FAIRYTAIL十字界 (Nという)
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プロローグ

 遠い昔、大陸の中央。

 夜の一族と人間が共存する国があった。

 魔と豊穣の夜の国。代々夜の国を統治するは純血の夜の一族……ヴァンパイア。

 人間と人との間に生まれる混血児ダムピールとあわせて三つの種族が暮らす夜の国は、穏やかに豊かに暮らせる理想の国家であった。ヴァンパイアが治めるが故に大陸最強であり、長寿の彼らは愚かな政治に走ることなく内政は安定していた。

 

 夜の国を最も繁栄させ、そして滅ぼした王がいる。

 至高の赤き薔薇、ローズレッド・ストラウス。

 彼は至高の王。その力は星を砕くといわれ、その知略は並ぶものがないほど研ぎ澄まされている。武に、政に、すべてに秀でていた彼は心の底から平和と平穏を愛している。夜の国の豊穣は王がいる限り永遠に続くと誰もが信じていた。

 

 そんな彼がどうして国を滅ぼしたのか。

 誰が悪いと指をさせる理由はない。

 彼はすべてを失った。愛する者、愛する娘、国、夢と理想。

 すべてを失いながらも王の責務を果たすため、千年を超える地獄の戦いに身を投じた。愛する者を失う悲しみ、殺された憎しみを知りながら誰かの大切な人を殺し、血族を殺し、世界を敵に回した。

 すべては血族を守るため、あまたの生きとし生けるものを守るために彼は守るべき血族を殺め、人間を殺し、世界のすべてを敵に回した。

 自分が世界の共通の敵となれば、人間とヴァンパイアの血族の間に大戦争は起こらない。そのためならば何万年でも世界の敵であり続ける。

 永劫の宿敵に追われながら、王として信念と責務を貫いた彼にもやがて終わりが訪れる。

(そうだなステラ……私はよくやったな……ならば、これでよしとしようか……)

 黒き白鳥に胸を貫かれ、その生を終わらせる瞬間、ようやく彼は自分自身を赦すことができた。

 いと高く清廉で気高い星の守護者。その魂は、血族の新天地である月へと昇る。

 

 夜の国の最後の王。

 ローズレッド・ストラウス。赤バラのヴァンパイア王。

 彼は多くのひとを殺した罪深い王であった。

 大切な者を守れなかった王であった。

 しかし多くの命を救った。守るべきものを守り、星でさえ救ってみせた。

 必要最低限の命を奪うことで、数多の命を助ける。命は紙の上の数字ではない、その考えは傲慢ともいえた。しかし犠牲なくしては何もできないと大将軍でありそして王である彼は理解している。

 彼は自らを犠牲に、世界すべての敵となった。世界の敵であり続けなければ、いずれ血族と人間の間で大戦争が起き、大地は荒廃する。

 それを避けるためにも死ぬことは許されない。恨まれ憎まれ守るべき血族に刃を向けられ、永劫の追撃者は彼がかつて愛した者。無間地獄を彼は逃げもせず、諦めることもなく、誰かを憎むこともせず生き抜いた。

 

 最後の王の真実を知る者たちは、その魂にいと高き、月の恩寵があるようにと、祈った

 

 彼の魂に平穏が訪れるようにと。

 彼の魂が救われるようにと。

 

 

 祈りは、時に「魔法」のような奇跡を起こす。

 月に導かれた至高の王の魂は──―     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ローズレッド・ストラウスという人について
初めて見人向け解説



***ヴァンパイア十字界のネタバレを含みます。



種族はタイトルからわかる通りヴァンパイアです。
しかしこの作品のヴァンパイアは一般的なそれらと異なる特徴があります。

陽光に弱いのは共通しています。
純血のヴァンパイアは浴びれば即座に灰に。人間との混血児でさえ大やけどを負います。
吸血能力はありますが、衝動はなく吸血を必要とさえしていません。十字架や聖書も効果はありません。
作品内でのヴァンパイアは起源を地球の外側つまりは宇宙から飛来してきた生物にしています。宇宙から飛来してきた生き物が地球の生き物の遺伝子情報を吸血能力により体内に取り込み、環境に適応して進化した生き物がヴァンパイアとなっています。
そのため主人公には吸血衝動はありません。
さらに彼はより進化をしており、陽光を克服しています(これは彼の世代のヴァンパイアからもう一度、地球の外へと旅立つ準備をしているため)
星間飛行も生身の体で行えます。

魔力もすさまじく月くらいの天体は本当に砕けます。
さらに50万個の敵戦闘機+隕石数万個を撃破し、その影響は地球に及ばないようにして戦えます。
その戦闘すら準備運動程度の疲労しか感じません。
一万キロ以上離れた場所から発射された弾道ミサイルの探知も可能。
剣を扱わせれば誰も敵わない、知略もすさまじく、大将軍や国の王になったときは、大陸中の国と和平条約を結んだほど。

と、書き上げると信じられないくらい有能です。できないことはないんじゃないかといいたいですが、彼は万能ではないので後手に回ることもあります。
愛する女性を守ることもできませんでした。
重大なネタバレになるので伏せますが、自分を犠牲にして世界を守る人です。

悲しくも優しい魅力の溢れる人です。

魔法が溢れていて、誰も彼を知らない世界なら穏やかに幸せになれるかなと思って書いています。


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第一話 至高VS竜王

黒い翼が夜空を進む。その巨体は夜の闇に紛れているが、時折鱗の一部が怪しく光る。夜目がきかなければ、その全身を覆う紫色の文様には気づけない。

鳥など比べ物にならない速度で飛翔するその生き物はドラゴン。

その名は黒き竜王、アクノロギア。

その世界における最強の生命体。頂点に君臨する者。すべてを破壊し支配する力を持つ王者は、しかし世界を滅ぼすことなく400年の間、気まぐれに世界中を飛び回っている。

彼の目的はすべてのドラゴンを滅すること。

まだ人間であった頃から不変のアクノロギアの目的である。

完全なる滅竜を遂行するために、世界中にいるドラゴンを探しているが、滅竜は最初の100年間に集中し、それ以降はめぼしい成果がなかった。随分な数を殺したがもうドラゴンの種族は滅び去ったのか。心の内で否定する。ドラゴンが死に絶えていないことは滅竜魔導士としての直感が告げている。

魔を、争いを、闇を嗅ぎつけていけば、必ず出会あう。ドラゴンのそばは常に血と戦いに溢れている。出会ったドラゴンを殺し、また探し、見つけては殺し……繰り返していけばいつか至るのだ。

