貌無し騎士は日本を守りたい! (幕霧 映(マクギリス・バエル) )
しおりを挟む

1.終わりの光景

改稿が、大方完了致しました。
待ってくれてた人が居たらありがとうございます。
以前との変更点としては、

・ 『天使の聖骸布』戦闘シーンの大幅強化
・不評だった10話以降の展開が完全に新しく
・ 新ドミネーターのエピソード追加
・一話から最新話まで、文体や描写の推敲
などとなります。
他に訂正した方が良い要素があれば、感想までお願いします。


ーー太陽が堕ちてきた、とでも形容すべきだろうか。

 

天を焼き尽くし、ビル群を呑み込み、終いには大地さえ熔解させる。

さながら『星が星を喰っている』様な光景を、彼はただ見ている事しか出来なかった。

 

「……また、か」

 

ーー熱い、熱い、熱い

 

巨大な瓦礫がハウスダストみたくパラパラと舞い、人々の命を刈り取っていく。

彼もその例に漏れず、熱さを感じた次の瞬間、目の前に灰色のアスファルトが広がった。

 

ばちゃり、と。

 

命の弾ける音が近くで聞こえる。

 

彼の意識は、闇に包まれた。

 

■□■

 

世界、述べ一億人が犠牲となった同時多発隕石災害。

その日を境、世界各国に『ドミネーター』と呼ばれる怪物達が降り立った。

 

奴らは互いに殺しあい、その遺骸を喰らう。

そしてその“ドミネーター“は強化されるのだ

そして最後まで生き残った制圧者及び制圧地帯が、この星の覇権を握る、と。

 

アメリカのワシントンDCには、“空を覆う赤色の大樹“が。

中国の北京には、“液体状の炎“が。

イギリスのロンドンには、“災禍の星“が。

韓国のソウルには、“抉る幽霊“が

ロシアのモスクワには“荒ぶる剣神“が

 

……そして、日本にはーー

 

(どうしてこうなった……!?)

 

ーー何かの間違いで『ドミネーター』の仲間入りをしてしまったこの俺。“無貌の騎士“が、君臨している。

 

■Before

 

「ッ、ァ……?」

 

目を開くと、何故か若干狭くなった視界に光が流れ込んでくる。

上体を起こし辺りを見回すと、正に阿鼻叫喚という有り様で、人々の悲鳴と慟哭が崩れた文明の中で響き渡っていた。

……何が、起こったんだ?

 

「た、す、けて……っ!」

 

俺が頭を抱えていると、どこからか助けを求める声が聞こえた。

かなり切羽詰まっている声色だ。

……助けに行った方が、良いよな。

 

試しに手をグーパーしてみると、力はちゃんと入る。むしろ入りすぎるぐらい。

足に力を込めると、ちゃんと立ち上がれた。

目線がかなり高い気がするが、多分混乱してるだけだろう。

 

悲鳴の主は、意外とすぐに見つかった。

女の子が、倒壊したコンクリートの下敷きになっていたのだ。

顔から血の気が引くのを感じる。早く助けなければ。

俺はそこに駆け寄り、瓦礫に手を掛ける。

そしてーー

 

「ぐぉぉぉ!」

 

ーー彼女を安心させるために『大丈夫ですか!?』と言おうとしたら、獣みたいな呻き声が出た。

 

「きゃぁぁぁっ!?」

 

瓦礫の下にいる女の子が、俺を見て悲鳴をあげる。

まるでジャミラに苦戦していたらゼットンが来た。みたいな顔をしている。

とにかく絶望がより深くなったのは間違いない。

な、なんでだ!?俺ってそんなにグロメンなの!?

マジで傷付くんですけど!死にかけてるんだから、普通どんな奴が来ても喜ぶよね!?

 

「な、何ですか貴方!コスプレイヤーか何かですか!?」

「ぐおっ!(違うよ!)」

「日本語しゃべって下さいよぉぉぉ!」

 

現在進行形で瓦礫に潰されてるのに元気だなこの子。

と言うか、なんで喋れないんだ俺。

どれだけ頑張っても『ぐお!』とかしか出ない。

国語の成績は低かったが、言語能力はマトモだった筈だ。少なくともさっきまでは。

 

「た、助けてくれるんですか?」

 

瓦礫に手を掛けた俺を見てか、恐る恐る、という感じで少女は言った。

ああそうだ。早く助けなきゃ。

……と言っても、これ撤去できるのか……?

一人の人間の動かせるサイズじゃないだろ……

そう思いながらも、瓦礫を握る指に力を籠める。

 

「ぐおっ!?」

 

ーーすると、パキ、と音を立てて、握っていた場所が俺の指の形に抉れた。

まるで、千切られたみたいに。

なんだ……?ここだけ脆くなってたのか?

 

「あの、無理なんですよね!?できれば私のお墓は海の見える丘の上に……うわぁぁぁん!やっぱり死にたくないよぉぉぉ!」

 

死に対する恐怖で頭がおかしくなったのか、少女が叫び出す。

こ、こうなったらヤケクソだ!全力で押してみて駄目だったら大人しく他の人を連れてこよう!

そう決意し、俺は助走を付けて瓦礫に突進した。

 

「ひゃぁぁぁっ!?」

 

ーー瞬間、耳元で何かの砕け散る音が聞こえた。

何事かと思い後ろを見ると、そこには驚く先程の少女と、バラバラになった瓦礫の残骸が散乱している。

 

「……ぐぉ?(……へ?)」

 

俺のタックルで、コンクリートブロックが砕けた?

……いやいやいや!?どうなってんだよ!?

思わず頭を抱えていると、後ろから男の声が聞こえる。

 

「ちょっと君。そんな格好で何してるの?」

「ぐおお……?」

 

ーー振り向くと、自衛隊らしき迷彩柄の男が訝し気な目で俺を見ていた。

……あっ、そっか……そりゃ災害なんだから、救助とかに来るよね。

自衛隊ってほんとに有能だな。こんな早くに来てくれるなんて。

俺も助けてもらおう!

 

「ぐぉ、ぐおぉ、ぐおっ!(なんか、目が覚めたら喋れなくて困ってたんですよ!いやー!良かった!自衛隊さんが来てくれたなら安心ですよ!ほんと!)」

「とりあえず。手錠させてもらうよ。」

 

カチャリ、と。

手首に銀色のワッパが嵌められた。

へー、手錠、手錠ね……はいはい……

 

「ぐぉっ!?(ヘアッ!?)」

「お兄さん多分、クスリとかやってるよね?それにそんな……騎士みたいな格好、どう見てもヤバイ人だよ」

 

き、し……?あの、『騎士』か?

誰が、俺が?

 

「あ、あのっ!待ってください!その人は私を助けてくれたんです!変な格好ですけど、多分、きっと、恐らく、悪い人じゃないです!」

 

人生初めての手錠に俺が唖然としていると、先程の少女が自衛隊へ向かってそう叫んだ。

いや、『多分きっと恐らく』の三段活用って……そんなに自信無いの……?

 

「じゃあ、輸送車に行こうか」

「ぐぉ……(ハイ……)」

 

自衛隊の人に引っ張られ、俺は近くに停めてある車の方に歩いていく。

……はあ。どうなるんだろ俺……状況が全く分かんないし。

そもそも俺が騎士ってどう言う事だ?

輸送車のドアが開き、俺は車内に無理やり入れられた。

 

「あれ、先輩どうしたんですか……ってなんですかその人!?」

「ああ。なんか、不審者っぽい。手錠はしてあるから、お前が見張っといてくれ。」

「ちょっ、せんぱっ……ああもう!いっつもあの人面倒ごとばっかり押し付けるんだから……それに何の権限も無く手錠はマズイですよ!?」

 

俺を車に押し込んだ自衛官は、そそくさとどこかへ行ってしまった。

車内に残されたのは、俺ともう一人の自衛官のみ。

場を、静寂が支配した。

 

「……あのー。先輩がすいません。なんかしちゃったんですか? それにその服装?カッコいいですね!」

 

気まずさに耐えかねたのか、自衛官が振り向いて俺に話題を振ってきた。

黒髪青目の幼げな女性で、外国人とのハーフなのかもしれない。色白で結構可愛い。

……いや、それは良いとして。仮にも自衛官が不審者と世間話しようとすんなよ。

そもそも俺、なぜか今喋れないし。

……紙とかあれば、意思疏通はできるのかな……

 

「ぐお、ぐおぉ(紙と、ペンって無いですか?)」

 

俺は身ぶり手振りで、『紙』と『ペン』をジェスチャーしてみる。

 

「えっ……食パンと、ウィンナーですか?そう言えば今日お昼ご飯食べてないな……」

 

違う違う!なんで食い物と結び付けんだよ!

 

「ぐおぉぉ……」

「あ、すいません電話来たので後にして貰っても良いですか?」

 

女自衛官は、携帯を耳に当て、その向こう側にいる誰かと会話を始めてしまった。

あぁ……ほんとにどうしよう……

 

「……え?ドイツが消滅?怪物によって?あははは!え、ちょっと、冗談きついですよー!あははは…………え、マジですか?……なんですかドミネーターって。」

 

なんか前の方から凄い会話が聞こえてきている気がするが、今はそんな場合じゃない。

これから自分がどうなるかを考えなければ。

 

「現場に変な怪物みたいなの居なかったかって? 私の後ろに、騎士っぽい鎧着た変な人居ますけど……捕まえちゃいましたよ。……へ? それが、日本のドミネーターだって? うぇ、ちよっ、切らないでっ!」

 

ブツリ、と音を鳴らした携帯を座席に置き、女自衛官が、ギギギと効果音が付きそうなぐらいの速度でこちらに振り向いた。

物凄い形相で、冷や汗をダラダラかいている。

 

「ぐぉ?」

「あ、ぁ、あの。ぅあ、っ、えぇ、と、てててて、てじょー、はずしししししっ!」

「ぐぉぉ!?」

 

テンパり過ぎて、女自衛官は舌が回らなくなってしまった。

小刻みに振動しながら、『てててててっ』と言っている

ど、どうしたんだ!?怖いぞ!?

 

「ぐおっ!(深呼吸、深呼吸!)」

「ぇ、あっ、あ、ありがとう、ございます?」

 

肩に手を乗せてあげると、少し落ち着いたのか振動は止まった。

よ、良かった。人間が高速でバイブレーションする光景は、中々ショッキングなものがあったからな。

 

「あ、あの。私の事、殺すんですか?」

「ぐお!?(は!?)」

 

いやいやいやいや!殺すってなに!?俺、虫さえ潰さずに窓から逃がす派の人だよ!?

つか誰を殺すの!?この人を!?なんで!?

 

「ぐおおん!(殺さないからね!?)」

「あっ……殺さないんですね。なんとなく何言ってるか分かるようになってきました……」

 

ほっとしたのか、『はぁぁぁ……!』と溜め息をついて女自衛官はへにゃへにゃと座席からずり落ちた。

俺が大丈夫かと聞こうとすると、窓が外からドンドン叩かれる。

窓ガラスの向こうには、若い男がいた。

 

「無事か!?結城二士!」

 

何事かと思いながらも、俺は窓を開ける。

 

「ぐぉぉ!?(なんですか!?)」

「うわぁぁぁ!化物ぉぉぉ!」

「ぐぉっ!?(なんでさ!?)」

 

俺の顔を見た自衛隊員は、泡を吹いて倒れてしまう。

車の周りはかなりの数の自衛隊員が包囲しており、臨戦態勢、という感じだった。

 

「ぐぉぉ……(俺が何をしたって言うんだよ……)」

 

ーー誰か助けてくれ。いやマジで。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2.ファーストコンタクト

「こんなのは、SFの中だけで充分なんだよ……!」

 

日本国防省長、鶴瓶明敏はかつてない程に苛立っていた。

世界各国を襲った隕石災害。

その中から出てきた、『ドミネーター』と呼ばれる怪物達が、全ての国に一体ずつ存在を確認された。

極めつけに、その怪物達の『縄張り争い』によって消滅した国家が既に三つに登っている。

そして、たった今掛かってきた電報が更に彼の頭を悩ませる事となった。

 

『隕石付近で、日本のドミネーターとおぼしき存在を捕獲しました!』

 

「……ああクソ!」

 

馬鹿かこいつらは。

一瞬で国を消せる存在を、『捕獲』しただと?

機嫌を損なわせて暴れさせてしまえば、日本は終わると云うのに。

 

とりあえず自衛隊には、ドミネーターを出来る限り刺激せず、市街地の遠くへ輸送しろと指示した。

……だが、ドミネーターの存在を国民から隠すのは難しいだろう。

既にインターネットで、世界各国のドミネーターの画像が無数に出回り、某掲示板では名前をつけられたり、ゲームになぞらえて『ステータス』なども定められている。

当然マスコミを大騒ぎで、『エイリアン』や『神の裁き』などとのたまう始末。

彼は今一度、頭を抱えた。

とその時。ポケットに入っていた携帯が震えて、電話の着信を示す。

 

「どうした!?ドミネーターが暴れだしたか!?」

『い、いえ!ドミネーター、日本語分かるっぽいです!あ、ちなみに好物はパンとソーセージらしーー』

 

プツン、

 

「はぁぁぁ……!?」

 

つい反射的に、電話を切ってしまった。

 

「転職しようかな……」

 

鶴瓶明敏。妻子を抱えて路頭に迷うか、胃袋を犠牲に職務を全うするか。決断の時である。

 

◇◆◇

 

「ぐぉぉぉ……(もぅまぢ無理……)」

 

狭苦しい輸送車の中、屈強な自衛官達の鋭い視線を浴びながら俺は座席に縮こまっていた。

……いや、ガチで泣きそう。

怖すぎだろ自衛隊。なんか、軍人特有の威圧感的な物がハンパ無い。

 

「……君は、『ドミネーター』なのか?」

 

沈黙を破り、周りより階級の高そうな男が俺にそう問い掛けてきた。

……え、なにそれ。あれか?あの、犯罪係数とか量るやつか?

俺にそんな機能無いんだけど。犯罪度どころか、アナログ時計さえたまに読み間違うんですけど。

 

「あ、隊長!さっき話したんですけど、その人パンとソーセージが好きらしいです!」

「お前は黙ってろ」

 

さっきの女自衛官が元気よくそう言うと、上官らしき男の拳骨が落とされた。

それに対して『このご時世に鉄拳制裁ですか!?』と半泣きで騒ぐ女自衛官を尻目に、男は俺に向き直る。

 

「……ここだけの話だがな。今世界では、正体不明の怪物達が暴れまわっているんだ。」

「……ぐぉ?」

 

なんだって……?

困惑した様子の俺を見て、男は更に続ける。

その瞳には恐れの色が滲んでおり、まるでとんでもない猛獣に対して語りかけているようでもあった。

 

「その態度を見る限り、言葉は通じてる……のか?明らかに中世ヨーロッパの騎士っぽい格好だが……」

 

だから、騎士ってなんの事だよーー?と頭を抱えそうになった時、俺はやっと気が付いた。

 

「ぐおっ!?」

 

ーー自分の頭、腕、いや全身が、黒鉄の鎧に包まれている事に。

 

「……君、かなり態度に出るタイプだろ?言葉は分からなくても、滅茶苦茶ビックリしてるのが分かるよ。」

 

ーーマズイ。頭が忙しい。

 

「とりあえず、もうすぐ駐屯地に着くから。そこで詳しく君の事を教えてくれ。」

 

叫び出したくなるのを抑え、自分の身体をペタペタ触る。

……触覚はある。鎧に包まれたと言うよりは、皮膚が鎧になった。の方がしっくり来る気がした。

俺はこいつらの言うとおり、化物になったのか?

 

「だ、大丈夫ですか……?」

 

俯いた俺を心配したのか、さっきの女自衛官がおずおずとそう言ってきた。

そのお陰で少しだけ気持ちが落ち着く。

ざわめく心を沈めるため、深呼吸をした。

 

「……先輩から聞きました。あなた、瓦礫に潰されてた女の子を助けてあげたんですよね?」

 

女自衛官は、その青色の瞳を優しげに細めながら俺に問いかける。

まぁ、一応……と。俺は肯定の意を込めて小さく頷いた。

 

「……やっぱり。なんか、悪い人な気がしませんもん。あなたが国を消すとか、想像できません。」

 

そっと、女自衛官が手を差し伸べてくる。

 

「……私、結城 馬酔木(ゆうき あせび)って言います。良かったら、握手してくれませんか?」

「ゆ、結城二士!危険だ!」

 

他の自衛官にそう言われながらも、女自衛官……アセビは、握手の姿勢を取ったまま俺を見ている。

唖然として手を取れずにいると、だんだんと不安そうな顔になっていく。

 

「……やっぱり、駄目なんでーー」

 

ーー瞬間、世界が光に満たされた。

 

「ぐあぁぁぁっ!?」

 

運転手の目が光にやられたのか、輸送車がガードレールに衝突して車内を凄まじい衝撃が襲った。

エアバッグが作動したらしく負傷者はいない。

俺が急いで車から出ると、それを追ってか何人かの自衛官も外に出てきた。

そして眩しさを感じて天を仰ぐと、そこにはーー

 

「てん、し?」

 

誰が言ったのかは分からないが、その表現は的を得ていた。

なにせ、空にはためく『ソレ』は天使としか形容できないのだ。

白い翼はある。だが、その肌は土色に荒れ果て、口の中の歯は黄色く汚れている。目と右腕に巻かれた赤い布に、極めつけは頭の上に浮かぶ、リング状の蠢くナニか。

芸術家やキリスト教徒が見れば激怒しそうな代物だが、それでも俺たちの中にはそれを『天使』以外で表現できる者は存在しなかった。

 

「あわ、あわわわ……!?」

 

お手本の様なテンパり方をしているアセビを尻目に、奴と視線が交差する。

だが、俺はすぐに違和感を覚えた。

 

ーー全く、怖くないのだ。

 

正しくは、『脅威を感じない』と表現すべきか。

普通の人間はアセビの様な反応をするだろう。

他の自衛官も、あまりの光景に言葉を失っている。

本来、俺も危機感を覚えなければおかしい。

 

「っ、くそが……! 総員! ヤツは恐らく日本に侵略してきた『ドミネーター』だ!迎え撃つぞ!」

「隊長!?発砲許可は降りていないはずです!」

「今はそんな事言ってる場合か!責任は俺が取るから全弾撃ち尽くせ!」

 

爆薬の弾ける音を鳴らし、隊長と呼ばれた自衛官が暫定『天使』へ銃を放つ。

それに続く様に、他の自衛官も発砲を始めた。

数多の鉛玉が、鉄色の嵐が如く天使に襲いかかる。

 

「キ“ュ“エ“ァ“ァ“ァ“!」

 

天使が、咆哮する。

その左手からは、バチバチと雷が発生していた。

そしてそれは次第に収縮していき、最終的には棒状に落ち着く。

 

「なんだよアレ……!?銃は効いてないのか……?」

 

ーーそれは、圧縮された破壊の権化。

『雷の槍』とでも呼ぶべきか。

天使は上体を大きく反らせ、その筋肉をビキビキと硬化させる。

オリンピックなどで良く見る、槍投げの体勢。

 

「キ“キ“キ“キ“!」

 

天使の口元が、醜く歪む。

布で覆われて目は見えないが、笑っている様に見えた。

 

「もう、おしまいだ……」

 

あまりの光景に心を折られたのか、一人の自衛官が膝を着く。

せせら嗤う天使の声が、世界を満たしていた。

 

「ギジィィィ!」

 

ーー槍が、投擲される。

『雷の槍』から迸る雷撃が周囲に降り注ぎ、コンクリートさえも抉った。

余波だけでもこの有り様なのだから、本体に触れればきっと人体なんて塵も残らないはずだ。

俺は、そう思考しながらその眩しさに目を細める。

……『多分』物凄く速いのだろう。

そもそもあれ雷だし。レーザーみたいなものだ。

 

ーーしかし、見える。

 

「グォォォ!」

 

高ぶる本能に任せ、一か八かで雷の槍に向かって右腕を振りかぶった。

瞬間、ピリつく感覚と耳をつんざく轟音を残して、雷槍は掻き消える。

腕を確認すると多少鎧が焦げ付いてはいたが、ほぼ無傷に等しい。

 

「……守って、くれたのか?」

 

驚き混じりにそう言った自衛官へ『グッジョブ』のジェスチャーを返し、天使に振り向く。

ヤツは空にホバリングしたまま、興味深そうに俺の様子を伺っていた。

……さて。カッコつけたけど、どうしようか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3.【DMT―011DZ『天使の聖骸布』】

https://syosetu.org/?mode=favo_input&nid=204386


「……ヤツに、勝てるか?」

 

考え込む俺に、不安そうな顔で自衛官が問いかける。

……向こうが空にいる以上、飛び道具が無いこちらは圧倒的に不利だ。

ひとまず足元にあった手頃な石を持ち上げ、全力で投擲する。

 

「キ“ェ“ア“ア“ア“!?」

 

空気の弾ける音を残し、とんでもない速度で飛んでいった石は、天使に着弾する寸前で『溶けた』。

……ダメージが通った様子はない。自衛隊の銃を食らった時もあんな感じだった。

恐らく奴が自分の意思で防いだのではないだろう。

まるで『システム上』“鉄の銃弾“や“石“が通用しないために、命中したという事実が捻じ曲げられた様な……そんな気がした

 

「っ、おいドミネーター!あのビームがまた来るぞ!どうするんだ!?」

 

唖然としていた俺に自衛官が叫ぶ。

急いで空を見上げると、ヤツの右手にはまたあの『雷の槍』が握られていた。

まずいな……このままじゃジリ貧だ。

 

今一度、ヤツの姿を確認する。

鳥のような白い翼、土色の皮膚、頭の上に浮かぶリング状の肉塊、目と右腕に巻かれた赤い布。

まるで、天使の皮を被った悪魔みたいな風貌。

身体は貧相だ。何となく、当たりさえすれば一撃で倒せる様な気がする。

だがこの距離を埋める手段は無い。

……そうだ。俺に翼でもあればーー

 

「ガア"ァ"ァ"ァ"……!」

 

ーーメキメキと。自分の背から何かの成長する様な音が聞こえる。

頭の底から涌き出る『飛翔』の概念の中で、この状況における最適なフォルムを導き出す。

背部へウィングやエンジンを形成・展開し、そこで発生したエネルギーを打ち出すブラスターを創造する。

 

「ドミネーター……?」

 

アルミホイルをぐしゃぐしゃに丸めた時のような、奇妙な金属音が世界に鳴り響く。

 

ーー本能が、書き変えられていく感覚。

 

「……」

 

ーー俺は、『飛べる』

 

「グ、ォ“ォ“ォ“!」

 

後ろを見ると、背中部分の鎧が変形してそこから鉄の翼が発生していた。

ギギギと機械の軋むような嫌な音が響き渡り、鉄の翼は駆動する。

全開となったブラスターからアスファルトを熔解させる程の青い炎が吹き出した。

 

「なんだあれは……、ジェット機構か……!?」

 

次の瞬間俺は中天に浮遊していた筈の、天使の目前まで飛んできていた。

咄嗟に天使の頭をひっ掴み、ジェットを逆方向へ稼動させ、更に地面に落ちるスピードを利用して道路に思い切り叩きつける。

 

「ギジィィィ!?」

 

ーーが、アスファルトに叩きつけられた天使の顔面は、全くの無傷だった。

しかし俺に握られている部分の頭蓋骨は、指の形に陥没している。

……俺の攻撃でしか、こいつは損傷しないのか?

 

「キェ“ェ“ェ“ェ“……!」

 

拳を二発叩き込むと、天使は呻き声を上げながら動かなくなる。

口端から青色の血泡が吹き出すのが確認できた。

……終わり、か?意外と、あっけなーー

 

「っ、おい! 後ろだ!」

 

ーーしゅるしゅると、天使の目に巻かれていた赤い布がほどけていく。

それは、腕に巻かれていた方も同様であった。

 

「ぐ、が、ァッ!?」

 

凄まじい力で、首が何か細長い物体に締め上げられる。

なんとか下を見るとそれは、表面に血管みたいな物が浮き出ている赤い布だった。

 

ーーこちらが、本体か。

 

しまった。

天使の身体が異様に脆かったのは、あれが分体だったからか。

ピキリピキリと。少しずつ首部分の鎧が砕けていく。

痛みは無いが、得も言われない焦りを感じる

 

「グォ“ォ“ォ“!!!」

 

首に巻き付く赤い布を掴み、引き離そうとした。

力ではこちらに分があるのか、以外と簡単に首から布は外れていく。

だが外れたと思った途端、ひるがえった布の先端が鋭利な刃物に変化して俺に襲いかかってきた。

 

「×××××××!!!」

 

金切音を放ちながらうねる赤布に右肩を抉られる。

俺の肩から青い血が勢い良く吹き出し、遅れて鈍い痛みを感じる。

だが、これならまだ掠り傷だ。

戦闘には問題無ーーー

 

「ガ、ァァ……っ!?」

 

ーーー右腕が動かない。

焦れったく思いながら腕を確認すると、俺の鎧は傷口を中心に天使と同じ土色に染まり始めていた。

僅かだが静電気のような小さい閃光が絶え間無く確認でき、それは少しずつ強くなっているように見える。

 

……攻撃を当てられた箇所は、ヤツの支配下に置かれるのか?

体から血の気が引いていく。まるで寄生虫だ。と思った。

このまま放置すれば腕以外にも拡がって最終的には全身の制御を奪われるかもしれない。

……なら、やれる事は一つしか無いだろう。

覚悟を決めろ……俺。

 

「ガァァァ……!」

 

ーーー深呼吸をし、思い切り肩口から右腕を捻り切った。

噴水の如く血液が吹き出て、痛みを通り越す程のマグマ染みた熱で意識がトびかける。

傷口を無理やり握り潰し、止血した。

 

「×××××××!」

 

再度襲い来る布を、残った左腕を反射的に刃へ変形して迎え撃つ。

幾度か剣裁が鳴り響き、赤布の体表に僅かずつ刀傷が刻まれていく。

大丈夫だ……勝てない相手じゃない……!

 

「××××××!?」

 

怯んだ隙を見て、俺は赤布を踏み潰した。

それにより厄介だった動きが止まる。

足でがっちり固定した赤布を引き千切ろうと、左腕で思い切り引っ張った。

繊維が崩れる時にするような、ブチブチという音が聞こえる。

 

「ガァァァァッ!!!」

 

最後の一押しのため、俺は布に噛み付いた。

布も抵抗し、蛇の如くのたうち回る。

がむしゃらに振るわれたであろう布端が俺の腹を貫く。

自分の血か相手の血かは分からないが、口内が鉄の香りに包まれた。

 

「×、××……××……」

 

何分、いや何秒経った時だろうか。

布が、小さく痙攣した後にその動きを止めた。

ぐったりと地面に横たえており、先程までの力強さは感じない。

 

「が、ぁ……(やったか……?)」

 

腹に突き刺さった布を引き抜き、念のため踏み潰す。

反応は無い。

 

「ドミネーター、お前……!」

 

自衛隊が数人、こちらへ走ってくる。

俺が力を振り絞りガッツポーズをすると、みんな手を取り合って喜んだ。

 

「傷は大丈夫か……?」

 

自分の右肩を触ってみる。

傷口からは青い血管らしき物が絡み合いながら伸びており、早くも再生が始まっているのだと分かった。

……つくづく、人外だ

 

「ぐおっ(多分、大丈夫だ)」

「……鎧の変形に加え、再生能力も有しているのか。ドミネーターの力の基準は分からないが……かなり強力だな」

 

なにやらメモをしながら、隊長と呼ばれていた自衛官は言った。

 

「……遅れたが、私は山吹 大河だ。これからよろしく頼む。……ドミネー、ター」

 

隊長……山吹大河は手を差し出し、握手を要求してきた。

俺はそれに何となく嬉しくなり、手を取る。

そうすると、山吹の顔が少しだけ緊張から解放された様に感じた。

 

「あ、あの。ドミネーター、さん? あなたは本当に、人間ではないのですか? ……なんだか、全然そんな気がしなくて……」

 

その時、横からおずおずとアセビが言った。

そりゃそうだよ。だって人間だもの。

と言うか、ずっとドミネーターって呼ばれるの違和感あるな。

俺にはちゃんとした名前が……

 

……名前、が。

 

あれーー

 

 

ーー俺は、誰だ?

 

 

【DMT―009JP『無貌の騎士(ノンシェイプ・ナイト)』メタレベル:NoTice(脅威なし)】

【非常に高い運動能力、再生能力、変態能力を保持した極めて強力なドミネーター。外見は灰銀の鎧に身を包んだ身長1.9メートル程のヒトガタであり、その精神構造は通常の人間に限り無く近い。だが、言語の発音は不可能。そして特筆すべきは、全体を見てもほぼ類を見ない、人類に協力的なドミネーターであるという事である。接触した自衛隊員の証言曰く、『優しいお兄さん』的な雰囲気に近いとの事。】

 

【DMT―011DZ『天使の聖骸布(エンジェル・クロス)』メタレベル:Caution(都市が消滅する程度の脅威度)】

【DMT―009JP無貌の騎士(ノンシェイプ・ナイト)によって破壊されたこのドミネーターは、寄生した対象を聖書における『天使』に似た特徴を持つ怪物に変化させる事が可能。『天使』は雷撃を発生・操作する事ができ、戦闘の際に確認された槍状の雷は、小さい市程度ならば消し飛ばせる程度のエネルギーを内包していると予想される。本体である赤い布を破壊すれば『天使』もまた活動を停止する。】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4.『貌の無い誰か』

ーー俺には、人間だった頃の自分に関する記憶がほぼ無い。

 

車中。その事実は、俺の心をかなり揺さぶっていた。

……だって、身体が化物になった上に人だった頃の記憶も無いのなら、今の俺は空っぽに等しいのだから。

 

「……なぜかは分からないが、かなり落ち込んでいる様だな。大丈夫か?駐屯地に着いたから、出来れば降りてくれ。」

 

のろのろと車から降りて、辺りを見渡した。

駐屯地のイメージ通りに迷彩っぽい色車が何台も停められており、その奥には自衛官の寮であろう大きな宿舎がある。

 

「命の恩人に対して忍び無いのだが……君は、これから日本政府の管理下に置かれる事になる。結果的に、軟禁に近い事になってしまうかもしれない。」

 

申し訳無さそうな顔で、山吹はそう宣告した。

……そうだよな。怪物だもんな。向こうからしたら、何されるか分かったものじゃないだろう。

逆の立場だったら、きっと俺もそうする。

 

「……ぐおぉ(分かった)」

「……抵抗されるのを予想していたのだが、随分と素直だな。いや、助かる。」

 

そう言って頭を下げた山吹は、『形式上だ、勘弁してくれ。』と俺に手錠をかけた。

それから建物に入り、長い廊下を抜けた先には、狭い独房らしき檻があった。

 

「正式な扱いが決まるまで、君にはここで暮らして貰う事になる。だが可能な限り希望には答えよう。何か欲しい物はあるか?」

 

山吹は、俺にスケッチブックとマジックペンを渡してきた。

おお、ありがたい。これでやっと意思疏通ができるな。

ひとまず、俺が元人間だと言うことを伝えーー

 

「っ!?」

 

ーー文字を書こうとペンを紙に触れさせた瞬間、俺の手に電流のような物が走ってペンが地面に落ちた。

何度試しても同じで、ペンを使うことは出来るのだが、文字を書こうとした途端、ペンを落としてしまう。

……徹底的に、意思疏通は出来ないって事か。

 

「……流石に、言葉は理解できても文字は無理か?」

 

いや違うんすよ。山吹のとっつぁん。

文字は分かるし読めるんだけど、形に出来ないんですよ。

クソ……どうにかして、こちらの感情だけでも伝えられない物か……

 

「……ぐおっ!(そうだ!)」

 

その時、俺の脳裏に閃光走る。

キュッキュと凄まじい勢いでスケッチブックに黒ペンを走らせる俺に自衛官たちは少し引いていたが、そこに書かれていた記号を見るとみんな顔色を変えた。

 

「ぐぉぉぉ……(ざっとこんなモンよ……)」

「そっ、それはっ……!?」

 

ーーーーーーー

(´・ω・`)ノ☆

ーーーーーーー

 

「……かっ、可愛い……!」

 

口元を押さえてそう言ったアセビを除いて、自衛官たちは言葉を失う。

 

「顔文字……そ、それでいいのか、ドミネーター……?」

 

山吹は信じられない、という顔だったが、俺は満足だった。

一つ一つが意味を持つ文字と違い、こちらは単なる記号の羅列だからな。

意思疏通と判定されずに使用できたのだろう。

まったく。自分の頭脳が怖いぜ……

 

ーーーーーー

( ・∇・)b

ーーーーーー

 

「う、うむ……だが、一つ、質問しても良いか?」

 

おずおずと、山吹が言う。

なんだ?今ならどんな質問でも答えちゃうぜぇ?

なにせ俺には、『顔文字』があるからなぁ!?

ヒャッハッハッハァ!!!

 

「それだと、ジェスチャーとかの方が速さも精度も上じゃないか?顔文字では単純な感情しかアピールできないし。」

 

「ぐぉっ……!?(ほんとだ……!)」

 

ーー俺は絶望した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5.終わりの始まり

「ぐぉぉぉ……(帰りたい……家どこか知らないけど……!)」

 

俺は今、自衛隊駐屯地にある独房の中で胡座を掻いていた。

マジで暇だ。さっきアセビにゲーム機借りたけどちょっとした拍子に握りつぶして泣かせちゃったし。

睡眠欲も無いから寝ることさえできない。

 

「ぐぉぉ。(そう言えば、さっき俺の体から翼生えたけど、あの変形能力ってどこまでいけるのかな。)」

 

これは多分、良い暇つぶし……違う違う。良い実験になるだろう。

試しに、人差し指が刃物になるのをイメージする。

するとピキピキと音を鳴らし、一瞬で手甲の人差し指の先端が鋭利なナイフに変わった。

 

おお、すげぇ!

試しに床を軽く切ってみると、タイルがバターみたいに切断されていく。

心の中で『戻れ』と念じたら、指はちゃんと元の形状に戻った。

その後も俺は実験を重ね、大体は今の自分の体について理解した。

 

・変形する先の色、硬さ、大きさ、性質は自由に決められる。

・今朝の『天使』にも変化できた。かなり弱体化はしているが雷も発生可能。

 

「……ぐお?(あれ、強くない?)」

 

なんだこの、『ぼくのかんがえたさいきょうのどみねーたー』みたいな能力は。

こういうのはただ強くすれば良いってもんじゃないんだぞ。

弱点とか付けないと陳腐になる……いや、自分が強い分にはOKなんだけども。なんかな……

 

「ドミネーターさんっ!ガブリ◯スの厳選と育成終わったのでポケモンやりましょう!次は負けませんよ!」

 

その時、ドアが開いて二台のDSを持ったアセビがやってきた。

いや一応勤務中だろ。遊びに来んなよ。

ああそうだ。俺の模倣能力って、人間にも使えるのかな。

丁度良いから試してみるか。

 

ーー骨組看破。筋繊維複製。内臓模倣。皮膚転写

ーーコピー開始。

 

体が捻れて縮み、体表が色白の皮膚に塗り変わっていく。

頭部から艶のある黒髪が流れ、鉄格子に反射した瞳が蒼い光を放っていた。

 

「ぅ、え、ぇ……!?わ、わたし、?」

 

……成功、っぽいな。

小さくなった手を見ながら俺は立ち上がった。

でもなんか息がしにくいし、立ってるだけで物凄く疲れる。

天使の能力が劣化していたように、人間をコピーした場合そこから更に弱体化するのか?

 

「にやぁっ!?にゃんで、裸なんですか!?」

 

変な声で驚きながら言ったアセビに指摘され、自分の体を見下げる。

そこには、存外豊かな二つの丘があった。

 

「ぐおぉぉぉっ!?(えええ!?)」

 

服とかサービスしてくれても良くないか!?

つか寒っ!体が人間モードになるとこういうのもあるのかよ!

 

「おいドミネーター。お前に話が……ってぉぉぉお!?アセビィィィ!?なんで裸で檻に入ってる!?プレイが特殊すぎるぞ!流石の俺でもドン引きだぞ!」

「み、見ないでください!ほらあなたも隠して!見えちゃいますから!」

 

急に入ってきた山吹がこの光景に吹き出す。

戻れ!戻れ!

テンパりながらそう念じると、身体は元の騎士モードに戻った。

よ、よかった……アセビの人としての尊厳を粉々に打ち砕く所だった……

 

「うう……もうお嫁に行けない……!」

「大丈夫だ。どうせ誰も貰ってくれない」

「なんでそういう事言うんですかぁ!?」

 

泣き出したアセビを尻目に、山吹は俺の方に歩んでくる。

 

「……で、なんだ今のは?」

「ぐ、ぐお……(すんません……)」

「謝罪が聞きたいんじゃない。説明を求めているんだ。」

 

真顔で物凄い圧力を放ってくる山吹に、俺は自分の能力を説明する事にした。

 

■□■

 

「……なるほど。有機物、無機物に関係無く、対象への完全変形。それが君の能力か。」

 

長時間の説明の末、メモを取りながら山吹はそう納得した。

 

「先ほど判明した他のドミネーター達と比べると……うん。正直微妙だな……」

「ぐおっ!?」

 

なに!?他の怪物達ってそんなに強いの!?

インフレし過ぎだろ!

能力コピーとか普通ラスボスクラスの能力だよな!?

 

「ぐおぉぉ!?(具体的には!?)」

「ん?ああ……例えば報告書には、触った物を“全て“『限り無く鋭利な剣』に変える能力を持つ物とかあったな。」

 

……“全て“って部分を強調してる辺り、なんか嫌な予感がするな。

 

「この『全て』はなんと人体や弾丸、ましてや空気さえ例外ではない。このドミネーターが空気に触れている限り、剣が無限に増殖する、というわけだ。そのせいでまだ姿さえまともに確認できていないらしい。」

 

……え、なにそのチート。

ただの災害じゃん。太刀打ちできねぇじゃん俺。

 

「ええと他には……『現実を改変する』とか。『死の概念そのもの』とか『他のドミネーターを使役、強化する』とか。あとはー」

「ぐぉぉ!(もういい!やめてくれ!)」

 

おかしい、おかしい!おかしいよ!

んだよそれ!もう俺の敗けで良いから人間に戻してくれ!

そんな連中と戦いたくない!

 

「……あとな。今朝君が倒した天使の件だが。死体を研究した結果いくつか分かったことがある」

 

山吹が、深刻な表情で言う。

な、なんだよ、まだ何かあるのか?

 

「アルジェリアに、別個体の『天使』が二千体いた」

 

……は?

あの怪物が、もう二千?

 

「ぐおっ!?」

「全員死骸だったがな。君があの布……『天使の聖骸布』を破壊したのと同時時刻、活動を停止したらしい」

 

体から血の気が引いていく。

案外簡単に殴り倒せたから、他の怪物達も楽勝かと思ったのに。

なんだこの、倒した敵が実は小ボスだった上、あと二千体いますよ。みたいな。

頭おかしくなるわ!

 

「そして……あと二つ、分かったことがある。一応質問するが、最悪なニュースと超最悪なニュース。どちらを先に聞きたい?」

 

ーーまだ、あるのかよ。

 

心の中で悪態を突きながら、俺はジェスチャーで少しでもマシな方を先に言う様頼んだ。

 

「……アルジェリアが、消滅した。」

 

悼ましい、と。歯を噛み締めながら山吹が言う。

……なんだって?

俺は、自分の心臓の鼓動が早鐘の如く早まるのを感じた。

 

「……これもさっき知らされた事だが、『ドミネーター』が死ぬと、その国は他のドミネーターから積極的に襲われるようになるらしい。そのせいで、計六体のドミネーターによってアルジェリアは蹂躙され、国土はほぼ更地になってしまった。……当然。そこに住んでいた人も」

 

ーー目が霞む、腹の下の辺りが熱した鉛でも呑み込んだみたいに熱い。

……俺が、あの天使を殺したせいで、国が一つ消えた?

 

「いや、君が悪いわけじゃない。……ただ、これを隠しておくのは君に対して卑怯だと思ったんだ。実際、あそこであの天使を倒さなければ逆に日本が消えていた。」

 

ーー俺は、大量虐殺者も同然じゃないか。

 

「……あと、超最悪な方はな。」

 

山吹は、追い討ちを掛ける様に続ける。

 

「もう二時間と三十分で、別の『ドミネーター』が日本に上陸するという報せが入った。」

 

ーーあと二時間半で、最低でも一つ国が消える。

それも、俺の手によって。

勝っても負けても、多くの人々の未来を、握り潰す事になる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6.【DMT―053IR『失墜せし黒龍』】

俺は、次のドミネーターが向かってくるという方向にある海をじっと睨んでいた。

沖には幾つかの護衛艦が並んでおり、陸の方にはおびただしい数の戦車がある。

 

……大丈夫だ。俺はきっと勝てるし、そして殺せる。

そもそも、これは生存競争なのだ。俺が気負う必要は無い。

それに、地球の裏側で何百万人死のうと俺の知った事ではーー

 

ーーその時、血と瓦礫に溺れる大勢の子供達の姿がフラッシュバックした。

 

「……ぐぉっ。」

 

今のは、人間だった頃の俺の記憶か?

……いや、そんな筈は無い。きっと何かの間違いだ。

これから襲い来る脅威に対して、精神がナイーブになってしまっただけだろう。

 

「……ドミネーター。戦えるか?」

 

俯く俺を心配したのか、山吹が聞いてくる。

 

……こいつには感謝しないとな。山吹がこの事実を教えてくれなければ、俺はなにも知らないまま幾つも国を消すことになっていただろう。

 

「ぐぉっ!」

 

自らを奮い立たせるため、気合いを入れながらグッドサインを出すと、山吹を含む他の自衛官たちもクスリと笑う。

……その表情は、日本の存亡を掛けた戦いに臨む直前とは、思えないほどに穏やかだった。

 

「ふっ、君は強いな……あと、通用するかは分からないが、これを使ってくれ。」

 

山吹が指示すると、部下たちが大きなアタッシュケースらしき物を俺の前に置いた。

 

「開けてみろ。」

 

俺がそのケースを開くと、その中には巨大なロケットランチャーの様な、先端に尖った黒い突起の付いた兵器が納めてあった。

 

「110mm個人携帯対戦車弾……俗に言う、パンツァーファウストってやつだ。まぁ知らないだろうが……ドミネーターとの戦いに活かしてくれ。我々も出来る限りの支援は行う。」

 

俺はそれを持ち上げた。

……なぜか、妙に馴染む。

まるで、普段から使っていたかの様なーー

 

「ドミ、ネー、ター?」

 

――その時、山吹の形状が『歪んだ。』

まさか、山吹に擬態していたのか?

俺はそう推察したが、数秒後それが全くの不正解だと気付く。

 

「ガ、ァッ!?」

 

ーー爆ぜた甲冑。もげて落ちた銀色の腕、立ち上がろうとしても足はどこかに飛んでいってしまったようだ。

全身が燃える様な激痛に苛まれる。

 

「ドミネーター!?しっかりしろ!死ぬな!」

 

ーーああ、歪められたのは、俺の方か。

霞む視界の先、俺は自らの影に、大口を開ける黒龍の顔を見た。

 

「っ、グ、オッ!(そこか……!)」

 

ーー変貌(デザイン)『天使の聖骸布』。

 

まだ僅かに残っている体に力を込め、昨日の天使の姿をイメージする。

組かわっていく体と本能に従い、全身から全力で雷撃を放った。

 

「キ“ァ“ァ“ァ“!?」

 

その『龍』は、まるで水面の様に影を飛び散らせながら、地上へと姿を表した。

光を吸い込む純黒の鱗が、日を浴びて蒸気を放っている。

 

「総員!撃て!」

 

背後から轟音が鳴り響き、無数の兵器が龍へ飛んでいく。

 

龍は少し怯んではいたが、それは兵器そのものに対してではなく、その発射音へ対しての反応だった。

 

「ドミネーター!お前、っ、体が……!」

 

山吹に声を掛けられて自分の体を見下ろすと、それは酷い有り様だった。

まず右腕が無い。胸部に大穴が空き、足に至っては腰ごと持っていかれていた。

既に鎧の修復は始まっておりあと十数分程度で完治するだろうが、戦闘中では致命的な隙となる。

 

「ァ“ァ“ァ“……」

 

龍が鎌首をもたげ、こちらに振り向いた。

その左目は雷撃によって潰れており、全身も同じく焦げ付いたり鱗が剥がれたりしている。

左目を怒りの色に染め上げ俺をギロリと睨んだのち、ヤツは身を縮めーー

 

「なっ!?」

 

ーートプン、と。地面の中へ『失墜』した。

 

「ガァァァァッ!(くそったれがぁぁぁ!)」

 

俺は唯一残った左腕を『天使』のものへ変化させ、自分の真下の地面に雷を放つ。

至近距離ゆえ自らの体が焼け焦げていくが、次にヤツの接近を許したら絶対に死ぬという確信があった。

……おそらくあれの能力は、『すり抜け』あるいは『障害物に干渉せずに活動できる』とかだろう。

その証拠にさっきの攻撃は真下の地面からだった。

音も無く、痕跡や気配さえ無い。こちらは無防備。

そんな状態で至近距離から攻撃を食らえば、このダメージも納得だ。

 

「ケ“ケ“ケ“ケ“!?」

 

顔を出した先が雷の嵐だった事に龍も面食らったのか、一瞬動きを止める。

その隙を逃さず俺は龍の顔面をひっ掴んで、更に放電を続ける。

龍の前足が腹部へ叩き込まれ、口に何かが込み上げた。

 

「ギ“ァ“ァ“ア“!?」

「ぐぉぉぉ……(逃がさねぇぞクソ野郎……!)」

 

ジタバタする黒龍を引き寄せ、腕でがっちりロックした。

雷によるあまりの熱量に、俺の鎧が溶解していく。

だがそれは向こうも同じ。

鱗は半壊、目も両方潰れている。

 

「ーー!ーーー!?」

 

遠くで山吹たちが何かを叫んでいるが、耳をつんざく雷鳴のせいで何も聞こえない。

今は目の前のこいつにだけ集中しなければ。

 

「グォォォ!!!」

 

最後の力を振り絞り、血の滲んだ視界の向こう側にいる龍を睨んだ。

口の両端からは泡を吹いており、既に絶命している様に見える。

俺は放電を止め、念のためその頭部へ拳を叩き込んだ。

炭化して脆くなった鱗がボロボロと崩れ去り、連鎖的に龍の肉体を崩壊させていく。

 

……勝った、か。

 

だが俺は痛みを感じた。

その発生源はもげた腕でも、穴の空いた体でもない。

自分の手によって地球のどこかで一つの国が。多くの人々が死に逝くという罪課に心が軋む感覚を。

 

……だが、それと同時に俺は守った。

この国を。“別の“多くの人々の命を、救ったんだ。

そう自分に言い聞かせ、再生した足で立ち上がり後ろを振り向いた。

 

「ーー!ーーー!!!」

 

遠くで山吹達が必死の形相で何かを言っている。

だが、至近距離の雷撃を浴び続けたせいか聴覚がイカれてしまって、何も聞こえない。

 

「うーーろ見ーーー!」

 

……『後ろを見ろ』?

なんだって言うんだ。あの龍はもう死ーー

 

「ン”ン“っ!ボンジュールッ!ジャポネーゼ・ドミネーターッ!!」

 

ーー俺が振り向くとそこには、派手な軍服を着た二足歩行の【・×・】みたいな顔をした木製の人形が立っていた。

身長は二メートル程で、何故か腰には大根を装備している。

軍帽のツバヘ手を添え、ビシッとポーズを取った。

 

「……ぐぉ。(……雷撃。)」

 

「あばばばばっっっ!?ちょっ!待ちなさいっ!ワタシは敵ではないっ!」

 

そう言い、人形は変なポーズをキメながら悶えている。

……反射的に攻撃しちゃったけど、この電撃に耐えてるんだったらもうドミネーターで確定だよな。

電圧上げるか。弱そうだし、このまま終わらせてしまおう。

 

「ノォォォォッッッ!!??バチバチって!首の辺りからヤバい音したんですけど!?」

 

体を海老反りにし、人形は更に変なポーズへと態勢を変えた。

調子狂うな……なんか、マスコットを攻撃してる様な罪悪感がある。

 

「大統領っ!へるぷみー!このままじゃ殺されアバババ!」

 

……大統領?なんの事だ?

