APOCALYPSE accessiones lectorem (くつぞこ)
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演習プログラム:CAT2-X《ハイペリオンⅡ》


初回となる今回は、本誌『APOCALYPSE Cozmic Archives』掲載の「ハイペリオン」に搭乗する当サークルオリジナルMS、CAT2-X《ハイペリオンⅡ》の演習風景をイメージした短編小説です。




 トリムを引きつけての減速。山颪により減速と同時にガクンと機体の高度が下がるのとほぼ同時、頭上をレールガンの弾頭が掠めていく―――。

 ―――良い腕だな。

 ロナルド・スエッソン大尉はあわや直撃すると思われた砲撃を躱しながら、冷静にモニターに映る敵機を眺めた。

 《ストライクダガー》に乗り慣れたロナルドにとって、馴染みのあるコクピット・レイアウト。そしてヤキン・ドゥーエ戦役の頃より見やすくなった各種モニター。そのモニターの向こう、ハリネズミのような白亜のMSが、肩の砲を再びロナルドのMSへと向けていた。

 GAT-X105E。アクタイオン・プロジェクトが産み出した傑作機は、その背に負ったストライカー「I.W.S.P」の特性を良く理解した上で、ロナルドと対峙していた。

 全領域対応型ストライカー。その触れ込みに反して、I.W.S.Pは格闘戦を得手とはしていない。殊に対峙する敵の運動性能が高い場合、I.W.S.Pの取るべき戦術は過剰とも呼べる火力群による釣瓶打ちで圧倒すること、だ。

 砲撃戦は必至。故に、ロナルドも自機の兵装を普段のモデルではなく狙撃銃タイプに換装し、撃ち合いに望んでいた。

 自機の両脚が岩肌を踏みつける。玄武岩の大地は、機体への負荷が少ない。余計な負荷を駆けずに滑らかに機体を接地させたことをそれとなく把握しつつ、ロナルドはFCSに敵機を補足させた。

 自機がライフルを構える。上部ピカニティ・レールに装備されたセンサーと自機のセンサーが互いの情報を統合、モニター上に各種情報が表示されていく。

 距離、敵機の予測行動針路、エトセトラ。あとは操縦桿のトリガースイッチを押し込めば、亜光速のビームが《ストライクE》の胴体を直撃、戦闘は終わりだ。

 同時、自機のECMが《ストライクE》の攻撃を報知する。距離からして115mmレールガンの砲撃だろう。その威力は驚異的だが、TP装甲を装備する自機には問題にはなりきらない。それ以上に、レールガンの弾頭が着弾すより早く―――ビーム弾が、《ストライクE」を直撃する筈だ。

 ロナルドの右指がスイッチを押し込む―――その寸前、警報音が唐突に鳴り止んだ。

 砲撃を中止して防御行動に入るのか? だがもう遅い。ロナルドの人差し指がスイッチをぐい、と二段階押し込むと、自機の右手に把持されたRFW-99A1〈スティグマト〉の銃口から光軸が屹立した。

 狙撃モジュールに換装された〈スティグマト〉の狙撃精度は、開発母体となった機体よりもセンサー類を強化された自機の性能も相まって、高い水準を保つ。慌てて回避行動を取ろうとした《ストライクE》の行動予測パターンから割り出された予測砲撃座標へ向かって見越し射撃を3発撃ち込んでやれば―――あとは、終いだ。

 ぐんぐんと伸びていく光の矢。その内1発が敵機へと吸い込まれ、爆炎を撒き散らした。

 敵、撃破。

 脳裏に過った言葉は、しかし、突如鳴り響いた電子音でかき消されていった。

 警報音ではない。プリセットされた音が違う。この電子音は、動体センサーの警報音―――!

 そう理解するのも束の間、爆音と激震が炸裂。モニターを噴煙が覆っていった。

 視界途絶。即座にディスプレイに視線を走らせたロナルドは、眉を顰めた。

 宙を舞う噴煙でレーザーの使用も不可。動体センサーも効きにくい。赤外線センサーも使えない。

 ロナルドは、素早く状況と意図を理解した。

 115mmレールガンの1発をロナルドの足下に着弾。弾体の運動エネルギーと爆発により土煙を巻き起こすと同時に、頭上でもう一発の弾頭を起爆。地面に着弾した弾と相まって、起爆した炸薬の炎によって赤外線センサーを使用不能にさせる。それがあの《ストライクE》の策だった。

 だとしたら、まだ仕留め損ねていない。弾倉の詰まったシールド裏側にわざとこちらの射撃を当てて起爆させ、撃墜されたと思わせた。そうしてこちらの視界を奪ったら、あとは一撃必殺の手でロナルドを墜としに来るに相違ない。

 であれば、どのように攻めるか。ロナルドは《ストライクE》のスペック、兵装、I.W.S.Pの特性、そして相手のパイロットの技倆を即座に整理・分析。その結果より、敵の戦術行動を即座に脳裏に描く―――およそ1秒未満ほどで、最終判断を下した。

 判断を後押しするように、復旧を始めたセンサー類が警報音を鳴らした。前方と上方。2方向から、敵が接近している―――ディスプレイから情報を読み取ったロナルドは、迷うこと無く操縦桿のスイッチを立て続けに操作した。

 自機のバックパックの兵装担架が立ち上がる。マウントされていたビームブレード、MRQ-11〈アガートラム〉の柄が肩までせり出してきたところで、ロナルドは〈スティグマト〉を左腕に持ち替えると、土煙越しに前方の目標へと5発の弾丸を撃ち込んだ。

  亜光速の粒子ビームが土煙を抉る。閃いた光軸の内、3発は接近していた飛翔体の発するビーム刃に弾かれ、飛沫となって四散した。残り2発は飛翔体に直撃。小爆発を撒き散らした。

 ビームブーメラン―――ロナルドはI.W.S.Pの兵装の内の一つを思い出した。

 これは囮。本命の攻撃は、即座に来る。思っていた通りに、来る―――。

 思惟は刹那、ECMが鳴らしたロックオン警報とほぼ同時、モニターにサブウィンドウが立ち上がる。確認するまでもなく、頭上の映像であることをロナルドは知っていた。

 噴煙を切り裂く白影、その威容は大鷲の如く。大剣を抜き放ったGAT-X105Eが、パワーダイブでもって猪突した。

 ―――疾い。

 ロナルドは眉一つ動かさずに、状況を理解する。

 敵の戦略は極めて明瞭に理解できる。即ち、奇襲である。

 パワーに優れるものの、瞬発力に劣るI.W.S.Pでロナルドの乗機に格闘戦を挑むのは、不利だ。だからこそ不利と思われる格闘戦を挑み、意表を衝く。これが、戦術の1つ。

 だがこの戦術だけでは、I.W.S.Pに勝算は無い。ロナルドが凄腕のパイロットであることは向こうも織り込み済み。登場している機体も優れているとなれば、それだけの戦術では凌駕しきれない。

 ならば、もう一枚戦術を追加する―――I.W.S.Pの機体特性を逆手に取るのだ。

 瞬発力には劣るが、パワーは強力。ならば、パワーを出し切った上で一撃必殺の一太刀を浴びせかければ良い。それ故に、まず砲撃戦を展開することで、格闘戦に持ち込むまでにパワーを伸ばしきるだけの距離を演出した。プラス、上方からの強襲という形式に持ち込むことで、位置エネルギーを運動エネルギーに変換。さらには山間から吹き下ろす風力も併せ、I.W.S.Pの性能限界すら超えんとする超絶技巧の果てに、奇襲を成立させた。

 ―――かに、見えた。

 ロナルドは大剣の切っ先を特に感情の色も無く認識し、スロットルをぐいと押し込み―――がくん、と巨人に襟首を掴まれるような衝撃が衝いた。

 剣光が打ち下ろされる。裂帛の気勢で振り下ろされた剣先は、しかし、するりと虚空を切断するに終わった。

 《ストライクE》に驚愕が走る。完璧なタイミング、回避することは当然不可能なはずの攻撃を、ロナルドはするりと躱して見せた。

 どうやって、という疑問の答えは、判明して仕舞えば簡単なものだ。

 スラストリバースでの退避行動。それに加え、ビームソードを抜刀待機状態にしたままにすることで、風を受けるための帆にし、向かい風を推力に転換。自機のスペック以上に引き出した旋回性能で以て、必殺の一撃に対抗して見せた。

 ロナルドは、改めて、自機の性能に関心した。確かに彼は、機体の限界以上を引き出して見せた。だが、もしこれが《ダガーL》や《ウィンダム》であったら、こうはいかなかっただろう。中・近距離での格闘戦に主眼を置いた基本設計、そして設計概念に裏打ちされた高い水準の運動性能。機体の限界閾が高いからこそ、ロナルドは敵の戦術を全て見抜いた上で敢えてそれに乗ってやり―――そして、戦術を真っ正面から凌駕する極めて傲慢な戦法を取ることが赦された。

 最高の機体だ。ロナルドは、やはり感情の機微も無く、客観的に理解する。I.W.S.Pを装備する《ストライクE》など問題にならない性能を、コイツは有している。たとえI.W.S.Pの限界を引き出してきたとしても―――そんな限界など、コイツは、CAT2-X《ハイペリオンⅡ》は、とうの昔に置き去りにしている―――!

 撃鉄が熾る。ブレードマウントから抜き放たれたビームソードは、そのまま《ストライクE》の胴体へと食らいついた。

 

 

 「いやあ、やられたよ」

 格納庫を、酷く陽気な声が響く。

 ロナルドが背後を振り返ると、お手上げのジェスチャーを大げさにしてみせる男が朗らかに笑っていた。

 エルナン・ベルムード大尉。先ほどの模擬戦で《ストライクE》のパイロットを務めていた男だ。ユーラシア連邦に所属する凄腕のMSパイロットとして、アクタイオン・インダストリーに出向していた。

 「絶対に勝ってやるって思ったんだけどな」

 じょりじょり、と顎髭を撫でるエルナン。ラテン系らしい彫りの深い顔立ちは、なるほど開発スタッフを務める女性スタッフの中でファンクラブが出来るほどだと思う。

 「一応、主役は俺なんだが」

 ロナルドはそう言うと、パイロットスーツを半脱ぎにしたまま、パイプ椅子にどかりと座り込む。「だからこそ、だろ?」とニヤニヤ笑いを浮かべるエルナンは、メンテナンスベッドに閉じ込められるように格納された機体、《ハイペリオンⅡ》を満足げに眺めた。

 「良いパフォーマンスになったろ、ユーラシアのお偉いさんたちに。アクタイオンプロジェクトの傑作機以上の性能! ってな」

 「あそこで俺が直撃喰らってたらどうするつもりだ」

 「ソン時は、ソン時だ」

 エルナンは屈託無くガハハ、と笑ってみせる。考えているようで考えていないような、テキトーな男だ。第三次ビクトリア攻防戦では中隊長が戦死するや即座に指揮を引き継いで部隊壊滅を防いだ胆力と冴えの持ち主らしいが、普段の佇まいからは、そんな様子はうかがい知れない。

 「早く2番機も組み上がってほしいぜ。俺も乗りてぇなぁ!」

 「次は俺がストライクに乗ってやろうか? 今度は東からゲストでも招待してな」

 「あらー、なら負けてやらないと!」

 

 C.E.73年11月22日。二人の呑気な声が、格納庫に響いている。

 これよりわずか数か月後―――アクタイオン・インダストリーからユーラシア連邦に引き渡された《ハイペリオンⅡ》が再び《ストライクE》と激突することなど、無邪気な二人には知る由も無かった。




お楽しみいただけたでしょうか。

来週以降、《ハイペリオンⅡ》が活躍する本編を掲載していこうと思います。
《ハイペリオンⅡ》の設定も、本編あとがきなどに記載を予定しています。

それでは~。


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実戦風景Ⅰ:GAT-X132、第三次ビクトリア攻防戦

 先週お知らせしたとおり、C97で投稿する同人誌のオリキャラ・オリジナルMSの短編を載せたいと思います。

 
 今回は当サークルのオリジナルMS、GAT-X132《ストライクカラミティ》実戦投入の場面を書いた短編です。



 (降下ポイントまで、残り3分)

 操縦士の声が、がらんどうの中を谺した。

 地球連合軍が装備する大型VTOL輸送機CV-55Mの巨大な格納庫は、輸送機にも関わらず、MS1個小隊強のMSの運搬を可能とする。巨大なハッチを開けてMSを搭載する様は、プランクトンを丸のみにするジンベエザメ(ホエールシャーク)を思わせる。その破格の積載量を誇るはずの()()口腔(格納スペース)には、しかし、中央作戦群・第305特務試験小隊”ラーミナ”に配備された1機だけのMSが、実存してい。

 空が裂ける以前の静謐の(ノクト)に沈んだかのような、純な黒。雲の上の窮極を一つまみ滴らせたような、深い青。唸る火雷のような、承和色の双角。峻厳な御稜威が、密やかに屹立する。

 GAT-X132《ストライクカラミティ》。

 それが、この二つ眼のMSの名前である。《ダガー》タイプと明らかに様相を異にするフェイスタイプは、まさしくGAT-X105《ストライク》を想起させた。

 (降下ポイントまで残り2分)

 その黒き巨像の(コクピット)の中、パイロットは、無線の声をそれとなく耳にした。

 雪のような銀の髪に、青竹色の目。物静かながら、その様は温和というより、張り詰めた弦のような印象の女性である。

 「了解、最終確認します」

 瞬時に一瞥を流す。即応状態の《ストライクカラミティ》、出撃前の最終チェック。ディスプレイ、モニター、計器を素早く確認すること、8秒。問題ないことを再度確認すると、パイロットは、膝に置いておいたヘルメットを被った。

 (降下ポイントまで残り1分。後部ハッチ開放する、出撃に備えよ)

 「ラーミナ了解」

 パイロットの返答が、合図だった。

 ごうん、と静かな振動が足裏を撫でる。ごうんごうん、という軋みとともにハッチが開き、透き通るような穹窿が目前に拓けた。

 オートパイロットに従い、《ストライクカラミティ》が歩を進める。18mに及ぶ巨体が踏みしめているにも関わらず、巨大な輸送機はびくともしない様子だ。

 ハッチの際まで自動で歩みを進めると、《ストライクカラミティ》は、静かに虚空を眺めた。

 ディスプレイに表示された風向などの気象データを一瞥。天候、晴れ。風速60ノット。南南西の風。天候が荒れやすいビクトリア湖周辺にしては、比較的落ち着いている。輸送機の操縦士の声も、どこか拍子抜けした様子だ。

 パイロットは戦域データも確認すると、脳内で、空挺強襲(エア・ボーン)の手順をイメージする。

 一息。操縦桿を握り込んだパイロットは、ごく自然に、モニターに表示された眼下の戦場――C.E.71年6月18日から始まった戦場、ビクトリアの攻防を、睥睨した。

 (降下ポイントに到着した。武運を祈る(Good Luck)! ラーミナ!)

 「―――! ありがとうございます。フィーリア・ブラウン、出撃します」




 お楽しみいただけましたでしょうか?
 《ストライクカラミティ》、正確にはC96で紹介したMSですが、今回強化発展機を収録する都合、ベースモデルであるこちらも紹介することとなりました。
 
 なお、当サークルの設定担当のTwitterにて、《ストライクカラミティ》のメカデザも公開しております。興味を持たれましたら、活動報告のIDから、是非ご確認くださいませ。

 これから3~4話ほど、短編小説も連載していきたいなと思います。


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研究報告Ⅰ:ロドニア

 C97登場のオリキャラに関する短編小説です。
 
 それではどうぞ~。


 名前を、呼ばれた気がした。

 

 夢のように星が広がる黒い穹。冷たく足元を這う夜風。凍えるように震えた草花が、溜息を吐くように音を鳴らしていた。

 

 名前を呼ばれた気がした。

 

 どこか不気味な、見慣れぬ(umheimlich)景色。慄きが喚呼し、肌が粟立つ。

 

 名前を呼ばれた気がした。

 

 誰かが、土手の向こうに座っている。か弱く、どこか頼りない、誰かの背が見えた。掬するような風香が、指先(鼻腔)を擽る。

 

 名前を呼ばれた気がした。

 

 誰かが、こちらを丐眄する。心臓が凍れるほどに暖かな微笑、静謐な原初の夜に結露した甘い露のような精錬の瞳が、暴力的に貫く。

 

 誰かの口唇が強張る。(わたし)の名前、(あなた)の名前の形に、誰かの口唇が強張った。

 

 名前を呼ばれた気がした。

 

 ※

 

 「異常なし、ヨシ!」

 作業員は手元のタブレットのチェックが全て完了したことを確認し、二重チェックも終えて指さし確認も終えると、いつものように溜息を吐いた。

 チェック作業は全て完了。これで今回の夜勤業務は終了し、後は休暇だ。いつもなら意気揚々とその場を後にするのだが、作業員は、彼が受け持つ機材を見上げた。

 かれこれ、1年。交代勤務で管理を続けた機材―――人間一人が入るほどに巨大な試験管といった風貌の“培養器”は、主だった問題も無く稼働を続け、その主目的である“被検体”の“ケア”を行い続けたが、それもあと今日までだ。明日からは、よりコンパクト且つ簡易に運用できる新たな“培養器”……“ゆりかご”が到着し、“被検体”もそちらに使用することとなる。所詮は旧型の“培養器”は今日で破棄、だ。

 作業員は、己のパーソナリティは特別感情豊かではない、と認識している。先天的にも、そして後天的な教育としても、己は感情を表出せず、淡々と仕事をする人間である。にもかかわらず、作業員は奇妙な感慨を覚えていた。愛着と言えば愛着に近い感情に、男はどこか甘露な戸惑いを覚えていた。

 彼は、一歩、足を踏み出した。手で、触れようと思った。

 耳に装着したイヤフォンからは、何も声が無い。この一室は管理室で常時モニターされており、作業員の一挙手一投足をも監視されている。不審な行動を取れば即座に警告が来るはずだが、そうした警告が来る気配は無い。何か異常を確認した作業員がより接近・触覚にてチェックしようとしている。そのように、理解されているのだろう。男も、そんな言い訳をしようと考えていた。

 グローブ越しに、指先がガラスに触れる。

 奇妙な、感覚だった。無感動と言えば無感動に近い凪の感情の奥底に、何かの情動のうごめきがある。やはり愛着とでも言おうか―――懐かしみ、惜しむような、別のベクトルの情動が軋むような、感情。酷く、人間的な感情の動きだと思った。

 意外な感情である。己にこうした感情があることが、兎に角意外である。

 案外、自分は人間的であるらしい。薄暗い中、自嘲的に笑った男は、再び“培養器”を見上げた。

 ごぽ、と“培養器”に満ちた液が泡立つ。ふわふわと浮かんだ泡が立ち上ってゆくと、“被検体”の面前で弾けた。“被検体”は、意にも介さずに瞼を閉じている。“ケア”の最中は、よほどのことでなければ、“彼女”は目を覚まさない。

 はずだった。

 ゆらゆら。夢のように培養液に浮かぶ、銀の髪の女。手首や首元にケーブルやチューブを接続されているが、青白い肌のその姿は、ルネサンスの彫刻を思わせる。そんな石像のような女の翡翠の目が、ひたと男を捉えた。

 宝石のような、冷たい眼差し。ぎょっと飛びのいた男はヘッドセットのスイッチへと手を伸ばした。

 スイッチを押しかけたところで、男はふと気づいた。

 “被検体”は、目を開けてなどいなかった。いつものように、大理石の彫刻のように沈黙する女が、ただ培養液の中漂うばかりだ。

 “被検体”が中途覚醒したならば、バイタルデータをモニターする管理室が睡眠導入剤の投与により強制的に睡眠状態にするようマニュアル化されている。そうした形跡がないということは、中途覚醒したという事実は存在しない、ということだろう。

 単なる見間違いか。作業員が安堵していると、案の定、イヤフォンから声が流れた。

 (どうした、何か問題か?)

 「いや」男はマイクにいつもの無機的な声を返した。「何もない」

 (余計なことはするな)

 ぴしゃり。にべもなく男の声が耳朶を打つと、ぶつりと通信は終わってしまった。

 改めて、向こうでは覚醒を記録していないらしい。取り付く島もない男の声を思い浮かべた作業員の男は、帽子の被りを深くすると、再び、“培養器”を見上げた。

 相変わらず、女は液の中を漂っている。まるで数万年前からそこに鎮座する神具のように、静かに漂っている。

 作業服の袖をまくり上げる。彼女の次の目覚めは、あと7時間後。

 

 ※

 

 男は、医務室のオフィスチェアに背を預けていた。

 予定時刻まであと10分15秒。デスク上の置時計を一瞥すると、次いで、男はデスクに並ぶ2つの固定電話を眺めた。

 左の黒い電話に、右の白い電話。どちらも、この施設内でのみ通じる有線の固定電話だ。

 右の白い電話は、主に施設のスタッフが不調の際にかかってくる電話だ。閉鎖的な施設柄、精神操作にも限度が来る。そんな場面で、男の雇用が発生する。即ち、カウンセラーである。

 だが、それだけが彼の職務ではない。むしろ、スタッフの精神的ケアは副業として行っているに過ぎない。彼のメインの仕事は別にあり、そしてその仕事を報せるのが、黒い固定電話の役割だった。

 不定期に鳴る白電話と異なり、黒い電話が鳴る時刻は予定されている。再度置時計を一瞥。予定時刻になったことを確認した男は、カチ、という音を聞いた。

 電話が鳴るな―――そう予知した次の瞬間、その通りに黒い電話が鳴った。

 「ハロー」男は身を乗り出してワンコールで電話を取ると、陽気に返事をした。「時間ぴったりですね」

 電話の向こうで、(そのように申し付けられておりますので)と男が固く応えた。

 「予定通りですか?」

 (はい。被検体EE01です)

 「わかりました、お待ちしております」

 (はぁ)

 軽く、そんなやり取りをする。黒電話を受話器に置くと、男は背もたれに再度背を預ける。予定通りに世界が動いていることへの満足感を覚えつつも、残り9分38秒の待ち時間を存分に味わった。

 そんな束の間の焦れを味わうこと、9分37秒。1秒早く医務室のドアを叩く音に、男は「どうぞ」と声をかける。

 「失礼します」

 ゆっくりと引き戸が開いた。

 音もなく入室する、銀の髪の女。ライトブルーの病衣を着た女は、男の面前のオフィスチェアに座ると、落ち着かない様子で翠の目を返してきた。

 なんだか、いつもと違うな。

 男は、即座に不調を見て取る。普段ならば、機械のような生真面目な目を射抜くように向けてくるのに、今日はそれが無い。落ち着きの無い、というよりかは、不安そうな目だ。

 「おはよう」男はそうしたデータをとりあえず頭の片隅に記憶して、いつも通りに会話を始めた。「名前は?」

 「EE01」

 「そちらではない」

 「フィーリア・ブラウン」

 「フィーリア。フィーリア・ブラウン、良い名前ですね」

 「は……ありがとうございます」

 もう、何十何百、彼女が眠りに落ち、目を覚ます度に反復した会話。必ず彼女は己の個体名ではなく、番号で名乗る。そして、アイデンティティ確立のために与えられた個体名を要求すると困ったように応え、称賛に対してもやはり困ったように返答する。何度記憶のデリートを繰り返したとしても、それは変わらないことだった。

 「調子はどうですか、ブラウン?」

 「良くないようです」フィーリアは、困ったように眉を寄せた。「どう悪いかは、わかりません。」

 フィーリアは、至って素直に返答した。兵器として、己の不調を主張することは重要な要素である。男は、フィーリアが自然と不調を訴えた事実も頭の片隅に置いておいた。

 「そのようですね。思い当たる節はありますか?」

 「わかりません。ただ、夢を見ていたような気がします」

 「夢ですか」

 「はい。懐かしい……夢だった気がします。詳細は覚えていないのですが……」

 フィーリアは、どこか苦し気に言葉を吐いた。ふむ、と手慰みに顎を撫でた男は、即座に思案を巡らせた。

 記憶のデリートが中途半端に働いている。表層の情景だけが消されているが、強い印象だけが残っている。それが奇妙な気分の悪さとなっているのだろう。男は、そう察した。

 貴重なデータ。男は、この不調を善いものだと理解した。“ゆりかご”が実装され、エクステンデッドが正式に実用化されるに至るのも近い未来のことだが、何分未知数な点は少なくない。こうして試験段階にて問題が生じることは、将来にとっての益となるだろう。それに、聞けばフィーリアは今日から“ゆりかご”の運用を始める予定だ。そちらも含め、今すぐ対処しなければならない問題ではない。