 

完全なる滅竜へと。

 

ふんと鼻を鳴らす。

行く当てもなく空を横切るように飛んでいると、ゾクリとした悪寒が体中を駆け抜け、しっぽの先から外へと抜けていった。鱗が翻るような、400年の間に一度も味わったことのない未知の感覚がまだ体に残っている。

「……!……なんだ」

空中で静止し、獰猛な歯が並ぶ顎から息を漏らしながら、アクノロギアは周囲を見渡す。

鱗に守られた肌がざわつく。

目で見える範囲に何もないと悟ったアクノロギアは目を閉じて意識を集中し、視界よりもさらに外側を探る。

遠く、遠く、気の遠くなるくらい離れた場所に何かが来た。

離れていてもわかるほどの強大な魔力の塊。

人ではとうてい抱えきれないほどの量だ。誰かの放った魔法でもなく、人の兵器でもない。

これほどの魔力を持つ魔物がいるとすればそれは、

「ドラゴンか」

久しぶりの獲物に舌なめずりをしながら、アクノロギアは目的地を定める。

血が高ぶり咆哮をあげる。

グオオオオオォォォォォッッ‼

おぞましき雄叫びを聞いたすべての生命が不安と恐怖に震えるが、竜王には認識さえされない。

黒き竜が向かう先に何がいるのか。夜空に真珠のように輝く満月だけが、知っている。

そこにいるのはドラゴンではなく、至高の赤薔薇であると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地球とは異なる世界、多重の平行世界のうち魔法の存在する世界に転生したヴァンパイア王ローズレッド・ストラウスは遙か空の彼方に膨大な魔力を感じ取った。

(私に向かってきているのか?……早いな時速500km前後か)

一般的な旅客飛行機の速度が800km、新幹線が300km前後といわれている。この物体の速度は凄まじく、文明が地球よりも発達していないこの世界で、これほどの速度を出す兵器や道具は存在しない。つまりこの速度で自分に向かってきている物体は生物だ。この速度で移動する生き物がいることは驚きだが、警戒するべきはその生き物が保有する魔力にある。ストラウスが魔力網を使いこの世界を探査してきた中で最大級のものだ。それも二位とは天と地ほどの差をつけている。

膨大な魔力に超高速飛行を長時間維持できる生き物が自分に向かってきている。まだ距離があるとはいえ確定でいい。

深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている。ストラウスが気づいたように、あちらもストラウスを感じ取り、どのような思惑があるのか知らないが接触を図ってきている。

「すまない。外に出てくる」

「あら、どうぞ。お気をつけて」

異世界にやってきてから世話になっている家の女主人に挨拶をして、ストラウスはマントを掴み、外に出る。

あちらの思惑はわからないが、関係のない女性を巻き込むわけにはいかない。この家にはまだ小さい子供さえいる。

(気づいたのはあちらが先か。ジャミングをかけて魔力を消すこともできるがもう遅いな)

探し回られて街で暴れられるかもしれない。ならば姿を隠すことはできず出迎えるしかない。魔力網による探索は常時発動する術ではない。ストラウスといえども、死んだ直後に夢にさえ思わなかった異世界に転生して数日では後手に回ってしまう。

背中から羽を出して飛翔する。日が沈んでいないから、空を飛ぶストラウスを街の人間が何人か目撃し、子供は指をさした。だがそれだけであとはみな興味を失ったようにストラウスから目をそらして止めていた足を動かしていく。

「前の世界と違いこういう時は楽だな」

空を飛ぶ魔法はポピュラーではないが、この世界には多く存在しているようだ。この程度の魔力の行使はこちらの世界では日常の光景で、夜闇に紛れる必要は全くない。かつて人間社会に見つからないようにと隠密行動をしていたヴァンパイアにとっては気楽でよかった。

最も力を抑えに抑えなくてはいけないのは、前の世界でも今の世界でも同じことだが。

環境を壊さないよう配慮しながら飛翔する。地上から彼の姿を見た人間には、流れ星のように見える。

飛びながらストラウスは魔力を網のように張り巡らせ、その生き物を探る。瞼の裏にその生き物の姿が映し出された。

「これは……!!」

新たな世界はストラウスにとって驚きの連続ばかりだが、コレはその中でも群を抜いている。

「黒いドラゴン……ドラゴンまで存在しているのか」

ヴァンパイアの王が何を言うのかと異世界の人間に指をさされそうなひとり言だ。ちなみにこのヴァンパイアは地球を征服にやってきた宇宙人と宇宙で戦い、簡単に勝利しているのだが、ドラゴンの実在とどちらが法螺話に聞こえるだろうか。

ストラウスのとらえた黒い影はまさしく本に出てくる伝説上の生き物の姿そのもの。

漆黒の翼、恐ろしい光を宿す眼、鋭利な爪、爬虫類に似た胴体に、長い尾。そんな生き物が高速で飛行しながら近づいてきている。

 

ストラウスがもっと若い、200歳程度のヴァンパイアであれば初めて見るドラゴンに浮かれたかもしれないが、1000年を超える地獄の月日を生きてきた彼の精神には好奇心は存在しない。

じっくりと眺めるつもりも、街の上空でドラゴンと出会うつもりはなく、ストラウスは沖合を目指して飛んでいく。戦いになる可能性があるなら街と人々に被害が出ない場所を選ぶのは当然だ。

「やれやれ……穏やかな雰囲気ではないな」

ローズレッド・ストラウスは相手を見た目で判断する愚物ではない。しかし黒い体色は禍々しくトゲだらけのドラゴンの姿は好戦的に思えた。自分に興味を持って挨拶にきたわけではないのは予想できる。

ヴァンパイアVSドラゴン、地球のどこかにあるかもしれないB級映画のタイトルの展開を思い描いて、くすりと笑う。

沖合50km以上の空中、真下には小さな無人の無人島がぽつぽつ並ぶ場所にストラウスは静止する。空中戦、万が一の地上戦を考え、待ち構えるポイントをここにした。

次第に近くなる気配にストラウスは右手から魔力で剣を作り出す。全力を出せるなら、星をも砕く魔力をぶつけて構わない状況ならストラウスに負けはない。

しかし世界を壊さないように加減して戦い、勝利するには難しい相手がこれからやってくる。話し合いでどうにかなる相手なら作り出した剣は不要になる。相手への第一印象のためにも剣を作るのも後回しにする手もあるが……

「うん、無理そうだな」

日が沈みだしたオレンジの空の向こうに、ぽつんと黒点が浮かぶ。

時速500kmを超える速度で黒点は大きくなっていく。

 

