「疲れたぁ!」
誰もいない山奥で少女、
「幾ら私が柱だからって、警備区域が広すぎるんですけど!?。私だって年頃の女の子ですし?茶屋巡りだってしたいし着物の仕立ても行きたいのに……そもそも最近の鬼殺隊は隊員の質が酷すぎるでしょ!?なんなの!?十二鬼月相手ならともかく、雑魚鬼相手に惨敗って!?」
一度吐き出された愚痴は止まらず、延々と山の中で響き渡る。足に絡みつく泥濘の鬱陶しさも相俟って、彼女の口が止まるのには数分の時間を要した。
「朝は早いし、昼は日照り続きで暑いし、夜は遅い……不健康極まりないなぁ。この任務が終わったら暫く休暇だしもうひと踏ん張り頑張ります……ッ!?」
景気付けにと勢いよく手を振りあげた瞬間、美兎の体を周囲の泥が包み込んだ。
***
「ククッ。本当に鬼狩りの奴等は馬鹿ばかりだなァ!」
泥に包まれた美兎を見て下弦の陸、
「ククッ。それにしても、あの女は今まで来た鬼狩りの中でも一番弱そうだったなァ」
頭に浮かぶのは、先程自身で捕縛した雪の模様の羽織を着た鬼狩りの姿。まるで絵画から飛び出した様な美しさ。真紅の瞳に異様に白い肌、雪の結晶を象った髪飾りで一つに纏められた銀色の髪。その姿は野生の兎を彷彿させるものだった。
「さァて、そろそろ死んだ頃だろうから喰うとするかなァ」
吐玄が血鬼術を解除すると、泥の繭が重力に従って落下する。今から喰らう肉の味を想像し、喉を鳴らす吐玄。
「ァ……?」
しかし、彼の口から漏れたのあまりに間抜けな声だった。瞳に映るはずの鬼狩りの姿は無く、予期せぬ自体に思わず声が出てしまった。
「待ち伏せとは、随分と狡賢い鬼も居たものね」
鈴のように耳触りの良い声が吐玄の耳朶を打つ。声の方に振り返ると、彼が捕らえた筈の美兎が木に凭れる様にして立っていた。
「……てめェ、なんでそこに居る?」
吐玄の疑問は当然のものだろう。確実に捕らえたはずだ。警戒の素振りすら見せていなかった美兎が逃れられる道理など存在する筈がない。幾ら考えても導き出せぬ解答を美兎に問う。
「何も狡賢いのは貴方だけじゃないってことよ」
美兎の口が背の三日月の様に歪んだ。
「私が最初にこの山に入った時、真っ先に違和感を抱いたのはこの泥よ。ここ一週間、この地域では雨が降っていない。かと言って山に川が流れてる訳じゃない。なら考えられるのはこの泥が人為的に発生させられたものってことよ。そこまで分かったならあとは簡単。油断している様子を装って、貴方が出てくるのを待つだけ。貴方が用心深い性格なのは事前情報から推測できたしね」
ぞわりと吐玄の全身に悪寒が走る。たった少しの情報からここまでの作戦を組み立てる頭脳。あらゆる情報を見逃さず捉える観察眼。見た目だけで相手を弱小と判断した己の軽率さを後悔した。
「種明かしはここまで。それじゃあ、早速殺りましょうか」
かちゃんと鞘から刀を抜く美兎。月光に照らされる浅葱色の刀身。そこに刻まれたものを目にした瞬間、全身の血の気が引いた。刻まれた文字は悪鬼滅殺の四文字。その文字を刻むことを許されるのは、鬼殺隊最強の剣士、柱のみ。
──血鬼術・
その事実を認識した瞬間、吐玄は即座に攻撃に移る。油断は出来ぬ、手加減は不要、驕りは厳禁。もしもその様な事をすれば己の頸が即座に飛ぶ事を理解したが故の行動だ。美兎に迫る泥の龍。しかし彼女はその余裕を崩さず、迫り来る龍と静かに向かい合う。
──全集中 雪の呼吸 壱ノ型
吹き荒れる吹雪の様な呼吸音の後、降り注ぐ雪を幻視する。瞬きに放たれる斬撃が、泥の龍を消し飛ばす。鬼の知覚能力を以てしても捉えられぬ攻撃に吐玄は思わず歯噛みした。自身の持てる最大、最速の攻撃。それを防がれた吐玄は悔しさを覚えながらも逃亡を選択する。血鬼術で壁で泥の壁を形成しながら、己の身体能力を最大限発揮してその場から駆け出した。
「泥の壁と泥濘による移動阻害ね。鬼の割には結構賢いじゃない……まあ、関係無いんだけど」
泥の壁の向こうに居るであろう、鬼の方を見て、美兎は静かに構える。
──全集中 雪の呼吸 伍ノ型
地面を砕く程の踏み込み。銀色の軌跡を残し、泥壁を切り裂き、泥濘を吹き飛ばしながら吐玄へ迫る。
「……ッ!!」
泥玄のすぐそこで呼吸の音が聞こえる。反射的に後ろを振り返る吐玄。
──全集中 雪の呼吸 陸ノ型
振り返った直後、泥玄の視界が反転し、ごとりと鈍い音と鈍痛が彼の頭に響く。自身の頸が落とされた事に気付くのに、そう時間は掛からなかった。
「……」
ふわりと彼の頭が陽光の様な暖かさに包まれる。美兎が吐玄の頭を抱え上げたのだ。美兎はそのまま吐玄の頭を抱きしめる。彼の鼻に優しい匂いが突き抜ける。
「ごめね。私には助けてあげられないから。どうか安らかに眠ってください」
