言っているんだ、アンタッ!?」

 

「え? こうして目的の場所まで行けましたし、こうして今も助けて頂いている。そんな友人にお礼を述べるのは当然でしょう?」

 

 俺は自分の耳を疑った。友人云々は兎も角として、どれだけお人好しならばそんな結論に達するのか分からない。

 

(あー、糞っ! これだから人間は嫌なんだよ。ってか、俺も友人ってのを否定しやがれっ! どうして嬉しいと思っているんだよっ!」

 

 ……正直に認める。此処までの短い冒険を共にした事で俺は先生に友情を感じていた。殺したくないって感情と魔族としての誇りの板挟みになった心が揺れていたんだ。

 

 シャースタパスの攻撃は更に激しさを増し、今も合計十本以上の触手が俺の真横を通り過ぎて先生へと向かうのを爪と鞭で阻止する。だが、このままではジリ貧だ。何時かは対応が間に合わなくなる。

 

 

「ったく、しょうがねぇよなっ! ダチの為だし……出し惜しみは無しで行くぜっ!」

 

 だから、使う事にした。楽土丸の相手だが、最初から手を出さなくて良いと言われているから無視で構わない。目に魔力を集め、全てのシャースタパスを視界に収める。

 

「全員石になりやがれぇええええええええええっ!!」

 

 怒声と共にシャースタパスの動きが止まる。体が小刻みに痙攣し、触手の先から色が変色して行く。いや、違う。色が変わったのではなく、石に変わって行っているんだ。

 

「はっはーっ! 此処に来るまでの敵は元から石の奴ばっかだが、そうじゃないなら俺に掛かればこんなもんだっ!」

 

 石になったシャースタパスを足蹴にしながら先生に視線を向ける。もう魔力を使い果たしてヘロヘロだが、弱音を吐くのは格好悪いので誤魔化す。どうやら先生には通用したらしい。心配した様子も無く、後は予想外の事態が起きたからと帰るだけだ。封印は解いたし、水が流れ込む壁の穴を理由にすれば解決だ。……俺はそんな風に安堵していた

 

「ジェフリーさん、凄いです! ……あれ? 何か聞こえませんか?」

 

「一体次から次へと何なんだよ」

 

 世の中、都合の良いタイミングでばかり物事が起きたりはしない。だが、折角最後の部屋の仕掛けを解いたら次は裏切り者とモンスターが続けざまに現れて、それが終わった瞬間にこれだ。けたたましい音と共に人間味の無い声が部屋全体に響いていた。

 

 

 

『侵入者察知! 侵入者察知!』

 

「ぼ…防衛システムが動き出したんだっ! ジェフリーさん、此処から先の罠は今までとは比べ物になりませんよっ!」

 

「そんな事はもっと早く言えっ! よし、帰るぞっ! 此処まで来たんだ、文句は言わさねぇ!」

 

 問答無用とばかりに俺は先生の首筋に一撃を見舞い意識を刈り取る。こうでもしないと行く行かないの押し問答で無駄に時間を使うだけだ。先に進むという選択肢は存在しない。俺の魔族としての本能が告げているんだ。向こうが完全に俺達を排除しに来たってな。

 

「おい、楽土丸。……勝負はお預けだ。此処は見逃してやる」

 

「構わん構わん。拙者としてもお主と戦うのは少し嫌だ。何せ種族の差を乗り越えた友情を結びし者達。その関係を引き裂こうとするのは野暮で御座ろうに」

 

「……けっ!」

 

 俺が目の前の男に勝てないのは分かっている。だが、心で認めても口で認めてたまるか。先生を担ぐと横を通り過ぎる際に強がりを投げ掛けるが、受け流された上に恥ずかしい事まで言われる始末だ。

 

(ったく、俺も焼きが回ったな……)

 

 少し自嘲しながらも不思議と嫌な気はしない。寧ろ心地良いとすら感じながら来た道を戻ろうとして、見えない壁に激突した。一瞬面くらいながらも手を伸ばし、通路に向かって伸ばす。矢張り見えない壁が存在し、俺の行く手を阻む。爪や鞭で破壊を試みても無駄な中、再び周囲から、それも更に激しい勢いで水が出て来た。

 

「おいおい、勘弁してくれよ。俺は泳ぎは苦手なんだ」

 

「金槌か。まあ、良い。……少々退いて貰おうか」

 

「苦手なだけだ。全然泳げないって事じゃねぇよ、ボケ」

 

 文句を言いながらも俺は横に退く。少し腹が立つが今の俺よりは楽土丸の方がどうにかする可能性が高い。無理だったら笑えば良いさ。

 

 無刀のまま、楽土丸は腰を落として抜刀の構え。存在しない柄を握り、不可視の壁を見据える。

 

「……斬るっ!」

 

 抜刀、そして納刀。存在しない刀の剣閃が煌めき何かが斬れた音が響く。不可視の壁は不存在の刀によって切断された。

 

「……さて、どうするか」

 

「どうにかならねぇのかよ、これは」

 

 確かに壁は切れたが事態は解決しない。通ろうと足を伸ばした瞬間、再び壁が現れた。このままでは楽土丸が次々に斬ったとしても水が通路を満たす方が早いだろう。絶体絶命だ。

 

「……いや、一つだけ方法が有るな」

 

 懐に手を伸ばせばビリワックから渡された紙に手が触れる。魔法陣が描かれた魔力の籠もる紙で、一度だけ安全な場所まで転移する事が出来る。……但し、一人だけだ。一人しか助からないなら、誰が使うべきか悩むまでもない。

 

 

 

「……先生、じゃあな。短い時間だが結構楽しかったぜ」

 

 俺は迷い無く先生をこの場から転移させた。作ったのがあの女だから不安が残るが、この状況よりは随分とマシだ。光に包まれて消えた先生に別れの言葉を投げ掛け、俺は楽土丸に向き直った。

 

 

 

「んじゃ、始めるかっ! 俺はジェフリー・バジリスク。テメェをぶっ殺す男だっ!」

 

 どうせ死ぬなら、罠だのなんだのじゃなくて殺し合いで死んでこそ魔族だ。一対一、誰の横槍も入れずの一発勝負。魔族の、男の死に様ってのはそう有るべきだ。

 

「……名乗りを上げられては戦わないのは無礼に当たる。なら、拙者も名乗るとしよう。鎌鼬 楽土丸。不義なる王を王とは認めずに反旗を翻した武士なりっ!」

 

「「いざ、勝負っ!」」

 

 少しだけ楽土丸に感謝する。今の彼奴は俺をちゃんと敵として扱っていた。思わず笑みが浮かび、後悔する事は微塵も無い。俺の生涯にやり残しは存在しなかった。

 

 

 

 

 

 ただ、敢えて一つだけ有るとしたら……。

 

(どうせだったら最後まで先生と遺跡を探索したかったぜ……)

 

 その後で酒を酌み交わすのも悪くない。……思ったよりも未練が有ったらしいな、俺は。まあ、楽しかったから良しとするか……。

 

 

 

 

「ったくっ! 最後の最後で最高の人生だったぜっ!」



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滅びに向かう国 神にとっては最近の話 ①

「……へぇ。見込みがないなら正式に就任する前に殺せって命令していたけれど……うん、甘さから庇った訳じゃなくて何よりだよ」

 

 神が住まう無色の世界クリアス。神聖な空気漂うこの地にて最も高貴で神聖で、同時に禍々しい空気漂う城の中にて一人の少年が呟く。玉座に座った彼の周囲には宙に浮かぶ無数の報告書。数ヶ月分にも及ぶその全てを一瞬で読み終え、満足そうに頷く。

 

 少年の名はミリアス。頭の捻子が外れている者が多い神々を束ねる最高神。勇者のシステム運用を決定したのも彼であり、キリュウには傍迷惑な相手と思われている。

 

「うふふふ。あの子の事だもの。私は信じていましたわよ、ミリアス様」

 

「フィレア、何か用かい?」

 

「あらあら、ミリアス様のお顔が見たくなったから来ては駄目でしたか? それなら悲しい事ですわね」

 

 ミリアスの前に現れた女、彼女を一文字で表すなら相応しい言葉は唯一だ。美、それ以外の言葉は彼女には不要であろう。おっとりとして少し天然が入ってそうな美貌、肉体は豊満や魅惑的よりも完全なる黄金比。装飾品の類も豪奢なドレスも身に付けていないが、彼女の美の前では石ころやぼろ布と同等になり果てていただろう。

 

 下劣な悪人さえ無粋な視線を送る事を躊躇わせる芸術性すら感じさせる彼女に対し、ミリアスは何事も無い様に微笑んでいた。

 

「それは美と恋の神としての勘かい?」

 

「いえいえ、母親として息子を信じているだけですよ」

 

「……は?」

 

 この時、ミリアスの余裕が崩れる。目の前の女神が何を言ったのか理解出来ない、そんな感じだった。だが、最高神としての誇りなのか直ぐ様に余裕の有る表情に戻る。だが、目は完全に泳いでいた。

 

「それは……彼が娘の旦那だから義理の息子って意味で言っている……んだよね?」

 

「ええ、その通り! でも、ちょっと違いますわね」

 

「あっ、うん。多分理解不能だけど一応言ってみて。気になって六百年位不眠症になりそうだから」

 

 本心を言えば一切興味は無い。寧ろ聞きたくない。だが、それを伝えれば目の前の女神は拗ねて泣く可能性がある。見た目は大人でも、中身は子供じみた実に神らしい女神なのだ。それがどの様な面倒に繋がるかを最高神であるミリアスは熟知していた。人は兎も角、神々は彼女の美によって足りない捻子が更に不足する。故に我慢するしかない、それでも本音が混じってしまうが……。

 

「ほら、私は美しいでしょう? どれだけ愛する人が居ても、私を見れば愛を捨てる程の恋に落ちてしまうの。でも、キリュウは違ったわ。一途にシルヴィアを愛していた」

 

「……あー、そうだね。僕もそれには感心するよ。でっ、それがさっきの話にどう繋がるんだい?」

 

 目の前の女神には伝えていないが、キリュウがシルヴィアの方が美しいと述べたのを報告書に記された惚気話で知っているミリアス。これまた面倒なので伝えないでおく。勿論誰かが見る前に書類は処分する予定だ。

 

「そこまで愛した相手なら、最早自分自身と同一。なら、私の娘と同一のあの子は実の息子同然になりますでしょう? ああ、早く孫の顔が見たいわ。まあ、仲が良いから五千年後には見ているでしょうけど」

 

「うん、そうだね。じゃあ、帰れ。僕は忙しい」

 

「ええ、私もこの後はディスハやセイポスとデートの約束ですから」

 

「……おい。全員既婚者だろう。君もシルヴィアとイシュリアって娘が存在するのだから夫だって存在するだろうに。神が修羅場とか面倒事しか浮かばない」

 

「大丈夫。妻ともデートの約束をしていますので」

 

 結論としてフィレアの持論を微塵も理解出来ず、する気も無いミリアスは彼女が去った後で深い溜め息を吐く。少年の姿にも関わらず哀愁が滲んでいた。

 

 

 

「……誰も居ない所でのんびりしたい」

 

 だが、その願いをあざ笑うかの様に誰かの訪問を告げる声が聞こえてくる。十中八九頭の捻子が外れている神が問題事を持ち込んだに違いない。キリュウには面倒な相手と思われている彼だが、最高神という立場が彼を神随一の苦労人にしている可能性が有った。

 

 

 

 

「急に訪問して悪かったな、ミリアス様」

 

 だが、幸いな事に今回の訪問者は比較的良心的存在なソリュロだったらしい。その姿を見たミリアスは思わず胸をなで下ろし、彼女はそれを見なかった事にする。

 

「……良かった、ソリュロか」

 

「うん? ……いや、大体察した。言わなくて良い。今度五十年程飲み明かそう。さて、忙しいだろうから本題に入ろうか。我が弟子……キリュウが情が湧いたかタンドゥール遺跡の破壊をしていなかったが、今回はするだろう。私が責任を負うから責めないで欲しい」

 

「……いや、最初から責めないよ? 君が彼に頼んだのは二百年程前、先日の事だ。その程度で罰しはしないさ。……しかしタンドゥールか。懐かしい……と言う程に昔の話でもないか」

 

「ああ、七百年程度前の出来事だ。人にとっては悠久の時に感じられても、我々神にとっては大した事がない。……あの国が滅んだ……私が滅ぼしたのも、そんな価値観の違いが理由だったよ……」

 

 人間に対し、友好的な感情を抱く神は多い。その中で種としての人間が好きか、特定の相手のみ好意を向けるか等は様々だが、ソリュロもその様な神の一人。いや、その中でも特に人間が好きな神ではあるのだが、同時に最も人から恐れられる神であった。死神よりも疫病神よりも人は彼女を、魔法と神罰(・・)を司るソリュロを恐怖する。

 

 

 ミリアスとソリュロが思い出すのは七百年前の事、禁忌を犯して滅びた大国タンドゥールに起きた悲劇。神に近付き過ぎた愚かであると同時に決して邪悪ではなかった人間の物語である。

 

 

 

 

 

「陛下! グリエーンにおいて封印が完了したとの報告が入りました!」

 

「そうか。ならばイエロアの封印も間もなくなされ、タンドゥールにも平穏が訪れるだろう。急ぎ神殿に供物を届け、神託を得るのだ!」

 

 人の世界は人に任せるべきと、ミリアスによって勇者の選定が始まるより昔、人の負の感情の集合体である淀みから誕生した魔族の対処は神の手によって行われていた。

 

 魔族や強力なモンスターに対抗出来る英雄が居なかった訳ではない。だが、どれだけ強くても腕が届く範囲は限られ、声も届かない場所の危機は知る事も出来ない。精々が一カ所に集めて守り易い様にするのが精一杯であり、権力者によっては自分達の護衛に貴重な戦力を集中させる。

 

 幸いな事に彼、魔法王国タンドゥール国王シムシムは若くして王となった善良な名君であり、王城が存在する首都であり国と同じ名の大都市タンドゥールに国民を集めていた。

 

 民を思い、平和を愛する彼を民は慕う。当時は淀みの発生した場所から影響の薄い世界に順番に封印がされており、例年ならば三日も経てばイエロアも封印が完了される筈だ。

 

「では、儂は民に知らせねば。もう不安に思う必要は無い。世界は直ぐに救われるとな」

 

「陛下、それなら看板で知らせても良いのでは? 国王自らが民の前に知らせに出るなどと……」

 

「構わんさ。追い詰められて自暴自棄になった魔族が暴れ、故郷を追われて不安な日々を過ごす民も多い。なら、最も安全な場所で過ごしていた儂が出向き、晴れやかな笑顔の民を見たいのだ」

 

「はっ! 了解致しました。では、準備に取りかかります」

 

 大臣であるカシムはシムシムの言葉に従い、王より発表があると国民に知らせる。それから数日後、予定の時刻には城門前広場に数多くの民が集っていた。

 

「陛下っ! 少しお待ち下さい! 城門から出ずとも城から広場を見渡せる場所は有るのですから、そこで話をすべきです!」

 

 その民の前に姿を現す……そこまでは良かった。だが、シムシムが城門から出て姿を見せると聞いてカシムが慌てて止めるべく動く。だが、説得を試みるも聞き耳を持つ様子が無かった。

 

「私が告げても告げなくても間もなく世界は救われる。これは只の自己満足だ。なら、儂は民の顔がよく見たい。なぁに、我が国の英雄は優秀だ。悪さする者など居まいて」

 

「それもそうですが……おや?」

 

 王としての面目よりも民の笑顔を大切にする彼の言葉にカシムの制止の手が弛む。そんな彼の前に一羽の鳩が現れる。鳩には一枚の手紙が結わえ付けられ、広げればチキポクの神殿の紋章の印がされていた。カシムはそれを一読し、恭しくシムシムへと差し出す。

 

「……なんと! これは民への良い知らせが出来たな」

 

 手紙を読むなり顔を綻ばせる様子から随分な吉報な様子。一応は面目を立てる為の護衛の騎士を引き連れ城門から彼が姿を現すと歓声が響き渡った。

 

「陛下ー!」

 

「シムシム様ー!」

 

「私達をお導き下さーい!」

 

 民のこの反応こそ彼がどの様な王であるかの証明になるだろう。シムシムは彼らに手を振り、言葉を告げるべく手を挙げて静まらせる。彼の声は静かに、それでも確かに全員の耳に響き渡った。

 

「聞け、私の愛する民よ! ヌビアス様より神託が下った! これより僅かな日数の後にイエロアの封印を行うとの事だ! 不安に過ごす日々から解放される日々は近い!」

 

 再び上がった歓声は先程の比ではない。嬉し涙を流し、抱き合って喜び合い、誰もが幸福な日々を思い浮かべる。その姿を見るシムシムも同様に幸せを噛み締める。

 

 

 

「……冗談じゃない。こんな所で終わってたまるもんか」

 

 だが、人混みから離れ、喜びの喧騒を耳にしながら苦虫を噛み潰した様な顔の小男が一人。シムシムの話に随分と慌てた様子の彼だが、顔が人の物ではなくなった。子供位の背丈にマント姿の彼の頭は南瓜そっくり……いや、南瓜その物。ハロウィンの飾りの様な南瓜の目の奥には青白い炎が灯っている。

 

 

「おっと、危ない危ない。折角正体を隠して潜り込んだのに……ひゃわっ!?」

 

 慌てて顔を戻そうとする彼だが、背後から聞こえた物音に驚いて路地裏から転がり出る。受け身も取れずに顔面から地面にぶつかって、何とか人に戻した顔の鼻から鼻血をボタボタ流した彼が恐る恐る振り返る。

 

「にゃあ」

 

「何だ、猫か……驚かせるなっ!」

 

 怒った彼は道に落ちていた石ころを猫に投げ、猫に当たらず壁に当たって跳ね返る。先程転んで強かに打ち付けた鼻に今度は石がクリーンヒットした。

 

「うぅ、ついてないや……覚えてろ!」

 

 幸運なのはシムシムの演説に夢中で誰も彼の醜態に気が付いていなかった事。すっかり涙目になった彼は赤くなった鼻を手で押さえながら捨て台詞を叫ぶ……猫に。

 

「……お腹が減ったな。ポテトフライでも食べよう」

 

 グリエーンの封印の事を噂で聞いたのは昨夜であり、不安で食事を忘れていた彼は空腹に耐えかねて歩き出す。歓喜に湧いた人間達と違い、彼の心中は暗く淀んでいたのだ。

 

 

 この時点で分かる事だが彼は魔族だ。それも本来ならば淀みの影響が最も低い最初の世界、今回はオレジナに派遣されるレベルの最下級。意地とプライドだけは一丁前だった彼は仲の良い魔族に頼んで周囲を見返す為にイエロアに来て、その魔族が神に浄化されて帰るに帰れなくなった。

 

 名をジャック・ジャックオアランタン。魔族の意地を見せようと、もしくは自暴自棄になって暴れる事もせず、こうして一般人に化けて日雇いの仕事でのその日暮らし。その内終わりが来ると分かっていながら目を逸らし、どうにかなるとの楽観視すら出来ていない。

 

「……僕、何をやっているんだろ? ”お前みたいな無気力な奴は嫌いだ”なんて大勢から言われたけどさ……僕が世界で一番僕を嫌っているよ」

 

 変わる気は無く、変われるとも思っていない。彼にとって自分は誰の役にも立たない出来損ないでしかなかった。

 

 

 

 

 

 

「おーい! 未だ洗い物は残ってるぞー!」

 

「糞っ! アンラッキーだよ、全くさ」

 

 猫に捨て台詞を吐いた後、食事をしようとしたけれど王の言葉を聞きに行った者ばかりで店が開いておらず、漸く見つけた店で苛だちと空腹の限界とでバカ食いを決行。尚、財布を落としていたので代わりに雑用の真っ最中である。

 

 

(あーあ、何か良い事無いかなぁ。どうせだったら人間を思いっきり困らせる様なチャンスが回って来るとかさ……)

 

「おい! 何をボーッとしてるんだ!」

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 只願っても行動しなければ叶うのは幻想だ。だが、時に叶う事も有る。何をすべきか分からず、考えもしなくても。神の恩恵など絶対に受けられない魔族の身であったとしても……。

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、カシムよ。あれから一体どれ程の月日が流れた?」

 

「……三ヶ月に御座います」

 

「神託は下ったか?」

 

「……何度祈りを捧げても、”今良い所だ、もう少し待て”、とだけ」

 

「そうか……」

 

 あれから三ヶ月経った。もう少しで世界が救われるとの神託を広め、タンドゥールが歓喜に湧いてから三ヶ月、その時は一向に訪れない。

 

 三ヶ月前は国中に希望が広まった。今広がっているのは絶望と猜疑心。神が自分達を見捨てた……とは思わない。例え思ったとしても自分を誤魔化す。それだけは認めたくなかった。

 

 故に民の不信は、怒りは王へと向く。可愛さ余って憎さ百倍、愛しいと思っている程に憎くなれば一層憎くなるという意味だが、信頼され慕われていただけにシムシムへの怒りは強くなっていた。

 

「……俺の故郷が残った魔族に滅ぼされたってよ」

 

「昨日、タンドゥールの周囲の砦が陥落したらしいの。……私の息子が居たわ」

 

「俺達、どうなるんだろうな……」

 

 物資の蓄えは十分だ。食料も、水も、薬も服も、暮らして行くには足りている。……今は。

 

 だが、モンスターが暴れ、自棄になった魔族が八つ当たりとばかりに暴れる事によって生産拠点も補給路も壊滅的な被害を受ける中、使い続ければ何時しか不足する。もし神が封印を終わらせても、復興の最中に物資が枯渇すればどうなるか、誰もがそれを心配していた。

 

 

「……陛下。例の禁術を使うべきでは?」

 

「いや、あれは駄目だ。人として許される事ではない。今は少しでもタンドゥール内で生産拠点を増やし、モンスターの襲撃に備えるべく兵を募るのだ。……少しだけ一人にしてくれ。父の墓参りに向かう」

 

「承知しました……」

 

 カシムの提案は即座に却下されるも、彼自身も何処か安堵した様子が見受けられる。その禁術はこの状況を打破出来る可能性が高いと分かっていても、彼らの持つ善良さがそれを阻む。このままではどうにもならないとしてもだ……。

 

 

 

 

 

「なあ、私はどうすべきだ? 分からない、分からないんだ……」

 

 タンドゥールの地下深く、街の面積よりも広い建物の最奥に造られた歴代の王達が眠る場所、その一ヶ所に存在する宝物庫の前にてシムシムはうずくまって弱音を吐く。側近であるカシム以外には見せない姿を見せ、問い掛けた先には青い装甲を持つ金属製の巨人が立っていた。

 

「申シ訳有リマセン、陛下。只ノ番人デスノデ」

 

「……別に良い。お前に話を聞いて貰いたかっただけだ。私にとってお前は大切な友人なのだよ、タロス」

 

 どうやら彼の巨人はタロスと名付けられているらしい。只、それは本来の名ではなかった。記号と数字が並ぶだけの名だったのを面白くないと思った幼き頃のシムシムが付けた名こそがタロスなのだ。

 

「何度モ申シマスガ、私ハ道具。王ノ友ニハナレマセン」

 

「ははは! 相変わらず頭が固い奴だ。……また会いに来る。それまで、ちゃんとこの場所を守ってくれよ?」

 

「ハッ!」

 

 シムシムがタロスと言葉を交わしたのは僅かな時間。それでもシムシムの顔は晴れやかになり、溌剌とした様子で去って行く。後にはタロスのみが残された。

 

 

「……任務再開。内容、王家ノ墓ノ守護。……陛下ノ要望ニヨル会話ノ為、話題ノ選考ノ必要性計算……必要性大」

 

 本来、タロスには優れた魔法技術によって高い知能は与えられても自由意志など存在しない……筈だった。道具としてではなく、大切な墓と宝を守る者として接し、名前まで与えて何時しか友に認定したシムシムの行動が何かしらの影響を与えたのだろうか? その答えはタンドゥールの誰にも出す事が出来ない。

 

 

「頭ガ固イ、ソノ返答ニ、金属ダカラ、トデモ言ウベキダッタカ?」

 

 

 

 ……そして、神託が下ってから四年と半年が過ぎ去ろうとしていた。神は未だに動かないままだ……。

 

 

 



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滅びに向かう国 神にとっては最近の話 ②

途中まで胸糞注意


 優れた魔法技術で栄華を極め、民の顔にも笑顔が溢れていたタンドゥール、今はその面影が僅かに残るだけだ。何時になるやら分からない神の救済への不安は周囲へ不満という形で向けられ、他の町や村から救いを求めてやって来た者達による備蓄品の消耗速度の増加はそれを駆り立てる。

 

「おい! お前、俺の配給品を盗もうとしただろ!」

 

「お前の後ろを見てただけだよ。因縁付けるな!」

 

「お前達、何をやっている!」

 

 彼方此方で今日も喧嘩が起きる。理由は些細な事であり、警備兵達が止めに入るも、王族への不信感からか互いに向けていた暴力が兵達にも向けられた。必要物資は国が管理し、定期的に配給していたのだが、徐々に量が目減りしていく配給品への不満は王への不満へとすり替わった。

 

「……なあ、聞いたか? 王と懇意にしていた学者の所は俺達より多くの物が届けられるってよ」

 

「矢っ張りな。怪しいと思ってたんだよ。となると、生産量が少ないってのも疑わしいぜ。どうせ偉い奴らの為に貯めているんだぜ、絶対」

 

 噂が噂を呼び、王への敬意が失われつつある中、今日の配給品を受け取った小男が足早に路地裏に向かっていた。最近では他者の配給品を奪う者も増え、喧嘩や小規模な暴動によって全ての解決とは行かないのが現状。そして、それが更に民の不満を募らせ、治安の悪化の一途を辿っていた。

 

 

 

「おーい。今帰ったよー。へへっ! 今日は僕から奪おうとした奴が三人も居たから結構稼げたぜ」

 

 未だにタンドゥールに留まっていたジャックが途中で手に入れた品も含めて持ち帰ったのは路地裏の奥の奥、ゴミの臭いが漂う狭い住処。後からやって来た貧しい民や落ちぶれた者が身を寄せ合って住むスラムの様な場所であり、ボロ板を張り合わせて作った家の中には既に誰かが居た。

 

「……じゃっく、おか…えり……」

 

 彼を出迎えたのはシラミだらけのボサボサの髪の幼い少女。服も顔も汚れており、周囲と同じ様な臭いがした。舌足らずな言葉で話すが、彼女の年齢ならばもう少し上手く喋る事が出来る筈。但し、マトモに育った場所に限るが。

 

 このご時世、孤児となる子供は珍しくもない。数年前までは手厚く行われていた支援も現状では滞っている。だが、彼女が元からタンドゥールの住民だった事に変わりはなく、騙されて家を奪われたとしても繁栄していた頃の記録から身元は確かだ。魔法の記録簿で都市で暮らしていた者達は照合可能なのだ。

 

(へへっ! 僕も運が良い。ちょっと優しい言葉を掛ければ騙されて、僕が遠縁の親戚だって証言するんだからな。お陰でこうして詳しい検査もされずに済んでいるんだからな)

 

 ジャックは内心でほくそ笑みながら食事の準備を行う。彼から奪おうとした者達から奪った物の一部を取り置き、早く食べないと痛む物を二人分に取り分ける。

 

「おい、僕は大人だからお前より食べるけど、文句は無いよな? じゃないと此処から出て行かなくちゃならないぞ」

 

「……いい…よ」

 

「悪いな。じゃあ、早速……」

 

 取り出したのは二人分だが、明らかに量に差が有る。小さいとは言え大人と子供にしても差が有りすぎだ。その上、干し肉やチーズは殆ど彼が食べていた。彼女に与えられるのは野菜くずやパンの欠片、精々が肉の切れ端だけ。それでも彼女は不平不満を態度にすら出さずに食べ続けている。

 

「おい、食べ終わったら寝てろ。僕は出掛ける用事が有る」

 

「かえって…きてくれる?」

 

「毎回しつこいぞ。ちゃんと帰っているだろ」

 

 不安そうな少女に煩わしそうに対応するジャックは先程取り分けた物資の幾らか、それも食料は彼女に与えた物より量も質も上であり、全て支払いに使われる。街に到着したばかりで登録が済んでおらず配給が受け取れない者や、配給品に無い高価な薬を必要とする者など、体を売って稼ぐ者も居て、今からそれを買いに行くのだ。

 

 

「いって…らっしゃ…い」

 

 毎回返事は帰って来ない。だが、彼女はそれでもジャックに言葉を投げ掛ける。彼が自分を利用する気だと知っていても、自分の名がナテスだとさえ忘れていると分かっていても。人は孤独に耐えられない。彼が側に居てくれる、それだけでナテスは嬉しかったのだ。

 

 情勢が悪化し、社会の機能が働かなくなった事でナテスは不幸になり、機能しない事で彼女にとっての幸せは続いている。少しでも何かが違えばジャックが魔族だと判明し、既に退治された事だろう。この幸せは薄氷の様に危うい。

 

 

 そして、それが壊れる日は確実に近付いていた……。

 

 

「おっ! 今日は有るな。……にしても、何処で盗んで来ているんだ?」

 

 今日は好みの相手を抱けたので随分と機嫌を良くして帰ったジャックだが、ボロ布を被ってスヤスヤと眠るナテスが偶に何処かで調達して来る酒が有ったので更に機嫌が良くなった。何処で手に入れたのかは知らないが、勝手にリスクを犯すのならすれば良いと思っているので訊きはしない。只、このご時世故にマトモな店では買える筈も無く、彼女が家から持ち出せた物も殆ど売ってジャックの懐に入れたので買える筈もない。

 

「まぁ、良いか。僕が知っても盗みに行くリスクを犯したくないしね。此奴が勝手に用意するならさせておけば良いさ」

 

 既にナテスの偽証で登録を済ませ、配給品は受け取れる。仮に彼女が死ねば配給品の量が減り、酒が手に入らなくだろう。だが、どうせ神がその気になれば呆気なく消え去る身だからと気にしない。居れば都合が良く、居なければ居ないで構わない。彼にとってナテスはその程度の存在であった。

 

 

「最近は来ないなあ。あの餓鬼を人質にでもすれば良いのにさ」

 

 

 だが、そんなある日の事だ。流石に最近は力の差を察してか恐喝を行ってくる者達と会わず、リスクを避けたいジャックからすれば絶好のカモだったので少し残念な気分だ。表沙汰に出来ないのは向こうも同じ故に逆に物資を奪えたのにと思い、ならば助ける気は無いけれどナテスを狙うという手を取れば良いのにと平気で口にしつつ何時もの場所へと向かう。そこには客待ちの女性達が立っていた。

 

「ジャックちゃん、遊ばない?」

 

「いやいや、私と遊ぼうよ」

 

「いやー! どうしようかなー?」

 

 絡んで来るチンピラから奪った金や物によって払いの良いジャックは彼女達に人気だ。少し煽てれば食料や金品を沢山払う。今のタンドゥールでは対価を払わず逃げたり出し渋って値切る客が増えているだけに都合が良いのだ。無論、彼が人気な理由はそれだけだ。体が子供並に小さく、下品な小物の本性を見抜かれている。愛想を振りまいているが、内心では馬鹿にしている事にジャックは気付く素振りも無い。

 

「じゃあ、今日は君にするよ。ほら、先払いで三日分のパンと……菓子も付けちゃうぜ」

 

「やーん。ジャックちゃん、太っ腹ー! じゃあ、私の部屋で楽しみましょう。……あっ、お菓子だけど本当に良いの?」

 

 彼女が疑問に思うのも無理は無い。配給でお菓子が貰えるのは子供がいる家庭だけなのだ。不安を抱える子供の慰めになればとシムシムが貴重な砂糖を使った菓子を用意させており、闇市では高値で取り引きされていた。ジャックはリスクを恐れて闇市には買い物にすら行かず、菓子はナテスに与えていた。優しさではなく、菓子でも与えれば大人しくなるだろうという適当な考えからだったが。

 

「良いって。彼奴も毎回食べているんだし……」

 

「え? あの子、お菓子を売っていたわよ? あめ玉とかクッキーとかを売って……まあ、買い叩かれていたけど」

 

「……ふーん、そっか」

 

 なら、自分に隠れて金を貯めているなと思い当たったジャックは帰った後で奪う方法を思案する。自分勝手な事に自分を騙していたと腹を立ててさえいた。そんな彼の様子に情報を与えた女性は訝しげにしつつ、折角の上客の機嫌を損ねまいと愛想笑いを忘れない。

 

(……此奴、そんな事も分かって無かったのね。矢っ張り馬鹿だわ)

 

 但し、内心では元から低かったジャックへの評価が更に下がっていたのだが。

 

 

 

 

「……さて、どうやって金を出させるかな。彼奴、僕を信頼していると思ってたのに金を隠すなんてさ。……まあ、出て行くと脅せば出すでしょ」

 

 女を抱いた事で上機嫌になったジャックは鼻歌交じりに帰路に就く。そろそろ酒を手に入れる頃合いかと思っていた時、道端に汚らしい塊が落ちているのが目に入る。少ない通行人は我関せずと横を通り過ぎ、ジャックも同じ様に横を通って路地裏へと続く道に向かおうとしていた。その固まりが怪我をした子供だと分かっていてもだ。だが、通り過ぎ様とした彼の足を子供の手が掴み、顔が見える。

 

「じゃ…っく……」

 

 その子供はナテスだった。元から汚れていた服は彼女の血で更に汚れ、体中が痣だらけの上に左目が腫れ上がっている。そんな姿を見たジャックは……何も感じなかった。

 

「なんだ、お前かよ。何やったんだよ、一体さ」

 

「ごめ…ん…なさい……。せっか…く…、かった…おさ…け……とられた……」

 

「……は? 酒を買ったって?」

 

 この時、ジャックは理解した。彼女がどうやって酒を手に入れていたのかを。そして酒を奪おうとした者達によって暴行された事を。このまま見捨て様と思ったジャックだが、自分が飲むはずだった酒を盗られたままなのは気に入らないと気を失ったナテスを連れて家に戻って行った。

 

 

「さてと、残った金が有ったら嬉しいけど……」

 

 戻ったジャックだが、ナテスに手厚い看護を行いなどしない。中途半端な知識で適当な手当を行い、後は目を覚ませば酒を奪った者達の情報を得ようとしつつ、もしもの場合に何時でも逃げられる様に金を探す。だが、金など出て来ない。出て来たのはボロボロのペンと使い古されたノート。ナテスがこれだけは絶対に手放そうとせず、価値も低いので放置していた物だ。

 

「……これって。僕の絵か……うん?」

 

 ノートからは下手な字を練習した様子が窺え、途中からスケッチブックになっていた。子供らしい下手な絵で描かれているのはナテスと家族の絵、それが途中から別の人物、絵の下に、じゃっく、と書かれていたから辛うじて自分だと理解したジャックは何となくページを進め、途中で手が止まる。そのページには南瓜の頭を持つ本来の姿のジャックが描かれていた。

 

 どうやら寝ている途中で変身が解けたらしく、イビキをかいている様子が描かれている。元が可愛らしい姿だけにほのぼのとした絵だが、当の本人は穏やかな心境では居られなかった。

 

「此奴、気が付いていたの? それなのに騒ぎもせず僕を置いて……クソッ! 一旦姿を隠すしかないな」

 

 予想外の自体に慌て、ジャックは急いでナテスを放置して飛び出した。無償の善意で匿っていた、とは思わない。元より人への敵意を強く持つ魔族であり、他者を利用する事ばかり考えている男がその様な結論に行き着く筈が無かったのだ。

 

 人目を避け、広大な面積を持つタンドゥールを駆け抜けるジャック。彼にとって幸いな事に今のこの街には至る所にスラムめいた場所が点在し、表立って動けない者達が多く住む。隠れ潜むのには絶好の場所だった。

 

「……ふぅ。にしても酒が飲めなかったのは惜しかったな。……うん? 酒の香りがするぞ……」

 

 魔族の鋭敏な五感が酒の香りを捉え、彼は匂いに誘われる様にして歩く。その先には酒を酌み交わすガラの悪い数人の男達。

 

(やった! 彼奴等程度なら簡単に奪えるぞ!)

 

 ジャックは男達の事をよく知っている。何度も何度も人数を増やして襲い掛かって来て、その度に返り討ちにした相手。手慣れた態度から訴え出る可能性は低く、どうせなら殺してでも奪おうとさえ思っていた。何時もなら避けるリスクだが、正体を知られていた事を知っての動揺が冷静さを奪い、強襲の好機を狙う。その時だった……。

 

 

「しかし、あの小男と暮らしている汚い餓鬼で憂さ晴らししようとしたら酒を持ってるなんてラッキーだったな」

 

「そうそう。あの餓鬼も馬鹿だよな。ジャックが楽しみにしているだとか、大切な家族のお酒だとか言って抵抗するんだから」

 

「腹が立ったから奪った後も殴っちまったぜ。はははははっ!」

 

 健全に生きている者達ならば嫌悪感を感じる会話だが、生憎と彼らと同類であるジャックは感じない。男達と似た事など平気で行って来た身だ。

 

「……腹が立つな」

 

「うん? 誰が……」

 

 只、何故か無性に腹が立った。思わず呟いた声に反応して振り向く男達。彼等が目にしたのはカボチャ頭の魔族の姿、そして数瞬遅れて現れた青白い炎。この日、スラムの一角で焼死体が発見される。だが、場所と現在のタンドゥールを取り巻く情勢によって碌々調査がされる事が無く、やがて忘れ去られた。

 

 

 

 

「……じゃっく? ど…こ……?」

 

 全身の痛みに耐えながらナテスが目を覚ます。何時もの鼻が曲がりそうな悪臭漂う小屋の中、たった一人でだ。同居人の名を呼び、必死に探そうと首を動かすも見付からない。出て行くと何度も言っていた彼が本当に出て行った、幼い少女はそう感じてしまう。

 

「やだ……やだよ………」

 

 込み上げて来た孤独感と悲しみによって涙が流れる。今にも叫んで泣き出しそうな少女だが、彼女にそれだけの力はない。少ない食料で耐え続けた空腹と栄養不足が叫ぶ体力など奪っていた。

 

 

 だが、啜り泣く声が響く中、突如扉が開く。扉の前にはジャックが立っていた。

 

「何が嫌なの? まったく、怪我人が動かないでよ。ほら、闇市で色々仕入れて来たからご飯だよ。結構な値段がしたんだから残さないでね」

 

「じゃっく……?」

 

「僕が他の誰かに見えるのかよ? さっさと食べたら薬塗ってやるからな」

 

 何時もは絶対に行かない闇市に行った事も、妙に優しい態度もナテスの知っているジャックではない。ぶっきらぼうな言葉は変わらないが、もしかして偽物かもと一瞬思った程だ。

 

「しかし君は本当に臭いな。飯が不味くなるよ」

 

「……ほんもの」

 

 だが、直ぐにその考えを否定する。それでもこの日から接し方が変わったジャックに対し、ナテスは何度か偽物疑惑を持つのだが。

 

 今までとは違い食べ物を沢山くれて、今までとは違って酒は要らないと言って、今までと同じ様に側に居て、その時間は今までより長い。この日よりナテスの日々は少し幸せが増して行った。誰かが側に居てくれる、そんなささやかな幸せが……。

 

 

 

 

 

「妙だな……」

 

 それから更に時が過ぎ、シムシムが民に神託を告げてから五年になろうとした頃だった。夢中になって本を読み続け、三十年ぶりに外に出た女神が六色世界に違和感を持つ。

 

「本来なら既に終わっている筈なのだが……まさか!」

 

 白いフリルの甘ロリドレスといった格好には似付かわしくない言葉遣いの彼女が向かった先は神々が宴に使う会場場だ。そして彼女の嫌な予感は的中し、腹踊りをするイシュリアや樽を幾つも空にしているダヴィルの側で酔い潰れている神、今回の封印においてイエロア担当の筈だったヌビアスを発見した。

 

 

「おい、起きろ! イエロアの封印が未だだろう」

 

「うーん? あっ、ソリュロ様か。大丈夫、大丈夫。ちゃーんと少ししたら封印するって伝えてあるから。……もう少し寝かせてくださ……い」

 

 ヌビアスは酔いが完全に回っているのか目を覚ましても直ぐに眠り出す。この時、ソリュロの中で何かが切れた音がした。

 

 

 

 

「起きんか、馬鹿者ぉおおおおおおお!!」

 

 怒声と共に宴会場全体を覆う魔法陣。年単位で続いていた神々の酔いが一瞬で覚めた瞬間だった……。

 

 

 

 

 

 



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滅びに向かう国 神にとっては最近の話 ③

「おお! お前が墓守のゴーレムか! デカくて強そうだな!」

 

 タロスの記録に残るシムシムの初対面の時の姿は幼い少年の頃。王族として歴代の王の墓参りをした際にタロスの姿を見に来たのだ。歴代の誰とも違う反応にタロスは戸惑わない。この頃、その様な心は持っていなかった。

 

「ああ、この前は夢中になり過ぎて爺やに叱られたが、その時にお前の名前を聞いていなかったな。僕はタンドゥール王国第一王子シムシム・タンドゥールだ。お前は?」

 

「墓守用護衛兵RーⅡト申シマス」

 

「……面白くないな。父上達がゴーレムとしか呼ばない訳だ。……良し! 今日からお前の名前はタロスだ! 僕の命令だからな!」

 

 何が琴線に触れたのかシムシムに気に入られ、タロスは今の名前を得た。合理的な理由が見付からないが、王族の命令故に反論は無い。シムシムはタロスが気に入っていると思ってか満足そうだが、タロスにとっては指令に従っただけでしかなかった。

 

 

「おい! 暇だから遊び相手になれ!」

 

 名前を付けた事で更に気に入ったのだろう。シムシムがタロスの所に頻繁に顔を見せる様になった。

 

「ふっふっふ! 他の世界のゴーレムを見たんだが、お前の方が強そうだったぞ、タロス!」

 

「光栄デス」

 

 時に公務先での土産話を語る。一度相槌位は打てと命令されたので返事をする。時折、大臣の息子のカシムが苦言を呈したがシムシムはタロスの所に通い続けた。

 

「見てみろ! エルフ達を描いた名画だ。僕もこんな逞しい戦士になりたいな」

 

 何度も……。

 

「……友との付き合いは良いのかって? 僕じゃなくって僕の背後の父上ばかり見ている連中なんて友じゃないさ。僕の友達はお前だけだよ」

 

「私ハ道具デス」

 

「……違う。僕の友だ」

 

 何度も……。

 

「母上が亡くなった……。僕は王子だ、臣下の前で何時までもメソメソしていられない。でも、友達のお前の前なら良いよな、タロス?」

 

「私ハ……」

 

 何度も……。

 

 

「父上も亡くなり、今日から私が王だ。お前にも今までの様に会いに来られなくなるな」

 

「メソメソ泣ク暇モ無サソウデスネ」

 

「お前も変わったなぁ……」

 

「陛下ノ、友ノ影響カト」

 

 やがて幼い少年は青年へと成長し、王子から王になる。道具でしかなかったゴーレムも何時しか心を持つ存在へと変わっていた。元よりそうなるだけのスペックを持ち合わせていたのか、それとも奇跡が起きたのかは分からない。だが、シムシムが語り掛けるのを止めなかったのが理由なのは間違い無いだろう。

 

 シムシムはそれからも幼き頃の輝く目を失わず、民に慕われる名君となる。時折タロスの所を訪れては愚痴をこぼすのだが、タロスはタロスで偶に毒を吐くなどの対応で返し、シムシムは表情をコロコロ変えながらも最後は笑顔で戻って行く。

 

 やがて彼が年老いてもそれは続くと、タロスは疑いもしなかった。合理的でない思考であり、心を得た故に願望が混じっている。本当はそれを理解しているタロスだが、それで良いと思う。何せ今の自分はシムシムの影響でかたちづくられているのだからと。

 

 

「……悪いな、タロス。暫くは会えない。お前に自分の姿を見せたくないのだ」

 

「ソウデスカ……」

 

 だが、此処数年でシムシムに何かが起きた。海千山千の化け物揃いの政敵を相手にしながらも失われなかった目の輝きは鈍くなり、体力的にも精神的にも疲れた姿にタロスは強い不安を感じる。この時ばかりは心を得たのが辛かった。

 

(無力ダ……)

 

 友であり主であるシムシムの窮地に何も出来ない事への歯がゆさでタロスが拳を握りしめる中、もう戻る時間なのかシムシムが背を向けて歩き出す。言葉を掛けたいタロスだが、掛ける言葉など浮かばない。

 

「……ああ、そうだ」

 

 だが、遠ざかっていくシムシムの足が急に止まり、振り向きもせずに言葉を向けて来た。

 

 

「私が見せたくないのは今の私だ。罪を背負い、お前と向き合う覚悟が決まれば会いに来る。待っていてくれるか、友よ?」

 

「了解デス、友ヨ」

 

 約束を交わして去って行くシムシムは背中しか見えない。けれどタロスにはシムシムが笑みを浮かべているのが分かる。理屈ではなく、長い付き合いの友として感じ取ったのだ。

 

 

 国を統べる王と、本来は道具でしかなかったゴーレムの間に芽生えた奇妙な絆。この誓いは互いの心の支えとなり、果たされる日までの希望となる。

 

 

 

 その筈だった……。

 

 

「……今戻ったぞ、カシム。もう一度問おう。タンドゥールを、イエロアを守り続けるにはそれしかないのだな?」

 

「左様で御座います、陛下。既に生贄の適正を持つ者の探索に入っていますので暫しお待ちを」

 

「……そうか。しかし、本当にその者には非道な話だな。神の力の器にするというのだから。ああ、私は本当に罪深い王だ。だが、私が背負わねばならぬのだ」

 

 

 王と側近は覚悟を決める。例え外道に落ちようと守らなければならない物の為に。それが何時しか滅びを招くとしても、自分達は今を生きているのだと強く心に刻みながら。

 

 その時が予想以上に近いとは知る由も無く……。

 

「……じゃっく、おそい……」

 

 この日、ナテスは実に一年ぶりに鏡に映った自らの姿を眺めていた。罅の入った手鏡で、売っても仕方がないからとジャックが売らないで残していた物である。

 

 この日、彼女が着ているのは辛うじて服の役割を果たしているボロ布同然の物ではなく、古着ではあるが小綺麗なワンピース。先日の怪我が漸く癒えた時、服が使い物にならないからと買い求めた物だ。

 

 幸せだった事をナテスは覚えている。服を買った事ではなく、何時も置き去りにするジャックが外出に連れて行ってくれ、迷子にならない為にと手を繋いでくれた。まるで本当の家族の様だったと、ナテスは自らの手をジッと見詰める。

 

「また……でかけたい」

 

 何かを買わないで良いので、軽い散歩でも一緒にしたいと彼女は思う。今までは自分と一緒に行てくれさえすればそれで良かったのだが、怪我をした日から態度は一見変わらなくても妙に優しいジャックへの要求が増える。我が儘だと怒って居なくなるのが怖いから本人の前では決して口には出さなかったが。

 

「おとうさん……って、よんじゃだめ……かな? ……あれ? もうかえって……」

 

 食糧の配給に出掛ける際、ジャックは少し遅くなると言って出掛けた。きっと闇市に寄るのだと理解していた彼女は背後から聞こえた音を不審に思い、振り返ったテスマの目に恐怖が宿る。

 

「だれ……?」

 

「悪いが来て貰うぞ、少女よ。許せとは言わん。だが、この国を救う為なのだ」

 

 ジャックとナテスが暮らす家に入って来たのは見慣れぬ男。覚悟を決めた悲壮な表情で目の前の幼い少女を見つめる。

 

 

 

「あら、何か面白そうね」

 

 その姿を声も届かない遠くから見詰める誰か。声から分かるのは若い女という事だけで、声がした方向には誰の姿も見えない。隠れる場所も無く、水溜まりが一つ有るだけだった。

 

 

「おーい。今帰ったよー。……トイレでも行ったのかな?」

 

 食糧の配給を受け取り、闇市で運良く目当ての物を買えたジャックが帰った時、家にはナテスの姿はなかった。二人が暮らしている家にはトイレなど無く、周辺の住民が共同で使う排水溝を利用した簡易トイレを使っているのだが、何時まで経っても戻る様子が無かった。

 

「腹でも壊したのかな? 何処かで変な物でも……普段から食べてるか」

 

 一応は食料の生産も行っているが消費には到底追い付かず、配給品の多くは魔法によって保存された物だが五年も経てば腐敗が始まる。未だ腐っているとまでは言えないが嫌な臭いは漂って変色も始まっていた。

 

 当然、体の弱い子供や老人は体調を崩す。それに対する不満が民の間で募り、その様な者達に新鮮な物を優先して渡そうにも全員には行き渡らない。受け取れた者に対する有らぬ噂が広まり、それが王への不満に置き換わる。

 

「もー! 折角こんな物を買って来てやったのにな」

 

 ジャックがポケットから取り出して眺めるのは小さな櫛。パップリガで作られた木製の一輪の花の絵が刻まれており、虱だらけのボサボサの髪を気にして買い求めた。誰かに何かを贈るのはジャックにとって初めてだ。少し気恥ずかしく、どうやって渡せば良いか分からずに天井を見る。

 

「……本当に遅い。遊びにでも行ったのかな?」

 

「貴方が潜り込んでいた子供? 兵士達が連れて行たわよ」

 

 背後から如何にも楽しそうな声が聞こえる。振り返れば其処には誰も居ない。だが、ジャックはその声を知っている。視線は天井から垂れる水滴に向けられていた。

 

「……プリンか。何の用なのさ?」

 

 会いたくない相手、例えるなら職場の嫌な同僚に向ける声を出せば水滴ではなく大量の水が天井から降り注ぐ。床に溜まった水は真上に噴き上がり、人の姿となる。髪の毛の先がカールした垂れ目の女だった。

 

「ええ、そうよ。中級魔族のプリン・スライムちゃん参上ー! 久し振りね、最下級魔族のジャックちゃん」

 

「……魔王様が浄化されたし、今更最下級も中級も意味無い……ぐぁっ!?」

 

 口元に指を当ててクスクス嘲笑うプリンの言葉にムッとしたジャックが言い返すが、その途中でプリンが軽く指を動かす。指先から水が数滴飛び、彼の体に触れるなり煙が上がる。水滴が当たった悶え苦しむ彼の服は溶け、皮膚には強酸を浴びた症状が出ている。

 

「貴方、何様なのかん? 雑魚は何時まで経っても雑魚よ。プリンちゃんに今度生意気言ったら……苦しめて殺すわ。ほら、何か言う事は?」

 

「も…申し訳有りません……」

 

 怪我を押さえうずくまる彼を見下しながら睨むプリンはジャックの顔をヒールで蹴り上げ、仰向けに転がった彼の傷をヒールの先で踏み付けた。

 

「あの子、何かされるみたいよ。国を救う為とか言っていたけど。……どうせ消されるなら人間に嫌がらせがしたいのよね。プリンちゃん、その何かを邪魔したいわ。一緒に来ない?」

 

「分かった……がぁっ!?」

 

「分かりました、でしょ?」

 

「分かり…ました……」

 

 再び強酸性の液体が放たれ、今度はジャックの左目に当たり煙が上がる。悶え苦しみながらも言われた通りの返事をする。少し前までの彼なら有り得ない話だが、彼はナテスを救いたかった。その思いに本人も気が付いていないのだが。

 

 

 

 

「……ナテスだったな。許せとは言わん。恨むなら恨み、呪うなら呪ってくれ。……いや、この言葉は私が楽になりたくて言っているに過ぎないな。実に愚かな話だ」

 

 床に壁、天井にまで大小様々な魔法陣が描かれた部屋の中央、全ての魔法陣から力が注がれる中央の魔法陣の上で寝かされたナテスはシムシムの言葉を聞きながら部屋に居る者達の姿を見ていた。今、彼女は本当に久し振りに風呂で身形を整えていた。訳も分からぬままに連れて来られた場所で今まで食べた事の無い料理を食べ、着た事が無い服を用意されたがそれだけは拒否する。

 

 この部屋に居る者達は世界を救う為と口にしていた。嘘ではないと何となく思う。だが、今から世界を救おうという顔ではない。罪悪感と悲壮感に染まりきった顔だ。

 

「……へんなの」

 

 神の器だと説明を受けた。不思議と恐怖が無いのは魔法陣の力らしい。だから彼女の口から漏れたのはそんな言葉。

 

 この儀式は世界を救う為、国の、民の全てが懸かった重大な物だ。だからシムシムとカシムは念入りに準備をした。英雄と呼ぶに相応しい力の持ち主達を警護に揃え、魔法王国の誇る魔法使い達が何重にも魔法陣のチェックを行った。神が何時までも世界を救わないのならこれしかない、その結論に達し選んだのが今回の禁術。

 

 

 他の世界の封印に宿る神の力の残滓を器の適正を持つ人に宿し、その器を操る事で神の力を人が操る。術の名は『ユダ』。神の力を他の世界から抽出する魔法も、神にそれを悟られない為の隠蔽魔法も長年研究されつつも人道的理由から行われなかった。だが、もう待てない。既にタンドゥールは限界に達していた。

 

「では、今から魂の摘出を開始する。者共、最大限の警戒を持って、なんだっ!?」

 

 突如響いた轟音と振動、いよいよ開始という時になって起こったトラブルに場が騒然となる中、慌てた兵士が飛び込んで来た。

 

 

「伝令っ! 大量のモンスターの強襲です!」

 

 

 

 

 

 王城を中心としたタンドゥールの街、それが今パニックに陥っていた。火に包まれた骸骨が宙を舞って炎彈を吐き散らし、キューブの姿をした半透明のゼラチン状のモンスターが毒液を撒き散らす。奇妙な事に死人は出ていない。まるで人々は追い立てられる様に城へと向かって行く。青い炎が道を塞ぎ、他のルートを塞いでいた。

 

「城に入れてくれー!」

 

「俺達を見捨てる気じゃ無いだろうな!?」

 

「お願い、子供だけでも……」

 

 危険を感じ、避難させてくれと懇願する民達。伝令を受け取ったシムシムは出来る事ならば受け入れたい。だが、そう出来ない理由があった。

 

(ユダの成功には少しの狂いも許されない。神の力を集め、それを隠蔽するには城の至る所に設置した魔法陣が大地より力を集めるのだが、人なら誰もが持つ魔力がどの様に作用するか不明だ。……許せ、民よ)

 

「陛下! 民の中にいる魔法使いが門を破ろうとしています!」

 

「……止めろ。力尽くでも構わない。但しモンスターの討伐も平行して行え。一人でも多くを助けろ」

 

 例えそれで民に恨まれ、殺される事になっても構わないとシムシムは覚悟していた。最悪、この国が滅びるのも想定内だ。その際にはナテスを連れて逃げる部下の選出も済んでいる。

 

 シムシムの命令を受け、暴徒と化した民の鎮圧とモンスターの討伐に向かう英雄クラスの強者達。城門を開け、雪崩れ込む民を押し留めて迫り来るモンスターに立ち向かうべく向かって行く。そのモンスター達が突如爆発し、強酸性の液体が周囲に降り注いだ。

 

 液を浴びた人が溶けて行く。咄嗟に構えた魔法の力が籠もった防具も意味をなさない。体中が溶けて崩れた。一瞬の硬直の後、難を逃れた群衆から悲鳴が上がる。堰を切った様に一斉に逃げ出し、命こそ無事だが動けない者は踏み付けにされて圧死し、パニックを起こして城とは別の方向に逃げた別の者は火に巻かれて焼け死ぬ。

 

 城にも大勢が逃げ込む中、誰も居なくなった城門前に周囲から水滴が集まり始めた。溶けた死体や建物、モンスターの死骸から意志を持って動き集う水滴はやがて一塊となってプリンへと姿を変える。

 

「ぷぷぷ~。人間って相変わらず単純ね。さ~て、プリンちゃんの目的は済んだし、次はジャックの目的の番ね。あの子、助けるんでしょ? 大勢を犠牲にしてまで」

 

「……僕は魔族だ。目的の為に何人死んでも構わない」

 

 物陰から姿を現したジャックはプリンの愉快そうな皮肉にぶっきらぼうに答えると城の中へと歩を進める。その背中を愉快そうに眺めるプリンは舌なめずりの後、スキップ混じりに後を追った。場内は既にパニックに陥り、空を飛ぶモンスターが各所より侵入して騒ぎを起こす。

 

(待っていて、ナテス。僕はきっと長い事は一緒に居てあげられない。裏切り者でない僕は絶対に消えてしまうでも、浄化されるその時までは……)

 

 ジャックは決して孤独だった訳ではない。殆どの同胞に最下級魔族と馬鹿にされるも仲の良い者も居た。だが、その者も既に神の手で浄化されている。感じていた喪失感、それを埋めてくれたのがナテスだ。この世に誕生して十年も経っていないジャックの生涯の半分以上を共に過ごしたナテス。心を開いたのは最近だが、既に掛け替えのない存在だったのだ。それを今、彼は自覚し始めていた。

 

 

 

「ナテス! ナテス、何処だっ!」

 

 混乱が広がる中、立ちふさがる兵士達を薙ぎ倒しながらジャックは進む。そして必死に叫ぶ彼の耳に声が届いた。

 

「じゃっく……」

 

「ナテス!」

 

 堅く閉じられた扉から漏れたか細い声を確かに捉えたジャックは声のした方へと駆け出し、突如その場に崩れ落ちた。前に進む為の彼の足は膝から下が溶けている。床には飛び散った酸によって溶けた跡が残っていた。

 

 

「プ…プリン、一体何を……?」

 

「決まっているわ、簡単よん。い、や、が、ら、せ。プリンちゃん、貴方が大嫌いだったの。だからぁ、後一歩で感動の再会って奴を台無しにしたくって。必死に頑張って互いの声が聞こえて……顔も見れずに終わるって最高じゃない? 大丈夫。あの子もちゃんと殺してあげるわん。うーん、プリンちゃんって優しい」

 

 プリンが無造作に振った手から飛び散る大粒の液体がジャックの体を溶かして行く。残った目を溶かし、喉や腹、胸にまで大きな穴の空いたジャックの体を踏み越えて進むプリンだが、その動きが止まる。半分以上溶けてしまったジャックの腕が彼女の足首を掴んでいた。

 

 

 

「死に損ないの雑魚の癖にプリンちゃんの体を触るなんて……」

 

「させ…ない……。ナテスは…家族は……僕が守るんだ!」

 

 再び強酸性の液体を大量に被せるべく腕を振り上げるプリン。だが、瀕死の筈のジャックの全身から凄まじい勢いで青い炎が噴き上がる。掴んだ足首から燃え上がり、振り解こうと暴れても放さない。やがて炎はプリンの全身を包み込んだ。

 

「此奴、既に死んで……嘘、プリンちゃんがこんな所で、こんな奴に……」

 

 焼き崩れ消えて行くプリンの肉体。溢れ出す液体は忽ち蒸発し消え去る。本来ならば死力を尽くしても覆せない力の差。それを埋めたのは思いの力だったのだろうか。そしてジャックの体も黒い霧になって消え去る中、足を溶かされ転んだ時にポケットから飛び出したのか床に転がっていた櫛に少女の手が伸ばされた。

 

 

「さて、あの馬鹿の尻拭いに来たのだが……何があったか教えて貰うぞ」

 

 櫛を握る小さな手の平が光り、櫛にその光が吸い込まれる。数秒後、光が収まった後で手の主は肩を落とす。彼女にはそれしか出来ない。自分が動くのが遅かったと思い知らされたのだ。

 

 

 

 

 

「……おい、ユダは行えるか?」

 

「はっ! 今直ぐに!」

 

 城内が騒然となる中、この機を逃せば次のチャンスは無く、何より自らの心が揺らぐと知っているシムシム達は儀式を発動する。先ずは魂を取り出して肉体を空の状態にして、それから一気に神の力を注入するだけだ。だが、それを行う為の魔法陣が一瞬で消失した。ナテスの姿も消える。その代わり、見慣れぬ少女が立っていた。

 

 

「だ…誰だっ!?」

 

 思わず叫ぶシムシム。だが、彼は悟っていた。目の前の相手がどの様な存在なのか、本能が知らせていた。

 

「私か? 私はソリュロ。魔法と神罰を司りし女神なり。……本当に悪かった。全ての咎は我々神に有る」

 

 ソリュロは威厳を保ちながらも今にも泣きたそうな表情を浮かべ、手の平を真上に向ける。一瞬の閃光が城内を包み、今彼女と同じ部屋に居るシムシム達と街の中の全てのモンスターがこの世界から姿を消した。

 

 突然の出来事を把握出来ないが何故か先程までのパニック状態から落ち着いた者達は只呆然とするばかり。その耳に静かな声が響き渡った。

 

「神の力を人が扱おうとする、それは最大の禁忌だ。例え不完全で失敗する内容であっても……私は容赦しない。三日間だけくれてやる。外に安全な街へと避難する為の魔法陣も用意した。病人も怪我人も直ぐに癒してやる。……だからタンドゥールより去れ。我が名はソリュロ! 人の傲慢を断罪する者なり!」

 

 その声からは一切の容赦も優しさも感じられない。まさしく神の所行であると思わせる冷徹な声。だから誰も知らない。人々から故郷を奪う事に、世界を守ろうとしただけのシムシム達を消した事に対してソリュロが大粒の涙を流して悲しんでいるなど想像もしなかった。

 

 

 そして三日後、多くの者が故郷を去り、持ち出せる宝の多くも持ち出された。後に残ったのは街を守る為の防衛装置と故郷に殉じる事を選んだ者達。やがてソリュロが通達した時刻になると同時にタンドゥールが地面に沈んで行く。栄華を極めた国はこうして滅び、まるで神の力でも働いたかの様に何があったかが語り継がれる事となる。無慈悲で冷徹な女神ソリュロへの恐怖と共に……。

 

 

 

 

「……ジャック」

 

 数年後、既に封印が済んだイエロアとは別の世界の片隅にナテスの姿があった。未だ魔族への憎しみが深く残る中、誰も彼女が魔族を家族にしていたとは知らない。今は親を亡くした子供が集う孤児院で暮らす彼女は日課である墓参りに来ていた。その手に櫛を握りしめ、返って来ない呼び掛けを行う。

 

 その時、微風が彼女の頬を撫で小さな声が耳に届いた。

 

 

「ずっと見守っているよ。神様が力を貸してくれたんだ」

 

「ジャック!?」

 

 周囲を見渡すも誰の姿も無い。だが、本当に直ぐ側に大切な家族が居てくれるのだとナテスは感じていた。自分は取り残されていないのだと、そう思えたのだ。

 

 

 

 そして、取り残された者も存在する。

 

「陛下ノ反応消失……否定。約束ヲ破ル筈ガ無イ。待ツ。友ヲ待チ続ケル。ズット……」

 

 

 

 

 

 

 そして時は流れ、魔族の封印が神の手から人の手へと移行してから百年近くが経過した頃、地下深くのタンドゥールの更に深い所に一人の青年……初代勇者にして二代目勇者を導いた賢者であるキリュウの姿があった。一寸先も見えない暗闇の中、彼の手元に現れた火が周囲を明るく照らす。

 

「師匠から言われて来ましたが……奥まで進むのは面倒ですね。穿ちましょうか」

 

 火が膨れ上がり、巨大な熱線となって床を貫く。最深部まで届く風穴に満足そうに微笑んだ彼は迷わず奥へと進む。この日、師であるソリュロの頼みでタンドゥールの調査と封印にやって来た彼はこのまま完全に封印をする積もりだった。だが……。

 

 

 

 

 そして時は更に進み、キリュウは四代目勇者ゲルダ・ネフィルと共にタンドゥールを訪れる事となる。

 

 

 

 

 

 

 




感想待っています

なろうの方では挿し絵 最近文の追加出来てないし何かオマケを追加しようか……


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救援依頼

 当然も常識も、時代と場所によって違って来る。未だ子供の私には本当の意味なんて理解出来ないけれど、きっと旅路の中で理解して行くのだろう。

 

「うーん。お風呂って最高だわ。疲れが溶け出すわね」

 

 例えば私が今一人で入っているお風呂。砂漠の世界のイエロアでは水は貴重だから全身が浸かれる位の量の水を用意して更に温めるなんて本当に贅沢で、清貧を尊ぶチキポクでは年に一度のお祭りの日にだけ入れるのだけれど……。

 

「君は勇者だからね。特別さ」

 

「ゆっくり疲れを癒して旅立って下さいね」

 

 こんな風に儀式の成功を祝して用意してくれた。少しだけ罪悪感が有るけれど、それでもお風呂は気持ち良い。本当は水の節約の為に大勢で入るから浴槽は広くて少し寂しい気もする。あの清女の二人なら別に一緒でも……。

 

「いや、却下よ。あんなメロンをぶら下げている人達を無理に誘ってまで一緒に入るなんて」

 

 あの二人の双丘を思い起こしながら自分の断崖絶壁を撫でる。揉む、じゃなくって撫でる。私には揉める程の大きさが無い。

 

「……別に良いもん。大きくなったら胸も大きくなるから。……お母さんに似なければだけど」

 

 お父さんが酔っ払った時にした話だけれども、お父さんには母親が同じお姉さんが沢山居て、全員胸が大きかったらしい。そんなのを見て育ったから逆にお母さんの絶壁が魅力的に思えた、数秒後に殴られる事になった言葉だ。

 

 つまりお父さん側の影響が強く出れば大きくなれるという事。子供の頃から膨らみが有ったとも言っていた気がするけれど、お父さんか私の記憶違いと断定している、根拠は特に無い。

 

「父方父方父方父方……乳だけに、乳だけに」

 

 一応私は美の女神のイシュリア様に気に入られたみたいで、こうして祈れば美乳にはして貰えるかも知れない。神様は司る物が同じ方が男女対になっているらしいから男の方の美の神様の祝福も欲しいけれど、多分変な神様だから会いたくないとも思う。

 

「欲張り過ぎは破滅の種なのが物語では基本よね、うん。……どんな方なのかは賢者様に訊ねれば良いだけだし」

 

 女神様さえ関わらなければ賢者様の意見は信用出来る。お風呂上がりにアイスを用意してくれるらしいから濃厚な抹茶アイスを食べながら訊いてみようと思った時だった。

 

「わわっ!?」

 

 天井に突然出現した魔法陣。その中心から弾き出される様に飛び出した誰かがお風呂の中に落ちて水柱が上がる。背後だったから曇った鏡越しでどんな人かは分からなかったけれど……一つ分かる事がある。

 

「の…覗きぃいいいいいいいいいっ!」

 

 さっきの声は間違い無く男の人の物。聞き覚えがある気もするけれど反響していたから分かりにくい。だけど男の人なのは確かなので思わず叫んだら直ぐに武装したお姉さん達が駆け付けて来た。

 

「勇者様、これをっ!」

 

 その中の一人がバスローブを渡してくれたので慌てて羽織れば湯船に飛び込んだ残りの人達が男の人を取り囲んで浴槽から引き吊り出して押さえ付ける。

 

「この変態!」

 

「勇者様の入浴を覗くなんて不届き者っ!」

 

「ロリコンペド野郎めっ!」

 

「幼女体型マニア!」

 

「貧乳がそんなに好きかっ!」

 

 ……気のせいかもしれないけれど、罵倒の殆どが私に向かって来ている。よく見ればお姉さん達は皆さん立派な物を持っているのが服の上からでも見て取れた。

 

「今まで何度こんな事をやって来た! 二度かっ! それとも三度かっ! やり方が悪いから大した回数では無いだろうが、許しはしないぞっ!」

 

「ま…まってくれ。誤解だっ!」

 

「五回? 五回も覗きを繰り返して来たのか貴様っ! 来いっ!」

 

 縛り上げられて連れて行かれる男の人の顔はお姉さん達に殴る蹴るされて腫れ上がっているけれど、落ち着いて漂って来た匂いを嗅げば声と合わせて誰か分かった。お湯に混じった薬草の強い香りや動揺で分からなかったけれど知り合いだ。

 

「シフドさん?」

 

「ああ、転移の気配を感じたので様子を探っていましたが彼でしたか。……ご安心を。私は妻以外の入浴シーンに興味は有りませんので」

 

 声がした方を向けば気遣いなのか目に布を巻いた賢者様が入り口に立っている。その補足は別に要らないし、腹が立ったので少し誤解を招く言い方で女神様に言い付けるのは決定として、今はシフドさんの事を優先しようと思う。

 

 

「そ、その声はっ!」

 

 先程まで変質者扱いで袋叩きにされていたシフドさんは私と賢者様の声に気付いたらしくハッとして顔を上げる。どうやら知り合いらしいと思ったのかお姉さん達の拘束が緩んだ瞬間、彼は床に額を叩き付ける勢いで土下座をしながら叫んだ。

 

「勇者にこんな事を頼むのは間違っているのは重々承知だ。だけれどもお願いしたい! 私の友を助けてくれ!」

 

「えぇっ!? あの、一体何が起きたの?」

 

 彼が姿を消したのは昨日の事で、一緒にオークションに参加しに来た考古学の仲間は居なかった筈。あまりの事態に私が混乱する中、賢者様は彼が出て来た魔法陣が出現した辺りを眺めている。

 

「……成る程。随分と性根がねじ曲がっているらしい。シフドさん、そのご友人は魔族ですね?」

 

「……なんだと? おい、賢者様の問いに間違いは無いのか?」

 

 途端にお姉さん達の空気が変わる。先程までは変質者を連行する程度の何処か軽い空気だったけれど、魔族が友人と聞いた途端に表情が引き締まり、シフドさんに向ける目には敵意が感じられる。

 

(……そうね。私は何人かに会って敵には違いないけれど色々な人が居るって知ったけど、会って対話しなければ恐ろしい人類共通の敵だもの)

 

 だから認めるのには勇気が要ったのでしょう。だけれど、シフドさんは身の安全より友情を選択した。下手すれば殺されるかも知れないのに迷いもせずに頷いた。

 

「間違いは無い。短い間だったが共に冒険をして、私達の間には友情が芽生えた。タンドゥール遺跡の奥まで進み、封印を解いた所で……」

 

「ちょっと待った。今、タンドゥール遺跡の封印を解いたと言いました?」

 

 シフドさんが認めた瞬間にお姉さんの一人が拳を振り上げる。その腕を掴んで止めた賢者様は確かめる様に質問を投げ掛けるけれど私には否定して欲しそうに見えた。だけれどシフドさんは頷いて、賢者様は頭を抱えてうずくまってしまった。伝説の賢者の思わぬ姿にお姉さん達はビックリして目が点になっているし、これは放置出来ないわ。

 

「……何て事だ。師匠に怒られる。これは事態が悪化する前に止めなければ……」

 

「賢者様、他の人が見てるわ。賢者様らしくして。ほら、立ち上がってシャキッとして……何かするのなら付き合うから」

 

「感謝します。……では、彼のお願いも有りますし急ぎましょうか。その前に……えい」

 

 流石に歴代の勇者を導いて来た賢者様の醜態をよりによって前回の聖都で晒す訳には行かないわ。私が賢者様の腕を掴んで立たせれば我に返った賢者様は指を軽く鳴らす。お姉さん達の頭の上で泡が割れて、全員寝ぼけ顔になった。

 

「記憶操作かしら? 賢者様や勇者が魔族を助けるなんて知られては駄目だもの。……人間と仲良くなれる魔族なら助けたいわ。って、あれ? シフドさんまでボケーッとしているわよ、賢者様!?」

 

「……いや、魔法陣の痕跡から向こう側を調べたのですが、感じた力からして助けを求められた方の生存率は殆ど有りません。それこそヒロイン複数のラブコメの色仕掛け担当や主人公に片思い中の幼なじみポジションのキャラ並みに。彼もそれは分かっているでしょう」

 

「訳が分からないわ。賢者様、それも地球に存在する何かなの?」

 

「まあ、私は遺跡自体に用が有るのですが、彼からすれば友の命が懸かった願いです。……変に恨まれれば面倒ですので。人間、感情の前では理屈が消え去りますから。友との離別とはそれほど悲しい物なのです。……所で別の例は何が良いでしょうか?」

 

「もう説明は構わないから急ぎましょう。正直言ってどうでも良いわよ?」

 

 賢者様、少し変な言い方だったけれども私を気遣ってくれているのは分かるわ。でも、それならば分かりやすい言い方が有ると思うけど……。

 

「期待する方が馬鹿ね……」

 

 いい加減学習すれば良いのに何をやっているのかと思う。……でも、悪いのは絶対に賢者様よ。

 

 

 

 

「いやー! こうやって転移で移動するのが一番楽なのですけどね。……本当に面倒ですよ。長距離転移が出来ると知られたら何処でも助けに行くのが

当然だと思われますからね」

 

「……」

 

「おや? 先程から考え事をしていますが……シフドさんの事ですか?」

 

 シフドさんからタンドゥール遺跡の封印を解いたという情報を得た賢者様は私と共に一瞬で遺跡の入り口まで転移した。勇だとしても片っ端から救いの手を差し伸べていたら身も心も限界を迎えるからと、普段は数人単位での長距離転移が可能だと隠す為に使わないからか、便利な物を普通に使えた賢者様はご機嫌だった。

 

 でも、浮かれ過ぎてテンションがおかしくなった様で私の様子には気が付いていたらしい。賢者様の言う通り、私が気にしていたのはシフドさんの事。彼の事でどうしても分からない事があった。

 

「……賢者様はあの人自身も助けに行っても無駄だって分かっているって言ったでしょう? それに魔族を友達だと呼んだだけで変わったお姉さん達の態度だけれど、あれも分かって居たのよね? ……なのに、どうして……」

 

「何かを諦める理由は幾千幾万も有ります。人は大体無理な事や危ない事にはその中から自分が納得出来る物を選びますが……諦めない理由は一つだけ。諦めたくない何かが有る、私もそうでしたよ」

 

「……賢者様も?」

 

 私一人では分からなかったけれど、賢者様の言葉を聞いたら直ぐに理解する。言われてみれば単純で、私も同じだった。死んだ両親から受け継いだ仕事を投げ出したくなくて、でも幼くて手伝いしかしていなかった私には到底無理な話。村の人達に手伝って貰えて漸くこなしていたけれど、諦めたくなかったのが続けられた理由だと思う。

 

「ええ、旅の途中で何度もシルヴィアを口説いて、その度に断られましたよ。当時の私は数人の地位有る女性から求婚を受けていましたし、価値観が違い過ぎる神と人よりもそっちの方が幸せになれるとね。……諦めなかった今の私はとても幸せです」

 

「そうなのね。ええ、見ていたら分かるわ。賢者様と女神様は凄く幸せだって」

 

 普段は鬱陶しいとさえ思う事もある惚気話だけれども、この時は普通に羨ましいと思ってしまう。未だ私にはそんな相手の候補さえ居ないし、勇者ゲルダではなく只のゲルダとして見てくれる相手が良いとしか思っていないけれど。

 

 呑気に話をしている私達だけれど周囲は剣呑な雰囲気だった。砂嵐に囲まれて耳障りな轟音が響く中、硬質な物が擦れ合う様な羽音を響かせる石の巨大蜂がお尻の針を突き出して威嚇している。

 

『『ストーンビー』タンドゥールの防衛に配置された蜂の姿のゴーレム。針は高い貫通力を持つ飛び道具となり、魔力が続く限り装填可能。現在暴走中』

 

「強さ的にはルルより二段上程度ですね。群れでの連携が加われば更に上です」

 

 ルル・シャックスは私が初めて戦った魔族だ。賢者様と女神様が弱らせてくれた状態でも苦戦して、本当に怖いと思ったのを覚えている。だから、そのルルよりも二段上の相手、その上に周囲を取り囲んでいると聞いた私は……少しも怖くなかった。

 

「なら、私が全部倒しても良いかしら? 儀式を乗り越えて得たデュアルセイバーの新能力を試してみたいわ」

 

「おやおや、随分な自信ですね。慢心は論外ですが、自分の力を把握して余裕を持つのは良い事です。……ですが、私だって時々は戦いたい」

 

 完全に私達を敵だと認識したのかストーンビーは一斉に針を飛ばして来た。地面を見れば深くまで続く穴が幾つも空いていて貫通力がどれだけ凄いかが分かるけれど、その針は空中で時が止まったかの様に停止した。ストーンビーも同様に羽の動きが止まったまま空中に浮かび、風が吹くと同時に針と共に砂になって崩れて行く。

 

「どうせならシルヴィアにも見せたかったですね。いえ、その時はもっと派手にしますけれど」

 

「別の派手でも地味でも女神様にとって重要なのは賢者様がやった事かどうかよ。地味な魔法でも誉めてくれるんじゃないかしら?」

 

 新しい力を試したかったのに賢者様に取られて少し不満に思った私は適当にコメントをしながらも遺跡が埋まっている地面に視線を向ける。入り口でさえ下級魔族以上の強さだから奥に進めばもっと強いモンスターが待ち受けているのは間違い無い。

 

「戦うのが好きな訳じゃないけれど、今の私がどれだけ出来るか試してみたいわね。賢者様、早く行きましょう!」

 

「はいはい、分かっていますよ。……所で明日の夕ご飯はシャーロパスを使いませんか? ヒレも胴体も美味しいんですよ。足はちょっと臭みがキツいですけれど」

 

「確か胴体は海老みたいな味がするのよね? 賢者様が勇者だった頃の物語で読んだわ。ヒレも最高級のフカヒレだって聞くし、楽しみね。私、海老が大好きなの」

 

「美味しいですよね、海老。聞いた話じゃ海老や蟹って蜘蛛と同じ節足動物の仲間……うぉっ!?」

 

 思わず蹴り飛ばした石ころは寸前で避けられて当たらない。怒りに任せた行動だけれど、偶には言わないと駄目ね。

 

「賢者様、少しはデリカシーを身に付けるべきだわ。多分、賢者様が言っていた頭のネジが外れた神様と同類になっているわよ?」

 

「何ですってっ!? う…うーむ。それは一大事ですね……」

 

「……そんなにショックだったのね。本当に他の神様とは極力会わない方が良くなったわ……」

 

 予想以上に狼狽する賢者様。此処まで慌てふためく姿は珍しく、どれだけ神様の同類になるのが嫌なのかと思ってしまう。あの性根がねじ曲げられ過ぎてメビウスの輪になっているアンノウンに飼い主補正が有るけれど良い子と呼ぶ賢者様からの印象が其処まで底の神様って一体……。

 

 

「世の中って知らない方が幸せな事が有るのね」

 

 心の底からそう思った……。

 

 

 

 

「それで、遺跡には何処から入るのかしら?」

 

 勇者の物語では古代遺跡に入るエピソードは殆ど存在しない。神様にとって数百年前の墳墓も数日前に作ったお墓も同じだからわざわざ行かせもせず、入る必要性も無かった。

 

 だけど私は少しだけ憧れていた。数々のトラップを乗り越えて遺跡を進み、謎を解いて遂に宝を手に入れる。そんな冒険小説が幾つか有って、もっと小さい頃は冒険家になりたいと言って両親を困らせていた。

 

 

「じゃあ、今から入り口を作りますね」

 

「……え?」

 

 遺跡の探索に胸を躍らせていた私は賢者様の言葉の意味が一瞬分からず、空中に出現した魔法陣で直ぐに理解する。この人、遺跡に大穴を空けて進む気だと。

 

 

「短縮出来るなら短縮しましょう。……転移で行くのが一番楽ですが、一応調査も必要ですからね」

 

 賢者様の溜め息と同時に魔法陣から光の奔流が放たれて地面に斜めの大穴を空ける。通路を貫通しているから横穴や縦穴が所々空いていてモンスターが出て来るけれど、穴の周囲が蠢いて自動的に塞いでしまった。残ったのは最深部へと向かう長い階段。

 

 

「ロマンが台無しね……」

 

 こんな事を呟いた私だけれど、賢者様が悪いのだから仕方が無い筈……。




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友情と乙女心

 確かに私達は遺跡の調査に来た訳じゃないし、勇者の旅には不必要。だって、そんな事をしている暇は勇者には無いもの。でも、偶には楽しみ全てを犠牲にする必要は無いと言われているし、ちょっと位はドキドキする冒険を楽しみたい。だから遺跡に行くって言われて少し期待していたのだけれど……。

 

「ひゃっほー! これは最高の気分ですね、ゲルダさん」

 

 私達は今、何処までも続く坂道をトロッコに乗って進んで行く。私よりも速い凄い速度で進みながら風を受け、ガタガタ揺れる上に時々飛び跳ねるけれど不思議と脱線しない車体の先頭から身を乗り出した賢者様は随分と楽しそうね。

 

「賢者様、確か今年で三百歳を越しているわよね?」

 

 正直言って理解出来ない。私も羊達の背中に乗せて貰う事はあったし、狼狩りの時は猛スピードで走るモコモコの体に乗るのは楽しかった。それに比べたら乗り心地は最悪だし、平原と違ってランタンに照らされた薄暗い道は見ていて退屈。……わざわざこんな風な道を作った意図が読めないわね。

 

「え? 確かに三百歳は越えていますけど?」

 

「……そう。確かめたかっただけよ」

 

「そうですか。あっ! 次のジャンプ地点ですよ。ひゃっほー!」

 

 急角度で下ってからの急上昇、途切れた線路の端で大きく跳ねたトロッコは、元から空いていたけれど塞いだ穴と違って、賢者様が多分意図的に作った谷底を飛び越えて向こう側に着地、そのまま走って行く。アンノウンの方がもっと速いし、高く跳べもするわよね? なのに賢者様ったら何が楽しいのかしら? 地球人の感性は六色世界とは随分違うのね。

 

(取り敢えず長く生きれば精神的に成熟する訳じゃ無いっていう良い例ね。……凄い時は凄い人なのに、本当に残念な人だわ……)

 

「そろそろゴールですね。……さて、次の機会が有ればどの様な乗り物が良いでしょうかね?」

 

「次は転移で一気に行きましょう、賢者様。それかアンノウンに乗せて貰えば良いじゃない」

 

 私と賢者様で随分な温度差が有る中、線路の終点でトロッコは急停車する。普通は乗っている私達には前に向かう力が働くのだけれど、そうならなかったのは多分賢者様の力ね。……無駄遣いだと思うけど。

 

「……さて、遊びは此処までです。気を引き締めて行きましょう」

 

「遊びだったのね。何となく分かっていたわ」

 

 面白くは無かった、そんな言葉を飲み込んだ私は急に真面目な顔になった賢者様の後に続き、床からせり上がったみたいに見える壁の前に立つ。この先にシフドさんが到達した遺跡最深部に続く広間があって、私がイエロアに到着するなり出会った魔族が居ると思うと緊張してしまうわ。

 

「髪、凄く飛び跳ねているけど……違うわね。身嗜みなんか気にする必要は無いわ。落ち着きなさい、ゲルダ。彼は敵よ、敵」

 

 ちょっと格好良いとは思ったけれど、楽土丸は魔族で、更に言うなら私に勝負を挑んで来た相手。なのに女の子として緊張している自分が少し恥ずかしかったわ。だから自分に言い聞かせる。だって私が世界を救えば浄化されて消える相手だもの。和解なんて無理なのよ。

 

 

「あれ? 言っていませんでしたっけ?」

 

「賢者様がそんな事を言う時は嫌な予感がするけれど、一応聞いてみるわ。それで、何を伝え忘れたのかしら?」

 

「いや、迷いが生まれるから有る程度経験を積んでからと思っていたのですが、楽土丸とやらはモンスターに襲われた上に他の魔族から裏切り者扱いをされていますよね? 魔王と敵対した魔族がそうなるのですが、封印の際に神の査定に合格すれば魔族から人間に成れるのですよ。実際、二代目勇者の仲間で結婚相手は魔族ですし」

 

「……それを伝え忘れるってうっかりし過ぎよ。あと、今から戦うってタイミングで言わないで欲しかったわ」

 

「あっ! じゃあ私が蹴散らしますか?」

 

「いえ、私が戦うわ。和解にしろ敵対にしろ、多分彼は一度戦わないと駄目な相手だもの」

 

 初対面で女の子に勝負を挑む様な相手だもの、話し合いは無理だと思った私は戦う道を選ぶ。その結果、手を取り合えたら嬉しいとも思った。だって、生まれた種族が違うだけで言葉も通じて見た目も似ているのに分かり合えないなんて悲しいもの。可能性がある相手なら容赦を持っても良いはずよ。仲良くなれたら良いなって理想論だけど、子供の私が理想を抱いても良いわよね?

 

「では、開けますよ」

 

 賢者様はそんな私の心を見抜いたみたいに微笑んで壁に手を翳す。壁は左右に開いて、向こう側から水が流れて来た。私達は賢者様の魔法で流されないし、濡れさえしないけれど凄い量ね。……少し嫌な予感がしたわ。

 

 

 

「……これ、行ったら既に溺れ死んでいるとか」

 

「……言わないで」

 

 色々起きて忘れていたけれど、シフドさんが部屋に水が満ちていたって言っていたわね、確かに。それから賢者様が無駄に時間を使ったから部屋が完全に水没していた可能性も有って、その場合、私の決意とか理想とかが全部無駄になってしまうわ。

 

 

 

洪水の様に押し寄せる水も賢者様の防壁に塞がれて届かない。時々水棲のモンスターや魚が流されて横を通り過ぎて行く様子はまるで海の中を歩いている気がしたわ。

 

「多いですね」

 

「多いわね」

 

 何時まで経っても水流が収まる様子が無くていい加減痺れを切らしたのか賢者様が手を前に突き出すと私達の目の前で水が止まり、今度は奥へと戻って行く。それを追い掛けて進めばたどり着いたのは絵が刻まれた石版が無数に存在する広間で、その中央に水が渦を巻いて凝縮されて行く。

 

「居たわっ! ……シフドさんのお友達は居ないけれど」

 

 あれだけの水が小さな球になってやがて消える中、うつ伏せに倒れている楽土丸を発見した私は他に誰か居ないのか探すけれども床や壁に刻まれた戦闘痕で悟ってしまう。最初から遅かったのだろうけれど、私達が来るのが遅かったと……。

 

「……賢者様、シフドさんの記憶はどれだけ消したのかしら? 友達の存在さえも忘れているの?」

 

「いえ、それは残酷過ぎますからね。別の遺跡の探索後に別れ、その時に渡されたアイテムで緊急事態から脱出したと、その様に改変しました」

 

「そう……。もう会えないのは同じだけれど、そっちの方が少しは救いが有るのかも知れないわね」

 

「家族や友と二度と会えないのがどれだけ辛いかは分かっていますから。……本当は薄っぺらな希望なら与えない方が良いのでしょうが……」

 

 私も両親を喪っていて、賢者様は別の世界に来た事で家族も友達も失ったのだったわね。少し辛そうにしている顔は女神様の前で見せないのだと思う物。どんな理由が有ったとしても誰かの友達が死んでしまうのは悲しいわね……。

 

「……賢者様、彼を助けて貰えるかしら?」

 

「敵になるかも知れませんよ? 魔王を裏切っても人間の味方じゃない魔族は存在しました。敵の敵は味方……等は楽観的です」

 

「まさか。私、そこまで馬鹿じゃないわ。でも、仲良くなれるかも知れないのに、それを試しもしないで否定するのは嫌なだけよ」

 

 楽土丸に近付いて様子を見る。着ていた鎧の一部が石になって砕けているから下の服が見えたけれど、水で張り付いて鍛えているけど細身の身体がよく分かって思わず目を逸らしてしまったわ。……私、今まで同年代の男の子の体をジロジロ見た事が無かったもの。

 

 ……でも、こうして見ると本当に格好良いわね。凛々しくて、それでもって暑い何かを持っている、ちょっと会話しただけなのだけれど、私は彼にそんな印象を持っているわ。賢者様達には恥ずかしいから秘密だけれど。

 

(アンノウンには特に知られたくないわね。まあ、知られる筈が無いのだけれど)

 

 私の頼みに頷いた賢者様が手を翳せば楽土丸の体を緑の光が包み、口から水が一気に吐き出される。ほっと胸を撫で下ろしてから気が付いたけれど、私は彼が助かったのを心から喜んでいたわ。恥ずかしいから必死で隠したのだけれど……。

 

(アンノウンがもしかしてと言っていましたが、どうやら正解の様ですね。初恋で一目惚れ……まあ、十歳の女の子ですからね。……まあ、敵対したら私が消せば良いでしょう)

 

「うっ……」

 

「あっ! 起きたのね!」

 

 大量に飲んでいた水を吐き出した楽土丸は状況が飲み込めないのか呻きながら起き上がろうとする。私は慌てて近寄るのだけれど、起きたばかりで周囲が眩しいのか彼が手を伸ばして……私の胸に正面から触ったわ。

 

「……何だ? これは妙な感触だが壁だろうか……?」

 

「ひゃわっ!?」

 

 未だ気絶した状態から起きたばかりで頭が働かないのか、楽土丸は触れた所を中心に私の胸を撫でる。あまりの事態に私が固まる中、漸く頭が働き出した楽土丸と私の目が合った。

 

「……あー、何と言えば良いのやら」

 

「こ…この変態魔族ぃいいいいいいいいいっ!!」

 

「ふげっ!?」

 

 腕を振り上げ思いっ切り振り抜いた直ぐ後に全力で蹴り上げる。右頬に打ち込んだビンタで楽土丸の体が仰け反って、ブーツの先は石になっていた鎧の一部を砕いて急所に叩き込まれた。

 

「……何と恐ろしい。ですが女性の敵の末路はあの様な物なのでしょうね……」

 

 賢者様が楽土丸に少し同情的な視線を送っているけれど、故意じゃなくても親しくもない女の子の胸を触った上に壁って言うなんて、何をされても同情に値しないわよ。少しは素敵だなって思っていたけれど、既に評価は急降下、百年の恋も冷めるって奴だわ。

 

「賢者様、彼をどうにかしても良いかしら?」

 

「何をする気かは分かりませんが落ち着いて下さいっ!? ほら、アイスでもたべましょう」

 

「じゃあ抹茶」

 

 別に命を奪う気じゃないのに、賢者様ったら随分と慌てん坊さんね。デュアルセイバーで全身の毛を削ぎ落とすだけなのに大袈裟よ。

 

 

「変態は全員禿げれば良いのよ。賢者様、彼を起こして。削ぎ落とすかどうか決めるから」

 

 取り敢えずもう一度気絶した楽土丸が目覚めたら話を聞いてみようと思うわ。出方によっては全身脱毛の刑だけれど。容赦はしない。

 

 数秒後、再び目を覚ました楽土丸は私の顔を見るなり顔を青ざめ、飛び跳ねて起き上がりながら見事な謝罪の姿勢、土下座をしたわ。お父さんがエッチな本を隠していたのをお母さんに見付かった時にしてたわね、土下座。

 

 

「心の底より謝罪致す。嫁入り前の娘の胸を触るなど故意でなくとも武士のすべき事では無い。こうなれば腹をかっさばいて責任を……」

 

「しなくて良いわ。正直重い」

 

「し、しかし拙者の気が……」

 

「あら、私へのお詫びじゃなかったのかしら? 貴方の満足の為にするなら謝罪にならないわよ」

 

 もう、これだから困るわ。謝罪やお詫びって相手の為にするのに自分の気が済むかどうかを優先するだなんて。……禿げさそうかしら?

 

「まあ、落ち着いて。楽土丸さん、で良かったですね? 君はどうして魔王を裏切ったのですか?」

 

 私がデュアルセイバーの柄を握る手に力を入れれば賢者様が進み出て間に入る。そんな場所に居られたら禿げさせられないわよ、困ったわ。

 

「貴殿は命の恩人、どうか呼び捨てに」

 

「では、楽土丸。裏切りの理由は? 武士を名乗るならば忠義を大切にすると思うのですが」

 

「……主君が主君に値せぬなら反意を示すのは不義に非ず。拙者、あの様な女狐を信頼し同族を平然と使い捨てにする王など王とは認めないで御座る!」

 

 使い捨て、その言葉に思い当たる事が幾つか有るわね。最近戦った本来は寒い世界でこそ力が発揮出来るのに逆に力が大きく削がれて命が削られていくイエロアに派遣された魔族、そしてシフドさんが友達になった魔族に使われたという紙に込められた転移魔法。

 

 賢者様はあれを随分悪辣だと言っていて、その理由を聞いた私も同意よ。本当に危ないと感じている時にしか使えず、向かう先は魔族に敵対する勇者の近くだなんて。

 

「あの女は力無き者を仲間と思っていない。足下に転がる石ころですらない! 故に拙者は離反し、同志を集める為に勇者を打倒して名を上げる気だったが……」

 

「あら、戦う気かしら? 相手になるわよ、私と賢者様が」

 

 一対一の決闘には興味無いし、あれだけの侮辱を受けたのだから私だって礼儀は尽くさない。賢者様は一瞬驚いた顔になったけれど笑顔を向けたら頷いてくれたわ。

 

 だから後は楽土丸の返答だけ。別に既に戦う気が無いのなら私から無理に戦いを挑む気はないの。失礼に怒っているけれど敵じゃないなら命を奪うのは嫌だもの。

 

 私は彼の目を真っ直ぐ見詰め、向こうも逸らす事無く私の目を見ながら降参を示す様に両手を上げて顔を左右に振ったわ。

 

 

「……いや、お二人は命の恩人。それに危害を加えるのは不義で御座るよ。……それにジェフリーから聞かされたのだ。あの女の部下であるビリワックの手によって同志達の拠点が潰されたとな」

 

「そう……。じゃあ、これからどうするの?」

 

「決まっている! 拙者一人でも抗い、あの女狐を斬る!」

 

「……ビリワックの主、この前戦いを覗き見しながら妙にテンションが上がっていた彼女ですね。それで女狐とやらの名前と能力を……おっと」

 

 さっきまでトロッコに乗って妙にテンションが上がっていたのを棚に上げる賢者様は問い掛けの途中で魔法を発動させる。

 

「罠っ!?」

 

一秒にも満たない後、床が突然消え去って太い鎖が太い穴の底から落下するであろう私達を捕らえる為に伸びて来た。所々欠けて錆だらけの鎖は意志を持つ様にジャラジャラと音を立て、賢者様の魔法で浮いていたから落下はしない私達の直ぐ近くで見えない壁に弾かれたの。

 

「ぬぉおおおおおおおおっ!?」

 

 その私達の中に含まれなかった楽土丸は落下中に鎖に雁字搦めにされて落ちて行く。

 

「えっと、賢者様?」

 

「心を読む前に罠が発動しましたので。……私の時も敢えて裏切り者になって騙し討ちしようというのが居ましたから」

 

「仕方ないけれど……さっさと助けに行きましょう!」

 

 流石にどうかとも思ったのか目を逸らす賢者様を叱咤する。経験が有って慎重になるのは分かるけれど、それで誰かを見捨てる事になるのは駄目よ、許せないわ。

 

「まあ、途中で防壁を張ったので安全は保障しますけど……行きましょう!」

 

 見えない床に立っていた感覚から見えない箱に入ったまま一直線に落下する感覚を感じながら私達は真下に向かって行く。

 

「追い付いた!」

 

 目の前には縛られた状態の楽土丸。迷わずデュアルセイバーを振り上げて鎖に叩き付ければ思ったよりも簡単に砕ける。そのまま私は彼の腕を掴んで引っ張り込む。

 

「あっ……」

 

 無理な姿勢で引っ張ったせいで私は後ろに倒れ込み、当然だけれど楽土丸も私の側に倒れて来て、その両手は私の胸に向かう。またしても楽土丸は私の胸を掴んで……触っていたわ。触れる程無いもの、私の胸は。

 

「……むぅ。何と言うか……申し訳無い!」

 

「最初に言っておくわ。今回は私の失敗だけど……ごめんなさい!」

 

 理不尽だと思うけれどこれは乙女心の問題なの。私は再びビンタを楽土丸に叩き込んだ。

 

 

 

「痴話喧嘩はその辺にしておきましょう。到着しましたよ」

 

「此処が王様達のお墓……?」

 

 私達が到着したのは広くて何処か寂しい場所。王様達のお墓が有るとは思えない程にボロボロで、奥には青銅みたいな色をした金属の巨人が鎮座している。

 

 

「……動かない?」

 

「彼の名はタロス。友との約束を守る、その為にそもそも本来ならこの場所への道が開かれる筈では無かったですからね。……もう彼処に居るのは残骸だ」

 

 眠った様に動かないタロスを見ながら呟く賢者様が何処か寂しそうだと思った時、金属が軋む音と共にタロスが動き出した。罅だらけの装甲が剥がれ体中から火花が散る。真っ赤に光る一つ目が点滅している。

 

 

 

 

「陛下…待ツ。帰ッテ……来ル。侵入…侵入者……侵入者……殺ス!」

 

 今にも壊れそうな体を動かしながらタロスが襲い掛かって来た……。




挿し絵、あらすじに投稿してます

なろうで後書きにオマケ開始しました


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責任の取り方

あらすじに挿し絵有りますよ


 大きな悲しみは幸せを覆い隠し、大きな幸せは悲しみを忘れさせてくれる。只、幸せも悲しみも目に入らないだけで、忘れ去っているだけで、存在が消えた訳ではない。

 

「キリュウ、どうかしたか?」

 

 勇者として六色世界を救ってから早百年、未だに愛は冷めず逆に熱くなる一方の私とシルヴィアは夫婦であり、当然ですが寝るベッドも一緒です。今、私の目の前では髪と同じ赤色の下着姿の彼女がベッドの端に座って横の私に腕を絡ませています。

 

 褐色の肌は健康的に引き締まり、割れた腹筋やそれ程太くはなくとも鋼の様な筋肉が付いた腕さえも愛おしく美しい。普段の私ならば抑えきれずに理性が崩壊し、彼女も抵抗せずに受け入れ、時には襲って来るのですが今日は待ちに徹する気らしい。なので少し考え事をして動きが止まっている私を怪訝そうに見ていました。

 

「……貴女に魅了されて居ただけですよ、シルヴィア」

 

 この想いを悟られてしまえば愛しい彼女の顔が曇ってしまう。なので私は本心ではありますが本当の事を隠し、誤魔化す為にシルヴィアと唇を重ねる。そのまま押し倒せば余計な事など考えず彼女に溺れて居られます。そうしたいし、そうせねばならないのです。

 

 私は本物の己龍ではなく、人格や記憶をコピーした存在。だから私の家族や友は私という存在を喪失した訳では無く、きっと良好な関係が続いた事でしょう。ですが、時折寂しさを感じてしまうのです。確かに存在する記憶の中の大切な人達とは永遠に会う事は無いのですから。

 

「愛していますよ、シルヴィア」

 

「私もだ、キリュウ。お前が何より愛しい」

 

 今はシルヴィアへの愛だけで心を満たし、彼女の事だけを考える。そうすれば故郷の事は忘却の彼方へと追いやれた……。

 

 

 

「夏草や、強者共が夢の跡……ですか」

 

 思えばシルヴィアと過ごす時間以外を魔法の修行に打ち込んだのも忘れていたい事を忘れる為だったのかも知れません。元より地球で魔法とは無縁ながらも魔法が登場する創作物に触れ、実際に使って素晴らしさや危なさを知った身としては永遠に近い不老不死の生涯で打ち込める物が欲しかったというのも有りますが。

 

 それを知ってか知らずか鬼や悪魔もかくやという厳しさの修行内容を課す我が師匠のソリュロ様。この日、私は師匠に酒の席でされた頼み事の為に古代遺跡に潜り、どうせ危険と判断すれば破壊予定なので大穴を空けて奥まで辿り着いたのです。そこには栄華も今は昔、只朽ち果てて行くだけの空間が広がり、どれだけ栄えていたかを聞かされただけに物悲しさすら感じます。

 

「誰ダ……?」

 

「おや、此処の防衛を任されたゴーレムですね。初めまして、神の使いのキリ……こほん。賢者と呼ばれている者です」

 

 そこで出会ったのが彼、タロスでした。この手の存在は供給される魔力で体の保存や修理を行うのですが既に供給も止まり、大地から吸い上げる僅かな量の魔力で辛うじて持っている状態。なので名を隠す意味など無いのですが、神が人に不老不死を与えたと広まるのは危険なので用心を重ね、何故か後輩勇者を助けていたら付けられた異名を名乗のります。……本当に何故賢者なのでしょうか?

 

「神ノ……」

 

「ええ、そうですよ。さて、防衛システムの幾つかは残っていますし万が一に備えて破壊させて貰います。……その前に少し失礼」

 

 礼儀正しい態度を取りますが相手はゴーレム、心など有るはずもない。運用目的を考えればそれが一番であり、どの様な技術が使われたのか解析魔法で遠慮せずに使い、気が付いてしまった。

 

「貴方、心が……っとっ!?」

 

「侵入者発見!」

 

 予想外の事態に驚いた私に対してタロスは腕を振り下ろす。子供が腕を振り回すのを彷彿させる雑な動きで避けるのは容易く、常時張っている障壁を突破出来る筈もない。弾かれた衝撃で大きくバランスを崩した拍子に転んで床に転がったタロスの装甲の表面が少し崩れて散らばった。

 

「……ハテ、一体何ヲ?」

 

「いや、覚えていないのですか? しかし、妙に人間臭いゴーレムですね、貴方」

 

 起き上がったタロスは何故自分が転んでいるのか理解出来て居ない様子で小首を傾げている。途中で解析を中止しましたが、私には思考回路に異常が生じているのは分かっていました。恐らく持って数十年、それだけ経てば完全に機能すら壊れるでしょう。

 

(寧ろ今もこうして起動している状態の方が不思議ですよ。一体何故……)

 

「神ノ使者殿、頼ミガ有ル。帰ッテ欲シ……侵入者発見!」

 

「……本当に限界っぽいですね」

 

 急に改まったかと思うと再び暴走を始めたので障壁で受け止め、今度は転んだ際に思考回路が破損しない様に動きを止める。暫くは無理に動こうとしていましたが、数分後に元に戻りました。

 

「それで頼みですが……私も恩師の頼みで来ているのですよ」

 

「陛下トノ、友トノ約束ダ。陛下、会イニ来ル。ソレマデ待ツ。滅ボスノハ待ッテクレ……」

 

 この言葉に私は悟る。目の前のゴーレムは既に王国が滅びている事など認識しているのだと。恐らくは約束が果たされない事さえ……。

 

「……分かりました。師匠には適当に言っておきます」

 

 此処は彼の家だ、彼の故郷だ。恐らくこのまま時が過ぎると共に記憶回路に異常が生じて今覚えている事も忘れてしまうでしょう。どうやって得たのか分かりませんが折角得た心も失うのも時間の問題だ。ですが、思い出と心が有る内は彼の居場所を壊したくない。此処に来る時に空けた穴も塞がなくては無礼ですね。

 

「失礼します。……もう会う事も無いでしょう」

 

 こうして私は師匠にタンドゥールには問題が無かったと虚偽の報告を済ませ、完全に壊れた姿を見たくなくてタンドゥールに足を踏み入れる事は有りませんでした。

 

 

 

 

「……あれから二百年。未だに生き続けて居たのですね」

 

 何故二百年もの間、完全に壊れてしまうのを免れていたか、理論立てて説明するには情報が足りない。ですが、何となく分かります。心を持ったからこそ彼は今まで壊れずにいたのだと。ですが、それも限界らしい。今、解析をして分かった。今の彼には心が残っていない。只暴走しているだけのゴーレムだ。

 

「折角知り合ったのも、こうして再会したのも何かの縁でしょう。介錯はお任せ下さい」

 

 この様な終わり方をするのならば二百年前にタンドゥールごと消しておけば良かったのかも知れません。ナスの秘宝をセットした事で止まっていた装置が動き出しましたが、七百年もの間全く動かさずにいた物を急に動かせばどうなるか、深く考える迄も無いのですから。

 

 私はせめて一瞬で終わらせるべく手に魔力を込めますが、その手がゲルダさんに掴まれる。彼女は顔を左右に振るとタロスと私の間に入り込み、両手に武器を構えました。

 

「賢者様、気が付いているのかしら? 凄く悲しそうな顔をしているわ。……此処は私に任せて。止めなくちゃ駄目だってのは分かるから、勇者としての功績稼ぎでも何でも理由を付けて見守っていて欲しいの」

 

「……拙者も義によって助太刀いたす。仲間とは助け合う物。戦う事が辛い相手ならば代わりに戦う事もあろう。まあ、拙者は仲間ではないのだがな」

 

 楽土丸もゲルダさんの横に並び立ち、存在しない刀で抜刀術の構えをする。私は本来ならば安全をとって直ぐに倒すべきなのでしょう。

 

「……お願いします。彼を救って下さい」

 

「「分かった!」」

 

 ですが、出来なかった。タロスの相手を二人に任せる事しか私には出来なかったのです。私の言葉に頷いた二人が飛び出す中、タロスの装甲が急激な速度で再生し、体が淡く光る。停止していた装置が可動した事でエネルギーが供給され始めたのでしょう。

 

「ですが危険な状態ですね。私達が姿を現すまで再生されず、その上どうやら供給過多の様だ。二人共、速攻でお願いします! このまま放置すればエネルギーが暴走して爆発するかも知れません!」

 

「元より拙者の技は一撃必殺の威力なり。……斬っ!」

 

 床の上を滑る様に移動し、腕を振り回すタロスの懐に潜り込んだ楽土丸が不可視の刀を抜けば股下から頭頂部に向かって斬撃が刻まれる。装甲が切り裂かれ、内部のコアに迄届いて居ました。ですが、その損傷でさえ瞬時に修復したタロスの目が光り、細く赤い光が一直線に放たれる。

 

「排除」

 

 タロスの目から放たれたビームは咄嗟に彼の首根っこを掴んで引っ張ったゲルダさんによって楽土丸の体を掠めるだけに終わりました。ですが咄嗟に後ろに跳んで空中に居る二人に向かい、タロスが握った拳を向ければ肘から先が飛んで行く。魔力を噴射しながら加速するロケットパンチ、それに向かって楽土丸が腕を向ければ風が渦を巻き、ロケットパンチを受け流しました。

 

「柔剛合わさってこその強者なり。……しかし、あの再生力は厄介で御座るな」

 

「あら、怖いの? 怖いのなら私一人で戦うわよ?」

 

「ふっ! 可憐なだけでなく豪胆な娘だ。……侮るな。武士が臆して背を向けてたまるものか」

 

「そう。なら別に良いわ」

 

 二人が着地すると受け流されたロケットパンチがタロスの腕に戻り、今度は赤紫の霧が蒸気機関から噴き出す蒸気の様に勢い良く出て部屋に充満しました。

 

「目眩まし……では無いな」

 

「だって普通に見えて居るものね」

 

「注意して下さい! この霧は魔法と魔族の能力を中和します!」

 

 私の警告が飛ぶ中、タロスの背後から先端に刃が付いたワイヤーが伸びて二人に向かって放たれ、楽土丸が先程の様に風を操ろうとしますが少し強い程度の風しか起こらない。

 

「ぐっ! 刀さえ有れば……」

 

「じゃあ、片方貸すわ!」

 

 ワイヤーブレードが降り注ぐ中、楽土丸の手にゲルダさんからブルースレイヴが渡される。雨の如く降り注ぐ刃、その全てが弾き飛ばされました。

 

「何で御座るか、この剣はっ!?」

 

「鈍刀を通り越して鈍器なのよ、それ。でも、毛は刈り取れるわよ?」

 

 未だ言葉を交わして数分だというのに随分と息が合っていますね。この霧程度では私の魔法には些細な影響すら与えませんので矢張り私が相手をすべきと思ったのですが、どうやら杞憂らしい。

 

「それでどうやって倒す?」

 

「コアの場所は分かっているから、凄く強力な攻撃で破壊するわよ。……もう一度装甲を破壊出来るかしら? 風は使えないみたいだけれど無理だろうけど」

 

「侮るな。拙者の最大の武器は風ではなく……この足だ!」

 

 不適に笑って足を叩いて示した楽土丸が一気に駆け出し、タロスの目から再びビームが放たれる。今度は額の中央を狙って放たれ、残像を貫いて後方にあった石室の扉に穴を空ける。

 

「排除排除排除排除!」

 

「……そろそろ不味いですね」

 

 タロスの体には既に貯蔵限界値のエネルギーが送り込まれ続け、先程の比でない量の魔力を噴出しながら進むロケットパンチは自壊と再生でせめぎ合いながら進む。今度こそ命中するかに思われましたが、寸前に飛び越した楽土丸はロケットパンチを足蹴に更に加速して迫り、着地の踏み込みを乗せた一撃をタロスの胸部に叩き込んだ。

 

「これはオマケで御座る!」

 

 大きく罅が入る装甲。再び修復が始まりますが、先程の勢いそのままに楽土丸は拳を突き出し、再生に巻き込まれるのも臆さずそのまま振り抜きました。一歩間違えれば腕を失う無茶ですが、今回は上手く行ったらしい。コアの中央を捉えた拳は巨体を貫通し、コアを外に叩き出す。

 

「お膳立てはしたで御座るよ! しくじるな!」

 

「分かっているわ!」

 

 再生に巻き込まれタロスの体に埋まった腕を引き抜けば破片が無数に突き刺さって悲惨な事になっており、弾き出したコアに向かって体内からエネルギーの触手が伸びる。ですが、既にゲルダさんがレッドキャリバーの投擲の構えに入っていました。

 

「これで……お休みなさい!」

 

 槍投げの要領で投げられたレッドキャリバーの持ち手から膨大なエネルギーが噴射されて勢いを増して突き進む。本当ならば実験を重ねてから実戦で使う予定だったデュアルセイバーの新能力だったのですが、初披露の場としては悪く無かったらしい。

 

 ワイヤーブレードもビームも撃ち落とす所か勢いを削ぐ役にも立たず、霧による威力減衰さえも関係無しにレッドキャリバーはコアに命中、今度こそ粉々に砕け散って完全に破壊する。

 

「……良かった。彼にこの場所を破壊させる訳には行きませんから……いや、遅かった様ですね」

 

「侵入者、排除。自爆装置作動」

 

 既に蓄積されたエネルギーだけで僅かな時間なら稼働が可能だったらしく、タロスの体から膨大なエネルギーが放出される迄時間が無い。……私が動くしかないのですね。ゲルダさん達の気持ちを無駄にしてタロスを手に掛ける事を悔やみながら私が魔法を放つ。ですが、それは瞬時に消え去った。私より高位の魔法技術による妨害で、この魔力が誰の物か私には分かる。

 

 

「……まあ、落ち着け。客人を……いや、この地の主を連れて来た」

 

「師匠!?」

 

「……あの勇者は随分と成長したな。勇者として成長しなければならぬなど本来有るべきではないが」

 

 私の魔法を強制キャンセルした師匠が指差した先、そこに立っていたのは高貴な身分らしい服の青年。半透明の彼を見たタロスの動きが止まっています。

 

 

 

「……遅くなったな、タロス。大儀であったぞ。……命令だ、もう休め」

 

「……ズット、ズット待ッテイマシタ。寝坊デスカ、陛下?」

 

「ふふふ。まあ、その様な所だ」

 

 青年の言葉を聞いただけでタロスのエネルギーは急激に落ち着き、やがて完全に機能停止する。ですが、壊れる寸前に彼は心を取り戻していました。それを見届けた青年も満足げに笑い、消える。最初から誰も居なかったかの様ですが、私には彼が誰か理解出来ました。

 

「……良かったのですか? 消した魂を再生するなど相当な無茶でしょうに」

 

「はっ! 私とお前を一緒にするな。この旅が終われば一から扱き直してこの程度可能なレベルに引き上げてやるからな。……うむ。どうやら暴走を止める為の戦いが功績にカウントされたらしいぞ」

 

 少し恐ろしい宣告を受けて身震いがする私ですが、どうやら師匠の言う通りにイエロアの封印が可能な程に功績が貯まったらしい。地下なので分かりませんが、今頃黄色い光がイエロアを包んでいる最中でしょう。つまり、彼とは一旦お別れですね。

 

 

「楽土丸っ!?」

 

 ゲルダさんが驚きながら叫んだ理由、それは光に包まれる楽土丸に有ります。封印がされた世界には魔族は存在出来ないのですからね。

 

 

「案ずるな、別の世界に弾き飛ばされるだけだ。……ああ、それとお主の胸を触った件だが……」

 

「今、それに触れるかしら?」

 

「ああ、重大な話だ。お主が魔王を倒し、拙者が存在を許された時は……責任をとって娶って……」

 

 重大な言葉の途中で楽土丸の姿は完全に消え去る。とんでもない事を告げられたゲルダさんは顔を真っ赤にして気絶していました。

 

「彼、随分と大胆ですね」

 

「お前が言うな、馬鹿弟子。……外に出るぞ。この遺跡の技術が外の誰かの手に渡るのも、考古学者が入り込むのも避けたい。今度こそ完全に破壊する」

 

 私に呆れ顔を向けた後、師匠は相変わらずの悲しそうな顔でタロスが友を待ち続けた場所を見回しました。そして指を鳴らせば私達は外に出ていて、遺跡を囲む洞窟も砂嵐も、遺跡に関わる全てが完全に消滅していたのです。

 

 

「師匠、これからどうします? お茶でも飲みに行きますか?」

 

「……いや、遠慮しよう。私が居てはゲルダ落ち着かない……」

 

 何時もの様に人が好きだからこそ人に恐れられるのを嫌い、そして恐れる師匠は去ろうとします。ですが、今回はその手を掴んで止めました。私ではなくゲルダさんが。

 

「いえ! 一緒にお茶会をしましょう、ソリュロ様!」

 

「し…しかしだな……」

 

「じゃあ、早速私が用意しましょう! アップルパイとアイスティーで良いですか?」

 

「おい、弟子っ!? ……分かった、仕方ない。だが、無理はするなよ? 怖くなったら言え。気にせずに消えるからな」

 

「あら、私は怖がらないわ。だって賢者様が慕っている方が怖い神様な訳がないもの」

 

「……ふっ!」

 

 ゲルダさんの言葉に師匠は一瞬固まり、そして吹き出す。ああ、良かった。ゲルダさんを師匠に会わせる事が出来たのは凄く嬉しいです。だって、今の師匠は凄く嬉しそうなのですから。

 

 

 人を愛し、人の為に働き続けるけれど人に最も恐れられる魔法と神罰の神ソリュロ。そんな方だって人と仲良く過ごす時が有っても良いじゃないですか。

 

 

「世は並べて事も無し。終わり良ければ全て良し。さて、次の世界では何が待っているのやら……」

 

 お茶会の準備をしながら呟き、ゲルダさんと師匠の姿を見る。少し不安も有りますが、楽しそうに談笑する姿を見ていると何が起きても大丈夫な気がして来ました。

 

「まあ、私が頑張れば良いでしょう。愛しいシルヴィアも戻って来ますし、明日から張り切って良い所を見せなくては」

 

 そうすれば更に私に惚れて、私も更に彼女に惚れるでしょう。ああ、愛しの妻よ。私の全ては貴女だ。私の幸せは貴女なのですよ……。



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蟲の女帝と賢者の娘
森の異変


なお、なろうの方では後書きにモンスター図鑑かアンノウンの神図鑑を開始しています


 色とりどりの花が咲き乱れる花畑の中、一人の少女が身を屈めて隠れ潜んでいた。背中から生えているのは白鳥を思わせる翼。息を潜め何者かから隠れている彼女だが、背後より忍び寄る影に気が付かない。

 

 その姿を見て多くの者が思い浮かべる名はオーク。丸々太った全身に豚の鼻と耳、尻尾も途中で丸まっている。多くの作品において他の種族、主に人間の女性を浚って強姦して孕ませる怪物だ。実際、その顔は豚だとしても非常に醜かった。

 

 醜悪と言っても過言ではない顔に喜色を浮かばせ、短くて太い指が少女の肩に置かれる。彼女が振り向いた時、鼻息が掛かる程近くにその顔が有った。そして悪臭と言い表すべき臭いが漂う口が開き、濁声で言葉が発せられる。

 

「見ぃ~つけた~!」

 

 肩に置かれた手は少女の胴体に向かい、その華奢な体を持ち上げる。そのまま肩に乗せられた少女はなすがままに連れて行かれてしまった。

 

 

 

 

 

「や…やっと到着したぁ~」

 

 イエロアの封印を済ませた私達は女神様達と合流後に直ぐに次の世界、この緑の世界グリエーンへと向かったわ。お世話になった人達に挨拶をして少しはのんびりしたいけれど勇者の使命は重大だから仕方ないわね。……少し寂しいのだけれど。

 

 そして世界を渡る為に再び世界樹の周囲に現れた階段を上ったのだけれど、今回は油断していたわ。

 

「賢者様、上ってる最中も訊いたのだけれど……どうして階段が倍以上になっているのかしら?」

 

 勇者として功績を挙げたから身体能力も大幅に上がっているから楽勝と思って居たけれど、階段は倍以上になった上に高い所は寒くい上に空気が薄くて何度も休憩を挟んだわ。賢者様達はケロッとしていたけれど、どれだけ鍛えれば良いのかしら……。

 

「それは試練だからですよ。それより此処から先はモンスターも出ますから上の空では危ないですよ。注意して下さいね」

 

「ガウガウガーウガウ」

 

 賢者様の言う通り階段を上りながらボーッとしていた私は何度か足を踏み外して落ちそうになったし、実際に一度落ちたわ。その時はアンノウンが吐いた空気の泡に包まれて元の所に戻ったけれど、凄く臭かったわね、あの中。

 

 ”ゲルちゃん、レバニラ臭いから暫く近付かないで”、って言ってるけれど私の体にこびり付いた臭いはアンノウンの吐いた泡の臭いなのよ?

 

「アンノウン、分かっていて言っているでしょう」

 

「ガーウ?」

 

 惚けながら吐いた息は爽やかなミントの香り。この子、一瞬で口臭を……私を助ける時に消せていた筈よね? 多分アンノウンに言っても無駄だろうけれど。

 

「……これも全部楽土丸が悪いのよ。あ…あんな事を急に言うだなんて。幾ら何でも順序を飛ばし過ぎよ。女神様もそう思うでしょ?」

 

「私も好きだの何だのは何度も伝えられたが、交際の申し込みをすっ飛ばして求婚だったぞ? 恥ずかしかったが当然受け入れた。凄く嬉しかったぞ!」

 

 楽土丸に事故とはいえ胸を二度も触られて、その挙げ句に責任の取り方が求婚だなんて。先ずはお付き合いからとか友達から始めて折を見てお付き合いに発展してから、デートとかキスをして……って、違うわよ、私! 賢者様と女神様に影響されて私まで色ボケたら駄目よ。

 

 頭に浮かんだ彼と私の交際風景に気が付いたら顔が熱くなって、必死に横に振って頭から追い出す。もう、本当はこんな風に追い込む為の作戦かも知れないわね‥…だったら嫌だけど。

 

 

「すっかり気にしてしまっているな。あの子、村に同年代の男が居たがそういった関係ではなかったのか」

 

「前に聞きましたが意地悪をしてくる嫌いな男の子は居たそうですよ。お世話になっている人の子供だから扱いに困っていたらしくて。……所で楽土丸はゲルダさんの結婚相手としてどうなのでしょう? 行き当たりばったりで行動しているみたいですが……」

 

「二人の今後の成長次第だが、今のままでは私が親なら反対だな。あの子がそんな奴を紹介すればソリュロ様に降臨願うぞ」

 

「貴女も娘に甘いですね。まあ、私も同意見です。……お揃いですね」

 

「……だな」

 

 私の話題からあっさりと何時ものイチャイチャに移行する二人に呆れた私はこの時は気が付かなかった。でも、仕方ないと思うわ。だって二人の血を引く子供は未だ居ないって事は聞いているもの。

 

 互いに手を握り見つめ合う二人を無視する事に決めた私は喉の渇きを覚えて水筒を手に取るけれど、ふと横を向けばリンゴの木が見えた。

 

「アンノウン、あれは食べて良い物かしら? 誰かの管理下なら駄目よね?」

 

 私の問いにアンノウンは何時ものスケッチブックでグリエーンについて教えてくれた。この世界は緑が豊かで果物がそこら中に自生している上に短期間で生るから特に所有権は決められていないらしい。

 

「最後の一個だし食べても良いわね。実は少しお腹が減ったし……」

 

「ガウ」

 

説明書きの最後の、情報料は昼ご飯のメイン、を示すアンノウンを無視して私はリンゴの木へと向かう。地面から突き出た根っこを飛び越し、枝を踏みつけて飛び、デュアルセイバーを木の幹の膨らんだ所に叩き付ければ鈍い感触と共に悲鳴が上がって擬態していたモンスターが姿を現した。

 

『『カメレオンレオ』木の幹や地面に擬態して獲物を待ち伏せにするライオン。長く伸びる舌は強力。寒さに弱く、冬季は冬眠』

 

 ギョロギョロ動く爬虫類めいた瞳、先端がクルンと丸まった長い尻尾、そして立派な鬣。うなり声を上げて私を威嚇する獅子は今にも飛びかかりそうな姿勢を取り、私は身構える。カメレオンレオは飛びかからずに舌を伸ばして来たわ。

 

 すっかり騙された私は寸前で避けるけれどドロドロしていて臭い唾液の水滴が顔に飛んで来る。背後の木を幾つも貫いた舌は五本目の木を貫いた後で巻き付き、他の木を巻き込んで引っこ抜いた。五本の木が舌によって引き寄せられて私へと迫ったのを武器を手放して両手で受け止め様とするけれど、途中で地面に落ちて其処を支えに舌に力を加えた跳躍でカメレオンレオは私の背中に襲い掛かったわ。

 

「ガァ……」

 

 真下から魔力を噴射して飛ぶデュアルセイバーを食らってカメレオンレオは悶絶する。

 

「ちょっとだけ惜しかったわね。でも、狙いが見え見えよ。目の動きで分かったわ」

 

 拳を握りしめ眉間に一撃。骨が砕ける音を聞いたけれど手を緩めず鬣を掴んで木に叩きつければカメレオンレオは動かなくなり、衝撃で落ちたリンゴは坂道を転がって行くわ。慌てて追い掛けた私だけれど、途中で道が途切れていたから慌てて止まる。高さはそれ程でもないけれど、足下は切り立った断崖絶壁になっていたのよ。

 

 

「ガウ……」

 

「……誰の胸みたいですって、アンノウン? それはそうと一体何が有ればこんな事に……?」

 

 私の真横に来ていたアンノウンと共に見詰める崖下は木の一本も生えていない荒野だったわ。根っこすら残っていないみたいに地面が凸凹に荒れていて、此処が緑の世界だなんて信じられない程に……。

 

 

 

 

「火事……では有りませんね。地面に焦げた跡が残っていない。まるで植物だけが何らかの理由で消え去ったみたいな……」

 

 私の知らせを受けた賢者様もただ事ではないと思ったのか荒野を調べ始める。見渡す限りが荒野になっていて、地面に手の平を置いた賢者様は解析を始めたわ。範囲が広いし根っこすら残っていないから時間が掛かるらしいし、少し待つ事になったわ。

 

 

「女神様、その斧も素敵ね。とってもワイルドだわ」

 

 拾ったリンゴを齧りつつ目を向けたのは女神様の斧。幾ら女神様でも炎の力が込められた斧は流石に不味いと思ったのかしら。今回は岩を切り出して作ったみたいな無骨な岩斧だったわ。取りあえず切れ味は悪そうだけれど凄く重そうね。

 

「ああ、此奴はティタンアックス、大地の力が込められた斧で……こうやるとっ!」

 

 自慢げに斧を振り上げた女神様はそのまま振り下ろす。地面に触れた瞬間に爆裂音が響いて地面が激しく割れ、大地を激しく隆起させながら衝撃波が突き進んで行ったわ。

 

「……解析のやり直しか」

 

 あっ、どうやら邪魔しちゃったみたいね。……私、知~らない。どうせ女神様がやったのだし放置しても問題無い筈よ。関わるだけ損だわ。

 

 少しうなだれた様子の賢者様から目を逸らし、私はリンゴを齧る。ふと違和感があって足元を見れば小さな芽が幾つも生えてきいたわ。よく見れば荒野の至る所で同じ事が起きているわね。

 

 

「この調子じゃ数年で元に戻るわね」

 

「いえ、数日で戻りますよ。この世界の植物って長寿な上に成長が早いですので。……どうも蝗害らしいですね。まあ、虫は普通のもモンスターも数や種類が豊富なこの世界なら珍しくもないでしょう」

 

「……え? あの……もしかして蜘蛛も沢山居るのかしら?」

 

 蝗害と聞いて納得したわ。オレジナでも偶に起きるけれど、植物性なら服でも家でも平気で食べるもの、この被害も納得ね。それは兎も角、ちょっと嫌な予感がしたから確かめましょう。ええ、大丈夫よ。きっと否定してくれるわ。

 

 

「私の大嫌いな蜘蛛は少ないわよね?」

 

「ええ、少ないですよ」

 

「ああ、良かったわ」

 

「まあ、他の虫に比べればの話ですけど。それでも生息する種類は六色世界では最大ですよ」

 

 ホッと一息もほんの束の間、ぬか喜びから蹴り落とされた私は視界を埋め尽くす蜘蛛の大群を想像してしまう。

 

「賢者様、一刻も早くこの世界を救いましょう。出来れば今日中に。そしてさっさと次の世界に旅立ちたいわ」

 

 イエロアでは何ヶ月も掛かったけれど、今の私は気合いが違う。今の私のやる気は今までの旅で最も高まっていたわ。こんな世界、さっさと救っておさらばよ!

 

 

「はいはい、落ち着いて。取り敢えずグリエーンでの拠点の候補地が決まっているので向かいましょう。肩の力を抜いて。やる気は空回りしたら意味が無いですからね」

 

 気合いで燃え上がる私の肩に賢者様の手が優しく置かれる。……そうね。このまま突っ走って蜘蛛の巣にでも突っ込んだら目も当てられないわ。

 

 

「ええ、落ち着くわ。それで賢者様、拠点ってどんな所なのかしら? ……蜘蛛が沢山居たりはしてないわよね? 例えば大きい蜘蛛を乗りこなしているとか……」

 

「してませんって、レッドスじゃないんですから。グリエーンに存在する獣人の部族の一つであるビャックォの集落ですよ。綺麗好きな部族ですから蜘蛛の巣は放置していませんよ」

 

「そう、それなら……レッドスでは乗りこなしているのね」

 

 最後に向かう赤の世界レッドス。必然的に旅も長くなるだろうし、他の移動手段がなければ乗る事になったかも知れないわ。でも、大丈夫。

 

 

「アンノウンが居て本当に良かったわ。ずっと一緒に旅をしましょう?」

 

「ガーウ?」

 

「気にしないで、何でもないわ」

 

 ……それにしても世界って本当に多様ね。否定したら駄目って分かっているけれど否定したくもなるわよ。……多分今までで一番旅の今後が不安になっているわね、私ったら。

 

 大きく溜め息を吐き、肩を落とす。取り敢えず美味しい物を食べて気を紛らわせたかったわ。

 

 

 

(それにしても蝗害にしては被害が一カ所に集中している。虫の性質上の好みなのか、寄せ付けない理由が周囲に有ったのか、それとも……此処だけ食い荒らされる理由が有るでしょうか?)

 

「賢者様?」

 

「少し考え事をね。じゃあ、行きましょうか。幸運な事に直ぐ側ですよ」

 

 何か考え事をしていた様子に少し不安が込み上げる。何事も無ければ良いのだけれど……。私が少し不安を覚えた時だったわ。少し前に嗅いだ穀物と鳥が混じったみたいな妙な臭いと共に可愛らしいピヨピヨという鳴き声が聞こえて来たのは。

 

「豆ヒヨコ……それも沢山」

 

 私達が今居るのは荒野の端から少し歩いた場所で周囲は深い森に囲まれているのだけれど、枝をかき分け姿を見せたのは、私が勇者になって直ぐ辺りで戦った巨大なヒヨコのモンスター、因みに一応植物系に属するらしいわ。それが十、二十、三十、大量に姿を見せたのだけれど本来なら有り得ない筈よ。

 

「賢者様、豆ヒヨコは豆の木鶏が餌を探すのに使う端末の筈よね? どうしてこれだけの数が固まって居るのかしら?」

 

「本来なら複数で挑まないと勝てない相手を選んで襲う習性は有りませんし、蔓は未だ付いていますから大量に独立が起きて埋まる場所を探して大移動……でも無いらしいですね」

 

「兎に角随分と興奮しているな。……栄養が不足しているのか? まさか、このグリエーンで?」

 

 豆ヒヨコは雑食性で、このグリエーンには虫も獣も果物も沢山有るけれど、女神様の言葉の通りに豆ヒヨコ達は随分と飢えているみたいね。本体から栄養が少ししか送られないのか痩せているし目が血走っているわ。今にも私達に襲い掛かりそうな敵、それも最初に有った時は苦戦した相手。

 

「ゲルダさん、戦いたいのですか?」

 

「ええっ! ……何で分かったのかしら? 好戦的な表情でもしていたの?」

 

「まあ、正しく狼が獲物を狙う時の顔ですね。私、実際にその姿をちゃんと観察した事は有りませんが」

 

 顔に出ていたのなら少しはしたなくて恥ずかしい。でも、自分がどれだけ強くなったのか試したいのよ。だから豆ヒヨコは格好の相手。強くなったと思うなら、一匹でも苦戦した敵の群れを相手にどれだけ戦えるか試してみたいじゃない?

 

「じゃあ、行くわ。私の物差しになれる位には頑張ってね!」

 

 私の挑発が通じているのかは分からないけれど、豆ヒヨコは向かって来る私を敵と判断したのか土煙を上げながら一斉に襲い掛かる。でも連携は取れていないわね。互いに押し合って転んだ仲間を踏みつけたり躓いて転んだり蔓が絡み合ったり。

 

「これじゃあ物差しにもならないわね。まあ、良いわ。どっちにしろ人を襲う前に倒してあげるから!」

 

「ガウ!」

 

 少し拍子抜けだけれど、この数が人の住んでいる所に向かえば危険だわ。可愛い見た目だけれどモンスターはモンスター。襲って来たなら一切の躊躇無く、少しの容赦も無く倒すだけ。そんな私を応援する気なのかアンノウンの鳴き声が響く。

 

 此処は少し良い所を見せたいわ。……そんな事を考えた私の横をアンノウンが放った光線が通り過ぎ、途中で分散して豆ヒヨコ達に命中すると同時に爆発。香ばしい匂いを漂わせ丁度良い焼き加減になった状態の豆ヒヨコが綺麗に積み重なった。

 

「……アンノウン、何してるのかしら?」

 

「ガーウ」

 

 いや、”パンダビームだけれどゲルちゃんは知ってるよね? 若年性の健忘症にしても若年過ぎるよね?”、じゃないわよ。

 

「もう! 私が折角張り切ったのに。賢者様~!」

 

「まあ、落ち着いて。アンノウンも悪気が有ってやった訳じゃないでしょうし。でも、今のは駄目でしたよ。めっ!」

 

(……本当に賢者様は女神様とアンノウンが絡むと残念になるわね。……あら?)

 

 不完全燃焼でモヤモヤする物を感じる中、私の耳に何かが猛スピードで接近する音が届く。新手かと期待したけれど、少し残念な事に人だったわ。あっ、矢張り私って戦闘狂になってないかしら? 女神様と訓練している影響ね。

 

「……見付けた」

 

 土煙を上げながら向かって来るのは猫……いえ、虎の獣人のお姉さん。二十には少し届かない程度の見た目で少し吊り目、私と同様に少し癖があるショートヘアーは黄色で毛皮のホットパンツで上は少し大きい胸の周囲だけ鞣し革を巻いただけのヘソ出しルック。多分ブラは着けてないわ。其処も私と同じね。

 

 そんなお姉さんは一切の迷い無く賢者様に向かって疾走、今の私以上の速度で胸に飛び込んだわ。

 

「……え?」

 

 不味いと判断した私は巻き込まれない様に退避を考える。だって女神様の目の前で賢者様に抱き付くなんて何が起きるか分からないもの。何時の間にかアンノウンは遙か遠くに走り出している。あの子は本当に判断が速いわ。その善悪は別だけれど。

 

「私も早く逃げなくちゃ……あれ?」

 

 賢者様の方を見ればお姉さんの頭を撫でているし、女神様は怒っていない。お姉さんは無表情に見えるけれど口元が緩んでいた。まさか二人は偽物なのかと疑った時、賢者様が思い出した様に口を開いたわ。

 

 

 

「あっ、紹介しましょう。この子はティア、私の娘です」

 

「……はい?」

 

 賢者様から齎された思わぬ情報。それを直ぐには理解出来なかった。そんな中、ティアさんは私に視線を向ける。興味津々といった様子で尻尾が揺れていたわ。

 

 

 

「……この子、私の妹? ……なら、お姉ちゃんがこの辺を案内してあげる」

 

「え? いや、私は……」

 

「遠慮は要らない。れっつごー」

 

 動揺する私はティアさんにお姫様抱っこをされ、自己紹介をする暇もなく連れ去られた……。

 

 

 




ティア、当初の予定の名前をど忘れして慌てて命名


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二人目

「……どう? お姉ちゃんはとっても速い。でも、大丈夫。きっと私位速くなれる」

 

(この人は本当に何者かしら……)

 

 急に現れて賢者様の娘だと紹介されたティアさんにお姫様抱っこをされたまま私は森の中を進む。勇者になった事で受ける強化で随分と速くなった積もりの私だったけれど、ティアさんはそれ以上に速かったわ。

 

 虎の尻尾からして賢者様と女神様の間の子供なのは有り得ない。なら、賢者様と別の誰かの間の子供と言うのも普段の鬱陶しい程の熱愛を見ていれば直ぐに否定出来る。それにティアさんがこの世界に居る事に驚いた様子も無かった。

 

「……もうちょっと待って。お姉ちゃんのオススメの物を見せてあげる」

 

「えっと、そもそも私はティアさんの妹じゃないのだけど……」

 

 でも、少なくても悪い人ではないとは思うわ。会ったばかりの時は無表情に見えたけれど、こうして少し話をしていると口元に柔らかい笑みを浮かべていて、抱っこされている私に負担が掛からない様に走っているもの。それに、目が凄く優しかった。

 

 それはそうとして何故か私を妹だと勘違いしているのは直さないと。だって凄く嬉しそうに目が輝いているもの。何か悪い気がして来たから訂正した私をティアさんはそっと地面に降ろす。誤解が解けたかと思ったら、優しく抱き締められたわ。……何故かしら?

 

「……大丈夫。血の繋がりは問題じゃない。家族を繋ぐのは心の繋がり。だから……私はゲルダのお姉ちゃん」

 

「えっと、そうじゃなくって根本的な問題で……」

 

「……もしかして年上? じゃあ、ゲルダがお姉ちゃん?」

 

 何となく思っていたけれどティアさんは間違い無く善人で、だけど人の話を聞かないタイプの人だったわ。あと、絶対に天然よ。

 

(でも、今の発言で理解したわ。この人、賢者様に育てられたのね。それで私も似た立場だって思っているのだわ)

 

 だから女神様が嫉妬しなかったし、私を話題にしていた時の会話も思い出せばそれらしい内容だった。

 

「えっと、私は賢者様達に育てて貰っている訳じゃなくて、一緒に旅をしているの」

 

「……どうして? イシュリア様が何かやったの?」

 

「あの方の名前が直ぐ出る理由は訊かないでおくわね。実は私が今回の勇者なの。でも、問題が起きて子供の時に選ばれた上に仲間に選ばれた人が居ないから二人が一緒に旅をしていて……」

 

「問題? イシュリア様が何かやったの?」

 

 ついさっき同じ質問をされた気がするけれど聞かなかった事にする。ティアさんを無視するみたいなのは嫌だけど、聞かなかった事にしたかったの。本当にイシュリア様は今までどれだけやらかしたのかしら……。

 

 

 

 

 

「……残念、妹じゃなかった。でも、此処まで来たなら見せてあげる。……有った」

 

 残念そうに肩を落としたティアさん。耳も尻尾も力無く垂れていたのだけど、直ぐに持ち直して足元の拳大の石を手にとって両手で果物でも割るかの様に真っ二つにしたわ。断面を見せられたけど普通の石ころにしか見えなかったから不思議に思う中、ティアさんが石に水を掛ける。途端に断面が虹の六色に輝いた。

 

「綺麗……」

 

「これ、虹鉱石。水に触れたら少しだけ光る。……でも、もう終わり」

 

 眩い輝きは周囲を照らし、思わず感嘆の声を漏らす程に美しかった。だけど十秒程で虹色の輝きは薄れ、やがて元の石ころに戻ってしまう。もう一度水で濡らさない所を見ると一度だけなのね。

 

「この辺、偶にマナーの悪いドワーフが屑石を捨てている。もっと質の良い鉱石なら何日も光る」

 

「へぇ、凄いわね。それで、他には何か面白い物があるかしら?」

 

「……気になる? なら、案内する」

 

 嬉しそうに口元を緩ませたティアさんはまたしても私をお姫様抱っこすると森の中を駆けて行く。所で賢者様に会えて嬉しそうにしていたのに私の相手をしていて良いのかという疑問が湧いたけれど、それよりも重要な疑問が一つ。

 

 

「所でティアさんとアンノウンって仲が悪いのかしら? 直ぐに逃げ出したけれど……」

 

「私はアンノウンが好き。でも、何故か逃げられる。疑問……」

 

 ちょっとだけ気になったから質問したけれど、気にしていたみたいね。それにしてもアンノウンが逃げ出すなんてどんな理由なのかしら? ……今後の為に知りたいわ。

 

 

 

 

「……ホットリーフ。柔らかいし温かいから防寒具の中身に最適。ゲルダも寒いのが苦手ならオススメ」

 

 ティアさんが枝を一本折って差し出したのは淡く赤く発光する葉っぱ。触ってみると少し温かめのお風呂のお湯位の熱を持っていて、まるで綿みたいに軽くて柔らかかった。

 

「でも、これって何時まで持つの?」

 

「三日間位。でも、大丈夫。……三日もあれば全部採っても直ぐに戻る」

 

 私に物を教えるのが楽しいのか尻尾や耳が動いているティアさんだったけれど、急に鋭い目を更に鋭くして耳と尻尾を逆立てる。私を守る様に片手を広げて睨む先には巨大な梟が木の枝に止まって首を動かしていたわ。

 

「……嫌な奴が来た。小さな子供が毎年彼奴の犠牲になる」

 

『『|梟小路《ふくろうこうじ』鳴き声で獲物の方向感覚を乱し、疲れた所を襲う狡猾な鳥型モンスター。主に夜間に行動するが腹が減れば昼間も動く。巨体の影響か普通の梟と違って飛ぶ音が大きい』

 

(武器は置いて来ちゃったけれど……魔法で対処しましょう)

 

 二メートル程の巨体を前傾姿勢にして今にも襲い掛かって来そうな梟小路を向かい打つべく魔本に手を掛けるけれど、ティアさんがそれを優しく手で制する。

 

「……少し良い所を見せたい。少しの間だけれど妹と思っていたから」

 

 ティアさんは人差し指の鋭い爪先を梟小路に向けて一歩前に踏み出す。バサバサと大きな音を立てて羽ばたいた梟小路は風を鳴らしながら向かって来たのだけれど、魔本も杖も持っていないティアさんの指先から放たれた三本の青い炎の槍が左右の翼と頭を貫いて背後の木に押し戻して縫い付けた。

 

「えぇっ!? 今、どうやったの!?」

 

「……私、特別な獣人。父達の娘になれたのもそれが理由」

 

 ティアさんは自信たっぷりに胸を反らし、大きめの胸が揺れる。思わず自分の胸を見てしまうけれど、落ち込むより前に一大事に気が付いた。梟小路を縫い付けた炎の槍で木が激しく燃えてパチパチと音を立てていたわ。

 

「大変っ! このままじゃ火事になっちゃうわっ!」

 

「……問題無い。確かあっちの方向に湖が有るから。えい」

 

 よく見れば無表情な様で表情豊かなティアさんだけれど声からは相変わらず感情が読み取れない。そんな彼女は木の幹を抱えて容易く引っこ抜くと放り投げた。弓なりに飛んでいった燃える大木は森の向こうに消えて、少し後に水音が聞こえて来る。水柱が上がったのが見えたし、多分大丈夫ね。

 

「ティアさん、一応見に行きましょ?」

 

「了解」

 

 親指をグッと立てたティアさんが私を抱える素振りを見せたので手で制する。あの程度の距離でも抱っこしたいのね。

 

「あっ、近いし抱っこは結構よ」

 

 いい加減恥ずかしいから抱っこされるのを拒否したけれど、明らかに落ち込まれたら良心が痛むわ。

 

「……帰り道でお願い出来るかしら? 抱っこじゃなくてオンブが良いわ」

 

「分かった!」

 

 帰り道が分からないから頼んで見たけれど、此処まであからさまに機嫌が良くなると頼んで正解だったと思うわ。……所で気になったけれど、風に乗って湖から漂う異臭は一体何かしら……?

 

 

 

 

「……何が起きている?」

 

「さ…さあ……」

 

 豊かで澄んだ水を蓄える湖は幾多の川に繋がっていて周辺の集落の水源となっている、ティアさんがそんな風に語った湖は不気味な赤紫色に染まっていた。水面に無数に浮かんでいる赤紫色をした蝗の死骸は幾重にも折り重なって水面を覆い隠し、私が今も感じている異臭の理由を物語っている。

 

「……集落に帰る。皆に知らせなくちゃ。送り届ける、乗って」

 

「え、えぇ!」

 

 殆ど変わらない表情でも焦りを感じさせるティアさんは私に背中を向けてしゃがみ、私が乗ると同時に走り出す。さっきまでのが私に気を使った速度だって直ぐに理解する程の速度で森を駆け抜けた彼女は瞬く間に賢者様達の所に辿り着いた。

 

「……これを調べて。じゃあ、後で」

 

 少し名残惜しそうにしながらもティアさんは去って行く。来た時と同様に凄い速度で砂煙を巻き上げて。賢者様が咄嗟に防がなかったら砂まみれだったわ。

 

 

 

 

「ティアはその通り私とキリュウがクリアスで育てた子だ。経緯は複雑だし、幾ら親でも本人の承諾無しに話すべき事ではないから教えられないぞ」

 

「クリアスで育ったって凄いわね。神様の暮らす世界なのに。どんな場所なのか気になるわ」

 

「クリアスは神が自分の家周辺を好きに弄っているので一概には言えませんが、私達の家周辺は今居る森の中と似ていますよ。……うーん、至って普通の虫ですね。何かの影響で変色と異臭は見られますが、毒の類は検出されませんでした」

 

 ティアさんから手渡された蟲の死骸を調べた賢者様だけど、その結果に私は安心する。周辺の生活用水に使われている湖だもの、病気や毒でも有ったら大変よ。

 

「……それにしても相変わらず慌ただしい子ですね。昔からあれだけは変わらない」

 

「別に良いではないか? 行動が速いのは悪い事ではあるまい。……そうだ、ゲルダ。私達が旅をしていた時の事なのだがな、キリュウはグリエーンの森にエルフが住んでいると思っていたのだぞ」

 

「あら、どうしてかしら? エルフが森で暮らすなんて普通じゃ考えられないわ」

 

「……地球ではエルフは森に住んでいる種族というイメージが有るのですよ。大笑いされたので勘弁して下さい、恥ずかしい」

 

 地球のエルフへのイメージも驚きだけど、賢者様が恥ずかしいと思う方が驚きだった。

 

(なら、人前でイチャイチャするのも恥ずかしいと思ってくれないかしら? 近くで見せられる私が恥ずかしいのに)

 

「さて、あの子は先に行きましたけど、私達も行きましょうか。どうします? 多分知らせている最中でしょうし、院長先生の所にティアの近況を聞きに行きましょうか」

 

 虫の大量死については後で考えるとして、一旦拠点となるビャックォの集落を目指す私達。舗装された道も案内の看板も無いけれど、ティアさんが駆け抜けた跡がしっかり残っているので私一人でも行けそうね。

 

(……それにしても二人にとってティアさんは本当に子供なのね)

 

 ティアさんについて話す時、二人は本当に嬉しそうだった。私の両親が私に接していた時と同じ優しい目をしていたし、少しだけ二人の事を思い出す。

 

「ガウ」

 

「あら、戻って来ていたのね……きゃっ!?」

 

 背中を軽く叩かれ、声を聞いて振り向こうとすれば襟首を咥えられ軽く放り投げられる。空中で体勢を整えるより前に風に運ばれた私はアンノウンの背中に乗っていた。

 

「……まあ、感謝しておくわね」

 

「ガーウ」

 

「所でティアさんが苦手なのはどうして?」

 

「……ガウ」

 

 きっと私を慰め様としたのだと察し、軽く背中を撫でる。ついでに気になっていた事を訊いてみたけれど顔をプイッて逸らすだけで教えてくれなかったわ……後で賢者様に訊いてみましょう。

 

(いえ、無駄ね。賢者様って女神様とアンノウンが関わると脳みそがお花畑になるし、女神様ならちゃんと教えてくれそうだわ)

 

 ティアさんの疾走によって荒れたを通り越して爆散した道をアンノウンに揺られながら進む。馬車が通れない道だからこうしてアンノウンに乗っていられるし、少しだけ良かった気がするわ。

 

 

 

(あの背中に貼っている、冷やし中華終わりました、の紙の事は教えるべきでしょうか? いえ、シルヴィアが言わないのなら、言わない方が良い事なのでしょう。同性の意見の方が頼りになりますからね)

 

(背中の貼り紙についてキリュウが指摘しない理由が分からんが、神ではない人なら分かる何かが有るのだろう。……うむ! 黙っていた方が良いのだろう)

 

 

 

「……何故かしら? 二人が通じ合っていない様で通じている気がするのだけれど……」

 

 

 それと同時に嫌な予感もするけれど、二人が何も言わないし動かないなら大丈夫だと納得する。きっと新しい世界に来た緊張で警戒しているだけだろうから……。

 

 

 

 

「此処がビャックォの集落で、目の前の建物はティアが三歳まで育った孤児院です」

 

 周囲を高い岩壁に囲まれたビャックォの集落には石造りの建物と木製の建物が半々に混じっていて、今目に前には小さな庭に幾つか遊具が置いてある木製の家。庭には獣人やドワーフの小さな子供達が遊んでいる中、大人が一人だけ居た。くたびれた服を着て白鳥の翼を持つ女の子を肩車している。

 

「おや、ティアが貴方から連絡が有ったと聞きましたけど、わざわざ訪ねてくれるとは思っていませんでしたよ、賢者様。其処の少ね……少女は迷子ですか?」

 

 こっちを向いた事で顔がハッキリと見える。太って見えたけど豚の獣人さんだったのね。口に出したら悪いけれど、ちょっと不細工だわ。でも、子供達が懐いているし悪い人じゃないわ。

 

(私を男の子と間違えた失礼な人だけれどっ!)

 

 先代勇者といい、この人といい、私を男と間違える人はどうして丁寧な態度の良い人なのかと思ってしまった……。

 

 

 

 

 

「襲撃! 襲撃だっ!」

 

 ビャックォの集落から遠く離れたセリューの集落、周囲を森に囲まれた木製の住居のみが点在し、周囲を砦の様な外壁に囲まれていた。其処に設置された鐘がけたたましく鳴り響きモンスターの接近を知らせる。見張りの青年が見詰める先では木々を薙ぎ倒しながら接近する豆の木鶏、それが三体。

 

「ヒュー! ご馳走がやって来たぜ。儀式の前にシルヴィア様からの贈り物って所だな。……感謝を捧げます」

 

 チラリと集落の中央に目を向ければ蒼い水晶と女神像、鎧と斧を身に着けた武と豊穣の女神シルヴィアだ。このグリエーンで最も信仰されている神に祈った彼は巨大な弓を構える。常人ならミリ単位も動かせない弦を引き、槍の様な矢を放つ。風を切り裂きながら進む矢は本来なら急所である頭を貫通、だけど止まらない。

 

 どれだけ鳥に近くても正体は植物、脳みそは存在しない。頭に穴を空けられた状態でも動き続ける。

 

「これだから植物系は困る。……だが、だったら動けなくなるまで破壊すれば良いだけだ」

 

 既に知らせを受けて飛び出して行った部族の戦士達が三体の豆の木鶏を取り囲み、一撃一撃が巨体を確実に破壊して行く。戦士達の共通点は犬科の獣人である事、それとうっすらだが蒼いオーラを纏っている事だ。

 

「お前達、気合い入れろ! 此奴達を女神シルヴィア様への供物にするんだ!」

 

 巨大な剣が大木の様な脚を切り倒し、倒れた巨体に戦士達が殺到する。三体が動かなくなったのは直ぐの事、忽ち歓声が上がる中、耳障りな音が聞こえて来た。

 

「……おい、何だよあれは……」

 

 前方を覆い隠す赤紫の靄の様な何か。やがて近付いた事でそれが何か判明する。蟲だ、蝗の大群が羽音を立てながら通った場所の木々を全て食い尽くしながら。

 

 蝗達は豆の木鶏に到達し、まるで鉛筆画を消しゴムで消す様に巨体を喰らい削る。まさに捕食者による蹂躙。その牙はモンスターだけでなく、人にも向けられた。

 

「うわっ!?」

 

「あっち行け! このっ!」

 

 彼らが腕を振り回せば蝗は簡単に潰れる。だが数が多過ぎる。蟲の死骸に群がる蟻の如く殺到した蝗は人は食わず、植物性の素材で作られた服を喰らい、砦を、家を、備蓄していた食料を喰らい尽くそうとしていた。

 

 

 

 

 

「おーっほっほっほっ! ビリワックは指示した事だけをする様に言いましたけれど、優雅に華麗に私の思う通りに行動させて頂きますわ。さて、楽しい楽しい戦争のお時間ですわね」

 

 高貴さよりも傲慢さを感じさせる態度の女がその様子を眺めている。金髪縦ロールに裕福さよりも成金趣味の高価そうな赤紫色のドレス。同様に赤紫色の扇で口元を隠しながら笑う彼女の目が怪しく輝いていた……。

 

 



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賢者と娘

 私が尊敬していた人を一人選ぶとすれば母方の祖父でしょう。大学教授であり、剣道の腕前も高い。一代で財を築いた祖母も尊敬の対象ですが、祖父は話し方を真似する位に尊敬していました。

 

 祖父の親友であり、祖母の兄である大伯父には変だとからかわれましたが、使い続けている内に馴染んだのを覚えています。ですが、目の前の彼も尊敬に値するでしょう。

 

「どうも私をモンスターと間違えたらしく、その侍の女性が襲って来ましてね。ティアが撃退してくれたので無傷で済んで良かったですよ。幾ら私が不細工でも酷いですよね。うーん、矢張りこの耳のせいでしょうか?」

 

 深刻な話の筈なのにヘラヘラ笑えている院長は孤児院の子供達の相手をしながら顔の側面、人間の耳があった所をさする。昔、部族同士の戦いで切り落とされたが頭の豚の耳が有るから生活には困らないらしい。

 

「本当に治さなくて良いのですか?」

 

「いやいや、治してしまえば私の魅力に気が付いた女性が殺到して修羅場になってしまいますよ」

 

 またしても冗談でやんわり拒否される。ティアの力の事を聞き、引き取りに行った時もそうでしたが今回も同じですね。知り合いの話では親を殺されて復讐に走った子供の仕業で戒めとして残していると聞いていますが実際は分かりません。ですが本人が言いたくないのなら今以上に調べる必要は無いでしょう。

 

「さて、クッキーが焼けましたし、そろそろ来る頃ですね……」

 

 院長先生はオーブンに向かいながら庭の方に顔を向ける。子供達の遊び相手になっているゲルダさんとシルヴィアの姿があり、アンノウンは子猫サイズになって私の膝の上で寝転んで居たのですが、クッキーが焼けた香りにソワソワし始めました。少し寝ていたのか小さく欠伸をして頭が働かない様子。

 

「院長先生、こんにちは。あっ、アンノウン発見」

 

 だから彼女に気が付かなかったのでしょう。ドアがノックも無しに開き、お腹を空かせたティアが飛び込んで来た瞬間に逃げますが、窓から飛び出す前に空中で捕まってしまう。相変わらずの可愛い笑顔のティアに抱かれる姿は人形みたいで可愛いですね。

 

「こらこら、ノックも無しに入って来たら駄目ですよ、ティア」

 

 しかし親として言うべき事は言わなくては。三歳まで育ち、今も何かと遊びに来ている家同前の場所でもマナーはマナー。それに彼女は良い子ですから一言で聞き分けた。中からノックを数回行い、私の隣に腰掛ける。わざわざ椅子を寄せて密着しています。小さい頃からそうですが、十九になっても甘え癖は治らない様子だ。治ったら残念な気もするのが複雑な親心ですね。

 

「了解。次は気を付ける」

 

「なら構いません。それで湖の件はどうなりました? 虫は毒を持っていませんでしたし、取りあえず取り除いて置きましたが」

 

「流石は父。私は娘で誇らしい。……皆、楽観的。水に虫が浮かんでいたと伝えても気にしない」

 

(……さて、どうしましょうか?)

 

 口数が少ないティアの事ですし、殆ど内容が伝わっていない可能性が高い。私が改めて伝えればティアの顔を潰す事になりますし、虫自体に異変はなかったので不安を駆り立てるだけに終わる可能性も高い。

 

「あっ、ゲルダも来た。こっち座ろう」

 

「は、はい!」

 

「……むぅ」

 

 院長先生に呼ばれて子供達に混じってゲルダさん達も来たのですが、シルヴィアはティアの姿を見て不満らしい。今の彼女は女神の正体を隠して居るのでシルという女戦士でしかない設定だ。ティアの家を拠点に使う予定ですし、暫くは家の中で独占されそうですね。

 

 ティアが椅子を指差してゲルダさんを呼ぶ中、ふと気になった事がある。流石に微妙な話題なので聞き辛いですが、家を拠点にするなら聞いて置かなくては。

 

「ティア、彼氏は……いえ、今は止しましょう」

 

 別に家に行ってからでも構わない内容ならば後に回しても構わない筈。別に怖い訳でもないのでちゃんと訊ねますが、こういった話題はシルヴィアの方が良いかも知れません。では、母親に任せる事にしましょう。

 

 美味しいクッキーの味も分からなくなった私はモヤモヤとした物を感じて手が止まる。皿の上に残ったクッキーと私を交互に見ているティアに気が付いたので摘まんで口元に運ぶと躊躇無しに口を開けました。

 

「……あーん」

 

「全く、何時まで経っても甘えん坊ですね」

 

 本当ならもう少し手元に置いていたかったのですが、普通の獣人……ではなくともクリアスに何時までも暮らす訳には行きません。私の家のと繋がっているポストを渡して文通は続けていますが、こうして独り立ちする年頃でも会えば甘えて来るのです。

 

「……ガウ」

 

「ティア、アンノウンを放してあげなさい」

 

「分かった」

 

 アンノウンでさえ脱出不可能な力で抱いていた手の力を素直に緩めるティア。どうしてこうも素直で感情豊かな子に対し、無表情な上に抑揚が少ない声で感情が読みとれないだなんて酷い評価を下す人が居るのか理解に苦しむ。

 

(……まあ、それで変な虫が寄り付かないのなら別に良いですが)

 

 何故かイシュリア様は私を親馬鹿だと評価しますが、可愛い娘を可愛がって何が悪いのでしょうか? 今はちゃんと独立していますし、成長を妨げたりはしていないのに。

 

「……おや」

 

 クッキーで腹が膨れたのか窓から差し込む日差しの暖かさで眠気を覚えたティアはコクリコクリと船を漕ぎ、やがて私の肩に寄りかかって眠り出す。私はそっと周囲の音が小さく聞こえる魔法を掛けてあげた。

 

 

 

「……ガーウ」

 

 尚、その状態でもアンノウンはしっかりと抱き締められており、助けて欲しそうな瞳を向けていた。

 

 

 

 

「あれ? あの女神像って……」

 

「よく分かったな。無論、私だ」

 

 結局お茶の時間が終わってもティアが目覚める事はなく、私が背負って家まで向かおうとしましたがシルヴィアがその役を買って出ました。その道中、集落の中央広場に飾られた石像と白い水晶に目を向けたゲルダさんがシルヴィアと石像を交互に見ます。鎧と斧を装備した気高く美しい女神像、シルヴィアの石像です。

 

「まあ、石像としては高い点数を付けましょう。シルヴィアの美しさを一厘も再現出来ていませんが、元からそれは芸術の神でさえ不可能な行為。なら、ここは素直に賞賛を送るべきでしょうね」

 

「……馬鹿者が。照れるではないか」

 

(この二人、娘を背負いながらイチャイチャ出来るのね。多分、起きている時もそうなのだわ)

 

 私は素直な感想を口にしただけですが、それで恥じらうシルヴィアも美しい。それはそうとして水晶の周囲が飾り付けられていますし、そろそろ祭りの時期ですね。

 

「見えて来たぞ。ほら、あれがティアの家だ」

 

 孤児院から少し歩いた所にある石作りの家。合い鍵を使って入れば一般家庭としては申し分ない外観通りの広さです。ですがゲルダさんは何故か怪訝そうにしていました。

 

「あれ? 賢者様辺りが豪華な家にしていると思ったのに普通ですね」

 

「広いと掃除が大変ですからね。空間を弄りはしませんよ」

 

 流石に自動で部屋が綺麗になる魔法は使いません。親が同居する子供の部屋を掃除するのは別に良いのでしょうが、独り立ちした娘の部屋を父親が掃除するのには抵抗があった。

 

「まあ、防ダニと湿気対策はしていますし、常に快適な温度に保たれる様にする程度ですよ。あと、季節にあわせて壁紙を任意で変えられる風にしているのと、部屋干ししても洗濯物が生乾きにならない……その程度です」

 

「充分じゃないかしら?」

 

「……ん。クッキーは?」

 

「クッキーはもう食べましたよ。ほら、涎が口元に付いていますから洗面所で顔を洗って来なさい」

 

 ソファーに寝かせて毛布を掛けていたティアが目を覚まし、クッキーを探す。この通り、昔から食べる事が好きな子供でした。

 

「夕食は何が良いですか?」

 

「父のハンバーグ。……付け合わせの人参は抜きで」

 

「ハンバーグですね。じゃあチーズ入りにしてポタージュスープを作りましょう。……人参の」

 

「……意地悪」

 

 

 それは別に良いのですが人参嫌いも相変わらずらしい。ですが私はそれを許さない。不満そうに抗議しても駄目です。

 

「残さず食べた子にはデザートにプリンを出しましょう」

 

「……分かった」

 

「じゃあ、折角なので魔法ではなく手作りにしますので先にお風呂に入って来なさい」

 

 

「分かった。……父も入る?」

 

「ええ、入らせて貰いますよ。この家のお風呂には拘りましたからね」

 

 ティアの為に用意した家ですが、風呂は少々私の趣味が入っています。冬は雪で春は桜と四季折々の景色が楽しめる露天風呂。勿論覗き防止の魔法は師匠に頭を下げて頼みましたし、並の魔法使いの回復魔法に勝る効能の温泉が常に清潔と適温を保っているのです。

 

「じゃあ、久し振りに頭洗って欲しい。私も父の背中を流す」

 

「いや、私とティア別ですよ? シルヴィアに洗って貰って背中を流してあげなさい」

 

 どうもこの子は恥じらいが足りていない。恐らくはちょっかいを掛けに来たイシュリア様の影響でしょう。もう十九だというのに父親と一緒に風呂に入ろうとするなんて。だから拒否したのですが、私の服の裾を掴んで小首を傾げる仕草からして理解していないらしい。

 

「……何で? 父は父、問題無い」

 

「ティア位の年頃の子は一緒に入らない物なのですよ。ティアは賢くて良い子ですから分かりますね?」

 

「……分かった」

 

 理解したけれど納得はしていないらしい。ですが、背後より忍び寄ったシルヴィアがティアの腰に手を回して担ぎ上げました。

 

「軽いな。ちゃんと食べているのか? ほら、私が頭も背中も洗ってやるぞ、甘えん坊め。久々だ、今夜は一緒に寝よう」

 

「うん」

 

「じゃあ、行くか。キリュウ、私のはデミグラスとホワイトだ」

 

 私が混浴を拒否した事に不満が残っている様子でしたがシルヴィアのお陰で機嫌がすっかり直って安心する。

 

(……それなりに会いに来ていましたが寂しいのでしょうね)

 

 親はなくとも子は育つと言いますが、子には親が必要なのでしょう。せめてグリエーンに居る最中は出来るだけ相手をしてあげたいと思った。

 

「あっ! 一緒に寝るという事は今夜はシルヴィアと私は別々なのでしょうか? ……まあ、仕方無い。アンノウン、今夜は秘蔵のワインを出すので家まで取りに行って下さい」

 

「ガウ!?」

 

 アンノウンは何故か慌てた様子で目を逸らす。お酒は好きな筈なのに珍しい。まるで私の秘蔵のワインを取りに行けない理由が有る様だった。

 

「……飲んじゃったのですね。まあ、飲んだ物は仕方無い。私から言っておくのでシルヴィア秘蔵のウイスキーを……飲んでいませんよね?」

 

 どうやら図星だったらしくアンノウンは一目散に逃げ出した。ティアとの食事だからとウイスキーを飲もうとするでしょうに、どうやって宥めれば良いのでしょうか?

 

「まあ、その時になったら庇ってあげましょう。あの子はあの子で可愛い使い魔ですからね」

 

「賢者様って親馬鹿な上にペットにだだ甘な飼い主よね。本当に出会う前のイメージとは別人よ」

 

 どうやら一緒に入らなかったらしいゲルダさんが食器の用意をしながら呟く。私も賢者の名から連想するイメージと自分の違いに戸惑うばかりです。本当に誰が賢者と呼び始めたのやら。

 

「一緒に入らなかったのですね」

 

「一人暮らしだから犬のゲルドバは別として他の誰かと入るのに慣れてないもの。それに親子団欒に割って入る様な野暮じゃないもの、私。……あと、負けを感じたくないし」

 

「ガーウ?」

 

 何時の間にか戻って来たアンノウン。今までゲルダさんに対してはスケッチブックだったのが私同様にホワイトボードになっています。

 

「ゲルダさん、随分とアンノウンに気に入られましたね」

 

「……そうかしら? 私の目の前のホワイトボードには、”胸の話? ねぇ、君だけ貧乳だから?” ってかいてあるのだけれど? ……女神様ー! アンノウンが秘蔵のウイスキーを飲んでらしいわよー!」

 

「ガッ!?」

 

 此処で思わぬ反撃を受けたアンノウンが慌てて逃げ出そうとするが足が竦んで動かない。どうやら風呂場からアンノウンのみに相当濃厚な怒気が向けられているらしいですね。

 

「大丈夫。シルヴィアは優しいから許してくれますよ」

 

 物凄い勢いで顔を横に振っていますがきっと大丈夫。アンノウンだって彼女の優しさはわかっていますからね。

 

 

(アンノウン、随分高速で震えているわね。随分と女神様が怖いみたいだけど……偶には良い薬よ)

 

「しかしティアの甘え癖は相変わらずですね」

 

 そしてプリン好きも相変わらずらしい。食材だけは魔法で出し、キッチンに立って準備をしながらさり気なく部屋を観察する。

 

(男物の洗濯物、誰かの歯ブラシ無し! 男の痕跡は有りませんね)

 

 ウチの子は天然ですから偽装にも限度がある。別に彼氏自体に反対はしませんが、どんな男か次第で口出しさせて貰います。過保護? いえ、私は世間的にシルヴィアの部下だと認識されています。繋がり目的で近寄るのなら……。

 

「……裏の花壇の土が肥えそうです」

 

 玉葱を一瞬で微塵切りにし、変な男を想像してしまい人参を素手でうっかり握り潰す。他事を考えて料理に雑味が入ってしまう。それだけは駄目だ。新毛を研ぎ澄ませ料理に集中する。娘の笑顔の為だ、そうするしかない。何せ私は父親なのだから。

 

 

 

 

 

 

「プリン……二つも良いの?」

 

「構いませんよ。院長先生から随分と頑張っていると聞きましたからね。何でも屋として部族問わずに困った人を助けているのでしょう? 報酬も殆ど受け取らないと聞きましたよ。……利用されないか心配です」

 

「大丈夫。母の教えその三、敵と判断したら容赦するな、が有る」

 

 大きなチーズ入りハンバーグを二個と付け合わせのポテトとブロッコリー、苦手な人参のポタージュスープも完食したティアは普通のプリンとチョコプリンを前にしてウキウキした様子だ。どちらから食べるか迷った後で普通のプリンにスプーンを伸ばし、途中で引っ込めてチョコプリンを掬う。そのまま口に運んだ後は幸せそうに目を閉じて味に集中していました。

 

(相変わらず分かり易い)

 

 一見すれば表情の変化が見られないティアですが慣れれば僅かな違いも分かり、何より尻尾や耳の動きで喜怒哀楽が判別出来る。今は尻尾が揺れて耳がピコピコ動いているので喜んでいる印だ。

 

「……思い出した。父、変な噂有る」

 

「噂?」

 

 続いて普通のプリンを掬い口に運ぼうとした所で動きを止め、思い出した事を告げますが、私が聞き返すとプリンの味に集中しているのか反応が遅れる。待つ事十秒程して再びティアが口を開いた。

 

「プリンの屋根の家が森の中に有るらしい。ビャックォの子供は未だだけど、仕事で行った他の部族の子供は見たし、中には探しに行って行方不明になった子も居る」

 

「……プリンの屋根ですか。衛生面は大丈夫でしょうか? 虫が集りそうですしゴミも沢山付着しますよね」

 

「汚いから食べたくない。……でも、子供は気にしない」

 

「ああ、ティアも床に落とした物を拾って食べてシルヴィアに叱られていましたよね」

 

 懐かしさから昔の話をしますが、本人は不満だったらしい。僅かに目を細めるとゲルダさんの方を向きました。

 

 

「父、私にとって大切。親に捨てられ、一度ビャックォを追放された私を罰を受けてまで育ててくれた。でも、こうして昔の話でからかう」

 

「……え? 今、追放って……」

 

「何か変? 私、今はこうして戻っている。悩む必要、無い」

 

 随分と楽観的に言うティアにゲルダさんも戸惑っている。もしかしたら自分で何ともないと口にする事で暗くなるのを誤魔化しているのかも知れませんが……。

 

「ティア、明日は一緒に散歩に行きませんか? 森の中でプリンの屋根の上を探すついでにお弁当を食べましょう。何が食べたいですか?」

 

「卵焼き、甘いの。それと鳥の唐揚げ」

 

「はいはい、野菜も食べるのですよ?」

 

「食べる……人参以外は」

 

(仕方無い。人参は抜きにしましょうか。私も甘いですね)

 

 例え血が繋がらなくても可愛い娘は甘やかしてしまう。それが独り立ちさせた後だとしても。ですが、こうやって姿を見るともう少し手元に置いていても良かったのではと思った。それが最高神との取り決めに背く事だとしても。

 

 

 そして次の日、お弁当作りの為に早起きするので早く寝た私ですが、起きたらティアがベッドに潜り込んでいました。パジャマ姿で私に抱き付き引き離せば起こしてしまいそうです。困った私ですが、幸いな事にティアを挟んでシルヴィアも潜り込んで寝ています。

 

「……シルヴィア、何とかして下さい。と言うより何故居るのですか? ティアと一緒に寝る筈では?」

 

「何を言っている? 久し振りに会ったのだから親子三人で寝るのは当然だろう? さて、弁当作りなら起きろ。……ティアが起きたら私が抱き締めて子守歌でも歌ってやるさ」

 

「もう十九ですよ?」

 

「子供は子供だ。幾つになってもな……」

 

 思い起こせば人と神との違いで子育てに苦戦していたシルヴィアですが、本当に成長したと今の姿を見て思います。

 

 

 

(全て可愛い娘のお陰ですね)

 

 心の底からそう思った……。

 

 




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賢者と娘の未来と過去

 「それでは行って来ます。帰りは夕方頃になると思いますよ」

 

 正直に言えばティアが探しているプリンの屋根家など魔法を使えば簡単に発見できるでしょう。無論、本当にあればの話ですが。

 

「ティア、お菓子の家に住んでみたいですか?」

 

「砂糖でベタベタしそうだから嫌。あと、絶対虫が集る」

 

「ですよね。私も住みたくない」

 

 その簡単に済む方法を取らない理由がティアです。今の私は勇者の仲間として行動する任務の途中、それが娘と遊んでいれば反感を持つ者は必ず出る。賢い者はそれに付け込むでしょう。ですが、普段は会わない娘とゆっくり過ごしたい。これは私の我が儘だ。

 

(賢者だの勇者だの以前に人間なのですよ、私は。大体、使命が崇高なら私事を切り捨てるべきというのが間違っている。……世間ではそれを素晴らしいと評価し、他者に押し付けますが)

 

「父、早く行こう」

 

「はいはい、少し待って下さい」

 

 今まで賢者として大変だったのは助言や手助けよりも勇者や仲間の心のケアだった。重圧に潰されそうになり、人の汚さに疲れ、運命の残酷さに涙する。カウンセリングのプロではない私は自らの経験とマトモな神のアドバイスを受けて支えるしか出来なかった。

 

 今は普段は寂しい思いをしている娘のケアの時間だ。私が作り、途中からティアとシルヴィアも加わった弁当を持ち、無表情ながらウキウキしている娘に急かされながら家を出る。ささやかな幸せとはこの様な事を指すのでしょうね。

 

 

「ティア、何か不便な事は有りませんか?」

 

「……うーん、無い。父と母、色々教えてくれた。だから、大抵はどうにかなる」

 

 樹齢千年を越えるであろう木々が乱立し、緑が視界一杯に広がる森の中、枝から枝へと飛び移りながら周囲を見渡す途中の事、私の問い掛けにティアは少しだけ考えてから答えます。問題が無いなら何よりですが、反対に少し寂しい気もする。親とは複雑な物ですね。

 

「父は母と仲良くしている?」

 

「当然です」

 

「じゃあ、ちゅーしてる?」

 

「勿論」

 

「良かった。私、早く弟か妹が欲しい」

 

「任せておいて下さい。……頃合いかも知れませんね」

 

 今までは自らの力だけでどうにかしようと決めていましたが、こうして可愛い娘に頼まれては考えを改める必要を一考する。旅の途中は流石に控えますが、終わった後で子宝を司る神に相談しないかと一度話し合ってみましょうか。

 

 そして、もう一つ……。

 

「……ティア、私達と離れて過ごすのは寂しいないですか?」

 

 私がクリアスに住んでいるのは特別な許可が下りたからだ。コピー故に元の世界に居場所が無く、世界を救った上に女神であるシルヴィアと結婚した。だが、今は別に暮らしている様にティアは別。許可を取って一時期だけ森の中限定で住む事が許された。

 

(流石に今回はゲルダさんを導く為に手間と時間を要しますし、また何かしらを引き受ければ報酬として……)

 

 そうすれば再びティアと暮らせると思い意識が余所に行った時、突如目の前からティアの姿が消える。背中に重みが加わり、肩には柔らかな手。ティアが私の背に乗っていました。

 

「オンブの気分」

 

「仕方無い子ですね」

 

 こうして甘えてくる姿を見ると寂しいのだと痛感してしまう。今は私の背中で随分と上機嫌ですが、それは寂しさの反動だと、そう思ったのですが……。

 

 

「ん、大丈夫。離れていても心は近い。家族はずっと一緒」

 

「……そうですか」

 

 思っていた以上にティアは私達との絆を強く感じていたらしい。甘え癖が直らないので子供だ子供だと思っていたのですが、知らぬ間に随分と成長していますね。親はなくとも子は育つ、その通りなのかも知れません。

 

「あっ、リンゴ。父、帰ったらアップルパイ作って。手伝う」

 

「相変わらず好きですね。……しかし、妙だ」

 

このグリエーンでは果実の類は数日で生る。その上、木は至る所に有るので貨幣での取引が成り立たない程だ。だが、今は違う。周囲には果実が生る木は幾らでも有るにも関わらず果実は今正に目の前で生って忽ち赤くなった物だけ。他には影も形も無い。

 

「……最近、こんな事多い。他の部族の所でも」

 

 怪訝そうな声と一緒にリンゴを齧る音が聞こえる。さっきのリンゴで作って欲しいという意味でなかったのか、それともうっかり食べてしまったのか。恐らくは後者でしょう。ウチの娘は天然ですし。

 

「成る程…」

 

 果実は容易に手に入るが、それ故に当然の様に毎日使われる。それが各地で不足するとなると深刻な問題に成りかねない。

 

「一体何が……」

 

 一瞬蝗害を考えますが葉っぱや枝には一切齧られた様子も見られない。つまり誰かが意図的に果実を根こそぎ持って行ったとなる。何処かの部族がその様な事をすれば他から袋叩きに合いかねない。大体、ビャックォ等の獣人の部族は困窮時には助け合うのが普通。つまり第三者の可能性が高い。

 

「魔族の仕業でしょうか……?」

 

「なら、ぶっ飛ばす?」

 

「ほら、背中で暴れない」

 

 気合いを入れたティアが私の頭上で腕を振り回すので注意をしておく。甘やかすばかりが親の役目では有りませんからね。それと出来れば恥じらいをもう少し身につけて欲しい。この世界にいる間にその辺の教育をしなければなりませんが、今は他にもすべき事がある。

 

 

 

「ティア、ご飯にしましょうか」

 

「うん」

 

 直ぐ近くで鳴り響く腹の音。どうやらティアは随分とお腹が減っているらしい。

 

 

 

 

 

「もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ……ごっくん」

 

木漏れ日が差し込む開けた場所でピクニックシートを広げ弁当を食べる。丁度三十回噛んでから飲み込むティアですが、口元にケチャップが付いているのでナプキンを取り出せば拭きやすい様に顔を近付けた。

 

(ちょっと甘やかし過ぎな気もしますけれど、この子は私かシルヴィアがこうしないと気にもしませんからね)

 

 ちょっと伸び伸びと育てるにも程があったかも知れないと思いますが後悔はしない。それは兎も角、ティアが立派に育ったのは間違いないからだ。

 

(昔は私やシルヴィアの膝に乗って甘えて、頭を撫でると随分と機嫌良くしたものですね)

 

 四苦八苦しながら進めた子育てについて思いだしそっと目を閉じる。膝に重さを感じ、目を開ければティアが座っている。耳が待ちわびる様に動き、尻尾は早くしろとばかりにペチペチと脇腹に触れて来ていた。

 

「……久々にこうしたくなった。撫でて」

 

「仕方無い子ですね。ほら、少しの間だけですよ?」

 

「少しは嫌」

 

 本来なら此処で叱るべきなのでしょうが、父親は何だかんだ言っても娘に甘い。私も父親だからティアには甘くなってしまう。例え血が繋がっていなくても、この子は私の娘だ。他人ならばシルヴィア以外の女性にベタベタされても迷惑ですが、娘の事は異性としての認識は無いので問題が無い。

 

 

「私は父親ですが、あまり男の人にこういった事をしたら良くないですよ。異性として好意を持っていると思われますからね」

 

「大丈夫、しない。父と母、ちゃんと教えてくれている。教えに従う私、偉い?」

 

「偉い偉い。ほら、もう少し撫でるのを延長してあげましょう」

 

 一旦は一安心。この子は強く優しく、そして賢く育った。あまり心配するのも良くないですね。ちゃんと信じてあげないと。

 

 

「と…とこで……所で、こ……恋人は居ましゅ……居ますか?」

 

 父親らしく威厳を持って自然に訊ねる。恐らくですが何一つ問題無い筈。……有るとすればシルヴィアに任せるべきでした。平静を装っていますが心臓がバクバク鳴っています。

 

「居ない」

 

「よっしっ!」

 

 興味すら無さそうなティアの返答に思わずガッツポーズ。将来的には家庭を持つ幸せも有りですが、男親は勝手なのですよ。変な男は絶対に許さない。痘痕も靨、変じゃなくても欠点が目に付く。結局、どんな相手でも可愛い娘の相手は気に入らないのですよ。……私も未だに嫌われています。まあ、神からすれば三百年も大した年月では無いのですが。

 

 

 

「……あっ、でも、俺の子供を産めとか言ってきたり、待ち伏せして何度もプレゼントを渡そうとして来るのは居る。……正直迷惑」

 

「そうですか。この世界から数人が消える事になりそうですね!」

 

「……消しちゃ……駄目……むにゅ……」

 

 満腹になった為かティアは会話の途中で眠ってしまう。そういえば今朝から眠そうにしていたので昨夜は少ししか寝ていないのかも知れません。寝違えない様に魔法で出したフカフカのベッドに寝かせ、更に短時間で疲れが取れる魔法も使用する。

 

「寝る子は育つそうですが、これだけ育つ気なのやら。まあ、もっと育てば良いですよ」

 

共に暮らし始めた頃は小さかった娘が今では私と大して変わらない年頃に。いえ、私が不老不死なので当然ですが、本当にこんな時は寂しくなります。シルヴィアと暮らす為に不老不死となった事に迷いも後悔も無い。ですが、本当に置き去りにされて行くのは寂しいのです。

 

「ティアをクリアスに招こうとするのは私のそんな気持ちからなのでしょうか……」

 

 結局、子供に寂しい思いをさせたくない等と口にしても、本当に寂しいのは私なのでしょう。だからティアにまで不老不死を与えてしまおうなどエゴでしかない。私が提案すれば受け入れるでしょうが、同じ思いをさせるのも迷いが生じる。大切なのは本人の気持ちなのだから、私があれこれ悩んでも意味が無いとは分かっていますけど……。

 

「まあ、先は神にとっては短くても人にとっては長い。その間にじっくり考えさせましょう」

 

 起こさぬ様に優しく頭を撫でればティアの顔が綻ぶ。きっと良い夢を見ているのでしょう。そんな顔を見るだけで私も幸せな気持ちになるのです。

 

「願わくば、この子の未来がそんな夢よりも幸せであらん事を……」

 

 目を閉じていれば自然と思い出す。私達夫婦とティアが過ごした日々の事を。始まりはそう、師匠に呼び出された事からでした……。

 

 

 

 

(不味いな……。何で呼び出されたか見当が付き過ぎる。ロリ婆ぁという言葉を酒の席で飲み仲間の神に教えた時、例として師匠の名を出した事? それともイシュリア様の起こした問題解決の担当に推挙した事か、タンドゥールを破壊せずに放置した事でしょうけど)

 

 正直言って私は酒に弱い。魔法を使えば強くなるのですが、神の世界の酒だけあって多少の魔法による防御は貫通して来る。なので少しでも飲み過ぎれば使わない時程でなくとも酔い、醜態を晒す。……イシュリア様に酔姦され掛けた事も有った。

 

 ……あの時は本当に不味かったらしい。ギリギリで間に合ったものの完全にブチ切れたシルヴィアを止める為、彼女と対になっている男性の武と豊穣の神と師匠が全力を出さなければならなかった程。ラグナロク、確か神々の黄昏と呼ばれる最終戦争でしたか? それ以来絶対にイシュリア様と同じ酒の席に着くなと厳命されています。

 

「もし逆らえば半日間無視するのですから恐ろしい。愛しい妻を心配させる行為は絶対にしませんが……」

 

 恐ろしいと言えば師匠もだ。不老不死となった私にとって余暇の過ごし方は非常に重要だ。シルヴィアも私も上から任される仕事がある以上は常に一緒では居られず、それぞれのプライベートな時間も夫婦円満のコツだと聞く。

 

 サブカルチャーが豊富な国に生まれ、実際に魔法を扱う楽しさを知った私にとって魔法の研究は趣味であり自分磨きの手段。なので弟子にしてくれた師匠には感謝も尊敬も抱いている。……スパルタなので溜まった鬱憤から後が怖い行為に走ってしまいますが。

 

「……よし! 此処は平謝りに謝って勢いで有耶無耶にしてしまいましょう。あの方は意外とポンコツな所が有るから大丈夫でしょう」

 

「ほほう。誰がポンコツだって?」

 

「それは勿論師匠……ふぁっ!?」

 

「どーも、ポンコツロリ婆ぁのソリュロだ。ついでにお前が敬愛すべき師匠だ、馬鹿者」

 

 錆びた機械の様にぎこちない動きで振り返る。息が掛かる程近くに師匠の顔があり、笑みを浮かべていたが怒っている時の物だ。指先に魔力を溜めた右手を私の顔に伸ばし掴む。アイアンクロー、私が教えた技だ。

 

「えっと、怒って……ますよね?」

 

「怒っているさ、当然だ。くくく、どうしてやろうか? 新しい魔法の実験台にしてくれようか。……っとまあ、この辺にしておくか。またイシュリア(あの馬鹿)が起こした問題の尻拭いが有るからな。じっくり時間を掛けられん」

 

「あっ、じっくり時間を掛けられるなら掛ける気なのですね。えっと、今回はその件だけでは無いのですね?」

 

「……その言い方なら他にも有るらしいな」

 

 どうやら墓穴を掘ったらしい。不死なので墓は不要ですから生き埋めでしょうか? ジト目で睨んでくる師匠から目を逸らし、差し出された資料に目を通す。

 

炎虎(えんこ)……」

 

「ああ、久し振りに炎虎が生まれたと報告があった。……三年程前にな、あの愚か者め」

 

 パッと見ただけですがグリエーンに炎虎が生まれたと有りますが、またしても神の時間感覚で起きた問題らしい。神随一の人間好きの師匠からすれば憤るのも仕方無いでしょう。私にはよく分かりませんが、かなり危険な事なのでしょう。

 

「……師匠、一つ宜しいですか?」

 

「何だ?」

 

「炎虎って何でしたっけ?」

 

 この日、私は師匠がずっこけるのを初めて目にした。机に鼻をぶつけて凄く痛そうです。ですが聞いた事は有ると思いますが、一度や二度習っただけの知識を全て記憶している筈も無いですし仕方無い。

 

「……偶に思うよ。どうして貴様が賢者と呼ばれているのかとな」

 

 転けた時に机で打った鼻と頭痛を感じたのか頭を押さえて師匠は呟く。

 

「あっ、それ私も思います」

 

 私から賢者と名乗った事は今まで一度も無い……事も無いですね。勇者への顔見せとか面倒事の解決にネームバリューが便利ですから。ですが使ったのは広まってからです。何故か老人の姿で広まっているのは本当に解せない。人のイメージって本当に勝手ですよね。

 

「……もう一度教えてやる。炎虎とは虎の獣人に数百年に一度生まれるかどうかの変異種、極めて高い身体能力と魔力、そして魔本も杖も使わず無詠唱で炎の魔法を使える」

 

「成る程。あの世界でその様な力の持ち主が誕生すれば危険ですね。制御不可能ならばの話ですが、周囲はどちらにせよ恐れるでしょうね。恐怖に飲まれた人間は厄介ですから」

 

「……ああ、歴代の炎虎も迫害の末に闇に染まるか未熟な内に殺されたさ。そして今度の炎虎の素質は歴代でも最高だ。この子の保護を頼みたい」

 

 資料に記された炎虎の資料に再び目を通し、住所の場所に転移する。一瞬で景色が切り替わり森の中の集落だったらしい場所に出る。だったらしい、とは今はとても森の中とは呼べない焼け野原だから。焦げ臭い臭いと煤だらけの人々、そんな彼らに武器を向けられた虎の獣人の少女と彼女を庇う様に立つ豚の獣人の姿だった。

 

 

「だ…誰だっ!?」

 

「何処から現れたっ!?」

 

 どの様な状況かは大体分かる。少女が力を暴走させてこの状況を生み出し、こうして恐れられているのでしょう。彼女と似た顔立ちの夫婦らしい虎の獣人まで武器を持って怯えと敵意を向けているのは残念ですが、親の愛も万能ではないのでしょう。両親と決まった訳では有りませんが。

 

「……こんな時に便利なのですよね」

 

 本音を言えば指パッチンの動作を挟んで行いたいですが、今は格好付けよりも威厳が大事。失敗する事が多いのでノーモーションで魔法を発動し、燃え尽きた集落と森を一瞬で再生する。

 

「聞け! 我は女神シルヴィアの忠実なる配下にして勇者の導き手である賢者だ! 皆の者、武器を下ろせ!」

 

 響きわたる声を聞いた彼らは私の背後に神々しい光を幻視した事でしょう。実際にさせました。次々と武器を手放し平伏す彼らの信仰対象がシルヴィアで良かったと思う。私が彼女の愛の奴隷なのは本当の話ですしね。

 

「幼き少女を恐れる気持ちは察しよう。だが、私は女神の命令によって彼女の保護に来た! これ以上手を出そうとするのは許さん!」

 

「は…ははぁ~!」

 

 本当に賢者のネームバリューは便利だと思いながら私は少女に手を差し出す。怯えた彼女のコントロールが未熟な力が私に襲い掛かるも傷一つ負わない。

 

「大丈夫。その力を扱える様にしてあげますよ」

 

 私は少女の頭を撫で、一瞬で消え去る。次の瞬間には少女と共に師匠の前に現れた。ですが、師匠は随分と驚いた顔をしていますがどうしてでしょうか?

 

 

 

 

 

「いや、私は保護しろと言ったが此処に連れて来いとは言っておらんぞ。っと言うか、六色世界の住人をクリアスに連れて来るのは禁止されているぞ?」

 

「……あっ。すっかり忘れていました」

 

「本当にお前が賢者と呼ばれる事に疑問符が浮かぶぞ……」

 

 師匠は相当頭が痛むのか手を当てながら座り込む。同時にミリアス様から直ぐに来るようにと念話が送られて来ました……。

 

 



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悪い虫と子供の夢

「……いや、君はイシュリアとは違って問題を起こすのではなく、その処理に苦労する側だと思っていたよ、イシュリアとは違ってさ。……あの女神、その内封印してやろうかな? もう片方が過労になるけれど神は不死だから過労死はしないしさ」

 

 最高神ミリアス。普段から私に問題事(主にイシュリア様が原因)を押し付けて来る方ですが、また何か起きたのか頭痛を堪えています。よりによって面倒なタイミングでミスをしましたね。

 

「…まあ、良いさ。そろそろタンドゥールの件でイシュリア係に任命していたヌビアスの刑期が明ける頃だし、君への罰は正式な就任と、炎虎の……えっと、名前は何だっけ?」

 

「確かティアだったですよ」

 

「ああ、そのティアがちゃんと力をコントロール出来るまで面倒を見るって事で。じゃあ、頑張って」

 

 瞬きをすれば景色が変わり、私は森の中の我が家の前に立っていて、シルヴィアの指示の下でティアが家と森の木々に炎を放っていた。

 

「愛しのシルヴィア、今戻りました」

 

「お帰り、愛しのキリュウ。事情は既に伝えられたぞ。頑張ってこの子を育てよう」

 

 問い質す前にすべきは愛を伝える事。別にあの程度では焦げ跡一つ付く筈も有りませんし、それならば愛を伝えるのを優先して当然です。ティアさんは燃えない家と森に驚いたのか私達を見ながら呆然としています。

 

「あの……」

 

「ああ、大丈夫です。此処は貴女程度の力ではどうにも出来ない存在ばかりの世界です。好きなだけ力を使い、何なら暴走したって構いません。その程度なら鼻歌交じりに止めてあげますよ」

 

「先ずは実際にさせてみて正解だったな。では、家に入れ。今日から此処がお前の家だ」

 

「……うん」

 

 遠慮と戸惑いを抱えたまま促され家に入って行くティア。幼い頃の従姉妹の世話をした事は有りますが、子育ての経験は無い私とシルヴィアも少し不安を抱えていました。

 

 

 

「……」

 

 来たばかりの頃、お腹が減ったとしてもティアは私達に何も言わず、ずっと部屋の端で座り込んで居るだけでした。力を理由に迫害を受け、実の両親さえも武器を向けて来たのだから仕方無いのでしょう。

 

「……あの」

 

 少しだけ経ち、私達が自分よりもずっと強く恐怖を向けないと分かった頃、服の袖を摘まんで空腹を訴えて来ました。ですが何処か遠慮しています。

 

「……お腹減った。父、パンケーキが食べたい」

 

 そして、何時しか素直に欲求を口にする様になったのです。戸惑いと四苦八苦の日々が過ぎ、ティアさん……ティアが最初は賢者様や女神様と呼んでいたのが何時しか変わり、父と母と呼ぶ様になった頃、噂を聞きつけた神々が遊びに来る様になっていました。

 

「や…やあ、ティア。弟子は居るか?」

 

「父は外出中。……凄く暇、ソリュロ様に遊んで欲しい」

 

「……そ、そうか。まあ、弟子を待つ間だ、仕方無い」

 

 例えば私の外出時を狙い、待つ間と理由を付けて入り浸る魔法と神罰の女神。

 

 

「あらあら、まあまあ。ねぇ、お祖母様って呼んでくれないかしら?」

 

「……お祖母様?」

 

「可愛いわぁ~。ちょっと職権乱用してお肌をもっと美しくしてあげる。じゃあ、お祖母様と少し遊びましょう」

 

 例えば美と恋を司る女神であり、加護を余計に与えながらも将来的に厄介事を引き起こす傾国レベルには至らない程度の配慮が出来る方。娘を溺愛し、その夫の私も実の息子同様に扱うのでティアにも孫に対する祖母の様でした。

 

 

 ですが招かれざる客も時折……。

 

 

「やっほー! 遊びに来たわよ!」

 

「……」

 

「あれ? 変ね。居ると思ったのにドアに鍵が掛かってるわ。無理に開けたらシルヴィアが怒るだろうし……今日は帰ろう」

 

 例えば留守中に来たら絶対に中に入れたら駄目と言い聞かせている対象の戦と愛の女神。この頃はは心労ならぬ神労の女神かも知れないとさえ言われていた。今はかも知れないが消えています。ちゃんとソリュロ様に相談し、ティアに悪影響が出ない為の対策をしました。

 

「……そろそろですかね。いや、未だですね」

 

「ああ、未だ未熟だ」

 

 この頃、既に元々の素質に加えてお土産感覚で施される神の加護、そして私とシルヴィアの教育によって増大した力さえもコントロールが可能になっていました。本来ならば元の世界に帰して然るべきです。

 

 ですが、未だ足りない、もう少し、一応保険に、あとちょっとだけ、念には念を、そうやって手元に置き続け、やがてアンノウンが誕生し、気に入ったティアが構い続けては逃げられを繰り返し、イシュリア様が問題を起こし、何時しか出会ってから十二年が経過してティアが十五になった日まで私達は共に暮らし続けたのです。

 

 

 

 

「……本当にミリアス様は頭が固い。神の世界の住民が六色世界に深く関わるのが問題だとは分かっていますし、適応出来るギリギリまで待って下さったのも分かっていますが……私はもっと娘と一緒に居たかった」

 

 ただ、私が今何を言っても意味は無い。ティアがどの様な決断をし、それで私達家族がどの様になるかは世界を救ってからの話。なのでグリエーンを早く救いたいですが、それはティアとの生活に二度目の終わりが来るのを意味する。

 

「せめてクリアスの我が家とティアの家を繋げる許可さえどうにかなれば……」

 

 神々が暮らす無色の世界と人々が暮らす六色世界の住民が長期間に渡って深く関わり過ぎるのは禁止されていますが、ティアは娘なので特例を許して欲しい。娘の穏やかな寝顔に顔を綻ばせ、頭を撫でる為にそっと手を伸ばす。

 

 

「おい、テメェ。その女は俺の物(・・・)だ。死にたくなけりゃ直ぐに消えな」

 

 娘と父の穏やかな一時を邪魔する無粋で不快な内容の声。茂みを乱暴に掻き分けながら豹の獣人の青年が近寄って来ました。脅す気らしく片手剣を見せびらかし、ニヤニヤと下品な眼差しをティアに向けていますが、どうやら私の事を知らないらしい。

 

「ビャックォの方ではないらしいが、彼女が自分の物とは如何と思いますよ? ティアは彼女自身の物です」

 

「うるせぇよ、屑が。その女はギェンブの次期族長になる俺の子を孕ますに最適な女だ。何考えているか分からない所は気持ち悪いが、強いし見た目自体は悪くねぇ。ほら、さっさと退け」

 

「本気で族長になれるとでも? 馬鹿丸出しで品性の欠片も無いのですから叶わない夢を追うのは止しなさい」

 

「あぁん? 死にてぇらしいな。さっさと其奴を犯したいんだ。邪魔だ、退け。次は無ぇぞ」

 

 彼はどうもティアの側に私が居る事自体が気に入らないらしい。どうせ関係を邪推しているのでしょうが、今はそれで良い。私が賢者だと知れば平伏して許しを求める可能性が大きい。ですが……目の前の相手が気に入らないのは私も同じなのですよ。

 

「ティアと私は互いに(親子としての)愛を向けている。(幼い頃は)一緒に風呂に何度も入り、今朝は(勝手に潜り込んでいたから)同じベッドで目覚めた。貴方が入り込む隙間は皆無だ」

 

「死ねっ!」

 

 余りにも短絡的で暴力的過ぎる。父親として娘に悪い虫が寄り付くのは不快ですが、彼はその中でも最低の部類だ。私を始末し、そのまま眠っているティアを襲う算段なのは分かっている。

 

「死ねと言われて素直に死ぬ馬鹿は居ないっ!」

 

 振り下ろされる刃を上段蹴りでへし折り、止まる事無く横っ面に爪先を叩き込む。歯を数本口から吐き出しながら横に吹き飛びそうな彼の胸ぐらを掴み、顎に一撃。アッパーで真上に打ち上げ、最後に拳を叩き込めばくの字に体を折り曲げて茂みの向こうまで飛んで行った。

 

「弱い、弱過ぎる。その程度ならティアの寝込みを襲う事すら不可能ですよ。……起きているのでしょう? 気絶が出来ない様に魔法を使っていますからね。二度は言わない、次は無いですよ。二度とティアに近寄るな」

 

 茂みの向こうからは呻き声すら聞こえない。それだけ痛め付けはしましたが足りない気分だ。

 

「……父?」

 

「起きなくて良いですよ。不愉快な虫を追い払っただけですし、好きなだけ寝ていなさい」

 

「分かった、寝る……」

 

 折角の親子水入らずを邪魔された不快感は娘の可愛い寝ぼけ顔を見れば一瞬で消え失せる。音が五月蠅かったのか殺気が漏れていたのかムクリと上半身を起こして目を擦るティアを再び寝かせて寝顔を堪能する、

 

「……可愛い。私の娘はどうして此処まで可愛いのでしょう? 美の女神の恩恵を受け過ぎて……いや、この可愛さは間違い無くティア自身の物だ」

 

 これだけ可愛いなら男達が寄って来るのも理解する。但し許しはしない。親馬鹿と後ろ指を指されても可愛いのだから仕方が無い。そう言えば昔、こんな事が有りました。

 

 

「ねぇ、将来的にこの子とも結婚するのかしら?」

 

 それは悪影響が有るから来るなと遠回しに伝えていたイシュリア様が遊びに来ていた時の事、私の膝に座っていた幼いティアを見ながらその様な事を言い出したのです。物語では義理の親子から恋仲になるのは有るのでしょうが、何を言っているのかと呆れたのを覚えています。

 

「イシュリア様は相変わらずイシュリア様ですね」

 

「うん? 私が私なのは当然じゃないの。変な事を言うのね。それでティア、将来的にキリュウと結婚したいかしら?」

 

「やだ」

 

 普段は抑揚の少ない声で喋るティアが珍しく強めの声で発した否定の言葉。そのまま私に強く抱き付いて来ました。拗ねた様に尻尾で床をペチペチ叩き、少し頬を膨らませます。

 

「父は父、私は娘。それが良いから、父とは結婚しない」

 

 本当に自分の娘は可愛いと思いました。この時だけでなく、常に思っているのですが。イシュリア様と余り関係を持たせない様にして正解だと改めて悟った瞬間です。

 

 

 

 

 

「……さて、一応死んだら面倒なのでモンスターに襲われない所まで連れて行きましょうか。素手でゴキブリを潰す位に嫌ですが」

 

 茂みの向こうで寝転がっている彼を安全な場所に連れて行くので様子を見に行く。茂みをかき分けて向かった先には黒い川が流れていて、その近くに娘に集る悪い虫が倒れていました。

 

「いや、アレは川じゃなくて……うわぁ」

 

 倒れている虫は心底嫌いですが、別に虫自体が苦手な訳では有りません。ですが川の流れと見間違う蟻の群れを目にすれば背筋がゾワッとします。一体何処に向かっているのかと思い目を向ければ直ぐに判明する。

 

「……うわぁ」

 

 思わず声が漏れるが仕方が無い。視線の先に小さく映るのは探しに来た目的であるプリンの屋根の家、そしてその家に群がる無数の蟻でした。

 

「いや、予想はしましたが絶対こうなりますよね、そりゃ……」

 

 虫系モンスターが多いグリエーンですが普通の虫も当然多い。そんな世界の森の中にあの様な家が有ればどうなるかなど子供でも分かる事でした。

 

 

「……何処の馬鹿があんな家を用意したのやら」

 

 出来れば関わりたくない相手だと思ってしまった私は職務怠慢でしょうか?

 

 

 

 

 

 

「……うわぁ。確かにあの家は子供の夢かも知れないけれど、実際に目にすると絶対に住みたくないわね」

 

 ティアとのピクニックの口実だった噂の家、見付けたからには向かうしか有りません。心底惜しいですが家に戻り、今こうしてゲルダさんを連れて来ているのですが彼女も私と同じ反応でした。

 

 チョコの門にクッキーの壁、窓は飴で屋根はプリン。そして模様はマシュマロとドーナツでした。まるで絵本に出て来るお菓子の家そのままで、絵本と違って周囲を蟻に囲まれています。蟻で家全体が斑模様になり、それを翼を持つアリクイが舐め取っていますがキリが無い。既に何匹かが腹を膨らませて寝転がり、交代で蟻を食べていました。

 

『『アリクイバード』翼を持つアリクイ。通常のアリクイと飛べる以外に変わりない。特に凶暴でもなく、寧ろ穏やか』

 

「驚く位に情報が無いわね。……子供が失踪しているのはあの家が関係しているのかしら? ……魔族が関わっているのは臭いで分かるわ。一つはそんなに強く無いけれど、もう一つはディーナ位に強い……だけどこっちは残り香みたい」

 

 ゲルダさんから得た情報ですが、余り宜しくない。思わず溜め息を吐いてしまう程に……。

 

「ゲルダさんが感じている臭いの強さですが、力が強い程強くなります。裏切り者になれば徐々に薄まるらしいですが。……イエロアで戦ったディーナと同等の臭気なら力も同等、つまり上級魔族だという事です」

 

「上級魔族……あの時は相性の悪い世界で力が削がれていた上にモンスターに取り込まれていたけれど」

 

「……この世界と相性が悪いの居る?」

 

 ゲルダさんは出来れば今度も弱まっていて欲しかった様子ですが、ティアの呟きでその希望は打ち砕かれる。

 

「居ない……と思う」

 

 イエロアの様な過酷な世界と違い、オレジナやグリエーンは穏やかな世界。少なくとも氷系の力を持つ者が砂漠の世界に居るのとは話が違い過ぎる。つまり今度は本気の上級魔族を相手にする事になるのです。最初から分かっていたのか大して気にしていない様子なのが救いですね。

 

「ゲルダさん、恐れは必要ですが過ぎれば身を滅ぼします。貴女は強い、私の言葉を信じて下さい」

 

「……じゃあ、取り敢えずあの家を壊そう」

 

 私はゲルダさんの肩に手を置いて励ましの言葉を掛け、その隣でティアは大木を引っこ抜く。炎に包まれ燃え盛る木は家よりも大きく、炎は熱を放ちながら周囲を煌々と照らす。ティアはそのまま燃える木を担いで飛び上がり、真上からお菓子の家目掛け投げ付けた。

 

 勢いと重量で破壊力を増したその一撃にお菓子の家は耐え切れない。一瞬だけ耐えたのは魔法の力が働いていたからでしょうが、まず当然ながらプリンが潰れて周囲に飛び散り、ひしゃげて罅が入ったクッキーの壁が崩れる。それに巻き込まれる様に窓もドアも崩壊の後、余程油分が含まれていたのか勢い良く燃え盛り蟻もアリクイバードも逃げ出す中、ガラガラと崩れて行くお菓子の家。甘い香りが焦げ臭い香りになるまで時間は掛かりませんでした。

 

「……楽勝」

 

 少し誇らしげにピースサインをするティア。一連の流れを見ていたゲルダさんは呟きます。

 

 

「何と言うか凄い力業だわ。……血が繋がっていなくても女神様の娘ね、間違い無く」

 

「ええ、自慢の娘です」

 

 完全に崩れ、衛生的や精神的な理由ではなく食べる事が出来なくなったお菓子の残骸が燃えさかる中、一部が動いて中から毛むくじゃらの何かが出て来ました。よく見ればそれは熊のヌイグルミでした。

 

「……」

 

 煤だらけの体を起こし手足をバタバタと動かす姿は実にファンシーでお菓子の家に似付かわしい姿なのですが、只の動くヌイグルミではない。クルリと反転して背中を向ければチャックが開き、青紫の長く大きな舌と鋭利な牙が見える。

 

「アソボウアソボウ……タベチャウゾ!」

 

 背中の口が大きく開き、周囲の空気を急激な勢いで吸引する。アリクイバードも蟻も木も岩も周囲の全てを、私達が居た場所さえも纏めて一瞬で吸い込まれました。

 

 

「……? アジガシナイ?」

 

 小首を傾げるヌイグルミ。それだけなら可愛らしいのでしょうが生憎と声は最悪。嗄れた老婆の様な声を更に金切り声に近付けた神経を逆撫でする。

 

 

「そりゃそうよ」

 

「!」

 

 突如真上から聞こえた声にヌイグルミは糸が解れて取れ掛けた目を向け、顔面に鋏の切っ先が叩き込まれる。そのまま地面へと押し込まれめり込んだ体を動かして抜け出そうともがくも腹部を全力で踏み抜かれて動かなくなりました。

 

 

「……ゲルダも結構速い。一瞬で真上に飛び上がった」

 

「誉めてくれて有り難う、ティアさん。……賢者様、この子をどうすれば良いかしら?」

 

 返答次第では直ぐにトドメを刺せる様にデュアルセイバーを構えながらゲルダさんはヌイグルミを睨み付けた。



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虎と兎とヒトデのとある昼下がり

とある昼下がり、森の中で出会った熊さんはお菓子の家に住むヌイグルミだったわ。それだけを聞けば素敵な出会いなのだけど残念な事に熊さんは魔族な上に人喰い熊だったらしいの。

 

「では、お菓子の家に残っていた上級魔族について教えて貰いましょうか」

 

「ムゴームゴー」

 

 背中のチャックが実は凄い吸引力の口だからって縄で縛られ木の枝に吊り下げられた熊さんは縄を解こうと暴れるけれど一向に縄は緩まないで口を塞がれているから喋れない。

 

(あっ! 喋れって言った賢者様も気が付いたみたいだわ。……知らない振りをしましょう)

 

「父、このままじゃ喋れない」

 

 折角私が気を利かせたけれど、娘のティアさんが言ってしまった。横で聞いていた私は居たたまれないけど、賢者様はもっと居たたまれないみたい。居心地が悪そうに目を背けながら空中に手を翳せば波紋が生まれ、その中から何かを取り出したわ。

 

(きっと今の状況をどうにか出来るアイテムね。流石は賢者様だわ!)

 

「あれ? 何処に置きましたっけ? 確か予備をこの辺に入れて……」

 

 次から次へと多分関係ない道具が出て来る。整理整頓が苦手な人が必要な時に目当ての物が見付からない例が目の前にあったわ。

 

「……父、相変わらず片付けが苦手?」

 

 小首を傾げるティアさんだけど、何処か呆れている様にも見えるわ。所で賢者様って片付けが苦手なのね。几帳面に見えて結構ズボラだったみたい。

 

「いえいえ、今回は偶々見付からないだけで……有った!」

 

 探し始めてから五分後、関係ない物の山が私の身長と同じ高さで三つ出来上がった頃に漸く取り出したのはアンノウンがパンダのヌイグルミに持たせて筆談するホワイトボード。裏にパンダの顔が描かれているから間違い無いわね、きっと。

 

「賢者様、それをどう使うのかしら?」

 

「良い質問ですね、ゲルダさん。花丸を差し上げましょう」

 

 賢者様は指先で花丸を描くと熊さんの体にホワイトボードを貼り付ける。ホワイトボードって賢者様が勇者時代に魔法で作り出したアイテムだけれど、どう使うのかしら?

 

「そもそもアンノウンがこれやスケッチブックを使う際にペンを持っていないのを不思議に思いませんでしたか?」

 

「あっ!」

 

「実はこれは頭で考えた事を文字として表示出来るのです。アンノウンは更に使いこなして絵さえ表示しますけどね。……熊さん、君のお名前は何ですか?」

 

 賢者様の問い掛けに黙る熊さんだけどホワイトボードには文字が表示される。チャック・バグベア、それが可愛らしい様で実際は不気味な姿の魔族の名前だった。

 

「子供が数人行方不明だそうですが貴方と関係が?」

 

「ナイ。ヒメサマ、バカ。アノイエ、コウカナイ」

 

 再び表示される文字には姫様と呼ぶ存在への本音が出ていた。あんな子供を誘える様で実際は誘える筈が無い罠の管理をさせられて居たのなら仕方が無いのかも。よく見ればお菓子の滓等でチャックの体は所々汚れている。少し同情さえ芽生える中、チャックの体が突如内部から爆炎を撒き散らしながら弾け飛んだ。

 

「わわっ!?」

 

「……危ない」

 

 咄嗟にティアさんが体を掴んで飛び退き、賢者様も魔法で防ぐけれどチャックの体は跡形も無い。吊り下げていた場所の周辺が爆発で激しく抉られた破壊の跡が威力を物語っていた。

 

「恐らくは情報を抜き取られれば故意かどうかは問わずに死ぬ仕掛けが施されていたらしいですね。解析を怠った私が迂闊でした」

 

「でも、こんな事をするなんて……」

 

 私はその相手を詳しくは知らないけれど、チャックに魔法を使った相手に心当たりが有った。ディーナを居るだけで命を削られる世界に派遣して、緊急時にしか使えない避難用魔法陣の転移先が魔族の敵である私の所に設定していた誰か。

 

「きっと彼女よ……」

 

 確証は無いし、根拠も無い。そもそも魔族特有の体臭も感じなかったけれど、私はイエロアで出会った少女こそが他の魔族を使い捨てにしているのだと思えてならなかった。

 

 魔族は敵で、私は既に何度も命を奪っている。これからも世界を救うには戦わなくちゃ駄目な相手。でも、こんな風に扱われる事に同情し、扱う人達に怒りが湧いて来ていたの。

 

「うん、絶対に倒すわ。私は負けないんだから」

 

 グッと拳を握り締める。彼女だけは絶対に倒すべき存在だと確信しながら。

 

 

「……一旦帰ろう。子供、改めて探したい」

 

「もう一旦功績は無視して私が魔法で一気に探索をしますよ、ティア」

 

「ん。流石は父」

 

 少しだけ娘の前で格好が付けたいのか目を閉じて集中を始める賢者様。普段は結局遅くなれば別の場所で被害が出るからと大規模な力の行使は躊躇うけれど、気にはしているものね。自分に言い聞かせる理由が有るのならそれで良いと思うわ。

 

 賢者様を中心に展開される巨大な魔法陣が徐々に広がる中、ティアさんはその姿を座って観察している。だけど急に立ち上がったかと思うと耳を動かして二時の方角を向いたわ。私も釣られて目を向ければ叫び声と共に誰かが向かって来ていた。

 

 

「お姉様ぁあああああああああああああっ!!」

 

 何故か陶酔した顔で、どうしてか分からないけれど猫撫で声を出しながら激走しているのは兎の獣人のお姉さん。多分十五歳位の人で、バスケットを手に提げて空いた手を振っていたわ。

 

 その人を一目見ただけで確信する。また濃い人が来たってね。青のエプロンドレスのスカートをはためかせ、一直線にティアさんへと向かったわ。私や賢者様に気が付いた様子が無いくらいに夢中だけれど、どんな関係かしら?

 

(お友達……じゃないわね)

 

 彼女を見るティアさんは少し面倒臭そうで、そんな事に気付いた様子が無いお姉さんは一気に飛び掛かる。両手を前に伸ばして水に飛び込む時みたいにティアさんへと向かって行ったの。

 

「お姉様、今日こそ私の愛を受け入れてぇええええええっ!」

 

「やだ」

 

 でも、ティアさんはそれを華麗に回避。お姉さんは必然的に顔面から地面に衝突して、勢いを殺しきれずに顔面で地面を滑って行った。

 

「へぶぇっ!?」

 

 最後に大木にぶつかって漸く止まるお姉さん。ピクピク痙攣しているから多分生きているわよね? 実際、お姉さんは腕の力だけで飛び上がると何事も無かったみたいにティアさんへと近寄った。

 

「相変わらず冷たいですね、お姉様。でも、そんな所も素敵」

 

「……はぁ」

 

 抱き付こうとするのを手で突っ張って防ぐティアさんが深い溜め息を吐く中、お姉さんは賢者様へと視線を向けた。しかも、何故かワナワナと震えながら。

 

「お…男。どうしてお姉様が男なんかと……」

 

「おや、ティアは普段は男とは一緒に居ないのですか? それは安心……」

 

「呼び捨てぇえええええっ!? はっ! まさかお姉様を騙して籠絡中ね、許せない! 秘技.・ラビットスクリュー!!」

 

 凄くショックを受けた様子のお姉さんは背後に飛ぶと、木を蹴って勢い良く賢者様へ飛び掛かる。交差させた腕を顔の前で構えて回転しながら襲い掛かった。

 

「くたばれ恋敵ぃいいいいいいいいっ!」

 

「……五月蝿い」

 

 真横からティアさんが飛び掛かり、振り上げた踵を振り落とす。脳天に食らったお姉さんは地面に激突して、更にティアさんが頭を踏み付けた。

 

 

「うふふふふ。お姉様の足が私の頭の上に。光栄ね……」

 

「……うわぁ」

 

 鼻血を流しながらほくそ笑むお姉さんを見てティアさんは一歩後ろに下がる。でも、仕方無いわ。私も近寄りたくないもの。

 

 

 

 

「まさか賢者様だったなんて大変失礼しました。私はリン・グローチ、お姉様の愛の奴隷。今年の目標はお姉様専用の椅子になる事です」

 

「ゲルダさん、どうにかして下さい。私の許容量を超えています」

 

「ティアさん目当てなら親子の問題だし、三百歳なのだから自分で何とかして欲しいわ。……私もとっくに限界よ」

 

 あの後で説明を受けたリンさんは態度を一変させて賢者様に接するけれど、一流の変態さんだったわ。ティアさんは面倒臭いのか賢者様の後ろに隠れて、賢者様も私も限界が近い。今直ぐに逃げ出さない方が不思議よ。

 

「……何度も言ってる。私、女」

 

「愛の前には関係有りません! それこそ私かお姉様が獣王祭(じゅうおうさい)で優勝すれば良いだけです! ……あっ、それとこれが今日のプレゼントです。一生懸命作りました」

 

「ゲルダにあげる」

 

 リンさんがバスケットから包みを取り出して嬉しそうにティアさんに手渡す。一方嫌そうに受け取ったティアさんはそれを自然な流れで私に手渡すなり高く飛び上がり、枝から枝へと飛び跳ねて忽ち姿を消したわ。つまり私に押しつけて逃げたのね、この妙に重いプレゼント。

 

「リンさん、これって何ですか?」

 

「純金性の裸婦像よ、勿論私の。お姉様が貴女に上げたなら仕方無いわね。……私自身を物扱いされた上に雑に扱われたみたいで興奮するし」

 

「高価な物だし返します。ちょっと重いし……」

 

 色んな意味で重い贈り物をリンさんに返すと少し残念そうにバスケットに戻す。内容は問題だらけだけど、気持ちを込めた贈り物だとは理解出来たわ。

 

 

「あっ! それでは今日のお姉様とのやりとりを日記に書いた後で妄想に耽る日課が有るので失礼しますね、お義父様。ああ、今日は何時もの十倍以上の時間お話出来から……し・あ・わ・せ」

 

 リンさんは私達に一礼すると鼻歌交じりにスキップしながら去って行く。嵐の様な時間が過ぎ、呆然としていた賢者様が呟いたわ。

 

「いや、認めませんよ? 同性愛を全面否定はしませんが、ティアは間違い無くそっちでは有りませんから。……彼女が例の待ち伏せして贈り物を渡して来るってのですか」

 

「って言うか少ししか話をしていないのに十倍って……帰ります?」

 

「……ですね。一応の目的は達成しましたから」

 

 今の私が感じているのは途方もない精神的疲労だけ。体は元気だけれど気力が一切湧かないの。賢者様もそれは同じなのか珍しく転移の魔法を発動したわ。だから早く帰って休むだけ。

 

 

「……はぁ。駄目ね、帰れないわ」

 

「ゲルダさん……何か気が付いてしまいました?」

 

「ええ、非常に残念なのだけど誰かが大怪我したのか強い血の香りがしたの。……最悪ね」

 

 後は転移の魔法陣に乗ればティアさんの家に一瞬で到着、美味しい物を食べて温泉でゆっくりしたら暖かいベッドで眠って今の出来事を忘れる、その予定は漂って来た香りに邪魔をされる。

 

 二人揃って深い溜め息を吐き、鼻を頼りに血の臭いの発生源へと向かう。

 

「……私、今だけは怪我した人を見捨てられない自分が嫌になったわ」

 

「……私も勇者時代は何度も有りましたし恥じる事はないですよ。実際に見捨てはせずに助けに向かっているのですから」

 

 

「居たわっ!」

 

 茂みを掻き分けて進めば徐々に血が強く香る様になり、やがて血溜まりに背中合わせで座り込んでいる人達を見付けたわ。弓矢を背負い、手にはナイフを持って周囲を囲む長細い蛇に相対しているけれど、今にも倒れそうな姿を見た私は思わず飛び出していた。

 

『『スピアスネーク』槍の切っ先の様な鋭く堅い嘴を持ち、締め付けながら獲物に突き刺して襲う。嘴が重いので高い木に登ったり出来ず、堅く長いのでかさばる』

 

 弱った獲物よりも新しい獲物を優先するのは本能なのか三匹のスピアスネークの内、左右の二匹にレッドキャリバーとブルースレイヴを投げて頭を砕き、残った一匹の唇を右手掴んで止め、左手で頭を握り潰す。

 

「未だ居るわね……其処っ!」

 

 一見すれば何も居ない様に見える場所に跳び蹴りを放てば見えない何かを蹴った感触と一緒に豚の悲鳴が上がる。蹴り飛ばされ正面の木に激突したスケル豚が死体を晒す中、他のスケル豚が逃げる音がして豚臭さが遠ざかった。

 

 数度鼻を動かして匂いを確かめるけれどモンスターの臭いはしない。どうやら怪我人を守り通せたとホッと一安心する私は賢者様が彼等を治療するのを眺めていた。

 

「……助かった。所であの少女は……」

 

「私達は旅の者、獣王祭の参加資格は有りませんよ」

 

 賢者様の言葉に安心した様子だけれど、さっきも話に出ていた獣王祭というのが関係しているのね。お祭りらしいけれど、参加出来ないのは残念ね。私が育った村のお祭りは他で暮らしている人も参加出来るのに、どうして駄目なのかしら?

 

「……むぅ」

 

「では、私達はこの辺で。その内お礼をしに行くよ」

 

 ちょっと不満に思っている中、賢者様が手当てをした人達は去って行く。その背中をニコニコしながら眺めていた賢者様は口笛を吹き、変質者が現れたわ。

 

「お呼びですか、賢者様」

 

「えっと……あっ! 思い出したわ、アンノウンの部下の人ね。……ヒトデね、の方が良いかしら?」

 

「その方が良いですね。パンダのキグルミを着ている時はパンダ扱い、蜘蛛のキグルミの時は蜘蛛扱い。それがルールです」

 

 木の上から現れたのは弓矢を背負ったヒトデのキグルミ。彼は私の問い掛けに頷く。キグルミって神聖な儀式で使う物だけど、こうして普段から着ていると不気味ね。

 

「彼らを尾行して下さい。……凶行に及ぶ様なら力尽くで止める様に」

 

「はっ! 我が主の主の命、必ずや果たしてご覧に入れます!」

 

 ヒトデさんはその場に膝を付いて頭を下げると一瞬で消える。あの人達を尾行させる理由だけれど、少し不穏な気配がするわ。本当に何が起ころうとしているのかしら……?

 

 

 

 

「賢者様、彼等は一体……」

 

「少し気になりましてね。……彼等、この辺を縄張りにしている部族とは別なのに何をしていたのかと」

 

 今までの旅は苦労も嫌な事も有ったけれど、賢者様が此処まで顔を曇らせた事はなかった。それで不安で進む先に暗雲が立ち込めている気がしてならなかったわ。

 

 

「まあ、大丈夫。ゲルダさんには世界を救った勇者が付いています。しかも賢者の手助け無しですよ」

 

 だけど同時に大丈夫だとも思う。だって目の前の人は暗雲なんて一瞬で消し去れるのだもの。……格好付けて指パッチンで発動しようとするけれど失敗して指が鳴らない、そんなミスさえ無ければだけれど。

 

 

 

 

 

「……もぐ。大丈…もぐ…夫。獣王祭…もぐ…は飲めや歌え、食えや踊れの…もぐ……お祭り」

 

「ほら、食べながら喋らない。それと口元にソースが付いていますよ」

 

 この日の夜、食事中に獣王祭について訊ねたのだけれど私の勘違いだった様ね。これで心置きなくお祭りに参加出来るわ。どんな料理が出るか楽しみね。

 

「ほら、またソースが。それはそうと獣王祭ですが獣神闘宴(じゅうしんとうえん)には出るのですか?」

 

 私がお祭りの様子を想像する中、賢者様はティアさんの口元を拭う途中で少し不安そうに訊ねた。きっとお祭りの最中にする催し物ね。参加資格は多分それについて何だろうけど、どんな物かしら?

 

「ティアさん、それってどんな物ですか?」

 

「獣神闘技は次の族長を決める大会。でも、私は出ない。父、それで良い?」

 

「勿論です。族長なんて力が有れば良いって立場じゃないですからね。部族内での問題解決や他の部族との交渉、グリエーンの獣人は戦士が多いので強い人に憧れを向けますが、それだけでは務まりません」

 

「……私は神様達から沢山加護を貰ったし、父や母に鍛えて貰ったからフェアじゃない、そんな理由だったのに。……父、私を脳筋だと思ってる?」

 

 ティアさんが膨れ面で問い掛ければ賢者様は目を逸らす。どうやら思っていたみたいね。

 

「父、酷い」

 

「え…えっと、ですね。どうすれば機嫌が直ります?」

 

「……じゃあ、今日も添い寝。それと髪を洗って。母は下手」

 

「そ…それは……」

 

 賢者様が助けを求めて私を見るけれど、他人の家族の問題に巻き込まれるのはごめんよ。顔を背けて知らん振り。まあ、とやかく口出しする事ではないわね。

 

 

「……分かりました。ですが年頃なのですから体にタオルを巻く事。幾ら私が父親でも、年頃のレディが肌を晒すのは許せません」

 

「分かった。やった、父とお風呂」

 

 相変わらず抑揚の差が殆ど無い声だけどティアさんが喜んでいるのは分かる。矢っ張りティアさんは両親が大好きなのね。

 

 

「アンノウン、私と一緒に入る?」

 

「ガーウ?」

 

「ちょっとそんな気分になったのよ」

 

 首を傾げながらスケッチブックで会話するアンノウンを撫でる。……あれ? そう言えば私との会話の時にだけスケッチブックを使うのはどんな理由かしら? 多分聞きたくない理由だろうけど……。

 

 



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愉快なパンダと森の中の明太子

「……ふぅ。今日は良い天気ね。ポカポカしてて、二度寝がしたくなるわ」

 

 お菓子の家の住民だった熊のヌイグルミとの一件の翌日、私はティアさんの家の前でグッと伸びをする。ぐっすり眠ったけれど、この陽気じゃ仕方無いわ。一度欠伸をして、家の中に戻る。机の上にはアンノウンのパンダのヌイグルミが置かれているだけでアンノウン自身は居ない。

 

「平和ね。特に私の心の平穏が保たれているわ」

 

 この日、この家に居るのは私だけ。賢者様は頭の捻子が外れていない方の神様達との会談。定期報告という口実で連れ出して、偶の気晴らしをさせてあげるらしい。イシュリア様なんて頻繁に遊びに行っているのに、イシュリア様の起こした問題を解決する方々は何か理由が無いと遊びに行かないらしいのだもの、大変ね。

 

 女神様は普段封印している神の力を元に戻し、豊穣の女神としての役割を果たすらしい。丁度収穫のシーズンが近付いているけれど魔族の影響で大変だから対になっている神様と今日一日掛けて実りを与えるって言ってたわ。

 

 ティアさんは今日もお仕事。昨日、賢者様が周囲を探っても子供が見つからなかったから別方向を探すらしいわ。私も手伝いたかったけれど、休めって言われて残った。

 

「お仕事って大変ね。私も働いていたから分かるけれど」

 

 そしてアンノウンも不在なの。凄く喜ばしいわ。確かクリアスで一番強いチームを決めるカバディの大会に出るって言ってたわ。

 

「どうせならアレも連れて行けば良かったのに……」

 

 チラリと机の上のパンダを見る。何かしていると思ったら私の三時のオヤツの筈だったマカロンを食べていた。食べ滓をボロボロと落とし、明らかに自分の体積より上の量。ヌイグルミなのにどうして物を食べる事が出来るのかしら?

 

「いえ、アンノウンだもの、仕方無いわ。それはそうと……抹茶だけは渡さない」

 

 最後の一個、一際大きい緑のマカロンを見せ付ける様なスローな動きで食べる寸前に奪い取って口に運ぶ。一瞬嫌な予感がしたけれど、変な味はしない。いえ、そもそも何の味もしなかったわ。

 

「やってくれたわね、アンノウン……」

 

 手の中から食べ掛けのマカロンが消えて、散らかった食べ滓も乗っていた皿さえも影も形も無い。嗅覚も触覚も感じる幻。それを仕掛けた犯人はスケッチブックを抱えて踊って居たけれど、何を考えたのか分からない。まあ、何時も通り分からないわね。分かるのはヌイグルミの口が開き、アンノウンの鳴き声が聞こえて来た事。

 

やっほー! ゲルちゃん、伝わってる~?(ガウガウガーウ?)

 

「あれ? アンノウンが何言っているか分かるわ。普段は筆談なのに」

 

何か今日は気紛れ的な何かで(ガウガーウ)伝わる様にしているよ!(ガウガゥウ!)

 

 陽気な声と共にパンダが机の上で踊る。氷の上で滑るみたいに軽やかな動きでジャンプからの四回転、仰け反った姿勢で前に進んだ後はその場で止まって猛回転。それにしても言葉が通じるなら普段からそうすれば良いのに。

 

「そもそも普段から言葉を通じさせないのは何故かしら?」

 

気分!(ガウ!) 因みに君にはスケッチブック(ガウガーウガウ)なのも気分だよ!(ガーウガウガウ)

 

 もう少しマシな理由があると思っていたけれど、よく考えればホワイトボードじゃなくてスケッチブックを使うマシな理由ってどの様な理由なのって話になるし、アンノウンらしいって言えばらしい。

 

「アンノウンにマトモな事を要求する方が間違いかも知れないわね……」

 

間違いかも知れないって言うか100%間違い!(ガウガウガーウガウ!)

 

「……はぁ」

 

 何と言うべきか、普段より精神的に疲れるわ。パンダって凄く可愛い見た目なだけに尚更よ。

 

尚、本物のマカロンは(ガウガウガーウ)他の僕と一緒に食べさせて貰うから!(ガウガウ!) 尚、幻のマカロンだけれど凄いんだよ?(ガーウ)

 

「何が凄いのかしら? どうせ変な事よ」

 

 本人は胸を張っているけれど私は信用しない、信用出来ない。凄いのは本当だろうけど、アンノウンが普通の凄い事をする訳が無いわ」

 

 

 

 

なんと通常のマカロン(ガウ)の三十倍のカロリーが有るんだ!(ガガウガウ!)

 

「ほら、矢っ張りじゃない。……それは兎も角、反省して来なさい!」

 

 パンダの頭を掴み、窓を開けると脚を振り上げて勢い良く振り下ろす。その力を腕に伝達、力の限り投げれば遥か彼方に消えて行く。良い仕事をしたと額の汗を手で拭い、外に居たお客さん達と目があった」

 

 

「……どうも」

 

 気まずさを顔に出しつつ会釈をすれば向こうも会釈で返す。それにしても大勢のお客さん、その全員が着飾ったお姉さんだけど、一体何用かしら? 

 

「あのぉ、賢者様はご在宅ですか? 捧げ物を用意しました」

 

 私の表情から読みとったのかピューマの獣人のお姉さんが代表して前に進み出る。この人もだけれど他の人達も美味しそうな匂いの荷物を持っているし、信仰する女神様の部下って思われている賢者様に手渡したいのなら疑問は解消ね。

 

 

「あの、実は賢者様は出掛けていまして……」

 

「そう、残念だわ。折角媚薬入りの料理を皆で用意して来たのに」

 

「……はい?」

 

 今、目の前の人が何を言ったのか分からなかった。媚薬入りの料理? しかも賢者様への捧げ物? 他のお姉さん達も同じ様な表情だし、目的は同じなのね。

 

「えっと、媚薬入りの料理を捧げ物にするのですか?」

 

「いえ、捧げ物は私達よ? 媚薬たっぷりのお酒とお料理で準備して、私達を捧げるの。賢者様みたいな方が来るなんて滅多にないもの。ほら、貴女も獣人ならより強い男の種が欲しいでしょ?」

 

「私、ハーフなので分かりません」

 

 緑の世界グリエーンで出会った獣人のお姉さん達は皆、凄く肉食系だった。目がギラギラ輝いて、正に獲物を狙う猛獣ね。……お母さんもこんなのだったのかしら。そうじゃないと願いたい

 

「すいません。賢者様ですが、今日は遅いらしいのでお帰り下さい」

 

「あっ、私はお姉様が目的よ? すーはーすーはー。お姉様の家の匂い………最高ね」

 

「貴女も帰って下さい、リンさん」

 

 今日は修行もお休みなのでゴロゴロしたり温泉にゆったりと浸かって心身の疲れを取る予定だったのに、朝から疲れたわ、特にアンノウンが原因で。賢者様を狙うお姉さん達に帰って貰い、リンさんを締め出した私はソファーに座り込む。深い溜め息を吐けば机の上に広げられたスケッチブックに目が向かった。

 

 

 

「大丈夫? 心配事が増えると大変だよ? ゲルちゃんは貧乳で悩まなければならないのにさ……殴って良いわよね? いえ、絶対に殴るわ」

 

 浮かび上がった文字を音読し、怒りで打ち振るえる。取り敢えず散歩に行って気分転換する事に決めた私はソファーから立ち上がった。お弁当に昼食のサンドイッチを用意して水筒に飲み物を入れる。デュアルセイバーを手にし、麦わら帽子を被れば準備完了。何時でも出掛ける事が出来るわ。

 

 

 

 

 

 

「はぁはぁ。お姉様の寝室の香り……行っちゃうべきかしら? このままダイブしてお姉様の香りに包まれて……」

 

「それ以上は行っちゃ駄目だし言ったら駄目よ」

 

 その前に家に入り込んでティアさんの寝室を覗きながら息を荒げるリンさんを取り押さえて連れ出すのが先だった……。

 

 

 

 

 

「ふぅ。こうやって緑の中を歩いていると癒されるわね。嫌な事も忘れられるって言うか忘れたいわ」

 

 慣れない道なので帰り道を確認しつつ森の中を駆け抜ける。集落を出る時、妙にクスクス笑われていると思って背中に手を伸ばせば貧乳と書いたスケッチブックを背負ったパンダがしがみついていたのは気にしないでおきましょう。

 

「えっと、そろそろ昼食にしようかしらね」

 

 前方より転がりながら現れた、相手を転ばしてから体液を吸い取る転倒虫を蹴り飛ばし、バネみたいな尻尾跳ね回るスプリングモンキーをデュアルセイバーで叩きのめす。少しだけスッキリしたらお腹が減って来たからお弁当を広げる事にしたわ。モンスターも粗方倒したのか出てくる気配も無いし、このまま変な物を発見せずにゆっくりと……。

 

 

変なの発見!(ガーウ)

 

「全ては儚い夢だったわね……。って言うか、アンノウン。分かってたわよね、アレが有るの。さっきから不自然な程に見ていたもの」

 

 パンダがその辺の石ころを拾って投げると少し上手な森の絵が描かれた板に当たって穴を空ける。これで誤魔化せると本気で思っていたのか四方を絵で囲まれた変な物、具体的に言うならば目も眩む程にキラキラ光る黄金のお城を発見してしまったわ。

 

「馬鹿よ。絶対に中に馬鹿が居るわ。関わりたくないレベルの馬鹿が……」

 

 そもそも賢者様がどうして発見出来なかったのかと思いながら絵を触ると粘着質な感触がして、手には塗料がベッタリ。よく見れば一応は偽装の為なのに、”塗料塗りたて、三日は触るな”、の文字が。塗った日付を見れば今日の午前中だし、それなら発見出来なくても仕方無いと納得した。

 

「アンノウン、ちょっと来てくれるかしら?

 

このパンダで拭かないなら良いよ(ガーウ)

 

「あっ、そう。なら別に良いわ」

 

 手を拭きたかったので手を伸ばすけれどパンダは何時の間にか遠くに逃げ出している。仕方無いので近くの木に擦り付けると改めて城を見るけど非常に悪趣味だった。

 

 屋根から壁まで全てがキラキラ光るきんいろで、虫が集っていると思ったら宝石細工。しかも一番頂上にはドレス姿のお姉さんが高笑いをしている黄金像が飾られていて、有り得ないほどに成金趣味。どんな人が住んでいるのかしら? 出来れば見なかった事にしたいけれど、そうは行かない理由があった。

 

「……臭い」

 

 思わず鼻を押さえる程の悪臭に涙が出る。ディーナの時も酷かったけれど、このお城からは更に悪臭レベルの香水の香りが漂い、それが混じって今直ぐにでも立ち去りたかった。

 

「アンノウン、一旦帰りましょう。賢者様に報告して……えぇっ!? な、何をしているのっ!?」

 

 幸いな事に強く残ってはいるけれど魔族の臭いは残り香だけ、多分出掛けたばかりなので帰って来る前に戻ろうとしたのだけれどパンダを中心に何十にもなった魔法陣が空中に出現して光を放つ。幾重にも重なった光は巨大な柱になって天へと向かい、やがて城を包み込む。光が晴れた時、其処には巨大な明太子が存在していた。

 

「……何をしているの?」

 

悪戯(ガウ)っ!」

 

 立ち込める食欲を誘う匂いを放つ明太子は流石に自重で皮が破れて崩れそうになるけれど、パンダの口から放たれたビームが崩壊中の明太子を包む。再び立ち込める悪臭、そして聳え立つ悪趣味な金ピカのお城。明太子になっていたのが嘘みたいだった。

 

 

「……満足した? じゃあ、帰るわよ。って、こらっ!」

 

潜入して来るよ、ゲルちゃん(ガウガウガーウ)ミッションインパンダ(ガウガーウ)さ!」

 

 これ以上余計な事をしない様に手を伸ばすけれどパンダは私の手をすり抜けてお城の窓から中に入り込む。少し迷った私だけれど帰る事にした。

 

 

「動き回っているけれど、アレってアンノウンが動かしているだけだものね。……それに疲れたわ、凄く」

 

 未だお昼過ぎにも関わらず倦怠感が私を襲う。肉食系のお姉さん達の訪問やリンさん、そして何時ものアンノウン。私が離れると板に空いた穴が修復して絵も元に戻る。

 

「本当にどんな魔族が居るのかしら? ……此処まで来ると馬鹿の演技をしているだけに思えて来たわ。寧ろそっちの方が可能性が高いわね」

 

 幾ら何でもあの様な雑な偽装で誤魔化せる筈もなく、城も金の像も馬鹿の見本市とさえ思わせられる。けれど、其処までの馬鹿が本当に居る筈が無いというのが私の意見。侮らせて隙を突く狙いだろうけれど引っかかりはしない。甘く見せる積もりが私を甘く見過ぎだと、この屈辱を深く噛み締めた。

 

 

「覚えていなさい、馬鹿の振りをした誰かさん。油断こそが最大の敵だと分かっている積もりが分かっていなかった事を教えてあげるわ……絶対にね」

 

 デュアルセイバーの切っ先を城の方向に向ける。今度の敵は搦め手を使うと知れたのは幸運ね。後はその幸運を活かすかどうかは私の勇者としての底力が試される所。無様な姿を晒す気は毛頭無いわ。

 

 

 

 

 

 

 

「……この集落の若い女達がか。獣人は強い相手を求める傾向が有るが……キリュウ、億が一も有り得ないが口実にするぞ。今夜は一滴残らず搾り取るから覚悟しろ」

 

「今以上に貴女を愛し、他の事が手に着かなくなる可能性が高いからですね。私は貴女が愛した男ですよ? その様な無様は晒しません。貴女に今以上に魅了されながらも役目はこなして見せましょう!」

 

 その日の夕方、戻って来た賢者様達に今日有った事を報告したら無様な遣り取りを見せ付けられた。ティアさんを挟んで見つめ合い手と手を重ねる。見ているだけで胸焼けを起こしそうな空気の真ん中に居るにも関わらずティアさんは普通にご飯を食べて居るけれど、アレが無の境地という奴かしら?

 

「……ん。父と母、今日も仲良し。私も嬉しい」

 

「えっと、ティアさん? お二人の会話に何か他には……?」

 

「他?」

 

 何かが変だと思った私が訊ねるけれどティアさんは本当に分からなさそうな表情だ。もしかしてと仮説が出来上がる。少し最悪に近い内容の仮説が……。

 

「ティアさんは三歳から十五歳まで二人と暮らしていたのよね?」

 

「そう。それを考えるとゲルダは偉い。その歳で一人で働いて暮らしていたから」

 

「えっと、私も大勢に助けられましたから……」

 

 ストレートな褒め言葉に照れながらも確信する、確信してしまう。ティアさんにとって二人の遣り取りは普通で、この場でツッコミが可能なのは私だけだと。唯一頼りになるかも知れないアンノウンは大欠伸で知らん振り。つまり私は単騎で戦うしかないらしい。……勝ち目が無いから知らない振りを私もするべきかしら?

 

「じゃあ、ティアさんも好きな人が出来たら二人みたいに仲良くしますか?」

 

「……ん、分からない。私の強さの基準、父と母。強さだけに惹かれない。でも、強さ無いと惹かれない」

 

「ふっふっふっふっ。ティアが私にベッタリなのもその辺が影響しているのでしょう。一番身近な強い男は私であり、他の男の強さが見劣りする。ですが私は父親、なので恋愛対象外。故に娘として甘えるのですよ」

 

 成る程、と少し納得した。神様の方がもっと強いだろうけれど、神様の時点で恋愛対象外になると思ってしまう。明確な根拠は無いけれど神様は矢張り別の存在だから。賢者様は異世界の存在だからこそ女神様に惹かれたのね。

 

「おや、そろそろですか」

 

「ガウ」

 

 気紛れタイムはもう終わりなのかアンノウンの鳴き声の意味は分からない。けれど事前に意味が分かる賢者様から聞いていたわ。あの悪趣味なお城に住む策士の情報を忍び込んだパンダを通じて映し出すと。

 

 アンノウンの口から光が溢れ壁に城内の様子が映し出される。どうやら天井に張り付いて様子を窺っているらしかった。

 

 

 

 

「オーッホッホッホッホ! 思った以上に私の作戦は上手く行っているみたいですわね! 完全なる策謀によって大勢が死の恐怖に晒される事でしょう」

 

「……」

 

 急にアップになったのは金の像のモデルの人。如何にもお嬢様な人で、馬鹿丸出しの高笑いをしていたわ。反対側に立つビキニアーマのお姉さんは呆れ顔だけれど気が付いた様子も無い。だけど私は騙されないわ。

 

「どうやら敵対しているみたいね。仲間みたいなのに馬鹿の演技を続けるだなんて」

 

 ビキニアーマの方は女神様と同じ褐色で筋肉質な肉体。でも、牛柄のビキニの中には巨大な脂肪の塊が存在する。間違い無く彼女は敵だった。目の前の相手の演技を見抜けていない彼女は策士に対し、言いにくそうにしながら口を開くけれど、私には滑稽に見えていた。

 

「……うーむ、言いにくいのだが、シャナよ。この城、バレバレじゃないか?」

 

「あら、妙な事を言いますのね、クレタさん。この美と力と知謀を兼ね揃えたシャナ・アバドンの華麗なる作戦に何か文句でも? ちゃーんと絵が上手い者に任せたのだもの、見抜かれる筈が無いですわ。オーッホッホッホッホ!」

 

 扇で口元を隠しながら高笑いをするシャナを困り顔で見詰めるクレタ。異変が起きたのはその時だった。

 

「……あら? 何か天井が歪んで……」

 

 二人が居るのは城の玉座の間、頂上よ。その天井が、いえ、床も壁も歪み変形する。形だけでなく、材質や色、そして味さえも変わってしまったわ。金の城から明太子に変わる事によって。

 

「「な、何が起きてますの(るのだ)!?」」

 

 二人が叫ぶ中、天高く聳える明太子は自重で崩れ、破れた皮から中身が溢れ出す。混乱から脱出出来ないまま二人は辛くて美味しい明太子の雪崩に飲み込まれた。

 

 

 

 

 

「賢者様、今度の敵は馬鹿みたいですね」

 

「逆に馬鹿の方が厄介ですけどね。イシュリア様みたいに彼女も何をするか分かりませんから」

 

 明太子の崩壊前に転移して戻ったパンダが持ち帰った明太子を食べながら話し合う。イシュリア様がさらっと馬鹿扱いされたのには言及しなかった。

 

 

 



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圧倒的な実力差

「……ん。お早う、ゲルダ。もう少しでご飯出来る」

 

 朝、私が起きてくると既に起きていたティアさんが朝ご飯を作っていた。レーズン入りのパンに野菜スープ(但し人参抜き)、カリカリに焼いたベーコンを手際良く皿に盛って行くのだけれど、何故か私には不機嫌そうに見えた。

 

「お早う御座います、ティアさん。えっと、何か有りました?」

 

「父と母、昨日はドアに魔法掛けて入れない様にした。一緒に寝たかったから、少し不満」

 

「……あぁ、成る程」

 

 頬を膨らませて二人が泊まっている部屋を指さすティアさんの姿に納得する。昨日の会話からして夜中はお楽しみだったらしい。理解した私は思わず声に出してしまうけれど、ティアさんは理解していなかったのか小首を傾げる。

 

「ゲルダ、何が分かった? 私には入れて貰えない理由が分からない。……教えて」

 

「えぇっ!? えっと、どう説明すれば良いのか……」

 

「簡単にで構わない。教えて」

 

 説明しろと言われても、そんな恥ずかしい真似なんて到底無理な私はゴニョゴニョと言いよどむけれど、それで納得しないティアさんに顔を近付けられる。

 

(もう! 二人はどうしてティアさんにそういった事を教えていないのっ!?)

 

 逃げ場を失った私は今この瞬間に二人が寝室から出てくるのを期待するけれど、朝から楽しんでいるのかその様子は無い。盛るのも大概にして欲しいと思った私が誤魔化す方法を思案し始めた時、運が良いのかノックの音が響いた。

 

「ティアさん、お客様ですよ! ほら、早く出ないと」

 

「分かった。じゃあ、後で教えて」

 

 この場は凌いだと胸をなで下ろす中、ティアさんは玄関の鍵を開ける。ドアが開けば家の前に立っていたのは私も知っている相手だったわ。下着同然の服装をした愛と戦の女神イシュリア様が立っていた。

 

「はぁい! キリュウとシルヴィアがこの世界に来たって聞いたし、良い機会だから久々に顔を見に……」

 

「……」

 

 姉妹だけあって顔付きが女神様に似ているイシュリア様は話しながら家の中に足を踏み入れ様とするけれど、ティアさんはそれより前にドアを閉じて鍵を掛ける。外から抗議する声が聞こえたけれどティアさんにドアを開ける様子は無かった。

 

「えっと……」

 

「イシュリア様が来ても家に入れるなって父と母に言われている」

 

「成る程……」

 

 何故そんな事をと思ったけれど、イシュリア様に関する話を思い出せば納得しかない。神随一のトラブルメーカー。本人に後始末を任せると余計に事態が悪化する恐れがあるから懲罰の意味を込めて尻拭いをするイシュリア係が有るとか無いとか。多分悪影響が有るからそんな事を言ったのは簡単に予想が出来るわね。

 

 

 

「ちょっとぉっ!? 私を閉め出すとか酷いじゃない! 開けなさい、開~け~な~さ~い~!」

 

「……ちょっと五月蝿い。放置したら近所迷惑」

 

 外からドアをドンドンと叩く音と叫び声、神様に描いていた幻想が崩れたのは今回が初めてでは無いのだけれど、流石に思う物が有る。ティアさんも面倒そうにしながらもドアを開けたのだけれど、その途端に飛び込んで来たイシュリア様に抱き付かれた。

 

「ったく、仕方の無い子ね。にしても暫く見ない間に随分と育って……」

 

 イシュリア様の手が蛇の様にティアさんの体を這い、舌なめずりをしながら舐め回す様に彼女の肉体を眺める瞳は怪しく光る。ティアさんは諦めているのか無抵抗でなすがままままで、イシュリア様は随分と機嫌が良さそうだった。

 

「ああ、そうだ。貴女、どうせ男の悦ばせ方なんか知らないでしょう? この機会に私が教えてあげるわ」

 

 ティアさんに何を教える気かは完全には分からないけれど、イシュリア様の事だから禄でもない事だとは理解出来る。女神様が怒る前に止めなくてはならなかった。

 

「あ…あの、イシュリア様……」

 

「駄目よ、ゲルダ。流石に十歳には早すぎるもの。でも、もう少し成長したらちゃーんと教えてあげるわ」

 

 止める為に声を掛けるけれど、イシュリア様は何を勘違いしたのかウインクをしながら人差し指を私の唇に当てて黙らせる。……もしかして私も教えて欲しいのだと思ったのかしら?

 

「……喜ばせ方? 父、私が一緒に居ると喜ぶ」

 

「ん~、ちょっと違うのよね。まあ、良いでしょう。今からキリュウを連れて風呂に行くわよ。其処で一から十まで手取り足取り教えて上げる。今以上にキリュウと親しくなれるわ」

 

「父と?」

 

 多分意味が分かっていないと思うけれど、ティアさんは怪訝そうにしながらも興味を示す。これがイシュリア様の提案でなければ直ぐに受け入れていたのかもと思ってしまった。

 

「そうよ。大丈夫、私が教えて上げるから」

 

「ほう。私の娘と夫に何をさせる気だ、姉様……いや、イシュリア?」

 

「何って、ナニに決まって……」

 

 背後から聞こえた静かな声にイシュリア様は恐る恐る振り向く。立っていたのは肌の艶が何時もよりも格段に良い女神様。顔は笑っているけれど目は笑っていなかったわ。

 

(だから止め様としたのに……)

 

 その顔を見た途端にティアさんから手を離したイシュリア様は後退りをして女神様から距離を取るけれど、女神様の指が顔面に食い込み、片腕だけでイシュリア様を持ち上げる。顔を掴む手を握り足をバタバタ動かすイシュリア様だけど一向に逃れられる様子も無く、女神様はそのまま風呂場の方に歩き出した。

 

「折角だ、久々に姉妹の交流と行こうじゃないか。なあ、イシュリア? それとティア、此奴の言葉は信用するな。キリュウに叱られる所だったぞ」

 

「いやいやっ!? 貴女、どう見ても交流しようって雰囲気じゃ無いでしょうっ!?」

 

「はっはっはっ! 何を言っている?」

 

女神様はかなり怒っているらしく、イシュリア様が目で助けを求めるけれども私とティアさんは素知らぬ顔でスルーするしかない。間違って巻き込まれでもしたら一大事だもの。

 

 

 

 

「さーて! スポンジが無いから代わりにこれを使って体を洗ってやろう」

 

「ちょっと、それって金のタワシだから、浴槽を洗う物であって女神の玉体を洗う物じゃ……ぎゃぁああああああああああっ!?」

 

 風呂場から悲鳴が聞こえてくるけれど多分気のせいだと知らない振りを決め込む。ティアさんなんて慣れているのか平然とイシュリア様の分の食事の用意まで進めていた。

 

 

「えっと、賢者様を起こして来た方が良いですか?」

 

「無理。母があの肌の時、父は何故か中々起きられない。……何故?」

 

「分かりません」

 

 ティアさんの疑問も風呂場から響き続ける悲鳴も知らない事にして私は食卓に着く。今日の朝ご飯も美味しそうだった。

 

 

 

 

 

「ああ、酷い目に遭ったわ。あの子、本気で怒るのだもの。ちょっと性教育ついでに妹の夫と楽しもうとしただけじゃない」

 

「それは怒っても仕方無いわ」

 

「……貴女も結構言うわね」

 

 ビャックォの集落の近くの森の中、イシュリア様に半ば強引に散歩に同行させられた私は敬語を使うのを止めていた。流石は神の肉体と言うべきなのか、今のイシュリア様の肉体には擦り傷一つさえ見当たらない。頬を膨らませ、女神様への愚痴を呟いているけれど私は自業自得だと思っていた。

 

「さ~てと、後で適当な男を引っかけて遊んだら帰るとしましょうか。ねぇ、抱いたら楽しそうな男に心当たりは有るかしら?」

 

「……無いわ」

 

「あはははは。冗談よ、冗談。それにしても貴女って十歳にしてはマセているわよね。将来的に私みたいになれるかもね」

 

「いえ、それはあり得ないわね。だって私にはイシュリア様と違って節操が有るもの」

 

 イシュリア様の言葉を即座に否定する。幾ら神様でも言って良い事と悪い事が有るって知っていて欲しい。逆にどうやったらイシュリア様みたいになるのかが気になる位だった。

 

「賢者様が前に言ってたのだけれど、イシュリア様って本当に反面教師の鏡よね」

 

「……あの男、そんな事を言ってたの? ったく、失礼しちゃうわ。大体、私だって無節操に男を選んだりしないっての」

 

「違うのっ!?」

 

「幾ら何でも驚き過ぎよ。私にだって好みが有るわ。まあ、他の人より広いし愛の数も多いけれど……あんな男は範疇外よ」

 

 あまりにも予想外な言葉に私は驚き、イシュリア様は肩を落として溜め息を吐いた後で目を細めて前を向く。前方から向かって来ていた豹の獣人の男の人が道を塞ぐ様に立ち止まった。イシュリア様に嫌悪の眼差しを向けられても気付いた様子も無く、無遠慮な眼差しで欲情を隠そうともせずにイシュリア様を眺めていた。因みに私の方を一瞬見た後、胸の辺りで鼻で笑ったのは見過ごしていない。

 

「同族嫌悪って奴かしら?」

 

 今までの行動からしてイシュリア様と似たタイプ。なら、嫌う理由は一つしか無い。似たもの同士だからこそ気に入らない、それだけね。

 

「失敬ねっ!? ……其処の貴方、狭いんだから退いて頂戴」

 

 煩わしそうにしながら男の人に言葉を向けるイシュリア様は横を通り抜けたり回り道をする気など一切無いと態度で示す。腕を組み堂々と告げるイシュリア様に対し、彼はニヤニヤとした笑みを向けたままだった。

 

 

「ヒュ~。嬢ちゃん、気が強いな。俺はそんな女を組み伏せるのが好きなんだよ。俺の物になりな。俺はギェンブの族長の息子だし、次期族長も間違い無いんだ。ってな訳で……楽しもうぜ」

 

「なっ!?」

 

 

 イシュリア様の肩に向かって手が伸ばされる。あまりにも一方的で身勝手な言葉に怒りを覚えた私が止めに入ろうとするけれど、イシュリア様はそれを手で制してウインクを向ける。

 

「大丈夫よ。この程度、何でもないから」

 

 太く無骨な指先が肩に触れる寸前、イシュリア様の手がその手首を掴み、骨が折れる音が響き渡った。

 

「ぎゃあああああああああああっ!? こ、この糞女っ!」

 

 丸太の様な腕が振るわれるけれど、イシュリア様は素早く屈んで躱わすと同時に水面蹴りで足を払い、そのまま手を伸ばして払った足を掴むと腕の力だけで投げ飛ばした。木を何本もへし折りながら彼は突き進み、イシュリア様は一足飛びに追い付くと両手を組み合わせて腹部に振り下ろす。空中でくの字に折れ曲がった彼はそのまま地面に激突、最後にその上にイシュリア様が着地した。

 

「はっ! 貴方に挙げる愛は無いわ。百回位生まれ変わって出直しなさい」

 

 イシュリア様は軽快な動きで飛び下りると馬鹿にした様な笑みを彼に向ける。凄い事にあれだけの攻撃を受けても気絶をしていないらしく、それでも立ち上がれないのか寝転んだままでイシュリア様を睨んでいた。

 

 

「畜生、このグリン様をコケにしやがって。ティアも、テメェも、そこの餓鬼もあの男も全員ぶっ殺してやる!」

 

「あら、随分とご挨拶じゃない。……言って置くけれど次は無いから。私、気に入った相手以外はどうでも良いのよ。それこそ死んでしまってもね」

 

 グリンの言葉にイシュリア様から笑みが消え、底冷えのする冷徹な物へと一変する。あんな顔、人間なら絶対に出来ないと思わせる何かがあった。

 

 

 

「……イシュリア様って本当に神様なのね」

 

「酷くないっ!?」

 

 私がつい呟いてしまった言葉に涙目になるイシュリア様はさっきの顔が嘘の様だった。あれだけ傲慢さを隠す様子の無かった彼は股間が濡れて震えていて、漂う香りに私は気が付かない振りをする。失礼で不愉快な人だけれど、それだけの情けを向けても良いとは思う。

 

 

「ぷっ! 彼奴、おしっこ漏らしているわ」

 

「……早く行かない?」

 

 その容赦を持ち合わせていない神様は存在したのだけれど。流石に可哀想なので私はイシュリア様を急かして先に進む。少し足早だったので直ぐにグリンの姿は見えなくなった。

 

 

 

 

「畜生がぁ……」

 

 だから気が付かなかった。彼の事をジッと見つめる小さな瞳が有る事に。この時に気が付いていればあんな事にはならなかったのにと私は後悔する事になる。本当にこの世の中は思う様には行かない。こんな筈じゃ無かったと思う事ばかりだ。

 

 

 

 

 

 その十分後の事、イシュリア様は何かを踏み付けた拍子に足を滑らせてお尻を盛大に打ち付ける。優雅さも気品も感じられない滑稽な姿で転んだ彼女は踏んだのと同じ物……明太子が体中に付着していた。昨日から外に出していたからか若干変色しているし、多分食べたらお腹を壊す。

 

「きゃっ!? 何よ、誰がこんな所に明太子を……明太子ぉっ!?」

 

「えっと、アンノウンの仕業」

 

「あの獣、何を考えてこんな事を……いいえ、気紛れね。彼奴、気分でしか行動しないから」。

 

「……矢っ張りそんな認識なのね。私もそうとしか思えないわ」

 

 ワナワナと怒りに震えるイシュリア様の姿にアンノウンは昔からアンノウンで、そんなアンノウンが苦手にしているティアさんに尊敬の念を抱きながら私は一つの願いを抱く。

 

(出来ればあの二人の魔族には会いません様に……)

 

 何をどう間違えたのか凄く頭が良いと勘違いして余計な心配までしてしまった。少し恥ずかしいのであのシャナとクレタの二人には会いたくない。

 

 だけど、私のそんな願いは大体叶わない。この辺りの調査は賢者様達と一緒に行う予定だったから回り道して別の場所に行こうとしたけれど、明太子の少ない方向を目指したのが裏目に出た。

 

 

 

「ぐぷっ! で…出る。今動いたら明太子が口から出る」

 

 何故この方向は明太子が少ないのか、もっと疑問を持つべきだった。答えは簡単で、腹をパンパンに膨らませたクレタが食べ尽くしたからだ。口元に明太子を付けた彼女は仰向けに寝転んで呻き声を上げ、イシュリア様が踏んだ枝が折れる音で私達に気が付いて目が合う。

 

「イシュリア様って神様の加護とか与えられないのかしら? 具体的に言うなら幸運とか」

 

「戦の勝利とか愛とかなら専門だけど、幸運は別なのよねぇ。それにしてもあの女、随分と間抜けな姿ね……ぷっ!」

 

「……言わないで欲しいわ」

 

 どうせイシュリア様は忘れているのだろうけれど、私は勇者として魔族と戦う必要がある。それは構わないのだけれど、目の前のクレタみたいに醜態を晒している相手の姿を見ると情けなくなった。

 

「……何だ、貴様達は。私を侮辱するのなら女子供でも容赦はせんぞ」

 

 私達の会話が耳に入ったらしくクレタはハルバートを杖にして起き上がる。切っ先を地面に刺して固定したハルバートに寄りかかったクレタはどれだけの量の明太子を無理に詰め込んだのか妊婦さん以上に膨れ上がった腹部と今も胃から逆流した物が出て来そうな口元を押さえていた。

 

「あの、どうしてそんなになるまで……」

 

「食い物を無駄にするのは良くないからに決まっているだろうっ! 全く、何処の何奴が城を明太子に変えたのだ。痛んだ明太子を大量に食べたからこんな無様な姿を晒している……おのれ」

 

 まさか私の知り合いの人の使い魔が犯人だとは言い出せず、言い出したとして近くに居た私まで叱られそうなので黙っておこうと思った。あまりにも馬鹿馬鹿しい。

 

(準備も整っていないし、此処は一旦退きましょう。私が勇者だとは気が付いていないみたいだし……)

 

「いや、食べなければ良かったじゃない。どうせ本物じゃないんだし。……ゲルダ、貴女も大変ね。勇者としてこんなのを相手にしなくちゃ駄目だなんて」

 

「……勇者だと? ほぅ、貴様がか、小娘」

 

 クレタの目に敵意が宿る。私を目障りな相手から倒すべき相手へと変わる。私は今、イシュリア係が作られた理由を理屈じゃなく自分の身に降り懸かったトラブルを持って理解した。

 

「……あれ? ねぇ、ゲルダ。私、ちょっと重要な事に気が付いてしまったのだけれど……」

 

(凄いわね、イシュリア様って。今幻滅した所だけど、一体何に気が付いたのかしら。もしかして何か状況を変える程の……)

 

「パンダのヌイグルミを操るアンノウンと熊のヌイグルミ型の魔族、口調が似ているシルヴィアとあの女。……キャラが被り過ぎよっ!」

 

「イシュリア様、少し黙っていて」

 

 何かを期待する方が無駄だと判明したからイシュリア様は居ないものとして扱い、目の前の敵に集中する。デュアルセイバーを構え、クレタの一挙一動に集中した。

 

 

「我が名はクレタ・ミノタウロス。掛かって来い……うっぷ」

 

「……締まらないわね。私はゲルダ・ネフィル。貴女を倒す者よ!」

 

 武器を構えながらも今にも吐きそうになっているクレタに気を削がれながらも先手を繰り出そうとした時だった。クレタの姿が居た場所から消え去り、私の眼前に現れる。ハルバートを大振りに振り被り、私は咄嗟にデュアルセイバーを構えて受け止めた。相手は明らかにパワータイプ。先ずは様子を見てからと足に力を込め、その足が地面から離れた。

 

「がはっ!?」

 

 腕に響いた衝撃が全身を駆け巡り肺の空気が押し出される。咄嗟に切っ先を地面に突き刺して止まろうとするけれど、それよりも前に背中から岩に激突した。痛みで意識が一瞬遮断されて次の動作が送れる。その一瞬でクレタは追撃を掛けて来た。

 

 

 

「終わりだ。……呆気無い物だ」

 

 私の首目掛けてハルバートの刃が迫る。咄嗟に防御しようとするも間に合わないと悟ってしまった。



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閑話 自称道化は夢を見る

今回は読み飛ばし可 ちょっと魔族についてのおさらいと敵の掘り下げ的なのです


「何とも下らん世界に生まれたものだ……」

 

 私……クレタ・ミノタウロスという存在に自我が生まれたのは片手の指で数えられる程度の前、最初に感じたのは虚無感だった。

 

 怒り、悲しみ、妬み、その様な人の負の感情が集まった淀みから誕生する私達魔族は本能的に人への強い敵意を持ち合わせている。それこそ考えの足りない者や考える事が出来ない愚か者ならば自らが魔族だからという理由だけで人を襲う程に。

 

 そんな奴らは気付きもしないのだろう。我々にとって最大の敵は神に選ばれた勇者ではなく、我々など敵として認識しない程に力の差がある神だと。勇者さえ殺せば次の選出時期まで神は何もしない? 人が絶滅する瀬戸際まで干渉しないから適度に生き残らせれば良い?  

 

「……馬鹿馬鹿しい。その様な事、楽観的な観測だ」

 

 結局、神がその気になれば一瞬で我々は絶滅する。その事を理解している者は少なく、理解している者は精々好き勝手に生きてやろうとしているだけだ。自暴自棄になっているのか、元から長生きに興味が無いのかは別としてな。……私はそのどれでもない三つ目に所属していた。

 

 

「お召し物を……」

 

 私が目覚めた時、紫色の薄い膜の中で粘液に包まれていた。内側から突き破れば私が入っていた物と同じ紫色の球体が無数に設置された擂り鉢状の荒野。中央に存在する一際大きい球体、そして真横に存在する次に既に破られている二番目の大きさの球体二つに近い程大きく数が少ない。

 

 今、私に体を拭う物と服を渡して来たのは端に存在する小さく数は多い球体から出て来た者達、下級魔族に分類される者だ。私に渡された者とは比べ物に成らない粗末な服を身に纏い、自分よりも遙かに力と地位が上の魔族に奉仕をしていた。

 

「きゃあっ!?」

 

「……ほら、立てる? ったく、何をやっているのよ」

 

 声の方向に目を向ければ荷物を持った下級魔族の少女が転び、上級魔族の女が手を差し出している。

 

「変わった奴だな……」

 

 下級魔族と上級魔族の間には大きな差が有る。人に例えるならば敗戦国の乞食と戦勝国の貴族、人を苦しめ淀みを身に蓄えれば力が増すが、結局同じ時間を使った場合は上級魔族の方が遙かに多くの淀みを溜め込む。同族意識は強い魔族故に人程の身分差は無いが、それでもあの下級魔族の様な存在に優しくする上級魔族は珍しかった。

 

「おい、あの下級魔族は?」

 

「お見苦しい所をお見せしました。奴はルル・シャックス。最下級魔族でない事が不思議な位で……雑務すら果たせぬ役立たずで御座います」

 

「……そうか」

 

 我々魔族が歴代の魔王から継承される知識や記憶の中でも滅多に存在しない最下級魔族。一種の蔑称であり、実際に目の前の下級魔族からは侮蔑の感情が見て取れる。

 

「……嘆かわしい事だ」

 

「ええ、全くで御座います。では、私は次のお方の所へ参りますので失礼をば」

 

 ルルに対しての態度と違い私に敬意と少しの嫉妬の感情を向けていた下級魔族は去って行く。名乗らないという事は、私が自分の名前など知る必要は無いと判断するとでも思ったのだろう。

 

「……ああ、全く本当に嘆かわしい」

 

 その呟きは誰の耳にも届かず、先程の下級魔族が汲み取れなかった真意に同調の言葉を発する者は居ない。元より期待はしていないが、それでも呟かずには居られなかった……。

 

 

 

 

「……屑が。同族相手に何を考えて居るのだっ!」

 

「ひ……ひぃっ! お、お許しをぉおおおおおっ!」

 

 此度の魔族は歴代でも最高の戦力だと受け継いだ記憶が私に教えてくれた。歴代に比べて中級や魔族の割合が大きいのだ。だが、歴代で最悪とも呼べるだろう。

 

「次は…次は人間を襲いますのでっ!」

 

 例えば目の前で地に這い蹲って許しを請う老爺姿の中級魔族。実力差を盾にして下級魔族の女に夜伽を強制していたのだ。それも息も絶え絶えになるまで犯し続ける悪質な物。意を決して止めに入った下級魔族が一人重傷を負わされているとなれば我慢の限界だった。

 

「貴様に次は無い。死ね、恥曝しが」

 

 幾ら同胞でも最早見逃せぬ。せめてもの情けで一撃で消し去ろうと振り上げた拳だが、目の前から突然老爺の姿が消え去って別の男が姿を現す。現状を招いている現況の一人、上級魔族ビリワック・ゴートマン。魔族随一の魔法使いにして魔王様の側近である女の直属の部下だ。

 

「困りますね、クレタ殿。彼は貴女の部下ではありませんよ?」

 

「それがどうした。奴が何人の下級魔族に手を出したと思っているのだ。これ以上の被害を出す前に消さなければならん」

 

「それを判断するのは魔王様です。……それに下級魔族如きが傷付いたとして何の問題が有るのですか?」

 

 これだ、これが気に入らん。平然と言い放つビリワックに強い怒りが湧き拳が震える。だが、この拳を突き出せない理由が私には有った。それを理解してか奴は目を細めて笑う。山羊の顔が此処まで苛立ちを誘うとは知らなかった。私の葛藤を察しての笑いだ、当然だろうな。

 

「まあ、あのお方には貴女の怒りを伝えておきます。魔族全体の事を誰よりも考えているのは我が主。きっと悪い結果には成りませんよ。……では、貴女と部下の皆様の忠義に期待しております」

 

 慇懃無礼とは目の前の男の態度の事だと私は知っている。言葉と動作は丁寧でも目には嘲笑が浮かんでいる。私が逆らえば私に従う者達も罰せられるのだろう。先日、私と同じ怒りを抱いた者が抗議の結果として部下を処刑されたのと同じ様に。確か楽土丸という男だったな。

 

「あの女が口にする魔族全体の中に下級魔族は入っているのか?」

 

「ご存じですか? 人の国には同じ国民でも平民は人扱いするに値しないとする貴族が存在するのです。まあ、これは雑学の様な物ですが。では、失礼」

 

 その言葉が全てを物語っている。だが、私には何も出来ない。只従う事しか出来ぬのだ。

 

 ……魔族の現状を理解する者の中で私が所属するのは淡い希望に縋る馬鹿の集まり。敵である神頼みの愚か者だ。それを理解しても私は儚い希望に縋るしか出来ない。きっと誰よりも無力な愚か者なのだろうな……。

 

 

「理想と怒りばかり抱き、それに伴う行動が出来無い。その上、あの様な似合わぬ夢さえ。……道化とは正にこの事だ」

 

 何度も何度も私はこの言葉を呟く。きっと我が身が滅するか、理想が叶うその日まで……。

 

 

 

「……ふぅ。まだまだぁっ!!」

 

 己の愚かさを自覚し、そのまま終わるのか? 否! 私は少しでも理想に近付くべく修練を続けていた。両足に重りをぶら下げて指先だけで断崖絶壁を上り、巨人が使う武器を振るい、時にモンスターとも正面からぶつかり合った。

 

「ウゥウウウウウウウモォオオオオオオオッ!」

 

 強靭な肉体を更に頑強で重厚な亀の様な甲羅で覆った牛、鼈甲牛(ベッコウベコ)。総重量数トンにもなる巨大な牛の突進をまともに受ければ中級魔族でさえ挽き肉に変わる。私はそれを正面から頭で受け止めた。衝突の瞬間に地面が砕ける程の力を足に込め、一歩も退かずに受け止める。互いの額から血が流れる中、鼈甲牛は白目を剥いて倒れ込む。横合いから口笛と歓声が聞こえて来た。

 

「ひゅー! 姐さん、すげぇや!」

 

「クレタの姉御ぉー!」

 

 少し茶化す感じで手を叩いているのは十代後半ほどの一組の男女。浮ついた派手な服装をしたカップル……そう、カップルだ。

 

「やっぱり俺達の姐さんは凄いな、ハニー」

 

「そうね、ダーリン」

 

「次、お前達の番だぞ? 今のよりは弱いから頑張って戦え」

 

 私の言葉に固まった馬鹿共に背を向ける。今から一時休憩を兼ねて瞑想に入る予定だ。背後からギャーギャー騒ぐ声の後で牛の叫びと二人の悲鳴が聞こえて来たが、あの二人ならば大丈夫だろう。何せ私が直々に鍛えている者達だ。

 

「根性だけは有るからな、あの二人」

 

 たった一人の強者だけでは取りこぼす物も多く、掴める物は限られる。少しでも数が必要な強者の最低条件は欲でも怒りでも何でも良いから逃げ出さない為の芯となる何かを持っている事だ。一度逃げ出した者は再び逃げる。だが、あの二人だけはどれだけの修行を課しても文句は言いつつ逃げ出しはしなかった。

 

「……期待しているぞ」

 

 私が志半ばで倒れた時、その志を継いでくれる者、あの二人にはそれになって欲しいのだ。いや、そうでなければ困る。だからこそ私は二人を鍛え続ける。この世に生を受けた以上は生きる権利が有るのだからな。

 

 

 

 

「大ジョッキ、それと揚げ物を中心に幾らか料理を」

 

「俺、消化に良い物を……」

 

「私も。今、コッテリした物とか食べられない……」

 

「……情け無い。飯を食わんと力が出ぬだろうに……」

 

 その日の夜、部下二人を連れて飲みに出掛けたが疲れ切ってテーブルに突っ伏していた。休息日は昼から酒盛りをしている癖に何をやっているのかと溜め息が出そうだ。こうなれば精が付く物を無理にでもねじ込むべきだろう。

 

 因みにだが此処の払いは私持ちだ。未だ準備が整わない内は部門毎に準備を進めるのだが、その資金から幾ばくかの給金が出る。大元は人間だ。正確に言うならば腐った人間だな。私達が人を襲う際に情報を得る事で自らの被害を抑え、世界を掌握した際はそれなりの立場を期待して人間の敵に媚びへつらうのだ。私達が追いやられれば手の平を返すのだろうが……用が済んだら此方がそうするとは何故予想出来ぬ?

 

「……その愚か者の金で飲み食いする私が何を言っているのだとは思うがな」

 

「あら、随分と臭いと思ったらクレタじゃない。汗臭いわよ、貴女」

 

「……ちっ! 貴様か、ディーナ」

 

 折角部下と飲みに来ていたのに嫌な奴と出会う。派手で豪奢なドレスで着飾った、私と思想が同じでも絶望的に相性が悪いディーナ・ジャックフロストが部下の雪女氷柱を連れて嫌味を言う為だけに近寄って来た。

 

「臭いのは貴様だ。香水を使い過ぎで鼻が曲がりそうだぞ」

 

「あらあら、野蛮でガサツな貴女には分からないのね。……あの女に呼び出されて苛ついているのだけれど、喧嘩なら買うわよ?」

 

「はっ! 売って来たのは貴様だろうに。ああ、遂に脳がやられたか」

 

 互いに抱く理想は同じだと分かっていても何か気に入らない、その理由は分からないが、気に入らない物は気に入らない。何時もの様に口論が始まり喧嘩に発展する寸前、乾いた音が店に響く。見れば私の部下の男、牛頭 翡翠(ごず ひすい)を女の方の馬頭 琥珀(めず こはく)が平手打ちにしていた。続いて氷柱も翡翠に強烈な平手打ちを叩き込む。

 

「この浮気者っ!」

 

「別れたって言ってたじゃないっ!」

 

「ちょっ、話を……」

 

 弁明をしようとする翡翠だが、二人は聞く耳持たずに交互に平手打ちを続け、奴の顔はパンパンに膨れ上がる。それでも気が収まらないのか今度は拳を握りしめた所で私とディーナが羽交い締めにして止めた。流石に注目を浴び過ぎな上に喧嘩する気も失せた。

 

「ちょっと姉御っ!?」

 

「ディーナ様っ!?」

 

「おい、店員。料金は此処に置いておく。料理は適当に振る舞え。……帰るぞ、馬鹿共が」

 

「貴女もよ、氷柱」

 

 互いに暴れる部下を取り押さえて引っ張って行く。浮気をした馬鹿者は後で罰するとして、今はこの場から消え去るのが優先だ。互いに顔を合わせず店から出て、別れの言葉も交わさず背を向けあう。だが、この日は少し違った。

 

 

「……ああ、それとクレタ。どうも最近は焦臭いし、あの女の動向に気を付けなさい。もう片方が期待出来ない以上は私達で守るしかないわ」

 

「……そうか。肝に銘じよう」

 

 互いに嫌悪を向ける相手、魔王様の側近の片割れの顔を思い浮かべる。もう片方は己の快楽を優先して責務を果たさず、もう片方は最悪を超えた最悪だ。その上で有能で魔王様の信頼が厚い。出資者を集め、武具を整え情報網を構築する。何よりも他の追随を許さない圧倒的力。……そして、何よりも悍ましい程の悪意。

 

 既に直談判した同士が部下と共に反逆者として処刑されている。だから今は手を出せなかった……。

 

「おい、一刻も早く奴以上の手柄を挙げるぞ」

 

「当然よ。貴女に言われるまでもないわ」

 

 今日は休む気が失せた。今から戻って修練を続けるべく歩む足に力を込める。どの様な結末だとしても、あの女の手の平の上で踊る事だけは避けるべく、私は強くならなければならないのだ。

 

 

 

「あっ! 氷柱が貴女の部下から聞いたのだけれど、似合わない可愛い夢を持っているじゃないの」

 

「……彼奴、帰ったら殴る」

 

 最後に背中で受けた言葉に思わず振り返るもディーナの姿は人混みに紛れて見えない。なので私がやるべき事は安易な情報漏洩をした者に相応しい罰を与える事だ。前に酒の席で口が滑った時、絶対に誰にも言うなと命じたのだからな。

 

 

 

 それから更に数年が経ち、遂に勇者が選出される時期が来たとの情報が広まった。力を目覚めさせる儀式を行う聖都を襲う役目には私が志願するもあの女に却下され、各地で邪魔になるであろう強者を抹殺し、時に有力な情報を収集する日々が過ぎる。

 

「……そうか」

 

 その途中、何度も同族の戦死を聞かされた。殆どが下級魔族であり、明らかな格上相手に挑まされ返り討ちにあった、そんなケースが殆どで目的が明らかだ。あの女は任務の名目で下級魔族を使い潰し数を減らす気としか思えない。

 

「……あの少女も大丈夫か?」

 

 嫌いな相手だが同じ理想を抱くディーナが友人にしたルルの顔を思い出す。奴と仲良くなってからディーナは少し変わった。大本は変わらんし、嫌いなのは揺るぎない。だが、少し位ならば言葉を交わしても口論に発展しない程度にはなったのだ。……きっと、それは良い兆候なのだろう。

 

 彼女の心配をした二日後、ルルが勇者に敗れたと報告を受ける。同時に此度の勇者は何故か未熟な少女であり……故に最悪の事態になってしまったとも。賢者、二代目勇者の時から神の使者として勇者の手助けをしていた存在が凄腕の戦士と使い魔を引き連れ勇者の仲間になったのだ。

 

「姐さん、どうします?」

 

「姉御……」

 

「……私達がすべき事は一つ。強くなり、勇者の息の根を止める。それだけだ」

 

 賢者についての情報は受け継いだ記憶の中に姿は含まれず、姿を見た筈のビリワックも情報を流さない。魔族の中、特に下級魔族の間で不安が広まって行く。その上、最近では部下に対して従えている上級魔族の頭を通り越して命令が下される事も有るのだ。あの女が魔王様の代理としてな。

 

「あの二人、大丈夫かな?」

 

 私の部下ではないが翡翠と仲の良い中級魔族がイエロアの遺跡に関する命令を受けているらしい。遂に中級魔族の中で選別を始めたのかと危惧するが口には出さない。……何も出来ない私には心配する部下の前で口に出せなかった。

 

「……勇者だ。勇者を倒す。全てはそれからだ……」

 

 やがてディーナが致命的に相性の悪いイエロアで勇者に敗れたと報告を受けた。会えば喧嘩ばかりの相手にも関わらず胸が締め付けられる感覚。

 

 

 

「……これが寂しさか。そうか、私は奴が死んで悲しいのだな」

 

 もしかすれば何時かは友になれたかも知れない奴はもう居ない、二度と会えない。この日、私は一人で泣き明かした……。

 

 

 

 

(……不思議と何も感じん)

 

 そして今、私は勇者の首に刃を振り下ろそうとしている。怒りも爽快感も無い中、私は無慈悲にハルバートを振り抜いた。例え敵だとしても子供を殺すのは好かん。故に目を閉じればディーナの顔が浮かぶ。

 

 

 

 ……そう言えば私ばかり夢を知られていたのは不公平だな。全く、人の夢を笑うなど非常識な奴だった。私はただ……。

 

 

 少しだけ奴と夢を語り合う夢を見る。目を瞑り夢想して、だから普段ならば即座に気が付いた筈の違和感に気が付かなかった。

 

 

 

 

 

「ちょっと、この子は私のお気に入りなんだから死なせないわよ、この痴女。ったく、恥ずかしい格好ね」




なろうの方も宜しくね あらすじから



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贈られし賞賛と抱える苦悩

「……心配ですね。何か悪い事を教えていますから」

 

 行方不明になった子供の探索の為、グリエーン各地に飛んで探知魔法を使っている私ですが、どいも成果は芳しく無い。地下洞窟なら兎も角、異空間や他の世界に連れ去られているのならば厄介ですが、悩み事は他にも。小姑のイシュリア様です。今朝、強引にゲルダさんを散歩に連れ出したのが気になっていました。

 

 悪い事を教えているかも、ではなくて、教えている。心労ならぬ神労の女神と呼ばれる彼女なのですから当然です。では、捜索中ですが少し様子を窺いましょう。指で空中に円を描けば遠くの映像を映す画面が現れる。事故防止の為に水浴びやトイレは映し出しませんが画面にはちゃんとイシュリア様の姿が映し出されました。

 

 ゲルダさんの首に振り下ろされるハルバートの刃、それを間に割って入るなり手刀で切り飛ばす。あまりの切れ味にハルバートを持った魔族は目を瞑っていた事もあってその事に気が付いていない。

 

「……流石はイシュリア様だ」

 

 普段は役立たずどころか問題ばかり引き起こす色ボケ露出狂の痴女ですが、それでも神は神。お気に入り以外は見向きもしない職務怠慢な所も有りますがゲルダさんは気に入られて助かりました。思わず私の口からは賞賛が漏れ出る。

 

「この痴女」

 

「いや、誰が言っているんですか」

 

 その言葉も思わず口から漏れ出る。普段から下着同然の姿で出歩き、気に入った男なら妹の夫でも誘惑する痴女にだけは痴女呼ばわりされたくないでしょうね、あの魔族も。

 

 

 

「貴様が言うな。何だ、その格好は。貴様こそ痴女ではないか」

 

 ですが対する彼女の格好も中々の物です。牛柄ビキニアーマー、下着よりは扇情的ではないものの、それでも露出は多い。目糞と鼻糞は睨み合い、胸が押し合う程に接近して相手を威嚇しています。この二人は放置しても大丈夫でしょうし、今心配すべきはゲルダさんでしょう。今まさに死にかけた少女の心配が最優先ですが、画面を近付けて顔を見れば恐怖に染まり心が折れた様子は見られない。

 

「……糞っ!」

 

 思わず真横の木を殴り付ける。たった十歳の少女が死にかけて、その上で恐怖に染まらない。前者は問題外であり、後者も本来ならば持たなくて良い強さの問題だ。その様な物を強く事になったのが気に入らない。神に依存し、神の価値観や気分で人の運命が左右される事から脱却する為の勇者選出ですが、それにも問題が多過ぎだ。

 

「ああ、本当に……ん?」

 

 手に伝わる違和感から真横を見る。先程殴った木の感触が余りにも脆い感じがしたのですが手首から先が幹に刺さっていた。その上、何かが拳の先を這い回る嫌な感覚も有る。恐る恐る引き抜けば木の表面の皮が少し残っているだけで大きな空洞が出来ており、拳を抜いた穴から無数の蝗が飛び立つ。数十秒の間、私の上半身は蝗の激流に飲み込まれ、全て飛び立った後も感触がハッキリと残っていた。

 

「う、うげぇえええええええええええっ!?」

 

 思わず叫ぶ私ですが、よく見れば周囲の木も内側から何かが押しているらしく、薄い皮が膨らんでいる。つまり全てが今の木と同じ状態だという事だ。私は特別虫が苦手な訳ではないが、好きな訳でもない。だから私は逃げ出した。そして逃げ出しながら思った。幾ら何でも妙ではないのかと。

 

「少し調べてみましょうか……嫌ですが」

 

 この日、私は今までで一番家に帰りたくなった。当然ですが実家ではなくシルヴィアと暮らす家です。あそこで一日中愛しい妻を抱き締めていたい。あと、キスもしたいし当然最後は押し倒したりしたかった。

 

「私を押し倒した時の肉食獣みたいなワイルドな顔も美しいですが、私に押し倒された時の恥ずかしそうな顔も素晴らしい。……さて、様子を見守りましょう」

 

 気を取り直して目の前の映像に集中する。何時もは一定以上のダメージを防ぐ常時展開の結界ですが、今は虫の接近を防ぐ物も追加して一安心。イシュリア様ではないのですから仕事は真面目にこなさなくては。何か有れば直ぐに転移する気でいたが、今は相手が情報を漏らすのを期待していた。

 

 

「しかし名乗りを上げた戦いに手出しをするとは作法を知らぬのか? この無粋者め」

 

「勝てば良いのよ、勝てば。勝てば官軍って知らないのかしら? バーカ!」

 

 柄だけになったハルバートを構える敵に対し、イシュリア様は両手の人差し指で口を左右に広げて舌を出す。敵が情報をさらけ出すのを期待した私の目の前で義理の姉が醜態を晒していました。

 

「大体さぁ、偉そうにしているけれど魔族って年齢一桁じゃない。この見た目が育ったロリッ子!」

 

 見た目は良くても中身が残念な年齢不詳(推定五桁以上)のイシュリア様はビシッと相手に指を突きつけると背中を見せて挑発の積もりなのか尻を叩く。もう止めて欲しかった。戦いの様子を見守るゲルダさんも居たたまれない様子で目を逸らし、私も出来れば映像を切りたい心情だ。

 

「……はっ!」

 

「は、鼻で笑ったわねっ!? むきー!!」

 

「ああ、貴様の名が分かったぞ、女神。イシュリアだな」

 

「あら、私を知っているのね。まあ、私だし? ふふん、見所有るじゃない」

 

 相手が自分を知っていると分かった途端に機嫌が良くなるイシュリア様ですが、どうして知っているのかは予想出来た。ですが、これ以上私に出来るのは願う事だけだ。

 

「お願いですから今以上の醜態を晒さないで下さい……」

 

 その様な願いなど叶わないと知って尚、私は願う。あの方、私の親戚ですから。シルヴィアとの間に何時か生まれる子の血縁者になるのですから。

 

 

 

「ああ、知って居るさ。馬鹿をやらかしてばかりの問題児。我々に有益な情報もペラペラ喋ってくれた恩人だとな。なあ、イ醜態ア……いや、イシュリア」

 

「どうやったら間違えるってのよーっ!? ぐっ、この……えっと……バーカ」

 

「ふっ。馬鹿はお前だろう?」

 

「何ですってー! 馬鹿って言う方が馬鹿なのよ! バーカ、バーカ、もう一丁バーカ!」

 

 もうこれ以上あのポンコツ女神が恥を晒す前に止めなければと転移をする寸前、魔族の様子が急変する。頭から蒸気を出して飛び掛かりそうなイシュリア様の前で武器を手放し腹を押さえた。

 

「あ~ら、どうやら限界みたいね。そ~らそらそら」

 

「ぐっ! こ、この卑怯者めぇ!」

 

「勝てば官軍って言ったでしょう、この鳥頭の牛女! おーっほっほっほっほっ!」

 

 どうやら腹痛を起こしたらしい相手の武器を奪ったイシュリア様は倒すでもなく柄の先で腹を突いての高笑い。もうゲルダさんの彼女を見る目には一切の敬意が宿らず、無を通り越して負債となっている。命を助けたばかりの相手にこの始末など、流石はイシュリア様だと逆に感心させられた。

 

「さて、情報も得られそうにないですし……倒されても都合が悪い」

 

 あれだけの魔族、今は無理でも何時か倒せば大きな功績となるでしょう。故に私や神はなるべく魔族に手出ししないのですが、イシュリア様はイシュリア様なので不安が残る。それに挫折とは乗り越えられなかった壁を乗り越えてこそ。私もそうでした。故に倒すのを止めるべく私は即座に転移を行った。

 

 

 

「もう飽きたし……漏らして死になさいっ!」

 

 顔面を貫こうとイシュリア様の突きが迫る。対する魔族は手の平を差し込むも貫通し意味を成さない。この時点で勝敗は決していた。防御ではなく回避を選ぶべきだった、そんな次元ではなく戦いに突入した時点で終わっている。体調不良か戦いの興奮か、兎に角判断を誤った事、そして自らの死を悟った彼女は目を閉じずその時を待つばかり。

 

「ストップですよ、イ醜た……イシュリア様」

 

 その間に私が割り込んだ。只受け止めようとしても私では止められない。彼女と私では力が違う。だが、ならば別の力を借りれば良い。転移と同時に召喚したアンノウンのパンダ、イシュリア様より上位の師匠が創った特別なヌイグルミが両の前足でイシュリア様の必滅の一撃を受け止めた。

 

「ちょっと邪魔をしないでっ! てか、何って言い間違いそうになったのかしらっ!?」

 

「まあ、落ち着いて下さい。彼女を殺されては困ります」

 

「そうか、私を助けてくれたのだな……」

 

 少し嬉しそうな声に振り向けば何故か顔を赤らめている魔族。……えっと、どうしたのでしょうか?

 

「あの……」

 

「……クレタ・ミノタウロス、クレタと呼んで欲しい」

 

「成る程嫌です断ります。私既婚者、貴女敵……御理解頂けますね? 理解しろ」

 

 私だって他の女性に全く興味が無いだけで鈍感系主人公を気取る気は有りません。実際に勇者時代に何度も好意を持たれました。今回は吊り橋効果的な物によるのでしょう。正直言ってシルヴィアが不機嫌になるだけだ。

 

「……嫌だ。私には夢が有る。魔族の世界を築いたらウェディングドレスを着て結婚式を挙げて、可愛い家に夫婦で住むんだ」

 

「今、実際に私の妻がそうしています」

 

「絶対にお前を私の物にしてみせる! さらばだっ!」

 

 暖簾に腕押し糠に釘、クレタは膨れ面で言うと足を上げて地面を踏み締める。炸裂する地面、舞い上がる土煙。それに紛れて逃げ出すクレタ。ですが当然ですが私達には通じない。追撃する気は有りませんが。……私には。

 

 

「大丈夫、ちょっと腹いせをするだけで殺さないわ。只、女神を怒らせたら……怖いって教えてあげるだけよ!」

 

 イシュリア様はクレタが残したハルバートの柄を振り被り、槍投げの要領で投げ放つ。空を切り裂き、間の木々を問題とせず突き進む柄はクレタに追い付いて右肩を射抜いた。

 

「かっ!」

 

 一点に集中していたのか周囲の肉が爆散せず右腕は繋がってはいる。ですが、神が怒りを込めて付けた傷が簡単に癒える筈も無い。暫くは戦えないでしょう。

 

「へっへーん。ざまあみろっての! ベロベロベー!」

 

 折角格好良い所を見せたのに醜態を晒すイシュリア様。暫く舌を出していた彼女は今度は私の方を向き、何か悪い事を考えた時の顔をする。尚、何時も大体失敗します。

 

 

「ねぇ、あの女に求婚された事を黙っていて欲しかったら向こうの茂みで今から私と……」

 

 胸の谷間を見せ付ける前屈みで人差し指を使って私の顎を撫でて呟くイシュリア様。この人は本当にイシュリア様だ。

 

「シルヴィアに言い付けますよ」

 

「用事を思い出したから帰るわねっ!」

 

 昨夜の事が余程怖かったのか身を竦ませてから駆け出し逃亡。イシュリア様が帰った事で私の周辺は漸く少し平和になったらしい。尚、何時の間にか彼女の背中には”ペンキ塗り立て”とアンノウン特性のインクで落書きがされていますが黙っていましょう。教える前に帰った方が悪い。

 

「アンノウン、今度は何分後ですか?」

 

「ガウ」

 

「五分後にカメムシの臭いが漂うのですね。帰って良かったです。……さて、立てますか?」

 

 イシュリア様専用の悪戯グッズの効果を確認しつつ座り込んだままのゲルダさんに手を差し伸べる。直ぐに此方の手を握り起き上がりますが、その手の力は些か強かった。

 

「……賢者様、悔しいわ」

 

「……そうですか」

 

「手もっ! 足も出なかったっ! あのままじゃ私は負けて殺されていたっ! もっと、もっと強くなりたいっ!」

 

 敗北の泥に汚れ苦汁を舐める、それで立ち上がれない者も居れば、立ち上がり再起を図る者も居る。勇者としては幸いにゲルダさんは立ち上がれる資質を持っているらしい。……私はそれが悔しかった。

 

(何が賢者、何が初代勇者だ……。たった十歳の子供にそんな強さを持たせる事になるだなんて……)

 

 勇者の使命からは逃げる事が出来ない。そしてゲルダさんは逃げ出そうとせず、逃げて良かったとしても今の決断を下すでしょう。それが悲しく悔しかった。多くの人が私を賢者だと褒め称え、初代勇者の物語は神話の如く扱われる。だが、実際はどうだ? 子供に本来不要な覚悟をさせる、そんな役立たずの人間だ。

 

「ゲルダさん、任せなさい。私が必ず貴女を強くしてみせる。シルヴィアと共に導き、次こそは勝利の栄冠を掴ませて差し上げます」

 

「はいっ!」

 

 気合いを入れて返事をする彼女が眩しく見えた。そうだ、私に出来るのは彼女を鍛える事と経験を活かした助言をする事だけ。結局、そうやって与えた物を使って進むのは彼女次第。ならば私は自分が成すべき事を成すだけだ。この旅が終わった後、世界を救った勇者の彼女が子供らしく過ごすのは難しい。それでも少しでも子供らしく人らしく生きる為、守り抜きましょう。

 

 

「では一旦戻る……前にすべき事が有りますね」

 

「ええ、血の臭いがするもの。それも多分返り血だわ……人の」

 

 体に泥を塗って体臭を隠し、気配を殺す事で巧妙に隠れている者達が数名、離れた場所から此方の様子を窺っている。私は魔法による探知と強化された視覚で、ゲルダさんも勇者として強化された嗅覚で僅かな血臭を感じ取ったらしく武器を構え、私は軽く手を振る。毒でも塗っているのか鏃の先端が僅かに錆びた矢が引き絞られ放たれる。正確な狙いで向かうのはゲルダさんの胸。心臓を狙った殺意の矢だ。

 

 強靭な弦で引き絞られた矢、それが弓から飛び出した所で私が掴み取る。彼の目には私が突然現れた様に見えたのでしょう。

 

「て…転移……」

 

「いえいえ、違います。只凄く速く動いただけです、彼女もね」

 

 私に遅れて数秒後、ゲルダさんも追い付く。私に注意を向けていた弓使いの顔面に飛び蹴り、仰け反った彼を踏んで背後のナイフ使いにデュアルセイバーを真上から叩き付け、小さくして逆手に持つと少し開いて後ろに突き出す。瞬時に元の大きさに戻ると、背後から殴りかかろうとしていた男の手を弾き顔を挟んで持ち直した。

 

「急にご挨拶ね。貴方達は何故私達を狙ったのかしら?」

 

「ぐっ……」

 

 顔を挟む鋏を引き剥がそうと力を込めるも微塵も動かず、彼はそのまま片手で持ち上げられる。先程の戦闘の興奮が冷めやらぬのか彼女の威圧感は普段より増し、足をジタバタ動かしていた彼の顔が青ざめていた。

 

「教えて……いえ、別に良いわ。賢者様、他の二人の記憶を覗いて貰えるかしら?」

 

「!?」

 

 賢者という言葉に驚いた彼を無視して私は二人の記憶を覗く。それにしても軽く見る限りではイエロアに到着したばかりのゲルダさん以上の戦士に見えますが、それを秒殺するとは私以上の成長力だと驚いてしまう。

 

「……まあ、私は魔法タイプですし? 種族の差も有りますし?」

 

 多少鍛えていただけの日本人の男子高校生と、モンスターが居る世界で生まれ育った半獣人の羊飼いの少女、普通に考えて身体能力が上なのは後者だと脳内で言い訳、本当は少し悔しい。それは兎も角として、彼等の記憶を読んだ結果は随分と深刻だった。

 

「賢者様、この人達は……?」

 

「先兵……要するに偵察に来た戦士が目撃者を消そうとしたのですよ。……戦争の為にね」

 

「戦…争……」

 

 その言葉にゲルダさんは武器を落として口元を手で覆う。世が荒み、人同士で手を取り合わないと駄目な状況でも戦争は起こって来た。当然、私の時も。支配者への不平不満不信、国や時に町同士、同じ町に住む住人の間でも争いは起きる。

 

 

 

 

「ゲルダさん、予め言っておきます。この戦争、私達は介入出来ません」

 



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戦の予兆と神の掟

 「ほら、ご覧なさい。綺麗な花が咲いていますよ」

 

……気が付けば夢を見ていた。父と母と三人で暮らしていた幼い頃で、未だアンノウンも創られていない。父に肩車をされて花を見るけれど私は花よりも木の実が気になって手を伸ばす。身を乗り出しても私の手が短くて届かなかったけれど、父がその場で浮いて取れる場所まで近付いてくれた。

 

「ティアは花より団子ですね」

 

「これ、木の実」

 

「私の国の諺ですよ。まあ、良いでしょう。じゃあ、次は何処に向かいますか?」

 

「……あっち」

 

 向こうにも色々な木の実が生っているのを見た私は迷わず指さし、父は少しだけ困った様な表情で向かってくれる。

 

「……お昼ご飯もちゃんと食べるのですよ? 私までシルヴィアに叱られますから」

 

「頑張って」

 

「ティアも頑張りなさい。下手すれば三時のオヤツ抜きですからね?」

 

「……頑張る」

 

 結局この日は木の実を食べ過ぎて母の作ったお昼ご飯を残して怒られてしまった。オヤツは辛うじて父と一個のアップルパイを分け合う事で済んで、父は殆ど私にくれた。この時だけでなく、父は何時も私に優しくしてくれる。

 

 そんな時、私は決まってこう言っていた。

 

 

「父、大好き」

 

 そうすれば何時も父は嬉しそうに笑い頭を撫でてくれた。

 

 今でも昨日の事の様に思い出せる幸福な日々。偶に連れ出してくれる町を除けば神聖な空気漂う森が幼い私の世界の全て。時々神様達が遊びに来て、イシュリア様も遊びに来てしまう、そんな日々が大好きだった。

 

 

「……ん」

 

 ふと、目を覚ませば集落の集会所の机に突っ伏していた。手の甲で涎を拭い、眠る私を気にせずに進む話し合いの内容に耳を傾ける。話し合いで私は戦力外らしく意見を求められはしなかった。

 

「……この通り、賢者様との関わりが強くとも攻めてくる可能性を考えなければならない。逆に安全地帯だと多くの難民が集結する事で起きる食糧不足も可能性として否定出来ないだろう」

 

「賢者様のお力添えは……」

 

「自分達を襲った犯人だからとの名目で三人を引き渡す時に言われたが、人同士の戦いで片方に助力が行われた場合、もう片方にも同等の加護が与えられるらしい。そうなれば待つのは泥沼化だ」

 

 張り出された地図に目を向ける。この集落の場所を含む東側と西側が線で分かたれて所々に赤色で塗り潰した箇所が有るけれど西側に集中していた。

 

「……院長先生、戦争の理由は?」

 

「後で纏めて説明するから待っていなさい」

 

「分かった」

 

 途中から頭に入って来なくなった上に寝てしまったから院長先生に訊ねたけれど少し呆れた風な顔を向けられた。理由が分からず首を傾げる間も話し合いが進むけれど殆ど頭に入って来ない。

 

「他の部族との共闘は別に良いが、ギェンブの族長は兎も角息子のグリンはな……」

 

「獣王祭が先で良かったな。実力的に彼奴が族長だろう。戦いが終わった後でなら……いや、今のままでは祭りが中止になりかねん」

 

「グリン……?」

 

 何処かで聞いた気がする名前だけれど思い出せない。きっと気のせいで知らない名前だと思い、後で院長先生聞けば良いから再び眠る事にした。目を閉じて突っ伏せば直ぐに眠気に包まれる。

 

「……お休みなさい」

 

 夢の続きが見られたら嬉しいと思いながら睡魔に身を任せれば願いが叶う。もしかしたら夢を司る神様の加護かも知れない……。

 

 

 

 

「……」

 

「お…お姉様の寝顔……是非スケッチをっ!」

 

 どうやら思った以上に眠っていたらしく周囲に人の気配は薄い。目を開ければ一心不乱に絵を描き続けるリンの姿があったから起き上がる。別に要らないのに等身大の石像をプレゼントとして横に置かれていても邪魔なだけ。適当な所で処分して貰おうと思い持ち上げる寸前で面倒なので放置する。

 

「それでお姉様、今夜は泊まって行っても?」

 

「駄目」

 

 今夜は、と言っているけれど家に泊めた事は一度も無い。眠いので雑に扱っているけれど、クネクネしながら嬉しそうな顔をしているから大丈夫だと思う。

 

 

「あっ、院長先生が詳細は賢者様に伝えるからといっていました」

 

「ん、分かった」

 

 じゃあ家まで真っ直ぐ帰ろう。途中、戦争が始まる可能性が有る為か集落の中が落ち着かない様子になっているのが気になった。まるで私が戻って来て住み着いた時みたいだと思っていた時、正面から見知った顔がやって来る。

 

 

「ひ…久し振りね、ティア」

 

「……ああ、思い出した」

 

 一瞬誰か分からなかったけれど、目元が私に似ている女性は私の生みの親だ。夫の方が死んでいるけれど、他の集落の人に知り合いが居て食料以外にも色々と支援を受けているらしい。でも、私には極力近寄らないこの人がどうしたのだろう? そんな事よりも父と母の待つ家に戻りたいから横を通り過ぎるけれど手を掴まれそうになる。結局向こうが直前で怯えて止めたけれど。

 

「何の用?」

 

「あのね、ティア。ギェンブの族長の息子で次期族長最有力候補のグリンさんに求婚されているでしょう?」

 

「……? グリン……あぁ、されてた」

 

 初対面で俺の子を産ませてやるとか言って来て、面倒だから無視したら殴り掛かって来たから返り討ちにした相手だ。そんな事が何度もあったけれど弱いし興味が薄いから忘れていた。でも、何故この人が急にそんな話を?