 要観察。

 男は即座に判断し、頭の片隅に置いた。

 「今日は何の夢だったか、思い出して過ごしてみるのもいいでしょう」

 「何か、意味があることでしょうか」

 「フロイトの精神分析の真似事です。無作為に頭に浮かんできた事柄を紐づけてみると、無意識を探ったりできるそうですよ。そうしたら、気分も落ち着くかもしれませんね」

 「ドクターは博学でいらっしゃいますね」

 「伊達に博士(ドクター)をやってはおりませんから」

 ふふ、とフィーリアは小さく笑って見せる。どうやら、多少の気散事にはなったようだ。フィーリア・ブラウンはその経歴の通り、比較的人格を感じる振る舞いをする。これも、ルーティンと変わらぬ様子だった。

 「ほかに何か気になることはありますかしら」

 「いえ、ありません」

 「わかりました。それでは、今回はこれで終了です。お疲れ様でした」

 「はい。失礼しました」

 すっくと立ちあがる。敬礼一つ、身を翻したフィーリアは、医務室を後にした。

 男は脱力すると、やはり満足気に溜息を吐いた。

 男は、フィーリア・ブラウンが好きだった。精神的に落ち着き、安定したデータを提供してくれるが、時に今日のような不調を示し、より良いデータに貢献してくれる。兵器としての成り立ちと成長した人格の鬩ぎあい。実験体としては理想的な立ち振る舞いに、大変な親密感を覚えていた。だからこそ、彼女との覚醒後の面談は大変楽しみであったし、その終わりは残念であった。

 ぎしぎしとオフィスチェアを鳴らした男は、再び鳴った電話をワンコールで取り、次の面会者の時間であることを教わると、形だけでも気を取り直して、待つことにした。

 待つこと9分ちょい。ドアが1度だけ叩かれると、男の返事を待つことすらせずに、無言で引き戸が開いた。

 男は、その少女を初めて見た。銀の髪のフィーリアとは対照的な、金の髪。まるで幼子のように感情の読めない顔。ぽかんと呑気そうな顔で男を眺めたまま、少女は部屋に入ったまま、突っ立っていた。

 「……そこ、座っていいですよ」

 「うん」

 こくりと頷き一つ。蚊が飛ぶような小さな声で答えると、少女はやはり呑気な様子で椅子にすわった。

 10代半ばほどだろうか―――病衣を着た少女は、華奢だった。無垢そうな顔立ちだが、第二次性徴はしている体つき。20は越えていないだろう。

 その割に、精神的には落ち着いているように見える。のんびりとした様子は、ともすれば泰然としているようにも見えた。

 「はじめまして」彼は思いついたことを次々に頭の片隅に置きつつ、いつも通りに会話を始めた。「名前は何ですか?」

 「――――――」

 ぼそぼそと応える少女。こちらとコミュニケーションを取る気などさらさらない様子の声色だが、なんとか男は聞き取った。

 「なるほどなるほど」大げさに、男は笑みを浮かべた。「ステラ・ルーシェ、良い名前ですね」




 今回公開致しましたキャラクター、《ストライクカラミティ》の短編でもパイロットとして登場しました。SEEDの話を書いた前回に対して、今回はSEEDとSEEDdestinyの間くらいの出来事です。 

 《ストライクカラミティ》と同じく、Twitterにてキャラデザ公開しております。よろしかったら、是非ご確認くださいませ。 


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実戦風景Ⅱ:ヤキン・ドゥーエ攻防戦ⅰ

 今回もC97同人誌のオリキャラ紹介の短編です。
 
 舞台はヤキン・ドゥーエ攻防戦、ジェネシス1射目の直後を書いたものです。
 それでは、どうぞ。


 C.E.71年9月26日 ヤキン・ドゥーエ宙域にて

 

 「クソ、なんなのよコイツ!」

 ECMがかきたてるビープ音。全方位から突き刺さる甲高い電子音に全身を粟立たせながら、マーシー・ファーブニルは、口蓋の中で嗚咽をくぐもらせた。

 

 ※

 

 ヤキン・ドゥーエ攻略作戦の発動から、数時間。ザフトの戦略兵器『ジェネシス』により「エルビス作戦」の骨子、プラント攻略部隊旗艦である『ワシントン』を含む総戦力の40%が消滅。さらに撤退戦で消耗し、地球連合軍の勝利は不可能な状況へと転がり始めていた。

 本来であれば、月面のプトレマイオス基地に撤退すべき状況だった。にも関わらず、地球軍艦隊がザフトと交戦している理由はただ一つ。地球そのものへの脅威となる『ジェネシス』を何が何でも取り除かなければならない、との判断からだった。

 地球連合軍は、アークエンジェル級『ドミニオン』を中心に残存兵力を再編。『ジェネシス』破壊のための部隊を編成し、絶望な作戦を展開していた。マーシー・ファーブニル少尉もまた、その渦中に居た。

 

 ※

 

 背後からの警報音に、マーシーはぞっとする暇も無く《ストライクダガー》をロールさせた。

間髪入れずに直上直下から襲いかかる鮮緑の閃光。スロットルをフルパワーにたたき込み、フットペダルを踏み抜くことで無理矢理振り切る。眼球が眼底に沈むようなGに喘ぎながら、マーシーは背後に形成された光の壁に背筋を灼かれるような錯覚を惹起させた。

 1秒未満の錯綜。最早牢獄とすら呼べる無数のビーム光の乱舞。1個大隊どころではない規模の攻撃にも関わらず、《ストライクダガー》のセンサーが捉えた敵は、1機だけだった。

 (ラピス02、4時方向下だ!)

 ヘルメットのイヤフォンから怒声が突き刺さる。声にならない悲鳴を漏らしたマーシーは、レーダーに突如映ったただ一つだけの赤いブリップを目に焼き付けた。

 フルスラストする《ストライクダガー》を余裕で追随する機影。相対距離を一息で縮めるや、光の剣が迸った。

 横薙ぎに炸裂した大出力の剣光。その切っ先がシールドに食らいつくや、肉切り包丁で牛骨を叩き割る如くに溶断。パっと鮮やかに光が閃いた。

 ―――その背後。

 ビームサーベルを発振させた《ストライクダガー》が、灰銀の怪物の背に肉薄した。

 ビームサーベルが直撃する瞬間にシールドをパージ、カメラを一瞬遮断する間にスラストリバースと宙返りを行うことで高速クルビットをしつつ、フレアを射出。背後を取りつつ同時に推力を戻し、一気にクロスレンジに滑り込む。《ダガー》の簡易量産型ながら、GAT-X100系フレームによる柔軟且つ高水準の運動性能を持ち、機動格闘戦に長ける《ストライクダガー》だからこそ為しえたマニューバだった。

 相手のパイロットからすれば、忽然とかき消えたかのように見えただろう。シールドでカメラとレーザーレーダーを欺瞞するだけでなく、フレアにより赤外線センサーもマスクした。背後に回ったことを察知する手立てなど無い。動体センサーが背後から強襲をかける《ストライクダガー》を補足したときには、もうサーベルが機体を餌食にするだろう。海底に転がる海胆を思わせる化け物じみたシルエットのそれは、どう見ても、格闘戦闘に秀でる機体には見えなかった。

 剣先が巨大な背に届く。摂氏数万度の粒子束が装甲を溶断する。

 その。

 刹那。

 ゆら、と巨躯が翻る。

 戯れにも見えた。形而上の悪魔が気まぐれを起こして受肉するが如きコンマ1秒未満の児戯。穏やかに閲する深緑の双眸は、牡蠣の臓物を想起させた。

 ハメられた。

 こちらの挙動を見切られた上で、裏をかかれた―――!

 視界を消し飛ばす光の瀑布、形而下の人間の血肉を瞬時に蒸発させる獄炎。巨体はあまりに機敏に身を翻すと、あの巨大な剣を振りぬいた。

 あまりに明晰な無が、マーシーを襲撃した。

 (―――死なせるかァ!)

 ぶ、ち、り。

 

 ※

 

 「おい、メリー! メリー!」

 ふと、マーシーは自分の名を呼ぶ声で目を覚ました。

 「―――あ」

 視界に飛び込む男の顔。どこか鬼気迫るような男の目は、不気味なほどに恐怖に取り憑かれていた。

 マーシーが身体を起こす。ふわりと無重力の海に浮かんだ黒と桜色の髪が視界を覆う。

 夢のように四方に広がる自分の髪を漠と眺めたマーシーは、なんとなく、状況へと視線を投げていく。

 酷く、狭い空間。しかして、見慣れた窮屈さ。《ストライクダガー》のコクピットの中だ。ふわふわと浮かぶまん丸は、脱ぎ捨てたノーマルスーツのヘルメットだ。それが、ふたっつモニターの向こうには、のっぺりとした黒い宇宙が延びている。ちらちらと光っているのは、恒星の光だ。ゆらゆらと揺れている塊は、よくわからない。

 マーシーは、改めて、目の前の男を認識した。

 黒髪の男。陽光に煌めく浅瀬のような目をした男―――。

 「隊長?」

 マーシーの声は、酷くか細かった。蚊の鳴くような声とは、多分こういう声なのだろうと思った。

 男は、びくりと身体を震わせた。虚脱した視線を彷徨わせるのも一瞬、くしゃりと顔を歪ませた男は、ただ、良かった、と声を漏らした。

 笑っているのだろうか。それとも泣いているのだろうか。怯えているようにも見えた。混交した情動に痙攣する男は、さりとて、唐突に世界に産み落とされた赤ん坊のようにひ弱に見えた。

 (マクミラン隊長、メリーは無事なんすか?)

 コクピット内にざらついた声が響く。NJで阻害された無線通信の相手は、同じ小隊の仲間だった。

 「あぁ」隊長―――ウォルト・マクミラン中尉は絞り出すようにして声を返した。「気絶していただけみたいだ」

 (あんな化け物とタイマン張って気絶で済んだら儲けものですよ)

 化け物、という言葉がべとりと脳裏にこびりつく。

 あの、MSのことだろうか。海胆のような栗のようなトゲトゲした巨大なバックパックを背負った、灰色のMS。この世の何かとは思えない、何かより高次の摂理の顕現かのような錯覚すら思わせるMS。

 「アイツは、隊長が?」

 「いや」ウォルトは肩を竦めて見せた。「相手にならなかったよ」

 「格闘戦ならなんとかなる、と思ったんだけどな。お前と同じで」自嘲気味に口角を挙げる。やれやれ、と背後を振り返ったウォルトは、モニターの向こうを顎でしゃくった。

 ゆらゆら、とモニターに揺蕩う塊―――それが襤褸にされた《ストライクダガー》だと、マーシーはようやく理解した。

 全身に被弾の後がある。両腕は千切れ、頭部も吹き飛ばされ、胸部のインテークにも直撃痕がある。膝から下が切り落とされた右足だけが、ぷらぷらと揺れていた。

 「モノが違いすぎた」

 MSも、パイロットの質も。言外にそう言い含めたウォルトは、やれやれと溜息を吐いて見せた。

 「私、何も出来ませんでした」

 「俺の方が何も出来なかったさ。イメリア教官仕込みの格闘戦、流石だったよ」

 なぁ、と無線に話しかけるウォルト。ええまぁ、とかなんとか返答に困る無線の向こうの声を、とりとめも無く耳朶に打つ―――。

 嘘だ、と思った。

 あの状況。あの怪物との間に割って入った上で部下を生還させ、自身も帰還してみせる。それがどれだけ至難の業なのか、未だ実戦経験が2度しかないマーシーには、理解すらできないものだろう。たかだかマニューバの一つなど、何の自慢にもならない。まして察知された上で反撃されたとなれば―――。

 ―――何故、あのパイロットは自分の挙動を読めたのだろう。あんな状況でマーシーの挙措を見切るなど、それこそエスパーか何かで無ければ不可能な筈なのに。

 詮の無いことだな、と思った。理屈はわからないが、今は、生き残った事実を噛み締めること以外、どんなことも贅沢だった鈍く溜息を吐いたマーシーは、隊長、と呟いた。

 「終わったんですか」

 ウォルトは一度、大きく肯首した。

 「終わった」

 ウォルトも、背後を振り返った。終わった、と声を漏らした男の背は、所在なく、脆く、存在していた。

 「終わったよ」

  その声音は、ここに居ない誰かに囁くように。




 ちょっと短めの内容でした。

 本日22時までにはTwitterにキャラデザ公開する予定です。気になりましたら、活動報告にて記載してあるIDから是非どうぞ~。


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ハイペリオン -あるユーラシアの兵士のものがたり-
メカニック・部隊設定


『ハイペリオン』のメカ・部隊設定です。

随時更新を予定しております。


 【部隊設定】 

 

 ●第302技術試験大隊”ズィルヴァエ・クリンゲン”

   ユーラシア連邦の兵器開発を担う、『兵器システム開発軍団』に属する試験部隊。

   ドイツ北部地域のラーゲ基地を拠点とし、国産次期主力モビルスーツ開発の為の

  研究・運用データの収集を主な任務とする。ユーラシア連邦の兵器開発に大きな

  影響力を有するアクタイオン・インダストリー社から、多くの実験機の試験を委

  任されているとされるが、その詳細は公開されていない。また、部隊編成上は大

  隊であるが、実験機・試作機の出入りが激しい為、稼働状態のモビルスーツは大

  隊定数に満たない場合がほとんどである。一方で、パイロットの多くがヤキン・

  ドゥーエ戦役をモビルスーツで戦い抜いたベテランであり、ユーラシア連邦のモ

  ビルスーツ部隊の中でも極めて高い錬度を有している。

   ユニウス戦役・西ユーラシア政変時のロストック攻防戦では、防衛部隊の虎の子

  として実戦に駆り出され、“ヴァシリースク”との死闘を繰り広げた。

   部隊名の“ズィルヴァエ・クリンゲン”とは、「銀の刃」を意味するドイツ語であ

  る。部隊章には、銀を象徴する月と、アルテミスによって鹿の姿へと変えられたアク

  タイオンの頭蓋骨が象られている。

 

 ●第664独立親衛機動狙撃大隊”ヴァシリースク”

   三個モビルスーツ大隊を基幹とする、諸兵科連合部隊『第133独立親衛機動狙

  撃旅団』麾下のモビルスーツ大隊。旅団の司令部はユーラシア連邦・ロシア総軍・

  西部軍管区・ジェーコフスキー基地に置かれており、モスクワの防衛任務に就いて

  いるが有事の際の即応予備兵力としても機能する。「親衛旅団」の名を冠する精鋭

  だが、中でも“ヴァシリースク”の錬度は抜きんでており、ロシア総軍最強のモビル

  スーツ部隊との呼び声も高い。ロシア総軍においてモビルスーツの配備が始まるの

  と同時に創設された部隊でもあり、このことから、大隊には最新鋭機が優先して配

  備されるのが慣例となっている。C.E.73年時の正面装備はGAT-04《ウィンダム》

  で統一されており、ユーラシア連邦全体で見ても最新の装備が整えられている。

   “ヴァシリースク”とは、伝説上の怪物「コカトリス」のロシア語であり、旧ロシ

  アの国花である「ラマーシュカ」と共に部隊章に描かれている。

 

 【メカニック設定】

 

 ●CAT2-XハイぺリオンⅡ

  CAT2-Xは、開発が凍結されていたCAT1-Xをベースに、アクタイオン・インダスト

 リー社が独自に開発を進めていた技術実証機である。

 

 ■三度の屈辱と主力機メーカーへの羨望

  地球連合内部での影響力拡大のため、ユーラシア連邦が主契約企業のアクタイオン・

 インダストリー社と共同で推進していた『X計画』だったが、試作機の完成から程なく

 して、計画の凍結が決定することとなる。その主な理由としては、大西洋連邦がユーラ

 シア連邦に先んじて、NJCを入手したこと。光波防御帯を初めとした、ユーラシア連邦

 の独自技術と引き換えに、《ダガー》シリーズの輸出とライセンス生産を大西洋連邦が

 認めたことが挙げられる。特に、NJCを連合内部で大西洋連邦が独占していたことは、

 ユーラシア連邦首脳部にとって非常に大きな懸念材料となっていた。ユーラシア連邦最

 高会議は、地球で唯一、核を再び手にした大西洋連邦を正面から相手どるのは、リスク

 が大きすぎると判断。これまで、大西洋連邦と正面から対立してきた国家戦略を、《ダ

 ガー》シリーズの基礎技術を研究しつつ、NJCの陳腐化を待って再び対等な影響力を手

 に入れるという堅実な方針に転換したのだ。

  この時期、プラントにおける次期主力機コンペにおいて、既にMMI社に敗れていたAI

 社は、なおもユーラシア連邦、及び地球連合にCAT1-Xの売り込みを続けたが、結局双

 方これを採用することは無かった【※】。

  一次大戦後、AI社は、地球連合軍の特務機関である、第81独立機動群より先進MS

 開発計画の主契約企業として指名された。しかしAI社は、三度の屈辱を味わうことと

 なる。『アクタイオン・プロジェクト』と銘打たれた本計画の実態は、かつて大敗を喫

 したGATシリーズをベースとした、次期主力機開発コンセプトの模索だった。そして、

 当然ながらテストベッドとなる機体は、AI社の機体ではなく大西洋連邦製のGAT-Xシリ

 ーズだったのである。

  この時期、それまで地球連合におけるMS開発の雄であった大西洋連邦の国防連合企業体(DUBE)

 は、最大手加盟企業のCEOであったムルタ・アズラエル氏の急死。更には、

 ヤキン・ドゥーエ攻防戦における《ジェネシス》の砲撃による、月の大規模生産拠点の

 喪失等が重なり、加盟企業の経営基盤立て直しが最優先課題とされていた。これを踏ま

 え、連合軍司令部は、当時MSを単独開発できる軍事企業の中でも、DUDEに次ぐ技術力

 を有するAI社を主契約企業の筆頭候補とした。『アクタイオン・プロジェクト』への

 AI社選定は、経営立て直しを図るDUBEの不安要素を排除するための消極策でしかなか

 ったのである。AI社のMS開発チームは、この事実に大きな落胆を受けるが、同時に

 DUDEの独自技術を獲得するチャンスと捉え、計画参加への意気込みはむしろ高まった

 という。こうして『アクタイオン・プロジェクト』は、GAT-X105Eを初めとしたGAT-X

 シリーズの強化改修機を世に送り出すこととなる。基礎設計はC.E.70年の物にも関わ

 らず、改修後のGAT-Xシリーズは73年当時の最新鋭機にも比肩し得る性能を獲得。AI社

 は、GATシリーズの傑作機たる所以を再確認することとなった。

 

 【※】C.E.73年にCAT1-XGが、AI社の猛アピールに応える形で、連合に試験配備され

    たが、結局本格的な量産には至らなかった。

 

 ■遥かなる高みへ

  GATシリーズの近代化改修という経験は、AI社に大きな衝撃と影響を与え、一時停滞

 していたMS開発に再び火を灯すこととなる。同じころ、ブレイク・ザ・ワールドによ

 り、第二次地球・プラント間大戦の気運が高まる中、AI社はこれを好機とし、凍結し

 ていたCAT1-Xをベースとした技術実証機の開発に着手する。CAT1-Xの後継として、

 CAT2-Xと呼ばれることとなったこの機体は、『アクタイオン・プロジェクト』で得た

 データを基に、ベース機とは全く違う運用思想で再設計されていった。CAT1-Xはモノ

 フェーズ光波シールド《アルミューレ・リュミエール》を運用の主軸と定め、その防御

 力を活かした突破力で敵陣に切り込み、攪乱。後方に控えたMAによる精密砲撃で、直

 接打撃を与えるという連携を旨とした運用を想定していた。しかし、73年時点におい

 てMAはそれまでの汎用主力兵器ではなく、重火力を備えた次世代兵器と見なされ、配

 備数は大幅に削減されていた。こうした背景から、当時のMSは連合・プラント共にス

 タンドオフ戦域展開・作戦遂行能力を重視する傾向にあり、CAT2-Xの設計もそれに準

 ずるものとして再設計を施されたのである。CAT1-Xからの主な改修点としては、七基

 備えていた《AL》を両腕部の二基に削減。胸部バイタルパートへのTP装甲の追加。ス

 ラスターと《AL》発生装置。そして、ビームキャノン《フォルファントリー》の複合

 モジュールとして機能していたバックパックを新規設計のCW101へと換装。さらに、頭

 部複合センサーを新型のCEU4へと刷新。これによって生じた頭部の余剰スペースは、

 M2M5《トーデスシュレッケン》の砲弾搭載スペースとなっており、装弾数向上に一役

 買っている。コクピットモジュールも《ダガー》系列と共通化することで、操縦性の向

 上を図り、同時にセンサー・フュージョン能力の向上ももたらした。これにより、

 CEU4によって得られた高度な戦術情報をMFDに統合表示することで、パイロットはその

 情報を瞬時に把握できるよう設計されている。地球連合のMS運用に適した改修が施さ

 れる一方で、当時連合製MSのスタンダードとなりつつあった、ストライカーパックシ

 ステムはオミットされている。これは、前大戦からのストライカーパックを有する機体

 の装備傾向をAI社が独自に調査したところ、機動力向上を目的として開発された、

 AQM/E-X01《エールストライカー》とAQM/E-A4E1《ジェットストライカー》の使用頻

 度が、全体の八割に達していた為である。また、ストライカーパックが普及するにつれ

 て、それ自体が補給線の圧迫や、整備性の低下等を招いていたという報告も散見され

 た。費用対効果と効率性の観点からストライカーパックシステムは、当初想定されてい

 た以上にデメリットを抱えていた可能性が、この調査で明らかとなったのである。

  以上の理由に加え、採算が見込めない自社予算による開発であった為、予算削減の観

 点からCAT2-Xはストライカーパック非対応機として設計された。しかし、本機はあく

 までも次期主力MS開発のための技術実証機であり、次期主力機開発の際には、ストラ

 イカーパックシステムの運用理論を再検討するとAI社は喧伝している。

 

 ・複合ウィングモジュールCW101

  CAT2-Xに単独飛行能力と汎用性を付与するため、バックパックの新規設計は必須だ

 った。これを受けて、AI社は『アクタイオン・プロジェクト』で開発したAQM/E-

 X09S《ノワールストライカー》に着目。AQM/E-M1通称I.W.S.Pを再設計した《ノワー

 ルストライカー》は、汎用性において、最高レベルの性能を追求したストライカーパッ

 クであり、その開発で培った技術がCAT2-Xのバックパックにフィードバックされてい

 った。《ノワールストライカー》の技術を盛り込んで新たに設計されたバックパック

 は、スラスター内蔵の可変型ウィングバインダーと、MAU-M3B連装レールガン、近接格

 闘戦における主兵装となるMR-Q11《アガートラム》ビームブレイドをそれぞれ左右一

 基ずつ装備した複合ウィングモジュールとして完成。CW101の開発コードで呼ばれた。

 《ノワールストライカー》との最大の相違点は、PS装甲のオミットと、主翼と兵装群

 の分離による構造の簡略化である。主翼と兵装群の一体化により、高い空力特性を有し

 ていた《ノワールストライカー》だったが、これを実現する為にその構造は複雑化し、

 整備性・生産性共に量産に耐えうるものではなかった。そこで、CW101は兵装を主翼と

 別ユニット化することで、整備性の向上を図った。その代償として悪化した空力特性を

 カバーするため、主翼にはスラスターを増設。このスラスターに供給される推進剤は、

 兵装を分離したことで生じた主翼内部スペースの燃料タンクから賄われており、稼働時

 間の低下を防いでいる。

  CW101は、《AL》とTP装甲の限定配置により、GATシリーズに比して大幅な軽量化が

 為されたボディとの相乗効果で、1G環境下での単独飛行能力と非常に高い中近接戦能

 力をCAT2-Xに付与することに成功している。

 

 ・RFW-99A1 ビームサブマシンガン ザスタバ・スティグマト

  CAT1-Xが装備していた、RFW-99の制式採用を見据えた改良タイプ。

 各モジュールを機関部から分割。換装機構を付加することで、ストライカーパックシス

 テムに頼らない汎用性を実現すべく設計された。モジュールには、集弾性を重視した狙

 撃タイプや、連射性を重視した軽機関銃タイプ等が存在する。狙撃タイプの場合は、機

 体の光学センサーとリンクする高精度複合センサーモジュールを機関部上部のピカティ

 ニーレールに装着する。軽機関銃タイプの場合は、装弾数が多いドラムマガジンを使用

 することが多かった。モジュール交換は、特別な機材を必要とせず、機体のマニュピレ

 ーターで換装可能。また、空になったパワーセルを排莢するためのエキストラクターが

 大型化しており、ジャム(排莢不良)のリスクが低減されている。これにより、機関

 部の全長がやや伸びている。

 

 ・頭部モジュール

  複合センサーは省スペース化と、高精度化が図られたCEU4へと更新されている。こ

 れによって側面部のサブアンテナが廃され、代わりにM2M5《トーデスシュレッケン》

 の砲弾搭載スペースが設けられた。




 ネタバレになりそうな設定がありましたので、少々オミットしてあります。
 全話投稿が終わったら、削った設定をプラスしていく予定です。


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1話

 お久しぶりです。

 先週予告した通り、今週からC94に頒布した小説の掲載を始めます。

 内容は、SEED DESTINYにて、ステラがデストロイでベルリンを焼き払っていた頃。ユーラシア連邦内で生じていた内紛の一局面が舞台です。
 連邦議会掌握のために動き出したユーラシア連邦ロシア総軍と、それを阻止せんとするユーラシア連邦西欧総軍のMS部隊が激突します。