投げかけられた予想外の言葉。久しく触れた人の優しさにぽろりと吐玄の瞳から涙が零れる。
「ぁ……あり、がとう」
こんな怪物に成り果てた己に慈愛を向けてくれた少女に吐玄は感謝を残し、そのまま灰となり消えてゆく。その姿を美兎は憐れむ様に、慈しむ様に見守っていた。吐玄が完全に消滅する姿を見て彼女はその顔を歪ませた。
「……本当、胸糞悪いったらありゃしないわよ」
ぽつりと零れたその言葉は誰の耳に届くことも無く、夜空へと溶けていった。
解説のコーナー
雪の呼吸
風と水の呼吸から派生した呼吸。
壱ノ型 寒天の玉塵
瞬きの間に放たれる六連の斬撃。
伍ノ型 豪風雪・雪崩
相手に急接近しつつ、周囲のものを切り裂く技。塵旋風・削ぎに似たものだが、速度は此方の方が上。
陸ノ型 雪ぎの瑞花
十ある型の中でも屈指の速さを誇る技。相手の頚を一閃する。汎用性も高く、よく使用される。
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雪と蝶の問答
「──ふぁ」
窓から刺す光を浴びながら、しのぶは欠伸を噛み殺す。ふと壁に掛けられた時計に目をやると時刻は正午になろうとしていた。
「……流石に根を詰めすぎましたね」
凝り固まった体を解しながら、しのぶは机上の資料に目をやる。
「……恐らく、これなら彼奴にも通じる筈」
思い描くのはしのぶの姉、カナエの仇。そいつの事を思うだけで、沸々と憎悪の念が湧き上がる。
「──師範、少しよろしいですか?」
その声で湧き出していた憎悪が一先ず沈む。しのぶが了承の意を伝えると静かに襖が開く。
「どうかしましたか?カナヲ」
しのぶの継子、栗花落カナヲ。正式な入隊はまだだが、その潜在能力はしのぶを上回る優秀な剣士である。そんな彼女が少し困った様な表情で入ってきたのだ。
「師範、その……雪柱様がいらっしゃいました」
ぴしりと空気が凍る。しのぶが貼り付けていた笑顔は段々と剥がれ落ち、最後には露骨な嫌悪の表情が残った。
「またですか……あの人は本当に過保護過ぎます」
しのぶはカナヲに仕事に戻る様に指示を出し、美兎が居る居間へと向かう。
「やっほー。久しぶりだねぇ、しのぶちゃん」
居間に着いた途端、惚れ惚れする様な美しい声が聞こえた。視線を下に下げるとそこには、絵に描いた様な美しい少女が此方に微笑んでいた。
「……また来たんですか、美兎さん」
「うん。また来たよ。あ、これお土産のカステラね。皆で食後にでも食べて」
「あ、ありがとうございます……ってそうじゃなくてですねぇ!?」
思わず、その場の空気に呑まれそうになったのを間一髪踏み止まるしのぶ。カステラの入った袋を受け取りながら、隠す素振りもなくしのぶは息を吐く。それが気に食わなかったのか、美兎は不機嫌そうな表情を浮かべた。
「むっ。そんなに私が来るの嫌なの?」
「はい」
「素直過ぎない!?」
あまりにも真っ直ぐな言葉に美兎は目尻に涙を溜める。それを見てしのぶはまた溜息を吐く。
「嘘泣きは結構です。それで、今日は何故ここに?」
「むぅ。つれないなぁ、しのぶちゃん」
ころりと先程の涙が嘘の様に拗ねた声を出す美兎。
「全く、あんまり嘘をつきすぎると信用を無くしますよ」
「大丈夫大丈夫。使い所は見極めてるし、それに嘘と秘密は女の必需品だよ?しのぶちゃんも上手く使える様にならないとねぇ」
「余計なお世話ですよ」
そう言うとその場から立ち去ろうとするしのぶ。美兎は彼女の行動に首を傾げた。
「あれ?これからお仕事?一応、空いてる時間を見計らって来た筈なんだけどなぁ」
「……何で私の暇な時を知ってるんですか?」
「ふふっ。兎は耳が良いから、色んな事を知ってるんだよぉ」
ぴょんと何故の疑問を発しながら、両手を兎の耳に見立てる美兎。今度、御館様に情報の機密性向上をお願いしようと密かに決意するしのぶ。
「来てしまった以上、一応は客人ですから。そろそろ正午ですし、昼餉の準備をしてくるだけですよ」
「そっかぁ。態々ありがとうね。──あ、そうだ。なんなら私も手伝おうか?」
「はい?」
予想して無かった展開に思わずしのぶが声を漏らす。
「やっぱり、勝手に押し掛けておいてタダ飯を食べるのも忍びないし、それに二人で作った方が効率良いでしょ?」
「申し訳ないと思うなら、突然押しかけて来ないでください」
今日何度目かの溜息を吐きながらしのぶは美兎と共に厨房へと向かった。
***
「……美兎さんって本当に料理出来たんですね」
「しのぶちゃんは私の事何だと思ってるの!?」
感嘆の息を漏らすしのぶに美兎は抗議の声を上げる。しかし、その手は止まることなく野菜を切っていた。