 

 

アクノロギアがヴァンパイアの王を知らないように、ストラウスもまた竜の王を知らない。

異なる世界にやってきてまだ日が浅く、世界の常識や成り立ち、文明について把握している最中であり、歴史の裏側に潜るだけの時間がなかった。

衣食住を提供してくれている協力者は市井の女性であり、魔導の歴史について彼に語ることができなかった。

この世界が地球と酷似していれば、また話は別だっただろう。魔法を技術体系の基礎として発展している文明はストラウスにとって根本の部分から未知であり、手間取ることが多々あった。

激突までもう少し日数があれば、あるいは協力者の女性が魔導士であり、歴史に詳しければ、ストラウスはアクノロギアがいかなる存在か窺い知ることができた。激突を全力で避ける未来は訪れたはずだ。

そうはならなかったからこそ、この日、海と空は割れ、地図に載っていた群島は世界から消えた。

 

 

 

正直な話、途中でアクノロギアは目指している相手がドラゴンではないと気づいていた。

一日中飛び続けて、気配がより濃く感じ取れるようになった途端に気づいたので、回れ右して無視するのは腹が立つからと進むことにした。膨大な魔力に本能が引き寄せられているのもあった。

 

ドラゴンではないならコレは一体なんだ?

 

ドラゴンを超える魔力を持ちながら、ドラゴンではないもの。

物ではない、アクノロギアに気づいて、距離をとった。それも高速で。

そんな生き物がこの世にいるのか。

オレンジ色から緋色へと染まる空の彼方、肉眼でとらえたその生き物の姿形は人間そのものだった。

水色がかった銀色の髪が肩にかかっている。背丈はあるが、筋肉隆々とはほど遠い体格には恵まれていない優男だ。

矮小で弱く、相手にする価値のない生き物と違う点はその背中から生えている黒い羽だ。ドラゴンの翼ではなく、蝙蝠の羽にそっくりで、柔らかく切り裂けそうに見える。

相手の見た目で油断をする性格だったら、アクノロギアはほとんどすべての竜を滅ぼせなかったし、竜の王にもなれなかった。

アクノロギアは竜の王にふさわしい知性があり、相手の力量を推し量れない愚か者ではなかった。

「うぬは何者だ」

相手の正体を知るために、彼は数百年ぶりに人間の言葉を使った。

 

 

ストラウスの予想に反して、禍々しい気配、最大級の魔力を溢れさせながら、黒いドラゴンは勢いのまま襲い掛かることなく静かにその羽ばたきをとめた。

「うぬは何者だ」

(喋るのか。それに今の言葉、街の人間と同様に英語に聞こえた。本当に英語を話しているのではなく、元の世界の言語に翻訳されて聞こえているのか)

人の言葉、それも慣れ親しんだ英語で話しかけられたことに驚きながらも、その感情を表に一切だすことなくストラウスは意識してイタリア語で返答した。

「私はただのヴァンパイアだ」

「吸血鬼だと、笑わせるな。魔物の種族がそれほどの力を持つはずがあるまい」

ドラゴンの返答は英語で聞こえたが、会話が成立した。

目の前のドラゴンがストラウス同様に言語に堪能である可能性は極端に低い。街でも試したが、ストラウスがどの言語で喋っても相手にはこの世界の言語として聞こえるらしくきちんと会話が成立する。ストラウスには夜の国の言葉である英語で聞こえる。街の人間、さらにドラゴンにまで試したのだ、この世界では言語はお互いに都合よく翻訳され通じる解釈でいいだろう。

(その割に文字は翻訳されないのがつらいな。おかげで新聞も読めない)

では、これはどういう風に伝わるのか。日本語を使う。

「……私はヴァンパイアではあるが、吸血鬼ではない」

「ふざけているのか」

怒気が伝わってくる。おそらく私はヴァンパイアではあるがヴァンパイアではないといった哲学の台詞のように伝わったか。翻訳の精度は頼りないのかもしれない。

「そう言われてもな。実際にそうなのだとしか言いようがない」

人からヴァンパイアと呼ばれ、自分たちもヴァンパイアの一族と呼称しており、吸血能力は保持しているが吸血衝動は一切存在しない。それがストラウスの属するヴァンパイアだ。

吸血鬼と呼ばれるのは、血族の王として否定しておきたい。

黒いドラゴンはストラウスを見つめる顔を左に少しだけ動かす。水平線に少しだけ沈んだ太陽がその先にある。

「まだ日は沈んでおらん」

「あぁ、オレンジに染まる海と空が美しいな」

「まだ誤魔化すか。吸血鬼ならば太陽の元に出られぬ。うぬはただの魔物ではない」

魔物ではないことには頷くが、ストラウスの真意を伝えるには言語の翻訳がうまくいかないだろう。

 

この世界の吸血鬼、つまりはヴァンパイアと私の世界のヴァンパイアは同じ名前をもつ別の種族だ。私は異なる世界からやってきた。この世界のヴァンパイアは知らないが、我々の血族は教会や聖書、十字架に傷つくことも苦しむこともないし、吸血衝動も持っていない。太陽に弱く、純血の者はあたれば灰になることは共通しているが私は太陽を克服したヴァンパイアだ。

 

(うまく伝わらないな。それにこのドラゴン、気の長いタイプではない)

今も少しずつイライラしている。異世界からきたことや吸血鬼との違いをまじめに語っても、火に油を注ぐだけ。ドラゴンが知るこの世界の情報をもう少し引き出したい。

「そういうお前はドラゴンでいいのか。この目で見るのは生まれてはじめてになる」

黒いドラゴンの喉奥からおぞましい唸り声が響く。黒目のない目はわかりにくいが睨んでいるのか。

「そう怒らないでくれ。私の国は三つ首をした竜の姿を国旗にしていた。親しみがあるんだ」

「……共存国の末裔か」

「さぁ……国の名を言ったところでお前にはわからない」

「うぬが共存国の生き残りかその末裔だとしても、それはどうでもいい」

黒い竜が猛り、吠える。びっしりと並ぶ牙は白く、口の中は赤い。

「その力はなんだ!!人間ではないな!!」

竜の怒りで大気がビリビリと震える。そろそろ会話も限界だとストラウスはマントの内側に隠している魔剣の柄を握る。

表面張力で限界のコップの水面がまもなく決壊する。ならば開戦の火蓋は自分の手できろう。

「人ではない。それは確かだ」

「ドラゴンでもなくそれほどの魔力をもつ生き物を我は知らぬ」

「だから私はヴァンパイアであると……」

「くどい!!」

へらへらとした態度、回りくどい会話。ストラウスの注いだ油によって、怒りは一気に燃え上がる。

(このドラゴン、見た目に反して根は真面目だ。そして冗談は通じないタイプだな)