 それでは、1話です。


 「われわれは、枯れた枝や火打石の中に眠っている火のようなものだ。この窮屈な縛めの終わる日を今か今かと待ち焦がれ、もがいているのだ。しかし、解放の瞬間はやってくる。長い長い闘争の期間を償って、それはやってくる。その時、牢獄は神的なものによって破られる。焔は薪を離れ、かちどきの声をあげる。そうだ、そのとき、軛を解かれた精神は、苦悩と奴隷の姿を忘れ去って、栄光のうちに太陽の殿堂へ帰る思いをするだろう。」

                     ‐ヘルダーリン『ヒュペーリオン』より‐

 

 

 C.E.72年 某日 ユーラシア連邦 モスクワ近郊 クビンカ基地

 

 天空から射す陽光。眩し気に細められた彼の目は、大地に屹立した威容を捉えていた。

 天体の威光を湛えて反射する鋼の肉体。蒼の空と同じ色の航空迷彩(エアリアルカモ)航空迷彩に彩られた巨人。昨年のヤキン・ドゥーエ戦役で瞬く間に戦場の主役になった兵器、MSだ。

 GAT-01A1(ダガー)GAT-01(ストライクダガー)を超える量産機として、大西洋連邦から供与された機体だ。背部に装備するAQM/E-A4E1(ジェットストライカー)も、新型のストライカーパックである。

 無論、彼はそれを本部隊の精強さと見做すほど、素朴な人間ではなかった。戦後に増産されたとは言え、地球連合加盟国の中でも、《ダガー》の配備数は多くない。

 それに、ストライカーパック対応機の運用は、多くの面で不安要素を抱えている。補給経路の複雑化や、整備性の低下。ストライカーを運用するためのインフラ整備など、主力正面装備をストライカーパック対応機に切り替えることは、多大な困難を抱えている。

 その難点を踏まえてなお、我が部隊が何故《ダガー》を装備しているのか。将来的なストライカー対応機への、主力装備の全面刷新を備えての試験運用という建前を根底で支える潜勢力は、は、一体何なのか。

 一兵士が政治を思考すべきではない、とは思いつつも、ユーラシア連邦軍・ロシア西部方面軍が誇る精鋭の一員として、懸念を抱かない思考無能の持ち合わせも無かった。

 さりとて、今は考える必要は無い、と思った。ゴーグルの向こうから双眸を覗かせる《ダガー》から視線を下へとずらした彼は、大地で戯れあう人びとの喧騒を眺めた。

 年一回の基地航空祭ということもあって、普段は軍人と許可された人間しか入ることの出来ない基地内に、一般市民が群れを為している。

 あるものは屈託なく笑い、あるものは上空でクルビットを行うF-7(スピアヘッド)に驚嘆し、あるものは《ダガー》の姿に輝かしい畏怖の眼差しを向けていた。またあるものは、報道機関の記者を示す腕章を巻いて、熱心に写真を撮っていた。基地業務管理隊の隊員に見守られながら、人間たちは思い思いに楽しんでいるようだ。昨年の戦争が深く抉った爪痕はまだ癒えないが、この場この瞬間だけは、平和だった。

 そんな束の間の平和の中、彼の視線は、覚えず、彼女を捉えた。

 普段のBDUではなく、SDUに身を包んだ矮躯の女性。ウェーブのかかった長い黒髪を靡かせながら、彼女はモデルの仕事をこなしていた。時に家族連れと、時に不気味な肥気味の青年と、時に20代ほどの女性とともにカメラのフレームに収まる彼女は、なるほどカメラ映りもいいし、広報科のキャンペーンガールと勘違いしてしまいそうだ。

 しかし、その小柄さと淑やかな風采とは裏腹に、彼女はMS大隊の大隊長を務める凄腕のパイロットでもあった。サービスドレスユニフォームにずらりと飾られた勲章が、彼女の技量が偽りではないことを雄弁に語っている。

 と、彼女が振り返る。いたいけな少女を抱きかかえた彼女は、口元に穏やかな微笑を浮かべていた。

 天空から降り注ぐ、温かな白い光。太陽に祝福されるように、彼女の微笑が、白く、白く、溶けていく―――。

 

 ※

 

 鼓膜の内側で鈍音が凝る。鼻頭を突き刺した痛撃に全身を強張らせたサルマン・グラチャニノフ少尉は、慌てて顔を上げた。

 どうやら、寝ていたらしい―――眼がしらを抑え、サルマンは、判然としない視界を右往左往させた。

 スペングラー級揚陸艦『アドミラル・ナヒーモフ』艦内の待機室(ロビー)には、ここ数日変わらい日常が展開されていた。

 第一中隊の面々は、それぞれ暇な時間を平凡に消費している。携帯ゲーム機でチームプレーに勤しむ隊員がいれば、日本式チェス―――イゴ、とかいう名前だったか?―――で勝負する2人がいる。サルマンと同じように居眠りをしているのは第2小隊の新入りで、これから初の実戦という割には、肝の太い男だ。ぽっかりと丸く膨らんだ鼻提灯が天井から降る灯りに照らされ、虹色に反射していた。部屋の隅に置かれたテレビでは、ニュース番組の企画である猫の特集番組が流れていた。食い入るように見入る隊員が1人、テレビの前の席を占拠している。厳つい見た目に反して猫好きな大男だ。

 「居眠りとはらしくないですね、グラチャニノフ少尉」

 そんな中、サルマンに声をかける女性が1人。壁際の椅子に腰かけた彼女は、掲げた本越しに、からかうような表情を浮かべていた。

 オクサナ・アレンスカヤ中佐。大隊長を務める、サルマンの直接の上官だった。

 「昨日眠れなくて」

 「貴方は考えすぎる」オクサナはページに視線を落とした。「チェスノコフ少尉を見習いなさい」

 彼女はそれだけ言うと、もう、それ以上は語らなかった。あまり多くを語る人ではなかった。新人の少尉は、大きな鼾を鳴らしていた。

 彼女はよく本を読んでいた。出撃前でも、執務室でのちょっとした休憩時間でも、とにかく本を読んでいた。読む種類のジャンルもバラバラで、小説を読んでいる時もあれば小難しそうな本を読んでいたり、そうかと思えば俗っぽい女性週刊誌を読んでいたりすることもあった。

 今日は誰かの詩集を読んでいるらしい。目を凝らしてタイトルを伺うと、表記されているのはドイツ語だった。音も無く言葉に触れる姿は、賢人が唄った智慧の巫女(ディオティマ)の似姿そのものだった。

 彼女が、ふと顔を上げる。彼女の蒼い視線が向かったのは、丁度彼女の座る席の正面にあるテレビだった。

 猫の特集が終わったらしく、テレビはニュース番組らしい内容を放送し始めている。

 40インチほどの画面では、遠望で撮影したMSの戦闘が映し出されている。旧ドイツ連邦の首都ベルリンでの戦闘映像だろう。画面には、白亜の体躯に碧の翼を背負ったMS―――()()ZGMF-X10A(フリーダム)―――と、40mはあるのではないかと思われる巨大な人形兵器が映し出されていた。

 数日前、ベルリンに()()()展開していたザフトの部隊を撃破すべく出撃した、地球連合軍を捉えた映像だ。結果として戦闘に介入した《フリーダム》によって大型MSは撃破されたものの、ザフトに対してダメージを与えた、とニュースキャスターは感情も無く語っている。隣に座る髭面で眼鏡の軍事コメンテーターは静かな憤慨を湛えた様子で、『歌姫の騎士団』が及んだ凶行に対し、侮蔑的な言葉を見事な雄弁さで陳列していた。

 オクサナは、その映像を見終わると、さっさとページに視線を落とした。傍目から見れば、全くもって興味が無い様子に見えた。

 ベルリンの惨状を伝えるニュースは十数秒で終了し、アナウンサーは無造作に手許の原稿を1頁、捲る。映像も切り替わると、旧ロシア連邦の地方都市で起きた、婦女暴行事件を伝え始めた。10代後半の少女が複数の男に暴行された事件のようだ。確か、大西洋連邦の部隊が駐屯する基地がある都市だっただろうか。犯人像はまだ判明していないらしく、何故か軍事評論家が怪訝な顔をしてあやふやな言葉を並べていた。相変わらず、アナウンサーは、言葉を投げ棄てるような流暢さで原稿を読みあげていた。オクサナは、相も変わらず詩集を観想していた。

 不意に、眠気が目元を痺れさせた。サルマンはそのまま大口を開けて眠気を吐き出すと、涙腺が反射的に液体を失禁した。

 サルマンは慌てて口元を抑えた。急いでオクサナの顔を伺うと、案の定、彼女は横目でサルマンをひたと見据えていた。口元には、小さな笑いが滲んでいた。穏やかな、表情だった。

 ―――ヴァーネミュンデからロストック市街へと侵攻、ベルリン以東に展開する部隊と合流する今回の作戦において、主要戦力はロシア西部方面軍の海軍部隊と旅団に所属する二個MS大隊だ。オクサナが率いる部隊は、切り札として、今次作戦に参加する手はずとなっている。

 故に、比較的穏やかに弛緩した雰囲気が漂うこの待機室にも、その奥底には高度の緊張が潜んでいる。緩慢さは緊張の裏返しにしか、過ぎない。

 だからこそ、彼女の穏やかさが際立つ。静止している、といってもいい。何かの啓示を待つ賢人のように、あるいは殉教へと歩を進める敬虔な者の、秘密めいた静謐のように―――。

 オクサナ・アレンスカヤ中佐は、時が流れゆくこの世界の片隅で、佇んでいた。

 「あ、待て! 俺の好きな番組だ!」

 すごすご引き下がっていた大男が、ソファから飛び上る。食らいつくように走りこんでいく先は、またもテレビの目の前だった。軍事コメンテーターが口角に泡を作って熱弁を始めたところでリモコンを操作すると、今度はロシアの美味しいスイーツ店を紹介する番組に切り替わる。元々、菓子職人(パティシエ)を目指していたらしい―――と、サルマンは思い出した。

 「ゆっくりしなさい、少尉」ふわり、やわらかく本を閉じる。大事そうに、分厚い本を函に仕舞うと、両手を組んで大きく伸びをした。「体を休めるのもパイロットの職務ですよ」

 言って、オクサナは小さく欠伸をして見せる。薄くグロスを引いた唇から甘色の吐息が漏れた。

 サルマンは、曖昧に頷きを返した。オクサナの言う通り、寝よう、と思った。無駄なことは考えなくていい。ただ、今は、目の前のことだけを考えていればいい。その後、考える時間は腐るほどに転がっている。両手を組んでテーブルに突っ伏すと、意識は素早く倦怠の内に吸い込まれていった。




いかがだったでしょうか。

もう2年も前に書いた文章なだけあって、見返すと「うーん?」となる箇所が結構多いですね……。精進あるのみだなぁ、と実感するものです。

それでは、来週も土日のいずれかで投稿を予定しております。しばしお待ちくださいませ。


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2話

2話目です。

次の話では戦闘に入れる……と思います。



C.E.73年 メクレンブルク=フォアポンメルン州ギュストロー群 ラーゲ基地 格納庫内

 

 ディードリヒ・ベルマン少尉は、やっとのことでパイプ椅子から立ち上がった。

 周囲を覆い尽くす喧騒が鼓膜の裏側に張り付く。せり上がる嘔吐感をなんとか胃の中に押し込めて、結局ディードリヒの膝はすぐに折れた。勢いよく椅子に座ったせいか、指先からパイロットスーツのヘルメットが零れ落ちる。地面に墜落すると、奇妙に間の抜けた音を響かせた。

 ぼんやりと格納庫を眺める。メカマンやエンジニアは忙しなく動き回り、ガントリーの中に蹲るGAT-02L2(ダガーL)に群がっていた。まるでガリバー旅行記だな、と思う程に、彼は弛緩していた。満身創痍だった。

 ―――事は数日前に生じた。

 かの悪名高い第81独立機動群(ファントムペイン)含む地球連合軍部隊が、東欧に進駐していたザフトの部隊を殲滅してから、全ては起動した。

 大型MSによるザフト駐留都市の無差別攻撃という未曽有の蛮行から始まり、ユーラシア最高議会と地球連合との交渉を無に帰した、東欧方面軍による地球連合軍への武装蜂起。ロシア西部方面軍が地球連合軍に組みしたことにより、武力衝突はユーラシア連邦同士の殺し合いの様相を呈し始めていた。政治的優位性獲得及びザフトとの軍事協定を阻止するため、大西洋連邦とロシア西部方面軍は、ブリュッセルの最高議会掌握へと向けて侵攻を開始している。

 ロシア西部方面軍は海路から進行している。具体的にはバルト海からヴァーネミュンデ軍港及びロストック市街を橋頭保として確保するのが、敵の思惑のようだ。

 そうして、ヴァーネミュンデに上陸した西部方面軍海軍が有する《ダガーL》の部隊を、海軍の残存戦力と協力して迎撃・奪還したのが数時間前。ディードリッヒはラーゲ基地所属のパイロットとして駆り出され、補給のためにラーゲ基地へと戻って、気が付くと小一時間ほど経っていた。

 ディードリヒの意識は漫然としていた。戦闘をしていた時間はおよそ1時間。極度の疲労と恐怖に晒された彼は、最早立ち上がる気力さえ無かった。

 いや、彼だけではない。同じように格納庫でパイプ椅子やら資材やらに腰掛け、項垂れる人間たちは全て疲れていた。そう、疲れていた。ただただ、疲れを感じていた。

―――イヤフォンに響くジェットエンジンの咆哮、視界を彩る不気味なビーム砲の火箭。背後からヴァーネミュンデ市街へと降り注ぐ砲兵部隊の砲弾に、海上から飛来する対空ミサイル。悶えて錐もみするように墜落していく、《ダガーL》の無残な姿。記憶の飛来にぞっとしたディードリヒは、慄きを抑えるように手で己の腕を掻き抱いて、椅子の上に縮こまった。

 生きているのは偶然だ。エプロンで擱座する己の《ダガーL》は脚部を喪失し腕部を喪失し、バイタルパートにすら被弾していた。爆散しなかったのが不思議なくらいだ、と整備兵が口走っているのを耳にした。

 だから、もういいんだ、と思った。己の機体は既に使い物にならない。予備の機体など、もちろんこの基地には無い。であれば、己は負傷兵と同じだ。もう戦いに出なくていい。そう思うだけで、脊髄から膀胱へと安堵感が噴き出すようだ。

―――だからこそ、ディードリヒは、視線のずっと向こう、格納庫の奥を占拠する人間たちが信じられなかった。

 それらは、蟻のように動き回る整備兵やらの只中、項垂れるディードリヒたちと同じように、彼らは机とパイプ椅子を並べて倦怠そうにしていた。

 否。

 確かに外見は似ていた。だが、その内実は、全く違っていた。

 あるものは、レトロな携帯ゲーム機をプレイしていた。あるものは、チェスに興じていた。あるものは、読書していた。あるものは、格納庫の中で何か格闘技を―――多分、東アジア共和国の地域固有の格闘技、相撲だ―――とっていた。ユーラシア連邦・兵器システム開発軍団・第302技術試験大隊『ズィルヴァエ・クリンゲン』に所属するMSパイロット達は、まるでいつもの基地内待機のように暇を潰していた。

 彼らは、戦闘から解放されて、自由な身分になったわけではない。撃退されたロシア西部方面軍が再度侵攻してきた場合、他でもない、ヴァーネミュンデ奪還戦でも驚異的な強さをみせつけたテストパイロットたち、とりわけあの()()が先陣を切るのは間違いない。あの連中は、戦端が再び開かれれば、真っ先に敵の砲火が躍る戦場に身を晒す運命を背負っているはずだ。

 なのに、その姿に悲壮はない。ただ、目の前の時間を贅沢に食いつぶして、低知能な素振りで笑い転げている。無邪気に流れゆく時間それ自体を戯れながら楽しんでいる。自分の部屋の隅で、ミニカーで遊ぶ子どもと彼らの間には、何の隔たりも無い。

 戦争中毒(バトル・ジャンキー)だ。戦争に悦楽を見出す精神異常者たち。だから、殺し合いに再び身を投じるというのに、あんなに遊びに耽られる。気狂いなのだ。どうかしている。

 ディードリッヒは、必死にそう思い込んだ。302大隊へと小走りに駆けていく己の同僚から目を反らして、腕の中に熱く赤面した顔を埋めた。

 彼は、静かに失禁した。

 

 

 「それでは、お願いします」

 パリッと綺麗な敬礼一つ。熟れた稲穂を想起させる金色のショートボブをふわりと揺れた。

 パイロットスーツを反脱ぎにし、上着はこの寒さだというのにタンクトップ一枚しか着ていない。寒くは無いのだろうか、と心配する半面、そのお陰で、タンクトップを押し上げるほんわりとしたふくらみをはっきりと目にすることが出来たのは、幸運だ。

 今日生き残ったら、その時には色々考えてみよう。そう、生き残ったら。

 レギナルト・シェレンベルガー中尉は、小走りで帰っていった女性パイロットの露出した肩やらパイロットスーツ越しの尻やらをじっくりと眺め終わると、大儀そうに携帯ゲーム機へと界を放り投げた。上下分割された画面の下では、己のアバターが青空の下、半ば放心しながら、小麦をライスの形状にちねっている。タイムカウントらしきものはない。

 「なぁハロルド、早く手を打てよ」鼻孔に指を突っ込んでは、ベルトラム・ボーム中尉は指先に付着した緑色の塊をぼんやりと眺めた。ふ、と息を吹くと、粘着質の塊は遠くへ飛んだ。「暇で暇で寝ちまいそうだぜ」

 「そう急くな」ハロルド・ヴィージンガー中尉は女王の駒を右手の指先で弄りながら、小難しい顔でチェス盤に視線を落としていた。「王の遊び(チェス)は得意じゃないんだ」

 「考える必要はねーよ。どうせ3手後には俺の勝ちだ」ベルトラムは再び鼻に小指を刺し込むと、BDUの裾に擦り付けた。ハロルドは顔を顰めた。

 「俺の手(クイーン)を気にしてる暇があったら、自分の駒(クイーン)を気にしたらどうだ?」こつこつとハロルドが女王の黒い駒でベルトラムの白い駒を叩く。品の悪そうな笑いを浮かべると、ベルトラムは自分の女王をひょいと左手で拾い上げた。 

 「クイーンは俺のベッドさ」

 「ありゃ、ノルマン人だな」ベルトラムは、摘まんだ女王を愛撫するように、掌の中で弄んでいた。「気が強そうだ」

 「そっちのが燃えるだろ?」ハロルドはこつん、と女王の駒を進めると、ベルトラムを挑戦的に見上げた。ベルトラムは猫のように笑い顔を浮かべて、素早く次の手を撃ち込む。「とーぜんだ」

 「でも」レギナルトの前、静かに小説を読んでいるジェラルド・アッヘンバッハ大尉も、ちらと走っていくラーゲ基地所属のパイロットの後姿を一瞥した。「ガードは堅そうだ」

 「中尉、まさかもう?」

 「仮にも妻子持ちだよ」ジェラルドは苦笑いを浮かべて肩を竦めた。イタリア系の血筋の割に、静かで知的なレギナルトの上官だ。「むしろレギィが良く知ってるんじゃない?」

 さっと集まる視線が3つ。口を尖らせたレギナルトはゲームに集中している素振りをみせながら、至極雑に応えることにした。

 「何のことです?」

 「とぼけるんじゃねーよ。我らが隊長様が、こう仰ってるんだぜ?」

 「いやいやいや」

 「前、さっきのあの女の人と2人でPXにいたじゃない」

 「そら見ろ! 白状しやがれ!」

 ぐいと顔を近づけるベルトラム。ただでさえ無精ひげを生やして不潔な男が鼻に固まりをつけて、その上MSに乗った直後で汗臭い。舌の味蕾細胞すら麻痺させるほどの汚れに嫌悪を抱きながら、同じように汗臭いレギナルトは身を仰け反らせた。

 「エーデルガルド少尉が色々教えてほしいって言ったから時々話をしていただけだ」

 「ほー、色々ねぇ? 色々とはまた……エッチ!」

 「鏡でも見てんのかよ」

 ごつりと額をベルトラムの鼻頭にぶつける。子犬みたいに悲鳴を挙げると、髭面の男はそのまま大の字で倒れ込んで、チェス盤を滅茶苦茶にした。ハロルドは素早くレギナルトにサムズアップすると、のろのろと散らばったチェスの駒を拾い始めた。「あーあ、折角勝てそうな手を思いついたんだがなぁ」

 「納得いかねー」朱くなった鼻をさすりながら、ベルトラムが上体を起こす。演技とばかり思っていたがわりとクリーンヒットしたらしく、目頭の涙腺から液体を滲ませていた。「俺だってテストパイロットですよ! なのになんでレギィだけ」

 「まぁ、だってアレのメインテストパイロットだしな」ひょい、と王の黒い駒を拾い上げ、ハロルドがぼんやりと視線を上に投げる。「この部隊で一番腕がいい」

 彼の視線の先―――レギナルトたちが屯するスペースの丁度隣のガントリーの中に、それは蹲っていた。

 白亜に身を整えた18mの巨人。左肩にさっと彩られた朱色(レッドカラー)の識別標は、ラーゲ基地整備斑の手製のものだ。

 多くの人間にとって、そのフォルムは見慣れないものだろう。ダガータイプとは異なるデザインラインからして、GATシリーズの量産モデルとは異なる機体であることがわかる。

 それも当然。この機体は、()()()()G()A()T()()()()()()()()()()。たった十数日前に第302技術試験大隊に搬入された技術実証機だ―――ふん、と鼻息を吐いたレギナルトは、ゲーム機のボタンを荒っぽく押し込んだ。押し損ねて、小麦粉のちねりに失敗した。

 ベルトラムは不気味に唸り声を上げながら、恨めしそうに新型機を見上げた。頭部ユニットに並列して配置されたデュアルアイが、静かに格納庫を見下ろしていた。ベースとなった機体の頭部ユニット側面に配置されていたはずのアンテナは無く、すっきりした印象だ。

 「まぁクリステラがどうあれ、兵力が補填できるのは有難い。こっちも2人、やられちまったし。彼女はもうラーゲのお偉いさんに話をつけてきたみたいだし、後は俺がこっちのお偉いさんに話をしてくる番さ」

 「エグモントとアウリールの埋め合わせが出来るといいんですけど―――あれ」

 はて、とレギナルトは首を傾げた。

 自分はまだ、エーデルガルドとしか言っていないはずなのだが―――。

 「そーれ背負い投げェ!」

 「うげえええ!?」

 「いょーし! おら屑野郎ども、あと5分だぞ!」

 哄笑するヤーパンアーツの担い手たち。キャットウォークから怒鳴り返す補給科と整備兵の面々。

 ジェラルドと目が逢う。悪戯っぽい無邪気な笑いを小さく浮かべていた。

 あ、と思った。

 

 

 1時間30分後

 ラーゲ基地 飛行場

 

 クリステラ・エーデルガルド少尉は、高鳴る心臓の拍動で、嘔吐感がせり上がる感触を惹起させた。

 吐き出す息は温い。口元から這い出した泥状の呼気はバイザーに反射して、汚濁となって鼻孔に粘りつく。

 2年前。血のバレンタイン戦争からMSパイロットとして前線に身を置いたクリステラは、2度の実戦を経験した。

 1度目は、ヤキン・ドゥーエ戦役の最終局面、カーペンタリア基地を攻略すべく発令された「八・八作戦」。

 2度目は、つい数時間前に参加した―――そう、名付けるなら第一次ヴァーネミュンデ攻防戦。ラーゲ基地所属・第32MS戦闘団・第74MS戦闘大隊の一員として、空を舞った。

 2度、殺戮に身を投じた。そうして、2度とも生きて帰った。理由は簡単だ。理由は無い。偶然、自分の乗る機体にタマが飛んでこなかっただけだ。自分より腕が優れるパイロットが隣でビーム砲に貫かれることもあったし、機関砲でミンチになることもあった。

 今度は自分がそうなる番かもしれない。そう思うだけで全身216個ほどに及ぶと言う骨の欠片が痙攣をおこし、操縦桿から手を離してしまいそうになる。

 それでも、クリステラは《ダガーL》の操縦桿をきつく握りしめた。ローカルデータリンク上に表示された己のバイタルデータが、他の隊員―――第302技術試験大隊の隊員に比べて、明らかに異常値であることは、無視した。

(こちらクリンゲ04、カタパルト固定完了)

 タクシーウェイの向こう、航空機用滑走路とは別に併設されたMS用のカタパルトに、灰色の《ダガーL》が佇立する。クリンゲ04――ハロルド・ヴィージンガー中尉の〈ダガーL〉は、ロングバレルのビームマシンガンを装備していた。