「美兎さん、本当に料理上手ですね。誰かに習ったんですか?」
その質問に、動き続けていた手がぴたりと止まる。だが、暫くするとまた澱みない動きで野菜を切り始めていた。
「まあ、母親に少しね。基本だけ教わって、後は独学だよ。自炊は出来て損は無いしね」
基本だけ、という言葉にしのぶの動きも止まった。基本だけ教わったという事は今、彼女の母親は──それを察して、思わず顔を伏せた。
「すみません」
「ふふっ。別にしのぶちゃんが謝る事じゃないでしょ?もう何年も前の事だから今更引き摺ってないよ」
「……そうですか」
こつこつと野菜を切る音だけがその場を支配する。長い沈黙。その沈黙の中でしのぶは思う。自分は美兎の事をあまりにも知らなさ過ぎる。彼女の過去に一体何があって、何を思うのか。
「美兎さんは鬼が憎くないんですか?」
それが知りたくてしのぶは問いを投げる。
「……そりゃ憎いよ。憎いけど、それ同じくらい怖いって思う」
「怖い、ですか……?」
「だって、彼らは私達の有り得たかもしれない姿なんだよ?もしかしたら、立場が逆で私達が鬼となって大切な人達を、多くの人を理不尽に殺してしまっていたかもしれない。そう考えたら怖いでしょ?」
「……美兎さんの考えは、やっぱりよく分かりません」
「ふふっ。それでいいよ。価値観なんて人それぞれだからね。さ、早く済ませないと皆がお腹空かせて待ってるよ」
にこりと微笑む彼女の顔を見て、しのぶは雪の様な人だと思った。まるで地面を覆い隠す雪。
「……偶には私を頼ってください」
何時か彼女の心の雪解けが訪れる日を願いながら、しのぶは美兎と共に食の音色を奏でた。
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雪と水と己の剣士
「ねぇねぇ、義勇君。実はこの前さぁ」
「……」
「あ、そうだ。この前のしのぶちゃん可愛かったんだよねぇ」
「……」
「なんだよこの状況!?」
「俺が知るか!!」
「僕が知るか!!」
ざわりと木々が風で波打つ、閑散とした森で三人は頭を抱えていた。前方の二人の様子を伺いながら、階級己の隊員、遠藤は現状を見つめ直す。いつも通り、鴉に急かされ、言われた場所まで来るとそこに居たのは同期の隊員、新村と青田。それだけならばまだいい。三人で任務に取り組むのはよくある事だ。しかし、今回はそれだけでは無かった。
『貴方が階級己の遠藤君だね。初めまして。私は雪柱、環 美兎。で、こっちの無駄に静かな子が水柱の富岡 義勇君。今回はこの五人で任務に向かうからよろしくねぇ』
柱は鬼殺隊の中でもほんの一握りの歴戦の猛者達だ。実力、立場共に遠藤達より上なのだから緊張しない筈が無い。
「あの、少しお聞きしたいのですが何故、今回の任務に雪柱様と水柱様が同行しているのでしょうか」
青田が慎重に言葉を選びながら二人に問いかける。義勇は相変わらず反応が無く、美兎だけがその問いに答えた。
「それはねぇ、最近ここら辺で多くの人達が行方不明になっててね?それで周辺の隊員を向かわせたんだけど、その隊員達も消息不明になっちゃってさぁ。それで私達が派遣されたって訳だよ」
「えっと、その消息不明の隊員っていのは、一体何人ぐらいが消えたんでしょう?」
青田に続く様に新村が問いを投げる。その問いに美兎は暫く考え込むとすっと二本指を立てて遠藤達に突き出した。
「二十人。それが消えた隊員の数だよ。民間人も含めると更に多いけど」
「二十!?」
遠藤は思わず声を荒らげた。他の二人も予想外の数に惚けてしまっている。
「恐らく、十二鬼月かそれに近しい鬼がいると思うんだけど……」
ぴたりと義勇と美兎の歩みが止まる。それに釣られて、後ろから着いて来ていた遠藤達も歩みを止める。何事かと三人は首を傾げるが、二人は言葉を発さず、辺りを見回している。
「……環」
「総員、戦闘態勢」
「え?」
あまりに唐突な言葉に困惑の声が漏れる。だが、その言葉の真意はすぐに理解させられる。
「ケケッ。今夜も俺様のご馳走がやってきた」
「ッ!?鬼!?」
その存在を感じ取った遠藤達は漸く戦闘態勢に入る。美兎と義勇は未だ姿を見せない鬼を捉えるべく、周囲を注意深く警戒している。
「……あら?その御馳走が目の前にあるのに姿を現さないなんて、随分と臆病ね?」
「ちょ、雪柱様!?」
態々、鬼を挑発する様な物言いに抗議の声を上げようとする遠藤。しかし、美兎はその声に答える事は無かった。
「ケケッ。生意気な鬼狩りだな。まあ、数刻後には泣き叫んで俺様に許しを乞うてるんだ。」
「その時にはその綺麗な顔を絶望の色でぐちゃぐちゃにしてやるよ。ケケッ。」
──複数方向から同じ声?幻惑か分身の血鬼術か?