オオオオオォォォォォ

ドラゴンの開戦の雄叫びとともに、大気中の魔力が薄くなっていく……この一帯の魔力がドラゴンに流れ吸われていく。

「答えぬのなら滅びるがいい」

ドラゴンの口が開く、喉奥に滾る紫炎が見えた。

目視できる魔力がぐるぐると渦を描き、強く輝くと同時に極太の光線として放たれる。

ストラウスは知る由もないが、それは黒竜の咆哮。ドラゴンのブレスであり、彼の竜のブレスは島一つを軽々と消し飛ばす。黙示録の中では国一つを滅ぼしたと語られるブレスがまっすぐにストラウスに向かう。

(放出系の技。推定される威力は強力だ。魔力をチャージすればするほど威力をあげる技だな)

推測しながらストラウスは剣を握っていない手を前に突き出し、魔力で防壁を張る。

黒いドラゴンのブレスは真正面からストラウスに激突してきた。というかストラウスがよける必要はないと考えて受けた。

(ブレスを吐いている最中は、動くことはできないのか。このまま弾き返すこともできるがあちらも本気ではないな)

成果の見えない会話へのいら立ちの一撃だったせいで力の溜めの時間が短い。チャージを万全にした状態で撃てば島一つは消し飛ぶ威力になる。が、今の威力ならこのまま耐えられる。実際にストラウスの防御壁には亀裂さえ入らない。

ブレスが減衰してきたのを見計ら死、ストラウスは光の残滓を片腕で振り払う。

袖に煤がついたがそれだけだ。もはやダメージとも呼べない。

ブレスから生まれた白煙が黒い爪に引き裂かれる。魔力網で探知していたストラウスは身をひるがえして簡単に避ける。

上、右、左、また上、右、今度は下。凶暴な爪が振るわれ、時に長い尾が鞭のようにしなりストラウスを叩き落そうと狙ってくる。それをことごとくよけていく。

空中での接近戦は小回りのきくストラウスに軍配が上がる。

竜の腕が大きくからぶった瞬間にストラウスは魔剣を竜の身に突き立てる。

が、カン、と軽い金属音とともに魔剣は鱗によってはじかれてしまった。

(なに……?)

はじかれたことによるストラウスの体勢の崩れをドラゴンは見逃さなかった。

大きく口を開けてがぶりと齧りついたのは、武具など一切つけていないストラウスの体ではなく、その手に握る魔剣だ。

自分ではなく剣が狙われたことに意表を突かれたストラウスは、剣の柄をすぐに手放し、距離をとった。

バリバリと音立てて食べられていく剣の様子を黙ってみているしかなかった。

信じられない。あのドラゴンの消化器官はどうなっているのか。戦いの場ではあるが未知の世界の生き物の生態に目が離せなかった。

柄まで綺麗に食べ終えるとドラゴンは大きくゲップをする。

「魔力で剣を作る生物がどこの世界にいるという。貴様はわけがわからない」

「魔力で作った剣を食べる生き物がいるとは思わなかったさ」

肩をすくめながらストラウスは注意深く相手を観察し、さきほどの出来事を分析する。

もちろん全力など込めていないが、手を抜かずに作り上げた魔剣が鱗にあっけなく弾かれてしまった。すぐ思いついたのは魔力の中和か消失だが、魔力を使うドラゴンが中和や消失の能力を持つのは考えにくい。

(ならば単純だ。あの魔剣ではドラゴンの鱗の防御力を突破できなかった)

ならばその防御力を突破する魔力をぶつければいいのだが、それだと周囲に被害を与えてしまう。海上とはいえ、ストラウスが本気を出せば海の生態系に影響を与える。それでは、世界規模で大きな被害が起きてしまう。

「貴様はなぜ本気を出さない」

「そっくりそのまま返そう。最初の放出系の技、本来はもっと魔力をためて撃つものだな」

「片腕で軽々と防いだ者が何を言う」

……やはりこの竜、禍々しい気配を纏っているが、根底は真面目な部類だ。力に任せた戦いだけではなく、相手の力量を推し量る知恵がある。厄介だとストラウスは思う。

「我は終焉の魔竜、アクノロギア。すべての魔を食らい、すべてを破壊する」

ストラウスを名乗る相手程度には認めたのか、黒いドラゴンは自らの名を告げた。

守る国も血族もいないが名乗り上げられたなら、ストラウスは王として応えなくてはいけない。

王として誇り高く。

「ローズレッド・ストラウス。夜の国の最後の王であり、この世界ではただ一人のヴァンパイアだ」

「ローズレッド……」

「時に、人は私を赤バラと呼ぶ」

最も愛称ではなく、恐怖とともに囁かれた忌み名だ。

再び大気中の魔力がドラゴン……アクノロギアの元へ集まる。

紫色の炎が極光に変化して凝縮されていく。足元の遥か下では海面が大きく波打ちだした。

決着は次でつく……いや着けさせる。両者ともにそのつもりだ。

強者同士の戦いは常に転瞬必殺。大気が震えるほどに魔力と殺気を研ぎ澄ました一撃をぶつけあい、立っているものが勝者となる。

「最後に一ついいか。そもそもなぜ私を目指してきた?」

「我が望みは完全なる滅竜。そしてすべての破壊だ」

「なるほど」

三つ首の竜に例えられたことのあるストラウスだが、ヴァンパイアにドラゴンの因子は存在しない。ならばドラゴンと間違えて滅ぼしに来たのではなく、世界を破壊する障害を排除しにきたのか。

「すべての破壊が望みならば、私はお前の敵だ」

ストラウスも覚悟を決める。このドラゴンは倒さなくてはいけない。殺しはしない。異世界からやってきた自分がこの世界の生き物を殺すことで、なにか途方もない事態に陥る可能性がある。まだ転移してから日が浅く、すべてを掴みきれていない中で危険は冒せない。だから生かしておいてやる。

ストラウスは魔力を練り上げ剣を作る。

この世界の魔力のある生き物は魔力を大気から吸収することと、体内から生み出すことの二つを同時に行う。それは目の前のアクノロギアが実践して見せてくれている。

対してストラウスは魔力をすべて体の内から生み出し、蓄積する。当たり前だ、なにせ彼のいた地球の大気に魔力は含まれていない。そんな体内機能は存在しない。……しなかった。