 

「えっとね、お母さんは実は彼にお世話になっていて、是非貴女を説得して欲しいって頼まれたの。私を助けると思って彼のお嫁さんになってくれないかしら?」

 

「嫌」

 

 話はこれで終わりだから歩き始めるけれど、彼女は慌てた様子で追い掛けて来た。多分このままだと家にまでやって来る。それはそれで嫌だった。

 

「お願いよ、ティア。お母さんを助けると思って……」

 

「何故グリンと結婚したら母が助かる?」

 

 この人は先程から何を言っているのだろう? 全く意味が分からず聞き返すけれど、何故か向こうも同じ反応。妙だと思う。話が決定的に食い違っている感じで気持ちが悪い。

 

「いや、だって私はグリンさんのお世話になっているし、話が纏まらないと支援が打ち切られるかも……」

 

「だから、貴女の生活と私の母は無関係。貴女が支援を受けられなくても母は困らない。……変な人」

 

 呆然とした様子だけれど、一度私を捨てた上に殺そうとまでしたのに、何故自分が私の母親だと思うのだろう? クリアスでの生活は私とグリエーンの常識の認識に大きな齟齬を生んだのかも知れない。

 

「帰ったら父に訊いて……別に良いか」

 

 特に気になる訳でもなく、私はこの事を忘れる事にした。普段から向こうが私に近寄らないのだし、別に構わないだろう。

 

 

「この親不孝者っ!」

 

 背中に叫び声を浴びた私は思わず走り出す。家が見える場所まで来れば戸の前で私を待っている父の姿が目に入る。気が付けば父の胸に向かって全力で飛び掛かっていた。

 

「ぐふっ!」

 

「……ごめんなさい」

 

「だ…大丈夫です。娘一人受け止めきれないでどうしますか……」

 

 少し力を込め過ぎたらしい。私相手だからか障壁を解除したせいで悶絶する父に謝るしかなかった。

 

 

 

「……って事が有った。私、父と母に親不孝している?」

 

 家の中に入れば母とゲルダとアンノウンの姿が見えない。クレタという魔族に負けたのが悔しかったらしく、今もゲルダは特訓を続けているらしい。後で様子を見に行こうと思いつつも私は父に訊ねるべき事があった。大好きな両親に対して親不孝な真似をしているのかと思うと泣きそうになったけれど、父は私の頭を優しく撫でて首を横に振る。

 

「いいえ、親不孝な事などしていませんよ。彼女は自分に対して親不孝だと言っただけです」

 

「何故?」

 

「まあ、彼女の中では都合の良い時だけ貴女は娘なのですよ。私やシルヴィアにとって常に娘であるのとは違ってね」

 

「そう、安心した。今夜のご飯は何?」

 

 不安解消した途端にお腹が鳴り響く。父はそれを聞いてクスクス笑いながら戸を開けた。

 

「今日はオムライスですが、シルヴィア達はもう少し遅くなるからティアは先に食べていなさい。何時も熱中したら時間が経つのを忘れますからね」

 

「……大丈夫、待てる」

 

 私が一緒に暮らしていた時も母は鍛錬に集中して遅くなる事が何度も有った。空腹感が強いけれど食事の時間は家族で一緒が楽しい。お腹をさすりながら家の中でなく馬車の中に入って修業場に父と向かう。途中、手を出せば繋いでくれたから手を繋いだまま向かうと既に佳境に入っていた。

 

「どうした、少女。もう終わりかね?」

 

「くっ! まだ…まだぁ!」

 

 ゲルダと相対するのはハシビロコウのキグルミで、確か名前は|鳥トン《トリトン)。何度か会った事が有る、アンノウンの部下の一人。彼の回し蹴りを回避するゲルダだけれど、その勢いのまま足を動かして地面に付けての後ろ回し蹴り。デュアルセイバーで咄嗟に防げば甲高い音が響く。キグルミで顔は見えなくても鳥トンが余裕の笑みを浮かべているのは分かった。

 

「アンノウン、名前変えた?」

 

「ガウ」

 

「そう、珍しい」

 

 何処から連れて来るのかは分からないけれど、アンノウンがキグルミを着せた上で部下にした人達には名前が付けられる。気紛れでコロコロ変わるから名前よりも何のキグルミかで覚えた方が多分早い。寝転がったアンノウンを押さえ付けてひっくり返した上で腹の毛をワシャワシャする中、鳥トンが動いた。

 

「行くぞ」

 

 滑る様な動きで接近、捻りを入れた拳をデュアルセイバーに叩き込んでゲルダの手元を揺らし、頭より高く振り上げた足に引っ掛けて手元から武器をはね飛ばす。武器が無くなるなりゲルダが懐に飛び込むけれど肘打ちが真上から襲い掛かり、再び上下運動の殆ど無い動きで後ろに移動した鳥トンに距離を取られる。先程の肘打ちで体勢が崩れているゲルダ。再び接近した鳥トンの両手の拳が同時に叩き込まれた。衝撃が突き抜けゲルダの矮躯が浮く。

 

「勝負有りっ!」

 

 宙に浮いたゲルダの体を受け止めながら母が叫ぶ。横に設置された黒板を見れば既に五十試合v以上戦った後であり、鳥トンの圧勝だ。

 

「ガーウ」

 

「ククククク、確かに私は貴様の部下では最強かも知れんが、そうやって手放しで誉められると照れるものだな。では、私は帰ろう。バイトの時間の十分前には事務所に居たいものだからな」

 

「……バイトしているの?」

 

「でなければ生活がままならん。パップリガで夜鳴き蕎麦の屋台を引いているよ。では、さらばだ」

 

 アンノウンのパンダがピョンピョンと跳ねて鳥トンの頭に飛び乗るとその場で一回転。途端に鳥トンの足元に魔法陣が出現して彼の姿が消える。残されたパンダは空中で一回転すると華麗に着地……する前に私が捕まえた。

 

「……矢っ張り汚れている。洗濯出すね」

 

 毛の中に明太子やアンノウンの抜け毛が絡まって近くで見れば汚れが酷い。ジタバタ暴れるパンダを抱き締めた私はゲルダに視線を向ける。鳥トンから受けたダメージが大きいのか足元がフラフラと頼りなく、血反吐と土埃で汚れてしまっていた。

 

「ご飯の前にお風呂に行こう」

 

「え?」

 

 有無を言わさずゲルダを担ぎ上げる。小さい体に見合って軽く、こんな子供の両肩に世界の命運が掛かっていると信じられなかった。目の前の誰かを守る為の戦いでさえも重いのに、この子は潰れて当然の使命に耐えている。

 

 

「……ゲルダは強いね」

 

「いえ、未だで……わっ!?」

 

 特に抵抗せずに運ばれていたゲルダにデコピンをする。結構良い音がした。

 

「……私にも敬語は必要無い。私もゲルダも母に鍛えられた。私は姉弟子で……要するにお姉ちゃん」

 

「え、でも……」

 

「私はお姉ちゃん、良い?」

 

「……仕方無いわね」

 

 ちゃんと言い聞かせればゲルダも納得したらしい。アンノウンが後ろで呆れたみたいに溜め息を吐いて居るけれど、あの子は昔からあんな感じ。だから私は気にしない。

 

「じゃあ、やり直し。……ゲルダは強いね」

 

「いえ、未だよ。私は未だ強くないわ。今、強くなっている途中なの。……次会った時は絶対にクレタを倒してみせるわ」

 

「そう、頑張って」

 

 父は気にするけれど、私はゲルダが強くなろうとするのは当然だと思う。勇者ではなく、獣人の血を引くなら誰もが持つ戦士の本能。武の女神である母もそれは理解している。分からないの、父だけ。

 

「父、ガンバ」

 

「え? あっ、はい。頑張ります」

 

 親指を立てて応援した後でお風呂に向かう。腹の音が凄い事になっているけれど気にしない。ゲルダの体を洗うのが優先。だって私はお姉ちゃんだから。

 

 

 

「あの子、妹か弟がそんなに欲しいのか。……さっさと世界を救って子作りに励むぞ。なぁに、流石にそろそろだろう。……可愛がってくれよ?」

 

「当然ですよ。あの子が欲するなら今まで以上に励まなければ。……アンノウン、少し外して下さい。シルヴィアを少し鎮めなければ」

 

 ……どうやら妹か弟の顔が見られる日は近いらしい。非常に楽しみ。

 

 

 

「……ふぅ。このお風呂って良いですよね。疲れが本当に溶けて無くなるみたいで。お肌も心なしか綺麗になっている感じが……」

 

 湯船に浸かる前に軽く体を洗い、髪の毛を私が洗ってあげたゲルダは気持ち良さそうに息を吐き出す。獣人は耳に水が入りやすいから本当に厄介。でも、あのシャンプーでも直ぐに戻るなんて凄い癖毛。

 

「……ゲルダは凄いね」

 

「えっと、何がかしら? ……それにしても」

 

 ゲルダがジッと私の胸に視線を向ける。普段は動くのに邪魔だから胸に巻く皮をキツくしている胸は今は解放されて元の大きさに戻っている。でも、同年代の子と一緒にお風呂に入った時は見られる位に大きいとは思わなかった。牛の獣人の子の方が私より少し大きい。

 

「ゲルダの胸は動きやすそう。少し羨ましい」

 

「その言葉、戦争の引き金になるわよ?」

 

 誉めたのに怒られた、解せない。後で母に聞くとして、重要な事を思い出した。戦争について父に訊ねないと。

 

 

 

 

 

「いえ、悪徳の王の侵略ならば介入しますし、信仰が絡むと神同士で顔を合わせ辛くなるので早期に仲裁するのですが……今回みたいに食糧不足が理由となっては……戦争かぁ。私、嫌いなんですよね。大切な物を壊すばかりで……」

 

「こんな時こそ神の仕事に思えるだろうが蝗害となってはな。あくまで自然の摂理ならば手出ししないのが神のルールだ。神とは人だけの味方ではないしな。私の豊穣もあくまでも作物への恩恵に過ぎん。……神の過干渉が生むのは人の怠惰と依存、その結果として起こる悲劇がタンドゥールの一件だ」

 

 父の作ったふんわり卵のオムライスにデミグラスソースをたっぷりかけて食べながら話を聞く。神の住む世界で育った私だけど知らない事が沢山有ったらしい。……習った記憶が有る気もするけれど。

 

「……ゲルダさんや私も神の使者的な立ち位置ですからね。私達を敵に回すのは必然的に世界を敵に回す事になってしまう。……大き過ぎる大義名分を得た人は何処までも残酷になれます。だから手出しは出来ません。……ティアもギリギリですね。私からすれば戦争に関わって欲しく有りませんが」

 

「……そう。でも、私はこの集落の人間。だから此処は私が守る。例外を除いて……例外?」

 

 イシュリア様みたいに戦を司る神はどうなっているのかとも思ったけれど、父の口にした例外という言葉が気になった。

 

 

 

 

「もしかして例外がある? そうすれば戦争を止められるの?」




シルヴィア&アンノウンの画像を依頼したので公開します



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女神の試練

 夕食後、時間を引き延ばした部屋で私の鍛錬が始まる。基本の型を繰り返し、最後にイメージした相手との戦闘を繰り広げた。今回の相手はキリュウと共に旅をした時に戦った魔族。ショタコンでイーリヤを狙っていたが凄腕の剣士であった。

 

 あの頃は無茶な召喚の影響で力の殆どを削がれ、それが基礎の向上に繋がったのだ。戦った回数は四度。一度目はキリュウが一人の時に相対して苦戦するも見逃され、二度目は私が、三度目は全員で奴と配下の魔族との集団戦。四度目にイーリヤが一騎打ちで討ち取るまで逃げられたのは己の未熟さを知る良い機会であった。

 

「……ふぅ」

 

 あの頃の私と今の私の差だけ相手を強くし戦い続ける。やがて決着した頃には汗が滲んでいた。このまま眠るのは気持ちが悪いので一度入ったが風呂に入るとしようか。

 

 

 湯に浸かり、満天の星空を見上げながら杯を傾けて喉を潤した。思った以上に渇きを覚えていたのかゴクゴクと喉を鳴らして飲み進めれば既に半分ほど無くなってしまっている。ビャックォの特産品である果実酒は随分と口当たりが良かった。

 

「おい、お前も飲んだらどうだ? 私が口を付けた杯しかないが別に構わんだろう」

 

「では、一杯……」

 

 どうせ風呂に入るのならとキリュウを連れて来たが先程から私を直視しない。顔を背けていた。但し、横目では見ているがな。濁り湯だから完全には見えないものの谷間は見えるし、少し動けば胸全体が目に入る。時折それを狙って動いているし、今も杯を渡す時に立ち上がって腰の辺りまでを晒してやった。

 

「おい、見るなら堂々と見ろ。既に何度も見ているだろうに」

 

「いや、無茶を言わないで下さい。貴女の希望でしょう……」

 

 確かにそうだが、それでも私の方を直視せずチラチラと見るだけのキリュウの態度がまどろっこしい。私達は夫婦なのだからこうして混浴しても問題無いだろうに。まあ、偶には気分を変える為にと自らに魔法を使わせ、関係を持つ前の感覚に戻させてはいるのだが。

 

「記憶は有るだろうに、ヘタレめ。何度私の体を貪ったと思っているのだ、全く。……また私が何度も押し倒してやろうか?」

 

 背中を向けているキリュウに近寄った私は密着して奴に抱き付く。夫婦として関係を持った後も照れが勝つのか迫って来ない此奴に業を煮やした私が押し倒して何度も関係を続けたものだ。今回もそれの焼き回しになりそうだな。

 

「ふふふ、悪くない。ほら、観念しろ。お前は私の物だ」

 

 肩を掴み、半ば無理矢理に私の方を向かせる。力の差もあって大した抵抗もせぬキリュウは私の方を向くなり赤面して熟れた果実の様になるも視線は外さない。このまま少し反応を楽しみたいのは山々だが、どうも抑えられん。欲望のままに貪り犯したい気分だった。キリュウの手を掴み私の胸へと持って行く。筋肉質だからそれ程触った感触は良くないだろうが愛する私の肉体なのだから構わんだろう。

 

「ほら、こうすれば私の裸体は見えん。……無駄口を叩く口も塞ごう」

 

 密着すればキリュウの心音が伝わり私の鼓動も速くなる。少しだけ緊張したが悪くない気分だ。そっと顔を近付けて舌なめずりを行って唇を重ねるべく口を近付ける。焦らす様にそっと。欲を言えばキリュウから来て欲しかったが、純情な状態にするのは私の希望だ。そして二人の唇が……。

 

 

「……無粋な奴め」

 

 触れる僅か前に鳴り響く警告音。集落に敵襲が有った事を伝えていた。流石に動かなければならないが、盛り上がって今からといったタイミングでの襲撃に怒りが湧く。迎え撃って怒りを晴らすべく私は立ち上がって浴槽から出る。

 

「だが、その前に……この位は良いだろう」

 

 さっと戻り、同じく浴槽から出る途中だったキリュウに抱き付いて唇を重ねる。惜しい事に魔法を解除したのか普通に嬉しそうな反応だったが、少しは堪能出来たから満足だ。

 

「じゃあ、行きましょうか、シルヴィア」

 

「ああ、行こう。……戻ったら今度は私に使え。それでリードしてくれたら嬉しい」

 

「それが貴女の望みならば」

 

 今度はキリュウから唇を重ねる。私の腰に手を回し、軽く抱き寄せながら。……今すぐ向かうべきか本気で迷う私であった。

 

 

 

 

「キィイイイイイイエェエエエエエエエエッ!!」

 

 集落の至る所に響き渡る不愉快な鳴き声。ガラスの擦れる音と似たこの鳴き声の主こそが襲撃者だ。蜻蛉の様な羽を持つ巨大な長虫で尻尾の先端は鋭く尖り、口はラッパの様に先端が広がっている。体中の切れ目から空気を吸い込んで膨らみ、耳障りな鳴き声として一気に吐き出す。名を奇声虫(きせいちゅう)、獣人にとって厄介な相手だ。

 

「ぐっ! 耳が……」

 

 優れた聴覚は獣人の武器ではあるが同時に弱点となる。今も狸の獣人の男が武器を手落として耳を手で塞いでしまう。そこに群がる奇声虫の群れ。鋭く尖った尾で貫いた体から体液を啜るべく襲い掛かろうとした虫達の居る方向に向け、私は斧を振り下ろす。伝わった衝撃は地面を揺らし、大地が隆起しながら突き進んだ。鋭く尖った岩に貫かれ、はたまた左右から迫る岩に潰されて奇声虫が青い体液を撒き散らす。

 

「ふふふ、偶には使わねばな」

 

「いや、普段から使って下さいよ。それを手に入れるのに苦労したんですから……」

 

 この斧、ティタンアックスはグリエーンに到着した日にゲルダにも教えたが、大地に振り下ろす力に応じて大地を操る力を持つ。私のコレクションの中でも中々の一品で結婚記念日にキリュウから贈られた物だ。コレクションは普通は仕舞って眺める派の私だが、こうして使えば斧が喜んでいるのが伝わって来る。怒りを発散させる為に暴れる気だったが、暴れたいから暴れるとしよう。

 

「……周囲の被害も考えて下さいね?」

 

「わ、分かっているっ!」

 

 何故か私の思考が読まれて溜め息混じりに忠告される。これこそ愛のなせる技だろう。

 

(ふふふ、嬉しい物だ。……しかし暴れ放題で無いとなると消化不良だが)

 

 後から別の形で発散しようとキリュウを見詰め、奇声虫退治に戻る。元より群れで動くモンスターだからか数は多いが一体辺りの力は低い。物量差で追い込まれない様に集落の者達も上手く立ち回っていた。

 

「ほほう、虫にしては賢いな。いや、賢過ぎるぞ、不自然な程にな」

 

 私が今し方倒したのはほんの数匹。たったそれだけで奇声虫共は空中に飛び上がり距離を取る。あの高さならば届く程に隆起させても避ける事が可能だが、大した知能の無い虫系モンスターの行動としては不自然。恐らくは何者かが遠くから操っているのだろう。

 

「馬鹿が、あからさま過ぎるだろう。……それと、私を舐めるな」

 

 ビャックォの者達は弓矢を使うも空中を自由に飛び回る上に細長い体には中々当たらない。どうやら弓を持った者のみを危険視している様子だが、あまりにも短絡的な判断だ。私はティタンアックスを真横に構え、腰の捻りを加えて投げ放つ。回転をしながら迫る斧に気が付いた奇声虫が回避の動作に入るが遅い。避けるよりも速くティタンアックスは奇声虫を数匹両断して集団の中を突き抜けた。

 

 私が武器を手放したからか好機と見て迫る奇声虫達。鋭い尻尾を突き出しながら迫るが既に私は動き出している。未だ空中を突き進むティタンアックスを追い越し、飛び上がって柄を掴み取った。

 

「お代わりだ、好きなだけ食らえ」

 

 大振りに振り被ったティタンアックスを再び投擲、更に数匹の奇声虫を両断して地面に着弾した。激しく割れる大地、その衝撃は凄まじく大地は激しく隆起する。その勢いは先程私が腕力のみで無造作に放った物とは桁が違う。回避は不能、防御は無意味。巨大な岩が群れを纏めて叩き潰した。

 

 だが、これで終わりではない。集落を襲っている奇声虫は残っており、それが武器もなく自由落下中の私へと密集した。故にこれで終わりだ。突き出された尻尾を掴み握り潰した私の手には鋭い先端部分。足元から迫った一匹を蹴り砕いた反動で跳び、投げ付ける。数匹の胴体を貫通させると再び手近な個体を掴む。こうして下から来る者を踏み台にし、投擲以外にも拳での殴打や足での蹴撃で沈めていった。そして着地した時に取り逃していた最後の一匹を適当な投石で絶命させれば聞こえてくるのは声援だ。

 

「おおっ! 何と強い女性だっ!」

 

「確か勇者の仲間に選ばれたシルさんだったな。……美しい」

 

 私の強さを目の辺りにした男共が色めき立つ。獣人の性で強い私に惹かれるのは理解するが既婚者なので鬱陶しいとは思った。下手にキリュウの嫉妬を買えば今夜が楽しみな事になるな。

 

「気を抜くな、未だ終わっていない」

 

 仮にも武の女神である私の信者ならば戦場にて緊張感を欠く真似をするなと言ってやりたいが今の私は女神シルヴィアではなく戦士シル、だからグッと我慢しながら指差した方向から地面を削りながら迫り来る巨体。下ろし金の如き棘を背中に生やした馬車程の大きさのダンゴムシが転がりながら迫って来ていた。

 

「このっ!」

 

 分厚く巨大な盾を構えた者達が立ち塞がり正面から迎え撃つ。金属製の盾は表面を無惨に削り取られ全員揃って跳ね飛ばされた。

 

「確かスパイクホイールだったか? 恐らく彼奴等も操られているな」

 

 先陣を切って転がる一匹の後方から少し小さいスパイクホイールが次々と転がり込んで来る。総数十程で時折跳ね回り前方の建物や立ち塞がった者達を轢いて集落内を破壊し続けていた。だが、その前方から小さな人影が飛び出して立ち止まる。構わず直進するスパイクホイールが迫る中、その影……ゲルダはすくい上げる様に振るったデュアルセイバーで先頭のスパイクホイールを弾き飛ばした。

 

「次っ!」

 

 空中で背中を陥没させて体液を撒き散らす一匹に目もくれずゲルダは疾走、今度は真上から叩き付けて無理矢理に突進を止める。着弾面が弾け飛んで体が少し埋没して息絶える一匹を蹴り飛ばせば後方から迫る仲間に激突、動きが止まった一匹の棘を掴んで振り上げると迫り来るスパイクホイールに投げ付けた。硬質な棘同士が激突して砕け、再び前進したゲルダは何を思ったのか武器を手放して両手を広げ、猛回転しながら迫るスパイクホイールを正面から受け止めた。

 

「……ふむ。及第点以上だな」

 

 両側から挟み込まれたスパイクホイールの甲殻がミシミシと悲鳴を上げ、次の瞬間砕ける。鋼鉄を優に越す強度の筈だが今のゲルダの力なら砕くのは容易いか。甲殻を失って耳障りな声を上げるスパイクホイールは真上に蹴り上げられた衝撃で空中で体が折れ曲がる。此処に来て残ったスパイクホイールの動きが止まる。数秒何かを迷う様にして、次の瞬間には纏めて飛び掛かった。

 

「甘いわねっ!」

 

 一度に数で攻め潰す算段だろうがゲルダを侮り過ぎだ。デュアルセイバーを分割、レッドキャリバーとブルースレイヴに持ち替えるなり怒濤の剣戟が炸裂する。ああ見えて鈍器なので切れはしないが叩き潰され至る所が陥没したスパイクホイールの死骸が積み重なった。

 

「さて、今回は明らかに何者かの意図が見られるが……面倒だな」

 

 既に襲撃に参加したモンスターは全滅させた様に思えたが、後続が姿を現す。しかも奇声虫やスパイクホイール以外にも多種多様な虫系モンスター達。奇声虫だけなら不自然ではなく、スパイクホイールが獲物を横取りに来るのも有り得る。だが、此処まで別の種類が同時に来るのは何者かの指揮下でしか有り得ない。しかし、魔族の仕業だろうが何を考えているのだ?

 

「幾ら何でもバレバレだ。馬鹿の演技か本当の馬鹿か。敢えて警戒させたいとしか思えんが……。まあ、考えるのは私の役目ではないか」

 

 思考放棄する気は無いが、私は考えるのに向いていない。ならば得意な者に任せるとしよう。それはそうと早く寝室に行きたい気分だ。集落を包囲したモンスターをさっさと片付けねば。

 

「さて、そろそろ終わらせるとしましょうか。……娘の前で格好良い所を見せたいですしね」

 

 キリュウが微笑みながら指先を天に向ければ集落に一斉に襲い掛かろうとしていたモンスターが宙に浮く。どれだけもがいても抜け出せず、一ヶ所に集合するモンスター。それが一瞬で燃え上がった。煌々と燃える炎は一瞬だけ集落を照らし、燃え滓すら残さず消え失せる。

 

「父、凄い」

 

「ええ、何せ私は貴女の父親ですからね、ティア」

 

 誇らしげにするティアの肩を抱き寄せて自慢気なキリュウ。流石は私の夫だ。今直ぐにでも抱き寄せてキスをしたいと思うよ。

 

「矢張り賢者様は良いな」

 

「是非抱いて貰いたいわ」

 

 色めき立つな、女共。私を信仰するならば私の夫に色目を使うな。キリュウを見てウットリとしているビャックォの女達に殺気を送りたいのを我慢しながら私は拳を握り締める。

 

(さっさと憂さ晴らしがしたいな。……今夜は寝かせんぞ、キリュウ)

 

 アイコンタクトで寝所に行くぞとキリュウに伝え、先程から視線を感じる方向に視線を向ければ直ぐに感じなくなる。どうやら逃げられたらしい。

 

 

 

「び、びっくりしましたわ。目が合った気がしましたが気のせいですわよね? ……さて、才色兼備の私の策通りに進んでいますわ。これは只のモンスターの襲撃、上手く騙せていますわね。おーっほっほっほっほっ!」

 

 

 

 今、何処かで馬鹿が何か言った気がするが勘違いだろう。

 

(さて、次の段階に進む時だな)

 

 私は予想以上に成長しているゲルダを眺めながら気分が高揚するのを感じていた。きっと今の私は随分と凶悪な笑みを浮かべて居たのだろうな。キリュウとティアとゲルダを除いた者達が怯えた顔をしているのだから。

 

「……ん? そう言えばアンノウンは何処に行ったのだ?」

 

 また良からぬ事を企んで居るのだろうと思うと頭が痛くなる。キリュウは彼奴に甘過ぎるからな。だが、私は違う。彼奴の悪戯を甘やかす気は毛頭無い。悪さをすれば鉄拳制裁、それが私のすべき事だ。……奴も随分と力を増しているからな。私も今一層励まねば。

 

 

「よし、ゲルダ。私が追うから全力で逃げろ。抵抗しても良いぞ。いや、寧ろせねば修行にならん」

 

 次の日の朝、私は森の中にゲルダを連れ出していた。未だ朝日も昇りきらない時刻、羊飼いの仕事の影響か朝早く起きるのが苦手でないのかゲルダは眠そうにしていない。だが困惑した様子ではある。

 

「えっと、急な話だけど一体何かしら? いえ、修行だとは分かるけど……」

 

「勿論修行だ!」

 

「あっ、うん。女神様に細かい説明を期待する方が無駄な話ね」

 

 胸を張る私に対してゲルダは肩を落とす。何やら失礼な事を言われた気がするが……気にする程では無いな。ゲルダも仕方無さそうにデュアルセイバーを構え、私も斧を構える。特別な物でもない無銘の一品だが修行に使うのならば丁度良い。

 

「では、行くぞ。先に言っておく……痛いかも知れんが許せ」

 

 斧を振り上げゲルダの眼前に振り下ろす。当てはしないが足元に振り下ろした斧は衝撃波を生み、ゲルダの体を吹き飛ばした。上手く調整したから木の隙間を通って進むゲルダは咄嗟に地面にデュアルセイバーを突き刺して勢いを殺し、止まるなり背中を向けて走り出す。

 

 

「懇切丁寧に指導する時間は無いからな。クレタとの再戦の前に女神の試練を見事越えて見せろ、ゲルダ。……お前ならば出来ると信じているぞ」



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決意と再戦

 森の中を全力で駆け抜ける。足下に突き出た根っ子を飛び越し、行く手を遮る枝を潜り、抜け、木々の隙間に滑り込んで。障害物を迂回せず最低限の回避動作で躱わして移動時間を短縮、だけど背後の直ぐ其処で爆砕音が響き渡った。

 

 振り向くのは愚策、何が起きているのか、それは分かっているから。岩が粉々に砕け、大木は根本から吹き飛ぶ。誰がその惨状を招いているか、それも考えるまでもない。必死に走る私とは対照的に鼻歌交じりの散歩を思わせる足取りで付かず離れずの距離を維持する破壊神……いえ、武と豊穣を司る女神シルヴィア様だ。

 

(いや、本当に凄いわね。あれで力の殆どを封じているのだもの。全力だったらどうなって居たのかしら?)

 

 考えるまでもなく、私が直ぐに捕まるだけ。だって今の状態でさえ封印状態の本気でないのだから。其処まで手加減されても私は逃げるのがやっと。未だスタミナは持つけれど何時まで鬼ごっこが続くか分からない。恐怖は足を竦ませ、速度が落ちた事で背中に破壊で発生した風圧を受ける。バランスを崩し更に速度が落ちた時、女神様の拳が迫った。

 

「どうした、動きが悪いぞ」

 

 背中に受ける尋常でない衝撃。女神様の拳が私の背中に叩き込まれる。いえ、違うわ。吹き飛ばされる時、一瞬だけ見えた女神様の腕は途中で止められていた。拳圧だけで私は吹き飛ばされたのよ。肺の空気が押し出される中、痛みで手放しそうな意識を必死で掴んで駆け抜ける。

 

「……邪魔よ」

 

 前方から転がって来た転倒虫を払い除け、奇声虫を踏み台にして高い枝に飛び移る。巣があったのかダツヴァが翼を広げて威嚇して来るのを睨めば逃げ出し、今度はレイピアを構えた長髪のお兄さん立ち塞がった。

 

「勇者だな? 我が愛しい方の為、その首を貰いに……」

 

「敵ね、退いてっ!」

 

 これで普通の人なら避ける所だけれど言葉と殺気からして魔族に組みした敵だと判断した私はデュアルセイバーを振るう。防御の為に差し込まれたレイピアをへし折り、頭の毛を全部剃り落としながらお兄さんを叩き落とした。頭から落下したけれど茂みに落ちたから問題無いと放置する。こんな事をしている間にも女神様が迫り、逃げるのが困難に……。

 

「あれ? どうして私は逃げてばかりなのかしら?」

 

 動き続けながらも私は自問自答する。答えは簡単、怯えているから。私は女神様と……いえ、自分より強い相手と戦うのが怖くなっていた。理由は分かるわ。無様に負けたクレタとの戦いが心に強く残っているの。今まで何だかんだ言っても私は勝って来た。それがたった一度の敗北で覆されたのよ。

 

「……気に入らないわ」

 

 今まで多くの失敗をして来た。羊に逃げられたり、チーズが全部腐ったり、羊毛を安く買い叩かれたり、それでも私は乗り越えて来た。羊飼いと勇者を一緒にするなと言われるかも知れないけれど、それでも私がやらなくてはならない事には変わらない。なら、私は此処で立ち向かう。私を殺す気の無い女神様に怯えて逃げるだけの私が殺す気で向かって来る魔族と戦い抜ける筈がないから。

 

(このまま反転しても隙が大きいわね。……だったらっ!)

 

 前方に生えた大木目掛けて私は迷い無く跳ぶ。そのまま木の幹を蹴り抜いた私は反動で女神様の方へと突き進む。だけれどこの程度じゃ絶対足りない。デュアルセイバーを分割、ブルースレイヴを投げた。柄から噴出する魔力が勢いを増し、それに引き寄せられるレッドキャリバーを持つ私も加速する。女神様は避ける動作を見せず、足の先で石をすくい上げてブルースレイヴを弾くけれど、既に引き寄せる能力は解除してあるわ。だけど一度付いた勢いは失われない。

 

「てやっ!」

 

 最大まで行った加速の勢いを込めた渾身の突き。それは女神様が構えた斧に防がれる。まるで丸めた紙を鉄の塊をに投げた時の様。向こうは微動だにせず、反対に私は弾き返される。だけど、それは想定内。既にレッドキャリバーに引き寄せたブルースレイヴを掴み、両足で地面を蹴った私は女神様に迫った。

 

 未だ太刀筋も荒削りな私に出来るのは兎に角手数を稼ぐ稼ぐ事。最大の大きさにした刃を打ち付け、時に小さくした状態から元の大きさに戻る勢いを利用した突き、練習中のフェイントも加えて息の続く限りの怒濤のラッシュ。でも通じない。女神様は斧を持った手を殆ど動かさず、僅かにずらすだけ。それだけで全ての攻撃が防がれ流される。

 

 此処は一旦下がろうとバックステップを踏んだ時、女神様も一歩踏み出す。着地の瞬間に地面が爆散し揺れる程の踏み込み。飛ばされた石に全身を打たれバランスを崩した私に女神様の握り拳が迫り、乾いた音が響くと共に普通のデコピンで私の体は浮く。首が飛ぶかと思ってしまった。

 

「……負けちゃったわ」

 

「いや、流石に少しでも良い所を見せられたら武の女神として立つ瀬が無いからな? お前が完敗して当然だが……まあ、判断は良かった。この調子で学んで行け」

 

「ええ、そうね。私、次はクレタに勝ちたいもの」

 

 完全に恐怖が消えた訳じゃないけれど、もう私は彼女から逃げない。次こそ絶対に勝つと心に決めたわ。

 

(まあ、こんな特訓が暫く続くと思うと憂鬱だけれど……)

 

 賢者様との魔法の授業も有るのを考えれば余計に疲れがやって来る。圧倒的な格上との戦いは短時間で得る物も多いけれど心身共に非常に疲れていたわ。

 

「では、軽く体も温めた事だ。朝食の時間まで目に付くモンスターを倒しながら森を駆け抜けるぞ」

 

「……ええ、そうね。未だ早朝、朝ご飯すら食べていないもの」

 

 非常に疲れている状態でも非情なスパルタ教官は容赦しない。多分短期間で今の内容が朝飯前に感じる位に鍛え上げる気なのね。

 

「……やるしかないならやるだけよ。力が足りないから救えないのは仕方が無いけれど、力を付ける努力が足りなくて目の前の誰かを救えないのは自分で自分を許せないもの」

 

 後悔だけはしたくない。だから私は進み続ける。私を信じて支えてくれる人達が居るのだから絶対に諦めないわ。疲れた体に鞭打って走り出す私だけど、何か忘れている気がした。

 

 

「女神様、何か忘れていないかしら?」

 

「重りか? では、体重の倍位から始めよう。ゲルダ、体重は幾らだ?」

 

「……女神様と賢者様って本当に似た者夫婦ね」

 

「そう言ってくれるな。……流石に照れる」

 

 私は同性であっても体重を聞くデリカシーの無さに口が滑ったのだけれど、女神様は照れながらも嬉しそう。もう色々考えるだけ損ね、今更だけれど。

 

 そんなこんなで私の修行は続き、そろそろティアさんが人参だけは絶対に使わずに朝ご飯を用意し始める頃になっても私と女神様は森の中に居た。更に言うならば迷っていた。遭難したの? そうなんです。

 

「よし、ゲルダ。私が思いっきりお前を投げるから集落が何処にあるか見てくれ」

 

「え? いや、女神様? ちょっと急用が……ひゃぁあああああああああっ!?」

 

 逃げるよりも前に女神様に捕まって空高く舞い上がる。私は風になりながら幼い頃のたわいもない夢を思い出していた。

 

「鳥みたいに空を飛びたい……だったわね」

 

 残念な事に私は鳥じゃない。空を飛ぶ魔法も使えない。だから空に打ち上げられた後は落ちるしかなかった。一応景色を見ようとはしたけれど緑一色で集落は見当たらないし、随分と遠くに来てしまったのね。……もう女神様の愛の力で賢者様を察知するかすれば良いのでは、そんな事を思いながら落ちて行く私は女神様にキャッチされて地面への激突を免れた。いえ、そもそも投げたのは女神様だけれど。

 

「それでゲルダ、集落は見付けたか?」

 

「いえ、見えなかったわ。でも、少し考えたのだけど……」

 

 よく考えれば賢者様がご飯時に帰らない私達迎えに来てくれる、それに気が付いて伝え様とすれば女神様も拳で手の平を打つ。どうやら思い当たったらしいわね。

 

「分かっているぞ、年輪の偏りを見れば方角が分かるという奴だな。では、早速あの大木を切り落として調べるとしよう」

 

 その話は嘘だけれど女神様は私が訂正するよりも前に斧を振り被って前方の木に迫る。別に調べるなら他の木でも良いと思ったのだけれど、何だかんだ言ってイシュリア様と姉妹ね。

 

「……今何か失礼な事を思われた気がするが別に構わんだろう。では、早速……」

 

「ちょっ、ちょっと待っとくれぇえええええっ!? 儂、切られたら死んじゃうからっ!」

 

 女神様が斧を振り上げた時、突然お爺さんの声が響き渡る。何処にも声の主らしい姿は見当たらない。匂いだってしない。でも、確かに声は聞こえたし、女神様は斧を降ろした。

 

「悪い、気が付かなかった」

 

「ふぃ~。ちょっと二、三十日の昼寝の予定じゃったが助かったわい。儂、生まれてから最大のピーンチ」

 

「木が喋った……」

 

 女神様が木の表面を軽く撫でれば巨大な木が風に揺れるみたいに蠢き、顔みたいになった模様が本当の顔みたいに動く。声の主の匂いがしないと思ったら、お爺さんの正体は樹齢数百年の大木だったのね。。

 

「なんじゃお嬢ちゃんはトレントを知らんのかいの。まあ、精霊の一種だとでも思ってくれればええわい。一応豊穣を司る神の支配下におるんじゃが……まさか豊穣の女神様に切り倒されそうになるとはなぁ」

 

「まあ、私に関連する存在だから力を封印していても正体が分かるのだ。……私が分からなかったのは封印の影響だからな」

 

(そんな風に誤魔化すから余計に怪しいのだけれど……言わぬが花ね)

 

「それでシルヴィア様に相談なのじゃが、どうも妙な魔族を見掛けたと同族がテレパシーを送って来ていたのじゃが、数日前から連絡が付かなくての。集落を探しているとウトウトしながら聞いておったが丁度その周辺じゃから案内するわい」

 

 木なのにどうやって案内するのかと思ったらトレントさんは地面から根っ子を引っこ抜いて足みたいに動かすと森の中を進み出す。道を塞ぐ木も動いて道を作り、遠目に集落が見えて来た。

 

「……えっと、別の集落ね」

 

「そう言えばビャックォとは伝えていなかったか」

 

「なんじゃい。それならそうと言わんと伝わらんって。まあ、知り合いの居場所はもうちっと先じゃし行こうかの」

 

 確かに集落は集落なのだけど大きな川の畔周辺に建てられた家が並ぶ集落で、森の中のビャックォとは建築様式が違う。でも折角此処まで来たのだからトレントさんのお願いを聞こうと思ったけれど、それよりも前にお腹が鳴り響いた。

 

「……あの、木の実とかは?」

 

「儂、そっち系の木じゃないからのぅ。ギェンブに頼むしか……ぬぉっ!?」

 

 空腹に耐えながら僅かな希望に縋るけれど残念。仕方が無いので我慢して進んだ先には草一本生えていなかった。トレントさんが思わず声を上げるのも無理が無いわ。周囲の緑豊かな大地と違い、目の前には一面の砂原が広まっていたもの。触ってみたけれど粘り気がないサラサラの砂で植物が根を張るのは難しそう。まるでイエロアの砂漠みたいで、その上僅かだけれど流れがあった。この砂、動いていたのよ。

 

「……出て来なさい。居るのは体臭で分かるんだから」

 

 砂原の中心に向かって追尾効果を持つ大岩の魔法を放ちながら呟く。案の定、地中から砂が伸びて岩を包み込むと魔法による直進する力よりも強い力で地中に飲み込んだ。まるで底無し沼や流砂の様。そして私の声に答える気なのか中心部の砂が盛り上がって彼が姿を現した。

 

「ふぇっふぇっふぇっ! 暫くぶりじゃなぁ、お嬢ちゃん。相変わらず色気の欠片も無いが偶にはそんな女も良いじゃろう」

 

 少し聞いただけで不愉快になる言葉と耳障りな嗄れ声、醜悪な顔の長身の老爺。私がイエロアで一度戦った魔族、チューヌ・ザントマンが大きな袋を背負いながら舐め回す様な視線を向けて来る。たった数ヶ月前だけど変わっていないみたいね。でも、お陰で遠慮無く倒せるわ。

 

 イエロアでの事を思い出す。手を組んだ盗賊に浚われた女の人達がどんな目にあっていたのかを。そして……。

 

「さっきのお兄さんが言っていた愛しい方って貴方の事ね、チューヌッ! 刺客を送るとか卑怯な真似をするわね」

 

「いや、儂は知らんよ? そっちの気は無いんじゃが……」

 

 思いっ切り間違えた。多分ティアさんにお熱のリンさんと会った事が原因だと思うけれど何とも微妙な空気が漂う。チューヌも随分と困惑した様子だった。

 

「と、兎に角今度こそ逃がさないんだからっ!」

 

「それは此方の台詞じゃな。今度こそ本気の儂の力を見せてやろう」

 

一度戦った時に盗賊の根城が砂嵐に包まれていたから分かっている。チューヌの能力は砂を操る事。既に周辺は砂原で相手に有利な場所になっているからと踏み出すのを躊躇った時、背後で様子を伺っていたトレントさんが前に進み出た。

 

「……お主、此処に居た儂の同族はどうした?」

 

「お前さんの同族? 知らんのぅ。この辺の植物は全部枯らしたし、その中に混じっていただろうな」

 

「貴様ぁあああああああっ!」

 

 嘲笑うチューヌに激昂したトレントさんは巨体を揺らして飛び上がる。見え透いた挑発、それに乗った相手を醜悪な眼差しで見やるチューヌ。地面の砂が盛り上がってトレントさんに向かって砂の槍が突き出した。今の私なら分かる。あれは確実にトレントさんの体を貫通するだけの威力が有ると。けれど砂の槍は何もない空間を通り過ぎて行った。

 

「まあ、落ち着け。彼奴の相手はゲルダの役目だ。お前はそうだな……ちょっと向こうで休んでいろ」

 

 トレントさんの根っ子を掴んで引き戻した女神様は片腕で彼を持ち上げたまま話し掛ける。でも本人は納得していない様子だった。きっと居なくなった同族は友達だったのでしょうね。頭で理解出来ても心で納得出来ないのよ。

 

「しかし……ぬぉおおおおおおおおおおっ!?」

 

 そんなトレントさんを女神様は放り投げる。悲鳴を上げながら飛んで行くトレントさんは森の向こうに落下して土煙が上がっていた。

 

「よし、これで安全だ。……それでだ、ゲルダ。一度は互角に戦った相手だが、朝食を食べていない状態で勝てるか?」

 

「朝飯前ね。さっさと倒して朝ご飯を食べに戻りましょう」

 

「ふぇっふぇっふぇっ! 強くなったのが自分だけだとでも? 儂も多くの女を浚い、犯し、殺し続けて来た。その女達が抱いた恐怖や絶望で儂の力は大幅に上がっておる。さぁて、存分に犯した後で始末してやるわいっ!」

 

 チューヌが気色悪い顔に喜色を浮かべて袋の口を開ければ砂嵐が吹き荒れる。その勢いはイエロアで砦を覆っていた物の倍近く。視界が完全に防がれる中、砂嵐に混じって砂の刃が飛んで来た。周囲に響き渡るザーザーといった音に混じって聞こえたのは勝利を確信したチューヌの笑い声。あの醜悪な顔がどの様な笑みを浮かべているのか容易に想像が付いた。

 

「……」

 

 無言で砂の刃を打ち払い、足に力を込めて一気に押し出す。吹き荒れる嵐も生涯にはならず、私はチューヌの顔に蹴りを叩き込んだ。鼻が折れて血が吹き出し、折れたはと共に息を吐き出した老体が仰け反る。その体の上に着地した私は間髪入れずに首に大振りの一撃。勢いに押され倒れるチューヌの顔を掴むとレッドキャリバー全力で投擲した。魔力を噴射して砂嵐を突き抜けたその後を追って引き寄せられたブルースレイヴも突き進む。私は片手で柄に掴まり、砂嵐を脱出するなり地上に向かって残った手で掴んだチューヌを投げ捨てた。

 

「メー!」

 

「メー!」

 

「メー!」

 

 地上には既に私が召喚した羊達が待ち構えている。穏和な瞳でモコモコの毛を持つ可愛い見た目から一変して硬質な毛と凶悪な瞳に変容した羊は真下から体当たりでチューヌを打ち上げ、更にその羊を踏み台にして別の羊が打ち上げる。向かった先に居るのは私。頭上高く掲げたブルースレイヴを魔力の噴射で更に加速させながら振り下ろした。 

 

「勝ったわねっ!」

 

 急落下したチューヌは陥没した地面の中に横たわり、その上に次々と羊達が落下する。最後の一匹がモコモコの毛で私を受け止めた時、チューヌは光の粒になって消え始めていた。浄化され完全に存在を消したチューヌ。その事に安心した時、打撃音が響く。見れば女神様の拳を受けた豹の獣人が気絶していた。顔面に食らったのか鼻血を流して前歯が数本欠けていて、手足を投げ出して白目を剥いている。

 

「……あれ?」

 

 ほんの一瞬、彼から魔族の残り香が漂って来た気がした……。

 

 

 

 

 

 



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戦争の兆し

 拝啓、楓さんは如何お過ごしかしら? 嫁ぎ先が魔族のせいで大変な事になって苦労すると思うけれど頑張って。私は元気でやっているわ。でも、少し困った事になっているの。

 

「女神様、何があってそんな事に?」

 

 目の前で倒れているお兄さんを叩きのめしたのは間違い無く女神様だけれど、私がチューヌと戦っている僅かな時間に一体何が有ったのかしら? 見るからにガラの悪い豹の獣人のお兄さんで……豹? そう言えば賢者様が文句を言っていたのを思い出す。ティアさんにしつこく言い寄っていた人で、随分と失礼な事ばかり口にするストーカー。確か名前は……。

 

「グリン・アスーピだな、彼は。ギェンブの族長の息子……いや、父親が何者かに殺されたから族長代理をやっているぞ。まあ、血気盛んな同類以外には疎まれている鼻つまみ者だ、後で私が適当に集落まで連れて行こう。それで主の主の奥方よ、何があったのかね?」

 

 茂みをかき分ける音と共に聞こえて来たのは気絶しているグリンさ……グリンで良いわ、の現状が随分と愉快だと言わんばかりの声。声の主は私がアンノウンの次に信用出来ないと思っている鳥トンだったわ。ついさっき私に襲い掛かって来たから返り討ちにした時に禿にしたお兄さんを簀巻きにして引き擦りながら現れた彼は何を考えているのか分からないキグルミの瞳を女神様に向けた。

 

「ん? ああ、此奴がそうだったのか。様子を見に来たらしいが、私が気に入ったから抱いてやるとか今直ぐ脱げとか言って手を伸ばして来たから軽く殴ってやったのだが……玉を潰しておいた方が良かったか」

 

「いやいや、それには及ばんさ。どの道、コレが曲がりなりにも族長代理を任せて貰えたのは強さ有っての事。それが短期間に二度も、それも勇者の仲間や賢者に喧嘩を売って負けたとなれば強さだけに惹かれている者も離れるだろう。ククク、実に愉快な生涯を過ごせそうではないか」

 

 矢張り思った通り鳥トンは性格が悪い。アンノウンは悪戯が大好きで好き勝手に振る舞う性悪だけれど、彼は他人の不幸が楽しくて仕方が無いって感じだわ。グリンの事はどうでも良いけれど、ちょっと気に入らなかった私は彼を睨む。それに気が付いたのか鳥トンは私の方を向き、ヌイグルミの翼で器用に鉄串を投げた。魔力を噴射した時のデュアルセイバー以上の速度で私の横を通り過ぎた串は木に突き刺さる。

 

「……一体何のつもりかしら?」

 

「おや、勇者様にとっては余計なお世話だったかな? ならば謝罪しよう。だが、気を抜かない方が良い」

 

 一体何をと思って振り向けば串は蜜蜂程度の大きさの蚊を貫いて木に縫い付けていた。蚊から漂うのはグリンから感じ取った魔族の残り香を更に強烈にした物。体を貫かれ溢れた血から臭っていたわ。

 

「……有り難う」

 

「お礼の言葉は良いさ。だが、どうも嗅覚に頼り過ぎては居ないかね? ふぅ、先が思いやられるな」

 

「素直にお礼を言うんじゃ無かったわね。オーバーアクションが腹立つもの。まあ、良いわ。取り敢えず解析をしなくちゃ」

 

『『ドミネーモスキート』魔族の血を吸う事で短時間……』

 

 解析によって情報が頭の中に流れて来る。だけど、その途中でドミネーモスキートの体が内部から爆発した。

 

「きゃっ!?」

 

 縫い付けていた木の表面を少し抉り、鉄串を焦がす程の爆発によって蚊の体は完全に消え失せて解析が不可能になる。振り向けば鳥トンが肩を竦めて首を振っていたわ。

 

「兵は神速を貴ぶ……頑張りたまえ。では、私はグリンを集落に連れて行った後で此方の男を主の所に連れて行く仕事が残っているので失礼しよう」

 

 禿げたお兄さんを縛った縄とグリンの足を片手ずつで持った鳥トンは先に進もうとするけれど、その背中に女神様の声が掛かった。

 

「おい、貴様は他のキグルミと違って操られてはいまい。何でアンノウンに従う?」

 

「時給九百三十……冗談だ、給与など貰っていないさ。私が主に従う理由、それは楽しいからだ。私にとっての雀躍(じゃくやく)を主が効率良く齎してくれる。代わりに私は労働力を提供する。まあ、ギブアンドテイクという奴だな」

 

「……そうか」

 

 鳥トンの返答に女神様は眉を顰めながらも追求をせず、鳥トンは去って行く。

 

「あっ! アンノウンが何処で何をやっているのか訊ねれば良かったわっ!」

 

「それも有るが……」

 

 腕を組み難しそうな顔の女神様。どうやら私では気が付かなかった問題が残されているらしい。それが何なのか、私は固唾を飲んで女神様の言葉を持つ。

 

「雀躍って何だろうか……」

 

「……幸福や喜びを感じる事よ、女神様」

 

「そうか、ゲルダは賢いな」

 

「いえ、そうでもないわ」

 

 だって賢者様や女神様を何度無駄に尊敬したのか分からないもの。凄い方だって分かっているし、尊敬に値するわ。でもちょっと……。

 

(所でわざわざ愉悦や悦楽じゃなくて雀躍と言ったのは同じ鳥だからというジョークかしら? 面白く無いわね)

 

 ちょっと鳥トンの笑いのセンスに疑いを持った私は何時の間にか紙を踏んでいた。拾い上げればパンダのイラストが描かれていたので嫌な予感がしたけれど書いていた文字までよんでしまった。

 

「”直ぐに理解した人のセンスも疑わしいよね~”……うるさいわ」

 

 出来れば私も理解したくなかった。紙を丸め、ポイ捨ては駄目だからポケットに突っ込む。帰って来たらアンノウンに何をしようかと思っていた私は重要な事を思い出した。

 

「トレントさんは大丈夫かしら?」

 

 少し心配した私は女神様が投げ捨てた方向に急ぐのだけれど、其処で見たのは驚きの光景だった。

 

「ほら、この様な所で寝ないで欲しいのですが」

 

「すやすや、すやすや」

 

 すやすや等と妙にメルヘンな寝息を立てているのはトレントさん。無事で良かったと思いつつも呑気に眠る様子に少し脱力する。私の心配は何だったのだろう。そして彼を揺り動かして起こそうとしているのもトレント。少し若い木なのかトレントさんより少し小さくて葉っぱも瑞々しい。よく見れば幾つか木の実が生っていたわ。若い方のトレントさんは困った様子で根っ子を動かしていたけれど、私に気が付いて此方を向く。

 

「其処のお嬢さん、少し彼を起こすのを手伝って下さい。私はこの近くで普段生活していますが、散歩として住んでいる場所から動いた時、ふと思ったのですよ。我々が何処から来て何処に行くのか、と。数日前から考えていたら急に空から降って来た上に寝ていまして。全く、寝るならせめて根っ子を張ってからでしょうに」

 

(……そう言えばチューヌは知らないとしか言ってなかったわね)

 

 疲労がドッと押し寄せる。主に精神的な疲労が。お腹も空いて来たし、目の前では散々心配した相手がピンピンしているから良かったけれど徒労感が凄い。何だかとっても虚しくなった頃、漸く心配した賢者様が迎えにやって来てくれた。でも、出来ればもっと早く来て欲しかったわ……。

 

 

「成る程、そんな事が有ったのですね……。さて、一体どうするべきか」」

 

 テーブルの上に並ぶのは山盛りのパンケーキやソーセージに目玉焼き。それを夢中で食べて時々オレンジジュースを飲みながら先程の話をすれば賢者様はコーヒーを飲みながら真面目な顔で呟く。

 

「ティアに強引に迫っておきながら今度は初対面のシルヴィアに迫ったのですか、あの小僧。魚の餌にするのは決定として、どうやって処分してやりましょう」

 

「賢者様、発言が物騒」

 

「ふふふ、お前らしくもない。だが、それ程に私やティアへの愛が深いのだろう。嬉しくて一層お前を愛してしまうよ」

 

「女神様、少し落ち着いて」

 

 ああ、本当にこの二人は色々と駄目ね。特に身内が絡んだ時の賢者様は一層駄目よ。何時もの穏やかな顔で随分と恐ろしい事を言っているし、グリンには黙祷を捧げるしかないわ。この時、私は諦めていた。止めても無駄だからと。でも、助け船は入るものらしい。

 

 

「父、殺したら駄目。殺したら、父を嫌う」

 

「え? 私が誰を殺すのですか? 誰も殺しませんよ。だからティアも私を嫌ったら駄目ですからね」

 

「分かった。父、大好き」

 

「しゃあっ!」

 

 拳を握って随分と嬉しそうにする賢者様。ストーカーしている相手からの言葉でグリンの命が救われた中、私は改めて思う。賢者様は矢張り身内が絡んだら馬鹿になる、と。今更な気もしたけれど。

 

(うん、こんな大人には絶対ならない様にしないと駄目ね)

 

 私は心に深く刻み込む。そんな事を知らない賢者様はティアさんに好きと言われて随分と幸せそうにしていた。きっと家族の在り方としては悪くないのだろうけれど、家族を構成している人達次第ではとんでもない事になるのね。力がある事が幸せになる事を邪魔するのは駄目だけれど、どうしても周囲に影響するのだから。

 

「……随分と慌ただしい」

 

 そんな家族の団欒は突如鳴り響いた戸を叩く音に邪魔される。ドンドンと力強く随分と速いペースで慌てているのがよく分かり、ティアさんは少し不満そうにしながらも戸を開ければ転がり込む様に子供が入って来る。顔と背中に生えている翼に見覚えがあり、少し思い出せば孤児院に居た子だと分かった。

 

「あっ! 貴女怪我しているじゃない、一体何が……」

 

 見れば彼女の体には少なくない怪我が見て取れたわ。さ。服も髪もドロドロに汚れ、付着した血には他の誰かの物も混じっている。その匂いに嗅ぎ覚えがあるちゃんと嗅いだ訳じゃないから確信は持てないのだけれど。それよりも今は治療が先だと直ぐに回復魔法を使おうとするけれど、それよりも前に彼女は目に涙を蓄えながら懇願する。

 

「お願い、院長先生達を助けてっ!」

 

 その叫びと共に彼女は崩れ落ちる。咄嗟に支えれば気絶していて、多分此処まで来るのが限界だったのね。直ぐにティアさんがベッドに運んで賢者様が治療すれば静かな寝息を立て出すけれど、一体何が……。

 

「賢者様、ちょっと出掛けて来るわっ!」

 

 あの子は院長先生達って言った。つまり院長先生以外にも危ない状態の人が、多分孤児院の子供達が居るって事。放ってはおけないと家を飛び出した私は此処に来るまでに彼女が残した匂いを辿って森の中を進む。走る事数分、院長先生達は直ぐに見付かった。

 

 

「……何とか命は助けましたが」

 

 私が発見した時、院長先生や子供達は血塗れで倒れていたわ。特に子供達を庇ったのか院長先生の体には矢が沢山刺さっていた上に、明らかに痛めつける目的で負わせた怪我をしている。現場に残った靴跡や意識のある子の証言から犯人は分かっている。モンスターじゃなくて……獣人だった。

 

 人に生まれながらの悪意を向ける魔族でも、魔族の支配下になくても普通の動物とは一線を画する凶暴さを持つモンスターではなく、今回被害者になった人達と同じ種族。私がそれが怖かった。今まで盗賊を何人も退治したし、勇者になる前も羊泥棒を叩きのめした。それでも私は慣れない。人の持つ悪意に慣れる事が出来ない。

 

「一体誰があんな事を……」

 

「決まっているだろう。西の奴らだっ!」

 

「私達以上の食糧難だからって同情していたけれど、子供達を彼処まで痛めつけるだなんて許せないわ」

 

 苦痛は賢者様が取り除き、トラウマが残らない様に記憶を弄るらしいけれど戻って来た時に血で汚れた服を着た姿は集落の人達に見られてしまっていた。その結果がこれ。今までは直接被害は受けず、元々は仲間意識を持っていた相手だからと薄かった敵意が膨れ上がってしまっている。口々に怒りを吐露し、戦を始めるべきだと叫んでいた。

 

「あの……」

 

 止めた方が良い、そんな風に言おうとした私は言葉を濁し押し黙る。勇者である私や仲間の賢者様達は戦争に対して力を振るってはいけない。その理由も説明しているし、助けたくても助けられないと理解してくれていると思う。でも、理性と感情は別なのよ。何か出来るのに何もしない、そんな人の言葉に重みが無いのは私でも分かる。だから何も言えず、トボトボと孤児院へと戻る。丁度最後の一人の記憶を読んで情報を集め終わったのか記憶処理の最中だった。

 

「……賢者様、今回は何も出来ないと言っていたけれど例外が有るのよね?」

 

「ええ、有りますよ。では、行きますか?」

 

「そうね。今直ぐにでも行きましょう」

 

 例外とは何か、大体予想が付いていた。その上、賢者様がそれほど悲観的に振る舞っていないなら今回はそれに当てはまる筈よ。人同士の戦争は人の営みの内だから勇者達や神が手出し出来ない。でも、その戦争に魔族が関わっていたら? その場合、人の営みではなくなるでしょうね。

 

「早く探し出して倒しましょう。取り返しが付かなくなる前に私達で戦争を止めるのよ」

 

 人の戦争に手を出すのは勇者の仕事じゃない。でも、人の戦争を起こそうとしている魔族の企みを阻止するのは勇者の仕事ね。私は気持ちを切り替え闘志を燃やす。人を戦争に追い込んで高みの見物だなんて絶対に許さないわ。

 

 

「そもそも今回の件は途中から不自然さが目立つのですよ。蝗害からの食糧不足、それだけなら自然の成り行きだと思ったのでしょうが、植物系モンスターと食料だけを狙う等の蝗の異常な行動から始まって作戦だったのなら途中から破綻しています」

 

 先ずは状況の整理をするべきだと被害を時系列ごとに並べると最初は蝗の大量発生で済まされていた被害が明らかに被害を出す意図を持って行動している様子が見て取れたわ。まるで誰かが綿密に立てた作戦を実行担当が勝手に変更を加えて破綻した、そんな有り得なさそうな馬鹿な話に……。

 

「馬鹿の仕業なら有り得るわね」

 

「ええ、自分では頭が良いと思っているタイプの馬鹿の仕業でしょう。無能な味方は有能な敵より厄介だと聞いた事が有りますが、まさか無能な敵に救われるとは。……まさか全て油断させる為の作戦の可能性は有りませんよね?」

 

「深読みしても疲れるだけよ、私みたいに。この短期間で私がどれ程の無駄な深読みで苦労したと思っているのかしら? ……分からないわね、忘れてちょうだい」

 

 その深読みの対象が賢者様や女神様だとは流石に言えない私は途中で誤魔化しながら犯人がどんな相手なのかを想像する。一瞬で浮かんだのは出来れば精神的な意味で戦いたくない馬鹿の事だった。

 

「あのお馬鹿なお姉さんよね? 多分……」

 

「まあ、馬鹿は何するか分かりませんから早く対処しましょうか。……突飛な行動に出て被害が出たら困りますし」

 

 世の中には関わりたくないタイプの馬鹿が居るわ。勇者としての宿敵ではあって欲しくないタイプの馬鹿、その名はシャナ・アバドン。部下にも無駄だと馬鹿にされるお菓子の家で子供を誘う作戦や金ピカの城を落書きの張りぼてで隠せていると自信満々だった上級魔族。

 

「……戦いたくないわ。馬鹿が伝染しそうだもの」

 

「幸い馬鹿は伝染しませんよ。まあ、気持ちは分かります。絶対疲れそうですからね」

 

 此処でこんな事を言っても無駄だと分かっているわ。戦争を止める為にも先ずは魔族の仕業だって証明する必要が有るもの。そうすれば食糧難も魔族による被害扱いで援助が可能らしい。

 

「勇者のルールって面倒ね」

 

「その上、穴がガバガバなのですよ。作った方が神ですからね。手直しを後で、の後が数百年単位でも不思議では有りません」

 

「神様って大抵馬鹿なのかしら……」

 

「此処だけの秘密、私もそう思っています。……じゃあ、行きましょうか」

 

 何時までも愚痴を言っていても仕方が無いので私達は出発する事にした。物々しい雰囲気の集落の中を抜け……る前に思わず立ち止まる。空の彼方から黒い霧と見間違えそうな虫の大群が飛んで来て、その上に乗っていた相手が眼前に飛び下りたから。

 

「おーっほっほっほっほっほっ! 色々考えましたけど、ビリワックさんの作戦よりも私の策の方が良いですわよね。さあ、来なさい勇者っ! 私が相手ですわっ!」

 

「馬鹿だ、馬鹿が居る」

 

 目の前の馬鹿を見て、私は思わずそんな事を口にしてしまった……。

 



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上級魔族

 ゲルダ達が馬鹿な敵の行動に助けられつつも相手にするのさえ嫌になっている頃、その馬鹿の味方は心労を重ねていた。

 

「あの馬鹿……あの馬鹿……」

 

 あくまで自然の摂理、人の営みの一幕に見せ掛ける為の計画、それを勝手な行動で台無しにされたビリワックは頭痛と胃痛を同時に堪えながら鏡に映し出される映像に目を向ける。影に身を潜めての行動の筈が堂々と殴り込みに行っているシャナを殴りに行きたかった。

 

「こんな時、主さえ居て下されば……大笑いするだけか」

 

 主の居ない椅子に目を向けながらビリワックは彼女が居た場合の様子を思い浮かべる。

 

「あっはっはっはっはっはっ! あの子、相変わらず面白いね。このまま見物に徹する事にするから止めに行っちゃ駄目だぜ?」

 

 下着が見えるのもお構いなしに足をバタバタ動かして腹を抱えての大笑いで作戦の修正を却下する、そんな様子が思い浮かんだ。

 

「あの方の気紛れにも困った物だ。遊びにおいては右に出る者が居ないだけに残念ですね。ああ、この間の遊びは本当に楽しかった」

 

 本来、魔族による人間への敵対行為は配置場所や大まかな作戦を含めてビリワックに丸投げされている。そして失敗すれば何らかの罰が待っているのだが、今回の様に勝手な行動で味方に邪魔される事も多々ある。特に邪魔なのは彼の主であり、弱い魔族の使い捨て行為へのヘイトが彼にも向かうので命令違反者が余計に出ていた。

 

 この前もイエロアで流通ルートを抑えてジワジワと住民を苦しめる計画を練っていた街が有ったのだが、ゲルダの成長に興奮した彼女に壊滅させられた。しかし、その時の光景はビリワックにとって至福であったのだ。

 

 ある日、町の中心に突如現れたエネルギーの柱。最初は奇異な物が出現した程度の認識が恐怖に変わったのは興味本位で触れた男が一瞬で燃え上がった瞬間。柱は肥大するも速度は亀の歩みの如き鈍さで逃げるのは簡単だ。但し、逃げ切る事は不可能。町を取り囲む様に見えない壁が出現したからだ。

 

「退け、俺だけでも助かるんだっ!」

 

「苦しい……」

 

「ああっ! 遂にあんな近くにまで……」

 

 他者を押し退け踏み付け、自分だけでも助かろうとする住民達。最後、柱が腕を伸ばせば届く距離まで近寄ると更に速度は落ち、最後まで罵り合いながら住民は死に絶えた。但し、その内の幾らかは圧死や窒息死である。その中の多くが子供達であった。

 

「矢張りあの御方は私が従うに……はぁ」

 

 恍惚の表情は鏡に目を向けた瞬間に疲れ切った表情へと変わる。鏡に映るシャナの後ろ姿だが、スカートがめくれ上がって黒いレース付きの下着が丸見えだった。

 

「いや、本当にあの馬鹿は……」

 

 反感を持っての命令違反ではなく、自分の方が頭が良いと思っての行動から命令違反を行ったシャナの醜態にビリワックの胃はキリキリとした痛みを増すばかりである。そろそろ穴が空きそうである。懐から取り出した本をムシャムシャ食べて食後の薬を胃袋に流し込む姿には哀愁が漂う。最近、後頭部を見るのが怖いビリワック、まだまだ彼の苦労は続きそうだ。

 

 

 

「誰が馬鹿ですってっ!? このっ! 容姿端麗才色兼備……えっと、他には……成績優秀な私の何処が馬鹿だと言いますのっ!? 大体、相手に馬鹿と言う人が馬鹿なのですわ、このお馬鹿さん。つまり馬鹿は貴女です、この馬鹿っ!」

 

「えっ、あっ、うん……」

 

 つい口から零れ出た馬鹿という言葉に反応してムキになった魔族……確かシャナだったと思う、が少し鼻息を荒くして叫ぶ言葉に居たたまれない。私はこれ以上の言及を避けて彼女が今以上の自爆をするのを避けて居たのだけれど、空気を読めない女神様がシャナを指差してしまったわ。

 

「おい、彼奴も此方を馬鹿と言ったな。しかも何度も。つまり彼奴は自分で自分を……」

 

「えっと、そっとしてあげましょうか……」

 

「何をゴチャゴチャ言っていますの? 訳の分からない事を言って、馬鹿はこれだから困りますわね。まあ、それも仕方無い事。知能も美貌も私に並ぶ者は居ませんもの」

 

「……一体何が有れば此処までになれるのかしら? 絶対に成りたくないけれど、少し羨ましいわね、絶対にあんな風に成りたくないけれど」

 

 此方の話を聞いていなかったのか、それとも理解出来なかったのかシャナは閉じた扇で私達を差した後で自分の髪を掻き上げる。馬鹿って本当に幸せね、そんな風に思う私の前でシャナがターンを決めるのだけれどスカートがめくれ上がっていて黒いパンツが見えていたわ、因みにレース付き。

 

「おい、今の光景を忘れろ」

 

「道ばたに落ちたぼろ切れ程度にも興味無いですし、端から記憶してませんよ。愛しい人の下着姿は常に記憶していますが」

 

「……馬鹿者め」

 

 賢者様に睨みを利かせて直ぐに照れる女神様、私の仲間も馬鹿ばっかりな中、流石に風でも感じたのかお尻の方に手をやったシャナは気が付いてしまったらしい。

 

「なななななっ!? 何でこんな事にっ!?」

 

「えっと、賢者様は貴女に女性としての興味が無いから気にしなくて良いわよ」

 

「何かそれはそれで失礼ですわねっ!? 大体、淑女の下着を見た時点で万死に値しますわよっ!」

 

 慌ててスカートを直すシャナは私の言葉に怒ったけれど、騒ぎを聞きつけて遠巻きに見ている人達は獣人だし視力が高いからしっかり見られていた、なんて言わない方が良いわね。私にだって敵に掛ける情けが有るもの。だから空気を変える為にデュアルセイバーを構えるとシャナも少し偉そうに扇を突き付けて来た。

 

「勇者ゲルダ・ネフィル。私が今直ぐ貴女を倒すわ」

 

「上級魔族シャナ・アバドン、またの名を蟲の女帝。さっさと始末させて貰いますわ」

 

「出来るものならやってみなさいっ!」

 

 と勇ましい事は言っても今まで戦って来た相手は視力や聴覚を奪うルルや砂漠の広域で積雪を起こしたディーナ等、皆強力な能力を持っていた。先ずは様子見をしようとレッドキャリバーとブルースレイヴを構える私と相対するシャナは扇を広げる。絵本の貴婦人が持っていそうな扇を広げれば異臭のする紫の粉が舞い散った。

 

「この臭いは……毒っ!?」

 

「ええ、その通り。強力な毒の鱗粉ですわっ!」

 

 刺激臭に思わず一歩下がると扇が振るわれる。巻き起こされた風に乗って襲い来る毒の粉に対して私は体を捻り、回転しながら両手の武器を振るった。巻き起こった風が鱗粉を吹き飛ばし、そのまま切り掛かるけれどシャナはヒラリヒラリと避けてしまう。動きにくそうな服なのに随分と身軽ね。

 

「虫の能力ね。……ああ、もう厄介」

 

 私の育ったオレジナは温暖な気候で農業が盛ん、緑も豊かだからグリエーン程でなくても虫が沢山せいそくしていたわ。だから少し興味を持った私は図鑑を読んだから知っている。虫の能力は強力で多様だって。それが魔族の力で使われるのだから更に強力になっているのは間違い無いわ。今までの事から虫を操るとは分かっていたけれど、本人も使えるなら面倒臭い。

 

「あら、意外と聡明ね。では、次は何を使いましょうか」

 

「貴女に誉められても微妙な所ね。屁こき虫は勘弁して欲しいわ」

 

「……流石に淑女が使いませんわよ、あんなの」

 

 それを聞いて安心する。シャナは一応見た目は良家のお嬢様っぽいから、その見た目で尻を向けて高温のオナラを放たれたら言葉を失うわ。互いに微妙な顔になった後で気を取り直して武器を構える。再び先手はシャナ。開いた扇から仕込み刃が飛び出して切り掛かって来たのを正面から受け止め、弾き飛ばす。

 

(あれ? 少し軽い気がするわ)

 

 腕に感じた予想以下の重さに驚きながらもレッドキャリバーの先で扇を絡め取って跳ね飛ばし、ブルースレイヴの突きを眉間に放つけれど胸元から取り出した二本目の扇に阻まれた。シャナはそのままバックステップで距離を取って先程手放した扇を手に取る。両手に握られた扇を開き、右の刃と左の針を見せびらかす様に構えを取るけれど、左手の扇の針から液体が滴り落ちる。滴が触れた地面が音と煙を上げた。

 

「おーっほっほっほっほっ! この超強力な消化液で溶かして差し上げましょう。私を愚考した……愚問? いえ、えっと……馬鹿にした報いを受けなさいっ!」

 

 途中で腕を組みシャナは考え込んで次々に言葉を口にするけれど不正解。それは分かっているのか最後には諦めたわ。本当に疲れる相手ね。色々な意味で敵に回したくない相手よね。

 

「愚弄が正解よ」

 

「ふ、ふん、そんな事は分かっていましてよ。貴女の知識を試しただけですわよ」

 

 羞恥で顔を紅潮させながらシャナは顔を背け、左の扇を八つ当たりでもするのか振り回す。知性も教養も感じられず、才色兼備でも成績優秀でもない動き。その上、針の先から飛び出た消化液は彼女自身の服に触れて煙を上げて溶かしている。教えた方が良いのか迷う中、シャナが再び動こうとしたので今度は私が先に動いた。

 

「そっちは使わせないわっ!」

 

 振るおうとした左手の扇をブルースレイヴで弾く。流石に手放す迄は行かないけれど手は上に上がり、レッドキャリバーで右手の手首を狙う。扇で防ごうとするけれど軌道を変えて手首に叩き込んだ。手に伝わる確かな感触、シャナも苦痛に顔を歪ませ右の扇を取り落とし、すかさず腹部を蹴り飛ばす。空気を吐き出して後ろに飛ぶシャナ。でも、私の顔も苦痛に歪む。右手の甲にシャナの毛が突き刺さっていた。

 

「蜘蛛の中には極細の毛を飛ばすのもいるって聞いた事が有るけれど……」

 

 武器を手放すのは危ないと口で咥えて毛を抜き取ると地面に吐き捨てる。幸い手の甲を貫通する威力は無いらしい。でも、それは今の攻撃に無いだけで本気になれば骨を貫く威力が有るかも知れない。何せ相手は上級魔族、この世界広域で食糧不足を発生させている蝗害を引き起こしている相手だ。

 

「……でも、負ける気はしないわね。だって私は結構強くなったみたいだもの」

 

 敵を前に不敵に笑う。クレタへの敗北も自分の未熟さも認めた上で私は自分の成長を確信していた。私を一番認めてあげるべきなのは私自身。だから認めるわ、ゲルダ。貴女は勇者に相応しい力の持ち主だと。

 

「とんだ強がりですわね。では、精々踊って私を楽しませなさい」

 

 シャナの縦ロールが意志を持つかの様に起き上がって先端が私に向けられれば次々と針みたいになって飛んで来る。髪一本一本が角度を変えて飛んで来るのに対して私はその場で避け続け、避け切れない物を武器で防ぐ。手の甲に一度突き刺さった物とは違って今度は短く、このまま待っても髪の毛が尽きてしまうのは随分と先に思えた。

 

「おーっほっほっほっほっ! 賢者に助けを求めたらどうですの?」

 

「別に要らないわ。賢者様は他の人に被害が出ない様にしているし、私は貴女に勝てるもの」

 

「……減らず口をっ!」

 

 更に激しさを増す毛の驟雨。私は避け続けるのを止め、真正面から突っ込んだ。刃を交差させて大切な部分だけを守り、他の部分は突き刺さっても我慢する。

 

「と、止まりなさいっ!」

 

「やぁあああああああっ!」

 

 焦りを見せたシャナの狙いが乱れる。手や足に毛が突き刺さる痛みを堪え私は走り続け、遂にシャナを間合いに捉える。踏み込みと同時に突き出す刃。だけど、足に感じた痛みが僅かに体幹を揺らし、慌てたシャナがバランスを崩して転んだ事で狙いが乱れる。切っ先は先程シャナが自らの消化液で作ってしまった穴に突き刺さって布をそのまま引き裂いた。

 

「……あっ」

 

 ビリビリという音が響いて見事に避けたスカート部分。シャナの下着は完全に晒されてしまった。互いに硬直し、次の瞬間シャナの叫び声が響き渡る。手で必死に下着を隠しながら私を睨む彼女の目は涙で潤んでいたわ。

 

「よよよ、よくもやってくれましたわねっ! 私の大切なドレスを破いた上に此処までの恥を掻かせるだなんて絶対に許しませんわよっ!」

 

「そんな事を言われても……わっ!?」

 

 扇を構え、私を刃で切り裂き針を突き刺そうとする猛攻を躱わし続ける。後退しながら動きを読もうとするけれど針から飛ぶ雫が本当に厄介で防戦一方。そのまま避け続けていた私の背中が壁に当たり、顔面に向かって針が突き出された。

 

「貰ったっ!」

 

 勝利を確信して笑うシャナに対し、私は針に向かって踏み込む。顔に触れる寸前に体を傾けた私は飛び散る雫から顔を腕で庇い、痛みに耐えながらシャナの脇をすり抜けるなり反転、背中を蹴り抜いた。攻撃の勢い止まらず受け身すら取れずに壁に激突するシャナ。扇の針は壁に突き刺さり、引き抜こうとするシャナを飛び越えた私はレッドキャリバーの切っ先を扇に叩き込んだ。メキリ、そんな硬質な物が軋む音が聞こえるも壊れない。だけど、柄から吹き出した魔力が更なる衝撃を扇に与える。一瞬で罅が広がり、扇の表面を突き破った。

 

「貰った、は私の言葉ね」

 

「いえ、私の物ですわ」

 

 髪の毛を警戒しながらも追撃を加えるべくブルースレイヴを振り上げる私。シャナが笑い、背中の部分が内側から盛り上がったのはその時だった。ドレスを突き破って向かって来たのは極細の毛が生えた長い虫の脚。何の脚か分かってしまった私は硬直し、腹部に爪の先が叩き込まれる。賢者様の魔法が掛かったツナギが貫かれはしないけれど衝撃が腹部に走り、私は宙を舞って地面に叩き付けられた。

 

「あらあら、急に動きが悪くなりましたが蜘蛛がお嫌いな様ですわね」

 

 シャナの背中から生えた脚は一本じゃない。私がこの世で一番苦手な生き物である蜘蛛の脚が計六本、それが蠢く様子を見ただけで動きが止まりそうになった。

 

「では、此処からが本番ですわね」

 

 両足と蜘蛛の脚、その全てを使ってシャナが向かって来る。速度は先程までとは比べ物にならず、生理的嫌悪から動きが鈍った私に扇の刃と拳、蜘蛛の脚の爪先が猛烈な勢いで襲い掛かった。レッドキャリバーは手元に無くて引き寄せる余裕は今の私には無い。ブルースレイヴだけで凌ぐけれど傷が少しずつ増えていった。

 

「ああ、本当に情けない。……こんな小娘に負けるなんてディーナ達は魔族の恥ですわね」

 

 嘲笑い侮蔑する意志が込められた言葉に意識を持って行かれ、振るわれた刃を避けるのが遅れる。切り裂かれた頬が熱くて痛く、叩き込まれた蜘蛛の足によって地面を無様に転がった。痛みは酷い。体中が悲鳴を上げる中、それ以上に心が痛かった。

 

「……貴女、仲間を何だと思っているの」

 

「仲間? まさかディーナ達の事ですの? 冗談は止しなさい。ルルみたいな屑に肩入れするディーナやその手下、役に立たない男共なんて道具ですら有りません。あの御方だってそうお考えですわ」

 

 嫌悪感さえ滲ませながら語るシャナを私は睨む。彼女達は敵だった、それは間違い無い。倒した事を後悔なんてしてないわ。でも、友達の為に怒り狂うディーナに私は敬意を持っている。そんな彼女達を侮辱されてだまっていらればないわ。

 

「ぐっ! そんな目で私を見るんじゃありませんわっ!」

 

「……そう。じゃあ、見ないわ。最初からそうすれば良かったのよ」

 

少し頼りない動きで起き上がった私は目を閉じた。もう苦手な蜘蛛の脚は見えない。その代わりシャナの姿も見えないけれど、馬鹿にされていると怒る声は聞こえて来たわ。私だって怒るでしょうね。少し前の私だったらだじぇれど。

 

「此処まで馬鹿にされるだなんて不愉快ですわね。まあ、良いでしょう。そのままお死になさいな」

 

 声が聞こえる。私に向かって来る刃が風を切り裂く音も、蜘蛛の脚が蠢く音も。何より、漂う臭いが全てを教えてくれた。

 

「なっ!?」

 

 振るわれる刃を紙一重で避け、迫る蜘蛛の脚の内側に潜り込むとブルースレイヴを地面に突き刺して両手で左右の脚を掴む。触った事で嫌悪感が襲って来るのをグッと堪え、引き寄せたシャナの顔面に頭突きを食らわせた。鼻の骨の折れる感触と音が伝わって血が少し頭を汚すけれど気にせずにブルースレイヴを手に取り真横に振るう。脇腹に叩き込んで全力で振り抜けば相手が飛んで行くのが分かった。そして、その方向にはレッドキャリバーが有ったわ。

 

「来なさいっ!」

 

 呼び掛けと共に引き寄せればシャナの側面に飛んで行くレッドキャリバー。既に私も飛んでいて、ブルースレイヴを振るう。だけど、シャナの体が急に真上に逸れた事で挟撃は失敗。恐る恐る目を開ければシャナの手からは白くて粘着質な糸が伸びて木の枝にくっついていたわ。

 

「蜘蛛の糸……」

 

「お馬鹿さんですわね。蜘蛛の毛に蜘蛛の脚、なら蜘蛛の糸だって使えて当然でしょう」

 

「貴女にだけは馬鹿って言われたくないわ」

 

「口の減らないお嬢さんね。……この貧乳癖毛の田舎者」

 

「パンツ丸出し……いえ、ブラも見えているわよ痴女」

 

 蜘蛛の脚が突き破って脆くなった所に私の攻撃が加わってシャナのドレスは悲惨な事になっている。もうスカートは完全に全面が破れて下半身が丸出しで、上も風が吹けば布地が揺れて右胸まで見えている。上下とも同じレース付きの黒下着。鼻で笑って馬鹿にされたので静かな声で教えてあげれば慌てた声が聞こえて来たわ。

 

「ひゃわっ!?」

 

 その上、木の上だから集落の様子がよく見える。きっと自分を見ている男の人達の数を知ってしまったのか随分と慌てた様子。両手で上の破れた部分を押さえる音が聞こえて来たわ。

 

「何とかと煙は高い所が好きって聞くけれど……」

 

「ああ、それなら知っているぞ。馬鹿と煙だ」

 

「女神様、少し黙って見ていて」

 

 空気読めない女神様に呆れつつ意識をシャナに向ける。蜘蛛の糸を服に巻き付けて下着を隠した彼女は木の上から飛び降りるなり糸を私に向かって放って来た。子供の腕位の太さを持つ糸が目の前で蜘蛛の巣状に広がって私を包み込もうとするのに対し、私は魔法で無数の石礫を放った。糸に絡め取られて動きを止めるけれど粘着面も塞がれる。勢いは此方の方が上なので重くなった蜘蛛糸は地面に落ちて、私はそれを武器でシャナに向かって弾き飛ばした。

 

 当然避けられる。重りが付いた糸は木に巻き付き、糸と手が繋がっているシャナの動きが一瞬だけ止まる。直ぐに糸を切り離すけれど、既に私の魔法は準備が整っていた。

 

「暴食なる緑よ、我が敵を食い尽くせ」

 

「これは……」

 

 地面から姿を現したのは巨大なハエトリ草。大きく開いた葉がシャナを食べるみたいにして閉じる。咄嗟に逃げ出そうとした彼女の腕に葉の奥から伸びた舌が絡まって捕らえ、そのまま左右の葉が閉じられた。元々は魔本の持ち主が考案して作成途中だった魔法だけれど、最近になって私が完成させたわ。中で暴れているのか葉が歪むけれど徐々に動きが鈍くなって行く。

 

「葉を開くのはちょっと嫌ね。魔族が相手で良かったわ。……魔族にしか使わないけれど」

 

 ハエトリ草は食虫植物、つまり今は獲物を消化中、開けば絶対にグロテスクな光景が待っているので維持する事に集中する。本当にこの魔法は死体が残らない魔族以外には使えない、そんな風に思った私の目の前でハエトリ草に異変が起きる。内側から出ようとする力が強くなり、葉の一部に穴が空く。その穴から無数の蝗が飛び出して来た。瞬く間に食い荒らされるハエトリ草。その中から体が全く溶けていないシャナが出て来たわ。

 

「……どうやら魔族の肉体を溶かすだけの力は無かったのね」

 

 矢張りグリエーンで起こっていた蝗害はシャナの仕業だったらしい。そのまま蝗害だけで留めて自分は隠れていれば私達には何も出来なかったかと思うと本当に恐ろしい敵。私は彼女への警戒を更に強める。……そう、例え下着以外が全部溶けてしまっていたとしても。

 

「……此処までの屈辱は初めてですわ」

 

「でしょうね」

 

「……絶対に許さない」

 

「うん、私でも同じ事を言うと思うわ」

 

 此処まで来ると謝りたいとさえ思えたけれど、今の私は彼女に一切の隙を見せる気が無い。だから謝らず、飛ばされた蜘蛛糸をレッドキャリバーで受け止めた。そのまま引き寄せられそうになるのを堪えれば向こうは更に力を込めて引き寄せに掛かる。

 

「ぐぎぎぎぎぎぎっ!」

 

 姿を見せた頃の余裕も既に無く鼻息を荒げて引っ張ろうとするシャナ。対する私には少しの余裕。戦い方も武器も違うのも有るけれど、同じ上級魔族のクレタとは比べ物にならない腕力ね。あれだけ余裕ぶって気品が有る様に振る舞っていたのに随分と必死。下着姿で腰を落として私から武器を奪おうとするけれど、レッドキャリバーとブルースレイヴが互いに引き寄せられるのを忘れているみたい。

 

「……そう。そんなに欲しいなら差し上げるわ」

 

 相手が更に力を込めた瞬間、私はレッドキャリバーから手を離す。勢い余って転んだシャナに向かって飛んで行くレッドキャリバーは柄から吹き出す魔力によって勢いを増し、私もそれを追って走り出していた。

 

「……引っ掛かったわねっ!」

 

 シャナが勝利を確信した声を上げる。向かって来る私との間に張り巡らしていた極細の蜘蛛糸の罠、そして前方に放った針の如き髪の毛の乱れ撃ち。

 

「いえ、全然?」

 

 私もまた、それを予期していた。見えない程に細い蜘蛛の巣の場所を鼻で関知し、髪の毛と同時に跳躍して避ける。策が上手く行ったと思った矢先の失敗にシャナの反応が遅れ、ブルースレイヴが頭に振り下ろされるのを避け切れない。頭部の端を捉え、肩に重い一撃が入る。肩の骨が砕ける音が伝わった。

 

「ぐぅっ! でも、この程度……」

 

 苦悶の声を上げながらも戦意を失わないシャナだけれど、自分が今の一撃で失ってしまった物に気が付いたらしい。風に乗って飛んで行く金の糸……いえ、彼女の頭から抜け落ちた金髪は束になって地面に落ちていた。流石に呆然となり、一瞬の隙が生まれる。それでも直ぐに持ち直したのは凄いと思うわ。でも、その一瞬が決定的だった。引き寄せたレッドキャリバーとブルースレイヴでの突き。この近距離だから小さくした二つの刃を左右の脇腹に叩き込めば手に伝わる確かな手応え。

 

「これで終わりねっ!」

 

 腕が伸びきり衝撃が最大まで伝わった瞬間に二つのサイズを元に戻す。急激に伸びる刃が更なる衝撃をシャナの体に伝える。内臓に多大なダメージを受けたシャナは吹き飛んで行った。

 

「……ふぅ」

 

 やっと一息、流石にダメージを受け過ぎたのか立っているのもやっとの状態で私はシャナを見る。彼女が浄化される瞬間を戦った相手への経緯を持って見詰める……その筈だった。今までなら光の粒子になって消えていたのにシャナにその時が訪れる様子は無く、代わりに倒れた彼女の下に出現した魔法陣の光が彼女を包み込んで何処かに消し去ってしまったわ。

 

「そんな。あれでも倒し切れないなんて……」

 

 私は力を出し切って、作戦も上手く行った。上手く持ち込んだ接近戦だって私にとって有利だったのに。間違い無く私の勝利。でも、倒し切れなかった。私自身も死力を尽くしたにも関わらず。

 

「……賢者様、あれが全力の上級魔族なのね」

 

「ええ、そうです。能力の厄介さも身体能力の高さもそうですが……何よりしぶとい。まあ、序盤のボスと終盤のボスでは倒すのに必要なダメージ値が違うのと同じです」

 

「いや、その例えじゃ私には理解出来ないわよ、賢者様。それにしても……締まらないわね」

 

 シャナの下着姿を見せない為なのでしょうね。賢者様は女神様に目隠しをされていたわ。何と言うか、ドッと疲れがやって来た気がした。

 

「まあ、これで一安心……だったら良いのだけれど」

 

 シャナは倒し切れなかったけれど追い返したし、これで蝗害が彼女の仕業だって判明したみたいな物だから介入も可能だと思う。今後の事は難しいので子供の私じゃなくって賢者様に任せて今は休みたい気分ね。……でも、不安は拭い去れないわ。

 

 そして嫌な予感は当たる物だし、都合の良い希望は叶わない。事態が最悪へと向かっていたのを私は何となく感じていた。

 

 

 

 

 

「うっ、此処は……」

 

「やあ、手酷くやられたね。それに随分と恥ずかしい目にも遭ったみたいで可哀想に」

 

 苦痛に顔を歪ませながらシャナが目を覚ませば巨木の洞の中、寝心地の良いベッドに寝かされていた。動かすだけで激痛が走る首を動かせば声の主の姿、彼女が敬愛して止まない存在が顔をのぞき込んでいた。

 

 その幼さに邪悪さが混じった笑みも、少女の肉体を包み込むゴスロリドレスを内側から盛り上げる胸の膨らみも、可愛らしい日傘もシャナの心を奪う。気が付けば起き上がり、彼女の足下で平伏していた。

 

「こ、この度はご期待に添えず申し訳……」

 

「いやいや、謝らなくて良いさ。私はお気に入りには寛大だし、君は私の期待を一切裏切っていない。蒔かれた種は既に芽を出しているよ」

 

「は、はいっ!」

 

 目の前の相手に失望され見捨てれる恐怖に震えていたシャナの肩に手が置かれ、顔を上げればしゃがんだ少女の笑みが間近に見える。ついでにスカートの中も見えていたがシャナの意識は其処には向きはしない。既に掛けられた言葉で流れ出る感涙によって前が見えずにいたからだ。

 

「さあ、次こそ勝ってくれ。君なら絶対勝てるだろうけれど……ちょっと余計なお世話を焼かせて貰うよ」

 

 少女は懐から取り出した丸薬を口に咥え、シャナに口付けするなり舌を使って移し込む。思わず飲み込んだシャナの体内に丸薬が入り込んだのを確認した少女が唇を離せば唾液の糸が二人を繋げていた。

 

「ほら、もう大丈夫。直ぐに傷も癒えるし、力だって増す。……じゃあ、私は行くよ。楽しみにしているからね」

 

 恍惚の表情で返事すらままならないシャナを置き去りにした少女が転移した先はビリワックが隣に控えた玉座。差し出された飲み物で喉を潤しながら実に楽しそうで邪悪な笑みを浮かべる彼女の視界の先には鏡に映ったゲルダの姿があった。

 

 

 

「じゃあ、君には最初から一切期待をしていないけれど頑張ってくれよ? ゲルダの成長に繋がる為にもね。さて、シャ……シャ……まあ、アレに勝ったゲルダがクレタに勝てるかどうか……実に楽しみだなぁ」

 

 

 

 



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折れた剣と神の鎚
決意を新たに……


賢者ことキリュウが勇者として六色世界を旅した時、驚かされる事が沢山有った。

 

「え? エルフって森に住んでいる華奢な種族じゃないのですか?」

 

 例えばファンタジー作品で頻繁に登場するエルフと言えば金髪で尖った耳を持つ森の住民であり、選民主義の傲慢だったり魔法が得意だったりするのだが、エルフについての話題で食い違いが起こり、全然違う種族だと知らされた彼は驚いていた。

 

「妙な事を言うわね。正直言って全然別の種族よ、それ。仕方が無いから私が色々教えてあげる。シルヴィアちゃんは神様だからこっちの世界には疎いしね」

 

 そんな彼に六色世界の常識や文化、種族に関する知識を教えたのが勇者の仲間に選ばれた三人の内で最初に仲間になったメンバーであり、後に世界各地に学校を作ったナターシャであった。旅の資金を着服したり、金を稼ぐ為に危険を招くなど初代勇者の物語においてはトラブルメーカーの役を担う彼女だが、物語によってはキリュウに恋心を抱いていた、そんな風に描かれている。

 

 キリュウ自身もシルヴィアと出会わなければ彼女に恋をしていたと語る程には絆が深かった彼女だが、世界を救った後は孤児院の院長として過ごすのだが、独身のままで生涯を終えたと記録されている。彼女がキリュウにどの様な想いを抱いていたのか、それは神すらも知りはしなかった。

 

 そんな風にファンタジー作品では大抵で共通する設定と実際の異世界との違い等に驚かされたキリュウであったのだが、彼の知識と符合する種族も居ないではない。その種族の名はドワーフ。最後の仲間の種族であり、グリエーンでは珍しい緑の少ない岩山地帯に住む手先の器用な者達だ。

 

「おーい! そろそろ休憩の時間だぞ。飯だ、飯-!」

 

 岩山に掘られた人工的な洞窟内部こそがドワーフの街であり、今は鉱石を運ぶのにキリュウが伝えた朧気な記憶から苦難の末に再現されたトロッコが使われている。特にその手のマニアでもない高校生が詳しい知識を持っている方が妙な話であり、そんなあやふやな知識から完成させた当時のドワーフ達の職人魂を賞賛すべきだろう。

 

 そのトロッコが行き着く先の一つ、鍛冶場では炉の中で火が煌々と燃え上がって凄まじい熱気を放ち、職人達は玉の様な汗を滲ませながら黙々と作業を進める。食事の準備が出来た事を知らせる鐘が鳴ったのは丁度一段落着く頃合いであった。

 

「ふぃ~、今日中には完成するな」

 

「にしてもモンスター共が活発化して武器の需要が増したのは良いが酒の値段まで高騰したのは困ったものだな」

 

 ずんぐりむっくりとした体型に濃い髭面、ドワーフと聞いて大抵思い浮かべるであろう姿の者達が手を止めて汗を拭う。髭を濃くするのがドワーフの普通なのか個人個人の顔付きは判明し辛いが髭を三つ編みにしたりアフロみたいにして膨らませる等で個性を出している。

 

「親方ー! その辺で……って、聞こえていないか」

 

 そんな中でも一際個性的な姿をしている者が集中の極地に居るのか周りの声も音も一切耳に入っていない様子で鎚を振るっていた。声を掛けたドワーフも彼女が聞こえていないのを分かっているのか一言だけ声を掛けて食事に向かう。

 

 彼女……そう、親方と呼ばれたのは一般的なドワーフのイメージとは違った女だった。紫の髪に手拭いを巻き、上はサラシを巻いただけ。背だけはドワーフの特徴である低身長であり、髪と同じ紫の薔薇の眼帯を右目に装着した彼女の年の頃は十代半ば、別にドワーフの中では男社会でもない鍛冶屋の世界だが若い女性が親方と呼ばれるのには違和感が有るだろう。但し、彼女が完成させた武具の出来映えを目にするまでの話ではあるが。

 

「……うっし」

 

 鍛え上げた武器を満足げに見詰める彼女は美しかった。それこそ人間離れしている程に……。

 

 

 

「……う~ん、もう朝……だけれど少し早いわね」

 

 昨日の激戦から一晩経って、私はベッドで目を覚ます。温泉で戦いの傷や疲れは癒えたからか倦怠感は無いし爽やかな目覚めだと言えるわね。何時の間にか撥ね除けていた掛け布団を戻し、着崩して前面が全開になったパジャマ姿を鏡で見る。相変わらずの平原が広がっていた。そして髪の毛も相変わらずの凄い癖毛。全く手入れされていない庭の雑草みたいだった。

 

「二度寝……は少し勿体無い気がするわ。だって風が気持ち良いし、爽やかな朝だもの」

 

 今日は修行はお休みだと女神様に言われているし、何時もなら二度寝を決め込む所だけれど今日はそんな気分になれなかったわ。開け放した窓から入って来る風は心地良く、うっすらと明るくなって朝日が射し込むのも時間の問題の森を遠目見ながら伸びをする。

 

「少し散歩にでも……」

 

 窓から景色を眺めるべく近付けば外からティアさんの声が聞こえて来る。よく耳を澄ませばリンさんの声もして、挨拶しようと思った私は窓から顔を出して二人の姿を見たわ。

 

「二人共、爽やかな朝……ね……」

 

「お姉様、どうか罵って下さい。それで私は今日一日幸せで過ごせるわ」

 

「嫌、面倒」

 

「そんな事を言わずに一言だけ、一言だけで良いからっ!」

 

 挨拶の途中で私は言葉を失う。朝の修行をする予定だったのかティアさんの手元には木製のトンファーが置かれていて、足元にはリンさんが縋り着いていたの。鬱陶しいのか手で顔を押して引き剥がそうとするティアさんにリンさんは必死で抱き付いて離れない。微妙な空気になりそうだから私に気が付かないのは幸いで、遂にティアさんが根負けしたのか肩を落としたわ。

 

「……罵ったら帰る?」

 

「勿論」

 

「じゃあ、イシュリア様が向けられた罵りを……リンは本当に役に立たない。まだ野良犬の方が道端の残飯処理の役に立つし、平身低頭して野良犬に人の役に立つ方法を習えば?」

 

「……ふぁあ。有り難う御座います。じゃあ、下着も換えたいので今は一旦帰ります」

 

「出来れば二度と来ないで欲しい……」

 

 凄く興奮した様子で立ち去るリンさんに凄く困った顔を向けるティアさん。朝から大変だと思った私は声を掛けずに窓をゆっくりと閉めた。

 

「未だ起きるには早いし二度寝しましょう。未だ寝ていられるって最高の贅沢だわ」

 

 私は何も見聞きしていないし、眠いので寝る。だって寝ていられる時間なのに起きるだなんて勿体無い真似は私には出来ないもの。散歩? ……お昼にでもすれば良いわ。お布団は賢者様の魔法で冷える事無く暖かいし、普段は寝ている時間なので私は直ぐに睡魔に襲われる。きっと二度寝する前に見た物なんて全部忘れるわ、絶対にね。

 

「お休みなさい……」

 

 瞬く間に瞼が重くなって意識が遠ざかる。次に私が起きたのは朝日が完全に顔を出して朝ご飯の香りが漂って来た頃、自分のお腹が鳴る音で目覚めるだなんて少し恥ずかしかったわね。

 

 

 

 

「え? 今日は雨が降るの? 雲一つ無い快晴なのに」

 

 食卓の前に集まり、カリカリに焼いたベーコンと両面焼きの目玉焼きを乗せたトーストを食べていた私は賢者様から告げられた事に驚いて手を止める。今日は雨だから出掛けない方が良いって言われても空はあんなに青いのに不思議な話ね。私がビックリしていると賢者様は笑いながら教えてくれたわ。

 

「説明が足りませんでしたね。いや、言い方が悪かったのでしょうか? 雨が降るのではなく、雨を降らすが正しかった。午後から雨を降らすので外出するなら傘を忘れないで下さいね」

 

「それは分かったけれど、どうして降らすのかしら? 別に水不足ではないわよね?]

 

「虫退治ですよ、虫退治。ああ、少し面白いかも知れませんし、見に行ったらどうですか? 行くならティアも行ってあげなさい。何が起きるかは……お楽しみで」

 

「分かった。父が言うなら絶対面白い。私、行きたい」

 

(今日は家でゴロゴロして過ごす予定だったのだけど、言い出せないわね)

 

 人差し指を唇に当てて微笑む賢者様の得意そうな姿に言い出し辛くなる。ティアさんも楽しみにして目を輝かせているし、仕方無いから行く事にするわ。虹が見られるかも知れないしね。

 

「所で賢者様はどう過ごすのかしら?」

 

「朝の内は各集落に連絡をしておいて、昼は雨を降らしながらシルヴィアと語り合おうかと」

 

「おや、語り合いだけで良いのか?」

 

 賢者様の隣に座る女神様は彼の耳元に顔を近付けて息を吹きかける。多分……絶対に語り合うだけじゃ終わらないし、出掛けた方が良さそうね。

 

「そうですね……それ以上でも良いですよ?」

 

「そうか、実に楽しみだ、ふふふふふ」

 

 散歩が楽しみね。とても一日中出掛けずにゴロゴロだなんてしていられそうにないもの。ティアさんが教えてくれた場所に再び行くのも良いし、他の絶景場所まで足を運ぶのも楽しそう。手に手を取って見つめ合う二人を視界から外しながら私は散歩の計画を練っていた。……この後、あんな大変な目に遭うだなんて想像すらせずに。

 

 

 

 午後になり、事前にイエロア各地にされた通告によって洗濯物が取り込まれた頃に小雨が降り出した。だけれど地面に触れるなり吸い込まれて水溜まりはおろか泥濘さえ出来ない森の中を私は歩いていた。

 

「あら、鳥さんだわ」

 

「晩御飯に使う?」

 

「いえ、要らないわ……」

 

 途中、巣で身を寄せ合う鳥の親子の姿を見かけたり、ゲコゲコと蛙が一斉に鳴き出すのに耳を澄ませながら森の中を進む。今日は走らずゆっくり歩いて一時間位経った頃、目的地が見えて来た。

 

「わあっ! 凄いわ凄いわ」

 

「うん、お勧めの場所」

 

 突き出した岩場から見下ろせば轟々と音を立てて水煙を上げる大瀑布が目に入る。この辺りの川の水が一挙に集まった滝壺では巨大な影が見えたのだけれど、ティアさんが言うには滝壺の主だけれど大人しい気性なので子供が釣りをしても襲ったりはしないらしいの。随分と長生きらしくて賢者様が旅をしていた時には既に滝壺に住んでいたらしいわ。

 

「主が居るから変なモンスターが増え過ぎない。何かあったら滝を昇って向かって行くから。……正直言ってイシュリア様より役に立つ」

 

「あの方も散々な評価ね。私は最近助けて貰ったばかりだけれど……もう、折角の散歩なのに」

 

 普通の雨じゃないからか漂う臭いがかき消されずに感じ取れた。向こうは鼻がそれほど良くないのか分からないから隠れているつもりみたいだけれど、見事な足運びと気配遮断だし、臭いが無ければ気が付かなかったかもと思えるわ。

 

 二足歩行の有袋類、前足の拳だけ皮が異様に分厚くてゴツゴツしていてグローブでも填めているみたい。ピョンピョンと跳ねながら右ジャブと左ストレートを繰り返しながら威嚇するけれど、お腹から顔を出した子供も似た動きなのは可愛らしい。子供を連れているし、少しだけ戦うのに抵抗があったわ。

 

『『無頼(ブライ)カン』非常に凶暴なカンガルー。優れた格闘技術を持っており、お腹の袋から顔を見せた子供の振りをした部分でも攻撃を仕掛ける。基本的に袋を持つ雄が外で狩りをし、袋を持たない雌は巣で子供を育てる』

 

 どうやら問題無いと悟った私の顔に向かって突き出されたジャブを避けると賺さずストレートが飛んで来る。真下からアッパーで弾いて蹴りを放てばバックステップで避けられた。

 

「うん、強いわね」

 

「ゲルダ、私がそっちも倒す?」

 

 襲って来たのは計四匹。既に三匹はティアさんの足元に転がっているし、最後の一匹を任せるのも長引かせるのも少し悔しい。だから私は首を横に振って前に出た。カウンター狙いで構える無頼カンは私のパンチに反応して身を捻りフックを繰り出す……その前に私の拳が無頼カンの胸を捉えて身を浮かせる。

 

「優れた技術って言っても大した事無いのね。……私の基準が武の女神だからそう見えるのだろうけれど」

 

 悶絶して動きが止まった無頼カンを見ながら呟き、そのまま回し蹴りを背中に叩き込めば岩場から飛び出して滝壺に向かって行く。ティアさんも転がった三匹を蹴り落とせば四匹揃って落ちていくのだけれど、突然水面から巨影が飛び出して塗った滝壺の主が姿を見せる。腕の代わりにヒレを持つ翡翠色の鱗をした優しい瞳の水竜だったわ。

 

「綺麗……」

 

 思わず見取れて呟いた私の目の前で水竜は無頼カン達を丸呑みにして再び滝壺に戻って行く。その際、此方を一瞬だけ見ると尻尾を振って何かを飛ばして来たわ。キャッチすれば翡翠色の分厚い鱗。手の平位の大きさなのにズッシリと重さを感じる鱗の表面はスベスベで宝石みたいに輝いていたわ。

 

「ゲルダ、運が良い。滝壺の主、偶にこうして何かくれる。魚とか海老とか。でも鱗を貰ったのはゲルダしか聞いた事がない」

 

「へぇ。じゃあ、今日は素敵な日になりそうね」

 

 取り敢えず鱗をお腹のポケットに入れて滝壺の主に手を振る。特に反応が無かったけれど暫く手を振った後で暫く滝を眺めていた。

 

「……所で父はどうして雨を降らしている?」

 

「さあ? 私も詳しくは聞いていないから分からないわね。確か、一部が膨れ上がっている木を見ていれば分かる、だったかしら? ……ちょっと探してみようかしら」

 

「うん、そうする」

 

 此処に来る途中もティアさんが勧める場所に向かって色々と綺麗な景色を見て楽しんだから忘れ掛けていたけれど、確か賢者様が面白いって言っていたし、少しだけ期待して向かって見ましょうか。

 

 

「これは酷いわね……」

 

 私達が賢者様に教えられて向かった先、其処には今直ぐにでも死んでしまいそうな、既に死んでそうな木が集まった場所だったわ。どれも弱り切って一部が腐った色になっていて、近くには内部を食い散らかされて空洞になった倒木がちらほら転がっている。

 

「父、これの何が楽しいのだろう?」

 

「賢者様の言う事だし、何かは有るわよね?」

 

「うん、父はネーミングセンス以外は信用出来る」

 

「あっ、ティアさんも賢者様のネーミングセンスが酷いって思っているのね」

 

 デュアルセイバーに賢者様が提案した名前、アメリカンレインボー鋏を思い出しながら私は木の膨らんだ場所に触れる。薄い皮が内側から押し出されているみたいな感触に違和感を覚えた時、その皮が突然破れる。見れば周囲の木も同じく内側から皮が弾け飛び、大量の蝗の死骸が飛び出して来た。

 

「……大丈夫?」

 

「大丈夫じゃないわ。……うぅ、服の隙間から入って来た」

 

 至近距離から蝗の死骸を浴びた私は避ける事なんて不可能で、死骸の山からティアさんが引っ張り出してくれるなり必死で死骸を払い除ける。周囲に幾つも積み上がった蝗の死骸の山。中から食い荒らされたのが弱り切った理由なのねと思い、ちゃんと説明しなかった事をティアさんに怒って貰おうと決める。あの人には絶対そっちの方が効果があるもの。

 

「あれ? 地面から音が……」

 

 服の中に入り込んだ死骸を取り出そうとした時だった。地面が少し揺れて何かが地中から出る音が聞こえる。モンスターかと思った私の目の前に出て来たのは木の根っ子。死骸を吐き出した木が根っ子を動かして地面から這い出ると根の中心を吐き出した死骸の山に向ける。その場所にも大きな穴が開いていて、凄い吸引力で死骸を吸い込んで地面に戻ったわ。そう、元の場所に戻っただけでなく、元の生命力溢れる木に戻っていたの。

 

「賢者様が言っていたのはこれの事ね。少しビックリしたけれど、流石に言っていただけあるわ。蝗害がシャナの仕業って分かったから手出し出来たのだろうけれど……」

 

「ゲルダ、どうかした?」

 

「ええ、ちょっと。この光景ってグリエーンの各地で起きているのねって思ったの。多分私みたいに虫を浴びた人が居るでしょうね。それと、シャナにこれ以上好き勝手はさせられないわ」

 

 一度彼女を撃退した功績で私は更に強くなったけれど、シャナ・アバドンがどうやって挑んで来るかが分からない以上は油断出来ない。それにクレタ・ミノタウロスに、一度手も足も出なかった彼女に勝てるかどうかは分からない。

 

「まあ、勝つしか道はないのだけれど。……うん、やってやるわっ!」

 

 気合いを入れてデュアルセイバーを振り上げる。雨粒を弾きながら青い刃が光っているみたいに見えた。

 

 

 

 

「……あれ? レッドキャリバーが……折れてる?」

 

 力強く振り上げた瞬間に折れたらしくレッドキャリバーが根元から折れて地面に転がっている。私は決意を新たにして出航するなり座礁してしまったのよ……。




四章タイトル変更です


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もえる女神

 伝説の英雄には伝説の武器が付き物よ。勇者以外の英雄も優れた武器を持っていて、相棒とも言える武器と共に艱難辛苦を乗り越えるわ。私もまた、例に漏れずデュアルセイバーと共に成長して世界を救う、その筈だったのに……。

 

「ど、どうしましょう!? レッドキャリバーが折れちゃったわ! わ、私、これが壊れたらとても世界を救うだなんて……」

 

 鋏の姿をしたデュアルセイバーを二つに分けた片割れのレッドキャリバー、それが刃の根本から折れてしまった事に私は完全に動揺してしまう。だって今までの戦いに勝てたのは勇者専用の武器があってこそだもの。なのに三つ目の世界を救う途中で片方が壊れて、残ったブルースレイヴだって何時壊れるか分からない。慌てて見ても罅は見られないけれど不安は捨てきれなかった。

 

「ゲルダ、落ち着いて。……父に相談」

 

「……賢者様に? でも、賢者様でも直せなかったら……」

 

 そっと肩に手が置かれ、ティアさんが私女顔を心配そうに覗き込む。落ち着いて物を考えられない状態の私は出された名前にハッとなるけれど心配でたまらなかった。

 

「……私が未熟だから壊れちゃったのかしらね? それとも私に才能が無いから不出来な武器になったのかしら? ……壊れたせいで救えない人が出たら私は一体どうしたら良いの……?」

 

 押し寄せる不安に心は弱り気が付けば涙声になってしまっていた私。デュアルセイバーを抱き締めて不安に震えていた時、不意に心地良い暖かさと優しい匂いに包まれる。

 

「……大丈夫。父と私を信じて。父はゲルダが凄いって言った。私も凄い所を見たから凄いと思う。だから泣かないで良い」

 

「ティアさん……」

 

 まるでお母さんに抱き締めて貰っている様な安心感に気が付けば涙声と震えは収まっていたわ。代わりに胸の中にポカポカと心地良い何かが湧き出たのを感じたの。

 

「……そうよね。羊飼いの私より賢者様やティアさんの方が勇者として凄いかどうかを判断出来るもの。クヨクヨしていても始まらないし……賢者様に相談してみるわ!」

 

「うん、良かった。ゲルダに元気が戻って安心」

 

「ティアさん、ありがとう。私、もっと自分を信じてみるわ」

 

 そうは言っても今後も私は力不足で落ち込むでしょうね。でも、自分に言い聞かせた言葉だけじゃなく、ティアさんが今言ってくれた事を思い出せば大丈夫。もう私の中から不安は完全に消え去っていた。例え勇者の武器が壊れるという重大な事態だったとしても何とかなると思えたの。

 

 

 

 

「あっ、もう壊れたんですね。次の世界くらいかなって思っていたのですが。まあ、戦闘中に壊れたら手出しが必要ですし運が良かった」

 

「軽っ!?」

 

 賢者様にレッドキャリバーを見せた結果がこの反応。重大な事態……だったと思っていたのだけれど、まるでトイレットペーパーが切れた程度の反応とは思っても見なかったわ。それに、それに言葉からして……。

 

「……賢者様、壊れるって分かってた?」

 

「そりゃ壊れますよ。いや、破壊不能能力を付けた場合に基本能力がどうしても下がってしまいますからね。……えっと、ゲルダさん?」

 

 私の問い掛けに平然と答えながら折れた刃先を弄くる賢者様。つまり私の葛藤とか恐怖とか、それを乗り越えての決意とかは無駄だった訳ね。賢者様の伝達ミスが原因で。沸々と沸き上がる怒りに気が付いた賢者様はギョッとした様子で後退するけれど私も前に出て追い詰める。

 

「そんな大切な事は予め説明しなさいっ!」

 

「は、はいっ!」

 

 私の怒鳴り声にビシッと背筋を伸ばして返事をする賢者様。この人のポンコツ具合には本当に困るわね。

 

「じゃあ、詳しい説明をお願い出来るかしら、賢者様?」

 

「ああ、良かった。何時ものゲルダさんですね。えっと、一応言わなかったのには理由があって、戦闘中に壊れるのを気にしたら駄目だなぁって思いまして。壊れた場合は私かシルヴィアが手出しすれば……」

 

「父、言い訳していないで話す」

 

「……はい」

 

 横合いから口を出したティアさんに再び怯えた様子の賢者様。伝説の勇者でも娘には弱いのねと思っていると賢者様が空中から何かを取り出す。あれは……折り紙風船? お母さんに作って貰った事があるわ。紙質が違うからって最初の一個以外は不格好だったわね。確か賢者様が広めた物だけれど……。

 

「折り紙風船がどうかしたのかしら?」

 

「これがデュアルセイバーだと思って下さい。ほら、この様に空気を込めれば膨らみますが、入れ過ぎれば……この様に破裂します。この空気を功績による成長だと思って下さい」

 

「えっと、力が上がり過ぎて武器が耐えられなかったって事よね? でも、今までの勇者の伝承では……隠蔽したの?」

 

「まあ、神が贈った武器ですし、勇者の信頼にも関わりますから。……そんな汚い大人に向ける目は勘弁して下さい。私だって渡された剣……名前忘れましたけれど手入れに苦労したんですよ?」

 

「……忘れるのはどうなのかしら?」

 

「だって結局は自らの魔法の強化で戦っていましたし、武器の名前を叫んでも強くなりはしませんから」

 

 勇者に憧れる子供達に謝って欲しいと思いつつ考える。強くなり過ぎると壊れるにしても、賢者様が口にした通り早いと。大体、次の世界辺りで壊れると思っていた訳だし。

 

「……もしかしてデュアルセイバーは更に強く作り直せるの?」

 

「正解です。功績で強くなる力と違い、器である武器は一応強くなると言っても時間経過でしてね。まあ、ゲルダさんが私のよりも優秀だった事の弊害ですよ」

 

 賢者様は微笑みながら私の頭を撫でる。話さなかった理由も理解はしたけれど納得はしていなかったけれど、この安心感に騙されそうね。

 

「じゃあ、早速直しに行きましょう、お父さ……賢者様」

 

「ええ、向かいましょうか」

 

(あ、危なかった……)

 

 今、賢者様をお父さんと呼ぶ所だったけれど反応はされていない。その優しさも辛いけれど、私は反応される方が辛いのよ。普段は空気読めない人だけれど今回は読んでくれて安心ね。

 

「……アンノウンが居たら絶対に弄られていたわ」

 

 ホッと胸を撫で下ろし、周囲に紙が落ちていないか見回す。見付けたら読まずに破り捨てる気でいた時、ティアさんが指先で私の肩を突っつく。

 

「ゲルダ、父が父なら私はお姉ちゃ……」

 

「さあ! 早速行きましょうっ!」

 

 それ以上は言わせない。私はデュアルセイバーを手にすると駆け足で外に出て集落の中を駆け抜ける。そこで気が付いてしまった。

 

「あっ、何処に向かうのか知らないわ」

 

 本当にアンノウンが居なくて良かったと安心する。木の陰に灰色のウサギのキグルミが隠れていたけれど絶対に無関係だから気にしないでおくわ。

 

「とんだ恥を掻いたわね……」

 

 顔が少し熱くなるのを感じながら賢者様達の所に戻る。ティアさんが何か言わないか少し不安だった。

 

「天然って本当に厄介よね……。しみじみそう思うわ」

 

 

 

 雨も上がって天気は快晴、時々膨れた木から虫の死骸が飛び出して来ないかだけ注意しながら進む私だけれども、隣を歩く賢者様は普段とは少し違った格好をしていたわ。

 

「まさか三百を過ぎて学生服を着るとは……」

 

「よく似合っているぞ、キリュウ。こうして見ていると昔を思い出す。実に新鮮な気分だよ。……何故あの頃の私はお前への気持ちをもっと早くに自覚しなかったのだろうな」

 

「構いませんよ。貴女と私は今現在相思相愛、それで良いではないですか。時間が惜しいのなら更に深く互いを愛すれば良いのです」

 

 女神様と指と指を絡ませて手を繋ぐ賢者様が着ているのは少し変わった白い服で学ランって名前の学校に通う時に着る服らしいわ。腕章には私の知らない文字が書かれていて、副会長と読むらしい。

 

 それは兎も角として二人は本当に仲が良いわね。ちょっと歩く速度を上げる私だけれど、きっと先程までの速度じゃキスをする二人を見てしまったもの。

 

「……三百歳を越えている自覚があるなら落ち着いて欲しいわ」

 

 そんな風に呟きながら前を見上げれば遠くに巨大な岩山が見えて来る。周囲が一面の緑なだけに異様に目立つ岩肌、所々から煙が上がっているのが人が生活している証。彼処がドワーフさん達が住むコモクマウンテン、デュアルセイバーを直してくれる神様が住んでいる場所なのね。

 

 

 

 神随一のトラブルメーカーで心労ならぬ神労の女神と揶揄されるイシュリア様の失敗談は隠されているらしいけれど、他の神様のエピソードは幾つか伝わっているわ。死神デスハ様と恋人を亡くした男との問答や禁忌を犯した者に神罰を下すソリュロ様のお話、そしてコモクマウンテンにいらっしゃるのは鍛冶仕事を司る女神、名をディロル様。

 

「モンスターに対抗する術を与えるべく人に鍛冶の方法を伝えた慈悲深き女神。確かドワーフの姿をしているって聞いたわ」

 

「ええ、その通り。……まさかドワーフの姿をした神がいるとは思っていませんでしたよ」

 

「妙な事を言うのね。だって六色世界にはエルフや獣人、人にドワーフ、沢山の種族が存在するのだもの。色々な見た目の神様が居て当然じゃない」

 

「まあ、そうなのですが……」

 

 賢者様が妙な事を言う間も私は胸を高鳴らせる。神様達のお話も何度も読んだ私だけれど、ディロル様はその中でも特別な存在。人には早すぎるという反対派の神様を納得させる為に神の力の多くを捨て、愛用の道具すら持たずに人の前に現れたディロル様は文字通り一から鍛冶仕事を教えたの。鉱石の見分け方や竈の造り方、今の技術で作れる代用品を使って少しずつ鍛冶の技術を発展させて多くの人を救った。

 

「とっても素敵な方よね。お会いするのが楽しみだわ」

 

「まあ、素晴らしい方なのは間違いないですね。頭のネジが外れている方に分類される方ですが、そうでもないと周りの反対を押し切っての無茶など出来ません。……只、この服を着て来ないと会わないという注文をされた時は困りましたが」

 

「賢者様、余計な事は言わないで欲しいわ。私、ディロル様を尊敬しているの。……イシュリア様側の神様だなんて悲しいじゃない」

 

「……ゲルダ、反論の余地は無いが一応私の姉だ。控えめにしてくれ、気持ちは分かる」

 

「確かにそうね。女神様はイシュリア様の妹だもの、失礼だったわ」

 

「いや、分かってくれれば良いんだ。ショックなのは理解する。だが、姉様は特例中の特例、一緒にしてはディロル失礼だ」

 

 女神様に言われて少し反省する。少し神様を身近に感じ過ぎて忘れていたけど神様って本来は会う事すら珍しい存在よね。本人を前にして言わずに済んで助かったわ。

 

 

「……イシュリア様に失礼とは言わないんですね。まあ、気持ちは分かりますが。あの方ってクリアスでの扱いもそんな物ですし」

 

 

 

 

 何か呟いている賢者様の服装をリクエストした理由については知らない方が良いと思うから気にせずに進めばやがて山の麓まで辿り着く。けれど目の前にはモンスターが立ち塞がっていた。

 

「カメレオンレオ、それが三匹」

 

 私がグリエーンに来て直ぐに戦ったモンスターが麓近くの木の上で欠伸をしながらも私に視線を向けている。カメレオンの能力で姿を消せるけれど嗅覚を働かせても仲間が潜んでいる気配は無いわ。

 

「最初は一対一で戦ったけれど、三体程度で丁度良いわね。慣らしに付き合って貰うわねっ!」

 

 ブルースレイヴを構え、三匹が枝に乗っている大木に向かって振るう。かなりの反動が手に伝わり、同時に木がメキメキと音を立てて倒れていった。急な事に対応出来ずに落ちていくカメレオンレオに向かって私は跳躍した。

 

「先ずは一匹……続いて二匹っ!」

 

 一匹目の首を蹴りつければ骨が折れる音と共に地面に落下して行く。蹴りの反動で別方向に飛んだ先目掛けて突きを放てば腹部に当たり内蔵が潰れる音と共に血を吐き出す。

 

「最後の一匹っ! これで……あっ」

 

 何時もの癖でレッドキャリバーを振ろうとして腕が空振る。その腕にカメレオンレオが伸ばした舌が絡み付き、着地するなり引き寄せて引き裂こうと前脚を振り上げた。

 

「あ~あ、ついやっちゃったわ」

 

「未熟者め。強敵相手なら命取りだぞ」

 

 女神様の叱責に少しうなだれる。私でも情けないって言いたい位の凡ミスだもの。でも、戦いの中では危険な事よ。同時に私にとってレッドキャリバーとブルースレイヴは有って当然の存在になっていると分かった。

 

「……賢者様はそれを悲しい事だと思うのでしょうね」

 

「当然ですよ。そう思わない筈が有りません」

 

「ふふふ、優しいわよね、賢者様って。……じゃあ、そろそろ終わりにしましょう」

 

 私が話している間も必死で舌を縮めようとしていたカメレオンレオは一向に私を引き寄せられない事に業を煮やしたのか前脚を振り上げて襲い掛かる。この時、私は初めて引き寄せるべく腕に力を込めた。カメレオンレオが接近する速度が上がり、腕を振り下ろす暇も無い位に早く私の腕が届く距離に入ると直ぐに私の蹴りが顎に命中、牙と頭蓋骨が砕け、舌に破片を食い込ませながらカメレオンレオは息絶えた。

 

「シルヴィア、途中から何点ですか?」

 

「……合格とだけ言っておこう」

 

 相変わらず女神様は厳しいけれど少し嬉しそうだし、きっと満足してくれているのね。少し嬉しいわ。私、本当に強くなっているって改めて映画分かったもの。グッと拳を握りしめる。この手には世界を救う力が宿るのだと、そう思えた……。

 

 

 

「お前さん達が親方の言っとった者かいの? ちょっと待ってくれ、直ぐに開ける」

 

(……私達が勇者一行とは伝わっていないのね。まあ、そっちの方が助かるのだけれど。大げさな出迎えって疲れるのよね)

 

 山を登り、時々現れるモンスターを倒しながら進んだ先に見えたのは巨大な鉄の門。門の上の方にある窓から顔を覗かせたドワーフさんが奥に引っ込むと重厚な音を立てながら門が開いていった。

 

「ようこそ、客人。ドワーフの町、ビシャンに。親方の所まで案内しよう」

 

 そう言って出迎えてくれたのは門を操作したらしい人とは別のドワーフさん。髭をドレットにしている変な人。

 

(でも、大体の人が変わった髭にしているわね)

 

 少し見渡せばアフロみたいだったり三つ編みにしていたり、髪型じゃなくて髭型を個性的にしている人ばかり。ドワーフの男の人特有のお洒落なのかと思いつつ進んだらたどり着いたのは立派な門の部屋。左右の柱には鎚を持ったディロル様が彫られていたわ。

 

「親方ー! 客人を連れて来たぞー!」

 

「……入室を許可する。入れ」

 

 神様相手に気さくに呼び掛ける姿にビックリしたけれど、返事の声には威厳を感じる。それこそ神様相手に落胆する前の私が想像していた様な立派な声。私は少し緊張しながら扉を開ける。部屋の奥の椅子には私位の年頃で眼帯で右目を隠した少女が座っていた。

 

「初めまして、と言うべきか? 私が女神ディロルである。……おい、内密な話があるからお前は下がれ。ほれ、駄賃だ」

 

 眼帯の少女……ディロル様は手近にあった瓢箪を案内してくれたドワーフさんに投げ渡すと早く去れと言わんばかりに手を動かす。彼が上機嫌で出て行った後に気が付いたのだけれどこの部屋はとっても臭った……。

 

「あ、汗とお酒が混じった臭いだわ……」

 

 思わず鼻を塞いで呟いてしまう中、キョトンとしたディロル様は急に仰け反り、大声が響いた。

 

「あっはっはっはっはっはっ! こりゃ失礼扱いたっすね。でも、屁はこかないから許して欲しいっすよ、勇者ちゃん」

 

「……あっ、はい」

 

 先程までの威厳は何処かに消え、正しく頭のネジが外れた神様の姿を見せるディロル様。呆然とするしかない中、彼女の視線は賢者様に向いていたわ。

 

「久し振りっすね、キリュウっち。百年前に会ったきり……ちょっとタンマ。矢っ張りその服は良いっすね、萌え萌えっす」

 

「……はぁ、そりゃどうも」

 

 賢者様の生返事など気にせずに身悶えするディロル様。分かっていたけれども神様への理想と現実の違いを知るのは辛かった。

 

 

「世界って残酷ね。凄く残酷よ……」

 

 




オマケもあるのでなろうの方も宜しくお願いします

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女神の試練

 ちょっと前、と言っても人の子にとってはかなりの昔はモンスターに対抗する術を持ってる人は少なかった。魔法を使える奴も素手で対抗出来る奴も珍しく、鍛冶だって稚拙な上に鍛冶職人の数も少ないから武器が行き渡らない。

 

 自分が何とかしなきゃ、そんな風に思ったけれど周りはそれを受け入れてはくれなかった。

 

「人の子は私達が守れば良い。発展は本人達に任せてあまり手を出すな」

 

 五月蝿い、助けが足りていないんだ。そんな事を言うなら四六時中助け続けろ。

 

「急に鍛冶の技術が広まれば安全圏を手に入れても今度は人同士で戦うのではないか? 人の営みの範疇故に手は出せんぞ?」

 

 黙れ、今はモンスターと戦う力が必要なんだ。それを与えられるのなら与えて何が悪い。

 

 

「……そうか、覚悟は決まっているんだね。じゃあ、許可しよう。でも、神の力は一切使ったら駄目だ。鍛冶仕事の女神としてでなく、鍛冶職人として広めるんだ」

 

「分かってるっすよ、ミリアス様。じゃあ、暫く失礼させて貰うっすね」

 

 こうして地上に降りて苦労を重ね、今もクリアスには戻っていない。快く送り出してくれた同じ鍛冶神には悪いけれど、神としてではなく鍛冶職人として過ごす日々は本当に幸せだった。心の底から生きていると実感出来る位に……。

 

 

 

 

 

「うっひゃ~、これを壊したんっすか? これ、それなりの出来映えっすよ。まあ、私が打った武器には遥かに劣るっすけれど」

 

「それは当然ですよ。鍛冶神が人に劣ってどうするんですか。……まあ、私が既に人間かどうかは置いておきましょう

それより着替えて良いですか? 良いですね? 着替えますからね」

 

「却下っすよ。これを新しく作り直すまで私の前ではその服で萌えさせて貰うっす。……それと君は人間だから。少なくてもシルヴィアと私はそう思うっすよ?」

 

(流石は鍛冶神だわ。よく分からないけれど、賢者様の服装で熱意を持って仕事に励んでくれるのね!)

 

 会話は少し分からない内容だったけれど不真面目そうに笑いながらも、手にしたデュアルセイバーに向けるディロル様の眼差しは真剣で、女神様が私に戦いを教えてくれる時の瞳と似ていたわ。それにしても燃えさせて貰うって、凄いやる気なのね。

 

(……この子、どうして私をキラキラした目で見てるんっすかね? 陰キャラには純粋な子供の瞳とかキッツイ……子供なんすよねぇ)

 

「ディロル様?」

 

「ん? ああ、悪かったっすね」

 

 感心しながら見詰めていた私の頭にディロル様の手が優しく乗せられる。急な事だったので驚いた私だけれど、ディロル様も無意識にやっていたのか驚いた様子で手を離したわ。頭に乗せられたのは私以上にゴツゴツした分厚い手の皮の感触、職人の手だった。

 

「さて、三代目の時から武器の手直しと強化を引き受けている私っすけれど、無条件って訳には行かないんっすよ。功績の大小には勇者がどれだけ自分の力で乗り越えたかったってのが重要っすからね」

 

「え? 三代目の時からって、賢者様や二代目の時は何もしなかったのですか?」

 

「まあ、勇者用の剣が経年劣化でボロボロになったのは二代目の時だし、その時は慌ててキリュウっちが魔法で応急処置……あっ、これって秘密事項だったっす。……私も馬鹿っすねぇ。これじゃあイシュリアっすよ」

 

 今までの勇者って渡されたアイテムから専用武器を創造するって賢者様から聞いていたけれど、どうやら何か秘密が有ったらしい。

 

「えっと、賢者様? どういう事かしら?」

 

「……私が勇者時代に魔法で無理矢理強化していた無茶が祟ってですね、二代目が最後の世界に辿り着いた頃に壊れてしまいまして。……ギリギリ魔王討伐には間に合いました」

 

「あっはっはっはっはっはっ! 流石に強化されまくりの武器を与えちゃ功績稼ぎに響くからって専用武器を創造するって事にしたんっすよ。同時に成長して強くなる武器なら与えてもセーフっす。……ずっと六色世界に居て百年に一度だけ神の力を振るう私が作り直すってのもね」

 

 ディロル様は不適に笑うと地図を取り出す。指で示す場所は水源となる川の水が集まる大瀑布、私がティアさんに連れて行って貰った場所ね。

 

「但しっ! 神の力を使った武器を試練も無しに与えるのは勇者相手でも……いや、勇者だからこそ許されないっ! キリュウっちとシルヴィアの力を借りずに大瀑布の滝壺に住む水竜の鱗を手に入れて来るっすっ!」

 

 私に向かってビシッと指を突きつけ宣言するディロル様。神様が人に力を貸すさいに何か条件を与えるのは物語でも珍しくない事なので不満は無い。でも、滝壺の水竜の鱗なら……。

 

「あっ、それならティアさんとの散歩の時に貰えたわ」

 

「言っておくけれど水竜は気紛れな存在、気分が乗らなければ戦って奪い取るしかない、って持ってるんっすかぁっ!? いやいや、新しい勇者の誕生を聞いてから考えていた試練が台無しっすよっ! おのれ、あの水竜。私が頼んでも知らない振りだった癖に。力尽くとかはイメージに関わるから出来なかったし……」

 

腕を組んで不敵に笑った次の瞬間に驚愕の表情に変わり、最後は恨みがましい表情で悔しそうに拳を振るわせる。

 

「賢者様、ディロル様って忙しい人ね」

 

「ドワーフの鍛冶屋の親方ですからね。各世界から注文が殺到していますし、大変ですよ」

 

「いや、そうじゃなくって……」

 

「……まあ、良いっす。運も実力の内って事で引き受けるっすよ。三重丸あげちゃうっす」

 

 賢者様は花丸でディロル様は三重丸、個人によって違いがあるし神様の中でお決まりの誉め方じゃなかったらしい。それでも誉めて貰えるのには変わりがないから誇らしいわ。一番誇らしかったのは牧羊神ダヴィル様に羊を誉めて貰った時だけれど。

 

「私って勇者よりも羊飼いの方に比重を置いているのね」

 

「別に構わんだろう。誰がお前をどれほど勇者として賞賛しても、お前が子供で羊飼いである事は不変だ。気にする事など無い」

 

 今度は女神様の手が私の頭に乗せられる。力強くて少し失礼だけれどお父さんに撫でられているみたいな感覚だった。

 

「それでディロル様、デュアルセイバーの打ち直しにはどの位必要なのですか?」

 

「別に大して掛からないから安心して欲しい……って言いたい所なんっすけどねぇ。いや、本当に作業自体はさっさと済むんっすけれど、封印している力の解放に供物が必要なんっすよ。それを集めるのも試練の内って事で頼むっす」

 

 偶に息抜きや休憩をするのは良いけれど、武器も無しに何日間も暇を持て余すのは困る。だけれど話は簡単には行かないらしい。ディロル様も途中から少し言いにくそうにしながら地図に文字を書き込んで渡して来た。

 

「えっと、バーサーカウ・リーダーの金尾(きんお)、ネコガオダケ、城竜酒(じょうりゅうしゅ)……この三つを集めれば良いんですね?」

 

「モチのロンっす。注意事項はメモに書いて渡すから頑張るっすよ~。……あっ、そうそう。流石に武器無しはキツいっすから私の打った武器を貸してあげるっす。黒近(クロチカ》と|白遠(ハクエン)、特殊な力は無いけれど切れ味と頑丈さは保証するっす」

 

 ディロル様はそう言いながら壁に飾ってある二振りの剣を手渡して来た。それぞれ黒と白のシミターで長さも重さもデュアルセイバーと同じ位で扱いやすそう。

 

「これなら少し練習すれば実戦でも使えそうだわ。凄いですね、ディロル様。こんなにピッタリの武器を見定められるだなんて」

 

 壁に飾られている武器はこの二つだけでない。剣だけで十を越える数の中、迷わず私にピッタリの武器を選べるだなんて尊敬してしまったわ。でも、そんな尊敬の眼差しを向けられたディロル様は居心地が悪そうだったけど何故かしら?

 

「……あー、うん。私ってほら、鍛冶神っすし、使う相手を見れば最適な武器のサイズとか分かるっす。お願いだからキラキラした純粋な瞳を向けるのは勘弁して。眩しいから」

 

 この方もよく分からない事を言うのね。賢者様もだけれど神様達の考える事は理解に苦しむわね。

 

「まあ、理解したら終わりな来もするけれど……。じゃあ、行ってくるわねっ!」

 

 地図とメモをお腹のポケットに入れた私は部屋を飛び出す。一刻も早くディロル様のお力でデュアルセイバーを打ち直して貰わないと困るわ。

 

「うふふふ、どんな風に生まれ変わるのかしら? とっても楽しみだわ」

 

 試練を乗り越えられないという不安は無かった。だって私は賢者様や女神様に強さを保証されているもの。それに、この程度の試練を乗り越えられない様では世界は救えない。私は過信ではなく確信から一切の不安を感じなかった。

 

 

 

「……良い子っすね。コミュ障の私にはちょっと苦手なタイプっすよ」

 

 私が出て行った後の事、私が消えた方向を見ながらディロル様は呟いていた。少し話しただけで随分と疲れた様子で眼帯を外すと手拭いで滲んだ汗を拭う。

 

「あれ? 鍛冶仕事の際に指示を飛ばしたりしていますよね?」

 

「あれは如何にも神様って演技した上だし、飲み会の時も隅でチビチビやってるだけっす。私なんて精々がお洒落で眼帯着けるのが精一杯」

 

「ああ、その透けて見える眼帯ですね」

 

「うっさいっすねぇ。そんな事より斧の代金、今月のローンの支払いが未だっすよ。折角来たんだから払うっす」

 

「……あの斧は世界を救う為の旅で使っています。ならば旅の資金から払っても構いませんよね? この旅に出てから小遣い稼ぎにする神からの依頼がこなせてなくって」

 

「キリュウっちもワルっすね~。……色付けるなら黙っておくっす」

 

「ふふふ、ディロル様の悪党っぷりには敵わないですよ」

 

 こうして私の知らない所で汚い大人の取引が済んで二人は握手を交わす。多分私が居る時はしないのだろうけれど、この場に居なくて良かったわ。この会話を聞いていたら絶対大人になるのが嫌になっていたもの……。

 

 

 

 

 

「……えっと、あれがネコガオダケで間違い無いわよね?」

 

 一番先に向かったのはコモクマウンテンの麓、私達が昇ったルートとは反対側に存在するキノコだらけの森の中だった。私より巨大なキノコがそこら辺に生えていて、彼方此方にモンスターの死骸に寄生した不気味な色のキノコが見える。そんな中、木の陰に隠れながら視線を送る先には巨大な猫の顔があったわ。

 

「ニャー」

 

 非常に可愛らしい……とはとても思えない重低音で鳴きながらゴロゴロと喉を鳴らす様な音を立てる猫の顔。因みに首から下は存在しない。その代わり、首の付け根がある辺りに虫特有の長細い脚が生えていた。

 

『『オオネコガオ』猫の顔の姿をした巨大な虫。猫の鳴き声に似た声で鳴き、髭で空気の流れを察知して獲物を探す肉食虫。視力は低く、額に生えたネコガオダケは絶品』

 

「髭で空気の流れを……?」

 

 賢者様が急遽用意してくれた首飾りでモンスターの情報が入って来る。その内容を理解した時、既にオオネコガオが私に向かって走り出していた。脚をワシャワシャ動かして足下のキノコを踏みつけ大口を開ける。口の中は猫と違って舌は無く、ビッシリとヤスリの様な細かい歯が生えている。

 

「多分アレで擦り潰すのね。……見た目は少し可愛かったのに残念だわ」

 

「ニャー」

 

 全く動かない私に対して興奮した様子のオオネコガオは目を血走らせて向かい、手を伸ばせば口の中に入る程の至近距離で丸呑みにしようと覆い被さって倒れ込む。口をモゴモゴと動かして獲物を食べようとするも肉片一つ存在しない事に違和感があったのか起き上がり、両側の髭が風に舞って散る。

 

「ふぅ。先ずは一個目ゲットね」

 

「ニャー?」

 

 真上から響いた声にオオネコガオは上を向き、振り下ろした二つの刃が三枚に下ろす。食いつかれる寸前にオオネコガオのすれすれを飛び上がって避けた私は同時に髭を切り落としていたの。そして落下と共に黒近と白遠で切り裂いたオオネコガオの額からネコガオダケをもぎ取る。緑色の少し不気味なキノコだけれど、とても良い香りがした。

 

「……美味しそうね。スープにするか、火で炙るか……」

 

 キノコから目を離せば私に気が付いたのかそこら中から顔を覗かせるオオネコガオの姿。当然額にはネコガオダケが生えている。少しお腹が減った気がした。

 

「良いわ、武器の慣らしを手伝ってちょうだい。……それにしても切れる刃って良いわね。デュアルセイバーは何故か鈍器だもの」

 

 そもそも鋏の形な時点でおかしいと思いつつ剣を構える。運動後はキノコ祭りになりそうね。

 

 

 

「……ちょっと取り過ぎたわね」

 

「ワフゥ……」

 

「ま、まあ、余った分はお裾分けしたら良いだけだし、今は次の目的に集中しましょう」

 

 キノコの森から少し離れた草原地帯、パチパチと火の粉が弾ける焚き火の側で私はネコガオダケを炙りながら反省する。試しに一つ軽く焼いてみれば美味しくて、気が付けば夕方までオオネコガオを探した結果がキノコの山。呆れかえった犬の鳴き声が聞こえる中、姿勢を低くして急勾配になった坂の下をのぞき込めば牛の群が草をムシャムシャと食べていた。

 

「……飼い慣らされて肥えた乳牛にしか見えない牛だけれど」

 

『『バーサーカウ』普段は大人しい夜行性の牛。普段は鈍くて大人しいが簡単に怒りだし、その怒りは群れ全体に伝播する。怒った場合、凶暴かつ強力になるので要注意。怒った状態の群れの長の尻尾は金色に光り、生きたまま切り落とせば光を保ち極上の味わい』

 

「私、酒の肴を集めさせられているんじゃ……」

 

 ディロル様の神の力を一時的に復活させる供物と聞かされたけれど少し疑いを持ってしまう。でも、デュアルセイバーを手にした時の真剣な顔を思い出せば疑念は小さくなる。

 

「まあ、集めてから考えれば良い事ね。……皆、作戦は分かっているわね?」

 

「……メ? メ、メー!」

 

 既に羊の宴(シープバンケット)で召喚している私の可愛い羊達は草を食べるのに夢中だったのか慌てて返事をする。牧羊犬のゲルドバは眠そうにしながらもキノコを食べているし。

 

「じゃあ、バーサーカウ・リーダーを何とか見抜きたいけれど……どれかしら?」

 

 怒り出せば見た目で分かるらしいけれど今は統率も無くバラバラに散らばっている状態。だから作戦を考えた。

 

「皆、囮をお願いね。周囲から挑発してターゲットを分散させて、分断したリーダーの相手は私がするから。」

 

「メー」

 

「ワン!」

 

 今度はちゃんと私の言葉を聞いてくれて返事をしてくれるゲルドバと羊達。ゲルドバなんてネコガオダケを口に咥えたまま鳴いたから口から落ちて転がって、追い掛けるゲルドバは坂道から転がる寸前でキャッチ。少し大きくて丸い石が前足にぶつかって坂を転がっていった。

 

「……あっ」

 

 坂の途中にある石に転がった石がぶつかり更に転がる。連鎖は続いて転がる石は増え続け、坂道の寸前で草を食べていた一匹の頭にぶつかった。

 

「……モー?」

 

 呑気な鳴き声で此方を見るバーサーカウと私達の視線が交わる。小首を傾げ、何が起きたのか理解していない姿は愛嬌さ感じて可愛い位。

 

「なんだ、別に短気じゃないわね。ビックリ……」

 

「モォオオオオオオオオッ!」

 

 安心してホッと胸を撫で下ろす。その矢先に激怒した鳴き声が響き渡った。

 

「矢っ張り短気だわっ!?」

 

 瞬く間にバーサーカウに起きる変化。白黒の体は黒一色に染まり、弛んだ肉体は逞しく膨れ上がり、全身に血管を思わせる赤い模様が浮き上がったわ。角も前に向かって伸びて体長の半分程の長さになり、私達の方を向いて鼻息荒く前脚で地面を掻いている。それも目の前の群れ全体がだった。

 

「作戦変更……後ろに向かって全力前進からの散開っ!」

 

「メー」

 

「メー」

 

「……メー!」

 

 最後の一匹が鼻先で軽くゲルドバを小突いて走り出す。私も賺さず走り出す中、土煙を上げながらバーサーカウが突進して来た。

 

「モォオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 

「モー! ゲルドバの馬鹿ぁあああっ!」

 

 初めての逃亡戦、私は少し自棄になって叫びながらもその輝きを目にする。怒りのままに互いを押し退けてでも疾走する群の中、金色に輝く尻尾を持つバーサーカウが居た。

 

「あれがバーサーカウ・リーダーね。……どうやって尻尾を切り落とそうかしら?」

 

 



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母の面影

「ささっ! そろそろ焼き加減が良い具合になる頃っすよ」

 

 ゲルダさんが一人で出かけて直ぐに始まった酒宴にて、私達を強引に誘ったディロル様は七輪で焼いたカメレオンレオの尻尾を取り皿に移すなり両手で持つ大きさの朱塗りの大杯に並々と注いだ酒を一気に飲み干す。ゴクゴクと喉を鳴らし、口の端から少しばかりこぼしながらも五合は有りそうな量を飲み干しました。

 

(お子様の見た目なので少し思う所が有りますね。まあ、言いませんが)

 

 口にすればどんな反応を見せるか分かっています。基本的にドワーフは職人気質の方が多く、普段は統一規格の量産品で稼いだ金の殆どを情熱と技術を込めた一品を造るのに注ぐ鍛冶職人は自分の気に入った作品を一流の使い手に使って欲しい。多少強引な方法を取ったとしても。武の女神であるシルヴィアの部下と認識されている私や勇者であるゲルダさんの身分を隠していたのもそういう事で……。

 

(まさか『私の酒が飲めないのか!』という台詞を実際に聞く日が来るとは……いえ、クリアスでは何度も聞いていますね、アルハラ神によって)

 

「ん~! 矢っ張り酒の肴は肉、肉の調味料はワサビ醤油っすよ」

 

「私はニンニク醤油ですね」

 

「肉には塩胡椒で十分だろう」

 

 酒はその名の通り城を思わせる巨体を持つ城竜(じょうりゅう)の背中に湧き出た城竜酒。老廃物の一種として過剰な栄養が酒として湧き出るらしく、長命な竜ほど深い味わいの酒を出す。

 

 肴にしているカメレオンレオの尻尾は肉そのものよりは加工品、サラミに近い味わいです。少々臭みが強いですが、しっかり熱して脂が溶け出すまで炭火で炙れば気にならない程度には臭みが減る。シルヴィアと互いに酌を繰り返して食べ進め、次は岩塩でも、そう思っていた時に不意にディロル様が思い出した様に口を開いた。

 

「ワサビ醤油といえば、パップリガでま~た戦らしいっすよ」

 

「……またですか。魔族が出現しているのに随分と余裕……いえ、余裕が無いから戦になるのでしょうが」

 

 パップリガは獣人を含む他の種族に対して排他的で蔑視的な考えが広まった人間中心の世界です。文化的にもそうですが戦国乱世もかくやと言うべき平和が縁遠い世界であり、日本人である私も出来るだけ行きたくない世界です。但し和菓子は食べたい。桜餅とかぼた餅とか団子とか……考えただけで無性に食べたくなって来ました。

 

「どうも別の領と共有している水源を巡って村同士が揉めたのに領主同士が争って……って感じで進んだ結果、戦神のイシュリアに生け贄が捧げられたとか。昨日、酒を飲みに来た時に愚痴をこぼしていたっす。生け贄を捧げられても届かないし、仮に魂が来てもどうしろってのは分かるっすよ。『煮ても焼いても食べられない。でも、美少年の純潔なら捧げて欲しい』だそうっすよ」

 

「だな。そもそも姉様は珍しく人の戦に介入する権利を有しているが、既に勝利が決まったのに続いて泥沼化するなど被害が増えない為に祝福を与えてさっさと勝たせる事だし、開始前から祈られても知らんだろう。……それに私はパップリガの連中は好かん。……それと最後のは蛇足だ」

 

「ほらほら、面白く無い話はこの辺で止めてゲルダさんの様子でも見ましょう。一応アンノウンの部下のキグルミが遠くから見守ってくれていますけれど心配ですし」

 

「……は? トライヘキサの部下? ってかキグルミ? 訳分からんっすね、それ」

 

「私も偶に分からなくなる。……まあ、可愛いから別に良いのですが」

 

「……キリュウっちって偶に……いや、頻繁に馬鹿になるっすね。もう使い魔と主じゃなくって、ペットの猫とダダ甘な飼い主っす」

 

「使い魔もペットみたいなものでしょう? それに悪さが過ぎれば叱っていますよ。めっ! って感じで」

 

「そういう所っすよ。ったく、どうしてキリュウちゃんが賢者って呼ばれているのやら……」

 

「さあ? 私にもさっぱりですよ。もっと魔法使いっぽい異名の方が嬉しいのに」

 

 腕を組んで首を捻ったディロル様は直ぐに興味を失ったのか今度は瓢箪の蓋を開けて一気に呷る。子供の飲酒にしか見えない事を口に出すのを止めながら魔法で壁にゲルダさんの姿を映し出せば平原で羊達と共に走っている途中でした。尚、怒り狂ったバーサーカウに追われています。

 

「……ああ、そう言えば最近シングルマザーで凄腕の魔法使いが杖を注文して来たっすよ。結構金払いが良かったから私が作ったっすけれど、彼女ももしかしたら勇者の仲間になり得たかも」

 

「まあ、今は私とシルヴィアが仲間ですから大丈夫でしょう。本来なるはずだった人達も救えなかった人の遺族や利用を企む権力者に身内が狙われる心配をしながら危険な旅をしなくて良いですし、ならない方が良いですって」

 

「賢者と女神が仲間っすからね、豪勢っすよ、マジで。……にしても勇者が子供って大変っすね」

 

「ええ、大変です」

 

「そうだな」

 

 当然、お守りをするのが大変という意味で口にした者はこの場には居ません。子供なのに勇者という大役を押し付けられたゲルダさんが大変なのです。

 

「大人の私達が支えるしかないですね。……さて、少し酔いが回って来たらしい。……シルヴィア、膝を貸して下さい」

 

「喜んで貸そう。さあ、さっさと私の膝を使え」

 

 受け入れられるなりシルヴィアの柔らかい……と言ったら嘘になる膝に頭を乗せて目を閉じる。まったく、極楽はこの世に存在したのですね。

 

「……キリュウっちって一口で酔い潰れるレベルで下戸だけど魔法でザルにしてるんじゃ?」

 

「私に甘える口実が欲しかっただけだ。……このまま襲ってしまいたいが、少し前に酔った時に色々されたのに怒って一週間は抱き締めてキスをするまでしか許さなかったのは私だからな……どうすべきだと思う?」

 

「いや、知らないから巻き込まないで、バカップル」

 

 さて、このままシルヴィアの膝の感触を楽しみながら微睡みましょう。あの程度なら今のゲルダさんなら突破出来るでしょうしね。もしもの場合は私が教えたあれを使えば良いだけですし。

 

 ゲルダさんの心配は不要なので特に気にする事無く目を閉じ続ける。寝ればシルヴィアの膝を堪能出来ませんが、同時に彼女の膝枕で眠りたい欲望も大きい。

 

「ディロル様、どうすべきと思いますか?」

 

「何の事かさっぱりっすけど……知るか」

 

 何が不満なのか機嫌を悪くした様子の声で返事をした後で酒を呷る音が聞こえて来る。矢張り頭のネジが外れている分類に入る女神ですが悩みも多いらしい。後で相談に乗る旨を伝えるべきでしょうか?

 

(いえ、彼女なら自らの問題は自ら解決するでしょう。余計なお世話ですね)

 

 そんな風に思っていると睡魔が強く誘って来る。何時しかシルヴィアの寝息も聞こえて来ましたし、夫婦仲良く眠るとしましょう。ああ、私は本当に幸せ者です……。

 

 

 

「皆、作戦を忘れないで!」

 

「メー」

 

「メー」

 

「メー」

 

「ワン!」

 

 背後から怒濤の勢いで迫り来る怒り狂ったバーサーカウの群れ。叫び声と激走する蹄の音が響く中、私の指示に従って羊達は少しずつ左右に分かれて行く。どうも直進を優先する習性が有るみたいで、左右に分かれないと直進するターゲットを群れ全体が追い掛ける事になりそうね。横から攻撃する手も有るけれど、殺せば金尾が手に入らないから今回は無理だわ。

 

「モゥウウウウッ!」

 

 走り続けて更に怒りが沸き上がったのか目は血走り筋肉は更に肥大する。でも、それが逆に動きを悪くして更に味方同士の激突を招いていたわ。先頭を走る一匹の体を魔法の蔦が拘束すれば無理やり脱出しようと全身に力を込めるけれど蔦は中々千切れない。そして動きが止まった仲間を気遣う事をしない後ろのバーサーカウ達が追突、転ぶ者や転んだ者を踏み越えて進む者、足を絡めて転んだ者が更に転倒者を増やし、中には仲間の角に串刺しにされる者も。

 

「モゥ!」

 

 そうして数を減らしたバーサーカウ達だけれど元々の数が多くて少し減った程度じゃ未だ足りない。左右に分かれ、更に枝分かれする事で群れを分断していると一際大きな鳴き声と共に群の中から飛び出す巨体、バーサーカウ・リーダーが羊達に命令を出しているのが私だと伝播した怒りに支配されながらも理解して襲って来た。

 

「……未だよ。未だ分断させなくっちゃ……」

 

 更に羊達と私達は左右に分かれ、バーサーカウを分断するけれどバーサーカウ・リーダーは私を完全に見定めたのか迷わず追ってくるわ。向こうは徐々に速度を上げ、反対に私達は徐々に速度を落とす。確実に距離が縮まり、遂に一メートルを切った時、バーサーカウ・リーダーが全身の力を込めて跳んだ。前方の仲間すら弾き飛ばし、私を串刺しにするべく伸びた角を突き出す。

 

「待っていたわ、この時を!」

 

 私は身を翻して反転、私に向かうバーサーカウ・リーダーに向かって跳びながら腕を伸ばした。鋭い角の先端を掴み、腕の力で体を持ち上げた私はバーサーカウ・リーダーの頭を飛び越すと体の上を転がった。背中の上で回転しながら黒近を抜き、お尻を滑り落ちる瞬間に振るえば鮮血が散って尻尾が飛ぶ。まるで月明かりの様な輝きを放つ尻尾をキャッチした私の顔に思わず笑みが浮かんだわ。

 

「じゃあ尻尾は手に入れたし……普通に相手させて貰おうかしら! その肉、皆の為に貰うわね!」

 

 賢者様が蝗害による食糧不足は魔族の仕業だったからって蝗退治をしたから元々豊富だった食糧の問題は直ぐに解決するだろうけれど、配れる物が有るなら配った方が良い。それに今日はお肉が食べたい気分だった。どのみち怒り狂ったバーサーカウ達から逃げ切るのは大変で、無関係な人が巻き込まれるのも避けたい。だから私は立ち向かおうとして、周囲が急に明るく照らされた。

 

「……え?」

 

 空から光が、いいえ、雷光が降り注ぐ。急な事で退避出来なかった私を羊達が飛び上がって庇ってくれて、バーサーカウ達は電撃によって焼かれる。痙攣する体では逃げ出せず、バーサーカウ・リーダーを除いてバタバタと倒れる中、雷による火傷を負いながらも睨み付ける先には女の人が居て、その顔を見た私は驚いて呟く。だって、あの人は……。

 

「お母……さん……」

 

「メー!」

 

 しっかりしろと、そんな風に言いたそうな顔の羊達が鼻先を擦り付けて来てハッとする。雷の影響でフワフワモコモコだった毛がチリチリになって少し不機嫌そう。少し面白くてこんな状況じゃなかったら吹き出していたでしょうね。

 

「……そうね、分かっているわ。お母さんは死んだもの、居るはずがないわ。それによく見れば別人よ」

 

 両親が死んで既に数年、乗り越えた気で居ても口に出せば悲しみと寂しさが込み上げて来る。慰める様に体を擦り寄せてくる羊達とゲルドバを撫でながら女の人に視線を向ければお母さんとは別人だと簡単に分かった。お母さんの毛の色は灰色で、あの人は黒。お母さんは貧乳で、あの人は大きい。似ているのは顔だけで、あんな悲しそうな顔を浮かべたお母さんの姿なんて私は見た事が無い。

 

「ヴモォオオオオオッ!!」

 

 響き渡るバーサーカウ・リーダーの叫び声。体中からプスプスと煙を上げながらも声を張り上げ、正しく死力を尽くして女の人に向かって走り出す。一瞬見えたけれど瞳には生気が感じられなくて、もう気力だけで動いている状態。ただ怒りのみで、仲間を殺した相手への、仲間を守れなかった自分への怒りだけで力を振り絞って……。

 

「雷の王、雷の化身よ。契約者たる我の呼び掛けに応え現れよ」

 

彼女は小さな魔本を取り出し、静かに詠唱を行う。既に空は夕暮れ時で雲一つ無い空の彼方に真っ赤な夕日が沈む中、彼女の背後に特大の落雷が起きた。眩い光が周囲を照らし、雷が落ちた場所には雷の大男が現れていたわ。

 

「せ、精霊……」

 

 下半身は放電を続ける黒い雷雲に包まれた宙に浮く赤い球体、上半身は雷で構成された禿頭の巨漢。上位の神に従うのが下位の神である従属神のダヴィル様達なら、更に下に配置されるのが精霊。神の世界から基本的に出て来ない神様と違って六色世界で神に代わって力を振るう存在が私の目の前に現れた。

 

「お願いね、アンペー」

 

 迫るバーサーカウ・リーダーに振り下ろされる雷の精霊、アンペェの拳。轟音が響いて雷光が迸る。砕け散った地面が散らばった時、黒こげになったバーサーカウ・リーダーの倒れる音が聞こえて来た。アンペーは振り下ろした拳を上げ、女の人は私を見ていた。

 

「……そう、貴女のお母さんと私は似ていたのね。ごめんなさい、私は貴女を殺さなくちゃ駄目なの……」

 

「え? な、なんで……? そもそも、貴女は誰なの?」

 

「……そうね、名乗るくらいはしておかないと。私の名前はイアラ、貴女を襲う理由は……言いたくないの。とても身勝手な理由だから。本当にごめんなさい」

 

 彼女……イアラさんが私を指させばアンペーが動き出す。流石に雷速ではないけれどかなりの速度で宙を進み、羊達が向かって行こうとするのを召喚を解除して止めた。

 

「無駄よ。精霊に物理的な力は通じないもの……」

 

 私の為に立ち向かってくれるのは嬉しい。だけど精霊は自然の化身、触れる存在じゃないの。私の為にあの子達が無駄に傷付く姿は見たくないわ。両腕を組み合わせて真上から振り下ろすアンペーからバックステップで距離を取り、イアラさんに視線を向ける。視線が交わった瞬間に目を逸らされた。

 

(迷っているのね。きっとこんな事をしたくないのにするしかない理由が有るのだわ。……ならっ!)

 

 白遠を鞘に納め私も魔本を取り出すと詠唱を始めた。

 

「取り敢えず倒してから話を聞き出すわ! 礫よ、我が敵を罰せよ!」

 

 無数の石礫がアンペーとイアラさんに向かって行く。アンペーの雷の体に触れた石礫は電撃を浴びて煙を上げながら地面に落ちて、イアラさんはさっと身を翻すけれど石礫の一つが肩に当たって体勢を崩す。魔法で防ぐ素振りはなかったわ。

 

(演技? それとも……)

 

 イアラさんの様子を疑問に思いつつ、腕を振り回して襲い掛かって来るアンペーから逃げ続ける。武器を振るっても多分私が感電するだけでダメージは与えられない。それは向こうも理解しているのか果敢に向かって来ているわ。だけれど攻め倦ねているのは向こうも同じ。動きは速いけれど動きは雑、女神様と比べれば力任せに暴れているだけね。

 

「矢っ張り決め手になる物が……って、向こうも本気の様ね」

 

 元からアンペーは雷の体、人の姿をしていた上半身が蠢いて膨れ上がる。体の表面には刃が生え、両手も鞭の様に長く伸びる。力強く振るわれた鞭がしなって迫り、それを紙一重で避けたと思った瞬間に更に伸びた。

 

「あぐっ!」

 

 少し掠っただけで体が痺れ痛みが走る。体が上手く動かない中、アンペーの体の刃が発射された。顔に向かった刃を後ろに倒れる事で辛うじて避け、地面を転がる。地面に刺さった刃は元の雷に戻って周囲に撒き散らし確実に私にダメージを与えていった。だけど、確かに攻撃は激しくなったけれど少し手緩い気がするわ。

 

「……そう。迷いがあるのね。アンペーも、イアラさんも……」

 

 本当にどうしようもない理由が有るんだって理解する。だから迷いは完全に消えた。痺れる体をん無理矢理起こし、白遠を鞘から抜き放ち構える。

 

「無理よ、精霊に物理的な攻撃は通じないわ。……お願い、抵抗しないで。本当はこんな事をしたくないの。でも、私にはあの子しか……お願い、アンペー!」

 

 イアラさんから更に魔力が注ぎ込まれてアンペーの雷が更に威力を増し、金色の光が青い雷へと変わる。背中から四本の太い腕が生え、大きく裂けた口から吐き出された雷撃に合わせて二本の鞭と四本の豪腕が私に迫って来た。

 

「……ごめんなさい」

 

 目を閉じてその時、私が死ぬ瞬間を見ない様にするイアラさん。だから彼女はその瞬間を見なかった。アイペーが吐き出した雷も、その体も真っ二つに切り裂かれた瞬間を。本来なら精霊を切り裂く力の無い黒近と白遠の刃は青白い魔力に包まれて光っていたわ。

 

「……イアラさん、お願いだから教えて。何があって私を襲うのか。私が……勇者が力になるから」

 

「それは……」

 

 私の体中に浮き出た紋様、救世紋様が何を示すのかイアラさんは知っていたらしく随分と驚いた様子で魔本を手放す。良かった、戦いを続ける意志はもう無いらしいわね。

 

「安心して。私の旅には賢者様も付いて来ているわ。だから……私を信じて。子供だけど、絶対頼りになる勇者になれるから」

 

「……子供が浚われたの。亡くなった夫の忘れ形見の可愛い娘が居なくなって、リノアって女が貴女を殺せば返してくれるって。ごめんなさい。本当にごめんなさ……」

 

 空を切り裂く音が聞こえ、イアラさんが真正面に突如倒れる。彼女の背中、心臓が有る場所が溶けて煙が上がり、強烈な悪臭が漂う。

 

 

 

「勇者、見ぃつけたぁ。殺せばあの方に、あの方にぃ、にぃにぃ、いいいいいいいい……いただきま~す!」

 

 正気の感じられない声と共に空から落ちて来た巨体。人を丸飲みに出来る程に巨大な蝗で脚は蜘蛛、尻尾は蠍の怪物、その胴体には無数の痘痕の様な出来物が。いえ、よく見ればそれは痘痕ではなく顔。狂人の笑みを浮かばせ涎を口から溢れさせるシャナの顔だったわ。

 

「……そう、また貴女なのね」

 

 それはシャナに対してじゃない、ディーナと同じ事を彼女にしたであろう相手への言葉。柄を握る手に力が籠もる。沸々と怒りが湧き出した。

 

「……貴女には特に思い入れは無いし、同情もしていない。でも、此処で倒してあげるわね、シャナ!」

 

 日は完全に沈んで満月が草原を照らす。本来の武器を失った状態での少し厳しい戦いが幕を開けた。

 




親子の再会? 私の作品ですよ?


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悪の余興 (挿し絵有り)

太子と妹子@鼻水級パンツ絵師 様からの提供です


 邪悪なる者の巣窟、人類の天敵たる魔族の本拠地にてゲルダがイアラと戦う様子が巨大な鏡に映し出されていた。

 

「……ふ~ん、随分と面白い事をするんだね、彼奴はさ」

 

 面白い、その言葉とは裏腹に彼女の表情から伺える機嫌は芳しくない。玉座に座り、肘掛けに右肘を置いて指先でこめかみの辺りをトントンと叩く。その様子に使用人らしき者達が戦々恐々とする中、メイドの一人の手が震えてワインが数滴皿の上のフィッシュアンドチップスに掛かった。

 

「……」

 

 皿の上に伸ばそうとしていた手が止まる。顔はワインを零したメイドに向けられた。

 

「ひっ!? も、申し訳……」

 

 無言で自分を見る主に彼女は身を竦ませ許しを乞う。そんなメイドに向けられたのは笑顔。見た通りの少女に相応しい笑顔を見せ、何とか助かったとメイドが安心した、その瞬間だった。

 

「え?」

 

 襟を巨大な手が掴んで持ち上げる。いや、違う。腕が巨大なのではなく、メイドが小さくなっているのだ。自分に何が起きて、今から何が起きるのか理解した彼女は顔を恐怖で歪め、仲間に必死に目で助けを求める。誰も彼も顔を背け知らない振りだ。当然だろう。自分達など石ころ程度の認識でさえないのを分かっているのだから。

 

「お許しを! お許しを! お許し……」

 

「いっただきま~す」

 

 涙を流し懇願するメイドはそのまま口の中に放り込まれ、チュルリと喉の奥に流し込まれる。

 

「おや、もう消化してしまったよ。食べ応えのないオヤツだね」

 

 そのまま視線を向ければワイングラスからこぼれ落ちた数滴のワインは宙に浮いてグラスに戻る。最初から零れてなどなかった様だ。

 

「ビリワック、何か面白い冗談を言ってくれ。爆笑必須で抱腹絶倒の思い出す度に腹が捩れそうになる、そんなジョークをさ」

 

 主からの無茶な要求にビリワックの胃がキリキリと悲鳴を上げるが、その様な素振りを見せる彼ではない。少しだけ考え、懇親のギャグを口にした。

 

「隣の家に囲いが出来たよ、へー」

 

「実に興醒めだよ、あの女。他人の仕事を利用して、それで人間同士で戦わせようってのかい?  理由を聞けば迷いが生じるとでも? ……さてさて、君は乗り越える事が出来るかな? 目の前で誰かの大切な人が失われてさ」

 

「無視ですか……」

 

「え? 何が? ……取り敢えず彼奴は絶対に裏切り者にはしてやらない。最初からする気は無いけれどね。ふふふふふ、この件で勇者を敵に回したし、どうなるかな? 君達は絶対に幸せになれないよ。最初からその為に動いているんだからね」

 

(……主に動いているのは私ですが。いえ、黙っておきましょう。それより減ったメイドの分の仕事の割り当てをどうすれば……)

 

 再びビリワックの胃がキリキリと痛み出す。実働部隊への指示の他にも人事の担当である彼の気苦労は暫く続きそうだった。

 

「ふふふふふ、それは兎も角、君はどうするのかな、ゲルダ? 成長と同じ位に苦悩する君の顔も見てみたいんだ。ほら、もっと私を喜ばせてくれたまえ!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 椅子から立ち上がり恍惚の表情で彼女はゲルダを見詰める。それは恋する乙女の表情……等とは全くの別物の邪悪な雰囲気であった。

 

 

 

 

 

「えへ、えへえへえへえへぇえええええっ!」

 

 巨大な蟲のキメラになったシャナは笑いながら向かって来た。毛むくじゃらの蜘蛛の脚をワシャワシャと動かして、蝗の口から消化液を左右に吐きながらだったわ。消化液を浴びた場所はくさだけでなく地面まで溶けていたわ。あの巨体を正面から相手取るのは無謀だから横に回り込もうとした私だけれど、シャナと私との間に転がっている物を見て足が止まってしまう。

 

「イアラさん……」

 

 急に襲って来た初対面の相手で既に死んでいる。だから戦いに巻き込まれても気にする必要は……絶対に有るわ。気が付けば黒近と白遠の刃を交差させ、シャナに真正面から迎え撃とうとしていたわ。無謀も無茶も百も承知。でも、彼女は私を殺すのに迷いがあった。それでも助けたい程に大切な子供が浚われたって理由があった。だから、私は彼女の死体が無残な事になるのを避けたい。せめて綺麗な姿で子供とお別れをさせてあげたかった。

 

「ぷぅ~!」

 

 シャナの口が大きく膨らみ、消化液が塊で迫る。両手の剣で切り払うけれど飛沫が幾らか肌に触れて凄く痛いわ。少し飛沫が触れただけで腕は火傷みたいになっていて、イアラさんとアンペーから受けたダメージもあって動きが止まりそうになるのを堪える。シャナはイアラさんの死体なんて気にせず進み、私は何とか間に滑り込む。手を真っ直ぐ伸ばすまでもない距離にシャナの大きな口が開いたまま迫っていたの。

 

「……やれやれ、何をなさっておいでですか。その女など見捨てるのが正解でしょうに」

 

 硬質な物に重い何かがぶつかった音が響く。シャナの巨体は目の前に出現した白い魔法陣によって防がれ、私の横には右手を前に突き出して魔法陣を展開する灰色の毛のウサギが……いえ、ウサギのキグルミが立っていたの。冷静で冷徹そうな若い女の人の声が聞こえ、一瞬で視界が切り替わる。僅か一瞬でシャナが遠目に見える距離まで転移しているだなんて普通じゃ有り得ないけれど、普通じゃない存在の仕業なら有り得るわ。

 

「貴女、アンノウンの部下ですか? えっと、どうもありがとう」

 

 灰色のウサギのキグルミの足下にはイアラさんの死体が有る。私が戦う時に困らない様に連れて来てくれた事に感謝したけれど、何故か不機嫌な空気を醸し出し、不意に私の頬を平手で打った。一瞬何が起きたか分からなかったけれど、フワフワのキグルミの手で打たれたから全然痛くない。それは向こうも分かっているのか不満そうに自分の手を見ていたわ。

 

「……貴女は自分の立場を理解していない。勇者という存在がどれだけ世界にとって大切なのか知らないらしいですね」

 

「え? 私、勇者の役割がどんな物かちゃんと知って……」

 

「知っていたならばあの様な無茶は出来ません。こんな女の、ましてや死体の為に身を投げ出すなど有り得ないのですよ?」

 

 決して怒鳴っている訳では無いけれど彼女の冷静な声には怒気が籠もっていたわ。言いたい事も少しは理解している。でも、私は黙っている訳にはいられなかった。だって、イアラさんは子供の為に戦った母親だから……。

 

「……彼女は私が勇者だと知らなかったの。それに子供を人質にされて仕方無く……」

 

「それがどうかしましたか? 無知が免罪符になるには度を超しています。結局、我が子の為に知らない子供を手に掛ける事には関係有りません。……勇者が死んだ場合に出る犠牲者の数を考えなさい。圧制を敷く暴君よりも、金の為に人を殺める暗殺者よりも、快楽殺人鬼よりも彼女の行為で出た可能性の有る死者の方が多いのです」

 

「それでも私は勇者なのっ!」

 

「……それが間違っています。勇者としての在り方で自分を犠牲にする? 馬鹿馬鹿しい。貴女は勇者である前に十歳の子供である事を忘れている。……もっと自分を大切になさい」

 

 灰色のウサギさんは背中のチャックに手を回すと中から何かを取り出す。差し出したのは甘い香りのする小瓶だった。蓋を開けて差し出したし、飲めって事かしら?

 

「特別な秘薬です。……いえ、秘薬な時点で特別な品でしょうが飲みなさい」

 

「……」

 

 一瞬迷ったけれど意を決して小瓶を手にし、一気に呷る。歯が溶けるかと思った位の甘さで飲み干した瞬間から胸焼けを起こすけれど、体中の痛みと共に消え去る。見れば消化液を浴びた所も治っていた。

 

「これで戦えますね? では、私は此処で失礼します。……ああ、それと二つ程。名乗るのが遅れていましたね。私はグレー兎(グレート)と申します。一応はあの腐れパンダ擬きの頼みで動いている者ですよ」

 

「パンダ擬き? 確かにパンダのヌイグルミを操ってはいるけれど、酷い言い様ね」

 

「アレが好き勝手した結果、主に胃袋に受けるダメージに比べれば大した事では無いでしょう? ……ニートで引き籠もりの弟を就職させてくれたのは良いですが、姉と魔法少女萌のオタクにするなど……」

 

「寧ろ言い足りない位ね。魔法少女とか何か知らないし、何で燃えるのか分からないけれど絶対アンノウンが悪いわ」

 

 よく知らない事で人を責めるのは良くない事だけれど、アンノウンは人じゃないし、胃の当たりを押さえるグレー兎さんの姿から簡単に想像が付くわ、アンノウンが何かやらかしたって」

 

「……まあ、自分をもっと大切になさい。彼女が子を想う母なら、貴女のご両親だって子である貴女を想っていたのでしょう? では、二つ目ですが……平手打ちをして申し訳有りません。どうかご武運を」

 

 ペコリと優雅に丁寧にお辞儀をしてグレー兎さんは一瞬で姿を消す。イアラさんの死体も同時に消えるけれど心配はしなかった。あの人の最後の声を聞けば粗末に扱わないって分かるもの。

 

「……あの人、最後は優しい声だったな。グレー兎さんも子供が居るのかも。……そうよね、私のお母さんとお父さんも私を想っていたわ。どうして忘れていたのかしら?」

 

 もう私に気が付いたのか奇声を上げながらシャナが迫る。途中、進路上に存在する大小の岩は踏み砕かれ、木は薙ぎ倒される。怯む様子は全く無いし、かなり硬い体みたいね。でも、今の私なら大丈夫よ。

 

魔包剣(まほうけん)……出力全開!!」

 

 黒近と白遠の刃にさっきと同じ様に魔力を纏う。但し出力は比じゃないわ。此処まで来たら全力全開、私の本気が何処まで通用するのか試させて貰うんだから。

 

 呼吸を整え魔力のコントロールに集中する。魔力は例えるなら流れる水。それの向きや速度を意識的に操る事で可能となるこの技を編み出したのは剣聖王イーリヤ様、賢者様の仲間の一人だって聞いた。

 

 

 

「魔法剣? 魔法を剣に纏うのかしら?」

 

「いえ、魔法ではなく、魔で包むと書いて”まほう”と読みます。ほら、ゲルダさんは基本的に物理重視ですし、実体を持たない相手への攻撃手段に乏しいでしょう? これを使えば実体が無い相手にも武器の攻撃が通用するのですよ」

 

 それはグリエーンに到着した日の夜、新しい技を教えてくれると賢者様が言って来た事から始まったわ。確かに私の魔法も殆どが物理的なダメージを与える物、この時は精霊との戦いは想定してなかったけれど、死霊系モンスターが相手なら必須な技だし少し興味が湧いたわ。

 

「……あれ? でも、そんな技について書いていた本を読んだ事が無いけれど……」

 

 疑問を口にしながらも私は嫌な予感がしたから答えを聞くのに躊躇したわ。でも、それを察してくれる賢者様ではないのは分かっていたの。

 

「ああ、王家で独占しようとした挙げ句、誰も使える者が居ないので廃れました。恥だからそれを隠しています。だからエイシャル王国の民でも知りませんよ。それに、基本的に手の内は隠す物ですからね。人前では滅多に使わないし、説明もしない切り札です」

 

「出来れば後から言った理由だけ教えて欲しかったわ」

 

 ガクリと肩を落としながらも私は少し楽しみだった。だって好きだった伝説の英雄と同じ技が使えるのですもの、ワクワクしない子供なんて多分居ないわ。

 

「じゃあ、早速やってみましょう。何時もの魔法を使う時の感覚では魔本の内部に通しますが、今回は剣の表面に流す感じで」

 

「やってみるわ! ……あれ?」

 

 当然、最初から上手く行きっこない。流した魔力は霧散したり飛んで行ったり、剣に纏うだけで精一杯、少し振ったら直ぐに消えちゃって練習では一度しか成功していないの。実はアンペーとの戦いが成功二度目だったのだけれど……。

 

 

 

「やあっ!」

 

 吐き続けられる消化液を避けながらシャナに接近、頭を切り裂こうとした私に蠍の尻尾が振るわれた。先端から垂れる毒液はシャナの体に触れるなり煙を上げさせる。私はその場を動かず、黒近で針の付け根から切り飛ばした。内包する毒液を溢れさせながら尻尾を激しく動かずシャナは癇癪を起こした子供が地団駄を踏むみたいに脚を動かして来たわ。

 

「私はこれであの方にあの方にあの方、カタカタカタカタカタァ!」

 

「……五月蝿い」

 

 先ず、前脚を切り落とせば前側に巨体が傾く。至近距離から消化液を吹きかけられた私は真横に滑り込んで避け、片側の脚を全部切り落としたわ。これで満足に動けない、そんな楽観的な意見は側面に存在するシャナの顔が笑った事で消え失せる。切り落とした断面から蜘蛛糸が互いに向かって伸び、再びくっついた。どうやら凄く強力な再生能力持ちらしい。

 

「凄く厄介ね。此処は一旦距離を取って……なんて言わないわ」

 

 この魔包剣は単純な威力も上がるけれど消耗も激しい。ダラダラ時間を使えば私に不利なだけ。それに、何か格好悪いじゃないの、そんなの。

 

「再生するなら……再生が追いつかない速度か再生が不可能な大ダメージを与えれば良いだけよ」

 

 ブンブンと力任せに振るわれる前脚、私は咄嗟に両手の武器を上に投げ、シャナの前脚を掴み取った。押し潰そうと込められる力。だけれどシャナが地に力を込めるべく踏ん張った脚は宙を蹴るだけ。私は前脚を掴んでそのままシャナの巨体を持ち上げていたの。

 

「ぐぎ、ぐぎぎぎぎ……お、重い」

 

 ただでさえ巨体な上に暴れるのだから何時までも持ち上げては居られない。それに今消化液を吐かれたら凄く厄介……だから、そのまま背中から地面に叩きつけると飛び上がって武器を掴み取る。着地したのはジタバタ暴れて起き上がろうとするシャナの上、交差する様に振るった刃がバツの字に深く切り裂いた。体の深くまで届いた攻撃にシャナの顔達が一斉に金切り声を上げるけれど、傷口は蜘蛛糸によって再生を始めたわ。

 

「じゃあ、これで終わりよ!」

 

 でも、それは想定内。既に次の手は打ってあるわ。再生中も腹の上を切り裂き続けながら詠唱を終える。地面が盛り上がり、巨大な岩が出現した。私が使っている魔本の元々の持ち主が編み出した本人の最高傑作魔法、その能力は追尾。ターゲットを指定すれば巨体のその場所に目掛けて飛んで来る。シャナの腹に向かって岩が飛来する瞬間、私は真上に跳ね、その直後にまだ再生中の腹部に岩が激突した。

 

「そ~れ!」

 

 内蔵を押し潰し、背中側の外骨格を軋ませる巨岩、私はその上から全力で踏み付ける。岩の激突の威力が伝わりきった瞬間、再び加えられた力によって岩は完全にシャナの体を貫通、体内の色々な物が周囲にばらまかれて少し臭くなっていた。岩から飛び降りて観察するけれどシャナが動く素振りは見えず、巨体が横たわったまま。

 

 

 つまり、光の粒子になって消えないという事はシャナは生きている。流石に咄嗟に飛び退いた私の目の前で起きた光景に思わず呟いてしまった。

 

「……冗談でしょう?」

 

 腹部に巨大な風穴が存在するままでシャナの体が動く。無理に反転すれば崩れかけた体が更に崩れ今にも二つに分かれてしまいそう。でも、蜘蛛糸が伸びる速度は先程までが遊びだったみたいに加速して体を修復させた。糸は色を変え、体色は元のまま。動く姿からして完全に傷が癒えている。その巨体が突如私にお尻を向けた時、最大級に嫌な予感がした私は真横に全力で飛ぶ。直ぐさっきまで私が居た場所を超高温のガスが通過した。

 

 真っ赤なガスの熱は少し避けた位じゃ影響を免れない。火の側に置いた陶器に触れた時みたいな熱が私を襲い、思わず顔を腕で庇ってしまった。でも、それで死角が一瞬だけ出来ていたの。シャナが巨体で高く跳ね、私を押し潰そうと迫るには十分な程の物だったわ。

 

「避けなきゃ……で、でも……」

 

 体が上手く動かない。今まで私を助けてくれた自慢の嗅覚、それが今度ばかりは私を追い込む。さっきのガスは言いたくはないけれどオナラ、その悪臭は凄まじく涙が出る上に体が少し痺れてしまう程。だから回避が遅れて、シャナの巨体が私にのしかかった。

 

「ぐっ!」

 

「あは、あは、このまま押し潰して、してしてしてしてててててて」

 

「こ、このぉ!」

 

 必死に持ち上げるべく力を入れるけれど今の姿勢じゃ難しい。息も苦しいし、力が上手く入らない。シャナの笑い声が不愉快な位に聞こえる中、私は打開策を必死で考える。

 

(剣は落としちゃったし、何か使える魔法は……もう、五月蠅いわね! ……あれ? 何かが近付いて……)

 

 シャナの声で集中力が途切れる中、私の耳に何か爆走する音が近付いて来るのが届いた。

 

 



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蠢く悪意

ほんとうはね、イアラさんは生きて娘と再会する予定だったんだ でも、私の中の悪魔と天使がGOサインを出したんだ 普通は救われる人が救われないのが私の作品だって


 私を押し潰そうとするシャナの体は重く、今のままじゃビクともしない。シャナから感じる悪臭と空気が殆ど入って来ないから起きる息苦しさ、重みで軋む体に歯を食いしばって耐えていた時、突如シャナの体が横に傾く。視界を閉ざす物がずれて目に入ったのはバーサーカウの群れだった。

 

「ヴモォオオオオオ!!」

 

 鼻息荒く怒り狂った様子で次々とシャナに突進、長い角が突き刺さる。シャナも消化液を吐きかけ脚で振り払い、何とか応戦するけれど止まらない。体が溶けながらも角を突き刺したまま暴れ、叩き飛ばされても迷わず飛び掛かる。

 

「いた、いたぁあああああああい!」

 

(理性が無くなったからかしら? それともバーサーカウが暴走しているから? どっちにしろ襲われている今がチャンスね)

 

 本来は魔族に付き従う筈のモンスターとシャナの戦いは私にとってチャンスだわ。体を捻って力を入れ、未だ下敷きになっている部分を無理矢理引っこ抜く。未だ目の前の巨体に意識を奪われているバーサーカウ達と鬱陶しい邪魔者の相手に夢中になっているシャナが戦っているけれど、私にも矛先が向くのは時間の問題。だから、選択肢は一つだけしかなかったわ。

 

 

「我が眷属よ、我が家族よ。その身と魂を集わせ神獣へと至れ!」

 

 絶体絶命の状況、なら全力で奥の手を使うまで。逃げるという選択肢は必要無いわ。空から現れた光の柱にシャナが気付き、バーサーカウ達の何匹かの狙いが此方に来ると思ったけれど散々反撃された後だからかシャナだけに攻撃を仕掛ける。

 

「私ったら随分と幸運ね。演劇や物語ならご都合主義だって不満に思うけれど、そんな運を引き寄せるのだって力の一つだわ」

 

「サア、セェ、ルゥ、カァアアアア!!」

 

 私の隣の光の柱の中では一匹ずつ落ちて来る羊が合体して行く。それが何なのか知ってか知らずか無理矢理体を動かして襲い掛かるシャナだけれどバーサーカウの妨害は凄まじく、角を突き立てた状態で体を押し当てて巨体を倒そうとしている。それが一匹なら兎も角、ボロボロの体を無理に動かしながら数の力で対抗する事で確実にシャナの動きを阻害して、合体の中心となる羊、カイチに最後の一匹が合体された。

 

「メー!!」

 

 年老いた羊とは思えない力強い鳴き声に暴走状態のバーサーカウ達でさえ動きを止める。黄金に輝く一本角の羊が内包する力がどれだけが野生の勘で察したのかも知れないわ。そして、私も自分の体の変化を理解していた。体が凄く軽く、力が漲る。思い上がりじゃない確かな全能感が有った。これが私が今使える中で最高の魔法、羊と私を同時に強化する羊の王様(S・ヒュージョン)よ。

 

「カイチ、バーサーカウの方は任せても大丈夫かしら?」

 

「メー?」

 

「ふふふ、両方じゃなくて良いのかって? 駄目よ、彼女の相手は私の仕事だもの」

 

「メー!!」

 

 カイチが激しく嘶き突進すれば、走り去った場所に光の軌跡が現れる。常人には視認不可能な速度での突進はバーサーカウ達に構える暇を与えない。姿勢を低くして突進の構えを取るよりも前に跳ね飛ばした。

 

「ウ、ウモォオ……」

 

 私達を標的に定めたバーサーカウは血反吐を吐き、伸びた角を砕かれながら宙を舞う。ドサドサと地面に落下した時には怒り狂う前の状態に戻っていたわ。そして、仲間がやられた事でシャナに向けられていた敵意が私達に向けられる。怒り狂っても仲間への想いは変わらないのね。……暴走時に仲間を傷付ける事も有るけれど。

 

「隙だらけぇ」

 

「ウモッ!?」

 

 でも、その隙はシャナの前では致命的になったの。意識を外して背を向けた時、シャナの脚の鋭い爪先が胴体を串刺しにする。先端が背中から腹部に掛けて貫通して、そのまま放り投げられたバーサーカウ達は息絶えた状態で地面に叩き付けられ、何匹かは突き刺した状態でむさぼり食われる。ボリボリと骨を噛み砕く音と悲鳴が響き、血が撒き散らかされた。

 

「……魔包剣」

 

 この時、シャナの意識は私達からバーサーカウに向いて、バーサーカウに言った事は彼女にも当てはまる。敵の前で隙を晒し過ぎていたわ。顔面に接近した私にシャナが気が付いた瞬間、黒近と白遠が頭に突き刺さる。でも、刺さったのは先端だけで修復能力が内部の肉を盛り上がらせて刃を押し出そうとする力が発生したわ。私はそれを必死に堪えて踏みとどまるけれど、シャナが脚を振り上げて私に叩き付けて来た。

 

「死ね、しね、シネ、シネ!」

 

 全ての顔が殺意を向けながら叫び、何度も何度も激しい衝撃が私を襲う。歯を食いしばり耐えるけれど魔包剣の表面が乱れ出した。何か凄い堅い物が有ってこれ以上は押し込めない。これが私の限界、だけどカイチは私の事をジッと見て動かない。助けてくれる素振りを見せない。

 

「だって、その必要が無いから! これが今の私の限界なら、その限界を乗り越えるだけよっ!」

 

 刃が纏う魔力が激しく光り輝く。刃の切っ先が何かに突き刺さった。徐々に、確実に刃が押し込まれて行く。でも、これじゃ足りない。なら、もっと足せば良いだけ。

 

「この一撃に私の全てを注ぎ込む! これで、終わりよ!!」

 

 刃が膨れ上がりシャナの傷を広げ、刃は横に、そして縦に伸びる。二つの刃は一つになってシャナを十文字に引き裂き、体内の何かを貫いてシャナの肉体を突き抜けた。

 

「そん……な……。私は……あの方の……お気に……入り。期……待に応え……なくちゃ……駄目……」

 

 今度こそシャナは光の粒子になって消えて行く。その最中、無数の顔は一斉に涙を流し、誰かの事を想っている。きっと、その誰かが彼女をあんな風な怪物にしたのに。

 

 

「……違うよ。其奴が貴女に酷い事をしたんでしょ? そんな風に想う必要なんて……」

 

「……そんなのとっくに知っていましたわ」

 

 最後、私の呟きに拗ねた様な声で返してシャナは完全に浄化されてこの世から消え去る。強敵を倒して成長を実感出来たのに私の心は晴れなかった。

 

「……帰ろう。今日はベッドに入って眠りたいわ」

 

 ふと夜空を見上げれば満点の星空。普段の私なら見惚れていたのでしょうね。でも、今の私には休息が必要よ。体も、そして何より心を休める必要が有ったわ……。でも、疲れたから動くのも億劫。

 

 

「ガーウ!」

 

「アンノウン?」

 

 背後から聞こえた鳴き声、振り返ろうとしたけれど気が付けばビシャンの前に立っていた。

 

「……もう、何をやってるのよ。早く帰って来れば良いのに……」

 

 何時もは鬱陶しいとさえ思うのに、今日はあのふざけた態度を目にして気を紛らわせたい気分だったわ。何もないのが少し寂しい……。

 

「いえ、何か絶対にやらかしているわね」

 

 背中に手を回せば案の定『ギネス認定貧乳少女』の文字が書かれた紙が貼っていて、腹ポケットには四つに分かれた小さな球が入っている。何か凄く嫌な臭いがした。取り敢えず寂しいって言うのは絶対に気のせいね。

 

 

 

「……成る程、これはどうやら魔族の肉体を変質させる力が有るらしいですね」

 

 ポケットに入っていた謎の球体を鑑定した賢者様は少し不愉快そうだった。でも、それは私も同じ。だって、シャナがあんな化け物に変化したのは絶対にそれが関わっていたから。

 

「これ自体が一種の生物であり、宿主の人格を歪めながらも残しつつ怪物に変化させる、此処は便宜的にパラサイド玉とでも……」

 

「却下」

 

「有り得ないっすね」

 

「センスが無さ過ぎよ、賢者様」

 

 女神様、ディロル様、私の順番で賢者様の案を否決する。幾ら何でも気が抜けるわ、そんな名前じゃ。結局、寄生丸(きせいがん)と呼ぶ事になった。

 

「……じゃあ、私は寝るわ」

 

「晩御飯は?」

 

「……要らない」

 

 どうしても気になった寄生丸について調べて貰った私はフラフラとした頼りない歩みで客室へと向かう。既にディロル様のお世話係(何故か美少年ばっかり)が準備をしていたから直ぐにベッドに寝転がる事が出来た。本当は空腹だし体だって汗とか色々な汚れでドロドロだったけれど体と心が何よりも睡眠を欲していて、私は直ぐに意識を手放した。

 

「お母さん達の夢が見たいわね……」

 

 だって起きていたらシャナの事やイアラさんの事で頭がグルグルになっていたもの。何も考えずに眠りたかったの。少しでも良い夢を見られる事を願いながら。

 

 

 

「……矢張り心に堪えているらしい。私の時もそうでしたが、人の姿をした敵というのは本当に厄介ですよ」

 

「ほーんと、完全な化け物みたいな見た目だったら良かったっすけれど、更にほぼ仲間限定とはいえ思いやりの心とかも持ってるっすからね。……ちゃんと支えて欲しいっすよ。まあ、君だって召喚された存在だし、私達神がどうにかするべきっすけれど」

 

「子供を守るのは大人の義務ですしやれる事はやりたいですね。……取り敢えず夢見を良くしておきました。その程度しか出来ない無力が嘆かわしいですが。……それにしても本格的に人を刺客に使うとは。私も少し本格的に動く時が来そうです」

 

 

 

 翌朝、普段より早く目覚めた私の気分は最高とは言えないけれど、昨日よりは少しだけマシな気分だったわ。両親と一緒に過ごしていた頃、お仕事を手伝いながらも隙を見ては甘えていられた頃の夢。もう少し寝ていたかったけれどお腹が空いているし今になって体の汚れが気になった。ふとテーブルの上を見れば焼きたてのパンとホットミルクが置かれていたの。

 

「きっと賢者様ね。……頂きます」

 

 あんな夢を見たのもきっと賢者様のお陰。これからも向き合わなければならない向き合いたくない物が沢山有って、昨日みたいに心がボロボロになるでしょうね。でも、今は大丈夫。心の中のポカポカ暖かい何かが私を支えてくれているから平気だわ。

 

 

 

「しかしアンノウンは相変わらず困った奴だ。何やら考えがあって動いてはいると思うが……」

 

「何を考えているか、それが問題よね」

 

 勇者に与えられた試練として集めろと指定された三つの内の最後の一つ、城竜の背中に湧き出る城竜酒を取りに大瓶を背負って向かう私だけれど、今回は女神様が同行してくれていたわ。余程の事態じゃないと手出しはしないって言われたけれど、誰かが側に居るだけで心強かった。

 

「まあ、キリュウも今度は厳しい叱ると言っていたがな。獅子は我が子を千尋の谷に、やら何やら言っていたぞ。三日間は食後のデザート抜きともな。……千尋の谷とはどの程度の深さなのだ?」

 

「一ナノメートル位じゃないかしら?」

 

 因みに一緒に来ていない二人だけれど……。

 

 

 

「うっきゃぁあああああっ!? 私の黒近と白遠がぁっ!?」

 

 どうも最後の魔包剣の限界突破が悪かったらしくって、ディロル様は芯からボロボロになっちゃった二本を必死で直していたわ。正直言って非常に申し訳無いと思うの。普段は威厳たっぷりの神様の演技をしているのにボロが出ちゃって本性がビシャンの皆さんに……。

 

「相変わらずだな、親方は」

 

「まあ、仕事の時は凄いんだが、普段がなぁ……」

 

 いや、既にバレバレだったらしいけれど。だって酔っぱらったり好みの美少年に学生服を着せる時とかに本性が丸出しだったって聞いたわ。

 

 そして賢者様だけれど……。

 

「うぁああああ……。あ、頭が割れる。こ、こうなったら魔法でさっさと、でも、それだと……」

 

 女神様の膝枕で甘える為に普段は魔法で平気にしているお酒を少し酔う位に調整して二日酔い……賢者って賢い者って書くのよね? ポリシーで二日酔いの治療に魔法は使わないらしいけれど、そもそも酔っ払う必要が有ったのかしら? 膝枕なんて普通にして貰える癖に。

 

 

「女神様、私はマトモな大人になるわ」

 

「うん? ああ、そうだな。その方が良いだろう」

 

 詳細は隠したけれど女神様の賛同を得た私は強く頷く。賢者様やディロル様って尊敬出来る所は沢山有るけれど、そんな風になりたいかどうかは別なのよね。相手の綺麗な面や駄目な面だけを見るのは良くないと思いつつ歩けば目的の場所が見えて来たわ。

 

「女神様、あの場所ですよね?」

 

「間違い無い。あれが城竜が生息するゾウチョ地下洞窟への入り口だな」

 

 地図を広げ、メモ書きと目の前の洞窟を見比べる。地下へと続く坂道の奥からはヒンヤリとした空気と水の流れる音が聞こえて来る。この奥に住む城竜から城竜酒を手に入れればデュアルセイバーが強くなって私の手に戻って来ると思えばやる気が漲って来たわ。

 

「基本的に城竜を恐れて他のモンスターは洞窟には寄り付かないが一応警戒は怠るなよ?」

 

「え、ええ、分かっているわ」

 

 デュアルセイバーは勿論持っていないし、黒近と白遠は使い潰したから返却済み。私が携えている無銘の双剣はちょっとだけ頼りないけれど、シャナを倒して更に強くなったからきっと大丈夫……そんな油断を女神様に見抜かれた気がした。

 

「……そうか、なら構わん。言っておくが私は余程の事態でないと手は出さんが、逆に言えば余程の事態になれば手を出す。出し惜しみはせずに全力でやれ」

 

「分かったわ!」

 

 本当にこの方には敵わない、そんな風に感じながら私は坂道を下って行く。目的である城竜は入り組んだ洞窟の奥に生息しているらしいし、どうせなら一気に駆け抜けてみようかしら?

 

「ゲルダ、どうせなら奥まで走るか? 今の自分の速度とスタミナを知る良い機会だ」

 

「ふふふ、凄い偶然。じゃあ、奥まで突き進みましょう!」

 

 女神様の言葉に返事をするなり私は走り出す。数日前の私では考えられない速度で一気に坂道を走り抜けるけれど更に速く走れそう。私は今、風と一つになっていた。

 

「いぃいいやっほぉおおおおおっ!!」

 

 

 走るのって本当に気持ちが良い。私はこの時最高の気分で、その気分が少し経てば最悪になるだなんて予想もしていなかった。私の知らない所で悪意は確実に動いていたわ。息を潜めて確実に、人の醜悪さを嘲笑いながら……。

 

 

 

 

 

 

「おや、起きたか。気分はどうだ?」

 

 その男が目を覚ませば視界が不自然に悪かった。椅子に縛られているらしいのは感覚で判断するも、頭に被り物でもしているみたいで、更に分厚い布の上から縛られている感覚がある。明らかに監禁されている状態で部屋を見渡しても周囲一面が真っ黒で分からない。

 

「……あの子の仲間か?」

 

「君の敵、とだけ言っておこうか? まあ、君の敵はほぼ全人類とも言えるが……それも今日までだ」

 

 自分が何故この様な状況に置かれたか、男は理解している。彼に言わせるならば愛の為であり、その為ならば何が来ようと恐ろしくは無い。だから目の前の男と思しき相手の奇妙な格好にも動揺した様子も見られない。只、目の前の相手を愛を捧げた存在の敵として睨むだけだ。

 

「今日まで? はっ! 私が愛しい彼女を裏切るとでも? 既に障害となる家族や仲間も切り捨てた。そして私は如何なる拷問にも屈しない!」

 

「……ククク」

 

「何が可笑しい? ふん、どうせ洗脳でもする気なのだろうが、私の愛はその程度で負けはしないさ」

 

「いーや、違うとも。君がどうせ洗脳されると思って嘲笑っているのではない。寧ろ私はその愛を称賛しようではないか。只愉快なだけだ。会って間もない女の為に裏切るなど、君が切り捨てた相手が君との間に存在すると信じていた物が随分と薄っぺらい物だった事にな」

 

 この言葉には偽りが無いと彼は感じていた。目の前の男は心から自分の愛を誉め称え、同時に家族や元同僚の不幸な終わりを心から楽しんでいるのだと。

 

「……貴様、性格破綻者か」

 

「そうだとも。それで、それがどうかしたかね? 私の様に歪んだ者など世界には数え切れない程に存在する。ましてや六色世界以外にも世界は無数に存在するのだ。表に出す出さないは別として、それ程驚く事では有るまい? 少なくても私は無作為に相手を選んでは居ない。ちゃんと建前を用意出来る相手のみをターゲットにしているさ。そう、君の様な世界の裏切り者をね」

 

 目の前の相手は狂っていると彼は確信する。それと同時に正気でもあると。自らの中の狂気を受け入れ、それに従いながらも正気を保っている、それが目の前の相手だと分かったのだ。

 

「さて、我が主の為にも手駒は増やさねば。喜べ、君に世界を救う手助けをさせてあげようではないか」

 

「世界を救う手助け? 貴様、矢張り勇者の仲間か。子供だと思ったが、貴様の主だとは随分と人でなしらしいな」

 

 彼は、ゲルダを襲って禿にされた上で木から蹴り落とされた突剣使いは何とか立ち上がろうとする。その様子を性格破綻者の男は愉快そうに眺め、静かに口を開く。

 

 

 

 

「いやいや、彼女の様な純粋な少女と我が主を一緒にしてはならんさ。何せ文字通りの人でなし、神々の気紛れと悪戯心が生み出した存在だ。異なる世界では神の敵として聖書にその名が載る事さえ有るのだから面白いとは思わんか? ……自己紹介が遅れたな。我が名は鳥トン。そしてこれが今の君だ」

 

 目の前の相手、ハシビロコウのキグルミに鏡を見せられた彼は絶句する。鏡に映っている自分はカバのキグルミを着せられていた。

 

「それは主の許しが無ければ脱げんが別に良いだろう? どうせ君の予想通りに洗脳するのだ、不満に思わなくなる」

 

 その声は心の底から楽しそうであり、底知れぬ悪意を感じさせた。

 

 

「喜べ。これで君は世界を救う英雄の手助けが出来る。家族に愛を、仲間に信頼を捧げていた頃の夢が叶うのだ。ククク、敵対するのは君が愛を捧げた相手になるがな」

 




ハシビロコウの中の人についてはノーコメントで あくまでもオリジナル小説です


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恐怖と悔しさ

 ゾウチョー地下洞窟、其処は思わず感嘆の言葉が漏れ出る程に綺麗な場所だった。長い長い坂道の途中から日の光が射し込まない深さになるのだけれど、代わりに翡翠色に輝く苔が道行きを照らしてくれていたの。思わず手を伸ばして苔を触ればパラパラと乾いた感触と共に手に収まったのだけれど、まるで宝石の破片を手にして入るみたいだったわ。

 

「ティアさん、この場所については教えてくれなかったけれど、どうしてかしら?」

 

 流石にお日様の下を歩いている時よりは暗く、日の出前より少し暗い程度だけれど、そっちの方がこの苔がハッキリ見えて美しいわ。でも、此処で疑問が一つ。絶景スポットを案内してくれたティアさんだけれど、この洞窟については教えてくれなかったの。

 

 私が疑問を口にすると女神様が教えてくれたけれど、少し言いにくそうだったわ。

 

「あの子はまあ……狭くて薄暗い所が苦手なんだ。怖いという訳ではないが落ち着かんらしい。……私が教えた事は黙っておけよ? あの子はお前には見栄を張りたいらしい」

 

「ふふふ、私を妹みたいに扱っているもの、お姉ちゃんの意地って奴ね。それにしても女神様も立派なお母さんだわ。ティアさんの事をよく分かっているもの。わわっ!? もう……」

 

 天井から垂れて来た雫にビックリして思わず声が出てしまった。氷水みたいに冷たくて、指先で撫でるとほんの僅かだけれど重い気がする。舐めてみると変な味がしたわ。

 

「ぺぺっ! 何なのかしら、この水は……」

 

「確かコモク水だったな。グリエーンの豊かな緑を育む土壌、その栄養が凝縮された水で、城竜はこの水だけで育った苔のみを食べていると聞くな。一滴で肉体労働の成人男性一日分のエネルギーだとか」

 

「私も凄く動くから大丈夫ねっ!」

 

 自分に言い聞かせる様に叫びながら今日の晩御飯は控え目にしようと決める私。やがて坂道の一番下まで辿り着けば巨大な滝が壁の一番上に開いた穴から流れ落ち、地下深くまで流れる激流が存在する広大な広間を目にする。壁も天井も床も一面が苔に覆われて明るく照らされ、私は一瞬だけその光景に目を奪われながらも我に返る

 

「何なの、これは!? 地図と全然違うわ……」

 

 地図によれば坂の先には確かに広間が存在するけれど、目の前の広間よりは小さいのが詳細が書かれたメモで明らかで、幾つも存在する分かれ道は見当たらない。坂以外で他の場所に繋がる穴は滝が流れ落ちて来る天井近くの物と激流が行き着く先の二カ所のみ。その上、洞窟の一番奥に生息している筈の城竜が鎮座していたわ。

 

「……ディロル様ったら地図を渡し間違えたのかしら?」

 

 真っ先にそんな考えが浮かぶ事に我ながら苦笑しながらも城竜を観察する。絵本で描かれる翼を持つ格好良いトカゲみたいなドラゴンじゃなく、首と胴体が一つになった鰐の様なタイプで翼の存在しない地竜と呼ばれる竜の一種。高い天井に届きそうな程に盛り上がった背中の甲殻は巨体を更に大きく見せている。だけれど一番の特徴は見た目じゃないわ。

 

「お酒臭い……」

 

「気を付けろ。可燃性が非常に高いそうだ。ちゃんと専用の柄杓で汲んで瓶に入れるのだぞ」

 

 栄養豊富にしても程がある水で育った苔を主食にする城竜の体内から湧き出る城竜酒は少し熱しただけで激しく燃え盛る程に危険らしいわ。背中の窪みから汲み取って一定時間冷やせば安全になるらしいから専用の柄杓と瓶を持って来たけれどアルコール臭が凄くて思わず手が鼻に向かう。子供の私なんて暫く嗅いでいたら酔い潰れそうだと思いながら城竜に視線を向けた時、知っている臭いが漂って来た。

 

「居るのは分かっているから出て来なさい、クレタ!」

 

 先程から鎮座するばかりで一切動く様子のない城竜の背中、お城の頂上位の高さから顔を覗かせる魔族が一人。牛柄のビキニアーマーに牛の尻尾と角、褐色の肌と赤い髪。筋肉質な所まで女神様と見た目が被っているクレタ・ミノタウロスが氷のジョッキでお酒を飲みながら私を見下ろしていた。

 

「人が自棄酒を飲んでいる時に五月蝿い奴だと思えば、勇者か。……ふっ。少し震えているが寒さか……それとも私への怯えか?」

 

 クレタの指摘通り私の体は震えていたわ。そして寒さが理由ではなかったの。勇者に選ばれて何度も苦戦はしたけれど初めての敗北を喫した相手。何より初めて私を殺し掛けた相手を目にした私の体は震え、柄を持った剣は鞘の中でカタカタと音を立てる。

 

「あの時のふざけた武器も持っていないが……まあ、良い。死ね、今度こそな」

 

 クレタは氷のジョッキを投げ捨てると空いた手でハルバートを掴んで飛び上がる。体勢を天地逆転にして天井を蹴り付け、落下速度を更に加速しながらハルバートを私に向かって振り下ろした。

 

「ええ、そうね。私は貴女を見て震えているわ。それは否定しない」

 

 静かな声で呟きながら頷き、ハルバートに向かって剣を振るう。刃と刃が激突して凄まじい衝撃が腕に走り、足下一体に衝撃で蜘蛛の巣状の罅が入った。でも、そこまで。前回私をなす統べなく追いつめたクレタのハルバートは止まり、私はそのまま剣を振るって弾き返す。クレタは空中で姿勢を整えて着地するけれどおどろいたようすだったわ。

 

「驚いたかしら? 震えは震えでも武者震いだったの。二度も負けはしないわ、クレタ」

 

「男児三日会わざれば……か。……ふふふ、ふはははははは!」

 

 私が得意そうに笑えばクレタは俯いて肩を震わせたかと思うと大声で笑い出す。それにしても先程から感じていたのだけれど、一つ気になった事があるわ。

 

「クレタ、もしかして片腕が使えないままかしら?」

 

「そうだが、別に気にする必要も有るまい。万全の状態で戦うのも、万全の状態でない敵と戦えるのも、結局は実力の内だ」

 

前回の戦いでイシュリア様に肩を貫かれた腕が未だにマトモに使えないのか動く腕で肩を撫でて見せるクレタ。

 

「要するに私は片腕で十分と言いたいのね?」

 

「いや、予想以上に強くなっているからな。流石に片腕は厳しい。だから……」

 

 地面を滑る様な勢いでクレタが迫り、側頭部に爪先が向かって来る。浮かぶのは頭が砕け散るイメージ。咄嗟に後ろに体を反らせば鼻先を通り過ぎた。

 

「手だけでなく足も使ってお前を殺そう、ゲルダ」

 

 蹴りの脚を振り抜き、そのまま着地したクレタは勢いを殺さずに体を動かし続けて今度はもう片方の足の踵が不安定な体勢の私へと迫った。今の姿勢じゃ防御は無駄で、後ろにも逃げられない。

 

「なら、上よ!」

 

 脚の力だけで無理に飛び上がった私はクレタの蹴りを辛うじて回避、そのまま蹴り付けるけれど力が大して入っていない蹴りじゃ少し後退させただけで効いた様子はなかったわ。でも、これで良いの。前回は手も足も出なかった相手に戦えている、今の私はクレタを相手取れるって分かったから。

 

「……本当に強くなったな。シャナを倒しただけある」

 

「貴女に誉められても嬉しくはないのだけれど……リノアって貴女のお仲間かしら? 人質を取って刺客を差し向けるだなんて卑怯な真似をするわね」

 

 私を見て嬉しそうな顔をするクレタに少し腹が立つ。私は強くなりたいけれど、それは目的達成の方法に必要だからであって強い相手と戦うのが目的らしい相手は理解出来ない。でも、此処で疑問が湧く。こんな相手がイアラさんを脅して私を殺そうとするのかって。案の定、クレタは怪訝そうな顔になったわ。

 

「……リノアだと? 確かに同朋の一人だが、奴は別の世界の担当の筈。あの女が余計な真似でもしたのか……問いたださねばならんな」

 

「あら、此処で私に倒される貴女には無理な話ね。……知らないのなら別に良いわ。私達で見付けて助けるだけだから。あの人は助けられなかったけれど、守りたかった相手だけは守って見せるわ」

 

「ほざけ。此処で死ぬのはお前だ!」

 

 双剣を構えた私とハルバートを片手で振り上げたクレタが相対し、同時に走り出す。地面を砕く勢いで踏み締めて進むクレタに対して私は風を切る様に進み、リーチの長いクレタの方が先に相手に届く距離に到達した瞬間、私の左手から剣が放たれた。デュアルセイバーを扱いながら学んだ投擲技術によって剣の切っ先はクレタの眉間へと向かって行く。

 

「ふん!」

 

 当然それを予期していたクレタは左手で振るうハルバートの軌道を僅かに変え、私を狙いつつ柄で剣を叩き落とそうとする。だけれど予期していたのは私も同じ。右手の剣も続けて投げ、左手の剣の柄頭に当てて軌道を変える。素早く右手で剣を掴んでハルバートを受ければ手が痺れる程の重みがあるけれど耐えられない程じゃない。イシュリア様に改めてお礼が言いたいわ。クレタの利き腕を潰してくれて助かりましたって、ね。

 

「くっ!」

 

 軌道を変えながらも顔に向かって来る剣を体を反らして避けるクレタの腕の力が緩み、私はそのまま弾き上げる。ハルバートを放しはしないけれど腕を大きく上げた状態のクレタは腹部を無防備に晒し、私は右手で切りかかった。でも、僅かに切っ先が掠った瞬間にクレタは不格好な体勢のまま足先の力だけで後ろに飛んだ。力強く振るった右手を戻しても間に合わず左手には武器を持っていない。だから私は踏み込んだ。

 

「いっ!?」

 

 そのまま口を開き、クレタの尻尾に噛み付く。流石にこれは予期していなかったのね。私だってこんな事をするとは思っていなかったわ。驚愕の声を漏らし、尻尾を押さえられた事で後ろに飛ぶ力を殺された体は下へと向かう。それでも咄嗟に受け身を取ろうとしたクレタだけれど、私は八重歯を力強く尻尾に食い込ませた。半分とはいえ私は狼の獣人、噛み付く力には自信がある。皮を貫いて肉に食い込む牙先、僅かに口に広がる血の味。目の前のクレタが怯んだ瞬間、私の左手は尻尾を掴んで引き寄せた。

 

「せーのっ!」

 

「退け、ゲルダ!」

 

 左手でクレタを引き寄せながら右手の剣を逆手に持ち替えて突こうとした時、突然響いた女神様の声。私は咄嗟に口と手を離して後ろに跳ぶ。突如私が居た場所の左右の地面が鋭利に尖り、開いた本を閉じる様に岩盤が起き上がる。激しい音と共にぶつかり合った左右の地面が元の場所に戻る中、窪みに納まって無事だったクレタが忌々しそうに睨んでいたわ。

 

「……ぐっ。尻尾を挟んだ」

 

「あっ、痛かっただけなのね」

 

 少し涙を滲ませて尻尾をさする姿に思わず気が抜けそうになるけれど直ぐに気を引き締める。きっと今のがクレタの魔族としての能力ね。

 

「地面の操作かしら?」

 

「……まあ、否定はしないで置こう。ペラペラと手の内を話す馬鹿になる気はないが、この程度なら構わんだろうさ」

 

 何か含みを持たせた言い方に警戒を増す。地面だけじゃなく、壁や天井にも注意を払わなければ駄目ね。なら、この洞窟内で戦うのは不利だわ。きっと地図と違うのも彼女の力だもの。

 

「……馬鹿力だけでも厄介なのに面倒な相手だわ」

 

「馬鹿力とは何だ、馬鹿力とは。せめて怪力と言え。馬鹿呼ばわりされているみたいで好かん」

 

「傷んだ明太子を食べ過ぎてお腹を壊した人が何を言っているのよ。貴女は馬鹿で間違い無いわ」

 

 逆にあれで馬鹿じゃないのなら、馬鹿に当てはまるのはどれだけなのかしら? そんな事を考えつつも素早くバックステップを踏めば立っていた場所に落とし穴が開く。穴の底には逆向きの岩杭、下手にジャンプすれば危ないわね。

 

(デュアルセイバーが有れば気にしないで済むのだけれど……)

 

 予想以上にデュアルセイバーを頼りにしていた自分に気付き、これを乗り越えて新調した時はどれ程の力なのかと期待に胸を膨らませる。……本当に膨らまないかしら?

 

「どうした? 私を前に考え事とは……随分と余裕だな!」

 

 ハルバートを構え、腰を落とすと矢の如く飛んで来るクレタ。それに併せて地面から鋭利に尖った逆杭が伸びる。剣で切り落としても即座に先端が尖って意味は無い。だから私は杭を掴み、表面から伸びた棘が手に突き刺さるのを無視して腕の力を合わせてクレタ目掛けて飛び掛かった。意表を突きクレタに接近する私、確か女神様はこの技をこんな風に言っていたわね。

 

「ドロップキーック!!」

 

 咄嗟に柄を挟み込んだクレタだけれど空中じゃ踏ん張れない。地面を操作して即席の足場を作ろうとするけれど間に合わず、そのまま後ろに飛んで激流に飛び込んだ。

 

「よし、これでお返しは完了したわ」

 

「矢張り気にしていたか」

 

「……だって吹き飛ばされたのってあれが初めてだもの」

 

 あの時は怖いという気持ちが勝っていたけれど、今は悔しい気持ちが強かった。でも、これで相殺、水に落とした分、私の勝ちね。だから本当の勝負は今から。水から出て来た時が次の局面の開始の合図ね。私はクレタが何処から現れても良いようにと気を張る。だけど、一向に出て来る気配は無かったわ。

 

「……ねぇ、女神様。もしかして……」

 

「片腕、だからな。あの激流では泳げないのだろう。……だが、この程度なら可能か」

 

「きゃっ!?」

 

 突然私の胴に女神様の腕が回されてその場を飛び退く。洞窟全体が揺れ、地面が盛り上がったのは次の瞬間だった。盛り上がった地面で形成された岩山は徐々に姿を変え、巨大な岩のクレタへと変わって行ったわ。その姿は本物にそっくりで……あれ?

 

「女神様、本物と違うわね、よく見れば」

 

「胸が盛ってあるし全体的に女らしい体付きだな」

 

「う、五月蝿い! 理想の見た目にして悪いか!? ……お前達だって貧相なお子様体型と私と同じ体型の癖に」

 

 私と女神様が指差して指摘すれば岩なのに表情が豊かに変わり、今にも泣きそうな顔になる。実は気にしていたのね。それとも、気にする様に変わったのかしら?

 

「……こんな見た目の方が男は好むのだろう? 良く知らんが惚れた相手の好みには合わせたい」

 

「ああ、そうだな。気持ちは分かるぞ。……だが、消えろ」

 

 私の脚が地面に着いた時、女神様の姿が横から消える。瞬きの瞬間すら使わずに巨大な岩のクレタの頭上に着地した。いえ、既に拳を振り下ろしていたわ。山が崩れたと錯覚する程の轟音と共に衝撃が突き抜け、発生した風から腕で顔を庇う。再び前を向いた時、岩のクレタは破片すら残らず、砂塵だけが山盛りになっていた。文字通りの一撃粉砕だわ。

 

「人の夫に色目を使うな。……姉様もこの位した方が良いだろうか?」

 

「えっと、イシュリア様には助けて貰ったし勘弁してあげて欲しいわ。それに賢者様は女神様に一途じゃない」

 

「当然だ。それでも腹が立つし、魔族なら力を込めて殴っても問題無い。今のは操っているだけの木偶だがな。……岩の人形の時も木偶と呼んで良いのだろうか?」

 

「……さあ? でも、もうクレタが何かしてくる様子も無いし、力の範囲外に行ったのか気絶でもしたのか……倒せていないのが残念だけれど、城竜酒を持って帰りましょう」

 

 今ので力が増大した感覚が来なかったから倒せていないのは間違い無い。出来れば片腕の状態の時に倒して置きたかったのだけれど仕方無いわ。……それにイアラさんの子供について気になる事を言っていたわよね。

 

「女神様、戻ったら賢者様に子供の捜索を頼みましょう。この際、功績がどうとか言っていられないわ」

 

「……まあ、お前の心の重荷になっても困るしな。私からキリュウに言うさ。では、さっさと用事を済ませて帰ろう。キリュウにキスがしたい気分だ」

 

 そういった事を平然と言うのだもの、困ってしまうわ。未だ子供の私には早過ぎるしね。……ちょっと羨ましいとも思うけれど。だって、そこまで愛せる相手に出会えたのだもの。少なくても旅を続ける最中には難しそうね。

 

「出会いかぁ。楽土丸は今頃……あれ?」

 

 何故か口に出た名前に気が付いて無性に恥ずかしくなる。彼は魔族の裏切り者だから敵じゃないし共闘もしたけれど、そんな相手じゃないわ。胸を触った責任を取るとか言ってプロポーズまでされたけれど……。

 

「どうした? 早く帰ろう」

 

「あっ、はい」

 

 顔を左右に激しく振って脳裏に浮かんだ顔を追い出すと既に酒を汲んだ女神様の後を追う。この洞窟も後で賢者様に頼んで直して貰わないといけないわね。だって、今回は気絶していたけれど元々城竜は大人しいけれど城竜酒は危険だし、簡単に手に入ったら駄目らしいもの。

 

 

 

 

 

 そんな事を考えながら洞窟を出た私達は弓を手にした獣人のお兄さん達と出会したわ。それだけでなく、何故か弓矢を向けられているのだけれど。

 

「お前達、見ない顔だが東の奴らの味方か?」

 

「まあ、良い。子供も居るし、大人しく酒を渡せば命は取らない。一応捕虜にはなって貰うがな」

 

 この時、悪意は私の想定以上に事を進めていたわ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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女神の休暇

「お前達、これは何の真似だ? 西と東の食料を巡る戦いは、魔族の仕業だったとして賢者の支援を受けて終結した筈だろう」

 

 東の連中の仲間、その言葉を聞いて彼等が西側の住民だと察した私は静かに問い掛けた。ゲルダは自分では気が付いて無いのだろうが先程の戦いで相当消耗している。なので一応背後に庇いつつ相手を観察して相手の瞳に宿る感情を読み取った。

 

(警戒に……怒りと憎しみ、そして悲しみ? 妙だな。未だ本格的な戦いにはなっていないと聞いているが……)

 

「……終結? 終結だと? ああ、終わった筈だ! 終わった筈なのに攻撃を仕掛けて来たのだろうが、お前達東の連中が!」

 

「……何?」

 

 怒りに打ち振るえ、目を血走らせながら私達を指差す男の体にはよく見れば真新しい傷跡が見られる。未だ治療をしたばかりの状態で無理に此処まで来たのか包帯には血が滲んでおり、余程の事が起きたのだと察せられた。どうやら今すぐ殴り倒して終わり……とは行かないらしい。

 

「えっと、一体何が?」

 

「とぼけるな! 食料を持って来たと言って俺達を一カ所に集めてから毒矢を射ったのはお前達東の連中、ギェンブの奴らだろう! お、俺は今でも覚えているぞ。先ずは子供にお菓子をと言われ、喜んで向かった娘が族長代理に刺し殺されるのを」

 

 黙っていられず声を掛けたのだろう。子供であるゲルダの問い掛けに対し、一番年長の男が感情と共に涙を溢れさせながら語った内容にゲルダは言葉を失っていた。私も同様に唖然としてしまう。だってそうだ。キリュウはグリエーンで信仰される私の部下だと伝わっている。その名の下で行われた支援を騙し討ちに利用し、無意味な戦いを仕掛けるなど考えられなかった。

 

「いや、少し待て。族長代理と言ったな? あの小僧、グリンとやらの事か?」

 

「何を分かり切った事を! さっさと酒を寄越せ!」

 

「そうだ! それを使って東の集落を焼き払ってやる!」

 

 どうも私達を東側の味方だと決めて掛かっている獣人の若者達……同じ熊の獣人であり容姿も似通っているから身内であろう者達は聞く耳を持つ様子が無い。どうやら手荒い手段を執る必要が有るらしいな。東側の味方というのはティアが居るから強ち否定も出来ないが、こう殺気を向けられるのは釈然としない。それもこれも発端となった小僧によって巻き込まれている。

 

「つくづく私を不愉快にさせる小僧だ。私はソリュロ様ではないが神罰を与えたくなる」

 

「うっ!? さっさと打て!」

 

 気に入った女には片っ端から言い寄る癖にティアに付きまとってむりやりにでも手に入れようとし、あまつさえキリュウを賢者と知らずに邪魔者として襲い掛かったグリンへの怒りがこみ上げて殺気が漏れたのだろう、男達は身を竦ませた後に一斉に矢を放つ。冷静さを失った状態では狙いも乱れ、辛うじて私達の方向に来る程度だ。

 

「……例え心が乱れても腕が鈍らぬ様に体に技術を染み込ませろ。それが出来て漸く一人前だ」

 

 私を信仰するのなら、自らに向けられた訳でもない殺気に怯えて狙いを乱す、そんな無様を晒さないで欲しいものだと呆れながら飛んで来た矢に手を伸ばす。全てを指の間に挟んで受け止め、そのまま投げ返す。矢が手の届く序利距離まで迫ってから目の前の者達の瞬きが重なった僅かな瞬間、それだけあれば全ての弓を矢で破壊するには十分だった。

 

「ぬあっ!? 馬鹿な、弓が壊されただと!?」

 

「まさか魔法か!? だが、魔力は感じなかったぞ!?」

 

「敵を前に慌てふためくとは、お前達は無様を晒しすぎだ。魔力を感じない? ああ、当然だろう」

 

 壊れた弓を手にして信じられない様な顔で叫ぶ姿は隙だらけであり、此処まで来れば呆れを通り越して笑えてさえ来そうだ。そんな奴らに声を掛け、敵が前に居る事を思い出させる。警戒に加え恐怖の色が深くなった連中の瞬きが再び重なった時、既に私が横を通り過ぎていた。それを認識する前に崩れ落ちる収襲撃者達。首には軽く手刀を叩き込んだ跡が残っていた。

 

「……私も未だに道半ば。人の事は言えんな」

 

 本来の私であれば跡など残さない。力の大半を封印されている事やクレタやグリンへの苛つきが邪魔をした等と言い訳はしない。それで尚、平常と同じ結果を残してこそ戦士なのだから。

 

「……あっ。何か忘れている気がしたが、姉様にも絡んだのだったな。全く思い出せなかったぞ、どうでも良いから」

 

 どうも集中力を欠いている。姉様の事やら特に重要でも無い事に意識を裂かぬ様に首を数度横に振って雑念を追い出しながら気絶した者達に視線を向ける。どうやら魔族の起こした問題を解決したから万事解決とは行かないらしい。

 

 

 

「折角早く終わったし、疲れているから休みたかったのに散々ね。……これからどうなるのかしら?」

 

 私達を襲って来た連中だが、下手をすればドワーフも揉め事に巻き込んでしまうからと私達の素姓を知っている者が多いビャックォの集落まで連れて行き、漸くコモクマウンテンの麓まで辿り着いた時にゲルダが愚痴と共に不安を漏らす。

 

「厄介なのがギェンブの者達による騙し討ちへの報復を企んでいたという所だ。これは食糧不足の件とは別扱いだからな。……まあ、主犯を引き渡して手打ちにするだろうが」

 

「じゃあ、戦争にはならないのね。でも、なんで騙し討ちにして襲撃なんか。……所で女神様、矢っ張り怒っているのかしら?」

 

 最初の疑問には私も答えられない。元々噂からして過激な思想の者達であり、舐めた真似をしたから、そんな理由でしたのだろうとは思うが憶測の範疇だ。まあ、その辺は他の部族の族長達が問い質す事だとして、どうも私は不機嫌そうに見えたらしい。斧の刃を鏡にすれば成る程、確かに眉間に皺が寄っている。

 

「クレタだけれど、気にする必要は無いわよ? 端から見て賢者様が女神様以外に靡くなんて有り得ないもの」

 

「ん? ああ、それは分かっているさ。だが恋心は複雑でな。それと私が怒りを向けているのはどちらかと言えばクレタではなく……」

 

 どうも余計な気を子供に使わせたらしい。顔を動かし斧に映った自分の顔を笑顔にしてゲルダに向け、少し自分に呆れながら語り始める。その最中で私の動きは止まり、自然と浮かんだ笑顔を正面に向けていた。我ながら現金だと思うが仕方が無い。だって、キリュウがわざわざ出迎えてくれたのだから。

 

「キリュウ!」

 

「ごふっ!」

 

 気が付けば駆け出し、胸に飛び込んでいた。少し強く飛び込み過ぎた気もするが、それを気にしない程に嬉しさが込み上げる。その上抱き締めて貰ったのだ、幸福の余りに他事など考えられない。既に私の思考は愛しい夫の事一色だ。

 

「今帰ったぞ、愛しい夫よ」

 

「ええ、お帰りなさい、私の愛する妻よ」

 

 出迎えの言葉と共にキリュウの唇が私の唇に重なる。数秒後離れたが、今度は私から唇を重ねた。

 

「……キリュウ、今夜はお前の好きにして欲しい。互いに匂いを染み込ませ、他の者が寄って来ない程に愛してくれ」

 

「おや、当然ですね。その願い叶えます。私は貴女の物で、貴女は私の物だと誰もが本能で分かる程に互いの存在を刻みつけましょう。……休ませろと懇願しても止める気は有りませんからね?」

 

「望む所だ」

 

 こうやってキリュウに抱き締められ愛を語り合うだけで私は幸せで、欲望のままに相手を求めれば幸せは限度無く膨れ上がる。だから横から言い寄る相手が居れば腹が立つ。何より無駄な事と鼻で笑って流せない自らに腹が立つのだ。

 

「では、行きましょうか。一刻も早くベッドに入りたいですし、ゲルダさんもお疲れでしょうしね。では、少し楽をしましょうか」

 

 キリュウが指先を動かせば少し顔が赤くなっていたゲルダの姿が消える。どうやら転移させたらしいが何故か私達は残ったままだ。既に私はその気になっていたのにも関わらずな。

 

「……私を早く抱きたいのではないのか? ここで始めるのは少し恥ずかしいぞ」

 

 少し不満だった私はキリュウを抓る。思えば最初の一度はベッドの上だったが、二度目は照れから踏み出せずにいたキリュウに業を煮やした私が森で襲って行ったのだったな。なら、物陰でしたいと言うなら仕方が無いが……。

 

「開放的なのが良いのですか? ……冗談ですから勘弁を。貴女を求めるのも良いですが……こうして二人でゆっくり過ごすのも好きなのですよ」

 

 不意に私を抱き上げるキリュウの顔は悪戯が成功した時の子供の様で、私も釣られて笑ってしまう。全く、姫抱きなど私の柄でもないだろうに、この男は。だが、心地良い。私は両腕をキリュウの首に回して体を密着させる。さて、ベッドに向かう前にやるべき事はしておかないとな。

 

「キリュウ、幾つか報告がある」

 

 今の私は女神シルヴィアではなく勇者の仲間の女戦士シルだ。だから表立って堂々と動くのは賢者という看板を背負ったキリュウの方が向いている。……面倒な事を押し付けるのは心が痛むが仕方有るまい。何せ十歳の子供に世界の命運を背負わせるのだ。その程度はしなくてはな。

 

 

 

「……本当にこれで良いのだろうか?」

 

 そんな決意をした翌日、私はティアの家の湯船に浸かりながら天井を見つめて呟く。自由自在に変えられる風呂場の景色だが、今日は桜に囲まれた露天風呂に変えていて風に散る桃色の葉っぱが湯に浮かんだのを手ですくえた。本日、私は休暇を貰っていた。

 

 それは今朝の事、朝食を食べながら提案されたのだ。

 

「ゆっくり休め? いや、しかし夫が動き回るのにだな……」

 

 昨日の連中が使用する気だった様に城竜酒は一度一定まで冷やさないと大変危険な可燃性の液体だ。同じ目的の者達が再び来ない為にも一時的に洞窟の入り口を塞いだ上で作り替えられた内部を元に戻すのが本日のキリュウの仕事であり、誘拐された子供についても探す予定だ。行方不明になっている他の子供達も関係している可能性が有る以上は一から手掛かりを見付ける気らしい。

 

「そうですね。シルヴィア、それならティアの為とでも思って下さい。ゲルダさんにもお休みを与えますから好きな事をして過ごして貰いますよ。一度破れた魔族を退けたご褒美です」

 

 こんな風に言われては仕方が無い。言葉に甘えてティアと共に過ごす事にしたのだが、何処かに出掛けるよりも家で一緒に過ごしたいそうだ。なので今は共に朝風呂の最中。母子水入らず……ではない。

 

 

「へぇ、ティアも結構色気が出て来たじゃない。どう? 今晩は三人でキリュウに奉仕して気持ち良くさせてあげるのは」

 

「奉仕? 父にマッサージでもする?」

 

「うーん、その延長上ね。間違いでは無いわ。キリュウだって男だから美女三人のサービスが嬉しくない筈が無いし、貴女だって獣人だから強い男に惹かれるでしょう? キリュウが一番身近なせいで他が見劣りするんだし、責任取って貰いなさい」

 

 残念ながら残念な思考回路の残念な姉様が混じっている。暇だから遊びに来たらしいが、とんだ邪魔者が来たものだ。その上、可愛い娘に何をさせる気だ、何を。本当に面倒な身内だ。舌を引き抜けば静かになるとは思うが……。

 

「ティア、姉様の言う事は聞くな。あと、姉様は帰れ」

 

「ん、分かった」

 

「素直で宜しい。良い子だな、ティアは。ほれ、撫でてやろう」

 

「ちょっと実の姉に酷くない!?」

 

「姉様の思考回路の不具合の酷さよりは万倍マシだが?」

 

 素直過ぎるせいで姉様の言葉を信じてしまうティアだが、私がちゃんと言い聞かせれば頷いてくれる。姉様は少し不満そうだが、お邪魔虫が居て不満なのは私なのだがな。

 

「別にちょっと位良いじゃない。キリュウの故郷の本をソリュロが魔法で記憶から再現したけれど、人間からすれば古い物語にも育てた娘に手をっ!?」

 

 咄嗟に手元の桶を掴んで投げつければ話している最中の姉様の顔面に直撃、そのまま倒れて後頭部を強く打った音が響くが姉様だし無事だろう。

 

「本当にこれだから姉様は……」

 

「母、私は父の娘。なのにイシュリア様は変な事ばかり。……無視した方が良い?」

 

 この時、ティアは少し不安そうだった。姉様はあんな風な事を言ったが、ティアにとってはキリュウは一切他の感情が混じる事無く父への親愛を向ける対象だ。なのに姉様が余計な事ばかり吹き込むばかりに。今度母様に叱って貰おうと考えながらティアを抱き締めた。

 

「当然だ。でないとキリュウが泣くぞ。奴はお前を娘として愛している。私も然り。まあ、世の中には血の繋がらぬ親子関係が男女の仲に発展する話も存在するが、私達親子には当てはまらん」

 

「うん、嬉しい。……じゃあ、イシュリア様はどうする? 家の外に放り捨てる?」

 

 我が子ながら恐ろしいと思ったが、私の姉様への扱いを見て育ったのだから仕方が無いのだろう。取り敢えず止めておくとするか。

 

「しかし姉様じゃないが……育ったな」

 

 マジマジとティアの体を観察すれば確かに大人の色気が出て来たと思わされる。姉様が男を誘う艶やかな美しさの肉付きだとすれば、ティアは無駄な肉をそぎ落として動きやすさを追求した健康的な美だ。胸は一般の範疇の私より少し大きめのサイズだが、戦士の肉体の私とは別物だな。

 

 

「もう少し筋肉を付けた方が良くないか?」

 

「分かった」

 

 動きを阻害しない程度に筋肉を付けるトレーニングを考えてやるか。身体能力強化の魔法も使えるが、土台となる肉体が重要だからな。ふふふ、キリュウに出会う前の私では考えられん。戦士一筋だった私が女や母としての一面を持つとはな。

 

 

「ちょーっと、待ったぁああああっ! シルヴィア、正気なの!? この出てる所は出ていて引っ込む所は出ているしなやかで機能美かつ女の色気を併せ持ったティアの体に余計な筋肉を付けさせるだなんて!」

 

「いや、姉様にだけは正気かどうかを言われたくないぞ? あと、無駄な筋肉は付けさせん。ティアの戦闘スタイルに合わせてだな……」

 

「あーもー! 私の妹はどうして此処まで戦闘脳なのよっ!? 惚れた男と一緒の時の桃色の思考回路は何処に行ったってーのっ!」

 

 姉様は目を覚ましたかと思ったら心外な発言の上に髪の毛を掻き回す。忙しい人だな、相変わらず。

 

「イシュリア様、相変わらず忙しい」

 

 おや、娘と同じ事を思ったとは嬉しい限りだ。思わず撫でてやれば嬉しそうに微笑むティアは本当に可愛かった。

 

 

「……所でゲルダは?」

 

「休暇だからな。召喚した羊に埋もれながら一日中本を読むらしい。神話関連は姉様のエピソードだけ切り取って有るから安心しろ。そして今すぐ帰れ」

 

「本当に扱いが悪いわね……」

 

 姉様をこんな風に扱っている私だが、別に嫌ってはいない。大切な姉だが、子供の教育に宜しくないと思っているだけだ。

 

 

「ほら、ちゃんと髪は乾かせ。そうだ、今日は私が昼飯を作ろう」

 

 風呂から上がり、姉様を家の外に締め出した後で私達はのんびりと過ごしていた。相変わらず風呂上がりに体を拭くのが雑なティアの髪は湿ったままで、仕方が無いから私が拭いてやる。昔は嫌がって逃げられたが、今は素直に拭かれて嬉しそうにしていた。

 

「……母が? 丸焼き? それとも肉と野菜をざっと炒める?」

 

「いや、お前の私の調理の腕への認識はそれか?」

 

「うん、それ」

 

 思わずほっぺを引っ張ってやりたくなるが、考えてみれば否定材料が存在しない。なのでほっぺを引っ張るのは止めにして言われた通りの内容にしてやろう。

 

「では昼飯は鶏の丸焼きと野菜炒め……人参増量だ。スープは人参のポタージュの作り置きが残っていたな」

 

「……母の人でなし」

 

「ああ、その通り。私は女神だ、人ではないな」

 

 こんな風に過ごしていた子育ての日々を思い出し、懐かしさを感じながらティアを抱き締める。出会った頃は親(一応生みの親だから親と呼ぶが、私はあの二人を親とは認めん)に捨てられた上に危険だからと殺されそうになったからか警戒し、心を開いたかと思ったら甘えん坊だ。それはそれで可愛いが、そんなティアが独り立ちして集落の中で過ごせているのは感無量だな。

 

「どうせならティアも旅に連れて行きたい気分だ」

 

「駄目。私の役目は此処で果たす。母は父と二人の役目を果たして。それが私の自慢の両親の姿」

 

「……本当に立派になったな」

 

 まさか子に叱られるとは思わなかった私は目を点にした後で笑ってしまう。本当に私は未熟者らしい。女神といっても所詮はこの程度か。

 

「私ももっと育たんとな」

 

「母、神なら年齢変えられる筈」

 

「いや、そうでなくてな……未だ帰っていなかったのか」

 

 折角の親子団欒を邪魔する激しいノックの音。姉様が入れろと駄々を捏ねているのかと思い、一言ガツンと言ってやるべく扉を開ければ立っていたのは別の者。兎の獣人の少女で、確かリンだったな。ティアをお姉様と呼んで慕っている筈だ。

 

「一体どうした? 悪いが特に用が無いなら……」

 

 どうもティアのストーカーらしいので追い返そうとするが、どうも様子がおかしい。そして、実際に告げられる内容は深刻な事態についてであった。

 

 

 

 

「ギ、ギェンブの集落が西の人達に襲われて壊滅したそうです。女性も子供も殆ど殺されて、放った火で他の小さな集落にも被害が出たって大騒ぎになっていますわ!」

 

 どうやら私の休暇も親子の団欒も此処までらしい。ああ、本当に面倒で厄介な事になりそうだ。

 



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僅かな光明

「ねぇ父。父が手助けした勇者の仲間にはどんな人が居た?」

 

 未だティアが幼い頃、お気に入りの場所だった私の膝の上で、私の勇者時代の絵本を読んでいたティアが訊ねて来ました。少し邪魔なのか尻尾の置き場所に困った様子で忙しなく動かし、綺麗な瞳で私の顔を覗き込んで来ます。

 

「そうですね……二代目勇者達は本当に真面目な方々でしたよ。年長の魔法使いが上手く誘導して真面目さ故の困難やトラブルを避けていましたし」

 

 銭ゲバや卑怯卑劣な人は居なかったのは少し羨ましいと思いました。私にとって仲間は大切な存在ですが振り回されましたので。……ええ、本当に。

 

「急に聞いて来るなんてティアは私の事が気になるのですか? ふふふ、そんなに私が好きですか」

 

「うん。父も母も大好き。同じ位好き。……でも、母の膝の上は固いからそんなに好きじゃない」

 

「私達もティアが大好きですよ。……膝については本人に言わないで下さいね」

 

 少し理由が分からなかったのか首を傾げるも頷くティアを抱き締めて頭を撫でる。ティアの耳が嬉しそうに動いていた。

 

 

「じゃあ、三代目は?」

 

「……個性的な人が揃っていましたよ。ええ、本当に」

 

 出来れば答えたくないのが本音ですが、可愛い娘に質問されたならば答える他無いでしょう。思い出すと胃がキリキリ痛みますが。

 

(シルヴィア、早く戻って来て下さい)

 

 只今シルヴィアは母と娘二人のお茶会に行って留守。ティアを独占出来るのは嬉しいですが、少しだけ語るのを代わって欲しかった。

 

 

「まあ、一人は少しお転婆ですが真面目でしたよ」

 

 現在共に旅をしているゲルダさんを含めて計三人の勇者の手助けや助言を行って来た私ですが、何と言っても印象に残っているのは三代目勇者シドー・ヴェッジでしょう。悪い意味で、ですが……。

 

「……酒場で意気投合した女性と一夜を過ごしたらマフィアのボスの一人娘だった?」

 

 最初は真面目な堅物で、世間知らずの神官が旅をするのは大変だなと思っていたのですよ。ですがイシュリア様が余計な気を回して女を教えるとか本当に余計な事をした結果、今までの禁欲生活の反動で堕落した結果がこの状況。度重なる救援要請に私の胃にも確かなダメージが与えられていました。

 

「賢者様、本っ当に申し訳有りません! もう、こうなれば馬鹿の股間を叩き潰して二度と使えない様に……」

 

「ひぃ!?」

 

「……あー、うん。流石にそれは哀れですので勘弁してやって下さい」

 

「じゃあ、切り落とします。ったく、勇者なのに彼方此方で胤を蒔いて」

 

 シドーの愚行に怒りを示し、鎌槍を構えたのはボブカットで猫っぽい顔付きの少女、名をアナスタシア・エイシャル。この時代では魔族の発生地だったオレジナのエイシャル王国の姫にして勇者の仲間に選ばれた一人、つまり私の仲間だったイーリヤの子孫であり、後にシドーを尻に敷いて婿入りさせる烈女です。魔族の襲撃の際に家臣によって他の世界に逃がされ、シドーと合流しました。

 

「……しかし一体どうすれば」

 

「ええ、そうね。旅の資金で落とし前を付けるって流れだったのに、誰かさんが救世紋様なんか見せちゃったせいで余計に面倒な事になったものね」

 

「いや、だって旅の資金は各国が事前に集めていた物だし、僕の不手際で大量に使ってしまうのはちょっと

。なら、話し合いで解決しようと思って……」

 

「その結果が婿に入れて勇者の名を利用しようって事に繋がったんでしょうが! ったく、新しい仲間も見つけなくちゃ駄目だってのに!」

 

 頭を抱えるシドーと地団駄を踏むアナスタシア、勇者の名を貶める事が続けば隠蔽が間に合わなく今後の旅や次代にまで悪影響が出るので考えただけで胃がキリキリと痛み出す。この時の彼らは最後の仲間候補が今滞在する街に居る事だけは分かっているので逃げ出す訳にも行かないですし……。

 

 

 

「おや、賢者様がいらしてたんですねぇ。皆さん、嬉しい報告と困った報告が同時に来ましたよぉ」

 

 そして突如現れたチャイナ服に酷似した服装で、広い袖口をピッタリと合わせて腕は見えない。その中に色々と物を仕込んでいる彼は漫画に登場する胡散臭い糸目の中国人っぽい見た目で、私に一礼すると袖の中から鏡を取り出しました。特殊な魔法を扱う|道士、もしくは仙人と呼ばれる者達が扱う占いの道具であり、今回は最後の一人を探すのに使ったらしい。

 

 

「なんと! シドー君が一晩の愛を紡いだお嬢さんなんですよぉ。いやいやいや、これは随分と愉快な旅になりそうですよぉ」

 

 口元を袖で隠して笑いを堪える彼の名はウェイロン。パップリガの出身で勇者の仲間の一人であり、天仙(てんせん)の異名で呼ばれる事になる天才道士です。……正直言って胡散臭い言動が苦手なタイプでした。

 

 何せ自分の興味関心を何より優先し、シドーとの出会いも勇者の強さを確かめる為に召鬼法(しょうきほう)……ネクロマンサーみたいな魔法で操る死者をけしかけたのですから。類は友を呼ぶ、そんな言葉が浮かぶパーティーであり、アナスタシアの苦労が凄まじかった。偶に愚痴を聞かせる為に呼び出された程ですからね。

 

 ……ゲルダさんは本当に良い子で幸いでした。変にグレてシドーやイシュリア様みたいにならない様にしなくては。

 

 

 

「さて、予想はしていましたが矢張りと言うべきか何と言うか……。まあ、世話や監視の手間も有りますし、他の世界に置くのが人質の扱いとしては正しいのですけれど……面倒な」

 

 ゲルダさんを襲ったイアラとやらの子供を含む行方不明の子供の捜索ですが、賢者という偶に自分でも疑問を持つ称号で呼ばれる私でも難航していました。世界全体を範囲に収め、建物や洞窟の中も含めて細かい条件設定をした上での感知魔法を使いますがそれらしき反応は出ない。何度か条件を変え、今まで知らなかった広大な地底洞窟を発見してワクワクもしましたが流石に疲れて来た。

 

「ちょっと肩も凝りましたしティアに揉んで貰いましょうか。……シルヴィアは下手ですからね」

 

 首を左右に動かせばゴキゴキと嫌な音が鳴り、捜索を一旦切り上げて感知で居場所を調べたティアの近くに転移する。丁度良い事に周囲にはシルヴィアしか居ませんし近くに転移しても大丈夫でしょう。即座に転移魔法を発動した私の視界が切り替わり、目の前には無惨に破壊された集落の残骸が広がっていた。

 

「あっ、父も来た。丁度良い、何が起きたか詳しく調べて」

 

 詳しい探知をしていませんでしたし他に反応も無いので気にしていませんでしたが、座標と記憶を照らし合わせれば此処は確かにギェンブの集落、その中でも族長が住む一番大きな物が在った筈だと思い出せる。ですが、どうも何か尋常で無い事が起きたらしい。それも人為的な何かだ。残された矢等の人同士が争ったと見られる痕跡、それと何かに追われて踏み込んだと思しきモンスターの足跡。本来なら人の営みの範疇だとして手を貸すのは憚られるのですが……。

 

「可愛い娘の頼みです。直ぐに調べますよ」

 

 本来は駄目な事でも抜け道は存在する。例えば私は神ではなく、娘が知りたい事を調べるだけならば違反にはならない。仲間や知人の子孫の手助けもこの理論でごり押ししています。早速目の前の小さな家、燃え残った内装からして親子三人で暮らしていたとされる場所を機転にして何が起きたかを詳しく調べるべく魔法を発動させるのですが、そんな私の前に椅子が差し出されました。

 

「父、肩凝ってるみたいだから私が揉む。座って調べていて」

 

「ん? なら私が……」

 

「駄目、これは私の仕事。私が揉む」

 

 差し出されたのは少し焦げ目が付いて地面に置くとグラグラする不安定な造りの椅子ですが、愛する娘がマッサージをしてくれる時点でどの様な豪奢な椅子にも勝る座り心地です。自分がやろうとしたシルヴィアを手で制したティアの指が私の肩に触れて凝り固まった肩の肉を優しく解して行く。

 

「ティアは本当に上手ですね」

 

 肉体年齢は二十代前半で固定されている私でも疲労は溜まりますし、どうせなら魔法でパパッと治すよりもゆっくりと休んで癒やした方が良い。なのでティアが来る前はシルヴィアと互いにマッサージをしていたのですが、どうも彼女に任せると肩の骨に罅が入る程の力で揉まれるのですよね……。なので幼いティアが私の頼みで肩を揉んでくれた時は助かりましたし、上達には成長を感じたものです。

 

「では、始めましょう」

 

 一瞬で魔法を展開すれば目の前の景色は廃墟から切り替わり、何気ない日常風景へと戻る。丁度昼前で親子が揃った何気ない幸せな風景。この地に刻まれた記憶の中に入り込んだ私達の目の前でその幸せは終わりを告げた。

 

「……騒がしいな」

 

 先ず気が付いたのは狸の獣人の父親でした。母親の遺伝なのか燕の翼を持つ息子の為に木彫りの剣を彫っている手を止めて立ち上がった彼は喧騒が聞こえる外の様子を見るべく立ち上がる。気になったのか後を付いてくる息子を手で制して家の中に居ろと指示をした彼が外に出た瞬間、開け放たれた扉を通して悲鳴が家の中に届いた。

 

「敵襲だぁー!!」

 

「皆、武器を持って来い! 子供達や戦えない奴らを守るんだ!」

 

 流石はシルヴィアを崇める獣人達と言った所でしょう。彼も家の外に立てかけてあった槍を手にして集落に紛れ込んだモンスターへと立ち向かった。亀の甲羅を持つ大熊のタートルベアや興奮すると放電するエレキミンク、本来ならば刺激しない限りは襲って来ない筈の大人しいモンスターですが酷く興奮した様子で集落の中を駆け回る。一匹一匹は大した事がなくとも数が多く、不意を打たれた事で少し混乱気味の彼らは苦戦気味でした。

 

「落ち着け! 先ずはエレキミンクから仕留めろ。タートルベアは動きが遅いから後回しで構わない!」

 

「了解!」

 

 ですが彼らは何度もモンスターを倒して来た腕前の持ち主。素早く動き回り放電によって至る所で火を着けるエレキミンクを次々と仕留めて行く。興奮して暴れ回るタートルベアは数人で囲み、甲羅から出た部位を狙って攻撃、何匹かは引っくり返した事で動きを止めて撃破、多少の被害は出ましたが討伐完了です。

 

「しかし、どうして急に……」

 

「族長代理……いや、グリンが何かしたんじゃないか?」

 

「彼奴がこのまま獣王祭で正式に族長になったらと思うと……いっそ毒でも仕込むか?」

 

 どうやら彼は同じ集落の方々にも嫌われているらしい。確かにモンスター達の様子は妙でしたが、それで直ぐに原因扱いとは……。

 

「どうも西側での蛮行を知らぬらしいな」

 

「それに戻ってもないみたい。父、後で何処に居るかも調べて」

 

「はい、分かりましたよ」

 

 では、何が起きたかを見終わればグリンを探しましょうか。世界を救った後も魔法の修行を続けた私ですが、特に探知系魔法には力を注いでいます。まあ、ティアが家に来てから力を注いだのですがね。森で迷子になったり、頭のイシュリア様を筆頭にしたネジが外れた神が近付いても分かる様にです。……時々子供の姿で近寄るから本当に質が悪い。

 

 そうこう話をしていた時、終わった事を察したのか次々と家のドアや窓が開いて隠れていた人々が姿を見せる。その中には先程の子供も居て、トテトテと嬉しそうに軽い足取りで父親の方に向かって行きました。

 

「こら。ちゃんと出て来ても良いと言うまでは……逃げろ!」

 

 父親の表情が一変し、空気を切り裂いて飛来した物に手を伸ばす。それは一本の矢でした。子供の姿に近くの大人達が意識を向けた一瞬に射られた矢は父親の指先を掠り、子供の胸へと突き刺さる。何が起きたのか分からないまま子供は仰向けに倒れ、続いて大量の火矢が降り注いだ。更に四方から聞こえて来るのはモンスターのうなり声。先程の倍以上の数が襲来する中、子を失った父親の視線の先には遠くから自分をあざ笑う獣人の姿が映っていました。

 

「……此処までですね。これ以上は必要無い。ゲルダさんを連れて来なくて本当に良かった」

 

 何より私はこれ以上の光景を娘に見せたくない。即座に魔法を停止すれば映像は消え去り滅ぼされた集落に戻る。何が起きたかを実際に目にした後では悲惨さが一層際立って見えました。これが本当に人のやる事なのでしょうか? 希望に縋り魔族の力の痕跡を調べるも反応はしない。私の落胆した様子を見て察したのか、ティアも落ち込んでいます。

 

「……生き残った人達が言っていた。犯人は西側の人達。グリンが行った騙し討ちの報復だって。他にも周囲の小さな集落が襲われてる」

 

「どうも食料を持って行った際に攻撃を仕掛けたらしくてな。元より西との徹底抗戦を主張していたらしいが……」

 

 娘と妻、私の愛する二人の顔が曇る。私の心の中にドス黒い物が湧き出したのを感じました。……今まで勇者としても賢者としても人の汚さ残酷さを見て来た私ですが馴れない。いいえ、馴れてはいけないのです。だからこそ、この憤怒は間違っていない。

 

「……地獄の業火すら生温い」

 

「父、落ち着く」

 

 そんな怒りをさらけ出した私の頬をティアの手が左右から挟み込む。端から見れば無表情に見える彼女の瞳を目にし、僅かながら私の中に冷静さが戻って来ます。確かに許し難い事ですが、グリンの行動は私の賢者としての行為を利用して人の営みの範疇を越えた行為。どの道にしろ憎悪からなる戦いには介入出来ませんが、彼への罰なら話は変わる。大悪人の討伐は勇者の立派な役目です。

 

「父、賢者。ゲルダ、勇者。大勢救う為、使命を忘れたら駄目」

 

「……そうですね。ティアのお陰で正気に戻りました。目の前の誰かを使命の為に見捨てるのは問題ですが、目にした事ばかりに拘って指名を忘れるのでは問題外なのですから」

 

 確かに私達はギェンブの集落で何が起きたかを目にしました。だから要因となったグリンに強い怒りを抱き、自らの手で罰したいとさえ思ったのです。ですが、私達の目や手が届かない場所で同じ様な目に遭っている人は多く、私達の旅が長引けば更に遭う人は増えて行く。

 

「……何かあったら私が戦う」

 

「ティア、私達は貴女に人と戦っては欲しく有りません」

 

「うん、だから人は出来るだけ傷付けない。手加減しても平気なだけの力は父と母に貰った。……だから、私は大丈夫」

 

「ティア……」

 

 この様な時、父とはどうすべきなのでしょうか? 娘を信じて送り出す? それとも娘を守る為に絶対に参加させない? ……人同士の戦に介入出来れば良かったのに。勇者の功績稼ぎにも影響しないのなら後から私が罰を受ける事なんて平気です。ですが、それで遅れた事で誰かを救えなかった時に深く傷付くのは私ではない。

 

「……シルヴィア、私は未熟ですね」

 

「私も同感、未熟さを噛み締めている所だ。私に出来るのは精々の所、姉様に頼んで出来るだけ早急に終戦するのを後押しして貰うだけだからな」

 

 手を伸ばし、互いの手を強く握る。幾ら賢者や神だといっても限界は存在します。この旅で私はそれを痛感させられた。偶に手助けをするのではなく、実際に旅をするからこそ感じる無力。本当に私はどうすれば良いのでしょうか……。

 

 

 

「……妙に落ち込んだ様子だと思ったらそんな事があったのね」

 

 帰宅後、私達はゲルダさんにこれからの目標を話しました。内容が内容だけに詳細はぼかし、取り敢えずこれ以上は何もさせない為に探し、懲らしめて捕らえた後は引き渡す、そんな事を平静を装って話すも見抜かれていたのですね。

 

「もう! 仲間だって散々言ったのは賢者様じゃない。変に気を使われても困るだけよ!」

 

「……申し訳有りません」

 

 腰に手を当ててプンプン怒っているゲルダさんに謝るしかない。今日は本当に子供に叱られる日ですね。私、これでも三百歳なのですが。

 

「それにグリンを見付ければ戦争に介入出来るかも知れないでしょう? さっさと探しましょう」

 

 そう、もしかしたら戦争を止める為に介入出来る可能性が有るのです。人の営みの一つである戦争に勇者が介入した場合、どうしても片方に肩入れしたとした評判が流れて今後の行動にも支障を来します。勇者に相応しくない行動をすれば僅かにでも関わっている事への功績にも影響するので基本禁止ですが……魔族が関わるのならば話は変わって来る。

 

「ゲルダさんが僅かに感じ取った魔族の臭い。彼を捕らえて解析し、行動に魔族の介入が有ると分かれば神や勇者の介入が可能になります。流石に死んで遺体を解析出来なければ不可能ですし、復讐者に見付かって殺される前に探しましょう!」

 

「ああ!」

 

「早く行きましょう! ……もう、こんな時にアンノウンが居れば人手が増えるのに。所で賢者様、あの子は正確には勇者の仲間に選ばれた存在じゃないけれど介入出来ないのかしら」

 

「……私の使い魔ですからね。惜しい事にギリギリ無理です。創造に私や神が関わっていますので」

 

 闇の中に差し込んだ僅かな光。ですが、そんな光に私も歴代の勇者達も救われて来ました。無駄無謀な希望的観測、そんな風に切り捨てるには背負った物は重過ぎるのです。

 



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賢者の雪辱

 初代勇者キリュウの冒険は栄光に満ち溢れた物語として描かれています。……ですが、当の本人からすれば首を傾げたくなる内容が出回っているのですよ。

 

「うーん、キリュウも随分と戦いに慣れてわよね。ちょっと前は青い顔で戦っていたのに」

 

「……そう言われましても、私の居た国では戦いなんて無縁で当然だったのですよ」

 

 未だシルヴィアとナターシャの三人で旅をしていた時の事、森に住み着いた大型モンスター討伐の依頼を受けた私達は二手に分かれていました。異世界の存在をコピーして召喚するという無茶によって力を大幅に削られていても私達二人よりも強い彼女は単独で行動し、襲って来たモンスターを倒した時にナターシャが話し掛けて来たのです。

 

 武道の経験は有りますが防具を付けて竹刀で打ち合う程度であり、小動物すら手に掛けた経験の無い私にとって真剣を手にしてモンスターや人の姿をした魔族との戦いは肉体的よりも精神的疲労が大きい毎日で、この頃に漸く慣れて来た事を懐かしそうに話す彼女ですが、どうも距離が近かった。

 

「ん? どうかした?」

 

「いえ…」

 

 シルヴィアも露出は気にしない女性ですが、ナターシャは動きやすさを追求した為に肌の露出が多く、更には邪魔という理由で下着類は使わないらしのです。正直言って思春期の私では意識しない方が無理でした。この頃はシルヴィアに恋をしていても告白はしておらず、ナターシャは親しみやすい女性でしたからね。

 

 少し私の方が背が高いので至近距離に来られては胸の谷間が見えてしまい、目を逸らした私の様子に気が付いたのでしょう。彼女は何時もの悪戯を思い付いた顔で笑うと腕に抱き付いて来ました。

 

「うわっ!?」

 

「……ぷっ! あははははは! キリュウってばウブね。あっ! もしかして初体験は未だ?」

 

「……それが何か?」

 

 普通の高校生だった私に何を当然の事をと思いましたが、此処は異世界で貞操観念も全くの別物なのを思い出します。そう言えば村とかで普通に娼婦のお姉さん等を見掛けましたね。流石に口にするのは恥ずかしいですし、薄布を挟んで押し当てられる胸の感触に私が真っ赤になる中、爪先立ちになった彼女の吐息が耳に吹きかけられました。

 

「……お姉さんが色々教えてあげようか? 世界を救う英雄なら愛人の一人や二人居ても不思議じゃないし、どうせ女神のシルヴィアちゃんとは結ばれないって」

 

「余計なお世話ですよ。って言うか、愛人なんですね」

 

「そうだけれど、何か? だってキリュウなら将来的に財力とか権力の高い相手と結婚出来るだろうし、私は悠々自適なお金に囲まれた生活をしたいもの。……あっ! もしかしてお姉さんを正妻にしたくなった?」

 

「……先に行きましょう」

 

 飄々とした態度で本心なのか冗談なのか掴ませない彼女の腕を振り払って私は先に進みました。この時はお金が好きな程度にしか思っていませんでしたが、彼女が孤児院への送金をしていたり貧しくても通える学校の設立を夢にしていると知った後は認識が変わったものです。……その支援目的で誘惑をしていたのか、ただの冗談だったのか、それは分かりません。

 

 ただ、旅の途中で彼女の誘惑は何度か有りまして……。

 

「仲間なんだし、裸の付き合いをしない? このままお互いの体で温め合ったりとかさ。あれ? 付き合いって言っても突くのはキリュウだけか」

 

 時に偶々山の中で発見した温泉に入っている時に背後から忍び寄り……。

 

「ちょっと人肌が恋しくなっちゃって。猫の獣人って寒いのが苦手なのよ」

 

 時に宿屋のベッドに下着姿で潜り込む。私は毎回断り、彼女は笑いながらあっさりと引き下がる。その際に私の反応が楽しいと言っていました。だから私もからかわれているのだと思っていたのですよ。

 

「ねぇ、シルヴィアちゃんじゃなくて私に乗り換えてみない? まあ、乗る方なのか乗られる方なのかは知らないけれど」

 

 そして旅の終盤頃、酒の席で笑いながら告げられたこの言葉も冗談だったのか、それとも本心だったのかは分からないのです。ただ、一つ言える事が。シルヴィアに惹かれていなければ間違いなく彼女に恋をしていたでしょう。……シルヴィアには絶対に言いませんけれど。

 

「じゃあ、さっさと行こうか。えっと、何ってモンスターだっけ?」

 

「ネフィリムハンドです。随分と強力なモンスターらしいですし、気を引き締めて行きましょう」

 

 この頃、私は既にシルヴィアと共に居るだけで幸せでしたが、ナターシャと共に居ると楽しかった。それだけは確かです。そしてこの後、英雄伝には相応しくない事が起きるのですが、私としても屈辱なので伝わらなくて本当に良かったですよ。

 

 ……因みに後に判明した事ですが、散々遊んでいるみたいな事を口にしていたナターシャは純潔の乙女でしたよ。彼女の真意は結局不明のまま最期をシルヴィアと共に看取りましたが、深く関わった彼女相手なら魔法を使えば三百年経った今でも判明するでしょうね。野暮だから絶対にするなとシルヴィアに言われているのでしませんが。

 

 

 

「……うぅ、よりにもよってこんな所に逃げ込むだなんて」

 

 食糧を配給し、それで起こる筈だった戦争を阻止出来た……なのにグリンとその取り巻きによって今にも戦争が始まろうとしています。もし魔族が何らかの形で関わっているとすれば神が調停に乗り出せる。だからゲルダさんとシルヴィアと共に反応が有った場所まで向かったのですが、待っていたのはゲルダさんが思わず不満を口にする程の気温と湿気。

 

「このシセジュ湿地帯はグリエーン有数の蒸し暑さだとは聞いていましたが、まさか此処までとは……」

 

「あれ? 賢者様は来た事が無かったの? 勇者時代に来たとばかり思っていたわ」

 

「この辺りって勇者の選出が始まる前から魔族でさえ拠点にしていなかったので。魔族も嫌なんですね、この環境は……」

 

 聞いた話では周辺独自の植物が根からも葉からも水分を放出していたり、熱を放つ植物が多かったりと不快指数が随分と高いらしいです。私が魔法を発動すれば爽やかな風と共に快適な空気が私達を包み込み、一歩踏み出すだけで湿気った土が靴に付着する泥濘(ぬかるみ)同然の地面でも楽に歩けますが、常に快適に過ごす為の魔法を使い続けるよりも別の場所を拠点に選びますよね、普通。

 

「これで快適ですが……虫が多い」

 

 先程から顔の近くを飛び回る羽虫など、鬱陶しい虫があまりにも多い。それが有るなら助けに来れた筈、そんな非難を避ける為にも超長距離転移が使える事はなるべく避けたいので使わない方針ですが、こんな思いをする位なら使っておけば良かったかも知れません。私は続いて虫除けの魔法を発動させます。これで鬱陶しい虫は暫く寄って来ないと安心しました。

 

「賢者様って虫が苦手なのかしら? 私は羊飼いの仕事でどうしても目にするからそんなに気にならないけれど」

 

「どうも昔からキリュウは虫が苦手でな。虫型のモンスターを見た時に情けない声を出していたのを覚えているぞ。……だが、今思えば可愛いな。抱き締めたくなる」

 

「是非抱き締めて欲しいですし、私も抱き締めたいですが、虫については仕方が無いと反論させて下さい。私が育った所では虫がそれ程居ないのですよ」

 

 大体、大型犬サイズの蜂やらバッタを目にして平然としていられる日本人の方が少ないに決まっています。モンスターが普通に存在する世界とは育った環境が違うのだから驚いて当然ですよ。……普通の虫だって苦手な人は多い筈と思います。

 

「で、では行きましょうか。……この周辺のモンスターは面倒なのが多いので注意して下さいね、ゲルダさん。例えば……マッドシックルとか」

 

 驚いた顔のゲルダさんや呆れながら懐かしむシルヴィアに言い訳をしながら先導する私は直ぐに足を止めて地面の一部を指し示す。ゲルダさんの視線はドロドロの地面が剥き出しになった場所に注がれ、私の指先から迸った電撃が地面を貫けば人間の子供サイズの蟷螂が悲鳴を上げて飛び出して来ました。黒こげになって息絶えるモンスターの姿にゲルダさんは随分と驚いた様子ですね。

 

「あの様に泥の様な地面に潜ったり強い香りの植物に潜んで獲物の嗅覚を誤魔化すモンスターが数多く居ます。私が探知を使いますから大丈夫だとは思いますが……」

 

「いや、良い機会だ。ゲルダ、嗅覚以外の感覚を研ぎ澄ませろ。僅かな違和感を目で発見し、小さい息遣いを耳で捉え、肌で殺気を感じ取るんだ」

 

 私の口を人差し指で閉じさせ言葉を遮ったシルヴィアに対してゲルダさんは静かに、それでもって熱意を込めた瞳で頷きました。少し厳しい気もしますけれど、この分野での指導は彼女の役目ですから任せましょう。

 

「キリュウは一応探知を続けてくれ。私も気を配るが……手を出すのは最低限だ」

 

 私の唇に当てた人差し指を自分の唇に当てながら微笑むシルヴィアの姿に疑問が浮かぶ。

 

「何故シルヴィアが美の女神でないのでしょうね」

 

「お前が私を誰よりも美しいと思ってくれれば私は嬉しい。それに美の女神は母様だ、もう埋まっている」

 

「気が散るからイチャイチャするのは後にして欲しいのだけれど……」

 

 私がシルヴィアの頬に当てた手に彼女の手が重ねられる。それを見ながらゲルダさんは呆れた風に呟いていました。

 

 

 

「わっとっ!? 面倒なモンスターね」

 

 ゲルダさんに向かって無数の蔓が伸び、それを切り払う姿は旅を始めた頃に比べて格段に上達した様子が窺えました。それは嬉しくもあり悲しくもある。いえ、今は彼女の成長を素直に喜びましょう。少なくても私はティアが強くなるのが嬉しくて誇らしかったのですから。

 

 彼女が戦っているのは少し大きいタートルベア、それに寄生した巨大なウツボカズラです。確か名前はパラサイポッド、根が甲羅を貫いて背中から入り込んで血管みたいに皮膚に浮き出し、消化液が入った袋の部分にギョロギョロと動く目玉。食虫植物って基本は獲物待ちな上に動き過ぎれば枯れると聞いた事が有りますが、モンスターですからね。

 

 ゲルダさんは果敢に攻めますが蔓を幾ら切っても直ぐに伸びて意味が無い。ですが攻め倦ねているのは向こうも同じ。どうも寄生した相手の脳を使っているらしくタートルベアの体を動かし蔓を振り回しながら向かって来ます。ゲルダさんは一歩も動かず待ち構え、巨大なウツボカズラを更に超える巨大なハエトリ草が地面から現れて挟み込んだ。

 

「……ふぅ。これで一回だけ使える魔法で倒すって課題は合格ね……っ!」

 

 内部で暴れているのか内側から盛り上がるも閉じた葉は開きません。次第に暴れる力が弱くなり、完全に消化されたのか漸く開いて地面に潜って行くハエトリ草の中にパラサイポッドの姿は存在しませんでした。ゲルダさんはシルヴィアから言い渡された課題をクリアした安心感から胸を撫で下ろし、咄嗟にその場を飛び退きます。直後、空から濁った色の粘液の塊が降って来ました。地面に触れるなり粘液は固まって白い結晶へと変わります。

 

「……こっち!」

 

 次々と空から降り注ぐ粘液は弓なりに向かって来ており、ゲルダさんは双剣を手に走り出しました。目視した粘液が地面に落ちて滴をまき散らして固まる頃には既にゲルダさんの背中は小さくなり、今度は正面から次々に粘液が発射されて来ます。それを左右に避け、時に木々を盾にしながら進めば粘液を放つ相手の姿が目に入る。大きく膨れ上がった花を持ち根っ子を動かして歩く色鮮やかなチューリップのモンスター、ベトリップの大群。ああして動きを止めた相手から養分を吸い取るのでしたね。。

 

「ゲルダ、次は魔法無しだ!」

 

「はい!」

 

 シルヴィアの声が響きゲルダさんは返事をしながらも粘液を軽快に避けてベトリップに接近する。本来上を向いている部分をゲルダさんに向け、花の根本周辺を膨らませて次々に粘液を放つが当たりません。あの程度、今のゲルダさんならば問題が無いでしょう。間をすり抜けベトリップの群れの中心に滑り込んだ彼女に四方から放たれる粘液。ですが彼女は笑い、そのまま粘液の間さえもすり抜けて群れから脱出する。その場には互いの粘液を浴びて動けなくなったベトリップだけが残っています。

 

「じゃあ、伐採の時間ね」

 

 剣を両手に構えてベトリップへと近寄るゲルダさん。もう動ける個体は残っておらず、ベトリップ達はなすがままにされる他有りませんでした。確か花弁からは質の良い香水が作れる筈。シルヴィアに手作りの香水を贈りましょうか?

 

 さて、この後もゲルダさんはシルヴィアに出された課題をクリアしながら進みます。スパイクホイールを足技だけで倒せと言われれば僅かな隙間に蹴りを入れて横転させて腹を蹴上げ、奇声虫を殴り飛ばす獅子奮迅の大活躍。そうして進む中、私の探知魔法にモンスターの間近に存在する……いえ、モンスターの反応とグリン達の反応が完全に重なって感知されました。

 

「行きましょう。転移で一気に飛びます」

 

「え? だって転移はなるべく使わないって……」

 

「もう目撃する相手が居ないのですよ。……こうなれば死骸を調べるしかありません」

 

 本来感知で見つけた反応地点が一致事は有りません。対象Aが対象Bに乗っていてもちゃんと判るのですから。ですが例外が。対象Aの内部に対象Bが存在する事です。私の言葉で察したのでしょう。戦争を引き起こそうとした相手にすら同情した様子のゲルダさんは悲しそうに顔を曇らせ、シルヴィアが後ろから抱き締めます。

 

「モンスターの相手は私がしましょう。……この反応は私にとって因縁の相手です」

 

 探知魔法の扱いは非常に難しい。何せ大量の情報を処理しなければならず、脳の負担を和らげる魔法を併用し、更には分かりやすく分析する必要が有るからです。ですから普段は事細かな探知を常に使い続ける事はしませんし、この様な所に逃げ込む彼等の力も評価して使用を一定時間毎にしていたのですが、それが仇となった。

 

「……いや、そもそも此奴がどうしてこの世界にいるのでしょうか? あの時のネフィリムハンドは魔族が連れ込んだだけで、本来は別の世界のモンスターでしょうに」

 

 私達の目の前に存在するモンスターは例えるならば巨人の手。手首から先が指先で這う様に動くモンスターであり、右手と左手がそれぞれ雄雌です。本来は雄雌で行動する習性を持っていますが、今は相手が居ないのか右手、雄のみ。しかし、あの時も生理的嫌悪を感じましたが、今も正直言って気持ちが悪い相手ですね。

 

 フォルム自体は私の体の一部と同じ、それだけなら少し不気味な程度でしょう。ですが、先ず体色が皮が剥けた時に見える肉の色、更にはテカテカと光っています。指の一本一本に血走った目玉が一つずつ有り、その下には縦に裂けた口で内部には細かい歯がビッシリと生えている。

 

「オッギャァアアアアアアアアア!!」

 

 何よりもこの様な不気味な見た目で鳴き声が赤ん坊に酷似している等、不気味と思う他なかったのです。

 

「女神様、賢者様との因縁って一体……」

 

「……うーむ。私の口から言っても良いものか……」

 

「一度負けた相手ですよ。ナターシャと二人で挑み、無様に逃げ出した、英雄伝で描かれない汚点です。……まあ、私も二代目も三代目も伝わっていないだけで結構負けたり苦戦しています。だから気を楽にして下さいね」

 

 あの時、私は逃げ出したのを恥ずかしいと思いました。ですが、ゲルダさんはどうも気負って背負い込む悪い癖が有ります。言いにくそうにしてくれるシルヴィアには悪いですが、話しておくべきでしょう。私の敗北をね。

 

「ですが、もう負けはしませんよ」

 

 魔法で一本の剣を創造する。私が勇者時代に使っていた剣と少しも違わぬ見た目であり、名前は忘れましたが能力も目の前の相手と戦った頃のを再現しています。

 

「ほお。その剣……名前は忘れたが久々に見たな」

 

「おや、シルヴィアも忘れましたか。……使わない物って直ぐに記憶が薄れますよね」

 

「……いや、仮にも勇者の武器の名前を忘れる勇者と仲間ってどうなのかしら?」

 

 ゲルダさんがそんな風に言いますが、忘れた物は仕方が無い。もう壊れてしまっていますしね。

 

「さて、こうして剣を使って戦うのは久し振りですね。昔取った杵柄でどうにかなれば良いのですが……うん?」

 

 剣を構え、ネフィリムハンドの特性を再確認する。五つの頭全てを破壊しなければ死なない上に一つでも残っていれば直ぐに再生する。昔は知らずに一つ潰し、油断したナターシャが怪我を負ったのを背負って逃げました。なので雪辱も兼ねて剣で挑みますが……私って昔から剣以外にも魔法を使っていましたし、別に剣だけで勝つ必要は無いのですよね。

 

「合理的に行きますか。再生するなら再生させなければ良い」

 

 指の形の頭をくねらせて向かって来るネフィリムハンドを前にそんな結論に至った私は指先を前に向け、指差されたネフィリムハンドが停止します。麻痺でもなく、力で押さえつけているのでもない。時間を止めているのです。

 

「さて、さっさと終わらせましょうか。これで雪辱戦は完了っと。前は無理して一人で再戦を挑むも苦戦して、結局二人が駆け付けてくれたので三人で倒しましたからね」

 

 時間が停止したならば再生能力も意味を成しません。ネフィリムハンドの頭を全て切り落とし、血飛沫が嫌なので離れて時間を動かせば即座に絶命する。これで雪辱を果たしたのですが、何故かゲルダさんは微妙そうな表情。

 

「……むっ?」

 

 思わず首を傾げた時、遙か彼方、ギェンブの集落の方向に水の竜と火の虎が現れて正面から戦い出しました。

 



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冷める心と正体不明

 ギェンブの族長代理だった……えっと、名前忘れた、兎に角族長代理によって戦争が起きそうだからと残りの部族が集まって集会をしていた。私も参加を頼まれたからビャックォの集会所に居るけれど話し合いには参加しないから退屈。ビャックォの族長は兎の獣人で、今この場に居るセリューとシュザックはモモンガとコウモリ。二人が私を見る目は嫌な目だった。

 

 ああ、まただ。私は心が冷めて行くのを感じていた。

 

「此処は炎虎(えんこ)の彼女に先陣を切って貰って全体の志気を……」

 

「女神シルヴィア様の直属の部下である賢者様の娘だ、相手も怯むでしょう。其処を……」

 

 どうも私は感情を表に出すのが苦手。私を生んだ二人……親とは呼びたくない人達が幼い私を不気味がっていたのは伝わっていた。その上、虎の獣人に稀に生まれる存在で、炎を操り優れた肉体を持つ炎虎だと知った途端に孤児院に押し込められて、力の暴走で集落を焼いた私を皆が殺そうとした時もそう。何も感じていない、そんな風に言われた。

 

 どうせ伝わらないなら、そんな風に思えば私の顔から感情は更に消え、心は冷たくなって行く。同じ孤児院の子達さえ私を怖がったけれど、その頃には何も感じなくなった程。

 

「大丈夫。私は貴女の事を怖くありませんよ。私の方が万倍強いですから」

 

「いや、最後のは余計だろう。子供に張り合うな、子供に」

 

 でも、それは父と母に出会うまでの話。二人は私の力を恐れなかったし、力を利用しようともしなかった。偶に遊びに来る神様達も面白がるだけで、相変わらず感情が顔に出ない私の感情を読み取ってくれて、胸に暖かいホワホワした物を感じたけれど、きっとこれが幸せなのだと思う。

 

(……退屈だし、寝よう)

 

 でも、今はそのホワホワを感じない。私が二人の元を離れる事になって、父がミリアス様の所に殴り込みを掛けようとするのを母と母の家族の総掛かりで止めて、漸く今の場所で受け入れて貰えるまでになったけれど、他の部族の人達は別。私を恐れ、私を利用する気なのが伝わって来る。

 

「そうそう、これを機に部族同士の繋がりを高めねば。例えば獣神演武で優勝した者は他の部族の好きな相手と結婚出来るというのは」

 

「おお! それは是非とも行いたい。此度は私の息子が出場するからな。奴は強い。きっと優勝して炎虎殿を……む?」

 

 何か煩わしい事を言っているけれど半分寝ている私の頭には入って来ない。早く父と母に甘えて、ゲルダとアンノウンの相手をしてホワホワした物を感じたい、そんな風に思っているとビャックォの族長から一旦休憩が告げられる。

 

「……外の空気を吸って来る」

 

「いや、ちょっと待って……」

 

「行って来なさい」

 

 この場所に居たくない私は直ぐに集会所を飛び出す。……これ以上居たら心が氷より冷たくなりそうだから。他の部族の人に呼び止められたけれどうちの族長が止めてくれたのは助かったと、そう思う。思えばあの人は私を直ぐに受け入れてくれた人の一人だった。

 

 

「もう! あの人達は私のお姉様を何だと思っているの!」

 

「リンの物になった覚えはない」

 

「あぁん! 冷たい態度も素敵!」

 

 直ぐに受け入れてくれたと言えば族長の娘であるリンも同じ。何故かお姉様と呼んで毎日贈り物をしてくる変な子。渡してくるのも変な要らない物。だから少し苦手だけれど、こうして私の為に怒ってくれるのは嬉しい。口にしたら絶対鬱陶しいから言わないけれど。

 

 だって今もクネクネ動いて鬱陶しい。これが今以上に鬱陶しいなるのは正直言って勘弁。想像するだけで変な感情が湧き上がる中、リンは動きを止めて空を見上げると不安そうに呟いた。

 

「あの人達、お姉様に一番危険な役目を押し付ける気よ。戦士として恥ずかしくないのかしら?」

 

「一番強いのが一番危険な役目を負うのが獣人の戦士の常識。私が誰よりも強い、只それだけ……あっ」

 

 父も多分怒ると思うけれど、私が先陣を切るのは当然だと思う。それを引き受ける程の力と自信をくれたのは父だから諦めて欲しい。でも、その怒る姿を思い浮かべただけで会議で冷え切った心が暖まるのを感じながら空を見上げれば集落に向かって驟雨の如く矢が降り注いで来た。

 

 突然の襲撃、宣戦布告も無しの攻撃は獣人の戦士の誇りに反するから誰も警戒していなかったのか、慌てふためく声が聞こえる。でも、この程度なら慌てる必要が無いのに……。

 

「えい」

 

 指先を矢に向ければ空中に炎の矢が出現する。数自体は多分降り注ぐ矢の方が多いけれど問題は無い。だって、向こうが倍の数なら私は一本で二本以上を焼き尽くせば良いだけだから。

 

 相変わらず感情が籠もってくれない声と共に現れた炎の矢は降り注ぐ矢に真正面から向かい、一瞬で焼き尽くしながら突き進む。全ての矢を燃やして灰燼に化すのに数秒、炎の矢は空中で消え去り、矢を包んでいた炎も姿を消す。私の炎で着火したなら私の意志で消せるし延焼もさせない。

 

「燃やしたい物だけを燃やすのが格好良い……だったっけ?」

 

 父の言葉を呟く。昔は分からなかったけれど、今なら少し理解出来た。私が達成感から拳を握り締める中、突然の危機が去って冷静になった人達から怒号が聞こえて来た。私の炎は矢だけを燃やしたけれど、今の攻撃は皆の怒りを燃え上がらせたみたい。

 

「襲撃! 襲撃!」

 

「直ぐに武器を持て! 直ぐに次が来るぞ!」

 

「卑怯者共を叩きのめすぞ!」

 

「……面倒」

 

 熱くなる人達を目にしながら私は呟く。心がまた冷たくなった気がした。そっと胸に手を当て黄昏る中、戦士ではない人達は子供を避難させる為に動き、その中には私の血縁上だけの親も居る。一応は私の弟妹に当たる子供。でも、私を未だに恐がり不気味に思う二人が近付けないから名前以外は何も知らない。性格も、好きな物も私は知らなかった。

 

「……ゲルダが好きな物は知っているのに」

 

 帰って来たらあの子の好きな食べ物を沢山用意しようと思った時、森の向こうから西の住民のときの声と共に地響きが聞こえて来る。ズシン! ズシン! そんな風に同じ間隔を開けて少し地面を揺らし、森の木々を薙ぎ倒しながら姿を現したのは奇妙な物体。

 

「あれはパップリガの絡繰り兵器!?」

 

「西の連中、そんな物まで使って戦士の誇りを忘れたか!」

 

 そもそも戦士の誇りが普段通りなら今みたいな状況には陥っていない。そんな風に少し滑稽にさえ思える言葉を聞きながら巨体に目を向けた。二階建ての家位の大きさを持つ長方形の巨大な木製の箱に数倍の全長の脚が付いていて、各所を金属で強化している。西の人達は踏まれない為に少し後ろに居て、絡繰り兵器が足を止めると上の部分が左右に開いて矢が放たれた。

 

 さっきは集中していたけれど、今度は広範囲に拡散している上に連射されていて同じ方法で撃ち落とすのは多分無理。試していないのに無理って言ったら母には怒られそうだけれど、多分無理だと思う。だから別の手を取るだけ。

 

「……炎鉄壁(えんてっぺき)

 

 意味が分からなかったけれどクリアスにだけ存在するテレビゲームでは操って遊ぶ登場人物が魔法を使う時は名前を叫んでいた。父は叫ばないけれど、何となく口にしてみる。集落の前に出現した炎の壁に飛び出そうとしていた人達は動きを止め、矢は全部燃え尽きる。

 

「えっと、お姉様? あんな大技は使う前に使うって言った方が味方が助かると思います」

 

「あっ、分かった。連携の為だ。父と母は以心伝心だから必要無いけれど」

 

 リンの言葉に長年の疑問が解消されてスッキリした所で炎の壁を巨大な矢に変えて放つ。絡繰り兵器の箱の中心を穿ち、内部から燃えながら後ろに向かって倒れれば西側の人達は慌てて散開、それを好機と思ったのか皆は突撃するけれど、今度は別の絡繰りが出て来た。

 

 上半身は武者鎧で下半身はお椀をひっくり返したみたいな形。足の代わりに横幅が広い車輪が一つあって高速で動いている。皆は少し驚いて立ち向かい、向こうが振るう刀を得意な武器で受け止め反撃する。少し硬いのか一撃で破壊出来ないけれど、倒せない事はないみたい。

 

「絡繰り兵が足止めしている内に叩きのめせ! 数で押せ、数で!」

 

大弓箱(おおゆみばこ)の予備を連れて来るんだ!」

 

 そう、絡繰りだけなら倒せるけれど、向こうには生身の戦士も居て、準備万端で不意打ちして来た上に弓を放った巨大な絡繰りも残っているらしい。本当は人相手に戦うのは嫌い。父も私が人と戦うのが嫌だと言っていた。

 

「でも、役目は果たす。リン、私の武器を持って来て欲しい。先ずは絡繰り兵を全部壊す。……雷天火(だいてんか)

 

 流石に人相手に炎を使えば大火傷で殺してしまうかも知れない。防具や武器だけを狙っても熱が伝わるから。だから人は武器で倒して……絡繰りは炎で全滅させる。こんな戦いで出る犠牲者は一人でも減らしたいから。

 

 突如空を覆う物が現れる。それは雲じゃない。太陽は隠しているけれど、少しも暗くなっていないから。その正体は炎。周囲の空一体を覆い尽くす程の大規模魔法。

 

「な、なんだよ、あの規模は……」

 

「矢張り化け物か……」

 

 聞きたくない声が聞こえ、感じたくない視線を感じる。きっと今の私は悲しいと思う。胸がチクチクして、父と母と別に暮らす事を聞かされた時よりは遙かに弱い痛みだけれど似ていたから。……どうやら私は自分自身でも抱く感情が分からないらしい。

 

「……父達は分かってくれるのに」

 

「あの女を殺せぇええええ! 賢者様の娘だろうが知った事かぁあああ! 子供達を取り返すんだぁあああ!」

 

 再び森の奥で立ち上がって矢を放つ大弓箱、一斉に私に向かう絡繰り兵。巻き添えになっても構わない戦力で私を倒す気らしい。リンが私を守ろうとしたのか前に飛び出るのを襟首を掴んで止めさせた。

 

「前が見えない、邪魔。……早く行って。こっちはもう終わるから」

 

 私はその場から一歩も動かず、空から炎が絡繰り目掛けて降り注ぐ。さながら連続的に起きる落雷の如く、絡繰りだけを正確に狙って次々に破壊して行った。

 

(……これで戦意喪失すれば良いけど多分無理)

 

 視界に収まる範囲で絡繰りは全滅させた。あまりの事に呆然とする西側の人達は私の力をある程度知っているビャックォの戦士によって倒されて行く。もう決着は見えたけれど、降伏はしないと思う。だって、あの人達は子供がどうとかと言っていた。事情は知らないけれど、子供の為に戦う親は強いのは知っている。

 

「でも、それ以上に強い奴が来た。……少しピンチ」

 

 まるで絡繰りが全滅するのを待っていたみたいに向こうから誰かが歩いて来た。ブカブカの服を着て顔を包帯でグルグル巻きにしているから年齢も性別も分からない。分かるのは全身が総毛立つ威圧感。急がず休まずの足取りで進みながらゆっくりと拍手の音を響かせた。

 

「皆、あれの相手は私」

 

 誰も異論は唱えない。あれの強さを感じ取ったのは私だけじゃないから。……出来ればトンファーが欲しいけれど、多分何かさせたら拙い相手だと思う。急いでトンファーを取りに私の家まで急ぐリンを横目で一瞬だけ見て、私は前傾姿勢になった。手を地に当てて全身のバネで跳ぶ。包帯の隙間から見えた相手の瞬きを狙っての急接近。僅かに視界が閉ざされ、戻った時には私は拳を顔面に向かって突き出していた。

 

「……ふっ」

 

 耳に入り込んで来た嘲笑。そっと差し出される手が私の拳に添えられ、流された。何が起きたかは直ぐに理解出来た。一瞬で攻撃を仕掛けた私だけれど、相手は更に短い時間で力の流れを見切って受け流しただけ。真横を通り過ぎる私に追撃も仕掛けない相手の包帯の隙間から口元が見える。嗤っていた。

 

「……強い」

 

 直ぐに空中で姿勢を整え、着地と同時に足に力を込めて後ろへと向かう力を相殺する。感じ取った以上の強さに思わず呟いた時、向こうも口を開いた。

 

「いえいえ、お嬢さんも素晴らしいですよぉ? 私が術で感覚を加速していなければ危なかったでしょうねぇ」

 

「……その術は狡い。私は相性が悪くて使えない」

 

「はっはっは。それも運であり、運も実力の内。……さて、お嬢さんの足止めは私がするとして彼等にも働いて貰いましょうかねぇ」

 

 どうも包帯の下は若い男らしい。何処か癖のある喋り方でおどけた様子で喋り、懐からお札を取り出した。何か嫌な予感がする。だからさせない!

 

「これならどう?」

 

 さっきと同じ攻撃に炎の矢を追加する。男の顔面に向けて拳と矢が向かい、途中で矢は方向転換してお札へと向かう。拳は受け流されたけれど、矢は札へと届く。……と思ったけれど甘かった。

 

「どうも同程度の相手との戦闘経験が少ないらしい。惜しかったですねぇ」

 

 包帯男が爪先に力を入れれば地面から水が噴き出す。普通の水じゃ私の炎は消せないけれど、目の前で炎の矢は消されてしまった。少し離れた私の肌でも感じる冷、あの水は多分氷よりも冷たい。これは下手に近寄れなくなった。私は寒いのが苦手で、そうしていると止められなかった術が発動する。お札が輝くと同時に西側の人達の動きが変わった。

 

「なっ!? 急に強く……」

 

「ぐあっ!?」

 

 完全に東側に傾いていた筈の戦局は西側の優勢へと変わる。多分今のは強化。でも、あの人数にあの規模を行うなんて普通じゃない。父なら可能だけれど、あの人は参考にならないから除外。

 

「……魔族?」

 

「いえ、魔族では有りませんよぉ。ですので賢者様達はこの戦に介入出来ません」

 

「そう。所で一つ言わせて。……臭い」

 

 少し残念に思いながらも包帯男を指差して告げる。包帯に付けた薬品で誤魔化しているけれど完全には誤魔化せず、寧ろ相乗効果で余計に臭う。そんな悪臭の存在を告げられた包帯男は自分で腕を嗅いでいた。

 

「……何故皆さんは言ってくれなかったのでしょうかねぇ?」

 

「多分嫌われているから」

 

「でしょうねぇ。心当たりは有りますし……」

 

 嫌な性格だとは思ったけれど、意外な事に仲間が居て、自分でも自覚する位に嫌われているらしい。大して落ち込んだ様子も無いけれど。

 

「……何で西側の味方をしているの?」

 

「利害が一致した、それだけです」

 

「そう、分かった」

 

 これ以上は必要無い。皆は少し心配だけれど、私が包帯男を抑えていなければもっと状況が悪くなるから相手をするだけ。手を前に突き出して拳を握る。拳を包む炎が形を変え、鉤爪の形になった。

 

「本当に便利な能力ですねぇ。……私もそんな力があれば彼女に振り向いて貰えたのでしょうか」

 

「多分性格の問題」

 

 言うなり拳を振るって襲い掛かる。また受け流そうとするけれど爪が顔面に向かって伸びたのを避けた包帯男の体勢が崩れ、私の蹴りが脇腹を掠る。無理に攻撃を切り替えたから動きが悪くなったけれど、次は多分当たると思う。

 

「……さて、勝利を確信した所でひっくり返させて頂きましょう。それが最っ高に楽しいのですよぉ」

 

 その声と同時に地面が盛り上がり、悪臭が充満する。感覚の鋭い獣人の中でも特に嗅覚が優れている人達が思わず動きを止める程の腐敗臭。性根が腐った包帯男は腐った死体を操れるらしい。

 

「ネクロマンサー?」

 

「まあ、同類ですね。では、喰らいなさい!」

 

「!」

 

 事態は急速に悪化する。動く死体達は腐乱した肉体からは想像出来ない動きで襲い掛かり、反撃しても堪えない。父から聞いた事があるけれど頭を潰すか切り落とすかしないと倒せない筈だった。

 

「頭が弱点!」

 

「ええ、そうです。ですが西側の戦士はそれほど嗅覚の優れていない人を中心に選びましたし、あれと同時に相手を……」

 

 包帯男がニタニタ笑う中、東側の戦士は数に押し潰されそうになる。炎で援護するけれど全部水でかき消されて届かない。このままじゃ誰かが死ぬ、そんな風に思った時だった。

 

 飛来した無数の鉄串がゾンビの眉間を貫く。静かにほくそ笑む愉快そうな男の声が聞こえた。

 

「おやおや、随分と死者を冒涜したものだ」

 

 大地に出現する魔法陣。突き出した大地がゾンビの頭を貫き、そして潰す。今度は呆れた様な冷たい女の声。

 

「生者を愚弄するのが好きな貴方が言う資格は無いでしょう」

 

 そしてゾンビの間を黒い疾風が駆け巡り、煌めくナイフで首を落とす。今度は無言。

 

「……なんですか、あれは?」

 

「知らない」

 

 包帯男が思わず口にするのも無理はないと思う。だって現れたのは……。

 

 

「キグルミ師団第一部隊隊長鳥トン、此処に参上した」

 

 鉄串を手にしたのはハシビロコウのキグルミ。目の前の光景が楽しいのがキグルミで顔が隠されていても分かった。

 

偽獣隊(ぎじゅうたい)第二部隊隊長グレー兎、奴の命令なのは非常に遺憾ですが参上しました」

 

 不満そうな灰色の兎のキグルミ。手の前には小さな魔法陣が浮かんでいる。

 

「……」

 

 最後はナイフを腰のホルスターに差した黒子。黒子だから喋らないのか手にしたスケッチブックには『アニマル戦隊キグルミジャー 黒子ブラック参上!』と書いてある。少し恥ずかしそうだった。

 

 

「……どうしてバラバラなのでしょうかねぇ?」

 

「さあ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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予期できぬ事態

to4koさんに依頼しました


 時は少し遡って地の底、光は一筋も射し込まず空気は滞留し砂塵が舞う劣悪な環境に二人の魔族の姿があった。片方はクレタ・ミノタウロス、腕を組んで前方の相手を睨む。睨まれた相手、ビリワック・ゴートマンは平然とした態度でお辞儀をしていた。

 

「ご機嫌とお加減は如何ですか?」

 

「腕はあの女の治療で万全だが、機嫌もあの女のせいで最悪中の最悪だ。貴様はどうなのだ? あの様な男を引き入れるなど。アレがどんな奴か分かっているだろう」

 

「私は主の(メェ)に従うまでですので。……クレタ様も可愛い部下を意地に巻き込まない方が宜しいと思いますよ?」

 

「……さっさと去ね、殴り殺されたくなければな」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ビリワックの言葉に不機嫌さを更に増して行くクレタ。それが伝わって尚、ビリワックは平然とした様子でお辞儀をして消える。静かな地中にクレタの舌打ちの音が響き渡った。

 

「……部下と共に逃げ出せ、自由に生きられたらどれ程良かったのだろうな。……その果てに惚れた男と囁かな暮らしを享受する。私の願いはそれだけだが……それをさせない為の外道働きか」

 

 怒りに任せて岩壁を殴れば罅が広がって行く。今の彼女の顔には憂いと怒りが入り混じった物であった。

 

 

 

 

 

 

 

「良いか、息子よ。我々は日の当たらぬ世界の住人。それを重々心得よ」

 

 それは男が幼い頃より言い聞かされた言葉。父は自分達の一族の偉大さや強大さを語る一方で、日陰の存在だと。決して表舞台に出るべきではないと語る。幼い頃の彼にはそれが理解出来ず、きっと正しい行いをすれば誰もが賞賛すると思っていたのだ。そして、その機会が訪れた。

 

「ふふふ、凄いでしょ! 僕の力なら皆を助けられるんだ!」

 

 普段は屋敷に籠もり、太陽の光を浴びるのは中庭だけだった日常の中、父に修行として遠い山に連れて行かれる道中の事であった。外の住民との関わりは最低限で、絶対に力を見せるなと言われていたにも関わらず父の目を盗んで遊びに向かった先で目の前でモンスターに襲われる人々を見捨てられない正義感、そして承認欲求を持っていた彼は家の秘術で人々を救ったのだ。

 

 きっとこれで誉めて貰える。父だって感謝する人々の言葉を聞けば言いつけを破った事を許してくれる、そんな風に思った彼は称賛を浴びる瞬間を待ち望む。だが、彼の思惑とは逆に浴びせられたのは称賛とは全く別の物であった。

 

「この外道!」

 

「村から出て行け!」

 

 浴びるのは罵倒と石礫、向けられたのは感謝の念ではなく嫌悪と恐怖。自分を見る目が怖くて逃げ出した先に居たのは怖い父親。思わず身を竦ませるが、父は彼を優しく抱き締めた。

 

「……これで分かったな? 力とは力無き者を守る為に存在する。だが、我が一族の力は外道外法の類。賞賛も喝采も感謝も求めるな。人を救う事、それだけを励みとせよ」

 

 彼は理解する。父が自分に言い聞かせていた言葉の理由を。父も自分と同様に日の当たる場所で暮らしたいと願い、そして現実に打ちのめされたのだと。自分には普通の生活も普通の幸せも平穏な暮らしも無理なのだとも理解してしまったのだ。だが、疑問が一つ湧く。

 

「……何で感謝もしてくれない他人の為に犠牲にならなくちゃいけないの?」

 

 この問いに父は悲しそうな顔をし、それが自分達の使命だと告げる。誰かが邪法を使い泥を被ってでも動かなければ救えない人が存在するからと。その言葉は彼には理解出来ず、それを当然とする一族が途端に気持ち悪い物に思える様になったのだ。

 

 それから数年後、少年から青年へと成長した彼は自らの本心を隠し、飄々とした態度で過ごす様になる。魔族の出現で世界が慌ただしくなる中、修行の為に世界を回り、日の当たる場所に居るのが当然な人達への憎悪を隠しながら。そして力試しに強いと噂される者達に挑む中でとある二人組に出会ったのだ。

 

 一人は最大の嫌悪を向ける相手。日の当たる世界に生まれ、更に強い光と人々の称賛を浴びる運命を持ちながら堕落した男。自分がどれほど望んでも手に入らない物を目の前で溝に捨てられている気がして腹が立った。

 

 そして二人目、彼女の事を彼は絶対に忘れない。暗い世界に生きていたからこそ他者の輝きに敏感な彼には直視出来ない程に眩く見えた初恋の相手。例え死んで転生しても彼女の事を覚えている自信が有る程に強く惹かれたのだ。

 

 この出会いを切っ掛けに彼は表の世界に出る事になる。自分とは無縁に思えていた称号を得た途端に家の秘術を使っても称賛を向ける人々には嫌悪と憤怒しか感じず、彼にとっては使命などどうでも良い事だった。最早憧れた場所にも興味は無く、彼女の隣に居られたらそれで良い。自分が触れれば彼女の輝きが穢れるからと想いを心の内に留め、日に日に大きくなるそれを押さえ込むのに苦しむ。

 

 そして、それを解放しても良いのだと思った時は全てが遅かった。彼女の心を手に入れる事も、隣に居続ける事も不可能となったのだから。この後、彼は歴史の表舞台から姿を消す事になる。様々な憶測が飛び交うも事実はその中には存在せず、やがて彼を気にする者も居なくなった。それを彼は嗤うだろう。所詮は日陰者だったのだと。

 

 

「……はは、はははははは! 今度は間違わない。絶対に彼女を手に入れる。例え外道と唾棄されようとも元よりそうなのだから!」

 

 日陰者として生まれ、日の当たる場所に憧れながらも何時しか諦め、強い光に惹かれた男は自らの意志で深い闇に身を投じる。そして、とある存在が彼に接近して背中を突き飛ばしたのだ、永久に這い上がれぬ深き闇の広がる奈落の底へと。彼も抵抗する事無く落ちて行った。

 

  

 

 そして今に至る。全ては計画通りに進んでいた筈だった。だが、何らかの介入は予期していても予測すらして居なかった珍妙な格好の闖入者達に包帯男は我が目を疑う。寧ろ疑わない方が不自然であり、それでも即座に三名周囲を渦巻く力を感じ取った彼に更なる動揺が走った。

 

(有り得ない。あの者達は……いえ、アレは一体何なんですかねぇ?)