発せられる僅かな情報で美兎は鬼の能力を分析する。彼女の分析が正解か否か。その答えはすぐに分かった。
「ケケッ。腹が減った。とっとと食べるとしよう」
「ああ。そうだな。甚振って弄んで辱めてから食おう」
「ケケッ。感謝しろよ鬼狩り共。十二鬼月である
「なっ!!これは!?」
遠藤達は困惑の声を漏らし、美兎は気だるげに舌を打つ。周囲に広がるのは鬼の群れ。しかもその全てが同じ声、姿をしている。
「ケケッ。下弦ノ肆である俺様に勝てるか?」
ぎらりと数字が刻まれた瞳が妖しく光る。
「……指示を出します。まず遠藤君達三人はお互い背を預け合う様な形で陣形を組んで。富岡君は遊撃。周囲の鬼を滅殺して。私も遊撃に出つつ、遠藤君達の援護に回るわ。追加の指示はまた出すから、今はこれで対処しよう。いい?慎重に、命最優先で事を運んでよ?」
「承知した」
『はい!』
「ケケッ。無駄な足掻きなんだよ!!」
周囲を囲っていた鬼の群れが一斉に押し寄せてくる。
──全集中 雪の呼吸 捌ノ型
──全集中 水の呼吸 陸ノ型 ねじれ渦
二つの呼吸音が響いた後、飛び掛ってきた数十匹の鬼達の頚が全て飛んだ。規格外の強さに虚蛇のみならず、味方である遠藤達も思わず目を剥いた。
──手応えはある。という事は実体を持つ分身か分裂体……この手の血鬼術は本体をどうにかしないと。
「義勇君、本体を見つける事に集中して。持久戦になったらこっちが不利だから」
「ああ」
言葉が終わると同時に、目にも留まらぬ速さで義勇は鬼の群れへと攻めかかる。惚けていた虚蛇もそれで正気を取り戻し、負けじと応戦を開始。鬼の群れは三分割され、それぞれ義勇、美兎、遠藤達を分断する様に囲い始めた。
──全集中 炎の呼吸 肆ノ型 盛炎のうねり
──全集中 水の呼吸 参ノ型 流流舞い
──全集中 雷の呼吸 弍ノ型 稲魂
遠藤、青田、新村の三人も鬼の群れに斬り掛かる。しかし、柱の二人程の鋭さは無く、どうしても後一歩の所で数体を逃してしまう。
「ケケッ。お前らはあの二人程強くないな。ケケッ。決めたぜ、お前達の体だけを喰っってから残った頭をあの二人に見せてやる。彼奴らどんな顔をするだろうなぁ」
にやりと下卑た笑みを浮かべる虚蛇。虚蛇の言葉からその惨状を想像した新村と青田は思わず震え上がる。だが、遠藤だけは強く歯を食いしばり、わなわなと手を震わせていた。
「巫山戯んな!!俺達は鬼殺隊だ!!お前みたいな糞野郎にやられてたら、誰が罪のない人達を守れるんだよ!!」
──全集中 炎の呼吸 壱ノ型 不知火
遠藤の怒りを表すように、勢い良く遠藤が鬼の群れに向かって飛び込んだ。
「おい待て!それ以上離れたら援護出来ないぞ!」
新村は声を荒らげるが、時既に遅し。遠藤は鬼の群れに囲われ、その姿が隠れてしまった。
「ッ!クソッタレ!!」
頭が冷え、自身の状況を察した遠藤は声を漏らす。
「ケケッ!まずは一匹だ!」
虚蛇の爪が遠藤の頚に迫る。背後を取られた遠藤は気付いた時には対処不能な程近くに接近していた。
──あ、これ死んだ
直感的に己の死を感じ取る。死を覚悟し、ゆっくりと目を閉じる。
──全集中 雪の呼吸 玖ノ型
痛みは無く、空を裂く音が聞こえる。恐る恐る目を開けるとそこには自身の頚に爪を向けていた鬼はおろか、周囲を囲んでいた鬼すら見当たらない。視界に入ったのは己を庇うように立つ美兎の姿のみ。
「なっ!?」
「ゆ、雪柱様?」
「全く。慎重に言ったでしょう?」
「す、すみません」
この場の雰囲気には似合わない、まるで母が子供を叱りつける様に鋭く、慈愛に溢れた声。此方に顔を向けた美兎の表情は薄い微笑みを纏っていた。
「けど、貴方が鬼殺隊としての務めを果たさんとしている事は分かったわ。その誇り、決して無くさないでね」
ふわりとそのまま美兎は鬼の群れに飛び込んだ行く。予想外の言葉をかけられた遠藤は暫し、惚けたままだった。
「おい!無事か遠藤!」
新村の声で遠藤は正気を取り戻す。周囲には再び鬼が迫っており、青田が応戦している状態だ。遠藤も刀を持ち直し、応戦を開始する。その様子を横目で見ながら、美兎は本格的に動き始めていた。
──さっき、私が遠藤君の元に来たのに奴は驚いていた……つまり感覚の共有はされていない。そして、分身が死んでもその補充が遅い。って事は分身を生み出せるのは本体ただ一人。それならこっちにもやりようはある。
「義勇君、遠藤君、新村君、青田君!!なるべく、多くの鬼を一気に倒して」
「承知した。」『了解!!』
──水の呼吸 拾壱ノ型 凪
──炎の呼吸 奥義 玖ノ型 煉獄
──雷の呼吸 参ノ型 聚蚊成雷
──水の呼吸 参ノ型 流流舞い
瞬きの間に、大量の鬼が滅殺される。美兎はそれと同時に空高く飛び上がり、その様子を注意深く見ていた。
──これだけの数が減ったら、流石に補充する筈。私の予想だと分身を生み出すのは本体だけ。なら、分身が真っ先に補充された場所に本体はいるはず。
「───見つけた!!」
鬼の群れの最奥。まるで肉の壁に守られる様に、血を地面に垂らし、分身を作り出す虚蛇を見つけ出す。虚蛇も、美兎の存在に気づき、ぎょっと目を剥いていた。空中から重力に従い、落下を始める美兎。その落下先には驚いた様子でこちらを見ている虚蛇。刀を構え、美兎が勝利を確信した時、虚蛇の口が歪に歪んだ。
「死ねッ!!」
まだ潜んでいたであろう虚蛇の分身が美兎の背後から襲いかかる。不味いと遠藤達からも声が上がる。だが、美兎は一切の動揺を見せず、呼吸を巡らせ、攻撃態勢に入る。
「ケケッ。馬鹿め、お前の負け──!?」
ぐるりと美兎は体を捻り、背後の虚蛇と対面する様な形になる。本来なら不可能な動きに虚蛇は面食らってしまう。
──雪の呼吸 陸ノ型 雪ぎの瑞花
虚蛇の分裂体はいとも容易く、その首を断たれる。美兎は再び体を翻し、地上の虚蛇本体に狙いを定めると、消滅し始めていた虚蛇の分身体を足場に、一気に加速する。
──不味い!分身の生成が追いつかない!?時間を稼がねぇと!