ストラウスは目を閉じる。大気に満ち溢れる魔力、この世界ではエーテルナノと呼ばれる魔力の素をストラウスは自分へと手繰り寄せる。アクノロギアは魔力を集めすぎて溢れさせているからそれも奪う。

 

ヴァンパイアたちの原型生物は一説では宇宙より飛来した知的生命体といわれている。

新たな星に降り立つと、吸血能力によりその星の生き物の体液を摂取し、遺伝子情報を摂取、分析し、その星に最も適した形態、機構を複製する。さらに惑星の原住種族との交配を可能とし、遺伝的多様性を得ては、また新しい星々へと旅する種族だったと推測されている。

ストラウスが太陽を克服しているのも、星間飛行を行う種族としての本来の姿を取り戻したからだ。

 

大気に魔力が溢れるこの世界はヴァンパイアにとって地球より住みやすく、能力的にも肉体的にも向いている。

その世界はストラウスの体内に必要な機構を生み出した。

そして、太陽はすでに沈んでいる。

何気ない会話の応酬、攻撃をよけるだけの時間を稼ぐ戦い方をして、ストラウスは戦いを夜に、ヴァンパイアの時間へともつれこませた。

 

「すべて滅せよ、エターナルフレア」

黒き竜は黒い球体に変化するように翼を折りたたんだ。

黒い魔力球が周辺の空に無数に生まれる。さながら夜空に輝く星のように、けれど禍々しい光で空を埋め尽くしていく。

ストラウスの目には光の一つ一つが建物程度は軽く吹き飛ばす威力を持っているとわかった。それが星の数ほど数多にある。

 

解き放たれた力は天から降り注ぐようにストラウスへ向かってくる。

数多の国、人々が絶望を抱きながら死んでいったアクノロギアの恐怖。

それを前にしてストラウスがしたことといえば魔力をのせた剣を水平にただ振っただけだ。

それだけで。

光と音はすべてが両断された。一つ一つの魔力の塊がストラウスの放った魔力により迎撃され、真っ二つになり空中で爆発しては消えていく。

かつて地球という星を侵略者から守るために、53万機の異星人の戦闘機を一撃で沈めた魔人には空を埋め尽くす程度の魔法は何一つ脅威にならない。

アクノロギアの背後ではストラウスの力を受けて、空が上下に割れていた。空の果てから果てまで真横一文字に綺麗に亀裂が入っている。非現実的な光景は、神話のシーンを切り抜いた宗教画のようだったがこの場に詩的な語り手はおらず、張本人にはいつもの光景に過ぎない。

拡散したからかアクノロギアの鱗はストラウスの魔力を防ぎきり、空と一緒の両断は避けられた。

「なんだ、この……喉の奥が干上がるような恐怖は!恐怖?我が恐怖?我がか、この竜の、王が?そんなことはありえぬ」

アクノロギアの胸が膨らむ。空気を大量に吸い込み、体内のエーテルナノと取り込んだエーテルナノを混ぜ合わせていく。炉心が燃え上がっていく。

本気のブレス。

数多のドラゴンたちを一撃で屠り、国一つをたやすく滅ぼす竜の息吹きをストラウスにぶつける。

初撃の比ではない威力、ブレスの直径はアクノロギアの巨大な体躯さえやすやすと飲み込むサイズだ。人間と同じ大きさの生き物ではひとたまりもない。

ブレスは剣を振りぬいた直後のストラウス直撃し、その姿を飲み込む。一切減衰することなく、海面にも直撃、そのまま上へと振りぬかれ、海が縦に割れる。射線上にあった島はすべて蒸発していく。アクノロギアはブレスを緩めない。こんなに長い時間、咆哮を放ったことはない。喉の奥が干上がる感覚はまだ消えない。

(気配が消えぬ、いやそれよりも、近づいてくる!!)

膨大な魔力でできたブレスは、高密度の研ぎ澄まされた魔力によって穿たれ、真っ二つに裂けて海に着弾していく。

ストラウスは剣で黒竜の咆哮を引き裂きながら、一気に間合いを詰める。あまりの威力に魔剣は溶解していく。

アクノロギアは顎を閉じる。だが強大な咆哮を放った反動の硬直が、竜の体をその場につなぎとめる。

「我は魔を食らう!!魔法は――」

効かないと叫ぶアクノロギアとストラウスが交差する。

互いに背中を向けあい、空中で静止する。

強者と強者のぶつかり合い、勝敗は一瞬でついた。

「ガハッ!!」

短く吐血し、黒い竜の巨体がぐらりと揺れる。

血を吐き、翼を斬りさかれ、胴体に穴をあけられたのは、アクノロギアだった。ストラウスの手刀は竜鱗をものともせずに突き刺さり、肉を抉っていた。さらにアクノロギアの体内の魔力の流れをずたずたに切り裂いて、気脈を破壊している。

アクノロギアは血管のすべてにワイヤーが無理やり通されて、それを一気に引っ張りぬかれたような壮絶な痛みに襲われ、墜落していった。

 

落ちていく黒い竜を見下ろす至高のヴァンパイア王ローズレッド・ストラウスはほぼ無傷だった。頬にできた擦過傷はヴァンパイアの強靭な再生能力により瞬く間に癒えていく。

 

 

 

アクノロギアは海面に着水した。着水の衝撃も傷だらけの体に響いた。彼の体を受け止めてくれる大地……つまり島はさきほど自分の咆哮で壊してしまっている。いやストラウスとアクノロギア、どちらがどこを壊したのかはわからない。それほど地形は変わり、海底の形も変わってしまっている。

海水に浸りながらアクノロギアは最後の力を振り絞って、最も近い、まだ形の残っている島へたどり着いた。それでもだいぶ遠かったが。

 

浜辺にたどり着いたアクノロギアは、人の姿になる。魔力の消費を抑える意味でも、生命維持のためにも人の姿が適している。波が傷口に触れないように浜辺にあがったところで力尽きてしまう。

敗北し伏しているアクノロギアは、月を背景に浮かぶその魔人に実に、400年ぶりに恐怖の感情を湧きあがらせた。

アクノロギアの戦いは常に一方的なものだ。

滅竜魔導士の時、つまりは人間の時でさえ、彼は最強種族のドラゴンを一方的に倒すほどの力を持っていた。

竜の返り血を浴び、丸い爪が鉤爪に、柔らかな皮膚は頑丈な鱗へ、背中から皮膚を突き破って黒い翼が生まれ、全身を竜へと変えてから、ドラゴンとの戦いなど児戯にも等しくなった。