 

 彼は最初は只の演技であり、今や心中の呟きにさえ使っている口調で考える。今までの経験で六色世界の住民には世界ごとに異なる力の性質を持っているが、三人はどれにも当てはまらない。だから奇妙な見た目しか分からず、一つ思うのはその様な格好をする理由が存在する事。最も有り得るのは顔を隠さざるを得ない理由が存在するという事。思い当たった瞬間、無性に腹が立って来た。

 

「……貴方達、正直言って目障りですよ」

 

 人前で堂々と姿を晒せない分際で何をしに現れたのか。まさか正義を気取っての事ではないのか、そんな想いと共に幼い頃に抱いた理想の生活が浮かび、続いて石を投げられながら罵倒された時の記憶が蘇る。彼が頭を押さえよろめけば包帯の隙間から見えていただけの目が包帯と共に動く様子を見てティアは目を細めた。

 

「幻覚? 何故目を隠す?」

 

「……五月蠅い、黙れ小娘が。偶々賢者に拾われ光を浴びた程度の餓鬼が私の思考の邪魔をするんじゃないですよぉ」

 

 今の彼に先程までの浮き世離れした態度は既に見られず、苛立った様子で両手を使って顔に巻いた包帯をグシャグシャにしていった。それでも包帯は意思を持つかの様に彼の素肌を決して晒さず、ティアへの興味など既に消え失せたと言いたげに彼は三人の方ばかりを向く。その三人は何をしているか、少なくとも包帯男に大して興味は示していない。

 

 

 

「……どういう事ですか? 私は軍団の名を考える会議があると呼び出された先で二時間待たされた上に、鯛焼きの尻尾はアンコ沢山かカリカリの焼き加減かどうかで五時間の無駄話をした後で五秒で決定したのですが?」

 

「私は激辛担々麺を食べながら話し合って決めたのだがな。まあ、お前がどうしても偽獣隊が良いと言うのなら構わんさ。お前の希望を尊重しよう」

 

「いや、心底どうでも良いです。契約でなければ所属どころか関わりたくもない」

 

「……」

 

 挑発するかの様に肩を竦める鳥トンと非常に不服そうなグレー兎のやり取りに割って入りたいのか手を左右に動かしてアピールするも声を出さないから気付かれない。いや、鳥トンは気が付いている様子で一瞬視線を送っては笑い、直ぐに見ない振りをする。

 

「……」

 

 最後に『僕は朝ご飯の時に告げられましたよ』、そう書いたスケッチブックを掲げるも二人に無視される。大して興味が無いのではなく、完全に包帯男は眼中に無かった。

 

「貴様達、一体何者だ!」

 

「さては東側の援軍だな!」

 

 同じく周囲に居ないかの様に扱われていた西側の戦士達がその結論に至ったのは当然の事。自分達に味方していたゾンビを急に現れた不審人物達が倒したのだ。血走った目で武器を構え、殺気を向けて襲い掛かる。この時になって三人の視線が彼等に向けられた。

 

「……おや、私達が東側の味方だと?」

 

「まあ、その結論は当然ですが……」

 

「……」

 

 何処か落胆した様子の黒子がナイフを抜く。小柄でとても戦士の肉体には見えない彼は前傾姿勢になり、その場から消えた。驚愕に目を見開く戦士達、彼等の間を疾風が過ぎ去り、背後に黒子が現れる。彼がナイフをホルスターに仕舞うと同時に彼等はその場に崩れ落ちた。

 

「……よし。勝てる、勝てるぞぉ!!」

 

「誰かは知らないが、このまま共に力を合わせて一気に西側の連中を叩きのめそうぞ!」

 

 思い掛けない兵器の投入や敵側の援軍、優勢状態から一気に劣勢に追い込まれ士気が下がっていた状態からの逆転の状況に東側の戦士の戦意が一気に燃え上がった。ときの声を上げ、動揺が見られる敵を叩きのめすべく向かって行く。そして前のめりに倒れ込んだ。彼等の背後から鳥トンが襲い掛かった事によって。

 

「な…何故……?」

 

「私達はお前達の味方ではない、それだけだ。ククク、残念だったな」

 

「神も賢者も勇者も、賢者の使い魔さえ介入出来ないこの戦争……ですが、使い魔の部下なら話が変わる。……まあ、戦争を止めるにはこれが一番ですので」

 

 倒れ込んだ東側の戦士の背中を踏みにじり嘲笑う鳥トンと冷静に語るグレー兎。黒子はコクコクと頷き、三人が味方ではないと察して西側と同様に三名に殺気と武器を向ける。三人は互いに背中を向け散開、圧倒的な人数差の相手へと向かった。

 

「さて、少しは遊ばせて貰っても良いのだろう?」

 

 鳥トンが左右に腕を広げれば指の間に無数の鉄串が現れる。バーベキューに使う様な物であり、とても武器には使えない物。それが戦士が使い慣れた自慢の一品を貫き通し破壊、更に一歩踏み込んで手をそっと体に当てる。何をする気だと相手は笑みを浮かべ、彼の背後から他の仲間が武器を振り上げる。その瞬間、手を当てた部分から衝撃が突き抜け数人纏めて吹き飛ばした。

 

「さて、楽しい楽しい戦闘の始まりだ。正当化される暴力とは随分と心地良い。……仕事後のビールの味も格段だしな。ククク、実に楽しみだ」

 

 鳥トンは次々に鉄串を投擲しながら嗤う。その姿はとても戦士には見えない。実際、彼に戦士の誇りは存在しないだろう。その姿を誰もが悟る。目の前に居るのは性根の腐った人格破綻者なのだと。

 

 

 

「……あの男は相変わらず何と言えば良いのやら」

 

 その光景を見て深い溜め息を吐くグレー兎。どうやら前々から思っていたらしく声には苦労が滲み出ている。それを好機だと捉えたのだろう。東と西、両側の戦士が鳥トンの異常さから仲間も危険だと判断したのか取り囲む。元々は同盟を結んでいたり同部族だった者達。何よりも一流の戦士だ、その連携に一切の乱れは存在しない。

 

「とった!」

 

 鎖付き分銅がグレー兎の足に巻き付き、武器を持った戦士とその間を縫って放たれる矢。彼等は勝利を確信し、それでも切っ先に乱れは無い。勝機を感じるのと油断慢心は別物だと、それだけなのだろう。グレー兎は動かない。まるで全てを諦めているかの様に……。

 

「……はぁ」

 

 静かな溜息が聞こえ、指先に魔法陣が現れる、彼女の目の前、ほんの数ミリの距離で矢も武器も見えない壁に阻まれて止まっていた。

 

「ご安心を。契約ですし戦争は犠牲を極力出さずに止めますが……あの男の様な真似は致しませんので」

 

 グレー兎に至近距離から攻撃を仕掛ける戦士達、そして矢を放った戦士達の体が糸が切れた人形みたいに崩れ落ちる。諦めたのではなく、必要が無いから動かなかっただけ。そんな単純な話であるが、此処で疑問が一つ。魔族でもない彼女が杖も魔本も使わずにどの様に魔法を使っているのかだ。

 

「……さて、そろそろの様ですね。流石にこの数を相手に重傷を負わさず鎮圧するのは私達だけでは難しいでしょう」

 

「なら、さっさと諦めて倒されろ!!」

 

 先程の黒子、そして鳥トンとグレー兎が微塵も苦戦せずに戦士達を倒したのは確か、だが足りない。戦争をする為に集まった西側の数は凄まじく、話し合いの為に族長達が連れて来た人数も合わせれば無謀な試みと一笑されるのが普通だ。だから戦士達も数で攻める。相手の強さを認めた結果であり、手加減された事への腹立ちも含まれているだろう。

 

「……まあ、あの腐れパンダが集めたのは私だけでは有りませんが。手間を掛け、異世界(・・・)でスカウトした犠牲者……いえ、部下が揃っています」

 

 戦士達を取り囲む様に現れた無数の魔法陣。そこからときの声が響き、武器を持ったキグルミ達が現れた。ライオン、ネコ、ラッコ、コアラ、蜘蛛、アルマジロ、ヒトデ、クマ、スカシカシパン、最早どれだけ居るのか一目では判別不可能な数の出現に再び固まる戦士達。今度は東西両サイドの戦士が揃ってではあるが。

 

「さて、第一部隊隊長の私が言うべきか。……総員突撃。被害を抑えつつ無力化せよ」

 

 鳥トンの号令と共にキグルミ達が動き出す。立場が逆になった数の暴力が始まった。

 

 

 

「……はは、はははははは! 何ですかねぇ、これは。一体何なんだ!!」

 

 目の前の光景に包帯男の口調が乱れる。だが、それも致し方ない事なのだろう。一体誰がこの様な事で計画がひっくり返されると予測出来るのだ。未来を見通す予知の力を持っていたとしても何かの間違いだと自らの力に疑いを持つ光景こそが彼の目の前で起きている事であり、それを引き起こした存在、アンノウンの無茶苦茶な能力と性格等普通ならば思い当たる方がどうかしている。

 

「……えい」

 

 そう、アンノウンの事を知らなければ動揺と混乱で動けないのが当然だが、ティアはアンノウンを知っている。この世で最も慕う同率二人である両親の片方である父と、六百六十五人の神が悪乗りで創造した存在である事を。……流石にそれでも限度はあるが、少なくても包帯男よりも立ち直りは早い。生じた致命的な隙を狙って繰り出される拳。顔面に迫ったそれに気が付いた時、既に彼には受け流す余裕は存在しない。

 

 この戦いにおいて初めてティアの攻撃が有効打となった。正面から叩き込まれた拳の威力を咄嗟に後ろに跳ぶ事で軽減するも本来に比べて動きが悪い。動揺した状態で受けたダメージによって完全な動きが出来ずに削ぎきれなかったダメージ。彼の体勢は空中で崩れ、ティアの追撃のハイキックが襲い掛かる。

 

「舐めるな!」

 

 だが、攻撃を受けた事で彼の意識はティアへと移り、水の刃がティアの背後から襲い掛かった。背後からの急所を性格に狙った攻撃。ティアの耳が僅かに動き、その動きが加速する。彼女を絶命させたであろう刃は僅かに柔肌を切り裂くだけに留まり、蹴りは彼の頭に威力を殺す事無く叩き込まれた。

 

「身体能力強化!? 馬鹿な、先程までは使って無かった筈。それに何故後ろからの攻撃を……」

 

「……何となく? あと、手札は残しておく物って習った」

 

 振り抜かれた足は包帯男の側頭部を蹴り抜き、包帯をビリビリに破けさせながら彼の体ごと宙を舞う。包帯の破片が散らばり、包帯男は何度も地面を跳ねて最後に転がって漸く止まった。その状態で起き上がった彼は血を吐き捨てながらも二本の足で立つ。顔に手を当て、さらけ出された事が随分と不愉快な様子だ。

 

「えっと、知ってる顔だけど……誰だっけ?」

 

 その顔を見て腕組みで考え込むティアだが、彼女以外の者達の中には思い当たった様子の者が多かった。直接会った訳でも遠くから顔を拝んだ訳でもない。だが、それでも知られていて当然の顔を前に動揺が広がる。プードルの獣人が信じられないといった顔で呟いた。

 

 

「天……仙……? そんな、げふぅ!?」

 

 戦闘中にその様な隙を晒せば当然の如く狙われる。黒子が首筋にナイフの峰を叩き込んで気絶させた。そして、その呟きが聞こえたのだろう。包帯男……いや、天仙ウェイロン、百年前に勇者と共に世界を救った英雄が肖像画に描かれた若いままの姿で立っていた。

 

 

「……流石に遊びが過ぎましたねぇ。この体も限界らしい」

 

 首に手を当ててゴキゴキと鳴らすウェイロン。包帯の隙間から見せていた目とは別物の糸の様な細い目でティアの方、その後ろで彼女の武器を持って来たリンに向けられる。口元が僅かに吊り上がった瞬間、ティアが間に割り込んだ。

 

「させない!」

 

「はあ。何をさせないのですか?」

 

 背後から聞こえる人が倒れた様な音。振り向けば前に倒れたリンの姿。足首から下が地面から突き出した水の刃で切り落とされていた。

 

「リン!」

 

「ああ、彼女はリンという名なのですねぇ。名を知れて良かった……とでも言っておきましょうか」

 

 僅か一瞬だけリンに視線を向け、興味が失せたのか言葉の途中で頭を振る。ティアの目が鋭くなり、見慣れぬ者でも今の感情を察せられる中、リンの腕が動いた。

 

「お姉様、これ……」

 

 これを、そう叫ぶ前に再び地中から飛び出した水の刃が腹部を貫く。透明な水の刃に赤い色が混ざり、トンファーを持って振り上げた腕が下ろされると共に閉じられる瞳……それが再び開かれ腕が振り抜かれる。ティアがそれを受け止めたのを目にしたリンは微笑み、そして目を閉じた。

 

「お友達で?」

 

「……分からない。父はストーカーって呼んでたし、知り合いではあるけれど……お前だけは絶対に許さない」

 

 

 

 

 



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パンダとウサギによる死人と虎の戦闘観察

やりたい事をやりきった


 僕の名はアンノウン、使い魔である。只今、グレちゃんことグレー兎の頭に操っているパンダを乗せて観戦中。乗せた途端に振り落とそうと激しく動いたからグレちゃんは少し息が上がっているけれど更年期かも知れない。まあ、まだそんな歳じゃないんだけれど。

 

「……少し気になる事があるのですが良いですか?」

 

 もう諦めたらしいグレちゃんは静かな声で僕に問いかける。聞きたい事? 僕の本体は異世界での戦力集めが終わったから七分割した頭全員で打ち上げしているけれど、闇討ちでもする為に居場所を聞き出したいのかな?

 

「いえ、その内闇討ちを決行する予定ですが、それはアンノウン被害者の会の準備が整ってからですので。私が気になっているのは……その前にちゃんと話しなさい。正直言ってテンポが悪い」

 

 グレちゃんったら我が儘だから今の僕との会話方法が嫌らしい。ヌイグルミは操れても喋らせる事は無理だからスケッチブックに文字を書いて眼前に垂らしているんだけれどさ。それにしても昔の黒歴史ポエムを黒歴史ペンネームの名前を作詞者として歌として発表、見事に裏工作で大ヒットにしただけなのに酷い言いようだよ。

 

「早くなさい。頭の中に語りかける事が出来るのは未来の貴方から聞いていますよ」

 

「……仕方無いなあ。じゃあ、代わりにグレちゃんじゃなくってメロリンクイーンって呼んで良い?」

 

「西側の方々ですが、女神シルヴィアの信者の筈。それが信仰する女神の直属の配下と伝わっている賢者の娘が居る東側と敵対するのは不自然では?」

 

 グレちゃんったら無視とか性格がねじ曲がっているや。にしても未来の僕……そう、この場所に居るキグルミ達の殆どは僕じゃなく、未来の僕が送り込んだんだ。今の僕じゃ異世界に行くのが精一杯だけど、未来の僕は好き放題する力を持っているからね。例えるならこの世界が小説だとした場合、作者の作品には何かしらの形で大体登場する位に好き放題出来る。

 

「まあ、グレちゃんの疑問だけれど、信仰ってのは何もかも捧げてまで信仰する場合と、何かの為に信仰する場合があるのさ。誰の為に神の恩恵を望むのかって事だね」

 

 元々聖職者だった鳥トンことトンちゃんは分かっていて苦悩する様子を想像して酒の肴にしていたけれど、神に敵対したグレちゃんには難しかったか。

 

 この世界には実際に神が居て恩恵だって与えてくれる。でも、全員が司る物に関わる恩恵を与えてくれる訳じゃないんだ。ボスみたいに厳格に基準を決めているのも居れば、祈りが届いた時の気分だったり、機嫌だったり、サイコロを転がして決めたり、数年後に思い出してパッと与えたり、神によって様々だけれど人は知らずに真摯に祈る。大切な誰かの幸せの為にね。

 

「……成る程。私は信仰には疎いので最初は理解出来ませんでしたが、そうやって説明頂ければ分かります。……私も一児の母なので」

 

 グレちゃんは納得した様子で頷き、ティアの方を向く。丁度ウェイロンが大規模な術を使う所だった。因みにグレちゃんの子供には、僕が魔法で一から作ったグレちゃんが魔法少女っぽい服装でメロリンクイーン作詞のメロリンパッフェって曲を歌うライブDVDをプレゼントしたけれど楽しんでくれるかなあ。

 

「あれって最後が良いよね。止まらない、このト・キ・メ・キ! って奴」

 

「……止まらない、このム・カ・ツ・キ」

 

 グレちゃんが拳を震わせながら呟く中、急に気温が下がる。その理由は地面から噴き上がった水。まるで大瀑布みたいな大量の水は空に向かっていて、飛び散る飛沫を浴びた地面や木が凍り付いていたよ。アレが寒さの原因だね。まあ、僕はヌイグルミを操っているだけだから寒くないし、キグルミ達だって平気だけれど、普通の人なら肺が凍りそうな位に寒い場所は不味いよね。周囲を見れば気絶した戦士達が倒れていたし、僕の手勢は流石だよね。

 

「……」

 

「え? 避難させなくて良いのかって? う~ん、後でボスのお説教を受けるのは嫌だからお願いね~」

 

 最近未来の僕の所に加入したらしい黒子君が身振り手振りと筆談で倒れている人達を指し示す。この子は普通に良い子らしいから心配なんだね。実はロリコンらしいけれど。十歳以下で扇情的な格好の女の子が好みだって聞いてるよ。

 

 仕方無いから許可すれば黒子君が笛を吹きながら他のキグルミ達に指示を出して的確な避難誘導をする黒子君だけれど、どうしても不思議な事があるんだ。……何で黒子君だけキグルミじゃないのかな? 未来の僕からの手紙には好きであんな格好をしているらしい上に、こんな事も書いていたよ。

 

「ねぇ、君って実は僕と同類らしいね。凄く性格が悪いんだって?」

 

「!?」

 

 黒子君はショックを受けた様子で固まり、膝から崩れ落ちると寒さで氷が張った地面を何度も殴る。何がショックだったんだろう? あっ、そんな事よりも水の幅が狭くなって行くや。グレちゃんは黒子君の肩を優しく叩きながらも視線は外さない。

 

「どうやら規模が小さくなった……そんな甘い訳がなかったらしいですね」

 

 そう、アレは規模の減退じゃなくて圧縮。膨大な量の水は一本の槍になってティアへと迫る。だけれどティアは全く動かず、慌てた黒子君が助けに向かおうとしてトンちゃんに足を引っかけられて転んでしまった。

 

「まあ、黙って見ていろ、少年。努力すれば凡人も天才を超えられる、そんな理想論を一笑に付す天才の力をな」

 

 腕組みをしながら足で黒子君を押さえ付けるトンちゃん。超高水圧の槍になった水流は弧を描きながら地面を貫き、内部から地表を凍らせて進む。無言で立ち尽くすティアが僅かに手を動かした時、地中で二つに分かれていた水流は左右から飛び出したんだ。あの技について僕はマスターから聞いた事がある。ウェイロンを仲間にしてからシドー一行が最初に戦った上級魔族相手に決め手になった技だったね。

 

「……うん、楽勝」

 

 つまり、ティアには通じない。相変わらず何考えているか分からない声で手に持ったトンファーを回転させながら水流に叩き付ければ凄い勢いで水が弾かれて行く。当然水滴は触れただけで相手を凍らせるのだけれど、ティアの場合は服に少し霜が付くだけで平気な顔をしていたんだ。

 

「馬鹿な……」

 

 絶句した様子のウェイロンは続いて手を真上に挙げて水球を作り出した。タプタプと忙しなく動く一抱えは有りそうな大きさで、回転を始めたかと思うと薄く広がって行く。やがて円盤状になったそれは二つに増え、更にそれが四つになり、やがて八つになると風を切り裂きながらティアへと飛ばされる。間に有る物を全て切り裂きながら進む円盤にもティアは少しも動じない。

 

「……えい」

 

「は?」

 

 あれ? ウェイロンって勇者の仲間として世界を救った英雄なのに今のが見えなかったのかな? だから気合いの欠片もない声と同時にティアの腕がブレて円盤が弾け飛んで見えたんだろうね。実際は円盤の中央にトンファーを突っ込んで逆回転で弾け飛ばしただけなんだろうけれど……。

 

「……何かありますね、彼。苛立ってはいるが怯えも慌てもしていない。まるで負けても良いかのようだに」

 

「多分負けても良いと思うよ。捕まらない何かがあるみたいだし。……それにしても魔族の痕跡があった奴を追ってマスター達が遠くに行っている時に戦争が起きるだなんて相手に都合が良いよね」

 

 内通者が西側に知らせるにしても時間が足りない。これは嵌められたかな? そんな風に思いながら黒子君を見ればウェイロン以上に呆然としていた。あの若さでティアが至った強さに驚いて自分と比べてしまったみたいだね。

 

「まあ、仕方無いって。何だかんだ言っても質の高い努力には才能が必要だし、一日は天才も凡人も同じだからね。才能の有る奴が環境の整った所で質の良い努力を続ければ凡人が置き去りになるのは分かり切っているじゃないか」

 

「……」

 

「でもさ、未来の僕が君を誉めていたぜ。物語における主人公みたいな子だってね。君にだって物語ではモブでしかない凡人とは一線を画す才能を持っているんだ」

 

「!」

 

 僕の言葉に元気になる黒子君だけれど、本当の事を言っているよ。まあ、その分過酷な運命も持っているし、乗り越えられないで潰されちゃうパターンも有るのは黙っておこうか。未来の僕はそんな子を探しては弄くるのが趣味らしいけれど良い趣味をしているよ。

 

「未来の僕って性格が悪いね」

 

「いえ、今の時点で最悪かと」

 

「ククク、同感だ。既に貴様の醜悪な性格は完成されているぞ」

 

「……」

 

 皆、酷い! こうなったら後でメロリンクイーンのポエム帳をキグルミ達全員に配布してやるんだから! 僕がちょっとした仕返しを計画する中、何をしても通じない事にウェイロンは怒りを通り越して諦めの表情で肩を落としていた。

 

「う~ん、今の私では貴女に勝つのは無理っぽいですねぇ」

 

「今の私? ……つまり、今の貴方は本気を出せない?」

 

「……これは口が滑った。余計なお喋りが悪い所だとアナスタシアにも言われたんですがねぇ」

 

 ティアの言葉にハッとした様子のウェイロン。おどけた態度で口を塞ぎ、最後に仲間の名を口にしながら黄昏る。何か有るみたいだね。どうして百年経ったのに若いままなのか、何が目的なのか。質問する価値は有ると思う。でも、他にもするべき質問が有ったんだ。だから僕はトンちゃんに視線を向け、頭に直接話し掛けて代わりに質問をして貰う。だって初対面相手にいきなり頭の中に話し掛けるのは失礼だもん。

 

 

「ウェイロン、一つだけ質問に答えて頂きたい」

 

「何でしょうかねぇ。……其方が一体何者なのか教えてくれるのなら構いませんよ」

 

 相手の了承は得た。じゃあ、お願いするよ、トンちゃん。

 

 

 

「君はアナスタシアの事が好きだったのかね? もう一度質問しよう。君はアナスタシア・エイシャルに惚れていたのかと訊いているのだ。あの三代目勇者シドーに好意を寄せながらも素直になれず、賢者のアドバイスで強引に結ばれたアナスタシアに旅の間、ずっと好意を向けていたのかね?」

 

「……もう一度言ってみろ」

 

 静かな声でウェイロンは呟くけれど、僕は彼にどんなあだ名を付けるかを考えていた。

 

「……ふむ、心が痛むがそれが望みなら仕方が無い。君の意思を尊重しよう。君は、天仙ウェイロンは数年間想いを寄せていた相手を、素行の悪い駄目勇者に惚れている相手を、ずっと想い続けた挙げ句に失恋したのかね?」

 

「いや、貴方に心痛が有るなど嘘でしょう」

 

「ククク、言ってくれるな、メロリンクイーン。ああ、馬鹿にはしていないさ。あのポエムは何度も私の心を震わせてくれたからな。因みに一番爆笑したのは『豆板醤にキムチに塩辛 嫌いなあの子は胃痛にな~れ』という所だ。激辛担々麺に救われて今の自分がある身とすれば思う所も有るしな」

 

「その思いを胸に秘めて死になさい。……吹き出したのは聞こえていますよ?」

 

 今にも笑い出しそうなのにグレちゃんを気遣って堪えているトンちゃんへの怒りで震えるグレちゃん。彼女は横目で黒子君を睨んだ。どうも今日は怒りっぽいし、何かカルシウムが沢山含まれている物でも奢ってあげるべきかな? 黒子君の財布なら持ってるし。

 

「……貴方方、真面目にやってくれませんかねぇ。私を馬鹿にしているのですか?」

 

「ああ、その通り。馬鹿にしているし、真面目に相手をする気など毛頭無いとも。だが、せめてもの詫びに誠意を込めたアドバイスを贈ろう。背後に気を付けたまえ」

 

 その言葉に振り向いている途中のウェイロンの頬にティアの飛び膝蹴りが命中、傾いたウェイロンの顎を足を伸ばして蹴り上げて最後に踵落とし、一撃一撃が岩が砕けるみたいな音が響いたし、きっと凄く痛い。でも、それはウェイロン……ウェっちが痛みを感じるならの話なんだよね。

 

「やれやれ、折角人が親切に教えてやったのを無駄にして。彼奴は性格がねじ曲がっているな」

 

 膝蹴りを食らったウェっちの足下の地面は伝わった衝撃で砕け、ついでに足も砕けた様子で背中から地面に叩き付けられている。本当なら追撃のチャンスなんだけれど、ティアはその場から飛び退いた。きっと何かを察したんだ。ボスに育てられたから脳筋の勘でも働いたのかな? そんなウェイロンの様子を見ながら嗤うトンちゃんだけれど、鉄串を握ったままだし、剣呑な気配を放っている。戦士の勘が働いたんだね。

 

「……やれやれ、この体はもう駄目ですねぇ」

 

 体中の骨が砕けて横たわるウェっちからは苦痛に歪んだ声は出ていない。全くの余裕を見せたまま呟き、その場で全身が腐り落ちた。腐った肉からは嫌な臭いの汁が溢れているし、蛆も住み着いている。うーん、何らかの魔法みたいだけれど、僕は詳しくない分野だ。

 

「……導師が使う召鬼法の応用だな。本来は死体を怪物として蘇らせ使役する術であり、この世界では邪法や禁術とされているが、勇者の仲間が使った途端に賞賛されていたのだから人は随分と都合が良い。まあ、人の本質は邪悪だという事だ」

 

「……それ、同じ様な事をマスターが何度も言ってるよ。人間って性格悪いよね」

 

「鏡が必要ですね。……その応用、つまり死体を自分のコピーにしていたという事は……」

 

 グレちゃんの言葉と共に全員の視線がティアの知り合いらしい兎の獣人に向けられる。彼女は死体、ウェっちに殺された犠牲者。それが立ち上がった時、体はウェっちになっていた。

 

「さて、戦いの続きをしましょうかぁ。貴女も、あの謎の集団も賢者の身内には間違い無いらしい。なら……此処で全員を殺す!」

 

「所で服装は女の子のままなのですね」

 

 グレちゃんの言葉にその場の全員が固まった。僕でさえ空気を読んで今のタイミングでは言わなかった事を堂々と口にするだなんて。……もっと面白いタイミングが有ったのに!

 

「グレちゃんって本当に性根が腐っているよね」

 

「あら? 何時から自分の事をグレちゃんと呼ぶ事にしたのですか? それよりも決着の時です」

 

 急激に冷気と熱波が押し寄せる。ティアの背後には巨大な灼熱の炎の虎、ウェっちの……女装したままのウェっちの背後には絶対零度の水の竜。互いに相手を睨み、同時に放つ。衝突するのに必要だったのは一瞬で、勝負も一瞬。竜が虎を凍らせて食い破り、威力を減退させながらもティアへと迫ったんだ。……さて、文句を言われるのが嫌だから介入しなかったけれど、そろそろ帰って来そうなマスターに誉めて貰いたいし動こうか。

 

「アンノウン?」

 

 僕は宴の席から一瞬でティア前に転移する。少し熱で体積を削られた水の竜が目前まで迫るけれど、寒さでクシャミが出そう。

 

「はははっ! 一体何者かは知りませんが、死にたいのならどうぞご自由に……」

 

「ヘクチッ!」

 

 多分最後の最後でねじ伏せてマウントを取る為に力を温存していたんだろうね。僕の出現にも驚いた様子が無かった女装姿のウェっちの水の竜は僕のクシャミで吹き飛んで、一緒に彼も吹き飛んだ。家を幾つも瓦礫にしながら飛んで行ったけれど、矢っ張り平然と起き上がる。じゃあ、少しだけとは言っても戦った仲だし、頭の中に話し掛けても良いよね?

 

 

 

 

 

「ねぇ、今はどんな気分? 追い詰められた振りしていた後で力を解放して悦に浸ったらクシャミで逆転された感想を聞かせて。あっ、それと右に注意した方が良いよ」

 

 今度は咄嗟に右に防御の術を展開するウェっち。無数のお札が壁みたいになって宙に浮き、左側に長距離転移で現れた術者の蹴りが脇腹に叩き込まれた。

 

 

 

 

「……お前、私の娘に何をした?」

 

 あっ、僕から見て右だった。失敗失敗。……それにしてもマスターキレれるや。ティアを助けて良かったなぁ。額に青筋が浮かんでいる上に口調が何時もと違うマスターに流石の僕もビビる中、自分が出した術の壁に固定されて殴られ続けるウェっちの喉から声が出る凄い憎しみが籠もっていて……。

 

 

「き、貴様は賢者ぁあああ!! よくも……よ……」

 

 その言葉の途中で地面が崩れてこの場の全員の足元に穴が開く。僕は浮けるしティアも僕に勝手に掴まって毛をモフモフしているしマスターだって当然飛べる。キグルミ達は飛べない子だけ転移で逃がしたからウェっちだけが落ちて行った。

 

 

 

 

 あっ、違うや。百歳過ぎて少女の服を着たウェっちだった。

 

 

 

 

 



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閑話 堕ちた英雄とハシビロコウの苦悩

 落ちて行く落ちて行く、奈落の底に落ちて行く。突如開いた大穴に飲み込まれたウェイロンは成す術無く重力に身を任せるのみであった。

 

「……無駄な事が好きですねぇ。自分自身が被害を受けた訳でもないのに私に何度も突っかかって来ていましたし」

 

 落下中、伸びて来た岩壁は彼を縛る拘束具となって腕の動きを封じ、曲がりくねった穴とデコボコした岩壁によって何度も何度も体を打ち付けられた彼の肉体の損傷は激しい。元より戦士の為のそれでない服、今の肉体の本来の持ち主だった少女の服も所々が破けて哀れな様子になる中、本人は至って平然と呑気に呟くばかり。

 

「いやいや、そう言わないでやってくれ。私達は先代魔王の得た記憶を受け継いで誕生する。明確さは個人差があるがね。まあ、彼女は気にするタイプなのさ」

 

 そんな彼の耳に届いたのは少女の声であり、目に入った光景は壁に出現した少女の口。映し出された映像が移動する様に彼の動きを追って壁を移動する。そんな口から投げ掛けられた言葉にウェイロンも質問を投げ掛けた。

 

「彼女は、ですか。貴女は気にしていないので?」

 

「え? 何で私が気にすると思ったのかか分からない」

 

「まあ、そうでしょうね」

 

 最初から分かっていた、そんな風に言いたそうな口調で呟いたウェイロンの肉体が腐って行く。未だ死んでからさほど時間が経過していないにも関わらず、長時間暑い場所に放置した肉の様にジュクジュクに腐り落ちて肉片をまき散らし、服もボロボロと崩れて行った。最後は骨だけとなった所で壁に激突して砕け散り、小さな羽虫が散らばる骨片に混じって飛び出し、そのまま絶命する。虫も同様に一瞬で腐ってこの世から消え去った。

 

 

「いやー、死ぬのって何度経験しても慣れませんねぇ」

 

 遠く離れた地、グリエーンとは全く違う別世界の城の一室で椅子にもたれかかって目を閉じていたウェイロンは急に目を開き、相変わらずのヘラヘラとした心の内を見せない軽薄な笑みを浮かべながら立ち上がる。窓から外を見れば潮の香りと共に慌ただしい音や人ならざる存在の怒号が響いて来た。

 

「……」

 

 糸の様に細い目で見詰める先には重い石材を積んだ荷車を必死に引いて荒れた地面を進む老若男女の姿。ぼろ切れ同然の服を着て窶れた人達を見張り、倒れた者に怒りを向けるのはモンスターだ。そんな光景を無言で見詰めていたウェイロンは窓から離れると煙管を咥えて火を付け、そのまま紫煙を吐き出す。

 

「私も堕ちましたねぇ。いえ、元よりこれが私の一族の有るべき姿なのでしょうが。日陰者が日の光に憧れて滑稽な道化の姿を晒していた、それだけなのでしょう。だから彼女も……」

 

 其処で言葉を切ったウェイロンは静かに煙管を置くと数度頭を振り、再び椅子に凭れる。そんな彼の姿を壁際で黙って見ていた少女は物怖じした様子で近付いて行った。

 

「あ、あの、ウェイロン君。ご飯の時間だけれど食べる? 私、持って来るよ?」

 

 緑の髪を短く切り揃えメイド服を着た小柄な少女……小柄な体型に合わせた服の下で胸は窮屈そうにしている。は少し期待した様子で上目遣いにウェイロンを見る。その言葉に彼は肩を竦め両手を左右に広げて口を開いた。

 

「この身は既に頬を撫でる風の感触も、口に広がる芳醇なワインの味も感じませんが……」

 

「え? ご、ごめん! 私、知らなくって……」

 

 ウェイロンの返答に慌て出す少女だが、その肩に優しく置かれた手に気付くなり顔が赤くなるが、それは緊張の為では無いのだろう。彼女が見上げたウェイロンの顔は優しい笑みを浮かべていた。

 

「ですが、習慣は大切にしたい。ご一緒にどうですかぁ?」

 

「う、うん! 直ぐに持って来るね!」

 

 ウキウキしているのが傍目にも丸分かりな軽い足取りで出て行こうとし、途中で扉に頭をぶつけて涙目になりながら出て行った少女の姿をジッと見ていたウェイロンは静かに、そして昔を懐かしむ様に呟く。

 

「声も顔も瓜二つ。胸は……さて置き、中身はだいぶ違いますねぇ」

 

 軽く溜め息を吐いた彼は本棚から一冊取り出して開く。それは三代目勇者シドーの冒険を描いた物語。但しシドーの名前だけは念入りに塗り潰され、挿し絵も彼の所は黒く塗られてしまっていた。

 

 

「よ! お前、まーだ彼奴の使用人みたいな事をやってんだな」

 

美風(みかぜ)ちゃん……」

 

 呼び止められた事で二人分の食事を乗せたカートを押す少女の足が止まる。窓枠に座って少し不満そうにしながらも、目の前の少女には親しみを向けている黄色い癖毛の少女、美風は窓枠から飛び降りるとカートの上の料理に手を伸ばし、その手を軽く叩かれて止める。

 

「ケチケチするなって、飛鳥(あすか)ぁ。ちょっと摘まみ食いしても良いだろ? どうせあの野郎は食事なんか要らないんだからよ」

 

「今から一緒に食べるの! もう、美風ちゃんったら……」

 

「あんなのの何処が良いんだか。クレタ様だって凄く嫌ってるし……あーはいはい、友達でも恋愛には口出しするなってか。……あまり期待するなよ。お前が辛いだけなんだからよ」

 

 少し怒った様子の少女、飛鳥の顔を見てこれ以上は無駄だと思ったのか引き下がった飛鳥は窓枠に足を掛け、飛び出す前に再び顔を向けて忠告するなり飛び降りる。突如吹き荒れた突風に乗った美風はそのまま空の彼方へと消えて行き、その姿を見送っていた飛鳥は拳を握り締めながら呟いた。

 

「……大丈夫だもん。魔族の世界が来たら私を報酬に貰うって約束してたんだから……」

 

 それは偶然聞こえた会話だった。直属の上司であり慕っている相手であるクレタとウェイロンが何を話しているか聞き耳を立てた彼女の耳に届いたのだ。ウェイロンが自分を欲していると。立ち聞きを叱られるのが嫌なので友人二人にも秘密だが、彼女にとって本当に嬉しい事だった。

 

「えへへ。ウェディングドレスと白無垢のどっちが良いかなぁ」

 

 彼女は幸せな未来を思い浮かべ、恋心を向ける男の元へと急ぐ。その真意など知る由も無く……。

 

 

 

「おやおや、これは随分と大規模な。……今までの相手は異形となる代償を支払って力を得たが、今回も例に漏れずか?」

 

 戦場に突如開いた大穴、それを宙に浮かぶ透明の足場から見下ろしながら鳥トンは呟く。今までゲルダと戦った相手は精神を犯し尊厳を剥奪されたと耳にしている彼は誇り高い戦士であるクレタがどうなっているか想像するだけで笑いが込み上げる。

 

「生ビールを大ジョッキで欲しい所だな」

 

「職務中でしょう、我慢なさい。……私も今すぐ帰りたいのですけどね」

 

「ケチくさいな、小皺が増えるぞ」

 

「毒入りならば直ぐにご用意しますよ? ……それは兎も角、私達の仕事は平和的方法での戦争の停止の筈。丁度良い機会ですし、前から気になっていたのでお二人がアンノウンに従う理由をお聞かせ下さい」

 

 グレー兎の問い掛けに黒子と鳥トンは顔を見合わせる。口を開いたのは鳥トンの方。黒子は頑なに喋らないという理由も有るが、元より彼はお喋りが好きらしい。

 

「……そうだな、先に黒子が従う理由について話そう。……ある日照り続きの年の事、必死に雨を降らせて欲しいと願う村人達の願いを叶え、キャンディーを降り注がせた。水の方の雨だと訂正すれば水飴を降らせた。これが彼がアンノウンに付き従う理由だ」

 

「顔を凄い勢いで振っていますが?」

 

「冗談だ。私も彼がアンノウンに従う理由は知らん。一度も話さないからな、彼は。その理由は聞いた事が有るが……私は幼少の頃から苦悩していたのだ」

 

「おや、急に話が変わりましたね。……では、続きをどうぞ」

 

 帰りたいが帰れないのか暇らしいグレー兎は鳥トンの昔語りに耳を傾ける。それは少し奇妙な出会いの物語であった。

 

 

 

 

 

「主よ、どうかこの者の魂を導きたまえ」

 

 とある世界のとある国、更にとある田舎町の一角に存在する小さな教会で葬儀が行われていた。弔われているのは若い男、結婚間近で愛し愛された女を残して逝った彼の死因は事故死……少なくても公への説明はそうなっている。自殺が禁忌とされている宗教の信者であった彼やその家族が偽装した可能性もあり、年若い神父には公への発表の内容以上については何も伝えていない。

 

「……」

 

 静かに祈りを捧げる神父の耳に息子を失って悲しむ母親の泣き声が聞こえて来る。彼女は生まれたばかりの娘を失っており、その子が育っていれば男の婚約者と同じ年齢だっただろう。彼女と息子は死んだ赤子の誕生日にはプレゼントを共に用意する程に仲が良い家族であった。

 

 故に悲しむその姿は痛ましく、何度似た光景を目にしても慣れる事は無い。彼は葬儀を執り行う時に感じる物を堪えるのが辛く、葬儀の仕事が嫌いだった。それでも周囲の者が望み、彼が敬虔な信者だったが故に神父を辞める事は選ばない。少しずつ破綻の足音が近付いていた。

 

(本当に事故なのだろうか? しかし、自殺する理由は思い付かん。あれは流石に動機にはならんだろうしな)

 

 神父にとって男は見知らぬ仲ではない。狭い田舎町なだけでなく、幼い頃はよく遊んだ仲なのだ。薄々様子のおかしさから疑念を持っていたが遺族相手に聞く事はせず、決して口外せぬ懺悔室で男から聞かされた話を思い出していた。

 

 

 

「神父様、私は大きな過ちを犯しました。婚姻を結ぶ前に恋人と肉体関係を持ってしまったのです。はしたない行動であり、家族はそれを知れば恥じるでしょう。特に交際を強く反対している彼女の母などは……」

 

「教典にはこの様な教えがある」

 

 貞操について厳しい戒律がある宗教の教えに背いたと懺悔する旧友に対し、神父は神の教えの引用で励ます。これを契機に男は恋人にプロポーズをして結婚式の日取りも決まっていた。だが、男は死んで悲しみが残される。葬儀も終わり、友人を一人失った男は自室で一人震えていた。

 

 

「……クッ、ククククク、クハハハハハ!!」

 

 悲しみに暮れる人々の顔、絶望に支配された空気、それが何よりも愉快だと彼は感じていたのだ。葬儀の最中は笑いを堪えるのに必死で非常に辛かった。響き渡る心の底からの笑い、満たされる程の幸福感。続いて心を支配するのは途轍もない自己嫌悪。

 

「私は、私はどうして此処まで邪悪なのだ……」

 

 神父が己の本性、他者の不幸や絶望に歓喜する事に気が付いたのは幼い頃。母の葬儀で悲しむ父の姿が面白くて堪らなかったのだ。それは成長に連れて倫理観や信仰心を身に付ける事で苦悩を呼び寄せた。彼は人並みの善良さ……いや、強い信仰心によって人以上に善行を尊ぶ彼にとって自分を悍ましく感じさせる物であり、自殺が禁忌でなければ十歳になるより前に彼は自らを罰していただろう。

 

 この日も彼は苦悩し、神に自分の悪性を消して欲しいと願う。神の声が聞こえる事は無く、願いも叶わない。数日後、懺悔室に現れたのは死んだ男の婚約者の母親だった」

 

 

「私が、私が彼を殺してしまったのです! 彼の死んだ妹は本当は私の子供だと教えなければ……」

 

 彼女の話を要約するとこうだ。医者の話を聞いて生まれた娘が長くない事を聞いた彼女は同じ頃に生まれた別の子供とすり替えてしまった。偶然が重なった上にマトモな精神状態でなかった事から起きてしまった事件は彼女の胸の内に秘められ、永久に語られない筈だった。娘が血の繋がった実の兄を恋人として紹介するまでは。

 

 その後に何が起こったか、それは語るまでも無いだろう。この次の日、彼女が事故死したと聞かされたが神父は真実を悟っていた。悲しみによって引き起こされた更なる悲劇。遺された者達は愛する家族が命を絶った理由など分からない。神父にとってそれが心の底から愉快であり、更なる自己嫌悪に悩まされる理由だ。葬儀を終えて神に祈りを捧げても苦悩は晴れない。

 

「……腹が減ったな。もう夜か」

 

 神に救済を求めて祈り始めたのが日の出前であり、既に日が沈んでいて周囲は夜闇に包まれている。途端に空腹感に襲われた時、耳に入ったのはチャルメラの音色だった。この辺りでは夜に鳴らす者など普段は居らず、興味を引かれて見てみれば屋台だ。それも暖簾を見れば彼の好物である担々麺。食べに向かわない理由は無い。直ぐに屋台を呼び止め注文しながらもぶり返した自己嫌悪に悩まされていた時、目の前に担々麺が差し出される。

 

「はい、お待ち!」

 

「いただきます……これは!」

 

 割り箸を割り、麺を啜る。彼の肉体を衝撃が突き抜けた。モチモチした食感の太い縮れ麺に絡むのは濃厚な魚介系スープ。練りゴマは香ばしく、多めに使われた唐辛子などの香辛料は汗が吹き出る程に辛味を口の中に叩き込むが、水を飲みたく無い程の旨味も広がって行く。ミンチ肉もどうやら牛や豚ではない味わいだ。

 

「店主、このミンチの材料は?」

 

「鮪さ。マグロ節の出汁のスープにマグロのミンチ、これがうちの屋台の拘りだからね。……替え玉とご飯、どっちが良い?」

 

 気が付けば麺を全て食べきり、スープも三割ほど飲んでしまっている。この様な時間に食べ過ぎるのは体に悪いと彼は知っている。だが、舌と胃袋が訴えて来ているのだ。スープに炭水化物をぶち込んで流し込めと。

 

「お代わりと白米を頂こう」

 

 結局、担々麺と白米を二杯ずつ食べ切った。少し後悔もあるがそれ以上の満腹感と幸福感が体を満たし、同時に頭が冴えて来た。彼の苦悩をどうすれば解決出来るのか判明したのだ。正に天啓、彼の長年の悩みは担々麺によって消え去った。

 

 

「店主、助かった……パンダ?」

 

「イエス! アイアム喋るパンダ!」

 

 屋台に入った時は苦悩で、食べている時は担々麺に夢中で気が付かなかったが、屋台の店主はパンダのキグルミだった。胸に『喋るパンダ』と書いた名札を付けている。

 

「……そうか、喋るパンダなら仕方が無いな。そんな事よりも聞いてくれ。人の不幸を楽しむ事に苦悩するならば、不幸にして良い相手を選んで心を満たせば問題が無かったのだ。この担々麺を食べた事で閃いた」

 

「ふふふ、頭が良くなる成分が沢山含まれているからね。……それよりも僕に協力しない? キグルミを着て僕に従うなら不幸にしても問題ゼロの悪党退治の場を用意しよう」

 

「了承だ、マイロード」

 

 二人は固い握手を結び、神父は住み慣れた教会から姿を消した。この日より名を捨て、ハシビロコウのキグルミを身に纏った男、鳥トンとして思う存分愉快な光景を見る事になったのであった。

 

 

 

 

 

「今でもあの担々麺、『一度食べただけではそんなに効果出ない魚介担々』の味は忘れられない。主は気紛れだから滅多に作ってくれぬのが今の苦悩の理由だな」

 

「いや、担々麺で頭が冴えたのではなかったのですか?」

 

 グレー兎が静かに呟く中、遙か彼方より赤と青の二つの光が穴に向かって飛来した。

 



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武人の矜持 三度目の決戦

 それは突然の事だったわ。遠く離れたこの場所からでも見える位に巨大な炎の虎と水の竜の激突。互いに食らい合う姿は絵本で読んだ大魔術師同士の対決を思わせ、思わず見惚れそうになったの。でも、そんな場合じゃないわ。だって二匹が出現したのはビャックォの集落の方向、そんな戦いが始まったって事は緊急事態って事だもの。

 

「ティアさんは大丈夫かしら……」 

 

 心配する私が呟く中、勝負は一瞬で着いたわ。虎と竜は喰らい付き合い、虎が一瞬で凍り付いて砕け散る。竜は少し小さくなったけれども突き進み、虎が出た方向から吹き荒れた暴風で吹き飛んだ。一体何が起きたのか理解が追い付かないで混乱した私が教えて貰おうと賢者様達の方を見れば既に賢者様が居なくなっていたわ。

 

「行ったの?」

 

「ああ、血相を変えてな。まったく、親馬鹿め。気持ちは分かるがな。私だって今直ぐ行きたいさ」

 

 使命に支障が出るからって使用を控えている超長距離転移だけれど、自分の子供が危ないのだもの、使わなくちゃ駄目よ。確かに世界を救う事は大切だけれど、賢者様も私も世界を救う為だけに存在する道具じゃないもの。まあ、これで大丈夫ね。後は呼ばれるのを待つだけだけれど、そんなに掛からないでしょう。

 

「では、私達はやるべき事を終わらせるぞ。……お前は向こうを見ていろ」

 

 私達がすべき事、それはグリン達の死体の入手。出来るだけ綺麗な状態で手に入れて、魔法による読み取りで魔族との関わりが証明出来れば戦争に介入出来る。……あれ?

 

「ティアさんを助けに行くのは構わないのかしら? まあ、使命の為に子供のピンチに駆け付けないのなら幻滅だけれど」

 

「その辺はまあ、何か屁理屈捏ねて誤魔化すのだろう。じゃあ、捌くから向こうを……」

 

 賢者様が倒した後で放置されているネフィリムハンドに向かって斧を振り上げながら女神様は私に指示をする。腹を捌いて取り出した死体はきっと悲惨な物になっているからでしょうね。でも、私は顔を横に振ったわ。きっと今後の旅で悲惨な光景に遭遇するし、知らない所で今も繰り広げられているのに目を逸らしてばかりはいられないもの。

 

「……そうか。なら、吐くのは覚悟しておけ!」

 

 振り下ろされた斧は分厚い川を切り裂き、切り口から手を伸ばして引きずり出した胃の内容物が流れ出る。異臭と一緒にグチャグチャになって溶け始めている数人の肉体を見た私は胃の奥から中身が逆流するのを感じたの。

 

「う、おうぇええええええ……」

 

 ビチャビチャと胃液と胃の内容物が地面にぶちまけられ口の中に酸っぱい味が広がって涙が出て来る。吐いても吐いても次々に流れ出し、漸く吐き気が収まった頃には涙が滲んでいたわ。思った以上にグロテスクな光景ね。正直言って甘く見ていたわ。

 

「大丈夫……ではないか。その辺で座って休んでいろ。私は死体を並べておく」

 

「……はい」

 

「まあ、あれだ。覚悟一つ決めても無理な物は無理だし、それで良い。勇者なら平気になれ等と言う愚か者は私が殺し……はやり過ぎなので半殺しにしてやろう」

 

「半殺しも十分やり過ぎだと思うわ。……あっ、そう言えばディロル様が神の力を解放する儀式ってどんなのかしら?」

 

 急ぐからって指定された物だけ渡したのだけれども、牛の尻尾とキノコとお酒……酒盛りしか思い浮かばないわ。炙った尻尾とキノコを肴にお酒を飲んで酔い潰れる姿しか想像出来ない。いや、流石にそれはないと思いたいけれど、そうやって期待したのを裏切るのが神様だもの。

 

 ちょっと前までの私なら壮大で神聖な儀式を想像したのでしょうね。供物を供えた祭壇の前でディロル様が幻想的に踊るとか。今じゃ絶対そんな発想は出来ないわ。

 

「供物を祭壇に飾った後、キノコ入りのテールスープで酒を飲むぞ」

 

「あっ、矢っ張りなのね」

 

 ちょっと違ったけれど、私の冒険は神様がお酒を楽しむ為の物だったわ。うん、分かっていたけれど力が抜けるわね。世界を救う為の武器を手に入れる為に酒と肴を集めただなんて。……よし、忘れましょう。……大人だったら大酒かっくらってみっともなく爆睡するのにね。

 

「大丈夫だ。神の力を取り戻せば酒が入っていても仕事の腕は鈍らん」

 

「それは心配していないけれど……」

 

 確かにお酒が好きで変に格好を付けたがる上に賢者様に変わった服装をさせて喜ぶ変な方だけれど、職人としての誇りは疑わない。それはそうとして今の武器じゃ強い敵相手じゃ少し心配になって来た。ディロル様からお借りした無銘の双剣。でも、私の本来の武器とは少し扱いが違うし、何よりも切れる剣って所が大違いね。凄く矛盾する事だけれど。だって剣って普通は切れるもの。

 

「済みません、戻りました。戦争が始まりましたが、スカシカシパンやカバ達が止めてくれたらしく安心ですね」

 

「賢者様、会話はキャッチボールよ?」

 

「おっと、失礼。スカシカシパンやカバ等ののキグルミを着た人達の活躍で戦争は止まったらしいです。……まあ、何故か先代勇者一行の一人が敵側に居ましたけれど」

 

「詳しく聞いたら余計に混乱しそうだけれど、多分アンノウン案件ね。……あのぉ、賢者様? 今、先代の仲間が敵にいるって言わなかったかしら?」

 

「言いましたよ?」

 

 あっ、この人本当にポンコツだわ。でも、何か様子が妙ね。まるで私に何かを隠しているみたい。どうも賢者様の様子に違和感を覚える私だけれど、多分質問しても誤魔化されるだけね。……気になるわ。

 

「それで、その人は一体……」

 

「ティアに少し怪我を負わせたのでボコボコに……って、こんな事を話している場合じゃ有りませんでした! 詳しい事は後で説明しますので急いでビャックォの集落まで行きましょう!」

 

 賢者様によって私の視界に広がる景色は一瞬で変わる。少し離れた場所には百人を越えるキグルミさん達が立っていて、その背後に集落関係無しに集められている人々が居たのだけれど気絶していたわ。そして空中に目を向ければアンノウンとティアさんも居る。怪我したって聞いたけれど、本当に軽い怪我で……あれ?

 

「ティアさん、何かあった?」

 

「……ちょっとだけ」

 

 少しだけティアさんの顔が寂しそうに見えた。本人は隠しているみたいだけれど、賢者様に感じた違和感と関係有るのかと思った私だけれど問いただしはしない。何か理由があって私に黙っているのでしょうし、今は優先すべき事が目の前にあるもの。地下深くへと続いているらしい階段、そして階段側には巨大な石版。クレタから私に当てたメッセージが刻まれていた。

 

「行方不明の子供の居場所を知りたかったら奥まで進んで私と戦え? ……そう、分かったわ」

 

「本当は大穴が広範囲に開いたのですが、私がボコボコにした相手を飲み込んだら急に穴が閉じましてね。代わりにこれが出現したのですが……その武器で大丈夫ですか?」

 

 そっと柄を握り締める。デュアルセイバーみたいに持つだけで動き方が頭に入って来る事も無く、少し頼りない。万全を期するならデュアルセイバーの修繕を待つのが得策なのでしょうね。

 

「ゲルちゃん……」

 

 突然頭に響く子供みたいな声。それが誰の仕業かは何となく分かったわ。きっとアンノウンよ。今までは筆談だったり鳴き声を聞けば何となく言いたい事が分かったけれど、こうやって話す事も出来たのね。いえ、それとも成長して可能になったのかしら? 私が成長するみたいにね。

 

「何も言わないで、アンノウン。確かに不安だけれど、頼りになる仲間が居るから私は大丈夫よ」

 

「でも……」

 

「大丈夫私は強くなったわ。それに貴方も頼りにしているのよ?」

 

 迷いなく階段に足を踏み出す。何故か落ちていた上に見えなくされていたバナナの皮を踏んでころんでしまった。

 

 

「だから止めたのに。……もー! ちゃんと人の話を聞かないからだからね! ちゃんと反省しなよ」

 

 地面にお尻を打ち付けた私の頭に必死に笑いを堪えている声が響く。あっ、凄く腹が立って来たわ。これ、アンノウンが使うと凄く鬱陶しい。

 

「いや、どうせアンノウンの悪戯でしょう? ……貴方もちゃんと反省するのよ?」

 

「ふっふっふ、甘いね、甘いよ、甘納豆! 僕は反省なんてした事が無いし、する予定も皆無さ!」

 

 得意そうに鼻を鳴らすアンノウン。今直ぐ殴りたいけれど、私はそっと顔を背けた。

 

「アンノウン、この様な時に何を遊んでいる? それに行き先も告げずに何日も行方を眩ませるとは随分な身分だな」

 

 アンノウンの頭を掴む音が聞こえる、女神様の低い声も聞こえる。でも、私は何も見ない。助けを求める声が頭に響く気がするけれど何も知らないわ。

 

「まあまあ、落ち着いて下さい、シルヴィア。アンノウンだって戦争を止める為に人手を集めてくれたのですし……」

 

「それは後で誉めるが、それとこれとは話が別だ。お前は黙っていろ」

 

「マ、マスター……」

 

「アンノウン、後で思いっきり誉めてあげますからね!」

 

 アンノウンの悲鳴が聞こえた気がするけれど気のせいだから私は先に進む。岩を操る敵と戦うのに敵が用意した地中への道を進むのは危険で馬鹿げていると思うわ。でも、浚われた子供の事や心配する家族の気持ちを考えたら黙っていられない。洞窟を崩して相手を埋めて倒すだなんて手は選べないわ。

 

「……いい加減貴方の相手は沢山よ、クレタ。一勝一敗、この戦いで決着ね」

 

 一度目は私の惨敗、戦いにすらなっていない。二度目は私の勝ち、但し相手は右腕が使えず私も本来の武器じゃない。三度目、こうやって勝負を申し込んで来るのだから相手はきっと万全で、私は貸し出された武器のまま。でも、それがどうかしたのって話よ。私は二度と負けない、だって負けないって決めたから。

 

「皆、行きましょう。さっさとグリエーンを救って次の世界に向かうわよ」

 

 そう、これからも旅は続く。一度勝った相手に時間なんて使っていられないわ。

 

 

 

 

「ええ!? 天仙ウェイロンが敵なのっ!? 一体どうして……」

 

「それが私に恨みを持っているらしくって。私からすれば一切心当たりが無いのですよ」

 

 城竜が住んでいた洞窟と違ってクレタが用意した道は暗くて空気が淀んでいたわ。だから賢者様が明かりを灯して空気を循環させて進むけれど、それが無かったら咳をしそうだし転んでいたわね。そんな風に進みながら話すのは西側の人達が攻めて来た後に起きた事。異世界とか未来のアンノウンとか胡散臭いし適当な事で誤魔化しているんじゃと思いつつ、唯一何とか理解可能なウェイロンの話題を進める。

 

「あの人って本でも経歴が不明なのよね。伝承には活躍したとかしか書かれていなくて、詳しい活躍の内容は不明な場合が多いのだけれど、ネクロマンサーだったのね」

 

「正確には似た系統の魔法なのですが、私も詳しくないのでその辺は無視しましょう。」

 

 ネクロマンサーは物語において悪役として描かれているわ。死体を操って死者の尊厳と遺族の心を踏みにじる外道下法の術士達ってね。勇者の仲間がそれだったのなら伝わっていなくても納得だわ。旅の途中なら兎も角、世界が救えた後では色々大変だったでしょうね。

 

「世界を救った後の保障に問題があったとか?」

 

「それが探さないで欲しいと手紙を残して失踪しましてね。生活の援助や保障もあったものじゃないのでしたよ」

 

「一応此奴は表社会は探したが見つからなくてな。本人の意思を尊重して捜索を打ち切ったのだ」

 

「大丈夫よ、女神様。私、賢者様を責めていないわ」

 

 例えどんな理由があったとしても私はウェイロンがした事を許さない。勇者の仲間だったとかは関係無しに叩きのめそうと考えていると階段の一番下まで到着したわ。目の前には短い通路があって、その奥にはドーム状の大部屋が存在している。壁や天井、床の至る所に大きな穴が口を開いていて何か引き摺る様な音が聞こえて来たわ。

 

「モンスター……門番かしら?」

 

 人質を取ったり戦いを申し込んでおきながら手下を配置するだなんて、誇り高い武人みたいなのだと思ってたのに。でも、相手も背負う物や守り抜きたい物があるなら話は変わるわ。矜持よりも大切な物は有るから。

 

「来たわね……」

 

 無数の穴から響く巨大が蠢く音、音の正体は直ぐに判明したわ。

 

「ヴンモォオオオオオ!!」

 

 天井の穴から顔を覗かせたのは人を丸飲みに出来る大きさの牛の頭、但し体は茶色の体毛に覆われた大蛇。荒い鼻息が少し離れている私の顔にも掛かる。生臭い口臭に不快感を覚える中、巨体が落ちて来た。

 

「わっと!」

 

 私がその場で後ろに飛べば巨体を空中でくねらせて一番近い床の穴に入り込む。またしても部屋中の穴から聞こえてくる音で今の場所が分からない。どうやら穴は中で繋がっているみたいね。

 

「賢者様、あのモンスターはご存知?」

 

「ガルズブルム、巨牛蛇(きょうしへび)とも呼ばれるパワー型のモンスターです。……魔族との戦いが控えていますし、私が相手しましょうか?」

 

「いえ、結構よ。準備運動には丁度良いわ」

 

 相手は私を消耗させる為に配置したモンスター、当然強いのでしょうね。だから私は賢者様の申し出を断る。数歩前に歩き、どの穴から飛び出しても襲い掛かれる位置に立てばガルズブルムの移動する音と振動が大きくなり、目の前の壁から飛び出して来たわ。

 

 大きな口を開き、普通の牛みたいに口の中に溜めている涎を撒き散らして向かって来る相手に私は一歩も引かず、その場で腰を落とす。相手を見据え、数十倍を越える大きさの相手を正面から受け止めた。

 

「ぎ、うぎぎぎぎぎ!」

 

 押し込まれて地面を足で削る。このまま行けば穴に落ちて上から巨体が押し潰そうと迫る手前で漸く止まったわ。困惑の色を見せるガルズブルム。きっと止められるだなんて想像もしていなかったのね。

 

「……せーの」

 

「ヴモ?」

 

 それが貴方の命取り。受け止めた手でしっかり掴み上に放り投げた。僅かに浮いたガルズブルムの頭、それを更に蹴り上げて上に向かわせ、ジャンプと同時に更に蹴り上げる。大きく仰け反るガルズブルムの巨体、その真横を跳んだ私が通り過ぎる。擦れ違い様に切り裂いた喉から血飛沫が飛び散り、私は壁を蹴って折り返す。

 

「じゃあね。ウォーミングアップには十分な相手だったわ」

 

 その言葉と共に反対側の喉も切り裂いた私が着地すれば続いてガルズブルムの巨体が倒れて部屋が振動する。やがて目を閉じて死んだらしい中、小石が天井から落ちて来たわ。それを見て私は剣をガルズブルムの眉間に投げ付けた。突き刺さる刃、やられた振りをしていたガルズブルムは今度こそ絶命し、私の体も良い具合に温まっていたわ。

 

「増援や伏兵は……うん、居ないみたい」

 

 穴に顔を近付けて鼻を動かすけれど土の匂いしか感じない。もしかしたら土の体を持つモンスターが居るのかも知れないけれど、今は一旦終わったと思いましょう。

 

 その代わり、入って来た通路の正反対にある方向に鼻を集中させれば鼻が曲がりそうな臭いを感じる。この汗臭さと魔族特有の臭い……ちょっと花みたいな香りも混じっているけれど間違い無くクレタがこの先で待っている。

 

 この時、私は少し安心した。今まで身も心も怪物になった相手と戦った時に感じた独特な悪臭は感じなかったから。敵だし、同情する様な関係でもないのは分かっているわ。それでも私は嫌だった。互いにちゃんと自分の心で向き合いたかったの。

 

 

 その後は不思議な位に何も起きなかったわ。通路の岩が崩れたり突き出して来たりしないかハラハラしながら進んだのが徒労に終わったのに対して、これも作戦かしらと思いつつ辿り着いたのはガルズブルムと戦った場所と似た大部屋、但し穴は無くって中央でクレタが待ち構えていたわ。

 

 

「……来たか。お前は敵ではあるが先に非礼を詫びよう。詰まらん真似をして悪かったな」

 

「子供を浚っておいて今更よ。……でも、一応は受け取っておくわね」

 

 謝罪の言葉の後、クレタは両手でハルバートを構える。予想はしていたけれど怪我は癒えているらしいわね。利き腕が使えるのと使えないのじゃバランスも力も段違い、前回とは全くの別物と思って良いわね。

 

「怪我は治ったのね」

 

「お前も更に強くなったな」

 

 でも、前回より強いのは私も同じ。一度敗れた相手を退けて女神の試練を達成した私は勇者としての能力が上がっている。だから三回目での決着は私が勝たせて貰う。だけど、今はそれ以外に言う事が有るの。

 

 

 

 

 

「えっと、どうして花嫁姿なのかしら?」

 

 うん、本当に意味が分からなかったわ……。



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新たなる相棒

「ふふふふふ、どうだ、似合うだろう? 部下に相談して衣装を決めたのだが、ワイルドな私はギャップ狙いでオーガンジーをふんわりと重ねたウェディングドレスが良いと言われてな」

 

 覚悟を決め、決意を新たに向かった先で待っていたクレタはドレスの裾を掴むとその場で一回転、全身を見て貰おうとアピールする。出来る事ならその部下を小一時間ほど問い詰めたいし、本当に部下なのかさえも疑わしく思えた。

 

「矢張り単純に求婚するだけでなく、嫁にしたいと思わせる姿を見せるのが一番だと思ってな。ああ、別に私は第二婦人で構わんさ。一番を勝ち取れば良いだけだ」

 

(何も知らないって残酷ね。賢者様と女神様は頭が沸いてるレベルでラブラブなのに横恋慕だなんて同情するわ)

 

 その姿に私は哀れみさえ覚え、何も言えない。正直言ってドン引きしているし、今回ばかりは賢者様も女神様も言葉が出ないのか無言だったわ。うん、この場に居るのが賢者様の影響で人間寄りの感性を持つ女神様で良かったわね。そうでないなら空気を読まない発言をしていたわ。

 

「……ん? 黙っているが、私の姿に言葉も出ないか」

 

 そう、私達三人は空気を読んで黙っていた。余りの惨状に言葉も出ない。でも、世の中には空気を読めない子も居て、この場の全員の頭の中にその声が響き渡ったわ。

 

「あはははは! あの人必死過ぎるねー! あはは、あははははは!」

 

 そう、アンノウンだけは空気を読まずに大笑い。純粋そうで全く純粋じゃない子供の声が五月蝿い位に頭の仲に響きわたる。慌てた賢者様が止めに入ったわ。

 

「こ、こら、アンノウン。そんな事を言ったら駄目ですよ、メッ!」

 

「え? マスターだってドン引きしてるよね?」

 

 あっ、違ったわ。空気読んだ上で空気読まない発言をしていたのね。女神様は頭を押さえて溜め息を吐いていた。少し心配になってクレタの方を向けば無言で岩壁を出すと裏に隠れ、ウェディングドレスを脱ぎ捨ててハルバートを担いで出て来たわ。

 

「此処に来る途中、詰まらん真似をした非礼を詫びよう。さあ! いざ尋常に勝負だ!」

 

「……え、ええ! さっさと終わらせましょう!」

 

 先程までの遣り取りが無かったみたいに振る舞うクレタに合わせて私も見なかった事にする。いえ、多分今のは白昼夢ね。敵を前にして夢を見るだなんて私もどうかしていると気合いを入れ直す。床に破り捨てたウェディングドレスなんて落ちてないわ。

 

「ねぇ、ゲルちゃんはどうして見なかった事にしているの? 突っつけば精神的に弱るよ、きっと」

 

「私の精神にもダメージが入るから黙っていなさい、アンノウン」

 

「あっ! 認めた! ウェディングドレスの事を認めた!」

 

 両手に剣を構え、頭に響く声をシャットアウトする。今は目の前の相手にのみ集中。やがて余計な声は聞こえなくなり、余計な物が見えても気にならなくなる。私とクレタは互いに数歩前に踏み出した。

 

「上級魔族クレタ・ミノタウロス、お前を殺す者だ」

 

「勇者ゲルダ・ネフィル、貴女を倒して世界を救う者よ」

 

 名乗りを上げ、同時に地面を踏みしめる。私はその場で地を掴み、クレタは地面を爆ぜさせる程の踏み込みで一直線に迫り来る。私の目前で着地と同時に踏み込み、真正面から刃を振り下ろした。それも、前後から。私の背後に出現した岩のクレタが本体と全く同じ動きを持って私を襲う。前後からの挟撃、左右に避けても無理に軌道を変えたハルバートの刃を不安定な姿勢で受ける事になる。だから避けない、

 

 響く金属音。私は右手でクレタの刃を、左手で岩のクレタの刃を受け止めた。剣を持つ手が震え、前後のクレタが無理矢理押し込もうと力を込める中、左右からも私の命を脅かす脅威が迫っていたの。私の胸部に切っ先を向けて伸びて来た岩の杭。前後から押さえ付けられて避ける術は無い……そんな弱音は吐かないわ。手首を動かし刃の向きを変えながらクレタ達の刃を私の刃の上で滑らせる。前のめりに崩れる体勢、圧力が緩まり動く余裕が出来る。でも、杭の切っ先は私が避ける暇が無い所まで迫っていたの。

 

「回っ転斬りぃ!」

 

 迫り来る杭の切っ先を前に私はその場で廻る。クレタ達の刃を弾き、迫る杭の切っ先を切り落とし、そして左右の刃が縦二列に横一文字を刻み込んだ。この攻撃には手応えが有ってクレタが怯んだ事で杭の動きも僅かに遅くなる。僅かな時間だけれども、今の私が窮地を脱するには十分な隙。前方のクレタを蹴り上げて、先端が盛り上がり再び鋭利な切っ先を向ける杭を避けて前方に逃げる。背後で岩のクレタが崩れる音が聞こえた。

 

「くっ! 随分と強くなったな、勇者。これが功績を重ねる事で得る勇者の力か。……まさに男子三日会わざれば、と言う奴だな」

 

「私は女の子なのだけどね。一気に決めさせて貰うわっ!」

 

 決して浅くない腹部の傷の痛みに顔を歪めながらも武器を構える手の力を緩めないクレタに向かって跳び、大上段からの斬撃を浴びせるけれども体を後ろに逸らされて僅かに薄皮を切り裂くだけ。そして着地の瞬間、クレタが足を踏み込めば地面がひび割れると同時に波打った。

 

「わわっ!?」

 

 着地の瞬間だったので足を取られバランスを崩す。今度は私に隙が生じて、クレタはそれを見逃さない。私の胸倉を掴んで投げ飛ばし、頭を突き出して前傾姿勢になると足で地面を掻く。何が来るか私にも分かる。突進だわ。

 

「うぉおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 宙に浮く私の左右に現れる岩壁、これは私を逃がさない為の物。響き渡る雄叫びは耳をつんざく。だけれども私に耳を塞ぐ事は許されない。何故ならば雄叫びに匹敵する程の轟音と土煙を上げながらクレタが迫っていたから。咄嗟に発動した魔法によって拘束する蔓は簡単に千切れ、岩は粉々に砕かれて速度を全く落とせない。そして、クレタが跳んだ。

 

「がぁあああああああああっ!!」

 

「げふっ!?」

 

 今の彼女は先程の見ていて痛々しい必死さも無く、武人ですらない。まさに獣、一匹の獰猛な獣が私に襲い掛かった。咄嗟に挟み込んだ剣によって角が突き刺さるのは防いだけれど衝撃は防げない。そのまま押し切られ、後方の壁に激突する。一瞬私の意識が飛び、次の瞬間には拳を振り上げたクレタの姿が目に映ったわ。大振りの力任せの一撃、でも今の私は避けられない。だから迎え撃った。動くだけで悲鳴を上げる体に鞭打って剣で拳を迎え撃つ。

 

「だあっ!」

 

「やあっ!」

 

 飛び散る鮮血、私の剣はクレタの拳を深く切り裂き、代償として砕け散る。深い傷、それでもクレタの攻撃は止まない。今度は蹴りを放ち、残った剣で受ければ今度は傷は浅く、刃は先程同様に砕け散ったわ。武器を失って絶体絶命だけれど、私は此処で終わるのかしら? ……いえ、終わってなるものかしら!

 

「刃が無いなら……歯で倒すっ!」

 

 速度を落とさず迫る蹴りを受け止めてクレタに抱き付いた私は体に爪を立て、首に牙を突き立てた。引き剥がそうと暴れ、背中を殴られる。それでも私は離れず、顎の力を強めたわ。そう、武器が無ければ敵に勝てないだなんて情けないわ。私にはお母さんから受け継いだ牙と爪が有る。だから負けない、負けてなるものですか。

 

「……このっ! いい加減に……離れろっ!」

 

 業を煮やしたクレタが私を抱えたまま下にして飛び降りる。地面はデコボコした岩だらけ。あれに打ち付ける積もりらしい。私はクレタの体に突き立てた爪と牙に込める力を更に強める。そのまま岩へと落ちて行く私をフワフワモコモコの毛が受け止めて、左右から無数の影が飛び掛かった。

 

「メー」

 

「メー」

 

「メー」

 

「ワンッ!」

 

 うん、突進を受ける直前に召喚が間に合って良かったわ。機を見計らっていたゲルドバの指示で動いた羊達は今が好機との合図で動き出した。私に集中して気が付いていなかった羊達の登場に意識を私から外したクレタを投げ飛ばせば空中のクレタに襲い掛かる。

 

 毛を硬質化した羊を正面から受け止めて投げ飛ばそうとするクレタを別方向から跳ね飛ばす。若干一緒に跳ね飛ばされた子が不満そうにしたけれど、今度は毛を柔らかくしてクレタの腕から抜け出すなり別方向から飛び掛かって跳ね飛ばした。宙を舞うクレタに次々に殺到する羊達は左右から、そして前後から突撃して行く。反撃しようと腕を振り上げるクレタだけれど、その腕にゲルドバが噛み付いて止めた。

 

「グルゥ!」

 

「くっ! この……」

 

 今度はゲルドバを掴んで殴ろうとするけれど、今度は私を忘れていたみたいね。気付いた時にはもう遅い。私の蹴りが腹の傷に突き刺さった。ミシミシと肉が軋む音が聞こえ、クレタが飛んで行くと同時に離れたゲルドバは宙を舞って着地、クレタは壁に叩き付けられ、今度は私が攻める。跳ね返ったクレタを更に蹴り、折れた剣の柄を掴み、残った刃を突き立てた。そのまま顔面を殴ろうと拳を振り上げるけれど、壁から突き出した岩の杭が迫り私は退避する。

 

「惜しい。でも……」

 

 私も相当やられたけれど、クレタはそれ以上に満身創痍。このまま押し切れると勝利を確信した時だったわ。クレタの周囲に壁や天井、床の岩が集まって凝縮して行く。岩の表面が蠢き、ニメートル程の大きさになったわ。牛頭人身の岩の鎧を纏ったクレタが立っていた。見えているのは小さな穴から見える目の部分だけ、荒い息遣いも聞こえない。

 

「ゲルちゃん、大変だよ! あの姿、僕の部下達と被っている!」

 

 聞こえたのはまたしても空気読まないアンノウンの声だったわ。

 

「アンノウン、少し黙っていて」

 

「……行くぞ」

 

 小さな声が聞こえ、次に聞こえたのは地面が爆ぜる音、続いて拳を震った事で起きた暴風。私の羊とゲルドバが宙に舞い上がった。

 

「……え?」

 

 それはきっと今までの経験が私を守ったのね。咄嗟に交差させた腕を通して全身に走る衝撃と激痛、踏ん張る間もなく体は宙を舞う。受け身も取れずに岩壁に叩き付けられ、動けない私に巨岩が迫っていた。絶体絶命だけれど……多分絶体絶命じゃない。だって賢者様達が手出しをしないから。だから私の勝機は残っている。私は私の勝利を諦めたりなんかしない。

 

 キッと正面を見据え、拳を握り締める。二色の光が天井を貫いて私の所に飛んで来たのはその時。私はそれを迷わず掴み、私を圧殺せんと迫る岩を全力で殴った。岩は粉々に砕け、私の頭には情報が流れ込む。

 

「……お帰り、デュアルセイバー」

 

 柄を掴むだけでこの武器の、ちょっと変わった私の相棒の使い方が分かる。見た目は変わらないけれど、前よりも光り輝いている気がした。ディロル様のメッセージは無いけれど、職人ってそんな物なのかもね。

 

「さあ! 勝負は此処から……そして此処までよ」

 

 ブルースレイヴの刃で壁を軽く叩けば青い魔法陣が現れて私は前方に一気に加速する。クレタも両足で地面が吹き飛ぶ程の踏み込みをして私に迫る。全身の岩が振り上げた腕に迫り、レッドキャリバーと正面からぶつかった。空中で衝突する刃と拳、衝撃が周囲に広がって私の二撃目、ブルースレイヴの突きが加わる。

 

「地印解放!」

 

 クレタの拳に現れた青い魔法陣、それが光ると同時にクレタの体は後ろに吹き飛び地面に墜落。

 

「天印解放!」

 

 続いて赤い魔法陣が出現し、今度は私に向かってクレタの体が引き寄せられた。交差する様に叩き付ける二つの刃。クレタの体の岩を完全に砕き、再び地面に叩き落とす。それと同時に私も体から力が抜けて墜落し、羊達に受け止められる。横を向けば光の粒子になって消えて行く。勝った、それを理解した私は安堵の息を吐いて意識を手放す……。

 

 

 

「あはは、あははははははは! 本当にっ! 本当に君は強くなったね、ゲルダ!」

 

 

 その瞬間だった。消えて行くクレタの体が宙に浮いて起き上がり、別人の声で笑ったのは。この声には聞き覚えがある。私はこの声の主を知っている。イエロアで出会った得体の知れない少女だった。

 

 

「ああ! この時を幾星霜待ち望んだ事か! こうして君と会話をするのを楽しみにしていたんだ!」

 

 クレタの光の粒子化は進んでいる。その状態で自分の肩を抱き身悶えていた。その姿に私は凄く腹が立つ。浮かんだのは身も心も怪物にされたディーナやシャナの姿。あの少女の仕業だと私が確信した事。

 

「……貴女、また仲間の尊厳を」

 

「……また? ああ、ディーナとクレタか」

 

「シャナもよ!」

 

「……シャナ?」

 

 首を傾げ本当に分からないって顔のクレタの体を乗っ取った名も知らない誰か。シャナに何もしていないんじゃない、シャナの事を記憶していないのよ。

 

「……うーん、多分私と何か関係した誰かみたいだけれど、今はどうでも良いや。もうクレタの浄化が終わっちゃうし、目的を果たそう!」

 

 既にクレタの肉体は半透明になって消え去るのも時間の問題。その状態で彼女は笑い、両手を左右に大きく広げる。

 

 

「私はリリィ……リリィ・メフィストフェレス! 魔王様の側近の双璧が一人! ……じゃあ、また会おう。今度は私自身の肉体でね、愛しのゲルダ」

 

 消えて行くクレタが腰を曲げ、私の手の甲に唇を近付ける。通り抜けて触れられなかったけれど、手の甲の辺りで動きを止めて消えた。

 

「……ゲルちゃんも大変だね。マスター同様に変なのに好かれるんだからさ」

 

「それ、変なのに女神様が含まれるんじゃ……同感だけど」

 

 二人には聞こえない様に呟き、今度こそ私は気絶する。全身が痛いし眠りたい気分だった。

 

 

 

 

 

 

「……そう、次の世界に行くの」

 

 クレタとの戦い、そしてリリィの接触から数日後、魔族の介入があったからって賢者様が復興の手助けをしたり私がゆっくり体を休めたりしたのだけれど、それも終わって次の世界に行く事になったわ。つまりティアさんと賢者様達がお別れする時が迫っていたの。

 

「ええ、クレタを倒した事でグリエーンの封印は完了です。……それに誘拐された子供達の事も有りますし、出来ればのんびりしていたい所ですが我が儘も言っていられませんよ」

 

 私は直ぐに気絶したから気付かなかったけれど、壁に子供達の行方が刻まれていたらしい。最期に約束を果たしてクレタは消えて行ったのね。子供達は次の世界、青の世界の孤島に幽閉されているらしいわ。だから助けに行かなくちゃ駄目。でも、親子がまた離ればなれなのは寂しいわ。

 

「さっさと終わらせてお前を迎えに来るぞ。今度は仕事が多いからな。ミリアス様に頼んでお前を連れ戻すか家を繋げる許可を貰うさ」

 

「まあ、お土産を楽しみにしていて下さい」

 

 私がそんな風に思っていると賢者様と女神様ががティアさんを抱き締めた。……うん、無駄な心配だったみたい。でも、さっさと世界を救わなくちゃいけないし、責任重大ね。思わず笑みが漏れた私は窓から外を眺める。集められた東と西の人達の前でイシュリア様が演説をしていた。

 

「はーい、注目! シルヴィアの姉である私が命じるわ! 魔族に踊らされて戦いを続ける無意味さを語ってあげるからちゃんと聞きなさい!」

 

 今回、また争いが起きない為にって派遣されたイシュリア様は何回かに分けて演説をして回るんだって聞いているわ。その間は遊びは禁止らしい。破ったら母親に叱られるって聞いているけれど、女神様達の母親って恋と美の女神なのにそんなに怖いのかしら? いえ、私もお母さんを怒らせたくなかったし、神も人も母親が怖いのは同じなのね。

 

 

「……良いなぁ」

 

 少しだけお母さん達に会いたくなった。でも、死んじゃっているから会えないのよ。だけれど、世界を救ったご褒美が貰えるなら二人の蘇生も可能かも知れない。そう思ったら少し勇気が湧いて来た。いよいよ次の世界で四つ目、折り返し。きっと今まで以上に大変だろうけれど、きっと大丈夫だって思えたわ。

 

 

「さ~て! 頑張って世界を救っちゃうんだから!」

 

 空は雲一つ無い快晴。私の旅を祝福してくれている様だったわ。

 

 

 

 

 一方、とある無人島に空から光が落ちる。大きく陥没した地面の中央に彼が立っていた。

 

「……腹が減ったで御座るな」

 

 再会の時は近い……。

 

 

 




五章完!


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幽霊船と偽りの花嫁
青の世界


 青の世界ブルレル。世界の殆どを海や大河が占める漁業が盛んなこの世界のとある島のとある港町にて多くの漁師を束ねる網元の息子の婚約を記念した祝宴が開かれていた。

 

「いやいや、目出度いですな。一時はどうなるかと思いましたが、無事に決まって何よりです」

 

「これで更に町が栄えれば幸いですよ」

 

 未だこの周辺では被害が報告されていないが、寂れた漁村や地方では魔族や活発になったモンスターの被害の噂が出ており、足元から這い上がる様な不安を払拭しようと宴は盛大に行われている。各々が酒や料理を楽しむ中、屈強な男が多い漁師に囲まれている若い男が居た。

 

「皆さん、今日はお越しいただき有り難う御座います」

 

 屈強な男達と見比べられる事で更に細く見える彼が網元の息子であり、今まで幾度も婚約者を喪った事から病弱な見た目も呪われているのではと噂が立った程だ。だが、その噂も新しい婚約者によって収まりつつある。

 

「コンラッド様」

 

「何だい、リノア?」

 

「いえ、お名前をお呼びしたかっただけです

 

 彼の名を周囲の男達を挟んで呼ぶ声。コンラッドが愛しそうな視線を向けたのは物静かな雰囲気を持つ女性だ。白髪に白っぽい肌と病弱そうに見える彼女だが、町の酒場で給仕として働いていた時に余所者に絡まれたコンラッドを助け、それが切っ掛けで恋に落ちた。

 

 網元の息子と酒場の給仕、当然ながら反対の声が多かったが数々の試練を乗り越え漸く認められたのだ。誰もが二人を信じている。明るい未来を信じている。宴の席には何度目かになる乾杯の音が響き、歓声が上がる。愛する二人は祝福を受けながら微笑んでいた。

 

 

 

「……」

 

 その様子を遠くから見詰める瞳。剣呑な雰囲気での姿をジッと見詰め、風と共に姿を消す。風の音に紛れて聞こえる声。実に楽しそうに嗤っていた。

 

「ククク、実に幸福そうだ。高い所から落ちる程に傷は深くなるが……楽しみだな」

 

 彼は知っている。二人の未来に待ち受ける暗雲を。彼は楽しみにしている。今幸福に溢れた彼らの顔が絶望に染まる瞬間を。

 

 

 ハシビロコウのキグルミを着た男は心の底からその時を待ち望んでいた。

 

 

 一方その頃、世界の命運をその小さな背中に背負い、時に無力感でその小さな胸を痛めながらも旅を続けるゲルダはキリュウ達と共に長い長い階段を上っていた。世界と世界を繋ぐ世界樹(ユグドラシル)。その周囲に現れる光の階段を上るのも勇者の試練の一つだが、雲に届く程に高い頂上まで、大きな都市の外周程の太さの幹の周囲に緩やかな勾配で続く螺旋階段を上るのだが、世界を救って勇者としての強化が成される程に試練も苛烈になって行く。具体的に記すならば下りのエスカレーターの様に光の階段が下に向かって流れていた。

 

「も、もう! 幾ら試練でも大変過ぎるわよ!」

 

「まあ、落ち着いて。休憩時間はちゃんと用意しますし、休んだら上った所まで転移しますから。……しかし、私や他の勇者の時は此処まで大変ではなかった筈ですが」

 

「……もしかして賢者様がそうやって手助けをするのを前提にしているんじゃないかしら?」

 

 最初は速度も大した事がなかったが、高くなり風が強まり空気が薄くなるにつれて速度が段違いに上昇している。ゲルダは必死で走り、キリュウとシルヴィアも彼女に合わせて走っているが涼しい顔だ。だが、そんな大変さなどどこ吹く風と、黒子が引く人力車に乗って楽をしている者も居た。キリュウの使い魔アンノウンである。

 

「フレー! フレー! ゲルちゃーん! お菓子食べながら応援しているよー!」

 

 普段は頭に乗せたパンダのヌイグルミを操ってお菓子を口に運ばせながら直接頭の中に翻訳した声を届けるアンノウン。勇者の正式な仲間でないので試練に参加する必要は無いのだが、自分が苦労している時に楽する姿を見せられたら腹が立つのも無理が無い。事実、ゲルダはイライラしており、それを知ってか知らずか、多分知っていてアンノウンは口を閉ざさない。

 

「アンノウン、少し黙っていて」

 

「えー? ゲルちゃん、カルシウム不足なんじゃない? よーし! 僕が歌で応援してあげるよ。じゃあ、ミュージックスタート!」

 

 何処から出したのかパンダの手には小さなギター。指も無いのに弦を引き、ロック調の音楽を奏で始めた。そして歌がゲルダの頭の中に流れてくる。とっても奇妙な歌詞の歌だった。

 

 

 恋はメロリン、あなたの眼差しシューティングソーダ    私のハートはメロリンパッフェ とろけとろけてチョコフォンデュ

 

 とまらない このDO☆KI☆DO☆KI 届けたい このTO☆KI☆ME☆KI(繰り返し)

 

 だけど嫌な予感が落雷エクレア パリパリ弾けて お口でとろける 蕩けちゃう

 

 恋を阻む障害はポポロン投げつけて追い払うの 恋のライバルはスパイス 刺激が涙をさそうの

 

 豆板醤にキムチに塩辛 嫌いなあの子は胃痛にな~れ

 

 私の愛はスーパー激甘   砂糖にクリーム、餡子にハチミツ。恋の痛みは歯に響く

 

 恋はメロリン、あなたの眼差しシューティングソーダ    私のハートはメロリンパッフェ とろけとろけてチョコフォンデュ

 

 

 

「……うわぁ。誰、この歌の作詞者」

 

「グレちゃんがメロリンクイーンってペンネームで書いていた黒歴史ポエムだよ」

 

「……そう。グレちゃん……あの人ね」

 

 ゲルダが思い浮かべたのは一度助けてくれた女性。グレー兎と名乗る灰色のウサギのキグルミを着ているので詳しい事は分からないが冷酷な様で実際は優しさを感じられる大人の雰囲気を持っていた。灰色のウサギのキグルミではあるが。

 

 そんな女性の思わぬ黒歴史に驚きを隠せないゲルダが足を止め、直ぐに気が付いて慌てて駆け上がる先をアンノウンを乗せた人力車は進む。顔が隠れているが黒子が笑いを堪えて震える中、再びギターがかき鳴らされた。

 

「じゃあ、次の歌は……」

 

 突如、人力車の真下に魔法陣が出現する。アンノウンと黒子が反応する間すら無く光を放ち、爆発した。

 

「きゃっ!?」

 

 咄嗟に爆風から手で顔を庇ったゲルダが見たのは遙か遠くに飛んで行くアンノウンと黒子の姿。空の彼方に消えて行き、やがて見えなくなったのでゲルダは走る事に集中した。

 

「まあ、どうせ直ぐに帰って来るわね」

 

「ご飯の時間までに合流出来れば良いのですが……」

 

「キリュウ、前々から思っていたがアンノウンを甘やかし過ぎではないか?」

 

「それはそうなのですが可愛くってつい……」

 

 シルヴィアからの指摘にうなだれるキリュウの姿を見たゲルダだが、多分今後も甘やかすのだと確信しながら走り続ける。未だ半分も到達しておらず、先は長かった。

 

 

 

「つ、疲れた……。まさか一日経っても登り終わらないだなんて思ってなかったわ」

 

 登り始めたのがお昼前であり、今は次の日の夕方。時折休憩を挟んで中断した所から再び階段を駆け上がるも予想以上の時間が掛かっていた。まさか徐々に木の幹が太くなっており、頂上の辺りでは根本近くの倍にも匹敵するとは思っていなかったゲルダは疲れて座り込むがキリュウ達は流石に平然としている。

 

「ゲルちゃん、情けないなぁ」

 

「最初から最後まで楽をしていた貴方が何を言っているのよ、アンノウン。……うん、それにしても強烈な匂いね」

 

 黒子と共にあっさり復帰していたアンノウンを一睨みした後で鼻を動かせばゲルダの鼻に潮の香りが届く。故郷に海が存在しない訳でも無いが、嗅ぎ慣れていない者には少し強烈だろう。今居るのはなだらかな丘の途中であり、少し走って頂上に行けば遙か彼方の地平線まで続く青い海が見えて来た。

 

「バカヤロー! ……って叫ぶのよね?」

 

「えっと、誰から聞きました? 強ち間違いでも有りませんが……」

 

「アンノウンだけれど……まさか!」

 

 キリュウの困惑した様子に全てを悟ったゲルダはアンノウンの方を向き、既に遙か彼方に逃げ出した後ろ姿を目にする。だが、それを許さない者が一人。

 

「……少し躾が必要だな」

 

 静かな声で呟いたシルヴィアは足下の石ころを拾い上げ、振りかぶって投げる。音速を超えた石は空気を真っ赤に熱し、地面の草を衝撃波で吹き飛ばしながら突き進んで遙か彼方へと飛んで行った。

 

「ギャンッ!?」

 

 姿は見えないが遙か彼方から聞こえる轟音と悲鳴。隕石でも降って来たと間違える大音に周囲の空気が震え、海鳥が一斉に逃げ出した。

 

「シルヴィア、少しやり過ぎでは?」

 

「お前がそうやって甘やかすから調子に乗るのだ、少し黙っていろ」

 

「はい……」

 

 見かねたキリュウの言葉も軽く睨みながら一蹴するシルヴィアの姿を軽く見た後でゲルダは再び海に目を向ける。

 

(こうやって海を見たのは何時だったかしら? 確かお父さんもお母さんも生きていた頃に一度だけ……)

 

 幸せな思い出に浸り、暫し海を眺め続けるゲルダは何時しか潮の香りにも慣れ始めていた。少し髪がベタつく潮風には困りはしたが今はもう少しだけ海を眺めていたいと数歩前に歩いて海に近付いた時、遠くに漁村らしい物が見えた。ゲルダは二人に声を掛けようと後ろを振り向き、潮風に紛れて漂って来た臭いに反応した。

 

「魔族っ!」

 

「ひゃっ!?

 

 何度も嗅いだ鼻が曲がりそうな悪臭、但し何度も戦った上級魔族程の強烈さはないそれが漂って来た上方をキッと睨めば驚いた声が聞こえ、宙に浮く気弱そうな少女と目が合った。地味な服装で緑の髪、胸は大きい。

 

「も、もう! 急に大きな声を出したら驚くじゃないですか! お姉さん怒るよ、坊や!」

 

「……私、女の子だけど」

 

「え? そ、そうだったの!? ごめんね、子供だとしても胸が小さいって言うか薄いって言うか……」

 

 この瞬間、分かっていたが改めて目の前の少女を敵と定めるゲルダ。後ろではシルヴィア達も武器を構える中、キリュウは一瞬だけ驚いた顔の後で気を引き締める。少女も二人に気が付いたのか慌てた様子でポケットに手を入れ何かを取り出した。

 

「葉っぱ?」

 

 そう、彼女が取り出したのは何の変哲もない葉っぱであり、それはゲルダも嗅覚で感じ取っている。そんな物をどうする気なのかと思わず動きが止まったゲルダに向かって少女は葉っぱを投げ付けた。動作は少々鈍くさく、葉っぱは突如吹いた風に乗って向かって来る。流石に武器を構えた時、少女が拳を握り締めた両手で自分の腹を叩けば鼓の様な音が響き渡る。

 

 

「ポンポコリン」

 

 ポンっという軽快な音と共に煙に包まれた葉っぱ。煙は直ぐに風によって吹き飛ばされ、葉っぱは銛に変わっていた。三つ叉ではなく返しが付いた一本銛。その切っ先をゲルダ達に向けて飛んで来る。……かに思えたが、棒状の物を適当なフォームで投げた時と同様に回転しながら向かって来た。

 

「ええ!? なんでちゃんと飛ばないのっ!?」

 

 自分では真っ直ぐ飛んで三人に突き刺さると思っていたのだろう。彼女が驚いた様子で銛を見詰める中、ゲルダはブルースレイヴを構えて飛び出し、銛の石突きが自分に向いた瞬間に打ち付ける。今度は真っ直ぐ飛び、青い魔法陣が銛を包んだ瞬間、ブルースレイヴに押し出されるかの如く急加速して少女の体を貫いた。首と脇腹、そして胸。完全に急所を貫いた銛は少女の顔から生気が消え去ると同時に再び音と共に煙に包まれ葉っぱに戻る。体中から血を流しながら少女は墜落し、海の中に沈んで行った。

 

「……あれ?」

 

 呆気ない、そんな風に感じただけではない。強くなった自覚は有り、少女の強さが其れほどではないとも感じていた。しかし相手は一切防御する様子すら見せず、何より魔族を倒した事により今までは感じていた力の上昇が無かったのだ。

 

「賢者様、彼女ってもしかして幻覚の類だったの?」

 

「いえ? ……もしかして倒した実感が無かったのですか?」

 

「ええ、だから手の内を晒させられたのかと思ったのだけれど。……わざわざ手の内をペラペラ話さなくても今のを見れば対象を反発させるって分かるだろうし……あっ!」

 

 自分で能力を口にしてしまった事に慌てて口を手で塞いだゲルダは周囲をキョロキョロ見るが誰かが様子を窺っている様子は無く、何よりキリュウ達が反応しないので大丈夫だろうと判断した。

 

「私の時も再生能力が凄まじい魔族と戦いましたからね。まあ、分かったからとしても簡単に対策が出来る能力でもないですし気にしなくても大丈夫です」

 

 ゲルダはその言葉にホッと一安心、胸をなで下ろして平坦っぷりを改めて自覚して落ち込んだ。

 

「……あっちに村が有ったから行ってみましょう。浚われた子供について何か情報が有るかも知れないし」

 

 

 

 村が見えた丘から歩く事数分、ゲルダ達はツナグンカという村に到着した。何艘かの小さな船を波打ち際に浮かべている小さな村で、旅人が来た事に村人は驚いている。どうやら随分と外の人間が来てはいないと判断したキリュウは宿を探すのを早々に諦めて馬車の中に泊まる事にした。

 

「ちょっと聞いて回りましたが、予想通りの空振りでしたよ」

 

「まあ、随分と寂れているものね。余所の情報が入って来なくても当然よ。……私の故郷もこの村程じゃないけれど田舎だから余所の話があまり入って来なかったし」

 

「明日にでも立つか。しかし、宿屋が無かったのはかえって助かったな。見知らぬ他人を泊めてくれる親切心と余裕の持ち主が居ないのもな」

 

 村で買い求めた魚や貝を塩で焼いた物を食べながらシルヴィアは部屋を見回す。魔法によって拡張された馬車内部は豪奢な一軒家と同じであり、風呂や中庭まで有るのだから小さな村の宿屋とは比べ物にならない快適さだ。別段野宿でも平気な彼女だが、快適な空間で休めるのならそっちの方が良い。

 

 

「そーだね、ボス。所で僕はお肉が食べたいな!」

 

「我が儘言うな、アンノウン。魚だって美味しいのだから……食事時に無粋だな」

 

 魚に刺した串を手にしたシルヴィアだがおもむろに立ち上がって魚を置き、代わりに武器を手にした。窓を開ければ突如聞こえて来る悲鳴や騒がしい物音、そしてモンスターの唸り声。即座にゲルダとキリュウも立ち上がった。

 

 

 

「じゃあ、僕は寝るね。お休みー」

 

「お前も来い!」

 

 そして寝ようとしたアンノウンはシルヴィアに担がれ無理矢理外に出されるのであった。

 

 

 

 

 

 その頃、離れた島の砂浜に例の少女が流れ着いていた。体中に開いた穴に加えて魚に食われた上に水で膨れて無惨な様を晒した死体。本来ならば光の粒子になって浄化される筈の魔族にも関わらず彼女の死体はそこに在り続け、一陣の風が吹いた。

 

「……あの子、何者だろう? って、お洋服がっ!」

 

 何事も無かったかの様に彼女は立ち上がる。服に開いた穴はそのままで、体の穴は最初から存在しないかの様に消え去っていた。故に彼女が気にするのは服の事。特に胸が丸出しになっているのが恥ずかしいのか腕で隠して顔を真っ赤にした時、上から上着が投げ渡された。

 

「随分と派手に殺されたなぁ、飛鳥(あすか)ぁ! 迎えに来てやったぜ。どーせ帰り道が分からねぇだろ」

 

 見上げれば月をバックに浮かぶ黄色の髪をした少女。何処か男勝りな風に見える彼女を見た少女、飛鳥は嬉しそうな顔になった。

 

美風(みかぜ)ちゃん! 助かったぁ。……えっと、誰かよく分からない。男の子みたいな胸をした狼の獣人の女の子? あっ! 大きな鋏を持ってたよ!」

 

「……はあ? いや、全然分からんって、それじゃよぉ。ほら、案内してやるからさっさと帰るぜ。明日はクレタ様の近況連絡の手紙が来る日だからな」

 

「あっ! そうだった。じゃあ、明日も頑張って子供を浚わないとね! ビリワックさんがクレタ様に良い報告をしてくれたら誉めて貰えるし」

 

「……彼奴嫌いなんだよなあ。他の奴が連絡役になるか、どうせならクレタ様が来てくれたら良いのによ」

 

 二人の会話からしてクレタの……既にゲルダに敗れた魔族の部下らしい。それも随分と彼女を慕っている様子で、その慕っている相手が勇者に敗れた事さえ知らされていない様子だ。だが、彼女達が待ちわびる明日になれば嫌でも知る事になるだろう。寧ろ楽しみにしている日に知らせる事にしたのかも知れない。

 

 

 

「プリューちゃんも楽しみにしているだろうね!」

 

「そりゃまあ、無愛想な彼奴が一番クレタ様に懐いてたからな」

 

 彼女達は尊敬し慕う相手に再び出会う日を夢見る。それは魔族も人間も変わらない。その先に待つ絶望を知った時にどうなるのか……それもまた同じなのだろう。

 

 



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海に生きる種族

 私が外に飛び出した時、一番先に目を引いたのは海に発生した靄の中に佇む船だった。青白い炎の様な明かりに包まれた船は帆にも船体にも穴が開いていて今にも沈みそう……いえ、沈んでいない方が不思議だったわ。

 

「幽霊船……?」

 

 そんな風な印象しか抱けない船に目を奪われていた私だけれど、耳に入った唸り声や破砕音で我に返る。そう、私は村で暴れているモンスターを倒しに来たのよ。デュアルセイバーを握って駆け出せば倒壊した小屋から真っ赤な球体が飛び出して来たわ。一抱えは有る大きさで血走った巨大な目と鋭利な牙を持つそのモンスターは跳ね飛んで前方の物を壊しながら私に向かって来る。近寄れば熱そうで、実際に全身から煙が上がっていた。

 

『『キラーシェル』命を持った砲弾。興奮すると体が真っ赤に熱される。体は鉄の塊に匹敵する堅さと重さであり、目が弱点』

 

「まあ、そうでしょう……ね!」

 

 デュアルセイバーを目に向かって振るえば咄嗟に瞼を閉じられるけれど、閉じた瞼を砕いてそのまま振り抜けば他のキラーシェルの方に飛んで行った。体に浮かぶのは青い魔法陣。それが輝けば更に加速、避け損ねた仲間が正面からぶつかって砕けていたわ。

 

「うふふふ。この能力は便利ね」

 

 思わず笑みを浮かべながら刃を撫でる。グリエーンで生まれ変わる前は二つに分割した刃と刃の任意の方をもう片方に引き寄せる能力だったけれど、新しく得た力はそれを強化した物。ブルースレイヴで叩いた相手に付与出来る『地印』は反発、そしてレッドキャリバーで付与する『天印』は……。

 

「どんどん行くわよ!」

 

 仲間がやられて怒ったのか次々にやって来るキラーシェル達。その体は更に真っ赤に熱され、転がったり飛び跳ねながら私に体当たりを仕掛けるけれど容易に跳んで避けれた。飛び越す時、数体の体を軽く叩いて着地すれば向こうは勢い余って少し進むけれど方向転換して再び私に向かって来る。その中の数体、私に叩かれたキラーシェル達の体に赤い魔法陣が浮かび上がったわ。

 

「天印解放」

 

 自分の意志とは別に私に向かって猛スピードで向かって来るキラーシェル達に再びデュアルセイバーを振るう。刃に吸い寄せられる様に……いえ、実際に吸い寄せられたキラーシェル達の堅い体は衝撃で砕けて仲間達の方へと飛んで行った。それも、今度は地印による反発で加速しながら。自分と同じ堅さの仲間の破片を食らったキラーシェル達は絶命する。これがレッドキャリバーの『天印』の力。刃で叩いた相手か刃を相手に引き寄せるのよ。

 

「さて、次だけれど……もう終わりね」

 

 デュアルセイバーを構えるけれど、村を襲っている残ったキラーシェルは賢者様達が次々に倒しているからこれ以上は動かなくて良さそうね。

 

「どうした、どうした! 歯を剥いたならば逃げるでないぞ!」

 

 女神様が手にしているのは半透明の氷の斧。柄にだけ布が巻いていて、刃からは冷気が放たれているわ。少し触れるだけでキラーシェルは凍り付き両断されて行く。見れば内部まで完全に凍り付いている仲間の姿に怯えて逃げ出すけれど女神様は逃がさない。投擲された斧は回転しながら追い付き、刃に触れなくても近くを通るだけで氷に覆われ、女神様に蹴り砕かれていたわ。それでも難を逃れたのもいたけれど、投げ飛ばした斧に追いついた女神様が柄を掴んで折り返す。逃げられる筈がなかったわ。

 

「さて、私も久々に……」

 

 賢者様は久々に指パッチンで魔法を発動する気だったみたいだけれど失敗して鳴らず、キラーシェル達も唖然とした後に動き出す。その動きが突然空中で止まったわ。必死に暴れるキラーシェルを捕らえていた物は五度目で漸く指を鳴らせられた時に姿を現す。巨大な蜘蛛の巣が宙に浮かんでいたの。多くのキラーシェル達を捕らえた蜘蛛の巣は賢者様が指を動かすと回転しながら進み、他のキラーシェルも捕らえたり、仲間同士で激突させて倒している。

 

 そしてアンノウンだけれど……。

 

「ふぁ~」

 

 その場に寝転がって大アクビ、全然やる気が無いみたい。寝転がって無防備だと思ったのかキラーシェル達が殺到する中、幽霊船の方から大きな音がして無数の砲弾……いえ、無数のキラーシェルが撃ち出された。ゆっくり回転しながら目を開いたキラーシェル達は徐々に赤くなりながら村に飛んで来る。うとうとしながらそれを見ていたアンノウンだけれど、その場で軽く前足を振るだけだったわ。まるで虫でも追い払う程度の無造作な動作、それだけでキラーシェルはアンノウンに向かっていたのも村に向かって飛んでいたのも切り裂かれた。まるで絵が描かれた紙を切り裂いて絵の人物を切るみたいに今居るのは全滅させたわ。

 

「……やるじゃない」

 

「うん! じゃあ、ゲルちゃんの十倍は倒したし、明日の朝のベーコンは貰ったよ~」

 

「ベーコンで良いのね? 明日だけよ?」

 

 明日は賢者様が納豆を食べたいからパップリガ料理にするらしいし、ベーコンは出ないと思うけれど言わないで置こう。明日って指定したのもアンノウンだから私は知らないと、意識を幽霊船に移す。アンノウンの方から寝息が聞こえて来たけれど、私より倒しているんだからもう良いわ。……でも、美味しい所は貰っちゃうんだから。

 

「賢者様、あの船までの道を作って貰えるかしら?」

 

「普通の道と氷の道、どっちがお好みで?」

 

「じゃあ、綺麗な氷の道で!」

 

 その言葉と共に私は走り出す。目の前で海が割れ、現れたのは左右の壁で波を遮った氷の道。船まで続き、二股に分かれて幽霊船を囲む。私達の戦いを見ていた村の人の方をチラリと見るけれど負った筈の傷は既に癒えていて、私に向かって声が掛けられた。

 

「き、君達は一体っ!?」

 

「私達? これでも勇者一行よ!」

 

 私の体に現れる救世紋様。勇者の証明なだけで意味は無いし、私も知らなかったのだけれども。だからこれは只の格好付け。私みたいに知らなくても不思議な見た目だもの、使って損はないわ。でも、見た目が良いから使っちゃった。

 

「あはははは! ゲルちゃんノリノリだねー!」

 

「……うっさいわよ」

 

 自分でも調子の乗っちゃったのは分かっているけれど、今は絶好調だから仕方無い。今の私、凄く強くなっているもの。一足飛びに砂浜から氷の道に飛び移り、着地と共に駆け出す。そして足を滑らせた。

 

「ひゃわっ!?」

 

 咄嗟に一回転して何もなかったみたいに走り出すけれど、絶対に賢者様達には気付かれているわね。

 

「ねぇねぇ、どうして一回転したのー?」

 

 当然の様に頭に響くアンノウンの声。分かっていて訊ねているんだから本当に質が悪いわね、あの子。幽霊船は次々にキラーシェルを撃ち出すけれど賢者様の魔法の氷は砕けない。代わりに氷の道を滑りながら私に向かって来るけれど鎧袖一触、蹴散らした。そうして幽霊船が間近にまで迫った時、遠くから猛烈な勢いで接近する船があったわ。

 

「うぉおおおおおおおおお!! 野郎共、もっと気合い入れて漕ぎやがれ!」

 

「へい! 船長!!」

 

 彼らの印象を一言で語るなら、筋肉、それ以外に相応しい言葉は無かったわ。

 

「俺達の村に手を出す奴を逃がすんじゃねぇぞ!」

 

「へい! 船長!!」

 

 船上で動きやすい服装を内側から張り詰めさせている分厚い胸板、逞しい二の腕。グリエーンの戦士が持つ戦う為の肉体とは何処かが違うけれども、海に生きる人達が海で鍛え上げた肉体なのでしょうね。

 

「突撃だぁああああああああああああっ!!」

 

「へい! 船長!!」

 

 日に焼けた肌に刻まれているのはモンスターを含めた困難多い海での生活による傷跡。それらを勲章みたいに見せびらかせる露出。体に染み込んだ潮臭さと汗臭さが少し離れた私の所にまで届く錯覚さえ感じてしまう。そして耳を見れば長く先が尖っている。

 

 

「うん。ああいったのが一般的なエルフよね。……賢者様の世界に伝わるエルフって変わっているわ」

 

 海に生きる種族であるエルフ。男女共に漁師や船乗りとして生きる人が多く、豪快な性格が多いって聞いているわ。彼等の力強い姿と賢者様の世界に伝わる優男のイメージが全然別物過ぎて違和感が有るわ。どう考えてもエルフは逞しい肉体が特徴の種族だもの。

 

 

 次々と幽霊船に縄が投げ込まれる。勢い良く投げられた銛は幽霊船の至る所に巻き付き、それを伝って次々とエルフさん達が乗り込んでいた。少しの間それを見ていた私だけれど、こうしている場合じゃないと気が付いて走り出す。だけど、幽霊船は急に消えて彼等は海に落ちて行ったわ。まるで最初から存在しなかったみたい残り香さえ無く……。

 

「って、臭っ!?」

 

 その代わり、強烈な体臭が漂って来たの。

 

「悪いな、嬢ちゃん。ちょっと十日ばかり漁に出てたから風呂に入ってねぇんだわ。おい、ついでだから海で汗を流して行くぞ!」

 

「へい! 船長!」

 

 思わず失礼な事を言っちゃった私に向かってガハガハ笑いながら海に潜るエルフの漁師さん達。流石はエルフ。頑丈さと気風の良さが特徴なだけ有るわね……。

 

 

 これまで聞いた話と実際との違いに驚いた旅だったけれど、此処まで聞いた通りだった事に私は驚く。その頃、目的の一つである浚われた子供達に動きがあったわ。

 

 

 

 

 建設途中の城の中、居住性よりも侵入者を惑わす迷宮としての役割に比重を置いたその建設には多大な労力を要していた。電気照明など存在しない世界では夜が来れば直ぐに眠る者が多い。ロウソクやランプも出費が馬鹿にならず、魔法の力を込めた道具は高価で庶民には縁遠い。結果、かき集められた人々は粗末な寝具で雑魚寝をしていた。

 

 誰も彼も見窄らしい服装で雑魚寝をしており、風呂も食事も傷の手当てさえも満足でないのが一目で分かる。朝日が昇ると共に叩き起こされ、モンスターに怯えながら重労働を行う人々には他者を気に掛ける余裕など無く。故に数人の子供が居なくなっているのに気が付いていなかった。

 

 

「うげっ! 此処ベタベタしてるよ」

 

「しっ! 大きな声を出したら駄目よ」

 

 ゴミを海に捨てる為の管の中を小さな子供達が四つん這いになって進む。先頭の二人は十歳程度の少年と少女であり、後ろを進むのは幼い子供達だ。悪臭が漂い涙が出そうになる中を進む子供達の顔には不安が浮かんでいるが、それを励ます様に振り向いた少年の顔は明るかった。

 

「皆、後少しだ。外の作業の時に見張りの目を誤魔化して準備していたイカダを隠しているから逃げられるぞ」

 

「そうよ。私とトゥロで頑張って作ったんだから。逃げたらこの島の場所を知らせるの。そうすれば他の人も助かるわ。私のお母さんはイエロアで一番凄い魔法使いで雷の精霊を召喚出来るのよ」

 

 この場に居る子供達の共通点はグリエーンの出身という事。主にブリエルの住民が多い中、同じ世界から浚われて来た上にグループも同じという事は結束に繋がっていた。

 

「そうだね。カイお姉ちゃんのお母さんのイアラって僕でも知ってる凄い魔法使いだもん」

 

「風が入って来た! 皆、もう直ぐだぞ!」

 

 トゥロが言った通り、潮風が流れ込んで来る。子供達は希望を抱き、親と再会出来る時を思い浮かべる。両親に抱き付き、抱き締めて貰いたいと願った。先ずはトゥロが岩壁の側面に開いた穴から外の様子を伺う。月明かりに照らされた水面は他に照らす物が無くともハッキリと見え、見張りの居る様子も無い。職務怠慢か他の理由が有ってかは分からないが、彼等には都合が良かった。

 

「じゃあ、僕が先に行こう。カイ、他の子達を頼む。此処まで来たんだ。絶対に家に帰るぞ」

 

 無事を確認したのか海に飛び込んで合図をする。続いてカイが飛び込めば他の子供達も怖がりながらも意を決して飛び込めば溺れない様にトゥロとカイが支えた。

 

「さあ。皆、気を付けて進もう。……この先の入り江だ」

 

 岩の陰に隠れながら慎重に進み、時に見張りのモンスターに遭遇しそうになりながらも子供達は先に進む。まるで神の祝福が有るみたいだと思いながら辿り着いた入り江には岩の隙間に隠された小さなイカダがあった。子供の手による簡素な作りだがオールも帆も有り、今の彼等にはどの様な大船にも勝る希望の船だ。

 

「出航だ!」

 

 トゥロの合図と共にイカダは海に乗り出した。イカダは進む、子供達を乗せて。イカダは行く、希望を目指して。運が良い事に風は追い風であり、雲が月を隠して城で見張っているモンスターがイカダを発見する可能性は下がっただろう。子供達は他の浚われた者達が居る城を一度だけ振り返ると前だけを向く。必ず助けを呼ぶと心に誓いながら。

 

「……大丈夫かなあ?」

 

「大丈夫さ! 勇者様だって居るんだし、魔族なんて倒してくれる。だから少しだけ辛抱して貰おう!」

 

 一番幼い子供が途中で弱音を吐くもトゥロの励ましの言葉で不安が消えた顔になる。不安に満ちた言葉は聞いた者の心にも不安や恐怖を伝播させる。それを何とか防いでホッと息を吐きだしたトゥロも表面上は平静を装っていてもその実、内心は不安で一杯だった。

 

(落ち着け。僕が不安だと気付かれたら皆がパニックになる。何とか誤魔化すんだ)

 

 巣くって消えない恐怖は心を蝕んで行く。今は脱出した興奮で保たれているが、追っ手やモンスターに遭遇する恐怖を感じれば下の子供達は恐怖を抑えきれない。だからこそ少しでも早く人の居る場所へと向かうも明かりは見えず焦る中、汗ばんだ手に別の手が優しく触れた。

 

「カイ?」

 

「大丈夫。きっと助かるから。ほら、持ち出した食べ物を食べて落ち着きましょう。……酔わないと良いけれど」

 

「あははは。君って乗り物に弱いのかい?」

 

「……黙秘するわ」

 

 サッと目を逸らしながらも食料を分配するカイとの短い遣り取りはトゥロの心を温める。消えかけた希望の灯火を再び燃え上がらせ、その光で恐怖を追いやる。

 

「皆、後少しだ。大変だけれど頑張ろう!」

 

 久々に腹が膨れる程の食べ物に腹と心が満たされ、更に活力が湧いてくる。普段の重労働で体には疲労が蓄積されているも交代でオールを漕ぎ、明かりが見つからないか交代で見張る。脱出から何時間か経った頃だろうか。そろそろ瞼が重くなった時、カイが不意に遠くで光る何かを発見した。

 

「皆、あっちを見て!」

 

 その声に眠っていた子達も慌てて起き、明かりを指差して歓声を上げる。この時間に明かりが灯っているのなら夜中まで開いている店か砦の類という事であり、つまりは人が居るという事だ。疲労によって再び心を蝕み始めていた不安が希望によって消え去る。これで助かったのだと限界近い体を動かし、近くに寄れば確かに港町だった。

 

「おい、子供達がイカダに乗って来たぞ!」

 

「おーい! お前ら、どうしたんだー?」

 

「助けて! 魔族に浚われて逃げて来たん!」

 

 港では船乗り達が直ぐにトゥロ達に気が付き、事情を叫んで伝えれば慌てた様子を見せた。一瞬、関わりになるのを嫌っているのとか不安になるトゥロ達だが、手招きする様子に杞憂だったと気が付けた。

 

「待っていろ、直ぐに医者を呼んでやる。それで他に浚われた人は居るのか?」

 

「うん! 大人も子供も沢山働かされて居るんだ。城を造らされていて……」

 

 縄を下ろし引き上げてくれた男に事情を話している最中の事だった。溜まりに溜まった疲労、そして他の子供を守らなければと張り続けた緊張の糸が切れたのか膝から崩れ落ちたトゥロは咄嗟に抱えられるも膝を地面で打って怪我をする。

 

「痛たたた。危なか……え?」

 

 この時、初めて彼の口から僅かながらの弱音が零れ落ちる。此処まで必死に我慢していた物が気が弛んで普段でも見栄を張って口にしない程度の弱音。気恥ずかしさから誤魔化す言葉を考えながら顔を上げ……驚きの声を漏らす。この時、彼は信じられない物を目にする。目に……してしまった。



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使い魔の嫌うもの

 僕の名はトゥロ。グリエーン出身の豹の獣人だ。幼い頃に両親に先立たれた僕は親戚であり所属する部族の族長の家に引き取られたのだけれど、戦士の誇りを大切にする部族の一員である僕は戦いの才能が無かった。決して虚弱な訳ではないのだけれど、どれだけ鍛えても筋肉は少ししか付かず、技だって頑張っても中々身に付かない。取り柄と言えば手先が起用な事ぐらいだったんだ。

 

 そんな僕が抱いた只一つの夢、それは強くなって仲間を守れる様になる事。強さだけは尊敬していた従兄弟には馬鹿にされていたけれど、その夢に向かう事で僕は頑張れた。手に豆が出来る程に素振りを続け、反吐が出るまで体を鍛え続けた。何時かは報われるって信じていたんだ。

 

「……よし! 残り半分!」

 

 僕がグリエーンから姿を消したのは半年前。その日の日課の走り込みの最中、突然足下が開いて僕は深い穴に落ちて行く。地面に衝突する衝撃で気を失った僕が目覚めてから最初に聞いたのは波の音、続いて聞こえたのは怒号。初めて訪れた別の世界での奴隷の日々が始まった。

 

 毎日木材や石材を運び、ボロボロになりながら眠る。誰の顔にも希望は無く、中には心を失って働き続ける人だっていた。僕が諦めなかったのは同じ作業班になった同郷の子供達の存在があったから。守るべき存在が僕を奮い立たせてくれたんだ。……それと好きな子も出来た。僕が心の中で吐く弱音を察して支えてくれる彼女の名前はカイ。彼女が居たから僕は夢を諦めずに居られたのだろう。

 

「皆、相談がある。此処を脱出しよう!」

 

 この劣悪な環境じゃ何時か死んでしまう。食事も寝具も粗末な上に怪我をしても満足に治療されず、風呂だって入れない。使い捨ての道具として扱われる日々の労働の合間合間に監視の目を盗んで完成させたイカダ。器用に生まれて良かったと心の底から思えた僕は皆を連れ、脱出に成功したんだ。

 

「そんな……。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……」

 

 そう、成功した筈なんだ。城が見えなくなっても進み続け、漸く辿り着いた港町。緊張の糸が切れた僕は疲労から倒れそうになって親切な人に支えられる。すると景色が揺れた。まるで煙の様に揺れ、目の前から消え去って行く。僕達が居たのは木が生い茂る小さな島。中央には飛び抜けて大きな木があって、労働中に遠目で見ていたがら間違いが無い。神様に祈りながら振り向けば城が見えた。

 

「あらん、どうかしたのかしら?」

 

「お前……は……幻楽」

 

 僕を支えて居たのは見知らぬ親切な人じゃなく、見知った相手。モンスターを指揮して僕達を働かせていた魔族の巨漢。焦げ茶色の坊主頭に剃り込みを入れてクネクネと気持ち悪い動きをする顎髭の男、蜃幻楽(しん げんらく)は僕の襟首を掴んで顔をのぞき込んで来た。口に咥えた煙管の煙を僕に吹きかけながら奴ヘラヘラと笑う。そうか、僕は此奴の手の平で踊らされていたんだな。

 

「あぁ、なーんて可哀想な坊やなのかしら。必死に隠していた積もりのイカダで脱出して、気付かずにグルグルグルグル同じ場所を入ったり来たりして近くの島を遠くの港町と間違える位に疲れているのだもの。悲しくなるわね、シクシク」

 

「黙れ! どうせお前が何かしたんだろう! その嘘臭い演技を止めたらどうだ!」

 

「あら、バレてたのね。最近の子供は賢いわぁ」

 

 明らかに演技な泣き真似に僕は大声を上げ、態とらしく舌を出す幻楽の顎を蹴りつける。でも爪先は確かに顎に当たったけれど幻楽の頭は動かず、全然効いた様子が無い。代わりに周囲を取り囲むモンスターが唸り声を上げながら砂浜に上がって来た。長いトゲが甲羅から無数に生えた雲丹亀(うにがめ)だ。

 

「はいはーい、ストップストップ。この子達に何かしたら怒るわよ?」

 

 僕の目の前でカイ達を殺す積もりだと思ったけれど、幻楽には他に何か有るらしい。絶対に禄でもない事だ。優しい声色で雲丹亀達を制止したけれど誰も安心した顔をしていない。このヘラヘラ笑いをする時、それは恐ろしい思い付きの時だからだ。前に一度、溜まった不満が爆発して些細な口論から同じ作業グループ同士で殴り合いになったのだけれど、その時に二人の拳を掴んで止めた時も同じ笑い顔だった。

 

「ほらほら、子供も見ているし、他の人まで巻き込まれちゃうわ。喧嘩だったら周りを巻き込まない場所でやりなさい」

 

 その結果、潮が引いている間だけ現れる小島でその二人は決闘をさせられたらしい。二人が所属する作業グループの半分が見届け人をして帰って来た時に話をしていたのが耳に入って来たのだけれど、二つのグループに分けられたその人達の内、負けた側に所属した方は殺されたらしい。巨大なタコのモンスターに海に引きずり込まれてしまったって話していた。翌日、勝った男の人も負った傷の手当てなんかされなかったから死んだよ。残ったグループの人達も人手が減ったから作業が遅れて、怠慢の罰だって殺された。

 

「本当はこんな事をしたくないの。でも、罪には罰を与えなくちゃ頑張っている人が損じゃない。ごめんなさいね」

 

 そんなしおらしい態度だったけれど、無茶苦茶な理論な上に誰が見ても嗤っているのは明らかだった。そして幻楽はその笑い顔を僕に向け、顔を引き寄せて耳元で囁く。

 

「貴方、可哀想だから特別に無罪放免にしてあげる。それともう一つ……罰を受けるのは一人だけにしてあげるから、お友達の中から一人を選んでね?」

 

「……は?」

 

 一瞬何を告げられたのか分からず間抜けな声が出る。この男は僕に一緒に逃げた子供達を、僕が守るべき相手を選んで見捨てろって言っているんだ。そんな要求、到底受け入れられる筈が無い。

 

「僕だ! 一緒に逃げようって誘ったのが僕なんだから僕を罰しろ!」

 

「きゃー! 素敵な子ね、坊やって。ますます気に入ってしまったじゃないの。……貴方みたいに自分を犠牲にするでもなく震えて黙っているだけの子達に腹が立って来たわね」

 

「ひっ!」

 

 幻楽は態とらしい演技で甲高い声を上げて口笛を吹く。雲丹亀達はノソノソと精神的に追い詰める様に近付いて来た。こんな所で終われない。何故なら僕は仲間を守らなくちゃ駄目なんだから。でも、どれだけ暴れても幻楽の手は僕を掴んだままで離す気配も無い。カイが皆を背中で庇って後退するけれど距離はジワジワ狭められる。幻楽の顔は凄く楽しそうだった。

 

「ほら、誰か選びなさい。じゃないと全員死んじゃうわよ? 他の子には何らかの罰を受けて貰うけれど死ぬ訳じゃ無いし、生きていたら希望が有るじゃない」

 

 その希望を与えた上で目の前で叩き壊すのが好きな男の言葉は僕の心にへばり付く。確かに今の状況では皆死んでしまう。なら、僅かな希望に縋って誰かを選べば他の子は助かる。皆に顔を向ければカイが頷いた。きっと自分を選べって言いたいんだろう。この時、僕の心は決まった。

 

 

「僕だ、僕を罰して他の子は逃がせ」

 

「トゥロ!?」

 

「……ごめん。僕は僕である事を辞められないんだ」

 

 幻楽をキッと見据え、カイの叫びに顔を横に振って告げる。一度この胸に抱いた夢は捨てられない。誰かを犠牲にする道を選んだ時点で誰かを守りたいだなんて言えなくなる。

 

「……そう、心は変わらないのね?」

 

「なら、別に構わないわ。……皆、その他の子を庇っている女の子を殺しなさい。出来るだけ惨たらしくね」

 

「貴様ぁああああああああ!!」

 

 どれだけ暴れても僕は解放されない。蹴りや拳は届いているのに一切痛痒を感じた様子も無く通用していなかった。その間にも雲丹亀はカイ達に近寄り、先頭の一匹の刺がカイの足に刺さる、その寸前だった。突如僕達の間を吹き荒れた突風。思わず目を閉じた僕は開けるのを躊躇う。僕が弱いから守れなかったカイが傷付けられる姿が見たくなくって。結局、僕は弱虫で無責任だったらしい。

 

「僕は弱い……」

 

 絞り出した声は自然と泣き声になっていた。きっと次の瞬間には幻楽のバレバレの演技のセリフを聞かされるんだろう。でも、聞こえで来たのは別の声。初めて聞いた少年の声だった。

 

 

「うむ、確かに弱い。優しさや覚悟一つで守れる物は少なく、最終的に敵の胸三寸に任せるのだから嗤われて当然で御座ろう。……だが、お主の覚悟を嗤う者が居るなら拙者が切り捨てる。天晴れな覚悟であったぞ!」

 

 最初は厳しく、続いて褒め称える優しい声。目を開ければ雲丹亀達は動かず、風邪と共に首が落ちる。僕を掴んでいた幻楽も少し遅れて崩れ落ち、僕とカイの間には見知らぬ少年が立っていた。

 

「君は一体……」

 

「拙者か? 拙者の名は楽土丸、鎌鼬楽土丸だ。最初は見捨てる気だったが、お主の覚悟を見たからには動かずには居られなくてな。もう一度言おう、見事な覚悟だった」

 

「そ、そうだ! 助けてくれて有り難う! 君、凄いね。魔族をモンスターと一緒に倒してしまうだなんて」

 

「いや、倒せていない。ほれ、見てみるで御座る」

 

 楽土丸に促され恐る恐る目を向けた幻楽の死体は港町が消えた時みたいに消えて行く。どうやら幻だったらしい。助かったという安堵感と未だ終わっていないという恐怖、そして疲労から僕はその場に倒れる。最期に目を向ければ同じく倒れそうになったカイを楽土丸が支えていた。少しだけ悔しい。僕は見返りが欲しかったから守ろうとして守れなかった訳じゃないけれど、あんな風に僕が支えてあげたかったから……。

 

 

「……あれ?」

 

 次に目を覚ませば僕はイカダの上で眠っていた。まさか幻楽に捕まった辺りは全て夢で未だに何処にも辿り着いていない? でも、そんな考えは直ぐに消え去る。たった一人でオールを漕ぎ、僕達の数倍の速度でイカダを進める楽土丸の姿があったんだ。

 

「目が覚めたか。悪いが城の中の者達を助けに向かう義理は無い。だが、一度助けた以上は町まで送ろう」

 

「本当に有り難う、楽土丸さん。どれだけお礼をすれば良いか分からないわ」

 

 この時、僕は悟ってしまう。カイの顔を見て、彼女が楽土丸に向ける想いに気が付いてしまった。……初恋は叶わないんだって思ってしまったよ。

 

「……いや、僕は諦めないぞ」

 

 でも、それがどうしたんだ。僕は夢も恋も諦めない。絶対に今より強くなってやるんだって心に決めたんだ。でも、今はもう少し眠ろう。しっかり休憩して、置いて来た皆を助ける為に動かなくちゃ駄目だから。

 

 再び僕は意識を手放す。この先に待つ希望を信じながら……。

 

 

 

「がははははは! 流石だな、賢者様! ほら、グイッと飲んで飲んで」

 

 騒がしい声とジョッキをぶつけ合う音で目を覚ませば強烈な酒臭さが漂って来た。僕、お酒臭いの嫌いだし、空気の流れを操ってゲルちゃんの方に送っておこうっと。今僕が居るのはツナグンカの集会所兼漁の道具を置く倉庫。ゲルちゃんが格好良く飛び出したけれど氷の道で滑った上にマッチョな漁師に遭遇しちゃった後、勇者と仲間達への歓迎とお礼の宴が開かれたんだ。

 

「この小さな村では準備も大変でしょうに。……せっかくのご厚意ですから参加しましょう」

 

 どっちみち遠くに漁に行っているエルフ達が戻って来た日は宴会が普通らしいし、美味しい地酒に惹かれたマスターの提案もあって参加したんだ。僕はさっさと食べたい物だけ食べてお休みしたけれどね。

 

「ううん……それは私のジャガバターなのに」

 

 ゲルちゃんは部屋の隅で寝ているけれど、こんな騒がしい所でよく寝ていられるね。それにしても五月蠅いや。僕は未だ続く宴会に目を向ける。お酒に凄く弱いけれどお酒が凄く好きなマスターは魔法で強くして飲んでいる。その近くではボスが女のエルフと飲み比べをしていた。うん、エルフって女もマッチョで暑苦しいね。それにしても朝日がもう直ぐ昇るってのに飲み続けるだなんて常識が無いね。後始末だって大変なのに少しは他人の迷惑を考えたら良いのにさ……。

 

(……仕方無いなぁ。マスターの為だし、僕が後で魔法を使ってチョチョイのパッと……今は眠ろう。凄く寝たいや)

 

 魔法で僕の周囲と、ついでにゲルちゃんの周囲に宴会の騒ぎ声が聞こえなくしてからもう一度眠る。やれやれ、最初から使っていたら良かったよ。僕って真面目で常識的だから他人の非常識な行動への対応が遅れるのが欠点だよね。ゲルちゃんのお子様体型と同じ……はっ!? 咄嗟に顔を動かせばスレスレをレッドキャリバーが通り過ぎる。ゲルちゃんは確かに寝ているのに、腕だけは投擲の構えを取っていた。

 

「おや、ゲルダさんは凄い寝相の持ち主ですね。さて、私は一旦彼女をベッドまで連れて行きます。取って置きの熟成酒……私が居ない間に飲まないで下さいね?」

 

「あたぼうよ! 伝説の賢者様相手に酒を惜しんだらエルフの英雄シルヴィアの名に恥じるってんだ」

 

「……ちっ」

 

 あっ、ボスが小さく舌打ちした。そっか、確か自分が女神としてでなくエルフの戦士としてマスターの旅に同行したって伝わっているのが嫌なんだっけ? どっちも頭の中まで筋肉だから違和感は無い……。

 

 この思考の途中で僕の意識は完全に沈む。それは睡魔に負けたんじゃなくって、ボスの方から飛ばされたナッツが当たって……。

 

 

 

 

「……うっぷ。の…飲み過ぎた。昨日は宴だからって樽を幾つも空にしたからなぁ……うぅ」

 

 次の日、話を聞きに行ったけれど、二日酔いでぶっ倒れているエルフの漁師達は最初役に立たなかった。昨日は折角の宴なんだから先ずは楽しもうって言われたから次の日の昼に来たんだけれど情けない。マスターは困りながらも魔法で回復させたんだけれど……。

 

「何か変な噂を知らないかって? うーん、確かマヨタラって港町の網元の息子が酒場の給仕の娘と結婚したとか……ああ、昨夜の幽霊船もあっちこっちで目撃されているとか……その程度だな」

 

「そうですか。……さて、次は何処に行くべきか」

 

 正直な話、魔族や魔王さえぶっ倒せば良いのならマスターが敵の所在を確認した後で秒で世界を救えるんだ。でも、封印の為には勇者が自分の力でどんな過程でどんな活躍をしたか、そんな面倒臭い事を考えなくちゃ駄目。これが普通に勇者の仲間に選ばれた人なら兎も角、マスターやボスみたいに『強くてニューゲーム』みたいな仲間に活躍され過ぎたら封印の高率だって落ちちゃう。……面倒なルールだけれど、イシュリアのアホが関わっているって僕は思うんだ。

 

 だってイシュリアってアホだもん!

 

「……後はダサラシフドって所に異様にモンスターが集まっているって位だな。って言っても元々産卵場所が多いらしいし、偶々大量発生しただけだろうが……」

 

「ダサラシフドですか。……うーん、あの辺りは確かに何度も大量発生が起きていますし、魔族の仕業ではない可能性も有りますが……今は行くしか無いですね」

 

 こんな風に功績を挙げる為に問題事を探さなくちゃ駄目だけれど、小さな村じゃそんなに噂が入って来ないんだ。どうも他の港に立ち寄らずに漁をしているらしいし、此処に来たのは時間の無駄だったのかなあ?

 

「行くのか。まあ、勇者と仲間なら大丈夫だろうけれど……今は少し厄介ですぜ?」

 

 他に行く所が無いからダサラシフドに決定したけれど、それを聞いた漁師さんは微妙そうな顔。マスターが理由を訊ねれば簡単に教えてくれた。

 

「……海賊ですか」

 

「ああ、あの町で海賊らしい連中を見かけたって聞いた事があってな。町中で略奪とかはしないらしいが、元々お世辞にも行儀の良い連中じゃねぇし、自警団と揉める事も多いそうだ」

 

「……海賊退治を頼まれれば面倒ですが仕方有りません。勇者は人の営みに基本不介入だと押し通しましょう。……面倒な」

 

 心の底から面倒そうなマスターの姿から実際に頼まれた事が有るって分かった。うーん、この村に来たのって本当に間違いだったかも。お礼にって貰った鯨ベーコンは美味しかったけれどね。朝食に出たから約束通りゲルちゃんの分は貰ったんだ。

 

 

「ねぇ、ボス。どうせなら僕の部下に先に行かせて海賊を全滅させておこうか?」

 

「……それは時と場合で。もしかすれば必要とされているかも知れませんから」

 

「海賊が町に必要?」

 

 略奪品を使って散財する程度ならマスターは気にしないだろうし、一体どんな意図があるのかこの時の僕には分からなかった……。

 

 まあ、僕の部下が情報集めに散らばっているし、ダサラシフドで何も無ければ呼び出せば良いや。

 

 

 




被害者一同「お前が言うなっ!」


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忠告と屈辱

 帆に風を受け、波を割って船は進む。生まれて初めて乗る船に少し緊張していた私だけれど、賢者様が魔法で酔い止めをしてくれていたから不安は少なかったわ。船が沈めば海の真ん中に取り残されるって不安は残っているのだけれど、今は景色を楽しんでいた。

 

「潮の香りに慣れたら潮風って気持ち良いわね、アンノウン」

 

「そっかー。ゲルちゃんって初めて船に乗る位な田舎者だもんね。何でも新鮮なんだ」

 

「別に今は田舎者は関係無いわよ。……確かにド田舎だけれど」

 

 この旅で私は多くの物を見て来た。未だ半年と少し程度だし、私は目にしたのは世界全体からしたらごく一部でしかない。でも、羊飼いとして過ごすだけなら一生知らなかった景色を見て、絶対に出会わなかった人と出会ったわ。それが全て綺麗な物じゃないけれど、私はそれだけで勇者に選ばれて良かったと思っているの。

 

「まあ、こんな出会いは少し勘弁して欲しい、のだけれど!」

 

 海から飛び出して来た巨大なエイをデュアルセイバーで海に叩き落とす。毒針を持つ尻尾を振るって来たけれど躱わすのは難なく可能よ。どうやら弱い部類のモンスターだったらしく再び襲って来ない。……但し、私が海に叩き落とした相手だけ。

 

 バシャバシャと水面をヒレや尻尾で叩く興奮した様子のエイ、それが目測で三十匹、弱いなら群れるのは当然ね。特に真ん中に居る一段と大きい個体が立てる音が大きいし、もしかしたら群れのボスかも知れないわ。

 

 『『エイエイオー』群れで行動するエイのモンスター。尻尾の毒は非常に強力な他、短時間なら陸上でも行動が可能であり、船の上に上がって人を襲う事も多い。成体の中には陸地と見紛う程のサイズも存在する』

 

 どうやら弱いのではなく、未成熟な個体だったらしい。だって精々が五メートル程、小島とも間違えないわ。ビタンビタンと群れのリーダーが尻尾で水面を叩く音が大きくなって、それに合わせて興奮を増すエイエイオー達。そして群れのリーダーが船に向かって飛んだ瞬間、他のエイエイオーも一斉に船目掛けて飛び掛かって来たわ。見上げれば牙を剥き出して空から降って来る巨体。それら全てが見えない壁にぶつかり、ズリズリと表面を擦る様に海に落ちて行った。

 

「危ない危ない。折角乗せて貰っている船を汚す訳には行きませんからね」

 

「別に掃除はこまめにするから構わないんだがな」

 

「あら、矢っ張り賢者様だったのね」

 

 声に振り向けば賢者様と船長さん。本当なら長い漁の疲れを取る休暇の筈だったのだけれど、『世界の危機に少し疲れたとか言ってられるかってんだ! 嬢ちゃんが英気を養える様に近くまで連れて行ってやるぜ!』、って感じの後に全員一致でダサラシフドの近くまで向かっているのが今。何か手伝いたかったけれど、休暇だと思って船旅を楽しむ様に言われちゃったわ。

 

そんな訳で私とアンノウンは甲板で海を見るのを続行。私は初めての船旅だから飽きないけれど、アンノウンは飽きたらしく退屈そうにしていたわ。

 

「ねぇ、ゲルちゃん。抱腹絶倒間違い無しで、思い出すだけで転げ回る一発ギャグを言ってよ」

「無理」

 

「え~。何時もの強敵との戦いで見せるガッツは何処に行ったのさ? 諦めたら駄目だって」

 

「無理な物は無ー理ー。だったらアンノウンが何かやってよ。私は海を見ているから」

 

「無理言わないでよ。これだからゲルちゃんには困るんだよね」

 

 ちょっと殴っても構わないわよね? そんな風に思ったけれど、口に出したら馬鹿にされそうだし、無言で殴ってもヒラヒラと避けられるのは目に見えている。多分私をからかって暇潰しをしているのだし、無視をして海の方を見ている事にしたわ。

 

 水平線に目を向けて耳を澄ませば聞こえて来るのは海鳥の鳴き声や波の音、そして牛の鳴き声。

 

「モー」

 

「牛っ!?」

 

 海の真ん中で聞こえて来た牛の鳴き声、見れば小島に座礁した船があって、その残骸の中に数匹の牛が居たわ。でも、苔みたいなのが生えた青っぽい皮だしモンスターかも。

 

『『海牛(かいぎゅう)』海に生息し、海草を食べる牛。大人しいが一日に食べる量が凄まじく、群れが住み着けば周辺の海草を食べ尽くし、それを住処や食料にしている生物の現象を招く』

 

 どうやらモンスターで間違い無かったらしい。私の声で気が付いたのか漁師さん達が集まって少し殺気立っていたわ。

 

「船長! 海牛ですぜ、どうします?」

 

「決まってるだろ。ぶっ殺せ!!」

 

 海に生きる種族であるエルフは基本的に気の良い人達だけれど、生業にしている漁の邪魔者には厳しい。まあ、私も羊飼いとして狼や羊泥棒が嫌いだし気持ちは分かるわ。手に銛を構えて構える漁師さん達に指示を飛ばしながら船先を小島に向ける船長さんだけれど、船の残骸の隙間に人の頭くらいの大きさのキノコが見えた途端に舌打ちをして進行方向を変えた。

 

「あれ? 海牛を退治しないのですか?」

 

「したいんだが、あのキノコがなぁ……」

 

「キノコが?」

 

 渋々といった様子で海牛の方を見ている漁師さんによるとキノコはジバクタケっていう危険な物らしい。一定以上育つと爆発して胞子を飛ばし、爆発の犠牲となった草木や生き物を養分にして育つらしいわ。育ちきるまでは安全で美味しいそうだけれど、触れた物に付着した胞子が育ったら危ないから取り扱いに制限が多くて禁輸扱いとなっている……のだけれど。

 

「珍味だからって物好きな金持ちが裏で仕入れていてな。金になるからって裏ルートで運ぶ馬鹿が居るんだよ。ありゃ途中で幾つか爆発したな」

 

 もう爆発する位に育っているから急いで離れようとする船長さん。だけどアンノウンの頭に乗っていたパンダが船の縁から飛び出したわ。自分の体より大きい肉切り包丁を構えて海牛の横を通り過ぎ、一瞬で解体する。空中に部位ごとに綺麗に分けられた肉や内臓が舞った。

 

「ハーツ、レバー! ホルモン、ハラミ! カールービ! 今日のお昼は焼き肉だー!」

 

 両手を頭上に掲げれば出現したのは船よりも巨大な火の玉。それが島へと落ち、巨大な火柱が船の残骸も海牛もジバクタケもパンダさえも飲み込む。火が消えれば無傷のパンダと美味しそうな焦げ目の付いた牛とキノコが目に入った。

 

 その光景を船長さんは呆然と眺めて呟いたわ。

 

「何つーか、無茶苦茶だな、おい(良い意味で)」

 

「何時も無茶苦茶なんです(悪い意味で)」

 

 途端に漂う焼けた肉の食欲を誘う香り。炎の勢いで宙に舞い上がった肉とキノコはそのまま地面に落ちて行くのだけれど、パンダが口に手を当てれば牛一頭が寝そべられる程に大きな皿が出て来て肉とキノコを受け止める。この時、私の腹の音が鳴った。

 

「わーお! 食欲旺盛だね、ゲルちゃん」

 

「仕方無いわよ、成長期だもの」

 

 それに頭の中にアンノウンの焼き肉を望む声が響いた時に肉が焼けて網の隙間から脂が滴り落ちる映像まで流れたのだもの、絶対確信犯じゃないの。体が育っている途中の私が耐えられる訳が無いわ。

 

「まあ、成長期だけれど極一部は全然育ってないけれどね!」

 

「五月蝿いわよ。そんなに貧乳が嫌いなのかしら? 貴方、大きな胸の子が好みなの?」

 

「いや、僕ってどう見ても獣だし、人間の胸が大きいとか小さいとか心底どうでも良い」

 

「だったら言うんじゃないわよっ!」

 

 怒鳴った所で周りの漁師さん達が口をポカンと開けて居るのが見えた。あれ? もしかして……と言うか絶対私以外には今の流れが聞こえていなかったわね。アンノウンを見れば顔を背けながら震えている。絶対笑うのを堪えているって分かった。

 

「……笑うなら笑いなさい」

 

「あっはっはっはっはっはっははっはっははっはっはっ!」

 

「……女神様に言いつけてやるんだから」

 

「ふぁっ!? ちょ、ちょ、ちょっと落ち着いてよ、ゲルちゃんっ!?」

 

 急に慌てだしたけど知らないわ。普段は女神様に頼ったら負けな気がするから私だけて相手をしているけれど、偶には反省すれば良いもの。……反省を知っているとは思えないけれど。

 

 この後、アンノウンは女神様に盛大に怒られて拳骨を食らっていたわ。賢者様は執り成していたのだけれど却下されていたし、本当にいい気味よ。

 

 

 

「あー、酷い目にあった。ゲルちゃん、胸だけじゃなくって器も小さい……」

 

「女神様に言うわよ?」

 

「ごめんなさい!」

 

 船が目的地の港に着くのは一時間後、それまでにお昼ご飯を済ませるべくアンノウンが焼いた肉とキノコを食べていたわ。賢者様女神様と地図を見ながら今後の計画を話すとかで、ゆっくり食べられる様にって私とアンノウンだけ。この子、絶対に反省していないって確信しながら私は溜め息を吐き出す。

 

「こっちはイアラさんの子供に何って言うべきか迷っているのに……」

 

 前の世界で私を襲って来た魔法使いのイアラさん、私のお母さんに似ていた彼女は子供を人質にされて、私を勇者だと知らずに迷いながら攻撃を仕掛けて、私を信じて希望を託した所で魔族に殺された。

 

 だから私は謝らなければならない。そんな落ち込む気持ちの時に悪戯に巻き込まれるのは沢山だった。でも、それを聞いたアンノウンは困った様な顔をしたわ。

 

「いや、止めておいた方が良いよ。少なくても襲って来た事は黙っておくべきだし、勇者が一々守れなかった事を謝ったら駄目だって。心を追い込まれるし、責める馬鹿が出るからね」

 

 

「でも、それでも私は彼女の想いを無かった事には出来ないわ。それに、遺された家族には全てを知る権利が有ると思うのよ」

 

「まあ、君がそれで良いなら構わないよ。その子、最低でもギロチン刑になるけどね」

 

 何を言われたのか一瞬分からなかった……なんて事は無かった。そう、それは私が目を背けていた事だったもの。勇者とは世界を救う存在で、人類全体の敵が魔族。その魔族に組して勇者を害そうとした場合、相手を勇者だと認識していてもいなくても厳罰が下される。どんな理由が有ろうとも、それは人類全てへの敵対行為だから。そして、それは家族にまで累が及ぶ。

 

「マスターやボスは君が人と関わるのを怖がるのを嫌がって敢えて触れないし、何かあれば即座に対処する気らしけれどさ、神だって全知全能じゃないんだし君は自覚するべきじゃないかな?」

 

「……分かっているわよ。あの二人が私の為に気付かない様にしてくれているって事も、勇者がどれだけ重要な存在なのかも」

 

「うん、それなら良いんだ。二人は先駆者として、保護者として君が出来るだけ子供らしく過ごせるのを望んでいる。でも、僕は友達として忠告しよう。……さっきから鼻毛が出ているってね!」

 

「全部台無しねっ!?」

 

 急にシリアスに突入したかと思ったら即座にギャグに持ち込むアンノウンに私は脱力する。色々と真剣に考えたりしたのに全部無駄だった。もう直ぐ到着なのにドッと疲れた気がするわ。

 

 

「あははは! まあ、ゲルちゃん。こーんな風に色々悩んでも全部無駄って事さ。何せマスターとボス、そして僕が一緒なんだし、君は君のやりたい風にすれば良いのさ。人の決めたルールだなんて神の力でひっくり返せるんだからさ」

 

「……まあ、励ましてくれてありがとうとだけ言っておくわ」

 

 少し腹立たしい。心の片隅に追いやって目を逸らしていた事に気付かれていただなんてね。アンノウンだから本気なのか冗談なのかは分からないのだけれど、今は私を気遣ってくれたと思う事にしたわ。

 

「港が見えたぞー!」

 

 目的地のダサラシフドは周辺で起きたモンスターの大量発生なのか密集なのかだかで船では行けない。賢者様の力なら行けるけれど、道行きも勇者の功績に含まれるのだもの、面倒よ。船が向かっているのはバサメシという港町。普段は立ち寄らない船長さんの姿に港で作業していたエルフさん達も驚いていたわ。

 

 

「ほー。こんなちっこいのに勇者なのか。頑張ってくれよ、嬢ちゃん。でも無理は禁物だぜ?」

 

「そうそう。未だ子供だし、無茶したら駄目だ。四の五の言う奴は賢者様達にぶっ飛ばして貰いな」

 

「シルさんだったっか? 大変だろうが嬢ちゃんを守ってくれよ? 子供を守るのは大人の務めだ。まあ、その子供に世界を任せる情けない男が何を言ってんだって話だがな」

 

 船長さんが事情を話せば私はエルフさん達に囲まれる。中には男の人に負けない筋肉のお姉さんも居て、皆揃って激励をしてくれたり頭を撫でたりして来たわ。少し汗と魚の臭いが凄まじかったけれど顔に出さなかった私は偉いと思う。

 

「ほらほら、さっさと仕事に戻んな、馬鹿共。こんな子供が使命の為に動いてるんだ。大人が仕事をほったらかして何やってんだい」

 

 最後にはバサメシの漁師頭のオバさん(男の人よりも逞しかった)が皆を追い払って解散となった。その際に貰った飴玉を舐めながら町を見学したけれど、港町だけあって魚市場が大きいし、釣りの道具だって豊富。釣りなんて一度もした事がない私は少しだけ興味を惹かれたわ。

 

「ねぇ、賢者様は釣りってした事が有るかしら?」

 

「釣りですか? 実は私ってミミズやゴカイが苦手でして、自分で餌を付けられないのですよ。お祖父さんは釣りに連れて行ってくれても餌は付けてくれませんでしたし。……ああ、でも釣られた事は有りますよ? 私の心を一本釣りされました」

 

「何を馬鹿な事を言っている。……根気良く私が針に掛かるのを待ち続け、見事に心を釣り上げたのはお前だぞ」

 

 並んで歩く二人は指を絡めて手を繋ぐ。何と言うか、何て言えば良いのかしらと悩む中、目の前に女の子が出て来て立ちふさがった。ティアさんは何を考えているのか分からない人だったけれど、目の前の子は人形めいた印象。赤毛で身長も体格も私と同じ位。少しだけ親近感が湧く中、彼女は指を賢者様と女神様に向けて言い放った。

 

 

「不快。凄く不愉快。……どうして隣に居るのがクレタ様じゃない? 素敵な花嫁姿で送り出したのに」

 

「魔族!?」

 

 クレタ、その名前に私は反応する。賢者様に一目惚れした結果、部下のアドバイスで花嫁姿で現れた彼女を苦戦しながらも倒したのだけれど、それなら目の前の子はその部下だという事になる。でも、不思議な事に魔族なら一人を除いて感じた独特の体臭を感じなかった。いえ、そもそも前に居るのは確かなのに何処か存在が希薄な気がしたわ。

 

 

「……そう、私は魔族」

 

 私達が騒いだ事で注目していた周囲の人が一斉に逃げ出し、周囲に見えるのは何時でも邪魔にならない場所に退避可能な場所に居るエルフが数人。腕を振りながら声援を贈ってくれたわ。

 

「教えて。どうしてクレタ様じゃないの?」

 

「彼女を選ばない理由は有っても、選ぶ理由は存在しない、それだけです」

 

「……そう。あの方も馬鹿な道を選んだわ。叶わない恋だって分かっていたのに、それでも全力で挑みたかったのね」

 

 声からは悲しそうに思えるし、僅かに変わった表情も悲しそうに見える。だけど何かが変。感情が有るのに感情が無くて、目の前に居るのに目の前に居ない。そんな矛盾した印象を抱かせる彼女は背中に背負った巨大なメイスを構えた。

 

「中級魔族プリュー・テウメソス、行く」

 

「ゲルダ・ネフィル、勇者よ!」

 

 即座に私もデュアルセイバーを構えるけれど、今までみたいに緊張感を感じていない。だって既に何度も上級魔族を倒して来たし、実際に武器を振り上げて向かって来るプリューはドタドタと動いていて簡単に動きが見切れた。

 

「えい。……わっとっと」

 

 大振りの一撃をその場から一歩も動かず、僅かに背中を後ろに逸らして回避。そのまま振り切ったプリューは勢いに体を持って行かれて体勢を崩す。そこに私の突きが命中、脇腹に叩き込まれた。……でも、まるで幻みたいに通り抜け、再び折り返して来たメイスを腕で受け止めて蹴り付けるけれども通り抜ける。確かに目の前に彼女が居て、メイスを振るったのに私の攻撃は通らないだなんて妙な話ね。

 

「……それが貴女の能力かしら?」

 

「そう。でも、詳しくは言わない。手の内を話すべきなのは連携が必要な味方だけ。敵に話すのは馬鹿」

 

 メイスを押しやって飛び退けば追撃はして来ずに立ち尽くすプリュー。彼女は私の問い掛けに感情を悟らせない声で返答して、そのまま背を向けて走り出した。

 

「待ちなさい!」

 

「敵に待てと言われて待つのは間抜け。私は間抜けじゃないから勝負は預ける。……次は私達が勝つ」

 

 咄嗟に石ころを地印で弾き飛ばしけれど通り抜けて意味が無い。今は圧倒的に情報が足りなかった。

 

「……油断し過ぎね」

 

 今、私は相手を侮っていて、自分が成長したと調子に乗っていた。それが今の無様な戦いに繋がっているわ。相手の情報を殆ど得られずに終わるだなんて屈辱でしかない。私は拳を強く握り締めた……。

 

 



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覚悟と宴

 ……私達の町がこんな事になったのは何時からだっただろう? 私が幼い頃、この町……ダサラシフドは貧しいけれども住む人の顔は明るかった。どうもモンスターの産卵に適している環境だからって魚を捕るには少し遠出しなければならないけれど、堂々と胸を張って暮らしていたんだ。……それが今では。

 

「……ちっ!」

 

 偶には外で潮風に当たりながら昼ご飯を食べようとしていたのに騒がしい馬鹿騒ぎの声で気分が台無しになった。目を向ければ昼間から路上に座り込んで酒盛りをする柄の悪い連中……海賊達だ。この町は今、海賊の拠点になっている。そうだ、思い出した。私の町がこんな事になったのは四年前、大嵐で大勢が帰らぬ人になった頃だった。

 

「海賊を受け入れるだって!? 町長、正気なのか!?」

 

「……分かっている。だが、仕方が無いんだ。町を守る人手もあの嵐の日に大勢失って、船や漁の道具を買う金も無い。皆、辛いだろうが耐えて欲しい」

 

 私は漁師の娘だけれど未だ見習いだったから詳しく聞かされていなかったけれど、前々から海賊による打診が有ったらしい。海で無法を働くならず者である海賊は私達漁師にとって最大の嫌悪を向ける存在。多くの港に被害者が居て、彼らを憎んでいる。でも、無法者でも安心して使える拠点は必要で、町での略奪や過度の揉め事を起こさない事を条件にした上で略奪した金品を町で使うという契約をしたらしい。向こうだって拠点を失いたくないからモンスターの討伐だって行う。

 

 ダサラシフドはその要求を飲んで持ち直した。海賊が見知らぬ誰か奪った汚い金で生き長らえる道を選んでしまったの。実際、町は豊かになったわ。ご機嫌取りなのか、貿易商紛いの事をしている奴等は各地の品を格安で町で売り、逆に町の品を他で売って来る。そうやって少しずつ自分達が必要な存在になる様に仕向けているのよ。

 

「……今に見てなさい。絶対に追い出してやるから」

 

「その意気だよ、クイラ。じゃあ、昼からも頑張って戦おうか」

 

 私の呟きに賛同の言葉を吐いた傷跡だらけで眼帯をした男が立ち上がる。名はスカー。彼も海賊と同じく余所から来た人間。別に余所者を嫌ってはいないけれど、如何にも堅気の人間じゃないって風貌に最初は警戒したけれど、今では立派な仲間。自警団の頼れる一員よ。

 

「僕みたいな怪しい男を受け入れてくれたんだ。この町を守りたい。……海賊が利益をもたらしてはいるけれど何時かは破綻するよ。だから、さっさと追い出すんだ」

 

「ええ!」

 

 突き出された拳に拳をぶつけ合わせる。最初は海賊を刺激するからって殆ど集まらなかった自警団のメンバーだけれど、酔っぱらいの世話や喧嘩の仲裁とかの仕事を通して少しずつ人数が増えて、日々の特訓で着実に強くなっている。今では海賊達にモンスターの相手の多くを任せずに済む位にまで。

 

 だから大丈夫。私達の町は私達が守る。胸を張って歩き、明るく笑える日々を絶対に取り戻してみせるわ!

 

 

 

「右翼、雲丹亀が柵を乗り越えて来ている! 総員、弓を構え……()ぇええええええええ!!」

 

 港に集うのは故郷を守らんと集まった仲間達。目の前の海を埋め尽くし、同族さえ踏みつけて雪崩の如く迫るのは

海に住まう モンスターの群れ。ダサラシフドを壊滅させる事のみを本能に刻まれたかの様に襲い来る脅威に対して私達は苦戦を強いられていた。船は既にこの港には無い。船乗りの誇りであり命である船を町から山一つ越えた場所に避難させなければ漁がままならない、そんな屈辱を与える相手に武器を振るう。

 

「油を持って来て!」

 

 仲間を飛び越して陸に上がった魚型のモンスターが呼吸が出来ずにピチピチと跳ね回る。無視するには巨大な上に毒を持つ刺が生えているので頭に武器を突き刺して海に叩き込めば密集して避けられないモンスター達の悲鳴が聞こえて来る。耳障りな甲高い鳴き声を止めろとばかりに煮えたぎった魚油を振りまいて火を放つ。幾重にも重なっているから海に潜って逃げる事も出来ずに焦げた臭いが漂って来たわ。

 

「今日は何時もより多いわね。……他から来たのかしら」

 

 港を埋め尽くす程の大群……実は嫌な事にそれ程珍しい光景じゃない。数日掛けて普通の魚や海藻を食い溜めして一斉に集い、腹が減った頃に帰って行く。元々モンスターが大量発生しやすい環境だから数年に一度は起きていたし、魔族が現れてモンスターが活発に動けば頻度は更に上がる。だけれども、今日は一段と多かったわ。それこそ普段の三倍は優に越えている。

 

(このままじゃ何処かが崩れて、そこから一気に劣勢になるわ。……此処は援軍を要請しないと。それこそ海賊の力でも……)

 

 正直言って町を捨てて他に移り住む人の気持ちが分からないでもないの。でも、私は、私達は故郷を愛しているから捨てられない。絶対に守り抜きたいの。

 

「……おい、空が曇って来たよ。まさかとは思うけれど天気鰻(てんきうなぎ)じゃないよね」

 

 巨大な盾を両手に持ったスカーは這い上がって来た牛程の巨大なヤドカリを叩き落とす。穴だらけの貝殻に死霊系モンスターを住まわせる事から不吉の象徴として船乗りに恐れられるモンスター、スピリットハウス。育てば城と同じ大きさにまで成長すると聞いたけれど、もう一匹恐れているモンスターが存在する。普段は深い深い海の底に住み着いて、百年に一度補食の為に姿を現す。

 

 名を天気鰻。天候を操り、嵐を呼び、幾つもの島を滅ぼした厄災。町に迫る災害であるモンスター達を飲み込み、未だ食い足りないと相貌を向ける巨体。海の底に尻尾の先を着けても未だ胴体の半分をさらけ出した絶望が動き出そうとしていた。

 

「……おいおい、僕を殺す気か?」

 

「まあ、この町を全て餌にする気でしょうね」

 

 思わず出た軽口。今も海面に口を付けた天気鰻に向かって海の水が流れ込み、モンスター達は抗う事さえ不可能。絶望を越えた絶望、先程までの光景が生ぬるく感じる存在を前にすればスカーじゃなくても軽口しか出ない。もう諦念すら感じない。目の前に居るのはそれ程までの存在。だから私は全てを受け入れて……。

 

 

 

「……受け入れてたまるものですか! 総員……いえ、最期まで抗う気骨の有る人だけ着いて来なさい! 人間の最後の輝きって奴を見せてやろうじゃない!」

 

 そう言って私は海に飛び込む。後ろは見ない。私が飛び込んだ後に聞こえたのは片手で数えられるだけの数、自警団の初期メンバーの人数と同じ。絶対的に戦力が不足している絶望的な戦い。でも、不思議と心は折れていない。望んだ明日を手に入れて、その後も日常を続ける為にも戦い続ける気だった。

 

「……勢いで飛び込んだけれど不味いかな?」

 

「そこ! 気が削がれるから黙っていなさい!」

 

 スカーは何時もの様に大きくて逞しい体に似合わない言葉を吐く。少し呆れてしまうけれど、それでも僅かに心に巣くう恐怖で体が竦むのを防いでくれる。自然と笑みを浮かべていた。

 

「皆! 今日は鰻食べ放題よ!」

 

 仲間から歓声が上がり、次々に好きな料理を口にする。こうしている間も天気鰻に飲み込まれ様としているのに。

 

「ゼリー寄せ……かな?」

 

「ありえねぇって! 焼くだろ、普通!」

 

「揚げるのが最高」

 

「私はう巻き卵が食いたい気分だ。……キリュウに頼むとしよう」

 

 最後、聞いた事が無い声が聞こえた。誰かと思って顔を向ければ赤黒い獣が海の上を駆け抜けながら天気鰻に迫る。その背に乗るのは燃える炎の様な真紅の髪と褐色の肌を持つ女戦士。彼女が氷で造られた斧を構えた時、獣は一足飛びに天気鰻に肉薄、そのまま左右に両断された巨体の真ん中を通り抜けた。

 

「さて、流石に私かキリュウの出番だと判断したが……私が倒してしまって構わない相手だったか?」

 

 冗談めかして訊ねる彼女は凛々しくて、まるで女神の様だった……。

 

 

 

 

 

「……いや、本当に大丈夫だったのか? 重要な儀式とか、あれは実は町で飼っているペットとかではないな?」

 

「あっ、はい。大丈夫です。寧ろ助かりました」

 

 でも、その神秘的な魅力は少ししか続かなかった。

 

 

 

 

 

 

 パチパチと脂が弾ける音がする。外に用意された大鍋や焼き網の上で調理される天気鰻を肴にお酒を飲む人達が騒ぐ中、私は少し困っていた。

 

(ううっ、お酒臭い)

 

 プリューとの戦いの後、ダサラシフドに辿り着くなり目にした町の危機。私は海の上で戦う方法を身に付けていないからと女神様がアンノウンと一緒に飛び出したけれど、宴の席で大勢に囲まれているのは私も同じだった。

 

「あんな伝説級のモンスターを一撃で両断するだなんて流石は勇者の仲間だな!」

 

「シルさんがあれだけ強いんだし、勇者ならもっと強いのか?」

 

「凄ぇ! 流石は神に選ばれし存在って事だな」

 

 彼等の中で私の強さがどんどん上がって行くけれど、女神様より強いとか全然そんな事は無い。寧ろ仲間の中で一番弱いのに困ってしまったわ。だって勇者が自分を弱いとか言ったら不安にさせてしまうもの。そんな風に自分の言葉に気を付けている時だったわ。

 

「……それで勇者様は暫く町を守ってくれるの?」

 

 それはスカーさんと名乗った自警団の男の人からだった。それを聞いた他の人達は期待に満ちた顔を向けるけれど、私じゃ何を言えば良いのか分からない。町を守るとしても何時まで守れば良いのかも分からないし、途中で町から離れても、最初から残らなくても落胆させてしまうわ。

 

「あはははは! これも勇者の試練だよ、ゲルちゃん。勇者に対する要求って限度が無いからね。旅に出なくちゃ駄目だって分かっていても、自分達を守ってくれる相手にはずっと側に居て欲しいし、叶わないと不満に思う。さーて、どうする?」

 

 頭の中に直接響いたアンノウンのその言葉は私の心に重くのし掛かる。前々から賢者様や女神様に何時か迫られると言われていた取捨選択の時が来た。

 

「人間ってのは基本的に勝手だし、自分達の窮地をどうにか出来る他人に無償の善意を当然の様に求めるんだよね。特に勇者なら尚更で、理想の体現者じゃないと勇者に非ずって感じだから感じ悪いよね」

 

「え、えっと、モンスターの大量発生にしても異常な数ですし、人を狙って押し寄せるにしても妙なので暫くは調査に残る予定です」

 

 アンノウンの言葉の通り、私だって勇者って存在に理想を求めていた。神様に選ばれた世界を救える存在だって。でも、手の届かない場所に居る人は助けられないし、声が届かなければ危機を知る事さえ出来ないわ。今回は予め賢者様が方針を決めてくれていたけれど、きっと何時か私は迫られるでしょうね。どっちを救ってどっちを見捨てるのか。見捨てた人からの罵倒を覚悟しながら。

 

 ふと思った。アンノウンは実は人間が嫌いなんじゃないかって。だから勇者に対してどんな対応をしてくるのか厳しい意見を告げて来る。

 

「え? いや、基本的に何々だから好きだ嫌いだってのはないよ、僕。個人単位で見るからね。マスターとボスは例外だけれど、他は友達か敵か、弄くったら面白いかどうか。後は一切興味が無い、そんな所かな。ほら、僕って人とは価値観違うしさ」

 

 どうやら空気を読めないアンノウンは心は読めるらしい。私の考えた事に頭の中へ返答をして来た。そうね、賢者様も女神様も普通の人とは何処か考えが違うって感じる時が有るのだもの。……私はどれなのかしら?

 

「勿論面白いオモ……友達だよ!」

 

 今、絶対にオモチャって言おうとしたのに気が付いたけれど、普段の扱いから薄々予測はしていたわ。今更よ、今更。空気読めなくて気紛れで悪戯好きな上に性悪で力は凄いだなんて本当に厄介な子ね。

 

「いや、僕は空気読んでるよ? 読んだ上で好き勝手に行動しているだけだから」

 

 余計に質が悪いと呆れて溜め息を吐いた時、物影から私達の様子を窺っていた人達に気が付いた。いかにも悪人面で怪しい男の人達。逞しい体付きは漁師さん達と同じ海に生きる人って感じだったわ。私と目が合うと慌てて去って行き、その姿を見る他の人は様々。

 

 気まずそうに目を逸らしたり誤魔化す様に私に料理を勧めて来たり……嫌悪の表情を消えて行った方向に向けたり。一体誰なのか訪ねられる空気じゃないのは確かだったわ。

 

 

「ほら、新しいのが焼けたわよ。スカーが焼いたの。彼、あんな見た目で料理が上手なんだから」

 

 自警団のリーダーをやっているクイラさんが皿に山盛りになった鰻の串焼きを差し出して来た。タレを塗って焼いた表面は香ばしい焦げ目が付いていて、少し嗅ぐだけで食欲を誘う。私の舌はもっと欲しい、全部食べろと訴える。でも、無理よ。

 

「えっと、もうお腹一杯で……」

 

「そう? 随分と小食ね」

 

 舌はもっと欲しているけれど、私の胃は限界を迎えている。串に刺した鰻の身は普通の鰻一匹より少し大きい位。漁師の町だけあって魚料理が豊富で色々と食べていたけれどこれ以上は入らない。私、普通の子供の数倍は食べているわよね? 勇者の私に普通の子供と同じ話し方をする事から思っていたけれど、本当に豪快な人達だわ。

 

「……さっきの言葉だけれど気にしないで。彼、ちょっと焦っているだけなの。私達の町は私達が守るから、最低限その位はしなくちゃ胸を張って生きられないわ」

 

「強いんですね」

 

 本当にそう思う。この人は……いえ、この人達は本当に強い。困難を前にしても挫けず前に進もうとしていて。そんな人達が生きている世界には守るべき価値が有ると思った……。

 

「あっ! 私、ちょっと失礼するわね。相手をしなくちゃいけないお客様が来るの」

 

 慌てた様子で去って行くクイラさん。随分と慌てた様子だけれど、余程大切な人なのね。

 

「……うん?」

 

 ……でも、この町ってモンスターが大量発生している港周辺の海域以外は山だけれど、どんなお客さんが来るのかしら?

 

 

 

 

 

 歓喜と酒気に包まれた歓迎の宴が終わる様子を見せない頃、町の奥に建つ町長の屋敷に大勢が集まっていた。豪奢な赤いソファーを挟む様にして向かい合って立つのは町の有力者達、そして海賊の幹部だ。互いの利益の為に手を組んでいるだけであり、本来ならば相互理解など不可能な筈の彼等は今この時は相手に何の感情も向けない。いや、正確に言うならばソファーに横たわる女性に意識の全てを捧げていた。

 

 ウェーブの掛かった金髪は絹の如く滑らかで、白い肌を隠すのは黒いリボンのみ。シルヴィアとイシュリアの母であり美と恋の女神であるフィレアが触れる事さえ躊躇う芸術的な美の化身ならば、彼女は淫奔と情欲を誘う甘美な毒の如き美。触れずには居られず、触れた者を犯す毒の様な美を放つ彼女は自らに向けられる不躾な視線を感じて微笑んだ。

 

 優雅であり背徳的であり淫靡な笑み。それを一目見ただけで男達は骨抜きになって平伏し、少しでも自らに興味が向けられる事を望む。彼女が口を開けば吐いた息を取り込もうと強く息を吸う中、甘える様な誘う様な声で言葉が紡がれた。

 

「ふふふ、私の愛しい愛しい殿方達。どうか頭をお上げになって。私に顔を見せて欲しいの。そしてもっと近くに。……私に触れて欲しいわ」

 

 彼等の理性が崩壊したのはその瞬間だった。既に孫が居る年頃の町長も血気盛んな若い海賊幹部も、実は男色の気があり密かに男娼を囲っている海賊船長さえも彼女に群がる。蟻が蝉の死骸に集まる様に彼女に集い、彼女を汚そうとする男達。そんな状況で彼女は笑っていた。

 

「もっと、もっと私を求めて。私だけを見て、私だけを愛して。貴方達の全てを私に捧げてちょうだいな」

 

「リリス様!」

 

「リリス様!」

 

「レリル様!」

 

「レリル・リリス様!」

 

 彼女と、レリル・リリスを貪りながら男達は口々に叫び、彼女を誉め称える。当然だが、相手が何者かも分かっている。彼女は魔族、人類の敵だ。組みすれば厳罰が課せられる等知っていて彼女を欲している、全てを手に入れたいと思っていた。

 

「ふふふ、ふふふふ、ふふふふふ。可ぁ愛い、可ぁ愛い私の大切な恋人達。ほら、もっと情熱的に私を求めて」

 

 だが、大勢の男達に犯されながら楽しそうに笑う彼女が魔王の側近の片割れである事は知らない。魔族であるとしか明かされていないが、男達は大切な秘密を共有していると誇らしく思っていた。

 

 

 

「……あら、来てくれたのね。ほら、近くにいらっしゃい」

 

「……はい」

 

 背徳の宴が進む中、一人の人物が部屋に現れる。レリルに夢中で男達の誰もが意識を向けない中、レリルに手招きされたその人物が戸惑いながらも近くによって跪けばレリルの手が頬を優しく撫でた。

 

 

「勇者が来たって聞いているわ。部下に騒ぎを起こさせるから騒ぎに乗じて殺して欲しいの」

 

 冷酷で残酷で、そして美しい笑みを浮かべながらレリルは願いを告げた。

 

 

 

 



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狼とパンダと女神の冒険 上

 とある少年の夢を見た。大好きだった祖父から聞かされた冒険談の英雄に憧れ、英雄を夢見て旅立った先で出会った奇妙な存在、そして迎えた命の危機から救ってくれた少女。ロリコンと後ろ指を差されながらも彼は夢を追い続けた。奇妙な存在から貰ったのは舞台の上では脇役ですらない存在の服、居ないものとして扱われる役割。

 

 でも、彼の人生において彼は主役であり、世界を巻き込む大きな動乱の中心に彼が居る事になる。それを理解して干渉したのがその奇妙な存在なのだ。

 

 とある女の夢を見た。とある国の名門貴族のご令嬢。優秀な弟と共に祖国を支え続けると幼い頃から思っていた。そんな彼女の趣味はポエム。後に黒歴史になる名前と内容で書かれたノートは行方不明。誰かが捨てたと思った彼女は忘れ去り、成長の末に革命軍のトップになった。無意味で無価値な戦争の継続を推し進める暗君を打倒し、国を守ると彼女は決めた。そんなある日の昼下がり、戦場に響くは奇妙な歌。彼女が捨てた黒歴史、それが歌になって轟いた。やがて革命を成し遂げた彼女だが、最愛の弟は王家に付いて行方や知れず。

 

 そして過ぎた幾星霜、弟がひょっこり見付かる。少しばかり変になり、彼を見付けた奇妙な存在が要求した報酬も奇妙奇天烈な物だった。尚、後に判明するのだが、彼を見付けて連れ戻した奇妙な存在こそ黒歴史ポエムを歌にして流した犯人であり、弟を姉萌えの魔法少女オタクした存在である。彼女からすれば正直言って消し飛ばしたい相手であるが、弟を見付けた対価としてその存在の配下になるのであった。

 

 

 

 

「・・・・・・いや、何をやっているのだ、貴様は」

 

 宙に浮かぶ椅子にもたれ掛かって目を閉じていた私は呆れ混じりの声と共に瞼を開く。魔法と神罰を司る女神ソリュロの名前は伊達ではない。並の神では最早僅かでも調べる事が不可能な程に力を増した存在の情報さえ容易に得られる。今も夢見の術で関係する者共の情報を得た所だ。

 

「……ふぁ」

 

 私がその言葉を向けた相手、我が弟子であるキリュウはアンノウンと名付け、私は黙示録の獣(アポカリプスビースト)と呼ぶ存在は地べたに寝転がって欠伸をし、その背を黒子がマッサージしている。

 

 そう、その黒子を含む者達が私が呆れた存在であり、こうして調査に出向いた理由だ。

 

「え? 普通に異世界に行ったり、未来の僕が送り込んだ子達に頼んで戦争を止めて貰っただけだよ? ちゃんとマスターが報告書を出したのに読んでないの、ロリ婆ぁ」

 

「誰がロリ婆ぁだ、誰が! そもそも、異世界の存在を気軽に召喚する方がおかしいと言っているんだ!」

 

「出来るんだから仕方無いじゃん」

 

 私の叫びにも何処吹く風、この馬鹿者は呑気な態度で受け流す。ミリアス様は爆笑していたが私は危険視して聞き取り調査に来たというのに肝心の主であるキリュウの馬鹿は出掛けていて不在。心配している私が馬鹿に思えて来たぞ。

 

「……それでキリュウの奴は何処に行ったのだったか?」

 

「一度言ったのに……はぁ。なんかね、昔の知り合いの子孫が面倒な事になってるとかで様子を見に行ってるよ。介入するのは良くないけれど、魔族の関わりがないか調べるんだってさ。ボスは港でモンスター退治。天気鰻の影響で何時もより数が減ったから町の住人を休ませたいんだってさ。ソリュロが来るって聞いたから安心してたよ」

 

 相変わらず甘い奴だと呆れつつも弟子の甘さが少し嬉しい。人から神に近い人へと変わった事で内面も変化したが、それでも根っ子の部分は変わらない。可愛い弟子だ、少し安心したよ。シルヴィアは変わったが……弟子の影響で起きた変化が私には好ましかった。

 

「まあ、問題されたら私が何とかしておくさ」

 

「孫に甘いお祖母ちゃんみたいだよね、ソリュロって」

 

「誰がお祖母ちゃんだ、誰が。私は未婚だぞ」

 

「永久の?」

 

 ……一度馬鹿弟子とは話し合う必要が有るらしい。使い魔の躾はちゃんとしろと此奴を創った時に言った筈だが、どうも師匠の言い付けをちゃんと聞いていなかった様だからな。って言うか本当にどんな躾をしているんだ、彼奴は!? 

 

「これは本格的に師匠の偉大さを教えてやらねばな」

 

「本当に偉大なら教えなくても伝わるんじゃない?」

 

 あの馬鹿には本当にしっかり言ってやらねば! っと言うか、呼び捨てとか私の事を馬鹿にしているだろう、このアホは。これでも神の中では最上位に入るのだぞ、私は。

 

「……まあ、良いさ。お前には何を言っても無駄だからな。それよりも頼まれた仕事に集中しよう。世界の命運を背負う少女の修行の手助けのな」

 

「背負わせている、でしょ? マスターの時もだけれど、勇者選別のシステムの改修はどうなっているのさ?」

 

「……耳の痛い話だ。安心しろ、今度は私が行う。人の子に苦難を押しつける以上は最低限の仕事はこなすさ。そうでなくては神の存在価値が無い」

 

 時々思うのだが黙示録の獣(アポカリプスビースト)はふざけた性格を演じているのかもな。まあ、良いさ。何だかんだ言っても大勢の神以上にゲルダを気にかけているのが此奴だ。悪戯が過ぎる事が多いが、身内と認定した相手を守ろうとする部分は私も認めている。

 

 此処で会話を続けても煽られるだけなので目の前の光景に集中する。ダサラシフドから少し歩いた場所に存在する巨大な湖。町の水源となる川にも通じており、面積は下手な大都市よりも広い。そんな場所でゲルダが水面を跳ねながら戦っていた。

 

 

 オス湖、ダサラシフドの水源の一つではあるが、深い森等たどり着くまでの道程がやや困難な事と他の湖と生息する淡水魚が同じな事から住民が足を運ばない場所だ。深い水底が見える程に透明なのだが背の高い水草が水面近く迄伸びているので水中の様子は分かり難い。その水草をかき分け、巨大な蟹のハサミが突き出した。黄土色に錆色の斑点を持つ巨大なそれは水面に降り立とうとする獲物を捕らえるべく閉じられるが空振りに終わる。水面に現れた青い魔法陣に弾かれ再び宙に舞い上がったからだ。

 

「地印、離脱にも引き剥がすにも便利な能力だな。まだまだ不慣れではあるが移動にも有用か。……だが、欠点も有る」

 

 獲物を取り逃がした事に苛立ったのかハサミの主が姿を現す。横幅が寝そべった子供程の大きさになる巨大な蟹であり、口から勢い良く半透明の泡を吹き出す。飛沫が浮いていた水草に触れるなり溶かす事から強力な酸性を持っているのだろう。直ぐに記憶と照合して名を思い出す。アシッドキャンサーだ。

 

 並の人間が触れれば忽ち肉が溶け出し、やがて骨まで達するであろう泡を前にしてゲルダに臆した様子は見られない。……その事に胸が痛んだ。たった十歳の子供が凶悪なモンスターに臆さず立ち向かえる様になってしまった、それが辛い。

 

(……は! 何を今更。そうやって自分を責める事で良心の呵責を緩める気か? 私はちゃんと悲しんでいます、とな。目を逸らすな、向き合え。あれが私達の罪の姿だ)

 

 横に振り払ったブルースレイヴが泡を弾き飛ばし、レッドキャリバーの切っ先が突き出される。本来なら届かない距離だが、今は赤いオーラの刃におおわれている。本来よりも伸びた間合い、その切っ先が更に伸びて鋼鉄に匹敵する硬度の甲羅を易々と貫いた。力尽きて沈んで行くアシッドキャンサー。ゲルダも重力に引かれて水面へと向かい、再び水面に出現させた地印の反発によって陸へと戻って来た。

 

「どうですか、ソリュロ様!」

 

「ああ、強くなったな。武については管轄外の私にもお前の技量が伝わって来たぞ」

 

「えへへへ。賢者様と女神様に教えて貰っていますから」

 

 私の誉め言葉に素直に喜ぶゲルダの姿は年相応だ。私も見た目は同じ位だが、気が付けば頭を撫でてやっていた。少し驚いた様子のゲルダだが嫌がりもせずに受け入れてくれている。矢張り子供は可愛いな。

 

「言っておくがキリュウもシルヴィアに鍛えられていたがお前程ではなかったぞ。魔法の才能は奴が上だが、お前の方が武の才能があるし、素直な良い子だ」

 

 これは紛れもない私の本心。私は人間が好きだが人には関わりを持たない様にしている。私は神罰を司る女神だ。人は神を恐れ敬うが、その恐れの大部分を占めるのが神罰を司る神の役目。故に人の子は他の神よりも私を恐れる。だが、ゲルダは私の名を知っても怖がらず接してくれるそれが堪らなく嬉しかった。

 

「あの馬鹿弟子が私に出会った時に何と言ったと思う? 『見た目は子供ですが実際はかなりのご高齢ですし、子供扱いと老人扱いのどちらが良いですか?』だぞ!? 一切の悪意無く、寧ろ気を使って言ったのだから尚更質が悪いわ!」

 

「でも賢者様はソリュロ様を尊敬していますよ」

 

「……まあ、な」

 

 それは私にも伝わっている。偶に私をロリ婆ぁだの言ってはいるが、尊敬しているのは間違い無い。他者から言われるのは少し気恥ずかしく感じた時、水中から何かが出て来ようとしていた。ブクブクと水面で弾ける泡、ゲルダは武器を構えるが私はそれを手で制する。

 

「まあ、待て。あの魔力の刃……魔包剣だったか? 地印等の能力と併用は出来ん上に無駄に注いでいるから燃費も悪い。此処は私が手本を見せてやろう」

 

 懐からペンを取り出して魔力を纏わせる。ゲルダの魔力の刃が揺らめく炎ならば私のは氷。密度も安定性も段違いだ。そして水草の間から顔を見せようとした存在に対してペンを振り上げる。

 

「覚悟!」

 

「まあ、待ちなって」

 

「へぶっ!?」

 

 だが、踏み込んだ瞬間に背後から足を払われた私は転び、受け身も取れずに顔面を地面に打ち付ける。幸いな事に水辺で湿っていたのか泥状になっていたから痛くは無いが……。

 

「何をするんだ、アンノウン!」

 

 私の足を払ったパンダを摘まんで持ち上げながら操っている馬鹿者を睨む。少々魔法で威圧感を強めるも堪えた様子が見られないのが腹立たしい。シルヴィアに叱って貰うのは負けた気がするから何か嫌だ。

 

「何って足払い。もー! 孫に良い所を見せたいお祖母ちゃんみたいな気持ちは別に良いけれどさ、実際高齢だし」

 

「神は不老不死だ。生きた年月など関係無い!」

 

「そんな事よりも……ほら」

 

 パンダが湖を指せば出て来た者と目があった。翡翠色の瞳に青白い髪が濡れて張り付いている体は人間の物だが、腰から下は桃色の魚。人魚の少女が少し驚いた様子で此方を見ていた。

 

「なんか変なのが居る!」

 

「言われてるよ、ソリュロ」

 

「貴様の事だ、馬鹿者! ……何か用か?」

 

 ゲルダの方を見ればワクワクした様子で人魚を見ているし、絵本でしか知らない存在に出会えたのを素直に喜んで居るのだろうな。私は一歩前に出て問い掛けると人魚は蟹のハサミを重そうに両手で持ち上げながら差し出して来た。

 

「えっとね、此奴を倒してくれたの貴女達でしょ? この湖ね、陸に上がる時に便利だったけれど海から湖に住み着いたアシッドキャンサーに困っていたんだ。それでね、族長が倒した人が居れば感謝の宴を開くから連れて来なさいって言ってたの。案内するから着いて来てくれる?」

 

「……成る程な。それで湖の底に住処に繋がる水中洞窟でも有るのか?」

 

「うん! 途中に海竜の縄張りが有るからモンスターが近寄らない場所に住んでいるの。でね、宴にはご馳走を出すから是非来て欲しいな」

 

 本来は海に住むモンスターだが、淡水にも適応出来るからか川を遡るケースが有ると聞いてはいたが本当だったか。人魚の少女は素直出少し頭が足りない印象を私に与えた。何も知らないのか、もしくは……。

 

「ゲルダ、お前はどうしたい?」

 

 顔を見れば行きたいのが丸分かりだが一応訊ね、同時に頭の中に直接話しかける。私の事は本名ではなく偽名、リュロと呼べ、とな。

 

「安直!」

 

「行ってみたいです、リュロさ……ん」

 

「じゃあ決まりだね! えっとね、じゃあ水の中でも息が出来る様に泡を出すから水に入って来て!」

 

「いや、構わん。お前の魔力では頭を包むのが精一杯だろう? 濡れるのは勘弁なんでな……ほら、行こうゲルダ」

 

 幸いな事に様を付けそうになった事を疑問に思われた様子は見られない。パンダを放り出してゲルダに手を差し出せば緊張した様子で私の手を取り、水の中に足を踏み入れれば私達を光の膜が包み込んで濡れない。

 

「あっ! その変な動物は連れて来ないでね。なんか怖いから皆がビックリしちゃうもん」

 

「だそうだ。悪いが留守番……は可哀想だからこれを通して様子を見ていろ。シルが港のモンスター退治の手伝いを終えてゲルダの特訓の手伝いに来たら伝言を頼んだぞ」

 

「……むぅ」

 

 足下に放り投げたパンダを引き寄せて頭に乗せる。これと目と耳を共有出来るが一緒に来たかったのか本体は少し不満そうだ。未だ中身が子供だから仕方が無いが、これから行く場所が行く場所だからな。彼奴は連れて行けん。そうして先導する人魚の娘の後を追って歩き出した私達だが、肝心な事を訊いていなかった。

 

「おい、お前の名前はなんだ? 私はリュロ、こっちはゲルダだ」

 

「私? 私はシャーリーだよ。あの変なのは?」

 

「誰が変なのだよ、誰が!」

 

「お前だ、お前。此奴は……アンノウンと呼んでやれ」

 

 私の頭の上で飛び跳ねながら憤慨するパンダの重量は着地の度に急激に変化する。鬱陶しいので捕まえてゲルダに手渡しながら名を教えてやった。

 

「変な名前ー!」

 

 ……うむ。連れて来て良かったかも知れんな。偶には馬鹿にされる者の気持ちを味わえば良い。私達が進むと水草は左右に分かれて道を作り、シャーリーは凄い凄いと喜んでいる。やがて湖の中央の少し前迄辿り着いた時、屈めば何とか通れそうな大きさの穴が現れた。

 

「此処だよ、此処! それにしても強いんだね、リュロって! ゲルダもアシッドキャンサーを倒しちゃうんだから驚いちゃった」

 

「そうか。私達が強いのがそんなに嬉しいか」

 

「リュロさん?」

 

 私の呟きが聞こえたのか不思議そうにするゲルダに笑って誤魔化し、暗い道で頭をぶつけては大変だと洞窟内に明かりを灯す。シャーリーが更に凄い凄いと大騒ぎして私達の周りを泳いでいた。

 

「矢っ張り綺麗だなあ。絵本で読んだ通りだわ」

 

「そうか、そんなに人魚に会いたかったのだな」

 

「ええ! だから凄く嬉しいわ。人魚さんと会えただけじゃなくって宴に招待して貰えるだなんて」

 

「招待と言うか、私達がある意味主役……いや、言うまい。それよりもシャーリー。宴の準備とて有るだろう? 私達は洞窟の出た先で待っているから先に知らせに行ったらどうだ?」

 

「そだね! リュロって頭も良いんだ。ますます嬉しいな。じゃあ、行ってくるから絶対に逃げないでね!」

 

 流石は人魚なだけあって人など到底及ばぬ速度で泳いで洞窟の内部を進むシャーリーの姿を見送った私は少し馬鹿馬鹿しく思えて来た。

 

「あれが演技だったら大した物だな……」

 

「そんな事よりも宴って何が出るのかな? ソリュロは何が出ると思う?」

 

「まあ、ご馳走を出す気だろうさ。滅多に手に入らぬな。……肩入れは良くないが、まあ別の用事が有るから仕方有るまい」

 

 我ながら損な性分だと思いつつもゲルダの方を見れば私の様子に少し不安そうだ。

 

「ああ、悪い。本当に悪いな。大丈夫だから安心してくれ……」

 

 我ながら気の利いた事も言えず、謝るだけの自分が嫌に思えた……。

 

 

「……ん? キリュウの奴が何やらメッセージを送って来たな」

 

 今は話せないが相談したい事がある時に文章を相手の頭に送る魔法が有るのだが、キリュウから至急相談したい事が有ると送られて来た。

 

「……乙女ゲームのでの悪役令嬢の断罪シーンのテンプレみたいなのが起きているけどどうすれば? いや、意味が分からん」

 

 恐らくは奴の記憶から再現したゲームの事だろうが、私はRPGしかやらんからな。創作物関連の神が無駄に拘っているから面白いんだ。戦略を無視して高レベルでボスを叩きのめすのが最高だ。

 

「そうは思わんか、ゲルダ?」

 

「いや、急に言われても意味が分からないわ。そんな事よりも先に行かないんですか? ほら、出迎えが居たら待たせるのも悪いですし」

 

 あれ? 最初の方は敬語じゃなかった気がするが……私は気のせいだとする事にした。でないと頭のネジが外れた連中と同類に思われた気がしたから……。

 

 



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狼とパンダと女神の冒険 下

最近遅れてる


 深い深い海の底、日の光すら飲み込まれ、その場所に適応した不気味な姿の生物が跋扈する世界に場違いな声が響く。それは無邪気さを感じさせる少女の声。複数の声が戯れる様に静寂の世界に響く様は幻想的であり、同時に不気味でもあった。

 

「聞いた? 久々のお客様だって」

 

「あら、珍しい。前に来たのは何年前だったかしら?」

 

「最近はお招きするのも難しいものね」

 

 一切の光を排除した筈の海底だが、そこだけは満月の晩を思わせる明るさに満ちていた。大小様々な横穴が開いた岩がひしめき合う場の中央、そこに存在するのはもう一つの月を思わせる巨大な球体。よく見れば岩に開いた穴は自然に出来た物にしては綺麗であり、どれも一定以上の広さを持つ。少女達の声はその場所から響いていたのだ。

 

 曰く、肉を喰らえば不老不死、涙は宝石となる。当然ながら根も葉も無い出任せ虚言噂話。だけれども言い伝えが生まれる程に彼女達は美しく幻想的だ。瞳の色や髪の色こそ同じだが一人一人が違った美しさを持っている。もし人間ならば絶世の美女や美のとして男達が殺到する程。滅多に人の目の前に現れた記録が残っていない故に神秘性は増し、戯言を信じずとも捕らえるべく躍起になる者は多いのだが、エルフが逞しく優れた肉体を持つ様に彼女達は優れた魔法の才を持つ。

 

 そう、彼女達。人魚は女のみで構成された種族だ。彼女達の人気はその事からも来ているのだが、神秘性にばかりに気を取られてこの事を疑問に思うのは変わり者の学者か無邪気な子供しか居ない。では、どうやって子孫を残しているかだが、決して他の種族の男を必要とする等の幻想ではない。数少ない記録では彼女達に誘われた船乗り達が帰って来ない事から夫婦となって子を作り、そのまま共に過ごしていると信じる者は多いのだが・・・・・・。

 

 

 もう一度記そう、彼女達は純粋だ。それは間違いでは無いが、純粋が善とは限らない。

 

 

「よ……漸く着いた」

 

「途中で枝分かれしていたりした時は困ったぞ」

 

「って言うかソリュロが転移でパパッと飛べば良かったんじゃないの?」

 

 大地の腹、海の底近くに開いた湖に繋がる道の出口からゲルダ達が顔を出す。シャーリーが言っていた案内役は未だ到着していないらしく、ゲルダは少し海の底の世界を興味深そうに眺めていた。元より海にはさほど縁が無かった育ちなので物珍しく思えたのだろう。ソリュロの魔法か彼女の視界はハッキリしていて快晴の昼間の地上と変わらない。身を包む光の膜から眺める海の様子に目を輝かせる少女の姿にソリュロは保護者として温かい目を向けていた。

 

「それで何時話すの?」

 

「別に話す必要も有るまい。物珍しい風景を目にし、宴を楽しむ、そんな気晴らしをさせてやろうじゃないか。……おや、来たらしい」

 

 ゲルダには聞こえない様に話すアンノウンとソリュロの見詰める先、光り輝く球体が小さく見える方向から二人の人魚が向かって来ていた。海底で光の膜に包まれて平然と立つゲルダ達の姿に少し驚いた二人だが顔を見合わせて何やら話すと嬉しそうにする。ソリュロとシャーリーの会話の通りに強い力の持ち主が来た事が喜ばしいらしい。

 

「アシッドキャンサーを倒して下さった方々ですね? 直ぐにご案内します」

 

「どうぞ私達にお掴まり下さい」

 

 差し出された手に対して光の膜貔の存在を理由にどうしようか困ったゲルダであったが、ソリュロがまずてをのばせば膜が手に張り付いて人魚の手を掴めた。ゲルダも同じく手を掴めば二人の体は先程までの地上同然に歩いていた状態から水中の浮力によって浮き、人魚達に引っ張られるまま宴の会場を目指して進んで行く。その道中の事である。流れ行く景色を堪能していたゲルダの視界にその存在が入ったのは。

 

 例えるなら骨張ったイルカだ。ガリガリに痩せて骨と皮だけになった事でシャープな体付きになった藍色で大型船の倍以上も有る巨体。頭から尾鰭までをゴツゴツした水晶の様な甲殻で覆われ、可愛さの欠片も無い。そんな巨大な存在が遠目に見えるだけで何匹も人魚の里の周囲を泳いでいた。

 

「ほぅ、彼処まで巨大な海竜は珍しい。さぞかし安心だろう?」

 

「ええ、モンスターも恐れて近寄りませんし、海竜の縄張りの中で私達も安全に暮らせています」

 

「ええっ!? あんなに巨大な竜が居るのに安心って本当っ!?」

 

 ゲルダの疑問はもっともだ。イルカは魚を食べる、つまり肉食だ。少なくてもイルカに似ていなかったとしても竜は肉食や雑食が多い。モンスター除けに使っている事から人魚よりも強いのだろう。その問いに人魚達は微妙そうな顔になりソリュロも話すべきか思案顔。どうも話すのに抵抗がある理由らしく、当然ながら気にしない者がこの場に居た。

 

「それはだね、ゲルちゃん。海竜にとって人魚が不っ味いからだよ! 昔、竜と話せる魔法を編み出した学者が居たんだけれど、人魚の肉が渋くて苦くて臭くて、とても食べられた物じゃないから見向きもしないんだって。テントウ虫が苦い汁を出して鳥に不味さを教える事で同族を守るのと同じだね! 余りに不味いから見ない事にしてるのさ!」

 

「……成る程」

 

 それは海竜に襲われない理由についてなのか、それとも言い辛そうにしていた事に納得が言ったからなのか。どちらにせよ人魚二人の頭の中にも響いた声で場の空気が微妙な物へとなる中、一行はそれから無言で泳ぎ続ける。

 

 

「宴の前菜は何かなぁ?」

 

 メインについては一切興味が無い、そんなアンノウンの呟きがソリュロの頭にだけ聞こえる様にされていた。

 

「取りあえず少し黙っていろ。じゃないとパンダを使って飯が食えなくしてやる」

 

「はーい! 何時も通り静かに良い子にしてるね」

 

「いや、お前が何時静かな良い子にしていた? 何日何時何分何秒前だ?」

 

「うわっ! 子供みたいな事言うね、ソリュロってさ」

 

「少なくても見た目は子供の不老不死だ。……余計な事は本当に言うなよ?」

 

「勿論さ! 僕が信用……する方が変だね」

 

「分かっているなら直せっ!」

 

「やだ」

 

 漫才のような会話をソリュロ達が繰り広げている間にも人魚達は泳ぎ続ける。やがて目的地に辿り着いた時、住居にしている横穴から大勢の人魚達が顔を覗かせゲルダ達を物珍しそうに眺めていた。

 

(……何か変な感じね)

 

 シャーリーが使おうとした魔法はソリュロ曰く窒息しない為に空気が詰まった泡で顔を覆う程度であり、光の膜に包まれている自分達が奇異に映って居るのかとも思った彼女だが、それでも何か別の意図を感じる。ソリュロが特に何も言わない事から危険だとは思っていないが言い表せない胸騒ぎを感じていた。

 

「この先に女王様が居ます。お客人に是非会いたいそうですよ」

 

 そう言って案内の人魚達と別れたゲルダ達が再び歩いて進めば直ぐに開けた場所に辿り着いた。護衛らしい武装した人魚達や侍女らしい人魚達が左右に分かれて控える中、ゲルダ達の正面に女王らしき人魚が珊瑚の玉座に座っている。その体は海竜に匹敵する大きさであり、頭には水晶の王冠を抱く高貴な人魚。一目で彼女が女王だと理解可能な見た目であり、ゲルダ達が止まるなり口を開いた。

 

「ようこそ地上の強者達よ。面倒なモンスターを排除してくれて感謝する。陸地に上がるには都合の良い場所だったのだが、向かわせる調達班は戦闘能力の低い者が多く、昨今の状況から打倒可能な者を向かわせるのも難しかったのだ。さて、謝礼代わりのの宴を開かせて貰うが……」

 

 女王は一度その場で軽く頷く。左右に分かれて待機していた人魚達は少しも慌てる事無く下に降り、周囲の水が引いて行く。ゲルダが驚いて周囲を見渡す間にも海底にも関わらず水が周囲から無くなり、新鮮な空気が存在するドーム状の空間が出来上がった。

 

「わわっ!? 凄いですね、女王様」

 

「ふふふ、地上の者はこうせぬと食事を楽しめぬだろう? さて、凄腕の魔法使いの少女よ。この通りに過ごしやすくしたのだし、その魔法を消し去っても構わんぞ」

 

「……了解した」

 

 何故か含みを持たせた様子ながらソリュロは自分達の周囲から光の膜を消し去る。女王はその様子に少し嬉しそうにしていた。

 

「信用感謝する。では、早速宴を始めるとしよう。者共、今宵は存分に飲んで食らい、歌って踊り明かせ!」

 

 女王の言葉と共に歓声が上がり、賑やかな宴が始まる。ゲルダ達の前に出されるのは様々な魚介類を使った人魚族の料理。繰り広げられるは喉自慢の歌合戦に陽気な者達による宴。水の無い場所でも尻尾を使って跳ね回り、水の有る場所では正しく水を得た魚。優雅に泳ぐ人魚達の舞いはゲルダを大いに楽しませた。

 

「……ふぁあ」

 

 次々に運ばれる料理を食べ、宴の出し物を散々楽しんでいても宴は未だ盛り上がる。それでも睡魔が彼女を襲い、ソリュロが視線を向ければ瞼を閉じて眠り出した。

 

「……存分に楽しんだらしいな。ああ、良かった。気晴らしになって嬉しいよ」

 

「お主は眠らぬのか? 寝床を用意するぞ」

 

 女王が言う寝床に連れて行く為かゲルダに近付いて抱き上げ様とする侍女。その手をソリュロが振り払い、アンノウンがゲルダの頭の上に飛び乗った。

 

「気遣い無用だ。残念だがゲルダを食わせる積もりは無い」

 

「……知っていたのか」

 

 女王が静かに呟き、護衛の者達のみならず侍女も、その他の人魚達の表情も豹変する。親しみを覚える笑顔から獲物を狙う捕食者に変わり、引いた水が一気に流れ込んで来た。

 

「久々の客人、それも類い希な強者だ。血肉を食らい、魂を取り込めばさぞ有能な人魚が誕生するだろう。……まったく。大人しく仕込んだ薬で眠っていれば恐怖を感じずに済んだものを」

 

 流れ込む海水に乗って人魚達がソリュロ達を取り囲む。パンダの目が怪しく輝くもソリュロが頭を掴んだ事で止まり、そのまま彼女は静かに言葉を発する。まるで教師が生徒に言い聞かせるかの様に。

 

「先に言っておこう。私はお前達を責める気は毛頭無い」

 

「随分と自信が有る様子だが、人が海の底で人魚相手に、その上これだけの数相手に勝てるとでも?」

 

「ああ、勝てるさ」

 

 眠るゲルダを抱き上げたソリュロの膝まで海水は水位を上げ、ゆっくりとだが未だに空間に流れ込み続けている。自信満々な態度が気に入らないのか女王が舌打ちをすれば人魚達の顔付きも剣呑な物へと変わる。彼女達の周囲の海水が噴き上がり、水の槍となってソリュロ達を取り囲んだ。

 

「さて、遊ぶのもこの辺にしておこう。……強者は強者として振る舞わねばな。力を隠して相手を油断させる等は三流だ」

 

 ソリュロが静かに呟き、体が一瞬だけ強く輝く。小癪な目眩ましかと女王達は手で目を庇い、落下した。先程まで自分達が浮いていた海水が消え去っていると気が付いたのは直ぐ後で、周囲だけではなく遙か上まで達している事に少し遅れて気が付く。海の中にポッカリ開いた大きな穴、人魚の住処から太陽と青空が見えたのは長い歴史で初めての事。その光景に目を奪われる者も居れば呆然と見上げる者も。状況を理解しきれていない中、女王の声が響く。

 

「何をやっているか、平伏せ! 我らが目の前におわす御方は女神なるぞ! 頭を垂れろ、絶滅したいのか!」

 

 女王の叫びに含まれるのは恐れ。次に瞬きをすれば目を開く事無く消え去る可能性さえ高い状況において彼女が選べたのは服従の意思を示す事だけだ。慌てて他の人魚達もひれ伏す中、ソリュロは人差し指を唇に当てて静かにせよと動作で示す。

 

「流石に気が付くか。左様、私こそが魔法と神罰を司りし女神ソリュロ。だが、案ずるな。言っただろう、私はお前達を責めはしないと。強き人の血肉を好むのも、人の魂を取り込む事で新しき同族を生み出すのも全てお前達がそういった存在であるというだけ。……私達神は別に人だけの味方ではない。人が獣や魚を食らうのと人魚が人を食らうのは神にとって同じだ」

 

「で、では、どうして正体を隠してこの地に? い、いえ、別段非難する気は御座いません!」

 

「だから怯えなくて良い。まあ、驚かせたのは悪かった。……私はただ、勇者という重荷を背負ったこの子が少しでも気晴らしが出来ればと宴に参加しただけだ。……だからまあ、暫くは人狩りは控えて欲しい。露見しない自信はあるだろうが、討伐など求められれば苦しむ事になるだろうからな」

 

 慈しむ表情でソリュロはゲルダの頭を撫で、女王達は再び深く平伏す。気が付けば海は元に戻り、再び静寂が訪れていた。

 

「ああ、それと一つ頼みが有るのだが……」

 

 

「……ううん? えっと、此処は?」

 

 次にゲルダが目を覚ました時、居たのは宴の席ではなく沈み込む程にフカフカなソファーの上。その周囲を覆う透明の球体が回転しながら進むが内部には一切の影響が無い。

 

「目を覚ましたか。少し疲れていたから寝てしまったらしくてな。宴も終わったし、今度は海底散策でも行こうと思ったから無断で連れて来てしまった。……迷惑だったか?」

 

「いえ! ソリュロ様と散策を楽しみたいです!」

 

「……そうか。では、楽しもう。見応えの有る場所を彼女に案内して貰う事になっているぞ」

 

「うん! 私が案内するね! 先ずは沈没船が沢山有る所だよ! 中でキラキラした物も見つかるし楽しいんだ!」

 

 少し不安そうに訊ねたソリュロだったがゲルダの返答に嬉しそうに微笑む姿は見た目相応の少女の様だ。上を見ればシャーリーが泳いでおり、その背中にはパンダが乗っていた。

 

「あら、仲良くなったの?」

 

「うん!」

 

「……僕としては変なの扱いした奴とは仲良くしたくないんだけどね」

 

 少し拗ねた様子のアンノウンではあるが、恐らくシャーリーには通じていないだろう。ゲルダはそれが面白く笑ってしまい、ソリュロもつられて笑う。シャーリーもよく分からないまま笑う中、アンノウンだけが不機嫌そうだった。

 

 

 

 一方その頃、知人に少しトラブルが有ると聞いたキリュウが向かったのはブルレルの王国の一つにして初代勇者だった彼が初めて滞在した国サビワ。この国で世界で旅をする為の知識を習い、戦う術を身に付けた。そんな思い出深い国で最も大きい学園、貴族や王族が通う由緒正しき校内の中庭にて一人の少女を庇う様に別の少女を睨む数人の男子生徒が居た。

 

「……殿下、何をおっしゃっているのか皆目検討が付きませんが?」

 

「とぼけるな! お前が我が愛しのチャオに嫉妬して苛めているのは既に分かっているんだ!」

 

「……はあ。何故私が彼女を……アガリ子爵の娘に嫉妬するのですか?」

 

 酷く興奮した様子で怒鳴り散らしているのは金髪を短く切りそろえた美形。名をリガという。彼がこの国の第一王子であり次期国王。そんな彼を、いや、彼と共に自分を睨んでいる男子達も、彼等に庇われながら怯えた様子を見せている少女さえも冷めた目で見詰めている少女こそリガの婚約者であるメスシ公爵家の令嬢、チスラである。

 

 青い髪を縦ロールにした典型的な貴族の子女の見た目であり、目の前の彼等とは別に何処までも冷静でそれがいっそう苛立ちを誘っている。

 

「決まっているでしょう! 私の愛しいチャオが貴女よりも美しいからですよ!」

 

「そうだ! 寧ろ彼女に嫉妬しない方が変だ!」

 

 次々に声を荒げるのは誰も彼も国の次代を背負う者達。将軍家の跡取りや高位の貴族。そんな彼等を一度に敵に回したチスラだが、戸惑いの表情で見守るギャラリーとは打って変わって少しも臆した様子も無く、寧ろ呆れ果てた様子でさえある。

 

「それで、彼女が私より美しいからどうかしたのですか? 美醜の判断は人それぞれ、別段異を唱えませんし、将来的に側室にしたいのならすれば良いでしょうに。私は殿下が誰を愛そうが一向に構わないのですよ?」

 

 あくまでも冷静に冷談に、徹頭徹尾一切感情を荒ぶらさずに彼女は告げるのであった。……その様子を遠くから見ていたキリュウは少し安心しながらも驚いた様子でもあった。

 

「……うーん。流石に三百年も経てば顔は似ても似付かずですが、中身の方はあの王女にそっくりですね。彼女は猫を被っていましたが。……いや、チスラも出会った頃は猫を被っていましたよね? 一体何が……」

 




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閑話 仮面の令嬢による悪役令嬢物っぽい何か

 人は皆、仮面を付け素顔を隠して生きている。こうすれば都合が良い、こうしなくては都合が悪い、そんな理由で本当の自分ではない何かに成りきる。偶に自由に生きている風に生きている人もいるけれど、大抵はそんな風な生き方が格好良いと思って。

 

 昔の私もそうだった。他人が些細な事で怒る意味も無意味な事で笑う理由も理解出来ない。ただ、それを口に出し態度で現すのは公爵令嬢としては失格だから年齢相応な無邪気で天真爛漫な子供を演じていた。

 

「やあ。君がチスラですね」

 

「はい! 宜しくお願いします」

 

「ははは、元気で良い子ですね。……でも、演技は大変でしょう?」

 

 自分を偽る生き方に疑問を持った事は無い。私は自分に立場に相応しい生き方をしているだけで、当たり前の事をするのに苦痛を感じる訳が無い。でも、ある日出会ったお方は私の仮面の下を見破り、世間話の中で随分と惚気話をして来る変人でした。名は伏していましたが奥様の事、そして引き取ったティアという義理の娘に対する親馬鹿丸出しな態度。

 

「……馬鹿馬鹿しい気分になって来ましたわ」

 

 そう、公爵家よりも王族よりも立場は上の方が恥も外聞も無しに素をさらけ出す態度に驚き、辿り着いたのは一つの結論。力さえあれば自分を偽る必要が無い。自分では理解不能な人間の真似をする必要なんて無いのだと。

 

 その後、素の自分をさらけ出した私に付けられたあだ名は仮面の公爵令嬢。鉄仮面を装着して一切の感情を隠しているかの様な姿からですが、私からすれば素の自分なのですが。ええ、勿論自分の理想や思い込みが混じっている可能性は捨て切れませんが、半分位は本当の自分でしょう。

 

「……お前の様な女が婚約者だとはな。最悪の気分だよ」

 

 そんな私が嫁ぐ事になったのは次期国王のリガ様。どうやら私との婚姻が気に入らないらしく、大勢が集まる舞踏会の場で拒絶をされました。父は表情を変えずに怒っていますし、敵対派閥の方々は嬉しそう。

 

「誠に申し訳有りません、殿下。これも全ては国の繁栄、民草の安寧の為。どうか王侯貴族の義務として私を娶り世継ぎを。別に側室を幾人作ろうと文句は申しませんので」

 

「お前は義務で私に嫁ぐのか!」

 

「はい。それが貴族の娘である私の義務ですから」

 

 私の言葉に随分と不愉快そうなリガ様ですが、風の噂によれば王族に生まれた身でも恋をしてみたいと口にしていたそうです。王宮のメイドに公爵家の密偵が居るので間違い無い筈でしょう。どうも市勢に出回っている恋物語を読んだ影響だそうですが、随分と純情で純粋な方なのですね。そんな方を慕う真っ直ぐな気性の者を味方に出来れば都合が良いのですが、同時に少々都合が悪い側面も。

 

 先程リガ様の拒絶の言葉に喜んでいた者達が居る様に、この国は一枚岩では有りません。今の陛下には幾つかの派閥の意向を汲んで娶った側室が居ますし、その中にはリガ様以外の王子を産んだ方も。王家の威光を蔑ろにし、国を意のままにしたい獅子身中の虫は何時の時代もどの派閥にも居ますが、問題なのは陛下のお母君が側室な上に市井から嫁いで来た方であった事。……何処ぞの派閥の娘の子と発表すれば良かったのに子を産んだ女を厚遇したかった先代が発表してしまい……迷惑な。

 

「どうかお忘れ無く、殿下。私も父も殿下の味方ですので」

 

 政務にしても推している王子にしても公爵家が率いる派閥は陛下の意を汲んでいる。中には内心で背いている者も居るのでしょうが、位の高さから王家の血も濃い公爵家との婚約は王権を強める事に役立つ。殿下もその辺を飲み込んで貰いたいものでした。

 

 

「……ふん」

 

 それから数年、周囲の声も有ってか殿下は公の場では表面だけでも取り繕っていただけました。踊りには誘い、他の貴族の前で仲の良い演技をする。互いに恋愛感情など無くても、貴族の婚姻などその様な物なのですから。ええ、別に恋愛感情を否定はしません、理解もしませんが。ですから婚姻は受け入れていただきますし、側室の子を跡取りにしたいのなら私の子と入れ替えましょう。国の為の道具となる、少なくても私はそれが貴族の在り方だと思っていますので。

 

 ……公爵家の血が残らない問題? 側室の子だけが男子だったので跡取りになるケースも有りますし、父親に全く似ておらず託卵の可能性のある者だって居るのです。事実はどうあれ、これはこうだと声高々に言う者に力が有れば問題無いでしょう? 

 

 やがて私も成長し、相変わらずの鉄仮面っぷりで学生生活を送っています。リガ様は相変わらず私が嫌いらしく、背の高さで抜かれたのも気に入らないらしいですね。武術の授業で一番をお譲りしているのですが、私が手を抜いているのを見抜ける位の実力を身に付けたのは幸いです。弱い王では困ります。最低限の自衛能力は必要ですからね。

 

 

「……アガリ子爵の息女が? いえ、子爵にお子が居たのですか?」

 

「ええ、どうも遠縁の子を引き取ったらしいのですが、その娘が殿下と随分と距離が近いらしく」

 

 そんなある日、二年生に進級して暫く経った時の事でした。私の家と同じ派閥に所属する者達、俗に言う取り巻き達から聞かされたのはチャオという一年生がリガ様や他の有力貴族の子息達に随分と人気なのだとか。取り巻き達はそれが気に入らない様子。これは一言言っておくべきと判断しました。

 

「放置しなさい。何かしらの理由で殿方に好かれやすい者は居ますし、私は気にしていません。下手すれば彼女を慕う方々と揉める事になりますよ?」

 

「ですが・・・・・・」

 

「民草ならば親の決めた相手よりも恋人を優先する、そんな事が許される事も有るのでしょうが、私達は貴族です。殿下以外の方々にも婚約者が居ます。面倒事は押し付けましょう」

 

 チャオがそれを狙っているのか、そうでなく男性の気を引きやすいだけなのかはまだ判別出来ませんが、下手に動かない方が良いでしょう。取り巻き達にも強く言い含めた私はその後何度も殿下や他の男子生徒と仲睦まじい様子のチャオを見掛けたのですが、特に不愉快とも感じません。

 

(成る程。貴族社会に染まりきっていない素朴な姿が新鮮に見えるのでしょうね)

 

 殿下が相手をする様な高位の貴族の令嬢とは何かが違う姿に納得し、情報だけを集めつつ将来的には殿下の側室として派閥に取り込む事も視野に入れます。私では心の安らぎは無理ですし、私を気持ち的に抱けないのなら薬を盛れば良いだけ。

 

 ・・・・・・だったのですが。

 

 

「彼女の様な者を虐げるお前には王妃の座は相応しく無い! 今ここで婚約破棄を申し渡す!」

 

 ええ、どうもチャオが誰かに突き飛ばされたり服を切り裂かれたりしたと耳にしましたが、私の取り巻きにはアリバイが有りますし、他の派閥の謀略でしょうか?

 

 だとすれば私は間抜けですが、陛下及び幾つもの家の合意で決まった婚約を殿下の権限で破談には出来ないですし、留学生という名の密偵の情報で我が国の信用が下がると判らないのでしょうか?

 

「何故私だと?」

 

「惚けても無駄だ! チャオに王妃の座を奪われるのを恐れての事だろう! お前が私達に言い寄るなと言ってきた事はチャオから聞いている!」

 

「ええ、皆様が彼女に恋慕して不仲になりつつ有ると聞きましたので、その辺を伝えて揉め事に巻き込まれたくなければ本命を決めるなりするべきだと言いましたが? 静観する予定でしたが皆様の態度が度が過ぎますので」

 

 チャオに話し掛けただけで他の生徒に決闘を申し込んだり、無駄で滑稽な競争をしたりと目に余ったので彼女の方から働き掛けて欲しかったのですが、危惧した通りなのか伝わらなかったのか今の状況を招いてしまいましたのは残念です。

 

「この冷血の鉄面皮め!」

 

「恥を知れ、恥を!」

 

「やはり私の目に狂いは無かった! 私が王座に就けばお前など無一文で追放だ!」

 

「いえ、流石にそれは王権でも無理でしょう。公爵家ですから国の機密にも触れますし、謀殺すれば禍根が残るのですよ?」

 

 どうもリガ様は想像以上の夢見る性分だったらしい。民が乗る馬車の手綱を握るのが王であり、居眠り運転は勘弁して貰いたいのですが。せめて人目の無い場所でやって欲しかったと思いつつチャオの方に視線を向ける。誤解が有るだけなら解けば良いだけですが、彼女は突如怯えた様子でリガ様の背に隠れる。

 

「貴様、人が優しくしていれば付け上がったな! 未来の王妃を脅すとは・・・・・・此処で成敗してくれる!」

 

 恋は人を盲目にさせるらしいですが、リガ様は護身用の剣を抜くまでに到りました?。他の方々も同様で、国の将来を背負う名家の子息がこれとは教育が間違っていたのか、それともチャオが私よりも上だったのか。分かっているのは私の家が率いる派閥は宜しくない状況だという事。もう関係は修復不可能でしょうしね。幸い私の取り巻きが教師を呼びに走りましたし、宥めるのは無理でしょうから到着まで耐え忍ぼうと杖を取り出します。それにしても立場上所持を許されていても暗黙の了解で武器を抜くだなんて幾ら何でも妙です。それが恋による物だとするのなら・・・・・・。

 

「本当に恋など馬鹿馬鹿しい・・・・・・」

 

「いえいえ、恋は素晴らしい。貴女も恋を知れば分かるでしょう。まあ、彼等のは恋とは別物、恋と呼ぶのは恋への侮辱ですがね」

 

 

 決して忘れるはずの無い声が聞こえ、私達以外の時が停まりました。風で舞う木の葉も、驚いた生徒が取り落としたコップの中の飲み物もその場で動きを止め、私とリガ様達とチャオ、そして賢者様だけが世界の時の停止に取り残されたのです。賢者様と知り合いなのは私だけでなくリガ様達も同じ。その登場に驚く中、チャオだけが誰か分からず取り残され困った様子です。

 

「賢者様、お久しぶりです。このタイミングでの登場という事は見ていました?」

 

「久々にブルレルに来たので顔を見せに来たのですが修羅場になっていてビックリですよ」

 

「お見苦しい物をお見せしまして申し訳ありません」

 

 最早リガ様の相手をしている場合では有りません。賢者様は女神シルヴィア様の直属の部下にして歴代の勇者を導いた存在。先ず第一にお相手をすべき相手なのですが、リガ様は頭に血が上った状態なので剣を手放しません。賢者様は温厚な方ですが、見過ごす訳には行きませんね。

 

「賢者様、邪魔はしないで下さい! 今はその者に罰を・・・・・・」

 

「邪魔なのは殿下です」

 

 流石に認識を超えた言動に気が付かない程度に苛立っていたのでしょう。私だって心を無くした訳でもなく、怒るべき事例ならば怒りもします。剣を握る腕に手首に杖を叩き込み、怯んだ瞬間に顎を蹴り上げる。スカートなので真正面のリガ様には中身が見えてしまいますが、たかが布切れ、わざわざ見せびらかす訳でも無いので気にはしません。リガ様は気を失い仰向けに倒れますが、頭を打ったら危険なので胸倉を掴んでゆっくりと降ろしました

 

「一応彼は王子でしょうし・・・・・・」

 

「成る程、そうですね。まあ、賢者様への不敬走り陛下に剣を向ける以上に国への害になりかねますので。証言して下さるのでしょう?」

 

「気が付いてましたか」

 

「さて、何の事だか・・・・・・」

 

 賢者様の問い掛けに私は久々に笑みを浮かべる。仮面としてではなく私の心から生じた笑みでした。それにしてもリガ様を気絶させたのを見た時の顔はまるで親戚の子供のお転婆を見た人の様。まあ、賢者様は少なくても二百歳なのですが。

 

「リガ様!」

 

 殿下ではなく名を呼びながらリガ様へと駆け寄るチャオ。他の皆様は頭以外も残念な様で固まったままですが、どうやら心は強いらしい彼女は涙目で私を睨み、そのままリガ様の剣を拾い上げた賢者様によって胸を串刺しにされ、抜くと同時に腹を蹴り上げられて地面を転がります。

 

「ひっ!?」

 

「うわっ!?」

 

「・・・・・・はぁ」

 

 聞こえた悲鳴に呆れを感じました。いえ、人死に対して眉一つ動かさないのは人として駄目ですが、貴族ならば兵を率いて戦う機会も有るでしょうに。

 

「盗賊退治程度の経験も無いのですか? 私にさえ有るというのに」

 

「いや、普通は公爵令嬢に有る方が変わっていますよ?」

 

「その程度は知っていますが、一応言ってみただけです。・・・・・・ああ、賢者様のする事ですから予想していましたが、矢張り人では無かったのですね」

 

 昨日の友が今日の敵になる事さえ当たり前の貴族社会、敵味方問わず情報を集めているのですが、子爵の家をどれだけ調べても遠縁だと子爵が言うだけで情報が手に入らなかったチャオの正体が今明らかになっています。

 

「そんな・・・・・・」

 

「私の愛しのチャオが・・・・・・」

 

 光の粒子となって消えて行くチャオの肉体。恋によって頭が湯だってしまい使い物にならなかった方々も流石に気が付いたのですね。チャオの正体が魔族だった事に。

 

「能力は記憶の操作か洗脳か・・・・・・まあ、十中八九魅了ですね」

 

 少し鬱陶しいと感じる程度に恋について語っていた賢者様ですし、先程も恋への侮辱だと言っていた彼は随分と不機嫌そう。短い付き合いですが初めて見る表情ですね。

 

「さて、それで今からどうしましょうか? 魔族に好き放題されたというのも面白くないですね。面白くする必要等有りませんけれど」

 

 一応国の危機ですし、教示やら美学や過程にこだわってる余裕は有りません。公爵家と王家が敵対等、敵対派閥の奸計の好機から他国の漁夫の利ですもの。

 

「しかし、どうすれば・・・・・・」

 

 チャオが死んで魅了が解けたのか、魔族だと知った途端に手の平返しで気持ちが冷めたのかは知りませんが気絶しているリガ様以外は自分達の置かれた立場に理解が追いついたらしいですね。問題はリガ様。目の前で見た場合と違い、聞かされた話で納得するでしょうか?

 

「いえ、そもそも賢者様がわざわざ時を止めたのは何故かという話ですね。じゃあ、采配はお任せしますわ。出来ればお嫌いな方法が都合が良いのですが。・・・・・・私、来週誕生日ですの」

 

「相変わらず話が早い。・・・・・・まあ、貴女の先祖には初代勇者が世話になりましたからね」

 

 絶世の美姫と讃えられ、暫く滞在していた初代勇者キリュウと交流を深めたという私の先祖。今回はその縁に救われて何よりです。

 

 賢者様は不承不承ながらお嫌いな魔法を使う。でも、実は私だって少し嫌なのですよ?

 

 

 

 

「ああ! 愛しいチスラ。君の為に歌を使って来たんだ」

 

「そうですか。本を読みながら聴きましょう」

 

 あの一件から数日後、実は魔族だったチャオ・・・・・・賢者様の解析で分かったのですがチャオ・リリムに騙された振りをしていた私達が油断を誘い賢者様が討伐してからリガ様は少し変わりました。具体的に言うと本当の愛を知ったらしく、チャオへの想いが私に移ったかの様です。

 

 彼女はこれに耐えていたのかと思うと少し同情さえ覚えますが、都合が良いからと望んだのは私ですので耐えましょう。私は貴族、国の発展の為の道具。王家との婚約は恙無く進めなくては。例え既に今の王家に脈々と受け継がれた王家の血が流れていなくとも、知られなければ権威に傷は付きません。

 

 しかし、本当に難儀な事だと我ながら思います。なにせ先祖と同じ相手に恋をしているのですから。・・・・・・叶わないのも同じとは。

 

「愛人とか募集する予定は有るのでしょうか?」

 

「ははっ! 私は君だけを愛する。愛人や側室など不要・・・・・・」

 

「いえ、政略結婚に必要ですし、予備の王子王女は必要なので色々と調整しながら他の女性も抱いて下さい」

 

 そう、全ては不要、無駄の類い。無駄物全てそぎ落とすのは人間性の欠如に繋がるので徹底はしません。ですが・・・・・・この胸の痛みはどうしようも無い。

 

 

 恋と美の女神フィレア様に祈りを捧げても無駄でしょうね・・・・・・。

 

 

 

 

 

 

「そうねぇ。娘の夫だし、ちょっと恩恵はあげられないわぁ」

 

 今、変な天啓が有った気が・・・・・・。

 

 

 

 ああ、他の方々も今までと違って婚約者と仲良くやっています。彼等は元々は仲が悪く無かったですし、問題は有りませんね。

 

 

 



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もう一人の側近

スカー イラスト  れもん水☆416様よりTwitterで頂きました


【挿絵表示】



「ああっ! リリム、リリム、リリムッ! 私の可愛いリリム!」

 

 ピンクの外壁に眩く光るネオンを思わせる灯り。見る者が見ればカップルが利用する宿と間違えそうな外観の城にて城主であるレリル・リリスが叫び声を上げていた。質の良いベッドに顔を埋めて声を上げる彼女は常日頃のリボンだけという全裸よりも恥ずかしい服装を乱れさせている。

 

 部屋の中に数多くの豪奢な調度品があるのだが、特に目を引くのは天蓋付きのベッドだろう。数人が寝ころんでも余裕の残る大きさであり、実際に数名の男性が裸で横たわっている。彼等はレリルがどれだけの声を出しても動かない。いや、動くはずが無かった。何せ全員とも死んでいるのだ。その顔には苦痛を感じた様子など一切見られず、反対に快楽と情欲で染まりきった満足そうな死に顔だ。

 

 部屋の中には事後と分かる独特の異臭が漂うが、それとは別に桃色の煙を出すお香が焚かれて甘い香りが広がっていた。

 

「ああ、あぁああああああ! リリム、リリムゥ!」

 

 止まる事無く叫び続けるのはキリュウに敗れた魔族の名前。己の部下が消え去った事を嘆き深い悲しみに包まれている……のでは無い。彼女の顔も男達の死に顔と同じく情欲に染まり、紅潮した頬に右手を当てながら息を荒げる。空いた左手は下腹部の方へと当てられていた。

 

「……お仕事の時間です」

 

 そんな行為の真っ最中にノックの音が響き、燕尾服の中性的な顔立ちをした人物が入って来る。前髪で左目を隠した白髪の若者で、胸の部分に僅かな膨らみが有るので女性らしい。差し詰め男装の麗人といった所だろうか。そんな彼女が入り口の横に置いているカートには山盛りの書類。レリルは手の動きを止めて拗ねた顔になった。

 

「……ねぇ、少し待ってちょうだい。リリムが賢者に殺されたの。心臓を剣で突き刺されて乱暴に引き抜かれて……興奮のあまりに濡れちゃったわ。恋人達を呼んで楽しんだのだけれど足りないの。誰か呼んでくれない?」

 

「却下です。事が終わるまで入るなと言われていたので最低限の仕事は代行しましたが、貴女様の確認が必要な書類が溜まっていますので」

 

「アイリーンの意地悪。私は性欲が溜まっているのに。……貴女でも良いわよ? 側近だもの、その程度付き合ってよ」

 

「はいはい、全部終わったらモンスターでも人でも魔族でも用意しますので終わらせて下さい」

 

 肉欲に溺れ同性の部下さえも誘惑するレリルであったがアイリーンは一切相手にする事無く机の上の酒や料理を掃除して仕事の環境を整える。レリルは更に不満そうに拗ねた様子を見せながら机に向かって座った。

 

「……終わるまで動いちゃ駄目よ?」

 

「はっ!」

 

 彼女が腰を下ろしたのは椅子では無く、その場で四つん這いになったアイリーン。レリルは一切躊躇無く椅子になった彼女のお尻を時折撫でながらも仕事を進めていった。それでも本人は真顔のままで反応を示さない。まるで今の状態が大切な仕事の真っ最中かの様だ。

 

「あら、穿いてないのね」

 

「ポリシーですから」

 

 それが少し面白くないのかレリルは悪戯を思い付いた時の笑みを浮かべ、指先をアイリーンの脇腹や頬に這わせる。それだけなのに一つ一つの動作に妖しい色気が有った。

 

「……ねぇ、終わったら新しい男達と楽しむのに混ざらない?」

 

「お断りします」

 

「ノリが悪いわねぇ。……まあ、良いわ。私を相手してくれる時間が増えるもの。でも、お風呂で体を洗うのとと添い寝はお願いね?」

 

「はっ!」

 

 どうやらアイリーンの中で基準が有るらしく、了承も断りも一切の躊躇が無い。同じ最上級魔族の側近でもビリワックとは違う様だ。少なくても真剣な表情から同性愛者では無いらしく、それはそれでどうかと思う者も多いだろうが、主の命令に心して取り掛かろうとしている。

 

 そんな彼女の背中を人差し指で撫でて僅かに反応が有ったのを楽しむレリルだったが、ふと思い出した様に首に下げていた細い糸の先に結わえられた巾着袋を胸の谷間から取り出してアイリーンの顔の前に持って行く。

 

 

「ああ、それと後で他の子の所にお使いに行って欲しいのよ。リリィから貰った物を渡してちょうだい。……この前みたいに摘まみ食いしちゃ駄目よ? 既に別の物は摘まんでるみたいだし」

 

「善処します。……げふぅ」

 

「ほら、女の子なんだから口元を汚したままにしないの」

 

 平然と答えるアイリーンの口元には何時の間にか何か赤い物が付着しており、軽くゲップをする彼女の顔をレリルは溜め息を吐いてポケットの中のハンカチを取り出し綺麗に拭う。周囲に転がった死体が何体か姿を消していた。

 

 

 

 

「……ふむふむ、興味深いですね」

 

「ねぇねぇ、マスター。早く行こうよー」

 

 人魚さん達に招待された宴の後も海底散策を楽しんだ私はダサラシフドに戻って来たのだけれど、翌日も町で宴をするからって招待されているの。形式を気にしないで構わない気軽な場だって聞いているから何時ものツナギ姿じゃなくって白のワンピース姿なのだけれど、未だ約束の時間じゃないのに待ち遠しいのかアンノウンは本を読む賢者様の膝に顎を乗せて急かしていたわ。

 

「おい、アンノウン。キリュウは大切な調べ物をしているのだ。邪魔をするな」

 

「……はーい」

 

「大丈夫ですよ、アンノウン。後三ページで日誌は終わっていますから。ほら、そのままで」

 

 女神様に叱られて渋々頭を退かそうとするアンノウンの頭に手を置いて、そのまま撫でながらも賢者様が読み続けるのは最近沈んだ船の中から発見した物。他にも興味を引く本が有ってソリュロ様が沈没船を全部纏めて引き上げた時に貰ったの。今は魔法で水に浸かる前の状態に戻したのを読んでいるのだけれど、どうも例の幽霊船について調査していた船らしいわ。

 

「最後の方は殴り書き、どうやら沈む船の中で書き続けたらしいです。……幽霊船に襲われ、反撃は全てすり抜けたにも関わらず、向こうの船首は調査団の船の腹に突き刺さったとか」

 

「……一緒だわ。私達が初めて遭遇した時もエルフさん達の縄が巻き付いたのに、乗り込んだ瞬間にすり抜けて姿を消したもの」

 

「一時的に実体化するのか、逆に自由に幽体になれるのかは分かりませんが、物理攻撃が可能なら反撃の余地は有りますよ、ゲルダさん」

 

「あっ、私がどうにかするのは決まりなのね、分かっていたけど。……まあ、どうにかしたいとは思うけれど、魔法も全部物理的な物だしすり抜けるのは面倒ね」

 

 岩をぶつけたり植物で拘束したり消化液で溶かしたり、私って魔法も物理的な損傷を与える物ばっかりで幽霊船とは少し相性が悪いみたい。どうにか攻略法を戦いながら模索したいけれど、何時何処に現れるか分からないから大変ね。出来れば聖なるオーラで攻撃したり、精霊を召喚するとかの派手な魔法だって使いたいわ。私だって女の子だし、勇者らしい派手な魔法に憧れるもの、

 

 思えば賢者様に魔法の特訓を付けて貰っているし、一から欲しい魔法を作り出すのは無理でも精霊を召喚するのは可能かも知れない。私は思い立つなり賢者様に契約の方法を訊ねる事にしたわ。

 

「精霊との契約ですか? あれは先天性の才能が必要でして、次の儀式の時にそっち方面の力の付与の調整をしましょうか」

 

「そんな便利な事が出来るの?」

 

「私の時にシチュエーションが限定され過ぎて使わずに終わった能力が付与されまして。……使わな過ぎて使えない事は覚えていても能力の内容は忘れてしまいまして」

 

「四代目で本当に良かったわ、私。……でも、儀式って出来るのかしら?」

 

 そもそもグリエーンで儀式を行って勇者としての力の強化を目指さなかったのには理由が有るわ。戦争が起きたせいで儀式どころじゃなかったけれど、復興が済んだ頃に行けば良いわよね。そうかぁ、精霊と契約する為の力が手に入るのかぁ。一応世界の順に受けなくちゃ駄目らしいからブルレルで先に受ける訳には行かないのが残念ね。

 

 まるで物語の主人公になったみたいな気分だけれど、よくよく考えれば私って勇者だから物語の主人公のポジションよね。でも、素直に嬉しいと思う。この旅も戦いも遊びではないけれど、幼心に憧れた精霊との契約が出来るのだもの。

 

「うふふ、楽しみだわ」

 

「まあ、前回の試練より大変な内容をクリアしなくちゃ駄目なんだけれどね」

 

「五月蠅いわよ、アンノウン」

 

 折角良い気分に浸っていたのにアンノウンに現実へと引き戻される。そう、前回の儀式で三代目勇者と戦った以上の内容が待っているのだから気を引き締めて挑みましょう。そうやって気合いを入れた時、私のお腹が鳴った。

 

「……お腹減ったわね」

 

 取り敢えず先の試練より今日の夕ご飯。宴では何が出るのかしら? 港町だから魚料理だろうけれど、今日はお肉の気分だわ。

 

 

 

「わーい! お肉だお肉だぁ! いっただきまーす!」

 

 宴の会場は町の中央の広場。海と漁を司る神様二人の石像を前に並べられたテーブルの上には料理がギッシリ置かれていたわ。少し離れた所から感じ取れた肉の香りに私の心は踊り、威圧感がある本体の代わりに来ていたパンダは漂うご馳走の香りに飛び出そうとして賢者様に捕まってしまった。

 

「こら、駄目ですよ。お腹が減ったのは仕方無いですが行儀が悪いと恥ずかしいですから」

 

「中身婆ぁなのにアマロリファッションの師匠と問題児な色ボケ女神な小姑よりも?」

 

「・・・・・・黙秘権を行使します」

 

 賢者様はその問い掛けを誤魔化そうとするけれど言っているのと同じよ。女神様だって腕を組んで唸って考えていたわ。

 

「・・・・・・姉様以上の恥が思い浮かばんな」

 

「あの〜、イシュリア様とは仲良しなのよね?」

 

「ああ、勿論だ。キリュウを誘惑するのは無駄だとしても腹立たしいが家族としては大好きだ」

 

「でも身内なのが恥ずかしいのよね?」

 

「そう言っているだろう? 変わった事を言うが疲れているのか?」

 

「・・・・・・いえ、大丈夫よ」

 

 真顔でその様な事を言う女神様の様子にこれ以上追求しても無駄だと思った私は話を切り上げる。久々だけれど、神様と人間って違う存在なのだと再認識したわ。女神様も私に何か言う気は無いらしく、疲れているのかと少し心配した様子すら見せる。そうこうしている間に私達は宴の会場に到着した。

 

 見渡す限りの肉肉肉、申し訳程度に野菜、肉肉肉。少し離れた場所ではスカーさんが豪快に豚の丸焼きを作っているけれど、そもそもの話からして何の宴なのかしら?

 

 

「……嫁渡り?」

 

「ええ、この辺の地域の伝統で網元の家で結婚が決まったら幾つかの町に顔を出して三日間滞在するんだけれど、その期間は町では肉食が禁止なの。理由は忘れられているけれど儀式だけは残っていて面倒よ。ほら、鳥の炭火焼きよ」

 

 クイラさんの説明に納得する。要するに肉の食い溜めって訳ね。私からすればラッキーだったわ。お魚が多くて少しお肉が食べたい気分だったもの。私が食べる側から次々に盛られて行く肉料理、賢者様がすかさず野菜も皿に盛って行く。野菜を残しちゃ駄目かしら、そんな悪魔の誘惑に耐えながら肉を堪能する私の目の前では豚の丸焼きがパンダに丸呑みにされていたわ。

 

「がははははは! ちっこいのに凄いな、彼奴!」

 

「あの変なのが操ってるんだっけか?」

 

 私の手の平に座れるサイズなのに自分より大きな豚の丸焼きを持ち上げ、徐々にだけれど飲み込んで行くパンダの姿に町の皆は大盛り上がり。豚を間食したら次は樽を持ち上げ酒を流し込む。でも、少し疑問だけれどパンダの口ってヌイグルミだから穴が開いてないのにどうやって入れているのかしら?

 

「まあ、魔法の力なのだろうけれど。アンノウン、お酒の匂いは嫌いなんじゃ無かったの?」

 

「人が飲んでいる時の酒臭さが嫌いなだけー」

 

「うん、まあ予想はしていたわ」

 

 少しばかり注意して貰おうと思って賢者様の方に目を向ければ他のグループと飲み比べで盛り上がっているし、女神様はその姿を楽しそうに眺めていて頼りにならない。酒の席でお酒が飲めないって色々な意味で損なのだと思ったその時だった。

 

「っ!?」

 

 首筋に感じたチリチリとした刺激、それに私は覚えがある。今まで魔族との戦いで何度も感じた物、殺気だった。弱々しいけれど確かに私に殺意を向けた視線の主を求めて振り向けば遠くで私を見ていた悪人面の男の人達が慌てて顔を逸らす。最初に町に来た時は見なかった顔だけれど、どうも怪しいわね。確か海賊らしい人達が居るって話だし……。

 

「放置しておけば? どうせ囮だよ、囮。暗殺者じゃないしお粗末だよね」

 

「……アンノウン」

 

「そんな事よりも石像の神について話をしてあげようか?」

 

 一切の気配も予兆も感じさせず、頭の中に声が響いた時にはパンダは私の肩に乗っていた。確かにアンノウンの言う通りかも知れないけれど、勇者だって知っていて殺そうとするなら何か怪しい。でも、男の人達も気になるけれど、アンノウンから見た神様達の話も気になった。賢者様は多分遠慮して話すし、女神様は感じ方が人の感覚と違うから当てにならない。

 

 海を司る二人の神は男神のイドー様と女神のセポー様。姉弟だとだけしか知らない神様だった。いえ、慈悲の心を持つ思量深い神様だとも聞いた事があるわね。

 

「実はセポーの方は僕を創った神の一人なんだ」

 

「成る程、大体把握したわ」

 

 少なくてもセポー様は頭のネジが外れている部類に入る神様だと理解する事が出来たわ。これ以上聞いても疲れそうだからイドー様のエピソードだけ聞きたいけれど、アンノウンが素直に応じてくれるとも思わない。寧ろセポー様のエピソードを念入りに話す事さえ大いに有り得るわ。覚悟を決めて二人についての話に身構える中、料理を手にして宴を抜け出すクイラさんに私は気が付かなかった。

 

 

 

 

 宴が進み、まだまだ盛り上がる頃、人目の無い路地裏にアイリーンの姿があった。会いに来た人物に持って来させた鳥の丸焼きにかぶり付きながらも相手を見る目は冷談で、かえって滑稽にさえ思える。相対する者にはその様な事を感じる余裕は見られなかったが。少し肌寒いのに冷や汗を流し、息苦しそうにしている。

 

「お前が裏切り者だとはバレた様子は有るかしら? 少しでも違和感が有るなら知らせなさい。レリル様の計画の妨げになるわ」

 

「多分大丈夫……だと思います」

 

「そう? なら別に良いけれど、失敗した時は裏切り者として処分するわ。どっちの陣営からも敵として扱われた末にモンスターの餌にしてあげる」

 

「分かってます……」

 

「なら絶対にしくじらない事ね。……レリル様からの贈り物を渡しておくわ。力が欲しいなら使いなさい」

 

 アイリーンが投げ渡した茶巾袋から出て来たのは丸薬の様な物。それから感じる不気味さに渡された人物はたじろぐが、遠くから聞こえて来た宴の笑い声にハッとした表情になる。

 

「あの、もし勇者を殺したら……」

 

「分かっているわ。この町はレリル様の管轄地にして管理は任せる。魔族が世界を支配して人間を管理する様になってもダサラシフドの住人は今まで通りに暮らしても構わないわ。モンスターだって退かせる。……詰まらない心変わりを許す寛大さに感謝しなさい」

 

「……はい」

 

 アイリーンの言葉にうなだれながらもその人物は安堵した様子を見せる。アイリーンの主であるレリルが少なくてもリリィと違って約束を反故にする相手ではないと認識しているからだ。

 

「じゃあ、私はケーキバイキングに行く予定だから帰るわ。この前の店みたいに三百個食べただけで帰れって要求されなければ良いけれど」

 

 それは要求されて当然だ、その言葉を必死で飲み込んでいる間にアイリーンは姿を消す。本当に帰った事を確認した後、深い溜め息を吐いて呟きながら見たのは町の様子だ。

 

「……絶対に守る。それがどれだけ罵倒される方法でも……必ず」

 

 その瞳には決意の炎が宿っていた。




その内今回の主従のイラスト注文するかもね


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珍獣大海戦 巨大大熊猫 対 幽霊船 序

前回感想来なかった  あと、前回登場の主従の絵を依頼しました


 穏やかな海を船は行く。乗船するのは屈強な船乗り達だ。主にエルフが多く、男女問わず種族の特長である逞しい肉体を活かして動き回っていた。襲撃するモンスターも熟練の海の戦士が追い返し、平穏無事な船旅の中、船室で二人並んで座る一組の男女。

 

「リノア」

 

「はい、コンラッド様」

 

「呼びたかっただけだ。それにしても何事も無く進んで何よりだよ。でも、何かあれば私がお前を守ろう。……まあ、荒くれ者から守って貰った私が言うのも変だろうが」

 

 網元の息子のコンラッドと婚約者のリノア、荒くれ者に襲われたコンラッドをリノアが助けるという普通とは逆の出会いを果たした二人が船に乗っている目的はブルレル特有の儀式である嫁渡りの為。本来ならば小規模な船で夫婦揃って働くのだが、生まれ付き体が頑丈でないコンラッドには過酷な船での作業は無理な為に善意で名乗り出た者達が働いてくれている。

 

 妻となる相手に逆に守られそうだったり、大勢の世話になっている事が自分の事ながら情けないのかコンラッドが苦笑する中、その手が不意にリノアの柔らかい手で包み込まれた。

 

「大丈夫、強さだけが大切な相手を守る武器じゃないわ。それに私は強い貴方じゃなくて優しい貴方に惚れたの。だから、自分を貶めないで」

 

 何事も無く船旅は続く。まるで二人の門出を海が祝っているかの様に順風満帆。見張りが周囲を見ても怪しい影は一つも無い。それでも二人の為にと気を緩めない船乗り達は本当に性根が真っ直ぐな善人揃いだ。

 

 

「……くっくっく」

 

 そう、見張りは何も発見していない。人の視力で見渡せる距離には怪しい存在が皆無なのだから間違いでは無いだろう。何もない海の上でさえ人の視力では到底見渡す事の出来ない遙か遠く、そんな距離から嫁渡りの船を監視する目があった。

 

 手には琵琶を持ち、ギラギラと血走った目を向け、老人の様なか細い嗄れ声で笑う何者か。朽ち果てた幽霊船の甲板で胡座をかくのはミイラの如き細身を包帯でグルグル巻きにした死に装束の男。歯の抜けた口と血走った目、痩せこけた体が包帯の隙間から覗き、今にも倒れそうだ。そして一陣の風が吹き、べべん! と彼が琵琶を鳴らすなり幽霊船は姿を消した。

 

 

 

「……ごちそうさまでした」

 

「あら、もう良いの? 子供が遠慮なんてしなくて良いのよ? ほら、海牛のガーリックバターソテーが美味しそうに焼けているわ」

 

 嫁渡りの前日の晩、最初の肉だらけの宴から早三日、流石に飽きてきた私は盛られた肉を何とか食べきるけれど、食べ終えた側からクイラさんがお肉を盛る。初日は別に良くて、二日目も連続してお肉が沢山食べられるのは幸せだった。でも、三日目にはもう限界。脂たっぷりニンニク香る様々な肉料理は三日続けて殆ど違うメニューが宴の席に並んだわ。スカーさんの料理の腕に驚きつつも三日揃って出ていた鳥の唐揚げ等の基本メニューは本当に素晴らしかったのを思い出す。

 

 いや、それにしてもダサラシフドの人達はお酒もお肉も沢山飲み食いしてどうして平気なのかしら? 私、胃がそろそろ限界なのだけれど……。

 

「ふっふっふ、情け無いよ、ゲルちゃん。僕なんて牛三頭食べても平気なのにさ。言って置くけれど、パンダが食べた物は本体の胃袋に運ばれるんだよ?」

 

「いや、日毎に交代しているじゃない、アンノウンってば。全然自慢にならないわ」

 

 私の頭の上で一枚一枚が一人前はありそうな大きさの豚の炙り焼きを口に流し込んでいたパンダを操るアンノウンが自慢げに言ってくるけれど七頭に分裂している子に自慢されても悔しくないわ。その辺の事を指摘すればパンダは私の頭から飛び降りて随分と驚いた様子をオーバーアクションで示した。

 

「ゲ、ゲルちゃんがそれを忘れていない……だと!?」

 

「忘れいでか!」

 

 どうやら今日は本当にとことんやり合う必要が有るみたいね。途中で気が付いたけれど、アンノウンは私の頭の中にだけ声を響かせているから周りからすれば私が一方的に怒鳴っている風に見えるわね、パンダのヌイグルミに対して。

 

「実はアンノウンは相手の頭の中に話し掛ける事が出来ましてね。本当に賢い上に心優しい子で、私の自慢の使い魔なのですよ」

 

「賢者様、説明はナイスだけれど、心優しいって言葉の意味を誤認しているわ! こらー! 待ちなさい、アンノウーン!」

 

「待てと言われて待つのはお馬鹿さんだけー!」

 

 ちょこまかと逃げ出すアンノウンを追って私は宴の席を抜け出す。誘われたから断れずに参加を続けているけれど、抜け出すタイミングが掴めないから今日は助かったと思うわ。ええ、アンノウンには絶対に感謝なんてしないけれど。

 

「……肉ばかりじゃなくって何か甘い物が食べたいわね。トーストの上にバニラアイスとハチミツをたっぷりトッピングした奴とか、チーズケーキとか」

 

「僕お饅頭ー! ……あれれ? ゲルちゃん、あれって……」

 

 宴を抜け出し町の中を駆け巡った私が辿り着いたのはモンスターが集結する港の反対側、森を抜けた先にある小さな池。聞いた話では池の水は地下で海と繋がっているから殆ど海水らしい。中途半端に混ざっているから魚は住んでいないらしいけれど、そんな池の畔にクイラさんの姿があった。

 

 人目を避ける様子に思わず物陰に隠れて様子を伺えば手に持った料理を地面に置いて手を叩く。三度くらい音が鳴った後、池の底から何かが飛び出して来たわ。

 

「あれって……海竜?」

 

 一度見たのは人魚さんの宴に呼ばれた時。あの時は遠目に見ただけで、随分と小さいけれど姿を現したのは確かに海竜だったわ。背中の水晶が所々砕けて地肌が見えているわね。子供かしら?

 

「久し振りね、ビサワ。他の海竜に苛められてない? ほら、今日は鳥の炭火焼きよ」

 

「キュー!」

 

「わっ! くすぐったいから舐めないでよ」

 

 普通のイルカ位の大きさの海竜、クイラさんがビサワと呼んでいる海竜は差し出された鳥を食べると頭を水から突き出してクイラさんをペロペロ舐めていた。

 

「……お客さんってあの子だったのね」

 

 私が暮らしていたオレジナでも何度か見た事が有るけれど、動物の中には親に見捨てられる子供も存在するわ。一度巣から落ちた雛鳥とか生まれ付き体にハンデがある子供とか、厳しい自然で生きていけないと思われたら見捨てられるの。家畜だったら飼い主が世話をする事も有るけれど、クイラさんも海竜の子供を育てているのね。

 

「じゃあ、今日の訓練よ。ほら、捕まえなさい!」

 

「キュ!」

 

 だけれど、人が育てた動物が自然で生きていくのは難しい。だから拾って育てるなら最後まで面倒を見るか、今のクイラさんみたいに厳しい自然の中で生きられる為の訓練を行わなくちゃ駄目だって教わったわ。魚籠から生きた魚を池に放ってビサワがそれを追い掛けて食べる。それを見て誉める彼女の顔は本当に嬉しそうで、私は気付かれる前に去る事を選んだわ。

 

(今の町の状況じゃ懐いていてもモンスターと同じ扱いをされるだろうし、彼女も勇者の私に見られるのは不安よね。だから知らないのが一番……)

 

「ゲルちゃん、やっほー!」

 

 なのだけれど、なのだけれど! 世の中にはそんな空気を読めなかったり、空気を察した上で掻き乱す問題児が存在するわ。私と同じく物陰に隠れて様子を伺っていたパンダは何時の間にかビサワの背中に乗って私に向かって手を振る。クイラさんが私に気が付いてしまうのは当然だった。

 

「君はっ!」

 

「あっ、えっと、大丈夫です。竜とモンスターは別物だって分かっていますし、その子に手を出したりは……」

 

「ゲルちゃん、知ってるー? 海竜のお肉って大人と子供じゃ全然味が違っていて両方とも美味しいんだよ。子供の方はお菓子みたいに甘くって、ゲルちゃんが今さっき食べたがっていたトーストのアイスとハチミツを乗せた奴みたいな味だよー!」

 

「こ、この子は食べさせないわ!」

 

「食べませんから落ち着いてっ!?」

 

 今回は私だけじゃなくクイラさんにも聞こえる様にした言葉のせいで彼女は腕を左右に広げて立ちふさがる。ビサワは何が起きているのか分からないって様子で、背中に乗ったパンダも気にしてなかったわ。

 

「取り敢えずアンノウンは後で女神様に怒って貰うとして、本当に大丈夫だから安心して下さい、クイラさん」

 

「あっ、ボスのお説教だけれど明日以降にする様に言い付けるのを待って欲しいな。そうしたら明日以降担当の僕におっ被せられるしさ」

 

「うん、分かった。クイラさんと少し話をしたら直ぐに女神様に叱って貰うから」

 

「ゲルちゃんの鬼、悪魔! 貧乳、将来性皆無の丸太体型、エターナルツルペター!」

 

「どうせ叱られるからって言いたい放題ねっ!?」

 

 もう絶対に許さない。女神様にキツく叱って貰おうと心に決める私だった。もう、未来の成長の事まで分かる訳が無いじゃない。……無いわよね?

 

 六色世界とは別の世界に行ったり、そこでキグルミを着て働く人材をスカウトして来る非常識な存在であるアンノウンだけれど、流石に未来は分からないと思う。未来の自分が送り込んだというのは無視する事にした。都合の悪い事は見ないのが人間だもの。

 

「それでクイラさん、少し事情を話してくれますか?」

 

「ええ、それは良いわ。勿論よ。でも……先にあの子をどうにかしてくれないかしら?」

 

 クイラさんが心配そうに見る先ではビサワの背中の上でボールに乗りながら手にした傘の上のボールを回すパンダの姿。先にどうにかする事に異論が有る筈が無かったわ。

 

 

 

 

「……この子に出会ったのは一年前。ほら、この子って水晶が砕けているでしょう? ……父親以外の雄にやられたのよ」

 

「えっ!? そんな、どうして!?」

 

 女神様に言い付け無い事を条件にして何とかパンダを回収した私はクイラさんと共に水辺に座り込んで話し始める。ビサワはクイラさんに寄り添って鼻先を擦り寄せて甘え、私が手を出せば一瞬驚くけれどクイラさんが先に撫でれば触らせてくれたわ。見ただけじゃ分からないけれど、小さな体には細かい傷が幾つも有った。

 

「……繁殖期になると他の動物でも見られるのだけれど、子育てをしている母親と交尾をするのに邪魔な子供を襲うの」

 

「あっ……」

 

 確かに言われてみれば聞いた事が有った。動物学者さんは少ないけれど居ない訳じゃ無いから研究の成果が本になって発表される事があるし、私も読んだ事が一度だけ。

 

「私が此処で発見した時、ボロボロになった母親に寄り添っていた子供がビサワなの」

 

「子供を必死で守ったんですね、きっと」

 

「うん。その姿を見たら私を守ろうとしていた両親の姿を思い出しちゃって。……海竜は頭が良くて人間の言葉も理解するからどうにか育てられているわ。後一ヶ月で親元を離れて一匹で生きていく頃なの。だから……」

 

「はい! 私は町の誰にも話しませんし、アンノウンにも話させません! ……分かっているわね? 話したら一番怖い人からのお説教よ」

 

「え? どうして僕が喋ると思うのさ。ゲルちゃんは酷いなあ。僕の何処が信じられないのさ」

 

 不満たっぷりな様子のアンノウン。だけど私は謝らない。だって何処を信用すれば良いのか分からないのがこの子だもの。

 

「あっ、そうだ! お父さんに教えて貰ったパップリガの約束の仕方があるんです。ほら、こうやって小指を絡めて……」

 

「こ、こう?」

 

 クイラさんは戸惑いながらも握った拳の小指だけを立てて私の小指と絡める。それを確認した私は意味は知らないけれど気に入った約束の歌を口ずさんだ。最後の歌詞と共に指を離すけれど少し物騒な内容だと思う。

 

「怖い歌ね……」

 

「大丈夫です。遊びみたいな物ですよ。……意味は詳しく知らないけれど」

 

 

 

 

 

 

「まあ、実際は遊女……お金で体を売っていた女の人が恋仲の相手に指を切って送るって事で、破ったら一万回殴るって事だけれどね! ゲルちゃん、本当は未だある歌の続き聞くー?」

 

「断固拒否!」

 

 本当は想像以上に怖かった意味に二度と使いたく無くなる。お父さんもどうしてこんな歌を教えたのか本当に分からなかったわ……。

 

 

「取り敢えず賢者様達には話しておいた方が良いと思うんです。ほら、何かあって誤魔化す時に事情を知っていないと力を借りるにしても何も知らないと手間取りますし」

 

「うーん。確かに仕方ないかな?」

 

 折角後少しなのだし、私達が居る間だけでも協力したいと提案しながらの帰り道、私の提案にクイラさんが悩む顔をした時、木々の間をすり抜けて矢が飛んで来た。咄嗟に掴んだ矢は私の眉間に向かっていた物で、錆びた先端からは刺激臭。

 

「毒矢っ!?」

 

 私が手にした矢を放り投げれば四方八方から矢が向かって来る。最初は宴に出す為の狩りの矢が流れて来たのかと思ったけれど、間違い無く私達を狙って射った物。全てを掴んで止めるけれど、クイラさんを庇いながらじゃ手が追いつかない。

 

「デュアルセイバーを持ってくれば良かったわね……」

 

「いや、宴に参加した後で偶々辿り着いた場所からの帰り道だし、武器を持っている方が変じゃない?」

 

「少し黙って、アンノウン!」

 

 麦わら帽子を脱ぎ、端を持って飛んで来る矢を弾いて行く。元々モンスターの攻撃を防ぐ防具だから矢では防げないけれど、防戦一方なのは変わらない。変な臭いが充満していて鼻が利かないし、良い気分の時に襲われて腹が立って来た。それにクイラさんを守らなくちゃ駄目だし、背に腹は代えられないわ。

 

「アンノウン、朝ご飯のオカズ一品!」

 

「了解!」

 

 クイラさんの頭に乗って何もしなかったパンダが前に飛び出す。構わず矢が来続けるけれど、パンダの口から伸びた長い舌が全てを絡め取り、真上に放り投げると同時に舌が口の中に戻って行く。

 

「パンダブラスタァアアアアアアア!!」

 

 パンダの口から無数のエネルギー弾が吐き出され木々の向こうに飛んで行く。向こうから聞こえて来た衝撃音と男の人達の悲鳴。矢が止んだので向かってみればプスプスと煙を上げて倒れている悪人面の人達が居た。

 

「あっ! 此奴達はっ!」

 

 私は知らない人達だけれど、クイラさんは知っているみたい。弓や矢筒を持っているし、この人達が襲って来たと見て間違い無いだろうけれど……。

 

「取り敢えず……どうしましょうか?」

 

 今は目に前で気絶している人達への対処を考えないといけないわ。

 

 

 勇者を殺そうとした人は余程の事情が無い限り一族郎党処刑がルール。私にそれを教えたアンノウンは眠くなったらしくパンダもピクリとも動かず、賢者様に助けを求める事も出来ない。流石に宴の最中に相談に行けば誰かが気が付くだろうから直接会いに行くのも出来ないし。

 

 私がそうやって困っていた時、クイラさんも困った様子だったわ。知り合いみたいだし、幾ら襲って来た相手でも家族全員が処刑にされるのは心苦しいのだと思う。……私もそう。勇者の立場を軽視する気は無いし、私の次からの勇者達の為にも必要な法律だとは思うけれど、私はだから死んでしまえとは思えない。

 

「……よし。町長に相談しよう。此奴達は適当に縛って転がしておけば良いよ」

 

 この町の事は町に住む人に任せるのが一番。だから私はクイラさんの提案を飲んで町長さんの屋敷を訪ねた。先にクイラさんが使用人さんに何か耳打ちすれば慌てた様子で通してくれたわ。折角の宴の日なのに執務室でお仕事の真っ最中だった町長さんはクイラさんから詳しい説明を受けて頭を抱えてしまう。ええ、確かに人の命が掛かっているのだもの、重要な話ね。

 

「……分かった。この件は此方で精査するので他言無用で頼んだぞ、クイラ。勇者様もそれでお願いします」

 

 町長さんに拘束した人達の居場所を伝えた私達は屋敷を後にする。……本当に何故私を狙ったのかしら? まさかグリエーンで襲って来た人みたいに家族を誰かに捕らわれて居るのかも。そんな風に考えると気持ちがモヤモヤして来たのだけれど、それを察した様にクイラさんが私の肩に手を置く。

 

「うっし! 今から私の家に来なさい。食べたいって言っていたトーストのアイスと蜂蜜乗せを食べさせてあげる」

 

「やった! でも、御迷惑じゃないかしら?」

 

「子供がそんな事を気にしなくて良いわ。さあさあ、行きましょう行きましょう!」

 

 我ながら単純だと思うけれど、心のモヤモヤはこれだけで薄まったわ。

 

 

 

 そして翌日、心のモヤモヤなんて全部吹っ飛ぶ位に衝撃的な光景を目にする事になったわ。

 

 

「キィヤァアアアアアアアアッ!!」

 

 港に響く耳を塞ぎたくなる様な絶叫。ガラスを引っかいた時みたいな不快な声で、発声者の自らの運命への嘆きと生者への理不尽な怒りが籠もっていたわ。

 

 そう、声の主は生者ではなく死者よ。沖に現れた幽霊船、そのメインマストが脊椎に変わり、長い髪を乱れさせた骸骨。船を覆っていた靄と同じ青白い焔が目に宿って揺らめく姿は涙みたいだった。見ているだけで魂を掴まれたみたいな悪寒。別に怪談話は苦手じゃないけれどあれは怖いと思ったわ。

 

 

 

 

 

「沢山食べて、沢山寝たから僕は育った! さあ! ジャイアントパンダのお出ましだ!」

 

 そして、巨大化したアンノウンのパンダが海の上に二本足で立って居たけれど、ジャイアントにしても度が過ぎると思うわ。……うん、あれを見たら幽霊船の怖さも台無しね。シュールな光景でしか無いわ。

 

 

 



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珍獣大海戦 巨大大熊猫 対 幽霊船 破

終盤の戦闘推奨BGM 鋼のレジスタンス


「……う~ん、あれだな。お前、ちょいと向いてねぇかもな」

 

「えぇっ!?」

 

 私が幼い頃、警察官だった祖父が祖母に無断で建てた剣道場で剣道を教わっていたのですが、年下の従姉妹に負け続けている私に困った様子の祖父がそんな事を言って来ました。別に祖父は意地が悪い訳では無く、寧ろ豪快な方なのですが、それ故に言葉を選ばない時がありました。

 

璃癒(りゆ)ちゃんが強いだけですよ。私以外の経験者も負けているんですから」

 

「そうだよ、お祖父ちゃん。僕に負けたからって己龍兄ちゃんが弱い事にはならないよ。酷い事を言うとお祖母ちゃんに言い付けるからね!」

 

「おい、それはマジで止めろっ!? 後でパフェ食わせてやるから!」

 

 ですが、祖父の性格を知っていても趣味程度には打ち込んでいた私が納得出来る筈も無く、従姉妹の璃癒ちゃんも援護してくれます。それも一番効果的な方法で。祖父は祖母に弱かったのでこの脅しは的確でした。ただ……。

 

「やった! 己龍兄ちゃんも黙ってないと駄目だからね!」

 

 食い意地が張った従姉妹に有効な買収方法を祖父は知っていた、それだけです。私は仕方無く抗議を止めましたが、理由位は聞いておきたかったので訊ねてみました。

 

「まあ、型はちゃんと出来るんだが、どうも技任せって言うか、実践向きじゃねぇんだよな。まあ、試合では十分勝てるんだが、ルール上の戦いの話だからな」

 

「剣道って精神の鍛錬ですし、それで構わないのでは? まさか真剣を手にして悪漢と戦う訳でも無いでしょう?」

 

 この時、私は思ってもみませんでした。まさか実際に真剣を持って怪物と戦う日が来るなどと、中二病でもないので想像すらしませんでした。

 

 ……所で祖父や従姉妹が別の異世界に勇者として召喚されている気がするのは何故でしょうか? あの子なら美味しいからと巨大な芋虫でさえ食べていそうな気がしますね。

 

 そして、祖父の言葉を私は実感する事になるのです。幾ら武道経験があっても、勇者の武器を手にすれば体の動かし方が分かっても、それは例えるならバスケのシュート練習でミスせず何十回もゴールを決められるからとしても試合ではそうはいかないのと同じ事。同じ動作でもルールや練習の条件に規制された動きとそうでない動きは結果に多大な影響をもたらすのですから。

 

 

 

「がはっ!」

 

 勇者として召喚されて早一ヶ月、拠点として行動している王国の中庭で私は無様に転がっていました。情報の入手も人伝にするしか無く、移動手段も馬に任せるしか無かった旅は平凡な男子高校生には少しばかり辛い物で、シルヴィアの扱きに耐えながら戦闘技術を自らの物にしている最中。今は休憩時間に仰向けで空を見上げて居たのですが、ドレス姿で近付いて来る人が居ました。

 

「……」

 

 寝転がっている私に不用意に近付いた為にスカートの中が丸見えで、女性とキスすらした事の無い私には刺激が強すぎる。この世界の下着は色々と凄かったのも有るでしょう。その様な動作は直ぐに相手に何があったか伝わります。私に近寄って来たのはこの国の姫君。その知性と美しささから次期の王へと推す者も多いと聞いています。兄達にはその事で疎まれているとか。

 

「……あっ」

 

 そんな姫君が男に下着を見られた。だから次に取る行動は僅かな付き合いの私にでも予想が付きます。普通なら恥ずかしがり、悲鳴を上げて私の立場が悪くなる事でしょう。神託が有ったとは言え、勇者の資格を持つ住所不定無職の庶民と一国の姫君なのですから当然です。

 

 

「なーんだ。パンツ見た程度で恥ずかしがってるのかよ、アンタ。兄貴達なんて何人ものメイドに手を出してるぜ。この前なんて木陰で押し倒してたしよ」

 

 ですが、この姫君は多少……いえ、かなり特殊な部類でした。ゲラゲラ笑いながら私の目の前でしゃがみ、私の額をペチペチ叩いて来たのですから、外面と見た目だけで深窓の令嬢を想像して憧れている人々が見たら幻覚を疑うでしょう。この豪快な性格は何代か前にエルフの血が流れていた影響だろうとシルヴィアが言っていましたが、それって私の知っているエルフと絶対違う。いえ、知人になったエルフはその様な感じですから。

 

「ほれほれ、世界を救ってくれるごほーびだ。好きなだけ見ろよ」

 

「……断固拒否します」

 

「ちっ! つまんねーの。退屈だから町の外の話をしてくれよ。私じゃ城壁をよじ登って路地裏のガキンチョと遊びに行くのが精々なんだ」

 

 何処の世界に城のいをよじ登って路地裏の子供と遊ぶ姫君が居るのかと思いましたが、目の前に居るのでした。……どうも王家の一部には実際に私が世界を救ったら王家に血を取り込みたいという算段が有ったらしいですが、私にとって彼女は親友と呼べる存在でした。

 

 その後、兄による彼女の暗殺未遂やら魔族による拉致を解決して絆を深めたのですが、出会いが有れば別れも有る。次の世界に向かう時が来たのです。

 

「……行っちゃうのか。私も一緒に行きたかったけれど無理だし、また会いに来てくれよな。……待っているからさ」

 

 私にとっては最後まで性別を問わずに関われる親友でした。ですが別れの時に見送りに来た彼女の言葉と表情、頬にされた口付けからして相手の方は別だったらしいですが……。

 

 

 

「……懐かしい夢を見ましたね。それはそうとしてシルヴィアが愛しい。昨日よりも愛しく、明日はもっと愛しいのでしょう。……つまり今の愛情は不完全? いえ、愛に上限は無く、有ったとしても上限を更新し続けているのでしょうね」

 

 親友の子孫に関わった影響か勇者時代の夢を見た私は私の腕を枕に眠るシルヴィアにキスをする。未だ起こすには少し早い時間であり、今は彼女の寝顔を見ていたい気分が勝ったので観察に徹する。当然ですが魔法で再現したカメラで撮影するのも忘れない。なにせシルヴィアの寝顔は私が先に起きた時か彼女が先に眠った時にしか見る事が出来ないのですから。

 

「ああ、私は今日も貴女に恋をしています。既に惚れていますが、更に一目惚れですよ、シルヴィア」

 

 好きという気持ちに上限は無く、多くの相手に恋をする男が居るのならば同じ相手を好きなまま好きになるのも自然な事。百年単位で同じ女性相手に毎日始まる恋に胸を高鳴らせていたのですが、いざキスをするべく顔を近付けた所で邪魔が入る。まるで狙い澄ませたかの様なタイミングでノックの音が部屋に響きました。

 

 

「おやおや、寝起きだったかな、我が主の主よ? それは申し訳ない、謝意を表明しようではないか。ククク、私もタイミングが悪いな」

 

 慇懃無礼が服を着ている……いえ、ハシビロコウのキグルミを着ている男、鳥トンはワイングラスを片手に軽く頭を下げる。アンノウンは素直な良い子上に賢いので疑いたくは無いのですが、幾ら有能でも彼みたいな人物を選んだ理由が分からない。

 

 善人の演技を中途半端に行っている腐れ外道、それが私が抱く印象です。何かと正しい行いであるという理由を付けながら他人が不幸になる風に仕向けるのが楽しいと本人から聞いている私からすれば警戒するのは当然です。

 

(でも、誰それ君とは遊んじゃ駄目です、みたいな事を言うのはアンノウンの躾に宜しくない気がするんですよね。あの子ならちゃんと見習うべきじゃない部分は見習わないでしょうし)

 

 結論として可愛い使い魔を信じる事にした私に対してハシビロコウは調査書を手渡す。調査不足なのか敢えて虫食いにしたのか重要な部分が抜け落ちていました。

 

「ククク、申し訳無い。生憎世界の命運が関係する任務故に中途半端な事はしたくなくてな。不確かな情報は伏せているが……嫁渡りでダサラシフドにやって来る夫婦だが……片方は魔族だ。本来ならば貴方の魔法で直ぐに分かるのだろうが、大勢を救う為の功績稼ぎを考えれば勇者に任せるのだろう?」

 

 ああ、本当に有能な外道が味方なのは厄介ですね。私は鳥トンの言葉に無言で頷く事しか出来ませんでした。

 

 

 

 

 

「ほら、このトマトが美味いぞ。食べてみろ」

 

 今日も朝から砂糖を吐きそうな光景を見せ付けられている。取り皿にサラダを盛った女神様はフォークで刺したトマトを賢者様の口に運ぶ。今日位に来る嫁渡りの夫婦は新婚だけれど、多分賢者様達位に熱々じゃないでしょうね。

 

「……はぁ」

 

 テーブルの上に広がるのはパンとミルクとサラダと野菜スープにフルーツ、お肉は欠片も存在しない。今朝はベーコンとタマネギとチーズの入ったトロフワのオムレツを食べた夢を見ただけに少し物足りないわ。

 

 嫁渡りの掟で夫婦が滞在する間は断肉で卵すら食べられない。それは外から来た旅人も同じ。でも、余所の人なら人前で食べなければ別に良いともクイラさんから教わったの。ブルレルの人なら兎も角、余所の世界の人に強制するのは気が咎めるから、こっそり食べるなら気が付いても知らない振りをしてくれるらしいわ。

 

「子供だしお肉が食べたいでしょ? ちゃんと歯を磨いてお肉を食べた匂いを消してくれたら別に気にしないわ」

 

 でも、肉を食い溜めする為の宴で散々お肉を食べたのだし、ズルは駄目だから賢者様達とも話し合ってお肉抜きに決めたの。……正直言って肉を見るのも嫌になる位に食べたのだけれど、いざ実際に断肉をするとなると物足りないわね。

 

 宴で食べた肉料理で思い出すのは何と言ってもスカーさんの作った鳥の唐揚げ、豚の炙りに牛の丸焼き。最高の揚げ加減焼き加減に味付けで満腹なのに舌がもっと欲しがるの。おかげで翌朝は胃がもたれていたわ。

 

「確か今日のお昼位に来るのよね。しかも恋愛結婚だって噂だけれど……」

 

 私だって女の子だし、花嫁さんには憧れるわ。私も何時かは結婚するのかしら? どんな人と結婚するのかしら? 出来れば料理が上手な人が良いわね。

 

「楽土丸は料理が出きるのかしらね? ……はっ!?」

 

 何故か分からないけれど楽土丸の名前が自然と口から出ている。前を見れば賢者様と女神様がニヤニヤしているし恥ずかしいわ。これは絶対彼の責任よ。だって求婚したのだもの。……これじゃあ私が楽土丸に惚れているみたいじゃない。

 

「……あれ? アンノウンの姿が見えないけれど何処に行ったのかしら?」

 

 あの子の事だから肉も卵も食べられない私の目の前で美味しそうにお肉を食べると思っていたのに姿すら見えないわ。安心する一方で不安にもなって来るわね。何か良からぬ事を企んでいるんじゃ……。

 

 

 

「船が見えて来たぞー!」

 

 嫁渡りの船が到着する時刻、港には大勢の女の人や女の子が集まっていたわ。高い所から船が来る方向を見ていた人の声を聞くなり騒がしかったのが更にそわそわしだす。まあ、私も同じ目的で来ているから気持ちは分かるのだけれど。

 

 船が到着した時に花嫁さんがイシュリア様とフィレア様の石像に持たせた花籠に入れた花を港に向かって投げるのだけれど、それを受け取った女性は幸せな結婚が出来るって言い伝え、それを目当てに皆集まっているの。

 

「別にそんな祝福が欲しければ姉様や母様に頼むぞ?」

 

 そんな事を女神様が言ったけれど全然分かっていないわね。本当に祝福が貰えると信じている人よりもお祭りの類で参加しているのに。これだから祝福無しで素敵な恋と結婚をした女神様は困るわ。相手が居ない人の気持ちが分からないのよ。

 

「……さて、気合いを入れましょう」

 

 花の数には限りが有るし、色でも違いが出るらしいわ。子宝とか財力とか健康とか。本当に祝福が貰えるなら神様の誰が何色の花を取ったか調べるのも大変ね。私は特に狙っている色は無いけれど、折角参加するのだもの、花が欲しいわ。

 

 次第に大きく見えて来る嫁渡りの船。大きな町の網元の一族だって聞いたけれど随分と豪勢なのねと感心している間も船は港に近付く。

 

「あれ? 変じゃない?」

 

 最初に気が付いたのは先頭に居た結婚適齢期のお姉さん。船が全く減速せずに港に迫るのを見て驚き、次の瞬間には振り向いて叫ぶ。

 

「皆、避難しなさい! 船が突っ込んで来るわよ!」

 

 おまじない程度の気分の女の子や少し只ならぬ様子のお姉さん達が参加する華やかなイベントは忽ちパニックに襲われる……と思ったけれど、お姉さん達が小さな子を抱えて逃げているから押し合いによる二次災害は起きなさそうね。流石は海に生きる女の人だけあって肝が据わっているわ。

 

 そうやって避難が済み、皆が安全な場所まで到達した頃に船は港に激突、頑丈な造りなのか激しく壊れはしないけれど船首に大きな罅が入っているわ。

 

「どうして止まらずに入って来たのかしら? まるで何かに追われるみたいに……」

 

 呟きの途中で理解する。あの船は実際に追われて必死に逃げて来たのよ。船から板の橋が掛けられて次々と港に逃げ込んで来る人達。その視線が向けられた沖の方角から暗雲が尋常でない速度で流れて来たわ。海は急速に荒れ、モンスターが顔を出す。巨大な体に醜悪な人の顔を持つ不気味な魚や船に巻き付ける位に大きな海蛇。その他にも沢山居るわ。

 

『『面人魚(めんじんぎょ)』人の顔を持つ大魚。人には劣るが高い知能を持ち、独自の言語でコミュニケーションを取る。但し僅かに生息地が違えば更に独自の言葉が有るので会話が困難。雑食であるが生きた相手を食らうのを好む凶暴性を持つ』

 

『『エンペラーシーサーペント』巨体と強力な毒を持つ海蛇。その皮膚は魔法に対する耐性を持つ他、、非常に頑丈で弾力が高い。船乗りに恐れられる海の悪夢の一つ。実は酸っぱくて不味い』

 

 新しいモンスターの情報が入って来るけれど、問題はそれだけじゃ無い。モンスターの群れの後方、青く怪しく光る靄の中で佇む大破した船、幽霊船の登場にこの場の多くが言葉を失って恐怖の色を浮かべていたわ。

 

「皆さん、下がっていて。私が時間を稼ぐから助けを呼んで」

 

 私は勇者。だから一歩前に進み出て安心を与える。正直言って相手の手の内も分からないのは不安だったけれど不適に笑い、不安を隠すわ。

 

 

 

 

 

 

 

「何かに怯える声がする。弄くり回せと僕を呼ぶ!」

 

 そんな覚悟を決めた途端に響く声。頭の中じゃなくて実際に響いた声に人々は戸惑い、私は脱力する。どうやらアンノウンが何か変な事をするらしい。空を見上げれば黒い暗雲に白が混じり、熊の形になって海に降り立つ。二本の脚で海の上に降り立った時、熊は完全にパンダになっていた。

 

「あっ、何時ものパンダが乗っているわ」

 

 今の私の視力なら見えるのだけれど、巨大なパンダの上に何時もアンノウンの上に乗っているパンダのヌイグルミが乗っていたわ。手に何やら変な物、私は知らないけれどラジコンのコントローラーを持っていたの。

 

「えっと、あれって何だろう?」

 

「パンダ……だよね?」

 

「大きいパンダさんだ! 可愛い! 飼いたい!」

 

 性根が腐っているから止めろって言うべきかしら? 兎に角突然現れたアンノウンにモンスター達はうなり声を上げ、一斉に襲い掛かる。するとアンノウンはその場で一本足になって猛回転を始めたわ。私でさえ元の姿が見えない速度での回転は風を巻き起こし、竜巻になってモンスターを迎え撃つ。

 

「パンダハリケェェェェェェェェェェン!!」

 

 再び響く大きな声。竜巻に飲み込まれたモンスターは空高く舞い上がり、そこに巨大な凧が接近する。凧に誰か乗っていたので目を凝らして見てみれば黒子。確かアンノウンの部下の一人だったわね、あの人。片手で凧にしがみつきながら空いた手で握るナイフがモンスターを切り裂き、手が赤く光ったかと思うと巨大な火の玉が放たれて残ったモンスターを焼き尽くす。

 

 この時、余りにも意味不明な状況に周囲が静まったからか、私の耳に遠くから琵琶の音が届いたわ。間違い無く幽霊船の方角。背後から不気味な冷気を感じたのは直ぐ後。私と同じく振り返った人達の口から大きな悲鳴が上がったわ。

 

「幽霊!?」

 

 空一面を飛ぶ人の形をした無数の白い靄。一瞬モンスターかと思ったけれど、解析しても詳しい情報は入って来ない。それに確か靄が湧き出ているのは墓場の方向。つまりは幽霊。その幽霊達は幽霊船に吸い込まれ、幽霊船が姿を変える。メインマストが徐々に髪の毛と骨だけの人の姿へと変異して行ったわ。

 

 そして竜巻が収まれば背中に『じゃいあんとぱんだ』と書いた紙を貼り付けた巨大なパンダ。頭にはアンノウンの本体が乗っていたわ。……さっきの頭に乗せていたパンダの意味は何だったのかしら? いえ、アンノウンの行動に意味を求める方が間違っているのだけれど。

 

 

「沢山食べて、沢山寝たから僕は育った! さあ! ジャイアントパンダのお出ましだ!」

 

「成る程、ジャイアントパンダだったのね」

 

「だったら納得だわ」

 

「ビックリして損した」

 

 ……あれ? おかしいのは私? 私が自分の常識を疑いたくなる位に周囲は目の前の珍獣を受け入れていたわ。一体全体何がどうなっているのかしら……?




感想待っています なお、前書きは嘘です


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珍獣大海戦 巨大大熊猫 対 幽霊船 急

「おーい、スカー! 今日は非番だろ? 娼館に行こうぜ!」

 

 旅の恥は掻き捨て、出先で日頃の垢落とし。人の出入りが激しい港町には船乗り目当ての娼婦が集う。このダサラシフドもモンスターが港に集結して不安が募っているけれど……いや、不安が募るからこそ憂さ晴らしをする為に気晴らしを求めるんだね、人間は。

 

 昼前からそんな誘いをして来たのもそんな人間の一人。余所者で得体が知れない僕を受け入れてくれた懐の深さと女遊びによる懐の寒さを持ち合わせた船乗りだ。どうもお気に入りの子が居るらしく、只でさえ港が使えず乏しくなった収入の多くをつぎ込んでいる馬鹿だ。でも、僕はそんな馬鹿が好きだ。そんな馬鹿が居るこの町が心の底から好きだった。

 

「勇者様達が大量にぶっ殺したからか港に来るモンスターが減って助かったよな。おかげで堂々と遊びに行けるぜ。……今月は行きすぎてやっべぇが……大丈夫だな、多分! 俺の人生はまだまだ……」

 

「……もう終わちゃうのか。寂しいなあ」

 

「死なねぇよっ!? 縁起でもねぇなあ、おぃいいっ!?」

 

 僕が思わず呟いた事に彼が反応した時だった。港の方が妙に騒がしくなったのは。確か嫁渡りの船が到着する頃だけれども、幾ら何でも騒がしい。

 

「行き遅れが婚期を焦る余りに花を追って海にでも落ちたか?」

 

「あはははは。いや、彼女が居ない君が何を言っているのさ」

 

「俺には可愛い子猫ちゃん達が居るからいーの。お前こそクイラとはどうなのよ、実際?」

 

「僕と彼女は……いや、本当にただ事じゃ無いみたいだ!」

 

 最初は騒ぎ声だったのが悲鳴も混じり、何か巨大な物が激突した音も混じる。冗談では済まない大きな騒ぎが起きているのは間違い無いらしいね。それは慌てて駆け寄って来た少女の姿で不安から確信に変わったんだ。終わりの時が近付いて来たってさ。

 

 

 

「遅くなってごめん! 状況は……何だよ、アレ?」

 

 嫁渡りの船が幽霊船に襲われて港に激突、そこまで聞いて慌てて向かった僕が呆然と見ているのは、骨だけになった人の上半身が生えた廃船と海の上に立つパンダが向かい合っている姿だった。少し上空には凧に乗った黒子が居る。うん、全然分からない。港に居た女の子達は動揺して詳しく聞き出すのは難しいだろうね。でも、勇者だけは違った。少し疲れた様子だけれど、きっと彼女なら詳しく教えてくれそうだ。

 

「パンダになったアンノウンがパンダハリケーンを使ったらパンダが巨大化して、アンノウンがそれを操っているんです」

 

「ごめん、全然意味が分からない」

 

「私も意味が分かりません」

 

 つまり誰にも説明が不可能なんだね。それでも時は流れ事態は動く。最初に動きを見せたのは幽霊船だった。

 

 

「キィヤァアアアアアアッ!」

 

「ぐっ! 凄まじい声だな、あの幽霊船。いや、確か別の名前が有った筈だけれど。確かエルダーシーレイスだったっけ?」

 

 ビリビリと空気が振動し、思わず耳を塞ぎたくなる程の絶叫。数少ない気の弱い子達は今にも気を失いそうな怨磋の叫び。正直言って死人が生者に迷惑を掛けるなって話だけれども彼奴はそんな事を気にしちゃくれない。それよりも今は僕のすべき事をしないとね。

 

「僕達が戦いに割って入っても巻き込まれるだけだ。皆、耐えられそうにない子を避難させたら戦いの準備をお願い。きっとモンスターがやって来る!」

 

 歴戦の戦士の経験則でも無く、獣人の優れた五感による察知でも、ましてや魔法使いの探知でも無い。僕の種族が持って生まれた能力による直感的な物が間もなくモンスターの大規模な襲撃を告げる中、幽霊船の幽霊、エルダーシーレイスが両手の手の平をちかづけた。間の空間には青い鬼火が灯り、次々に現れては船の周囲グルグル回る。表面に苦悶に満ちた人の顔が浮かんでいる事に気が付いたのは僕と勇者だけみたいだね。

 

 やがて数十にも達した鬼火は一ヶ所に集結し、膨れ上がって巨大な鬼火になる。この時、他の人にも見える程に大きくハッキリとした顔に誰かが悲鳴を漏らしたのが聞こえた。

 

「ヒィイイヤァアアアアアアアア!!」

 

 聞くだけで体温が急激に下がる叫びを上げ、大きな口を開けてパンダへと迫る鬼火。アレは間違い無く呪いの固まり、触れたら無事では済まない存在だ。さて、どうやって対処するのか見せて貰うよ、賢者の使い魔?

 

「パンダ奥義その十三! パンダクロー!!」

 

 無造作に振るわれるパンダ前脚。直線上の海、そして鬼火に三本の爪痕が刻み込まれた。切り裂かれ霧散する鬼火、発生した爪の威力は収まらずにエルダーシーレイスに向かうけれど、急に揺らめいたかと思うと姿を消して通り抜ける。海に見えない何かが浮かんでいる痕跡も見られない。完全にこの世から姿を消していたんだ。

 

 再び現れたのはパンダと町の間。船腹を両方に向けた状態で左右に搭載された大砲が動く。砲撃音と共にキラーシェルが撃ち出された。彼奴、この町を狙っているのか!?

 

「皆、下がって!」

 

 飛び出して行く勇者。キラーシェルが海の上から港にまで達した瞬間に蹴りを叩き込んで跳ね返す。空中に居た他の仲間に激突し、次々に連鎖が起きて数を減らすキラーシェルだけれど、頭が燃えている個体も続いて放たれた。

 

「不味いっ! 其奴は触れずに落とせ! 絶対に町に近寄らせないで!」

 

「分かりました!」

 

 何を思ったのか麦わら帽子を外し、頭を入れる穴で普通のキラーシェルを受け止めた勇者。真っ赤に灼けていて触れば火傷は間違い無いのに平気そうな所を見ると丈夫なだけじゃなくて耐熱性も優れているんだね。最初はツナギ姿に麦わら帽子って防具には見えない作業着だから聞いていても驚いたけれど、甘く見ていたんだね、僕は。

 

 そのまま帽子を持った勇者に投げられたキラーシェルは燃え盛るキラーシェルに激突、大爆発が起きた。振動が周囲に伝わってキラーシェル何匹かは爆風で軌道が逸れて海に沈む。町中で爆発すれば建物の一つや二つは吹き飛ばされていただろうね。爆風の影響で海が揺れる中、僕は額の汗を腕で拭い取った。

 

「キラーシェル・ボンバー、なんて物を……」

 

 強い衝撃を受ければ大型船すら一撃で沈める程の爆発を起こすキラーシェルの亜種。運が良かったのは町に向かって放たれたのが一匹だけだった事。でも、次があるかもと思わせて勇者を牽制する役目は果たしたみたいだね。だって、他にも沢山居るのはパンダの方を見れば確かなんだからだ。

 

 

「わわわわわっ!?」

 

 パンダへと容赦無く撃ち込まれるキラーシェル・ボンバー。何度も起きる爆発にパンダは動けない。寧ろ立っていられる方が驚きだよ。でも、あれで賢者の使い魔の強さを大体把握出来たね。最初は意味が分からなかったけれど……。

 

「パンダ奥義その八! パンダブリザード!!」

 

 パンダの口から吹雪が発生、海を凍らせキラーシェル・ボンバーを凍らせ、揺らめいて消えていたエルダーシーレイスの一部を凍らせる。

 

「ふっふっふ! パンダは暑い時に食べ物を保存する為に冷気を吐くって知らなかったみたいだね!」

 

 ……訂正、今も意味が分からない。再び姿を見せたエルダーシーレイスはまたもや船腹を向けて砲撃を撃ち込んだ。今度は反対側の大砲も動員して先程の倍だ。その上、全てがキラーシェル・ボンバー。だが、パンダは巨大な棍棒みたいなのを振りかぶると全て打ち返す。

 

「無知だね、君は。パンダに生まれたならば最初に習うのは野球なのさ! パンダ奥義その四! パンダノック!!」

 

 凄まじい勢いで撃ち込まれる生きた砲弾を更に上回る勢いで打ち返して叩き込む。キラーシェル・ボンバーが打ち返した衝撃で爆発するよりも前にエルダーシーレイスに全て命中させ、大爆発を起こした。その威力は爆風で海水が巻き上がって雨の様に降り注ぎ、衝撃で港の建物のガラスが割れてしまう程だったんだ。

 

「キィイイイイイイイイイイッ!!」

 

 この時、エルダーシーレイスの声に混じる感情が絶望や嫉妬の類が消え、完全な憤怒へと変わったのを感じたよ。もう怒りしかない。それ程までに目の前の存在が目障りだったんだ。何処からか更に大砲が現れてパンダに向けられる。でも、パンダが既に駆けていた。それも目で追うのがやっとの速度でだ。

 

「あっ……」

 

 そして自分が吐いた冷気の氷で滑って転けて転がる。その上を本体が器用に走って速度は上がり、続けざまに放たれる砲撃は弾かれた。分かっていたけれど意味が分からない!

 

「知ってるかい! 転がるパンダは鉄より堅い!」

 

 揺らめくエルダーシーレイス。でも、今度は間に合わない。攻撃力を上げる為に砲門の多い船腹を晒し、同時に最も攻撃を受けてはならない場所に激突され船の部分を半壊させて消えて行く。やられてはいないけれど、今のは間違い無く痛手だ。

 

「よし! ざまあみろだよ!」

 

 思わず口に出た言葉と共に拳を握った時、再びパンダの前に現れるエルダーシーレイス。本来の目的を達成するなら町を狙うべきだろうに馬鹿な奴だ。でも、だからこそ助かったよ。エルダーシーレイスの髪が蛇みたいに蠢き、針になってパンダに飛んで行く。

 

「怒ったパンダは毛針を飛ばす! パンダ奥義その三十五! パンダニードル!」

 

 それは相殺、全身に毛があるパンダとの手数の違いで直ぐに圧されて反対に船や骸骨に無数の毛が突き刺さった。圧倒、圧勝、力が違う。この勝負、もう勝敗は決したみたいだね。

 

「……次かその次で終わりかな?」

 

 船体はボロボロで既に崩れ出している。次のを出すには時間が必要だろうし、もう気が付いているだろう。でも、知らぬは当人ばかりなりって奴で、遠目に悔しがっているけれど未だ勝機が有ると思っているのが見て取れた。正気じゃないね、まったくさ。……この戦い事態が正気じゃ無いけれど。

 

「スカーさん、どうかしましたか?」

 

「……いや、気にしないで。この後の事を考えているだけだからさ」

 

 再び消えるエルダーシーレイス。姿を見せたのはパンダの背後。蠢く髪が伸びてパンダに絡みついて拘束、その巨体を持ち上げた。

 

「キィキィキィキィ!」

 

 骸骨の顔が震えながら嗤う。パンダが暴れるけれど拘束からは逃れられず、骨だけの腕が伸びて鋭い指先が背中を貫いて貫通した。

 

 

 

 

「……知らないなら教えてあげる。パンダは割と頻繁に脱皮するのさ!」

 

「キィ!?」

 

 但し、貫いたのは薄い皮。辛うじてパンダだと判る模様と輪郭の薄皮の下ではツヤツヤとした毛を輝かせるパンダがエルダーシーレイスの方を向き、その口の中に眩い光が収束する。

 

「キッ、キィイイイイイイイ!!」

 

 慌てふためいた様子のエルダーシーレイス。巨大な船体は海から離れ、幾つもの破片を落としながらも空の彼方を目指す。自由で安全な場所を目指しての逃亡だ。

 

「ああ、漸く悟ったんだね。もう遅いけれど。いや、遅いも早いも無かったか……」

 

 絶対に勝てないと、僕だって直ぐに理解した。最初から勝負ですらない。暇潰しの遊びだったんだよ。

 

「パンダ奥義その六百六十六! ファイナルパンダビィィィィィィム!!」

 

 放たれた光はエルダーシーレイスを飲み込み空を貫く。暗雲は一瞬で吹き飛ばされて晴天が戻る中、光は真下に向かって薙ぎ払われた。パンダ前方の海が二つに割れて波が発生する。余波は町にまでやって来て、誰も乗っていない嫁渡りの船が港に乗り上げた。

 

「ちょ、ちょっと何をやっているのよ、アンノウンっ!? 派手にやるにも程が有るわ! 賢者様だって流石に怒るんだから!」

 

 もうエルダーシーレイスは倒したのに余計な事をして被害を広げたと、勇者はそう思っているのだろうね。でも、違うんだ。あのパンダの余計に見える攻撃は何の意味も無い訳じゃ無い。その証拠は直ぐに姿を現した。穏やかな海の上、真っ二つに割られて沈み掛けている小舟の上、其奴が立っていた。

 

「くっくっく、よくぞ儂の隠行術を見破ったの、使い魔よ。誉めてやろうぞ」

 

 痩せこけた半病人の老爺。全身に巻いた包帯は薄汚れ、死に装束はくたびれていたよ。長い間満足な食事も治療も無かったと思わせる風貌で、軽く殴れば簡単に命を落としそうな彼は包帯の隙間から見える窪んだ眼をギョロギョロと動かしながらパンダを眺め、手に持つ古ぼけた琵琶を鳴らす。遠くなのに近くで鳴らされたと錯覚する程に明確に音が聞こえた時、パンダの目の前に浮かんでいた。壊れた小舟はボロボロだけれど割れていたのが元に戻っている。

 

「まさか使い魔に儂の操る死霊が敗れるとはのぉ」

 

「君って魔族? それにしては独自の臭いがしないけれど……」

 

「くっくっく、その程度なら我が主、リリィ様ならどうとでもなるわい」

 

 この時点になっても彼奴は余裕を崩していない。余程の馬鹿か自信家か。ペラペラと情報を垂れ流しながら笑っている。あのパンダが遊んでいたのと同じで先程まで遊びだったのだろうね。

 

「さあ! 本気で相手をしてやるから名乗れ! 儂は靄船(もやぶね)九十九(つくも)! 上級魔族じゃ!」

 

 だけど今からは別。本気であのパンダの相手をして、勇者も倒せると思っているんだろうね。その根拠が懐から取り出した玉、他人から貰った力だというのが情けないけれどさ。……でも。

 

 

 

「……あっそ。ねぇ、もう良いよ」

 

 九十九の背後に黒子が降り立つ。手にした玉を飲むよりも速く、一切の回避も防御もさせずに背後からナイフで刺し貫いた。そのままナイフを引き抜けば九十九の手から玉がこぼれ落ち、手を伸ばしたけれど先に黒子に拾われる。本気を出すなら最初からか相手の力を確認して直ぐにすれば良かったのに、中途半端に拘るからそうなるんだよ、馬鹿だな。

 

「……もう終わりだね」

 

 僕が目を向けた先では襟首を摘ままれた九十九がパンダの口に放り込まれる。不意にパンダの顔が此方に向けられた。

 

 

「ゲロ不味ー!!」

 

 凄い勢いで吐き出された九十九は唾液にまみれながら飛んで来て、既に勇者はそれに向かって跳んでいた。彼女が拳を振り上げた時、既に射程内に九十九が存在している。タイミングは完璧で、僕は懐に手を入れる。少し怖かった。

 

 

「色々言いたい事は有るけれど……何処の世界のパンダの話よっ!」

 

 僕が凄く同感だと思う中、勇者の拳は九十九の顔面に突き刺さった。そして、そのまま……。

 

 

 

 

「ガァアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

「えっ!?」

 

 そしてそのまま、僕の拳が九十九を殴り飛ばした瞬間の勇者の横腹に突き刺さった。紙の様に飛んで行き、幾つもの建物を貫いて行く少女の肉体を目で追った時、驚愕の表情で僕を見上げる皆の姿が目に映る。鏡に映った僕の異形の肉体がハッキリと見えた。

 

「コレガ……僕」

 

 着ていた服は全身が倍に膨れ上がった事で上半身は完全に破れて布が体に引っ掛かっている程度。元から日に焼けていた肌は更に黒くなり、重金属の輝きを持つ漆黒。千切れ飛んだ眼帯の下、そこには存在が始まった頃から何も存在しない。代わりに元の姿の時よりも唯一の目が巨大になって中心に来ている。そして頭には天に向かって伸びる一本の角。

 

 

 紛れもない怪物の、人間の敵の姿がそこにはあった。

 

 少しだけ薄れて来た自我を何とか掴み取りながら思い出すのはこの姿になった理由について。忠誠を誓ったレリル様の側近であるアイリーン様より受け取った物についてだった。

 

 

 

 

魔侵丸(ましんがん)?」

 

「そうよ。気に食わないけれどリリィ・メフィストフェレスが造ったアイテムなの。魔族の力を大幅に増幅させる力が有るわ」

 

「リリィ・メフィストフェレスの……」

 

 その名は僕でも知っている。同族でさえも道具として、捨て駒として扱う非道な最上級魔族。正直言ってレリル様には奴を倒して欲しいとさえ思う程に部下への扱いが酷い。それでも圧倒的な力に本能から従う奴が多いけれど、僕から言わせて貰えば主従揃って破滅願望の持ち主だよ。

 

「安心しなさい。本当は自我を奪われるけれどレリル様が部下にそんな物をそのまま使わせると思う? 思うのなら言いなさい、私が貴方を今すぐ殺すから」

 

「……無いよ」

 

 渡された丸薬が入った袋を懐に仕舞い込む。このアイリーン様も問題が有るけれど、僕はレリル様に忠誠を捧げた身だ。童貞だって捧げている。その為に僕は裏切り者の認定を受けて魔族としての痕跡を全て消去したんだ。

 

 

 

「貴方の忠誠心にはあの御方も期待しているわ。さあ、頑張りなさい。我等が同胞……スカー・サイクロプス!」

 

 

 

 

 

 期待に応えたい。同族の役に立ちたい。それに守りたい物が有る。守りたい相手が居る。それが僕の手から零れ落ちたとしても、離れてしまったとしても、それでも僕は構わない。カマ、ワナ……イ……。

 

 

 

「ウガァアアアアアアアアアアアア!!」

 

 咆哮と共に僕は家を持ち上げる。土台を簡単に破壊して頭上高く持ち上げた。視線の先には勇者が這い出ている瓦礫の山。そこ目掛けて全力で投げ付けた。避ける暇も無く激突し、響く振動と破砕音。何処から漏れたのか火の手が上がる。自分の手で壊れていく町を目にした時、僕の中でも何かが壊れる音がしたんだ。



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使い魔、シリアスになる(嘘)

 黙示録の獣(アポカリプス・ビースト)、それが僕を危険視する神が付けた名前だ。ボスが言うには世界を滅ぼしうる力を持った存在を意味する名前らしい。頭のネジが締まっていない神とマスターの悪ノリで創造された僕を警戒するのは理解するけれど、同時に無駄な心配ご苦労様、杞憂の極みだとも思う。

 

 だって世界を滅ぼしたら悪戯する相手が減るから面白くない。目の前の生き物全てを殺し、文明を悉く破壊したとして、楽しいのは暴れている僅かな間。何かを壊すというのは一種の快感を感じる事だけれど事が済めば我に返って後で悔やむのさ。時の流れは川の流れと同じで一定。まあ、将来的に僕は過去にさえ干渉出来るのだけれど、多分それも歴史の流れに含まれているのだろうね。何か問題が起きて修正したとしても、未来の存在が修正したという流れに沿ってそこに辿り着くのさ。

 

 まあ、僕は面白い事と美味しい物が大好きで、マスターやボスと居るのは楽しいし、友達や弄くったら楽しい相手は何かを気を配っても良い対象さ。……逆に楽しい事の邪魔をされるのは嫌いだし、気に入っている相手を傷付ける奴には腹が立つ。僕は六百六十五人の神と一人の賢者が創造せし獣、名はアンノウン。だから、人の道理なんて通じない。純粋に単純に思いのままに動くだけなのさ。

 

 

 今のお気に入りの相手であるゲルちゃん。打てば響く愉快な女の子。世間知らずで僕に騙されやすく、その上中々のツッコミの才覚を持っているから相手をするのが愉快で愉悦。その子を殴り飛ばしたスカーはすっかり人間を辞めた姿をしている。いや、端から人間じゃなかった、人間の真似事をして人間に混じって居ただけか。

 

「何やってるんだよ、スカー!」

 

「辞めてよ、スカーさん!」

 

 町の人達が必死でスカーに言葉を掛ける。例え経歴不明の余所者でも、それを受け入れる懐の深さを持つ人達だ。ましてや共に笑い共に語り、そしてモンスターとの命懸けの戦いを何度も共にした相手。人じゃなくても、人の天敵である魔族でも、人の姿を完全に消し去っても絆を信じている、想いを棄てられない。

 

「ククク、何ともまぁ。酷い話だとは思わないか、我が主? そもそもモンスターが大挙して押し寄せ、海賊を受け入れるしかなくなったのは何故か、それを知らずに元凶を守ろうとしているのだからね。優しかった仲間、大切な友にこれ以上罪を犯させる訳には行かない、と言った所か?」

 

 未だ仕事時間なのに鳥トンが大ジョッキに並々と注がれたビールを飲みながらキグルミの下でほくそ笑む。そもそもの話、今までゲルちゃんが感じ取っていた魔族の臭いもマスターの感知でも魔族と見抜けなかった理由は一つ。彼奴からは何かの魔法で隠蔽している様子を感じない。あの九十九って名乗った、美味しくない魔族はそれが有った。いや、美味しくなかったのはそれが理由だろうね。パンダの味覚とリンクして感じたのは、好きな調味料を全部使ったせいで好きなお肉が美味しくなくなった、そんな感じ。

 

「魔王から裏切り者の烙印を押され同族に追われる存在。同時に魔族ならば従えられたモンスターに不倶戴天の敵の如く狙われる。明かりに集う羽虫の如くモンスターは裏切り者に誘われる。……まあ、奴は敢えて裏切り者となったらしいがな。勇者を攻撃したのがその証。……ククク、随分と滑稽な話だ。自分達を苦しめた災いに共に立ち向かったのだと種族を気にせず絆を保つが、その災厄を故意に持ち込んだのがその仲間なのだからな」

 

 見ればスカーは九十九を庇う様に片手で抱き上げ、唸り声で自分を慕い信じてくれる相手を追い払おうとする。でも、離れない。何かの間違いだと思いたいのさ、きっとね。明日からも共に笑って過ごせると呑気に思っている、いいや、思いたいのだね。どうやらスカーが想定していた以上に絆は深い。どうせなら暴れて怪我人でも出せば良いのに、それをしないなんて縁起の予定が絆されてしまったんだ。絆って物を甘く見ていたんだよ、君は。

 

 人との絆は棄てられない。でも魔族として同族を守りながら勇者を、人間の希望を潰えそうとしている。ぷーぷぷ、実に中途半端の二兎追う者は一兎も得ずの典型さ。二兎欲しければ分裂出来る力を得る事だね、僕みたいにさ。それが無理だから……大切な物を失うんだ。

 

「おい、何をしているんじゃ、スカー。この邪魔な人間共をさっさと……」

 

 しがみついて止めようとする人を乱暴に振り払うでもなく、ましてや言葉に従って止まる訳でもないスカーの目は時々飛びそうになる理性を気力で繋ぎ止めているのが分かった。その理由が理解出来ない九十九は腹立たしそうに始末しろと嗄れた声で指示するけれど、その言葉が終わるよりも前に声は止む。僕の目から放たれた二筋の光線が九十九の胸と頭を斜め上から貫いたからだ。

 

 末期の声も出さずに即死した九十九は光の粒子になって消え、放出の続く光線は地面を貫いていたけれど、角度を少し上に向かわせれば前方の建物を両断しながら伸び続ける。うん、当然だけれどスカーの腕だって簡単に切断出来たよ。切り飛ばした瞬間に断面は熱で灼けて血は出ないけれど、骨の芯まで熱せられた痛みはスカーの意識を一瞬奪い、それは僕がゲルちゃんの居る瓦礫の山とスカーの間に降り立つのには十分な時間なのさ。

 

「うーん、残念だったね、はい終わり!」

 

 僕の瞳に光が収束するのを見たスカーは咄嗟に動こうとするけれど、その足に鳥トンが投擲した鉄串が突き刺さって地面に縫い止める。あの串は奥まで刺さった瞬間に側面からも刺が伸びて返しになる逸品さ。動けない、逃がさない。僕のお気に入りを傷付けた罪は死んで償え。

 

 僕の瞳が見据えるのはスカーの巨大な一つ目、頭の中心。撃ち抜けば確実に絶命させられる場所を狙われて、中途半端な覚悟が少しはマシになる。縫い付けられて足が動かないのに拳を構えての臨戦態勢。どんな魔族でも誇りとして行う名乗りを上げ、それをしたからには堂々と戦う気だ。例えそれが一方的に圧倒的にやられるのが分かっている勝機が壊滅的な戦いでも、消極的にはなりはしない。

 

「僕の名はスカー。中級……ぐっ!?」

 

 でも、それって僕には無関係だよね? 正々堂々名乗りを上げて、いざ尋常に何とやら? 残念、僕は獣でーす! 純粋に残酷に、自分の思うがままに戦うのさ。僕のビームはスカーの脇腹を貫く。骨も内臓も芯まで灼けて、傷を手で押さえて膝を折る。

 

 さて、オヤツ食べてベッドでゴロゴロしたくなって来たから終わらせるか。今度は本当に急所を狙って命を奪う。スカー、君はい中途半端だったんだ。人を騙して魔族の為に動いていた癖に、情が移って人間の敵に成り切れない。だからこうして惨めに死ぬんだ。誇りも無く、そういった事に拘りの無い僕にやられてね。人に情が移ったなら、そのまま人の味方にだって成れたのに。まったく、情って本当に厄介だよね。

 

「待って! スカーを殺さないで!」

 

「魔族だとしても大切な仲間なんだ!」

 

「……えー?」

 

 本当に情って厄介面倒。ビームを撃つ直前に僕の前に飛び出す人達。うーん、一緒に撃ち抜いたら駄目かな? ゲルちゃんを攻撃した魔族を庇っているし、多分大丈夫だけれど、マスターに叱られるのは嫌。この人達の生き死にに興味は無いけれど、オヤツが何かは気になるもん。

 

 オヤツ抜きか目の前の鬱陶しい存在を消し去るか本気で迷った僕の動きが止まり、海に異変が起きる。噴き上がった海水が巨大な竜になって町まで向かって来たんだ。アレが町に当たれば水圧と重量で多分壊滅的被害が出るよね。僕の視線は竜に向き、スカーの体は光り輝いて消え去る。あっ、逃げられちゃった。

 

「君達、見捨てられちゃったね」

 

 実際はスカー以外の手による転移だけれど、鬱陶しいのを倒す邪魔をしたから少し意地悪をする。僕だって怒る時は怒るんだ。まあ、今はそんな事を気にしている場合じゃ無いんだろうね。水の竜は港周辺を圧し潰せる程の巨体で今から逃げても間に合わない。直撃して水に潰されるか、避けても瓦礫と一緒に押し流されるか。

 

 僕には一切関係無いけどね。助ける気なんて一切無いよ? その覚悟を持って魔族を庇ったのだろうからさ。今更逃げても無駄だけれど、子供だけでも助けるべく抱きかかえて逃げ出す人達。その目の前で瓦礫の山が弾け飛び、羊が沢山飛び出した。

 

「メー」

 

「メー」

 

「メー……メッ!?」

 

 勇ましく鳴いて出て来たのは良かったけれど、途中で水の竜に気が付いて変な鳴き声になる羊。フワモコの毛で人気を集めても、所詮はパンダの敵じゃない。だってパンダはラブリーだけれど言うても猛獣、熊科の代表(但し僕調べ)。でもまあ、慌てふためいて走り回っているけれど、ゲルちゃんが埋まっているf瓦礫から離れないのは評価してあげるよ。

 

「……思いっきり油断していたわ。これは後で大目玉ね。でも、その前に……言わなくちゃいけない事がある」

 

 瓦礫を押し退け、ゲルちゃんが姿を見せる。所々に怪我をしているけれど骨折や後々残りそうな傷ではないね。そんな傷でもマスターなら簡単に癒せるけれどね。流石は癒し系マスコットポジションの僕のマスターだと感心しながらゲルちゃんを眺め、必死に笑いを堪える。今の彼女は凄いアフロで、頭の大きさが通常の三倍以上になっていたんだ。

 

「その愉快痛快な大爆発ヘアーはどうしたのさ、ゲルちゃん? 僕のアフロビームでも浴びた?」

 

「確信しては居たけれど、本当に貴方の仕業だったのね、アンノウン! 瓦礫に埋まる時に咄嗟に召喚した羊達に守って貰ったけれど、隙間を縫って飛んで来たビームを浴びたらこうなったのよ!」

 

「もー! 僕は君を襲っている魔族を攻撃するついでに君に当たる時はノーダメージでアフロになるだけのビームに変えたのに失礼な子だなあ。まあ、別に当てる必要も無かったけれど」

 

「乙女心にダメージが入っているわよ、クリティカルだわ! だいたい、常に全身全霊全力全開で失礼なのは何処の誰よ!」

 

「……ゲルちゃん?」

 

「アンノウンでしょ! 他に誰が居るって言うのっ!」

 

 答えが判っているなら訊ねる必要なんて無いのにゲルちゃんは変な子だ。拳を震わせて今にも殴り掛かって来そうだけれど、周囲の羊は呑気に笑っているんだ。だって本人は気が付いていないけれど、怒りのエネルギーを変換して徐々にアフロは大きくなっているからね。うん、もう少し弄くろう。具体的には胸に関する話題で。

 

「別に減るもんじゃなし良いじゃない。僕だって泣く子には悪戯しないよ? ゲルちゃんみたいに反応が面白い子だけさ、弄くるのは」

 

「減る! 思いっ切り減るから!」

 

「あー、確かに。世の中にはゼロより少ないマイナスが有るものね」

 

「……その喧嘩、買った」

 

「じゃあ、料金は今日から三日間は僕に好物のオカズ献上ね」

 

 それを言うなり僕は逃走、脱兎の如く逃げ出した。忘れていたけれど直ぐ其処まで迫っていた水の竜の下をかいくぐり、一方ゲルちゃんは避けられないと見るやお腹のポケットから小さくしたブルースレイヴを取り出して真上に向かって振るう。元の大きさに戻った刃の先は竜の顎に当たり、内部に沈むより前に地印が発動した。でも、それじゃあ足りない。地印一つで逸らせる程に甘い術じゃ無いんだ。上へと弾く力に耐えながらも前に進む竜が地面に激突するまで、要するに港一体が壊滅するまで残り数秒。今度はレッドキャリバーを叩き込んで天印を刻むなり真上に投げた。

 

「アンノウン!」

 

 上へと弾く力に加え、真上に引き寄せる力が加わって竜は天へと昇って行く。でも、それも時間の問題だ。投げられたレッドキャリバーが落ちれば意味をなさない、但し僕が居なければ。

 

「はいはい。んじゃ、拡散型パンダビィィム!!」

 

 頭に乗せたパンダの瞳から放ったビームは無数に枝分かれして竜に命中、その巨体を崩れさせる。地表で崩壊すれば洪水になっただろうけれど、空高くで普通の水に戻ったから少し強めの雨程度になって広範囲に降り注いだんだ。そう、火事になっている港にね。ついでにアフロが更に膨らむ効果も付けていたのでゲルちゃんの頭は凄い事に。

 

「あはははは! もうアフロの方が大きいねー!」

 

 脱兎の如く逃げ出して、誰かの手が僕の頭に優しく置かれる。見ればマスターが困った様な顔をしていた。

 

「こらこら、悪戯も程々にしなくてはいけませんよ? めっ!」

 

「はーい! ゲルちゃん、ごめんね。僕、超反省!」

 

「……いや、していないでしょう」

 

 ゲルちゃんから途轍もない冤罪被害を受ける僕。0・0000000001ナノミクロンは反省しているのに酷い話だった。

 

 

 

 

「ああ、酷い目に遭ったわ。……それで賢者様、何か成果は有ったのよね?」

 

「当然。解析はバッチリなので三度目は許しません」

 

 ゲルちゃんの怪我とアフロ、ついでに壊れた町を直してから車内に戻った後、ゲルちゃんはマスターへと問い掛ける。答えは分かり切って居るんだから敢えて訊ねる必要が有るのかな? うーん、意味深に質問する私って素敵、って感じ?