最後の足掻きと言わんばかりに本体を守っていた分身体が空中から迫る美兎に飛び掛る。
──全集中 雪の呼吸 漆ノ型
ひらりとまるで風に乗った雪の様に、分身体の間をすり抜ける美兎。一瞬の時間さえ稼げず、分身体達は消滅してしまう。
──全集中 雪の呼吸 参ノ型
ごとりと頚が落ちる音が虚蛇の耳元に響く。何が起こったか理解出来ないまま、虚蛇はその生を終えた。
***
「ふぅ。任務完了だねぇ」
鬼の絶命を確認し、美兎は安堵の息を吐く。それに釣られて、緊張の糸が途切れて遠藤達は倒れる様に尻もちを着いた。
「お疲れ様、遠藤君、新村君、青田君。よく頑張ったねぇ」
「あ、いえ。俺達はなんの役にも立ちませんでしたし。俺なんて、冷静さを欠いて危うく死ぬ所でした……助けてくれてありがとうございました、雪柱様」
「ふふっ。別に感謝されるような事はしてないよぉ」
ニコニコと先程まで戦闘が起こっていたとは思えない程、和やかな雰囲気になっていく。それを義勇は少し離れた場所から静かに見ていた。
──やはり、環は凄い。柱に相応しい人間だ。
彼の中に渦巻く劣等感と後悔が美兎を輝かしい存在に映してしまう。優れた頭脳、集団指揮、身体操作、そして何より
──空間認識能力か……
空間認識能力。それは美兎が数多の鬼殺の経験と血が滲む様な鍛錬の末、獲得した唯一無二の技能。柱たる才能を前に、義勇の心の影は更に濃くなっていく。
──やはり、俺の様な助けられだけの人間は、彼女達と対等に居ていい存在じゃない。
思い出すのは数年前の最終選抜。自身の無力さを呪い、悔い、それでも生き残ってしまった過去。己を救い、他者の為に奔放した親友の姿を思い出す。
「お〜い。義勇君?」
「……ッ」
気付いた時には美兎の整った顔立ちが間近に迫っていた。一瞬たじろぐ義勇だが、その表情には直ぐに鉄仮面で覆い隠される。
「?義勇君もお疲れ様。ありがとうねぇ」
──俺はお礼を言われる様な奴じゃない
「……(最終選抜は自力で突破していない)俺はお前とは違う(こんな弱い奴に構うな)」
口下手な義勇はそれだけ言うと美兎から視線を逸らす。あまりにも言葉足らず。普通なら、見下されてると思い激昂する筈の言葉に、美兎は怒らない。
「うんうん。違わないよ。私達は同じ穴の狢でしょ?誰かに何かを託されて、それを守る為に戦っている。だから私達は皆同じなんだよ」
投げかけられた言葉に義勇は思わず視線を合わせる。視界に映るのはどこか懐かしさを覚える微笑み。まるで義勇の姉の様に優しく、導く様な微笑みに彼は目を奪われた。
「さて、任務も終わったし、飲みにでも行こうかなぁ。あ、義勇君もどう?最近、鮭大根が美味しいお店を見つけたんだぁ」
「……行こう」
場を和ませる微笑み。これも一種の才能かと感じながら義勇と美兎、そして己の剣士達は僅かに登りだし陽を背に町へと歩き出した。
「義勇君はもうちょっと愛想良くしたら嫌われ具合もマシになると思うんだけどなぁ」
「俺は嫌われてない」
『え?』
四人の声が重なって響いた。
解説コーナー
参ノ型
刀を上段から勢い良く振り下ろす攻撃。
漆ノ型
攻撃をいなしつつ、相手に攻撃を加える。攻防一体の技。
捌ノ型
一振りの攻撃で前方の広い範囲を斬り裂く攻撃。攻撃範囲は雪の呼吸の中でも一二を争うが、発動までに溜めが必要となる
玖ノ型
周囲全体に細やかな斬撃を放つ。鬼の奇襲や、囲まれた時に有効な攻撃。
空間認識能力
多くの経験と血の滲む様な鍛錬を重ねた結果、会得した美兎のみに許された特殊技能。全身の全ての感覚を研ぎ澄まし、周囲の情報を感知し続ける事によって、辺りの正確な状況や地形、物の大きさ等を正確に知覚する。
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雪と蛇の極秘任務?