俺は怪訝に思い、首を傾げる。

と、その時。上空にヘリが飛んでいる事に気が付いた

そこから顔を出した外人らしき壮年の男が、メガホン片手に何かを叫んでいる。

 

「おいデク人形!『交渉はお任せをっ!この陽キャ人形の手に掛かれば同盟の一つや二つお茶の子サイサイ!ウェーイッ!』とか言ってヘリから飛び降りたのはお前だろ!」

 

「しょうがないでしょぉぉぉ!?こんなの、海辺で殴りあって友情を深めようとしたら向こうがマシンガン出してきたみたいモンですっ!ここまで力に差があるとは思わなかったァァァばばば!」

 

……人間とドミネーターが、普通に会話している?

 

「おい日本のドミネーター!言葉通じてんだろ?ソイツが死んだら困るから電撃を止めてくれ!」

 

ヘリの上から、外国人が俺に向かってそう叫んだ。

俺はとうとう状況が分からなくなり、電気の放出を止める。

人形はプスプスと黒い煙を全身から立ち登らせ、大きく肩で息をしていた。

そして煤けたマントを払い、軍帽のツバの角度を直した後ビシッと姿勢を正す。

 

「ゼェーッ、ゼェーッ!酷い目に合いましたよ!ホントに!」

 

「だから、弱小ドミネーターの癖に無理すんなって言ったろ。」

 

ガクリと膝を着いた人形の肩を叩いた後、外国人が俺の方へ歩いてきた。

かなり身長が大きく、今の俺とも大差無い。恐らく二メートルは越えている。

何か、外的要因によって潰れたであろう右目から、この者が恐らく軍属、またはその経験があるという事が推察できた。

 

「俺はアンドレア。フランスで大統領やってんだ。よろしくな。」

 

「なっ!?」

 

背後で、山吹が驚きの声を上げる。

 

「よぉ、自衛隊の皆さん。俺は今日お前らに、一つ提案があってわざわざ来たんだ。」

 

『暫定』大統領はその野獣の様な顔を人懐っこい笑顔にし、両腕を大きく広げながらそう宣言する。

 

「ーー終わりゆくこの世界。同盟を組んで一緒に生き残ろうぜ。って提案をよ。」

 

ーー場が、静寂に包まれた。

 

■□■

 

【DMT―53IR『失墜せし黒龍(アジ・ダハーカ)』メタレベル:Caution(都市が消滅する程度の危険度)】

 

【DMT―009JP無貌の騎士によって破壊されたこのドミネーターは、ありとあらゆる物理的干渉を受けずに、他のドミネーターを除く全ての物質を透過する事が可能。攻撃力も凄まじく、無貌の騎士を一撃で半壊させる程である。だが実験の結果、光を浴びると鱗が急速に脆くなる事が発見されたため、その真価は影の中からの不意打ちに集約されると思われる。】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7.ソウルイーター

「どう、めい……?」

「おうよ、同盟だ。そのドミネーター、なぜか人間に友好的なんだろ?それに加え、あの苛烈なまでの戦闘能力。ぜひ俺達と協力して欲しい。」

 

俺へ目線を移しながら、大統領は言った。

山吹は怪訝そうな顔をしながらも、『私の権限では何も決められませんので……』と、返す。

それを聞き大統領は困惑した表情になった。

 

「あれおかしいな……日本のアニメーションだったらここで、『ああ!手を取り合おう!』とか『貴様なんざと仲間だと!?ふざけるな!』とか熱い返答が返ってくるはずなんだが……」

「大統領ッ!フィクションでその国の国民性を決めるのは少々アレかとッ!!!」

 

早くも復活を果たした人形が、大袈裟なポーズをしながら大統領へツッコンだ。

 

「まぁ、といっても日本政府にはもう話を付けてあるんだがな。とりあえずフランス大使館にでも送ってくれ。メシ食いてぇし。」

 

「大統領ッッ!!私もご一緒にッッッ!」

「車内でお前のテンションは流石にキツイからやめてくれ。」

「ノォォォッッ!!??」

 

またもや地面に崩れ落ちる人形を無視し、アンドレアは適当な輸送車の中へ入っていった。

間もなく車が出発し、海辺には俺と人形と自衛隊だけが取り残される。

 

「……アノ、ノンシェイプナイトさん?」

「……ぐおっ?(なんだ。)」

「ワタシは、これからどうすれば良いのでしょうか……?」

 

捨てられた子犬みたいな目で人形が見つめてくる。

俺はその肩へと手を乗せ、力強くサムズアップした。

 

「ぐおっ。(とりあえず、駐屯地に行こうか。)」

「ハ、ハイッ!」

 

人形が、ビシッと敬礼する。

俺達は、二人で輸送車の中に乗り込んだ。

 

■□■

 

「その時降り注ぐ隕石ッ!自由に動く様になったマイボディッッ!少女の作りし矮小な人形はッッ!この世に生を受けたのですッッッ!」

 

話を聞く限りこいつは元々普通の人形だったのだが、なぜかドミネーター化してしまったらしい。

だが、自分の持ち主兼制作者である少女から大切にしてもらった記憶が残っているため、他のドミネーターと違って人類に好意的なのだ、と。

この内容だけの話を車中三時間かけて話したものだから、駐屯地に着く頃に俺達は人形を除いて皆疲れきっていた。

 

「……着いたぞ……アセビ……こいつらを……収用施設に……連れていけ……」

「どうしましょう……耳が物凄くキンキンします……」

 

俺はもう人間じゃないから平気だが、至近距離で人形の大声を聞き続けた自衛官たちは皆体調を悪くしていた。主に聴覚。

ふらふらしながら車から降りていく皆に、俺は同情した。

 

「トウッ!おや!ここが日本の基地ですかッ!ヘボいですねッ!」

 

車から降りるなり、駐屯地を初めて動物園に来た子供の如く走り回る人形。

他の自衛官に、それを止める気力はもう残っていない様だった。

 

「特にこの車ッ!形状がぜんっぜんセクシーじゃなァァァばばば!?」

「ぐおっ。(静かにしろ。)」

 

何か事故が起きてからじゃ遅いから、俺は人形に雷撃を浴びせて大人しくさせた。

そしてビクビク痙攣するそれを引きずって、収容所の方へと歩いていく。

 

 

「うわぁぁぁん!負けたもぉぉぉん!!!」

「ぐお……(うるせぇ……)」

「あはは……(うるさいです……)」

 

収容所、俺とアセビと人形は、某オールスターゲーム。スマプラをやっていた。初めはアセビが一人でプレイしていたのだが、人形が皆でやりたいと騒いだため、三人で対戦している。

ところがこの人形、とにかく弱い。どのぐらいかと言うと、レベル一のコンピューターと死闘を演じるぐらいに弱い。

そして負ける度に絶叫するものだから、流石の俺でも聴覚が限界に達していた。

 

「……何やってんだ、お前ら。」

「大河さんっ!来てくれましたか!」

「ぐおぉぉん!(山吹ィ!)」

 

その時、ドアから分厚い書類の束を持った山吹があきれた顔をしながら出てきた。

助かった!このままじゃ俺はともかくアセビは聴覚を失う所だったぞ!

 

「はぁ……フランスの大統領から、ドミネーターの生態に関する色々な情報が入ってきた。どうやら、そこの人形で色んな実験をしたらしい。」

「そうなんですか!?」

「そうなのッ!?」

「ぐおお!(なんでお前が知らねぇんだよ!)」

「……どうやら、随分と仲良くなったみたいだな。」

 

頭を掻きむしりながら、山吹が言った。

その手に持った書類を気怠そうな手つきで目の前に持ってくる。

 

「まず大前提として、ドミネーターには地球に現存するあらゆる物質による攻撃が、全く通用しない。被弾する前に、塵になって消えるらしい。」

「ああ、そう言えばヘリコプターの中で護衛の人に色んな素材のナイフで百回ぐらい刺されかけました。アレ実験だったのですね……」

 

人形は項垂れ、複雑そうな顔になった。

小声で『マジさげぽよ……』と呟いている。

時代錯誤にも程があるだろ。

 

「あともう一つは……死んだドミネーターの心臓部から、とあるモノが発見されたんだ。」

 

そう言いつつ、山吹はどこからか二つの赤いビー玉らしき物を取り出した。

それをコトンと地面へ置き、俺へ向かって口を開く。

 

「食え。」

「……ぐぉ?(え?)」

「食え。」

「ぐ、ぐぉぉ……?(えぇ……?)」

「食うんだっ!ドミネーター!」

「ぐおぉぉぉっ!?(えぇぇ!?)」

 

ズイズイ迫ってくる山吹を押し退けながら、俺は部屋の隅へと退避した。

な、なんで!?流石にビー玉は食いたくない!新手のイジメかよ!?

 

「おや、それは制者核(ヴィニトル・コア)ではないですか?」

 

人形はビー玉を摘まみ、そう言った。

ヴィニ……なに?

 

「ぐお?(なんだそれ?)」

 

「ご存知ないのですか?ならばワタシが説明しましょうッ!”ヴィニトル・コア”とはッッッ!」

 

俺から顔文字用のスケッチブックとマジックペンを奪い取りながら、人形は高らかにそう宣言する。

紙にペンを走らせ、そこに大きくイケメンな人形を書いた。

心臓部は赤く塗られており、『これがヴィニトル・コアですッ!』と叫ぶ

 

「ドミネーターの心臓部であり動力源と推測されるこの機関は、特定条件下において核融合の数百倍以上の熱エネルギーを発揮しますッ!そしてなんと!これを他のドミネーターが取り込むとッ!そのドミネーターは飛躍的に強化されるのですッッッ!」

 

「ぐぉぉぉ……?(お前、食った事あるのか……?)」

「ありますともッ!ワタシ、こう見えて既に三体の敵対性ドミネーターを倒しているやり手の人形なんですよッ!」

「ぐお……?(あの強さで……?)」

「ムムッ!?疑っていますねッ!?言っておくとワタシ、とある条件下ではクソ強人形になりますからねッ!」

 

必死な声色で自らの強さをアピールする人形を尻目に、俺はその二つの赤いビー玉を手に取った。

固く冷たいが、どこか温もりを感じる。

火の無い灰の様な感覚だった。

 

「ぐ、おっ(むぐっ……)」

 

それを口に入れ、飲み込む。

妙に肉感的で、不快だ。

 

ーー刹那、俺の中へ何か異物が流れ込んでくる。

 

「ぐおっ……!?」

 

一つは、人々を救おうと自らのすべてを捧げた『赤衣を纏った聖者』の物語。

一つは、ちっぽけな爬虫類が病床の主人のため『何か』を探す物語。

時代も種族も、主人公も違う、二つの物語が、俺の頭に入ってきた。

 

……これは『天使の聖骸布』と、さっきの黒龍の記憶か?

あいつらは言葉を話さなかったが、発音できないだけで俺みたいに思考能力はあったのかもしれない。

殺した今はとなっては確かめようが無いが。

 

「……どうした?ドミネーター?あの大統領、まさか嘘の情報を……」

「……ぐお。(……大丈夫だ。)」

 

俺は手の平を握り絞めながら、そう言った。

……力が、溢れる。

自分の中に、破壊衝動のような何かが芽生えたのが分かった。

 

「ぐぉぉ……(駄目だ駄目だ……)」

 

体から力を抜き、深呼吸をする。

そうすると心に燻った危険な熱はだんだんと冷めていき、後には増幅した力だけが残った。

……よし、大丈夫だ。

まだ、”ヒト”でいられる。

 

体感的に以前の倍ぐらい強くなった気がするが、この……”ヴィニトル・コア”を食いまくるのはかなり危ないだろう。

ほんの一瞬、理性が飛びそうになった。

改めて、自分の体が人に仇なす化物なのだと実感する。

 

「……ぐおっ、ぐお?(人形、お前がこれを取り込んだ時、どんな感じがした?)」

「え?美味しかったですよ?」

 

……いや、なんだコイツ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8.『彼』の眷族

「ところで、ノンシェイプナイトさん。あなたの眷族はどこに居るのですか?」

「ぐおっ……?(けん、ぞく……?)」

 

アセビや山吹が仕事へ戻り、ドミネーター二人で適当な話をしていた時。ふと、と言った感じ人形が俺にそう問い掛けた。

首を横に降ると、人形が困惑した顔になる。

 

「……おや、いないのですか?てっきり、最初から発生してる物だと思っていたのですが……」

 

興味深そうに、人形は顎に手を当てた。

 

「ぐおっ?(なんだそれ?)」

「ああ、失礼しました。……ン”ン”ッ!説明しましょうッ!”眷族”とはッッッ!」

「ぐお。(いや、無理にテンション上げなくて良いから)」

「アッ、ハイ……」

 

……さてはこいつ、実はそんなにハイテンションな性格じゃないな?

キャラを作ってるのか?俺も親しみやすい様に何かした方が良いのかな……

 

「……えっと。”眷族”というのは、その名の通りドミネーターが無意識下で生み出す事のできる仲間みたいな存在ですね。私はそれらをフランスに置いてきて防衛などに用いています。」

 

淡々とした口調で人形はそう言った。

なんだよ、やれば出来るんじゃないか。ハイテンションモードだったらこの百倍ぐらい説明に時間掛かってたぞ。

 

「産み出す側のドミネーターと縁を結んでいたり、性質の近い物や生き物が”眷族”化しやすいです。例えばワタシなら、ただの人形だった時の同僚……我が主の他のぬいぐるみとかが眷族になりました。ハイ。」

 

……かつて縁を結んだ存在、か。

それなら俺にその”眷族”がいないのも納得だ。

だって記憶無いもん俺。

 

「おい、フランス大統領が本国へ帰還する様だ。人形、ヘリポートまで案内するから着いてこい。」

 

俺がそう考えていると、ドアが開いて山吹がやってきた。

ああ、人形はもう帰るのか。

まぁ幾ら仲間がいたとしても、ドミネーター本体が国から離れるのは危ないからな。

早く帰還した方が良いだろう。

 

「ノンシェイプナイトさんッ!それではまたいつかッッ!」

 

人形が、こちらをチラチラ振り返りながら去っていく。

俺が軽く手を振ると、向こうは手が千切れるんじゃないかってぐらいブンブン振り返してきた。

それは、こちらから人形の姿が見えなくなるまで続いた。

 

「……ぐお。」

 

……”眷族”。ドミネーターが、ただの人間や物だった頃の生きた証。存在証明と言っても過言ではないだろう。

しかし、俺にはそれが無い。

 

……『俺』は、誰なんだろうな。

一人きりの牢屋で、そう自分に問い掛ける。

答えは返ってこない。

きっとそれは、永久に変わらないのだろう。

 

 

■□■case1

 

私は、昔から姉の事が大嫌いだった。

姉の名は結城 馬酔木《アセビ》。

弱虫で、実は根暗の癖して自衛官なんかになって、毎日クタクタになって帰ってきてる。

それ故に普段は晩御飯を一緒に食べることは少ないのだけど、その日は違った。

 

「ただいま!」

 

家に帰って来た姉は、意気揚々と食卓の前に置かれた椅子へ座り、箸も持たずにとある人物について話し出したのだ。

とある事情によりイライラしている私を気にせずにした話しによると、なんでも"その人"は鎧を着ていて、優しくて、とても強いらしい。

 

「……ん?」

 

私は、それと似た特徴を持つ人物に数日前命を救われている。

前の家が崩れ、その瓦礫に潰された私を助けてくれた人。

 

「その人……もしかして『ぐぉぉお』とかしか言わなかったりしない?」

「……え、なんで分かったの!?」

 

驚いている姉を見て、私は確信した。

インターネットで写真を見つけた時から少し感付いていたが、あの騎士は恐らくドミネーターなのだろう。

ならこの、()()()()()()()()()()()()()もそのせいかもしれない。

 

 

■□■case2

 

ーー世界が変革してから、一日後。

アフガニスタンにあるビルの中で、とある白人風の男が、軽く千を越えるであろう部下達の前に立っていた。

ほぼ全員が筋骨逞しい武装した兵士であり、みな一様に熱心な態度で話を聞いている。

 

「……三年前、俺たちを守るために”ボス”は命を落とした。」

 

瞬間、部下達の顔が痛ましい物へと変化する。

ある者はまるで母親を失った悲しみを堪える子供の様な。

ある者は怒りの炎を燻らせる悪鬼の様な。

ともかくこの男の言葉は、部下達の精神を酷く揺さぶった。

 

「ーーかに、思われていたっ……!」

 

ーー男の声色が、目に見えて弾む。

先程までは我慢していたのかすでに口端は弧を描き始め、そこから『んふ、んふふ……!』という、このイカつい中年男性がやったら『お巡りさん、こいつです。』と突き出されてしまいそうな笑いを溢れさせていた。

 

「ふっ……こいつを見て欲しい!」

 

困惑する部下達に『まぁ待て!』と半笑いで言ってムカつかせた後、男は手袋を外し、右手を高らかに掲げた。

その甲には、騎士の顔を模した痣が浮き出ている。

それは、奇しくもこの組織のシンボルと酷似していた。

 

「俺は感じるのだ……この痣から、ボスの気配の様なものを。だってそうだろう?『弱者を理不尽から守護する(かお)の無い騎士団』それが俺達であり、奴の掲げた理想だ。」

 

男は『その上で断言する!』と、拳を握り締めながら叫ぶ。

部下達はそれに続く言葉を待った。

まさか、あの男が生きているのか。

そして、この勿体ぶりな中年はその場所を特定しているのか。

強い期待を持って、言葉を待った。

 

「ボスは!東にいるッッッ!」

 

ーー部下達は、震撼した。

これだけ自信たっぷりなら、彼は本当に生きているのか、と。

自分達に居場所を与えてくれたあの優しい戦場の神は、まだこの世に居るのか、と。

だが、それと同時に部下達は思った。

 

(いや、アバウト過ぎない?)

 

なんだよ東って。

この中年は地球がどれだけ広いと思っているんだ。

だが、探しに行かないという選択肢は無い。

部下達は、自らの財布を犠牲に『ボス』を探す決心をした。

 

【民間軍事会社『幸せ屋さん(ピースメーカー)』】。果てしない旅路の始まりである。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9.【DMTー058FR『英雄人形』】

「……ハッ!」

 

フランス、パリ。

隕石災害によって崩れた建物が瓦礫となり、以前の絢爛な町並みはその気配さえ残していない。

 

「どうなって、いるのですか……?」

 

その中心に、この『変なの』は横たわっていた。

旧式のフランス軍服に身を包み、顔は【・×・】という雑な作りでありそしてその体は木製の人形という、誰が見てもUMA判定間違い無しの不思議生物。

だが今は隕石により文明が崩れ人々は混乱を極めている。

彼の存在を騒ぎ立てる者はいなかった。

 

「……そうだっ!我が主は……!?」

 

人形は弾かれた様に立ち上がり、あたふたした後に辺りを見回す。

自分を作ってくれた少女と、その家族。そして他の同僚がいる筈の家はーー他の民家と同じく崩壊していた。

 

「ーーノォォォッ!?マイマスタァァァッッッ!!??」

 

何故か動いてくれる体を良い事に、瓦礫を砕きながら人形は必死に主の姿を探す。

元より病弱な少女だった。潰されれば、即死は免れないだろう。

その現実に気が付かないフリをして、ただがむしゃらに瓦礫の山を引っ掻き回した。

 

「ーーおいおい、ボナパルト。そんなに取り乱してどうしたんだよ?」

「ハッ、あなたは……」

 

そんな彼の肩に後ろから、ぽふり、と。柔らかな手が置かれた。

振り返ると、そこにあったのは可愛くデフォルメされた熊の顔。

人形……名称ボナパルトの『同僚』だった。

 

「てっ、テディ先輩!なんで動いて……っ!?」

「ああ……外から轟音が聞こえたと思ったら、体の自由が効くようになってたんだ。そう言うお前は……なんか、デカくなってんな。」

 

無駄にハードボイルドな声で、テディベアが自分の状況を説明する。

ボナパルトは一瞬だけ唖然としたが、すぐに主の危機を思いだした。

 

「そうだ……!早く主を救い出さなければ……っ!」

「ふっ……お前は俺が、”俺達”がマスターを守り損ねるような不手際をやらかすと思うか?『最終防衛プラン、押しくら饅頭』を発動したぜ……」

 

片目を瞑り、棒状の枝を煙草の様に咥えたテディベアが親指でグイっと後ろを指す。

ボナパルトがそれを目線で追うと、そこには無数のぬいぐるみによって構成された人間サイズの球体があった。

その隙間から、内部にいる少女の物であろう小さく白い手が助けを求めるように突き出されている。

 

「ぅ、え、毛玉が、凄っ……もごっ……く、苦しいよ……」

「主よぉぉぉッ!!」

「マスタァァァ!?」

 

ぬいぐるみゆえにその全身から発生する毛玉によって窒息しかけている少女を見て、体に鎧の如く纏わりついていた数多のぬいぐるみ達は離れていく。

 

「けほっ、けほっ……!」

「す、すまねぇ、マスター。皆、あんたを守るのに必死でアフターケアまで気が回らなかったんだ……」

 

『うんうん!』と他のぬいぐるみ達も凄まじい勢いでテディの言い訳に同調する。

みんな、敬愛する自分の主に嫌われたくなかった。

 

「ぅ、え、あー……?」

「ど、どうされましたか?我が主よ。」

 

うわ言の様に呻き声を漏らす少女に、ボナパルトが膝を着いて目線を会わせる。

その瞳はしっかりとボナパルトの【・×・】顔を写しており、更にはぬいぐるみ軍団の『最終防衛プラン・押しくら饅頭』が功を成したのか目立った怪我も無い。

なら、何だと言うのか。自分が普段から共に過ごしていた玩具達が動き出したのだから、驚きや恐怖はあれど困惑はしないだろう。

 

「ーーおにいさん、誰ですか……?」

「……へ?」

 

予想外の返答に、ボナパルトは呆けた声を出す。

胸の内から、言い表せない焦燥に似た感覚が込み上げてきた。

それに抗えず、体が勝手に動き出してしまう。

 

「ひっ……!」

「わっ、ワタシです!我が主よ!あなたに作られた、あなたの人形です!忘れたのですか!?この顔も、この名も、あなたがワタシに授けてーー!」

 

「やめろ!ボナパルト!」

 

大声で喚き散らしながら少女に詰め寄っていたボナパルトを、テディが制止する。

ハッと。ボナパルトは我に返った。

 

「マスター、泣いてんだろ……!」

「ーーえ?」

 

存在しない心臓が波打つのを感じて、ボナパルトは自身の足元にうずくまる少女を見下ろした。

人形とは言え、自身の倍近い体格を持つ存在に怒鳴られながら詰め寄られた恐怖からか、少女はその空色の眼からぼろぼろと涙を溢れさせている。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……!」

「っ……!」

 

ーー自分の過失で、主に不快に思いをさせてしまった。

その上、その主に謝罪させるとは何たる不敬か。

被造物(おもちゃ)、失格だ。

 

「……おうおう、同僚がごめんな。マス……”お嬢ちゃん”」

 

立ち尽くすボナパルトを無視して、テディが少女の頭を撫でた。

その手の柔らかな感触のお陰か、少しずつ涙が引いていく。

 

「ある、じ……?」

「……まだ気付かねぇか?鈍いヤツだな……」

 

呆れ混じりの声色でテディが言う。

そして深呼吸をし、悲しげな顔でこう告げた。

 

「……恐らくだが、今のマスターには記憶が無い。」

 

ーーボナパルトは、その言葉を理解出来なかった。

 

『記憶』という概念は知っている。それがとても大切な物だという事も。

だが、それが消える?理解不能だ。人の持つ『脳』という器官は、そんな致命的な不具合を起こすのか、と。

 

「……こうなった理由に、一つだけ心当たりがある。」

 

他のぬいぐるみ達に少女の相手を任せたテディが悼ましい表情で、地に膝を着くボナパルトの前に座り込む。

 

「テレビで偶然見たんだがな。アメリカに、親友が死んだショックで記憶喪失になった男がいたんだ。……人間の記憶ってのは、一気に許容量を越えるストレスを浴びると、イカれちまうんだよ。」

 

それと主の記憶に、何の関係がーー?

そう言い掛けて、ボナパルトは()()()()()姿()()()()()()事に気が付いた。

 

「ま、さか……」

「……ああ。多分ビンゴだ。マスターは、目の前で瓦礫に潰される父と母を見てる。俺達は、守り切れなかったんだよ……!」

 

ーーボナパルトは絶句する。

あの暖かな家庭が、消え去ってしまった。

病弱ゆえに友人も居なかった少女の、唯一の肉親がこの世から居なくなってしまったのだ。

……束の間、彼はーー

 

「Comment impitoyable……!(なんと、無情な……!)」

 

ーーこの世界を、本気で憎んだ。

 

「……なぁ、ボナパルト。不敬なんだろうが……俺は今、マスターの記憶が消えてる事に正直ほっとしてる」

「っ……!」

 

確かにそうだ。とボナパルトは思った。

この少女が、両親が死んだ事など知ればきっと壊れてしまっていた。

だが、今は記憶が無い。両親の死は今の少女にとってさしたる問題ではないだろう。

 

「だからよ。俺達がその穴を埋めなきゃならねぇんだ。両親と同じ、いやそれ以上に……一緒に笑ったり泣いたりしてやらなきゃ駄目なんだよ。今それを出来るのは、俺達しかいないんだ」

「今の主の助けになれるのは、我々だけ……」

 

ボナパルトは、自分の胸に熱が宿るのを感じる。

それは主を絶対に守り抜くという決意であり、かつての動く事さえ不可能な自分では絶対に出来なかった『主のために何かできる』事への喜びでもあった。

 

「ああ。だから笑え。マスターの前でだけでも。下僕として、親として……友として。あの人の心を支えろ。」

 

そう言うとテディは、自分の頬をぐいっと押し上げて表情を笑顔にした。

 

「……ええ、笑いましょう!主を、少しでもーー」

「動くな!」

 

その時、ボナパルトの背後から見知らぬ声が聞こえる。

振り向くと、そこには武装した集団が黒い筒をこちらに向けている姿があった。

 

「え?」

「ばっ、化物め!その子に何をした!?」

 

どうやら、その集団はボナパルトの事を少女の事を襲おうとしている怪物だと思ったらしい。

困って隣にいるテディに助けを求めたが、動かずにただのぬいぐるみのフリをしていた。

なんとも要領の良い熊である。

 

「ち、違うのです!ワタシは……」

「撃て!」

「ノォォッ!?」

 

空気の弾ける音と共に打ち出された弾丸が、ボナパルトへ向かって進む。

なぜかゆっくりと見える弾丸に、ボナパルトは自らの死を悟った。

 

ーーが、それは杞憂に終わる。

 

「なんですと……!?」

 

自らの頭を撃ち抜く筈だった弾丸は、直前で塵になって消えた。

状況が分からずに混乱していると、向こうが第二射の装填をしている事に気が付く。

 

とりあえず反撃しなければ!と思いボナパルトが地面を蹴って武装集団へ走っていくが、後ろから聞こえた主の言葉によってそれは失敗した。

 

「”攻撃しないで”!」

「ムムッ……!?」

 

ーー体が、動かない。

まるで物理法則が敵に回ったかの如く。

全身が得体の知れない大きな力によって押さえつけられている。

 

「チャンスだ!撃ち方用意!」

「ちょっ、待っ……アッー!」

 

先程の倍近い量の弾丸が、身動きの取れないボナパルトを襲う。

ダメージは無かったが、精神的にキツイ。

 

「ノォォォ……」

 

……フランス人形、ボナパルト。

彼に明日はあるのか。

それは、誰にも分からない。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

【DMTー058FR『英雄人形(ボナパルト)』メタレベル:NoTice(脅威なし)】

 

【膂力、防御力共に貧弱だが、人類に友好的。特筆すべき点としては、とある少女の命令に”絶対服従”する事である。これは人形自身の意志に関係無く、物理的に不可能な筈の命令にさえ”絶対服従”する。反動は大きいが■■■■を行う事さえ可能であり、その少女が戦闘における的確な指示を『英雄人形』に下す事が出来ればかなり強力なドミネーターになると予想されているが、『英雄人形』がフランス政府に協力する条件として『主に普通の少女としての生活を送らせる事』が指定されているため、現時点では少女への戦術指導などは難しいと思われる。】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10.簒奪の情景

「うわぁぁぁん!ドミネーターさぁぁぁん!」

「ぐぉぉぉ!?(うるせぇぇぇ!?)」

 

人形が去ってから一日後、俺が部屋の隅でボーッとしていると、収容施設のドアが開きそこから半泣きのアセビが出てきた。

様々な液体で顔をぐちゃぐちゃにしており、明らかに年頃の女がしていい顔ではない。芸人でもここまでやれるのは中々いないだろう。才能あるぞコイツ。

 

「大変なんです!妹ちゃんの肩に……たっ、たとぅーがあったんですよ!」

「ぐおっ!(知らねぇよ!)」

 

いや、本当に関係無いじゃん俺。

そもそもなんでこんな怪物に妹の素行不良の相談しに来るんだよ。

友達いないのかコイツ。

 

「しっ、しかも!そのたとぅー、物凄いカッコ悪いんですよ!?具体的には、騎士の横顔みたいな模様で……あれ?」

「ぐぉ?」

 

アセビは俺の顔を二度見し、その後に五度見ぐらいした。

そしてなぜかワナワナと肩を震わせている。

 

「妹に何をしたんですかぁぁぁっ!」

「ぐぉぉぉ!?」

 

泣きながら掴み掛かってくるアセビを抑えつける。

どうしたんだよこいつ!?様するに、妹の刺青が俺に似てるから八つ当たりしてんのか?理不尽すぎるだろ!

 

「……何してるんだ。お前ら。」

「ぐおっ!(山吹ィ!)」

 

もはや恒例の流れの如く、山吹が呆れた顔でドアから入ってきた。

さすが山吹だ!いっつもタイミング良いな!

 

「今……日本は、かなり大変な事になってる。」

 

徹夜でもしたのか、目の下に濃い隈が出来た山吹が床に座り込みながらそう言った。

……そうだよな。幾つも国が消えてるんだから、世界情勢とかもぐちゃぐちゃになっている事だろう。

日本は資源の大半を輸入に頼っている筈だから、国内の惨状は易々と想像できる。

 

「……ドミネーター。お前の取り込んだ他のドミネーターの核は、アルジェリアとイランの物だ。それは良いな?」

「……ぐおっ。(……そうだ。)」

 

……俺が、滅ぼした国だ。

きっと、何千万人も死んだんだろう。

 

「そして、お前は知らないと思うが、アルジェリアとイランは化石燃料……石油などの資源が非常に豊富な国土なんだ。対して日本からはほとんど石油が発掘されない。これも良いな?」

 

な、なんだ?話が見えないぞ。

消えてしまった国の資源を惜しんだって、何もーー

 

「……今、日本中から石油が吹き出してるんだ。」

「ぐお?(え?)」

「……俺も信じられない。だが事実だ。」

 

それって、要するにーー

 

「ドミネーターが核を喰らうと、喰らわれた国の資源や物質などが喰らった側の国に移譲される。と見て間違い無いだろう。……さながら『制圧地帯の強化』とでも言うべきかもしれない。」

 

山吹は『外はこの話題で持ちきりだ』と言った後、大きく溜め息を着く。

そして俯きながら、更に続ける。

 

「……お前の事を、“護国豊穣の神“なんて崇めてる連中も少なくないよ。国民も、『ノンシェイプ・ナイトの情報を公開しろ。我々には知る権利がある』って騒いでる。」

 

ーー狂ってる、と思った。

俺は既に二国を消してる災禍の化身みたいな存在なんだぞ。

自分達の国が護られてるとは言え、そんな存在を神とするなんてイカれている。

 

「皮肉なことに、隕石が降る前よりも経済的な面で日本と世界はかなり豊かになった。……しかも、この未曾有の危機を前にして人類はかつて無い程に団結している。国際紛争もほとんど無くなったそうだ。アメリカなんかは、自国のドミネーターとの共存を方針として打ち出した。」

 

下を向く山吹の表情を伺い知る事は出来なかったが、少なくともその声からは葛藤に似た感情が滲んでいた。

 

「……今、ドミネーターは四分の三まで数を減らしたそうだ。残ったのは比較的に“防衛思考“の者が多いようで、争いは以前より穏やかになるだろうな。」

 

その言葉に、俺は少しだけ安心した。

流石に昨日までのペースで侵略に来られるとキツイ物がある。

黒龍の時は負けてもおかしくなかったし。気が気ではない。

 

「……ドミネーターさん。」

 

ずっと黙っていたアセビが、静かにそう言った。

俺が振り向くと、いつに無く真剣な表情をしている。

 

「あなたが、どんな気持ちで戦ってくれているのかは、分かりません、けど。」

 

言葉を選んでいるのか、途切れ途切れにアセビが声を紡ぐ。

青い瞳が、不安定に揺れていた。

 

「ーー私達を助けてくれて、ありがとうございますね。」

 

少し迷った後、にへらと笑いながら恥ずかしそうな顔で言われた。

 

「……ぐ、お。」

 

ーー酷く自分勝手で、抜本的には何も解決していないのだろうが。

……俺はその言葉に、少しだけ救われた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11.騎士は白日の元へ

「ドミネーター。お前の存在を、国民へ正式に公開する事が国会で決議されたそうだ」

 

その日、俺は珍しく収容施設から出されて撮影機材とかがたくさん設置されたスタジオらしき場所に来ていた。

だが、そこにいる多くはカメラマンではなく迷彩柄の服を着た自衛隊員であり、まさしく『俺専用』の撮影現場だった。

いや嬉しくないんだけど。

 

「……があぁ?(マジで?)」

「大マジだ。お前の画像とか動画も多数出回っていて、正直もう隠す意味が無いらしい」

 

山吹いわく『ドミネーターを崇拝する過激派宗教が乱立してるし、このままだと暴動とか起きそう』らしい。

なんでも、ただでさえ隕石で国中が混乱してるのに、怪物(俺)が出てきたり急に資源が豊富になったりで、日本だけではなく世界中の人間のテンションがおかしくなってるらしい。

以前は馬鹿げていると一蹴されていた終末思想や一部の都市伝説が半端に真実味を帯び始め、ヤケクソになっているとでも言うべきか。

 

「ノンシェイプナイトさん、スタジオ入りまーす!」

「ぐ、おぉっ!(え、あっ、はーい!)」

 

俺は、周りに馬鹿みたいな量のカメラやマイクが置かれている椅子に座らされた。

そこで待っていろと言われてボーッとしていると、遠くから焦った様子のアセビが走ってくるのが見える。

 

「ど、ドミネーターさん!すごいですよ!これ見てください!」

 

そう言われて見せられたスマートフォンには『ようちゅーぶっ!』と大きく赤い文字が写し出されており、その下には

 

【政府公式:日本における『制圧者』の対処とその性質の説明(ノンシェイプ・ナイトへの単純な質疑応答含む)】

 

という動画が、『放送十分前』のテロップを流していた。

そして、その更に下のとある表示を見て俺は思わず自分の目を疑う。

 

『視聴待機人数:三千万人』

 

「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!?(なんじゃこりゃぁぁぁ!!!)」

「世界中の人が、ドミネーターさんを見たがってるんですよ!」

 

なぜか誇らしげにアセビが叫ぶ。

見たがってるてるってなんだ!?俺は客寄せパンダか何かなのか!?

国を!滅ぼしてるんだぞ!おかしいだろ!

 

「まぁ……世界的な動画サイトだからな。それに世界中のニュースサイトでトップ記事になってるぞ。良かったな」

「がぁっ!(だから嬉しくねぇよ!)」

 

【我が神よ!早くその玉体を私どもにお見せください!】

【日の出る国の神を政府が制御できると思うなよ。解放し、崇拝の対象とするべきだ】

【クソ騎士が、お前の隕石のせいで母さんは死んだんだ】

【家を返して!】

【政府対応遅いんだよ】

【やぁ!私は南スーダンのドミネーターだ!君とお話したくて日本語を覚えたからコメントしてみたよ!】

【ちくわだいみょう……やめとこ】

【誰だい……やめとこ】

【In the meantime, America is safe. What is a Japanese dominator? 】

【質疑応答ってできるのか?機嫌損なわせて日本滅ぼされたらどうすんだ?】

【From England, Japan seems to be a knight. I wonder if it ’s a habit】

【I didn't want to hide in America ... I covered the sky when I noticed, now it's part of my life】

【天使の雷で、郊外にいた家族が全員焼け死んだ。ノンシェイプナイトが神なら、なぜ見捨てたんだ?】

【Yggdrasil? That is a monster! 】

【石油が吹き出したの説明のしよう無いだろ。ファンタジーだファンタジー】

【ドミネーターの出現は、矢部政権の隠謀です!安部を信じてはいけない!】

【⬆️矢部どんだけ強いんだよ定期。左翼おつ】

【ちくわ大明神(鉄の意志)】

【不要以为你可以击败我们的上帝 】

 

動画が始まってすらいないにも関わらず、コメント欄は完全に混沌と化していた。

言語が入り交じり、意見が入り乱れ、議論の余地など無い。

が、その中で、俺の目を引く物がいくつかあった。

 

【クソ騎士が。お前の隕石で母さんは死んだんだ】

【天使の雷で、郊外にいた家族が全員焼け死んだ。家の焼け跡に娘の銀歯だけが残ってたよ。ノンシェイプナイトが神なら、なぜ見捨てたんだ?】

 

「がぁ……」

 

胸の下辺りが、焦げ付いたように痛むのを感じる。

……そうだ。犠牲になった者の事ばかり気にしていたが、当然『残された者』もいるのだ。

 

ーー俺が、殺した。

ーー俺が、守れなかった。

 

あるかも分からない歯を砕けそうな程に噛み締め、自らの罪を頭の中で反芻する。

……だからこそ、『残された者』だけは守らなければならない。

それが、俺の義務なのだから。

たとえ他者を殺しても。地球の裏側で、多くのの国が地獄になろうとも。

 

「ドミネーター。もうすぐ撮影が始まるが、お前は俺達の質問に頷くだけでいい。今回の旨は、お前が日本の人間に友好的な事と、意志の疎通が可能なのを示す事だからな」

 

山吹がホワイトボードを俺に持たせ『これも必要なら活用してくれ』と言って去った後、カメラの方から、さん、にー!というカウントダウンが聞こえた。

どうやらもう始まる様だ。

 

「国民の皆様にーー」

 

身分の高そうな中年が前口上を始めた。

俺が質問を受けるのは、少し後の方らしい。

 

「あぁ……なんだか、緊張しますね……」

 

横でアセビがガタガタに震えている。

なんでだよ。お前何もしないだろ。

 

「ドミネーターさんへの質問、私がする事になっちゃったんですよね……」

「……が?(……え?)」

「私が一番あなたと親睦を深めているからですって!ふふっ……!」

 

こ、このポンコツが?

嘘だろ?有名なアナウンサーとかがするのかと思ってたんだけど……

というかコイツ、適当な理由付けられて怪物へのインタビューとか言う貧乏くじ引かされただけだろ。

 

「がぁぁ……(やらかすなよお前……)」

「むっ、大丈夫ですよ!たくさん練習しましたから!」

 

アセビは、修正液まみれの紙束をどや顔で見せつけてきた。

俺はその顔を無性に殴りたくなった。

 

「出番だ。ドミネーター」

 

小声で、山吹がそう言った。

咄嗟に前を向くとカメラが全て起動状態になっており、苛烈な照明が俺を照らしていた

アセビは急いでマイクのある席に走っていく。

 

「ここからは、日本のドミネーター……通称ノンシェイプナイトへの質疑応答となります」

 

焦ったのか、アセビのスマートフォンが俺の膝に置き忘れられていた。

その画面には俺の姿が写し出されており、コメント欄が凄まじい速度で流れている。

【おぉぉぉぉ!!!】

【いや普通に座ってて草】

【くたばれ】

【神神神神神】

【イケメンだな(鎧が)】

【ホワイトボード持ってんな】

【着ぐるみだろ】

【死ね死ね死ね】

【日本政府はコスプレイヤー雇うのかぁ(白目)】

【クオリティ高いけど偽物だなこれ】

【二メートルぐらいあるな】

【動いてみろよ。ニセモノ】

 

当然だが、コメントの大半は俺の事を本物だとは信じていなかった。

……これでは、質問とかされても意味無いんじゃなかろうか。

 

「うぇ、えとっ。……あ、あなたは、私たちの、人間の、味方ですか?」

 

コクリ、と。小さく頷く。

コメント欄は、大方批判的な意見で埋まっていた。

その批判的な物も、多くが『ニセモノだろ』という物。

……悪く言われるのは当然だから構わないけど、この問答自体が無駄になるのは良くないよな。

一肌脱ぐか。

 

「……え?」

 

俺は右腕をゆっくり天井に掲げ、そこに注目を集めた。

とりあえず、分かりやすく俺が人外だという事を示そう。

『失墜せし黒龍』の腕をイメージした。

別にあいつの能力とかが使える訳じゃないが、これはパフォーマンスだから外面だけで十分だ。

鎧が変形し、変色し。次第に膨張していく。

 

「っ、何をする気だ!ドミネーター!?」

 

【マジかよ!?】

【CGか?】

【いやこれガチだろ】

【生放送だろ!】

【本物か!?!?】

【おれ専門家だから分かるけどCGだよこれ】

 

俺の肩から先が、ドス黒く丸太の如き龍腕に変化する。

襲われると思ったのか、周りの自衛隊員達が騒ぎながら逃げ惑うのが見えた。

 

「がっ、がぁ……(あっ、やべ……)」

 

慌てて腕の変形を解く。

スタジオが静まり返って手持ち無沙汰になったので、誤魔化すためにとりあえずカメラに向かってグッドサインをしておいた。

だがなぜか、場は更なる静寂に包まれた。

周りの冷たい視線で低温火傷しそうだ。

ちょっと泣きそう。

 

【(´・ω・`)b】

【あれ、なんか可愛くね……?】

【こんな大変な時に、税金はたいてあんなハリウッド級のCG作ったのかよ。はー、つっかえ】

【別の動画見返したけど、変形能力の予備動作とかガチで本物だぞ】

【本物なら、今すぐ左手を剣に変形しろ。コメントに対応できたらCGじゃないって認めてやるよ】

【いやコメント見えてないだろ】

 

「」がぁっ!(そうだ!)」

 

これ、コメントの指示通りに変形できれば信じて貰えるんじゃないか!?

どうしよう!自分の頭脳が怖い!

俺は、コメント欄を見て片っ端から右手を武器や防具に変形していく。

剣、槍、槌、戟、盾、おたま、フライパン、ひげ剃り、缶切り、ゴルフクラブ、おまる、etc……

様々なリクエストに答えてる内に、だんだんとCGの指摘などが減った。

 

「……おい、何してるんだ、お前」

 

右手を物凄い勢いでガチャズチャ変形させている俺を見て、山吹が小声で睨んできた。

あ、そうか。周りの奴らにはコメント欄見えてないから、単純に俺が奇行してる風にしか見えないのか……

 

【マジで本物!?】

【正直すまんかった】

【大量殺戮者。恥ずかしくないのか】

【神よ!私は始めから信じておりました!】

【おにいさんゆるして】

【は?は?は?だから何?この人殺しが】

 

「こほんっ!し、質問を、続行します!」

 

ハプニングを無かった事にしたいのか、咳払いしながらアセビが言った。

 

「ノンシェイプ・ナイトさん。あなたは……日本を、守ってくれますか?」

「ぐおっ!」

 

その問いに先程より力強く、深く頷いた。

心無しか周りがほっとしたような顔になる。

その後も、問答は続いた。

 

◆◇◆

 

「はぁぁぁっ!緊張したぁぁぁ!」

 

カメラが止まった後、アセビがハンカチで顔を拭きながら歩いてくる。

先程までの上ずった作り物の声からいつものぼんやりした声色に戻った事に、不思議な安心感を覚えた。

機材を片付けるのか三脚が締まる音がスタジオに響き渡る。

 

「がぁっ(そうだ。スマホ忘れてたぞ)」

 

俺はアセビにスマホを返すため、壊さないようにそっと持ち上げた。

が、ホームボタンに指が当たってしまったのか画面が切り替わる。

アプリの向こう側にある待ちあるホーム画面には青目の青年と、これまた青目の少女が笑顔で写っていた。

 

「あ、忘れちゃってたんですね」

 

アセビは俺からスマホを受け取った。

しかし、俺が待受けを見つめてる事に気がついたのか、にへらと笑いながら『気になりますか?』と言う。

 

「……私のお母さん、認知症で。もうほとんど会話も出来ないんですけど。昔の荷物を整理してる時にその写真が出てきたんですよね」

 

まるで愛しい者への恋慕を囁くように、優しい目でアセビは画面にそっと触れた。

 

「この男の人が誰かも分からないんですけど、なぜか見てると安心して……あはは、変ですよね?」

 

俺はどうしてか、その男の顔から目を離せなかった。

特段変でもない、普通の顔つき。

だが異様に心がざわめく。

その瞬間だけ、一つの感情が俺の心を支配した。

 

ーーこいつを、殺さなければ。

ーー殺さなければ。

ーー殺さなきゃ。

目を抉って、腕をへし折って、アバラをがらがらに砕いて心臓を抜き取ればきっと最高に美味いだろう。そうだ、殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺ーーー

 

「っ……!?」

 

ーーその心のざわめきが明確な『殺意』だという事に気付き、戦慄する。

……なに、考えてんだ俺は。

ドミネーターの核を食った副作用か?

思考まで、怪物寄りになっているのかもしれない。

 

「ガ、ァッ」

「ど、どうしたんですか?」

 

……大丈夫、大丈夫だ。

熱を持った脳髄を冷やすため、大きく深呼吸した。

しっかり頭が冷えたのを確認してから、アセビの顔を見る。

みなものような青い瞳が、ゆらゆらと不安げに揺蕩っていた。

その姿に『喰い殺したい』や『美味そう』などといった感情は微塵も沸かない。

それに、そこはかと無く安心する。

 

「ご、ごめんなさい、怒らせ、ちゃいましたか……?」

 

泣きそうな声が聞こえる。

だが返事は出来なかった。

何がトリガーであの衝動が沸くか分からないから。

次は『自分』を抑え切れる自信が無かった。

 

にちゃり、と。

 

視界の隅で、画像の男が不快な笑みを浮かべた気がする。

お前はただの怪物だ。と言われている気がして、いやに泣きたくなった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12.”それはきっと、麗らかなる寒くて熱い夢”

昨日、日本のドミネーター『ノンシェイプ・ナイト』が正式な形で映像に収められ、なおかつ人類に友好的だという事実は世界中を驚愕させた。

動画サイトにおける再生回数は既に五億を軽く越えており、未だ凄まじい勢いで伸び続けている。

インターネットも、この話題で持ちきりにーー

 

ーーなる事は、無かった。

 

「ハロー!みんな!私は南スーダンのドミネーターだ!夢は世界平和!好きなアニメはアンパンマンだ!よろしく頼むよ!」

 

その日の急上昇トップには、二位となったノンシェイプナイトの動画の上に、兎のような、犬のような、ヒトガタのもふもふした未知の生き物が『ゆーちゅーぶはじめてみた!』と宣言する動画が鎮座していた。

 

……かねてよりの常識として、インターネットの住人とは飽きっぽい存在である。

より面白い『おもちゃ』が出てくればそちらへ流れるのは当然な事で。

そりゃあ、『南スーダンのドミネーターがユーチューバーを始めた』なんて最高のネタに飛び付かない筈が無かった。

 

◆◇◆

 

「と!言うわけだっ!」

「がぁぁぁ!?(はぁぁぁ!?)」

 

タブレットを俺に見せつけながら、ヤケクソ気味に山吹は叫んだ。

そのブログの内容を要約すると、『南スーダンのもふもふしたドミネーターがユーチューバーになった』という事だった。

わけ分かんねぇ。

 

「ちなみに、ゲーム実況とか『紛争鎮圧してみた』とかを中心に投稿してるぞ」

 

いや、ドミネーターの戦闘能力なら地域紛争ぐらい簡単に鎮圧できるんだろうけどさ……ねぇ?