 RFW-113〈オラクル〉ビームマシンガン。ザスタバ社が前年に開発した部隊支援用の火器だ。ちらとモニターを流し見ると、隣に並ぶクリンゲ01の《ダガーL》も、短銃身の機関銃―――RFW-99A1〈スティグマト〉を装備していた。

 (クリンゲ03、カタパルト固定完了)

 滑走路の脇で、表示計がカウントを刻み始める。曇天からは風に揺られた白い粉雪が舞い降り、灰色の滑走路に薄く白いヴェールを敷いていた。滑走路の上ではグランドクルーがBDUをしっかり着込んで、ライトを赤く閃かせた。

 数字は瞬く間に目減りしていく。停滞した時間の中、10秒より早く加速した物理的時間が0カウントを明滅させる。クルーが同時にライトをグリーンに点灯させると、AQM/E-X01(エール)を装備した《ダガーL》はリニアカタパルトに乗せられ、砲弾宛らに黄昏を迎え始めた黒雲の中へと飛び出した。

 (クリンゲ01、07。カタパルトに機体を固定せよ)

 (こちらクリンゲ07了解。それじゃあ行くとするか)

 のそりと滑走路を歩行していく巨人が2機。この2機が出撃すれば、次は自分の番だ。

 深呼吸、してみる。心臓は相変わらず暴発寸前だ。汗で蒸れた頭皮や背中、股座が異様にむず痒い。苦し紛れにバイザーを開けてコクピット内に充満した空気を吸い込んだところで、不意に機体が揺れた。

 びくりと体を震わせる。慌ててモニターを確認すると、背後の映像が投影されると同時に、接触回線が開いた表示がディスプレイに立ち上がった。

 クリンゲ02―――レギナルトの乗る新型機の左腕部が、クリステラの乗る《ダガーL》のジェットストライカーの主翼に触れていた。

 (悪い、驚かせた)

 「いえ、問題ありませんっ」クリステラは早口に言った。「何でしょう」

 (気負うな―――ってのは無理だろうから。まぁ、そうだな。気負いすぎるなよ。前は俺たちで引き受ける。背後は任せた)

 クリステラは、己の《ダガーL》が装備した武装を意識した。

 普段使用しているM703 57mmビームライフルはそこには無い。モニターに映った愛機たる《ダガーL》の袖を赤くペイントした右腕には、クリンゲ04の装備していたものと同じビームマシンガンが静かに蜷局を巻いていた。

 (頼むぜ、戦いの女神さま)

 まるで肩を叩くように、新型機が《ダガーL》を軽く押す。

 ふ、と息を気管支から抜き出す。空気を吸い込むと、肺の隅々まで新鮮な空気が広がるようだ。

 マメな男だ、と思った。普段は、どこが面白いんだかわからないガラクタみたいなクソゲーばかり興じている変な男だが、周囲の人間をとても気にかけている。雑に切りそろえられた金髪に、オリエンタルな黒い瞳を思い出して、クリステラは少しだけ微笑を浮かべてみた。既に前の機体は飛び立った後で、次は自分の番だった。

 《ダガーL》を主脚歩行させる。歩行の際の振動は全てアブソーバーで緩衝している。

 エプロンからタクシーウェイを抜け、滑走路までの歩行時間は18秒。2つ並列するカタパルトの内、手前に脚部を固定させると、クリステラは静かに空を見上げた。

 黒い。ただひたすらに、黒い。沈鬱さも無ければ何の惹起も生じない黒塗りの曇天が、無造作に横たわっている。

 (クリンゲ06……えー、ティアマト10。こちらラーゲコントロール。出撃準備開始)

 「こ、こちらティアマト10。カタパルト固定完了」

 ディスプレイを見、慌てて応答を返す。イヤフォンから流れてきた音が酷く大きいことに吃驚して操縦桿のスイッチに指を重ねたが、音量を絞らなかった。緊張のせいで、大きく聞こえているだけだ、と思った。さっきまで、音量は気にならなかった。

 視界左下の表示計にカウントが灯る。電光の表示計が示す数字は10。左手を操縦桿から離し、スロットルレバーに軽く重ねると、スロットルレバーをアイドル出力からミリタリー出力に引き上げる。

 プジェットストライカーの翼が展開する。左右に大きく突き出た灰色の主翼には、淡く航空迷彩が施されている。まるで、戦闘機の胴体部分だけを切り出して、そのままMSの背中にくっつけたかのような姿だった。

 ジェットエンジンが静かに震え始める。微かに伝わる振動が舌の上で踊り、掌の中でのたうち回る。

 カウントが数字を刻み始める。10が9に切り替わる。ぞっとするほどの高速で表示が抉れた。

 9の数字はそのまま、永劫に思えるほどにその数字で待機した。9の秒数はそこで死んだようにモニターの表示計とディスプレイに投影された表示計の中で沈殿し、ぐるぐるとめぐり始めた。

 スロットルレバーをさらに引き上げる。自分にしっくりするように調整されたはずなのに、数トンの重さを押し込んでいるようだ。操縦桿を握る手の指先は勝手に蠢動を始め、数日前にテレビで見たCMから流れてきた最近有名なアーティストの安っぽい歌のリズムを刻み始めた。

 眩暈がする。脳幹で瞬く間に浮腫が発生して肥大化しているようだ。シートに押し付けられた背中は既に褥瘡まみれになっている。鼠蹊部は発疹まみれになって、外陰ヘルペスがうじゃうじゃと発生していた、ような錯覚が過る―――。

 はっと視界が啓く。表示計は丁度、0の電子音を打ち鳴らした。グランドクルーが勢いよくライトを振り下ろし、ビーコンが赤から緑へと一斉に切り替わる。

 「ティアマト10、出撃します!」

 言い終わるや否や、一斉にGが躯幹を殴りつける。操縦桿とスロットルを握りしめる様はまるでしがみついているようだ。

 100mを数秒で疾駆する。牛蛙みたいな呻き声を上げる寸前、全身をふわりと風が包み込む錯覚が柔肌に紫電を奔らせた。

 高度計はどんどんと上昇し、速度計が疾走する。操縦系が陸戦から空戦に切り替わっていた。視界の先、モニター一杯に、黒天が天際まで伸びていた。

 機体は安定している。ほっとするのも束の間、クリステラは正面のモニターに背後の映像を呼び出した。

 最後、残された1機のMSが翼を撃つ。ジェットストライカーとも、エールストライカーとも異なるシルエットは、まるで本当に鳥の羽根を生やしたかのようだ。そう、例えばあの《フリーダム》のような―――。

(ツヴァイ、出る)

 呟く声音はさも平然。可変翼から焔を熾らせると、白亜の巨人は軽やかに天空へと翔けあがる―――。

 (アインよりアーレ・クリンゲン、傾注(アハトゥンク)。我が部隊はこれよりヴァーネミュンデに再度侵攻後、ロストック市街まで食い込んだ敵勢力の撃破に向かう。ロストック市街地で防衛戦を展開する味方部隊は、第8MS戦隊の《ストライクダガー》4機と第315機動砲兵大隊の《ダガーL》が2機だ。消耗具合が激しいうえに海軍の連中が主力じゃ心許ない―――)

 ―――まるで、と思った。

 冥き天を舞う貴影。翼撃に気流の鳴る音を反響させて飛翔する姿は、堕天した御使いを想起させた。




いかがでしたか?

来週、やっとこさ戦闘に入っていきます。

そのうち、部隊の設定なども投稿しようかなとも思っています。そちらもお待ちくださいませ。


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3話

3話です。

少し遅れてしまって申し訳ありません。
それでは、どうぞ~。


ロストック市内 

 

(ゴルフ25、早くしろ! そう長くは持たない!)

 鼓膜を殴りつける悲鳴にも似た怒声。第233山岳猟兵大隊第3中隊のゲルト・ブラウナー二等兵は、ぎょっと身が縮む思いをしながらも、両足の運動を必死に維持した。風に揺られ、左腕の袖に巻いた赤いスカーフが躍った。

 「あと1分で着く! なんとか堪えろ!」

 ゲルトの眼前を走る壮年の男が、怒鳴り声を返す。立て続けの戦闘による疲労と焦り、そして何よりも背負った対戦車榴弾(HEAT弾)の弾頭の重量が、ゲルトが所属する班の上官を切迫させていた。

 (クソッタレ、《ウィンダム》なんて聞いてねぇ!)

 (『105乗り(ストライカー)』なんだろ、もっとしゃきっとしろ!)

 怒声の応酬に合わせるように、ゲルトが目指す方角から鈍く歪んだ甲高い金属音が炸裂する。慄くような振動が、コンクリート越しに半長靴に伝わる。右手に身を横たえる小銃にいつもの傲岸さはなく、ひ弱な小鳥のように手中で縮こまっていた。

 郵便局を左手に、ウルメン通りを駆ける。右手に見えた駐車場には、乗り捨てられた色とりどりの公用車が、何かに潰されていた。

 AQM/E-M11(ドッペルホルン)。2門の砲身が長く突き出たストライカーは、確かに双角を思わせる。ラーゲ基地に所属する砲兵部隊の装備だろう。市街地での格闘戦には不要と判断されたのだろうか、ゲルトは朽ちた遺跡のような砲塔に慄きを引き起こした。

 打ち捨てられた砲身の脇、駐車場の丁度曲がり角を右に抜け、ゲルトたち3人は畷を一直線に走っていく。

 がちゃがちゃと忙しなく軋む装備の音。剥き出しの顔に爪を立てる冷気。口の中は温く、爆発的に発生している細菌が粘着質の分泌液を大量に放出しているようだ。

 そのままパーク通りを抜けて、次のブロックに顔を出した瞬間だった。

 閃光が視界を喰らい尽くした。

 迸るスパーク。ぎちぎちと駆動音をハウリングさせ、巨人が天に舞い上がった。

 空色をベースに幾何学模様で構成された幻惑迷彩。それまでゲルトが目にしてきたMS―――《ウィンダム》や《ダガーL》といった地球連合軍の主力MSと比して、先鋭に研磨された痩躯は鮮やかに深緑の大地に着地すると、光の剣を掲げて相対する巨人へと肉迫する。

 応じるようにビームサーベルを抜刀して切り結ぶ機体は、ゲルトも見覚えがあった。ダークグリーンに塗装されたMS―――第315機動砲兵大隊の《ダガーL》だ。陸軍迷彩の機影が振るったビームサーベルを、さりとて《ウィンダム》は難なく回避してみせる。スプリッター迷彩の痩躯が1歩ステップを踏み込むや、苛烈な斬撃を撃ち込んだ。

 破裂音にも似た力場の接触音が拡散する。寸でのところで剣戟を撃ち返した《ダガーL》と《ウィンダム》のビームサーベルが接触し、怖気が奔るほどに鮮やかな粒子の乱舞が迸っていた。

 数千度の粒子が散乱し、MSを囲う菩提樹を焼死させていく。きっと、時期が時期であれば近隣の住民や社会人が憩う場所だっただろう。穏やかに枝葉を伸ばし、人々を包み込んでいた筈の木々は、されど今、1秒を刻むごとにMSの脚部に踏み倒され、スラスターで焦がされていく。木々は、甲高い悲鳴にも似た音を声高に響かせていた。

 「くそ、海軍の連中は何をやってるんだ!?」

 ゲルトに遅れて走ってきた男は、汗やら塵やらで真っ黒になった顔を忌々し気に顰める。視線の先には、格闘戦で切り結ぶ2機の後方で、青色の《ストライクダガー》がライフルを構えながらも戸惑うように佇立する姿があった。防衛部隊を務めるユーラシア海軍・第1機動隊群・第8MS戦隊の《ストライクダガー》は、2機の戦闘に介入することすら出来ていない様子だった。

 ―――違う、と思った。確かに、ユーラシア海軍のMSパイロットの練度の低さと装備の貧弱さは、悪い意味で有名だ。たった今ゲルトの目の前で敵機と格闘戦を行っているのが、砲兵部隊の《ダガーL》であるという事実は、単に偶然の結果生じた現象ではない。

 だが、それ以上に《ウィンダム》の挙動が、とにかく巧い。

 機体性能やパイロットの練度はどうあれ、1対2という戦況の中で全く怯むことなく、機体を操縦して見せる豪胆さ。加えて、絶えず後方で砲撃支援に回る《ストライクダガー》を警戒し、2機の対角線上に《ダガーL》を配置させるように機動してみせ、砲撃支援の機会を潰す繊細な操縦センス。ゲルトはMSパイロットが出来るほどに知的ではなかったが、きっとその操縦技能は並ではないのだろう、と察した。2機を手玉にとってみせる機体制動の優雅さこそが、その技量を証だてる。

 「行くぞ!」

 班長が声を張り上げる。ゲルトが了解の声を必死に絞り出そうとするより早く、2人は十字路を左に曲がった。

 乗り捨てられた白の乗用車は、喘ぐようにドアを開けている。2、3年前に発表されたフォルクスワーゲンの車だ。

 フンダートメンナー通りを出ると、隊長は改めて、素早く公園を一瞥した。「よし、上手いぞ!」

 ゲルトも走る速度は緩めずに右手を見上げれば、エールストライカーのエンジンノズルが顔をのぞかせていた。

 「カシミール!」

 「了解!」

 もう一人が足を止める。そうして、ずっと宝物のように抱えていたそれの先端を高く持ち上げた。

 細長い発射装置の先端に、ぷっくり丸く膨らんだ弾頭が昂然と首を擡げている。

 個人携帯型対戦車兵器―――山岳猟兵団歩兵科が装備する対戦車・MSを想定した火器だ。

 構える動作は素早い。いつもの訓練なら後方の安全確認やらで長々と時間をかける癖に、今回は5秒とかからずにスコープの中にMSの弱点部位を捉えるや、右手に握りしめたグリップ上部から突き出たトリガーを引き絞った。

 背後にバックブラストが燃え盛る。鈍く耳朶を殴る金属音が爆炎を迸らせ、先端の弾頭が200m先の獲物目掛けて突進した。

 ゲルトの両の眼は、その瞬間を克明に捉えた。弾頭の安定翼が展開し、ロケットモーターが点火する。無造作に空気を切り裂く音を響かせた黒鉄はまさに拳骨が疾風(シュトルム)のように打ち付けるようだ。

 直撃する―――その寸前。

 敵機は、ひらりと半身だけを翻した。

 金属同士が肌を撃つ悲鳴にも似た音が首筋を突き刺す。連続して敵機の上半身で信管が作動し、焔色に爆破した。

 実戦も初めてなゲルトを始め、ほとんど実戦経験も無ければ、よもや歩兵でMSなどと戦ったことなどない班員全員が身を竦めた。

 爆炎が静かに霧散していく。まるで早朝の靄が太陽光で散らされていくように消えた噴煙の先には、傷一つすら無い敵機の姿が在った。

 「チクショウ、肩にあたりやがった!」隊員が悲鳴をあげる。確かに、敵機の右肩は黒く煤けていたが、それだけだった。

―――よく言われるように、ヤキン・ドゥーエ戦役を経て、歩兵が携帯する火器はMSを撃墜せしめることを可能とするまでに進化した。

 軍事評論家たちはそう述べるし、大戦中期、歩兵戦力によるMS撃破の報告が少なからず挙がったのは事実だ。

 だが、そうして語られる事実は、別な事実を語り落としている。歩兵の火力でMSを撃破しなければならない時、必ず弱点部位に直撃させなければならない、という事実である。具体的には、各関節部位かバックパックのスラスターノズルか。どちらにせよ、狙うべき場所は決して大きくない。まさにスナイピングをするようなものだ。

 加えて、MSによる市街地戦のノウハウは、当然MSパイロットにも蓄積される。MSの高い運動性・機動性を存分に活かした機動格闘戦を行うことで、弱点部位への被弾率を低下することが可能だ、という情報は、パイロット養成過程の初期に習う基礎的な内容だ。さらに、MSそのものの運動性能の進化が加わることで、歩兵によるMS撃破は再び困難な戦術と化した。

―――畢竟。

 いくらMSの運動性能が阻害される市街地と言えども、MSを歩兵で打倒するのは容易ではない。そして、そんな作戦を展開することを強いられるほど、ロストックに展開した戦力は逼迫していた。

 「馬鹿、早く来いゲルト!」

 はっとする。気が付くと、班長ともう一人は既に通りを南南西の方角に、ゲルトの9時方向へと走り出していた。振り向いて呼びかける班長の必死の形相は、この数秒が致命的だと物語っていた。

 敵機が、ビームサーベルを左上段から袈裟懸けに振り下ろす。ダークグリーンのMSはなんとかサーベルを撃ちあわせたが、あまりの威力に怯んだように蹈鞴を踏んだ。

 その拍子、切り下ろした勢いに乗せて、空色の機体がふわりとスラスターをリバースさせて飛びのく。後方へと人間がジャンプしたかのような滑らかさだ。

 バックステップの挙動を執った敵のMSは、着地をする寸前に、ぎょろりとゲルトを睨めつけた。

 2本突き出た角は、どこか昆虫を想起させる。スキーゴーグルのようなカメラカバーの向こうで、双眸が鋭角に閃いた。

 班長が何か叫ぶ。手が痙攣する。口の中は沙漠のようにからからで、舌触りはざらざらした。敵機はシールドを掲げてミサイルで《ストライクダガー》に牽制射を撃ち込んだ。

 ぱ、と小さくマズルフラッシュが咲く。次の瞬間には、ゲルトは音と触の津波に叩き付けられていた。

 何かが砕ける音、貫通する音、拉げる音、壊れる音。半規管から平衡斑まで破砕する音だ。耳道から蝸牛めがけて太い杭を突き刺され、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられたかのようだった。

 数秒ほど―――実に長い数秒ほど経ってから、ゲルトは、自分の眼球が未だに大脳皮質視覚野の味蕾細胞を励起させていることに気が付いた。

 生きていた。いつそんな姿勢をとったのか、無意味に頭を抱えて蹲る姿勢で、ゲルト・ブラウナー二等兵は生命活動を維持していた。足元に放り出した小銃は、ひ弱な小道具にしか見えなかった。

 12.5mmの銃弾の豪雨は、ゲルトの周囲を悉く粉々にしていた。道路はコンクリートの塊が捲れ、右手に見えた建物の、鮮やかな橙色の屋根は銃弾痕が穿たれていた。壁面の煉瓦が数個、ぼろぼろと崩れる。焼色の煉瓦が、重力落下していく。路面にぶつかると、焼き固められた土くれは、汚らしい音を排泄した。

 通りには、空から落ちた白い雪が薄く膜を作っている。住民が避難した後に降ったのだろう、足跡一つない雪原に、美しいほどに赤い水たまりが滲んでいた。

 恐る恐る近づいて、ゲルトは破産した壮年の男のように、情けない叫び声を上げた。

 胴体だった。胸から上を恐ろしいほどの力で捥ぎ取らたように喪失した、人間の胴体だった。壁際には何か赤く水気のある塊が付着している。良く見るまでも無く、肉と骨と器官のスムージーだ。壁に張り付いた眼窩から、ぽろりとゴルフボールほどの何かが落ちると、ころころと数十cm転がった。千切れた視神経の尾を引いた、眼球だった。

 どっちだ、と思った。腰砕けになりながら、どっちだ、と思った。果たして班長か、それとも同行していた別な仲間か。ゲルトは、もう一つの血だまりを必死に見遣った。

 もう片方の血の海の中に、同じように塊が埋没している。腰から下を吹き飛ばされて、上半身だけになった人間がうつ伏せになっていた。千切れた腹からは、ぷりぷりとした大腸やら小腸やらが顔を覗かせていた。

 足は既に萎えて動かなかった。かといって匍匐して這いずるほどの気力すら湧かずに、呆然と放り出された物体2つを観想した。

 まだ、MS同士は戦闘を続けていた。

 今までなんとか均衡を保っていた《ダガーL》が、遂に限界を迎えた。敵機がビームサーベルを振り抜く挙動に間に合わず、サーベルを握りしめた右腕を切り飛ばされた。

 《ウィンダム》が間髪入れずにメインスラスターを爆発させる。敏捷にも懐に潜り込むと、シールド先端の衝角で《ダガーL》の頭部を抉り飛ばした。

 緑色の巨人が足元をとられる。残った左手を腰部のサーベルグリップに伸ばそうとしているが、何もかも手遅れだろう。既に懐のウィンダムはビームサーベルを刺突に構え、あと2秒後には数万度の光の剣が鋼鉄の肉体を串刺しにするはずだ。サーベルを引き抜く動作は間に合わない。揉み合うように接近した2毅の距離が近すぎるせいで、《ストライクダガー》は援護射撃がまだ出来ない。

 集束する閃光。劫初の焱は神光となって、金属の装甲を貫いた。

 びゅ、と液化した金属が血液となって飛沫を噴き出す。

―――ゲルトは、一瞬その光景を理解し損ねた。

 疾駆した光軸が、空色の機体の脚部を掠めた。

 轟音が世界を震わせる。ロケットモーターの猛々しい咆哮で我に返ったゲルトは、天を見上げた。

 ゲルトの直上、30m。

 白銀の御影が大地に堕ちる。

 紅蓮の旋風がゲルトを叩き付ける。身を屈めて呻き声を上げた彼は、すぐに顔を上げてその背を追った。

 不意の強襲に怯んだ《ウィンダム》目掛け、翼から業炎を吐き出した正体不明のMSが肉迫する。

 短機関銃を思わせる火砲からぶつぎりの光軸が怒涛となって押し寄せる。堪らずに《ウィンダム》が後退の挙動を見せると、白銀が《ダガーL》と敵機の間隙へと滑り込む。敵機がシールドで弾幕をやりすごすと見るや、白亜のMSは背部からビームソードを抜き放ち、シールドごと敵機の左腕を叩き切った。

 苦し紛れに敵機が放った斬撃を、昂然とビームブレードで撃ち返す。あまりの衝撃にライトブルーの機体が怯んだ瞬間を、その機体は見逃さなかった。

 双眸がぎらりと光を放つ。スラスターを爆発させて相対距離を零にすると、白亜のMSは右手に把持させたライフルから光刃(バヨネット)を発振させ、そのまま敵機の胴体部位を刺し貫いた。

 ずぶり。

 エールストライカーから光の杭が突き出す。甲高い電子音を響かせて敵機の背中からストライカーが排除され、推進剤とともに爆炎を撒き散らした。

 まだ、敵機は死んでいなかった。ぎこちなく痙攣しながらも、右手に握りしめたビームサーベルを懐のMSに突き立てようと剣を振り上げる。

―――刹那、サブマシンガンの黒々とした銃口が咆哮を叩き付けた。ペレット状の粒子ビームの弾丸がMSの心臓部を噛み砕き、勢い余って貫通した亜光速の弾丸が天へと昇っていった。

 そこで絶命した。サーベルを構えた姿のまま、《ウィンダム》は朽木が崩れるように倒れていった。

 ゲルトは、その機影を呆然と注視した。

 額から突き出た真紅の双角。人間の目と同じように並列するデュアルアイ。対になった翼は、人の世よりも高次の世界から使わされた高き存在を想起させた。

 「そこの歩兵、聞こえているか」

 血だまりの中、ゲルトは肌を撫でた声に周囲を巡った。

 振り向くと、ゲルトの背後、建物の間の駐車場に、砲兵部隊のそれとは異なるライトグレーのカラーリングに、肩部に赤いラインを引いたエールストライカー装備の〈ダガーL〉がランディングするところだった。

 「一度、コンサートホール前のバスターミナルに戻れ」どうやら、その《ダガーL》が外部出力のマイクでゲルトに呼びかけているようだった。「そこで部隊を再編したほうがいい」

 それだけ言うと、《ダガーL》はもう興味を失ったようだった。

 コンサートホール前のバスターミナル。ロストックの配置は事前に覚えてきたお陰もあって、現在地からどれくらい離れているのかはすぐに把握できた。大分距離はある。全力で走っても、数十分ほど、かかる筈だった。

 ゲルトは途方に暮れたように周囲を見回した。そうして、公園に悠然と佇むMSを見上げた。

 左肩に一本引かれた朱のライン。西ユーラシア領土内に侵攻を始めた地球連合軍への抵抗戦力の証たる識別標。ゲルトは、リストに巻かれた赤いスカーフの結び目を握りしめた。何のためだっただろう? 解くためだっただろうか? それとも別なことのためだったか? ゲルトは、ほとんど何もわからないまま、憑りつかれた様に走り出した。



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4話

4話です。


 良い機体だ―――レギナルトは、掌の中に操縦桿の固く迫ってくる感触に、驚嘆がちらついた。

 CAT2-X―――《ハイペリオンⅡ》の愛称で呼ばれる技術実証機は、想像以上の性能を発揮していた。

 アクタイオン社が独自に開発したと言い張っている可変翼と兵装担架を複合させたバックパックモジュールが生み出す高い運動性能、それを主軸にした機動砲撃戦・格闘戦性能の高さ。CAT1-X(ハイペリオン)譲りの『アルミューレ・リュミエール』の防御性能の高さは、先のヴァーネミュンデ攻防戦の際に実証済みだ。コクピット回りはダガー系列のレイアウトに換装しているおかげもあって、操縦性・情報把握が極めて良好だ。ベースとなる《ハイペリオン》とは要求仕様を異にしながらも、ここまでの完成度にするのは尋常ではない。開発スタッフの、憑りつかれたかのような妄執が透かし見えるようだ。

 稼働試験のための実験機を実戦に駆り出すと聞いたときは、どうかしていると思った。しかし、いざ動かしてみれば、実戦試験のみを残し、じっくり錬成された量産体制間近の試験機のそれと謙遜ない仕上がりだった。明らかに、不自然だった。

 ……今回の一件は、あらゆるものが―――そう、()()()()()()が意図的であることは、明らかだ。実験機搬入のタイミング、わざわざ第302技術試験大隊の予備の機体である《ダガーL》2機を稼働状態にしていた事実、試験部隊の実戦投入を告げた兵器システム開発軍団司令部のお偉方の、恭しい仕草。賢しらな政治的背景があったのは、確実だろう。

 レギナルトは、素直ではなかった。だが、彼は、ヤキン・ドゥーエ攻防戦を経験したMSパイロット―――所謂、「ヤキン・ドゥーエの生き残り」だった。センチメンタルに身をやつして苦しむ戦争アニメの少年少女たちのように純粋さも、また長々と政治的思考に埋没できるほどの階級の持ちあわせも、ありはしなかった。

 戦場に身体が放下された時は、最早、彼はただの戦争機械だった。敵MSが目の前にくればコクピットに砲弾をぶち込み、剣を突き立てる。ECMがロックオン警報を報せれば死にもの狂いで回避し、味方が危機に瀕したら何が何でも助け出す。ただその義務を執行するだけの、己を無化する存在者。ジェラルドは、それを実存と呼ぶのだ、と基地のPXでR18の雑誌を買いながら語っていた。レギナルトには、よくわからなかった。

 (すまない、助かった)イヤフォンから壮年の男の声が漏れる。背後で蹲る《ダガーL》からの無線通信だった。通信ウィンドウには、口髭を生やした人の良さそうな男が映っていた。(噂の新型機か?)