 

竜の王とヴァンパイアの王の戦いもまた、一方的なものであった。

一方は無傷のまま翼を広げて宙に浮かび、もう一方は力尽きて倒れている。

宙に浮かぶ至高の王。彼を見上げるしかできないアクノロギアは400年ぶりに、完璧に敗北した。

滅竜の力を得る前の、ドラゴンたちを恐れ、その目からに逃げるために瓦礫に隠れ、匂いをごまかすために薬品を頭からかけ、何かに祈りながら息をひそめていた時の――「恐怖」が鮮明に蘇る。いや、あの時以上の……

 

「そうか……うぬがこの世界で最強の王……」

さしものアクノロギアもそこで意識を失う。

最強の魔竜アクノロギアが敗北した意味を正確に把握しているのは本人だけである。

 

 

 

ストラウスにはその竜が人の姿になったことに驚いた。

ドラゴンなのか人なのか、どちらが彼の本当の姿なのか。

「竜の王と名乗っていたならば、」

あれの本性は竜なのだろう。人の姿になることで体力の消耗を防げるのかもしれない。

巨大な体躯を維持するエネルギーは膨大だ。人への変化が可能ならば、人の姿になったほうが糧は少なくて済み、生き物として効率的だ。

勝利するにはした。ストラウスの探知した範囲は無人島で人はいない。とはいえ無数の生命が犠牲になったことに変わりはない。今後の漁獲量は減少するだろう。経済への打撃を考えるとうまくできたとは言えない。

 

「とどめをさすべきではないな」

 

ストラウスは戦った相手が文字通りの世界で最強の存在であり、400年の間誰も勝つことができなかったドラゴンだとは知らない。

この世界に来たばかりのストラウスにはこの魔竜がこの世界においてどれだけの影響力があるかわかりようがない。

 

 

強いことはわかる。ストラウスか、妃であるアーデルハイトでなければ単身での撃破はまず無理だ。

魔力を吸収する能力があるが、霊力は効果があるのか。

霊力がダメージになるなら、ダムピールたちを指揮した集団ならば撃破できるかもしれない。

この竜ほどの強さを持つものがどれだけいるのか、この世界の知識がない状態では推測の域をない。パワーバランスが崩れる危険があるのか現状では不明だ。

(だが確実に一角を担う存在だ。この竜に世界を破壊されるわけにはいかないが、パワーバランスが崩れても困る)

例えば、この竜と同じ強さをもつ存在が複数存在し、互いが互いを牽制したうえで一定の秩序が保たれているなら。

ここでこの竜を滅ぼせば、薄氷の上の秩序は砕け、争いが起きる。

それは避けなければいけない。

何も知らないからこそこれ以上は動けない。

しばらくは動けないようにした。破壊欲の塊のような言動をしていたが本当は何が目的で何がしたいのかわからない。

これほどの力を持つ存在が暴れればストラウスに気づけぬはずはない。

もはやこの場でできることはないと、ストラウスは身を翻して元の街へと戻った。

 

見るものが見ればまさしく歴史が、いや世界の行く末が決定的に変わる瞬間だが、幸運なことにこの戦いの目撃者はいない。

 

 

 

 




勝っちゃうんですよ……
ヴァンパイア王、アクノロギアに勝っちゃうんですよ……
時の狭間も食べてない頃ですし、本当に星を砕けちゃう人と砕けない竜なので……


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第二話 ようこそ赤バラさん

 

「戻ったよ。急にすまなかった」

 

元いた街の元いた家。小さくはないが、屋敷と表現できるような大きさのない家。

ストラウスはその家の戸を叩き、中の返事を聞いてから中に入る。

「あらお帰りなさい」

青色の髪を腰まで伸ばした女性が赤子を抱きながらストラウスを出迎える。

お帰りなさいといわれてストラウスは照れるように頬をかいた。彼女は人がよすぎる。着の身着のままで異世界に来たストラウスを拾い、衣食住を提供してくれている。それだけでなく暖かく迎えてくれる。

「何事もなかっただろうか」

おそらくあの竜はこの街の上空を通ったはずだ。空から見た限りでは街に被害はなく混乱も起きていなかったが、高い視点では気づけないことがこの世には山ほどある。

 

「いいえ。しいて言うなら強風が吹きましたが、それも一瞬でしたから。何も壊れていませんし」

「そうか。ならいいんだ。これは出かけたついでに買ってきたものだ。役に立ててくれ」

「ありがとう。あらこんなに重たいものまで……手で持ってきたんですか?」

「いや、軽かったよ」

 

手ぶらで帰るのも悪いと思い、色々と買ってきた。滞在して数日、はっきりと言われてはいないがこの家には男手がない。ストラウスの借りている男物の靴や衣服は彼女はわざわざ家の奥からこれらを引っ張り出して貸し与えてくれたものだ。聞かずとも察せられる。

世話になっている分、働いて恩を返していこうと思っているところだ。

買ってきたものを片付ている間に、女性が紅茶を用意してくれた。紅茶の味は世界が変わっても変わらない。懐かしい味と香りに少し和んだ。

「明日は壊れた柵を修理するよ」

「まぁ、ありがとう。でもいいのよ、気にしないで」

「ただ飯を食うわけにもいかないから好きにやらせてくれ。あぁ、その子は私がみていようか」

女性の手から赤子を受け取る。娘を二人育てたが、彼女たちは養女のようなもので二人とも10歳前後から面倒をみていた。だから本当の赤子を抱いたのはこの世界に来てからだ。小さくて柔らかいぬくもりがストラウスの腕におさまる。赤子のぬくもりに色々と考えてしまいそうになるのを堪える。千年以上前の感傷は、今は置いておこう。

 

(いつここを出ていこうか。恩をかえしてからと言い聞かせていつまでもいるわけにはいかない)

自分のような存在が一般家庭に長く居座るべきではない。情報をある程度集め、整理しただ出ていくべきだ。

異世界の存在故にヴァンパイアの王がどれほど力を持っているのか誰一人として知らない。穏やかに暮らせる可能性はある。けれど、力を持つものは必ず争いを引き寄せる。だからこそ孤独に歩かなければならない。

頭ではもちろんわかっている。

しかしこの家にはストラウスを引き留める理由がある。

ひどく感傷的で、未練たらしい理由だ。だからこそ心が引きずられる。

 

ストラウスはこの世界に来た時を思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頬に風を感じて、ローズレッド・ストラウスは意識を覚醒させた。