それを動画にすんなよ。炎上しても知らないぞ。

いやそれ以前の問題だ。

ちなみに、ゲーム実況の方は普通に面白かった。

 

「……がぁ、がぁっ?(……あれ、そういやアセビは?)」

「ん?あぁ……」

 

普段なら、こういうのを知らせに来るのはアセビの仕事なんだけどな。

ほら、ボケ役が不在なせいでなんか山吹がアホみたいになってる。

 

「なんか、廊下で泣いてたぞ。何かしたのかお前?」

 

俺の頭に、昨日の出来事が浮かぶ。

あぁ……確か、輸送車内でもずっと俯きながらブツブツ言ってたな。

あいつそういうの長く根に持つタイプか。

 

「……まぁ、この際アセビはどうでも良いんだ。今日お前の所に来たのは別に理由がある。」

 

山吹は、鞄をゴソゴソしてその中から一枚の茶封筒を取り出した。

そしてそれを俺に渡し『とりあえず開けろ』と目線で指示した。

指先をナイフに変え、スパンと封筒の上部を切り落とすと、中から四つ折りの紙が顔を出す。

……なんか、嫌な予感がするな。

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

【こんにちは!日本のドミネーターさん!これが届いたって事は、まだインフラが正常に機能してるって事だ!ひとまず地球の情報化社会の強靭さに感謝しながらこの手紙を読み進めると良いと思うよ!】

______________________

 

「がぁ……」

「ああ。察しての通り、南スーダンのドミネーターからの手紙だ」

 

俺は頭を抱えたくなった。

何が悲しくて、敵対中と言っても過言ではない『他国』のもふうさな怪物と文通しなくちゃいけないんだ。

良く見るとガタガタした日本語で書かれており、書き手の努力が透けて見える。幾重にも重なった消し跡は哀愁さえ感じさせた。

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

【多分もう知ってると思うけど、私は南スーダンのドミネーターだ。君の"敵対者"。きっといつか殺し会うのだろう。でも、せっかくお話できるんだから、今だけでも仲良くしたくてこのお手紙を書いてるよ。

今日はそれだけだ。機会があればまた送るよ!

同じユーチューバー仲間だしね!】

_________________

 

「ぐおぉぉぉっ!(別にユーチューバーじゃねぇよ!)」

「同じドミネーター系配信者として対抗心があるのかもな」

「がぁっ!(配信者でもねぇよ!)」

 

なんだよドミネーター系配信者って……

斬新過ぎるだろ。初めて聞いたぞそのジャンル。

国の存亡を背負ってるやつのゲーム実況とか見たくねぇよ。

下部へ目を滑らせると、まだ続きがある。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

PS:ちなみにカメラはなに使ってるんだい?画質良いよね

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

「パ◯ソニックの最新のやつらしい」

「がぁぁ……(教えといてやれ……)」

 

溜め息をついて、封筒に手紙をしまった。

あの人形と言いコイツと言い、知性体のドミネーターって変わった奴ばっかりだな。

他にも居るんだろうか。既に死んでるかもしれないけど。

 

「……ドミネーター。お前に、聞きたいことがあるんだが、良いか?」

 

急に神妙な面持ちになった山吹がそう言った。

 

「ぐおっ?(なんだ?)」

「前にアセビが言ってたんだが……お前、檻の中にずっといて退屈じゃないか?南スーダンの奴を見て今一度思ったんだ。閉じ込めてる俺たちが言うのもアレだが、特に何も要求とかしないだろう。お前は」

 

そう言われてみれば、確かに。

他ドミネーターの侵攻とかが多くてそんな場合じゃなかったのもあるが、ほぼずっとこの檻の中で過ごしてる。

 

「上から、駐屯地内であればお前を檻の外に出しても構わないと云う報せが来た。いつかの戦闘を見て収容などほぼ無意味だと気が付いたんだろうな。それに日本はお前に懸かってるんだ。国会の老人どもも、機嫌を損ねるのは良くないと踏んだんだろう」

 

外に、出れる……?

その意味を頭で反芻してる内に、ガチャリと。

鍵が開いて檻から出られるようになった。

ポカンとする俺を尻目に、山吹はニヤリと笑いながら口を開く。

 

「さあ、娑婆の空気を吸いに行くか?」

 

 

◆◇◆side馬酔木(アセビ)

 

 

「はぁ……」

 

ノンシェイプナイトの配信後、結城アセビは郊外にある病院へ足を運んでいた。

いつもは健康のために六階まで階段を使うのだが、今日はついエスカレーターを使ってしまう程に気分が落ち込んでいる。

 

「はぁ……何しちゃったんだろ……」

 

どこかの著名人が『溜め息を吐くと幸せが逃げる』と言っていたが、吐かずにはいられなかった。

その原因は他ならぬノンシェイプナイトナイトである。

アセビが手元のスマートフォンに目を落とすと、そこには見知らぬ青目の青年と、恐らく自分であろう青目の少女が笑顔でピースサインをしている写真が、薄いブルーライトを放ちながら写っている。

 

「普通の、写真だと思うんだけどなぁ……」

 

この写真のせいで怒らせてしまったノンシェイプナイトの姿を思い浮かべながら、アセビはまたもや深い溜め息を吐く。

彼女がこの病院へ母親の見舞いに来るのは、週に二、三度の面会と、愚痴を言う相手が欲しい時であった。

母は脳梗塞と認知症が重慝化し、精々相槌を打つ事ぐらいしか出来なかったが、それでもアセビは母を愛していた。

話を聴いてくれるだけでも気が楽になる。

 

「……お母さん。来たよ」

 

磨りガラスのついた引き戸を開け、アセビは病室へ歩を進めた。

母は珍しく体を起こしており、ぼんやりと窓の外を見つめている。

 

「今日は良い天気だねぇ……こういうの、『小春日和』って言うんだっけ? お母さん昔言ってたよね」

 

こちらを向かないまま、母の口元が薄く逆弧を描くのが分かる。

アセビはそれを見て、少しだけ悲しそうな顔になった。

 

ーーきっと、私はもうお母さんにとって"知らない人"なんだろう。と。

 

だけど人とは、愛する存在が安らかでいてくれるだけで幸せな気持ちになれる不思議な生き物なのだ。

それはアセビも例外ではなかった。

なればこそ、アセビは物言わぬ母に話し掛け続ける。

 

「そう言えば……サツキがね。たとぅーしてたんだ。ビックリだよね。わかる? 私の妹で、お母さんの子供だよ。不良になっちゃったのかな……」

 

母の表情は変わらない。

麗らかな日差しを横顔に浴びて眩しそうに目を細める姿も、在りし日と全く変わりなかった。

 

「……あのね。今、世界はものすごーく大変な事になっちゃってるんだ。ドミネーターっていう怪物が色んな所に現れてね。日本も、消えちゃうかもしれない。私たちも、死んじゃうかもしれない」

 

『でも、悪い事だけじゃないんだ』と挟み、アセビは続ける。

 

「日本のドミネーターさん。凄く良い人なんだよ。私なんかにも優しくしてくれて……それに、なんだか懐かしい感じがするんだ。この写真と似てて、でも少しだけ違う懐かしさで……」

 

こっそり隠し撮りしたノンシェイプナイトの写真をフォルダから選び、母に見せた。

それでも、その表情は穏やかなままでーー

 

「……え?」

 

ーー母は、写真のノンシェイプナイトを凄まじい形相で睨み付けていた。

眼球が飛び出そうな程に目を見開き、まるで見たくなかった物を見つけてしまったような顔をしている。

 

「ァ、アザレ、ア。どう、して……?」

 

どうして、どうして、どうして、どうして。と、ひたすら小声で連呼する母。

怨嗟を発露するように。それでいて懺悔を捧げるようにーーーただ、繰り返す。

 

「ぁぁぁ……あぁぁぁぁ……っ!」

「お母さん……!? お母さん!?」

 

こうなれば、最早愚痴などと言っている場合ではなかった。

ナースコールを押すと、すぐに看護師が来て母を落ち着かせようとする。

アセビは病室から追い出され、果てしなく長い廊下で一人、立ちすくむ。

 

「……どうして、かなぁ……っ私はいつも間違えて、誰かを傷付けて……」

 

ーーー今日だって、そうだ。

理由は分からないが、自分の何気無い行為がノンシェイプナイトの逆鱗に触れた。

 

いつもそうだった。

誰も私を愛してくれない。

誰も私を見てくれない。

わたしはみんなに嫌われて、結局ずっと一人ぼっち。

そう。青いディスプレイと埃っぽいベッドしか無い、暗い暗い部屋でずうぅぅぅっと……

 

「あ、ははは」

 

ーーー馬鹿みたいだ。泣いたって誰も助けてくれないのに。

だから、笑わなきゃ。

口を歪めて、目を細めて、はい完成。

これで、明日からも生きていける。

 

ふらふらと、アセビは病院を後にした。

外へ出ても、とっくに陰った麗らかな日差しは彼女を照らしてはくれなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13.【DMTー007SS『最果ての魔王』】

『かれらに対し御言葉が実現される時,われは大地から一獣を現わし,人間たちがわが印を信じなかったことを告げさせよう。』

 

イスラムの聖典コーラン、第27章:アン・ナムルより。

 

◇◆◇

 

南スーダン共和国。

そこはこの世の地獄であった。

豊かな資源は他国に搾り取られ、その上紛争が絶えず。

人々は痩せ細った体を飢えと渇きで満たされながら、絶望の果てに死に絶える。

『世界一貧しい国』とさえ揶揄されるこの国家は、隕石の衝突とそれに伴うドミネーターの出現により更に疲弊ーー

 

「……もう大丈夫だ。子供たちよ。」

 

ーーする事は、なかった。

 

隕石落下現場より程近い避難民キャンプにひょっこりと現れたその獣人は、誰一人の血も流さずに周辺の紛争を終わらせたのである。

人々は歓喜に湧いた。『救済者が現れた』と。

 

「もう、食べ物が無くて死ぬ人なんて出させない。もう、銃を持たないと生きていけない社会なんて成り立たせない。……もう、絶対に絶望なんてさせない。」

 

兎のような、牛のような、それでいて犬のような。

優しげな顔を悲しみに歪ませ、涙を流しながらその獣人は人々に誓った。

そして有言実行。言わんばかりに、彼の力により国民たちは"飢えと云う概念そのもの"から解放される事になる。

その手に携えられているのは『他者の闘争心のみを打ち砕く槍』。

それにより、地域紛争は僅か三日でほぼ全てが鎮圧された。

 

血と涙に彩られた南スーダンの歴史は終焉を迎え、これからは新しい国を作っていくのだと、獣人は目を輝かせながら語るのだった。

なればこそ。その姿を目にした者は例外無く彼をこう呼ぶ。

 

"新しき我らの王"とーーー

 

 

「んー……やはり日本語は難しいな……」

 

ミルク色の電球が照らす室内、もふもふした巨大な『ソレ』は机に向かいながら頭を抱えていた。

その手元にあるのは一枚の紙。

昨日インターネットで初めて存在を知った、日本のドミネーターへの手紙だった。

 

自分の『仇敵』。なれど『同類』でもある。ぜひ意見を交換したい。

そう思い、張り切って手紙を書き始めたは良いものの……早くも、言語の壁とやらにブチ当たっていた。

 

「日本語を通訳できる者はいないし……いっそ、顔文字オンリーでやってみるか……!? いや、だがそれでは彼とキャラが被ってしまうな……」

 

『むうぅ……』と顔をしかめながら思考を巡らせていると、背後からドアの開く音が聞こえる。

獣人が振り向くと、そこにはビジネススーツを着こなした女性がクリップボードを持ちながら立っていた。

 

「あ、アルマ君!」

「王よ。指示された設計図通りに、発電施設が完成致しました」

 

淡白な語調で、アルマと呼ばれた女は告げる。

その報告に獣人は『おぉ!』と喜び、クリップボードに貼られた資料を読み始めた。

 

「これで、また一つこの国が豊かになるね!よし……前は水質の改善、その更に前は疫病の伝染経路を破壊したから、あとは……!」

「……王よ」

 

にやにやしながらこれからの方針を考えている獣人に、アルマは静かに語りかける。

 

「ん、なんだい?」

「……本当に、ありがとうございます。"あの日"から一人たりとも命を落としていません。あなたが居なければ、南スーダンは……」

 

俯き、そしてアルマは感謝の言葉を紡いだ。

それを見た獣人は、目をパチクリさせた後に笑いだす。

 

「……なぜ、笑うのです?」

「はっ……はっはっは……いや、別に感謝される謂れは無いよ。なんたって、私は王様だからね!」

 

先日に子供たちから送られた、今はすっかり萎びた白い花の冠を頭に乗せながら笑顔で獣人は言った。

見ているだけで心が暖かくなる、まるで暖炉のような優しい瞳。

アルマは思わず口元を緩めてしまう。

とても、国を滅ぼす他のドミネーターと同類とは思えなかった。

 

「……ならば、もう一つだけ質問したい事がございます」

 

玲瓏な声で、アルマは言った。

快く『良いよ!』と回答した獣人は、その右手に持たれていた物を見て硬直する。

 

【ゆーちゅーぶ始めてみた!】

 

「王よ……なんですか? これは。」

「えっ、あっ、その、それは……」

 

アルマの手に持たれていたのは、獣人がほんの好奇心からYouTubeへ投稿した動画を写し出したスマートフォンだった。

獣人は顔中から凄まじい量の汗を吹き出し、小声で『えと……その……』と繰り返している。

 

「一国の王を自称する者がゲーム実況など……恥ずかしくないのですか?」

「ひぐぅっ!?」

 

容赦の無い言葉に、心へダメージを受ける獣人。

追い討ちをかけるようにアルマの冷たい視線が突き刺さった。

 

「で、でもさっ! 私が有名になれば、観光に来てくれる人だって増えるかもしれないだろ!?」

「こんな御時世、誰が他国のドミネーターなんかに会いに来るんですか」

「う、うぅ……そ、それは……」

 

無惨にも完全論破された獣人は、地に膝を着く。

もふもふした長い耳をしなっとさせ、懺悔するように『マ◯オカート64が上達したから色んな人に見てほしかったんだ……』と告白した。

 

「……王よ」

 

地に伏せる獣人を見下しながら、冷たい声でアルマは口を開く。

 

「な、なんだい?」

「ゲームは一日、一時間までですよ」

 

その言葉に獣人は驚く。

マ◯オカート64をやっても良いのか。と。

 

「あ、アルマ君っ……! 君ってやつは……!」

 

 すがり付いてくる獣人の頭を、アルマは穏やかな顔で撫でた。

その豊かな鬣を細い指で触りながら、彼女は目を細める。

 

「あ、ところで。近所の子供達とやりたいからアマゾンで最新ハードのスー◯ーファミコンを注文しても良いかな?」

「……お好きにどうぞ」

 

現在の財政から鑑みて、ゲーム機の一台や百台全く痛く無いから問題は無い。

しかし、オワコンハードのゲームに興じる王を見るのはアルマにとってかなり複雑だった。

だが同時に、この王に最新ゲームを渡せばどんな反応をするのだろうかと言う好奇心も沸いてくる。

 

ーー今度、PS4でもプレゼントして差し上げようかしら。

 

そう企みながら、アルマはほくそえんだ。

……だが、そのせいで気が付かない。自らの称える『王』の表情に、影が差している事に。

そして、そこで()()()()()()()()()()()()

まるでマネキンのように、その体勢のまま制止している。

 

「……私は、本当に駄目な王様だねぇ……何も捨てられない」

 

その言葉は、アルマの耳には届かない。

なにせ彼女は、そう"調整"されているのだから。

 

「……ここは、私の夢の国だ。絶対に、守り抜く。誰も死なせはしない」

 

覚悟に満ちた顔で『魔王』は誓う。

ーー他者を蹴落としてでも、私はこの理想郷を守り続ける。

そう、誓った。

 

……ここは、最果て。

見果てた夢が、堕ちる場所。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【DMTー007SS『最果ての魔王(ダッヴァド・アルドゥ)』メタレベル:Warning(大陸クラスの脅威)】

【このドミネーターの調査に送り込んだエージェント・アダムスカは、本国へ帰還した際に酷く錯乱していた。以下の文書は、彼の発言を記録した物である。】

【『……良いか?ヤツの槍が持つ力は、『闘争心の封殺』なんて生易しいモンじゃねぇ。……あれは、謂わば『概念の破壊』だ。

……あの国の住人は皆……心臓が、動いてなかったんだ。だが、死んでるわけじゃねぇ。ちゃんと生活し、笑ってる。感情もあった。それなのに、飯も食わねぇし、息もしない。……そう。新陳代謝がねぇんだ。まるで、『命の概念』だけをすっぽり抜かれちまったみてぇに……』】 

【以上の証言を踏まえ南スーダンへドローンを飛ばした所、当エージェントの情報が真実だと判明する。

更なる調査の末、南スーダン民の実に九割が"最果ての魔王"の半眷族と化している事が分かった。この異常な能力の規模を加味し、この制圧者のメタレベルを大陸破滅級。『Warning』とする。】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14.きっとその心こそが

「が、ぁっ……」

 

檻から出された俺は、とてつもなく長く感じる階段を山吹の助けを借りながらゆっくりと上がっていた。

歩いて、歩いて……そして、とても重たそうな扉の前で立ち止まる。

 

「開けてくれーーと、言いたい所だがお前、人間に変形してると身体機能は常人以下になるんだな……」

 

悪態を突きながらも、山吹は『よっこらせ……』と扉を押し広げていく。

そして人が通れる程度の隙間が出来た頃。

振り向く山吹の向こう側にあったその光景に、俺は絶句する。

 

「ぐおぉぉぉっ……!」

 

ーー満天の、星。

黒い蓋幕にせわしなく穴を開けたような、圧倒さえされる程の星天。

山吹は『隕石の被害で発電所が本調子じゃないんだ。お陰で星が良く見える』と言う。

冷たい外気に"肌"を撫でられ、なぜだか妙に心臓の鼓動が速まった気がした。

 

「……にしても、どこからどう見てもアセビだな。いつ見ても凄まじいよ。お前の変形能力は。あいつをガキの頃から知ってる俺でも間違えそうだ」

 

山吹は、まじまじと俺の顔を見詰めながら言う。

横にあった車の窓ガラスを確認すると、そこには"本物"より少し幼く、死んだ青目でぶかぶかの軍服を着た少女が映っている。

 

ーーそう、俺は今。アセビに擬態しているのだ。

素の姿のまま外に出れば、きっと周りを驚かせてしまうから。

きちんと声も本人をコピー出来ていて、違和感は無い。いや、どうせ『ぐおおお』しか言えないんだけども。

 

「にしても……なぜ人間への変形はアセビに対してしか成功しないんだろうな」

 

山吹の言うとおり、人間への変形はアセビ以外成功しなかった。

変型するために必要な、『構造の読み込み』が出来ないのだ。

何か理由があるのかもしれない。

 

「……がぁっ」

 

そう言えば、そのアセビはどこに居るのだろうか。

俺のせいで落ち込ませてしまったみたいだし、謝っておかなければ。

山吹へアセビの居場所を問おうとした時ーー

 

「ーーサツ、キ?」

 

遠くに、俺を見て目を見開く"本物"の姿があった。

 

「ぐおぉぉ……?」

「っ、ぁ、ああ……ドミネーターさんですか……」

 

言葉を喋らない所で俺だと気が付いたのか、アセビは少しだけほっとした顔になる。

恐る恐る近寄ってきて、顔や髪をペタペタ触りだした。

 

「ぐ、ぐおっ?」

「お肌、凄いすべすべですね……髪もサラサラだし……私なんかと違って瞳も綺麗……ふふふ、サツキそっくり……」

 

全身をアセビの指が這い回る。

突き放そうとしても、筋力差があり過ぎてビクともしない。

しかもなんだか目に光が無い気がする。どうしたんだコイツ。

と言うかサツキって誰だよ。ト◯ロかよ。

 

「……おい、やめとけ。物凄い嫌がってるぞ」

 

山吹の言葉で我に返ったのか、謝りながらアセビは俺から離れた。

 

「……ごめんなさい、つい……」

「か、がぁぁ……(い、いや、べつに……)」

 

俺とアセビの間に気まずい雰囲気が流れる。

……なんでだ。昨日までこんな感じじゃーー

 

「……山吹さん。私、自衛隊を辞めようと思ってます」

 

ーーその時俺は、一瞬だけ全ての思考が止まった。

 

「……なに?」

「昨日、お母さんの容態が急変して……あと、一週間生きられるか分からないって……」

 

アセビは、ボソボソと。

自分自身でも聞こえないのではないかと思う程に小さい声で言った。

 

「私の、せいなんです。あの写真を見せたから、お母さんおかしくなっちゃって、家に、かえったあと、病院からでんわ、来て。私もう、良く、分かんなくなっちゃって」

 

ーーたどたどしい、震えた語調。

だが、その言葉は俺の頭にじんわりと、浸透するように入ってくる。

 

「ドミネーターさんも。私のせいで、不快な思いさせちゃって、ごめんなさい。山吹さん。折角自衛官になれたのに、ごめんなさい。……おかあさん、本当に、ごめんなさい……!」

 

ぼろぼろと、アセビの青い目から涙があふれ出る。

俺も山吹も唖然としていた。

掛ける言葉が無いーー訳ではない、が。

 

『頑張れ』『大丈夫か』『辞めるべきじゃない』『それでいいのか』『それは刹那的な考え過ぎる』

 

ーー頭に湧いてくる慰めの言葉は、陳腐なモノばかりで。

心から後悔している人間を慰める方法など無いのだと、俺は頭の深いところで知っていた。

だから臆病な俺は、この時点での最適解にして最悪解である『沈黙』を貫く。

 

「……それを、あの女が望んでいると思うか? 長年の夢、だったんだろう」

 

山吹はアセビの母親と面識があるようだった。

震えを隠そうともしない山吹の言葉に、アセビは壊れそうな微笑みを浮かべる。

 

「母じゃなくて、私が望んでるんです。こんな私に、山吹さんやあの人と同じ職場で働く資格は無いでしょうから」

「俺は……!」

 

何か昂った感情を発露しようとして、山吹は言葉詰まった。

恐らく、これ以上はアセビを追い詰めるだけだと悟ったのだろう。

俺達は三人して、黙り込んだ。

 

「……それを踏まえて、ドミネーターさんに、一つだけお願いがあるんです」

 

若干の間を挟み、涙を拭いながらアセビはそう切り出した。

な、なんだ? 俺に再生能力があるが、それを他者に行使することは出来ない。

……俺なんかじゃ、死にゆく人間ひとりさえ救えなーー

 

「その姿で、お母さんに会ってあげてくれませんか?」

 

ーーその答えは、予想だにしていなかった。

今の俺が『暴力』以外で誰かの役に立てるとは思っていなかったから。

 

「今のドミネーターさん、私の妹にそっくりなんです。サツキって名前なんですけど……サツキは、絶対お母さんに会いたくないって……もうすぐ、死んじゃうかも、なのに……っ!」

 

……俺は、今一度ガラスに映る自分へ視線を移した。

アセビをそのまま幼くしたような青目の少女。

ガラスの向こうにいるその少女は、驚いた顔をしている。

 

「……アセビ。こいつを外に出すのは……」

「ほんの少しで良いんです! 責任は私が負います! 山吹さんには、絶対に迷惑を掛けません!」

 

深々とアセビは頭を下げた。

顎に手を当てて唸っていた山吹は、静かに『……分かった』と言う。

 

「俺が何とかしよう。今から行け」

「へ……?」

「あまり時間が残されていないんだろう? 明日ではもう間に合わなくなっているかもしれない」

 

アセビの瞳が驚きに揺れる。

俺も同じような表情をしていたのだろうか、山吹は軽く笑った。

 

「……頼めるか? ドミネーター」

 

まるで本当の子供に対するような優しい声で、俺にそう質問する。

ーー選択肢なんて初めから無い。

ここで断れる程、まだ俺は人を捨てられていなかった。

 

「がぁぁぁっ!」

「あり、がとう、ございます……!」

 

泣き顔のアセビに手を引かれ、車へ乗り込む。

バタンと締まるドアを見た俺の胸中は、どうしてか妙な感覚に包まれている。

それは、誰も傷付けずに誰かを救えるかもしれない事へ対しての、確かな喜びだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15.空っぽの魂が優しさで満たされる頃に

駐屯地から出た俺達は、車で夜の公道を走っていた。

車内は沈黙に満たされており、走行音だけが淡々と響いている。

 

「……お母さんは、娼婦でした」

 

感情を無理やり殺しているのか、機械のように硬質な声でアセビはポツリと言った。

運転席の背中が、やけに小さく見える。

 

「父は私が物心つく前に失踪して、貧しい家庭でした。でも、私たちを大学まで行かしてあげたい。って。絶え間無くパートを入れながら、夜のおしごとを、していました。……それでーー」

 

『三年前のある日、倒れてしまいました』

 

ーーしめやかに目を閉じ、そう言葉を紡いだ。

 

「頭がぐちゃぐちゃになってしまって、お医者さんの話は良く分かりませんでした。ただ、過労が原因というのは覚えてます」

 

車がカーブし、交差点を曲がった。

遠くに、『総合病院』と書かれた大きい看板が見えてくる。

ポツポツと降ってきた雨水がフロントガラスに張り付き、信号機の青い光をぐちゃぐちゃに屈折させた。

それに照らされたアセビの横顔が、まるで泣いているかのように見え俺は目をそらす。

 

「……着きました」

 

駐車場に車を停め、先に外へ出たアセビは傘を指しながらドアを開けた。

身長が縮んだせいで車から降りるのも一苦労な俺は、覚悟を決めて飛び降りる。

パシャリと水溜まりが弾けて、靴の中に入ってきた水が不快だった。

アセビにも若干かかってしまって、苦笑いされた。

俺は恥ずかしくなってそっぽを向く

 

「……ドミネーターさん、可愛いです」

「があっ……!?」

 

ーーぎゅっ、と。

唐突に優しく抱き締められ、体が温かかく柔らかい感覚に包まれて俺は混乱する。

安心するような良い香りがした。

 

……いくら妹とそっくりだからって、こんな怪物にそんな事をするな。

そう伝えたかったが、俺の着ている軍服に雨以外の液体ーーアセビの涙が染みだしている事に気がつき、上げ掛けた手を下ろしてしまう。

 

「お母さんは、サツキの事を本当に愛してて……今だって、私じゃなくてサツキが来るべきなのに……」

 

目を伏せるアセビに、俺はなにも言えなくて。

脳に浮かんでは消える、陳腐な慰め。

心から優しい言の葉を紡げない自分へ『所詮は人を装う怪物か』と冷ややかな罵倒を浴びせた。

 

病院の自動ドアをくぐれば、清潔感あふれるエントランスが迎えてくれる。夜だからか人は多くない。

エスカレーターに乗り込むと、アセビが『6』と書かれた四角いボタンを押した。

独特な重力に、膝が軋む。

間の抜けたチャイムが鳴って開いた扉の向こうには、長い廊下が聳えていた。

手を引かれるまま進むと、【613】と書かれた扉の前で立ち止まる。

 

「……お母さん」

 

ーーガラガラと開いた扉の向こう側には、無数のチューブに繋がれ、ベッドに横たわる老女がいた。

皺が多く刻まれているが目鼻立ちが整っていて、昔は美人だったんだろう。と思った。

アセビの声に反応したのか瞼が痙攣し、ゆっくりと目が開く。

 

「あっ、あのねっ。サツキ、連れてきたよ! 分からないと思うけど、あなたの娘でーー」

「ーーアセ、ビ?」

「……え?」

 

老女は、しゃがれた声でなんども『あせび、あせび、あせび』と繰り返す。

ーー本物のアセビではなく、俺に向かって。

 

「やっと……来て、くれた、のね……」

 

涙を流しながら、老女は俺の小さい手を握った。

……認知症という病を、俺は知識として知っている。

その症状として、精神の過去への退行、または回帰があったはずだ。

 

ーー成長したアセビは、この老女の中では『あせび』じゃないのだ。

だから、アセビを幼くしたような外観である俺を自分の娘だと誤認した。

……立ち尽くす、"本物"を差し置いて。

 

「あせび、学校は、どう……?」

 

すがるように、老女は俺へ問いかける。

……俺は、答える事が出来なかったーー

 

「……楽しいそうですよ! "結城さん"!」

 

ーー震え声で、後ろのアセビが言った。

老女はその時はじめてアセビの存在に気が付いたようで、不思議そうな顔をしている。

 

「あら……あなたは。いつも来てくれてる女の子ね。ごめんねぇ……普段は、頭がぼんやりしちゃって……言葉が出てこないのよ。アセビのお友達?」

「っ……!、ぅ、え、は、はい! アセビさんとは、いつも仲良く、して、ますっ! 」

 

俺はぎょっとした。

ーーお前は、それで良いのか?

愛する人に自分を認識して貰えないまま永遠に別れるなんて。

あまりに、残酷だろう。

 

……こいつは自分の気持ちより、死にゆく母に『娘に看どられる』記憶を残す事を優先するって云うのか?

俺には理解できなかった。どうせもうすぐ死ぬんだから、無理にでも分からせた方がこいつは幸せだろうに

振り向くと、アセビはこちらに優しく笑いかけた。

 

「良かったわ……あの子、友達いなかったから。顔は悪くないと思うんだけどねぇ。性格かしら……」

「うぐっ」

「どうしたの?」

「……いえ!なんでも!ない、です!」

 

それからしばらく、老女から俺に関しての問答が続いた。

『生活は苦しくないか』『青目の事で苛められていないか』『山吹は元気か』『おねしょは治ったか』『勉強には着いていけているか』『髪は自分で結べるようになったか』

 

言葉を話せない俺の代わりに、全てアセビが答えた。

老女は度々思い出話をし、毎回アセビは泣きそうになっていた。

多分、三十分程続いたと思う。

結局俺は一言も声を発さなかった。

……だけど、この会話の仲介役をして、一つだけ分かった事がある。

 

ーーこの老女は、アセビをとても愛している。

 

深く、とても深く。

質問に対しアセビが『大丈夫ですよ』と答える度に、老女は花の咲いたような笑顔になるからだ。

 

「ちょっと……眠たく、なってきたわねぇ……」

 

そう言って、老女がうつらうつらとしだした。

しかし数十病後、何かを思い出したように、はっ。とする。

 

「あぁ、そうだ……大事なこと、聞き忘れてたわ……」

 

枯れ木より細く、生命力を感じさせない手が俺の頭を撫でた。

そして、乾ききった唇が言葉を紡ぐ。

 

「ーー夢は、叶いそうなの?」

「……ゆめ?」

 

まるで初めてその言葉を知ったみたいに、アセビは歪な声で『ゆめ?』と聞き返した。

 

「そう、自衛隊に入りたかったんでしょ? でもアセビったら弱虫だから、難しいかもね……でも、もし叶うならーー」

 

老女は、目を閉じる。

それから、どこか遠くを見るような目で、こう言った。

 

ーー夢を叶えたあなたを、一目見たかった。と。

 

「っ……」

 

アセビは、嗚咽を噛み殺しながら必死に涙を堪えようとしている。

内側からの強い力を抑えつけるみたいに薄い唇がワナワナと揺れた。

実際、溢れ出そうになる言葉と気持ちを閉じ込めているのだろう。

しかし、それはすぐに限界を迎える。

 

「あなたの娘は! 夢を叶えます! ぜったいぜったい! 凄くて優しい自衛官になってっ……! お母さんに心配をかけない、強い子になります! 山吹さんも、びっくりするぐらいの……!」

 

ーーだから、安心して。

ーーそして望むことが許されるのなら、私を見てよ。

噛み殺し損ねたアセビの本音が、唇の端から漏れ出て俺の耳に届いた。

老女は表情を変えずに動きを止めている。

 

「……あぁ、そう、なのね。大河も、びっくりする……強くて優しい、自衛官」

 

窓の外を見ながら、うわ言のように呟く老女。

その後アセビへと振り向く。その表情はたおやかな笑顔だった。

そして同じくたおやかな声色で、言う。

 

ーーそれはきっと、あなたみたいな人なんでしょうね。と。

 

「ぅ、あ、ぁぁぁ……」

 

抑えきれず、ついにアセビは泣き出してしまった。

泣き顔を見られたくないのか、俺に断りを入れて病室の外へ出ていく。

ポツンと、漂白された部屋に俺と老女だけが取り残された。

 

「……ねぇ、あなた?」

 

天井を見たまま、老女が俺に声をかけた。

 

「あなた、アセビじゃないでしょう」

「が、ぁっ……!?」

 

心臓が、早鐘の如く脈打つのを感じる。

ーーなぜ、バレた?

擬態は完璧な筈だ。目立ったボロも出しちゃいない。

俺は、この上なく狼狽した。

それは老女にも分かったようで、『責めてるわけじゃないわ』と困った顔で言う。

 

「……あなたの、本当の姿を見せてくれないかしら」

 

ほんとうの、すがた。

それが『ノンシェイプ・ナイト』としての形態を指すのかは分からなかったが、俺にはそうとしか受け取れなかった。

……見破られた、のか? この母親に特殊な能力があるとは思えないが……

 

「はやく、して」

 

……そう急かされ、俺は観念した。

サイズが元に戻れば破けてしまうため、まずは服を脱ぐ。

おおかた裸になったあと、変形を解いた。

 

「っ……!」

 

色白な柔肌は冷たい鉄に塗り変わり、小さかった手は大きく鋭い形状へ。

一瞬にして、愛らしい少女の姿から化物の騎士に変貌する。

老女の息を呑む音が聞こえた。

 

「……やっぱり、あなたなのねーー」

「……がぁ?」

 

なぜか懐かしむような目を向けてくる老女に、俺は困惑する。

普通、娘の姿をした人物が騎士に変わったら驚きでは済まないだろう。

 

「アザレア。元気にしてた? 」

「がぁぁぁ……?」

 

恐らくは人名であろうソレーー『アザレア』。

この老女は、俺をその人物と勘違いしている。そう確信した。

認知症のせいか、あるいは似ているのか。

俺の姿ゆえに後者はあり得ないと思ったが、親しげに語りかけてくる老女の手前、否定は出来なかった。

 

「……多分、私はもうすぐ死ぬわ」

 

達観した表情で老女はため息混じりに言った。

『よいしょ……』と上体を起こし、ベッドの背もたれに寄り掛かる。

 

「だから……私が死んだ日。泣いてるあの子にね、一言だけ言ってあげて欲しい事があるの。じゃなきゃ。あの子はきっと耐えられないから」

 

胸に手を当てながら老女は、俺に懇願してきた。

それに対して首を横に振る。言葉を話せない自分を、心から恨んだ。

 

「あはは……いじわるしないで頂戴……なら、お手紙にしようかしら。……それだったら、渡してくれる?」

 

両方使っても俺の手を包み込めない程の小さな手のひらで、合掌を作る老女。

その頼みに俺はコクリと頷く。手紙なら渡すことは可能だ。

渡す際に気の効いた文句など言える筈も無いが、そう云った事は期待していないのだろう。

老女はベッドの脇に置いてあった木の小棚から紙とペン、下敷きを取り出した。

中に閉じ込めてあった古い匂いに鼻腔をくすぐられる。

 

「……よし、書き終わったわ。」

 

執筆は、二分程で終わった。

……娘へのメッセージにしては、あまりに短すぎる。

折り畳まれた紙を受け取り『これで良いのか』と老女を見返すと、微笑みながら頷いた。

 

「それで、良いのよ。それが私の抱いている感情の全てだから」

 

その言葉のあと、老女はすぐに眠ってしまった。

胸が小さく上下している。数分後に目を腫らしたアセビが病室に戻ってきたが、安らかな寝息を立てている母を見て『……そろそろ、帰りましょうか』と言う。

……確かに山吹に迷惑を掛けてはいけないし。早く戻った方が良いだろう。

俺は人間の形態に変化し、服を着直した。

 

「お母、さん」

 

アセビは、老女の頬を優しく撫でる。

 

「……愛して、います」

 

そう言い残して、アセビと俺は病室から出た。

アセビは、もう泣いていなかった。

 

「……私は、強い子になります。だってお母さんに言われちゃいましたから」

 

病院の外に出て、二人で冷たい空気を吸い込む。

雨は、止んでいた。

 

◆◇◆

 

二日後の、晴れた日。

アセビの母が死んだと山吹から聞かされた。

忌引きなのか、それとも自衛隊を辞めてしまったのか、アセビは駐屯地に姿を現さなかった。

だがその次の日の夜、喪服のアセビが俺の収容施設にやって来た。

やはり、泣いていた。

 

「……ぐおっ」

「え……?」

 

手紙を、渡す。

折り畳まれたそれを開き、アセビは絶句する。

 

【ずっと側にいてくれて、ありがとう】

 

ーーあなたの、母より

 

「ぅ、ぁぁああ……っ!」

 

ーーその時、俺は人として大切な事を思い出した気がした。

短くても、飾らなくても。誰かが紡いだ心からの言葉と云うものは、どうしようも無いほどに伝わってしまうのだ。

そしてそれにより流れる涙も、美しいのだと。

 

「……がぁっ」

「ぇ……」

 

アセビを、抱き締めた。

ーーならば、言葉を話せない俺でも。きっと誰かを心から救える。

自惚れなのかもしれない。……だけど今は、それが正解だろうから。

 

「側にいてくれて、ありがと、は、わたしのほう、なのに……!」

 

泣きじゃくるアセビの言葉に、何度も相づちを打つ。

そうしている内に、自分の体が震えている事に気が付く。

 

ーーありがとうね。アザレア。

 

風に乗って、どこからか老女の声が聞こえた。




戦闘シーンが無くて申し訳無い……ヴァイオレット・エヴァーガーデンの副作用なんだ……本当にすまない……
作者、こういうの書くの初めてなので、良かったら感想ください。自信が出ます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16.武器

その日、アセビはいつも通り出勤しようとしていた。

冬が近付いて冷え込んできた気候に合わせコートを着込み、心の熱くなるアニソンを口ずさみながら靴を履き玄関を出る。

代わり映えしない、平凡な朝のルーチンワーク。

だが静泉に投じられる小石のように、今朝はそこに異物が混じった。

 

「おや……貴方が、結城アセビ様ですか?」

「わぇっ!?」

 

アセビの鼓膜を震わせたのは、穏やかな老人の声。

驚きで短く悲鳴を上げてその方向へ目線を移せば、声色を裏切らない白髪の老紳士が微笑みながら佇んでいる。

細身の長身で、その背丈と比べても長い杖を携えていた。

後ろには老人が乗ってきたであろう黒塗りの高級車が停まっている。

 

「どっどっ、どなたですかっ!?」

 

思い切りコミュ障を発揮して吃りながらアセビは叫んだ。

完全に知らない人とまともに話すのなんていつぶりか分からない。

それに加え、住宅街に似つかわしくない英国紳士然とした服装は、凄まじいミスマッチと共に彼女を混乱させた。

 

「私はクチナシと申します。貴方に一つお願いがございまして、参上いたしました……おい、出せ」

 

クチナシと名乗る老人が指示すると、後ろに停まった車から体格の良い黒服の男が、アタッシュケースを持って出てきた。

それを渡された老人は、おどおどしているアセビヘと向き直る。

 

「これは、ノンシェイプ・ナイトに必要な物です」

 

アタッシュケースを差し出しながら、老人は言った。

反射的に受け取ってしまい、その重さにアセビは大きくつんのめる。

軽く十キロはあるだろう。

が、重要なのはそこではない。この老人は今『ノンシェイプ・ナイト』と言ったのだ。

 

「どうして、知って……」

 

ーーノンシェイプナイトがあの駐屯地に収監されているのは、最高機密だった筈なのに。

自衛官である自分にその話を振るのは、それを知っているという事になる。

 

「私が持っていっても良いのですが……これは、貴方の手から渡した方が良いかと」

 

そう言い残し、老人は車へと戻っていく。

混乱するアセビと、重たいアタッシュケースを置き去りにして。

 

「な、なんですか!これ!?」

 

車のドアが締まる直前で、なんとかそう絞り出した。

老人は動きをぴたっと止め、ゆっくりと振り返りながら品の良い笑顔で口を開く。

 

「"アザレアの形見"とでも言っておきましょうか。奴の手にも、さぞかし馴染むでしょう」

「ぇ、あ……?」

 

車は走り去ってしまった。

ーー本当に、なんだろう。これ。

危ない物だったらマズイから警察に通報しようかと思ったが、老人の言葉が頭をよぎる。

『ノンシェイプ・ナイトに必要な物です』そう、言っていた。

 

「……嘘には、聞こえなかったなぁ……」

 

眼下のアタッシュケースへ目を落とす。

そのサイズゆえに持ってバスには乗れないが、最近なぜかドミネーターの世話係としてかなりの特別手当てが入ったから、タクシーを呼んでも家計には問題ない。

 

「職場まで、持っていこう……」

 

よいしょ、と持ち上げる。

重すぎて肩がぷるぷるするが、我慢できない程ではなかった。

 

 

「……どうだ?」

「ガァ"ァ"ァ"……!」

 

早朝。俺と山吹は、数多の武器がひしめく倉庫にいた。

目の前にあるのはの幾つかの兵器の設計図と現物。俺はそれとにらめっこしている。

近代兵器をコピーできれば、対ドミネーター戦においてかなり有利になるだろう。という発想だ。

"天使の聖骸布"との交戦時、肉体変形で作成した刃は奴の体表を傷付けていた。

つまり、俺によって作成された兵器はドミネーターにも届きうる可能性が高い。

 

「構造が単純なマスケット銃ならなんとかなると思ったのだが……難しいか?」

 

今俺が挑戦しているのは、先詰め式のライフル……いわばマスケットだ。

最初はロケットランチャーなどを模倣しようとしたのだけど、正直言って無理だった。まず構造が複雑すぎる。

ジェット機構を背中に出した時は無意識に出来ていたが、ロケットモーターとかを作成する事が出来ない。

 

だが、考えてもみて欲しい。

普通、自分の片腕が粘土になったとして、それで兵器を内部構造含めて再現できるだろうか。

ドミネーターとして情けないが、無理だ。

マスケットもそう変わらなかった。

ガワだけなら造作はないのだが、それだけだ。精々ハッタリにしか使えないだろう。

 

「はぁ……はあ、はぁ……あ、やっと見つけました……」

 

行き詰まり、二人で頭を抱えていると背後からアセビの声がした。

大きい黒のアタッシュケースを両手で抱えており、重たいのか息も絶え絶え。

落とすように床へ置き、俺の横に座り込んだ。

 

「……アセビ。なんだこれは」

「わ、分かんないです」

「……なに?」

 

山吹がアタッシュケースを開こうとするが、ビクともしない。

鍵が必要なのかとも思ったが、鍵穴どころか繋ぎ目さえ見当たらない。……本当にアタッシュケースか?これ。

興味が沸いて、俺は指先を触れさせる。

 

【遺伝子コード97%一致。ロックを解除します。離れてください】

 

「うおぉっ!?」

「がぁっ!?」

 

鎧の指が触れた瞬間ケースから機械的な音声が鳴り響いた。

呆気に取られていると、ガチャガチャとルービックキューブみたいにケースその物が変型していく。

それは組変わりながらだんだんと圧縮されていきーー

 

「おいアセビ……!これをどこで手に入れた!?」

 

ーー数秒後、そこには一つの武器が鎮座していた。

その色は冷たい黒。先端には先折り式の巨大な刃が着いており、妖しく銀色に煌めいている。

刃の根本から続いているのは小銃。

俗に言う、『銃剣』というやつだった。

 

「……」

 

気が付けば、それを手に取っていた。

ーー馴染む。異様な程に。

動物に尻尾が、魚にヒレがあるのと同じように、自分がなぜ今までこれを握っていなかったのか不思議に思うぐらいだ。

銃身には誰かのイニシャルだろうか、『Y・A』と刻印されている。

 

「貸せ!」

 

だが、血走った目の山吹に奪い取られた。

ぶつぶつと何かを呟いており、いつもとはあからさまに雰囲気が違う。

 

「なぜこれが……!?……生きて、いるのか?いやまさかーー」

「あ、あの。今朝、クチナシっていうお爺さんに渡されたんです。ノンシェイプ・ナイトに必要な物だ、って……」

 

戸惑いながら言ったアセビの言葉に、山吹は目を見開く。

そしてため息を着きながら、『あのジジイが……』と合点がいったように座り込んだ。

 

「……とりあえず、これは検査に回す。爆弾でも仕組まれてたら敵わないからな」

 

ふらふらと倉庫を出ていく山吹。

その背中を、俺はぼーっと見詰めていた。

 

「……あざれあ」

 

不意に、アセビがそう溢す。

振り向くと、虚ろな声音でなんども『あざれあ、あざれあ……』と繰り返していた。

 

「がぁ?」

「お母さんが、言ってました……アザレアって」

 

……確かに、言っていた。

アセビの母は俺の事をそいつだと勘違いしていたな。

 

「……誰、なんでしょう」

 

そもそも、人名なのかすら定かではない。

だが……なぜかこの響きを聞く度に、心の中に怒りに似た感情が沸いてくる。例の写真を見た時もそうだった。

この感情を『殺意』と呼ぶのが適切かは分からないが、恐らくそれが一番近い。

 

「山吹さんに聞いてみます。分かったら教えてあげますね!」

 

アセビは倉庫から出ていく。

……俺も、戻るか。

体を人間に変型し、脇に用意しておいた服を着る。そして跳ねた髪を撫で付けてから外に出た。

刺すような寒気に顔をしかめる。

この形態だと筋力も少女相応だし、寒さにも暑さにも弱いから不便すぎて嫌になるな。

さっさと収容施設に帰ろう。

 

「……ぐおっ」

 

歩きだそうとして、急に腹の虫が鳴いた。

……腹、減ったな。

今までこんな事は無かったのだが、この状態だと本当に『ただの人間』なのか。

外だから騎士に戻るわけにもいかないし、山吹かアセビに頼もうにも、どっか行っちゃったし……

 

「がぁぁぁ……?」

 

その時、何か良い匂いに鼻腔をくすぐられた。

思わずその方向へと足を進めてしまう。

しばらく歩いていると、沢山の自衛官がひしめいている食堂らしき場所に来てしまった。

俺に視線が集中しているのに気が付き、たじろいだ。外見が幼いからだろう。

 

「がっ、がぁ……」

「あれ? 山吹さんちの親戚ちゃん? たしか、隕石で家が潰れて職場まで連れて来てるんだっけねぇ」

 

エプロンをしたおばさんが歩いてきて、言った。

……あ、そういう設定なのか。俺が気兼ね無く駐屯地内を歩き回れるようにと、山吹が配慮してくれたのだろう。

いつかに説明されたがここの自衛官達は基本的に、この駐屯地にドミネーターが居る事を知らされていないらしい。

そんな怪物が居る事を知ったら誰も働きたがらなくなるから、だとか。そりゃそうだ。

 

「お腹空いたの? 」

「……」

 

膝を曲げ、目線を合わせてくる。

無言で小さく頷くと、笑いながらテーブルの前に座らせられた。

周りの自衛官たちが優しい声で話し掛けてきて、気恥ずかしかった。

壁に付いたテレビの中で『消えた隕石の謎』とか『ドミネーターの正体に迫る』とか言っている評論家達をぼーっと見ていると、俺の前に黄色い物体が乗った皿が置かれる。

 

「好きなだけ食べなさい。お金は山吹さんから取っとくから」

 

それは、食べやすいようにカットされたオムライスだった。

とろとろした部分とケチャップが混じりあってピンク色になっている。

エプロンをした人を見ると、ニコニコしながら俺が食べるのを待っていた。

スプーンで軽く掬い上げ、ライスごと口に運ぶ。

 

「がぁぁぁ!?」

 

熱っ!あっつ! 舌が焼けるみたいに痛い!