 「そんなところだ」言いながら、レギナルトは《ハイペリオンⅡ》の膝を折った。「まだ動けるか?」

 《ハイペリオンⅡ》が片膝をつく。しっかり機体が安定したことを感じると、腕を伸ばして、《ウィンダム》が腰にマウントした大型のビームライフルを拾い上げる。ダガー系の主兵装よりも銃身が長く、口径が大きい。中遠距離時の砲撃戦で威力を発揮するに違いない。

 (正直、こっちはまともに戦える状況じゃあないが)砲兵科の男は小気味良く笑った。(そんな道理は、こっちでなんとかしてやるさ)

 「後ろで撃っていてくれればいい。前は俺たちでやる」

 (有難い。楽な仕事をさせてもらおう)

 屈託なく笑うと、《ダガーL》は残された左手を心地よく伸ばした。同じ連合製とは言え、全く運用を想定していない火器の使用は困難だが、そこは砲兵科所属という技量を信頼するほかない。この地獄の中で、「指名」に応じるだけの勇敢さと実績を持った腕に、間違いはないはずだ。 

 「10、極力援護に回ってくれ」

 (了解しました)

 思ったよりワンテンポ早い返信に少し吃驚しながら、レギナルトは通信を返した。「頼む」

 (02、こちら01だ)間髪入れず、クリンゲ01から通信が入った。(こっちは取り逃がした。そちらは?)

 「偶然、部隊と分断された機体が居たので撃墜出来ました。流石に腕がいい」

 (いくら664大隊とはいえ、《ウィンダム》を装備しているとは思わなかったな)

 困惑を隠しきれない声音がイヤフォンから流れる。相槌で応答して、レギナルトは足元に擱座する〈ウィンダム〉を見下ろした。まだ電源は死んでいないのか、ゴーグルカメラは電光が灯っている。左肩には、鶏の頭をもたげたドラゴンのエンブレムが描かれていた。

 第664独立親衛機動狙撃大隊『ヴァシリースク』。ユーラシア連邦軍内でその名を知らぬものは居ないだろう、ロシア西部方面軍が誇る精鋭部隊だ。 ロストック市街に展開する《ウィンダム》は、情報によると全9機。《ストライクダガー》4機と《ダガーL》2機という貧弱さで防衛線を維持できたのは、ただ敵の部隊がロストック橋頭堡の堅持に動き出したからに過ぎない―――。

 ―――全9機。だとしたら、まだ、第1小隊は、出撃していないのか。微かに脳裏をよぎる黒髪の女の微笑に苦く顔を歪めると、レギナルトはそれを拭い去るように、無線通信のチャンネルを《ストライクダガー》と《ダガーL》に合わせた。

 「フロッシュ07、ストライカー05。以後、こちらの指揮下に入って貰っても構わないか」

 (あぁ、頼む。正直、こちらは統制のとれた作戦行動がとれる状況にない)

 (お、俺も頼みます)

 (クリンゲ01よりロストック市街に展開する全MS部隊。これより敵MS部隊に対し攻勢に出る。全機、前進!)

 スロットルレバーを押し込む。可変翼に内蔵されたスラスターが熱を吐き出し、《ハイペリオンⅡ》が旧き欧州の天空を舞った。

 

 

バルト海艦隊第14水上艦艇師団 艦隊旗艦「フルンゼ」艦内

 

 薄く黒を引き伸ばした室内。ぼんやりと電光を灯らせるのは、正面に並列して3つ並ぶ大型のモニターだ。その他、大小のモニターがいくつも配置されている。

 デモイン級ミサイル駆逐艦『フルンゼ』CICの中、第133独立親衛機動狙撃旅団の司令を務めるメルス・デニーキン少将は、中央のシートに身を委ねていた。座り慣れないせいか、若干仙骨のあたりに違和感があったが、気にするまでも無いことだ、と思った。ただし、周囲で忙しなく通信を交わす海軍の士官の中にあって、隣で鋭く視線を投げる旅団の主席幕僚だけはメルスの異変に気付いているらしく、気遣うような視線を時々差し出していた。

 ―――《ダガーL》12機を擁する第363機動航空大隊が手痛い反撃を喰らってから、かれこれ3時間。第二陣として出撃した第664独立親衛機動狙撃大隊『ヴァシリースク』の《ウィンダム》9機がロストック市街まで侵攻したところまでは、先刻の失態を拭う、極めて順調な作戦の推移だったはずなのだが―――。

 少しだけ、周囲の時間が淀み始めた。メルスは微かに眉を寄せ、鼻筋を撫でた。

 「ヴァシリースク07、胸部コクピットブロックに致命的損傷を確認、大破。ヴァシリースク03、11も戦闘継続に支障はありませんが、損傷を受けています」

 どこからともなく、暗闇で声が生起する。報告の内容からして、戦域のデータリンク情報の統合・伝達を行うオペレーターの声だろう、20代後半の男の声音は、僅かばかり上ずっていた。普段は、もっと落ち着いた声のはずだ。フルンゼCICのクルーの事細かな癖までは知らなかったが、その程度のことは数日共にすればある程度の素振りはわかるというものだ。伊達に人の上に立ってはいなかった。

 「664が手を焼くような相手ではなかったはずだが?」

 敢えて、メルスは聞き返した。わざわざ聞くまでも無く推察できるが、時に平静を乱したクルーのために芝居を打つことも必要だった。

 「中隊強の部隊が合流した模様です。内1機はライブラリにデータがありません」

 「チャバネンコの部隊を撃退した部隊か」

 「恐らく」

 いつも通りの冷静な声に戻ったことを聞き届けると、メルスは静かに左手の指先で顎を撫でた。

 よもや新型機、というわけではあるまい。新型の主力機と言えば《ウィンダム》だが、それならライブラリにデータが無いわけがない。

 だとするなら、試作機か実験機か。元より西ユーラシアは後方の部隊が配置される場所で、試験部隊をいくつか有している。有事に試験機を持ちだすことは想像に難くないし、試験部隊ならば第664大隊が苦戦するのも頷ける。先遣部隊―――スペングラー級揚陸艦『アドミラル・チャバネンコ』以下複数の艦で運んできた第363機動航空大隊が撃退された時には驚嘆したが、敵もなりふり構ってはいられないのだろう。

 「ヴァシリースク10、ストライカーに被弾、強制排除しました。本体に損傷ありません」

 素早く声を伝えるデータリンク・オペレーター。鼻息を吐いたメルスは、シートに委ねた背を離した。隣に凛然と佇む幕僚が幽かに身動ぎするのを右手で制し、視線を別なオペレーターへと投げた。メルスは指揮所で声を張り上げることを嫌うが、部下の生死に関しては別問題だ。

 と、同時に、そのオペレーターがメルスに振り返る。まるで予期していたようなタイミングだ。オペレーターも司令官が自分を注視していることを予感していたのか、短髪に屈強な体はぴくりとも動かなかった。「少将、アドミラル・ナヒーモフより入電」

 「繋いでくれ」努めて短く、それだけを口にする。小さく頷きを返すと、男は回転式のチェアを素早く運動させ、正面を向いた。「映像を正面モニターに出力してくれ! 邪魔しない範囲で良い」

 オペレーターの男がヘッドセットのマイクへと声を吹きこみながら、手許のコンソールを数度叩く。次の瞬間には、市街地の戦闘を映していた正面のメインモニターに、通信ウィンドウが別枠で表示された。

 ふわりと膨らんだ黒の長髪に、翡翠の眼がきらりと煌めく。他でもない、メルス・デニーキン少将率いる旅団が誇る精鋭部隊の隊長だ。

 (お早い応答、助かります。司令)

 しゃん、と声が弾む。

 オクサナ・アレンスカヤ中佐の声と柔らかな表情は、あまりに軽やかにCICに響いた。 

 ただ一声。それだけで、CICに淀みはじめた空気が動き出した。ロシア西部方面軍最強の部隊が戴く大隊長、という肩書は、雄弁にその力を誇示する。無論、メルスが態々正面のモニターに通信ウィンドウを投影させたのも、気まぐれではない。

 (第1小隊出撃の許可を)

 「戦況はその必要を物語っている」ちらとメルスは隣を見上げた。幕僚を務める大佐は怪訝そうに眉の間を寄せたが、身を竦めただけだった。「しかし、中佐の機体を悪戯に晒していいものだろうか? 彼らに、我々東ユーラシアと東アジア共和国との”不純異性交遊”を告白するようなものだが」

 メルスは至って生真面目な風に大声を上げた。噛み殺したような苦笑が隣から漏れ、メルスは少しだけ満足した。

 (どちらでも構いませんよ。若いころには火遊びも必要でしょう)モニターの向こうでも、オクサナは屈託のない笑みを浮かべていた。(そんなことより、私の部下の事の方が大事ではありませんか?)

 さらりと、オクサナは言葉を奏でた。

 まるで、我が子の運動会に行けないと渋る父親を諭す毅い母親のような口ぶりだった。

 オクサナ・アレンスカヤは、政治的思考無能を声高に宣言しているわけではない。一兵士ならともかく、佐官として軍務に就く人間は、職務の政治的側面を考えなければならないものだ。まして、彼女ほどの傑物である。そして、恐らく東西含め、最もユーラシア連邦の未来を憂う彼女が、その判断に際して軽率であるはずがない。

 逡巡は刹那。目端で幕僚が頷くのを流し見、メルスは口を開いた。「出撃までにかかる時間は」

 (出撃前のカップラーメンが食べられないですね)彼女は見かけに反して、ジャンキーな食べ物が好きだった。(2分です)

 「よし。第664独立親衛機動狙撃大隊第1小隊は直ちに発艦。交戦中の第1、第2中隊を支援、ロストック確保に全霊を尽くせ」

 (了解しました)

 にこりと笑う。それだけ見れば、果たして本当に軍人なのか、と思ってしまうほどの柔和さだ。昼下がりの公園で幼子と戯れる母親の顔だ。

 毒気を抜かれた様にシートに身を委ねると、メルスは右手を挙げた。どこかのオペレーターに指示を出していた幕僚はすぐに身を屈めると、メルスの口元に左耳を寄せた。

 「火器管制官に伝えてくれ。それと艦隊司令にもだ。第1小隊ロストック到着のタイミングに合わせ、突入を支援してくれとな」

 「了解」

 肯きは一つ。剛直そうな声を残し、幕僚が声を張り上げた。

 

 

 (第一小隊全機へ、ガントリー解放します。繰り返す、ガントリー解放します)

 生真面目そうな声は、確かスペングラー級揚陸艦『アドミラル・ナヒーモフ』管制官のものだったか。まだ未成熟さを感じる女性の声だが、それでも前大戦から従軍するベテラン士官だと言う。実際、声は幼い感じを受けるが、極めて落ち着いている。

 戦況は、既に把握している。

 敵の増援により、我が隊が苦戦を強いられている。今必要なのは、敵方に傾いた優位を再びこちらに引き戻すことだ。

そのための切り札(ジョーカー)こそ、精鋭と謳われる大隊の第1小隊―――オクサナ・アレンスカヤ中佐が直接率いるMS小隊だ。そして、自分はその最精鋭の小隊の一員なのだ―――サルマンは操縦桿に手を乗せながら、静かに瞑った瞼を見開いた。

 操縦桿のスイッチを入力する。黒く淀んでいたコクピット内のライトが点灯し、サルマンを覆う三方向のモニターも、メインカメラが集積した情報を素早く投影した。

 ハッチがゆっくりと展開していく。隙間から(くす)んだ太陽光が刺し込み、『アドミラル・ナヒーモフ』の格納庫に広がった。

 《ウィンダム》の胸部装甲前のキャットウォークが壁面へと収納されていく。ガントリー解放に合わせるように、ディスプレイにストライカー接続を示すウィンドウが立ち上がる。格納庫天井付近に吊るされた様に懸架された黒色のストライカーがアームによって《ウィンダム》の背後に回ると、1秒と経たずに軽い振動が背筋を突いた。ウィンドウが陳腐な電子音とともに接続完了を報せると、たちまちにディスプレイから消えていった。

 コクピットが再度揺れる。先ほどよりも大きい。自動操縦で《ウィンダム》が一歩踏み出したのだ。

 一度だけ、スペングラー級から出撃したことがある。あの時はまだ発艦デッキまで主脚歩行で進むタイプだった。が、漸く刷新したこともあってか、格納庫床面自体が滑ることで、勝手にデッキまで運んでくれる。特に振動も無くずれていくモニターの映像を見、手間が無いのは有難いことだ、と思った。

 特に、今、サルマンが乗る機体は主脚歩行に向かない。正確には、彼の乗る《ウィンダム》が装備するストライカーが、だ。

AQM/E-M1。統合兵装ストライカー「I.W.S.P」は後方に重量が偏っている上に、2門の砲と対艦刀2つ、加えて巨大なスラスターユニットを複合させた巨大モジュールは、艦内格納庫と言う窮屈な空間での歩行に向かないのだ。

 (ハッチ開放します。デッキへと進んでください)

 発艦デッキに、《ウィンダム》が立つ。右手にも併設されたデッキにも、幾何学模様を乱雑に装飾したスプリッター迷彩の〈ウィンダム〉が、重たそうにI.W.S.Pを背負って空を見上げていた。

 (ヴァシリースク06、出撃準備完了を確認。発艦タイミングを一任します)

 「I have.ヴァシリースク06、出撃します」

 左手を操縦桿から離し、アイドル出力で固定したスロットルレバーを、ゆっくりとミリタリー出力に引き上げた。

 I.W.S.Pのエンジンが静かに奮える。

 万能を謳うこの豪奢なストライカーパックは、その見た目通りに扱いづらい装備だ。過剰に思える武装とそれを飛ばすための装備を一纏めにしたせいで、とにかく運動性能が悪い。トルクが強すぎて機体は異様に揺さぶられるし、重心が不安定なせいで機体制動が難しい。だが、実際にI.W.S.Pを操縦してきたサルマンは、その癖の強い操縦特性が、強みになることをしっかりと抱握していた。

 《ウィンダム》がのっそりと飛び上る寸前、サルマンは素早く操縦桿から手を離し、スロットルレバーの隣に並んだキーボードへと手を伸ばす。素早く規定キーを入力し終えると、今度はスロットルレバーを握りし《ウィンダム》を前傾させた。

 いつもなら、そこで転倒防止のためのバランサーが働くはずだった。が、《ウィンダム》の軀は、そのまま前へと傾いていく。マニュアルでオートバランサーをカットしたためだ。

 直観が躯幹を触発し、直感が前頭葉で発火する。スロットルレバーを、ミリタリー出力からフルスロットルの手前まで押し込んだ。

 鳩尾をGが軽く押し付ける。そのまま前のめりに転倒するかと思われた18mの人型は、瞬いた後には、北海の淀んだ空へと飛び上っていた。

 再度、規定コードを入力する。不安定に揺れていたコクピットの振動が収まったのを掌に感じると、サルマンは正面モニターに背後の映像を映した。

 黒く濁った海原が、一面に張り付いている。たった今サルマンが出撃した『アドミラル・ナヒーモフ』は、まるで冷凍庫で凍らせた芭蕉が、沼の上にぷかぷかと浮かんでいるようだ。その他、デモイン級ミサイル駆逐艦とスペングラー級揚陸艦を中心に編成された艦隊は、調和のとれた陣形―――輪形陣―――を描いていた。

 艦隊の中、小さな光が閃いた。MSのスラスターが噴出した爆光だ。

 レーダーに青のブリップが点灯する。ぐんぐんと速度と高度を上げる機体は、たちまちに《ウィンダム》2機に追いつくと、鮮やかな白影を引いて抜き去っていく。

 冥蒼(ダークブルー)(エール)が灰空を裂く。スラスターで形成された炎が曇天の中で艶やかに煌めく様は、沼地で翼鏡(スペキュラム)を優雅に広げる鴨を想起させた。

 (第1小隊、傾注―――)




 ようやくハイペリオンⅡ登場……あまり動いてはいてませんね……。


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5話

5話です。




 ぶつぎりの点線となって迸る緑色の光軸。曳光弾によって描かれる銃弾の軌跡と同じ軌道で伸びた粒子ビームの弾丸を躱した《ウィンダム》は、さらに後方へと下がっていく。

弾倉交換(マグ・チェンジ)する、援護しろストライカー05!」

 応答の声が響くより早くスラストリバースで飛び退く。スティグマトの黒々した銃から弾倉が小気味良く弾け、芝生の大地の上にずしりと落ちた。

 《ハイペリオンⅡ》が、腰に装備した予備弾倉へと手を伸ばす。左手で掴んだ弾倉を素早く空になった短機関砲の装填部に挿し込みかけ、がちゃりとサブマシンガンを握る右腕が揺れた。

 ディスプレイに警告ウィンドウが立ち上がる。給弾不良の表示と共にマニュピュレーターからマガジンが滑り落ち、駐輪場の屋根を拉げさせる。潰れた鉄柵が甲高い金属音を響かせた。

 《ウィンダム》がスラスターを爆発させる。ロックオン警報がコクピット内で反響し、レギナルトは操縦桿のFCSを素早く切り替えた。

 《ウィンダム》がライフルを掲げるより早く、銃口を持ち上げる。ガンクロスに〈ウィンダム〉の機影を捉えること秒も無く、スティグマトに内蔵されたビームナイフが刃を形成しながら飛び出した。

 過たず、〈ウィンダム〉の頭部に短刀が突き刺さる。切断面が光熱で赤く捲れ、どろりと何かの液が内側からカメラカバーを汚染した。

 ワンテンポ、沈黙の空白が耳朶を打つ。レーダーに表示された《ストライクダガー》を示すブリップは、まだ路線を飛び越えていなかった。

 「ストライカー05!」

 イヤフォンに怒声をぶつける。耳元で臆病そうな呻き声が漏れ、青色の機影が《ハイペリオンⅡ》を追い越した時には既に遅い。《ウィンダム》は、既に駅前の広場から後退した後だった。

 (すみません!)

 「いやいい」舌打ちする気力も無く、ただその一言だけをイヤフォンに投げ棄てる。続く弁明を潰し、レギナルトは隊長へと通信を入れた。「クリンゲ01、こちらクリンゲ02」

 「ロストック中央駅前広場を確保しました」

 (クリンゲ01了解。損傷のある機体は)

 「ベルトラムの機体がシールドを喪失しました」左前腕の装甲を展開させてビームナイフを把持させると、スティグマトへと押し込む。「ハロルドの機体のシールドを持たせます。そちらは?」

 (フロッシュ05がやられた。06は右腕部被弾。戦闘継続は可能だが武装が無い)

 「了解。こちらで攻勢をかけます。そちらは一度引いてください」

 (頼む)

 了解の声を返す。MSの性能差はともかく、数的優位で上回る現状、戦況はレギナルトたちに傾いているのは間違いない。僅かに損傷をした機体もいるが、まだ戦闘継続に問題ない範囲だ。

 ヴァーネミュンデに上陸を始めた敵の部隊が進行を開始するのもそう遠くはないだろうが、ラーゲ基地にも第64航空MS大隊が向かっているはずだ。

 安堵するには気は早いが、さりとて危機的状況からは脱しつつある、と言っていい。

 だというのに。

 レギナルトは、盲斑の中で蒼褪めた影が遊ぶように蠢く悪寒が、体中を汚染しているのを感じていた。

 そう、あれは1年前。ビクトリアとカーペンタリアで肩を並べた、1年前。

 記憶に間違いはない。鶏頭のドラゴン、コカトリスを部隊章に戴く精鋭部隊。

 脳幹を汚染し始めた思惟を振りほどく。最悪の想定をするのは当然だが、それに囚われて行動不能に陥るのもまた愚かだ。そんな僅かな思案の時間で、仲間は武装の交換を終えたようだった。

 「第2小隊全機、聞いていたな。これより俺たちは前に―――」

 そこまで言って、ふと、それが目に入った。

 視界は遥かバルト海、その上空を眺望している。

 曇天の隙間から堕ち始めた瑠璃色の帳の中、星の光がちらちらと光っている。

 レギナルトは、肌が粟立つのを感じた。無論、それは星の光などではない。秒の間にどんどんと拡大する光はロケットモーターが吐き出す噴射炎で、あれはまさしく、凍り始めた空を砕氷船となって突き進む巡航ミサイルだった。何よりも、広域データリンクがミサイル飛来の情報を更新したためだ。

 着弾までの予測時間まで残り15秒。進路から想定される攻撃地点はロストック市街中心地とも言うべき、ロストック中央駅―――まさに、レギナルトたちが展開する場所だった。

 言葉を発するより早く視線が動く。流石と言うべきか、ハロルドとベルトラムは、既に駅近くのショッピングモール裏やらの大型の建物へと機体を滑り込ませている。フロッシュ07も実戦慣れしているだけあり、大学病院前の後ろへと身を屈めていた。後方からの砲撃支援に徹していたクリステラの《ダガーL』はロストック大学を掩蔽物に利用していたため、それだけ危険は少ない。素早く情報を統合させ、レギナルトは眼前で佇む《ストライクダガー》へと視線を突き刺した。

 「ストライカー05!」レギナルトは、素早く《ハイペリオンⅡ》の左腕部を持ち上げさせた。袖部位に装備した光波防御帯シールド発生装置を起動させると、袖を起点として機体を覆う程の光が陽光の盾を形成した。

 微細に幽れる極光色の波濤越し、灰色の空に明瞭な輪郭をもって現れた弾頭が視神経を焼いた。

 何故、このタイミングでの艦隊による攻撃なのか。東ユーラシアはあくまでユーラシア連邦政府そのものの乗っ取りが主目的で、それならば主要都市機能そのものの破壊はデメリットでしかないはずだ。だからこそMSを中心とした陸上部隊による制圧という手段に出た、そのハズなのだ。

 痺れを切らした上層部が凶行に及んだ―――硝子体の中で踊るミサイルの影がそのまま後頭部まで突き刺さり、幻痛が脳神経に叛濫した。

 視界が白く染まる。周囲に爆炎のような閃光が乱舞し、ダイヤモンドダストが怒涛の狂乱に渦巻いた。

 レギナルトは目を細めた。レギナルト・シェレンベルガーと《ハイペリオンⅡ》は秘密めいた身体図式で抱握し合い、破断した蠢動が脊索を励起させた。

 五月蠅い、と思った。周囲で雑音が乱れている。

 いや違う。いや、間違っているわけではない。ともかく、《ハイペリオンⅡ》は、否、レギナルトは鋭敏にコクピットの中に屹立する音を目で追った。

 各種センサー類が軒並み機能不全に陥っている。周囲に分厚く散布された白煙が視界を塗りつぶしている。唯一音振センサーは生きているが、ほとんど気休めのようなものだ。

 無線すら使用できない―――レギナルトは素早くその意味を、全て理解した。そう、全て。だからこそ、薄れ始めたスモークにうっすら浮かび上がったストライカー05が見えるなり、レギナルトは左腕部のアルミューレ・リュミエールを展開したままにスラスターを爆発させた。