 

「ボス、ゲルちゃんって中二病?」

 

「中二病とは何だ?」

 

「マスターが教えてくれたんだけれど、思春期特有の特徴だってさ」

 

 ボスは少し頭が筋肉寄りだし、僕は真面目なお話は苦手だから参加しないけれど、あれだけの騒ぎになってもマスター達が姿を見せなかったのは見に徹する為だったってさ。幾ら何でも異常な数のモンスターの襲来、そして鳥トンから受けた嫁渡りの船に紛れた魔族の存在。収穫は結構有ったみたいだけどね。

 

「スカーが消えたのって前に僕がジャイアントパンダプレスでイシュリア共々押し潰した魔族が消えた転移魔法でしょ?」

 

「ええ、危機に瀕すれば自動で発動する面倒だった奴です。本人が使う訳ではないので初動が無くて止めるのが手間な奴でした」

 

 面倒だった、手間な奴でした、つまり既に面倒でも手間でも無いって事だね。これで厄介事が一つ解決して、スカーに反応していたと判明したからモンスターの件も解決。でも、厄介な事は残っているんだ。

 

「取り敢えず水の竜はウェイロンの術だよね? 本格的に魔族の仲間と見て良いとして、スカーを庇った連中はどうするの?」

 

「……そうですよね。賢者様、どうにかなりませんか?」

 

 勇者を害そうとすれば一族郎党連座で処刑が世界共通の法律。要するに人の世界を滅ぼそうって事だから当然だよね。じゃあ、スカーを庇った連中はどうなるかと言えば、あの時はゲルちゃんの状態なんて分からなかったし、スカーを倒さないと救出も難しいって事実と違っても、そんな風に判断して然るべきって奴さ。分からなかった、なーんて通じないし言わせない。

 

 でも、ゲルちゃんは気にするよね。直接被害を受けても居ないし、良くして貰ったから。まあ、善人だろうが悪人だろうが法は法で罪には罰。それに、勇者は世界を救う為の存在であって法治にあれこれ口出しするのは役目じゃ無いんだ。

 

「……彼等が未だにスカーを仲間と扱っているのが面倒なのですよね。色々と説明したのですが、義理人情は理屈から目を逸らさせる。本当に魔族を裏切っていて、何か理由があって暴れただけだと思っている……いえ、思いたいのでしょうね」

 

「別に良いではないか。私達の役目は立ちはだかる敵を打ち倒す事だけ。思いたいのなら思わせておけ。邪魔をするなら切るが、ゲルダが気に病むのならば下手に罰する必要も有るまい?」

 

 腕を組み、背もたれに身を預けながら意見を述べるボス。一度見逃してしまった事で起きる次や、それによる弊害を考えていないボスらしい意見だ。まあ、叩き潰せば良いだけだもんね、僕も賛成さ。

 

「……ですね」

 

 流石はボス、見事な脳筋理論だね。マスターも異論は無いのか静かに頷いた。基本ボスの意見は全肯定だけれど、勇者時代の他の仲間は面倒だっただろうね。

 

 

「……さて、ゲルダ。他に言うべき事が有るだろう? 言え、包み隠さずにな」

 

 誤魔化しは許さないと眼力で告げるボスにゲルちゃんは身を縮こませる。事態が事態だし仕方無いよね。ゲルちゃんも堪忍したのか元から相談予定だった海竜のビサワの事に加えて森で襲われた事も話し始めた。

 

 

「何故話さなかったのかについて小言は後で述べるとして……キリュウ、町長はどうして襲撃を隠蔽するのだ? 悪人などさっさと始末すれば良いだろう? 隠せば共犯ではないか」

 

「その共犯だから隠すのですよ。襲撃は兎も角、どうも色々と町ぐるみでやらかしているらしいです」

 

「?」

 

 マスターの言葉に対し、ボスは首を捻るだけだった。

 

 

「取り敢えず全員殴れば良いのか?」

 

「殴らないで下さい。……いえ、詳しく調べ終わるまで待って下さい。下手をすれば師匠が出張る案件かも知れませんが……それは避けたい。私達で取り敢えずの処罰を与えてなあなあに終わらせましょう」

 

 うーん、何か絶好の悪戯のチャンスの予感だね。僕達がそうやって話し合っている時、お客さんがやって来た。嫁渡りの関係者らしいけれど、勇者であるゲルちゃんに顔を出して欲しい所が有るとか。

 

 

「結婚式? 素敵ね、是非出てみたいわ!」

 

 目をキラキラさせるゲルちゃん。結婚式や花嫁に憧れているって聞いたけれど此処までとはね。……その憧れを向けている新郎新婦の片方は、隠れて本命の男と密会しているって知ったらどんな顔をするだろう? 別の相手と将来の約束をしているってさ。……まあ、鳥トンとの約束だからマスターにも言わないけど。面白い物を見せるってのが交わした契約だからね。

 

 

「ゲルちゃんは幸せだなぁ」

 

「……えっと、何故か馬鹿にされている気がするのだけれど?」

 

「してるよ?」

 

 



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この黒子は紳士ですか? いいえ、変態紳士です

 この世は未知に溢れている。両親を事故で失い、幼い頃からお祖父ちゃんに育てられた僕にとって村から遠く離れた場所に在る町すら話で聞くだけで別の世界みたいに感じていたんだ。

 

「よーく聞け! 男だったら野望を抱き、突き進め!」

 

 お祖父ちゃんは何というかちょっと変わった人で、女の人にだらしなくってお祖母ちゃんに逃げられたってお母さんから聞いた事が有る。うん、実際に牛乳屋のお姉さんをデートに誘っている姿を見ると信じるしかなかったよ。一度も成功した事が無いけどね。

 

 そんなお祖父ちゃんも死に、僕は育った村を出た。目的は塔の制覇、この世で最も未知に溢れる場所で英雄になる事だったんだ。

 

 塔、それは古代より存在する謎の建造物。周囲は半日掛かりで周る程に広く、内部は更に広く複雑で、一日毎に内部の構造がガラッと変貌する。塔の中だけで採取できる独自の植物や鉱石、誰が用意しているのか分からないけれど不思議な力を持つ道具が入った宝箱。何よりも内部に生息するモンスター。ある人は未知に浪漫を求め、ある人は巨万の富を求めて塔に挑む。誰が何の目的でどの様にして建てたのか、塔の頂上はどうなっているのか、多くの夢が塔で生まれ、そして散って行った。

 

 道半ばで死ぬかも知れない、そんな恐れは確かにあった。でも、それでも僕は知りたかった。未知を探求し、心躍る冒険がしたかったんだ。

 

 

「……うん、あれは絶対に関わらないでおこうか」

 

 塔は未知と危険が待っていて、人は一人じゃか弱く、力を合わせる事で困難を乗り越える。だから塔の制覇を目指す者達『探求者』が集まった集団『探求団』。この日、僕は受け入れてくれる探求団を求めて周り、世の中には未知のまま放置しておいた方が良い物が存在するんだって知ったんだ。

 

 塔を攻略すべく集まる探求団、彼等が持ち帰る富の種を目当てに集まった商人達によって何時しか世界有数の大都市になったその街の中心地、そこに存在していた寝転んだパンダの姿をした奇妙な建物。口が入り口になっていて、目玉が動いて明らかに僕の動きを追っている。僕は絶対に関わっちゃ駄目だと察したよ。だって街の人達は見ない振りをして避けていたから。だから僕も自然に視線を外してシレッとした顔で通り過ぎる、その筈だったけれど……。

 

「……え?」

 

 突如開いた扉、伸びて来たカーペット。気が付けば僕の体をカーペットが絡め取り、内部へと引き込んだ。

 

「え? え? えぇえええええっ!?」

 

 あまりの事態に僕は一切抵抗出来ず、恐らくありとあらゆる抵抗は意味をなさない。この時の僕はパンダに握られた笹……いや、蜘蛛の巣に捕まった蝶も当然だったのだから。混乱の極みの中、連続してクラッカーの乾いた音が響き、紙吹雪や紙テープが僕の体に纏わり付く。何とか周囲の状況を確認した僕の目の前には奇妙な集団が待ち構えていたんだ。

 

「ようこそ、アンノウン探求団に!」

 

 中で待っていたのはパンダを中心にしたキグルミ集団。正直言って訳が分からなかったよ。これが僕とアンノウン様との出会い。まあ、黒子姿なのに大手探求団がかなりの高層で手に入れた装備に匹敵する性能だったし、色々と教えてくれる先輩も居たので不満は少ししか無かったけどね。

 

 ああ、それと彼女に出会った事だね。幼くて純粋な少女、探求団で唯一のキグルミじゃない僕の初恋の相手。彼女に格好良い所を見せたい、それが僕が張り切る理由になった。さて、これで僕の身に起きた僕の為の、僕のみの物語は一旦終了。この世界で繰り広げられる物語において僕は脇役すらでない黒子、本来は存在しない、存在しない者として扱う存在だからね。

 

 

「……」

 

 ダサラシフドで最も高い建物の屋上に陣取って港の広場を見下ろせば、嫁渡りの一環として行われる結婚式の準備が行われている。あくまで儀式の一課程だから本来は本格的な式にはしないらしいけれど、主役の片方は大きな街の網元の跡継ぎ、下手な式よりもずっと豪勢な会場が仕上がろうとしている。

 

「何も知らない……とは幸せなのでしょうか? 彼女が浮かべる幸せそうな表情はとても偽りだとは思えませんね。悪魔より悪魔らしい、そんな言葉を贈りたくなります」

 

 横から差し出されるコップに注がれているのはキャロットジュース、僕の好物だ。黒子で隠れている僕の髪は白で瞳は赤、アルビノの僕は好物と合わさってまさに兎だとお祖父ちゃんに弄くられていた。渡してくれたグレー兎さんは、ちゃんと長いストローも刺してくれているので顔の布が邪魔にならないのは助かる。だって黒子が舞台の途中で顔を見せたら観客は興醒めだもの。

 

「……鳥トンは同族であり利害の一致でしたが、貴方があのド腐れ鬼畜畜生の性悪に従う理由が分かりませんね。私や彼みたいに契約を交わした訳でも無いのでしょう?」

 

「……」

 

 僕は黒子で台本に台詞が書かれている筈が無い。だから無言を貫き、筆談やジェスチャーで伝える。最初は紙に書こうと思ったけれど、マジックのインクが乾いていて途切れ途切れになるので途中から身振り手振りで伝える方に方針転換。思えば修行の一環でジェスチャーの授業が有ったのは今の任務の為かもね。

 

「恩を感じている? アレにですか? ……失礼ですが脳の検査を受けた方が宜しいかと。ストレスで異常が発生していると推察します」

 

「……」

 

 腕を組み、静かに頷く。ストレスを感じる位に振り回されたのは否定しないし、性格がひん曲がったド腐れ鬼畜畜生の性悪珍獣なのも賛同するよ。でも、それ以上に恩義がある。頭で理解して覚悟を決めるのと、実際に死に直面して恐怖を乗り越えるのは別だ。命懸けの冒険に戦いの基礎も知らない僕みたいな奴を連れて行くのは物好きだけで、あの場所に居るのは本当の覚悟を学んだ人達だ。

 

 だから僕みたいなのが入団を希望しても冷たく追い払われていただろう。ある人は邪魔だとして、ある人は優しさから。虚弱体質が多いアルビノの素人を育てる手間暇を掛けるよりも重要な事が彼等には有ったのだから。だから、僕を受け入れてくれたアンノウン様には恩義がある。ストレスで吐血する位に振り回されたとしても。

 

「……そうですか。私からは此処までとします。では、私は家に帰る時間ですので」

 

 中身を飲み終えたコップは何時の間にか彼女に回収され、お辞儀に釣られてお辞儀をして顔を上げれば既にグレー兎さんの姿は消えている。じゃあ、仕事を続けよう。僕も休日には初デートの予定だ。何度も誘おうとしては失敗し、漸く成功したデートの誘い。どんな黒子の衣装を着て行こうか本気で迷う。

 

「……?」

 

 今、強烈な違和感が有った。まるで僕がデートに黒子衣装で行くのが変な事みたいに思えたんだ。何故か寝ている時にアンノウン様が耳元で何か呟いていた気がするけれど何故だろう?

 

「……」

 

 そんな雑念を顔を振って振り払った僕は式の準備の観察に集中する。スタッフに混じって働く青年の姿が目立った。逞しい人達に囲まれて育ちながら、自分は体が丈夫じゃなかった故に苦労して来た網元の息子のコンラッドさん。見ていると力仕事以外の飾り付け等の仕事に精力的に取り組んでいた。その少し後ろの方ではリノアさん……グリエーンでゲルダちゃんと相対した人を、脅してけしかけた魔族と同じ名の新婦が丸太を担いで運んでいる。

 

「……」

 

 大富豪である網元の息子と酒場の給仕の娘の恋物語。お決まりの筋書きだったら反対されての逃避行だったんだろうけれど、二人の周囲の人達は物語にありがちな人とは少し違っていたんだ。

 

 気は優しくて力持ち、豪傑という言葉が服を着て歩いているかの様なエルフに負けず劣らずの気の良い人達。息子を荒くれ者から助けてくれた相手を侮蔑なんてする筈もなく、二人の未来は明るい。……でも、それは一見しただけならだったんだ。

 

 明るい未来は幻で、紡いだ絆は偽りで、語った愛は虚偽だった。誰も彼も二人の未来を信じて祝福するけれど、絶望に変貌する時は刻一刻と迫っている。足音を忍ばせ、後ろから襲い掛かる時を今か今かと待ちわびているんだ。

 

 ……ゲルダちゃんはそれを知った時に何を思うんだろう? 結婚式や花嫁に憧れる姿は勇者に選ばれて何度も戦って来た事が信じられない位に普通の子。素直で純朴な可愛い女の子。

 

「……うん」

 

 あの活発だけれど礼儀も知っている所が僕としてはポイントが高い。清楚なドレスや逆に幼さに相反した妖艶さを感じさせる服装も良いけれど、ツナギ姿に麦わら帽子って野暮ったいのも実に素晴らしいよね。生足が見えないのが残念だけれど、時々袖の間から見える腋が何とも……。

 

 思わず声を出し、腕を組んで数度頷く。ちょっと浮気心みたいで気が咎めるけれど、僕だって男だから仕方が無い。好みである幼……年下の女の子に心惹かれる程度は許して欲しいな。……何故か一時間程語った時には友達全員に引かれたけれど。

 

「!」

 

 思い出した心の傷を癒す為、今まで出会った好みの美少女達の姿を思い出していた僕の背後から気配を感じた。間違い無く魔族の気配。僕の背中に視線を向け、動く。

 

「!?」

 

「……」

 

 だけれど遅い。相手の初動の途中で僕は振り向かずに逆手に持ったナイフを突き出す。頸動脈から胸に掛けて一気に切り裂く。僕のナイフは鉄すらも豆腐みたいに切れるから手応えが無いのは分かっていたけれど、それでも何も感じないのは幾ら何でも有り得ない。まるで空気か靄でも切ったかの様な感覚。おかしいと思った時、僕は既に跳んでいた。

 

 建物の屋上から屋上へと飛び移りながら回転、背後から迫った相手の姿を確認して着地に失敗する。跳躍の勢いを乗せて頭から石造りの床に激突したけれど、僕の意識はそれでは飛ばない。何故なら別の事に意識を奪われているからだ。

 

「……わーお」

 

 再び口から出る言葉。僕の視線の先に居た魔族の頭には赤毛の狐耳と尻尾、顔と体は人形めいた不思議な表情。服装は毛と同じ赤色でノースリーブのミニスカワンピだ。他人の空似では絶対無いって僕の中の愛が激しく告げる。間違い無く僕の初恋の相手だった。しかも、隣の建物に移った僕を屋上の縁でしゃがんで眺めているから見えたんだ。そう、スカートの中が。

 

 鼻から少し熱い物が出るのを感じる。僕は今も彼女に見惚れてしまっていた。それで着地に失敗したと分かっていてもそうせざるを得なかったんだ。だって凄い好みだったから。

 

 ついつい視線は足の間、スカートの奥の水色横縞模様に注がれる。男の悲しい性って奴なんだ。どうせ顔は布で隠れていると油断していたのだけれど、この衣装を用意したのがどれだけ性格がひん曲がった存在かを僕は失念していたんだ。顔を覆い隠す布の表面に現れた文字が透けて見えたよ。『パンツ見えています』、だってさ。

 

「っ!? ……変態」

 

 咄嗟にスカートを手で押さえながら飛び退く姿も愛らしい。顔が真っ赤になっているのも僕の中では高評価だ。僕の膝の上に乗った彼女の尻尾と耳を同時に触りながら鏡に映った羞恥の表情を眺めたいと思った時、右腕を振り上げた彼女がスカートを押さえながら飛び掛かって来た。

 

「……死ね、変態」

 

「……」

 

 せめて変態の後に紳士を付けて欲しいと願う僕の現状は天地逆転の体勢。僕に向かって手が振り下ろされれば深い爪痕が建物に刻まれる。でも、粉塵が舞い、騒ぎに気が付いた人達の悲鳴が届くその場所に僕の姿は存在しない。爪が振るわれる瞬間、腕のバネだけで飛び上がった僕は彼女の真上に居た。流石に布がめくれ上がって露わになった僕の顔。目と目が合い、特に彼女がときめく事無く空中に居る僕に向かって両手を構えて振るおうとする。あれ? もしかして避けられない? 

 

「……」

 

 金属と金属が衝突する甲高い音、ナイフを握る僕の手は若干の痺れを感じ、彼女の手には浅いけれど裂傷が出来て血が滲む。避けられないなら受ければ良い、単純な話だったんだ。女の子に怪我をさせたのはちょっと良心が痛むけれどね。空中で身を捻って彼女を見据えたまま着地した時、聞こえて来たのは歯噛みの音。この時、初めて彼女は感情を出して僕を見る。忌々しさと僅かな恐怖だ。

 

「……私はプリュー・テウメソス。貴方の顔と匂いは覚えた。次は絶対に殺す」

 

 踵を返すと屋根から屋根へと飛び移って遠ざかって行くプリューちゃん。どうやら僕は彼女に匂いを嗅がれてしまったらしい。少し嬉しかった。名前も教えて貰ったし、少し好意を持たれていたら幸せだな。

 

 

 

 

 

「プ、プリューちゃん、顔色悪いけれど……」

 

「……嫌な寒気がした。多分変態に出会ったから」

 

「うへぇ。大変だったな、マジで」

 

 

 

「……ふぅ。君は相変わらず肝心な時にギャグに走るよね。もっと真面目にやりなよ、真面目にさぁ」

 

 プリューちゃんが逃げた後、僕はアンノウン様に叱られていた。わざわざ本体じゃなくてパンダのヌイグルミを介して叱られているから凄く屈辱だ。何よりもアンノウン様にだけは言われたくないよね。

 

「ん? パンダに何か付いてる? あっ! ちょっとソースで汚れちゃってるよ。ありがとー」

 

 そっと鏡を差し出してパンダを映すけれど、どうやら通じなかったらしい。自覚は有る筈だし、もしかしたら分かっていてやっているのかも知れないな

 

「じゃあ、今日はもう帰って良いよ。ちゃんと僕が主催するキグルミで一番のカバディ選手を決める大会に向けて練習しておいてね」

 

「……」

 

 静かに頷く。だけど練習はしないでダサラシフドをブラブラと散策したら部屋に戻って昼寝でもしよう。どうせ大会が開かれるかどうかも未定だしね。……この前の椀子そば大食い大会の練習だって無駄になったし、信用出来ないんだよなぁ。

 

 何故か人に避けられながら町を歩いていると時折子供とすれ違った。活発に動く子供達の後ろ姿、ふくらはぎや腕や首筋に視線を向け、子供は矢張り可愛いと思う。僕だって十代半ばだから子供だけれど、子供は、特に十歳前後の子供が特に好きなんだ。

 

 少しだけ疑問になった事が。スカーという魔族はそれなりの期間、この町で共に力を合わせて戦った仲間だったのに、裏切りに近い形で敵に回った、いや、実際は最初から敵だったと知ったにも関わらず、暗い雰囲気の人を見掛けない。彼の事を即座に忘れられる程に仲間意識は薄くない筈なのに妙だった。

 

「え? 何だって? ちゃんと言うか欲しいのを指差してくれないと分かんないって」

 

「……」

 

「はいよ。コーヒー味が一つと他を二つずつだな。毎度あり!」

 

 さて、色々あってお腹が減ったから何か食べたくなって来た。考え事は一旦中断、嫁渡りのルールとして滞在中は誰も肉類を食べては駄目だから肉の類は無いけれど、代わりに幾つかの焼き菓子を屋台で買い求める。僕は甘い物が苦手なのでコーヒー味のを頼み、お土産にハチミツやチョコ味の物を包んで貰った。

 

「……」

 

 少しだけ結婚式場の準備の様子を眺め、帰る前に森へと向かう。ちょっと森林浴がしたくなった僕は森の中を進み、そして迷子になった。

 

「!?」

 

 何処をどう歩いて来たか思い出せない。どうやらプリューちゃんの下着や町で見かけた子達の足を思い出しながら進んだのが悪かったみたいだ。でも後悔はしていない。遭難はしているけれど。

 

「だ、誰よ、貴女はっ!?」

 

 どうやら僕は天に見放されていなかったらしい。一瞬僕を不審人物扱いしたのかと思ったけれど、悲鳴がしたのは少し先。人助けをすれば明らかに不審な格好の僕でも町まで案内して貰えると、声のした方に急げば更に男性の声がした。

 

 

「リノア! 誰か来る、凄い速さだ!」

 

「!」

 

 この距離から僕の存在に気が付くなんて凄い感覚だ。でも、重要なのは其処じゃない。相手が焦っているって事は、襲われている誰かが危ないって事なんだ。地を踏みしめ、前方に勢い良く体を押し出す。邪魔な木は蹴り折って、一刻の猶予も無さそうな現場へと飛び込んだ。

 

 

「……」

 

 でも、僕は遅かったらしい。周囲に争った痕跡は残っているけれど誰の姿も影も形も見当たらない。僕は余りにも遅すぎたらしい。目の前に転がっているのは一人と一匹の死体。首に手で締めた痕跡、それも大きさから女の人による物がくっきり残り、胸にナイフが突き刺さっている。この人には見覚えがある。確かクイラさんだった。自警団を立ち上げた人だ。

 

 その横、這いずって近寄ったのが見て取れるのは海竜の死体。恐らくはアンノウン様から聞いたビサワだろう。こっちの死体は本当に無惨だ。背中は大きく抉られ、体中には骨が見える程に深い物さえ有る無数の傷。片目は潰されていた。

 

「……」

 

 そうか、君はクイラさんを守ろうとしたんだね。地面には激しく跳ねた跡や血を流しながらも這ったが幾つも残っている。海竜の体は地上での活動には向いていないのに、自分の世話をしてくれたクイラさんの為に必死になって立ち向かったんだ。

 

「……頑張ったね。ゆっくりお休み」

 

 きっと君達は一緒に埋葬して貰えないだろう。ビサワの死体は打ち捨てられるかも知れない。だから、せめて君が海で立派に生きる事を望んでいたクイラさんの為に海に戻すよ。見当違いだったらごめんね?

 

 僕はビサワを海に戻す為に持ち上げる。此処から海まで山を越えなくちゃいけないけれど、大切な人の為に戦った英雄の為だから迷いは無い。おっと、クイラさんの死体が獣に食べられない様に町で待機しているキグルミの誰かに連絡をしなくちゃね。……あれ? 今、ビサワの口の中から何かが落ちた。

 

 それは束ねた黒い髪の毛。片側が食い千切られた様になっていて、淡いピンクの貝殻の髪留めが付いている。ビサワが残した犯人の手掛かりだった……。

 

 

 

 

 



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偽りの花嫁

 愛を誓った二人が多くの者に祝福される結婚式前夜、参列者が望み信じる二人の明るい未来とは裏腹に、夜空は鉛色の雲に覆われ月明かりすら届かない。同時期に仲間二人を失っても、幸せを信じる二人には無関係だとばかりにダサラシフドの住民は笑顔で式の準備を行い、万が一にも不作法者が二人の門出に泥を塗らないようにと、煌々と光る篝火で夜闇を照らして警備を自発的に行っている。それは彼等の気概の現れか……或いはそうでもしないと心が折れてしまいそうなのか。

 

「……行ったな」

 

 その様な中、闇に紛れて人目を忍び、明かりを避けて夜の港を進む青年の姿があった。頭から生えており時折動く耳は猫科の猛獣の類の物であり、それ故に夜目が利くのか一寸先さえ碌々見えない程の闇の中でも足取りは一見すればしっかりしている風に見えるが、少しだけ軽やかにも思える。

 

「えっと……」

 

 夜の闇を見渡す目を持っていても慣れぬ場所では迷うのが自明の理、事実彼は水夫として嫁渡りの船に乗って町に初めて訪れたのだ。名をバーシス、ぶっきらぼうな物言いとは裏腹に気が利くとして同年代の女性に人気があり、新人ながら気骨が有ると先輩達には可愛がられている。この日、彼は酒盛りの誘いを断って先に休んでいる筈だった。だが、今も酒を酌み交わしている彼等の目を盗んで抜け出したのだ。

 

「バーシス!」

 

 そんな彼が辿り着いた倉庫の裏手、特に高価な物も置いていらず式の会場からも遠いので人目も無いその場所に彼が姿を見せた途端、まるで影から這い出たかの様に唐突に女が姿を現した。近くで見ても彼女の姿を満足に捉える事が不可能な程の闇の中、二人はまるで月明かりに照らされた舞台で演じられる恋物語の一幕の様に正面から抱き合った。

 

「……髪、短くなったな」

 

 バーシスの手が触れた彼女の丁寧に結った髪は途中から無理矢理断たれた風に先がボロボロになっている。指先で彼女の髪を弄くる彼の声は少し寂しそうだ。

 

「守れなくて悪い」

 

「あら、私は平気よ。それとも髪が長くない女は嫌い?」

 

「俺は髪型など関係無くお前が好きだ」

 

「……馬鹿」

 

 一切の照れも臆面も無く告げられた言葉を受け、彼女の声には照れと嬉しさが混じる。彼より少し背が低い彼女は爪先立ちになって軽く唇を重ね、それから分厚い胸板に頭を預ける。抱き締める力が少し強くなった。

 

「ねぇ、私が他の誰かと結婚するのに嫉妬している?」

 

「……ああ。二人の幸せの為だと分かっていても、お前が他の誰かに永遠の愛を誓うのは悔しいな」

 

「ちょっとの間よ、我慢して。私の愛は貴方だけの物よ、バーシス」

 

「知っている。そして俺の愛もお前だけの物だ。絶対にやり遂げて、二人で幸せになろう、リノア」

 

 再び重なる二人の唇。先程は一瞬で離れたが、今度は暫くの間重なっていた。この時が永遠に続けばと二人は想い、この愛を生涯守る為に決意を固める。既に日付が変わって結婚式の当日、二人の運命の時が迫っていた。

 

 

 

「……女の人の髪ね。ちゃんと嗅いだ訳じゃないから断言は出来ないけれど、間違い無くあの人よ。そう、あの人が子供を浚った魔族のリノアだったのね」

 

 時の流れは残酷ね。どれだけ目と耳を塞いで現実を拒絶しても、幾ら立ち止まっていたくても、そんな事はお構い無しに進み続ける。ダサラシフドの人達にとって大切な仲間だった二人、スカーとクイラさんが死んだとしても今日も朝日は昇り、結婚式は執り行われる。

 

 私が両親を喪った時、塞ぎ込んで暫く何も出来なかったわ。でも、そんな間も羊達の世話は必要で、前を向いて歩いて行かなくちゃいけないの。でも、それが生きている人の役目だと頭で分かっていても心が叫び続けるのよ、前を見たくないって。周りの人達が支えてくれていなきゃ私は潰れていたわ。

 

 今日は結婚式、二人の門出。ダサラシフドの人達は悲しみで潰れそうな心を抑え込み、二人の幸せを心から祝う。泣きそうな顔に笑顔を浮かべ、泣き声の代わりに祝福の言葉を発して。だけど、その愛は偽偽り。祝福される価値が無い紛い物。ビサワの口に残っていた髪の残り香を嗅ぎ、祝福を述べに向かった時に見た二人の顔を思い出す。私が出席してくれて嬉しいと、勇者に祝福されて幸せだと浮かべていた二人の笑顔は眩しくて、片方が偽物だっただなんて今でも信じられないわ。

 

「……はぁ。結婚式とか憧れだったから楽しみにしていたのに」

 

 真相を知った今では結婚式が茶番劇にしか思えない。本当に凄く残念よ。大勢に祝われて、神様に永遠の愛を誓って……ブーケトスに参加したかったわ。少しばかり勇者の本気を出しても良いか本気で迷ったのに。何度目かになる溜め息の後、本当に永遠に愛が続きそうな賢者様と女神様の夫婦に目を向ける。この二人も式を挙げたそうだけれど、きっと壮大な式だったでしょうね。だって参列者も花嫁も神様……あれ?

 

「あの、女神様。女神様も式を挙げたのですよね?」

 

「挙げたぞ。キリュウがどうしても私のウェディングドレス姿を見たいし、仲間にもちゃんとした場で祝福して欲しいと言い出したからな」

 

「あの時のシルヴィアは美しかったです。今も負けず劣らず美しいですが」

 

 うん、本当に二人なら永遠に続くわね。愛の女神に永遠を誓っても数年で別れる夫婦が結構な数に上るらしいけれど、二人なら絶対にないわ。

 

 そう、結婚式で誓いを捧げるのは愛を司る神様だけれど、私が会った事のあるのは賢者様にとって小姑になるイシュリア様。ちょっと問題の多い女神様だわ。

 

「まかり間違ってもイシュリア様に永遠の愛を誓っていないわよね?」

 

「まさか。姉様は言いくるめて親族席に座って貰ったぞ。折角だから自分が神父役をやるとか言い出して鬱陶しかったがな。『神父を通して誓うのだからやってみたい、面白そう』、最後まで引き下がらなくて大変だったぞ」

 

「神が男女対の存在で助かりました。愛と戦を司る男神のマゥカ様は、イシュリア様とは正反対の人格者なので安心してお任せしましたし、快く引き受けて下さいましたよ」

 

 うん、我ながら酷い評価だと思うけれど、お二人のイシュリア様への評価だって大概だから構わないわよね? あの方の場合、式の途中で賢者様を誘惑するか下ネタを入れそうだもの。そうか、二人の結婚式は無事に終わったのね。良いなあ……。

 

「そう、杞憂だったみたいね。……あの、それで賢者様達の結婚式って魔法で見られないかしら? 楽しみにしていた今回の式は既に台無しだし、興味が有るわ」

 

「当然お見せしますよ。今日の件が終わって、気分が晴れやかなら見ましょうか。私も久々にシルヴィアのウェディングドレス姿が見たい」

 

「見たいのなら何時でも見せてやるぞ? ああ、でもシチュエーションが大切という奴か?」

 

 三百年経っても新婚さんみたいね、この二人は。普段はちょっと勘弁して欲しいけれど、今は羨ましく思えるわ。さて、気を取り直しましょう。私達がやるべき事は何時もと変わらないわ。魔族を倒し、人々を救う。それと浚われた子達についての情報も引き出さないと。

 

 

「じゃあ、結婚式は台無しになるしお肉を食べて力を付けましょう!」

 

 ハムにベーコン、ソーセージ! あれだけ食べて暫くは見るのも嫌だと思っていたお肉が恋しいわ。別にお野菜は嫌いじゃないけれど、お肉よお肉、肉が食べたいわ。

 

「……それにしてもイシュリア様って昔からイシュリア様だったのね」

 

 

 

 

 

「へっくち!」

 

「風邪ですか、イシュリア様?」

 

「多分誰かが私の噂をしているのね。美しさを崇拝したり、偉大さを賛美したり。絶対そうよ。だって私って美しい上に中身も優れた女神だもの」

 

「はぁ……」

 

 

 

 そしてその時はやって来た。結婚式に相応しい淡い水色のドレスに着替え、赤いドレスの女神様とタキシード姿の賢者様と一緒に会場に向かう。受付では町長さんが待っていたわ。

 

「これはこれは、勇者様と賢者様、そしてシル様。ようこそお出でになられましたな。ささっ、勇者様は町の住民から選ばれた参列者用の席に、お二人は此方の席にどうぞ」

 

 渡された席の配置が書かれた紙によると私と賢者様達は随分と離れた席になっているのね。……それにしても町長さんは結構なお年だけれど、どうも臭うわ。女物の香水の香りが体に染み付いている彼を見て私は不思議に思った。だって、同じく参列している人達、特に人相が悪い人達からも同じ香水の香りが漂って来たもの。

 

「……流行っているのかしら?」

 

「おや、どうかなさいましたか?」

 

「いえ、何でもありません」

 

 別に香水について訊ねる位は構わないけれど、お勧めされたら困ってしまうわ。私、香水って凄く苦手なの。だけれども勧められて使ってみるかって言われたら使うのが礼儀なのだろうけれど、ちょっと勘弁願いたいもの。それに人の趣味に口出しするのはマナー違反よね。一瞬、女装している町長さん達の姿を想像してしまって気持ちが悪くなったわ。だから私は誤魔化し、そのまま席へと向かった。

 

(少し来るのが早かったかしら?)

 

 私が席に着いた時、他の子達は殆ど来ていない。幾つかのテーブルを囲んで置かれた席に座り、飾られている花を眺めて足をブラブラと動かしていた。退屈、凄く退屈。私、何かしていないと落ち着かないのよね。お昼寝なら兎も角、こうして座っているだけだなんて欠伸が出そう。それをグッと堪え、退屈凌ぎに式場を見回す。ヴァージンロードの先にある台は花で飾られている上に大きくって凄く立派。でも、ウェディングドレス姿で階段を上らないといけない花嫁さんは大変そうね。

 

 やがて私の他の子供達も集まって来たわ。流石式への参加を許されるだけあって落ち着いているし、幾つかのグループに分かれて席に着いたのだけれど、私は非常に気まずさを感じる事になった。

 

「えっと、勇者様……」

 

「その……」

 

 大人の人達は気さくで私にも平気で話掛けてくれたのだけれど、子供はそうも行かないのね。何か話題を振ってくれようとはしているけれど、勇者って肩書きへの憧れが強くて下手な話題を切り出せないらしいわ。私だって同じ立場だったら困ったでしょうから仕方無いと思うけれど、ちょっと苦痛になって来たわ。でも、私から話を振るにしても何を聞けば良いのか分からないし。

 

 町の人達について……クイラさんの事も有るしちょっと問題ね。

 

 余所から来たらしい柄の悪い人達について……話して面白い話題とは思えない。

 

 あっ、駄目だ。故郷では遊びも仕事も殆ど限られていたから大丈夫だったけれど、私って他の世界の同年代の子供との話題を知らない。勇者としての旅だって自分の活躍を自分から話すのは自慢みたいで照れるし、この結婚式を台無しにする立場からすれば式についても話し辛い。

 

「えっと、勇者様。あの可愛いパンダはどんな子なの?」

 

 そうやって私が困っていた時、一人の女の子が意を決した表情で話し掛けてくれたわ。良かった、助かったわね。こういったのって最初の一人が一番勇気が必要だもの。この場においては彼女が勇者だわ。

 

「可愛いパンダ? ……あっ! アンノウンの事ね。可愛いって言うから分からなかったわ」

 

 私も最初はあのヌイグルミを可愛いと思っていたのよ、最初の方は。でも、あれだけ人を弄くって来るのに使われるのだもの、今じゃ可愛いとは思えないわ。

 

「え? 勇者様は可愛いと思わないの? 大きなパンダさん凄く可愛かったのに」

 

「あのパンダを操っているのが性格最悪だから。それよりも他に何か話しましょう。この世界特有の物語とか知りたいわ」

 

「そうなんだ。それにしても勇者様が花嫁さんの所にブーケを持って行くんでしょ? 良いなあ」

 

「うん、そうなの。席に座った花嫁さんにブーケを渡す役目を頼まれちゃって。良い記念になったわ」

 

 話し掛けて貰ったら話したい事が次々に浮かんで来る。勇者に選ばれたって、何度魔族を倒しても、例え世界を救っても私が女の子なのには変わらない。だから今みたいに何気ない会話が何よりも楽しかった。まるで普通の女の子に戻った気分ね。式が始まるまでの僅かな時間だったけれど、本当に楽しい時間を過ごせたわ。

 

 

「それでは新郎新婦の入場です!」

 

 でも、普通の子供の時間は一旦終了。此処からの私は勇者の時間。小さくしたデュアルセイバーはドレスの下に仕込んでいるし、魔本だって賢者様が預かってくれている。万雷の喝采に祝福されながら入って来た新郎新婦を見詰め、呼吸を整える。焦ったら駄目よ、私。相手に警戒させたら厄介だもの。そっと鼻で息をして周囲の匂いを吸い込んだ。香水や花、料理に混じって人々を嗅ぎ分け、予想は確証に変わる。魔族が誰か分かった。今、何処に居るのかも。

 

「……ごめんなさい」

 

 純粋に祝福して式に参列している人達を騒ぎに巻き込んだ事を謝罪し、私は席から飛び出す。向かった先は新郎新婦が向かう先、二人の席がある台。その中心に向かって飛び、魔包剣を発動して振り上げる。でも、一撃で真っ二つにするつもりだったけれど、先に向こうが飛び出して来たわ。空洞になった台の中、身を隠して機会を伺っていた彼が床を突き破って姿を見せたの。

 

「……あれ? 貴方、随分と大きくなっていない?」

 

 あの時、スカーは確かに大きくなってはいたけれど、精々が一階の天井に角の先が届く位。それが今では二回の真ん中に届く迄に大きくなっている。成長期……ってボケをかましている場合じゃないわ。スカーは台の柱を引っこ抜くと両手に構え、大きく振り上げた。

 

「忘れたのかい? 僕は魔族、自らの手によって発生させた人の負の念によって強くなる。強化による体の変化はそれぞれだけど、僕の場合は更なる巨大化……なのさ!」

 

 一瞬暴風が吹いたと錯覚する程の音を立てながら振るわれる石柱。ああ、もう! 確かに今まで戦って来た魔族は翼を生やしたりして来たけれど、幾ら何でもこれは反則よ、ルールなんてきめてないけれど! 流石に正体を明かした時みたいに一緒に戦った仲間ばかりじゃないから悲鳴を上げて逃げ出す人も居れば立ち竦む人達の姿もあったわ。

 

「きゃあ!?」

 

 背後から聞こえた悲鳴、目を向ければスカーが飛び出した際に飛び散った破片で怪我をしたのか頭から血を流す新婦。流れた血で純白のウェディングドレスが赤く染まる中、スカーの眼が血走って体が震える。まさか悲鳴が気に障ったのっ!? 人の演技をしていた時の温厚さからは想像出来ないけれど、確かにスカーは怒りを向けている。それも私じゃなく新婦の居る方に。

 

「……よくも」

 

 スカーの指先が石柱に食い込み、槍を投擲するかの様に投げられる。人が受ければ確実に挽き肉になってしまいそう。巨大な石の塊が高速で迫る中、二人は動かない。今逃げても絶対に間に合わないけれど。でも、私だったら間に合うわ!

 

 二人の前に躍り出て、迫り来る石柱を正面から蹴りつける。受けた瞬間に足に重みが掛かって肉が軋むけれど歯を食いしばり、地を踏みしめる足にも力を込めて蹴り抜いた。

 

「たぁっ!!」

 

 まさか蹴り返されるとは思っていなかったのね。スカーの反応は一瞬遅れ、咄嗟に腕を交差させて防御したけれど石柱の直撃を食らって踏鞴を踏んだわ。どれだけ体が固いのか結構な堅さの筈の柱が砕けて周囲に散らばっている。アレを投げられたら後ろを気にして戦うのは難しいわね。私は数歩後退り、新婦の手を取って抱き上げた。

 

「賢者様、シルさん! 守りはお願い! 私は……魔族達の相手をするわ!」

 

「魔族……達?」

 

 私の言葉に驚いた様子の新郎。確かにこの場に居る魔族はスカーだけに見えるわ。だって、そう思わせるのが作戦だったのでしょう? 私がつい視線を向けてしまった時、咄嗟に後ろに飛び退く。その足は地面から離れ、体は後方に向かう。私が蹴りを腹に叩き込んだ事で更に加速して飛んで行った。

 

「な、なんでコンラッド様を……? だって彼は普通の人間で……」

 

 信じられないといった表情で私を見る新婦、リノアさんの瞳からは驚愕と怒りを感じる。そう、確かにそう思うわよね。愛を誓った夫となるあいてだもの。

 

「いいえ、違うわ。只の人間じゃありません」

 

 私は顔を左右に振って否定する。本当に運命って残酷ね。私に蹴り飛ばされて幾つもの椅子やテーブルを巻き込んで漸く止まった彼は、いえ、彼女は本当の姿を現したわ。尤も、今の姿も偽りかも知れないけれど。

 

「リノアさん、見ての通り。貴女が花嫁になった相手は偽りだったの。……そうでしょう、リノア?」

 

「ええ、その通り。私、コンラッドじゃないわ」

 

 体に付いた埃を叩き落としながら歩み来る彼女、魔族のリノア。スラッとした体型に途中から千切られた結った黒髪。この距離からでも例の髪と同じ物だと分かったわ。多分あれが無かったらリノアさんを魔族だと勘違いしたかも知れないわね。

 

「それで何のつもりかしら、スカー?」

 

 リノアが顔に手を当てれば眼鏡が現れる。指の隙間からスカーを睨むリノアの瞳が怪しく輝いた時、後方から矢が放たれる音がしたわ。僅かに感じる刺激臭からして毒矢。

 

 

「殺せ! あの御方の愛が欲しいのなら勇者を殺せぇ!!」

 

 その矢が向かっているのは全て私の方向。町長の掛け声と共に再び聞こえる矢の風切り音。守るべき人達による明確な殺意の籠もった攻撃が私に向かって放たれた……。




次回挿し絵を投稿します


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守るべき価値 巡る因果

 敵は自分以外の誰かだけではなくって、時に自分の中にも存在するわ。傲慢無謀、そして無知と油断。それらは普段は大人しいけれど、首を刈るチャンスを狙って手ぐすね引いて待っている。

 

「……悲しいわね」

 

 私に向かって迫り来る毒矢を前にして本心からの呟きが漏れる。私は、町長さん達がとは思っていなかったけれど、それでも魔族の協力者が大勢町に居る可能性を知っていた。何度もそんな光景を見て来た賢者様に教えて貰っていたの。

 

 

「魔族に組している人達、ですか? なんで……」

 

 そんな人達が大勢居るだなんて信じたくは無かった。私が夢中になった物語にも登場する事は有ったけれど、精々が一人や二人、それも元々悪党の盗賊だったり魔法で操られていたり。

 

「まさか、そんな魔法を関知したのですか?」

 

「……いえ。ですが、その可能性が高い事だけは知っていて下さい」

 

 でも、今回は違うみたい。それを伝えて来た時、賢者様は本当に辛そうだったわ。そうね、きっと私に人の汚さを伝えたくはないのよ。根っからの悪人に思える人でなくても何かの理由で世界を裏切る事が有るだなんて。魔族討伐後の復興を進める為に団結力を高めたいのか、関わった国が汚点を隠したかったのか、私には理由が分からないけれど、きっと今まで何度も有ったのね。

 

「ありがとう、賢者様。矢っ張り優しい人ね」

 

 でも、私に隠していたくても知っていると知らないとでは咄嗟の時に反応に差が出る。だから苦渋の決断で教えてくれた賢者様にお礼を言ったわ。辛いけれど、悲しいけれど、私はそれを乗り越えて見せるって伝えたくて。

 

「我を守るは大地の恵み、緑の巨壁!」

 

 私に降り注ぐ毒矢の驟雨、その全てが地面を突き破って伸びて来た無数の蔦に阻まれる。放った人が持つ弓からして相当な力で弦が引かれて、下手をすれば金属製の鎧でも貫通しそうな威力だったのだけど、私の魔法によって出現した蔦は甲高い音と共に全てを弾き返したわ。焦った様な声に続いて剣を抜く音が聞こえたけれど気にせず前を向き、スカーとリノアから目を離さない。

 

「な、何だこれはっ!?」

 

「出せ、出せぇえええっ! 勇者を殺せば更なる寵愛が戴けるんだっ!」

 

 刃に写ったのは透明の球体に閉じ込められて動けない男の人達。本人の体に合わせてサイズを変えているのか大きな体の人も小柄な老人の町長さんも押し込められて力が禄に入らない姿勢でも必死に暴れる。……沢山居るわね。あれだけの人が私の死を望むだなんて悲しくなって来たわ。

 

 目視しただけで数十人、もしかしたら他にも仲間が居ると思うと気が沈む。私は何の為に戦っているのかって疑問が湧き出たの。

 

 

「っざけんなっ! あんな子供に世界を任せておきながら何言ってんだ、テメェら!」

 

「賢者様、この馬鹿共を外に! 一発……いや、百発殴らないと気が済まねぇ!」

 

「嬢ちゃん! こんなド阿呆の事なんて忘れちまいな! 頑張ってくれ、応援しているぜ!」

 

 思わず顔を向ければ町長さん達を閉じ込めた球体をゲシゲシと乱暴に蹴り続ける人達の姿があって、その言葉を聞いたら湧き出た疑問が直ぐに解決したわ。私が戦うのは何の為って、それは私が守りたいと思った人の為に決まっているじゃない。迷う事自体が馬鹿馬鹿しいわ。

 

「……良い人達でしょ、彼等。余所者の僕も直ぐに受け入れてくれたんだよ」

 

「でも、騙していたんでしょ? 利用する気だったんでしょ?」

 

 嬉しそうに呟くスカーだけれど、今の私には彼を信じられない。ダサラシフドの人達の気持ちの良さを知る度に、それに付け込んで利用していたスカーに腹が立ったわ。でも、何故かしら? 信じられない一方で、彼の町の人達への想いを信じたいとも思うのよ、矛盾しているわね。

 

「……なーんだ、詰まらないわ。折角絶望した顔が見られると思ったのにあっさりと立ち直っちゃって。ほら、守るべき人に裏切られたのよ? もっと何か有るでしょう?」

 

「黙りなさい、リノア。貴女の言葉はとっても不愉快だわ」

 

もう我慢出来ない、聞くに耐えない。あまりの不快感から私が勝負を急ごうとした時、リノアさんが私の横を通って前に進み出る。よく見れば足が震えていて、自分と同じ名前を持つ目の前の魔族が怖いのが分かったわ。でも、それでも彼女にはそうする理由があった。

 

「……コンラット様は何処? 私が愛した人を何処にやったの!」

 

「貴女が愛した人? ほら、ちゃーんと目の前に居るじゃないの。私よ、私。まあ、そっちの気は無いから言い寄られても困るけど」

 

 彼女を突き動かした物、それは愛。少し普通とは変わった出会いだったけれど、彼女にとっては運命で、恐怖を抑え込む程の力をくれた。だけど、リノアはその言葉を嘲笑い、彼女の愛を否定しながら告げる。現実は非情な物だって。

 

「貴女と私が出会った時、既に私は本物と入れ替わっていたの。網元の息子と入れ替わって情報を得ながら機会を伺っていたけれど、貴女と出会えて本当に良かったわ。だって、嫁渡りで向かった先でこうして勇者を罠に嵌められたもの」

 

「……嘘よ。私はあの人に出会って、言葉を交わす度に心が踊った、凄く幸せだった。私の愛が偽りな訳がないもの!」

 

「ええ、貴女の愛は本物よ。レリル様に賜った特別な香水の力で貴女を魅了したの。だから貴女が私に捧げた愛は全て本物。でも、私から貴女への愛は偽物だわ」

 

「……下がって」

 

 膝から崩れ落ちたリノアさんを庇う様に前に進み出て、私を見て不愉快そうなリノアを睨む。彼女に対しては不信と不愉快しか感じない。何一つ信じるに値しない相手でしかないわ。レッドキャリバーの切っ先向け、逃がさない為に切り掛かる。先ずは動きを止めて捕まえる。彼女から何かを聞き出そうとは思わない。嘘を警戒するのなら、最初から賢者様に情報を魔法で調べて貰うだけよ。

 

「ちっ!」

 

 飛び退こうとするリノアだけれど、あまりに遅い。後一歩前に出れば足を切れるその一歩を踏み出さず咄嗟に退けば鎖の付いた巨大な鉄球が私達に目掛けて落ちて来た。一瞬引責かと錯覚した程の圧力、そして式の会場の地面全体に広がる途轍もない威力。飛び散る破片を刃で防ぐけれど、咄嗟に後ろに退避していなかったら危なかった。きっと、私も目の前のリノアみたいになっていたわ。

 

「ス、スカー。貴方、幾ら何でもシャレじゃ済まないわよ? 幾ら付き従う方が違っていても……」

 

 鉄球の直撃は避けても大地の破片を防ぎ切れなかったリノアの体には石の塊が突き刺さっている。刺さった場所の周囲が赤く染まって口からも一筋の血が流れ出る。間違い無いわ。スカーとリノアは同じ魔族だけけれど仲間じゃないのよ。

 

「……何故殺した?」

 

「え?」

 

「クイラを何故殺したと訊いているんだ! 彼女は真っ先に僕を受け入れてくれた! 何かと世話を焼いてくれた! 彼女が居たから僕はダサラシフドを、皆を好きになれたんだ!」

 

 スカーの巨大な単眼からは大粒の涙が溢れ、慟哭は巨体だけでなく周囲の空気も震わせる。そっか、貴方を信じたいと思う気持ちの理由が分かったわ、スカー。騙して利用する為に仲間になったのに、何時の間にか本当の仲間になっていたのね。だから同じ魔族でも許せないんだわ。その大切な仲間を殺されたのだもの。

 

「ああ、あの女? そういう事ね。貴方も人間に恋をしたの。……じゃあ、これでどうかしら?」

 

 スカーの行動の理由を理解したのは私だけでなく、リノアもだった。スカーと私を交互に見た後、そっと顔を撫でる。声が途中から変わり、体も絵を塗り潰して新しい絵を描くみたいに別の物になって行くわ。手を退けた時、リノアはクイラさんになっていたの。

 

「さてと、勇者にはちゃんと名乗っていなかったし、魔族の流儀に乗っ取って名乗らせて貰うわ。私はリノア・シェイプシフター、下級魔族よ」

 

 クイラさんの姿と声で、短い間の付き合いの私でも絶対に浮かべないと分かるゲスな笑みを浮かべながらリノアは名乗りを上げ、私を指差す。

 

「ほら、これなら別に良いでしょう? じゃあ、私は役目を終えたから後は任せるから足止めをお願いね。こんな所で消えるのは勿体無いもの。さっさと消えるわね」

 

 踵を返し、そのまま逃走を始めるリノア。もう我慢の限界だったわ。許せなかった。人の想いを踏みにじり、死んだ人を愚弄する目の前の女が。私はその場から飛び出してリノアの背中に一撃を見舞いたかった。だけど、それはスカーが許してくれそうにない。鎖を掴んで鉄球を振り回して私を牽制する。動けばその隙を狙って攻撃すると暗に告げていたのよ。

 

「どうして!? だってクイラさんを殺したのは彼女よ!」

 

「黙れ!」

 

 叫びと共に私に向かって放たれる鉄球。受け止めるか避けるか判断する為に鉄球に意識を向けなければならず、リノアを追う余裕が無い。私の問い掛けにもスカーは叫びで返すだけで、リノアがそれを立ち止まって眺める姿が腹立たしい。轟音を響かせながら迫る鉄球に私が回避を選択して飛び退いた瞬間、鉄球は大きく軌道を変えて追い掛ける。

 

「……クイラを、彼女を侮辱するな!!」

 

 鉄球が向かう先はリノア。完全に不意を突かれた形となった彼女では絶対に回避も防御も間に合わない。でも、それは彼女だったらの話。何時でも飛び出し、リノアを守ろうとしていた人が居るなら別の話だった。

 

「リノア!」

 

 人混みから突如飛び出したのは猫科の猛獣の獣人のお兄さん。咄嗟に彼女の体を抱いて勢いそのまま飛べば、鉄球は再び軌道を変える。それを体を捻って直撃は避けるけれども背中に掠ったのか弾き飛ばされた。あまりの事態にスカーも一瞬理解が遅れて手が止まり、リノアから発せられた光は背中をズタズタにされながらもリノアを離さないお兄さんも包み込んだ。

 

「くっ! 逃げるな!」

 

 あの光を私は知っている。魔族が危なくなった時に咄嗟に逃げる時に使う転移の光。私は咄嗟に飛び掛かろうとして足を止める。届かないで目の前で消える可能性よりも無駄なだけの可能性が絶対に近い位に高いって分かっていたから。だって賢者様は言ったもの。スカーが消えた時、次は逃がす気は無いって。

 

「ふふっ、さっさと消えさせて貰うわ。じゃあね、勇者。さっさと世界を救ってよ」

 

 リノアは私を馬鹿にする笑みを浮かべ、その体を包む光は強くなって行く。そして消える直前、光が歪んだ。グニャグニャと形を変え、瞬時に凝縮する。消える瞬間、中央から電気が漏れていたのは私の見間違えかしら?

 

「誰が逃がしますか、三流が。さて、ゲルダさん。あれは所詮下級魔族、大した情報も持っていないでしょうし、黒幕に灸を据えるついでに手を打っておきました。なので……存分に戦いなさい!」

 

「了解したわ! 魔包剣・喰顎(くいあご)!!」

 

 レッドキャリバーとブルースレイヴを連結して、デュアルセイバーに戻した状態で発動する魔包剣は、それぞれの刃に個別に発動した時よりもコントロールが難しいわ。赤の刃と青の刃、二つが反発して刃の形が乱れる。でも、それが相乗効果を齎して荒々しくも鋭い切れ味が生まれたわ。

 

「……負けないよ。僕が守るんだ。魔族も、この町も!!」

 

 スカーもまた、私を見据えて放つ威圧感を増す。鎖の付いた鉄球は棘だらけの巨大な棍棒に変わり、バチバチと激しく放電していた。完全にさっき迄とは別物。武器も、彼自身も。どうやら武器を創り出すのが能力みたいね。それで多分、あの棍棒が最強の武器だわ。

 

「スカー・サイクロプス、中級魔族だ。……元だけどね」

 

「ゲルダ・ネフィル、四代目勇者よ」

 

 まだ未熟とか、そんな余計な事は口にしない。それは私が乗り越えて来た敵に、これから乗り越えるスカーへの侮辱だから。互いに相手を見据え、大地を踏み砕いて只前進するのみに集中した。先に相手を射程内に納めたのはリーチで勝るスカー。踏み込みの力を加え、私に最も威力の高い一撃を見舞うタイミングでの振り下ろし。走り出した瞬間、既にスカーはこのタイミングを狙っていたのよ。そして、インパクトの瞬間に目が眩む程の電光が辺りを照らし、激しい放電が無差別に撒き散らされた。

 

 

 

「……勝った」

 

 二人の動きが止まる。スカーの腕は棍棒を振り下ろした姿勢で止まっていた。でも、棍棒は半ばから断たれ、挟み切って閉じた刃が胸を貫き背中から飛び出している。切られた部分は私の肩を掠め、遙か後方に転がっていたわ。

 

「……僕の負けだね」

 

「……ええ」

 

 スカーの体が細かい光に粒子になって薄らいで行く。でも、その顔には未練も怒りも恐怖すら浮かんでいなくて、何処か満足している顔だったわ。

 

「僕はね、この町も、魔族も好きだったんだ。だから信じた。君を殺し、魔族の世界になればダサラシフドを僕にくれるって話を。……でも、彼女は、クイラはもう居ないんだ」

 

 もう立っている力も残っていなくて膝を付くスカーは大粒の涙をボロボロと流し、最後に町と、町の皆の姿を目にして消える。完全に消える瞬間、私に言葉を残して。

 

「僕が言うのはあれだけれど……世界を救ってね」

 

 私は静かに頷き、振り返る。離れて戦いを見守っていた町の人達の中にスカーさんが消えた事で大泣きしている人は居ない。誰もが必死に歯を食いしばり、大声で泣き出したいのを堪えていた。

 

 それはきっと私の為。これからも世界を救う為に魔族と戦い続ける私の重荷にならない様に、必死で想いを押し殺していたの。だからスカーさんはダサラシフドが、この人達が好きで、命懸けで守ろうとしたのだと理解する私だったわ……。

 

 

 人は弱く、そして脆い。時に挫け、転んでしまう。だけど自分の力で起き上がって歩き続ける力だって持っているの。だから私は戦える。何度挫けても、幾度倒れても、私が諦めないで歩き直せるって信じてくれる人達が居るから。

 

 

「見ていて。貴方の代わりにこの町を、世界を守ってみせるから」

 

 私のそんな呟きは静かに空に消えて行った……。

 

 

 

 

 

 

 

 気が付けば海の上、落下と同時に派手に水飛沫を上げたリノアとバーシスは何とか浮き上がった。二人の距離は少し離れ、顔は見えるが触れるには少し泳ぐ必要がある。

 

「ぷはっ! バーシス、大丈夫? 私を庇ってそんな怪我を……」

 

「大丈夫だ、問題無い」

 

 愛しい男を心配するリノアの顔は、同じ名を持つ相手の愛を嘲笑った時とはまるで別人で、無論平気な訳がないバーシスは、海水が沁みて気を失いそうな程に痛むにも関わらず誤魔化す。その男の強がりを見抜くリノアだが、もしもの時は自分が支えれば良いと騙される事にした。

 

「取り敢えず近くの岸を目指しましょうか。陸が全然見えないけれど大丈夫?」

 

「俺は元から水と生きる部族の生まれだ、問題無いさ」

 

 二人の出会いは劇的な運命でもなければ、壮絶なドラマの末に育まれた愛でもない。只普通に出会い、それで互いに一目惚れをしただけ。最初は気になったから近くに置こうと正体を隠して近寄ったリノアの心が惹かれ、正体を知っても受け入れる程にバーシスも心惹かれていた、それだけだ。

 

「ふふふ、これで世界が救われたら私は人になれるのね」

 

「ああ、何処かの片隅で一緒に暮らそう」

 

 片や人間、片や下級魔族。本来ならば結ばれる事が許されない関係、世界が救われれば別れの定めがやって来る。だが、何事にも例外はあって、魔族を裏切り者として追放されていれば話は変わる。最終的に魔族は滅ぶから好き放題に生きると決めたリリィから、役目を果たせば魔王に口利きすると約束されたリノアは今の自分が裏切り者認定されていると自覚があった。

 

「さあ、行きましょう」

 

「ああ、二人で生きよう」

 

 先ずは相手に触れたいと互いに泳いで近付く二人。……此処で先程の話の続きだが、本来知っている筈なのにリノアが何故か知らない続きがあった。確かに魔王が討たれても裏切り者は消えないが、正確には神の認定を受けた者だけだ。だが、この二人は知らないし、この二人には関係無い。

 

 因果は巡る糸車。破滅の時は訪れた。二人の間に降り立つ人物、灰色の兎のキグルミ姿のグレー兎と、頭に乗ったパンダのヌイグルミ。陸の上の様に海の上に立った彼女はキグルミに隠れた冷たい眼差しを二人に向け、パンダの陽気な声が響く。

 

「パンダ豆知識~! 実はパンダって海の生物と自由に話せるのさ!」

 

「大嘘ですよ。この腐れパンダ擬きが喋れるだけです。今し方も散々煽っていました。では、永遠にさようなら」

 

 そのままグレー兎はパンダと共に消え、何をしに現れたのかと疑問に思う二人の周囲の水が揺れた。続いて響いた音の発生源は深い海の底。澄み切った海でさえ見通す事が不可能な程の深い底から巨大な何かが迫って来る。

 

「リノア!」

 

「バーシス!」

 

 二人は力を振り絞って泳ぎ、必死に手を伸ばす。最期に相手に触れていたい。例え死しても二人は一緒だと、そんなありふれた願いを心に抱き、もう手を伸ばせば触れられる距離まで泳ぎ、指先が後少しで触れる。

 

 

 

「……ふぅ。マスターの読み通りに彼奴は何も知らなかったよ。無駄な解析をして疲れたな」

 

「では、暫く水に浮かんでいては? 望むのならば今すぐ投げ捨てます」

 

 二人の指先が触れる瞬間、二人は別々の海竜に喰い殺される。一口で収まり、血の一滴、肉の一欠片たりとも共に存在する事は無く、その光景を見下ろすグレー兎とパンダは退屈そうにしていた。

 

 

 

 

 

 黒く濁った空の下、灰被りの大地が鳴動する。鳥や獣は逃げ惑い、山から噴き出した灼熱の溶岩が周囲を赤く照らしながら、遅鈍な動きで大地を焼いて流れて行く。近付いただけで熱傷を負いかねない熱気が渦巻き、黒煙が更に太陽の光を遮って大地を闇に閉ざす。

 

 此処は赤の世界レドス。六色世界で最も過酷とされ、この光景は世界各地で日常茶飯事だ。人々は住むのに適した僅かな土地で身を寄せ合い、時に争いで奪い合う。数少ない長所を挙げるとすれば効能豊かな温泉だろうが、それでも好んで住む者は少ないだろう。今の時期は特に。

 

 百年ごとに変わる魔族の発生地、此度はレドスがその地であり、正に人にとっては地獄と化している。その様な地の一角に場違いな城が建っていた。

 

 錯乱した人の絶叫にも聞こえる鳴き声の怪鳥が飛び交い、憤怒の形相をした人の顔を持つ四足獣が跳梁跋扈する荒野の中、蛍光ピンクのその城は大いに目立っていた。中庭には、他の世界から切り取った景色を貼り付けたとさえ思える色取り取りの草花が咲いている。

 

 その中庭を見下ろせる部屋、最上階の城主の私室から少女と女性の談笑する声が漏れていた。

 

「……ってな訳で、ゲルダの曇った顔は少しの間しか見られなかったんだ。えっと、あの女……か男は何って名前だっけ、ビリワック?」

 

「女で名前はリノアですよ、主。相変わらず下級や中級には興味が無いらしい」

 

「え? 何か問題でも有るのかい?」

 

 山羊頭の配下は主と仰ぐ少女の言葉に少し疲れた様子ながらも否定の言葉は向けない。その様子をリリィと向かい合って座る城主の女性、レリルは可笑しそうに笑っていた。

 

「相変わらずね、リリィは。私はちゃーんと配下の顔と名前、何処を攻められるのが一番気持ち良いのかも把握しているわ。……だからスカーが浄化されたのは残念よ。あの子、大きくなれるから中々良かったのに」

 

「ご自重下さい、レリル様」

 

 ビリワック同様に主の後ろに控えているアイリーンだが、彼女は彼と違って主を諫める。弱い部下に一切の興味を向けず対応を丸投げするパワハラ上司のリリィと、何かと体を触る上に男女問わず閨に誘うセクハラ上司のレリル。忠義は誓っていても振り回される事が多い両名は同病相哀れんでいた。

 

(大変ですね、お互い)

 

(本当にいい加減にして欲しいですよね)

 

 キリキリとしたストレス性の胃痛も共通する二人は視線だけで言葉を交わす。尚、下から嫌われているのは圧倒的にビリワックだ。アイリーンの見た目が男装の美少女という事を差し引いてもリリィへのヘイトの一部を被っていた。

 

「あっ、そうそう。私、暫くは動けそうにないから、勇者への対応は暫く頼むよ?」

 

「ええ、別に構わないわよ。代価として貴女の所の子を一晩貸して貰えれば良いし。その怪我、随分と酷いみたいね」

 

 実はリリィは先程から利き手である右手を使っていない……使えないと言った方が正しいだろう。少女の姿に相応しく若々しい肌の細腕は黒く炭化して焦げ臭く、それは白いゴスロリドレスの内部、右半身まで達している。辛うじて命は助かったのは、彼女が強いからではないと本人が一番理解していた。

 

「ビリワックが無駄遣いになるからって緊急用の転移魔法を指揮下の全員に使っているんだけれど、それを辿って手痛いのを食らってさ。あはははは、賢者って呼ばれるだけあるよね。もう最っ高!」

 

「でしょう? 私も一目見て誘惑したくなったの。とっても強いわよ、彼」

 

 二人揃って恍惚の表情を浮かべ、配下二人も揃って諦めの表情だ。何を言っても無駄、それが魔王の部下の中で双璧をなす、たった二人の最上級魔族への直属の配下からの評価だった。リリィは戦いたく、レリルは褥を共にしたい、その違いはあっても部下が苦労させられるのは変わらないのだ。

 

「でも、リリィ。貴女って勇者に夢中になったんじゃなかったかしら? 気の多い子ねぇ」

 

「……うわぁ。この世で一番言われたくない君に言われるとはね。……ビリワック、君の進言でこんな状態になったし、申請していた有給休暇は取り消しね」

 

「……主の(メェ)とあらば」

 

 どう見ても不満たらたらながらも、グッと言葉を飲み込むビリワック。その内心を見抜きながらリリィはケラケラと笑い知らぬ振り。その光景をレリルは笑みを浮かべ、アイリーンは同情の眼差しを向けて眺めていた。

 

 

「あっ、貴女も有給申請してたわよね、アイリーン。じゃあ、今後の話し合いも有るから……」

 

「断固拒否します」

 

「ケチね。私がお願いしても駄目?」

 

「駄目です」

 

 取り付く島も無いとは正にこの事。主であるレリルが手を合わせて頼んでもアイリーンは頑として受け付けはしない。自分も偶にはアイリーンの様に拒否が出来たなら、痛み出した胃を押さえながらしみじみ思うビリワックであった。

 

 

 

 

 

「あー、楽しかった。偶には同僚とお茶に限るわね」

 

「ええ、暇とあらば種族問わず閨に引き込んで肉欲に溺れるよりはマシかと」

 

 言いたい事が言える主従関係なのか、それとも上辺だけの忠義で慇懃無礼なだけなのか、アイリーンはレリルにズバズバとした物言いだ。アイリーンの態度は部下としては憚られる物だが、それでもレリルに気にした様子も無いのだから前者なのだろう。

 

 

「さてと、次の刺客はあの三人ね。大好きな上司だったクレタの敵を討ちたがっていたし……死なない敵を相手にどう動くか楽しみだわ。……新しい殿方をベッドに誘う時位にね」

 

「……はぁ」

 

 口元に指を当ててクスクスと妖艶に笑うレリル。アイリーンは頭痛がするのか頭を押さえて深い溜め息を吐くのであった。

 

 

 

「……それで今日もノーパンかしら? 私とお揃いの穿かない? 凄く際どいのがあるの」

 

「穿きませんよ、絶対に」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 




絵はto4ko 様に依頼しました


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異質なる来訪者
カエルSサイズ 販売価格未定


 正直言って人間は弱っちぃ。モンスターの中には私達魔族でさえ苦戦するのが存在するし、そうでなくてもモンスターに対抗出来るのは全体からして見りゃ僅かでしかない。魔族が人類の天敵だって宣う奴も居やがるが、魔族が居ない間にもモンスターは存在する。魔族はモンスターを眷属として指揮下に置けても、希に居る奴を除いて別にモンスターを創り出す訳じゃ無ぇから当然だよな。

 

 なら、何故弱っちぃ人間共が今みたいに繁栄しているのか。それをちゃんと考えずに見下すだけの馬鹿が多いのは魔族の弱点だよな。

 

 神の加護が有るから? いーや、違う。そりゃ必死に祈れば力を貸す時も有るが、毎回でも無ぇ。神ってのは餓鬼を甘やかす親とは違うからな。

 

 だったら何かって? 簡単だ。弱いから群れ、知識や技術、そして想いを継承する、それだけだよ。素手じゃ戦いにならないから武器を作り、より強く発展させる。試行錯誤を繰り返し、相手の弱点を探る。個としての強さではなく、群としての強さを突き詰めたからこそ、モンスターに追いやられる事無く今の社会が在る。

 

「……くっくっく。だがまぁ、だからこそ私達が存在するんだがな」

 

 怒り悲しみ妬みに憎しみ、人が放つ負の念が集まって発生する淀みから生まれる存在し、それを糧に力を増すのが魔族だ。だから、魔族が人を傷付けるのは人間が悪いって事だな。

 

「……飛鳥、どうかした?」

 

「一人で急に笑い出したけれど思い出し笑い? えっと、何か面白い話なら聞かせて欲しいな」

 

 柄にもなく人間の強さだの魔族の存在がどうか等を考えていたんだが、ダチ公二人が怪訝な顔を向けて来ていた。あー、恥ずかしい。適当に誤魔化しながらも手を動かし、適当に選んだ石に名前を刻む。ブルレルのとある孤島、その中央辺りの花畑には、浄化された同胞の名前を刻んだ石が並んでいた。此処は墓だ。私達が作っている、仲間を弔う為の場所。

 

 偶に人間が羨ましくなる。亡くなった奴らが笑顔で過ごしていると信じる事が出来るんだからな。死んだ奴の想いを決めるのは生者だが、私達魔族にはそんな事すら不可能なんだ。

 

「……疲れた。大体、魔族は死んだら消える。此処に魂は眠っていないし、死体も存在しない」

 

「違うよ、プリューちゃん。えっと、皆の心の中に居るの」

 

 美風の言う通り、墓ってのは死んだ奴の為に作るんじゃねぇ。残った奴が先に消えた奴を偲ぶ為に作るんだ。それが理解出来ないみたいなプリューだったが、文句を言いつつもプリューは石に名前を彫っていってくれる。私達の目の前にはズラッと並んだ墓石。……随分と多いよな。私達が生まれながらに持つ記憶や知識は先代魔王の物。人と同じで代々繋げて来たそれは、私にとある事実を告げる。歴代よりも速いペースで増えている浄化された魔族の数は、勇者以外にも魔族と戦える人間が増えている事を示している。

 

 それはある観点からすれば魔族にとって有益だが、それでも私の心は晴れねぇ。スカーの名を彫り、残り数人分となった所で朝日が昇り始め、鳴り響く鐘の音。今日も魔族の本能であり私達の仕事でもある、捕らえて来た人間を苦しめる作業の時間だ。

 

「あっ! ウェイロン君の朝ご飯を作らなくちゃ! 飛鳥ちゃん、プリューちゃん、先に戻るね!」

 

「……美風、相変わらず」

 

「ったく、あんな野郎の何処が良いんだか」

 

 随分とウキウキした様子で建設中の城に戻って行く親友の顔が赤いのは、朝日に照らされただけじゃ無ぇ。私が知る中で一番嫌いな人間、先代勇者の仲間で今は人間に敵対する糞野郎に恋しているからだ。裏切り者は信用出来ねぇ。ましてや他の女が好きなままで、私の親友の恋心を利用する奴なんて大嫌いだ。

 

「……何時か絶対殺す。だが、それよりも先に勇者だ」

 

 正直言って餓鬼相手に抵抗は有るが、既に仲間が何人も浄化されている。私が尊敬していたクレタ様もだ。だから容赦は無しだぞ、勇者。私達三人が揃えば無敵。絶対にぶっ殺してやる。

 

 

 

 

 

「そーれ!」

 

 照りつける太陽、押し寄せる波。波打ち際に足を入れれば冷たい海水が足に当たって気持ちが良い。四代目勇者ゲルダ、只今絶賛休暇中よ。ネットを張った海辺で賢者様が出してくれたボールでビーチバレー、対戦相手はソリュロ様。二人共、水着に着替えて楽しんでいるわ。

 

「くっくっく。私が魔法だけでない所を見せてやろう! 秘技! 消える魔球!」

 

 高く舞い上がったボールはスパイクした途端、私の目の前から消える。次に現れた時、それは砂の上で跳ねた時だった。

 

「す、凄い! 凄いわね、ソリュロ様!」

 

「はっはっは! 誉めろ誉めろ。存分に讃えるが良いぞ!」

 

 私の言葉に胸を張るソリュロ様。……うん、大差無いわね。見た目年齢は私と大して変わらないし、着痩せするタイプでなくって良かったわ。最近、私が出会う相手は胸に対するコンプレックスを刺激する相手が多いから、ソリュロ様を見て安心したわ。

 

「うん? 私の方を見てどうかしたか?」

 

「えっとね、子供相手に本気を出して情け無いって思っているんだ。見た目がロリでも中身はお婆ちゃんだからね」

 

 横から飛んで来たアンノウンの余計な一言に、得意そうに笑っていたソリュロ様の表情が一瞬で固まる。うん、正直思ったけれど口には出さないで置こうと思ったのに。

 

「……おい、馬鹿弟子。貴様は相変わらず使い魔を甘やかしているみたいだな。大体、私の事を散々に言っているのではないか?」

 

「そんな馬鹿な! 師匠の事は偶に、加減を知らないロリ婆ぁ、そんな風に言うだけです!」

 

「はっはっはっ! ……よし、死ね」

 

 忽ち始まる鬼ごっこ。砂浜で魔法を乱射しながら走るソリュロ様と、それから逃げる賢者様。女神様がビーチパラソルの下でスヤスヤと眠る中、鬼ごっこは遂に空中で行われ出す。

 

「……アンノウン、何か食べに行きましょうか」

 

「良いよー。全部ゲルちゃんの奢りねー」

 

「はいはい。その代わりに買う物は私が決めるわよ」

 

 あの師弟対決に私は介入出来ないし、出来たとしても疲れそうなのでしない。そもそも、どうしてソリュロ様が一緒に居るのだったか、それは今朝まで遡るわ。

 

 

 

 

「これで最後!」

 

 ダサラシフドで起きた魔族との戦いの後、政治的な介入が大々的に行われたわ。嫁渡りで来ていた網元の息子が魔族と入れ替わっていたり、魔族に組みした町長や実は周辺を荒らしていた海賊達が、勇者である私を殺そうとしたり。此処から先は国の仕事だからと、賢者様はやって来た役人さん達に説明だけして旅立ったわ。

 

 今後ダサラシフドはどうなってしまうのか心配だけれど、賢者様は王族とも顔見知りらしく、遠回しに残された人達への配慮を頼んでいたわ。海賊を匿っていたのだから、被害を受けた人も居るし何も無いのは難しいとは思うけれど、それに至った背景を理解して貰えれば良いと思うわ。

 

 さて、誘拐事件の手掛かりも手に入らなかった私達だけれど、世界を救うのだから旅は続けなくちゃならないわ。迷惑を掛けたと謝る町の人達に別れを告げ、やって来たのが今居る町、ニカサラ。早速町長さんの所に顔を出し、その結果、こうしてモンスター退治をする事になったわ。

 

 最近浜辺で産卵の時期を迎えた雲丹亀の群れ。どうもダサラシフドに向かっていた一部が潮の流れで辿り着いたらしく、凄く気が立っているわ。偶に餌を求めて町の市場に顔を出すのも居るし、棘だらけの甲羅を持っているから近付くだけで危険なモンスター。だから私が退治するの。魔族の相手だけが勇者の仕事じゃなくて、こうした人助けだって功績を積む一環だもの。

 

「賢者様、終わったわ。それで次は何をするのかしら?」

 

 雲丹亀の退治を終えた私は次の仕事を求めていた。そうしないと落ち着かない理由は分かっているわ。幸せを急に奪われた人達、魔族の言いなりになってしまった人達、中には一緒にお話しして交流を深めた人達だって居たから私は焦っている。でも、そんな焦りは賢者様にはお見通しだったみたいね。私に一枚の紙を差し出して来たわ。

 

「えっと、神様達からの指令? ……一週間の夏期休暇!? ちょっと賢者様、一体これは……」

 

「拒否権は有りません。しっかり働き、しっかり休む。それが世界を救うには必要な事ですからね。それにお忘れですか? もう直ぐ誕生日でしょう」

 

「……あっ!」

 

 旅が忙しくて、そして知らなかった景色が楽しくって忘れていたけれど、もう直ぐ私は十一歳の誕生日を迎えるのだったわ。えっと、ダサラシフド件で私が落ち込んでいると思われて、誕生日と合わせて休暇をくれたって事かしら?

 

「で、でも……」

 

「弟子が拒否権は無いと言っただろう? 子供が細かい事を気にするな。思う存分遊ぶのも仕事の内だ」

 

「ソリュロ様っ!?」

 

 声に振り返れば、そこにはソリュロ様が立っていた。サングラスを頭に乗せて服装は水着、手にはビーチパラソルを持っていたわ。

 

「私もついでに休めと言われてな。……ふむ、普通に遊ぶのが気が咎めるのなら私に付き合え。神の暇潰しの共をせよ」

 

「は、はい!」

 

 こうして勢いに乗せられる感じで始まった私の休暇。町長さんには予め言い含めて勇者である事は伏せているし、気持ちを無碍にするのも失礼だし、お言葉に甘えて満喫させて貰うわ。

 

 

「クレープ、イカ焼き、チョコバナナ……最高ね、この市場」

 

 町長さんに会いに行った時はゆっくり見ずに通ったけれど、ニカサラの市場は大いに賑わっていたわ。普段の食材を売る店から、工芸品や食べ物の屋台まで沢山のお店に目移りしちゃうわ。

 

「ゲルちゃんは本当に食べ物ばかりだね」

 

「別に良いじゃない、子供だもの。育ち盛りよ、育ち盛り」

 

「その割には一部が全然育ってないよね」

 

 流石に元々の大きさは目立つし怖がる人も居るからと、最初はパンダを連れて行こうと思ったのだけれど、アンノウンから待ったが掛かったわ。

 

「僕はパンダと五感を共有出来るけれど、遊びに行くなら生身が良いよ」

 

 仕方が無いので子猫サイズにまで小さくなって私の頭に乗って、更にその上にパンダが乗る事に。……叩き落としちゃ駄目かしら?

 

 

「それにしてもソリュロ様には気を使わせちゃったわね」

 

「うーん、違うんじゃないかな? ゲルちゃんを休ませる為にソリュロを派遣したんじゃなくって、ソリュロを休ませる口実に……串焼き食べたい! ゲルちゃん、買って買って!」

 

「いや、真面目なセリフは最後まで言い切りなさいよ。まあ、私も食べたいから買うけれど」

 

 思えばソリュロ様も私みたいに思い詰めるタイプだったみたいだし、それを考えれば賢者様との鬼ごっこもガス抜きの一環かも知れないわね。うん、遊んで過ごす理由が増えたわ。ソリュロ様と遊びに行く所の下見もしたいし、今日は町を見て回りましょう。

 

「オジさーん! 串焼きを二本……いえ、八本下さい」

 

「あいよー」

 

「八本? ゲルちゃん、凄く食べるんだね。買い食いが過ぎてお昼ご飯を食べられなかったら怒られるよ?」

 

「別に私が七本食べるんじゃないわ。ほら、何処か休める場所に行きましょう」

 

 活気が有れば人混みも凄い。漂って来る様々な臭いに少し酔った私は串焼き肉の袋を片手にフラフラと歩いて行く。その後を尾行する人が居るのには気が付いていたわ。

 

 

 

 

 

「はい、アンノウン。一本ずつね」

 

「残りはお土産?」

 

 市場から少し離れた場所にある公園のベンチに腰掛けながら、私は頭の上のアンノウンを下ろして串焼きを差し出す。タレが香ばしい厚切りのお肉は焼き立てだから凄く美味しそう。アンノウンは袋の方をジッと見ていたわ。

 

「まあ、お土産ね。……賢者様の家でお留守番中の貴方以外のアンノウンにだけれど。ほら、一日交代だし、私が毎日奢るにしても食べたい物が被ったら駄目だもの。……まあ、悪戯は過ぎるけれど助けても貰っているからお礼よ」

 

 うん、本当にアンノウンの悪戯は酷いわ。だって旅に出てからツッコミの精度が上がった気がするもの。でも、私に気を使って助けてくれているのも知っている。だから今回は何時ものお礼をする事にしたの。悪戯への御礼参りは……その内よ。

 

「……ねぇ、ゲルちゃん」

 

「……何かしら?」

 

「ありがとう」

 

 まさか素直にお礼を言われるとは思っていなかった私は少し気恥ずかしくなり、残りの串焼きが入った袋を横に置いてしまう。それを見計らった様に私を追って来た知らない誰かが手を伸ばして袋を掠め取った。

 

「もーらい!」

 

「あっ、ちょっとっ!」

 

 様子を見て尾行した理由を問いただそうと思っていたけれど、まさか串焼きを狙っていただなんて。でも、相手は私と同じ位の子供。簡単に捕まえられる……。

 

 泥棒の姿がハッキリ見えた。頭はボサボサで虱だらけ。服もボロボロのドロドロ。靴を履いていない足は豆だらけ。何よりもアバラが浮き出る位に痩せていて、私は追うのを止めた。とても追い掛けて取り返す気にはならなかったわ。

 

 色々な物を見て、沢山の事を知った私が初めて見る社会の闇の一つ、貧困。家族が居ないのか、それとも家族の為に盗みをやっているのか。それは分からないけれど、少なくとも悪戯で盗んだんじゃないって分かったから、私には彼を追えなかった。

 

 

 

 

 

「ぐへっ!?」

 

 但し、私は。私の真横をすり抜けて放たれたビームは少年に命中する。うん、分かっていたわ。分かっていたけれど、声高々に叫びたい。

 

「何をやっているの、アンノウン!」

 

「パンダビーム・ネオ」

 

「そんな事を言っているんじゃないって分かっているでしょ?」

 

「当然だよ。イシュリアじゃないんだからさ。それにほら……怪我一つ無いよ」

 

 確かに気を失っている彼には怪我をした様子は見られない。うん、見られないんだけれど、その代わりに頭にカエルのキグルミの頭部を被っているし、徐々に広がって全身を包もうとしている。

 

「本当に何やっているのよ……」

 

「パンダビーム・ネオ」

 

「それはもう良い!」

 

 一週間の休日初日のお昼前。私は精神的にドッと疲れを感じていた……。

 

 

「う、うーむ。このキグルミは凄いな、色々な意味で……」

 

 起きないので仕方無く連れて帰った少年を診察するソリュロ様だけれど、放置する訳にも行かない理由の一つであるキグルミを調べながら唸っていたわ。私の力じゃ脱がせられないからお願いしたのだけれど、直ぐにどうにか出来るソリュロ様は何故か脱がそうとはしなかったの。

 

「このキグルミだが、着用者の栄養及び健康状態の改善、体の洗浄、精神状態の安定、この様な便利で優れた機能が魔法で付与されていてな。……ふぅむ。斬新な魔法設計だな」

 

「えぇっ!? こんな物がっ!?」

 

「ああ、こんな物がだ」

 

 思わず叫んじゃった私だけれど、絶対仕方無いと思うわ。だって、全体的に丸っこいフォルムのキグルミで、ソリュロ様がそれ程誉める物には見えないもの。

 

「ふっふっふ、甘いな、ゲルちゃん。このキグルミの能力はそれだけじゃないんだよ。着用者の気分に合わせて、目の絵柄が変わったりウインクしたりバネで目玉が飛び出したり、更に鏡を見るか誰かに指摘されるまでは本人には着ている事が分からないんだ」

 

「……この馬鹿は全く。どうして高い能力をそうやって無駄にするのだ、貴様は」

 

 未だに小さいままのアンノウンは私の頭の上で得意そうにして、ソリュロ様は呆れ顔。魔法に詳しくない私には分からないけれど、余程高等な魔法が使われているのは物凄く驚いている風なソリュロ様の反応から分かった。……その後の呆れ顔でアンノウンがそれを無駄な使い方をしている事も。

 

「ぶー! 失敬だな、ソリュロはさ」

 

「常に失敬な貴様が言うな、貴様が。寧ろ失敬以前に最初から失う敬いの心を持っていない奴が何を言う」

 

「ちゃんとマスターとボスは敬ってるよ。ソリュロは全然だけれども」

 

「おい、こら」

 

「それに僕の魔法は斬新なだけさ。フリッフリの衣装が好きなロートルには理解出来ないだろうけどね。……さらば!」

 

 口論の途中、何かが切れる音が聞こえた気がした。それは私だけでなくてアンノウンにも聞こえたらしく、即座に転移して逃げ出したわ。結論から言うと無駄だったけれど。姿を消したアンノウンが次に姿を現したのはソリュロ様の手の中。

 

「……やばっ」

 

「はっはっは、その喧嘩買った。おい、誰がロートルだ? 誰が少女趣味の若作りだ?」

 

「そこまでは言ってないよ、思ってはいるけど」

 

「死ぬか? 死ぬな? よし、死なす」

 

「ぎゃー!? ヘルプヘルプ、ゲルちゃん、ヘルプー!」

 

 アンノウンの頭にソリュロ様の指が食い込みメキメキと音を立てる。ジタバタ暴れるアンノウンに助けを求められたけれど、誰が自分から竜の口に入り込むのよ、有り得ないわ。見ない聞かない私は知らない。サッと目を逸らして背中を向ける。……うん、アンノウンなら死にはしないわ、大丈夫。

 

「うっ、うぅ……。此処は?」

 

 そうやって騒いでいると泥棒の少年が目を覚ます。周囲を見回し、私の顔を見た瞬間に飛び起きた。左右同時に飛び出して、バネがビョンビョン動いているカエルの目にも『!』と『?』が浮かんでいるわ。目玉が戻った後、カエルの顔が私に向いた。

 

「お前は公園に居た間抜けな観光客! おい、私はどうして此処……に……?」

 

 さっきアンノウンが言った事だけれど、カエルのキグルミは誰かに教えて貰うか鏡を見れば着ている事に気が付くわ。そして私の背後には小さな鏡が置かれている。ギョッとした様子で鏡を凝視して、手を挙げたり上げ下げして自分である事を確かめる。

 

 次の瞬間、絶叫が響いた。勿論目玉も飛び出した。

 

 

「何だこれぇえええええええええええっ!?」

 

 うん、そうよね。その叫びに私は静かに頷くしか無かったわ。

 

 

 

 

「ウゥ、ウァアアアアアアアアアア!」

 

 一方その頃、町の地下水道で不気味な存在が雄叫びを上げる。一見すれば只の血溜まり。家を持たない者が地下水道に住み込むのは珍しくなく、諍いや同じく地下水道に住み着いたモンスターに襲われるのも然り。だが、それは蠢いていた。それは生きて声を上げている。この日、町に恐怖が広がろうとしていた……。

 

 

 

 

 



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壊れた時計

たまにはシリアスでダークなのを


 幸せな時を刻む時計の針はとても静かだ。人は今の毎日が幸せだって中々気が付かない。でも、そんな時計でも、人の気を引く程に大きな音を立てて何かを知らせる時がある。幸せ告げる鳩時計、特別な時を大きな声で知らせてくれる。

 

 そして時計が壊れる時も音がする。カラカラガラガラ、歯車が外れて転がる音がする。その時に人は気が付くんだ。今まで過ごした時間は幸せだって。全てが終わり、全部壊れた時に人は気が付く。でも、壊れた時計は直らない。どんな凄腕の職人さえも、お手上げ降参、白旗だ。

 

 あの日、私、カミニは確かに知った。今まで何気なく過ごした時間は幸せだって。あの日、私は知った。その幸せは二度と戻らないって。幾つもの大切な歯車が欠けて、時計が壊れる音を聞いた。

 

 

 知らないままなら良かったのに……。

 

 

「他の家の奴らは良いよなぁ。……羨ましい」

 

 私が育ったのは街道から少し外れた小さな町。ド田舎って程でもないけれど、大きな町に行くにはちょっと手間な中途半端さで、周辺に強いモンスターが生息していない事だけが取り柄の平和なだけの場所だった。そんな町に住む私は父さんと二人暮らしで、母さんは私が生まれて直ぐに病気で死んだ。

 

 神事で使う神聖な衣装であるキグルミの職人だった父さんは再婚する気が無いらしく、腕が良いから仕事が多く、私にはあまり構ってくれなかったんだ。だから家族と過ごせる友達が羨ましかった。母親に甘えたかったし、弟や妹を可愛がりたかった。私の日常は退屈と不満で一杯で、何時かこんな日々が終わればって思っていたんだよ。それが最悪な形で叶えられるだなんて知らずにな。

 

 

「……父さんは暫く出て来ないな」

 

 あの日、もう直ぐお祭りって事もあって父さんは工房に閉じこもっていた。舞台の上で演奏に合わせて大勢のキグルミが踊りを披露する眺めは荘厳で、父さんが関わっているのは少し誇りに思っては居たけれど、一言も会話が無いのは少し寂しい。退屈だったし、どうせ暫くは出て来ないので、食事の用意をした事を告げた私は少し散歩に行く事にした。

 

 町から少し出た先にある花畑が私のお気に入りの場所。町の女の子は此処で花の冠を作ったり座ってお喋りをしていたりで、私も部屋に飾る花を摘もうと選んでいた。もう直ぐ日が沈み夜行性のモンスターが動き出す。父さんには気が付かれなくても他の大人には見付かって叱られるから急いで戻り、燃え盛る故郷の姿を目にした。

 

「……え?」

 

 一体何が起きているんだ!? 夢にすら見ていない光景に私は固まり、呆然と前を向いて立ち尽くすだけ。燃える家が崩れ、下敷きになった親の前で泣き叫ぶ子供の声が聞こえる。血溜まりに沈んだ学校の先生の姿が見える。肉の焼ける焦げ臭い臭いを感じる。我に返った時、恐怖が一気に押し寄せた。

 

「あ、あぁああああああああ!!」

 

 その場に膝から崩れ、現実から顔を背けて絶叫する。周囲では炎が煌々と燃え盛り汗が吹き出る位に暑いのに氷水に浸かったみたいな寒気がして全身が震えたんだ。目を閉じ、両手で耳を塞いで夢なら覚めてくれと願う私。だけど目の前の悪夢は現実で、村を襲った悪意は私にも牙を剥く。全身鎧で顔も分からない連中が武器を持って私に近寄って来た。

 

「未だ残っていたのか。……殺せ」

 

「はっ!」

 

 耳を塞ぐ手を貫通して聞こえた非情な男の声。返事をしたのも若い男の声だ。目を開ければ親が埋まった瓦礫の前で泣いていた子が転がっていた。逃げなきゃ、それは分かっていても足が動かない。手を必死に動かして這って逃げるけれど、子供が這うよりも大人が鎧姿で動く方が速くて直ぐに追いつかれる。兜の奥の瞳と目が合う。虫を殺す時みたいな目だった。私に追いついた。切っ先を私に向けて剣が振り上げられ、目を閉じた瞬間に肉を貫く音がししたけれど……痛みは無い。

 

「何をやっている、逃げろ!!」

 

「と、父さん!?」

 

 私の目の前で腹を剣で貫かれた父さんは、血を吐きながらも男の腕を掴んで離さない。引き抜こうと力を込めているのか剣が震えて傷から血が流れ出るけれど、父さんは力を緩めず立ち続ける。

 

「行けっ!」

 

 それが私が覚えている父さんの最後の姿、最期の言葉。どうやって逃げたのかは覚えていない。木の枝にでも引っ掛けたのか、気が付いたら体中に傷があって靴が脱げていた。

 

 この日、私は自分が幸せだったと知った。大切な家族と過ごす平和な時の尊さを理解して、その全てを失ったんだ。

 

 幸せな時を刻む時計は、ある日急に壊れてしまう。新しい時計を用意しても、壊れた時計が直った訳じゃない。私が失った物は二度と戻らないんだよ……。

 

 

 それからの私は頼る人も居ない町で必死に生きていた。最初は子供でも働かせてくれる店が有ったんだけれど、不幸ってのは団体旅行がお好きならしい。事故が起きたり大きな失敗をしたりで、私を拾ってくれた店が潰れたり追い出されたりして、何時の間にか私は泥棒になっていた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 

 最初は父さんに申し訳無くて、惨めで辛かったよ。簡単に捕まって怒鳴られたりして、その内に常習犯として殴られる様になった。時に腐ったゴミを漁り、寒さに震える夜を過ごす。誰も助けてくれない。最近、この辺りの領主が変わったらしい。代替わりしたんじゃなくって、人が変わったみたいに横暴な暗君になったって聞いている。

 

 生きているのが辛かったけれど、父さんの犠牲で生きているから死にたくはなかったんだ。初めて盗んだ一個のパンを泣きながら食べたけれど、全く味がしなかったのを覚えている。私は何の為に生きているのか本当に分からなかったよ。

 

 でも、その内に私の中で何かが変わった。普通に暮らせている連中が羨ましいから妬ましいに変わり、盗みで生きる事に抵抗が無くなった。虱だらけの伸びっぱなしの髪も、風呂に入らず汚れたままの痩せっぽちの体も、全部平気になって、益々他人が妬ましく憎くなって行く。結局の所、私はこのまま堕ちていくだけなんだ。

 

 

「お姉ちゃん……」

 

「うん? お腹が減ったのか、(ながれ)? 大丈夫、直ぐにお姉ちゃんが食べ物を持って来るから」

 

 私が生き続ける理由は一つ、それは血を分けた妹(・・・・・・)。私よりも幼いこの子を守る為なら私は何だってする。だって、町から逃げ出す時、父さんが言ったんだ。自分を犠牲にしてでも妹を守れ、ってね。たった三人で生きて来た私にとってそれは当然の話で、何よりも父さんの遺言だ。だから絶対守り抜く。私がどんな風になっても……。

 

「……あれ?」

 

「お姉ちゃん?」

 

「いや、何でもないよ」

 

 何か違和感があった気がする。でも、気のせいだ。きっとお腹が減って疲れているんだよ。だから何か精が付く物でも盗んで食べたら少し休もう。何処かに良いカモが居ないかなっと。

 

 

「……見付けた」

 

 雑踏の中、変な猫みたいなのを頭に乗せた余所者が屋台で串焼き肉を買っていた。どう見ても田舎から出て来たって感じで、財布は丸々太っている。何より如何にも三食足りて健康ですって感じが気に入らない。だから私は其奴を狙う事にした。後を付け、ベンチに座った時に横に置いた串焼きの袋をかっ浚う。さて、罠までおびき寄せて財布も奪ってやる。どうせ恵まれているんだ、私に全部くれよ。

 

 だけど、気が付いたら私は見知らぬベッドの上。多分捕まったんだろうけれど、拘束もされていないのは変だ。きっと同情した風に装って騙す気なんだと思いつつ、体の調子を確かめて直ぐに妙だと気が付いた。

 

 まるで風呂に入ったみたいにさっぱりした体は傷が癒えて痛みすらない。そして疲れが消えて、空腹すら収まっていた。でも、それよりも驚いたのは鏡に映った私の姿。着ているのはボロボロの薄汚れた服じゃなく、何故かカエルのキグルミだ。驚きの声と共にカエルの目玉が飛び出した。

 

 

「なんでカエルのキグルミなんだよっ!?」

 

「え? ダイオウグゾムシのキグルミが良かった?」

 

 目の前でちょこんと座る、小さいままの僕にカエルのキグルミ姿の子が怒鳴り散らす。そのキグルミ、通気性や湿度調整温度調整も完璧で、どんな環境だろうと快適な眠りを約束するのに。でも、カエルが嫌いなら仕方が無いのかな?

 

「んな訳有るかぁああっ!!」

 

 どうも見た所、栄養状態も衛生状態も悪いから折角高性能のキグルミを着せて治療して上げたのに、目の前の子は何が不満なのか怒鳴って来る。もう、これだから常識の無い子は駄目だよね。少しは僕を見習って欲しいよ。

 

「それで何が不満なのさ? 特に意味無くキグルミ姿にした事以外を三文字以内で答えてよ」

 

「それだ!」

 

「それかー」

 

 何と言うかゲルちゃんと同様に打てば響く子で弄くるのが凄く面白い。解析魔法で分かっている名前からカっちゃんと呼ぼうか。

 

「おい、飼い主! どうなってるんだ、お前のペットは!」

 

「いやいや、僕はゲルちゃんのペットじゃないよ? あの子は僕の大大大大大親友さ!」

 

 何故か僕と話すのが疲れたみたいな顔になったカっちゃんだけれど、今度はゲルちゃんに矛先を向ける。でも、僕の主はマスターだし、品行方正で善良な存在の代表な僕が誤解を解いてあげよう。

 

「いえ、この子は私のペットでも親友でもないわ」

 

「大大大大大親友だもんね!」

 

「無視しろ、じゃないと疲れるだけだ」

 

「……ああ、お前の様子見てたら分かった。このチビ、関わったら駄目なタイプか」

 

「向こうから関わって来るがな」

 

「ええ、そうよ。関わらない方が良いわ」

 

 折角僕がリフレッシュしてあげたのに既に疲れた様子の三人。その上、僕に酷い事を言って来た。そんな、僕には他人を弄くって面白可笑しく楽しもうって気持ちしかないのに!?

 

「ゲルちゃん達のバカァアアアアアア!! ツルペタ三人組ー! 切り株体型ー! 絶壁のスペシャリストー!」

 

 あまりのショックに僕は走り出す。そのまま言いたい事を言いながら駆け抜けるけれど、またしてもソリュロに頭を掴まれていたよ。痛い痛い痛い、出る、中身出る!

 

「ったく、疲れるぜ。……これは貰って行くからな、あばよ!」

 

 ソリュロが僕にアイアンクローを食らわせながら振り回す最中、カっちゃんは手近にあった金時計を引ったくると飛び出して行った。

 

「……あれ? あの子、キグルミ姿に気が付いていたわよね?」

 

「ふっふっふ! 僕の悪戯を侮らないで欲しいね、ゲルちゃん。自覚したら視界がキグルミ装着時になるけれど、他の事で意識が逸れれば元の何も無い時の視界に戻るのさ」

 

「おい、お前はこの馬鹿者の様な才能の無駄使いはするなよ?」

 

「失礼だなぁ。僕はちゃんとソリュロが見ていて呆れて頭痛や胃痛を感じる使い方を厳選しているのに」

 

「それが無駄だと言っているのだ。……来たか」

 

 再び呆れるソリュロは扉に目を向ける。慌ただしい足音と共にカっちゃんが飛び込んで来たけれど、息を切らす程に急いでいても余所様の所にノックもせずに飛び込んで来るとか無いわー。

 

「おい、テメェ! このキグルミどうにかしやがれ!」

 

「ダイオウグゾムシに変えるの?」

 

「それはもう良い! どうやって脱ぐんだって言ってるんだろが!」

 

 蛙の頭を引っ張っても、背中のチャックを探してもカエルのキグルミは脱げない。だって普通に着せたんじゃなくって、僕の魔法で着せたんだから。

 

「……えっと、ゴメンね? 僕、服とか着ないから脱ぐって発想を忘れがちでさ……」

 

「お、おい、まさか……」

 

 僕だって偶には素直に謝るよ。耳を垂らしてしょんぼりとした姿勢で上目遣いにカっちゃんを見れば不安そうな顔になっている。

 

 

「このまま脱げないのかっ!?」

 

「え? どうしてそんな発想になるの? 両目を掴んで左右に引っ張れば普通に裂けるよ? もー! どうして人の話を聞かないのさ! 直した方が良いと思うよ、僕は!」

 

「……おい、本当に此奴をどうにかしてくれ」

 

「大丈夫。天敵が居るから。ちゃんと叱れる人が居るから任せておいて」

 

「おう……」

 

 どうやら僕の活躍で二人にある種の絆が芽生えたらしい。流石は僕だと感心するね、我ながら。誇らしく鼻息を吹けばソリュロが頭を抑えておる。

 

 

「どうかしたの? 更年期から来る何か的な奴?」

 

「……未だその方がマシだ、馬鹿者が」

 

 相変わらず口が悪いなぁ。僕は少しだけソリュロが心配になって来たよ。

 

 

 

「……ったく、手間取らせやがって。町中で何の祭りかって質問されたじゃねぇか。……あ? 私の顔がどうかしたのか?」

 

「えっと、アンノウンの言葉で薄々気が付いていたけれど女の子だったのね」

 

「そうだよ。私が女じゃ悪いか?」

 

 ゲルちゃんが言う通り、キグルミを着る前は判別不可能だった性別が今じゃハッキリと分かる状態なんだ。伸びっぱなしで腰まである黒髪、鋭い目つき。声だって中性的。でも、観察していれば女の子だって分かるのさ。全部僕のお陰だね!

 

 でも、ジロジロ見られるのが嫌だったみたいな彼女はソリュロを少し見て、今度はゲルちゃんの頭から足の先まで見た後で鼻で笑って来た。

 

「何だ、女連れの女顔と思ったら女かよ、お前も。私だって小さいけれど、お前よりはマシだな」

 

「……は? 大差無いよ」

 

「……あ? 勝ちだろ」

 

 睨み合う二人、目の間に火花さえ飛び交っている迫力があって面白い。でも、同時にある感想だって浮かんで来たよ。

 

 

「ねぇ、どうして人は憎み合い争うの?」

 

「知らん」

 

「それはそうと、お腹が減ったね」

 

「……腹が減った? って、不味い! こんな事している間にも流が腹を減らして待っているんだ! あばよ、貧乳共!」

 

 それは例えるなら竹輪がドーナツに対して穴が開いていて中身が無いと吐き捨てるかの様な言葉。直ぐに自爆に気が付いたカっちゃんは顔を真っ赤にしながら走り去って行く。その背中に『三大貧乳女王の一角』、そんな風に書かれた紙を貼り付けて。

 

 

「おい、三大という事はあれか? 私達が残りか?」

 

「誰もそんな事は言ってないのに被害妄想だよ。言い掛かりだなんて失敬だなあ」

 

「貴様だけには言われたく無いわ!」

 

 ソリュロが怒鳴った頃、丁度正午を知らせる鐘が鳴る時間。でも、鐘は鳴らない。経費削減だと鳴らす役目の人を解雇して、鐘も金に換えちゃったから。聞いた話じゃ周辺の町は何処も同じ感じらしい。税金は上がって、街道の整備や警備すら碌々されずに弱い者は弱いままだとか。でも、それって人の営みだし、勇者や神は関わらない……。

 

 

 

 

「……関わらないんじゃないの、こんなのにはさ」

 

「馬鹿を言うな、散歩のついでに暫く使っていなかった魔法の練習をしているだけだ」

 

 お昼過ぎての散歩時、僕は裏路地を歩くソリュロの頭に乗っていた。ちょっと一人で散歩したいそうなので、数え方が一匹の僕が同行する。ゲルちゃんはマスター達とカードゲームだってさ。神同士は大体イカサマ合戦になるから見ていて面白いけれど、ゲルちゃんが加わるなら普通になりそうで退屈だから僕も出掛けたんだけれどさ。

 

 怪我人が居れば癒し、壊れ掛けた荒ら屋が有れば修復して、空腹な人達には人数分の炊き出しを用意する。手際も効果もマスター以上。お人好しなのもマスター以上だね。

 

「……それとだな、人心が乱れれば魔族の利益となる。故に問題は無い」

 

「詭弁だね」

 

「……何とでも言え」

 

「じゃあ、少女趣味な服装をした実年齢不詳のロリ婆ぁ、痛っ!」

 

 ……何とでも言えと言うから言ったのに氷の塊が頭の上に落ちて来た。凄い理不尽だ。

 

「それよりも気が付いているな?」

 

「うん、バレバレだしね」

 

 武装した人達が五人ずつ、それが前後と左右の建物の中に。修練が足りないし、寄せ集め……にしては何かが変だ。うーん、奇妙な感覚。

 

「取り敢えず襲って来たのを返り討ちにしてから考えようか」

 

「……だな」

 

 周囲の人達が姿を消し、巻き込まれたくないと窓が閉じられる中、変な臭いがする連中が姿を現した。歩き方がモタモタしているけれど鍛えている妙な感じ。まるで体を動かすのに慣れていないみたいだよ。

 

「……さて、何用なのか訊ねても構わんか? 私には狙われる理由が全く分からんのでな」

 

 肩を竦め、両手を左右に広げて挑発的に告げるソリュロ。初対面の相手を煽るのってどうなんだろう?

 

「そうだよ! 僕だって誰かに恨まれる覚えは……沢山だね!」

 

「だったら自重しろ!」

 

「やだ!」

 

 自重はしないよ、絶対に! それが僕の生き方だもん!

 

 

 

 

「み、見付けた。彼奴達だ。故郷を滅ぼした連中が居る!」

 

 

 

 




但しシリアスは続かない


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おかしな世界の少女な女神

 マシュマロの岩に座り、甘ったるい香りの空気をゆっくりと吸い込む。砂糖菓子の杉の木が粉砂糖の花粉を飛ばし、私の周囲を執拗に飛び回る蝿さえも、私の好物のチョコレートだった。……幾ら好物でも食べる気がしないリアルな造形だがな。その蠅を狙って伸ばされた蛙の舌はガムで、体はゼリー。狙いを外して私の顔面にガムがベッタリ付着する。尚、蛙は体がゼリーなせいで内蔵が透けて見えて蠅よりも気持ち悪かった。

 

「……さて、状況を整理しよう」

 

「え? さっきの事をもう忘れちゃったの? 矢っ張り加齢による物忘れが……」

 

 この状況を作り出した馬鹿に最後まで喋らせない。頭を掴み、目の前の湖に投げ入れてやった。大体、不老不死の神であるだぞ、私は。

 

 だから物忘れを理由にしての発言じゃないんだ、今のは。あまりの展開について行けなかった、それだけだぞ。目の前で激しい水音を立てながらもがく鎧姿の騎士を眺めながら回想を始める。溺れる者は藁をも掴むという諺があるが、フルーツポンチの湖で溺れる者は、巨大サイズの寒天やらサクランボを掴むのだな、鎧が重くて無駄ではあるが。

 

 滑稽にさえ思える無様な動きで動く騎士達の姿は今までどうやって鍛えたのだと思える程にガタガタだ。あれでは子供の方が体の動かし方を知っているのではないか? 

 

 飛沫が数滴、私に向かって飛んで来た。指先で拭い、そっと口に運んでみれば口の中に優しい甘味が広がる。認めたくはないが美味いな……。

 

 さて、現実逃避は此処までだ。何時の間にか湖から上がった黙示録の獣(アポカリプス・ビースト)が私の服で体を拭くのを阻止しながら少し前まで記憶を戻した。

 

 

「あっ、おい。鼻をかむのは流石に止せ」

 

 ……もう嫌だ。

 

 

 

「国家への反逆行為の疑いで捕らえる! 死にたくなくば大人しくしろ!」

 

「はぁ!?」

 

 散歩中、少しだけ神の領分から外れた行為した私だが、人助けをして反逆の幇助と言われれば疑問符しか浮かばない。別にレジスタンスの基地に向かって治療を行った訳でも有るまいし、何を言っているのだ、此奴達は?

 

「何かの間違いだろう。私は怪我人の治療や崩壊した建物の修繕を行っただけだ。その口振りからして国に仕える者らしいが……本来ならばお前達の仕事も含まれていたぞ?」

 

 武装した男達を観察する。紫色の全身鎧と剣、そして腰に差した短杖。統一された装備と解析で感じ取ったそれなりの強さは何らかの訓練を受けている事を示しているし、装備に所属を示す紋様が刻まれていない所からして裏の仕事担当の騎士達だろうか? ……やれやれ、面倒な事だ。

 

 肩を竦めて溜め息を吐く私を囲み、ジリジリと距離を詰める騎士達。だが、どうも動きも構えも不格好。悪霊でも憑依しているのかとも思ったが、どうもそうではない様子。気になるのは漂う異臭と、向こうで此方を覗き見している小娘の言葉。

 

「故郷を滅ぼした連中……か」

 

「何をブツクサ言っている! お前の罪は明確! 何せ困窮している者達を余所者の貴様が助ける事で余裕を作り、高まっていた不満を一揆に発展させようとしたのだからな!」

 

「いや、困っている民を助けるのが誰の役目か分かっているんじゃないか。……馬鹿らしい」

 

 本来なら神は人の営みには深く関わらない。精々が司る物に関する祈りに耳を傾け、過分にならない程度に祝福を与えるのみ。イシュリアの馬鹿……いや、この場合は意味が重複するな。イシュリアみたいに自由奔放に関わるのが間違っている。……そして私が司るのは魔法と神罰。このケースなら神罰に発展はしないが……私は非常に不愉快だった。

 

「その杖、お前達も魔法の心得が有るのだろう? 来い、少し遊んでやる」

 

 人差し指をクイっと動かし騎士達を待つ。連携も何もあったものじゃない動きで向かって来る騎士達は力任せに剣を振り回すが、正直言って子供のチャンバラ遊びの方が余程マシだぞ。酒の臭いはしないが酔っているのではないか? その場から動かない私に剣を振るうも刃が一斉に消え去り、勢い余って前のめりになった騎士達。私に向かってよろけて来たので飛び越せば壁に正面から向かい、咄嗟に伸ばした手が壁を砕く。

 

「どうやら正気では無いのは確からしいな」

 

 砕けたのは壁だけでなく、其奴の腕の骨もだ。今聞こえた声からして負荷に耐えられず骨が砕けたみたいだが、それだけの力が出たのも妙だ。地面に着地した私に向かって今度は杖が向けられる。放たれたのは基礎的な魔法の一つである火球を飛ばすという物。大きさは子供の頭程度であり、少なくても騎士が祖国の町中で放って良い物では無い。

 

 別に当たっても痛くも痒くもないが、素直に食らうのも馬鹿らしい。だから全て操った。私に向かう途中で動きを止め、そのまま術者の手元に戻って行く。ほれ、そのまま杖だけを破壊しろ。他の場所には一切熱を通さず、杖だけを破壊された事に騎士達は動揺するも逃走の様子は見られない。敵前逃亡が恥だのと言える状況でも無いだろうに。逃がす気は毛頭無いが。

 

 ……さて、私の頭の上で退屈そうにしている奴に、私の本気を見せてやろう。二度と馬鹿に出来ぬ程の術を見せてやろうではないか。

 

「……開け」

 

 魔法を司る女神の私には杖も魔本も不必要。長い詠唱などした事もない。故に、この魔法を発動させるのに一言有れば十分だ。それだけで周囲の景色が一変する。文字通り、世界が一変した。

 

 

「わわわわわっ! 何これ、凄い!」

 

 潮風香る町の路地裏から景色は一変し、雲一つ無い蒼天と白い大地、何処までも続く地平線が現れる。何が起きたのか騎士達には一切理解出来ておらず、頭の上の奴は何となく察しているらしい。……少し詰まらんな。何が起きたかも分からず慌てふためく姿を見たかったのだが。

 

「凄いね凄いね! これってソリュロが創ったんでしょ! 面白ーい!」

 

「ふっふっふ! まあ、よく分かったなと誉めてやろう。その通り、この世界は私が無から創造した物だ。未だ創造の最中だが、私の好きな風に作り上げる予定だ」

 

 この魔法は弟子であるキリュウにさえ見せてはいない。未だ基礎しか作っておらず、どうせ見せるのならば完成させた物を見せてこそ師の威厳を高められるという物だからな。だが、普段から私を馬鹿にしている奴を驚かせるには十分だったらしい。

 

「さて、力の差は分かっただろう? では、大人しく……」

 

「僕もやるー!」

 

「無理だな。私とて一から創るのにどれだけの時間を掛けたと思っているのだ。まあ、貴様なら百年後には……」

 

 矢張り子供だな。この魔法、やろうと思って直ぐにやれる程に甘い物ではない。才能だけでなく、細かい調整をする時間や長年の研磨有ってこそ。だが、私は何やら行おうとしているのに一言告げるだけで止めはしない。これで私の偉大さを知れば今までの事を反省するだろうしな。

 

 

「出来たー!」

 

「はいっ!?」

 

 無邪気な声と共に景色が塗り替えられ、世界が書き換えられる。忽ち漂う甘い香り、そして子供の夢と言えるお菓子の世界。何と言うことだ、私の創った味気ない世界が一瞬で甘味しか存在しない世界に変わったではないか。……ぐぬぬ、私が創るのに三週間使った世界の基礎部分を利用たな。どうせならば空には綿菓子の雲を浮かべるべきだろう!

 

 

「いや、待て、そうじゃない! 本当に貴様は……」

 

「凄いでしょ!」

 

「はいはい、そーだな。お前は凄いよ」

 

 黙示録の獣(アポカリプス・ビースト)は自慢したがる子供みたいな様子で誇る。……いや、実際に子供だったな。ちょっと、とはとてもじゃないが言えないレベルの悪戯好きだが、根は子供だ。だから面倒なのだ、加減を知らん。今回は改めて本当に無茶苦茶な奴だと思い知らされた。キリュウには従順なのが救いだな。……うん、私も似た様な世界を改めて創ろう。コツは既に掴んでいるしな。

 

 

「おい、そろそろ戻るぞ。魔法を解除しろ」

 

「解……除……?」

 

 拘束した状態でフルーツポンチからすくい上げた騎士達から目を離さずに指示を出すが、返って来たのは疑問符が浮かんだ様子の声だった。おい、まさかとは思うが無理なのか!? ノリと勢いで世界を構築したのは良いが、元の世界に戻る術を知らないのか!?

 

「お、おい、ふざけていないでさっさとしろ!」

 

 そうだ、きっと冗談に決まっている。だが、もしも本当だった場合、此奴が解除を覚えるまでは取り残される事になるぞ!? 冷や汗が流れ、焦りが募る。

 

「あっ、うん。じゃあ、解除」

 

 そして世界は元に戻った。拍子抜けする程にあっさりとだ。

 

 

「……おい、解除出来ないのではなかったのか?」

 

「そんな事、誰もいって無いじゃん。もー! 人の話はちゃんと聞きなよ!」

 

 直ぐ様転移しようとするのを妨害し、強化した指先で掴む。ふはははは! どれだけ才能が有ろうとも所詮は浅はかな子供だ。何度も同じ手で捕まっておきながら懲りない奴だと力を込めた指先はミシミシと頭蓋を軋ませ、アンノウンの顔から余裕が消える。いや、違う。私の目に映ったのは精巧な作りの人形だった。そして指先が頭を貫通するのはそれに気が付いた直後で、偽物が破裂して内部から私の顔に目掛けて真っ赤に着色した水飴が掛かった。

 

「……殺す。何時か絶対に殺す」

 

 端から見れば血塗れの状態で立ち尽くしながら呟く中、物陰に隠れていたカミニがナイフを持って駆け寄って来るではないか。狙いは間違い無く倒れた騎士達で、彼女の瞳は子供らしからぬ復讐者の者。

 

「ま、待て! 止まらねば大変な事になるぞ!」

 

「知った事かぁ!!」

 

 きっと私に告げた理不尽な罪状と同じで、とても納得が行かない理由や方法で故郷を奪われたのだろう。だが、私は止めなくてはならない。復讐が何も生まない等とは言わぬが、止めなければならない理由が目の前にある。

 

 ナイフを構え、自分が血に染まってでも死者の無念を晴らそうとするカミニだが、少し話しただけでも頭が悪くないと分かっているのだろうな。だが、道を踏み外してでも通したい想いがある。だから止まらず、そのまま地面に隠されていた落とし穴の口を踏み抜いて落ちて行った。アンノウンの奴め、これを見越して設置していたな。

 

「……だから止せと言ったのに」

 

 落とし穴を見下ろせば下は柔らかそうなクッションが敷き詰められており、多分カニミは無事だろう。但し肉体だけだ。再び着せられた蛙のキグルミ。……起きれば直ぐに教えてやらねば。私はカニミに軽く手を合わせ黙祷を捧げる。

 

 

 この日、予想を超えている強さを持ってしまった奴の事など結構色々あったが、今は無関係だ。兎に角熱い湯に浸かって水飴を洗い流し、肉をツマミに酒を浴びる様に呑みたい、そんな気分だったさ。

 

「取り敢えず此奴等は……適当に警備隊の詰め所にでも放り込んで置こう」

 

 後から思い返せば、この時の私は冷静な判断力を失っていたのだろう。国の裏仕事専門の部隊の可能性、言動の支離滅裂さ、それらを考えずに適当に済ませたのだ、不覚としか評せない。それ程までに精神的に疲れ果てていたのだ。ほら、神の肉体なら多少の事でも余裕だが、精神的な疲労は別だからな。

 

 せめて軽い解析で薬物や洗脳系の魔法の有無だけでなく、詳細な分析をしていれば。たられば言っても仕方無く、全ては後の祭りなり。私の落ち度でしかなかったのさ。

 

 

 

「えぇっ!? アンノウンがそんな事をっ!?」

 

 カミニを落とし穴から救出してやった後、昼間から大酒をかっ食らって不貞寝をしていた私が目覚めたのは夕暮れ時だった。神としての使命を発揮した後は数日の間は一睡も出来はしないのだが、この様な姿を弟子に見せるとは情けない。眠ってすっきりした事で冷静になった私は恥入りながらも何があったかを話した。

 

「そうですか。あの子、世界創造……いえ、骨組みは既に師匠が構築済みですから世界改変でしょうか? 兎に角その様な事が出来るだなんて……誇らしいです」

 

「おい、馬鹿弟子。使い魔の能力を誇るのは良いが、能力の使い方は恥じろ、制御しろ、どうにかしろ」

 

「うーん、今は力を振るうのが楽しい時期なのでしょうね。確かにお菓子ばかりは良くありません。ちゃんと主食主菜に副菜や汁物も出さないと。デザートばかりじゃ駄目ですよ」

 

「駄目だ、この弟子。シルヴィア……はどうせキリュウに賛同するんだろうし、ゲルダ、どうにかしてくれ。何かもう疲れた」

 

「私、あの子と一緒に旅をしていますけれど?」

 

「……今の言葉は忘れてくれ」

 

 うん、思い返せばそうだった。あの馬鹿は悪戯のターゲットを無差別には選ばない。反応が面白い相手を狙うのだ。不幸な事に私やゲルダはその分類に入っているのだった。……せめて馬鹿弟子がもう少し制御してくれればな。

 

 

「まあ、別にその事は重要じゃない。町長と会った時に何か聞いていないのか? 幾ら何でも無法が過ぎるだろう。弱者を守るべき騎士が弱者を虐げるべく動くのは有ってはならん事だぞ」

 

 あの少女と少しだけ話し、今も憤りを感じている。村ぐるみで盗賊家業を行っている事も無く、魔族に組みしている訳でも無い。だが、踏みにじられたのだ。理不尽に命を奪われたのだ。その様な事、絶対にあってはならぬのに、神である私は、神故にどうにか出来る事にさえ手が出せない。だから私は無力だ。

 

「どうも町長も困った様子でしたよ。領主に納める税金が増えただけでなく、本来行われる筈のモンスター対策用の人材の派遣も滞っていると。……どうやら随分と税を凝らした屋敷を建てだだとか、寵姫に随分入れ込んでいるだとか。……どうも怪しい」

 

 この地域の領主はエルフであり、噂によれば本来は他のエルフ同様に情に厚く曲がった事が嫌いな剛の者だったらしい。まあ、真面目一筋だった男が色に溺れて堕落するのは有り得なくは無いが、キリュウは何やら疑っているな。

 

「レリル・リリスとやらか?」

 

 つい先日、魔族相手にのぼせ上がり勇者であるゲルダに武器を向けた者達が居たが、その魔族こそがレリルと名乗った女だ。一度会ったキリュウはイシュリアの同類と評したが、だとすれば淫靡な妖女の様な相手だろう。……キリュウは嫁であるシルヴィアにぞっこんなので分かっていないが、残念が過ぎるイシュリアも多くの男を誘惑し、その気は無くても堕落させて来た女だ。それを恣意的にではなく故意にするのなら厄介が過ぎるぞ。

 

「寵姫は大勢に姿を見せて居ますが、私が会ったレリルの容姿とは違う様子です。……相手の理想の美女の姿に化ける、とかでなければですが」

 

「まあ、私が調べるさ。巻き込まれた事だし、放置は気持ちが悪い」

 

「え? いや、駄目に決まっているでしょう」

 

「……何故だ?」

 

「だって師匠は休暇中ですよ? 結構ブラックな所が有るのが神の職務ですが、休暇中の仕事を見過ごせません。しっかり遊んで、ゆっくり休んで下さい」

 

 キリュウの言葉に面食らい、それなりの期間の付き合いから何を言っても無理だろうと私は悟る。ふん、まだまだ未熟者の癖して一丁前に気を使いよって。……だが、弟子の心遣いを無碍には出来んな。うん、仕方無い。仕方無いが休むとしよう。

 

「実はもう直ぐ恒例の水上レースが開催されるらしくて、ゲルダさんと一緒に出てはどうですか?」

 

「お前は出んのか? シルヴィアと一緒のボートで遊ぶとか好きだろう?」

 

「師匠を休ませるのですし、弟子の私がその分働きますよ」

 

 親指で自らを指さす姿は我が弟子ながら少し頼もしく見える。そうか、ならば私は弟子を信じて任せよう。

 

 

「……そう言えばシルヴィアの姿が見えんが何処に行った?」

 

「武器屋に掘り出し物が無いか見に行きましたよ。そのついでに聞き込みもしてくれるらしく、気の利く妻を持って私も誇らしいです。彼女は出生の不確さから伝承では謎の戦士と伝わり、気風の良さからエルフだという説が濃厚ですが、私に言わせて貰えれば彼女の魅力の一面では有っても、それがメインの様に扱われるのはどうかと思うのですよ。普段の誇り高い戦士の姿と違い、事恋愛になれば純情可憐な女性の顔を見せ、他にも……」

 

「あー、はいはい。御馳走様と言っておこう。……おい、少し辛目の酒を出せ」

 

 相変わらず話を聞くだけで胃がもたれそうな濃厚な甘みを感じるな、キリュウの惚気は。強い酒を一気に飲めばカーッとなって気分が良い。惚気話も気にならなくなるしな。別段私に相手が居ない事を気にしている訳ではない。そう、絶対にだ。

 

「……少し散歩に行って来る」

 

「え? 師匠、今は止した方が。随分と酒を召し上がっていますし……」

 

「この程度は何ともない。寧ろほろ酔い気分で丁度良い」

 

 まったく、私を見た目通りの子供と思っている訳でも無いだろうに失礼な弟子だ。多少酒が入っていても何が問題なのか。

 

 

 

「君、少しお酒臭いね。子供がお酒を飲むのは感心しないけれど、お父さんやお母さんは何処かな?」

 

「こ、この事かぁー!」

 

 十分後、町中で気の良い真面目な警備隊の男に注意を受ける。どうやら酒臭い少女が居ると連絡を受けたらしい。……屈辱だ。

 

 

 

 

 

 

 

「……血が?」

 

「ああ、どうも騎士達の体からは一滴残らず血が流れ出していたらしい。だが、干からびた死骸の周囲にも一滴も残っていなかったらしいぞ」

 

 私が詰め所で未成年の飲酒について懇々と話を聞かされている間、シルヴィアは少々不穏な情報を手に入れていた。尚、私はキリュウが迎えに来て漸く解放されたのであった……。

 

 

 

 



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永久の敵 永久の味方

 これはゲルダ達がグリエーンの封印を行った頃、人気の無い深夜の波止場、多くの船が集う場所から少し離れた所を、千鳥足で鼻歌交じりに歩く者が居た。

 

「うぃ~、ひっく! 酔っぱらっちゃったよぉってか!」

 

 既に随分飲んだのか顔は真っ赤で酒臭いにも関わらず、彼の手には未だに半分以上中身の残った酒瓶が握られている。だが、随分と飲み歩いている様子ながら、どうも服装からしてそれ程裕福には見えず、その日暮らしの貧しささえ伺えた。なけなしの金を注ぎ込んでまで酒に逃げる、その理由は彼の目の前に有る。

 

「……畜生。あの糞領主がよぉ」

 

 髭も伸ばしっぱなしで服もよれよれの彼だが、ほんの一ヶ月前まではそうではなかった。彼の目の前には封鎖された建物と廃船から出た廃材山。彼が経営していた解体屋が有った場所だ。廃船を引き取り、使える部分を船大工に売る。小規模ながらも気心の知れた者達との労働の日々は充実しており、亡き妻の忘れ形見である娘は口うるさいが宝だった。

 

 それが奪われたのが一ヶ月前。建物が僅かに彼の土地からはみ出していると難癖を付けられ、長年の土地の使用料として法外な金を要求されたのだ。ほんの指先程度に大袈裟だと訴え出ようにも、その訴え出る相手こそが訴えを聞く者のトップである領主。他の土地に助けを求めに行った部下達は帰って来ず、遂には分割での支払いの願いも通らず建物も娘も奪われてしまった。

 

「……母ちゃん、俺はどうすれば良いんだ」

 

 海を向き、亡き妻に問い掛けるも聞こえて来るのは波の音。自暴自棄に陥り、絶望の最中のこの男、このままの生活が続けば体を壊すか、それこそ自ら命を絶ってしまいそうだ。だが、彼は死は選ばない。絶対に有り得ないと思っているからこその現状だが、連れ去られて行方知れずの娘が生きて戻って来る可能性を捨てきれないのだ。

 

「もうその辺にしなよ、父さん」

 

「……え?」

 

 男は酒瓶の口を口に当て、一気に流し込もうとする。その時、幻聴がした。飲み過ぎだと何度も注意して来た娘の声。分かったと言いながら飲み続ける自分に対して諦めず怒り続けたものだ。鬱陶しいと思っていた声だが、今は何よりも聞きたい。酒瓶を持つ手が止まり、震える。何度も傾け様として、口から離すと振り被った。

 

「畜生!」

 

 投げられた瓶は中身を撒き散らしながら廃材の山に当たって砕け散る。何もかもが嫌になり、自分が何よりも嫌いになりながら彼は踵を返す。酒を買いに行くのではなく、仮の住処にしている安宿に戻るのだ。その背後から何か音がした。重く巨大な物を引き擦る音だ。

 

「何……だ……?」

 

 彼はそれが気になり足を止めて振り返る。これで彼の運命は結した。この時、気にせずに一目散に走り出していれば彼の人生は続いただろう。生きて娘と再会し、解体屋を再び始める事も可能だったかも知れない。幸せな未来の可能性は確かに有ったのだ。

 

 

 だが、それは仮定の話。どれだけ話しても現実は変わらない。彼の生涯はこの日の内に幕を閉じ、翌朝に何かに圧し潰された死体が発見される。但し、彼を潰した物が何か、事故か事件かは噂ばかりが広まるだけだった。何せ凶器になり得る物など周囲には存在しないのだから。周辺の海に潜って確かめても何も沈んでおらず、不気味な噂だけが残り、人々は不安を募らせるばかりだ。

 

 目撃者は居ないこの一件だが、重い物が激突する音に混じって声を聞いた者が数人居た。その声は子供の様だったという。ケラケラと無邪気ながらも虫を遊びで殺す残酷さを感じさせる笑い声の主が誰なのか、臆測ばかりが広がっている……。

 

 

 

 

 数値が増えるのは基本的には良い事よ。羊毛の買値に収穫量、通ってはないけれど学校のテストの点数や成績だって素晴らしいわ。でも、増えてはいけない数値存在するのよ。それは血圧だったり借金だったり、そして……。

 

「た、体重が……」

 

 休暇中でも勘が鈍ったり体が鈍らない程度の運動はしている私なのだけれど、お風呂上がりに脱衣所で目にしてしまった対乙女用最終兵器『体重計』。暫く乗っていなかったけれど、運動だって沢山しているから気軽に、ではないけれど乗った私、結果はお察し。何かの間違いだと思って一旦降りて、大きく息を吐いてから、爪先からゆっくりと乗る。結果、変わらない。

 

「あっ! タオルを巻いてたわ。体を拭いて湿っているし、うっかりね」

 

 バスタオルを外して、体中の水滴念入りに拭き取って、それでも変わらない。体重は前回乗った時よりも○キロ増えているままだったわ。

 

「ど、どうして!? ○キロも増えるだなんて……」

 

「うわー、今の僕の体重と対して変わらないね。ゲルちゃんも胸の厚さは他の部位と大して変わらないけれど」

 

「ア、アンノウン!? お願い、恥ずかしいから賢者様達には秘密にしておいて!」

 

「うん、マスター達には秘密にしているね」

 

 頭の上から聞こえて来る声、それは当然アンノウンよ。お風呂上がりには乗っていなかったのに、子猫サイズになって何時の間にか私の頭の上で寛いでいるわ。まあ、言葉が通じても所詮はアンノウンだし裸を見られても何とも思わないけれど、体重を知られたのは乙女として恥ずかしいわ。でも、今日は普通にお願いを聞いてくれるのね。何時もだったらオカズを譲れって交換条件を出すのに……まさか!

 

「……部下の人達にも神様達にも他の知人にも、当然だけど見知らぬ人相手でも駄目よ?」

 

「……はーい」

 

「今の間、絶対に話す積もりだったわね」

 

「うん! そんな事よりも朝御飯を食べに行こうよ!」

 

 朝御飯と聞いた途端に私のお腹が軽く鳴る。確かに運動してお腹が減ったし、朝御飯は一日の元気の元だもの楽しみね。今日のメニューは何かしら?

 

 

「それにしても体重が急に増えるだなんて」

 

「え? まさか気が付いていないの?」

 

「え? まさかアンノウンは分かっているの?」

 

「だって僕だもん! じゃあ、先に行くねー」

 

 アンノウンは私の頭から飛び降りると脱衣所から出て行った。本当に意地悪ね、あの子。それにしても何時の間に頭に乗ったのかしら? 勇者として得た力が有るから子猫サイズになったアンノウン位の体重が頭に乗っても気が付かないのだもの。鼻を誤魔化されるし、鼻に頼り切るのも考え物ね。気配探知とか出来ないかしら? 

 

「……いえ、止めておきましょう」

 

 ふと、嫌な事を思い出した。それは今と同じく気配探知の魔法について賢者様に質問したのだけれど、もっとコントロールに慣れないと大変な事になるって聞いたもの。あの時、賢者様のお顔は青ざめていたわ。

 

 

「軽ーい気持ちで使ったのですよ、勇者時代の私は。そうしたら……」

 

「そうしたら?」

 

「ゴキブリやネズミ、宿のベッドに潜むダニまで感知してしまいまして……」

 

 うん、過ぎたるは及ばざるが如しって言うし、気配探知は今は忘れましょう、そうしましょう。

 

「でも、本当にどうして?」

 

 鏡を見てもお腹に余計な脂肪は着いていない。二の腕だってバッチリよ。背は、少し伸びたわね。胸は……うん。運動だってしているし、本当に理解出来ないわ。

 

「って、朝御飯に遅れちゃうわ!」

 

 兎に角、私は増えた体重の謎に悩みながらも服を着てキッチンに向かったわ。……でも、どうして体重が増えたかだなんて簡単な話だったのよ。本当に体重計は乙女に対する兵器よ。冷静な判断を失わせるのですもの。

 

 

 

 

「うわぁ! 今日も美味しそうね。いただきます!」

 

 朝から嫌な事があったけれど、目の前に並んだ朝食が明るい気分にさせてくれるわ。小麦色に焼けたトーストは外はカリカリ、中はモチモチ。二枚有るから、賢者様特製のイチゴジャムを塗ったのと養蜂の神様から貰った蜂蜜を塗ったのを交互に食べるわ。カリカリに焼いたベーコンやソーセージ、チーズを乗せたハムエッグ、サラダだってバジル香るドレッシングを沢山使ったシャキシャキ野菜。スープは粒の大きいコーンのポタージュ。デザートのフルーツだって色鮮やかな沢山の種類の物が並んでいるわ。

 

「ご飯が美味しいと幸せよね」

 

「ゲルダさんは子供ですし、沢山食べるのは良い事です。あっ、ブルーベリーのタルトと紅茶は如何ですか?」

 

「勿論食べるわ! お砂糖も沢山入れて」

 

 お代わりも沢山して少しお腹が一杯だけれど、甘い物は別腹よ。サクサク生地に甘酸っぱいブルーベリー、それを甘い紅茶で食べるだなんて最高よね。……あれ?

 

 二切れ目のタルトを食べて、三切れ目に手を伸ばした所で私は気が付いた。

 

「思いっきりこれが原因じゃない!」

 

 うん、少し考えれば分かった事よ。アンノウンだって、何故体重が増えたのか分からない事を不思議そうにしていたし、気付いてみれば簡単だったわ。運動していても、食べ過ぎれば意味が無いって。……最近買い食いも増えてたし。美味しいのよね、屋台のメニューって。

 

 

  よし、ダイエットしよう! 私はそう心に強く誓い、三切れ目に伸ばした手を引っ込める。未だ口の中に残っている味が私を誘惑していたわ。

 

 

「おや、食べないのですか? 子供が遠慮などしなくて良いのに」

 

「えっと、ちょっとあって……」

 

 言葉を濁し、誤魔化そうとするけれど、賢者様の言葉は私を誘惑していたわ。一切れ位食べても良いじゃないかって、体重が増えたのを誤魔化す為にも食べろってね。

 

「じゃあ、私はソリュロ様との約束があるから準備するわ。ご馳走様!」

 

 私は弱い人間ね。結局、三切れ目に加えて紅茶のお代わりにも砂糖を沢山入れてしまったの。後悔はしている、でも舌と胃袋は凄く満足しているわ。

 

 さて、気持ちを入れ替えましょう。朝御飯を食べ過ぎたなら、昼と夜で調整すれば良いのよ、ゲルダ。ソリュロ様とのお出掛けを楽しみつつ買い食いを控えて、お昼と夜は少し減らせば良いわ。それと運動ね。どうせ夜にもお風呂に入るのだし、思いっきり汗をかきましょう。

 

「ソリュロ様、お待たせしました」

 

「大丈夫だ。待たされていないさ。さて、先ずは服でも見に行って、露天を巡ろうか」

 

 神様達が私にくれたお休みだけれど、その間に派遣されたソリュロ様にお休みを取らせるって目的も有ると聞いているわ。だってソリュロ様って自分の事を人が怖がるからって仕事以外じゃ神の世界に閉じこもっているらしいもの、勿体ないわ。

 

 だから私も楽しむけれど、ソリュロ様も楽しめたら嬉しいわ。私は水色のワンピースに何時もの麦わら帽子、ソリュロ様は相変わらずのアマロリファッション。二人並んで服屋さんまで向かったわ。

 

 

「おぅ!? 最近の子供はこの様な服を好むのか……」

 

「こっちなんて水着みたいだわ」

 

 早速やって来たのだけれど、おへそが丸出しだったり、上がビキニだったり、見ているだけで恥ずかしくて試着する気にはならないわね。でも、折角のお買い物だし、一着位は買いたいわ。

 

「えっと、ソリュロ様は普段は新しい服はどうやって決めているのですか?」

 

「私か? 服飾の神に頼んで作らせている。こうフリルが多めの可愛い物を頼んでいるぞ」

 

「私は似た服ばかり買っています。どうも動きやすい服が良いです。……あら、店員さんが居るわ」

 

 このお店少し前までは結構な規模の魔法使い団体の本部だったけれど、全員が謎の失踪を遂げたから安く買いとって店にしたって聞いているわ。あっ! 欲しい服が見つからないのなら、詳しい人に聞けば良いのよ。ついでにコーディネートも頼みましょう。

 

 私は店の名前が刺繍された服を着て、髪を後ろで束ねている子に声を掛ける。振り向いたのは私と同じ位の女の子だったわ。……あれ? 何処かで会った気がするわね。

 

「あの、店員さん。少し良いかしら?」

 

「はい、いらっしゃいませ。何のご用です……か」

 

 向こうは私たちの顔を見て固まり、声を聞いて私も気が付く。この子、カミニちゃんよ。

 

「……ちょっと此方へ。お連れ様も」

 

 カミニちゃんは私の手を掴み、そのまま私は手を引かれて人目の無い場所まで連れて行かれたわ。

 

 

 

「……分かってると思うが余計な事は言うなよ? 私が泥棒だとかをな」

 

 低い声で脅してくる彼女が言うには、このお店の店長さんは余所から来たばかりで、アンノウンの力で綺麗になったカミニちゃんを雇ってくれたらしいわ。長い間汚い姿で居たから自分が誰か町の人は気が付かないだろうし、偶々出会った私達さえ黙っていれば良いのね。

 

「ええ、別に構わないわ。バラす理由も無いし、そんな事よりもコーディネートをお願い出来るかしら?」

 

「お、おう。任せておきな。好きな格好を教えてくれりゃあ選んでやるよ。……本当に頼むぜ? 流の、たった一人しか居ない血の繋がった妹の為に仕事が欲しいんだ」

 

「ええ、勿論。じゃあ、私の好きな服だけれど……」

 

 カミニちゃんは不安そうにしているけれど、悪い事をするんじゃないのなら私は邪魔なんてしないわ。だって、真面目に働いている人の邪魔をするなんて悪い事だもの。私が少しは脅してみせるとでも思っていたのかビックリした様子の彼女だけれど、お仕事はちゃんとしていたわ。少し露出が多い服ばかりだと思っていたけれど、端の方にちゃんと私やソリュロ様の好みの服が置いてあったし、カミニちゃんのコーディネートも素敵ね。

 

「色々とありがとう! お仕事頑張って」

 

「世話になった。ほら、少ないがチップだ。遠慮せずに受け取ってくれ」

 

「……お前達って変な奴らだな。私みたいな奴に親切にしてさ。……色々悪かったよ。時計は売っちまったから手元に無いけれど何時か弁償する」

 

 最後の方には少し照れた様子のカミニちゃんに見送られて私達はお店を出る。それにしてもカミニちゃんって偉いわね。妹の流ちゃんの為に頑張っているんだもの。それも今みたいに泥棒じゃなくて働いてお金を稼ぐ道を選んだしね。

 

 ……あれ? 流って名前はパップリガの名前よね? カミニちゃんのご両親のどっちかが出身だったのかしら? 彼女自身も顔立ちがそれっぽいし。でも、亡くなっているみたいだから興味本位で聞くのは悪いわ。私達が服を選ぶ最中、カミニちゃんの身の上話を少しだけ聞いたのだけれど、働く事を選んでも次々に不幸に遭遇して働けなくなったらしいわ。その時に少し辛そうにしていたし、詮索は止しましょう。……アンノウンだったら詮索していたわね、絶対に。

 

 こうして私達はカミニちゃんと別れたわ。彼女の妹の名前の理由、何よりも彼女の周囲で不幸が絶えなかった理由、それを知るのは少し後になるの……。

 

 

「さて、アクセサリーを見に行った後はケーキバイキングに行くぞ!」

 

「……え?」

 

 ソリュロ様の提案は普段だったら素晴らしい事よ。モンブランにイチゴのショートにチョコケーキ、想像するだけでお腹が減るけれど、今の私が減らさなくちゃ駄目なのは体重だもの。甘い物は別腹だけれど、別のお腹は私の体の中に有るのよ。

 

「えっと、私、今はちょっと……」

 

「何だ、金なら私が出そう。……いや、そうか。お前も女の子だったな。神は基本不変だから忘れていたが……体重解析」

 

「ひゃわんっ!?」

 

 思わず出てしまった声に周囲の人が振り向くけれど、ソリュロ様がいとも容易く行ったえげつない行為の方が重要だったわ。だって女の子の体重を勝手に調べるのですもの。

 

「ん? ……○キロじゃないか。別に気にする事は有るまい」

 

「ほへ? だって私が朝に計った時はそれよりも○キロ……」

 

 この時、全ての謎が解けたわ。私の体重が増えた理由を何故知っているのか、私はアンノウンに問い掛けた。そして答えたわ、だって僕だもん、と。あの時は自分が凄いから、そんな理由だと思っていたのだけれど……。

 

 

「アンノウンが乗っていたせいなのね……」

 

 思い返せば理由は単純だったわ。これなら三切れ目を食べれば良かったわね。食べられなかった甘味を思い起こせば舌と胃袋が甘い物を強く欲する。よし、今日は沢山食べるわよ! ……ちゃんとその分、運動もするけれど。

 

 

 

「……申し訳御座いません。実は先程お帰りになったお客様が全て食べ尽くしてしまいまして」

 

「えぇっ!?」

 

 でも、折角食べる気になったのにケーキバイキングは臨時休業。聞いた話じゃ白髪で燕尾服を着たお姉さんが全て食べ尽くしたとか。……今の私の舌と胃が甘い物を早く食べろと訴えているのに。

 

「ソリュロ様、屋台巡りに行きましょう!」

 

 ……それにしてもバイキングの全てを食べ尽くすだなんて凄い人ね。私からすれば略奪者だわ。……本当に人間かしら?

 

 

 

 

 

「……さて、仕事に戻るか」

 

 私は自分が堕ち続ける一方だって思っていた。誰も助けてくれず、神様だって私を嫌っているんだって。そう思ってしまう程に不幸ばかりが起きて、何時しか私を雇ってくれる人が居なくなり、気が付けば泥棒だ。でも、今は上がる事が出来た、明るい道を歩き出した。これで父さんに謝らなくてすむな。だって、男で一つで私を……。

 

「あれ?」

 

 今、どうして妹なんて存在しないみたいな言い方だった? あの子は私の可愛い実の妹なのに。ほら、思い出すんだ。……記憶に靄が掛かり、父さんの言葉にノイズが混じる。楽しかった筈の、幸せだった家族三人の思い出が浮かばない。頭が割れそうな程に痛む。

 

「ぐっ! ……あれ?」

 

 堪えきれずに頭を抱えてうずくまった時、目の前で通行人が財布を落とす。かなり詰まっていそうな立派な財布で、昨日までの私なら迷わず拾っていただろうな。でも、今の私は違う。明るい道に戻ったんだ、真っ当に生きられるんだ。だから私は落とし主を呼び止めようとして、その声は店が崩れる音にかき消された。

 

「は……ははは……」

 

 地盤から崩れ、再起不能な程に壊れた店舗。拾ってくれた店長はあの中に居た。まただ、また私の周囲で不幸が起きて、真っ当に生きる邪魔をする。通行人達が唖然として建物を見る中、財布を懐に隠した私は路地裏に消えて行った。

 

「畜生、畜生!」

 

 矢張り私は堕ち続ける運命で、神様に相当嫌われているだ。そうじゃなくちゃ不幸が続く筈が無い。私の頬を涙が伝い、口からは嗚咽が漏れ出る。今は妹に、流に会いたくて仕方が無かった。

 

 

 

 

「お姉ちゃん?」

 

「流!」

 

 ねぐらにしている廃屋で私の帰りを待っていてくれた妹の姿を見た途端、私は急いで強く抱きしめる。そうじゃないと私の目の前で消えてしまいそうだったから。

 

 

「また何かあったの?」

 

「……うん」

 

「どうしてお姉ちゃんばかりそんな目に遭うんだろうね。私、思うの。世の中の幸せの総量は決まっていて、それを奪い合っているんだって」

 

「奪い合ってる?」

 

「うん、きっと」

 

 ……そうか、理解出来たぜ。他の奴、特に幸せな奴が居るから私達は不幸なんだ。なら、どうすれば良い?

 

 

「お姉ちゃん、私は何があっても味方だからね」

 

 その言葉は甘い毒になって私の心に染み渡る。そうだ、奪われたなら奪えば良い。誰を敵に回しても、私には流が居るんだから……。

 

 



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悪い予感

「どうも事故が多発しているらしいですし、ゲルダさんも気を付けて下さいね」

 

 一週間のお休みの三日目の朝、今日もソリュロ様とお出掛けをする予定だった私に賢者様がそんな事を言って来たわ。カミニちゃんが働いていた服屋さんも、前に建物を使っていた魔法使いの団体が変な実験をしていたらしく、

床から染み込んだ薬品の影響で基礎部分が崩れてしまったらしいわ。・・・・・・目撃者の話じゃ走って立ち去る姿が有ったらしいから無事だろうけれど、お店の人達は可哀相ね。

 

 その他にも昨日の午後だけで多くの事故が起きているわ。お酒を運んでいた給仕さんが傷んでいた床板を踏み抜いて転んでしまい、手放したお酒がタバコの火に引火して火事になったり、荷馬車の車輪が外れてお店に突っ込んだり。色々な不幸が多くの人に影響を及ぼす結果になるだなんて。事故が多発するには何か理由が有るのでしょうし、そんな物が未だ残っている可能性も有るわ。

 

「そうね。その時はソリュロ様に守って貰うわね」

 

 色々と大変な人が多いみたいだけれど、昨日食べに行けなかったケーキバイキングに行きましょう。エクレアやチーズケーキ、チョコタルトも有れば嬉しいわね。

 

 

 

 

「え? 暫くお休み? そんなー」

 

「申し訳無いな。食べ放題って銘打ってる以上は途中で出せませんとは言えなくて、材料全て使い切っちまったんだ。今朝には新しいのが市場に届くはずだったんだが……」

 

「荷馬車が事故にあったと聞くが、ケーキの材料を運んでいたのか……」

 

 折角行ったのに、昨日の余波は今日も続いていたわ。出せるケーキがないんじゃ仕方が無いとは思うけれど、こうも続くと少し落ち込むわね。……それと落ち込んでいるのは私だけじゃなかったわ。事故が多発したのは昨日のお昼から。そんな短い期間で町の人達の顔が沈んでいたの。

 

 屋台巡りは昨日したばかりだし、今日はのんびりお散歩に予定変更ね。少し人混みの多い多い場所を避けて川の流れを眺めながら歩くの。川では私と同じ年頃の子供達が釣りをしたり泳いだりしていて楽しそうだったわ。まるで町の大人達が落ち込んでいるのが嘘みたいね。

 

「どうも不運が続いているが、まあ、愚者が為政者の時はそうなるものだ。気が沈めば労働への意欲も下がり、それが事故に繋がるからな。……長い間、その様な光景を何度も見て来た」

 

「成る程……」

 

 私も羊飼いの仕事をしていたから分かるけれど、落ち込んでいる時って仕事に集中していないから思わぬ事故に繋がるのよね。……今の領主様って随分と酷い人になってしまったそうだけれど、元々は評判が良かっただけに残念ね。

 

「あら? ソリュロ様、あれって何かしら?

 

 少しだけ気が沈んでしまった時、私の目に映ったのは二人乗りの小さな帆船だったわ。前の人が船の縁を持ってバランスを取っているみたいだけれど、風がそんなに吹いていないのに凄い速度で走っているわ。後ろに乗っている人だけれど、持っているのは……杖? あの人達、魔法で風を操っているのね!

 

「驚いたか? あれがニカサラ発祥でブルエルの人気スポーツ『ツヤキア』だ」

 

「へぇ、面白そうですね! やってみたいわ」

 

 風を切って水の上を進む速度が凄いし、私は興味を引かれたわ。子供らしく目を輝かせていたのだけれど、そんな私を見てソリュロ様が浮かべたのは得意そうな笑みだったの。

 

「実は船を用意しているんだが」

 

 あっ、昨日読んだ小説に出て来た、部屋は既に用意しているんだが、ってセリフみたいね。まさかバーから直行した部屋でマフィアとの抗争が始まるとは思わなかったけれど、オチは平凡だったのよね。

 

 まあ、それは兎も角として、最初から船を準備して此処まで私を連れて来てくれたのですもの、乗らないのは色々失礼ね。実際に乗るとなると不安になって来たけれど。

 

「……まあ、ソリュロ様だし大丈夫よね」

 

 ソリュロ様が親指で示した先、そこには銀色の船が浮かんでいたわ。帆は金色で、日光を浴びてキラキラ光って神々しさすら感じたけれど、そもそも用意したのが神様だから神々しさがあって当然なのよね、文字通り神の船だもの。

 

 他の神様、例えばイシュリア様の用意した物なら、頭のネジが外れているから船にも心配が残るけれど。……こんな事を考えているのがバレたら困った事になりそうね。

 

「……安心しろ。あれは私が全部用意した奴だ」

 

「えぇ!? イシュリア様の用意した物じゃなくて良かったと思ったの、口に出していました!?」

 

「いや、顔に出ていた。……個人名を口に出すのは止めておけ。気持ちは分かる、凄く分かる」

 

 か、神様って勘が鋭いわっ! ……うん、本当に注意しましょう。

 

「さて、無駄話は此処までだ。イシュリアが問題児だなんて分かりきった事は放っておいて、折角の休日を楽しむぞ! ……休暇中に溜まる仕事については忘れるぞ」

 

 そう言いつつも顔が少しどんよりして来たわね、ソリュロ様。まあ、私は羊飼いの仕事の手助けがあったから良かったけれど、位の高い神ならそうは行かないでしょうね。……そうなると最高神のミリアス様ってどれだけ大変なのかしら?

 

「さあ! 遊びだ、遊びだ! 嫌な事は全部忘れて遊び尽くすぞ!」

 

「はい!」

 

 そうよ。今は折角のお休みだもの、詰まらない事は忘れて楽しむ時ね。ソリュロ様は私の手を引いて船まで走り、私も足を急いで動かす。ふふふ、ソリュロ様ったら楽しそう。見た目が子供だもの、どれだけはしゃいでも似合ってるわ。

 

 そのまま船に飛び乗った私は前側に、ソリュロ様は当然後ろ側に乗ると杖を取り出したわ。可愛らしいピンク色の短杖。さーて、ソリュロ様は魔法の神様だもの、きっと凄い風を起こすわね。私はバランスを崩さない様に船の縁をしっかり掴んで座り込む。きっと私が体験した事が無い速度になると思うけれど、その一方でソリュロ様なら安全だとも思っているわ。だって賢者様が、ソリュロ様はマトモだ、そんな風に言っていたもの。奥さんと娘とペットに対する事以外なら、あの人の言葉を私は信用していたわ。

 

「では行くぞ!!」

 

 掛け声と共に私の頬を微風が優しく撫でる。新しい季節の訪れを感じさせる香りを漂わせた風は心地良く、それを全身で感じたくて私は目を閉じたの。そして私は風になったわ。

 

「いぃいいいいいいいいいい、やっほぉおおおおおおおおおおおお!!」

 

 後ろから聞こえて来るのは頭のネジが全部吹き飛んだソリュロ様の楽しそうな声。船の先は上に傾いて船尾だけが水に浸かっている、そんな状態で私が乗った船は殆ど飛んでいたの。体験した事の無い速度になるとは思ったけれど、まさか此処までだなんて……。

 

 だって、船の両脇で上がる飛沫は見上げる程に高い壁になっていたもの。景色が弓矢よりも速く後ろに流れて行って左右に発生した波が他の船を巻き込まないのが不思議だけれど、それはソリュロ様がどうにかしているのね。つまり、冷静さを完全に失っていないのにこのテンションの高さだなんて。賢者様の他人への評価だけれど、身内に対しての評価は全然役に立たないわ! この方も条件付きでイシュリア様と同類……は流石に言い過ぎね。失礼だわ。

 

「ソソソ、ソリュロ様っ!? 幾ら何でもこの速度は……」

 

「ん? ああ、成る程。分かった!」

 

「……何故かしら? 何も分かっていない気がするけれど……」

 

 私は知っている。嫌な予感こそ当たりやすいって事を。

 

 

「手加減し過ぎだ、そう言いたいのだな! ならば音速の世界を体験させてやろう!」

 

 ほら、当たりでしょう? 白目を剥いて気絶しない自分を誉めてあげたいと思う中、船の速度は更に加速して、もう景色が見えないわ。……でも、不思議ね。怖いのだけれど、ドキドキハラハラが楽しいとも思ってしまうのよ。この楽しさは同じく危険な戦いとは全くの別物。

 

 

 

「行くぞ! 音速の更に先の世界に!」

 

 でも、幾ら何でも限度が有るのだけれどっ!? 本当に意識を保った自分を誉めてあげたいわ。同時に気絶しなかった事を責めたい程のスリルを味わったのだけれど。

 

「楽しそうだな」

 

 今、私の耳元で誰かが囁いた気がした。静かな声で感情を感じさせないのに、何故か色々な感情が混じっているって思えたの。怒り、悲しみ、絶望、怨み、そして妬み。私がこうやっている事が、不幸のどん底で無い事が許せないと言いたそうな声。続いてカビ臭いチーズみたいな悪臭が漂い、粘着く悪寒も同時に全身に覆い被さって、両方とも直ぐに弾き飛ばされた。

 

「……呪いの一種だな」

 

「呪い……?」

 

 先程までのテンションの限界を振り切っておかしくなった状態から一変して元に戻ったソリュロ様の呟きに思わず聞き返す。だって呪われる事に見に覚え……は魔族関連なら有るのだけれど、魔族の気配がすればソリュロ様が気が付いている筈よ。幾ら休みで気が緩んでいても……いえ、今はそんな事を考えている場合じゃないわ。

 

「ソリュロ様、あの場所に居た他の人達は大丈夫ですか!?」

 

 この時、呪いを向けられたのは私だけじゃない、そんな確信があった。あの声は特定の誰かじゃなく、術者が気に入らないと感じた相手全てに向けられる物だって確信があったから。

 

「一応は咄嗟に呪いを弾いたが、他の場所で呪いを使っていた場合は分からん。……所で私からも質問をさせて欲しいのだが」

 

 ソリュロ様の深刻そうな顔に私は不安を覚える。目の前にいる方こそが神様だけれど、どうか予想とは違って欲しいと神に祈り、藁にも縋りたい気分だったわ。でも、私は分かっている。嫌な予感こそ当たるって。

 

 

 

「此処、何処だ? 見渡す限りの大海原、流石にはしゃぎ過ぎた」

 

「……いや、魔法で調べるなり転移すれば良いと思うわ」

 

「そうか! ゲルダは賢いな」

 

 あっ、敬語を使っていなかったわ。でも、別に構わないでしょ。ソリュロ様が一切の嫌味無く私を誉める中、凄い精神的な疲労が私を襲っていた。

 

 

 

「……気に入らん」

 

 静かな声でソリュロ様が呟く。私達が沖まで進んで戻って来る迄の僅かな時間、その間にまたしても事故が起きていたの。幅が広い川を渡る為の大きな橋。流通にとって重要なそれが中心から崩れていたわ。丁度橋を多くの人や荷馬車が通っていて、橋の下を船が行き交っている時に発生した不幸。……いえ、悪意によって引き起こされた悲劇。

 

「……こんなのを嗅ぎ損ねるだなんて」

 

「そう自分を責めるな。これは切っ掛けでも無ければそうそう気が付く物でも無い」

 

 あの呪いの悪臭を感じた今だから意識をすれば感じたわ。町の臭いに混じって隠されたカビ臭さをね。知っているからこそ気が付いた微量な臭い。確かにソリュロ様が言ってくれるみたいに仕方無いのでしょうね。頭では分かっているわ。自分が何から何まで気が付いて事前に防げる様な万能で凄い存在じゃないって事も知っているのよ。

 

「……分かっているけれど、心が納得しないわ。だから私は私がやりたい事を、すべきだと決めた事をするわ。あの呪いの術者を見付けて……懲らしめてやる!」

 

 これは私の無力感から来る戦いよ。勇者としてだけでなく、ゲルダ本人の心から湧き上がった静かな怒り。心を焼き焦がす激しさは無いけれど、私の中で強く確実に燃えていたの。目的を果たす為に強く燃え上がる時を待ちながら……。

 

「そうだ! カミニちゃんは大丈夫かしら!」

 

 これが魔族の仕業かどうかは分からない今、本来ならソリュロ様は手を出せない、目の前の人達を助ける事さえ許されない。でも、頭と心は別だから、私は静かに目を閉じる。修復を始める橋や船や馬車、そして癒えていく人々の怪我。でも、私はそれを目にしない。だから、直ぐ後ろで誰かが何かしても分からなかったわ。

 

 今気になるのは不幸が続いているカミニちゃん。もしかしたら彼女も狙われているのかも。そんな不安を覚えた私は彼女を捜す事にしたわ。既に匂いは覚えているもの。目を閉じて気を研ぎ澄ませば彼女の匂いを感じ取った。……それに混じるカビ臭さと知らない魔族の、ドブが腐ったみたいな悪臭も。

 

「急がなくちゃ!」

 

 私は船から一足飛びに陸に上がって走り出す。胸の中を渦巻く嫌な予感に突き動かされて。……嫌な予感はよく当たる。でも、私は知らなかったの。嫌な予感は、更に最悪な形で外れるって。本当の不幸は人の想像を超えているだなんて私は知らない子供だったの……。

 

 

 

 

「……エミュー、エミューは何処に行ったんだ!?」

 

 その城は少し前までは最低限の装飾がされた場所であり、城主は理想の体現の一種と称するに十分な名君であった。質素を好み力強く、しかし賢い。清濁併せ呑む柔軟性を持ち合わせるが根はどうしようもない程の善。いずれ生まれる跡継ぎも彼の様であれば未来は安泰だ、領地は栄える。

 

 そんな期待を抱く臣下は片手の指で数えられる程にしか残っていらず、その希な者達さえも今の城主を暗君の類と一蹴するだろう。

 

 今、情けない声で女の名を呼ぶ者こそその城主。暫く会っていない者が居れば、偽物が魔法で家臣を操って成り代わっていると思う程に名君だった頃の面影は無い。

 

 幼い子供が母親愛しさ恋しさに泣き叫ぶかの様な声を中年男が発し、その度に全身の脂肪が波打つ。元は歴戦の戦士を思わせる筋骨隆々で理想に輝く瞳の男。今では濁った目をした肉と脂肪の塊だ。贅に溺れ、肉欲に執着する愚物、それが残っている家臣からの評価であり、尊敬と信頼は侮蔑と嫌悪に成り代わった。

 

「はぁい、オットロ様。私は此処ですわよ」

 

 その贅肉まみれの顔に白い肌をした柔らかそうな手が添えられる。その声は頭が蕩けそうな程に甘く、幼さが残る顔立ちや背丈にも関わらず一部の肉付きは異性の情欲を誘う。纏う服はチャイナドレスに酷似しており、深いスリットや胸元からは肌が惜しげもなく見えていた。

 

「何処に行っていたんだ、エミュー!? 私にはお前しか居ないんだ! 前の妻だって、お前を非難する家臣だって追い出したじゃないか」

 

「申し訳有りません、野暮用でして。……でも、寂しかったのは私も同じだと……信じてくれます?」

 

「信じる! 私はお前を絶対に疑わない!」

 

「うふふふ。エミューは世界一の幸せ者ですわ」

 

 端から見れば三流の茶番劇、後ろ足で砂をかけたい茶番劇の類だが、城主であるオットロからすれば真剣だ。言葉の通り、彼にはエミューしか必要でなかった。

 

「相変わらず柔らかいお腹。それでこそ愛しのオットロ様ですわね」

 

 エミューは体をオットロの醜く肥えた体に預け、腹を這う手はやがて下腹部に向かう。同じくオットロの手も遠慮も恥じらいも矜持の欠片すら無くスリットから服の中に進入し、下着など着けていない臀部を撫で回す。

 

「ねぇ、オットロ様。私、お願いが有りますの。二人でゆっくりする為の別荘が欲しくて。……駄目ですか?」

 

「建ててやる! お前の願いなら幾らでも!!」

 

 唾を飛ばし、脂肪を激しく揺らしながらオットロはエミューに迫り、彼女はそれを受け入れて唇を重ねる。彼女が現れてから何度も行われた遣り取りであり、諫める者は残っていない。

 

 絶望、諦念、呆れ、今のオットロに向けられるのはそんな感情だ。だが、今の二人の光景を眺める瞳にはそれとは別の物が宿っている。エミューの淫靡な姿に欲情しているのではないと記しておこう。その瞳の持ち主がする筈がない。彼からすれば嘲笑の対象でしか無い。

 

 

 

「さてさて、休憩時間にお使いを頼まれて様子見に来ましたが、上手くやっているみたいですね、

エミュー・リリム(・・・)さん」

 

 その人物、ビリワックは黒山羊の顔に笑みを浮かべながら呟き、一瞬で姿を消す。消える刹那、門の方から聞こえた喧騒に更なる笑みを浮かべて……。



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謎の集団

 目の前に手を繋いで仲良く歩く親子三人の姿があった。……妬ましい。

 

 建物の近くを通った時、外壁が崩れて子供の頭をかち割った。

 

 小さいながらも長い間地元の人に愛された定食屋が見えた。店主と妻が仲睦まじく働いている。……妬ましい。

 

 妻が足を滑らして夫にぶつかり、高温の油の鍋に頭から突っ込んだ。

 

 家を失い、僅かな荷物を手に途方に暮れる母子が居た。……妬ましい。

 

 坂道を上っている最中、馬車から転がり落ちた樽が母親を跳ね飛ばす。頭から地面に落ちた母親に子供が縋り付くけれど動かない。

 

 妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい、誰も彼も、何もかが妬ましい。大切な相手が居るのが妬ましい。お金があるのが妬ましい。未来に希望を抱けるのが妬ましい。私よりも幸せな奴が妬ましい。

 

「……虚しい」

 

 どれだけ人の幸福を奪っても、幾ら人を不幸に落としても、私の心は満たされない。私に配分される筈の幸運がやって来ない。あれだけ心に渦巻いていた憎悪が収まって行くのを感じる。

 

「お姉ちゃん、どうしたの? もっとだよ、もっともっと大勢を不幸にすれば、きっと私達に幸福が訪れるよ」

 

「……そう、だな」

 

 そうだ、私が何を感じるかなんて関係無いだろ。私の全ては流の、妹の為にある。父さんだって私を犠牲にしても妹を守れって言ったんだ。私の大切な大切な実の妹。ほら、思い出せ。この子と過ごした故郷の事を……何故か思い出せない。仲良く暮らした筈なのに、赤ん坊の流の世話をした筈なのに、私の記憶の故郷での暮らしには父さんと私だけで暮らしていた時の事しか出て来ないんだ。

 

「……なあ、流」

 

「なぁに?」

 

「お前ってさ……私の妹だよな?」

 

 私は何を馬鹿な質問をしているんだ? 可愛い妹を泣かせる事を口にして駄目な姉だよな。うん、謝ろう、きっと泣きながら肯定するから、抱き締めて謝ろう。だって、この子は私の大切な……。

 

 

「……なぁんだ。もう気が付いちゃったのね。詰まらなーい」

 

「な……流?」

 

 きっと聞き間違えで見間違えだ。妹だって肯定したに決まっているし、無邪気なこの子があんな醜悪な笑みを浮かべる筈が無い。きっと私の罪悪感が生んだ幻だから、抱き締めて謝ろう。私は妹に手を伸ばし、横から伸ばされた足が流の小さな体を蹴り飛ばす。ハッとして見ればゲルダが立っていた。

 

「間に合った! カミニちゃん、よく聞いて! その子は……魔族よ!」

 

「魔……族……? 流、私の妹が……?」 聞き返した私だけれど、その言葉が理解出来なかった訳じゃない。寧ろ嫌でも理解させられて、理解するのが嫌だから分からない振りをして自分を誤魔化そうとしていたんだ。手で耳を塞いで目を瞑る。そんな事で現実は変わっちゃくれないって分かっていたのに。

 

「そうよ。私も魔族なの。そこで今にも吐きそうな顔をしている女の記憶を弄って……妹になっていたわ」

 

 耳を塞ぐ手を貫通して声が聞こえる。頭の中で嫌だ嫌だと叫んでも声は届いたんだ。聞き慣れた妹の幼い声、途中から嗄れた老婆の声に変わって、目を開けた私の前に居たのはケバケバしい化粧をした婆さんだった。あれは誰だ? そんな分かりきった疑問を思い浮かべるけれど、そんな事をするまでもなく分かっているんだ。

 

 妹だった相手の言葉を聞いた時、父さんの最後の言葉が蘇る。妹を絶対に守れ、その言葉にノイズが走って別の言葉に置き換わった。私だけでも助かって欲しい、それがあの人の最後の願いだった。

 

 妹を見捨てでも良いって事か? いや、違う! 母さんは私を産んで直ぐに死んだ。父さんはそれから結婚もしてなければ、恋人だって作らなかった。私に血の繋がった妹なんて最初から居なかったんだ。……全てに気が付いた時、胃の中の物が逆流した。

 

「おげぇ! おげぇえええええ!」

 

 今まで私は食べ物の殆どを妹に与えて来た。どれだけお腹が減っても、アバラが浮き出る程に痩せても、どれだけ悪事に手を染めたって大切な妹の為なら我慢出来たんだ。その想いが崩れる。絆が壊れて行く。あれだけ感じていた愛が薄気味悪い物にしか思えなくて、久々に満腹になるまで食べた物を全て吐き出した。

 

 口の中が酸っぱくて、涙が出る。大声を上げて泣き出したいのに、泣く程の力が出ない。

 

「カミニちゃん……」

 

 ゲルダの声が聞こえた。私を心配する顔が見えた。嫌でも思い出す流の目とは違う。気が付かなかっただけで、今なら分かるよ。私を見る目には嘲りが込められていたって。

 

「さてと……お前が勇者か? その容姿、報告の通りだな。随分とふざけている風に見える」

 

「これでも高性能だし、私としては真面目な積もりよ。……武器の見た目には反論できないけれど」

 

 勇者、その言葉に私の瞳はゲルダに釘付けになった。赤と青の刃を持つ巨大な鋏はとても勇者の武器には見えない。でも、何故か信じられた。同時に存在を揺るがす程の恐怖さえ感じていたけれど。

 

「では……さらば!」

 

 逃げた!? 流だった婆さんは老人とは思えない軽快な走りで逃走する。勇者と魔族が出会ったから戦うんだと思っていたけれど。ああ、でも戦うのが苦手って言ってたな、確か。

 

「私は戦闘には向いていないし、お前を利用させて貰おう」

 

 そう、こんな風に。

 

「がっ!?」

 

 ハンマーで滅多打ちにされたみたいに頭が痛む。それに今の記憶は何時の事だ? 私が入った事の無い城みたいな建物の中、あの婆さん、ミレッシュ・チェンジリングが私に言っている。窓からは噴火する火山が見えて……。

 

「ぐっ、くぅう……」

 

 どうして彼奴の名前を知っているのか、あの場所が何処なのか分からない。頭痛と吐き気が増して耐えられなくなる中、倒れそうになった私の体を灰色の手が支える。

 

「何をやっているのです。彼女は私に任せて早く追いなさい」

 

 私が意識を失う直前、その冷たい声の持ち主を見る。なんで灰色のウサギのキグルミを着ているのか分からなかった……。 

 

 

 

 グレー兎の言葉を聞くやいなや、ゲルダの視線は逃げゆくミレッシュの背中に向けられていた。老婆の姿からは想像も付かない軽快な足取りで、立ち止まっているゲルダと距離を開けて行く。背中は段々小さくなり、このまま人混みに紛れるか路地裏から下水路に逃げ込めば追跡は困難となるだろう。

 

「……逃がさない」

 

 ゲルダの口からこぼれた静かな呟き。顔に浮かべているのは怒りだが、何時もの義憤に駆られての物でも無く、激情に突き動かされている時の物でも無い。それは静かな怒り。彼女の中で静かに燃え上がる炎は燃やすと決めた対象以外に一切熱を向けず、それでもって決めた相手を燃やし尽さんと強く誓った物だ。

 

 一足飛びにゲルダはミレッシュとの距離を半分に詰め、二足目で追い越す。擦れ違い様に襟首を掴んで引き倒し、慣性が働くままに彼女の顔面を固い地面に擦り付けた。火花でも発生しそうな勢いの滑走が止まるなりデュアルセイバーの刃は開かれ、挟み込んだミレッシュの首を左右から万力の如き力で締め上げる。小柄な老婆ではあるが、ミレッシュの体は首を左右から固定された状態で持ち上げられて足が浮いていた。

 

「……ねぇ、誘拐された人達は何処に居るの?」

 

「は、は! 知らないし、知っていても誰が教える……がぁ!?」

 

 悪態を付き唾を吐きかける動作を見せたミレッシュだが、首に加わる力が更に上がって息が詰まり、強制的に止めさせられた。

 

「もう一度聞くわ。誘拐された人達は何処?」

 

「し、知らない! ほ、本当に知らないんだ! 例の誘拐はレリル様の管轄だから、リリィ様の部下の私は……」

 

「……そう」

 

 先程から問い掛ける時のゲルダの声と表情、この二つは普段の彼女からは考えられない程に冷たい。その様子に町の人々は威圧され、少女が巨大な鋏で老婆を痛めつける場面に出会しても手が出せないでいるのだ。聞かれた事に対する情報を持っていないと叫ぶミレッシュ。その首に掛けられた力が無くなり、彼女の体は地面へと自然落下する。喉を押さえ咳き込む彼女に対し、ゲルダは魔包剣を発動して切っ先を突き付けた。

 

「……私はね、怒っているの。貴女は彼女に、カミニちゃんに何をしたか分かっているの?」

 

「カ、カミニ? ………ああ、成る程。お前、何も分かっていない。奴が何者か、お前は分かっていない。奴の為に怒る理由など無いんだ」

 

「何を入っているの! 貴女は町の人達を不幸にした! 頑張って前向きに生きていたカミニちゃんの邪魔をして、家族への想いを利用して貶めた! 絶対に許せない!」

 

「は、ははは! とんだお門違いだ。確かに私は唆したが、彼奴の周りで起きた不幸については……がっ!?」

 

 言葉を発する内に怒りは燃え上がりゲルダの口調が荒くなる。今の彼女を突き動かすのは純然たる怒りだ。家族の絆を偽ったミレッシュに対し、家族を失っているからこそ怒りを抑えられない。これ以上何も喋らせたくないとトドメを刺そうとしたその時だった。ジャラジャラと金属が擦れる音が響き、大人の親指程の太さを持つ鎖が蛇の様に蠢いてミレッシュの体に巻き付く。鎖の先端には槍の穂先となっており、それがミレッシュの背中を貫通していた。

 

「臭っえ口でペラペラ喋ってんじゃねぇよ、魔族如きが」

 

 体を貫かれ、それでも急所を外した事で悶え苦しむミレッシュを鎖は更に激しく締め付け老婆の体を軋ませる。血を吐く彼女の姿に手が止まっているゲルダの背後、鎖が延びる先から聞こえたのは吐き捨てる様に呟いた青年の声。嫌悪を隠そうともしない彼は鎖を引っ張り、倒れた彼女の頭を黒のブーツで踏み付けた。

 

「だ、誰……?」

 

「あぁ? 何チンタラやってんだよ、ボケが! 吐かせたい情報が無ぇんならさっさと殺しちまえ!」

 

 ミレッシュの頭を踏みにじりながら今度はゲルダを睨むのは黒い金属製のコートを着た灰色の髪をオールバックにした青年。鋭い三白眼で開いた口からは鋭い八重歯が覗く。整った顔だが獣を思わせる凶暴さを感じさせ、右目の辺りには黒い革製のグローブを填めた手で鎖を握り締めている腕には鋼の如き筋肉が付いていた。

 

「おら、さっさとやれ!」

 

 青年が乱暴に腕をなぎ払うとミレッシュを拘束する鎖も動き、彼女を空中に投げ出す。切っ先が体を貫通した状態でゲルダの方へと投げ出された。彼の剣幕に圧され、ミレッシュへの怒りすら忘れさったゲルダだが、慌てた様子ながらも刃を構える。

 

「と、取り敢えず!」

 

 大上段に振り下ろされた刃はミレッシュの体を切り裂き、その体は光の粒子となって消え去った。一仕事終えて安心したのか息を吐き出すゲルダだが、青年は用事が済んだとばかりに背を向け、高く飛び上がって建物の屋上に降り立つと、ゲルダには目もくれず立ち去った。

 

「……あれ? あの人の背中のマークは……」

 

 一体何者なのか、何が目的で現れたのかさえ話さず去って行った彼だが、背中を見せた時にコートに描かれたマークが目に入る。それは魔法陣の上に重なった杖の紋様。ゲルダはそれが何か知っているらしく驚いた顔をしているが、彼を追おうとはしない。後ろ髪を引かれつつもグレー兎に預けたカミニの所に戻って行く。

 

 もうこれで安心だ。これで安心して彼女は人生を歩める。そんな希望を抱き、もう大丈夫だと伝える為に必死に駆けた。息が切れる程に急ぎ、直ぐにその姿が見えて来る。既に意識が戻ったのか目を開いていた。だが、どうも様子がおかしい。顔面蒼白でガタガタ震えて頭を抱え、その場でうずくまっていた。

 

「は、ははは、全部、全部思い出しちまった……」

 

 明らかに尋常でない状態であり、彼女の姿も少し変わっていた。艶の戻った髪は足元まで伸びた上に白髪になり、服も出会った時と同じ、いや、それ以上にボロ布の様。そして尋常で無いのは状況もだ。

 

「おや、戻って来ましたか。戻って早々申し訳有りませんが、説得をお願い致します。私では信用されませんので。私の責任ではなく、この様な格好をさせている根性曲がりの責任で」

 

 言葉の内容とは裏腹に平坦な声で焦った様子も見られない彼女とカミニの周囲には透明の障壁が張り巡らされ、それを破ろうと攻撃を続ける者達が居た。揃って先程の青年と同じ服装をしており、武器や種族はバラバラ。一切の一貫性が無い集団であり、分かるのはグレー兎とカミニを殺害せしめんと行動している事。グレー兎の様子からして障壁を破れる兆しが見られない事から苛立っており、仲間らしきゲルダにまで敵意と武器を向ける。

 

「……貴方達が誰かは知らないけれど、カミニちゃんは漸く魔族から解放されたの。これからの未来を邪魔するのなら……」

 

 デュアルセイバーを構え、救世紋様を浮かび上がらせた状態でゲルダが一歩踏み出せばグレー兎達に武器を向けたままだった者達もゲルダに相対する。一触即発の張り詰めた空気が周囲を支配し、戦闘開始まで秒読み段階に達した時、軽く手を叩いて注目を浴びながら双方の間に割り込んだ男が居た。

 

「はいはーい。その子は敵じゃないからねぇ。寧ろ味方って言うか、勇者だから。うん、武器を納めよう」

 

 剣呑な雰囲気に似つかわしくない飄々とした空気を纏った中年男性は暢気ささえ感じさせる声で場の空気を変える。例えるなら学生同士の喧嘩を怒鳴る事無く仲裁するベテラン教師だろうか? 他の者とは違って黒い帽子を被り茶髪を後ろで結び無精髭を生やした人の良さそうな彼の言葉に、血の気の多そうな数人を除いて武器を納める所を見れば集団の中でも高い地位にいるのだろう。

 

「ですが副隊長……」

 

「こらこら、駄目だって。どうやら事情を飲み込んでいないみたいだし、他の人みたいに断罪するのは良くないよ? 勇者であるかどうかを抜きにしてもね。……さてと」

 

 未だ槍を構えていた者が進言するも、副隊長と呼ばれた彼は槍の先に優しく手を当てて、諭しながらゆっくり力を込める。渋々武器を納める姿に軽く頷いた彼は今度はゲルダに向き直り、帽子を脱いで丁寧にお辞儀をする。その所作は慣れた様子が窺え、彼が一定の教養の持ち主だと分かる。

 

「さて、お初にお目に掛かります。私は対魔族部隊『クルースニク』副隊長レガリア・リーガルと申します。……っとまあ、堅苦しい挨拶は此処までにして、私の事はレガリアさんとでも呼んでくれたら良いからさ」

 

「た、対魔族部隊?」

 

「そっ。まあ、何を目的にしているかは分かるよねぇ? あと、何処かの国に属した軍人って訳じゃないから気を張らなくて結構だからさ」

 

 目の前で知り合いに攻撃を仕掛け、今まさに戦いにまで発展しそうだった集団の上の役職にも関わらず、まるで親戚の叔父さんみたいな気安さで話し掛けて来るレガリアにゲルダはすっかり毒気を抜かれてしまっていた。

 

「えっと、私の事も知っている……んですよね?」

 

「勿論。君の事は調べさせて貰っているよ。あっ、言っておくけれどオジさん、ロリコンとかじゃないからね? ちゃんと妻子持ちだし、娘は君くらいだから」

 

「いや、別にそういった事は疑っていませんから……じゃなくてっ! どうしてカミニちゃんを襲っているんですか!?」

 

 そう、ゲルダにとって重要なのはその事だ。何故一般人の筈のカミニを集団で襲っているのか、それを問いただせばレガリアは後ろ髪を掻きながら困った様子で悩む。

 

「……うーん、思った通りに君は分かっていなかったかぁ。だったら、オジさん達が悪者に見えて当然だよねぇ。あっ、一つ質問して構わないかな?」

 

「何ですか?」

 

「あの兎のキグルミの彼女は何故あんな格好してるのさ?」

 

「……私にも分かりません」

 

「あっ、うん。そうなんだ。なら、仕方無いかぁ……うん」

 

 場の空気が微妙な物になり、レガリアは随分と気まずい様子だ。とてもシリアスな話をする空気でなくなった事で困惑するクルースニクの面々も同様だが、再び第三者の声が場に響く。声の主は先程の青年だ。

 

「何やってんだよ、レガリアさん。さっさとそこの餓鬼……いや、餓鬼の姿をした魔族をぶっ殺してから事情でも何でも話せば良いだけだろうがよ!」

 

「……魔族? カミニちゃんが……?」

 

「ちっ! 勇者の癖に何やってんだ!」

 

「こらこら、あの子は歴代でも異例の速度で封印の旅を続けているからね? ちょっとのミスで責めない責めない。さてと、兎のお嬢さん。その子を庇うのは止めてくれないかなぁ?」

 

「お断りします」

 

 鎖を振るい障壁の破壊をしようとする彼、レリックだがどれだけ叩き付けても激しい音がするだけで破壊される兆しすら見られない。それに苛立ちを見せる彼だが、ゲルダにまで怒鳴った所でレガリアが肩を掴んで止めれば舌打ちと共に手を止める。それに一安心したらしいレガリアが頼み込むが、グレー兎は首を振って冷徹な声で返すだけだ。

 

 

「……えっと、どうしてか教えて貰える?」

 

「私としては別にこの子がどうなろうと構わないのですが、ゲルダさんが悲しむので。……さて、私から話すのでは埒が明かないでしょう。ほら、お話しなさい。貴女がどんな存在か。……ゲルダさんは貴女の為に怒って戦った。なら、その義務が有ると分かるでしょう?」

 

 グレー兎はカミニの肩に手を置き、冷徹な声で告げる。今の今まで沈んでいたカミニだが、僅かな逡巡の後、意を決した様子で口を開いた。

 

 

「……そう、私は魔族だ。まあ、楽土丸って馬鹿と一緒に魔王の側近に楯突いて裏切り者として追放されちまったけどな。……本当の名は窮鬼 流(きゅうき ながれ)。カミニは……私に出来た初めての友達の名前だ」

 

 弱々しい声ながらカミニは、いや、流は自らの事を話し出した……。

 

 

 



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魔族と人

 私達魔族は人の負の感情から誕生し、本能から来る人への憎悪で動く。その力は誕生の瞬間に大きな差があって、下級から上級に分けられた私達は、二人居る最上級魔族のどちらかの指揮下に入るんだ。当然、自分じゃ選べない。

 

「あっちは嫌だな。そう思うだろ、楽土丸?」

 

「う、うむ。拙者は別にどちらでも」

 

「おい、まさかとは思うが、あの巨乳が良いとか思ってないよな? 彼奴、痴女だぞ。露出か? あの露出が良いのか?」

 

 自分の人生の選択を誰かが勝手に選ぶのは気に入らない。でも、あーだこーだ言っても何も変わらないなら仕方無いよな。選べる範囲で後悔しない為の行動をするだけだ。

 

 リリィ・メフィストフェレスかレリル・リリスのどちらの部下になりたいか選ぶなら、私は迷い無くリリィの方を選んだ。レリルの方はしょっちゅう男をベッドに連れ込んでいるって話だし、それならリリィの方が良いって、仲が良かった楽土丸と話したもんだ。

 

 ……別に私は見た目が餓鬼の上にヒョロガリだからって嫉妬している訳じゃねぇ。あんな痴女が上司とか嫌だった、それだけだ。だから二人してリリィの部下になった時は嬉しかったよ。

 

 リリィがどんな奴が知った後じゃ、そんな気持ちなんざ消え失せたがな。

 

 

「はぁ!? 何だよ、それ! 捨て駒じゃねぇか!」

 

 私達魔族にとって打倒すべき敵は勇者だ。勇者さえ殺せば、人間が絶滅寸前まで行かないと神は手出ししないって話だし、管理しつつ次の勇者が誕生しても直ぐに叩き潰せる。魔族は安泰って訳だ。……本当に上手く行くのかって私は思うんだが、信じて疑わない仲間に言うのも気が引けたから黙っていた。

 

 んで、敵は勇者だけじゃなく、偶に存在する実力者もだ。元々が勇者候補や勇者の仲間に選ばれたかも知れないって連中は普通は無理な魔族の打倒が可能で、上級魔族がそんな奴らの集団に負けたって聞いたんだが、その次が気に入らなかった。

 

「詳しい情報を手に入れる為、同じ数の下級魔族を投入する、それが気に入らないので?」

 

 上級魔族以外の前には滅多に姿を見せないリリィの側近として伝令役をやっているビリワックは私が何故怒っているのか分かっていない様子で、それが私の神経を逆撫でする。

 

「ざっけんな! 絶対死ぬじゃねぇか! モンスターを使えば良いだけだろ!」

 

「どうも魔族に相当な敵意を持っているらしく、そっちの方が効率が良い、あの御方はそう判断したのです」

 

 我慢の限界だった。だって、効率が良いって理由で仲間を死ぬと分かっている戦いに投入するってんだからよ。私は頭に血が上り、ビリワックに殴り掛かるが横から伸びて来た手に掴まれて止められた。

 

「……邪魔するな、楽土丸」

 

「落ち着け。拙者とて気持ちは同じ。ビリワック殿……リリィ様の所に案内して貰えるか? 謁見を申し込む!」

 

 私は邪魔をした楽土丸を睨むが、怒りに任せて行動していたのは私だけじゃなかった。普段は大人しい楽土丸も仲間を使い捨てにするリリィに怒り、少しだけ私よりも冷静だった。断れば斬るって感じで刀の柄に手を添える楽土丸に対し、ビリワックは嬉しそうに口をつり上げた。

 

「ええ、是非お連れしましょう。実はリリィ様は自らの策を不満に思う者が来れば会いたいと申しておりまして。……信じられはしないでしょうが、あの方は仲間を愛しています」

 

「……かたじけない」

 

 楽土丸は頭を下げ、私も慌ててそれに続く。そうか、魔族全体の事を考えて酷い選択を選んだけれど、実は止めて欲しかったんだな。私はビリワックから聞かされた言葉によって自分が恥ずかしくなった。だって、あまりにも決め付けるのが早かったんだからよ。

 

 

「どうぞ。このドアの向こうでお待ちです」

 

 ビリワックに案内された私達は初めてリリィの城に入り、執務室の前で立ち止まる。この話し合いで仲間達の運命が決まるかと思うと緊張するが、話し合いがしたいって言って来たのは向こうなんだから悪くはならないよな?

 

「失礼します!」

 

 ノックの後、私達は部屋に足を踏み入れる。気が付けば一面の暗闇の中で浮いていた。周囲には私と楽土丸しか居なくて、気配すらしないのに笑い声だけは聞こえて来る。親切そうに私達を連れて来てくれたビリワックが嘲笑っている声だった。

 

 

「あははははは! 間抜けな人達だ。リリィ様はお前達に会いなどしない。捨て駒? いやいや、小石を投げる程度の嫌がらせだ。リリィ様にとって上級魔族以外は道具でしかないのだから!」

 

「貴っ様ぁ!!」

 

 楽土丸は叫ぶが指一つ動かせず、私は声すら出せない。闇が私達に絡みつき意識が沈む中、今最もいけ好かない女の声が聞こえて来た。

 

「えっと、これは魔法発動時に自動再生される声だよ。何か面倒な事をして私の時間を潰そうとしていたし、お仕置きだ。仲間思いみたいだし、仲間から狙われる裏切り者にしてあげるよ。うん、直ぐに殺さず延命させてあげるんだから感謝してくれよ?」

 

 腸が煮えくり返る思いだが、叫ぶ事すら出来ない私の意識は完全に閉ざされ、気が付けば山の中に寝転んでいた。楽土丸の姿は近くになくて、何かが近寄って来る気配がする。草をかき分ける音に振り向けば数匹のモンスターの姿があった。助かった、そう思ったよ。何せモンスターは魔族の命令を聞くからな。でも、私は大切な事を忘れていた。いや、たぶん現実から目を逸らしていたんだ。自分が裏切り者と認定されたって事からな。

 

「助かった。おい、山を下りたいから案内を、うぉ!?」

 

 私は一切警戒せずに近寄り命令を下したが、その途中で爪が振るわれる。咄嗟に避けて致命傷は負わなかったけれど、頬に鋭い痛みが走り、私は悟ってしまった。幾ら気が立っていてもモンスターが魔族を襲う事は滅多に無い。例外として一つだけ……魔王様から裏切り者と認定された奴はモンスターに狙われるんだ。あの女に権限は無かった筈なのに、どうやって魔王様を言いくるめたのかは知らないが、分かるのは私が絶賛ピンチだって事だけだ。

 

「ちぃ! あの女、絶対ぶっ殺す!」

 

 魔族として彼奴に従うのは我慢したが、向こうがもう部下じゃないって言ったんなら話は別だ。その為にも身を隠して力を蓄える必要があった。だって、仲間と戦うのは嫌だから。でも、最上級魔族のリリィに命令されたら私を狙わなければならない。別に平気な奴なら返り討ちだが、私を殺したくないって思ってくれる奴と戦うのは絶対駄目だ。

 

「見ていろ。お前なんか絶対消してやる」

 

 復讐を誓う。例え私が死んだとしても、あんな奴が魔王様の側近であり続けさせるのだけは阻止するんだ。だから何でもしよう。泥を啜り、血に這い蹲ってでも生き延びて、相打ちになってでもリリィを殺すんだ。残された仲間の為にも。死んだ奴が無駄死にならない為にも……。

 

 

 だけれど、世界は私の想像以上に残酷だった。起きていても寝ていてもモンスターは私の存在を察知し襲って来る。まるで砂糖に群がる蟻みたいにモンスターが集まれば異変に気が付く奴だって居るし、いい隠れ家を見付けても定住は出来なかった。魔族ってのは人間よりも丈夫だが、それでも体も心も磨り減るもんだな。……あの日、彼奴と出会った時の私は限界まで追い込まれていたっけ。

 

 

 

「……あー、糞。しくじっちまった」

 

 空腹と疲労、後は雑魚ばっかだったから油断したんだろうな。川辺でモンスターに襲われた私は全部倒したと気を抜いた所でしとめ損なっていた奴に組み付かれ、川にドボン、そのまま深みに嵌まって流されちまったのさ。その上、滝から落ちた時に岩にぶつけちまった背中が痛いし、何とか這い上がって岸辺の洞窟に入ったのが今って訳だ。

 

「死ぬか? うん、このままだと死ぬな。そうか、死ぬのか」

 

 この時、私は結構限界だった。喉の渇きは無いが(死にそうな程に飲んだから当然だが)、腹が減って腹が減って堪らない。さっきから声もろくすっぽ出ないのに腹の音ばかりが鳴る始末だ。迷い込んで来た蟹を捕まえて甲羅を噛み砕いて食ったけれど、手の平サイズじゃ腹は膨れねぇ。……でも、このまま死ぬのも良いのかもって思えたんだ。

 

「まあ、勇者にやられて成長の役に立っちまうよりはマシか。魔族に殺されないならリリィの嫌がらせも空振りだしな」

 

 このまま目を閉じて意識を閉ざせば近い内に死ねる。そんな確証に導かれるままに私は目を閉じて……知らないベッドの中で目を覚ました。

 

「……何処だよ、此処。んで、この餓鬼は誰だ?」

 

 ボロっちぃ部屋の小さなベッドに寝かされた私を見守る様に隣に座り、そのまま寝ちまっている女の餓鬼。よく見れば私の体には包帯が巻かれている。……この家の奴が私を助けて寝かせてるって所だな。おーおー、大層なこって。ボロっちぃ格好の痩せた餓鬼の姿をした私を助けたんだし、礼目当てって事は無いとして、お人好しってのが順当な所だろうな。

 

「だが、其奴が命取りだ」

 

 私は確かに追放された身、魔族の敵と見なされる。だが、それでも魔族の一員としていたい。だから人間は敵だ。私、窮鬼・流の能力は不幸をばらまき相手の財産を奪う事。人間なんぞに恩は感じねぇ。

 

「見てろよ。不幸のどん底に叩き落としてやるよ」

 

 そう、魔族にとって人間ってのは滅ぼす対象。だから、今は体力回復に専念して、機を見てこの町を滅ぼしてやる。何故ならば私は魔族だから。

 

 

 

「……っと、思ってたんだがな」

 

「どうしたの、流ちゃん」

 

 人間に助けられてから半年近く、私は未だに餓鬼、カミニの家に世話になっていた。思っていたよりも怪我が重く、走り回れば背中が痛む。カミニの父親は無口だが親切で、近所の連中も良くしてくれる。……私も焼きが回ったな。今まで先代までの裏切り者、特に人間に絆された奴を蔑んでいたってのに、私がそうなっちまったんだ。

 

 今まで私は生まれ持った敵意で人間を滅ぼすべきだって思ってたのに、こうして一緒に過ごしたら、魔族も人間も一緒だって思えるんだ。だから居心地が良くてズルズルと……。

 

「いや、何でも無い」

 

「もー! 私達、親友でしょ? 隠し事は駄目だよ!」

 

「分かった分かった。ちょっと前の自分と今の自分を比べてたんだ」

 

 ……親友、その言葉に抵抗は無い。寧ろ嬉しいとさえ思っているが、同時に思うんだ。これは魔族への裏切りだってな。あの女の計略で裏切り者認定されただけだってのに、本当に裏切ってどうするんだよって。

 

 

「今日は何か眠いから寝るな」

 

「ぶぅ! 今日はお花畑に行くって約束だったのに!」

 

「悪い悪い。またな」

 

 あの日、私はカミニを騙した。寝ている振りをして窓から抜け出し、そのまま町から出て行ったんだ。私を親友にしてくれた奴を、魔族だと告げても拒絶しなかった奴を裏切ったんだ。……私は本当に最低だな。

 

 

 

「ああ、楽しかった。でも、これで良いんだ」

 

 そして町を抜け出し、山の中で襲って来たモンスターを返り討ちにしての休憩中、私は半年間の事を思い返していた。あの時もこうやってモンスターに襲われて、自分が魔族で裏切り者だって漏らしてしまったんだよな。焚き火で肉を炙り、自分に言い聞かせる。そう、あのままカミニの側に居れば何時か他の奴にも魔族だって知られるし、私を狙って来たモンスターや魔族に襲われるだろうから、親友なら近くに居るべきじゃなかったんだ。

 

 涙が流れて来たのを拭い、暫くボケッとしていたが、そろそろ行くかと立ち上がる。最後、もう一度だけ親友の居る場所を目に納めるか、そんな風に思った私は我が目を疑った。

 

「お、おい、一体何が……」

 

 町が燃えている。炎に包まれ建物は崩れ落ち、逃げる奴らが追い掛けられ殺される姿を遠目に見た時、私は走り出していた。山道を駆け下りるのは無理がある? それがどうした! 親友が危ないってのに体が痛む程度を気にしていられるかよ。

 

 

「カ、ミニ……? おい、何処だ! 何処に居るんだ!」

 

 私がたどり着いた時、全てが終わっていて、瓦礫に中に残る黒こげのが幾つか有るだけで、死体すら無い。希望に縋り、神にさえ祈ってカミニが好きだった花畑に向かうと、本当にそこでカミニを発見した。でも、私は遅かった。カミニの体は木に逆さ吊りにされ、頭が地面に転がっていたんだ。

 

「私のせいだ。私が残っていたら助けられたかも知れないのに……」

 

 辺りに血溜まりが出来ていないのにカミニの体からは血が残っていなくてカサカサになっていて、顔は恐怖に歪んだ状態だ。守りたかったから側から離れたのに、近くに居なかったから守れなかった。私はその場で膝から崩れ落ち、カミニの頭を抱えて嗚咽を漏らす。泣いたって叫んだって現実なんか変わらないのに、泣くしか出来ない自分が何よりも嫌だった。

 

「あらあら、貴女を殺しに来たら凄い事になっているわね」

 

「お前はっ!?」

 

 不意に知っている声が聞こえる。振り向こうとして、皺だらけの手で頭を掴まれた。指の隙間から見えたのは愉快そうに笑みを浮かべる老婆の顔。その顔を私は知っている。

 

「ミレッシュ!」

 

「気安く名前を呼ばないで、裏切り者如きが」

 

 振り払おうとする、その前に私の頭に何かが流れ込んで来た。私という存在が塗り潰され、別の奴に書き換えられる。この記憶はカミニの……。

 

 

「貴女、長い間人間と暮らしておいて力を使わないわ、自分を囮にモンスターを引き込まないわ、本当に本心から裏切ったのね」

 

 最後に蔑む声を聞き、私の持つ記憶は偽りの物、カミニから聞いた話を元に私が作り出した物へと変わる。この日から私は流ではなくカミニとして生きる事になったんだ。

 

 

 

「……そして、再び現れたミレッシュにまた洗脳されて妹だと思い込まされたんだ。私の名前を使ったのは刷り込みがしやすいからで、記憶との齟齬で私を更に苦しめたかったんだろうな……」

 

 流は最後に自嘲するかの様に笑い、そこで言葉を止める。人と魔族との間に生まれた友情、相手を思うからこそ起きてしまった悲劇。此処まで話を聞いたゲルダが思い返すのは今まで戦って来た魔族達の姿。友の為に怒り、同族の為に戦う。人と同じ様に誰かを想い、時に敵である筈の人間とも絆を結ぶ。本能としての敵意を除けば人間と変わらず、その本能さえも乗り越える事が出来るのが嬉しかった。

 

 そして、話を最後まで静聴していたクレリックの面々。今の話を戯れ言、虚言の類だと切り捨て、人と魔族の友情など有り得ないと一笑に付す可能性を案じていたゲルダだが、一同を代表してそれらを受け入れるかの様に、レガリアの拍手の音に安堵した。

 

「いやいや、分かっていた事だけれど、魔族にも人と分かり合えるのが居るんだねぇ」

 

「じゃあ!」

 

 このまま流を見逃して貰えるのかと、彼女が人と手を取って歩めると信じるゲルダの顔は明るい。その言葉に対して返って来たのは言葉ではなく、音。一斉に障壁に武器が叩き付けられ弾かれる、拒絶を示す激しい音だ。

 

「……まあ、関係無いけどね。オジさん達、魔族は存在そのものが悪だって認識だからさ。魔族も、欲望の為に魔族の手助けをする人間も、須く死ぬべきだと、そんな行動理念なんだわ」

 

「だからぶっ殺されたくなけりゃその餓鬼を渡せってんだよ! って言うかよぉ、もうぶっ殺すの確定だよなあ、レガリアさんよぉ!」

 

「はいはい、落ち着いてね、レリック君はさ。君、ちょっと短気過ぎるから。……兎のお嬢さん、申し訳無いんだけれど渡して貰えない? いや、心変わりしたって話を信じない訳じゃないよ? でもさ、二度目の心変わりってのも有り得るしさぁ」

 

「渡せません」

 

 にべにも無い態度にレリックの顔が更に不機嫌になって行くが、レガリアの表情には変わりは無い。ただ纏う空気は剣呑な物のままであり、懐から一冊の本を取り出す。

 

「光無き世界の主よ、我が呼び掛けに応えたまえ」

 

 彼の体内から放出された魔力は彼自身の影に入り込み、影は彼から切り離されて宙に浮かび上がる。蠢き膨れ上がり、闇の固まった様な球体となった時、赤い瞳が見開かれた。

 

「……闇の上位……いえ、最上級精霊ですか」

 

「おや、分かるんだね、矢っ張り。……さてさて、賢者信奉者として腕を披露させて貰おうか」

 

「あっ! 思い出したわ! あのマークって……賢者様を信仰する人達の物だわ!」

 

 

 

 

 ……一方、その頃その賢者と嫁の女神は何をしているかと言うと、何時もの様にイチャイチャしていた。

 

 

 

「こんな風に貴女に触れて貰える、それだけで幸せですよ」

 

「愛しい奴だ。日焼け止めなど魔法でどうにでもなるだろうに」

 

 二人っきりの浜辺にて、シルヴィアはキリュウの体にクリームを塗って行く。腕、腹、胸、自分で塗れる所まで彼女は念入りに、夫の肌触りを楽しむかの様だ。

 

「どの様な形であれ、貴女に触れて欲しいのですよ」

 

「……さて、次は背中だな。ほら、私を抱き締めろ。……抱き合った状態で塗ってやりたい」

 

 二人は抱き合い、シルヴィアは時々キリュウの耳に息を吹きかけながら背中に日焼け止めクリームを塗る。穏やかな瞳で幸せそうなシルヴィアだったが、徐々に変わって行く。塗り終わる頃には捕食者の物になっていた。

 

 

「よし! 今夜は私が一方的に貪らせて貰うぞ」

 

「それは実に楽しみ……おや? 誰かが来ますね」

 

 遠くから水柱を上げながら海上を走る誰か。その背後から船の廃材の塊が迫っていた。直線上の船を巻き込み、質量で押し潰してバラバラに破壊、それを取り込んで更に巨大化している。

 

「……あの馬鹿、何をやっているんだ」

 

 呆れた声で溜め息を吐くシルヴィアの視線の先、猛スピードで走る黒コートの彼女の足下には小型のボードでサーフィンをしているパンダのヌイグルミ。次の瞬間、彼女はパンダに躓いた。

 

「にゃっ!?」

 

 速度が出過ぎていた為に勢いそのまま海上を何度も跳ね、砂浜に頭から突っ込む。下半身だけ上に出し、ジタバタと暴れる彼女のお尻には猫の尻尾が生えていた。

 

 



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賢者信奉者

今回から暫く文字数減らして速度上げます


「……取り敢えず助けるか。おい、アンノウン。お前はアレの相手をしろ」

 

 上半身を砂浜に突き刺した暑そうな格好の女の子。まあ、僕のせいでそうなったんだけれど、その子の足を掴んで引き抜きながらボスは海を顎でしゃくる。向かって来るのは女の子を追って来ていた廃材の山。鉄材や木材、色々混ざっているのが海を突き進んでいる。うーん、何か変な匂い。臭くはないんだけれど、嗅いだ事の無い不思議な感じだなぁ。

 

「アンノウン、何か気になるので原形を残す方向で頼みますよ?」

 

 分かったよ、マスター! 僕は海の上を走りながら相手を観察する。どうもこの世界の鑑定魔法じゃ正体が良く分からないけれど、多分中央に核になっている何かが存在するみたいだ。全体の大きさは重量からして浮かんでいないだろうし、海の深さからして四階建ての建物程度。ジャイアントジャイアントパンダじゃ少し大きさが足りないし、幽霊船相手に使ったから論外。つまり、選ぶ道は一つだけ。

 

「僕、全員集合!」

 

 七頭に分けた僕の残りを召喚する。空の彼方から、水平線の彼方から、そして海中から現れた僕達が七段重ねになった瞬間、巨大な毛玉になり、本来の姿に戻る。王冠を被った七の頭に計十本の角、そして神の言語でイシュリアへの罵倒を書いたボディペイント。ある神は僕を制作に携わった神とマスターの人数から666(トライヘキサ)と呼び、またある神は僕の潜在能力を危惧して神の言葉で不吉を意味する黙示録の獣(アポカリプス・ビースト)と呼び、仲の良い神はマスターがくれたアンノウンの名を呼ぶ。

 

「僕の名はアンノウン! いざ尋常に勝負……とか面倒だね。えいっ!」

 

 あっ、描写し忘れていたけれど、今の僕は巨大化して目の前の奴を踏み潰せる大きさになっているから踏み潰した。だって言葉とか通じそうに無かったし、何よりも面倒だったんだもん。只でさえ巨大化した僕が海に突如現れた上に真上から前脚を叩き付けた衝撃で大波が発生して、町を飲み込む前にマスターが慌てて消し去る。廃材の山は文字通りに粉砕して、肉球には何かベッタリした物が付着していた。

 

「うわっ!? 気持ち悪ーい」

 

 引っ付いたのはゲル状の何か。大きさは人の頭と同程度でインクみたいに真っ青。逃れようと蠢くけれど僕の繊毛が絡み付いて逃げられない。でも、こんなの足にひっついたままで居るのは嫌だなぁ。

 

「ねぇ、どうすべきだと想う、僕?」

 

「放り投げれば?」

 

「賛成!」

 

「じゃあ、誰にぶつける?」

 

「マスターは論外でボスは怖いし、あのコートの子にする?」

 

「でも、マスターに叱られるよ?」

 

「あっ、ボスが早く戻って来いってさ」

 

 足に引っ付いた謎のゲル状の何かは一見すればスライムの類に見えるけれど、何かが違うんだ。まあ、何がかは分からないし、悪戯以外で頭を動かすのは面倒だね。

 

 

「それにしてもボスは直ぐに怒るよね。僕が怒らせているんだけどさ」

 

 神が不変の存在じゃなかったら確実に小皺が増えているよ。そしてミリアスはイシュリアが起こす問題で円形脱毛症になっているね。……あれ? ボスが怒っているみたいな気が……。

 

「全部口に出してたよ、今日担当の僕」

 

「じゃあ、お仕事も終わったし先に返るね、僕」

 

 薄情な事に他の僕はクリアスの家に転移して逃げ帰り、僕は獲物を咥えながらトボトボ歩いて戻る。あっ! このスライムみたいな奴、ゲソの唐揚げみたいな味がするや。ちょっとだけ食いちぎって舌先で弄び飲み込む。お腹の中で破片が動いていたけれど直ぐに消化した。

 

 

「……何か凄い胃がもたれる」

 

「変な物を食べるからだ、馬鹿者が!」

 

 ボスにゴツンと拳骨を落とされる。何時もは庇ってくれるマスターだけれど、今はあの女の子の介抱中だ。それにしても黒い手袋に金属製のコート、軍人っぽい帽子とか暑そうだなぁ。

 

 その子はオレンジの髪色をした猫の獣人で、腰のホルスターには随分と年季が入ってそうなナイフ。もしかしてだけれど神の手による物かも。ああ、だから気になっているのかな? 随分と甲斐甲斐しく世話をするマスターの姿にボスが不要な嫉妬を不要と理解しながらする中、女の子は目を覚ました。

 

「あー、ビックリした。耳や口に砂が入っていないのが奇跡ね、こりゃ」

 

 随分と軽い感じで起き上がった彼女は猫の耳を何度か動かし、状況を確認している。隙だらけにも見えるけれど、何かあれば直ぐにナイフを抜ける位置に手を持って行っている辺り、多分戦い慣れている。あと、砂が入っていないのはマスターのお陰だからね。水面で転んだのはマスターの使い魔である僕のせいだけれど。でも、僕は細かい事は気にしない。彼女も特に気にしていない様子でマスターの顔を見て少し驚いた声が出る。

 

 あれれ? もしかして知り合いだった? 僕が首を傾げた時、ボスがゆっくりと動き出し、女の子は至近距離のマスターに飛び掛かった。

 

 

「愛してる!」

 

 ……ほへ? 今、凄い命知らずって言うか、死刑執行の許可証に自らサインする音が聞こえた気がする。凄く嬉しそうで、とても発情した表情の彼女はマスターの胸に手を伸ばしながら飛び込み、指先が触れる前にボスが後ろから腰を掴んで背中を仰け反らせる。

 

 そして、ボスの手によって彼女は再び頭から砂浜に突き刺さった

 

「おお! 見事なジャーマンですね。美しい貴女は技さえも見惚れる程ですよ。……それにしてもナターシャは相変わらず元気ですねえ」

 

 あっ、知り合いだんだ。あれれ? ナターシャってマスターやボスの仲間だった人だよね? でも、本人な訳が無いし……ああ、それにしても胃がもたれるなあ。胃薬でも飲もうか。

 

 

 

 

 賢者信奉者、それは女神シルヴィアの部下(と誤認されている)賢者様を神様みたいに扱う人達の総称。滅多に動かない神様達よりも何かと姿を見せては力を発揮する賢者様の方が親しみやすいのが理由だと思うわ。本人も『恥ずかしいですし、祈りなんて届きませんから止めて欲しいですが、お地蔵様みたいな扱いでしょうね』、との事。お地蔵様って何かは知らないけれど、女神様との遣り取りを見れば止めるんじゃないかしら?

 

「……さてと、聞いた話じゃ祭りでもないのにキグルミ姿を続けるトンチキなのは勇者の仲間に居ないって事だし、お嬢さんは勇者の旅の仲間じゃないって事で正解かな? オジさんの見立てじゃ協力者って所だけれど」

 

「ええ、それで正解です。……それと、この格好は好きでしている訳では無いのをご理解下さい。全ては腐れパンダ擬きの仕業です」

 

「……腐れパンダ擬き?」

 

「ええ、腐れパンダ擬きです」

 

 凄くシュールな会話をしているわね、二人共。どうあっても魔族である流を殺そうとするレガリアさんが召喚した存在をグレー兎さんは最上級精霊と呼んだ。そんなのを呼び出せるだなんて、勇者の伝説に出て来る英雄級の存在だって事だわ! 気さくな人に見えたけれど、魔族と戦う組織の副隊長なだけあるわね。でも、そんな凄い人が戦おうとしているのに、二人の発する言葉が台無しにする。

 

「これも全部アンノウン悪いわ」

 

「えっと、そのアンノウンってのが兎のお嬢さんにキグルミを着せているのかい? 変な奴だなぁ。一体何者なんだい?」

 

「賢者様の使い魔よ」

 

 私が思わず呟いた言葉。それが耳に届いたレガリアさんは聞かない方が良い事を知りたがった。残酷だけれど、私は正直に話したわ。すると案の定、レガリアさんだけでなくクレリックの人達も固まってしまった。

 

「……いやいやいやっ!? 有り得無ぇだろ、絶対に!」

 

「そうだよ、レリック君の言う通りだって! 賢者様だよ!? 今まで勇者を導いて来て、君も導いている賢者様の使い魔が幾ら何でもさぁ!?」

 

「私だって一年位一緒に旅をして未だに信じられないわよ! でも、実際に自由過ぎるの! その上無駄にハイスペックなのに、肝心の歯止め役な賢者様は躾が出来ない駄目な飼い主なのよ!」

 

「マジでっ!?」

 

 二人は私の話が信じられないっていうより信じたくないって様子で反論するけれど、私は普段から溜め込んでいた物を吐き出すかの様にアンノウンの普段の行動を次々に口にする。気が少し晴れたので十分の一程度で止めたけれど、レガリアさん達は随分とショックだったみたいね。

 

 このまま勢いで帰って貰えれば流が助かるかも、そんな淡い期待を私が抱いた時、レガリアさんは落ち着く為か煙草を咥えて火を付けた。

 

「……ま、まあ、事実は小説より何とやら。それに……俺達がすべき事は変わらない。魔族は殺す。勇者の仲間じゃなくて協力者なら……邪魔者も粛正対象だ」

 

 アンノウンの話題で緩んでいた空気、それがたった一言で一変した。レガリアさんは一瞬で気の良さそうなオジさんから戦闘を生業にする者へと空気を一変させ、片手を振り上げた。

 

「最終警告は済んでいる。その魔族を守る理由も何となく察してはいるが……殺せ、カデラ」

 

「私が守りに徹していたのを能力不足からと見誤っているらしいですが……貴方達を攻撃出来なかったのではなく、しなかったと教えてあげましょうか?」

 

 殺意のみ籠もった言葉と共に闇の精霊の目が見開かれ、グレー兎さんの手に魔法陣が出現する。互いの放つ魔力の余波だけで空気が震え、地面に罅が入った。このまま戦いになれば少なからず町に被害が出ちゃうわ。止められる自信が湧かない程に威圧感が凄いし、レリックさんは私が止めに動くのを邪魔する構えを取っている。でも、動かない訳には行かないわ。勇者として、流を守りたいと思うゲルダ本人として。

 

 

「……こんな街中で戦争でも始める気か? この……痴れ者共がっ!」

 

 だけど私が気圧される程の威圧感は更に重苦しい威圧感によって塗り潰される。二人を遮る様にして現れたソリュロ様は明確な怒りを示していた……。

 

 



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恐怖されし者

 人が住まいし六色世界、神が住まいし無色の世界。六色世界から無色の世界には許可が下りた人か神様しか行けないし、イシュリア様みたいに勝手に行き来して問題を起こしている神様だって居るけれど、基本的に無色の世界から六色世界には行かないらしい。だから何かと姿を見せて主に知り合いの子孫に会いに行くついでに、困り事に遭遇すれば人助けをする賢者様を信奉する人が居るわ。

 

 でも、そんな神と人の関係だけれど、神様については六色世界に伝わっているの。私が信仰する牧羊の女神ダヴィル様、女神様こと武と豊穣の女神シルヴィア様、そして他の神々が男女対なのに唯一一人だけの存在である最高神ミリアス様。世界や地域によって主に信仰される方は違うけれど、数々の神々の言い伝え(実は結構間違っているらしい)と共に敬いの心は受け継がれているわ。

 

 でも、人が神様に感じるのは感謝や敬いだけじゃない。恐怖もまた、人が神に抱く感情。そして今、死や疫病を司る神様すら上回る程に恐れられる女神様が私の前で怒りを見せている。弟子である賢者様や悪戯を仕掛けたアンノウンへの怒りがママゴトだったのかと思ってしまう、そんな怒りだったわ……。

 

「双方刃を納めよ! 我は魔法と神罰を司りし女神ソリュロ! この一件、我が預かった!」

 

「いぃっ!?」

 

 その怒りは私には一切向けられてはいない。それはクルースニクの人達が立っている事すら出来ずに跪いて息苦しそうに顔面を蒼白にしている事から明白なのに、それでも私も圧し潰されそうな威圧感に冷や汗を流したわ。目が合った瞬間、最上級精霊であるカデラは巨体を収縮させて影に戻る。

 

「……これは仕方有りませんね」

 

 同じく怒りを向けられている筈のグレー兎さん、彼女だけは平然としている様子に見えるけれど、キグルミの下に隠された表情がどうなっているのか分からない。ただ、声には僅かに冷徹で冷静さが喪失している風に思えて、手の平に発動していた魔法陣を消し去っていたの。

 

「さて、双方言いたい事も有るだろう。許可する、答えよレガリアとやら!」

 

「は、ははあ!」

 

 クルースニクの中で唯一威圧から解放されたらしいレガリアさんは、それでもソリュロ様の名前に冷や汗を流す程のプレッシャーを感じているのか、顔を伏せた状態で口を開く。

 

「ま、魔族は人への本能的な敵意と常人を圧倒する力を持っています。例え個人間で友愛を結ぼうと、人の中で他人に囲まれれば再燃する。その前に抹殺するべきだと思っていまして……」

 

「そう畏まらずとも良い……とは無理難題か。良い、それが私の女神としての在るべき姿だ」

 

 神としての威厳を感じさせながら呟き、何かを振り払う様に静かに顔を数度横に振る。その何かはきっと寂しさ。人が大好きなソリュロ様にとって人に恐れられ遠ざけられるのは悲しい事で、同時に神罰を司るのなら必要な事。それが分かっているからソリュロ様は人との接触を控えるの。……とても悲しい事だわ。

 

「……まあ、魔族に力を貸す者も消す云々は人の世の理、人の営みの範疇だ。それには私は口出しせん。対立せし者との争いを魔族に利用されるな、それだけを言っておこう」

 

「はっ!」

 

「続いて貴様だ。彼奴の部下たる異界よりの来訪者よ。何故魔族の娘を庇うのか、明確に説明してやれ。……ゲルダの為、だけでは理解せず納得せぬ者も居ようて」

 

「……確かに。どうせ納得しないのだからと詳細を省いていましたね。では、副隊長である彼は理解していますが改めて説明を。……勇者である彼女は、この魔族の少女が自らを人の子だと洗脳されて偽りの妹の為に奮闘する姿を目にしました。また、人との絆を結んだ魔族とも出会っていますので死せば強く悲しむ、そう判断した迄です」

 

 ……そう、この戦いには私が関わっている。あんな風に明るい未来を信じて前向きに生きる姿を見せられたら、私はそれを後押ししたい。そして彼女がそれを許されずに殺されたら、多分私に心に傷として残るでしょうね。だからグレー兎さんは流を庇い、こうしてソリュロ様に悲しい顔をさせている。

 

「あの……」

 

 だから、ここから先は私の問題。私の心を伝えて、私の言葉で引いて欲しいと説得する。でも、私の言葉は途中で途切れる。声を出そうとしても出ず、少し出した事さえ誰も気が付いていなかった。

 

「大丈夫だ。まあ、私に任せろ。こう見えても私はお前よりもずっと年上だぞ?」

 

 私だけに聞こえる囁く声が耳元で聞こえて、この場の全員を威圧しているのが嘘みたいな笑みを一瞬だけ私に向けたソリュロ様は再び険しい顔で威厳と威圧の籠もった声で告げた。

 

「双方の言い分は了承した。クルースニクの者達の言い分はもっともであり、同時に小娘を殺す事でゲルダが悲しみ旅に支障が出るのも私としては避けるべき事態だ。気にしなければ良い、そんな単純な事で解決する問題では無いからな」

 

「えっと、じゃあ魔族の嬢ちゃんはどうするんで?」

 

「私が預かろう。そもそも小娘の様に裏切り者とされた魔族から魔族特有の気配とモンスターを操る能力が失われるのは何故か、その問いへの回答は一つだ。半分ほど魔族から人へと変わっているから、だ」

 

「人間に? まあ、そうなんでしょうが、それとソリュロ様が預かるのにどんな関係が?」

 

 聞き返すレガリアさんの声からはソリュロ様の提案への不満が感じられたわ。賛同はしないけれど、その気持ちは分かる。信念の下に殺そうとした相手をただ預かると言われて、それで納得する程度の軽い信念じゃ、魔族と戦い続けるのは難しいのは私だって感じているから。

 

「まあ、聞け。裏切り者だとしても魔族は魔族、そう思っているのだろうとは分かっている。世界の封印が行われれば別の世界に弾き飛ばされ、魔王討伐によって完全封印がされれば裏切り者とて他の魔族同様に消え去る。……例外を除いてな。神が認めた者のみ人として生き続けられる。魔族の力を失いはするがな」

 

「よし、宿に帰ろうか、皆」

 

「レガリアさん!?」

 

 あれだけ殺気を出して何が何でも殺そうとしていたのに、ソリュロ様の言葉を聞いた途端に呑気な様子で引き下がる姿に面食らったのは私だけじゃない。同じ組織のレリックさんも不満と驚きの顔で抗議しようとするけれど、レガリアさんそんな彼の頭に手を置いた。

 

「別に俺達は俺達の手で殺さなければ気が済まないって集団じゃないんだし、勇者の邪魔にならないで済むならそれで良いじゃないのさ。放置しても大丈夫って神様が認定するなら大丈夫だしさほら、此処で無駄に消耗しないで休んで次に行こう」

 

「……うっす」

 

「そうそう、クルースニクを必要としている人達は沢山居るからね。隊長への報告はオジさんがしておくからさ」

 

 未だ不満は残っている、そんな様子で引き下がるレリックさんだけれど、文句の言葉は出ない。彼以外の隊員もその言葉に大人しく引き下がり、呆気無い程に去って行った。

 

 あの信頼されているレガリアさんでさえ副隊長? じゃあ、隊長さんって一体どんな人なのかしら? 私は興味と同時に恐怖も覚える。魔族と魔族の協力者への明確な敵意を持つ集団を統率する人。賢者様の信奉者だと思うけれど、私はその人に会いたいとも会わなければ良いとも、相反する想いを感じていた。

 

「もう終わりましたね? では、私は夫と演劇を観に行く約束がありますので失礼させて頂きます」

 

「お前、結婚していたのか……」

 

「子供も居ますが何か? この格好は貴女の弟子の使い魔の仕業です。師匠であるならばバ飼い主の弟子をどうにかして頂きたいですね」

 

「……善処する」

 

 思わず呟いたソリュロ様を軽く威圧した後でグレー兎さんは何処かに転移する。流はあまりの事態について行けず、困り果てた様子で固まってしまっているわね。うん、気持ちは分かる。普通は神様って滅多に会える存在じゃないし、そもそもの話からして魔族の敵だもの。それが自分を助けてくれただなんて直ぐに理解出来ないわよ。

 

 そんな彼女を私が見詰める中、ソリュロ様は別の方向を見て黄昏ながら呟く。とても寂しそうな声だった。

 

「……ゲルダ。怖がらせて悪かったな。矢張り私は駄目だ。人の子に魔導の叡智ではなく恐怖しか与えられぬのだからな」

 

「だ、大丈夫です! イシュリア様みたいに何をしでかすか分からない頭のネジが外れて行方不明の神様と違って、ソリュロ様は立派な女神様ですから! ちょっとビックリしたけれど、怖くなんて無いです!」

 

 ソリュロ様があまりに寂しそうだったから、私は思わず一気にまくし立てる。だって人間が大好きで、人間の為に頑張ってくれているソリュロ様が怖がられるだなんて間違っているもの! 私の本人に知られたら少し拙い発言にソリュロ様は固まり、少しすると震え出した。

 

「……ぷっ! ぷははははははっ! お前も中々言うな! ゆ、愉快過ぎて腹が捩れる! ははははははっ!」

 

 予想外の反応だけれど、多分これで良かったのね。大笑いしているソリュロ様を見ながら私も自然と笑みを浮かべていた。

 

 そして一頻り笑った後、ソリュロ様は急に真面目な顔になる。賢者様もだけれど、切り替えの早さは流石に師弟ね。

 

「……さて、此奴を何処で住まわせるかだな。私が創った世界はアンノウンがお菓子の世界に変えてしまったし。……あっ、ケーキバイキングの代わりに行くか? さて、本当に何処に……キリュウ達の家で良いだろう。見張りにアンノウンの残りが居るし」

 

「えぇっ!?」

 

 平然と言い放たれる提案に私は少しだけソリュロ様が怖くなる。だって賢者様の家でお留守番しているのは六頭ものアンノウンなのだから……。

 

「……操られてとは言っても被害は出ているし、一応何らかの罰を与えるって事かしら?」

 

 そうでなければ説明が付かない内容に少し戦慄しつつ、先に許可を取ろうと賢者様の所に転移する私達。一瞬で景色が切り替わり、砂浜に立っている。そして……。

 

 

「は、反省しているわ……」

 

「私も……」

 

 クルースニクの服装をした猫の獣人のお姉さん(頭だけパンダのキグルミ)とイシュリア様(首から下がパンダのキグルミ)が正座して女神様に睨まれていた。何が起きたのか全く分からない。でも、分かる事が一つ。

 

「絶対アンノウンが何かしたわね」

 

 それだけは確信を持って言えたわ……。




ソリュロ


【挿絵表示】

太子と妹子@脳汁級パンツ絵師様のご提供


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パンダは宇宙兵器の夢を見るか

 勇者時代の仲間の中で特別な存在を一人選ぶのなら間違い無く他は論外でシルヴィアなのですが、他の三人から選ぶとなるとナターシャになります。他の二人も子孫の様子を時々窺う程度には大切に思っているのですが、彼女の神相手でもズバズバと物を言う所や屈託の無い笑み、この世界に来たばかりで地球との常識や何やらとの違いに戸惑う私を助けてくれましたからね。

 

 だから、イエロアでの旅の途中、彼女が設立した学校の様子を見ていたら不審者扱いされたのは傷付いています。

 

 

 

 私の目の前で砂浜に突き刺さった少女、そして突き刺した妻。私が見事なジャーマンスープレックスを決めた彼女の勇姿と美貌に見惚れて心を奪われる中、背後より忍び寄る気配が一つ。

 

「はぁい! 久し振りね、ベッドに行かない?」

 

「シルヴィアとだったら喜んで。貴女となら謹んでお断りしますよ、イシュリア様」

 

 何というか予想通りに気配の正体は小姑のイシュリア様でした。相変わらずの色ボケ女神っぷりで、普段から下着同然の服装ですが、今は浜辺なだけあって水着姿です、違いが分かりません。寧ろ服装を場所に合わせるなら、言動を立場に合わせて下さい、偶には。私は何時もの様に誘惑を拒絶しますが、その程度で諦める方でないのが困りものですね。実際、私の背後から密着して胸を押し当てる気で腕を伸ばして来たのですから。

 

「あら、私は妹と一緒で構わないって何度も言っているでしょ? 折角ビーチに来たんだし、もっと開放的になっても良いと思うわよ?」

 

 これが何時ものパターンなのですから好い加減うんざりなのですよ。ですが、毎度毎度私を誘惑してはどんなオチになるのか、それを忘れた訳でも無いでしょうに。私に抱き付き胸を押し当てる瞬間、私の頬の直ぐ横を疾風が吹き荒れ、豪腕がイシュリア様自慢の顔を正面から掴む。憤怒の表情も美しいシルヴィアのお出ましです。

 

「ほぅ、そうか。ならば……五臓六腑をさらけ出せ!!」

 

「ちょ、ちょっとっ!? なんか今回はシャレにならない気がするんですけど!?」

 

「良く分かったな、姉様。丁度泥棒猫を一匹沈めた所でな。気が立っているのだ、死ね!」

 

「ぶへらっ!?」

 

 ジャーマンスープレックスに引き続き繰り出される見事なボディアッパー。直撃を食らったイシュリア様は口から出る物を全て出し、ギリギリ内臓を吐き出さずに済んで気絶する。乱雑に姉を放り出したシルヴィアは大の字で気絶するイシュリア様には目もくれず、私に抱き付いて来ました。

 

「ムカムカしていたらムラムラして来た。抱いてやるからベッドに行くぞ」

 

 何とも男らしい誘い文句を口にしながら親指で馬車を示されては拒否など出来ません。少し部屋の時間の流れに干渉する魔法を使うとして、ちょっとだけ言わせて貰いましょう。私にだって譲れない物が有る。

 

「何とも魅力的なお誘いですが……先ずは砂を流しましょう。貴女に触れる際に余計な物を間に挟みたくない」

 

「……私はベッドの気分なのだ」

 

「なら、ベッドに参りましょうか」

 

 私の提案に頬を膨らませたので指先で突っつき、腰に手を回す。妻の願いなら譲れない物でも譲るのが夫の役目。まあ、偶には砂と海水にまみれた彼女と絡み合うのも良いでしょう。〆はシャワーを浴びながら行うとして……。

 

「アンノウン、二人の世話を頼みましたよ。それと、捕まえた奴ですが調べておいて下さい。その後で好きにして構いませんから」

 

「分かったー」

 

 素直に返事をする姿は可愛らしく、本当に賢くて優しい子に育ったと嬉しく思います。アンノウンを危険視する神も居ますが、私にはそれが理解出来ない。

 

「おい、私以外の事は考えるな」

 

「おっと、失敬」

 

 少し不機嫌になったシルヴィアの頬にキスをして、そのまま寝室に向かう。部屋に入り、鍵を閉めて時間を引き延ばした瞬間、私の視界は回転し、背中からベッドに落ちる。指先一つ動かす暇も与えられず、気が付けばシルヴィアが私に跨がって舌なめずりをしていた。

 

「では、存分に貪らせて貰おうか」

 

 シルヴィアは私を力で押さえ込みながら器用に水着を脱ぎ、何時の間にか私の水着も脱がしていた。覆い被さり獰猛な瞳を至近距離で私の瞳と合わせるとキスをするなり舌をねじ込む。

 

 正に蹂躙、補食される者とする者。怒りで高ぶり武神としての性質が強く出た今の彼女には敵わない。どれだけ動いてもベッドは軋まず、動きは激しさを増して行く。結果、随分と搾り取られました。

 

 

 

「……それでだ、何故仕事をサボったのだ、姉様? グリエーンの復興を任されていた筈。私達の娘が住まう土地だ。返答次第では私もキリュウも容赦せんぞ」

 

「サボってないわよ!?」

 

「サボってないのですか!?」

 

「あんた達、夫婦揃って私を何だと思っているのよ!?」

 

「「問題児の色ボケ女神」」

 

 いや、そうとしか言えないのですよ、普段の行動からして。ですが今回は本当にサボリではなく、用事があって来たらしい。訊かれたから素直に答えましたが、少し失礼だったでしょうか?

 

「グリエーンの聖都『シキョウ』の復興が完了したから儀式を受けなさいって伝えに来たのよ。ついでに義弟を摘まみ食いに来たの。いやね? 獣人とかって男臭いのが多いし、童貞を何人か食べてあげたんだけれど、同じタイプばかりじゃ飽きるじゃない。だから他の世界に行く口実が欲しくて急ピッチで進めさせたのよ。でも、この世界も同じタイプが多いし、キリュウなら楽しめそうかなって」

 

「そうか、ビッチめ」

 

「本当に姉に向かって容赦ゼロね!?」

 

 ……うん、少しも失礼じゃ有りませんね。そう思わざるを得ない言動に呆れるを通り越して諦めるしか無いとさえ思えて来ます。

 

「本当に既婚者を誘惑するのは止めて下さい。仮にも愛を司る女神でしょうに」

 

「仮じゃないわよ、仮じゃ! ……あっ、所でこっちの子は誰かしら? 可愛いし、ベッドに連れ込んで良い?」

 

「そればっかしかっ!」

 

 本当に浜辺に私達だけしか居なくて助かりました。そう思う位に酷い女神の姿を見せられ、あまつさえ矛先を向けられた彼女ですが、平然とした様子で顔の前で腕を交差させてバツの字を作る。

 

「無理ね。だって私、賢者様の愛人候補だもの」

 

 この瞬間、沈黙が周囲を支配し、続いて怒声が響き渡りました。

 

「はぁああああっ!? ふざけるんじゃないわよ、この小娘! 私が何度誘惑しても断られているってのに、他の女が受け入れられる筈が無いでしょ!」

 

 まさかの爆弾発言に真っ先に反応したのはシルヴィアではなくイシュリア様でした。この人、母であるフィレア様ではなくて自分こそが美の神に相応しいと公言していますからね。私からすれば姑や小姑ではなく、嫁であるシルヴィアこそが誰よりも永劫に美しいと思うのですが。

 

「だから予定だって。でも、少なくても貴女みたいに雑な対応はされた事は無いわよ、私」

 

 そして彼女は相変わらず神相手にでもズバズバと物を言う気質は変わっていない。鼻息荒く食って掛かるイシュリア様に対して、屈託の無い笑みを浮かべて悠々と受け流す。その姿に私はナターシャと出会った頃を思い出しました。本当にあの頃の彼女そのままです。

 

「……さて、止めますか」

 

 これ以上言い争いを続けさせても不毛ですし、シルヴィアだって不機嫌になってしまう。怒る姿も美しい彼女ですが、私は笑っていて欲しいと願いますから。ですが私が割って入ってもややこしい事になりそうな予感が。

 

「アンノウン、二人を止めて下さい」

 

「良いよー! じゃあ、新技をお披露目するね、マスター」

 

 本当に素直なアンノウンには癒されます。具体的に言うとシルヴィアとティアの次、私が知る中で三番目に癒しを与える存在ですね。私に頼られるのが嬉しいのか随分と張り切った様子で頭の上のパンダが飛び上がり、目に光が点る。その輝きは音を立てながら増し、上空へと放たれました。

 

「おや、外しましたか?」

 

「ううん。見ててよ、マスター」

 

 言われた通りにビームの様子を魔法で見ればグングン速度を上げて上昇、数秒で大気圏外まで突き進む。その向かう先、そこに浮かんでいた物はファンタジーな世界観では異質な存在、パンダの頭を模した人工衛星でした。その衛星のパネルにビームが命中する事でエネルギーが充填され、全体が光り輝く。その光はやがて下部から出現した砲口に集中しました。

 

「サテライトパンダビィィィィィィムッ!!」

 

 響く掛け声と共に砲口の先の光が圧縮され、地上へと放たれる。標的になった二人が気が付いた時、光の柱は目前まで迫っていました。

 

「何のこれしき!」

 

「ちょっと速度がたりないわ!」

 

 二人が選んだのは迎撃と回避。イシュリア様はビームに向かって神の魔力を放ち、その隙に彼女の方は射程範囲内から脱出します。。あの魔力なら随分と威力を削れるでしょうし、あの速度なら逃げ切れるでしょう。

 

「ふっふっふ、甘いね、甘いよ、甘過ぎる。パンダビームは完璧なのさ」

 

 アンノウンの余裕の笑い声が聞こえ、上空から落ちてくるビームが宙に開いた穴に吸い込まれて消えて行く。あの穴は異空間への入り口で、二つの出口が二人の真横に開きます。そして、二人はビームに飲み込まれてしまいました。

 

「マスター、二人を止めたよ! 誉めて誉めて!」

 

「偉いですね、アンノウンは。ほら、ご褒美をあげましょう」

 

「わーい」

 

 尻尾を振って寄って来るアンノウンの頭を撫で、大好きなお菓子をあげる。ビームを食らった二人は仲良く一つのキグルミを分け合って着た状態で白目を剥いていました。

 

「おい、起きろ。少し話がある」

 

 ですが私の愛しいシルヴィアには容赦など似合わない。二人を無理矢理引き起こし、目を覚まさせると砂浜を指さし、決して拒絶を許さない声で告げます。

 

「正座しろ、今直ぐにだ」

 

 その様子を黙って見ているしか出来ない中、師匠がゲルダさんを連れて戻って来ました。何故か魔族と一緒ですが。

 

 

 

 

「……私達の家で監視下に? まあ、アンノウンの遊び相手が出来ますから構いませんが。……あっ、そうだ。先に紹介しておきましょうか」

 

 師匠から諸々の説明を受けた後、私は未だに正座で説教されている彼女が被るパンダのキグルミの頭を引っこ抜きました。

 

 

「彼女の名はナターシャ。私の仲間だったナターシャの血を引いていて、顔もそっくりな子です」

 

 そう説明したのですが、目を向ければパンダの頭の下は少し小さいパンダの頭でした。

 



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ナターシャ

 賢者様が次々にパンダの頭を外すけれど、除けても除けてもパンダが出て来る。果物の薄皮程度の素材なのだけれど、外した途端にポンって音が鳴って普通の厚さになっていた。砂浜に積み重なるパンダの頭。あれ? 目が動いて正座させられているイシュリア様を笑っている気がするけれど……普通にしそうね。

 

「あはははは! 何、これ。凄く笑えるわね!」

 

「相変わらず呑気な子ですね。本当に先祖にそっくりですよ。……アンノウン」

 

「大丈夫だよ。あと三個だから」

 

「なら大丈夫ですね」

 

 賢者様、もう少し使い魔の躾を考えて欲しいわ。残り三個なら大丈夫とかじゃなくて、何個もパンダの頭を被せている事を叱るべきよ! ナターシャさん、だっけ? 貴女も笑ってないで、賢者様の知り合いだったら文句を言えば良いのに……。

 

「さてと、賢者様が紹介してくれたけれど、私から改めて自己紹介するわね。私はナターシャ・アイズマン。初代勇者キリュウの仲間だったナターシャの血を引く者よ」

 

 パンダの頭の最後の一個を除ければナターシャの顔が漸く晒される。オレンジ色の髪をした陽気そうなお姉さん。ご先祖様に瓜二つだそうだけれど、私がイメージしていたナターシャそのままの顔で驚いたわ。

 

「私はゲルダ・ネフィル、四代目勇者です」

 

「うんうん、宜しくね、ゲルダちゃん。はい、握手しましょ」

 

 差し出された手を握れば向こうも握り返して来る。私と同じくスベスベじゃない少し分厚い皮をした手の平。きっとナイフを相当使い込んでいるのね。

 

「あっ、そうだ。ゲルダちゃんは初代勇者のヒロインはシルヴィア派とナターシャ派のどっち? 実際がどうだったかは知っているだろうけれど、演劇とかの話で」

 

「えぇっ!?」

 

 思わぬ質問に私は困り果てる。賢者様が勇者だった頃の冒険は伝え聞いた活躍を吟遊詩人が更に広めた物も有名だけれど、より詳細なのが途中の遣り取りさえ描いた『勇者救世録』。同じく勇者の仲間だった卑劣王子(聖剣王)イーリヤが祖国復興後の資金集めに売り出した物語は多くの演劇に題材として選ばれ、解釈違いや脚色を加えた物が今でも出版されているのだけれど、ヒロイン論争が度々行われるの。

 

 実際は女神で賢者様の奥さんになった謎多き戦士シルヴィアとナターシャ。賢者様様から聞いた話じゃ大本からして随分と脚色が加えられていて、二人共とくっつきそうでくっつかないもどかしい展開が続くの。クールながら時に熱い姿も見せ、エルフだと噂されるシルヴィア、ムードメーカーで冗談で色仕掛けをしているのか本気だったのかファンの間で論争が起きるナターシャ。どっちがメインヒロインなのか、結末を知らなければ私だって迷ったでしょうね。

 

「……女神様?」

 

 そう、実際に鬱陶しい位のラブラブを見せられて辟易しているのは別として、私はシルヴィア派。だって、ナターシャってスタイルが抜群だって描かれているんだもの。戦士としての筋肉質なシルヴィアを応援していたわ。

 

 でも、答えてしまってから思ったわ。しまった、ってね。だって目の前にいるのはナターシャの子孫のナターシャさんだもの。でも、私の返答を聞いた彼女は不機嫌な様子は見せず、逆に明るい嬉しそうな笑みを向けて来たわ。まるで太陽みたいに明るくて、見ているだけで元気付けられる、そんな笑顔を。

 

「よね! 私もシルヴィア派なのよ。だって無愛想な女戦士が偶に女の顔を覗かせて、最後に意中の相手と結ばれるのってロマンチックだもの。気が合うわね、ゲルダちゃん!」

 

「わわっ!?」

 

 突然抱き付かれた私は驚くけれど、ナターシャさんは気にせずに強く抱き締めて来る。そんなに同士に出会えたのが嬉しいのかしら? 確かにナターシャ派の方が多いらしいけれど。

 

「いやね、実は私の仲間ってナターシャ派ばかりで、論争しても数で押し負けて楽しくないのよ。やーっと同士に会えて嬉しいわ」

 

「えっと、ナターシャさんの仲間って……クルースニクの人達ですよね?」

 

 そう、会った時から気になっていたのだけれど、ナターシャの着ている服はクルースニクの人達が共通して着ていた物と同じ金属のコート。薄いけれど堅くて、おかげでコートの下で存在を主張する胸を気にせずに済んだわ。

 

「ありゃりゃ、先に会ってたのね。馬鹿な事言われなかった? レリックとかレリックとか、レリックとかに」

 

「え、えっと、乱暴な言い方だったけれど、間違った事は言われなかったです」

 

「分かった、宿に戻ったら罰として彼奴の股間潰しておくわ。あんにゃろう、小さい女の子に乱暴な言い方するなって言ってるでしょうに」

 

 あの人の言っている事は言い方は兎も角、間違っていたとは思わない。だからフォローしておいたのだけれど、私から離れたナターシャはナイフを鞘に納めたまま素振りを始める。あの目は間違い無く本気ね。

 

「って、部下って事は……」

 

「うん、私が隊長。それで左右のどっち潰す? 両方行っておく?」

 

「こらこら、部下には優しくしないと駄目ですよ、ナターシャ」

 

「賢者様がそう言うならそうするわね、抱いて!」

 

「お断りします」

 

 え、えぇっ!? 今の流れでどうしてそんな言葉が出るの!? それに女神様とも知り合いみたいなのに……。あと、とんでもないお仕置きに私を巻き込まないで欲しい。

 

「えっと、ナターシャさんってシルヴィア派なんじゃ……」

 

「それはそれ、これはこれ。それにご先祖様だって賢者様の事は少なからず想っていたらしいし、子孫の私が結ばれるってロマンチックでしょう? ってな訳で愛人を認めてよ、シルヴィア様」

 

「お前、毎度毎度懲りん奴だな。あと十回ジャーマン食らうか?」

 

「それは嫌。でも、愛人になるのオッケーなら構わないわよ」

 

「だから却下と言っている」

 

 ……うん、何と言うか見た目だけじゃなくて、性格も物語のナターシャそっくりね。だから比較的寛容なのかしら、女神様が。チラリと視線を向ければ未だに正座中のイシュリア様の姿があって、小刻みに震えているわ。実のお姉さんでさえこんな風なのに、ナターシャさんの様子を見れば手加減されているとしか思えないわよ。

 

「あの……」

 

 不意に私の服の袖が流に掴まれる。ナターシャさんが怖いのか私の影に隠れている彼女を見るナターシャさんの目を見た時、ゾクリとした怖気が走ったわ。ニコニコと笑みを浮かべているのに、直接向けられていない私でさえ竦む程の濃密な殺気。クルースニクの一員だってのを再確認させられた。

 

「あっ、ごめんごめん。レガリア達が見逃したって事は何か理由が有るんだろうし、ゲルダちゃんまで怖がらせるのは駄目だったわ。えっと、一応何があったか教えて貰える?」

 

「ならば私が教えよう」

 

「あっ、ソリュロ様、久し振り。相変わらずフリッフリの服が好きね」

 

「お前も相変わらずだな……」

 

 神様だって分かっているのに態度を変えない姿は物語のナターシャのままで、私が驚いている間にも説明は続けられる。途中、グレー兎さんの服装に驚く姿も見せたけれど、最終的に流を殺さない事に納得した様子だったわ。

 

「……まあ、ソリュロ様が責任を持つなら構わないか。今回みたいにゲルダちゃんが見逃したいって思える相手を同時に発見するなんて偶然、物語じゃないんだから中々無いでしょうし……よし、私も仕事を終えたし宿に戻って酒でも飲んで来るわ」

 

「仕事……え?」

 

 今まで気が付かなかったけれど、僅かに香る香水に混じって人の血、それも複数人分がナターシャさんから漂って来た。それも随分と新鮮で、思わず後退りしてしまった私の姿を見た彼女は、失敗したとばかりに髪の毛を掻く動作を見せる。

 

「だ、大丈夫。怖がる必要は無いわよ。えっとね、実はこの辺りの領主を調べたら新しい妾が魔族だったのよ。だから一緒に始末する事にして、魔族に魅了されていて私を襲って来た騎士も一緒に始末しただけだから。……うーん、勇者だから感覚も強化されているのね。ちゃんと消したと思ってたのに失敗失敗」

 

「だけって……」

 

「うん、そうね。理解出来ない方が良いのだけれど、理解した方が良い事よ。……じゃあ、私はもう行くわ。さっきのスライムみたいな奴については明日にでも聞きに行くから宜しくね」

 

 戸惑う私を余所にナターシャさんは素早い動きで姿を消す。あの屈託の無い明るい笑顔のまま告げられた言葉に、私は戸惑いしか感じる事が出来なかった。

 

「……あんな所まで先祖にそっくりだとは」

 

「だな。……遺伝とはこうまで強く出るものなのだな」

 

 ナターシャさんのご先祖様のナターシャと旅をした賢者様と女神様も今の姿には思う所が有るみたいね。きっと物語で知っただけの私と違い、どっちの事もよく知っているからこそ……。

 

「……」

 

 この言い表せない気持ちが嫌で、私は足下に転がっていたパンダの頭を蹴り上げる。はしたないけれど、今は何かに感情をぶつけたい気分だったの。パンダの頭は砂浜を転がり、賢者様が置いていた他のパンダの頭に軽くぶつかったわ。

 

 

「連鎖! 二連鎖! 三連鎖!」

 

 途端にパンダの頭がアンノウンの声を出しながら消えて行く。四つがくっつくと消えて、声に押されて更に転がった物が更に消えて、それの連続で次々と消えて行く。……明らかに不自然な動きで転がる物さえ有るし、意図的な物ね。陽気な声は張りつめていたシリアスな空気を台無しにして、最後のパンダの頭が消える際に強く光り輝いた。

 

「オールデリート! プレミアムパンダフィーバー!!」

 

「な、何が起きるの!?」

 

 これは絶対に何か変な事が起きる前兆だと身構えた私だけれど何も起きる様子は無い。風が吹き、砂を巻き上げるだけで特に何も起きなかった。

 

 

「アンノウン、何か起きるんじゃないのかしら?」

 

「え? 一体誰が何かが起きるって言ったの? 僕、何も知らないよ。だって面倒だから用意してないけれど……うん、ゲルちゃんが言うなら仕方無いね。何処かで何かを起こすよ」

 

「そんなあやふやな事の責任を押し付けないで欲しいのだけれど!?」

 

 何と言うべきかアンノウンはどんな時もアンノウンだった。私にはそれしか感想が湧かなかったわ……。

 

 

 

 

「じゃあ、適当にクルースニクの誰かが筋肉質な鮭のキグルミになるって方向で」

 

「止めなさい!」

 



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閑話  代用の恋と友愛による破壊

連日投稿

三回続けて四〇〇〇越えたし二,三日で6500書くよりペースは上


 種族問わず年代問わず、身分すら関係無く集められた者達を酷使して完成を目指す城の中、先代勇者の仲間であり、今は魔族に組みするウェイロンの部屋の扉が開き、部屋の主と共に美風が出て来る。

 

 扉の向こうから漂う臭気は嗅いだ者によっては直ぐに室内で何が行われたかを察するには十分な物であり、シャワー室など存在しないので二人からも漂っている。

 

「あ、あの、ウェイロン……君。また呼んでくれたら嬉しいな」

 

 着崩れを起こしたメイド服の胸元を正し、赤くなった首元を手で隠す美風は何かを期待する瞳をウェイロンへと向ける。それだけで羞恥心が刺激されたのか火照った顔は更に赤く染まり、そんな彼女の耳にウェイロンの吐息が掛かった。

 

「……ええ、当然ですとも。その代わり……分かっていますね?」

 

「……うん」

 

 少しだけ彼女の顔が曇るもウェイロンは気にした様子すら見せずに立ち去って行く。その背中を見送りながら手を軽く振っていた彼女は先程までの余韻に浸り、そっと自らを抱き締めた。顔を曇らせる理由から目を逸らし、幸福だけを甘受する美風。ただ、夢中になるあまりに背後から近寄る気配に気が付いていない。

 

「おい、何やってんだよ、廊下の真ん中でよ」

 

「ひゃわいっ!? あ、飛鳥ちゃん!? どうして此処にっ!?」

 

「いや、私もこの城に住んでいるからな? つーか、お前……彼奴とヤっただろ。それも最低三回は」

 

「ふぇっ!? どどどど、どうして五回もしたって分かったの!?」

 

 本人からすれば発覚する事など有り得ないと思っていた様子だが、飛鳥は呆れを更に顔に色濃く表し、そのまま平手打ちを行う、但し胸に。メイド服に窮屈そうに収められた胸が叩かれる度にぶるんぶるんと存在を主張する。それに視線を向ける時、少しだけ飛鳥の顔は憎々しそうに見えた。

 

「お・ま・え・は! 彼奴に関わるなって言ってんだろ! つーか、丸聞こえだったんだよ、ドアをちゃんと閉めてねぇから!」

 

「えぇっ!?」

 

「私言っているよな? 何時も言っているよな? 出したら仕舞え、ドアはちゃんと閉めろってよ!」

 

「ご、ごめん~!」

 

 胸への平手打ちは更に激しくなり、続いて両頬を摘まんで引っ張る。少し涙目になりながら謝る美風に対し、飛鳥は更に指先に力を込めて上下左右に頬を動かすのであった。

 

「うう、痛かったぁ」

 

「痛いのが嫌ならちゃんとしろ! 何が悲しくてダチと嫌いな奴の情事の声を聞かされなくちゃならねぇんだ!」

 

 漸く頬を解放された美風は頬を撫でながら涙目になるも飛鳥は未だに怒り醒めやらぬ様子。大声で怒鳴り、最後とばかりに胸を叩けば今までで一番激しく美風の胸が揺れ、ボタンが弾け飛んだ。

 

「ったく、色ボケやがって。……そういや気になったんだがよ。彼奴って基本的に感覚無いんじゃなかったのか? 感じるかどうか以前に役に立つのかよ? 使い物にならないんじゃねーの?」

 

「えっとね、生け贄を捧げれば一時的には大丈夫らしくって、南側の外壁担当の子供を五人位……」

 

 飛鳥の恥ずかしがる様子が一切無い物言いに美風は真っ赤になりながらも疑問に答え、飛鳥は何か思い当たる節が有る様子で空を仰いだ。

 

「あ~、どうりで作業が遅れてた筈だよ。見せしめに五人殺したんだが早まったな。何か言っていた気がするが無視してたんだが、その事だったか」

 

「勿体無ーい! 飛鳥ちゃん、ちょっと人員の無駄遣いだよ」

 

「お前が言うな、お前が!」

 

 反撃とばかりの発言は虎の尾を踏んだだけで終わり、再び美風の頬は激しく引っ張られる。暫くの間、その様な遣り取りが続き、二人共息が上がった頃、飛鳥は少し言いにくそうにしながら呟いた。

 

「……なあ、お前ってヤってる最中は彼奴を呼び捨てだっただろ」

 

「うん! ウェイロンが呼び捨てにして欲しいって……」

 

「んで、お前の事は別の女の名前で呼んでただろ。私、知ってるぞ。先代勇者の仲間で、勇者と結婚した女の名だろ」

 

「……うん」

 

 嬉しそうに話し始めた美風の顔が再び曇り、飛鳥は怒気を隠そうともせずに拳を振り上げ壁に叩き付ける。少女の細腕からは想像も付かない怪力は分厚く頑丈な壁に易々と大穴を開け、外に向かって崩れ落ちた壁の破片は作業中の者達へと降り注ぐ。ある者は押し潰され、またある者は頭をかち割られ死んで行く。労働条件を考えれば運悪くとさえきすべき生き残りから悲鳴が上がるが飛鳥に気にした様子は無い。

 

「ざっけんな! 私のダチは代用品かってんだ!」

 

 何度も壁への八つ当たりが行われ、更に威力を増す拳によって壁の破片は更に飛距離を増して飛び、避難の為に距離を取った者達に降り注ぐ。骨が砕け肉がひしゃげる程の衝撃に悲鳴が上がる中、飛鳥はその姿に少し溜飲を下げた。気が晴れた様子で彼等を見ていた飛鳥だったが……。

 

「……あぁん? 何睨んでやがるんだよ!」

 

 それは本当に睨んでいたのか、それとも苛立つ心が睨まれていると見せたのか、少なくとも飛鳥には睨んでいると見えたのだ。元々が誘拐され過酷な労働を強制されている者達だ。睨まれて当然だと思っていたのも有るのだろう。但し、睨まれるだろうと思うのと、睨まれても構わないと思うのは別であり、飛鳥は睨まれる事を受け流せはしない性格らしい。今の彼女は非常に気が立っていた、それも理由に入るだろう。

 

「もうお前達は要らない。別のを調達するよ。だからさ……」

 

 飛鳥がそっと掲げた右手にはヤツデの葉が握られ、服装も活発な少女らしい物から山伏の物へと変わり、渦巻く風が彼女の周囲で吹いて黄色の髪を揺らす。飛鳥の姿を見て、遠くからでも何かが起きると察したのか慌てて逃げ出す者達。その背中に向かい、力強くヤツデの葉団扇が振り抜かれる。

 

「とっとと死んどけぇ!!」

 

 風が、いや、嵐が吹き荒れる。逃げ惑う者達を取り囲み渦巻く強風は人だけでなく建材すらも浮き上がらせて範囲を狭め脅威を上げて行く。悲鳴が上がっているのだろうが、風の音が大きく掻き消されて聞こえない。城すら超える大きさの竜巻となった嵐は周囲の物を巻き上げ、人や物が渦の中で激突し、砕き突き刺さる。その時間が何時までも続いていると中で生きている者達は思った事だろう。

 

 その風は突如止んだ。遙か上空に舞い上がった人や物は風から解放され、落ちて行く。固い地面に叩き付けられ、その上から落ちて来た物や人に潰され、今度こそ生き残りは居ない。その様子を眺める美風はと言うと…。

 

 

「うわぁ。蜃さんに怒られちゃうよ?」

 

「べ、別にあのオッサンとか怖くねぇし!? それにリリム達が頑張って集めてくれてるんだから補充は直ぐだろ」

 

「でも、城の完成が遅れちゃうんじゃ……」

 

 見下ろした先の光景は酷い物だ。壁には大穴、建設途中だった箇所は完全に破壊され、用意された建材もボロボロになって周囲に散らばっている始末。後から人材を補充するにしても工期に大幅な遅れが生じるのは目に見えていた。

 

 

「それも大丈夫だって。どうせ完成間近になったら生き残りの目の前で壊すじゃん。なんか気に入らないから建て直せって言ってさ」

 

「……え?」

 

「おい、まさかお前……」

 

 疑いの視線を向ける飛鳥と目を合わせない美風。この時点で肯定しているのと同義だ。計画についてど忘れしていたと。

 

 

「ちょっとぉー! 何なのよこれはぁ!」

 

「やっべ! オッサン怒ってる!」

 

 下から聞こえてきた野太い声のオネェ言葉に飛鳥はその場から逃げ出す。後には美風だけが残された。

 

「えっと、私も逃げ出した方が良いよね?」

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、ゲルダ達が滞在するニカサラの浜辺では……。

 

「わっけ分かんねぇよ! いや、死ぬよりは遥かにマシなんだけれど、マジでわっけ分かんねぇよ!」

 

「じゃあ、鉄火巻きにしておく?」

 

「だからそれが訳分からないって言ってんだろうが!」

 

 何が起きたか不明だが、凄く騒がしい事になっていた。原因は明確である。




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とある女神への認識

 浜辺の空間に歪みが生まれる。まるで水面をかき乱したみたいに景色がボヤけ、全く違う風景が浮かび出されていたわ。綺麗な森の中、赤い屋根の小さな家。そして……。

 

「さて、クルースニクの連中が様子を見に来るかも知れんし、さっさと行くが良い。……これ、餞別の品の胃薬だ」

 

「何か凄い不安なんだがっ!?」

 

 そして、庭に置かれた安楽椅子や机の周りで寛ぐ六匹のアンノウン達。明らかにこっちを見て、何かを囁き合っている。この短時間でどれだけヤバい性格なのか分かっている流は一瞬怯み、ソリュロ様が差し出した瓶が更に不安を煽っていたわ。

 

 クルースニクの人達が来たら面倒な事になる、その意見に私は賛同するわ。一度は渋々納得して退いてくれたけれど、敵意って理屈じゃ無いのよね。私だって羊泥棒に少しやり過ぎた事が有ったのを思い出す。

 

 でも、魔族に対して敵意を持っているのは何も特別な事だとは思わないわ。あの人達は、その敵意を向ける相手に対抗できる力を持っているだけで、他の人達だって魔族には敵意を持っている。それは分かり合える相手も居るって知っている私も同じ。

 

 だって、そんな風に思える相手の一人だった流を呼び捨てにしているもの、人間だと思っていた時はカミニちゃんって呼んでいたのに、正体と本名を知った途端に呼び方が変わっていたわ。

 

 例えば歴史、例えば物語、例えば伝説。魔族が生まれ付き人間への敵意を持っているのと同じく、人だって育つ中で魔族への敵意を持ってしまう物に多く触れる。……‥あの人達が完全に拒絶するのはそれを理解しているからかしら? 例え向こうが歩み寄っても、拒絶を示され続ければ敵意が再燃して当然だからって。

 

「難しいわね」

 

 普段は人の営みの範疇だからと不干渉の神様だけれど、人の国同士の争いには口を出す。でも、魔族への敵意を煽る物に対しては何も言わないのは、神様の多くも魔族は人の敵であると決めているからなのね。

 

「ねぇ、ゲルちゃん」

 

「何かしら?」

 

「他と大きく違う少数派って目立つけれど、所詮は少数派だからね? 可能性の種があっても育つ環境に巡り会わないと芽吹かないし、大多数ってのは殆どを占めるから、そればかりってのを想定して動くのは当然なんだ」

 

 偶にアンノウンが分からなくなる。真面目な事は一切考えず、悪戯ばかりしていると思ったら、こうして心を読んだみたいな助言をしてくるのだもの。それで気持ちが楽になる私も私ね。

 

「じゃあ、さっさと行こうか。言っておくけれど、他の僕が見ているし、森から逃げても他の神が住んでいる所に出るだけだからね」

 

 静かな声、それでも呑気そうな声で告げるアンノウンだけれど、それが警告だって流も分かっている様子だったわ。そう、彼女は完全に見逃された訳じゃない。一旦身を預かり、私が世界を救った時、人間になるか消えるか、それを神様達に決められる。

 

「……ああ、了解だ」

 

 それは流だって理解していた。口調は変わらないけれど顔は随分と真面目で、少しだけ怯えている。行動次第でどうなるか、ちゃんとりかいしていたの。

 

 

 

「まあ、逃げても家の前まで強制的に転移するんだけどね、イクラ軍艦のキグルミ姿で」

 

「わっけ分かんねぇよ! マジでわっけ分かんねぇよ!」

 

「え? 鉄火巻きの方が良かった?」

 

「だからそれが意味不明だって言ってるんだろうが!」

 

 この時、流は理解したわ。これから自分を待つのは目の前の相手を六倍にしての生活だって。ソリュロ様が胃薬を渡して来た理由を知識じゃなく、経験で理解した顔をしていたの。

 

 

「……あー、不安だ。でもまあ、生き続けられるかも知れないんだ。我慢するか」

 

 私は願う。どうか彼女の道行きに光が欲しいと。ただ、それだけを願った。流は神の世界に続く空間の穴に一歩踏み込み、最後に私の方を無言で見ると直ぐに前を向く。私は彼女にしてあげられる事をちゃんと出来たのかしら?

 

「あっ、そうそう。他の僕と暮らす時の注意点だけれど……」

 

 そして向こう側に消える瞬間、アンノウンが声を掛けるけれども、流が一体何だと慌てた瞬間に向こう側に両足が着いて穴が消えたわ。多分、凄い不安になっているでしょうね。

 

「特に無いよって言おうとしたのに」

 

「そうですか。わざわざ口にするだなんてアンノウンは優しい子ですね」

 

「うん!」

 

 いや、絶対ギリギリのタイミングを見計らって言わなくて良い事を言ったに決まっているわ。賢者様は嫁と娘とペットが絡むと馬鹿になるから言っても無駄でしょうけれど。うん、もっとしてあげられた事が有ったわね。アンノウンにどれだけ注意しなくちゃ駄目かって助言、それをしてあげたかったわ。

 

 

 

「あの~、私の事、忘れていないかしら?」

 

 あっ! 何か忘れていると思ったら、イシュリア様の事をすっかり忘れていたわ。それは私以外の皆も同じみたいで、しかも顔に出ていたのかイシュリア様に気付かれてしまったみたい。

 

「グ、グレてやるんだから~!!」

 

「えぇっ!?」

 

 そのまま涙目で駆け出して行くイシュリア様。あの方、女神よね? けっこうな年月を生きているわよね? なのにあんな発言って……。

 

「完っ全に威厳がゼロだな」

 

「いや、姉様の威厳は既に負債の域だ、ソリュロ様」

 

「って言うかイシュリアがグレたらどうなるんだろ?」

 

「行き着く所まで行ったら逆にマトモに……いえ、イシュリア様ですから無理ですね」

 

 何と言うか、身内からの評価が酷いわ、仕方無いけれど。イシュリア様、変な方向に信頼が有るのね、気持ちは分かるけれど。あの方、女神様が関わった時の賢者様レベルが普通だもの……。

 

「あら?」

 

 砂煙を上げながら走り去ったイシュリア様だけれど、直ぐに砂煙を上げながら戻って来たわ。しかも怒ってるみたいね。さっきの評価が聞こえたのかしら?

 

 

「ちょっとっ!? 好みの男が居たからベッドに誘ったのに、この格好のせいで笑われたじゃない! どうしてくれるのよ!」

 

 指摘する前に走り去ったのだけれど、イシュリア様の首から下はパンダのキグルミのままだったわね。もうギャグ担当や汚れ役みたいに認識しているから他の人達だって言い忘れていたと思うわ。

 

「いや、未だ仕事の最中だろう、姉様」

 

 女神様の指摘に目を逸らし口笛を吹いて誤魔化しにならない誤魔化しをするイシュリア様の姿で私は悟る。頭のネジが外れた神様の中でもイシュリア様は別格だって。

 

「……取り敢えずこれ脱いでからで良いかしら」

 

 恥を知らない風なイシュリア様でもパンダのキグルミの胴体は恥ずかしいらしい。取り敢えず話が進まないから私達はイシュリア様が着替えるのを待つ事にした。

 

 

 

 

「次に儀式の準備が整ったのですね。そう言えばグリエーンの清女ってどんな人ですか?」

 

 これは少し気になっていた。オレジナやイエロアの聖女や清女の双子姉妹って……うん、口には出さないけれど、色々と劣等感を感じる人達だったから。私は先に知っておく事でダメージを和らげたいのだけれど、イシュリア様はニヤニヤ笑うだけで教えてはくれない。

 

「姉様、さっさと話せ。そして帰れ」

 

「シルヴィアっ!? 貴女、本当に私の扱いが雑なのだけれど!?」

 

「そうなる様な事をしたのは何処の誰だ、まったく!」

 

「はいはい、反省しているわ」

 

 誰が見ても絶対に反省なんかしていないイシュリア様。女神様も呆れた様子でそれ以上は何も言わない中、イシュリア様は人差し指を唇に当てる。

 

 

「まあ、会ってからのお楽しみ。実は清女の予定だった子が失恋が理由で塞ぎ込んじゃってさ、代理を頼んだの」

 

「成る程、姉様が恋人を寝取ったか。猛省しろ、愛の女神」

 

「寝取ってないわよ!? 貴女、私の事をどんな風に認識している訳? ……失恋の理由は恋した女の子がよりにもよって妹とくっついちゃって。まあ、その代理の子が誰かは会ってみてのお楽しみよ」

 

「ねぇ、ゲルちゃんは誰だと思う? 流石にもったいぶってティアだってのは安直過ぎるし、驚かせようってんだから絶対凄い子だよ!」

 

「……ティアです、勿体ぶってごめんなさい」

 

 ……うん、絶対分かってて言ったわね、アンノウン。そうか、ティアさんなのね。……ティアさんかぁ。私は自分の胸をペタペタ触りながらティアさんの胸を思い出していた。

 

 

 

 

「って!? 本来の清女の人とか、その妹とか、普通に女同士じゃない!?」

 

「あつ、いや、結構有るわよ? 貴女の出身世界の聖都だってそんな感じじゃない。まあ、愛の女神として私は否定しないわ。私も両方オッケーだし」

 

 旅に出て何度も思った事だけれど、世界って広いわね……。

 



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悪辣なる者

ちょいと胸糞 


 一目惚れ、そんな物が自分に起きるだなんて絶対に有り得ない、そんな風に思っていた頃もあったわ。初代勇者の仲間、学問の園を築いた英雄、そんな風に賞されるご先祖様、私と同じ名前のナターシャ。私の家は六色世界中に分校を持つナターシャ学園の創業者の一族だけあって学者が多く、私だって幼い頃からそんな道に進むと信じて疑わなかったの。

 

 周りの友達が誰某が格好良い、誰彼に惚れた、そんな話を聞かせるけれども私にはサッパリ分からない。ご先祖様の恋に纏わる演劇を観ても、結局は違う人と結ばれたんじゃない、そんな風にしか思えない。まあ、親が用意した縁談を受け入れて、相手に問題が無ければそのまま夫婦生活を続ける、諦め以前に意欲さえ無かった私にとって、恋愛や結婚なんてそんなもの……だったの。

 

「おや、何ともまぁ……」

 

 それは私が八歳になった年、両親の知り合いが久し振りに会いに来たから挨拶をするように言われて顔を合わせた瞬間だったわ。正に雷に撃たれたみたいな衝撃が走り、普段は落ち着きっぱなしの鼓動が今までの分を取り戻すかの様に激しく早鐘を打ち続ける。先祖返りだって聞かされたオレンジの髪と猫の獣人の耳と尻尾がピーンッと立って、目の前の人以外は視界に入っても認識出来ない。耳だってその人の声しか聞こえない。

 

「ナターシャ、驚いたかい? この人こそ勇者を導いて来た賢者様だ。そして…‥おっと、これは秘密だったね」

 

「ええ、そうですわ。あの時は賢者様が酒の席で口を滑らせたから私達が知っているだけで、基本は秘密でしょう」

 

 両親が何を言っているのかも分からないけれど、目の前の人の情報だけは頭に入って来たわ。私の頭に賢者様の手が置かれ、優しく撫でられる。全身が熱く、息が苦しい。心の奥から込み上げる気持ちだけが私の頭を支配する。そう、まるで流れる血の中に眠らせ受け継いで来た物が目覚めたみたいな感覚。気が付けば私は賢者様に抱き付いていて……。

 

「好き! 今直ぐ結婚して!」

 

「あっ、既婚者です。それよりも私の娘と歳も近いですし、仲良くして貰えたら…‥」

 

「じゃあ愛人で良い!」

 

「……なんとまあ、思いっ切りの良い所まで遺伝しているとは。ちょっと両親、娘をどうにかして下さい」

 

 この日、初恋に落ちた私は求婚して、将来の夢が決まったわ。正妻は無理そうだし、愛人として賢者様と結ばれるってね。何故かご先祖様だって後押ししてくれている気がするし、諦める気なんて無いわ。

 

 

「よし! 賢者様との接点を作るわよ!」

 

 それからの私の人生は努力の日々だった。決められていると思っていた道を歩く為の事しかしていなかったそれまでと違い、戦う為の訓練も始めたのよ。幸いってすると不謹慎だけれど、私が生まれた時代に魔族が発生する。なら、勇者に選ばれるのは出身世界の問題で可能性が無いにしても、勇者の仲間に選ばれる位に強くなれば良い。実際、並外れて強い人の中には勇者の仲間の候補としての運命を背負っているからってのも有るらしいしね。

 

 まあ、そのせいで逆に選ばれなかった事で闇落ちするのもいるらしいけれど、私は違う。選ばれなかったとしても、自分の存在を賢者様にアピールしたり、世界を旅する事で旅をしている勇者の情報を手に入れて、助けに来た賢者様と再会する可能性を上げる為に組織を立ち上げたのよ。

 

 

「だからさ、一応イメージって物が必要なの。女の子を恫喝するとかクルースニクに悪い噂が立つし、今回の魔族は随分と悪辣みたいじゃない。悪評を利用されたら困るんだって」

 

 そして立ち上げた組織こそが対魔族部隊クルースニク。勇者の仲間候補じゃないのかなって連中を集め、世界を旅しながら勇者の情報だって入手する。最初は実家のネームバリューを利用していたけれど、今では私なりに上手く組織を率いていると思うわ。

 

 今はちょっと言動に問題がある子を叱っている所。私達は国家権力の庇護の下で活動しているんじゃないんだし、悪評が立てば厄介なのよね。少しくらい乱暴なのは活動上仕方が無いけれど限度って物が有るわよ。

 

「……うっす」

 

「まあ、お説教は面倒だし終えるわよ? 一応私も隊長としてケジメを果たさなくちゃならないけれど、元々叱るのとか向いてないのよね。……まあ、行き過ぎた真似をしたら潰すから右か左か決めておきなさい」

 

「う、うっす!」

 

 最後にちょっと問題児なレリックを脅すけれど、此奴は結構な過去持ちだから、ついつい見逃している所がある。レリックって名前は副隊長のレガリアが付けた名前で、本名は捨てた。彼の出身世界はパップリガ、生まれは貴族。……でも、あの世界は獣人の扱いが酷くて、レリックの頭とお尻には根元から切断された傷跡が有る。この子の母親の種族と、何をされて、どんな生活を送っていたのかはお察しよ。

 

「……にしても勇者が餓鬼だなんてな。大丈夫か、マジで? 俺が代わりてぇっすよ、マジで」

 

 そんな境遇で育ち、瀕死の重傷で川を流れていたのをレガリアに助けられたレリックだけれど、暫く世話になった冒険者パーティーの影響らしく口が悪い。因みにツンデレ。要するに世界を救う旅を子供がするなんて耐えられないし、代われるなら代わってやりたい、そんな感じ。

 

「矢っ張り情が湧いた? 今まで会った事が無かったのに?」

 

「そんなんじゃ無いっすよ、隊長。あんな甘い餓鬼じゃ賢者様が一緒だろうと寝首を掻かれるからっすよ」

 

「はいはい、ツンデレツンデレ」

 

「違うっつってんだろ! あーもー! 何でこんな時にレガリアさんは寝てるんだよ!」

 

「そりゃ夜行性だからでしょ、種族的に」

 

 我らが頼れる副隊長、困った時の大人な対応担当のレガリアは絶賛就寝中。カーテンを閉め切り、布団を頭から被って一切の光を遮断しないと安眠出来ないとか。そんなのだから起きている時も日中は帽子が必要だし、外で眠る時は棺桶に入り込む。実は一回間違って火葬されそうになったのよね。棺桶開けたら知らない死体が入っていて驚いたわ。

 

「……まあ、何を言っても現実は変わらないわ。有るべき風にしか存在しないもの。だからゲルダちゃんが可愛いのなら、一人でも多くの魔族を倒すだけよ。出ない筈だった被害は、それ以上の数を私達で防ぐ。そうやって時間を掛けて強くなって貰いましょう」

 

 勇者が功績を上げる事が魔族の封印に必要だと知りながらも活動を続ける理由はそこに有る。元々は勇者が居ない場所での魔族退治だったけれど、今回の勇者が子供の上に異例の速度で封印を進めていると知って方針が変わったわ。封印が遅れる結果になったとしても、着実に時間を掛けて強くなって貰う。功績による能力の底上げだけじゃなく、基礎を積み重ねさせるの。

 

「だから違うって言ってんだろ。あんなチビ、只の他人だ」

 

「まあ、そうだって主張するなら何も言わないわ」

 

「いや、散々言って……」

 

 会話の途中で私達は窓から外に飛び出した。他の隊員も勘の鋭い子は同じく外に出て空を見上げる。巨大な足が私達の滞在する宿に向かって落ちて来ていた。毒々しい赤紫をした膝から下で、緑の刺と紫の目玉が至る所に存在する気持ち悪いモンスター。それが遙か上空から落ちて来たのだから当然周囲から悲鳴が上がるけれど、私の横からは鎖がジャラジャラと鳴る音が聞こえたわ。

 

「伸びろ、グレイプニル!!」

 

 レリックが普段服の下に仕舞っている鎖は先端の槍の切っ先を入れても身長程度、真っ直ぐ伸ばしても未だに遙か上のモンスターには届かない。でも、それは普通の鎖だったらの話で、普通の鎖なんかを武器にしても魔族に通用しないのだから、当然普通じゃない鎖に決まっているわ。

 

 素材はミスリル、魔力の浸透率が優れた金属で魔法剣士が杖の役目を持たせた剣の素材に愛用している。それをドワーフの名工に依頼して造って貰った武器こそレリックの持つ魔鎖槍(まさそう)グレイプニル。魔力を込めれば自在に伸縮、但し動きの操作は使い手次第。そしてレリックはクルースニク随一の使い手なの。……でも、そんな武器でも大きな弱点が有るのよね。あのモンスター、普通じゃないし嫌な予感がするわ。

 

 私が少し心配する中、グレイプニルの切っ先はアキレス腱付近、骨と骨の間の肉の薄い所に突き刺さり、そのまま絡まる。落下速度に合わせて鎖が収縮する事でピンッと張った鎖の上、そこを私は走り抜ける。曲芸師もかくやって身軽さでほぼ直角の鎖の上での高速綱渡り。腰のナイフの柄に手を掛けて、あと数秒で到達する時に嫌な予感は的中したわ。

 

「……ギャ、オギャァアアアアアアアア!!」

 

「ああ、もう矢っ張り! しかも最低最悪のパターンじゃないの!」

 

 槍の切っ先が刺さった場所から闇が液体になって溢れ出す。泥みたいに粘り気の強い液体は赤ん坊の鳴き声を発して、私の目の前で大人程の大きさの赤ん坊の姿になる。へその緒は繋がったままだった。赤ん坊は両手で鎖にしがみついて、触れた場所から黒く変色して……呪いによって穢されて行くわ。これがミスリルの弱点。魔力を通すけれど、同時に呪詛だって良く通る。

 

 あの赤ん坊は呪いの塊、そして同時に呪いの犠牲者。一体何処の誰だか知らないけれど、術者は随分と悪辣な真似をしてくれたわね。だって、あの子は産まれてさえいない。産まれる前に母親に腹を割き、取り出して死なせた胎児の血と魂を媒介にした呪い、それが目の前の赤ん坊。

 

「……助けて上げられなくてゴメンね」

 

 謝っても仕方が無いし伝わりもしない。そもそも目も耳も手も届かない何処かで出る犠牲を防ぎたいだなんて傲慢ね。でも、それでも私は謝りたかった。自己満足と分かってはいるけれど……。

 

 腰のナイフを抜いた時、鎖への浸食は足元まで達している。これに触れたら私も呪われる。死んだら多分赤ん坊に取り込まれるのでしょうね。でも、既に私はナイフを抜いている。未だ空に輝く日の光は純白の刃で反射して、鎖の穢れも呪いの塊の赤ん坊も一瞬で浄化する。そのまま疾走すれば巨大な足首が目前に迫り、私は鎖を強く踏んでナイフを投げた。

 

 一切の抵抗無くナイフは突き刺さり、光が溢れ出す。モンスターは消え去り、真っ二つになった人の形の小さな木の板とナイフだけが空中に残って、固定する物が無くなったのだから足場にしていた鎖だって落ちるわよね、うん。

 

「さてと……」

 

 片手で鎖を掴み、もう片方でナイフをキャッチ。如何にも怪しい木の板は足を伸ばして上に乗せた。そのままグレイプニルは元の長さに戻り、私はレリックに板を投げ渡す。

 

「レリックの方が詳しいわよね。どんな物なの?」

 

「ヒトガタ……式神って呼ばれる使い魔の核にする物っす。パップリガ独自の術だし……白神家の糞共が俺に気が付いたのか?」

 

「さて、どうでしょうね。もしくは魔族の協力者が私……って言うか私の持つホリアーの力を試す目的だったとか?」

 

 私は手にした年代物のナイフに目を向ける。柄に巻いた布や鞘は随分と古びているのに、一切輝きを失わない純白の刃は一切の呪いを浄化する。初代勇者パーティーが魔王を討伐した際にご先祖様が扱い、代々継承されて来た伝説級の武器。魔族が警戒して当然の物ね。

 

「酒は先に飲んでて。私はちょっと賢者様に報告して来るから」

 

 本当はレリックも連れて行きたいけれど絶対素直に接しないから却下よ。それに仲間とはいえ、他人が口出しする事じゃないしね。

 

 

 

「ったく、このツンデレ……はい?」

 

 私は途中で振り返ってレリックの姿を見て、思わず呆けてしまう。だって、凄く変な姿になっていたのだもの……。

 

 

 



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望まぬ会合

「どうもトラブルが多いな。……いや、そもそもの話、休暇だったら魔族が既に居ない世界に行けば良かったのではないか?」

 

 それはナターシャさんが帰った後、スライムっぽい謎の生物を賢者様達が調べている時、ソリュロ様から根本的な解決策が出されたの。うん、ちょっと考えれば分かる話だったけれど、トラブル続きで休暇を楽しめないなら、トラブルが起きなさそうな場所に行けば良かったのよ。

 

「じゃあ、お茶を飲み終わったらグリエーンかオレジナに行きましょう」

 

「グリエーンは森ばっかだからオレジナが良いな。さて、確か観光ガイドに……」

 

 私じゃ解析魔法は使えないし、賢者様でさえ何か勝手が違うって言いながら苦戦している相手じゃ使えても役に立たないし、使命は一旦忘れて遊ぶのが一番ね。私は甘い物を食べに行きたいけれど、何か良い店は有るかしら? 折角旅に出たのにエイシャル王国以外の国に行かないまま次の世界に旅だったのだもの。考えてみれば勿体ないわ。

 

「……あれ?」

 

 ふと町の方に目を向けると巨大な足みたいなモンスターが上空に現れていた。でも、私がビックリして立ち上がってから物の数秒で消え去ったし、一体何だったのかしら? 何か嫌な予感がするわ。

 

「……式神の類、それも随分と胸糞が悪い。さて、ゲルダ。新たなトラブルだ。巻き込まれる前に出掛けるぞ。……ケーキが半分残っているから少しだけ待て」

 

 私の嗅覚でも距離があるから臭いは感じないけれど、ソリュロ様が随分不機嫌な顔をしたし、多分臭かったわ。直ぐにケーキの残りで上機嫌になったソリュロ様だけれど、詳しくは話そうとしないなら知らない方が良いのよね。

 

「んふふ~」

 

 ソリュロ様の食べ方だけれど、私とは随分と違うわね。私はケーキを大きめの一口にして、口の中全体に甘い味が広がるのが好きなのだけれど、ソリュロ様は小さいのをフォークの先に乗せてチビチビ食べるのが好きみたい。ショートケーキの上のイチゴだって、クリームと一緒にカットされたイチゴがスポンジの間に入っているのに最後まで残して幸せそうに食べる姿は年相応の女の子にしか見えないわ。

 

「次はモンブランにするか。確か栗が名産のパルナップ国が収穫期だった筈だ」

 

「あっ! 聞いた事あります! 一度だけシロップ漬けを食べた事が有るけれど、凄く美味しかったです」

 

「ほほぅ。そうか、それならば決まりだな」

 

 こうやって甘い物とかレジャーを楽しむ姿を見ているとソリュロ様って勿体無い事をしていると思えるわ。だって、普段は人が自分の正体を知れば怖がるからって神の世界から出て来ないそうだけれど、六つもある人間の世界にはこうも楽しい事や美味しい物が溢れている。なら、楽しまないと損よ。

 

「じゃあソリュロ様。早速出掛ける前に服を見に行きましょう。私、ブリエルの服に興味が有るんです」

 

 旅の醍醐味は、何と言ってもその土地の文化に触れる事。独自の伝承や解釈を行った物語や料理、そして服。私の普段着は一応防具の役割を持っているし、旅の資金は税金から出ているから普段は新しい服を買う事に抵抗があったけれど、折角の休暇だもの、お洒落を楽しまなくちゃ損よ。……まあ、お洒落に消極的だったのは服屋が村に無い田舎物で、お洒落とか良く分からないからだけれど。

 

「ソリュロ様、色々教えて下さいね。私、服とか詳しくないので」

 

 だから変な格好や時代遅れのファッションを選んで笑われたらと思うと怖かったけれど、一緒に休暇を楽しむソリュロ様が居るなら百人力よ。

 

「お、おおぅっ!? この私に任せておけ」

 

 ……あれぇ? 言葉は頼もしいけれど顔は引き吊っているし、人選を間違えたかしら? うん、普通に店員さんに選んで貰いましょうか、そうしましょう。

 

 ちょっと不安は残るけれど、旅行の為のお洒落着を買いに行くだなんて楽しみで仕方が無かった。勇者になる前は羊飼いの仕事が忙しいし、町に行っても本を書うか偶に贅沢としてお芝居を観る位。町で見かける同年代の女の子が親と一緒に服を選んでいる姿が羨ましくなかったと言えば嘘になるでしょうね。勇者になってからは使命感に追われて綺麗に着飾るだなんて発想は浮かばなかったし。

 

 でも、今の私はお洒落の為の服を買いに行く女の子。そんな普通の子供として、今だけは使命を忘れましょう。

 

 

 

「……む? 随分なお大尽が居るみたいだな」

 

「えぇっ!? 大臣様が来ているのですか!?」

 

 折角だからと町一番と評判のお店に来たのだけれど、店員さん達が大慌てで働いていたわ。私と同じ位の女の子が着るドレスや装飾品を次々に包装して、新しく来た私達を接客する余裕すら無いみたい。カウンターを見れば山の様に積まれた金塊。あれなら店全部を買えるかも知れないし、大臣様が買いに来ているってのも納得ね。

 

「いや、違うぞ? 金を湯水の様に使う者をお大尽と呼ぶのだ。しかし、あの様子では何処ぞの金持ちの娘が商品を買い占めているらしいな。……私の好みの服は一切手付かずなのは少し腹が立つ」

 

「ソリュロ様、冷静になって!?」

 

 確かにソリュロ様が着ている優しい色合いの甘い感じの服、確か甘ロリファッション系だけ棚に残っているけれど、それで怒るのはどうかと思うわ、私。

 

「それにしても、あれだけ買ってどうやって持ち帰るのかしら? 店の前には馬車なんて無かったのに」

 

「まあ、この規模の店ならば配達も請け負うだろうし、稀少だが転移魔法が使える者が居ないでもない。大抵が研究者だし、スポンサーの娘の我が儘に付き合う位はするだろうさ。……だと良かったのだがな」

 

 大勢の人を引き連れて二階からゴスロリファッションの女の子が降りて来るのが見えた時、ソリュロ様の雰囲気が変わったわ。棚や人が邪魔で顔見えなかったけれど、完全に一階に降りれば私にも彼女の姿がハッキリ見える。勇者としてでなく、普通の女の子として過ごしている今だけは絶対会いたくなかった彼女は、私の意思とは真逆に嬉しそうな顔で手さえ振りながら寄って来た。

 

「やあ! こんな所で出会えるだなんて運命だね、ゲルダ! 君に会いたかったよ、ずっとね」

 

「……私は貴女の顔だなんて見たくもないわ。いえ、その顔に拳を叩き込みたくはあるわね」

 

 恍惚の表情を浮かべながら頬に手を当てる仕草をする彼女は随分と高価そうなドレスを着て、室内なのに日傘を手にしている。対する私は如何にも田舎者って感じのツナギ姿で麦わら帽子。純粋な好意さえ感じさせる彼女に対し、私は嫌悪感を隠せない。

 

 

「賢者様に痛い目に遭わされた筈なのに随分と元気じゃない。ねぇ、リリィ・メフィストフェレス?」

 

 勇者としての使命を忘れて訪れた筈の店で、勇者の宿敵である最上級魔族と出会すだなんて、運命を司る神様は間違い無く頭のネジが外れているわね。

 

 私が敵意を隠そうとしない中、尋常で無い雰囲気に戸惑う店員さん達だけれど、私が何か言う前に皆揃って姿が消える。一体何処に行ったのかは分からないけれど、どうして消えたのかは分かる。ソリュロ様が巻き込まれる前に避難させたに決まっているわ。

 

「君も服を買いに来たのかい? うんうん、女の子だしお洒落は必要だ。そうだ! 折角だから私に任せてみないかい? コーディネートには自身が有ってね。……今は敵対する気も力も無いんだ。そう睨まないでくれ」

 

「ふざけないで!」

 

 どう考えても私を馬鹿にしているとしか思えないフレドリーな態度に今までの怒りさえ再燃し、私はこの場で戦いを始めようとさえするけれど、それを制するかの様に私の前にソリュロ様の腕が差し出される。思わず止まった私だけれど、どうして邪魔をするのか分からなかった。

 

「……まあ、落ち着け。此処で此奴を倒しても意味が無い。本物ですらなく、既に死んでいるから浄化されさえしない。遊ぶ体力の無駄だ。……だろう?」

 

 怒っている私と違い、ソリュロ様は冷静で、呆れてさえいる表情をリリィに向けている。本物じゃないってのは何となく分かったけれど、死んでいるってどういう事かしら? 私のそんな疑問を表情から察したのか、言い当てられた事が嬉しいかの様な表情のリリィは数度拍手をして、全身を見せつけるみたいに一回転してみせた。

 

「あはははは! 流石は魔法と神罰の女神ソリュロだね。いや、神ならこの程度見抜けるか。ああ、その通り! 本物の私は賢者から受けた傷が酷くてね。心臓まで達する程の大火傷で片腕が炭化さえしているんだ! でも、退屈でね。出歩ける状態じゃないけれど、買い物には行けない。だから私じゃない私に行かせる事にしたんだ!」

 

 何を言っているか私には分からない。でも、今まで見て来た物が禄でもない事だと告げている。腹を抱えて笑っている姿さえも不気味で薄気味悪い。思わず後退りしそうになるけれど、それよりも先にリリィの顔面を崩れ落ちた。

 

「ありゃりゃ、もう終わりかぁ。役に立たないね、下級ってさ」

 

 顔面の左半分がボロボロと崩れて中身が見えているのに平気な声でリリィは笑い、腹に当てた腕さえも肘からが崩れて地面に落ちるけれど、落下の衝撃で砕けた腕は色白な少女の腕でなくて色黒な大人の男の腕。転がった目玉の色も別だった。これは一体何が起きているの?

 

「おや? 今まで色々見て来たと思ったけれど、これで驚くだなんてビックリ! あはははは! 驚かせてゴメンよ? なぁに、簡単さ。此処に居る私は、私の好みの物を買って来させる為に、適当なのに人格と見た目を転写したのさ。まあ、ちょっと手荒い方法だったから体が耐えられていないけれど、気にしない気にしない」

 

「貴女は……何処まで仲間を……」

 

「仲間? えっと、私は仲間は大切にしているぜ?」

 

 私の言葉にリリィは本心から疑問と不服って感じで首を傾げる。頭の重さに耐えられなくて首に罅が入り、慌てた様子では無いけれど手で支える。

 

「あっ! もしかして下級とか中級を私の仲間と思っているのかい!? おいおい、冗談だろう? 人間だって種族や世界の違い、そして身分差……私達だって変わらないのさ」

 

 魔族と人間は同じ、私も思った事なのに、リリィの口から語られると途端に悍ましい言葉に感じる。見た目は可憐な少女なのに、受け入れ難い化け物にしか見えない。

 

「……相手をするな、ゲルダ」

 

「いいえ、それは駄目です」

 

 そう、ソリュロ様は私をリリィから遠ざけ様としてくれるけれど、逃げる訳には行かない。勇者としてだけでなく、彼女の所行に怒りを覚えたゲルダとして。

 

「……貴女、一体何が目的なの?」

 

 私が問い掛ける間もリリィの体は崩壊を続け、両腕を失い、右足が崩れて前のめりに倒れる。倒れた際に胴体が二つに割れて、口の辺り以外は殆ど崩れて、口だけは小さな唇を動かして喋っていた。

 

 

「楽しみたいだけさ。だって、君を殺して人間を絶滅しない様に管理していれば神は関与せず魔族は安泰……実に都合の良い絵空事さ。私はそんな楽観論に縋らない。どうあっても魔族は今回も封印される。だから好き放題に生きて! 蹂躙して! 華々しく散っ……」

 

「五月蝿い」

 

 崩れながらも言葉を続けるリリィの口はソリュロ様に踏み潰され、残った肉片は床に染み込んだみたいに消え去る。私が不快だったのと同じく、ソリュロ様も不愉快そうな顔をしていた。

 

「ちっ! あの小娘、荷物だけは転移させて……ん? んんっ? ぷっ、ぷははははは!」

 

 何を笑っているのかは分からないけれど、多分何か愉快な事が有ったと分かる。だって床には巨大なパンダの顔が描かれていたもの。

 

 

 ……自分なら兎も角、敵が被害者だったら愉快ね。

 

 

 

 

 

 

「うへぇ……。全部何かのキグルミになってるや。ビリワック、全部片づけておいて」

 

「……この何か分からない物のキグルミをですか? いや、命令ならしますが、この触っただけでどうにかなりそうなこれを……」



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マッチョサーモンのパンダ風ソース

「さて、少々込み入った話なので中にどうぞ」

 

 突然現れた正体不明のスライム。マスターでさえ解析に手間取った異例の存在に対し、魔族に対抗可能な人員を集めた部隊の隊長だというナターシャ(あだ名は未定)を馬車の中に通して話し合いが始まった。

 

 現場報告は以上! 僕は面倒だから欠席! なんかさぁ、未曾有の危機の可能性も有るそうだし、ギャグを挟んだら流石のマスターも叱りそうだし、僕だって年に数度は空気を読むんだ、読みたくはないけれど。

 

 

「レリックは外で待機ね。流石にその格好で出席は無いわ」

 

「好きでこんな格好をしてねぇよ! 祭りでもないのにキグルミ姿とか浮かれ野郎じゃねぇか!」

 

 こんな会話で閉め出されたレリックことレリ君は腕組みをして随分不機嫌そうだけれど、そのキグルミは特別複雑で頑丈な造りにしてあるから簡単には脱げないのさ。って言うか、どれだけヤンキーっぽい態度を取ってもマッチョな鮭だから面白さしか感じないよね。

 

「おい、何やってるんだ?」

 

「えっとね、暇潰し~」

 

 でも、ずっと見ているのも飽きた僕はゲルちゃん達を観察する事にしたんだ。空中に出現させた鏡には遠くから観察している黒子の見聞きした映像が映し出される。それにしても見張れって言ったけれど食い入る風に見ているのは流石の僕も引くわー。

 

 退屈なのかレリ君も僕の隣で見ているけれど、マッチョな鮭のキグルミとか、恥ずかしいから近くに寄らないで欲しいよね。まあ、着せたのは僕だけれど。

 

「ちっ! この光景を見ているって野郎はロリコンかよ。足だの首筋だのジロジロ見やがって」

 

 そう! 一切教えていないけれど、凝視している時はズームアップされるんだ。何も知らされないのは流石に可哀想だし、後でどんな風に観察していたか本人にも見せて上げる予定だけれどね。

 

(……それにしても)

 

 ゲルちゃんもソリュロも交互に観察している彼と違い、レリ君はゲルちゃんばかりを見ているのに気が付いた。どうも勇者としての評価をしているって様子じゃなくて、只単純にゲルちゃんの一挙一動を見て、あの子がどんな子なのかを知りたがっている、そんな風に思えたよ。

 

「……おい、彼奴の両親は?」

 

「事故で数年前に死んだらしいよ? それから村の人に助けて貰いながら羊飼いとして生きて来たんだってさ」

 

「……そうか」

 

 どうも様子が変だ。ゲルちゃんの両親の死を聞いた途端に握り拳に力が入ったし、何かあるのかと勘ぐってしまう。でも、直ぐに分かったんだ。レリ君がどうしてゲルちゃんを気にするのかって疑問の答えが。

 

「ねぇ、レリ君。ゲルちゃんは胸も色気も皆無だけれど、女の子なんだ。ショタコンの君からすれば残念だろうけれど……」

 

「んな事は分かってんだよ! てか、誰がショタコンだ、誰が!」

 

「あっ、ロリコンだった? ゲルちゃんにお兄ちゃんって呼ばれたいの?」

 

「……違う!」

 

 今、明らかに間があったよね。冗談だったのに本当にロリコンなのかと疑いを感じる僕だけれど、ある嬉しい誤算も有ったんだ。レリ君、撃てば響く愉快な子だ。ゲルちゃんもそうだけれど、これは才能だね。でも、それだけに惜しい。

 

「ねぇ、レリ君。さっきからツッコミが一辺倒に叫ぶだけだよ? こうなったら一日十三時間のツッコミ練習を行おう。そうすれば漫才コンテストで地方予選五位にはなれるさ!」

 

「ざけんな! 地方五位じゃなくて、優勝してやるよ……って、誰が漫才コンテストに出るかっ!」

 

「おぉ! ノリツッコミ!」

 

 この子、面白い。面白過ぎる。

 

「所で聞くけれど、君ってどんな格好をした小さい子が好きなのさ?」

 

「先ず小さい餓鬼に興味無ぇから。いい加減ロリコンから離れろ。俺から離れるなよ」

 

「ボ、ボケ殺し……」

 

「ったく、ふざけた奴だ。馬鹿にしやがって。良いか? 良く聞け。俺の好みは大人の色気がある知的な女だ! 眼鏡は譲れねぇ!」

 

 ちょっと悪ふざけが過ぎたんだね。レリ君、言わなくても良い事さえも口走ったよ。うん、流石に反省して、彼がロリコン扱いされない為の手助けをしないとね。何をすれば良いのかは既に分かっている。

 

 

「俺の好みは大人の色気がある知的な女だ! 眼鏡は譲れねぇ!」

 

 こうやって好みのタイプを熱く叫ぶ姿を空に映し出して声を町に響かせる。聞き逃し見逃しが無い様にリピート再生三日間。キグルミじゃ誰か分からないからちゃんと素顔さ。

 

「大空に人の性癖を映し出してるんじゃねぇ!」

 

「海の方が良かったんだね、分かったよ」

 

「違う!」

 

 こうも響くと実に弄くる甲斐が有る。ノリノリで悪戯を仕掛ける中、鏡に映った新しい小さな女の子。どうも彼女が何度か関わった最上級魔族らしい。戦う様子は見られないけれど、僕は此処で何もしないなんて耐えられない。背中のパンダが空高く飛び上がった。

 

「くらえ! 感知不能にして高速の遠距離技! シークレットパンダビーム!」

 

 不可視の光線がパンダの口から飛び出し、魔族の横をすり抜けて買った荷物に直撃する。

 

「……何が起きるんだ?」

 

「持って帰った途端に認識不可能な姿をした何かのキグルミになる」

 

「何かって何だよ!?」

 

「だから何か分からないんだって。……組織人なんだし、もう少しはなしをききなよ。僕、これでも勇者一行のマスコット枠だよ?」

 

「だからどうしたっ! てか、テメェはマスコットって言うより、ストレス増す事ばかりする奴じゃねぇか!」

 

「ストレス増加系マスコットなのさ!」

 

「そんなマスコットが存在してたまるかぁああああああああああっ!!」

 

 レリ君は全力の声量で叫ぶ。本当に素晴らしいリアクションの子だなぁ……。

 

 

 

「……せめて、もういい加減にキグルミをどうにかしてくれ」

 

 どうも疲れたのか心が折れ始めている。これは駄目だ。折れないギリギリを見極めて、限界まで弄くってこそ成長するんだ。そして更に弄くれば面白い反応を見せてくれる。だから今日はこの辺で終わらせよう。

 

「えっとね、右腕を高く掲げて、左腕は腰に当てたまま腰を左右に振るんだ」

 

「こ、こうか?」

 

「そうそう。じゃあ、頭の中に流れ込んできた言葉を大声で叫んでね。そうすればキグルミは消え去るから」

 

「……本当だな?」

 

 どうもレリ君は疑い深い性格らしい。でも、僕を疑うだなんて酷いなあ。僕って基本的に正直者なのに心外だよ。でも、そんな酷いレリ君が相手でも僕は誠実に接する。嘘は言わず、ちゃんとキグルミを消し去る呪文を教えたのさ。

 

 

 

 

「マッスルサーモンパワーメイクアーップ!!」

 

 レリ君の体が光に包まれ、腕、足、そして胴体と泡に包まれ、それが弾けると同時にキグルミが消えて行く。手には何時の間にか星の装飾が可愛らしい女の子向けの杖が握られ、鍛えられた肉体はピンクのセーラー服に包まれている。

 

「うわぁ……」

 

「……おい、これはどういう事だ? ってか、何だよ、この服はっ!?」

 

「いや、キグルミは消えるって言っただけで、他の服を着ないとは言っていないけれど? その服はセーラー服っっていう女の子の学生服さ」

 

「んな事は分かってんだよっ!」

 

「えー? 分かっているなら一々質問しないでよ。君って前からそんな所があるよね」

 

「俺とテメェは初対面だよな?」

 

「うん! 僕は君と会うのは初めてさ。君は違うのかい?」

 

「そうだよ、初対面だよ」

 

「分かっているなら一々質問しないでよ。君って前からそんな所があるよね」

 

「……ぶっ殺す!」

 

 僕は質問に答えていただけなのにレリ君が急に怒って飛び掛かって来た。反撃するのも悪いから避けるだけさ。

 

「止めなよ。短期は損気だよ? ……あっ」

 

 平和主義者として説得を試みた時、丁度僕達の間にゲルちゃんとソリュロが転移して、障壁に顔面から突っ込んだレリ君は悶えている。何故かワンサイズ小さかったスカートは少しの動きで簡単に中身を見せた。

 

「……変態だわ」

 

 ゲルちゃんがドン引きしているけれど、流石にレリ君が可哀想だしフォローしないとね。だって彼は女装趣味の変態じゃないもん。

 

 

 

「待ってゲルちゃん! 彼は女装趣味じゃないんだ。只、君にお兄ちゃん呼ばわりされるのが満更でもないだけなんだよ!」

 

「……変態だわ」

 

 あれれ? どうしてこうなんだろう?



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二度目の助言

 砂浜に恐怖の爪痕が刻まれていた。爪の主は必死に抵抗して動こうとしなかったけれど、砂に爪を立てても意味が無い。ガタガタ震えながら向こうに連れて行かれたけれど、流石に悪戯が過ぎたもの、仕方が無いわ。

 

「それはそうと賢者様、正座」

 

「え?」

 

「ペットの不始末は飼い主の不始末。ほら、早く正座」

 

 何時も好き放題しているアンノウンだけれど、そんな風に育てたのは間違いなく賢者様。数少ない言う事を聞かせられる人なのに、全然躾がなってないから駄目なのよ。今回が良い機会だからアンノウンへのお説教は女神様達に任せて、私は残った賢者様にお説教を始める。具体的に言うと飼ってる動物への躾の重要性について。私だって羊達や牧羊犬のゲルドバへの躾はちゃんとしていたわ。それが生き物を飼う時の義務よ。

 

「大体、アンノウンは頭も良いし能力も凄いんだから変に放置するのは危険だって賢者様にも分かるでしょう? 賢者様なのだから」

 

「そうなのですよ。あの子は本当に賢い上に優秀で……」

 

「ちゃんと反省する!」

 

 私、未だ十一歳なのにどうして三百歳越えの賢者様にお説教しているのかしら? 着替えたレリックさんとナターシャさんだって困った様子で私に話し掛けられずにいるみたいだし。

 

「……なんっつーか、とんでもないな、色々とよ。あの使い魔といい、ポンコツ飼い主だった賢者様といい、その賢者様を叱っている勇者といい……」

 

「結局、幻想や憧れを通して見た光景が伝わっているだけで、本当は人間臭いのよ。でも、そんな所が好きだから愛人にして、賢者様」

 

「未だお説教の途中ですので邪魔しないで下さい! 空気読んで、空気! ほら、賢者様はもう一回レリックさんに謝る!」

 

「私の使い魔がご迷惑お掛けしました」

 

「お、おう……。もう良いわ、別に気にしてねぇし」

 

 第一印象ではちょっと怖い人だったし、さっきアンノウンによっての第二印象は妹萌えの女装趣味の変態ロリコンだったけれど、こうして見てみると悪い人じゃない。私が休暇を貰っているって聞いた時も、てっきり休まず戦えって言われると思ったのに……。

 

「……休暇? はっ! 精々遊びすぎて疲れを残さねぇ事だな」

 

「あっ。要約すると体を休めなさいって事だから。此奴、もの凄いツンデレなの。乱暴な言い方しか出来ないだけで。あと、お兄ちゃん云々は子供好きなだけと……これは黙っておこうか。本人の問題だしね」

 

 それだけに惜しいわ。何せアンノウンに気に入られちゃったみたいだもの。あの子、気に入った相手への悪戯が凄いから。でも、気に入った相手の為には力をちゃんと使うのよね。

 

「さて、小言はこの程度で終わらせましょう。それで、あのスライムは一体何なんですか?」

 

 聞いた話じゃ船の廃材を取り込んで動いていたって話だし、そんなモンスターは聞いた事が無いわ。遠くから知ってる子の悲鳴が響き続ける中、私は賢者様の言葉を待つ。その内容は予想外の物だったわ。

 

 

「あのスライスの名はゴーラ。この世界……いえ、六色世界とも無色の世界とも全く違う世界より召喚された存在です」

 

「えぇっ!? ……まあ、納得ね」

 

「おいっ!? 異世界だぞ、異世界っ!? そんな御伽噺でっかレベルの話を聞いて反応それだけかよっ!?」

 

「レリックさんって常識人なんですね。……今後苦労しますよ」

 

「……嫌ぁな予感がする忠告だな、おい」

 

 アンノウンは興味が無い相手には積極的に関わらない。でも、逆に言えば興味を持たれたら何時関わって来るか分からない所があるの。少し前の私ならレリックさんみたいに驚いていたでしょうけれど、異世界とか今更なのよね。賢者様自体が別の世界の人のコピーだし、アンノウンの部下の人達も出身地がバラバラの異世界らしいし。

 

「少女よ。この様な若者にはあまり忠告をしてくれるな。心構えをされていては反応が楽しめん」

 

「ぬおっ!? 何だテメェはっ!?」

 

「私は鳥トン。まあ、異世界出身の聖職者だと覚えておいてくれ」

 

 例えば急に現れた鳥トンさん。もう異世界の存在を聞かされても今更なのよね。所でゴーラってどんな世界の出身なのかしら?