思わず口元を押さえていると、エプロンの人が謝りながら『かなり冷やしたんだけど……猫舌なのね!』と言ってきた。

 

「あっ、山吹さん。親戚ちゃん来てるわよ!」

「お前……」

 

横を見ると、そこには呆れた顔をした山吹の姿があった。

エプロンの人に硬貨を渡している。振り向き様に睨まれた。

目線で謝ると溜め息を吐かれた。

 

「……帰るぞ」

「ぐ、ぐおっ!」

 

手を引かれて外に出る。俺が寒がってるのに気が付いたのか、自分の着ていたジャンパーを羽織らせてくれた。

収容施設は、結構近くにあった。

 

 

「おい、食うか?」

檻の中に座り込んでいると、ラップの張られた皿を持つ山吹が入ってきた。

ラップには水滴が付いており、少し前の物だと分かる。

案の定、その中にはオムライスがあった。

 

「がぁっ(いや、いい)」

「……そうか」

 

騎士の形態だと腹が減らないし、そもそも食えるか分からない。

服を着直すのも面倒だからまた今度にしよう。

 

「例の、銃剣の事だが……」

 

オムライスを食べながら、山吹はそう切り出した。

 

「弾丸含め、全てのパーツが隕石で構成されていたそうだ」

「があっ……?」

「正確には、隕石に含有されている隕鉄だがな」

 

いん、てつ……?

それに何か意味があるんだろうか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17.最強の侵虐者

「あの武器について説明する前に、一つだけ聞きたい事がある」

 

鉄格子の向こう側に座る山吹が、静かに目を閉じる。そして意を決したように俺を睨みながら口を開いた。

 

「……お前は、アザレアなのか?」

 

……最早うんざりしてきた。誰なんだよアザレアって。

山吹も俺をそいつだと思ってるのか? 一体どこにそう判断する要素があったんだ。

アセビの母は記憶が混濁してたから仕方ないにしても、こいつは別にそういう訳じゃないだろう。

 

「……すまない、睨まないでくれ。聞いてみただけだ。お前とあいつじゃ性格からして違い過ぎる」

 

溜め息を吐き、右手で自分の髪をぐしゃぐしゃ掻きながら山吹は謝罪した。

そして目を伏せ、言う。

 

「あの武器は、俺の知人が使っていたのと同じ設計の物でな。エンブレムまで再現するとは、作った奴は相当に性格が悪いんだろう」

 

『アザレア』と山吹は知り合いなのか。しかも、"あいつ"という口振りからしてかなり親しい間柄の。

俺とどう似ているのか聞きたいが、それが分かったとしてどうしようもないから聞かない事にした。

 

「……ん、すまん、電話だ」

 

その時、山吹のポケットから間の抜けた着信音が鳴り響く。

携帯を耳に当てて会話を始めたは良いが、だんだんと表情がこわ張っていくのが分かった。どうせロクな報せじゃないのだろう。

 

「……ドミネーター」

「がぁ……?」

 

荒々しく通話を切り、しかめた顔で俺を呼ぶ。

そして、『ヤツが……』と掠れた声で呟いた。

 

「ーー南スーダンのドミネーターが、すぐそこまで来てる」

 

俺は思わず、一瞬だけポカンとした。

南スーダンっていうと……あの、人畜無害そうな顔したもふもふなドミネーターか?

フランスの人形と同じで、同盟が目的だろうか。

 

 

南スーダンのドミネーターを迎えるため、俺達は海沿いで地平線を睨んでいた。

黒龍の時ほど戦艦は多くない。兵器では有効打にすらならないと分かったからだろう。

 

……問題は向こうの目的だ。同盟か、侵略か。

前者なら仲間になるだろうが、後者ならば全身全霊で捻り潰さなければならない。

しかし、実のところ殺し合いになる可能性は極めて低い。

アイツは『知性体』だからだ。俺の知る限り、ドミネーター同士が殺し会うメリットなんてほぼ無い。日本を侵略しに来た天使や黒龍は理性が無いように見えた。本能に任せて暴れているだけなのだろう。

だから、南スーダンの奴は恐らくーー

 

「ーー危ないよ」

 

ーー『上から』声が聞こえた。

咄嗟に飛び退いた瞬間、とんでもない爆風と飛び散る石片に全身を叩かれた。

立ち上る土煙の向こう側には、何者かが立ち上がるシルエットが見える。

先程まで俺がいた場所には、デカいクレーターが出来ていた。

 

「やぁ! 直接会うのは初めてだねっ!」

 

張り詰めて緊迫した空気を、その呑気な声がぶち壊した。

クレーターの中心には、鎧を着たヒトガタの獣ーー獣人とでも言うべきかーーが佇んでいる。

右手には巨大な十字槍が握られており、そこから並みならぬ力を感じた。

 

「っ……」

 

ーーこいつは強い。とんでもなく。

俺の中の"人間じゃない部分"が物凄い勢いで警鐘を鳴らしている。

『逃げろ』『逃げろ』『お前じゃ無理だ』『格上だ』ーー

脳髄から直接発せられるシグナルが、頭を揺さぶった。

 

「がぁっ……!」

 

軽く吼え、自分を奮い立たせる。

押し潰されそうな程の重圧を無視して、獣人を睨んだ。

 

「はっはっは……やはり、かなり強いな。君は」

 

何故か嬉しそうに、獣人は笑った。

そして『着いてこい』とばかりに背を向け、歩き出す。

 

「がぁ……?」

「同じドミネーター同士、積もる話もあるだろう。散歩でもしながら互いの近況報告でもどうだい?」

 

山吹に振り返ると、苦い顔をしながらも頷いた。

積もる話……と言ったって、喋れないんだけどな俺……まあ良い。有用な情報が手に入るかも知れない。

俺は獣人の背中を追う。速くも遅くもないスピードで歩いていた。

たまに槍が地面を擦り、耳障りな金属音が鳴り響く。

 

「……君は、どうしてドミネーターが他国を襲うか知っているかな?」

 

五分ほど歩いただろうか。人気の無い場所でふとしたように獣人がそう言った。

……何故ドミネーターが他国を襲うか、だって?

そんなの、本能に決まってる。その証拠に侵略してきたのは知性の無い奴だけだった。

 

「おかしな話だよねぇ……平和に暮らせば良いのにそれをしない。ただ殺戮を目的とする、苛烈な力を持った戦闘生命体。それがドミネーターだと、そう思っていないかい?」

 

少し怒りの籠った声音で、獣人が再度問いかけた。

まるで空間自体がコイツに怯えているかの如く、大気が震えるのが分かる。

草木がざわめく、虫のさざめきが聞こえなくなる、雲の流れが速くなる。

俺は息を飲んだ。……ここまで、力に差があるのか、と。

 

「ーー彼らは、"家族のために"戦っていたんだよ」

 

家族の、ため……?

声に秘められた怒りが明白になっていく程、プレッシャーは増していく。

気が付けば、体が勝手に戦闘体勢を取っていた。

右腕に雷を装填し、腰を低く据える。

 

「……力が弱いドミネーターは、他のドミネーターの核を喰らわねば自らの眷族(かぞく)を維持できないんだ。だから必死こいて侵略して、君みたいな強い奴に殺されてしまう」

 

自嘲気に獣人は笑う。そして、十字槍の穂先を俺に向けた。

 

「それは、私も同じだ」

 

……眷族。

フランスの人形が言っていた、『ドミネーターと親しい存在』が成るってヤツか。

それを維持……? あの人形はそんな事を言っていたか……?

 

「……私が力を得た時、既に南スーダンはボロボロだった。多くの人が飢え、四肢を欠損し、大切な人を失っていた」

 

十字槍の周囲に、可視できる程強力な竜巻が発生した。

辺りをつむじ風が吹き荒ぶ。

 

「だから、私は全ての国民を眷族(かぞく)にした。そうすれば、誰も失わないからね」

 

獣人は息を整えるように、深く呼吸をした。

 

「……だが、限界はすぐに訪れた。私では全ての国民を維持するだけの力が無かった。幾らドミネーターの核を喰らえど喰らえど、国民は痩せ細るばかりだ」

 

竜巻纏う槍を腰だめに構える獣人。その瞳は闘志にみなぎっていた。

……やはり、こうなるのか。

数秒の睨み合いが続くが、向こうはピクリとも動かない。

それに痺れを切らし、俺が限界までチャージした雷を発射しようとしーー

 

「ーーだから、君の心臓を私にくれないだろうか」

 

獣人の姿がその場から掻き消え、次の刹那、眼前に迫る極大の槍を見た。

ーーあれだけあった間合いが、一瞬で潰れてしまった。

竜巻に乗って突き出される濃密な死の気配が、槍の形で俺を襲ってくる。

 

「ガァ"ァ"ァ"ッ!?」

「……(たけ)き、騎士よ」

 

身をよじりなんとか回避したーーと、思ったが竜巻の余波で左腕がもげ飛んだ。

傷口から噴水の如く血液が吹き出る。

ーー速すぎる、まるで見えない。

間違いなく、今まで戦った中で断トツの最強だ。

 

「……君に、幸あれ」

 

槍の連撃が、ファランクスが如き超高密度の壁となって俺を蹂躙する。

反撃しようにも、そう判断した時には腕も足も何処(いずこ)かへと吹き飛ばされていた。

極限まで引き延ばされたコンマ数秒の思考の中で、自分にはもうチリ同然の胴と頭部しか残されていない事を理解する。

 

「ガァ"ァ"ァ"ッッッ!!!」

「なっ……!?」

 

だが、裏を返せばまだ体が残っていると云う事。

俺は全身のエネルギーを喉元へ結集させ、口内が焼けるのも構わず吐き出した。

獣人の表情が驚きに染まる。

ーー最高出力、『雷の槍』

ゼロ距離で撃ち込む一点集中のソレは、格上さえ殺しうる。

今現在の俺が放てる、一度きりにして最高火力の一撃。

本家である『天使の聖骸布』をも単発威力であれば遥かに凌駕しているだろう。

 

「ぐっ……!」

 

口から射出された雷槍は、防御に挟み込まれた獣人の片腕を丸コゲにする。

発射の反動で吹き飛び、視界が転がった。

 

「はっ……ははは! やるねぇ! この能力は知らなかったよ! 」

 

遠くで笑い声が聞こえる。

血の滲む視界の端で、右腕をダランと下げた獣人がゲラゲラ笑っていた。

自分の艶やかな青い傷口をまるで最高の芸術品だとばかりに見詰めたあと、こちらへ振り向く。

「ーーさあ、第二ラウンドと洒落こもうか?」

「ガ、ァ"……」

 

無事な腕へ槍を持ち替え、獣人は俺の心臓を刈り取るべく歩み寄ってくる。

ーー足の感覚が無い。

ーー腕の感覚も無い。

ーー体内を満たしていたエネルギーの感覚は、さっきの雷槍を撃ってから消え失せた。

 

「ガァッ! ガァァァァ!!」

「……君の体は私が有効に使わせて貰う。それに、日本の人々も苦しませはしない。ほんの一瞬だ。この星の表面から一つの民族が消える。ただそれだけだ……」

 

ーー『詰み』

脳裏によぎった最悪な二文字を振り払いたくて、必死に吼える。

頭をフル回転させ、今の自分に出来る最適解を模索する。

だが、無駄だ。この"絶対的強者"は、油断などしないだろう。

 

破れかぶれで僅かな雷を放つーー無駄。

体の再生まで時間を稼ぐーー無理。

這いずって逃げるーー不可能。

 

「だから、安心して逝くと良い」

 

胸に槍が突き付けられた。

……これで終わり、か。思ったより呆気ないな。

だが、自分のために二国を喰らった怪物の末路には相応しいだろうか。

 

「……さよなら」

 

十字槍が振るわれる。

数瞬後、何かの弾ける音が聞こえたーー



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18.最果てにて、魔王は嗤う

「……知っていたさ。こうなる事は」

 

南スーダン。荒れ果てた荒野の中心で、魔王は立ち尽くしていた。

その体は痩せさばらえており、彼を慕う国民は最早一人も居ない。

全員が既に死んでいた。……否、『元に戻った』と言うべきか。

 

「もっと、力が要る……ドミネーターの核を喰らわねば、国民を維持できない……」

 

地に槍を突き立て、魔王は座り込む。

彼の持つ力ーーいや、槍の力は『概念の破壊』。

それにより彼は国民の"命"を破壊した。

"命"を持つ限り、餓えや恐怖からは逃れられないからである。

『最果ての魔王』は、命が消え失せ抜け殻となった肉体を眷族に変え、偽りの生を与えていたに過ぎない。

それさえ、力の枯渇により不可能になったが。

 

……南スーダンの人口は、一千万人。

彼は、その全員に自らの加護を与えていたのだ。

負担は尋常ではない。なにせ国一つ分の命を維持するのだから。

そのような神の如き所業、一個のドミネーターに過ぎぬ魔王では到底不可能だった。

 

「私は、必ず君たちを……」

 

横たえる子供の頬を撫でながら、うわ言のように魔王は呟く。

先日まで生きているように見えた南スーダンの民は、全て死体。

動いて、笑って、幸せで、感情がある、死体。

……今はただ腐りゆくだけの、魔王にとって大切な大切な家族。

それは、今の自分では絶対に取り戻せない存在。

そう。現在の、"八つしかドミネーターの核を喰らっていない"自分では、到底救えない存在。

 

「……ノンシェイプ・ナイト」

 

魔王はぼそりと、とある制圧者の名前を呟いた。

それは、言葉を解する稀有なドミネーターの名。

自分が唯一、おおよそ全ての能力を把握している、ドミネーター。

 

「……すまない。友よ」

 

ーー誰も殺したくはない。

ーー誰も失いたくはない。

ーー誰も悲しませたくはない。

 

……だが。

 

「私は、君を……!」

 

ーー彼なら、狩れる。

魔王はそう確信していた。

ノンシェイプ・ナイトと自分の能力は極めて相性が良いのだ。

正面からなら恐らく完封、悪くても腕の一本や二本で済む。と。

 

「ーー全ての力を以て、君を殺す」

 

ノンシェイプ・ナイトは強力だ。

あの核を喰らえば、きっと国民を救える。

そして日本は滅びて一億人以上が、死ぬ。

十の他人を殺し一の家族を生かす。魔王はそれを選んだ。

……時間が、無い。

死体が腐れば、加護を与えたところでまともな思考能力は持てないのだ。

そうなってしまえば、魔王の家族は本当の意味で『ただの死体』に成り果ててしまうのだ。

 

「……騎士と魔王の決闘、といこうかな」

 

魔王が虚空へ槍を薙げば、そこの空間が『裂けた。』

空間の狭間、その中に魔王は消えた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19."正体"

「……誰だい? 君は」

 

いつまで経っても痛みが訪れない事を不思議に思い、俺は薄目を開く。

霞んだ視界の先には、獣人の十字槍を片手で受け止めている何者かの姿があった。

 

「これまた手酷くやられましたね……ノンシェイプ・ナイトさん」

 

フランス軍服に身を包んだそいつは、呆気に取られている獣人へ前蹴りを食らわせた。

何か渇いた物が砕ける音が聞こえる。

十メートル程吹き飛んだ獣人は、体勢を立て直しながら苦々しい表情で腹部を押さえていた。

 

「フランス人形"ボナパルト"。盟約に従い、参上しました」

 

ーー膝を曲げ俺に手を差しのべるのは、窪んだ孔のごとき両眼を蒼炎に燃やす『人形』の姿だった。

……なに、しに来たんだ。こいつが来たって、あいつには……

 

「と、言うのは前口上で……助けに来ましたよ!」

 

大げさなポーズで人形、ボナパルトは告げる。

呆れた気持ちになると共に、どうしてだか安心した。

だがそれも束の間ーー俺は人形の背後に迫る獣人の姿を見た。

 

「ガアッ!!」

 

ーーおい、後ろだ!

そう言い切る前に、十字槍がボナパルトの背中を穿った。

口端から血を流す獣人の顔が、勝利を確信したように歪む。

 

「不意討ちとは……その名が泣きますよ? "最果ての魔王"」

「っ……!? なぜ、通らない……!」

 

ーー棒立ちのまま受けたにも関わらず、槍はボナパルトに全くダメージを与えられていなかった。

薄ら寒いものを感じたのか、獣人はバックステップして距離をとる。

 

「……『概念破壊』が、通用していないな」

 

品定めするようにボナパルトを見やる獣人。

それに対し、ボナパルトは人差し指を立てながら何度か舌をならした。

 

「ワタシは主に三つ"命令"をされました。一つは『ボナパルトのお友達を助けてあげて』一つは『傷付かないで』……そして、もう一つはーー」

 

軍帽のツバへ片手を添えながら、獣人を指差した。

 

「ーー『"魔王(アナタ)"を打倒せよ』です」

「ぐっ……!?」

 

ボナパルトの姿が揺らめき、爆風を残して掻き消える。

数秒後、俺の側に戻ってきたその肩には黒焦げの腕が担がれていた。

獣人からは片腕が無くなっている。

……この一瞬で、奴の腕をもいだのか?

 

「その"命令"のお陰で今のワタシは絶対に『傷付き』ませんし、アナタよりも確実に強い……そのせいで、若干オーバーヒート気味ですが」

 

俺は、ボナパルトの指先が灰になっている事に気が付いた。

赤く燻る火が、ヂリヂリと拡がっている。

……この異常なまでの力には、時間制限があるって事か。

 

「君は……服装からして、フランスのドミネーターかな? ははは! そちらこそ恥ずかしくないのかい? 大国の制圧者ともあろう者が、二人がかりなんてさ!」

 

そう言いながら、獣人は挑発するように肩をすくめた。

無くした腕は既に半ばまで再生している。奴も、俺も。

俺はほぼ完治した足で立ち上がった。

……向こうには悪いが、これで一対二だ。ボナパルトの活動限界も気になるし、一気に畳み掛けーー

 

「……良く言いますね。アナタは、()()()()()()()()()()()()()()?」

 

ーーボナパルトの言葉に、獣人は目を見開く。

そして口角がつり上がり、クツクツと笑いだした。

……どういう事だ? はじめから、二人がかり……?

 

「鋭いなぁ、君は……!」

 

体をよじり、獣人が勢い良く地面に十字槍を突き立てる。

すると、槍は独りでにうねりながら枝分かれするようにその形態を変化させていき、数秒後には巨大な骨の龍が如き風貌へと変わった。

思わず息を飲む。『天使』と同じで槍が本体か……!?

……いや、違う……これは、もっと異質なーー

 

「……はは、重要な局面で不意討ちかますつもりだったんけどね。バレたならもう隠す意味は無いな」

『ギァ"ァ"ァ"!』

 

"槍の龍"が吠えた。

獣人はそれに『やれ』と指示を出す。すると、全身から金属の軋むような音を鳴らしながら緩慢な速度で"槍の龍"は襲いかかってくる。

地を抉り、天をも喰らわんとばかりに肥大していく姿はまさに怪物そのものだった

 

「ああそうだ、君達にもう一つ大事な事を教えておこう」

 

龍の後ろから、余裕を孕んだ声色で獣人は言った。

その後こう続ける。

 

「ーー私は、南スーダンのドミネーターではない」

「……なに?」

『グラ"ァ"ァ"ァ"ッ!』

 

その言葉の意味を考える間も無く、龍が俺へ爪を振りかぶった。

それを受け止め、違和感を覚えるーーー"軽い"。

サイズに対して、重さも力も弱過ぎるのだ。

拳を叩き込めば、容易く砕けた。

 

「騎士よ。おかしいとは思わなかったかい? ドミネーターの力は、治める国の『国力』に大きく左右される傾向にある。そんな中、発展途上国の私が先進国の君を圧倒するなどあり得ない事なのだよ」

「っ、ノンシェイプナイトさん! 」

 

槍の龍を殴り倒した俺に、切羽詰まったボナパルトが叫ぶ。

視界の端に背後を凄まじい速度で移動する獣人が見えた。

おかしい……ヤツは今、龍の向こう側にーー!?

 

「"ミラージュ・ボディ"。……これは、エチオピアのドミネーターだったかな?」

 

ーーさっきまで龍の後ろに立っていた"獣人"は、その姿をピンク色でどろどろのスライムへと変えていた。

ニセモノ、か……!?

 

「なんですか、これは……!」

 

驚愕した声に振り向けば、ボナパルトは合計で五体の怪物に囲まれていた。

"光かがやく狼"。

"形容し難い異形の肉塊"。

"無数の人面が浮かび上がった黒い袋"

"幾重にも積み重なった眼球"

"体長三メートル程の青白い骸骨"

 

思わず目を疑う。ーー全てドミネーターだ。しかも、強力な部類の。

信じられない、信じたくない光景。

しかし、俺の本能のような物が間違いないと叫んでいる。

ピンクのスライムもプラスすればこの状況は二対七だ。

ちょっとの不利じゃ済まない。

どういう事だ……他国のドミネーターが一斉に攻めてきたのか!?

 

「他人の心配をしている場合かい?」

「っ……!」

 

頭部に圧迫感を覚え、その途端地面から足が離れる。

ーー頭をつかまれ、持ち上げられた。

そう理解した時にはもう遅かった。

 

「"我が軍門に下れ"」

「ガ、ァッ……!?」

 

意識が遠退く。

視界に、青い血管に似た物体が侵食してくる。

脳幹の内部を、五指でかき混ぜられるような感覚ーー

 

「ガァ"ァ"ァ"ッ"!!」

「ほう……意外と、耐えるね」

 

ーー『奪われる』。

何かは分からない。だが、自らの"自我"や"魂"とでも呼ぶべき領域が、外部から何者かによってアクセスされ奪われようとしている。

そう、感じた。

 

「冥土の土産に教えてあげよう……私の本当の能力は、ドミネーターに対する『支配』『強化』だ」

 

しはいと……、きょう、か……?

灰になりゆく思考の隅で、いつぞやに聞いた山吹の言葉を思い出す。

 

【「他には"現実を改変する"とか。"死の概念そのもの"とか"他のドミネーターを使役、強化する"とかーー」】

 

ーーそうか、こいつが。ガチな化物どもの一角かよ。

 

「ぐ、が、ぁ"あ"、あ"……ぁ!」

「抗うな。すぐに終わる」

 

その感覚は、息を限界まで止めた時と似ていた。

世界がチカつき、脳がシャットダウンする寸前。

ただ違うと確信できるのは、ここで意識を無くせばコイツの傀儡(かいらい)にされると云うこと。

そう、今ボナパルトを襲っている、あのドミネーター達と同じように。

 

「……重ねて、命ずる」

 

呆れと幾ばくかの罪悪感の混じった声で獣人は静かに言った。

 

「"我が軍門に下れ"!」

 

ーー脳に掛かる重圧が倍増し、俺の意識は彼方へと消え去りそうになる。とっくに限界は越えていた。

せめて、コイツの戦力,に加わる前に、ボナパルト、に,ころして、もらわなけれ、ば 、 は

 

「……が、ぁ」

 

テレビを消すかのように、世界が暗転する。

完全に光が途絶えたあと、誰かの咆哮が聞こえた気がした

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20.対話する霊

気が付けば、俺は暗い空間に存在していた。

体があるのかさえ分からない、ひどく曖昧な空間。

しばらく混乱した末に、自らの最後の記憶を思い出す。

……あの獣人に敗北したのだ。

 

「……ああ、そうか」

 

ーー終わったのか、俺は。

そう理解した途端、悲しみやら怒りやら安心感やらがごちゃ混ぜになった感情に心を満たされる。

きっとアセビや山吹も死んでしまうのだろう。

 

……あの獣人は、家族を守るために戦うのだ。と言っていた。

たぶんボナパルトだって同じだ。あいつの(あるじ)を守るために努力している。

ーー俺には、心から大切だと思える人間が一人でもいるか?

もし、アセビが俺の"眷族(かぞく)"だったとして。他のドミネーターを喰らわなければ死んでしまうとして。

俺は、あいつらのために命を賭けられる覚悟があるか?

他者を傷つけられる覚悟があるか?

 

ーー否。きっと、無い。

 

記憶が無い。人を愛す事が出来ない。がらんどうの魂。

そんな、覚悟を持たない半端な奴に他のドミネーターを殺す資格なんてあるのだろうか。

……そうだ。俺には、戦う資格なんてーー

 

「いやさ、そういう問題じゃないよね」

 

ーー背後から、呆れたような男の声が聞こえた。

振り向けば、そこには典型的な『やれやれ』のポーズをしながら首を振っている人影が佇んでいる。

(かお)のあるべき場所には黒い煙が渦巻いており、その表情は伺えない。

 

「……誰だよお前」

「洋画とかのこういうシーンで、『俺はお前だ……!』とか言うのあるじゃん? でも僕は君じゃないから、その質問には『お前以外の誰かだ……!』と、答えよう!」

 

凄まじい早口でそう言った後、貌の無い男は得意気にため息を吐いた。

……とてつもなく胡散臭い。声を聞いているだけで不快感が滲んでくる。

俺は、自分がこの男を心から嫌っている事に気が付いた。

 

「ここはどこだ?」

「質問ばっかしだねぇ……まぁ良いや。ここは君の精神世界的なアレだよ。なんでそこに僕がいるのかっていう質問はナシで。メンドイからさ」

 

精神、世界……じゃあ、やっぱり俺は死んだのか。

 

「死んでないよ。あのチート魔王の力で封じ込められてるだけだ」

「……口に出してないぞ」

「心ぐらい読めるよ。ほら、僕って凄いからさ」

「……チッ」

「舌打ちしたよね? ねぇ今舌打ちしたよね?」

 

どこまでも軽薄な言動に、なにやら逆撫でられる。

だが、コイツと会話する以外に選択肢が無いのも事実だ。

この思考も向こうに読み取られているようで、『うんうん、良い心がけだよ』と頷いた。

 

「このままじゃ、日本は終わる。それは分かるね?」

「……ああ」

「英雄人形は強いけど、あの状況じゃ勝率は六割ぐらいだ。それに、あいつが勝ったとしても君が死ねば日本は滅びる」

 

……恐らく、現実の俺の体はあの獣人に支配されているのだろう。

あのドミネーター達と同じように。

ボナパルトに殺されるのが最も被害が少なくて済むが、こいつの言うとおり日本が滅ぶ。八方塞がりだ。

 

「何か、なんとかなる方法はあるのか?」

「無いわけじゃない。そもそも無かったら、僕がこんなに意味深な感じで登場する意味無いしね」

「……どうすれば良い」

 

こんな奴に頼るのは(しゃく)だが、方法があるのならばなりふり構ってられない。

……俺には愛する人も、自分のために他者を傷つける覚悟も無いけど。

それでも、戦う力があるならば。足掻き切ってから死んでやる。

 

「……うん、良いよ。すっげぇ良い。君のそういう所が僕は大好きだ。そんな君だから僕に勝てたんだろうね」

 

心底うれしそうに、男は笑う。

……どういう事だ? 俺が、こいつに勝った?

 

「ーーちょっと、痛いぜ」

「が、ァッ……!?」

 

ーー男が、一瞬で眼前に移動してきた。

そして俺へ右手を突き出す。すると、胸の奥からマグマが溢れ出るような感覚に襲われた。

 

ーー心臓(コア)が、熱い。

 

「さあ、あのクソ魔王に思い知らせてやれ。『貌無し騎士』の底力を!」

 

上から、光が差し込んでくる。

深海から水面へ浮き上がるような、不思議な浮遊感を感じた。

 

「……勝てよ。"アザレア"」

 

□ーーあの子を、守ってやれ

 

"英雄人形"ボナパルトは苦境の中にいた。

四方八方から襲い来る五種のドミネーターによる猛撃。

迫る活動限界に、すり減る神経。燃え尽きる体。

だが、彼を追い詰めているのはそれだけではなかった。

 

「ガァ"ァ"ァ"ァ"ッッッ!!!」

「チィ……ッ!」

 

ーーノンシェイプ・ナイトが『堕ちた』。

鎧の表面に幾つもの青い光の筋が血管のように走っており、洗脳される前よりも明らかに力が強まっているように見える。

ドミネーターの使役と"強化"。ボナパルトは魔王の力に身震いした。

 

「おっと……、今のは惜しかったねぇ? もう少しで支配できたのに」

「っ……」

 

魔王の腕が頭部を掠める。

ーー明らかに、動きが鈍っていた。活動限界がすぐそこまで来ている。

ボナパルトは、究極の二択を迫られていた。

『抗戦』か『撤退』か。

このまま続ければ自分の身も危ない。しかし、ノンシェイプ・ナイトを見捨てたくもなかった。

彼は、ボナパルトにとって始めての『ともだち』なのだから。

 

それにーー主が授けてくれた名前。"ボナパルト"。

()の英雄の名を冠しながら、友を捨て逃げるなどあり得なかった。

 

「……君、多分負けるよ? 逃げないのかい? 」

「Of Course……!(当たり前だ……!)」

「……残念だ」

 

支配を受けたドミネーター達の攻撃がより一層苛烈になる。

主から下された『傷付かないで』の命令も、既に効力を失い始めていた。

腹を裂かれ、腕をもがれ。ボナパルトはついに片膝を着いた。

 

「……英雄よ。せめて、友の手で引導を渡してやろう。やれ。ノンシェイプ・ナイト」

 

魔王の命令を受け、ノンシェイプナイトがこちらへ振り向いた。

がらんどうの瞳には、虚ろな青い光が浮かんでいる。

そこから意思は感じられなかった。

 

「ノンシェイプ、ナイト、さん……」

 

ボナパルトの声はもう届かない。

ノンシェイプナイトの右腕が雷鳴を放ちながら変形し、巨大な砲身になる。

その砲口には、まばゆい雷が装填されていた。

 

ーー食らったら死ぬ。消し炭になって。

 

ボナパルトがそう直感する程のエネルギー量だった。

魔王でさえその表情を驚きに染まらせていた。

しかし、それはすぐに驚きから焦りに変わる。

 

「待て……おい! 命令だ! 撃つな!」

 

ーー砲口は、魔王へ向いていた。

 

「グラ"ァ"ァ"ァ"ッ!!!」

 

放たれる雷は、支配されたドミネーター達を塵芥(ちりあくた)に変えながら魔王に直進する。

迫り来るおびただしい規模の雷に圧倒されながら、魔王は思った。

 

強過ぎる、と。

 

『強化』と言えど、通常のそれは微々たるものだった。

だが、なんだこれは。二倍三倍では済まない。それに、なぜ私へ牙を剥く?

無数の疑問に思考を支配され、魔王は雷速の『破壊』に身を焼かれた。

 

「か、は……っ」

 

体を満たしていた血液が沸騰していく。

ーーなんで、こうなる、どうにか、しなければ。

そんな思惑が、考えた端から焼き払われていく。

それから数秒が経った頃に、雷は止んだ。

眼球が弾けてしまったのか、魔王は視覚を失っていた。

 

「何なんだ……、お前は……!」

 

生命維持の危機により、ノンシェイプ・ナイトとの繋がり(パス)が切れるのを感じる。

 

「がっ、が、ぁぁ……?」

 

その途端、間の抜けた、困惑したような声が聞こえた。

 

「は、ぁ、あ……」

 

雷によって四肢に力が入らない魔王は、手探りで地を這いずり逃げようとする。

だが数秒後、何者かの足に当たった。

 

「……終わりだ」

「えいゆう、にんぎょう……ッ!」

 

英雄人形はかなり消耗していたが、ロクに動けない自分を始末するなど造作無いだろう。

魔王は、死の淵に立っていた。

前門の人形、後門の騎士。

そこに逃げ場などある筈は無い。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21.終焉

「ノンシェイプナイトさん、ノンシェイプナイトさん!? 分かりますか!?」

 

黒い海から意識が浮上し、ぼんやりと世界が帰ってきた。

遠くから、俺を呼び掛ける声が聞こえる。

徐々にピントが合い、鮮明になった視界の先にはボナパルトがいた。

 

「がっ……がぁ……?」

「良かった……! 支配されていなかったんですね!」

 

確か、俺は精神世界とやらで胡散臭い男と話して……それから、思い出せない。

……確か、あの獣人から支配を受けてーー

 

ーーそうだ。アイツはどうなった。

 

「がぁぁぁっ!(ヤツはどこだ!?)」

 

全身に雷を纏わせながら辺りを見渡す。だが、それらしき姿は見当たらなかった。

焦りにかられながらボナパルトに目をやると、なぜか不思議そうな顔でキョトンとしている。

 

「……何、言ってるんです? たった今アナタが倒したじゃありませんか」

 

自分の足元を指差しながら、ボナパルトは言った。

指先を視線で追うと、そこには小刻みに痙攣する黒焦げの肉塊が転がっていた。

 

「が、ぐ、ぅ……は、ァ、ぐ、ぅアぁ……!」

 

肉塊から僅かに飛び出た突起物が腕だと云うことに気が付く。

断続的に悲壮な呻きを漏らしながら、這いずっていた。

ーーこれが、あの獣人?

……なにが、どうなったんだ。ボナパルトがやったのか?

 

「……まぁ、それはあとでも良いでしょう。今、優先すべき事は……」

 

右足で肉塊の進路を塞ぎながら、ボナパルトは口を開く。

 

「こいつを……始末する事です」

「や"め、ろ……ぉ"! わ、たじを"、ころず、な"ぁ"!」

 

声帯が焦げ付いているのか、しゃがれた声音で獣人は叫んだ。

 

「わたしが、ぁ! 死ねば! がぞぐが、! 死ぬ! 腐って、さびしく! 君たちには、それをやる権利はな"い! きみたぢ、強者は、歴史の勝者には! われわれの、覚悟を踏みにじる権利はな"い!」

 

こいつを殺せば、南スーダンは、滅びる。

日本は、助かる。

 

先進国(きみたち)は! もう、十分だろう!? 貧困国(南スーダン)は! これからなんだよ……!? 今まで餓えと貧しさに喘いできた国民たちは、もうすこしで、ようやく救われるんだよ……っ! 」

 

肉塊は、泣いていた。

 

「かれ"らは、何のために生まれてきた!? 苦しむためか! それとも大切な人を失うためか!? そんな命が存在して良い筈が無いだろう!? だから、その心臓をわたじによごぜ、ぇ!、このままじゃ、みんな、しんじゃうんだ! ……そんなのーー!!」

 

ボナパルトは肉塊から目を背けない。

 

「ーーそんなの、かわいそうじゃないか……!」

 

声は聞くに堪えない程に掠れ、言葉は支離滅裂だったが。

痛いぐらいにーーこの獣人の思いが伝わってくる。

 

「ノンシェイプナイトさん」

「……がぁ」

 

『早く楽にしてやれ』。ボナパルトの視線が、そう物語っていた。

右腕を出来る限り鋭利な刃物に変形する。それを、首であろう場所に据えた。

 

「……魔王。アナタとワタシは似ている。大切な人を守るのに、手段なんて選んでられませんから」

「ぐ、ぁ、あ……!」

 

じゃぐり、ぶつん。と。獣人の首が落ちた。

何度か痙攣した後に、ぐったりとしたただの肉に変わる。

 

「……たとえこれが逆でも、なんら不思議ではなかった。偶然、今回は私達が勝っただけです」

 

軍帽を被り直し、服に付いた汚れを払いながらボナパルトは獣人の死体に背を向ける。

……世界の果てから、人々の悲鳴が聞こえた気がした。

 

 

「それでは、私は戻ります」

 

ひらけた場所に、俺とボナパルトは立っていた。

ヘリが来ている様子も無いしどうやって帰るのかと思ったが、こいつはどうやら、自分の主から電話越しに"帰ってこい"と命令されるだけでフランスまでワープ出来るらしい。今回もその手段で日本まで来たのだとか。とんでもなく便利だ。

 

「おっと、転送が始まりましたね……ノンシェイプナイトさん。"それ"はアナタに差し上げます。……あの制圧者の核は、あまり喰らいたくない」

 

そう言い残し、ボナパルトが光の粒子になってどこかへ飛んでいった。

……俺は、右手の中で硬い物体を転がす。

 

獣人ーーボナパルト曰く『最果ての魔王』の核は、俺の手に渡った。

『天使』や『黒龍』のコアよりもかなり大きい。ビー玉と野球ボールぐらいの差だ。感じる熱量も比較にならない。

だが、それゆえに取り込む事は危険だ。

ビー玉サイズでさえ理性が飛びそうになったんだ。こんなの喰えば、俺の自我なんて一瞬で消え去る。

……ひとまず、とっておこう。

懐に魔王のコアをしまいこんで、俺は駐屯地の方向へ踵を返した。

 

コアの処遇を考えながら歩いていると、遠くに駐屯地が見えてくる。

皆、俺の方を見てポカンとしていた。……どうしてだ?

嫌な、胸騒ぎがした。

 

「お前……なんで……!?」

「ドミネーターさん……?」

 

はやる気持ちに後押しされ、小走りで向かう。

アセビや山吹の姿が鮮明になってきて、その後ろに知らない誰かが立っている事に気がついた。

そいつを見て目を疑う。

 

「どうして……っ、ドミネーターさんが()()()()()()()()()()()()

 

ーー混乱した様子なアセビの背後には、"騎士"が立っていた。

灰銀色の鎧を纏い、体高は二メートルほど。

甲冑の奥に浮かぶ二つの赤い光が、静かに俺を見据えていた。

……俺、そっくりだ。

 

「はじめまして。親愛なるボクのニセモノ」

 

妙に芝居が掛かった声で、騎士は優美な一礼をする。

ーーこいつは、ドミネーターだ。

騎士から放たれる異様な圧迫感が、俺にそう理解させた。

 

「ガァ"ァ"ァ"ッ"ッ"ッ"!!(皆、離れろ!)」

「んー……弱そうだなぁ……」

 

吠えながら、範囲を絞った雷を発射する。

槍状にまで圧縮された雷が、騎士の体を穿つーー

 

「おおぅ! 随分と野蛮だねぇ?」

 

ーー事は、なかった。

赤目の騎士は、雷に身を焼かれながら歩み寄ってくる。

最大出力の雷が、まるで通じてない……!

 

「ガア"ァ"ァ"ッ"ッ"!!!」

 

ーーなら、接近戦(インファイト)だ。

両手を爪状に変形し、赤目の騎士へ殴りかかる。

本来接近は望むところじゃないが、こいつの筋力が『黒龍』より上だとはとても思えない。あいつを抑え込めた俺なら、きっと力で勝ってる筈だ。

 

「駄目だねぇ……あんだけ叩き込まれた武術も、すっかり忘れてらぁ」

「ぐ、ガァ、ッ!?」

 

全力で打ち込んだ拳を、軽く捻られた。

鎧の腕が蛇のように絡み付いてきて、俺の首を締め上げる。

ーーその刹那、()()()()

いなしからの裸締め(スリーパー)。軍隊格闘技の動きだ。

これを防ぐための技術も、元来俺は知っている。

 

「ははは! 弱い弱い! やっぱりただのガラクタじゃないか! ボクが本物なんだ!」

 

ーーだが、もう遅い。

 

「だから、君はもういらないよね」

 

ゼロ距離から、心臓部に打撃を捩じ込まれた。

瞬間。自分のコアが、急速に冷えていくのを感じる。

エンジンからオイルが漏れ出すような、不快感。

 

「ゴミはゴミ箱へ。だよねぇ……」

 

加虐心に満ちた声で、赤目の騎士が雑な動作で俺を宙に放り投げた。

ーー動け、ない、から、だに、ちからが、はいらない。

せめて受け身をとろうと落下先の地面に目を写すと、そこには半径五メートル程の、底が見えない黒い穴が発生していた。

 

「ばいば~い!」

 

化け物の口みたいな穴に、呑み込まれる。

一瞬の浮遊感の後、全身を強い衝撃が叩いた。

 

□■□

 

魔王とノンシェイプナイトが駐屯地を離れて数分後、自衛官たちは遠くから近付いてくる人影に気が付いた。

そいつは、自分たちの良く知る騎士と同じ姿をしていた。

だがーーその場の誰も、そいつをノンシェイプナイトだとは思わなかった。

放つ雰囲気が、こちらを見据える目に籠った思念が、あまりに冷たい。

あの不器用で優しい騎士とは、似てもつかなかったのだ。

アセビは、酷く不安な気持ちになった。

 

「例のガラクタは今、バカな魔王様と戦ってるのかい?」

 

互いに声が届く距離まで来た騎士は、フレンドリーとも軽薄ともとれる軽い語調で問い掛けてきた。

その視線の先に立っているのが自分だということに気が付き、まごつきながらアセビは口を開く。

 

「どっ、ドミネーターさん、ですか……?」

「んん? ああ……そうだよアセビ。ボクが日本のドミネーターさんだ」

 

ーー違う。この人はドミネーターさんじゃない。

あの日、自分を抱き締めてくれた制圧者とは完全に別物。

言葉を交え、より確信する。目の前の騎士を強く睨み付けた。

敵意を向けられてるのが分かったのか、騎士から不快そうな空気が醸し出される。

 

「……なんだよ。あの出来損ないの事、そんなに気に入ってたの? しょうがないなぁ……ほら、ぐぉぉぉっ! これで良いかい?」

「っ、馬鹿にしないでくださーー!」

「ああそうだ。まだボクの名前、言ってなかったね。これを聞けばきっと思い出してくれるよ」

 

言葉を遮りながら、騎士はアセビの頭をぐしゃぐしゃ撫でた。

それを止めようとした山吹に構わず、騎士は続ける。

 

「ーーボクは、ユウキ・アザレア。君のお兄ちゃんだよ。アセビ」

 

場が、凍り付いた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【DMT―009JP―?『無貌の騎士(ユウキ・アザレア)』メタレベル:fictus(■■■)】

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22.護り手どもの情景

「あざ、れあ……」

 

アセビが、口の中でその名を反芻する。

ーーこの騎士が、"アザレア"? それに自分の兄? 理解不能だった。

 

「やっと会えたね。アセビ」

 

騎士の指先が頬を撫でる。

所作は優しいが、酷く冷たかった。

 

「ガァ"ァ"ァ"ッ"ッ"ッ"!!」

 

その時、聞き慣れた咆哮が鼓膜を震わす。

聞こえた方向はこの騎士の背後。ノンシェイプ・ナイトがこちらへ疾走していた。

ーーそいつから逃げろ。そう言われている気がして、アセビは騎士の手を振り払う。

 

「……なんで、あいつの言う事聞くのさ」

 

騎士は弾かれた手を忌々しげに見詰める。僅かに震えた声でアセビにそう問い掛けた。

なぜかその姿が、今にも泣き出しそうな子供の姿と重なって見えた。

 

「……まぁ良いよ。あのガラクタを捨ててからゆっくり話そう……」

 

ぶつぶつと何かを呟いた後、騎士はノンシェイプ・ナイトに振り向いた。

そしてやけに芝居がかった動作で、言う。

 

「こんにちは。親愛なるボクのニセモノ」

「グォ"ォ"ォ"ッ"!」

 

ノンシェイプ・ナイトは、かつて無いほどに昂った様子で騎士に雷撃を飛ばす。

それをものともせずに、アザレアを名乗る騎士は距離を詰めていく。

ーー二人の騎士の、戦闘が始まった。

 

 

「ドミネーターさん! ドミネーターさん!?」

 

決着は一瞬だった。

アザレアの圧勝、ノンシェイプ・ナイトは突如地面に現れた黒い穴へと吸い込まれてしまった。

アセビはノンシェイプナイトが消えた地面に何度も呼び掛けるが、返答が無い。

 

「いやー、弱い弱い! ほんとにドミネーターかっての!」

 

手をパンパンと払い、アザレアは地にうずくまるアセビへと歩を進める。

 

「ほら! ボクの方が強い! 君を守れるんだ! だから、あんな雑魚の事忘れてーー」

「返して、ください……! あの人を……っ!」

「……へっ?」

 

アセビは、涙を流していた。

ーーなんで、なんで?

アザレアには意味が分からなかった。アイツが居なくなれば、自分だけを見てくれると思ったのに。

前までアイツしか日本を守れなかったから、仕方無く一緒にいるだけだと思ってたのに。

どうして、自分が、糾弾されなければいけない?

強者が欲しいものを手に入れるのは、世界の摂理だというのに。

 

「……まだ、分からない事ばかりだ」

 

ため息を付きながら(きびす)を返し、アザレアは山吹に振り向いた。

そして、その手に持たれていたアタッシュケースをじろりと睨む。

 

「あ、"それ"届いてたんだ。気が利くなぁ……あのジジイも」

 

アザレアは、山吹の手から引ったくるようにして銃剣のアタッシュケースを奪い取る。

そしてその背面に、手のひらを触れさせた。

 

【遺伝子コード97%一致。ロックを解除します】

 

「ハイカラで良いねぇ。これ」

 

(いびつ)な金属音と共に変形していくアタッシュケースを悠然と見ながら、アザレアはひらひら手を振った。

そして完全に武器の形状となったその銃口を、山吹へ向ける。

 

「……何のつもりだ?」

「ははは! 冗談だよ! そんな怖い顔すんなって!」

「違う! あいつを……ドミネーターをどこへやったと聞いてるんだ!」

 

この騎士に対する敵意ーーー否、殺意にさえ片足を踏み込んだ感情が、山吹の瞳には灯っていた。

アザレアはそれを呆れの混じった目で見ながら、『しようの無い奴だな、君は……』と言う。

 

「さっきからドミネータードミネーターって……ボクが、日本のドミネーターだよ。それになんだい? もしかしてアイツって君たちに名前さえ呼んでもらえてなかったの?」

 

(あざけ)るように騎士が(わら)う。

 

「可哀想だねぇ! 曲がりなりにも、君たちのために命がけで戦ってたのにさぁ……」

「ーーーっ」

 

山吹もアセビも、アザレアの言葉に反論できなかった。

ーーー自分達は、あの優しくて人臭い騎士に、名前さえ与えようとしなかった。いや、思いもしなかったと言うべきか。

 

「……ま、あのガラクタが今どこにいるのか、って質問には、答えてあげるよ」

 

小馬鹿にした語調で放たれたアザレアの言葉に、アセビは俯いていた顔をばっ、と上げる。

ーーーどこだ、あの人はどこにいる。

きっと、突然知らない場所に飛ばされて困ってる。私が助けてあげなきゃ。

……そうだ。今度は自分が、あの人を抱き締めて『大丈夫』と言ってーーー

 

「たぶん今頃、どっかの大陸で野垂れ死んでるんじゃないかなぁ?」

 

ケラケラと。軽薄に。アザレアが笑う。

アセビは、自分の心が絶望に満たされてゆくのを感じた。

 

■□■

 

山吹 大河の知る結城(ユウキ)・アザレアという人間は、五年前に死亡していた。

『僕は(よわ)き誰かのために生きたい』とか言い残して日本から去ったあいつは、民間軍事会社を組織して世界中の紛争地帯を歩き回っていた、とだけ聞いている。

だがある日、基地の事故に巻き込まれて死んだと"クチナシ"を名乗る老人から知らされた。

 

ーーーなのに、なんだ、こいつは?