 芝生の上に積もった薄膜が、雪に解されて巻きあがる。《ストライクダガー》との間の相対距離からして、正面に《ハイペリオンⅡ》が展開するまで4秒弱。全身の毛穴から焦燥が液体となって流れ出し、脳幹に受胎した不気味な腫瘍が脈を打ち付けた。

 3秒。破砕した時間が脳血管内で沈殿して瘤を膨らませる。拾った音から接近を悟ったストライカー05が、丐眄する挙動を見せた。

頭部に灯ったカメラアイが光を放っている。皝はそのまま頭部ユニットのカメラを穿ち、右腕を切り落とし、胴体に黒い虚孔を抉った。

 白幕を切り裂く烈風怒涛。燐光が双眸を形作り、閃珖の打撃が《ハイペリオンⅡ》に殺到した。

 咄嗟にビームナイフを発振させ、孤光を引いた打撃に打ち合わせる。粒子ビームの刃を形成する力場同士が拮抗し、スパークが激烈を押し広げた。

 背筋に、悪寒が走った。

 頭部ユニットに刻まれたスリットは猫髭のようだった。《ハイペリオンⅡ》と類似したレイアウトのデュアルアイは不気味なほどの安らいを湛えて、鋼の鎧越しにレギナルトを貫いた。光の刃はまさに敵を斬殺せしめんと振るえ、飛び散った粒子ビームの沫が《ハイペリオンⅡ》の装甲に黒い染みを穿った。

 《ハイペリオンⅡ》がベクタードノズルを反転させ、噴射炎を爆発させる。

 ビームナイフグリップの発振基損傷のウィンドウは無視。背面ガン・マウントに懸架されたレールガン2門が小脇から潜るように前面に展開しかけ、レギナルトは咄嗟にスラスターの推力を引き上げた。

 動体センサーが接近警報を唸らせる。《ハイペリオンⅡ》の胸部装甲を砲弾が掠め、白装束に身を包んだ薄緑の大地を破砕した。

土塊が巻きあがる。後方からの支援砲撃、と思惟が揺れたのは秒ほども無かっただろう。それでも、その刹那の隙の合間に碧く滲んだ貴影は高く天を跳躍した。乱れ撃ちになったレールガンの砲弾は、敵機の軌道をなぞることしかできなかった。

 だが、明らかにその機動は愚策だった。

 戦闘において、敵の上を位置取ることは、敵に対して優位を取ることとほぼ同義だ。

 しかし、陸上でのMSの戦闘に限って、その図式は直接には成り立たない。上空とはそれ即ち身を守る遮蔽物が無いこと、つまりはある種無防備を晒すことを意味する。平原にMSを展開しているなら遮蔽物も何もないが、市街地においては単なる蛮行でしかない筈だ。

空にぽつねんと点在する敵機にレティクルを重ねる。《ハイペリオンⅡ》のサブマシンガンが粒子ビームの弾丸を乱射するのとほぼ同時、幾条もの光軸が蒼白の機体に殺到した。

 まさに鴨撃ち。並のパイロットなら、四方から迫る警報音だけで錯乱状態に陥るだろう。ビープ音の嵐はあっという間に平常心を掘削し、内側に埋もれた怖気を吹き上げるのだ。

 が。

 迫りくる数千度の火箭。火砲に晒されたMSは、されどスラスターで躱し、バーニアで躱し、時に四肢稼働を、時に主翼を風に乗せ、光が形成した牢獄を優雅なほどの挙動で脱走した。

 微笑の双眸が堕ちる。優雅な緩慢さで束の間滞空した、その次の瞬間、剣を構えた黒翼が空気を叩き付けた。

彼我距離が瞬時に消し飛ぶ。

 バヨネットによる防御、これは不可。次、ビームサーベルを真っ向から受け止めればスティグマトごと機体が両断される。

 ならば―――即座にFCSを近接格闘戦に切り替え、背部に装備した武装を引き抜いた。

 ブレード・マウントが立ち上がり、撃鉄が剣を跳ね上げる。ビームブレードの刀身に閃珖が迸ると同時に、《ハイペリオンⅡ》は迫りくる光の剣に刃を撃ちあわせた。

 光が日輪の如くに円を描く。防眩フィルターでも防ぎきれないほどの干渉光の氾濫の向こうに安らう柔らかな眼差しに、全身の汗腺が嘔吐した。

 知っている。敵を知っている。

 特徴的な頭部ユニットのレイアウト。改修前のベース機の痕跡を色濃く編み込みながらも、現役の最新鋭機に比肩する高性能を獲得した改修機。アクタイオン・インダストリー社の嫡子にして忌み児。

 《ハイペリオンⅡ》のライブラリがデータを照合し、ディスプレイにその名を表示した。

 熱紋照合―――不能。

 画像データ照合―――機種特定。

 GAT-X105E《ストライクE》

 操縦桿越し、銀の剣がレギナルトの手を抱握した。表皮を焼け出すほどの気勢で迫るビームブレードの刀身が力場ですら制御しきれないほどに粒子ビームを炸裂させ、《ストライクE》をビームサーベルごと突き飛ばした。

 《ハイペリオンⅡ》が慟哭する。スラスターノズルから爆発的な閃吼を滾らせ、逆袈裟懸けにビームブレードを掬い上げ―――。

 不味い、と思った時には既に遅かった。

 蠱惑にデュアルアイを閃かせ、《ストライクE》が身を翻す。

 何故か、レギナルトはそれを異様に克明に見た。

 砲弾だった。目と鼻の先、砲弾が迫る。どれだけの威力かはわからなかったが、ともかくMSを貫くにはあまりある威力に違いなかった。

 衝撃と同時に頭蓋の中で白光が爆ぜた。肺が潰れたと思う程の嗚咽が軋んだが、レギナルトは操縦桿を離さず、それどころか瞼を閉じすらしなかった。

 先ほども支援砲撃を行った機体だ。大口径のレールガンを装備した機体に思い当たりは無いが、相応の距離があるにも関わらず、的確にMSの胴体部に直撃弾を撃ち込むところからして相当の腕前だろう。

 《ストライクE》も難敵だが、何より後方に位置取った支援砲撃機が邪魔だ、と思った。《ストライクE》が僅かに隙を見せたとしても、悉く後方支援が機会を破砕する。バイタルパートに装備したTP装甲が無ければ、今の一撃で紛れなく《ハイペリオンⅡ》は爆散し、レギナルトの肉体はミンチより酷い状態になっていただろう。

 なんとか砲撃さえ潰せば―――驕りなど欠片も無く、極めて理性的に判断した時、音振センサーが不意に音を捉えた。

 朱色に染まった裂帛の突撃が霞を裂く。

 シールドの無い《ダガーL》。大型のビームマシンガンを右手に、開いた左のマニュピュレーターが拳を作ると、《ダガーL》は一瞥の素振りも無く、拳を僅かに前へと突き出した。

 《ストライクE》が右手のビームライフルを掲げる。狙いはハロルド。こちらも思惟が同じならば、敵とて同じ戦術想定を追従するは必定。

 なれば、己が責務は明瞭だった。

 素早く左手を手許のキーボードに滑り込ませ、規定コード―――オート・バランサーとリミッターカットのためのコードを入力する。ビームブレードは展開したまま、背部のレールガンを肩越しに2門、右手のサブマシンガンを1門指向する。スロットルレバーを押し込みペダルを踏み込むのと同時、3門の砲口が怒号を轟かせた。

「俺が相手だ―――アレンスカヤ少佐(コールナンバー・ワン)!」



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6話

6話です。

今回はちょっと短めです。


 「ヴァシリースク06、着剣!」

 小脇から対艦刀を引き抜く。掬い上げる要領で9.1mの刀を振り抜くと、さっきまで懐に居た筈の《ダガーL》は瞬時にスラスターをリバースさせて、寸で斬撃を回避した。

 再び機動を反転させ、灰色の《ダガーL》がビームサーベルを撃ち込む。返す刃でなんとか光刃を弾いたサルマンは、鼻筋を苦く歪めた。

 巧い。単に空戦での機体制動の技能に長けている、というだけでなく、その戦術眼の妙に驚嘆する。

 I.W.S.Pの機体特性。万能機を標榜するにも関わらず、運動性能の悪さから格闘戦が苦手である、という特性を瞬時に見抜く冷静さ。それでいて、機体性能で一歩譲る《ダガーL》で大胆にも格闘戦を敢行する技量。なるほど第363機動航空大隊(海軍の連中)が撥ね付けられるのも道理というわけだ。

 (06、聞こえてるか)イヤフォンに声が飛び込む。僚機を務めるヴァシリースク07の厳めしい声だ。3機からの火砲を潜り抜けながらも、07の声には抑揚一つない。(俺が少し()()()の相手をする。後ろから撃ってくる奴を始末してくれ)

 「簡単に言ってくれる!」

 続く斬撃に刀を撃ちあわせ、サルマンはスロットルを一息に絞った。

 I.W.S.Pの重量もあってか、墜落するように《ウィンダム》が高度を落とす。突き上げるような衝撃に眉一つ動かさず、FCSをスナイプモードに切り替えた。

 狙うべき敵は、誰なのか。

 サルマンは1秒の判断時間も無く、最後方に控えた敵機、深緑にカーキを挿した迷彩色の《ダガーL》に狙いを定めた。

 砲撃後の素早い移動、位置取りから砲撃までの素早さ。それでいて正確な砲撃。損傷を負っているが、脅威だった。

 そして、何より、迷彩の《ダガーL》はミスを犯した。格好の的になる位置へと機体を移動させたのを、サルマンは見逃さなかったのだ。肩を並べる同僚もまた。それを目聡く把握していた。だからこそ、格闘戦において成績が優秀な己を囮にして、砲撃戦に長けるサルマンをガンナーに定めたのだろう。

 時間はかけられない。仲間の腕には全幅の信頼を置いているが、それでもあの〈ダガーL〉2機を相手に、20秒。否、10秒は持つまい。

 上空の銃戟の騒乱、ロックオン警報。雷鳴するビープ音の吹雪の中、サルマンの精神はそれらを全く意に介さなかった。

 ECMが《ダガーL》からの砲撃警報を迸らせる。それより早く、I.W.S.Pに搭載された長砲身のレールガン2門が雷を迸らせた。

 弾体が大気を引き千切る。秒速3kmで射出された金属塊は、ガンクロスが捉えた場所へと突撃し、着弾地点を中心に生じた衝撃が建築物を噛み砕き、道路を拉げさせた。

 モスグリーンの《ダガーL》は、まだ健在だった。背後の銀行はただの一撃で原型が残らないほどに潰れ、巻きあがった紙幣が雪と一緒に空を泳いだ。もう一発の砲弾は足元に飛び込んだが、素早く横に飛んだ《ダガーL》はギリギリのところで回避してみせたのだ。

 だが。それでいい。

 砲撃から1秒未満、サルマンは105mm単装砲を朱色の肩(レッドショルダー)の《ダガーL》目掛けて牽制射として放ちつつ、粒子ビームの弾丸を撃ち来んだ。

 あまりに安易なだけの砲撃だったが、それで十分だった。

 着地と同時に回避機動に入ろうとした瞬間、本当に一瞬だけ、緑色の《ダガーL》がスラスターを焚いた。

 その足元には、電車のレールが敷いてあった。ロストックの交通の便として機能する公共交通機関の一つだった。

 ――無論、いくらロストックの都市機能維持を主眼に入れようとも、己の生死がかかった瞬間であれば、その破壊は赦されよう。そんなことは、何より戦場に投げ出された兵士たちが一番よく理解していることだ。

 だがそれでも、一瞬だけ躊躇する。あ、と思う。

 秒ほども無い間隙。ただのパイロットが相手であれば、そんなものは隙にもならなかっただろう。

 だが、サルマンにとっては、それは明瞭な隙だった。

 粒子ビームの弾丸は長々と尾を引き、まるで光線のように見えた。光軸は亜光速で駆け抜けると、真緑の機体の胴体に噛みついた。

 間違いなくコクピットを貫いた。一瞬だけ宙を踊った《ダガーL》は、路線隣の駐車場を飛び越え、再構築戦争以前から使用されている警察署庁舎へと錐もみしながら墜落した。

 1機、撃墜。余韻などあるはずもなく、サルマンは上空を見上げた。

 黒雲の中、白片が揺らめく。虫が翅を打ち震わせるような音を立て、マズルフラッシュが瞬いている。曳光弾が引いたラインと交錯するように光弾が点線を描き、光の剣と白銀の剣が接触してスパークを破裂させた。

 「掩護する!」

 前面の砲門全て、115mmのレールガンからシールドの30mm機関砲に至るまで、全火器を志向する。大出力のスラスターを鋼鉄から噴出し、火箭の花火を曇天の暗幕に彩った。

 隊長はきっと勝つだろう。先のヴァーネミュンデ攻防戦で多大な戦果を挙げたあの新型機を退け、作戦の流れを決定づける―――レーダー上のブリップに表示されたGAT-X105E、それに並ぶAQM/E-X01F(スペキュラム)の型番を一瞥して、サルマンは操縦桿を握りなおした。




6話でした。


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7話

7話です。

やっとストライクEとハイペリオンⅡの本格的な戦闘です。


 左右から襲い掛かるG。即座に外れるロックオン。操縦桿を握る手、右手の兵装選択スイッチを2度押し込む。

 構えたサブマシンガンから雨霰と降る亜光速の弾丸。数千度の弾丸は、PS装甲だろうがお構いなく貫く死の具現だ。

 しかし、将に銃口が覗く先―――黒翼を雅に靡かせる敵機は、素知らぬ顔で大気と戯れているかのようだ。

 右へ左へ。時に傾斜(バンク)をかけ時にロールするその様に、焦燥は見えない。ドッグファイトで後方につかれているというのに、むしろレギナルトを弄ぶかのような錯覚さえ受ける。

 機体性能の高さもあるだろう。形状からして恐らくAQM/E-X01(エールストライカー)の発展形―――望まれずして傑作機を産みだしたアクタイオン・プロジェクト参加企業による改修機のような―――と思われるストライカーの生み出す空戦性能は、《ハイペリオンⅡ》に比肩する。

 だが、それだけではない。巧にロックオンを外す機動、予測進路を読ませないバーニアの小刻みな噴射。その運動性能・機動性能と秘密めいた友愛を築き、十全に担い手になるパイロットの技能が相乗する。

 《ストライクE》が無垢に空を舞う度、その背にあの姿がトレースする。

 舌打ちする。左の指先が無線の周波数を切り替えるように這い、トリガースイッチの負荷が右の指先を跳ね返した。

 レギナルトが、その音を聞いたのは、まさにトリガースイッチが第一段階目まで押し込み、二段階目を将に押そうか、という時だった。

 奇妙な音だった。収音マイクから聞こえた音のようにも聞こえたが、違うようにも聞こえた。ひゅー、ひゅー、という音。風と友愛を結ぶ音。風を裏切る音。風と闘争する音。レギナルトが、否、《ハイペリオンⅡ》が、否、現存在が耳で聞いた風の声が、身体の奥底で響影を熔解していった。レギナルトというスクロールを構成する、細胞の欠片筋繊維の一筋に刻み込まれた経験の奥底に潜む汚染が《ハイペリオンⅡ》に憑りついた。

 ひゅ、と風が乱舞した。と同時、視界から《ストライクE》のシルエットが忽然と掻き消えた。

 違う。即座に悟ると、それを肯ずるように、ECMが背後からのロックオンを報知した。

 正面モニターに背後の映像が出力される。

 映像枠の中、山猫のような蠱惑の双眸が《ハイペリオンⅡ》の背を捉えていた。

 四肢を広げるなどして機体の空気抵抗を増大させることで失速させ、失速領域で機体を後方へとループさせる戦闘機動(マニューバ)。かつての戦闘機の類似した機動から、クルビットと呼ばれるそのマニューバ自体、MSであれば左程困難な機動ではない。

 だが、《ストライクE》のその機動は、クルビットと似て非なる別なものだった。強引なスラスター機動、動翼、四肢稼働により、機体をほぼ減速させずループさせて背後を取る、戦闘機動。指先一つ動かせない超高G下での緻密且つ繊細な機体制動を以て為し得る芸術的な機動。テストパイロットとして相応の技倆を持つレギナルトでさえ躊躇する、高機動下でのクルビットを難なくこなすパイロットなど、思い当たる内では1人しかいなかった。

 背後の《ストライクE》がライフルを掲げる。冷たい黒々とした銃口が、ひたとレギナルトを捉えた。

 全身の毛穴が嗚咽する。痙攣した骨髄の振動が肉全体に伝播し、脳神経を雷光が動乱した。

 思考する時間は零。思索した前頭葉から脂腺細胞に至るレギナルトの身体は、咄嗟に左のラダーを全力で踏み抜き、右のトリムを手前に引きつけた。FBLが機敏に反応し、主翼(CPU)を水平から105°まで一気に傾けると、それ自体が強力なスラストリバーサーと化した。

 衝撃が爆裂する。巨大な玄翁で体を殴りつけられたかのようだ。その影響で視神経に繋がれたまま眼球が眼窩から零れだし、玩具のヨーヨーさながらに振り回されている―――そんな錯覚すら覚えるほどに視界が凄まじい勢いで回転を始めた。洗濯機でもみくちゃにされる衣類はきっとこんな気持ちなのだろう、と子どもの無邪気な感想が全身を駆け巡る。

 主翼の過負荷を知らせるビープ音が鼓膜を叩くが、構っている余裕は無かった。レギナルトは大地へと墜落していきながらも、レギナルトの心/体は全力で方向舵を踏み込み流れながら、《ハイペリオンⅡ》の左腕を掲げた。

 左腕のアルミューレ・リュミエールが展開する。堕ちた光の槍が光波盾に接触し、鮮緑が乱反射した。

 ディスプレイ上の高度計が秒より早く削り取られていく。OSが飽和し操縦不能(ディパーチャー)に陥った〈ハイペリオンⅡ〉は、エッフェル塔から投げ捨てられた羽毛さながらに重力落下していく。

雪空と中世の都市が網膜の中で混淆する。全力で気管を開いて酸素を脳みそに叩き込み、レギナルトは左ラダーの踏み込みを浅くし、右のラダーも微妙な力加減で踏み込んだ。

 機体の回転が止まる。相変わらず視界は巡っていたが、続けて主翼(CPU)を水平位置に復帰させ、スロットルをフルへと叩きこむ。

 主翼と中央のスラスター、あらゆる下方のスラスターが噴射炎を一斉に吐き出す。重力落下速度に反発した鋼の巨人はふわりと浮かび上がったが、タイミングが遅すぎた。OSが立ち直るより早く、減速しきれなかった白影はコンクリートの大地へと墜落した。

 肛門から脊髄を衝撃が貫く。頭蓋の中で飽和した衝撃が肉体の中で乱反射し、レギナルトは嗚咽を吐瀉した。

 ずきりと胸元に激痛が走った。墜落の衝撃で肋骨が砕けたらしい―――それでも伸びている暇など無い、と身体のどこかが叫ぶ。突き動かされるように瞼を見開くと、レギナルトは正面を見据えた。

 小さな広場だった。右手の洒脱に佇む建物は旧世紀の市庁舎で、鮮やかな桜色の壁が帳の降り始めた無人の街中で寒々と発色している。華やかな市場が開かれる広場に人影は一つも無く、《ハイペリオンⅡ》が墜落した衝撃か裂けた道路の至る処から噴水が巻きあがり、白亜の大地を黒く浸食している。

 白亜の巨人は、目と鼻の先に居た。路面電車のレールを跨るように佇立する空色。大聖堂に並ぶ姿は、尊厳の位格を備えた神像そのものだった。

 《ストライクE》は、静かに佇んでいた。何かを待つように。青年に恋するディオティマのような穏やかさで、何かを待っていた。

 レギナルトは、応えるように、国際緊急周波数に無線の周波数を合わせた。

 「《ストライクE》のパイロット―――あんたなんだろ、オクサナ・アレンスカヤ少佐!」

 巨人はぴくりとも身動ぎしなかった。穏やかさを満たした二つの目は、変わらずレギナルトを捉え続けた。

 (訂正します。私はオクサナ・アレンスカヤ()()です)聞き覚えの在る、柔らかな声だ。昼下がりの公園で、日傘をさして穏やかな日常に実存する母親の口を満たす(エクリチュール)。(ビクトリア―――いえ、カーペンタリア以来でしたか、レギナルト・シェレンベルガー中尉?)

 《ストライクE》が57mm高エネルギービームライフルを持ちあげる。アンダーバレルに装備された175mm擲弾グレネードが間の抜けた破裂音とともに射出されると、砲弾はレギナルト―――ではなく、最近出来たばかりの小洒落たレストランへと飛び込んだ。

 否。正確には向かいのブライダル専門店の間にある小さな通りに放棄された双砲のストライカー、AQM/E-M11(ドッペルホルン)に着弾した。

 砲兵部隊が放棄したストライカーだろう。擲弾の爆破に連鎖するようにストライカーの中に装填されたままの榴弾が誘爆し、防眩フィルターでも防ぎきれない爆光が一瞬だけ視界を染めた。

 動体センサーが疾駆を察知する。

 爆炎を切り裂いて彼我距離を消し飛ばす敏捷。一瞬で《ハイペリオンⅡ》の懐に潜り込んだ《ストライクE》がビームサーベルを掬い上げる。

 回避不能。判断と身体の稼働がシンクロし、〈スティグマト〉のバヨネットを発振させてビームサーベルに合わせた。

 ディスプレイに警告ウィンドウが立ち上がる。ビームナイフのグリップが限界強度を表示したのは、その実1秒未満だった。グリップが熔解し銃身が溶断され、FCSが武装喪失を報せる音を鳴らせた。

 《ハイペリオンⅡ》が頭部の12.5mmCIWS〈トーデスシュレッケン〉を連射する。蜂の羽音のような音を鳴らして射出された弾丸がビームライフルと腰部に装備された小型のビームガンを貫徹した。

 (主任テストパイロットを務める腕にまでなりましたか。かつて肩を並べた者として、嬉しい限りです)

 くすりと声が鈴を鳴らす。《ストライクE》は怯んだ素振りすらなくさらに距離を縮めると、《ハイペリオンⅡ》のコクピットへと右膝を叩き込んだ。

 脳天で衝撃が閃く。肺を起点にして先ほどとは比較にならない雷撃が全身の神経を燃やし尽くし、明晰な自意識があっという間に汚染される。

 何かが気管を這い上がる。ぬるぬるした液が舌扁桃までせり上がったところで、ヘルメットのバイザーを挙げて体をシートから離した。

勢い、口から何かを噴き出す。真っ赤に染まった太股からさっさと視線を離して口元を拭い、FCSを格闘戦に切り替えた。

 ビームブレードの柄が立ち上がり、引き抜くと同時に閃光が刃を形成する。胴体目掛けて大剣を振り抜く動作など遅く、スカイブルーの巨人は素早く剣を重ねた。

 「どうして、貴女がこんなことをしている!」可変翼が炎を巻きあげる。下から突き上げるように強引にビームブレードを打ち上げ、蒼褪めた機体が怯んだように後方に飛んだ。「貴女ほどの人間が、今更北米の隷属に甘んじるのか!」

 スラスターはそのままに、相対距離を縮めてビームブレードの斬撃を上段から振り下ろす。着地の衝撃を受けきれずに路面電車の線路を踏みつぶした《ストライクE》左腕に握らせたビームサーベルで剣光の一閃を受け止めた。

 (まぁ、シェレンベルガー中尉はパイロットではなく政治家になったのですね?)