自分が意識を覚醒させたことが信じられなかった。

「なぜ、生きている……」

己は50代目の黒鳥・比良坂花雪と全力で戦い、そして敗北し、死んだはずだ。

両掌を見つめ、貫かれたはずの胸の上を触ると、そこには穴などなく、見事に完治している。

生きているはずがない。自分は確かに死んだはずだ。

ブラック・スワンに負わされた傷は無意識に治せるものではない。それに花雪が見逃すというミスをするはずもない。彼女は覚悟を決めていた。なによりも1000年をかけて成長したブラック・スワンはストラウスを完全に凌駕している。

自分が生き延びる可能性などない。

だが生きている。仰向けに倒れ、夜空を見上げている。

身を起こすのに痛みさえ伴わなかった。ストラウスはますます混乱した。

自分は生きているのか?それともここは死後の世界なのか。

空には現世と変わらず月が輝き、草木の香りが漂い、耳を澄ませば小さな動物の息遣いがする地獄にしてはのどかな世界。

立ち上がり、服についた土汚れを払う。

「私が落ちるにしては随分と平穏な地獄だ」

ステラと同じ場所にたどり着けるなどとは思っていない。ストラウスは死後の世界があるならば自分は地獄の、それも最下層にいくべきと思っている。

ともあれ、ここは死後の世界ではない。

つまり自分は何らかの理由により生き延びた。

そう結論をだしたストラウスの行動は早い。

あの戦いからどれほどの月日が経過したのか。最後の羽計画はどこまで進み、血族の月への移住は順調なのか。

自分が生きていることによる世界への影響。コンタクトを取るべきか、取らざるべきか。

王として考えるべきことの後に、二人の娘の顔が浮かんだ。彼女たちは元気にしているだろう。

(花雪は……難しいだろう。あの戦いで私を殺せなかった彼女を見限って、ブラック・スワンが食い殺している可能性が高い)

ストラウスが生きている、ということは黒鳥憑きの少女は死んだということ。

 

 

 

 

自身の魔力を使い、ストラウスは広範囲を探索する。探索だけを行うなら、1万キロ離れた場所から発射される核爆弾を探知できるのがこのヴァンパイアである。

街を超え、国を超え、大陸の一部さえもくまなく捜索し、血族の魔力、霊力を探す。

(なんだ、この地形は……待て、大陸の形が違う……⁉)

霊力は探知できなかった。魔力の反応は大から小まで数多に存在することにも驚いたが、それ以上に驚愕したのは探知した大陸の形がストラウスの知るどの大陸にも当てはまらなかったことだ。

世界中を旅していたストラウスの頭の中には精巧な地図が入っている。山脈の位置、高さ、河川の数、距離、海岸の形……何を見ても当てはまるものはない。

魔力の探知数も異常だ。魔力を持つものはヴァンパイアとその血族であるダムピールのみだがあきらかに血族の人口よりも多い。桁が違いすぎる。

また血の濃さにより魔力の強さは変わるが、ストラウスの今の探索ではダムピールほど強大な魔力は見つからず、逆に小規模のものばかりが見つかった。

地殻変動が起きたのか、それならばどれくらいの時間をストラウスは眠っていたのか。

さまざまな説を並べるが、魔力による探索では情報が乏しい

(すべては憶測の域をでない。ならばまずは)

すぐ近くに街の明かりが見える。さきほどの探索でも多少の魔力の反応があった街だ。

「情報収集といくか」

幸いにも服は着ている。宇宙人との戦いでは無傷だった鎧はブラック・スワンとの死闘で砕けちったのか、残骸さえ残っていない。マントもない状態だが現代の人間社会において鎧とマント姿では警察に通報されるのが関の山なので魔力で生み出さなかった。

飛んでしまうと、地上の変化に気づけないと思いストラウスは歩いて街へ向かう。

 

 

たどり着いた街の様子はストラウスをさらに驚かせる。

ストラウスとしては街で何人かに話を聞き、ネットカフェなどでパソコンに触れられればいいと考えていた。

一般のパソコンでは物理的に接続不可能なデータベースも魔力を使えば接続できる。国家の機密情報を探れば、夜の一族たちがどうしているか知れると踏んでいたのだ。

 

その街では人々は見慣れぬ民族衣装を身にまとっている。

これはいい。長い時間で文化が変化したと理解できる。

問題なのは誰一人として携帯電話やタブレットなどの電子端末を保有しておらず、文明のレベルが明らかに逆行していることだ。電波やそれに代わる通信方法があるのか探ったがすべて空振り。

街中には一切、電線がはっておらず、車の姿はない。代わりに馬車がいたるところを走っている。

観光地として景観を守るためにあえて文明のレベルを落としているにしては、街全体が繁盛している様子はない。

(これはどういうことだ)

通行人に怪しまれないように街と国の名前を聞いたが、聞き覚えのないものだった。

なのに言葉は通じる。

 

街の看板の文字さえ読めない。見たこともなく、どの言語体系にも属しているかもわからなかった。

さらに暦さえ聞いたことのない単位だった。しかも暦が変わってから700年以上経過している。

ストラウスは申し訳なく思いながら、一家団欒の様子を覗き観察した。どこの家にも冷蔵庫や電子レンジ、テレビなどの家電は一つもない。暖炉を囲む親子の姿は微笑ましいが、50年以上は昔の光景だ。

文明の発達レベルのみで判断するなら自分の置かれている状況は、タイムスリップか。

いくらストラウスの魔力が星さえ砕くものでも、時間を超えられるはずがない。

だがあり得ないなんてことは存在しないのかもしれない。

自分はヴァンパイアで体感時間ではついさきほど地球を侵略しに来た宇宙人と戦ってきたと、何も知らぬ人間に話したところであり得ないと否定される。

それと同じだ。

ただ過去へのタイムスリップと判断するのは暦や大陸の形はストラウスの1300年以上の記憶には存在しない。

 

 

ストラウスは街を離れ、空を飛び、さらに大きな街へと向かった。

そこの文明レベルも前の街と同じであった。

さらに聞き込みを行い、星人フィオの襲来さえ歴史の中に残っていないことが分かった時、ストラウスの頭の中に一つの結論が出た。

 

 

異世界に近い平行世界。

 

 

あまりにも分岐点が離れていて異なる生態系、異なる文化、歴史を歩む星。

そもそもこの星は地球という名前ではないかもしれない。

世界を飛び回りながら探ったが血族の気配は一つもない。

最後にと、足を運んだ月面にはステラの墓さえなかった。

 

 