 

「ねぇ、鳥トンさんはゴーラの出身世界について何か知っているかしら?」

 

「いや、知らんな。それよりも主に頼まれて本を持って来た。私の世界の物語だ」

 

「ありがとうございます!」

 

 私は本が大好きなので異世界の物語だなんて聞いただけで心が躍るわ。その世界ごとの考え方が反映されているでしょうし、内容が全く予想出来ないもの。

 

「……本好きなのか?」

 

「ええ! 小さい頃は寝る前にお母さんに何度も読んで貰っていたわ」

 

「……そうか、俺もだ。って、この表紙の絵だが変だな。この耳ってエルフだろ? 文字は読めないのに何故か意味が分かるのは魔法だとして、この華奢な体とか病気か?」

 

 そうなのよね。賢者様の知っているエルフや鳥トンさんの持って来てくれた本に出てくるエルフって痩せた体で森に住む理知的で美形な種族って感じらしいけれど、凄く変わっているわ。エルフって海に生きる男女ともに逞しく心の熱い種族なのに。

 

「エルフがこんなのなら、スライムだって変でも不思議じゃないわよね」

 

「だな」

 二人揃って同じ意見で頷けば何故か安心を感じたわ。思い返せば女神様は神だし、賢者様も微妙にズレているし、アンノウンはアンノウンだし、常識を共有出来る相手が居るのが嬉しいだなんて今まで分からなかったわ。

 

「ねぇ、レリックさん。私達の旅に同行って出来ませんか?」

 

 だからだと思うけれど、そんな言葉が口から出ていた。これには少しだけ魂胆があって、率直に言うならツッコミ役が私しか居ないのは大変だったのよ。人前でイチャイチャする賢者様達や好き放題にボケをかますアンノウン、ついでに偶に顔を出すイシュリア様はイシュリア様。私だけじゃ捌くのが間に合わないけれど、アンノウンが気に入る程のレリックさんが居れば安心だと思うわ。

 

「ゲルダちゃん、ゲルダちゃん。此奴に頼むならお兄ちゃんって呼んだら効果有りよ」

 

「えっと、お兄ちゃん?」

 

 ナターシャさんに言われて、勢いで口にしたけれど凄く恥ずかしい。アンノウンが女神様達に連れて行かれているのはラッキーだったわ。

 

「……無理だ。まあ、世界を救うのは大変だろうが、他の仲間を捜せや。後一人居るはずだろ? 勇者の仲間は最低三人なんだからよ」

 

「は、はい。えっと、変な事言ってごめんなさい!」

 

 そんな風な思いから口にした言葉だけれど、レリックさんにはレリックさんの都合が有るし、個人的な理由で頼む事じゃなかったわ。流石に自己嫌悪で落ち込みそうになるけれど、レリックさんはそんな私の肩に優しく手を置いた。

 

「気にすんな。餓鬼は好き嫌い無しに飯食って、夜更かしせずにちゃんと寝る事だけ考えてろ。……機会が有れば手助け位はしてやるよ」

 

「はい! その時はお願いします!」

 

 ぶっきらぼうな言い方だけれどレリックさんの優しさが伝わって、私の心の中にポカポカと温かい物が生まれるのを感じたわ。楽土丸に感じた物とは別物で、彼と接すると安心感を与えてくれる。恋ではない何か、まるで家族と一緒の時みたいな……。

 

「……あれ? あの、レリックさんと私って会ったばかりですよね?」

 

「……ああ」

 

「じゃあ、きっと気のせいですね。ずっと昔にレリックさんの声を聞いた事が有る気がしまして……」

 

「……そうか」

 

 会った時に何処かで見た事の有る気はしなかったのに、言葉を掛けられたら何故か懐かしく安心する感じがしたけれど、多分似た声の人が居るのね。

 

 この時、レリックさんが少し嬉しそうで、そして悲しそうな目をしたのだけれど私は気が付かなかった。

 

 

 

 

「仲間に知らせるからって一緒に戻ってるけれど、少し位なら一緒に居ても良かったのよ? だって、ずっと守りたいって思ってたんでしょう」

 

「……別に? あんな餓鬼、賢者様達が居るんだから俺は不要だろ。なら、俺がやるべきなのは勇者の手が届かない場所で人を救う事だけだ。それに気にしなくて良い事を気にしそうだからな、彼奴は」

 

「素直じゃ無いわね。……まあ、アンタがそれで良いなら余計な事はもう言わないわ

 

「……ども」

 

 

 

 異世界より来たりし存在。存在が別物過ぎて仲間が居るのかどうか調べるのさえも困難な中、私とソリュロ様は心当たりの有る場所に調べに行く賢者様とは別行動を選んで……。

 

 

「特盛り中辛カレーのトッピング全乗せお待ち!」

 

「わー、来た来た」

 

 私達は今、イエロアのカレー屋に来ていた。……本当に良いのかなぁ? でも、凄く美味しそう。トンカツにオムレツにエビフライにメンチカツ、ご飯もルーも付け合わせも凄いボリュームで、見ているだけで食欲をそそる。

 

「休む時や遊ぶ時にはそれに集中しろ。私の弟子が任せろと言うのだ、任せておけ」

 

 そう、私達は休暇中だから全部賢者様が解決してくれるって言ったし、こうして遊んで終わるのを待つの。不適に笑うソリュロ様は威風堂々とした佇まいで、賢者様の師匠である女神としての威厳があったわ。

 

「……このパフェ美味いな。果物とクリームの相性が絶妙だ

 

 但し、口にアイスクリームが付いているのに気が付いていない事で台無しだけれど。そんな所も賢者様の師匠だなって思えるわ。

 

「……それにしても白神家かぁ」

 

 レリックさんが別れ際に言ったのだけれど、白神家には関わるな、その忠告は二回目だったわ。前も一度、注意する旨を忠告された事を思い出す。偶然出会ったパップリガ出身の人で、何故か私の両親の事を知っていた人。

 

「確かあの人の嫁ぎ先の領地って……」

 

「なんとゲルダではないか! この様な場所で再会するとは、妾の普段の行いが良い証拠だな!」

 

 噂をすれば何とやら。背後からその人の声が聞こえ、振り向けば太陽の様に明るく温かい笑顔を浮かべる彼女の姿があった。

 

 

 

 

 




何かモブの筈がキャラ立ちして来たレリック君  危ない危ない 私の作品ですよ? 立つよ、例のあれが


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神前にて神に祈る

 妾の名は白神(しらかみ)……いや、楓・カイエン。今は亡き我が君に代わってカイエン家の舵取りをしている者だ。唐突な話ではあるが、妾は他が羨む者は大抵持ち合わせている。

 

 舞や琴、歌等の芸事は上々の評価を師より受け、容姿端麗にして頭脳明晰。家柄も高く、金に困った事も無い。夫を結婚後直ぐに亡くしてはいるが、僅かな間に我が君からは五劫の擦り切れる年月にすら匹敵する程の深く暑い愛情を注いで貰えたと自負している。だからこそ妾はそれを家と領地の者達に幾倍にもして返したい。それこそが我が君への愛の現れであり、残された妾の生きる理由なのだから。

 

「久しいな、ゲルダ! おや、随分と大きくなったのではないか? 未だ一年程度しか経過しておらぬのに、子供の成長は早い。うむ、天晴れじゃ」

 

 その領主代理として訪れた視察の帰り道、開かれた店の入り口から見知った後ろ姿を見た妾は馬車を止めて中に入る。護衛や店内の他の者には悪いが、どうしても言葉を交わしたかった者だったのじゃ。向こうが再会に驚く間に抱き締めれば以前と頭の位置が少し変わっていた。過酷な旅ではあるが、子供らしく成長が出来ていると知れて一安心じゃ。

 

 ……何せゲルダはあの二人の子。特別目を掛けてやりたくなると言う物だ。

 

「楓さん、どうして此処にっ!?」

 

「視察として訪れて居てな。汝の姿があったので声を掛けたのだ。帰った後に予定外の時間を使ったと秘書に小言を言われそうだが、この時間の価値を考えれば安い物だ」

 

 ……うむ、本当に秘書には悪い事をしているな。嫁ぐまで、そして嫁いで暫くの間は誰かの見聞きした事のみを話や書で知った気でいたが、民草や王侯貴族に仕える臣下の苦労の一端はその程度ではない。向こうは向こうで此方を気楽と思っている者も居るが、基本的に年中無休で政治や軍事、インフラ整備や経済に関するあれやこれやを取り纏めねばならぬ。まあ、例となる者や選択する者によってどちらが良いかは別だろうが、妾が恵まれているのは確かだ。

 

「しかし、お主こそどうした? 此処での使命は終えたであろう?」

 

「えっと……休暇で」

 

 勇者という立場は妾の今の立場よりも面倒な事が多いだろう。故に周囲の者に聞かれても構わぬ形で聞けば少し負い目を感じた様子で答えるが……良くないな。

 

「これ、しゃきっとせぬか! どの様な者とて休みを貰えるのは当然の権利。己の役割を果たしているのだから堂々としていろ!」

 

「は、はい!」

 

 ……むぅ。どうも説教臭くなってしもうたな。いかん、これはいかんぞ。勇者としての重責から解放された貴重な時を邪魔してしまった事に妾が負い目を感じる中、ゲルダの向かいに座る少女と目が合う。直ぐ様目を逸らされてしまったが、妾を恐れてではないな。妾が行うであろう何かを恐れている。さて、どうするか……。

 

 このまま帰るのが一番なのは分かっているが、邪魔だけして、別れの時だ、さらば、では妾が落ち着かん。勝手な想いを押し付けていると分かっているが、もう少しだけでもゲルダと触れ合いたかったのだ。

 

「あ、あの、楓さん。実はお聞きしたい事が有りまして……」

 

「込み入った話らしいな。ならば共に馬車にまで参れ。ついでに屋敷にて歓待しよう」

 

 だからゲルダの申し出は渡りに船だった。共に食事をしていた少女も誘い、話をするついでに屋敷に誘う。せめて今この時を邪魔した詫びとなれば良いのだがな。

 

 

 ……妾は人が羨む物は大抵持ち合わせている。だが、同時に持つ事を悔やみ、最大の恥辱としている物も有った。それこそが我が生家、白神家との繋がりじゃ。妾の人生において最高の幸福を選ぶとなれば我が君に嫁いで家から抜けた事、もしくは兄上が居た事じゃろうな……。

 

 

「では、屋敷に着くまでの間、ゆるりと寛ぎながら話をしよう。ほれ、冷えた果実水を飲め」

 

 高貴な者には相応しい振る舞いや装い、そして暮らし方が有る。民草の苦境を見て見ぬ振りし、あまつさえ目さえ向けぬのは為政者として失格以前だが、只質素倹約に務めれば良いという物では無い。復興が進むカイエン領、その領主代理である妾の乗る馬車もそれなりの豪奢な物であった。

 

「わわっ!?」

 

 先ず、魔法によって拡張された車内は数人がゆるりと寛げる広さを持っている。テーブルを挟んでソファーに座るゲルダじゃが、体が沈みそうになるフカフカさにビックリした様子だが、流石は勇者、直ぐにバランスを取っている。体幹を鍛えている証拠じゃな。もう一人の少女は座り慣れた様子で腰掛けているが、どうも名を告げない辺りに訳有りの様子。馬車の御者がゲルダの事を知らぬ者であれば乗せるのに苦労したであろうな。

 

「……うむ。聞き耳を立てている者は無し。感謝しよう、楓・カイエンよ」

 

「なんじゃ。もしやと思ったが、神か」

 

 幼い少女の容姿には似合わない口調に、見た目相応の声から感じる威厳。神だというのならば納得が行く。賢者殿達がゲルダの傍に居ない理由にもな。どうやら妾が言い当てる事を予想していなかったのか、目の前の少女の姿の神は驚いた様子じゃ。人間を侮っている……いや、余り関わっていない様子じゃな。では、地上に降りた記録が少ない、もしくは記録されていない女神か。

 

「して、名前は……どうも言いたく無いのならば聞かないでおこう。女神様とお呼びしても?」

 

「……問題無い」

 

 相手の顔色を窺う、それは何も悪い事ばかりでは無いのじゃ。相手の心中を察しって言動を選ぶのも他人を慮る事に繋がる。女神様は名を問い掛けた時に僅かながら身を強ばらせ、ゲルダも同様の反応を示した。

 

(まあ、其処から大体の予想は可能じゃな。妾は兎も角、神客であったとしても何らかの反応を示すなとは言えん存在。なら、問わぬが双方にとって吉であろう)

 

「心遣い感謝する」

 

「止して欲しい。神に礼を言われる程の存在でも無いのじゃ。では、ゲルダ。聞きたい事とやらに答えよう。何でも……は無理じゃがな」

 

「実は白神家についてなのですが……」

 

「あっ、それは無理。出来るだけ話したくはない」

 

「えぇっ!?」

 

 まさか一度注意しろと言っておいた実家について問われるとは予想外であった。だが、問題は此処から。何故、その様な問い掛けをするに至ったのか、仔細について知らねばならぬ。何故、注意しろとまで言った実家について訊ねるのか、それによって対応を変えねばな。

 

「白神家については知るな、聞くな、関わるな、そう答えたいが、ゲルダにもゲルダの事情が有るのじゃろう? 述べてみよ。それによって此方も考える」

 

「実は……」

 

 ゲルダの語った内容を纏めればブリエルにて呪術の類で創られた式を目撃、それを倒したレリックなる者から白神家に関わるなと忠告を受けた……随分と面倒な。レリックとやらが何故ゲルダにその忠告をしたのか、それが分からぬ。只白神家の内情を知ってか、それともゲルダとの関わりを知っていてか……。

 

 どちらとも判別が出来ぬ今、一旦は前者として扱う、それしか選択肢は無い、妾はそれを判断し、思い出すだけで屈辱的な事を口にする。出来ればゲルダが気に病まぬ為に表情には出ぬ様に注意してな。

 

「……パップリガでは獣人を獣として扱う者が多いとは聞いた事が有るな? ……ならば話が早い。特に白神家を筆頭にした術者の名門ではその傾向が強い。……先に言っておくが、妾も兄上も違ったからな? だが、それにも関わらず使用人には獣人が多い。……何故だと思う?」

 

「えっと……分かりません」

 

「分からぬ方が良い。腹立たしく、そして簡単な話だ。要するに頭が良くて芸達者なペットを飼う感覚なのじゃっ!」

 

 話すだけで腸が煮えくり返り、思わずテーブルに拳を叩き付けてしまった。感情に流されるとは情けない。此処から先は悟られぬ様に語らねばならぬと言うのに。

 

「獣人を獣としてでなく、人として扱う。頭が狂ったと騒がれる考えの持ち主はそれを隠していてな、家に関わる者では、妾達兄妹を入れても知己の者は片手で数えられる程度。その中にお前の父も居た」

 

「お父さんがっ!?」

 

「まあ、お主の父は妾腹でな、術の才能が乏しいので放置されていたが、それが幸いして使用人だったお主の母と逢瀬を重ねる事が出来た。本来ならば事実を隠し、家の目を盗んで隠れ家に住まわせる、その筈だったのじゃが……事件が起きた」

 

 歯噛みし、拳を握りしめれば指先が皮膚に食い込む。それ程までの怒り。そして、妾が家を完全に見限った理由がその事件じゃった。

 

 

「……妾の兄上には息子が居た。腹が膨れ始める前に母である獣人の家族の協力で育て、興味を持たれていない事で頻繁に会いに行っていたのじゃが……妾が会いに行った際に不審に思った者によって尾行され、その子は家に居た者と共に殺された。死ぬ前にせめてけものではなくす、そんな風に言った実の祖父に獣人の耳と尻尾を切り落とされ、重傷の状態で崖から捨てられたのじゃ!」

 

「そん……な事って……」

 

「その後、妾は急いでお主の両親に逃げ出せと伝え、持ち出せるだけの金を渡した。どうなるか心配じゃったが……こうも元気な娘が生まれ育って安心したぞ」

 

「……あの、楓さん。私、そんな事を知らずに……」

 

「随分とショックを受けた様子じゃが、お主は何も悪くない。だからその様に暗い顔を見せてくれるな。童は笑っているのが一番じゃ」

 

 立ち上がり、話を聞いて泣き出しそうな顔のゲルダを抱き寄せる。そう、この子に罪など有るものか。全ては妾の軽率な行動、そして白神家の業。

 

 やれやれ、折角の休暇を台無しにしてしまったな。だから屋敷では存分に寛がせてやらねば。じゃが、今はこうして抱き締めていたい。妾のせいで命を落としたあの子の分まで……。

 

 

(何ともまぁ、妾は欲深く勝手な女じゃ。今の幸せが身に余る程にな)

 

 妾は罪を背負って生きていかねばならぬ。じゃが、せめてゲルダは何も気に病む事無く過ごして欲しい、その様に祈った。




応援待っています  少しであっても燃料は燃料ですよ


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勇者の休日

十八日投稿のに2000加筆  メモをコピーしてなかった


「……うぅ、暑い。これ、本当に気持ち良くなるのかしら……?」

 

 楓さんの屋敷に招かれ、白神家に関わるなという忠告の意味を理解した私は不安と後悔に襲われていたわ。これから世界を救う為の旅で訪れる事になるパップリガは獣人の血を引く私には居心地が良い世界とは到底思えず、それが間違っていると思っている楓さんには軽い気持ちでその事を象徴する事件について話させてしまったのだもの。でも、楓さんは気にしないで良いと言ってくれた。凄く辛そうだったのに。

 

 そんな私は今、少し苦しい目に遭っているの。砂漠の暑さとは少し違った蒸し暑さの中、バスタオルだけを体に巻いてひたすら耐えるサウナっていうのを体験しているのだけれど……正直無理だわ。後から入る水風呂が気持ち良くなる為に必要な時間を示す砂時計は未だ半分程度が過ぎただけなのを示しているし、何よりも楓さんと一緒なのが辛かったの。

 

「ソリュロ様、ちょっと変じゃないですか? 勇者としての力で炎や冷気に耐性が有るのにサウナの暑さが堪えるってのは……」

 

「耐性強化が進んだ場合、普通の温度では何も感じなくなっては困るだろう? その辺りは私が調整しているのだ。勇者選別関連に関してもどうにかしたかったのだが、その辺は他の者の担当でな。……私にしか出来ない仕事が減れば良いのに」

 

 楓さんは敢えてソリュロ様の名前を訊ねないから、私は名前の部分は聞こえないようにと隣に居るのに小声で話し掛ける。ソリュロ様も私と同じく汗だくだけれど随分と余裕が有りそうだったわ。

 

「……何かしています?」

 

「サウナというのは一種の我慢比べの場だからな。まあ、勝負の世界は非情だと覚えておけ」

 

「むぅ」

 

 ちょっとだけズルいと思って抗議を込めた目で見れば顔を逸らされるし、ズルいとは思っているらしいわね。そんな遣り取りが見ていて楽しいのかクスクス笑う声が聞こえて来て、ついつい楓さんの方を見てしまうのだけれど、直ぐに後悔したわ。だって、だって……楓さんって服の上から見た時よりもスタイルが良いのだもの!

 

「子供同士のじゃれあいとは見ていて微笑ましい物だ。まあ、女神殿は子供ではないのだが、それでもな」

 

 少し動いただけで揺れるお胸に視線を逸らし、私と同類のソリュロ様を見てホッと安心する。ああ、良かったわ。

 

「私だけでなくて良かったわ。貧乳同盟の仲間が居て」

 

「……ふむ。ならば私がこうすれば同盟は脱退か?」

 

 私の視線に何かを察し、言葉で確証を得たらしいソリュロ様はそっと自分の体を撫でる。この時、私は何が起きるのか理解して、止めて欲しいと願うけれど目の前の神様にさえ願いは届かなかったわ。僅か一回の瞬きの後、私の目の前にいた永遠のお子様体型の筈のソリュロ様は二十代の知的でセクシーなお姉さんの姿になっていたの。

 

「ふふふ、どうだ?」

 

「……ソリュロ様の裏切り者」

 

 私はお母さんが絶壁だったから将来性が絶望なのに、どうして目の前で見せびらかすのかしら! ソリュロ様が女神じゃなければ目の前の駄肉を叩いていたわ、猛連打で! ……サウナから出るまでソリュロ様とは口を利かないんだから。

 

「ど、どうした!? ほれ、もう元に戻ったぞ! お前と同じ絶壁だ!

 

 私が頬を膨らませて顔を背けた事がショックだったのか元に戻るソリュロ様だけれど、余計な事まで口走る。私、絶壁じゃないわ。他の子より少し……多少小さいだけだもの。触ってもペタペタと音が鳴ってお肉を感じないけれど、絶対少しは大きくなるもの……多分。

 

「……自由に胸部に駄肉オプション追加可能なソリュロ様とは違うわ」

 

 何度目になる事だけれど、神様と人間って考え方に大きな違いがあるわよね。何時も下着姿みたいな痴女丸出しの姿で実際に痴女なイシュリア様とか。もう知らない!

 

 

 

 

「……あれ? 何か今、無関係な事で風評被害を受けた気がしたのだけれど、母様は何か知ってる?」

 

「さあ? でも、風評被害では無いと思うわよ?」

 

「妹だけでなくって母親も酷いのだけれど!?」

 

 ……今、何処かの母娘に何かが伝わった気がしたけれど、きっと気のせいね。イシュリア様だったら普段から感じ取っている筈だけれど何も聞いていないもの。

 

 

 

「……はふぅ。水風呂って凄く気持ち良いのですね」

 

 サウナの前は幾ら暑い世界でも、魔法で冷やした水に暫く浸かるだなんて不安だったのに、サウナで十分に体を温めた後は天国だったわ。まあ、神様達が住む世界が正に天の国で、こんな感じではないと思うけれど。

 

「サウナ後に水風呂に入れば疲労の回復にも役立つ。これを三度b繰り返すのがコツなのじゃ」

 

「へ、へぇ、そうなのですね……」

 

 うん、凄いわね。楓さんの胸が水の中で浮こうとして揺れている。凄く揺れて、周りが波打ちそう。私の周囲? 全くの凪よ、ソリュロ様も。何と言うか、レリックさんに感じた物に似た事を感じる人だけれど、この時間は目を向けたく無いわね。

 

「あの、所でお仕事の方は?」

 

 そう、領主の仕事は忙しい筈なのに、こうやって私の為に時間を割いて貰うのは気が引けていたの。折角気を使って貰っていたから口に出さない様にしていたけれど、どうも気になってしまったわ。後で凄く大変になるんじゃないかしら?

 でも、そんな私の心配なんて杞憂だと言わんばかりの笑い声が返って来たわ。

 

「はっはっは! 我がカイエン家には優秀な人材が揃っていてな、領主が危急の事態で働けない時の代理とて可能なのだ。そして世界を救うお主の休暇と聞いたその者達が、今を危急の事態と判断し、妾には接待役を任せて来た。……後は分かるな? 野暮な事は申すなよ?」

 

 ……うん、心に染みるわね。確かに目を背けたくなる酷い現実も有るけれど、こうやって支えてくれる心の温かい人も確かに存在して、私の心を、旅路を支えてくれる。それが嬉しくって堪らなかった。だから世界には守るべき

 

 

 

「あー、美味しかった。イエロアの料理ってスパイスが利いていて刺激的な味ね」

 

 サウナと水風呂を三往復してリフレッシュした私達を待っていたのは、部屋に入る前から鼻を刺激するスパイスの香りだったわ。味も色も鮮やかで食欲を増し、ちょっと食べ過ぎてしまってお腹が苦しいけれど、流石にはしたなかったかしらね。

 

 通された客間に用意されていたのは数人が余裕で寝そべられる巨大なベッド。その端に座ってお腹をさする。時計を見れば未だ時間が有るし、ちょっと読書でもしましょうか。

 

 楓さんに頼んで用意して貰ったのはイエロアに伝わるお伽話の絵本。砂漠に沈んだ王国の話は前に聞いたし、実際に行ったから読まなくても良いとして、一体どれから読むべきかしら? どれも初めて目にするタイトルで、宝探しに出た普段はいがみ合っている三人の王子様達や目を覚ましたら王様になっていた乞食、イエロアの文化や風習が出ていてどの本も面白そうね。

 

「ちょっと良いか?」

 

「あっ、はい。どうぞ」

 

 三冊目の本を選んで、盗賊の宝を横取りした弟の話を聞いたお兄さんが、自分も宝を手に入れる為に宝の隠し場所まで来た所まで読んだ時、不意に扉の向こうから楓さんが声を掛けて来たわ。本に栞を挟んで通したけれど、使用人のお姉さん達にパップリガの衣装を持たせていたの。でも、楓さんのにしては随分と小さいわね。

 

「読書中であったか? それは悪かったな。実は家を出る時に幼い頃の着物も持って来て、思い出の品として仕舞い込んで居たのじゃが……着てみんか?」

 

 着物ってお母さんが一着だけ持っていたけれど、凄く綺麗だったわね。着方が分からないし、未だ私には大きいから引き出しに眠ってあるけれど楓さんが持って来た着物も凄く綺麗だったわ。金色の糸で模様が描かれた紫の着物や色取り取りの花を描いた白の着物。でも、私に似合うかしら?

 

「何やら不安がっているが安心せよ。お主は母に似ているからな。似合う似合わないで悩むより先にお洒落を楽しむのじゃ」

 

 楓さんは少し強引な感じで着物を薦めて来るけれど、そうやってグイグイ来られると私も興味が湧いて来た。うん、確か胸が小さい方が見栄えが良いのよね。それに折角の機会だし、ドレス以外の綺麗な服を着てみるのも経験よね。私だって女の子だし、着飾らなくちゃ。

 

「じゃ、じゃあ、この白い奴を……」

 

「勿体無い! どうせだったら全て来てみせよ。簪も有るし……髪も整えるぞ!」

 

「え? えぇ!?」

 

 どうやら思った以上に楓さんは強引な人だったみたい。着物だけじゃなくって簪も色々試して、どうせならと髪を結ったり紅を差したり、すっかり着せ替え人形だったわ。正直言って疲れたけれど、それでも凄く楽しかった。

 

 私、羊飼いだった頃はお洒落なんて今まで碌々した事が無くって、勇者になってからは宴の席に綺麗なドレスを着た程度。女神様だってお化粧には詳しく無かったし、私は子供だからした事は無いもの。同じ年頃の子はお姉さんやお母さんの化粧道具をこっそり使うらしいけれど、私にはどっちも居ないし……。

 

「あ、あの! 楓さん、お化粧について教えて貰いませんか?」

 

 偶にやって来るイシュリア様は詳しいだろうけれど、ちょっと信用出来ないわ。でも、楓さんは信用出来るし、何故か甘えたい気分になれるの。お父さんと知り合いで、同じ世界の出身だからかしら?

 

「勿論良いぞ。では、未だゲルダは童じゃし、軽い物から……」

 

 だから折角の休暇で、折角の機会だもの。私だって少しは女の子らしく過ごしたい。だから、少しだけ勇気を出して進みましょう。大丈夫、私は勇者よ。勇気だったら誰にも負けないわ……多分。

 

 

 

 

 

 ……この時、私は予想すらしていなかったわ。私達がイエロアに出掛けた後、町とあの人にあんな事が起きるだなんて。

 



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熱意と語らい

 この世の中には悲劇が溢れている。疫病や災害といった特定の誰かの意思が介入していない物から始まり、人同士の争いや暴政によるもの。他者を踏みにじっても自らの目的を果たそうという悪意は得てして多くの悲劇を生むものだ。だが、そればかりとも一概には言えない。

 

 何せ、大切な誰かを守りたい、見知らぬ誰かの役に立ちたい、その様な賞賛されるべき善意も時として悲劇を生み出すのだから。

 

 

「おい、本当に大丈夫なのか?」

 

「……信じろ。脈々と受け継がれて来た研究成果を、私達が行って来た研鑽を」

 

 

 この日、ニカサラに存在する魔法の研究室にて大掛かりな儀式が行われようとしていた。事の発端はキリュウが召喚された三百年前、その更に昔。未だに神によって魔族の封印がなされ、人が神に依存し振り回される姿にミリアスが大いなる憂いを抱いていた頃だ。その男には才能が有り、何よりも一京分の一にも満たない確率での奇跡が起きた。いや、起きてしまった。

 

 

「異世界だと……?」

 

 遠隔地の偵察の為の魔法の研究中に偶然見えた見知らぬ景色。それだけならば知らぬ土地だと思えたが、情報獲得の為の解析魔法の併用によって理解してしまった。

 

 自らが住まう六色世界とも、神が住まう無色の世界とも全く異なる世界の発見。何とか神々にコンタクトを取り、魔族封印の懇願が出来ぬかという熱意によっての研究によって一瞬だけの観測を行い、鍛え抜いた叡智と魔法の才能の高さから見えた物が何かを理解した彼が次に挑んだのは召喚。異世界から優れた能力の持ち主を呼び出す事であった。

 

「神々に頼るだけでは大切な者を守れぬ! 我々の手で戦う為の力を得るのだ!」

 

 ある者は誇大妄想と鼻で笑い、信じた者も神に縋るのが当然だと、魔族に目を付けられるだけだと、人の身には不可能だと、それぞれの理由から彼の助成の申し出を一蹴し、それでも力を貸そうと集う者達も居た。

 

 そして数百年の時に研鑽され続けた研究は漸く実を結ぶ。

 

 この研究者達の心に有るのは守るべき者を守りたいという純粋な願い。勇者が居るのだから大丈夫と楽観的に全てを他人任せにするのではなく、勇者の手が届かない時に危機が訪れるのを危惧し、同時に自分達が自衛手段を持つ事で別の場所の者達が助けて貰える、そんな純粋な理想だ。

 

 ……後は無知と無謀と慢心。魔法に疎い上に特定の人物をコピーして召喚するという荒技を使ったとしても、神であるシルヴィアが暫くの間、大きく力を削がれたのが異世界よりの召喚だ。

 

 自衛に足りるだけの戦力を呼び出す事を重視し、相手の善悪や言葉が通じるかどうかが欠如してしまっているのが現状で、何処かに未知の魔法技術を行使する事への興奮も有ったのだろう。

 

 魔法陣の周囲には魔力を蓄えたミスリルを大量に設置して触媒と化す。数百年もの月日を費やした準備の成果は今正に成功の時を迎え、彼等の顔に歓喜の色が浮かぶ。

 

「よし! これで……」

 

 満身と無謀の代償の一部はこの瞬間に払われた。魔法陣が光に包まれ、世界と世界を繋ぐ穴が開いた時、既に研究者達の姿は消え失せた。その肉体も、魂さえも存在を許されず無に帰したのだ。残された穴も直ぐに閉じて、二つの異形の存在が残される。青と赤の二つの姿は排水溝を通って研究所から姿を消し、その存在を知る者は暫くの間出なかった。

 

 そう、ナターシャがキリュウ達と再会した日まで、人知れず犠牲者を出しながら隠れ潜んでいたのだ。片方は、青いスライムのゴーラは捕らえられた。周囲の物を外骨格として自らの一部にする能力の持ち主。

 

 ……では、赤の方は何処で何をしているのだろうか。

 

 

 

 

「しかし勇者が子供とはな」

 

 イエロアでゲルダが楓と出会った時から時間は遡り、宿屋の近くで営業する酒場、少し床が軋む古びた建物だが料理と地酒が美味く、量も多いので逞しい体のエルフも満足なこの店にてクルースニクの面々が昼日中から酒を酌み交わしていた。テーブルの上には副隊長であるレガリアの財布が置かれており、戦いを生業としている集団だがいたって大人しく酒を飲んでいる。寧ろ酒の席では武具など無粋とばかりに装備を外し、各々の私服姿でさえあった。

 

 そんな時にふと出た話題、それは信奉する賢者と旅をするゲルダについて。子供が勇者だという事で彼女に悪感情を向けている者は見当たらず、寧ろ彼女の身を案じてさえいる様子だ。

 

「賢者様が居るんだし、此処まで封印を進めて来たんだから大丈夫だろ」

 

「そうか、それもそうだよな」

 

 魔族と魔族の協力者の必滅を掲げるクルースニクの面々、隊長であるナターシャとマッチョな鮭のキグルミ姿にされたレリックが賢者達に会いに行き、副隊長のレガリアが早々に部屋に戻ったので残ったのは十人足らず。

 

 少ないと言えば少なく、多いと言えば多い、そんな人数だ。クルースニクのメンバーは末端の者までもが一騎当千の強者となれる才の持ち主、勇者の仲間に選ばれた可能性もあった存在だ。当然総数は少なく、更に自らの研鑽を忘れておらず、その上でナターシャの勧誘を飲んだ者。そこまで厳しい条件で集まったのだ。十人も居れば奇跡に近いとさえ言える。

 

そんな彼等が酒を飲む場所の扉が乱暴に開かれ、鎧姿の騎士達が姿を見せる。最初に気が付いた者が立ち上がり、他の者も続く。先程までの陽気な酒の席の空気は何処にやら、此処に居るのは戦士の顔した者達だ。

 

「怪しい連中め! 全員大人しく捕まれ!」

 

 姿を見せて早々の抜剣からの威圧。剣呑な空気に他の客が逃げ出し、店員が姿を隠した時、騎士に刃を向けられている男が動く。抵抗したと反応するよりも速く、彼の蹴りが騎士の体を天井まで蹴り上げた。

 

「……隊長がやった件が理由か?」

 

「いや、違うな。この者達、随分な血臭がするぞ」

 

 頭を天井に突き刺して揺れ動くエルフの問いに獣人の男が鼻を動かしながら答える。相手が騎士らしいから僅かにしていた遠慮はこの瞬間に完全に消え失せた。

 

「そんじゃあ、酒飲んだ後の軽めの運動と行くか」

 

 武装した相手を前に、今は共通の衣装であった金属製のコートさえも身に付けず、当然無手だ。だが、一切臆した様子は無し。剣を振るう騎士相手にアクビが出そうな程に余裕綽々の表情で迎え撃つ。

 

 但し、戦闘にはなっていない。騎士達は常人離れした身体能力を見せ、まるで肉体の限界を超えた力を行使しているかの様だが動きは雑で、喧嘩慣れした子供の方が幾倍もマシな程。対してクルースニクの面々は常人離れした者達の中でも上位の身体能力に加え、技巧も上々。店への被害を抑えつつ全員纏めて店外に叩き出す余裕すら見て取れた。

 

「ほいっと!」

 

 今、最後の一人がエルフの青年が放ったジャブでバランスを崩し、筋肉で膨れ上がった足による蹴りでくの字に体を折り曲げた姿で水平に飛んで行った。丁度山積みになった仲間の前で止まり、準備運動程度をしただけの様子にすら見えるクルースニク達は少し困った様子で顔を見合わせた。

 

「それでどうするよ?」

 

「誰かレガリアさんか隊長を探して来たらどうだ?」

 

「鎧に所属を示す家紋が無いし、極秘部隊か? 全然忍んで無いけどな。これだけ暴れたし、追っ手が掛けられるかもな」

 

「今更だろ。それを覚悟して……うげぇ!?」

 

 どうも治世者側らしい騎士達を返り討ちにした事に少しだけ困った様子を見せた時、一人が苦手な虫でも発見したかの様な声を出し、他の者もそれに気が付いた。仰向けで大口開けて気絶していた騎士の体が急激に干からび、口から血を思わせる赤色の粘液が大量に出て来たのだ。意志を持っているのか一斉にバラバラの方角に逃げ出すその物体に対し、一人が剣を突き刺すもすり抜ける。どうやら見た目通りの材質らしい。

 

「……怪しい雰囲気を感じたから様子を見に来たら……オジさん、夜行性なんだけれどなぁ」

 

 心底困った風な声がして、クルースニク達は一斉に後ろに飛び退く。その一瞬後、地面から吹き出した炎が赤い粘液を焼き尽くし、眠そうな顔でフラフラしているレガリアは酒場の壁に持たれ掛かった。

 

「もー駄目。眠くて限界。おーい、誰かオジさんの棺桶ベッド持って来て。……あれれ~? ねぇ、オジさんが寝ぼけているだけかい? 未だ昼間なのにお星様が見えるんだけどさ」

 

「いえ、現実です」

 

 昼間の空に光り輝く星は光の線で結ばれ、巨大なパンダの顔が現れる。何が起きているのかと人々が見上げる間も光は輝きを増し、星の光は地上に降り注いだ。建物を通り抜け、星の光は人々に向かう。昼間に輝く星が消え去った時、町には無数のキグルミ達の姿があった。



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ポンコツ駄女神イシュリア様

 異なる環境、異なる文化を有する六つの世界が輪になって連なる六色世界。その輪の中心に存在し、六色世界からは自在に行き来可能な者が限られる無色の世界クリアス、神が住まうこの地にて、最も荘厳で、最も神聖な空気漂う神殿の最奥の玉座に座る少年は憂いに満ちた顔をしていた。

 

 最高神ミリアス。唯一男女対ではなき絶対的存在、神々の王。キリュウからは面倒な仕事を笑顔で押し付けるパワハラ上司の認識の彼だが今日の顔は浮かない。いや、これこそミリアス普段浮かべている表情。彼の耳には今、世界中の人、獣、植物の声が届いていた。

 

「……またか」

 

 神は平等で有るべきだ、それがミリアスの信念である。人の姿をした者が多い故に獣人やエルフ、ドワーフを卑下する者が存在するが、神にとっては皆同じ。それは人間種に限らず、獣も草木も平等だ。弱肉強食の原則、自然の摂理だからと口出しはしないが、踏み付けにされる小さな花の悲鳴さえもミリアスは耳を傾ける。

 

 他の神の価値観も基本的に変わらない。その中でお気に入りの相手には特別な何かをするだけで、優劣を決めてはいないのだ。只、どうしても人の子の声は届きやすい。文明を築き、様々な文化や知識を生み出した故に人間以外の存在だけでなく、同じ種族、共同体の仲間であっても尊厳と命を踏みにじる事が有るのだ。

 

 この時、ミリアスに届いたのは神に助けを求める祈り。それだけなら構わない。人の子が神に依存し自立を妨げる事の無い範囲で力を貸すだけだ。問題は予め差し出される対価。欲しておらず、現物が届きもしなくても気持ち自体が嬉しいミリアスだが、今捧げられようとしているのは幼い子供、生け贄だ。

 

「……誰が贄など欲しいと言った? 殺した所で届きはせぬのに。例え届いたとして、人の子がどうやって神の役に立つと言うのだ」

 

 普段のミリアスはキリュウや他の神の前ではこの様な話し方はしない。これこそが仮面で偽った最高神としての顔ではない素顔。決して他者には見せぬ弱気な顔だ。

 

 神は極力不干渉が原則。故に無意味に首を跳ねられ、血を壷に入れられて捧げられても悲しみしか感じず、遺憾の念すら届けられない。世界中で起きている悲劇全てを見聞きしている彼は一人の人物に意識を向ける。他の事全てをあたまにいれつつも、彼が考えるのはその相手だ。

 

「……イシュリアめ。ちゃんと伝えろと言った筈だ」

 

 全てを見通す絶対神なれど、神相手には互いの神の力が反発して分かり辛い。それは神の周囲に居る者達に関しても同様で、目を向けた相手の今の様子から伝言を忘れていたのだと推察するしかなかった。

 

 

「……いや、本当にいい加減にして欲しい。最高神に心労を与えるだなんてどうなっているのだ?」

 

 その呟きに答える者は居らず、誰かが居ても無理だろう。ミリアスに理解不可能な事柄を理解して言葉を導き出せる者が存在する筈が無いのだから。

 

 

「……矢張り私に賢者の名は重い。誰ですか、最初に賢者だなんて呼び出したのは。羞恥プレイはシルヴィアとするのだけで十分なんですよ」

 

 私の前に横たわる干からびた騎士の死骸、そして宙に浮く無数の赤い粘液。一つ一つの重量は常人の血液の総量よりも少し重い程度で、どうやら血液の代わりに体内に潜んでいたらしい。

 

 先程襲って来たのを返り討ちにしたのですが、どうも増殖する性質があるらしいので町に結構な数が潜んでいそうですね。私が何故賢者の名を恥ずかしいと思っているかというと、地球で読んだ小説で主人公を導くポジションの異名に多かった気がしますので成りきっているみたいですし、どうせなら、魔法の力が凄い! みたいな方が良かったですよ。賢者って頭の良さも求められそうで面倒ですから。

 

 

「ん? 羞恥プレイがしたいのか? 他人の前に肌を晒す以外なら構わんぞ?」

 

「誰が晒しますか! 貴女の恥ずかしがる姿を見るのは私の特権ですよ! でも、早速今夜お願いします!」

 

 そしてこの粘液、どうもゴーラと共に召喚された可能性が高い。ったく、昔から思っていたのですが、物語とかでも強大な存在を復活させたり呼び出したりする連中って何故相手が自分に都合良く動いてくれると思うのでしょうか? 恩義で動くなら封印されないでしょう、多分。

 

「寧ろ私も研究に参加したかった! 資料を読むだけじゃなく、語らってこそ分かる事も有るのに!」

 

 ですが粘液……いえ、ガーラ(ゴーラと同様に元の世界で名付けられた種族名らしい)は随分と危険な存在らしい。解析の結果、分裂した体が体内に入れば知能を奪って体を乗っ取り、体が使い物にならないと判断すれば脱出して奪った肉体の血液と魔力を持ち帰る。凄く興味深い性質ですし、正直言って興味深いし、是非とも現地に行って魔法の研究もしてみたい。だって、この様な生物が存在するのですし、他にも多くの奇妙な生物が存在し、それによって独自の発展を遂げた魔法が存在する筈なのですから!

 

 この旅が終わればシルヴィアと旅行で向かうのも悪くありませんね。下調べをしっかりして、旅行の計画を立てた上で存分に楽しむ。

 

 ああ、楽しむと言えば、今夜の羞恥プレイはどの様な内容にしましょうか? 彼女は可愛らしい服装が苦手ですし、師匠みたいにフリフリの服装を使って着衣状態でのも楽しめそうです。シルヴィアは意外と恥ずかしたがりですし、素晴らしい反応を見せてくれるでしょう。……あ痛っ!? どうやら口に出していたらしく、シルヴィアに抓られました。でも、この時点で可愛らしい照れ顔を見る事が出来たので大満足です。

 

「……馬鹿者が」

 

 本当に彼女に恋をして良かった。シルヴィアを嫁に出来た私は誰よりも幸せ者ですよ。ですので早く終わらせましょうか。ゲルダさんは別の世界に泊まる予定だと師匠から連絡がありましたし、少し早めに楽しむのも悪くない。

 

「では……ほいっと!」

 

 既にガーラの解析は済んでいるので、後は分体全ての位置を把握し、本体を滅するだけの楽なお仕事。既に各地に散らばった分体の捕捉は終わっていますし、元々肉体に結構な負荷を掛けるのでそれほど遠くには行けはしない。本能として体の動かし方を理解している訳では無く、鳥や魚の肉体を奪っても飛ぶのも泳ぐのも不可能。

 

 ゴーラの方の解析に手間取ったのは……まあ、二次方程式を解くのに鶴亀算の解き方を試していたみたいなのが理由です。異世界の存在なのだから仕方が無いんですよ! 

 

 ガーラの全ての分体がニカサラに集まりましたので、賺さず拘束魔法を使おうとした時、アンノウンのパンダの目が輝いて上空にビームを飛ばしたので止めておきました。何かしたいみたいですし、自主性は大切ですからね。そのまま空を見上げれば、昼間にも関わらず光り輝く満天の星が光の線で結ばれてパンダ座を描く。

 

「スターライトパンダビィィィィムッ!」

 

 星の一つ一つから降り注ぐ光はガーラの分体が乗っ取った肉体を次々とキグルミ姿にした上に、お尻に括り付けた風船で宙に浮かしている。……うーん、ちょっと派手にやり過ぎですね。関係無い人までパニックになっていますし、あのマッチョな鮭はレリックさんですよね? シルヴィアに叱られたばかりなのに悪戯をするだなんて……。

 

 どうやら私も心を鬼にする時が来たらしい。厳しい罰を与えましょうか。

 

 

 

「アンノウン、三日間夕食後のデザート抜き(三時のオヤツは別)」

 

 許して下さい、アンノウン。時に厳しい態度を取らねばならないのですよ。私が拳を握りしめてアンノウンから目を逸らした時、諸悪の根元が姿を現す。一体どれほどの血液を得たのか分からない程に膨れ上がった体を、下水口から水が逆流したかの様に現れました。そして中心部に現れたブラックホールに飲み込まれて消え失せます。ええ、楽勝でした。精々が最上級魔族より二段ほど劣る程度の存在など、片手間で十分でした。

 

「問題は此処からですね……」

 

 本体が死んだとしても分体まで死にませんが、三日間も放置すれば死ぬでしょう。所詮は栄養源集めの存在ですし、それほど長時間活動するエネルギー等は与えられてはいませんから。只、襲われたから対処しましたが、魔族が無関係なら町の復興にはそれ程手が出せないのですよね。……町長が頼んで来たら面倒です。変な噂をされたくは無いですし。

 

 

「ねぇ、マスター。僕のキグルミ達を使えば良いよ。規定の範囲外だからさ」

 

「おや、それは素晴らしい。では罰則は無しにしてあげましょう。ですがレリックさんは降ろして差し上げなさい。キグルミも脱がすのですよ?」

 

「うん!」

 

 素直に返事をしていますし、アンノウンは本当に良い子で助かりますよ。まあ、少し悪戯好きなのが困りますけど。

 

 

 こうして異世界からの来訪者の起こした事件はゲルダさんの休暇中に無事に解決しました。キグルミ達に犠牲が出た近隣の復興の手伝いを任せ、私達は一旦別の場所に向かいましょう。誘拐事件に関しては何一つ進展していませんからね。……ミリアス様なら分かるのでしょうが、勇者が解決すべしって決まりが有りますから無理でしょう。

 

 

 

 

 

「ねぇ、あの少しワイルドな彼についてなのだけれど……」

 

 ですが、よりによってこんな時にイシュリア様の登場です。折角帰って安心していたのに、口には出しませんがトラブルメーカーなポンコツ駄女神の登場に不安が隠せる自信が有りません。

 

「一体彼がどうしたのですか?」

 

 

 

 

「いやね、伝えるのを忘れていたのだけれど、勇者の仲間の選定のシステムの不具合で反応が無いだけで、彼が最後の一人だから」

 

「……はい?」

 

 いや、そんな重要な事を伝え忘れないで欲しいです……。

 

 

 

 

「あっ、それとミリアス様が誘拐犯について独り言の体を取って話したのだけれど、その時は独り言だと思っていたから忘れちゃったわ。ごめんね」

 

「何をやっているんですか、このポンコツ駄女神ぃ!」

 

 

 

 




応援宜しくお願いします


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勇者以外の物語
とあるメイドの業務報告


八章は番外編的な


「アイリーン様、朝で御座います」

 

 人間の皆様初めまして。私は最上級魔族で在らせられるレリル・リリス様の居城に配属されたメイドで御座います。名乗る程の者でもないので詳しい挨拶は省略させて頂きますので、適当に思い浮かべるメイドの容姿とメイドという立場だけを認識下さいませ。

 

 さて、早速ではありますが私がお世話係を任命された方の紹介を。レリル様の側近で上級魔族の中でも飛び抜けた実力を持つアイリーン様で御座います。上級魔族の中でもこのお方と渡り合えるのはレリル様と同じく最上級魔族のリリィ・メフィストフェレス様の側近で在らせられるビリワック・ゴートマン様だけだとか。

 

 ・・・・・・正直に申し上げるとリリィ様の配下でなくて安堵していますわ。あの方は下級や中級の使い捨てが酷く、既に人手不足故に人間の奴隷を使っているとか。いえ、私達は人の苦しみ等で力を増すので異論は御座いますせんが、破滅願望の持ち主と噂される方と関わりが無くて幸いでした。

 

「朝食の準備が出来ました」

 

 こんな風に考え事をしながらも私は職務を続けております。特にアイリーン様は低血圧で寝起きが悪い上に早朝から多忙な身。動きにの妨げにならない程度の量を用意するのが私の務めですわ。

 

「本日はレリル様がお楽しみ明けですので普段より軽めのメニューとして、豚の丸焼きが三つ、食パンが四斤、目玉焼きが卵二十個、千切りキャベツのサラダが五玉分、コーンスープが十リットル、デザートにヨーグルトが二キロで御座います」

 

「幾ら何でも少なくないかしら?」

 

「本日は間食が多い日ですので」

 

 少々不満そうにしながらも食べ進めるアイリーン様。私はその間も仕事を進めます。少し食べ方が汚いアイリーン様の為に着替えは朝食後となっており、レリル様のご要望で本来は男性の衣服の筈の燕尾服をご準備するのです。まあ、燕尾服が男性物だなどは人が決めた事柄であり、私達は魔族ですからね。

 

 ・・・・・・男装の麗人に心ときめく同僚の存在は否定しませんし、どう考えてもレリル様のの意図はそれなのですが。まあ、私は下級魔族のメイド。深くは踏み込みませんよ。

 

 そして肝心のお着替えなのですが、アイリーン様は下着には強い信念が御座いまして・・・いえ、正確に申し上げるとショーツに関して強い信念が。何と言いますべきか・・・・・・ノーパン主義なのですよ。どんな場所でも、休みの日でさえノーパン。いえ、流石にミニスカは穿きませんがオフの日はスカートを選ぶのですから何とか止めて頂きたいと切に願っている毎日で御座います。

 

 

「レリル様、入りますよ」

 

「ええ、どうぞ」

 

 本人からすれば少々物足らない食事を終え、身支度を整えたアイリーン様が向かうのは当然ですがレリル様のお部屋。私も専属メイドとして細かいお手伝いを任されてはおりますし、リリィ様と違うレリル様にお仕え出来る事は大変喜ばしい事なのですが、お楽しみの翌朝は少々堪える物が有りまして……。

 

 入室許可を得てドアを開ける際、アイリーン様はハンカチで鼻を塞ぎ、私も同じくそれに倣う。ドアを開けた瞬間、漂って来たのは何をしていたのか一発で分かる強烈な香り。媚薬効果の有るピンクのお香の煙を充満させるべく窓は閉め切っており、空気の流れで臭いは一気に押し寄せます。

 

「また随分と派手に……」

 

 アイリーン様はレリル様の側近であり、絶対的な忠義を誓っております……が、言うべき事は言いますし、拒否するべき指示は拒否しています。今はあからさまな呆れ顔。胃がチクチク痛む事でしょう。医者に胃薬の処方を伝えなければ。

 

 部屋に転がるのはレリル様のお相手を一晩お続けになった殿方達。その数は三十人を超えていますが死屍累々の有り様。性も魂も搾り取られた彼等と違ってレリル様はお肌がスベスベ艶々で元気一杯。相手をする者が残っていれば続きに発展しそう。この時、私達使用人は女でさえも注意して業務に励みます。レリル様は男女の見境も種族の見境も有りませんので。私にはそっちの趣味は御座いませんし、今の所は上手に躱していますよ。

 

 では、業務に入りましょう。別のメイドが身支度や朝食の準備を整える中、私は魔族とそれ以外を分ける作業に入ります。使い捨ての道具と考えれば人間を相手にする事に異論は無いのですが、人間に手を出す位ならば操を捧げるべきかとも思う悩ましさ。

 

「ほら、起きて下さい」

 

 魔族は仲間なので手を貸して起き上がらせ、歩けない方は集まった人員で運びます。人間は? 足で蹴り上げて適当に積んでいればアイリーン様が軽く摘まんで下さいますので処理が楽で御座います。……モンスターの時が本当に大変で、毛が飛び散るので一旦退室を願い出る事も。……しかし、この独特の臭いは馴れませんね。

 

 

 

「今日は書類仕事よりも肉体仕事が多い日よ。……ちょっと少なくないかしら?」

 

 この日のお仕事は魔族に対抗するべく訓練を続ける兵士達の殲滅。お昼は此方でお弁当を食べますので持って来ていますが、五十段重ねの重箱に少々不満顔のアイリーン様。ですが私とて仕事、言うべき事は言わせて頂きます。

 

「ええ、本当は二十段程更にご用意したのですが……少し様子を見に行くと出掛けた先の村から人が消えていましたので」

 

「……ちょっと小腹を満たしただけよ」

 

「村一つは小腹とは言いません。では、お仕事をお願い致します」

 

 抗議を受け入れず、軽く睨む目もお辞儀で躱して目を合わせません。私、弱い弱い下級魔族ですからね。怖い思いをすれば身が竦んでしまう事でしょう。

 

 しかし、命懸けて故郷の為と戦う彼らの上の者が極秘の筈の訓練場を伝えたのですから、本当に人間は救えない。魔族が世界を制した後の地位の確約? 口約束が守られる筈も無く、中には証文を作成する者も居ましたが、魔族が支配する世において、人間が書類片手に叫んだ所でどうにかなると思ったのでしょうか?

 

 私達は巨大な岩山の陰から訓練の様子を眺めますが、使い物になりそうなのは一割未満。魔族に対抗可能な人材がそう簡単に集まる筈が有りませんので。それこそ天運とでも呼ぶべき何かを持っている者ならば別でしょうが。

 

「では、さっさと終わらせましょう」

 

 これ以上は何も探る価値が無いと見切りを付けたアイリーン様。現在、私達の姿は兵士達に見付かってしまっています。二十メートルを超える岩山が持ち上げられれば当然ですし、今更何も出来ませんけど。そして巨大な岩山が宙を舞った時、恐怖が広がりました。

 

 掛け声すらなく投げられた岩山が多くの兵が集う場所の中央に落ち、逃げ出す時間すら与えず押し潰す。砕けた岩も降り注ぎ、転んだ者は他の者に踏まれて、正に屍山血河。オマケとばかりに投げられた岩が運良く残った者を絶命に至らせ、断末魔すら聞こえません。聞こえるのは風の音と……。

 

「……少々早い気もしますがお昼に致しましょう」

 

「あら、良いのかしら?」

 

 豪快に腹の虫を鳴かせながら舌舐め擦りをされれば致し方無いでしょうに……。ええ、専属メイドとして過大な間食は見逃せません。重箱を食べ尽くす前に仲間と共に死体を処理しなくては!

 

 

「御馳走様。今日も美味しかったわ」

 

「そ、それは何よりで……」

 

 本日の処理係だけでなく手の空いている者を総動員しての後処理は何とか間に合い、アイリーン様が重箱さえ食べ尽くした頃には終了致しました。それが少し残念そうですが私には精々夕食後のデザートを増やす事だけ。では、私も昼餉に……あれ?

 

「アイリーン様、此処に置いてあった弁当箱は……」

 

「食べちゃったわ。ごめんなさいね」

 

 前言撤回! 本日のデザートは中止で御座います! 私情? はい、そうですが何か問題でも?

 

 

 

「ふふふふ、部下の子のお昼まで食べちゃうだなんて悪い子ね。今日は私の椅子として過ごしなさい」

 

「はっ!」

 

 あの後、食堂にて残り物を食べて空腹を満たした私は報告書に昼食の事を記載。罰としてレリル様の書類仕事中の椅子を命じられたアイリーン様ですが、偶に命じられてはいますのでキリッとした返事で表情も誇りと忠義が感じられる物です。

 

 

 ……まあ、下着姿になる罰も与えられていますので逆に滑稽に見えますが。と言うか、上だけ着衣とは中々マニアックな姿に思います。レリル様も悪い癖が出たのか時折お尻を撫で回していますし……巻き込まれる前に退散致しましょう。

 

「では、私は報告書の作成と交代要員への引き継ぎが有りますので失礼致します」

 

「そう? 今からちょっと休憩にするから三人で楽しもうと思っていたのだけれど、それじゃあ仕方無いわね。私とアイリーンだけで楽しませて貰うわ」

 

「はっ!」

 

 アイリーン様が流石に救援要請を送る顔になりましたが、下級魔族如きが最上級魔族に意見など、とてもとても……。

 

 

 

 

「ほら。アイリーンは此処と此処を同時に攻められるのが苦手なのよね」

 

「ひゃわんっ!? だ、駄目です! それ以上はお許しをっ!」

 

「駄ぁ目。今日はたぁ~っぷり楽しませて貰うから」

 

 さて、レリル様の仕事が遅れたなら次の時間帯担当は徹夜でしょうが頑張って頂くしか有りません。

 

 

 

 まあ、これが私達の日常で御座います。では、次の機会にお会い致しましょう……。




新作執筆中! 七話書いたら連日投稿予定 今四話  イチャイチャするローファンです


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とあるメイドの絶望報告

 この世には絶望しか存在せず、希望でさえもそれを際立たせる為の罠でしかない。魔族として誕生した数年で私はそれを学びました。

 

 だから今ではあの時の自分が羨ましい。この世に希望を抱いていた頃の自分が……。

 

「……凄い。これだったら……」

 

 粘液にくるまれた状態で内部から卵の殻を割るかの様に誕生した私が始めて目にしたのは、膨大な数の同族の姿。少々残念なのは自分が最初の頃に起きた事から下級魔族でも底辺だという事。私より先に目覚めたのは僅か数人で、私も彼女達に混ざって上の方々のお世話の為に動き出す。

 

 

 だって、私達も誇り高き魔族の一員。戦う力は僅かでも、魔族の役に立てるならこんなに嬉しい事は無いと、この時は思っていたの……。

 

 

「ひひっ! 嬢ちゃん、その格好はどうしたんだ?」

 

「誘ってるんだろ。おい! 野郎共、この嬢ちゃんの望みを叶えてやろうぜ!」

 

 今回魔族が誕生したのは赤の世界レドス。六色世界では黄の世界イエロアと双璧をなす過酷な世界で、世界全体に荒野と火山が広がっていて、人は僅かに存在する住み易い場所に固まっている。だから、こんな盗賊みたいな連中が幾らでも存在したわ。

 

 当然だけれど衣服を着て生まれて来る者は居ないし、仮に衣服を生み出す能力を持っていたとしても生まれたばかりじゃ扱えはしない。だから私は此処に来た。裸で現れた若い女の姿に興奮して不愉快な視線を向ける盗賊を皆殺しにして物資を奪い、そして連中が感じた恐怖や苦痛の感情で力を増して能力を得たら村や小さな町を襲う。

 

 誕生した時点で強大な力を持つ上級魔族の皆様とは違い、私に可能なのはその程度。でも、逆を言えば小さな盗賊団程度なら今の私でも対処可能。まあ、魔族は人を超越した存在。無駄に多い数の中から稀に対抗出来る者が出て来る人と違い、平均値があまりにも違うのよ。

 

 

 

「……はあ? 人間に捕まっていたって?」

 

「そうよ。ほら、彼処に居る確か名前は……ルル・シャックスだったかしら? 十人も居ない盗賊団を襲いに行ったら捕まって、犯され続けたんですって。捕まってから二十日後辺りで向けられていた悪意で得た力で逃げたそうだけど……恥曝しよね」

 

 自分より下の相手が居れば安心するものよ。後から目覚めた同胞、それこそ下級魔族でも、初期に目覚めてから力を蓄えていた私達よりも強い子が居る事に少し劣等感を感じていた時に耳にした明らかな格下の話は安堵感を得るのに十分だったわ。

 

 明らかに鈍臭そうで気弱なのが通じるルルは何も無い所で転んで荷物を周囲に撒き散らしている。彼女を最下級魔族と陰口を叩き、直接的な行動は無かったけれど虐めに発展したのは当然の流れ。特に上級魔族のディーナ・ジャックフロスト様に面倒を見て貰い、友人みたいに接する事が許されてからは手が出し辛くなったけれど、それでも陰口は続いたわ。

 

 そして運命の日が訪れた。魔王様の側近である最上級魔族のレリル・リリス様とリリィ・メフィストフェレス様。お二方のどちらかの指揮下に組み込まれるのか、それが決まる日が来たの。

 

「貴女はどっちが良い?」

 

「そりゃリリィ様よ。レリル様はちょっとね……」

 

 先に配下になるのが決められる上級魔族の皆様だけれど、レリルは気に入った相手を誘惑し、閨に誘い込んでから正式に決めると噂されていて、その美貌と力への嫉妬も有るけれど、同じ女から好かれるタイプでは無かったわ。少なくても魔族の中ではそうだったの。

 

 だから見た目は少女でもフレンドリーな態度で演説する姿を目にした事が有るリリィ様の指揮下に配属になった時は喜んだわ。でも、その喜びはその日の内に消え去った。

 

 

「今日から宜しく頼むよ、諸君」

 

 レリル様の居城にて集められた配下の魔族達。椅子が用意されたのは上級魔族の方々だけなのに不満顔の子も居たけれど、私はその位は当然だと思ったわ。だって魔族は全員仲間だけれど地位を明確にするのは当然だって理解していたの。

 

「あっ、そうそう。椅子が無い事に不満顔の子達が居たけれど死んで貰うから」

 

 リリィ様はそんな風な言葉を少女のあどけない笑顔で口にして、小さな人形の首を捻る。私の周囲から聞こえたのは何かが折れる音で、見たくないのに見てしまう。首が一回転してへし折れた仲間達の姿がそこには有った。

 

「静かにね。私、喧しいのは嫌いなんだ」

 

 耳元で囁いたかに思える小さくてもハッキリ聞こえた声に悲鳴を押し殺す。恐怖に震え、口を手で押さえながらリリィ様を見れば気が付いてしまった。中級魔族と下級魔族に向ける瞳は石ころに向ける物でさえ無い事に……。

 

「先に言っておこうか。私にとって同胞は上級魔族だけだ。ああ、それと……魔族は絶対に滅びるし、自由にやって良いよ。私の命令を聞きながらだけど。……じゃあ、ビリワック。右端から真ん中迄の記憶を弄っておいて」

 

「はっ! 主の(メェ)とあらば」

 

 可愛らしい少女の笑みが今は吐き気を催す程に気持ちが悪い物に見えた。でも、必死に逆流する物を飲み込んで抑え込んだ。きっと吐いたら殺される。それが分かっているからこそ、私と同じ風に涙目で口を押さえて居る仲間達の姿が目に映るけれど、リリィ様に指定された範囲の仲間は不思議そうに見ている。私の直ぐ隣の子も同じ。ああ、どうして私はこの場所に並んでしまったのだろう。後少し右に居れば何も知らないで済んだのに……。

 

 

 

「リリィ様って素敵よね。あの気さくな態度が親しめるわ」

 

「魔法の道具も次々に作り出しているし天才ってあの方の事よね」

 

 リリィ様を褒め称える声が聞こえる。でも、同じ様に褒めていた仲間は昨日死んだ。魔族に対抗すべく誕生時期を見計らって組織されていたクルースニクの情報を探りに行けと命じられ、戦っている最中に転移させられて呆気なく散ったらしい。

 

「期待はしてなかったけれど、手の内を殆ど見れなかったのが残念だよね」

 

 こんな風に軽い口調でリリィ様は言うけれど、別にモンスターをけしかけるだけで良かった筈よね? 本当に魔族の未来は明るいのか、目覚めた時に感じた希望が消え始めると同時にそんな疑問が消えないの。

 

 神は人が絶滅の危機に瀕しない限りは手を出さない。それは先代魔王様が勇者から聞かされた情報で、その勇者は女神イシュリアから聞いたらしい。だから勇者を殺して人を管理して、百年おきに勇者を殺し続ければ魔族は安泰らしいけれど……じゃあ、こんな生活がずっと続くって事?

 

 

 あの時、記憶を弄られた仲間はリリィ様の行いに何も感じない。感じるような事は直ぐ様記憶から抹消されるから。でも、私達は違う。こうやって苦悩する姿を娯楽にしたいからって苦しみ続ける。

 

 昨日、本棚の整理で並べ方を間違った仲間が死んだ。二日前、曲がり角でぶつかりそうになった仲間が死んだ。三日前、只何となく殺したくなったからって理由で仲間が死んだ。

 

 皆、記憶を弄られていない仲間達。リリィに殺された仲間達。少し前は弄られていない事が羨ましかったけれど、何も知らずにヘラヘラと笑っている連中が気持ち悪くて、私は弄られた者の中に入らなくて良かったと思う。

 

 

「ねぇ、聞いた? ルルがオレジナの聖都を滅ぼしに行くんだって。いよいよ勇者が誕生する頃合いだからってさ」

 

「……そう」

 

 正直言って興味が無い。もうどうなっても構わない。下級魔族が減って、人員が足りないからって人を連れて来て奴隷にしてあるけれど、何を考えてかリリィは奴隷に褒美を与えていた。ピンク色の煙が立ち込める部屋の中、記憶を弄られている仲間だった奴が大勢の男に犯されながら普通に話す。このお香の力も有り、しかも一日に付き一人で全員の相手をするのだから悲惨な見た目になっているけれど、彼女は一切動じない。

 

 ……でも、見張りの私は知っている。魔族としての力を封印された状態で不意に正気に戻る事を。自分達を奴隷にした魔族が泣き叫ぶ姿で悦に浸る男達。でも、私は知っている。明日も褒美が有ると聞かされ喜んで仕事に向かった先で犯した魔族に殺される事を。

 

 全くもって気持ちが悪い。ああ、本当に吐きそうだ。もう、どうなっても良いや……。

 

 

 

 この日、私はリリィの食事を目の前でひっくり返した。別に故意にじゃなくてやる気が無かったから。そうしたら私は小さくなっていて、リリィに襟首を摘ままれて外に投げ出される。この下は貪欲なモンスターの巣。魔族でさえも襲う凶暴な鳥が群れている場所。

 

 

 

「…ああ、やっと」

 

 死ねる、そう感じた時、窓から見下ろすリリィと目が合って、心が恐怖に塗り潰される。何故か無性に死ぬのが怖くなって、落下速度も私を狙って来た鳥が飛ぶ速度もゆっくりに見えて……。

 

 

 

 死にたくない私は、漸く死ぬ事が出来た。外に放り出された後、体感時間で一ヶ月間もの間、狂う程の恐怖を感じながら……。

 



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かくして使い魔は誕生せり

「シルヴィア、少しお願いがあるのですが……」

 

 それは今回の周期の魔族の発生時期が迫る頃、キリュウとシルヴィア夫婦の寝室での事だった。二人共裸でベッドに入っており、昨夜に何があったかは一目瞭然昨夜の捕らわれた女騎士プレイの小道具である手枷を填めたまま眠っていたシルヴィアは背後から伸びた手に体をまさぐられながら耳元で囁かれた事で目を覚ます。

 

「……んんっ! こ、こら! 話が有るのなら一旦手を止めて……いや、止めなくて結構だ。この様な所で止められては私も不完全燃焼だからな」

 

「では、一旦このまま昨日の続きを……」

 

 手枷で腕を拘束されている状態のシルヴィアを押さえ付け、そのまま欲望をぶつけるべく覆い被さったキリュウ。だが、その視界が一回転して逆にシルヴィアに跨がられる姿になってしまう。手枷は簡単に破壊され、今度は反対に腕を掴まれ押さえ付けられた状態だ。

 

「昨夜は随分とやってくれたな、悪の魔法使いめ。騎士たる私が罰を与えてやろう。貴様を徹底的に絞り尽くしてやるから覚悟せよ!」

 

「くっ、殺せ!」

 

「ふふふふふ、威勢が良くて結構だが何時まで続くかな? まあ、お望み通りに殺してやろう。但し悩殺だ」

 

 この夫婦、相変わらずラブラブで、ノリノリでシチュエーションに興じている。結局話し合いの場が設けられたのは夕方。それまで数度の逆転を繰り返し、女騎士騎士が悪の魔法使いに打ち勝って勝負を終わらせた。武神と人、勝負になる筈も無かったのだ。

 

 

「それでですね……使い魔が欲しいのですよ!

 

「また急だな。だが、必要か? 使い魔に命じる事などパッと魔法で終わらせられるだろうに」

 

 まるで犬を飼いたいと言い出した子供に向かって親が言い聞かせるかの様な口調のシルヴィアだが、要するに嫉妬しているのだ。使い魔の世話の時間の分、自分を構ってくれる時間が減るからと。

 

「いえね、この前、ディスハ様の所でアシスタントをしたじゃないですか。あの人のマンガ、随分と人気ですから張り切ってましてページ数を増やし過ぎたって泣きついて来て」

 

「お前が持ち込んだ物だが、別にマンガを書いた事が有る訳でも無かったのにな」

 

 ゲームにマンガ等、キリュウの記憶から再現した娯楽の品は神々に衝撃をもたらした。記憶から再現した物を楽しみだけでなく、神の権能をフル活用して続きを想定して作り出すだけに止まらず、中には一から小説やマンガの執筆を始める神も出始めた。

 

 神の時間感覚は人間とは違うので一日で三話書き上げた後は半年で一話を仕上げる者も少なくないが、ディスハは神々の漫画誌での連載原稿を週一で書き上げ、他の神の穴埋めにページ増までやっていた。そして流石に大変だからとキリュウにヘルプ要請をしたのだ。

 

「あの方って死を司る神だから最初は怖かったのですが実際は気の良い方ですよね。その上、ミリアス様に許可を取って犬や猫を連れ込んでペットにしていまして……」

 

「ならペットで良いだろう。ちゃんと世話をして、私も構うのなら飼っても構わんぞ」

 

「あっ、いえ、実は師匠から使い魔を創り出す魔法を習ったのですが、危険だから極力控えろと厳しく言われていまして……どうせだったら良い機会ですし試したいなって……」

 

「相変わらずの魔法オタクだな……」

 

 少し呆れたシルヴィアだが、結局納得して許可を出す事になる。頭を良くして自分の事をやらせれば世話に必要な時間が減ると言われたのも決め手だろう。

 

 ……後々、ほんの少しだけこの決断を後悔する事が有るシルヴィアであった。確かに賢い存在が誕生する。但し悪知恵の割合が凄い。

 

 

 

「ってな訳で、先ずは師匠に報告をばと思いましてね。……それにしても相変わらずのご趣味で」

 

 シルヴィアとの交渉の後、キリュウが訪れたのは魔法の師匠であるソリュロの家。赤い屋根の小さな家で、ウッドデッキにはキノコのランプ、室内はピンクとフリルが目立つ少女趣味な家だ。猫の模様のベッドの枕元にはヌイグルミ。まさにソリュロの見た目相応の女の子が好みそうな部屋ではある。

 

 只、本当は少女ではない事を知っている身とすればキリュウの微妙そうな顔も致し方ない。

 

「何だ? 私の趣味に言いたい事が有るなら言ってみろ。内容次第では殴る」

 

「じゃあ言えないじゃないですか」

 

 こめかみに青筋を浮かべて睨む師の問いに言葉を濁して誤魔化すが、その言い方だと怒られる内容だったと告げているのと変わりはしない。ソリュロの握り拳はプルプルと震えていた。

 

「……まあ、別に良いだろう。使い魔の作成を許可しよう。お前ならノリで創り出す阿呆共とは違うだろうからな。お前も強力な使い魔の作成に必要な事が何かは分かっているな?」

 

「ええ、当然です。先ず、この様に主となる者が使い魔の元となる卵を作成し、一定期間内にどれだけの者から力を注いで貰えるかで決まる、ですよね?」

 

 キリュウがポケットから取り出したのは金色に輝く鶏卵サイズの卵。この状態でドクドクと脈動する音が聞こえている。途轍もない力の波動が発生していた。

 

「ああ、正解だ。だが、その為に他の者より強い使い魔の創造の為に他の神を騙そうとしたり、しつこく頼んだりしてな。その為に頭のネジが締まっている方の神は使い魔創造への関わりを嫌うし、残りの阿呆共は牽制しあって共倒れ……って、既に卵を作って来ているではないか!?」

 

 言葉の途中で気が付き、キリュウの手の中の卵を指さして叫ぶソリュロだが、対するキリュウは不思議そうだ。何故指摘されているのか全く理解していない。

 

「え? だって師匠なら許可を頂けると思いましてぇ!?」

 

 事後承諾を堂々と口にするキリュウの顔面に魔法で強化された拳が突き刺さる小柄で華奢な少女の見た目とは裏腹にキリュウは錐揉み回転をしながら飛んで行った。

 

 

「せめて許可を取ってから作れ!」

 

「じゃあ師匠、力を注ぐのお願い出来ますか?」

 

「……いや、弟子とはいえお前の使い魔に力を注げば他の連中も頼んで来そうなのでな。まあ、マトモな奴で極秘に手を貸してくれそうなのを教えてやろう。茶でも飲みながら話すから手伝え。……性格にも影響するから絶対にイシュリアだけには頼むなよ?」

 

「いや、影響が出ないとしても、何かやらかしそうなのでイシュリア様には頼みませんよ、絶対に」

 

 ソリュロの手伝いの為に奥へと向かうキリュウだが、彼もソリュロも完全に油断していた。此処はソリュロの家であり、常に感知魔法を使っていれば疲れるだけだ。だから机の上に卵を置きっぱなしにしていたし、縁の下で盗み聞きをしていた者が窓から入り込んだ事にも気が付かない。

 

 

 

 侵入者は一体誰か? 当然ながら毎度お馴染みイシュリアだ。

 

 

「う~ん、師匠と弟子の禁断の情事でも起こるのかと期待したのだけれど、キリュウったら使い魔を創るなら力を貸してあげるのに。ほら、私だって偶には義弟の役に立ってみせるわよ」

 

 得意顔で鼻歌交じりに卵に手を伸ばしたイシュリアは当然の様に自らのポケットに仕舞い込み、窓から脱出する手際には慣れが感じられる。

 

 

 

「誰のよりも強いのを目指すのはブームが過ぎているのに、ソリュロも情報が古いわよ。今のブームは大勢の手による究極の一体。良く聞こえなかったけれど私の悪口を言った気がするから力は注いであげないけれど、私と仲が良い連中の力を借りてあげるわ」

 

 イシュリアの友人の時点で頭のネジの状態はお察しで、その数は合計で六百六十五人。キリュウを足して六百六十六人もの神と神に準じる力の持ち主の力を注がれ、卵に宿る力は最高潮に達していた。ある意味イシュリアのファインプレーによって本来よりも強力な存在が誕生する。

 

 

「も~! 折角妹の旦那の為に手を貸したってのに、どうしてこんな扱いなのよー!」

 

 最後の一人が力を注いだ辺りで卵を取り戻したキリュウ。イシュリアはシルヴィアによって頭から下が土に埋められてしまっているが反省の色が無い。悪い事をした自覚が無いらしい。

 

「……やれやれ。おい、キリュウ。姉様みたいになっては困るから躾はちゃんとしろ」

 

「分かっていますよ。まあ、イシュリア様みたいなのに育てる方が大変でしょうけれど」

 

 そして遂に卵が孵る瞬間が訪れる。殻に広がる罅、溢れ出す光。そして、七つの頭が殻を突き破って姿を現す。

 

 

 

「ガウ!」

 

 この日、キリュウの使い魔であるアンノウンが誕生した。神によって呼び名は様々だが、キリュウによってアンノウンの名を与えられたその存在は急激に力を増して行く事となる。それこそ神を上回る程に……。

 

 

 

 

 尚、誕生した時に目にした姿からイシュリアは馬鹿にしても構わない存在だと認識したらしい。




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使い魔の日常

 やあ、こんにちは。この作品のストレス増す事(マスコット)担当のアンノウンだよ。シリアスシーンだろうが日常シーンだろうが空気を読まずに突っ走り、相手が何者であろうとも……ではないけれど弄くり回すのが僕の役目さ。

 

 え? メタ発言が過ぎるって? おいおい、他のファンタジー的な異世界の存在やら未来の自分の部下やらを召喚したりと世界観を丸っと無視する僕だぜ? 今更今更。整合性やら流れを考えずに好き勝手に行動するギャグ担当に他のキャラクターみたいな事を求められても困るよ。

 

 でもまあ、話が長くなるから此処までにしようか。今回の主役は僕。未だゲルちゃんが勇者になっちゃう前の物語さ。

 

 

 

「アンノウン、朝ご飯ですよ!」

 

「ガウ!」

 

 ご飯、その言葉で僕はベッドから起き上がる。マスターが作ってくれた大きなクッションで丸まって、七つの頭の顎の全てをベッドに置いて眠るのは幸せだけれど、ご飯の時間はもっと幸せ。今日の朝ご飯は何かなー? お肉だったら嬉しいなー。

 

 

「ガーウ!」

 

 わーい! 山盛りのお肉だぁ! 僕の七つの頭は微妙に味の好みが違っていて、胃袋は一つだから苦手な味はそれが好きな頭で食べるんだけれど、お肉は全部の頭の好物なのさ。今の僕は子猫サイズだけれど目の前には山盛りのお肉。もう涎がダラダラ流れるけれど食べられない。

 

 

「アンノウン、待てだ。待てだぞ。お手! お代わり! 伏せ! 良し、食べろ」

 

 どうもボスは苦手何だよねぇ。いや、嫌いじゃないよ? 寧ろマスターの次に好き! でも、躾には厳しいんだ。マスターは直ぐに食べさせてくれるけれどボスは違うし、一度悪さをした時は七つの頭にほぼ同時に拳骨を落とされたからね。

 

 マスターがペットを甘やかす駄目な飼い主なら、ボスは徹底的に躾をしたがるブリーダー的な人なんだ。お風呂に入れてくれたり遊んでくれたりもするんだけどね。

 

 

「ああ、そうだ。今日の私の予定だが母様と出掛ける約束をしていてな。姉様が来るだろうが……分かっているな?」

 

 ボスの手が僕の真ん中の頭に乗せられる。す、凄いプレッシャーだ。逆らったらお仕置きされるのが目に見えてたし、僕には頷くしか選択肢が無かったんだ。

 

「ガ、ガウ!」

 

 うん、分かっているよ、ボス。ちゃんとマスターとお留守番するって。

 

「……そうか。ちゃんと土産にお前の好物のプリンを用意しよう」

 

 やったー! プリンだ、プリンだ!

 

 

 

 

「ガガゥウ!」

 

 朝ご飯の後、ボスを見送った僕は森の中で穴を掘る。偶に遊びに連れて行って貰える六色世界で集めた僕の宝物をいたる所に隠すんだ。空き瓶にぃ、何かの骨にぃ、ボロボロの手袋! ゴミ同然の物だけれど、神の世界に埋めておいたら変な物になったりして面白いんだよね。

 

 そして何よりも穴を掘るのって楽しい! どれだけ深く掘るのか、どこまで横穴を広げるのか全く考えずに掘っていたら1日が終わっちゃうんだ。マスターがちゃんと魔法で穴を塞いでくれるから好きなだけ掘れるしね。

 

 

「あら、666(トライヘキサ)じゃないの」

 

「ガウ」

 

 あっ、イシュリアだ。イシュリアがやって来た。マスター達の寝室に置いてあった変な形の玩具とかお酒とか色々持って来たけれど、またマスターを誘惑しに来たのかな? 頭が変な神だから僕の名前をマスターがくれた物じゃなくって、創造に関わった神達が決めた名で呼んで来る女神。一応ボスとは仲が良い姉妹だけれどマスターに手を出そうとする度にボスにお仕置きされている駄女神。

 

「きゃっ!?」

 

 あっ、穴に落ちた。穴の内壁をツルッツルにして登り辛くした上に底に納豆を敷き詰めた僕の特性落とし穴。耳を澄ませば底から何か聞こえてくるよ。

 

 

「臭っ! 臭ぁっ!? アンタの仕業ねー! 女神にこんな事をして良いと思ってるのー!」

 

「ガウ?」

 

 そうだけれど、それがどうかした? それと女神にじゃなくてイシュリアにならやっても良いと思っている。今日は僕も友達と遊びたいし、納豆臭いから帰って欲しいな。

 

 でも、正直にそれを伝えたらキーキー叫んで来たよ。五月蠅いなあ。

 

「こんな穴程度で私の野望を阻めると思ったら大間違いよ! 風呂借りるついでにキリュウを誘惑してあげる!」

 

「ガーウ……」

 

 これだから色ボケ女神は困るんだよね。誘惑しても乗って来ないマスターに維持になっちゃってさ。だから遊び相手は多いのに結婚出来ないで妹に先を越されるんだ。でも、流石に女神なだけあって、ひとっ飛びで穴から脱出、体に付いた納豆を撒き散らしながら地面に降り立った。

 

 そして再び穴の底。ふっふっふ、僕が落とし穴を一個で終わらせるとでも? 因みに納豆は入っていないよ。入っているのは牛乳拭いた雑巾の山さ。

 

「幾ら何でもやり過ぎでしょうがー!」

 

 だって僕もボスからイシュリア対策を命じられてるもーん。ボスの命令だから僕は全然悪くない。全力でイシュリアを馬鹿にしているだけだからね。

 

「……もう我慢の限界よ。此処から先は自粛無しで行くわ」

 

 え!? イシュリアが自粛だって!? 神の中でナンバーワン問題児、最高神ミリアスの胃に最大級のダメージを与える天敵! 神関連のトラブルの陰には常にイシュリアの姿有り、僕の誇張が入った状態で広まった評価を持つイシュリアが自粛を知っていただなんて……!

 

「全部頭の中に届いているわよ、この大馬鹿!」

 

 再び穴の底から飛び出して来たイシュリアだけれど、魔力のジェットで宙に浮き、僕に向かって両手を突き出す。一目散に逃亡開始。無数に打ち出され森を破壊して行く攻撃に対し、僕は回避しながらの逃亡しか選べない。……凄く

悔しかった。

 

 

 イシュリアに馬鹿って呼ばれた事が!

 

「だから全部頭の中に伝わって来ているって言うかアンタが伝えて来ているんでしょうがー! ふざけないでよ、馬鹿にしているでしょ!」

 

 イエス! ふざけているし、馬鹿にもしている。そしてイシュリア……チェックメイトだよ。

 

「なっ!?」

 

 既に木の上にパンダを配置しておいた。僕にとっての魔本であるパンダのヌイグルミは、魔法の女神であるソリュロ製。それが怒りで周囲が見えなくなったイシュリアの頭に降り立ち、僕の魔力の全てを注ぎ込んだ一撃を放つ。

 

「ガーウウウ!」

 

 この魔法に僕はこの名前を付け、後々バリエーションを増やす事になる。その名は……。

 

 

 非殺傷式大熊猫型強制キグルミ化光線……パンダビーム!!

 

「あんぎゃああああああああああっ!?」

 

 カバのキグルミを上下逆に着た状態で地面に落下するイシュリア。当然、その場所にも落とし穴は仕掛けて有る。しかも今までとは比べ物にならない最高傑作さ。

 

 この時、決着を前に僕はイシュリアとの出会いを思い出していた。第一印象は馬鹿にしても構わない相手だったっけ?

 

 

「へぇ、立派なのが出来たじゃないの。私も力を注げば良かったかしら?」

 

「いや、姉様が力を注いでいたらとんでもない事になっていた。流石のファインプレーだったぞ」

 

「ちょっとシルヴィア!?」

 

 穴から這い出て僕をジロジロ眺めるイシュリアだけれど、付き合いが増えると本当にボスの意見に賛同だよ。イシュリアの力が混ざっていたら悪夢だもん。

 

「ほら、お手。お手しなさい」

 

 幾ら僕の知能が高くても、生まれたばかりの状態で手を出されても全然意味が分からないのにさ。イシュリアはムキになったのか手を出し続けるんだけれど、香水がとっても臭かったんだ。だから七つの頭全てをイシュリアの手に近付けて……。

 

 

「オロロロロロ」

 

「ぎゃー!? 吐いたー!?」

 

「大変です! 大丈夫ですか……アンノウン!」

 

「ちっとは義理の姉の心配をしなさい!」

 

「え? だってイシュリア様ですし」

 

 この時、僕の中でイシュリアの印象が変わったよ。イシュリアは馬鹿にしても構わない女神じゃなくて……馬鹿にしたら凄く楽しい女神なんだってね!

 

 

 

 そして落とし穴の蓋の上に落ちたイシュリアだけれど、沈む瞬間に飛び跳ねた。巧妙に隠しておいた蓋は深い穴の底、腐った魚を貯めておいた所に落ちて行って、空中でイシュリアが得意そうに笑う。

 

「はっ! アンタの考えなんてお見通し……ひゃわっ!?」

 

 そして、着地と同時に本命の落とし穴に落ちて行った。しかも今回は深さが五倍で、中蓋を仕込んだ三段ぶち抜き色。納豆と牛乳拭いた雑巾と腐った魚を敷き詰めた取って置きさ。

 

「ガフゥ」

 

 まあ、イシュリアの行動パターンを把握した結果さ。あれ? 向こうから来るのはマスターを訪ねて来たディスハの飼い犬のポチだ。友達だし、後で遊ぼうと思っていたけれど何かあったのかな?

 

 

「ワフ!」

 

 何かソワソワした様子のポチはイシュリアが落ちた穴を見つけると急いで駆け寄って……あっ。

 

 

 取り敢えずポチが後ろ足を上げて……とだけ言っておくよ。まあ、僕とイシュリアの関係はこんな感じさ。




書きため中の新作も残り一つ 連日投稿しますね

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クルースニク外伝 ①

 気の置けない仲間とは良いものだ。支え合い、一切の遠慮無しに本音をぶつけ合える。家族もまた良いものだろう。出会いが有れば別れも有るが、どうせなら笑って別れたい。涙ではなく、笑顔で見送りたいし見送られたい。

 

 

 その点、俺は仲間に恵まれているんだろうな……。

 

 

「じゃあレリックの門出を祝って乾ぱーい!」

 

「乾杯!」

 

「あっ、因みに此処の払いは全部レリックね」

 

「ゴチになりまーす!」

 

 ……う、うん。恵まれてるよ……な? まさか俺が勇者の仲間の一人として世界を救う旅に同行するなんてな。今は送別会、グラスをぶつけ合う音と笑い声が響く宴会会場。隊長の掛け声と共に始まった宴会の席で俺に一枚の封筒が差し出される。それを渡して来た隊長の顔だが、仕事の時にしか見ない真剣なものだ。この人、基本はヘラヘラしているからな。

 

「まあ、宴会が終わったら読んで。まあ、レリックは酔い潰れて眠ってしまうだろうから明日になるだろうけれどさ」

 

 この中に何が書かれているか、俺には分かる。だから皆は自分達が居る場所ではこれを読んで欲しくないんだろうな。ったく……。

 

「……」

 

 無言で封を切って中身を取り出す。一晩貸し切りで飲み放題食べ放題の料金の請求書が入っていやがった。……矢っ張りな!

 

 

「アホか、テメェらぁああああああああああああああっ!」

 

 何で送り出される俺が奢るんだよっ!? 俺の送別会っつんならお前達が払えっての! ……あー、糞。実は寂しいとか思ってたけれど、抜けられて良かったかも知れねえ。クルースニクに所属したままだとツッコミが追い付かねぇからな、基本俺以外はボケだから!

 

「はーい。レリックがマンネリ化したツッコミを入れた所で食べ始めましょう。支払いはレリックじゃなくて、酔い潰れた奴達ね。でっ、飲むペースは自分で調整する事! 残った皆に手間掛けた罰ゲームだから」

 

 最初っからそうして下さいよ、隊長。ったく、アンタのノリについて行くのは大変なんっすからよお。取り敢えずアルコール度数が低い酒をチビチビ飲みながら甘い物でも食べるか。先に潰れた奴等の奢り? はっ! 飲めって強引に勧めてくるアルハラ共さえ居ないんだったら俺は大丈夫だっての。馬鹿みたいにガブガブ飲む連中に負ける筈が無いだろう。

 

 俺は勝利を確信して笑い、懐の財布を確かめる。勇者ってのは幾つもの国から資金の支援を受けてるってから金には困ら無いんだろうが、自分の金位は確保しねぇとな。……男には色々必要なんだよ。

 

 旅の出発は彼奴が休暇から戻って来る数日後。流石に旅の途中で女を買うのは難しいだろうから、有り金叩いてでも存分に楽しむとするか。確か良さそうな店が路地裏に……。

 

 

 

「……っと思っていたんだがな」

 

 ふと目覚めれば朝日が眩しく、懐は寂しい。俺を含めて酔い潰れた数人が会場に転がっていて、親指を立てた隊長とレガリアさんのイラストと共に『ゴチッ!』と書かれた紙が置いてあったのでグチャグチャに丸めて放り投げる。いや、どれだけ酒に弱いんだよ、俺はっ!? ……お袋は強かったんだがな。

 

「……」

 

 家族の事を思い出しながら頭に手を置けば切り落とされた耳の傷跡に指先が触れる。ケツの方を触れば尻尾があった跡もだ。苛立ち紛れに酒を瓶を引っ掴んで一気に飲み干そうとするが馬鹿馬鹿しいので止めた。……忘れろ。もう俺はあの家とは縁を切った。名前だって捨てただろうが。

 

「……俺はレリックだ。十六夜(いざよい)はとっくの昔に死んだ」

 

 そう、俺は既に過去と決別した筈だ。幸福だった思い出も捨て去った。死んだ人間は蘇らねえ。何も思わない。だから、俺が何時までも過去を引きずって、皆が連中を怨んでいるって思っていたら、何時まで経っても終わらないんだ。

 

 ……なのに。あの言葉を忘れる事が出来ない。

 

 

「もう直ぐ産まれるわ。そうしたら……」

 

 あの約束は果たせないと思っていたのに……。

 

「……ままならないもんだ」

 

 天井を仰ぎ見て呟く。未だ眠っている愛すべき馬鹿共との出会いが勝手に蘇って来た……。

 

 

 

 これは未だ俺がクルースニクの一員になる前、レガリアさんと一緒に旅をしていた頃の話だ。俺とレガリアさんは傭兵紛いの仕事をしていて、モンスター退治やら盗賊の捕縛だの用心棒をやっていたんだ。

 

 ……恥ずかしいから絶対に言ったりはしねぇが、死に掛けた俺を助けてくれて生活の世話までしてくれたレガリアさんには感謝しているし、実は親みたいに思っている。

 

 そのレガリアさんなんだが、今俺の目の前で仕事の交渉をしているんだ。この人は相手に遜ったり横暴な態度を取る事はしねぇし、俺の態度を注意する時もやんわりとだ。頭に血が昇らせても損なだけって言ってな。

 

 いや、別にそれは良いんだ。全然構わねぇんだがよ……。

 

「……」

 

「モッキュ! モキュモキュモキュ~ウ?」

 

「モッキュ! モキュー!」

 

 今、俺の前でレガリアさんが翼の生えたモグラと流暢に会話をしている。三十代半ばのオッサンがヌイグルミみてぇな姿のモグラと話をする姿は正直言って不審者だ。しかも話すのは向こうの言葉でだ。俺は目の前の現実から目を逸らしたかった……。

 

 ったく、一体何だってこんな事になったんだっけか?

 

 

 

 

「ブウモォオオオオオオオオオ!!

 

 地響きを轟かせて暴走するバーサーカゥの群れ。何かの切っ掛けでブチ切れりゃ群れ全体に怒りが移って手当たり次第に暴れる面倒なモンスターだ。

 

「らぁっ!!」

 

 目の前で動く俺を怒りのぶつけ先に選んだバーサーカゥ共が向かって来る中、俺は掛け声と共に腕を振り上げる。魔力を通して鎖を伸ばしていたグレイプニルの切っ先は真上に向かって飛び上がり、先頭を走っていた一頭の腹を貫き背まで貫通する。

 

 だが、その程度じゃバーサーカゥは止まらねぇ。一度暴れ始めたら周囲から怒りのぶつけ先が無くなるか完全に死ぬまで暴れ続けるからな。正にバーサカーだとレガリアさんは笑っていたが、実際に村にでも入り込んだらやべぇ事になる。

 

「抗うなよ……死ね」

 

 背中を貫いた切っ先はそれだけじゃ止まらねえ。周囲の仲間の横っ腹を貫き、雁字搦めに巻き付いて行った。その数、合計五匹。これでも動き続けるんだから大したもんだが動きは鈍っている。互いが邪魔で思う様に動けないんだ。それでも全く走れねぇ訳でも無いし、暴走すれば仲間すら気にせず爆走する連中だ。

 

 だから、確実にぶっ殺す。五匹のバーサーカゥを雁字搦めにしたグレイプニルはしっかりと固定されていて、俺が全力で引いても抜けはしない。代わりにバーサーカゥ共が宙に舞った。

 

「ヴモッ!?」

 

 高く持ち上がった五匹もの巨牛。その重量は凄まじく、こうやって持ち上げるのは骨が折れる。だが、一度持ち上げれば話は変わる。突進の威力を決めるその巨体と体重はバーサーカゥの武器だが、今だけは俺の武器だ。仲間を気にせず走り続けるバーサーカゥ達の真ん中目掛け、勢いを付けて破壊力を増したバーサーカゥを叩き込んだ。

 

「ブゥモォオオオオオオオオオオッ!?」

 

 おっ、流石にこれは効果が有ったのか何匹も今ので死んだし、生きているのも転がっている。直ぐに起き上がって更に怒り狂うんだろうが……テメェらにその直ぐ(・・)は永遠に来ねぇ。今此処で死ぬからだ。

 

 

 

「永久の闇、消して覚めぬ悪夢よ。今此処で姿を見せろ……影獣(シャドービースト)!」

 

 今まさに動き出そうとし、怒りで筋肉を膨張させていたバーサーカゥ達の影が動き出し、猛獣の姿になってバーサーカゥ達に食らい付く。足を封じ、急所に牙を突き立ててバーサーカゥ達が絶命する時まで獰猛な姿を晒していた。

 

「……ふぃ~。お仕事終わったねぇ。もう夜明けだし、オジさんはベッドが恋しいよ。じゃあ、報告は宜しく~」

 

「いや、待てよ。交渉事は……」

 

 俺の苦手分野だからレガリアさんに任せようと思ったんだが、向けられた背中を見て言葉を失う。

 

 

 

「……モキュ」

 

 翼の生えたモグラがレガリアさんの背中にしがみついていた。

 

 

「いや、何でだよっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 




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クルースニク外伝 ②

「……あー、眠いから忘れてたや。なんか助けを求めて来たし、そのコンドルモグラの子供から話し聞いといて。じゃあ、お休み」

 

「お、おいっ!?」

 

 レガリアさんは背中にしがみついていたモグラを降ろすと棺桶の中に入り込む。この人、一度寝たら中々起きないからな。夜行性だから朝になったら眠いってのは理解するけど、俺だって夜遅くに働いて眠いんだっての。

 

「ったく、もう体にガタが来てんじゃねぇのか? 未だ餓鬼だって小さいってのによ」

 

 レガリアさんの奥さんと娘は俺も知っている。仕事が無い日は家族サービスってのがレガリアさんのモットーだし、俺だって居候させて貰って居るからな。あのお転婆娘も俺をレリック兄ちゃんって呼んで懐いているしよ。……兄ちゃん、か。結局どっちだったんだろうな。

 

「モキュ!」

 

「ちょっと待ってろ。今、考え事を……うん? おい、まさかお前……」

 

 ズボンを引っ張られたので考え事を中断したんだが、俺の言葉に首を傾げる姿に猛烈に嫌な予感がした。そうだよ、このコンドルモグラって餓鬼じゃねぇか!

 

 コンドルモグラは小型犬程度の全長の二足歩行のモグラで、横穴だらけの広い空間を掘って生活する友好的なモンスターだ。コンドルの名前の通りに背中には翼があって知能も高い。何せ自分達の手で掘った穴から採取した鉱石やら金やらをドワーフ製の掘削の道具を交換したり、大人ならこっちの言葉を理解する位にな。

 

「モキュモキュ!」

 

「だから分かんねぇんだって……」

 

 何かを必死に伝えているのは身振り手振りで分かるんだが、如何せん俺には通じないし向こうにも俺の言葉は通じない。ったく、大人が出てこいよ、大人がよ。取り敢えず朝飯にするかと干し肉のサンドイッチを取り出したんだが、コンドルモグラがそれをジッと見ながら鼻を動かす。

 

「……ほらよ」

 

「モキュ!」

 

 少し分けてやったら何か鳴いてから食べ出したが礼でも言ってるのか? ったく、親は何してるんだよ、親は。

 

「まさか捨てられたんじゃねぇのか? おい、そうなら俺達と……いや、何でもない」

 

「モキュ?」

 

 元々言葉が通じないから俺が何を言ってもコンドルモグラは首を傾げるだけだ。まるでヌイグルミみたいな見た目が気に入って、俺も餓鬼の時はどんな生態なのかを調べたっけな。

 

 例え子供に何か問題があっても捨てず、親が死んだ場合は群れ全体で残された子供を世話するっつう絆の深いモンスターだ。なら、迷子か……巣に何か起きたかだな。

 

「まあ、俺は巣の場所は知らねぇが、あのドワーフの爺さんなら知ってるだろうから連れて行ってやるよ」

 

 干し肉をもう少し与えながら頭を撫でてみるとゴワゴワした感触が伝わって来た。まあ、フカフカな訳が無いよな。

 

「モキュ! モキュモキュ!」

 

 何かを伝えたいってのは必死に前足を動かして飛び跳ねている動きで分かるんだが、生憎チンプンカンプンだ。レガリアさんが話せたら良いんだが……いや、無理だな。幾ら何でもコンドルモグラと話せる筈が無いっての。

 

 

 

 ……っと、思っていたんだが、目の前の現実をそっちに置き換えたい。だってそうだろ。命の恩人で尊敬している人がモグラと談笑しているんだからよ……。

 

 結局、昼前に起きたレガリアさんにどうするか相談したんだが、返事は自分が情報を聞き出すって物だった。どうするんだって思ったんだが、まさか流暢にかいわをするとはな。……何でだよ!?

 

「モッキュッキュッキュッキュ」

 

「モーキュキュモキュ? モッキュ! ……レリック君、分かったよ」

 

 分からないで欲しかったぜ、助かったけれどな。ってか、コンドルモグラの言葉だなんて何処で覚えたんだよ!?

 

 

「この子の名前はモグルーだ。男の子だってさ」

 

「いや、それがどうしたよ……」

 

「え? だって名前を知っている方が助かるだろう? 何時までもこの子だのあの子だのって呼ぶのは大変だし」

 

「……そーだな」

 

 いや、理解はするぜ? レガリアさんが不思議そうにするのも当たり前だよ。でも、本当によ……。

 

 

 

「取り敢えずモグルーを預けに爺さんの所に行こうか。準備も必要だしね」

 

「……ああ、分かった」

 

 準備、その言葉とレガリアさんの目の色が変わった事で俺も気持ちを入れ替える。どうやら迷子のコンドルモグラを巣に送り届けてバイバイっては行かないらしい。準備っつったら一つだけ……戦いだ。

 

「なんかね、グリエーンにも遂に魔族がやって来たみたいなんだ。勇者選出の噂は聞かないし、今回はオレジナが出すからオジさん達がどうにかしないとねぇ」

 

 レガリアさんは懐から水筒を取り出して中身を飲み込む。真っ赤な液体が数滴だけ口元から垂れていた。

 

 

 

 

 それは昨日の昼過ぎの事、丁度レガリア達がドワーフの老人の所を訪問していた時の事だった。老人が住むのは近くに同族すら居ない辺境のトッテツ山の麓。彼が住む家の反対側の山の更に反対側には大きな横穴が開いていた。

 

 そこはコンドルモグラの巣穴。大柄な人が手を広げて楽々通れる程の大きさは一見すれば無駄であり、外敵を招くだけに思えるだろう。だが、ちゃんと理由は存在する。群れに所属するコンドルモグラの数は多く、外に出て物資の交換や餌の確保をする事も有るので大勢が一気に逃げ込む為に広いのだ。

 

「モーキュ! モーキュ!」

 

 雑食性で虫や小鳥を補食する事も有るが基本的に大人しいコンドルモグラだが、この日は警戒を示す鳴き声が巣の中に響く。角度を調整して声が響き易くなった内部にはその声が直ぐ様に全体に広がり、警戒の鳴き声が響いた方向とは別の方に向かって幾つかのグループに分かれながら逃げ出した。

 

「待て! 直ぐに戻って来い!」

 

 だが、猛々しさを感じさせる女性の声が続いて響き、壁に開いたコンドルモグラが入り込める位の大きさの穴から次々に顔を見せ始めたではないか。やがて壁に無数の穴が開く広大な空間に三人組の姿が現れる。何故か最初に警告を出したコンドルモグラを引き連れて。




新作もまもなく投稿


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クルースニク外伝 ③

新作投稿しています


「……成る程な。勝手に外に遊びに出て、戻ったら変な連中が居て、仲間の様子も妙だったと。魔族連中、鉱石でも集める気か?」

 

 モグールから事情を聞いた俺達だが、巣には直行ず先ずは依頼主の所に来ていた。他のドワーフとは仲良く出来ないって理由で辺境に住むこの爺さん……名前はサンジーは、モグールとは会った事が有るらしく、レガリアさんの話を聞いて訝しんでいるんだが。……ってか、この爺さん、コンドルモグラの見分けが付くのかよ……。

 

 正直言って俺には分かりそうにないけどな。……言葉は永遠に分からないままだと思う。いや、本当に何で話せるんだよ、レガリアさんはよ……。

 

「儂も連中とは取引をしているからな。まあ、仕方無いから一旦何か気が付いていないか昔の仲間の所に行って来るわい」

 

「お供しますよ。何が起こるか分かりませんからねぇ」

 

「若造に心配される程に耄碌はしてはおらんが、付いて来たくば勝手に来い。儂は知らん」

 

 頑固爺はぶっきらぼうな態度だがレガリアさんも相変わらずのヘラヘラ笑いで受け流す。この人が動揺したのって娘に臭いって言われた時しか見た事が無いよな。

 

「じゃあ、レリック君は留守番お願いね? モグールを守ってあげといてよ」

 

「へいへい。気が向いたらな」

 

「しっかし、チビ助の癖に大したもんだな、テメェ」

 

「モキュ?」

 

 留守番つっても客がこんな所に訪ねて来る訳もねぇし、要するにモグールの世話をしながら体を休めろって事だ。まあ、俺と違ってレガリアさんは一眠りしてるんだがな。

 

 あの爺が用意した餌を夢中になって食べてる姿からして満足に食べていなかったんだな、此奴は。俺の言葉は分からないんだろうが、それでも自分に話し掛けられたのは分かるのか瞑らな瞳を向けられる。

 

 そう、こんなチビが仲間の危機を感じ取って見知らぬ相手に救援要請をしたんだから凄ぇよ。偶々難を逃れた運や行動力は生き残るのに必要な力だ。……そんな事からしてモグールは強いって評価をくれてやっても良いよな。

 

「……俺も寝るか」

 

 ソファーに座り込んで休んでいたら眠くなって来やがった。モグールの奴も腹が膨れて安心したのかウトウトしてやがるし、俺も目を閉じれば意識は直ぐに沈んで行く。

 

 

 夢を見た。不満も苦労も多かったけれど幸せだった日々の夢。滅多に会えない父親が恋しくて泣く日も有ったけれど、兄貴になるって知ってからは弟か妹の頼もしい兄貴になろうと心に決めた日の事も。

 

 だが、幸福な夢はもう直ぐ悪夢に変わり果てる。何度も何度も繰り返したから知っているんだ。止めてくれ、此処で終わってくれと願っても変わりはしねぇ。弱い俺が全部を失う光景を見せ付けられる……かと思ったんだ。

 

「うげっ!?」

 

 皮肉な事に鼻が曲がりそうな悪臭で悪夢は強制的に中断される。気分は最悪で、状況も吐き気がする不穏さだ。何せこの特徴的な悪臭が何か俺は知っているからな。今回は腐った水みてぇな臭いだが、その核となる物は変わっちゃいねぇ。

 

「……仕方無ぇ!」

 

 言葉は通じない。だが、四の五の言っていられる状況でも無いからその辺の籠をモグールに被せて重しを乗せる。後は出て来ないのを願って外に飛び出せば周囲一体は水浸しになってやがった。家の周りの雑草は水に浸かり、溺れたのか虫やらネズミやらが浮いてやがる中、予想通りの奴が水の上に立って手鞠歌を歌っていた。

 

「やろかぁやろか、水やろかぁ。乾いているなら水やろかぁ。やるぞやるぞぉ、水やるぞぉ」

 

 そこに居たのは小さな女の餓鬼。オカッパ頭に着物って所からするとパップリガ系の名前だろうな。鞠遊びをしているが、水面で跳ねているから普通の鞠じゃ無いのは馬鹿でも分かる。背負った水瓶も妙な臭いだが、何よりも餓鬼が一番臭ぇ。間違い無く魔族の臭いだ。

 

「おい、ウッゼェから下手な歌を止めろや」

 

「……此処に住んでるドワーフは?」

 

 俺の言葉に素直に歌を止めた魔族は両手で鞠を掴みながら俺を見る。濁り切った嫌な目だ。それに声もだが、俺に向ける目もウゼェ。あの目を俺は知っている。見下した相手を虫けら同然に見ている奴の目だ。

 

 

 気に入らねぇ、入らねぇ、入らねえ! 見た目が餓鬼だろうが女だろうが、魔族は大体同じ年齢だ。容赦無くぶっ飛ばす!

 

「知りたきゃ俺を倒して聞き出すんだな!」

 

「分かった。そうする」

 

 あっさり言うなんざ随分な態度だと怒りを募らせつつも俺は不用意に飛び出さず、グレイプニルを放つ。この水は明らかに目の前の餓鬼の能力で出した物だ。敵が準備万端整えている場所に好き好んで行く馬鹿が何処に居るってんだ!

 

 魔族の眉間目掛けて真っ直ぐ飛ぶグレイプニルだが、辺り一帯に溜まった水に至る所で波紋が起こる。予想通りにこの水は彼奴の武器だって事だ。波紋が起きた場所が噴き出し、水の獣になって鎖を掴んでいる俺に向かって殺到した。

 

 俺が今居るのは玄関で、向かって来ている獣の数は約二十。狼やらイタチやらが牙を突き立てようとしているが俺は動かない。下手に動いて家の中で暴れられたら困るんでな。此処から動かずぶっ倒す! 鎖を持つ手を動かす事で鎖の動きが変わり、金属の鞭になって水の獣を打ち据える。次々に向かって来るのを破壊し、取り逃がした奴は拳で対処した。

 

 

「はっ! 全然弱いな!」

 

 どれもこれも一撃で崩壊する上に、水滴が集まって即座に再生する事も無い。魔族は動くが伸びる鎖を操って追い掛ければ追い詰めるのは簡単だ。

 

 ほれ、目の前の刃にばっか集中するから背後の警戒が疎かだ。俺の誘導によって木まで追い込んだ魔族は焦りの表情を見せた。俺を舐めた事を後悔しな!

 

「っ!?」

 

 逃げ場は無い。左右のどっちに逃げても追い、上に飛び上がっても真正面から潜り抜けるのも想定済みだ。さっさと終わらせて二度寝させて貰うぜ。だが、此処で予想外の事態が起きる。俺の知識にある魔族ならしない筈の行動だ。

 

 

「モキュ!」

 

「んなっ!?」

 

 一匹のコンドルモグラが間に割り込んで来た。咄嗟にグレイプニルの鎖を引いて止めた事で刃の切っ先は毛皮を僅かに傷付けただけに終わったが、後少し遅れてりゃあ頭を貫いて殺しちまう所だった。普通のモンスターなら兎も角、モグールの仲間をだ。

 

「……おい。魔族は一騎打ちに誇りを持ってるんじゃなかったのかよ? 今まで戦った連中はそうだったぞ」

 

 そして相手の行動が予想外だったのは向こうも同じ。だが、戸惑う俺とは違い、嫌らしい笑みを浮かべてコンドルモグラを抱き寄せると手に水の刃を纏って突き付ける。

 

「何事にも例外は有る。例えば一騎打ちに興味が無い私みたいに。……武器を捨てて」

 

「このクズがっ!」

 

 苛立ちに任せてグレイプニルを投げ捨てれば魔族が水の流れを操って引き寄せ何度か振るう。コンドルモグラは手放されると翼を動かして飛び上がるが、何時でも介入可能な距離を保っていた。

 

「じゃあ、今度は私の番。そして貴方の番は来ない」

 

 力任せに振るわれるグレイプニルが何度も俺を打ち据える。魔力を流し込んで鎖を伸ばし、俺を一方的にいたぶって楽しいのか笑みを浮かべっぱなしだ。

 

「チャンスあげる。ドワーフの居場所を土下座しながら言うなら見逃す」

 

「……そうか」

 

 完全に俺に勝った気だが当然だろうな。武器は奪い、自分の所まで来るには水の中を駆け抜けるしか無いんだ。……仕方無いよな。

 

 

 

「……未だ眠いから出来れば動き回りたくなかったし、レガリアさん達が戻って来た時に怪我してたら格好悪いと思ったんだがよ」

 

「恐怖で頭が変になった? 死にたいのなら……」

 

 もう良い、黙れ。俺は目の前の糞餓鬼が言葉を言い終わる前に駆け出す。足を踏み入れた途端に水は激しく流れを変えて歩みを邪魔し、長く鋭い水の刃が四方から襲い掛かる。こりゃ最初の判断が正解だ。足を踏み入れない方が良かったし、勝ち誇るのも無理がない。

 

 

「……遅ぇ」

 

 但し、もう俺には全て無駄だ。水の流れで邪魔されるなら、それ以上の速度で走るだけだ。四方から伸びる刃も届く前に通り抜ければ良い。途中、水の刃や矢が襲い掛かり、足に怪我を負うも俺は止まらない。再び割って入ろうとしたコンドルモグラは一睨みで怯ませ、振るわれたグレイプニルを掴むと伸ばされるより速く引き寄せる。

 

 

「なあ、もう一度言ってみろ。誰の番が来ないって?」

 

 拳を握りしめて全力で振り抜く。顎に強烈な一撃を食らわせれば華奢な体は横にすっ飛び、気絶したのか周りの水は急速に引いて無くなった。

 

 

 

 

「雑魚が粋がるな。弱い奴には何も主張出来無ぇんだよ、ボケが!」

 

 目の前で横たわる魔族、そして過去の俺に対して吐き捨てるように言った時、何かが急速に接近して来た……

 



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クルースニク外伝 ④

 俺には正直言ってどうしても苦手なモンが有る。蜘蛛だ。……いや、マジでアレは無理だわ。長い脚を動かして歩く上に毛むくじゃら、細いベットベト糸で作った巣にいる姿とかマジで無理だわ。レガリアさんの奥さんとか素手で叩き潰せるけれど、英雄ってのはあんな人の事を……いや、良そう。

 

 今、俺の目の前にはトンボみてぇな羽の生えた蜘蛛が大量に飛んで来て、俺が殴り飛ばした糞餓鬼を掴むと何処かに運ぼうとしてやがった。見ているだけで気分が悪くなる光景だが、流石に逃がす気は無い。俺はグレイプニルを掴むと蜘蛛の隙間を縫って突き殺そうとした。

 

「……あっ?」

 

 何が起きたのか一瞬把握出来なかった。何せグレイプニルの先端が急に消え去ったんだ。慌てて引き戻して先端を見てみれば歯形が付いている。それも虫のじゃなく、人間の歯形だ。だが、あの糞餓鬼がやったとは思えねぇ。つまりは新手って事で、其奴は直ぐに姿を現した。

 

「……ふぅ。陣中見舞いに同行したついでの散歩でしたが危ない所でしたね」

 

 何時の間にか俺の視線の先に立っていたのは燕尾服の女だ。白い髪で片目を隠した奴で、何かを食いながら呟いている。俺の事を気にも止めて居ねぇって態度だが、俺には分かっていた。この女は今まで戦った奴の中でも別格。レガリアさんと一緒に倒した上級魔族よりもさらにうえだってな。

 

 嫌な汗が背中を流れ落ちるのを感じる。あの女が近くに居るってだけで震えが来そうだ。……グレプニルの先端を食いやがったのは此奴だな。ちぃ! 何をされたのか全く見えなかったぜ。……どうする?

 

 

 侮られて生き残る位なら死ぬ……それは馬鹿な臆病者の考えでしかねぇ。屈辱も敗北も、弱さも受け入れて相手を次こそは倒す為の準備を進める、それが俺がレガリアさんから教わった事だ。相手に手の内はサッパリで、分かっているのは格上だって事だけ。絶望的状況だが絶対生き残ってやる。

 

 女が俺を見たのはその時だ。口の中の物を飲み込み、俺に意識を向ける。だが、あの目は敵を見る目じゃ無い。

 

「さて、休憩ついでにオヤツにしましょうか。……中々美味しそうですし」

 

 気が付けば俺は白い皿の上に乗っていて、ナイフとフォークを持った女に見下ろされていた。そうだ、あの目は敵を見る目でも、取るに足らない雑魚を見る目でさえ無かった。小腹を減らした奴が食い物を見る目だ。

 

「モキュ!」

 

「……はっ!?」

 

 後ろから聞こえて来た声に俺は我に返った。今のは幻覚だったのか。俺は目の前の女のプレッシャーに完全に呑まれていたらしい。おいおい、今まで戦った中で一番強いって所の話しじゃねぇぞ。俺だけじゃ勝てないって話じゃねぇ。レガリアさんと一緒でも手傷を負わせるので精一杯だ。いや、それさえも出来ずに食われちまう可能性だって有る。逃げる事すら不可能な相手だ。

 

「……おい、女。名前は何だ?」

 

「貴方に名乗る必要は無いわ。どうしても知りたいのなら力で聞き出してみなさい」

 

 ちっ! 情報を聞き出す事すら無理か。ありゃ完全に俺の事を菓子か何か程度に思ってやがるな。……糞女が! 確かに屈辱を耐えてでも生き残れって教わったがよ、生き残れないのに屈辱に耐える必要は無いよな? 相手の方が圧倒的に強い? 上等だよ。俺は格下を選んで戦う屑とは違うんだ。勝てないにしても顔面に一撃ぶち込んで名前を聞き出してやる。

 

「……上等だ。テメェが俺より強いのは認めるが、その鼻っ柱叩き折って名前を聞き出してやるよ」

 

 恐怖で乱れそうな息を整え、拳と脚に力を込める。死なば諸共、俺を食おうってんなら覚悟しやがれ。腹の中をズタズタにしてやるからよ!

 

 

「あら、アイリーンったらこんな所に居たのね。探したんだから」

 

「レリル様……」

 

 ……名前、分かっちまったな。急に現れた露出の多い美女の口からは、俺が覚悟を決めて聞き出そうとした女の名前が出て来た。にしても派手な格好だな、あのレリルって名前の女。布を巻き付けているだけじゃねぇか。

 

「あら? あらあら? ワイルド系の美少年ね。どう? 私と一緒に楽しまない? 私はレリル・リリス、最上級魔族よ」

 

「空気読んで下さい、レリル様」

 

「アイリーンの方が好みなら一緒に参加させるけれど? 二人揃って好きにして良いし、好きにされるのが良いなら二人掛かりで……」

 

「巻き込まないで下さい、セクハラ色ボケ上司様」

 

「あら? アイリーンったら照れちゃって可愛いわね」

 

 急に姿を見せたかと思ったら信じられない会話を繰り広げるレリル……様にアイリーンは顔を真っ赤にしている。だが、心底興味が無い。どうせ死ぬんだったらと誇りだけでも守ろうと聞き出そうとした名前だってだ。今の俺の中に有るのは一つだけ……レリル様の事だけだ。

 

 頭の中が熱に浮かされたみてぇに思考が定まらない。レリル様の事しか考えられない。あの方への愛だけを口にして、その愛の為だけに死にたい。今すぐ跪き、俺に意識を向けて貰えれば何も要らない。誇りも今までの人生も捨て去っても……。

 

 

「おや、落ちたみたいですね」

 

「当然よ。私を前にして、私に誘惑を受けて恋に落ちない男は居ないもの。さあ、来なさい。今日から貴方も私の恋人よ。その身が朽ち果てたとしても愛してあげる」

 

 そうか、それなら何よりも嬉しい。俺はそれだけで……。俺はレリル様に跪き永遠の愛を誓う為に歩き出す。自分でも顔に力が入らず緩み切っているのが分かったが、永遠の愛をくれるのなら何でも良い。俺の人生はレリル様の為に有るからだ。

 

「私を信用しなさい。……約束よ」

 

 約……束……? 足が何故か止まる。レリル様の事以外を考えたくないのに誰かの顔が浮かんで離れない。あの言葉が浮かんで来る。そう……チビで弱い餓鬼だった頃の事だ……。

 

 

「十六夜、貴方なら絶対生まれて来る子の自慢のお兄ちゃんになれるわ。そして今以上に私の自慢の子に……」

 

「うん! 弟でも妹でも、俺が絶対守ってやるんだ! 祖父ちゃんも祖母ちゃんも、父さんも母さんだって守れる位に強くなる! 約束するよ!」

 

 俺は自分の腕を見る。今まで鍛え続けた腕だ。これからはレリル様の為に振るう力が此処に……本当にそれで良いのか? 俺は……。

 

 

「……ふーん。私の誘惑に抗ってみせるだなんて素敵な話ね」

 

「どうしますか? 殺しますか? 小腹が減ったので食べても良いですね?」

 

「駄目よ。私、この子が欲しくなったわ。ねぇ、私のお城で飼ってあげる。それなら私と居る時間だって長いし……この体を好きに出来るわよ」

 

 布が解かれる音が聞こえ、俺は気が付けば前を向いていた。目の前のレリル様は肌を惜しげもなく晒し、俺を手招きしてくれている。男の肉欲を体現したかの様な美。この姿には獣でさえ欲望を抑えられないだろう。それ程までに美しく、俺の頭から全てが消え去ろうとしている。もう考えられるのはレリル様の事だけ。今から愛を貰い、至福の時を過ごして忠実な愛の奴隷になる事が俺の幸福だ。もう約束だなんてどうでも……。

 

「……ねぇ……が」

 

「あら? どうかしたの?」

 

「どうでも良い訳が無ぇだろうがぁ!!」

 

 レリルに欲望をぶつける為に伸ばした腕に力を込め、緩んで情けない事になっているだろう自分の顔面に拳を叩き込む。鼻の骨が折れる感触がして結構痛ぇが丁度良い! くっだらねぇ事に向ける意識が減るからな!

 

「このボケ女が! 誰がテメェの物になるかよっ!」

 

 ああ、そうだ。俺は決めたんだ。何があっても家族は俺が守り抜くってな! 祖父ちゃんも祖母ちゃんも殺された。父さんや母さんにだって追っ手が掛かったって聞いている。どうせ死んでいるだろうが……生きているんだったら弟か妹が生まれているだろうからな!

 

 名は捨てた。過去も捨てた。でも、あの約束だけは絶対に捨てねぇ。家族として守れねぇんだったら、全員俺が守ってやる。魔族と魔族に力を貸す糞共をぶっ飛ばして、何処かで生きているかも知れない弟か妹だった奴に危害なんて加えさせねぇ!

 

 

「掛かって来いよ、阿婆擦れが! テメェは道連れにしてでも今此処でぶっ殺す!」

 

 俺はきっと死ぬだろう。だが、少しでも手傷を負わせて、僅かでも情報を残す。頼んだぜ、レガリアさん。任せたぜ、今回の勇者。

 

 

 俺に代わって俺の家族を守ってくれや!

 

 




新作共々応援お待ちします

再掲  to4ko様に依頼

レリック&アイリーン


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クルースニク外伝 ⑤

最近感想が来ない……


 私にとって、この世の男は全て好みなの。美醜も老若も人か獣かさえも関係無いわ。男であるだけで誘惑し、互いを貪り合うのに値する。

 

 彼もまた、私の好み。私の愛は大き過ぎるから大勢に分配する必要が有るの。だから彼も私の恋人になって貰って愛を受け取って貰いたかったのだけれど……。

 

(あらあら、凄いわね)

 

 男を誘惑し堕落させる。全ての男は私の魅力に敵わない。他に誰か愛する者が居たとしても、私への愛の前には無価値になるの。それが私の、レリル・リリスの力。この世で最も魅力的な存在が私。

 

 でも、彼は違った。初めて目にした瞬間から他の男と同様に気に入ったのだけれど、私を見ただけで恋に落ちない相手なんて初めてだったわ。だから言葉で誘惑してオマケでアイリーンだって付けたのに恋に落ちないだなんて……興奮するじゃない。

 

 だから裸を見せてあげたわ。私は全ての男を平等に扱う。人間もエルフも獣人もドワーフも魔族も獣も。皆、大切な恋人。でも、貞淑な私は簡単には体を許さない。私を喜ばせてくれたなら、どんなプレイだって受け入れるわ。でも、恋人ってだけじゃ駄目。

 

(私、そこまで軽い女じゃないもの。恋人とは先ずピュアなお付き合いからよ)

 

 でも、彼は別。燃え上がちゃったもの。責任取って最後の一滴まで絞り出して貰うわ。どうせだったらアイリーンも混ぜようかしら? 嫌がるだろうけれど、大切な部下と一緒に楽しみたいもの。彼にはその価値が有るって分かるわ。

 

 私に恋をしているのにその場で跪いて脚を舐めさせて欲しいと懇願しないなんて滾っちゃう。……そんな風に思っていたのに、彼の価値は私の予想を超えていたわ。

 

「……もう良いでしょう。此奴には食べる価値も無い。死体を晒して腐り果てなさい」

 

 アイリーンは私の忠臣。女の子だけれど、その価値が有るから傍に置いているの。だから普段は私に暴言を吐く事も有るけれど、私への暴言は許さない。

 

 ……さっきの色ボケセクハラ上司ってのは幾ら何でも酷いと思うけどね。貴女の言葉には寛容な私だけれど、帰ったらお仕置きしましょうか。

 

 

「そう。じゃあ、頑張って」

 

 もう今の時点で合格だけれど、此処まで来たら最大まで価値を発揮してちょうだいな。危なくなったら止めてあげるし、私の愛も沢山あげる。私はアイリーンが彼を殺そうと襲い掛かる姿を楽しみだと感じていた。

 

「らぁっ!」

 

 彼の拳がアイリーンの顔面に叩き込まれる。微動だにせず、当然無傷。蹴りも、手刀も、ミスリルの鎖を巻いた手での殴打だってアイリーンには一切通じない。アイリーンが口を少し動かしただけで鎖が消え去ったわ。相変わらず食べるのが好きね。武器を失った彼はそれでも闘志を衰えさせずに拳を振るう。でも無駄ね。

 

「もう満足かしら?」

 

「ぐっ!」

 

 無造作に伸ばしたアイリーンの腕は彼の拳撃を弾き飛ばし、首を掴んで持ち上げる。どれだけ暴れても腕は外れず、ミシミシと肉と骨が軋む音が聞こえたわ。さて、もう止める頃ね。その後は押し倒して私の魅力に溺れて貰えば私の恋人が一人増える。

 

(ああ、楽しみね。あの反抗的な態度が従順になって私の愛えお求める姿が。アイリーンみたいに椅子にしてあげようかしら?)

 

 だけど私は止める事が出来なかった。突然吹いたオレンジ色の突風。その正体は見えたわ。見えたからこそ私は動けず、アイリーンの腕は肘から先が切り落とされる。地面に落ちて激しく咳き込む彼とアイリーンの間に彼女が入り込んだ。

 

 

「はいはい、選手交代よ。此処から先はこのナターシャが相手をするわ」

 

 ナターシャ、その名を私は知っている。彼女の顔に見覚えがある。持っているナイフだって名前も力も知っている。三百年前の魔王様から受け継いでいる記憶に存在する相手。初代勇者の仲間の一人が私の前に姿を現した……。

 

 

「……帰りましょう。此処は痛み分けでどうかしら?」

 

「別に良いわよ? 私だって貴女相手は面倒だし?」

 

 互いに笑みを浮かべているけど牽制しあう。でも殺気は隠さない。見た目と違って敵意しか無い。……可愛い子だから傍に置きたいけれど仕方無いわよね。

 

「レリル様っ!? 私は戦え……きゅう」

 

 腕を押さえて吼えるアイリーンを眠らせ、転がった腕を拾い上げる。ああ、怖い怖い。彼の方は少し情報を得たから手を出さないっぽいけれど、彼女の方は隙有らばって所ね。私も此処で背中を見せれば殺す所なのに……。

 

 首を狙えない事もなかったけれど、そうしたら間違い無く私と戦いになるからって腕だけにしたって所かしら?

 

「じゃあ、次会う時はベッドで楽しみましょうね」

 

「嫌だ!」

 

 私がウインクと投げキッスをしたのに酷いわね。ちょっと傷付いちゃった。……そんな無碍な態度も興奮するじゃないの。

 

「あら、残念」

 

 でも今の内よ。絶対に貴方の心を射止めて私の愛の奴隷にしてあげる。私はアイリーンを抱えたまま転移したのだけれど、大切な事を思い出したわ。

 

 

「……あっ。名前聞いていなかったわ。まあ、良いでしょう。あの子なら何か有っても生き延びそうだし」

 

「へぇ。面白い子に会ったらしいね。私にも詳しく教えて欲しいね」

 

 此処は私の居城の一つなのに何故か背後から聞こえて来たのは同僚であり、唯一私と同格のリリィ・メフィストフェレスの声。可憐な少女の姿をしていても、弱いって理由で仲間を虐げる少し困った子なの。私の部下の中にはリリィを嫌う子が少なくないわ。

 

 そんな彼女は私が慌てて帰って来た様子やアイリーンの姿に随分と興奮して目を輝かせている。この子、強い相手と戦うのが好きで、どうせ死ぬなら格上と戦って敵味方に莫大な損害を与えて死にたい、そんな物騒な事をうっとりしながら言うのだから変な子ね。どうせだったら恋人の十人や二十人を作って、時よ止まれ、お前は美しい……とか囁いて貰うとかないのかしら?

 

「ヒ・ミ・ツ。あの子達は私が貰うわ」

 

「ケチだね。まあ、良いや。ちょっと心当たりが有るからね。勇者の仲間の子孫が受け継いだ武器を使いこなしているって報告が有ったんだ。是非とも放置して今より強くなって貰わないと困るよ」

 

「相変わらず困った子ね」

 

「君だって同じだろう? ……あっ、そうだ。君の部下の中に数名欲しいのが居るのだけれど構わないかい? ちゃんと私の部下から同じだけあげるからさ」

 

「駄ぁ目。私の部下は私の部下よ。我慢しなさい」

 

 本当にリリィったら唐突なのだもの。あれじゃあ側近のビリワックも苦労してそうね。断られた事で頬を膨らませて不平不満を示すリリィだけれど、私は人差し指で突っついて空気を抜く。こうやって見ているだけなら可愛い女の子なのに……。

 

 

「ねぇ、リリィ。今から私のベッドに来ない?」

 

 そんな可愛い子をベッドに誘わないだなんて失礼よね、常識的に考えて。逞しい男や美形な優男も好きだけれど、可愛い女の子も大好きだわ。この子がベッドの中でどんな顔をするのか凄く興味が……あれ? 何時の間にかリリィが居ないわ……あれぇ?

 

 

 

 

「……相変わらずだなぁ、彼女。あれじゃあアイリーンも苦労してそうだよ」

 

 

 

 

 

 

「……不覚! 人間如きに腕を切り落とされるだなんて!」

 

 翌日、切り落とされた腕はくっつけたのだけれど、アイリーンは余程ショックだったみたいね。テーブル一杯に並べられた料理を次から次へとやけ食い……じゃなくて何時も通りだわ。

 

「牛の丸焼き追加!」

 

「まだ食べるの? ……レリル様。僕、仕事の打ち合わせがあるんだけどさ」

 

 アイリーンの食欲は凄まじいもの。下級魔族の子達じゃ配膳が間に合わないからってこの子がやっているのだけれどお人好しよね。私と入ったベッドの中では凄く激しいのに。

 

「あらあら、大変ね、スカー。中級魔族の仕事じゃないでしょうに」

 

 服の上からでも分かる筋肉。触っているだけで興奮して来るし、アイリーンには悪いけれど……。

 

 

「……次ぃ!」

 

 あっ、駄目だわ。これでスカーを連れて行ったらアイリーンがキレるわ。誘うのは別の子にしようっと。

 

 

 

 

「牛の丸焼き追加ぁ!」

 

 

 



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クルースニク外伝 ⑥

うっかり消しちゃった 本日新しいの投稿してます


 ……言い訳はしねぇ。アレは紛れもなく敗北だ。俺は治療の為に寝かされたベッドの中で拳を握りしめて震わせる。俺は自分が最強とは思ってはいなかったが、それでも上の方にいるって思ってたのによ……。

 

「こりゃ鍛え直しだな……」

 

 努力はして来た。才能だって有るはずだ。だが、今の俺じゃあ頂上に手が届かない巨大な壁が沢山有るって知った。上等だ。今の俺が届かないなら、届くまで強くなれば良い。負けは認める。だが、それは今回だけ。何せ俺は生き残ったんだから次が有る。途中で勝った奴が勝者なんじゃねぇ。何度打ちのめされても最後に勝った奴が勝者だ。……まあ、何度も負けるのは流石に御免被るがな。

 

「……見ていろ。次こそやってやる」

 

 天井にあの女達の顔を思い浮かべ、拳を突き出す。そうと決まりゃあ体をさっさと治して修行だ。今は大人しく治療に専念して、万全の状態で強くなってやる。

 

「次はヤってやるって、あの女みたいのが好きなのね、男ってさ。まあ、賢者様は別だけど」

 

「いや、誤解だ!?」

 

 

 俺の言葉に対してとんでもない勘違いをした女がドン引きした顔を向けて来る。あれか? この状況であのレリルって女相手に発情してると思われているのか?

 

「男って結局スケベなのよね」

 

「頼むから話を聞いてくれ……」

 

 …いやいやいやいやっ!? 俺はリベンジを誓っただけだからな!? 確かに魅了されちまったんだけど、途中で目を覚ましたよな、俺!? あー、糞! 此奴が命の恩人じゃなかったら怒鳴ってる所だぜ。アホか、テメェ! って言いてぇ。でも、それしたら義理が立たねぇ……。

 

「まあ、再戦の誓いって所でしょうけど」

 

「分かって言ったのかよっ!? アホか、テメェ!」

 

 ……あっ、言っちまった。でも、俺悪くないよな?

 

 

 

 

「いやー、はっはっはっはっ! ズタボロにやられたね、レリック君。暫くは首をギプスで固定しないといけないし、脚の怪我だって毒が入ったよ」

 

「……ちっ!」

 

「まあ、最近は忙しかったし、休暇だとでも思いなよ。オジさんはサンジさんの知人から気になる話を聞いたし、この辺のコンドルモグラの巣を見て回るよ」

 

「気になる話?」

 

「駄目駄目.君の場合、聞いたら気にしちゃって無理するんだからさ。君の保護者を八年もやっているんだし、丸分かりだからね?」

 

 何やら騒がしいから見に行って見たけれど、レリック君が以外と落ち込んでいなくてオジさん安心だよ。普段から強気な分、挫折が堪えるんじゃないかって心配だったんだ。

 

「……さてと。この度は私の仲間を助けて頂き感謝します。改めて自己紹介をば。私の名はレガリア、傭兵紛いの事をやっている者です」

 

 帽子を脱ぎ、レリック君の命の恩人だという少女、ナターシャさんに頭を下げた。一見すると首についた手の跡以外は傷が浅く見えたレリック君だけれど、首の筋肉を酷く痛めていた上に脚の怪我は毒に犯されていて……若者の特権だとしても無茶は駄目だって。本当に心配なんだからさ。

 

「私はナターシャよ。さっきも言ったけど、魔族を倒して世界を回ってるの」

 

 この少女との付き合いが思ったより長くなるだなんて、人生は分からないものだねぇ。まあ、この時のオジさんは直ぐに別れると思ってたんだけれどさ。だって初対面だし、レリック君の代理で付き合って欲しいとしか思っていなかったんだ。

 

 

 

 

「いやぁ、悪いねぇ。オジさんに協力して貰ってさ」

 

「良いわよ。私だって魔族を退治する旅の途中だし、例の誘拐事件に関連しているなら無関係でも無いわ」

 

 レリック君に留守番を任せて向かった先で得た情報、それは近辺のコンドルモグラが取引に現れなくなった事、そして人里離れて暮らしている人や小さな村から人が一斉に消えた事だったんだ。どうも妙な話だと思っていたんだけれど、ナターシャちゃんの話では魔族が関係してるんじゃないかって誘拐事件が他の世界でも多発しているらしくってね。その調査に出た時に偶々レリック君を助けてくれたって訳さ。

 

「それにしても初代勇者パーティーの子孫とは驚きだよ。実はオジさんの娘もナターシャ学園に通っていてね」

 

 初代勇者キリュウ。出身世界が不明であり、各世界から順番に出ている二代目三代目とは違う謎の多い存在。だからこそ人気があって演劇の題材にもなっているんだけれど、仲間の中で一番有名なのはナターシャだろうね。身分も貧富も種族も関係無しに学べる学校を設立した人物。……その子孫かぁ。

 

 おっと、危ない危ない。常に持ち歩いている手鏡で自分の顔を確認すれば、何時も通りの人の良い中年男の顔が映っている。うん、大丈夫。オジさんの仮面は万全だ。ふと空を見上げれば夕焼けが星空に変わる頃合い。太陽が空から完全に姿を消せば夜が来る。……闇の住人である俺の時間がね。

 

「ねぇ、レガリアさん。怒ってるよね?」

 

「……何でそう思うんだい? オジさん、ずっと笑顔なのにさ」

 

「勘」

 

 ……勘かぁ。オジさん、感情を隠すのは得意だと思ってたのになぁ。そうだよ、オジさんはさぁ、腹が立っているんだ。だって、レリック君はオジさんの中では息子同然なんだもん。本人は照れて隠しているけれど、互いに家族だと思っているんだ。

 

 

「家族に手を出されて怒らない奴は居ないって。少なくてもオジさんはそう思ってる。……そして手を出した相手にケジメを付けさせるのは父親の役目さ」

 

「そっか。格好良いね。賢者様には負けるけど」

 

「……いや、賢者様ってあの賢者様でしょ? 流石に伝説になってる人には勝てないって。……てか、知り合いなの?」

 

「知り合いよ。更に言うなら初恋の人よ。聞きたい? 聞きたい? 詳細聞きたい?」

 

「いや、別に良いや」

 

 だって絶対長くなるって勘が言っているもん。やれやれ、オジさんだってまだ三十代だけど年食った気分だよ。若い子って良いねぇ。目を輝かせて語りたがるナターシャちゃんをあしらいつつ進み続けると岩肌に大きく口を開いた洞窟が見える。あれがコンドルモグラの巣で間違い無いんだろうけど面倒なのが居るなぁ。

 

「イノシシフラワーね。大体五十頭って所かしら?」

 

 洞窟の前を頭から毒々しい色合いの巨大な花を咲かせたイノシシの群れがウロウロし、頻りに鼻を動かして匂いを探っている。風上じゃなければ気が付かれていたかもね。

 

 イノシシフラワー。その名の通り、イノシシじゃなくて花が本体の面倒な相手なんだ。イノシシの脳に寄生して体を乗っ取るんだけれど、雑草と同じで根っ子をどうにかしないとイノシシの腹に大穴開けても動くんだよ。しかも損傷箇所を蔓で補強するしさ。イノシシだって火事場の馬鹿力かって位に力が強いし、兎に角タフで面倒な相手だよ。

 

「でっ、どうするかい? オジさんが魔法で一掃する?」

 

「ううん。私が行くわ」

 

 え? ちょっ!? 止める間も無くイノシシフラワーの群れに突っ込んだナターシャちゃんは向こうが反応するよりも前にナイフを抜く。柄に巻いた布は随分とボロボロなのに刃は白く光り輝き、イノシシの堅い頭蓋骨を簡単に切り裂いて根を刈り取った。突然の襲撃だけれどイノシシフラワーは慌てない。植物故の強みだね。その代わり連携もへったくれも無い動きで突き進み、ナターシャちゃんはそれをヒラリヒラリと避け続ける。

 

「さっさと行って父親の役目を全うして来て! 私、存分に利用されてあげるわ!」

 

「……ありゃま。見抜かれてたのね」

 

 育ちと才能だけで世間知らずなお嬢さんっぽいし、利用出来そうだと思っていたんだけれど、向こうの方が上手だったのね。でも、今はお言葉に甘えさせて貰うとしますか。

 

 イノシシフラワーの意識がナターシャちゃんに向かっている隙に洞窟の中に駆け込む。あの様子じゃ全滅させるのに時間は掛からないだろうし、どうせだったら二人で進んだ方が良いんだけれど……オジさんだって意地が有るのさ。

 

「さてと。息子と娘が自慢する様な父親になるのは大変だっと」

 

 既に月明かりも届かない闇の中を迷わず進む。どうも侵入者の相手は任されていないのか、横穴から此方を見るコンドルモグラは元来の大人しさを発揮していた。

 

「モキュモキュ?」

 

「モッキュ!」

 

 はっはっは! まさかコンドルモグラと話が出来るだなんて思っていなかったんだろうね。簡単に魔族の居る場所を教えてくれたよ。今居るのは一人だけ……そっか、一人か。モグールの話では二人だって話だし、レリック君に毒を与えた子じゃないんだろうねぇ。

 

 

「ははっ! こんなに早く侵入者が……」

 

 通路の先、開けた空間で待っていたのは髪の色が左右で金と銀に分かれている少女。オジさんが来たのが随分と嬉しそうだったよ。

 

「喋るな」

 

 でも、オジさんからすれば不愉快なんだよね。どうせ仲間が居るんだしって事で話も終わらぬ内に魔法で付くっておいた影の刃で両断する。手応え有り!

 

 

 

 

「ははっ! 凄い凄い」

 

「此奴なら楽しめそうだ」

 

 ……うへぇ。声がしたので振り返れば、魔族の少女は金髪と銀髪の二人になっていた。面倒だなぁ。

 

 

 

「私の名前は斬一倍刀南(きりいちばい とうな)!」

 

「中級魔族だ!」

 

 ……どうして交互に話すんだろ?



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クルースニク外伝 ⑦

 家では絶対に吸わないタバコを咥え、少し味わった後で迫った少女の顔に紫煙を吹きかける。まあ、マナー違反だけれど相手は敵だし構わないよねぇ?

 

「わっぷっ!? 何するんだ、糞オヤジ!」

 

「そーだ! 失礼だろ!」

 

 いや、人間全てに敵意を持って積極的に殺そうとしている種族に言われてもねぇ。煙が目に入ったのか思わず目を瞑った子の髪を掴み、地面に叩き付けた後で腕を上げる。三人の跳び蹴りを受け止めた腕は痺れるけれど、力任せに弾き返し、足下の子の首を跳ね飛ばしたら二人に増えた。

 

「服まで増えるとか、高価なアクセサリーを持ってたら二つに増えるの? 大儲けし放題じゃないのさ」

 

「いや、ちょっとそれは無理かな? 最低限の物しか増えないし……」

 

「馬鹿! 何正直に教えてるんだ!」

 

「いや、どっちも私だし、どっちも馬鹿だろ? ……あっ、この理屈だと私も馬鹿だ」

 

 アレだよね。この刀南って本当に馬鹿な子だよ。同じ人物なのに連携がなっていないのは、まあ脳味噌が独立しているから仕方が無いんだろうけど、それにしても予め役割を決めた動き方とか有るでしょうに。……それにしても同じ顔がこうもウジャウジャ居ると、ちょっとさ……。

 

「何か君達見てたら気持ち悪いって思えて来たよ。双子とかと状況は同じなのに何故だろうね?」

 

「誰が気持ち悪いだ、誰が!」

 

「そんなんじゃ結婚出来やしないぞ!」

 

「うん? オジさん、もう結婚してるよ? 可愛い娘も居る。……しっかり尻に敷かれて居るけどね」

 

 あははは……どーして結婚前と結婚後で彼処まで豹変するのかねぇ? いや、その程度でオジさんの愛は冷めないけどさ。一度結婚記念日に仕事で帰れなかった時は死ぬかと思ったよ。アレだね。奥さんと子供の誕生日と結婚記念日は絶対に家に居ろってこれから結婚する男性諸君に警告したいよ。

 

「……それはそうと飽きて来たよ。一度に増えられる数とか増えていられる時間とか有るとは思うけれど、まだまだ先みたいだし。もうゴキブリみたいにウジャウジャ居て気持ち悪いしさぁ」

 

 どうせだったら能力を正面から破りたいと思ったけれど面倒になって来たよ。考え事をしながらも斬り続けたんだけど、小指の先でも増えるだなんてさ。髪の毛じゃ増えないし、ナターシャちゃんが先に行かせてくれたのに、追い付いたら未だ戦ってましたじゃ情けないしねぇ。

 

「ゴ、ゴキブリッ!?」

 

「あの仕事を忘れてエステツアーに行った虫女と一緒にするな!」

 

「そーだぞ! アバドンじゃなくってアホドンが似合うのと一緒にするな!」

 

 女の子にゴキブリは言い過ぎかな? まあ、敵だし殺す相手だから別に気にしないでも良いか。でも、奥さんがそんなのに五月蠅いんだよねぇ。

 

「この! 私達の怖さを教えてやる!」

 

「斬れば斬る程に増える斬一倍様だぞ!」

 

「いや、魔族がどれ程恐れられる存在かは知っているさ。特にオジさん達の一族はさ」

 

 実際、強ーいオジさんだから数人分の蹴りを受け止められただけで、常人だったら一人分でも骨が砕けて肉に刺さってしまうからね? ……うん、それと本当にオジさんは知っているんだ。魔族がどれ程の恐怖を人に植え付けているのかをさ。魔族が封印されてから生まれた世代の更に子供世代でさえ恐れるんだよ、君達を。

 

「だったらガタガタ震えて死んどけ!」

 

 顔に向かって拳が振るわれる。それを受け止め、捻り上げた後で地面が砕ける程の威力で叩き付ければ他のが向かって来た。ほぼ同時に左右から来るけれど、オジさんの方がリーチが長いんだ。腕を伸ばせば向こうの腕よりも先に首に届き、全力で気道を締め上げる。

 

「がっは!」

 

「離……せ……」

 

「……死んどいてよ」

 

 腕に爪を立てて引き剥がそうとするのを無視し、脚を振り上げ、地面に叩き付けたのの頭を踏み砕き、掴んだ二人の首の骨をへし折った。

 

「……へぇ。矢っ張り斬らない限りは再生しないんだ。……だったらさ」

 

 背後から迫った子の心臓を貫き、死体を放り捨てる。……矢張り再生はしないらしいねぇ。分裂した相手が消えないのは残念だけれど、相手の頭も残念で助かった。二つに分かれた時に力が分かれたり命を共有しないなら自分を巻き添えにして敵を倒すって犠牲戦力が可能だったけど、それをする仲間が居なくて、頭が足りない奴で良かった良かった。

 

「ぐっ! 私達の体は人間なんかよりもずっと頑丈なのに……」

 

 まあ、そうだよね。強い力で攻撃しても平気って事は、その力に耐えられる肉体って事だもん。オジさんが幾ら強くても、普通の人間が魔族の首を片手で折ったりするなんて考えられない。

 

「まあ、オジさんは普通の人間じゃないって事さ」

 

「抜かせっ! おい! 押さえ付けてボコボコにするぞ!

 

「わ、分かった! じゃあ、私は右足を……

 

「私は左手で……」

 

 最初からそうしなさいって話だよ。まあ、されていたら面倒だから助かったけど。だって、敵の手の内を調べて正面から叩き潰すなら本気は使いたくないんだからさ」

 

「……ねぇ、吸血鬼って知っているかい?」

 

 残念だと思い溜め息を吐くけれど無視されて全身にしがみ付かれる。全員が同じ顔で同じ勝利を確信した顔をしているし、何か不気味に感じる。っと、残りが来たね。馬鹿っぽいし、死ねとかベタベタな事を言いそうだ。……娘には仲が悪い相手にも死ねって言わないで欲しいよね、父親としてさ。

 

「死ね!」

 

「……言っちゃったかぁ」

 

 全身を押さえつけているし、防御も回避も無理な状態のオジさんは好き放題可能な相手……だと思われてそうだよ。でも、無理だった。刀南の拳も蹴りも、オジさんの全身を押さえ込んでいた手も空を切る。オジさんの全身が無数のコウモリに変わった事でね。

 

「吸血鬼だって!?」

 

「あの三代前の魔王様と同じ力を持っている!?」

 

 驚く刀南達の姿を無数に増えたコウモリの目で見下ろすけれど、魔族にさえそんな認識をされているんだねぇ。そう、オジさんは吸血鬼。偶然にも初代勇者に倒された魔王ツェペッシュ・ドラキュラと似た能力を持っているせいで魔族の仲間扱いされて迫害されている種族さ。

 

 

 ったく、それを言うなら人間に近い見た目の方が獣人に近いのより数が居るじゃないのさ。まあ、感情なんて理屈じゃないし、オジさんも種族が違えば迫害する側だったかもだろうけどさ。

 

「……だからこそオジさんの正体を知っていても慕ってくれる家族や友人が大切なのさ。オジさん、生まれ持った力だけれど、それを理由に苛められたから使いたくないのよ。……でも、その家族が傷付けられたなら我が儘なんて言っていられないよ」

 

 無数のコウモリになったオジさんは刀南達の周囲を飛び回る。腕を振り回して追い払おうとするけど、頭脳はオジさんだから無駄だって。こりゃスペック任せで戦闘経験が殆ど無いと見た。魔族自体が生まれてからそれ程経っていないから当然だけれど、放置していれば面倒な事になるね。だから未熟な馬鹿のまま消えて貰おうか。

 

「……本当は奥さん以外の血は吸いたく無いんだけれど、娘にも好き嫌いはして欲しくない以上は父親もそうでないと。……ニンニクだけは生理的レベルで無理だけどさ」

 

「まさかっ!?」

 

「お、おい! 止めろ!」

 

「何でもするから……」

 

 コウモリが一斉に体に張り付いた事で焦りを見せ、自分の体ごと殴るけれど気にせずに牙を突き立てる。見た目とは違って頑丈な肌と血管を突き破った牙の先が触れたのは血液。……何でもするって? じゃあ、吸いたくない血を吸う前に死んでよ。無理だよね? 無理かぁ。

 

 

「じゃあ、全身の血を吸い尽くすしか無いじゃないか。おっと、食事の前に言わないと。糧になる命に感謝を込めて……いただきます」

 

「やめっ……」

 

 もう言葉は喋らせないし、血を吸った相手を操る力も使わない。悪いんだけど怒りを静めたいから殺させてよ。コウモリの牙で開けた傷口から一気に血を吸えば抵抗が激しくなるけれど、直ぐにそれも収まる。残ったのはカラッカラになった死骸。それも浄化されて光の粒子になって消えて行った。うん、この光景を見ていると何度でも思うよ。

 

 

 

 

「ゴミも同じ風に消えてくれればゴミの日に出さなくて済むのにねぇ。魔族だって人間の負の感情なんてゴミみたいな物が原材料なのにさ」

 

 人の姿に戻り、帽子の位置を直しながら呟く。それにしてもお腹が苦しいし、ちょっと食べ過ぎたかな?

 

 




新作もこっちも応援待っています!


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クルースニク外伝 ⑧

  所詮、世の中力が一番必要だ。力が無い奴は大切な奴ら所かテメェの身すら守れねぇ。餓鬼の頃、俺は力が無かったから全部を奪われたんだ。

 

 話し合って説得して力を合わせる? 圧倒的な力の前じゃ数だけなんて意味がないんだよ。蟻が群れても竜の鼻息で吹き飛ぶみたいにな。それに力も無い口だけの奴が、一体どれだけの奴を何時まで引き留められるんだ?

 

 じゃあ逃げろ? 立ち向かわなくて良い? はっ! 雑魚が逃げても直ぐに追い付かれる。仮に逃げおおせたとして、何時見つかるのかとガクブルしながら逃げ隠れを続けるのか?

 

 だから俺は力を求めた。名を捨て、過去を捨て、俺から大切な物を奪った奴から奪い返してやる為にな。……それが本当に強いって事なのかは分からねぇが。

 

 

 レガリアさんは俺の求める力を聞いて、否定はせずにこう言った。

 

「うんうん。それも強さの一つだ。でもさ、自分だけの大切な何かを守りながらの方が強くなれるもんさ。君にだって心当たりが有るんじゃないのかい?」

 

 守るべき物、か。今の俺に見付けられるのか? ……ちゃんと兄貴になれてりゃ違ったんだろうがな。

 

 

 朝起きれば毒による体のダルさは消えていた。ちょっとベッドから飛び起きて屈伸してみるが痛みも特に無ぇ。さてと、軽い運動でもするか。窓の外を見れば快晴だ。こりゃ最高の気分だぜ。

 

 病み上がりだ、流石に無茶は出来ないし、軽く地平線の向こうまで走り出し、途中に立ちふさがる岩壁は僅かな出っ張りを頼りに駆け上がり、遭遇したモンスターは蹴散らし、そうしていると予想以上に調子が良い。こりゃ少し速度を上げても構わねぇな。

 

 速く。もっと速く。自分の限界すら越えて風になれ! もう無茶をしない程度とか面倒な事は気にしねぇ。男ならあらゆる苦難を乗り越えて行け!

 

「行っくぜぇえええええ!」

 

 目の前に滝が現れる。結構な流れの速さだが、少し汗をかいて来た所だ。丁度良いとばかりに滝壺目掛けて飛び降りる。正直言ってノリで飛び降りたが岩とかが点在していなくて良かったぜ。空中で何度か回転し、見事に伸ばした指先から着水。この気子ち良さなら面倒な事は忘れられるな。

 

「……わぁ」

 

 背後から聞こえた声に振り向く。俺と同年代位で虎の獣人の女が数人の餓鬼と一緒に水浴びをしていた。まあ、当然裸だわな。

 

 ……レガリアさん。若さに任せた無茶な行動って駄目だな。忘れた側から新しい面倒事がやって来たぜ。

 

「……悪かった」

 

「別に気にしていない。でも、今度会った時に父には言っておく」

 

 女は名をティアというらしい。しかも杖も魔本も使わずに炎を起こして焚き火をしている。確か炎虎だっけか? 炎を自由に操る突然変異の存在。……あの糞共が希少だからって欲しがりそうな奴だ。

 

 そのティアだが、俺は裸をモロに見ちまった。しかも予想外の遭遇に俺は数秒固まっていたしな。なのに特に気にした様子が無いとか、幾ら獣人が羞恥心の薄い種族でも限度があるだろ。一緒に居たチビ共の方がよっぽどだぜ。……おい、止めろ。その女の後ろに隠れながら変態を見る目を向けて来るな。心にグサグサ来るだろうが。

 

「……良し! 俺の不注意だし、殴れ!」

 

「なんで?」

 

「いや、裸を……見ちまったし」

 

「事故。気にしていない」

 

「俺が気にするんだよ!?」

 

 あーもー! この女、どうして此処まで淡々としてやがるんだっ!? 女なら、その上年頃なら男に裸を見られちまったなら、もっと何か有るのが普通じゃねぇの!? ……どうも離れて暮らして居るっぽい親父はどんな育て方をしたんだよ。

 

 

「別にこれでチャラとは言わねぇ。父親に報告はしろ。只、俺の気持ちが済まないんだ。俺の顔を立てると思ってぶん殴れ!」

 

「……分かった」

 

 この女はかなり強い。体を見れば……厭らしい意味じゃなくって……分かる。相当鍛えられてるな。下手すりゃ俺よりずっと上だ。だが、俺は責任を取る必要が有る。嫁入り前の女の裸を見ておいて、事故だから許せじゃ筋が通らねぇんだ。家族じゃねぇんだぞ、家族じゃ!

 

(俺も妹が生まれてりゃ、その辺で苦労したのかね?)

 

 さてと、気を取り直して観察させて貰うか。……だから厭らしい意味じゃ無いからな? さっきは下手すればなんざ虚勢を張ったが、間違い無く体も技も俺より上だ。だから、この一撃で盗める物は盗んでやるよ。俺は渋々拳を振り上げたティアに意識を集中。滝の水音も虫の声も風の音も次第に遮断されて行き、最後に……。

 

 

「あの覗き魔、ティア姉ちゃんの腋とか足とかジロジロ見てる」

 

 ……おい、誤解だ。俺は戦士としてだな……あっ。意識を相手から外して他事を考える。そんな戦士にあるまじき事をしていた俺に拳が叩き込まれる。重く速く巧い一撃。……ちゃんと見てりゃあ良かったぜ。

 

 意識が刈り取られる中、俺が見たのは見事な一撃を叩き込んだ相手の顔……だったら良かったのに、感心して笑みを浮かべた俺に蔑みの視線を向ける餓鬼の姿だった。

 

 

 ……うん、マジで若さ故の勢い任せの行動とか良くないな、レガリアさん。取り敢えず俺は殴られて喜ぶ変態じゃないからな?

 

「……殴ら……れ嬉し……い」

 

 途切れ途切れの言葉を吐き出した後、俺の意識は完全に途切れる。もうこの時点で意識が朦朧としたんだが、何か非常にヤバい事になっていそうな気がするぜ。

 

 

 

「うぇ!? へ、変態だ!」

 

「逃げよう、ティア姉ちゃん!」

 

「……変態? 父が絶対に関わるなって言ってた奴。でも、放置は危ない」

 

「じゃあ、他の誰かに任せれば良いよ!」

 

「……他の誰か? 今、イシュリア様が遊びに来てて、見張りたいけれど忙しいから来れない父達の代理で……アンノウンが来ている」

 

 後々この会話を教えられたんだが、俺って力以外に運も無いんだなって分かったぜ……。

 

 

 

「おーい! レリック君、大丈夫かい?」

 

「んあ……?」

 

 何だ? 一体何があった? どうも記憶がハッキリしねぇが、俺は何故かキグルミを着せられた状態で亀甲縛りにされて木に吊されてやがった。……は!?

 

「何だよ、こりゃ!?」

 

「……まあ、ナンだろうね、どう見ても」

 

 そう。俺が着ていたのはイエロアの名物料理カレーを食べる時に一緒に食べるパンみたいな奴の、ナンのキグルミだ。その上、俺の周囲は地面に埋め込まれたニンニクが描く魔法陣がモンスター避けの力を発揮している。

 

「……いや、マジで何なんだ?」

 

「だからナンでしょう? えっと、好きで着てるんじゃなかったのかい?」

 

「んな訳有るかぁあああああああああああっ!!」

 

 何処の世界に好き好んでキグルミを着た状態で緊迫プレイを楽しむってんだ! 俺は叫ぶ。誰だかは一体全体不明だが、こんな事をしやがったほう奴に声が届く用に。

 

 

 

(ふっふっふ! 彼、弄くれば結構楽しい! 今度会ったら何のキグルミにしようかな?)

 

 何か嫌な予感がするなぁ……。

「さて、漫才を挟んでリラックスした所で本題に入ろうか」

 

「俺は漫才する気は一切無かったがな」

 

 ったく、レガリアさんは急にふざけたり真面目になったりで面倒だぜ。んで、そんな時に限って面倒な話するんだからよ。

 

「なあ、レガリアさん。重苦しい話が苦手なのは知ってるけどよ。偶には最初から真面目に話をしようぜ」

 

「さて、何の話だかオジさんにはさっぱりだねぇ。……まあ、単刀直入に言うとね。この地方には用が無いから別の世界に行こうか」

 

 急な提案に俺は戸惑う。だってよ、俺が返り討ちにするも逃げられた奴と姿を見せていない奴の二人は最低でも残ってんだ。向こうから喧嘩を売って来て、俺達は買って一人はぶっ殺した。このまま去るんじゃ不完全燃焼だろ。飄々と道化を演じちゃいるが、基本的な中身は俺と同じ荒々しいのがレガリアさんだってのによ。

 

「……ヤベェ奴が居るのか?」

 

 なら、理由は一つだ。死んでないなら完全敗北じゃねぇんだし、魔族の能力が相性最悪なら勝つ方法を手に入れるまでだ。

 

「え? 何でそうなるのさ?」

 

「違うのかよ!?」

 

「違う違う。ほら、オジさんって第一級モグラ語検定の資格持ってるでしょ?」

 

「初耳だわっ! てか、何処の誰が資格認定してるんだっ!?」

 

「まあ、そんな事は重要じゃないから聞きなさいって。どうも魔族共は貴重な金属を集めさせると同時に、消えても発覚し辛い場所の住人の誘拐をやってるみたいでさ。……拠点になりそうな所は全部もぬけの殻。これで誘拐事件がグリエーンだけなら残るんだけど……」

 

「他の世界に目星が付いてるって所か。……うっし! 結局トドメが刺せなかったんだ。今度会ったらあの女を確実にぶっ殺す!」

 

 両手の拳をぶつけて気合いを入れる。此処まで関わったんだ。こうなったら最後まで行こうじゃねぇか!

 

 

 

「うんうん。じゃあ、次はイエロアに行かない? 情報持ってそうな人に心当たりが有るわ」

 

 ……いや、どうしてナターシャが同行するって感じになってるんだ?

 

 



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クルースニク外伝 ⑨

 希望ってのは結構重要な物よ。生きていくのに欠かせない位にはね。明日は今日より素晴らしい筈だ。そうでなくても、昨日より悪い今日は無かったのだから、今日より良い明日が無くとも大丈夫って具合に、悪い事ばかりじゃないって人は思いたいのよ。

 

「私が旅をしている理由だけれど、一つは恋の為。もう一つは貴方達と同じケジメ案件よ」

 

「お嬢様が物騒な理由だな、おい」

 

「あら、私の家は武道派なの。トラブルは最前線で対処するのが掟な位にね」

 

 まあ、武道派って言っても魔族と戦えるのは極々一部なんだけれどね。熊より強いもん、連中ってさ。

 

 ……賢者様が言うには魔族と戦えるだけの力を持つ者ってのは勇者や仲間になる可能性が高い人間らしい。勇者候補の中から最も相応しい人が選出されて、勇者との相性が良い者が仲間に選ばれるとか。

 

 でも、それって魔族が誕生する前に決定される事らしいし、不慮の事故や病気で死んだ場合はどうなるのかしら? まあ、世界を救うメンバーに選ばれる時点で簡単には死なないんだけれど。

 

「既にレガリアさんには言ったけれど、私の一族が運営に関わる学園の生徒が攫われたのよ。それも家族が居ない子ばっかり。……分かる? 要するに騒ぐ人が居ない生徒を拐かしても平気だろうって言われてるの。舐めるな、って所だわ」

 

 声を荒げず、それでも怒りを何かにぶつけたくて隣の木を殴る。拳が当たった部分が弾け飛び、大木が音を立てて倒れていった。

 

「私達にとって生徒は全員家族なの。それに手を出されて平気じゃいられないわ。ってな訳で手を組みましょう。私達の顔に泥を塗った事を後悔させてやるの」

 

 二人の顔を見据え、拳を突き出す。迷い無く突き出された二人の拳が私の拳とぶつかった。

 

「決定ね。じゃあ、さっさと行くわよ。黄の世界イエロアへ!」

 

 迷いも恐れも無い。有るのは確証。この三人なら大丈夫だっていうね。そう、私達が中心となれば必ず結成出来るわ。魔族と魔族に協力する人類の裏切り者達に対抗する組織を。

 

「ねぇ、二人共。ちょっと相談があるの。仲間を集めましょう。英雄になれる程に強い仲間達を集めて、どんな魔族にも負けないチームを作るの」

 

 例え英雄となる可能性が有ったとしても、個の力じゃ限度が有る。生きているなら寝食は必須で、調子の悪い時だって有るわ。物語でだって都合の良い時にだけ敵は来てくれないし、今までの歴史の中でも魔族に取り入る連中は存在する。

 

 だから群れるの。数には数で対抗して、その数に質を求めればきっと最高の部隊となるわ。

 

「……まあ、数が多い方が良いわな。んで、リーダーは誰がするんだ? レガリアさんか?」

 

「いやいや、オジさんは家長だけれど、部隊のリーダーには向かないよ。その補佐官って所かな。……だから君に頼むよ、隊長」

 

 決定ね。そう、レガリアさん……いえ、レガリアが提案しなかったら私から口にしていたけれど、人材を集めるには看板が必要で、それなら初代勇者の仲間の子孫で、その武器と名前を引き継ぐ私しか居ないでしょ。

 

「……レガリアさんが言うなら俺は文句は言わねぇよ」

 

 口では言わなくても、態度では言っているも当然ね。自分より強い相手だとしても、会って間も無い相手が自分達の上に就くってんだから私だって不満に思うわよ。レガリアが言い出してくれて助かったわ。

 

 

「じゃあ、此処に宣言するわ。対魔族部隊クルースニクの結成を!」

 

 さーて! これから本格的に忙しくなるわね。隊長になったなら責任重大。支えてくれる仲間を背負い、そして共に力を合わせなくちゃ。

 

 

 

 

「漸く到着したな。遠すぎるだろ、マジで」

 

 クルースニクの結成後、私達は三日間掛けて大きな神殿にまでやって来た。武と豊穣の女神シルヴィア様を奉る神殿で、他の世界と通じつる門が存在する数少ない場所。

 

「仕方無いよ、レリック君。余程高位の魔法が使えなくちゃ他の世界に行けないし、管理だって必要なんだ。ちゃんと行き先が保証されているのは珍しいんだからさ」

 

 本当に不便よね。私達が今居る神殿にも存在する門以外にも他の世界に行く方法は有るけれど、手入れされていない門を使った場合は行き先が大きくズレる場合が有るもの。偶に時間を惜しんでブリエルに通じる近くの門を使った行商人が海に出てしまって馬車が沈んで破産したってケースが有るのよね。

 

 私達の目の前には巨大な柱。黒い柱には金色に光る文字が刻まれていて、十人位が横並びで歩ける位の間を開けて二本立っているんだけれど、その間の景色は別の世界になっていたわ。薄い靄の向こうは緑豊かな森でなく、灼熱の砂漠。私達以外にもグリエーンから出掛けたり買い付けに来ていた商人らしき集団が歩いていたわ。

 

「俺達がイエロアからグリエーンに来るのに使ったのは別の門だったが、この先はどんな所に繋がってるんだ?

 

「周囲にオアシスも無いし、ちょっと不便な場所だけれど門が有るから商人が集まって大規模なバザーが開かれているわ。サーカスとかの旅芸人も来ているし、それを目当てで娼婦も結構集まってるけど、二人はそんなのに興味有る」

 

「ん~。オジさん、奥さん愛しているからねぇ。あと、浮気したら絶対バレて殺される」

 

「俺も金が無いからな。グレイプニルを新調したら依頼の報酬が吹っ飛んだしよ」

 

 あっ、レリックの方はお年頃だし、興味は有るって感じね。レガリアは完全に奥さんの尻に敷かれていると。ふむふむ、成る程ね。私が二人と会話している間にも次々に人が門の向こうに歩いて行き、私達も簡単な検査だけで門を潜る。靄を通り抜け、一歩踏み出せば文字通りの別世界。何度も来た事が有るのだけれど、この暑さは堪えるわね。

 

「さてと、先ずは砂漠の旅に必要な物資を買いましょうか」

 

「情報の心当たりが有るって言ってたけれど、何処に行くんだい?」

 

「此処から二日間位歩いた先にあるガラサ王国。私もナターシャ学園に通ってたんだけど、留学生として……騒がしいわね」

 

 このバザーはグリエーンと安全に繋がる門が有るから活気付いているんだけれど、どうも商人が客を呼び込む騒がしさじゃない声が聞こえて来る。私も猫の獣人だし耳は良いのよ。未だバザーの入り口付近って感じね。これは悲鳴?

 

「行くわよ!」

 

「おう!」

 

「何かあったんだね?」

 

 私に続き、レリックも聞こえていたのか、店が連なり人がごった返す中を走り抜ける。レガリアは朝の内はレリックが引っ張る棺桶の中で爆睡したってのに未だに寝ぼけた感じね。もう昼よ、昼!

 

 未だ入り口の方の騒ぎに気が付いていないのか慌てた様子の人達は居なかったのだけれど、入り口付近に近付けば様子は変わったわ。悲鳴の理由を知る人達が慌てて駆けて来ていて、その横をすり抜ければ直ぐに視界の中に姿を捉える。バザーに向かって慌てた様子で向かって来る蠍猿の群れと、それを上回る数で追い立てる砂鮫の群れ。

 

「餌を探す途中で遭遇、押し付ける為にこっちに来ているって所かしら?」

 

「んな事は関係無ぇ! 全部纏めてぶっ殺せば良いだけだ!」

 

 一足飛びに蠍猿に接近、先頭の一頭の頭を縦に割り、死骸を踏みつけて後ろの一頭の頭を串刺ししても蠍猿は止まらない。私に襲い掛かるよりも生存を優先しているのね。

 

 レリックは私が飛び越してスルーした蠍猿を蹴り殺し、頭を爪で引き裂き、グレイプニルで次々に貫いて行く。周囲に立ち込める血の香りに砂鮫達は興奮を募らせ、一頭が私の足下から大きな口を開けて飛び出して来た。その鼻先を片手で掴んで受け止め、腹に一撃蹴りを食らわせれば腹を陥没させて宙に舞った仲間に他の砂鮫が食らい付く。うぇ!? 血の匂いで大分興奮しているわね。本来なら共食いはしないのだけれど……。

 

「こりゃ全滅させないと危険ね。誰彼構わず襲うわ」

仲間が死んでもお構いなし、寧ろ餌が増えて万々歳とばかりに前方から向かって来る砂鮫達。少し本気で相手をしましょうか。私は家宝にしてご先祖様の遺産である白い刀身のナイフ、ホリアーを強く握って群れの間を駆け抜けた。足を止め、ホリアーを鞘に納めれば砂鮫達は砂の上に転がる。肉と内臓、そして骨に綺麗に解体された状態で。私、魚を捌くのは得意なの。花嫁修業を頑張ったのよ。さて、もう何もしないで良いわね。

 

「雑魚が! ウジャウジャ群れるな、鬱陶しい!」

 

 次々に砂から飛び出して大口でレリックに齧り付こうとする砂鮫の口から入り、腹から飛び出すのはグレイプニルの刃。そのまま次の砂鮫を貫き数匹の鮫を繋いだまま振り回し、他の砂鮫に叩き付けていた。

 

 それにしても随分と興奮しているし、食べ物に不足していたのかしら? 例え死骸でも本来なら共食いはしない筈だし、同様に強いと判断した相手からは直ぐに逃げ出す臆病者でもあるもの。

 

 なのに砂鮫は仲間を秒殺した私の周囲で背鰭を出しながら回り続ける。敵は私だけじゃないのに馬鹿ね。背鰭を出して砂の中を泳ぐだなんて、彼に狙い撃ちして欲しがっているみたいじゃない。

 

 

「じゃあ、残りは引き受けるよ。一匹残らずね」

 

 私はその場から一歩も動かない。いいえ、一歩も動く必要が無いわ。だって、雲一つ無い空から黒い刃の雨が降り注いで来たのだから。気付いた時にはもう遅い。砂に潜って背鰭を隠しても、既に間近まで迫った死は砂を貫き命に届く。墓標の様に地面に突き刺さった黒い刃が消えると血の噴水が至る所で起きていた。

 

 

 

「……一旦グリエーンに戻りましょう。水浴びがしたいわ」

 

 砂鮫に囲まれていた私は当然大量に血を浴びてしまった。……レガリアは後で殴ろう。

 




新作共々応援待ってます

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クルースニク三人


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クルースニク外伝 ⑩

 火山と荒野が広がる赤の世界レドスと双璧をなす過酷な環境が広がる黄の世界イエロア。砂漠の世界と繋がっているのが自然が豊かを通り越してジャングルが広がるグリエーンと年中穏やかな気候で最も暮らしやすいオレジナというのも皮肉な話である。

 

「諸君! 今日こそ我らの夢を叶える時である!」

 

 そんな砂漠の世界と繋がる地にて野望を達成せんとする男達の姿があった。人目を忍び、森の一角に集うのは逞しい若者達。見詰める先は神殿の一角。そこには砂漠の世界からの来訪者を歓迎する場所があり、彼等の野望の為に目指す場所だ。

 

 その野望とは一体何なのだろうか。誰も彼も真剣な眼差しで指揮官を務める男の言葉を待っている。

 

 

「今、若いお姉ちゃん達が水浴びをしている! 覗くぞ、野郎共!!」

 

「おぉおおおおおおおおおっ!」

 

 あまりにも馬鹿馬鹿しい野望による叫び声に驚いて鳥達が飛び立つ。細かく書き込まれた秘密の地図を手にし、浪漫を求める男達が出発した。

 

 

 

「く、糞! よもや此処までとは……」

 

「畜生! 彼奴は良い奴だったのに……」

 

 男達の冒険は過酷を極めていた。下調べは今の所完璧だったにも関わらず、多くの男が罠によって脱落して行く。涙を流し、罠に掛かって捕まった者達の(社会的な)死を悼みながらも進み続ける。それこそが生き残った者達に許された道だと信じて。

 

 尚、覗きは普通に許されない行為である。

 

 

「よ、漸く来たぞ。ほら、耳を澄ませば聞こえて来るだろう? うら若き乙女が水の中で戯れる声が。……此処から先はより慎重に行くぞ」

 

 この先に存在するのは水浴び場。砂漠を歩いた者達は汗を滲ませ砂塵で体が汚れている。故に豊富な水を集めて作られた無料の水浴び場には多くの者が集うのだ。地図によれば角度が付いているので水浴び場からは見えにくく、間の木々には匂いが強い物が多いので嗅覚が優れた獣人の鼻も誤魔化せる。そんな馬鹿な男の夢の楽園である岩影まで後少し。

 

 そう、後少しだった。向かおうとした男達の襟首が背後から引っ張られる。振り向けば彼ら自身の影から伸びた黒い腕が襟首を掴んでおり、木の陰から男達が知らぬ二人が姿を現した。

 

「はいはい。ストップストップ。オジさん、手荒な真似は嫌いだから降参して欲しいなあ」

 

「何言ってんだ。全員ぶっ飛ばせば良いだろ。この先には隊長がいるんだぞ、隊長が! 一度上に置くって決めたんだからケジメは通す。舐めた真似をする気だった野郎はぶっ飛ばす!」

 

「君、普段はチンピラなのに変な所で真面目だよね」

 

 謎の二人組ことレガリアとレリックは既に勝敗は明らかだと言わんばかりだが、残った男達とて数々の罠を潜り抜けて来た猛者ぞろい。この先で野望を果たした末に(社会的な)死が待っていたとしても止まれない。無理矢理服を引きちぎり、レガリア達に立ち向かう。

 

「男の夢を邪魔するんじゃねぇええええええええっ!」

 

「いや、アホか」

 

 数秒後、纏めて叩きのめされた覗き魔達の姿があった。

 

 

「いやぁ、若い子ってのは無謀だねぇ。力の差が分かる程度の力は有るでしょうにさ」

 

 やれやれ、本当に面倒だったよ。実はこの覗きだけれど前から発覚していたんだ。でも、それなりの使い手が関わっている上に覗きスポットは数多い。全部の場所を警備するのは無理だから少し策を練った。そう、一網打尽にする為の策をね。

 

 わざと若い子達が集まってるって情報を流し、大勢が集まって覗ける場所の罠の場所をこっそり知らせれば見事に引っ掛かってくれちゃってさあ。オジさんも男だから分かるけれど、本当に男って馬鹿だよねぇ。

 

「レリック君、取り敢えず知らせてくれるかい?」

 

 当然だけれど隊長を含む女の子達は裸じゃないのさ。万が一にでも抜かれて一瞬でも肌を見られたら可哀想だよねぇ。でも、これで事件は解決。既に容疑者だった連中は捕まえたし、さっさと声を掛けて水浴びをして貰おうか。

 

「へいへい。おーい! 終わったぞ! ……んじゃ、俺達も水浴びに行こうぜ。……どうせだったら女と一緒が良いよな」

 

「ノーコメントで。オジさんも男だけど奥さん怖いからねぇ」

 

 岩に飛び乗り、大声を上げたレリック君だけれど少し気になるみたいだね。でも、変に義理堅いから覗きはしないみたいで結構結構。でも、レリック君って年相応の性欲持ってるし、困った事にならなければ良いんだけれどねぇ……。

 

 岩陰から覗けば絶景が待っていると分かってか名残惜しそうに視線を送るけれど、レリック君は最後まで理性を保ちつつ覗き魔達を運ぶ。このまま神殿に戻ったら報酬を貰って今度こそ目的地に向かうだけ。

 

 

 

 

「……だったら良かったのにねぇ」

 

 まさか嫌な予感が的中するとは人生はままならないよ。神殿の屋根の上、女神像の陰に隠れてレリック君の姿を眺めながら帽子に手を当てる。彼は今、女の子達に囲まれていたよ。

 

 

「彼奴達って結構強いのに凄いわ」

 

「お兄さん素敵ね!」

 

「はっ! あんな雑魚を倒しても自慢になりゃしねぇよ」

 

 ほら、獣人って基本的に強い相手が好みで、覗き魔達もそれなりの使い手だったんだ。それを簡単に退けたらねぇ。ご覧の通りにモッテモテ。可愛い子達に囲まれてチヤホヤされて、すっかり良い気分になってるよ。

 

 ……オジさん? オジさんは奥さんと娘が大切だからねぇ。こうやって逃げ隠れさせて貰っているよ。若い子はレリック君に行ってくれてるんだけど、オジさんと同年代の人達は別でさぁ。……このまま何時まで隠れていれば良いのかなぁ?

 

 五感と身体能力に優れた獣人達から逃げおおせるのは並大抵じゃ無い。溜め息を吐き、レリック君の方に視線を戻す。ありゃりゃ。腰に手を回して引き寄せて、顔だって何時もの表情を何とか保てて居るけどさぁ……。

 

「っ!」

 

 背後から感じる気配に身を竦ませ、凄く疲れるから嫌だけれどコウモリになって逃げ出す事も確保したオジさんは後ろを向いて安堵する。良かったぁ。

 

「隊長、驚かせないでくれるかい?」

 

「ごめんごめん。にしても水浴びに来たら面倒な事に巻き込まれちゃったわね。まあ、報酬はそれなりだったけれどさ」

 

 オジさんの横に腰掛けながら弄ぶ袋の中に詰まっているのは覗きに困っていた女性達が出し合った報酬。誰に頼むかって話しているのを聞いて引き受けたけれど、どうやら色を付けてくれたみたいだ。

 

「私も家出するなら実家は頼れないって自分のお金しか持たなかったし、何をするにもお金は必要だからね。幾らあっても困らないわ。じゃあ、管理宜しく」

 

「役人に嗅がせる鼻薬に宿代諸経費、各自のお小遣い。オジさんは家にお金を送りたいし、ちゃんと管理しておくよ」

 

 投げられたお金をキャッチして懐に仕舞うんだけれど、レリック君が遂にお持ち帰りされそうになってた。おいおい、獣人の体力と性欲を知らないな、彼。何人か娼婦に相手をして貰っていたけど全員人間だったし。数人の女の子と神殿近くの宿に向かおうとするレリック君に心配が募る。

 

「男って嫌ねぇ……」

 

「オジさんはしっかりしてるからね? 奥さん一筋だから」

 

 さて、旅の仲間の顰蹙を買うのも、レリック君が足腰立たなくなるまで搾り取られて出立が遅れるのも嫌だし、ちょいと奥の手を使わせて貰おうか。実は既に屋根裏部屋に忍び込んで捕まえていたんだ。……レリック君が大嫌いな蜘蛛をね。

 

 袋から取り出したのは毒は無いけれど手の平サイズの大きな蜘蛛。元気に足を動かしているし、これなら効果大だね。体から一匹のコウモリを出して蜘蛛を掴み、レリック君に急接近させる。女の子に夢中で胸元やお尻ばっかり見ている彼は気が付かず、頭の上に簡単に落とせたよ。

 

「ん? 何だ……こりゃ……」

 

 何かと思い、素手で触って見れば手の中で蠢く大きな蜘蛛。レリック君の顔色が見る見る内に青ざめて行った。

 

「あら? どうかしたの?」

 

「たっぷりご奉仕してあげるから早くベッドに行きましょう?」

 

「く、く、蜘蛛ぉおおおおおおおおおおおっ!?」

 

 女の子達が体を擦り寄せて誘惑するけれど、今のレリック君には通じない。情けない悲鳴を上げて一目散に逃げ出した。あらら。女の子達が呆然としているよ。

 

 

「さてと。残りの蜘蛛で驚かせながら上手い事イエロアの方に誘導しようか。じゃないと言う事聞かなさそうだしねぇ」

 

「……鬼ね」

 

 え? うん、そうだよ。オジさんは吸血鬼だって。ちゃんと教えたよね? それにしてもレリック君の反応は面白いよねぇ。

 




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クルースニク外伝 ⑪

 灼熱の砂漠を歩き続ければ何か見えて来ると思っていたのにモンスターの一匹すら目にしない。いやはや、退屈のあまり楽器でも弾き鳴らしながら一曲歌いたい所だけれど、楽器は持っていないし奥さんに止められているからねぇ。

 

 

「今度人前で歌ってみろ。絶対ぶっ殺してやるからな」

 

 いやぁ、怖い怖い。奥さんが居ない今なら歌っても平気だと思うけれど、レリック君が絶対バラすからなぁ。奥さんに殺されてバラバラにされちゃうよ、オジさんが。……それにしても。

 

 照りつける太陽、完全に乾いた空気。そして見渡すばかりの砂砂砂。あ~、嫌だ嫌だ。レリック君が何か面白い事をやってくれたら嬉しいんだけれど、頼んでも絶対にやってくれないよねぇ。だって覗きを退治したら女の子達とお楽しみに漕ぎ着けそうになったのをオジさんが邪魔したからね。……食べるんじゃなくて食べられていたって知らずにさ。

 

「レリック君。オジさん、ちょっと眠くなって来たんだけれどさ」

 

「寝るなら寝ろ。流砂を発見次第放り込んでやるからよ」

 

 ほら、ちょっと弱音吐いただけでこれだよ。吸血鬼は夜行性だから朝は眠いし、昼だって出来れば眠っていたいんだ。夕方から夜明けまで働けばそれで良いでしょうにさ。

 

「じゃあ、もう少し涼しくしてくれるかい? オジさんの周囲、結構暑くなって来たんだ」

 

 出会った頃に比べて随分と乱暴って言うかチンピラになっちゃったよね、レリック君ってさ。でも、オジさんの頼みに舌打ちをしながらも御札を取り出す所は素直で嬉しいな。パップリガ特有の魔法である札術によって細かい氷の粒がオジさんの周囲を漂って気温を下げてくれる。

 

「本当に君が居てくれて助かったと思うよ」

 

「こんな時にばっか言うよな、レガリアさんってよ。隊長、確か途中にオアシスが有るんっすよね? どの位で到着するんっすか?」

 

「ん~。此処から見える岩山の大きさからして三十分って所かしら? あの岩山の直ぐ側だし、折角だから競争しましょうか。ビリが一位にご飯奢りって事で……ヨーイドン!」

 

「汚っ!? ってか、先頭を歩いていただろ、アンタ!」

 

 提案するなり走り出した隊長と、直ぐ様それを追って走り出すレリック君。砂塵が舞い上がって視界を遮り、漸く見えた時には二人は遙か遠くに行っている。こらこら、オジさんは君達より足が遅いんだから駆けっこじゃ勝ち目が有る訳無いじゃ無いのさ。

 

 やれやれ、仕方無いなぁ。あの二人のどっちが勝っても沢山食べるだろうし、ちょいと財布が軽くなるのも覚悟して……。懐から財布を取り出して中身を確かめる。まあ、ご飯を食べる位は有るし、年下に払わせるのもどうかだしオジさんが奢るかぁ。

 

 

 

 

 

「なーんて事は思わないのさ。二人共一人前なら子供扱いはしないよっと。別に転移は禁止って言ってないし、甘かったねぇ」

 

 二人が未だに半分位の所でせめぎ合ってる時、オジさんはオアシスに居たので奢って貰うの決定です。いやぁ、実はオジさんも転移系魔法は使えるんだよねぇ。一度来て魔力のマーキングをしなくちゃ転移出来ないし、あまり長距離も無理な上に魔力を馬鹿みたいに使うからマジで使えねぇんだけどさ。正直言って多少時間を使って向かった方が対費用効率的には上な位にね。

 

「さて、キンキンに冷えたビールでも飲みながら血の滴る肉でも食べたいねぇ。……そうしたかったんだけれどさぁ」

 

 その辺の建物の壁により掛かり二人が来るのを待っていたんだけれど、どうも様子が妙だ。鼻に付く刺激臭が漂い、元気の無い人達がフラフラしながら歩いている。外に出ている人も少ないし、こりゃ何かあったな。オアシスの町だってのに活気が無い。また面倒な事に巻き込まれそうな予感がするよ。

 

 砂漠の中を歩き続けた旅人が求める水が豊富に存在するオアシスだけれど、こりゃどうも飲む気になりゃしない。だって小鳥が浮いてるんだもの。

 

「疫病か伝染病か……もしくは」

 

 どうやら考えるまでも無かったらしい。底まで見えそうなオアシスの水が中心辺りから赤く染まり始めたんだ。まるでコップの中の水に墨汁を混ぜたかの様に赤い色は広がり、途轍もない臭気が漂う。うへぇ。発生した煙を吸った鳥が落ちて来た。これは危ないと離れれば水は全体がグツグツ煮立って更に臭気は増して行く。こりゃ鼻が利く二人なら鼻を押さえて転げ回っていたよ。オジさんだって長い間放置されていた便所の臭いを嗅いだ気分なんだからさ。

 

 手で鼻を塞いで逃げ出したいけれど、そうは行かないねぇ。何せクルースニクは魔族に対抗する部隊なんだし。魔本を手に取り待てば水底より巨体が姿を現した。角刈りの金髪に逞しい巨体、後は亀の甲羅っぽい手甲とブーメランパンツ。見るからに不振人物な彼は平泳ぎでオジさんの方に向かって来たし魔法でも撃っておこう。

 

「ふははははは! 我が輩の名はギャード・タラ……ブッ!?」

 

「いや、敵の名前とか興味無いからさ。有るとしたら死に様かな?」

 

 オジさんの周囲を浮かぶ無数の黒い球体。光さえ飲み込む漆黒の闇を半透明の膜が覆い、内部で青白い炎が揺らめく。大きさは拳大。総数は二十。それをパンツ一丁の男に向かって放つと最初の一発が顔面に命中した。着弾と共に弾け飛んだ弾の衝撃で彼の動きは止まり、残りも次々に命中して行く。必死にもがくけど無駄さぁ。だって泳ぐのに必要な手や足を重点的に狙って居るし、最後の一発で見事に沈む彼を見送ってから水に近付く。指先で触れて臭いをかいで見たけど、こりゃ酷い。……臭い取れたら良いのになぁ。

 

 娘に加齢臭を指摘された時の事を思い出して落ち込むけれど、咄嗟に伏せれば水の中から飛び出して来たギャードの拳が頭があった場所を通過する。腕を前に突き出して背筋を伸ばしながらギャードはそのまま正面の建物を貫通し、こっちに背を向けた状態で着地した。

 

「さてさて、日課の放屁が終わったと思ったら貴様の様な強者と遭ぐっ!?」

 

 うん、そんな隙を晒している相手に攻撃しない理由が無いよねぇ? オジさん、さっきも使ったけれど実は詠唱無しで魔法を発動出来るのさ。ギャードの足の間から影が上に伸びて爪が鋭い腕となって思いっ切り握り締める。え? 何処をって? はっはっはっ! 二つ有る方の一つをさ。

 

「悪いが馬鹿をマトモに相手取る気は無いんだよ、オジさん」

 

「……ほほぅ。だからこの程度の攻撃しかして来ぬのか」

 

 はぁっ!? いやいや、どうして平然としているのさ!? オジさん、結構魔力を込めたのに今ので効いてないとか有り得ないでしょうっ!?

 

 でも、確かにギャードは平然としながら影の腕の手首を掴むと握り潰す。腕が手首を中心にボロボロと崩れ始め元の影に戻る中、振り向いたギャードには傷一つ無い。さっきの魔法も全然効いていないのかぁ……。

 

 未だに太陽は高い所で輝いているし、転移だの何だので魔力を結構使ってるし、オジさん結構疲れて来たんだけど、目の前の馬鹿は帰ってくれるタイプじゃ無いよね。

 

「ふははははは! 軽い、軽過ぎる! 貴様の魔法には重さが足らん!」

 

「まあ、物理的な質量が足らないからねぇ。それで日課の放屁って何さ」

 

 胸筋をピクピク動かしてポーズを取りながらギャードは人差し指を突き付けて来るけれど見ていて暑苦しいよ。ったく、誰だよ、こんなのイエロア派遣したのは。余程性格が悪いんだろうよ、其奴。

 

 今の状況は面倒で、それと同時に結構ピンチだ。だってさ、今の魔法で無傷って中級魔族程度じゃ有り得ないもの。今のオジさんじゃ手に余る。うん、時間稼ぎに徹しよう。訳の分からない事を言っているし、何か大きな企みのヒントに繋がるかもね。

 

「分からぬのか? 愚かだな、貴様!」

 

 うっわっ! 馬鹿に馬鹿にされるとかオジさん超ショック。

 

「日課の放屁とは……決まった時間に盛大に屁をする事だ! 冷たい水底で放つと最高に気持ちが良いから貴様もやってみろ!」

 

「まあ、その内ね。……ああ、そうだった。君に確認したい事が有るんだけどさぁ。君、レリル・リリスの部下?」

 

「否っ! 我が輩の上司は魔族を真なる強者に至らせようとするリリィ様だ!」

 

「そっか。それは良かったよ。うん、本当にね……」

 

 助かったよ。いや、だってさ……レリルの部下だったら絶対に見逃す訳にはいかないじゃないのさ。今のオジさんじゃ勝ち目が薄いとか関係無くね。

 

 

 

 

「じゃあ、もうかえっても良いよ」

 

「帰っても良い、だとっ!? 何を言う? 我が輩、未だ拠点に戻りはせぬぞ!」

 

 ありゃりゃ、怒らせちゃったよ。随分と沸点が低いのは馬鹿だからだろうねぇ。オジさんがリリィって奴ならこんな部下は要らないよ。力を持つ馬鹿って危険だもん。考えただけで頭痛がして帽子に手を当てる中、オジさんに向かってギャード腕を振り回しながら迫る。

 

 

 

「いや、違うよ? 家に帰れって言ったんじゃなくてさ……土に還ってって事さ」

 

 さて、出し惜しみしても仕方が無いし、残った魔力を注ぎ込んで切り札を切ろうかね。挑発に乗って動きが単調に……速っ!

 

 それは予想外の事態。怒ったギャードは予想以上に速度を出し、豪腕がオジさんの腹を容易に貫いた……。

 

 

「ふははははは! 大勝利!」

 

 

 

 

 ……うん、そうだね。ちょっと油断が過ぎたみたいだ……。



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クルースニク外伝 ⑫

 世の中、上下関係ってのは大切なモンだ。別に敬う理由の無い奴だって一度上に置くって決めたんなら敬うのが筋だからな。腐れ外道と違って俺は筋を通すって事を大切にしてるんだよ。

 

 ……だが、それと勝負は別だ。勝負するって決めたんだったら全力で挑む。一切の手加減はせずに叩き潰すのが俺の流儀だ。隊長は競争だって言った。つまりは速さを競うって事で、悪いが俺は速さで勝ちを譲る気は毛頭無ぇ。

 

 ……遅い奴は何も出来ないからな。強い弱い、有能無能以前に間に合わないなら問題外、億が一の奇跡すら期待出来ない。あの日、俺は遅かった。弱くてちっぽけで臆病な餓鬼。それでも間に合っていれば何かの役に立てて、運命が……此処までだ。何の意味も無い感傷に浸る時間は終わった。

 

 俺がすべき事は一つだけ。俺の誇りの為に勝利を掴む、それだけだ!

 

 

 

「待ちやがれぇええええええっ!!」

 

「おっ! 速い速い。でも、砂漠を走るのに慣れていないわね」

 

 足に力を込め、全力での激走で隊長の背中が近付いて来た。勝手に勝負を初めて、勝手にスタートした人だが単純な速度だったら俺の方が上なんだよ。一歩踏みしめる毎に砂が舞い上がるし、レガリアさんを置き去りにしちまったが今は気にするな、俺! 勝て! 勝って誇りを守るんだ!

 

 そんな俺の追走に気が付いた隊長だが、急に身を低くすると軽快な動きで飛び跳ねる。ジグザグに動くその速度は普通に走っていた時より上だろうさ。でもよ、それでも俺の方が幾分か速いんだよ!

 

「この勝負、貰っ……!?」

 

 更に速度を上げるべく足に力を入れた時だった。突然俺は横に倒れそうになる。踏み込んだ拍子に足元の砂が流れ、大きく体勢を崩す間も隊長には先に行かれちまった。こりゃ経験の差だな。確かに俺は砂漠で動くのには不慣れだ。普通に考えて勝ち目なんざ有る訳が無い。

 

 ……でもよ、それがどうした? 戦っていれば相性の悪い相手やら相手に有利な戦場やら普通に有る。それで不利だと勝負を諦めるのか? 諦めねぇよな、戦士だったらよ! 良いぜ、燃えて来た。相手の土俵で打ち勝ってやるよ。足場が崩れて速度が落ちる?

 

 

「なら、その分速く走れば良いだけの話だろうがっ!」

 

 もっと、もっと速く! 一秒でも速く足を動かせ。足下が崩れても、バランスが崩れる前に離れれば問題無い。走れ、走れ、走れ! 目の前の道を駆け抜け続けろ!

 

 俺が、俺こそが最速だ。この勝負、俺が一位になるんだぁあああああああ! 俺よりも砂漠での移動に慣れている隊長は悠々と飛び跳ねて俺の先を進む。猫の尻尾が得意そうに揺れていた。

 

 

「あははは! このまま行けば私がトップ!?」

 

 ……その尻尾にグレイプニルを絡み付いた。って言うか絡み付かせた。空中でバランスを崩し、顔面から砂に突き刺さる。俺はその横を楽々と通り過ぎた。はっはっはっ! 勝てば良いんだよ、勝てば!

 

「おっと悪いっすね。手が滑ったんで勘弁っす」

 

 どんな勝負でも俺は全力を尽くす。こんな仲間内の勝負なんだから卑怯も糞も無いってか、隊長の方が先にズルをしたんだ。つまり俺は全く少しも微塵も悪く無ぇ! ははははは! これで俺が一位………。

 

「あっ、ごめん。足が滑った」

 

「へぼっ!?」

 

 かと思ったら背中に隊長の蹴りが叩き込まれて今度は俺が顔面から砂に突っ込む。勢いは殺し切れずに砂の上を滑って行った。熱っ! 砂漠の砂熱っ! や、火傷しちまいそうだ……。だが、負けるかよ。俺は絶対に負ける訳には……。

 

「ごめん。また足が滑った」

 

 起き上がろうとした所で頭を踏まれた。

 

「へぶっ!?」

 

「じゃあ、お先に……ひゃわっ!?」

 

 俺を踏み台に更に先に行こうとする隊長。俺は咄嗟に手を伸ばして尻尾を掴む。大の字になって顔面から砂漠に突っ伏す隊長。はっ! 今度は俺が踏み付けて進んでやるよ。俺は隊長の背中に向かってジャンプ! 

 

「じゃあ、一位は俺の物って事で……」

 

 まあ、ちょいと力を抜いて足を伸ばすんだが、足先が触れる前に反転した隊長と目が合う。俺の足を隊長の手が掴み、そのまま俺を投げ飛ばした。うおっ!? 俺が飛ばされた先にサンドスライムがっ!? 飲まれるっ! このままじゃ飲み込まれるっ!?

 

「貴方なら簡単に逃げられるでしょ? じゃあ、私が一位を貰うから」

 

「させ、るかぁああああああああああっ!!」

 

 再び隊長に絡みつく鎖。今度は足じゃなくって体全体に絡んで何かエロいな。まあ、俺の好みは知的クールなお姉さん系だからな。さてと、悪いが道連れだ。サンドスライムを倒したら再スタートと行こうぜっ!

 

「この勝負、絶対に俺は……」

 

「こんな仲間内の勝負如きで……」

 

「「負けない!!」」

 

 一方その頃、すっかり存在を忘れていたレガリアさんが転移魔法を使って一位になっていた。

 

 

 

「ぬぉおおおおおおおおおおっ!」

 

「負けるかぁあああああああっ!」

 

 せめぎ合いはデッドヒートです互いに妨害無しを条件にした一位になる為の競争は抜かし抜かされの互角の勝負。このまま全力で突っ走れば勝機が……って、臭っ!? オアシスが近付いた時に急に変わった風向きによって鼻に届いた、水がドロドロに腐った様な悪臭に俺は思わず動きを止め、隊長も同様に鼻を押さえる。おいおい、まさか折角互角の勝負で一位を決めようって時に敵襲かよ。

 

 ……舐めた真似してくれるな、おい! 気に喰わねぇ。何処の誰かは知らないが絶対にぶっ飛ばす! 符術で周りの気温を下げる余裕すら無かった事もあって暑さでイライラしてるってのに。横を見れば隊長も勝負を邪魔されて怒ってるらしい。

 

「……一旦勝負はお預けね。無粋な真似してくれた奴を相手にクルースニクの初陣と行きましょう!」

 

「了解、隊長! 男同士の勝負を邪魔した奴に目にもの見せて……やっべ」

 

 やっべぇえええええっ! 今までレガリアさんとだけ組んでたから男同士ってうっかり言っちまったっ! 恐る恐る隊長の方を見れば……良かった、笑ってる。こりゃ助かったな。でも一応謝っておくか。

 

 

「えっと、すいません、隊長」

 

「大丈夫。何もする気は無いわ。……今はね」

 

 助かってねぇえええっ!? ってか、よく目が笑ってねぇっ! ……許さねぇ。これも全部余計な真似をしやがった奴のせいだ。

 

 いや、自分でも八つ当たりだって分かってるんだがな。まあ、現実逃避って奴だよ。あー、糞。こんな時こそレガリアさんの出番だってのに、何やってんだ、あの人。

 

 俺達は鼻を押さえ涙目になりながらも悪臭が濃くなっている方に向かい、巨漢に腹を貫かれたレガリアさんの姿を目撃した。

 

「ふははははは! 所詮は人間、我が輩の敵では無いな。……おっと、屁が」

 

 爆発でも起きたのかって位の轟音と共に灼熱と悪臭のガスが巨漢のケツから放たれる。咄嗟に避けたが鼻の中に針を突き刺されたみたいな刺激臭。あの野郎、何食ったらこんな屁が出るってんだよ。ってか、矢っ張り魔族だよな? 魔族に間違い無いよな? よし! 魔族だ、ぶっ殺す!

 

 俺達に背を向けていたからか未だに気が付かずに大笑いしている野郎の首筋目掛けてグレイプニルの切っ先が迫る。何時もはジャラジャラ鳴っている鎖も今日はコントロールして鳴らない。こうやったら少し威力は変わるが、急所狙いだ、構うもんかよ!

 

 グレイプニルの切っ先は一寸の狂い無く巨漢の首筋に命中、皮膚を貫く事も出来ずに弾かれた。……はぁっ!? おいっ!? 幾ら威力が下がるっつっても限度ってモンが有るだろうが! 俺は直ぐにグレイプニルを引き戻そうとするが、流石にこっちに気が付いた巨漢が振り向いて鎖を掴み、強く引っ張る。結果、俺が鎖を伸ばしたので勢い余って後ろに転んだ。

 

 その勢いによってレガリアさんの腹から腕が抜け、血溜まりに彼の体が落ちて力無く転がった。……ああ、駄目だ。我慢を覚えろ、怒りを抑えろ。そんな風に習って分かった気で居たってのに、流石に限界だわ。きっと今の俺の体は震えてるんだろうな。声だって冷静なつもりだが、別物だろうよ。

 

「隊長、レガリアさんを任せます! あのデカブツは俺が叩きのめす!」

 

「ふははははは! 汝の様な小僧が我が輩を叩きのめす? 片腹痛し! そして心意気や良し! このギャード・タラスクが胸を貸してやろう! その事を誇りに逝くが良い!」

 

「五月蠅いんだよ、デクが。一々叫ばねぇと喋れねぇのか

 

 両手を左右に広げ、胸筋を誇示するみてぇに胸を突き出すギャードを睨みながら俺は考える。今ので分かったが、此奴は異常に固い。正攻法で勝つのは難しいが……そんなの関係無いよな。

 

 ギャードの爪先が触れ、波紋が中心から起きているレガリアさんの血溜まりを見ながら拳に力を込める。目の前の此奴だけはぶっ飛ばさねぇと気が済まないんでな!



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クルースニク外伝 ⑬

 何だよ、此奴は? 明らかな罠に見えるんだが……あからさま過ぎるんだよな。勢い任せに怠慢を挑んだ俺だったが、ギャードの姿に早速困惑していた。巨体と頑丈さを活かした突撃は鈍重な感じはあるが巨大な壁が迫って来るみてぇなプレッシャーを感じさせる物だ。だが、だけど、それなのに……。

 

「これぞ超必殺ローリングギャードパーンチ!」

 

 腕を振り回しながらの突撃とか、餓鬼の喧嘩じゃねぇんだぞっ!? 隙だらけだし、超必殺ってテメェの頭が死んでるんだよ! だが、それでも此奴は強ぇ。さっきは掴まれたが、今度は変則的かつ速度を上げた動きでグレイプニルを操って切っ先を向ける。鳩尾、顔、関節。どうしても筋肉が薄い部分は有るからな。実際、そんな所には刺さる。だが、少しだけだ。ったく、どれだけ堅いんだよ。

 

 刺さったのはほんの切っ先だけ。そんな程度じゃギャードは大して気にした様子も見せずに腕を振り回しながら向かって来た。……成る程な。

 

 此奴相手に刃物は通じないってんなら、やり方を変えるだけだ。俺は鎖を腕に巻き付け、ギャードに向かって駆け出した。彼奴自体はノロマだが、俺も正面から向かって行けば二人の距離は一気に縮まる。俺に迫る豪腕、当たれば只じゃ済まないって俺の戦士の勘が告げる。

 

 堅くて重くて強い。ああ、本当に面倒な奴だ。舌打ちをしながら更に一歩踏み込み、束ねた鎖を顔面に向かって振り抜く。二人の速度と俺の腕力、ミスリル製の鎖の硬度が合わさった一撃。金属同士がぶつかった音と共に俺の腕に走ったのは痺れだ。

 

 ギャードの予想以上の堅さに俺の動きは一瞬遅れ、避けた筈が僅かに引っかけられる。突進をマトモに受けたって訳でもないのに宙に投げ出される俺の方を向きながらギャードは膝を曲げて力を込めていやがった。

 

「空中ならば身動きが取れまい! 超必殺クロスギャードアターック!」

 

 膝に溜めた力を一気に解放しての跳躍。交差させた腕を前方に構え、俺に向かって迫って来る姿は巨大な岩みたいだ。掠っただけでこうなんだから、正面から受ければどうなるかなんざ馬鹿でも分かる。……目の前の馬鹿でさえもな。

 

 交差させた腕の隙間から見える奴の顔は笑っていた。

 

「……はっ!」

 

 甘いんだよ、馬鹿がっ! ギャード同様、俺の顔にも笑みが浮かぶ。デカいってのは難儀するよな、おい! 何せ自分の体に何が張り付けられているのかさえも気が付かないんだからな。

 

 そう、既に俺は勝利への布石を打っていた。はね飛ばされる寸前にギャードに貼り付けた札。それが今効果を発揮する。鳴り響くバチバチって音に漸く気が付いたみてぇだが遅い。

 

「さっさと死ねや」

 

 ギャードに貼り付けた札から空に向かって雷が昇って行く。雷によって全身が痺れギャードの体勢が崩れた。そのまま落下すりゃあ多少は堪えるだろうが、それだけじゃ死なねぇよな? だから俺が手伝ってやるよ。死出の道行きをな。

 

 グレイプニルを再びギャードに伸ばし、腕と首に巻き付かせる。軌道を締め上げられた事でギャードが暴れるが絶対に離してやるかよ。

 

「ぐ、ぐくぅ……」

 

 腕に力を込めて鎖を破壊しようとするがミスチルの鎖は簡単に壊れず、そのまま顔面から岩に激突、岩の破片が周囲に飛び散る。その体から外れる鎖。俺は空中で空高くまで振り上げ、ギャードの頭に向かって先端を振り下ろす。ああ、テメェには刃は通じないんだよな。なら、鈍器はどうだ?

 

 刃に鎖が巻き付き、それを核にして歪な球体を作り上げた。頭から岩に激突しても直ぐにギャードは起き上がろうとするが、頭がお留守だぜ! 鎖の塊がギャードの後頭部に激突、血飛沫を上げて前のめりに倒れるギャードの姿に俺は勝利を確信し、もう一度振り上げた。念には念だ。徹底的にぶちのめしてやるよ!

 

「……よもや、よもや此処までとはな」

 

 耳に届いた呟く声、俺の全身に悪寒が走る。押してるのは俺の筈だ。だが、何だよ、この不安は。

 

「……剛雷よ、来たれ!」

 

 ああ、そうだ。俺は何を調子に乗ってやがるんだ? 最初っから格上だって認識だっただろうが。それが相手が馬鹿で、偶々攻撃が上手く効いているってだけで勝った気だったのか? 

 

 直感ってのは大切だ。だから従い、今可能な最大規模の攻撃を出してやるよ。過ぎたるは及ばざるが如し? 格上相手だ、オーバーキルで丁度良い。懐から取り出したのは俺が同時に行使できる最大数五枚。しかも五枚全てが限界まで魔力を注いだ切り札。だから使う、今使う。

 

 天に掲げた五枚の札は激しく放電して周囲を照らし、やがて雷は線となって五枚を繋ぐ。五枚の札を点にした五方星。その輝きは俺が残りの魔力を注ぎ込む事で更に増す。

 

 ……足りねぇ。こんなもんじゃ到底足りねぇ。なら……体力も追加だ! 俺の体力の殆ども注いでやるよ。食らいな! 俺の最大最高最強の一撃をな!

 

 



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クルースニク外伝 ⑭

 俺が弱っちくてちっぽけな餓鬼だった頃、偶に会える父親にオンブして貰うのが楽しみだったのを覚えている。母さん達他の家族もしてくれたが、父さんの背中は一際大きく頼もしく思えたんだ。

 

「……お前も何時か誰かを背負える男になれるさ。何時かは私の背中が小さく見えて、お前に背負われる相手はお前の背中を大きく頼もしく感じる事だろう」

 

「そっか。じゃあ、その時は俺が父さんを背負うよ」

 

 生きているか死んでいるかは分からないが、この広い世界が六つも有るんじゃ会える可能性は低いだろうな。だから果たされない約束だと思っていたんだ。

 

 だが、今俺は実の父親じゃないが父親同然に思っている人を背負い全力で走っている。因みに全然嬉しくない。いや、だってよ……。

 

 

「逃げろぉおおおおおおおおおおっ!!」

 

 今、とんでもないモンスターに追われている途中だからだよ。朝日が昇ったから野営を終えて出発しようとした時、砂の中から其奴は現れた。樹齢数百年の大木を思わせる巨大な蛇が砂の中から這い出し、俺達を獲物として見てやがった。上等だ、返り討ちにしてやるよって立ち向かおうとしたんだが、七体追加だ。

 

 流石にヤバいと思って逃げ出す事にしたんだが、レガリアさんは夜行性。何時もだったら俺が棺桶を引っ張るんだが、そんな状況じゃあ無いってんで背負って走っていた。当然蛇共は追って来るんだが、更に驚きの事実が発覚。蛇共の後方の砂が盛り上がり、蛇より更に巨大なタコが姿を現した。

 

 いや、違う。あの蛇、全部タコの足だ。八匹の蛇と一匹のタコ、計十六の目が走る俺達を見詰め、更に速度を上げて追って来る。あーもー! タコが砂の中に出て来るな! 鮫が砂の中を泳ぐ時点で今更? うっせぇ!

 

「ありゃりゃ。確か砂蛇蛸(すなへびだこ)だっけかな? 珍しいモンスターだよ。彼処まで大きいと八百年は生きてるね」

 

「気が散るから耳元で喋るな! んで、弱点はっ!?」

 

 感謝はしている、慕ってもいる。でも、城よりずっと大きいタコの化け物に追われて砂漠を走っている最中に背負っている中年男に耳元で話されたら気が散るんだよ! 俺は耳も鼻も利くからな。ってか、最近加齢臭が酷くなってんぞ、レガリアさんっ!

 

「……さあ?」

 

「投げ捨てて良いか? 正直臭い!」

 

「ちょっと酷く無いっ!? オジさん、ちょっと気にする年齢なんだけど!?」

 

 何か泣きそうな声になって……あ~。そういや、この前娘に臭いって言われてたよな。ちょいと同情しちまうな……。

 

 

「……何かごめん」

 

「謝られても傷付くからさ……」

 

 どうしろとっ!? ってか、こうやって無駄話している間も砂蛇蛸が後ろから迫って来てるんだがなっ!

 

 背後から感じるのは砂臭さと生臭さ。それに加齢臭が間近から臭って来るんだから堪ったもんじゃねぇ。目に染みるんだよ。だが、これだけキツいんなら見なくても大丈夫だ。グレイプニルを振り回し、勢いを付けて放つ。鎖に映ったのは蛇の口から入り脳天から突き出した刃の姿。さてと、これで一匹仕留めて……無ぇ!?

 

 グレイプニルは確かに蛇の一匹をぶっ殺した。だが、蛸の歩みは止まらない。蛇共は地面を這い蠢いて全く速度が衰えて無い。

 

「あっ、砂蛇蛸の足の蛇って殺しても動くよ? 手足に意思が有るだけで動かしているのは蛸だから」

 

「マジで投げ捨てて良いかっ!?」

 

 そういう事は先に言えっ!

 

 

「貴方達、こんな時に遊んでるのよ! ……あのモンスターって血が凄く臭いのよねぇ。私がナイフで切り裂いたら血を浴びちゃうじゃない」

 

「あ~、そりゃ無理も無いか」

 

 隊長なら簡単にぶっ倒せそうだが、臭いのは仕方無いよなぁ。俺は隊長の言葉に納得するしか無い。しゃーねぇ、逃げ切るのは面倒だし、此処はレガリアさんの魔法でどうにかして貰うしか……。

 

 

「……あのさぁ、ちょっと言い出し難いんだけれどオジさんって今は禄に魔法使えないからね。腹ぶち抜かれた傷を癒すのに魔力使い過ぎちゃってさ」

 

 本当に今はお荷物だな、このオッサン! ああ、こうなったら俺が蛸の本体をぶっ倒すしか無いか。

 

「隊長、ちょいと加齢臭がキッツイがパース!」

 

 だからレガリアさんを隊長に投げ渡す。隊長はそれを受け取ってくれなかった。飛んで来たレガリアさんを見て咄嗟に体を捻り、そのまま顔面から砂に突っ込んだ。

 

「……ごめん。生理的に何か嫌だった」

 

「気持ちは分かる」

 

「若者達が今日は酷いっ!? オジさんだって泣くんだからねっ!?」

 

「って言うか馬鹿な事をやってる内に迫って来てるんだけどっ!? ……こうなったら仕方が無いわね! さっさと終わらせて街で水浴びするわよ」

 

 俺と隊長は今は全っく役に立たないレガリアさんを庇う様に武器を構え走り出す。ナイフ(ホリアー)の柄を右手に構え、グレイプニルの鎖を掴んで跳ぶ。蛇共が鎌首を擡げて大口を開けて襲い掛かるが、鎖が揺れ動き蛇の動きを封じ、そのまま隊長は蛇の胴体を駆け上がる。

 

「この時点で臭いのよ!」

 

 ヌメヌメした蛸の胴体に足を踏み入れた瞬間に隊長が泣きそうな顔で叫ぶ。うん、だよな。俺だってこんな臭いモンスターに近付くのも嫌だし。マジで獣人の嗅覚って役に立たねぇ!

 

 でも俺は蛇の動きを封じるので精一杯だからな。頑張れ、隊長! 凄く頑張ってくれ!

 

「何か腹立つから後で殴るわよ、レリック!」

 

 ……理不尽じゃねぇ? てか、心読まれて無い?

 

 蛸も隊長を振り落とそうと暴れるが、隊長はヌメヌメした砂蛇蛸の体の上を駆け回り眉間へと迫り、ホリアーを振るう。どす黒い血が噴き出し、隊長はそれを咄嗟に避ける。あっ、飛沫がこっちまで……臭っ!

 

 

「……水浴びしてぇ」

 

 何かドブ川が腐って生ゴミと混ぜたみたいな臭いがする。服に数滴振り掛かっただけなのにドブ川で水浴びした気分だわ。って、蛸が未だ動いていやがるっ! どんだけタフなんだよっ!?

 

「矢っ張りナイフじゃ浅いかぁ。……良し!」

 

 え? 隊長が腕を振り上げて……砂蛇蛸の巨体を殴り飛ばしたぁっ!? どんだけ体重が有るんだよ、あの蛸! 殴られた部分がすっげぇへこみながら垂直に飛んで行ったぞっ!?

 

 いや、隊長って素早さを活かしたナイフでの近接戦が得意なタイプじゃ無かったのか? どう見てもありゃゴリッゴリのパワータイプ……。いや、寧ろゴリラ……。

 

「私、それなりに鍛えてるから力も強いのよ。ご先祖様に憧れてるからナイフで戦うけど。……仲間だから五発で許してあげる」

 

 だからどうして考えが分かるんだよっ!? ……俺、死んだな、こりゃ。

 

 

 

 

 

「それで情報源が居るって言ってたけれど、どんな奴なんっすか?」

 

 あの後、俺は生きていた。お世辞におべっか、敬語にヨイショ。最後に街で夕飯を奢るって事で何とか助かった。まあ、俺の財布は死んだがな。元々禄に入ってなかったのによ。

 

 ……この話は忘れよう。今大切なのは情報源だ。あのギャードって魔族の居場所だって不明だし、誘拐事件だって手掛かりが無いからな。あの街は毒に侵された連中が大勢居る……一刻も早くぶっ倒さないと駄目だ。

 

「えっとね、王族。ってかお姫様」

 

「はあっ!?」

 

 ちょい待て、王族っ!? 盗賊じゃなくて、王の一族!? いや、貴族とかまでは予想してたけれど、マジで王族っ!?

 

「まあ、ナターシャ学園は六色世界中に分校が有るしさ。ほら、一応隊長もお嬢様だし」

 

「あっ、一応お嬢様だったな、一応」

 

 忘れてたけれど、結構なお嬢様だったわ。家出娘が実家に頼れないって金持ち出して無いから金欠だし。

 

 

「さっきから一応一応五月蠅いんだけどっ!? ……ったく、私も偶に自分がお嬢様だって忘れるから同感だけど」

 

 いや、本人が忘れてどうすんだっ!?

 

「ほら、そんな事より見えて来たわ。ガラム王国首都カレイス。私なら顔パスで王城に入れるし、友達に金借りるから今日の宿は期待しなさい。私の奢りよ」

 

「流石隊長! 一生ついて行くっす!」

 

 良かった良かった。さっさと臭い血を洗い流したいんだよ。正直言って俺達って金欠気味だし、風呂とか有る所の宿代もヤバいからな。

 

 

 

 

 

 

「申し訳有りません。今は何方であっても王族方との謁見は禁止となっております」

 

「あれぇ?」

 

 ……こりゃ暫くは臭いままだな。

 

 

 

 

 




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クルースニク外伝 ⑮

「ったく、臭ぇ血が取れたと思ったが、今度は石鹸の匂いがキッツいよな。ままならねぇぜ、マジで」

 

 そう、世の中はままならないもんだ。別に大きな事を望んだ訳じゃなく、大切な家族と一緒に暮らしたいってささやかな願いさえも否定されるし、顔パスで入れるってドヤ顔で言ったくせに隊長が入場を拒否されたりな。

 

 いや、でも対応からしてマジで隊長って凄い所のお嬢様だったんだな。今はベッドの上で菓子食いながら寝転んでるけれどよ。

 

「いやいや、それは仕方無いって。石鹸ってのは基本的に香りが強い物だしさ。それに君達は鼻が利くから。オジさんの加齢臭が気になる位に。それに血の臭いが取れて良かったじゃないのさ。オジさんの加齢臭は体から発している物だから取れないけどさ」

 

 城でお姫様から情報を手に入れるって計画が頓挫したのは困るんだが、今一番の問題はレガリアさんだな。……凄ぇ拗ねてる。加齢臭を連呼したのが原因だろうな隊長なんざパスされたのを回避しやがったし。……投げた俺もどうかと思うが。

 

 だが、金欠の筈がこうして宿に泊まれているのはレガリアさんのおかげだ。まさか砂蛇蛸の蛇の部分の鱗が彼処まで高値で売れるとはな。まあ、大丈夫だろうが……。

 

 因みに高値で売れた時も拗ねていた。加齢臭する位に年を重ねているからね、とかな。うん、正直ごめん。

 

「よし! 今から男だけで飲みに行こうぜ! 良さそうな店を見付けたんだ」

 

「飲みにって、一杯で潰れる君と二人で行ったら介抱しなくちゃいけないじゃないのさ。まあ、良いよ。あの踊り子達が居るお店以外なら付き合うよ」

 

 ギク! 実は正にその踊り子の店だ。水着みたいな格好で妖しく踊る美女揃いって聞いたし、行ってみたいが酒には弱い。なら、一杯をチビチビ飲みながら踊り子を眺め、あわよくば触りたいっていう俺の作戦が此処で頓挫だとっ!?

 

「ななな、何言ってんだ、レガリアさんっ!?」

 

「声でバレバレよ、レリック。まあ、普通の店に行って来たら? 私は私で考えが有るし、ちょっと出掛けるから」

 

 隊長は完全に呆れて蔑んだ目を向けて来るが、俺だって年頃の男なんだから仕方が無いだろ! ……仕方無い。街中をブラブラ歩いて冷やかすか。レガリアさんも誘ってよ。

 

 普通の店に行っても綺麗な姉ちゃんが相手をしてくれる訳でも無し、そんな店にはレガリアさんは一緒に来ちゃくれない。なら自分一人でって言うと、酒で潰れちゃ情けない。……諦めるしか無いよなぁ。

 

 結局、俺達は男二人で夜の街に出向く事になった。隊長は何かやる事が長引くとやらで遅くなるってよ。手伝おうかと思ったが拒否されたし、別に良いか。……凄く慌てた様子だったのは気になったがな。

 

 まあ、良いか。今は酒だ、酒。なーんか嫌な予感がするんだけどな。

 

 

 

「本当に君は酒に弱いねぇ。獣人は酒に強いから飲酒可能年齢が低いけど、君の場合は人の方の血が濃いのかな?」

 

「だとしても飲むのを止めろとかは言うなよ? 酒飲みながら飯食うんが楽しいんだからよ」

 

 雑多な料理に軋む床、散歩していたら給仕の女が綺麗だったから入った大衆酒場で酒を飲み始めた俺だったが、どうも半分も飲まない内に顔が真っ赤になったらしいな。レガリアさんは相変わらず強いからアルコール度数が高いのを既に何杯も飲んでも平気な顔だ。

 

 ……何時か俺も同じ位になってみたいもんだぜ。適当に頼んだ揚げ魚や枝豆を口にして、横を通る給仕の尻に目を向ける。良い尻だな、ありゃ。随分慣れてるのか常連らしい連中が触ろうと伸ばす手を簡単に躱してやがる。

 

「君は本当に女の子が好きだねぇ。……言っておくけど娘に手を出したら怒るからね?」

 

「いや、既に妹みたいなもんだしな。出さないし、向こうだって兄貴みたいに思ってるだろ」

 

「そりゃそうだ。じゃあ、変な虫が寄って来た時は手を貸してよ」

 

 相変わらずの親馬鹿に呆れるが、その時がくれば俺も全力で変な野郎を叩きのめすのが目に浮かぶ。まあ、身内に甘いってのはレガリアさんに似たのかもな。

 

 本当にレガリアさんの娘は俺にとって妹に等しい存在なんだ。可愛がりながら守る筈だった弟か妹と重ねているのかとは思うけどな。それでも結構な付き合いだし、大切な奴なのは変わらねぇよ。母親に似ずに大人しい性格に育ったし、美人に育つだろうさ。

 

 所で大人しい性格の美人と言えば……。

 

「……なあ、レガリアさん。この国の第三王女について知ってるか? 何でも凄い美人だってな」

 

 前々からちょいと小耳に挟んだ話だが、第三王女のラム姫は慎み深く清廉で、誰もが目を奪われる美女だとか。

 

「隊長の友人ってのはその王女様……な訳が無いな」

 

「ハッキリ言うねぇ。まあ、気持ちは分かるけどさ」

 

 確かに隊長は英雄の子孫な上に結構な家柄のお嬢様だが、とんだじゃじゃ馬でお嬢様の前になんちゃってってのが付くタイプだ。猫の獣人なだけに猫を被っていても、簡単に馬脚を現すだろ、あの人じゃ。

 

 俺の言葉に賛同なのか苦笑しながら酒を飲むレガリアさんに釣られて俺も酒を流し込んだんだが、三口目で酔いが回って来た。駄目だ、レガリアさんが五人位に見えるぜ。

 

 まあ、酔い潰れるのは直ぐだが、悪くない気分だ。欲を言えば綺麗な女の酌で酔い潰れるのが一番なんだが。

 

 

「おいおい、一杯で潰れそうとか弱いにも程が有るだろ! ヒャハッ!」

 

「……あぁん?」

 

 折角の気分を台無しにする不躾な声に振り向けば知らない男と目が合う。俺は座ってるし、絡む為にわざわざ座り直して……ねぇな。俺に絡んで来たのは狐の獣人なんだが、座っていない、立っていた。

 

「背が低いだけか。いや、餓鬼か?」

 

「だぁれがチビだ、ゴラァ!」

 

「いや、お前だろ、チビ。ドチビ。おっと立ち上がったら見付けるのが大変だなぁ。声は聞こえても姿が見えないってな」

 

 立ち上がって大袈裟にキョロキョロしてればチビは顔を真っ赤にして来たが、俺は手を伸ばして頭を掴んで押さえつけた。はっ! 届かないでやんの。

 

 少し酔っぱらっていた事で冷静さを失ってた俺もチビも今にも殴り合いを始めそうな雰囲気だ。だが、俺とチビの肩に背後から手が伸ばされて無理に引きはがされる。

 

「こらこら、止しなさいって、レリック君。他のお客さんや店の人に迷惑だよ」

 

「お前もだぞ、ルドゴ。……悪いな、兄ちゃん達。先に絡んだのはお前なんだから大人しくしていろや」

 

 俺をレガリアさん。ルドゴって名前らしいチビをエルフが背後から押さえる。こっちはルドゴがチビってのあってか更に大きく見えるな。まあ、元々デッカいエルフだが、更に頭半分位はデカいし、随分と鍛えてるな、此奴は。

 

 只鍛えただけじゃない、戦う為の戦士の肉体だ。其奴に襟首を掴まれ店の外に運ばれて行く間も手足をジタバタ動かすルドゴも雑魚じゃ無い。正面からの戦いになりゃ楽勝って訳には行かなさそうだ。まあ、俺が勝つがな。

 

「ほら、行くぞ。ったく、直ぐに喧嘩を売りおって」

 

「良いじゃねぇかよ。彼奴もどうせ大会目当ての奴だし、先に一発かましておこうぜ」

 

 ……大会? よく分からねぇが、酒場のそこら辺にそれなりに鍛えてそうな連中がちらほら居るのと関係してんのか? まあ、俺には関係無いんだがな。大会? どうでも良いわ、マジで。あのチビには腹立ったが、それで大会に出るってのもな。

 

「何か冷めちまったし、別の店に行こうぜ」

 

「はいはい、しょうがないなぁ。次の店では喧嘩したら駄目だからね」

 

「へいへい。分かりましたよっと。どうせだったら綺麗な女が接待してくれる所に行こうぜ。レガリアさんの奢りででな」

 

「オジさんの命と財布が同時に死亡確定するんだけどなぁ……」

 

「冗談だよ……」

 

 割と本気で言ったんだが、肩を落とすレガリアさんの姿を見ちまったらなぁ。……あと、俺もそんな店に連れて行ったって知られたらヤバい。まあ、半殺しで済むだろうが……って、半殺しも普通に嫌だろっ!?

 

 

 この後、料理がそれなりに美味い店で飯と酒にして、普通に酔い潰れた俺はレガリアさんに背負われて宿まで戻ったらしい。何も覚えちゃいないから二日酔いの状態で聞かされたんだ。正直言って酒場に入った辺りから記憶が無いな。

 

 

 

「じゃあ、二日酔いが治まったら城に忍び込んで来てね」

 

「いや、城に忍び込めとか……アホかぁああああああああああっ!! あー、頭が痛ぇ……」

 

 その後に聞かされた話が衝撃的過ぎて全部吹っ飛んだってのも有ると思う……。

 



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クルースニク外伝 ⑯

 湿っぽくカビ臭い通路はボロボロで足場が悪く、おまけに空気が淀んでしまっている。俺が進んでいるのは王城の裏手から暫く歩いた先にある秘密の通路。臭いし狭いしボロっちぃ。王族でさえ知っているのは一人位で、運動不足の連中が緊急時に使えるのかって思うぜ。

 

 ……何故俺がそんな所を進んでいるのかって? そりゃ隊長ことなんちゃってお嬢様の頼みだよ。

 

 最初は顔パスで城に入れるって自信満々だった癖に、実際に行ってみると入城拒否。まあ、何か事情があるみてぇだし、ドヤ顔での顔パス発言は一回位しか弄くる材料にしねぇよ。だが、だがな……。

 

「なぁんで正面から入れて貰うの次が不法侵入なんだよっ!? 捕まったら投獄だわ、普通に!」

 

「いや、何か起きているんだったら死刑も有り得るわね」

 

「だったら提案するなっ! せめて隊長が行けや、英雄の子孫で王女様の友人っ!」

 

 俺は我が耳を疑ったぜ。ったく、俺に無茶振りするんじゃねぇっての! ちょっと叫び過ぎたのか息が荒くなった俺だが、隊長が不意に投げて来た物をギリギリでキャッチする。いや、今の矢よりも速い上に顔面に向かって来てたぞ。てか、何を投げたんだ?

 

「水晶玉?」

 

「そう。それこそが王族でさえ殆ど知らない隠し通路の鍵よ。お城の内部に繋がっているからお願いね」

 

 どう考えても王族の為に存在する通路だろうに、どうしても誰も知らないんだ? ってか、隊長はどうして知ってるんだよ。いや、そもそも……。

 

「隊長が行くのが一番良くないか?」

 

「それ、一人が使える回数に限度が有るのよ」

 

「……ん? じゃあ、隊長って限度一杯まで城に忍び込んだって事になるんじゃないっすか?」

 

「気にしない気にしない。お姫様が堂々と買い物に行けないからって買い物を頼まれていたのよ。じゃあ、私からの手紙を渡すから麗しの第三王女に宜しくね」

 

 あっ、これ絶対ホン人が恥ずかしいと思ってる異名だな。今にも笑い出しそうな顔の隊長のせいで俺の中の第三王女へのイメージが崩壊して行く。い、いや、未だだ! お嬢様(笑)の隊長の友達だろうとお淑やかで清楚じゃないって決まった訳じゃないよな!

 

 そう願おう。うん、お会いするのが凄く楽しみだぜ……。

 

「大丈夫! 私の親友だから安心して」

 

「何か不安になって来たっす」

 

「何でっ!?」

 

 ……蛇足だっけか? まさに今の隊長の言葉はそれだ。いや、逆に正反対の性格だから仲良くなれたって可能性も有るんだよな。うん、そう思おう。

 

 

 そして街の外から遠回りしてやって来た目的地、俺の目の前には巨大な岩が有った。全く同じ形の岩が寄り添って居るみたいに中心に切れ目が入った四角い岩。自然にこんな綺麗な形になるのは不自然だ。周りの岩と違って苔むしていないしな。

 

 本当なら最短ルートで行きたかったんだが、城の裏手だ。そりゃ警備が居るわな。寧ろ居なかったら無能……っと、考えが逸れた。どうもこの岩で正解らしく懐に入れた水晶が僅かに熱を持ち、隊長に言われた通りに岩に近付ければ風呂の湯位にまで温かくなる。後は呪文を言えば入り口が現れるって言ってたな。確か……。

 

「開けーゴマ! ……なんだこりゃ」

 

 呪文を教えて貰った時も妙だと思ったが、実際に口にすると首を傾げたくなる内容だ。ったく、何処の誰が考えたんだよ、こんな呪文。隊長が言うには一度に入れる人数は1人の上に回数制限まで有るってんだから抜け道を作った奴の顔を拝んでみたいぜ。

 

 正直言ってこれで何も起きなかったら隊長にビシッと文句を言う所だが、直ぐにその必要が無いと分かる。岩が振動しながら左右に分かれ、地面の下に向かう階段が姿を現した。……どうも中は本当に長い間誰も足を踏み入れてないらしく淀んだ臭いが漂って来たがな。……正直言って入りたく無いな。

 

「……糞っ!」

 

 こうしてる間にもギャードの奴の毒で苦しんでいる連中が……いや、それは俺には関係無いんだが、随分と舐めた真似をされたんだ。情報を得て見付けて叩き潰して誰かが助かっても俺には興味無ぇ。感謝したかったら勝手にしろって話だ。

 

 意を決して踏み込めば埃が積もりに積もっていて、俺が動く度に舞い上がる。辟易しながらも階段を下り切った時、何か音がした。……嫌な予感がするな。そっと音がする方向、上を見れば閉じていく岩。と、閉じ込められた? こんな臭い所に?

 

「……先に行くか」

 

 仕方無ぇ。どうせ隠し通路だし、勝手に閉まって当然だ。入ったからには出る必要が有るし帰る時にはどうにかなるだろ。

 

 ……にしても、こんな通路を誰が何の為に作ったんだろうな。王族が存在を知らないってのがどうも引っ掛かる

大っぴらには中に入れない奴の為? だが、これだけ大掛かりなのを作れるのは余程の魔法使いじゃないと……。

 

 途中で面倒臭くなった俺は考えるのを止める。いや、普通に分かる筈が無いだろ。確か三百年前位に作られたんだろ? じゃあ生きちゃいないだろうし、うっすら光って道を照らす壁には緊張を解す方法が色々刻まれている。……作ったのは絶対アホだな。魔法の腕前があってもアホで間違い無ぇ。

 

 そんな風に進み、漸く俺は壁に行き当たる。確か目当ての相手の部屋に繋がる所が光るんだっけか? んで、他に誰が居る場合は赤く光り、居ないなら黄色く光る。だがよ……王女の部屋って普通は専属のメイドとかが居るもんじゃないのか? だから黄色く光る筈が……あったよ。

 

 俺の目の前の壁は確かに黄色く光り輝いていた。……マジ? 俺の認識が間違っていたとか、そんな感じかよ。

 

「まあ、これで後は手紙を渡して情報と金を受け取れば用事は完了だ。面倒臭い仕事だが、美しいって評判の王女様の顔でも拝ませて貰うとするか」

 

 直ぐに渡せる様に手紙を懐から取り出し、光った壁に手を触れれば通り抜けて……いぃ!? これ、通り抜けるっつーか吸い込まれてやがる! 咄嗟に踏みとどまろうとするが力が強過ぎる。そのまま光の中に吸い込まれる。おいおい、どうなってんだよ、隊長!? こんなの全然聞いちゃいないっての! 

 

 視界が光に包まれる中、俺はせめてもの抵抗と手を伸ばしてもがき、光が一層強くなった時に目を閉じてしまった。吸い込む力が無くなったのはその後で、それでも空中に投げ出された俺は止まらない。どうなったのか目を開けて確かめる前に伸ばした手が柔らかい物を掴み、そのまま柔らかい場所に倒れ込む。直後、柔らかい物が唇に触れた。

 

「一体何が……」

 

 目を開け、状況を把握する。そう、最悪の事態をな。

 

「き、君は誰だ……?」

 

 俺の目の前には青い短髪の美少女。多分さっき唇に触れたのは此奴の唇だろうな。俺の手の中にはその美少女の胸。思わず数度揉んじまった。俺は今、この国の第三王女らしい女を天蓋付きのベッドの上に押し倒し、胸を掴んで唇を奪っていたんだ。

 

「……えっと、先に言わせてくれ。悪い。そして全部事故だ」

 

「……なら、さっさと退けぇ!」

 

 俺の肩に手が置かれ、無理矢理持ち上げられる。おっと、そりゃそうだ。呆けてるとか俺はアホか。一夜を買った訳でも無い初対面の女の上に何時まで居る気だ。

 

 直ぐに退こうとするが、それよりも前に目の前の相手の足が動く。俺にはその動きが読めていた。だが、避けない。避ける訳には行かない。戦闘経験なんざろくっすぽ無い王族の蹴りだ。だがよ、この世には避けちゃ駄目な一撃ってもんが有るんだよな。だから俺は蹴りを甘んじて受けたんだが……。

 

 その一撃は重く、身体の芯まで響く一撃だったんだ。寝ころんだ体勢から無理に放った一撃だってのに、その粗末な動きとは裏腹に威力は凄まじい。何せ俺の意識が一瞬飛んじまった程だからな。

 

「僕の蹴りは鉄をも砕く。戦闘経験は浅いけれど侮っちゃ困るよ。……おりょ? これはナターシャからの手紙?」

 

 不幸中の幸いは俺が落とした手紙に直ぐに気が付いてくれた事。じゃねぇと警備を呼ばれて逃走劇が開始する所だったぜ。もう一つの幸いは……後少し下だったら俺は子孫を残せなくなったかもって事だ。まあ、衝撃は響いちまってるけどな。直撃だったら潰れていたぜ。

 

 ベッドの上にまで蹴り飛ばされ、天蓋を突き破った所で落下をしながら少しだけ安堵していた。

 

 

 

「えっと、何々? 『久し振りね、お金貸して』?」

 

 あっ、駄目かも知れねぇ……。

 

 

 



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クルースニク外伝 ⑰

新しい挿し絵が投稿出来ない




 城に忍び込んだ末に初対面の王女様を押し倒し、胸を揉んで唇も奪った。何処のエロ小説か天下の不埒者の仕業だよって、俺の現実だよ。その結果天井ギリギリまで蹴り上げられたんだが、何とかお縄には成らずに済んでる。

 

 ああ、俺が不埒な真似を事故で働いたのは第三王女のラム姫で正解だとよ。

 

「お茶が入りました。砂糖は三つで宜しいですね?」

 

 このメイド、第三王女の専属らしいんだが、こうして怪しい俺に対しても甲斐甲斐しく接待してくれるんだ。此処まで来ると居心地が悪くなるぜ。

 

「は、はい。どうも……」

 

「イーチャのお茶は美味しいんだ。ほら、クッキーも食べなよ。最近開店したお店の物で、紅茶に合うよ」

 

 小さなテーブルを挟んで向かい合わせに座るラム姫は楽しそうだ。にしても、不審者でしかない俺を相手に心を許し過ぎてやしねぇか? 隊長と本当に親友だっつても、その手紙を持って来た奴を信用するのは別だろ。特に俺はよ。

 

 カップを握る手に意識を向ければ確かに残る胸の感触。着痩せするたいぷなのか見た目より大きかったな。だからこそ思う。初対面で胸を揉んだ相手を信用する奴が居るのかってな。

 

 ……この姫様、本物か? もしかしてメイドが実は……考え過ぎだな。 

 

「こりゃ確かに……」

 

 砂糖をたっぷり入れた紅茶とクッキーの相性は抜群で、中々に俺の好みだ。更に言うならイーチャってメイドは凄く俺の好みだった。知的でクールな顔立ちで口元のホクロが色っぽい。それでもって愛想が無い訳じゃないんだ。例えるなら色気の有る女教師? おっと、ジロジロ見てたら不味いわな。

 

「イーチャは凄く有能で、僕が一人で過ごせる時間を手配してくれたり、買い物だって僕の好むお菓子を買って来てくれたりしてくれるんだ」

 

「ラム様のご命令とあらば容易い事です。ええ、猫被りが発覚しない様に取り計らう事に比べれば」

 

「相変わらずだなぁ。ちゃんと噂通りの清楚な姫様を演じているじゃないか。まあ、嫁いだ先で隠し通せるとは思わないし、その時はフォローお願いするよ」

 

 うん、まあ、此処までの流れで丸分かりなんだが、清楚だの何だのとの噂は全部演技による物だ。王女様にしてはちぃっとばっかし活発過ぎるってんでイーチャの指示で民衆が期待する王女様を演じ、出来るだけ表には顔出ししないんだってよ。それが噂を読んで更にイメージが出来上がって行くってんだから適当なモンだぜ。

 

「じゃあ、君の冒険の話をもっと聞かせてよ。僕、外の話が大好きなんだ」

 

「了解っと。……所で本当に言葉を崩しても問題無いので?」

 

「無いよ! どうせ非公式な出会いなんだし、堅苦しいのは抜きにして欲しいんだ」

 

 …イーチャの方は少々問題有りますって顔だな、こりゃ。主が言うから黙っちゃいるが、下手な真似は出来ねぇぞ。馴れ馴れしいが不敬でない程度で話をしなくちゃな

 

「まあ、ビックリさせた詫びに話を聞かせろってんなら話すぜ。じゃあ、あれは俺が一人で怪しい魔法使いの組織に探りを入れた時の話なんだが……」

 

 俺の話にラム姫は興味津々って感じで身を乗り出す。まるで昔話を聞かせて貰う餓鬼みたいだが、窮屈な王城暮らしで自分を偽って生きてるんだ。庶民からすれば王侯貴族の暮らしなんて雲の上に話だが、向こうからすれば俺達みたいなのが興味深いんだろうよ。

 

 ……俺に妹か弟が居れば同じ風に話を聞かせてやってたのか? レガリアさんの娘はレガリアさんが話聞かせているし、こうやって話すのは何時以来やら。

 

 最初は面倒だし、詫びと金と情報の対価程度の認識だったんだが、俺の話を興味深そうに聞き、表情をコロコロ変えるラム姫の姿は見ていて楽しかったよ。こりゃ確かに人気が出るはずだ。それだけに惜しいよな。

 

「なあ、アンタはその素の表情の方が魅力的だぜ」

 

「そ、そうかい?」

 

 っと、王女様を口説いてる場合じゃ無いよな。ちょいと照れた様子のラム姫に選択を誤ったかと思ったが、こんな魅力的な姿を見れたんだから別に良いだろ。んじゃ、時間が許す限り話をしてやるか。

 

 

「姫様、そろそろムマ様とサラ様とのお茶の約束の時間では?」

 

「ええ!? もう時間なのかい!? ……惜しいなあ。折角良い所だったのにさ」

 

 楽しい時間は直ぐに過ぎるもんだ。例えば美人を抱いてたら直ぐに朝になっちまうみたいにな。イーチャが時計を指し示した時、丁度盛り上がる所立出だったんだからラム姫は残念そうに肩を落とす。

 

 ……仕方無いか。此処まで話たんだし、最後までしないと俺も気持ちが悪い。

 

「安心しろ。ちゃんと続きを話しに来てやるからよ」

 

「本当かい! やった!」

 

 おわっ!? 急に抱きついて来るもんだから咄嗟に受け止めはしたが、俺の手は柔らかい物を掴み、揉む。それはラム姫の尻だった。

 

 またやっちまったぁあああああああああっ!?

 

「……事故だよね?」

 

「……事故だ」

 

 疑いの眼差しを向けるラム姫の尻から手を離し、慌ててドアから出て行こうとして立ち止まる。おっと、俺が此処から出ていける訳がないか。んじゃ、どうやって出て行くんだ?

 

「レリック様、水晶玉を壁にお翳し下さい」

 

「こうか?」

 

 言われるがままに水晶を翳せば壁の一部が光り輝く。これに触れれば隠し通路に出るんだろうが……。

 

「なあ。この隠し通路って誰が何の為に作ったんだ」

 

「制作者は知らないよ。その水晶玉はナターシャと倉庫で遊んでる時に見付けた隠し金庫で発見したんだけれど、許されない恋に落ちた二人の密会の為だってさ。何時か堂々と会う覚悟を決める為に回数を最初に決めて通路を作って貰ったんだってさ」

 

「許されない恋ねぇ」

 

 俺は再び光に包まれながら思った。もし両親の恋が許されていたら、俺は今でも家族全員と暮らせていたんだろうと、有り得ない無意味な妄想だ。だが、捨てた過去であっても完全に忘れ去れない。それは守ってやろうと思っていた下の兄弟の名前。一番下が俺だったから、守る立場に成れるのが嬉しかったんだ。

 

 既に名前は決まっていた。弟だったらクラトス。妹だった場合は……。

 

「ゲルダ、だったよな。両親が上手い事逃げてりゃ何処かで平和に暮らしているのかねぇ」

 

 まあ、だとしても俺には無関係だ。行き着く先は修羅の道、それが俺が選んだ道だからな。だから仮に会ったとしても……。

 

 

「姫様、大会も近いですし、会いに来ると言っても気軽には会えないのでは?」

 

「そっか、残念。大会かぁ。僕は別に試練に参加出来なくても別に良いよ」

 

「いえ、そういう訳には行きません。私達も三位以内に入れる者を探さねば参加資格すら……いえ、その必要は有りませんね。……今夜は少々出掛けさせていただきます」

 

「別に良いけれど? ……それより僕はサラ姉様が心配だよ。あの人、最近妙な商人と密談してるらしいじゃないか。確かパップリガ出身で、名前は……」

 

 

「よく来てくれたわね、クェイロン」

 

 ラムが心配を寄せるサラはガラム王国第一王女、王位継承権第一位の存在だ。これはレリックがラムを押し倒して胸を揉みながらキスをした日の前日、誰も入れない筈の城の中の自室にて彼女は一人の男と出会っていた。

 

 彼はパップリガ出身だという商人の青年。だが、それ以上は詳しく知らない。只、前々から裏で取引をしていたのだ。例えば閉じた扉の向こうに自動で返事をする札や暫く透明になれる蓑。訳有って外で会わなくてはならぬ相手が居る彼女からすれば恩人に等しい。

 

 だが、何故か彼女は疑問に思わない。何時出会ったのか、どの様にして頼る事になったのか、それを全く思い出せない事に。

 

「さて、例の大会も近い事ですし、これを手の者に服用させて下さい。きっと優勝確実で、試練も突破可能な事でしょう」

 

 サラが不自然な程の信頼を向ける彼は幾つかの丸薬を取り出し、サラはそれを手にして真剣な眼差しを向けていた。

 

「そう。これさえ有れば私が試練を突破して、そうすれば彼と……あら?」

 

 何時の間にかクェイロンの姿が消えていたが、サラは直ぐに気にしなくなる。この丸薬の代金……そして今までの商品にさえ一切代金を支払っていない事に彼女は疑問を抱かずにいた。

 

 

 

 

 

 

「……私も堕ちましたねぇ。人を捨て、魔族に組し、仲間の子孫さえ……いえ、決めた事です」

 

 サラの前から姿を消した数秒後、クェイロンは城から遥かに遠くの岩の上に腰掛けて呟き、頭を左右に振る。その姿は一瞬で変わり、全く別の人物へとなっていた。いや、違う。これこそが彼の本当の姿。

 

 先代勇者の仲間の一人であるウェイロンこそが彼の本当の名だ。

 

 

「忘れるな。欲する者を手に入れる日まで屍が積み重なった道さえ歩くと決めた。光に背を向けて進み続けると……」

 




重いのでラフ画を Twitterに完成画のせます


【挿絵表示】


だのん様に依頼  ウェイロン


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クルースニク外伝 ⑱

「……あ~、うん。それでそのまま帰っちゃったと」

 

 信じて送り出した仲間が親友にラッキースケベを働いて戻って来ました。目的は殆ど達成出来ていません。まあ、今の状況を確認したらそんな感じね。正直言って意味が分からない。

 

 私の目の前では反省しているのか自ら正座をしているレリックの姿。別に事故だし向こうが許してくれているってんなら報告する事も無いってのに、態度と言葉遣いはチンピラなのに変に真面目って言うか律儀で不器用って言うか、損する性格ね。

 

 仕方が無いのでさっさと立ち上がる様に言ったのだけれど、立ち上がったレリックの服のポケットに何かが入っているわ。本人に言って取り出させたら、貴重な宝石や金細工の指輪が幾つも入っていた。こりゃ別れる時にポケットに忍ばせたのね。王家の紋章が刻まれていないし、換金するのに問題は無い品ばかり。イーチャさんが気を使ってくれたのね。

 

「先ず間違い無くラムには無理な事よ」

 

 確信から呟く。あの子、外面は何とか取り繕っているらしいけれど、基本的にじゃじゃ馬姫様だもの。私も人の事は言えないんだけれどさ。矢っ張り有能な部下が居るかどうかってのが大切なのよね。

 

 ……でも、イーチャさんかぁ。あの人の事だから暴利えおふっかけて来るか面倒事を押し付けて来る可能性が高いわね、有能だもん。まあ、来るとしたら今夜辺りかしら? 

 

 にしてもラムったら親友の私への伝言も無いだなんて水臭いわよ。せめて一言くらい伝言を頼むとじゃ有るじゃない。親友だからこそ自分の口で伝えたいってんでしょうけど。

 

 感じるのは一抹の寂しさと、親友がそんな思考をするであろう確信。さて、受け取った物は仕方無いし、慌ただしくなる前に換金して来ようっと。

 

「ねぇ、隊長。オジさん、話を聞いていて気になったんだけどさ。そんな重要な物を何処に隠していたんだい?」

 

「あっ! 俺もそれが不思議だったんだよ」

 

 私は水晶玉の事を詳しく知ったレリックにされたくない質問が有ったから急いで出て行こうとしたのだけれど、まさかのレガリアからの不意打ち。その上、レリックまで疑問を思い出しちゃうし最悪ね。

 

 別に怪しい連中に預けていたとか後ろ暗い理由が有る訳じゃないわ。これでも大勢の子供達を導く学びの園を管理する一族にして英雄の子孫。例え自分は自分だって血を否定する考えを持っていたとしても、曲がった事を平気でする腐った性根は持ってないの。私が話せない理由。それは恥ずかしいから!

 

 ……あれはラムが留学生だった頃、家柄もあって私は王城に遊びに入れたのだけれど、イーチャさんに無理を言って外にお忍びで遊びに行っていたのだけれど、ラムが有る提案をして来たのよ。

 

「此処に秘密基地を作ろうよ! 僕達だけの秘密の城さ」

 

「アンタってそんなの好きよね。私はこの歳で秘密基地とか勘弁して欲しい所だけれど……付き合ってあげるわよ」

 

「やった! 流石はナターシャ。君は僕の永遠の親友だよ!」

 

「こら! 嬉しかったら直ぐに抱き付く癖をどうにかしなさい!」

 

 まあ、こんな感じで仕方が無いからって私の一族の隠し別荘の一室に秘密基地を作ったのよ、十代後半も過ぎてるってのにさ。

 

 私も英雄の子孫だの、魔族が発生する時期にご先祖様が遺したホリアーに選ばれた逸材だの、色眼鏡で見て、利益目的に近寄って来る連中と付き合ってたからラムと遊ぶのは楽しかったってのが有るわ。あの子、王族なのに打算とか計略とか苦手だもの。

 

 ……もしかして全部演技とか無いわよね? 無いと信じたいし、親友だから信じるけれど、あの親友は色々な意味で心配になるのよ。

 

 さて、回想はこの辺にしておきましょうか。兎に角、十代後半で秘密基地とか恥ずかしいし、下手に誤魔化してもレガリアには見抜かれそうで私は非常に困っている。仲間を騙すのは気が引けるしね。

 

 でも! 恥ずかしい物は恥ずかしい! 只でさえ顔パスが出来なかったって事で隊長の威厳が下がってるってのに。威厳ってのは零を通り越して負債になる物なんだから。別に二人を従えたいって訳じゃないけれど、一度隊長になったなら、それに相応しい振る舞いが有るわ。

 

 何故かその内に自然とそういうのを気にしない仲間ばかり集まるって直感が告げているけれど、それは別。さて、どうすべきか。

 

「……い、良い女ってのは秘密き……秘密を持つ物よ」

 

 はい、失敗! ギリギリで秘密基地って言わなかったけれど、二人共微妙そうな顔?表情をしながら顔を見合わせているし。あれ? 寧ろ年齢を誤魔化して秘密基地ってバラしておいた方が傷が浅かった? ガクリと肩を落とし、何か威厳とか色々落としながら私は部屋から出て行く。

 

 いっそ、笑ってくれた方が傷が浅かったわ。……にしても大会って、多分ガンダーラ関連の物よね? ラムも興味無いって話していたし、私も興味が無かったから忘れていたわ。

 

 さて、他の王女は裏工作とかしているのでしょうけれど、イーチャさんが何処まで進められるかよね。あの人、幾ら有能でもメイドの身分じゃ限度が有るし、ラムに被害が出ない範囲でしょうけれど。

 

 裏通りを少し歩いたのだけれど、少し聞き耳を立てれば虚実入り交じった情報が入って来る。まあ、確か試練を突破した時の褒美が褒美だし、毎回色々起きるって賢者様も言っていたけれど……。

 

「……どうも臭うのよね」」

 

 今回は今までとは何かが違う。胸騒ぎがそれを告げていたわ。

 

 

 

 

「……香水とかで加齢臭って隠せるのかなぁ」

 

「いや、多分別の話……だと良いよな、レガリアさん」

 

「……うん」

 

 あっ! 何故かレガリアが落ち込んでいるって直感が告げているわ。……カレーとナンのセットでも買って帰ろうかしら?

 

 

 その日の夜、臭うのは加齢臭の事じゃないとレガリアに何とか説明した私は彼と散歩に出ていた。まあ、軽い釣りよ。それなりに裕福そうに見せている中年男と若い女、鴨がネギと鍋を持って家まで来たって思う連中が居るでしょうからね。

 

「なあ、オッサン。そこの女を置いて消えな」

 

「当然だけど身包みを全部置いてな」

 

「姉ちゃんは俺達が脱がしてやるよ!」

 

 ほーら、簡単に釣れた。レリックを残して正解だったわね。如何にも弱そうな獲物に食らいついたのは明らかに三下のチンピラ。禿げたのか剃ったのかは分からないけれど毛が一本も無いデブを先頭に頭の悪そうな連中が武器をちらつかせて寄って来た。ニヤニヤ笑って品性も教養も感じさせない下品な顔。ちょっと臭いし、水浴びすら禄にしてないわね。

 

「雑魚が釣れたけれど、どうする?」

 

「雑魚の相手は面倒だけれど、雑魚を追って来た大物が釣れるのが釣りの楽しみよ」

 

 そう、こんな下の下の小悪党には興味が無い。どうせ大会目当てで増えた人達の対応で人手が足りなくなるのを見越して集まった連中だもの。でも、何処かの大物の組織の末端だったら釣りは成功。メンツを潰されて怒った奴から情報を聞き出すのが真の目標よ。

 

「ハズレばっかし、釣果は零かぁ」

 

「ボウズって奴ね」

 

 でも、何奴も此奴も群れても少人数な雑魚ばっか。親友の住む場所の治安に貢献したのだと自分を慰めて帰路に就いたのだけれど、宿の前まで戻った時に違和感があったわ。

 

 レリックの部屋の窓が開いている。それだけなら別に良いのだけれど、他の獣人よりも鋭い私の耳と鼻は第三者の存在を察知。レガリアに伝えると彼は一匹のコウモリを闇に紛れさせて偵察に出し、何故か直ぐに戻って来た。

 

「うーん、お邪魔したら女の人に悪いし、何処かで時間を潰そうか?」

 

「……把握した。そして思い出したわ」

 

 そう。僅かに感じる匂いと声を私は知っている。一年以上会ってないので直ぐには分からなかったけれど、イーチャさんだ。

 

 

 どうやら私の部下は、私の親友の専属メイドとお楽しみ中らしい。……けっ!

 

 

 





【挿絵表示】


だのん様より容量落として掲載可能にしたのを頂きました


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クルースニク外伝 ⑲

 世の中の男共にはロマンってのがある。まあ、女も同じなんだろうけどよ。例えばロケットパンチに目からビーム……いや、何だそりゃ? 兎に角、憧れる物やらシチュエーションってのが存在するんだ。

 

 特に色関係ではな……。

 

「暇だ。暇過ぎるだろ……」

 

 レガリアさんと隊長が情報集めに出掛け、俺は餌にならないからって留守番だった。お使いが中途半端な結果だったから先に寝るのは気が咎めるし、俺はベッドに寝転がって天井を見上げるだけだ。

 

 何か暇潰しでもするか? 出掛けて娼婦を探しに行くのはアレだし、本でも読むか。俺は体を動かすのが好きだが、読書だって趣味だ。特に伝説の賢者様が登場する話が好きなんだ。旅の荷物になるから数冊しか持っていけないから宿の貸本を利用している。それなりの宿には貸本のサービスがあるから便利だよな。さて、確か此処の宿にも有ったが、俺が読んだ事の無い本が有れば良いんだが。

 

 あっ、因みにヒロインはシルヴィア派だ。一応俺ってシルヴィア信者だし、隊長がナターシャの子孫って事は実際にシルヴィアと勇者キリュウが結ばれたって事だろうし、俺としては幸いだ。何だって推しが勝ったら嬉しいもんな。

 

 イエロアの宿屋だし、世界独自の物語、最悪小説じゃなくて絵本でも良いから読んでみたかった俺は宿の従業員に利用の意思を告げて本棚に向かった。結果は期待外れ。俺が知らない本は片手の指で数えられる程度しかない。どうも他の客も同じ考えらしくてな。仕方無いな、早い者勝ちだ。

 

 まあ、数冊でも残ってるだけでも幸いだし、後は読んだ事の有る中で気に入ったのを……これはっ!?

 

 正に残り物には福があるって奴だ。本棚の隅に残っていた古ぼけた本と、それだけ借りるのは恥ずかしいから未読の本で挟んで部屋に戻る。結構な時間が経過した気がしたが、俺が部屋を出てから少ししか経っていない。つまり、暫くは楽しめるって訳だ。

 

「まさかこんなお宝本が有るなんてな……」

 

 俺は自分の幸運に身震いする。発見して迷い無く借りた本。それは幻の官能小説にして神が記した幻の一冊。余りにも過激過ぎて絶版になった物だ。

 

「著者イシュリア『女神の魅惑的な日々』。まさかこんな所で……」

 

 偽物じゃ無いよな? いや、本物だ。最初の数行を読んだだけで引き込まれる。十ページ目には血液が一カ所に集中するのを感じたぜ。こりゃ凄い。熱中が過ぎて身持ちを崩した連中が居るってのも納得だ。文字を読むだけで実際に女を抱いて居るみたいな錯覚に陥り、絶版に納得する中、突如窓が外からノックされる。

 

「んげっ!?」

 

 咄嗟に腰に布団を掛けて本と下半身を隠し、良い所で誰だよと不満に思いながら窓を見ると片膝立ちのイーチャが僅かに笑みを浮かべながら手を振っているんだが……俺は見えてしまっているスカートの中に視線を送ってしまう。会った時も思ったが良い足だ。そして黒のレース付きか……。

 

 読んでいた本が本だけに妄想が頭に浮かんじまう。おいおい、こんな時間に男の部屋に来るとか、俺が馬鹿なら変な勘違いするぞ。よく見たら胸元も開いて黒のブラが見えちまってるしよ。ラム王女の部屋で会った時とは別人みたいな着こなしのイーチャに俺は戸惑い、同時に欲望を刺激される。

 

 この時、まるでレリルと会った時みたいに情欲を刺激されていた。

 

 

「お部屋に入れて頂き感謝しています。さて、急な話ではありますが、少々ご依頼いたしたい事が御座いまして」

 

「依頼?」

 

 流石に気まずいからベッドから上半身を起こし、シーツで腰回りを隠した状態でイーチャを招き入れたんだが、何故か俺の隣に座っている。漂うのは仄かに甘いイーチャの香り。駄目だと分かっているのに足や胸元に視線が向いちまう。足を組み替えた時なんざ生唾を飲み込んだ。

 

「実はガラム王国の王子や王女にはガンダーラという試練を受けねばならず、その際に護衛となる者達を選出する大会が有るのです」

 

「ああ、成る程な。随分と強そうな連中が集まってるとは思ったし、酒場で揉めた連中が大会がどうかと言ってきたな」

 

 イーチャの話じゃ、その大会の名はアヴァターラ。二人一組で挑むトーナメント制の闘技大会。その三位までが好きな王位継承者の護衛になれる。つまり下手すりゃ護衛無しで危険な任務に挑む必要が有り、下手な癒着を防ぐ措置ってのが謁見の禁止って事だ。

 

 何せガンダーラを突破すりゃ王の権限で叶えられる願いなら何でも叶えて貰えるらしいからな。実際、俺が使った隠し通路で密会してたらしい二人はそれで結ばれたらしいとか。隠し通路は知られていないから不確かな話だがな。

 

「姫様は姉君達に比べてコネをさほど持っておりません。ナターシャ様は生まれた家が家ですから政治に大きく関わる催しには参加し辛いでしょう。ですが、貴方が居ます、レリック様」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれっ!? 話が急過ぎ……んっ!?」

 

 紡ぐ困惑と遠回しの拒否の言葉は唇を重ねてせき止められ、ねじ込まれた舌が続きを許さない。なすがままに蹂躙され、頭が惚けた所で唇は別れ、繋ぐ唾液の糸は人差し指で絡め取られてイーチャの唇に運ばれた。

 

「私はラム様の忠臣。ご本人が拒絶したとしても、あの方を守る為ならば何でもします。……貴方、会った時から私の身体に視線を向けていましたよね? いえ、責めてはいません。私としては都合が良いので」

 

 胸やらを見ていた事を指摘された俺は思わず顔を背けたんだが、布が床に落ちる音に思わず前を向く。ベッドの上、俺の目の前には下着姿で舌なめずりをしているイーチャの姿が有った。おいおいっ!? 確かにそんな妄想したが、実際やるかっ!? 仮にも第三王女の専属メイドってそれなりの家の出じゃねぇのかっ!?

 

 だが、その事も気になったが、次に気になったのは服に隠されていた部分。くびれた腰や想像以上に大きく、呼吸の度に揺れる形の良い胸。そして俺の好みの大きさの尻……の辺りから生える先端がハート型の短い尻尾。背中にも小さいコウモリの翼だ。

 

夜魔(よま)……」

 

「ええ、その通り。私は夜魔族です」

 

 夜魔族、それは吸血鬼族と同様に魔族と同一視される事がある種族であり、スケベな男の憧れだ。先ず間違いなく美人であり、相手の好みに合わせてある程度の変身も可能とする女だけの種族。一度抱けば永遠に忘れられないとされ、高級娼婦の中でも最上位の殆どを占めているとも言われている。

 

「ああ、誤解無く。別に貴方様に大会に出て貰う為だけに抱かれるのではありません。レリック様の強さは夜魔族の力によって計ったのですが、此処までの精気の量も質も初めてで……夜魔族の本能が刺激されまして。それに精気を分けていただければ私は力を増せますし、隠れてラム様の援護が可能でしょう」

 

 その言葉は俺の中の心の歯止めを甘く溶かして行く。忠義の為に身体を差し出す相手に手を出すのは気が引けるが、別の理由なら据え膳を拒む理由なんて……。

 

「ふふふ、逞しいのですね。好みです」

 

「……アンタも俺の好みだ」

 

 四つん這いになり、俺が少し顔を動かせばキスが可能な距離にまで寄って来たイーチャの手が俺の腹に触れる。囁かれた言葉に本音が出た時、俺の手が掴まれてイーチャの背中に当てられた。スベスベだな。今まで触れた女の中で一番だ。

 

「……それで、どういたしますか? いえ、大会に出場するかどうかは別の話。私は精気さえいただければ結構。レリック様の様に好みの殿方なら嬉しい限りですが……下着、私が脱ぐのと脱がせるのとではどちらがお好みで?」

 

「っ!」

 

 その瞬間、俺の理性は完全に吹っ飛ぶ。窓を閉め忘れたとか色々聞こえた気がするが知った事が。良いぜ。大会だろうが何だろうが出場してやる。試練だろうか何だろうが王女様を守ってやるよ。

 

「きゃっ!? 紳士な方と思いきや意外と……」

 

「見誤ったな。俺は獣だぜ?」

 

 その対価がこんな極上の女だってんなら釣りが出る位だぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「レリック君、大丈夫かなぁ? 彼、女の子に騙されやすいから。簡単に色仕掛けに乗っちゃうんだよねぇ」

 

「完全に手玉に取られているでしょ。夜魔族よ、夜魔族。彼奴がどうこうできる相手じゃないわよ。ぶっちゃけレリックより強いし、彼女」

 

 

 

 

 



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クルースニク外伝 ⑳

 暫し楽しんだベッドの中、精も魂も吸い尽くされた俺がぐったりとする中、俺の腕を枕にしたイーチャは艶々の肌を擦り寄せて来ていた。……元気だな、此奴。

 

「ふふふふふ。窓が開いていると分かっていながら大きな声を出させるのですから。それにほら、全身にレリック様の匂いが付いてしまったではないですか」

 

「……悪ぃ」

 

 脇腹を強く抓られるが文句は無い。いや、本当に俺はどうにかしていた。行為の時の声なんざ他人に聞かせるもんでも無ぇ。聞くのは俺だけで良い。イーチャを抱いていた俺だけが聞くべきだったんだ。それも途中から暴走しちまった。目の前の女を何としてでも自分の物にしたいって考えちまったんだ。

 

 それ程までにイーチャは最高だった。こりゃ確かに永遠に忘れられそうにないな。だが、調子乗った事は謝らないと駄目と思ったんだが、謝罪への返事は口付けだ。今度は唇を合わせるだけの簡単な物。それでも俺の中を快楽が走る。

 

「おや? 私は責めてはいませんよ? 羞恥プレイでしたっけ? それを楽しめましたから」

 

 あー、糞。ヤってる時は俺が優位だったのによ。誘っておいて窓が開いてるって気が付いた途端に必死に声を押し殺して耐えようって感じだったから声を出させる事に夢中になったり、相手が優位になっても直ぐに逆転してそそる表情にさせたりよ。

 

 それが最終的には俺がヘトヘト、相手は元気満タンだってんだから……いや、待て。精気吸われて俺が消耗すればする程に向こうは元気になるんじゃ?

 

「なあ、イーチャ」

 

「おや、もう一回ですか? 今度はどの様な趣向で? 胸や口でご奉仕しますか?」

 

 矢継ぎ早の問い掛けの途中にもイーチャは俺に密着し、無理にでも連戦をさせようとしてくる。どうせ死ぬなら夜魔族相手に腹上死、それが馬鹿な男の憧れらしいが、実際に死にそうだぜ……。

 

 既に体力は限界の俺はそのまま意識を閉ざす。一部分を除いて元気なんざ一欠片も残っちゃいなかったんだ。

 

「おや、寝てしまいましたが……もう少しお付き合い頂きましょうか。上質な精力を溜め込むチャンスですので……」

 

 

 翌日、俺は立ち上がる気力すら残っていなかったが、イーチャの方は逆に軽やかな足取りで戻って行った。しかし、レガリアさんも隊長も帰って来なかったな……。

 

 翌日、昼頃に帰って来た二人が妙に優しかったのは何故だろうか?

 

 

 

「んじゃ、申し込み完了っと」

 

 更に数日後、俺はレガリアさんと共にアヴァターラに出場すべく申し込みを行っていた。イーチャとの一夜は秘密だ。流石に色仕掛けに負けて大会出場を約束しただなんて情け無くて口に出来ないからな。お願いされて仕方無く、そんな風に誤魔化したが通じて良かったぜ。

 

「うんうん、君ならそうだよね」

 

 こんな感じで少し呆れた様子だったが、どうも俺はお人好しだって思われてるんだな。おいおい、勘弁してくれよ

 

 長い列に並び、最低限の振るい落としでバーサーカゥと抜き打ちで戦った後は必要事項を書いて終わり。結構な数が並んでいたが、眺める限りじゃ一割も残っちゃいない。

 

「雑魚が。身の程を知れってんだ」

 

「こらこら、そんな事を言ったら駄目だって。喧嘩になるよ?」

 

「ならねぇよ。あの程度も突破出来ない連中と喧嘩って呼べる戦いになる訳が無いだろ。一方的な蹂躙だ」

 

 実際、抜き打ち検査で弾かれた連中の殆どは俺の声が聞こえでもうなだれて歩くだけ。他のもヒソヒソと話すだけで堂々と言い返す事も睨む事すら出来ない臆病者。こんな連中、手負いの状態でも相手になりやしねぇ。そんな生温い鍛え方をしなかったのはレガリアさん、アンタだろうが。

 

 そして残る一割の殆ども落ちた連中と五十歩百歩、戦うに値しねぇ。あのルゴドってチビは今居ないが、マシなのは連中位か。こりゃ退屈な大会になりそうだと思っていたんだが、少しだけ興味を引かれる連中がいた。

 

 一人はスキンヘッドの大男。未だ戦わないってのに目が血走って鼻息が荒い。此奴は雑魚だ。デカいだけでパワー任せのウドの大木。足運びでそれが分かる。体格に恵まれたからって動かし方を学ぶのを怠った脳味噌まで筋肉の獣が彼奴だ。

 

 だから他の雑魚よりは幾分かマシってだけで眼中に入らねぇ。俺が見ているのは別の奴だけだ。

 

「連れの方とは大違いだな……」

 

 問題は相方の優男。黒髪を伸ばしてポニーテールにした長身で、着流しに草履に二本差し。パップリガの騎士である侍だ。刀の柄には何処かの家の家紋が刻まれ、柄頭には紐で鈴が吊されて五月蝿い位に鳴っている。周りの連中は侮った感じだが、そんなんだから雑魚なんだよ。其奴が俺と同様に自分達を一方的に蹂躙出来る相手だって理解しな。

 

 この男を見た瞬間、俺の本能が叫ぶ。目の前の相手と思う存分戦ってみたいと。技も肉体も鍛え抜かれた一流の武芸者。逸る気持ちを抑え込み、俺は侍の横を通り過ぎる。擦れ違い様に殺気を向け、向こうは笑みを向ける。

 

「逸るな、強き男よ。大会で待つ。貴様なら決勝まで来れるだろう。お前とは決勝の大舞台で合間見えると拙者の魂が告げているのだ。……青上志郎(あおかみ しろう)、覚えておけ」

 

「上等だ。……レリック。覚えておきやがれ」

 

 互いに名乗り終え、そのまま別れる。アヴァターラの開催は明朝。今は身体を休め、イメージトレーニングにしておこう。奴の魂が告げた言葉が正しいなら最高の試合になりそうだ。

 

 その後の事は特に記する事は無い。試合に向け精神を統一し、只ひたすら思い浮かべるだけだ。奴に打ち勝つ俺の姿をな。

 

 

 そして翌日。朝日が昇り、眠そうなレガリアさんと一緒に会場を目指す。途中、如何にもって連中が妨害を仕掛けて来たが鎧袖一触、準備運動に役立たせて貰ったぜ。大会の会場は街の中央に存在する神殿の中庭。本来は神事を行うべき場所で最強の戦士が決まる。

 

 信仰を捧げし女神シルヴィアよ。何とぞ我に祝福を。

 

「願わくば、かの強者と全力を持って雌雄を決せる事を願います」

 

 静かに神に祈り、目を閉じて精神を統一する。俺の世界から音が消え失せた……。

 

 

 

 ……さてと、レリック君が精神統一をしているしオジさんはお手伝いと行こうかねぇ。オジさんはしなくて良いのかって? 考える事が多くて大変だから嫌だよ。

 

 大会を勝ち抜いた後の謁見とか、ガンダーラの事とか、実はギャードの居場所を既に掴んでいる事とか、レリック君がイーチャさんにメロメロになったら困るとか、面倒なのよ。だから適当で良いのさ、適当で。

 

「おい、彼奴は……」

 

「ちょっと絡んでみようぜ。何か気に入らないんだよ」

 

 そう。こんな場所には何しに来たんだってチンピラが居るもんだ。レリック君もチンピラっぽいけど、保護者のオジさんは知っている。言動チンピラだけど、その実はツンデレなだけの善人だってね。

 

 ……だからさぁ、同類みたいに扱うのは腹立たしいんだよね。レリック君に突っかかろうと寄って来る他の出場者。そのまま肩をぶつけようとした彼は突然動きを止める。急に襲って来た寒気に戸惑い、泡を吹いて真っ青な顔で倒れ込む。駆け寄って来た仲間も同様。

 

 ……雑魚が。この程度の殺気で怯む段階でレリック君と戦う資格は無いんだよ。だって彼は九歳の時から訓練で浴びているんだからさ。

 

 さて、正直やり過ぎた。耐えられない連中は気付きもせず、気付けるちゃんとした子達は……ありゃりゃ、随分と警戒されてるね。中にはそこそこの子達が居るみたいだし、潰し合ってくれたら助かるんだけどねぇ。

 

「取り敢えずこの二人がオジさん達の一回戦の相手なら助かるんだけどなぁ……」

 

 多分そんなに上手く事は運ばない。あの侍は飛び抜けて面倒そうだし、彼等の相手じゃ無かったら良いか。……先に倒したって事でどうにかならないかなぁ……。

 

 

「これより一回戦第一試合を開始する! 前に出よ!」

 

 銅鑼の音が響き、オジさん達は石で造った丸い舞台に上がる。昨日は夜中に寝ていたけれど眠いままだし、弱い相手なら助かるよ。やれやれ、後の方なら軽く眠れたのだけれどさぁ……。

 

「右! レリック&レガリア!」

 

 まさか一回戦第一試合とかさぁ。

 

 

 

 

「左! 志郎&コーザス!」

 

「「……」」

 

 ……うん、そうだろうね。レリック君と志郎君は非常に恥ずかしそうにしていたよ。……其処! 話を聞いていたらしいけれど、笑わないで欲しいなぁ。

 

 

 

 

 どうやら志郎君の魂はいい加減な事を告げるみたい。オジさんと一緒だねぇ。



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クルースニク外伝 21

○が出ない


 鎖が宙を舞うかの様に自在に動き、剣閃が煌めいて迫る刃の切っ先を叩き落とす。即座に踏み込もうとするも鎖の動きは一切緩まず襲い続ける。

 

 弧を描き、枝を這う蛇の如く迫るグレイプニルの先端が狙うのは刀の弱所である刃の腹。切れ味凄まじく縦の力には強い刀は横からの力には弱い。でも、それで終わるんだったら彼は三流。終わらないから彼は一流の武芸者なんだ。咄嗟に刃の向きを変え、逆にグレイプニルの切断を計る。鎖に食い込む寸前、グレイプニルの鎖が急激に縮んで刃を避けてレリック君の方へと戻って行く。

 

 次の攻撃に移る為の準備動作、その時間は僅かだけれど、志郎君が攻勢に出るには十分な時間だった。踏み込み、接近。地面に摩擦の跡が残る程に素早い摺り足。納刀した刀を手にし、間合いに入った瞬間に繰り出されるは超高速の抜刀術。鞘を滑らせて放った刃はレリック君を切り裂き、斬られたレリック君の残像は消える。

 

 本物は刹那の間に跳躍し、抜き払った瞬間の硬直を狙って放つのは回避の速度を生み出した脚力を活かした蹴り。咄嗟に後ろに飛んで衝撃を逃がし、足自体は鞘で受け止めた志郎君には傷は見当たらない。再び二人の距離は遠ざかり、空中から迫る刃を志郎君が弾き、この距離で納刀。着地の瞬間に再び抜刀術でも使うのかと思ったけれど、彼はその場で抜刀。三日月の姿をした斬撃が飛び、レリック君は鎖を束ねて防ぐ。着地に何一つ問題は無く、再び硬直状態が続けられた。

 

 レリック君と志郎君の戦いが開始して約三十分、互いに掠り傷すら無く、疲れた様子も見せない。当初は響いていた歓声も消えた。観客は息を飲み、声援すらも押し殺す。この戦いは神殿で行われる王家に関わる重要な儀式。当然だけど観客は多く、皆素晴らしき戦いを望んでやって来た。でも、その素晴らしき戦いが行われているのに誰もが黙り込んでいるのは何故か?

 

 簡単な話さ。魅入り言葉を失う程の戦いなのさ。剣戟の音は神に贈る演奏で、戦う姿は神を崇める為の舞い。ほら、黙って見ているのが礼儀だろう? こんな戦い、誰も予想していなかったんだ。でも、仕方が無いよねぇ。常人が予想不可能な戦いを行っているのは英雄に選ばれるかも知れない若者達の競演なんだからさぁ。

 

 

「六色世界でも数える程しか居ない者達が戦う運命だとか凄い偶然だよねぇ。オジさん、ビックリさ」

 

 この戦いは二対二のタッグバトル。でっ、志郎君の相方はオジさんがワンパンでのしちゃった。うん、わざわざ描く必要も無い程に簡単だったよ。ドタドタと荒い足取りで突撃して力任せに太い腕を振り回して来たから懐に踏み込んで腹に一撃、それで終了。

 

 この子は確かに常人の中では強い方だ。動きは悪いけれど、動きを磨く期間も費やした肉体の鍛錬は相当厳しい物だったんだろうねぇ。……でも、それだけだ。英雄候補に撰ばれた者とそうでない者じゃ同じ種族同じ武才でも大きい差が有るんだよ。努力や技術で覆せない程に。……残酷だよねぇ。そんな力を与えられた者も、それを身近で見せられる者も。

 

 でもさ、勇者を助けて世界を救う為なんだ。大の為に小を切り捨てる。そんなの世界全体って大きなスケールで無くても行われている事さ。大きいと残酷で理不尽に思えるけどね。まあ、そんな物だよ、人生って。

 

 まあ、君はそんな志郎君と一緒に大会に出る程に諦めが悪い。そのまま頑張れば救える人は多い筈さ。英雄だけが人を救う訳じゃ無いからねぇ。

 

「さてと、制限時間がそろそろだね。互いに一歩も譲らずだけれど……どうなるやら」

 

 レリック君に加勢? まあ、互角に戦ってるしオジさんが戦えば勝てるけどさ……不粋でしょ。いや、これが誰かの命を救う為だってんなら手を出すけど、今手を出したらレリック君に怒られちゃうよ。オジさん、空気読む中年なのさ。

 

 試練の時のラム姫の護衛? はっはっはっ。別に正式にしなくても物事にはやり様って物が有るのさ。だから黙って見ていたい。だってさ、これを終えればレリック君は強くなれる。勝っても負けてもね。

 

 いやぁ、若者の成長を見守るのって嬉しいよねぇ。大人の勤めって言うかさ、邪魔するのは野暮って言うか……。

 

 

「……なのに、どうしてこうなるのかなぁ?」

 

 オジさんは呆れと悲しみが入り混じった溜め息を吐きながらコーザス君を見下ろした。仰向けになって大の字で伸びていた彼が起きあがったんだ。いや、それだけなら嬉しいよ。大した気力だって手放しで誉める所さ。

 

 でも、気絶したまま起き上がって筋肉が膨れ上がるってのは尋常じゃないよ。力を込めて膨れ上がったってレベルをとっくに越えている。膨張する筋肉を包み切れない皮膚が裂け、剥き出しになった筋繊維は止まる事を知らず、遂に胴体の筋肉が頭部を飲み込んだ。

 

 当然、息が出来ない。この現象の影響か、それとも激痛が彼を襲っているのか、意識を取り戻した彼は空気を求めて手足を動かし、窒息して力尽きる。でも、筋肉は成長を止めない。いや、寧ろ成長速度が上がってないかい?

 

 

「コーザスっ!?」

 

「おいっ!? お前の相方はどうなってたがるんだっ!?」

 

「い、いや、分からぬ。この様な事になる心当たりなど……」

 

 ……まあ、だろうねぇ。実際、志郎君はコーザス君を心配し、本当に動揺している。目の前の現象の理由は彼にも分からないんだ。でも、一つ分かる事が有るよ。

 

 気を失ったのか、それとも死んでしまっているのかは分からない。でも、そんな状態にも関わらずコーザス君の肉体は膨張を続けながら暴走を始めたって事だ。大木みたいな腕が振り下ろされれば舞台が砕け、放心していた観客の間にパニックが広がる。こりゃ放っておいたら死人が出そうだ。うん、それは良くないね。

 

「ほらほら、二人共。今は口じゃなくって手を動かそうか。避難が済むまで抑え込んで、それから助けられるかどうかを考えよう!」

 

 手を叩き、二人の意識を切り替えさせる。どうも凶暴化しているとかじゃなく、反射的な動きで暴れているらしい。つまり下手な攻撃は被害を大きくするだけだ。……面倒だなぁ。コーザス君を迷い無く殺せない事と同じ位に面倒だよ。だってさ、普通に考えて助からないでしょ? でも、志郎君の手前として見捨てるとか反発するだろうし。

 

「おっと……」

 

 どうやら無謀な若者が加勢すべく攻撃を仕掛けるけれど、風圧に反応したのか足が横に凪払われて建物を破壊しながら彼に迫る。瓦礫が飛び、逃げ出す人々が更に悲鳴を上げる中だった。子供に向かって落ちて来た瓦礫が鉄球によって破壊されたのは。

 

「ったく! 雑魚が手を出しても被害が増えるだけだっつーの! 足の遅い餓鬼とか老人とか抱えて逃げろや!」

 

「勇気と蛮勇は別だ。だが、立ち向かう勇気は素晴らしいぞ。それを人助けに使っておけ。彼奴は俺達が止めよう」

 

 それは手首が通る程度の大きさの輪っかに鎖の付いた鉄球が三つ連結された武器。パップリガの暗器の一つで『微塵(みじん)』と呼ばれる物。それを振るったのは酒場でレリック君と喧嘩になってたルゴド君だった。隣には相方のエルフの青年。こっちはエルフ特有の筋骨逞しい肉体に見合う大きさのバトルアックスを背負っている。

 

 大会出場者の中で英雄候補が居るコンビの最後の一組目が此処に揃った。やれやれ、加勢してくれるみたいだし何とか直ぐに終わりそうだよ。……後は終わったら彼女を問い質すだけか。

 

 

 ……オジさん、見ていたからね? 君が青ざめた顔で呟いた唇の動きをさ。……あの薬が、か。絶対何か知っているよねぇ。

 

 この時、少しだけ腹が立っていたのに気が付いていた。だってさ、オジさんにとってレリック君は息子同然なんだ。息子の晴れ舞台に泥を塗られて憤らない父親が居てたまるものかってね。

 

 

「じゃあ、オジさんは後方支援を引き受けるからさ……死なない程度にぶっ殺すのは任せたよぉ?」

 

 まあ、怒っていても何時もの仮面は崩さないけどね。

 

 

 



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クルースニク外伝 22

 オイラは村の誰よりも強かった。大人でさえオイラに力で敵わず、皆に頼りにされたもんだ。力を頼りに好き放題? 馬鹿言うな! そんな酷い事、出来る訳が無い。

 

 だって、オイラの肉体は皆より大きく逞しい。きっと神様がくれたもんだ。なら、それを誰かの為に使うのが当たり前だべ。何せオイラは生まれた時点で沢山の物を貰ったんだ。それを分け与えて助けるのが使命だ……そんな風に思い上がっていたんだ、オイラって馬鹿は。

 

 ある日、村が滅びた。原因は猛毒を持つモンスターの大量発生。一見すれば砂に紛れる体色を持つだけの蠍で名はデスコ。鉄よりも堅く、ネズミよりも素早い。そんなのが濁流みてぇに押し寄せて村の皆を襲い、おっ母もおっ父も友達も嫌いだった奴も死んだ。残ったのはオイラだけ。立ち向かって自分だけでも助かった訳でねぇ。偶々水を汲みに行っていたから助かったんだ。

 

 デカい体? 人より強い力? そないな物が何の役に立つんだ。オイラが居ても居なくても何も変わらなかった。無惨な死体が増えただけだ。結局、人の中で強い弱いを比べても、人以上の存在を前にすれば無意味だったんだ。

 

 それでも諦め切れなかった。この肉体は人を助ける為に有る。オイラは神に選ばれた存在だ。きっと寝物語に聞かされて憧れた英雄になれるって思ってた。思って……いたんだ。

 

 それが夢で終わる夢だと気が付いたのは旅に出て1ヶ月位経ったある日の事。立ち寄った村に押し寄せるデスコの群れにオイラは怯えながらも立ち向かおうとした。こうなったら一人でも逃げ切る時間を稼ごう。オイラは此処で死ぬ為に生まれて来たんだって。

 

「まあ、待て。此処は拙者に任せよ。一匹残らず切り刻んでくれようぞ」

 

 それが間違いだと知ったのは直ぐ後。オイラは神に選ばれた人間じゃ無いって自覚したのもその時。オイラが絶対に敵わないと諦めたデスコの濁流に躊躇無く飛び込み、その殆どを無傷のままで切り刻んで追い払った男の姿を見た日から、オイラは自分が普通の人間だって知ったんだ。

 

「拙者に付いて来たい? まあ、旅は道連れ、丁度話し相手が欲しかった所だ」

 

 これがオイラ、コーザスと青上志郎との出会い。それからの旅は志郎の凄さを間近で見せ付けられる日々であり、同時に他に特別な存在と出会わなかった事で自信が戻る旅だったんだべ。志郎が突き抜けた存在、英雄伝の主役なだけで、オイラもその仲間に相応しい存在だろうって。

 

 だから兎に角力を鍛えた。生半可な技を手に入れるより逞しい肉体を更に鍛え続けて、そんなある日の事だった。

 

「……むっ。甲虫車が襲われているな」

 

 それはイエロアでの旅の途中、飼い慣らしたカブトムシみてぇなモンスターに引かせた馬車が襲われるのを助け、改めて志郎は英雄なんだと思ったんだ。助けた高貴な身分の相手とのロマンス、それは決して報われぬ恋だと思ったんだが、どうやらそうでも無いらしい。

 

 だからオイラは志郎に力を貸す事にした。親友の恋の為、アヴァターラに一緒に参加して……オイラが本当に凡人で脇役だって思い知ったんだ。

 

 「大会に参加を決めたのだから気持ちは分かるが、ちと張り切り過ぎではないか? 気が持たぬぞ」

 

「大……丈夫。オイラと志郎なら絶対に優勝出来る。ガンダーラだって突破出来るべ」

 

 オイラは一緒に冒険する中で多くの人を助ける志郎の姿を見て来た。オイラみたいに自分が特別な人間だからって理由じゃなく、助けたいから力を振るう志郎。だから、絶対に幸せにならなくちゃ駄目だ。特別かどうかは関係無い。どんな力を持っていたとしても、人を大勢助けた志郎に普通の幸せが許されないなんて有り得ないんだから。

 

 だからオイラはどんな手だって使ってやる。志郎の想い人から受け取った怪しい薬を使い、戦う相手の誇りもオイラの誇りも踏みにじっても。

 

「この薬を飲めば力が増します。どうかお願いいたしますわ」

 

 最後に彼女は言った。この薬は負担が大きいが、追い詰められれば更に力を授けてくれると。志郎には絶対に伝えないし飲ませない。オイラを気遣い、戦う相手に無礼だって言うだろうから。でも、オイラは友達の助けになりたいんだ。

 

 あの日、志郎が居なければ死んでいた、そんな事は関係無い。それを理由にするのは助けてくれた志郎を侮辱し、オイラが危ない真似をする責任を押し付ける事になるから。

 

 友達の役に立ちたい、無茶だろうがなんだろうが、オイラが体を張る理由はそれだけで十分だべ!

 

(殺して……くれ)

 

 ……なのに今、オイラは化け物みたいな姿になって暴れている。身体に走る激痛も、膨れ上がった筋肉に顔が埋もれて息が出来ないのも辛い。意識なんてとっくに手放している筈なのに朧気に残った意識で願うのは自身の死。

 

 誰か、オイラを殺してくれ。これ以上志郎に迷惑を掛けたくない。愚かな行動で足を引っ張るのも、志郎にオイラの死を背負わせるのも。だから、志郎以外の誰か、オイラを今すぐ殺して……。

 

 どれだけ叫びたくても声が出ない。胸が張り裂けそうな程に泣きたい気分なのに泣けない事が辛かった。

 

 

 

 

「さてと、どうするかねぇ」

 

 何が理由だかは知らないけれど、現在進行形で膨れ上がっているコーザス君は地面に伏した状態で手足を激しく動かしていた。膨れ上がっているのは全身だけれど、どうも胴体の胃の辺りを中心に膨れ上がっているからか下半身じゃ支えきれない位にバランスを崩していたんだ。

 

「何か変な物を飲み込んだっぽいんだけれど、どうする?」

 

「吐かせる……とは行かんか」

 

 そう、志郎君が苦虫を噛み潰した顔をしながら見るのは向け胸筋に埋もれてしまった頭。あれじゃあ腹を攻撃して腹の中の何かを吐き出させるのは無理だ。今は速度が落ちているけれど膨張は続き、胸に穴を開けたら死んじゃうから本末転倒。

 

「おい、レガリアさん。……助かるんだよな?」

 

「はっ! ビビってんのかよ。俺は体が……少し小さいが、テメェは肝っ玉が小さいな」

 

 大質量を持って押し潰そうと巨大な手が迫る。既に人が蚊を潰すみたいに人を潰せる大きさで、迫り来る最中も大きくなり続ける腕にグレイプニルが絡み付いた。腕の周囲を回る際に刃の先端で切れ目を入れ、即座に塞がり始めた肉の隙間に鎖を通す事でキツく締め上げる。

 

 その質量は膨大だけれど、レリック君は一人で押さえ込んで勢いを殺し、正面からルゴド君が微塵を叩き付ける事で動きが止まる。その瞬間、エルフの豪腕で振り下ろしたら斧が腕を切り落とした。

 

「こんな時に喧嘩を売るな! 人命に関わるのだぞ」

 

 レリック君、ルゴド君、ルゴド君の相方でエルフのバシル君は今でも助けられると信じているのか信じたいのか殺すという選択肢は無いらしい。良い子だねぇ。実に良い子達でオジさんちょっと大変だよ。

 

(これじゃあ殺すって言い出せないよねぇ。……っと、どうやら同時には無理か)

 

 切り落とされた断面の肉は即座に盛り上がって腕が生えてくるけれど、その間は巨大化が止まり、切り飛ばした部分は黒い塵になって崩れ去る。ああ、成る程ね。

 

「多分あの筋肉は魔法で構成された物だ。幾ら切り落としてもキリが無いよ」

 

 さて、オジさんもちょっとは活躍しないとね。コーザス君の影を操り槍に変えて串刺しにする。肉が膨れ上がって槍を潰そうとするけれど、暫くは時間が稼げるね。……にしても面倒な相手だなぁ。

 

 風が吹いた位の刺激に反応して暴れ続け、更に大きく強くなる。既に生きているのか死んでいるのか分からず、その上に既に王族を巻き込んだ状態だ。その王族に何か関係しているのが居るみたいだし、助けられてもその後で……。

 

 世の中、本当にままならない。正直に真面目に生きていても悲劇ってのは襲って来るもんだし、悪人が大手を振って幸福に生きている。さて、一応助ける方向で策を考えるか。

 

「レリック君、何か感じないかい? 変な臭いとかさ」

 

「薬草みてぇな臭いなら感じてるぜ。ありゃ呪術の類だ。……それこそ生け贄の命を削って発動するタイプのな」

 

 ……おや、光明が見えて来たっぽいねぇ。闇夜の中に浮かぶ種火程度だが無いよりはマシだ。後は用事で遅れるって言ってた隊長さえ来れば……いや、騒ぎなのに来ないのは妙だ。こりゃあ何か起きたな……。

 

 

 

 

 

「……あれ? この道ってさっきも通ったのに。幾ら何でも妙ね……」

 

 

 



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クルースニク外伝 23

 我ながら親不孝だとは思っている。だって既婚者(砂糖吐きそうな程にラブラブ)に恋して、その人の役に立ちたいと一念発起しての家出娘だもの。

 

 忙しくても愛情は注いでくれたし、将来を勝手に決めもしなかった。恋愛だって問題の有る相手でもなければ反対はしないと言われてたわ。でも、私の恋心は賢者様に向けられているの。親戚の子供に向ける視線を向けられているのは理解しているけどね。

 

 でも、私は諦めない。賢者様と出会った瞬間、まるで流れる血の中に眠っていたみたいに芽生えた恋心。叶わずとも貫く。私は絶対に迷ったりしないわ。

 

 

 学生時代、ラムと友達になってからは長期休暇の度に遊びに行った勝手知ったるガラムの街並み……なんだけれど、ちょいと偏屈で変人だけれど腕の良い職人相手への依頼を済ませた帰り道、アヴァターラの観戦に行こうとしていた私は完全に迷ってしまっていた。

 

「あれぇ? 一応前日にアポを取りに来た時は迷わなかったのに変ね」

 

 この辺りは新規の住人も少なく、壁の壊れ方も含めて昔のまんま。だから噂を聞いて依頼に来た人が迷って辿り着けない工房にだって私は難無く到着したし、朝早くに話し合いに来いって言われて数時間後に漸く解放された後は真っ直ぐ会場に向かう筈だったんだけれど、今の現状は良い歳しての迷子。

 

 うーん。微妙な違いに気が付かずに道を間違えたとか? なら、来た道を戻りましょう。この辺って塀が高いし入り組んでいるから下手な迷路より厄介なのよね。住人だって偶に迷うらしいし、久々に来た私が迷っても仕方が無いか……。

 

 誰に聞かせるでもなく言い訳を心の中で呟くけれど、戻れども戻れども同じ景色が続いている。つまり、戻る筈が更に別の道を進んでしまった悪循環。こりゃアヴァターラの開幕に間に合わないわね。隊長としては仲間の試合は全部見て連携の役に立たせたいのだけれど……まあ、有象無象同士の戦いなら長く続くし、まさか優勝候補な飛び抜けて強い連中と一回戦で当たる確率は低いでしょう。

 

「決勝で会おうって約束した連中と一回戦で当たった姿を見たら腹を抱えて爆笑する自信すら有るわよ、私。さて、此処から出たら先に何じゃ食べよう。打ち合わせが早いから朝ご飯食べてないのよね」

 

 空腹によるイライラを押さえ込みながら私は見覚えの有る道に進む。流石はアヴァターラが開催される日だけあって通行人とも出会わないし、通りの建物からは誰の気配もしない。入れない人の為に広場に設置された魔法の鏡に試合が映し出されるそうだけれど、此処から離れているから声も聞こえないし、よしんば聞こえたとしても入り組んだ道に居ちゃ無駄よね。

 

 

「……お腹が空いて来たわ、本格的に。うん、仕方無いわよね? 随分我慢したし、怒られたら謝ろうっと」

 

 私は自分の背より高い塀の上に飛び乗る。ほら、こうすれば入り組んだ道が良く分かるわ。今居る場所も道の作りも私の記憶と何ら変わらない。……あれ? だったら私ってどうして迷っているのかしら? どうもさっきから羽虫の飛ぶ音みたいなのが聞こえるし、集中力も思考も定まらないわ。でも、塀を飛び越え続ければ簡単に大通りに出れそうね。じゃあ、誰かに見つかって怒られる前に……あれ?

 

 私は今、確かに歩いていた道から塀を挟んだ向こう側に飛び降りた。でも、私は背後の塀から歩いていた道に着地していたの。何が起きたかを理解し、気恥ずかしさから髪を掻く。朝ご飯抜きに加えて気が付きにくい地味な嫌がらせで思考を乱されたわね。羽虫の飛ぶ音とか地味にも程が有るわよ、効果的だったけれども!

 

「取り敢えず歩きながら考えましょ。私、ジッとしているの苦手だし」

 

 誰が何の目的で私を迷わせているのかは知らないけれど、進んでいれば何かの手掛かりが見つかるでしょうし、気が付いた事で何か向こうに動きが有れば糸口になる。ほら、人間は考える足って言うらしいし……葦だっけ? まあ、先ずは目の前の曲がり角を曲がればもしかしたら何か……。

 

「有った」

 

 いや、うん、まさか速攻で動きがあるとは思わなかったわ。私の足跡が残っているから来た道なのは間違い無いのに、道を塞ぐ薄汚れた壁。元々は白だったのが雨風で汚れて少し黄ばんで来たっぽいその壁と目が合う。そう、その壁には顔が有ったの。

 

 

「ウァァ?」

 

 私に今気が付いた向こうは呻き声を出しながら何か考え、結構な速度で迫って来る。歯肉炎だらけで歯がガタガタの口からは涎がこぼれ落ち、目は血走っていた。正直言って口が凄く臭い。ってか、近付いたら涎が服に付きそうで嫌。

 

 正直言って接近戦は避けたい相手ね、乙女的に考えて。迫り来る壁顔から走って逃げつつ足元の石ころを三つほど拾い上げ、振り向き様に投擲。壁部分、目玉、眉間の三カ所に吸い込まれる様に向かい、本当に吸い込まれた。

 

「……うわぁ」

 

 え? 何? 触れた物を吸い込むとかそういった面倒な能力? 兎に角再び走りながら考えようとしたけれど、左右の壁と足元から石が飛び出して来たのを避ける。でも、避ける為に走る毒度が下がったのは失敗だったわ。まだ距離があるから大丈夫だと思っていたのだけれど、壁顔が進むよりも速く舌が伸びて来た。

 

 こっちも舌苔だらけの汚い舌で、その上唾液の飛沫を周囲に散らす。最小限の動きで避けていたら顔に唾が当たりそうだと飛び退けば、舌は右の壁に向かい、吸い込まれて私の足下から飛び出して来た。やっばっ! 今、空中……。

 

 空中で避けられる筈も無く、お腹の辺りから顔までベロリと舐められる。臭っ! 臭っ!? 咄嗟に目を閉じて口を噤んだけれども、ヌメヌメの舌で舐められた上に唾液まみれにされれば私の中の何かがキレる。

 

 引き戻そうとする壁顔の舌を私の手が掴み、嫌な感触だって今更だから引き寄せる。驚いた表情で私の方に引き寄せられられた壁顔は大きな口を開いて私に噛みつこうとし、私の頭が悪臭漂う口の中に入り、歯が閉じられる。……その前に私の両手は上下の歯を掴んで押さえ込んだ。

 

「ウ、ウァァ……」

 

「あら、矢張り生身の相手は吸い込めないのね。舌で舐めたり噛み付こうとしてたし予想はしたけれど……さよなら」

 

 気分は最悪。だから絶対に逃がさない。歯を掴んで動きを止め、蹴りを叩き込む。重く堅い感触。再び蹴り上げ、歯から手を離せば後ろに弾き飛んだ壁顔はそのまま後退を始め、それよりも速い私の踏み込みからの打撃が眉間に命中、壁を粉々に砕く。あら? 声が聞こえて来たし、どうやら脱出成功みたいね。試しに塀を飛び越えれば降りたのは反対側。じゃあ、二人の所に行きましょう。

 

 

「先に何か食べてお風呂に入ってからだけど……」

 

 もう身体中がベタベタでクタクタ。お腹も減ったし、何か食べないと……っ!? 今、確かに感じたのは邪悪で強大な力の波動。それを敢えて私が気が付く様に……。

 

 あっ、何となくだけど粘っこい感じがするし、多分初恋の失恋を拗らせるタイプね。性格の悪さを感じるわ。だって挑発だとしても急いでいる時に存在アピールとか鬱陶しいもの。モテないわね、絶対。

 

「今のはお遊びだったって事? 上等! 戦う時が来れば絶対に叩き潰す!」

 

 でも今は水浴びとご飯……はちょっと無理っぽいわね。何やら会場の方で熱気から来る物とは違う騒ぎ声が聞こえて来たもの。ったく、仕方無い。さっさと終わらせて誰の邪魔もなく休むしかないみたいね……。

 

 少し肩を落として意気消沈。じゃあ、行きましょうか。私は私から誘った部隊の隊長。なら、こんな所で道草なんかしてられないわ。気分を入れ替え私は前に進む。途中で漂って来た焼きたてパンの香りは少し拷問にさえ思えた。

 

 

 

「おやおや、予想以上に……。では、向こうの方は第二段階に移るとしますかねぇ。……これが終われば例の城の手伝いですが面倒ですねぇ。お付きとして好きにして良い魔族の女を一人寄越すそうですが、正直言って至極興味が湧かない。……アナスタシアに比べればどの様な美女であっても劣るのですから」

 

 



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クルースニク外伝 24

今回 アンノウンの大本になったキャラ登場 何気に私が初めて募集に参加したキャラです


 こりゃ何とかなるか? そんな風に俺は動きを止めたコーザスの姿に楽観を覚えていた。再生と膨張によって肉に深く食い込んだグレイプニルの鎖。そしてレガリアさんの魔法による二重の拘束は完全に動きを止め、体の端を残りの三人が攻撃し続ける事で再生に力を向かわせ膨張を防ぐ。

 

 どうにか殺さずに済んで何よりだ。気軽にぶっ殺すとか言ってレガリアさん達に叱られる事もある俺だが、別に好き好んで誰かを殺したい訳じゃ無い。寧ろ助けられる命なら多少の無理を覚悟で助ける方だ。大と小とか、数で割り切れる程に現実的じゃねぇんだ。……まあ、俺はそうでも、レガリアさんは別だろうがな。

 

 ちょいと顔を見れば俺が浮かべていそうな楽観的な表情に見えるんだが、その実は警戒ともしもの際の冷徹な判断をする覚悟を決めている。俺やコーザスの仲間である志郎が反発するだろうから絶対に表には出さないがな。悪い、レガリアさん。毎回憎まれ役を引き受けてくれてよ。分かってんだ、俺も。助けたいと思っても助けられない時がある。時には非常な決断も必要だってな。

 

「おらおらおらおら! 成長期は過ぎてんだから大きくなるのはいい加減に止めとけや!」

 

 身軽な体を活かし、巨大化したコーザスの体を走り回りながら殴打を続けるルゴド。中央の輪っかに指を通し、三つの鉄球を叩き付けながら振り回し、鎖の一本を掴んで跳躍の勢いを乗せての振り下ろし。餓鬼みたいな体格の癖に結構な怪力で蠢く肉を弾き飛ばしていた。

 

「……力だけなら彼奴の方が上か?」

 

 あのチビは気に入らないが、認める所は認めてやる。総合力は俺の方が勝ってるし、勝負したら俺の方が勝つ。俺には札術が有るしな。ギャードとの戦いから作り出しておいた札を空中にばらまき、冷気を浴びせてコーザスの体を床に貼り付ける。今凍らせたのは破損した部分。当然再生を阻害し、時間を稼ぐ。

 

「ぬぅんっ!」

 

「せいっ!」

 

 轟音と研ぎ澄まされた一閃。バシルの持つ斧の重量と怪力による一撃は太く頑強な部分も切り落とし、志郎が走り回りながら深い切れ込みを入れる。だが、志郎の一撃は研ぎ澄ませ過ぎだ。綺麗にも程が有るせいで簡単に再生を許してしまっている。ったく、再生能力持ち相手だと剣の腕前が高いってのは仇になるんだな。

 

 だが、それなら俺が手助けしてやれば良いだけだ。志郎が刀で切り裂いて数秒もしない内に癒着を始めた断面に札を入れ、内部から爆裂させて肉を弾けさせた。

 

「……助かった」

 

「気にすんな。ってか、邪魔だから下がってろ」

 

 ったく、迷ってるのが丸分かりなんっだっつーの。ダチ相手だ、どんな状況だろうが迷わずぶった切れる野郎じゃないだろ、テメェはよ。少し戦えば何となく分かっちまうんだ。分かった気でいるだけかも知れねぇがな。

 

「……気遣いは無用。だが、共に戦う者に迷惑を掛けるのも気が引ける。……コーザス、後で存分に謝らせてくれ」

 

 刀を鞘に納めた志郎は腰を屈め、滑る様な動きでコーザスに接近して自分の数倍の大きさの肉を細切れに切り裂いた。しかも今度は断面が荒ぇ。ありゃワザと剣筋を乱したのか。ありゃ普通に斬られるよりも痛ぇだろうし、反応からして痛覚が有るのは歴然だぁな。

 

 ……んな顔すんな。テメェがダチをどれだけ想っているかってのは伝わってる。俺達みてぇなのは特別な存在として良い意味でも悪い意味でも特別視されるもんだ。正直言って羨ましいよ。俺には家族は居てもダチは居ないからな……。

 

 っと、考え事は後だ。これだけ騒ぎになってるのに隊長が未だ来ないのは妙だが、何かあってもあの人なら大丈夫だろ、多分。俺は俺のやるべき事を……何だっ!?