 僅か、《ストライクE》が身を捩る。ビームサーベルをなぞるようにビームブレードが空を切り、右手でストライカーに装備されたビームサーベルを引き抜いた。

 《ハイペリオンⅡ》の前腕装甲が開く。中から飛び出したビームナイフのグリップを逆手に把持させ、発振した刃と振り下ろされた剣が接触のスパークを押し広げた。

 (では翻って質問しましょう、シェレンベルガー中尉。大西洋連邦と手を切った後は病原体(コーディネイター)どもと仲良しになると? とんだ平和主義者ですね、野次飛ばしとして良い政治家になれますよ)

 声の調子は変わらない。ピアノの歌い声のような旋律は、にもかかわらず、レギナルトの鼓膜を緩慢に貫いた。

 ―――そう、ユーラシア連邦政府は、今まさにザフトと手を組もうとしている。今まで後ろ盾だった大西洋連邦から手を切った西ユーラシアだけでは、そのまま大西洋連邦に押し潰されるのは必定。そのためにも、新たな後ろ盾を持つことが急務だった。

それが、ザフト。2年前に矛を交えた敵を、今度は強力な味方に仕立て上げようとしている。それが政治だと言ってしまえばそれまでで、実際、時勢はその通りに動いている。

 だが、果たしてユーラシア連邦とザフトが手を組もうとした時、その関係は対等なのか。答えは明白だ。その交渉の結果、ベルリン市にザフトは()()を始め、厚顔にも戦力を駐留させていた。

 (如何様に罵られようとも構いません。雌犬とでもお呼びください、売女でも結構です。侮蔑を受け入れましょう、私にそれを贖う術はありませんもの。その上で尚言いましょう、我らが大地を守るには、今は大西洋連邦(支配者)の下で堪える時です。それに、ギルバート・デュランダルの強かさは油断なりません)

 近所のスーパーで偶然出会った顔馴染に言葉を漏らすように、さらりさらりと唇から言葉が染み出していく。肌を捲れ上がらせる生々しい瑕から染み出す組織液のように。

 イヤフォン越しに吐息が耳道に凝る。声になりきらない切れ切れの声、薄く艶やかな唇から漏れた知的本能の叫び。心が叫ぶことすら赦さず肉体が助けを求めることも禁止し、ただ残された滓がこの世界の片隅の現存在の中に生起し発生した、最も愚かで野蛮な祈り。

(恥ずかしいですね、このような話。私は雄弁になってしまいやすく。分を弁えぬ女の愚昧と御笑いください、レギィ?)

 イヤフォンから聞こえた声は、粗相をし、照れと羞恥で顔を赤くする少女のそれと同じだった。

 レギナルトは恥じた。秒を追うごとに肺の中に沈殿する血液のせいで苦しくなるこの体が、肋骨が抉った血気胸の痛みが、()()()()()()()

 レギナルトは、それでも剣を摂った。スパークの向こうで血濡れの微笑を浮かべる《ストライクE》を退けて、なんとしてでも生き残らなければ。叫ぼうとする己の存在を全力で絞殺して、レギナルトは気管から口元まで這い上がった血の塊を消化器系へと叩き込んだ。

 スラスターが轟咆を迸らせる。突き飛ばされる格好になった《ストライクE》がスラスター光を爆発させ、勢いのままに空へと羽搏いた。

 何か、口が叫んだ。何と叫んだのか、レギナルトもよくわからなかった。赤子が泣きわめくような叫び声だったのは確かだ、と思いながら、レールガンを展開した。




7話でした。

格闘戦の緊迫したやり取りを書くのは難しいですね……。

来週から1月まで、こちらの話の続きではなく、C97で頒布するイラスト・設定集に関する短編小説を投稿する予定です。同時にこちらも更新するか否かは考え中です……。


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8話

お待たせいたしました、8話です。

区切りの都合、ちょっと短め&動きの少ない話です。


 横殴りの衝撃で、クリステラの明瞭な意識は、一瞬で白濁した。

 イヤフォンの向こうで悲鳴が聞こえる。クリステラがやられた、と叫んだのは、多分あのもじゃもじゃ頭で無精ひげを生やした302大隊の隊員、ベルトラム・ボーム中尉だ。全然好みのタイプじゃないんだよなぁ、とどうでもいいことを考えたところで、クリステラは全身の痛みのせいで、朧に意識が拡散しながら生起するのを感じた。

 狭い部屋だ、と思った。操縦桿があって、似たようなレバー……スロットルレバーが左側にある。周りを囲むモニターはところどころ罅割れて、碌に映像を出力できないらしい。

 違う。これはコクピットだ。徐々に凝固を始めた意識の中、クリステラは体を震わせた。

 そうだ、撃墜されたのだ。レールガンで《ダガーL》の右腕ごとジェットストライカーの右翼を吹き飛ばされて、操縦不能に陥ったままどこかへ墜落したのだ。本来のジェットストライカーは試験段階において、片翼喪失の事故に遭いながらも30分飛行する堅牢さを見せつけるほどだが、そう毎度十全な頑強さを発揮は出来ないものなのだろう。足に痛覚を伴った違和感が広がり顔を顰めたクリステラは、《ダガーL》のコクピットハッチを強制排除した。

 甲高い音とともに、クリステラの正面に位置する装甲が弾け飛ぶ。あまりの音に肩を竦めてから、恐る恐る、クリステラはシートから身を乗り出した。

 鬱勃としていた雲が薄くなっていた。雲間からは瑠璃色の空が広がり、天際は既に橙色に浸食されはじめていた。

 《ダガーL》は、どうやらどこかの交差点に墜落したらしかった。4つほどの通りが交わる交差点の中央はセメントではなく土になっており、丁度そこに落着したようだ。周囲には人影が無く、雪化粧が斑なく広がっていた。

 仰向けになった《ダガーL》の腹から這い出して、今度は腰部の装甲を伝っていく。大腿部を超え膝関節まで辿りついたクリステラは、慎重に関節部に組み込まれた部品に手をかけて、数m下の地面に足をつけた。

 拍子、みしりと左足が悲鳴を漏らした。金切り声が歯の間からすり抜け、クリステラはその場に蹲った。

 気が遠くなる。気が付けば背中にも奇妙な違和感が広がり、意識という名の編み物はどんどんと虫食いになるようだった。

 無事な右手がゆらゆらと空を仰ぐ。ふと視界に雪に埋もれた大きな石を見つけたクリステラは、それを支えにしようと手を伸ばした。

 手を乗せる。なんだか奇妙な感触の岩だ、と思ったが、ほとんど気にせずに体を起こそうとしたところで、クリステラの視界が不意にぐらついた。

 滑ったのだ。そのまま地面に体を打って、クリステラは今度こそ悲鳴を挙げた。

 全身の骨が砕けたようだ。バラバラになった骨の破砕面がそのまま身体中のあちこちに突き刺さり、肉の内側から貫いたかのようだった。

 瞼一杯に涙を浮かべたクリステラは、身悶えながら恨めし気に岩くれを睨んだ。なんて安定感の無い岩なんだろう。

 そうして、クリステラは眉間に寄せた皺を、そのまま固まらせた。

 目が遭った。眼球が飛び出るほどに見開いた、男の顔がすぐ目の前にあった。路上に転がっていたのは、岩などではない。雪を被った。ヒトの死体だった。

 緑色のBDUからして、陸軍の兵士だろう。そう言えば、地上には対MSのために歩兵部隊が展開していると聞いていた。

 まだ若い兵士だった。胸元の階級章は2等兵を示すものだ。防弾ヘルメットに被った雪を手で拭うと、ブラウナーの文字が、油性ペンでか細く書かれていた。すり切れているのは、元からペンのインクが足りなかったからだろうか。

 全身を激痛が縛り上げていたし、クリステラはそれだけで気が飛んでしまいそうだった。にも拘らず、クリステラは必死にこの兵士に覆う雪を払いのけた。何故そうしたのだろう、クリステラはよくわからなかった。

 胸元のポケットに、何か紙切れが押し込められていた。クリステラは顔を奇妙な苦痛に―――そう、それは神の肉が腐敗した痛みだった―――歪めて、それを引き抜いた。

 封筒に入った、手紙のようだった。宛名は女性の名前と、もう一つ書いてある。裏返すと、クラウス・パウの銘が白い封筒に染みを作っていた。

 クリステラは、慄くように顔を上げた。良く見れば、彼女の目の前に横たわる岩人間は一体ではない。そこかしこに散乱し、子どもが去ったばかりの遊び場みたいに放り投げられていた。

 無価値だ、と思った。ただ価値亡き事実が、そこかしこに散乱していた。この世界で、裸形の物が、ただただ転がっていた。死体が生産され、陳列されていた。スーパーの商品棚に並ぶ瑞々しい野菜や牛肉と、大差なかった。

 クリステラは、パイロットスーツのヘルメットを脱いだ。ひょう、と頬を冷たい風が突き刺した。

 目の前に横たわる黒ずんだ影を、ただただ、見下ろした。雪をかき分けた結果理解できたことは、この男は、左の腰あたりに〈トーデスシュレッケン〉の銃弾が掠め肉を吹き飛ばされ脇腹から千切れた大腸を零して腸内の糞を撒き散らしながら苦悶の海に溺れて死んだ、ということだった。

 彼女は、白い封筒を握りしめた。何度も推敲されて手の内に握られた詩篇は、既に最初から皺くちゃになっていた。彼女は、それに新しい皺を作った。

 彼方にて、遠雷が轟いている。物体が音速を超えた際に響くソニックムーブの音だ。顔を上げると、2機のMSが空戦を繰り広げていた。

瑠璃色の天の下、堕ちた天体によって温かな橙に照らされて、翼を生やした巨大な人が光の剣で切り合っている。鴎が旋廻するように天で軌道が交錯し、剣戟が重なる度に雷珖が周囲に迸る。クリステラは、ドレが描いた。地球に向かう天使の厳かな挿絵を思い出した。

 MSのパイロットを続けよう。握りしめた手紙を胸に抱いて、クリステラは雪の大地に立ち上がった。




 8話でした。

 残り2~3話でこの話は終わるかな、と思います。コンスタントに投稿したいところ……。

 それでは今しばらくお待ちくださいませ~。、


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9話

 ハイペリオンⅡとストライクE戦闘の決着です。


 寒い、と思った。

 全身の汗腺から冷たい汗が噴き出している。手が震えている。体躯を巡る血液は1500万度に煮えたぎっている癖に、脊髄はマイナス396度に凍てついている。絶対零度のプロミネンスが爪の先から前頭葉までのたうっている。

 身体にかかる負荷のせいではない。肺に突き刺さった肋骨の痛みでもない。肺に血液が満ちることによる呼吸困難でもない。

 正面モニターに映る《ストライクE》が網膜の中で反射を繰り返し、後頭部の中で増幅した像が静脈を伝って心臓に流れ込み、全身へと流れていく。

 またこの構図だ、と思った。

 フルスロットルで天空に残光を描くは2機のMS。先を行く《ストライクE》、追従する《ハイペリオンⅡ》。レギナルトは口の中に溜まり始めた血液をまた膝に吐き捨て、操縦桿から離れたがっている手を必死に押し付けた。

 いつ、再びクルビットが空を跳ねるのか。眼前で空の流れと戯れあう《ストライクE》の軌道には1gほどの重さも無く、背後から追われている逼迫など微塵も感じていないようだ。だから、まるでロバが等距離にある2つの牧草の片方にふらりと意味なく欲望を志向するように―――1秒後には、瑠璃の穹窿に翼が煌めくはずだった。

 そして、もし背後を取られたなら。

 今度は、あの強引な”技”で回避することは不可能だろう。機体への損傷も大きければ、パイロットへのダメージも大きい。最初は気絶しなかったが、今度は気絶するかもしれない。そうなれば、十分とは言えない高度で空戦を繰り広げる《ハイペリオンⅡ》はそのまま大地に直撃し、そのままMSの最も脆い部品は容易く崩壊するだろう。

 全身の表皮が痙攣している。来るべき未来、繰られ得るアポカリプスの回帰はすぐ隣を並走し、レギナルトの首筋を蠱惑的に擽った。

 音を鳴らす歯を顎で締め付ける。方法が無いわけではない。ただ、それには相手の動機を悟り相手の軌道を予測し相手の機動をトレースし己は行動を起動しなければならない。そのためには、一瞬の機微を見逃さぬための、研ぎ澄まされた注意力が必要だった。

 だというのに、意識が全く指向を持たない。明晰さなど欠片も無く、ただひたすらに拡散し、ぼんやりとした官能がうっすらと身体を流れていく。意識を研ぎ澄ますどころか、あと1分もしたら気絶してしまいそうなほどだった。 

 酸素が上手く頭に回っていないのだろうか。それとも、別な理由なのか。綿菓子のように所在ない思惟が血流にのって軀を巡ったが、どうでもいいことのように思い始めていた。

 レギナルト・シェレンベルガーは、絶え間ない微細な存在論的振戦へと浸されていた。

 空の境界が楽し気に幽れている。《ストライクE》はその未来にて約束された原初の姿、時に穏やかで時に荒れ狂い時に怜悧で時に愚鈍な風と為りて、鳥の詩の調を演じている。甘く崩れるような権力への意思で描かれた血の文字の楽譜は、風という名の市場を辿って遍く流通していくのだろう―――。

 何かが凝る。五感が一斉に励起して生じた情感が、身体の中を荒れ狂った。

 目配せの先、《ストライクE》の高度が僅かに上がる。ディスプレイに表示されたそのデータを悟り、左手が、咄嗟にスロットルレバーを握りしめた。

 絶技が放たれる。咽喉元からせり上がった嘔吐感を口に溜まり始めた血液で胃へとねじ込む。ベクタードノズルを反転させると同時にスロットルを開放、さらに連続してスロットルを絞ると、《ハイペリオンⅡ》の脚部が天空を翔けた。

 全身に力が圧し掛かる。五体がそのまま見えない力で引き千切られてしまうのではないかと思う程だ。必死に身体を縮こまらせて抗い、口元から出力されようとする嗚咽全てを上下第三大臼歯で圧殺した。

 ―――それを誰かが見ていたら、きっと感嘆の吐息を漏らしただろう。

 全く同じ時宜、全く同じ気勢の光芒が宵闇に瞬き、スラスターの朔の軌跡を刻む。

 2機は、互いの舞を踊っていた。

 ―――Gの暴風が消えたコクピットの中、レギナルトは瞠目した。

 《ストライクE》の予備動作を完全に見切ったうえでの同タイミングのクルビット。ただタイミングが同じというだけではない、スラスターの推力から四肢の稼働の一つですら完全に模倣してみせたはずだった。

 もしそうなら、眼前には無防備を晒した敵の背があるはずだ。だというのに目前にはただ空が広がるのみで、眼下の茜を塗りたくったロストックの街並みが、ただ横たわっていた。

 立て続けにロックオン警報の音が鼓膜を劈く。ディスプレイに背後からの赤外線照射を報せるウィンドウが立ち上がり、同時、モニターに背後の映像が閃く。

 ラピスラズリの空、天体から墜落した斜陽がスラスター光と混じり合う。狗鷲が左右に鐵の羽根を広げ、静謐に満ちた双眸がレギナルトを射抜いた。

 《ストライクE》は。

 オクサナは、《ハイペリオンⅡ》がクルビットを模倣すると素早く察知するや、瞬時に同じ動作を反復した。

 即ち―――ダブルクルビット。機体を宙返りさせた直後、再び宙返りさせる戦闘機動(マニューバ)でもって、《ストライクE》は《ハイペリオンⅡ》を凌駕した。

 主翼のパイロンに懸架されたミサイル、Mk438空対空ミサイル〈ヴュルガー〉のロケットモーターが唸りをあげる。相対距離は極僅か。赤外線誘導されるミサイルを至近で回避する術がMSに存在する筈も無く、主要部にTP装甲を装備するだけの《ハイペリオンⅡ》では、空対空ミサイルとは言えども数発の直撃はそれだけで致命傷だった。

 ミサイルが飛翔する。安定翼で空を切り、バーニアで姿勢制御しながら、違えることなく〈ハイペリオンⅡ〉の肢体を食い千切ろうとしている。

 指先が蠢動する。

 慄いた左手の人差し指が、操縦桿の兵装選択スイッチをMAU-M3B連装レールガンへと切り替えた。

 

 

 爆炎が落日を孕む。

 計6発。空対空ミサイルではMSを撃破しきれないだろうが、この至近で連射すれば背面の飛行ユニット程度は捥ぎ取れるだろう―――オクサナ・アレンスカヤは巻きあがる炎に対し、そんな感想を抱いていた。

 レギナルト・シェレンベルガー。かつてビクトリアで戦い、カーペンタリアで再会し、ヤキン・ドゥーエへと旅立つ背を見送った戦友。実際交わした会話はほとんど無かっただろう、重なる身体の経験は捉え難いものばかりだ。

 それでも、戦場という極限の地にて肩を並べた人間は、たとえ言葉すら交わさずとも何よりも深い契で結ばれた友に他ならない。

 だからこそ、オクサナは容赦などしなかった。たとえ1発でも至近距離でミサイルを回避するなど出来る筈がないとわかっていても、確実な撃墜を望むならばそれでは足りないと己の構成物質が囁いた。

爆光が拡散していく。宵の群青に炎が熔解し、視界が晴れていく。

 ―――あるいは、オクサナはその光景を予感していたのかもしれない。

 晴れ行く焔の先、未だ、あの実験機はそこに居た。右の主翼を前腕ごと捥ぎ取られながら、左腕はあの光の盾〈アルミューレ・リュミエール〉で防ぎながら、あの機体はまだ稼働していた。

 何故、という思惟は無い。一目瞭然だからだ。背部に懸架されていたレールガンが背面に銃口を展開していた―――つまり、背後に銃口を展開させ、迫りくるミサイルをCIWSの如くに迎撃したのだ。迎撃しきれなかったミサイルで右半身を吹き飛ばされながらも、白亜のMSは生き残って見せた。

 右のマウントアームが砕け、レールガン1門が墜落していく。残った片翼を稼働させ、スラスターを焚いて半身を捩る。肩口に覗いた紅のラインが目に飛び込む。

 左半身を覆っていたビームシールドがぐにゃりと歪んだ。袖口の発生装置が畳まれると同時に極光が収斂し、発散していた光の盾は虹色の刃へと収束した。

 あ。

 そう思った時には既に遅かった。右手に把持させたビームサーベルを振り上げる暇は既に無く、トンファーさながらに発振された光波の矛がコクピットに殺到した。

 オクサナ・アレンスカヤは、縋るように利き腕の左手をモニターの端に貼り付けた写真に手を伸ばした。

 ずっと昔の写真だった。CE.54年、23歳になるかならないか、という頃の写真で、生まれたばかりの赤ん坊が映った写真だ。

 無垢な顔で満面の笑い顔を浮かべる赤ん坊。生きていたら、今は19歳だろうか。生まれてすぐ、当時流行していたS2型インフルエンザで呆気なく死亡した我が子、口蓋に(エクリチュール)のざわめきが迸る苦悶という名の快楽を知ることなく死んでいった、ただ独りの娘。ただただ、無価値で無意味な実存者だった私の娘。

 天体の爓が白く焼き付きしていく。コクピット内の計器も、ノーマルスーツも、オクサナの肉体も、古ぼけた写真も、1秒未満で全てを溶解させていく。エムペドクレスが地球の体液の中で消尽していくかのように。

 漂白されていく視界の先、誰かが手を振っている。大人びているけれどどこか無邪気な残り香を漂わせている少女が、懸命に手を振っている。

 伸ばした左手はそのままに、シートから立ち上がって、無限の大地を駆けだした。

 1歩、1歩。走れども走れども、決して辿りつけぬ幻影の手招きを追って、オクサナはただひたすらに走り続けた。

 だって、言わなければ。先に往ってしまった全てのものたちのために、言わなければ。ただ一つだけの言葉を、ただ一つだけ発話することを赦された禁忌の言葉を。

 少女が破顔する。オクサナによく似た黒髪を一つ結びにした少女が、早くおいでと待っている―――。

 ごめんなさい、また何の義務も果たせずに。




 9話でした。

 次で〈ハイペリオンⅡ〉の話は完結予定です。


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10話

10話です。


 突き上げるような衝撃が臓腑を撃つ。嗚咽を側切歯で切り殺して、レギナルトはヘルメットのバイザーを上げた。

 あと数発でもレールガンの弾丸が足らなかったら負けていた。TP(トランスフェイズ)装甲のお陰でバイタルパートへの直撃は耐えられたとしても、主翼と四肢を捥ぎ取られれば、容易にサーベルの一突きで撃墜されただろう。勝てたのは、ただの偶然だった。

 モニターを流し見る。同時に戦域マップも照らし合わせれば、墜落するように不時着した小さな広場は、アルターマルクト広場に相違ないはずだ。雪に沈んだ無人の広場は普段と全く違う相貌だが、左手に見える尖塔を聳えさせた赤屋根の教会からして、間違いない。

 教会の煉瓦片が、尖塔から崩れ落ちる。束の間宙を舞った赤の煉瓦は、金属塊に直撃して甲高い音を立てると、粉々に砕けて散った。

 教会の聖堂を押し潰しながら、仰向けの姿勢で擱座する巨人。腹部に深い孔を穿たれた鋼の巨体、GTA-X105E(ストライクE)は身動ぎ一つなく沈黙していた。ストライカーの主翼が直撃したのか、塔が中ほどで抉れていた。そのまま自立しているのが、不思議なくらいだ。

 機体を彩っていた空色(スカイブルー)が灰色に(くす)んでいく。PS(フェイズシフト)装甲がダウンし、ゆっくりと非通電態(ディアクティブモード)へと移行しているのだ。

 プシュケが、天へと還っていく。まるで人魚姫が天に昇るように、高く、高く、(ヒュペーリオン)へと還っていく。痕に残ったのは、生気亡く灰色に濁った巨人の亡骸だった。

 彼女は逝った。己の手によって、彼女は死んだ。己は、また生き残った。レギナルトは、そっと、静かに、亡骸から視線をずらした。

 (クリンゲ02、こちらクリンゲ03。聞こえているか?)と、ヘルメットのイヤフォンから声が漏れた。クリンゲ03―――ロストック北東部に展開していた第一小隊の隊員の声だ。(そっちで残ってるのはお前だけか?)

言われて、レギナルトはローカルデータリンクを一瞥した。

 「あぁ」レギナルトは一言返すのでやっとだった。肺に血が溜まりすぎて、喋ることすら億劫だった。「第一小隊は?」

 (隊長がやられちまった。06はもう戦闘出来る状況じゃない。ストライカー03とストライカー07は残ってるが、もう残弾が無い)

 「敵は?」

 (退いた。お前が隊長機を落としたお陰でなんとか助かったが)03は、僅かに言葉を飲んだ。(悪い報せもある)

 「ヴァーネミュンデの部隊が動いたのか」

 (ご明察の通り。2個MS大隊と機甲部隊、砲兵部隊のコースメニューだ)

 クリンゲ03の声に抑揚は無い。それを聞くレギナルトも、何故か平穏だった。「随分と豪勢なもんだ」

 レギナルトは、酷く穏やかに思惟する。

 今後、自分たちの部隊が執る行動は一つ。増援の航空機動作戦師団の大隊が到着するまで、ロストックを確保することだ。勝機は、もちろんない。えっちらおっちら《ダガーL》の部隊がやってくるまで、たった4機で敵の大部隊を押し留められる道理などあるはずもない。全滅前提の遅滞戦闘をどれだけ繰り広げられるか、レギナルトはその勘定を始めていた。

 (一先ず合流しよう。ヘルダーリン通り東側アパルトメント前広場に待機している。データリンク更新後こちらに)

 「少し、待ってくれ」ぽつり、声を零した。「敵だ」

 正面モニターの先。

 広場東側の運動場を挟んで向かいの駐車場に、そのMSは佇んでいた。

 GAT-04(ウィンダム)

 後方に展開していた機体だろう。I.W.S.Pの砲塔はどちらも千切れ、左主翼は喪失し、左腕も吹き飛ばされ、頭部のカメラカバーも破損して右の目が露出して、大破寸前は間違いない様相だった。唯一つ残された長刀も、先端が折れていた。

 レギナルトの部下を、斃した、MSだった。

 イヤフォンからクリック音が流れる。国際緊急周波数で、相手が通信してきたのだ。

 (こちら第664独立親衛機動狙撃大隊所属のサルマン・グラチャニノフ少尉だ)若い、男の声だった。オクサナと違い、やや訛りのある英語だ。(貴官に尋ねたいことがある)

 「第302技術試験大隊のレギナルト・シェレンベルガー中尉だ。何か」

 (隊長をやったのは貴官か?)