 

「大河、煙草とライター持ってないかい?」

自分の横に座りながら煙草を要求してくる騎士に、酷く精神を逆撫でられる。

()()()()()()()()()()()()()

 

「……お前、アザレアじゃないだろう」

「ははは! どうしてそう思うのかは知らないけど、僕は"アザレア"だよ。それは誰にも否定させない」

 

声は笑っていたが、その瞳の奥には底冷えする程に冷たい光が燃えていた。思わず、ゾッとする。

……そして、同時に確信する。ーーこいつは、違う。

本来のアザレアは自分の存在に無頓着な上、恐怖や暴力で他人を抑圧する事を極端に嫌っていた。

 

「……何のために、日本に来たんだ?」

「アセビを守るため」

 

即答だった。

予想外の返答に動揺しながらも、平静を装い会話を続ける。

 

「日本を、じゃないのか」

「国も星もどうでも良い。いっそ滅んでしまえば良い。……だけど、あの子はボクの全てだ。生きる意味を、あの子にもらったんだ」

 

まるで尊い聖句でも読み上げるように、胸に手を当てながら自称アザレアは言葉を紡ぐ。

 

「ーーーあの子のためなら、なんだってするよ」

 

強い、覚悟に満ちた語調だった

 

「寂しいなら寄り添おう。悲しいなら共に涙を流そう。楽しいなら、二人でもっと楽しくしよう……」

 

が、だんだんとアザレアの声に影が差してゆく。

 

「……なのに、なんでアイツなんだ?」

 

それは、他人ではなく自分に対しての問い掛けのに聞こえた。

煮えたぎる怒りや悲しみを堪えるように、震えるほど強く拳を握り締めている。

 

「ボクの方が強い。ボクの方が賢い。ボクの方がたくさんの"(かお)"を持ってる。……ボクの、ほうがーーー」

 

ーーー『ボクの方が、君を愛してるのに』。

隣に座る山吹にさえかろうじて聞こえるかどうかの消え入りそうな声だった。

それを幾ばくかの侮蔑を孕んだ眼で睨みながら、山吹は立ち上がる。

 

「……どこに行くんだい?」

「上へお前の事を報告する」

「嘘つけ、アセビを慰めに行くんだろ? あの子優しいから、あんな奴でも居なくなったら落ち込んじゃうんだ」

 

口の中でだけ、山吹は舌打ちをした。

今アセビはかなり精神が不安定になっている。こいつなんかと会わせたら自殺しかねないぐらいに。

 

「行ってらっしゃい」

 

座ったまま、自称アザレアがそう言った。

 

「……てっきり、無理やり着いてくるとでも言うと思ったんだがな」

「なに? 着いていって良いの?」

「駄目にきまってるだろう……!」

「だよねぇ……?」

 

へらへら笑いながら、虫を払うみたいに『なら早く行け』と自称アザレアが手を振った。

山吹は、"本来のアザレア"から信念と実直さだけを抜き取ったようなこの男に、酷く苛立ちを覚えた。

ーーー今思えばノンシェイプ・ナイトは、どことなくアザレアに似ていた。だから、アセビが妙に懐いたのかもしれない。

 

「……どこに、居るんだ」

 

自称アザレアにノンシェイプナイトの居場所を何度問い(ただ)しても、『知らない』や『どっかのヤベェ大陸』としか答えなかった。

捜索隊を出そうにも、こんな世界だ。見つけられるとも生きて帰って来るとも思えない。

 

ーーーだが、願わくば。

 

「どうか、死ぬな……!」

 

ーーー国のためじゃない。ただ、一人の"友"として。

山吹 大河はノンシェイプ・ナイトの帰還を望んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

世界樹君臨大陸:レギオンオブ・ユグドラシル
23.新領域


ーーー緑の、香りがする。

 

「ぐ、ぉお……?」

 

瞼を開けば木々の間から差し込んでくるまばゆい日光と、かしゃかしゃとひしめき合う葉っぱの音が聞こえてきた。

確か俺はあの騎士にぶん投げられて、黒い穴に落ちたんだ。

そして……ここ、どこだよ。森である事は確かだがーーー

 

「ぐおっ!? (いてっ!?)」

 

上体を起こそうと身じろぎをした拍子に肩が枝に掠り、()()()()()()()

違和感を覚え自分の体を確認すると、アセビの母に合った時と同じ、幼い少女の姿になっている。しかも裸だ。おかしい、変身した覚えは無いぞ。

とりあえず、寒いし痛いから騎士に戻ろう。

 

「ガァ"ァ"ッ"! ……ぐぉ?」

 

いつもの感じで気合いを入れるが、体は組み変わらない。

それどころかイメージさえ沸いてこない。

顔から血の気が引いていくのが分かった。

ドミネーターとしての姿に、戻れない。

ーーーただの、人間になってる?

最悪の仮説が、頭を掠めた。

 

「があっ!?」

 

立ち上がろうとしたが、ツタに足が引っ掛かり、転ぶ。

口内に血と土の味が広がった。

 

「ぐ、が、ぁ……」

 

転倒した先の地面に、何か煌めく宝石のような物体が鎮座しているのが見えた。

野球ボール程のサイズなそれを、両手を使って包み込む。

僅かに脈動してるように感ぜられ、ほんのり温かい。

……"最果ての魔王"のコアだ。一緒に転移したのか。

 

「がぐぅぅぅ……」

 

それは良いとして……あまりに寒すぎる。魔王のコアを湯たんぽ代わりにしても気休めにさえならない。

季節は秋の終わりに近いか、冬の気配が迫ってきているのを感じた。

雪が無いだけマシだが、裸は辛すぎる。しかも身体機能は少女相応だ。小枝でさえ踏み方が悪ければ足から血が出る。そこから病原菌でも入ったら、最悪死にかねない。

俺は注意しながら立ち上がった。

 

肩を擦りながら少し歩いていると、遠くに洞窟らしき岩のヘリが見えてくる。

おお……! あれで雨風を防げるかもしれない!

ひとまず、あそこを拠点にしてーーー

 

「グルルルァ……」

「ぐぉっ……!?」

ーーー洞窟から、赤い鱗を持った巨大なトカゲが出てきた。鎌首をもたげ、警戒するように辺りを見渡している。

思わず、口から悲鳴が出そうになる。反射的に地面へ伏せた。

落ち葉の香りに埋もれながら、自分がトカゲの視界の外側に居ることを必死に願う。

 

「……グルルル」

 

赤トカゲは、気だるげに洞窟に戻っていく。

自分の心臓の鼓動が、少しずつ緩やかになるのを感じた。

だが、心が落ち着くと頭が働くようになり、脳を凄まじい混乱が襲う。

 

ーーーなんだよ、あのバケモノ。なんで平然とドラゴンがいるんだよ。

ドラゴンと言っても、あの黒龍とは比較にならない程に弱そうだが。それでも生態系の中に混じって良い存在じゃないだろう。

とにかく拠点の夢は消え去った。

 

しかも、それと同時にもう一つの問題が発生してしまった。

……ここ、多分日本じゃないよな。

絶対アフリカの奥地とかだろ。ドラゴンいるし。アフリカならドラゴンが普通に歩いてても不思議じゃないな。うん。ははは……

 

……閑話休題(現実逃避はやめよう)

 

とにかく、どうにかして日本に帰らなければ。あの騎士が何をしでかすか分からない。

腰を低くしたまま、洞窟から離れる。

 

「……がぁっ」

 

……暗く、なってきたな。気温も更に下がってる。

頭上を覆う木葉のせいで日光ほとんどが遮られ、余計にだ。

しかも前回の人化時から何も食えてないせいで、その時の空腹も引き継いでしまっている。

控えめに言って滅茶苦茶ひもじい。

 

「がぅぅぅ……」

 

途方にくれて地面に座るが、尻が冷たい。痛い。

でも……あれ、なんか眠くなってきた……

眠ればきっと寒さも飢えも感じなくなるし、少し休むかーーー

 

「がぁぁぁっ!?(いやいや!?)」

 

あぶねぇ!? 馬鹿か俺! 寝たら死ぬぞ!

思い切り自分の頬を叩く。ジンとした痛みにちょっぴり泣きそうになるが、死ぬよりずっとマシだ。

 

「ぅう……」

 

……寂しい。アセビと山吹に会いたい。食堂のおばさん元気かな。

ボナパルトは主と仲良くやってるんだろうか。

……誰か、助けに来てくれないかな。

人の身に孤独と飢えがここまで(こた)えるとは思わなかった。

今までの自分が、どれだけ恵まれた環境に居たのかを再確認する。

 

「が、うぅ……」

 

芯まで冷えきった体が勝手に震え出す。

何も口に入れていないのに、歯が鳴り出した。

人の白い柔肌が、ねっとりした血にまみれている。

自分の膝を両腕で抱き寄せ、体育座りのようにすると少しだけ寒さと寂しさが和らいだ気がした。

 

……よし。動けるぞ、俺。まずは人里を探すか。

もしここがアフリカだったしよう。近くにヤバい部族しかいないとしよう。

たとえそれでも、情のある人間だ。血まみれで裸の少女を見付けたら保護しようと思うだろう。問答無用に殺されはしない。たぶん。

 

少なくとも今の俺は、庇護者なしでは生きられない。

 

 

「がぁっ……!?」

 

一度星が回り、再び朝日が登り始めた頃。

遠くの方に揺らめく炎のようなものが見えた。

ーーー人だ。人がいる。

一瞬で疲れが吹き飛び、俺はそれに向けて走り出した。

必死に茂みを掻き分けその先に出る。

茂みを抜けた先には、松明を持った門番らしき二人の男が立っていた。

後ろには、集落に通ずるであろう巨大な門がある。

 

「ぐおっ! ぐぉぉぉ!」

 

大きく手を振りながら、二人の男に呼び掛けた。

そうすると、男達はぎょっとした顔で俺の方に振り向く。

人の顔が見れたのが嬉し過ぎて、思わず声が上ずってしまっていた。

 

「■■■■■■!?」

「■■■■!」

 

向こうの言葉は分からないが、それは予想通りだ。

おずおずと歩み寄ってくる二人の男に自分の人畜無害っぷりをアピールするため、にこにこしながら腕をぶんぶん振る。

 

「■■■■!」

「ぐ、ぉ、お………っ!?」

 

ーーー頭に、尋常じゃない痛みと衝撃が走る。意識が混濁し、俺の体は地に崩れた。

震える手で頭を触ると、髪の間から夥しい量の血が溢れている。

男の手には、血に濡れた木の棒が握られていた。

あれで、たたかれ、たのか……? なん、で、?

 

「■■■■!」

「■■■■■■!」

 

男達は、うずくまる俺を殺意に満ちた表情で殴り、踏み、棒で叩いた。

腹を蹴りに抉られ、口内に鉄の味が込み上げる。

頭を狙ってくる棒を防いだ腕から、何かが折れる音が聞こえた。

ーーー痛い、痛い、痛い、痛い、痛い!

視界に血と涙が滲んでくる。肉体的な痛みだけでなく、人から敵意を向けられている事がただ悲しかった。

 

「■■!」

「ぐ、ぉ……」

 

防ぎ損ねた一撃が、思い切り頭部に命中する。

脳が揺られ、意識が、遠退く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24.レギオン

みんな!ノンシェイプ・サンタからのクリスマスプレゼントだ!
作者は例年通りクリボッチでしたよ!ははは!良かったら読んでください!(ヤケクソ)


「■■■! ■■■■■!?」

 

騒がしい声で目を覚ます。

薄目を開けると、金髪碧眼の白人らしき顔の女性が俺へ呼び掛けていた。その上には漂白された天井がある。やけにふかふかな地面を不思議に思いまさぐると、どうやら自分はベットに寝かされているのだと分かった。腕が、包帯によって固定されている。

そしてはっとするように、先程の記憶を思い出す。

ーーーそうだ、おれは、なぐられて、けられて。こわいかおで、おもいきり、たたかれて。

 

「がぁあぁぁっ!」

「■■■■!」

 

怖い、怖い怖い怖い!

殺される恐怖が、人に裏切られる絶望が。心の底から涙の形で沸き出してくる。

感情が抑えきれない。この体に引っ張られているのか、心が痛みにも恐怖にも弱くなっているのだろうか。前までは腕をもがれたって平気だったのに。

今は他人の機嫌を損ねるのがただ怖い。それによって振るわれる暴力は、もっと怖い。

 

「■■■■■■■……」

 

がちゃりとドアが開き、そこからのっそりと一人の男が入ってきた。

ノンシェイプナイト状態の俺と同じか、それ以上の身長。軽く二メートルはある。

毛むくじゃらの山賊みたいな顔で、眉を微塵も動かさずに俺のベットへ近付いてきた。

そして、丸太のような腕を俺に伸ばしてくる。

 

「がぅぅ……」

 

殴られる、と思ってベッドの端へ逃げた。

山賊みたいな男は震える俺を見て、一瞬フリーズしたあとに顔をしかめる。

き、機嫌を損ねたか……?

 

「■■■■……」

 

山賊の男は、肩に掛けていたバッグの中から何枚かのプレートを取り出して見せてくる。

それぞれには、こう書かれていた。

 

【你好】

【hello】

【こんにちは】

【안녕하세요】

 

俺はポカンとする。

男の顔を見返すと、プレートを差し出した姿勢のままじっと俺を見ていた。

……選べ、って事か?

 

「……がぁっ」

 

恐る恐る、古びた【こんにちは】のプレートを指差す。

男は、目を見開いた。

 

「……日本人か、お前」

「ぐおっ!?」

 

男の口から出てきたのは、流暢な日本語だった。

『日本人か』という質問は微妙な所だが、嬉しくなって首を縦にぶんぶん振る。

 

「があっ!、がぁあ!」

「口が聞けないのか? この大陸に……この領域(レギオン)にどうやって入った?」

 

男の問いに答えあぐねて、首をかしげる。

れぎおん……? なんの事だ……? そもそもここはどこなんだ?

 

「……ここがどこかも、分からないのか?」

 

こくんと、頷く。

 

「なら、教えてやる……」

 

胸ポケットからしなしなの煙草を取り出しながら、男は口を開いた。

 

「ここはアメリカ大陸だ。『世界樹の(レギオンオブ・)領域(ユグドラシル)』。俺たちはそう呼んでいる」

 

 

男が言うには、ここはドミネーターによって変貌したアメリカ大陸であり、俺がいるのはノースカロライナ州……レギオンオブ・カロライナ。らしい。

大陸は民族ごとに分断され、全部で13の領域(レギオン)が存在している。

そして全州に一体ずつ、ドミネーターが存在しているとも。

ここはそんな中のカロライナにある村の一つ。

だがそんな村々でさえドミネーターの眷族によって、全て支配されている。

 

あと俺の体についてだが、右腕が折れていた。

内蔵も傷付いているらしく安静にしていろと言われた。頭も痛い。全身痣だらけだ。

俺をボコボコにした二人は日本語を話せる男に引きずられて、泣きながら『ゴメンナサイ』と謝ってきた。俺と同じぐらいボコボコにされていた。

少し申し訳なく感じた、

 

「……悪いな。アイツらは自分たちと違う人種を見た事が無いんだ。お前さんの黒髪を見て怪物だと思ったらしい。しかも裸で血まみれだっただろう」

 

怪物……間違っちゃいないな。今はただの人間だけど。

でも確かに裸で血だらけの少女が笑顔で近付いてきたら怖い。端から見れば妖怪にしか見えない。仕方ない部分もあるかもしれない。

それに、ここにいる人はみんな白人らしき容姿をしている。

俺がアセビと同じ青目……ハーフ的な要素を持つとはいえ、ベースは日本人だ。ここの人達から見れば完全なる異端なんだろう。

 

「……お前は、アイツらを許せるか?」

 

熊みたいな顔を少し不安そうにしながら、男は問いかけてくる。

……怖いし、痛かったけど。謝ってくれたからあまり怒りは沸いてこない。

それに俺は、あいつらより遥かに多くの罪無き人間を殺した最悪な咎人(とがびと)だ。

誰かに多少傷付けられたとして、糾弾する権利など無い。

 

「がぁっ!」

「……そうか。優しいんだな。お前は」

 

男は、俺の頭に手を伸ばしてくる。

だが触れる寸前で、躊躇うように止まった。

不思議に思って顔を見返すと、恥ずかしそうに『いや、良いんだ』と言った。

……この動き、さっきもしてたな。今現在の俺の姿からして、こいつのやりたい事は分かる。

 

「ぐおっ」

「っ……!?」

 

男の手を取り、自分の頭に乗せた。

目線で『撫でさせてやろう』と得意気に伝えると、ふっと笑われる。なんでだ。

わしゃわしゃと髪を掻き分けられるのが気持ち良くて、無意識に目が細まるのがわかった。

 

「……」

「がぅぅ……」

 

なでなで

 

「くぅぅ……」

「……」

 

わしわし

 

「……!」

「くぁぁぁ……!」

 

ーーーやばい、落ちそう。どこにかは分からないけど。

記憶にある限り初めて誰かに撫でられたが、これはまずい。とろとろになりそう。

体が少女になっている事も影響しているのか。本能的に誰かの好意的行動を心地よく感じるようになっているのかもしれない。

 

そして今やっと気が付いたが、俺は服を着ていた。体表の血も全て拭き取られている。

不思議に思って体を見ていると、男が言った。

 

「お前が寝ている間に、服を着せて全身の血を拭いておいた」

「があっ!?」

 

……え、こいつが拭いたの?

嘘だろ……こんなツラしてロリコンなのか。

自分の体を抱き締めながら、軽蔑する目線をぶつける。

 

「がぅぅ……!(最低だ……!)」

「……いや、違うからな。俺はここに連れてきただけで、拭いたのは別の奴だ。体もほとんど見てない。だからそんな目で見るな」

 

弁明するように男は自分の無罪を訴えてくる。

でも見た事に変わりは……ってあれ。なんで恥ずかしがってるんだ俺。体が女になっただけで心は男だろ。

もっと言えば人間でさえないだろ。なんか急に馬鹿らしくなってきた。

 

「……がぅ(……和解しよう)」

「あ、ああ……?」

 

困惑する男と握手しながら、俺はため息を吐いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25.とある大佐の情景

「タイサ! タイサッ! 大変だ! 見慣れない魔獣が出た! 来てくれ!」

 

木製のドアが開き、切羽詰まった様子の若者がそう叫んだ。

"タイサ"と呼ばれた壮年の男は、しなびた煙草を灰皿に戻し、ソファから体を起こして若者に鬱陶しそうな顔を向ける。

 

「……俺が行かなきゃあ駄目か?」

「ああ、戦力的には大丈夫なんだけど……"分からない"んだ。まぁ、来ればわかる! 早く行かないとあいつらが殺しちまうよ!」

 

先に行ってるぞ、と言い残して出ていく背中に舌打ちをしつつ。タイサは部屋着の上に古びた皮のジャンパーを羽織り、胸ポケットに数本の煙草を押し込んだ。

外に出て、冷たい外気に顔をしかめる、

 

「魔獣も、こんな日はのんびりしてりゃ良いのによ……」

 

口にさっきの煙草を咥えつつ、もごもご愚痴る。

ベルトに仕込んだ銃とナイフを手探りで確かめてから、歩きだした。

 

……アメリカは、変わってしまった。

突如として現れた"空を覆う赤色の大樹"により、決定的にイカれてしまった。

人種は分け隔てられ、大樹から降りてきた十三体の"ドミネーター"なんて云うイカれた存在によって統治されている。

文明レベルだって相当落ちた。少なくともこの領域(レギオン)の生活水準は、西部開拓時代に毛が生えた程度だ。しかも"魔獣"と呼ばれる知性を持たぬ怪物がそこらを闊歩している、

 

「はぁ……」

 

……あの変革から、()()()()()()

そんな事を思いながら、タイサは煙草に火を着け直した。

 

 

「……いや、外じゃ、まだ数日しか経ってなかったりしてな」

 

ーーアメリカ大陸の時間軸は、おかしくなってる。

それを知る人間は少ない。

タイサとて、勘づいてはいたが知ったのはほんの数年前だ。

とあるレギオンでは数秒でも、別のレギオンでは百年経っていた。なんて事もザラにあるらしい。

 

……自分たちの感じている時間は、正しくないかもしれない。

それは人を底知れぬ不安へと引きずり込む。だからあえてタイサはこの情報を黙っていた。

 

もはや、若い層はアメリカの外側がどうなっているかを知りさえしない。知ろうともしない。

ただ、絶対的な庇護者である"ドミネーター"やその"眷属"に従うだけだ。

それで生きていけてしまうのも、タチが悪い。

 

「……っと」

 

集落の門に着いた。思考を中断し、魔獣との戦闘に備える。

だが違和感を覚えた。人が集まっているのだ。

普通は魔獣なんて危険な存在に近付こうとはしない筈。特にここの連中は。

だが実際、今は野次馬どもがガヤガヤと騒いでいる。嫌な予感がした。

 

「あっ、遅いぞタイサ! こっち来い!」

「ははは! 大手柄だぜ、なんたって新種の魔獣だ!」

 

高ぶりを抑えきれないのか、狩りの興奮冷めやらぬ二人組の男がタイサの手を引いて人混みを掻き分けていく。

この閉鎖された集落において、仕留めた獲物の数や種類は一種のステータスだ。自慢したいのだろう。

しかしタイサは、近付いてくる血の匂いを不快に感じた。

そして人混みを抜け、魔獣が倒れているであろう場所までやって来る。

 

「しかも見ろ! 生け捕りだぜ!」

「剥製にでもするかぁ?」

 

二人組は先にズカズカ歩いていき、倒れ伏し抵抗しない魔獣を笑いながら棒で叩く。

距離が遠いためタイサにその細部は見えないが、血溜まりに伏せるナニカがビグンと痙攣した。

 

「おい、無駄に苦しませ……」

 

ーーータイサは、その"魔獣"を見て自らの目を疑った。

意識がほとんど無いのだろう。振り下ろされる鈍器を防ごうともしないそれは、どう見ても血まみれの少女にしか見えなかったのだ。

 

「いやぁ! 弱ぇ弱ぇ! いや、俺たちが強いのか!」

「ははは! 間違いねぇ!」

「……が、ぅ」

 

年の頃は中学生(ジュニアハイスクール)程か。

幼げだが、整った顔立ちをしている。だが問題はそこではないーー黒髪だ。

このレギオンには、絶対に存在しないはずの特徴を持った人間。

タイサでさえ三十年ぶりに見た。この二人は金髪でない人間など想像も出来ないのだろう。

……だから、こうも簡単に踏みにじれるのだ。

 

「おらっ! 反撃してみろや雑魚が!」

「ちょっ、やめとけって。死んだら勿体無いだろ!」

 

二人は無抵抗で衣服さえ纏っていない少女を、笑いながら殴り蹴り、棒で殴打する。

ーーータイサは自分の中で、何かが切れるのを感じた。

 

「恥ずかしくねぇのかてめぇら……!」

「がごぉっ!?」

 

男の顔面にタイサの金槌のような拳が食い込み、馬鹿げた軌道で五メートルほど吹き飛ぶ。

パートナーの惨状に混乱したまま固まったもう片方の男の頭を掴み、顔面から地面に叩き付ける。

 

「おい……! 大丈夫か!?」

「ぅ、あ……」

 

少女に駆け寄って呼び掛けるが、反応は無い。

血を流し過ぎたのだろう。細い手首からは、ほとんど脈動を感じなかった。

長らく軍属であったタイサには、こうなった人間がどういう状況か分かってしまう。

ーーもうすぐ、死ぬ。

 

「おい! 医者を呼べ!」

「お前が殴ったんだろ!?」

「そんなクズ共どうでも良い! コイツのだ!」

 

少女を担いで走り出す。まるで空っぽの鏡像のように軽く、冷たかった。

……これ以上体温を下げるとまずい。

近場の小屋に入り、ベッドに寝かせる。

 

「タイサ!? その……なによ、それ……!?」

「カーラ、来たか!」

 

あの場に居たのだろう、集落に数少ない、医療の心得を持つ女が小屋に入ってくる。

ベッドに横たえる少女を訝しげに見ながら、ゆっくり近付いてきた。

 

「酒と、血液凝固剤と……そうだ、何か布を持ってきてくれ! 腕が折れてんだ!」

「折れてるって……あなたの?」

「俺じゃねぇ! こいつだ!」

「え……だって、ソレ……?」

 

あいつらの言葉を信じているのか、カーラは本当にこの少女を魔獣だと思っているらしかった。

ふつふつと、言い知れぬ怒りが沸いてくる。

 

「どう見ても人間だろうが……! 死にそうなんだ! 見てわかんねぇか!?」

「え、ぇえ……わ、分かったわ!」

 

タイサの気迫に圧され、困惑しながらカーラは走っていく。

 

「がぅぁ……」

「大丈夫だ……、きっと助かる……!」

 

『大丈夫、大丈夫、大丈夫』と。

冷えきった手を握りしめながら、何度も言う。

苦痛に歪んでいた少女の表情が少しだけ穏やかになった気がした。

 

「薬と包帯持ってきたわ!」

「よし……まず血を止めるぞ」

 

透明な液体に満たされた注射器を手首に刺し込み、カーラは凝固剤を投与する。

消毒のため傷口に酒をかけると、少女は痛みに身をよじった。

慎重に、折れた腕を固定していく。

 

「これで……応急処置はできたわね」

「助かるか!?」

「……頭が相当傷付いてるから……脳に機能障害が残っちゃうかも。だけど命に別状は無いわ」

 

『命は助かる』と聞いて、タイサの緊張の糸が切れる。

椅子に座りながら、浅く穏やかに呼吸する少女を見た。

 

「……それ、なんなの?」

 

汗を拭いてからタイサの横に座り、カーラはそう問いかける。

 

「『その子』って言え。……こいつは人間だ。俺達とは違う国のな」

「違う国……? 別の領域(レギオン)って事?」

 

不思議そうな顔をするカーラに、少女に目線を置いたままタイサが口を開く。

 

「……ユグドラシルの外。(そび)える絶海を越えた、その先だ」

 

カーラは、その言葉の意味を理解できない様子だった。

……仕方がない事でもある。この村にいるほぼ全ての人間にとって、アメリカ大陸とは世界そのものなのだから。

 

 

「がぁぁぁっ!」

 

目を覚ました少女は、目に写るもの全てに対して怯えていた。借りてきた猫でももう少しふてぶてしいだろう。

大の男であるタイサは勿論、線の細い女性であるカーラにさえ恐怖している。

あまりにも哀れな様子にタイサがいつもの癖で舌打ちをすると、余計に怖がりだした。

……しまったと、タイサは目頭を抑える。

そして気合いを入れ、無理やり笑顔を作ってから喋りだした。

 

「お嬢ちゃん? 大丈夫かい? ここはアメリカにある村だよ! みんな楽しく暮らしてるんだ! ハハッ!」

 

慣れない微笑みに顔を歪め、声のトーンをミ○キーマウスの如く高くして少女に問い掛けるが、そもそも言語を理解していない様子だった。

横でそれを見ていたカーラが大爆笑している。

 

「なっ、なんで、そんな声出すの!」

「……子供はみんな、ミ○キーを好きなものだ」

 

恥ずかしさに若干目を伏せながら、タイサは"本命"の準備をし始めた。

持ってきたリュックサックから数枚のプレートを取り出し、少女に見せる。

その全てにはアジア圏のポピュラーな文字が記されており、タイサが習得している言語でもあった。

『選べ』と、目線で少女に伝える。

 

「……がぁっ」

 

少女は、恐る恐る一枚のプレートを指した。

その選択に、タイサは自分の目が見開かれるのが分かった。

 

「……日本人か? お前」

「っ、ぐおっ!?」

 

久々なので伝わるか不安だったが、タイサの日本語に少女は凄まじい勢いで相槌を打つ。

だが、一つの問題に気が付いた。

 

「口が聞けないのか?」

「がっ、……がぁぁ」

 

困ったような顔をしたあとに、小さく頷く。どうやら言葉を理解する事はできるが、話すことは無理らしい。

……やはり、脳に障害が残ってしまったか。だが命が助かっただけでも儲け物だ。

 

「タイサ!? もしかしてその子と話せるの?」

「ああ……と言っても、一方通行だがな」

 

かなり警戒心が解けたようで、少女はタイサに近付いてきた。

だが、カーラが手を伸ばすと怯えながらタイサの後ろに隠れる。

 

「お嬢ちゃん……? 私、カーラっていうの。さっきはソレって言ってごめんね?」

「……がぅ」

 

少女にそっぽを向かれ、カーラがショックな顔をして崩れ落ちた。

 

「どうしてタイサが大丈夫で私が駄目なの……? 山賊みたいなのがタイプなのかしら……」

「おい今なんて言った」

 

だが、カーラの言葉も事実だった。

集落の子供も一人を除いてタイサの人相の悪さを恐れている。

タイサは、嬉しそうに自分の服の袖を摘まむ少女を今一度、見下ろした。

 

「がぁっ?」

「……お前は、俺が怖くないみたいだな」

 

頭を撫でようと手を伸ばし……躊躇(ためら)った。

男からあんな目に合わされたばかりだ、嫌がるだろう。

しかし少女は、顔の前で揺れるタイサの大きな手をじぃっと見つめた後、そっと自分の頭に乗せた。

 

「おぉ……っ!?」

「ぐぉっ」

 

『撫でさせてやろう』とばかりに、少女が上目使いでタイサを見上げる。

おずおずと撫で始めると、気持ち良さげに頭を押し付けてきた。

 

「……やっぱり、変わってる」

 

……言葉の壁や、人種の壁だってあるかもしれない。

だがそれでも、この子を立派に育て上げようと。タイサは決意した。

 

「……あの連中は、半殺しにしとくからな」

「がぁ?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

26.この星でただ一人だけ

怪我を手当てしてもらった俺は、男に連れられて村を歩いていた。

周りの人間たちの、奇異な存在を見るような視線が痛い。

こちらが目線を合わせようとしても、向こうは焦った様子で顔をそらす。

 

『タイサは気でも狂ったのか……?』

『あんな魔獣を集落で連れ回すなんて信じられない!』

『娘さんの件もあるし、仕方ないわよ……』

 

言葉は分からないが、ひそひそした無数の耳打ちが波のように聞こえてきた。

腹の奥がきゅっと縮むような感覚に襲われる。

 

「ぐぉ……」

「気にするな」

 

手を引く男の歩みが速くなる。

そして暫く進んだ後、一軒の家の前で足を止めた。

 

「ちょっと待ってろ」

 

俺にそう言って、男は扉へと入っていく。

中からはガチャガチャと、瓶を整理しているような音が聞こえてくる。掃除しているのかもしれない。

 

「よし、良いぞ」

 

許可を出され、俺は家の中に入った。

酒と煙草の入り混じった、独特な香りが鼻をつく。

この男の匂いに似ていて何故だか安心した。

 

「ここが今日からお前の家だ」

「がぁっ……!?」

 

驚いて顔を見返すと、男は『不満だろうが、我慢しろ』と言った。

い、良いのか? ここに住んで。自分で言うのもアレだけど、怪しさの塊みたいな人間だぞ俺。

日本語を話せるのはこいつしか居ないし、願ったり叶ったりなんだけども……

 

「……別の奴に頼むか?」

「ぐ、がぅがぁっ!(嫌だ! ここが良い!)」

「わ、分かった。分かったからすがってくるな……」

 

男は俺をなだめながら、ソファに座った。

様子を伺いながら、その横に座る。

しばらく沈黙していたが、男が傍らにあったバッグをゴソゴソと漁りだした。

 

「……お前、なんていう名前なんだ? 分からなきゃ不便だからこれに書いてくれ。日本語でオーケーだ」

「がぁ?」

 

バッグから取り出されたのは、紙とペン。

書け、って言われても……俺は言語の関わる意思疏通に制限がある。

……そもそも、名前なんて無いし。

あるのはドミネーターとしての式別名『ノンシェイプ・ナイト』だけだ。

 

「……がぅ」

「どうした? 日本の識字率的に書けないはずが……まさか、脳の障害がそこまで……」

 

紙面とにらめっこする俺を、男は深刻そうな顔で見ている。

……仕方ない。いつもの顔文字でなんとかするかーー

 

「……がぁ(……あれ)」

 

ーーペンを走らせていると、俺はとある違和感を覚える。

ノンシェイプ・ナイト時に感じた、何かに抑圧される感覚が無いのだ。

……まさか。

 

【こんにちは】

 

「っーー!?」

「おお、良かった。文字は書けるみたいだな……」

 

ーー字を書けない制限が、消えてる。

なんでだ……? ドミネーターの力を失ったからか!?

 

「お前の、名前は?」

「ぐ、ぉ……」

 

……意思疏通ができる。としても、答えなんて無かった。

俺は所詮、『(かお)の無い誰か』でしかないんだ。ノンシェイプ・ナイトの力を持っていただけの。

……その唯一の存在証明さえ、剥奪されたのだけども。

 

「……がぅあ」

【なまえ、ないです】

 

ーー価値の無い、誰にも愛されぬ無名の存在。

寄辺(よるべ)を持たない、孤独な落伍者。

そんな境遇を嘆く権利なんて俺には無いのに。

寂しさに打ちひしがれ勝手に震える少女の体が、酷く惨めだった。

 

「……は? 親は、何やってたんだ?」

「がぅ」

【いないです】

 

男の顔が苦々しく歪む。

 

「それでも、あだ名ぐらいあるだろ……!? その年まで誰にも名前を呼ばれた事の無い人間なんて、存在して良い筈が無い……!」

 

男は、俺の両肩を掴んで顔を覗き込んでくる。

その表情からはある種の必死さが感ぜられ、俺の言葉を信じたくないように見えた。

 

【おまえ、でいいです】

「……っ、なんで、そんな……」

 

……今思えば、アセビや山吹は俺の機嫌を取っていただけなのだろう。俺にしか日本を守れないから。

じゃなきゃ、こんな化物になんか優しくしてくれない。

……俺とあいつらの間にあったのも、きっと友情関係なんかじゃなかった。

ただ冷たい、利害関係だけなんだ。だから名前も必要無かった。

そうだ……俺は初めから最後まで、ただの暴力装置でーー

 

「辛かった、だろう……」

「がぁっ……!?」

 

ーー太い腕に引き寄せられ、抱き締められた。

もじゃもじゃした髭が顔に当たって痛い。

しかし、心臓の裏側にある『魂』とでも云うべき部位が、温かい物に満たされるのを感じる。

 

「俺達は、今日から家族だ……」

「が、ぁ……」

 

かぞく、かぞくーー家族? なんで。

本当の俺は、同情なんかされちゃいけないのに。

こいつは『ノンシェイプ・ナイト』を知らないからそんな事を言えるんだ。

俺がもう何億人も殺してるって知ったら、きっと誰も愛してなんかくれない。

今は同情を誘う少女の姿をしているが、その本質は唾棄(だき)されるべき災厄の化身なのだから。

 

……でも。

 

「……がぅ」

 

ーー分厚くて、温かい背中に腕を回した。

……ちょっと、だけ。今だけは。

この人に優しくしてもらいたい、って。そう思ってしまった。

 

 

「……アルメリア」

「がぅがぅ……がぁっ?」

 

長らく机に向かって古そうな本を読んでいた男は、ぼそりとそう呟いた。

ソファの上で硬いパンに苦戦していた俺は、その声の方を向く。

 

「お前の名前だ」

 

俺の頭をわしゃわしゃしながら、優しい目で男は言う。

 

「これからは、そう名乗るんだ。」

 

そのあとに『……嫌なら別のでも、良いが』と恥ずかしそうに予防線を張る姿が、幼い少年のようで。

ーーコアでもない。心臓でもない。物質的には存在しないはずの『心』が。

とくん、と。小さく跳ねた気がした。

 

「がぅぁ……」

 

この温かい感情をなんと呼ぶのかはわからない。

でもきっとーーこの男は、自分にそれを教えてくれる人なんだろうと。思った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

27.断てない鎖

あるめりあ、アルメリア。

がらんどうの空洞を反響するみたいに、頭がその言葉で満たされる。

……俺の、名前。

護国の怪物『ノンシェイプ・ナイト』じゃなく。

力を持たない一人の人間としての『自分』の名前。

 

「……どうだ?」

 

不安そうな顔で男が何かを言っているけど、よく耳に入ってこなかった。

……ただ、自分という"人間"はここに居ても良いのだと。

国を守れる力なんて無くても、……ドミネーターじゃなくても。

『お前はもう戦わなくて良いんだ』って言われた気がして。

……おれ、はーー

 

「っ、おい!? 気に入らないんなら別ので良いから! 泣くな!」

「が、ぅっ、ぅあ……!」

 

ーー泣いてしまうぐらい、安心した。

涙を流す俺を心配してくる男に対して、何度も首を横に振る。気に入らない筈なんて無い。それじゃなきゃ、アルメリアじゃなきゃ嫌だ。

自分のずっと望んでいた物が、やっと分かった。

力なんて欲しくはない。

……誰かから、一人の人間として名前(あい)を与えられたかったんだ。

 

「がぁっ……!」

「ぉお……っ!?」

 

嬉しくて、男の腕に抱きつく。

自分の胴より太いであろうそれに顔を(うず)めていると、言い表せない安心感があった。

 

「俺の事は……まぁ、タイサって呼んでくれ」

そう名乗りつつ、男……タイサは、煙草に火を着けた。

そして『やれやれだ』とでも言いたげに煙を吐く。

 

「……けほっ」

「すまん(けむ)かったか!?」

 

すぐ、揉み消してくれた。

 

 

「その子の名前、決まったの?」

「……まぁな」

 

それからしばらくして、クッキーの入った籠を持った金髪の女が家に来た。手当てして貰った時に居た人だ。

タイサを見ると、その女を指差しながら『カーラだ。お前を助けてくれた』と言った。

笑顔で手を振ってきたので、ぺこりと頭を下げる。

 

「……がぅ(……ありがとう)」

「全然いいのよ! 全部あいつらが悪いんだから! こんなかわいい子をいじめるなんて信じられないわ!」

 

相変わらず言葉は分からないが、カーラの友好的な様子に安心する。きっと、良い人なのだろう。

頬っぺたをむにむにされて、なんだか変な気分だった。

どことなく、テンションが高い時のアセビに近い感じがする。

 

「で、この子の名前は?」

「……ぁあ」

「なんで言わないの? 焦れったい男は嫌われるわよー!」

「あぁ……言うから。少し待ってくれ」

 

そしてなぜか、さっきからタイサが居心地悪そうにしている。

二人の会話は言語的な意味で蚊帳の外だから、どうしてなのかは分からないけど。

タイサは少し深呼吸した後、決心したように口を開いた。

 

「……こいつの名前は、アルメリアだ」

「……え?」

「がぅっ?」

 

会話に『アルメリア』という単語が混じっていた気がして、タイサの顔を見る。しかし目を合わせてくれない。

カーラを見返しても、深刻な顔のまま硬直している。

 

「ちょっと、アルメリアって……」

 

しばし沈黙の後、ぼそぼそと消え入りそうな声でカーラが何かを言った。

 

「アルメリアって、あなたの……」

「言うな!」

「がぅぁっ!?」

 

机を叩きながら、勢いよくタイサは立ち上がる。机上に置かれたコップが揺れ、アルコールが撒き散らされた。

それに驚いてビクッとしていたら、『……頭を冷やしてくる』と言ってタイサが外に出ていってしまった。

こ、こいつ、タイサに何言ったんだ……!?

 

「……そんな、どうして……」

 

哀れむような目で、カーラは俺を見る。

 

「えぇと、アルメリア、ちゃん?」

「ぐぉっ?」

 

アルメリアとだけ聞き取れて、カーラの目を見る。

 

「……タイサね、ああ見えて本当はとっても弱い人なのよ」

 

優しい声で、語りかけてくる。

 

「……だから、あなたは。居なくならないであげてね?」

 

懇願するように、蚊が泣くみたいな声でカーラは何かを言った。

穏やかだが、それでいて悲しい目をしている。

俺がとりあえず頷くと、パッと笑顔になった。

 

「……よかったわ。じゃあ、こんな話は終わりにして一緒にパイでも焼きましょうか!」

「ぐ、ぐおっ?」

 

手を引かれ、キッチンの方に連れていかれる。

カーラはにこにこしながら棚の中を漁っていた。

……え、勝手に使って良いの?

不安になって中を覗くと、酒瓶と燻製肉しか入ってなかった。

タイサ……どんだけ不健康な食生活してんだよ……?

 

「酷い食料庫ね。それにまたお酒ばっかり飲んで……これからは、あなたが止めてあげるのよ? 」

 

酒瓶を指差してバツ印を作るカーラを見て『タイサに酒を飲ませるな』と言われていると分かった。

胸をどんと叩いて元気よく返事する。

 

「がうっ!(任せろ!)」

「……あぁ! やっぱり可愛いわっ!」

「ぅがっ!?」

 

がばっと抱き付かれながら、頬をむにむにされる。

……自分で言うのもあれだけど、なんか俺の頬っぺた餅みたいに伸びるな。

触ってて気持ち良いのかもしれない。

コピー元のアセビもこんな感じなんだろうか。

 

「さっきは怒鳴って悪かった……って。ずいぶん仲良くなったな」

 

ドアが開き、冷たい外気と共にタイサが部屋へ戻ってきた。

そしてどかっと机の前に座り、迷わず酒瓶へ手を伸ばそうとーー

 

「がぅっ!(駄目!)」

「なん、だと……!?」

「そもそも、あなた二年前に肝臓悪くしてるでしょ」

 

俺とカーラに阻止され、タイサは恨めしそうに唸りながら、酒から手を引っ込めた。

 

「この子のためにもお酒は辞めなさい! 良いわね?」

「……カーラ。人間は、水を飲まなきゃ死ぬよな」

「当たり前じゃない」

「そして、俺はアル中だ」

「当たり前じゃない」

「つまりそういう事だ」

「いやいやいや」

 

まるで論破したかの如く、ドヤ顔で酒を飲もうとするタイサを

二人でもう一度止める。

 

「がぅ……!」

「アルメリア……俺にとって酒は水で煙草は酸素なんだ! 辞めたら死ぬぞ! 肝臓なんて知ったことじゃない!」

「がぁっ!(そんな人間は医学的に存在しねぇよ!)」

「ぬぅ……」

 

まずい……俺の中のタイサへのイメージがどんどん下がっていく。

今のところ、アルコール中毒でニコチン中毒で肝臓が悪いおじさんだぞ。

……あれ、もしかしてこいつ、ただの駄目人間なんじゃ。

それに呆れる以前に、普通に心配だった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

28.暖かな夢を見た日

「ふ~ん、ふん、ふ~ん……あぁ! やっぱりアルメリアちゃん、何でも似合うわねっ!」

「がぅあ……」

 

この村に来てから三日が過ぎた。

今、目の前には大きな鏡があり、そこには丈の短いスカートを履いた青目の少女ーーつまり、俺が映っていた。

その横には勿論と言うべきか鼻息を荒くしたカーラが沢山の洋服を持っており、既に『次』の準備を始めている。

端的に言えば、俺は着せ替え人形にされていた。

ひらひらした可愛らしい服に身を包み、胸には()()()()()()()()()()が揺れている。

 

「いやー、まさかタイサがこんな綺麗な宝石持ってるなんてね!」

「ぐぉ……」

 

……『最果ての魔王』のコアだ。

机の上にあったのをカーラに見られ、『ちょっと貸して!』と言われた。そして戻ってきたらこのザマだ。

……まさかアイツも、自分の心臓がアクセサリーにされるとは思わなかっただろうな。なんか本当に申し訳ない。

いやまあ他に使い道も無いけどさ……今の姿じゃこんなサイズの石喰らえないし、喉に詰まって死ぬ。

 

「程々にしとけよ。あんまり拘束して嫌われても知らんぞ」

「あなたねぇ! こんな最高の素材があって着飾らないなんて馬鹿のする事よ! 可愛いものをもっと可愛くしたいのは女の本能なのよ!」

「お前もアル中と大差無くないか……?」

 

水をぐびぐび飲みながらタイサがカーラと何かを話している。

タイサは今、禁煙と禁酒を同時にやらされている。俺とカーラによって半強制的に。

熾烈な交渉の末、煙草は日に五本までで手を打った。その代わり酒は完全禁止だ。カーラが言うには二年前マジで肝臓がヤバかったらしい。

 

「お酒やめてみて、どう?」

「……意外と、辛くはない」

「……元々、アイツにあの子を連れていかれた寂しさからでしょ?」

「そう……、かもな」

 

タイサが、この日三本目の煙草に火をつける。

もくもくと立ち昇る紫煙が窓から出ていくのを見ながら『今日はちょっとペース早いな』と思った。

この三日で、タイサの精神状態は煙草を吸う頻度からある程度読み取れる事が分かった。

酒は禁止になってるから分からないが、こいつは嫌な事を思い出したりすると煙草を良く吸う。逆に、良い肉が手に入った日などはあまり吸わない。

 

……気難しそうな顔して、意外と単純だ。

それが、俺がタイサという人間に抱いた感想だった。

 

「うし、アルメリア。勉強するぞ」

「ぐぉっ!」

 

灰皿に煙草の吸い殻を擦り付けてから、タイサはそう言って立ち上がる。

昨日から俺はこの大陸での共通語を習い始めている。

タイサの家にはなぜか、古びた子供用の教科書やノートが沢山あって教材には事欠かなかった。

 

「お前は異常に物覚えが良いから、すぐに日常会話ぐらい聞き取れるようになる……少し気味が悪いぐらいだ」

「がぅぅ……」

「ほめてない。照れるな」

 

例の如く頭をわしゃわしゃされながら、机に着く。

ちなみにこれも最近わかった事なのだが、俺は右利きだった。

不幸中の幸いと言うべきか、棒で叩かれて折れたのは左腕だからペンは持てる。

 

「でもアルメリアちゃんほんと賢いわよね。年の割には落ち着いてるし可愛いし、大きくなったら絶対モテるわよ!」

 

テンションが上がった様子のカーラに何かを言われ、タイサを見ると『……大人になったら、きっと美人になるって言ってる』と伝えられた。

いやベースのアセビが整ってるからきっと美人になるんだろうけどさ……あれ、そもそも俺って成長するのかな。

もしかしたら、ずっとこんなちんちくりんのままだったりするんだろうか。だとしたら結構キツいぞ。不安になってきた。

……いやその前にドミネーターに戻れる方法を探さなきゃ。

 

「今日は単語ドリルとリスニングをやるぞ」

 

黒い板に石灰のチョークで字を書きながらタイサ言う。

アル中の癖して、タイサはものを教えるのが上手い。

そのお陰かこの三日間だけで、かなり言葉が分かるようになっている。

……まぁ分かったとて、俺か言語を発する事は出来ないのだけれど。

 

しばらく勉強していると、カーラがキッチンの方で何やらごそごそしている事に気がついた。

料理をしようとしているようだった。

それをじーっと見ていたら、『やってみる?』と言われた。

 

「ぐおっ!」

「あら、凄いやる気ね」

「怪我しないようにな」

 

カーラは包丁を持ち、素早い動作で野菜を切り刻む。

ものの数秒で細切れとなった人参を見て、思わずため息が出た。

ドヤ顔のカーラが包丁をこちらに渡してくる。

 

「ふふん。凄いでしょ? まぁアルメリアちゃんは大人しく猫の手から始めなさ……」

「ぐぉっ」

 

カーラの動きを思い出し、自分の手で寸分違わず再現する。

すると野菜は一瞬で微塵切りになった。

……え、やばい、出来ちゃった。

気まずくなってカーラへ目をやると、信じられない顔で口をパクパクさせている。

 

「嘘、でしょ……? 私の努力は一体……」

「が、がぅ……(ご、ごめん……)」

「……天才って、居るんだな」

 

感心した様子で、タイサが俺の切った野菜を見ている。

……恐らくこれは、ドミネーターとしての力が半端に残ってるんだろう。

ノンシェイプ・ナイトの力の本質は『模倣(コピー)』だ。

いくら熟練とは言え、人間の動きを再現する程度は造作も無い。

つまりこれはインチキだ。カーラに申し訳なくなった。

 

「……っ、アルメリアちゃん! こうなったら料理勝負よ!