荒唐無稽だが信じるしかない。

自分はいま、異世界にいるのだと。

 

月から地球に戻ってきたとき、ストラウスは最初の街へと再び訪れていた。

行く場所が、ここしか思い当たらなかった。

公園という文化、ベンチという道具が異世界にあってよかったと、座りながらストラウスは一人考える。

 

ストラウスはヴァンパイアであり、星を砕く力を持つ魔人であるが……もはや夜の王ではない。

守るべき血族はこの世界にはいない。滅んでしまっているのではなく、最初から存在しない。

夜の国の残滓や痕跡はどこにもない。

60歳にして夜の国の大将軍を務め、300歳で夜の一族の王になったストラウスには背負うべきもの、守るべきものが常にあった。

常に国のため、血族のため、世界のために生きてきた男は、ここではじめて使命もなく義務も持たない身になった。

どうも自分が死んだのは間違いないがどういうわけか異世界にやってきたらしい。

ブラック・スワンが解放され、ステラとその娘の魂が解放されたならよかった。花雪も死ぬことなく、その生を謳歌しているはずだ。もう誰も死ぬことはない。

ここでストラウスは世界の敵になる必要はない。誰かを殺す必要も、ストラウスが死ぬ必要もない。

誰一人としてストラウスを知らないのだから……

 

 

「さて、私はどうしたらいいのか……君はどう思う、ステラ?」

頭上の月に問う。月には彼女の墓はないが、ステラはいつも月のようにストラウスを見守り、幸せを願ってくれる存在だから、彼女の面影を月に求めてしまう。

胸に穴が開いたような虚無感、悲しみとは異なる感情は、寂しさと困惑だ。そんなものが自分の内側にあることにストラウスは苦笑した。

「目的もなく、追うべき責務もないが……力だけは健在か」

息を吸うと、空気と一緒に大気中の魔力が体の中に入ってくる。目覚めたとき落ち着いて大気の分析をしていれば、ここが異世界だともっとはやくわかったはずだ。

この世界の大気には魔力が満ちている。地球との大きな違いだ。

地球の大気に魔力や霊力は一切含まれておらず、魔力または霊力は己の体内から生み出しまかなうものだ。

この世界では自然から魔力を吸収し蓄積することで人の身でも魔力が使える。代わりなのか、霊力を使う人間はいない。

 

 

ヴァンパイアは魔力を生み出し、人間は霊力を扱い、ダムピールは魔力と霊力の両方を併せ持つのがストラウスの常識だがこの世界では通用しない。

さて、大気に魔力のない世界で、己の内側の魔力だけで月と同じ大きさの宇宙船さえ壊せるヴァンパイアが、魔力豊富な世界へ転生するとではどうなるか。

答えはシンプル。純粋にパワーアップをする。

使用した魔力の回復は早くなり、放出した魔力が大気の魔力を巻き込み、威力があがる。

絶大な力をもっている自覚はあるが、この世界との相性がよすぎて跳ね上がってしまったのはストラウスの悩みとなった。

本気を出さなくても破壊をまき散らすのに、パワーアップをしても嬉しくない。たとえ臣民が一人もいない、見知らぬ世界でも、ストラウスは王の矜持として破壊者になるつもりはない。

「……この力の使いどころがあるはずだ」

この星に宇宙からの侵略者が来ないとは限らない。

魔法が文明として発展をしているようだが、武器や兵器は現代の地球に劣っている。この星では宇宙からの侵略者に、各国が足並みをそろえて立ち向かうことはできない。

だからこそストラウスが流れ着いたのかもしれない。

いざというときはこの星を守ろう。その時が来ても来なくても、まずは生きよう。

ストラウスが月に誓いをたてていると、誰かが近づいてきた。

魔力の探知などせずとも優れた武人であるストラウスは素人の足音にすぐに気づいたがあえて反応はしない。敵はこの世界にはいないし、ずっと公園のベンチにいる自分のほうが不審者だ。

 

 

「もし、さきほどから何か悩んでおられる様子ですが、大丈夫ですか。旅のお方でしょう。もしや宿が取れなかったのですか?」

柔らかな女性の声はこちらの身を案じていた。不信感を与えぬよう微笑みながらストラウスは彼女と目を合わせた。

「お気遣いありがとう、私は―――」

少し夜風にあたって考え事をしていただけです。大丈夫ですよ。

差しさわりのない言葉は、ストラウスの中で鉛のように重くなり出てこなくなった。

言葉が出てこない失態を犯すとは自身でも信じられない。

女性の顔はストラウスを頭の先からつま先まで凍りつかせた。

「アーデルハイト……」

「あら、顔色も悪いですね」

その女性は、ストラウスの2番目の妻、ヴァンパイア王家の血を引く純血の王妃アーデルハイトに瓜二つだった。違うところはアーデルハイトは月光のごとく金色の髪をしているが、目の前の彼女は海のような青色の長い髪であること。

 

 

ストラウスが最も愛したのはステラ・ヘイゼルバーグという女性だ。彼女が死に、ストラウスは再婚をした。

 

しかし、もう一人の妻のアーデルハイトを愛していなかったのかと聞かれたら答えは否だ。

 

彼女はストラウスに惜しみなく愛をささげてくれた。対して夫としてストラウスが返せたものはほとんどない。その生涯のほとんどを封印状態で過ごし、のちに血族の新天地を作り出すために全魔力を使って月をテラフォーミングし、その生涯を閉じてしまった。いや、ストラウスが閉ざしたのだ。自分の考えた計画を実行させるために。ひどい夫だ。

「よろしければ我が家で休んでいかれませんか?すぐ近くなんです。宿がないなら泊っていってもかまいませんよ」

ストラウスの心の瑕の一人と瓜二つの彼女はそう言ってストラウスの手を握った。

 

 

そうしてフラフラと彼女についていき、そのまま世話になっているありさまだ。

 

 

かつての一国の王が情けない有様だが、赤子を抱く死んだ妻に似た女性というものは想像するよりもはるかに心にくる。

追い打ちのように、彼女の名前はアデライードという。名前さえ縁がある。

運命が何か違えば、アーデルハイトはストラウスの子を宿したかもしれない。何かが違えばストラウスには息子ができていたかもしれない。そういった想像を掻き立てられる。腕の中の赤子は男児だった。

 

 

 

 

 

 




ブラックスワン=1000年以上前に生み出された霊的な寄生体で、ヴァンパイア王を殺すために作られたもの。黒い白鳥。

魔力の溢れる世界ってそんなところに転生したら赤バラさんもっと強くなっちゃうよ。


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