「いい天気だなぁ」
雲一つ無い綺麗な青空を見上げながら、美兎は独り言ちる。久々の休日に美兎も喜びを隠せず、足取りも軽やかだ。
「ん?あれは……おーい!蜜璃ちゃ──」
「……?」
「どうかしましたか?蜜璃さん」
「あ、いえ。その友達の声が聞こえた気がするんですけど……気のせいだったみたいですね」
「そうでしたか。では行きましょうか」
「はいっ!」
頬を赤く染めながら見知らぬ男性と再び歩き出す蜜璃の姿を美兎は見ていた。何故か、物陰から口を塞がれる様な形で。蜜璃達が遠のいて行くのを確認してから、美兎はじろりと自身の口を塞ぐ者に視線をやる。すると漸く件の人物は美兎の口から手を外した。
「──ぷはぁ。あー苦しかった……で?年頃の乙女を路地裏に連れ込むなんて、一体どういうつもりなの、伊黒君?」
「そんな事も分からないとは。頭だけが取り柄の雪柱も堕ちたものだな」
ネチネチと毒を吐く男、伊黒 小芭内。美兎の同僚であり、蛇の呼吸を極めた蛇柱。そして何より、柱の中でもずば抜けて対人関係能力が優れている美兎が唯一苦手とする人物でもある。
「全く……そんなにネチネチしてると蜜璃ちゃんに嫌われるよ?それで、結局君は何してるのさ」
「甘露寺はこの程度で嫌いにならない。お前と違って心が広いからな」
「はいはい。蜜璃ちゃんと違って心の狭い、卑しい女で、申し訳ありませんでしたぁ。で?結局貴方は何をしてるの」
「ふん。今の状況に陥っても分からんとは……決まっているだろう。甘露寺に近づいた男の暗殺だ」
「そっかぁ。暗殺ねぇ」
「あぁ。暗殺だ」
しんと暫く二人の間に沈黙が続く。然し、その沈黙は小芭内の言葉の意味を理解した美兎によって瓦解する。
「暗殺ぅぅぅ!?」
「何だ急に、騒がしい奴だ。とうとう頭がイカれたか。頭だけが取り柄の癖に」
「いやいや、誰だってこうなるでしょ!?暗殺ってどうやったらそんな考えに至るの!?なに、鬼殺隊から
「安心しろ。証拠は残さん」
「そういう問題じゃないでしょ!?」
小芭内の言動に思わず頭を抱える美兎。彼女が小芭内を苦手とする理由がこれだ。彼は甘露寺 蜜璃に関する事になるとどうにも歯止めが効かなくなる。普段はただ嫌味を吐き続けるだけの男なのだが、蜜璃が絡むとどうにも面倒臭い。
「ねぇ伊黒君。君は自分が蜜璃ちゃんと結ばれるのと、蜜璃ちゃんが幸せになるのとどっちがいいの?」
「決まっている。甘露寺の幸せだ。そんな事も分からないのか馬鹿め」
「……蜜璃ちゃんの幸せを願うなら、蜜璃ちゃんの周りの男達を殺すっていうのは不味いんじゃないかな?もし、蜜璃ちゃんがその男性を好きで、その人と結婚したいと思ってるのに、それを引き裂いたら伊黒君は間違いなく嫌われるよ?」
「……」
嫌われるという言葉に、漸く自身の行動を思い留まる小芭内。然し、その表情からは明らかな不満が漏れていた。
「はぁ、仕方ないなぁ。じゃあこうしよう。今から二人で蜜璃ちゃんを尾行するの。もし蜜璃ちゃんが幸せそうなら暗殺は止めて。もし蜜璃ちゃんを泣かせたりしたら……まあ、暗殺は駄目。せめて拷問に留めて。いい?」
「……仕方ない。お前の命令に従うのは癪に触るが、仕方ない。性格が腐っているお前に命令されるのは癪だが」
「君にだけは言われたくないかな!?」
こうして蛇柱と雪柱による極秘任務が開始した。
***
「にしても、本当に仲良さそうだねぇ」
場所は変わって、街でも人気の茶屋。そこで談笑する蜜璃と男性の姿を美兎と小芭内は物陰から見守っていた。
「あの男……あの男ッ!許さない、甘露寺に近づいた事、絶対に許さんッ!どんな目に合わせてやろうか……!」
「うわぁ……本当に手の施しようがないなぁ」
物陰から呪詛でも飛ばしているのかと疑う程、恐ろしい表情をしている小芭内に美兎は若干引く。いや、物理的にも数歩後ずさる。目の前の奇人から目を背け、再び蜜璃と男性に目を向ける美兎。
「それにしても、あの男の人何者なんだろうねぇ。明らかに育ちが良さそうだし、蜜璃ちゃんも最近は任務が忙しくてお見合いも出来てないって言ってたんだけどなぁ」
「あの男の名は
「え?なんで知ってんの?怖いよ普通に」
「前に甘露寺が文に書いていたのを思い出した。男の特徴も合致するし間違いない」
うわぁと再び顔を引き攣らせる美兎。愛のなせる技と言えば聞こえはいいが、美兎から観れば唯の変態だ。
「ちっ。此処からでは会話が聞き取れんな。おい、環。何もしていないのだから少しぐらい貢献しろ。この作戦を提案したのはお前の癖に何時までサボっているつもりだ」
「はぁ!?こっちは貴重な休日を削ってやってるんだけど!?」
「黙れ。お前の休日などどうでもいい。甘露寺の事に比べたらな」
「ったく。これだから貴方の事は嫌いなのよ」
「珍しく意見があったな。俺もお前の事が嫌いだ。それで?此処から甘露寺達の会話の内容が分かるのか分からないのか、どっちなんだ?」
「はいはい。やればいいんでしょ?はぁ……」
溜め息を吐きながら、美兎は二人の方向へ目を凝らす。
「えっと……『いい天気ですね』『はいっ!天気も良くて、お団子もとても美味しいです!』だって。相変わらず食いしん坊だなぁ蜜璃ちゃん。まあ、そこが可愛いんだけど」
「ほぉ。お前の腐った脳みそでも甘露寺の魅力を理解出来るのか。やはり甘露寺の魅力は偉大だな」
「本当にどうして君は口を開けばネチネチしてるのかなぁ?」
最早反論の言葉すら出てこない美兎。その視界には変わらず蜜璃と天智が仲睦まじくしている姿が映っている。
「……いいなぁ」
あまりに幸せそうな蜜璃の姿を見て思わず言葉が漏れた。思い浮かべるのは自身と想い人が密璃達のように逢瀬を重ねる姿。最近の美兎は自身の婚約者と時間が合わず、会えていない事への寂しさも相俟って、ついつい惚けてしまう。しかし小芭内が居たことを思い出して、やってしまったと思わず口を抑える。