タイサ審判お願い!」

「いや、大人げ無いぞお前」

「うるさいうるさい! 悔しいんだもん! アルメリアちゃんも良いわね!?」

「ぐ、ぐお……」

 

駄々をこねるカーラの勢いに圧され、つい頷いてしまう。

そ、そんな事言ったって俺、レシピなんて一つも知らないんだけど。

……そうだ。自衛隊の食堂でオムライス見たな。

流石に米は無いがちょうど卵もあるし、オムの部分だけでもチャレンジしてみるか。

 

 

「……すまんカーラ。こっちの方が美味い」

「うっそでしょぉぉぉ!?」

「がぅぅぅ……」

 

……作れてしまった。

どうなってんだ俺の中のノンシェイプナイト。どうして一目見ただけの料理を再現できて、なおかつ美味いんだよ。おかしいだろ。

カーラの作った肉料理が、手を付けられないまま寂しげに置かれている。

 

「あ、アルメリア。ちゃん? まさか、料理するのこれが初めてだったりしないわよね?」

「ぐ、ぐお(いや初めてーー)」

「あらそう! ずっと練習してたのね! 良かった良かった! なら、私がちょっとしたマグレで負けても仕方ないわね! ねぇ!? 」

 

俺の肩を掴んでがくがく揺ぶりながら、カーラが狂ったように問い掛けてくる。

頭がシェイクされて吐きそうになった。

た、タイサ助けて

 

「……うまい」

「ぐぉぉ!(ねぇ!)」

醤油(ソイソース)でもあればもっと良いんだが……」

「がぁぁぁ!(ダメだこいつ!)」

 

その後、タイサの味覚がイカれてるという事にしてカーラの気持ちは収まった。

そしてタイサからの頼みで、この家の料理は俺が作ることになった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

29.所詮、孤独な歯車

アンケート結果出ました。
(14) 『失墜せし黒龍』編
(10) 『天使の聖骸布』編
(23) 『アザレア』編
(89) 現在の日本

です。現在の日本編は制作中ですのでしばしお待ちを。


「がぅ~、がぅあっ!」

 

鼻唄を歌いながら、湿らした雑巾で棚の上の埃を拭き取る。

そして部屋のそこらに散乱していた酒瓶を一纏めにし、処分用の袋へ入れて部屋の隅に置いた。

 

「がぁっ!(よし!)」

 

勢い良くカーテンを開けて日光を取り入れる。照らされた部屋にはチリ一つ無い。

散らかり切っていたタイサの家は俺の手によって完全に掃除され、まるでリフォームしたての如く清潔さを醸し出していた。

正にビフォーアフターだ。

 

「がぅぅ!(なんということでしょう!)」

 

大きな仕事を終えた達成感に酔しれ、ソファに座り込んだ。

タイサは狩りに出ていて今はいないが、帰ってきたらきっと驚くだろう。そう考えると口が勝手ににまにましてしまう。

 

この村に来てから一週間が経った。

俺はカーラから料理や掃除などの家事スキルを教え込まれ、立派な家政婦と化していた。

料理に関しては完全にカーラを越えたと言っても過言ではない。

……いや、仮にもドミネーターが何やってんだって話だけど。

 

だが今の俺には戦う力も、力を取り戻す手段も無い。

試しに『最果ての魔王』のコアを取り込もうとしたが喉を詰まらせて死にかけた。

ならば、自分のできる事をやっていくのが最善だろう。

断じてこの生活を気に入っているわけでも、家事が楽しくなっちゃってるわけでもない。

……本当だよ?

 

と、とにかく。今はこの達成感に浸ろう。

俺は貯蔵庫へ歩いていき、中から果実のジュースを取り出した。

いい感じに冷えてて美味しそうだ。

 

「がうっ……?」

 

ふと、掃除した棚の隙間に何かが挟まっている事に気が付く。まだゴミが残っていたか。

細い隙間に手を入れ、それを取る。

だが出てきたのはゴミではなかった。

古びて黄ばんだ、一枚の写真だ。

 

「……がぁっ?」

 

フィルムに張り付いたホコリを払ってみると、その写真には親子らしき二人の人物が写っている。

親の方は、今より少し若いがタイサだった。

子供を抱えながら不器用な笑顔でピースサインをしている。

そしてもう一人は、俺と同じぐらいの年齢に見える少女だった。

写真のフレームにはマジックでこう書かれている。

 

アルメリア(Armeria) 十四才の(14yearsold)誕生日(birthday)

 

「ぐぉっ……?」

 

アル、メリア?

……俺じゃないよな。恐らく、この写真に写ってる少女を指した物だ。

どうしてか、心がざわざわした。

 

「アルメリアちゃーん、タイサいるー? ……あれ、何見てるの?」

「がぁっ!?」

 

反射的に、訪ねてきたカーラから写真を背中に隠す。

冷や汗をだらだら流す俺を見て、カーラは怪訝な

 

「……なに隠してるの?」

「ぐ、ぐぉっ!(かくしてないよっ!)」

「……目が泳いでるわよ」

「ぐおっ!(泳いでないよっ!)」

 

背中を覗きこもうとするカーラ。それに応じ体の向きを変える俺。

しばらくいたちごっこが続いた。

 

「隙やりっ!」

「がぁぁぁっ!?」

 

が、身長差によるリーチを活かした素早い動きで写真を奪い取られる。

『どれどれ』といった様子で写真に目を向けたカーラの顔は、そのまま固まった。

瞳孔が開き切り、震える唇は動揺を抑えられていない。

な、なんだ……? もしかして、まずい物だったのか?

 

「……アルメリア、ちゃん。これどこで見つけたの」

 

抑揚の無い、機械みたいな声でカーラが問い掛けてくる。

豹変したその様子にビビりがらも、棚の隙間を指差した。

 

「……なんで、今見つかるのよ……!? タイサだって今はこの子のお陰で少しずつ……っ」

 

うわ言のようにぼそぼそ何かを呟いているカーラ。

……やっぱり、この写真に写っている少女に何か問題があるのか?

俺と同じ名前の少女……何か、不穏なものを感じた。

自分の胸中に渦巻く疑問をぶつけるため、文字を書くための紙とペンを手に取った。

 

「ぐぉっ」

【その女の子は誰ですか? アルメリアって、書いてます】

「……ぁあ、ええと、アルメリアちゃん。あのね……違うのよこれは」

 

まるで見せてはいけない物を見られたかのように、カーラはおどおどしている。

だが俺がしばらくじーっと見詰めていると、『うぅ……そんな目で見ないでちょうだい……』と観念したようにうつむいた。

そしてぽつりぽつりと語りだす。

 

「……この写真の女の子……『アルメリア』は、タイサの娘よ」

「がぁっ……?」

 

タイサの娘? 初めて聞いたぞ。それらしき人物を見かけた事も無い。

どこかへ嫁いだのかもしれない。

 

【どこに、居るんですか?】

「……"神殿"よ。あの忌まわしき男に連れていかれたわ」

「ぐぉっ……?」

 

しんでん……? なんだそれ。それに忌まわしき男って誰だ。

 

「……この村に限らず全ての集落には一体ずつドミネーターの"眷属"が居て、それらは魔獣から村人を守る役目を負わされてるの」

 

これは前にも聞いたな。一番上は州ごとにいる十三体のドミネーター、次にその部下である眷属。そして最下層に村人だ。

だが、その眷属がどうしたんだ?

 

「この村を担当する"眷属"はね。最低のゴミ野郎なのよ。年に一度『守り神への貢ぎ物』と称して村から女の子を無理やり連れていくの。……村を守った事なんて、まともに無いくせに」

 

カーラの語り口に、少しずつ熱が篭っていく。

 

「そして五年前、タイサの娘の『アルメリア』は連れて行かれてしまったわ。その日タイサ狩りに出ててね……森から帰ったら、既に娘は居なくなっていたわ」

 

……その眷属に、タイサの娘は連れていかれてしまったのか。

酷い話だ。ふつふつと怒りが沸いてくる。

俺に以前の力があれば、そんなやつ探し出して半殺しにしてやるのに。

 

「……悔しかったんでしょうね。タイサはお酒に溺れて体を壊したわ。あなたにアルメリアという名前を授けたのも、きっと少なからず娘と重ねていたからよ」

「が、ぁ……」

 

泣きそうな顔のカーラを見て、俺は以前に言われた言葉を思い出す。『あなたは居なくならないであげてね』と、そう言っていた。

あの時は首をかしげたが、これなら合点がいく。

 

「でもっ、アルメリアちゃんが来てから、タイサはずっと元気になったわ! 前までみたいに寂しそうじゃないしっ!」

 

『アルメリア』は、俺のための名前ではなかった。

俺を自分の娘と同一視しやすくするための、ちょっとした小細工に過ぎないのだ。

……それを知って、俺はーー

 

ーー幾ばくかの悲しさと共に、淡い喜びを感じた。

ただの怪物が、タイサの最も愛した人間の"代役"に収まれた。

ノンシェイプ・ナイトでは絶対に成し得なかった"家族"。

……その関係が(はかな)贋作(がんさく)だとしても嬉しかった。

 

ーー"本物"なんて帰って来なければ良い。

「がぅっ……!?」

 

なに考えてんだ……俺。

一瞬だけ自分の心に渦巻いた黒い感情を振り払う。

……化け物が。ちょっと優しくされたからって調子乗るな。

『アルメリア』が帰ってこなくたって、俺が本物を越える事は無いんだ。

 

……例えるならば。

死んだ子供の代わりに仕方なく拾ってきた薄汚い化け猫が、子供と同じ愛を受ける事は無い。

ただ寂しさを慰めるだけだ。

だが、それでも構わなかった。

 

一番じゃなくて良い、誰かの代わりでも良い。

……自分を大事にしてくれた、タイサと一緒に居たかった。

一度覚えてしまった甘美な『人として与えられた愛』を失うのが恐かった。……だから。

 

ーー俺は無垢で愛らしい少女、『アルメリア』を演じ続けよう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

30.変化

お絵描きしてました。(土下座)
『天使の聖骸布』と『最果ての魔王』は完成したので、機会があれば公開します。


ーー腹部を焼くような激痛と、()せ返る鉄の臭いで目を覚ました。

 

「がぁっ……!?」

 

覚醒したはずの頭が、微睡(まどろ)んだように重たくボーッとしている。

じんじんと続く痛みに顔をしかめながら、手探りで発生源である下腹部へと手を伸ばした。

ねっとりと指にこびりつく赤い液体。(あで)やかソレは、本来何かしらの不具合が無ければ人体から出ることのない物。

 

ーーなにが、起こった?

 

なんとか上体を起こすと、真っ赤に染まったベッドシーツが視界へ飛び込んでくる。

腰の当たっていた辺りだけペンキでも塗りたくったみたいに赤かった。

 

痛い、痛い、痛いーー異常な出血も相まって気が遠くなりそうだ。

もがく内に、ベッドから落ちて床に叩きつけられた。

その音に気が付いたのか、ドアを開けてタイサが入ってくる。

俺の様子に異様なものを感じたのか、血相を変えて駆け寄ってきた。

 

「アルリメリア……? おいアルメリア!?」

「が、ぅぅ……(ごめん俺死ぬわ……)」

 

タイサは傷を確認するため服の裾を捲って俺の腹を見る。そしてその下へ目をやった時、急に真顔になった。

 

「が、がぁっ?(ど、どうしたの?)」

「……あぁ、これは俺には……カーラ呼ぶか」

 

苦しむ俺を差し置いて、タイサはいそいそと外へ出ていった。

み、見捨てられた? しょ、しょせん娘の代わりってわけか!? ひどすぎるよ!

……あぁ、俺はこんな意味不明な状況で死ぬのかーー

 

 

「これは生理ね。健康な女の子の証よ」

「がぁっ!?」

「やっぱりか」

 

カーラから告げられた衝撃の事実に、俺は開いた口が塞がらなかった。

え、俺ってドミネーターだよね……? なんでそんな事になってんの? いやほんとに。おかしいってば。

頭の中で何度も現実逃避するが、事実として自分の体に起こっている変化に向き合うしか無い事は分かっていた。

 

「アルメリアちゃんは生理が重たいタイプみたい。お薬出しとくから、食後に飲めば楽になるわ」

「ぐぉ……」

 

俺にいくつかの錠剤を渡して、カーラは帰っていった。

あぁ……なんか食べてからじゃないと飲めないのか。朝ごはん作ろう。

腹痛いし腕折れてるしコンディションは最悪だけど、仕方が無い。

 

「俺が作るか?」

「がぅう……(いや大丈夫……)」

 

タイサに任せたら黒焦げの肉塊しか出てこないからな……

俺は食料庫に歩いていって、中から『赤い鱗の着いた巨大な腕』を引っ張り出す。

……この大陸に来てすぐの時に見た、巨大なトカゲの物だ。

タイサが狩ってきた時には思わず悲鳴が出た。

本人いわく、『大した相手じゃない』らしい。……いや、人間だよね? タイサ強すぎないだろうか。

 

「何を作るんだ?」

「がぅっ」【塩分控えめ、ドラゴンステーキです】

「おぉ……昨日狩ったやつか。そいつは楽しみだ」

 

赤い鱗に包まれた巨腕を、火を通すため一口サイズに刻んでいく。

……森にいたこのドラゴンは、『リンドヴルム』という種類の"魔獣"らしい。

魔獣、というのは現在のアメリカに生息する怪物を指すものだ。

ドミネーターの出現と同時に発生したらしく、その多くが既存の神話に登場する生物に酷似する特徴を持つ事から、それになぞらえて名前をつけると聞いた。だから『リンドヴルム』なのか。

そんな危なそうなもの食べれるのかと思ったが、特に健康被害は無いらしい。しかも以外と美味い。

 

「……」

 

エプロンを着けて竜肉を捌く俺の背中を、タイサはボーッと見詰めている。穏やかな目だ。

……その視線の先に居るのは、きっと別の『アルメリア』なんだろうけど。

「……そういえば、お前って年は幾つなんだ?」

 

ふと、といった感じでタイサが問いかけてきた。

年齢……分からないけど俺は『アルメリア』なんだ。設定を(じゅん)守しなければ。

調理へ目線を向けたまま、自作のメッセージボードに字を書き込む。

【14歳です】

「……っ、そ、そうか。随分と大人びてるな」

 

俺の返答に、タイサは僅かな狼狽を見せた。

……そりゃそうだ。偶然拾った俺が娘と同じ年齢なんだ。何かの因果を感じたのだろう。

実際は単なる自演なのだが、タイサにそれを知るよしは無い。

『アルメリア』の写真はまだ俺が持っているし、それを伝えてもいない。

 

「……なあ。アルメリア」

「がぅっ?」

 

数秒の間を置いた後、またタイサが俺を呼んだ。

俺はそれに応えるためにメッセージボードへ手を伸ばしーー

 

「お前、アザレアって男を知ってるか?」

 

ーー絶句、した。

冷えた両手で心臓を鷲掴みにされるような感覚。

この大陸で絶対に聞くことは無いと確信していた名前。

震える手を抑えながら、紙へ文字を刻んでゆく。

 

【しりま せん】

「……そうか。そうだよな。変なこと聞いてすまん】

 

そう言ったっきり、タイサは黙ってしまった。

……なぜ、そう思ったんだ?

どうしてアザレアという名前を知っている?

 

【アザレアって、なんですか?】

「ん……? あぁ……まぁ、妖怪みたいなもんだ。気にしなくて良い」

 

妖怪……? アセビの母と親しいらしかったが、妖怪ってどういう事だ。

本人が気にしなくて良いと言った以上、深入りするのも変だから聞けないけど……謎だ。

 

それから十分後、竜肉のステーキが完成した。本当はレアにしたかったが、流石に少し抵抗があったからミディアムにした。

未知の寄生虫とか居そうで恐い。いや、村の人たちが健康な以上その可能性は低いんだろうけど。気持ちの問題だ。

 

「がぅっ!(じょうずに焼けましたー!)」

「おぉ、旨そうだな……!」

 

皿へ色とりどりの野菜を盛り付け、タイサの前に置く。

俺はそれからその正面の椅子に着いて肉に手を会わせた。

この体が少食だからタイサのものよりかなり小さい。

俺がチビチビ食べている内に、向こうの皿からはあっという間にステーキが消え去る。

 

「……お前、本当に料理を始めて一週間経ってないのか? 片手だけでこんなの作るとかカーラでも無理だぞ」

 

皿をまじまじと見つめながら、タイサが俺に聞いてきた。

……この一週間で分かった事だが、俺の体は筋力が弱い代わり相当に運動神経が良いらしい。具体的に言えばドミネーターの時と同じぐらい。

それに加えて『ノンシェイプ・ナイト』としての模倣(コピー)能力付きだ。この程度できない筈がない。

 

要するに……人間の体にノンシェイプナイトの能力が外付けされたみたいな物だ。戦闘こそ出来ないが、中々に小回りが利く。

 

【練習、しました】

「……そうか」

 

俺の答えにタイサは納得のいかない表情で言ってから、空っぽの皿をキッチンに下げた。

……その目線は、俺の胸元に揺れる深紅の宝石へ向いているように見えた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

31.とある大佐の情景ー2

ーー嗚呼(ああ)、待ってくれ。

その子を、俺の娘を連れていかないでくれ。

 

「なにぃ? ■■■くぅん、オレになんか文句あるわけ?」

「お父さん……! お父さん!」

 

"眷族"の男が、ニタニタした粘っこい笑顔で振り返る。

その(ふところ)には涙に頬を濡らす少女が抱えられていて。

ここで取り返せなければ、二度とこの子の笑顔を見る事は出来ないだろう。

それは分かっていた。……分かって、いたのに。

 

「……っ」

 

ーー足が震えて動かない。

"眷族"は強力だ。仮に戦車が有ったって絶対に敵わない。そう分かっていた。だから腰抜けな俺は挑む事が出来ない。

煮えたぎるマグマに飛び込むような、絶死(ぜっし)の蛮行を行えない。

 

"眷族"の背中が遠のいていく。

そして、そのまま姿が見えなくなりーー

 

 

「っ……!」

 

毛布を蹴飛ばし、タイサは飛び起きた。

額には玉のような冷や汗が浮かんでいて呼吸は荒い。まるで怪物から逃げてきたが如く様相だった。

 

「は、ぁ……酷い夢を見た」

 

前髪をかき上げながら何度か深呼吸をし、寝台から降りる。

頭を冷やすために外へ出て、ポケットから取り出したしなしなの煙草を口にくわえる。

そこから立ち上る紫煙を眺めながら、タイサは大きなため息を吐いた。

 

「……なんで、今になって思い出すんだか」

 

浅く笑いながら、自嘲する。

ーーあの日本人の少女と出会ったせいか。

迷った挙げ句、自分の娘と同じ『アルメリア』という名を付けてしまった哀れな少女。

……暴力を振るわれ、言葉を失ってなお自分を信じてくれている。

異常なまでの学習能力を持ち、英語を僅か三日で完全に習得した。料理だって、カーラの物を一目見ただけで完全に再現した。

 

ーー奇妙な、少女だ。

捨て子ではあるまい。見た目も良く、あんな化け物染みた才能を持つ子供を捨てる親など居ないだろう。

それに、本人が言うには『気が付けばアメリカにいた』らしい。

 

……アメリカ大陸、世界樹の(レギオン・オブ・)領域(ユグドラシル)は、ドミネーターの力によって外部からの侵入は不可能になっている。

そこに入るには、それこそ同等の力を持つドミネーターの力が必要だ。

 

「……」

 

タイサの胸中には、一つの疑念があった。

あの少女が大事そうに抱えていた深紅の宝玉、あそこから娘を拐った"眷族の男"と同じ雰囲気を感じるのだ。……感じる力の大きさは、比べるのもおこがましい程に宝玉の方が強いのだが。

……考えにくいが、あの少女……アルメリアは、"眷族の男"と同類なのではないか。

そのような疑念がタイサの心を揺さぶっていた。

 

「がぅぁぁあああっ!?」

「……なんだ!?」

 

アルメリアに与えた部屋から、切羽詰まった悲鳴が聞こえてきた。

煙草を握り潰してからそちらへ向かう。

軽くノックしてからドアを開けると、そこには下腹部から大量の血を流しているアルメリアの姿があった。

 

「っ……!? おい大丈夫か!?」

 

顔から一気に血の気が引くのを感じながら、タイサはアルメリアヘ駆け寄る。

 

「がっ、がぅぁぁあっ!」

 

『死んじゃうよ!』といった表情で、アルメリアは助けを求めてくる。

タイサはどうにかしようと傷口の服をめくりーー

 

「……あぁ、これは」

 

見えかけた『出血口』から、タイサは目を背けた。

ーー生理だ。しかも反応からして初めての。

そこまで幼くは見えないが、遅い体質だったのだろう。

娘で似たような事態を経験していたタイサは、男の自分ではなく医者で女性であるカーラに任せた方が良い事を知っていた。

 

「……カーラ、呼ぶか」

「が、がぅっ!?」

 

部屋から出ていこうとするタイサを、アルメリアは『見捨てるの!?』と言いたげな顔で見上げてきた。

僅かに潤んだ青い瞳が、助けを求めて揺らめいている。

 

ーーその顔は、あの日の『アルメリア』と重なって見えた。

 

「っ……!」

 

逃げ出すようにタイサは部屋を後にする。

……外へ出て、冷たい風を浴びても。脳が見せつけてくる『アルメリア』の幻覚から逃れる事は出来なかったーー

 

 

薬を渡してカーラが帰った後、料理をするアルメリアをタイサは見詰めていた。

その包丁さばきは超人ーー否、人外の域に片足を踏み込んでおり、目で追う事すら出来ない。肉塊が数秒で細切れになる。

凄まじい精度で、機械的ですらあった。

 

「……」

 

……その光景に、タイサはとある既視感(デジャブ)を感じていた。

ーー黒髪。

ーー青目。

ーー日本人。

ーーそして、この異様な身体機能。

 

かつて自分が戦場で出会った、『バケモノ』の持つ特徴と一致している。

気が付けば、タイサの口は勝手にその質問を投げ掛けていた。

 

「お前、"アザレア"って男を知ってるか?」

 

ぴたり、と。まな板を叩いていた包丁の音が止まる。

不審に思いアルメリアの顔を見ると、虚空を見つめたまま震えていた。

 

「……どうした?」

【しら ないです】

 

スケッチブックに記された綺麗な文字がそう伝えてくる。

その答えにタイサは、安心すると共に馬鹿らしいと思った。

あの男の血族ではないかと一瞬思ったが、そんな筈は無い。

"アザレア"に子供はいない。思わず、ほっと息が出た。

 

数分後、完成した料理がタイサの前に置かれた。

高級レストランのメニューから飛び出てきたような、凄まじい完成度のステーキ。

口に入れれば柔らかく、焼き加減が絶妙。かつてのアメリカでも食った事が無い程に美味い。

間違っても、こんな辺鄙(へんぴ)な集落で味わえて良い代物ではない。

 

「がぁぅっ?」

 

アルメリアが『おいしい?』と聞いてくる。

深々と頷くと、花が咲いたような笑顔になった。

……その笑顔も、在りし日の娘とそっくりだった。

 

「……ある、めりあ」

「がぁっ?」

 

ーーたとえ自分が腰抜けでも、この子だけは守り抜いてみせる。

……そんなのが、贖罪(しょくざい)になるはずは無いが。

きっと、それは正しい事だから。

 

 




次回から話が大きく動きます。ほのぼのは今回で終わりですかもしれません


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

32.愚かな君は、哭いていた

その日は、朝から嫌な予感がした。

 

村の人々がざわめき立ち、朝になったのにタイサが部屋から出てこない。

大気が底冷えするほどに寒々しく、腹の奥を優しくかき混ぜられるような不快感を感じる。

とにかく、空気が重たかった。

 

「ぐぉ……」

 

……タイサはいくら呼んでも出てこないし、俺も二度寝するか。

そう思い、ソファに横になって目をつむろうとした時ーー

 

「大変よタイサ……!"眷族"が来たわ!」

 

ーーこの異様な空気の『答え合わせ』は、ドアを突き破るように入ってきたカーラによって意外と速く成された。

 

 

村を支配する"眷族の男"。

このレギオンオブ・カロライナを統べるドミネーターが使わした部下。

……眷族という存在に対する俺の知識は、ボナパルトから教えられた『ドミネーターが他国に侵略する時、自国の防衛に用いる人間』という物しか無い。

だがそれの意味する所は、最低でも侵攻してきた他国のドミネーターを迎え撃てるぐらいに強いという事だ。

 

カーラが言うに"クソヤロウ"らしいが、無闇に歯向かわない方が身のためだろう。

前ならともかく、今の俺がそんな奴に勝てるとは思えない。

 

「……あいつが、来たのか」

 

この日四本目の煙草を()かしながら、タイサがそう呟いた。

顔をしかめてどこか遠くを見るような目をしている。

……タイサは、"眷族"に娘を拐われたんだよな。

絶対に会いたくない相手だろう。

 

「……アルメリアちゃん。私たちはあいつの対応をしてくるから、あなたは()()()()()()()()()()

 

僅かに血走った目で、カーラは俺に言った。

まぁ俺だけ明らかに人種違うし、変に目を付けられても面倒だろう。

静かにしてるのが正解だ。

 

「わかった?」

「ぐぉっ」

 

心配そうに出ていく二人を見送ってから、俺は部屋の隅で体育座りした。

そして天井を見上げてぼーっとする。

 

「ぐぉ……」

 

……しかし、何十分待ってもタイサは帰ってこない。

『最悪のケース』を想定して、額に嫌な汗が浮かんでくる。

その思考を掻き消そうとするが、どんどん不安は大きくなっていく。

 

ーー"眷族"に殺されたんじゃ。

 

「っ……!」

 

居ても立ってもいられなかった。

ドアをほんの少しだけ開き、"眷族"とやらを見付けようとする。

……居た。意外と若い。

色素の薄い金髪の、キザな優男だ。

腰には青く煌めく短剣が携えられており、それが冷たい輝きを放っている。

その近くにタイサもいた。

 

ーー良かった、良かった!

安心し過ぎて、思わずへたりこみそうになる。

それを抑えてドアを閉めようとしーー

 

「あぁ……変な匂いがすると思ったら道理で」

 

ーー"眷族"と目が合った。

 

「おいっ……!? アルメリア!?」

「コシヌケくぅん……? こんなお宝隠しちゃってさァ……何のつもり?」

 

突風が吹いたと思った次の瞬間、"眷族"はニタニタとキザったらしい笑みを浮かべて俺の前に立っていた。

ーー目で追えない。()()()()()速すぎる。

 

「ほぉ……! 良いねェ……」

 

唖然とする俺の顎を指でクイっと持ち上げ、"眷族"が顔を覗き込んでくる。

ヤツの長い金の睫毛に縁取られた目が、品定めするように見てきた。

……だがその行程で、俺も一つ分かった。

 

ーーこいつは、弱い。

単体の『天使』はおろか平常時のボナパルトよりも遥かに。

怖くない、を通り越して哀れみさえ感じる。

 

「おい! アルメ……そいつから手を離せ!」

 

十秒ほど、視線が交差していただろうか。

震えた声でタイサが叫んだ。

"眷族"は俺に微笑んだ後、タイサヘと振り返る。

 

「今回の『貢ぎ物』はこの子にするよ。なんで東洋系の人種がここに居るのか知らないけど……そんなのどうでも良いぐらいに気に入った!顔の造形が素晴らしいし、何よりこの"目"が良い!」

「ーーーっ!」

 

タイサに視線を向けたまま、"眷族"は右手を俺の胸元へ入り込ませようとしてきた。

寒気を感じて振り払うと、恍惚したような表情になる。

 

「がァ……!」

「あぁァあァあァァ!ッッ! 教育のしがいがありそうだ! お兄さん今から(たぎ)ってきちゃったよ!? ファハハハァッ!」

 

顔に手を当て天を仰ぎ、"眷族"は高笑いした。

寒々とした村に、延々と男の喜声が響き渡る。

そして数秒後、笑い終えた"眷族"が悪意に満ちた声で言う。

 

「君の『アルメリア』は簡単に壊れちゃってつまんなかったんだよねぇ……?」

 

ーータイサの顔色が変わった。

目が見開かれ、拳は固く握られ、怒りのあまり顔が赤くなっている。

しかし……足は震えたまま、動いていなかった。

……その時俺はーーこの大陸に来てから初めて自分が怒っている事に気が付く。

 

「っ、お、前……っ!」

「ハハハ! 怒ってる怒ってる! でも挑めない! 情けないねぇ!? オレの事が怖いんだろぉ! 娘を無惨に犯されても! キミは結局自分の身がかわいいんだよ! それにーー」

「……がぁ」

「ん? ごめんね。お兄さん今は惨めなオッサンをいじめるのに忙しいんだぁ……」

 

眷族の腕を掴む。やつは振り向いた。

……息を吸い込んで心の"スイッチ"を入れる。

『アルメリア』から、『ノンシェイプ・ナイト』へと。

ドミネーターに威嚇するつもりで、ドスの効いた声で脅す。

 

「ガァ"ァ"ァ"……!」

 

ーー雑魚が。図に乗るなよ。

 

「ぁ、あ……っ?」

 

弱者であろう俺から放たれた『ノンシェイプナイト』の殺気に、"眷族"はたじろぎ後ずさった。

その開いた距離を詰め、再度睨み付ける。

 

「ガァ"ァ"ァ"ッ"……!」

「は、ははは……っ。活きが良すぎるのもっ、困り物、だね」

 

その後、『明日迎えにくるから逃げないようにしておけ』と命令してそそくさと"眷族"は村から立ち去った。

……やっぱり、あいつは弱い。

『天使』にも『黒龍』にも『ボナパルト』にも……そして『最果ての魔王』にも、こんな見かけ倒しの威嚇は通用しなかった。

でかいのは、口先だけ。

そんな雑魚にタイサを……俺を愛してくれた人を馬鹿にされたのが悔しかった。

 

「……アル、メリア」

 

細々しい、消え入りそうな声でタイサに名前を呼ばれた。

心配してくれたのか、俺がそう思って声の方へ向くが、"違った"。

 

「ごめん、アルメ、リア、俺が、あの日っ……なんで……ぇ、動けなかった……!? ごめん、ごめんごめん……アルメリア、俺のせいで、お前は……! 腰抜けが……クソ! 何が大佐だ……!? 娘一人守り通せなくて、なにが……っ!」

 

その懺悔は、俺ではなく『アルメリア』に対してのものだった。

厳めしい顔を涙に濡らし、何度も地面に叩きつけた拳から赤い血が溢れている。

……それを、見て、俺は

 

「ぐ、ぉ」

 

『こんなに心配してもらえる"本物のアルメリア"が羨ましい』なんて考えてしまう愚かな自分を、心から蔑んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

33.目覚めの獅子

「……ぐぉー?(……タイサー?)」

 

すっかり引き籠ってしまったタイサに夕飯を渡すため、部屋の扉をノックする。

……数秒待つも返事がない。ドアノブに手を掛けると、鍵がかかっていなくてあっさり開いた。

 

「ぐぉ……」

 

僅かに開いた扉の隙間から、火薬やら鉄やらが混じった香りが吹き出してきた。

……タイサの匂いだ。明日以降、二度と嗅ぐ事は無いだろう。

 

「がぅっ」【ご飯持ってきました】

 

タイサは、部屋の隅で何か作業をしていた。

ドアが開いた事でようやく俺に気が付いたのか、驚いた顔で振り向く。

目元に深い隈が出来ていて、寝不足なのだろうと思った。

 

「……アルメリア」

 

俺はベッドに腰掛け、作業机の上に晩飯の乗った盆を置いた。

タイサは、俺の顔を見ないまま言葉を続ける。

 

「俺が、憎いだろ……」

「がぁっ……?」

「お前のこと、家族だって……守ってやるって誓ったのに、アイツの前じゃ足が震えて動けなかった……!」

 

拳を握り締め、俯いた頭を震えさせながらタイサが言った。

……いや、そもそも眷族にバレたのだって俺のせいみたいなもんだし。恨むも何も無いだろ。

 

【憎くないです】

「っ……、お前、賢いんだから自分がどうなるか分かるだろ!? あのクソヤロウに……!」

 

多分、『アルメリア』と同じような事をされるんだろう。

でも不思議と怖くはなかった。『最果ての魔王』の闘気を見た後じゃあんなのミジンコみたいなものだ。

それに、前に村人に殴られた時みたいな『純粋な殺意』でも無い。

感じるのはジメジメした嫌らしい情欲だけだ。不快なだけで、怖くはない。

 

「……俺に、何か言ってやりたい事とか無いのか? 『腰抜け』、とか……っくずやろー、とか……!」

 

言いたい事……そうだな。多分これで最後になるんだから、一回ぐらい気持ちを伝えておくか。

俺はスケッチブックを取りだし、そこにペンを走らせた。

……アセビの母の姿を思い出しながら、一文字ずつ丁寧に紡いでいくーー

 

「おれは、娘を踏みにじられても動けない腰抜けのチキン野郎で……!」

 

泣きそうな顔のタイサに、俺は笑顔で純粋な気持ちを伝えた。

 

【愛してます】

「……は?」

 

まるで信じられない物を見るような目で、タイサはその一文に何度も目を()わせる、

……この、感情を。これ意外の言葉で表す語彙を俺は持ち合わせていなかった。

願わくば、ずっと一緒に居たい。

初めて俺を『人として』愛してくれた。

アセビや山吹も、俺を『ドミネーター』としか呼ばなかった。

……でも、タイサは。娘の代わりとは言え名前を与えてくれたんだ。

 

「ぉ、俺、はお前を、ーー!」

【俺がここから居なくなっても、健康に気を付けて】

 

ーータイサが、『もうやめてくれ』と目で訴えてくる。

でも、最後なんだ。これだけは言わなきゃいけない。

 

【しあわせに、暮らしてください】

「……ちがう」

 

ボロボロと、タイサの頬に(しずく)が伝い出す。

 

「ーーちがう……っ! ちがうんだよ……! 俺は! お前を! 救えなかった自分の娘と重ねて! 罪を(あがな)ったつもりになってただけのゴミなんだよ!」

 

涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、叫んだ。

 

「お前につけた『アルメリア』って名前だって! 娘と重ねやすくするためだ! 俺がお前と家族になろうとしたのは……っ! 俺自身を救うためなんだよっ……!」

 

その姿は、自らを傷付ける事で許されようとしている咎人(とがびと)のように見えた。

 

【知ってます】

 

懐から古びたアルメリアの写真を取りだし、タイサに見せる。

 

「なん、で……」

【誰かの代わりでも、寂しさを慰めるだけの玩具でも良かったです】

 

スケッチブックの紙に、水滴が落ちた。もしかしたら俺も泣いてるのかもしれない。

 

【あなたの事が大好きだから】

「ぁ、ぅ、ぐ、……っ!」

 

咽び泣くタイサの背中を優しくさすり続ける。

やがて咽びが寝息になった頃ーー俺は、部屋から出た。

外は明るくなり始め、眷族の指定した時刻も近い。

 

【タイサと出合えて、幸せだった】

 

……決別(さよなら)の、書き置きを残して。

俺は、肌寒い外へ踏み出した。

 

 

淀んだ空気が吹いている。

曇り空からごろごろと雷が鳴り響き、もうじき大雨になるだろう。

周囲では多くの村人が遠巻きに俺を見ている。

……その中に、タイサの姿は無かった。

 

「おお、居た居た」

 

そんな悪天候の中、ヤツは悠然と姿を表した。

白のタキシードに身を包み、ニタニタ笑いで赤い薔薇の花束を抱えている。

ーー結婚式、気取りか。

気持ち悪さに反吐が出そうになる

 

「んー、やっぱり良いねぇ……腕が折れちゃってるのは残念だけど」

 

うっとりした顔で俺の目を覗き込みながら眷族は言った。

そのまま口づけしようとする眷族を睨み付ける。

するとやつは、加虐心に満ちた笑顔で俺の腕を握りつぶした。

 

「ぐ、がぁァッ!?」

「ははは……イイ顔で哭くなぁ……!」

 

ーー神経を直接抉られる感覚。

人外の握力で、折れた骨を圧迫される。

鋭い激痛に思わず涙が滲んだ。

 

「が、グ、ぅ……ッ!」

「じゃあ、行こっか」

 

腕を掴まれたまま、俺は半ば引きずられるように眷族に着いていく。

痛みに滲んだ視界。まともに前が見えない中少し歩いた頃に、眷族の足がピタッと止まった。

……なんだ?

 

「おぉ! コシヌケ君! 君も祝ってくれるのぉ?」

 

ーーそこには、眷族の道を塞ぐようにして立っているタイサの姿があった。

いつもの服装ではなく、胸に徽章(きしょう)のような物が付いた迷彩柄の軍服の姿。

軽く笑いながら、まっすぐに眷族を見つめている。

 

「いいや? お前もアルメリアも、この村から出させるつもりは無い」

「はぁ?」

 

よく見えないが、タイサの両手には亀の甲羅のような何かが握られていた。

眷族はそれに気付かない様子で、俺の手を離してタイサヘと歩み寄っていく。

 

「コシヌケくん、お前さぁ……娘を見捨ててまで拾った命をわざわざ捨てに来たの?」

「はっはっは……俺は死なないし、もう大切な人を見殺しにする事は出来ない。そしてもう一つ、言わせて貰おう」

 

タイサの手に持たれていた"ナニカ"からピンのような物が抜けた。

俺は咄嗟にそれが何かを察し、出来るだけ距離をとる。

あれはーー

 

「俺の名は……! アメリカ陸軍大佐っ! ダンデ・レオンハートだぁぁぁっ!!!」

 

ーー二つの手榴弾(グレネード)が、眷族を巻き込んで大爆発を起こした。

砂埃が巻き上がり、凄まじい熱風が俺を襲う。

十メートル以上距離があってこれだ。爆心地の衝撃は計り知れない。

 

「ァ"ぁ"あ ぁァッ!?」

「畳み掛ける……!」

 

爆発の後、若い男の悲鳴と幾度かの銃声が響いた。

ーーどういう、事だ。

なんでタイサが。

ただの人間が勝てるわけ無いのに。

……俺は、ただの"代替品"なのに。

 

「逃げるわよアルメリアちゃん!」

「がぅっ!?」

 

後ろから走ってきたカーラに抱き起こされる。

そして、混乱したまま村の外へ向かった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

34.獅子奮迅

ーー踏み出す。あの日動かせなかった足を。

 

「はぁぁぁ……!」

 

ーー睨み返す。あの日逸らしてしまった眷族の瞳を。

 

「ぁ"あぁ"あ"ァっ!? なん、でぇ……? このレギオンにそんなモンがぁ……ッ!」

 

爆風の先に揺らめく男の影へ、ありったけの弾丸をブチ込む。

……そしてーー

 

「俺は、もう逃げない……」

 

ーー絶対に、取り戻す。こんな自分を慈しんでくれた、あの少女を。

全弾打ち込んでもまだ動き続ける眷族を確認し、タイサは舌打ちした。

 

「……これで死んでくれりゃ、苦労しないか」

 

弾切れになった銃を捨て、右手に三つ目のグレネード。そして利き手の左には現役時代に特注した軍用ナイフ(コンバット)を握り締めた。

中東の名工によって仕上げられた銀の刃は、かつてと変わらぬ煌めきを放っている。

 

「雑魚がぁ……ころす……! コろッす!」

「……っ」

 

砂煙の向こう側から恐ろしい速度で突進してきた眷族の首筋へカウンター気味に刃を当てがい、切りつけた。

だがーー通せたのは、薄皮一枚。

生物の皮膚の感触ではなかった。鉱石の層へ斬り込んだかの如き硬質さ。

 

「痛ぇな……! クソクソクソがぁっ! 死ねよ!」

「ハッ、随分と、遅いな……?」

 

目で追うのがやっとの拳を紙一重で回避しながら挑発し、攻撃から理性を削ぎ落としていく。

その結果、振り下ろされる拳の軌道はタイサの狙い通りに単調となっていった。

 

「どうした? ドミネーター様に選ばれし"眷族"とやらは腰抜けのおっさん一人殺せないのかぁ!?」

「雑魚の人間風情がぁ……! あの方を馬鹿にすんなぁぁぁッ!」

 

ーー勝てる。タイサはそう確信した。

猛獣を遥かに越えるであろう膂力(りょりょく)だが、動きはズブの素人。

それに、眷族の体は先程の手榴弾によってかなり損傷している。

右目は潰れ、片腕は歪な方向へと捻じ曲がり。

致命傷とは言えないまでも、重症だった。

 

隙を見てもう一度手榴弾(グレネード)を食らわせてやる。

そう作戦を立て、機会を伺う。

 

……だがーー

 

「ラぁ"ぁ"アッ!」

「なっ……!?」

 

ーーこいつは"ドミネーターの"眷族。

その由縁を、タイサは理解していなかった。

 

「っ……!?」

 

突如、()()()()()()()()()()()

咄嗟に回避したが、熱気に身を焼かれ顔をしかめる。

その紅炎は眷族を中心に紅蓮の螺旋を描き、天を()かんばかりにうねった。

その様はまるで烈火の竜巻が如く。

ーー化け物染みた筋力や驚異的な防御力とは違う。さながら"魔法"とでも形容されるような、あからさまな超常の力。

 

「はぁ……ダサいなぁ今日のオレ。ムカつくから村ごと焼き払うか」

 

獄炎の中心で前髪をかき上げ、うんざりしたように眷族は言う。

後ろを確認するーーカーラに頼んで逃がしたはずのアルメリアは、村を囲む烈火の防壁にせいでまだ近くにいた。

ーーまずい、このままでは全員焼け死ぬ。

状況を打開するため、タイサは眷族へ狙いを澄ませて手榴弾を投擲した。

 

「来るって分かってりゃそんなの食らわねェっての」

 

が、眷族の前に移動してきた蓮獄の竜巻に呑まれて手榴弾は焼失する。

マグマのようにポコポコと泡立つ巨大な炎の螺旋は、手榴弾を食らい尽くした後、蛇に似たとぐろを巻きながら地面を這いずってタイサへと近付いていく。

 

その全長は、十メートル以上か。

のたうつマグマの蛇は歪な咆哮を上げながら村を焦土に(かえ)していく。

 

「は、はは……聞いてないぞ、こんなの……!?」

 

迫りくる炎蛇(えんだ)に背を向け、タイサは走り出した。

その目線の先に居るのは頭の上で腕を組む眷族。

ーー接近戦(インファイト)に持ち込む

戦闘の規模を狭め、周囲への被害を抑えるための苦肉の策であった。

 

「フゥゥゥ……!」

 

移動方向へフェイントを掛けて炎蛇を躱しながら、懐から取り出した幾本かのナイフを投擲する。

しかし眷族はそれを防ごうともせず、皮膚に弾かれた。

 

「そんなのじゃオレの肌さえ貫けねぇよ!」

「……ふっ」

 

やはりーー反応しようと思えば出来るだろうにそれをしない。

力の差を歴然とさせるためか。痛くも痒くも無い攻撃は防がないつもりなのだろう。

 

ならば、そこに付け入る。

胸ポケットの中から四本目のナイフを取り出した。

その柄には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

それを、何本かのナイフに混ぜて投げた。

 

一投目ーー命中、弾かれる。

二投目ーー命中、弾かれる。

そして、三投目ーー

 

「グがァぁァァッ!?!?」

 

ーー頭部にぶつかったナイフが、爆発を伴って眷族を吹き飛ばした。

制御を失った炎蛇が苦しむように悶え、一瞬だけ動きが止まる。

 

「ぉおぉおお!」

 

その一瞬こそーータイサに訪れた、唯一の勝機。

狙いは『目』。皮膚でなく粘膜ならば、ただのナイフでも貫けるはずだ。

全力で走り、距離を詰める。そして繰り出すのはコンバットによる刺突。

助走の付いたそれは、人の振るう刃物が出しうる最高火力ーー

 

「ふーっ……ふーっ……! マジで、危ねェ、なぁ……!」

 

ーーその『最高火力』とやらは、眷族の右手に持たれた蒼き短剣により防がれていた。

先程の爆発によって瞑れた目を片手で抑えながら、憎しみの籠った目でタイサを見下している。

見つかりにくくするため、爆弾を小型化したのが災いしたのだろう。想定よりもダメージか小さい。

 

「っ……」

 

数秒の鍔迫(つばぜ)り合いの末、力負けしたタイサは体勢を崩す。

立て直すのにかかる時間はコンマ一秒程度。しかしこの怪物との接近状態においては、絶死の隙となる。

眷族から放たれた粗雑な前蹴りがタイサの腹を抉った。

 

「ご、ぼっ」

 

蹴り飛ばされ体をくの字に折り曲げながら、タイサはゴム(まり)のように地面を跳ねる。

ーーあらゆる内臓が、()ぜながら腹を暴れ狂う感覚。

……足の筋力は、腕の三倍。

それは人体の常識であるが、眷族が人型な以上ある程度適応されるようであった。

そして、以前の腕による攻撃でさえ瀕死は免れなかったのだ。

……ゆえに。

 

「ぁ……」

 

ーー蹴りをまともに食らったタイサに訪れたのは、当たり前な『死』。

世界が白み、思考が遠退き、不思議な寒気に体が包まれる。

典型的な、死にゆく者の感覚だった。

 

「手こずらせ、やがってっ!」

 

悶えながら地に伏せるタイサを眷族が足蹴にする。

何度も、執拗に、すり潰すが如く。

全身の骨がガラガラに崩れるような音が村に響き渡った。




ありがたい事にポイントが5000行ったので、記念になんかやりたいと思います。(無計画マン)
リクエストとかありますかね?今の所ドミネーター図鑑とか考えてるんですが……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

35.開放、九番目の制圧者

「う、ぁ……」

 

『それ』を目にした瞬間、俺は世界から急速に(いろ)

が失われていくのを感じた。

 

『それ』は初めて自分を愛してくれた人だったモノで。

『それ』は今や血みどろの肉塊と化していて。

『それ』は男に踏み潰され、どんどんと元の形を喪っていって。

 

「ぁ、あ、ぁぁ、あ……!」

「アルメリアちゃん! 行っちゃ駄目!」

 

絡み付いてきた誰かの腕を振り払い、走り出す。

走って、走ってーー今もタイサを蹴り続けている眷族に、思い切り拳を叩き込んだ。

激痛が走るのと同時に、手から骨の砕ける音が聞こえる。

 

「ぅ、ぁぁああぁぁぁあぁああああ!」

「おぉ、良いところに来たぁ……」

 

眷族の手が俺の頭を掴み、持ち上げる。

そして無理矢理タイサの前に持ってきた。

近くで見ると、まだタイサは息がある様だった。血に濡れた虚ろな瞳が、俺を写している。

良かっーー

 

「はいドーン!」

「が」

 

ーー安心した途端、全身に馬鹿げた衝撃が走った。

思い切り地面に叩き付けられたのだろう、肺胞から空気が吐き出され、体の芯がへし折れたような激痛を感じた。

 

「があ、ぅ、っ」

 

下半身の感覚が、消えた。

脊髄が壊れてしまったのかーーしかし、そんなのはどうでもよかった。

俺は両手で這いずって、タイサの方に寄ろうとする。

 

「アル、メリ、ア……」

「がぅ……」

 

タイサが、震える手を伸ばしてくる。俺は、それを取ろうとーー

 

「残念でしたァ……?」

 

ーー踏み潰された。

タイサの顔が苦悶に満たされ、その手はぐちゃぐちゃに折れ曲がる。

頭が、真っ白になるのが分かった。

 

「ぅ、ぁ」

 

グリグリと、擂り潰すように眷族の足が動く。

 

「ほらぁ! 昨日みたく睨み返してみろよぉ! そしたらこの腰抜けを殺しちゃうけどねぇ!? ファハハハァッ!」

 

ーー足りない頭で、考える。

どうしたらタイサは助かる?