 さも、平然。まるで、昔同じ女を取り合った馴染の旧友と久しぶりに再会した時のような、声だった。

 「そうだ」だから、レギナルトも、そんな風に舌を波打たせた。

 (返答、感謝する)と一言だけが素早く帰ってくると、それで全て終わりだった。沈黙は即座に断絶した。

 改めて、ロックオン警報がコクピットに響く。

 《ウィンダム》が長刀を構える。甲高い音とともに装備していたストライカーが弾け飛び、地面に激突した。大地を抉り、路線を破壊し、コンクリートの道路を捲り上がらせ、超重量のストライカーはようやく停止した。

《ハイペリオンⅡ》のFCSが格闘戦に切り替わる。背中の兵装担架(ブレード・マウント)が立ち上がり、肩越しに、剣の柄が擡げた。

 MR-Q11(アガートラム)ビームブレードを、高く掲げる。最期に堕ちた恒星の涙を煌めかせ、白銀の剣が不知火を灯した。

 2機は同時に駆けだした。1歩踏みつけるごとにコンクリートを押し潰し、自転車を踏みつぶし、線路を歪ませる。

 交わる巨人2影。剣光一太刀、裂帛の疾駆が、ぎゃあんと爆ぜた。

 

 

 北大西洋 アイスランド島近海

 スペングラー級揚陸艦『メクレンブルク』格納庫

 

 (第74混成MS大隊、こちらメクレンブルク。旗艦ジャンヌ・ダルクより入電、貴隊へ出撃命令です)

 イヤフォンから流れる声は奇妙に堅い。

 クリステラ・エーデルガルドは薄く瞑目しながら、雑然とした意識を身体へと押し広げていった。

 パイロットスーツ越し、操縦桿が掌の中で身動ぎしている。足裏のペダルは重く、彼女の身体はしっとりとシートに埋没し、コクピットの中の一部品のような錯覚すら覚えた。

 4度目だ、と思った。

 西ユーラシア政変の中で生じたあの激戦―――ロストックの戦いで、己より遥かに高い技倆を誇るパイロットたちが銃を撃ち剣を振るい、そうして死んでいった。

 クリステラは、生き残った。一歩間違えれば挽肉になっていただろう、レールガンの直撃を受けた時は、自分が生きているのか死んでいるのかすら判然としなかった。生き残ったのは、ただの幸運だった。

 クリステラは、未だにMSのコクピットへと身を委ねている。未だに、MSのパイロットを続けている。壊滅した第74MS戦闘大隊を中心に再編された、東西連合独立混成旅団・第74MS混成MS戦闘大隊の第5小隊所属として、アイスランド―――『ヘブンズベース』へと向かっている。

 きっと、激戦になるだろう。それこそロストックでの戦闘を遥かに超えた戦闘になるだろう。今度こそ死ぬかもしれない。三度続いた幸運が今度も続くと考えられるほど、クリステラは能天気ではなかった。

 恐くはないのか?

 多分、怖い。身体の至る処が振戦しているのは、単なる生理現象だが、多分にニーチェの言葉遣いの延長にある生理現象に違いない。

 では何故?

 さぁ。知らない。ただもし語り得ることがあるならば、戦わなければならないから戦う、というだけだ。小賢しい知的言論も、素朴心理主義を根本の学に据えた貧困なヒューマニズム的言論も、恐らくその奇妙な胎動を語ることなど出来やしないだろう。

 己を不気味に差異化し変形しながら、さりとて果たさなければならない義務への応答に絶えず遅れながら、きっと殺害されるまで、クリステラはMSパイロットを続けるだろう。能う限りにおいて。

 (メクレンブルク、こちらアルバトロス13。第5小隊出撃する。ハッチ開放しろ)

 (メクレンブルク了解。第2、3ハッチを開放する)

 さらりと声が耳朶を打つ。抑揚のない英語の声音は、病床に臥す人間の虚ろなうめき声のようですらある。それでもその声に剣呑が無いと感じるのは、幾許かでも彼を知っているからだろう。

 ゆっくりと視界に光が満ちていく。開放されたハッチから差し込んだ天体の雫がメインモニターに滲み、瞼の裏で光が戯れた。

 クリステラは瞼を持ち上げた。

 バイザーの防眩フィルターに緩和された太陽光の先、眩い恒星が洋上に高く存在している。

 足元がゆっくりと滑り始めた。コクピットに伝わる振動は無く、のろりのろりと視界がスライドしていく。

 発艦用のデッキ手前で、機体が停止する。デッキに移る際もパイロットが操作することは何もなく、オートパイロットで《ダガーL》が3歩ほどを歩んだ。

 軽く、振動が顎先を撫でる。

 3秒となくデッキに身を晒すと、満天の陽光が鋼の表皮を炙る。左肩に引かれた赤のラインが、視界の脇で揺らいだ。

 右手を一瞥すると、同じ小隊に所属するジェットストライカー装備のGAT-01A1(ダガー)が、まさに空へと飛び立とうとしていた。やけに大型のシールドは、ロストック市街に擱座していた《ウィンダム》から回収したものだった。そんなものを運用しなければならない現状こそ、第74混成MS戦闘大隊、ひいては東西連合独立混成旅団の有様をまざまざと語っているかのようだ。

 所詮、この大隊に、反ロゴス同盟への忠誠を誓うため、ザフトその他諸々へと差し出された贄以上の意味合いは無い。MSを規定数かき集めるので精一杯で、機種統一など夢のまた夢。そんな部隊なのだ。

 それでも、そんな事情が蔓延して志気が低下するほど、大隊のパイロットたちは素朴な人間たちではなかった。

 (ディードリヒ・ベルマン、出撃する!)

 ストライカーに装備された2基の大型スラスターユニットから爆炎が巻きあがる。浮かび上がる、というよりはまさにはじき出すといった様相で僚機の《ダガー》が飛び立つのを確認すると、クリステラはスロットルレバーをアイドル出力から引き揚げた。

ロケットモーターが点火し、鈍い音が軽い衝撃となって肌を打った。

 《ダガーL》が膝を曲げ、前傾の姿勢を取る。スロットルレバーをさらに押し込んだ。

 「アルバトロス14、出撃します(テイクオフ)!」

どん、と再度の衝撃が臓腑に凝る。足元が所在なく喪失し、ぐらりと機体が揺れる。雲一つない蒼穹、凍みるような天つ風を切り裂いて、斑の蒼へと飛び上った。

 高度計が見る間に上昇していく。変わり映えのしない彼方、空と海の境界線上に横たわるぽつねんとした陸地こそ、ヘブンズベースを戴くアイスランド島だ。

 操縦桿のスイッチを押し込む。正面のモニターにウィンドウが立ち上がると、背後の映像を投影させた。

 ゆっくりと、その機体は発艦デッキに身を現した。

 横に広がる主翼は黒く、エールストライカーに類似した外見のストライカーを装備している。フジヤマ社で改良されたストライカーだ、と整備兵たちが口にするのを聞いたのは、あの機体をロシア方面軍から鹵獲し、ラーゲ基地で調査している時だった。

 《ストライクE》。ラーゲ基地に出向しているアクタイオン社の技術者―――もっと言えば、タイプE開発に直接携わったチームが居たからこそ、再建できた機体だ。

 あの機体が今、こうして動いているのは、偶然の積み重ねが連鎖したからに過ぎない。だが、その偶然の軌道を起動させたのは、彼のパッションだった。

 クリステラは、その光景をいつも思い出す。《ハイペリオンⅡ》の開発・試験チームに頭を下げて《ストライクE》再建を頼む、彼の姿を、いつも思い出す。ラーゲ基地の上層部やアクタイオン本社への上申書まで綿密に作成して、《ストライクE》再建に奔走した彼を、いつも思い出す。彼の必死の形相を、いつも思い出す。

 何が、彼を突き動かしたのか。クリステラには、よくわからないことだった。ただ、ラーゲ基地格納庫のガントリーで再誕したタイプEを見上げた彼の顔は、不可思議だった。感慨があるわけでもなく、さりとて冷静というわけでもなく。髭を剃ることすら忘れ、目もとから脂が噴き出し、頭垢で頭を白くした男の顔色は蒼褪めていた。純黒のトリアージュを告知された重病者のようだった。

 (アルバトロス13、出る)

 背後にスラスター光を背負い、蒼銀の影が天空を翔け昇る。左肩の朱色を閃かせ、くるりと機体がロールした。

 奮えるは黒き翼撃。AQM/E-X01F(スペキュラム)が生み出す強大な推力を背に、蒼の境界に光軸を刻む。

 高く、高く、天、高く。大地に伸びる道を征く、愚かな殉教者の如くに。




 これにて《ハイペリオンⅡ》の物語は完結です。
 2年前に書いたものなだけあって、色々手直ししたくなるところがチラホラ……。今後の糧にしていきたいです。

 来週以降は、当サークルの2本目の短編を連載予定です。
 歩兵をメインに、《ダガーL》が活躍するような……そんな話になるかなと思います。

 それでは、感想などありましたら、是非いただけたら嬉しいです。

 


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無限戦争機械-オーブ-
1話


今回から新しい話です。

ガンダムSEEDdestiny後半、オーブ解放作戦が舞台です。

それではどうぞ。


 風が、去っていった。

 海から吹きこむ潮風は素っ気ない。肌をちくりと摘まんだ冷風は、忙しなく背後に過ぎ越していった。

 男は独り、佇んでいた。吹き荒れる風にも、冬の気温にも気づかずに、ただ独り、ただ独りの者たちとして、それと対面していた。

 無記名墓碑。終戦記念公園の外れに聳え立つ、大仰なまでの徴の塔。かつての大戦で、往ってしまった人びとを悼んで建立された記念碑。

 追悼の墓碑、されど祈る名は無く。

 名を無くして祈ることは可能なのか。

 否、これこそ悼むという行為を剥き出しにするのではなかったか。死者、それは名を持たぬ者たちだ。名という代名詞を持たぬ者たちへと吃音になりながら言葉を発すること、これこそ死者を悼むということではなかったか。決して、決して、今生きる者たちのためにではなく。

 だが、名を持たぬ者たちに、如何なる呼びかけが可能だろうか。

 君として名を呼べばいいのか。君、君、名前。否。君、と名を呼びかけてはいけないのだ。名に対して、君と呼びかけては。誰も君と呼びかける権利を持たないし、その権力は持ちえない。名を、君で呼んではならない。

 貴方として名を呼べばいいのか。貴方、貴方、名前。否。貴方、と呼びかけてはいけないのだ。名に対して、貴方と呼びかけては。貴方と呼びかけることは不可能だ、貴方とは最早呼びかけては無いのだから。名は、貴方では呼びかけられない。

 響いた、バイクのエンジン音が。ずっと昔から谺していたように、近く、遠く、響いたすすり声が背後で止まった。墓碑へと続く道路の先、日本の寺を模した外観の、倉庫のあたりだ。

 誰かが来た。こんな季節外れの時に、名前も知れぬ誰かが、名を持たぬ者たちのために。

 もう時間だ。左腕のクレイジーアワーズは12時00分を指していた。針は別な時刻を指していたかもしれない、だがそれは問題ではない、時計が何時を指しているのか全くもって問題ではない。時計が何時を主張していようとも、確かに時間は到来したのだ、誰かとともに。否、誰かとともに、ではなく、時間という誰かが来たのだ、存在という時間が。

 もう帰ろう。背後の誰かのために、目の前の誰かのために。この場に立つことが出来るのは、ただ独りだけなのだ。共に、ここに立ってはならないのだ。それは禁止されている、法以前の禁止によって、むしろ法を形作る禁止によって。

 俄かに、足元の花が目に入る。

 健気に咲いた朱い華、名前も知らない綺麗な花。慰霊のために植えられた花だろう。丁寧に手入れがされた花壇には、雑草一つも生えていなかった。

 左手を伸ばす。入念に花柄に親指の爪を食い込ませ、色鮮やかな花群の一つを摘み取る。

 左手の平の上、茶色く爛れた枯れた花が微風に揺れていた。ゆらゆらと頼りなく、潮風が吹いたら風に攫われてしまいそうだ。風が吹きすさぶより前に、花をそっと握りしめた手をスキニージーンズのポケットに突っ込んだ。

 ゆっくりと踵を返す。靴底がコンクリートの上の砂粒を噛みしめ、微かな声が軋んだ。

 花が枯れたら、なるべく早く摘まなければ。さもなくば、花壇全体の見た目が悪くなる。

 

 

 息が荒い。苦しい、苦しい―――。

 EF-24R〈シュライク〉を装備したMBF-M1《アストレイ》のコクピットの中、マーテル11は、必死に視線を巡らせていた。

 瞼はずっと見開きっぱなしだというのに、いくら探しても眼球は何も捉えない。広がる穹窿は、果ての無い蒼一色に塗りつぶされていた。戦域マップに視線を投げる。前線からは随分後退したというのに、味方機を示す緑の光点の一つも無く、ぽつねんと自機を示すマーカーが朧な光をくぐもらせている。

 心臓が冷たい。冷却された血液は動脈を流れているのに真っ青で、身体がどんどん凍えていく。スロットルレバーを握る手は震えていた。今すぐにでもスロットルを最大出力まで上げて、日常へと帰りたかった。

 周囲を見回す。相変わらず味方機の影は見当たらなかったが、代わりに視界の中に敵影が侵略してくることも無い。このままここで滞空していたら、いつの間にか戦闘が終わっていればいいのに―――。

 歯噛みする。自分の顔面を殴りつけてやりたくなったが、マーテル11は操縦桿から手を離すほどに自失してはいなかった。

 曲がりなりにも、オーブの軍人なのだ。たとえ任官して間もないとしても、たとえこれが初の実戦だとしても。ここで自分が銃を降ろせば、自分の真下に広がる祖国は再び炎に焼かれるのだ。それだけは、絶対にあってはならぬことだ。自分を逃してくれた仲間たちのために、一刻も早く他の部隊に接触する必要がある。一秒だって無駄には出来ない、そんな最中に臆病を拗らせている暇は、本当は、芥子粒一つの猶予も無い。

 だが。だが、凍える肉体を心が奮い立たせようとするたびに、摂氏マイナス195度の怖気から這い出した蒼白の残影が頭の中に入り込む。一角を屹立させる単眼の鬼が線条野から這い出して、視神経乳頭からのっそり顔を覗かせては網膜の中で哄笑した。実害など無い、だってそれは幻想に過ぎないのだから。だが、ただ幻想が視界の中に踊るだけで、彼女の身体はぴたりと静止してしまった。

 また、アレに遭遇したらどうしよう。再び、恐怖それ自体を分有した権化に出会ったら、もう、紛れなく私は殺される、間違いなく殺される! あぁ、もうそこにいる、空に、空に!

 喘ぎ声を漏らした。過呼吸気味のせいか、酸欠で頭が痛い。ブラッドソーセージが熱湯の中で身を縮めるように脳内血中が大脳古皮質で凝固して、肉瘤になっていた。

 肉瘤の信管が起動した。真紅の音が爆発し、頭蓋の中に飛沫をぶちまけた。

 接近警報のビープ音。目を見開いたマーテル11は、レーダーと目の前の空に同時に視線を奔らせた。

 レーダー上で閃く光点。

 機種特定―――一瞬遅れて、AMA-953《バビ》を索敵。

 暗号コード送信、返答無し―――。

 判断、敵。

 IFF(敵味方識別装置)が告げた情報に歯をかみ合わせたマーテル11は、操縦桿にしがみついた。

 《アストレイ》のスラスターを反転させて急制動、シュライクの主翼も稼働させ、ディスプレイ上の速度計で十分に減速したのを確認してから、ラダーを踏み込み、機体を反転させた。

 前線から大分後退したポイントに、敵機が迫りくる―――それが、意味するのは、つまり。

 全身の血液が煮沸する。握りつぶしてしまいそうなほどに強く握りしめたのは、果たして憎悪だったか、それとももっと寒気に満ちた情動だったのか。思惟に沈降するのを素早く防いだマーテル11は、即座に状況へと神経を巡らせた。

 数は2機。

 《アストレイ》のライブラリに保存された《バビ》の機体速度予測よりも遅い。マーテル11はその意味を瞬時に理解し、顔を歪めた。

対地攻撃用に爆装しているのだ。増加した重量の分だけ運動性能は低下しているが、それだけに自分の背後に逸らすわけにはいかない。ここで、あの2機を仕留めなければならない。

 上下の歯列弓が擦れる。

 1対2、数的優位は敵にある。

 パイロットの腕も敵に分がある。戦線突破と敵本拠地爆撃を任されたパイロットに対して、慣熟機動時間の規定時間をようやく満たしたばかりで実戦も経験したことが無いパイロットでは、比較にもならない。士官学校を主席で卒業したことは、現状では何の意味も無い。

機体性能にしても同じだ。《バビ》は確かに攻撃機として設計されているが、基礎設計から空戦を想定した機体だ。

 対して、《アストレイ》は、空戦を全く想定していない。空戦用のOSとシュライクによって空中での戦闘を可能としているにしても、所詮は急場で作った間に合わせの機体だ。蒼穹という戦場にあって、《バビ》と《アストレイ》が出会えば結果は9割決まっている。

 逃げることなど許されず、だからと言って戦えば確実に敗北する。どう足掻こうとも、既に、マーテル11の未来は。詰んでいた。

 彼女の不幸は、その状況下にあって、冷静さを捨てきれないことだった。なまじ優秀だっただけに恐慌に全て委ねることも出来ず、かといって理性が恐怖を抑圧することもできず、交雑した情動が身体を浸していた。永遠と瞬間の宙吊りになった時間の中間地点で、堰き止められていた。

 そのせいで、一瞬だけ判断が遅れた。本当に、ただ一瞬だった。だが、その一瞬の停止が全てを決した。

 2機の内1機が突出し、相対距離を一息に詰める。

 甲高い警報音とともに、正面モニターに警報ウィンドウが立ち上がる。ロックオン警報―――理解するとほぼ同時に、遥か前方で緑色の閃光が閃いた。

 光軸が奔る。マーテル11はなんとかビーム光をシールドで弾いたが、なんのことはない。訓練通りに機体前面にシールドを展開していたから、攻撃を防ぐことが出来たに過ぎなかった。むしろ、ここで足を止めての防御という手段は、悪手以外の何ものでもなかった。ここは、躱さなければいけなかったのだ。防御のために足を止めれば、それだけ相手が取れる手数は多くなる。だというのに、数瞬の判断の迷いによって機体を停止させてしまっていた。

 シールドにビームが直撃し、機体のバランスが崩れた。即座にバランサーが機体のブレを修正したが、もう、十分すぎるほどの隙だった。空中でよろめく《アストレイ》を後目に、突出していた《バビ》が猪突する。マーテル11は慌てて右手に保持させた71式ビームライフルを放ったものの、《バビ》は既にマーテル11の頭上をパスしていた。

 瞬間、《バビ》が失速する。平べったい鱏のような形状から、四肢を持った人形、MS形態へと変態した。ピッチアップにより減速すると同時、MSへと変形させることでさらに空気抵抗を増加させ、一気に速度を殺したのだ。

 ぎょろり、単眼が蠢く。警報音が充満するコクピットの中、ディスプレイに映った敵機は、マーテル11の背中へとビームライフルの銃口を向けていた。

 背後だけなら、なんとかなったかもしれない。しかし、己が愛機は健気にも、前方の《バビ》も自機を捕捉していることも知らせていた。畢竟、この短時間の間に、挟み撃ちの構図に持ち込まれたのだ。

 経常まで引き伸ばされた刹那の狭間。死の瞬間の切迫の只中で、マーテル11が出来たことは目を瞑ることだけだった。

 鐵が震える。銃に穿たれた漆黒の虚空から、咆哮が屹立した。




 オーブを舞台に、オーブの兵士たちの話……といったような内容の話です。
 
 諸々の都合から、事前に予定していたものではなく別作品を投稿することとなりました。
 そちらはまたいずれ掲載予定です。

 それでは、また次回をお待ちくださいませ。


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2話

遅れてすみません、2話です。


 屹立するプラズマの光軸。摂氏数千度に達する閃光は、大気中で減退しながらも、金属の鎧を容易く撃ちぬいた。

 (て、敵だ! ズール・グラフィアス01、敵―――!)

 鼓膜を劈く悲鳴。続く声がぶつりと途絶して、ズール・グラフィアス01はぎょっと目を見張った。

 天空で残骸を晒していたのは《アストレイ》ではなく、僚機の右腕だった。

 敵。素早く状況を理解して、レーダーに視線を投げつけた。

 自機を示す中央の緑の光点。その先の赤い光点と、その背後に回った僚機の光。それ以外に敵を示すサインは、無い。

 無線のスロットルレバーの無線スイッチを押し込む。全く反応しない愛機に幾多の情動の交雑を感じながら、親指を折れんばかりにねじ込んだ。

 「02! そこのカトンボ(アストレイ)は放ってこっちに―――!」

 無線へと声を張り上げた時には、事は決していた。ズール・グラフィアス02目掛け、漆黒の影が眼下から襲い掛かる。接触の瞬間に可変した黒い機体じゃ閃光の刃を引き抜くと、一太刀の元に金属装甲を切り裂いた。

 二つの残骸になった機械が爆炎に呑まれる。鼓膜にしがみついた部下の声も、跡形も無く焼却されていった。

 視線を上げる。

 仲間を斬殺した機体は、上空に滞留していた。

 右手に携えたビームサーベルと、左主脚の水平安定板にペイントされた、刀を構えた女侍の部隊章がトレースする。

 全身を漆の黒に磨き上げた巨人。炎の翼撃を優雅に震わせ、睥睨に練磨された双眸が静かに揺れていた。

 鷲だ。天空を鮮やかに舞い、肉を貪る猛る猛禽(ドミナンサー)。その眼球に捉えられるや、決してその剛爪から逃れることは出来ないだろう。そして、その眼差しは自分を捉えている。しかも単なる獲物としてではなく、縄張りを侵略する外敵として。

 頭に浮かんだ言葉を揉み消して、ズール・グラフィアス01はスロットルを押し込むと同時、フットペダルを踏み込んだ。

 モニター映像から判断して、あの機体はMVF-M11C(ムラサメ)に相違ない。レーダー上に現れないのは電波吸収塗料でも施されているからだろうか。

 FCSが赤外線センサーから画像追尾に切り替わり、漆黒の《ムラサメ》へとガンクロスを重ねた。

 ビームライフルを指向する。操縦桿のトリガースイッチを押す―――より早く、《ムラサメ》は戦闘機の姿へと変形して天空の彼方へと飛翔した。

 視界から逃すわけにはいかない。目視で視認したステルス機の姿を見失うことは、イコール自らの死を意味する。全身に圧し掛かる負荷に呻き声を滲ませるも、前面のモニターに映る《ムラサメ》の()()からは決して視線を離しはしなかった。

立て続けに迸るビームの閃光、機関砲の砲弾。火箭の牢獄の中を、されど《ムラサメ》は苦も無く潜り抜けていく。時に燕の軽やかさを、時に闘鶏の荒々しさを身体に満たした機械の禽は、微笑みすら浮かべる余裕でもって天を駆ける。

 奥歯をすりつぶす。《アストレイ》如きなら、爆装していようが《バビ》なら騙し騙しでも戦える。しかし、多目的任務(マルチロール)を旨とする《ムラサメ》の運動性能は、《バビ》の遥かに上を行く。推力の高さから〈ムラサメ〉に食い下がること自体は可能だが、逆に言えばついていくので精一杯だった。ミサイルを装備していればドッグファイトなどせずとも良いのだが、空対空ミサイルは装備していない。空戦を想定していないのだ。

 《ムラサメ》が上昇の挙動を取る。ズール・グラフィアス01も視線を《ムラサメ》のスラスターに釘付けにし、ピッチアップさせて機体の高度を急上昇させる。

 何度目かの肉迫。連続戦闘機動のせいで毛細血管の血液が停滞して指先が痙攣しながらも、指を押し込んだ。

 指先に連動し、《バビ》のマニュピレーターがMA-M343のトリガーを引き絞る。亜光速で迸る粒子の軸は一直線に大気を切り裂き、《ムラサメ》の主翼を掠めた。

 ぐらりと黒鷲の体躯が揺れる。モニター内のガンクロスが機影に重なり、ロックオンを知らせる電子音が響いたのはその時だった。あれだけぴんしゃかと乱舞していた軌道が単調になったのだ。機体のブレを修正しているのか、それとも連続高機動戦闘故に僅かな不調が生じたのか。どちらにせよ、ズール・グラフィアス01には絶好の好機だった。

 肉体が軋みを上げるほどの高Gの中、トリガースイッチに重なる指先を死にもの狂いで強張らせ―――。

 接近警報の音が耳道を突き抜けた。

 後ろでもなく左右でもなく、眼前からの接近警報。モニターの映像が瞬時にフォーカスされ、網膜にそれが飛び込む。

 円柱状の鉄塊。巨大なドラム缶もかくやといったそれは、確か、《ムラサメ》の右主翼のパイロンに装備されていたものだ。

 回避か迎撃か。ズール・グラフィアス01が判断を下す寸前に鉄塊が爆破し、爆炎が拡がった。

 炎が外部モニターを染め上げる。拍子に画像追尾がカットされ、ロックオン解除用の電子音音が出力された。

 不味い。見失ったことも不味いが、何よりこの状況が不味い。視界の喪失は単にロックオン解除のためだけでなく、明らかにこちらに間隙を作るためのものだ。咄嗟に《バビ》の機首を持ち上げると同時に人型へと変形。F・B・L(フライ・バイ・ライト)がMAの機動制御のそれからMSへと切り替るのを確認し、最大出力でスラストリバース、機体に急制動をかける。スロットルを引き下げてミリタリー出力へ。負荷の喪失と共に全身の血流が巡り始めるのを感じた瞬間に、センサーが機影を捉えた。

赤い光点、自機の後方、僅かに数十m。

 瞠目と共にモニターを目する。光の剣をぎらつかせる《ムラサメ》の侮蔑するようなデュアルアイが網膜に飛び込む。

 あり得ない。あの一瞬で背後を位置取ることなど、いくら《ムラサメ》の運動性能が高かろうが―――。

 ズール・グラフィアス01が最期に見たのは、降り下ろされる灼熱の刃だった。

 




 2話でした。

 リアルの都合でちょっと投稿が遅れてしまいました、申し訳ありません。


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