「ほぉ?こっちが大変な時に随分と呑気なものだな。頭の中がお花畑なのか?」
「ああ、もう!分かったから!ごめんってば!ほら、ちゃんと蜜璃ちゃんを見守ってあげなさい!」
羞恥と苛立ちで顔を赤く染めながら、半ば投げやりに蜜璃の方へと注意を促す。すると蜜璃達は茶屋での談笑を終えた所だったらしく、移動を開始していた。
「移動し始めたな。とっとと行くぞ環」
「はいはい。分かりましたよ」
蜜璃達の尾行を開始する美兎と小芭内。暫く歩く蜜璃達だが、ある橋の上でその歩みは止まった。
「ちっ。これではあまり近づけんな」
橋の周りに障害物は無く、近くの建物に隠れようにも、距離的に彼らの様子を伺う事は出来ない。顔を出して美兎の読唇術で会話を盗み見ようにも、蜜璃と天智は向かい合う様にして立っている為、顔を出せば直ぐに見つかってしまう。どうしたものかと頭を抱える二人。
「……横が駄目なら下はどう?」
「なに?」
美兎の提案に訝しげな顔を浮かべる小芭内。美兎の視線は橋の下にある空間に向いていた。
「あそこなら限り限り二人の会話を盗み聞きできるし、そう簡単には見つからないでしょ」
「……ふん。お前にしてはいい案だ。おまえにしてはな」
「はいはい。分かったから、さっさと行くわよ」
普段の修行の成果を全く関係ない所で発揮する二人。するりと蜜璃達に気づかれる事無く橋の下まで潜り込む事に成功する。耳を澄ますと蜜璃達の会話がしっかりと聞こえてきた。
「今日は有難うございました。急な申し出にも関わらず……何分、私も女性との付き合いに不慣れですので……今日は楽しめたでしょか?」
「は、はいっ!とっても楽しかったです!」
声音からして余程充実していた事が伺えた。ちらりと美兎が横を見るとキリキリと小さな歯軋りを立てている小芭内が目に入る。
「それで、ですね……蜜璃さん」
ぴんと天智の声が張り詰める。蜜璃も空気が変わった事に気づき、彼女の声音もまた張り詰めたものになっていく。
「……甘露寺蜜璃さん。どうか、私と結婚を前提にお付き合いしてください」
「え……!?」
「うっそ!?」
「はぁ!?」
予想外の言葉に蜜璃どころか、潜んでいた美兎と小芭内まで声を上げる。この状況で緊張しているのか、幸いにも美兎達の声は蜜璃と天智には届いていなかった。
「貴女に助けられたあの日から、ずっと貴女の事が忘れられないんです。こんなに人を好きになるのは初めてで……まだ大して会っていないのに不躾だと言うのは理解しています。けど、どうしてもこの想いを抑える事が出来ないんです」
「え、そんなッ、急に言われても……」
不味い展開になったと冷や汗を流す美兎。再び横を見ると、小芭内が静かに日輪刀を抜き、攻撃の体勢に入っていた。
「……殺す」
「ちょ!?待って待って!!マジで人殺しになるのは止めなさいって!!っていうか、蜜璃ちゃんの幸せが第一なんでしょ!?まずは蜜璃ちゃんの様子を伺いなさい!」
「……ちっ。仕方ない」
なんとか小芭内の手を日輪刀から離させることに成功し、安堵の息を吐く。再び蜜璃達の会話を盗み聞く事に集中する。
「……もういいじゃないですか。貴女は十分頑張りました。もう、あんな風に血に濡れて、見ず知らずの誰かを守る義理は無いんですから……別に僕が相手じゃなくてもいいんです……貴女がこれ以上汚れなければ、僕はそれで十分ですから。だから、お願いです。女性としての当たり前の幸せを享受してくれませんか?」
天智が抱えていた想いが一気に吐き出される。きっと彼は悪気は無いのだろう。ただ、自身の想い人を心配しているだけ。だからこそ出た言葉。けれどその言葉は、まるで鬼殺隊を、その身を血で汚しながら戦う剣士達を否定する様な言葉だった。
「──ごめんなさい。貴方とは結婚出来ません」
普段の蜜璃からは想像出来ない、鋭い声が聞こえた。その声には僅かな怒気が含まれている様にも聞こえる。
「誰かの為に一生懸命戦う人達を否定する貴方にはキュンキュンしません」
はっと息を呑む声が聞こえた。恐らく、天智が己の発した言葉の無礼さに気づいたのだろう。天智が謝罪する暇も無く、蜜璃は一礼と今日のお礼を添えて、スタスタと帰っていく。暫くして、重い足取りで天智が帰っていく気配も感じられた。
「──蜜璃ちゃんは本当にいい子だねぇ。君には勿体無い位だよ」
「黙れ環。だが、そうだな。甘露寺は誰よりも魅力的だ」
「ふふっ。本当にね」
蜜璃の放った言葉を思い出して心が暖かくなるのを感じる二人。美兎は笑みを浮かべ、小芭内の表情も心做しか柔らかくなっている。
「さて、目的も達成した事だし、これから食事でもどう?勿論、蜜璃ちゃんも一緒にね」
「ふん。お前と一緒というのは気に食わんが、甘露寺も一緒となれば、話は別だ」
誰よりも惚れっぽく、仲間想いの同僚の姿を思い浮かべながら、二人は蜜璃の後を追っていった。
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炎は雪に問い掛ける
某日、煉獄邸。そこには四人の柱が集結していた。
──炎の呼吸 壱ノ型 不知火
──雪の呼吸 伍ノ型 豪風雪・雪崩
烈火の如き勢いの一撃と雪崩の様な一撃が交差する。
「むっ!また腕を上げたな、環!」
「ふふっ。そっちこそ私の速さに対応出来るようになってきたねぇ、杏寿郎君!」
──炎の呼吸 伍ノ型 炎虎
──雪の呼吸 肆ノ型
繰り広げられる技の応酬。炎と雪の剣戟が幾度も交差する。呼吸の相性から考え、炎の方が有利の筈が、美兎の技や戦術により、互角かそれ以上の戦いを繰り広げている。その事実に杏寿郎は舌を巻いた。
──うむ!まさか呼吸の相性を技と知恵で補うどころか押し返すとは!見事だ!然し、これ以上続けるとこっちの体力が持たん!ならば……
──やっぱり雪と炎は相性が悪いなぁ。このままだといつか押し切られちゃうしここは……
──短期決戦!(短期決戦だね!)