戦闘なんて勝てっこない。ならーー

 

「ぁ、け、、んぞ、く、さま」

 

ーー上手く動いてくれない舌で、(つたな)い言葉を紡ぐ。

……やはり、字が書けない縛りが消えた時点で察してはいたが。

今の俺は、多少無理すれば話すことが出来る。

涙に濡れた視界の先にある眷族の足にすがりながら、舌っ足らずの言葉を紡ぎ続ける。

 

「けんぞ、く、さま。その、ひとの、こと、ころさないでください」

 

地面に額を擦り付け、懇願する。

眷族の冷たい目が俺を見下ろしていた。

 

「おねがい、ですから」

「へぇ」

 

端正な唇が、優越感に歪む。

 

「おれの、こと。すきなだけ、ふみにじっていいですから……っ」

「ふぅん、じゃあさぁ……裸になって『あなたのモノになります!』って言ってよ。そしたら考えてあげる」

 

ニタニタ笑いながら眷族がそう言った。

その言葉で、心に希望が差し込むのを感じる。

タイサが助かるーーそれは、俺の中の全てよりも優先される事だった。

無論、命よりも。

ちっぽけな尊厳なんて、塵にさえ劣る。

 

「ま"、て……」

「なぁにぃ……?」

 

服の裾に手を掛けてめくり上げようとした時。しゃがれた声が聞こえた。それは、血塊混じりにタイサの口から吐き出されたもの。

折れた腕を制止するように上げながら、眷族を睨んでいる。

 

「そんなヤツに……お前がそれをする必要は、無い……! いつか、心から愛せる優しい人と出会えた時に、とっておけ……」

「おいおい……?」

 

よろめきながら、タイサが立ち上がった。

砕けた間接にぶら下がる右手が、不安定に揺れている。

呼吸は荒く、息を吐く度に咳と血が吹き出る。

明らかに、限界を越えていた。

このままでは本当に死んでしまう。

 

「ね、ぇ……」

 

ーーもう、やめてくれ。

俺にとっての『心から愛せる優しい人』なんて、タイサしか居ない。後にも先にも、きっとこの人しか居ない。

大切な人を傷付けられるのは死ぬより痛くて怖いのだと。たった今知った。

 

「おらぁ! ハハハ! 死ぬまでサンドバッグかぁっ?」

「ぐ、ぼっ……」

 

眷族の拳を何度も打ち込まれ、タイサは後ずさるーーが、倒れない。

……まるで、大切な物でも守っているみたいに。

倒れたままその背中をを見ていると、ペンダントにぶら下がる魔王のコアが熱を放っている気がした。

 

「お、ぉ"ぉおぉおぉ!」

「……流石にしつこいな」

 

拳を振り上げるタイサに舌打ちをして、眷族は手刀を形作る。

そして、それをタイサの心臓部に突き付けた。

 

「はい、おしまい」

 

タイサの背中を、紅蓮の渦が貫通する。

拳大もの傷口から一滴も血液が出ない程の、壮絶な熱傷。

 

「ぁ、るめ」

 

『娘』の名前を呼びかけて、それで。

大切な人は、大切な人の形をした肉塊に変わってしまった。

 

もう、うごかない、もうしゃべらない、もうなでてくれない、もうあいしてくれない、

ーーもう、わらってくれない。

 

『そういうのを死体と云うんだよ。ノンシェイプナイト』

 

ーー死んだはずの魔王の声が聞こえる。

 

「たい、さ」

 

やだ

 

「たいさ。たいさ。たいさ。たいさ。たいさ。たいさ。たいさ

たいさ。たいさ。たいさ。たいさ。たいさ。たいさ。たいさ。たいさ。たいさ。たいさ。たいさ。たいさ」

 

おいてかないで

 

『これはもうすぐ死体になる。助からない。私も似たような経験をしたから分かる』

 

うるさい。

お前はもう死んだだろ。話しかけてくるな

 

「死ね」

「あぐっ」

 

眷族の蹴りが俺の腹をえぐった。

浮遊感と共に視界と体が回転し、何かにぶつかって止まった。

 

ころす

 

ねぇ、たいさ

 

ころす

 

ころす

 

「があ」

 

体が、動いてくれない

腹から、いっぱい、赤い、赤いのがでてる

 

『……私のコアを取り込め。今の君なら出来る筈だ。さもなくばその肉体は出血過多によって新陳代謝を停止……つまり、死ぬ』

 

寒い。

 

殺してやる

 

でも勝てない

 

"アルメリア"じゃこいつを殺せない

 

「君の娘ちゃん死んじゃったよぉ!?」

 

物言わぬ(むくろ)になったタイサを眷族が雑に蹴り飛ばした。

やめろ

やめて

 

「……その、ひとを……」

「あれ、まだ生きてたの! 生き汚いねぇ……?」

 

ペンダントにくくりつけられた魔王のコアを、無理矢理口に押し込む。

噛み砕こうとした歯が砕け散る。それでも、噛み締め続ける。

 

「そのひとを、踏みにじるなぁぁぁぁっっっ!!!」

 

ーーパキンと。コアが砕けて喉を通る。

その刹那、村全体を光輝く何かが満たした。

 

『……力を貸すぞ、ノンシェイプナイト。あの馬鹿には、灸を据えてやらねばならない』

 

ーーそれは、規格外の(いかづち)

地面をのたくっていたマグマの蛇を全て散らし、幾つものクレーターを作り上げる。

折れていた右腕がギチギチと金属音を立てながら再生し、ノンシェイプナイトのものとなった。

 

「ふぅぅぅっ……」

 

大切な人は、もう居ない。

……なら、俺はーー

 

「ガァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ッ"ッ"ッ"!」

 

名も無き怪物(ノンシェイプ・ナイト)で、いい。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

36.ごめんなさい、愛しき人よ

砕けてぐちゃぐちゃになっていた背骨があっと言う間に再生し、立ち上がれるようになる。

呆気に取られる眷族を、殺意を込めた目で睨んだ。

ーーお前を殺す、無様に、泣き喚いても止めてやらない。そう伝えてやった。

 

「なに……その腕」

 

蛇に射竦(いすく)められた蛙の如く、眷族の頬を汗が伝う。

ーー四肢をもぎ取って、首を捻切って、地面に真っ赤な脳漿(のうしょう)ブチ撒けさせて……そうだな。生きたまま足から喰ってやるのも良い。

想像するだけで口が勝手に弧を描く。怒りに染まった思考もそれを後押ししている。

俺は昂る感情に任せて、騎士腕から雷を放った。

 

「ぇ」

 

ーー反応する間も無く、眷族は雷速の熱光に身を焼かれた。

回避は不可能、ドミネーターでもない存在が雷に対応できるわけがない。

ちゃんと殺さないように威力を調整してある。楽には逝かせてはやらないと決めている。

……タイサを。俺なんかを愛してくれた優しい人を踏みにじった事を心の底から後悔させてやる。

その肉体と魂が擦り切れるまで、今度は俺がこいつを玩弄(がんろう)してやろう。

 

「が、ギァやァぁァァぁァッ!? んだっ!? なんなんァだ! おむぁえ!?」

 

雷を浴び表皮が黒焦げた眷族は、眼球が破裂したのか右目を抑えながら叫んだ。

左目は……残ってるな。良かった。目の見えない状態じゃ苦しみが半減されてしまう。

自分の体がミンチになって蹂躙(じゅうりん)される様を網膜に焼き付けて貰わなければ。

俺はゆっくりと間合いを詰め、騎士の右腕を眷族の顔面へと伸ばす。

 

「くっ、来るなぁ! ぶち殺してやるぞぉ!」

 

タイサのナイフを易々と防いでいた蒼い短剣が、俺へと振り下ろされた。

ーーだが遅い。欠伸が出そうだ。

眼前まで迫った刃を二本指で挟み取り、軽くへし折った。砕けた刀身が回転しながら地に突き刺さる。

よくも、こんななまくらで俺を殺れると思ったものだ。

 

「どう、なってんだよ……!? あの方から賜った宝剣だぞ……嘘だ……悪い夢か何かだ……!」

 

手元に残ったほぼ柄だけの剣を見ながら、眷族はなにやら現実逃避するようにぼそぼそ呟いている。

俺は自分の嗜虐心が少しだけ満たされるのを感じた。

もっと苦しませてやりたいと云う欲求が、胸下の辺りからせり上がってくる。

 

「……ガァ」

「ひぃっ!?」

 

騎士腕で眷族の鎖骨辺りを掴み、力を込める。すると飴細工のようにあっさりと砕け散った。

その辺りに肩を動かす骨でも入っていたのか、奴の右腕が力を失ってだらりと垂れ下がる。

 

「あはは」

 

ーー愉快だ。

俺は、自分がこいつをいたぶる事に快感を覚えている事に気が付いた。

……それが醜悪なものだと分かりながらも。

その欲求に抗う事は難しかった。

 

「痛いィたぃ、いたぃいだい!」

 

半狂乱で、顔を様々な液体に濡らしながら眷族は泣き叫ぶ。

それを無視しながら、俺は動かなくなったタイサの手からそっとナイフを受け取った。

それを眷族の手の甲へ思い切り突き立てる。

綺麗な銀の刃が汚い赤に濡れて不快に感じた。

 

「うぼォぁァぁぁあッ!?」

 

ぐさ、ぐさ、ぐさ、ぐさ、ぐさ、ぐさ、ぐさ、ぐさ

馬乗りになって、タイサ代わりにナイフで眷族をめった刺しにする。

致命傷になりうる場所を避け、その体を穴ぼこにしていく。

 

「こ、こ、ころさ、ない、で……」

 

刺傷が二桁を越えた辺りで、眷族は消え入るように懇願してきた。

ーーああ分かってる。()()()()()()()

まだ腕が残ってる。まだ足が残ってるーーまだ、遊べる。

 

『……その辺にしておけ』

 

俺が次の部位へ移ろうとした時、最果ての魔王の声が聞こえた。

それと同時にピタリと腕が動かなくなる。

……何の、つもりだ。そもそも何故お前が俺の頭に居着いてる。

 

『……周りを見てみると良い』

 

その言葉に、俺は顔を上げて周囲を見回した。

村人達が恐ろしい怪物を見るような目で俺を見ている。

 

「ぐぉ……」

「ひっ」

 

カーラと目が合ったが、悲鳴を上げられた。

ふと眷族に突き刺さったままのナイフを見ると、そこに反射したのは『俺』。

タイサが愛してくれた『アルメリア』じゃないーー化けの皮が剥がれた怪物。

真っ赤な血に濡れながら笑う、少女のカタチをしたノンシェイプナイトの姿だった。

 

「ぁ、あ」

『人型の生物を(ほふ)る事に愉悦を覚えるのは、人ならざる者の特権だ。……タイサと言ったか。あの男が守ろうとした貴様がそこの眷族(クズ)と同類になったら、あまりにも浮かばれない』

 

口が異様に乾燥して、喉からこひゅっと空気が漏れる。

まるで、必死に隠していた汚点が見つかってしまったような気分だった。

 

「ぁ、ぅ、ち、ちがっ、おれ、は、ただ……」

『何が違う? 貴様は確かに、殺戮に酔っていた』

 

ちがう。

違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違うこれはせいとうな暴りょくで制裁だ。おれはタイサを助けてあげたかっただけで、そう、思ってーー

 

「がぅ」

 

思って

 

おもっ、て

 

「あ、ぁ」

 

ーー手から、ナイフを、離せない。

ドミネーターの本能がまだ殺したがってる。

俺の中のノンシェイプナイトが言う事を聞いてくれない。

こいつを、きずつけて、すりつぶして、ぬぢゃぬぢゃにしてやりたい。

 

『……見てられないな』

 

魔王の声と共に騎士腕の感覚が完全に消えた。制御を奪われたのだと分かる。

それに焦ったが、腕は予想外の動きをした。

 

『最果ての魔王の名を以て命ず』

 

俺の腕から、青い光の筋が眷族へと延びていく。

これは……あの時のーー

 

『"意識を残したまま、絶命するまで自壊せよ"』

「がぐっ!?」

 

ーー青い線に侵食された眷族の拳が、風切り音を上げながら自分の頬を殴った。

襲い来る自らの殴打に顔面を変形させられながら眷族は泣き叫ぶ。乾いた打撃音が寒々とした村に響き渡った。

……これは、最果ての魔王の能力か。

じわじわと死にゆく眷族を無感情に見詰めながら、俺はそう分析した。

 

「……たいさ」

 

地に伏せたタイサへ目を移す。

当然、俺の声には応えてくれない。

 

「……ねぇ、たいさ」

 

すっかり冷たくなってしまったその頬をそっと撫でた。

心の底から、強い悲しみと愛しさがごちゃ混ぜになった感情が溢れ出てきて泣きそうになる。

 

「ごめん、ねぇ……!」

 

ーー守ってあげられなくてごめんなさい。

ーー本当の娘(アルメリア)になってあげられなくてごめんなさい。

ーーあなたの決意を踏みにじってごめんなさい。

 

「ーー化け物で、ごめんなさい……!」

 

舌ったらずの懺悔の後、タイサに浅く口づけをしてから立ち上がる。

歩き出せば村人達が俺を避けて道が出来た。

恐怖に濡れた視線の群れに、もうここには居られないのだと再確認する。

 

「がぅ」

 

愛しい人はもう居ない。

……だから、俺には。もう義務しか残ってない。

ドミネーターとしての。ノンシェイプナイトとしての責務を果たす事しか出来ない。

 

『日本に、戻るのか』

「……ぁあ」

 

後を追って自殺など出来る筈は無い。それこそあの人の決意と死を汚す愚行なのだから。

ーー日本に帰って、あの騎士をぶちのめす。

それが、俺に残された唯一の存在意義だ。

 

「がぁ……」

 

村の門をくぐって深呼吸をする。

タイサの匂いがしない空気を、息苦しく感じた。

だが歩き出す。空っぽで空虚な、(かお)の無い自分を正当化するためにだけに。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間:日本

前のアンケートで多かった現在の日本編です。



「……汚い、街だねぇ……」

 

高層建築物のひしめく新宿、その中でも一際巨大なタワーマンションの屋上で、一人の騎士が両切り煙草を吸いながらその街並みを俯瞰(ふかん)していた。

ノンシェイプナイトをアメリカへ飛ばした張本人ーーアザレアは、つまらなそうな顔で短くなった煙草を握り潰す。

 

「よっ……と」

 

アザレアは立ち上がり、気だるげにパチンと指を鳴らす。

すると先程まで騎士の物だった外見が、コートを纏った赤目の青年に塗り代わった。

チラリと窓ガラスを見て変形が上手くいった事を確認してから屋上の出口に向けて歩き出した。

 

「……おい」

「おぉ、山吹」

 

その時、ドアが勢い良く開いて山吹 大河が顔を出した。

後ろには緊迫した様子の機動部隊が控えており、アザレアとの『交渉役』として来た山吹も苦々しげな表情を浮かべている。

 

「なぜ、脱走した」

「外の空気を吸いたかったから」

「駐屯地の敷地内で充分だろう……!」

「いやほら、ボクって高い場所好きじゃん」

 

どこまでも身勝手な言動に、山吹はあからさまな怒りを露にする。

こいつがーー自称アザレアが民間人に被害を及ぼさない保証はどこにも無い。だからこうしてご大層な特殊部隊まで連れてここまで来た。

ドミネーターであるこいつに対して武力行使以上に無駄な事は存在しないが、それ以外の手段を彼らは持ち合わせていない。

だが不幸中の幸いと言える事があるとすれば自称アザレアは意外と聞き分けが良い事だった。こうして連れ戻しに来れば、大体の場合は溜め息を吐きながら従う。

 

「ったく……このぐらい良いじゃんか。ボクに人権は無いんですかーっ」

 

口を尖らせ、幼い子供のようにアザレアは文句を言う。

そして山吹の方を向いて口を開いた。

「……あのガラクタを殺したの、まだ怒ってるの?」

「……っ」

 

ーー山吹の目に宿った感情が、敵意から剥き出しの殺意へと切り替わった。

ガラクタ、その単語が何を指すのかは分かりきっている。ノンシェイプナイトだ。

山吹にとって命の恩人、そして向こうがどう思っていたかは不明だがーー友人。

人臭く、しかしどこか不思議な儚さを持っていた優しい騎士。

……自分達が、名前すら与えてやれなかった存在。

 

「あのねぇ……ボクもあいつも『アザレア』だ。始めから、死ぬも生きるも無いんだよ」

「それは、どういう……」

「ハハハ! 教えてあげなーい!」

 

山吹に背を向け、アザレアは歩き出す。

 

「……なら、もう一つだけ聞かせてくれ」

「ん、なんだい?」

 

細々とした山吹の声を聞き、足を止めた。

 

「……なんであいつに、ノンシェイプナイトにあんな事をした。お前の目的が日本とアセビの防衛なら、協力すれば良かったんじゃないのか?」

 

その質問に、アザレアの表情から笑みが消える。口を憎々し気に歪めて拳を握り締めている。

明らかに殺気立っていたーー機動部隊が前に出てアザレアに照準を合わせる。

 

「……山吹。もし君が、一人の男を殺すためだけに造られた存在だったとしよう」

「ひっ……!」

 

機動部隊の一人に詰め寄ったアザレアが、突き付けられたライフルの銃身を掴みながら山吹へ語りかける。機動隊員は悲鳴を上げた。

冷たい声だった。その場に居た全員が、死神の鎌を首にかけられているかのような感覚に囚われた。

 

「だけど、その男が既に他の奴によって殺されてしまっていたとしよう」

 

掴まれた銃身が、ミシミシと音を立てながら五指の形へと歪んでいく。

 

「その相手を、許せるわけが無い。自分の存在意義を、そして生まれた理由を奪われたんだから」

 

言い終えた後、奪い取ったライフルを厚紙のごとくグシャグシャに丸めて地面に捨てる。

それで溜飲が下がったのか場を支配していたプレッシャーはなりを潜めた。

山吹と機動隊員たちは、呼吸が楽になるのを感じた。

 

「じゃあ皆、お勤めご苦労さま。ボクはちょっと散歩してからちゃんと檻に戻るから安心すると良いさ」

 

ヒラヒラと手を振りながら、アザレアはビルから飛び降りた。

……だが、それを追うことは出来なかった。

ーー足が、動かない。

山吹を除く全員が、奴の放った殺気にすっかりやられてしまっていた。

 

「……ああ、クソ」

 

煙草の吸い殻を拾い、山吹が悪態をつく。

空を見上げれば、彼の心境と反して澄んだ空に満天の星々が煌めいていた。

 

 

「ほらほらぁ! そんなの当たんないよぉ!」

「くっ……!」

 

次の日、アザレアの希望によって人間形態の彼と自衛隊員たちとの組み手が行われていた。無論アザレアからは攻撃しないルール付きで。

だが、それでも彼らの攻撃は一度たりとも掠りさえしない。

当たり前と言えば当たり前、ノンシェイプナイトを体術で葬った相手に人間が対抗できる筈が無かった。

 

「山吹も随分と鈍ったんじゃない? 昔はもっと強かったって記録してるけどなぁ……まぁ他の奴らはもっと酷いけど。こんなんじゃドミネーターどころか眷族にさえ掠り傷一つ負わせられないよね」

「はぁ、はぁ……黙れ……!」

 

よろよろと立ち上がって拳を振りかぶるが、背後に回り込まれてかわされた。

足を掛けられ、床に叩き付けられる。

 

「はー、今日はこのぐらいにしとこうか。まぁまぁ良い運動になったよ。あ、スポドリ要る?」

 

汗一つどころか呼吸の乱れさえ無いアザレアを睨みながら、山吹は差し出されたペットボトルを乱暴に奪い取って喉に流し込む。

座り込む山吹の横に、アザレアはゆっくり腰を降ろした。

 

「……学生時代、ボクと君はこうやって一緒に運動したらしいねえ……」

「……『らしい』? お前はアザレアなんじゃないのか」

「あ、しまった。今のはオフレコで頼むよー」

 

へらへらしながら言ったアザレアを(いぶか)しげな目で見る。

……昨日の時とは違い、心から楽しそうに笑っていた。

 

「……あのさ、山吹。もしもボクがーー」

 

ふとしたように、アザレアが何かを言おうとした。

山吹は、それに振り向きーー

 

「っ……!?」

 

ーー建物が、大きく揺れた。

アザレアも驚いた顔をしている、こいつの仕業ではない。

ならば、答えはひとつ。

 

「……来ちゃったみたいだねぇ、侵略者(アン・ドミネーター)

 

アザレアは静かに立ち上がり、外へと歩いていく。

 

「っ、おい! どこに行く!?」

「どこにって……迎え撃ちに行くのさ。ボクの守る国に攻め込んだ愚行を後悔させてあげよう」

 

指を鳴らすと黒い霧のような物がアザレアに纏わり付き、騎士の姿になった。

扉をくぐって外へ出ると、中天に浮遊する人型の何かが見える。

 

「おや……貴方が、この国の制圧者ですか」

 

人型のそいつは、右手に巨大な戦斧を握った赤髪の男だった。

年の頃は20の半ば程か、黒縁の眼鏡が武器に反して知的な印象を与えてくる。

アザレアは、不機嫌そうな顔で睨み返した。

 

「……そういう君は、どこ出身だい?」

「おっと失礼。名乗りがまだでしたね」

 

戦斧の男は地面に降りてから優美な一礼をする。

 

「私は『軍神アレス』。地中海連合(オリュンポス)の命によって、貴方たちを絶滅させに参りました」

 

ーー軍神アレス。

その名を聞いてアザレアは眉をしかめる。

 

「……山吹、ボクの武器持ってきて。あいつはちょっとマズイ」

「軍神アレス……ギリシャ神話の神だったか。名前の割にはそんな強そうに見えないが……」

「……ドミネーターの力は、ベースとなった伝承や存在と制圧する国の力に大きく依存する。なら奴はーー」

 

目を伏せて若干の間言い淀む。

数秒後、ぼそりと口を開いた。

 

「ーー恐らく、最強クラスだ」

「……っ、分かった。持ってくるまで持ちこたえてくれ」

 

走っていく山吹を尻目に、アザレアはアレスへと向き直った。

アレスは腕に着けた時計を見ていたが、顔を上げた。

 

「ご友人との最後の会話は終えましたか? この国に掛けられる時間は二十分程度なので、早くして欲しいのですが」

「ハッ、舐めた事言っちゃってぇ……すぐ後悔させてやるよ」

 

ドスの効いた声で脅すアザレアにアレスが冷めた視線を送る。

 

「では、尋常にーー」

 

瞬間、コンクリートの地面にクレーターを残しアレスが消えた。

 

「ーー勝負を」

「っ……はっや」

 

眼前まで迫った巨斧が、凄まじい風切り音を上げながら振り下ろされる。

頭をかち割らんばかりのそれに腕を挟み込んで防いだ。

前腕の鎧が僅かに裂ける。

アザレアはバックステップで距離を取った。

 

「ほぅ……今のを防ぎますか。流石は先進国。やりますねぇ」

「……あーあ、嫌だ嫌だ。これだから自分より強い奴とはやりたくないんだよ」

 

余裕綽々といった様子のアレスに、アザレアはうんざりした顔で肩を竦める。

そして腕を前に突き出し、目を閉じた。

 

「ーー奥の手を、使わなきゃいけなくなる」

「なに……を……っ!?」

 

騎士鎧が駆動音を立てながら大きく変形し、赤く発光する。

内部に搭載されているであろう歯車同士が噛み合い、ギチギチと機械的に鳴き喚いた。

 

「……インストール」

 

閉じられていた目が開かれる。

その右目は先程までの赤ではなく、冬の曇り空のように澄んだ銀色になっていた。

 

「『荒ぶる剣神』」

「なに……!?」

 

ーー歪な金属音と共に、アザレアの腕鎧がロングソードに変形する。

それに本能的な恐怖を覚え、アレスはその時初めて戦闘体制とりーー

 

「腕、貰うよ」

 

ーー鮮血を撒き散らしながら宙を舞う、自らの腕を見た。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間:日本2

「はぁ、はぁ……っ!」

 

山吹 大河は息を切らしながら駐屯地の廊下を走っていた。

『アザレアの銃剣』が保管されている場所へ行き、それを奴に渡すために。

 

「ぐっ……!?」

 

外から凄まじい戦闘音が聞こえてくる。

肉を断ち切る音と金属音が入り乱れ、時には地面のコンクリートのらしき巨大な塊が飛び交う。

下手すれば地形を変えてしまいそうな程の激しい戦いの余波が、建物を揺さぶっていた。

 

「っ……?」

 

ーーその時、携帯電話が鳴り響いて着信を示す。

今はそんな場合じゃないーーと思いながらも、スマートフォンを取り出す。

 

「……フランスから?」

 

それは、フランス大統領から個人的に受け取ったアドレスからだった。

メールの着信には、ただ一言『救難信号』と記されたメッセージがある。

それをタップして内容を見た時、山吹は思わず目を見開いた。

 

【救援求む、今すぐフランスにノンシェイプ・ナイトをよこしてくれ! 地中海連合……ポセイドンとか名乗る奴が攻め込んで来てんだ! ガチのボナパルトでも危ねぇ! クソ何がオリュンポスだ! ただのバケモンじゃねぇか!】

 

ーー絶句、する。そして直感した。

地中海連合……通称"オリュンポス"は、世界各国に大攻勢を仕掛けていると。

 

「急がなければ……っ!」

 

フランスのドミネーター、ボナパルトはかなり強力だと聞いている。

そんな奴でも危ない相手と同格の存在が今、アザレアと交戦しているのだ。武器も無しに。

一刻も早く銃剣を渡さなければ。

 

「っ、あった……!」

 

保管庫に走り込み、銀のアタッシュケースを手に取る。

これを武器に変形させられるのは、今の所ノンシェイプナイトと自称アザレアだけ。

仮に普通の人間が変形できたとしても、その異常な重量ゆえ操る事は困難だろうが。

 

「ふぅ……っ」

 

十五分程かかってしまったが、駐屯地の出口へと戻ってきた。

戦闘の余波で歪み開かなくなった扉に何度も体当たりをしてこじ開ける。

 

「……っ」

 

扉の向こう側にある光景は凄惨なものだった。

アザレアが守ったのか山吹の入っていた建物はほぼ無傷だが、他の建造物は軒並み崩壊している。

地面には馬鹿でかいクレーターがいくつも出来ていた。そして、そこにはアレスの能力によって生成されたであろう光輝く巨大な槍や斧が突き刺さっている。

槍に至っては最早『柱』と表現した方が適切な程の巨大さで軽く十メートルを越えていると分かった。

そんな物体がまるで林の如く大量に突き刺さっているものだから、駐屯地周辺はほとんど更地になってしまっている。

 

「っ、アザレア……!」

 

が、肝心のアレスとアザレアが見当たらない。

最悪の事態を想定し、山吹が考えを巡らした時ーー

 

「……遅いよ、山吹」

 

ーー遠くから、アザレアの声が聞こえる。

目を凝らすと、砂ぼこりの舞う視界の先にソイツはいた。

 

「が、ぁっ……、貴様ァッ! 鉄クズ風情が、この私を……ぐぼぉっ!?」

「うるさいなぁアレス君……無駄に頑張っちゃってさ、駐屯地の修理費もタダじゃないんだぜぇ?」

「ぉぐっ!?」

 

ーーアザレアは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「お、おま、えっ!?」

「ん? どしたの山吹」

「だ、だってお前、そいつを最強クラスだって……!」

 

喫驚する山吹に、アザレアは申し訳無さそうな顔で『あー……』と首を掻いた。

 

「いやはや、オリュンポスって肩書きに威圧されたけど所詮『軍神アレス』だったよ。神話でもちょくちょく人間に負けてたし小手先の技でどうにかできる範囲だった。もしこれがゼウスとかポセイドンとかだったら本気で危なかったね……」

 

よく見るとアザレアも完全に無傷というわけではなく、頬や肩が少しずつ槍や斧の形に抉れている。

だがアレスの傷に比べれば微々たるものだった。

 

「インテリっぽい見た目の割に戦法はただのブチカマシだけだったし、……流石に空からでっかい武器降らしてきた時はビビったけど。それだけだ」

「だ、だまれぇ! ここが地中海ならば、貴様なぞ一撃でーー」

「まぁ確かに……そっちのホームならもっと強いんだろうけどさ。殺しちゃえば関係無いよね」

 

アザレアは、腕部から伸びた剣をアレスの首に突き付けた。

 

「ひ、ひゃめろぉ!」

「グッドバイ、軍の神(ゴッドオブウォー)

「やめーー」

 

ぶづり、ぼぢゅん。

肉の繊維が千切れる嫌な音と共に、アレスは泣き叫んだ表情のまま生命活動を停止させた。

アザレアはそれを確認してから、力を失いバタリと倒れ込む。

 

「おい! どうした!?」

「あー、強かった……神様相手なんて、二度とやりたくないよ」

 

微睡んだようにあくびをし、目を細めるアザレア。

 

「ごめん山吹、ちょっと充電切れだ」

 

その言葉を最後に、アザレアは目の光を失わせ動かなくなった。

思わず肩を揺さぶるが本人の言った通り、まるで充電が切れた機械の如く反応が無い。

 

「あ、アザレア……?」

 

動かなくなった二体のドミネーターに板挟みにされ、山吹は唖然とする。

だが、そんな山吹の背後に迫る何者かの足音があった。

それに気がつき咄嗟に振り返る。

振り向いた先には、品の良いスーツに身を包んだ老人が静かに佇んでいた。

その背後には無数の黒服たちが控えている。

 

「……誰だ?」

 

老人は山吹の問いを無視し、動かなくなったアザレアに歩いていく。

歩く度に、持っている長いステッキから金属音が鳴り響く。

 

「……連れていけ」

 

老人がボソリと言うと、黒服たちは数人がかりでアザレアを担いだ。

それをいつからか停めてあったレッカー車に乗せ、隠すように黒い布を掛ける。

 

「待て……なんのつもりだ!? 何なんだお前らは!」

 

山吹は老人の胸ぐらに手を掛け、掴み上げようとする。

だがビクともしない。まるで地に根を張ったかのような重さだった。

 

「……私は、クチナシと申します。私の権限で貴方に言えるのはこれだけです」

「はーー?」

 

ーークチナシ。その名前に山吹は心当たりがあった。

アセビに例の銃剣を渡した老人の名だ。

立ちすくむ山吹を差し置いて、黒スーツの一団は早々に去っていく。

 

 




ひとまず、日本編はこれで終わりとなります。
次回からはまたノンシェイプナイト視点のレギオンオブユグドラシルを再開します。しばしお待ちを


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

37.新領域突入

すいません!このエピソードの冒頭が変な場所で途切れてしまっていたので再投稿しました。


村から出た俺は、だだっ広い原野を歩いていた。

生ぬるい空気が吹いていて虫も動物も居ない。

そんな場所を一人で歩き続けているものだから退屈になるかと思ったが、意外にもそれは杞憂に終わった。

 

『この荒野を真っ直ぐ行けば、"壁"がある。君はそれに右手で触るだけで良い。私なら解除できる』

「……がぁ」

 

頭の中に魔王(へんなの)が居着いてて、話し掛けてくるからだ。

 

『変なのとは随分と失礼だ。今の君がノンシェイプナイトの力を行使できているのも、私のお陰だというのに』

 

……力を使えてるのがこいつのお陰? どういう事だ?

俺は自分の自分の右腕をーーノンシェイプナイトのものとなった右腕を見た。

鈍い銀の鎧に自分と眷族の血がベットリと張り付いている。

 

『平たく言うならば……今の君は、ただの人間がドミネーターのコアを取り込んだのとほぼ同じ状況だ。そんな状態の者が、体の一部とはいえ以前と同質の力を扱えると思うか?』

 

……言われてみれば確かに。核を喰らうまでの俺は間違いなくただの人間だった。

あの状態でコアを取り込むのは今思えばかなりの賭けだっただろう。一歩間違えば死んでいたかもしれない。

 

『取り込んだコアから溢れだす膨大なエネルギーを、私がセーブしているんだ。それじゃなきゃとっくに君は君の中のノンシェイプナイトに呑まれていた』

 

要するに……こいつがフィルターになってくれてるお陰で俺は今、力を使えてるって事か。

だが、俺の胸中に一つの疑問が浮かんだ。

ーーなぜ、こいつは俺に協力してくれている?

自分を、そして守ろうとした国民を殺した相手だ。恨んでいない方がおかしい。

 

『……憎くないと言えば嘘になる。だがあれは生存競争の結果に過ぎない。それにちょっとした目的が私にはあってね。そのためには君にアメリカから脱出して貰う必要があるのさ』

 

つまり、利害の一致ってわけだな。

俺も魔王もアメリカから出たい、ただそれだけの一時の同盟。

こいつの力が使えるのは便利だし俺にとっても悪い話ではない。

 

『そして……私には、あまり時間が無い。急いでもらわねば困る』

「がぁっ?」

『今の私は現在進行形で君に消化されてる状態だからね。ドミネーターとしての格が違い過ぎてまだ完全には取り込まれていないが、時間の問題だ』

 

核を喰らってからずっと声が聞こえるのはそういうことか。やっと合点がいった。

とにかく……この先の"壁"とやらを抜ければこの領域(レギオン)から出られるらしいから急ごう。

 

 

「……ぐおっ」

『意外と早く着いたね。あの村はどうやらレギオンの端に位置していたのだろう』

 

しばらく進んでいると、パチパチと弱々しいプラズマのようなものを放っている半透明の壁があった。

見渡す限りどこまでも続いていて、避けてゆく事は不可能だと分かった。

 

『あれが"壁"。レギオンとレギオンを分断する防壁。……アメリカの、ドミネーターによる支配の象徴。忌まわしき断絶の鎖だ』

 

先程指示された通りに、右腕で壁に触れる。

瞬間、騎士腕に走る鋭い痛み。思わず顔をしかめたが、それを境に腕以外の体もズブズブと壁の向こう側に吸い込まれていく。

 

『……さぁ、新領域だ』

 

壁に全身が入ったと思った時、一瞬目眩がする。視界が真っ白になって呼吸が苦しくなる。それから数秒後、水面から顔を出したような感覚に襲われた。

 

「がぅ……」

 

まるで時間がズレてしまっていたみたいに、心臓が不規則に鼓動しだして胸が痛む。

思わず胸を抑えながら、目を開く。

 

「がぁっ!?」

 

そこに広がっていた光景に俺は驚いた。

空気が変わったとかそういう次元ではない

先程までとは一変した景色、そこはーー

 

『っ……逃げろノンシェイプナイト! 厄介な状況に出くわした!』

 

ーー血肉舞い踊る、戦場だった。

 

______________________

◆Legion Of Yggdrasil【Legion・Georgia】

『打毀する巨槌の雷神』《序列7位》

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 




新章のプロローグ的な話なので短めです。
今週中にもう一回投稿したい……(出来るとは言ってない)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

38.レギオン・ジョージア

「っ……!」

 

ーー野太い雄叫びと、鋭い金属音が鳴り響く戦場。

銃を持っている人間が居ない事から文明レベルがそう高くない事が分かった。

だが問題点はそこではないーー

 

『なんだコイツらは……!?』

 

ーー人間たちと交戦しているのが、『天使』だと云うこと。

俺が以前倒した赤布の天使ではない、背中から三対の翼が生え、それぞれが太陽のようにオレンジ色の光を放っている。

そんな天使たちが、剣や槍を持った人間の軍と戦闘していた。

顔に張り付けられている鉄板のせいで天使たちの表情は伺えない。

 

「■■■■!!!」

「がぅあっ!?」

 

形容しがたい叫び声を挙げながら、一体の天使が襲い掛かってきた。

振り上げられた手斧が太陽の光を浴びて煌めいている。

まずいな……こいつらの強さがどれぐらいか分からない以上交戦は避けたかったが……仕方ない。

俺は左手でタイサのナイフを取り出し、騎士の右手には雷撃を装填した。

そして掌を天使に向ける。さぁ、雷でどのぐらい削れるか……

 

「おい! あぶねぇぞ黒髪の嬢ちゃん!」

「がぅっ……?」

 

ーーその声と共に、天使の体が胴を中心に真っ二つになった。

青い血液を撒き散らしながら倒れる天使の向こう側には蒼い長剣を振り下ろした体勢で金髪の男が息を切らしながら立っている。

全身が天使の血液であろう青に濡れており、体に刻まれた新しい傷の数々がこれまでの激戦を物語っていた。

なんだこいつ、人間か? それにしては強過ぎる気がするけど……ドミネーターって程じゃない。パッと見この前の眷族とトントンぐらいだ。

 

「はぁ、はぁっ……クソが、なんでこんな所に一般人が居んだ……! おい嬢ちゃん、安全な場所まで案内してやっから着いてきな!」

「がぁっ?」

 

金髪の男は俺の手を取って走り出した。

状況が分からず、引っ張られるままに俺も走る。

 

「■■■■■!」

「ちぃっ……! 後ろに隠れてろ!」

 

こちらに気付いた天使が三体で襲ってきた。

男は俺を庇うように前へ出て天使たちと向き合う。

天使の武器は三者三様で、槍や剣を持っている者も居れば機械弓(ボウガン)らしき武器を構えている者の姿もあった。

そいつらに向けて剣を構え、男は叫ぶ。

 

「おらあぁぁぁ!」

 

ーー男の持つ剣が、青い雷を放った。

剣から放出され枝分かれしたそれは天使たちを焼き払い、地面を僅かに焦がして消える。

その光景に唖然としている内に男はまた走り出した。今度は俺を背中におぶって。

車と同じぐらいのスピードで流れる景色は、全て血みどろの戦いに染まっていた。

 

明らかに天使側が優勢のようで、人間の死体が目立つ。

しばらく進んだ先には、貧相な砦らしき建物があった。

俺をおぶった男はそこに近づいていく。

門の所には武装した白髪の青年が立っていて、驚愕した表情でこちらを見ている。

 

「シ、シフさん!? どうしたんですか! 戦線は!?」

「ぜえ、はぁっ……! 民間人が迷い混んでた! 戦線には今すぐ復帰する!」

 

シフと呼ばれた男は、すぐさま戦場の方へ走り去ってしまった。

だ、大丈夫か……? 相当疲弊してるっぽいけど。あんな状態で戦えるのか?

 

「ええっと……お嬢ちゃん。お名前はなんて云うのかな?」

 

門番の青年は、はにかんだ表情でそう尋ねてきた。

 

「あるーー」

 

ーーアルメリア、と名乗りかけてハッとする。

今の俺にその名を名乗る資格は無いのだ。

あの人が命を賭けて守ろうとした娘の名前を、汚す事になるのだから。

だからと言ってノンシェイプナイトと名乗るわけにも行かず、狼狽する。

 

「……がぅ」

「ど、どうしたのさ? ……ぅうんと、じゃあ僕が先に名乗ろうかな」

 

青年はコホンと咳払いをしてから、優しげな笑顔で言葉を紡ぐ。

膝を曲げてちゃんと俺に目線を合わせてくれるのが、この青年の性根の良さを如実に表していた。

 

「僕はね……」

 

青年は、その黄金色の目を眩しそうに細めながら口を開く。

 

「ーー僕は、"アザレア"! 今は門番だけど、普段はパン屋さんをやってるよ!」

 

ーー心臓が、跳ねた気がした。

アザレア、アザレアーーなんで、またこの名前が。それもこんなアメリカの地で。

 

「……ん、どしたの? あ、ちなみにアザレアってのは花の名前で……まぁそれは良いか。それじゃあここは危ないからさ。奥の方で隠れてなよ」

 

されるがままに、俺は砦の奥の方へと追いやられた。

そこら中に負傷兵が苦しげな顔で横たわっており、戦況がいかに苦しいかが分かる。

……状況が、全く分からないな。誰かから情報を得なければ。

俺は、比較的に怪我がマシな兵士の前に歩いていった。

 

「がぅっ」

「……お、なんでこんなむさ苦しい場所にべっぴんな嬢ちゃんが居るんだ?」

 

負傷兵は俺に気がつき、疲れきった笑みを顔に張り付ける。

俺はそこらに落ちてた木の棒を手に取り、地面に文字を書いていく。

 

【ここはどこですか?】

「何言ってんだ、ここはジョージア州……レギオンオブジョージアだろ。そして目の前にあるのはクソッタレな軍勢だ」

 

へらへら笑って、負傷兵はそう告げた。

 

【あの天使たちはなんですか?】

「……はっは。馬鹿言うんじゃねぇ、やつらは『悪魔』だよ。力も防御力もまるでバケモン。俺達みたいな凡人じゃ五人掛かりでも一体さえ殺れねぇ、それに無限に沸いて来やがる。ありゃあ神話の世界に閉じ籠っとくべきだと思うね、俺は」

 

その後兵士は『疲れてんだ、休ませてくんねぇか』と言って俺を追い払った。

……無限に、沸いてくる? どういう事だ。

 

「ぐぉ(おい)」

『何故こうなった……先程の男はトールの眷族だろうが、あの天使たちはなんだ……? ヨルムンガンドにあんな能力は無かった筈だ……!』

 

魔王は、先程からずっと頭の端っこでブツブツ独り言を言ってる。

……考察するなら、俺にも聞こえるように喋ってくれないかな。

どうせなら二人で考えた方が答えに近づくだろ。

 

『……すまない』

 

謝らなくて良いからお前の見解を教えてくれ、そう念を送った。

こいつは何故かアメリカについて異様に詳しい。壁の存在についても知ってたし。

 

『まず……この領域(レギオン)を支配するドミネーターは"雷神トール"だ。さっきの男が青い雷を放った時点でそれは間違い無い』

 

ポツリポツリと、魔王が話し始める。

 

『かつてのジョージアでは雷神トールと、ヨルムンガンドと呼ばれる蛇の怪物が覇権争いをしていたんだ。だがアイツらは、あんな天使たちは居なかった』

 

……本当に詳しいなこいつ。

と言うか雷神トールって、神の名を冠したドミネーターなんて存在するのか。出来れば戦いたくないな。勝てる気がしない。

 

『……しかも、だ。アメリカ大陸をこんな状況にしたドミネーターである"ユグドラシル"の能力は、北欧神話そのものをこの世界に受肉させて実現させる事だ……だが』

数秒の沈黙の末、魔王は口を開く。

 

()()()()()()使()()()()()()()()()。ワルキューレは居ない事も無いが、あんな怪物じゃないしそもそもジョージアには来てない』

 

……それで、何が言いたいんだ?

神話の背景なんて説明されてもピンと来ない。

 

『つまり、あの天使たちは"侵略者"だ。イスラム教圏かキリスト教圏か……はたまたどこかの神話出身か。どこからかは分からないが、雷神トール率いるレギオンをここまで追い込めるドミネーターが侵略を仕掛けてきている。ヨルムンガンドはそいつらに討伐されたのだろう』

 

……事態は想定以上に複雑って事か。

でも、見も蓋も無い事を言ってしまえば俺には関係無い話だ。

"壁"の位置が分かるならそれを突破するだけでいい。

魔王ならそれが出来る筈だ。

前のレギオンからはそうやって出たからな。

 

『すまないが、私があんな芸当を出来たのはあそこが私にとって多少無理が効くフィールドだったからだ。このレギオンでは壁の場所なんて知らないし、知ってても突破できない』

 

魔王は淡々とそう告げた。

面倒だな……早い所日本に戻らなきゃまずいのに。

 

「がうぅ……」

『……とにかく、今は行動を起こすには相応しくない。とりあえず様子をーー』

「っ、撤退! てったぁぁぁい! バケモノ共に戦線を崩された! シフさんが食い止めてくれてるから、一人でも多く都に逃げ延びろぉぉぉ!」

 

ーーその時、砦に倒れ込むような格好でボロボロの兵士が入ってきてそう叫んだ。

負傷兵たちが立ち上がり、ズルズルと這うように必死の形相で逃げ出す。

戦線が崩壊した……?

 

「君……っ! 行くよ!」

「がぁっ!?」

 

後ろから抱え上げられた。

振り向くとそこに居たのは『アザレア』を名乗った男。

俺を抱き抱え、走り出した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

39.前途多難

「はぁっ、はぁ……! 大丈夫だからねお嬢ちゃん! お兄さんが絶対に守ってあげるからっ!」

 

アザレアは、天使たちがひしめく戦場を俺を抱えて走る。

息を切らしながらも、俺を安心させるためか『大丈夫、大丈夫』と繰り返し呟いてた。

 

「……かなり近くまで、来てるねぇ……!」

 

チラリと後ろを向き、アザレアが顔をしかめる。

背後には天使たちが何体も迫ってきており、かなりまずい状況。

……どうする、戦うか? あの程度なら多分一撃で()れるが、力を見られるのは面倒だ。

使うならもう少し切羽詰まってからにしよう。

 

「都近くの砦まで逃げるのは無理だ、追い付かれる……」

 

目を伏せながらぼそぼそと呟くアザレア。

だがふと、何かを見つけたように右を見て目線が止まった。

その視線を追うと、遠くには森らしき緑の塊がポツンと小さく見える。

 

「はっは……! お嬢ちゃん、僕たちは運が良いみたいだ!」

 

アザレアは、急にカーブして森の方向へ走る。

天使たちは混乱したように一瞬立ち止まった。

……鰐みたいに、直進は得意でも急には曲がれないのかもしれない。

天使に追い付かれる事無く、俺たちは森の近くまでやってこれた。

それからアザレアは覚悟を決めたような顔になって森へ入っていく。

 

「……がぅ(……魔王、こいつの事どう思う?)」

『どうも何も……ただの人間だ。ドミネーターのドの字も無い。単なるお人好しだ』

 

……アザレアって名前に警戒したが、ただの人間か?