 

 

「全員っ! 今直ぐ其奴から離れろぉおおおおおおっ!」」

 

 それは一瞬の事だった。偶々変わった風向きで漂って来たコーザスから漂う呪いの悪臭に起きた僅かな変化。猛烈にヤバい気がした俺は確証も無しに叫び、全員が飛び退く。それが正しい判断だったと知れたのは直ぐ後だ。勘違いだったら良かったのによ、糞が!

 

「アァ、アァアアアアアアアアッ!」

 

 頭が完全に胴体に包まれたせいで聞こえない筈の声がした。苦しそうで、理性を感じさせない叫び声だ。鎖と影の槍で完全に拘束した筈のコーザスの肉体が蠢き、両方の脇腹の周辺が盛り上がる。不細工な肉の隆起は歪な形の腕になり、自分の肉を引き裂き始めた。狂った……のか?

 

「拙い! 拘束箇所周辺の肉を削いで脱出するつもりだ!」

 

「ちぃ! 往生際が悪いんだよ!」

 

 レガリアさんの叫びを聞いたルゴドが微塵を叩き付け、バシルと志郎もそれに続いて武器を振り下ろすが弾かれた。おいおい、さっきまで効いてただろうが。急成長にも程が有るだろ! 俺も札術を使うが、凍らせた部分が直ぐに膨れ上がって氷が砕かれる。

 

 そして、続いての異変は直ぐに。頭部が埋もれている周辺の肉が鎖を押し退けながら膨れ上がり、まるで芋虫みてぇな頭が現れる。だが、目玉があるべき場所には苦痛に歪んだコーザスの顔。志郎の表情もそれを見て歪んでいた。

 

「……シテ、コロ……シテクレ……」

 

「出来る訳が無いだろう! お前は拙者の唯一の友なのだぞ!」

 

 今にも泣きそうな顔で叫ぶ志郎に目掛けてコーザスの腕が伸ばされる。咄嗟に避けようとした志郎だが、コーザスに意識を向け過ぎた為に足元の石を踏んでバランスが崩れる。体勢を整えるが間に合わない。巨大な腕が志郎を殴り飛ばした。血を飛び散らしながら志郎は宙を舞い、地面に激突する瞬間に咄嗟にレガリアさんが受け止めた時、泣いていた。

 

「彼……奴はっ、初めての友人……だった。彼奴は優しい奴……なのに、そんな奴に友達を殴らせてしまったのが……悔しい。助ける為に何も出来ないのが……」

 

 俺と大して変わらない年頃の奴が泣きながら屈辱と無力感に顔を歪ませ嗚咽を漏らす。……そんな時だった。この場に似つかわしくない声が響いた。

 

 

 

 

「アヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ! あんなに強~い剣士が泣いちゃって変なの~!」

 

「……あっ?」

 

 ……誰だ? この糞ムカつく糞野郎は? 俺は嘲笑う声の主を探し、直ぐに見付けた。何時の間にか王族が居た場所に置かれた『?』マークが描かれた派手な箱。それが揺れ動き、蓋が外れて中から紙テープやら鳩が飛び出した。

 

「ダダダダダダダダダ、ダン!」

 

 続いて下手くそなドラムロールの口真似と共に其奴は姿を見せた。真っ白に塗りたくった顔。青色でトランプのダイヤマークを左目に、赤いハートマークを右目に描き、口元は紫に塗っている。頭に被った帽子は二股に分かれて先端には白いフワフワの飾り。鼻には丸い着け鼻を被せ、着ている服は赤と白の縦縞。サーカスのピエロを思わせる格好をした痩身の男は志郎を指さし、腹を抱えていやがったんだ。

 

「アヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ! ちょーっと見学の予定だったけどさ、こーんな面白い物を見せて貰ったらお礼をしなくちゃ失礼だ~よねっ! 取り敢えずコーザス君は伏せっ!」

 

 志郎を嘲笑うピエロの言葉にあれだけ暴れていたコーザスが大人しく地に伏せる。まるで犬扱いされた通り躾をされた犬みてぇにな。

 

「……おい、テメェがコーザスを呪ってこんな姿にしやがったのか?」

 

「ん? ああ、命令聞いてくれてるからそう思ったんだ~ね。ブッブー! 不正解! ウェイロン君が命令権をくれたからでした~」

 

 そうか。そのウェイロンって奴がこんな事をしやがったのか。じゃあ、目の前のピエロは……どっちにしろぶっ殺す! 俺が飛び出そうとした時、既に志郎が動いていた。納刀状態からの構え、そして抜刀。俺相手に使った飛ぶ斬撃。聞こえた鍔鳴りの音は三つ。当然だが斬撃も三つ。それが前方と左右からピエロを囲って襲い掛かる。はっ! 俺の時は一発だってのに様子見でもしてやがったか? 

 

 流石にあれなら多少は効くだろうと俺は追撃態勢を取る。だが、ピエロの態度は変わらない。相手を馬鹿にした笑い声も止まなかった。

 

「ワ~オ! 凄い凄~い! じゃあ、ボクもちょっとした芸を見せようかな?」

 

 そんな余裕だらけの態度のままピエロの体はアッサリと切断されて床に転がる。……いや、違う! 床に転がったのはブッサイクなピエロの人形だ。本物は……後ろっ! 漂って来たピエロの香りに俺は後ろを向いて構える。ピエロはまるでショーでもやってる気分なのか両腕を左右に広げて自己アピールのポーズだ。

 

「ビックリしたかい? こんな物で驚くのは……早いよ?」

 

 口を大きく開けて何も入っていない事を示して閉じ、次に開けた時は大口を開けて舌を出す。その上に乗っていたのは目玉だ。ピエロはそれを右手で握り、指を開くと指の間に一個ずつの目玉。悪趣味なマジックショーに来た気分だぜ。

 

 だが、俺が気になったのはピエロから漂う体臭だ。魔族には僅かに独自の悪臭がするんだが、此奴は人間と魔族が入り混じった妙な臭いだ。得体の知れない何かが俺に動くのを躊躇させる。ちっ! 今直ぐにでもぶん殴りに行きたいってのによ!

 

 俺と同じく他の連中もピエロの不気味さを感じてか動かねぇ。まあ、下手に動いてコーザスを暴れさせても困るんだが。

 

「じゃあ、ボクはそろそろ帰るね。流石に勝手が過ぎるとリリィちゃんが怒るしね~」

 

 ピエロはポケットから取り出したハンカチを宙に投げる。それは直ぐに大きくなってスカーフに変わり、ピエロに被さる瞬間に俺と奴の目があった。

 

「おっと! ボクったらドジっ子ピエロだ。ミスが多いってお姉ちゃんにも叱られたっけ。ボ~クの名前はア~ビャ~ク! アビャクっだよ、宜しくね~! アヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ!」

 

 アビャクに触れたスカーフは一切の抵抗無く地面に落ち、吸い込まれるように消える。当然、アビャクの姿も消える。

 

「ウァオオオオオオオオッ!」

 

「……だよな」

 

 当然だがコーザスも大人しく伏せをしたまんまじゃ無い。だが……時間は十分稼げたみてぇだ。昔から言うだろ? 主役は遅れてやって来るってな!

 

 コーザスの巨体が蹴り飛ばされて王族用の観覧席まで吹っ飛ぶ。ったく、物語上の演出じゃ有るまいし、もっと早く来て欲しいぜ。

 

「二人共、お待たせ! それで、あのデカいのが敵って認識で良いのかしら?」

 

 さてと、これでどうにかなりそうだぜ……。

 

 




アビャクは宇宙の帝王の声で脳内再生しています


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クルースニク外伝 25

 性格の悪さが滲み出る術から脱出して早々に相対する巨大な異形。私がぶっ飛ばした時に負わせたダメージを回復させつつ膨張しているし、一気にぶっ殺すしかないわね。

 

「よっし! 二人と、残りの見知らぬ三人、彼奴の動きをちょっと止めて! 私が一気に殺すから!」

 

「いや、殺したら不味いかなぁ。彼、呪いであんな姿になってるだけだしさ。ほら、隊長の持ってるホリアーなら呪いの解除が出きるでしょ? パパッとやっちゃってよ」

 

 ……え? そうなんだ。なんか変な草みたいな臭いがするなぁって思ってたけれど、実は植物系のモンスターだったとかじゃなくて呪いかぁ。うん、だったら私のっていうかホリアーの出番ね。

 

「……隊長殿、今は便宜的にそう呼ばせて貰おう。隊長殿、拙者の友人を、コーザスを救ってくれ!」

 

「了解!」

 

 何処の誰かは知らないけれど、そんな風に頼まれて断っちゃ女が廃るってものよ! ホリアーを鞘から抜き、コーザスって名前の彼に駆け出した時、向こうも巨大化を続けながら私に迫る。胴体部分を上下に動かし、手足を滅茶苦茶に振り回して私を叩き潰そうとするんだけれど、どうも拘束したけれど途中で外され掛けたらしいグレイプニルの鎖に引っ張られて一瞬動きが止まったわ。鎖の先にはレリックと見知らぬ二人。続いて巨大な影の腕がコーザスの体を左右から掴む。

 

「行け、隊長!!」

 

「頼んだよぉ」

 

「行っちまえ!」

 

「行ってくれ!」

 

「任せた!」

 

 皆の私に期待する声を受け、私は懲コーザスに向かって跳躍した。動きを封じられて暴れるも動けず頭だけが私を見れば、口が開かれ舌が伸びて来た。青紫色で先端が幾重にも分かれた気色が悪い形状の舌。だけど、それは飛んで来た斬撃によって切り落とされて私に届かない。

 

「ここまでお膳立てされて、失敗しましたとは言えないわね!」

 

 背中に感じる太陽の光、ホリアーの純白の刃がそれを反射してコーザスの頭に当たった瞬間、膨張が止まり、逆に収縮して行く。生皮を剥いだみたいな体色も肌色へと戻り、異常な巨体の異形が居た場所には普通の巨体を持つ青年が突っ伏していた。……全裸で。

 

  これこそが神が造りし聖なる短剣ホリアーの力(一応行っておくけど全裸は別)。あらゆる不浄を断ち、刃を介した光は邪悪なる呪いを祓う。……まあ、私以外に適合者が居なかったし、所詮伝説は伝説だって言われてたんだけどね。私が冗談で鞘を抜いたら鋼の色だった刃が光り輝いたのだもの、ビックリしちゃった。

 

「……ねぇ。もう良いかしら?」

 

 それは兎も角、私は倒れたコーザスに背中を向けている。だって全裸なのだもの。私、キスすらした事ないのよ。賢者様も遊び相手にはなってくれても、唇へのキスはシルヴィア様だけだって拒否するから頬にだけしてたし。それも子供の間だけ。

 

 そんな私が男のアレを見るのは恥ずかしいし、流石に全裸で放置するのは問題だからってレガリア達に任せていたら、今頃になってガチャガチャ音を立てながら兵士達がやって来たわ。前衛が分厚く巨大な盾を構え、後衛の魔法使いや攻城兵器で攻撃するって布陣みたいね。

 

「……遅かったか」

 

「前後少しだったんだけどね。私だって遅れて来た身だから偉そうには言えないけれど、全部終わったし、説明はちゃんとするわ、レリックが」

 

「俺っすか!? いや、俺より隊長の方が良いでしょっ!?」

 

「だって私も遅れて来たもの。でも確かにチンピラなレリックには荷が勝ち過ぎるわね、レガリア」

 

「そうだねぇ。ちょっと無理だと思うよ、オジさんもさ」

 

「二人揃って酷ぇなっ!?」

 

 さて、これで剣呑な雰囲気が何処かに消し飛んだ。と別の言い方をすればシリアス台無し。ラムの友達でそれなりの家出身の私は兎も角、吸血鬼のレガリアや出自を話せないレリックじゃどうなるか分からないもの。

 

 他の三人と呪われていた人? いや、全く知らない人達だから一切判断が出来ないわよ。

 

「……取り敢えず皆様揃ってお越し下さい。そこで寝ている彼ですが……」

 

「呪いで暴走していたらしくて、既に呪いは解いたわ。私がね」

 

「そうですか」

 

 当然だけど一人が代表して話をするから他は自由って訳には行かないわ。だからこそ事前に空気を塗り替えておいたのだけれど、王族すら巻き込んだ事件の当事者の扱いがどうなるかよね。さーて、一応フォローはしたけれど後は流れを見るしかないわ。アヴァターラがこんな事になっちゃったし、ガンダーラ自体も延期かも知れないわね。

 

 コーザスは担架で運ばれ、私は少し無理を言ってレガリアとレリックと一緒に事情を話し、他の三人はどうやって聴取を受けているのかは知らない。志郎って人は何故かサラ姫の口添えが有ったらしいけど、どうも臭いわよね。レガリアの言葉も気になるし……。

 

 って言うか、ご飯暫く食べられそうにないんだけれど……。

 

 

「お腹減った……」

 

 今にもみっともない鳴き声を上げて空腹を訴えそうな腹を押さえて呟く。案の定、聴取は長引き、始終不機嫌だった私を担当した騎士は後で考えれば可哀想だったわ。

 

 

 

「……ふぅん。あの第一王女が助命を申し出たのね」

 

 そんなこんなが有った後、私は王城の大浴場で汗を流していた。臭い唾液も全部取れたし、温かい湯に浸かって漸く一段落って感じね。当たり前だけど私が城の大浴場を使えているのは実家が関係しているだろうし、家出娘としては頭が下がる想いだ。まあ、得られる利益は得ときましょうって感じで遠慮無く使わせて貰っているのだけれど、ラムも一緒。

 

 いやぁ、まさか数年振りの再会の後に直ぐ一緒にお風呂に入るとは思わなかったわ。猫の彫刻の口から溢れ出すお湯が湯船を満たし、肩まで浸かると全身が温まって疲れが溶け出して行く。折角の再会だし、他に話す事も有りそうだけれど、話しているのは事件の顛末。コーザスの行く末について。

 

 まあ、王政の今後に関わる儀式の最中に王族貴族を巻き込んで大暴れ、会場の神殿も半壊。呪われた被害者だから無罪放免、とは行かない。……まあ、そうなるでしょ。でも、コーザスを罰して終わりって訳にも行かないのが面倒なのよね。

 

「それで、アヴァターラってどうなるの? 一回戦で台無しになった上に、レリック達の戦いを見た後じゃねぇ」

 

「本来だったら日を改めてってなるんだろうけどさ、姉様達を後押しする派閥がそれぞれを抱き込みたがってるんだ。サラ姉様は志郎を引き入れたがってるって言うか随分と熱を上げている感じだしさ」

 

「そうよね。……実は影で恋仲だったとか、片思いだとか有り得るんじゃないの?」

 

「あははは! サラ姉様が? 腹黒いけど浅はかなサラ姉様だよ? 権威第一主義な所が有るあの人が貴族ですらないらしい彼に恋?」

 

「あんた、仮にも実の姉でしょうに……」

 

 私も有り得ないとは思うんだけれど、まさか大笑いされるとは思わなかったわよ。さて、友人と一緒にのんびりしていられるのも今だけでしょうし、政治とかの話は此処までにしておきましょうか。どうも面倒な事に巻き込まれるぞって私の直感が告げているのよね。

 

「アンタさえ居なかったらバックレるんだけどね」

 

「まあ、君ならそうだろうね。でも、友情を裏切れないのが君だろ?」

 

「まあ、我ながら面倒な性分だと思うわよ」

 

 溜め息を吐き、湯の浮力に体を預けながら天井を仰ぎ見る。所でレリックはイーチャさんに何処かに連れて行かれてたけれど、何処でナニをヤってるのやら……。

 

 

「……ねぇ、ラムは結婚しないの? 王女ならそんな話が舞い込むと思うけど。清廉な美姫様なら特に……ぷっ!」

 

「笑うなよぉ! 僕だってイーチャの指示じゃなければ変な演技なんかしないんだからね。まあ、色々有るけどさ、ガンダーラを突破した時のご褒美で好きな相手と、って事も可能だから父上も控えてるんだ」

 

「王族って本当に面倒ね。私は絶対に賢者様以外とは結婚しないわよ!」

 

「じゃあ、一生結婚出来ないね、君」

 

 友人との何気ない会話。互いに遠慮が不要な相手とのそれは本当に楽しくて、時を忘れる気分だったわ。……でも、時計の針は進み続ける。神に祈っても止まりはしない。ドロドロした政治の闇が私達の前に現れるのはほんの少し後の事。

 

 そして、それには一つの恋物語が深く関わっていた……。

 

 

(しかしアビャクって名前のピエロか。確か行方不明の子供以外は座員が皆殺しになったサーカス団が有ったけど、確かその子供の名前も……いや、無関係だろうね)




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クルースニク外伝 26

 水。それは砂漠の世界では値千金の物。隣接するグリエーンやブリエルといった世界では当たり前に周囲に存在するも、このイエロアでは全く別の話。それこそ神様が干渉しなければ侵略戦争が起きていても不思議じゃない位にね。

 

「……こりゃ噂には聞いていたけど凄いわね」

 

 飛沫で濡れた足場で滑らない様に深い深い谷底を見れば、遙か下まで落ち続ける大量の水。砂漠の民が苦労してその日の分を確保している水が大量に目の前に存在する。手を伸ばせば飛び散る飛沫で手の平には水滴が付いていた。轟音を立て水煙を上げる大瀑布。その周囲を囲む螺旋状の岩場の頂上に私は居た。

 

 此処はサンダサンゼ。王族に与えられる試練の場であり、ガラム王国の豊かさの理由の一つ。砂漠の世界とは思えないこの場所こそが王族が己を試す場所なのだと納得が行ったわ。

 

 ……納得が行かない事を挙げるとすれば一つ。

 

「姫。お足元にお気を付けを。拙者の手をお取り下さい」

 

「助かりますわ、志郎。ふふふ、逞しい手ですね。きゃっ!?」

 

 先行する私の背後、志郎とサラ王女がイチャイチャしている事かしらね。足場が悪いってのに歩き易さよりも見栄えを重視したドレスとブーツで来ているもんだから歩みはトロトロのサラ王女。志郎が差し出した手を取ったら夢現な感じだから転びそうになって志郎に正面から抱き止められる。慌てて離れるけれど二人共見つめ合っちゃってさぁ。

 

(まさか本当に恋に落ちちゃってるとはね。高貴な家に生まれた者は下々とは違う、とか言ってたってのに)

 

 まあ、私も賢者様を一目見て情熱的な恋が芽生えたし、気持ちは分かるけれど鬱陶しくなって来た。だって進む速度が遅いのだもの。この洞窟、滝は目の前の一つじゃ無い。周辺の地下水脈が合流して作り出した滝と螺旋状の足場が幾つも集まり、登ったり降ったりをしながら奥に進むのがガンダーラの内容なのだけれど……未だ一つ目の滝の半分辺りなのよね。

 

 正直言ってサラ王女が邪魔だけれど、そもそも私と志郎は彼女の護衛、つまりはオマケ。ったく、足場から飛び降りたり斜め前の足場に飛び移って良いのなら助かるのに面倒ね。

 

 あっ、言って置くけれど私はラブラブな二人に納得が行かないんじゃなくて、この二人と組まされている事に納得していないのよ。アヴァターラに参加さえしていない私が何故ガンダーラで護衛を、それも友達のラムじゃなくてサラ王女のなのか。それはちょっと前に遡るわ。

 

 

 

「真実の木? 何っすか、そりゃ?」

 

 王家の今後を左右しかねないだけあってガンダーラに関する話し合いは混迷し、私達も城に留め置かれて居た。本当だったら王家に届いた報告をサラに教えて貰ったし、ギャードの住処も探す手掛かりも有るし、資金も手に入れたってのに。

 

 願いを叶える神の遣いを崇める怪しい教団とかも気になるのよね。でも、王家から待機しろって言われているから脱走って訳にも行かないし、暇潰しにガンダーラで遭遇する試練について話をしていたの。真実の木はその一つ。

 

「王族の護衛にのみ与えられる試練で、強制的に帰らされる代わりにどんな質問にも答えてくれるのよ。本人が心に秘めた知りたい事を読み取って、知りたいかどうかを問い掛けて来るらしいわ」

 

 らしい、というのは存在するとは言い伝えられているけれど、実際に遭遇したって記録はかなり昔に片手で数えられるだけの回数。護衛を放り出されただなんて王族の名に傷が付くし、本当はもっと有るのかもとは思うけどね。

 

「何でもか……」

 

「絶対遭遇するって訳じゃないし、ギャードの毒で弱ってる人がいるから焦る気持ちも分かるけど期待はしない方が良いわよ」

 

「……っす」

 

 衰弱した母親を助けたいって願う子供に会って気負っているみたいだけれど、レリックは本当に繊細よね。言動はチンピラみたいなのに。

 

「ああ、オジさんだったら反抗期になっても娘に嫌われない方法とか知りたいねぇ」

 

「……遭遇しても誘惑に負けないでね?」

 

 反対にレガリアは焦った様子は見られない。情報集めもしていてくれるし、毒を受けた人達を気にはしているけれど。何か隠しているわね、彼。

 

 只、ほんの僅かな付き合いでレガリアについて分かったのは身内第一主義で結構腹黒いって事。そんな彼が黙っているって事はちゃんとした理由が有るんでしょうね。だから詮索はしない。

 

 そんな風に今後についても話し合っていた時だった。部屋の戸がノックされ、イーチャさんが入って来たのは。明らかに面倒な事を持って来ましたって顔でね。……本当に厄介だわ。

 

「さて、王侯貴族のいざこざに巻き込まれて下さい。具体的にはガンダーラに参加して下さい」

 

「拒否権は……無理かぁ」

 

「無理です」

 

 そっかぁ……。とりつく島もなく告げられた言葉に元から無いやる気が更にガンガン削られて行くのを感じたわ。

 

 

 

 

 アヴァターラの時に起きた異常事態。参加者の誰も彼もが歴戦の戦士なれども立ち向かえ事態を解決出来たのは六名。この英雄達を差し置いて……とまぁ、こーんな感じの事を告げられてさ、然もチームはバラッバラにされた上に、一番強い私と意中の相手っぽい志郎が組んでる時点で第一王女と支援する一派が絡んでるわね、絶対。

 

(ったく、とんだ腹黒姫様だわ。それでもって杜撰過ぎであからさま。どれだけ借りを作ったんだか……)

 

 イチャイチャする二人の遣り取りを背中で感じながら木の上から飛び掛かって来た蠍猿の首を斬る。ちょっと意地悪して血が飛び散る方向をコントロールして背後に飛ばしたんだけど、志郎がサラ王女を抱き締めて庇ったから血を浴びたのは彼だけ。……ちっ。

 

「ご注意を。姫様を野蛮な生物の血で汚してはなりません」

 

「……あー、はいはい。次からは気を付けるわよ。所で……そろそろかしらね?」

 

 何となく察したのか僅かに責める感情を含めた視線を受け流し、私は一つ目の螺旋の三分の二を漸く過ぎた頃だと気を引き締める。ちょっと足場が悪くて多少モンスターが出る、その程度の試練だったら半分寝ながらでも踏破して見せるわよ。試練の試練たる所以、それは此処から現れる……らしい。

 

 ほら、私だって洞窟に入ったのは初めてだもん。王家の試練の場だし、英雄の子孫だろうと入れないもの。入った連中が残した記録を読んだだけだしね。

 

「ほら、サラ王女をしっかり守って……どうせだったら姫抱きにでもしておきなさい。大切な相手と密着しておけば誘惑に負けないでしょう?」

 

「むぅ……。流石にそれは……」

 

「やりましょう! 私を守って下さいませ、志郎!」

 

 私が軽い冗談を口にすれば本当にしやがったバカップル。……言うんじゃなかったなぁ。何が悲しくって自分は全然初恋が実る可能性が無いってのに他人のイチャイチャを見なくちゃならないのよ。あぁ、賢者様に会いたいわ……。

 

 

「おや、ナターシャではありませんか。久し振りですね」

 

「ふぁっ!?」

 

 ほ、本当に賢者様が居たっ!? 私の目の前、其処には確かに賢者様が立っていた。ど、どうして賢者様がこんな場所にっ!? いや、賢者様なら何処に居ても変じゃないけど。えっと、今日はお化粧とか……前からしてないか。

 

 

「あの、賢者様が此処に何をしに……」

 

「貴女を探しに来たのですよ、愛しのナタ……」

 

 それ以上の言葉は必要無い。私は腕を広げた賢者様の胸に向かって飛び込み、襟首を掴んで顎に拳を叩き込むなり腹に蹴りを入れて滝に叩き込んだ。

 

「……不愉快」

 

 ……ったく、胸糞悪いわ。賢者様が愛しのとか名前の前に付けるのは奥さんと娘だけだってのに。

 

「何か見えたのか?」

 

「うん。凄く不愉快な物が」

 

 さっき私の前に現れた偽賢者様こそが試練。試練の内容を知っていても実際に目の前に現れれば騙される幻。本人の深層心理を読み取って現れる誘惑。私だって危なかった。私を愛してくれる理想の賢者様なんて、私が愛する賢者様じゃないもの。……ちょっと悲しくなったわね。

 

 

「レリックは大丈夫かしら? 彼、真実の木にでも遭遇したら……遭遇は奇跡的な確率らしいからないでしょうけど。」

 

 

 

 

 

 

「教えてあげようか? 君が知りたい世界の真実。唯一無二の肉親の居場所をさ」

 

「……あっ?」



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クルースニク外伝 27

 結局隊長も参加する事になったガンダーラ。俺は当初の予定通りにラム王女の護衛として参加したんだが……。

 

「凄ぇ! 何かもう、凄く凄ぇ!」

 

「おい、あんまり身を乗り出すなっての。落ちるぞ」

 

 俺の相方は何故かレガリアさんじゃなく、滝を見て大はしゃぎのチビことルゴド。いや、本当に馬鹿みたいなコメントだな、おい! ったく、どうして俺がこんな馬鹿のお守りなんだよ。あのバシルってエルフかせめてレガリアさんだろ。俺だって暴走して諫められる方だっつうのによ。こんな事になったのはどう考えてもお偉いさんの策略だぜ。隠す気が無いのが余計に腹立つな。

 

 何故そう思うかと言うと、そもそも最初に出場したチームでない理由の説明になる。これが俺をムカつかせているんだ。

 

 選ばれた六人は全員強者中の強者であり、志郎のみ最初のチームではないのは不公平故に此方で無作為に選ばして貰う……だってよ。最初に言い出したのは第一王女のサラ王女で、護衛のチームを分け直したのはサラ王女の派閥の連中だって事だ。けっ! 好き勝手やりやがって。この時点でやる気が失せたぜ。だが、まあ先に報酬は貰っちまったし、放棄するのは駄目だろ。ラム王女の護衛じゃなければ投げ出してるがな。

 

「なあ、滝壺に飛び込んだら早く進めるんじゃねぇ?」

 

「わあ! 此処から眺めれば凄く見晴らしが良いよ!」

 

「だからショートカットは禁止だって言われただろうが! 足場から内側の空間に出たら失格だっての! 王女様も岩から降りて下さい!」

 

 だが、同行人共が余りに自由過ぎるのはどうにかしてくれ! ルゴドは人の話を聞いちゃいないし、ラム王女はせり出した岩をよじ登って眺めを楽しんでやがるし! てか、最初にゴールしないと試練を突破した扱いにならないんだし、さっさと行こうぜ!

 

「……質問するが、やる気は有るのか?」

 

「俺は強い奴と戦いたいからアヴァターラに出場しただけだしな。ちょっとした願いだったら報酬で叶えて貰えるっつっても、特に無いぜ。強いて言うなら呪われて暴れたからって意識不明の状態で幽閉されてる彼奴の免罪だけど……」

 

「それは仲間の志郎が願うのが筋だろうし、僕も特に不自由は無いしなぁ。姉様の周囲の連中が気になるけど、願いで追い払っても後々面倒だし、王族として考える案件だしさ。……所でレリック、ちょっと良いかい?」

 

「どうかしました?」

 

「いや、思った以上に高いし、足下も堅いから飛び降りたら足を挫きそうだから……受け止めてね!」

 

「政敵以前にそれを考えとけや!」

 

 俺だって敬語くらいは使えるが、流石にこの時は素が出ちまう。何も考えて無い風に見えて色々考えているけれど、何も考えずの行動も行う。そんなラム王女への気苦労やサラ王女周辺の奴共へのムカつきで注意散漫になってた俺は、他人に注意しておきながら自分が濡れた岩で足を滑らせた。

 

「おっと」

 

 だが、この程度なら直ぐに立て直せる。少し体がフラッとなった程度だ。何の問題も無い。但し、目の前にラム王女が迫ってなかったらな。胸で受け止める筈が俺の顔でラム王女の胸を受け止め、腰を掴む筈が尻を掴む。転ばなかったのが幸いだな、こりゃ。……どっちにしろ最悪だってのには変わらねぇか。

 

「……事故だってのは分かってる。でもさ、分かっているよね?」

 

「よし殴れ!」

 

 覚悟は既に決めている。ラム王女を下ろした俺は振り抜かれた平手を甘んじて受け入れ、乾いた音が滝の轟音にかき消された。……理不尽? そうだろうと無かろうと、男には女に打たれるべき時が有るんだよ。

 

 

「……にしても俺以外が全然やる気が無いってのはなぁ」

 

「だってさ。王権で叶えられる願いだよ? 苦労して兄弟姉妹で争って、その報酬が下手すれば今後の民衆からの評価に関わるとか面倒じゃないか。変な願いを頼んだら馬鹿だとか噂されるんだよ。試練で肉体的に疲れて報酬で精神的に疲れるとか」

 

「……アンタが淑女だとか信じてる連中が哀れになって来た」

 

「あっ! 鳥の丸焼きが山積みだ!」

 

「どう考えても試練だろうがっ!」

 

 俺の頬に紅葉の痕が付いてから一時間程後、俺達は漸く二つ目の螺旋の半分辺りまで来ていた。一個目の道は滝の裏側に繋がっていて、隠された道を抜ければ別の滝と上に向かう螺旋状の岩道。壁には横穴がチーズみたいに沢山開いているし、二人のやる気が無かろうが行楽気分じゃなく気を引き締めるべきだって思っていたんだが、ラム王女は空中に浮かぶ鳥の丸焼きにダッシュしやがったので襟首を掴んで止めた。

 

 しっかし護衛の二人と試練を受ける王族の計三人の誰かに向けて幻が出て来るんだが、ターゲット以外は幻だって知っていても抗えない魅力は感じないし、端から見てりゃ馬鹿丸出しだ。こりゃレガリアさんや隊長とは別で助かったかもな。計略しやがった連中、どーもご苦労さん。お陰で助かったぜ。

 

「あっ! 下着姿の美女だ。俺が左側を掴んで押さえとくな」

 

「絶対レリックだね。じゃあ、僕は右側」

 

「う、うっせぇ!」

 

 ラム王女への言葉遣い? これだけ内面の欲求を暴露し合って、馬鹿話も途中で散々してるしな。他に誰か居れば王族の権威がどうとか不敬だの何だの喧しいが、居ないんだから別に良いだろ。もう敬語使うのも馬鹿馬鹿しいし、胸に顔を埋めて尻を掴んで、不敬ってレベルじゃねぇもん、既に。

 

「取り敢えず食べ物系の誘惑が増えて来たし何か腹に入れる? ほら、向こうに開けた場所が有るからお弁当にしようか。レリックの場合は別の意味で食べる対象の誘惑だけど」

 

「食欲じゃなくて性欲たぁ若いよな」

 

「何時まで同じネタを引っ張るんだよ、テメェら! てか、お前何歳だよ、ルゴド! どう見たって俺とそんなに……」

 

「俺、25」

 

「マジでかっ!?」

 

 顔立ちからして十代だと思ってたのに、俺より十歳近く年上たぁ驚きだぜ。……にしても俺への試練って何で女ばっかりなんだ? 娼婦位は誰でも買うだろ、男なら。まるで色情魔か何かみたいに弄くられるしよ。

 

 ……だが、俺には何としてもラム王女をゴールまで到達させる理由が有ったからやり抜くしか無い。ビリッケツだろうとゴールするのとリタイアするのでは評価に雲泥の差が有るんだとよ。報酬は前払いにシて貰ったし、やり抜くしか無いよな。

 

「……イーチャってアンタに凄い忠義誓ってるよな」

 

「うん。僕には勿体ない家臣だよ。死に掛けていたのを拾って助けたんだけど、それで恩義を感じてくれてさ。何でも年の離れた幼い弟に他の家族の仇だって……あれ? ねぇ、さっきまでこんな所に木なんて無かった……よね?」

 

 気になるが踏み込んだら駄目な気がする話の途中、サラ王女が話題を切り替えたのは巨大な木が理由だ。本来ならば大瀑布と周辺の広大な空間、小さな村がすっぽり入る程の広さの周囲の中にスッポリ収まった大木。これじゃあまるで勇者が次の世界に渡る為の試練として登る…。。

 

世界樹(ユグドラシル)……?」

 

「いやいや、とんでもない。そもそもこの試練自体が勇者の試練を真似したパチ物で……」

 

「ん?」

 

「え?」

 

「あ?」

 

 い、今、確かに目の前の木が……。

 

「「「しゃ、喋ったぁ~!?」

 

「え? 普通に喋るけど?」

 

 思わず声を上げた俺達。だが、直ぐに木の正体に行き当たる。ガンダーラの試練の一つで、特定の場所を特定の歩数と入ってからの秒数で踏めば現れるとか、調べれば調べる程に胡散臭い情報ばかりが出て来る存在。深層心理を読み解き、もっとも知りたいと思っている問いの答えを教えてくれるって触れ込みを持つ真実の木だ。

 

「よし、無視するぞ! 護衛限定の試練だっつう話だし、俺には特に無いからな。ルドゴ、お前はどうなんだ?」

 

「作者失踪で続きが読めない推理小説の結末を知りたい程度だな」

 

「なら、何の問題も無いな」

 

 そうだ。護衛を放り出す訳にも行かないし、無視して進めば……。

 

 

「教えてあげようか? 君が知りたい世界の真実。唯一無二の肉親の居場所をさ」

 

「……あっ?」

 

 ……今、何って言った? 

 

「特別サービスで少し教えてあげよう。君の両親は既に死んでいるけれど……娘が生まれていたんだ。さて、どうする? 此処から先は有料だ。質問には答えるけれど、その場で帰って貰うよ」

 

 過去は捨てた。もう俺とは無関係だ。だが、それでもその言葉は……。

 



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クルースニク外伝 28

 王女付きのメイドたる者、例え同行出来ぬ場所に主が行っていたとしても暇を持て余し等致しません。ご愛用の食器の整備や部屋の掃除、各種諜報系魔法の有無のチェック、愛飲の紅茶の茶葉や茶菓子の常備を調べて不足しているのなら買い足しておきませんと。おっと、心付けを各所に配らなければ。

 

「さて、お昼は過ぎましたが食事にしますか」

 

 一段落着いた頃には正午を既に過ぎ、軽く摘まめる物を用意していたので書類作業に移行します。ラム様自体は他の王女様達との仲はご良好、されど派閥の者達がいがみ合う。正直申しますとサラ王女様は第一王女だけあって支援者の力も強いのですが、それ故に周りを手の者で固められて側近らしい側近は皆無。だから視察の途中で事故に遭われた時は随分と騒ぎになりましたね。大規模な落石事故で護衛はほぼ全滅、生き残った者達もモンスターに襲われましたが、旅の剣士によって助けられたとか。

 

 それにしても公爵が最近は妙に大人しいのが気に掛かります。下手すればサラ王女様と親子程に年の離れた息子の結婚話を進めたがっていたのに、最近は派閥のカイエン家とパップリガの有力な家との婚約を進めるのに夢中ですし。あの古狸、何を企んで……っ!

 

 少し気が立った為に右脇腹に負荷が掛かる体勢になっていたのに気が付かず、走った痛みに思わず眉をしかめた。そっと裾をめくればシミ一つ無い綺麗な肌。ですが、隠蔽の魔法を解除すれば背中から腹部に貫通した傷跡が現れ、指先で撫でれば涙が出そうになりました。ですが私に泣く資格など有りません。……あの子からすれば生きる資格すら無いのでしょうね。

 

「全部っ! 全部お前が悪いんだ! お前が逃げ出したから父上も母上も!」

 

 あの日、四年振りに会った弟は随分大きくなって、そして一緒に暮らしていた時と同じ様に泣いていました。そう、あの優しく泣き虫だった子にあんな事をさせたのは私。だからこの傷を消す方法があっても私は消さない。思いがけずとは言え家族を犠牲にした以上、死を選ぶ事はしないけど、自分の幸せは求めない。残りの人生は命を救って下さったラム様に捧げましょう。

 

 

 でも、もしもあの子が私の前に現れた時、どうすれば良いのか。その答えは未だに出ていないのです……。

 

 

 

「さーて、どうする? 後二十秒以内に決めないなら私は消えよう。ガンダーラの邪魔をするのも忍びないのでね。でも、広い広い世界が六つもあって、その中から一切の手掛かり無しに子供一人を捜し出すのは困難だと思うよ? ああ、半獣人で八歳の女の子って手掛かりが有るっけ? その程度、何の役に立つんだって話だけどね」

 

 風も無いのに、いや、台風の直撃だろうとも揺れそうにない大木が揺れる。まるで笑いを必死で堪えているみてぇにな。そうか、生まれたのは妹か。餓鬼の頃、弟だったらちょいと荒い遊びを教えてやるが、妹だったらままごと遊びに付き合わされるのかって思ってたんだ。まあ、兄貴になるってのが嬉しかったから嫌じゃなかったがな。

 

 だけどよ、此処で問い掛ければ俺は試練を脱落して、誘惑に負けた馬鹿の誹りを受けちまう。俺だけなら良いんだ。だけど、俺に期待してくれたイーチャを裏切り、レガリアさんや隊長、ラム王女の顔にまで泥を塗る事になっちまう。

 

 そうだ、妹が生きてるってだけで良いじゃねぇか。俺は過去を捨てたんだろ。なら、これ以上は聞く必要なんて……。

 

「ああ、どうせなら長々と詳しく話を聞かせてあげようか。そうだな、一時間位は必要だね。その間に王女がゴールすればリタイア扱いにはならない。……どうだい?」

 

 真実の木だの深層心理を読みとって願いを探るだの、色々聞いてはいたが随分と性格が悪い奴だ。自分を許す理由を与えてくるんだからよ。一つ与えられれば他の理由が浮かんで来る。依頼はアヴァターラへの参加だったとか、どうせラム王女にやる気は無いだとか、誘惑を受け入れる方向に持って行かれそうになる。

 

 俺は必死に耐えるが、どうしても心が叫ぶ。両親が既に居ないならせめて妹について知りたいと。例えレガリアさん達が俺にとって家族同然だとしても、その気持ちだけは捨てきれないんだ。

 

「……よし! お前が知ってる事を長々と話しやがれ」

 

「おいっ!? テメェ、何考えて……」

 

 そして堪えきれず真実の木へ問い掛けてしまった。だが、それは俺じゃ無い。呆れ顔のルゴドが俺に代わって質問したんだ。何やってんだよ、お前! 会って大した付き合いも無いのに何でこんな事を。

 

「いや、だって辛そうだったろ。俺には家族なんざ残っちゃ居ないが、テメェは居るんなら知っとけ。まあ、変な意地張ってるから我慢しきれなかったんだ。ったく、馬鹿馬鹿しい」

 

 ルゴドは肩を竦めると早く行けとばかりに上を指さす。真実の木は不満そうに体を揺らし、語り始めたが俺は聞いてる暇なんか無い。

 

「……助かった! んでラム王女……悪いっ!」

 

「わわっ!?」

 

 俺はラム王女を持ち上げ、足場を一気に駆け上がる。聞いた話じゃ一日以上掛かる試練らしいが、それなら何十倍もの速度で走り続けるだけだ。駆け抜けろ。決して止まるな。邪魔する奴は全部蹴散らせ。絶対に……絶対にルドゴがリタイアさせられる前にたどり着け。足が折れても、心臓が張り裂けても根性で動け。

 

 俺に止まっている暇は無い。俺に止まる事は許され無い。走れ、走って駆けて進み続けろ。レリック、お前が男だってんなら絶対に一秒たりとも遅れるんじゃねぇぞ!

 

 立ち塞がるモンスターを蹴り殺し、罠を蹴り壊し、息が上がろうと進み続ける。俺は託された。なら、やり遂げなければならない。今の俺では足りないってんなら今の俺よりも速くなれ。

 

 異変に気が付いたのは全力で走り、更に手持ちの札を全て使って速度を上げて走り続けて三十分程が経過した時だ。未だに息が上がる事もないし、魔力だって枯渇する様子は無い。だが、俺は自惚れじゃなく常人を遙かに凌ぐ肉体を持っている筈だ。既にその辺の強いって言われてる奴の全力を遥に超えた速度で走っているのにゴールに辿り着ける様子が無い。文献ではとっくに試練を終える位に上り下りを繰り返しているにも関わらずだ。

 

「……おいおい、まさかそうなのか?」

 

「どうかしたのかい?」

 

 俺の呟きで目を覚ましたラム王女が問い掛けて来た。限界を超えた力を出し、自分への負担は一切考えないが、それでも腕の中の此奴には極力負担が掛からない様にしてたが、それでも何時の間にか寝てやがったんだよ、この女。マジで王族かって疑う神経の図太さだぜ。

 

「嫌な予感がしたんだ。ガンダーラの試練ってのは、入った奴の強さでより過酷になるんじゃないかってな」

 

 そもそもの話、俺みたいな常人を越えた存在、隊長曰く英雄候補は魔族の発生時期に合わせて誕生する上に圧倒的に数が少ない。だから今まで護衛に選ばれず、その結果としての内容を俺は参考にして……いや、関係無い。

 

「……四の五の言っている時間は終わりだ。例えどうだろうと俺のやるべき事は変わらねぇ」

 

「うん、だったら僕への負担は無視して進んでくれ。これでも君を仲間だと思ってるんだよ? なら、変な気遣いは無用さ」

 

「……悪い」

 

 ……なあ、レガリアさん。俺って奴は恵まれてるよ。アンタに助けられて新しい家族を得て、こうやって今だって色んな奴に助けて貰えて、本当に人に恵まれた。

 

「……やるっきゃねぇ! やるっきゃねぇよな、おいっ!」

 

 だから走れ、俺! 根性見せろやっ! ……この後の事は何も覚えちゃいない。気が付けばベッドに寝かされていて、随分な無茶をしたらしく筋断裂やら疲労骨折やらで暫く入院だってよ。

 

「じゃあ、明日から面会を許可するから。君が間に合ったのかって? いや、詳しい話は聞いちゃいないよ。最近は忙しくってさ。……故郷が滅んじゃったんだ」

 

 それ以上の事は流石に聞けず、俺は仕方無く明日を待つ事にした。……この時、俺は知らなかった。無理な動きと魔力の異常な枯渇で俺が三日以上寝ていた事を。どうやって説得したかは聞かなかったが、ルゴトとバシル、そして志郎見もクルースニクに入ったって事をな。

 

 

「じゃじゃーん! これが知り合いに頼んで作って貰ったクルースニクの制服だよ。並の鎧より遙かに頑丈なんだから!」

 

 そんな風に金属製で背中に賢者信奉者のマークが描かれたコートを見せびらかされたのが三日前。俺が入院している間にクルースニクとしての仕事に行っていたルゴトに妹の名を聞かされたのが今だ。

 

 

 

「ゲルダ。ゲルダ・ネフィル。それが妹の名前だ。今じゃ平和なパップリガのエイシャル王国で羊飼いをしてるってよ。会いに行ったらどうだ?」

 

 その言葉に俺は首を縦に振ろうとし、横に数度振る。俺は過去を捨て、名前を変えた。だが、ケジメを着けなくちゃならねぇ連中が居る。それは決定事項だ。だから……巻き込む訳には行かない。例え殲滅しても雑草みたいに生き残った連中が居た場合、俺じゃなく俺の周囲に危険が及ぶ。

 

 だから、俺と妹は永遠に他人だ。俺は兄として守ると両親に誓った。だから絶対に守る。俺なんかの因縁には絶対に巻き込んだりするかよ。それが俺に出来る守り方だ。

 

「……ん。まあ、本人がそれで良いんなら別に良いや。これから宜しく頼むぜ?」

 

「……おう」

 

 短い言葉の後、互いに拳を突き出してぶつけ合わせる。男なんざそれで十分だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと、例の毒でオアシスが滅んで助かった。レリック君、一刻を争うって状況じゃ戦力が足りなくても挑みそうだからねぇ。その結果、救える筈だった更に大勢の人を救えなかったりって事を考えないんだから。彼処まで衰弱してたら直ぐにギャードを倒しても毒が消えても死んじゃってたし、今回と犠牲者の数は大して変わらなかったよ。さて、仲間が増えたし様子を見てギャードの城を発見しようかな。実は既に知っているけど。……人助けは数を見るべきだって気が付いてくれたら助かるんだけどねぇ。オジさん大変だよ、全くさぁ」




次回一話挟んで主人公の出番です 今回のフラグも回収 予定


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チキチキ! 神様だらけの神前式 in 神の世界

 異世界よりコピーとして召喚され、見事魔王を倒して勇者の使命を全うする。普通の物語ならば少しエピローグを挟んで終わりだろうが、生憎私とキリュウの人生はその後も続く。場面を急に切り替わって何年も経過する、なんて事も無く、今日の次は明日で、明日の明日は今日から見れば明後日だ。

 

 まあ、具体的に何が言いたいか、それは事後処理が待っていたという事だよ。ええい! そういう事は権力者がやっていろ! イーリヤ、お前なら英雄で王族だし丁度良いだろ!

 

 魔族が完全に消えても犠牲者が蘇りもしないし、傷が幻みたいに消えもしない。どれだけ被害が出ているのか、封印が既に終わって復興が一段落していた世界が他の世界の援助を行い、調査や今後の復興計画、治安維持や不安を取り除く宣伝の意味を持ったパレードを連日連夜行い、勇者一行は大忙しだ。

 

 その上……。

 

「おーい! こんなにキリュウ宛ての王族や貴族、神殿の連中から婚約の申し込みが来てるよ。どうせ燃やすんだろうし、さっさとお断りの手紙を書く為に住所を控えて、さっさと僕が選ぶ手伝いをしてよ」

 

 まあ、世界を救った勇者の血を取り込みたいって連中から余計な真似をされてな。邪魔だからとイーリヤに散々文句を言われた物だ。ったく、四人固まっていても仕方が無いからとナターシャ達と別れたが、向こうも大変な事になっていそうだな。

 

「……うーん。国の再建にはお金も人でも必要だけど、後々口出しが頻繁に有ったら面倒だし、独立性を重視しつつ迅速な支援をしてくれる所は……」

 

 仲間内では卑劣王子だのと呼ばれるイーリヤだが、英雄としての呼び名は剣聖王。本人は未だ王位継承していないと笑っていたが、あのヤンチャ坊主が数年の旅でよくぞ成長したものだ。自分宛の手紙を世界や立場別に分類し、自らの結婚を既に政治の道具として見ている姿は寂しい物が有るがな。……女神としてクリアスに居るだけならば感じなかった感情だ。私は随分と人に影響されたな。

 

 余所の世界から特定条件に当てはまる者を召喚するだけなら兎も角、条件を一人しか当てはまる者が居ない者に絞り、更にその者のコピーを作成して召喚する。今思えばソリュロ様に依頼すれば良かった無茶だが、頭の固かった私は自らの使命だとして思考を放棄、結果が弱体化だ。だが、それも既に元に戻っている。今の私は英雄シルヴィアではなく、女神シルヴィアなのだ。

 

「……おい、イーリヤ。私達の仕事も一段落だ。五人で集まるのは確か十日後だったな?」

 

「うん、そうだけど……そうか。まあ、旅の仲間でも何時までも一緒な訳じゃない。旅が終われば別れは必須だよね」

 

 私の問い掛けにイーリヤは手を止め、少し寂しそうに呟く。そう、女神となった私も、本来この世界の住人ではなくもう直ぐ人とは少し違う存在となる キリュウも使命が終わったならば長く居座るべきでは無い。退去の時、仲間と別れる時期が間近に迫っていた。

 

 

 

「……ふん。まあ、向こうに戻っても元気でな。不老不死の存在に有限の命の儂が言うのも変じゃがな」

 

「シルヴィアと喧嘩して家を追い出されたら私を頼って良いわよ、キリュウ。掃除くらいはして貰うけど」

 

「僕も国を復興した式典とかが必要だし、祝辞位は送ってくれよ?」

 

「「「それと結婚式に呼ぶのは忘れないように!」」」

 

 ガンダス、ナターシャ、イーリヤ。神にとっては僅かな時間だが人の子にとっては長い間苦楽を共にした大切な仲間達との別れの時。余計な邪魔者は一切入らせず、別れの挨拶を行っていた。

 

「勇者が失踪するとか面倒をお掛けしますね。結婚式には多少の無理を押し通してでも参加して頂きますよ。ガンダス、信仰する神の隣の席が良いですか?」

 

「当然じゃろ。結婚式そっちのけで話をしてやるわ」

 

「てか、結婚式って永遠の愛を神に誓うけどさ。シルヴィアちゃんって永遠に生きる上に愛の女神の妹でしょう? 結婚の挨拶の時に既に報告しているんじゃないの?」

 

「うん? ああ、既にしているぞ。キリュウがウェディングドレス姿の私を見たいと言うし、一応結婚するぞと他の神に改めて報告せねばならぬのでな。正直言って結婚式とか面倒だ。そもそも結婚式とか、何故わざわざ行うのだ? 姉様も普通に神殿で祈って伝えれば気が向いた時に祝福すると言っていたぞ」

 

「これだから神って奴は……」

 

 む? 

 どうもイーリヤに呆れられているし、姉様は問題児だな、全く。私には良く分からんが、人にとってはどうかと思う発言だったのだろう。本当に我が姉ながら情けない。

 

「シルヴィア、本当にイシュリア様に式の進行と神父役を頼むのですか? ちょっと不安が残るのですが……」

 

「大丈夫だ。打ち合わせを先にして、問題が有るなら姉妹による拳での話し合いを行えば良い。漸く本調子に戻ったし、軽く動かしたい気分なのでな。……その前にストレッチとマッサージを頼めるか? お前にやって貰えるだけで嬉しい」

 

「なら断る理由は無いでしょう。私も貴女に触れたい事ですしね」

 

 ……正直言って姉様に式を任せるのは不安が募る。旅の途中でも何度か顔を出してキリュウを誘惑し、結婚の報告の際も誘惑して、誘惑してばかりだな、あの愚姉は。だが、式において愛の女神である姉様以上に相応しい神など……ん?

 

「いや、別に女神に拘る必要は無かったな。キリュウ、早速頼みに行くぞ!」

 

「え? 頼みにって……ああっ! そうでした。神は司る物毎に男女対ですし、男の神様だって居たのに忘れて居ましたよ!」

 

 そう。姉様が問題ばかり起こして心労ならぬ神労の女神と呼ばれる程に印象に強い方なので忘れられがちだが、男の神にも愛と戦を司っている神が居たのだ。確か名前は……なんだっけか?

 

「……では、暫しの別れじゃな」

 

「何か寂しい気もするし、求婚前からイチャイチャしてるのを横で見せられなくて清々する気もするから複雑よね」

 

「それでもって自分は女神だって一線を引こうとするんだからさ。じゃあ、またね」

 

 では、本当に別れの時だな。皆、それぞれ使命だの夢だのが有るから再び共に旅をする機会は無いだろうが、私は三人の事を決して忘れんと心に誓った。

 

「ええ、絶対に会いましょう」

 

「次は結婚式でな」

 

 さて、クリアスに戻ったら急いで名前を調べねば。……ダヴィルに教えて貰うか。私の従属神の中で一番優秀だしな。

 

 

 まあ、こうして仲間と別れた私とキリュウは続いて結婚式の準備に取りかかった。姉様が不満に思って鬱陶しい事をせぬ為に何か適当な役割を与えたり、面白半分どころか完全なる好奇心で参加を表明した神への対応。姉様が暇潰しに作った真実の木とやらの扱いに困り、仲良くなった王族に押し付けたりとかな。

 

 

「……僕の事をちゃんと覚えてくれていたんだ。イシュリアでさえ忘れててるのに」

 

「……うん。当然だろう」

 

「所でどうして目を逸らすの?」

 

 こんな風に話を進め、遂にやって来た式当日。特別にクリアスに来るのを許された仲間達に祝福され、途中から頭のネジが外れた連中の宴の席に変わりながらも私とキリュウは永遠の愛を誓い合った。しかし特別な計らいで用意された式場だが、実はミリアス様の家の一つらしい。皆、遠慮無く汚しているな……。

 

 ブーケトス? 面白そうだからと一部を除いて殆どの女神が参加した結果、権能が飛び交う狂乱の場になって最後は何故か離れた場所のミリアス様の腕の中に落ちた。

 

「ええっ!? 次の花嫁はミリアス様ぁ!?」

 

「男なんだけど……」

 

 ならキャッチは無効だと殺到する女神達。先程までの争奪戦と今現在の牽制しあいで破壊される神殿。頭痛と胃痛を堪えていた。

 

 

 

「……それで私に何の用かしら? 新婚初夜だから気を使って乱入しなかったのだけど」

 

 その日の夜、真夜中に呼び出された姉様は乱交パーティーの最中だったらしく少し不満そうだった。普段は呼ばずとも来るのにな。私だって普段は姉様を頼る愚行はせぬが、今回はどうにもならないのだ。

 

「……いや、ちょっと問題があってな」

 

「え? キリュウのアレが役に立たないの?」

 

「……殺すぞ。そうでなくてな……私もキリュウも詳しい方法を知らんし、どうせだったら色々と楽しみたいのだ。姉様だって、その分野でなら頼りになるだろう?」

 

「言い方っ! まあ、良いわよ。参考文献が有るし、どうせだったら私が実践で……嘘です」

 

 まあ、こんな風に問題も解決し、私とキリュウは楽しくやっている。さて、今後も問題が無ければ良いがな。

 

 

 

 

「ごめ~ん! やらかしたから後始末手伝って~!」

 

 ……どうやら無理らしい。主に姉様が原因で。

 



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狼と外道の眷属
出会いとは結構大切って思う


 ゲルダが勇者に選出された日より七年ほど前、ブリエルにて一つの村が滅びていた。採掘物の質も量も低い鉱山以外に特徴も無い貧しい村。周囲は険しい山に囲まれて一本の道のみが外と村を繋ぐばかり。

 

 その村は今、毒々しい赤紫の霧に包まれている。見えない壁でも存在するかの様に道の途中から先に霧が行く事は無く、霧に包まれた村や道には大勢の村人が倒れていた。苦悶の表情を浮かべ、助けを求めて外に向かおうとしたのか、足には靴が脱げながらも必死に走った形跡が有る者も居るが誰も霧から先に辿り着けていない。辿り着く前に苦しみながら死んだか、矢で射殺されてしまっていた。

 

「……これは酷い。あんまりですねぇ」

 

 赤子を抱きしめたまま倒れている女性の亡骸に靴先を引っ掛け、そのまま石ころでも蹴りつける時の乱雑な動きでひっくり返したウェイロンは一切の同情が感じられない声で呟き、母の手から赤子の亡骸を摘まみ上げた。全身に浮かぶ斑状の模様。周囲を包む霧と同じ赤紫色だ。

 

「病魔の呪詛の類でしょうが酷い物ですねぇ。殺すのが目的ならば即効性が無く逃げ出す余裕が有り、苦しめるのが目的にしてもこれでは苦痛が中途半端。才能も美学もコンセプトも感じられない。あんまりですよ、これでは。……ねぇ」

 

 赤子の亡骸をゴミでも投げ捨てる風に放り出した彼が呆れながら声を掛けたのは霧の境目付近に建てられた簡易的な詰め所の兵士達。内部から人が出ない為に見張り、今は誰かが入って行かない様にしていた。……そう、していただ。地に倒れ伏して呻き声を上げる男性以外の兵士は殺されていた。

 

「さて、興味は有りませんが物は試しです。……ちょっと呪われて下さい」

 

「ま、待ってくれ! 俺にはもう直ぐ生まれる子供が……」

 

「おや、それは幸運な。育った後なら父親が亡くなった事を悲しむのでしょうが、生まれる前から居ないのならそこまでではないでしょう。子供に与える悲しさが生まれた後に比べて小さいのですから運が良いですね、貴方」

 

 何をされるのか察した男の命乞いを聞き入れず、ウェイロンは霧の中から手を伸ばして彼を霧の中に引っ張り込む。必死で息を止める彼だが、それでも霧は口や鼻から入り込み、全身に例の模様を浮かび上がらせながら転がり続けた。

 

「あがぁああああああっ!?」

 

「五月蠅い。……あっ」

 

 その叫びが耳障りだったのかウェイロンは彼の顔を蹴り飛ばし、頭が宙を舞う。観察する筈が途中で終わらせてしまった事に僅かな後悔の色を浮かべるも、直ぐに表情を切り替えた彼は霧が一層濃い村の方へと平然と歩き出した。

 

 途中に転がる亡骸を踏みつけ、或いは蹴り頃がし、死者の尊厳を文字通りに足蹴にして踏みにじりながら進む彼の表情は退屈そのもの。分かり切った物を一応確かめに来たが、結局予想通りだったらしい。

 

「淀んだ怨念もそれほど発生していませんし、適当なのを実験用に持ち帰って……ははっ! ははははははっ!」

 

 退屈そうに村を見て回り、飽きたのか踵を返そうとしたウェイロンの表情が一変し、歓喜に染まりながら走り出す。心底嬉しそうに笑い、少し驚きの色さえ浮かび上がらせた彼の視線の先には男女の亡骸と、その横で泣き叫ぶ幼い男の子だ。彼の背後で開け放たれた家の住民らしく、倒れた男女と彼、そして彼の姉らしい少女の肖像画が飾られていた。

 

「やあ、少年。名前を教えて下さいますか? 私の名はウェイロン。旅の者です」

 

「……ネルガル」

 

 突然現れた見知らぬ相手に警戒しながらもネルガルは生きた相手に会えたのが嬉しかったのだろう。糸が切れた様に倒れ込み眠り、ウェイロンは彼を丁寧に抱き上げた。

 

「この呪詛の中、幼いこの子は一切呪われていない。ははっ、ははははははっ! 此処までの潜在魔力の持ち主は実に珍しい。そして君は運が良いですよ。こんな村で才能を腐らせずに済んだのですから」

 

 狂った笑みを浮かべ、ウェイロンはネルガルと共に何処かに転移する。両親らしき亡骸も同じくその場から消え去っていた。

 

 数日後、村は疫病で滅びたと発表され、二年後、この地の領主一族が何者かに皆殺しにされる。深い怨恨が有る相手なのか幼子も含めて惨殺されていたという噂だった……。

 

 

「いやはや、本当に立派に育って。……正直言って私の百年の研鑽は何だったのかと思いますよ」

 

「ケケケケケ! 殺るか? 用無しを消しちまうか、ネルガル?」

 

「駄目だって。先生を殺しても今は得しないし、骨が折れそうだもの。それよりも次は何処に行くの?」

 

「ちょっと気になる子が居るサーカスが有りまして。魔族からの勧誘も気になりますが、今は地盤を固めましょうか」

 

 朗らかな会話を続ける一行。此処で彼等が居る場所を記して置こう。とある国の草原だ。最近増えてきたモンスターの討伐に派遣された兵士達の亡骸が転がり、モンスターに貪られる光景を目にしながら呑気に話をしていた。その光景を作り出した事に一切の躊躇も後悔も無くだ。

 

「サーカスかぁ。父さん達が忙しいからってあの人が連れて行ってくれたな。……何処かで生きてて欲しいよ。じゃないと僕が殺せないもん」

 

 この日、大勢の兵士が死した事で一層被害が広がる結果となった。その原因である一行は悪意を悲劇を振りまきながら世界を巡り、今後も世界に影響を及ぼす事だろう。そして、誰かに打破されるその日まで決して止まる事は無い。

 

 

 

「明日でお休みも終わりかぁ。ちょっと残念ね」

 

 サウナで汗を流し、体が芯まで温まったら水風呂に直行。これを数度繰り返すと凄く気持ち良いだなんて今まで知らなかった。勇者としての半年ちょっとの旅で広い世界の一部を知った私だけれど、本当に世界って色々な事が有るのね。思えば羊飼いの時もこうして纏まった休日をのんびり観光しながら過ごすだなんて初めてじゃないかしら?

 

「まあ、明日は一日体を休めながら休暇中の事を二人に話すのだろう? それも楽しみではないか。旅行とは出掛ける前の計画と帰った後の思い出話も楽しみと聞くぞ?」

 

「私も遊び目的の旅は初めてだけどそれは聞いた事が有ります。今からでも楽しみだわ……」

 

 今回の休暇中の観光旅行に一緒に着いて来てくれたソリュロ様も水風呂に浸かって気持ち良さそうにしていたわ。私一人だとどうしても使命について考えてしまうだろうし、こうして一緒に楽しむ人が居てくれるのって本当に嬉しい事ね。……それと、胸が私と同じなのも安心だわ。

 

 自分の胸をペタペタ触りながらソリュロ様の胸に目を向ければ同じく断崖絶壁が存在していた。大人の姿になったら大きいけれど神様って肉体の年齢は自由自在らしいし、普段の姿が比較対象で構わないと思うわ。って言うか思いたい。

 

「楓さんが急な仕事で部屋に籠もりっきりになったのは残念ね」

 

「領主とは領地に関わる全ての責任者だからな。何かあれば動かねばならぬのさ。万物を司るミリアス様とて忙しい方だぞ? 何せ馬鹿共が手を抜いたりして出来た穴埋めも仕事の内だからな。……此処数百年はイシュリアが酷いが。神が必要以上に干渉しない事で文明が発達して、興味を引かれて頻繁に出掛けているのだ、あのアホ女神は」

 

「イシュリア様らしいですね……」

 

 よし、この話題は終わりにしましょう。神様への敬意を忘れそうだもの。それにしても本当に楽しかったわ。大切な使命を忘れちゃう位に……。

 

 

「安心しろ。休暇は状況を見てまた貰えるさ。お前と旅をしているのは私の弟子と女神だぞ?」

 

「それと性格が悪いけど頼りにはなる使い魔の……」

 

「あれの名前は出してくれるな。……最近ではパンダの絵を見ただけで胃がキリキリ痛むのだ。パンダは好きなんだがな。……パンダのヌイグルミをやるんじゃなかったよ」

 

「え、えっと! そろそろ遊びに行きませんか! お祭りが有って出店も沢山出るそうですし!」

 

「そうだな! どうせ金はキリュウから沢山渡されているのだ。羽目を外して遊び回るぞ!」

 

 急に落ち込んだソリュロ様は顔まで浸かってブクブクと泡を出していたけれど、気を取り直したのか急に立ち上がると水風呂から飛び出して行ったわ。私も慌てて追い掛けるけれど、ああやって見ると本当に私と同じ年齢に見えるわね。大好きな人間に恐れられる悲しい神様なのに、それを感じさせない明るさを見ていた私も世界を救うって使命へのやる気が湧いて来た。

 

 

「よし! 張り切って行くわ!」

 

 両方の拳を強く握りしめて誓う。私は私のままで世界を救う。その後で絶対に幸せになってやるってね。だって、世界を救っても私が不幸せなら賢者様も女神様もソリュロ様だって気にしちゃうもの。そんなの嫌よ。

 

 

「では、さらば……いや、また会おう」

 

 そして休暇最終日。ちょっと寂しいけれどソリュロ様と別れて賢者様達の所に戻ったのだけれど、なんであの人が居るのかしら?   

 

「……よう」

 

 私と同じ灰色の髪の毛で少し怖い顔のお兄さんがアンノウンの引く馬車の前に立っていて、ぶっきらぼうな態度で私に声を掛けて来る。確かこの人の名前は……

 

 

「えっと、ミニスカセーラー服の……じゃなくて、クルースニクのレリックさんがどうして此処に?」

 

 ……悪気は無いのよ? でも、ちょっと話した後で直ぐに再会した時の格好がパンツ丸見えのミニスカートのセーラー服だったのだもの。




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ツンデレ男と乙女心

  人はふざけている時と真面目で真剣な時の二つが有るわ。何処かの使い魔だって偶に……本っ当に偶にだけれど真面目な態度を取る事が有るもの。真剣だと思わせて直ぐにギャグに走るけれど。だけど、此処まで真剣な眼差しで正面から見詰められるのは本当に久し振りね。

 

「頼むから聞いてくれ。俺は変態じゃねぇ。ミニスカセーラー服に関しては忘れろ。マジで頼むから……」

 

「え、ええ……」

 

 私が休暇で遊びに行っている間に仲間として同行する事になったレリックさん。初対面の時は乱暴な物言いで少し怖い人に見えたけど、二度目の時はアンノウンの悪戯で変態扱いしちゃって、その後少し話したらぶっきらぼうなだけで優しい人だとは思ったけど……。

 

 私の両肩に手を置き、ジッと目を見てくるレリックさん。会って間もない人なのに何故かもっと前から知っている気がしたわ。それこそ小さい頃に話し掛けられた気もするし、顔だって何処かで見た気がするの。でも、何処で何時だったかは不明だわ。

 

「っつーか、どうなってるんだ、あのアンノウンって奴は……」

 

「えっと、慣れるしかないと思います」

 

 何処か遠い目で呟いた内容に私は察する。私が居ない間、アンノウンの遊び相手って消去法でレリックさんしか居ないって事を。だって賢者様と女神様には悪戯しないもの、基本的に。私も苦労が顔に出ていたのか少し同情した目を向けられるけど、変態っぽい服装をさせられた事は無いしレリックさんよりはマシよね。

 

 ……あれ? これって被害がレリックさんにも向かって私の負担が減るパターン? って、駄目よゲルダ。他の人が苦労するにを安心するなんて。心に芽生えた黒い思いを追い払おうと頬を挟むように手で叩く。レリックさんに変な子だと思われていないかしら。

 

「……何やってんだ?」

 

 怪訝そうな、もしくは心配する様な視線から目を逸らす。うん、普通は自分の頬を急に叩き出したら変に思うわよね。

 

「えっと、秘密です」

 

「そうか。なら、別に良い」

 

 言えない。貴方が苦労すれば私の苦労が減って嬉しいと思ってましただなんて正直に言える筈が無いわ。我ながら苦しい誤魔化しとは思ったけれど追求されずに助かったわ。

 

「おい、そろそろ飯だと言ってたから行くぞ。……それと賢者様やシルヴィア様達へのと同じ言葉遣いで良い。兄妹……じゃなくて家族みたいなもんだろ、仲間って。変に気ぃ使うな」

 

「……そう? なら、そうさせて貰うわね、レリックさん。……あっ!」

 

「……どうした?」

 

「ちょっと思い出した事が有って。気にしないで」

 

 そうだわ。レリックさんってちょっとお父さんに似てるのよ、目の辺りはお母さんかしら? うーん、もしかしたら遠い親戚なのかも知れないけれど……。

 

 何せお父さんの出身世界はちょっと特定の種族への蔑視が強かったり、特権階級の中身が腐っているって楓さんが言ってたし、お父さん達も故郷については話したくないって感じだった。なら、関係有っても下手に聞き出すのも嫌な思い出に繋がる可能性が有るわね。それに知らなかった親戚と偶然会うなんて低確率がそうそう起きないわよね。

 

 馬鹿馬鹿しい考えを止め、私はレリックさんと一緒に賢者様達の所に向かう。今日のお昼ご飯は何かしら? お肉だったら嬉しいわ。

 

 

 

「おや、楓さんと会ったのですか」

 

「ええ! それで招待を受けてソリュロ様と一緒に色々な遊びを体験したわ!」

 

「楽しかったなら何よりだ。それで昼からはどうする? 体を休めるのか?」

 

 お昼ご飯を食べながら休暇中の話をしたのだけれど、こうして旅の話をするだけでも楽しいわね。この救世の旅も何時かは笑って話せる日が来るのかしら? 賢者様と女神様は私の話を笑顔で聞いてくれていて、レリックさんは無言で鶏肉のソテーを食べていたのだけれど楓さんの名前に少し反応したわ。

 

 ……うん、矢っ張りパップリガと関係が有るのね。楓さんと同じで白神家に関わるなって忠告してくれたし。私がちょっと気になってレリックさんを見ていると、何を思ったのか鶏肉のカリカリに焼けた皮の付いた美味しい部分を切り取って私の皿に乗せて来た。くれるのかしら? お肉だって分厚くジューシーな部分で嬉しいけど……。

 

「……要らねぇのか? アンノウンの野郎が『ゲルちゃんは育ち盛りだから食い意地が張っている』っつってたぞ」

 

「……張ってないです、多分」

 

「多分とか言ってる時点でな。……良いから食っとけ。俺は適当に買い食いにいく予定だったから多少減っても構わないからよ」

 

 アンノウンったら本当に失礼ね! 私が居ない間にレリックさんに何を吹き込んだのか分かったものじゃないわ! 聞き出そうとしても無駄でしょうけど一言文句を言おうと立ち上がって周囲を見回すけれど何時の間にか姿を消している。

 

「おい。食事中に立つな。ほら、座っとけ」

 

「はーい」

 

 レリックさんに怒られちゃった。私に注意したレリックさんの手が頭に乗って私を座らせる。ちょっとだけ身の上話を聞いたのだけれど世話になってる人の所にも私と同じ歳の女の子が居て相手をしていたらしいし、扱いに慣れているのかしら? 差し詰め妹の世話を焼くお兄ちゃんって所ね。……ちょっとだけ羨ましい。私も兄弟が欲しかったもの、まあ、そうしたら村の皆に頼る事が更に多かったのでしょうけど。

 

 ……違うわね。私、一緒に居てくれて守ってくれる人が欲しかったのよ。近所のトムさん達は親切にしてくれたけど一切気を使わずに済むかって言うと別だし。だから上の兄姉が欲しかったんだわ。そして出来れば頼りになるお兄ちゃんが……。

 

「お兄ちゃんかぁ……」

 

「……」

 

 レリックさんは今度は私の呟きに反応せず、私は深く腰掛ける。物凄い大きなオナラみたいな音が私のお尻の下から響いたのはその瞬間だった。ええっ!? 私、オナラなんてしていないわよっ!?

 

「……腹でも下したか?」

 

 レリックさん、止めてっ! そんな真剣な眼差しで心配されたら余計に恥ずかしいから! 思わず身動ぎすれば更に鳴り響くオナラ。……あれ? もしやと思って立ち上がり、手で椅子を押せば更に鳴る。しかも一回毎に微妙に違うオナラの音が。

 

 謎は全て解けたわ。この事件、乙女の尊厳に掛けて必ず犯人を当てて見せる!

 

「なんだ、テメェが屁をぶっこいてるのかと思ったぜ」

 

「レリックさんは少しデリカシーを持つべきだと思うの」

 

「……おう」

 

 余計な事を呟いたレリックさんを軽く睨み、鼻を利かせて臭いを探る。漂う方向に視線を向ければドアの隙間から此方を覗く目と視線が合わさった。

 

 

「アンノウーン!!」

 

 あーもー! この遣り取りは久し振りね! ……でも、私は逃げ出したアンノウンを追い掛けない。だって……。

 

 

「甘いわよ!」

 

「あ痛っ!」

 

 予め掴んでおいたフォークをテーブルの上に投げれば空中で跳ね返り、私の鶏肉のソテーを狙っていたアンノウンが姿を現した。ふふん! アレが囮だなんて見え見えなのよ。さて、食事中だし、さっさと食べてしまいましょうか。

 

「アンノウン、机の上に乗っては駄目ですし、ゲルダさんの椅子に仕掛けた悪戯だって食事中に相応しく有りませんよ」

 

「はーい。ゲルちゃん、ゴメンね」

 

「もう慣れたし別に良いわ。どうせ後で女神様のお説教が待っているもの」

 

「えっ!?」

 

 恐る恐ると言った様子で女神様を見るアンノウン。女神様は静かに微笑みながら拳を鳴らしていたわ。……所であれってどうやるのかしら? 私も一度鳴らして見たいのだけど、鳴らせた事が無いのよね。

 

「……何か凄ぇな、色々と」

 

「大丈夫よ、レリックさん。私も慣れたから。……少し時間が必要だけれど」

 

 経験者としてレリックさんにエールを送りましょう。それにしても第一印象とは全く別の人ね。態度がチンピラだけど本当は優しい人っぽいし、これから一緒に旅をするし、もっと知っておく必要が有るわよね。

 

 

「ねぇ、レリックさん。後で行くって言ったお出掛けにご一緒しても良いかしら? 私もちょっと出てみたいの」

 

「勝手にしろ。邪魔しなきゃ別に構わないからよ」

 

 うーん、素直じゃない人ね。……さてと、何を見て回ろうかしら? 戻る最中に聞いたのだけど、確か小さなドラゴンを連れた子供とピエロのコンビが広場で見せ物をしているって話だったし、気になるわね。どんな見せ物なのかしら?

 

 




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ツンデレと狼のときめき

ちょっと今日だけ短い 忙しかったんです


 鏡の前で座り、楓さんから貰った化粧品を使ってみるけれど思うように出来ない。十一歳には未だ早いと思うし、今まで忙しいからお化粧なんてした事が無いって言ったら楓さんに怒られちゃったのよね。

 

「ええい! 素材は良いのだから磨け!」

 

 そんな剣幕に圧されてお化粧を習ったけれど、こうやって自分一人でやると、教えて貰いながらの時とは違うわね。変に濃くなったり、斑になったり変になっちゃうわ。試行錯誤しながらも軽いお化粧を済ませたら次は問題の髪の毛。賢者様の用意したシャンプーでさえ少しの間しかストレートになってくれない強烈具合。

 

「……昔からこれだけはどうにかしようって頑張ったのよね」

 

 近所の悪ガキがからかってくるし、お洒落に興味が無いけれど何とかしたいと願ったこの癖毛。今も勇者としての力を込めて櫛を当てるけれど、癖毛も力と同様に強くなっているのか伸ばせない。……いや、どうしてっ!?

 

「まさかとは思うけど、この癖毛って呪いの類じゃないかしら……」

 

「んな呪いが有るかよ。あれか? 今以上に伸びて蠢く髪の毛が人を襲うのか?」

 

 少し自分の癖毛が憎くなって呟けばノックもせずに扉を開けたレリックさんの姿。

 

「私、女の子なのだけど?」

 

「その程度知ってる。にしても酷ぇ化粧だな。仮装大会にでも出る予定かよ」

 

 遠回しの抗議は通じず、扉を閉める所か部屋の中に入って来たレリックさん。確かに私のお化粧は下手くそだろうけど、仮装大会は言い過ぎよ。思わず頬を膨らませばレリックさんは笑いながら私の前まで来るとお化粧道具を取り上げたわ。

 

「はっ! 今度はハリセンボンの真似か? ったく、下手な化粧ならしない方がマシだっつーの。ほれ、大人しくしな。俺が一からちゃんとしてやるからよ」

 

 え? レリックさん、お化粧出来るの? この時、私の中である疑惑が芽生えた。あのミニスカセーラー服は実は満更でもなくて、女装に目覚めたんじゃないかって。疑惑の目を向けながらも大人しく化粧が終わるのを待つと鏡を見せられる。私がしたのよりもずっと上手なお化粧がされていたわ。目元をパッチリと見せて肌も少し白っぽいだけで自然な仕上がり。私は野外での活動が多いからどうしても日に焼けちゃうんだけれど、鏡に映った姿は室内で大人しくしている子っぽかったわ。

 

「凄いわ、レリックさん。勝手に女の子の部屋に入って来たりとかデリカシーが無いからモテそうに無いけど、こんな特技が有るのね」

 

「テメェみたいなチビ餓鬼には早いだろうが、俺みたいなのは結構モテるんだよ。化粧も話題作りに丁度良くてな。残念だったな」

 

「あっ、そうだったの。私ったらてっきり趣味で女そ……そろそろ行きましょう」

 

「おい、趣味で女装とか言おうとしなかったかっ!? ちがうからなっ!? その『焦っている所が怪しい』って顔止めろ! マジで頼むから!」

 

 ……今、ちょっとだけアンノウンの気持ちが分かったわ。レリックさんって打てば響くし、反応が面白いもの。悪戯のしがいが有るわ。アンノウンが色々な人に悪戯を仕掛ける訳よ。

 

 この日、私は少しだけSになった。悪い子になっちゃったって方が正しいかしら?

 

 

「うーん。僕とキャラ被りされるのは困っちゃうなぁ。ほら、悪戯好きなマスコットってのが僕の立ち位置だしさ

 

 ……あれ? 今、アンノウンの声が聞こえたような。でも、周囲を見回してもパンダ一匹居ない。うん、気のせいね。じゃあおでかけしましょうっと。

 

「おい、出掛けるんだったらこれを持っとけ」

 

「これは?」

 

 レリックさんが渡して来たのは一枚の御札。何が書かれているかというと、私には読めないので分からなかった。辛うじてパップリガの文字だって分かるんだけど。

 

「それを持ってりゃお前への認識をずらせる。俺は兎も角、勇者だって身バレしてるテメェは目立って楽しめねぇだろ。……言っとくが一緒に行く俺の為だから勘違いすんなよ。ほら、行くぞ」

 

「そうなの。でも有り難う、レリックさん」

 

「……話はちゃんと聞いとけや、ボケ」

 

 相変わらず乱暴な物言いだけど、私の為に用意してくれたのは分かっているわ。だいたい、本当に自分の為だったら一緒に出掛けないって選択肢も有ったもの。それなのにくれるって事は……あれ? もしかして気が付かない振りの方が礼儀だったのかしら? 私、ツンデレへの対処法に詳しくないから困ったわね。

 

 こんなくだらない事を考えながらいたからか私は気が付かなかった。レリックさんとニカサラの街中に入った時、とても小さい影が私達を尾行していた事に。でも、レリックさんも気が付かなかったらしいけど、何か考えてたのかしら?

 

 

(……やっべぇ。さっきので良かったのか? 恩着せがましいのは駄目だろうって思ったが、どうも態度を間違った気がするぜ……)

 

 私よりも戦闘とかの経験が豊富なレリックさんが尾行する気配に気が付かないだなんて、一体どんな事を考えていたのかしら? もしかしたら今日の休暇が終わってからの事かしらね。うん、このお散歩が終わった後はゆっくり体を休めましょうか。

 

「……それにしても多いわね」

 

 この時間は買い物客が集まる時間帯なのか右を見ても左を見ても人だらけ。特に多いエルフさん達は体が大きくて逞しいから人の波に飲まれたらはぐれそうね。そんな風に思っていたのだけれど、レリックさんの手が私の手を掴んだ。

 

「迷子になられたら迷惑だ。ちゃんと繋いでろ」

 

 この人、本当にツンデレね。でも、良いか。私は大人しくレリックさんの手を握ったまま歩く事にした。口も態度も悪いのに歩幅を私に合わせて歩いてくれてるし。……う~ん、でも全くドキドキとかはしないわね。何故かしら? こういうシーンでドキドキするのって作り話って事なのね。それとも……。

 

「レリックさんって実はモテない呪いとか受けてない?」

 

「んな訳有るかっ!」

 

「……この様な場所で喧嘩ですか? お止めなさい、レリックさん」

 

 あら、違うのね。人混みで大声を上げたせいか随分と目立っちゃうし、レリックさんも居心地が悪そう。どうやら喧嘩でもしたのかと誤解したらしいお姉さんが少し呆れた様子で話し掛けて来たわ。眼鏡の知的で色気のあるお姉さん。……あれ? 今、レリックさんの名前を呼んだ?

 

「イーチャ!?」

 

 あら、どうやら本当に知り合いみたいね。でも何処か只ならぬ様子だし、修羅場かしら? レリックさんの慌てた様子にちょっとだけドキドキする私が居た。

 




次回 焼き蜜柑乱舞!


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ロリコン疑惑のツンデレ 晴れ時々焼き蜜柑

 焼き蜜柑が空から降り注ぎ、私達を取り囲むカンガルーの群れが慌ただしく逃げ惑う。割と悲惨な目に遭っているレリックさんから目を逸らし、手の中に落ちてきた焼き蜜柑の皮を剥いて一房口に運べば甘酸っぱい味が口の中に広がる。

 

「認めない! 認めてなるものか!」

 

 訳の分からない状況だとは思うけど、今分かっている事は一つ。黒子さんの頭の上でパンダが怒り心頭って事よ。何だ、何時もの変な光景だわ。珍しくもないわよ。

 

 うん、もう慣れて来たわね、こんな状況にも。未だ慣れていないレリックさんは頑張って。さて、どうしてこうなったのだったかしら?

 

 えっと、確かお化粧をレリックさんにして貰って、町中でレリックさんの知り合いに会ったのよね……。

 

 

「本当に奇遇ですね。嬉しくて体が疼いて来ました」

 

 レリックさんとのお出掛け中に現れた知的美人のイーチャさん。涼しげな白のワンピースの下には大きなお胸が存在を主張していて、何やら訳ありの関係っぽいレリックさんは気まずそうに顔を背けながらも彼女の方をチラチラ見ていたわ。イーチャさんは全然気にした様子も無くレリックさんの肩に触れているけど。

 

「おや、これは失礼致しました。お連れのお嬢さんが居たのですね」

 

 レリックさんが間に入って何故か隠すようにしていた私に気が付いたイーチャさんはレリックさんを迂回して私の前で屈んで目線を合わせてくる。この時、胸が揺れた。……くっ!

 

「初めまして。私はイーチャと申す者です。レリックさんとは以前お仕事をお引き受け頂いた仲でして、前払いと後払いの報酬として……おっと、これ以上は子供に話す事では有りませんね」

 

 あっ、察した。うん、別に良いのよ? レリックさんだって男の人だし、別にそういう事をしても関係無いわ。でも、一応蔑んだ視線を送っておきましょう。何となくそうすべきな気がしたもの。

 

「それでレリックさんとはどの様なご関係ですか? 仲良く手を繋いでいますが……」

 

 あれ? イーチャさんの視線に僅かだけど刺が有る気がするわ。笑顔のままなのに目が微妙に笑っていないし、レリックさんに体をくっつけているし。矢っ張り只ならぬ関係なのね。話からして体を使ってお仕事を引き受けて貰った結果、互いに情が湧いたとかかしら? 少し素敵な気もするわね。詳しく聞いてみたいわ! でも、レリックさんは多分照れて話してくれないわね。ツンデレって本当に面倒よ。

 

 しかし私達の関係かぁ。旅の仲間って言うのも私が子供だから変だし、知り合いなら仲間の私がクルースニクの制服を着ていない事にも違和感を覚えそう。つまりクルースニクとは別の仲間ならどんな仲間だってなるし……。

 

「……家族だ」

 

 イーチャさんから視線を外しながら私の手を握るレリックさんと目が合う。視線だけで話を併せろと伝えて来たわ。そうね。確かにそれが一番だわ。じゃあ、一番あり得そうな設定は……。

 

「お兄ちゃん。そろそろ見せ物が始まるんじゃないかしら? 早く行きましょう」

 

 レリックさんにしがみ付き、少し子供っぽく甘える声で先に進みたいと伝える。こんな風にしたのは何時以来かしら? トムさん達にお世話になっていた頃も羊飼いとして頑張って独り立ちを目指してたし、少し恥ずかしいけど何となく嬉しい。

 

 ちょっと照れているのも人見知りをしている風に見えるし、後はレリックさんに丸投げね。どんな関係かもレリックさんに丸投げだけれど。だって私って嘘は慣れていないし、下手な真似は出来ないわ。

 

「……そういう事だ。ちょいと訳あって離れていた妹と遊びに出てるんでな」

 

 ……あれ? 直ぐに話を合わせてくれたし、ボロが出る前に離れる口実を作ったのは良いけれど、レリックさんったら少し嬉しそうじゃないかしら? お兄ちゃん呼びが嬉しかった? あれ? もしかしてレリックさんってロリコ……忘れましょう! 主に私の精神衛生の為に! ロリコンと一緒に旅をするとか想像しただけで色々すり減りそうだもの!

 

「そうですか。じゃあ、お邪魔するのも悪いですね。私も慰霊碑に参る為にやって来ていまして」

 

 慰霊碑って確か数年前に起きた疫病の犠牲者の鎮魂目的で作られたって奴よね? この町の隣の領地の村で、評判が凄く悪かった領主様が死んだけれど詳細は闇の中って噂の。領主様の評判が評判だから暗殺って噂すら有るのよね。

 

「……ちょっと村とは縁が有りましてね。毎年この時期にはお休みを取って祈りに来ているのです。もしかしたらあの子も……いえ、何でも有りません。では、直ぐそこの宿屋に泊まっていますので……用があるならどうぞお出で下さい」

 

 イーチャさんは何とか納得した様子で宿屋を指さして離れて行ったけど、最後のって多分夜のお誘いよね? 肉食系だわ、彼女。普通の美人も私みたいな子供も範囲内のレリックさんは雑食性とでも呼ぶのかしらね? その辺には詳しくないから分からないけど。違う気もするわ。

 

「……何とか行ったな」

 

「そうね……。所でレリックさんって男の人も……いえ、矢っ張り無しで」

 

「……おう。聞かない方が幸せな気がするからな」

 

 ……あれ? 所でレリックさんがイーチャさんと一旦お別れしたいのは未だ子供の私が隣に居るから気まずいからって分かるのだけれど、私はどうしてかしら? 何となくイーチャさんと離れたかったのだけど、その理由が思い浮かばないわね。巨乳だから……じゃないでしょうし。

 

 レリックさんと手を繋いだまま広場に向かう道中、私はその理由を考えていたけれど何故か分からない。レリックさんが本当にお兄ちゃんだったら嫉妬を感じたのでしょうけど他人だし、別に好みのタイプって訳じゃないもの。私の好みはどちらかと言うと楽土……いえ、特に居ないわ。

 

 

「……いや、マジか。顔面に羊の糞を投げ付けるとか」

 

「だって仕事中にしつこかったのだもの」

 

「にしてもゲルドバっつったか? マジで普通の犬かよ。犬みたいなモンスターじゃねぇのか? 頭が良さ過ぎだ」

 

「さあ? でも、犬でもモンスターでも大切な家族には変わらないもの」

 

「……そうか」

 

 広場に行く途中、人混みで中々進めないから退屈だって理由で私の故郷での生活を話すように言われたのだけれど、退屈するんじゃって思ったのに興味深そうに聞いてくれたわ。特にトムさんの息子の悪餓鬼についてなんか私が怒った話をすれば一緒に悪い奴だって言ったし、家業をサボって女の子の邪魔をする奴なんて気に入らないのね。

 

「……案外お前が好きなんじゃないのか?」

 

「うへぇ。ちょっと嫌な事を言わないで欲しいわ。私、あの子が大嫌いなのだもの。しかもちょっかいを出して来た切っ掛けが狼の群れから助けてあげてからなのよ? 失礼しちゃうわ、本当に!」

 

「まあ、仕事サボって女を追いかけ回す野郎なんざ相手にすんな。ほれ、着いたが……多いな」

 

 広場に到着したのだけれど、只でさえ大柄なエルフを中心に人が集まって居るから大道芸人の二人が見えない。いえ、どうやら聞こえて来た話からしてピエロは居ないらしいけれど。……うーん、困ったわね。エルフさん達は優しい種族だから子供の私を前に行かせてくれそうだけれど、頼むのも気が引けるし、此処まで密集していたら大変そう。

 

「……おい」

 

「何かしら? って、ひゃわっ!?」

 

 レリックさんはいきなり私の腰を掴むと持ち上げて、そのまま有無を言わさずに肩車をして来たわ。あっ、でもこれなら見えるわ。

 

「有り難う、レリックさん」

 

「……気にすんな。後で不満がられても面倒だと思ったからだ」

 

 この人、もう少し言葉に注意すれば女の人から人気が出そうなのに損な性格ね。……一瞬、私の太股で頭を挟むのが目的じゃって思ってしまったけれど、失礼だから黙っていましょう。レリックさんが太股フェチで少女も範囲内の女装趣味だなんて有り得ないもの、多分、きっと、恐らく……

 

 さて、折角だから甘えさせて貰いましょうか。前の人達の頭より位置が高くなったのでハッキリ見えたのは噂通りに小さな竜を杖に乗せた男の子だった。

 

 赤毛を三つ編みにして、その上から絵本の魔女みたいなトンガり帽子を被った私と同年代の男の子。少し活発そうな顔付きだけれど、杖は宝玉を咥えた髑髏だし少し悪趣味ね。

 

 そして竜は鷹と同じ位の大きさで鱗の色は黒。目は男の子の髪と同じ燃えるような赤だった。うーん、ちょっと気になるわね。芸を覚えさせたって事は賢いのだろうけど、なんて名前の竜なのか解析してみましょうか。

 

『『はp&が%&』?%fだあ#』

 

 ……あれれ? 変な文字列が浮かぶだけで全く分からないわ。少ししか解析出来ない事は有っても、こんな事は今まで無かったのに。

 

 

「さあ! 今日は自称メインのピエロが居ないけど、この町の人は悪徳領主から逃げてきた子供を匿う位に優しい人達だし、多分許してくれるよね? じゃあ、僕、ネルガルと……」

 

「俺様、ザハクのショーの始まりだ。ケケケケケ! 存分に楽しんで行きな! もう死んでも良いって位に楽しませてやるからよ!」

 

 私がちょっと疑問に思っている間にショーが始まる。ネルガル君が魔法で出した火の輪を次々に潜ったり、投げたナイフを的で受けたり、皆拍手を送り、私も目を奪われていたわ。そしてショーは続き、ネルガル君が杖を振り上げれば何が起きるのかと期待すれば、何も目の前では起きないその代わり、背後から唸り声と獣臭が漂って来た。

 

 振り向けば観客を取り囲む様に並ぶ袋に子供が入ったカンガルー。グリエーンで戦った無頼(ブライ)カンに似ているけれど、一回り程体が逞しく、前脚は帯電していたわ。

 

『『武雷(ブライ)カン』無頼カンの上位種。肉体及び格闘技術は数段上であり、雄は年中発情期。基本的に一度夫婦になればそのままだが、雄が浮気した時に使われる発電器官を雌のみが有している』

 

「……うわぁ」

 

 対応する為にレリックさんから飛び降りて解析を使うけど、呆れてしまって一言しか口から出ない。基本的に雄が弱いのね、この種族って。っと、そんな事を考えている場合じゃないわ。どう考えても流れからしてネルガル君が関わっているのは間違い無いもの。

 

 武雷カンから意識を外さずに振り向けばネルガル君を掴んだザハクが宙を舞い、その口の中は煌々と輝き火が漏れている。

 

「無関係な人はごめんなさい。じゃあ、関係有る人は……お人好しを悔いて死んでよ」

 

「させるか!」

 

 ネルガル君の顔から表情が消え、目が人形めいた物に変わる。ザハクの口の前に現れた火球は急速に輝きを増し、

竜の最大の武器とされるブレスが今にも放たれそう。観客達は小さな子供やお年寄りを抱えて逃げ出し、レリックさんは咄嗟に飛んでスレイプニルで弾こうとする。でも、放たれたのは巨大な火の玉が分裂した広範囲を撃ち抜く無数の火球。

 

 

 そして、地上から投げられた無数の蜜柑が相殺する。程良い焼き加減の蜜柑が武雷カンに降り注いで熱くて染みる果汁が武雷カンを足止めする中、レリックさんもグレイプニルが叩き潰した蜜柑の果肉と果汁を全身に浴び、ベッタベタの状態で着地する。

 

「……矢っ張り来たのね」

 

 そう。こんな展開を引き起こす存在は一匹だけ。慌ただしく動き回り、蜜柑箱で降り注ぐ焼き蜜柑をキャッチする黒子さんの頭の上にはパンダのヌイグルミが乗っていた。

 

 

 

「ザハク! 僕はお前の存在を許さないぞ!」

 

「……へ? 俺がどうかしたかよ?」

 

 あれれ? 何か怒ってないかしら? ……面倒だから傍観に徹しましょうっと。



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浮かぶ疑問とチョコバナナ

 突然現れて……は普段からだけど、こうして明確に怒っているアンノウンを見たのは初めてな私は戸惑っていたわ。あの小さな竜との間にどんな因縁が有るって言うのかしら……。

 

「おい、オメーと俺様は初対面だよな? そっちは本体は別に居るっぽいがよ」

 

「そりゃそうさ。君みたいなトンチキな見た目の奴は一度会ったら忘れないよ」

 

「オメーが言うな、オメーが! ドラゴンのブレスに蜜柑投げて対抗とか訳の分かんねぇ事しやがって! 大体、俺様の何が気に入らないってんだ! まあ、オメーに何を言われようが俺様は俺様……だがよ!」

 

 不機嫌そうに会話を続けている途中、ザハクの口から再びブレスが放たれる。でも、直進する極大の火柱。今度は放出を続け、パンダが乗る黒子さんを狙っていたわ。慌てふためく黒子さんは咄嗟に片手を前に突き出し魔力を腕に集中させるけれど、パンダが目の前に何かを差し出した。あの細長くて黒い物は一体……。

 

「相殺しても火が飛び散るからこれで弾き返して!」

 

「!」

 

 黒く少し湾曲した物体から生える短い木の棒の持ち手を掴んだ黒子さんは迫り来る火柱を怖がった様子も無く、渡されたその物体を振りかぶる。一体それが何なのか、突如吹いた風が運ぶ香りが教えてくれたわ。とっても甘い香りで、広場に行く途中に実は見掛けていたの。

 

「チョコバナナぁ!?」

 

 そう、黒子さんが持っているのは間違い無くチョコバナナ。それを真下からすくい上げる様に振り上げて火柱を迎え撃てば、一切溶ける事も折れる事も無く真上に弾き飛ばした。ええ!? いや、チョコバナナよね?

 

 軌道を無理矢理変えられ真上に突き進む火柱。吐き出したザハクは信じられない光景にブレスを止めて唖然としていたわ。

 

「いやいやいやいやっ!? 幾ら何でもチョコバナナでドラゴンブレスを弾き飛ばすとか有り得ないだろ!? どうなってんだよ、そのチョコバナナ!」

 

 流石に我慢の限界なのか果肉と果汁で全身を汚した状態のレリックさんが叫び出す。可哀想に、未だ慣れていないのにあんな光景を見せられてパニックに陥るわよね。指先を向けて叫ぶレリックさんに対し、黒子さんは近付いてチョコバナナを差し出したけれど……あれ? ちょっぴりチョコが分厚い?

 

「気が付いたみたいだね、ゲルちゃん。そう! チョコを少し厚めに塗った事で強度を上げたのさ。でも、それだけじゃ溶けていない説明にはならない。でもさ、事前に冷やしておいたらどうだい? 冷えて固まった事で僅かに熱に強くなったのさ」

 

「ふっざけるな! 俺様のブレスがんな事で防げるもんかよ! 冷やした分厚いチョコのコーティングで強化だぁ!? 物理法則に反してるだろ!」

 

「物理法則も世界観も盛大に無視する事が許されている。それが僕みたいなギャグキャラさ。所詮君はシリアスキャラ。僕には勝てはしないのさ」」

 

「……いや、何言ってるんだ、オメー」

 

 ザハクの言葉に思わず頷いてしまう。それ程までにアンノウンの言葉は意味不明で、何よりも危険な感じがしたわ。これ以上は話させたら駄目って私の心が語り掛けるの。

 

 でも、それは私がアンノウンに慣れてしまっているから。不慣れな人には無理だったみたい。

 

「いや、許すって誰が許すんだよ。ってか、誰が許可すれば可能なんだよ」

 

「これもギャグキャラだから許されているメタ的な発言になるけど、この小説の作し……」

 

「レリックさん、今はアンノウンと遊んでいる場合じゃないわ! 今はこの状況をどうにかする時よ!」

 

 危険な台詞を途中で遮り、私は小さくして仕舞っていたデュアルセイバーを元のサイズに戻して構える。レリックさんも納得行かない様子で黒子さんの頭の上のパンダを見るけど、パンダは何故か動かない。何故か喋らない黒子さんがジェスチャーで教えてくれたわ。

 

「……お説教中にパンダを操って遊んでいたのがバレたのね」

 

 しかも賢者様じゃなくて女神様に。多分暫くは動かない。つまり私達だけで武雷カンとザハク、そしてネルガル君の相手をしなくちゃならないのだけれど、そのネルガル君はさっきから黙っていると思ったら私達を見て……いえ、観察していたの。

 

「……ザハク、帰るよ」

 

「あっ? おい、ネルガル。オメー、ビビったのかよ」

 

「計画実行の日に予想外の邪魔者が入ったんだよ? 引くのが賢いやり方さ」

 

「……ちっ! まあ、良いさ。次会ったら糞パンダをぶち殺す!」

 

 飛び去って行くネルガル君。このまま追撃を仕掛けたいけれど何時もビームを撃っているアンノウンは動けないし、私達は逃げ遅れた人達を守りながら戦わなくちゃならない。

 

「待って! どうしてこんな事をしたの!」

 

「復讐。この町の人達がした余計な親切で迷惑を被ったんだ」

 

 悔しさから思わず叫んだけれど、まさか返事が来るとは思わなかった。聞こえたのは底冷えのする冷たい声。あんな子供が何を体験すればあんな目と声を……。

 

「ボサッとすんな!」

 

 レリックさんの叫び声にハッとすれば目の前に迫る武雷カンの前脚。激しく放電を続けていて、受けるのは痛そうだし紙一重で避けても電撃に当たりそう。距離からして私に出来るのはどっちかだけれど、私が動くよりも前に黒子さんのナイフが私に迫る前脚を切り落とした。

 

「有り難う御座います!」

 

 お礼を言いながら前足の切断に苦しむ武雷カンを蹴り飛ばし、デュアルセイバーを分割、レッドキャリバーとブルースレイヴの刃に魔包剣を纏わせた。武雷カンの数は約三十。幸いな事に私達を集中して狙っているから誰かを守りながら戦う必要はそれ程でも無いけれど、面倒な事に武雷カンを召喚するのに使ったらしい地面の魔法陣は未だ光っている。ショーを見ていた人の背後を取り囲む様に展開されているし、本当にこの町の人達を狙ったのね。

 

「……一体何が」

 

 武雷カンを斬り伏せながら呟く。思い起こすのは逃げる人達の姿。我先にと他人を押し退ける事無く、逃げるのが難しい人を逞しい人が担いで運んでいた。人の本性が追い詰められた時に出るなら、あの優しい姿がこの町の人達の姿なのね。だから尚更分からない。ネルガル君が言っていた復讐の理由が。只、ショーの前に言っていた事が気になったのだけれど、嫌な予感が的中して魔法陣から武雷カンの追加が登場。しかも無頼カンまでオマケで居るわ。

 

 ちょっと多いし、こっちも数で対抗するしかなさそうね。幸い避難は順調に進んでいるし、乱戦になっても大丈夫そう。だから私の大切な家族達の出番だわ。

 

 おいで、私の家族達。どうか私に力を貸して! 羊の宴(シープバンケット)! 私の魔法によって羊達と牧羊犬のゲルドバが召喚される。されたのは良いのだけれど……。

 

 前脚を振り回して私達を威嚇するカンガルーの集団。その前に現れて立ち塞がるのは可愛らしい羊……でも。

 

「……そうよね。今、毛刈りのシーズンだものね」

 

 そう、羊達は毛が生えていなかったの。牧羊神のダヴィル様がお世話をして下さってるだけあって羊達は健康的な体になったけど、硬質化する羊毛が無いのは痛いわね。でも、そんな事は知った事かとばかりに羊達は凶悪な顔付きになり、四肢が逞しく膨らんで行く。あれれ? あんな風になった事無いわよね、今まで。

 

「バウ!」

 

 そしてゲルドバ、貴方が一番変わってるわ! 大きさは普通の犬だったのに、今じゃ大熊並みのサイズになって狂暴そうな顔付きでカンガルー達を威嚇する。少しの間睨み合う両陣営。でも、ゲルドバの正面に居た武雷カンが目を逸らして後退りした拍子に仲間にぶつかって数匹を巻き込んで転けて一気に均衡が崩れる。

 

「バウ!」

 

「メー!」

 

「メー!」

 

「メー!」

 

 雪崩の如く押し寄せる牧羊犬率いる羊の群れにカンガルー達は一切抵抗出来ずに挽き潰される。えっと、容赦無いなぁ。物量差による圧倒的な暴力って脅威だわ。でも、皆が私の為に駆け付けてくれてくれたのは嬉しい。だから魔法陣が消えたのを確認して皆を呼べば元の可愛らしい姿ですり寄って来たわ。

 

 

「冗談で言ったが、あの犬はマジで……」

 

 あら? レリックさんがゲルドバを見ながら何か呟いているわね。ゲルドバもレリックさんを見ているけれど……。

 

 

 

 

 

 

 



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ツンデレの誓い

 例え今は分かり合えなくても血さえ繋がっていれば絆は結べる。小さくて無力な頃の俺はそんなプリンの黒蜜トッピングみてぇに甘ったるい理想を信じていた。実の所、信じたかったのかもな。絶対に俺の存在を一族に知られまいとする父親とは滅多に会えず、それが寂しかったから両親と一緒に暮らせる事を望んでいたんだ。

 

 

 実際、父と歳の離れた妹の楓姉さん(俺とはそんなに離れてないし、伯母さんと呼ぶと怖いのでこの呼び方)とは仲良くやってたんだ。だから母方の祖父母だけでなく、父方の祖父母とも仲良くなれるって信じていたんだ。……そう。その父方の祖父母達によって家族を殺される日まで。

 

「……獣如きが我が一族の血を引く等と穢らわしい。駆除せねば」

 

 ある日、山菜採りから帰ったら出掛けている母さん以外は皆死んでいた。祖父ちゃんも祖母ちゃんも、叔父さん達も従兄弟も。皆、父さんの一族の手で殺されていたんだ。

 

 獣人を含め、ドワーフやエルフを含む人間以外の人種を下等な生き物と蔑視する考えはパップリガ、特に一部の地域の権力者の間で極めて強い。父さんの家は正しくその筆頭で、獣人の使用人は賢いペット程度の扱いなのに、それが一族の者と子を成しただなんて許せる筈が無い。結果、起きたのは駆除の名の下の殺害。俺と母さんを匿っていた母方の親類を全て消し、俺も消す事で汚れを無くそうとしたんだ。

 

「な、なんで……」

 

「おっと、その前にせめてもの情けだ。獣祓いをしてやらねば」

 

 実の孫なのにどうして、そんな風な俺の呟きは無視される。返事の代わりに行われたのは本人達からすれば憐憫から行ってるっつう胸糞悪い儀式。獣祓い……まあ、要するに獣人を殺す前に少しでも見た目を自分達に近付けてやろうって事だ。最初は腐り切った性根だが実際に哀れんでだったんだろうが、今は違う。押さえ付けられた俺が見た祖父母は笑っていたからだ。醜い獣の特徴を持つ餓鬼を絆付けるのが心底楽しくってな。

 

 母さんから受け継いだ狼の耳と尻尾を切り落とされ、穢らわしい身で生まれた責任だって腹を横一文字に切り裂かれ激流に投げ込まれる。この日、俺は知ったんだ。血の繋がり自体には何の価値も無い。そして誓った。何時の日か、必ず復讐してやるって。

 

 この後、瀕死の重傷を負った俺をレガリアさんが助けてくれて、暖かい家庭で新たな家族と過ごしながらも俺は力を付けていった。簡単な話だ。憎しみは消えない。何か大切な物を得ても、奪われた物の代用じゃ無いからだ。誰かを他の誰かの代用として扱うのは糞みてぇだろ? それと同じだよ……。

 

 

 

「……糞。意識飛んでたぜ」

 

 あのネルガルっつう餓鬼が起こした騒ぎから一夜開け、俺はゲルダと一緒にシルヴィア様に稽古を付けて貰っていた。本当だったら万全の準備を整えてから掛かって来いなんざ言われたら腹が立つんだが、実戦でも戦いの最中よりも戦いになる前に準備を整えるもんだし、そもそも相手は武の女神シルヴィア様だ。俺は信仰する相手の至った場所の片鱗を見られればと思ったし、全力で挑んだ。

 

 連携? まあ、長年レガリアさんと組んでたし、クルースニクでも仲間と散々連携訓練はやったからな。確かに勇者として身体能力は上がっていても連携はお粗末なゲルダに合わせてやったぜ。最初は羊が邪魔だったが、途中で金色に光る一匹になってからは合わせるのが楽だった。

 

 結果? 掠りもせずにボッコボコ。俺のグレイプニルが何処から攻めても、ゲルダとタイミングを合わせて攻撃を仕掛けても、どんな術も技も策も通用しねぇ。シルヴィア様は斧を構えていたんだが、まさか刃さえ使わず全部柄頭で捌かれるとはな。神としての力を大幅に削ってるらしいが、冴え渡る技は全く曇らずってか?

 

 

「未だ攻撃が通じねぇだけなら予想してたんだが、流石に落ち込むな、おい」

 

 そう、攻撃が掠りもせず子供扱いですらないって展開は何となく予測していた。考えても見ろ。たかが英雄になる資格を持っただけの十代の若造がどうやれば武の女神に届くってんだ。諦めるのと現実を見ないのは別だぜ? たった数年の努力と数度の死線で数倍数十倍の鍛錬と経験の持ち主を越えるってのは物語じゃ見掛ける展開だが、実際に自分が努力する側なら分かるんだ。所詮物語は物語ってな。……それを可能な天才ってのも居るっちゃ居るが、相手は武の女神だぜ? 文字通り次元が違うんだよ。

 

 俺が視線を向けるのは修行場の床。その日によって全く別の物になるんだが、シルヴィア様が踏んでいたタイルに残った靴跡は一切動いた跡が残っちゃいない。半歩も動かず俺とゲルダ、そして羊と犬の攻撃を悠々と防いだんだ。俺とゲルダが二人揃って気絶した時点で組み手は一旦終了。シルヴィア様は……賢者様の所か。

 

「……うん」

 

 まあ、俺って賢者信奉者でも有るし、主従だと思ってた二人が夫婦でも別に構わないんだよ、ラブラブだろうが人目があってもイチャイチャしてようが別に良いんだ。でもなぁ……。

 

「何となく釈然としねぇ」

 

 大の字でぶっ倒れたまま呟き、何時までも寝転んだままじゃ情けねぇから起き上がる。どうやらゲルダの方は未だ気絶したままらしい。まあ、年期の違いだな。幾ら半年以上シルヴィア様に鍛えられてようとも羊飼いの餓鬼だったんだ。気絶する寸前だろうがダメージを減らす受け身やら何やらだのを行う技術は未熟って所だな。

 

 ……正直言って少しだけ安心している。胡座の状態で手を伸ばして頭を撫でりゃ伝わって来たのは癖の強い剛毛の感触。俺には遺伝しなかったが母方の親戚全員が持ってた髪質だ。

 

 ゲルダ・ネフィル。長い間存在を知らなかった実の妹。そして勇者であり、俺がその仲間ってのは何の偶然だよ。勇者の仲間は英雄候補から勇者との相性を見て選ばれるって聞いたが、血の繋がりで選ばれたってんなら複雑だな、おい。

 

「……でもまぁ、幸いっつったら幸いだな」

 

 俺は復讐に生きるって決めた身だ。復讐ってのはどっちかが相手を全部消すか、奪われた悲しみ憎しみを飲み込んで堪えるしか終わる術が無い。何せ復讐の対象を消したとして、其奴の身内やら関係者、復讐の影響で被害を受けた連中がこっちに復讐して来るからな。逆恨み? 世の中ってのはそんなもんだよ。

 

 だから俺は兄である事を告げない。何故なら俺は兄貴だからだ。兄貴ってのは弟や妹を守る存在だってのに、巻き込んでどうすんだよ。どうも両親の過去について詳しくは知らないらしいし、賢者様達には既に身の上話をして黙っていてくれって頼んである。

 

 ……だから都合が良かったのかもな。勇者の仲間が勇者を守る為に動くのは当然だ。兄貴としてでなくても、俺は此奴を守れるのならそれで良いんだ。糞みてぇな親類の事なんて知らないならそれで良い。何があっても俺が守ってやる。それが母さんとの約束だからだ……。

 

「……んで、お前は何時までそうしてる気だ?」

 

 羊達はゲルダが気絶すれば強制的に帰って行った。最後まで心配そうに鳴きながらな。だが、ゲルドバって名付けられた牧羊犬だけは残ってやがる。そして俺の方をジッと無言で見詰めていた。昨日も思ったが、こうして改めて観察すると間違いじゃ無ぇな。

 

「分かってるんだろ? ゲルダにちっちゃお前は家族だ。所詮他人としか認識されてねぇ俺と違ってな。賢者様も居るしシルヴィア様も居る。俺も……まあ、二人に比べたら劣るが居る。余計な自己犠牲は考えるなよ? 父さんに代わって息子の俺が命令するからな!」

 

「……バウ」

 

 俺の言葉に納得したのかしてないのかゲルドバは一声鳴いて消えて行く。元の場所に戻るのを抗うのを止めたんだ。……にしても父さんも予想外だったろうな。娘にとって大切な存在になるなんてよ。

 

「飯にすっか……」

 

 動いたし色々考えたから腹が減ったな。何か作って食うか。俺はゲルダを背負って歩き出す。背中に感じる体重は年相応に軽かった。本当だったら戦いとは無縁のまま俺に守られていただけの奴に相応しい軽さだ。……絶対に守り抜く。改めて心に誓った。



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モヤモヤ狼と賢者の逆鱗

「延期っすか? そりゃまたどうして?」

 

 それはお茶の時間の事。賢者様からグリエーン行きの延期が告げられたわ。

 

 グリエーンで行われる勇者としての力を強化する儀式は既に準備が整っていて、今日にでも出掛ける……筈だったのだけれど向かう日が急に延びたらしい。自分が参加する訳じゃなくても勇者の仲間になったのだからと楽しみにしていたレリックさんは少し残念そうね。

 

「儀式を担当する女ってのは何故か美人だっつうから楽しみにしてたんっすけどね」

 

 あっ、違ったわ。この人、本当に女性にだらしがないのね。ニヤニヤしながらそんな事を言う彼に私はジト目送り、直ぐに黙祷を捧げる。だってほら、賢者様が笑みを浮かべているもの。全く目が笑っていない笑みを。

 

「……ん? いや、誤解すんなって。好みだったらちょいと茶にでも誘う気だっただけだ。それ以上は流石にな」

 

 私の様子に流石に不味いと思ったのか慌てた様子で私に弁明するけれど、そうでないのよ残念ね。私は静かに顔を左右に振りレリックさんの方を見て立ち上がる。恐らく同情の籠もった瞳になっていたのでしょうね。何がどうしたって慌てだしたレリックさんは賢者様の方を向いて漸く目が笑っていない事に気が付いたみたい。

 

「えっと……」

 

 本能で不味いと察したのか指先を賢者様に向けながら今にも部屋を出て行こうとする私に声を掛ける。仕方無いわね。何も理由が分からないのは怖いでしょうし、本人に訊ねられる雰囲気じゃないもの。私は死刑宣告をする裁判官の気分になって溜め息を吐いた。

 

「勇者の出身世界以外で儀式を行う人達については知っているわよね?」

 

「当然だろ。清女(きよめ)っつって、大抵が美人がなるって奴だ。噂じゃ中々そそる格好で儀式を行うとかだが、実際はどうなんだ?」

 

「私が言えるのは二つだけよ。色々有って清女は本来とは別の人が行うって事と、その人って賢者様が親馬鹿を隠そうともしないレベルで可愛がっている養女って事。……じゃあ、頑張って」

 

「……ふへ?」

 

 流石に儀式では半裸とかで勇者に密着するって事は言わない。エッチなレリックさんの事だもの。きっと情けない顔になるし、そうしたらねぇ……。

 

「レリック君、初代勇者として勇者一行の心構えを説いてあげましょう」

 

「い、いや、俺は……」

 

 扉の向こうから声が聞こえた気がするけれど聞こえない聞こえない聞こえなーい! 狼の耳を伏せ、頭に両側の耳を手で塞いで扉から離れる。まあ、正直言って自業自得よ。女の人にだらしが無さ過ぎるもの、少しは反省すべきよ! 私でもどうして此処までかは分からないけれどレリックさんの言動が気になるし、情けないと腹が立つ。立ち止まって考えるけれどこれだって答えは出なかった。

 

「……矢っ張りお父さんが恋しいのかしら?」

 

 賢者様の時もそうだったけれど、パップリガの住民の特徴を持っているレリックさんを見て死んだお父さんを少し重ねているのかもね。まあ、お父さんはあんなに情けない人じゃなかったし、賢者様なら兎も角、レリックさんじゃ少し不良なお兄ちゃんよ。……レリックさんがお兄ちゃんかぁ。

 

「まあ、別に悪くは無いわね」

 

「何が?」

 

「ひゃわうっ!?」

 

 思わず出てしまった呟き。聞かれてしまったのは、よりにもよってイシュリア様。って言うか、性懲りもなく来たのね、この方。狙いは賢者様とレリックさんのどっちかしら? どうせ失敗するのだからさっさと帰って仕事したら良いのに……。

 

「なーんか失礼な事を考えている気がするわね」

 

「……していませんよ?」

 

「いや、その間がちょっと……」

 

「していませんよ?」

 

 情け無いビッチ……じゃなく、腐っても女神、まさか心を見透かされるとは思っていなかった私は焦りながらも何とか誤魔化す。イシュリア様も納得はしていなくても追求はしなかったし、慣れから来る自己防衛法かしらね? ミスをした時に余計な事を言って追加のお説教を避ける為に身に付けたとか。

 

 ……あれれ? 相手は愛と戦の女神様なのに私ったら随分と失礼な評価になってしまったわね。どうしてかしら? ああ、短期間で目にした行動のせいね。でも、こんなのでも一応女神様だし……。

 

「取り敢えず謝っておくわ。ごめんなさい、イシュリア様」

 

「取り敢えず!? って言うか、矢っ張り謝る様な事をされていたの、私!?」

 

「されていたって言うか、その原因をしていたって言うか……所で一体何しに来たのですか?」

 

 これ以上はイシュリア様が可哀想だから話を切り替える。向こうも向こうでこれ以上の追求は墓穴と判断したらしいわ。

 

「ほら、新しい仲間が加わったじゃない。あのちょい悪系の彼。儀式の延期って彼の分の儀式も行うからだけど、儀式の内容が内容だし、童貞だったら挑むのは大変だろうから私が貰ってあげようと思って」

 

「既に経験済みらしいですよ、お帰りは彼方です」

 

「そうか残念……って、貴女まで私に辛辣過ぎないかしら!?」

 

 少し五月蠅く騒ぐイシュリア様の背を押して入り口に向かう。途中、下着同然の格好なので揺れる胸を至近距離で見てしまってから少し扱いが更に乱雑になった気がするけれど……私は悪くないわ。

 

 

 

「……何か凄く雑に追い出されたけど、あの子ったら何があって。……ははぁ~ん。これは面白……愛の女神の出番ね。……あら? 空から光が落ちて来て……」

 

「パンダビームΩ(オメガ)!」

 

「ぎゃっぱっ!?」

 

 ……外から悲鳴が聞こえた気がするけれど絶対空耳ね。だから確かめないわ、面倒だもの。え? 妙にリアルな蛙のキグルミ(顎の部分に顔を出す場所がある)を着た人が白目を剥いて気絶しているのが発見された? ふぅ~ん。世の中には理解不能な変な人が居るのね。絶対に関わらない様にしなくちゃ。

 

 イシュリア様がお帰りになられた後、入り口に塩を撒いた私は自室に戻っていた。フッカフカのベッドにダイブして顔を枕に押しつけて足をバタバタ動かすけれど、心の中のモヤモヤは消えない。本当に何なのかしら、この気持ち。

 

 認めたくは無いけれど、レリックさんの発言を聞いてからね、このモヤモヤは。イシュリア様が相変わらずの色ボケで彼をベッドに誘おうと言っ他のを聞いてから更にモヤモヤは増すばかり。

 

「あー、もう! あー、もう! あー、もう!!」

 

 これは嫉妬? でも、別にあの人の近くに居てもドキドキはしないし、好きな訳じゃ無いと思うわ。だって真偽は別として、私の中にはレリックさんへの女装趣味のロリコン女誑しスケベの疑惑が残っているのよ。破滅願望は持っていないし、駄目男を扶養してそれが幸せだと思うお姉さんみたいな人とも違うわ。

 

「例えるなら……あれね」

 

 お父さんに相手をして貰いたかったのに近所の子が泣いていたからって世話をしていて後回しにされた、その時の感覚に似ているわ。私、レリックさんに親近感でも強く感じて家族みたいに思っているのかしら? それこそ羊達やゲルドバと同じく。

 

 流石にそれは有り得ない、顔を横に振って否定する。多分目に余る行動に呆れて、どうにか真面目に行動して欲しい、そんな感じでしょうね。そう考えると十一歳の私が十八歳のレリックさんの生活態度に気疲れするだなんて腹が立って来たわ。咄嗟に手元のパンダのヌイグルミを掴んで壁に投げ付ける。

 

「パンダ?」

 

 よくよく考えれば羊の形の枕はあってもパンダのヌイグルミなんて持っていなかったわよね? つまり、あのパンダは私の物じゃないわ。アンノウンが操るヌイグルミよ。

 

 私が壁に投げたパンダは空中でハングライダーを操って私の手元に戻って来る。そんな物を何時出したのって質問するのも馬鹿馬鹿しいわね。どうせギャグキャラの持ち物に言及しても云々って言われるだけだわ。

 

「……アンノウン、女の子の部屋に勝手に入るのはどうなのかしら? 貴方一応男でしょう」

 

「僕の本体は猫科の猛獣っぽいのだよ? だから男ってよりは雄! そんな事よりも手の平に乗るサイズのパンダを投げるってどうなのさ!」

 

「ヌイグルミだから平気でしょ」

 

「うん! 全然平気、問題無ーし! てか、問題有ると思う方が理解不能だって」

 

「じゃあ出てって。今直ぐ。即座に。さっさと」

 

 パンダの頭を掴み、扉を開けて追い出そうとすると外に出掛けていくレリックさんの姿があった。賢者様と二人っきりになってから短時間しか過ぎていないのに随分と憔悴してフラフラしていたわ。でも、そんな状態で何処に?

 

「マスターもえげつないよね。多分時間を操作してお説教してたよ。偶にボスがイシュリアを叱る時に使ってる奴! ……所でどうする? 面白そうだから僕は尾行するね!」

 

「あんな状態で何か起きたら心配だし、私は離れて見守るわ。……だから尾行じゃないわよ?」

 

 ちょっと気になるとかじゃなくて心配なだけ。……本当よ?

 

 

 

 

 

「所でアンノウン。ザハクを彼処まで敵視していたのは何故かしら?」

 

 

 

 



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太股マニアの肩車

 どうせ訳の分からない理由でしょうね、私はその問い掛けをしながらそんな風に考えていた。でも、同時に気になっていたの。だって何時も他人を煽って好き放題に行動しているアンノウンが存在を許さないって口にする程に敵意を向ける理由は一体何なのだろうって。……あのネルガル君が気になったのも有ると思う。

 

「うーん、これ言っちゃって良いのかなぁ? でも、ゲルちゃんが質問して来たし適当に誤魔化すって手もあるけれど」

 

「いや、そんな葛藤は聞こえない様にしなさいよ」

 

 前足を組んで悩むアンノウンだったけど、少し考えた後で私の顔をジッと見る。ヌイグルミの無機質な瞳が真剣な物に見えたわ。本当に一体どうして……。

 

「先ず大前提なんだけれど、ゲルちゃんはザハクが使い魔だって事は理解しているよね?」

 

「うん。何となくだけれど……」

 

 使い魔。それは高位の魔法使いだけが生み出せる存在。卵の状態で誕生し、孵るまでにどれだけの力を吸わせたかで力と性質、そして姿が変わるらしい。アンノウンが強いのも大勢の神様の悪ノリで力を注がれたからだとか。

 

「狡いよねぇ。芸を披露してたけど、命令聞いて当然じゃないか」

 

 私の解析は妨害されてしまったから直ぐには分からなかったけれど、賢者様に話したら普通のモンスターじゃないと言っていたし、何となくだけれど使い魔だって察して……あれ? ちょっと待って。じゃあ、ネルガル君はあの歳で使い魔の創造が可能って事なの!?

 

「ねぇ、アンノウン。使い魔の創造って最低でも上級魔族クラスの魔力が必要な筈だったわよね?」

 

「うん、そーだよ。まあ、ザハクの力からして上の中位は有るだろうけど。ゲルちゃんが戦って来た魔族が大体その位なんだ。凄い才能だよね、あの子」

 

 私は確かに魔族を何人も倒して来たけれど、勇者としての力の底上げに加えて武器の性能にも助けられた。だからその相手と同等の力を持っている事の凄さが理解出来たの。

 

「……話を戻すよ? ザハクは類い希な才能を持つ少年の使い魔の小さな竜。対して僕は伝説の賢者の使い魔で、パンダを操る猫科の猛獣っぽいの。ほら、分かるでしょう? それが理由さ」

 

「……まさかとは思うけど、物語のマスコットポジションみたいなのが被ってる、って言わないわよね?」

 

「そうだよ。少年に付き従う竜とか思いっきりマスコットじゃん! ゲルちゃんは勇者だから敵方だけど、マスコットキャラは二匹も不要!」

 

「じゃあ、レリックさんの尾行を開始しましょうか」

 

 何と言うか聞いた時間が無駄だったわ。後一つ理由が残っているけれど、そっちまで聞く気はしないわね。……うん、まさかとは思うけれど、実はもう一つが超重要な情報だったりして。だってアンノウンって全く興味が湧かない相手にはドライな部分が有るもの。

 

 矢っ張り訊ねるべきか、それとも無駄だから止めるべきか。迷いながら玄関の戸を開けると既にレリックさんの姿がなかった。あら? あんな足取りじゃ遠くには行けない筈なのだけれど。キョロキョロと周囲を見回しながら進むけれど見付からない。

 

「よう。誰を捜してんだ、ゲルダ?」

 

「わっ!?」

 

 何処に居るのかと思ったら馬車の屋根の上にレリックさんの姿があった。少し窶れて見えたけれど、私が動くよりも前に飛び降りると両脇を掴み、また肩車をして来たわ。完全に待ち伏せされていたわね。私達が後を追う気なのを予想していたのかしら?

 

「会話が聞こえてるんだよ。ったく、仕方無ぇ餓鬼だな、テメェはよ。まあ、後で話す手間が省けるし一緒に来いよ。。……あっ、尾行しようとした罰として到着まで肩車な。このまま町中を歩いてやるぜ」

 

「ええっ!?」

 

 気になったので聞いてみたら私達の声が実は届いていただなんて。小声で話していたのに何故かしら? レリックさんの耳が優れているのか、それとも聞こえる様に何かしたのが居るのか……。

 

「え? 僕に何か付いてる? ゴミだったら取っておいてよ、ゲルちゃん」

 

 町中を肩車で練り歩くだなんて恥ずかしい事になった私の手元、レリックさんの頭に乗っているパンダに疑いの眼差しを向ける。でも分かっていたのか、実は違うけれど私の勘違いを察してなのか惚けた態度を崩さない。

 

「ねぇ、レリック。謝るから降ろして貰えないかしら? 流石に町中をずっと歩くのは」

 

「却下だ。はっ! 精々恥ずかしがりな。まあ、これに懲りたら兄貴……じゃなくて人を尾行しようだなんてしないこった」

 

「お願いよ。歩かせて欲しいわ……お兄ちゃん」

 

「……駄目だ」

 

 ……惜しい! 言い間違いからもしかしてと思ってお兄ちゃんって呼んでみたけど、少しだけ迷ったわ。うん、矢っ張りこの人って妹萌えなのかしら? まあ、私に変に趣味を押しつけて来ないなら別にとやかく言わないけど……何かあったら賢者様達に告げ口してやるんだから。

 

「ねぇ、レリッ君。頭の上でお菓子食べて良いかな?」

 

「良いって言うと思ってんのか?」

 

「駄目かぁ。じゃあクッキー食べて良い?」

 

「クッキーは菓子だろがっ!」

 

「じゃあメンチカツ食べるね。揚げ立ては最高!」

 

 アンノウンは最終的にレリックさんの許可を取る事無く何処からか出したメンチカツを食べ始める。パンダの口元から零れ落ちる食べ滓によってレリックさんの髪の毛は油とゴミと肉汁で酷い有様になっていた。

 

「……おい、俺にも寄越せ」

 

「レリッ君は食いしん坊だね。はい、どうぞ。最後の一個ね」

 

 レリックさん、可哀想に。既に自棄になっちゃっているのね。アンノウンからメンチカツを受け取ったレリックさんは一口齧り、そのまま二つに割ると口を付けていない方を私に差し出して来た。

 

「匂いも味も大丈夫だ。ほら、テメェも食え」

 

「あ、有り難う、レリックさん」

 

 手を汚さなくて済むようにってお札で挟んだメンチカツを口に運べば上質な肉の旨味と玉ねぎの甘さが口の中に広がった。衣はサクサクだし、油が良いのか油っこい感じも無い。溢れ出す肉汁に少し苦戦しながらも食べ進めれば何時の間にか無くなっちゃった。

 

「……一応これも使っとけ。安心しろ、洗ってから使ってねぇ」

 

 本当にレリックさんったら良い人ね。ぶっきらぼうな態度で渡された綺麗なハンカチで指と口元を拭いて綺麗にしたわ。レリックさんって世話焼きよね。私が何か言う前に欲しい物を渡して来るし、本当にお兄ちゃんに世話される妹みたいな気分だわ。……悪い気分じゃないとは思う。矢っ張り賢者様や女神様は伝説の英雄で神様だもの。打ち解けても気後れが有るのは事実だわ。

 

 ……これで女にだらしがない妹萌えじゃなかったらなぁ。

 

 少し残念に思いながら大人しく肩車をされていたのだけれど、その間もレリックさんは何かとお世話をしてくれる。露天で小さな羊のヌイグルミを買ってくれたり、アンノウンの悪戯にツッコミを入れながらも気を使ってくれて。

 

「ったく、ろくでも無ぇ事ばっかりしやがって。こんな事をして良いと思ってるのかよ、テメェ」

 

「何言ってるのさ、駄目な事だって事くらい分かってるよ、失敬だな」

 

「失敬なのはテメェだ、ボケ! ……どうした?」

 

 本日何回目かになる遣り取りの途中、思わずクスクス笑ってしまったのが気になったらしくレリックさんが声を掛けて来る。まあ、気になるでしょうね。私も別に隠す事じゃないから質問に答える事にしたわ。

 

「レリックさんが仲間になってくれて良かったって思ったの」

 

「……そーかい。まあ、嬉しいんなら別に良い。俺に不都合が有る訳でもないしな」

 

「それはそうとレリッ君。実は君の背中に『太股マニア』って書いた紙を貼ってるんだけど、憲兵に追われたら頑張って逃げてね」

 

「何やってるんだ、テメェ!?」

 

「いや、だから背中に『太股マニア』って書いた紙を張ったんだって。……君、もう少し人の話を聞いたら良いと思うよ」

 

「うっせぇよ、馬鹿! あー、糞! 本当に張ってやがる!」

 

「だから張ったって言ってるじゃんか。人を疑うって性格悪いよ?」

 

「性悪ワールドチャンピオンのテメェが言うな!」

 

 

 うん、本当にレリックさんが仲間になってくれて嬉しいわ。ターゲットが分散するし、ツッコミが楽になるもの。でも、ずっとパンダを頭に乗せたままなのは何故かしら? 悪戯されても除けない理由……禿? そうなのね。レリックさんったら十代なのに……。

 

 こうして私が同情の念を抱く中、目的地だというオープンカフェに到着した。そこで私達を待っていたのは……。

 

 



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閑話 ありふれた悲劇

 天高く昇った太陽が西に傾き、それでも逢魔が時と呼ぶには気が早い時間、イーチャはオープンカフェで注文した紅茶に砂糖を大量に入れていた。もはや砂糖の味しかしない紅茶をかき混ぜ口に運ぶ。飲んでいる物が物なのだが、世の中は不平等で美女がやれば大抵の事は絵になる。

 

「……そろそろでしょうか」

 

 待ち人は未だ来たらず。普通ならば美女が物憂げな表情を浮かべながら一人で居たならば声を掛ける軟派な優男が居そうなものだが、硬派で逞しいエルフが多い町だけにその様な者が現れはしないし、出たとしても追い払われるか食い下がらずに口説き続ける姿を見るに見かねた誰かが止めに入るだけ。

 

 それが分かって居るからこそイーチャは不用心な様子で相手を静かに待ち、やがて待ち人の青年、レリックは訪れる。

 

「待たせたな。……ちょいと余計なのも居るが別に良いだろ?」

 

 その肩に妹だと紹介された少女を乗せ、頭の上には食べ滓をボロボロ落としながらクッキーを貪るパンダのヌイグルミを乗せて。

 

「ちょっと、レ……お兄ちゃん! 余計なのって酷いわよ」

 

「そうだよ! レリッ君は余計じゃない。自分を卑下するのは止めなって!」

 

「余計なのは主にテメェだ!」

 

 少女はレリックの耳を掴み、パンダはクッキーの食べ滓だらけの前脚で青年の頭をペチペチ叩く。その光景を見ながらイーチャは再び紅茶を口に運んだ。その時、レリックの背中から剥がれ落ちる一枚の紙。太股マニアと書かれている面を上にしてイーチャの足下に落ち、イーチャは肩車をされている少女の太股と、肩車をして満更でもない表情のレリックの顔を見た。

 

「……」

 

 彼女にとってレリックはそれなりの仲だ。今まで道具として自分の体を差し出した事は有ったが、その必要も無いのに会う度に肌を重ね、今回も何かしらの口実を作って宿の部屋に連れ込む予定だった。何か理由を作らねば誘えない、その時点でイーチャの中でレリックは特別な存在となっている。少なくてもイーチャには自覚が有る。

 

「……どちら様でしょうか?」

 

 そんな相手であっても今の状況の彼相手なら他人の振りをする。イーチャは強かな女であった。非情な様だが仕方が無い。きっと多くの者がそうする。パンダだってそうする。

 

「いや、何言ってんだよ。遅れたのを怒ってんのか?」

 

「人違いです」

 

「いや、何言って……」

 

「人違いです」

 

 この後、子供連れで執拗に女の人に声を掛ける変質者だと勘違いしたエルフ達によって一悶着起きたのだが、流石にゲルダが巻き込まれそうになったのでイーチャが止めた。尚、アンノウンは残念そうにしていた。

 

 

 

「全く。紛らわしいから痴話喧嘩も程々にしてくれよ?」

 

「申し訳有りません」

 

「……っす」

 

 勘違いだったとは言え、レリックを止めようとしたエルフは善人であったし、レリックが端から見れば不審者である事は否定出来ない。事を荒立てない為にデートの待ち合わせに妹を連れて来た事に怒った末の喧嘩だと誤魔化し、親切でお人好しな相手は誤魔化されてしまった。つまりレリックへの風評被害が増えたのだが、今はそれを考えず三人と一匹は同じテーブルを囲んで座る。

 

「えっと、私って帰った方が良かったんじゃないかしら?」

 

「……おや。妹さんに詳しい話をせずに……いえ、そもそも妹じゃありませんでしたね」

 

「えぇっ!? 分かってたんですかっ!? 一体何時から……」

 

 レリックをジト目で非難するイーチャだが、その途中でゲルダに視線を向ける。悪戯が大成功して種明かしをする時みたいだと驚くゲルダだが、ふと気が付いてしまった。つまり妹でないと分かっていたのにレリックをお兄ちゃんと呼んでいた姿を見られているのだから恥ずかしい。

 

「何時からって、最初からですよ。私にも弟が居ますので、何となくレリックさんに甘える時の姿に違和感を覚えまして。妹でなく……恋人なのでしょう?」

 

「レリックさんって矢っ張りロリコンだったのですか!?」

 

「矢っ張りって何だ、矢っ張りって!? あと、誤解すんなイーチャ! 俺はこんな断崖絶壁のチビを女として見ねぇよ!」

 

「だ、誰が断崖絶壁よ! 成長したら絶対大きくなるもの!」

 

「はっ! 無理ってもんだ。だって……いや、今は話が先だ。昨日また会った時に言ってただろ。あのチビドラゴンを連れた餓鬼について情報が有るって」

 

 再びちょっとした騒ぎになってしまう寸前、レリックが話の方向転換を行った事で何とか収まる。ゲルダも胸の話題へのショックを切り替え、気になっていたネルガルについての情報に集中していた。だから気が付かない。レリックが途切れさせた言葉の意味する物に。

 

「……私に弟が居たという話はしましたね? では、少々胸糞悪い話ですが聞いて下さい。私が十四歳のある日、突如襲って来た厄災について……」

 

 残った紅茶を一気に飲み干すとイーチャは語り始める。人類全般に強い悪意と敵意を持つ魔族が引き起こした物ではなく、欲に溺れた醜い心と強い権力を持ち合わせた者によって起こされた珍しくもない悲劇を。

 

 

 

 

「お姉ちゃーん。遊んでー!」

 

「はいはい。仕方が無いわね」

 

 イーチャが生まれたのは採れる鉱石の質も量もそれほど優れていない採掘場を抱える村。当時の領主は豚とガマガエルの間の子供が肥え太って二足歩行をしている、そんな陰口を叩かれる男であり、その上に年中発情期の色狂い。他の領地との折り合いも悪く嫁のなり手すら見付からない。その苛立ちを贅沢で解消し、当然ながらツケは重税という形で領民にのし掛かる。

 

 他の領地との仲も悪いので貿易も疎かであり治安も悪い。近々首をすげ替えて別の家の者が支配すると噂が有るも、一向に近々がやって来ない。治安も悪く、領民の暮らしは逼迫するばかりだ。

 

 そんな辛く大変な暮らしだが、それでもイーチャは幸せだと思っていた。大好きな祖父母と両親、そして泣き虫で優しい最愛の弟。家族と共に過ごせていればそれで構わない。ささやかな幸せ以上は望まない無欲さで正直に真面目に生きていた彼女だが、家族以外が知らない秘密が一つだけ。

 

「分かっていると思うが、お前が夜魔族である事は絶対に秘密だぞ」

 

 それは家族が何度も何度も言い聞かせた事。何の因果か先祖返りかは分からないがイーチャの体には夜魔族の証であるコウモリに似た翼と先がハートになった尻尾が生えている。

 

 魔族と同一視されているから、それだけが理由ではない。夜魔族は好色な男にとって喉から手が出る程に求める存在。その体は極上で、男色家でも悟りを開いた僧侶でも夜魔族の肉体を目にすれば肉欲に溺れる獣当然と化すとさえ伝えられ、上級貴族の妾や高級娼婦にその存在が確認されるという。だからこそ秘密厳守だ。知られれば田舎育ちの平民であるイーチャの人生に不幸しか呼び込まないと皆が考えていた。

 

「分かりました。私、絶対隠し通します」

 

 それは決して大袈裟な心配ではない。寧ろ……楽観的でさえあった。例え本人に落ち度が無く、生まれや育ちといった変える方法が無い事が原因だったとしても、不幸は人の予想を上回る規模で現れるのだから。

 

 ある日、イーチャの弟が不良騎士に捕まり、戯れで崖下に投げ捨てられた。出っ張った岩に服が引っ掛かって一旦は助かるも、貧しい村の子供の服が頑丈な筈もなく、それ程時間が経たずに破れて落下するだろう。周囲に誰も居ない、そんな風に判断したイーチャは翼で空を飛び弟を助けて一件落着……ではなかった。

 

「おいおい、マジかよ……」

 

 腐った連中とはとことん腐っている物だ。賭で負けた者が崖下の死体から持ち物をはぎ取って来る、そんな遊びで戻って来ていた騎士が領主に報告。何時もの様に使い捨てにされた後で自分の物にしたいと思っていた彼の思惑通りに領主はイーチャを手に入れようと躍起になり、逃げられたと知るなり怒り狂った。

 

 

 

「……その村こそが例の慰霊碑の村であり、逃げ出した私を匿ってくれたのがこの町の人達です」

 

 この時、レリックはその後に起きた事の真相に気が付いていた。暴政を敷く領主の怒りを買った村が偶然直ぐに病で滅びるのも偶然が過ぎる。毒か呪いか、そんな所だろうと予想を付けていた。ゲルダは未だそこまで人の汚さに気が付いておらず、精々が病の際の支援を渋った程度だ。

 

「その後、私は正体を隠しながら旅の商人一行の下働きとして各地を回り、とある理由で大怪我を負った所を主であるラム様に助けていただき、今に至ります。そして、その理由というのが……」

 

 イーチャが服の裾をめくって脇腹を見せれば深い傷跡が痛々しく残っている。普段は魔法で隠している傷跡は背中側まで貫通していた。

 

 

 

「私にこの傷を負わせた相手こそが生き残っていた弟なのです。そして弟の名は……ネルガル。貴方達と戦った少年と同一人物と見て間違い無いでしょう。何となく私には分かるのですよ。だって、愛しい大切な弟の事ですから……」

 

 

 

 



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僅かな願い 捨てられぬ物

 この世の全ての事柄には、それを司る神が二名ずつ存在する。でも、一つだけ例外を挙げるならば最高神である私だよ。最高神ミリアス。普段は少年の姿で己の神殿に籠もっているのだけれど、別に暇で引きこもっている訳じゃない。

 

 神の仕事だけど大抵は祝福を与える事だ。例えばイシュリアならば大規模な戦争の兆候を見張り、民族間の争いの様な場合は犠牲が最低限で済む様に祝福で戦力を調整する。ディロルみたいに鍛冶技術の向上の為にドワーフの街に住んでいる例外も居るけど、基本的にそんな感じなんだ。

 

 じゃあ、最高神の仕事は何かというと……全部なんだ。神ってのは人間と時間感覚が違い過ぎるからね。必要だからって恩恵を与えるにしても、ちょっとボーッとしていたら数年経っていたとか色々あるし、与えるかどうか、どの程度の規模なのかも神によってバラッバラ。だから最高神として必要か不必要かの判断を下しているんだ。

 

 一枚の報告書を手に取り、数百ページにもなる分厚い本並の情報を頭に流し込んで横に置けば既に担当の神に指示が飛んでいる。あっ、提出期限を過ぎた案件が混ざっているや。

 

「って言うか、また圧政関連か……」

 

 神が六色世界に過剰な干渉をしていた頃は悪政が始まりそうになれば正義と執政の神が降臨して止めていたけれど、干渉を最低限にしてからは滅多に手を出さない。あくまで人の営みの範疇だからね。何時までも神が徹底的に管理していても人は成長しないし、神に振り回されるばかりだ。

 

 良識と倫理で我欲を自制して政務に励む、どうやら言葉で聞くよりも難しかったらしく中々悪政を敷く権力者は減りはしない。これも人に干渉過剰だった弊害だろうね。何故駄目なのか、それを学べないなら人は変われない。人にとっては長い三百年、されど三百年ぽっち。僅かだけれど減り始めた悪政の情報が今読んだ書類に混じっていた。

 

 五十にも届く男が十代半ばの少女を手に入れようと権力を悪用し、逃げられたら腹癒せに村を滅ぼす。そんな事をしていれば家の取り潰しだってあり得るけれど、それより前に滅ぼした村の生き残りの少年によって殺された。

 

「……七年前か」

 

 この悪徳領主については何度か経過報告が有ったので印象に残っているよ。……最後に寝たのもその辺りだったよね。馬鹿がサボった仕事の穴埋めが増えていた頃だったよ、確か。その上、魔族の出現まで重なって……不老不死だし最高神だけあって倒れたりはしないんだけれど……いっそ倒れたいよ。……あっ、イシュリア案件だ。

 

 

「……この子はどうしようかな? 勇者の心にのし掛かりそうだし、キリュウかシルヴィアに始末を命じるべき?」

 

 誰にも聞かせない呟き。だって最高神の決定は絶対だから、それ故に自分で考えなくちゃならないんだよね。……あー、ベッドに入って爆睡したい。イシュリア、マジで反省しろ!

 

 

 

「あの子は確かに魔法の才能が有ったのでしょう。呪いの霧の中で五歳の子供が生き残った事が何よりの証拠です。ですが、幾ら才があっても教える者が居なければ無意味。村からネルガルを連れ出し、今の様に育てた者が居るはずです。……私は絶対に弟を取り戻します。完全に壊れていたとしても、この命に懸けて、例え弟の命を奪う事になったとしても其奴の好き放題にはさせません」

 

 会話の最後、そう語った時のイーチャの声には覚悟と悲しみが混じった物だった。間違い無くイーチャは弟を愛している。例え人を殺そうとしていても、実際に大勢殺していたとしてもだ。

 

「……」

 

 イーチャと別れて戻る最中、俺は無言で横を歩くゲルダに目を向ける。魔族が起こした悲劇でなく、糞みてぇな豚が引き起こした悲劇だ。人間の嫌な部分、俺は何度も見ているが、平和に暮らしていた此奴は別だろうなと思うと心に重くのし掛かる物が有る。俺が此奴にしてやれる事は何だろうな……。

 

 戦うしか能の無い俺に、自分の都合で兄貴だって名乗って家族らしく振る舞ってやる事すら無理な馬鹿野郎に何がしてやれるってんだ。全く思い浮かばない。……俺がされて悪い気がしなかった事をしてやるか。

 

「おい、あまり気にすんな」

 

 そっとゲルダの頭に手を伸ばす。餓鬼の頃、父さんは会う度に頭を撫でてくれていた。目の前の小さな妹にも同じ事をしていたかは分からないが。俺が足りない頭を振り絞ってもこの程度だ。せめて願おう。その小さな肩にのし掛かった世界を救うって重い使命。それを投げ出したくなる程に人が嫌いにならない事を。

 

「よっし!」

 

 うおっ!? 手が頭に触れる瞬間、ゲルダが急に大声を出したのに驚いて手を引っ込める。顔を見れば晴れ晴れとしてやがるし、もしかして杞憂だったか?

 

「……落ち込んでたんじゃなかったのか?」

 

「ええ、落ち込んでたわ。でも、それだけよ。今まで出会った沢山の素敵な人や物を守る使命が有るのだし、何時までも沈んではいられないわ。だって世界は目を背けたくなる程に醜い物だって有るけど、それ以上に美しい物が有るのだから

 

「こっぱずかしい台詞だな、おい」

 

 やれやれ、無駄な心配だったな、こりゃ。どうやら俺の妹は随分と楽観的に育ったらしい。両親と一緒に過ごしたからか? ……あっ、ちぃーっと嫉妬した。なので俺はまたゲルダを掴むと三度目の肩車だ。まあ、諦めたのか馴れたのか恥ずかしがって抵抗はしないがな。

 

「このまま二人の所まで帰るぞ」

 

「仕方無いわね。……本当に太股マニアなんじゃ」

 

 ……聞こえない。俺は何も聞いちゃいない。だから今は只、普通の兄妹みてぇに過ごそう。くっだらねぇ意地と復讐心で結果的に妹から兄貴を奪っている俺だが、こん位の事が有っても許されるよな?

 

 長年固めた意地と決意だが、実の妹が生きているのを知り、こうして接していると決意が揺らぎそうになる。だが、消えないんだ。獣人だから、そんな理由で家族を殺された怒りと絶望が。そんな風にどす黒い感情を出していたからか、僅かな望みでさえ否定されちまったらしい。俺の目の前には武器を手にした熊の獣人が三人。今にも泣きそうな顔で立ちふさがっていたんだ。

 

 よく鼻を効かせれば周囲から漂う血の香り。三人からも同じ香りが漂う。……そうか。復讐も家族もなんて贅沢は許さんって事なんだな。俺が動きやすくする為にゲルダを降ろせば三人が武器を構え、口を開いた。

 

「逃げ……ろ……」

 

「早く逃げ……ろ……」

 

「じゃないと……君達を殺してしまう!」

 

 ……あ~、こりゃ何か有るな。とびっきりの面倒事が。

 

 

 

 

 

「……アヒャ!」

 

 



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偶にはパンダ報いが下る……のだろうか

 ……やり辛ぇ。目の前の三人を相手にした感想がそれだ。動きは適当に武器を振り回してるだけだってのに、力自体は中々のもんだ。英雄候補……とは違うな。勇者やその仲間になる可能性がある連中は他の連中を超越した身体能力やらを持ってるが、三人は力だけだ。

 

 俺が横に飛んでハンマーを避ければ勢い良く振り下ろされるがまま地面を砕く。蜘蛛の巣状に広範囲に広がって、同時に聞こえたのは骨に罅が入る音。力は大した物だが、体がそれに耐えられてねぇ。

 

「これで単純に敵とか脅されて襲って来たとかなら……いや、そっちはそっちで面倒か」

 

 勇者を狙った場合、相手が勇者かどうかの認識の有無に関わらず大抵が死刑だ。脅されていたとか理由が有れば減刑の可能性も有るらしいがな。仮に脅されて襲って来た此奴達が死刑になったとして、ゲルダはそれをどう感じる? 背負っちまうんだろうな、必要も無いってのに。

 

 だから俺が背負わせたりしない。

 

 腕の痛みに悲鳴を上げた男の顎に靴先を叩き込む。手加減した一撃だが、地面を砕いた反動程度で骨にヒビが入る程度の肉体ならこれで十分だ。ほら、白目剥いて気絶して倒れ込み、そのまま後ろに仰け反った上半身が何かに引っ張られる様にして起き上がった。気持ち悪ぃ動きだな、おい。

 

 だが、これで確信したぜ。この三人、操られてやがる。しかも意識は残して他人を傷付けるのを見せ、無理に引き出した力の反動の苦痛も感じさせるってんだ、随分と性格が悪い……性格が悪い?

 

 その言葉でアンノウンを思い浮かべる。別に犯人だって思ったんじゃない。奴なら直接的な肉体への被害よりも精神的な被害の方を好むし、悪質極まりないが悪戯の範囲だ。……胃痛を与えるレベルだがな。

 

 確か戦いの前にゲルダの頭に飛び乗った筈だ。ムカつく野郎だが、奴なら何とか出来るだろ。

 

「おい、アンノウン! パンダ操ってるテメェだったら何か分かる事が……」

 

 何か止める方法を見付けろと、そう言おうとして言葉を失う。ナイフを両手に持って振り回す男の懐に潜り込んだゲルダの膝が股間に叩き込まれ男の体が浮いていた。ありゃ酷ぇ。潰れちゃいまいが泡吹いて気絶してやがる。思わず見ていただけの俺も体の一部がキュッとなる中、当然だが泡吹いたまま男は動く。ゲルダがデュアルセイバーを真横に振るって二つとも弾き飛ばせば、今度は拳を振り被った。

 

「レリックさん、この人達変よ!」

 

「何処かの性悪が操ってるんだよ! その位気が付け!」

 

「ええっ!? アンノウン……じゃないわね。流石にやる事の方向性が違うわ。あの子は訳の分からない展開に右往左往する姿を楽しむタイプだもの」

 

 一瞬奴を疑うが、直ぐに違うと思い直した。だが、賢者様の使い魔が性悪って認識なのはどうなんだ? しかも初代勇者だってのに。思いっきり駄目な飼い主だからな、あの人。ペットの躾をちゃんとしないで甘やかすタイプの。

 

 てか、そのアンノウンは一体何処に行きやがった!? 何時の間にやらゲルダの頭の上から姿を消している。いや、姿を消していると言えば三人目の姿も見えないぜ。俺が気絶したまま腕を振り回し、当たった物と自分の腕が傷付いても止まらない。血が流れ出し折れ曲がった腕に俺が反撃を躊躇した時、横から何かが伸びて来て男を引っ張る。

 

「待たせたかい? 僕、参上!」

 

 伸びて来たのはパンダの舌で、男はそのまま丸呑みにされる。ゲルダが相手をしていたのも同様だ。まあ、これで一旦は大丈夫だが、一言言わせて貰うぜ。

 

「いや、さっきまで居たのが急に姿を消しただけじゃねぇか」

 

「細かい事は気にしなーい! レリッ君ってば、そんなに繊細だから頭頂部周辺の毛が……」

 

「……矢っ張り」

 

 おい、今ゲルダが矢っ張りとか言った気がするが気のせいだよな? 頼むから誰か気のせいだって言ってくれ。ってか、俺はハゲてねぇよ!

 

「まあ、ストレスから来る円形脱毛症については放置するとして、操られていた三人に襲われた人はキグルミを着せた上で治療と記憶操作をしてから安心してよ」

 

 此奴、あくまで俺をハゲ扱いする気だな。俺はそれを確信する。これだよ、これ。下手に物理的危害を与える奴よりも厄介なんだよ、この野郎はよ。

 

「てか、キグルミの意味って何だよ?」

 

「そこに一切意味は無い。僕の趣味があるだけさ! ……しかし普通に『それに何の意味が有るんだよ』とかだったら操られて起きた事件後のあれやこれやを語って、そんな事も分からないのかって馬鹿にする気だったんだけれど……レリッ君はそんなんだからレリッ君なんだよ」

 

「潰すぞ、テメェ!」

 

 あー、疲れた。マジで疲れた。ぶっ殺して終わりにならない相手じゃないのが面倒だったぜ。…ん? パンダの口から何か出ている。いや、違うな。

 

「糸? 糸がパンダの口の中に繋がっているの? もしかして誰かがあの糸で人を操っていたのかしら」

 

「だろうな。つまり、あの糸の先に糞野郎が居るって事だ」

 

 パンダの口の中に伸びるのは触れる事すら出来ない不可視の糸。いや、不可視の糸だった、だ。パンダの口の中から糸が徐々に白黒に染まって行く。それにだ。さっきまで存在するが存在しないっつう矛盾だらけの存在だが、染めている物によって存在が確かな物になった。

 

「まあ、テメェにしたら十分な働きだ。よくやった!」

 

 俺は糸を掴み、強く引っ張る。少し抵抗が有るがこの程度なら問題にならねぇ。遠くにまで続く糸の先に繋がる奴が見えて来た。

 

「……ん?」

 

「アンノウン、まさか……」

 

 糸の先に繋がっていたのは不細工なピエロの人形。三本の糸が一体に繋がっていたのか。マジでアンノウンの仕業だったのかと思ったが、ピエロから漂って来た臭いが違うと告げる。人と魔族が入り混じった嫌な臭い。この臭いを俺は知っている。

 

「アヒャヒャヒャヒャ!」

 

「アビャク!」

 

 この妙に腹が立つ笑い方も記憶のままだ。イエロアですよ会った謎の道化師アビャク。声を聞くだけでイライラする上に何か嫌な予感がする。その時だった。

 

 

「レリッ君、人形を掴んで!」

 

 アンノウンの声に咄嗟に手を伸ばして人形を掴む。布製の安っぽい見た目の癖に表面は少し固い感触で、そして脆い。まるで卵の殻だ。表面に指が食い込み、グシャリと割れる。中身はドロドロでヌルヌルの嫌な感触な上に鼻が曲がる程に臭い。いや、これって爪の間にまで入り込んでるよな。俺は咄嗟に掴んでしまった原因の一言を放ったアンノウンを睨むが、向こうはヌイグルミの分際で器用に呆れ顔を浮かべていやがった。

 

「掴んで・・・・・・しまったら大変だよって言おうとしたのに、どうして君は最後まで話を聞かないんだい?」

 

「いや、俺が掴むように仕向けただろ、テメェ」

 

「うん! 因みにその液体は嫌がらせだけみたいだから暫く臭いだけみたいだよ。・・・・・・あれ? ゲルちゃん、どうして僕を掴んでるの?」

 

 ドブ川を煮込んだみてぇな強烈な悪臭に耐えかね、アンノウンの挑発に耐えられなくなった時、パンダの両脇をゲルダが掴んで俺に差し出す。何をされるのか察して身をよじらせるが逃げられそうになかった。

 

「レリックさん。取り合えずこれで手を拭いて」

 

「わわわっ!? 流石にそれは酷いよ、ゲルちゃん!」

 

「助かったぜ。丁度手を拭く物が欲しかったんだ」

 

「いーやー! これパンダだから! パンダだからー!」

 

 必死に暴れて逃れようとするアンノウンだがゲルダがパンダをがっちり掴んで離さないし、俺も容赦無しで行くぜ。偶にはテメェを酷い目に合わせてやるよ! 臭い液体を拭き取るべく俺はパンダに手を伸ばし、そのまま擦り抜ける。パンダに触れるはずだった俺の手はゲルダの胸を正面から触っていて、パンダは俺の肩の上で座っていた。

 

「これぞ新技パンダイリュージョン! にしてもレリック君、ゲルちゃんは十一歳だよ? そんな子の胸を掴むだなんて変態さんだね」

 

「誰のせいだ!」

 

「僕のせいだ!」

 

「分かってんじゃねぇか! 大体掴んでないだろ、掴めねぇだろ、この貧乳じゃ! ・・・・・・やべ」

 

 アンノウンが鬱陶しいせいで俺は固まっていた。つまりゲルダの胸を触りっぱなしだったって事で、慌てて話した俺の手首が掴まれ、骨を砕く勢いで握られる。俺を向いた顔は笑みを浮かべていたが目は笑っていない。この顔、母さんがマジギレした時の顔だわ。

 

 

「誰が貧乳よぉおおおおおおおっ! レリックさんの変態!!」

 

 両足の親指の間から頭頂部に向かって突き抜ける衝撃。この日、俺は死んだ家族の顔を見たした。起きたのは次の日で場所はベッドの上。

 

「・・・・・・全員笑っていたな。両親以外は苦笑いだったけれど」



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パンダと兎と懲りない連中

「なあ、悪かったって言ってるだろ」

 

 操られた人達との戦いから二日程経った頃、私は未だに怒っていたわ。レリックさんは謝っては来るけど、どうも軽く感じるのよね。

 

「女のこの胸を触った上に貧乳だとか色々言う変態さんとは話したくないわ」

 

 事故だってのは私だって分かってるのよ。だから先に謝ってくれればそれで終わりで済んだのに、掴める程の大きさもない貧乳だとか言ったのだもの、許せないわ。どうも私はレリックさんに対しては遠慮が無くなるらしく、他の人なら此処までにはならなかったと思うけど。

 

「何だ、未だ怒っているのか?」

 

「女神様……」

 

 でも流石にそろそろ見かねたのか女神様が間に入って来た。今までは妙な程に介入せず、賢者様と一緒に複雑そうな表情を浮かべるだけだったのだけど、私だって何時までも怒っていちゃ駄目だって分かっているわ。……明日、グリエーンで勇者の試練が行われる。それに新しい仲間のレリックさんも参加するし、こんなんじゃ駄目だと思うんだけれど……。

 

「よし! 町でアイス奢ってやる。それでチャラだ。良いな! んじゃ、行くぞ!」

 

「わっ!?」

 

 私がモヤモヤして固まっていたらレリックさんに担がれ、返事も聞かずに町に連れ出される。もー、強引なんだから困るわ。……でも別に良いわ。何故か嫌な感じはしないし、この辺で許す口実になったし。

 

 

「わーい! アイスだ、アイスだー!」

 

 何時の間にか私の肩に乗っていた元凶ことアンノウンのパンダ。私とレリックさんは同時に掴み、女神様へと投げ渡した。

 

「「アンノウンの分は無しよ(だ)!」」

 

 本当に相変わらずなんだから、アンノウンは。本当に反省しなさいよ! 女神様の手はパンダをガッチリ掴んで離さない。もう片方の手も本体の尻尾をガッチリ掴んで離さない。

 

「いーやー!? 僕は今日担当の僕なのに! 今日担当の僕なのにぃ!」

 

「元々は一匹だろうが。それに安心しろ」

 

「安心出来ない予感……」

 

「他の六匹も一緒だ。常日頃の悪さの罰は纏めて受けるぞ」

 

「矢っ張りー!!」

 

「じゃあ、私はこの馬鹿を連れて一旦家に戻る。キリュウは残って明日の支度をしているし、帰ったら労ってやらんとな。……たっぷりと」

 

 獰猛な肉食獣が獲物を狙う時の眼差しに私は労いの方法を悟った。賢者様、明日は大丈夫かしら? 女神様があの表情を浮かべた次の日は疲れ切った顔になっているもの。……野暮な話ね。放置しましょう。助けを求めて無言で目を潤ませるアンノウンからも目を逸らした私とレリックさんはアイスを食べに行く。この時、怒りはとっくに何処かに消え失せていた。

 

 

 

 

「しっかし飯を沢山食うのに全然脂肪にならねぇな。腹は兎も角、胸に付けば良いものをよ」

 

「レリックさんって反省しないわよね」

 

 デリカシーが無いのは変わらないので直ぐに怒ったけど。この人、私に対して遠慮が見られない事が多いのだけど何故かしら? 今まで仲間内でこんなノリだったの? 私をちゃんと仲間だと認識してくれているのなら嬉しいけど、デリカシーが無いのならば複雑ね。……あっ、そうだ。私、レリックさんの冒険について詳しく知らないわ。

 

「ねぇ、レリックさん。今までどんな旅をしていたのか詳しく話してくれないかしら? 人間社会のドロドロとしたのは除外で」

 

「おいおい、俺が気になるのか? まあ、俺の魅力はテメェみてぇなチビ餓鬼にも……」

 

「ここで私が大声で『変態よ。助けて』って叫んだらどうなるでしょうね」

 

「……悪かった」

 

 話してくれるのは良いし、嬉しそうなのも別に良いのでしょう。でも、調子に乗るのはどうかと思うわ。私は強ち冗談ではないと声色で伝え、レリックさんはテーブルに突っ伏す勢いで頭を下げる。本当にお調子者ね。この人が本当にお兄ちゃんで一緒に暮らしていたら苦労しそうよ。でも……。

 

「どうかしたか?」

 

 

「ちょっとね。レリックさんがお兄ちゃんだったら楽しそうって思ったの」

 

 言い切った後で急に恥ずかしくなる。顔が熱くなったし、赤くなってそうね。これ、レリックさんに弄られそう。そんなに俺が素敵かって調子に乗らないかしら? でも、私の予想は外れて、レリックさんは神妙な面持ちだったわ。

 

「……そうか」

 

 えぇっ!? 何? 何なの、この展開!? もしかして触れちゃいけない話題に触れちゃったの!? 私はどうしたら良いのかって迷い慌てふためいたのだけど、レリックさんは冗談めかした態度を取る事もなく二人でアイスを食べて帰る。夜には何時ものレリックさんに戻っていたけれど、本当に悪い事を言ってしまったのかしら……?

 

 ちょっと戸惑いながらも夜になったら眠り、朝になったら目を覚ます。グリエーンに向かう時間が迫っていた。

 

「さて、いよいよグリエーンに向かいますが、今回の儀式で得る力について再確認しておきましょう。そして直ぐに向かいましょう!」

 

 翌朝、朝ご飯を食べる前から賢者様は上機嫌だったわ。レリックさんは不思議そうにしているけれど私は予想が付いていたの。だって儀式を執り行う清女代理は賢者様の養女のティアさん。女神様にはバカップルでアンノウンには駄目飼い主でティアさんには親馬鹿。まあ、家族に会えるのが嬉しいのは分かるけど、もう少し節度が必要じゃないかしら。

 

「三百年以上生きていても……」

 

 いや、立派な人だとは思っているのよ? 善人だし、親切だし、凄い魔法使いだし。でも、身内が関わると本当にこの人は……。

 

「……あの人も子持ちらしいけど、少しは見習って欲しいわ」

 

 ネルガル君にアビャク。たった数日の内にニカサラで出会った二人の敵。ネルガル君を呪詛の満ちる村から連れ出し狂わせて育てたのがアビャクなのかは分からないけれど、そんな二人が潜伏しているのに私が安心してグリエーンに来られた理由。それは頼もしい人が街に残ってくれているから。

 

 ハシビロコウの鳥トンさん? いいえ、違うわ。あの人は強いらしいけど性格に欠陥が有り過ぎるもの。

 

 黒子さん? あの人って私とそんなに年齢が変わらないらしいし、ちょっと頼りないイメージが。

 

 私がアンノウンの部下だけれど信頼している相手。それはウサギのグレー兎さん。厳しいけれど真面目だし思い遣りがあるし、素敵な女性だと思うわ。

 

「でも、キグルミなのよね……」

 

 そんな事を思っている間にも前方から砂煙を上げながら近付いて来る人影が見えた。

 

「レリックさん、大丈夫よ。敵じゃないから」

 

「お、おう。……ん? んんっ?」

 

 身構えたレリックさんだけれど、敵じゃないと伝えれば構えを解いたのだけれど、ティアさんの姿が見えた途端に様子が変ね。会った事でも有るのかしら? もしかしてナンパしたとか? レリックさんが腕組みして首を捻っている間にも人影は急速に接近し、矢っ張りティアさんだったと分かった。この人、落ち着きがないわよね。大きな声で騒いだりしないけどマイペースで動きがアグレッシブだわ。

 

 

「父。母。アンノウン。ゲルダ。そして知らない奴」

 

 ほら、今だって次々に抱き付いているもの。流石に初対面の相手には抱き付かないのね。賢者様から絶対に抱き付かせない強固な意志が見て取れたわ。

 

「ティアさん、その人はレリックさん。新しい仲間なの」

 

「そう。一瞬、ゲルダの兄かと思った。……何処かで見た気がする顔」

 

「さ、さあな! 人違いだろっ!?」

 

 あっ、これは絶対に会った事の有る顔だ。だって明らかに挙動不審だもの。冷や汗ダラダラな上に目が泳いでいるもの。……こんな時、グレー兎さんみたいな人が居てくれれば助かるのだけど。

 

「……ティア、そろそろ行きましょうか」

 

「父、怒ってる?」

 

「いーえ、いえいえ。私は怒っていませんよ? ほら、笑っているでしょう?」

 

 この時、賢者様は確かに笑顔だったわ。目が微塵も笑っていなかったけれど。

 

「ふふふ、怒っている姿も素敵だぞ」

 

 女神様は女神様で役に立たないし!

 

 

 

 一方その頃、グレー兎さんはと言うと……。

 

 

「今、何と言いました……?」

 

「アヒャヒャヒャヒャ! 聞こえなかったの、オっバさーん! 僕の年齢を訊いたのはそっちなのにー! 年取ったら耳が遠くなっるんだねー!」

 

「……殺しますよ?」

 

 

 

 



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争う者達と嗤う者

 私は子供だわ。背伸びして子供扱いに怒ったりはしないし、逆に子供だからってやるべき事を投げ出したりもする気は無いの。私の使命は子供だからと投げ出して良い物じゃないし、勇者だからって子供である事を放棄するなんて事はしなくて良いって賢者様達が言ってくれているわ。

 

「でも、これはちょっとどうなのかしら……」

 

 今日、私は勇者としてグリエーンの神殿を訪れている。基本的に誇り高い戦士の気質が多い(例外が居るけれど)獣人が多いグリエーンだから野次馬の類は少ない。ジロジロ見られるのは恥ずかしいから助かったわね。その代わり、私達が進む道の左右では神官らしき人達が仰々しく祈りを捧げていたの。儀式の成功を祈り、世界が救われるようにって。

 

 そんな中を私は進む。ティアさんに背負われながら。……いや、どうして?

 

 

「あ、あの、ティアさん? どうかしたのかしら?」

 

 それはティアさんと再会した後の事。最後に私に抱き付いた姿勢のまま歩くティアさんに戸惑う私が声を掛ければ彼女は賢者様の方を指で指し示したの。

 

「父、何か変。この位置が観察しやすい。あと、新しい仲間が増えたから。ゲルダは私の妹みたいな子。それを教えてる」

 

 少し拗ねた声で今度はレリックさんを指し示したのだけれど、要するに嫉妬って事なのかしら? 私を随分と気に入ってくれていたし、確かお姉ちゃんと呼べって言われた事も有ったわね。

 

「くっだらねぇ。ゲルダが歩き辛ぇだろうが」

 

「……むぅ」

 

 レリックさんはレリックさんで妙に不機嫌だし、それでもってティアさんに顔を見られたくないのか顔を背けたままだし、一体どうしたのかしらね? 何かあったのは確かだけれど……。

 

 レリックさんの言葉にティアさんは頬を膨らまして不満を示す。此処はフォローを入れるべきね。

 

「レリックさんも私を何度も肩車しているし似たような物よ」

 

「なら、ティアは背負ってあげる」

 

 ……うん。私のフォローは完全に裏目だったわ。ティアさんは上機嫌になったけれどレリックさんは更に不機嫌だし、私は恥ずかしいし。って言うか、レリックさんは何に嫉妬しているの? 妹分を取られそうで慌てているとか、寂しがりや的な理由なの? 本当に分かりにくい人ね、レリックさんって……。

 

 生まれ育った小さな村の限られた人間関係じゃ分からなかったけど、人付き合いって大変だわ。色々とと真新しい発見が有るのは嬉しいけれど、対処法が分からないから本当に苦労……いえ、そもそも私がどうしてこうもなやんでいるのかしら? 私! 十一才の子供なのだけど!?

 

「……もう!」

 

「ゲルダ?」

 

 私はティアさんの背中から飛び降り、不思議そうにしている横を通り過ぎる。私を背負った事でギスギスするとか沢山よ。だったら私が降りれば良いんだわ。人前だと凄く恥ずかしいし!

 

「おっ! 何ならまた肩車してやろうか?」

 

「……肩車ならティアがしてあげる」

 

「結構よ!」

 

 二人は私を取り合うけれど、伸ばされた手をひらりと躱してアンノウンの背中に飛び乗った。

 

「……僕を巻き込まないで欲しいんだけれど?」

 

「何時も私を巻き込んで悪戯をしているじゃないの。この位はしなさい」

 

「はいはい。ゲルちゃんはマスコットの扱いが荒いよね。……じゃあ、飛ばそうか! 前屈みになってしっかり掴まって!」

 

「分かったわ!」

 

 私は言われるがままに前屈みになったのだけれど、よく考えたら別に急ぐ理由は無いはずよね? あれ? もしかして何かやらかすんじゃと体を起こそうとした時、パンダが私の背中に飛び乗り、アンノウンの尻尾が私のお尻に触れる。

 

「やーい! フられてやんのー! お尻ペンぺーン!」

 

「せめて自分のお尻でやりなさい!」

 

 結局この後は普通の速度で神殿まで向かったわ。……アンノウンのせいで余計に恥ずかしくなったじゃない。本当に悪い子ね。……でも、アンノウンが挑発したから二人のヘイトがアンノウンに向かったし、これで良かったのかも知れないわね。

 

「……もしかして狙ってやった?」

 

「何の事だい? 僕は常にやりたい事だけやるだけさ!」

 

「……ふーん」

 

 まあ、そういう事にしておきましょうか。今はレリックさんと一緒に受ける儀式を……儀式? 思い起こすのは今まで受けた儀式の内容。その際、聖女や清女は裸だったりする訳で……ティアさんが清女の代理って事はつまり。レリックさんが賢者様に殺されないかしら? 

 

「け、賢者様。儀式の事なのだけれど……」

 

「大丈夫ですよ。私にちゃんと考えがありますから。……多少の介入は許される筈ですよね」

 

 ……うん。だったら大丈夫ね。賢者様が黒いオーラを放っている気がするけれど私の気のせいよ。目にした事に気が付かない事も大人への第一歩よね!

 

「こうしてゲルちゃんも汚い大人になって行くんだね」

 

 黙ってなさい、アンノウン!

 

 

 

 

 

「……ヒャ!」

 

 町で一番高い建物の屋根の上に立って全体を見渡す。この前ネルガル君が暴れたばっかりなのに少しも活気が衰えた様子も無いし、ここから見れば蟻がウジャウジャ居るみたいだよ。僕って蟻が大好きなんだ。

 

 いや、正確には蟻を殺すのが大好き、だね。先生にも言葉はちゃんと使えって言われているし、反省しなくちゃ。ああ、それにしても大きくなりたいなあ。普通に幸せな日常を送っている所に巨大な足が振り下ろされて目の前で大好きな人が潰される。そうなったらどんな顔をするんだろう? 泣くのかな? 怒るのかな? ネルガル君みたいに壊れちゃうのかな? そうと決まれば早速やろう。思い立ったら即行動! それが僕の長所だね!

 

 息を思いっきり吸い込めば体が膨らんで行く。その空気を足に集めれば即席の巨人の足の完成だ。このまま大勢を踏み潰して即席の足跡を残すのも素敵だよね。おっと、忘れちゃ駄目だった。口をモゴモゴ動かし、握った両手を広げれば舌の上と指の間に皆の目玉。家族ってのは本当に素敵だ。悲しい事も楽しい事も共有する物だっからね!

 

「……ヒャヒャ!」

 

 思い返せば昔から虫を殺すのが好きだった。最初はお菓子の欠片で引き寄せた蟻を踏み潰し、その内水に入れたり、蝶を蜘蛛の巣に引っ付けたり、思い返すだけで笑いが出て来るよ。生きた魚を猫にあげたり、小さな生き物の目玉を潰したり火を付けたり、お姉ちゃんに見付かったら叱られたけど、スリルが有ったんだよね。

 

 でも今じゃお姉ちゃんもお父さんもお母さんも僕がやっている事を見ているのに何も言わない。僕のやってる事を許してくれて、舌の上や指の間から眺めてくれる。僕としては応援が欲しいけど、お口が無いから無理だよね。残念残念。じゃあ、踏み潰そうか。

 

「……ヒャヒャヒャ!」

 

 えい! っとばかりに屋根から飛び降り、大勢目掛けて急降下。うーん、聞こえてくる悲鳴が最高だ。でも、世の中には酷い人が居るんだ。地上から放たれた岩の槍が僕の足を貫いて、開いた穴から空気が抜けちゃう。空気を入れて口を結ぶ前に手放した風船みたいに僕の体は足を萎ませながら宙を舞い、最後は頭から地面に突き刺さった。手足をバタバタさせて一家団欒の楽しみを奪った奴を見たんだけれど、立っていたのはビックリだよね、ウサギさんだ!

 

「……ヒャヒャヒャヒャ!」

 

「…随分とふざけた方法ですね。殺意は感じてもやる気は見られない」

 

 あっ、ウサギさんの中は女の人だ。でもキグルミが喋っちゃ駄目だよね。神様に捧げる踊りの時も黙っているのがルールなのに。急に僕の足を攻撃したりとか、酷いオバさんだ! うんうん、そうだね。お姉ちゃんも言っていたっけ。悪い人には立ち向かいなさいって。よーし、頑張るぞ!

 

「アヒャヒャヒャヒャヒャ!」

 

 口の中に手を突っ込んで、取り出したのは巨大なクラッカー。紐を引っ張れば大砲みたいな音と共に武器を持ったネズミの兵隊の登場さ。一匹一匹が下級魔族に匹敵するネズミ兵達はウサギのオバさんに向かって行って、突き出した手から出てきた火の玉で焼かれちゃった。そのまま火の玉は僕に向かって来るけれど、次に出したのは僕と同じ大きさのシャボン玉。火の玉を包み込み、空の彼方に持って行った。

 

「……貴女、まるで子供ですね。戦い方が子供の悪ふざけの様です。魔族は確かに誕生して数年ですが、それでも精神が成熟しているでしょう」

 

 成熟? 成熟って何だろ? 卵は半熟が最高だよね。しかし大人は卑怯だな。難しい言葉で僕達子供を混乱させるんだからさ!

 

 

 

「まるで子供って、僕は実際子供だよ? 今年で七歳になーるんだ!」

 

「なっ!?」

 

 あれれ? 僕が先生のお陰で大きい体を持っているからって驚き過ぎだよ。サーカスにはもっと大きい人が居たのにさ。このオバさん、さては世間知らずだな!

 

 

「アヒャヒャヒャヒャヒャ! それじゃあそれじゃあ自己紹介! 僕はアビャク! 魔人アビャク!人でも魔族でもない七歳児さ!」



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ツンデレの変態疑惑 ~パンダ風狼を添えて~

「儀式はこの下で行う……筈」

 

 ティアさんに導かれて入った神殿の最奥、重厚な石の扉によって閉ざされたその場所は日の光が差し込む石畳の広い空間だったわ。壁は一面蔦に覆われ、床には丸い大穴。穴の周囲には手摺りが無い螺旋階段が下の方まで続いていて、三階建ての建物位の深さがあったの。

 

 それにしても筈って……。

 

「ティアさんは代理の時に詳しい説明は受けなかったのかしら?」

 

「受けた。でも来たのは初めて。儀式の衣装は此処に用意してある」

 

 ティアさんが言う通りに部屋の隅には三つのカゴがあって、その中には透けて見えちゃいそうな位に薄い衣装。レリックさんのはズボンだけで私とティアさんのはワンピースタイプの衣装だけれど袖も無いし足も丸出し。え? これをレリックさんの前で着るの? ちょっと抵抗を感じる中、急に笑い声が響いたわ。

 

「ぎゃははははっ! 何だよ、その間抜けなキグルミはよっ!」

 

「……キグルミ?」

 

「いや、どう見たってキグルミだろ? しかも間抜け面の魚のキグルミじゃねぇか」

 

 この儀式の監修にイシュリア様が関与しているんじゃないかって位に露出度が高くって恥ずかしいし衣装が魚のキグルミ? 私もティアさんも首を捻るけれど、レリックさんも私達の反応に不思議そうにしていて冗談だって雰囲気じゃない。なら、どうしたのだろうって、普通に考えて賢者様の仕業ね。目を向ければ笑顔で親指を立てているし、娘の露出が高い格好を男に見せたくない親心って所かしら?

 

 ティアさん、下は短パンで上は鞣し革を巻いているだけって露出度が高い格好が普通なのに、本人が好きでしている格好は規制しないけど、他の場合はする辺りが親馬鹿よね。

 

「では私とシルヴィアは退出しますので。ほら、彼方に着替える部屋がありますよ。ティアの着替えを覗いたらもぎ取って犬に食わせる」

 

「何処をっ!?」

 

 普段通りの優しい口調だったけど最後の一言は今まで聞いた事の無いドスの利いた声だったので私は直ぐに忘れる事にした。言われた本人は股間を押さえて青ざめていたけど、本当に覗く気だったのかしらね。

 

 そうして賢者様達が出て行った後で私達も更衣室に向かおうとしたのだけれど、不意にティアさんが口を開いたわ。

 

「レリック、覗きたかった? ……ゲルダの着替えを」

 

 私も何度かロリコンの疑惑は向けたけれど、普通に考えてレリックさんが覗くとしたらティアさんなのに、そのティアさんは私を抱きしめて庇いながら僅かに警戒が含まれる視線を向ける。この人、相変わらず無防備って言うべきか自覚が無いのねって言うべきか。父親である賢者様強すぎて他の男の人に興味が向かないのは分かってるけど、もう少し自分が美人だって思うべきだわ。

 

 レリックさんも流石に可哀想ね。こんなにもハッキリとロリコン扱いされちゃね。ほら、少し焦って……焦って? そう。レリックさんは向けられた言葉に明らかな焦りの色を見せて、私の中で疑念が募る。ま、まさか……。いえ、流石に誤解……よね?

 

「の、覗きだなんてしてねぇよ! あれは事故だ、事故! ……あっ」

 

 咄嗟に口を手で塞いで口笛を吹くけれど全部無駄。ええっ!? 事故!? 事故って何!?

 

「……レリックさんの変態」

 

「がはっ!?」

 

 ちょっとだけ涙目になって呟くとレリックさんには随分と堪えたみたい。でも、いい気味よ。……所で何時の間に事故とはいえ覗かれたのかしら? 全く覚えが無いのだけれど。

 

「……ゲルダ、行こう」

 

「ええ、行きましょう」

 

 こうして儀式の前にレリックさんへの不信感や評価のマイナスを得ながらも私達は着替え終わって集合した。幾ら向こうにはキグルミに見えていても男の人の前でこんな格好は恥ずかしいと思ったけれど不思議と照れは無い。不思議な話ね。相手は覗きを黙っていた人なのに警戒感が無いだなんて。

 

 ティアさんは羞恥心が一切無いってばかりに平然としていているけど、レリックさんを少し警戒しているのは変わらない。こんな空気で長い螺旋階段を下るのは気が滅入りそうだわ。

 

「じゃあ下に行く。ゲルダ、掴まって」

 

「え? うん、分かった……え?」

 

 言われるがままに差し出された手を掴んだら引き寄せられて持ち上げられて、ティアさんはそのまま穴に向かって迷わずジャンプ。当然だけれど真下に向かって落下が始まった。

 

「テ、ティアさんっ!?」

 

「大丈夫、平気。レリックは階段を進んで」

 

 慌てる私に対して落ち着いたティアさんはレリックさんに指示を飛ばす余裕すら見せ、空中で一回転すると華麗に着地する。確かにあの空気で三人揃って進むのは憂鬱だったけど、まさか三階相当の高さから飛び降りるとは思わなかったわ。

 

「ティアさん、せめて飛び降りるなら飛び降りるって先に言って欲しかったわ」

 

「……ん。分かった、次からは先に言う」

 

 贅沢を言えば飛び降りる事自体を無しにして欲しいのよ。私だってこの高さ程度なら無事に飛び降りる自身が有るけれど怖い物は怖いもの。上を見ればレリックさんが律儀に螺旋階段を進んでいるのが見えたわ。

 

「……それにしても一体何時、私を覗いちゃったのかしら?」

 

 多分事故だって言うのは本当でしょうし、変態呼ばわりした事で怒りも収まっている。だから後に残ったのは純粋な疑問。流石に着替えやお風呂を覗かれたら気が付くと思うのだけれど……。

 

 そしてレリックさんの到着後に私達は先に進む。通路は一本道で、行き着いた先の部屋は緑に輝く水晶が壁一面に埋め込まれた所だった。正に神秘的光景なのだけど、私とレリックさんが目を奪われている間にティアさんは部屋の中央に蓄えられた水の中に入って行った。

 

「二人共、来て。儀式を始める」

 

「儀式か……」

 

 私も最初の儀式の時に緊張したけれど、私よりも場数を踏んでいるレリックさんも同じく緊張していたわ。……仕方無いわね。私はレリックさんの手を取って引っ張る。

 

「ほら、行きましょう。大丈夫。そんな変な事は起きないわ」

 

「お、おう……」

 

 ふふふ。私って基本的に手を引いて貰ってばっかりだから偶にはこんなのも悪くないわ。レリックさんの手を引きながら水の中の階段を降りて進む。……あれ? 此処に来て重大な問題が発生した。私、足が着かない。

 

「……しゃーねぇな。ほれ、俺に掴まってろ」

 

 見かねたレリックさんの背に乗って水の中央まで進む。やれやれ、助かったわ。別に泳げない事はないけれど得意でもないし、こうして誰かに掴まった方が安心するわ。只、ティアさんが少し拗ねた様子なのが気になるわね。自分が掴まらせたかったのね。

 

「ゲルダ、終わったら散歩行こう。新しい所、色々発見した」

 

「あら、それは素敵ね。じゃあ、お願い出来るかしら」

 

「悪くねぇな。俺も一緒に……」

 

「お前は駄目」

 

 私よりずっと背が高いティアさんやレリックさんの首まで水に浸かる深さまで来た時、ティアさんが両腕を前に突き出した。

 

「二人共、手を握って目を瞑る。それで試練が開始」

 

 レリックさんの背中に乗ったまま片手を伸ばし、レリックさんも片手を伸ばして手を繋ぐ。視界を眩しい光が埋め尽くした。

 

「……思い出した。ティアの水浴び覗いた奴だ」

 

 最後にティアさんの言葉が聞こえ、光が消えれば私とレリックさんは見知らぬ遺跡の様な場所に居たわ。通路の真ん中に立っているから進む方向にちょっと困りそう。服は何時ものに戻っているのは安心ね。幾ら別の格好に見えていても恥ずかしいものね。

 

「あれ? 何かしら、これ?」

 

 手に違和感があって見てみれば二人の腕が鎖で繋がれている。私はそそくさとレリックさんの背中から飛び降りたわ。そして鎖が許す範囲でレリックさんから距離を取った。

 

「……おい、どうして離れてやがる?」

 

「身の危険を感じて……」

 

「だからあれは事故だっての! 俺も最近まで記憶がぶっ飛んでたんだが、偶々水浴びしている所に出ちまったからケジメとして一撃入れさせて、気絶から覚めたらキグルミ姿で縛られてたしよ。……てか、キグルミってアンノウンの仕業なんじゃねぇかっ!?」

 

「まあ、そんな所だって何となく思っていたわ。からかっただけよ」

 

 何となくだけれどレリックさんは少し位からかっても構わない気がするのよね。反応が面白いし、アンノウンが悪戯する気持ちが何となく分かるわね。……あれ?

 

「てか、その場合、俺はあの女の水浴び姿を見ちまった事を知られてるんだよな……」

 

「あの、レリックさん。そのアンノウンだけれど、神殿の中で何時の間にか消えていたわよね?」

 

「消えていたよな……」

 

 絶対何か企んでいる。それが二人の共通認識。何をするのかと思うと力が抜ける気が……。

 

「おいっ!?」

 

 私の体から本当に力が抜けて前のめりに倒れ込む。慌てたレリックさん。が咄嗟に支えてくれなかったら転んでいたわ。……からかったのをちょっとだけ後悔する私だった。

 

「大丈夫か? 変な物を拾い食いしたんじゃないだろうな……」

 

「いや、女の子に対してそれはどうなのかしら?」

 

「「!?」」

 

 突如聞こえた女の人の声。振り向いた先に立っていたのは緑色の髪をしたお姉さん。……あれ? 確かこの人は……ブリエルに来た時に戦った魔族!

 

 

「あっ、いや、違うわね。だって胸の大きさが全然違うもの」

 

「初対面なのに失礼ねっ!?」

 

 あの魔族とお姉さんの違い。それは驚異的な胸囲の有無だったわ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何の用なのさ、ミリアス。マスターとボスの目を盗んで抜け出すの大変だったんだよ?」

 

「うん。ちょっと君に頼みがあってさ。……殺して欲しい子供が居るんだ」



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有り得ない話

抜けてた


「いや、私だって胸の事は自覚しているわよ? 仲間の一人に『胸筋を鍛えすぎたんですか?』とかほざきやがるのが居たから軽くシメてやった位だし」

 

 勇者としての試練を受けに来た私は今、正座でお説教を受けている。如何にも魔法使いですって感じのお姉さんなのにドスの利いた声で正座を要求して来て逆らえる気がしなかったわ。レリックさん? 彼なら私の横で正座しているわ。私は兎も角、どうしてレリックさんまで叱られてるかだけど、自業自得ね。

 

「確かに此奴の胸は貧相だよな! 一瞬男かと思っ……」

 

 レリックさんは私が思わず叫んだ言葉に続いて笑いながら続き、強烈なレバーブローを食らってしまった。……うん、あれは流石に酷い。私も自分が気にしている癖に失礼だったけど。

 

 それにしても彼女は誰かしら? 前回の試練じゃ先代の勇者が出て来たけれど、二代目も男の人の筈だし。私は大人しくお説教を受けながらも考える。時々レリックさんが余計な事を口にして足を踏まれていたけれど、暫く続ければ言いたい事を言い切ったのか、彼女は満足した表情を浮かべたわ。

 

「取り敢えず今回はこれで終わりにしてあげるけど、初対面の相手に失礼な事を言っちゃ駄目よ?」

 

「はい、ごめんなさい。実はブルエルに来た時に襲って来た魔族に生き写しで」

 

「……ああ、成る程。それで胸だけは全然違ったと。それなら仕方無いわね。魔族が現れたと思ったんなら私だってビックリするわよ」

 

「本当にごめんなさい!」

 

「もう良いって。子供相手に何時までも怒らないわよ

 

 納得してくれた様子の彼女にもう一度頭を下げた時、私はまたしても倒れそうになってしまった。咄嗟に横からレリックさんが手を伸ばして支えてくれた。本当にこの脱力感は何なのかしら?

 

「さてと、そろそろ試練を始めましょうか。この試練を突破すれば勇者には精霊と契約する力を、仲間には勇者と同様に功績によって力が増す祝福が与えられるわ。そして今回の試練だけれど、戦う力の無い仲間を守りながら奥まで来なさい。じゃあ、勇者らしく女の子をちゃんと守り抜きなさいね!」

 

 結局最後まで名乗らないままお姉さんは姿を消し、私とレリックさんは静寂が支配するその場所で暫く黙り込んでいたわ。だって、凄く微妙な空気になったのだもの。

 

 

「あの女、思いっ切り間違えてたな。俺が勇者だってよ」

 

「試練の為に現れたのに判別が出来ないのね……」

 

 よくよく考えれば私みたいな子供が選出されたり、勇者を決めるシステムにも不備があるのだから試練にも有っても不思議じゃないのだけれど、本当に凄く微妙な気分だわ。これ、やる気を削ぐ試練って事は無いわよね?

 

「……行くか」

 

 レリックさんが立ち上がれば私と繋がっている鎖がジャラジャラと鳴り響く。それに混じって何かがカサカサと蠢き接近する音も聞こえて来たの。普段だったら立ち向かうけど、今の私にそんな力は無い。何とか立ち上がろうと力を込めるけれど立ち上がれずに困った時、レリックさんが私を抱えて持ち上げた。お姫様抱っこ……じゃなくて俵担ぎで。

 

「テメェは動けねぇし、俺が守ってやる。だから背後の様子をしっかり見てろ。俺は前のみに集中するからよ!」

 

 ……頼もしいわね。それにレリックさんの言葉なら不思議と信じたくなるのよ。本当に不思議。レリックさんは肩に乗せた私の位置を何度か調整し、足に力を込めると一気に駆け出した。左右の壁が矢の様に過ぎて行く中、一時は置き去りにして遠ざかった音が速度を上げて接近して来る。闇の中、その姿がはっきりと見えたと同時に全身が鳥肌だった。

 

「おい、どうしたっ!?」

 

「く、く、く……」

 

 きっと私の様子が変だって気が付いたのね。レリックさんが少し心配した様子で声を掛けてくれたけれど今の私に冷静に返す余裕は存在しないわ。だって私達を追い掛けて来たのは私が大っ嫌いなアレ……。

 

「蜘蛛ぉおおおおおおおおおっ!?」

 

「どわっ!? こら、暴れるな!」

 

 そう、目の前の壁や床を埋め尽くす勢いで群を成して追跡して来たのは巨大な蜘蛛のモンスター。黒い体毛に覆われ、猫程度の大きさのが目測で……百匹位かしら? 直視するのも嫌な相手が緑色に光る目をこっちに向けて迫って来る。それだけでも不気味なのに、背中から生えている物が余計に際立たせているわね。

 

「あれはコスモスよね? 花は綺麗だけれど……」

 

 その辺にでも咲いていそうな色鮮やかなコスモスの花が蜘蛛の背中にしっかりと根を張っていて、綺麗な花がかえって不気味に見えるわ。えっと、体が上手く動かないだけじゃなくって魔法も難しいけど、かいならデュアルセイバーの力の一つだし使えそうね。

 

『『コクモス』蜘蛛にのみ寄生し、巨大化させて操るコスモス。意思はなく本能的に動いているが、大群で動くのが驚異。蜘蛛と花のどちらを壊しても動きは止まる。巣は作らず動き続けるがエネルギーの消費が激しい。花は火や冷気に強く、全身に張った根が蜘蛛をそれらから守る』

 

「おい、どんなのが来てるんだ?」

 

「えっと、蜘蛛に寄生した花のモンスターで……」

 

 迫り来る無数の足音に背を向け、前だけ向いて走り続けるレリックさんに私はコクモスについて話すけれど、声が震えていたし蜘蛛が苦手だって伝わったかしら?

 

「……」

 

 それにしても私が今まで見た中で最悪の花ね。私、巨大な蜘蛛のモンスターと出会った時に逃げ出した位に蜘蛛が嫌いなのに。目の前のコクモス達は通路の奥から途切れなく向かって来て、まるで闇夜が大地を覆って行くみたい。ゾワゾワと鳥肌が立った私の体が震えて来た時、体を支えるレリックさんの腕の力が強まった。

 

「……もうちっと速くなるから舌噛むなよ? この試練は敵を倒すんじゃなくって仲間を守るって内容だ。なら、俺がお前を守ってやる」

 

「レリックさんって時々素敵に見えるわよね、時々」

 

「舌噛むつってんだろ、ド阿呆! てか、時々って何だよ、時々って!?」

 

「いや、だって普段が普段だもの……」

 

 レリックさんはブツブツ文句を言いながらも速度を上げ、今の状態の私じゃ本当に舌を噛みそうだから黙り込む。……素敵だって思ったのは本当よ? 私を守ってくれるってのも嬉しいし、蜘蛛が苦手だって知ったら少しでも早く遠ざけてくれようとしているもの。コクモス達はグングンと遠ざかり、やがて見えなくなる。

 

 

「撒いたか? いや、もうちっと行くか」

 

 でも、気が付いているのかしら? レリックさんも声が震えていたわ。ふふふ、きっと私と同じで蜘蛛が苦手なのね。自分では平気な振りが出来ていると思っている所は可愛いと思うけれど……うん、黙っておいてあげましょうか。

折角見栄を張っているのだもの。その位は良いでしょう。今だって本当は自分も蜘蛛から離れたくって必死なんだわ。ちょっと面白くなった私は笑いを堪え、代わりに鼻歌を歌う。お母さんが好きだった歌を……。

 

 

「……何で鼻歌なんざ歌ってるんだ?」

 

 さて、どうしてでしょうね? 私、今は喋れないから答えられないわ。それにしてもレリックさんと一緒なら安心出来るわね。本当に家族みたい。まさか生き別れの兄妹……な~んちゃって。死んじゃったお兄ちゃんの事は聞いた事が有るけれど、レリックさんとは種族も名前も違うもの。えっと確か……十六夜だったわね。

 

 

 

 でも、生きていたら心配を掛けていたのでしょうね。故郷に残って羊達の世話をしながら勇者としての旅を続ける私の無事を祈るだけで。もしかしたら兄妹揃って勇者一向に選ばれていたかも知れないけど。

 

 

 まあ、そんな偶然は有り得ないわね。どんな偶然よって話だわ。

 

 

 

 

 



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兎の憂鬱

 国家を家に例えるならば敵国や賊の類は白蟻等の家を痛ませる害虫や災害であり、貴族や王は柱に当たるでしょう。民という住人が住まう家を支える重要な存在。故に腐敗した柱や直せない程に曲がった柱・・・・・・要するに内憂となる権力者は不要だという事です。

 

「停戦など不要である!」

 

「憎き敵を蹂躙し、全てを奪えば国は潤い死んだ同志も報われるのだ!」

 

 国も民も疲弊させ、得る物等皆無に等しかった戦争。戦時下には技術が発展するケースも有るそうですが元より暴君の類だった王族や大半の貴族は技術の発展や人材育成に回す費用を私欲を満たす事に費やす愚か者。戦時下になって新兵器開発を命じられても人材も資材も設備も足りる筈も無く、理不尽な怒りで技術者研究者達を罰した辺りから何時かは、そんな風に思っていたのですが、腐敗が私の想像以上だと知ったのは疲弊からの停戦協定を結んでからでした。

 

 凡夫ではありましたが何とか国勢を回して来た先代達が戦が要因で死に、若くして王位や爵位を継いだ若者……いえ、馬鹿者達は国の情勢も見ず、見合った言動はしないが高い誇りと見栄、捕らぬ狸の何とやらで協定の一方的な破棄からの再戦を望み、もはや従う道理無しと判断した私と賛同する他の貴族によるクーデターを起こしたのです。

 

 結果は圧勝。敵方の主力であり一応王族の血を引く若者は旧政権側の顔を立てる意味合いから私の婿にしました。今の王は駄目だが、それでも尊い血を絶やすのは云々と五月蠅いですが力は持つ重鎮達が居ましたからね。王座? 私は文官ではなく武官寄りでしたからね。相応しい能力を持つそれなりの血筋の者を王に据えましたし、私の子と王の子を婚約させましたから問題は無いでしょう。

 

 此処までが私の過去。あの腐れパンダ擬きによって連れてこられたこの世界とは全く別の世界の、ゲルダさんの旅が勇者の物語だとすれば全く本編に関係しない、描かれても描かれなくても何も影響しない脇役の物語。ただ、私はそれまでの物語に後悔は残していません。やるべき事をして、選ぶべき選択肢を選んだ、それだけですから。

 

 ただ一つ、後悔があるとすれば……。

 

 

「あっ、姉様。アンノウンデパートで五千円以上買い物をしたら回せるガラガラ目当てに金をつぎ込み過ぎまして、生活費を貸して下さい。何とやら魔法少女風の格好をした姉様のフィギュアは手に入れましたよ!」

 

 後悔は一つだけ。クーデターの際に行方不明になった弟の捜索依頼をする相手を間違った事。他の誰も手掛かりすら見つけられない中、アンノウンは十日後に連れて来たのです。……何故か重度のシスコンな上にオタクになった状態で。

 

「ほら、彼って政権側だったでしょ? 自害するって五月蠅かったから洗脳したらこうなった。面白くなりそうな方向に誘導したし、反省はしていない」

 

 ……ええ、弟が生きて戻り、ちゃんと新政権側の一員として働いているのは別に良いでしょう。少々社会不適合者になっていますがっ! ……生きていればそれで良いのですよ、姉弟ですから。

 

 だから後悔は一つ。アンノウンに依頼する際に渡された契約書が炙り出しの項目が有ると見破れなかった事。そのせいで今、私は灰色の兎のキグルミを着て異世界で戦っているのです。正直言って意味不明過ぎませんか?

 

 

「あの腐れパンダ、何時か剥製にしてあげます」

 

「え? パンダ? パンダが居るんだ! ねぇ、パンダは何処かな、オバさん!」

 

「お姉さ……いえ、別に構わないでしょう。七歳児というのが本当ならの話ですが」

 

 思わず漏れた恨み言に反応するアビャクの姿は子供そのもので、青年位の姿とはアンバランスでしたが、それがいっそうの事、七歳という事を真実ではと思わせます。魔族の気配が混ざっていますが魔族そのものではなく、何らかの方法であの姿になったとすれば……被害者ですね。

 

 戦いとは時に非情になる事が求められる、それは戦争を経験した私なら痛い程に分かっています。何せ時に友すら手に掛けなければならなかったのですから。子供といえども敵は敵。この世界は私の住まう世界とは全くの無関係ですが契約は契約であり、放置すれば多くの命が奪われる。ですが……。

 

「なーんだ、パンダ来てないんだね。つっまんないの~! じゃあ、風船で遊ぼうか!」

 

 周囲をキョロキョロ見回してパンダが影も形も見つけられない事を残念そうにしているアビャクが取り出したのはバルーンアートに使う縦長の風船。色とりどりの風船を一度に五個咥えて一気に膨らませますが、顔が真っ赤になっていました。

 

「遊びたいなら家で遊びなさい。……それと私が言っているパンダには関わらない方が良いですよ」

 

「やっだよー! それじゃあ必殺の風船花火~!」

 

 空気を入れた状態で口を結ばずに手を離せばどうなるか、それは子供でも分かる事です。いえ、彼は狙ってやったみたいですね。動物が描かれた黄色い子供向けの傘を取り出し広げれば風船から空気に混じって周囲に金色の粉が飛び散っています。成る程、確かに花火みたいで綺麗ですね。そして粉は危険な物らしい。

 

 風を操り、全てアビャクに跳ね返すも傘を盾にして防がれてしまう。おや、返されたのが不満なのか地団駄まで。矢張り子供というのは本当なのですね。技は子供の発想レベルで態度もヤンチャな子供にしか感じない。だからこそ本当に厄介に感じるのですよ。

 

 この距離でも飛んで来る火の粉は地面を燃やし、熱で前方の景色が歪んで見えます。ですが、このキグルミは一切の熱を通さない。アンノウンが用意しただけの事をはあるでしょう。私はアンノウンの力は認めているのですよ。生存は認めていませんが。

 

「それに喰らったら面白いと奴が判断すれば一切の防御性能が失われそうですね。いえ、奴なら絶対にします」

 

 おっと、またしても独り言。無視されたと思ったのかアビャクは頬を膨らませていました。

 

「オバさん、僕の事を侮っているね? 言っておくけど全然本気じゃないんだよ」

 

「奇遇ですね、私もです。そして貴方相手に本気は出しませんので悪しからず」

 

 これは挑発でもなく、ましてや強がりでも有りません。歴然たる事実。悪意が人の形を取っただけである魔族の年齢など気にしませんが・・・・・・元が人の子で年齢も子供なら話は別。

 

 

 理由? 私も同年代の息子を持つ母親である、それだけですよ・・・・・・。



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ツンデレの恥辱

 迷宮探索の物語は結構人気が有るわ。古代都市や謎の神殿、洞窟の奥に隠された地下帝国。数々のモンスターや罠を退け謎を解き明かし財宝を得る。とてもロマンを感じる話よね。

 

 まあ、ソリュロ様にその事を話したら微妙そうな顔をされたのだけれど。

 

「いや、そういった事は空き巣やら何やらと言うのではなかったか? 幾ら持ち主が居なくなったとしても忍び込んで墓荒らしや泥棒をするのはどうかと思うぞ?」

 

 あっ、うん。不老不死で数百年前の事も最近だと感じる神様からすればそうなるわよね。私達に例えるなら家主が亡くなったり引っ越しして所有者が居ない家に勝手に入り込んで探検するみたいなものだもの。太古の呪いとか空き巣対策の防犯用の魔法みたいな物よ。……うーん、神様と分かり合うのって難しい。時々だけれど魔族の方が価値観の共有が可能だって思えるわ。……本当に偶にだけれど。

 

 さて、遺跡を舞台にした冒険小説にはお約束の展開が有るわよね? 密室に水が流れ込んで来たり、壁が迫って来たり、大岩が転がって来たり。お約束だし、助かるのは分かっているけれど心躍る展開よね。……あくまでも小説だったらの話だけれど。

 

「レ、レリックさん!」

 

「舌噛むから黙ってろって言っただろうが!」

 

 勇者の試練として訪れた遺跡を模した場所を進む途中、私達は螺旋状の通路に居たわ。追い掛けて来るモンスターの気配も無いし、体力の温存も兼ねてゆっくりとした足取りでグルグルグルグルと右回りに進みながら下へと向かって行く。私はこの時点で嫌な予感がしていたのだけれど、レリックさんが踏んだ床の一部が沈んだ事で更にそれは増したわ。

 

「今、カチって鳴らなかった?」

 

「……鳴ったな」

 

 上の方から何かが転がって来る音。それは勢いを増し続けて急速に接近して来る。体力の温存だなんて言っている場合じゃないとレリックさんが駆け出し、今に至るわ。

 

 未だ何が転がって来ているのかは分からないけれど、このままレリックさんの足なら逃げ切れそうね。そんな風に一安心したのも束の間、私を抱えたレリックさんが走り抜けた通路の壁に穴が開き水が流れ込んで来たの。嘘でしょ!? 私、今は体に力が入らないのだけれどっ!?

 

「レリックさん、泳ぎは得意かしら? 例えば鎖で手と手が繋がった女の子を抱えたまま泳げる位には……」

 

「……」

 

「……え? ちょっと、レリックさん? 無言は不安になるのだけれど?」

 

 進めば進む程に水の量は増えて行き、逆に水が邪魔でレリックさんの動きは僅かだけれど遅くなって行く。転がって来る物の姿が遠くに見えれば、予想通りの大岩だったわ。えっと、このままだと岩に追い付かれて二人共……あれ?

 

「ねぇ、レリックさん。ちょっと思ったのだけれど、岩から逃げる必要は無いと思うわ」

 

「言われてみりゃ、その通りだ。なんで邪魔な岩から逃げ続けてんだよ、俺は。冒険小説の展開みてぇだからその通りにしてたが、俺達はどっちかって言うと英雄伝側だろ」

 

 立ち止まり向き直ったレリックさん。私も頭を動かして抱えられた姿勢のまま後ろを向けば迫り来る岩。水は膝上まで来ていて時間は無さそうね。

 

「おい、ちょいと本気出すから絶対に喋るな。……マジで舌噛むからな」

 

 最後は心配する様な声の後、私は体が後ろに引っ張られる感覚に襲われて、続いて堅い物が砕け散る音が聞こえたわ。頭位の大きさの破片が周囲に散らばり、着地したレリックさんは再び振り向いて走り出す。拾い通路を埋め尽くす程の大きさの岩が完全に砕かれていたわ。

 

「おい、破片がぶつかっちゃいねぇか?」

 

「え、ええ、大丈夫よ」

 

「なら別に良い。ほら、もうちっと急ぐぞ」

 

 水は更に勢いを増して増え続け、もう直ぐレリックさんの腰まで届きそう。だけど溺れるかもって心配は既に無いわ。だってレリックさんが一緒だもの。絶対に助かるって確信があったわ。

 

「ジャンプするぞ!」

 

 突然聞こえた叫び声と共に浮遊感に襲われて、私とレリックさんは壁に開いた穴に飛び込んだわ。私達が通る途中も穴の両側から壁が迫って来ていて、なんとか通り抜けると同時に閉じる。……あー、ビックリした。

 

 でも、どうやら試練も終盤みたい。私達が足を踏み入れたのは四方を壁に囲まれた広い部屋。その中央であのお姉さんが杖を手にして待っていたのだけれど、その杖には見覚えがあったわ。確か三代目勇者の物語の挿し絵や一行を讃える石像が持っていた物ね。じゃあ、あの人は……。

 

「アナスタシア……様?」

 

「あー、ちょっと恥ずかしいわね。一応姫だけれど母さんが市井の出だったし、町で育ったから慣れてないのよ、敬称に。……勘弁してくれない?」

 

 恥ずかしそうに頬を指先で掻く彼女こそ私の故郷であるエイシャル王国の王女にして、三代目勇者の仲間。最終的に二人は結ばれて王座に着くのだけれども、伝説では清楚で理知的な方だったけど、実際はこんな感じだったのね。でも、三代目勇者であるシフォー・ヴェッジと違ってショックとかは無いわね。……あの堕落した上に初対面で失礼な事を言って来た事は忘れないわ。

 

「じゃあ、アナスタシアさん。貴女が試練の相手って事で良いですか?」

 

「敬語も無しで。どうせ私は再現されただけの存在だし、礼儀は不要よ? 調子に乗りすぎたらシメるけど」

 

 怖いっ! この人、レリックさんみたいな感じの人だわ。レリックさんはチンピラって感じで、アナスタシアさんは姉御って感じだけれど。

 

「にしても貴女も小さいのに大変ね。勇者の仲間とか苦労するでしょ。私の所の勇者は堅物のお坊ちゃんって感じだから少しは楽だけどね」

 

「あのぉ、さっきから少し勘違いをしているわ。私、勇者の仲間じゃなくて……」

 

「えっ!? まさか一般人だったのっ!? ……参ったわね。まさか無関係な子供が儀式に巻き込まれるだなんて。儀式の調整をしている神様は何をしているのよ。もしかしてイシュリア様なんじゃ……」

 

 アナスタシアさんの記憶は会話からしてシドーが贅沢を覚えて堕落する前の状態らしかったのに、既にそんな評価って一体何をしたのかしら、あの駄目女神様ったら。これ、本人は自分の未来を知った時に死にたいって言った位に落ち込んでいたけれど、この人はどんな反応をするんでしょうね。

 

「ウェイロンの事は尚更言えないわよね」

 

「ウェイロンがどうしたの? まさか何かやらかしたんじゃ。彼奴、ちょっと常識が無いのよね。悪い奴じゃないけれど……」

 

 言えない。シドーは贅沢に溺れて、ウェイロンは不老の体を得て魔族側に寝返って居るだなんてとても言えないわ。でも、それとは別に伝えなくちゃ駄目な事が有るわ。

 

 

「アナスタシアさん、私は勇者の仲間じゃなくって……」

 

「分かってる分かってる。直ぐに帰してあげるから安心しなさい」

 

「そうじゃなくって、私が勇者なの!」

 

 その言葉を聞いた途端、アナスタシアさんは固まった。もしかして子供が勇者だって事を不安に思ってショックが大きいのかも知れないわ。でも、そうだったら余計なお世話だわ。私だって勇者として頑張って、実際多くの魔族を倒して世界を三つ救っているのよ。だから私が勇者な事に不満があるならビシッと文句を言ってあげなくちゃ! じゃないと助けてくれた賢者様や女神様……ついでに一応アンノウン、そして戦って来た魔族達を侮辱する事になるのだもの。

 

 

「いやいやいや、子供に任せるって何をやってるのよ! 今までの功績とか関係無く、子供が世界を背負わされるだなんて許される事じゃないわよ! あーもー! 神様連中を全員ビンタしてやりたい!」

 

 文句を言う気だったけれど、これって文句を言えない空気よね。子供だから無理とか否定するんじゃなくって、普通の感性で私の為に怒ってくれているもの。

 

 

「で、でも、賢者様が仲間になってくれているから大丈夫よ」

 

「あんな嫁さんとの惚気話ばっかする人じゃ、ちょっと不安ね。……まあ、決まった物は仕方無いわ。辛くなったら逃げなさい。最終的に世界を救えばチャラよ。犠牲? 犠牲を出したのは魔族でしょうし、貴女が背負う必要は無いの。……それじゃあ試練を開始するわよ」

 

 手から鎖が外れ、体に力が戻る。これなら戦えるわ。レリックさんとの共闘は女神様との訓練以外では初めてだけれど、何となく上手く行く気がするのよね……って、今度はレリックさんが倒れてるっ!?

 

「ち、力が入らねぇ……」

 

「順番が逆だし、こっちの手落ちって事で鎖は外したわ。じゃあ、仲間を庇いながら戦いなさい!」

 

 困ったわね。レリックさんを放置しながら戦うのは難しいし、肩に担ぐのは身長差が結構あって無理だし。……うん。緊急事態だから仕方が無いわよね。

 

「レリックさん、絶対に黙っておくから安心して!」

 

「嫌な予感がするんだが、何をする気だ?」

 

「お姫様抱っこ」

 

 咄嗟に逃げ出すレリックさんだけれど力が抜けた体で這っても直ぐに捕まえられる。恥辱を避けたいから暴れるレリックさんを無理やり抱っこした瞬間、全てを諦めた顔だったわ。まあ、私は絶対に口に出さないし、大丈夫よ。……只、不安なのがアナスタシアさんの様子。気まずそうに目を逸らしているけれど……。

 

 

 

「ククク。随分と愉快な……いや、大変そうな事になっているな」

 

 ……あれぇ? どうして貴方が此処に居るのかしら? ……取り敢えずレリックさん、ごめんなさい。

 

 



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ハシビロコウと貫く物

「おやおや、嫌な相手に会った時の様な顔だな、少女よ。流石の私もショックでこの通り顔が曇ってしまう」

 

 本当に嫌なタイミングで嫌な相手が来たわね。今まで会ったアンノウンの部下の中で多分一番性格が悪い人。キグルミだから表情は伺えないのに何故かどんな笑顔を浮かべているのが分かる人。ハシビロコウのキグルミの下で鳥トンさんは実に楽しそうに嗤っていたわ。

 

「顔が曇るって言われても……」

 

「確かに私はキグルミだ。顔など見えないか。これは失敬。私とした事が礼儀を欠いていた。だが、このキグルミを脱いで良いのはオフの時だけなのだ。私の表情は想像してくれたまえ」

 

 丁寧なお辞儀をしながら謝罪の言葉を口にするけれど一切の誠意が伝わって来ない。これはキグルミを着ているからじゃなく、本人の性質ね。礼儀作法は知っているけれど、他人を敬い慮る心が足りていない。こんなのを慇懃無礼って言うんだったかしら?

 

「あー、えっと、試練として知人を呼び出して戦って貰うんだけど、もしかして仲良くなかった?」

 

 もしかしてとは思ったけれど、勝手に現れたんじゃなくて試練で呼び出されたのね。アンノウンなら試練の為の空間に送り込めそうだもの。でも、アナスタシアさん、他の誰かじゃ駄目だったのかしら? アンノウンの部下ってだけで不安が残るけれど、黒子さんとかグレー兎さんとか居るじゃない。

 

 私達の様子から呼び出すべきでない相手だと気が付いたのか戸惑うアナスタシアさんだけれど、鳥トンは手を前に出してそれを制したわ。

 

「気にしなくて結構だ。まあ、私の事は互いの利益の為に手を組んだ協力者とでも認識してくれれば良い。試練にはそれで十分なのであろう?」

 

「そうだけれど……」

 

 うん、この人は矢っ張り嫌いで気に入らないわ。アンノウンだって私達を仲間だと認識しているのに、鳥トンは自分の楽しみを満たす事しか考えていないのが伝わって来た。鉄串を構える鳥トンに向かい合いながら私はレリックさんをお姫様抱っこしている腕に力を込めた。

 

「それでは開始するが、君に抱かれている青年には正式に名乗っていなかったな。私の名は鳥トン。まあ、この姿の時の仮の名だがな。アンノウン直属部隊である確か……擬獣師団(ぎじゅうしだん)の団長をしているよ」

 

「いや、確かってなんだっ!?」

 

「私の雇い主は適当で移り気でな。部隊の名がコロコロ変わるから日毎に使い分けているのだよ」

 

「なんだそりゃ……」

 

 レリックさんの呟きに賛同しか出来ない。所属する組織が日替わりで別の名前になるってどうなっているの!? ……有料なる差し歯とか変な名前の盗賊団が居たって聞いた事が有るけれど少しは名前に拘ったら良いのに。

 

「本人事態が三つも名前を持っているのだ。名には特に愛着が無いのだろうさ。団員の中にも唐突に名が変わる者が居る程だ」

 

 とても口にせずにはいられなかったから伝えたら、鳥トンさんからの返答がこれ。もう名にも言わない方が疲れないから良いと思った時、長い串の先端が床を引っかく音が響く。背筋がゾクリとした。これは間違い無く殺気。今まで戦った相手に向けられた物。だけど今までとは比べ物にならない。思わず後退りしそうになるのを堪え踏みとどまったけれど、息が少し荒くなったのを感じる。暑くもないのに汗が頬を伝った。

 

「ふむ。引かぬのは結構。だが、それで戦いになれば良いが」

 

「おい、ゲルダ。一旦俺を適当に放り出せ。じゃねぇと戦いにならねぇぞ」

 

 私と同じく殺気を浴びて焦りを見せるレリックさんだけれど、それは駄目よ。だって絶対にレリックさんを狙って来るもの。なら抱きかかえたまま戦った方が良いわ。その事を伝えても不満そうにしていたけれど、今のレリックさんが私の腕の中から抜け出そうとしても無駄だって分かっているのか暴れはしない。

 

「戦いを始める前に言っておこう。私を敵だと思って掛かって来るのだ、少女よ。その青年を姫抱きに……ククッ……したままで迷いながら戦える相手ではないとは分かっているだろう?」

 

「……」

 

「沈黙を肯定と受け取ろう。では好きに準備をしてから向かって来たまえ。先手は譲ろう」

 

 手に持った鉄串を床に突き刺して腕を組んだ鳥トンさんは不動の構えで私の動きを静観する。なら、お言葉に甘えて本気で行くのが普通よね? 私はレリックさんに頼んで腹ポケットから取り出して貰った魔本を開く。選んだのは全ての羊を融合させて最強の一匹を生み出すと同時に私自身も強化する『羊の王様(Sフュージョン)』。一匹ずつ順番で召喚するから一対一の戦いでは事前に唱えなくちゃ使えないし、消耗も激しいから短期決戦向け。でも、そのリスクに見合うだけの力がある。

 

「メー!」

 

 融合の核であり、一番年上の羊であるカイチが現れ、上から降って来る他の羊と融合して行く。本来だったら敵はこんなの見逃してくれず邪魔をするから私が守らなくちゃ駄目。だから私はカイチの前に出て、蹴り飛ばされ先端を向けて飛んで来た鉄串を蹴りで弾き飛ばした。

 

「テメェ! 待つんじゃ無かったのか!」

 

「無駄よ、レリックさん。だって最初に言ったじゃない。本当に敵だと思えって」

 

「左様。敵が出した都合の良い提案など虚言と心得、精々が本当だったら幸運だ程度に思うべきだ。……そして当然だが戦いの最中に手を緩める敵は三流だ」

 

 器用にキグルミの手で数本同時に串を掴んだ鳥トンさんはそのまま投擲。バックステップで避ければ足があった場所に次々に突き刺さって行く。体勢を整える間すら与えられず、私の背後の直ぐそこにはカイチの姿。融合まで漸く三分の二。ちょっと厳しいかしら? いえ、大丈夫。この程度なら少し位無茶をすれば何とかなるわ。

 

「……しゃーねぇ。ちっとばっかし無茶をするか。このままお荷物ってのは趣味じゃないんでな!」

 

 偶然にも私とレリックさんの思考が重なり、彼は懐から黒い札を取り出した。何となくだけれど見ているだけで嫌な予感がするそれをレリックさんは迷わず自分の額に貼り付け、私の腕から飛び出した。ええっ!? あんな恥ずかしい状態だけれど受け入れざるをえない位に弱まってたのに、どうやったの!?

 

「……ちっ! この時点で体中がミシミシ悲鳴を上げてやがる」

 

「身体能力強化……いや、それに加えて他者を操る術か。だが、身体能力以外に魔力も弱まっている筈ではないのか? 実際、少女の方は魔法が使えなかっただろう」

 

「知ってるって事は見てやがったのかよ。ったく、この試練ってのは最悪だな、おい。まあ、良いや。質問に答えてやるよ。札術は予め魔力を込めてりゃ発動するんだよ。後から追加で威力が更に、うおっ!?」

 

「おや、反応したか」

 

 敵と呑気に話をする暇など無いとばかりに投擲された串を驚きながらも受け止めたレリックさんはグレイプニルの鎖を腕に巻き付ける。どうやら戦えるみたいだけれど……。

 

 一瞬だけれど辛そうな表情が目に入った。多分相当な負担が有るのだわ。

 

「レリックさん……」

 

「何も言うな。男ってのは意地が有るんだ。お前はそれを察して黙って見てろ。んで……この糞野郎に一泡吹かせろや!」

 

 レリックさんが鳥トンさんに飛びかかって突き出した拳は鉄串で受け止められる。拳にも巻いた鎖と串がぶつかる音が響き、拮抗している風に見えたけれど、鳥トンさんはもう一本の手にも鉄串を握り締め、それをレリックさんに突き出す。先端が腹に突き刺さる瞬間、彼の服の内側から電流が迸った。鉄串を通って鳥トンの全身に電流が走り、レリックさんも少しダメージが有るみたい。

 

「服の下に何枚札を隠して……敵に答える馬鹿は居ないか」

 

「ったりめぇだ! 取り敢えず一撃入れさせて貰ったぜ!」

 

 レリックさんは得意そうに笑いながらも追撃はせずに後ろに飛び退く。だって札を懐に入れた状態で術を発動したレリックさんも少しダメージを受けているけれど、鳥トンさんには一切堪えた様子が見られなかったもの。顔は隠れていて分からないけれど、苦悶の声すら漏らさないだなんて……。

 

「……確かに一撃は一撃だ。これで良しとしよう。さて、問おう。まだ戦いを続ける気はあるか?」

 

 再び溢れ出す殺気。それは先程の比じゃない。さっきの殺気は全然本気じゃなかったのよ!

 

 

「「当然!!」」

 

「ふむ。良い答えだ。感謝しよう」

 

 相手が幾ら強くても試練を投げ出したりなんか出来ないわ。アナスタシアさんが何か言っているけれど今は鳥トンさんに意識を集中させる。……性格が悪いのにこんなに強いだなんて狡いわね。

 



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驚愕! アンノウンの同類発見!?

 ニカサラで起きたピエロとウサギのキグルミの戦いだが、既に勝負が着いていた。

 

「わー!? 何これ、何これ! 出ーれーなーいー!」

 

 戦闘の余波で被害を受けた町の一角にてアビャクは何とか立っていられる程度の球体の中に閉じこめられていた。ガラス玉を思わせる透明の球体の内部から抜け出そうと両腕で叩くも、腕が痛むばかりで僅かな傷すら入る様子すらない。

 

「よーし! こうなったら奥の手だー!」

 

ならばと自爆覚悟で取り出したのはドクロマークが描かれた導火線月の丸い爆弾。既に点火されており、アビャクは目を瞑って耳を塞ぐ。そして爆弾が爆発。球体の外には爆音による被害すら出ず、全身が真っ黒でアフロになったアビャクは煙を吐き出すと身震い。すっかり綺麗な状態に戻った彼にグレー兎はキグルミの内部で呆れた様な目を向けていた。

 

「無茶苦茶ですね、貴方は。子供が思いつくままに戦っている、そんな印象です」

 

「アヒャヒャヒャ! それが先生が僕にくれた力さ! 思いつくままに道具を生み出し、体だって自由自在なーんだ!」

 

「……成る程。先生とやらがその体を与えたのですね」

 

「そーだよ。ネルガル君は未だ貰ってないけど、僕にはさっさとくれたんだ。えっへん! あたっ!?」

 

 まるで子供が自慢するかの様に……いや、実際に子供のアビャクは胸を反らし、後ろの壁に頭をぶつける。頭を押さえながら涙目になっている姿は滑稽な道化であり、ペラペラと喋る情報への不信感が募りそうだが、グレー兎にはそれが本当であるとの確信があった。

 

「……あのパンダ擬きを知らなければ疑うだけだったでしょうが」

 

 悪意の発露方法は違えど他人に迷惑を振りまいて楽しむという性格の知り合いたくない知り合いが居るからこその直感。比較の為に普段の所行を思い出しただけで胃がキリキリ痛むグレー兎だが、心の中で毒づきながらアビャクに片手を向ける。中に入っている球体が浮かび上がった事でバランスを崩していた。

 

「安心なさい。決して命は奪いません。ペットの躾が出来ていない駄目な飼い主ですが、貴方から情報を得つつ元の体に戻す位はやって下さる人を知っていますので」

 

 この時、キグルミの中で彼女は微笑んでいて、声も優しい物であった。例えるならば子供を見守る大人の暖かい笑顔。その体に影が差し、空を見上げれば風と共に巨大な亀の甲羅が落ちて来た。

 

「……新手ですか」

 

 鬱陶しいと感じているのを隠そうともしない声色で呟きながら飛び退いた彼女の目の前で巨大な甲羅によって地面が砕かれ、地面に触れた風が周囲に広がって行く。飛び散る石の欠片を手で振り払うグレー兎の前で甲羅がモジモゾと動き、ポンっと軽い音と共に煙が発生して甲羅が消える。変わりに立っていたのはメイド服の美風。ゲルダとレリックの前に現れたアナスタシアと瓜二つな(胸囲は除く)魔族の少女だ。

 

「避けられちゃった」

 

「何やってんだよ。そのまま落ちずに追えば良いだろ!」

 

 残念そうに呟いた美風に気の強そうな少女の声が掛かる。見上げれば山伏の服装と葉団扇を手にした飛鳥が地面に降り立ってアビャクが入った球体を軽く叩いているが、浮かべる顔は完全に相手を馬鹿にしたものだ。

 

「間抜けな奴だな、おい! こんな程度じゃお前を改造した奴もたかが知れるってもんだ! クズの部下はクズって事だな」

 

「だ、駄目だよ飛鳥ちゃん。ウェイロン君の事を悪く言ったら……」

 

「本当の事だろ。お前は彼奴に甘過ぎるんだよ。あれか? 何度か抱かれたからって夫婦気取りか?」

 

「夫婦……ウェイロン君と夫婦……」

 

「その気になってんじゃねぇよ! 魔族の誇りは何処に行ったんだ!」

 

 既に二人はアビャクの事もグレー兎の事も忘れて会話に花を咲かしている。正確にはマイペースな美風に飛鳥が振り回されているのだが。ただ、本当に二人の仲が良いのは分かる。大声で文句を言っている飛鳥も美風の事を心配しての発言だろう。彼女からすれば受け入れられない駄目男に友人が惚れ込んで甲斐甲斐しく世話を焼いているのだから不満も貯まる。美風は美風で恋は盲目とはよく言った物で聞き入れる様子は見られない。

 

「取り敢えず敵という認識で構いませんね?」

 

「……あえ?」

 

 だが、敵の前で繰り広げるにはあまりにも呑気が過ぎる内容だ。聞き分けのない友人に怒る飛鳥に対し、妄想に浸る美風。彼女の頭は惚れた相手との幸せな日々で一杯で、それだけで胸が膨らみそうだ。実際、その胸は内側から膨らみ、手が突き出される。美風の背中から胸まで貫いたグレー兎の手には血管と繋がって脈打つ心臓が握られ、握ったまま内部に戻した手には魔法陣が浮かび上がる。唖然としながらも動こうとした飛鳥の目前で美風は内部から炎に包まれた。

 

「先ずは一人」

 

 貫かれて開いた風穴や口や鼻からも紅蓮の炎が噴き出して美風の四肢から力が失われる。グレー兎は炭化した心臓を握って砕くと無造作に腕を振って美風の体を放り捨てる。既にその目には美風の事など映っておらず、飛鳥だけを注視していた。

 

「テメェ、一体何もんだ!」

 

「グレー兎、とでも名乗っておきましょう。この様な格好で本名は名乗りたくありませんので。貴女のお名前は? 覚えませんがお聞きはしましょう」

 

「ああ、そうかい! 木っ端天狗 飛鳥(こっぱてんぐ あすか)様だっ! 覚えずに死ね、糞ウサギ!」

 

「成る程。飛鳥様さんですね。覚えないでおきましょう」

 

 背中に鳥の翼を広げた飛鳥が飛び上がり、上空から葉団扇を振るえば木の葉や石ころを巻き込みながら突風が起きる。木の葉は鉄の刃如く周囲の物を切り裂き突き刺さり、石ころは自らよりも頑丈な物にめり込んだ。人など簡単に吹き飛ばされる程の暴風の中をこの二つが舞い、壊した物を巻き込んで更に脅威となって行く。まさに災害、か弱き人の身では立ち向かえない恐怖だ。

 

「……」

 

 だが、しかし、グレー兎はその様な嵐の中でも微塵も慌てず立ち尽くし、指を鳴らす真似をする。ただ、如何せんキグルミだから指など当然鳴りはしない。ただ、鳴ると同時に起きる筈だった事は問題無く起きる。彼女の周囲に複数の竜巻が発生し、飛鳥の嵐が巻き込んだ物も、嵐自体すら飲み込んで消え去る。竜巻が消えた時、周囲にはそよ風すら吹いていなかった。

 

 圧巻の立ち姿に飛鳥は唖然と立ち尽くす。まさしく圧倒であり、次の一手で終止符が打たれても不思議ではない。だが、圧勝の瞬間よりも前に背後から美風が襲い掛かった。心臓を炭化させた上で砕いた相手が一切の傷無しの状態で軽快に動く事に流石のグレー兎が一瞬だけ驚愕で硬直する中、後頭部に飛び蹴りが叩き込まれ、その反動で後ろに飛んだ美風は着地と同時に前方に滑り込み、足払いの水面蹴り。確かに命中した強烈な一撃。だが、それでも不動。グレー兎は微動だにしない。

 

「幻だった……訳では有りませんね」

 

 手に残った背中から胸までを貫いた感触。そして地面を汚す血飛沫。何よりも服も焼き尽くされ全裸の美風の姿がそれを否だと伝えてくれる。間違い無く致命傷を負わせ、命を一度絶った筈。それが再び五体満足の状態で平然と動いている事にグレー兎は逆に俄然納得が行ったと言わんばかりだ。

 

「死んだ魔族は浄化される筈。その時点で生存を疑うべきでしたが、……復活でしょうか? 回数が決まっているのか、特定条件でのみ殺せる。その場合、死因が限定されているのでしょうかね」

 

「ええっ!? そ、そんな事無いからっ!?」

 

 口では否定するもの態度がそれを肯定している。グレー兎はならば殺す方法は何かと考察する中、何処からか風に乗って風船が飛んで来た。三人の周囲を囲む色取り取りの風船。その全てにはピエロが描かれている。咄嗟にアビャクが閉じ込められている球体を見るグレー兎だが、中には確かにアビャクが入ったままだ。何が可笑しいのか腹を抱えて笑っている。

 

「アヒャヒャヒャ! アヒャヒャ! アヒャ……」

 

 その笑い声が徐々に途切れ、ゼンマイが切れた絡繰り人形の様に動きが止まり、首が飛んだ。ビヨンビヨンと胴体と頭を繋ぐバネが揺れ動く。

 

「アヒャヒャヒャ! アヒャヒャヒャ! アヒャヒャヒャヒャヒャ! ざーんねん、ハッズレー!」

 

 建物の上から突如響くアビャクの笑い声。それに合わせる様に風船に描かれたピエロ達も笑い、風船が膨らんでいく。

 

「お、おいっ!? アビャク、テメェまさかっ!?」

 

「もしかしなくても私達ごとー!?」

 

 その言葉を聞き、グレー兎は溜め息を吐くしか出来ない。確信があったが、これで確定したのだ。アビャクはアンノウンと同類であると。

 

 

 

「それでは皆さん、さよオナラ、プゥ!」

 

 風船は数十倍に膨れ上がり、一気に破裂する。耳をつんざく程の大音量と煙が周囲に広がった。

 

 



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ロリコン黒子は見た! 人妻ウサギの黒歴史 

 大量の風船が破裂し、轟音と共に黄色の煙に包まれた町の一角でグレー兎は佇んでいた。かなりの音がしたにも関わらず物理的な破壊力は殆ど存在しない虚仮威し(こけおどし)だったらしく周辺への被害は殆ど見られない。精々がガラスが割れた程度だ。……但し、物理的な被害に限っての話である。

 

「……殺す」

 

 周囲に漂い続ける煙にはかなりの悪臭がしていた。腐ったキャベツとニンニクと腋臭を合わせた様な臭いで常人でさえ鼻が曲がりそうで意識が朦朧としそうな臭気だが、常人を超えた嗅覚の持ち主がその様な悪臭に包まれればどうなるかの問い掛けへの返答は、気絶している魔族の娘二人がその姿でしていた。悶絶した顔で二人揃ってタイプの違う美少女の面影は見られない不細工顔。そんな中でグレー兎が立っていられるのは頭を覆うキグルミの力。特殊なフィルターが害を持つ気体も悪臭もカットしてくれているのだ。

 

 ならば物騒な発言は誰に対してだろうか? 完全に舐めた真似をしたアビャクか? それとも目の前で気絶している魔族二人か? いいや、違う。その答えのヒントはグレー兎の腕に突如現れた文字にある。キグルミの右腕で金色に輝く文字。そこにはこう書かれていた。

 

『キグルミに悪臭が染み込まない工夫はしてあるから安心して。まあ、代償として脱いだ途端にグレちゃんの体に染み込むけれどさ』

 

 そう。殺意の矛先はアンノウンに向けられている。今抱いている怒りの何割かはアビャクの責任が有るのだろうが、同じ年頃の子供を持つ彼女は犠牲者の可能性が高い子供に怒りを向けられない。その代わり彼の分までアンノウンへの殺意を滾らせるが普段が普段なので理不尽とは言い切れない。本人が知れば盛大に煽りながら理不尽を主張するのだろうが。

 

「……さて、丁度良い所に的が有りますし……ぶつけましょうか」

 

 気絶中の二人を見ながら淡々とした口調で呟く彼女だが、知り合いが見れば今の彼女は冷静ではなく、激しく怒りのオーラが燃え上がっていると言い切るだろう。何を誰にぶつけるのか、それを訊ねる勇気の持ち主は限られている。つまり二人の命運は此処で潰えた……かに思えた。

 

 グレー兎の両手に浮かび上がる深紅の魔法陣。其処から発せられる熱量も込められた魔力も既に先代の魔王すら軽く凌駕している。それこそ今居る町を文字通りに地図から消し飛ばし、地面が完全に焼け焦げた巨大なクレーターを発生させるなど容易な程。

 

「安心しなさい。無駄に痛めつける趣味は有りませんので」

 

 気絶した二人の体が浮かび上がり、グレー兎は淡々とした口調のまま両手を向ける。魔法陣が急激に光を増して周囲が目も眩む程になった時、彼女の方に手を伸ばす者が居た。黒子である。黒子としてのキャラ付けなのか喋らない彼だが、喋れたとすれば『あ、あのぉ~』、とでも言った事だろう。

 

「……何でしょうか?」

 

「!?」

 

 肩に手を伸ばしたものの触れる寸前で止まり、恐る恐るといった様子で指先で突っつく程度に収まった少々シャイでヘタレな少年の方を振り向いた彼女は怪訝そうだ。よもや女の子だから見逃せと言うのかとも思ったが、少し前に同年代の少女の姿をした魔族と交戦したと文面で報告を受けたのを思い出す。

 

「もしかして筆談用の道具を忘れたのですか?」

 

「……」

 

「ならジェスチャーでお願いします」

 

 所在無さそうに肩を落としての無言の肯定。グレー兎は深い溜め息で妥協案、少し追加するならば気弱で真面目な少年への意地悪心を混ぜた提案を行った。

 

「!? ……!」

 

 流石に無茶ぶりだったので驚く黒子だが、そこは馬鹿真面目でお人好しな性格が災いして受け入れる事にしたらしい。ゲルダもそうだがグレー兎も少々アンノウンの影響を受けている節がある。言うなれば急性偽大熊猫酷似症《きゅうせいにせおおくまねここくじしょう》。尚、当然だが鳥トンは元より同類なので一切影響されていない。他人の不幸と苦痛が最高の娯楽なのは彼の生まれつきの性だ。

 

 それはそうとして諦めてジェスチャーを始めた彼だったのだが、此処から先は難航を極める事になった。

 

「サバンナ! 違う? ならば……コタツで食べるアイスクリーム……でもないのですか」

 

 そう。全然正解にたどり着かないのだ。何を言っても黒子は首を横に振るばかり。微妙な空気が漂い二人揃って気まずい感じになっていた。

 

「畑仕事……いえ、炭坑夫! 惜しい? ああ、石炭……じゃなくて鉱石。鉱石……ああ、功績ですね?」

 

 この黒子、真面目なのは良いのだが少々頭が固い所があるらしく此処までたどり着くのにジェスチャーの考案時間と合わせて一時間近くが経過している。ジェスチャーも微妙に分かり辛いものだから提案したは良いがジェスチャーゲームなど不慣れなグレー兎には中々通じず、時間を掛けて漸く理解に至った。

 

「つまり勇者一行の功績稼ぎの為にも見逃せと? まあ、それが回り回って最終的に犠牲者を減らす事に繋がるのでしょうが……」

 

「……」

 

 静かに頷く黒子だが、布で隠された視線の先は美風の生足をチラチラと見ている。バレはしないと思ったのだろうが、グレー兎の咳払いで竦み上がった。何となくだが彼は理解する。キグルミの下で彼女は呆れ顔であると。

 

「真面目な方と思っていたのですが、どうやら年頃の少年らしいですね。ですが彼女は敵ですし、意中の少女が居るのでしょう?」

 

「!?」

 

「全てアンノウンから聞かされていますよ。確か十歳程度の女の子に惚れているとか。あの腐れ大熊猫擬きは他人の恥ずかしい秘密を広めるのが大好き……いえ、待って下さい」

 

 此処まで話した所でグレー兎は気が付く、気が付いてしまう。その情報から考えて自分も当てはまるのではないかと。だが、未だ決定した事ではなく、墓穴を掘らせる計画の可能性も有ると判断した彼女はそれとなく訊ねてみる事にした。結果、黒子は顔を背けて震えている。必死に笑いを押し殺していた。

 

「……メロリンパッフェ」

 

「ぶふぅ!」

 

 それはグレー兎にとって絶対的な禁句、消し去りたい過去。要するに黒歴史。メロリンクィーンのペンネームでノートにしたためていたポエム。今では全てのノートを焼却処分したのだが、先の内乱の際にコピーした物が戦場にばらまかれ、ポエムを元にした歌が今でも偶に流される。その威力や思わず吹き出した為に敵の大将をあっさり仕留める事が出来た程。笑っちゃ駄目だ、それを理解しているが故に黒子は無言の鉄則を破って思わず吹き出してしまったらしい。

 

「……帰ります。ばーか! ばーか! 貴方の雇い主、腐れ外道!」

 

 最後にその様な捨て台詞を残す程にキャラが崩壊したグレー兎は転移で姿を消し、黒子はポツンとその場に残る。魔族二人も何時の間にか消え去っていた。居たたまれなくなった彼はしゃがんで指先で地面を引っかくのだが、その動きが突然止まる。

 

 

「……!」

 

 地面に文字を書けば良かった、今頃になってそれに思い当たったのだ。既にジェスチャーゲームで無駄な時間を過ごしてしまっている事が急激に恥ずかしくなった彼の耳に騒ぎ声が聞こえて来る。当然ながら魔族達が大暴れしていたのだ。悪臭のする煙も既に風に運ばれて臭気も収まっている。

 

「一体何があったんだ」

 

「うわっ!? ボロボロだな、此処ら辺」

 

 好奇心が旺盛な子供が来ると思っていたのか大人ばかり(屈強で優しいエルフだから当然だが)なので少し残念そうにしている黒子だが、先程も記したが彼はお人好しだ。困っている人は助けずにいられず、割と簡単に騙される程に。故にアンノウンには頻繁に騙されているし、状況を判断しようと集まって来た人達を安心させるべく文字を地面に書こうとするが、問題に行き当たった。

 

「!?」

 

 彼は異世界の存在だ。当然ながら文字が違う。普段の道具には自動翻訳機能が付いているから筆談が出来たが、今は無理だ。

 

「うん? 動きで何かを伝える気なのか?」

 

 故に再び始まった。解読困難なジェスチャーゲームが。

 

「花見! 違うか……」

 

「分かった! 人妻を寝取った自慢話を大声でしていたら直ぐ後ろに旦那が居た時のチンピラ! ……違った?」

 

 本当にエルフは人が良い。普通の人達ならば黒子を一目見ただけで疑うだろう。何せ明らかな不審者だ。疑わない方がどうにかしている。この後、エルフ達が根気良く二時間以上に渡って付き合ってくれたので黒子は何とか状況説明を執り行えたのだった……。

 

 



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既に終わっている……

 ……別に俺はテメェが世界最強だなんて自惚れは抱いちゃいねぇ。レガリアさんに鍛えて貰った時には上には上が居るって事を理解する方向に誘導されてたし、隊長みてぇに格上の相手と一緒に居たしな。それに最近じゃ武の女神に毎日ボッコボコにされてるし、どう見ても道場剣術の範囲なのに、素の状態で高い身体能力を更に魔法で高めて実戦で圧倒的な力を見せる賢者様みてぇな存在の事も知った。

 

 だが……。

 

「おや、どうかしたのかね?」

 

 全力で突き出した拳は軽々と避けられ、ハシビロコウのキグルミ姿っつうふざけた格好の奴が俺の腕に乗っている。不思議な事に一切の重量を感じねぇ。どうなってんだ? だが、俺がもう一本の腕で振り払おうとすれば野郎は僅かに動き、腕に人一人分の重量が掛かって俺は前のめりになった。その際に野郎は俺の頭を踏み台にしてから俺の背後に飛び降りるが体重は一切感じない。

 

「不思議かね? なに、体重分散と気功術の応用に過ぎん。軽気功と呼ばれる技でな因みにこの技は……鉄山靠(てつざんこう)!」

 

「がっ!?」

 

 俺の背に野郎の、鳥トンの背中が急激な勢いで叩き付けられる。そのまま俺は前方に吹き飛ばされるが追撃は無い。……舐めやがって。だが、認めてやるよ。キグルミの下で腐れ外道な笑みを浮かべていそうな糞野郎は俺より遙かに格上だってな。

 

「さっきから随分と余裕だな、おい! 試練を突破出来るもんならやってみやがれって事かよ?」

 

「ククク、違うな。君には私の趣味に付き合って貰っているだけだとも。まあ、折角試練の相手を頼まれたのだし、この程度の役得があっても良かろう?」

 

「けっ! ふざけやがって。その余裕かました面に一撃入れてやっから覚悟しな」

 

「ちょ、ちょっと何をしているのよっ!? もう止めなさい!」

 

 どういう理由かは知らねぇがアナスタシアが俺達の戦いを止めに入ろうとする。あれか? 鳥トンが予想以上に強かったから試練の相手を変更するとでも言う気かよ。残念だがそれは却下だ。俺は……俺とゲルダは絶対に目の前の野郎をぶっ倒して試練を突破するって決めたからな。

 

「アンタは黙って見てやがれ!」

 

「それに同感だ。これは互いに了承しての戦いなのでな」

 

 軽快な動きで後ろに下がった鳥トンの手の中には無数の鉄串が現れ、それを構えたまま地面スレスレを滑る様に飛んで来る。そのままの状態での投擲。素手で投げたっつうのに弓矢以上の速度で向かって来るが、既に読んでるんだよ。あの鉄串の威力は既に知っている。さっき正面から叩き落とす気で振るった鎖が弾かれたからな。

 

「……ほう。そう来たか」

 

 手首のスナップを利かせてグレイプニルを波打たせる。正面からじゃなく、上下左右から軌道を変える一撃に鉄串は次々に弾かれ、こっちに向かっていた鳥トンは前方に踏み込んで止まると天井近くまで飛び上がった。再び構える無数の鉄串。放たれる速度はさっき以上。だがな、それも読めてるんだよ。一度横から叩いた程度じゃ弾けないんだろうが、それなら何度も叩きつけりゃ良いだけだってな!

 

 より激しく、より素早く、何よりも全ての串の軌道を読んで最適の動きを生み出す。一本二本と鎖が弾く度に腕に衝撃が走って痺れそうになるが耐え抜いた。これで半分。全部弾いたら地面に降りる瞬間に一撃叩き込んでやる!

 

 

「では、私も言わせて貰おうか。……読んでいたと」

 

 そう強がりを言いながら鳥トンは一本だけ追加の串を投擲した。その速度は今までで一番速く、他の一本に追突して軌道を変える。いや、違う! 一本だけじゃなく、弾かれた奴が次々に他の串にぶつかり、時には鎖に当たって動きを変える事で串の軌道を変えやがった。残り全ての串は俺の鎖に弾かれ見当違いの方向に行く事無く俺に向かって来る。弾かれた事で真っ直ぐではなく回転しながら向かって来るが、刺突が打撃に変わるだけの話。あの速度で当たったら少し効きそうだな。

 

「まあ、避ければ良いだけだ」

 

 このまま立ち尽くしてたら当たりそうだが、別に相手の攻撃を避けるのは禁止だなんて約束はしてねぇし、してても誰が守るってんだ。俺は串から視線を外さないまま数歩分バックステップで下がり、何かに足がぶつかって動きが止まる。それは俺が弾いた時に地面に突き刺さった鉄串だった。

 

 

「言った筈だぞ? 読んでいる、とな」

 

「ぐっ!」

 

 完全にしてやられた屈辱を味わった一拍子後、俺の体に回転する鉄串が叩き付けられる。まるで太い鉄の柱でぶん殴られた様な衝撃を全身で味わい動きを止めた俺の前に鳥トンの腕が迫っていた。咄嗟に選んだのは回避。だが、俺が足に力を入れた瞬間に地面が砕ける勢いで鳥トンが踏み込んだ影響で揺れる地面。バランスを崩した俺だが、咄嗟に腕で腹を庇う。いや、庇うって程立派な物じゃねぇ。精々が挟み込んだだけ。腕を通して突き抜けた衝撃は俺の腹部を襲う。内臓がグチャグチャになった様な感覚、そして地面を足が離れ後方に垂直に飛んで行く体。

 

 畜生が。此処まで世界は広かったのかよ……。

 

 

 流石に立っていられない位に弱まった体を術で強化して無理に動かすのもそろそろ限界だ。正直言って手足の骨にヒビが入ってるし、全身がミシミシと悲鳴を上げてやがる。精々一手程度が残った力の限界だ。こりゃ勝つどころか一矢報いるのも無理だろうよ。

 

 

「……ったく、散々待たせやがって」

 

 だが、それは俺一人で戦う場合の話だ。ダッセェから崩れ落ちない様に必死に堪える俺の横を金色に輝く一角の羊が駆け抜けて行く。その背に乗ってレッドキャリバーとブルースレイヴを構えるゲルダも金色のオーラに身を包んでいた。

 

 そう、これは俺と彼奴の兄妹二人で挑む試練だ。最終的に妹任せってのも情けない話だが、今回だけ譲ってやるよ。俺が腕組みして見守る中、額から一本の角を生やした羊(カイチって名前の老羊らしい)の突進が鳥トンを襲う。突き出した角の真下に潜り込まれて角の一撃は避けられたが、衝撃を受け止める為の踏ん張りで動きが止まった。

 

「地印……解放!」

 

 カイチの背からゲルダが飛び上がり、そ硬直を狙って放たれるブルースレイヴの突き。カイチの突進を受け止める為の腕の防御をすり抜けて鳥トンの脇腹に叩き込まれた。だが、それだけじゃ奴は動じねぇ。僅かに体を動かして衝撃を逃がしやがったんだ。だけどよ、ゲルダの攻撃はそれで終わらねぇ。切っ先が命中した箇所に出現した魔法陣。ブルースレイヴの能力であり、その効果は……反発!

 

「これは……」

 

 堪えきれず遙か後方の壁に向かって飛んで行く鳥トン。そのまま激突してくれれば助かったんだが、その程度の相手なら俺は苦戦しねぇ。空中で体勢を整え、壁に着地して衝撃を膝で吸収してダメージを最小限に抑え、曲げた膝を伸ばす勢いでゲルダの方に戻って来た。鉄串を構えて飛んで来る鳥トンに対し、ゲルダを乗せたカイチも飛び上がる。空中で真っ向からの勝負。

 

「……今だ!」

 

 ここが勝負の分かれ目。つまりは最後の一手、切り札の使い所。最後の力を振り絞りグレイプニルを放って鳥トンの足に巻き付けて鎖を縮める。空中で引っ張られ大きくバランスを崩した奴に対し、カイチは空中を駆けながら接近、ゲルダも左右の腕に握った武器を振り下ろした。

 

「メー!!」

 

「これで終わりよ!」

 

 角による突進と交差して放たれる打撃。避けるのは不可能だ。角の一撃は鳥トンの体をくの字に曲がらせ、交差して放たれた攻撃が地面へと叩き落とす。激突と共に朦々と土煙が上がり、鳥トンがそこから出て来やがった。

 

「マジかよ……」

 

 絶句するしかないってのは正にこの事だ。あれだけ必死扱いて俺達が攻撃したってのに、平然としてやがる。ダメージを受けた様子すら見せねぇ。俺はもう気力で立つのがやっとの状態。ゲルダも長くは保ちそうにないって状態だ。……絶体絶命って奴か。

 

「……未だだ。諦めるには早いだろ」

 

「そうね。未だ負けてないわ!」

 

「メー!!」

 

 俺達はそんな状況でも諦めるにはちぃっと早いよな。俺達の心は未だ折れてない。立ち向かう意志を見せる俺達に対し、鳥トンは腹に手を当てた。

 

「……小腹が減ったな。それに飽きた。悪いがこれで終わりにさせて貰おうか」

 

「ざっけんなっ! 試練は未だ終わって無ぇだろうが!」

 

 食ってかかる俺に鳥トンは肩を竦め、さも呆れているって様子だ。俺が更に言葉を続けようとしたその時、ずっと黙っていたアナスタシアが間に割って入って来た。

 

 

 

「ちょっと待ちなさい! そもそも試練はとっくに終わってるわよっ!?」

 

 ……はい? いや、今何って言った?



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閑話 賢者の幸福

 緑香る小道を愛しい妻と並んで歩く。思えばこうして二人で過ごす時間が中々取れないのは何時以来でしたっけね? 幼い少女に世界の命運を背負わすという非道を行っている身からすれば何を贅沢を言っているのだと非難されて当然だとも思うのですが……。

 

「シルヴィア、愛していますよ」

 

「知っているさ。お前も私が愛している事を知っているのだろう?」

 

「ええ、それでも伝えたいのです」

 

 指と指を絡めて見詰め合い、少し密着して歩き続ける。私は自分がどれ程の非道を行っているのか理解しています。人類の未来が懸かっている? それは個人に背負いきれない重荷を背負わせる理由にはなりません。勇者関連の術式を構築したのは神々? 私も勇者として召喚された身ではありますが、今では神の世界の住人です。女神を娶り共に生きていくと決めたのだから私も背負うべき罪なのですよ。

 

 ですが、今だけはその罪科から解放され、愛しい妻との時間を謳歌したいと思うのは強欲でしょうか? 許される事ならば見逃して貰いたいです。だって、私にもその位の幸せがあっても良いじゃないですか。

 

 まあ、シルヴィアという美の女神すら超越した美しい女神を妻にして共に過ごす。それはその位だなんて言葉には納まらない至高の幸福ですけどね。

 

「少し座って話をしませんか? 歩く事に向ける分の意識も貴女に向けたいのですよ」

 

 丁度目の前には花畑。二人して入って行き、いざ座ろうとすると何故かシルヴィアは正座をして、膝を指差しているではありませんか。ついつい彼女の足に視線を向けてしまいましたが、咳払いで我に返ります。ああ、成る程。意図は理解しました。

 

「失礼しますよ」

 

 ゴロンと横になりシルヴィアの膝枕を堪能する。至近距離で感じる彼女の匂いに少し胸がドキドキして来ました。毎晩の様に互いの匂いに包まれているのですが、それは彼女が魅力的だからでしょう。膝の感触を頭で感じ取りながらいるとシルヴィアの手が私の目を覆う。困りましたね。このままシルヴィアの顔を見ていたいのですが。

 

「お前は少し寝ていろ。偶には何も考えずに眠る事も必要だ」

 

「許されるなら貴女を見ていたいのですよ。それが私の幸福なのですから。それに毎晩の様に何も考えられない程に貴女を貪っているでしょう? 昨日は貪られましたが」

 

 使い魔でありペットでもあるアンノウンの相手をしたり、愛しい娘であるティアの成長を見守るのも私にとっては絶対に手放したくない幸福ですが、こうしてシルヴィアと過ごす時間も同じです。彼女の存在を感じるだけで私は満たされ、更に先を求めてしまう。ですので懇願しました。貴女を見続けさせて下さい、と。

 

「私はお前の寝顔が見たいのだ」

 

「お休みなさい! 愛していますよ、シルヴィア!」

 

 言われるがままに目を閉じ、自らに魔法を使って眠りに入る。だってシルヴィアが眠っている私を見たいのなら眠らないという選択肢は有り得ませんよ。何せ相手は愛しい愛しい大切な愛妻。愛という言葉を何重にも重ねるべき相手の希望を叶えたいじゃないですか。

 

 どんな夢を見るのでしょうね。出来ればシルヴィアの夢が良いですが、ティア幼い頃の夢でも嬉しいです。成長した姿も親としては嬉しいのですが、幼く手間が掛かる時の姿は姿で……。

 

 

 

「……なのにどうして貴女が出て来るのですか、イシュリア様」

 

「ちょっと失礼じゃない!? 私、シルヴィアとは結構似ているのに扱いが違い過ぎでしょう!」

 

 ああ、本当にテンションが下がりますね。目を閉じて夢の世界に入ったのは良いのですが、出て来たのはシルヴィアの姉であるイシュリア様。霧に包まれた中に立っているのか、はたまた雲の中に浮かんでいるのかは不明ですが、兎に角周囲が白に覆われている場所で望まぬ相手との対面です。

 

「わざわざ夢に干渉するだなんて何さ……何用ですか?」

 

「今、何様って言おうとしなかった!?」

 

 しかも私が見てしまったのならば大変不服ながら仕方が無いのですが、この夢は外部からの干渉で見せられている物。要するに勝手に私の夢の中に入って来たのですよ。

 

刷毛(はけ)とハゲは口にすれば似ていますが全然別物ですよね? まあ、イシュリア様とシルヴィアでは毛とか濁音程度じゃ済まない差が有りますが。それで恒例のネタでも披露しに来たので? いい加減飽きましたよ」

 

「女神の誘惑を芸人のギャグみたいに扱うのは止めなさいよね!?」

 

 分かっているじゃないですか。私は何か詳しく言及した訳でも無いのに言い当てていますし、自分でもネタ扱いだと思っているのでは? 最終的にシルヴィアの怒りを買う事までワンセットとして。

 

「じゃあシルヴィアかティア、もしくはアンノウンの夢を見たいので邪魔は止めていただけます? って言うか次からはネタをするにしても新作でお願いしますね」

 

「はいはい、お邪魔虫は帰れば良いんでしょ。次は新ネタを披露して……って、違うわよっ! ミリアス様からの伝言よ。どうも魔人が出現したらしいの。ちょっと気になって調べたら見つけたらしいわ」

 

「……」

 

 イシュリア様の言葉に私は無言にしかなれませんでした。いえ、内容が関わっているのですが、先日既に遭遇したという報告を受けているのですよ。

 

「つい先日、アビャクという名の魔人を自称する相手と遭遇したと報告を受けていますが?」

 

「あら、そうだったの? 三ヶ月前位にに報告しろって言われたんだけれど、グリエーンでの復興の手伝いが忙しくって忘れていたのよ。君にもこの位ならとか言われたけど、こりゃ言い訳無理ね。ごめんごめん。……あっ! さっきの例えなんだけれど、刷毛とハゲじゃなくて、ウコンとウン……」

 

 強制的に覚醒した為に少々嫌な気分ですが、流石にあれ以上は聞けません。だって、シルヴィアの姉だけあって声質が似ているのですから! あれでもって一応哀れな事に信者が居るのに少しは自覚を持って貰いたいですよ。まあ、私も賢者信奉者だとか何とか言われても困惑するだけですけれど。

 

 ……でも、私は一応人間なので問題は無いはずです。……多分。

 

 

「……どうかしたのか? 何かあれば私に話せ。夫婦ではないか」

 

 目を開ければ微笑みながら語り掛けて来るシルヴィアの姿。最悪の目覚めから一転して最高の目覚めとなった私は起き上がると彼女を抱き締め、唇を奪いながら押し倒す。一切の抵抗は無く、時間が許す限り互いの存在を確かめ合いました。

 



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ツンデレラッキースケベ(ロリ)

「ふーざーけーんーなー! 試練が既に終わってるってどうなってんだよっ!」

 

 レリックさんは興奮した様子で鳥トンさんに食ってかかっているけれど、正直言って私も同じ気持ちだったわ。だって! あれだけ必死に戦って、勝ち目が本当に薄いって分かりながらも立ち向かおうって闘志を燃やしたら、その途端に小腹が減ったから終了!? その上、とっくに試練は終わってるってどうなってるのって話だわ。

 

「何を憤る理由が有ると言うのだ、青年よ。諸君等は試練に打ち勝ち、そして力を得た。それによって多くの者を助けられると言うのに何が不満なのやら……」

 

 今にも胸ぐらを掴みに掛かりそうなレリックさんだけれど、試練による弱体化が残っているのか動きはしない。それを見抜いているのか鳥トンさんは明らかに煽って来たわ。大袈裟な身振りで両手を左右に広げ、聞こえよがしに溜め息まで。

 

「……ちょっとアンタ、何が目的で戦い続けたのか説明なさい!」

 

 そんな態度に一番先に限界が訪れたのは私達じゃなくてアナスタシアさんだったわ。胸ぐらを掴んで引き寄せながら鳥トンさんを睨む。うわぁ、慣れているわね。シドーが問題児になってから根性を叩き直してさっさと結婚したって聞いたし、伝承と違ってお淑やかな大人の人って感じじゃないとは思っていたけれど、少し不良っぽいわ。まあ、実際に町娘だったらしいし、住んでいた環境によって気が強くもなるかしら。

 

「説明、と言われてもな。私は電撃を浴び、格上に一定以上の威力の一撃を見舞うという試練を突破した時に告げた筈だ。これで良しとしよう、とな」

 

「そんな最初の方かよ!?」

 

 私もレリックさんも驚きの余りにそれ以上のコメントが出来ないわ。だって、その試練を突破するに至った一撃の後から力の差を思い知らされる戦いに発展したのよ!? 視線による無言の抗議にも鳥トンさんは動じない。アンノウンの部下の人達のリーダーだし、もしかしてとは思っていたけれど、アンノウンに匹敵する性格の悪さじゃないかしら!?

 

「ああ、その辺りだ。このキグルミは防具としても優れているので私にはダメージが通らなかったが、それでも威力は合格に値すると認められたらしくてな」

 

「あ、あの、だったら戦闘を続けた理由を教えて下さい」

 

「ふむ。大人の勤めか、子供の頼みを聞くのも。なぁに、簡単だ。君達は正義側に分類して良い存在であり、そんな相手を痛めつけるのは悪だろう? 私は悪逆を嫌悪するのでな。だから問い掛けた。未だ戦闘を続ける気が有るかどうかをな。そして有ると言われたから望まれるままに戦った。何か問題が有るかね?」

 

「えっと、要するに……私達を合法的に痛めつけてみたかったって事かしらっ!?」

 

「そう解釈されても反論は出来んな。まあ、私の欲求と人生で培った倫理観のせめぎ合いの結果、この様な選択肢を取らざるをえなかった。ああ、最後に青年。……君がお姫様抱っこされる姿はキグルミ全員と我が主が見られるようにしておいたから安心したまえ」

 

「何処を安心しろって言うんだよ! この鳥野郎が!!」

 

 我慢の限界を迎えたレリックさんが動き出すけれど、それよりも前に鳥トンさんの姿が溶けるように消え去って、元々ちゃんと立てれない状態だった彼が倒れそうになった所で視界が暗転する。最後にアナスタシアさんの声が聞こえて来たわ。

 

 

「えっと、本当にゴメンね。色々とさ……」

 

 それはきっと勇者が誰かを間違って試練を与えてしまった事と、あまりにも酷い人材選択をしてしまった事への謝罪だったのでしょうね。……うん。前者は兎も角、後者はフォロー不可能よいや、まさか選んだ格上が彼処までの精神破綻者だなんて分かるはずがないのだけれど。

 

 無駄だとは思うけれどアンノウンから一言言って貰わないと。絶対無駄だとは思うけれど!

 

 そんな風に無意味で虚しい決意をした所で闇が晴れて視界がハッキリして来る。私が立っているのは神殿奥の水の中、ティアさんとレリックさんと手を繋いだ状態で立っていたわ。試練を開始してどの位の時間が経過したのかは分からないけれど、精神的な疲れが酷いわ。主に鳥トンさんのせいで。

 

「アンノウンったら性格が彼処まで悪い人をどうして選んだのかしら? 性格が悪いからよね、きっと」

 

 悪戯大好きで他人が困ったりするのが大好きなアンノウン。そして短い間だったけれど鳥トンさんも同類だって確信したわ。良識とか常識とか、そういうのをちゃんと持っているけれど、それ以上に非道徳的な行動が大好きな狂人。その上で何かしらの正当性を主張しようって悪質な人。本当に困っちゃうわね。レリックさんは多分アンノウンや鳥トンさんみたいなのに慣れていないでしょうし、今後を考えると私以上に大変そうね。

 

「……やべ」

 

「レリックさんっ!?」

 

 考え事をしていた時に聞こえて来た声に反応すれば、レリックさんが疲労困憊な様子で倒れ込んで来る。私達の手を握っていた手からも力が抜けたのか離して、このままじゃ水に頭から突っ込みそう。一気に水を飲んで肺まで入ったら危ないのよね? 私は詳しくはないけれど今の彼は危ないと咄嗟に判断して正面から受け止める。伝わって来たのは力が抜け切った様子だった。

 

「……悪ぃ。ちょっと力が入らなかったが、ちょっとずつ戻って来たわ」

 

「大丈夫? もう少し支えておきましょうか?」

 

「いや、良い。餓鬼にお姫様抱っこされただけでもって屈辱なのに、何時までも支えて貰ってられるかよ」

 

 男の人って意地っ張りなのかしら? 私は未だちゃんと力が入っていないって伝わって来ているから知っているのに、私に掴まって無理に立とうとしているだなんて。少し呆れつつも強がりを強がりだと理解していない演技も気遣いなのかと思った私は大人しくレリックさんが立ち上がるのを待っていたわ。でも、勇者の試練の影響が残っているのか中々立ち上がれずに足が滑りそうになっている。

 

「ゲルダ。ティアも手伝う?」

 

「いえ、大丈夫よ。レリックさん、少し調子が悪いだけみたいだもの」

 

 ティアさんが少し心配した様子だけれど、流石にレリックさんが可哀想だもの。年下の女の子に体を支えて貰って、その上で年上のお姉さんにまで力を借りるだなんて。本当に見栄っ張りな人が仲間だと大変よね。……それと何かの間違いで、滑った際にティアさんの胸を掴むとかあったら賢者様が怒りそうだもの。親馬鹿がな人が仲間って本当に大変よ。

 

「おわっ!?」

 

 そんな風に思っていたらレリックさんは本当に足を滑らしてしまったわ。でもティアさんの体の何処も掴んでいない。そう、ティアさんの体は……。

 

 

「あ、あぅうううう……」

 

「……むぅ。まさか本当に変態?」

 

 転んだ際、レリックさんは私の体に寄りかかり、両手で近くにあった物を思わず掴んじゃったの。それは何かって? 答えは私のお尻。レリックさんが両手で私のお尻を鷲掴みにした瞬間、私は思わず足を振り上げていた。足の間の柔らかい物に蹴りが命中して水中から出て行くレリックさん。既に意識は無かったわ。

 

 

 事故だとは分かっているわ。そう、これは事故なの。だけれど言わせて欲しいの、乙女的に! 

 

 

「レリックさんのスケベぇええええええええっ!!」




FGOと昼寝でギリギリ


巴さん、出番が

一戦目で主人公が性別転換したの一瞬バグかと思った


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閑話  蠢く悪意

 闇で蠢く悪意達。今日も悪意は止まらない。より醜悪に、より凶悪に。己の渇望する物の為、何処までも何時までも膨れ上がり続ける。

 

 多くの者を攫って強制的に重労働をさせて建設中の城の中に子供部屋があった。壁紙には蝶や動物が可愛らしい描かれており、散らばったクレヨンによる落書きもされている。読んだら読みっぱなしなのか絵本も散らばっていて、お菓子の包み紙がゴミ箱に詰まっている。どうやら好き放題が許された子供の部屋らしいが、ベッドだけは妙に大きい。見た目自体は子供の物だがサイズは大人向けだ。

 

 そんな部屋の真ん中に部屋の主が座っていた。大人の体格を持ちながらも実年齢は子供な存在、アビャクである。手元にクッキーの入った皿とジュースが注がれたコップを置いて何やら作業に熱中している様子だ。

 

「ふんふふんふふ~ん」

 

 鼻歌交じりに上機嫌のアビャクは慣れた手付きで針を動かしヌイグルミを完成させて行く。既に同じ物が数十体程山積みにされていた。左右が青と赤という色違いの熊のヌイグルミで愛嬌のある間抜け面だが、色が変わる境目に存在する粗い縫い目が少しだけ不気味に見えた。全て前足を上げての威嚇のポーズだが可愛らしい見た目なだけあって少しも怖くは感じない。大人な見た目のアビャクではあるが実年齢は七歳。アンノウンが操るパンダの話に食い付いた所からしてこういったのが好きなのだろう。

 

 ただ、ヌイグルミを縫うのに使われている糸は少し妙だ。糸よりは毛に近い材質であり、その近くで小さなピエロ人形が何やら布を作っているが、その布も何かの皮に見える。よく見れば血がが少し付着しているようだ。

 

「さて、先生に言われたノルマまで残り半分だし……飽きちゃったよ」

 

 作りかけで乱暴に放り出されたヌイグルミは宙を舞い、キチンと縫われていなかった事で中身の綿を散らばらしながら床に落ちるのだが、既に興味を失った様子のアビャクは大の字に寝転がって手足をバタバタと動かしていた。

 

「暇、暇、暇、暇、暇っ暇~!」

 

 思い付きの適当なリズムで今の心情を歌うアビャクだったが、ドタドタと乱暴な足取りで誰かがやって来るのを察してムクリと起き上がるなり悪戯を開始した。入って来た者に見えにくい高さにロープを張り、それに蹴り躓くと赤い液体の入ったバケツが逆さまになって落ちて来る。当然この部屋は彼の部屋なので妙にドロドロで鉄臭い液体によって汚れたら後で困るのだろうが、悪戯がしたい幼い子供がその様な事を気にはしないだろう。

 

「アヒャヒャ……」

 

 悪戯の成功を見届けようと正面に陣取り、笑い声が漏れないようにと口を手で押さえて押し殺す。遂に相手がドアの前で立ち止まり、ドアノブが回されて……爆炎によって内側に向かって吹っ飛んだ。当然ながら正面に陣取っていたアビャクに激突。ロープは勢いで千切れ、バケツはひっくり返って部屋の中を汚すだけ。

 

「もー! 酷いじゃないか、ネルガルくーん!」

 

「君が僕の言いつけを破ったからだよ、アビャク。それにどうせ罠を仕掛けていたんだし、この程度はするよ」

 

 吹っ飛んで来たドアと壁に挟まれた事よって壁に少しめり込んでしまったアビャクは少しふてくされた顔で抗議の声を上げるが声には怒った感じはしない。反対にドアを吹き飛ばしたネルガルは表情も声も不機嫌そうだ。

 

「僕が君の言いつけを破っただってっ!? 困った、心当たりが有りすぎる!」

 

「いや、僕相手にオーバーリアクションされても困るだけだよ。まあ、困らせて楽しんでいるんだろうけれど」

 

「モチのロンさ! それでどの件?」

 

「ザハクだよ、ザハク。甘やかさないで欲しいんだけど。餌、沢山あげたでしょ? これから出るのに満腹で動きたくないって我が儘言って困るんだけど」

 

 どうやら普段からアビャクには振り回されているらしく、おちゃらけた態度にも慣れた様子で少しウンザリとした表情のネルガル。服装は何時もの絵本の魔女を思わせる物だが、使い魔であるザハクの姿は見えない。帽子の中に潜んでいる様子すらない所を見ると言葉の通りに満腹になってゴロ寝でもしているのだろう。本来使い魔は主には忠実な筈なのだが……。

 

「御しきれてないネルガル君が悪くない?」

 

「うっさいな。彼奴はちょっと特殊な使い魔だって知ってるだろ? 僕だってお前みたいに魔人になれば忠実になるさ。……いや、本当に僕は何時になったら魔人に覚醒させて貰えるんだろう? 先生に聞いても教えてくれないんだ」

 

 色々と不満が溜まっているのか腕組みをして眉間に皺すら寄せるネルガル。彼にとって魔人とやらになるのは重要な事なのだろう。もしかすれば目の前に居る魔人を名乗っている七歳児が羨ましいのも有るだろう。

 

「じゃあ、僕は先生から出された課題をサボって遊びに行くけど、ネルガル君は何処に行くんだい?」

 

「相変わらず自由な奴だね、君ってさ。どうせ材料集めの時も予備だとか言って余計に連れて来たんじゃないのかい? ……墓参りだよ、皆のね」

 

 この時、ネルガルが浮かべたのは年相応の少し悲しそうな表情。今にも泣き出しそうな彼に対し、アビャクはヘラヘラとした不気味な笑顔を浮かべたままであった。

 

 

「ふふふ~ん。実験台の僕がこの力だし、ネルガル君は一体何処まで強くなっるのかな~? 楽しみ楽しみ~! だってだって! たっくさん人が、死ぬもんね。アヒャヒャヒャヒャ!」

 

 この時のアビャクの浮かべた笑顔はネルガルと同じで本来の年齢を感じさせるあどけない物だ。目をキラキラと輝かせ、それこそサーカスに行くのを楽しみにしているよう。だが、その中身は残虐だ。心の底から多くの人が苦しむのをサンタを待ちわびる子供みたいに心待ちにしているのは不気味でしかない。

 

 しかし、それこそが子供らしさなのかも知れない。何せ子供とは残酷な顔を覗かせる事が有る。虫を殺すのを遊びと認識する等、幼く純粋が故の残酷さとは確かに存在するのだ。

 

 

「アヒャ、アヒャ、アヒャヒャヒャヒャ! さ~て、どれで遊ぼうっかな~。あまり使い過ぎると先生にお小遣い減らされるし困ったぞ! 材料を取った後で全部ザハクにあげなかったら良かったよ。回復させて遊べたのにさ」

 

 手に持ったクッキーの食べかすを落としながら鼻歌交じりに廊下を歩くアビャクは外に目を向ける。彼によって大幅に人数が減った事でより過酷になった作業を進める中、小さな子供が運んでいた荷物の下敷きになっていた。

 

 

「……アヒャ」

 



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僕は信じている 家族の絆を

「平和だなぁ……」

 

 青い空の下、そよぐ風を肌で感じながら僕は呟いた。目的地である慰霊碑の設置された場所に最も近い町……確かニウだっけ? ニウのオープンカフェでミックスジュースを飲みながら行き交う人達の姿を眺めれば皆幸せそう。手を繋いだ親子や恋人らしい二人組。この町、悪徳貴族だった前の領主が別の家の人に代わった後に人が集まって作られた町だと聞いているけれど、僕が村に住んでいた時に有ったら良かったのにな。

 

「まあ、その場合はこんなに平和じゃないか」

 

 色欲に溺れた強欲な馬鹿が領主だったらどれだけ条件が良い場所でもまともな町が作られる筈もないものね。決してあり得ない感想に苦笑しつつケーキにフォークを伸ばす。子供の一人旅だって言ったらサービスしてくれた苺のショートケーキ。うん、美味しい。贅沢を言えばチョコケーキが一番好きなんだけれど、親切で貰った物に文句は言えないよ。

 

 ……このカフェの店長もそうだけれど、エルフってのは本当に善人が多いよね。例外は勿論居るんだろうけれど、基本的に逞しく暑苦しい位に真っ直ぐで人が良い。そんなにだからこそ前の領主はエルフを嫌って追放したんだよね。それが最後の切っ掛けになって家の取り潰しが決まったんだけどね。

 

 ああ、楽しかったなぁ。僕が先生と一緒に復讐に行った時の彼奴の姿はさ。

 

「この狼藉者共がっ! 警備の者達よ、早く来い! 愚かな者達に罰を与えるのだ!」

 

 僕達が顔を見せて用件を伝えても余裕を崩さず、酒を飲みながら大声で喚き散らしていたっけ。その度に体中の脂肪がブヨブヨ動いて笑えたよ。そもそも領主の部屋に余所者が入っている時点で警備の人達に何かあったって分かりそうなものだけどさ。

 

 ああ、その程度も分からない馬鹿だったっけ。自分に都合が悪い事は想像せず、悪い結果になれば非の無い相手にさえ烈火の如く怒り狂ってたからこその暴君だもの。

 

「ひ、ひぃ! か、金なら好きなだけ持って行って良いから命だけはっ!」

 

 元々プライドだけは高くて、それに相応しい振る舞いなんてして来なかったから、自分の危機を悟った時も醜かった。腰を抜かしたのか四つん這いになって逃げるんだけれど、ズボンのお尻の部分が破れてパンツが見えていたよ。先生方?が操っている部下だった人達の成れの果てに囲まれて涙を流し、恐怖で顔を歪ましてさ。

 

 自分が言い掛かりを付けた領民が許しを求めた時、謝った程度で誰が許すかって気絶するまで鞭打ちを続けたのは誰だっけ? それを伝えたら、覚えがない、自分じゃない、そんな子供みたいな言い訳をしてさ。

 

 でもさ、僕や先生だって良心がある。死にたくないって命乞いするのなら、少しでも長く生きていられる方向に持って行ってあげるよ。何故か途中から死なせてくれって言ったけど、まあ初志貫徹って事で。

 

 

 ……所で強盗だとして、後々の事を考えれば口封じに殺してしまうのが普通だよね? 殺さず奪っても財宝の価値が変わるなんて珍奇な現象が起きる筈も無いんだから。

 

「本当に楽しかったなぁ……」

 

 しみじみ思い出しながらポケットに手を入れてペンダントを取り出す。真ん中に濁った緑色の石をはめ込んだ古ぼけた何の変哲もない物だけれど、指先で石を引っかいて傷を付ければ絶叫が聞こえて来たんだ。

 

 周囲の人には聞こえている様子はない。でも、直ぐに傷が消えた所に爪を立て、グリグリと動かせば深い傷が入って更に大きな絶叫が響く。魂を直接傷付けられるのは神経に触れられるよりも痛いって話だけれど、死にたくないって言ってたから生かしてあげているんだから我慢して貰わないと。

 

「領主と組んで大勢を呪い殺したんだ。この程度で済むならラッキーじゃないかな?」

 

 あの領主は本当に馬鹿で強欲で、思い付きで領民を無理に集めて森を切り開かせたり、崩落の危険を無視して坑道を広げさせたり、それで住処を失った生き物が人里に来れば責任は取らないし、被害が出ても莫大な税率を下げもしない。

 

 ほーんと、あの呪術師と組めた事は彼奴にとってラッキーだったよね。それで調子に乗って好き放題の末路が家の断絶かと思うと笑えるけど。

 

「さて、行こうかな」

 

 フォークを振り上げてペンダントの中心に思いっきり突き刺した僕は立ち上がる。ジュースの料金を払った後、ペンダントを海に捨てたいと思ったけれど我慢した。この状態でも溺れる苦しさは感じるし、権力者の多くが求めるらしい不老不死っぽい所が有るから想像するだけで楽しいけれど、一応僕の切り札だからね。

 

 まあ、これがあっても賢者の使い魔には絶対に勝てないけどさ。いや、仮にも世界を救った片思い拗らせ系英雄の先生の術をクシャミで跳ね返すってさ……あれは笑えたよね。こっそり魔法で覗き見してて良かったよ。パンダと目が合っちゃったけどさ。

 

 上には上が居るし、勝てない戦いはするべきじゃない。魔法の天才の僕だけれど退き際だって理解しているのさ。アビャクは相手が強くても全力で弄くりに行くから組んでる時は困るんだよね。

 

「……三匹、かな? 信用されていないよね、僕って」

 

 屋根の上に一匹、物陰に一匹、ついでに背負った荷物の中にも一匹。……最後のはアビャクだな。彼奴、悪戯の積もりなんだろうけど実は持ち上げた時から分かっていたよ。どうせ驚く僕の姿を覗き見して楽しみたいんだろうけれど、詰めが甘いんだよね。

 

 それは良いとして、僕を見張っているのはオカマっぽいオジさんか飛鳥辺りだろうね。アビャクは問題外として、一応魔族側の先生も信用が無いし、人間な上に先生の部下じゃ疑われて当然さ。何せ先生が一切信用に値しない人だし。胡散臭い笑みを浮かべた先生の姿を思い浮かべながら、何かあっても直ぐに対応可能なように杖に手を伸ばす。但し普段使っている趣味の悪い髑髏が宝玉を咥えたデザインのじゃなくて、極々普通の魔法の杖。

 

 あの趣味が最悪でセンスが終わってる杖、実は先生からの贈り物なんだよね。貰った時は嫌がらせを疑ったけど、後々善意だと分かって驚いたよ。あの人に善意が残っていたのか! 、ってね。あの人って実質的に動く死体だし、防腐処理してるから肉体は腐らない筈だけれど目玉が腐ってるんじゃないのかな? 絶対性根は腐りきってるけれどね。

 

「殺意は感じないし、疑ってるだけっぽいね。……別の面倒事がやって来たけどさ」

 

 あくまで今の僕は『疫病で滅びた(笑)村の慰霊碑に祈りを捧げに行く一人旅の天才魔法使いの美少年』だからね。天才? そりゃ僕は才能豊かだもん。美少年? 散々言われて来たし問題有るかな?

 

 そんな事はどうでも良いんだ。問題は僕に近寄って来る三人組のエルフのお兄さん達。如何にも体育会系って感じの暑苦しく人が良さそうな笑顔を浮かべている。ぶっちゃけ、苦手なタイプだ。確かオープンカフェで近くの席に座っていた人達だよね? 僕に何用なのやら。

 

 

「おーい! 其処の少年、我々も同行しよう!」

 

「この先にはちょいと強いモンスターが出るからな。流石に子供だけで行くのは見過ごせないな」

 

「遠慮するな。俺達も慰霊碑に向かう予定だ」

 

 まあ、気が優しくって力持ち、そんなのが種族的な特徴のエルフが子供一人で危険な真似をするのを見過ごせないよね……。多分断っても食い下がらないし、本当に面倒だよ。

 

 ……少し思う。僕が魔族の協力者だと知った場合、この人達みたいなお人好しの何割が敵に回らないんだろう? 本能的に人への敵意を持ち、同じ様に人は魔族への敵意を持っている。それこそ洗脳されたとか余程の理由が無いと協力者は例外なく処刑される位にはね。

 

 まあ、流石にエルフでも無理だろう。実際、何度か敵意を向けられた事だって有る。僕だって逆の立場だったら敵意を向けるから文句は無いよ。敵意には敵意でお返しするだけだしね。

 

 でもさ、ただ一人だけ絶対に敵に回らない人を僕は知っている。殺そうと腹を刺した時でさえ謝罪の言葉を口にした人、僕の大切なイーチャお姉ちゃん。それらしい人が一国の姫の専属メイドだって耳にした時、僕は本当に嬉しかったんだ。だから再会したら謝ろう。

 

 ねぇ、お姉ちゃん。世の中って不平等だよね。結局何処かの誰かが不幸を感じて生きている。でもさ、僕はそれをどうにかする方法を知っているんだ。その為にもお姉ちゃんの協力が必要だから、今すぐにでも会いたいな。

 

 

 

 

 会って最初に言わないと。苦しむだけだけなのに殺し損ねてごめんなさい、ってね。あはは! 姉弟なんだし、僕の役に立って死んでよ。死んでくれるよね? だって僕に優しかったもの。昔みたいに僕を抱き締めて、言われるがままに死んでくれるよ、絶対に!

 

 

 



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パワハラ上司(ロリ)による部下(ショタ)へのセクハラ問題

 見知らぬ誰かを守りたい? うんうん、素晴らしい事だね。虐げられる弱者を救いたい? なんて素敵な考えなんだ。僕はそんな考えを賞賛しよう。まるで物語の英雄みたいだ、とね。

 

「所で僕は思うんだ。自らを犠牲にしても誰かを守ろうって考えの持ち主ってさ……結局は余裕が有ってこそなんだって」

 

 力から誰かを守るには力が必要だ。飢えた人を救うには食べる物を持っていなくちゃ救えない。でも、世の中には自分の事なんか度外視して人助けに勤しむ人だって居る。僕から言わせて貰えば狂人か、善行に勤しむ自分に陶酔したナルシストさ。ああ、それとは別に助ける力も無いのに助けようとして共倒れになったり、助けた気で居るけれど結局はその場凌ぎか、その場凌ぎにさえなっていないパターンも有るよね。

 

「三人で大体五秒か。魔人になる素質が無い割には保った方だし、流石はエルフって所かな? まあ、足止めって目的を果たせていない時点で意味が無いんだけれどね.寧ろ逃げ出した方が誰かが助かる可能性が有ったよ」

 

 見ず知らずの僕を心配して同行してくれた三人のエルフのお兄さん達との道中はそれなりに楽しい物だったよ。どうやら三人とも漁師らしくって舟歌やら海での話やら、僕が知らない事を沢山知っていて聞いているだけで楽しめたんだ。

 

 僕が何かしらの訳ありだって察したのか無駄に詮索してくる事は無かったけれど、変に気を使った様子も見せず、ただ単純に人が良いだけじゃない気持ちの良い人達だったんだ。

 

 そんな人達は今、巨大なカニの餌になっている。両のハサミの奥の砲口から老廃物の塊を放つ本来は海に住む上に陸に上がれば体が急速に乾燥して弱体化するんだけれど、イエロアのサンドスライムの仲間で海に潜んで小舟を襲うシースライムに包まれているから万全の状態だ。

 

「逃げろ!」

 

「俺達が足止めする!」

 

「振り返らずに走るんだ!」

 

 決して驕っていた訳じゃない。寧ろ海に生きるエルフだからこそ恐ろしさを知っている相手らしく、覚悟を決めた顔だったよ。まさか見ず知らずの僕の為に命を捨てる決意をするだなんて、掛け値なしの善人だったんだろうね。でも、僕が魔法を使えるだけの普通の子供だったら全て無駄だった。

 

 三人みたいにハサミで叩き潰され、放った老廃物に頭を吹き飛ばされ、馬よりも速く走る銀色に光る巨体に跳ね飛ばされて死ぬだけだ。彼らの足止めなんて意味が無く、直ぐに追い付かれて肉団子にされて食べられただけだ。それかシースライムに溶かされてかな?

 

 でも、僕は三人の事は覚えておこう。全ては無駄だったけれど、それでも僕を助けようと絶対に勝てない相手に立ち向かった雄姿を忘れない。決して英雄候補と呼ばれる超人ではないと自覚した上での無謀な行動でも、尊ばれる事には違いないのだから。ああ、それにしても三人について考えるとある想いが浮かんで来るな。

 

「今日の夕食はハンバーグが食べたいな。付け合わせは人参のグラッセとポテト、インゲン豆は要らないや。スープはクラムチャウダーかな」

 

 幾ら信用されていなくても僕は魔族に組する身で、こんな所に本来居ない筈のモンスターが居るって事は誰かの眷属だ。だから僕は襲われない。本能からか僕にも捕食者としての目を向けるけれど手は出さない。まあ、僕が手を出せば口実を手に入れたとばかりに襲って来るんだろうけどさ。

 

「あっ! カニクリームコロッケも食べたいな」

 

 そんな風に好物の事を考えていたらお腹が減って来ちゃったよ。確か荷物の中に屋台で買った練り物を刺した串が有ったと思い出してイカゲソを混ぜたのを選ぶ。冷えているけれど中々美味しいや。その辺の岩に腰掛けて食べ続け、喉が渇いたから水筒の中で冷えた果実水で喉を潤す。そして次は小エビのパリパリとした触感が嬉しいのを食べたんだけれど、これって喉に引っ掛かるよ。

 

「……あれ?」

 

 喉の奥でチクチクするエビを流そうと水筒に伸ばした手は空を切る。僕の水筒は置いた場所じゃなく、見た目は美少女だけれど中身は腐りきった悍ましい女の、リリィ・メフィストフェレスが保っていたんだ。僕の水筒に口を付け、コクコクと喉を慣らしながら飲む姿を見ていて思ったよ。あの水筒、もう使いたくないから捨てようってね。

 

「それ、僕のなんだけれど? どういう積もりなのさ? リリィ様?」

 

「おいおい、水臭い態度は勘弁してくれよ。私と君の仲じゃないか。呼び捨てか……ハニーなんて良いんじゃないかい? そして君のだからこそ口を付けたのさ」

 

 自分の言葉に酔いしれて両頬に手を当ててウットリしている姿は可愛いけれど、僕の胸はときめかない。この最上級魔族はどういう理由なのか僕にこんな態度を取る。部下で振り回される事によって恒常的な胃痛を発症しているビリワックさんによると強い相手を気に入るらしいし、確かに僕は天才だけれど、それでもこの態度は不気味な程に有り得ない。

 

 だってさ、僕はマトモだけれど、アビャクとか先生みたいに頭が完全に狂ってる連中が周囲に多いから狂人は大体分かるけれど、この女は群を抜いている。手遅れレベルだけれどリリィよりは遙かにマシな先生程度でさえ初恋を拗らせてるのに、こんな奴に恋心とか信じられないよ。絶対何か有ると僕は疑い、関わりたくないから拒絶しているのさ。

 

「僕、君が苦手なんだけれど……」

 

「今はそれで良いさ。苦手だろうが何だろうが無関心よりはマシなのさ」

 

 駄目だ、話が通じない。僕、正直言って此奴が全然好みじゃないんだよ。僕の好みは綺麗なお姉さん系。但しレリル・リリスは苦手。ああいった、如何にも色気満載ってタイプのは違うんだよね。第一痴女だし。どちらかと言うと部下のアイリーンの方が好みなんだ。真面目なノーパン主義とかエッチだよね。

 

 まあ、レリルの方は性的に食われそうだけれど、アイリーンの方は物理的に食べられそうだよね。

 

「おや、他の女の事を考えてる気がするな。おいおい、嫉妬しちゃうじゃないか」

 

 表情から読まれたのか実際に心を読んだのか、不機嫌そうな声だけれど顔は何時もの不気味な笑顔を浮かべたまま抱き付かれた。普通の男の子なら可愛い女の子に密着されたら嫌がる素振りを見せながらも嬉しいんだろうけどさ……此奴だからなぁ。中身が最悪だから台無しだよ。

 

「抵抗したいならしてごらん。私は絶対に離さないぜ?」

 

 抵抗? いやいや、相手は最上級魔族だし、抵抗するだけ徒労だから。逆に相手を楽しませそうなのに、そんな無駄な事はしたくないよ、面倒だもん。

 

「嫌そうな顔だなぁ」

 

「実際嫌だしね」

 

 でも言う事は言う。だってさ、嫌なんだから。こんな時こそザハクが居れば毒を吐いてくれるのに。

 

「……一応君の主扱いのウェイロンは私の指揮下だって知っているかい?」

 

「成る程。これがパワハラ上司によるセクハラって奴だね。先生に罰を与えるならどうぞ。僕を魔人に覚醒させた後なら好きにして良いからさ」

 

「君には罪悪感が無いのかい? 僕でも少し引くよ」

 

「罪悪感? そんな物、当然有ると思うよ? だって僕は普通だからね。自覚する前に食べさせているから(・・・・・・・・・・・・・・・)、実際はどうだか分からないけどね?」

 

 今更何を言っているんだろ? て言うか、此奴にだけは引かれたくないんだけれど。あと、惹かれたくもない。もう面倒になったから僕は立ち上がって歩き出すけれどリリィは離れない。僕の腕に腕を絡ませて引っ付いて歩いていた。まるでくっつき虫だと感じる中、慰霊碑が見えて来た。

 

「……ねぇ。ちょっと離れてくれるかな?」

 

 あの糞領主が小さな村に住む住民の名簿なんてちゃんと作っている筈も無く、仕方無く死体だらけの村を探索して調べた名前が刻まれているんだけれど、その中には僕の両親の名前も有ったんだ。妙に聞き分けが良いリリィは素直に僕の腕から離れてくれて、僕は両親の名前の所に指を伸ばす。直ぐ近くには僕とお姉ちゃんの名前も一緒に刻まれていた。

 

「あっ、ちゃんと刻まれてるや」

 

 今までは気が付かなかったけれど、友達だったこの名前を今回初めて見付けられた。あらら、名字が記憶と違うや。僕、当時は五歳だったからな。今のアビャクよりも小さいんだし仕方無いよね。でも、こうしていると全てを思い出すよ。裕福じゃないけれど幸せだった頃を。

 

「……」

 

 ああ、こうしていると迷いが……全然湧いて来ない。皆、見ててよ。僕がこの世から今の自分を不幸だと感じる人を居なくしてみせるからさ。

 

 

 

 

(ふふふ、良いなあ。良い具合に曲がってしまってて、それでもって。どうせ神や賢者がその気になれば為す術無く消え去るんだ。儚い一生、精々楽しんで好き放題に生きなくちゃね。……既に仕込みは済んだ。後はあの言葉を言わせれば、君は私の物さ)

 

 

 

 

 物思いにふけている時だった。一人分の足音が後ろから聞こえて来たのは。何となく振り返り、その人と僕の目が合う。あはは! これは皆が引き合わせてくれたんだね。

 

 

「ネル……ガル……?」

 

「うん、そうだよ。お姉ちゃん! ずっと、ずっと……殺してあげたかった(会いたかった)!」



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チラリと覗く奴の存在

今更ですが前回のなろうの最後、思い付きで付け足しが


「ほ、ほら! 好きなの頼め。このお子様麺セットとかどうだ? オマケに煽るパンダ人形が付いてくるってよ」

 

 レリックさんによって再び起きたラッキースケベ事件の夜、私達はグリエーンで最近評判になっているらしい麺料理の店にやって来ていた。事故とはいえレリックさんが私のお尻を掴んだのは確かだし、そのせいか妙に機嫌を取ろうとして来るけれど、少し似合わないから笑ってしまいそうね。

 

 ログハウス風の外観のお店の名はパンダ麺。まさかとは思うけれど、現在進行形で姿を見せないアンノウンが関わってたりとかしないわよね? 店の中は輝きながら天井付近に浮かぶ球体に照らされていて明るくて雰囲気の良いお店だったわ。キグルミの店員は……居ないわね。

 

「こらこら。歩き辛いですよ、ティア。本当に甘えん坊ですね」

 

「……父にくっついていられるなら甘えん坊で良い」

 

 肝心要の主である賢者様はあの通り。腕に抱きついて歩くティアさんにデレデレしている親馬鹿全開で頼りにならないわ。アンノウンについて訊ねてみたんだけれど……。

 

「あの子なら大丈夫ですよ。ちょっとフラッと居なくなるのは少し心配ですが、怪我をして動けないとかは無いでしょう。ゲルダさんもアンノウンの強さはご存知でしょう?」

 

 いや、違うわよ? 一体何時誰がアンノウンの無事を心配したって言ったかしら? あの神様が殺しても平気な顔で蘇りそうな無敵で傍迷惑な生物自体の心配じゃなくって、何かをやらかしてしまうのを心配しているのよ。

 

「煽るパンダ人形……本当に無関係かしら?」

 

 取り敢えず今はお腹が減ったからご飯にしましょうか。店に入るなり漂って来たのは濃厚で如何にも辛そうな刺激的な香り。スパイスで味付けした特製スープで野菜や肉団子を煮込んだ物をたっぷり掛けた麺の他にも辛くて美味しそうなメニューが沢山あって迷うわね。

 

 でも、ある意味気になったのがジュースとデザートとセットになったお子様麺セットのオマケの玩具の煽るパンダ人形……本当に関わって無いわよね? お腹を押すと相手を馬鹿にする音声を発するらしい。その種類は何と六百六十六種類! 凄いけれど……。

 

「……本当に関わって無いのよね?」

 

 何だか不安になりながらも羊肉とニラの焼そばの肉増しの大盛を注文する。あら? サイドメニューも豪華ね。メインのオカズが沢山有るわ。

 

「それだけで良いのかよ?」

 

「じゃあ、折角の奢りなのだし、ロブスターの蒸し焼きとデラックスパンダパフェを。」

 

「お、おぅ。よく食うな、お前。いや、良いけどよ……。本当にお子様麺セットでなくて良いのか?」

 

 ちょびっとだけ値が張るからかレリックさんの顔が引き吊っている気がするけれど、好きな物を頼めって言ったのだし問題は無いわね。あっ、グリエーンって結構蒸し暑いから高級メロンジュースも頼みましょう。それにしても結構安い方のお子様麺セットを進めてくるわね、レリックさんったら。

 

「ほら、お子様麺セットのデザートはプリンだってよ。プリン、好きだろ? それに人形も子供向けだしよ」

 

「流石にパンダを操って煽ってくるアンノウンが居るのに煽るパンダ人形なんて要らないわよ。……所で思ったのだけれど、世界を救った後で色々と話をする際に私の口が滑ったらレリックさんの異名はラッキースケベのレリックとロリコンスケベのレリックのどっちになるのかしらね?」

 

「よ、よし! 確かにそうだな! じゃあ俺は激辛モヤシそばの肉抜き大盛にしておくか!」

 

 別に脅してはいないわよ? ちょっと気になった事を口にしただけだもの。なのに財布の中身を気にしつつ比較的安いメニューを選ぶだなんて。別に無理なら無理だって言って良いのよ? 少し騒がしいからか何人かの人達が私達の方を見ていたわ。家族連れに人気のお店らしいけれど、今は家族で来ているのは賢者様達だけみたいね。今は折角ティアさんと再会したのだし、気を使わなくて良いように少し離れているわ。

 

「激辛モヤシそばの大盛肉抜きお待ちしました」

 

 静かになったので他の人達も運ばれて来た料理を見たり酒を酌み交わして騒ぐ声が聞こえて来たわ。これはお子様麺セットなんて頼む人は居ないわね。一瞬もしかしてキグルミさん達が運んでくるんじゃと思ったけれどそんな事も無く、先ずはレリックさんの料理から運ばれて来たわ。

 

「食べないのかしら? 私のを待っていたら冷めるわよ?」

 

「飯ってのは同じ席の奴と一緒に食うもんだ。餓鬼がんな事を気にすんな」

 

「ふふふ。レリックさんって相変わらず律儀な人よね」

 

 じゃあ、少しお喋りでもしましょうかしらと提案すれば、仕方無いと言わんばかりの態度で頷かれた。でも口元が弛んでいるし悪くは思ってないみたい。でも、提案したのは良いけれど、一体どんな話をするべきかしら? 

 

「……精霊と契約出来るようになったが、どんな奴がテメェと契約してくれるんだろうな」

 

「あっ! そうね。私ったら忘れていたわ。契約が可能だからって精霊が誰でも契約する訳じゃないものね」

 

 そう。神様達の部下として六色世界で行動する精霊達と契約するには自然界に溶け込んだ精霊を発見する目と言葉を聞く耳が必要だもの。でも、それだけじゃ駄目。契約するための交渉のテーブルに着いて貰う前段階に過ぎないの。それから自分と契約するに相応しいか試されたり、そもそも契約自体を面倒臭いって精霊も多いらしいわ。イシュリア様みたいに無駄に行動的な性格はしていないのね。

 

「……俺も精霊と契約してる魔法使いなんざ知ってるのは片手の指で数えられる程度だな。それも名前を知ってるだけの奴も含めてな。最上級とか上級とかと契約可能なのはレリックさん程度だな。ってか、精霊ってそう簡単に遭遇しないよな、見えていてもよ」

 

「私も一度だけ雷の精霊と契約した人と戦っ……会った事があったけれど、その人以外は知らないわ」

 

 子供を人質に取られ、私が勇者だと知らないまま襲って来たあの人はお母さんに似ていたのよね。どうやらレリックさんがクルースニクの結成時から調査している誘拐事件とも関わりが有るかも知れないって話だけれど。

 

 兎に角、広い世界から何処に居るのかも分からない精霊を探し出すだけでも一苦労だわ。その上で頼りになる相手で、更に契約してくれるかどうかは別だなんて。

 

「……勇者として旅に出る前は水の精霊と契約したかったわ。雨が降らないと羊の餌の草にも困るもの。小動物みたいな可愛い子と契約したいとも思ってたけれど、今じゃそんな贅沢は言っていられないわよね」

 

「貧乳!」

 

「丸太体型!」

 

「平ら胸!」

 

 ……今、とってもシリアスな感じだったのに、続けざまに聞こえて来た声に私は思わず顔を向ける。言葉の度に声質が違って老若男女様々な声が聞こえて来た方向にはティアさんが居て、キラキラした目でパンダ人形を握っていたわ。

 

「駄目ですよ、ティア。オモチャで遊ぶのは帰ってからにしないと。ほら、料理が冷めてしまいます」

 

「……あーん」

 

「おや、私達の娘は本当に甘えん坊だな。キリュウ、今日だけだぞ、特別なのは」

 

 あっ、ティアさんはお子様麺セットにしたのね。確実に煽るパンダ人形目当てで。それにしても女神様もティアさんに甘いわよね。神様だから感覚が違うのだろうけど。

 

「……最初は女二人を侍らせた風に見えてたんだが、こうして見ると全然違うな、おい」

 

 見た目に年齢的には賢者様も女神様もティアさんと同じ二十歳前後。でも、賢者様がティアさんに料理を食べさせて、女神様がやれやれって感じで微笑んでいるのを見たら親子にしか見えないわよね。それも子供に凄く甘い親ね。

 

「……血が繋がっていないってのが信じられねぇよな。まあ、俺もレガリアさんを実の親みたいに思ってるけどよ」

 

「血の繋がりってそこまで大切じゃないのかも知れないわね。心の繋がりが大切なのよ」

 

 私が今まで読んだ物語には血の繋がりが無くても親子の絆は結ばれるって展開だったのに、何時の間にか親子の情が男女の情になっていたりするのも有ったけれど、あの人達は有り得ないわ。お互いに完全に親と子として見ているもの。

 

 

「……良いなあ」

 

 そんな姿を見ていたらちょっぴりだけ羨ましくなって来た。

 



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自覚無しの外道と自覚している腐れ外道

感想、欲しいです……ここんところ来てないんです


「……ふぅん。この洞窟は随分と住み心地が良いんだろうね」

 

 アヒャヒャヒャヒャ! 僕、アビャク! 今はお友達のネルガル君とブリエルのとある洞窟に来ているんだけれど、何故か何も居ない空間を見ながら呟くネルガル君に驚いている所なーのさっ! あれかな? とお姉ちゃんに会えた嬉しさで頭が変になっちゃった? 

 

「あわわわ。そうだったら大変だぞ。ガクガクブルブル」

 

「棒読みで何を言っているのさ? 君には見えないし声も聞こえないだろうけど、この洞窟には結構な数の精霊が住んでるんだ。巨大な地底湖が有るし休止しているけれど火山も近いし、オマケにこの辺は磁気を多く含む鉱石が採れる。精霊からすれば格好の住処って訳さ」

 

「なーるほどっ! でも、ネルガル君じゃ意味が無いよね! だって魔族側だもーん。僕と一緒に居るから騙くらかして契約を結ぶとかも無理だっしね。こう言うのを才能の無駄遣いって言うんだっけ? アヒャヒャヒャヒャヒャ!」

 

「うぅぅ……」

 

「別にそうでもないさ。僕は天才だし、天才は自分の才能を無駄にしないものさ。ちゃんと精霊も利用するよ。その為に精霊の力を強く感じるこの場所に来たんだからさ」

 

「ふーん」

 

 ネルガル君に釣られて僕も洞窟全体を見回した。黄色く光る水晶みたいなのが岩壁の所々から顔を覗かせていて、天井には沢山の鍾乳石。これは広い場所に誰かを閉じこめて天井のを降らしたら楽しめそうだね! 今回、先生か、あの緑の間抜けでやってみよっと! 

 

 でもでも、楽しそうと言えばどうしても試したい事があるんだ。でも、さっき提案したらネルガル君に却下されちゃってさ。諦めたくない僕はネルガル君の服の袖を摘まみながら、さっき呻き声を出したお姉さんを指差す。壁に刻まれた魔法陣にガムみたいにくっついていたよ。

 

「ねぇ、ネルガル君。矢っ張りネルガル君のお姉ちゃんに悪戯しちゃ駄目かな? 絶対誰かが調べに来るでしょ? その時に面白くしたいんだよ」

 

「さっきも言ったけれど駄目だよ。だって僕の為に死んでくれるのに、死んだ後に悪戯されているとか可哀想じゃないか。これが成功すれば大勢の人が自らを不幸だって嘆かなくて良いんだ。貴い犠牲には敬意を払わなくちゃね」

 

 面倒臭そうに僕の手を振り払ったネルガル君は浮き上がるとお姉さんを抱き締めて頬にそっとキスをする。ちょっと泣きそうに見えたのは多分気のせいだろうね。

 

「……姉さん、さようなら。ずっとずっと大好きだよ」

 

 だってさ、ネルガル君って狂ってるもん。先生も緑も赤も黄色もオカマもそう言ってるし、ネルガル君を気に入ってる変な奴も黒山羊さんだって言ってるし、そんな子が狂っていない訳が無いよね。まあ、一番狂っているのは僕、アビャクさ! だって僕の方が先に魔人にして貰えたもーん!