両者は決着をつけるため最後の一撃の構えをとる。今までで一番大きな呼吸音が庭一帯に響き渡る。
──炎の呼吸 奥義 玖ノ型 煉獄
──雪の呼吸 捌ノ型 白魔ノ業・頽雪
互いが持ちうる最強の一撃を以て、相手の技を迎え撃つ。木刀と木刀が激突する音が響いたかと思えば、次の瞬間には破壊音が響く。二人の木刀が技の負荷に耐えられず、壊れてしまったのだ。
「うむ!まさか木刀が折れてしまうとは予想外だ!」
「そうだねぇ。まあ、今回は引き分けでいいんじゃない?」
「南無……仕方なき事……」
「……あの雲の名前、なんて言うんだっけ?」
「無一郎君は相変わらずだねぇ」
杏寿郎、行冥、無一郎、美兎の四人は今日の訓練の反省会を始める。自分の良かった点、悪かった点。或いは相手の良い点悪い点を互いに言い合う。最も、無一郎は参加していると言っていいのか分からない状態だが。
「皆さん、お茶とおにぎりを持ってきましたので良かったらどうぞ」
「わぁ!ありがとね、千寿郎君!」
「うむ!すまないな千寿郎!」
「南無……かたじけない」
「……ありがと」
千寿郎が持ってきてくれたおにぎりとお茶を楽しむ柱達。おにぎりを次々と頬張っていた杏寿郎はふと思いついた疑問にその手を止めた。
「ふと思ったのだが、環は何故鬼殺隊に?」
「むぐ?……んぐ……どうしたの急に?」
「大した意味は無い!だが思い返してみると環の過去についてはあまり聞いた事が無いと思ってな!」
「ふむ……確かに言われてみれば」
「先生ってあんまり自分の事について話さないよね」
三人の言葉に美兎は頭を捻る。よくよく思い出してみると、自身の過去について詳しく知っている人物が限りなく少ない。
「言われてみれば……私の入隊理由を知ってる人なんてお館様と実弥ぐらいかなぁ?」
「うむ!なので、この際に聞いておこうと思ってな!差し支えが無ければ聞かせてくれ!お互いを知る事は連携力の向上にも繋がるからな!」
「うーん。言われてみればそうかなぁ。じゃあ、聞かせてあげましょう」
ごほんと軽く声を整えると美兎はゆっくりと語り出す。
「さて、私が鬼殺隊に入った理由を話す前に……杏寿郎君、君は人の本質は善か悪のどっちだと思う?」
「む?……人の本質がどちらかと言われれば、個人的な意見になるが、俺は善だと思う!善き心を持っていなければ、人を救うという発想そのものが出てこないからな!」
「そっかぁ。杏寿郎君らしい考え方だね──でも私は人の本質は悪だと思うの」
そう言った彼女の表情はまるで能面の様に無機質で、普段の溌剌さは見受けられない。見た事の無い美兎の表情にその場にいた全員が困惑の念を抱いた。
「人と鬼の違いなんて身体機能だけで、それ以外は全く同じなんだよ。人も鬼も、本質は醜く、愚かで穢らわしいもの……気づいていないだけでね」
「……ならば何故環はその鬼と同義である人を助ける?」
盲目の柱が本質を問う瞳で此方を射抜く。美兎は渇いた喉をお茶で潤すと再び騙り始める。
「それは、この世の殆どの人達が戦ってるからですよ」
戦ってる。その言葉の意味が分からず全員が首を傾げる。
「……人は誕生したその瞬間から自己の本質を自覚し、そして恐れた。このまま本質を剥き出したままではいつか人という種は滅んでしまうと。だから人は自分達の本質を
「──うむ!素晴らしい志しだ!」
「流石先生だね」
「えぇ?そんなに褒められると照れるなぁ」
二人からの褒め言葉に美兎は頬を掻く。先程の真剣な雰囲気とは打って変わって穏やかな空気が流れ始める。暫く談笑を楽しんでいた面々だが、それは唐突に打ち切られた。
「カァカァ!伝令ィ!伝令ィ!雪柱ハ直チ二任務二向カエ!」
「?今日は休みの筈だけど?」
「カァ!一般隊士ガ多数負傷ォ!人手不足ゥ!増援二向カウベシィ!」
「……はぁ。鬼殺隊の人手不足も深刻だなぁ。じゃ、悪いけど私は行くね。また次は柱合会議で会おうね!」
「うむ!またな環!」
「ばいばい、先生」
「南無……武運を祈る」
「さようなら、環さん」
杏寿郎、無一郎、行冥、千寿郎は各々別れの言葉を口にする。美兎は手を振りながら煉獄邸を後にした。
「いやはや!それにしても環は剣の腕だけで無く、その志しも素晴らしいな!俺も見習わなければ!」
「……そうだね。煉獄さんの言う通り、僕も先生みたいになれるように頑張らないと」
「お二人共頑張ってください!」
「南無……休憩も挟んだ事だ。そろそろ訓練を再開するとしよう」
行冥の言葉に杏寿郎と無一郎が立ち上がる。雪の触発された柱達は再び剣をぶつけ合う。全ては理不尽な未来を少しでも多くでも防ぐ為に。
解説コーナー
肆ノ型
下段から勢い良く刀を上方向に振り上げる。空中にいる相手への迎撃としても有効。
無一郎と美兎の関係性について。
無一郎が美兎を先生と呼ぶのは、無一郎が柱に就任して間も無い頃に柱の仕事内容を教えてもらったり、剣の鍛錬に付き合って貰っていたから。無一郎にしては珍しく、美兎には強い尊敬の念を抱いてる模様。
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