 

「ああ、楽しみだなぁ。これで人が沢山死ぬよ。沢山苦しむよ。それを眺めながら食べるお菓子は最高だよね。ほらほら、見てよ皆。面白い事が始まるよ」

 

 家族が大好きなのはネルガル君だけじゃない。僕だってお父さんもお母さんも大好きだし、お姉ちゃんだって大好きなのさ。だから何時も皆を持ち歩いてるんだ。ネルガル君のお姉ちゃんが張り付いた魔法陣の端っこから枝が伸びるみたいに光の線が伸びて、空中で幾つもの魔法陣を形成する。

 

「……良いなぁ。ネルガル君は精霊が見えてさ。ずるいずるーい!」

 

 僕だって何が起きているのか見たいし、家族にも見せてあげたいのに、見えているのはネルガル君だけって事に納得が行かず、その場で寝ころんで手足をバタバタ動かして駄々を捏ねる。家族で暮らしていた時は直ぐにお姉ちゃんが叱って止めさせたけど、目玉だけの今じゃ叱れないだろ、やーい!

 

「別に君を仲間外れにしないって。ほら、その為に新しいのを作ったんだ」

 

 そんな僕に呆れながらもネルガル君が取り出したのは魔本。彼独自の魔法が使える特別なアイテムで、前に落書きしたら怒られた。ケチだよね、そういった所はさ。そんな事を思い出している間にもネルガル君は魔法を詠唱して、僕の目に何かが張り付く。するとワクワクドキドキの光景が目の前に広がっていたんだ。

 

「凄い凄ーい!」

 

 無数に枝分かれした魔法陣にはハエ取り紙に捕まったハエみたいに不思議な存在が張り付いて苦しそうに震えている。あれが精霊、神様の手下かと思うと思わず笑いながらその場で飛び跳ねちゃった。空中に浮かんで見ている家族達もきっと驚いているだろうね!

 

「ネルガル君、僕は魔人になって良かったよ。英雄候補とか勇者の仲間じゃなくてさ」

 

「どっちにしろアビャクの年齢じゃ勇者の仲間は無理じゃないかな? 七歳だよ?」

 

「そうだった! 僕、七歳!」

 

 だから僕って多少悪さをして見許されるよね? ネルガル君は駄目って言ったけれど、あんな格好の悪戯の対象を前にして僕の腕白な心は止まらないよ。

 

「……本当に駄目だからね?」

 

「何の話だい? 僕にはさっぱり分かんないよ」

 

「……ふーん」

 

 あっ、これ見抜かれてる奴だね。誤魔化したのに疑いの眼差しを止めないネルガル君を見て悟る。これじゃあ目を盗んで悪戯をしに戻って来るしかないなぁ。今はそんなに悪戯グッズを持ってないから取りに帰るって意味でもそれで構わないんだけどさ。

 

 ネルガル君、怒ると怖いからね。ザハクだってネルガル君の味方をするし、僕の味方になってくれても良いじゃないか。退屈なんだよ、毎日がさ。悪戯でもしないと死にそうなんだ。

 

「ねぇ、直ぐに終わらないのかい? お腹空いちゃったよ」

 

「精霊を結構使うからね。興味を引かれて寄って来てたから予定よりは早く終わるし、これが済んだら城に戻って何か食べようか」

 

 取り敢えず僕は見学に来ただけなので特にする事も無いし、逃げ出した精霊が次々に捕まって行くのを眺めるしか出来ない。僕達が居るのは開けた場所なんだけれど入り口は反対側の一つだけだし、同じ方に向かうから密集しちゃって纏めて捕まってる。中には抵抗しようと襲って来たのも居たよ。

 

「水の精霊かな? 多分中級位の」

 

 水の体を持つ女の人っぽい輪郭の精霊が腕を伸ばせば無数の水の槍が僕達に飛んで来る。でも、それは届かない。ネルガル君の帽子の中で昼寝中だったザハクの吐いた炎が一瞬で蒸発させたのさ。

 

「無駄な抵抗だったな。ケケケケケ!」

 

ザハクの炎は精霊が放った槍だけじゃなくて精霊自身にも届き、水の体が燃え上がった。水の精霊が苦しさで暴れ、仲間が四方から水を掛けるけれど炎は消えない。ものの数秒で全身が蒸発して消え去り、助けに入った仲間も魔法陣に捕まったよ。

 

「仲間を助けたかったか? ざーんねーん! 俺様の前じゃ足を引っ張られただけの無駄だったな。ケケケケケ!」

 

 アヒャヒャヒャヒャヒャ! 確かに見捨てて逃げてれば誰かは逃げ切れたかもね! でも残念賞! だから何も有りませーん! あっ! 何か起きるぞ。所で、僕はずっと考えてた事が有るんだけどさ。

 

「ネルガル君。結局この儀式ってどんな効果が有るんだい? エクレア食べ放題とか?」

 

「いや、違うよ?」

 

「じゃあチーズタルトかよ、ネルガル! 俺様はチョコタルトの方が良いぞ!」

 

「ザハクには何度も教えたと思うけど? アビャクにも言ったはずだけれど、結局聞いちゃいなかったんだね。分かっていたけどさ」

 

 ううーん。何故かネルガル君が残念そうにこっちを見ているけれど、理由が全然分かんなーい。ザハクも疑問って表情を浮かべた所で視界の端に精霊の姿が映った。ありゃりゃ、逃げられちゃったね。見事に出口から出て行ったよ。

 

「ネルガル君。向こうに配置した奴には精霊を見る力を与えてるの?」

 

「うん? まあ、当然さ。上級魔族を凌駕する力と一緒にあげてるよ」

 

あっ! 今、精霊の悲鳴が聞こえたぞ。あれが断末魔って奴なんだなって僕が感心する中、魔法陣からピンク入りの煙が滲み出して来た。

 

「この煙ってレリルさんの部屋で焚いてるお香みたいじゃない? この前、美味しい物を沢山食べさせてくれた上に、添い寝したらお小遣いまで沢山くれたんだ」

 

 香水が臭い上に口の中に舌を入れて来たのは気持ち悪かったなぁ。

 

 

 

「うぇっ! あの人、見た目が大人なだけで七歳児にまで手を出してるのか。魔族自体が誕生してから数年しか経過してないけどさ。……引くなあ」

 

 そういうネルガル君だって前に呼び出されたと思ったらレリルさんとアイリーンさんの背中を流させられたって言ってたよね。本当に大人って変だよ」……魔族は大人で良いのかな?

 

 

「じゃあ、帰ろうか。もう此処には用は無いしね」

 

「未だ生きてるけど良いのかい?」

 

「お別れは言ったしね」

 

 そっか、ネルガル君にとってお姉ちゃんはもう用済みなんだね。ならさ……後でこっそり悪戯しに行こうっと!



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小さな竜とノーパン魔族

 ケケケケケ! 俺様が誰かって? 俺様はザハク様だよ! 見た目は確かにチビだが、上級魔族だろうが俺様には勝てない。まあ、最強って所だな。……この前のパンダ? いやいや、あれは次元が違うとかじゃなくてジャンルが違うだろ。

 

 そんな俺を創造したのは僅か十一歳の天才魔法使いネルガルだ。まあ、俺様を創り出せる時点で此奴も上級魔族を越えてるんだが、今は建設途中の城の一室で飯を食っていた。

 

「おいおい、どんだけあるんだよ……」

 

 俺様が呆れちまうのも無理は無い。なにせネルガルが持ち帰った姉貴の弁当箱ってのは外から見たら二段重ね程度だったのに、いざ包みを開けりゃ縦にも横にも増えて五段重ねの特大サイズの重箱だ。それこそ数人が宴会でもしながら食べる量と種類なんだが、ネルガルは一種類ずつ食べて行ってる。まあ、育ち盛りっつっても無理だよな、完食はよ。

 

「そりゃ家族全員の好物ばかりが詰まってるからね。多分お供えの意味もあったんじゃないのかな? ほら、慰霊碑の周辺は荒らされない為にってモンスター除けの結界を張ってるでしょ? だから食べ物を置いていても安全なのさ」

 

「……あー、確かに。なのにテメーは俺様と一緒に慰霊碑に通ってやがったよな。無茶苦茶居心地が悪いってのによ」

 

「悪かったって。ほら、君も食べるかい? ピーマンの肉詰めのピーマン」

 

「嫌いな物を押しつけてるだけじゃねぇか! 肉食わせろよ、肉! せめて肉詰めの中身と一緒に寄越せ!」

 

 台の上に置かれた俺様用のベッドに置かれたのは肉詰め肉の部分だけ食べた後のピーマンだ。ネルガルの野郎、相変わらずピーマンが苦手なのかよ。……にしても、さっきから俺様の力が増大してやがるな。ったく、飯ってのは楽しみながら食うもんだろうが。だから城を造らせている連中の食事は酷ぇモンにしてるんだろうがな。

 

「あれか? 姉貴の飯を食ってたら家族の事でも思い出したかよ? テメーの場合、既に人生の半分は家族と別れてからだろうによ」

 

「思い出してなんかないさ。……元から忘れていないだけだよ。例え一緒に居なくても、例え憎く思う事が有ったとしても、家族の絆は消えない。僕の心の中に皆は生き続けているんだ」

 

 とても姉貴を核にした魔法儀式を作り出して実際に行った奴の言葉とは思えないよな、マジで。それでもって本心からだってんだ。ネルガルは今でも姉貴が大好きだし、大勢を不幸にする儀式を行った事に気が咎める優しさだって持ってやがる。

 

 まあ、結局本人の心の中で終わっちまうがな。碌々行動には出やしねぇし、だからこそ俺は強くなり続けてる。

 

「ケケケケケ! あの粘着質な糸目野郎には感謝だな」

 

 俺は基本的にこの城に居る連中は嫌いだ。マッチョオカマもトロい緑髪の狸女も無口な赤髪の狐チビもガサツな黄色女も見ているだけで腹が立つ。だがな、ウェイロンの奴には感謝してんだぜ? 彼奴は無駄に終わるはずだったネルガルの才能を見出して育て、狂っていない風に見えて狂わせて育てた。だからこそ俺は育ち続ける。ネルガルが罪悪感だの何だのを覚える度にだ。アビャクみてぇに完全に壊れてりゃそうは行かないもんな。

 

「さて、この城も完成が近いがよ……俺が派手にぶっ壊してやるよ。見物だぜ。浚われて無理に造らされた城が実は自分達の目の前でぶっ壊す為の物だったなんてな!」

 

「元から人にとって魔族の城だなんて無駄を通り越してるけどさ。実際に完成当日に目の前で瓦礫になったらどう思うかな? あっ! 家族で浚われて来た人達は城の中に家族が居る状態で壊すのを見させるってどうかな? それか一晩眠って目が覚めたら瓦礫の山になってるってのも……」

 

「性格が悪いな、テメーはよ。って、オムレツの中のアスパラを除けんな。野菜はちゃんと食え!」

 

「沢山有るし、全種類食べるには何処か減らさないと駄目だろ。お姉ちゃんももう少し小さな弁当箱にすれば良いのに、何で特大サイズの魔法の重箱にするのかなぁ……」

 

 ってか、確かに使い魔は主の為に働くもんだが、幾ら何でも好き嫌いに口出しするのは別だろ。あー、馬鹿馬鹿しい。何で俺様はこんな事をしてるんだ? くっだらねぇし、ちょいと寝るか。

 

「……セロリ」

 

「ちゃんと食えよ。姉貴の最後の料理だろ」

 

 駄目だ。見張ってなきゃ偏食するな、此奴。俺がちょいと出掛けたら菓子の食い過ぎで飯が食えなかったとか有るし、あの粘着糸目の野郎はその辺無頓着だからよ。一応保護者だろ、確か!

 

 取り敢えず嫌いな物を残さないように見張りつつ好きな物を食べ過ぎないように見張ってたんだが、二段目に箸を伸ばした時、ノックもせずにアポも取っていない奴が入って来た。

 

「入るわよ」

 

「もう入ってんじゃねーか、ノーパン白髪」

 

 入って来たのはレリルの側近のアイリーンだ。この片目隠れ男装女と出会ったのは確かレリルの城に三人と俺が揃って招待された時だったな。顔を見るなり敵意を向けて来たんだが、レリルの奴に叱られてたよな。

 

「こら! アイリーンったら仕方が無い子ね。ほら、これお詫びにご覧なさい」

 

「レリル様っ!?」

 

 正に一瞬の出来事で当時の俺様じゃ動きが見切れなかったんだが、やった事と言えばアイリーンのズボンを下までズラしただけだ。下半身を丸出しにされて慌てたせいで前のめりに転んじまって尻まで見せちまったのは笑えたよな。見事に三人が無反応だったがよ。初恋拗らせたストーカー思考の野郎と餓鬼二人じゃ当然だがな。

 

「私が穿かない主義なのがお前に関係有るのかしら? 全く相変わらず五月蝿い奴ね」

 

「部屋の主の許可を取らずに戸棚開けてる奴が何言ってるんだよ、バーカ」

 

 このアイリーンは兎に角大食いだ。三大欲求の内、食欲に残り二つが吸収されてんじゃってレベルで食う。んで、視察で訪れた時にネルガルが部屋に菓子をため込んでるって知った後はご覧の有り様だ。人間に遠慮する必要は無いって感じで部屋に入って菓子を食いまくる。偶にレリルにお仕置きだって感じで全裸で逆さ吊りにされてるらしいが、んな事されても俺様達は嬉しく無いんだがよ。

 

「貴方の計画は聞いたわ。随分と回りくどい方法を取るのね。予兆を感じ取られて邪魔が入るんじゃないのかしら?」

 

 クッキーの缶を片手に持ち、瞬く間に腹の中に入れてやがる。こ、此奴、一口一秒だが、その一秒間にちゃんと三十回以上噛んでやがるだと!?

 

「予兆? まさか。準備が完全に整うまでは何一つ起きないよ。発動したら既に最終段階さ」

 

「あら、それなら結構ね。所で美味しそうな物を食べているじゃない」

 

 再び無許可で手を伸ばすアイリーンだが、ネルガルが手に持った二段目に向けられた手は一段目に阻まれた。おっ! ちょいとムッとした感じだな、ノーパン女。手を出そうとしたら俺様が動く口実になるんだがな。

 

「僕が全種類を一個ずつ食べるまで待ってよ。これは既に食べてるからどうぞ」

 

「なら貰うわ。そして貰ったわ」

 

「速っ!?」

 

 少しだけ機嫌を良くして重箱を受け取ったアイリーンは直ぐに机の上に置く。中身は一瞬で消え失せていた。てか、あの細っこい体の何処に入るんだよ……。既に何度目かになる疑問を俺様が浮かべる中、アイリーンは素直にネルガルが食べ終わるのを待ってるが、既に幾つかのオカズに狙いを定めてやがるな。口元に涎だって溜まってやがる。あー、こりゃ我慢の限界が近いな。犬ッコロでも教えれば待てが出来るのに情けない奴。

 

「『今度余所様の所で盗み食いをしたら十日間は裸エプロンね』、とレリル様に言われてなきゃ直ぐにでも奪うのに惜しいわね。そして凄く美味しいわね。作った奴を連れて来なさい。私専属の料理人を増やすわ」

 

 ……いや、既にクッキーを黙って食ってるよな? この城に来る度にやってるから感覚麻痺してねぇか? レリルなら見抜いてそうだし、此奴十日間は裸エプロンで仕事か。

 

「作ったのはお姉ちゃんだし、計画では死んで貰うから無理だよ。だから最後の料理をこうやって味わっているんじゃないか」

 

「ああ、家族の絆って奴かしら? 私には理解不能だけれど、それでも歪んでいるとは分かるわ」

 

「愛の形は人それぞれだよ。僕はちゃんとお姉ちゃんを愛しているし、誰にもそれを否定させない」

 

「いや、別に否定はしないわ。……にしても、間怠っこしい!」

 

 遂に我慢の限界が訪れたのかアイリーンはネルガルの手から箸と重箱を引ったくる。これでかき込みだしたら重箱ごと頭を焼いてやろうと腹の中で炎を燃やすんだが、何故かアイリーンは箸の先をネルガルに差し出した。

 

「一個ずつ食べるんでしょ? なら、私が食べさせて、残りを直ぐに食べれば話が早いわ。ほら、口を開けなさい」

 

「……自分のペースで食べたいんだけど?」

 

「奇遇ね、私もよ。ほら、口開けなさい。それと三十以上は噛む」

 

 ……あーらら、強引なペースに完全に押し切られてんな。にしても、前の彼奴なら有無を言わさず奪い取ってただろうによ。何があった?

 

 

 

 

「餌付けか。菓子貰って親密度上げたな。……単純な奴」

 

 このまま見ていても退屈そうだし、本当に寝るか。俺は瞼を閉じてベッドに寝転がる。あー、マジでくっだらねぇ。何か面白い事起きねぇかな。例えば城に住んでる誰かが死ぬとかよ……。

 

 

 

「それにしても海辺は潮風でベタベタするし、シャワー借りるわ。いや、確か猫足の浴槽が有ったわね。魔法でお湯を張りなさい。ついでに背中を流して」

 

「面倒だなぁ……。アビャクったら何処に行ったんだろ?」

 

 

 

 

 

 



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幸せと最期の言葉

 幸せって何だろう? 不幸せって何だろう? 僕は前からそれが分からなかった。家族と一緒にサーカス団をやっていた頃、僕はピエロとして芸を披露していたんだけれど反応は様々だったよ。

 

 楽しそうな人も居れば退屈そうにしている人だっている。同じ物を見ても感じる物は同じじゃないんだし、幸福も不幸も同じじゃないのかな?

 

 一人は寂しい? 一人が好きだって人は居るよ? 群れで行動する動物も居れば、生まれて直ぐに親離れする生き物だって居る。じゃあ、そっちの方は不幸なのかい? 質素な暮らしでも満足な人や贅沢じゃないと駄目だって人も居る。

 

 でさ、ネルガル君が言っていたんだ。幸か不幸かの区別って比較する対象が存在してこそだってね。

 

「この世に黒しか色がなかったら、そもそも黒って色の名前さえ存在しない。不足しか知らない人と不足を知らない人が不幸と思うラインだって同じさ。普通なら不幸だって思う現状でも、自他問わず幸福だって思う事を知らなければ、それが普通でしかないんだ」

 

 うん、思い出した結果、全く理解出来ないや! 実は今回の計画だって全然分かってないんだよね。だって僕は七歳児だもーん!

 

「アヒャヒャヒャヒャ! さーて! どれにしよっかな? これかな? あれかな? 全部かな?」

 

 そんな僕が居るのはネルガル君が魔法儀式を行った洞窟の中。先生から出されたけれど途中で怠けてたから慌ててやった宿題で作ったモンスター達の横を通り、一番奥まで行けば魔法陣から噴き出す煙が部屋に留まって濃くなってる。転んだら嫌だし、慎重に進んだらネルガル君のお姉ちゃんは意識を失ってた。本格的に儀式が発動するまでは無理にでも生かして置くんだっけ?

 

 そんな事より重要なのは、発動するなり効果が最終段階まで達する煙の発生源の此処まで来るだろう誰かが感じるインパクト! アフロなカツラに肉じゅばん、そして当然鼻眼鏡ー! 

 

「全部にしたら個々の印象が薄そうだし、此処は何か一つに絞らなくちゃね」

 

 ネルガル君は悪戯するなって言ったけど、だって僕は悪戯大好きだからお断りさ! 友達の想いも! 他人の痛みも! 正直言ってよく分からない! だから僕は楽しむのさ。自分勝手に好き放題に、この人生を謳歌する。まだまだ悪戯がし足りないよ。もっともっと命の苦痛の表情を見たいな。

 

「……ならば彼女ではなく、来た者をターゲットにしてはどうだい? 見掛けを奇抜にした場合、遠くから何か変だと思いながら寄って来るけど、直前まで分からない悪戯ならば一瞬で空気を変えるよ。落とし穴を掘るか頭上からタライが落ちて来るか、その辺が定番じゃないかな? 僕のオススメは落とし穴の中にカレーを入れておく事さ。矢っ張り悪戯の最大の楽しみはターゲットの反応だからね」

 

「それ良いね! って、一体誰……パンダだぁ!」」

 

 横から聞こえたナイスアイディアに僕は喜ぶ。でも、よく考えたら変だよ。僕以外の誰も居ないし、門番達だって反応していないのにさ。ビックリして横を見たら誰も居ないけど、下を見ればパンダのヌイグルミが立っていたんだ。

 

「ねぇ、パンダさん。パンダさんはお名前有るの?」

 

「モチのロンさ。僕の名前はアンノウン。愉快で明るい善良なパンダさ」

 

 その場で一回転して威嚇のポーズを取るアンノウン。可愛い! 欲しい! よーし! 連れて帰っちゃえ! だって前からパンダを飼いたかったんだもん! でも、家族は駄目って言ってたし、先生も許可をくれなかったけど、動くヌイグルミなら問題無いよね? 抵抗されても僕に勝てる筈が無いしさ。

 

「ねぇ、アビャク君。僕、君にお願いが有るんだ。聞いてくれたら嬉しいな。お礼に君が一度も行った事の無い場所に招待しちゃうよ!」

 

「わーお! 何処だい? 美味しいお菓子は沢山有るかい? どんなお願いだって大丈夫! だって僕は万能だもーん! きっと僕は勇者に選ばれていたんじゃないのかな?」

 

 きっとそうだよ。ネルガル君は自分を天才だって言うけれど、僕なんか自分の体を好き放題に作り替えちゃえるもーんね。僕が魔人になってなきゃ、勇者の座は約束されてたよ。……あれれ? 今回の勇者はオレジナから出るんだっけ?

 

「それでお願いなんだけれど……今直ぐ死んで欲しいな」

 

「ほへ?」

 

 言葉の意味を理解する前に僕の背中を何かが貫いて先端がお腹から突き出る。これは爪? 首を半回転させようとしたけれど何故か出来なくって、そんな事よりも感じた物に頭が変になっちゃう。それは痛み。魔人になって先生から力の引き出し方を教わってから感じた事の無い物。それを僕は今日、強制的に思い出させられた。

 

「ああああああああああっ!? 痛い痛い痛い痛いっ!?」

 

 涙が溢れ出て叫ぶしか出来ない。体を二つに分けて逃げ出そうとするけれど無理で、もがいても抜けない。誰か、誰か助けて! 先生! ザハク! ネルガル君! お願いだから助けてよぉ……。

 

 

「お父さん! お母さん! お姉ちゃん! 助け……」

 

「君、変な事を言うよね。英雄になる筈だった力を魔族の力に変えるには血縁者を殺さなくちゃいけないのに。お父さんもお母さんもお姉ちゃんも君が殺したんじゃないの?」

 

「……え?」

 

 何で知っているんだろう? 僕の家族は確かに僕が殺したよ。だって先生が僕を今の僕にしてくれて、もっと楽しい事をしたかったら皆を殺しなさいって言ったんだもん。でも大切な家族だから死体からえぐり取った目玉は何時も持ってるし、楽しい事は見せてあげて共有しているんだ。

 

 それに家族なんだ。家族は何があっても家族だから、僕を助けてくれるのは当然じゃないの? だって、僕は家族の中で一番小さくて……。

 

「あっ、そうそう。案内する場所を教えてあげようか。僕の腹の中さ。正確には僕の本体の腹の中だね。残念! 僕は本物のパンダじゃ無かったのさ!」

 

 うん、それは分かってた。改めて言われても困る。目の前の空間が歪んで巨大な赤黒い獣が顔を覗かせる。僕、食べられちゃうの? 

 

「嫌だよ。助けて……」

 

 この時、僕は腹を貫いていたのは目の前の獣の爪だって理解したよ。涙を流して怖がっても獣は僕を食べるのを止めようとしてくれない。直ぐ近くに迫った獣の口はエチケットを考えてかミントの香りがした。

 

 何で、どうして助けてくれないんだよ、お姉ちゃん。何時何があっても僕の味方だって言ってたのに。ずっと守ってくれたのに。……あれ? 僕、そんなお姉ちゃんをどうして殺しちゃったんだろう? 死んだら二度と会えないのに。もう助けてくれる筈が無いのに……。

 

 何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で……。

 

「……何で?」

 

 誰もその答えを教えてくれないまま僕の体は口の中に放り込まれ、そのまま閉じられる。もう身動きすら出来ないや。少し喋るだけの力は残っているかな?

 

 

「……ごめんなさい」

 

 こうして僕の人生は終わった。幸せだったのかな? 不幸せだったのかな? …ごめんなさい分かんないや。

 

 

 

「……貧乏くじを引かされちゃったなぁ。子供を殺すのは無理だけれど魔人の存在は見逃せないからって僕に押しつけてさ。この魔法陣はゲルちゃんが活躍する為に放置して、帰ったらマスターに遊んで貰おっと……」

 

 

 

 

「……おや、アビャクが死にましたか。残念ですねぇ。何だかんだ言って頼みは聞いてくれる子だったのですが」

 

 何やら研究資料の整理をしている最中だったウェイロンは手を止めて静かに呟く。確かに彼の声からはアビャクの死を惜しむ感情が感じられた。普段の薄っぺらい感情の振りではない本物の感情だ。

 

 

「まあ、別に良いですねぇ。だって所詮は実験体。観察で十分なデータは得ましたし、ネルガルの方が素材として優れています。彼さえ居れば……アビャクは用無しでしょう」

 

 だが、続いて吐き出した言葉にはアビャクへの関心が一切籠もってはいない。既に終わった事、用済みの案件。彼から感じるのはそんな考えだけだった……。

 

 

 

 

「さあ! これから面白い事になりそうです。このまま進めば私は君を手に入れられる。もう誰にも渡さない。例え本人が拒絶したとしても、私の愛は変わらないのですから」



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幻の地と幼き復讐者
それぞれの場所で


新章突入


 港から遠く離れた絶海の孤島。複雑な海流や渦潮に囲まれてはいるが島の周囲は穏やかで、渡り鳥にとっては休息地として丁度良いのか運ばれた種によって果実も数多く成っている。

 

 万が一の偶然か、余程腕の良い船乗りが多少の運に助けられながら意図して向かえば辿り着けない事もないが、脱出は無理だと言わざるを得ない。それ程に複雑な海流にこの島の名はミシサ島。伝説によればとある女神の力によって外界と遮断されたとされるこの島にて強い風が吹き荒れていた。

 

「十日ぶりの肉……逃がさんで御座る!」

 

 樹齢数百年を越えても徒弟足りぬであろう巨木を垂直に駆け上がっているのは魔族を裏切り者として追放された楽土丸だ。だが、その服装は何時もの着流しではなく、どうやらモンスターの毛皮を剥いで作った簡易的な物。

 

 刀ではなく木の枝握り見定めるは枝に止まった怪鳥の姿。翼が四枚有る時点で普通の鳥ではないのだが、風に乗って高速で駆け上がっても距離が中々縮まらず、それでも姿がハッキリと捉えられる。その意味は漸く接近し、最後の跳躍によって横に並んだ事で示された。

 

「デカい!」

 

 十歳前後の少年である楽土丸は決して小柄ではない。だが、目の前の鳥と比べれば人の範疇での大小など意味が無いだろう。彼をミミズとした場合、鳥は鶏。一口で飲み込める相手の接近など一切意に介した様子の無い怪鳥は腹が一杯なのか彼を食べようとはしない。ただ、鬱陶しいとは思ったのか軽く羽ばたいた。

 

 古い家ならば倒壊させてしまう程の暴風。向かう先の楽土丸は空中に居て何一つ抵抗が出来ずに吹き飛ばされると思われた。だが、そうはならない。広範囲に広がった風は楽土丸の手に握られた木の枝に収束し、刃の表面で渦巻く。そのまま一閃。納刀の音と共に怪鳥の頭と胴体が切り離されて地上へと落下して行った。それを見届けてホッと一息つく楽土丸だが、手元の感触に溜め息も出る。握り締めていた枝は先程の力に耐えきれず折れてしまっていた。

 

「……ちゃんとした武器が欲しいで御座るな。服も着流しの方が良い。……いやいやっ! 武士は喰わねど高楊枝! 拙者、正確には武士では御座らんが……」

 

 自己を鼓舞するも最後には悲観的な言葉が出て来る楽土丸。どうやら精神的に少し疲労している様子だ。風の球体に身を包んで緩やかに下降しながら島全体と周辺を見回せば、見えて来るのは島の穏やかな海遥か沖では島周辺が幻なのかと思う程に荒れていた。島の全体像がどうかと言えば中心に洞窟が存在し、彼が居る場所の反対側には集落らしい幾つもの建物が目に入る。ほぼ全てを森に覆われた島の姿に再び出て来る溜め息。

 

「何故この様な事になってしまったのか。あの者達には申し訳が無いな……」

 

 地上に落下した衝撃でグチャグチャの肉塊になった鳥の死骸と流れ出した血が降り注いで形成された血の海の臭いに眉を顰めながら三度目の溜め息を吐く楽土丸であった……。

 

 

 少し落ち込んだ様子で鼬の尻尾も耳も力無く垂れてしまう中、肩を落として踏み出せば、少し窪みが出来ていたのか血溜まりに足が沈む。正に踏んだり蹴ったりの状態だ。

 

「……早く連中の所に鳥の一部を持って行って物資の交換を済ませたら水浴びでもしよう。カイさえ島の外に出られれば希望は有る。……希望と言えば」

 

 楽土丸は頭に浮かんだ少女がそっちに居る気がして東を見る。それまでの落ち込みが嘘のように表情には元気が戻り、鼻歌交じりに鳥の死骸を持ち上げた。

 

「さて! 拙者も頑張っているぞ、ゲルダ! お主も当然頑張っているので御座ろう!」

 

 再び東に顔を向け、其方に居るであろう少女に言葉を向ける。思い出すのは事故によって胸を触ってしまった時の事。思わず責任を取るという形で求婚してしまったが、今となっては気恥ずかしくとも後悔は無い。再び会う事が有れば再び求婚をするであろう。この世界に飛ばされて、彼の感覚では数ヶ月が経った気もするし、実際は1ヶ月程度の気もする。

 

「さて、久々の肉であるし、皆も喜ぶだろう。此処は交渉によって調味料を多めに貰わないとな」

 

 自分の帰りを待っている者達の顔を思い浮かべば足が少し速くなる。元は偶然見掛けただけの者達。誘拐されて強制的に働かされていた場所から逃げ出し、幻に惑わされた先で襲われているのを見かねて助けただけで、後は安全な場所に送って別れる筈だった。

 

 だが、その為の船旅の結果、たどり着いたのがこの島だ。今では共同生活を送る仲間達。故に彼等の為に力を振るう事には迷い無し。それこそが仁義だと語る楽土丸は短い期間で信頼を得ていた。彼が本来ならば人の敵である魔族だと知っていても、伝え聞いた話による敵意よりも共に過ごして感じた物を大切なのだろう。

 

 

 

 一方その頃、島の遙か彼方の小島にて建設中だった砦が揺れ、内部から轟音が響く。それを固唾を飲んで見守っているのは粗末な服装の老若男女。皆、疲労の限界の筈なのに座る者も寝転がる者も一人も居らず、手を合わせて内部で戦う者達の勝利を願う。

 

 皆、この地に連れて来られた者達だ。共に働かされていた仲間は何人も殺された。逃げ出そうとした者も然り。周囲に放たれた名剣ポチによって一人残らず命を奪われたのだ。

 

 名の通り、遠くから一見すれば犬の姿をしている。鳴き声だって普通の犬だ。だが、近寄れば異形に気付くだろう。その姿が金属の光沢を持つ巨大な折り紙のようだと。但し、その体を構築するのは紙ではなく薄く伸ばされた切れ味鋭い刃。性格は温厚で人懐っこい。近付く者が居れば尻尾を振ってじゃれつくだろう。名剣の名に相応しく粗末な金属の鎧ならば容易に切り裂く刃の体で。

 

 この地に滞在する魔族は一人。擦れ違えば大抵の男は思わず振り返る程の可憐な見た目の少女だが、それでも魔族は魔族。当初は侮り数で押せば勝てると思った者達が居たが、多くの者の命を授業料に無駄だと心に刻みつけられている。

 

 魔族は英雄になり得ぬ者達が集えども到底敵わぬ相手。既に抗う意志も潰え、ポチによって逃亡すら不可能な彼等に残されたのは神に祈る事。そして今、残骸となった名剣ポチが積まれた外にて祈りを捧げる。但し、助けの懇願ではなく、助けられた事への感謝の祈り。

 

「……終わった。これで帰れるぞ」

 

 一段と激しく揺れた砦を目にした誰かが呟く。間を置かず聞こえて来たのは壁を幾枚も貫通しながら何かが飛んで来る音。その何かは門を破り姿を現す。攫われて来た者達を恐怖で支配していた魔族、ニュマ・リリムがボロボロの状態で垂直に飛んで来たのだ。

 

 そのまま彼女が向かったのは名剣ポチの残骸の山。人々を恐怖で支配する為に放っていたモンスターの鋭利な肉体がニュマの体に突き刺さり、動きを止めた所に降り注ぐ。思わず多くの者が目を逸らす中、見るも無惨な姿になった彼女は光の粒子になって消え去った。

 

「や……やった!」

 

 思わずこぼれた誰かの呟き。それに籠もった喜びは直ぐ様伝播し歓声が上がる。そしてその完成は崩れ始めた砦の中から慌てて出て来た二人の姿を見るなり更に大きくなるのであった。

 

 

「……ったく、派手にやり過ぎだろ。胸を馬鹿にされた程度でキレんなよ」

 

「あら、レリックさんだって得たばっかりの力で調子に乗った挙げ句に重要そうな柱を幾つも壊したじゃない」

 

 ムスッとした表情で互いに横目を向け、数秒の沈黙。最初に口を開いたのはレリックだ。

 

「んじゃ、二人の責任な」

 

「まあ、そうね。活躍も失敗も二人のって事にしましょう」

 

 ムスッとした表情から一変して笑みを浮かべた二人は歓声を浴びながら拳を軽くぶつけ合う。

 

 

 尚、この島は楽土丸が居る島から遙か北西に存在していた。



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理解する少女 理解が足りないツンデレ

「こっちだよー!」

 

「そっちじゃないよ。こっちだってばー!」

 

 私の膝の辺りまで水没した林の中、私は周囲から聞こえて来る無邪気な子供みたいな声を聞きながら進んでいた。流される程じゃないのだけれど足が浸かっている水には流れがあって体力を奪って行く。ちょっと休憩しようにも生えている木は細長い物ばっかりで登ったら折れちゃいそうだし、何本も折って重ねれば一時的な休憩所にはなりそうだけれど、多分怒られちゃうわね。

 

「こっちこっちー!」

 

「僕が言っているのが正解だよ。他の声は嘘吐きだからねー!」

 

 普段なら何とも思わないのでしょうけれど、こうやって困っている時は少し鬱陶しく感じるわね、この声って。まるでアンノウンに囲まれてるみたいだわ?。いえ、流石に失礼な感想なのでしょうけれど。

 

「それにしても……」

 

 少し楽そうな道を選んだレリックさんに腹が立つ。向こうは可愛い女の子が居たし、本当にあの人ったらロリコンなんじゃないかしら?

 

 

 そもそも私が一人でこんな事をしているのには理由が有るわ。まあ、理由も無しにこんな大変な事をするだなんて有り得ないのだけれど……。

 

 

 

 

 

 

 遡る事二日前。私とレリックさんは誘拐されていた人達の一部を解放して、話を聞いた後で賢者様がそれぞれの故郷に送り返したわ。世界間を自由に行き来して好きな場所に転移可能って凄いわよね。優秀な魔法使いが修行を積めば特定の拠点とマーキングした対象の近くの間に限って可能らしいけれど、賢者様はそんな制約無いもの。

 

「面倒な話も栄養のバランスも今日は忘れましょう。……あっ、いや。一応魔法でどうにかしましょうかね」

 

 この日、食卓には何時もと違う料理が並んでいたわ。マヨコーンピザにミックスピザ、フライドチキンにポテトチップス。普段は栄養のバランスを考えつつ美味しい料理なのだけれど、偶にはこういったジャンクフードが食べたくなるって賢者様が言い出したの。まあ、言葉の通りに魔法でどうとでもなるらしいけれど、食事にそういったのは持ち込みたくないらしいわ。

 

「ジャンク……?」

 

 ジャンクフードって何かしら? ちょっと味の濃いお肉中心のメニューに躊躇いつつも、ついつい手が伸びてしまうわ。濃い味付けで、口の中でシュワシュワ弾ける炭酸飲料って飲み物も合うし、今日だけなのが惜しいわね。

 

「ちぃっと雑多な味付けだが悪くねぇっすね、賢者様。簡単なパーティーには最適だ」

 

 ビールジョッキを片手にフライドチキンを骨ごとバリバリと食べながら喋るレリックさんだけれど、そんな食べ方をしているから口元に食べかすが付いちゃってるじゃないの。

 

「レリックさん、ちょっとこっちを向いて。もー! 手間が掛かるわね」

 

 ティッシュでレリックさんの口元拭いてあげるのだけれど、レリックさんったら少しも抵抗しないで受け入れて。……もしかして年下に世話をされる願望でも有るのかしら? いや、考えるのは止めておきましょう。

 

「レリッ君ったらゲルちゃんの尻に敷かれてるよねー」

 

「なすがままだよね、君」

 

「そんなだからロリコン扱いされるんだよ」

 

「あっ! 昨日担当の僕、それは僕のピザだよ」

 

「名前なんて書いてなかったよ? だから早い者勝ちさ」

 

「マスター! 次はオレンジジュースが飲みたーい!」

 

「ムシャムシャモグモグ。レリッ君って凄い年下が好みなの?」

 

 私が心の中に留める気だった言葉を遠慮無しに口にする声。それと同じ声が六つ続けて放たれる。テーブルの上には今、子猫サイズのアンノウンが七頭全て揃っていたの。取りあえず一言コメントを。……頑張って、レリックさん!

 

 

 

「それにしてもアンノウンが集めてくれた人手のおかげで随分と情報が手に入りました。私が魔法でパパッと集めた場合、それで解決しても得られる功績が激減しますからね」

 

 チャーシューを山盛りに乗せたラーメンを啜りながら賢者様が語る。そう、世界を救う為には勇者である私が人を救って功績をあげる必要が有るのだけれど、賢者様みたいに神様側の方々の力を借りてばっかりじゃ得られる功績が大きく減っちゃう。だから遠回りに見えても私が出来るだけ活躍しないといけないし、アンノウンの部下のキグルミさん達の協力はギリギリで一般人の協力扱いみたい。まあ、どう見ても一般人じゃないのだけれど。

 

 今日も他の世界から誘拐された人が無理矢理建設させられていた砦の場所を突き止めてレリックさんと一緒に支配していた魔族を倒したわ。

 

 でも、その魔族の名に賢者様はちょっと考える事があって、悩んでる時はこんなメニューが食べたくなるみたい。ニュマ・リリム……そう、リリム。レリックさんも私達の仲間に加わる前に会った事がある名前で、賢者様も倒した魔族の名前らしい。

 

「……同じ怪物名を持つ魔族は同時期に誕生しないはず。可能性は低いですが随分と質の悪い上司が居るらしいですしコードネームの一種なのか、それとも何かが変わったのか。考えてたら凝ったメニューとか繊細な味付けとか面倒になりました。なので今日は魔法オンリーです」

 

 怪物名……確か座学で習ったわね。魔族は誕生した瞬間から名前と名前への誇りを持っているらしいわ。例えば私が最初に戦った魔族の名前はルル・シャックスだけれど、シャックスの部分が怪物名。どうやら特別な意味が有る言葉らしく、どんな力を持つ存在なのかを示している。だから別の周期に同じ怪物名を持つ魔族が現れたら記録から能力が分かるらしいわ。隠せばいいのに誇りが有るから隠さないとか理解出来ないわね。私からすれば助かるのだけれど。

 

 

「賢者様って実は面倒臭がりよね」

 

「別に良いじゃないですか。私だって人間ですよ? 年中無休で働き続けて理想的な姿を貫くとか無理ですよ。面倒臭い」

 

「此奴は基本的に怠けたい時には怠けるぞ。昔も剣道とやらの練習も師範を務める祖父の目を盗んでサボっていたらしいからな」

 

「……」

 

 あら、レリックさんったら少しショックを受け過ぎじゃないかしら。たかがそれだけの事で絶句するだなんて、賢者信奉者って面倒なのね。

 

「レリックさん、よく考えて。普段から私みたいな子供の前でも、溺愛している娘の前でもイチャイチャする方よ?」

 

 まだまだポンコツな所を少ししか見ていないのに、この程度でショックを受けていたら心が持たないと思うのに、レリックさんは私の言葉に更にショックを受けちゃって固まってしまったわ。あら? フライドチキンが最後の一個ね。レリックさんが手を伸ばしたから諦めたけれど今なら……。

 

 そう思ったのにフライドチキンに伸ばした私の手は空を掴み、フライドチキンを持ち上げたパンダが尻を私に向けた状態で左右に振る。煽っているのかしら? 明らかに煽っているわよね?

 

「甘いよ!」

 

「ふっふっふ! 食い意地なら誰にも負けないさ!」

 

「それじゃあ最後の一個は僕が貰おう!」

 

「そう! 本日担当の僕がね!」

 

「いやいや、昨日担当の僕だって」

 

「じゃあ、間をとって明後日担当の僕が!」

 

「こらこら、喧嘩は駄目だから一昨日担当の僕が食べるよ」

 

「「「「「「「食べるのは僕だよ!」」」」」」」

 

 ……自分だけで喧嘩が可能って器用ね、アンノウンったら。パンダのコントロールの争奪戦をしているのか机の上をパンダがウロチョロしていて慌ただしいし、結局は一匹が七匹に分裂したのだし勝負なんか終わりそうにないわ。

 

「じゃあ、私はご馳走様ね。レリックさん、行きましょうか」

 

 普段ならデザートも食べる所だけれど、流石に脂っこい物を食べ過ぎたわね。

 

「……本当に魔法って便利よね」

 

 あれだけ食べても太る心配をしなくて良い事に安心しつつ私はレリックさんの手を引いてテーブルから離れる。お皿は勝手に消えちゃうし、少し部屋で本でも読みましょうか。

 

 

 

 

「いい加減にしろ!」

 

 拳骨が七発落ちる音を背中に浴びながら私は外の景色に目を向ける。此処からは見えないけれど、明日行く場所が少し楽しみだったわ。だって私がずっと絵本で憧れた所だもの。

 

 

「まあ、期待し過ぎるのは駄目ね。……それにしてもアンノウンが悲鳴すらあげられないなんて」

 

 

 

 



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いざ妖精の国へ

 霧に包まれた水没林を小舟に乗って進んで行く。霧によって視界は閉ざされているし、不思議な事に私の鼻も利かない。感じるのは川の水と植物の香りだけな上に、どちらから漂ってくるのかさえ不明だったわ。こんな事、今まで一度も無かったのに……。

 

「不思議だと言いたそうな顔ですね。既に予想が出来ていると思いますが、この霧は招かれざる客を惑わして入り口に戻す魔法によって発生した物ですよ」

 

「あら、矢っ張り。鼻が全然利かなくって困惑していたのよ」

 

 船に乗っているのは船首に足を掛けて鈴を鳴らす賢者様と船の縁から霧に包まれた林を眺める私。そして何故か水を見ようともせずに寝転がっているレリックさん。アンノウンはパンダだけ同行してて、女神様はお留守番よ。船は一見すれば狭いけれど、乗ってみれば不思議と広い。なのに女神様が来ていないのは定員オーバーじゃないの。これから向かう場所に行くのに女神様が居たら面倒だからって留守番を言い渡したのよ。

 

「……いや、本当に面倒な所でな。正直言って重いと言うか何というか……察してくれ」

 

 あの女神様が賢者様と別行動を選ぶだなんて、一体何があるのかしら? これから向かう先に私は子供心に憧れていたわ。絵本で何度も風景を見て一度見てみたいと思っていた場所。妖精達が住まう妖精郷(ようせいきょう)に……。

 

 

 船は誰もオールを漕がなくても進む。川の流れを見れば流されているだけじゃないのが分かる。流れに沿って進んでいるかと思ったら横断したり逆に進んだり、川に手を入れてみれば冷たくて気持ち良い。

 

「落ちたら大変ですよ。この辺り、結構深いので。まあ、勇者の身体能力ならば問題無いでしょうが」

 

「ゲルちゃんは泳げるの?」

 

「ちょっと前までは苦手だったわ。村の近くに川は有るけれど水遊びを楽しんで泳ぎの練習って余裕も無かったし」

 

 アンノウンの言葉に私は目を逸らしながら答える。まあ、今は少しは泳げるのよ? 女神様が泳げないと水中で戦いにならないからって教えてくれたわ。……水中戦の訓練をしながらだけれども。大変だった。うん、大変だったわ。て言うか、アンノウンったら分かって言っているでしょ。

 

「って、あれ? 私は?」

 

「そろそろ到着しますよ」

 

 水没林の木々の隙間を通り抜け、船は流れが無いみたいに止まる。目の前には不自然な程に木が生えていなくて綺麗な円が出来ている。水面は一切動かず、まるで鏡みたいに空を映し出していた。

 

「この先に妖精郷が存在するのね」

 

「ええ、後はこの先に進めば妖精郷に……おや?」

 

 それなら今直ぐにでも飛び込もうとしたのだけれど、レリックさんが起き上がらない。熟睡? いえ、これは……狸寝入りかしら?

 

「レリックさん、遊んでいないで行くわよ」

 

「……グー」

 

「下手な演技は止めて。さっさと行くわよ」

 

 何が嫌なのかは分からないけれど、妖精郷に行くのはレリックさんの為なんだから一緒に来て貰わないと困るのよ。私はレリックさんの腰を掴むと抵抗される前に川に投げ込んだ。

 

「いや、別に放り込まなくても私が道を作りますのに」

 

 賢者様は少し呆れた様子で手を前に翳す。目の前の円の部分だけ水が引いて、深い穴に向かう階段が出来ていたわ。あっ、レリックさんが階段を転げ落ちている。悪い事をしたわね。……凄く悪い事をしたわね。

 

「じゃあ進みましょうか」

 

 レリックさんに後で謝らないと、と思いながら私は賢者様と一緒に階段を進む。それにしてもレリックさんったら何故水に飛び込むのを嫌がっていたのかしら?

 

「泳げない……とか? でも、レリックさんも水練位は受けている筈よね?」

 

「泳げないという話は聞いていませんよ? まさか妖精に嫌な思い出でも有るとか。……有り得ますね」

 

「……えっと、嫌な予感がするのだけれど?」

 

 賢者様は心底嫌そうな顔をしているし、心底行くのが嫌みたい。え? 妖精さんったらそんなに面倒な相手なのかしら? 絵本とかでは無邪気で悪戯好きで……悪戯好き? 私はこの瞬間、猛烈に嫌な予感がして、賢者様の頭に乗ったパンダに目を向ければ笑って見えたわ。ヌイグルミなのに、この子はどうして笑っているのを伝えられるのかしら?

 

 

「皆、僕の同類さ!」

 

「嫌な予感が的中したわ! 皆って事は沢山居るって事よねっ!? アンノウンみたいなのが沢山居るのよねっ!?」

 

「まあ、僕の方が凄いんだけれどね」

 

「……ちょっとだけ安心したわ。小指の先位だけれど」

 

 だって沢山居るのでしょう? 郷って位だから大勢居るのでしょう? アンノウンの同類が。

 

「あれね。賢者様と同じで憧れの相手は憧れのままま会わないでいた方が良いって事よね」

 

「おや、ゲルダさんも酷い事を言いますね。私だって大変なんですよ。賢者とか大層な名で呼ばれたりイメージ通りの振る舞いが必要だとか」

 

 まあ私だって勇者だし、色々と全然違うイメージを持たれたりとかしているでしょうね。多分昔の私みたいに物語のイメージを憧れで膨らまして。…ガッカリされる未来に少し落ち込みそう。そんな事を考えて居る間にも私達は階段を進み、光り輝く門の前まで辿り着く。それにしても随分と長い階段だったわね。普通に潜っていたら苦労してそうだわ。だって私って未だそれ程泳ぎに慣れている訳じゃないし。

 

「あら? レリックさんが居ないわね」

 

「随分と激しく転げ落ちていましたし、既に先に進んでしまったのかも知れません。……大変な事になっていなければ良いのですが」

 

「多分なっているだろうけどね!」

 

 アンノウンの明るい声に私は少し慌てて門を開いて先に飛び込む。流石に私の強引な行動が招いた結果だもの。何かされる前に助けなくっちゃ。もう手遅れだとは思うけれども。勢い良く扉を開けて駆け込めば一番先に感じたのは甘い香り。目の前には大小色取り取りの花畑。そして聞こえて来たのは楽しそうな歌声。

 

「ようこそ勇者様!」

 

「妖精郷にいらっしゃいませ!」

 

 私の周囲を舞うように飛び回るのは蝶を思わせる形のキラキラ光る羽を持った人形サイズの人達。間違いないわ。此処はまさしく私が憧れた妖精郷。アンノウンや賢者様が脅かすから変に身構えたけれど、その必要は無かったかしらね?

 

 

 

「歓迎のパイをどうぞ!」

 

 あら、素敵な歓迎ね。妖精さん達が数人掛かりで持って来てくれたのは美味しそうなクリームパイ。あれ? 凄い勢いで私の方に向かって来て……。

 

「ダイレクトプレゼーント!」

 

 ベチャリ! そんな音と共に私の顔面に叩き付けられたクリームパイ。……あっ、うん。人の忠告はちゃんと聞いてなくちゃ駄目ね。



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甘味対決! 妖精vs大熊猫

 妖精、それは数多くの絵本や伝説に登場するけれど、実際に会った事が有る人は数える程しか居ない種族。でも、目にしなくても関わったって人の話は偶に聞くわ。例えば森の中で迷子になった子供が何処からともなく聞こえた声を頼りに歩いたら無事に森から出られたり、旅人がうたた寝をしていたら荷物の中のお菓子が消えて、代わりに沢山の木の実が入っていたり。

 

 妖精達は滅多に姿を見せないし、余程の相手じゃないと自分達の住む国に人を招待しないし、招待されないと入る事が出来ない。悪戯好きで無邪気だけれど警戒心も強い、それが私が知っている妖精よ。だから絵本に載っているのは招かれた人の話からの再現だけれど、私の目の前に広がる風景は正に絵本の通りだったわ。

 

「……悪戯好きなのまで本当だなんて。しかも想像の上を行ってるわ」

 

「あはははは! ゴメンね。僕達もイメージって奴が有るからさ。ほら、アフターケアだってバッチリさ」

 

 顔に張り付いたクリームパイを掴み取り、持っていたハンカチで顔を拭おうとしたら妖精さんの一人が濡れタオルを差し出して来た。まさか顔を拭いたら変な模様が顔に着いてるとかは無いわよね? 少し警戒しながらタオルを調べるけれど不審な点は無い。少し安心し、疑った事を悪く思ったのだけれど、そもそも向こうが仕掛けた悪戯が原因だからその必要は無いわよね。タオルでベタベタするクリームを拭い、レリックさんが居ないか周囲を見回す。

 

「私より先に来た人は何処かしら?」

 

「あの不良っぽい顔の人? だったら木の陰に隠れているよ」

 

「あら、本当ね。レリックさん、さっきのは謝るから出て来て。賢者様だって直ぐ来るでしょうし」

 

 花畑の周囲に生えている不思議な木達。さっき投げつけられたクリームパイを小さな妖精さん達がどうやって作ったのかと思ったけれど、木を見れば直ぐに分かったわ。木の実じゃなくてお菓子が生っているのよ。可笑しな木ね。痛んだりしないのかしら? ここ、温暖な気候だし、雨だって降るんじゃないの?

 

「……こっち来んな。いや、マジで頼むから来ないでくれ」

 

 そんな木の陰からチラリと見える銀髪。間違い無くレリックさんが居るのは彼処なのだけれど、どういう理由か姿を現さない。あっ、察したわ。

 

「そんな酷い事されているの?」

 

 多分見られたくない姿にされているのね、と私が察すると門が開く。どうやら賢者様も来たみたいね。私は賢者様まで悪戯のターゲットになるんじゃないかって心配したのだけれど、実際は違ったわ。門はゆっくりと開き始めたのだけれど、妖精さん達は途端に慌ただしく動き始めたのよ。

 

「楽隊の準備を!」

 

「整列しなさい、整列!」

 

「楽器構えて。早く!」

 

 私やレリックさんを出迎えた時と違い、まるで外交でやって来た他国の王族を出迎える時みたいに綺麗な隊列を組み、賢者様の姿が見えるなりラッパの音が鳴り響く。

 

「ようこそいらっしゃいました、賢者様!」

 

「偉大なる女神様の夫!」

 

「妖精郷に足をお運びいただき感謝の極みです!」

 

 ……成る程ね。随分と畏まった様子の歓迎だし、賢者様も少し困った様子だわ。挨拶が済むなりお絞りや飲み物を差し出しているし、まるで敬虔な信者が信仰対象に出会った時みたい。女神様が少し重いって言っていたのはこの事ね。

 

「確かに此処まで歓迎されたら逆に気が滅入りそうだけれど……私達との差が開き過ぎてやしないかしら?」

 

 かたや顔面にクリームパイを叩き付けられ、方や歓迎のファンファーレでの丁重な出迎え。しかも私って勇者だと認識されていたわよね? そりゃ勇者より賢者様や神様達の方がずっと上の存在だろうけれどモヤモヤするわ。

 

「俺とは真逆だな、おい……」

 

 それはレリックさんも感じた事なのか木の陰から思わず身を乗り出して賢者様への歓迎の様子を眺めて呟いたわ。そのせいで私には見えちゃったの。ピンクのフリル付きのドレスを着たレリックさんの姿を。向こうも私と目が合って、自分の格好を見られているって気がついたらしい。何処かに走り出して行っちゃった。

 

「あれは追いかけない方が良いわね、きっと」

 

 あんな服を着せられて、翻ったスカートの中もピンク色の女性用下着にされて、それで顔をクリームまみれにされた程度の私に慰められてもショックが大きくなるだけよ。だから私は信じるだけよ。レリックさんなら絶対に立ち上がれるって……。

 

「頑張って。私が応援しているから」

 

 それはそうと流石に悪戯にしては度を超しているとしか思えない。未だに賢者様の接待をして今は歓迎の演奏を始めた妖精さん達に一言は言ってあげないと時が収まらないわ。アンノウンだって悪戯によっては女神様にキツく叱られているし、私が叱るべきね。

 

「ちょっと……」

 

 妖精の年齢は分からないけれど黙ってはいられないので声を掛ける。でも妖精さん達が意識を向けたのは私じゃなくて、花畑の中心に立つ門。それがゆっくりと開き始めていた。一体誰が来るのかしら? あれ? アンノウンが居ないわね。もしかして来るのはアンノウン?

 

「賢者様。どうしてアンノウンと別々に?

 

「幾ら招かれなければ入れない場所でも騙したり脅したりで案内させれば来れますからね。一度になだれ込まない為に妖精以外は一度に通れるのは一人まで。私なら魔法でどうとでもなりますが、アンノウンが必要無いと言いまして。

 

「それで残したのね。……あ~あ」

 

 大量のクリームパイを構える妖精さん達。さっきの反応から来る相手がどんなのか分かるみたいだけれど相手が悪かったわ。

 

「これでも食らえー!」

 

「うん、分かった!」

 

 パンダの姿が見えるよりも前に一斉に投げつけられたクリームパイはパンダの口から伸びた長い舌が全て絡め取り、妖精さん達が驚くよりも前に何かが降って来たので慌てて賢者様の近くに行く。空からクリームがたっぷり塗られた特大のフワフワドーナツが落ちてきたのはその瞬間。中心の穴に丁度私と賢者様が収まり、妖精さん達はドーナツの下敷きになってしまったわ。

 

「アンノウン、これって大丈夫なの?」

 

「暫くは痛まないから問題無し! 好きなだけ食べて良いよ、ゲルちゃん」

 

「いや、遠慮するわ。甘ったるい香りが漂い過ぎているもの」

 

 多分食べたら凄く太るとか何か罠があるのでしょうけれど、それ以前に食べる気がしない私は鼻を押さえる。クリームパイを顔面に叩き付けられた事で気が付いたのだけれど、この辺り一帯ってお菓子ばかりだわ。木の実だってお菓子だし、よく見れば花だって砂糖菓子。甘い香りは花じゃなくてお菓子の物だったのね。

 

 そうと気が付いた途端に周囲の匂いが気になった私は手で鼻を押さえる。所で私は食べても大丈夫かって意味で訊いていないけれど、アンノウンだって分かっていてズレた返答をしたわね。……なら大丈夫でしょう。アンノウンは一切油断ならないけれど、敵ですらない相手の命を奪う悪戯はしないもの。

 

「な、な、な、何をするんだー!」

 

「いや、先にやったのはそっちじゃない」

 

 ほら、クリームが盛り上がったと思ったら妖精さん達が怒った様子で出て来たわ。何時もだったらアンノウンに呆れる所だけれど、今日だけは別よ。だから今回だけはアンノウンの味方をしましょうか。必要無いとは思うけど。

 

「何をするんだって、クリームパイのお礼に超巨大なクリームドーナツを落としただけだよ? 虫歯確実の砂糖の量の特別製さ!」

 

「ちょっとアンノウンっ!? 貴方、私に好きなだけ食べて良いって言わなかったっ!?」

 

「言ったよ? 一分も経ってないのに記憶があやふやとか、ゲルちゃんはゲルちゃんだなぁ……」

 

 前言撤回! 私、絶対にアンノウンの味方はしない事にしたわ。一瞬でも味方になろうと思った自分が恥ずかしい。だって相手はアンノウンよ。

 

「おやおや。喧嘩は駄目ですよ? 仲良くしましょう」

 

「僕とゲルちゃんは大の仲良しだよ、マスター!」

 

「賢者様がそう仰るのなら……」

 

「……」

 

 賢者様ったら相変わらず身内が関わるとポンコツよね。多分少しじゃれ合いがエスカレートした程度に思っているのでしょうけど。

 

「しかし妖精って大変だよね。キャラ付けで悪戯とかしなくちゃ駄目だなんて。僕はしたくない事は基本しないし、やっちゃ駄目な事でもやりたいならするよ」

 

 ……え? 今、妙な事をアンノウンが言ったわよね? 基本的に妙な事しか言わない子だけれど。妖精さんの悪戯がキャラ付け? 

 

「えっと、それは一体……」

 

 どういう意味かとアンノウンではなく賢者様に教えて貰おうとした私の視界にレリックさんの姿が映る。金色に光る羽を持つ人間サイズの妖精のお姉さんと腕を組みながら歩いて来ているけれど、何故か目が死んでいたわ。……あと、服装は女装のままだった。

 

「……一体何が有ったのかしら」

 

 知りたいけれど、知らない方が良い気もするのよね……。



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ツンデレ&パンダで恐怖する

「あら、随分と上等な酒を出すじゃない。良いのかしら? これ、旦那の秘蔵の品じゃなかった?」

 

「うふふふ。駄目よ、シルヴィア? 夫婦でも大切なお酒を勝手に出しちゃ」

 

 ゲルダ達が妖精郷に向かっている頃、同行を拒否してアンノウンの本体と共に留守番をしているシルヴィアを姉であるイシュリアと母であるフィレアが訪ねていた。親子三人でテーブルを囲み、グラスに注いだ上物のワインを楽しむ。どうやらワインはキリュウの物らしいが、それを出して来たシルヴィアには気にした様子すら見られなかった。

 

 因みにアンノウンだが、悪戯をさせない為に子猫サイズにされてシルヴィアの膝に乗せられていた。ワイングラスを持っていない方の手で頭をガッチリと掴んで離さない。既にこの時点でダイヤさえ貫通する程の力が指先に込められていた。

 

「構わんさ。ちゃんと許可は取ってある。偶に集まるのだから楽しめと秘蔵の品を渡してくれてな。……本当は更に上物が有ったのだが、この馬鹿が飲んでいてな」

 

「ギブ! ギブ! ボス、ギブアップ!」

 

 言葉の最後に怒りを滲ませながらアンノウンの頭を掴む指に更に力を込めればミシミシと音が響いた。悲鳴を上げて逃げ出そうとするも動けない。普段キグルミ姿ににされたり落とし穴に落とされたりビームを撃たれたりしているのだが、静かで穏やかな声がその場に響く。

 

「二人共、駄目よ? アンノウンは未だ子供なのに苛めちゃ可哀想よ。ほら、こっちに来なさい」

 

「いや、しかしだな母様……」

 

「私、普段から此奴に散々……」

 

 笑いながら差し出した母の手に思わずアンノウンを渡してしまったシルヴィアだが、直ぐに我に返って反論を始める。それに続くイシュリアだが、どうも二人揃って覇気が足りない。

 

「駄目よ?」

 

「「はい!」」

 

 フィレアは笑顔だ。恋と美を司る女神であり、母である彼女に相応しい穏やかながら美しく慈愛に溢れた笑み。だが、娘二人は何処か怯えた様子。普段の自信や強気に溢れた顔は何処へやら、何やらトラウマを呼び起こされたらしい。

 

(ふふ~ん! こうしていれば安心だね)

 

 余裕なのはアンノウン。フィレアの膝の上で背中を撫でられながら尻尾をパタパタと動かし、普段は一方的に叱られているシルヴィアと、何時も一方的に弄くっているイシュリアの姿を楽しんでさえいた……のだが。

 

「でも、アンノウンだって良くないわよ? ちょっとお仕置きフルコースね」

 

「え?」

 

「「お、お仕置きフルコース!?」」

 

「えぇっ!?」

 

 更に顔を青ざめさせる二人の姿に只ならぬ物を感じて逃げ出そうとするのだが、その首根っこをフィレアの手が掴んで離さない。足をバタバタ動かすも体が揺れるだけで一向に逃げられる様子が皆無だ。

 

 

「じゃあ、ちょっとお仕置きね」

 

「あーれー」

 

「ほら、抵抗しないの。良いじゃないの、良いじゃないの」

 

 ニコニコ笑いながらアンノウンを連れて行ったフィレア。そのまま姿を消した彼女の姿を見送った後、女神の姉妹はホッとした様子で顔を見合わせた。

 

「……行ったな」

 

「……行ったわね。所でキリュウ達は妖精郷だっけ? 彼奴達ってガチ信者だから重くて困るのよね。前に私が当番で行った時には生け贄を捧げようとしてたわよ」

 

「捧げられても困るだけなのだがな。受け取れたとして、神がどう役立てれば良いのだ?」

 

「さあ? ……えっと、今回の女王は本当に面倒よ。次期女王の時に会ったけれど……うん」

 

 問題児ナンバーワンのイシュリアさえも言葉を濁す。その事に少し戦慄するシルヴィアであった。

 

 

 

 

 

 

 

「……うーん。レリック君はその内女の子に刺されないか心配だよ」

 

 未だ俺がレガリアさんと仕事をしていた頃、一仕事終えて立ち寄った街で結構好みの女が居たから口説いて酒を飲んだ。その後は順調に進んで同意の下で一晩楽しんだんだが、朝帰りするなり困り顔でこんな事を言われたんだ。

 

「大丈夫だって。俺を刺せる奴がそうそう居るかっての。狙ってやがったら殺気だのなんだのを感じるしな」

 

「まあ、君なら襲われても大丈夫だろうけど、世の中には厄介な子も居るから注意してね?」

 

 この時の俺はレガリアさんの忠告を適当に聞き流してた。さっきも言ったが俺は強いし殺気を感じとるのも得意だから不意打ちで刺されたりはしねぇし、正面から襲って来ても返り討ちにする自信だって有るからな。

 

 まあ、それに俺は好みの相手を口説きはするが、結婚とか交際をちらつかせる真似はしてねぇぞ? ちゃんと一夜だけの関係だって分かった相手にしか手を出さないし、ナンパして飯でも食ってる最中にヤバい奴だと感じたら速攻でおさらばだ。魔本を使うタイプの魔法使いはどんな手を持ってるか分かったもんじゃねぇし、魔法使いも基本的に対象外。互いに割り切って楽しめればそれで良いんだよ。

 

「君、結婚願望とか無いのかい? オジさんも若い頃は無かったけれど、実際にしてみたら良い物だよ」

 

「分かってるよ。レガリアさん達の姿を何年間近で見てると思ってんだ」

 

 そうだ。俺は別に結婚に否定的な訳じゃ無い。レガリアさん夫婦の所で世話になって、家族の良さだって知ってる。だがな、俺は絶対に復讐を遂げなければならないんだ。普通の幸せは全てが終わった後だ。今更汚れちまった手で普通の幸せが掴めるとも思ってねぇがな。

 

 だから俺には恋人だの妻とかは要らない。ちょっとの間楽しめる相手を必要な時に見繕えば十分なんだ。

 

 

「……あはっ! こんな大胆なプロポーズを初めてされました。まあ、殿方に口説かれる事自体が初めてなのですが」

 

 そんな俺だが、今絶賛ヤバい事態に陥ってる最中だ。目の前にはってか、息が掛かる距離に見えるのは若い女の顔。如何にも儚げなお嬢様って感じの美女で胸も大きい。正直言って好みだが、俺は絶対に口説こうとはしないだろう。だってよ、目がイっちまってるんだ。ハイライトが無いっての? 俺はそれなりにモテるから何度か会った事が有るんだ、こんな目の持ち主に。

 

「ねぇ、子供は何千人欲しいでしょうか?」

 

「……落ち着け」

 

「そうですね。先ずはデートを繰り返して絆を深め、それから欲望に任せれ……きゃっ!」

 

 そう、正にこんな感じに人の話を聞かなかったり、聞いても都合良い解釈をしたり、中には一度も話してないのに結婚の約束をしている事になってたり。要するに妄想激しいストーカータイプ。レガリアさんが言っていた刺してくるタイプの女って事だ。

 

 そんな女を俺は今、絶讃押し倒し中。……何でだよっ!?



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ツンデレ、ヤンデレに目を付けられる

 俺、偶に呪われてんじゃって思う時が有る。呪って来る相手に心当たりが有るし、仕留め損ねた時の為にってとうの昔に呪われてた可能性が否定出来ないからな。

 

 例えば、こっそり侵入した王城で第三王女を押し倒して唇を奪ったり、偶然飛び込んだ先で賢者様の養女の水浴びを見ちまったり、十年近く経って漸く会った妹の胸や尻を触っちまったり、もう沢山だぜ。

 

 あっ? 羨ましいだ? あのな、そんな事言う前に考えろや。王族が住む城に侵入した挙げ句に第三王女を襲ったみたいな状況に陥ったり、信仰対象が溺愛している娘の裸を偶然目撃しちまったり、実の妹っつってもその事は黙ってんだぞ? 事故であろうがなかろうが、信じて貰えようが貰えまいが、普通に死ねるだろ。社会的にも物理的にも。だから今の俺は運が良いのか悪いのかって話だよ。妹の件以外は俺が自分から殴らせた以外は幸運にも無事に済んでいるからな。そんな事態に陥る事が不運っちゃ不運だがよ。

 

「……言葉も交わしていないのに大胆なお方。でも、それ程までに私を求めているのですね」

 

 だがな、そんな俺も不幸は続くが運は尽きちまったらしい。妖精郷に到着するなり魔法で女装させられた俺は逃げ出し、前をちゃんと見ていなかったから蹴躓いて勢いそのままに前に飛んだ。そのまま地面に倒れるだけなら平気だが……居たんだよ、前に。綺麗なドレスを着た巨乳の美女がな。ありゃメロンでも服の中に入れてんじゃってレベルだったぜ。

 

「げぇっ!?」

 

「……え?」

 

 避けろと言う暇もなく、俺の体はその女に向かい、伸ばした右手の先が右側の襟を掴んで真下に引き裂く。ブラを着けてなかったらしく是非揉んでみたい見事な胸が露わになり、左手は破れていない側を正面から掴んだ。後はそのまま倒れ込み、俺の唇に触れる女の唇。……今までで最大にやっちまった。

 

「……うん? お前って……女王だよな?」

 

 俺は口ではそう言うが、肯定されると分かっていながら否定されるのを望む。倒れ込む前に見えたのは女の背中に生えた金色に輝く妖精の羽。そんな羽を持ち、尚かつ俺と同サイズ。その事実が俺に気が付きたくなかった現実を突きつける。だってよ、普通に妖精は小さいんだ。人間サイズなのは只一人だけ。

 

「……はい。私こそが今代の妖精女王のヴェロンですわ、旦那様」

 

「……うん? 旦那様?」

 

「ええ、その通りです。私に一目惚れした貴方は我慢の限界を超えて襲い掛かった。でも、私はそれを受け入れましょう。私も貴方に一目惚れしたのですから。ふふふ、どんな方と夫婦になるのかと不安でしたが、今のタイミングで妖精郷にお越しという事は勇者様である少女の仲間なのでしょう?」

 

「……ああ、そうだ」

 

「矢っ張り!」

 

 一瞬びっくりしたが、基本的に許可が無いと妖精郷には来れねえし、そもそも事前に連絡してから来てるっぽいし、俺の立場を見抜かれて当然か。別に否定する理由も無く、俺は素直に認める。後から悔やんでも遅いんだが、俺はちゃんと何を肯定しているのかも口にすべきだったんだ。女は……ヴェロンは俺の言葉を聞くなり嬉しそうにそして陶酔したみてぇな顔でこう言い放った。

 

「良かった。万が一にも事故だったらと思ったのですが、私の思った通りに互いに一目惚れをした結果なのですね。なら、何も迷う必要は有りません。今日から、いえ、今から私達は夫婦です」

 

「……うん?」

 

 いや、ちょっと待てっ!? この女、いったい何を言ってるんだ!? 俺は困惑し、思わず口に出た言葉で全てが終わる。

 

「好き好き大好き、愛しております、旦那様!」

 

 駄目だ、自分の世界に入っちまってる! 俺は悟る。目の前の女は今まで会った中で最もヤバい奴だってな。……俺、絶対に呪われてるだろ。俺にゾッコン、心酔してますって表情のヴェロンの中じゃ既に俺は夫らしい。このままトンズラこきたいが、目的の為には無理だよな……。

 

「あら? 旦那様、少しご様子が。まさか私をお嫌いに……なるはずが有りませんね。だって私達は運命によって結ばれた夫婦。こうして勇者の仲間と妖精の女王として出会ったのも愛の女神イシュリア様のお導きでしょう。早速捧げ物……いえ、生け贄を……」

 

「ま、待て! 賢者様が来てるんだし、会って話してから決めても遅くないだろ!?」

 

「でも、それじゃあ遅くありません? お伺いを立ててから用意してお待たせするのは不敬な気が……」

 

 生け贄なんて今時時代遅れも良い所の発想が出るたぁシルヴィア様が来るのを渋る筈だぜ。真しやかに囁かれる伝説。妖精の信仰心は重過ぎる。妖精と関わる奴自体が少ないし、文献だって信憑性が薄いが、それでも妖精に関する話を集めていたら結構な割合で出て来るんだ。狂信者みたいだってな。

 

 俺はどうせ面白可笑しく話をでっち上げただけか、偶々狂信者と出会っただけで全員がそうだと勘違いしただけと思ってたんだが、どうやら本当の話だったらしい。自然に口から生け贄って話が出るんだからな。

 

 ……ん? あれ? 俺ってそんな狂信者な上にイっちゃってる女に将来を誓い合った仲だと思い込まれているって事だよな?

 

「……」

 

「そんなに見られたら照れますわ。でも、愛しい方が望むならこの場で一糸纏わぬ姿になる覚悟は御座います」

 

「いや、大丈夫だ。脱がなくて良い」

 

「えっと、着衣のままの方がお好みですか? ……っと、いけません。女神シルヴィア様の伴侶たる賢者様や勇者様をお待たせしては妖精郷を滅ぼしてお詫びしても許されざる事です。では、早速向かいましょう。その前に……」

 

 ヴェロンは胸の谷間に挟んでいたらしい小さな魔本を取り出して詠唱をする。妖精独自の言語なのか詳しくは聞き取れなかったが、確か他の妖精が俺にピンクのフリル付きの服を着せた時の魔法と似た詠唱だな。詠唱が終わると俺とヴェロンの体が光り輝いて服が別の物に変わっていた。白いタキシードとウェディングドレス、しかもブーケ付きだ。

 

「では、参りましょうか」

 

「……ああ、そうだな」

 

 最早止める気さえ起きねぇ。俺、本当に呪われてるんじゃないのか? 俺の腕に自分の腕を絡ませて歩き出したヴェロンの横顔は綺麗だが、それだけに目が怖かった。結婚は人生の墓場だって聞いた事が有るんだが、俺ってこのままじゃ何時墓場に送られるか分からない相手と結婚させられそうになってんじゃねぇのか? 酒の席でちょっと神を侮辱したら友人だった妖精が襲って来たって話があるんだが、マジじゃないかって思えて来たぜ。い

 

「私達、絶対に幸せになりましょうね」

 

 そんな嫌な予感がしながら一緒に歩く時、俺はきっと死んだ目をしていたんだろうな……。

 

 

 

 

「……ふぅん。遭遇するなり服を破いて押し倒してキスしたんだ。へぇ~」

 

 そして今、俺はゲルダに蔑んだ視線を向けられている。事故だって伝えようとは思ったんだ。だが、惚気話のノリでヴェロンが話し出してな。

 

「互いに一目惚れでして。外の男性は随分と積極的なのですね。おかげで私の恋心は激しく燃え上がりました。旦那様が求めるなら、私はどの様な事でも……」

 

 顔を赤らめ恥ずかしがりながらも嬉しそうに語る姿を見ていて察したよ。これ、変に否定したらヤバいって事をな。互いに惚れたから出会い頭に服を破られて胸を揉まれながらキスをされても許すが、事故でそんな目に遭わされるのは許せないってキレられる、そんな予感がするんだ。

 

「……ふーん」

 

「あらあら、勇者様ったら潔癖症なのですね。えっと、もしかして旦那様が特別性欲が強いのでしょうか? いえ、それはそれで嬉しいのですが」

 

「そうだよ。レリッ君はドスケベなのさ!」

 

「まあまあ、それはそれは……」

 

 嘘吹き込むな、アンノウン! てか、テメェは理解して言ってるだろ! ……ん? 急にパンダが動かなくなったな。糸が切れた人形みたいにアンノウンが操るパンダのヌイグルミの動きが止まる。気になって摘まんで引き寄せると俺にだけ聞こえる小さく弱々しい声が聞こえて来た。

 

 

「ヘ、ヘルプミー」

 

「知るか。テメェで何とかしろ」

 

 ハッ! 助けて貰えるとでも思ったのかよ。俺はパンダを賢者様に向かって放る。賢者様は少し困った様子でパンダを眺めていた。その時、パンダが動いた。

 

「えっとね。ノリで助けを求めただけ」

 

 余裕有るな、おい。それだけ告げるとパンダは再び動かなくなる。ってか、俺の心の中を普通に読むなよ。

 

「っと、こうして無駄話している場合じゃねぇな」

 

 さっさと事情を話したいし、妖精郷からおさらばしたいぜ。その場合、口説くだけ口説いて手を出した挙げ句に逃げた屑として狙われる不安が有るが……賢者様に守って貰おう。

 

 

「なあ、ヴェロン。妖精郷にのみ存在するっつう金属、妖精鉱石ティターニアを貰いたいんだが」

 

「あっ、はい。それならば試練を受けて貰いますよ。私は確かに女王ですが、それはそれ、これはこれは。決まりですから」

 

 ……おぉう。上手く行くと思ったんだが、世の中そんなに甘くないって事か。

 

 

 

 



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女王の使命と勇者の義務

 実の所、どうせ事故だろうなってのは分かっていたわ。短い付き合いだけれどレリックさんが初対面の相手を襲う最低な人とは思えないし、問題が多いとは言っても勇者と仲間を選定する術式で選ばれたのだから違うとは思うわ。

 

 ……でも、幾ら何でも多過ぎないかしら? その短い付き合いの中で私が二回被害を受けて、知り合いのティアさんも水浴び姿を見られたらしいし。短い間だけで三件、そして今回で四件目。どうも怪しいし、この四件が全てだとは思えないわ。

 

「勇者様、お飲み物をどうぞ!」

 

「今から踊りが始まります」

 

 妖精さん達による歓迎の宴。試練は後回しにして開かれたのだけれど、どうも本人達が騒ぎたいみたいね。空中を飛び回りながらのダンスや歌、運ばれてくる料理の数々。陽気で騒ぐのが大好きな人柄が伝わって来たわ。

 

「勇者様もご一緒に歌いましょう!」

 

「え、えっと、私、歌は少ししか知らないし……」

 

「ならば私達が一緒に歌いましょう!」

 

 少し強引だけれど悪い気はしないわ。まるで村のお祭りの時みたいで、見ているだけでも楽しくなれるもの。でも、向こうがちょっと気になるわね……。

 

 

「それでは賢者様。我々の神に捧げる舞いをご覧下さいませ」

 

 平伏の姿勢から恭しく告げられてから始まったのは厳かな神事の舞い。私の周りで行われているのが自由気ままで楽しむのを優先する物なら、その舞いは神への祈りが籠もった丁寧で美しい正確無比な動きだったわ。大勢が寸分の狂いも無く、神事の衣装であるキグルミを着て踊る。凄い違いにビックリだわ。

 

「……ねぇ、アンノウン。さっき言ってた事は本当かしら?」

 

 そんな姿を見ていると、レリックさんを女装させたり私の顔にクリームパイをぶつけたのが嘘みたいに見えて来るわ。だから私は宴の途中で動き出したパンダを通してアンノウンに質問したの。妖精さん達は本当は悪戯好きな性格なんかじゃないって。賢者様の周りで踊る妖精さんの姿を見ていると不思議と信じられた。アンノウンの言葉なのにね。

 

「さっき言った事? おいおい、本気にしたのかい? 確かに僕はゲルちゃんの記憶力を心配しているみたいな事を言ったけれど、ツッコミにボケをぶつけただけだって」

 

「違う、そっちじゃない」

 

 アンノウン、もしかしてわざとやってる? 何か理由が有るのなら、今はこれ以上何も訊かないで宴を楽しみましょう。

 

「……あれ? 所で妖精さん達は賢者様と女神様が夫婦だって知っていたけれど、どうして知っているのかしら? 一応隠している事なのに」

 

 そんな疑問が浮かんだけれど、身内が関わると途端にポンコツになる賢者様のが事だもの。きっとポカをやらかしたかでしょう。そうじゃないならイシュリア様ね。神様関連のトラブルの九割以上の原因らしい方だし。そう思うと自然と納得が行くわね。

 

 所でレリックさんがどうしているかというと、ヴェロンさん(様付けは不要らしい)とイチャイチャしているようで、よく見れば目で助けを求めている。少し離れた場所からでも酔いそうになる程に強いお酒を勧められているし、今なんて無理矢理口移しで飲まされているわ。

 

「……頑張って」

 

 あの人はヤバいって私の直感が告げている。だからなるべく関わるのは止しましょう。うん、本当に危なくなったら賢者様がどうにかしてくれるわ。だから私は耳が利くレリックさんには届く程度の小声で応援すると見ない事にした。背を向け、楽しそうに歌い踊る妖精さん達に加わって遠慮無しに宴を楽しむ。酔いつぶれたら大変な事になるだろうし、レリックさんの事は応援するわ、心の中で。

 

 

「やったー! フカフカのベッドだーい!」

 

 私達が妖精郷に来たのはこの場所でのみ採れる特別な金属、通称”妖精鉱石”を手に入れる為だったわ。でも、幾ら勇者と仲間でも無条件でくれる訳じゃないらしい。その条件こそが試練の突破。だけれど試練の準備が有るからって今日は客間に通されたわ。何故か私の部屋にアンノウンが居るけれど。

 

「アンノウンの正体は獣だし、女の子の部屋に勝手にとかは言わないわ。でも、貴方って賢者様の使い魔でしょう? 何しに来たの?」

 

「え? そりゃゲルちゃんの疑問に答える為だよ。マスターの所は不必要なのに護衛やら何やらが入って来て面白くないし、それならゲルちゃんで遊ぼう……ゲルちゃんと話そうと思ってさ」

 

「今、絶対ワザと間違ったでしょう? まあ、良いわ。じゃあ、最初の質問だけれど……」

 

「分かっているよ! 此処最近の体重の急増の理由でしょ?」

 

「違うわよ! だいたい、私は体重なんて全然増えてないもの!」

 

「……え? 本気で増えていないと思ってるの? 僕が体重計に悪戯している可能性を考えなきゃ駄目だって」

 

  パンダから聞こえて来る声は心底した声。つまりは全力で私を弄くりに来たって事ね。でも甘いわよ。だって私は確かにちょっと……いえ、結構食べるようになったけれど、それでも女神様に散々運動させられているもの。だから大丈夫……よね。

 

 頭では大丈夫だと分かっているけれど、私を真っ直ぐ見詰めて来るパンダの無機質な目を見ていると不安になって来た。いや、だって別にお腹周りだって太くなってない……と思うし、どうせ嘘なのだろうけど。

 

「まあ、嘘なんだけどね」

 

「……矢っ張り」

 

 うん、安心したわ。いえ、私は自分が太っていないって信じているし、賢者様や女神様が気が付く筈だから体重計に細工が出来る筈もないもの。でも、恐ろしいわ。慣れたと思っていたアンノウンの悪戯だけれど、まさかこんな風に来るだなんて。

 

「さて、話が逸れたから本題に入ろうか。妖精達が悪戯をキャラ付けの為にやっているとか、マスターとボスの関係をどうして知っているとかだよね?」

 

「ええ、そうよ。所で話が逸れたのは誰の責任かしら?」

 

「何を言っているのさ。僕以外の責任な訳が無いじゃないか。ほら、また話が逸れた。人と話す時は真面目に聞かなくちゃ駄目だよ? 常識だからね」

 

 よりにもよってアンノウンに常識を説かれたショックは凄まじい。まるでイシュリア様に問題を起こすなって言われたみたいで、全力で反論したい気分を何とか抑え込んだ。駄目よ、ゲルダ。此処で反応するからアンノウンは楽しんじゃうんだから。

 

 私が怒りを堪えているとアンノウンは語り始める。絵本や文献での断片的な情報ではない妖精さん達についての詳細な情報を……。

 

「先ず妖精ってのがどんな存在かというと、精霊の幼体みたいなものさ。僕と同じで生まれて間もない子供なのさ。だから僕も彼等もどんな悪戯をしても許されるべきなんだ」

 

 いや、限度は有るわよ? 特にアンノウン。貴方のは悪戯の範疇を越えている時が有るもの。もう少し自重なさい。

 

「妖精が成長し、ある程度の年齢になったら精霊へと変わるんだ。その時に必要なのが妖精の女王。妖精を精霊に変え、新しい妖精を生み出して次の女王を選んで、その後で死んじゃうんだ」

 

「えっ!? そんな、役目を終えたら死んじゃうって……」

 

 それじゃあまるで役目の為だけに生まれて来たみたいじゃない。レリックさんに接するヴェロンさんは確かに刺激したら不味い事になるタイプの人だけれど、それでも自分の恋に夢中になれる普通の心を持っていたわ。でも、役目を果たして死ななくちゃ駄目だなんて悲しいわ。

 

「まあ、普通にゲルちゃん達と平均寿命は同じなんだけれどね。そうやって新しく生まれた妖精の世話を成長した妖精が見て、その妖精が世話が出来る位になる頃に年老いたのから精霊に変化するんだ。因みに先代の女王は隠居中で悠々自適に暮らしているよ」

 

「あっ、別に早死にするとかじゃなくって、普通に寿命を迎える時に、役目が有るだけね、それじゃあ。……いや、もっと早く言いなさい!」

 

「何倍速?」

 

「違う。そっちじゃない!」

 

 速くじゃなくて早く! 確かに言葉じゃ分かり辛いけれど分かっていて言ったでしょ! 少し話しただけなのに疲れがドッと押し寄せて来て、私はベッドに倒れ込む。これ以上ツッコミを入れる余裕は無いわね。

 

「因みに神の命令で動く存在である精霊に変化するからか信仰心はガチでさ。当の神達からドン引きされてるんだ。でもガチ過ぎて放置はイシュリアのやらかしを放置する並みにヤバいから定期的に誰かが顔出す貧乏くじ引かされて、僕が生まれる前にティアが妖精に興味持ったから、ボスが家族旅行のついでに引き受けたんだってさ。面倒だから二度と行きたくないって言ってたし、留守番はそれが理由だよ」

 

「貧乏くじを自分から引きに行ったのね……」

 

「ボスは真面目だからね。妖精も根が真面目だから人間の前じゃ自分達へのイメージ通りに振る舞ってるんだ」

 

「……もう何からツッコミを入れれば良いのやら」

 

 疲れていたし、慣れてしまったから疑問に思わなかったのだけれど、後から考えれば別にツッコミって義務でも何でもないのよね。私、何でツッコミ入れるのが前提になっているのかしら?

 

「まあ、周囲がボケだらけだからじゃない?」

 

 一番ボケる奴が何を言ってるの、そんなツッコミを入れる余力すら残っていない私は静かに目を閉じる。

 

 この日、不思議な夢を見た。真っ暗なのに何故か落ち着く場所に居る私は誰かの声を聞いているの。男の声で私を守ってやるって言ってたわ。……一体誰なのかしら?

 

 

 



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勇者への試練 ①

「試練の内容は二つ。洞窟と水没林でそれぞれ宝探しをしていただきます。……本来ならばティアーニアを即座に献上したい所ですが、外に持ち出すには儀式が必要でして。せめてものお詫びとして妖精郷の住民の半数の命を捧げて……」

 

「いえ、一切ご無用ですので止めて下さいね? では、ゲルダさんとレリックさんの二人がそれぞれ宝探しをするという方向で」

 

  お、重い。こんなに自然な流れで死んで償うとか出て来るだなんて、頭の捻子が外れた神様達でさえドン引きして関わるのを嫌がる筈だわ。賢者様もニコニコしているけれど数歩下がっているわよね?

 

「あれ? 賢者様は来ないのですか?」

 

「この手の儀式は神の干渉が有ってはならないのですよ。私は神ではないですが、神の世界に住んで、神の世界の物を食べている身ですからね」

 

「ああ、死の世界の物を口にしたら戻れなくなるってお話と同じなのね」

 

 賢者様が一緒じゃないのは少し不安だけれど、私だって勇者として経験を積んで来たし何時までも頼ってばかりはいられないわ。それで試練の場所だけれど、妖精郷に来る時に通った水没林か洞窟のどちらかなのね。

 

「どっちも妖精による妨害が有ります。水没林は男性陣が、洞窟は女性陣が妨害をいたしますが、どちらがどっちに……」

 

「俺が洞窟に行く」

 

 説明の途中だったのに話し合いもしないで決めるだなんて。レリックさん、そんなに妖精のお姉さん達と触れ合いたいのかしら? 矢っ張り何だかんだ言ってもスケベなのね、この人って。ヴェロンさんは何も言わないけれど少し怖い笑みを浮かべているし、多分私だって訝しむ目になっているのでしょうね。

 

「い、言っとくけど、ちゃんとした理由有っての事だからな! ……どんな理由かは口にしないが」

 

「あら、綺麗なお姉さん達と触れ合いたいって理由ではないの?」

 

「あらあら、そんな筈がないでしょう。だって私と旦那様は永遠の愛を誓い合ったばかり。浮気は男の甲斐性? ふふふ、有り得ない。……殺したい程に不愉快な言葉ですよね。……冗談ですよ?」

 

「はっはは……。分かってるよ……」

 

 今のは絶対本気だったと思っているのは私だけじゃないわね。周りの妖精さん達は露骨に顔を背けるし、レリックさんは笑っているけれど完全に引きつっていたわ。ヴェロンさん、何も疑問に思わないのかしら? 思わないのでしょうね。だって完全に自分の世界に入り込んでいるもの。

 

「……ちょっと嫌かな?」

 

 誰にも聞こえない声で呟いた。ヴェロンさんはレリックさんが好きなようで、実は好きじゃない。あの人が好きなのは妄想と理想でガチガチに着飾ったレリックさんだもの。

 

 レリックさんって女好きだしツンデレで面倒臭い上に言動が柄悪いから百年の恋も冷める程だけれど、根は善人よ? ちゃんとそれを分かった人が好きになるのは分かるけれど、ヴェロンさんのはちょっと駄目な気しかしないわ。

 

 それで不愉快に思うのは大袈裟な気がするけれど。どうして私がレリックさんに対してそんな風に?

 

 仲間だから……は付き合いが短いし微妙な所よね。実は惹かれてる……だけは多分無い。私、恋らしい恋をした事は無いのだけれど。

 

「じゃあ、僕はレリッ君に同行するね! ゲルちゃんにはキグルミ部隊パンダーズから誰か一緒に行かせようか?」

 

「いや、それって駄目じゃないの?」

 

 ヴェロンさんに訊いたら賢者様の使い魔のアンノウンならギリギリだけれど、完全に部外者になる人達は駄目だって。だからパンダーズの力を借りれないし、そもそも前まで違う名前じゃなかったかしら? ああ、日替わりで適当に決めているのだったわね。

 

 私はキグルミさん達に同情しつつアンノウンが一緒に来ない事に安堵する。だって大変だもの。スッゴく大変だもの!

 

「レリックさん、頑張って。じゃあ、私はお先に!」

 

 レリックさんが拒否したりアンノウンが気紛れを起こす前に転移用の魔法陣の上に乗る。後ろで何とかパンダを引き剥がそうとする声が聞こえたけれど応援しかしないから頑張ってね。

 

 

 だってアンノウンの相手ってとっても大変なんだもの!

 

 

「ほらほら、そっちじゃないよ」

 

「こっちだよ、こっち!」

 

「そっちは逆だってさ!」

 

 こんな経緯で水の中を進む私。聞こえて来る声の中で一人だけ本当の事を言っているらしいから、誰が正解か勘に従って選んでチェックポイントを目指す。声が反響するし、行く手を遮る細い木が鬱陶しいけれど伐採しながら進めない。……可能だったらそうしたのよね。

 

 

「妖精樹ピクシア、妖精さん達にとっては神聖な儀式で使う重要な木だって聞いたけれど……」

 

 そもそも水没林の霧はこのピクシアから発生しているらしい。雑草以上に生命力が強くて、根に生えている毛の一本からでも数日で元の長さまで成長する上に、妖精郷を守る為に神様の恩恵が籠もっているとか何とか。……あれ? 妖精さん達が信仰心ガチ勢なのはそういったのも関わっているんじゃないのかしら?

 

「キシャァアアアアア!」

 

 獰猛そうな鳴き声を上げながら飛び掛かって来る川チワワを片手で払い除ける。鳴き声は凶暴なのに尻尾を振りながら駆け寄って来る姿は可愛らしい。川の上を歩けるらしいけれど走れないし、力も普通のチワワと同じらしい。普通に小動物らしいけれど、こんな環境でどうやって生息しているのかしら?

 

 と言うか、この周辺に生息しているのってこんな感じで基本的に弱い。寧ろ弱過ぎて倒すのに良心が痛むのを感じながら声に従ってチェックポイントに辿り着いた。周りのピクシアと違って枝がキラキラ輝いている。その木の前には神官の服装をした中年男性の妖精さんが飛んだ状態で私を待っていた。

 

「第三チェックポイント通過だね。じゃあ、次が最後だよ。じゃあ、最後の導き役はこの八人だ。最初に誰が正解か教えるから、ちゃんと声を覚えて他の七人に騙されないようにね」

 

 この試練、最初に聞いた時は簡単だと思ったのに、実際に受けてみたら難しい。だって全員声質が似ているのだもの。その上、今度の八人は……。

 

「八子?」

 

「ああ、そうさ。声が凄くそっくりだけれど頑張って……」

 

 私の前に現れたのは見た目も服も全く同じの八人。この試練の途中は悪戯をされないと思っていたら、まさかの最後の一歩手前でこんな事になるだなんて。私が少し頭が痛くなるのを感じていた時、水中から何かが迫っていた。

 

 一応霧と水の中に隠れている積もりみたいだけれど、バシャバシャと水音を立てて時々足が出ているし存在がバレバレね。そんな事にも気が付いていないのか足の主は水中に潜り、私に向かって腕を突き出して来た。細い少女の腕だけれど爪先は鋭利。でも、動き自体は素人レベル。鼻先を掠めるギリギリまで引き付け、避けると同時に腕を蹴り上げる。

 

「あれ?」

 

 思わず出た間抜けな声。私の蹴りは伸ばされた腕をすり抜け、その足を掴もうとする爪の先が僅かに触れると同時に足を振り下ろすけれど、まるで幻みたいにすり抜ける。でも、変よ。だって爪先が触れた感触は確かにしたわ。

 

「下がって!」

 

 妖精さん達を巻き込まない為に避難させ、私は腹ポケットからデュアルセイバーを取り出して数歩下がる。相手も何時までも水中には居られないのかブクブクと泡が出て、彼女は姿を現した。

 

 赤い髪、そして今は髪と同じ赤い狐の尻尾と耳。ずぶ濡れのワンピースの裾を摘まんで少し不愉快そうにしているけれど感情は殆ど見て取れない。

 

 

「……久し振り。じゃあ、改めて名乗る。ブリュー・テウメッソス。勇者、貴女を殺しに来た。……皆と一緒に」

 

 感情の籠もっていない棒読みの言葉の後、空から風が落ちて来た……。

 

 



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勇者への試練 ②

 空から地上に向けて降り注ぐその風は、吹くと言うよりも叩き付けると言い表す方が正しかった。まるで目には見えない巨人の腕が振り下ろされたみたいに水は押しやられ木々はへし折れ、そして地面は陥没する。咄嗟に飛び退いて躱した私が空を見上げれば黄色い髪をした勝ち気そうな女の子が私を忌々しそうに見下ろしていたわ。

 

「なんだよ、死んでねぇのかよ。鬱陶しいな、チビが」

 

 首に手を当ててゴキゴキと鳴らしながら吐き捨てる彼女が起こしたであろう風は周囲の霧を晴らし、それで普通に利くようになった私の鼻がもう一人の存在を告げる。吹き飛ばされた木に額を打たれて涙目になっているのは私がブリエルに来た直後に戦い、倒したと思っていた相手。只、あの時と違う所が一つ。

 

「……狸?」

 

 メイド服のスカートからはみ出した太い尻尾やカチューシャの横の耳は確かに狸の物ね。私は作物は少ししか作っていなかったけれど、お世話になっていたトムさんの所は畑を荒らされたりしたそうだし、私も子羊を襲われそうになった事が有る。結局親羊に追い掛け回されていたけれど。

 

「うう、痛いよぉ……」

 

「何やってんだ、ウスラトンカチ! 心臓が潰れても良いけど頭はちゃんと守れ、頭は!」

 

「……飛ばしたのは飛鳥」

 

 少し赤くなっている額を押さえて涙目な彼女に空中の子は怒鳴り散らし、ブリューは呆れたみたいに呟いている。仲が良いのか悪いのかって感じね。友達かぁ。私、村にそんなに同年代の子が居なかったから友達少ないのよね。意地悪してくる悪戯小僧は居たけれど、私は彼奴が嫌いだし。妙に構って来たのは鬱陶しかったわ。

 

「って、何で三人同時に来ているの!?」

 

 そう、変なのよ。普通に考えて数で押すのも連携で力を底上げするのも普通なのだけれど、魔族が相手を敵と認めた場合は名乗りを上げての一騎打ちを絶対の誇りにしている。それはどんな嫌な性格の相手でも同じだったのに、ブリューが名乗りを上げた後で別の子が攻撃を仕掛けて来るのは誇りに反する行為じゃない! まさか一騎打ちを三連続で行うとでも言う気なのかしら!?

 

「え、えっと、三対一で確実に仕留める為……だっけ?」

 

「こら、美風ぇ! んな程度の事を自信無さげに言ってんじゃねぇよ! 只でさえ馬鹿丸出しだってのに、更に馬鹿だって思われるだろ! 私達も同類だと思われたらどうするんだ!」

 

「そ、そんなぁ……」

 

 ……また喧嘩している。一応私を勇者と理解した上で襲って来たのよね? 賢者様が言うには魔王は例外で、今までその事が破られた事は無いらしいのに。

 

「……隙有り」

 

「っ!?」

 

 背後から横に振るわれたブリューの爪を屈んで避けて、そのまま腹部に拳を叩き込むけれど体をすり抜ける。一体何で!? 実は本当の体と見えている姿が違うとか?

 

「兎に角色々試すしかって、わぁっ!?」

 

 私の周囲には何時の間にか大量の木の葉を巻き込みながら動く旋風が四つ。葉っぱはピクシアの物なのだろうけれど、それに触れた木がスパスパ切れちゃってる。

 

「風を起こして操るのが能力かしら?」

 

「惜しいな、貧乳チビ! 私の能力はそれだけじゃねぇんだよ!」

 

 最初の上空からの風もそうだけれど、目の前のこれも風による攻撃。なら空の上から私を狙っている彼女の力は風の操作だと私は予想を立てる。でも、荒々しい声と共に彼女が葉団扇を振るうと周囲を煌々と照らす巨大な火の玉が現れた。

 

「燃え尽きな! 天狗火(てんぐび)!」

 

 私の周囲の旋風は私を逃がすまいと包囲網を狭め、ブリュー達は咄嗟に飛び退いたけれども、メイド服のスカートが木に引っかかった彼女が仰向けに転ぶ。咄嗟に起き上がろうとするけれど、私が彼女に向かってレッドキャリバ-を投げつけた。

 

「ひゃっ!? ポ、ポンポコリン!」

 

 最初に戦った時と同じく彼女が葉っぱを摘まんで何かを唱えれば、煙と共に葉っぱが巨大な鉄の盾に変化する。あれで火の玉もレッドキャリバ-も防ぐ気なのね。横回転しながら向かって来るレッドキャリバ-を見る彼女は少し安心して見えた。

 

 でも、甘いのよね。私が苦し紛れに鈍器を投げただけとでも思ったのかしら?

 

「魔包剣っ!」

 

 叫びと共に切れない刃は魔力の刃に包まれて鈍器は刃物へと変わる。呆気に取られて動きが止まった彼女に刃が迫り、分厚い盾と一緒に胴体を深く切り裂いた。

 

「うあっ……?」

 

 自分に何が起きたのかを理解しないまま彼女は水の中に沈み、火の玉は目前まで迫っていた。四方は無数の刃と化した木の葉を包み込んだ旋風に囲まれて逃げ場は無いわ。なら、どうやって切り抜ける? 簡単よ。上に行けば良いじゃない。

 

 ブルースレイヴを振りかぶり、躊躇無く火の玉に迫れば足元で四つの旋風がぶつかり合う音。目の前は目も眩む程に明るく輝く火の玉で、触ったら火傷をしそう。つまり私にとっても格好の武器ね。

 

「たぁっ!」

 

「無駄だ! 殴っただけで私の天狗火が跳ね返せるかよ!」

 

 得意そうに笑うけれど、どうやら情報共有がされていないのね。まあ、あのアンノウンとは別方向に性格が悪そうな奴だし、部下に情報を流さないのかも知れないけれど。

 

「地印……解放!」

 

 火の玉に向けて空中での全力のフルスイング。勿論これだけじゃ跳ね返すのは無理よ。でも、このブルースレイヴの力が有れば話は変わる。火の玉に浮き出る青い魔法陣。真下に向かって降り注ごうとしていた火の玉は落下速度を遙かに上回る速度で術者の方へと帰って行った。

 

「げぇっ!? ご、轟水!」

 

 咄嗟に正面から水が放たれるけれど、その天狗火って自信を持って放った技なのよね。だからほら……咄嗟凌ぎの技なんて突き抜けちゃう。少し威力は下がったみたいだけれど、火の玉は放った張本人を飲み込んで爆発した。

 

「ギャァアアアアアアアア!!」

 

「飛鳥!」

 

 初めてブリューが感情を見せる。爆発する火の玉に包まれて悲鳴を上げる仲間を見て声を上げる彼女の意識は上に向いていた。私が着地しても僅かに視線を向けるだけ。そうよね。種は分からないけれど攻撃を無効化出来るのだもの。でも、こんな攻撃はどうかしら?

 

 さっき投げつけて地面に刺さったレッドキャリバーは彼女の背後で水中には赤い魔法陣。ブルースレイヴの地印が反発なら、レッドキャリバーの天印の力は引き寄せ。そして既にマーキングは済んでいる。水中に転がっていた拳大の石がブリューに向かって飛ぶ。

 

「……え?」

 

「当たったっ!」

 

 石はブリューの腹部に当たり、勢いで背中から川に倒れ込んだ。突破口、開けた!

 

「……このまま二人を何とか倒せば。っと、危ない危ない」

 

 再び上空から吹き荒れる暴風を避けて空を見れば少し服と体が焼け焦げているけれど未だに戦意が衰えていないのか私を睨んでいた。

 

 

 

「二人? ああ、そうか。お前、美風を倒した気でいるんだな」

 

「ぐっ!」

 

 横から伸びて来た拳をブルースレイヴで受け止めるけれど、咄嗟の事だったので数歩後退させられる。新手かと思って相手を見た時、私は思わず声を漏らした。

 

 

「何……で……?」

 

 私に拳を叩き込んだ相手。それは私が倒したばかりの相手だった……。

 

 

 



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勇者への試練 ③

「無理だよ。私は、風狸美風(ふうり みかぜ)は不死身だもん! 心臓を貫かれても、体を真っ二つにされても蘇るの!」

 

 心臓を貫き、体を袈裟懸けに切り裂き、首を切り飛ばしても美風は平気な顔をして蘇って来る。不死身? いえ、流石にそんな筈が無いわ。何か復活の種が有るに決まっている。回数か何か……。

 

「おらおらっ! 飛鳥にばっかし気を取られてんじゃねぇぞ!」

 

 

 空から降り注ぐのは小さいけれど無数の火の玉。数が多くて全部跳ね返すのは無理。だから捌ける物だけ捌き、残りは避ける。でも、相手は彼女だけじゃない。ブリューも美風も被弾を気にせず襲って来ていた。ブリューの体は火の玉をすり抜けさせ、美風はどんな怪我を体に負おうが怯みながらも襲って来る。……痛みは感じるのね。なら、絶対に復活の条件が有る筈だわ。

 

「……でも、先ずは倒せる方から倒しましょうか」

 

 ブルースレイヴを片手で持ち、美風の懐に入り込むと踏み込みながら腹に拳を叩き込んで殴り飛ばし、そのままブリューに向き直る。振り下ろしたブルースレイヴは矢っ張り当たらないけれど、すり抜けるなり反撃の爪を頭を下げて避け、腕を掴みに掛かった腕もすり抜けた。そのまま腕を突き出せばレッドキャリバーが私の手元に引き寄せられ、両手で武器を握りしめブリューに猛攻を仕掛けた。

 

「……無駄。誰も私を傷付けられない」

 

「ええ、そうね。さっきから私の攻撃は一回しか当たってないわ。一回、当たっているわよね? 貴女のその能力、制限が有るんじゃないのかしら? 任意発動なのは分かっているけれど……回数? それとも連続して使う時間に制限が有るのかしら?」

 

「……っ!」

 

「あら、焦りが見えたわね。ならこのまま徹底的に攻め続けるだけよ」

 

 私は更に攻撃の速度を上げ、ブルースレイヴを大きく振り抜く。その刃はブリューを真っ二つにする事無く体をすり抜け、そのまま空中から私を狙っていた飛鳥に向けて剣を振るった。

 

「魔包剣・飛空(ひくう)!」

 

 振り抜いた勢いのままブルースレイヴに刃に纏っていた魔力の刃が飛んで行く。刃と同じ赤い三日月の刃は飛鳥へと迫り、咄嗟に横に避けた彼女を追って進行方向を変える。でも、刃が切り裂いたのは片翼。胴体を真っ二つにするつもりだったのに、扱い慣れていないから少し狙いが外れちゃったのね。

 

「ぐっ……」

 

「飛鳥!」

 

 ……仲間思いなのね。翼を半分失って落ちて来た仲間の方を向くだなんて。でも、私との戦いの最中だって忘れているでしょう? さっき飛鳥に向かって振り抜いたブルースレイヴだけれど未だ動きは止まっていない。私から意識を逸らしたブリューの脇腹にブルースレイヴが叩き込まれる。今度こそすり抜けず、ブリューを吹き飛ばした。それと同時に着水する美風。三人共立ち上がるけれどダメージは大きいみたい。美風の蘇生能力も致命傷じゃ無ければ発動しないみたいね。

 

 

「三人共、動きに迷いが有るんじゃないのかしら? 魔族ってのは戦う時は一人なのが誇りだって聞いたわよ」

 

「……迷いか。んなもん、有るに決まってるんだろ。おい、二人共見せてやれ」

 

 美風は私の言葉に苛ついた様子で自分の服の胸元を破いて胸を見せる。美風は見た目がそっくりなナターシャさんと唯一違って胸が大きいけれど、二人はそこまで大きくない。でも注目すべきなのは其処じゃない。私が目を奪われたのは胸じゃなく、胸に寄生した黄土色の肉の塊。心臓みたいに脈動する肉の塊は三人の体に根を張り、皮膚の下から盛り上がっていた。中心にあったのは小さな口。まるで女の子みたいだけれど、それが余計に不気味さを助長していた。

 

「それは一体……」

 

「……糞女に埋め込まれた物だよ。魔族の誇りに外れた行動だろうが奴の命令通りにしなくちゃ他の奴が死んじまう。なら、やるしかねぇだろ!」

 

 ……その糞女って呼ばれている相手に心当たりが有るわね。本人じゃなくって他の誰かの為に誇りを捨てざるを得ないだなんて性根の腐った物を仲間に埋め込むだなんて私は一人しか居ない。

 

「リリィ・メフィストフェレスね? その糞女って呼んでる相手って……」

 

「……勇者が即答。見抜かれてる」

 

「あの方、性根が腐っているのが敵にも知られているんだ」

 

「はっ! 勇者に随分と執着してるみてぇだけどザマア見ろって奴だな」

 

「……酷いなぁ。私は君達より地位が上なんだぜ? 君達の地位は興味が全く無いから忘れちゃったけどね」

 

 同じ魔族相手でも随分と嫌われているのね。三人共、私が言い当てた事に納得しているじゃないの。少しだけ共感して戦意が削がれた時、美風の胸の肉塊の口が開いた。聞こえて来たのは予想したけれど聞きたくはなかった声。楽しそうな少女の声なのに吐き気がする程に悍ましい。リリィ・メフィストフェレスの声が聞こえた途端、三人の顔色が変わり、飛鳥が胸を押さえて苦しみ出す。

 

「あっ……がっ……」

 

「飛鳥ちゃんっ!?」

 

「……飛鳥に何をしたの?」

 

「お仕置きだよ、お仕置き。……ねぇ、ゲルダ。カースキマイラって覚えているかい?」

 

「カースキマイラ……」

 

 私はその名前を忘れない。イエロアで戦った上級魔族ディーナ・ジャックフロストを取り込んだモンスター。誇りも何も踏みにじって狂った怪物に変えてしまったモンスター。その時は存在を知らなかったけれどカースキマイラを操っていたリリィに初めて怒りを覚えたのを確かに覚えている。

 

 

「あははははっ! あの時は上級魔族を取り込まなくちゃ動かなかったけれど今度は別さ。強い憎悪とそれなりの力を持っていれば充分生け贄に出来る。数もそれなりに用意してあるよ。私は暫く動けないけれど、代わりに相手をしてくれよ」

 

「飛鳥ちゃ……」

 

「あす……」

 

「あぁあああああああああああっ!?」

 

 膨張を続ける肉塊は遂に飛鳥の大きさを越え、体を完全に飲み込んでグネグネと蠢く。必死の形相で駆け寄ろうとする二人は光に包まれて一瞬で何処かに転移させられ、完全に球体になった肉塊を内部から長細い脚が突き破って出て来た。

 

 基本的なフォルムは巨大なアメンボ。但し全身を赤紫の甲殻に覆われお尻からは鋭い牙を持つ無数の大蛇が生え、背中には鋭利な突起。……そして額には苦悶の表情を浮かべた飛鳥の顔。

 

 

「殺……してく……アギャァアアアアアアアアッ!!」

 

 ディーナの時と同じく死を望み、その意志さえも狂気に飲み込まれて叫ぶ。その姿に私は怒りと悲しみしか感じない。

 

 

 

「……分かった。直ぐに終わらせるわね」

 

 



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ツンデレとパンダ ①

 俺に与えられた試練の内容だが、上下左右に複雑に入り組んだアリの巣みてぇな洞窟の中から宝を探し出すっつう物だった。まあ、仕事によっちゃ深い森の中だの入り組んだ洞窟だのに入り込む事もあったし、脳内でマッピングする技術だって身に付けて居る。今も分かれ道の手前で番号とどの方角から来たかを壁に刻んでいる最中だ。正直言ってこの程度なら試練にならねぇよ。

 

「おい、罠なんだから何があっても近付くなよ?」

 

「あっ、ケーキだ! いっただきまーす!」

 

「だから罠だって言ってんだろうが! 行くんじゃねぇよ!」

 

 問題が有るとすれば操ってるパンダのヌイグルミを一緒に来させやがったアンノウンのボケだ。この試練だが入り組んだ洞窟を進むだけなら何とでもなるんだが、所々に誘惑する罠が仕掛けられている。その罠に引っかかると今まで通った道の何処かに強制的に転移って訳だ。

 

「さっきから何度も何度も罠に掛かりやがって。テメェが勝手に消えるんなら万々歳だが、俺まで巻き込まれるんだよっ! てか、食いもんが有ったら速攻で向かうとか育ち盛りで食いしん坊の餓鬼かってんだっ!」

 

 それを分かって居ながら俺の目の前でパンダは罠に喜んで向かって行く。今は咄嗟にグレイプニルで縛ってるが、こりゃ時間の問題だな。一秒後にはケーキにダイブしてもおかしくない奴だよ、此奴は。

 

「まあ、僕って生まれて数年だし、育ち盛りの食いしん坊だね。だからケーキを食べて良い?」

 

「良いって言うとでも思ってんのかっ!」

 

 この会話から分かるだろうが、アンノウンは仕掛けられた罠に尽く反応しやがってんだ。牛の丸焼きを持ち上げて丸呑みにして、マカロンの山を伸ばした舌で全部纏めて絡め取り、年代物のワインをラッパ飲み。そして俺と一緒に転移って訳だ。目印を付けてなきゃ転移の法則も分からなかったし、選ばなかったハズレの分かれ道に進む所だったぜ。

 

「結構食ったんだし、いい加減真面目に進めや。俺の方が後から突破したら威厳に関わるだろうが」

 

「既に結構なダメージを受けているのに?」

 

「……言うな」

 

 そう。薄々感づいちゃいるが、俺の威厳なんて物は地の底に向かって急降下中だ。その殆どが事故が理由だが、事故を防げなかった時点で情けない。てか、試練を勝手に選んだ時も威厳に影響が有ったよな。端から見れば女が沢山居る方を速攻で選んだみてぇに見えるしよ。

 

 ……だって仕方無いだろ。俺、流れる水が苦手なんだよ。崖から激流に落とされて以来、流れが無い場所なら泳げるのに流れが有ったら身が竦む。それこそ目にするのも嫌なレベルでな。

 

「てか、それが分かってるんなら脚を引っ張るな。散々な事になってるってのに、強さで負けちまったら全部終わりだ。……俺は彼奴を守らなくちゃ駄目なんだ。守る相手より弱いって事があってたまるかよ」

 

「その約束をしたのはレリックじゃなくて十六夜なのに? 過去は捨てたんじゃ無かったのかい?」

 

「……捨てたさ。もう俺には不要なもんだ。だがな、男には絶対に貫かなくちゃならねぇ物が有る。それだけの話だよ」

 

「……ふ~ん」

 

 俺に話が分かったのか分かってねぇのかは不明だが、これ以降アンノウンは途中で食べ物を見付けても反応せずに俺の頭の上で大人しくしていた。嵐の前触れかとも思ったが、此奴が動いたら俺が幾ら警戒しても無駄だしな。

 

 だが、俺はちょいと疑問だった。確か女が妨害してくるんじゃなかったのか? さっきから食いもんばっかで妖精の姿を見てないんだが。

 

「いや、そもそも食べ物ばかりな時点で変なんだよ」

 

「僕とワンセットだって判断されたんじゃないの?」

 

「そりゃあ最悪だな」

 

 勝手に同行して来た奴とセット扱いなのは気にしないが、アンノウンとセットなのは気にくわねぇ。さっきから好き放題言われてるし、俺も言ってやったぜ。……なーんか凄く不満だってのが伝わって来るがな。ヌイグルミなのに頬が膨らんじまってるしよ。

 

「レリッ君酷ーい! 君がロリコンだって言い触らしちゃってるよ!」

 

「おいっ!? 言い触らしちゃうじゃなくて言い触らしちゃってるのかよっ!?」

 

「大丈夫! ヴェロっちだけには教えてないよ!」

 

「ヴェロっちってヴェロンの事だよな? 彼奴に言ってないのだけは評価してやるが、その他全員に教えてんじゃねぇよ!」

 

「レリッ君。過去には戻れないよ、僕は将来的に多分戻れるようになるけどさ。過去の事をクヨクヨ悩んでも仕方無いよ」

 

「その過去の結果に現在進行形で困ってるんだがなっ!?」

 

 ……まあ、流石に自分達と同類のパンダの言葉なんざ信じないだろ。賢者様の言葉なら別にしてもよ。俺は自分を安心させるべく何度も心の中で言い聞かせる。そうだ、大丈夫に決まっている。……何か見落としてる気がするが、絶対大丈夫だろ……と思いたい。

 

「おっ! 広い所に出たな。そろそろ中間地点か?」

 

「それは兎も角、レリッ君が酷い目に遭う気がするよ」

 

「……テメェが何か仕組んでんじゃ……」

 

 本当に大丈夫だよな? 誰か気休めでも良いから大丈夫だって言ってくれ……。

 

 

 レリックが足を踏み入れたのは所々に地下水脈とでも繋がっているのか水で満たされた広い場所。天井は鍾乳石が無数に生え、レリックの足音のみが響く。耳を澄まさなくとも何かあれば直ぐに聴覚で捉えられるだろう。レリックも天井の方に視線を送るも何も見えず何も聞こえないのか直ぐに前を向いて歩き出す。その背中を見詰める目が静かに輝き、直ぐに消える。

 

「……」

 

 鍾乳石の間を這い回り、無音でレリックの後を追う。全身を包む粘膜が摩擦を減らして移動の音を消し、姿を見せるなり一切の音無く滑空しながら大きな口を開ける。体の三割程も有ろうかと思われる巨大な口。フクロウナギと呼ばれる魚に似ているが、その体は人を丸飲みに出来る程に巨大であり、魚であるにも関わらず背中には鳥の翼が生えている。

 

 名をフクロウウナギ。フクロウと同じく無音での狩りを得意とするモンスター。一切音を立てず、そのままレリックを丸呑みにしようと迫る。

 

 

 

「臭ぇんだよ、ボケがっ!」

 

 フクロウウナギの口が閉じられる瞬間、フクロウウナギの目の前からレリックの姿が消え失せ、目で探す暇も無く真上から振り下ろされた足に叩き落とされた。

 

「ちぃ! ヌルヌルしやがって鬱陶しい!」

 

「蹴りが滑ったよね、ズルってさ!」

 

「フシャアアアアア!」

 

 フクロウウナギの頭を蹴った勢いで宙返りをして着地したレリックの目の前ではフクロウウナギが威嚇する。頭の一部が陥没しているが未だに健在。舌打ちをしながらフクロウウナギを睨むレリックの脚に付着した粘膜がその理由だろう。この粘膜は音を消して動く為だけでなく、身を守る為の物でもある。本来ならば一撃で仕留められた筈の相手が生き残った事にレリックは随分と機嫌を悪くしていた。

 

「ったく、鬱陶しい。だがな、それだけ臭ぇなら音を消して襲って来ても無駄だ。俺は鼻が利くんでな。姿を消しても無駄って訳だ」

 

「ペラペラ喋ってるけど魚類に言葉って通じるのかな?」

 

「知らん!」

 

 地面に粘膜を擦り付けながらレリックはフクロウウナギを観察する。それなりに力を込めた蹴りが滑って勢いを殺されたのなら打撃は効果が薄いだろう。それが分かっているのかフクロウウナギは怒りに任せて正面から襲い掛かる。その視界から再びレリックの姿が消え、視界が割れる。背後にレリックが着地した時、彼の爪で切り裂かれたフクロウウナギは地面に転がった。

 

「……ちっ! 正直言って使いたくなかったが、この程度の奴に武器を抜くよりはマシか」

 

 レリックは忌々しそうに爪先に付着した粘膜と血を振り払い吐き捨てる。

 

「そういう制限が好きだよね、君ってさ。思春期独自のアレかな?」

 

「……アレってのが何かは分からないが、どうせ禄でも無い物なんだろうな……」

 

「正解! そして新手だよ。血の香りに誘われて来たみたいだね」

 

 レリックの頭の上で楽しそうに踊るパンダが足を向けた先の地面が盛り上がる。やがて土が側面を流れ落ちるとその姿がハッキリと見えた。二階建ての家程もある巨大なモグラの頭だ。

 

「モキュ!」

 

「……俺はモグラに縁でも有るのか?」

 

「え? 次はモグラのキグルミが着たいって?」

 

「言ってねぇし着たくねぇ!」

 

「モーキュー!」

 

 叫び声を上げ、巨大モグラは地中から這い出る。鋭利な爪を持つ両前脚。ヒクヒクと動く鼻と小さな瞳はキュート。

 

 

「……うぇ」

 

「……うわぁ」

 

「モキュ?」

 

 そして、胸より下はニョロニョロ動くイカの触手であった。

 

「「気持ち悪るっ!!」」

 

 この時、レリックとアンノウンの意見が珍しく一致した……。



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ツンデレとパンダ ②

「ああ、糞が! さっきのウナギの次はこれかよっ! なんでキメェのに連続して襲われるんだ!」

 

「モッキュゥウウウウ!」

 

 ヌルヌルしてて気色が悪い鳥の翼を持つ大口ウナギをぶっ倒したと思ったら、次に出て来たのはゲルダが好みそうなヌイグルミみてぇなモグラだ。但し胸から上だけな。胸から下はウネウネ蠢くイカの触手だもんでモグラの部分が可愛らしいだけに余計に不気味だ。今も小動物が甘える時みてえな声を上げながら大量の墨を吐いて来てやがる。真上に吐き出したドロドロの墨は見るからに粘り気が有るし触ったらウゼェ事になりそうだ。

 

「こんなのに連続して襲われる理由? そりゃあレリッ君がそういうポジションだからじゃない? ほら、ゲルちゃんは勇者だから戦う相手は選ぶべきだし、マスターやボスは相手を圧倒するしさ。色物の相手は君じゃないと」

 

「何の話をしてんだよ、テメェはっ!? てか、手伝え。ビームなりなんなり撃てば良いだろうが!」

 

「いや、これって君の試練だし、僕は好き勝手に動いて邪魔をする程度しか出来ないって」

 

「邪魔してるって自覚有ったのかよっ!」

 

 既にウゼェ事しかしやがらねぇアンノウンに怒鳴りながらも俺はモグラだかイカだが分からねぇモンスターを観察する。さっきから墨を吐いてるし、イカ寄りか? なら地上に出て来るんじゃねぇよ! ……にしても変な野郎だ。ゲルダなら解析で詳しい事が分かったんだろうが、俺はそういうのレガリアさんに任せてたからな。別行動中も似た事が可能な奴が仲間に数人居たし。

 

「イカモグラ……いや、モグラーゲンって所か?」

 

 確かデカいイカのモンスターでクラーケンってのがいたからな。レガリアさんが一回倒して食ったら吐き気がする不味さだったって言ってたよ。……研究用に持ち帰ったのに娘が間違って料理しちまったから全部食ったんだってな。結局、自分の分も食った事で娘が拗ねたり、不味いって言えないから機嫌取るのに苦労したとか。

 

 そんな事を思い出しながら適当に名付けたんだが、結構当たってんじゃねぇのか?

 

「いや、僕が解析したらクラーケン・アースドラゴだってさ」

 

「あの見た目で随分と派手な名前だな、おいぃ!? てか、前々から思ってたんだが、学者が見つけて名付けもしてないモンスターの名前って誰が決めてんだ?」

 

「神! 因みに目の前のは死神のディスハだよ。突然変異とかで新種が生まれたら暇な神が適当に決めるのさ」

 

「……聞かなきゃ良かったぜ。っと、そろそろウゼェッ!」

 

 上から落ちてくる墨を躱わし、俺はクラーケン・アースドラゴに近付き、胸に爪の一撃を入れて切り裂……けてねぇっ!? さっきのウナギみてぇに粘膜に覆われてる訳じゃねぇ。寧ろ俺が攻撃した部分はモフモフの毛が生えている。だが、その下が柔らかい過ぎるんだ。切り裂こうとしたのに爪が当たった勢いで体が後ろにグネグネ動いただけで毛が幾らか散っただけ。

 

「モキュ!」

 

「ちぃ!」

 

 賺さず叩き付けて来る触手をバックステップで避けた俺だが、器用な事に触手を蠢かせてクラーケン・アースドラゴの巨大が迫る。もう少し距離を開けようとするが、足の裏が何かにくっついて動かねぇ。

 

「墨っ!? 俺とした事がミスったぜ……」

 

 どうやら背後で地面に落ちて飛び散ったのを踏んじまったらしい。落ちた場所だけ頭に入れて飛び散るのを忘れていた俺の凡ミスだ。その上、どうやら最初目で見た時よりも粘着性が上がってやがるな。

 

「レリッ君ったらドジだなぁ」

 

「否定はしねぇよ。今の俺は大間抜けだ!」

 

 足の裏が引っ付いた? なら無理矢理引き剥がすか、それとも靴を脱いじまった方が早い。俺はくっついた方の靴を脱いで飛び上がるんだが、クラーケン・アースドラゴは俺の居た場所の目前で突然動きを止めた。まさか誘われたっ!? 

 

「間抜けな見た目の癖に随分と頭が働く……うん?」

 

 そのまま空中の俺に何かしてくると思ったんだが、クラーケン・アースドラゴはプルプルと震えると水で満たされた穴へと飛び込む。巨体には余りにも小さい穴だが、あの柔軟さだからな。……いや、それよりもだ。

 

「もしかして地上では息が出来ないのか? イカだから?」

 

「クラーケン・アースドラゴはエラ呼吸だよ。鳴けるけれど肺呼吸は出来ないから短時間しか地上で動けないんだ。モグラの部分で水の中で横穴を掘って巣にするんだってさ。所でレリッ君、クラーケン・アースドラゴの頭脳が何だって? ねぇねぇ、彼奴の頭が何だって?」

 

「聞くなっ!」

 

「……まあ、僕もあれは気持ち悪いから精々レリッ君の夢の中に出す位で関わりたくないし、これ以上は止めておくよ」

 

「いや、夢の中に出すのも止めろ」

 

 相変わらず隙あらば弄くりに来る奴だな、アンノウンは。こんなのと半年以上旅をしているゲルダは大した奴だぜ。あと、マジで賢者様は躾をちゃんとして下さいってんだよ。ペットをのびのび育てるにも限度ってモンが有るでしょうよ。

 

「モーキュー!」

 

 俺に彼奴の言葉を翻訳する力が有れば復活とかでも叫んでいるのが伝わって来そうな勢いで頭を出すクラーケン・アースドラゴ。うん、そこまでにしとけ。マジで胸から下は出すなや。

 

「所でレリッ君ってさ、さっきからどうして手加減してるのさ? ゲルちゃんよりもさっさとクリアして威厳を保ちたいって考えてたのにさ。既に威厳は皆無を通り越して負債だけれど」

 

「……」

 

 ああ、認めてやるぜ。確かにアンノウン、テメェの言う通りだ。……いや、威厳は別で。それは認めねぇ。認めたくねぇ。兎も角、俺は自分に制限を課してこの試練に望んだ。理由は自己嫌悪だ。母さんに妹を守れる立派な兄貴になるって約束しときながら失望される事を連発してる不甲斐ない俺が許せなかったんだ。だから制限を掛けた上でゲルダよりも先に試練を突破する。それが俺が決めた事だ。

 

「まあ、レリッ君が『本気を出してないのに勇者より強い俺凄い!』ってのをやって悦に浸りたいなら別に良いけど、僕という制限が有るのに随分と余裕だね」

 

「……ちっ!」

 

 アンノウンの言葉に思わず舌打ちが零れる。随分とふざけた評価だな、おい! そんな無駄な遣り取りの間にもクラーケン・アースドラゴは俺に迫り、四方から包み込むようにして触手を伸ばして来る。その上、広範囲に広がる吐き方で前方に向かって墨を吐き出しながらだ。

 

「……ああ、本当にふざけてやがるな」

 

 そっと懐に手を入れ、一枚の札を取り出して投げる。それが墨に触れる瞬間、炎が吹き出してクラーケン・アースドラゴの胴体も触手も墨さえも一気に燃やし尽くす。断末魔の叫びすら上げる暇も無く、墨は一瞬で蒸発、体も墨になって崩れ落ちた。

 

 

「俺は何をふざけてやがったんだ。あの約束を守ろうってのに手加減して遊んでる場合かよっ!」

 

 ……ああ、糞! 自分で自分に腹が立つ。まさかアンノウンに礼を言わなくちゃならねぇ時が来るなんてな。

 

「お礼なら言葉よりもお菓子が嬉しいな」

 

「……行くぞ」

 

 だから心を読むんじゃねぇよ。ああ、畜生。こんなのに礼を言わなくちゃなって思った自分に腹が立つぜ。

 

 

「因みに試練は此処から本番だし、レリッ君の心を折りに来るよ、僕が原因で。……ガンバ!」

 

 ……俺には予知能力は無いが、アンノウンに心底感謝する日が絶対に来ないって事だけは絶対に分かるな。此奴、どうにかして洞窟に置き去りにしたいんだが、どうすれば良い?

 

「無理じゃないかな? 転移が使えるとか以前にギャグキャラだし、君もギャグ担当だもん。あと、読んでいるのはどちらかと言うと心よりも地の文だよ?」

 

「だから何の話をしてるんだよ!?」

 

 ……この時点でドッと疲れたな。頼むからこれ以上変な奴は出て来るなよ……。

 

 

 

 

 

 

 

「……むぅ。気が付けば見知らぬ洞窟内部。目の前には宝箱だが一行に開く気配は無し。よし! 取り敢えず日課の屁をこいておくか!



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ツンデレとパンダ ③

「うふふふふ。お兄さん、こっちに来て」

 

「あはははは! 触っても良いのよ?」

 

 優雅で可憐な妖精達は思い思いの衣装で着飾り俺を誘惑してくる。所詮は人形サイズと侮る奴も居るだろうが、それを持ってしても妖精達の容姿は整っていた。只単純にドレスで着飾るんじゃなくて自分の魅力を引き出す服装ってのを理解し、相手の欲を掻き立てるなんざ並の精神じゃ耐えられねぇだろうな。俺も女好きだし、誘惑に心引かれていただろうよ。

 

 だが、俺がその誘惑に乗る訳が無ぇ。さっき気を引き締めたが、それは無関係だ。ちぃっとばっか気を弛ませていても俺が誘惑を受けない理由。それは……。

 

「ガキンチョばっかじゃねぇかよ……」

 

 そう。俺を誘惑して来ているのは全員餓鬼だ。只でさえちっこい妖精の中から十歳位の小娘共が集まって俺を誘惑してやがる。いや、どうして餓鬼ばっかりって、俺がロリコンだって情報が入ってるからだな、畜生がっ!

 

 大体、妖精ってのは実際は悪戯好きでも何でもない真面目な性格だってのに、更に餓鬼に誘惑役を任せやがって。触って良いって言ってるが、どう見ても手に触れるだけで限界って感じで顔が真っ赤な上にプルプル震えてやがる。無理させるなよ、子供だろっ!?

 

「……おい。俺はロリコンじゃねぇからな。間違った情報だからな」

 

「え? だって賢者様の使い魔からの情報だし……」

 

「間違った情報だ。……だから無理すんな」

 

 俺の言葉に妖精達はホッと安心した様子だ。まあ、箱入り娘が娼婦の真似事を仕事でもやるってのは酷だろ。ったく、試練にしても少しは与える側の負担を考えろってんだ。

 

「おい、アンノウン。ティターニアってのはどうして試練を突破しなきゃ駄目なんだ?」

 

「そりゃあ妖精が精霊に変わる時に溢れた力を吸収して作られるからね。ゲルちゃんのデュアルカリバーを作ったのはマスターだけれど、無から作ったんじゃなくてティターニアを材料にしたんだ」

 

「……勇者の武器みてぇな物の材料なら納得だが、せめて試練の内容を考えろよ。誰だよ、考えた奴は」

 

「イシュリア」

 

 理解はしたが納得は行かない。そんな気持ちで呟けば出て来た名前は思いもしなかった女神の名前……いや、ゲルダから聞かされたやらかしを考えたら納得しか無理だ。寧ろ他に似たのが居るなら信仰心を失いそうだぜ。あの女神様、俺を初対面で誘惑したからな。

 

 ……事故でも初対面の相手を押し倒したり、会ったその日にイーチャを抱いた俺が言えた義理でもないんだが。……あっ、ヤベぇ。

 

「……なあ、ヴェロン……お前達の女王って浮気に関して……」

 

「相手を殺して自分も死にますね」

 

「……マジか」

 

「それと貴方を生まれた時から結ばれている運命の相手と思っているので、出会う前の事も判定に……あれ? もしかして……」

 

「マジかぁ……」

 

 まさかとは思ってたが、ヴェロンってかなり不味い女だったんだな。俺の脳裏に浮かぶのは今まで一夜だけの関係だったり、偶に会った時に関係持ったりしてる女の顔。特に最近ではイーチャとも関係持ったしな。まあ、誤魔化せば何とかなるか? なったら良いなぁ……。

 

「全部賢者様に丸投げするか。世界救った後のフォローもしてくれるって話だしな……うん?」

 

 妖精郷から出て行けば女王の彼奴は流石に追って来ないだろうし、そんな希望的観測に縋って俺は先に進む事にした。何となくだが魔法で監視されたり下手すれば付いて来そうな気がするんだよな。ちょいと寒気を感じながら足を踏み出した俺だが、漂って来た臭いに思わず足を止める。鼻の中を刺すような刺激臭。

 

「……おい。この先にも誘惑役の仲間は居るか?」

 

「え? それは勿論。ちゃんと幼くて可愛らしい子ばっかり揃えて……」

 

「だから俺はロリコンじゃねぇっての! おい、アンノウン! 此処は任せた!」

 

 頭に乗っているパンダをひっ掴み、妖精に投げつけるなり走り出す。風を操る札の力で自分の周囲に風の渦を展開しながら進めば向こう側から漂う臭いは俺に届かないが、徐々に濃くなる毒の霧が彼奴の居場所を嫌でも知らせやがった。

 

「……糞が」

 

 思い出すのは自分自身の無様な姿。全力を出したのに倒せず、助けを求める餓鬼一人すら救えなかった。あの村での戦いの後、俺達は奴の居城を探したが手掛かりすら掴めずに村は毒に包まれて滅びた。俺が無力だったからだ。

 

 奥歯を噛みしめ、拳を握り締めて駆け抜ける。所々に倒れている妖精達の姿を見付け、片っ端から札で治療して風の結界に避難させた。一人助ける度に札のストックは消費され、毒霧が最も濃密になっている場所に辿り着いた時には残り一枚。

 

「……まあ、行けるだろ」

 

 そろそろ俺を守る風の結界も効果が切れる頃。精々五分って所だな。首に手を当てて鳴らしながら進めば濃霧の中でも目立つ巨体が見えやがった。

 

「ふはははは! 我が輩の所によくぞ辿り着いた! ギャード・タラスク! 参上!」

 

 耳を塞ぎたくなる程の大声と共に筋肉を誇示するポーズを取る巨漢。俺の事を憶えてねぇのか一切反応する様子が無い。俺なんざ記憶する価値も無いって事か、此奴が馬鹿なだけか……。

 

 

「……むぅ。何処かで見た気がする顔だが、まさか貴様は我が輩と同じ魔族か?」

 

「間違い無く馬鹿の方だっ!?」

 

 何かマジで疲れて来た。腕組みをしながら首を捻る姿はマジっぽいし、こんな奴に俺は色々と……。

 

「もう良い。さっさと死ね」

 

「なぬっ!? 幾ら同胞でも死ねと言うのは無礼が過ぎるだろ! おっと、屁が!」

 

「無礼なのはテメェの方だろうがっ!」

 

 この馬鹿、未だ俺を魔族だって思っているのかよ。何で分からねぇんだ? 馬鹿だからだよな、分かったぜ。俺に向かって指を突き付けながらギャードは怒り、そして屁をこく。周囲の温度が一気に上がったし、汗が噴き出して来やがった。毒霧も一気に濃くなったな。こりゃ風で防ぐのも限界か。

 

「……一分。それが限界だな」

 

「むむっ!? まさか貴様は人間……」

 

 今頃になって気が付いたギャードの腕にグレイプニルの鎖が絡み付き、肩に刃が深く突き刺さる。一度目の時は先端が僅かに刺さっただけだったよな。ギャードはそれ程までに堅かった。だが、今は違う。俺はそのままギャードを引き寄せ、同時に懐に潜り込んで腹に一撃叩き込む。

 

「がっ!?」

 

 ギャードの体がくの字に折れ曲がり、顎に一撃。巨体が浮いた所に連打。そのまま鎖を伸ばして振り抜き、頭から床に叩き付けた所に頭に蹴りを入れた。

 

 

「……じゃあな」

 

 札を握りしめ、ギャードの口に拳を叩き込む。歯をへし折り、無理矢理口の中に拳を入れた瞬間、札に魔力を流して発動。ギャードを内部から焼き尽くした。黒こげのボロ炭になったギャードの口から拳を引き抜けばそこから崩壊が始まり、やがて光の粒子になって消えて行く。

 

「……二年前は手も足も出なかったってのによ。でも、全然心は晴れねぇよ」

 

 今頃倒しても意味が無ぇ。俺って奴は本当に役に立たねぇ。強くなりてぇ。もっと強くなって、目の前の奴位は助けられる程度にはな……。

 

 

「……さっさと終わらせて帰るか」

 

 今こうして居ても何の意味も無い。俺は晴れてきた毒霧の中に見えて来た宝箱に歩み寄り、蓋を開く。さっさと帰って強くなる為の修行をする為にな。

 

 

 

 

 宝箱の蓋の裏には一枚の紙が貼られていた。『貴方が欲望に負けた回数は三十五回。もっと自制心を持ちましょう』、ってな。

 

 

「……いや、俺じゃないからな? 勝手に引っ付いて来たアンノウンの奴だからな?」

 



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賢者の弱点

 飛鳥を取り込んで産声を上げるカースキマイラ。私が前に戦った個体とは見た目が全くの別物だけれど、その性質に嫌悪を抱くのは同じだったわ。取り込んだ相手の誇りも尊厳も踏みにじり、ただ暴れるだけの怪物になる。

 

「アァアアアアアアアッ!!」

 

 叫び声だけで空気が揺れ、川が波打つ。ピリピリと震える空気と飛び散った水が私の体を打った時、カースキマイラは動き出した。アメンボの見た目に相応しく水の上を滑るように移動して私に迫り、お尻の蛇達が私の方を向きながら一斉に炎や風を吐き出したわ。胴体に掠って傷を付けるけれどカースキマイラの動きは止まらない。痛みを感じないのか、感じていても止まるという本能を持っていないのか。

 

「……だったら、そんなのただの人形じゃない」

 

 いえ、きっと飛鳥をカースキマイラに取り込ませたリリィは本当に人形程度に思っているのでしょうね。自分以外は遊んで楽しむ玩具で、それに値しない相手は路傍の石ころ。……気に入らないわ。私は胸の内から燃え上がるような怒りがこみ上げて来るのを感じながらブルースレイヴで炎と風を振り払い、レッドキャリバーで魔包剣を発動させてカースキマイラの腹の下に潜り込む。振り上げた刃は甲殻に覆われたカースキマイラの頭からお尻までを切り裂き、そのまま振り向く。

 

「シャアッ!!」

 

 アメンボの部分を真っ二つにしても蛇は生きていて、アメンボから自分を切り離して私に飛び掛かって牙を突き立てようとする。その頭を真横からブルースレイヴを突き出して串刺しにすれば今度こそ息絶えたのか動かなくなったわ。

 

「……ッ! リリィ・メフィストフェレス! 貴女は私が絶対に倒す!」

 

 カースキマイラの体がボロボロと崩れ去り、飛鳥の死体が姿を見せる。私がそれを抱き上げて水から出せば光の粒になって消えて行く。浄化されて消える彼女の顔は安堵しているように見えた。

 

「……行きましょう」

 

 私はもっと強くなりたい。例え倒さなくちゃならない敵であっても尊厳を踏みにじられる姿を見たくないから。守りたい人達を守れずに終わるのが嫌だから。だから私は強くなるわ、絶対に。その為にも早く試練を終わらせて修行がしたい。

 

「レリックさんに付き合って貰いましょう。彼も私も強くならなくちゃ駄目だもの」

 

 ……それに色々と誤解しているって思われているし、ちゃんと分かっているって伝えてあげなくちゃいけないものね。

 

 私は早く試練を終わらせるべく先を急ぐ。妖精さん達は何事もなかったみたいに私の妨害を続け、漸くゴールに辿り付いた時には肉体的には兎も角、精神的に疲れ切っていたわ。アンノウンが居ないのにこんなに疲れるだなんて、居たらどれだけの疲労が有ったのかと思うと身震いするわ。

 

「……よし! 嫌な妄想は止めて宝箱を開けましょうか」

 

 私の目の前には地面が盛り上がった場所に置かれた宝箱。宝石で装飾がされた豪華な物に見えるけれど、漂ってくるのは甘い香り。

 

「あっ、これって飴玉ね。……これもキャラ付けの為なのかしら?」

 

 そうだったらわざわざこんな物を用意するだなんて大変だなと思いつつ私は蓋を開く。妖精さん達の用意した宝って聞いているし、少しだけ期待したのだけれど、入っていたのは小さな紙だったわ。長方形の少し硬い紙に穴が開いていて紐が通されている。

 

「栞?」

 

 そう。それは間違いなく本の読んだ所を忘れない為に挟む栞。でも、宝って聞いていたのにどうしてこんな物が? 綺麗な栞なら子供が宝物にするかも知れないけれど、表面がツルツルしているだけの白い無地だし、興味を引くデザインでもないわ。

 

「ねぇ、これって偽の宝箱じゃないのかしら?」

 

 実はこれも罠の一種だったんじゃと思った私は妖精さん達に質問しようと振り返るけれど、私は何時の間にか妖精郷に戻っていて、目の前には顔色の悪い賢者様が座っていたわ。……えぇっ!?

 

「け、賢者様っ!? 一体何があったのかしらっ!? もしかしてお病気……」

 

「シルヴィアシルヴィアシルヴィアシルヴィアシルヴィアシルヴィア……」

 

「あっ、単純に女神様が恋しいだけね。……病気じゃなくって良かったわ。これはある意味病気だけれど」

 

 賢者様ったら、未だ一日と少ししか経っていないのに此処まで追い詰められるだなんて。会いに行きたかったらパパッと転移で会いに行けるのに会いに行かないだなんて。

 

 その理由は大体予想が出来るわ。真面目な方だもの。私達が居ないからって女神様の顔を見に行って、その後でアレやコレやするだなんて真似は出来なかったのね。そんな事をする人に女神様の愛を向けられる価値が無いとか言いそうだし、絶対言うのだろうけれど。

 

「これって弱点みたいな物ね。まあ、だからといってどうにか出来る人でもないのでしょうけれど」

 

「そうだよ! マスターはボスの女神としての仕事で少し会えない時間が出来たら急成長妻成分欠乏症になるんだ。でも、マスターは神に比べたら弱いけれど、比べる相手が悪いし、それ以外が相手なら大体無敵なのさ! 因みにそんな病気は存在しない! 僕が適当に言っただけ!」

 

 あら、レリックさんも試練が終わったのね。一緒に行ったアンノウンは賢者様の膝の上で陽気に踊っていたわ。賢者様も女神様の名前を呼びながらもパンダの頭を撫でているし、多分大丈夫でしょう。

 

「いや、見た目二十代の男の人がパンダのヌイグルミを撫でながら奥さんの名前を呟くとか大丈夫じゃないけれど……」

 

 さて、それはいったん忘れましょう。黄色に光る宝石と赤く光る石を持っているけれど宝箱に入っていたのかしら? 私はポケットに仕舞っている栞を思い浮かべ、レリックさんとの差にちょっと悔しくなる。でも、こんな事で拗ねたりはしないわ。だって私もレディだもの。

 

「レディ? ぶふぅっ!」

 

「心を読んで弄くるのは止めなさい、アンノウン」

 

「分かったよ! 口から出任せで了承するし、守る気皆無で良ければ誓おうじゃないか! ……えっと、何をだっけ? 適当に聞き流してたから忘れちゃった!」

 

「……もう良いわ。アンノウンには期待しないから」

 

「そうだね。僕は存在するだけで癒されるマスコットポジションが似合うだけで、最強無敵のギャグキャラなだけの万能天才使い魔でしかないもの」

 

「そんな事よりも教えて欲しいのだけれど……レリックさんってどうして拗ねているのかしら?」

 

 アンノウンの言葉にツッコミを入れるのを放棄した私が気になるのはレリックさんの様子。どう見ても拗ねて顔を背けているのだけれど、一体何があったら二十間近の男の人が子供の前で拗ねた姿を見せるのかしら?

 

 

 

 

「そりゃあ僕が好き放題した結果、ゲルちゃんに試練を終えた時間で負けたからだよ」

 

「器ちっさ!?」



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賢者の誤算

「皆様、これがお約束の品。妖精鉱石ティターニアです。どうぞお受け取り下さい、レリック様」

 

 あの後、何とか諸々の問題は解決したわ。賢者様はパンダを撫で回す事で癒されたらしく少し元気になってくれたの。アンノウンはアニマルセラピーって言ってたわ。私なら全く癒されない自信すら有るのだけれど、絶対に気のせいじゃないわね。

 

 そして私に試練を先に突破された事で拗ねた上に、私が余計な事まで言っちゃったから余計に機嫌を悪くしたレリックさんも、宥めて煽てて誉めてあげれば簡単に機嫌が直ったのは助かったわ。アンノウンに耳打ちされた内容を言ったのだけれど、本当にこんな時には役に立つんだから。でも、お兄ちゃんと呼んで頼りにしたい人一位、って言ったのが一番効果が有ったのは正直言って……。

 

「キ……」

 

 思わず本音が口から漏れそうになったけれど、残り二文字を口にするのは何とか防ぎ、ついでに目の前の現実に目を塞ぐ。視覚情報を一切防いだから私は何も分からないわ。人の頭程度の大きさの鉱石をレリックさんに渡すヴェロンさんが自分にリボンを巻いている事とか、目が完全に何処か彼方を向いている事とか、レリックさんだって私に助けを求める視線を向けていた気がするけれど、今の私は何も見ていないから何も分からない。

 

「さあ、お受け取り下さい。全て旦那様の物です。ティターニアにも、勿論私も……」

 

「お、おう……。ティターニアは遠慮せずに貰っとくな」

 

 レリックさんったら現実から目を逸らしているわね。声で分かるけれど、ヴェロンさんには伝わっていないみたいで良かったわね。彼女、自分はレリックさんの物だからって同行しないわよね? 恋よりも立場と仲間を優先するわよね?

 

「私も同行します………と言えない不甲斐無さをお許し下さい」

 

「そ、そうか。う、うん、残ね……いや、それが良いだろう。お前には大切な役目が有るもんな。俺もそれを誇らしいと思うぜ」

 

 ……良かった! 本当に良かった! ヴェロンさんは今にも泣きそうな声だけれど妖精郷に残る事を選んだみたいだし、レリックさんも残念とか言いそうになったのを言い直してくれたし。多分残念って言ったらヴェロンさんの背中を押して、自分の背中を奈落の底に突き飛ばす事になるって判断したのね。

 

「……でも、ご安心下さい。必ず時間を見付けて会いに行きますし、週に一度は夢の中に出ますし、世界を救った後で必ず迎えに行きますので結婚式を妖精郷で挙げましょう」

 

 レリックさん、もしかして逃げ場が無い? 無いわよね、これは。うん、可哀想。自分から飛び込まずに済んだ奈落の底に引き吊り込まれたもの。えっと、ヴェロンさんは美人だし恋仲の間は楽しそうとでも言って励ますべきかしら? でも、恋愛経験の皆無な私が何を言っても説得力が無いわよね……。

 

「……あっ、賢者様に栞を見て貰いましょう。何か特別な品かも知れないもの」

 

 取り敢えず夢に出たりするのは賢者様から適当な理由で止めさせて貰いましょう。旅に集中する為ってドン引きレベルの信仰心の対象が言えば大丈夫よね。うん、本当に賢者様って頼りになるわ。こういった面倒事では特に!

 

 ……後はドン引きするレベルの身内への甘さがどうにかなってくれれば良いのだけれど。せめて人前で甘い空気を醸し出すのは勘弁して欲しいわ。

 

「無駄でしょうけれど……」

 

 行きは船だけれど帰りは転移。帰るなり女神様とイチャイチャする賢者様の姿がハッキリと浮かぶし、三百年物のバカップルが今更どうにかなる筈が無いわよね。

 

「……はぁ」

 

 私、未だ十一歳なのに溜め息が多いわ。今は大丈夫だけれど、白髪が銀髪に混じらなければ良いのだけれど。その場合は賢者様に責任取って貰って元に戻して貰わないと駄目ね。

 

 そんな事を心に誓っている間に賢者様はヴェロンさんのストーキング行為を何とか説得で阻止し、少し焦った様子で転移を行う。さて、ティターニアを手に入れたし、次はディロル様の所に向かうのね。先に女神様に会いに戻りそうだけれど。

 

 

 

 

「ふぅん。あの子も随分と腕を上げたんっすね。弟子の作品に手を加えるのは自分の流儀に反するけれど……まあ、子供に世界の命運を背負わしてる側が言うべき事じゃ無いっすね」

 

 あの後、一旦休もうと賢者様は言ったわ。あの試練で魔族が乱入して疲れているだろうからって言ってたけれど、私は半分は自分の為だって思っているわ。早く女神様とイチャイチャしたいけれど、私みたいな子供に勇者をやらせているのに自分の都合を優先させられない。だから自分を誤魔化せる理由を付けようとしたのだろうし、私だって疲れているから言葉に甘える事にしたのだけれど……。

 

「まさか先にこっちに向かってるとはな。……禁断症状はマジで大丈夫か?」

 

 そう、拠点にしている馬車の中のリビングの机には置き手紙が有って、どうせ向かうだろうから先にディロルと打ち合わせをしてくるって内容だったのよ。女神様も自分が行きたくないからって留守番をしているのも気が咎めたのね。そして今に至って、ディロル様の工房でレリックさんのグレイプニルとティターニアをディロル様に渡した所よ。

 

「「……」」

 

 尚、賢者様も女神様も流石にこの場面ではイチャイチャを自重しているのだけれど、既に一日以上会っていない時間が過ぎているから直ぐにでも相手を抱きしめたいって様子だわ。それなのにディロル様の話が長くって、今はグレイプニルを造ったドワーフさんがどんな人で、どんな理由で人里離れた場所に工房を拵えたのかを話しているの。

 

「……ふっ」

 

 あっ、二人の方を見て笑ったわ。えっと、もしかして故意に話を長引かせているのかしら? でも、一体どうして……あっ。

 

 私は今、ディロル様がどんな女神様なのかを思い出したわ。神の力を封印して地上に来てまでドワーフさん達に鍛冶の技術を叩き込んでいる親方さんで、確か結婚どころか恋人すら……。

 

「……」

 

 今、確かに目が合って、無言で喋ったら駄目だって告げられた。さて、黙っておきましょうか。それに私って今だけ物忘れが激しいから何を考えていたかも忘れちゃったのよね。そんな事よりも私はディロル様の手元に視線を向けていた。ディロル様の手の中のティターニアは僅かに光だけの石だったのに、少しハンマーで叩いただけで眩く光る物体へと変化をして行く。これがティターニアの本当の姿なのね。

 

 

 

 

「じゃあ、グレイプニルは自分が預かるっす。期待して良いっすよ。ゲルダちゃんのデュアルセイバー同様に勇者の仲間に相応しい最高の武器に打ち直してみせるっすから」

 

 ディロル様は自信満々に告げ、その姿に私達は一切の疑いなんて持っていなかったわ。

 

 



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気が付けぬ事

 船底を削る岩礁に、舵を狂わす急で複雑な潮の流れ。後悔に航海上の悪条件が周囲に多く存在するその島には当然ながら一般の商船は寄り付かず、魚も特に豊富でもないので漁船も立ち寄らない。例えその様な理由が無くとも中継地点となる何かを設置するには少々辺鄙な場所であるのだが。

 

 ならば誰も近寄らず、長い年月を掛けて荒波で削り取られて行くだけなのかと言えば否である。人が寄りつかないからこそ、その場所を拠点にする者達が居る。潮の流れを物ともしない腕利きが岩礁の間を通り抜けられる小舟で建材を運び入れ、人目を憚って動く者達の基地が作り上げられた。麻薬や盗品の保管場所? 海賊の拠点? はたまた人身売買の商品を監禁する絶海の監獄にする予定だったのか、快適ではないが頑丈で広い建物が建てられた。

 

 幸運な事にその島を拠点にしようとした者達は襲った街を拠点にしていた海賊と自警団の手によって壊滅され、這々の体で逃げ出せた者達も周囲を縄張りにする人魚に出会ってしまった。この様に悪人達は悪事の準備をしただけで、その準備は実際には使用される事が無く終わった事だ。もし使われていたならば少し離れた場所の街や航路を進む船が襲われた事だろう。その後、返り討ちにした街は多大な被害を受けたが、街を恨んでいる相手は全滅したので報復の心配は皆無だ。

 

 では、不幸な事を続けて語ろう。人目に付かない孤島であり、何かをする為の拠点となる場所が有るなら、操船技術に自信があるか、そもそも孤島に向かうのに船は不要な者達にとって都合が良かった事だ。例えば男児は養子に出し、女児のみを育てる狼の獣人の部族のフェイルならば巨大な鳥のモンスターを従えて交易の脚にしているので休憩地点に使っただろう。ただ、先に記した通り交易の拠点にしては少々微妙な場所なので彼女達は使わないし、使った所で困る者はそうは居ない。少々部族の決まり事と誇りに関して五月蠅いが、悪人の集まりでは無いからだ。

 

 だが、人目に付かない孤島だという事が好条件となる者達は確かに存在する。その筆頭が魔族だ。このブリエルにおいて広い世界に点在する似た条件の島に攫った者達を集め、拠点となる砦や城を建設させる。当然悪条件であり、奴隷として働かせられる者達は苦しむ事になるが、それこそが目的だ。そうして発生した負の念こそが関わった魔族の力を増大させる。故に各島にて責任者の立場を与えられたのは高い実力を持った上級魔族のみ。

 

「ハハ、ハハハ、ハハハハハッ!」

 

 この島を任せられたディアット・ラミアもその内の一人。彼は自らが担当する場所こそが最も重要な場所だと確信していた。彼が指揮下に入っているリリィから期待している旨を伝えられ舞い上がった彼は今、蛇の下半身という姿を現し、更に巨大化して高い塔の周囲に長身を巻き付かせながら上を目指す。

 

「最高ダ、最高ダァアアアア!!」

 

 元の彼は理知的な顔立ちの優男。病的な白い肌も彼の美貌を際立たせていたが、今は全く知性が感じられない叫び声を狂気に染まった表情で響かせる。どうやら砦や城の構造は各地で違うらしく、彼が任されたのは幾つもの高い塔が手摺りもない空中の足場で繋がっているという物。建設中に何人もが落下して命を落とし、反抗的な者は建設中の塔から落とされて死んだ。日々高まりを感じる力による高揚感、そして忠義よりは恋慕の割合が多いリリィへの想いがディアットを慢心へと導き、リリィへの盲信は更に高まる一方。

 

 そんな彼だからこそ勇者とその仲間を名乗る者達がやって来た事はリリィに良い報告が出来ると歓喜に導くだけの物であり、何故絶海の孤島であるこの島に姿を見せた事は一切疑問に思わない。ヒトデのキグルミが思いの外上手く溶け込んだ事で違和感が減ったのも有るだろうが、ディアットが選んだのは正面切っての戦闘。この手柄によって自らがリリィの側近へと成り代わり、やがて寵愛を得て童貞を卒業する妄想にまで至った。

 

「……何かキメェ顔だな」

 

 欲望が顔に出ていたのだろう。レリックは容赦無い一言を嫌悪感を一切隠さず口にして、それがディアットの怒りを買った。

 

「ぼ、僕の顔がキモいだってぇええええっ!? 絶対に許さないからなぁ!!」

 

 元から勇者達相手という事で欲望によってかさ増しされた戦意を見せていたが、今度加わったのは激しい怒り。実年齢は兎も角、性的思考などは見た目の年齢に左右される魔族において二十歳位の彼が十歳前後のリリィに抱く想いからロリコンだったらしいが、更にナルシストも加わった。怒りに満ちた彼は蛇の下半身という姿を見せ、更に上着のポケットから丸薬を取り出して恍惚の表情で見詰める。

 

魔浸丸(ましんがん)、愛しの君からの贈り物。ああ、この任務を任されて以来、顔も見れず声も聞けない時間は本当に辛かった。でも! この手柄なら誰にも文句を言わさず側に居られる。何せ特別製を貰ったのだから、僕の勝利は決まっているのさ!」

 

 ディアットだが、実は塔の建設を命じられてから一度も会っていないし、複数人で集められて命じられる時に直接声を掛けられただけである。だが、強烈なナルシストである彼は用事が有る時も側近であるビリワック・ゴートマンを介してなのは互いの立場の違いをとやかく言われたく無い故に姿を見せず、側に置ける程の存在になれると信じているからこそ、そんな風に妄想していた。

 

「ヒ、ヒヒ、ヒヒヒヒヒヒヒッ!」

 

 そんな彼が飲んだのは、今まで数人の魔族を理性無き怪物に変貌させた狂気の品。本来強い筈の仲間意識を多くの魔族に全く向けていないリリィだからこそ作り出せた物。彼が服用したのも今までと全く同じ物。

 

 この瞬間、ロリコンでナルシストで妄想癖が強いストーカー予備軍だったディアットの心は狂気に支配された。無造作に振るった尻尾が塔を破壊して傾かせ、その爛々と光る瞳は目の前の獲物二人を狙う。彼の目の前でレリックとゲルダは無防備に背を向け、僅かに傾いた塔の外壁に存在する凹凸を足場に見上げる高さを駆け上がる。

 

 この時、幾らナルシストのディアットでも理性が残っていれば自分に臆して逃げただけ等という短絡的な結論には至らなかっただろう。今の彼にそんな結論に至る知性が残っているかさえ疑わしいが。今の彼の頭に存在するのは二つの言葉。

 

 獲物逃げた。

 

 捕まえて殺す。

 

 最早本能だけで動いている可能性を感じさせるディアットは塔に巻き付き盛大にヒビを入れながら二人を追い続ける。塔を壊せば良い、そんな考えは一切持たず本能の赴くままに。そんな彼では到底理解不能だろうがレリックの口から出たのは嫌悪感が濃厚に感じられる言葉だ。

 

「……こりゃマジで臭ぇな。ゲルダが言ってた妙なドーピングってのはこれの事かよ」

 

 それはゲルダも感じていた魔浸丸の悪臭。 思わず視線を向けて呟く中、併走していたゲルダが先を行き、頂上の屋根を蹴ってレリックへと飛んで来たではないか。

 

「レリックさんっ!」

 

「おうよっ!」

 

 現在二人が居るのは常人が落ちれば即死は免れ無い高所。そんな場所から一切の躊躇無くゲルダは飛び降り、驚きもせずにゲルダの方に向かってレリックも飛び出していた。ゲルダは空中でブルースレイヴを構え、レリックは空中で体勢を変えて天地逆転となる。二人に迫るは巨大化し凶暴化したディアット。二人の瞳には一切の迷いが見られず、ゲルダが振り抜いたブルースレイヴの刃を蹴ってレリックが飛び出した。

 

「地印解放!」

 

 刃を蹴っての加速に地印の反発による加速も加わり、今のレリックの速度は単体では到底出せない物だ。にも関わらず、下手すれば高所から頭を下にして落下するという恐れを一切見せないレリックは拳を振り上げ、本能のままに噛み付こうとしたディアットの顔面に真正面から拳を叩き込んだ。

 

「らぁっ!!」

 

 ヒットの瞬間、鋭く伸びた牙がへし折れ、拳はディアットの顔を陥没させながら動きを止めずに突き進み、遂に衝撃で頭を完全に砕いた。

 

「まあ、こんなもんか。……着地をどうするかだな」

 

 どうやらゲルダと息の合った連携を見せた迄は良かったが、着地について考えていなかったらしい。何時もは腕に巻いたグレイプニルも預けており、今の彼には着地の瞬間に地面を殴って衝撃を殺す事のみ。塔の建設をさせられていた者達が見上げて悲鳴を上げる中、レリックは脚を掴まれ引き上げられるのを感じた。\

 

 

「……空中で歩けるのか?」

 

「未だ少しの時間だけって条件が加わるけれど、空中を前後左右上下に駆け回れるわ」

 

 少しだけ驚いた様子を見せるレリックが視線を向けたのは空中に立って自分を持っているゲルダの姿であった。やがてディアットの死骸が地面に激突して陥没した底で浄化されるのを見届けた後、働かされていた者達から歓声が上がる。それが悪い気分ではないのかレリックも満足そうだ。

 

 

 

 

 この時、彼は気が付いていなかった。咄嗟に引き寄せて落とさない為に抱えた結果、お姫様抱っこをされている事に。

 

 

 

 

「あっ! お姫様抱っこされてる!」

 

 無邪気な子供が指先を向けて叫ぶ瞬間まで彼は気が付かなかったのだ……。



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苛立ちの理由

「……これで十カ所目。今回も沢山の人を救えたわね」

 

「てか、俺がクルースニクの所属時は二つか三つを見付けるので精一杯だったってのに、どうなっているんだよ、あのキグルミ共の情報収集能力はよ。キグルミか? キグルミなだけに着れば神の恩恵でも与えられるってのか?」

 

 世界は広いから存在が分かっている街や島を載せた地図だけでも膨大な数になる。その地図の何枚かには付箋が付けられ、特定の島には印が付いてあるわ。その一つに私はバッテンを付け、レリックさんは感心しているのか呆れているのか分からない呟きを漏らした。

 

 この印は六色世界から浚われて来た人達が奴隷みたいに扱われている場所で、バッテンは既に解放した事を表すのだけれど、グリエーンで出会ったイアラさんの子供は未だに見付かっていない。中には途中で殺されたりで死んだ子供も居るらしいけれど、話を聞く限りではその中にも居なかったみたい。

 

 安心はしちゃいけない。だって死んだのは見知らぬ誰かの大切な家族。それを偶々知り合った人の子供じゃないからって安心は出来ないわ。でも、直接声を聞いて心配する姿を見ちゃった私は複雑な思いなの。大勢助けたのに、目当ての相手が見付からない今は素直に喜べないわ。

 

「ちっ!」

 

 六つも世界が有るし、一つ一つだって広い。関わりが有る人より全く接点の無い人の方が多いし、知らない場所で沢山の悲劇が起きている。悲劇を全て防ごうだなんて、逆に本来なら救えた人を救う為の足枷になるって分かっているわ。

 

 その上、ちょっと嫌な事が有ったの。魔族から解放した人達は口々にお礼の言葉を向けてくれるけれど、中にはそうでない人達も居たのよ。

 

「どうして早く助けに来てくれなかったんだ!」

 

「魔族を倒すのはお前の使命何じゃ無かったのか!」

 

「こんな子供が勇者だなんて世界は終わったな……」

 

 きっと精神的にも肉体的にも限界だったのだろう。大切な人を亡くしたのかも知れない。限界まで追い詰められて誰かに怒りをぶつけたかったのかも。レリックさんは怒ってくれたけれど、私はそれを止めた。彼等がそんな事を口にする気持ちが理解出来たから。だから私は立ち止まれない。一歩でも先に進まなくちゃいけないの。

 

「……はぁ」

 

 でも、それでも私は悩んでしまう。思わず溜め息が漏れ、俯いて肩を落とす。そんな私の頭に手が置かれ、優しく撫でられる。レリックさんは無言で私を慰めようとしてくれていたの。きっと私と同じで色々と悩む事が有るのに。

 

「レリックさ……」

 

 お礼を言おうと顔を上げる。私の目の前にはモグラのキグルミを着せられたレリックさんの姿があった。尚、本人に気が付いた様子は無い。

 

「……ちょっとアンノウン?」

 

「ふっふっふっ! さっきの台詞と試練の時のやり取りのフラグ解消って奴さ。それに全然問題無しだよ。だって本人には見えないし話題についても別の内容に聞こえる特別製だからね!」

 

 指摘すれば傷付くだろうからレリックさんには今の姿についてのコメントを避け、私の背後でゴロゴロしているアンノウンの方を振り向く。もう疑いの余地無くアンノウンの仕業で、今回も無駄に凝っていたわ。まあ、キグルミ自体は神聖な儀式の衣装だし、後から着ていたのを知ってもそれなら大丈夫ね。

 

「ちょいと気晴らしに飲んで来る。土産を買って帰ってやるよ。だから入れ違いにならない為に留守番してな」

 

「あら、だったら甘い物が食べたいわ」

 

 本人が気にしないなら黙っていましょう。アンノウンのキグルミが簡単に脱げるとは思えないし、気晴らしに行きたいなら変な事は言わなくて良いわよね。私は表面上は何事も無い風に振る舞うレリックさんを見送った。楽しんで来てくれたら良いのだけれど……。

 

 

 

「所でアンノウン。流石に外で飲んでる途中でキグルミに気が付かないのが解除されたりしないわよね?」

 

「何言っているのさ、ゲルちゃん。するに決まっているじゃないか! そっちの方が面白いもん!」

 

「レ、レリックさーん! ちょっと待ってー!!」

 

 私は慌ててレリックさんの後を追う。この時、私は疑ってもいなかったわ。レリックさんだけがキグルミ姿にされているって。……結論から言うとレリックさんも同じだったのよ。

 

 

 

 

 

 

 順調に誘拐された連中を助けて行ってるってのにゲルダの奴の顔は晴れない。その理由に心当たりが有るかってぇと、その助けた連中の反応だ。感謝して礼の言葉を述べ、解放された事を喜ぶ奴等は良いさ。別に謝礼目的じゃ無いが、感謝されて悪い気はしねぇ。彼奴みてぇな餓鬼なら達成感が有るだろうよ。

 

 だがな、気に入らないのは他の連中だ。俺達の力に怯えるのは理解してやる。要するに化け物より強い化け物って事だからな。それを口にしねぇのなら見逃してやる。

 

 一切容赦する気が起きねぇのは文句を言って来た連中だ。勇者なら、勇者だったら、そんな風にもっと早く助けろってよ。……助けに行く前に死んどけよ。お前達には助ける価値は無かった。完全無欠の存在なんか存在するかよ。世界を背負わしておいて文句を言うなら……こうやって考えるだけでも腹が立って来る。俺が気晴らしに出たのはそんな理由だ。沈んだ表情のゲルダに、俺の不満を抱えた表情を見せたくなかったのも有るがな。

 

 俺が一発殴ろうと思った時、彼奴は察して止めて来た。甘いんだよ、馬鹿がよ。抱え過ぎるな、餓鬼の癖に。俺は本当に何もしてやれてねぇよな……兄貴だってのに。

 

「どうも今日は視線が鬱陶しいな。俺がどうかした……いや、当然か」

 

 遠巻きに俺を見てヒソヒソと話す連中や何故か後を付いて来る餓鬼共。これが美女ならって普段は思うんだろうが、今は美女だとしても鬱陶しい。んで、そんな事になってる理由だが、時折聞こえる勇者だの何だのってキーワードから簡単に察せたぜ。俺達が滞在している街であるシメシャバには助けた連中を一旦預けて名簿作成やらの事務手続きを任せたからな。……そりゃ注目される訳だ。

 

「面倒だが逃げるか。ったく、何で俺がこんなコソコソしなくちゃならねぇんだよ」

 

 鬱陶しいから睨んで追い払いたいが、只でさえゲルダの中じゃ俺はチンピラみてぇだと認識されてるっぽいしな。それに噂になって、落ち込んでる今の彼奴に余計な心労を与えたくねぇし。だから俺は逃げる事を選んだ。どの道大衆酒場じゃ目立つだろうし、かと言って高級店に行くには財布の中身が心許無い。撒いた後で買い求めた酒とツマミを手に景色でも眺めながらと思ったんだが、入り込んだ路地裏で隠れ家的な目立たないバーを発見した俺は喜んで入り込んだ。

 

 

 

「おや、新人かと思えば貴様か、青年。早く席について注文したまえ。本日のお勧めは超激辛担々麺か超激辛餡掛け炒飯だ。ハバネロ入りのカクテルも悪くないぞ?」

 

 扉を閉めて中の様子を目にする。カウンターには例のハシビロコウが立っていやがった。

 

「帰る……って、扉が開かねぇっ!?」

 

 取っ手を掴んで押すが微塵も動かない。こうなったら蹴り破ってやろうかと思ったが、それも同じくだ。店内に漂う辛い匂い、水を慌てて飲む黒子やキグルミ達。俺が青ざめる中、ハシビロコウは心の底から愉しそうに嗤っていた。

 

「ククク。この店は何か注文して完食しないと出られない。諦めて注文したまえ」

 

 ……所で俺に対して新人がどうかとか言ってたよな? どういう意味か訊ねながらどうにか誤魔化して脱出……は無理だろうな。

 

 

 

「……辛くないメニューを寄越せ」

 

「残念だがお冷や以外は全て激辛メニューだ。そして水のみの注文は受け付けない。好き嫌いはいかんぞ、青年。ククク、決められないのなら私が決めてやろう。客に選ばせないのは心苦しい気もするが仕事なのでな」

 

 ……いや、絶対自分の趣味でこんな事をやってんだろ。

 



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ツンデレは気付けない

「ほれ、超激辛担々麺の超激辛チャーシュー超激辛メンマ超激辛煮卵増量辛さ増し増しの特盛りだ。代金はそこの黒子が支払うから安心して食べると良い」

 

「代金は兎も角、料理自体に安心出来る様子が……ゴッホッ!?」

 

 有無を言わさず俺の前に出されたのは一抱えも有る巨大な丼と、その中で煮えたぎる真っ赤な何かだ。もう真っ赤過ぎて何がなんだか理解不能なそれの前で喋っただけで咽せちまう。目と喉と鼻が焼け付くみてぇに痛ぇ。目の前のハシビロコウがキグルミの中でニヤニヤ嗤っているのが伝わって来ると無性に腹が立って来やがった。

 

「……ビール大ジョッキで三つ寄越せ」

 

このまま目の前のハシビロコウをぶっ倒して出て行くのが最高なんだが、今の俺でもそれは無理だ。腹は立つが此処は何食わぬ顔で完食してやるのが意趣返しになるだろうな。目の前の奴が望む悶え苦しむ姿だけは絶対に晒してなるものかよ。

 

「あっ? おい、何の真似だ」

 

「……」

 

 息を吸い込んで漂う辛さに咽せそうになるのを何とか堪えて箸を手に取った時、一人前の担々麺を悶えながらも食べ進めていた黒子の手が俺の肩に置かれ、無言で静かに顔を横に振る。食うなって言ってやがるみてぇだな。

 

 アンノウンの部下の中でも此奴は全く分からない奴だ。ハシビロコウの鳥トンならテメェの娯楽の為に好き好んで力を貸していやがるし、ウサギのグレー兎は嫌々だが契約が有るとかで従っている。だが、この黒子は全然どんな奴か分からねぇ。第一、全く喋らないからな、此奴。

 

 取り敢えずチビで気弱な性格ってのだけは伝わって来るんだがな。俺の事を無言で止めた時もビクビクした様子だし、それを見かねたのか鳥トンも困った様子で苦言を呈して来た。

 

「前から思っていたのだが、お前は気弱が過ぎるな。一応は幹部なのだ。もっと堂々としたらどうかね?」

 

「幹部っ!? この黒子が幹部なのかよっ!?」

 

「おや、不思議かね? 確かに年若いし小柄で気弱だ。だが、その様な些細な事。私以外にとって貧乏くじを引かされる(主にキグルミ達の幹部に選ばれる)のはどれだけ面白い者かどうかだ」

 

「いや、色々と最悪だな、おい。後、途中で言葉が二重に聞こえたんだが気のせいか?」

 

 幹部に選ばれる云々に別の言葉が重なって聞こえたんだがな。まあ、どうでも良い。アンノウン関連については難しく考えるだけ損だからな。俺は追求を諦めると真っ赤なスープに箸を入れて麺を口に運ぶ。泥みてえに濃厚なスープは麺に絡み付く所かへばり付き、一口目で俺は一瞬意識が飛んだ。

 

 辛いよりも痛く、全身から汗が噴き出すのを感じた俺はビールを流し込むが一切味を感じない。信じたくねぇが、たった一口で俺の味覚は麻痺しちまった。だったら激辛も大丈夫かと思ったが、麻痺した味覚が強制的に呼び覚まされる。これは料理じゃねぇ。絶対新種のモンスターだろ……。

 

 目眩や手足の痺れ、そして息切れや震えを感じながらも俺が箸を手放さないのは意地だけが理由だ。俺は負ける訳には行かないんだよ!

 

「ギブアップするかね? どうせ代金は君が払う訳じゃ無し、逃げ出したいなら逃げたまえ。残した事への罰金も黒子に請求しようではないか」

 

「!?」

 

 おい、明らかに慌ててるぞ。にしても逃げて構わない? 俺も随分と馬鹿にされたもんだぜ。

 

「誰がギブアップなんざするかよ! ハッ! 俺にギブアップさせたきゃこの十倍の辛さのを持って来いよ、雑魚がっ!」

 

 正直言って限界だが、こんな時こそ不敵に笑うもんだ。俺は箸を持ったまま鳥トンを睨み、鼻で笑う。黒子は心配そうにしてるが、そんなのは無駄だって今直ぐに見せてやるよ。

 

「安心したまえ。スープは三層になっていて、二層目は一層目の二十倍、三層目は五十倍の辛さだ」

 

「ギブアップ!」

 

 諦めて逃げ出すんじゃねぇ。これは戦略的撤退だ!

 

 

 

 

「さて、食事も終わった事だし、雑談でもするとしようか、青年。幸いな事に私の本職は神父だ。何か悩みがあるなら言いたまえ」

 

「テメェが神父とか最悪だし、今現在進行形でテメェとテメェの主に困ってんだよ。てか、テメェに相談する前に賢者様かシルヴィア様に相談するわ」

 

「ククク、了承した。生憎私のこの性格は変える気はないし、主に関しても断らせて貰おう。何せ主から提供された担々麺によって私の長年の悩みは払拭された。人を無意味に苦しめるのが悪なら、建前上の大義名分を得れば何一つ問題無い、、それを気が付かせてくれたのだ」

 

「何も問題無いって、人道的には問題有るんじゃねぇのか? ……どっちにしろ胡散臭い奴に話す悩みなんざ有る訳無いだろが。余計拗れるとしか思えねぇ」

 

「ならば悩み抜いて答えを出すのだな。それもまた人生だ、青年よ。私も気が向けば陰ながら応援しよう」

 

 まあ、今はちぃっとゲルダが心配だな。落ち込んでたし、まさか彼処までこ小っ恥ずかしいキグルミを着せられるだなんてよ。笑わないように思考や意識から外したし、アンノウンが俺にのみ伝えたが、時間が経てば勝手に消えるし、外で過ごさなかったら自覚も無いってんだ。留守番任せたし、そっちは大丈夫だろ。

 

「……所で誘拐された者達が居る場所が新発見されたのだが、君だけで向かうかね? 勇者は助けた者達に関わる事で落ち込んでいると主から報告を受けている」

 

「いや、彼奴も連れて行かなくちゃ意味が無いだろ。その場に居なかったから平気ですって分厚い面の皮を持ってるんなら悩まねぇんだよ。寧ろ気を使わせたとかで落ち込むし、行かなきゃ功績も糞もねぇだろ」

 

 出来るなら逃がしてやりたいし、目を逸らせるならそれが一番だ。だが、それが無理だってんなら、俺達は側に居て転んじまっても立ち上がれると信じて待つだけだ。手を貸す時も有るが、色々押し付けでおいて信じてやらなくてどうするんだよ。彼奴の今までを否定する事だぞ、信じないってのは。

 

「……その場所に集められているのがパップリガの貴族と獣人の子供達だと聞いても同じ事が言えるかね?」

 

「性格悪いこったな、おい……」

 

「おや、どっちに対してかな? 先に言っておくが、この情報が入ったのは先程だ。それを信じるかどうかはお前次第だがな」

 

 どっちに対して? 両方に決まってるだろが。世界も種族も無作為今までと違って故意に最悪な組み合わせをした魔族と、偶然にしてはタイミングが良すぎる情報提供。偶々その場所に行かなかったのは幸いだが、都合が良すぎるんだよ。

 

 

「……場所を教えろ。それにわざわざ言って来るって事は足も用意してるんだろ?」

 

 だけど、それがどうしたってんだ。幾ら信じていたとしても、見せたくない程に汚い物だって存在する。今回のこれが特にな。迷いは……無い。

 

 

 

「当然用意しているとも。大熊猫流風船式移動術で送ってやろう」

 

 迷いは無い……無……多分。

 



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ツンデレとロリコン 人助けに行く 上

「……おい、何だよこりゃ」

 

「何って、見ての通りの風船だが?」

 

 ゲルダに見せたくない物を見せない為に単独で魔族の拠点に乗り込む事を決意した俺だが、その場所について情報と移動手段を提供するというキグルミに連れられて向かった先には巨大な風船が浮かんでいた。見た目はパンダの胴体だ。

 

「せめて頭にしとけや。なんで頭が無い胴体なんだよっ!?」

 

「その事については三日前に討論がなされてな。頭だけの場合、何度か似たような事をしていているから面白くないと判断されたのだよ」

 

 いや、これも全然面白くないんだがな。言うだけ無駄なので俺は風船を更に膨らませるキグルミを観察し、風船から糸が伸びて全身を固定する頑丈そうなベルトに繋がっているのに気が付いたんだが、同時に嫌な事が頭に浮かぶ。

 

「おい、風船式移動術とか言っていなかったか?」

 

「正確には大熊猫流風船式移動術だ。では、あのベルトで体を固定したまえ。途中で落下はしないぞ、恐らくだがな」

 

「不安しかねぇ。不安しかねぇが……これしか方法は無いんなら我慢してやるよ」

 

 アンノウンの事だ。他に方法が有っても黙ってるだろうし、心底嫌でも仕方無いって諦めるしか無いんだろうよ。どの道、ゲルダに気取られ無い内に終わらせる必要が有るんだ。賢者様やシルヴィア様ならさっさと終わる? だろうな。だがよ、それだったら稼げる筈の功績が稼げねぇ。それで得られた筈の力が足りなくて救えない奴が出たらよ……。

 

「さっさと行くぞ。速攻で終わらせて酒飲んで帰る。……今回の件、絶対にゲルダには知られないようにしろ」

 

 俺はベルトを手に取り、遠くから眺めるだけじゃ分からなかった事に気が付いた。このベルトは一人用じゃなく、二人用だ。よく見れば背中合わせに二人が体を固定するようになっていやがる。わざわざ二人用にしといて誰も来ないってのは……有り得るな。

 

 誰も同行するだなんて言っていないのに、とかアンノウンなら言うわ。想像だけで苛立って来たな。……よし! 囚われてる貴族が東側の糞共だったらイチャモン付けてぶん殴れば解決だな。俺も功績によって能力が上がるようになったし、手加減の練習に使うサンドバックには最適だろ。何度か素振りをした後でベルトを自分の体に固定すると、背後で同じく体を固定する奴が居た。黒子だ。俺より大分小柄だから少し体が浮いてるんだが、此奴も付いて来るのかよ。

 

「……おい、鳥トン。この黒子は足手纏いにならねぇ位の力は有るのか?」

 

「まあ、邪魔にはならんさ。どうも大勢の子供が虐げられている現状に憤っていてな。是非君に力を貸したいそうだ。子供好きなのだよ、性癖で」

 

「!?」

 

「おい、凄く否定してるぞ。顔を左右にブンブン振ってるんじゃねぇかよ」

 

 いや、でも本当に大丈夫か? 俺も散々ロリコン扱いされてるから他の奴を表立って疑いたくはないんだが、それでも実際に餓鬼に欲情する変態を餓鬼共の救出に連れて行くのは抵抗が有るんだよな。もしもの時はぶん殴って気絶させれば良いけどよ。

 

 そんな俺の迷いやら黒子の必死に否定する姿も楽しみの一つなのか鳥トンは肩を震わせていやがった。笑い出したいのを堪えてやがる。此奴をぶん殴るひつようがあるんじゃ8ねぇのか、マジで?

 

「ククク、気にするな、其奴は一途だ。好みの相手に心奪われても一瞬の事。本命への熱き想いは冷めはしない。では、詰まらない事は此処で終わらせて出発しよう。では、風船を飛ばしたまえ」

 

 風船に結い付けられたロープが切られる度に俺の体を固定するベルトから上に持ち上げる力が伝わり、俺は直ぐに感心した。当然、黒子にだ。

 

「……まあ、邪魔にはならなさそうだな、お前」

 

 俺と黒子は背中合わせに固定されている状態だが、黒子は俺より小さい。言ってみれば俺の背中に余計な重りを固定してる状態だ。にも関わらず俺に対して変に力が働いて体勢を崩そうとしてないって事は、足が浮いている状態でバランスを取ってるんだよ、速攻でな。流石に俺の後から体を固定する時に気付く程度の事は有ったが、今じゃ誰も居ないのと大して変わらない。それなりにやれなきゃ無理なバランス感覚だぜ。

 

「?」

 

 本人は急に誉められてビックリしてるが、一々理由を教えてやるのも面倒臭ぇ。

 

「彼はツンデレだから素直に誉められないだけだ。変に思う必要は無い」

 

「おいっ!? 何言ってんだ、テメェッ!?」

 

「ククク、最高高度に到達するまでは良いが、それから後は喋らない事をお勧めしよう。舌を噛んだりはせぬだろうが、吐瀉物を空中から吐き散らすのは嫌だろう?」

 

「あっ? そりゃ一体どういう意味だよ」

 

「……まあ、数秒後には分かる」

 

 俺が思わず聞き返すも鳥トンは愉しそうに返事をするだけで答える気は無いらしい。どうも此奴がキグルミ共のリーダーらしいが、こんな人望の欠片さえ生涯得られそうにない奴がどうしてそんなポジション何だよ。適当に選んだか、そっちの方が面白いからなんだろうが、リーダーってのはな……。

 

「……ん?」

 

 そんな風に他事を考えて居られたのはその瞬間迄だった。急激に上昇する風船にぶら下がる俺達に掛かる圧力は凄まじく息をするので精一杯だ。歯を食いしばって耐え抜き、目を閉じて圧力が収まるのを待つ。数秒か、はたまた数分なのか判断出来ない時間が過ぎて圧力が収まった時、俺の視界の先に広がっていたのは絶景だった。

 

「……へぇ。中々だな」

 

 目の前には一面の雲海、そして雲一つ無い青空。余程の高山に登らなきゃお目に掛かれない光景に俺は思わず感嘆の声を漏らす。こりゃゲルダにも見せてやりてぇもんだ。賢者様に頼んで空の上に連れて行って貰うか。頭に浮かんだのは空飛ぶ絨毯の上でのピクニック。此処は少し寒いし風も強いが、それをどうにかするのが魔法だろ。そういった特殊な魔法を手間掛けて作る奴は珍しいだろうが、あの賢者様なら絶対やってそうだしな。

 

「気分転換には丁度良いだろ。どうせなら早速明日の昼飯にでも……ん?」

 

 俺も少し疲れていたんだろうな。想像だけで楽しみになっているのを感じつつ弁当の中身を考えていたんだ。だから鳥がクチバシを真っ直ぐ向けて風船に向かって来る事に。

 

 

「……あれ? 何だこりゃ……」

 

 一瞬視界が暗転して俺の目に映る腕が別物に変わる。俺はキグルミを着ていた……。

 

 

「えっと、実は店に入った時には既に……あっ、喋っちゃった」

 

 喋ったッ!? いや、喋るか……。

 

「えっと、アンノウン様に喋らないキャラを命じられているのでどうか黙っていて下さい」

 

「お、おう……。まあ、俺が損する訳じゃ無ぇし……」

 

 何となく気まずい雰囲気になった時、頭上の風船に鳥が刺さる。直ぐに空気が抜ける音が聞こえ、俺達は上下左右に振り回されながら何処か遠くに飛んで行った……。

 

 

 

 大熊猫流風船式移動術ってこの事かよっ!?

 

 

 



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閑話 希望の在処

 私の毎日は楽しかった。お母さんと一緒に果物を集めたり、お父さんと一緒に狩りをしたり、二人と一緒に大きな獲物を狩ったり、そして友達と遊んだり。毎日が勉強で、毎日が遊びで、このまま家族や友達と一緒に楽しくて平和な日々を過ごすんだって思っていたわ。

 

「ピョピョピョピョピョッ! 今日から君達はラビト様の奴隷だピョン!」

 

 でも、そんな日々はある日を境に急変した。友達と森の中を駆け回っていたら背後から誰かに襲われて、気が付けば変な臭いが漂う水に囲まれた砂の上。後から知ったけれどこれが海だって他の子から教えて貰った。その子はブリエル出身で私はグリエーン。他の世界からも大勢の獣人の子供が誘拐されていて、とても心細かった。

 私達を奴隷にするって言ったのは一見すれば兎の獣人のお姉さん。頭の軽そうな美人だけれど、ニコニコしながらも目が笑っていない。アレは間違い無く獲物を狙う肉食獣の目だったわ。

 

「……魔族?」

 

「そうだピョン。ラビト様は限り無く上級魔族に近い中級魔族だピョンよ」

 

 一見すれば、という事は実際は違うという事。額から生えた長い一本角や鼻が痛くなる刺激的な体臭、何よりも獣人の本能が違うと教えてくれた。普通の獣人、その上子供だけじゃ絶対に勝てない相手を前に私達が絶望の色を顔に浮かべる中、ラビトは舌なめずりをしてから背を向けて、手招きで付いて来るように指示をする。

 

 今なら逃げ出せそうだけれど、何処かも分からない島の上じゃ逃げられないし、よく見れば岩陰に隠れて凶暴そうな巨大兎が私達を睨んでいる。ああ、絶対に逃げられないわ。

 

「ピョピョピョピョピョ! ほら、あの人達が君達と一緒に働く仲間だから仲良くするピョンよ? じゃあ、ラビト様は昼寝するから木材を道に沿って運んどいて」

 

 頭の悪そうな笑い方の後でラビトは道の向こうを指し示し、文字通り一足飛びに遥か向こうに消えて行く。運べと命じられたのは私達の胴体と同じ位の太さの材木で、子供の力じゃ三人以上じゃないと運ぶのは難しいわ。道もかなり続いていて、全部運ぶのにどれだけの時間が必要なのかも分からないわ。

 

「大人だ! 大人が居るんだ!」

 

 急に押し付けられた重労働、だけれど私達の顔には希望の色が浮かんだわ。だって子供だけかと思ったら大人が大勢居るのですもの。短時間だけれども私達は今の状況で精神的に追い詰められていて、大人達に向かって助けを求めながら駆け寄って行く。

 

「この……無礼者めがぁあああああっ!!」

 

 一瞬、何が起きたのか分からなかった。怒声と何かを殴る音が響いて、思わず身を竦ませた私達が起きた事を理解したのは数秒後。一番先頭を走っていた子が殴り飛ばされ、地面に横たわった所を蹴り上げられたの。

 

「獣人の分際で、獣の分際で高貴なる私達に駆け寄るなど、恥を知れい!」

 

 何が起きたのか分からないまま、大人達は次々に立ち止まった私達を殴って行く。私が我に返った時、目の前に拳が迫っていた。

 

「何時まで立っている! 這い蹲って頭を垂れろ!」

 

「あぐっ!?」

 

「無礼者め! 無礼者め!」

 

 殴り倒されて固い地面に叩き付けられた私に何度も蹴りが浴びせられる。本当にどうしてこんな事になったのかしら? 本当に今朝まで楽しい毎日を送っていたのに……。

 

 

「さあ! 今日もキリキリ働くピョン! ラビト様は働く者のみ食うべからずだっピョン!」

 

 あの日から長い時間が過ぎた。寒い時期と暑い時期が何度か繰り返したし、多分数年経っているでしょうね。あの日から学んだのは時折増える大人達への対処法。頭を垂れて下手に出て、苛立ちを紛らわす為に殴られても泣いたり怒ったりしちゃ駄目って事。

 

 朝、私達は草を集めて作った粗末なベッドで目を覚ます。本当は私達獣人の子供と大人達が暮らす為の家は用意されていたけれど、使う事は許さない。掃除の時以外は入る事さえ許されなかった。……掃除が終わったら蹴り出されるけれど。

 

「何故獣が私達と同じ場所で暮らすのだ! お前達は獣らしく外で寝ろ!」

 

 掃除の時に見たけれど、多分住心地は悪くない。貴族らしい大人達は不満に思っていて、八つ当たりで殴る時に不満を口にしていたわ。

 

 そして朝ご飯だけれど、大人達の残り物を食べるの。全員分の料理には少し足りない量が用意されていて、大人達が満足するまで食べた残りが私達の分。でも、配膳とかは私達の仕事にされている。盗み食いした子は三日間縛られていたわ。

 

「獣に我々の残飯など過ぎた物だろう。生涯で最も誉れだと感謝し、獣らしく地べたで食べろ。テーブルは我々専用だ!」

 

 あの人達は私達を獣だと見下し、使用人みたいに身の回りの世話をさせ、横柄に振る舞って気分次第で暴力を振るう。

 

 そして、ろくに働かない。

 

「肉体労働は家畜の仕事であろう? 文句を言わずに働かんか怠け者がっ!」

 

 そうやって軽い物を運んだりする子供や老人が任されるような大して疲れない仕事を選び、危険で疲れる仕事は私達に押し付けて、何か事故が起きた時や予定より遅れた時も責任を押し付けて来る。馬鹿だから疑わないのか、それとも分かっていて騙された演技をしているのかは分からないけれど、罰として連れて行かれた子は誰一人戻って来なかった。

 

 私は忘れない。どうしても気になって連れて行かれた場所に近付いた時に聞こえて来た絶叫を。何かを貪る音と連れて行かれた子の悲鳴は今でも夢に出る。もう今の私達は恐怖で完全に支配されている。食べ物は少ないけれど、最初に集められた私達は大きくなったし、あの偉そうなだけの役立たずなんて敵じゃない。敵じゃないけれど、反撃をした後でラビトがどう出るか怖くて何も出来ない。年上の私達がそんなのだから新しく連れて来られた子供も怯えてしまって文句すら言えないでいたの。

 

 

「さて、今はお腹が一杯だし、特別に普通に殺してあげるっピョン!」

 

 そんな私は今、首を掴まれて建設途中の砦の最上階から宙吊りにされているわ。喉にラビトの細指が食い込んで息が出来ない。この日、私は塗料が入ったバケツを倒した子を庇って名乗り出た。でも、多分その子の為じゃないのでしょうね。私は楽になりたかったのよ。

 

「例え雨雲で隠れていても太陽が無くなった訳じゃない。星が見えなくても星は何時も空の上にある。だから希望を捨てちゃ駄目よ」

 

 来たばっかりの子達を私はこんな風に励ましたし、私が連れて来られた当時は同じ風に考えていた。でも、今は違う。泣き出したら大人が怒るから励ましただけで、私は既に希望を捨てちゃってるのよ。だってそうじゃないの。見えないだけで確かに存在しても、見えなかったら何の意味も無いんだから。

 

「じゃあ、落ちて潰れた後はペットの餌だピョン」

 

 首が解放され、一瞬の浮遊感の後で私は地面に落ちて行く。多分少し痛いけれど、一瞬我慢すれば絶対に楽になれるわよね。私は目を閉じて楽になれる瞬間を待つ。だけれど、何かが近付く音に目を開けた私は思わず自分の目を疑ったわ。

 

「!」

 

 それはお芝居小屋とかで働く黒子の格好をした子だったわ。顔は見えないけれど、小さいし多分私よりは年下。何となくだけれど私は黒子を子供だと思い、ジッと視線を送る。地上に向かって落ちて行く私に追い付こうと黒子は壁を真下に向かって激走していたの。そして私に追い付いた黒子は私に向かって跳んで掴むなり抱き、そのまま両足で着地した。地面が少し陥没したけれど私には殆ど衝撃は伝わらず、少しだけ足が痺れただけの黒子は砦の上を向く。

 

 

 

 ……えっと、モグラのキグルミがラビトと戦っているのは幻覚かしら?

 

 

 



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ツンデレとロリコン 人助けに行く 中

「こんなんで目的地にマジで着くのかよぉおおおおおおっ!?」

 

 前後左右に振り回されて、さっきまでの絶景の余韻が完全に吹き飛んじまった。まあ、こんなんで舌は噛まねぇが、流石にずっと続けば吐きそうになるな、こりゃ。担々麺を食ってたら実際吐いてたっつうーか、こんなのに乗せる予定だったら直前に食い物勧めるなやっ!

 

 思い出すのは鳥トンの野郎が言っていやがった事。要するに大義名分やら自分を正当化する理由が有れば、他人を苦しめても問題無いって糞みたいな話だ。

 

 んで、今回の件はあくまで俺が自分の意志で飯を食った後(実際はギブアップしたが。ありゃ人間が食うもんじゃねぇよ)、自分の意志で食い物を食ってたらゲロ吐くだろう移動方法で目的地に向かったって事になる。彼奴は存分に正当化するだろうよ。あくまで俺の意思を尊重したまで、とかほくそ笑みながらな。

 

 例えそれが俺が断れない内容だったとしてもだ。あんな性格破綻者がリーダーだなんて他のキグルミ共には同情するぜ。……まあ、他の連中も鳥トン同様にアンノウンが気に入ったのを集めたって話だし、似たり寄ったりな気もするがな。なら、同情するだけ損か? 損だな、うん。

 

「……おい、そろそろヤベェぞ」

 

 上下左右構わず激しく動き回る風船は俺達をぶら下げたまま地面に向かい、足が掠る寸前に上に向かって行くんだが、かなりの量の空気を吐き出したからか萎んでいやがる。今は上へ上へと向かっているし、こんな体を固定された状態で高い所から落ちたらシャレにならねぇ。

 

「……うへ?」

 

 だが、風船が萎んで落ちるより前にプツンと糸が切れる音がして、実際に遙か上空で俺達をぶら下げている糸が切れたんだ。そのまま何処か遠くに飛んで行く風船。俺達二人は無慈悲に落ちて行く。

 

「あの糞野郎、今度会ったら絶対にぶっ殺すっ!」

 

 俺は未だにハッキリ見える距離にある町の酒場があるだろう場所を睨む。大規模魔法が使えるならぶち込んでやりたい気分だ。

 

「!!」

 

 黒子も賛同しているし、今はこの場を切り抜けて酒場に戻る為、俺は懐から札を取り出そうとするが入っていない。

 

「……ヤベェ。ちょい飲みの予定だったから飛行に使えるの持ってなかった……」

 

「!?」

 

「おい、黒子っ! お前の所のリーダーはどうなってんだっ!? ついでに一番上のボケ使い魔は本当にどうなってんだよっ!?」

 

 思わず心の底からの叫びが出て、それに対して黒子はどう反応したかってーと……。

 

「……」

 

「いや、さっきは喋っただろうがっ! もう一度喋れやああああっ!!」

 

 俺の叫びに対し、黒子は先程と違って黙して語らず。喋る余裕が残ってないって可能性も有るが、思わず喋っただけであの慌てようだ。敢えて喋らないって可能性も有るな。……にしても変な奴だぜ。黒子の格好をしながら目立ちまくってる癖に、黒子らしく全くの無言に徹しようとかよ。

 

「お前、どうしてそんなのを貫いてるんだ? 全く意味が分からねぇんだが」

 

「……」

 

 背中併せな上に沈黙で答えられたので判断は出来ないが、体を固定するベルトが繋がっているからか少しうなだれたのが伝わって来る。もしかして本人も意味不明だと思ってるのか? 

 

「ったく、アンノウンの野郎、何の意味が有って……意味なんて特に無くて、その場のノリで喋らないキャラ付けをしたんじゃねぇのか?」

 

「……」

 

 相変わらず無言だが、何となく俺の予想に賛同しているのが伝わって来る。……此奴にだけは同情してやっても良いんじゃねぇのか? っと、考え事してる場合じゃ無ぇか。さっさとベルトを外さねぇと着地が不安だ。

 

 下を見れば結構な高さで、下手すりゃ足を挫きそうだ。そしてパンダの頭の形をした風船が大きな口を開けて待ち構えている。ああ、胴体だけだった理由はアレだな。そんな風に何処か諦めながら口の中に視線を向ければ地上とは全く違う光景が広がっている。何処かの島で、建設途中の巨大な砦で建設するには少ない人数が作業している。

 

「成る程な。風船の口の中を通って転移するから風船式移動術か。……最初の風船での飛行の意味は有るのかよっ!? 無いんだろうな、どうせっ!」

 

「……はぁ」

 

 背後で諦めて切った奴の溜め息が聞こえ、俺達は砦の上空に転移した。その時に見えたのは兎の耳と額に角を持つ魔族の女と、其奴に腕一本で宙吊りにされている女。十代半ばにギリギリ入った程度のキリンの獣人だ。案の定、魔族の女は手を離し、当然のように其奴は落ちて行く。その時、ベルトを斬る音と共に黒子が躊躇無く飛び出した。

 

「ありゃ放置で大丈夫だな」

 

 足手纏いにはならないと聞いてたが、黒子は脅威の脚力で水平の壁を真下に向かって駆け抜けて女に追い付く。あっちを放置して良いなら、俺の仕事はこっちで魔族の相手をする事だ。空中でベルトを引き裂いて着地。目の前にドロップキックが迫っていた、

 

「お前達の存在なんて丸分かりだったピョン!」

 

 どうやら兎の耳は伊達じゃなく、現れた時には既に俺達の存在に気が付いていたらしい魔族の先制攻撃を見た俺は驚く。いや、先に言っておくが先手を取られた程度で俺は動揺なんかしねぇ。その程度、驚くに値しないからな。俺が驚いたのは魔族の服装が関わっている。ノースリーブのシャツにミニスカだったんだが、パンツが見えたから驚いたんでも無い。これでもそれなりに女を抱いてるんだ。今更パンツが見えた程度で驚くかよ。

 

「ノーパン……」

 

「あぁっ!? しまったっピョンッ!? トイレの後で脱ぎっぱなしだったピョンッ!?」

 

 咄嗟に差し込んだ腕に足の裏が触れる瞬間、俺は呟いた。そう。魔族の女はパンツを穿いていなかった。ピッタリと足を合わせてのドロップキックだが、それでも見える物は見える。まさか敵の股ぐらを至近距離で見るなんて思ってもみなかったし、相手も何処かの女みてぇなノーパン主義じゃなかったのか動揺を見せ、互いに動きが乱れた。

 

 防御の腕と攻撃の足のせめぎ合いは数秒間拮抗し、俺が数歩分後ろに下がる結果となった。

 

「……ちっ! 途中で乱れてこれかよ。まあ、俺もちゃんと踏ん張ってなかったがな」

 

 此処は重要だ。だって俺だって万全の構えで防御した訳じゃ無いし、一方的に負けたとは言えないだろ。次だ、次。お互いお試しみたいなもんだし……ん?

 

 一瞬、嗅ぎ憶えの有る臭いが鼻に届く。遠い記憶の中、忘れ去りたいが忘れる事は許されない記憶。俺が家族を失った日にも嗅いだ体臭だ。

 

「……今は敵に集中だ。上の空の上に素手で戦うにはキツい相手だろうが」

 

 そうだ、今は敵だけを見ておくべきだと俺は構えを取り、魔族の出方を窺う。涙目でプルプル震えながら俺を睨んでいた。

 

 

「よ、よくもラビト様の大切な所を見たピョンねっ! ダーリンにも未だ見せてないのにどうしてくれるピョンッ!? てか、何者だっピョンッ!」

 

「勇者の仲間だよ、これでもな。てか、お前が勝手にノーパンでドロップキックなんかしたんだろうが」

 

「嘘付けっピョン! なんで勇者の仲間がキグルミ姿で出て来るっピョン!」

 

 ……そんなの俺が知りたい。どうして俺はモグラのキグルミ姿で魔族と相対してるんだよ……。

 

 

 



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ツンデレとロリコン 人助けに行く 下  黒子

「ピョーンピョンピョピョピョーン! ぶっ殺すピョーン!」

 

 頭上から聞こえて来た知性を感じられない喋り方に一瞬だけ意識を向けてしまった黒子だが、直ぐ様に意識を飛びかかって来たコウモリの翼を持つ兎へと向け、ナイフで喉をかっ切る。バニーバット、兎そっくりの体を持ち、陸上でも身軽に動くコウモリのモンスターは脱走者の見張りの為に砦付近に数多く放たれていたが、今は黒子が背中に庇う少女を狙って集まっていた。

 

「ひゃあ!」

 

 思わず頭を抱えてうずくまった彼女に鋭利な牙を突き立てようと向かって来たバニーバットは黒子の蹴りを正面から受けて首の骨を折り、空中で回避が不能な黒子に向かって数匹が襲い掛かるも、黒子はナイフを空中に投げて身近な二匹の翼を掴んでへし折り、そのまま正面から向かって来た仲間にぶつける。衝突して動きが止まった時、落ちて来たナイフを掴んだ黒子が着地し、その真下を滑るように駆け抜けざまに切り裂いた。

 

 仲間が次々にやられた事でバニーバットの動きが止まるが、少女と黒子を襲えと指示を出したラビトから追加の命令が下されない。周囲を無数の翼を持つ敵に囲まれた黒子は少女の守りを優先して果敢に攻め立てる事は出来ず、ラビットバット達も向かって行く度に数を減らして行くので怯えてか威嚇しながら隙を窺うばかり。硬直状態に陥った戦いは暫く動かないままに思えたが、思わぬ横槍が入った。

 

「この愚か者めがっ!」

 

「!?」

 

 飛んで来た拳大の石を殆ど動かずに避けた黒子だが、内心は激しく動揺している。彼に向かって石を投げたのは助ける対象だった筈の中年男性。怒りで顔を真っ赤にし、鼻息荒く怒鳴り散らす。

 

「余計な真似をして魔族を刺激しよって! 貴様が気でも狂ったのか無駄に守っている獣共なら兎も角、高貴なる我々にまで怒りが向いたらどうしてくれるのだ!」

 

「?」

 

 続けて石が四方から投げられる。投げたのは怒鳴った男性と同じパップリガの貴族達。突然現れた黒子達の行為が藪蛇だと憤り、獣人への侮蔑を口にしながら次々と石を投げ続ける。まるで自分達は黒子達の敵だとアピールするかのようで、実際そうであった。

 

 突然現れた黒子とキグルミの不審な二人組が多くのモンスターを率いる魔族に勝てるとは思っていないのは無理ではないだろう。だから自分達は黒子の敵だとアピールし、終わった後で怒りを向けられるのを阻止しようと一致団結していた。そもそも彼等には獣同然と見下す獣人の少女を庇うという思考に行き当たらず、故に偶々近くに居るだけで黒子が弱いから硬直状態にあったと思っているのだ。

 

「……」

 

 その蔑視が、その思考が、その怒りが黒子には理解不能だ。だから彼等が少女を守るという思考に行き当たらないのと同じで、黒子も彼等がその様な思考をしているとは思わない。故に何が起きたのか分からず、固まった所にラビットバットが殺到する。

 

「……助けて」

 

「!」

 

 少女が震えながら黒子の服を掴んだのはその時だ。絞り出した声に黒子の迷いは消え失せ、少女を抱き上げて真上に跳ぶ。真下には一斉に密集し、上に居る黒子が無防備に落ちて来るのを待ち構えるラビットバット達。その中心に向かって黒子は片腕を伸ばし、掌から紅蓮の電撃が迸った。

 

 無数に枝分かれした電流はラビットバット達を貫いて身を焼き焦がし、一匹残らず息絶えて転がった上に黒子は着地する。周囲に視線を向け、残りが居ないと判断して一安心した時、木材を振り上げた男達が襲い掛かって来た。

 

「貴様ぁっ! さては獣人共を助けに来たな!」

 

「我々だけをひっそりと避難させれば良い物を、危ない目に遭っていたからと獣を優先するなど許せんっ!」

 

 流石に今の姿を見れば黒子が少女を助けるべく動いたのは分かったのか、今度は派手に登場した事に憤り罰を与えるべきだと結論付けたらしい。今度も黒子はその思考が理解不能で、木材をその身に受けた。咄嗟に少女を庇い余計な物まで受けた事が気に食わないのか貴族達の怒りは更に燃え上がって木材が再び振り下ろされる。

 

 魔族の指示が無くなった状態。切り裂かれたラビットバットから漂う血の香り、そして驚異となる者を巻き込んだ馬鹿な諍い。狂暴さと同時に冴え渡る野生の勘を持つそのモンスターはその隙を見逃したりはしなかった。

 

「グルルルル……」

 

「シャァアアアアッ!」

 

 海から数体の魚影が飛び出した。ギラギラ光る血に飢えた瞳にビッシリ生えた鋭利な歯、そして鋭い背鰭を持つ鮫だ。だが、只の鮫が海から地上に飛び出しはしないし、唸り声も上げはしないだろう。前後二対、併せて四本の兎の足が生えた水陸共に活動可能な鮫、兎鮫(うさめ)である。

 

 同時に砦から離れた場所から軽快に飛び跳ねながらやって来たのは猿に近い形の大柄で逞しい持つ二足歩行の兎、ゴリラビだ。此方も叫び声を上げ、胸を激しく叩くドラミングと呼ばれる行為で黒子を威嚇していた。

 

 バニーバットと併せて砦を建設する奴隷達の見張りであるが、本来は本能的に人を襲うモンスター。ガス抜きに大人に選ばせたターゲットを追い掛けさせる遊びや逃げ出した者を狩る許可をラビトから与えられてはいたが、どうしても生殺しの状態が続いてしまっている。

 

 バニーバットが突然現れた強敵の手で全滅した事と濃厚な血の香り、何よりもラビトがレリックの相手に集中して命令系統が機能しない事がモンスター達を興奮させ、暴走へと導いた。今は命令ではなく抑え続けた殺戮本能で動く暴走状態。ターゲットは当然この場にいる者全てだ。

 

「に、逃げろ!」

 

「邪魔だ! その辺で転がっていろ!」

 

 この危機的状況に真っ先に逃走を選択したのは高貴で気高い貴族達。泡を吹きそうな程に動揺し、ドタドタと慌ただしい足取りで駆けて行った。逃走ルート上の子供を突き飛ばし、それによって転んだ子供を踏み越えて進む。

その姿に黒子は理解した。話には聞いていたが、獣人を獣扱いするという考えの持ち主がどんな者達なのか、激しい憤りと共に理解してしまった。

 

「ひぃ! ひぃ! どうして私がこんな目にっ!?」

 

 脂汗を流しながら逃げ惑う彼は、今この島で生き残っている貴族達は自分の身に命の危機が迫るとは夢にも見ていなかった。別に連れて来られてから死んだ貴族が居なかった訳ではない。逃げ出そうとしてモンスターに殺された者、彼らからすれば異常で他の世界の者からすれば正常な価値観を持ち、獣人の子供達の扱いに憤った者はモンスターに追われるターゲットに選ばれた。生き残っているのは逃げる気概も無く、獣人の子供達から搾取するのに疑問も躊躇も感じない者達だ。

 

 雨風を防げる場所に住み、子供達と分け合えば少々物足りない量でも自分達が満腹になるまで食べ、危険な仕事は獣と蔑む子供達に押し付ける。魔族はそれを知って何も言わない。逆にモンスター達に狩らせる遊びの為のターゲット選びをさせるなど、生殺与奪の権利すら与えて貰え、ストレス解消に子供達に暴行を加えるのも楽しかった。

 

 だから自分が生き残る為に迷い無く目の前の子供を突き飛ばして転ばせようとし、その子が思わずしゃがんだ事でバランスを崩して倒れ込む。その際に鋭く尖った石で足を深く切ってしまうオマケ付き。自業自得としか言い様が存在しない彼を見捨てる等、どの様なお人好しでも見捨てるだろう。なにせ子供を犠牲にして助かろうとした外道だ。

 

「シャァアアアッ!」

 

「ひわっ!?」

 

 そんな彼に大きな口を開いた兎鮫が迫る。足を深く切って動けない彼は咄嗟に犠牲にしようとした子供に手を伸ばすが既に手の届かない場所に逃げていた。

 

「き、貴様ぁ! 獣の分際で私を見捨てるとは死に値するぞ! 戻って来んかぁ!」」

 

 唾を飛ばして子供を呼ぶが、今までの仕打ちな上に今しがた何をしようとしたのか忘れたか、そもそも問題が有ると思ってもいなかったのだろう。彼にとっては当然の事なのだ。

 

「私はっ! 私はこの様な所で死んで良い人間ではない! 私は白神家の……」

 

 この様な状況になっても彼は自分の行動の善悪を疑わない。例え彼が善良で、そして社会的地位がどんな物であってもモンスターには無関係にも関わらず、地位が盾になる筈もないのに。

 

 兎鮫の大きな口が迫り、手元の物を投げても当然効果は薄い。そして息が掛かる程近くに迫った時、黒子が間に割り込んだ。

 

「!」 

 

 次々に迫る兎鮫やゴリラビ。数が多く、その勢いは雪崩の如し。それでも黒子は一歩も引かず、逃げ出した者を追うモンスターも相手取ってその場の全員を守りきった。

 

 黒子姿なので外側からでは怪我をしているかも分からない。バラバラに逃げ出した者を守りながらの戦いだったので攻撃を何度も受けている。酷く疲れているのは顔が見えない状態でも見て取れた。

 

 

「よくやった! このまま魔族も倒せば褒美にくれてやろう! そうだな……好きな獣人を持って帰って良いぞ! 躾を少ししてやったし、役に立たないのは処分する予定で全て連れて帰るが、働きには褒美をやらねばな!」

 

 この時になって貴族達は黒子の力を認め、口々にこの様な事を告げて来る。さも光栄だろうという感じで、黒子が耳を疑う内容を当然のように語る貴族達に黒子の憤りは更に激しくなって行く。

 

 

「……」

 

 その後ろ姿を獣人の子供達が見詰めている。皮肉にも彼等と同じくラビトの支配から解放される可能性を感じていて、故に今まで通りに大人しくしている必要は無い。各自の手元には建材や石やら武器となる物が握られている。

 

「安心しろ! 獣共は私達に従順だ。自分達の立場を理解しているし、獣にしては賢いぞ。まあ、私達の躾の腕が良いからだな! ハッハッハッ!」

 

 獣同然と見下し、どの様な扱いをしても反撃して来ない子供達がその様な事をしようとしているとは思っても見なかった。

 

 



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ツンデレとロリコン 人助けに行く 下  レリック

「乙女の尊厳を傷付けるなんて……この変態っ!」

 

 自分のミスでパンチを便所に脱ぎ忘れていたラビトだが、完全に俺への責任転嫁ってか完全な冤罪をおっ被せ、涙目でスカートを押さえてやがる。いや、そんな状態でドロップキックしますぶちかまして来たのはそっちだし、絶対俺は悪くねぇだろ。

 

 正直言って涙目の女を前にすりゃ良心が痛むし、一般人相手なら向こうに非があっても俺は謝っていただろう。だがな、魔族は敵なんだ。敵に一切容赦する気は無い俺は弁明の言葉すら口にせずに魔族の女、確かラビトとか名乗っていたな、に向かって行った。この時、一縷の望みを俺は抱いていた。無駄だと分かっていたが、それで正解だというのを心の底から望む。

 

 今から戦う敵が自分の名前に様付けをした一人称の馬鹿っぽい多分間違い無く馬鹿じゃなく、ラビトサマという名前で、一人称が自分の名前なら心の平穏は保たれるんだよ。……戦闘中だからちっとも平穏じゃないだろってツッコミの受付期間は終わってるぞ。

 

 まあ、あれだ。一撃で叩きのめせる雑魚だったら速攻でこの世からも記憶からも消すんだが、生憎な事にラビトサマは強い。少しは楽しめそうだって思っちまった程度にはな。つまり結論は何かと言うと……。

 

「……所でお前の名前はラビトサマさんで正解だよな?」

 

「はっ? お前、絶対馬鹿だっピョンッ! 普通に考えてラビト様の名前がラビトだって考えるまでも……あっ、成る程っピョン。お前、馬鹿だから祭の会場でもないのにキグルミ着て来てるんだピョンね?」

 

「お前にだけは言われたくねぇよ! 便所にパンツ脱ぎ忘れたまま蹴りを放つ、自分の名前に様付けして喋る奴には言われたくねぇよ!! 馬鹿にだけは馬鹿って言われたくねぇよ!!!」

 

「……悪かったピョン。でも、三回言う意味って……」

 

「そりゃテメェが戦うのも嫌な程に馬鹿だからに決まってるだろうがぁああああっ!! この短時間でテメェがどれだけ馬鹿かって理解しちまった俺の気持ちを少しは考えろっ!」

 

 ラビトは完全にドン引きだし、俺だって勢いに任せて必要以上の事を言ったのも認める。でもな、マジで嫌なんだよ。こんな馬鹿と命懸けの戦いをするのがな。無能な味方は有能な敵よりも恐ろしいし、それが敵側の話だったら構わないだろって? いや、本当に嫌なんだよ。ラビトが凄い馬鹿だって気が付いたのは今し方だし、気が高ぶって相手が馬鹿かどうか気にならない段階に入ってねぇもん。味方だったら有能な敵より恐ろしい馬鹿だって知っているのに集中出来るかよ、出来るって奴がいたら教えて欲しいね。

 

 俺がそんな風に悩む時、ラビトは馬鹿なりに頭を働かせているのか腕組みで頭を傾げている。馬鹿の考え休むに似たりって言うし、ありゃ俺を前にして堂々と休んでるのと同じだな。……腹立つなぁ、おい。地上を見れば黒子の奴がさっき助けた奴を庇いながら戦っている。俺があっちに行けば良かったぜ。

 

「……あれ? もしかしてラビト様を完全に馬鹿だと思ってるっピョン?」

 

「寧ろ完全無欠な馬鹿だろ、テメェは。今頃気が付いた時点で間違い無く大馬鹿だよ、テメェはよ」

 

「ピョーンピョンピョピョピョーン! ぶっ殺すピョーン!」

 

 さっきから思ってたんだが、此奴がダーリンだって呼んでるのはどんな奴だよ? ほら、ミニスカートな上に両手を万歳のポーズで飛び上がるもんだからスカートが翻ってるし、本人は気が付きもしてねぇし。もっと前に何か馬鹿を直す努力とかさせろよ。いや、無理か。俺が流石に自分の意見でも理不尽だなと思った時、翻ったスカートは折り目がついて前部分に引っ掛かっていた。

 

「……おい、前側が全開だぞ」

 

「ピョン? ……ピョォオオオオオオオオンッ!? この変態! 痴漢! ラビト様が舌戦……いや、絶世の美女だからって敵なのを良い事に犯す腹積もりだっピョンねっ!? 助けてビリワックゥウウウウ!」

 

「マジでその辺にしておけよ、テメェッ!? ったく、何奴も此奴も俺をどんだけ変態扱いすりゃきがすむんだよっ!? あと、馬鹿! テメェ、マジで究極の馬鹿!」

 

「えっと、個人差が有るから一が……が……何だったピョン?」

 

「……一概には言えないって言いたいのか? もう構わないから。マジでテメェは難しそうな言葉を使う必要は無いからな? 相手をする俺の精神がガリガリ削られるし、寧ろ精神攻撃の類じゃねぇよな? それと、テメェは確かに美女の分類に入るけど、好き嫌いが分かれるタイプだぞ。万人受けはしねぇ」

 

「……こうなったら速攻でお前をぶっ殺してパンツ穿いたら、下の仲間も始末するっピョン! 秘技・ピョンピョン空中三角蹴りっ!」

 

「いや、相手がノーパンとか嫌だし、穿いて戻って来るまで待っててやっても良いからな?」

 

 もう恥じらうのは止めたのか斜め後ろに飛び上がったラビトは空気を踏み締めて俺の真上に飛ぶ。そして天地逆転のポーズのまま再び空を蹴り、回転しながら俺に迫った。

 

「これで砕けるが良いピョン!」

 

「ちっ!」

 

 正面から受け止めるのは少し面倒だ。俺はその場から飛び退く。てか、準備段階で動作が大きいし繰り出すまでが長いし、ノーパンのミニスカの中を凝視しなけりゃ躱わすのは難しい話じゃねぇ。んじゃ、動きが止まった所に一撃を……はっ?

 

「砦が割れた……?」

 

 目の前の光景に俺の口から思わず言葉が漏れ出る。少し不格好な造りながらもそれなりに頑丈そうに見えた砦はラビトの蹴りが着弾した瞬間、凄まじい勢いでヒビが広がり屋上の床は左右に割れ、砕けた破片が中心に向かって落ちて行く。ラビトは分厚い石の床を何層もぶち抜いて行く音を立てながら真下に落ちて行き、手に何かを握り締めて屋上まで一っ飛びで戻って来た。ラビトの体には一階まで一気に落ちたってってのに傷一つ付いていなかった。

 

「パンツゲットー! これでお前なんかイチコロだっピョン!」

 

「……どんだけ頑丈なんだよ」

 

「ピョピョピョピョピョーン! それは拉致して来た連中をリリィ様の命令通りに扱ったからだっピョン! パップリガの貴族は獣人の子供を小屋に住まさず、食事も残飯を与え、キツい仕事を押し付けるだけじゃなく暇潰しに暴力まで振るうから、ラビト様はそれを黙認して、子供が大人に逆らったら駄目だって脅したんだっピョン。ピョピョピョ! そのお陰でラビト様は中級魔族から上級魔族にまで強化される程に負の念を溜め込む事が……」

 

「……もう良い、黙れ。テメェの声を聞いていたら耳が腐りそうだ」

 

 ラビトが何かを言う前に顔を掴んで口を塞ぎ、そのまま後頭部を床が砕ける勢いで叩き付ける。さっきの一撃で脆くなっていたのか俺とラビトはそのまま一階まで床を破壊しながら落ちて行き、一階の床に激突した瞬間、空いている手の爪をラビトの首に突き立てて切り裂く。耳障りな悲鳴は口を塞いでいるので聞こえない。俺はそのまま拳を振り上げ、ラビトが浄化されて消え去るまで殴り続けた。

 

「……端から見れば婦女暴行の犯人だな。ゲルダを連れて来なくて助かったぜ。……色々な意味でな」

 

 戦いによるダメージに耐えられなかったのか、元から素人が建てていた砦は崩壊を始めている。俺は手に残る殴打の際の感触と、恐怖に染まったラビトの目を振り払う様に呟きながら顔を横に振り、外に出るなり予想していた光景を目にし、耳障りな悲鳴を耳にした。

 

「ヒ、ヒィイイイイイイ!?」

 

「お、お前、丁度良い! 私達を襲う害獣共を駆除してくれ!」

 

 ボロボロの状態で逃げ惑う貴族達と、武器になる物を持ってそれを追い回す獣人の餓鬼共。この場所について情報を得た時から予想していて、ラビトから話を聞いて確信に変わった事が目の前で起きている。

 

 邪魔する恐怖の対象が居なくなった事で抑え込んでいた憎悪が爆発したって所か。黒子が止めに入っているが、流石に疲れているみてぇだし、怪我をさせる訳にもいかないから興奮した餓鬼を押さえ込むのが難しいって所だな。……馬鹿らしい話だぜ。

 

「お、おい! 私を救ったならば謝礼は……」

 

「死ね」

 

 俺は足に縋り着く見覚えの有る男の首を一撃でへし折り、死体をそのままの勢いで海に蹴り込む。流石に恨みを抱く相手でも殺すまでは誰一人行ってねぇが、ふとした拍子に殺すのも時間の問題だ。俺は人が死ぬ光景に思わず固まった餓鬼共を睨み、呆然とする貴族達に殺気を向けて逃げる事を封じる。

 

「……邪魔するなよ? 此奴達はどうせ逆恨みして、獣人だからと無関係な奴にまで手を出す。それに、恐怖と憎悪の対象が生き続けるのも、餓鬼が手を汚すのも駄目だ。……ふん。余計な気を使いやがって」

 

 俺が今から何をするか察したのか立ちふさがる黒子だが、突然眠るように倒れる。どうせアンノウンが何かしたんだろうが、感謝はしねぇからな。

 

 

「じゃあ、まあ、魔族に力を貸してた野郎共を始末して来た俺の手は汚れちまってる。テメェ共の血で今更汚れても別に良いんだよ。……だから死ねや」

 

 魔族への協力が発覚すれば事情を知らなかった無関係な連中まで厳しく罰せられる……なんて事を免罪符にはしねぇ。俺の手は汚れちまってるから、他の奴の汚れを引き受けたって変わらねぇ。……まあ、妹に兄貴だって名乗る資格が無いってのは堪えるがな。

 

「……一人も見逃す気は無い。どうせ俺も何時か行くから、先に地獄で罪を償っときな」



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パンダと狼の困惑

 嗅覚の優れた種族ならば咽せてしまいそうな程に濃厚な血の香りが漂う砂浜。全ての死骸が目立つ肉片の一つすら海に捨てられ、血の香りを嗅ぎ付けて寄って来たサメの餌食になっている。高貴なる者を自称し、それに相応しい中心と自らは信じて疑わない横柄で残虐な言動を繰り返していた者達の最期がこれであった。

 

「波打ち際からは離れてろよ。サメに襲われても俺は助けないからな」

 

 この惨状を繰り広げたレリックだが、直接触れた両腕以外には血が付着していない。パップリガの貴族ならばレリックと同様に少なからず術が使えるのだろうが、元より拉致される程度の力の持ち主の上に数年に渡り修行の機会も実戦の機会からも遠ざかっている。その程度の相手から返り血を浴びる程にレリックは未熟ではないのだ。

 

「あ、あの……ありがとう」

 

 その様な時、最初に黒子によって助けられた少女が進み出て礼を述べる。レリックはなるべく不機嫌に見えるようにと腕を組んで顔を背け、出来る限りの柄の悪い声で返した。

 

「あっ? 俺はムカつくから連中を殺しただけだ。獲物を横取りされた恨み言なら兎も角、礼を言われる理由は無ぇよ。その程度も分かんねぇのか、糞餓鬼」

 

 こんな事を言っているが、黒子に対して行動の理由を告げた時、子供達は直ぐ側に居た。今更悪役を演じても無駄であり、照れから顔を背けているのも子供達に理解されていた。

 

「それでも、ありがとう、お兄さん……えっと、お兄さん?」

 

 忘れてはいけない。声で何となく若いと察せるがレリックはモグラのキグルミを着たままなのだから。心優しい子供達は怨敵が居なくなり、レリックが手を汚した理由も自らの耳で彼の言葉を聞いているので少し落ち着き、誰もキグルミ姿そのものに疑問は口にしなかった。

 

「にしても、どうやって帰れば良いんだよ。こんだけの人数でよ」

 

 長らくの栄養不足と重労働、劣悪な住環境によって子供達は痩せこけてボロボロだ。中には緊張の糸が切れてヘナヘナと崩れている子供まで居る始末。改めて貴族達への怒りが湧いて来たレリックだが、この人数を連れて脱出するにも彼はこの人数を安全な場所まで移動させる転移魔法は使えない。黒子ならば何か聞いていただろうが、貴族達を殺すのさえも止めようとした彼とレリックの衝突を防ぐ為か遠距離から気絶させられ何も語れない。

 

 そんな理由から思わず口から漏れたレリックの呟きに子供達の間に再び不安が溢れ出す。今直ぐにでも医療や食事を必要とする子供達の姿にレリックも焦りを募らせ、泳いで一番近くの人里を探す事を検討した時であった。

 

 

 

「シリアス壊しに僕が来たっ!」

 

「ハッ!」

 

「空気も読まずに僕が来たっ!」

 

「フッ!」

 

「弄くり回しに参上だっ!」

 

「ハッ!」

 

「笑いを届けに超特急っ!」

 

「フッ!}

 

「僕の名前を言ってごらんっ! 僕の名前は……」

 

「アンノウンッ!」

 

 その光景に島に居る全ての者が唖然としていた。パンダの船首飾りを持ち、マストにもパンダの顔が描かれた巨大なガレオン船が空を飛んで向かって来ていた。その大きさや通常の約十倍。左右からは特に意味も無いだろうに樹齢数百年の大木に匹敵するサイズのオールがキグルミ達によって漕がれ、船首には鳥トンと、その頭の上で踊りながら叫ぶパンダのヌイグルミの姿があった。

 

 パンダを操るアンノウンの叫びに続き、中の耳の辺りを塞いでいる鳥トンとグレー兎以外も叫び、やがてガレオン船は島へと降りて来た……のだが、突然更に上空から背に誰かを乗せた巨大な鳥が落下して船に弾き飛ばされ砂浜に落ちて行く。地面に当たる瞬間、鳥は最後の力を振り絞り、背に乗った誰かが落ちないようにと身を翻して砂浜に一切の抵抗無く落ちて行った。

 

 

「……あれぇ?」

 

 流石に予想外だったのか、珍しく困った様子のアンノウン。パンダのヌイグルミの困った声が俺の耳に届いた。

 

 

 

 

「それにしても変なキグルミを着せられたわよね。彼奴、本当に禄な事をしないんだから困るわよね」

 

 レリックさんがお酒を飲みに出た後、私はイシュリア様と向かい合ってお茶をしていたわ。まあ、私はお砂糖を沢山入れた紅茶で、イシュリア様はお酒なのだけれど。女神様取って置きのワインを勝手に持ち出してグラスに注いだと思ったら香りを楽しみもせずにガブガブ飲んじゃっているわ。

 

「イシュリア様、ワインって香りを最初に楽しむ物じゃなかったのかしら?」

 

「あら、お酒の楽しみ方って人それぞれよ。一人でチビチビ飲むのが好きなのが居れば、大勢で騒ぎながら飲むのが最高ってのも居るもの。まあ、貴女もお酒が飲める年頃になれば分かるわ。……えっと、確かシルヴィアはチーズやサラミをこういった所に仕舞っていたわよね」

 

 確かに大人になったらお酒を飲んでみたいとは思っていたけれど、妹の留守に来て、お酒やらツマミを盗み食いする情け無い酒飲みにはなりたくないわ。

 

「……このケーキ、今までで一番美味しいかも」

 

「でしょ? 料理の神に頼んでお土産に作って貰ったのよ。前に私が彼氏と浮気したからって私には作ってくれなくなったけれど、頑張ってる貴女へのご褒美だって言ったら作ってくれたのよ」

 

 イシュリア様が持参してくれたフルーツが沢山乗ったショートケーキは本当に美味しかったわ。朝ご飯にパンに代わってこれを食べても良い程に。何時もは食べても二切れなのに、今は三切れ目を食べている途中。ケーキが大きいから十二切れに切り分けでも一個辺りが普通より大きいわ。

 

「さーて。もう少し貰おうかしら」

 

「え? 未だ食べるのですか?」

 

「当然じゃない。かれこれ三百年は食べていないもの、このケーキ」

 

 イシュリア様も七切れ目を食べているし、これ以上食べたら賢者様と女神様にレリックさん、ついでにアンノウンの分が無くなっちゃうわ。

 

「まあ、タイミング良く居るのも必要って事で、私達で食べちゃいましょうよ」

 

 ワインとツマミを盗み食いして、お土産に持って来たケーキの殆どを食べちゃうだなんて、イシュリア様って本当に……。

 

「それだけ食べて太ったりは……」

 

「私は女神だもの。食べ過ぎた程度じゃ太らないわよ。だから暴飲暴食し放題! あえて太った体系になってる神も居るけれど、私には理解不能ね」

 

 私は流石にこれ以上は食べられないって遠慮したら、イシュリア様は喜んで残りを食べ尽くす気なのかケーキを小皿に移さずにフォークを突き刺す。甘い物は別腹って言うけれど、此処までの人は初めて見たわ。神様の中でも特殊な部類なのでしょうね。

 

「……あら? イシュリア様、ケーキの入れ物の底に何か書いているわ」

 

 文字が逆さまだから何が書いているか読みにくいけれど、イシュリア様へのメッセージらしく、輝く文字で『イシュリアへ』って書かれているもの。

 

「あら、本当ね。えっと……帰るわ。帰って運動しなくちゃ……」

 

 イシュリア様は結局残りのケーキを食べ尽くし、残ったクリームさえもクリームで集めて全部舐めた後で上機嫌なまま文字を読み、一瞬で青ざめると片付けもせずに走り去った。せめて流しにお皿を持って行く程度はして欲しかったわ。

 

「えっと……『イシュリアが食べた場合、ダイエットしなくちゃ減らない脂肪が食べた量と同じだけ増えるから、自分は食べないって約束を破った時は頑張って、ザマー見ろ』。……うわっ。うわぁ……」

 

 ドロドロしている女神同士の諍いを見てしまったわ。イシュリアが完全に自業自得だし、お土産で少しは浮かびつつあったイシュリア様の評価が地に落ちて沈んだままになってしまったわね。

 

 

「それにしても……」

 

 イシュリア様がどうしてシャワーを浴びたかというと、私のキグルミ姿に驚いて飛び退いたら鳥の群れに糞をぶちまけられたからなのだけれど……あの鳥達が密集した時、お腹の模様がパンダだったのは……うん。

 

「忘れましょうか。それよりも本当にどうしてこんな事に…‥」

 

 イシュリア様が散らかすだけ散らかした室内を見て、私は記憶の一部を消した。あの方は女神様だけれど、きっと天罰が先に下ったのよ。賢者様達が帰って来たら困るだろうし、お掃除しなくちゃ。……私がしなきゃ駄目よね? 

 

 普段は綺麗なのに短時間で汚部屋と化した室内で悩み、私の中でイシュリア様の評価は更に下がって行った……。

 

 

 

 

 

 

 



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一生のお願い

「……ふんっ。まあ、及第点だな。これなら文句は言われまい」

 

 私の名はコルス。愛と戦……そして実は厄災すらも司ると伝わる女神イシュリア様の力によって誕生したレーン島に住まう戦士の部族フェリルの一員だ。狼の獣人の女だけで構成された我が部族はイシュリア様を崇め、教えに従い暮らしている。女神が力を使ってお与え下さったこの地を離れる事は禁忌とされ、従えた巨鳥のモンスターを相棒にして、その背に乗って外との交易と孕むまでの婿探しをする以外は島の中で狩りや漁をして暮らしているのだが、最近嵐に乗って本来ならば来られない余所者が島を訪れていた。

 

「……そろそろ約束の日だな。面倒だが、約束は約束だ」

 

 フェリルには幾つかの掟が存在する。例えば私はもう直ぐ十六になるのだが、誕生日を盛大に祝って貰った次の日は気に入った強者を探し婿にして、孕んだら一人で島に戻って来るという物。どうもこの島に存在するイシュリア様の力によって生まれた子は全て女となるらしい。……私の母の双子の姉は婿に選んだ男、確かレガリアとかいったのと共に生きる事を選び、レーン島に戻って来る事は無くなったがな。

 

 二つ目は島の中央に存在する洞窟に立ち入らない事。妖精が精霊に変わるのに適した環境らしく、影響を与えない為に入り口付近に選ばれた戦士が住み、他の者とは必要物資の受け渡しを少し離れた所で行うのだ。……だが、どうも最近は受け渡し場所に置いた物を回収はするが、受け取りに来た姿を目にした者は居ないとか。……掟故に見に行けぬが、今回選ばれた戦士の中には私の母が含まれている。歴代でも最強と称えられる母の心配を未熟な私がするとは烏滸がましい話だな。

 

「知られれば叱られるか……」

 

 母の怒った姿を想像した私は身震いしつつ口笛で相棒を呼ぶ。二つの頭と四枚の翼を持つツイーグルのクオ、私が幼き時から共に過ごした相棒だ。目の前に降り立ったクオの左右のクチバシを撫でてやり、そのまま魚を担いで空に飛び上がれば島の端で暮らす余所者達の住処が見えた。

 

「……ふん」

 

 この島に婿にした者であっても連れ込んではならぬ掟はあっても、勝手に来る事は禁じられてはいない。禁じていたならば直ぐに追い出しただろうさ。だが、意図せずに来たのならば洞窟に近寄らなければ無碍に扱ってはならぬと掟で決められている。まあ、海流やら上空の激しい気流やら、奇跡でも起こらぬ限りは来られぬ筈なのだが、子供だけでよくたどり着いたと思う。

 

 トゥロにカイ、そして楽土丸。幼く守られるだけの者とは違い、この三人はそれなりに力があるらしく、狩りで手に入れた獲物を使った物々交換に応じてやっているし、掟で男は相棒で運んでやれぬが女であるカイは構わない。私の誕生日が近いから、外に出る時に乗せる事になっていた。

 

 ……正直言って面倒だがな。だって、そうだろう? 婿にするのに相応しい男が二人島に居るのだ。わざわざ外で滅多に会えぬ強者を探すなど手間ではないか。掟とは言え、融通が利かない事が嘆かわしく、溜め息を吐けばクオが不思議そうに鳴く。

 

「キュ?」

 

「気にするな、クオ。少し面倒な事が有っただけだ。それよりも急いでくれ。前回は会えなかったから……気にするな?」

 

「……キュゥウウ?」

 

 さて、今日は物々交換に来る日だから早く帰ろう。前もトゥロだったそうだが会えなかったし、今回も来て欲しいものだが。……所でクオ、その妙な鳴き声は何が言いたい? ……今夜は久々に鍛えてやるか。

 

 

 

 

 今、何か嫌な予感がしたっ!? 僕はクオ。大好きな家族のコルスを乗せて飛んでいたんだけれど、少しからかったら怒らせちゃったみたいだってコルスったらトゥロって奴の事が絶対好きだもん。この前だって罠を作ってる所にいったしさ。

 

「……見てられんな。ほれ、貸して……いや、私がお前の為に罠を仕掛ける必要性は存在しない。教えるから一回で覚えろ」

 

 こーんな風に言ったけれど丁寧に教えて、色々理由を付けて他の罠まで時間を掛けて教えたんだもん。島に来た妖精さんはツンデレだって言ったけれど、ツンデレってどういう意味だろう? コルスみたいに面倒見が良い子の事なのかな?

 

 コルスはね、凄く優しいんだ。乱暴で偉そうな言葉遣いだけれど人助けを沢山しているし、皆も分かってくれているからコルスが恥ずかしくならない様に優しい優しいって正面からあまり言わないよ。皆も優しいよね! 

 

 だからコルスの周りは人が集まるし、鬱陶しいとか僕さえ近くに居れば良いって言うけれど、頼りにされた後はこっそりニヤニヤ笑ってるよ。もっと自分から皆の所に行けば良いのにさ。僕と同じくフェリルの人達と組んでる仲間は僕を羨ましがるし、凄く自慢なんだ。僕、コルスが大好きだよ。コルスの為だったら何だって出来ちゃうんだ。

 

「キュウ!」

 

「ん? 腹でも減ったか? ほら、一匹やろう」

 

 えっとね、好きだって伝えたのに伝わらなくて残念だな。でも、コルスがくれるお魚は美味しいから嬉しいな。僕達ツイーグルは人間と寿命が変わらないし、このままずっとずっと一緒に居たいよ。だからね、コルスに何か起きた時は僕が絶対守るんだ! 頑張るぞ!!

 

「キューイ!!」

 

「そんなに美味しいか。そうか、それは良かった」

 

 ……うーん、僕はコルスの言葉が分かるけれど、コルスにも僕の言葉が通じて欲しいな。神様、一生のお願いだから僕とコルスがお話出来るようにして下さい。

 

 

 

 

 

 

 

「……やれやれ、あの勘違いストーカーの馬鹿女の所の様子を見に行かなくてはならず憂鬱だというのに、主の(メェ)の邪魔をしないで貰いたい」

 

 どうしてこんな事になったんだろう。皆、コルスの誕生日を盛大に祝ってくれて、外に交易に行く人達と一緒に島から旅立ったんだ。これからどんな事が待っているんだろうって期待と不安を僕だけじゃなくてコルスも感じていたのが伝わって来たよ。

 

 でも、他の皆は死んじゃった。空から降って来た黒い槍が皆の全身に突き刺さって、皆は死骸になって海に落ちて行く。僕と、僕の背中に乗っているコルスとカイだけは無事だけれど、カイは初めて見る奴に捕まっていた。山羊の頭を持つ変な奴。見ているだけで心がザワザワして、多分皆を殺した犯人なのに言う事を聞かなくちゃ駄目な気がして凄く嫌だった。

 

「くっ! 其奴を離せっ!」

 

「無理ですよ。この子はとびっきりの素材になり得ると主が欲していましてね。では、さようなら」

 

 グッタリして動かないカイを抱えたまま山羊頭はコルスの剣を指先で弾いて僕の背中から飛び降りる。そして一瞬で消え、代わりに空一面に皆を殺した黒い槍が現れたんだ。

 

「っ! 逃げるんだ、クオォオオオオオオ!!」

 

「キュイ!」

 

 そうだよね、君は優しいからそんな行動に出るよね。コルスは迷い無く荷物と共に僕の背中から飛び降りて、僕を身軽にしようとする。でも、君ならそうするって分かっていたんだ。だから、君を絶対に殺させない。僕は直ぐにコルスの下に回り込んで全力で飛ぶ。駄目だよ、コルス。僕と君はずっと一緒なんだ。だから、僕は君を絶対に死なせない。死なせてなるものか!

 

「……馬鹿者が。私を見捨てれば良いのに……」

 

 僕には頭が二つ有るから、片方は前を向いて、もう片方は上を向く。こんな速いだけで上から落ちて来るだけの槍だなんて、不意打ちじゃなかったら避けてみせるさ。槍は時々翼や体を掠り、凄く痛いけれどコルスには絶対に掠らせもしない。避けて避けて避けて、足が一本駄目になって、翼も一枚穴を開けられたけれど、何とか空に槍が無くなった。助かった……。えへへ、怪我の治療が終わったらコルスに沢山遊んで貰うんだ。

 

 

 

「がはっ!?」

 

 ……え? どうしてコルスが血を吐いているの? あれれ? 視界が変だ。グルグル回って、それにとっても苦しいや。槍を受けた所から変な煙が出ているけれどもしかして……毒? 僕の、僕のせいだ。あんな槍を全部避けられない位に弱いから。だからコルスが苦しんで……。

 

 コルスは突っ伏して何も言わない。息の音も聞こえない。僕も前が全然見えないや。頼りになるのは翼で感じる風だけ。絶対に、絶対にコルスだけは死なせない。

 

 全身がバラバラになる位に痛くても、穴の開いた翼が千切れても僕は飛び続けた。そんな時、下から凄い力を感じて、見えない目には頭が七つ有る獣が見えたんだ。怖い、直ぐにでも逃げ出したい。でも……!

 

「キュィイイイイイッ!!」

 

 僕はコルスが死んじゃう方が怖いんだ! 絶対にコルスを落とさないように下に向かう。風が教えてくれたんだ。獣の近くに沢山の人が居るって。だから少しでも興味を持って貰えるように何かに体当たりして、そのまま僕は島がある所に落ちた。えへへ、最後までコルスは落とさなかったよ。

 

 

 

 

 ……神様、一生のお願いを変えます。僕は死んでも良いからコルスは助けて下さい。どうか……お願……い……。

 



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パンダと兎の料理ショー

「パンダとっ!」

 

「……兎の」

 

「お手軽クッキングー! ……って、グレちゃんもちゃんとやってよ」

 

「嫌です」

 

 突然空の彼方から現れた空飛ぶ船と、それに激突後に砂浜に墜落した巨大な鳥。その背中に乗っていた者の顔を見たレリックは既視感を覚えたが、瞬きをして目を開くと座っていた。一瞬前まで砂浜に居たのに、彼が今居るのは何処かの会場で、大勢のキグルミと共にソーシャルディスタンスを守って間を開けつつ座っている。全く意味が分からず右を見ても左を見てもキグルミだけという変な光景だ。

 

「……なんだこりゃ。変人達の……いや、止めておこう」

 

 忘れたいが忘れちゃならない事も有る。変人の集まりだの何だのと口にしかけたレリックだが、彼もキグルミで、端から見ればその変人達の一員でしかない。目を逸らしているが、彼には現実と戦う勇気が必要だ。戦ったら確実に心を折られはするし、得る物も無いかも知れないが。

 

 そんな風に諦めて怠惰に見詰める先にはキリュウが馬車内のキッチンに用意した調理関係の物一式と同じ物を揃えたシステムキッチンと、その前に立つパンダのヌイグルミと兎のキグルミのグレー兎。パンダは小さくて見えにくいのでわざわざ背後のスクリーンに映し出すという余計な事がされていた。

 

「……それで今回は何を作るのですか?」

 

「茶碗蒸し! 但し途中で気が変わっちゃうかもね!」

 

「あっ、これは絶対に他の物が完成するフラグですね。……下らない」

 

 何処までもハイテンションを貫くアンノウンとは対照的にグレー兎は兎に角やる気が見られない。手際良く指示通りにエビの殻を剥いているが、レリックはふと疑問を口にする。

 

「キグルミでどうやって剥いてるんだ? ……いや、待てよ」

 

 よくよく思い出せばレリックも爪を使って戦ったが、モグラのキグルミ自体には柔らかい手しか存在しない。あの時は夢中になっていたから気にならなかったが、本当にどうやって爪を使ったのか皆目見当が付かないまま料理は進んでいった。

 

「じゃあ、グレちゃんがエビの殻を炒めてから出汁を取っている間に僕は卵を割って調味料と合わせるね。この後で出汁と数回漉した溶き卵を混ぜて具を入れて蒸して……蒸し終わったのが此処に存在しまーす! 以上! パンダと兎のお手軽クッキングでしたー!」

 

 アンノウンの言葉と共にブザーが鳴り響き、ステージの上から幕が自動で降りて来る。キグルミ達は見事なスタンディングオペレーション。考えるのを止めていたレリックも流されて惜しみない拍手を送り、途中で我に返った。

 

「おいっ!? 幾ら何でも短縮が過ぎるだろがっ! せめて調味料の分量やら具材の紹介位しろやっ! てかっ、これはいったい何なんだよっ!?」

 

 レリックは諦めるのを止めた。但し無駄だった。垂れ幕が下がってステージが隠れて行く中、蒸し器を持ち上げて軽快なステップで踊るパンダは聞こえない振り。只、最後にグレー兎と目が合う。互いにキグルミ姿で直接目が見えないのに視線だけで通じ合った。

 

「「お互い大変だな(ですね)」」

 

 年齢も、社会的地位も、種族も、生まれた世界すら全く異なる二人だが、この時確かに性別を越えた友情が結ばれようとしていた。

 

 

 

 

「所でグレちゃん。レリッ君を弄くるので忙しいから君には長期休暇をプレゼーント!」

 

「流石ですね、根腐り性悪糞大熊猫擬き様。では、三百年程頂きますので、私の事は生涯忘れてレリック様を存分に弄くって下さいませ」

 

「おいぃいいいいいっ!? 汚ねぇぞ、こらっ! 自分が良けりゃそれで良いのかよっ!?」

 

「はい。私の胃は既に限界突破していますので」

 

 だが、友情とは脆く儚い。友情を意味する英語のfriendの最後は終わりを示すendなのだ。だからグレー兎はレリックの叫びにしれっと返し、内心ウッキウキなのを隠し切れずに兎の耳が激しく動いていた。

 

「お、おおぅ……」

 

 何も言えない、言い返せない。レリックはグレー兎の清々しい対応に目の前が真っ暗になり、気が付けば砂浜に戻っていた。子供達に特に変わった様子は無く、先程間での光景はレリックが見た悪夢寄りの白昼夢だったとさえ思える。空を見上げればガレオン船は消え去り、パンダが蒸し器から取り出した茶色でバニラの匂いが香しい液体をばらまいていた。

 

 

「……いや、茶碗蒸しを作ってたよな? 茶碗蒸し作るっつったよな? 何だよ、それ……」

 

「何か凄い回復の薬だけれど? 別の物を作るかもって言ったじゃんか。ほら、子供達だって栄養失調やらが治ってるし、文句は無いでしょ? ……まあ、レリッ君には悪いけれど円形脱毛症には効果が薄いから悪しからず」

 

「なあ、それって俺が円形脱毛症になってるみたいに聞こえるぞ? あれだろ? 効かないって言っただけで、俺に症状が出てるとかは言ってないとか、少しは話を聞けとか言う気だろ?」

 

「……」

 

「答えろよっ!?」

 

 実際はその通りであり、弄くりの内容を先読みされて言われたので拗ねているだけだ。只、このままの状況が続けばその内本当に……。

 

「……まあ、良い。餓鬼共の怪我も癒えたし、さっさと帰るぞ。……彼奴は残念だけれどな」

 

 気絶していた黒子も目を覚まし、酷い有様だった子供達も健康な体に戻る。これならば長らくの食事不足による消化能力の低下で暫くは消化の良い物しか食べられないという事も無いだろう。不安なのは心のケアだが、それだけは自分ではどうにもならないとレリックは安心しながらも不甲斐なさに拳を握りしめた。

 

 特に彼に無力感を与えたのは砂の上に横たわる一人と一匹。最後にクオがコルスを守った所を目にしたレリックには、名前も知らないが深い絆で結ばれていた事が察せられたのだ。だが、既に永久の別れが訪れた。傷が癒えたのは片方のみ。もう片方は傷が全く塞がらず、息絶えていた。

 

「僕も死んだ子の復活は行えないように制限されているからね。死者蘇生が可能になったら命を軽んじるからって、神達も頭のネジが僕を創った時だけは戻って来てたみたい」

 

「……他人の尊厳は軽視して居るがな、テメェは。てか、もう少し性格がどうにかならなかったのかよ」

 

「無理だねっ! それと僕は誰彼構わず弄くる性悪じゃないよ! 弄くったら面白い相手だけ全力で弄くって、マスターとボスとかの弄くらないけれど気に入ってる相手以外は心底どうでも良いのさ!」

 

「寧ろ、より最悪じゃねぇのか?」

 

「ふっふっふ、どうかな? でも、今は戻ろうか。僕は子供達を家に送り届けるから、レリッ君はゲルちゃんに何も知られないようにお酒でも飲んでお土産持って帰りなよ」

 

 再びレリックの目に映る景色が切り替わり、町中に戻っていた。色々有った事で少し疲れた彼だが、全てを無かった事にすべく酒場に向かって歩き出す。その途中、立ち止まった彼は空を見上げて呟いた。

 

 

「……助かったぜ、アンノウン。恩に着てやるよ」

 

 視線の先、澄み切った青空には巨大なパンダの形をした雲が浮かんでいた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 尚、モグラのキグルミのままだったのを思い出して感謝を取り消すまで残り五秒である。



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二人の団欒

あの状況でどっちを生き残らせるかって……まあ、決まっていますよね


「えっと、レリックさん。あの……元気出して下さい……プッ」

 

「おい、こら。最後吹き出しただろ。笑うんだったら、いっその事思いっ切り笑えや」

 

「あはははははははははっ! うひょひょひょひょひょひょっ!」

 

「元凶のテメェだけは笑うな、アンノウン!」

 

「じゃあ、僕の部下を全員呼ぶから皆で大爆笑を……」

 

「すんなっ!!」

 

  晩ご飯前、レリックさんはお酒臭い状態だけれど、ちゃんとお土産にポテトフライを沢山買って帰って来たわ。出掛けた時と同じモグラのキグルミを着た状態で。あんな格好でどうやってお酒を飲んだりしたのかしらとは思うけれど、アンノウンが用意したキグルミだから、それだけで説明が終わっちゃうわ。

 

「ふふふ、ごめんなさい。でも、そんな格好で外で飲み食いして来たかと思うと可笑しくって。お店の人も困ったんじゃないかしら?」

 

「ああ、困ってたな。まあ、金さえ払えばこっちは客だ。お祭り気分の浮かれ野郎だろうが何だろうが、他の客に迷惑を掛けるわけでも無ぇんだし、追い出さたりはしなかったぜ。……俺の姿を見た途端に入って直ぐに出て行くのは居たがな」

 

「それってお店に迷惑を掛けてるんじゃないかしら? まあ、良いわ。賢者様達は今夜遅くにはレリックさんの新しい武器を受け取って戻って来るそうだし、私達はご飯にしましょうか。あら? もしかしてお腹一杯?」

 

「……いや、大丈夫だ。テメェと飯食う分は残してる。直ぐに用意するから皿を並べとけ」

 

 レリックさんったら私と一緒にご飯を食べるのが大切な時間みたいな言い方ね。うーん、ちょっと自意識過剰かしら? まあ、誰かと一緒のご飯は美味しいし、別にどうでも良いのだけれど。

 

 

「……あら? ねぇ、アンノウン。レリックさんって何時までキグルミを来たままなの?」

 

「実はキグルミに使った魔法が暴走して、全然脱げる気配が無いって事にしているんだ。レリッ君には悪いけれど、ボスが帰って来るまでは我慢して貰う気だよ、面白いから」

 

 私が口にした素朴な疑問。飲みに行った間もずっとモグラのキグルミで、戻って来た後もモグラのキグルミ。脱ごうとする気配も無いし、アンノウンが何かしているんじゃと思ったけれど、深刻そうな声からして予想外の事態が起きているのね。

 

「……あれ? って事にしている? 面白いから?」

 

 ……って、よく聞いたら故意にやってるんじゃないのかしら? しかも知ったら絶対に怒る女神様が戻って来るまでは続ける気らしいし。

 

「アンノウン。本当にレリックさんに悪いと思ってるの?」

 

「思ってるよ? 面白いかどうかって事が優先だけどさ」

 

 何と言うか疲れたわね。イシュリア様でドッと疲れたのに、アンノウンに追い打ちを掛けられて。ご飯を食べたらさっさと寝ましょうか今日は羊達を呼び出して一緒に寝ましょう。

 

 

 

 

 

「てか、自分から言い出した仕事はどうしたんだよ、アンノウン!? 普通に一緒に帰って来たからツッコミが遅れたわ」

 

「そんなのとっくに終わらせているよ。僕はイシュリアとは違うんだよ、駄目女神イシュリアとはねっ!」

 

 さっきからツッコミの連続だけれど、レリックさんたら忙しい人よね。お陰で私は随分と楽が出来るわ。特にアンノウンのターゲットが分散したもの。

 

「私、レリックさんが仲間になって本当に嬉しいわ」

 

「……そうか」

 

 あらあら、照れちゃったわ。本人は隠せていると思っているけど、周りから見ればバレバレなのに気が付いていないのね。誰か教えてくれなかったのかしら? 確かクルースニクにはそれなりの数の仲間が居たはずなのだけれど……。

 

 

「あのぉ、レリックさん。前の仲間の事で相談したい事があったら私だって話を聞く位は出来るから。賢者様だって伊達に三百年以上生きている訳じゃないもの。女神様とアンノウンとティアさんが絡まなければ頼りになるわ。絡んじゃったら絶対役に立たないから無理だけれど」

 

「本当に辛辣な事をスラッと言うよな、お前。まあ、気持ちだけ有り難く貰っとく。……言っておくが嫌われたりしてないからな」

 

 ……そう。私は何も言っていないのに伝わるだなんて……きっと照れ隠しが鬱陶しいって思われていたのね。仲の良さそうだったナターシャさんやレガリアさんは団長と副団長だから中立じゃないと駄目で、大勢から不満の声が挙がっていたら……。

 

 もう少しレリックさんに優しくしてあげたい、そんな風に思う私だった……。

 

 

 

 

「……ったく、ゲルダの奴。アレじゃあ俺が嫌われていたと思ってるのがバレバレだっつうの」

 

(変な誤解が加速しているのは黙っておこう。その方が絶対に面白いから!)

 

 

 この日、私達は色々な話をしながら食事を楽しんだわ。特にイシュリア様についてはレリックさんが呆れたり驚いたり、有名な愛と戦の女神がそんなポンコツ駄目女神だって改めて聞かされてショックを受けたり。……只、何かを隠している風に思えるのよね。レリックさんったら私に何を秘密にしているのかしら?

 

 まあ、良いわ。レリックさんが私に害が及ぶ事をするとは何故か思えないもの。……いえ、時々妹萌えのロリコンの疑惑は向けているけれど、疑惑止まりで確信に至った訳じゃないし。只、隠し事って除け者扱いをされて居るみたいで嫌なのよね。私がまだまだ子供だから不満に感じるのかも知れないけれど……。

 

 

「何だ? 俺の方をジッと見て……一番小さい奴な。その代わりピーマンの肉詰めのピーマンも持って行け」

 

 いや、別に先に食べ終わったからってデザートのイチゴを狙った訳じゃないのだけれど、レリックさんは勘違いしたらしくイチゴにミルクと砂糖を沢山掛けたのを差し出して来る。

 

「好き嫌いはどうかと思うわ、レリックさん」

 

「……うるせぇ」

 

 流石に十歳近く歳の離れた子供に注意されるのは気まずいのか顔を背けるレリックさんだけれど、さっきキグルミ姿だったのを笑っちゃったし、お詫びにピーマンだけ貰おうかしら。

 

「……おい、イチゴも持って行け」

 

「私はお昼にフルーツたっぷりのケーキを食べたから自分のだけで満足よ。それにレリックさんったら私がピーマンの肉詰めが好きだからって自分の苦手なピーマンを使ったのだもの。それを食べるのは構わないわ。でも、一個だけよ? 残りの二個は自分で食べて」

 

 ふふふ、まるで私ったらお姉さんみたいね。まあ、弟ならレリックさんみたいなのじゃなくって素直な子が欲しかったけれど。

 

 和気藹々とした団欒の時間。でも、楽しい時間は突然終わりを向かえる。突然鳴ったノックの音。賢者様かと思って出迎えたけれど、出来れば会いたくない相手だったわ。

 

 

 

 

「ククク、夜分に失礼する。ああ、お茶は結構だから気は使わずとも良い。ワインならば喜んで頂戴するがね」

 

 何を考えているのか見えない表情からじゃ分かりにくいキグルミ達の中で、数少ない何を考えているのか分かってしまう鳥トンが扉を開ければ立っていた。この時点で私の気分は台無しよ。そして、今からもっと嫌な思いをするのでしょうね。

 

「……お茶漬けでもどうかしら?」

 

「おや、これは辛辣だ。確かパップリガでも今直ぐ帰れと暗に伝える言い回しだったな。帰るとも、当然な。だが、その前に用件を伝えるが、その前に言っておこう。異なる世界の出身とはいえ神に仕える者だった私が言うのは何だが、神とて万能ではないのだ。自分が何も出来なかったからと気落ちする必要は無い。無論、それを許さぬ者は大勢居るだろうが」

 

「本題を言って欲しいのだけれど?」

 

「君が気にしていた少女の現状が判明した。そして数多く建設中の建物の中でも大本命らしき城の場所の手掛かりもな。では、詳しい話を聞くが良い。言葉を翻訳する為の道具は使っているからな」

 

 鳥トンはそう言って誰かを手招きする。姿を現したのは頭が二つ有る巨大な鳥だった。

 

 

 

「……ねぇ、コルスは何処に居るの? 僕、コルスに会いたいよ」

 

 モンスターだと身構えるけれど、私は直ぐに構えを解く。目の前の相手から聞こえたのは寂しそうな幼い子供の声だったから……。

 

 

 

 




誰かが私に囁いた  自分を犠牲にしてまで相手を助けたかった方を助けろってね!


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無力で馬鹿な……

「食料を受け取った様子が無い? それならば誰かが様子を見に行けば良いのでは御座らんか?」

 

 レーン島に漂流してそれなりの月日が流れ、物々交換を通して島に拠点を置くフェリルの者達とも交流が深まって来た拙者だが、幼き童から相談を受けた。どうも島の中心部に存在する洞窟であり、精霊が多く住まう事からフェリルにとって神聖な場所とされるアガリチャの警備隊が補給された生活物資を所定の場所に取りに来ていないとか。

 

「見に行きたいけれど掟があって……」

 

 一定期間、選ばれた者達以外は洞窟付近には近付かず、極力他の者との接触も控える。何とも面倒な掟だが、信仰する対象であり、この島を創造した女神イシュリアが定めた物故に破れぬとか。確かに人の定めた掟ならば、掟は人を守る為に存在する、そんな風に主張する者が出ても不思議では無いが、神が定めた掟というのが厄介だ。破る事は神に逆らう事に通じる。拙者も流石に神と敵対したいとは思わん。思わんのだが……。

 

「あくまで近付いてはならぬのは部族の者だけで御座るな?」

 

「うん。アガリチャの中には誰も入れないけれど、警備隊と接触禁じられているのはフェリルの者だけだから。……もしかして様子を見に行ってくれるの?」

 

「当然で御座る。義を見てせざるは勇なりけり。お母上の安否を気遣う幼子を見捨ててはおけん」

 

 掟故に大人にも相談できず、幼い子供が神に祈るしか出来なかったのだろう。掟など意味が無いと思う者も外には居るだろうが、中で守り続けられた掟とは簡単には捨てられん。ならば、掟に触れぬ拙者が動こう。それこそが義。絶対に守るべき物である。

 

 「……うん、了解した。小さい子達の面倒は見ておくから、楽土丸は洞窟に向かうと良いよ。でも、くれぐれも洞窟に入ろうとして警備隊の人達と揉めるのは止めてくれよ。……くれぐれも警備隊の人達と揉めるなよ?」

 

「いや、どうして二回言ったので御座るか?」

 

「じゃあ、今日の分の洗濯が残ってるから。おーい。誰か手伝ってくれ!」

 

 釈然としないというのは今の拙者の心境を言うので御座ろうな。トゥロは追求を無視して離れて行くし、母親を心配する子供の為にも一秒一刻が惜しい。トゥロの呼び掛けに元気良く集まる幼子達に微笑ましい物を感じつつ拙者は洞窟の方を向いた。

 

「……行くか」

 

 今は追求後回しにして様子を見に行こう。いや、寧ろ追求はしない方が良いかも知れん。確か洞窟の近くに簡易的なログハウスを建てて暮らしていると言っていたで御座るな。さて、杞憂で済めば良いのだが……。

 

 別れは悲しい。それが親しい者、特に身内ならば尚更だ。魔族である拙者には血縁者は居ないが、それでも悲しむ者の気持ちは理解している気だし、無事を確認して直ぐに報告が出来る事を神に祈りながら進んだ。

 

 木々をかき分け、風を感じながら進むが漂って来るのは緑の香りだけ。聞いていた場所からして最悪のパターンならば血が臭う筈で御座るし、どうやら何かあって物資を取りにいけぬのなら、拙者が運べば良いと、そんな風に考えている自分に気が付いた。

 

「拙者も随分と人に絆されたな。少し前ならば裏切り者として追放し、命を狙われたとしても同族を救う為に勇者に挑んだが、その勇者に関わった事で変わるとは皮肉な話だ。悪い気は全くしないがな」

 

 その理由は分かっている。ゲルダだ。拙者は彼女に求婚した。ならば受け入れられても受け入れられずとも、どの道拙者は人の味方をするべきだ。だが、魔族への同族意識が消えた訳ではない。いや、それだけは絶対に消えはしない。拙者にとって、魔族は大切な存在なのだから。

 

「今回の事態、魔族の仕業でなければ良いのだが。勇者が世界を救うと消える魔族だが、裏切り者として追放された者ならば神の許し次第で人として生きていける。……拙者に出来るのは一人でも多くの同胞を此方に引き入れる事だが、それまでの行い次第でどうなるか分からぬ。落とし前が命に関わる事態に陥る前にあの破滅主義者であるリリィを見限ってくれれば良いのだが……」

 

 アレは魔族の事など考えては居ない。既に滅ぶのが確定しているとし、それまでに好き放題して派手に散ろうという狂った女だ。最悪な事に魔族を遊びに巻き込む事さえも躊躇せぬ程のな。

 

 そんな風に悩みながら進めばログハウスが見えて来た。遠くでも拙者の耳は和やかに話す声が聞こえて来る。物資を受け取りに来なかった理由は分からぬが、これならば大丈夫だと踵を返そうとした時だ。ふとアガリチャの入り口を遠目に見た時、言い表せない嫌な予感がした。ほんの一瞬、直ぐに消えたので気のせいだったと思うのが普通だ。トゥロにも二度も言われ事だし、余計な諍いに発展する懸念が有るのならば近寄る必要すら無いであろう。

 

 

「……無いと思ったのだが、どうやら間違いだったで御座るな」

 

 ログハウスに近寄った時、僅かな疑念は確信に変わった。幾ら近寄る事を禁じられていない余所者とはいえ、神聖な洞窟近くに誰かが近寄っても誰も出て来ない等は有り得ない。気付かなかった? いや、それこそ有り得ないな。故に迷い無く拙者はアガリチャへと足を踏み入れる。その途端、奥から心が飲み込まれそうな程の憎悪を叩き付けられた。

 

 もし拙者が魔族でなければ心の奥まで憎悪に飲まれていたであろう。そして今の状況が教えてくれたのだ。あのログハウスから聞こえた平和な笑い声は偽物だったのだと。奥歯を噛みしめ、風を纏い、拙者は奥へと駆け出す。母の身を案じる少女に何を言うべきかなど、未熟な拙者には思い浮かばぬが……。

 

 

「……何処の誰かは知らぬが、貴様が触れたのは竜の逆鱗だぞっ! どの様な理由が有っても、子から母を奪った報いを受けさせてやる! 先ずは……この企みを叩き潰す」

 

 今の拙者の手には武器は握られてはいない。本来ならば何か武器となる物を調達するのが賢いので御座ろうな。だがっ! 幼子に母の安否を確認すると約束して出向いておいて、その母に手を出した者の企みを発見しておきながら、無手だからと引き返す事など馬鹿な拙者には無理だ! 一秒も早く叩き潰さねば気が済まぬっ!

 

 ログハウスの中を確かめた訳でも、この奇妙な何かを用意した者が下手人だという証しも見付けてはいないが、拙者の直感が正解だと告げていた。そして、最奥に通じる通路の先、開けた場所に出た時だ。居るであろうと思っていた番人が拙者を威嚇していた。

 

 

 

 

 

「がおー!」

 

 額に怒り顔のマークを張り付けた継ぎ接ぎだらけの間抜けな見た目の巨大な熊のヌイグルミ。それが両前足を上げて威嚇のポーズを取っていた。

 



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鏡を此処に持て

「押し通るっ! 邪魔をすると言うのなら……いや、聞くまでもないで御座るな」

 

 楽土丸は平坦な声で告げ、内心で怒りを燃え上がらせる。負の念から生まれ出でた魔族だからこそ洞窟の最奥から感じる力がどの様な物なのか理解出来る。奥から感じるのは綺麗な程に純粋な憎悪だ、楽土丸はその様に感じ取っていた。敵討ち、逆恨み、義憤。誰かを憎むには何かしらの理由が有り、その理由は誰かや何かへの想いだ。

 

 だが、奥からはそれを感じない。一切の混じりっけが無い故に純粋であり、だからこそ楽土丸は怒りを感じていた。気が付かぬ内に影響されている可能性すら存在するが、今の彼が怒りを向けるのは目の前のふざけた存在。

 

「がお?」

 

 まるで不慣れな子供が苦心して縫い上げたかの様な不格好な熊のヌイグルミであり、声も幼い子供がお遊戯会の劇で獣の役でもしているかのよう。楽土丸の敵意に首を傾げる姿は今この状況でさえなければ気持ち悪さと可愛さが合わさって見えただろう。

 

「……この様な場所に待ち構えているのが貴様だと? ならば即座に切り捨てて貰う! 先ずは不用心に上げた前足を貰い受けるっ!」

 

 此処まで来る最中に感じた義憤。此処まで辿り着いて感じた危機感。それらの想いを虚仮にするかの如き存在に楽土丸は怒りを滾らせ風の刃を放つ。避けもせず防ぎもせず、一秒たりとも耐える事無く切り飛ばされた前足は見た目の通りに布と綿。

 

「見た目通りにヌイグルミか。何処までもふざけた奴だが…‥故に悍ましい。制作者は随分と趣味が悪いらしいで御座るな」

 

 断面から零れ落ちた綿は薄汚れた綿だが、楽土丸の鼻は綿が何で汚れているのかを察知した。血だ。大量の血を吸って完全に汚い色に染まった綿が詰め込まれていたのだ。漂う血の香りは強烈な腐敗臭を伴っている。思わず手で鼻を押さえる楽土丸を前にしてヌイグルミは仰向けに倒れ込んだ。

 

「がお……」

 

「歯応えが無かったが、痛覚まで無いで御座るか。まあ、良かろう。些か拍子抜けでは有るが、先に進ませて貰う。……弱い者をわざわざ痛めつける趣味は拙者には無い。捨て置いてやるから大人しくしておれ」

 

 目の前の存在を視認した時、楽土丸は確かに激しい怒りを感じた。だが、その対象はどうだ? まるで手応えが無く、起き上がれないのか足をバタバタ動かすばかり。一切の危機感も与えず、寧ろ相手をするのが馬鹿馬鹿しくなる程だ。楽土丸の心を埋めるのは虚無感。自分は目の前の存在にどうして時間を使ってしまったのかと後悔する程だ。

 

溜め息を吐き、肩を落としてトボトボと歩くも直ぐに気を取り直す。気持ちを切り替え、奥から感じる最悪な気配に進んだ時だ。切り落とされた腕が蠢き、体の断面と腕の断面の両側から糸が伸びて絡み合う。落とされた腕がくっつき、切断面が結合した。

 

「がっお! がっお! がおがおー!」

 

 何事も無く立ち上がったヌイグルミはステップを踏んで踊り、急に気が変わったらしく楽土丸の方を向く。ヌイグルミの目に使われる無機質な作り物の目が変わる筈がないが、額の怒りマークが変わって行く。可愛らしい怒り顔が激しい物へと変化し、足音もポフポフと柔らかい感じからドスドスと激しい物へとなった。

 

「がう!」

 

「鬱陶しいっ! 腕を切り落としても直るなら細切れにするだけで御座るよ!」

 

 再び放たれる風の刃。ヌイグルミの全身に向かって無数の刃が放たれ、表面を僅かにへこましただけで霧散した。驚く楽土丸に向かってヌイグルミは腕を振り上げ、楽土丸は咄嗟に構える……よりも前に目の前に腕が迫っていた。咄嗟に腕を挟んだが、踏ん張った足は地から離れて後方へと飛ばされる。結論を言えば腕を挟んだ事が彼の命を繋いだ。腕の骨は折れ、肋骨にもヒビが入って数本折れる。体中に響く衝撃。もし腕を挟まなければ内臓が破裂していた事だろう。

 

「ぐっ……」

 

 背中から岩壁に激突する瞬間、空気の固まりをクッションにして衝撃を殺す。それでも陥没し、激しいヒビが蜘蛛の巣状に入り崩れ落ちた。岩と共に地面に落ち、更にその上から降り注ぐ岩。隙間から覗けばヌイグルミは何故かキョロキョロと何かを探している。この時、楽土丸は嫌な予感がしていた。

 

「まさかとは思うが、拙者を見失ったの……か? 自分が殴り飛ばしておいて? 頭の中まで腐った血を染み込ませた綿が詰まっているのでは御座らぬな……」

 

 間抜けな見た目だけでなく、頭の中まで残念な事に気が付いてしまった。そして、その様な相手に一撃で追い込まれた事にもだ。相手を侮りはしたが、攻撃に手は抜いていない。だが、現状はどうだ? 攻撃は一切通じず、相手が馬鹿故に助かっているが気が付かれれば終わりだ。情けない。不甲斐ない。役に立たない。様々な自己嫌悪の思いが楽土丸の心の中を渦巻く中、ヌイグルミは楽土丸を探すのを諦めたのか座り込んで欠伸までし始めたではないか。

 

「……」

 

 このまま黙っていれば助かる、そんな楽観的な希望は抱いていない。どれだけ間抜けな見た目の馬鹿でも、この場所を守っていたのには変わりがない。受けたダメージも決して軽くはなく、手当せずに放置すれば取り返しが付かなくなるのは明白だ。そして、戦う余力も逃げる余力も残されてはいない。

 

「……拙者の命運も此処までか。無駄に足掻く気は無いが、何とも情けない。大きな妄言ばかり口にして、その実何もなせてはいないで御座るな……」

 

 このまま何もせずに死ぬか。見付かって殺されるか、その二つ。故に楽土丸は自ら声を上げて居場所を知らせようとしたのだが、それよりも前にヌイグルミが何かに気が付いたかの様に立ち上がる。楽土丸に気が付いたのではない。顔はこの場所に続く道の先へと向けられていた。

 

「まさか誰か来たのかっ!? おいっ! 拙者は此処だ……」

 

 掟を破ってでもフェリルの誰かが入って来たのだと結論付けた楽土丸は逃げる時間を稼ぐべく声を張り上げる。だが、出たのは弱々しい声。受けたダメージは彼の想像以上に大きく、力強い声を出す事もままならない。自分は何処までも無力で何一つ守れないのだと、この場で自刃を望む程に無力を感じた時、来訪者達が姿を見せた。

 

「うおっ!? ありゃアンノウンの仕業か?」

 

「何言ってるのさ。僕はパンダであっちはグリズリー! 全然違うじゃないか! ヌイグルミの出来映えだって段違いだし、悪戯しちゃうよ?」

 

「いや、普段からしてるだろ。だが、一応言っとく。謝るから勘弁してくれ」

 

「えっと、アングリズリーって名前らしいわ。少し厄介な能力を持っているけれど……秒で倒しましょう。そんな事よりも何故か楽土丸の匂いがするけれど……」

 

 まさかのゲルダの登場に楽土丸の視線は彼女に向けられ、踊るパンダのヌイグルミにも、アングリズリーという名前が発覚した熊のヌイグルミも視界に入っていない。耳に届いたのも自信に溢れる声だ。隣のチンピラ風の青年は一切眼中に無かった。

 

 

 

 

 

 

 

「楽土丸ぅ? テメェを押し倒して胸を触った上に速攻で求婚した変態野郎だったか? 居たとしても関わるなよ、そんな奴とはよ」

 

 何故だか理解出来ない楽土丸だが、こう思った。お前には言われたくない、と……。



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閑話 賢者の日常と憂鬱

ソリュロ

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シルヴィア&アンノウン


【挿絵表示】





 これは四代目勇者が選ばれるよりも前、ティアが十歳の誕生日を迎えて盛大にお祝いをした日の事です。ふふふ、十段重ねのバースデーケーキは流石に張り切り過ぎでしょうか? いや、可愛い娘の為ですし普通でしょう。でも、ちょっとウェディングケー……まあ、それはどうでも良い。

 

 

 

「あっ、そうだ! 世界中の人の言葉の認識を変えれば良いんでした」

 

 この日の夜、私はその様な世迷い言を口にしました。手元には二代目勇者の伝説に関しての本が有るのですが、開かれたページの挿し絵に描かれているのは胸の辺りまで伸びる長い白髭の魔法使いの老爺。はい、私こと賢者です。いやぁ、私へのイメージって大体こんな感じでして、神様連中は勿論の事、私の正体を知る知人達からも偶に弄られていまして。……そもそも髭を此処まで伸ばすと手入れが面倒だと思うのですけどね。

 

「急にどうした? その様な世迷い言を言って。眠れないのなら少し相手をしてやろう」

 

「おや、久しぶりですね。手加減は宜しくお願いしますよ? 私に剣の才能が無いのは武の女神である貴女の太鼓判付きなのですから」

 

「善処してやりたいが、私にも武神としての誇りがあってな。……それにティアはお前より才能が有るのだし、少しでも才能の差を埋めておいた方が父の威厳を保てるだろう?」

 

 私の隣でシルヴィアが呆れたような怪訝そうな顔をしていますが、それでも直ぐに嬉しそうな顔で私に寄りかかる。でも、今のイントネーションの時は甘い誘惑でなく、組み手のお誘いなのですよね。分かるんですよ、微妙なイントネーションの違いでシルヴィアが何に誘っているのか。散歩だったりお喋りだったり組み手だったり、大体は夫婦の営みなのですが、どうもアホな事を言いだした私を諫める意味も有ったらしい。夫婦だから全部分かっていますよ。ラブラブな夫婦ですから!

 

 だから夜中に急な申し出をされても断る理由は有りません。どの様な形であっても愛しい妻と触れ合えるのですし、寧ろ断る理由が知りたいですよ。師匠にそれを知る魔法が存在しないか聞いた所、鬱陶しいから黙れと怒られてしまいましたよ。まあ、可愛い娘であるティアは私が自分より弱くても気にしない子ですが、私としては娘に誇れる父親で在りたい訳ですしね。

 

「まあ、私としては別の方の相手でも良いのだが……組み手後のご褒美に取っておこう。精々励め、二つの意味でな」

 

 耳にそっと息を吹きかけられ、首に手が巻かれ体がより密着する。これって今直ぐ押し倒しても……駄目なパターンのイントネーションですね。武の女神としてのプライドが有りますし、私も夫として尊重しなければ……。

 

「ええ、当然です。微力で未熟な身ではありますが、愛しい貴女の教えを受ける以上は情けない姿を見せたりはしないと約束致しますよ」

 

「それでこそ私の愛する夫だ。ふふふ、滾って来たぞ」

 

 ……あっ、これってやる気に火を付けてしまった時のアレですね。いや、どの様な顔でも魅力的ですし、益々惚れてしまうのですが。私、気絶で済めば良いのですけれど……。

 

 

 

 

「はい、そして気絶の上に至る所が骨折していますね」

 

「何を独り言を言っているのだ、お前は……」

 

 身体能力強化や感覚強化、その他接近専用の魔法をフル活用した結果、目と耳を塞いで右手を封じたシルヴィア相手に二分保ちました。情けない? いやいや、私は基本的に人間ですし、相手は武を磨き続けた女神ですよ? 愛しくて美しい武の女神に二分も保てば良い方でしょう。お互い使っているのは同じ木刀なのに、どうして私の方だけ砕け散っているのかは……技の差ですね。

 

「まあ、及第点はくれてやる。さっさと治せ。……ああ、汗臭さは消さなくても良いぞ? 今日はお前の汗の臭いを感じたいのだ。全身でな」

 

 舌なめずりをしつつ木刀を放り投げたシルヴィアはそのまま服を脱ぎ捨てる。鍛え抜かれた褐色の肉体は何度目にし、何度肌を重ねても飽きる事など有り得ない。さて、私は今動ける状態では無いのですけれどね。たった二分? その二分に全ての力を注ぎ込んだのですよ。それが武の女神であるシルヴィアへの……いえ、愛しのシルヴィアへの礼儀でしょう。

 

「美しい……」

 

「あまりジロジロ見てくれるな。……照れるではないか」

 

 目の前で服を脱ぎ、今から始めるというのに恥ずかしそうに手で胸を隠す姿は私の情欲を刺激する。ああ、駄目だ。今直ぐにでも押し倒したいのですが、今日はシルヴィアが私を襲いたい気分らしいですからね。

 

「疲れて動けないらしいな。良いぞ、そのままで。今日は動けないお前を味わいたい気分だ」

 

 服を脱ぎ捨て生まれたままの姿になったシルヴィアが私に覆い被さり器用に服を脱がして行きました。……その後? まあ、メタネタで言うのならR18的な展開ですからね。詳細を描くとお叱りを受けてしまいます。

 

 

 

「さて、昨日は何やら悩んでいたからな。偶には家族会議で話そうではないか」

 

「父、悩んでる? ティア、力になる」

 

 翌朝、肌がツヤツヤのシルヴィアと少しゲッソリした私はティアと共にテーブルを囲んでいました。ああ、妻も娘も私の事を考えてくれて、私はあらゆる世界で最も幸せな男でしょう。では、早速ですが私の悩みを語りませんと。

 

 

「賢者の異名がどうしてもシックリ来ませんで。……私の中でも賢者って老人のイメージなのですよね。それに如何にも知性が有るって感じなのがプレッシャーで。私でしたら凄く期待しますし、下手な所は見せられないのですよ……」

 

 勇者を導く賢者、その役割は別に不平不満は感じていないのです。私は見知らぬ世界でシルヴィアを含む四人の仲間と共に世界を救いましたが、本音を言えば導いてくれる存在が欲しかった。だからミリアス様から導き役を頼まれた時は迷いながらも引き受けたのですが……。

 

「どうして賢者なんでしょうね、本当に。私、もっと魔法使いっぽい方が良かったのですが……」

 

 賢者の名前が嫌なのではありませんが、剣の才能が無いので攻撃魔法と魔法による強化のごり押しで魔王を倒した私からすれば知性よりも魔法の腕前が強調された方が嬉しいというか。……師匠が魔法を司る神ですし、ちょっと憧れていましたし。

 

「私は好きだぞ? お前の行いを賞賛した結果が賢者の称号なのだからな」

 

「父、凄く賢い! ティア、賢者で良いと思う」

 

「……あー、二人にそう言われたら心が揺れますね。凄く賢者で良かったと思えて来ました」

 

 まだ少し迷いは有りますが、二人がそう言うのなら暫くは賢者のままで構わないでしょうかね? それにしてもシルヴィアは美しいし、ティアは可愛い。二人とも最高に愛しいですね。

 

 

 

 

「まあ、それはそうとして何時か同じ悩みを抱いた時の為に新しい呼び名を考えておこうと思うのですよ。どんなのが良いか一緒に考えて下さいよ、師匠」

 

 翌日、私は師匠である魔法の女神ソリュロの所に相談に訪れていました。仲の良い神は他にも居ますが、頼りになるのは師匠ですからね。……多分暇ですし。

 

「いや、どうして私の所に相談しに来る? ……まさかとは思うが、私が暇だと思っているのではないだろうな」

 

「……まさか」

 

「取り敢えず先に言うが……呼び名やら異名は呼ばれる物であって、自ら名乗る物ではないのだぞ? それと後で久し振りに超激烈ハードコースで扱いてやるから覚悟しておけ」

 

 ……このロリ婆ぁ、本当に勘が良いから厄介なのですよね。イシュリア様は別の意味で厄介で面倒ですが。しかし、師匠は私がその程度の事も分からないとおもっているのですか……。

 

 

「大丈夫ですよ。ちゃんと賢者と別の呼び名の認識を入れ替えるだけで、相手は賢者と呼んでいると思いますから。……最初は自分の耳に変換して聞こえる魔法を使おうと思ったのですが、少し虚しい気がしまして」

 

「どっちにしても虚しくないか?」

 

「え? 虚しいですかね?」

 

 神と人の価値観は別ですし、こうして偶にそれを感じるのですよね……。

 

「こうなったら神以外の知り合いに相談しましょうか」

 

「……あっ、うん。そうしろ。私は疲れた……」

 

 不老不死でも精神が老けて……。

 

「死にたいか? 死にたいな? そうか、死にたいのか……」

 

「師匠は何時も外も中も若々しいですね!」

 

 

 取り敢えず仲間の子孫の二人に……。

 

 

 聖剣王(卑劣王子)イーリヤの子孫・現エイシャル王国国王ジレークの場合

 

「……まあ、賢者殿の悩みは分かったが、洗脳はどうかと思うぞ?」

 

 ナターシャの子孫・ナターシャの場合

 

「私は賢者様のままで良いと思う。それより抱いて!」

 

 どうも引かれたり相変わらずだったりと相談しても思った返答は頂けませんでしたね。

 

 「……他の知り合いの何人かにも」

 

 現聖女シュレイ・本名アミリーの場合

 

「……えっと、ノーコメントで」

 

 仮面の公爵令嬢ことチスラ

 

「……私からは何も言えませんわね」

 

 ……どうも私は神に影響されて価値観が変わったらしい。話が合いませんね……。ちょっとだけ疎外感がありますし、家に帰って妻と娘に癒されましょう。

 

 

 

「しかし癒しと言えば動物ですね。ペットとして使い魔を創りましょうか。どうせだったら凄い能力の持ち主が良いですね。明日から早速素材集めをば……」




なろうでは一周年  ティアの絵は向こうに存在します

https://ncode.syosetu.com/n8143ft/


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勇者の疑念 ツンデレの疑惑

「……それにしても、あの子を放っておいて良かったのかしら? よりにもよって鳥トンに預けるだなんて大丈夫かしら」

 

 アンノウンとレリックさんが保護したというツイーグルのクオから伝えられた情報は非常に有用な物でした。上級魔族に数名の中級魔族、そしてウェイロンが滞在する城。建設の為に攫われ奴隷にされた人々の数も今までとは桁違い。何かしらの拠点にする予定でしょうし……漸く建設が完了して帰れるかもという期待を抱いた目の前で城が破壊されれば発生する負の念も激しい物となる。関係した魔族の力が大幅に上がりそうですね。

 

「呼び捨てにする辺り、ゲルダさんは彼の事を快く思っていないみたいですね。まあ、人格に些か問題が有るらしいですが、元々神父として人々の苦悩に向き合い懺悔を聞いて来たらしいですし、何よりアンノウンの推薦ですから大丈夫です。あの子は悪戯っ子ですが、敵以外の傷付いた者を更に追い詰め苦しめて楽しむ趣味は持っていないですし」

 

「……でも、アンノウンですし」

 

「おやおや、あの子も随分と信用が無いらしい。それはそうとして見えて来ましたよ」

 

 アンノウンが引く車は海を渡り、荒波渦潮何のその、目的地であるレーン島が見えて来ました。私の魔法でぱぱっと行くのも、魔法で目的の城を発見するのもゲルダさん達の功績を上げる事による強化や魔族の封印に響くので回りくどい手段を選ばざるを得ないのが回りくどい。コミックや映画のヒーローが自力でマッハの速度で飛べるのに、一般人の振りをしている時は飛行機を使って目的地に向かう場合が有ればはこんな気持ちになるのでしょうか? まあ、私は魔法が得意なだけで主人公の器では有りませんが。

 

 そう、私は主人公ではないし、元からこの世界は物語等ではありません。主人公の周りや見聞きする範囲だけで現在進行形で事件が発生する物語の世界でない以上は目の前の悲劇を即座に解決する事だけを優先してはならない。……それを分かっていなかった頃の私は大きな失敗をしましたからね。人を数のみで判断する、一般的には快く思われない事であっても、時には必要となる。

 

 ……犠牲になった方からすればどちらを選んだ結果だとしても納得は出来ませんが。

 

「……おい、考え事は後にしておけ」

 

 シルヴィアに肩を掴まれ我に返る。どうやら思量に耽って動きが止まっていたらしい。そして、私が何を考えていたのかも彼女は察したのでしょう。だから止めてくれたのだ。……本当に愛しい妻には世話になってばかりです。私は彼女に十分なお返しが出来ているのでしょうか?

 

「有り難う御座います。愛していますよ、シルヴィア」

 

「何で礼を言ったのかは分からんが、お前の愛を受けているのだ。わざわざ礼を言うまでもないさ」

 

「それを言うなら私だって貴女から愛されています」

 

「そうか。ならお相子だな。愛しているぞ、キリュウ」

 

 そっと愛しい妻を引き寄せ唇を重ねる。ああ、私は本当に幸せ者ですね……。

 

 

 

「レリックさん。どうして私の目を塞いでいるのかしら? 別に見慣れているし、見たい訳じゃないけれど」

 

「なら見ないで構わねぇだろ。餓鬼には早い。……ったく、バカップルには困るぜ」

 

「……同感だわ。緊張感が下がっちゃうもの」

 

 少しの間シルヴィアと唇を重ねていた私ですが、何時までもこうしては居られません。この島には別の用事で来る予定でしたので何処にフェリルの集落があるかは分かっていますし、先ずはクオと共に襲われた少女の死体を引き渡しませんと。

 

 ……只、その後は少し厄介なのですよね。

 

「実はイシュリア様に同行をお願いする予定でしたが、見苦しい事になっているから嫌だと断られまして。……見苦しいと思う程度の羞恥心を持ち合わせていたのですね」

 

「えっと、賢者様。この島に住む人達がよりにもよってイシュリア様を信仰しているのは聞きましたけれど……同行をお願いするとか正気ですか?」

 

「……ゲルダ。気持ちは分かる。気持ちは分かるが……あれでも一応私の姉だぞ? 気持ちは分かるが……」

 

「シルヴィアも随分と言いますね。まあ、一番付き合いが長いので溜まってる物も有るのでしょうが。でも、ゲルダさんが勇者だと証明する為に救世紋様を見せたとしても、偶に交易を行う程度の半閉鎖的な暮らしをしていますし、体に何か光る模様が浮き出ている程度に思われる可能性も有るんですよね。……その辺りの教育は島を創って住まわせたイシュリア様の責任ですので」

 

「どうしてイシュリア様に任せたんですかっ!?」

 

「……面目有りません。どうも本人が引き受けると五月蠅く主張したらしいとは聞いていますが。私が賢者だと証明するにしても色々と面倒な手を使う必要が有りまして……」

 

 イシュリア様の管轄だから忌避して関わって来なかったのが災いしましたね。本来なら目的の場所であるアガリチャに向かって精霊とゲルダさん達の契約を取り持ったら直ぐに出て行く予定でしたのに。

 

「あの、ちょっと良いっすか? どうしてそこまで警戒するんで? いや、イシュリア様がアンノウン並みのトラブルメーカーなのは俺も理解してしまったっすけれど、信仰してるからって……」

 

「甘いですね。元々強い相手を求める獣人の上にイシュリア様が教育したのですよ?」

 

「……あ~、成る程」

 

 私達の深刻そうな様子に疑問を持ったレリックさんも直ぐに理解して貰えて助かりました。イシュリア様と直接関わって問題行動を耳にして、どの様な方か理解出来たのは幸いであり、同時に不運でしたね。

 

「我が姉ながら傍迷惑な。せめて必要な時に役割を果たして欲しい物だがな……」

 

「……前から疑問だったのですが神様達って不老不死ですよね? なのに女神様達みたいに姉妹だったり、親子関係があったり、どうなっているのですか?」

 

 イシュリア様の事を思って空を仰ぐシルヴィアも憂いに満ちた顔が美しい。笑顔が一番美しいですがね。私がそんな感想を抱く中、ゲルダさんが口にした疑問はもっともで、レリックさんも頷いています。私も勇者だった時に疑問に思いましたね。

 

「ああ、確かに私達は不老不死だが子供は宿る。有る程度成長すれば肉体年齢を自由に変えられるし、親や祖父から司る物の一部を任せられたり、全てを受け継いで相手は隠居したりな。神は本当妊娠し辛いから神の歴史の中でも滅多にないぞ。……尚、知らせるのが面倒だから六色世界中の認識と記録を変えている」

 

「な、成る程……」

 

「おや、流石に引いていますね。私も当時は引きました。でも、人間側も像を造り直したり記録を書き直したりするのが面倒でしょうし、助かるのでは?」

 

 さて、お喋りはこの辺にしましょうか。この場の全員が足を止め、同じ方向の茂みに視線を送る。向こうも気が付かれて居るのが分かったのか、警戒した様子で姿を見せました。

 

 

「……何者だ。漂流者では有るまい? それに……昨日島を出たばかりのコルスの匂いがするぞ!」

 

 どうやら死体を連れて来たのが裏目に出たらしい。武器を構えたフェリルの戦士達は私達を不審者だと判断していた。僅かながら死臭が混じっていたのでしょうか? これは説得して直ぐに納得とは行きませんね。

 

「……丁度良いな。なあ、姉ちゃん達、そんなギラギラしてんなら俺が相手をしてやるよ。新しい武器の試しをしたかった所だ。まあ、速攻で終わるから試しになるかは微妙だがな」

 

 私がどうするべきか悩む中、如何にも物語のやられ役のチンピラっぽいセリフと共にレリックさんが前に進み出る。私は言葉を失い、シルヴィアは呆れて空を仰ぎ見て、ゲルダさんは肩を落とし、アンノウンは笑いを堪える。

 

「掛かって来いよ。先手は譲ってやるからよ!」

 

 ……この後、自信満々にチンピラ的な行動をするあんな事になるだなんて誰もが予想……出来ていました。

 

 

「ねぇ、賢者様。レリックさんって自分からアンノウンに気に入られに行ってないかしら?」



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パンダにとっての誰かの死

あはははは! あはははははは! あはははは! アンノウン心の俳句(季語無し)  

 

 突然出て来たフェリルの戦士。どうやら敵だと間違われ、レリッ君が立ち向かう。吐いた台詞はチンピラ丸出し! さてさて、これからどうなるの?

 

 

「……好きだ」

 

「お前、私達のこの父親になれ。二人目が居ても問題無い」

 

「……どうしてこうなった」

 

 どうしてこうなったって言ってるけれど、僕達はこの展開を予想していたよ? だって強い相手を配偶者に選ぶ傾向が強い獣人で、更にフェリルの生き方を考えればさ。

 

 えっと、経緯を振り返るとね。レリッ君がフェリルの戦士に勝って、服がボロボロになった相手に勝ち誇って、まだ疑ってたから(レリッ君の希望を考慮して出会いの記憶を少し改竄した)クオに説明をお願いしたんだ。自分の相棒でもないのにツイーグルの見分けが出来るとか凄いよね。

 

 フェリルって脳味噌筋肉みたいで実は脳味噌筋肉じゃなくて、でも微妙に脳味噌筋肉だし、映像だけで簡単に信じちゃって、自分を倒したレリッ君に両側から抱き付いてるよ。

 

「ぷぷぷっ! レリッ君って狙って自爆行為やってないから面白いんだよね! 無意識に自爆ルートを選択とか、どんな運命を背負ってるんだか。……イシュリアの加護を盛大に受けちゃってたりして」

 

「……ラッキースケベ連発とか本当にそうなんじゃないかしら?」

 

 そんなレリッ君を蔑んだ目で見るゲルちゃんだけれど、胸とかお尻とかの周りだけ狙いすましたみたいに穴が開いてるもん。レリッ君、君って奴は本当にさ……。

 

 

「おい、アンノウン。最初からクオに説明させれば良かったのではないか?」

 

 あっ、ボスが気が付いちゃった! だって面白くないんだもの。常にハプニングを求めるのが僕のモットーで、レリッ君なら絶対にやらかすと信じていた。でも、ボスの目が厳しくなってるし、此処はひとまず……。

 

「じゃあ、僕は用事が有るから……さらば!」

 

「まあ、待て。今日は私を背に乗せろ」

 

 僕は逃げ出した。そして速攻で捕まった! 僕に跨がったボスは太股で胴体をギリギリ締め付ける。マスター! ヘルプミー、マスター! 出ちゃう! このままだと内蔵出ちゃうぅぅぅ!

 

「おや、アンノウンと随分と仲が良くて羨ましい。後で私も乗せて下さい」

 

 うん、それは良いけれど使い魔の窮地に気が付いてマスター! あっ、駄目だ。マスターってボスが関わったらポンコツだったもん……。今の羨ましいだって、僕に乗りたいよりもボスの太股に挟まれたいの方が比重重いしさ、絶対。

 

 なら、最後の手段だ! 他の日担当の僕! 同じ僕だからボスに気取られずに入れ替われるよね? 数秒毎にシャッフルを続ければ大丈夫だから助けて!

 

「嫌だね」

 

「バレたら怖いし」

 

「却下ぁ!」

 

「僕は今寝てます」

 

「断固拒否するよ」

 

「それよりもカツ丼食べない?」

 

「「「「「賛成!」」」」」

 

 ぼ、僕さえも僕を見捨てただと……? まあ、僕だって他の日の僕を見捨てるだろうけどさ。それと僕もカツ丼食べたい! カツの半分はタレで煮て柔らかしっとり、もう半分は後乗せサクサクにした奴! ああ、それにしても絶望だ。どうしてこうなったんだろう?

 

 

「……自業自得だわ」

 

 えっと、ゲルちゃん? それってレリッ君に対して? それとも僕に対して? 何か今の声が凄く冷たかったんだけれどっ!?

 

 

 

 

 

「……そうか。掟故に今直ぐ知らせには行けぬが、コルスの母が戻って来た時にどう伝えれば良いものか……」

 

 フェリルの住居は基本的に木製。丸太を組み合わせたログハウス風の建物の中に狩った獣の毛皮を敷いたり、交易で手に入れた家具を置いたりしているんだ。そんな彼女達の集落の奥に長老の家があった。フェリルの長老は若い頃に部族の仲間を率いていた強くてカリスマ性があった戦士が引退後に任されていて、些細な困り事でも相談に乗る皆のお祖母さんみたいな立ち位置なんだってさ。

 

 だから長老は悲しんでいる。戦士である事に誇りを持つ部族だから戦いの中で死ぬのは誇りだと思う子が多い中、悲しんで死を憂う役目を一人で背負う。だからこそ家族であっても死んだ子の事を気丈に乗り越えて戦士として振る舞えるらしいんだ。

 

「……ふわぁ」

 

 でもまあ、僕には関係無いよね。死んじゃったら弄くったら面白い子だったかどうかも分からないし、所詮は赤の他人だもの。気に入った相手が死んだら悲しいし、その子の死を悲しむ誰かにも共感するよ? でもさ全くの赤の他人だった場合、生きてても死んでても興味無し。冷酷? うーん、別に違うと思うな。だってさ、知らない国の知らない誰かが事故死したと聞いて嘆き悲しむ人がどれだけ居る?

 

 それと同じだよ。一般的な人が目の前で死んだ相手の死を悼み、その死を悲しむ相手に共感するって知っているけれど、僕は神に精神が影響されているマスターとその他大勢の神に創造された存在。そんな僕に赤の他人の死を悲しむべきだって言う人は、外国で何か適当な動物が何かの理由で溺れ死んだ事を嘆き悲しみ一晩枕を涙で濡らしてからにして欲しいね。

 

「……そんなに凄いのか?」

 

「ああ、そうだとも! こうビュッて感じに動いて、私達の攻撃をグワッって風に捌いて……」

 

「おおっ!」

 

 そんな僕はややこしい事をするからって家の前で待ち惚け。寝っ転がって鼻に止まった蝶々を眺めていたら、さっきレリッ君に惚れた子達が戦いの様子を話し、小さな子供を連れた同年代程度の仲間が熱心に聞いていた。

 

 だからアバウトで擬音だらけの説明でもイメージが浮かぶように魔法で手助けしてあげたんだけれど、脳味噌筋肉の説明を受けていたのも脳味噌筋肉だから必要以上に浮かんじゃって、随分と興味を持たれたみたい。まあ、只でさえ強い相手に惹かれる種族な上に節操無しのイシュリアの信者だもの。子供が居ても若いし、周りに一切男が居ないならそうなるよね。

 

「どうしてこうなったんだろ? まあ、全面的に僕の責任だろうけどさ」

 

 目をギラギラさせて長老の家を凝視するのを見てると、戦士の誇りを大切にし過ぎなのも問題だーよね。同胞が死んでも戦士としての死なら一切悲しむ必要が無いってスタンスなんだから。……眠いなぁ。話が終わるまではゲルちゃんもレリッ君も弄くれないし、ちょっと眠ろうか。

 

 

 

「……うーん、退屈だし、何か面白い事が起きないかな?」

 

 ちょっと前にピエロみたいなのを洞窟で食ったけれど、その時に発動していた儀式の気配がちょっと変わってるし、洞窟の近くから彼奴の匂いがするんだよね。

 

 

 

「うん! 面白い事になりそう!」

 

 



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あくまでも物のついで

「……オジさん達、誰?」

 

 フェリルの人達に居場所を聞いて向かった先に建っていた簡易的な小屋。雨は何とか防げるけれど隙間風が吹きそうな中は地べたに毛皮や大きな葉っぱが並べてあって、フェリルの人達との物々交換で手に入れたらしい使い古された鍋で野草と獣肉のスープを作っている時に私達は姿を見せたわ。

 

 ……でも、ちょっとした問題が起きちゃって。

 

 ウロの記憶を読んで得た情報によると、何人もの魔族が拠点にしている建設中の城から逃げ出したって話していた子達は本来は入れない島にやって来て自分達を訪ねて来た私達を……いえ、見知らぬ魔獣であるアンノウンと顔がちょっと怖いレリックさんを警戒しちゃったの。しかもレリックさんったら前に出て来ちゃうし、年長の子の背中に隠れて此方を見ていた小さい子達なんて今にも泣きそうだわ。

 

「おい、此処に居るのは島から出た女の餓鬼以外の全員か? 居なくなってる奴は居ねぇだろうな?」

 

「……それがどうかしましたか?」

 

 えっと、聞いた話によるとトゥロさんだっけ? 私より少し年上の彼は、如何にもチンピラな感じのレリックさんが威嚇しながら探りを入れて来たと思ったのか警戒と怯えの表情を見せながら他の子達を庇っているわ。……レリックさんったら直ぐに帰してあげたいから確認をしたんだろうけれど、絵面が最悪よ。どう見ても子供に絡むチンピラだわ。

 

「えっと、この人は人相と態度と女癖が悪いけれど悪人ではないわ」

 

 善人かどうかはギリギリだけれど、そんな言葉を蛇足だと飲み込んで庇った事で少しは警戒が薄れたけれど、恐る恐るといった感じでレリックさんに視線を移すなり身を竦ませる。

 

「……何だよ?」

 

「レリックさん……ちょっと向こうを向いて貰えるかしら?」

 

 レリックさんったら怯えられた事がショックだったのか笑顔を見せたのだけれど、無理に作った笑顔だから人相が余計に悪くなっちゃってるわ。……お父さんもそんな所が有ったわよね。偶に似ているって思う二人だけれど、そんな所が似るだなんて嫌な偶然ね。

 

「……ちょいと小便行って来る」

 

 私の言葉に素直に従って後ろを向いて向こうに行くけれど、背中から落ち込んでいるのが伝わって来ているし、後で励ましましょう。ちょっと酷い事を言っちゃったし謝らないと駄目よ。

 

「ふっふっふっ! 此処は僕の……皆のアイドルであるパンダの出番だね!」

 

 何処からともなく聞こえて来たのは陽気な笛の音。あら、草陰に隠れて黒子さんが演奏していたわ。器用に笛を吹いたままジェスチャーで秘密にして欲しいと頼んで来たけれど、これ以上不審者が増えると小さい子達が大変だから当然見て見ぬ振りね。

 

「わ!」

 

「凄い!」

 

 中身は最悪で癒されないストレレス増す事ばかりの自称癒し系純粋無垢なマスコットだけれど、パンダのヌイグルミが演奏に合わせて陽気に飛んだり跳ねたりしながら踊る姿は可愛らしかったわ。中身に目を瞑ればだけれど。小さい子達も目を輝かせて夢中になってて、踊りが一段落した頃に賢者様が前に出る。レリックさんみたいに上から見るんじゃなくって屈んで視線を合わせて穏やかな表情を向ければ、レリックさんのが酷かった分、安心を誘う物になっていたの。

 

「大丈夫です。私達が必ず家に帰してあげますよ」

 

「……本当?」

 

「ええ、約束します。お城に居た人達も助けますので安心して帰りましょう」

 

 こんな時、賢者様は大人なんだなって思うわ。普段は変な拘りや女神様とのバカップルさを見せられているけれど、本来は穏やかで聡明な方だもの。本人は否定しているけれど、賢者の名に相応しいんじゃないかしら?

 

「では、トゥロさんでしたね? 後で少しお話を聞かせて下さい。勿論、思い出したくない記憶ならば話さなくても結構です。辛い体験をしたのですし、望むのならば泡沫の夢の如く記憶をあやふやな物にして、夢にすら出なくしましょう」

 

「出来るのっ!?」

 

「ええ、出来ます。これでも魔法の腕には自信がありますので」

 

 子供達が恐怖の記憶を思い出さないようにと気を使いながら話を進める賢者様。同じ子供の私じゃ何処かでミスをするか最初から信頼されなかったでしょうね。勇者として情けない気分だわ。

 

「まあ、私が子供なのは仕方が無い事だもの。変に悩む必要は無いわね」

 

「おい、ゲルダ。……終わったか?」

 

 そうこうしている内にレリックさんも帰って来たけれど、アンノウンったら早速弄くりに行くんだから困ったわ。

 

「レリッ君って本当にこんな時に役に立たないって言うか、寧ろ邪魔だよね。僕より信用されないってどうなのさ?」

 

「……うっせぇ」

 

「あはははは! ねぇ、どんな気持ちだい?」

 

 あらあら、アンノウンったらパンダをレリックさんの頭に乗せて此処ぞとばかりに弄くっちゃって仕方のない子ね。でも、そんな風に頭の上にパンダを乗せて弄くられている姿に小さい子達も安心した様子だし、却って良かったのかも知れないわ。レリックさんもアンノウンへの怒りでショックを忘れているみたいだし。

 

 そんな風に微笑ましい光景を眺めていたのだけれど、トゥロさんが急に私に話し掛けて来たわ。随分と緊張した様子だけれど、一体どうしたのかしら?

 

「……あの、君が勇者……様で良いんですか?」

 

「え? どうして分かったのかしら? 未だ勇者だって名乗っていないのに不思議ね。普通は私みたいな子供が勇者だなんて思わないのに」

 

 小さい子達が帰れると聞いて喜ぶ中、年長の少年、トゥロさんが私の事を言い当てたから驚いてしまったわ。だって今まで三つの世界を救って来たし、ブリエルでも活躍したから私の特長が伝わっていても不思議じゃないし、キグルミさん達も私の手が届かない場所で活躍しつつ噂を広めてるもの。

 

「うん、僕も普通は分からなかったよ。それなりの期間を城で労働させられていたし、今はこの島だからね。噂が入って来る環境じゃなかったからね。……まあ、耳が痛くなる位に聞かされてたんだよ、君達の事はさ。半分は惚気話っぽくてさ……」

 

「……え? あの、その惚気話をしている人って……楽土丸って名前じゃないかしら?」

 

 私の問い掛けに頷くトゥロさんは聞いている方が恥ずかしくなる内容だったのか照れた顔だけれど、そんなの話題に出てくる私の方が恥ずかしいわよ! 私と彼は偶然押し倒される格好になった時に胸を触られて、その勢いで求婚されただけなのに。私、未だ了承してないわよっ!? まあ、悪い気はしなかったけれど……って、違う!

 

「い、言っておくけれど別に恋人でも何でも無いわ! 只の知り合いよ、知り合い! あーもー! 本人に文句が言いたいけれど、本人は何処に居るのかしらっ!?」

 

「それが……」

 

 思わず勢いよくまくし立てた私に気圧されたのかトゥロさんは言いにくそうにしながらも口を開き、島の中央を指差す。えっと、もしかしてアガリチャに向かったって言うんじゃないわよね? 部族の人でも警備隊に選ばれている間しか近寄れない神聖な場所ってなっているのに。もしそうだったらトラブルの種になるじゃない。戦いになっていたら味方するのは難しいわ。

 

「実は小さな子供から母親が警備隊に居るけれど様子がおかしいって相談を受けて……」

 

「ああ、成る程。様子を見て来るって引き受けちゃった訳なのね。……彼らしいと言えば彼らしいわ」

 

 まあ、それだったら戦いになっていても擁護の言葉の一つでも口にしてあげるべきかしら? 全く仕方が無いんだから。惚気話の文句も言いたいし、私も警備隊の人達が心配だったもの。こっそり様子を見に行く位は別に良いわよね?

 

 

「賢者様、今からアガリチャに行きましょうか。楽土丸に会う為じゃなくて、警備隊の人達の安否確認が必要だもの」

 

 まあ、トゥロさん達とも仲良くなったみたいだし、心配だろうからついでに楽土丸の様子も見なくちゃ駄目ね。あくまでもついでであって、私としてはどうでも良いのだけれど。



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失言連発 主にパンダが

「……ねぇ、ふと思ったのですけれど賢者様だって二十代前半の見た目なのにオジさん呼ばわりされていましたよね。あの位の子だったら普通なのかしら?」

 

 洞窟に向かう途中、ちょっと疑問に思った事を口にする。だって私が小さい子達と同じ年齢の時は、賢者様やレリックさんと同じ年頃の人をオジさんオバさん呼ばわりしなかったもの。特に気にせずに口をついて出たその言葉、だけれどレリックさんは何故かショックを受けていたわ。

 

「えっと、レリックさんも二十だし、オジさん扱いの方が……?」

 

「するな! 絶対すんな! 俺は未だ若い! 数年経とうがお兄さんのままだ!」

 

「あっ、そっちだったのね」

 

 大人扱いして貰いたかったとか、そっちだと思ったのだけれど逆だったのね。二十歳でオジさん扱い……私もたった九年後にオバさん呼ばわりされたらショックよね。……どうも今日はレリックさんに失礼な事ばかり言っているわ。

 

「あの、レリックさん。さっきの事もだけれど、傷付ける事ばかり言ってごめんなさいね。悪気は無いのよ」

 

「わーってるよ。テメェがそんな奴じゃないって事はな。それに年齢は兎も角、餓鬼への対応は俺が悪かったんだから謝るな。あの時はあれで正解だし、互いに苦手な事を補えば良い。それがかぞ……仲間ってもんだ」

 

 私の謝罪にレリックさんは気にしなくても良いと言う代わりに頭をガシガシと乱暴に撫でて来た。頭がガクガク動かされるし、照れ隠しにしても少しは手加減して欲しいわ。……所で仲間って言い損ねて、かぞ、とか言い掛けたけれど、家族とでも言い間違えそうになったのかしら?

 

 家族と仲間じゃ全然違うけれど、仲間を家族みたいだって思っていたなら間違うかしら? 前も私にお兄ちゃんと演技で呼ばれた時に嬉しそうだったし。レリックさんが家族なら間違い無くお兄ちゃんだけれど……。

 

「少し楽しそうね。色々と大変そうでもあるけれど」

 

「急にどうしたんだ?」

 

「いえ、気にしないで。レリックさんが本当のお兄ちゃんで一緒に暮らしていたら楽しそうだって思っただけよ」

 

「……そうか。お前はそう思うのか」

 

「あら? レリックさん?」

 

 思ったよりもシリアスな反応ね。くだらねぇ、とか照れ隠しに言うとか程度かと思ったのだけれど、一体どうしたのかしら? ……もしかして実の妹に嫌われていたりするのだったら悪い事を言ったわ。でも、確かめるのは正解でも不正解でも無理ね。……この空気、どうしましょう。

 

「「……」」

 

 互いにそれ以上は何を喋って良いのか分からないけれど沈黙が重いから何か話したい。でも、互いの言葉が被ったら余計に空気が重くなって話辛くなりそうだし。

 

「ねぇ、マスター。マスターはオジさん呼ばわり大丈夫? ショックだったらパンダビーム乱射でキグルミを量産しちゃうよ」

 

 矢張りこんな時こそアンノウンよね。何故か気まずい空気が流れたとしても一切読まずに陽気に喋る。流石はくうきよめないじゃなくて、空気を察した上で全力で読まない自称マスコット。嫌な空気が消え去ったわ。

 

「あはは……。私、三百越えている上に成人した子持ちですよ? 今更オジさんと呼ばれても気にしませんって。それと小さい子達に悪戯したら駄目ですからね」

 

「はーい」

 

 あくまでも穏やかに言い聞かせる賢者様は大人よね。実際、人の感覚で長い時間を生きているのだもの。偶に変な一面を覗かせるけれど、基本的には立派な方だわ。

 

「……まあ、シルヴィアをオバさん呼ばわりされたら少しは怒るでしょうね」

 

 あっ、この声は本気ね。あの子達、本当に運が良かったわ。……所で賢者様ったら気が付いているのかしら? 二十代前半で見た目が止まっている自分がオジさん呼ばわりされる事を否定していないって。レリックさんは二十だし、未だ気付いていないなら大丈夫ね。ほら、ログハウスの屋根が木の隙間から見えて来たし、もう年齢に関わる話題は誰もしないでしょう。

 

「ねぇ、レリッ君はマスターが不老不死になったのが二十二、三歳位だって知ってたっけ?」

 

 だけれど、口にするわよね。アンノウンだったら口にするに決まっているわよね。今しか言うタイミングがないもの。レリックさんは未だ気が付いていないのか普通に考えているわ。今からどんな目に遭うか予想もしないで。

 

 此処で止めても不自然だし、もう遅いわね。

 

「まあ、初代勇者が魔王を倒したのがその位だって本に乗ってるからな。不老不死になったのも世界を救った後なんだろ? 少しは興味有るけど面倒そうだぜ。大体、不老不死目当てに勇者に群がって神に媚び売ろうって連中が出ない為に正体だって隠して行動してるんだろ? 俺には無理だな」

 

「うん、そうだね。所でマスターは自分がオジさん呼ばわりされる見た目年齢だって事を否定しなかったけれど、レリッ君が今のマスターと同じ位の年齢になるまで三年かぁ」

 

「……おい、ゲルダ。世界を救ったら神様達から若返りの魔法とか教えて貰えると思うか?」

 

 あっ、気が付いちゃった。遠い目で空を見ながらの呟き。小さな子供の悪意無い一言が此処までの事になるだなんて。

 

「不老不死と同じ理由で駄目じゃないかしら? まあ、分からないけれど」

 

 賢者様じゃなくて私に質問する時点で答えをあやふやなままにしていたいのでしょうね。未だ二十歳なのにオジさん呼びを気にしなくちゃいけないなんて……。将来早い内に……いいえ、これ以上は駄目よ。

 

 

 

 

「レリッ君って悩み過ぎだし、将来若い内に禿げそうだよね!」

 

 ……言うと思ったわ。寧ろアンノウンへのストレスの影響が大きそうね……。

 

 

 

「ま、まあ、禿程度だったら賢者様なら簡単に……」

 

「俺が禿げる前提で話すのは勘弁してくれや……」

 

 私ったら思わず失礼な事を言っちゃたわね。今日は本当に反省しなくちゃ……っ!? 一歩前に踏み出した瞬間、濃厚な血の香りが漂って来た。ほんの一歩前までは何も感じなかったのに、今は腐った大人数の血が入った風呂桶に顔を近付けたみたいな濃厚な香りが手で鼻を塞いでも隙間から入って来て気持ちが悪い……。

 

「……これを使っとけ」

 

「え?」

 

 レリックさんも元々普通の人より鼻が利くらしい上に儀式を受けた事で嗅覚が上がっているから顔色が少し悪かったけれど、彼から受け取った布を顔に巻いた私は平気になった。この布の力かしら?

 

「あの、レリックさんの分は……」

 

「俺は平気だ。寧ろ半分狼の獣人が混じってるテメェの方がヤベェだろが。餓鬼なんだから無理せずに使っとけ」

 

 気分が悪そうにしながらもレリックさんは先に進んで行く。……今日は失礼な事ばっかり言ったのに。本当にお兄ちゃんみたいだわ。

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、マスター。僕がこの血の香りをどうにかした方が良いよね? って言うかどうにかする! 臭いもん!」

 

 ……いや、さっさとしなさいよ。レリックさんが何だか居たたまれないって顔しているじゃないの!

 

 



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ツンデレは同族嫌悪という言葉を知らないが大熊猫は知っている

先月末に一周年でした


「この先からも血の香りが……」

 

 レーン島の住人すらも選ばれた人達しか近寄ってはいけない精霊が住まう洞窟アガリチャ。その選ばれた人達が任命期間を過ごすログハウスは二階建てな上に、所々に金属の板を張り付けた砦みたいな造りだったわ。でも大型の鳥モンスターだって生息しているし、精霊さん達に用があって近寄る相手だったら並みの相手じゃないとも思う。大体、この島に来る事自体が大変だったわ。

 

「こりゃ昨日今日じゃねぇな。それもモンスターが襲って来たって状況でもねぇ。……ちょいと下がってろ」

 

 ログハウスのドアを半開きにしてレリックさんは呟く。開いた隙間から出て来たのはレリックさんの偽物達。よく見ればホクロが有ったり目に隈が出来ていたり、唇が分厚かったりと明らかな偽物だけれど、一瞬顔だけ見ただけじゃ間違いそうね。……微妙に薄汚れた白の全身タイツを着ているから全身を見れば丸分かりだけれど。

 

「しっかし嫌な光景だぜ。いや、悪臭を視覚化しただけだし、実際は腐った血生臭ぇ最悪な場所になってんだがよ」

 

「え? 悪臭の方が良かったの? じゃあレリッ君だけ悪臭コースにしとく?」

 

「……今のままで良い」

 

「分かったっ! レリッ君が今のままが良いって言うなら僕は別に構わないよ」

 

 確かに実際に存在するのは聖地だの神聖な場所だのと称えられているのを疑いたくなる程の腐った血の香り。今はアンノウンの魔法で感じないけれど、手掛かりになるからって、白い全身タイツに赤い文字で血の香りと書かれた物を着たレリックさんの偽物によって視覚で関知しているわ。

 

「いや、どうしてよ……」

 

「そりゃあ最初は煙とかに見える方が良いとは思ったんだけれど、他の煙と混ざったらややこしいでしょ? これならレリッ君の顔をしても本物と混ざったりしないしさ」

 

「俺の顔にする意味っ!」

 

「え? レリッ君の顔にしても特に効果が有る訳じゃないし、ノリ以外の何でも無いけれど?」

 

 洞窟に比べて偽レリックさん達の数は少なく、血の鮮度を表すのか白タイツの汚れも少ないからログハウスの血の香りは洞窟とは別物だろうけれど、それは決して良い知らせじゃないわ。先程まで感じた腐臭は何日か程度じゃきかない程に長い年月が経過した物。でも、ログハウスから数日前の血の香りがするって事は……、

 

「……」

 

 また誰かの大切な人が亡くなった。その事実は何度体験しても私の心に重くのし掛かる。重いわよね。潰れちゃいそうな程に……。

 

 意を決して半開きのドアに手を伸ばす。そうしたら後ろから尻尾を引っ張られた。

 

「ひゃわんっ!?」

 

「まあ、待てや。俺が行くから待ってろ。テメェは死体とか見慣れてねぇし、見慣れる必要なんか無いんだ。だから待ってろ。俺は見慣れているからな」

 

 思わず変態やら痴漢やら異常性癖やらロリペド屑やら罵倒しそうになったけれど、レリックさんはぶっきらぼうながら私を気遣いながらログハウスに入って行って、内側から鍵を閉めた。きっと中は悲惨な事になっていて、全身タイツの偽レリックさんが沢山居るのに……。

 

「……えっと、賢者様。アンノウンに匂いの可視化を別の物を使うように言ってくれませんか?」

 

「まあ、今回は流石に遊びすぎですからね。アンノウン、別の物に」

 

「はーい! だったらスケッチブックを持ったパンダのヌイグルミにしておくね」

 

 本当に賢者様の言葉だったら素直に聞くんだから。でも、アンノウンって生まれてから五年も経っていないらしいし、頭だって良いから人間の五歳未満の子供が凄い力を持っているのと同じと考えるべきなのかしら? それで賢者様が優しくって甘やかすお父さんで女神様は厳しく躾をしてくるお母さん。そんな風に考えたら少しは可愛く見えて来るわ。

 

 ……性根の悪さが全部台無しにしているんだけれど。素直に言う事を聞いたアンノウンを撫でながら誉めている賢者様だけれど、先ずレリックさんにした事が駄目なのだからちょっと冷静に見て欲しいわ。

 

「安心しろ。私が後で叱っておく。……今は支障を来すので無理だがな」

 

「ええ、キッツイお仕置きをお願いするわ」

 

 女神様の言葉にホッと胸を撫で下ろすけれど、一体何処まで効果が有るのでしょうね。そんな事よりも今はレリックさんだわ。大丈夫かしら……。

 

 それから暫くしてレリックさんがログハウスから出て来る。その時の彼は非常に青ざめた顔色で、一体どんな地獄が広がっていたのか私には想像も出来ない。そんな地獄に向かうのを止めてくれたレリックさんには感謝の言葉しか出ないわ。だって慣れていると口にする彼でさえ青ざめるのだから。

 

 

「……おい、ゲルダ。さっきは咄嗟に尻尾を掴んだが変な理由は無いからな? 俺はお前を止めようとしただけだから勘違いするなよ!」

 

「あっ、さっきの事を冷静に考えて不安になっていただけなのね。まあ、大丈夫よ。分かっているから。……有り難う、レリックさん」

 

「意味不明な奴だな。俺は目の前で吐かれたら嫌だから止めただけだぞ」

 

「はいはい、そうね」

 

「本当だからなっ!」

 

 レリックさんったら本当に素直じゃ無いんだから。さっきの言葉じゃ今の言い訳は無理が有るわよ。でも私もこれ以上は言わないでおきましょうか。

 

「……アンノウン、駄目よ?」

 

「……はーい」

 

 こんな時に空気を読んだ上で敢えて空気を読まない言動をするアンノウンを前もって止め、ログハウスの中の事はレリックさんの意志を汲んで自分から訊ねない事にしたのだけれど、賢者様達との会話で同士討ちとか聞こえて来たわ。普通はあり得ない事態が起きたのなら理由が有る。

 

「……行きましょう」

 

 その理由に心当たりが有る。いえ、間違いないと確信していた。魔族、それも性根が腐ったのが絶対に関わっているんだって……。

 

 

 そしてアガリチャに足を踏み入れ、無数のパンダがちょこまか動き回る先から風が吹き荒れる音が聞こえて来る。急いで奥に向かえば広い場所に出て、そこには巨大なツギハギだらけのクマのヌイグルミが立っていた。

 

「がおー!」

 

 まるで此処まで覚悟を決めてやって来た相手を嘲笑い、その間抜けな姿と声で脱力させるのが目的みたいな気さえするわ。

 

「うおっ!? ありゃアンノウンの仕業か?」

 

「何言ってるのさ。僕はパンダであっちはグリズリー! 全然違うじゃないか! ヌイグルミの出来映えだって段違いだし、悪戯しちゃうよ?」

 

「いや、普段からしてるだろ。だが、一応言っとく。謝るから勘弁してくれ」

 

 あっ、アンノウンが予告してから行う悪戯が怖かったのね。……何時もはなんのみゃくらくも無く急に行う悪戯を今回に限って警告するだなんて。それよりも解析しましょうか。……それで本当か分かるでしょうし。

 

『『アングリズリー』無数の死人の血を腐らせた物を染み込ませた綿を詰め込んだヌイグルミ型モンスター。ダメージを受ければ怒り、怒りのボルテージによって自らを強化する』

 

「えっと、アングリズリーって名前らしいわ。少し厄介な能力を持っているけれど……秒で倒しましょう。そんな事よりも何故か楽土丸の匂いがするけれど……」

 

 姿は見えないし、一体何処に居るのかしら? いや、別に会いたい訳じゃ無いのだけれど。ちょっとだけ顔が熱くなったのは気のせいね。そんな事よりもレリックさんが不機嫌そうな顔をしたのは何故かしら?

 

「楽土丸ぅ? テメェを押し倒して胸を触った上に速攻で求婚した変態野郎だったか? 居たとしても関わるなよ、そんな奴とはよ」

 

 え? レリックさんがそれを言う? 事故で妖精女王の服を破きながら押し倒して求婚されたレリックさんが? 私のお尻を掴んだのだって先日よ?

 

「同族嫌悪!」

 

 うん、今回ばかりはアンノウンに同感ね。じゃ、じゃあ気を取り直して……。

 

「レリックさんっ!」

 

 名を叫ぶと同時に走り出し、レッドキャリバーとブルースレイヴに魔包剣を展開、その横をグレイプニルが突き進み、アングリズリーの額に切っ先が突き刺さると同時に鎖が体を雁字搦めにする。何重にも鎖は重なり、球体にまで達した所で私が刃を振り下ろした。刃を通す隙間なんて微塵も無く、鎖に刃が弾かれるか鎖が切れてしまうか。でもね、そんな事は分かってやっているのよ。そして、そうはならないって事もね。

 

 光り輝く魔力の刃は鎖に触れ、そのまますり抜けて動きを封じたアングリズリーだけを切り刻む。これが勇者の仲間の為の武器として生まれ変わったグレイプニルの力。レリックさんの意志で触れる物を選択出来る。だからこんな事だって可能よ。

 

「あの時は服を溶かしただけだったけれど、私だって成長しているんだからっ!」

 

 地面が盛り上がって現れた巨大なハエトリグサがグレイプニルの球体を飲み込み、同時にレリックさんが鎖を引けばバラバラになったアングリズリーの破片が飲み込まれて片耳だけが零れ落ちて内部に入り、数秒で溶かした。初めて魔族相手に使った時は服だけで体は無事だったけれど、今回は大丈夫ね。口を開いたハエトリグサの中には糸くずの一つも残っていなかったわ。

 

「……やったな。ありゃ完全に倒したぜ」

 

「そうね。流石に耳片方だけで再生だなんて……」

 

 無理よね、その言葉を言い終える前に耳の断面から糸が伸び丸まりながらクマの形になり、それが一気に膨れ上がる。天井を突き破り、太陽の光を浴びながら私達を見下ろしていた。

 

「え? まさかあれで復活するの……?」

 

 あの規模の再生を一瞬で、更にあんなに大きく強くなるだなんて……。

 

「がーおー!」

 

 まるで天井がそのままの塊で落盤して来たみたいだった。真上からのし掛かる重圧に身が竦みそうになる。そんな私を叱咤する声が響いた。

 

「ボサッとしてんじゃねぇ! こんな所で躓いてて、どうやって世界を救うってんだ!」

 

 その言葉に私は無意識の内に下ろしそうになっていた腕を上げて構える。レッドキャリバーとブルースレイヴを結合させてデュアルセイバーに戻し、迫り来るアングリズリーの巨大な前足に向かって飛び込んだ。

 

「俺が時間を稼ぐからあの野郎の動きを止めろっ! そうしたら俺が特大の一撃で完全に滅してやるっ!」

 

「了解だわっ!」

 

「しくじるんじゃねぇぞっ!」

 

「そっちこそっ!」

 

 互いに軽口を叩き、もう余計な迷いは消えた。ええ、だってそうじゃない。レリックさんが出来るって言ったのだし、だったら信じて飛び込むだけよ。

 

 自分から飛び込んだ事で更に重圧が増す中、私の横を無数の岩の柱がせり上がる。地面から伸びる荒削りで直径一メートル程の極太の柱は私よりも先に手に到達した。一本一本は一瞬で折れてしまう強度だけれど、無数の柱で同時に受ける事で僅かな時間だけれど拮抗しているわ。直ぐに全体にヒビが入り、音を立てて崩れて行くけれど、私が到達した瞬間、アングリズリーの前足の勢いは大きく削がれていた。

 

「地印解放っ! あぁああああああああああああっ!!」

 

 引き寄せる力の天印を使えるレッドキャリバーと弾く力の地印を使えるブルースレイヴ。何時もは手数と扱い易さの為に片手で持てる二本に分けているけれど、結合状態のデュアルセイバーだからこその利点が存在する。

 

 折れた柱に乗り、腰を入れた乱撃を叩き込む。何重にも刻まれる青い魔法陣はブルースレイヴ単体の時よりも力強く輝いていたわ。

 

「さて、そろそろね。吹き飛びなさいっ!」

 

 拮抗が終わり、動き出しそうな前足を蹴って地面に降り立った瞬間、残った岩の柱が全て破壊され、折れた柱を潰しながら前足が迫る。でも、私達に後少しまで迫った所で再び止まったわ。

 

「が、がお?」

 

 見えない力に押し返される感覚に困惑したアングリズリー。体重を込めて無理矢理押し込もうとするけれども魔法陣が次々に輝きを強くする度に押し返す力は増し、遂に大きく頭上に上げた状態に。そして、それでも勢いは増し続けて巨大が浮き上がって空に向かって飛んで行った。

 

 これこそがデュアルセイバーの力。両手で持たなくちゃ使えない大きさで細かい動きは出来ないけれど、分けて使った時よりも高い威力で両方の印を使える。巨体は輝きを増す地印によって上空へと弾かれ続けて、レリックさんの準備も整ったのか周囲を無数の札が舞っていた。

 

「我が憎悪よ……」

 

 札はレリックさんの周囲で止まり、螺旋を描きながら空へと向かって行く。彼の指先はアングリズリーに向けられ、声は底冷えがする程に冷たい。レリックさんにこんな一面があっただなんて……。

 

「普段のラッキースケベなチンピラの姿からは想像出来ないよね!」

 

「アンノウン、今は黙っていなさい」

 

「おいおい、シリアスをぶち壊してこその僕じゃないか」

 

「天を灼き……」

 

 札が空へと昇りながら焔に包まれる。さっき口にした憎悪という言葉に相応しい夜の闇みたいな純粋な黒い焔は中心から札を包み、札に描かれた文字が妖しく光って消滅していない事を告げる。

 

「黒い炎かぁ。マスターの世界に伝わる地獄にも黒い炎が存在するって伝わってるらしいね。所であれを見ていたらイカスミベースのお鍋を食べたくなっちゃった」

 

「だから本当に黙ってて。レリックさんが可哀想でしょ!」

 

「そこで可哀想って出る辺りと君も大概だよね。ゲルちゃんも僕に影響されて来たんだ」

 

「……地を呑め」

 

 ……うん、レリックさんは特に気にした様子は見られないわ。声に違和感が有った風に聞こえてなんかいないんだから。漆黒の焔に包まれた札は速度を増し、螺旋は円錐……いえ、竜巻へと変わる。地印の魔法陣の力が尽き、落下を始めたアングリズリーを飲み込んだ竜巻は更に上へと昇って行った。

 

黒焔竜嵐|(こくえんりゅうらん)

 

 竜巻は竜と化し、遙か上空で弾け飛ぶ。レーン島の上空全体に広がった焔が島を照らし、島に刹那の夜が訪れた。降り注ぐ灰は存在しないわ。僅かな欠片からでも再生し強くなるアングリズリーは灰すら残さずこの世から消え去ったのだから……。

 

 

 

「んじゃ、行くぞ。……寧ろ此処から先が本番だ」

 

 そう。アングリズリーはあくまでも門番。門番を置いてでも干渉を避けたかった何かが待つ奥へと向かって私達は歩き出した。一体何が待っているのかしら……。



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大熊猫は猛獣です

感想欲しい 此処数日来ていないんだ……


「うっ……! 何か嫌な予感がするわ。毛だってこんなに逆立っちゃって……」

 

 アングリズリーを倒した後は予想に反して他の門番代わりのモンスターや罠の類は無かったのだけれど、ある場所まで辿り付いた途端に私は思わず足を止めたわ。此処から先は近寄っては駄目だと本能が警戒する。思わず触れた尻尾の毛だって凄く逆立って酷い有様よ。これって帰ったら疲れた状態で毛繕いしなくちゃ駄目なパターンね。

 

「ねぇ、ゲルちゃん。髪の毛が……」

 

「あー! 聞こえない聞こえない。さっさと先に進みましょう!」

 

 尻尾でさえこの有様なら普段から悩みの種にしている癖毛はどうなっているのかなんて確かめたくもないわ。アンノウンはそんな状況だからこそ口にしようとしたけれど手で耳を塞いで大声を出す。……あっ、駄目ね。私は狼の耳も持っているから聞こえちゃうわ。でも、私が拒否したらアンノウンはあっさり引き下がったのかそれ以上は口にしないけれど、会話に混ぜて唐突に指摘して来るだろうから油断は出来ないわ。

 

 アンノウンが喋り出すかどうかを警戒しながらひたすら一本道を歩き続ける。精霊さん達が住む場所だって聞いていたのに影も形も見えないし、嫌な予感が募るばかり。あんな風に洞窟の天井に穴が開いたなら様子を見に来ても……あっ! そうだわ。勝手に洞窟に入ったけれど、フェリルの人達にとっては立ち入りを禁止する程に重要な場所なのだし、中から巨大なモンスターが姿を現せば流石に様子を見に来るでしょうし、そもそも楽土丸の姿が見えないけれど様子を見に来ている筈なのよ。

 

「さっきも戦いの時に匂いがしたけれどこっちの方からは感じないけれど、楽土丸ったら洞窟を覗いた後で直ぐに戻ったのかしら?」

 

「彼奴だったらさっきの部屋で岩の透き間に埋まってたよ?」

 

「……はい? さっきの部屋に居た?」

 

「うん!」

 

「いや、うん! じゃないわよ、うん! じゃ」

 

「はーい!」

 

「はーい! でもない! 何でもっと早く教えないのよ! ……先に行って置くけれど早口って事じゃないわよ」

 

「……ちぇ」

 

 

 アンノウンったら私が先に言わなかったら絶対早口で言ってたわね。その後でどんな煽り方をして来るのかを想像した後で私は踵を返す。私達が戦う前に聞こえて来た風の音。あれは今考えれば楽土丸が戦っていたのよ。なら岩の下敷きになって出られないなら助けなくちゃいけないわ。

 

「ちぇ、じゃないわよ! あーもー! 助けに行くわよ!」

 

「……何で?」

 

「何でって……」

 

「いや、だって魔族だよ? ゲルちゃんったら自分が勇者だって忘れちゃった? 裏切り者として追放された上に神に存在を許される、そんな厳しい条件をクリアした奴以外の魔族は世界を救ったら消えちゃうんだ。彼奴は悪い奴じゃないけれど、だからこそ追放されていても同胞の為にって敵対する可能性は高い。それでも助けるの?」

 

「それは……」

 

 アンノウンの淡々とした問い掛けに私は何も返せない。今まで魔族同士の絆も見たし、人とも絆を結んだ魔族にだって出会った。そして、人に対する悍ましい悪意や、人を害する事に疑問すら抱かない魔族にも。

 

 あの時、彼と私は共通の敵と戦った。少しだけ語り合って仲良くもなれた。でも、同時に出会いの時も思い出す。あの時既に魔族を追放されて狙われていたにも関わらず魔族の為に私を狙って来たのよね。

 

「……賢者様、女神様」

 

「駄目だよ、ゲルちゃん。これは君が答えを出すべき問題だ。何処に向かうか、どんな順番で向かうか。勇者ってのはその選択によって救える人の取捨を決めているんだ。それは何時か君にのし掛かる。だから、今すぐ決めて。楽土丸を助けるか否かを」

 

 アンノウンは静かに告げて、視線を向けた二人は無言で頷く。そうよね。普段は勇者であっても子供だからって色々守って貰えているけれども、勇者である時点で今ではない何時か背負う物もある。だからアンノウンは私に問い掛けて、私は答えが出せない。

 

「私は……」

 

「別に良いだろ。ウダウダ悩むんだったら助けてから後々の事を考えろや。何かあったら俺達が尻拭いしてやりゃ良いだけだろ」

 

「レリックさん?」

 

 迷いから言葉が出ずにうなだれた私の体が持ち上げられ、持ち上げたレリックさんは私を肩に担いだまま来た道を歩き出した。

 

「レリッ君は甘いなぁ」

 

「言ってろ。てか、見捨てるべきだと思ったんなら黙っとけや。たく、何を企んで黙っていたんだか」

 

「何を企んでいたって、ゲルちゃんの髪が前衛的なアートみたいになってるし、それを指摘した後に流れで言ったら抗議を受け流せるかなって。後は……ゲルちゃんを試す為?」

 

「疑問系かよっ!? おい、ゲルダ。あの馬鹿の言葉は話半分に聞いとけ。それとシルヴィア様、馬鹿にお仕置きお願いします!」

 

「ああ、良いだろう。アンノウン、探索を終えたら……分かっているな? いや、今すぐ始めよう。緊急時には神の封印を解く許可を得ているのだ。尻叩きを始めるが……逃げるなよ?」

 

「……いえす、ぼす」

 

「えっと、後で癒してあげますから耐えなさい、アンノウン。でもシルヴィアも手加減して欲しいのですが……」

 

「却下だ! 大体お前は普段から甘やかしが過ぎる。アンノウンの尻を叩いている間、お前にも説教をせねばならん。良いな?」

 

「……いえす、まいすいーとはにー」

 

 この流れを聞いていた私は思わず笑みがこぼれて沈んでいた心が浮かび上がって来た気がするわ。そうよね。後の事は後から考えれば良いわよね。もしもの時は賢者様達の力に期待しましょう。他力本願だって構わないわ。だって私は子供だもの。

 

 

 

「アンノウンはいい気味ね。でも、有り難う」

 

 一応お礼は言っておくわ。だって私の事を考えての問い掛けだったものね。……そうよね? うん、そうだと思いましょう。

 

 

 

 

「……にしてもよ、アンノウンは恐ろしいよな」

 

 何故か俵担ぎから肩車に変更して私を運ぶのを続行しているレリックさんが戻る最中にそんな事を呟いたわ。うん、それには同意しかないわね。

 

「ええ、確かに凄い力を悪戯に使うし、どんなタイミングで何を仕掛けてくるか全く予想が出来ないもの。六色世界とは一切関係無い異世界に行ったりするらしいし、黒子さん達の一部は未来のアンノウンが送り込んだらしいわ」

 

「……えっ? 何だよ、その知りたくなかった新情報。普通に恐ろしいな。……だが、俺が言ってるのは別の事、彼奴がさっき口にした取捨選択だ。彼奴と少し過ごしただけでも分かるんだが、彼奴の区別は差が異常だ。普通の奴だって知らない場所での見知らぬ他人の犠牲に対して大して思わねぇが……彼奴は顔見知りが近くで何かに巻き込まれていたとしても、身内やら弄くったら面白いと思った相手じゃなければどうでも良い。……俺はそれが恐ろしいよ」

 

「……」

 

 私はレリックさんの言葉に無言で返す。その沈黙は肯定を示していた……。

 

 

 



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ツンデレはマゾかも知れない(冤罪)

 研究者系の魔法使いが使用する各自のオリジナル魔法を使う為の道具である魔本。私の魔本は村を襲おうとしていた……えっと、有料なる差し歯? の一員だった人の物を賢者様が持ち主じゃない私に手直しした物で、その人の魔法だって使えるけれど、私も賢者様に指導して貰っているからそれなりに魔法を創っているわ。

 

「緑の恵みよ、彼の者共を癒したまえ!」

 

 地中から現れた木の滴が岩から助け出した楽土丸を癒して行く。助け出した時には気を失っていた上に出血多量で顔色が悪くなっていたけれど、今は正常な状態よ。

 

「……終わったのか?」

 

「ええ、後は放置していても大丈夫……なのだけれど、この状態で放置してたら流石に駄目よね」

 

「天井に穴が開いてるからな。あのデカブツの姿は遠くからでも見えただろうし、近寄るのも禁じるだの何だと言っても居られねぇだろ」

 

 空を見上げれば雲一つない澄み切った青空で太陽は少し西に傾きながら輝いている。この後の事は賢者様に丸投げする予定だけれど、楽土丸をどうにかする必要が有るのよね。勢いで助けに来ちゃったのを後悔してはいないけれど、レリックさんまで巻き込んだのは少し心苦しいし、二人揃って待ち受ける面倒な事の数々に気が重くなったのを感じたわ。

 

 ……えっと、何か話題を変えましょうか。でも、お話しするにしても話題は直ぐに終わる天気の……そうだわっ!

 

「ねぇ、レリックさんは太陽と美の女神アテス様の伝説を知っているかしら?」

 

「そりゃ有名な話だからな。神殿に入ったこそ泥が起こした火事で大勢死んで、それを嘆き悲しんだアテス様が閉じこもった事で太陽が現れなかったって……おい、まさかとは思うが事実は全くの別物じゃねぇだろうな」

 

「あら、正解よ。実際はイシュリア様との親子喧嘩が発端で、その喧嘩の理由がプリ……」

 

「あー! あー! 聞ーこーえーなーいー!」

 

 プリンを食べた食べないでの喧嘩の末に不貞寝をしたのが理由だと話そうとしてもレリックさんは耳を塞ぎながら大声を出して聞こうとしない。それどころか私が黙っても恨みがましそうに見てくるんだから困っちゃうわね。

 

「いや、神様達の裏話を聞かせるのはマジで勘弁しやがれ。俺、それなりに信仰心が有るから今までの旅でダメージ受けてるんだぜ?」

 

「慣れたら大丈夫よ、慣れたら。私だって最初は衝撃的だったけれど、今は呆れる位になったわ。特にイシュリア様とかイシュリア様とかが原因で。主に九割方はイシュリア様ね」

 

「……否定はしないでおく」

 

 レリックさんったら大変ね。私も旅の当初は神様や賢者様の意外な一面に悪い意味で驚かされていたから気持ちは分かるもの。でも、今じゃ慣れちゃって、だからこそ気が付かない方が良かった事に気が付いちゃった。

 

「レリックさん……道連れになって欲しいわ」

 

「断る!」

 

 これ以上は何も知りたくないのか逃げ出すレリックさんだけれど、私だって今までは同じ意見だったから予想していたわ。そして勿論気持ちが分かるからって逃がしてあげない。彼が動くより前に私は動いて背中にしがみついた。これなら絶対に聞かせられるわ。聞きたくないだろうけれど、だって私だけで抱えるのって大変だもの。

 

「太陽と美を司るアテス様って女神様とイシュリア様のお母さんって伝わっているけれど、美と恋の女神であるフィレア様も同じなのよね。イエロアで閉じこもったのがプリンが理由の不貞寝だって教えて貰った時にアテス様の事も母様って呼んでいたし……何か凄いドロドロの予感がレリックさんを見たら浮かんだわ」

 

「おぃっ!? どうして俺を見たらドロドロの関係が浮かぶんだって、そりゃそうだよな、余計なお世話だっ! 俺だって好きでドロドロな男女関係を結んでねぇし、マジで神様のそういった話を知らせるのは勘弁しろっ!」

 

「だって私だけで抱えたくないし、仲間なら助け合いましょう?」

 

「道連れは助け合いって言わねぇよっ!? ……あー、糞。今日は不運だ。何か凄く嫌な予感がするんだよな……」

 

「戻ったら妖精女王がエプロン姿で待っているとか?」

 

「勘弁しろっ! ……マジで頼むからよ」

 

 今にも泣き出しそうな声を聞いて少し苛め過ぎたと反省する。前にアンノウンの影響を受けてるって指摘されたけれど、あの時は否定したのに今になって思えばそうかもね。だってレリックさんって弄くったら楽しいし可愛いもの。でも、大の男の人が泣きそうになるのはよっぽどだし、そろそろ止めておこうかしら。

 

 洞窟の奥、賢者様達が待っている方からは洞窟全体を揺らす大きな音が響いていて、まるで目と鼻の先に落雷が有ったみたいだわ。あれがお尻叩きの音だなんて……。

 

「お母さんも私が悪さをした時は凄い力でしたけれど、此処までじゃなかったわね。まあ、比べる相手が悪いだけで、あの人の平手打ちは本当に凄い音がして痛かったけれど……」

 

「……だな。俺もちょいと悪さしたら尻を叩かれたが、あの音は忘れられねぇよ」

 

 あら、レリックさんったら私の独り言に反応しちゃう程にお仕置きでお尻を叩かれたのが印象に残っているのね。ついつい可笑しくなってその事を指摘したら随分と慌ててたけれど、今回の事で親近感が深まったわ。……それはそうと私は何時までレリックさんの背中に乗っているのかしら? もう一切抵抗も違和感も無かったから忘れていたけれど、普通に人に見られれば恥ずかしいわよね。

 

 それに何故かレリックさんったら私が落ちないように腰の辺りを支えてくれているんだけれど、そのせいで今度は降りられないわ。……この人、肩車もそうだけれど、ロリコンやらの汚名を自分から被りに行っていないかしら?

 

 

「……レリックさんって実は変態扱いされるのが趣味なのかしら?」

 

「いや、どうしてそんな発想に至ったか説明しろ……いや、絶対にするな。町に戻ったら何か奢ってやるから絶対にするな。兄ちゃんとの約束だからな」

 

「分かったわよ……お兄ちゃん」

 

 レリックさんったら嫌がる振りしてノリが良いわよね。兄ちゃんとの約束、だなんて。年下の女の子にお兄ちゃん呼ばわりされる趣味の疑惑を前に向けたけれど、今度は向こうから振って来たから乗ってみる。あら? 少し嬉しそうに見えるけれど、多分私が振りに乗って来るとは思っていなかったからよね? うん、そうに決まっているわ。

 

 

 

 

 

 ……お兄ちゃんって呼ばれるのが嬉しい筈がないもの。そう思いたいわよ……。

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 目を閉じれば瞼の裏にあの子の顔が浮かぶ。一緒に暮らしていた時に私に甘えていた時の顔。でも、それは直ぐに別物へと変わりました。姉ではなく憎い敵に向ける顔に。……ええ、分かっています。私が逃げればどうなるかだなんて分かっていたのに。

 

 だから理解しました。あの子は、ネルガルは私の弟ではなくなってしまったのだと。目を開ければネルガルが犯した罪の光景を見せ付けられる。幾つもの魔法陣が繋がり、そこに捕らえられ苦しみ続ける精霊の姿が嫌でも目に入って来る。

 

 どれだけ謝っても取り返しが付かない事を私はして、そのせいでネルガルは取り返しの付かない罪を犯してしまった。もう、私を家族として見てはくれないのだと心の底から理解しました。

 

「イーチャ!?」

 

 あれから何日経ったのかも分からない中、誰かの声が聞こえました。聞き覚えが有るのですが、朦朧とした意識では判別が付きません。今の私が考えられる事は一つだけなのですから。

 

「待っていろ、今助けてやる! ……それにしても一体誰が……」

 

 ああ、どうやら声の主は私と親しい仲だったらしい。声には心配した様子と、私をこんな状態にしたネルガルへの怒りが籠もっていたのですから。

 

 甘えん坊で優しかったネルガル。姉の私が大好きで何時も傍に居たネルガル。でも、そんなあの子は二度と戻って来ない。もう、私の弟を辞めてしまったのですから。

 

 だから私は告げる。朦朧とした意識だからこそ、有り得ない犯人であっても偽りなど無いと信じてくれるでしょう。

 

 

 

「幼い……少女で……した……。全く見覚えが……無い……」

 

 あの子が私を姉として見なくても。あの子の中で私が敵でしかなくても、それでも……私はネルガルの姉を辞めたりはしません。何があっても弟は私が……守るべきなのですから。

 




前半ギャグ 最後シリアスに! 


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高き山の神殿にて……

章タイトル変更しました


「ええぃ! 何度言わせるつもりなのじゃ。この馬鹿者がっ!」

 

「あだっ!」

 

 少し懐かしい夢を見ておる。儂が未だ若く、家業の鍛冶屋よりも信仰に人生を捧げたいと故郷を飛び出して少し経った頃、淀みから出現した魔族によって世界は混迷へと突き進んでいた。人は一刻でも早く神の助けが来る事を祈り、身を縮めて嵐が過ぎ去るのを待つばかり。待てば神が助けてくれる、だから自らは動こうともせずにな。

 

「朝か……」

 

 思わず微笑みながら目を開ければ夜明け少し前。朝焼けがもう少しで広がって行く時間帯じゃ。ベッドから起き上がって窓から外を見れば雲海の切れ目から海が見えた。

 

 此処は雲の上に頭が突き出たブリエル一の高山の上に建てられた神殿。そんな難所故に所属する神官もエルフを中心に逞しい者ばかり。……いや、一人例外が居ったな。

 

 それにしてもあの頃の夢を見たのは何時以来じゃろうな……。

 

「随分と久しい。……三百年、随分と昔になったな」

 

 こうして昔の事を夢に見て懐かしむとは儂も歳をくったと思い、壁の傍に設置した鏡の前に立てば深く刻まれた皺だらけの顔と白髪だけの薄くなった髪。長い時を生きられる体になった儂じゃが、別段不老不死でもないので仕方が無いのじゃが……。

 

「ちょいと彼奴が羨ましいわい。いや、鬱陶しい事が増えるだけか。前言撤回じゃな。……さて、そろそろ時間か。入って良いぞ」

 

「ガンダス様、お早う御座います」

 

 長い付き合いとなった仲間の顔を思い浮かべているとノックの音が響く。入室の許可を出せば若い神官が入って来た。若者ながら儂の側近を任している優秀な男じゃ。種族はエルフ、日に焼けた逞しい肉体を持つ豪傑揃いの種族……なのじゃが。

 

「相も変わらずなよっとしとるのぉ、キッカ」

 

「あははは。そりゃ筋肉は一夕一朝じゃ付きませんよ。ですが、ガンダス様のお供で険しい山道を走らされて少しは逞しくなったのですよ?」

 

 このキッカ、エルフらしくない優男であり、性格ものんびりとして穏やか。幼い頃から海に出るよりも本を読んだり音楽を奏でたりする方が好きだったと酒の席で語っていた。

 

 まあ、見た目に反してその辺の連中よりも根性がある。英雄候補でもないのに大した奴じゃと気に入って目を掛けたら順調に出世をしよった。本人は大きな神殿で上に就くよりも田舎の小さな教会で子供相手に教えを説く方が良いと愚痴っていた。気持ちは分かるがの。

 

「今日の予定ですが朝のミサの後は巡礼の方々との会談。それと多額の寄進を申し出た方が是非ともガンダス大司教にお会いしたいと……面倒ですよね」

 

「じゃな。だが、間違っても儂の前以外では言うんじゃないぞ? 他の連中は冗談も通じぬ堅物じゃからな。儂が小言を受ける。ちゃんと注意しておいて欲しいとな。……面倒臭い」

 

「賄賂が通じる俗物よりはマシですけどね。皆さん、その話を聞いて渋顔でしたよ。信仰心の深い人の可能性もあるから上辺で判断出来ないが、頻度が多いからと。それと分かってますよ。私が他人を舐めた態度を取るのはガンダス様の前だけですから」

 

 本当にほとほと嫌になる。もう田舎の小さな教会に隠居住まいとか望みたいんじゃが、後任が見つからなくての。

 

「お主、将来的に儂の跡を継いでみる気は……」

 

「無いですね。他の方と同じで世界を救った英雄の後任とか荷が重すぎますよ。上に行きたい出世欲が深くても流石に比べる対象が対象ですからね。……それこそ今回の勇者か仲間に期待しては?」

 

「英雄か。……そんな風に呼ばれて久しいが、儂はそんな大したもんじゃないんじゃがな」

 

 勇者、その存在が誕生したのもその頃。突如世界の人々の頭に最高神ミリアス様が語りかけ、希望となる存在の手助けをせよと仰った。神ではなく人に任せる事に混乱が生じ、世界が終わるだの神が人を見捨てただのと神官でさえ困惑する中、儂は何時も通りに過ごしていた。生まれつきの強さを使ってモンスターから人を守るだけ。どうにもならん事は神にお任せするべきじゃが、どうかなる事までお頼み申すのは無礼じゃろう。

 

「……儂が勇者の仲間?」

 

 だからまぁ、勇者の仲間に選ばれた時は驚いたし、小僧と小娘しかいないのも意外じゃった。……まあ、その内一人はまさかの女神様じゃったが、旅に同行して数日で儂は自分の役割を悟ったわい。神官が学ぶ回復や支援の魔法による支援? いや、それもあるがもっと重要な事じゃ。

 

 仲間は若者だらけじゃったが、どうも一癖二癖もある連中でな。ナターシャは金に汚くて、既に旅の支援金を貰っているのに立ち寄った先で謝礼をこっそり要求して懐に入れたり。……後に育った孤児院の支援の為と分かったが、自由気ままで金に汚いのは最後まで続いた。

 

 イーリヤは生意気盛りの小童な上に王族として育ったからか妙に気位が高い。じゃが、そのくせ卑怯卑劣な手段を好むので儂等は卑劣王子と呼んでおったわ。後々聖剣王と呼ばれたんじゃが、今でも爆笑物じゃな。

 

 ……キリュウとシルヴィアは……まあ、性格には問題が無かった。気骨もあるし、性根も真っ直ぐ。じゃが、文化も風習も別の異世界のもから来た者と女神、価値観やら常識が違うから世間ずれしとってな……ナターシャとイーリヤは直そうともせんかったから儂が苦労したんじゃよな。

 

 

「まあ、今回の勇者は子供だと聞いているし、期待出来るかどうかは微妙じゃろうな。……無事に引退出来るのは何時の日になる事やら……」

 

「私も早く引退したいですよ」

 

「お主は若いじゃろうに。若い頃からそれでどうする……」

 

 出世したいと目をギラギラさせるのは聖職者としてどうかと思うが、此奴みたいに一切興味が無いのもどうかと思う。……いや、儂もそうじゃったか。

 

「最近の若い者はどうとか年寄りは口にするが、結局数百年経っても変わらん物は変わらんの」

 

「三百年越えが言うと流石……うおっ!?」

 

 窓を外から叩く音に振り向けばクチバシで窓を叩くフラミンゴ。……フラミンゴッ!?

 

「何でこんな高山の山頂にフラミンゴが居るんですかっ!?」

 

「いや、儂に訊かれても……」

 

 頭にパンダのヌイグルミを乗せているし、妙な奴じゃ。誰かの使い魔じゃろうか?

 

「誰の使い魔かは知らんが……主は間違い無くアホじゃろうな……」

 

 どんなアホならあの様な使い魔を創るのか気になるが、顔が見てみたいとは思わない。……だって凄いアホなのは確信物じゃからなぁ。

 

 

 



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英雄達と魔の居城
山羊と大熊猫の嘆き


十一章開幕


「……これは何と言えば良いのやら」

 

 薄暗く広い部屋の中、未だに体の大部分が炭化した状態のリリィを乗せた人力車を引くビリワックは巨大な球体の前で冷や汗を流す。薄紫色で表面がイボイボした球体は時折怪しく光り、内部でうずくまった少女の影が透けて見える。

 

 発せられるのは並みの上級魔族を超越した力。心臓と同じく脈動する球体に触れながらビリワックは主に視線を送る。何を言うか、そして自分が何をさせられるのか既に察していた。

 

「素晴らしいだろ? 今まで魔族で何度か試したけれど、最終的に人間を使うのが一番だったよ。もうさ……私の配下に中級と下級は必要無いし、任務を受けていない待機中のは処分して来てくれたまえ。文句は無いよね?」

 

「……主の(メェ)とあらば異論等有りません」

 

 そんな彼の内心を察してかリリィは無事な方の手を口元に当てながら微笑む。幼いながらも美しい顔に浮かべた笑みは蠱惑的で、ビリワックの苦悩も見抜いているのだろう。異議を悟られぬ為に背中を向けて歯を食いしばる彼の背に向ける瞳は楽しそうだった。

 

「おや、何か言いたい事が有るのなら言いたまえ。私と君の仲だろう」

 

「い、いえっ! 本当に何も有りませんので後ほど全員処分しておきます。……そ、それよりもアビャクが何者かに殺されたらしいですが一体何者でしょうか。試作品とはいえ、かなりの強さだった筈ですが……」

 

「ああ、どうせ神か賢者かにでも処分されたんじゃないかい。どうでも良いよ。そんな事よりもネルガル君が早く完成しないかが楽しみだね。……あの言葉を言って貰えれば彼は私の物になる。ふふふ、先ずは幻影で誤魔化さなくても良いように体を治さないと」

 

「では、リリィ様が療養に専念出来るように仕事は引き続き私にお任せ下さい」

 

 可憐な容姿とは裏腹に醜悪で残酷な一面を隠しもしないリリィは打って変わって恋する乙女と妖艶さが入り混じった顔となる。その言葉にビリワックは安堵の溜め息を内心で吐いていた。リリィを今まで以上に仕事から遠ざければ見えて来る希望は有る。夜闇の中に僅かに光るか弱い残り火だが、それでも彼は縋り付いた。

 

(今なら書類を誤魔化し、緊急の指示を下せば犠牲は最小限で済む。それでも同胞を殺さねばならいけれど……せめて苦しめる事無く安らかに……)

 

 歴代で最もん同族から恐れられ嫌悪されるリリィ・メフィストフェレスの部下として動いて来たビリワック・ゴートマン。彼もまた嫌悪の対象だが、リリィはその苦悩を知っている。それが彼女の娯楽だと知っているが故にビリワックは従うのだ。自らの苦悩を楽しんでいる内は最後の一線を越えないからと。

 

 

「ああ、仕事を丸投げする前に最後のチェックだけしておくよ。今直ぐ書類を持って来てくれるかい。なるべく急いでね」

 

「……御意」

 

 リリィは笑う。この世の全てを嘲笑う。絶望を振りまき、僅かな希望でさえも楽しげに掛け消す。それは敵味方を問わずに……。

 

 

 

「……うーん。まさかマスターからの手紙を受け取る以前に誰からの手紙かすら聞いて貰えないだなんてどうしてだろう?」

 

 此処はブリエルで最も標高が高いオットロ山の麓にあるオットロという街。雲を突き抜けるオットロ山の麓にあって、山頂近くに建てられたオットロ神殿の出張所みたいなのが有るんだけれど、そういうのってなんて言うんだろう?

 

 まあ、そんな事は放っておいて、今重要なのは珍しく落ち込んだ様子でうなだれるアンノウン様……が操るパンダのヌイグルミ。何故かフラミンゴの背中に乗っているんだけれど、そのフラミンゴはさっきから僕の足を執拗に踏み続けていたんだ。パンダを乗せたフラミンゴを連れた黒子だなんて街の人達の注目の的だろうけれど遠巻きに警戒されるだけで興味を引かれた子供が近付く事すらない。

 

「こらっ! 近寄ったら駄目ですよ、お嬢様!」

 

 あっ、僕の好みの十歳前の女の子が近寄ろうとしたけれど使用人らしいお婆さんに叱られて止められちゃった。……ちぇ。ちょっと遊んだりしてあげるだけで変な事はしないのに。僕は精々お馬さんになったり肩車をしてあげて太股に挟まれたいだけ……どうやら邪念に飲まれていたらしい。首を左右に振って邪念を追い出していると今度はフラミンゴが踏む足を右足から左足に変更して来た。もう右足が麻痺して来たから別に良いんだけれど、アンノウン様は何で落ち込んでいるんだろう? ……それと僕を呼びだした理由を知りたい。

 

「……」

 

 だけれど僕は黒子、演劇において裏方に徹し、存在しない者として扱われるから喋らない。いや、喋っちゃいけない。もし喋ってしまった場合恐ろしい罰を受けるんだ。

 

 餃子、焼き肉、キムチ鍋。青椒肉絲に麻婆豆腐。こんな風にお米が美味しく感じるオカズをお米無しで食べなくちゃいけない。パンは可だけれど、パンじゃないんだ、パンじゃ。今日で罰は最後。皆がカツ丼を食べる中、僕だけカツの卵綴じを食べる。想像しただけでゾッとするし、だから僕じゃ喋らない。だけど、普段からお世話になっている(胃痛の種にもなっている)アンノウン様の悩みだし、今のアンノウン様は僕が知るアンノウン様の幼い頃。だから気になるんだけれど喋れない。

 

「マスターが言うには急に頭の中に語りかけるのは悪いし、だからといってアポを取らずに訪問するのも悪いから手紙を出すんだけれど、手紙だけ転移させるのも気が咎めるから僕が持って行く事になったんだ。ほら、僕の本体って怖いじゃない? それで威圧感の無い姿で届けに行くにしても少しは格好付けなくちゃマスターに悪い気がしてさ」

 

「……」

 

 成る程、と思う。僕が知っているアンノウン様はその場のノリだけで面白可笑しく過ごす傍迷惑なのに凄い力を持った方だけれど、幼い頃は随分と考えて行動していたらしい。つまりは今後あんなのになって行くし、今も大概と言えば大概だけれど。

 

「だからパンダを操ってフラミンゴに乗って行ったのにアホを見る目で見て来るし、その場のノリで考えたショートコント1000連発をやったのに和んでくれずに追い返されたんだよ。酷いよね!」

 

「……」

 

 酷いのはアンノウン様の発想だと思うけれど喋れないのでツッコミを入れられない。ボケに反応出来ないのが此処までもどかしいだなんて僕は今まで知らなかった……。

 

 

 

 

「だから街で起きた殺人事件を解決して手柄を手土産にもう一度行くよ! あっ、それと地の文を読むから喋らなくても伝わるから!」

 

 そこはせめて心を読むと言って欲しかった。どうやらアンノウン様は既に僕の知っているアンノウン様らしい……。



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大熊猫と黒子の事件簿 ~六美童密室っぽい殺人事件~  ①

 六美童(ろくびどう)、それが街の人達の話題の的になってる人達だとアンノウン様から聞かされた。何でもオットロの街を治める領主様は何と言うか、色々とご盛んな方らしくて奥さんとお妾さんの六人が同時期に男の子を産んだらしい。その上、面倒な事に一ヶ月も間が開いていない正式な奥さんの息子が一番遅れて産まれたものだから少し跡目争いっぽくなっていて……。

 

「最初は街の多くが子供達に同情していたってさ。長男がどうとか跡取りがどうとか、そんな理由で周囲の大人達が争う姿を見て育つなんて可哀想だってさ。オンリーワンな使い魔の僕には無関係な話だけどね」

 

 領主の所の跡目争いに対して子供の心配をする事に驚くけれど、よく考えればエルフが気の良い体育会系の世界だった事を思い出す。殆どが漁師になる種族らしいけれど、海に接していない街だからかエルフの姿はそれ程見ない。……この世界に来てから、男女共に日焼けした筋肉の塊みたいな人達ばかり擦れ違っていたから新鮮な気分がした。

 

「何でも成長した六人はタイプの違う美少年だらけらしくて、ファンクラブみたいなのが結成されたんだってさ」

 

 だから……六美童? そんな噂になりそうな人達が注目されるのに違和感は感じない。例えば豪傑揃いのエルフだらけの街ならば見た目の美しさで注目されるのに違和感が有るけれど……あれ? 思い出したんだけれど、この街って神殿を中心にした信仰心の深い人達が参拝に訪れる場所じゃなかったのかな? ちょっと違和感が。浮ついてるって言うべきか……。

 

「自分で望んで移住した人なら兎も角、二世三世になれば信仰心が薄いのも出て来るし、参拝者目当てに店を開いた商人の家系とかが増えてるんだよ。まあ、信仰心じゃ腹は膨れないからさ。神頼みとか君もしない方が良いよ?」

 

 えっと、確かアンノウン様って大勢の神様の悪乗りで創られた存在だった気がするんだけれど……。

 

「そうだよ? それで、それがどうかした? そんな事よりも街の端を見てごらん。大きな屋敷が六つ有るでしょ? それぞれに六美童が一人ずつ住んでいるのさ」

 

 いえ、何も……。僕はこれ以上は何も言わない(喋ってないけれど)で言われるがままに街の端をグルリと一周目で見渡せば確かに六つの屋敷。六色世界の色にしているらしく、それぞれやねの色が違っていた。

 

「青い屋根の屋敷が本妻と六男のタラマが主と一緒に住んでる屋敷さ。ぶっちゃけ思うんだけれど、友達なら兎も角として、奥さん六人も必要? お金持ちが貧困者を養う為とか、政治的理由なら分かるけどさ」

 

 それを僕に尋ねられても答えれない。確かに時折目移りはするけれど、雄の本能だから仕方が無いんだ。でも、僕は基本的に一途だ。僕が初めて出会った時のアンノウン様は今よりずっと未来の姿なんだけれど、一緒に居た幼女に僕は恋をした。一目で心を奪われたんだ。

 

 ……あっ、でも少し羨ましいかも。タイプの違う美少女に囲まれるのってロマンが有るからね。

 

「……君もイシュリアと同族かぁ」

 

「!?」

 

今、凄い侮辱を受けた気がした。あの女神様の同類扱いもだけれど、アンノウン様に呆れられるだなんて。しかも真っ当な理由だ。創造主が奥さん一途な人だから一夫多妻に理解が無いんだろうな。此処は僕が魅力を語るべきだろうか?

 

「いや、一切興味が無いからしないで。それで兄弟間は別として正妻と妾の仲が最悪らしくてさ。橙屋根に住む長男の母親は長子を産んだ自分こそが正妻に相応しいし、長男であるマヨッツこそが跡継ぎになるべきだって主張しててさ。他の妾を見下しているし、街の人達にも嫌われてるよ。そのマヨッツが殺されたんだ」

 

 どうやら少し予想していた通りのドロドロした骨肉の争いらしい事に僕は少し怖じ気付く。そんな事件が起きた街でパンダのヌイグルミを乗せたフラミンゴを連れた黒子姿の不審者だなんて僕なら取り敢えず捕まえるかな?

 

「そこの不審者! 大人しく付いて来い!」

 

 ほら、誰かが怪しいのが居るって通報したのか武装した兵士達が僕を取り囲んでいる。うん、此処は大人しくしているべきだよね。こんな所で騒ぎを大きくしたくない、そんな僕の真横から拡散式のビームが放たれて兵士達はグリンピースのキグルミ姿になった。武器だって大根やゴーヤだ。

 

「不審者だなんて失礼な! 彼は小さな女の子に性的に興奮するし、顔も声も必死に隠して行動するだけだよ!」

 

 失礼なのはアンノウン様だし、余計に警戒される事を大声で叫ばないで欲しいんですけど!? 

 

「怪しい奴だと思っていたが、本当にヤバい奴だったのか……」

 

「子供達を守るんだ!」

 

 騒ぎを聞きつけた街の人達は完全に僕達を……いや、僕を警戒してしまっている。アンノウン様のせいで。アンノウン様のせいでっ!!

 

「逃がすな! 隣のフラミンゴはモンスターかも知れないから警戒しろ!」

 

 狭まる包囲網。武装した兵士達が僕を捕らえるべく迫るけれど、この程度なら楽に突破可能だ。でも、フラミンゴを抱えながら兵士達に怪我をさせないでってのは少し無理がある気がする。何だかんだ言ってもアンノウン様が何処かから連れて来たフラミンゴだから早々危ない目にも合わないだろうと僕は判断した。

 

 ……さっき足を踏み続けられた事を根には持っていないよ?

 

「!?」

 

 パンダだけ抱えて逃げる為に手を伸ばした時、フラミンゴと目が合った。ウルウルと涙が滲み、見捨てないで欲しいと訴えかけている風にさえ見えて来る。駄目だ、見捨てられない。僕は助けを求めて来た相手を放って逃げたりはしちゃ駄目なんだ。少し僕が怪我をしても一緒に逃げよう。フラミンゴを抱えるべく僕は手を伸ばす。

 

 

「クアッ!」

 

 そしてフラミンゴの足は僕の頭を踏みつけ、そのまま上空へと跳躍。翼を広げて空の彼方に消えて行った。……はい? フラミンゴってあんな鳴き方だっけ? そんな事よりも彼処まで楽々と飛べたの!? 確か助走が必要だった気がするんだけれど……。

 

「いや、君だって僕が連れて来たんだから普通のじゃないって分かってたでしょ? フラミンゴみたいなモンスターだよ。時給食パン十斤で雇ったんだ」

 

 それって高いのか安いのか分からない。

 

「因みに君の給料を食パンに換算すると七斤分」

 

 僕の方がフラミンゴより低かったっ!? いや、でも衣食住有りだし。いや、でも……。何と言うか凄く釈然としない

 

「あっ、今日から時給を食パン十一斤にする?」

 

 是非お願い……危なっ!? もう少しで時給が食パンになる所だった。だって十一斤分じゃなくて、十一斤だって言ったからね、今。

 

「……ちっ! まあ、そんな事よりも早く逃げよう。それともパンダビームる?」

 

 ……本当にこの方はノリだけで行動するなぁ。

 

「ノリだけじゃないよ? その時の気分と流れと面白そうかどうかで行動を決めているんだ、適当に!」

 

 いや、それをノリだけで行動するって言うんじゃ……。

 

 

 



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大熊猫と黒子の事件簿 ~六美童密室っぽい殺人事件~  ②

「居たかっ!?」

 

「いや、何処かに隠れたみたいだ。あの黒子衣装を脱がれたら見付けられないぞ。糞っ! マヨッツ様が何者かに殺されたのに少女を狙う不審者まで……」

 

 あれから何とか包囲網を脱出した僕とアンノウン様は街の人達から隠れていたんだけれど、領主の息子が殺されたからか警戒が生半可じゃない。今はアンノウン様の提案で被害者が殺された場所である屋敷の橙色の屋根の上に布を被って隠れていた。言われるがままに屋根に飛び移り、パンダの口から出した布を被って聞き耳を立てているけれど、どうやら僕が犯人だとは思われていないらしい。

 

「あの黒子が犯人じゃ……いや、あんな変質者丸出しの姿で街を出歩く奴な筈がないか」

 

「舞台の上なら兎も角、街中でアレはヤバいだろ。あんなのに密室殺人事件なんて起こせるかよ」

 

 ……どうやら複雑なトリックを使って密室を作り出した知能犯と変質者である僕を結びつけはしないので安心だけれど、傷付くなぁ……。いや、性的嗜好が普通ではないとは理解しているけれど、街中でパンダのヌイグルミを乗せたフラミンゴを連れた黒子な上に幼い女の子が好みってだけで変質者扱いをされるだなんて、されるよね! 僕だって逆の立場だったらしていた。その事に気が付くと途端に落ち込んで、布が少し湿っている上にお昼に食べたニラレバの臭いがする気がして来た。

 

 えっと、ヌイグルミの口から出したんだし、本物の口の中から出したんじゃないから変だよね? うん、気のせいだ。絶対気のせいに決まっている。現実逃避で自分を落ち着かせる僕だけれど、流石に貴族の長男が殺されたと有っては面子にも関わるのか結構な兵士の姿を見かけるし、これからどう動くべきか困ってしまう。

 

「ねぇ、黒子君。今回は僕のせいでゴメンね」

 

 ……え? 今、アンノウン様が謝ったっ!? 絶対に有り得ない筈の事態に僕は混乱を来す。だって僕の知るアンノウン様だったら兎に角遊ぶ事と悪戯が大好きで、謝る時も誠意が見られない。でも、僕の目の前のアンノウン様はしおらしい声で謝っていて、意気消沈しているのは間違い無い。まさか偽物かとも思ったけれど、これまで行った無茶苦茶な行動は僕が知るアンノウン様と同じで……いや、違う。

 

 この世界とは全く違う世界、それも未来で少し前の僕と出会ったのは今の幼いアンノウン様じゃないんだ。パンダ型の建物から伸びた舌に絡め取られてアンノウン様の下で働き、この黒子衣装の姿をした高性能な装備を貰って運命の相手とも出会った僕。でも、僕を狙ったのは偶然目に付いたから選んだんじゃなくて、幼い頃から知っていたんだな。……正直、卵が先か鶏が先かの問題に発展しそうだけれど、僕の目の前に居るのが幼い子供だって忘れてはいけない。悪戯だってするけれど、ちゃんと自分から謝れる子なんだ。……これがどうしてああなったんだろう?

 

 

「いやさ、地の文を読むってネタの為に君に視点を任せたけれど、読者からすれば此奴の設定必要なのかってレベルの立ち位置だし、ちょっと悪かったかなって。無理させちゃってゴメンよ」

 

 あっ、はい。アンノウン様は昔からアンノウン様でしたね。幼い心が歪む何か壮絶な過去が有ったとかでなくて良かったです。

 

「僕だって異世界に色々行くらしいし、未来の事は未来の僕から殆ど聞かされてないけれど、多分友達を失ったり世界を創造して神みたいに扱われたりするとは匂わしてたよ? まあ、ゲルちゃんが主人公の物語には一切関係無いんだけどね。そんな事よりも屋敷に入ろうか。今は事件現場に誰も居ないし、君の右手の辺りの屋根が外れて現場の屋根裏に入れる隠し窓になっているからさ」

 

 密室殺人じゃなかったのっ!? 

 

「え? いや、転移魔法はマスターは当然として人間の中でも上位の魔法使いじゃなければ使えないから、外から入れない部屋で起きた事件を密室殺人だと思われたんだろうけどさ。因みに家人でさえ知らない隠し通路が衣装鏡を外せば出入りが出来て、壁の四隅を叩けば扉の横の壁のどんでん返しのロックが解除されるよ。外から叩けば再びロックが可能なのさ」

 

 本当に密室殺人でもなくて、普通の殺人事件だったのか。実は不謹慎だとは思っても推理小説みたいな展開にワクワクしていた僕が居た。同時に現実で人が死んでいるのにって自己嫌悪する僕も……。

 

「?」

 

 あれ? アンノウン様が知っているのは今更だし、どうせ魔法なり、鳥トンさん達が既に古い資料でも漁って調べたんだろうけれど、犯人が知っていたのは何故なんだろう? 僕は屋根を外して屋根裏に入りながらそれを気にする。埃が溜まっているし、少なくても此処から出入りはしていないと判断した僕は手に持った布に目をやる。橙色の屋根の上で身を隠すのに使った布は蛍光ピンクのパンダ柄だった。どうして発見されなかったのか、そんなのアンノウン様だからに決まっているよね……。

 

 

「着眼点が良いよね、君は。その通り、犯人は予め知っていたんだよ、密室っぽい殺人事件に使用した隠し通路とかの事を! そして多分これからも起きるだろうね。密室っぽい殺人事件がさ!」

 

 ……っぽい殺人事件。いや、駄目だ。人が死んでいるんだし、貴族の子息が殺されただなんて大勢の人に影響が出る。気を抜いちゃ駄目なんだ、力が抜けるけれども。アンノウン様が事件が今後も起きるって口にする根拠は分からない。けれど、何だかんだ言ってもアンノウン様は身内には優しい。胃には優しくないけれど。

 

「まあ、ちょっとしたヒントをあげようか。実は屋敷は随分と昔に建築された物で、二代目勇者が当時の領主に泊めて貰った時にも使われたんだ。じゃあ、これ以上長男に何か起きない為にも頑張って、お手紙をガンダス君に受け取って貰えるようにしようか! ……所でガンダス君のあだ名って何が良いと思う?」

 

 さあ、僕は人をあだ名で呼ばないから分かりません。……分からないと言えば別にキグルミの誰かに普通の格好で手紙を届けて貰えば良かったんじゃ? ……それにしても長男にこれ以上、か。全く知らない人の死んだ後の心配をするだなんてアンノウン様は優しいな。

 

 僕がそんな風に感心する中、パンダから聞こえたのは少し困った様子のアンノウン様の声だった。

 

 

 

 

「いや、それが今は他の子を動かせないんだ。ボスからのお仕置きがダメージを残してて、パンダを動かす為のエネルギーだってギリギリだし、さっきビームを撃ったから相当拙い。今回は僕の支援は気にしないで」

 

 あっ、成る程。グレー兎さんに知られたら今がチャンス、殺るなら今ってなりそうですね。鳥トンさんとか絶対嬉々として知らせるし、他のキグルミさん達の洗脳にもそれなりの力が必要だったっけ?

 

「?」

 

 それにしても何かが変だ。今のアンノウン様にはハッキリとはしないけれど違和感があった。

 

 

 

 

 

「また六美童が殺されたぞー!」

 

 そして事件は加速する。聞こえで来たのは今から起きる大きな事件の前触れだった……。

 

 

 




犯人のヒントは既に出ています


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大熊猫と黒子の事件簿 ~六美童密室っぽい殺人事件~  ③

「お客様、どうぞごゆるりとお寛ぎ下さい」

 

 あっ、はい。何かすみません。いや、本当に騙すみたいと言うか、本当に騙していて……。今、僕の目の前には貴族が食べるようなご馳走が並んでいるし、美女揃いのメイドさん達が甲斐甲斐しく給仕までしてくれていた。僕が今居るのは六美童の父親、つまり街の領主であるグンカー家の本邸で、僕は客人としてご飯を貰っていた。うん、こんな不審者に食事を出すとか普通じゃないよね。そうなんだけれど、僕の隣でテーブルの上に立ってスープを一気飲みしているパンダが普通じゃないからさ。……パンダなのに笹を食べないんだ。

 

「だってヌイグルミだし、本物のパンダじゃないんだから食べないよ。笹ってエネルギー効率が悪いって前に言わなかった?」

 

 そう言われれば前に言われた気もする。アンノウン様と一緒に居ると驚きの連続だから豆知識的な事は印象に残らずに消えてしまうんだ。今こうやって豪華な食事を食べられているのもその一環。理由は胸に付けたネームプレートだった。他の人のキグルミをそうである様に僕の黒子衣装も装着したまま飲み食いが出来る。偶に布の隙間からフォークやコップを口に運ぶけれど、本来は顔を隠す布を通り抜けて一切汚さないんだ。……偶に臭いのキツい物が付着して中で悪臭が充満するってキグルミの一人がこぼしていたけれど、豆知識的な事だから忘れちゃったよ。

 

 

 

 僕がこんな状況になる少し前、新たな犠牲者が出た事でオットロは街中随分と騒がしくなっていた。今度の犠牲者は緑の屋根の屋敷に住む五男のナットゥ。聞いた話じゃ最初の被害者のマヨッツは少し影がある感じで、ナットゥは少し子供っぽくて年上に甘えるのが好きな……何と言うかあざとい感じだったらしい。

 

「何か死んだ子の悪口を言ってる人がチラホラ居るよね。六美童のそれぞれにファンクラブみたいなのが有るけれど、ファン同士の対立とか面倒だよ。その点パンダは圧倒的だけどさ」

 

 人によってはライオンや象の方が好きだと思うけれど口にはしない。どうせ心を読まれているから伝わっているだろうけれど。僕は今、床下に隠された地下通路から部屋の様子を伺っている。部屋の換気口に繋がった管から中の会話を聞き、マジックミラーになった鏡の裏に仕込まれた幾つもの鏡を経由して地下通路の鏡に部屋の様子が映し出されるのを見ている。

 

「合わせ鏡って不吉らしいよね。まあ、死者の魂は死神のディスハちゃん達が管理しているし、悪魔ってモロに魔族だけどさ。そんな事よりもカレーが食べたい」

 

 確かに僕もお腹が減って来た。元の世界では塔の探索をしている時に携帯食を持参していたけれど、今は持っていないし、逃げる為に走り回ったから尚更だ。

 

「詳しい設定は『この黒子は変態ですか? いいえ、変態紳士です』を参照してね」

 

 ……相変わらず意味が不明な発言をする方だな。だけれど僕は知っている。アンノウン様は僕が想像もしない事を知っているって。ああ、それにしても意味不明と言えば被害者の死に方だ。

 

 一人目の長男タラマは縛られた上で毒虫に噛まれて死んでいたらしい。二人目のナットゥは部屋に本来置いていなかった猫足のバスタブの中で溺れ死んだとか。口の中に薬が残っていなければ事故死と判断されていたかも。ただ、事件の両方で壁に数字が刻まれていなければ二件目は詳しく調べられずに終わっていただろうから犯人が意図して残した可能性も有るけれど……。

 

「……」

 

 正直言って回りくどい。犯人はどうして今回みたいな殺し方をしたのだろう。特に二件目は事故に見せかけられたのに犯行声明らしい数字まで残して。グンカー家に何か因縁があって、どれを示唆しているとか? 悩んでも僕には分からない。結局、僕は考えるよりも動く方が得意らしい。なら、すべき事は一つだけだ。

 

「行くの?」

 

 はい!

 

「そっか。小さな女の子の着替えを覗きに行くんだね」

 

 は……違いますよ? 流れで何を言っているんですかっ!? ああ、本当にお腹が減って来た。黒子衣装を脱いで何処かのお店に入ろうかと思ったけれど、今の僕は一文無しだ。

 

 空腹は強く意識した事で増して行く。押さえたお腹がグーグー鳴って胃が少し痛くなった。ただ、普通に胃痛の可能性も有るけれど。

 

「……仕方無いなあ。一応温存しておいた力を使ってあげるよ。その代わり、戦いになったらパンダビームれないからね?」

 

 そんな風に言いながら差し出して来たネームプレートを受け取る。プレートにはこう書かれていたんだ。

 

 グンカー家の超絶大切で重要なお客様(名称不明)、ってね。こんなので通じるのかなぁ……。

 

 

「こ、これはようこそいらっしゃいました! 何処の何方かは分かりませんが、重要なお客様を精一杯おもてなしさせて頂きます!」

 

 通じちゃったっ!? そして洗脳が雑っ!? ……まあ、別に良いや。アンノウン様と一緒に居れば何時もの事だものね。そんな事よりもお腹が減ったよ。

 

「こうして今に至るんだけれど、この屋敷の中も殺伐としているよね。本妻が住む屋敷内でさえ派閥に分かれた使用人達が居るんだから」

 

 ……そう。六人それぞれにファンが居るのは別に構わない。言うなれば、どの息子を跡継ぎに据えるべきかって派閥みたいな物だから。でも、その争いが本当に政戦になりつつあるんだ。殺された二人のファンは四人の誰かが犯人だと騒ぎ、生きている四人の周囲も隙あらば罪を被せたいと狙っている。……魅力的な若君達に熱狂しているだけの筈がどうしてこうなったんだろう?

 

「どうぞこの部屋でお寛ぎ下さいませ。では、何か用が有れば此方のベルを」

 

 食事の後、大切な客人だけれど詳細は一切不明な僕に屋敷の主人一家が会いに来る事は無く、そのまま客間に通された。二人どころか五人が寝転がっても余裕の有るベッドの他にも高価そうな調度品が並んでいる。……アンノウン様が暴れないようにしないと!

 

 うん、流石に洗脳っぽい事をしてお世話になったのに、屋敷の物を壊したら申し訳無いよね。何とか宥め賺して大人しくさせようとしたんだけれど、既にベッドに飛び込んで跳ね回っていた。……遅かったな。

 

 パンダが跳ねる度にベッドは有り得ないレベルで表面が陥没して、更に天井にぶつかってベッドにダイブしているから天井も酷い有様だ。アンノウン様、いい加減にして下さいよ。……先に言いますけれど、いい加減な態度でダイブしろって意味じゃ無いですからね? 言っておかないと絶対そうするので言わせて貰います。

 

 

「やっふー! フカフカなベッドだーい! ……まあ、普段使ってるベッドやこのパンダの方が数倍フカフカなんだけれどね」

 

 もう修復が不可能なレベルまでベッドを破壊した後で漸くアンノウン様は僕の頭の上にパンダをよじ登らせ、一枚の紙を差し出した。

 

「実はこの街には歌が有るんだけれど……見立て殺人って知ってるかい?」

 

「!」

 

 当然知っている。歌に準えて事件が起きて行くって奴だ。密室っぽい殺人なんかじゃ盛り上がりに欠けるけれど、これは不謹慎ながらワクワクして来たぞ。僕は紙を手に取って書かれた歌詞に目をやった。

 

 

『恋はメロリン、あなたの眼差しシューティングソーダ 私のハートはメロリンパッフェ とろけとろけてチョコフォンデュ

 

 とまらない このDO☆KI☆DO☆KI 届けたい このTO☆KI☆ME☆KI(繰り返し)

 

 だけど嫌な予感が落雷エクレア パリパリ弾けて お口でとろける 蕩けちゃう

 

 恋を阻む障害はポポロン投げつけて追い払うの 恋のライバルはスパイス 刺激が涙をさそうの

 

 豆板醤にキムチに塩辛 嫌いなあの子は胃痛にな~れ

 

 私の愛はスーパー激甘   砂糖にクリーム、餡子にハチミツ。恋の痛みは歯に響く

 

 恋はメロリン、あなたの眼差しシューティングソーダ    私のハートはメロリンパッフェ とろけとろけてチョコフォンデュ』

 

 

 

 

「あっ、間違っちゃった。こっちはグレちゃんの黒歴史ポエム『メロリンパッフェ』の全文だった。ほら、君が一部しか知らないのに思わず吹き出した奴だよ」

 

 ……これ、僕がグレー兎さんに狙われる奴じゃないのかな?

 

 

 

 




黒子の世界を舞台にしたオリジナル作品は……絶賛悩み中

異世界から来た女神ごろしの勇者が主役のシリアスなのとか

「神殺しの反逆勇者は異世界にて塔に登る 但しヌイグルミになって」


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大熊猫と黒子の事件簿 ~六美童 密室っぽい殺人事件~ ④

 不審者として追われた事への気疲れからか、アンノウン様と過ごした事への心身の疲れからか僕は何時の間にかソファーに座った状態で眠っていたらしい。目を開ければ西日が窓から差し込み、カラスが数羽森の方角へと帰って行く。

 

「……」

 

 ソファーが柔らかくても座った状態で眠ったからか、どうも体の調子が良くない。半壊したベッドに目を向ければ何時もはちょこまかと動き回るパンダが微動だにせず、どうやら消耗が激しいというのは本当らしかった。グッと伸びをして窓を開けて空気を入れ換える。窓の下では使用人の子供なのか小さな女の子が何やら歌っていた。……うん、可愛い子を眺めていたら疲れが一気に抜けて来たぞ。

 

「六人居たよ、六人だったよ。虫に刺されて五人になったよ。

 

 六人居たよ、五人になったよ。お風呂で眠って四人になったよ。

 

 六人居たよ、四人に……」

 

「こら! こんな時にそれを歌うのは駄目よ!」

 

 どうやらアンノウン様が口にした数え歌は今の歌の事らしい。数百年前から伝わるとされているらしいけれど、どんな人がどんな気持ちで作詞したんだろうか? そして犯人が歌の通りに二人を殺した理由は一体……。

 

「!」

 

 分からない、だったら思い当たる事がある人に話しを聞きに行こう。……でも、その前に。

 

「……」

 

 アンノウン様が飛び跳ねた事で破壊されたベッドと天井に目を向け、胃がキリキリ痛み出す。あっ、上の部屋の人が困った顔でのぞき込んでいる。名前もどんな関係かも不明だけれど重要で大切な客人って意味不明な立ち位置の僕の扱いに困ってか、急に穴が開いた床に戸惑ってか彼は何も言わない。

 

 ……取り敢えず頭を下げておこうか。僕、こっちの世界の文字は書けないから筆談は無理だし、パンダのヌイグルミが壊したって言われた方が普通は困るよね。……ん? 確か出回っていた肖像画をチラッと見たけれど、困り顔の彼って確かグンカー家の六男じゃないのかな? ……そして、街では一番疑われている人だ。

 

 末っ子。だけれど本妻の子で父と一緒に本宅に住んでいる。末っ子と言っても他の兄弟と大きく歳が離れている訳でもないから後継者候補筆頭。ただ、だからこそ他の兄弟が目障りで、彼の関与の有無は別にして派閥の者の仕業だとまことしやかに噂されている。

 

 特に彼が目障りな他の派閥の人達によって……。

 

「えっと、お客様だね? 挨拶が未だだった。私はタラマ・グンカー。グンカー家のち……六男だよ」

 

 噂で伝わって来る他の兄弟に比べて特徴が少なく地味な印象だ。僕が彼に抱いた印象はそんな感じだった……。

 

 

 

「おや、君は喋れない……いや、喋らないのか。まあ、何か事情があるのだろうし、大切な客人に要らぬ詮索はしないさ」

 

 アンノウン様が破壊したベッドと天井だけれど、僕が平謝りに謝る前に目の前のタラマさんが屋敷の人達に何やら言って終わらせていた。ネームプレートの洗脳の力なのか、それとも彼の人望故なのか、僕はそれを気にしながら中庭でお茶を啜る。次期当主候補筆頭が直々に煎れてくれたお茶をだ。

 

「私なんかのお茶ですまないね。何せこの騒ぎだ。私まで狙われる可能性が高い以上は口にする物にも気を配らないといけないのさ」

 

 そんな事を言いながらも彼がカップに口を付けたのは僕よりも前。毒味役にされたのかとも思ったけれど、その様子からして違うらしい。……正直、彼については好ましくない噂も幾つか盗み聞きしている。逃亡中、犯人が誰かって話題になった時に兄弟の中で真っ先に名が上がる事が多かったのは末っ子ながら本妻の子で兄が邪魔だから、なんて分かり易い理由だけじゃない。

 

 連中を兄弟だとは思っていない、少し前の時期にそんな発言を口にする事が多かったらしい。詳しいエピソードこそ話題には上らなかったが、小さい頃から母親達の対立など気にせずに共に過ごしていた仲良し兄弟だったのに急に変わった、他の人に対する態度が変わらない分不気味だ、そんな風に話し、権力欲が出たのではと結論付ける。……人の噂ってアテにならないよね。

 

 ケーキにフォークを刺して口に運ぶ。貴族の家で出される物だけあって随分と上質な物だ。何時もだったらアンノウン様のパンダが乱入してかすめ取って行く所なのだけれど相変わらず動かない。まるで普通のヌイグルミみたいなのが逆に不気味で、ちょっと心配だった。こんな風になった理由は身内からのお仕置きだって話だし、そこまで深く心配しなくても良いとは思うけれど、無駄に元気な普段の姿を知っているから気になるんだ。

 

「……しかし推理小説じゃあるまいし、密室見立て殺人だなんて何が目的なのやら。普通に暗殺で良いとは思うけど、君もそう思わないか? あの歌だって僕には何もピンって来ないよ。……僕に何を伝えたいんだ、あの連中は」

 

 困惑と呆れが入り混じった顔で溜め息を吐く姿からは一連の事件や自分に対する悪評への煩わしさが伝わって来たのだけれど、僕は彼の言葉に引っ掛かった。……今、タラマさんは今回の事件の犯人に目星が付いてるって口振りじゃなかったか? 実の兄弟がころ僕が思わず喋って問い掛けそうになった時、誰かがタラマさんの名を呼びながら駆け寄って来た。

 

「タ、タラマ様! お兄上がっ! 次男のカミソ様が殺害されました! またしても密室らしく、その上……」

 

「甘い物でも口の中に詰め込まれていたかい? 正解らしいね。……六人居たよ、四人になったよ。お菓子を食べ過ぎて三人になったよ……だったかな? 最近聞いたばかりだからうろ覚えだがね。それで護衛の者達は……いや、言わなくても良い。遺族には十分な保証をしないとね」

 

 息を切らし汗だくで報告をする男性に水を差し出しながらタラマさんは呟く。その姿はとても実の兄が殺された人とは思えず、僕の中で疑念が生まれた。きっと一緒に亡くなったであろう護衛の遺族を気遣う言葉が尚更不気味だ。もしかして欲ではなく使命感から犯行に及んだのではと思ってしまった。例えば他の兄弟が魔族と通じているとか、さっき口にした『連中』がそれを指しているんじゃないかって。

 

「……」

 

 でも、彼はずっと屋敷に居たはずだ。長男マヨッツに四男ナットゥと立て続けに殺害された以上は他の兄弟にも何かあると警戒して当然。だから護衛だって一緒だったんだ。

 

「……僕の態度が疑問かい? 理由はあるんだが、きっと話しても信じて貰えそうにないから黙っておくよ。君は何となく他の人と違う気がするけどね」

 

 まさか僕が別の世界出身だって見抜かれた? アンノウン様の用意したネームプレートが無効化されでもしない限りはそうなってそうだ。まさか本当に……?

 

「じゃあ、一応兄弟が殺されたとなっている手前、向こうに顔を出して来るから護衛の者達に伝えてくれ。出来れば巻き込まない為にも護衛を離れさしたいんだが、流石にそれは無理か」

 

 この人は心配しているんだ。自分が狙われる事よりも、狙われた事で周囲に被害が出る事を。僕は何を疑っていた? 僕は何を見ていた? 自分に他人の裏表全てを見抜く目が有るとは思っていないけれど、この人は疑っては駄目な人だ。

 

「!」

 

「おや、君も一緒に来るのかい? ふぅん、何となく頼もしい気がするね。じゃあ、一緒に行こうか」

 

 これは罪滅ぼしだ。巻き込まれ悪評に晒されても利他を優先するタラマさんを人殺しだと疑った事への贖罪。喋れない僕だけれど、何かあった時に戦う力は持っている。だから守ろう。彼も、彼が守ろうとしている人達も全て……。

 

 

 

 こうして僕はタラマさんと共に次男のカミソが殺された現場である紫屋根の屋敷まで向かう事になった。アンノウン様は助力どころかアドバイスすら出来ない状態だけれど、僕は止まれない。こんな所で黙って止まってなんかいられないんだ

 

 

 

 

「ああ、そうそう。君にアドバイスだ。僕の兄弟だって連中と、その母親達には注意して欲しいな。……凄い人気者だからさ」

 

 そんなアドバイスをされても僕は首を捻るしか出来ない。そう、この時は。でも、直ぐに僕は知ったんだ。彼がどんな想いで過ごしているのかを。そして今回の六美童密室っぽい殺人事件は急展開を迎える事になる。待っていたのは普通の推理小説じゃ起きない禁じ手だらけの結末だ。



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大熊猫と黒子の事件簿 ~六美童 密室っぽい殺人事件~ ⑤

 ……これはちょっとした選択ミスで起きた悲劇だ。僕は動けない。恐怖で動けない。初めて目にするアンノウン様の怒る姿を前に後ろから見ているしか出来なかった。

 

「……ねぇ。今、何って言ったの? もう一度言ってみなよ。グチャグチャに潰してやるからさ」

 

 六六五人の神と世界を救った勇者の手によって創造された最強の魔獣アンノウン。別名六六六(トライヘキサ)、またの名を黙示録の獣(アポカリプス・ビースト)。この世界の神にとって最も不吉な名で呼ばれる存在が怒り狂っていた。

 

 

 何故こうなったのか。それは昨日まで遡る。丁度三件目の事件現場に向かっていた時の事だ……。

 

 

 

 

 

 僕達が現場に近付いた時、護衛の人達がピリピリし始めたのが伝わって来た。まるで敵地に赴く騎士みたいに緊張して、直ぐにでも武器を抜ける構えだ。今から向かうのは護衛対象の兄弟の殺害現場だけれど街中なのに、どうして此処まで気を張っているんだろうか?

 

「……ふぁ。昨日は遅くまで本を読んでいたから眠いや。帰ったら昼寝でもしようか。皆も屋敷に戻ったら休んで良いからね」

 

 そんな彼等の護衛対象であるタラマさんは一人呑気な態度で欠伸を一つ。気を張ってばかりなのはどうかと思うけれど、彼みたいに兄弟の殺害現場に向かうのに一切気にした様子が無いのもどうかと思うよ。……もしかして仲が悪かった?

 

 流石に直接尋ねるのも気が引けた僕は悶々としながらも進む。もう見えて来た紫屋根の屋敷には家族を失ったばかりの人が居る。それを考えると気が重くなっていった。

 

「おや、皆は既に集まっていたか。僕が一番最後だね」

 

 屋敷に到着すれば目に入ったのは悲しみに暮れる人達の姿。当主様は正妻であるタラマさんのお母さんと一緒に、貴族としての仕事で他の領地に向かっているらしく、屋敷の使用人達や兵士、そして残りの兄弟とその母親五人が居たのだけれど、タラマさんの姿を見るなり悲しみは別の物に塗りつぶされる

 

 

「……来たか」

 

「絶対彼奴が黒幕だろ……」

 

「当主様達が居ないからって好き勝手して……」

 

 現れたのは憎悪や敵意の色。明確なそれを隠す気がないのかヒソヒソ話は耳に届く。護衛の人達の様子からして前からみたいだけれど、幾ら何でもこれは異常だ。違和感を覚えた僕はその中心に立つお妾さんや六美童の残りに視線を向け、更に違和感は強まった。

 

 ……兄弟だというのに全く似ていない。まるで他人みたいだ。タラマさんと似ていないだけでなく、誰が誰のかは分からないけれど母親の筈の誰にも似ていなかったんだ。

 

 街にはファンが多いから肖像画を飾っている所も幾つかあった。その時も兄弟なのに似ていないと思ったけれど、腹違いだし絵師が違うから、その影響だと思ってたんだけれど。……もしかして目の前の二人は別の男性の子供で父親似とか? 実は誰か別の夫婦の子供と入れ替えられたのなら母親達にも似ていない理由になる。

 

 此処までは所詮は証拠も無い当てずっぽう、妄想の域だ。だけど成否は別としても、タラマさんの意味深な発言もそれを悟っての事だとしたら理解可能だ。そして、他に気が付いている人が居たとすれば……。

 

 この事件、根っこに随分と厄介な事が有るのかも知れない。

 

「……」

 

 違和感その母親達にも。彼女達を見た時、僕に何かが起こった。直ぐに弾き返して霧散したけれど、誰かに何かをされたのは間違い無い。それにしても随分と若く見える。成人間近の息子が居るのに小皺すら無いし。……いや、化粧の技術が凄い人って居るか。

 

 ふと気になり、チラリと視線を向ければ僕を見て少し驚いた様子のタラマさん。まさか彼も……?

 

「それで兄上はどの様に殺されていたので?」

 

「白々しい! お前がやったのだろう!」

 

「お前の罪を絶対に暴いてやるからな!」

 

 敵意を向けられても平然とするタラマさんだけれど、それが気に障ったのか更なる怒りを向けられる。でも、幾ら何でも妙だ。だって彼は実質的にグンカー家の跡継ぎで、糾弾している人達だってその家に嫁いだ人達。しかも子供が青年に成長しているって事はそれなりの期間が嫁いでから経っている。そんな人達が大勢の前で彼にこんな言葉を発するのには引っ掛かる物があった。立場を悪くする為にしても自分にも響く。それに……。

 

「……随分と嫌われた物だ。いや、兄上達が随分と好かれているのか。面倒だね」

 

「お前達、何をやっているか理解してるのかっ!!」

 

 タラマさんを守る為に前に出て間に入る護衛の人達。タラマさんに敵意を向けているのは腹違いの兄とその母親だけじゃなく、そのファン達もだ。中には武器を構えた人さえも。明らかにおかしい。幾ら支持している人の敵と噂されていたり、支持している人を狙うかもと疑心暗鬼に陥っていたとしても異常事態だ。まるで誰かに操られて……。

 

「!」

 

 人込みの中から放たれた矢が一本。素人の射た矢なのか軌道がブレブレで見当違いの方向に飛んで行く。これがタラマさんに向けて放った物なら別に良かった。全く関係無い場所に当たっただろうからだ。でも、違った。恐らく苛立ちによって脅しのつもりで放った矢が狙ったのは誰も居ない方向。その証拠に人混みに紛れて矢を放った女の人は流石に顔面を蒼白させ、矢はタラマさんへと向かって行く。

 

 気が付けば体が動き、彼の前に飛び出していた。矢の切っ先が触れたのは僕の左胸、心臓の上だ。そのまま矢は撃ち落とされる事無く僕に当たり、そのまま落ちる。当然だ。この服はアンノウン様が用意してくれた特性の防具。身内でさえも好き勝手に弄る人だけれど、身内の為に動いた時のアンノウン様が相手を危険に晒す事は無い。僕には全く痛みが無かった。

 

 

「矢が刺さらなかった……?」

 

 今だ! 僕が矢に射抜かれて死ぬ場面を想像していたであろうこの場の全員の動きが止まった瞬間、僕の右手に魔力が集中する。放たれるのは紅蓮の焔を思わせる紅い雷。どうやら今の僕は冷静らしく黒は全く混じっていない。うん、助かった。黒い雷の方が威力は高いけれど近くの誰かを巻き込んでいたからね。

 

「うわっ!?」

 

「目がっ! 耳がっ!?」

 

 動揺して僕に意識を向けた瞬間に襲う眩い雷光と轟く雷音。慣れている僕でさえ黒子衣装が無ければ堪えるそれを無防備に浴びて無事でいられる人が居る筈もない。動きが止まった瞬間に僕はタラマさんと護衛の人達を全員抱えて屋敷に向かって駆け出した。

 

 この場の全員を叩きのめすのは簡単だろうけれど、それは絶対にしては駄目だ。この異常事態と一連の事件、同一の黒幕が存在すると僕は睨んでいる。だから今すべきは戦術的撤退。幸いそれほど強くはない洗脳みたいだから時間をおけば何とかなりそうだ。

 

「……」

 

 いや、それでも時間的猶予は残り少ない。既に不安と怒りで街の人達は限界だ。こんな格好の僕に可能なのは悪い奴を倒す事。その後で人々の不安を取り除くのは……。担いだタラマさんへと視線を向ける。彼ならきっと大丈夫。おっと、何やらチラシを踏みそうになった。滑ったら大変だと僕は慌てて避け、雷光と雷音の近距離攻撃をモロに食らったタラマさん達を休ませられる場所へと急ぐ。どうやらダメージは軽くないらしい。

 

 ……こうなったのも全部黒幕が悪い! 待っていろ、誰かは知らないけれど! この密室っぽい見立て殺人の真相は僕が必ず暴いて見せるぞ!

 

 僕は更に速度を上げ、呻き声しか出ないタラマさん達をこんな目に遭わせた根本的な原因の犯人へと怒りを滾らせる。だからチラシに書かれたお知らせに気が付かなかったんだ。

 

 

 世界を救った英雄が慰問に訪れる、そんな重大な情報を僕は得なかった。

 

 

 



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大熊猫と黒子の事件簿 ~六美童 密室っぽい殺人事件~ ⑥

 僕が屋敷に戻ってアンノウン様に事の経緯を報告しに行くと、どうやら少しは回復したのかパンダが動いていた。でも、本調子には程遠いのか動きがぎこちない。辿々しい動きで僕の腕をよじ登って頭まで移動する姿は可愛らしくもあり、思わず手助けをするのを忘れてしまう。何度か落ちそうになりながらも頭の上に乗った時には一安心したよ。

 

「じゃあ何をやらかしたのか教えてくれるかい? 取り敢えず何人の小さい女の子のスカートを覗いた?」

 

 覗いていませんよっ!? 雷の勢いで身を竦ませてしゃがんだ子のスカートの中が見えただけで不可抗力です! 僕は必死に自己弁護をする。アンノウン様はどうも僕を変態扱いしたいみたいだけれど、幾ら恩があってもそうはいかない。僕は小さい女の子が好みなだけで、真っ当で正常なんだから。

 

 さて、話が逸れたから戻そう。何せ事態が事態だ。僕だけじゃなくアンノウン様の知恵も……アンノウン様のマスターの知恵も借りたい。

 

「言い直すだなんて酷いね、君。大熊猫流奥義その四・速攻責任転嫁を使ってタラ君への被害の責任を魔族に押し付けたのは評価してあげるけどね。ボーナス査定にプラスしておくよ」

 

「……」

 

  ボーナス。その言葉に期待が膨れ上がって同時に不安が過ぎる。去年の冬、僕は二種類のボーナスの中から好きな方を選ぶように言われたんだ。

 

「片方はそれなりのお金。もう片方は小さくて可愛い女の子達と添い寝する権利だよ。因みに怪我とかさせないなら何をしても良いし……服は着ていない」

 

 この二つを提示されて後者を選ばない男が居るだろうか? 否! 居る筈が無い! 僕は躊躇無く添い寝の権利を選択したよ。意中の相手はいるけれど相思相愛には未だ遠い。それにこれってアンノウン様の厚意だし、どうせだったらね……。

 

 そんな風に欲望に負けた日の夜、僕は服を着ていない子猫や子犬に囲まれてベッドに入った。凄く可愛かったから一匹残らず 撫で回したよ。……嘘は言っていない。全部メスだったし、何一つ嘘じゃなかったけれども……。

 

 あっ、駄目だ。今年のボーナスも不安しか感じない。

 

「じゃあ、今年のボーナスはお金と可愛い女の子達とのお風呂だけれど、どっちが良い?」

 

 お金で! ……どうせ犬や猫とお風呂に入るんでしょう?

 

「違うよ? カピパラだよ? それとハムスター」

 

「矢っ張り可愛いけれどもっ!?」

 

 平然と言い切るアンノウン様を目にして疲れが一気に襲い掛かる。今日は早く寝る事にしよう。きっと明日から事態は大きく動くだろうから体を休めないと。僕は黒子衣装のままベッドに倒れ込む。未だ寝るには早い時間だけれど、夕食まで一眠り……。

 

 

「君って奴は本当に主人公体質なんだね。こんな厄介で強力な魔法を憶えるだなんてさ。あはははは! どんな厄介事が待ってるんだろうね。世界の存亡に関わったりして! そんな君だから勧誘したんだけどさ」

 

 ……夢を見た。僕が魔法を得た時の光景を僕の視点で見聞きしているけれど体は動かせない。そのまま僕の口が動き、鑑定の結果をアンノウン様は随分と楽しそうに不吉な事と一緒に言っていた。

 

「名付けるなら『憤怒の雷(ラースボルト)』。君の怒りによって紅い雷が黒く染まり、威力と操作難易度を格段に上昇させるピーキーな魔法さ! 下手したら自分も周囲も傷付けるから、誰かを守る為の戦いでは慎重に使ってね」

 

 実際、この怒りが魔法の威力と制御難易度に関係するって性質は本当に厄介だった。時に味方を巻き込んで自己嫌悪に陥り、時に周囲まで壊してしまい建物の崩落に巻き込まれた事も。アンノウン様が珍しく真面目に助言するだけの事はあったと言えるだろうね。今は咄嗟に怒りを抑える特訓をしているけれど、まだまだ足りない。守りたい相手を守る為には全然足りないんだ……。

 

「……」

 

 目が覚めたけれど夕食の時間までは少し余裕が有る時間帯だ。未だダメージが残っているのか再び反応が無くなったパンダに視線を向け、ちょっと散歩に行くとメモを書き残して外に出る。雑踏の中を歩く最中に聞こえた噂だとタラマさんが他の兄弟を狙っているだの、ロリコンの黒子が街中に潜んでいるから子供だけで居させては駄目だとかが聞こえて来た。

 

「……」

 

 どうやらネームプレートの力によって捜索中の不審者だとは認識されていないらしい。それは一安心だけれど、何処に行っても聞こえて来る噂話が鬱陶しくて不愉快だ。人混みが無くて静かな場所に行きたいと願った僕はとある場所を思い付いた。確かさっきの路地裏に向かう道から行けば近かった筈。来た道を引き返し、途中で親子で歩く可愛い女の子に視線を奪われながらも辿り着いた場所。そこは墓地だ。

 

「……ふぅ」

 

 誰も居ない事を確かめて一息付く。その辺の木に背中をもたれ掛からせて周囲を眺めれば静かな風景が広がっている。実の所、僕は墓地の雰囲気が嫌いじゃない。亡くなった人への労りと想い、そして人が確かに生きていたのだという証を感じさせる場所だからだ。この時間帯、夕食前だからか連続密室っぽい見立て殺人が起きているからか墓参りをしている人の姿は一切無く、風が止めば静寂が広がっていた。

 

 見知らぬ人達に祈りながら墓地を歩く。花やお菓子、玩具とかのお供え物を眺めて歩き、一際立派で大きな墓の前で立ち止まった。墓石に刻まれたのは昨日亡くなったばかりのマヨッツの名前。ファンのお供え物らしき物が積み重ねられて……いや、幾ら何でも早過ぎる。

 

 葬儀だって行われていないし、父親が戻るまで魔法でも何でも使って死体を保存しておくのが普通じゃないのかっ!? 僕の中で違和感が膨れ上がった瞬間、僕の足元が吹き飛ぶ。咄嗟にバックステップで退避すれば目に入ったのは周囲を巻き込んで吹き飛んだ墓と、棺の中から伸びた細い腕。蓋を内側から外し、立ち上がったのは納められているマヨッツとは似ても似付かない人物、性別すら違う相手だった。

 

「!?」

 

「あら、人払いをしたのに誰か居るわね。屋敷の重要なきゃくじんみたいだけれど……始末しましょうか。良いわね、皆?」

 

 現れたのは露出度の高い服装の女の人。ハイグレっぽい白の衣装にスリットや穴があって殆ど裸と変わらない。そんな彼女は僕を見て不思議そうな顔をした後で殺気を向けて来る。先程まで確かに誰も居なかった場所から向けられた物を合わせて総数は十。

 

「!?」

 

 その姿を見た時、僕は驚くしか出来なかった。だって、死んだ筈の人も合わせてタラマさん以外の六美童とその母親が姿を現したのだから。

 

 

「彼には私達の魅了が通じないみたいだし、全員で片付けるわよ。老いた英雄の相手をする前の前哨戦。偉大なるお母様の名を汚さぬ為にも全力で行きなさい、私の可愛い妹達っ!」

 

 マヨッツだった彼女の言葉と共に六美童と母親達は姿を変える。……いや、正体を現したんだ。淫靡な空気を漂わせる美女達へと。

 

「……」

 

 成る程、謎は全て解けた。全部彼女達の、魔族の仕業だったんだ。さっき口にした魅了って言葉のお陰で街の人達の異常な言葉の理由が分かった。だから、もう大丈夫。きっと彼女達を倒せば全部解決だ。僕が前哨戦? いやいや、違うさ。僕が君達が最後に戦う相手。前座じゃなくって最終決戦だ!

 

「!」

 

 ナイフを抜き、何時でも動ける構えを取る。不思議な程に不安は感じなかった。

 

 

 

 でも、一言言わせて欲しい。……どうして十代前半位の子が居ないのっ!? ……これで魅了が通じないとか言われてもね。それだけが不満だよ。いや、居たら手も足も出ずに魅了されていたかも知れないけどさ……。

 

 

 



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大熊猫と黒子の事件簿 ~六美童 密室っぽい殺人事件~ ⑦

 英雄とは何か? その問いの答えを僕は常に考え続ける。

 

 怪物を倒す者? 確かにそれは一例だろう。でも、一例であって全てでではない。何故怪物を倒し、その結果に何をもたらすのか。それが重要だ。

 

 では不可能を可能とする者? ああ、まさしく英雄だ。但し、何の為に、そして誰の為に、どの様な不可能を覆すか。それが大きく関わる。

 

「ワーバラ・リリム」

 

「ドレシー・リリム」

 

「ミチャル・リリム」

 

「エイト・リリム」

 

「ファンナ・リリム」

 

「アンナ・リリム」

 

「ケイト・リリム」

 

「ミシェル・リリム」

 

「ドロシー・リリム」

 

「そして私が全てのリリムを率いる役目を偉大なるお母様に任せられたリリムの長女、バーバラ・リリムです」

 

 次々に名乗りを上げ、僕と同じく臨戦態勢となる彼女達。この時、僕が浮かべた感想は一つ。

 

 名前がややこしい! 一度聞いただけじゃ覚えきれないからネームプレートでも付けて下さい!

 

 初対面の相手な上に一度に十人もに名乗られても覚えるのは大変なのに、似た名前だなんて。魔族は人の負の念から誕生するのに長女とかお母様とか全員リリムだとか重要そうな情報が入って来るけれど、僕は彼女達の名前のややこしさの方がインパクトが強くて頭から抜け去っていた。

 

「……本当に貴方には私達の魅了が通じていないのですね」

 

 姉妹を代表してか長女を名乗った……えっと、バーバラ? が僕に対して面白くなさそうな表情を向けていた。成る程、確かに美女揃いだ。服装だって扇状的で下手すれば裸よりも色気がある。それに街の人達の熱狂的を通り越して狂信的なまでの態度を見れば相手の心を射止める能力を持っているんだろう。

 

「先手は譲ってあげるわ。まあ、姉妹がどう出るかは保証しないけれど」

 

 でも、それが何だって言うんだ。挑発的な笑みを浮かべるバーバラに対し、僕は込み上げて来る怒りを必死に押さえ込みながら踏み込むタイミングを見計らう。先手を譲ると言いはしたけれど、徐々に僕を包囲する陣形を取り始めた相手の誘いに乗る程馬鹿じゃないよ。

 

「……それにしても貴方も運が無いわね。私達に魅了されていれば幸福なまま死ねたのに。もっとも最後には覆して絶望の中死んで貰う予定だったけれど。私達の魅力が理解不能だなんて頭がどうにかなっているのかしら?」

 

「有り得るわね」

 

「そうだ、そうだー! 男だったら私達姉妹の美貌に骨抜きになるんだもん」

 

「お母様の娘だもの。当然よね」

 

「……つまりは私達とお母様への侮辱よね。許せない」

 

 どうも彼女達は美しさに絶対の自信を持ち、だから通じない僕が不愉快らしい。最初はふざけた感じだったのが怒りを滲ませ始めた。……彼女達が魅力的? まあ、美女揃いだし、魅力は有るんじゃないかな? 

 

 でも、そんな事が敵対しない理由になんてならない。ナイフの柄を握る手の力を強め、もう片方の手に魔力を集中しながら体重を前に傾ける。先手必勝や後の先、兎に角僕の戦い方に必要なのは速度と観察眼だ。相手の動きを見計らい、絶好のタイミングを狙う。

 

「……腹立たしいと言えば、タラマもそうだったわね。私達の魅了による洗脳が体質か何かで通じなかったのだもの」

 

「でも、周囲には効いていたから笑いを堪えるのが大変だったわよね」

 

「そうそう。周りからすれば実の兄弟を知らない連中だの騒いでるし、頭が変になったとか噂されてたじゃない」

 

「だから犯人の疑いを持たせるのは楽だったけれどね」

 

「!?」

 

 ……そうか。タラマさんの呟きや態度の理由が全部分かった。昨日まで両親と自分だけが家族だったのに、ある日唐突に昨日まで居なかった父親のめかけでと自分が知らない腹違いの兄が現れる。自分が幾ら否定しても周りは自分が変だと良い、何かの企みかと今まで耐えて来たんだ。誰にも相談が出来ないで、たった一人で……。

 

「あら、震えているわね。怖いのかしら」

 

「まあ、これだけの数の魔族に囲まれて絶体絶命だもの」

 

 聞こえるのは嘲笑。僕を楽に殺せる事を前提にして嗤っている。ああ、駄目だ。このまま感情に流されたらいけない。僕は込み上げる物を必死に留める。こんな時、どうすれば良いんだろう。思い出せ、あの特訓の日々を! 確かアドバイスを貰った事が……。

 

 

「ふむ。クリーナーをフローリングで使う時は先にモップなどで埃を取っておく事だ。舞った埃が床に落ちては意味が無いだろう?」

 

 確かに役に立つアドバイスでしたが、今は役に立たないです、鳥トンさん!

 

「クリーナーの排気口から出る臭いが気になるなら粉末の入浴剤を吸わせなさい」

 

 役に立ったアドバイスですが、クリーナーの話は今は良いです、グレー兎さん! 駄目だ。あの二人からは何度も戦闘に関するアドバイスを貰っているのに、雑用係へのアドバイスの方が浮かんでしまう。こうしている間にも僕の中ではどす黒い憤怒が沸き上がっているのに……。

 

「やれやれ、グレちゃんもトンちゃんも禄な回想をされないなんて情け無いなぁ。所詮は大熊猫に比べれば動物園の脇役。ふふふふふ! 動物園の顔の大熊猫のアドバイスを与えよう!」

 

 いや、居たじゃないか。こんな時には頼りになる方が。何故か回想のアンノウン様が今の僕に話し掛けて来ているけれど気にしはしない。

 

「まあ、ギャグキャラの言動を一々気にしていたら疲れるし大変だからね。身が持たないよ、君みたいな根が真面目な子はさ」

 

 ……回想が続けざまに話し掛けて来ても気にしない。それと既に胃が持ちません! キリキリ痛み出した胃を押さえる僕の姿を好機と判断したのか四方八方からバーバラ達の魔法が放たれる。火の玉が降り注ぎ、氷の矢が放たれ、風の刃が迫り、大地が隆起し、電流が迸る。死者が穏やかに眠る場所である墓地への敬意も配慮も感じさせない猛攻。僕はそれら全てをナイフ一本で弾き、いなし、防ぎ切る。隆起した大地を上から踏みつけて止め、散らばった石ころを蹴り抜けば正面のリリム達にぶつかって一瞬怯んだ。

 

 後ろ向きに跳び、僕の背後のリリム達をも飛び越えた僕の視界には十人全員が収まる。既に準備は整った。後は煮えたぎる怒りを抑え込むだけだ。

 

「何もさせるなっ!」

 

 そう。相手が何かをしようとしたなら何もさせないのが正解だ。バーバラの号令と共にリリム達は敢えて一塊になり、魔力を同時に高めて火の魔法を束ねる。現れたのは巨大な炎の矢。流石にこの黒子衣装でも正面から食らえば只では済まず、空中では身動きが取れない。踏み込みも出来なければ弾くのも防ぐのも難しいだろう。勝利を確信した笑みが僕に向けられるのが見えた。

 

「これで消し飛びなさい!」

 

 「さあ! アドバイスをお願いします、アンノウン様!」

 

 

 

 

 

「牛肉は牛乳に漬ければ臭みが減るし、カレーにコーヒーを入れたらコクが増すよ。それとプリンに醤油でウニの味!」

 

「……ラースボルトォオオオオオオオオオオオオッ!!」

 

 どす黒い雷は僕に迫る炎の矢を消し去り、墓地の地面も木々も墓石さえも薙ぎ倒し吹き飛ばしながら進み、リリム達をも飲み込んだ。土煙が上がって視界が閉ざされる中、僕は着地する。制御を完全手放した渾身の一撃によって途轍もない疲労感が僕を襲う。でも、これだけは叫びたい。

 

 

 

 

 

 

「プリンに醤油かけるな! プリンはプリンのままで食べろっ! それとどちらかと言えばみたらし団子だと思う!」

 

 誰にでも絶対許せない事が有る。僕にとってプリンに醤油かける事が正しくそれだったんだ……。

 

 

 ……あれ? 何か変だ。土煙が晴れる中、光の粒子になって消えるリリム達の姿に僕は違和感を憶えていた。まさか……。

 

 

 

 



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大熊猫と黒子の事件簿 ~六美童 密室っぽい殺人事件~ ⑧

仮募集を活動報告で行っています!


 どす黒い電撃が全てを薙ぎ倒しながら突き進む中、私は妹達が一斉に覆い被さる姿を見ながら自我を持った時の事を思い出していた。

 

 私はリリム。バーバラ・リリム。偉大なる母、レリル・リリスの娘。自分がどの様な存在なのか、目覚める前に既に自覚していた私は同時に自らの美しさを確信していた。私の母は美しいのだろうが、自分は更に美しい至高の美貌の持ち主なのだと。

 

「初めまして。それともハッピーバースデーかしら? 私の可愛い(リリム)。私がお母様よ」

 

 その確信はお母様を一目見た瞬間に過信だと知らされた。息を飲む美しさ。同性であり娘である私でさえも情欲を掻き立てられる淫靡さ。この世で最も淫らな美貌の持ち主に私は親子の情と主従の忠義、そして禁断の恋心を抱いた。

 

「ほら、貴女の妹よ。面倒を見てあげてね、お姉ちゃん」

 

「はっ!」

 

「ふふふ。親子ですもの、畏まった言葉遣いは止して欲しいわ」

 

「は、はい! 分かりました、お母様」

 

 私の後から生まれた妹達。皆、私と同じくお母様に複雑な禁断の想いを抱いたのは一目で分かった。母の愛を分割し、共に過ごし向けられる意識さえも等分する関係。本来ならば憎いとさえ思うのでしょうが、お母様が愛せと言うのなら愛しましょう。だから全員私の可愛い妹達。何人かが勇者の仲間や英雄候補達に滅せられた時はお母様と共に涙を流した。

 

「……少し危険なお仕事だし、危なくなったら逃げて良いのよ?」

 

 お母様が私達に向ける親子の情は本物。だから今回の任務である初代勇者キリュウと共に世界を救った英雄の一人、大司教ガンドルの抹殺を命じる時のお顔は心配で堪らない、そんな感じだったわ。でも、逃げれば直属の上司であるお母様の立場が悪くなる。部下を路傍の石ころとさえ思っていないリリィ・メフィストフェレスなどより下に見られて堪るものか。……この日、私達姉妹は初めてお母様の言葉に逆らう事を決意する。全員一致、一切迷う素振りさえ誰も見せなかった。

 

 お母様が仲良くしろと言ったから仲良くして愛しただけの相手だったのに、何時の間にか本物の愛に変わっていたのね。恥ずかしくてくすぐったくって少し変な感じで……嬉しかった。お母様の言葉に逆らう事を決めたのが切っ掛けで分かったのに本当に変な感じ。

 

「皆、決死の覚悟で挑むし、任務を達成するのが前提だけれど……これが終わったら姉妹全員でお茶会でも開きましょう」

 

 実はこれが自分の意志で姉妹全員でした初めての約束。本当は死んでしまった妹も一緒が良くて、顔を思い出すと胸が締め付けられる。だから私は守り抜く。愛する可愛い妹達を絶対に……。

 

 

 私は神には祈らない。姿も声も知らない魔王様にも願わない。でも、叶う事ならば母娘で共に過ごす未来を。少しでも明るい明日を私は掴

 

 

 

「お姉様、本当に良いの?」

 

「あら、だって丸ごと洗脳で済ませば齟齬が出るもの。多少流れが不自然でも大勢の前で埋葬される必要が有るのよ」

 

 雲から頭が突き出る程に高い高い山の上、其処に私達の獲物が存在する。詳しい経緯は不明だけれども本来のドワーフの寿命を越えた長寿な上に年齢の割に老けていないらしい。それでもあくまで年齢に対してで、最高神ミリアスを祀る神殿の責任者としても、世界を救った現存する英雄という意味でも人々の希望。……だからこそ消す事には意義がある。

 

 だから私達は先ずは山の麓の街の住民の精気を少しずつ吸い取り始めた。症状としては寝不足からの慢性的な疲労感程度。夢の中に入り、老若男女問わずに愛してあげて少しずつ少しずつ弱らせて行った。異変を感じ取られない程度にちょっとずつ。そうして疲れから判断力を鈍らせた所で全体に洗脳を使って領主の一族の所に妾と息子として潜入した。

 

 一人息子は洗脳が効き辛い体質だったけれど、一人だけ認識している事実が違っても奇異な物を見る目で見られるのは彼だけ。後は腹違いの兄達が殺されて行く事件を演出し、不安と猜疑心に付け込んで彼を犯人に仕立て上げ、暴徒となった民衆に殺させる。後は洗脳を解除して元は人気者だった彼を追い詰めて殺した事への絶望によって私達を強化。でも、その後で神殿に殴り込むのには不安があったし、お母様もそれで逃げろと言っていたの。

 

 だから事件を憂いて慰問に訪れると知った時は好機だと思った。獲物がわざわざ罠に飛び込んでくれるんだもの。暴動をその時に起こさせ、混乱に乗じて不意打ちを行う。……その筈だったのに。

 

 全部狂った。予定が全部狂わされた。妹達から報告を受けていた詳細は不明だけれど領主の家にとって重要らしい客人。妹達と合流する為に張っていた人払いの結界の中に平然と入り込み、私達は今正に其奴に終わらされようとしている。

 

 黒い雷は全てを飲み込む。お母様の力で誕生した私達の放った姉妹だからこそ放てる合体魔法も、大切な妹達も、そして私自身も。でも、私は終わってはいない。

 

 

「姉さん、逃げて……」

 

「後はお願い」

 

「約束破ってごめん。でも、姉ちゃんには……」

 

 雷が迫った瞬間、妹達は逃げるでも自らを守る為に防ごうとするでもなく、私に覆い被さった。雷に向けた背中にのみ残った魔力を収束させて、自分は一切の防御もなく雷に全身を滅ぼされる。私も意識が飛びそうになる激痛を感じ、それでも意識は手放さない。いいえ、手放す訳には行かなかった。だって、最期に笑いながら後を託した妹達の顔と声を消え去る瞬間まで意識の中に留めなくてはならないから……。

 

「でも……」

 

 妹達は死んだ。光の粒子になって死骸すら残らず消えて行く。それが死んだ魔族の宿命。私もまた、長くは保たない状態よ。即死しなかっただけで全身ズタボロ。焼き焦がされ炭化さえしている私には誰も美しさなんて感じてくれないわ。こんな姿、例え失望されないとしてもお母様には見せられない。土煙の中、一分も残っていない余命を理解した私の選択肢は一つだけ……。

 

 

「最後くらいは醜く足掻いてやろうじゃない。これは嫌がらせよ。一人でも多く道連れにしてやる」

 

 これは最後に残された意地。美しくなくなったなら、みっともない最後を迎えてやるわ。でも、僅かな矜持、偉大なるレリル・リリスの娘として、妹達のお姉ちゃんとしての誇りが途切れそうな声が途切れるのを許さない。行動は醜くても、ちょっと位は見栄を張らせて貰うわ。

 

 僅かに残った魔力を集め、ボロボロの体を浮かせて人通りの多い通りに向かって飛ぶ。既に視界も定まらなくても、曲がりなりにも数年過ごした街。壁にぶつかり、落下しそうになりながらも向かえば洗脳が急に解けて混乱する声が殆ど聞こえない耳に届く。この位置からじゃ精々が三人程度が関の山だけれど……。

 

「あの世の道行きに付き合って……」

 

 闇の中に沈んだ視界に一瞬光が届く。この場所、あの光の位置からして光ったのは山頂。神殿がこの位置からでも、今の私でも視認可能な光を放ったと理解した瞬間、私は消え去った。きっと英雄候補なら見えたのでしょうね。今の私には分かる筈もないのだけれど、一本の光の矢が神殿から放たれ、私を貫くと同時に全身を光が包み込むのを。

 

 

 常人では認識不可能な僅かな時間の出来事。結局何かを最後に成す事も無く、お母様の願いを破った私はこの世から消え去った。

 

 

 ほんの僅かな瞬間、思い浮かべた顔は……。

 



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大熊猫と黒子の事件簿 ~六美童 密室っぽい殺人事件~ ⑨

今回シリアス!


 遙か高き山頂の神殿より飛来した光の矢。突然解除された洗脳によって混乱に陥るオットロ街中では元より視認可能な者は居らず、只喧騒が広がるばかり。黒子以外にこの街で光の矢を見る事が出来たのは一人も居ない。

 

「……ふぅん。流石はマスターの仲間だね。ちょっと戦いが有れば察知出来たんだ。うんうん、僕を派遣した理由がよ~く分かったよ」

 

 一人も居ないが一匹は居た。何時ものテンションでベッドと天井を破壊してしまったので別の客室に替えて貰い、今度はそのベッドの上で大人しく寝転がっているパンダは窓の外を一瞬走った光の筋をその無機質な瞳で捉え、感心した様子で呟くと、未だに本調子ではないのかフラフラしながらも歩き出した。

 

「あ痛たたたたた……。ボスったら七匹全部の僕を呼び出してお仕置きするんだから抜け目がないや。話を聞く限りじゃマスターとガンちゃんの関係も似ていたらしいけれど、尚更僕が上手く宥めてマスターに誉めて貰わないと。……その前にちょっとお客様か。性格悪いのがお出ましだよ」

 

 鏡を見ろ、と、アンノウンを溺愛する賢者と何かと相手をしたがるティアを除く全ての知り合いが口にしそうな言葉と共にパンダは浮かび、常日頃可能な最高速度に比べれば遙かに遅く、されども上級魔族よりは遙かに速い速度で混迷する人々の頭上を飛んで目的地へと進む。

 

「ちょっと待っててね。直ぐに僕が行くからさ」

 

 その目が見据える先は地面が吹き飛ばされ半壊した墓地。つい先程まで黒子がバーバラ率いる十姉妹との戦いを行っていた場所だ。其処には今、光の矢が降り注ぎ続けており、黒子以外にオットロの住人ではない二人の姿があった。

 

 

 

「……これ、貴女がやったのね。感じるわ、強い怒りを。小柄で大人しそうな可愛い顔なのに中身はワイルド。ふぅん、惜しいわ。何時もだったら貰っているのだけれど、童貞を」

 

「!?」

 

「あら、どうして分かったって顔ね。ウブで可愛い反応。本当に惜しい。何時もだったら枯れ果てるまで絞り尽くしてあげるのに。ふふふ、貴方はされるがままなのか、それとも欲望の果てるまで私を求めたのか気になるわ」

 

 疲労困憊で既に戦えない状態の黒子の体を押さえ付け、戦闘でも翻る事無く普段は顔を隠している布を細腕で捲って顔を見る彼女の声は情事の最中を思わせる息遣いと淫靡さで、動作の一つ一つが愛撫をしているかのようだ。だが、まるで今から野外で情事に励む気にさえも見える彼女の、レリル・リリスの目は笑っていない。爪の先まで性的な魅力を感じさせる腕は黒子を絶対に逃がそうとはせず、彼には凶器を向けられている気さえした。

 

「……ワーバラ、ドレシー、ミチャル、エイト、ファンナ、アンナ、ケイト、ミシェル、ドロシー、バーバラ。……貴女に負けた子達の名前。可愛い可愛い私の娘の名前。あのね、魔族が人の命を奪い、尊厳を侵し、悲劇を振りまく、だから身内が殺されても文句を言うな……なーんて言いっこなしよ? 獣だって狩りで獲物に反撃されて仲間が死んだら悲しいでしょう? 感情って理屈じゃないの。覚悟とか仁義とか愛の前では崩れ去るわ」

 

 彼女の声から淫靡さが消える。常に相手を誘惑する声色は悲しみと怒りに満ちた物に置き換わる。今、此処に居るのは誰であっても誘惑し堕落させる背徳的で蠱惑的な美女ではなく、娘を失った母だ。その場で泣き崩れても一切の違和感が存在しない今の彼女が立っていられるのは目の前に黒子が、娘達の命を奪った相手が居るからに他ならない。

 

「リリム達みたいに雷で死ぬ? それとも私の恋人達に嬲られて死ぬのも良いわね。ああ、守ろうとしたこの街の人達を全員魅了して貴方を処刑して貰っても……」

 

 指先が黒子の頬を撫で、淡々とした声が行く末を決定せんと語る。正に絶体絶命の危機だ。既に戦える状態でなく、目の前には自らに明確な殺意を向ける敵の姿。だが、さらけ出された黒子の顔には恐怖が浮かんでなどいない。あどけなさが残る少年の表情は戦意を手放してはいなかった。

 

「レ、レリル……様……! は、早く……用事を……! 食べ切れ……ませ……ん……!」

 

 この時、先程から会話に参加していなかったアイリーンの声が響く。レリルとアイリーンに向かって絶え間なく降り注ぐ光の矢は山頂から放たれ続け、発射される位置は今の場所からは僅かずつに見えるが実際は途轍もない速度で麓に向かっている。距離が縮まる度に矢の到達速度は加速し、それは到達前に空中で消失する。黒子の目には矢が先端から齧られて行く姿が映っていた。

 

「そろそ……ろ……満……腹」

 

「そうね。それに食べる感覚も短くなっているし、頃合いかしら……」

 

 アイリーンが向かって来る矢を見据え口を開けて咀嚼の動作を行う度に光の矢は消えていく。食べているのだと黒子は気が付くが、同時に間隔を徐々に狭めて向かい続ける矢に対応が追い付かなくなっても来ている事も認識していた。姿を見せた当初は動かずに居たが、今は命中しそうな最低限の物だけを食べながら動き続けているのだ。

 

「じゃあ、色々惜しいけれど………電撃ね」

 

 既にアイリーンの腹は大食いチャレンジでも行ったみたいにパンパンに膨れ上がって服からはみ出し、急いで食べているから空気を取り込み過ぎて時折ゲップが出そうなのか口を手で押さえ、指の隙間から光が漏れている。

 

(既に手遅れな気がするけれど、アイリーンの乙女の尊厳の為にも早く戻りましょう)

 

 レリルの手には圧縮された膨大な雷が現れ、動けない黒子に迫る。限界以上食べ続けた上に走り回っているアイリーンに何かあれば即座にリバースするだろうと察知し、一刻でも早く戻って誰も居ない場所に行かせた後は見ざる聞かざる言わざるを貫こうと決めた時であった。

 

 

「ローリングパンダドロップ!」

 

「げっふぅっ!」

 

「アイリーン!?」

 

 猛烈な勢いで回転しながら飛来したパンダのドロップキックがアイリーンの腹に突き刺さり、後方に吹き飛ばす。垂直に飛ぶ彼女の口からは光が吹き出す事で更に勢いを増して飛んで行き、乙女の尊厳など既に破壊尽くされた。無事に残った墓石を幾つも薙ぎ倒して止まった時、仰向けになってグロッキーなアイリーンは顔面から出る物を全て出し、白目を剥いてピクピクと痙攣を繰り返すだけだ。

 

「まだまだこれからさっ! 大熊猫流低燃費版必殺技!」

 

 そしてパンダは止まらない。蹴り飛ばしたアイリーンに乗ってレリルの真横まで飛ぶと真上に跳躍、大量のきな粉モチを口に流し込んで急激に太るなりお尻を下にして落下した。

 

「ジャイアントパンダヒップドロップ!」

 

「くぅっ!」

 

 前回は成す統べなくイシュリア共々巨大化したパンダに潰されたレリルだが、今回は二度目であり、何よりも今のアンノウンは万全ではない。威力は前回より落ち、レリルが雷を消して咄嗟に張ったドーム状のバリアによって受け止める。

 

「この攻撃、前回よりは威力が下ね。ならば受け止めて見せるわ」

 

 前回は一撃でやられたが彼女は魔王の側近である最上級魔族。そんな彼女が張ったバリアは不調とはいえ、アンノウンが操るパンダの攻撃を受けても着弾面にヒビが入るが形を保ち、ヒップドロップを完全に防ぎ切った。

 

「そう何度も何度も……」

 

「あっ、オナラ出る」

 

「……へ?」

 

 プゥ

 

 そんな可愛らしい音と共にヌイグルミのお尻から出たオナラはヒビから密閉されたバリアの中に侵入。この世全ての臭い物をかき集めて腐敗させた様な悪臭はバリアによって拡散せずに留まる。尚、黒子は内部に残ったままだ。

 

「は、鼻が曲がる……」

 

 バリアを解除して走り抜けるべく足に力を入れるレリル。遅れれば上に乗ったパンダに潰されるだけだ。勝負を決めるのは一瞬。バリアを解除し、新鮮な空気を求めて走り出す。だが、目の前に彼女が張っていたバリアを包み込むようにして一回り大きいパンダ模様のバリアが現れていた。

 

「甘いね、甘い。僕の大切な友達を傷付けておいて無事で居られると思ったのかい?」

 

 その大切な友達である黒子はパンダの屁によって悶絶し、今は倒れ込んで痙攣している最中だ。

 

「だから……お仕置きだ~い!」

 

 横たわった黒子の姿が消え、パンダが何時の間にか持ち上げている。そのままジャンプしたパンダの口から火の粉が唾を吐き捨てるかの如く飛び出し、パンダ模様のバリアを通り抜けて内部に入った。そして引火。大爆発である。

 

 爆発が収まった時、内部では頭が爆発したレリルが倒れていた。

 

 

 

「知らなかったのかい? 絶滅危惧種を怒らせるとアフロになるのさ!」

 

 黒子を担ぎながらそんな事を口にするパンダだが、その意識は一番近い屋敷の屋根に向けられる。正確には屋根の上で此方を伺う者達に油断無く警戒心を向けていた……。

 

 

 

 




嘘です!

活動報告で狩り募集開催!


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大熊猫と黒子の事件簿 ~六美童 密室っぽい殺人事件~ ⑩

新作で昨日お休みでした


 少し昔の夢を見た。僕が友達と故郷で遊べていた時の夢。やんちゃな男の子と気が強い女の子、それと戦闘民族みたいな天武の才を持った赤の他人からは無表情に思われる女の子。小さな村で暮らしていたんだ。悪さをしては結構駄目なお姉さんに怒られて、その人の妹だった穏やかなお姉さんに友達が恋をしていて……あの日、故郷を失って。

 

 思えば故郷を離れて随分遠くに来たよ。……別の大陸どころか別の世界なのは予想だにしてなかったけれどさ。

 

「まあ、新作の宣伝はネタバレになるから其処までにして、起きなよリゼ……黒子君」

 

 その名前で呼ばれるのも久し振りな気がする。職場では皆コードネーム的なので呼び合って居るからな。友達も偶に会った時は……所で新作の宣伝って何の事だろう? 僕は過去の回想をしているだけなのに。

 

「メタネタだよ、メタネタ。具体的に言うと創作物の登場人物が自分が創作物の登場人物だと認識した発言をしたりするとか。まあ、今回は此処までにして戻ろうか」

 

 目を覚まし意識がハッキリした時、僕はキグルミサイズになったパンダに背負われて街の方に向かっていた。振り向けば僕を襲って来た二人が光るゲロを吐きながら気絶していたり、黒こげでアフロになって気絶していたりしていた。いや、気絶していたりって二回も書く必要は無いか。文章がくどくなっちゃう……はっ!? 僕は今、何を……?

 

「ふっふっふ! 君もメタネタ世界に足を踏み入れたみたいだね。じゃあ、彼奴達はゲルちゃんが何時の日か相手をするべきだから放置して帰ろうか。僕も結構無茶をしたから力が残って無いしさ」

 

 そんな状態で僕を運んでくれているのかと思うと感謝の念しか感じない。何故か記憶が飛ぶくらいに強烈な悪臭を食らった気がして体が痺れているし、流石に歩くのは無理だろう。早く街に帰ってベッドで休みたい……。

 

 それにしても勇者と戦う前に二回もギャグ的な敗北をした魔族の最高幹部って……。

 

「バラさなければ大丈夫さ!」

 

 流石に向こうがどう思うかは別として、ゲルダちゃんがやる気を削がれそうだからな。でも、アンノウン様なら絶対バラすと思う。所でギャグ的な負け方を二回したって普通に分かっているけれど、二回目の内容を思い出そうとすると頭が痛くなる。鼻の奥も痛いし、此処はスルーしなくちゃ。

 

「うんうん、そーだね。じゃあ、屋敷の屋根からこっちを見ているけれど気が付いてないって思ってる敵側の新キャラもスルーしようか。一人が真面目な顔でメイド服のデザインについて熱く語って幼女にドン引きされているからさ」

 

 幼女をドン引きさせているってっ!? そんな奴は僕が今すぐ倒さなくっちゃっ!

 

「……うわぁ」

 

 あれ? アンノウン様が僕に対してドン引きしてる? どうしてだろう?

 

「いや、登場してシリアスな顔を見せた後でギャグの一面を見せるなら兎も角、見た目の描写すらないのに先にギャグキャラの一面を見せられた事にドン引きしててさ」

 

 いや、全部アンノウン様のせいですよ? 話が進まないのでメタネタは此処までにして貰い、僕達はオットロに戻って来た。洗脳がいきなり解けた事でパニックが起きていると思ったけれど、どうも落ち着いている。もう大きくなるのも辛いらしいパンダを頭に乗せて観察すれば、街の人達は行儀良く広場に集まり、高台で行われているタラマさんの演説を聞いていた。

 

「皆、此度の事は魔族の仕業! 我々の力が及ばぬ事である! これを責めるは民が干ばつや洪水が起きた事そのものの責を領主に求めるのと同じ事! それでも責を感じるというならば、この街や隣人の為となる行動で償って欲しい! 僕も何も出来ずにいた無力を同じく償って行く!」

 

 演説の後に響くのは歓声。うん、どうやら大丈夫らしい。暴動は起きていなくても、自責の念で自分を罰するだなんて事になっても大変だからね。洗脳が解けたのがつい先程なのを考えると行動がいやに早い気がする。でも、それは彼が街の人が自責の念に捕らわれて軽率な行動に出るのを憂いて迅速に行動した結果なのだろう。或いは洗脳の類だと既に予想していて、解けた時の行動を用意していたか。

 

 ……正直言って六美童だのなんだのって熱狂的に支持される事には違和感が付きまとっていた。でも、本当は違うんだ。街の人達から元々強く指示されていたタラマさんへの想いが歪んだ形でバーバラ達に向けられた結果があれだったのだろう。何はともあれ、事態が無事に収束して何よりだ。ホッと胸をなで下ろした時、僕の胸からネームプレートが落ちる音がした。もしかしてアンノウン様が弱まった影響?

 

「うん! ……あっ、接続が弱まって……」

 

 パンダの声とネームプレートが地面に落ちて鳴った以外と大きい音により、広場に居た人達の視線が僕に集まる。そう、幼女を狙う不審者という汚名を着せられた僕にだ。

 

「……例の変質者が居たぞっ!」

 

「取り敢えず捕まえるんだっ!」

 

 あっ、不味い。僕は咄嗟に逃げ出すけれど引き離せない。流石に戦いで消耗が過ぎたらしく屋根の上に飛び乗れないし、飛び乗ったら飛び乗ったで例の変な連中と目が合う可能性だって。……早く仲間を連れて帰れば良いのに。臭いから近付きたくないのかな? 僕も少し臭いままだし。アンノウン様ったらどんな変な事をしたんだろう、知りたくもないけれど。

 

 

「回り込めっ!」

 

 あっ、これは捕まる。只ひたすら追われるがままに逃げていた僕と違い、追って来た人達はこの街の住民だ。直ぐに回り道をして僕の前に現れる。一か八か強行突破を……。

 

「!?」

 

 突如僕の足下が崩れ、そのまま雑に掘られた縦穴を落ちて行く。何度か壁にぶつかりながらも一番下まで落ちた時、僕はフラミンゴの上に乗っていた。

 

「……フゥ」

 

 僕の方を見て世話が焼けるとばかりに溜め息を吐くけれどフラミンゴが相手だから気にならない。上を見れば空が随分遠くなり、のぞき込んでいる街の人達には僕の姿が見えない様子だ。随分と深い穴だけれど、もしかしてフラミンゴが掘ったの? 確か普通のフラミンゴじゃなくてモンスターらしいし。

 

「クェ!」

 

 目の前に広がるのは微妙に傾斜が付いた薄暗い道。フラミンゴはその道を僕を背中に乗せながら走り出した。あっ、安心したら眠くなって来た。事件も解決したし、後は街の人達に任せて……。

 

 

 

 

 

 

「お主、随分と変わった奴じゃが、そのパンダのヌイグルミとフラミンゴはお前さんの使い魔じゃったか?」

 

「!?」

 

 えっと、目が覚めたら山の麓の洞窟から出た所だったんだけれど、ガンドル大司教と遭遇しちゃってる。……どうしよう。

 

 

 

「ふっふっふ! 僕、ちょっと復活! 違うよ、ガンちゃん! 僕は君の知り合いの使い魔さ!

 

 やった! こんな時だけは頼りになるアンノウン様が動いてくれた。少し警戒されていたし、一次はどうにかなるかと思ったけれど、何とか大丈夫そうで良かった。

 

 

 

 

「成る程。その傍迷惑で無茶苦茶な行動からして……イシュリア様の使い魔じゃな?」

 

「……あっ?」

 

 今、ヌイグルミなのにパンダから何かが切れる音がした……。



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再会

「……ねぇ。今、何って言ったの? もう一度言ってみなよ。グチャグチャに潰してやるからさ」

 

 この日、パンダがキレた。僕にとってアンノウン様がガチギレするなんて話にも聞いた事が無い事態に動けない。恐怖が僕の体をその場に縫いつける。ガンドルさんも小さなパンダから発せられる怒気を感じ取ったのか少し警戒した様子だし、パンダは僕の頭の上だし、これって巻き込まれる流れ?

 

 いや、まさか。アンノウン様はパンダを操る力が殆ど残っていないって言ったけれど、何時ものその場のノリでの言動の可能性だって有るんだ。だから僕が巻き込まれる可能性は低い。……流石に世界を救った勇者の使い魔と仲間の戦いに巻き込まれるのは勘弁だからね。

 

 戦いになったら大変だけれど、僕はどうしたら良いんだ? 出来れば巻き込まれない方法で……。

 

「ってな訳で僕の腹心の黒子が相手だよ! やっちゃえ黒子!」

 

 速攻で巻き込まれる所か戦いに駆り出されてるぅ!? いやいやいやっ!? 僕も結構消耗しているんですけれどっ!?

 

「黒子、君に決めた! 残った力で回復してあげるから、僕をイシュリアなんかの使い魔で同類呼ばわりしたヒゲをぶっ倒せー!」

 

 回復してもぶっ倒せません! って、パンダのヌイグルミが動かなくなって、僕の体に力が湧いて来たっ!?

無理無理無理っ! 

 

 

「……これは見た目で判断して侮るのはちぃっと不味いかも知れんな。ほれ、下がっとれ」

 

「は、はい!」

 

 駄目だ。力が弱まってるとはいえアンノウン様の殺気は凄まじい。ガンドルさんもそれを察したのか戦う気になってしまっている。しかも戦うのは流れ的に僕だ。首を激しく振って戦いに参加しない意思を表明するタイミングを逃しちゃったし……逃げよう!

 

「!?」

 

 フラミンゴの背中から飛び降り、背中を向けて全力での逃走を開始する。今のパンダは動けない状態だし、時間が経てば有耶無耶になる筈。主にアンノウン様が飽きるから。

 

 だけど両足を幾ら踏み出しても進まない。振り返れば僕の服をフラミンゴがクチバシで摘まんで逃げ出せないようにしていた。

 

「クェッ!」

 

 逃げずに戦えとフラミンゴが瞳で語り掛けて来る。くっ! この鳥、一体どうしてアンノウン様の命令を忠実……とは言えないけれど聞いているんだ? 僕の頭から落ちたパンダを踏みにじりながら僕に向けるフラミンゴの瞳はフラミンゴとは思えない力強さで、何処かで見た事があった。

 

 ……あれ、もしかして。

 

「……クェ」

 

 アンノウン様はモンスターだって言ったけれど、一言もこの世界のモンスターだとは言ってはいない。思い出すのは街中で執拗に僕の足を踏み続けた事。あれはアンノウン様の手綱を握れって無茶振りだったとしたらフラミンゴの正体は……。

 

「えっと、気が付かなかった事にしますね」

 

「……クェ」

 

 静かに頷きながらフラミンゴはお礼を言うみたいに鳴く。そしてクチバシを動かしてガンドルさんに挑めと指示してくる。この人、本当にスパルタだから困る。まあ、僕は特に娘同然の存在に惚れているからだとは思うけれど……。

 

「……あー、結局儂に挑むのかいの?」

 

 あっ、肝心の人を放置していた。僕は慌ててジェスチャーで意志を伝えるべく頑張る。ガンドルさんには通じなかったけれど、お付きの男の人が何とか分かってくれて助かった。

 

 

 ……それにしても僕って何をしているんだろ? 自分で時々分からなくなって来たよ……。でも、ちょっと思ったれど、これってチャンスなんじゃ? 此処で良い所を見せて評価が上がれば娘との仲を応援してくれるかも。僕はそんな淡い期待を抱き戦いに望む。愛の力は偉大だ。きっと誰にだって負けはしない。

 

 この時、僕は意中の相手とは別に恋人同士でも何でもなく、同じ所に住んでる奴その一程度の認識である事を都合良く忘れていた。

 

 

 

「えっと、これってどんな状況ですか?」

 

 背後から聞こえた困惑しか感じない声。振り向けばキリュウさんが僕達を困り顔で眺めている。この瞬間、僕は完全に我に返った。そりゃそうだよね。……取り敢えず最初の目的だったキリュウさんからガンドルさんへの手紙を渡そうか。差出人が直ぐ後ろに居るけれど……忙しそうだから別に良いか!

 

 

 

 

 

 

「成る程のぅ。イシュリア様の使い魔呼ばわりするのは悪かったか。人類史上最悪最低の侮辱だったわ。失礼にも程があったわい」

 

「いやいやいやっ!? イシュリア様ですよ、イシュリア様っ! 愛と豊穣の女神に向かって何を言ってるんですか、ガンドル様っ!?」

 

「……お主も一度会えば理解出来るぞ。うん、本当に……」

 

「ちょっと君も何だか言って下さい。この方、世界を救った英雄で大司教何ですよっ!? 普段から偶にぶっ飛んだ事を口にしてますけれど……はっ!」

 

 慌てふためく彼は僕に助けを求める。でも、僕は何も言わない。顔を覆面で隠したまま彼の顔を見れば通じ合った。凄い力を持つ無茶苦茶な人に仕えてる者同士、言葉なんて無くても通じ合う何かが有ったんだ……。

 

 

 

 

「クェクェクェクェクェクェクェクェェエエエエエエエエッ!!」

 

「痛たたたたたたたたたたたっ! 何ですっ!? 何で私はフラミンゴに怒りをぶつけられているんですかっ!? てか、このフラミンゴ強っ!?」

 

 僕が新たな友情を結んでいる時、フラミンゴが怒涛の蹴りの嵐をキリュウさんに叩き込んでいた。え? フラミンゴは何を怒っているのかって? だってほら、キリュウさんってアンノウン様の……。

 

 

 

「ちょっとガンドルッ!! この子、どうにかして下さいませんかっ!?」

 

「……悪いんじゃが関わり合いになりたくないのでな」

 

「酷いっ!?」

 

 ……何かなあ。あっ、そうだった。手紙をお付きの人に渡しておこう。そして今繰り広げられている光景は知らない振りをしていよう。だって、それが一番平和だからさ。

 

 

 

 

 

「……さて、久し振りに連絡を寄越すのは別に構わん。頭の中に急に話し掛けて来ないのも評価しよう」

 

「あー、有りましたよね。用があったけれどベッドから出るのが億劫だから夜中に頭の中に何度も話し掛けたら一晩中怒られましたっけ」

 

 フラミンゴの怒りが少しだけ晴れたのか落ち着いた後、ガンドルさんはキリュウさんに正座させてお説教の構えだ。

 

「……それであの使い魔はいったい何なんじゃ?」

 

「凄く可愛いでしょう! それに賢くて優秀なんですよ! アンノウンって名前でして、私の可愛い……」

 

「……すまん。頭痛がするから少し黙ってくれんか?」

 

 ……ですよねぇ。



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前向きな決意

 英雄ガンドル・マグラス。初代勇者キリュウの仲間であるドワーフの僧侶。仲間になったのは最後だけれど、残された旅の道中の話では年長者として仲間を諫める事が多い。特に世間ずれしている所が有るキリュウとシルヴィアを叱るといったエピソードが多いが面白可笑しく描かれているので信用度は低く、同じく仲間のナターシャやイーリヤが語ったというのも怪しまれている。

 

 本人もその辺りに関しては現在も惚けて……そう、初代勇者が活躍したのが三百年前であり、それから二代目三代目とつづいているが、それらの勇者や英雄の中で現在も存命している唯一の人物である。

 

 

「……まあ、実際は初代勇者は賢者様で、不老不死の女神だったシルヴィアと結婚した時にお祝いとして不老不死にして貰ったのだけれど。……それに三代目勇者の仲間だったウェイロンは魔族に寝返っているし」

 

「いや、誰に言ってるんだ?」

 

「レリックさんは気にしないで聞こえない振りをして自分を誤魔化していて。私と違って慣れてないのだもの」

 

 そんな初代勇者とその仲間だった計三人の英雄だけれど、現在は私達が居る部屋の隣で昼間から再会を祝した宴会が行われているわ。大声で話しているから聞こえて来るんだけれど、私やレリックさんが本で読んで心弾ませたエピソードの裏話もポロポロ出て来て……。

 

「ほれ、あれを憶えておるか? 儂とシルヴィアが大喧嘩して山崩れを起こしたんじゃが、魔族に堤防が壊されて発生した鉄砲水を土砂が防いだ上に破壊した魔族まで倒してしまったんじゃからな」

 

「有ったな、そんな事も。確か夕飯を魚にするか肉にするかで揉めたのだったか?」

 

「凄く感謝されたし、知能プレーみたいに言い伝えられて本当の事が言えなくなったのですよね。それはそうと私、自分の墓参りを初めてしましたよ。世界各地に私のお墓がありますけれど、今まで行く機会が全く無くて。地元に人から見た観光地みたいな感じでして」

 

 酒が入って舌が軽くなったのか、私が心躍らせた伝説の意外な真実、それも相変わらず知りたくなかったのばかりが聞こえて来る。本人達からすれば別に気にしないのだろうけれど、憧れた身からすれば勘弁して欲しいわ。

 

「レリックさん、酒盛りに誘われても断ったのは正解ね」

 

「あっ? お前が耳を塞いでいるからあんまり聞こえねぇよ」

 

 でも、私は慣れている。女神様とのバカップル夫婦っぷりを見せ付けられ、頭のネジが最初から存在しない使い魔へのバ飼い主っぷりも見せ付けられ、ティアさんへの親バカっぷりも見せ付けられて少しは耐性が出来てるわ。

 

 だから何となく察して酒の席に参加しなかったレリックさんが耳を塞ぐ手に私も手を重ねて聞こえないようにしてあげた。私と同じで勇者の冒険を描いた物語に心を躍らせ、賢者様を信仰する賢者信奉者のレリックさんが今の会話を聞いちゃうのは哀れだもの。

 

「……本当に聞こえていないのかしら。レリックさんのロリコン、幼女趣味、性的倒錯者」

 

「……いや、だから聞こえないって。何か言ってるのは分かるんだがよ。今、俺の名前を呼んだか?」

 

「……さあ?」

 

 危ない危ない。ちょっとした悪戯心を出しちゃったけれど、本当に聞こえてなくて助かったわ。レリックさんが獣人だったら私の手も使って二重に耳を塞いでも聞こえただろうし、そもそも耳がもう一対有ったから塞ぎきれなかっただろうし。

 

 レリックさんの問い掛けに対して私は適当に誤魔化しながら扉に視線を向ける。本当だったらレリックさんとお散歩にでも行くのが一番なのだけれど、知りたくなかった真実を知ってしまっても気になったのよ。

 

 初代勇者と仲間が集まっているのだし、それだけで心が躍るわ。時々物語には出てこないエピソードだって混じるし、ガンドルさんは忙しい方だから仲間から見た賢者様と女神様のお話を聞く暇なんて無いものね。

 

「……ねぇ、ゲルちゃん。あの髭、未だ帰らないのぉ?」

 

「酒盛りが始まって少ししか経ってないじゃない。きっと暫くは帰らないわよ、アンノウン」

 

「ぶぅ。嫌だなぁ」

 

 イシュリア様の使い魔だとかイシュリア様に似ているとか、そんな感じの侮辱をした相手が大好きなご主人様と仲良くしているのが気に入らないのかアンノウンは小さくなって猫用ベッドでふてくされて寝転んでいる。ガンドルさんがそう思ったのも仕方無いけれど、流石にアンノウンが拗ねる気持ちも分かるわ。

 

 

「いやいや、実に懐かしい! ほら、お主ももっと飲め!」

 

「は、はぁ……」

 

「小奴、普段は凄い酒豪なんじゃぞ。休日には変装して酒を樽で買い出しておってな。儂がうっかりお主が勇者だと話してしまった時も同じ量を飲んだのにヘベレケな儂と違って涼しい顔をしておった」

 

「もう歳じゃないですか? 不老じゃなくって遅老でしかないんですし、老骨に無茶は駄目ですよ」

 

「なんの! 儂は生涯現役じゃ! 自分が若いままだからと調子に乗るでないわい!」

 

「痛たっ!」

 

 本当に賢者様達は楽しそうだった。よく考えれば三人居た仲間の内、二人は既に死んじゃって子孫を見守っている状態。神様じゃなくて気心が知れている古い知人ってガンドルさんが最後の一人なのよね……。

 

「私も世界を救った後で冒険を懐かしむのかしら?」

 

 辛い経験だってした。救えなかった事に不甲斐ない思いだってした。私の冒険は毎回ハッピーエンドが約束された物語じゃないからこれからも色々と悩むでしょうね。でも、同じ位に素敵な体験だってしたわ。本でしか知らなかった広い世界を体験して、沢山の出会いがあった。

 

 きっとそれはこれからも……。

 

「うん、頑張りましょう」

 

 無力感から来る不甲斐ない思いじゃなくて、力が足りなかったと感じたとしても最後は笑う事が出来るように。旅が終わった後、振り返る事が楽しくなるように。

 

 救わなくちゃいけない、守り抜かなくちゃいけない、そんな気負いじゃなく、明日の自分が笑える為に。きっとそんな風に考える方が良いのでしょうね。

 

「……まあ、頑張れや。俺だって支えてやるし、賢者様やシルヴィア様だって居るんだ。……不貞寝してやがる力だけは確かな馬鹿もな。気負わずやりゃ良い」

 

「そうね、そうするわ。……矢っ張りレリックさんって分かりやすいツンデレよね。ちょっと面倒臭い位に」

 

「んなっ!?」

 

 ふふふふ。あらあら、ついからかっちゃった。……あら? ちゃんと耳は塞いでいた筈よね? レリックさん、実は聞こえていたのかしら? 変ね。

 

 

「もしかしてゲルちゃんが手を重ねてくれるのが嬉しかったから聞こえているの黙っていたの?」

 

「……え?」

 

 自然に会話に入って来たアンノウンの一言。気が付いた時、私はレリックさんが耳を塞ぐ手に重ねていた手を離して少し引いていた。……本気にしたんじゃないわよ? 思わずやっちゃっただけだもの。

 

「……だからロリコン扱いは勘弁してくれ」

 

 でも、レリックさんったら落ち込んじゃった。慰めてあげなくっちゃ駄目ね。アンノウンったら相変わらずなんだもの。

 

 

「僕は常に僕なのさ!」

 

「はいはい。心を自然に読んで返事をするのは止めなさい」

 

 旅の合間の何気ない時間。ちょっとした楽しい休憩。でも、私は分かっていたわ。もう直ぐ戦いが始まるって……。

 

 

 

 



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賢者がパンダに任せた理由

新作書いてます  黒子の世界が舞台です


 そもそもどうしてアンノウンをガンドルさんへの手紙の配達人にするだなんて事になったのか、それを説明するには数日前まで遡らなければならないわ。攫われて来た人達が強制労働させられている砦や城は数多く有るらしいけれど、どうも魔族にとっての本命らしき場所。そこから逃げ出して来たというトゥロさんや小さな子達に話を聞いて、そこから場所を割り出そうとしたのだけれど、ちょっとした問題が起こったの。

 

「え? 話を聞き出せない?」

 

「ええ、どうも本命だけあって環境も一層過酷らしく、話の途中でパニック状態に陥ってしまいましてね。私、強制的に言う事を聞かせる洗脳や記憶を無理に読むのは苦手じゃないんですが、トラウマに引っ掛かる事の場合は恐怖が変な風に蘇る可能性が有りまして……」

 

「確かにそれはちょっと不味いわよね。でも、賢者様には無理でもソリュロ様なら! ……でも、駄目よね。あくまでも勇者一行の行動で功績を稼がないと封印が遅れるし、そうしたら今後も後手後手に回っちゃうわ。……でも、方法は有るのよね?」

 

「おや、鋭いですね。ええ、私には無理ですが、心を癒す魔法を得意とする知人……いえ、仲間が居るのですよ」

 

 賢者様は何だかんだ言っても私を子供扱いするし、汚い部分を極力見せないように行動しているわ。だから手が無いのなら私に黙って行動したのでしょうけれど、今回はわざわざ話した。つまり少し手間が掛かるけれど方法が有るって事に私は安心する。だって私を守る為に賢者様が重荷を背負ったら意味が無いものね。

 

「仲間? いや、まさかあの人っすか!? 大聖者ガンドルっすよね!」

 

「レリックさん、随分と嬉しそうね」

 

「有ったり前だろ! だってガンドルだぜ、ガンドル! 若者で構成された勇者一行の中で唯一の大人で、仲間の諫め役だったって生きる伝説じゃねぇか。不老長寿ならぬ遅老長寿の理由だって語られてねぇしよ!」

 

「そ、そう。私はちょっと叱られるシーンが苦手だから読み飛ばしてたし、戦いの描写はどうしても賢者様や女神様が中心だから特に興味は引かれなかったわね」

 

「はっ! そういう裏方こそ大切なんだよ。まあ、お子様には早い話か」

 

「そうね。だって私ったら十一歳だもの」

 

 話に入って来たレリックさんはどうもガンドルさんのファンらしいわね。でも、忘れていないかしら? だって初代勇者で二代目以降を導いた賢者様が目の前にいる嫁と娘とペットが関われば即座にポンコツになっちゃう人なのよ?

 

「常に冷静で心穏やか。正に聖人に相応しい方らしいじゃねぇか。会えると思ったら興奮して来たな。普段は高い山の上の神殿で忙しく働いてるそうだし、大司教の地位に就いてるんだもんな!」

 

「……そうですね。彼、忙しいんですよね。でも、会わないと駄目かぁ……。いえ、仲間ですし会うのは大いに結構なのですが……ちょっと気が重い。かと言ってシルヴィアを間に挟むのも無理ですしね。彼女、今回の旅ではシルという名の戦士の役柄ですし、それなりの地位の彼に会いに行っても都合を作って貰えるかどうか……」

 

「……あぁ」

 

 私は賢者様の言葉で察する。レリックさんは未だ慣れていないから首を傾げているけれど、私はそんな彼の背中にそっと手を当てる。

 

「レリックさん、覚えておいたら良いわ。賢者様達だって人間なの。伝説で脚色された姿じゃなくて、有りの儘の姿を受け入れるべきよ。……そっちの方が楽だもの」

 

「お、おう……」

 

「まあ、直ぐに分かるわよ」

 

 正直言って十一歳の女の子が二十にもなる男の人に向かって何を言ってるんだって感じだけれど、まあ、全部賢者様が悪いって事で我慢して貰うしかないわね。

 

「そうだ! アンノウンに手紙を渡して貰いましょう! そうすれば再会するなり説教だの流れで拳骨になったりとかしないでしょうし」

 

「え? 賢者様、お説教が嫌だから会いに行きたくなかったの?」

 

「……いや、だってガンドルの話って長いですし、拳骨だって痛いんですよ。だから間に他のを挟めば会うなり本題に入れるかなと。では、思い立ったが吉日って事で早速アンノウンに渡して貰う手紙を書きますね」

 

「……そうね」

 

 うん、もしかしたら大聖者ガンドルさんは普通の人かも知れないわ。他の仲間が卑劣王子だったり人とは感覚が違う女神様だったり、私以上に苦労してたでしょうね。……賢者様、怒られたら良いと思うからアンノウンを指名するのは止めないわ。絶対怒られるもの。どんな躾をしているんだって。

 

「お、おい……」

 

「止めたら駄目よ、レリックさん」

 

「でもよ……」

 

「駄目」

 

 レリックさんは流石に止めるべきと思ったのか私に目配せしたから速攻で首を横に振る。その結果、アンノウンが操るパンダを目にしたガンドルさんは主をアホ認定して、その後に色々あって結局賢者様がガンドルさんに直ぐに会う事になっちゃった。

 

 

 

「も~! マスターったらあんな髭と仲良くしちゃってさ!」

 

 それで再会を祝しての飲み会が始まったのだけれど、お使い先で黒子さんと活躍したらしいアンノウンはご機嫌斜め。今は子猫サイズになって私の膝に乗っているんだけれど、イシュリア様の同類扱いされた事が余程ショックだったのか拗ねちゃってるし、矢っ張り子供なのよね、この子。まあ、気持ちは分かるわ。流石に酷いって女神様までアンノウンを庇っていたし……。

 

「……女神様ってイシュリア様の実の妹よね? って言うかイシュリア様だって愛と豊穣の女神の筈よね? どうしてこんな事に」

 

「それ、どっちの意味?」

 

「立場とか関係を無視してボロクソに言われてる事と、言われても仕方が無い事を女神がやらかしている事の二つよ」

 

「そっか! にしてもマスターったら、そんなんだから小説のタイトルが『初代勇者な賢者と嫁な女神、ハッピーエンドの後に新米勇者の仲間になる』で主役に予定だったのに、途中から『羊飼いな私が変わった武器を手に勇者として世界を救う物語 ~助けてくれる賢者様も実は勇者だったらしいです~』になってゲルちゃんに主役の座を割と早い段階で奪われるんだよ」

 

「……いや、そういう事は言わないの」

 

「投稿サイトによってはタイトル変更無いから? それともメタネタだから?」

 

「だから止めなさい。……意味は全然分からないけれど、止めろって私の中の何かが言っているのよ」

 

 ええ、本当に分からないわ。それにしても随分と盛り上がってるし、少し寝て待ちましょうか……。

 

 

 



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会えた喜び

「さてと、用事は終わったぞ。しっかし久し振りに遠出したら肩が凝って仕方無いわい。帰ったら昼寝じゃな」

 

「いえ、今日の書類仕事が残っていますよ」

 

「お、おぉう……」

 

 魔族の城から脱走した子達の心を魔法で癒やしたガンドルさんは少し疲れた様子で肩を叩く。もうお爺さんだから大変よね。それにしても……。

 

「本での描写とは随分違うわね。大聖者って呼び名に相応しい真面目一筋って感じじゃないわ」

 

「そりゃ面白可笑しく描いた方が受けが良いし、権力者も民衆に人気が出そうなのを支援してるって方が支持を受けやすい。本人からすれば恥ずかしいだけじゃがな」

 

「そうそう。ガンドルなんて頑固親父ですよ、正直言って。大酒飲みだし、酔ったら説教したがるし」

 

「お主が言うな、お主が! なーにが賢者じゃ。ナターシャやイーリヤが聞いたら絶対大爆笑じゃぞ」

 

「それはガンドルも同じじゃないですか」

 

「……まあ、そういう訳じゃよ、お嬢ちゃんに若いの。このアホは賢者なんて大層な名前で呼ばれているが、魔法の得意なアホだとでも思って適当に扱えば良いわい」

 

 ガンドルさんは賢者様にヘッドロックを掛けながら笑う。ええ、そうね。伝説とかで憧れるのは良いけれど、こうして直接会ってお話ししたら全然違うもの。伝説上の存在としか見ないのは尊敬していても逆に失礼よ。

 

「ええ、大丈夫。もう何度もポンコツな所を見ているもの」

 

「なら良いわい。こんなアホや頑固親父に性悪小僧に腹黒娘、そして脳筋女神にも世界は救えたんじゃ。お主達も気張らずに頑張る事じゃな」

 

「はい!」

 

 世界を救った英雄に対して凄い言いようね。でも、それを言ってるのが本人何だから笑っちゃうわ。……私も世界を救った後で驚くエピソードを捏造されたり恥ずかしい異名で呼ばれたりするのかしら? ……しそうね。物凄い美少女で胸が大きいとか伝承に残っちゃうかも知れないわ。まさか貧乳だから男だったって伝わらないわよね? 嫌よ、変な恋愛エピソードを作られるの。

 

「まあ、話が大きくなるのは死後でしょうし、それなら全然私には……次の勇者の試練の時に再現された私が現れるかも知れないけれど、絶対に自分に関して聞くのは止めましょう。うん、それが一番ね」

 

「よく分からんが慌ただしい娘じゃのう。まあ、元気な証拠か。では、キリュウ。今回は久々に息抜きをする口実を作ってくれて助かった。また儂じゃなくても構わない時にでも力を借りに来い。美味い酒と肴で引き受けよう」

 

「……出会い頭にお説教は勘弁してくれます? 流石に三百歳越えて正座で説教されるのは精神的に堪えるんですよ」

 

「なら年相応の振る舞いを心掛けんか、馬鹿者。不老不死じゃからと中身まで若いままとか、だからお主はアホだと言うのだ。では、今度こそさらばだ。キリュウのアホが何かアホをやった時は儂と再会した時に教えてくれい。みっちり叱って拳骨の十や二十もお見舞いしてやるから」

 

「アホアホ連発しなくても……」

 

「ええ、是非そうさせて貰うわ」

 

「ゲルダさんっ!? ちょっとシルヴィアも何か言って下さい!」

 

「……ん? ああ、悪い。脳筋女神とは誰の事か考えていたから話を聞いていなかった。ガンドル、誰の事………。おい、どうして無視して去って行く?」

 

「えっと、多分優しさだと思うわ」

 

「……だな」

 

 私とレリックさんは女神様の追求をやんわりと止めに入る。それにしても未だ存命の英雄の意外な一面を目にして、改めて認識したわ。自分が凄い体験をしているって。

 

「凄いわよね、レリックさん。私達って伝説の英雄や神様と普通に会ってるのだもの。まあ、私だって勇者だけど。羊飼いの仕事の合間に本を読んでいた頃には予想もしなかったわよ」

 

「まあ、ヤンチャな坊主なら自分こそが次の勇者だって妄想したんだろうがな。俺も兄妹揃って……いや、何でもない」

 

「そう?」

 

 今の絶対何か有るって感じだったけれど多分聞いちゃ駄目な事よね。ああ、それにしても……。

 

 

 賢者様に出会えて良かった。あのまま小さい村の羊飼いで終わるのも悪くないけれど、広い世界を自分の目で見る事が出来たから。

 

 女神様に出会えて良かった。修行は厳しいけれど、守りたいと思える人を守る力を貰えたもの。

 

 レリックさんに出会えて良かった。まるで私が生まれる前に死んだお兄ちゃんと一緒にいるみたいな気がして、家族と旅をしている気分になれたもの。

 

 アンノウンに会えて良かっ……良かった……わよね? うん、偶に楽しい時も無い訳じゃないし、退屈はしないもの。

 

 今まで出会った人達との出会い。嬉しい出会いも辛い出会いも、その全てが今の私を作っているの。だから思うわ。私、勇者になれて本当に良かったって……。

 

 

「……あれ?」

 

 空が急に色を変え、何処か遠くの室内を映し出す。豪華な造りと装飾で、大勢集まった人達の中には角や翼、獣人とは全く違う見た目の人達が居た。あれはもしかして魔族? いえ、あの豪華な椅子に座って全員を見下ろしているのは……。

 

「リリィ!」

 

 半身を炭化させた状態なのに余裕綽々な表情で笑みを浮かべて艶っぽささえ感じられる表情で、その横に立つのは黒山羊の頭をした魔族。スーツ姿で礼儀正しそうな立ち姿が余計に不気味さを際立たせていたわ。

 

「あれは確かビリワック。カースキマイラとゲルダさんの初戦の時に出会った魔族ですね。未だこの規模の魔法は使えない筈ですし、ビリワックの魔法でしょうね。さて、何を見せる予定なのやら。……私が始末して良いのなら今すぐ皆殺しにするのですが……」

 

 賢者様は珍しく不機嫌な様子で空を睨む。きっとそんな姿を予想しているのか嫌な笑みを浮かべたままリリィは演技としか思えない大袈裟な話し方で語っていたわ。

 

 

「やあ! 最愛なる同朋諸君、よくぞ集まってくれたね。皆が健在で私も嬉しいよ。こんな体でなければハグをしている所さ」

 

 見た目は可憐な少女の言葉だけれど、それを向けられる魔族達の反応は恐怖や嫌悪、戸惑い。それだけでリリィに抱いている思いが丸分かり。どうやら僅かな出来事で私が感じた事は部下も感じているらしい。あの言葉は絶対に嘘だってね。

 

「今日は君達にサプライズが有るんだよ。君達がまるで用無しになっちゃってお知らせさ。まあ、魔族の明るい未来の為に我慢してくれたまえ」

 

 



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閑話 友情の花

 同胞を宝とし、人には大いなる苦しみを。それが私達魔族の根本に存在する想いだ。人の悪意から誕生した故に人に悪意を向け、同胞は血を分けた兄弟姉妹同然に扱う。その事に何ら疑問を持った事などは無い。それは私だけでなく、誕生した瞬間から持っている先代魔王の記憶の一部からも魔族の共通点なのは明らかだ。

 

 ……まあ、人に情を移す変わり者が偶には居るが、言葉が通じ見た目も同じなのだ。例えるならば因縁のある国の兵士同士に友情が芽生えるような物。人から生まれた以上はやむなしなのだろうな。

 

「ビリワック、そう言うお前は裏切り者に対してどう思う?」

 

「……そうですね。我々の中には同胞への愛が強く残り続けます。但し、我々側から裏切り者への愛は消えますが。その同胞に狙われるのは死ぬよりも苦痛な事でしょう。……痛々しい事ですね」

 

 これは酒の席で友と交わした会話の一部だ。どの様な場所でも咲き誇るのは恋の花と友情の花。私にも友が居た。生まれた際の力によって絶対なる序列こそあれど、友情が芽生えぬ訳ではない。一時期私が手伝いを任されていた上級魔族ビリワック・ゴートマンと中級魔族の私の間にも友情は芽生えていたのだ。

 

 この日、魔本を酒のツマミにしながらビリワックが振って来たのは裏切り者と呼ばれる者達について。魔族が従えられるモンスターに最優先で狙われ、情を持った相手にも敵意を向けられる罪人の名だ。魔王様が直々に決定を下さなければ裏切り者にはならないが、正直その場で始末されるよりも辛いだろう。だから私も彼に尋ねれば辛そうな顔をしていた。可愛さ余って何とやら、確かに裏切り者は憎いが、元仲間を始末するという行為自体には私も抵抗が有るのさ。

 

「……そう言えば出世が決まったんだってな。まさか最上級魔族の側近になるだなんて凄いじゃないか」

 

「ちょっと評判は悪いですが、多少変わり者なだけでしょう。何だかんだ言っても同胞ですからね」

 

 これが私がビリワックと交わした最後のマトモな会話だった。暫く会えない日が続き、聞こえて来るのは同胞さえゴミ同然に扱う最上級魔族リリィ・メフィストフェレスと側近のビリワックの悪評。私はまさかと思い問いただそうとするも意図的に避けられ、大勢に命令を伝えて来る時も一方的な会話だけ。私が話し掛けても無視をされ、やがて私には仕事が回って来なくなった。

 

 何故だ、友よ? 私達は親友ではなかったのか? 喜びも苦しみも悲しみも、全て分かち合ってこその友だろうに……。

 

 同胞の為にも、親友の為にも何も出来ない時間は長く続き、能力的に直ぐには任務が決まらず指示待ちな同胞と過ごす無為な時間は私の心をすり減らす。だが、ある日の事だ。そんな者達の頭にビリワックの声が響いた。

 

「親愛なる同胞諸君。偉大なるリリィ・メフィストフェレス様の(メェ)である。直ぐに居城に集まりたまえ。転移が使えない者の所に迎えを送ろう。

 

「……相変わらず命の発音が独特な奴だ」

 

 漸く役目が貰えると歓喜に湧く同胞の歓声を耳にしながら私は思わず苦笑していた。友よ、折角の機会だから私は強引な手に出させて貰おう。お前が溝を作る理由は知らん。何も聞いていないからな。だから溝など飛び越えてお前の所に行くぞ。それが私の友情だ。

 

「待っていろ、馬鹿者め。気を失うまで酒を酌み交わそう」

 

 どの様な場所でも、どの様な存在であっても友という宝を得る事が可能だ。命を懸けでも惜しくない宝。私はそれを絶対に手放す気は無いぞ。

 

 何を語ろうか、いっその事一発殴っても構わないのではないか。そんな事を考えながら私は心を躍らせる。リリィ様の悪評は耳に届いているが、どれも何人も経由しての話。今までにも力に酔いしれ傲慢な態度で嫌われた者は歴代にも存在したが根本に存在する同胞への情に変わりはない。まあ、少しは覚悟をしていようと私は居城へと向かう。

 

 

 ……この時、私は失念していたのだ。何時の世も例外は存在するのだと。

 

 

「……あれがリリィ様か。見た目はボロボロの少女だが、大丈夫か……?」

 

「噂では賢者に遠距離からやられたとか……」

 

「魔族は大丈夫なのか……」

 

「にしてもビリワックの奴、相変わらず偉そうにしやがって。金魚の糞の分際でよ……」

 

 リリィ様には一度も出会った事のない同胞達の声が聞こえる。反対に既に何度か関わりの有る者は不安やら恐怖で固まっていて、皆に共通するのは伝令役であるビリワックへの敵意。この場の大勢から敵意を向けられている親友は暫く見ない間に酷く疲れた顔をしていて、俺はそれが気になって他の事が頭に入って来なかった。

 

「今日は君達にサプライズが有るんだよ。君達がまるで用無しになっちゃってお知らせさ。まあ、魔族の明るい未来の為に我慢してくれたまえ」

 

 だからその言葉が耳に入った途端、関わりのあった者達が一斉に逃げ出した事への反応も遅れたし、俺が目にしていたのはリリィ様の死角で指先が手の平に食い込む程に強く拳を握り締めたビリワックの姿。その意味を理解したのは隣に立っていた同胞が巨大な鞭のような物に叩き潰され肉片が飛んで来た時だ。

 

「な、何だ……? 何なんだ、あれは……」

 

 俺は天井を見上げ固まる。モンスターは数多く存在し、その全てを把握してはいない。だが、目の前の存在は余りにも異質だ。

 

 頑強さが売りの者さえも一撃で肉片に変えた鞭のような物は全長の半分ほどの長さの尻尾。毒々しい赤紫の外皮。牛さえも小魚みたいに一呑みに出来る巨体を誇るエイに酷似した異形の額からは少女の上半身が生えていた。

 

「まぁ~ぞく、まぞく。おかぁさぁんのかぁたぁきぃ~!」

 

 明らかに常軌を逸した瞳で俺達見詰める顔は笑みを浮かべ、エイの口から伸びた長い舌が鍵の掛けられていない扉から脱出した同胞を絡め取った。大きく開かれた口はその全てを頬張りバリバリと音を立てて食べて行く。

 

「ふふふ。そうだよ。君のお母さんを殺した奴の仲間だよ。虫みたいな奴にアリを踏み潰すみたいに殺されたんだ」

 

「……けるな。ふざける……なっ!?」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべ殺されて行く同胞を目にして立ち尽くす俺は叫ぼうとし、自分の胸に突き刺さる親友の腕が見えた。

 

「おや? どうしたんだい、ビリワック?」

 

「……いえ、只の気紛れです」

 

「ふぅん? 私には、せめて自分の手で……とでも見えたよ。まあ、良いさ。君は今後も忙しい身だしね」

 

 最後に目にした親友の顔は涙を堪えていた……。



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激怒

「おや、そろそろ限界みたいだね。公開処刑の放送を続けられないのは残念だけど、私は部下想いだから無茶はさせないよ。休んで良いよ、ビリワック」

 

 空に突如映し出された凄惨な光景。明らかに人間を材料にしている怪物が見た目は人間にそっくりな魔族を殺して行く映像は突如ブレ始める。そりゃそうだ。どうも俺達の居る場所の上空にピンポイントで映し出してる訳じゃないみてぇだし、賢者様なら兎も角普通は魔力が保たないに決まってらぁ。

 

「……テメェの何処が部下想いだ。その部下を惨殺しておいてよ」

 

 所詮俺にとったら魔族は敵、遭遇したらぶっ殺す対象だ。それが幾ら殺されても、どんな風に殺されても俺には無関係、寧ろ清々する、その筈だったんだが……。

 

「おい、ゲルダ……」

 

 目の前で妹が俯いて震えているのを見せられるのは話が別だ。身長差のせいで後ろからだと涙を流してるのかは見えねぇが、んなモンは見なくても分かる。此奴は悔しくて泣いている。また救えなかったって悲しくて泣いて……。

 

「……ィ。リリィイイイイイイイイイイイイッ!」

 

「うおっ!?」

 

 突然激高したゲルダの怒りのままに拳を振るい、咄嗟に後ろに下がった俺の服を僅かに掠めた後で木を抉り取った。衝撃で爆散した訳でも無く、折れたのでもない。文字通りに高速の拳の軌道上の部分が削り取られていたんだ。

 

「いや、キレてたのかよ。てか、ちゃんと周り見て拳を振るえや、馬鹿」

 

「……ごめんなさい」

 

 うん、流石に今のはヒヤッとさせられたから頭を軽く小突く。一発入れて少しは気が紛れたのは結構だが、こりゃ相当鬱憤が溜まってやがるな。わざわざあんなのを見せるとか明らかな挑発だろうによ。

 

「ったく、これだから沸点が低い餓鬼は。おらっ! 冷静になれ、冷静に!」

 

 ちょっと意趣返しも込めて髪を少し乱暴に掻き回す。この色と髪質は間違い無く両親から受け継いだもんだ。俺が苦手な早起きをして直してる癖毛と同じ髪を更にグチャグチャにしながら俺は何となく横を向く。いや、向いてしまったんだ。怒りのオーラを隠そうともしないシルヴィア様の姿を。

 

「何か恐ろしい物が有るって感じてたのに、怖い物見たさも大概にしろよ、俺ぇ……」

 

「女神様がガチギレしてるわ……」

 

 ……俺はもう少し言葉遣いを考えるべきかもな。さっきまでキレてたってのに、今は威圧されて震えながら俺の服の裾を掴む妹の言葉を聞いて反省する。ガチギレとかちょっと前までは使わなかっただろ、此奴。……まあ、俺のが移ったんだろうが、妹が兄貴の真似をしているって思えば悪い気はしねぇんだが。

 

「シ、シルヴィア様……?」

 

「……久々だ。此処まで私を不愉快にさせたのは此処百年では姉様以外に居ないぞ」

 

 ゲルダを背中に庇う俺の声も震えている。情け無い? いや、武神が至近距離でブチ切れってるんだ、ビビらない奴が居るかよ。いや、賢者様なら惚気るか? キレてるシルヴィア様さえ素敵だと思いそうだもんな、あの人。

 

「そもそもイシュリア様は一体何をやらかしたんだ? 絶対に知りたくないけど」

 

「おやおや、シルヴィアったら仕方が無いですね」

 

 共に過ごす時間が増える程に俺の中で憧れやら何やらが崩れる中、聞こえたのは賢者様の何時もの声。だが、顔を見た俺は察した。キレてるってな。

 

 あれは一見すると穏やかな心で笑みを浮かべている顔だ。だが、俺は知っている。レガリアさんも本当にキレた時は笑顔を浮かべていた事に。確か初めてその姿を見たのは五年前。娘に変な男が話し掛けて何処かに連れて行こうとした時だ。

 

「け、賢者様?」

 

「……失敬。少し師匠に手合わせをお願いしたい気分ですので、クリアスに一旦戻って全力で魔法を放って来ます」

 

「私も同行しよう。全力で斧を振りたい気分だ」

 

「う、うっす。いってらっしゃい……」

 

 引き止めて落ち着かせるとかの選択肢は俺には浮かばない。無理、絶対無理!         ゲルダは既に視線を逸らして対応を俺に丸投げで、もう送り出すしか選択肢は残っていなかった。

 

「……ありゃ相当キてるな。師匠っつったらソリュロ様だろ? 幾ら何でもあの二人の憂さ晴らしの相手とか同情するぜ。……俺は絶対に怒らせないように……あっ」

 

 レガリアさんがガチギレした時で思い出したが、俺だって賢者様が溺愛する養女のティアの水浴びに遭遇してるんだよな。現実から目を逸らして無かった事にしてたがよ。まあ、本人は喋る気が無いみたいだし、周りの餓鬼にだって遭遇しなけりゃ、知ってる奴の残りは……アンノウンだよ、畜生が。

 

「……おい、アンノウン。何か欲しい物って有るか?」

 

「食べ物だったら魔法で出せるし、悪臭とかしつこい汚れとか、イシュリアへの嫌がらせに使えそうな物が欲しいかな? 彼奴の使い魔とか同類扱いされた鬱憤を晴らしてくるよ」

 

「いや、正直言って……」

 

「正直言って……何?」

 

「何でも無い。分かってるだろうが例の水浴びの時の事は賢者様には……」

 

 ……やっべぇ。今度はアンノウンがガチギレする所だったぜ。

 

「うん! マスターには言わないよ、絶対」

 

「……シルヴィア様にもだからな?」

 

「……ちぇ」

 

 此奴、賢者様には言わなかったとか屁理屈こねてシルヴィア様伝いに賢者様に伝える気だったな、こん畜生。俺はこれ以上余計な事をさせない為にも要求された札をさっさと用意する。白紙の札に指先を当て、意味有る絵と文字の組み合わせを描く。最後に血を一滴落とせば完成だ。

 

「わーい! 今弱まってるからこれが有ると助かるよ。じゃあ、僕も一旦クリアスに戻るから!」

 

「おう。さっさと行け。んで当分帰って来るな」

 

「ツンデレの君が言うって事は早く戻って来て欲しいんだね! でも、僕の尊厳を懸けてイシュリアに悪戯するから当分は帰れないや。マスター達が先に戻ったら上手く言っておいて。……じゃないと口が滑るかも」

 

「マジで自由だな、テメェ!?」

 

「自由じゃなくちゃパンダじゃな~い! じゃあ、行って来ま~す!」

 

 好き勝手に言いたい事を言ってアンノウンは転移する。さて、どうすっか……。

 

「おい、ゲルダ。暇だし俺達も組み手でもしてようぜ。ハンデをくれてやるからよ」

 

「あら? 私、結構強くなったわよ?」

 

「はっ! 経験が違うんだよ、経験が!」

 

 今回の事も含めて相当溜まってるみてぇだし、ここいらで発散させてやらねぇとな。俺は右手をポケットに入れて更に片目を布で覆ってハンデだと示す。名乗らなくても俺は兄貴だ。この程度じゃ到底越えられないって妹に教えてやるよ。

 

 

 

 

 

 

 

「……ま、まあ。そこそこだな。及第点はくれてやる」

 

 勝負の結果? おいおい、俺は兄貴だぜ? 妹に華を持たせるのが当然だろうが。勝ってどうするよ、勝って。

 

 

 ……次はハンデ無しにしよう。




to4ko様に依頼しました


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女神と大熊猫の決戦 ~最高神は限界です~

 霊峰の麓に立ち、遥か彼方の山頂を見上げる。雲を纏ってそびえ立つのは悪趣味なピッカピカの屋敷。金や銀で作った建物に宝石を埋め込んでる上、屋敷の中庭には主人の水晶製の象。此処まで言えば分かると思うけれどイシュリアの屋敷だ。

 

「よし! 像に鼻毛書いて頭をウンコにしよう」

 

 思い立ったが吉日と踏み込もうとした僕だけれど、突如神の力による光の弾丸が降り注ぐ。辛うじて避けた僕だけれど、当たっていたら怪我は免れなかった。

 

「ほ~っほっほっほっほっほ! ざまぁないわね、トライヘキサ! アンタが弱っているのは私の従属神達の報告で知っているし、そんな状態でノコノコやって来た報いを受けさせてあげるわ!」

 

「ざまぁないわねって、普段の自分の姿でも思い出した? てかさ……信者に謝罪行脚して回るべきだと思うよ? そんなんだから僕がパンダをフラミンゴに乗せて登山しただけで君なんかの同類扱いされるんだ。君なんかだぞ、君なんか! ボスだって流石にそれは酷いって言ってたよ」

 

「私、女神なんだけれど!? それにシルヴィアは妹よね!?」

 

「仕方無いじゃないか。君ってばこの小説ではそんな役回りなんだからさ。絶対挽回は無理だから諦めてギャグの被害者になってようよ。美味しいと思うよ、多分」

 

「誰がなるかぁあああっ!」

 

「……我が儘だなぁ。って言うかこの作品とかのメタネタにツッコミを入れないってどうなのさ? 駄目だよ、自分の役割放棄しちゃ。僕が関わった時は基本的にツッコミ役兼被害者が君の運命でしょ?」

 

 なのにイシュリアは僕に対して屋敷から攻撃を続け、僕は山を駆け上がる。流石に神の住む山は普通じゃなくて、まるで僕が小さくなってるみたいに進んでも進んでも頂上は遠いまま。しかも罠だらけだ。上から降ってくる金属製の檻(内部に入ったら電撃)。底に向かって吸引力が発生する上に底には回転する刃。他にも振り子式の斧とか色々。

 

「……流石腐っているけど戦女神。陣地に引きこもってニートしている時は厄介だね」

 

「腐ってないわよ! ……ふっ! そして忘れているみたいだから教えてあげる」

 

 罠に手間取って中々進めない僕にニートで駄目な女神が得意そうに話し掛ける。それに呼応して現れるのは大勢の神達。その手には様々な悪戯グッズ。

 

「其奴達はアンタの悪戯の被害数ランキング上位! アンノウン被害者の会の連中よ!」

 

「な~るほどぉ! 僕が弱った隙に仕返しに来たんだね。……神って暇なの? 暇なんだね。暇なのかぁ……」

 

「暇ではない! この日の為にスケジュールを詰めて来た! 貴様が風呂場を改造して強炭酸水が出るように改造してしまったせいで、そのせいで俺は恋人との初体験を……」

 

「あっ、童貞のままなんだね」

 

「ぐっはぁっ!」

 

「そっちの君は自分を主役にしたハーレム冒険マンガを描いてて、こっちの子は確か自分は凄いけれど本気出してないってカミングアウト日記を書いてたよね」

 

「ごっは!」

 

「ぐへ!」

 

「あっ、今ので三人倒れた。長い間生きているのにメンタル弱っ! ……それにイシュリア、君も忘れているよ?」

 

 戦と豊穣の女神イシュリア。その性格は自由気まま。好き勝手に六色世界で男漁り。この前だって神の力が残ってる下着を忘れ、オークションでの回収騒動。付いたあだ名が|神労《しんろう〉の女神。後始末に大勢の神が胃をやられているのさ。その数、この百年だけでも僕(生まれて数年)の被害者数と同じ!

 

 

「皆、出て来て! イシュリアブッ殺し隊カモーン!」

 

「私の被害者の集まりの名前が物騒なんだけれどっ!?」

 

「そりゃ自業自得って奴じゃない? だって僕はパンダを操るんだよ? 年中下着みたいな君とは違うって。しかも今は下っ腹が出てるもんね。プププ~」

 

 馬鹿の考える事なんて簡単に分かるんだよ。だから事前に集めておいたイシュリアの行動の後始末係のメンバー。死なないからこそ悠久の時をストレス性の胃痛と付き合わなくっちゃいけない。大変だねぇ。僕は呼び掛けに応えてやって来た暇な神、略して暇神(ひまじん)達がイシュリアが集めた暇神達とぶつかり合う。

 

「あっ、ミリアス(十二徹目)も混じってる。本当に限界なんだ。テンションが変な事になってるや。……今の内に行こうか」

 

「最高神パンチ! お前達も仕事しろキック! 胃袋限界ラリアット!」

 

 ヤバい目で変なテンションになって暴れ回るミリアスに背を向けて山頂を目指す。途中、罠が仕掛けられていたけれど衛星兵器は既に宇宙に配置している。

 

「拡散式ギャラクシーパンダビーム……NEO!!」

 

 パンダから放たれたビームは宇宙空間の六つの衛星兵器に命中、増幅したビームを拡散させて山中に降り注ぐ。罠も木も、ミリアスに速攻で鎮圧されたアンノウン被害者の会も……ついでにミリアス以外のイシュリアブッ殺し隊も巻き込んで。

 

「……シルヴィアに叱って貰おうか」

 

 嫌な予感がしたけれど気にせず進む。荒れ果てた山はイシュリアの力で再生を始めるけれど、それを凌駕する速度で破壊する。取り敢えずパンダを介したら効率が悪いから普通に僕の口から出そう。お座りの姿勢で口の中にエネルギーを収束させ一直線に放つ。大地を削りながら突き進む。

 

「……うーん。出力不足かぁ」

 

 屋敷を破壊する為に放ったビームは屋敷から飛び出して来たイシュリアによって片手で弾かれた。むむっ!

 

「芯まで腐敗してるのに流石はボスの姉だよね、下っ腹が凄いし顎もタップタプ。……じゃれて良い? 正直衝動が抑えられない」

 

 猫科の本能なのかな? むっちゃくちゃじゃれつきたい。うん、ブッ倒して遊ぼう。

 

「今日がアンタの年貢の納め時!」

 

「僕って使い魔だから納税義務は一切無いよ? そんな事よりも君って人に迷惑掛けてばっかりだし、慰謝料の支払い時じゃないの?」

 

「アンタにだけは言われたくないわよ!」

 

 イシュリアの怒鳴り声と共に背後に現れたのは無数の魔法陣。その全てにイシュリアの神の力が存分に注ぎ込まれて今にも放たれそうだ。

 

「それ食らったら僕一匹なんてヤバいんだけれど?」

 

「ヤバいんだからやってんの! 食らいなさいよ! これが私の出力最強! ゴッド・エターナル……」

 

 

 

 

「まあ、僕って七匹なんだけどね」

 

「ぷぎゃっ!?」

 

 先ずは背後から頭に飛び退いてイシュリアをたたき落とし、二匹が髪を咥えてひっくり返す。最後は両手両足を拘束したイシュリアに前足を振るう。顎に脇腹下っ腹、タップタプの贅肉で遊び回る。

 

 

「「「「「「「あはははは! 楽しい~!!」」」」」」」

 

 この後、イシュリアで遊びまくった。……所で僕って何をしに来たんだっけ? 楽しいから別に良いか!

 

 

「さてと、イシュリアで遊んだし、趣味悪い屋敷でも遊んだし、後はボスが帰って来るまでに戻れば解決。ふっふっふ。最後に暇神達の姿を見て楽しもうか」

 

 山頂から遙か彼方の氷山を見ればソリュロの家の辺りで派手に戦っている様子が見て取れる。

 

「あっ。氷山が砕け散った後で再生した。……と思ったら氷山が完全消滅だ」

 

 あれじゃあ少しすれば戻って来るだろうし、七匹で暇神達の所に向かう。だけど何か違和感。……もしかして一人居ない? 猛烈に嫌な予感がした僕達は散開、一気に逃げ出す。

 

 

「……肉球。プニプニ、癒し……」

 

 そして僕が捕まった。尻尾を掴まれ強制的に小さくされる。子猫サイズの僕達を抱き上げたのは勿論ミリアスだ。此奴、目がイっちゃってる……。

 

 

 

 

「癒し、癒しが欲しい。小動物、モッキュモキュの肉…球……」

 

「僕に癒しを求めるってどれだけストレスが溜まってるのさ……」

 

「沢山……」

 

 見た目が少年のミリアスが子猫サイズの僕を抱っこして肉球を触る。……まあ、マスコットポジションだから別に良いけどさ。

 

 

 

「僕はマスコットポジションだから別に良いけどさ!」

 

「また言う辺り、自分のポジションに不安を持ってる?」

 

「少し……」

 

 



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船は進み、賢者は回想する

 荒れ狂う波間を船団が行く。海に生きる種族である屈強なエルフ達でさえも船を出すのを躊躇う大波も、飲まれれば脱する術など存在しない渦潮も、海中から襲い掛かる巨大なイカの触手も物ともしない三隻の船達。大きく広げられた帆は前方に進む為の追い風のみを受け、その進路だけは凪の状態の一本道が続き、雨粒一つすらも甲板に触れる事無く見えない膜に弾かれる。

 

「……この魔法が昔の私に使えれば醜態を晒さずに済んだのですけどね」

 

 かのヤマタノオロチが川の氾濫を表した話だという説が有るように、荒れ狂う水の流れから龍神伝説は誕生して来た。だが、船団の前に現れたのは比喩ではなく実際に龍の姿となった海水。その巨体で進路を塞ぎ、水のアギトで三隻纏めて噛み砕こうと迫るもキリュウが視線を向けるだけで砕け散る。結果、一滴も船に触れる事無く、ほんの僅かな時間前方の視界を遮っただけに終わる。この嵐の中なら致命的になりかねないが、有能な航海士が居なくても、腕利きの操舵主が不在でも船は滞りなく嵐の海を進む。

 

「随分と落ち込んだ様子だがどうかしたか? 今回はウェイロンが居る事だし、後ろで子供の戦いを観戦しながらコメントをするだけでもあるまい?」

 

「ええ、それは良いのです。成長を見守った若者が道を踏み外したのは悲しいですし、それが現在成長を見守っている相手の前に立ち塞がったからと敵対するのも気が進まない。ですが、事は私の気分でどうこうして良い話でも有りません。ですが、ちょっと昔を思い出したのですよ。尻の青かった若造の頃をね」

 

 奇跡のような話だが、魔法の神に従事した伝説の賢者の魔法なのだ、仕方が無い。船乗りからすれば憤慨するかエルフの気質を考えれば驚くだけだろうが、その奇跡を起こしている最中のキリュウはというと甲板に置いた安楽椅子に座って紅茶を飲みながらも浮かない顔。魔法で潜水艦にするでもしないと沈まず、空を飛ぶ船にでもしないと浮かばない船の上でその様な表情になった理由をシルヴィアに語っていた。

 

「……尻に青い痣みたいなのが存在するのは赤子の頃ではないのか?」

 

「いえ、比喩ですよ。相変わらず可愛いですね、シルヴィア。ティアやアンノウンとは別の可愛さだ。撫ででも?」

 

「貴様は馬鹿か? 私は妻だ。その様な許可を一々取る必要が何処に有るのだ」

 

 シルヴィアは呆れた表情ながらも声は勇ましい。但し撫でやすいように頭を低くしてキリュウの手に近付けているし、その近くにはゲルダとレリックの姿があるし、更には併走するキグルミ達を乗せたパンダマークの帆の船と金属製のコートを着たクルースニクの面々が乗船する杖を入れた魔法陣を描いた帆の船の甲板からも見えている。

 

「……賢者様達ってのはイチャイチャしないと死ぬ呪いでも受けてるのか?」

 

「しっ! 聞かれたら、『ええ、抗う事など不可能な愛の呪いなら受けていますよ』、とか言うから黙った方が良いわ」

 

「俺、クルースニクの船に飛び移っても良いか? いや、今すぐ飛び移りたい。アンノウンだってキグルミ共の……擬獣師団? の船に乗ってるしよ。てか、あの獣、戻って来てから妙に毛並みが良くなってねぇか? フワフワツヤツヤだったぞ」

 

「駄目よ。私だけ残されるだなんて。……あの人とはそんなに仲良くなってないし。それとアンノウンの毛並みなら最高神ミリアス様が……いえ、これ以上は止めておきましょう。神様達の知りたくなかった一面は主にイシュリア様に見せられたけど、忘れた方が精神衛生上良い物が有るわよ」

 

「……だな」

 

 妹の方は関係を知らずとも血の繋がりを見せ、現実逃避をする二人。イシュリアの醜態は散々見せられていても神々の王が精神的に疲れてアンノウンを存分にモフッた事は忘れたい事実らしい。尚、最高神の力の影響で完全回復を果たしたアンノウンだが、弱っていた事を後から知ったグレー兎はミリアスに少し怒りを覚えたらしい。曰く、余計な事をするな、エターナルショタめ、だそうだ。

 

 ……それは兎も角、何故キリュウが落ち込んでいるのか、それは彼が勇者だった頃に遡る。三百年前、彼が異世界の住人のコピーとしてブリエルで召喚されたのだが、当然ながら移動は船であった。

 

 王族の支援もあって船の性能は高く、船室も快適。小さな嵐なら構わず船は進む……のだが。

 

 

「おぅえええええええええええっ! うっぷ! おげぇええええええええええっ!」

 

 嵐の中、船は当然揺れる。そしてキリュウは嵐の中の航海どころか船旅さえ初めての事。船など穏やかな海を進む観光船に何度か乗っただけ。勇者として強化された三半規管を持ってしても酔っていた。そして吐いていた。

 

「ありゃりゃ。これは暫く使い物にならないわね。大丈夫? お姉さんが添い寝でも……」

 

「おっぷ! うげぇええええっ!」

 

「……今の無しで。お大事に!」

 

 仲間であるナターシャは胃の中の物を全部ぶちまけても吐き気が収まらないキリュウの背中をさすり、ついでとばかりに頭に胸を当てようとして、桶の中身を見てしまったので離れる。流石に吐瀉物を目にしても色仕掛けを使ったからかいを続けるのは無理だったらしい。

 

「うぷっ……。す、すいません。船に慣れていなくて……」

 

「大丈夫大丈夫。シルヴィアちゃんがモンスターの相手をしてくれてるから休んでなさい。それに船乗りだって何度も吐いて慣れるのよ? 私の友達は船に慣れすぎて揺れない陸に酔ってる位なんだから。……にしても流石は武の女神。力に制限があっても撲殺ラッコの群れを一蹴してたわ。ったく、ラッコなら大人しく海底で過ごしてろっての」

 

 女神だと知りつつも一切敬う様子の無いナターシャ。同じ名前の子孫との違いは仲間だから敬う必要が無いとでも思っているのだろうが、そのシルヴィアが部屋に入って来た。

 

「……むっ。辛そうだな。待っていろ。私が楽にしてやる」

 

「え? シルヴィアちゃんって神の力も魔法も使えない状態じゃ? ちょ、ちょっと待ってっ!? どうして手刀を振り上げて……」

 

「気絶させる。それだけだ」

 

 そのまま慌てるナターシャが止める間も無く首筋に振り下ろされる手刀。よい子は真似したら駄目な荒療治でキリュウは束の間だけ船酔いの苦しみから解放された。但し気絶して。

 

 

 

 

「……シルヴィア、今回の件が終わったら存分に苛めても良いですね? 一方的に攻めます」

 

「好きにしろ。私は妻だ。……拒みはしないさ」

 

 そんな二人は今、バカップルな夫婦になっている。そうこうしている間も船は進み、やがて目的地が見えて来た頃だった。ゲルダが乗る船に向かって上空から向かって来る者が居たのは。

 

 

 

 

「……飛鳥の敵。絶対に殺す」




感想お待ちしています

もう片方のオリジナルも宜しくお願いします


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閑話 夢を見なかった二人の選択

「ケケケケ! 死ぬぜ? お前。だって絶対勝てねぇもん。あの数に突っ込むとか馬鹿丸出しだろ、マジでよ!」

 

 城へと近付けさせない為の嵐の海を上空で見下ろす私に対し、服を掴んで此処まで運んでくれたザハクが嘲笑を浴びせる。船は一切嵐を意に介さず進み、もう直ぐ到着するだろう。……それを少しでも遅らせる為に私はやって来た。

 

「……分かってる。その上で捨て駒になりに来た」

 

「捨て駒ねぇ。なーんも意味が無い捨て駒だけどな。テメーがこうしている間もオチモダチはウェイロンの野郎とお楽しみだってのによ。ケケケケ! しかも何て呼ばれてたか丸聞こえだったよ! アナスタシア! あの野郎が未だに執着してる先代勇者の仲間の名前だったよなぁ?」

 

「五月蝿い」

 

 こんな場所まで連れて来てくれたのは気遣いじゃなく、こうして私を嘲笑って楽しむ為。自分の主に執着している糞みたいな奴にそっくりだと思った。

 

「……あの船」

 

 先頭を走る船の甲板に目当ての相手を発見した私は飛び降りる。この戦いで私は負ける。これは無駄死にでしかない。でも、私が死ぬ事で仲間が奮起するなら無意味じゃない。例え何の成果も上げられなくても、明確な意味のある行動の結果なら私は……。

 

 

 

「なあ、お前は何て名前なんだ? 同じ任務を任されたんだから仲良くしようぜ。私は境鳥飛鳥。向こうで仕事中にうたた寝してるのは……って何寝てるんだよ、美風!」

 

 私がこの世界に誕生し、任務として攫った人間の監視を命じられたので向かった日、私は美風と飛鳥に出会った。最初の印象は鬱陶しい相手。他人と繋がりを持つのが嫌いな私は同胞を大切にする魔族としては多分異端。でも、どうでも良い。だって魔族が存在する事に意味なんて無いから。

 

「……ブリュー。ブリュー・テウメッソス。しつこそうだから名乗った。でも仲良くする気は無い。だって無駄だから」

 

 そう、全ては無駄。名乗らないと向こうが意地になって余計に鬱陶しいだろうから名乗りはしたけれど、それ以上はなれ合う気は無い。だって僅かな間なれ合う相手を見つける事に何の意味があるの? 私達魔族は神がその気になれば簡単に消え去る存在なのに……。

 

 

「えっと、ブリューちゃん。ブリューちゃんは魔族の世界になったら何がしたい? 私は好きな人と小さな家で仲良く暮らしたいな」

 

「私は貴族の屋敷で当主だった奴を顎でこき使って暮らしたいよ。どうせなら元の使用人より低い身分で働かせるのが楽しそうだ」

 

「……五月蝿い」

 

 なのに何が楽しいのか二人は私と仲良くなろうとしてくる。魔族の世界? うん、確かに可能。勇者を殺し、神が介入しない程度に人間を減らし、次の勇者を百年周期で見付けて即処分。それさえ可能なら実現可能。……あくまでも神が不干渉を貫けばの話だけれど。

 

 

「……ねぇ、聞いた? またリリィ様が……」

 

「使い捨ての駒ですらない。言ってみれば無駄に消費する事が目的だって感じだな……」

 

 レリル・リリス様とリリィ・メフィストフェレス様。それが魔王様直属の部下である最上級魔族の双璧の名前。そしてリリィ様の下に配属されたのが私達。気紛れで使い潰す為に使い潰される存在。その死に、その犠牲に何の意味が無い事で消耗されている。

 

「あの糞女は何を考えていやがるんだよ!」

 

 私を除く魔族は同胞が大切。多少の好き嫌いは集団だから発生する。でも、基本的に同胞の役に立ちたい。だからリリィ様の部下はリリィ様が嫌い。影でこうやって罵ってる。でも、多分知られている。飛鳥が今みたいに机を強く叩きながらリリィ様への不満を口にするのをニヤニヤ眺めていると思う。……教えるの面倒だから教えないけれど。

 

「……特に考えは無い。私とリリィ様は同類だから何となく分かる」

 

「んあ? お前と彼奴の何処が同類なんだ?」

 

「今日は疲れた。……寝る」

 

 ちょっとだけ私は心を許しているのかも知れない。だから口が滑った。これ以上追求されるのも嫌だった私は食事もそこそこにその場を離れた。

 

「あのね、ブリューちゃん。ブリューちゃんはあんな人と同類なんかじゃないよ?」

 

「……ちょっと似てる。でも、結論は違う」

 

「結論?」

 

 そう。私は一度だけ言葉を交わした時にリリィ様の事を少し理解した。向こうだって私が同じ結論に達していると直ぐに理解して楽しそうに教えてくれた。どうして部下を使い捨てるのかを。

 

 

「君だって理解しているだろう? 魔族の世界? ははははは! 無駄だよ、無駄! 神の思い付きで少し自由に動ける私達だけれど、結局気紛れ次第で消されるんだ。だったら存分に太く短い余生を過ごそうじゃないか。例えば今までの魔王や最上級魔族は部下に優しかったし、嫌われる悪辣上司として君臨するとかさ!」

 

「……無駄なのに?」

 

「ああ、結局最後は消えるんだから無駄だろうさ。でも、娯楽も美食も結局は無駄。無駄を楽しもうじゃないか」

 

「……私には分からない。結末が同じなら、その道中をどんな物にしても意味が無いのに……」

 

 リリィ様は希望を切り捨てて全てを娯楽に費やす事にした。でも、私は全てを切り捨てる事にした。只慢性で存在を続けるだけ。五月蠅いから任された事はするし、最低限の受け答えもする。それだけで構わない。

 

 

 

 

「あっ! ブリューちゃんが初めて笑った!」

 

「この無表情チビ、本当に反応しないからな」

 

「……五月蝿い」

 

 全ては無駄の筈。なのに私は二人と過ごすのが楽しいと感じてしまった。もっともっと何時までも一緒に過ごしたいと思ってしまった。魔族が支配する世界なんて所詮は泡沫の夢なのに、切り捨てた夢を見てしまった。

 

「……全部二人のせい」

 

 一度捨てた希望、諦めた夢。閉ざした心さえも友達はすくい上げてくれた。飛鳥と美風のお陰で私は自分が存在する事が嬉しいと思えた。

 

 

 

 ……でも、もう戻らない。飛鳥は死んだ。リリィ様……リリィのお遊びで化け物にされて、勇者の糧になって消滅した。美風は未だ生きている。でも駄目。あの男に心を支配されて、自分をアナスタシアだと呼び始めた。もう戻れない。楽しい時間は……終わった。

 

 

 

「魔族!」

 

 雨風が視界を邪魔する中、私と勇者の視線が交差する。勇者との戦いはこれで三度目。これで決着を付ける。

 

 

 

「……私の死は無意味にはさせない。あんな奴の娯楽の為に私達は存在するんじゃない」

 

 力を解放すれば普段は仕舞っている狐の耳と尻尾が現れて爪が伸びる。じゃあ、今から死にに行こう。僅かでも意味が存在する終わり方の為に。無意味じゃなく、誇れる最期の為に。

 

 

 

「私はブリュー・テウメッソス。勇者、お前を殺す為に来た」

 

 



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その選択に謝意を

 私は別に戦士じゃないけれど……って、少し前の私ならば思ったのでしょうね。嵐の中、上空から此方を睨む彼女と視線が交わった時、私の体は震えた。こっちは人数も多いし賢者様だって直ぐ側に居るのに向かって来る姿に心臓が普段よりも速く脈打った。

 

 恐怖による物? いいえ、違うわ。武者震いと高揚感。だって私は戦士だもの。大勢の敵と真正面から戦って打ち勝って来た。だから私は戦士だと自覚する。だって、そうじゃないと今までの苦労も敵の誇りも否定する事になるじゃない。

 

「……どうしますか? このまま結界で海に弾き落とした後、上から力を加えて溺れさせる事も、アンノウンのパンダビームでキグルミにして無力化する事も可能ですが?」

 

「地印解放!」

 

 賢者様ったら冗談がお好きね。私がどうするかなんて、同じ勇者だった人なら分かるのに。だって賢者様も私と同じで戦士じゃなかったのが戦士になったんじゃない。きっと私をからかったのね。ちょっと不満だから返事をせずに飛び出した。ブルースレイヴの反発の力で上へ上へと向かい、私が通る分だけ開けられた結界の穴を潜ってブリューと正面から対峙する。

 

「私はゲルダ・ネフィル! 貴女を倒して先に進む勇者よ! この三度目で決着ね!」

 

「……感謝する」

 

 そのお礼は勝負に乗った事への物なのだろうと思うわ。無表情だった顔に僅かな笑みを浮かべながらブリューは両手の爪を左右から振るう。彼女と戦うのはこれで三度目。

 

 一回目は彼女の能力に翻弄されてしまった。

 

 二回目は仲間二人と襲って来て、私が優勢だったけれど途中で野暮な邪魔が入って終わった。

 

 そして三回目。左右から襲い掛かる爪に対して私はブルースレイヴに魔包剣を発動しての突きで真っ向から迎え撃つ。リーチの差から先に攻撃が届くのは私。でも、切っ先が届く瞬間にブリューは例の能力を発動した。

 

「私の勝ち……」

 

 相手の攻撃を極僅かな時間だけ無効化する上に短時間のインターバルを置いて連続使用が可能な接近戦では破格の力。このまま私の一撃はすり抜け、攻撃を放った姿勢から切り替える前にブリューの爪が私に届く。

 

「いえ、勝ったのは私よ。地印……解放!」

 

 切っ先が触れる寸前、ブルースレイヴは小さな鋏サイズへと変わる。当然ブリューには届かず、能力だけが発動した。左右から迫る爪に対し、私はブルースレイヴと私の間に魔法陣を発動する。反発によって私の手からブルースレイヴは離れ、逆に私は後ろへと飛ばされた。前方に進んでいたのに急に後ろに飛んだから揺さぶられた感じが気持ち悪いかった。

 

「……魔包剣」

 

 飛んだブルースレイヴの切っ先が今度こそブリューに触れた瞬間、魔力の刃が纏わりついて腹に突き刺さり、そのまま突き抜けた。空中で力無く腕を垂れさせるブリュー。天印を発動させてブルースレイヴを回収すると彼女は光の粒子になって消えていた。

 

「……お願い。リリィを倒して……」

 

 絞り出すような声で弱々しい呟き、そのままブリューは完全に浄化されて消え去る。……ええ、分かっているわ。本当は仲間の筈の貴女にそんな事を言わせるような奴は私が絶対に倒すんだから……。

 

 魔族は浄化されれば原則として消える。魔王だけは次の魔族に記憶を受け継がせる双だけれど、基本的には終わりだわ。生まれ変わりもしない。でも、もしも神様でさえ知らないだけで転生するのなら、あの仲が良さそうな仲間と再び友達になって欲しい。そんな風に願ったわ……。

 

「でも先ずは……必ず皆助けて見せる!」

 

 こうして高く飛び上がれば嵐の向こうに目的地がうっすら見えてた。七割程度完成した大きな城で微かに嵐の中で働かされる人達の姿が見えた。賢者様が居る以上は嫌がらせとしては中途半端な嵐だけれど、こうして巻き添えを受けている人達を見れば挑発としては十分ね。……良いじゃない。その喧嘩、買ったわ。

 

「絶対に容赦しない。全力で叩き潰してあげる」

 

 強風に煽られながら落ちる中、私は静かに呟く。右手を船に伸ばせばグレイプニルが私の腕に絡み付き、船へと引き寄せた。

 

「ったく、無茶しやがって。もう少し安全に戦えよ。着地とか考えてなかっただろが」

 

 そのまま私をキャッチしたレリックさんは小言を言って来るけれど心外だわ。その場のテンションに身を任せたのは否定しないけれど、ちゃんと倒した後も考えての行動だったのに。

 

「あら、考えていたわよ? ちゃんとレリックさんが引き戻してくれたじゃない」

 

「だったら先に言えよ、先に……」

 

 あれ? 余計に呆れられたわね。所で今の私ってレリックさんにお姫様抱っこをされている状態だけれど何時までしている気なのかしら? さっさと降ろして欲しいし、それにしても……。

 

「レリックさんにお姫様抱っこされても全然恥ずかしくも嬉しくもないわね。女神様が賢者様にされてるから何か感じると思ったのだけれど」

 

「嬉しくないのは俺もだ。テメェみたいな餓鬼を抱っこして嬉しい変態と一緒にすんな。俺はロリコンじゃないんだからな。……俺はロリコンじゃないからな、マジで」

 

「二度も言う辺り、本当に気にしているのね、ロリコン扱いされるのを」

 

「……同情の眼差しは止めろ。余計に傷付く……」

 

 私を降ろしながら呟くレリックさんの顔は悲しそうだった。確かに私と一緒に過ごした期間だけでもロリコン扱いを何度もされたもの。ラッキースケベや女性にだらしがないせいで余計に変な目で見られているのね。……そんな風に同情したのだけれど、レリックさんは余計にショックだったみたい。

 

「男心って難しいわね、アンノウン」

 

「そりゃ十一歳のゲルちゃんには難しいよ」

 

「……アンノウンがマトモな事を言ったっ!? 槍でも降るんじゃないのかしら!?」

 

「いや、僕も偶~には真面目に受け答えするよ、多分きっともしかして」

 

「自分の事なのに随分とあやふやなのね。……アンノウンらしいけれど」

 

「だね! ……それはそうと番人っぽいのがお出ましだよ」

 

 海がせり上がり、その存在は姿を現す。珊瑚みたいに色鮮やかな鱗を持つ海龍。鋭い爪と牙を剥き出しにして、その山脈を思わせる巨躯で私達を見下ろす。うなり声は上げない。威嚇などせず今にでも襲って来る意思を爛々と輝く瞳に宿し、イカを思わせる下半身の触手が森の木々みたいに海から突き出された。

 

『『ドラゴクラーケン』海に生息するモンスターの頂点に君臨する種族。高い知性と頭だけになってもやがて全身を復元する程の生命力、他の海のモンスターとは隔絶した戦闘力を持ち、神の怒りの具現化だと信仰対象にさえなっている』

 

 解析で分かったのは僅かな情報。だけれども少しだけの情報でもドラゴクラーケンの強さが伝わって来たわ。恐らくは今まで戦った敵と比べても数段上。更に海上戦となれば苦戦は必死でしょうね……。

 

 

「……はっ! 上等だ。やってやるぜ!」

 

「そうね! 相手にとって不足無しだわ!」

 

 ちょっとの強がりを込めた啖呵と共に私とレリックさんは構え、相手を迎え撃つ準備を整える。でも、私達やドラゴクラーケンが動くよりも先に女神様が斧を振り上げ船から飛び出していた。

 

「準備運動には丁度良いな!」

 

 その斧が振り下ろされた瞬間、嵐が吹き飛んで海が文字通りに割れた。生じた衝撃波は一瞬でドラゴクラーケンを引き裂いて粉々にして海の藻屑に変えてしまったわ。斧の一振りで天候を変え、海を割り、上級魔族すら凌駕するモンスターを粉砕する。これが武を司る女神シルヴィアの力なのね……。

 

 

「……なあ。シルヴィア様って力を封印してんじゃなかったのか?」

 

「神様のする事だから何か不備が有ったんじゃないかしら? それか封印されてあれなのかも」

 

 唖然とする私達だけれど、とある考えは一致していたわ。もし封印に不備があったとして、その理由が何なのか……。

 

 

 

 

「「多分イシュリア様の仕業ね(だな)」」

 

 



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友を思う

 元々が素人の寄せ集めに造らせた城。だから所々不備があるし、それを理由に粛正を行って来た……のだけれど。

 

「真っ昼間からお盛んねぇ。あの部屋からなら声が辺りに漏れるって知っているでしょうに、特殊なプレイかしら?」

 

 私こと蜃 幻楽(しん げんらく)はベッドに横たわりながら聞こえて来る情事の際の声に耳を傾ける。厳つい見た目の色黒の巨漢って私だけれど、基本的にやる事が無いのでこうしてゴロゴロするだけよ。だって基本的に私の役目は幻術で侵入者の妨害と逃げ出した子の捕縛をする事。実働部隊として飛び回るのは美風ちゃん、飛鳥ちゃん、ブリューちゃんの三人だもの。いえ、三人だものと言う方が正しいわね。

 

「あの時、リリィ様が命令なんかしなかったらこんな事にはならなかったのにねぇ……」

 

 あの日、飛鳥ちゃんが死んでから美風ちゃんは毎日のようにウェイロンを求めて抱かれていたわ。

 

「ウェイロン、もっと! 私を、アナスタシアを好きならもっと愛して!」

 

「恥じらいが一切無いわね、あの子。ちょっと前まで抱かれたら暫くは丸分かりな位に恥ずかしがってたのに。あんな大声じゃ外にも響くんじゃないかしら?」

 

 空調を通して響く声は美風の物。でも、名乗っている声は別人の物で、口調どころかイントネーションまで別人の物へと変わっている。ああ、普段の態度も変わったわね。ちょっと前までは気弱で少しドジな感じだったのに、今じゃ強気でハキハキ喋るんだもの。まるで今名乗っているアナスタシアって名前の怨敵みたいにね。

 

「他人の恋路に口を出すのは野暮だけれど、心配よねぇ。まるっきり駄目な相手に惚れちゃってるし、身内からも不満を持たれるわよ」

 

 私は厳つい見た目をしてはいるけど、これでも面倒見は良い方だって思っているわ。だから心配でたまらず、天井を見上げながら呟いた。だってそうじゃないの。ウェイロンもアナスタシアも先代勇者の仲間なのよ? 只でさえアナスタシアにお胸以外は似ちゃってるのに、その上態度も名前もアナスタシアだなんて。

 

「リリィ様も何を考えているのかしらん? なぁんにも考えず、私達を困らせたいってだけかも知れないけれど、魔王様が止めてくれたら良いのに。命令されれば即座にウェイロンを殺しに行くわよ、私なら」

 

 フッと紫煙を吐き出して城全体を軽い幻術で包む。外じゃ勇者一行への嫌がらせの嵐が吹き荒れているし聞こえないでしょうけれど、中で作業している連中には聞こえちゃうもの。急に自分の声さえ聞こえなくしてあげたから混乱しているでしょうが、ミスしたらそれを理由に殺されるんだから頑張りなさいよ?

 

 ……ああ、それにしても今回の魔王様は変だわ。幾ら何でも最上級魔族の二人……いえ、リリィ様に好き勝手させて自分は姿も見せないんだから。一度だけ誕生なさった時に拝見した限りじゃ気の強そうな美女だったけど、私の見込み違いだったかしらね?

 

「……また聞こえた。一体どれだけ盛ってるのかしら? 片方死人だから子種だって死んでるでしょうに。アナスタシアもアナスタ……っ!」

 

 自然と口からこぼれ落ちた言葉に私はハッと気が付き両手で自分の頬を強く叩く。今、私は自然と美風をアナスタシアって呼んでいたわ。幾ら本人がその名前を名乗っても、仇敵の名で仲間を呼ぶだなんて嫌だから受け流していたのに。その理由は一つだけ心当たる。気が付けば私はベッドに拳を叩きつけて破壊していた。

 

「やぁってくれるじゃないのよぉ! あの初恋拗らせ根暗陰険男、完全に喧嘩売ってるわね。……そっちがその気なら別に良いわ。後でリリィ様に叱られようが相手してあげる」

 

 口の中を漂う紫煙をゆっくりと吐き出す。薄く薄く、どれだけ感覚が鋭くても気が付かない程に時間を掛け、城全体に幻術が広がっていった。私って幻術が使えなければ上級魔族には数えられない程度の戦闘力しか持ってないわ。精々が中級魔族の上の中。

 

「……勇者の仲間だろうが何だろうが、私の土俵に引きずり込んでやるわ」

 

 亀の歩みより遅く、ゆっくりと世界が書き換えられる。別段何かを付け足す程ではなく、逆に何も変えない。私が何をしても、何もしていないように誤認させる。当然だけれど大規模な事をしたりドタドタと踏み込んだらウェイロンに感づかれるわ。

 

「この程度なら貴方でも分からないでしょう? どれだけ強くても不意打ちに耐えられるかしらね」

 

 指先に現れる小さな小さな冷気の球体。でも、これは私の魔力を凝縮した物。それを通気口を通し、周囲に存在を溶け込ますように……。

 

 

 

「凍りなさい。永遠にね」

 

 美風の体に夢中になり獣欲を露わにするウェイロンの背中に向かって冷気が音もなく迫り、一瞬で芯まで凍らせる。どんな能力を持っていても考える事すら出来なかったら意味がないものね。

 

 

 

 

「……さてと。先生に頼まれた通りに始末が終わったし報告に行こうかな。随分と盛ってるから嫌だけどさ。保護者の情事とか見たくないよ」

 

 城全体に幻術を展開、離れた場所から先生を氷漬けにしようとしていたマッチョオカマを凍らせ、粉々に砕く。最期まで自分がお得意の幻術を使われてると思うと笑えるよね。

 

「……ザハク、早く帰って来ないかなぁ」

 

 老化の窓から外を見れば嵐だし、日向ぼっこで昼寝って選択は取れないのが面倒だ。ああ、暇なら遊びに来いってリリィが言ってたっけ?

 

「是非来てくれよ、ネルガル君。君を男にしてあげよう」

 

 ……うん。思い出しても寒気がして来たぞ。ゾワリとした物を自分の体を抱きしめて耐え、先生の部屋に向かう。扉から声が漏れてるし、少し変な臭いまでして気分が悪くなりそうだ。

 

「先生、未だ終わらないの? ……聞こえちゃいないか」

 

 ドアを開いて声を掛けても先生と美風……いや、アナスタシアは互いに夢中だ。あれだけベタ惚れだった美風は兎も角、先生までどれだけ夢中なのさ。まあ、理由は分かるけれど、一つしか感想が出て来ない。

 

 

「……気持ち悪い。全然理解不能だよ」

 

 美風がアナスタシア? 本人や周囲がそんな認識をして、中身まで先生の記憶通りになったとしても所詮は別物だろうにね。

 

「……代用品が模造品になっただけじゃないじゃ」

 

 窓の外から遠くを見ればドラコクラーケンがバラバラにされていた。こりゃ勇者の到着も後少しか。

 

 

 

 

「面白そうだし相手をしてあげようか。魔人となった僕と怪物になった彼女でさ」

 

 勇者がどんな顔をするのか楽しみだね。……アビャクを倒した奴は必ず殺してやる。



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妹を思う

 ……友人、恋人、仲間。大切な存在って奴は色々な種類が有るが、俺にとって一番大切なのは家族……だった。一度は全部失って、大勢の女と軽い繋がりを結んだのも穴埋めの積もりだったのかもな……。

 

「いよいよね。今まで幾つも潰して来たけど、あのお城が魔族の本命。ねぇ、賢者様。今回の件が済めば次の世界に行けるのかしら?」

 

「微っ妙な所なんですよね。私の活躍の割合次第ではギリギリ足りなくて他でどうにかする必要が有る位です。私の時も目立つ事件を粗方解決しても足らず、功績を稼ぐのに苦労しましたし、今回で終わらせたいですよ」

 

「最後はチンピラやら詐欺師を捕まえていたからな。魔族が居れば、そんな本末転倒な事さえ思ったぞ」

 

 全部失った、そう思っていたのに生きていてくれた大切な家族。生まれる前から絶対に守ってやろうって誓っていた妹と出会えたのは奇跡だよな。ましてや勇者として世界の命運を背負った妹の仲間として共に戦うなんてよ。

 

 目の前には魔族の居城。ゲルダは決意に満ちた瞳で前を見据え、これが終わった後の事も気にしているらしい。ったく、先ばっかり見ていたら足を掬われるってのによ。

 

「次は……パップリガか」

 

 パップリガ、俺の生まれ故郷であり、二度と足を踏み入れたくない場所であり、俺の過去に決着を付ける為に行かなけりゃ駄目な場所だ。ゲルダが前を向いているなら、俺は後ろばかりを気にしている。……消えないんだよ、憎悪が。

 

「レリックさん、私達次第で救える人の数が変わって来るわ。頑張りましょうね!」

 

「当然だ。足を引っ張るんじゃねぇぞ!」

 

 俺とゲルダは拳をぶつけ合わせ気合いを入れる。正直言えば他人よりたった一人の妹を優先したいが、そうしたら心を守ってやれねぇんだよな。一旦憎悪をしまい込み、今戦う敵に集中する。全ては守り抜くべき家族の為に。俺の命よりも大切な妹の為に。

 

「まあ、片手間でお前も助けてやるから安心して戦えや。仲間なんだからよ」

 

「ええ、私もレリックさんを助けるわ」

 

 ゲルダは明るく前向きで、そして純粋だ。俺とは大違いでな。……だからこそ俺はゲルダに兄だとは告げない。巻き込まない為、穢さない為。俺は此奴の家族になっちゃ駄目なんだ。

 

 

「では作戦を確認しましょうか。擬獣師団とクルースニクは島のモンスターや逃亡を図った魔族の足止め。ゲルダさんとレリックさんは……」

 

「城に突っ込んで魔族をぶっ倒すだったっすよね?」

 

「ええ、ウェイロンの相手と……囚われている人達の保護はお任せ下さい」

 

 城の周辺では嵐だってのに過酷な労働をさせられている連中と見張りのモンスターがどっちも大勢だ。普通なら下手に接近すれば人質に取られたり戦いに巻き込まれる。こりゃ下手に手出し出来ない状況だ。

 

「……こうして賢者と呼ばれるに至った過程で得た力を振るう度に思うのですよ。この魔法が勇者時代に使えれば、あの時救えなかった人を救えたのにと。……傲慢ですけどね」

 

 但し、それは普通の状況ならだ。伝説の賢者様が手を貸してくれるって状況は普通じゃねぇよな? 少し憂いを滲ませながらも賢者様は手を前に付きだし、モンスターに囲まれていた連中は全員透明の膜に包まれた。

 

 興奮した様子でモンスターが膜を破壊しようとしてもビクともせず、逆に振るった爪や牙が欠けている程だ。至近距離に迫るから怖いだろうが、これで安心だな。……これでゲルダが何も気にせず戦える。



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聞こえた声

感想中々増えない


「糞っ! どんだけ入り組んでるんだよ、この城は! 住むのに不便が過ぎるだろ、馬鹿が!」

 

 魔族が放つ強烈な悪臭を頼りに場内を進む私とレリックさんだけれど、これで何度目かの行き止まり。壁の天井付近に僅かに開いた穴から臭いが漂って来ていたわ。それに誘われて通路を選んで今に至る。あーもー! レリックさんじゃないけれど悪態だって付きたくなるわ。

 

「あれ? この壁、ヒビが……来る!」

 

「キシャアアアアアアア!!」

 

 目の前の壁にヒビが入り、無数の大蛇が鎌首をもたげながら襲い掛かって来た。一匹一匹の大きさは口を最大まで広げれば小さな子供を丸呑みに出来そうな程。それが壁や天井を削りながら密集して迫っている。でも、只何匹もが密集しているんじゃないわ。尻尾の方を目で追えば広い通路に中心に巨大な目玉を持つミチミチに詰まった袋状の物体に繋がっていたの。

 

「ゴーゴンキンチャク!?」

 

 そう。アレは私が勇者継承の儀で戦ったモンスター。でも、あの時よりもずっと大きいし、強い。魔包剣で縦に切り裂いた蛇の頭は直ぐにくっつき、胴での凪払いを防げば腕にビリビリとした痺れが走る。あの時の私とは比べ物にならない程に強くなっているのにこれって事は…着ぐるみ。

 

『『キングゴーゴンキンチャク』ゴーゴンキンチャク種の上位種。強烈な毒液と再生能力を持ち、他のモンスターでさえ補食して体力を回復させる。胴体の目玉が弱点』

 

「上位種! 多分キングとか付いてるから凄く強い!」

 

「……単純だなぁ、テメェ。まあ、大体そうだけどよ。覚えておきな。偉そうな名前のモンスターは大抵強い。見た目に騙されるなよ?」

 

「そうなの? レリックさんって物知りなのね」

 

 本当は賢者様から既に習ってるんだけれど、此処は得意そうに教えてくれているレリックさんの顔を立てるのがレディだから黙っておきましょう。それに余計なお喋りをしている余裕はくれないもの。

 

「シャァアアアアアアアアッ!」

 

 キングゴーゴンキンチャクの蛇の内、三匹が私達に向けて毒液を吐き掛け、残りが天井や床や壁を貫いた。レリックさんがグレイプニルを振り回して毒液を弾き飛ばせば飛び散った場所が煙を上げて溶けて、続けざまに壁や床が盛り上がって蛇の頭が飛び出して来る。

 

「もう! 後先考えずに壊して!」

 

 そこら中が穴だらけだし、こんなんじゃ雨風を防げやしないわ。床だって穴に足を突っ込みそうだし、住むに不便じゃないの。

 

「敵の住処だ、気にすんな! どっちみち終わったら俺達がぶっ壊すんだからよ!」

 

「あっ、それもそうね」

 

 蛇は縦に切り裂いても断面が直ぐにくっついた。なら、次はと頭を切り飛ばせば胴体がのたうち回って動きを止める。やった!

 

「レリックさん! 全部私が切り落とすから……わっ!?」

 

 気配を感じて咄嗟に構えれば切り落とした蛇の頭が跳ねて飛び掛かって来ていた。断面は肉が盛り上がって塞がり、ボールみたいに跳ねて私に向かって来る。でも、私がまた弾き飛ばす前に横合いから伸びたレリックさんの手が掴み取った。

 

「油断すんな、アホ! 強いって言っただろ!」

 

 レリックさんは蛇の頭をキングゴーゴンキンチャクに投げるけれど、間に割って入った他の蛇の胴体に遮られる。……ちょっと面倒ね。正直言って侮っていたわ。レリックさんが助けてくれたから良いけれど、余計な消耗をするところだったもの。

 

「ごめんなさい。助かったわ、ありがとう」

 

「……次から気を付ければそれで良い。おい、いい加減面倒だ。俺達は魔族の相手を任されたんだぜ? なら、こんな所で足止め食らっていたら……シルヴィア様に何を言われるやら……」

 

「未熟だって言って修行がハードになるわね。……アンノウンからも何か言われそう。確実に腹が立つ内容を」

 

 女神様が修行を過酷にすると言い渡す姿を想像して二人揃って身震いし、アンノウンが得意そうに飛び出したのに手間取った事を笑って来る姿を思い浮かべてイラッとする。

 

「さっさと終わらせるわよ。レリックさん、蛇をお願い」

 

「まあ、俺の方が適任だしな。本体は譲ってやるからさっさと決めろ。ノロマなら俺が本体も貰うからな」

 

「……手合わせで私に負けた癖に」

 

「上等だ! これが終わったら今度こそ俺が勝つ!」

 

「シャァアアアアアアアアアアアッ!」

 

 無視をするなとばかりに迫る蛇達。爬虫類の癖に妙に頭が良いわね。でも、それが命取り。頭が良くなった事で怒る事が増えて、今こうして短絡的な行動に出てるのだから。真下から迫るグレイプニルの切っ先が一匹の胴体を貫き、そのまま貫通して次々に蛇に向かって行く。当然再生するけれど、再生する肉が鎖を食い込ませるだけ。再生能力が強いのが仇となったのね。

 

「動くな、雑魚が」

 

 最後の一匹の胴体を貫いたグレイプニルはそのまま伸び続け、全ての蛇に何重にも巻き付いて縛り上げた。締め付けは蛇の得意技なのに皮肉な話だわ。キングゴーゴンキンチャクの本体の目玉はギョロリと動き蛇を引き戻そうとするけれどレリックさんが足を踏ん張ってそれを許さない。

 

「さっさとやれ」

 

「言われなくても!」

 

 ブルースレイヴとレッドキャリバーを交差する様に振り抜き切り裂く。本体が死ぬと同時に蛇も息絶えて動かなくなる。レリックさん、肉が締まってるからグレイプニルを引き抜くのが大変そうね。

 

「レリックさん、オマケが来たわよ。えっと、ダツヴァだったかしら?

 

「鬱陶しい!」

 

 一撃で倒せる相手だし、別に体力的には大丈夫な相手だけれど、流石に精神的に疲れて来たわね……。うわぁ、鳥の羽が散らばった上に穴から見える外壁がデコボコだわ。

 

「このお城、本当に居住性なんて考えてないわね。さっきも廊下の床が抜けていたし、壁にだって穴が開いてて……あら?」

 

 ふと気が付く。そうよ。簡単な話だったじゃない。建物の中が複雑で迷うなら、迷わない様にすれば良いだけなのよ。

 

「ねぇ、レリックさん。私、良い考えが有るのだけれど」

 

「奇遇だな。俺もだ。この鬱陶しい城の内部を進み易くするアイデアなら有るぜ」

 

 あらら、流石ね。子供の頃から色々と荒事に関わって来たって聞いたけれど、私みたいな思い付きと違って何か良い案でも有るのかしら? 最近は冤罪みたいなのも含めてレリックさんに落胆する私だけれど、この時は敬意を表したわ。

 

「「壁をぶち破る!」」

 

 

 ……えっと、これはレリックさんが私程度って思うべきなのか、それとも私がレリックさんに追い付けているって思うべきなのかしら? 私とレリックさんは同時に同じ言葉を発していたの。ちょっと乱暴で力業ね。でも、何となく案が合致するのは嬉しいわ。目の前の壁を一気に跳ぶ。互いの蹴りによって分厚い壁が砕けて大きな穴が開くのは直ぐ後だった。

 

 

 

「……うわぁ。見事に脳味噌筋肉な行動だよ。まあ、別に良いさ。ちょっと付き合ってよ。勇者に用事があるって子が居るんだ。お兄さんの方は……僕と遊んで欲しいな」

 

 突如聞こえた少年の声。それと同時に目の前の景色が切り替わった……。

 

 

 

 

 

「ねぇ、どんな気持ち? 威勢良く飛び出したのに呆気なく罠にはまるってどんな気持ち? プップ~!」

 

 ついでにアンノウンの声も聞こえた。いや、話し掛ける手間を助けるのに使いなさいよ。



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棚上げ

「ねぇ、ネルガル君。この世は不平等な事ばかりだと思わないかい? あまりにも差が有りすぎる」

 

 (嫌がる)ネルガルを(無理に)誘っての食事の席にて、パワハラの常習犯であり誕生した時点で高い地位と力を持ったリリィは語る。ネルガルは毎度毎度指摘する性格ではなく、ザハクが不在な為にツッコミ役が存在しない。尚、彼女には自分が不平等の世の中にて偏りが来ている側であると自覚していた。白々しさの固まりである。

 

「富豪と貧民、貴族と平民、強者と弱者。正義や努力じゃ覆せない物は世の中に多いし、じゃなければ僕はこうして此処に居ないよ。そうでなければ、一応英雄候補ではあったんだし、年の近い勇者の為に仲間に選ばれていたんじゃないかな?」

 

 裕福ではない村に生まれ、横暴な領主に全てを奪われた少年は怒りの感情さえ出さずに語る。仇は既に他の者の手によって罪を罰せられ、村が滅んだ理由の一つであった姉を裁いても達成感は無い。元から死に掛けだった心が余計に冷えるだけだ。

 

「英雄候補……実に皮肉な名称だとは思わないかい? そして残酷な存在だ。偶々覚醒したら凡人の努力なんて一笑に付すんだからさ」

 

 ネルガルは淡々と意見を述べるのに対してリリィは楽しそうに語った後で何やら思い浮かべた様子で恍惚の表情。それを見たネルガルは露骨に嫌そうな顔になった。此処に来て感情の発露である。世の不条理に対して十歳で達観した意見を口にする彼だが、露骨に好意を示す目の前の少女にだけは悍ましさを感じているらしい。

 

「ふふふふふ。君が勇者の仲間だったら、私と君は許されざる恋仲だったって訳だ。いや、私が君への想いを募らせて拉致監禁していたかもね」

 

 同胞である筈の者達をあっさりと切り捨て、路傍の石ころとさえ思っていない少女が見せるのは恋する乙女の顔。元が蠱惑的で整った顔立ち故に年の離れた相手であっても魅力を感じた事だろう。だが、世の中には例外が存在しネルガルは正にそれだ。

 

「僕は君との恋だなんて許す気もないし、拗らせて歪ませた恋心を募らせるのは妄想の中だけにして、口には出さないで欲しいんだけど?」

 

「……一応君は私の指揮下に入っているんだけど? 服従し、足を舐めるなり手の平にキスをするなりしたらどうだい? ほら、そんな姿を想像してご覧よ」

 

 数々のアプローチに対してそもそも本気なのか否かは別として此処まで袖にされるのは不服らしくリリィは少々セクハラじみた要求の後、自分でも想像した光景に幸せそうで蕩けてしまいそうだ。この時、彼女は下着が湿り気を帯びたのを感じていた。

 

「……おぇ。想像したら気分が悪くなったから、これ以上ご飯は要らないや。ああ、それと通常範囲内の業務しか受けないから。先生のついでに手を貸す約束はしたけれど、契約外は契約外さ」

 

 リリィの要求に一切取り合わないままネルガルは食事の大半を残したまま去っていく。具体的に言うと主菜の肉料理と付け合わせのポテトフライは口にするも人参のポタージュやサラダには殆ど口にしていない。ザハクが居れば口喧しく食べろと叱り、リリィを口汚く罵った事だろう。

 

「……」

 

 後に残されたリリィは俯き、そして少し震えている。まるで屈辱や怒り、はたまた悲しみに暮れているかの様に……。

 

 

 

 

 

「あはぁ! ネルガル君ったら私の手にキスをしたり足を舐める姿を想像してくれたんだ。あははははは!」

 

 突然響く嬉しそうな声。自らを抱きしめる彼女の顔は喜色で満たされ、少々気色が悪い。全く別の理由で震えていたリリィは実に幸せそうで、後から姿を目撃したビリワックの胃に更なる深刻なダメージを与えそうだ。だが、きっと大丈夫。上級魔族の胃壁は頑丈だ。ストレスによって痛みはしても簡単には穴が開かない。休む理由にならない程度の胃痛が続くだけなのだ。

 

 

 

「さてと、あの子の活躍も楽しませて貰おうかな。あはは! 私ったら浮気性だね。でも、ゲルダへの恋心も真実なんだ。あの顔が曇るのを想像しただけで……」

 

 この時のリリィの顔は絶頂に達したかの如くであり、少女の見た目には相応しくない物だ。それでも似合ってしまう怪しい色気も持ち合わせていた。

 

 

「じゃあ、あの子の名前を決めなくちゃ。折角ゲルダの為に用意したプレゼントだからね」

 

 懐から水晶玉を取り出して眺めれば嵐の中を進む船が三隻見える。先頭の船をズームすれば見えたのはゲルダの姿。思わず笑みを浮かべた所で水晶玉は突如爆発し、リリィの手を骨の芯まで焦がした。肉が焼き焦げ骨が露出した手を見詰めたリリィは少しだけ残念そうにすると立ち上がる。その手は見た目だけは綺麗な見た目に戻っていた。

 

「ああ、そうだ。こんな名前なんてどうだろう? ……それにしても最初から思っていたけど、ウェイロンの奴って気色悪いよね。拗らせるにも程がある」

 

 偶然なのか呟くリリィの目の前には高価そうな花瓶が置かれ、鏡のような表面に彼女の姿が映っていた。

 

 

 

「ちっ! 罠かよ」

 

「自分が情けないわ……」

 

 迷いながら進むのは面倒だと壁を破壊しながら進むという選択肢を取ったゲルダとレリックであったが、壁を壊して先に足を踏み入れた途端に景色が入れ替わってしまう。それが転移魔法陣によるものだと悟ったレリックは不機嫌さを隠さず、ゲルダは不甲斐なさにうなだれる。恐らくは転移時に聞こえた声、特にアンノウンによる嘲笑が堪えたのだろう。だが、そんな状態でも周囲の状況判断は怠っていない。

 

 二人が立っているのは剥き出しの地面でドーム状の室内。微かに流れ込んで来る匂いが城の何処かだと報せるも薄暗く扉や階段が何処に有るのかも分からない。ぶち破る壁も遠目に見える距離だった。

 

「取り敢えず壁際まで行って出口を探すぞ。ぶち破って罠がまた発動とかは勘弁だ。あの珍獣が確実に笑うし、あまりにも情けないからな。……てか、俺は本当に何を考えていたんだよ、マジで」

 

(どうしようかしら? 何か励ましの言葉を……)

 

 流石に自己嫌悪に陥るのかレリックは頭を抱え、ゲルダは自分も同じ意見を出したのを無視して彼を慰める言葉を考える。何だかんだ言っても十一歳のお子様だ。レリックもまた二十程度の若者。どんな経験を積んだとしても変わらない事実は存在する。

 

 

 

「「来た!」」

 

 二人の表情が一瞬で切り替わる。空中に出現した魔法陣。途端に漂う魚独特の生臭さに腐臭が混じった悪臭。現れたのは巨大なエイに似た異形の怪物。挨拶代わりとばかりに口が大きく開かれた時、内部の細かく鋭い無数の歯が二人に向かって飛ばされた。

 

 

 

 

 



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戦う理由

 鼻の中を刺す様な刺激臭は腐敗臭と混ざって嫌でも涙が出てしまう。

 空調設備なんか無くて風通しが悪い密室じゃ臭いが籠もって困ってしまうわ。

 

「おい、目を逸らすなよ? ちゃんと向き合え」

 

 ……でも、辛いのはそれだけじゃない。

 

 レリックさんの発した厳しい言葉の通り、私は涙で視界が悪くなるのを理由にして見たくない物から目を逸らしていたの。

 転移した先で相対する巨大なエイのモンスターの額にあるのは間違い無く人の顔で、咄嗟に行ってしまった鑑定魔法が正体を嫌でも告げて来たわ。

 

『『デミ・バハムート』魔族ではなく人を宿主にしたカースキマイラ。空中を自在に泳ぎ、猛毒の刺を持つ尻尾や無限に生え替わる鋭利な歯で戦う。宿主の記憶を持っているが、精神は完全に別物であり、最後に抱いた憎悪のままに暴れる』

 

「あの子は……」

 

 私は取り込まれた子の事を知っている。

 

 直接見た顔じゃないけれど、似た顔の人を知っている私には誰か分かったの。

 良心の呵責に苦しみながらも誘拐された子供を救う為に私を襲い、最後には私が勇者だと知って信じて託して欲しいって言った直後にみすみす死なせてしまった人によく似ていた。

 

「ゆうしゃ、ゆうしゃ、ゆうしゃさぁ~ん! どぅしておかぁさんをみっすてたの~?」

 

 デミ・バハムートがゆっくりと口を開け、聞こえて来たのは怪物ではなくって女の子の声。

 でも、明らかに正気じゃなくて、完全に狂ってしまった人の声。

 私は助けるって言ったのに守れなくって、目の前でお母さんを死なせてしまった事を彼女が守りたかった相手から責められている。

 反論も言い訳もしないし、出来ないし、何をすべきかだけは分かっているわ。

 

「いた、いた、いた、いた、いっただきまぁ~す!」

 

 私達を敵……いえ、餌と認識して大きな口を広げながら向かって来るデミ・バハムートだけれど、地下の壁の至る所から伸びた蔦が体中に絡み付いて動きを封じる。

 賢者様曰く、無詠唱で魔法を発動出来ない場合、(そもそも可能な方が珍しいんだけれど)、決め手になるのはどれだけ速く詠唱を唱えられるからしいわ。

 お腹のポケット越しに魔本に振れ、小声で素早く詠唱を終えた魔法は見事に相手に認識される事無く発動して効果を発揮する。

 

 でも、多分長くは保たないわね。

 デミ・バハムートの体の表面にはヤスリを思わせるウロコがビッシリ生えて、抜け出そうともがく事で蔦を削って行ってるし、此処で下手に手を出せば拘束を解く手伝いになりそうだから、出来て準備を整える位かしら?

 

「レリックさん、彼女がカイよ」

 

 だから敢えて口にしておきましょう。

 レリックさんに教えるのと同時に自分に言い聞かせ、誰を相手にするのか心に刻む為に……。

 

「成る程な。自分の娘の為に守られる訳がない約束を信じてお前を殺そうとした奴の娘らしい発言だぜ。甘やかされて育った餓鬼と思ったが、勝手な理想を押しつけて、違ったら憎むんだからよ。……おい、迷うなよ? 逆恨みに付き合う義理は無ぇし、名前も知らない何時か何処かで救えなかった奴は山程居るんだぜ」

 

 カイを酷く貶すレリックさんは一見すれば自分が気に入らないから怒ってる風にも見えるし、普段の言葉からして自分でそう振る舞ってるんじゃないかしら?

 でも、私は優しさから、私への気遣いからだって知っているわ。

 

「ふふふ。レリックさんったら優しいわね。でも、もう少し言葉を選んだ方が良いんじゃ無いかしら? じゃないと誤解されちゃうわよ」

 

 遠くの悲鳴は聞こえないし、見えもしない程に距離が離れていれば手を伸ばされても掴めないなんて子供でも分かる理屈よ。

 でも、人は勇者に理想を求めるし、奇跡なんて起こして当然で全ての人を救ってこそだって勘違いしているし、私だってしていたわ。

 それが傲慢だって分かっていても私は自分を責めたし、今でも責めたい気分だけれど、今の私が感じているのは自責の念じゃなくて別の物。

 

 希望、それを感じているの。

 

「分かっているわよ。ちゃんと倒す。……でも、殺さないからレリックさんも手加減してね?」

 

「あっ? ……あー、はいはい。テメェも大概他力本願で結構だ。チビなんだから、そうやって仲間に頼れ。俺も可能な限りは力になってやるよ。こんな風にな」

 

 戦う事に迷いがないと言えば嘘になるけれど、別に戦いたくないからって迷いながら相手をする気だって無いわ。

 私が抱く希望は、勇者って存在に人々が抱く物と似ている様で少し違う、相手の事をちゃんと知った上での信頼に基づく物なのよ。

 賢者様……もしくはアンノウンだったら、目の前の怪物になってしまった少女を救える可能性が有ると私は思い、レリックさんも最初は怪訝そうだったけど直ぐに私の考えを察したのか頷いてくれた。

 

「ほら、戦う前にこれを貼っとけ。完全に消したら臭いで感知が出来なくなるけど、こんな酷く臭い中じゃ戦うのは辛いだろ」

 

 相変わらずのぶっきらぼうな態度で優しさを隠しながらレリックさんが私の胸にお札を張り付ければ涙が出る程に酷かった臭いが薄らいで行ったわ。

 それと同時に蔦が切れてデミ・バハムートが自由になったけれど、今度は魔法を警戒してか直ぐには襲って来ずに周囲を旋回するばかり。

 

 

「これは私達を餌でなく敵と認識した証拠よね。……所で胸に触るのはどうかと思うわ?」

 

「はっ! いもう……芋臭い貧乳娘の胸に何も感じないから安心しろ。じゃあ、どうでも良い事は忘れて敵に集中しろ」

 

「……まあ、変な事を考えている様子も無かったから今は忘れましょうか。うん、今は……」

 

 じゃあ、覚悟を決めた事だし戦いましょうか。

 

 

 デュアルセイバーをレッドキャリバーとブルースレイヴへと分割し、空中を自在に泳ぐデミ・バハムートへと意識を向ければ軽減された臭いが居場所を教えてくれて死角に居ても居場所が手に取るように分かる。

 これなら十分戦えるし、気絶させる程度に抑える手加減だって出来そうね。

 相手を倒す為じゃなく、救う為に戦うだなんて少し変な気分だけれど、偶には良いんじゃ無いかしら。

 

 レリックさんと一緒なら何もかも可能だって、そんな錯覚さえして来たわ。

 

 

「ねぇ、その子だけじゃなくて僕とも遊んでよ。……お兄さんの方にしようっと」

 

 その時、楽しそうな少年の声が聞こえ、私とレリックさんを分厚い氷の壁が隔てた……。



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慢心

 空中を自由自在に泳ぎ回りながらデミ・バハムートが尻尾を振るう。鞭の様にしなりながら向かって来たのをレッドキャリバーで迎え撃とうとしたけれど、刃が触れるより前に毒液滴る先端だけが曲がって真横から襲い掛かって来た。

 

「わわっ!?」

 

 頬すれすれを先端が通り過ぎ、毒液が数滴飛び散る。咄嗟に頭を下げて麦わら帽子の鍔で防いだけれど、魔包剣の刃でも尻尾は断ち切れず半分まで進んだ所で止まって振り抜かれた。

 

 か、固い! 今までの敵だったら結構簡単に斬れていたのに! あーもー! 弱い順に敵を出して後から強くなるのは物語だけにして欲しいわ! 最初から強いなら強いで困るけども! 理不尽? 相手は本能で人間を襲うのだし、その程度別に良いじゃない。

 

「あはぁ! あはあはあはあはあはぁあああ!」

 

 私が未熟なのか相手が特別頑丈なのかは分からないけど、このままじゃ武器を奪われるか、柄を握ったまま壁や床に叩き付けられる。咄嗟にブルースレイヴを叩き付けて地印の力で反発すると同時にレッドキャリバーを小さくして尻尾から抜き取る。反発の力で下がる私の目の前を尻尾が通り過ぎ、壁を粉々に砕いた。

 

「逃ぃげぇちゃ嫌ぁ~! もっと遊びぃまぁしょ~うぅうううううう! きゃははははは!」

 

「ああ、もう! 本当にやり辛い相手だわ!」

 

 額のカイの顔が不気味に笑い、尻尾の傷は見る見る内に癒えて行くし、私の目的は生け捕りだから余計に厄介に感じたわ。今まで人の姿をした魔族と何度も戦って、心が通じ合う事も有ると知って、悪い人間とも戦って来た私には戦う事自体に迷いは無いわ。

 

 その上、救えるかどうか分からない相手に殺さない程度の手加減をしながら戦うのは心が折れそうだっただろうけど、賢者様に頼めば良いし、もしもの時はソリュロ様に駄々を捏ねましょうか。

 

「なぁんでお母ぁさぁんを助けてぇくれなぁかったのぉ?」

 

「……そうね。私が弱かったから助けられなかったのだわ。だから私は強くなる! せめて目の前の人は救いたいから!」

 

 投げ掛けられた問いはこれから私が向けられる物。そして今まで出会いの有無に関わらず向けられたであろう物。そうね。私じゃ魔族の被害全てを防げないわ。子供なんかが勇者だったからって思う人も居るでしょうね。

 

「だから絶対にこの城を壊して、連れ去られて来た人達も貴女も救ってみせる! 勇者が私じゃなかったら、なんて誰にも言わせないんだから!」

 

 私を攪乱する様に上下左右に激しく動くデミ・バハムートの位置を目ではなくて鼻で追う。お母さんから受け継いだ狼の獣人の嗅覚に困る時もあった。でも、こうして肝心な時に私を助けてくれる。これがなかったらもっと危なかった時が沢山有ったわ。

 

「……お母さん、有り難う」

 

 死んだ後でも私を守ってくれて居るみたいで凄く嬉しいわ。カイのお母さんだって子供を守りたい一心だった。本当に親って尊いわ。

 

「こぉれぇぁなぁらぁ避けられない~!」

 

 ギチギチと音を立てながらデミ・バハムートの尻尾の先が変形し、八本位になったかと思うとバラバラの動きで私に迫る。両手の武器で弾き、防ぎ、脚を動かし続けて避ける。ちょっと面倒だけれど数が増えたからか一本一本は軽いし動きだって単調。

 

「避け~るなぁあああああ!」

 

 怒りの声を上げ尻尾を更に激しく動かすデミ・バハムート。でも動きは更に単調になって避けるのは簡単よ。だって私も速く動けば良いだけだもの。ほら、変に動かすから何本か絡まった。その上、何度も地面に突き刺しながら向かって来たのが途中で止まったし伸びるにも限界があるのね。……もう分かっちゃった。

 

「避けるわよ。避けなかったら痛いじゃない。……そして私も痛くするけれどごめんなさいね?」

 

 無茶を言うわね。私だって同じ事を言うだろうけど今は無視して反論するなり、向かって来た一本に蹴りを叩き込む。堪えようとしたけれどそのまま他の尻尾に当たって動きを止め、一本を掴むと氷の壁を踏み砕きながら駆け上がる。

 

「はっ!」

 

 尻尾を持ったまま氷壁を蹴って飛び出せば全体にに大きくヒビが入って欠片が床に落ちて行った。でも向こうに繋がる穴は開きそうにないし、かなり分厚いわ。この壁、かなりの腕の魔法使いの仕業ね。

 

「まあ、レリックさんなら大丈夫ね。小さな女の子が相手なら危ないかも知れないけれど」

 

 どっちの意味かは敢えて明言せずに呟き、手に持った尻尾を他のに引っかけると巻き付けながら降り、解かれる前に蔦で固定する。さっき全身動きを止めた拘束だもの。そう簡単には解けないし、デミ・バハムートは口を開いて噛み切ろうと迫るけれどさせる気も無い。

 

「一本の剣の一撃で切り裂けないなら何度も喰らわせれば良いし、一撃で決めたいなら……二本どうかしら!」

 

 我ながら女神様に思考が似ている気がするけれど、あの方って武神だから問題無いわよね? 至高の肉体と技が有ってこそとは思うんだけれど。二本を組み合わしデュアルセイバーに戻すと左右の柄を持って踏み込む。左右の刃が尻尾に食い込んでそのまま閉じて尻尾を断ち切った。

 

「痛ぁいいいいいいいっ!」

 

「ごめんなさいね! 今からもっと痛くするわ! 天印発動!」

 

 拘束していた尻尾を切断した事で自由の身になったデミ・バハムートだけれど痛みによって空中でのたうち回って悲鳴を上げる。その声は当然だけれどカイの物で、本当に嫌な相手だと思わされる。

 

「……完全に嫌がらせだわ。ぶん殴ってやらなくちゃ気が済まないわね」

 

カイをわざわざ攫ってカースキマイラに取り込んだのも、私が勇者なのに母親を救えなかったのを教えたのも、こうして戦っているだけで辛く感じる様に設定したのも全部嫌がらせに決まっている! リリィ・メフィストフェレスのお遊び半分の策略だって確信している! されるがままの自分に腹立ちながらデミ・バハムートの尻尾の残った部分に刻んだ魔法陣で引き寄せ、デュアルセイバーを真下に向けて大きく振り被った。

 

「フルスイング……ホームラン!」

 

「あぁああああああっ!?」

 

 前に賢者様が口にしていた謎だけれど何となく気に入った掛け声(女神様には鍛錬中にふざけるなって怒られていた)と共に振り上げ、デミ・バハムートを打ち上げる。肉と骨が軋む音と同時に真上に飛んで行ったデミ・バハムートは天井に激突、そのまま砕けた天井の一部と共に落ちて来た。

 

「未だ動くの? 決まったと思ったのに……」

 

「終わぁらなぁい。敵を討つまでぇ終わぁらないぃいい」

 

「随分タフね。頭を叩き続ければ多分……」

 

 力は強くても狂った精神じゃそれを使いこなせず、私も此処に来るまでの旅で成長した。だから生まれた余裕。だけど実際は余裕じゃなくて油断と呼ぶべき物だったの。言葉の途中で口を大きく開けるデミ・バハムート。その口の中にビッシリと生えた鋭利な歯が正面に居た私に向かって飛んで来た。

 

「ぐっ!」

 

 広範囲に広がっているから横にも縦にも逃げられない。咄嗟にデュアルセイバーを構えて陰に隠れた私の肌を歯が切り裂いて行く。当たらなかった物は後ろの壁に突き刺さって勢いで粉砕させ、痛みに歯を食いしばって耐えていると漸く止まった。肌に無数に出来た裂傷や突き刺さった歯。毒でも持っていたのか焼け付く様な痛みに叫びたくなるけれど、既にデミ・バハムートの口の中には新しい歯が生え揃っていた。

 

 

「こぉ~れでぇ終わり~」

 

「こんな、こんな所で……」

 

 デミ・バハムートの顔と額のカイの顔が同時にニタァと笑い、再び無数の歯が私に向かって放たれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんな所で……ぶっつけ本番で例のアレを試すだなんて」

 

 



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パンダもドン引き

何とか一週間以内


Twitterで草食動物様よりご提供です


【挿絵表示】



悍ましい血筋、呪われた一族。他人を呪う為に生まれて来た。それが私が幼い頃から投げ掛けられた言葉。何の事は有りません。私の一族は小国の王に仕える一族であり、呪いに関する専門家だっただけ。呪いとは本当に厄介な物で、対抗する為に呪いの研究を続ける内に本職になったのですが、それが不気味だったのでしょうね。

 

「彼奴に関わると呪われるんだってさ」

 

「この前、将軍の親戚が病気になったらしいけど、絶対連中の仕業だぜ」

 

 不気味な一族が重宝される事の嫉妬からか陰口を叩かれる事が多く、親の会話を聞いた子供もそれに習う。私の一族が誰かを呪い殺した記録は少なくても公式には残っていないが、要するに気に入らない不気味な者達を迫害する口実が欲しかったのだろう。……実の所連中も信じちゃいない。だってそうでしょう? 本当にその様な恐ろしき一族なら関わろうとしないでしょうしねぇ。

 

 さて、そんな一族出身の私ですが、他の身内が異常なだけで感性は普通でした。ほら見た事かと鬼の首を取った様に騒ぐ連中が居るでしょうから術を悪事や復讐に使いはしませんでしたが、その心はねじ曲がって行くばかり。どうせ結婚も嫌々嫁いでくる娘と行うのだろうと、私を受け入れてくれる人など居ないと思っていたのですよ。

 

「……そう。アナスタシアと出会う迄は……」

 

 魔族が出現して各地で暴れる中、他の世界に派遣された私は危機に陥り、勇者一行に助けられたのです。そればかりか勇者一行の仲間に選ばれた私は生まれて初めて己の術を正面から頼りにされ、不気味に思われる事無く賞賛され、本当に嬉しかった。前を向いて歩けると信じたのです。

 

 アナスタシアへの恋心に気が付いたのも旅の途中。真面目だったのが遊びを知って享楽に更けて堕落したシドーに呆れ、手間を掛けさせられるアナスタシアの姿に怒りを覚え、それでも彼への友情も芽生え……。

 

 

 

 

 

「はーい! お終い! シリアスもウェイロン視点のパートも終わりー! 此処からは僕のターンさ!」

 

 あらゆるシリアスぶっ壊し、ギャグで全てを押し通す。それが僕さ。アンノウンなのさ! 取りあえずマスターが相手をしたがっていたウェイロンを探しているんだけれど、どうやら罠を張っていたみたいだね。

 

「ふむふむ。嫌がらせには最適かな?」

 

 僕が進んでいる廊下は何処までも続いて見えるし、壁に書かれた梵字は子供の血によるものだ。しかも魂でも縛り付けているのか壁や天井から現れたのは術で作られた死霊系モンスター。材料は推して知るべし。

 

「助けて……」

 

「痛いよ……」

 

 全身を刃で貫かれた状態で魂を固定して留めたのが本人の物らしい死体からはみ出している。足が腐ってグチャグチャだから這いながら僕に向かって進むんだけれど、マスターやゲルちゃんが見れば到着が遅れた事を悔やむんだろうね。

 

「勝てないから嫌がらせを、か。……取りあえずパンダビィィィム!」

 

 うん、まあ僕には無関係だからビームで全部吹き飛ばす。でも剣が刺さった状態からキグルミ状態になって天に昇って行ったから大丈夫じゃないかな? このまま生まれ変わった時にキグルミ以外の服じゃ落ち着かないだろうけれど問題無し。

 

 だって僕には関係無いから。

 

「それにしても面倒だなぁ。これ、多分そのまま進んでもループする奴だよ。こんなの仕掛けた奴の性根の悪さが伝わってくるよ。今度僕もイシュリアの城に使ってトイレに行けなくしてやろうっと」

 

 本日二度目のパンダビームで壁や床を破壊し、鼻歌交じりに先に進む。妨害も有ったけれど僕には一切問題無いし、さっさと終わらせようか。僕の目当ては直ぐ其処に居る。ウェイロン。先代勇者の仲間。そして今は魔族の味方。

 

「確か異名は……忘れちゃった」

 

 どうせ僕の相手をすればギャグ的な終わり方をするんだし、気になった人だけ過去の話を読んで調べてくれたら良いよ。絵を発注する程度には気に入ったキャラだった作者だけれど、他の作品にも出てる僕程じゃないしさ。

 

「むむっ! 逃げ出すかと思いきや向かって来るだなんて良い度胸だね」

 

 もう階段を進むのも面倒だったので天井を突き破って進んだらウェイロン発見! 前に僕にギャグな負け方をした分際で待ち構えていたよ。僕視点な時点で終わり方はお察しなのにさ。

 

「……逃がす気も無い癖に何を仰いますか。まあ、私は生涯の目標が叶ったので満足ですし、最後に意趣返しだけして終わらせて貰いますよぉ」

 

「意趣返しって僕に自慢の術を跳ね返された時の事? ほら、ゲップで水の竜をさ」

 

「クシャミじゃないですか!」

 

「……そんなに違う? どっちにしろ情け無いし、細かいなぁ。そんなんだから好きな子を他のに取られるんだよ。てか、君って臭いんだけれど、幾ら死体でも体臭気にしたら? だからフられたんだよ」

 

 あれ? あれれ? ウェイロンったら僕が折角アドバイスしてあげているのに青筋なんか額に浮かばせちゃってさ。度量が狭いって言うか人間が小さいって言うか……。

 

「だからフられたんだね。まあ、オンリーワンな上にナンバーワンな僕には分からない感情だけれどさ」

 

「……ふふ、ふふふふふ! 落ち着け、落ち着くのですよ、私。もう手に入れたでしょうに。愛しいアナスタシアの心を。ほら、お出でなさい」

 

「ええ、そうね。愛しい貴方の頼みなら聞いてあげるわ」

 

「なんだ。アナスタシアじゃなくってアナスタシアに胸以外が似ている魔族じゃん。確か美風だって? それで心を手に入れたっていうアナスタシアは何処だい」

 

 ウェイロンの呼び掛けに応じて現れたのは口調が変わってるっぽい魔族の女の子。何か洗脳されてるっぽくて性格が変わってるし、自分を別人だと思ってるみたいだね。

 

「……えっと、今まで何かゴメンね?」

 

「何を謝っているのですか? 謝られても許す気は有りませんが」

 

 余程僕の言葉が気に食わないのかウェイロンの放つ空気が変わり、周囲が異空間に包まれる。どうやら随分と準備していたらしく、僕は真っ暗な空間に立っていた。辺りに明かりが無いのにウェイロンと美風の姿だけはハッキリと見えて、何やら力が上がっている。それに全身に入れ墨みたいなのが浮き出てるぞ。

 

「それってイメチェン? オシャレに目覚めたばかりの思春期の時にしそうな失敗だね」

 

「ふざけるな! 私を馬鹿にしているのか! この空間では魔人となって力を増した私が更に強化され、逆に私が許した相手以外は……」

 

「あっ、ゴメン。船の中でちょっと食べ過ぎた。……ゲェップ!」

 

 僕の口から漏れ出たゲップ。それはウェイロンが作り出した空間をウェイロンと美風の二人と一緒に吹き飛ばした。

 

「ふざけているし、馬鹿にもしてるよ。だからギャグで倒したのさ。……君なんかの相手でマスターが落ち込んだらどうするんだよ、全くさ! プンプン!」

 

 にしても美風だっけ? 幾ら見た目が似ているからって中身をそっくりに作り替えて満足しようとか……ドン引きだわぁ。散々引っ張ってそんなのか! こんな終わらせ方って有るか! そんな読者の声が聞こえて来そうだね。

 

 

「さて、読者への謝罪は僕がしたし、気を取り直して二人の戦いでも見ようか。先ずはレリッ君からで……」

 

 

 

 

「男のツンデレに価値なんざ無ぇんだよ、糞餓鬼が!」

 

 ……君が言う? 僕でもドン引きだわぁ……。

 



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伝えたい言葉

 失敗ってのは取り返せる物と取り返しが付かない物が有る。しくじったって気が付いた時には全部終わってたなんて事もザラだ。俺の両親が白神家の連中に居場所を知られちまった事みたいにな。

 

「こりゃ随分と分厚いな。おらっ!」

 

 ゲルダと俺を分断した氷壁に拳を叩きつければ一部が砕けてヒビが広がるが向こうにまで貫通する程じゃない。殴った感触からして何十発かぶち込んだ程度じゃ無理だな。なら、火で溶かせば良いだけだ。

 

「……その前に邪魔な奴をどうにかしねぇとな。おい、テメェが俺をご指名なんだろうが。隠れてないで姿見せろや、糞餓鬼が」

 

 札を取り出し、炎を放つ準備を整えながらも上に続く階段の方を向けば柱の陰からゲルダと同じ年頃のチビが姿を現した。此奴がさっきの声の主で、この氷壁を創り出した奴か。……妙な臭いがすんな。

 

 鼻を動かし漂ってきた異臭を分析する。魔族特有の鼻が曲がりそうな悪臭とは別の、それでも不愉快な臭い。れがりあさんも加齢臭の上に何日も風呂に入れなかったら臭くなったが、こりゃ何か妙な術の影響だ。にしても……似てる。

 

「ねぇ。僕の顔をジッと見てどうしたのさ?」

 

「……生意気そうだって思っただけだ。会いたかったぜ、ネルガル。ぶん殴って泣かす為にな」

 

 余裕のつもりなのか俺が近寄っているのに離れもせず笑っている餓鬼の目元は何度も抱いた女によく似ていた。彼奴が裏切り苦しめたと言ってた大切な家族。だが、どんだけ大切に想っていても此奴はイーチャを生け贄にして何かの儀式をやりやがった。その巻き添えで何人か死んでる。

 

 問い掛けの返答は言葉じゃなくて攻撃。足元から伸びる逆向きの氷柱を回し蹴りで砕き、そのままの勢いでネルガルに迫る。容赦する気は無ぇ。何発かぶん殴って躾てやらねぇとな。

 

「歯ぁ食いしばれ」

 

 振り抜いた拳はネルガルの横面へと吸い込まれる様に向かい、咄嗟に動きを止めて後ろに向かってグレイプニルを振るえば俺の背中に向かって飛来した氷柱を打ち砕いた。

 

「わ! 凄いね、お兄さん!」

 

「空気の流れでバレバレなんだよ、糞餓鬼が。今度からは風の魔法でも併用するんだな。……テメェに次は無いけどよ」

 

「いや? 今後の参考にさせて貰うから……もう死んでよ」

 

 ネルガルの顔から表情が消え、地面が盛り上がる。床を覆う氷の一部が盛り上がり、氷の鮫が飛び出した。避けても床に吸い込まれる様に消え、再び床から現れる。此奴、さっきから無詠唱で魔法を使ってやがる上に魔力が高い。間違い無く英雄候補だったんだろうよ。

 

 高い魔力に無詠唱で放つ魔法の間隔も短く、間違い無しに天才に分類されるんだろうよ。でも、駄目だ。鍛えた奴も力を伸ばすのに重点を置きすぎているが、付けた力を自在に操る為の実戦経験が浅いんだよ。

 

 俺の動きが止まったのを好機だと思ったのか複数の鮫が周囲から飛び出して襲って来る。読めてるんだよ、馬鹿。鮫を壁にする事で生じた死角を狙って投げた札。後は鮫に触れた瞬間に一直線に進む貫通性の電撃で体が痺れて終わりだ。

 

「甘いんだよ、ドチビ」

 

 札が鮫に振れ、勝利を確信して笑みが浮かぶ。直後に放たれた電撃は目標の身体駆け巡り膝を付かせた。

 

「ぐっ!?」

 

 但し、電撃を喰らったのは俺だ。俺の放った電撃は氷の鮫を砕きながら貫通してネルガルに迫った。だが、そこで邪魔が入る。アンノウンの奴に圧倒されたっつうザハクだ。割り込んで電撃を翼膜で受け止めたかと思った瞬間、俺に向かって数倍の速度で跳ね返って来やがった。ちっ! 避けたと思ったんだが掠った左腕が痺れてやがる。

 

「ケケケケケ! 俺様が居ないと駄目だなとテメーは」

 

「はいはい、そーだね。見事に避けられたザハク」

 

「避けられてねぇよ! ちゃんと掠ってるだろ!」

 

 生意気な事だぜ。敵を前にお喋りなんざ馬鹿のやる事だろうによ。矢っ張り実践が足りない才能に頼っただけの餓鬼みてぇだな。随分と仕込まれたみたいだが、こりゃ技術の取得ばっかで同等以上との戦いはそんなにしてないと見た。

 

 それが目の前の奴の才能故の難しさなのか、それとも教育方針で他を重要視したのかは知らねえが俺としては好都合だ。俺の周囲を囲むのは話しながら出したんだろう黒雲。バチバチ放電する音が聞こえ、一斉に俺に向かって雷が放たれる。

 

 

「やったぜ!」

 

「……そういうのをプラグって呼ぶんだってリリィが言ってたよ。彼奴の知識を口に出したくはないけどさ……ほら」

 

 電撃が四方から迫って俺に触れる寸前、その全てが鎖に絡め取られる。元々が魔法の浸透率の高いミスリル製の鎖は電撃を全て吸収し、それを留めていた。本当だったら俺の手にまで流れて来たんだろうが、勇者の仲間として受けた試練によってグレイプニルも強化されている。俺の意志で吸収した魔法を留め、そして……。

 

「これでも喰らっとけや!」

 

 叫び声と共に腕を振るえば電撃を留めたままグレイプニルの刃がネルガルへと向かって行く。ザハクが咄嗟に前に飛び出して翼で防ごうとするが……甘いんだよ。同じ手が連続で通用すると思ったか。その甘さのツケは直ぐに払う事になる。

 

「ケケケケケ! 馬鹿が!」

 

「ザハク! さっさと離れて!」

 

 ネルガルは気が付いたのか咄嗟に跳んで障壁を張るが、ザハクが動く寸前に切っ先はザハクの翼に届く寸前で真下に向かい、内部の電撃を一気に吐き出す。さっきは点の攻撃を防がれたが次は面だ。案の定ザハクは防ぎきれず電撃を浴び、体から煙を出しながらフラフラと飛んでいる。

 

「……あれを浴びて動けるとか結構な化け物だな。アンノウンの野郎が強過ぎるから、楽に倒されたからって見誤ったぜ」

 

 さてと、此処からが本番だ。出来るならさっきので動けなくなってくれりゃあ良かったんだがな。グレイプニルを引き戻し、ネルガルとザハクを両方とも視界に入れる。今の所は俺が優勢だが、さっきので確実に……。

 

 

 

「テメェエエエエエエエエエエエエッ! 殺す! グチャグチャの挽き肉にして殺してやる!」

 

「……これだからドラゴンは困るよ。落ち着けって言っても無駄なんだから」

 

 ほら、ザハクがぶち切れた。叫び声だけで部屋全体が揺れ、小さなドラゴンだってのに巨大になった錯覚を覚える。怒ったドラゴン位面倒な敵は居ないってのに憂鬱だぜ。反対にネルガルの方は冷静だし余計に厄介だし……挑発しとくか。

 

「おい、ネルガル。テメェ、イーチャの事が随分と憎いらしいがよ……実は違うだろ? 俺が発見した時、弱ってたが生きてたぜ」

 

「あの儀式を見たんじゃないの? 憎んでるよ、誰よりもね。姉さんのせいで村は……」

 

「本当に憎い相手なら損得考えずぶっ殺しちまうもんだ。それが五体満足で目玉も潰さず鼻もそぎ落とさず……随分と優しいな。本当は嫌いになれねぇんだろ。無事で良かったって喜んで、抱き付いて甘えたいんだろ?」

 

 俺の言葉にネルガルは確実に反応している。んじゃ、サポート役の冷静さをさっさと失わせるか。……それとは関係無しに教えといてやんねぇとな。

 

 

 

 

 

 

 

「男のツンデレに価値なんざ無ぇんだよ、糞餓鬼が!」

 

 ……うん? 何処からか声が聞こえた気がする。お前が言うな、って……。

 

 

 

 

 

 

 



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同族嫌悪

「……何だかなぁ。お兄さんにだけは言われたくない気がするんだけれど、どうしてだろう?」

 

「知るか。テメェの妄想だろ」

 

 姉ちゃんを憎んでも憎みきれないってのに如何にも憎んでいますって態度を取る餓鬼に腹が立つ。側に居て甘えたいんだろうに再会しても敵意しか向けずによ。……分かってるよ。これは同族嫌悪だ。姉貴に甘えたいのに甘えないネルガルと妹を兄として甘やかしたいのに名乗らず甘やかさない俺。正直言ってどっちも馬鹿だ。

 

「……あれだ。どうせ汚れきってるから家族として接する資格が無いとかそういうのだろ? 丸分かりだぜ、端から見ればな」

 

 俺も何だかんだ言って手を汚している身だ。クルースニクとして魔族に組みする権力者やらを手に掛けた。発覚すれば関係無い家族諸共だから口封じとしてとか理由は有るし間違えちゃいないと信じている。だがな、間違っているのと手が汚れてるかどうかは別だ。俺には兄貴って名乗る資格は無いんだ。俺にはな……。

 

「テメェは餓鬼だし、罪を擦り付ける相手だって居るだろ。どうせ今回の件でウェイロンは終わりだ。だったら誰も知り合いがいない世界にでも行って姉貴と一緒に暮らせば……」

 

「五月蝿い!」

 

 俺の言葉の途中でネルガルが初めて叫んで氷の巨人を造り出す。腕を振り上げれば天井にまで届きそうな位に大きく、一歩踏み出すだけで地面が揺れるから相当な重量だな。

 

「あんな奴、もう僕の姉さんなんかじゃない! 彼奴が逃げなければ村は滅ばなかった! 僕だって普通に暮らせていたんだ!」

 

「……糞餓鬼が。テメェだって糞領主が悪いだけでイーチャが悪くないって分かってるんだろうが。それを認めたら誰を恨めば良いのか、やっちまった事の責任を誰に押し付ければ良いのか、それが分からなくなるから自分を騙してるんだろうがっ!」

 

 何で開き直らない? 何で自分を歪めた奴を責めない? ……簡単だ。此奴は甘えてるんだよ。大好きな姉ちゃんなら自分を許してくれるってな。……実際、彼奴なら許すだろうよ。だが、その前にやらなくちゃ駄目な事がある。子供が悪さしたら大人が叱ってやらなくちゃ駄目なんだよ!

 

「お仕置きの時間だ、ネルガル! 取り敢えず泣き叫んでも尻ひっ叩き続ける!」

 

 俺を踏みつぶそうと振り下ろされる足を避ければ周囲から回転する氷の刃が飛んで来る。それを鎖を巻いた腕で叩き壊し、グレイプニルの鎖を伸ばし続けて巨人の体に何重に巻き付けて一気に締め上げる。巨体が崩れて降り注ぐ氷塊を蹴り飛ばせば案の定ザハクが前に出てネルガルを庇ったが、その真横を俺が通り過ぎた。

 

「ヤベェ!?」

 

 翼を交差させた状態で防ぐんだ。直ぐに反転して俺に追い付くのは無理だ。眼前に現れた氷の壁を砕き、ネルガルが次の魔法を唱える前に胸ぐらを掴む。背後から感じるのは猛スピードで迫るザハクの気配。

 

 

「そんなに主が大切かよ。なら……受け取りな!」

 

「わっ!?」

 

 どうせならこの場で一発殴ってやりてぇがザハクを無視するのは面倒だ。だから俺は振り返る勢いを乗せてネルガルを投げつける。空中で急ブレーキを掛けたザハクが受け取ろうとするが、俺はその瞬間に札を投げていた。

 

「まあ、ちょっと痛いだろうが耐えろ。男だろ?」

 

 札から迸る電撃が二人を飲み込む。殺す程じゃねぇ。あの餓鬼には自分の罪を自覚させないといけないからな。だが、言葉の通りに痛いし気絶する程度だ。魔力が高けりゃ魔法への耐性が強いんだが、所詮は十歳の餓鬼だ。ほら、床に転がって動く様子も無い。これで無視して大丈夫。

 

「……後はテメェをぶっ倒すだけだぜ、ザハク。終わったらネルガルを捕まえて船で待っているイーチャに任せるだけだ」

 

 此処から先は身内の、実の姉のイーチャの仕事だ。最初は上手く行かないだろうが、何処まで行っても根本では家族愛が残ってるんだし、放置で……何だ!? ザハクの様子が変わった?

 

 

 

「ケケケケケケ! あ~りが~とよ~! ネルガルをぶっ倒してくれてよ!」

 

「……どういう意味だ?」

 

 俺の目の前でザハクの体が崩れて行く。まるで煙が周囲に霧散する様になって、その全てがネルガルの体に吸い込まれて行った。同時に術で抑えている嗅覚を刺激する悪臭が充満する。これじゃあまるで魔族じゃねぇか!?

 

 

「わざわざ手の内をペラペラ喋る馬鹿が居るか? 情報共有が必要なのは仲間だけか、ブラフを混ぜる時に流す最低限の時だけだ。……でも、今は話す時だよなぁ! 勇者の仲間のテメーに敗れた事で儀式は完成だ! これでネル……」

 

 ザハクは頭だけになっても言葉を続け、最後まで言い終わる前にネルガルの手に握り潰される。さっきまで確実に気絶していた筈のネルガルは平然と起き上がり、何かが変わっていた。全身に広がる赤い血管みたいな模様。髪は腰まで伸び、瞳も右目だけまるで竜みたいだ。

 

 

「……うん。何か変な気分だね。あれ? あれれ? 姉さんが来ている?」

 

 

 

 

 長い階段を直走る。ちゃんと形を整えていない石を不器用に積み重ねた階段は辛うじて階段と呼べる品物で気を抜けば転がり落ちてしまいそう。足下を照らす松明の一本も無いので一歩間違えれば足を踏み外して転がり落ちてしまうでしょう。……私が夜魔でなければ。

 

 種族としての特性で夜目が利く私の目には暗闇でも太陽の下と同じに映ります。なので殿方と同じ布団で致す際に”恥ずかしいので灯りを消して下さい”等と口にしても実際は演技。まあ、それで相手が喜ぶのですから男って馬鹿……話が逸れましたね。

 

「この階段、一体何処まで……」

 

 どれだけの人がどれだけの手間暇を掛けて掘ったのか深い深い地下へと続く階段。その工事は無理やり連れて来られた人達がどれだけの苦しみを味わいながら行ったのか想像するだけで心が痛む。だって、それに関わる者の一人は……。

 

 

「ネルガル……」

 

 弟の名を泣きそうな声で呟く。でも、私にはあのこの外道働きを責める権利も嘆く権利も有りません。私が責めて良いのは私だけ。私が嘆いて良いのは弟をそんな風にしてしまったのは自分だという事。あの日、私が逃げ出さなければ良かったのに……。

 

 家族を置いて逃げ出して、姫様と出会って、それからの私の人生は幸せでした。でも、あの子は違う。私のせいで何もかも失い、そして歪まされた。だからあの子の罪は私の罪。

 

「待ってて、ネルガル。直ぐに行くから……」



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後悔の念

 幸せに生きている人は信じて疑わない。その幸せが不意に消え去る事なんて無く、何時までも続くって。当たり前の話なんだけれど人は死ぬよ。お別れの言葉を交わす暇もなく、呆気なく簡単に死ぬんだ。

 

 

 でも、不幸せな人は違う。心の中で思ってるんだ。こんな不幸が何時までも続きはしない。幸せが何時か訪れるんだってさ。……馬鹿みたいだよね。幸福は中々続かないけど、不幸は結構簡単に続く物なのにさ。

 

 

 

「よーく見ておきなさい。そして心に刻むのですよぉ? 弱い者の末路がこれだと……」

 

 目の前に広がるのは地獄の光景。貧しいけれど平和だった僕の故郷は悪徳領主の怒りに触れて滅ぼされた。お父さんも死んだ。お母さんも死んだ。友達も全員死んで……僕だけが生き残った。

 

 僕を助けてくれた先生は告げる。文化も風習も違う六つの世界でも共通するルールは存在するって事を。弱肉強食こそが唯一無二の掟だって教えてくれたんだ。

 

 お父さんが居て、お母さんが居て、そして姉さんが居て、友達と遊んで、僕にとって幸せはそんな日常で、それ以上は求めていなかった。でも、先生が見せてくれたのは人の欲望に限りが無いって事を教えてくれる光景。お金持ちなのに重税で民から更に搾り取る領主。他人を騙し、時に襲って金を奪う悪人達。

 

 小さな幸せで満足する人は極僅か。そして大きな幸せを得ようとすれば誰かに損をして貰う事になる。それが真っ当な競争の結果なら構わない。だけど違うパターンが多過ぎる。弱い者は虐げられ奪われるだけなんだ。

 

 だから僕は力を求めた。才能が有ったし、先生は教えるのは壊滅的に下手だったけれども色々な修行を付けてくれて、僕は間違い無く強くなった。村の皆の敵討ちだってしたんだ。

 

 もう、僕は何も奪われない。奪わせたりなんかするもんか……。

 

 

 

「僕が姉さんを未だ愛してるって? あははははは! ……死ねよ」

 

「ぐがっ!?」

 

 人を完全に辞め、ザハクを取り込んだ体に力が漲る。お兄さんとの距離を一瞬で詰め、軽く腕を振るって触れただけで吹っ飛んだ。壁に激突して頭から血を流している。さっきまで僕とザハク相手に優勢だったのに、今じゃ虫けらと変わらないよ。

 

「脆いなあ。弱いなあ。駄目だよ、それじゃあ。そんなんで誰かを守れるの? 勇者の仲間なんだし、ちゃんと守れる位に強くならなくちゃ……ねっ!」

 

 足を床に振り下ろせば隆起し、それを蹴り飛ばせばお兄さんの方に巨大な石の塊が飛んで行く。避ける暇もなく腕に当たり、肉がひしゃげて骨が折れる音がした。……ちぇ。悲鳴を上げるって思ったのに我慢してるよ。

 

 それに頭を狙ったのに右腕に当たるだなんてさ。未だ体に慣れていないんだ。じゃあ、お兄さんを使って慣れよう。おっと、油断していたら札が飛んで来た。札が一瞬で赤く染まって炎が噴き出し、僕はそれを息だけで逸らす。ああ、本当に僕は強くなった。もう誰にも大切な人を奪われないんだ

 

「……おい、テメェどうなんだ」

 

 結構ボロボロだし力の差だって教えてあげたのにお兄さんは諦めていない。未だ僕を睨んでいるし、多分隙を窺っている。僕が油断したら何かする気だね。

 

 本当だったらお話なんかせず、油断もせずに攻撃を続けるべきなんだろう。でも、何故かお兄さんの言葉が気になった。

 

「えっと、僕? 馬鹿だなぁ、お兄さん。僕がお兄さんを圧倒しているのに、守りたい物を守れるかなんて訊くなんてさ。当然守れる……あれれ?」

 

 僕が守りたい物って何だろう? 故郷は滅んだ。両親も死んだ。新しい友達のアビャクも死んじゃって……先生は少しキモいから守りたい相手じゃない。じゃあ、僕が守りたい相手って……。

 

「……姉さん?」

 

 強く憎み、人間を辞める為の儀式の生け贄にした。そんな姉さんが僕の守りたい相手? 

 

「でも、故郷が滅んだのは姉さんのせい……なんかじゃないっ! あれは全部領主が悪いんだ!」

 

 何で僕は姉さんを恨み続けた? 何で僕は他人を傷付けても幸せそうな顔が憎いって気にしなかった? 

 

 何で何で何で何で何で何で何で何で……何で僕はあんな事を。

 

「うわ、うわぁああああああああああっ!?」

 

 今まで感じなかった罪の意識が一気に押し寄せる。姉さんを生け贄に捧げた時の光景も、僕が手に掛けた人達の姿もハッキリと浮かんで、頭を抱えて叫ぶ。爪が皮膚に刺さって痛むけれど、それよりも吐き気がする程の感情の波の方が辛かった。

 

 こんなの今まで無かったのに……。

 

「……ウェイロンより強くなったか、奴を賢者様でもが倒して洗脳か何かがされてたのが解除されたんだな」

 

 お兄さんが何かを言っているけれど理解出来ない。今すぐに舌を噛んででも死んでしまいたい衝動が僕を襲う。最期に姉さんに謝りたいけれど、そんな資格は僕には無いよね……。

 

「お、おいっ! 待て! 逃げるなっ!」

 

 僕が何をする気なのかお兄さんには分かったんだね。敵が勝手に死のうとするのを止めるなんてチンピラみたいな癖に優しいや。でも、僕には優しくされる資格なんて無いから。

 

 逃げるな……か。そうだね。僕は逃げるんだ。自分が犯した罪が怖くてさ……。

 

 

「こんなのが弟でごめんね、姉さん。僕なんかを二度と弟だなんて思わなくて良いからさ」

 

 そっと目を閉じて死のうとする瞬間だった。後ろから優しく抱き締められたのは。心地良い温かさに僕の意識は閉ざされて行く。ああ、小さな頃に姉さんに背負って貰った時、こんな風に感じて……。

 

「大丈夫。貴方の罪は私が許してあげる、ほら、今は眠りなさい。起きたら沢山お話をしましょうね」

 

 優しい囁きは僕に安堵を与え、頭の中を駆けめぐる罪の意識が溶けていく。まるでぬるま湯に浸かっているみたいな心地良さと甘い香りに包まれ、僕は完全に眠りに落ちた。でも、誰なんだろう? もしかして姉さ……。

 

 

 

 

 

 

 

「うふふふ。可愛くって可哀相な子ね。このまま暫く抱き締めてあげたいわ」

 

「……おい。どうしてテメェが此処に居やがる。姿を見せるんじゃねぇよ、アバズレが! 其奴を今直ぐ離せ! 姉貴に引き渡してやるんだよ!」

 

 ネルガルを抱き締める時の表情は優しく、瞳には慈愛が宿っている。だが、それでも俺は目の前の女に嫌悪と憤怒しか感じねぇ。思い出すのは遭遇した時の屈辱。思い出すだけで腸が煮えくり返りそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっさと消えろ! レリル・リリス!」




尚、二次創作の方のネルガルは覚悟がん決まりです 人殺しを要不要でしか考えません

闘争を司る死神と初恋こじらせ男では教師としての格が違います


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疑念

最初は姉弟の和解を目指していたんだ


途中で悪魔が囁いたのさ 会わせるな もっともっと! と


「……あの。賢者様の力で俺が勇者を替わってやる事って……」

 

 それは俺がゲルダ達の仲間になるにあたり、俺と彼奴が兄妹だって本人を除いて教えた時にした提案だった。

 

 無理だとは思っていたし、実際に賢者様は悲しそうに顔を横に振る。

 そうだよな。

 実際、それが可能だったらとっくの昔にしていた筈だし、今まで時たま助力していただけの賢者様がシルヴィア様と一緒に仲間になってる時点で分かっていた事じゃねぇか。

 

「私もシルヴィアも世界を救うだけでなく、ゲルダさんを守れるように力を尽くします。ですから君も……」

 

「うっす。妹だけは何としてでも守り抜く。それが俺が生涯懸けて守り続けるべき約束ですから。例え彼奴が俺の事を赤の他人だって思い続けても」

 

 それでも俺はたった一人の肉親を、傍で守ってやる筈だった妹を危険から遠ざけたかったんだ。

 

 妹が生きていると知った時から俺の人生の意味は決定した。

 クルースニクの一員として魔族に組みする奴を抹殺したのも、連座で其奴の身内が罰せられるのを防ぐ為に公にしなかったのも、それで国が荒れてしまったら何か影響が出るんじゃないかって思ったからだ。

 

 兄貴だって名乗らないのも糞みてえな白神家について少しでも関わりを避けさせ、俺が復讐に動いても巻き込まない為だ。

 

 全ては妹の為に、それだけで十分だ。

 だから彼奴の幸せを邪魔する奴は許さない。

 

「どうしてもっと早く来てくれなかったんだ!」

 

「貴女みたいな子供が勇者じゃなかったら私の子供は助かったかも知れないのに……」

 

 今居る城みたいに大勢が攫われて働かされているのを助けた時、こんな事を言って来る糞が居やがった。

 

 家族を理不尽に失い、復讐の相手は他人に倒されたんだから気持ちは察してやるが、それがどうした?

 

 どうしてゲルダを責める?

 勇者なら完璧で有るべきだって言うが、お前はその百分の一でも凄い奴なのか?

 

 幾ら頭で全ての奴を助けられないって分かっていても、どれだけ前向きに強くなろうと思っても、彼奴の心が曇るんだよ。

 

 だから今回はどうにかしたかった。

 

 先に攫われて来た連中も、カイも、そしてネルガルも、片っ端から救っての大団円を目指してたんだ。

 全部上手く行くと思っていたし、上手く行かなくちゃ駄目だったんだ。

 

 ……なのに。

 

 

「その汚い手で其奴に触れるな。其奴を抱き締めてやらなくちゃいけねぇ奴がもう直ぐ来るんだよ。姉弟の再会を邪増すんな」

 

 あと少しの所で余計な邪魔が、レリル・リリスが全てをかっ浚おうとしている。

 洗脳が解け、これから罪悪感やらテメェの罪と向き合って行く事になるネルガルを抱き締めて支えてやるべきなのは姉であるイーチャの役目なのに、全く関係無い奴のせいで台無しだ。

 

「あら、そうなのね。でも私が姉として愛してあげれば良いんじゃないかしら?」

 

「この糞がっ!」

 

 しれっと放たれる発言に俺の我慢は限界で、叫ぶと同時にグレイプニルをレリルの顔に向かって放つが当たらない。

 

「ふふふふ。無理しなくて良いのよ? 私は貴方も愛してあげる。どんな愛の形でも、好きな物を与えてあげるわ」

 

 いや、違う。

 当たらないんじゃなくて当てられない。

 初めて会った時と同じく、俺はレリルに魅了され、今直ぐにでも全てを捧げたいとさえ感じてしまっているんだ。

 

「……畜生」

 

「無理しちゃ駄目よ? ああ、どうせだったら勇者の子も一緒にどうかしら? 貴方、あの子を愛しているでしょう? 私には分かるの」

 

「……あ?」

 

レリルが何を言ったのか、今の恋の熱に浮かされた俺の頭では理解出来る筈もなく、只甘美な声に酔いしれる。

 だが、体は違う。

 気が付けば自分の全てを捧げても良いと思った相手に殴り掛かっていた。

 

「あら? あらあら?」

 

 無意識に放った懇親の一撃は指先一つで難なく止められ、効果は意表を突かれた時の声を吐き出させただけで、俺にとって目の前の女が何よりも美しく、その全てを手に入れたい相手である事に変わりはない。

 

 

 だが、それが何だ?

 

「……テメェだけは絶対にぶっ殺す。グッチャグチャの醜い肉塊にしてやるよ!」

 

「無理だと思うわよ? 私、肉塊になっても多分美しいから。それに貴方じゃ弱過ぎだもの。そんな事よりも楽しい事をしないかしら?」

 

 鎖を鞭の如く振るい、拳打を連発し、フェイントを加えた蹴りを織り交ぜ猛攻を続けるが、レリルには一切届かない。

 軽々と避けられ、指先で止められる。

 クスクスと笑う余裕さえ見せるレリルが胸に巻いている布をずらして誘惑をしてくれば犯したいという欲望が頭の中を支配した。

 

 だから、それがどうした?

 

「殺す殺す殺す殺す! うぉおおおおおおおおっ!」

 

 此奴は確かに口にした。

 ゲルダに、俺の家族に手を出すと。

 だから殺す。

 

 惚れた相手でも、どんだけ愛した相手でも、俺の妹に手を出す奴は生かしておいたら駄目だから……殺す!

 

「熱い子って好きよ。強引に組み伏せられたい気分ね。でも、この子を連れて帰りたいし……また次の機会にね」

 

 跳躍からの大振りの一撃に対し、レリルは片手で抱き締めたネルガルに視線を向けるなり転移用の魔法陣を発動させる。

 

「……あら?」

 

「馬鹿がっ!」

 

 そんな物、何度も逃げられたら鬱陶しいって感じた賢者様がとっくに対策してるのを知らなかったのか?

 

 最上級魔族が知らない事に違和感を覚え、疑問符の理由が他に有るという考えが頭を過ぎるも俺は止まらない。

 呆けた顔のど真ん中に拳を叩き込んだ。

 

「……意地悪ね。でも、仕方が無いのかしら? 神って人間が好きだもの。きっと貴方の味方をしたのね」

 

 拳に伝わったのは満足にダメージすら与えられていない情け無い結果。

 だが、それよりも驚いたのはレリルが転移で消えた事だ。

 

 魔王すら秒殺出来る賢者様が転移を封じている筈で、見逃す理由なんて無いはずなのに逃げられたという事実が、最後の台詞から神の関与の疑念を俺に抱かせる。

 

「……馬鹿が」

 

 そんな筈が無いと否定して呟いた時、聞こえて来たのは息を切らしながら必死に走って来るイーチャの足音だった。

 

 俺が満足に足止めが出来なかったから間に合わなかったのだと無力感に唇を噛みしめる。

 

「ネルガル! ……あれ? さっきまで確かにあの子の気配が……」

 

 俺の様子に何かを察したのかイーチャがヘナヘナと崩れ落ちた時だった。

 

 分厚い氷壁にヒビが入り、向こうからゲルダと巨大な化け物が壁を砕いて飛び込んで来たのは……。



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絶望の時

 雨の様に降り注ぐ鋭利に尖った歯は一切の隙間無く床全体を覆い、石造りの床を貫通して地面深くまで入り込む。ゲルダには一切の逃げ場がなく、そのまま全身を貫かれて死ぬだけ……だっただろう。デミ・バハムードの口から放たれた歯が完全に広がるよりも前に、認知出来ない程の速度で天井に向かって飛んでさえいなければ。

 

「ギリギリだったわ。でも、上手く行った」

 

 床に現れた青い魔法陣”地印”と天井に現れた赤い魔法陣”天印”。本来ならば刃が触れた瞬間にその場所に発動する筈の二つは何時の間にか部屋全体に現れ、その存在を維持している。中には触れていない場所も有るにも関わらずだ。

 

「私、此処に来るまでに大勢を救って強くなったわ。それこそ新しい力にギリギリで目覚める程度には。……貴女のお母さんは無理だったけれど、カイ、貴女だけは助けてみせるから」

 

「アァアアアアアアアアアッ!」

 

 大きな口を開けてゲルダに向かって行くデミ・バハムード。その歯は石造りの天井さえも易々と削り取り一切の抵抗無く噛み砕くが、その口からはゲルダの血が一切垂れない。

 

「何処を攻撃しているのかしら?」

 

 突如背後から聞こえた声にデミ・バハムードは反応し、振り向こうとするもそれよりも前にレッドキャリバーが叩き込まれ、天印がその身に刻み込まれる。ならばと長い尻尾を振るうも既にゲルダの姿は其処になく、空中を両足で踏みしめて走り回っていた。

 

「ほら、どんどん行くわよ!」

 

 宙を駆け巡る彼女がレッドキャリバーとブルースレイヴを振るう度に天印と地印が現れ、空中をゆっくりとした速度で漂う。ゲルダはそれらを使って自らを引き寄せ、時に弾いて加速し、デミ・バハムードを翻弄し続けた。

 

「アアアアアアアアアッ!!」

 

 元より薄い理性が怒りによって更に働かなくなり、最早目に入るもの全てを攻撃する怪物に対し、ゲルダは加速を続けながら確実に攻撃を与えていった。

 

「地印・複合!」

 

 既に数十発目になるブルースレイヴの打撃によってデミ・バハムードが仰け反った時だ、その全身に現れた地印が重なって輝きを放ったかと思うとゲルダ以上の速度で床へと向かって行く。石床が砕ける程の衝撃にデミ・バハムードの口から血が漏れ出し、身動ぎをしようにも反発の力によって上から押さえ続けられる今の状態では不可能だ。

 

「これで……終わり!」

 

 一方、宙を漂う地印と天印にも動きがあった。反発によってデミ・バハムードの頭上に天地逆転の姿勢で飛び上がったゲルダの足が触れた天井では地印が、デミ・バハムードの頭上では天印が重なって光り輝く。

 

 そしてゲルダは地印の力によって急加速、デミ・バハムードの頭上の天印が引き寄せる事で更に加速した彼女の拳がデミ・バハムードの脳天に叩き込まれた。

 

「終わり!」

 

 

 

 ……この世界に来てから……いえ、勇者になってから何度も何度も繰り返した後悔。どうして自分は弱いのか、もっと違う方法があったのではと、悩むこと事態が自惚れだと分かっていても止められない。

 

 だからこそ目の前の子は絶対に救おう。私がお母さんを救ってあげられなかった彼女を大人しくさせ、賢者様に元に戻して貰うのよ。だってお母さんが必死で守ろうとしたのに魔族に弄ばれて終わりだなんて……。

 

「やったわ!」

 

 拳に伝わる手応えと動かなくなったデミ・バハムードの姿に私は安堵する。この戦い、相手を殺さず捕らえるのが絶対条件の厳しい物だったわ。今までみたいに持てる力を全力で叩き込めば良いだけの物とは大違いの一戦だったけれど、何とか上手く行った。

 

 ああ、本当に良かったわ。

 

 気絶して動かないデミ・バハムードを眺めた後で氷壁に視線を送る。向こうに居るレリックさんは大丈夫かしら? 私よりも経験豊富で心配するのは失礼だけれど、それでも仲間なら無事を願ってしまう。……この場合、武の女神と戦女神のどっちに祈るべきなのかしら?

 

「……うん。イシュリア様は止めておきましょう。何となくで別に他意は無いのだけれど、あの人に祈るのはちょっと……」

 

「あ~、確かにね。あの子、ちょっと所か凄く抜けてるからね」

 

 ……誰?

 

 今、私の目の前には知らないお姉さんが立っていた。まるで瞬きをした瞬間を狙って転移してきたみたいに唐突に現れたのは黒い髪を足元まで伸ばした着物姿の女の人で、多分パップリガの人だと思う。

 

 あれ? この人、イシュリア様を”あの子”って呼んだ? じゃあ、もしかして……。

 

「あの、もしかして神様ですか?」

 

「ああ、勿論だとも。僕はアマス。元太陽神さ。今は役割を他の神に譲って悠々自適な隠居の身だが、ちょっと君達を助けてあげなくちゃって思ったんだ。……例えばこの子。親が死んで怪物にされて、随分と可哀想だろう?」

 

 アマス様はデミ・バハムードに指先で触れる。それだけで巨大な魚の部分からカイが抜け出した。全く動かない状態の彼女をアマス様は悲しそうに抱き締めて頬を撫でているけれど、私はその姿を見て優しい方だなんてとても思えない。

 

「……何で?」

 

「ん?」

 

「何でその子を殺したの?」

 

 だってデミ・バハムードから解放された時、カイは確かに生きていたのに、アマス様が触れた瞬間に顔から生気が無くなって……。

 

 私は問い掛けながらも答えは否定の言葉であって欲しいと願ったわ。だって今までも変な神様は居たけれど、ある意味酷いイシュリア様は兎も角、意図して酷い事をする方なんて居なかったし、賢者様だって神様達は人間が好きだって言っていたから……。

 

 

「勿論好きさ。だからこそ殺してあげたんだ。だって母親と二度と会えずにこれから生きて行くだなんて大変だろう? じゃあ殺してあげるのが優しさじゃないか。おっと、勝手に心を読んで悪かったね」

 

「っ!」

 

 私は今までで一番神様が怖いと感じたわ。目の前の方が口にした言葉は紛れもない本心で、カイの命を奪ったのだって善意から。だからこそ純粋な悪意で襲って来る魔族よりも怖かった。

 

 

「そんな目で見ないでくれたまえ。僕は人間が好きだからこそ人間には闇に染まって欲しくないんだ。この子が生き続ければきっと心が闇に沈む。そんなの耐えられない。……だから今後は君達の邪魔をさせて貰おう」

 

「ど、どうして!?」

 

 

 

 

「だって魔族は毎回強くなり続ける。これは人が増え過ぎたからだ。だから……魔族に助力してでも僕は人間を減らすよ。それが周り回って君達の為になるのさ」

 

 アマス様は最後まで一切の悪意を感じさせないまま姿を消し、私は暫くの間呆然と立ち尽くす。神様が敵に回ったという認めたくない現実を前にして……動き出したデミ・バハムードに気が付くのが遅れてしまった。

 

「ガァアアアアアア!!」

 

 今まで以上に狂った様子で突進して来た巨体を避けきれずに跳ね飛ばされ、そのままデミ・バハムードは氷壁を破壊する。勢い余って私は向こう側にまで飛んで行った。

 

 

 

「ゲルダ!」

 

 あっ、レリックさんだわ。無事みたいで本当に良かった……。

 

 




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