俺の目線に気がついたのか、こちらに振り向いてにへらと笑うその姿からは微塵も悪意を感じない。

 

「ふぅ……ここら辺まで来れば大丈夫かな。奴らはあまり目が良くない」

 

しばらく森の奥へ進むとアザレアは俺を地面に下ろして、自分はそこらの岩に腰掛けた。

背負っていた鞄から水筒らしき物を取り出し、笑顔で『飲むかい? 喉乾いたでしょ』と聞いてくる。

 

「……がぁっ(……お前は良いのか?)」

「んん? あぁ、僕はそういうの大丈夫なんだ。気遣ってくれてありがとね」

「がぅっ……?」

 

その返答に若干の違和感を覚えながらも水筒を受け取り、俺は喉に水を流し込んだ。

温いが若干の酸味があり、ごくごく飲めた。

 

「ぐぉっ!」

「美味しいかい? 蜂蜜とレモンを搾ってあるから疲れに効くんだ」

 

俺の頭をくしゃくしゃ撫でてから、アザレアは立ち上がる。

真剣な顔で戦場の方を見ていた。向こうから吹いてくる生温い風に、アザレアの灰髪が揺れる。

 

「がぁ……?」

「君はここで待っててくれ。僕は生きてる人を探してくるよ」

 

そう言い残して、止める間も無くアザレアが戦場の方面へと走っていった。

ポツンと残された俺はその方面を見続ける。

……人助けであんな所に戻ろうとするとか、どんなお人好しだよ。

そう、呆れに似た感情が込み上げてきた。

 

『ああいう人種は嫌いでは無いが……早死にするな。善人は長生きしないというヤツだ。これは一時間ほど待って帰って来なければ諦めた方がいい』

 

……確かに、その方が合理的だ。見捨てるしかない。

俺の目的は日本に帰る事。そのためには非情にならなければいけないのだ。

……でも、ついちらちらと戦場の方へ目が行ってしまう。

今も遠くに蒼い雷が頻繁に鳴り響いており、戦闘が激しいことを察した。

 

「……がぅ」

『……助けに行こうなどとは考えるなよ。この程度の戦況なら覆せるだろうが、貴様が暴れて敵方のドミネーターが出てきたらどうする? やぶ蛇どころの騒ぎではないぞ』

 

魔王の正論に俺は黙った。

"雷神"なんて大層な名前を持ったドミネーターの支配するレギオンを壊滅させられる連中の親玉なんて、現在の右腕しかノンシェイプナイトではない俺じゃ太刀打ち出来ない。

……月並みで当たり前な事だが、力が無ければ何も救えないんだ。

 

『あの時』も。俺に全盛期の実力があればタイサは死ななかった。

そもそも、俺がもし魔王と同じぐらい強ければアメリカに飛ばされる事も無かったんだ。

もし、もし、もしもーー無数の『もしかしたら』が頭の中を満たす。

……あれもこれも、ぜんぶ、俺が弱いから。

 

『自己嫌悪の螺旋に囚われても状況は何も変わらない。今は、無事にこの戦場から離脱する事を考えるんだ』

 

魔王は、いつもより少し柔らかい声で俺に言った。

……そうだ。無力を嘆いたって仕方がない。

確か、さっきの兵士は『都まで逃げろ』と言っていた。

恐らくその都とやらにはあの天使たちを迎え撃てるだけの戦力があるのだろう、まずはそこを目指すか。

 

「ぐぉっ……(よっし……)」

 

俺は立ち上がり、血に濡れた白いスカートに付着した土をパンパン払う。

……人里に着いたら、どうにかして服も新調しなければ。カーラから貰ったヒラヒラな服は嫌いじゃないけど、あまり戦闘には向かない。血みどろだから警戒されてしまうし。

それにもっと袖が長い方が騎士腕を隠しやすい。

 

「がぅっ!」

 

都への道は分からないけど……うん、頑張ろう。

自分に気合いを入れ、ゆっくりと歩きだすーー

 

「おーいっ! 待っててくれてるかーい!?」

「っ……!?」

 

ーー遠くの方から、聞き覚えのある間抜けな声が聞こえた。

ぎょっとしてその方向を向くと、そこにはぐったりした男に肩を貸しながら歩いてくるアザレアの姿があった。その背中には蒼い大剣が担がれている。

あの男は確かシフといったか。雷神トールの眷族。ほぼ意識は無さそうだが死んではいないらしい。

……まさか、生きて帰ってくるとは思わなかった。しかもこんな速く。

 

「ぐっ、ぅ……」

「シフさん、今手当てするのでちょっと待って下さいね……ごめん、悪いけど僕のかばん持ってきてくれ!」

 

アザレアは柔らかそうな草の上にシフを寝かせた後、俺に自分の鞄を持ってくるよう頼んだ。

俺はかなり重たい鞄を騎士腕で持ち上げ、向こうに駆け寄る。

そこから包帯やアルコール臭を放つ液体を取り出し、シフを手当てしていく。

 

「よし……これで大丈夫っと」

 

やけに慣れた様子でテキパキと応急処置を終えたアザレアが、安心したようにため息を吐いた。

 

「……シフさんの意識が戻るまで、少しお話しないかい?」

 

岩に座ったアザレアが、自分の横をぽんぽん叩いて俺に座ることを促した。

それに従い岩にちょこんと腰掛けると、アザレアの頬が嬉しそうに綻んだ。子供が好きなのかもしれない。中身が殺戮に酔うバケモノだと知ったらどんな顔をするのだろうか。

 

「さっき聞きそびれちゃったけど、君のお名前を教えて貰っても良いかな」

 

……名前。無いのも不便だし考えよう。

何か良い具合のは無いか……

 

『ノンシェイプナイトから取って、シェノンとかはどうだ。安直だが偽名としては十分だろう? この女児の外見にも見合う』

 

俺が悩んでいると、頭の中にそう声が響いた。

なんだよ魔王……結構役に立つな。まあまあなネーミングセンスだ。

でもまぁタイサには劣るけど。

あの人が『アルメリア』と呼んでくれた記憶を思い出すだけで、にまにまとだらしなく頬が綻んだ。

 

『それは思い出補正というやつではないか……?』

「ぐぉ(うるさいやい)」

 

地面の土に、そこらの枝で字を書いていく。

アザレアはその様子を見守っていた。

 

【シェノン】

「おぉ、シェノンちゃんだね……よし、記憶した」

「がぅ」

 

ニコニコ顔で、アザレアは何回か『シェノン』と口ずさむ。

 

「シェノンちゃんは、どうしてこんな所に居たの?」

【迷い込みました】

 

地面にそう書いてから、流石にデタラメな理由過ぎたと気が付く。

あんな最前線、行こうとしたって行ける場所じゃない。

しかも今の俺の外見はなまっちろい少女だ。

 

「うわぁ……大変だったねぇ!」

「が、がぁ……?」

 

だがアザレアは、明らかに怪しい俺の言葉を疑う様子も無く、心から同情した顔でそう言ってきた。

流石にお人好し過ぎないだろうか。

 

「ぐ、ぐぉ……」

『……大丈夫なのかコイツは?』

 

引いている俺を見て、ガッツポーズで『無事に都に帰ろうねっ!』などと的外れな励ましを飛ばしてくるアザレア。

……どうしよう。こいつに着いていって大丈夫なのだろうか。なんか不安になってきた。ドジ踏んで野垂れ死にそうだぞ。

 

『こちらの戦力は、そこのアザレアとか言う男と瀕死の眷族。そしてノンシェイプナイト……の、右腕だけ。正に前途多難だな……』

 

溜め息混じりに魔王が状況を確認する。

……お人好しと瀕死のおじさんと、全盛期の二割も力を出せない俺って事だよな。

レギオン脱出どころか、明日生きてるかどうかすら怪しいぞ。

 

「よぉし! 今晩はお兄さんが美味しいご飯を振る舞ってあげよう! まずは食材を集めようか! お腹が空いてちゃ明日以降の行動に響くからね!」

 

パン、と手を叩きながら笑顔でアザレアが言った。

あぁ、野宿するのか。まぁ雷神トールの眷族……シフが目覚めるまでは移動できないだろうし仕方ないか。

アザレアは、『危ないから僕の見えない場所まで行っちゃ駄目だよ!』と言いながら歩いていった。

よし……俺も何か食べられる物を探すか。

 

 

『おい! その果物は毒があるから食べられないぞ!』

「ぐ、ぐぉっ!(ご、ごめん!)」

『そのキノコもだ! 逆にどうしてそんなカラフルでねるねるねるねみたいな色をした物を食えると思った!?』

「がぅ……(ごめんってば……)」

 

俺は今、魔王に指示されながら食べ物を採取していた。

森には色々な植物があったが、一時間ほど歩いていても食べられる物は草しか無い。ほとんどは魔王のサバイバル知識に引っ掛かって捨てろと言われた。

 

「ブモ"ォ"ォ"ォ"!」

「ぁぁあぁあ!? 助けてぇぇぇ!」

「がぁぁぁっ!(アザレァァァ!)」

 

遠くの方で悲鳴が聞こえたと思って振り向くと、アザレアが泣き叫びながら巨大なイノシシに追いかけ回されていた。

俺も急いで助けに向かう。

 

『おい、走っては間に合わない! 雷を使え!』

「がぁっ!(言われなくても……!)」

 

右腕に装填した雷をイノシシに放った。

道中の木々を大小問わず焼き払いながらイノシシへ向かった雷が、その巨体を黒焦げにする。

 

「ブモォォォ!?」

 

雷の轟音とともに原型を失った猛獣に気が付き、アザレアがポカンとした顔で立ち止まった。

……咄嗟に雷を出したせいで、俺の力を見られてしまった。

どう言いくるめるかーー

 

「は、はははっ! まさかこんな晴れの日に雷が落ちるなんてっ! トール様のご加護だ……!」

「ぐ、ぐぉっ?」

へたりこんでいたアザレアは立ち上がり、空に向かって『ありがとうございます!』と叫んだ。

……あの雷を俺が使ったって、バレてない?

 

『……こればかりは、コイツの頭がポンコツで良かったな』

「……がう」

 

それから、俺とアザレアは食料を集めてからシフが眠っている仮拠点へ向かう。

ちなみにイノシシは、雷の火力が強すぎたせいで消し炭になって食べられなかった。

 

「いやー、美味しそうな食べ物がたくさん採れたね。ほら、このキノコとか絶対美味しいよ!」

 

アザレアが、とても良い笑顔で両腕に抱えた沢山の食べ物を見せてくる。

紫色のデコボコした果実、ねるねるねるねみたいな色をしたキノコ、青白い棒状の何か。錚々(そうそう)たるラインナップだった。

 

『……なぜどいつもこいつも、こんなインスタ映えしそうな食い物しか持ってこないんだ』

 

頭の中で嘆く魔王の声を聞きながら、棒で地面に字を書く。

 

【それ全部食べられないよ……】

「えぇっ……でもでも、トール様は『口に入る、つまり食える』って行ってたよ?」

「がぁぁ……(トールェ……)」

『奴なら不思議じゃない』

 

それから俺は、採取した草をパクっと口に入れた。

……苦い。とてもドレッシングが欲しい。

しかも中々噛みきれない。

 

「がぅがぅがぅ……」

「美味しいかい?」

「がぅっ!(おいしくない!)」

「だろうね……」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

40.あの人の影を真似て

「ぁ……あ、あ?」

「シフさん……シフさん! おーいシェノンちゃん! シフさん起きたよー!」

「ぐぉっ」

 

俺がこのレギオンに入った翌日、日が落ち始めた頃にやっと雷神トールの眷族シフが目を覚ました。

自分がどういう状況なのか分からないようで、困惑した顔で周囲を見ている。

 

「アザレア……? どこだ、ここ」

「戦場の近くにあった森です。シフさんが倒れてたので頑張って連れてきました」

「戦場……っ、そうだ、戦線は!?」

 

シフは飛び起きてそう叫んだ。だがいくら眷族と言えどもあの重傷では治癒しきれていないようで、すぐ苦痛に顔を歪めて体勢を崩す。

 

「戦線は……崩壊、しました。多分今は(みやこ)前の最終防衛ラインが食い止めてます」

「……そう、か」

 

ぐったりしたようにシフは項垂れた。持ち主に呼応してか、傍らにある蒼い剣も光を失って見える。

 

「あ、そうだシェノンちゃん。シフさんに飲ませるから水筒持ってきて」

「ぐおっ」

 

俺はリュックから水筒を取り出してシフヘ持っていく。

シフはその時初めて俺の存在に気が付いたようで、こちらを向いて目を丸くしていた。

 

「お、おぉ? あん時の嬢ちゃんか……よかった、無事だったんだな。シェノンっていうのか」

 

『よっこらせ』とゆっくり立ち上がり、シフは剣を持ち上げた。肩に寄り掛からせたそれの放つ蒼光が強くなる。

そして腰を屈め腕を突き出した変なポーズをした。そのままキメ顔でこちらに流し目をする。明らかにカッコつけていた。

魔王はそれを見て『えぇ……』と引いている。

 

「感づいてるとは思うが……俺はただの人間じゃあない。俺の名はシフ。そうだ、あの"聖剣のシフ"だ。ふっ、驚いたか……? 雷神トールの眷族にしてジョージア最強の男。よろしく頼むぜシェノン」

「ぐぉぉ……(知ってる……)」

「すいませんシフさん、もう名前言っちゃってます」

「えぇ……? 俺これが楽しみで生きてるみたいな所あんだけど」

「四十手前のおじさんが何言ってるんですか……」

 

シフはがっくりと肩を落として座り込んだ。

魔王は戦慄したようにワナワナ震えている。

どうしたんだ。

 

『この男……あのポーズをかっこいいと思っているのか……!? おいノンシェイプナイト、聞いてみてくれ。アラサーになってあんなポーズして恥ずかしくないのかって聞いてみてくれ!』

「がぁぁ……(お前だってドミネーターのくせしてYouTubeに動画上げてただろ……)」

『む、むぅ……いやあれは南スーダンの観光資源のための苦肉の策と言うか……名所とかビックリするぐらい無かったから、私が広告塔になるしか無いと思って……』

「よし……シフさんも目覚めた事だし、都に帰る準備をしようか。都前の防衛戦、シフさん無しじゃきっと数日も持たない」

 

ごにょごにょ言い訳している魔王に呆れていると、アザレアがそう言った。

 

「あぁ、早く帰らねぇとやべぇ……が、都までの道にはあのエセ天使どもがうじゃうじゃだぜ。相手をするにしても今の俺じゃ一度に五匹……いや、お前らを守りながらじゃ二匹が限界だ」

 

負傷した腕を抑えながら悔しそうな顔で呟くシフを尻目に、俺は袖に隠した騎士腕を見る。

……力を使うのは、本当に危ない時だけだ。向こうのドミネーターに感知されたら本格的に死ぬ。

腰に手を伸ばし、タイサのナイフの感触を確かめた。

いざという時はこれで応戦しよう。大事な物だから、折れたりしないように気を付けないと。

あの人みたく鋭く美しい銀刃を、優しく撫でた。

 

「……嬢ちゃん、随分物騒なモン持ってんな。短剣、いやナイフか? そんな馬鹿デケェの振れねぇだろ。危ねぇから俺が預かーー」

「ガァ"ッ!」

「わ、悪かったって。とらないから怒んなよ……」

 

ナイフを取り上げようとしたシフに、思わず本気で怒鳴ってしまった。

シフはビクッとした後、小声で『最近の女の子恐すぎんだろ……なんか本能的な恐怖感じたんだけど……?』と小刻みに震えながらアザレアにすがり付いている。申し訳無い気持ちになった。

 

「……でっけぇコンバットナイフ見るとあいつを思い出す。元気してんのかな」

 

ぼそり、とシフが何かを呟いたが聞き取れなかった。

アザレアが気にしてないからさして重要な言葉ではないだろう。

 

「じゃあ、明るくなる前に出発しよう……行けますか? シフさん」

「あぁ。奴らは日中に活発化するからな……それに、闇に紛れた方が見付かりにくい」

 

あの天使どもは日中に活性化するのか……覚えておこう。

アザレアは立ち上がり、俺の手を握った。シフも剣を構えて歩き出す。

 

「俺が先行する。アザレアは嬢ちゃんの様子を見といてくれ」

「分かりました。行くよ、シェノンちゃん」

「ぐおっ」

 

十分程歩き、森を抜ける。

さっきまで木々に遮られていた月光が俺達を照らす。空を見上げると満月だった。

日本で見たものより、少し小さい。

 

「……フルムーンか。良い夜だが上ばっかり見てちゃ不意討ち食らうからな。お前らは横と後ろを注意してろ」

 

アザレアはその黄金の瞳で油断無く周囲を見ながら、こくりと頷いた。

それにしても静かだな。昼間の喧騒が嘘のようだ。死体はあちこちに転がっているが。

足元にあった男の(むくろ)を凝視していると、アザレアが『……あまり見ない方が良いよ』と俺の目に優しく手を被せて視界を塞いできた。俺の外見が少女だからだろう。

……実際は、何億人と殺してきた化物なのだけど。

 

「っ、おい、伏せろ……!」

 

その時、シフが小声で俺達に呼び掛ける。

シフの視線を追うと、その方向には月に向け翼を広げて『Y』に似た体勢を取る、無数の天使の群れがあった。そのあまりに壮絶な光景に顔をしかめる。軽く十万は居そうだ。

筋骨が異様に隆起した上半身が月明かりを浴びて輝いている。

何となく、日光を浴びるために葉を伸ばす植物のように感じた。

 

「……『月光浴』。月に反射した太陽光を浴びてるって学者連中は言ってたな。奴らは日が昇る程にその力を増す。夜にゃ月で代用ってわけだ」

 

伏せたまま行くぞ、と言いながらシフは匍匐前進で進んでいく。俺たちもそれに続いた。

やはり奴らは太陽と深い関わりがあるらしい。そう言えば日中に見た奴らの翼はオレンジ色に発光していたし、それも関係あるのかもしれない。

 

『太陽……いやまさか』

「がうぅ……(しんどい……)」

「頑張ってシェノンちゃん、もうちょいだから……!」

 

そうこう考えながら数分匍匐前進してるうちに、俺の腹筋と左腕が悲鳴を上げ始めた。

俺の体が右腕を除き貧弱な少女である事を鑑みれば当然だった。むしろ今までよく耐えた方だろう。

後半はもはや右腕だけで這うようにして、なんとか天使の群れから遠ざかった。

 

「よし、立ち上がっても大丈夫だ」

「ぐおぉぉ……」

「よく頑張ったね……僕でもキツかったよ」

 

がくがくの腰を押さえながら立ち上がる。明日は筋肉痛だろう。

今すぐ倒れ込んでしまいたいが、ここで力を抜いたらもう立ち上がれないという確信があった。二人に迷惑を掛けてしまうからそれは出来ない。

俺は歩きだそうとーー

 

「キ"、ェエ"ェエ"……」

「っ、シェノンちゃん!? 後ろ!」

「はぐれ個体……っ」

「がぁっ!?」

 

ーー歩き出そうとして、背後で手斧を振り上げる天使の姿を見た。

昼間より動きは鈍い。しかし、俺の頭程度ならカチ割れる力強さは感じる。

……反応できない速さじゃない。咄嗟にタイサのナイフを腰から抜いた。

そして眷族と戦う時にタイサが見せた動きを思い出し、模倣(コピー)する。

……力を貸してくれ、タイサ。

 

ーーインストール、ダンデ・レオンハート。

 

「ギィァアァ!?」

 

ナイフを天使の首に当てがい、向こうの体重移動を利用して深く食い込ませる。そして高速で引いた。

綺麗に切断された天使の頭部が、宙を舞ってどちゃりと地面に落ちる。残った胴からは噴水の如く血潮が迸った。

返り血にまみれながらほっとして溜め息を吐くと、シフとアザレアがとんでもない顔でこちらを見ている。

 

「が、がぁ……?」

「し、シェノンちゃん。すっごく強いんだね……」

「なぁアザレア……? なんだあの動き、最近の子って皆ああなのか……!? 怖いよ、おじさんはもう何も分からないよ……!」

 

涙目でアザレアの肩を揺さぶるシフ。

えぇ……? こいつ仮にも眷族なんだから今の俺なんかにビビっちゃ駄目だろ。

未だにビクビク痙攣する天使の身体を念入りに刺しながら、そう思った。

二人がそれに引いているが、気にしてはいけない。

 

「……あれ、もしかしてこの中で一番弱いのって僕なんじゃ」

 

深刻な顔でぼそりとアザレアが言った。返事はしないでおく。

前方を確認すると、遠くのほうに明かりが見えた。都とやらはもう少しなようだ。




(更新)待 た せ た な。
別作品にかまけてました……これから頑張ってペース上げていきます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

41.獅子の血統

「おぉぉぉい! 皆! シフさんが帰ってきたぞぉぉぉ!」

 

明かりの近くまで来ると、大勢の武装した男達がこちらへ殺到してきた。

何事かと思って身構えたが、どうやらシフの仲間なようで涙を流しながらシフと包容していた。

男達の多くが真新しい傷を負っており、昼間の戦いが如何に苛烈であったかが分かる。

 

「シフさんが居ないってなったからトール様がめちゃくちゃに錯乱してて大変だったんですよ!早く会いに行ってあげて下さい! 奴らを迎え撃つ準備もしなきゃなんないのに落ち着かなくて……!」

「おぉ、モテる男は辛いねぇ……じゃアザレア、嬢ちゃん。俺はちょっとカミ様に会ってくるぜ」

 

『早く寝ろよー』と言いながらシフは去っていく。

 

「ふぅ……僕らも、帰ろっか」

「がぅっ」

 

アザレアと二人で大きな門をくぐる。

抜けた先には、夜に色づく街が広がっていた。

天使たちの襲撃を受けているとは思え無いほどに活気があり、がやがやと人々の喧騒に満ちている。

 

「シェノンちゃん、家どこ? 送ってあげようか?」

「がぁ……(いや、大丈夫……)」

「分かった、じゃあ気を付けて帰りなよ! 良い人ばっかりだから大丈夫だと思うけど万が一ってあるからね! 僕は砦建設の手伝いをしてくるから!」

 

アザレアは、俺に手を振りながら人混みへと消えていった。

俺も小さく手を振り続け、見えなくなった頃に溜め息を吐く。

とりあえず顔に着いた血を服でくしくし拭いた。ナイフを鏡代わりにして見ると、先程よりは血まみれじゃなくなっていた。

人里を歩いてもギリギリ大丈夫なぐらい。

……しかし、根本的な問題は未だ健在だ。

 

「がぁう……」

『……さて、どうする? 家も金も無いぞ。体でも売るか? ロリコンには需要があると思うぞ』

「がぁっ!(うるさい!)」

 

魔王の言葉は正論だった。

家に住ませてくれとアザレアに頼めば性格からしてオーケーしてくれるだろうが、流石に図々しい。

仕事を探しても良いが……俺としては雨風さえ凌げれば構わないから、最悪どっかの空き小屋にでも住み着くか。食べ物は野良猫みたいにゴミとかを漁れば良い。

宿を探すため、街を歩き出す。

 

『おいまて、私は生ゴミなんて食べたくないぞ……!』

「嬢ちゃん、串焼き要るかい?」

「がぅっ」

「あら、どこの娘さんかしら。はいおやつあげる。食べた後はちゃんと歯磨きするのよ!」

「が、がぁっ!」

 

大通りらしき場所を歩いていると、出店の人たちから色々な食べ物を恵んでもらえた。下町気質ってやつなのかもしれない。優しいおじさんおばさんが多い……血まみれなせいで変な同情を抱かれてる可能性もあるけど。

立ち食いするのもあれなので、そこらのベンチに座ってから串焼きを口に突っ込んだ……しょっぱい。

 

「がぁ……」

『チープだが悪くない味だ。あの親父は腕が良いからマークしておけ』

 

魔王は焼き鳥が気に入ったようだ。どうやら味覚も共有しているらしい。魔王はしょっぱめが好みなのか。

世界で一番どうでもいい情報が手に入った。

 

『……おい、あそこに立ってる男がこっちを見てるぞ』

 

貰い物をもぐもぐ食べていると、魔王が前方へ意識を向けながらそう伝えてきた。その方向を見ると、眼鏡を掛けた小柄な金髪の少年か訝しげな顔で俺を凝視している。

年の頃は今の俺の体と同じぐらいで……何故か、少しだけ懐かしい感じがした。

食べ物を狙われてるのか……? 身なりは悪くないから俺みたいな浮浪児には見えないが。

あげないぞ、と睨んでみる。

 

「おい、そこの血まみれ女」

 

俺の視線に気が付いたのか、金髪の少年は恐る恐るといった感じで近寄ってきた。一応身構えておく。

ベンチに座った俺の目の前で仁王立ちし、キッと睨み返してきた。

 

「そのナイフ見せてみろ……!」

「がぁっ……!?」

 

素早い動きで、少年は俺の腰からタイサのナイフを奪い取った。

咄嗟に取り返そうとするが、少なくない身長差に阻まれ失敗に終わる。

少年の方はと言うと、ナイフを見ながら怒りの形相でワナワナ震えていた。

なんのつもりだ、こいつ……!

 

「っ、やっぱり……! お、お前、これをどこから盗んだ……!? あぐっ、がっ!?」

「ガア"ァ"ァ"!!!」

 

激昂してくる少年の首根っこを掴み、騎士腕で締め上げる。

酸素と血流を遮られ、その顔面は真っ赤に染まった。苦しそうに足をバタバタさせ拘束を解こうとしてくるが、この程度じゃビクともしない。

だがそれでもナイフを放さないので、更に力を込めた。

 

『おい……やめておけ。それ以上は殺してしまうぞ』

 

魔王の声にハッとして少年の首から手を離した。

まるで首吊りしたみたいにくっきりと、手形の赤い跡が出来ている。

少年は地に膝を着き、首を抑えながらゲホゲホと咳き込んだ。

俺はその隙にナイフを拾う。

 

「はぁ……っ! げほっ、けほっ……! おい、ナイフ、返せよ……!」

 

こちらの台詞だーーの意を籠めて少年を見下した。

やはり盗人だったか。アザレアは治安が良いみたいな事を言っていたが実際はそうでもないらしい。

牽制として冷たい目で一瞥してから、俺はこの場から去ろうと少年に背を向けた。

 

「……っ、ダンデ叔父さんの、ナイフだろ、それ……!」

 

ーーその名に、心臓が大きく跳ねたような気がした。思わず振り返る。

……ダンデ・レオンハート。タイサの本名だった筈だ。

なぜこいつが、それを知っている……嫌な予感がした。

 

「きみ、なまえ、は」

 

必死に舌を動かして、金髪の少年にそう問いかけた。

少年は、俺に射殺さんばかりの視線を注ぎ込みながら口を開く。

 

「あぁ!? ……ジニア、ジニア・レオンハートだこのクソ女! お前が盗んだナイフの持ち主の甥だよクソッタレ!」

 

ーー先程、こいつに感じた『懐かしさ』は間違いではなかった。

こいつはタイサの血縁者だ。考えてもみれば壁一枚隔てたとは言え同じアメリカ大陸、居たって不思議じゃない。

……なら俺は、あの人の甥っ子の首を締め上げて殺しかけたという事になるのか。

顔から物凄い勢いで血の気が引いていくのを感じる。大急ぎで駆け寄って、抱き起こした。

 

「な、なんだよ急に」

「がぁぅぅ……!」

 

石を拾い上げ、それで地面に何度も【ごめんなさい】と書く。

土に頭を擦り付け、謝罪の意を示す。

 

「お、おいやめろ! 皆見てるから! なんか俺がいじめてるみたいじゃないか! ……あぁ、なんだってんだよ……! おい、ちょっと着いてこい!」

「がぁ……?」

 

ジニアは、俺の手を引っ張って人混みを掻き分けていく。

そして少し歩いた先にある民家の扉を開けた。

 

「……入れ」

 

俺を室内に引きずり込み、ガチャンとドアを閉める。

ジニアは椅子に腰掛け、もう一つの椅子に目伏せしながら『あー、座れ』と命令してきた。ここはジニアの家らしい。

俺は気まずさと申し訳なさに苛まれながら、俯いて席に着く。

 

「……お前、ダンデ叔父さんとどういう関係なんだ。さっきは頭に血が登ってたけど、叔父さんは十年以上前から別のレギオンに居るから、冷静に考えたらお前の年齢じゃ盗むなんて不可能だ。それにそもそもあの人がナイフを盗まれるなんてヘマするとは思えない……!」

 

物凄い早口で、捲し立てるようにしてジニアが言ってきた。

……十年前? ドミネーターが世界に現れてからまだ一月ぐらいしか経ってない筈だ。頭が疑問符で埋め尽くされる。

 

『気付いていなかったのか……? たった一月でここまでアメリカの文明社会が崩壊するなどあり得ないだろう。アメリカの時間軸は外とは大きく異なる。それも州ごとにな』

 

少し呆れたような声色で、魔王が俺の疑問に答えてくれた。

確かに、あのアメリカが中世程度まで文明レベルを落とすなんて不思議だとは思ってはいたが……そういう事だったのか。

そりゃあんな怪物どもに長期間攻められてたら現代社会が崩壊したっておかしくない。

 

……にしても、このナイフについてジニアに何と説明すれば良いか。

口ぶりからしてこいつはタイサに心酔しているように思える、死んでしまったなんて言えない。そもそもレギオンの壁をどうやって越えたかなんてどう()いたって面倒な事にしかならないだろう。

なら……上手い事、言いくるめるしか無いか。

ジェスチャーで『紙とペンをくれ』と伝える。

 

「あぁ……? 口を利くのが苦手なのか。紙は高級品なんだ。ほらこれに書け」

 

ジニアは俺に、薄い木の板と細い万年筆のようなペンを渡してきた。

俺の身分をどう伝えるか……タイサの知り合いの娘、って事にでもしとくか。明らかに人種は違うけど……黒髪ではあるが俺は青目だ。ハーフって設定にしよう。

 

【俺はダンデさんの知り合いの娘で、父に譲られたのを貰ったんだ】

「叔父さんがこのナイフを……? そういや叔父さんの前妻は日本人だって言ってたし別におかしくないのか? いや、でも……」

 

顎に手を当て、ぼそぼそと独り言を溢すジニア。目の前で手を振ってみるが反応が無い。どうやらこいつは考えるとき自分の世界に入ってしまう癖があるらい。

 

「……分かった。信じるよ。そのナイフはお前に持たせといてやる」

 

頭を掻きながらジニアが言った。俺はそれに胸を撫で下ろす。

……良かった。血縁者であるこいつに渡せと言われたら断ることが出来なかった。

 

「がう」

「じゃあ、もう帰れよ首締め女……あ、ちょっと待ってろ」

 

ジニアは俺を制止してから部屋の奥へと走っていった。

そして数分後、何枚かの布らしき物を持って帰ってくる。

それを俺に投げつけた。慌てて両手で受けとる。

 

「俺の家から血だらけの女が出てきたって噂が立っても困るからな。ほら、服を貸してやる」

 

広げてみると、それはフードの着いたパーカーとラフなズボンだった。男物だ、恐らくジニアの服だろう。

良いのか、と目線で聞くとバツが悪そうに顔を反らした。

……刺々しい態度だが、優しい。俺はこいつを傷付けたっていうのに。

だが、洗って返せる見込みは無い。気持ちだけ受け取っておこう。

俺は、服を机の上にそっと置いてからペンを取った。

 

【家も金も無いから、きっと返せない】

「あ……?」

 

ジニアは、眉を寄せながらその一文に目を這わせた。

 

「……孤児なのか、お前。どうりで……」

 

何かを考え込むように、ジニアは顎に手を当ててぶつぶつと呟く。

俺の服を見て、顔にしかめる。俺の体についた傷痕を見て、更

に険しい面持ちとなる。

そして、最後に俺の目を覗き込んできた。ジニアの瞳はタイサとそっくりのコバルトブルーで、見つめられると胸が痛くなる。変な緊張で、体がぎくしゃくしてしまった。

 

「……行く宛も、無いのか?」

「……ぐお」

 

自らが浮浪者同然の身の上だと云う事を、こいつに知られるのは何故かとても恥ずかしかった。

居心地が悪い。つい顔を下に向けてしまう。

 

「……住むか」

「がぁ?」

「だ、ダンテ叔父さんのよしみだ! お前をどうとか、まっったく! まぁったく思ってないけど……っ! どうしてもって言うなら、ここに住ませてやっても良い!」

 

吃りながら放たれたその言葉に、俺は思わず顔を上げてジニアを見る。

驚いて目をぱちくりさせていると、ジニアは「べ、べつに、嫌なら、無理にとは言わないが……」とごにょごにょ言葉を続ける。

 

『……どいつもこいつも、お人好しだらけだ。この時世で、どうかしている』

 

今回ばかりは魔王の言葉に同意する。

……俺としては願ったり叶ったりだが、本当に良いのだろうか。

その気持ちが向こうにも伝わったのか、『どうせ一人で住むには広すぎる家だし、ちょうど小間使いの一人や二人欲しいと思ってたんだ』と言ってくれた。

 

幸い、家事は慣れっこだ。ここは甘えさせて貰おう。

俺はジニアの手を取り、『これからよろしく』の意を籠めて微笑んだ。

ジニアの体が強ばり、少しだけ頬が赤くなる。

 

「っ、あ、ああ! だが、覚えておけよ! 俺は穀潰しを住ませるつもりなんて無い! それこそ馬車馬のように働いてもらうぞ!」

 

ふんっ、と吐き捨ててジニアはソファに寝転んでしまった。

……その不器用な優しさが、どことなくタイサに似ていて。

つい、笑ってしまった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

42.『ジニア.レオンハート』

もし本物の『神』とやらが実在するのならば、それはきっと目玉だけの怪物の姿をしている事だろう。

 

戦場へ向かう直前、父はまだ幼い自分に対してそう言った。

 

奴は善を救わない。

奴は悪を裁かない。

ただ、見ているだけ。

だから、手も足も無いのだと。

 

言葉の意味は分からなかったが、その時の父が恐ろしい顔をしていた事は未だに覚えている。いつも優しかった父はその時だけ、まるで世界を呪う悪鬼のごとき形相だった。

たぶん、実際に呪っていたのだろう。

 

その一ヶ月後に、父が死んだと知らされた。『天使』の手斧に頭をカチ割られて即死だったらしい。遺品など勿論無い。

しかしジニアは涙を流さなかった。否ーーそれ以上の、激流の如き感情の波に苛まれ、流すことが出来なかったと言うべきか。

様々な情動が入り交じる。絶望、悲しみ、諦め……そしてーーこの世の不条理に対する、煮えたぎる怒りが。

ふと鏡を見ると、醜く歪んだ表情の自分が写っていた。

確か、いつぞやの父もこんな顔をしていた。

 

 

その日、ジニア・レオンハートは鼻腔を(くすぐ)る食べ物の匂いで目を覚ました。酷く食欲を刺激される。起き抜けの腹がぐー、と鳴き喚いた。

何事かーーと一瞬思ったが、昨日の出来事を思い出し納得する。あの女が朝飯を作っているのだろう。

咄嗟に『馬車馬のように働かせる』と言ったが、実際にやるとは。寝巻きを着替え、自室の扉を開けてリビングに足を踏み入れた。

キッチンの方から、トントントンと包丁がまな板(クックプレート)を叩く軽快な音が聞こえる。

 

「がぁうっ」

「……ああ、おはよう」

 

料理は既に完成が近いようだった。貯蔵庫に入っていた食材を適当に使ったのだろう、塩漬肉や野菜が色鮮やかに盛り付けられている。ぐつぐつ湯気を立ち登らせるスープもあった。

笑顔で『おはよう』と伝えてくる少女に、ジニアは凍り付く。

こびり着いた血と泥を拭き取った少女は、予想外の風貌だったから。

 

自分の(よど)んだものとは異なる、まるでサファイアを嵌め込んだみたいに煌めく空色の瞳。陶器の如く滑らかで白い肌。

服装がジニアのパーカーとズボンであるゆえに色気の欠片も無い、しかしそれもボーイッシュな魅力に繋がっていた。

傾国の美女ーーというには幼な過ぎるが、絶世の美貌には変わり無い。

ジニアは内心で舌打ちをした。

彼は美人と色男が大の苦手だ。理由はなんだか自分が生物として下のような気分になるから。

不思議そうにこちらを見てくる少女に、居心地が悪くなる。

 

「ぐおっ!」

 

『できた!』とでも言わんばかりに少女は手に持ったおたまを掲げた。

出来上がった料理が食卓に配膳される。いつぶりかの二人分の食事だった。ジニアの胸の奥がジクリと膿んだように痛む。

促されるままに席に着いた。少女は召し上がれと微笑んだ。

ジニアはまず、スープに口を付ける。匙で掬ったこがね色の液体にふーっと息を吹き掛けてから、口許に運んだ。

 

「……美味い」

 

舌先が触れた途端、塩気に脳髄が打ち震える感覚を覚える。

二度、三度とスプーンで唇に運ぶ。四度めはもどかしくなって、皿ごと持ち上げて直接口に流し込んだ。

絶妙な塩加減と風味。少しだけ薄味な気もするがそれは些末な問題だった。

 

「……お前、料理上手いんだな」

「がぁっ」

 

少女は薄い胸を張って得意気な顔をする。

……ますます、どうして孤児なんかやってたのか謎だ。こいつなら口が聞けなくたっていくらでも働き口はあるだろうに。

自分と同じ……行き場の無い戦争孤児だと思って住む事を提案したが、失敗だったかもしれない。

……でも昨日、こいつの顔を覗き込んだ時、確かに自分と似たような目をしていた。

あれはーーそう。大切な人を奪われた人間の瞳だ。青空の向こう側に深い暗闇がある。

その闇にこそ、ジニアは惹かれたのかもしれない。

 

朝食を食べ終え、ジニアは席を立った。

普段は硬いパンばかり食べていただけに、久し振りに食事で満足感を覚えた。自然と口が弧を描く。

食べ物を詰め込みすぎてリスの頬袋みたいになった少女の顔を見ながら、ジニアは口を開いた。

 

「お前、名前は?」

 

昨日は聞けなかったが、曲がりなりにも一つ屋根の下で暮らすのだ。分からなければ不便だろう。

ジニアの問いに、少女は少しだけ迷った素振りをしてから木板へ手を伸ばした。

 

【シェノン】

「……変な名前だな」

「がぅ……っ!?」

 

不服そうな顔をするシェノンを無視し、ジニアは部屋の隅にある作業机の前に腰掛けた。

そこに広げられたのは、何枚かの黄ばんだ紙。

何かの設計図だろうか、紙面には緻密な図柄が所狭しと敷き詰められている。

ジニアは、険しい顔をしながらそれにペンを走らせていく。彼にとってそれはいつもの日常だった。

 

「ぐぉ……?」

「なんだ、気になるのか?」

 

背後に気配を感じて振り向くと、ジニアの肩越しにシェノンが興味深そうな表情で設計図を覗き込んでいた。

『それはなんだ』と視線で聞いてくるシェノンに、ジニアは少し得意気な顔になる。

 

「これはな、『銃』っていうんだ。昔に使われていた武器らしい」

「……がぁ」

 

アメリカの文明は、自分に物心がつく前に起こった"大攻勢"によってかなり衰退したと父に聞いている。なんでも、その地を支配する"ドミネーター"とやらが傷を負って弱れば、それと連動して文明レベルも下がるのだとか。

 

具体的には、中世以降に確立された技術によって作られた建造物や構造物ーーつまり、"人工物"が新しい物から風化して使い物にならなくなる。

そのせいで過去に使えていた兵器の運用が不可になり、あの『天使』どもに更なる苦戦を強いられてしまう事になった。

 

だから父は、従来とは全く異なる機構の重火器を開発しようとした。この設計図は父が遺した物だ。

ジニアは父の無念を晴らすためこの設計図を完成させようと日々努力しているが、ほとんど進捗は無い。

幾千を越える斜線の跡と、本棚に立ち並ぶ工学の本を見てシェノンもそれを感じ取ったのか、ガッツポーズをしてきた。

 

「はっ、応援してんのか?」

「がうっ」

 

自嘲気味に笑ったジニアに、シェノンは二つ返事で首を縦に振る。ジニアは思わぬ反応に面食らった。……他人に肯定して貰う事など、久しく無かったから。

この近辺でジニアは悪い意味で有名である。戦いの訓練もせず家に引き籠り父親の遺産を食い潰す臆病者として。

しまいに同年代の少年達から付けられたあだ名は"描き屋ジニア"。無論、蔑称だ。

彼らからすれば、ジニアは妄想の中身を一日中紙に書き殴っている狂人にしか見えなかったのだろう。

……そして、それは事実だ。

込み入った事情を知らないとは言え、こんな自分を肯定するこの女がおかしいのだ。

 

「……バーカ」

「がぁっ……!?」

 

照れ臭くなり、自分の頭をわしゃわしゃしながら設計図に集中する。彼が抱くのは自身への呆れ。他人に少し認められただけで舞い上がってしまう自分がとても愚かしかった。

 

「ふんっ……」

 

ーーでも、不快では、ない。

付箋だらけの専門書に顔を隠しながら、ジニアは自分の口角が吊り上げるのを必死に抑えた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

43."這いずる絶望"

今日2話目です。この前にもう1つ新しい話があるので、43話はそちらを見てからどうぞ。


『……どうやら、事態は思った以上に切迫しているらしい』

 

誰もが寝静まった深夜、ジニアの机にある設計図を見ながら魔王がそう呟いた。

……ドミネーターの損傷による、制圧地域の文明の衰退。ここにきて新たな情報が手に入った。

先の戦場で火器が見られなかったのには、そのような背景があったのか。

 

制圧者(ドミネーター)は、制圧地帯の『国力』と密接に繋がっていると前に言ったな。逆に言えば、ドミネーターが再生不可なまでの傷を負って力を弱めると、制する国も力を弱めると云う事だ』

 

それの意味する所は、つまり。

 

『あぁ……薄々察してはいたが、"雷神"に戦力を期待するのは難しいだろう。恐らく、眷属一体を維持するだけで手いっぱいな筈だ……』

 

落胆した様子で魔王は嘯いた。

……"壁"を破るのには、恐らく雷神の協力が必須だ。しかしそこまで困窮した状態じゃ向こうにそんな余裕は無いだろう。

ならどうするか。アメリカの時間軸が狂ってる以上モタつくのは得策じゃない。『外に出たら何十年も経ってて日本が滅んでました』なんて事になったらどうしようも無い。

 

「がぁうぅ……」

『まぁ、君の足りない頭で考えたって埒が開かない……こういう時は焦らず状況に身を委ね、運否天賦(うんぷてんぷ)で物事を進める事も悪くはない。そう、例えばーーこれだ。これは使える』

 

騎士腕が勝手に動き、設計図の表面をなぞらえた。ザラついた感触とインクの香りが心地よい。

……これを使う? ジニアの様子からして未完成の筈だ。

 

『ここまで精巧な銃の分解図、今のアメリカじゃまずお目にかかれない……それに、これは機構としては既に完成に近い。"新しい文明"が混じっているから鍛冶で作っても灰になって終わりだろうがーー君は不定形の騎士(ノンシェイプナイト)だ』

 

魔王の声に呼応するようにして、騎士腕の表面が不安定に波打った。

……なるほど、ドミネーターの力によって再現された機構ならばアメリカでも使えるかもしれない。

だが、一つだけ問題がある。

 

『なんだ、まさかジニアの努力を踏みにじれないとでも? はっ何を今さら。私たちは十数の国家を食い潰した怪物だぞ。今更、下らない道徳などーー』

 

俺の頭じゃ、複雑な武器は再現できない。

日本で比較的構造が単純なマスケット銃のコピーを試みたがそれさえ不可能だった。

こんなの無理だ。パーツを三つぐらい見ただけでも脳が沸騰しそうになる。

 

『……なんか、すまない』

「……がぁう(……こっちこそ)」

 

しばしの間、気まずい空気が流れる。魔王が『私はこんな奴に負けたのか……』と悲壮な声で呟いていたが、聞こえないフリをした。

 

「ぐおっ」

 

俺は、煮詰まった頭を冷やすために外へ出る事にした。ソファで寝息を立てるジニアにそっと毛布を掛け直しドアを開ける。流れ込んできた冷たい夜風に目を細めた。

頬を撫でる秋の香りが心に染みるような気がする。

ふと耳を澄ませば、遠くの方から何かの音が聞こえてきた。

硬質な物体で何かを叩くような音だ。

 

『天使どもを迎え撃つために砦を増設しているのだろう……明日は騒がしくなるぞ』

 

遠目から見ても、かなり堅牢そうな砦だった。

……だが、それは人間基準だ。あの数万を越える天使の猛攻を耐えきれるかは分からない。

俺を除いた最高戦力であろうシフだって万全じゃない。

砦を突破されれば、ここの住民は全員成すすべ無く殺されるだろう。……ジニアも、死んでしまう。

 

『おい、どこへ行くつもりだ』

 

俺は、気が付けばふらふらと砦の方向に歩み始めていた。

数十分歩いて、建設現場に辿り着く。

逞しい男達がせっせと角材を運んでいる。砦の高さは一番高い部分で十メートル程だ。

 

「ん……? あれ、どしたのシェノンちゃん。危ないよここ」

 

ぼーっと建設風景を見ていると、背後から聞き覚えのある声が鼓膜を震わせた。

振り向くと、そこには木材を肩に担いだアザレアが立っている。

 

「……ぐぉ」

「なに、不安なのかい? 大丈夫! 僕たちは必ず勝つさ……ヒトが、天使などに負けるものかよ」

 

建設作業に勤しむ男たちを見ながら、アザレアはそう呟いた。

その誰もが傷付き、疲弊しているのが見てとれる。しかしそれ以上の活気に満ち溢れていた。みなギラギラと闘志の宿った瞳で明日に備えている。

 

『……苦境にこそ輝く、人の強さだな。正に"背水の陣"というやつだ』

 

魔王の言葉に無言で同意する。

前に、アザレアがこの砦を"最終防衛ライン"と表現していた。その言葉の通り、ここを突破されればジョージア州は完全に奴らの手に堕ちるのだろう。

それを避けるため、皆が力を合わせているのだ。シフも、アザレア達も……ジニアも。皆が皆、別々の方法でこのレギオンを守ろうとしている。

それを俺は何故か、"美しい"と感じた。

 

『命を燃やし生きる人間とは、かくも美しいものだ。……その逆もまた然りだが』

 

俺に『見てるのは良いけど、あまり近付き過ぎないようにね』と釘を刺してからアザレアは現場に戻っていった。

……でも、ここに居る皆、明日には死んでしまっているかもしれない。

そう思うと、胸がチクリと痛んだ。

 

……魔王に、『今の俺がもし敵方のドミネーターと戦う事になったら、どれぐらいやれると思う』と念を送る。

 

『……正気か? 敵は恐らく、最低でもフランスの"英雄人形"クラスの力は持っているぞ。今の君では到底……いや方法は無くはないが……しかし……』

 

ごにょごにょ独り言を呟きだした魔王に、俺は溜め息を吐いた。

そうだ……戦うなんて馬鹿な事を考えてはいけない。俺の目的はあくまでアメリカ脱出だ。他の犠牲なんか気にするな。

 

『……その通りだ』

 

少しだけ暗い声で、魔王は俺に同調した。

……こいつだって、元は貧しい国民のために命をかけて戦った存在だ。

ここの住民の犠牲に見て見ぬフリをする事には、少なからず負い目があるのだろう。

 

それから俺は、煮え切らない気持ちのまま建設風景を眺めていた。

重機も無い原始的な方法にしては劇的なスピードで組上がっていく砦は、やはり人員の凄まじい熱量によるものだろうか。

 

やがて夜空が白み始め、地獄(あさ)の訪れを俺たちに報せた。

天使は日が上るにつれ活性化する。その情報が確かならば、もうじき侵攻を再開してくるだろう。

砦はもう完成しており、男たちは各々の武器を磨いたりしていた。

眠っていないからか落ち着きがなく、戦闘への昂りを抑え切れていない者が多い。

 

『さて、どうなるか……』

青い空には雲一つ無い。

そして、天を直視できないまでに日光が強まった頃に、()()()()()()

 

「おいっ、やつらが来たぞ!」

 

高台で遠くを見ていた男がそう叫ぶ。

空気が一気に張り詰めた。緊張でぎくしゃくし、足が震えている者も居た。

 

「中距離まで引き付けてから(いしゆみ)で潰すぞ。撃ち漏らしは俺が殺す」

 

その時、どこからか聞こえた声に皆が振り向いた。

声の方には、青白く輝く大剣を携えた中年が立っている。シフだ。

 

「し、シフさん! 良かった、怪我の調子は!?」

「本調子じゃねぇが、やれる。お前らもよく一晩でここまで仕上げたな。これならかなり持ちそうだ」

 

やはりシフは戦闘員の中でリーダー的な存在なのか、シフが来てから士気が大きく上がった。

天使達が地面を踏み鳴らす轟音がだんだんと近付いてくる。

 

「撃てえぇぇぇッ!!!」

 

シフの一声で、砦上部に設置された軽く三十を越える投石機が唸りを上げながら巨岩を発射した。

重たい着弾音と共に、ぐちゃりと不快な音が聞こえてくる。天使を何体か仕留められたのだろう。

 

「第二射の準備が出来るまで俺が時間を稼ぐ! 死にてぇ奴は着いてこい!」

 

砦から飛び出していったシフに、武装した何人もの男たちが続いた。

防壁の隙間から見える天使たちを、シフの剣から発せられる蒼雷が焼き焦がす。それで怯んだ所に男たちが全力で武器を叩き込む。その戦法で天使たちを効率よく倒していた。

先日と比べてかなり優勢だーーしかし、後には更に万を越える天使が迫ってきている。

我慢比べになりそうだ。

 

『……待て、何か、おかしい……? てっきり一気に沈めにくるものだと思っていたが……それにこの雰囲気は……まるで……』

 

しばらく黙りこくっていた魔王が、焦った様子で何かを考察している。

なんだ、"おかしい"ってーー? そう聞こうとして、俺はとある事に気が付いてしまった。

天使たちの足音とは性質の違う、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「*****!」

 

ーーその咆哮に、誰もが耳を塞いだ。

内蔵の全てが振動するような、音の暴力。

 

「っ、おい! お前ら一旦下がれ! くそ、クソが……! 十年ぶりかよ……!」

 

遠くに、うねる巨大な何かが見えた。

天使たちはまるで波が割れたかのように道を空け、動きを止める。

さながら生きた山脈の如きソレの姿が、少しずつ鮮明になってくる。

 

『生きていたのか……? いやそもそも、なぜヤツが、向こうについている……!?』

 

ーーソレは、天使の皮を被った蛇竜のような姿をしていた。

頭部の上には煌々と輝くオレンジ色の光輪が浮かんでおり、背には三対の白く巨大な翼が生えている。

なんだ、あの怪物は……!?

 

『アメリカに侵略してきたドミネーターは寄生型か……!? しかし、ヤツのあの姿は……』

「がぁ!? (おい、なんだあれ!?)」

『……ノンシェイプナイト。このレギオンは"詰み"だ。早く離れた方が良い』

 

魔王にしては珍しい、震えた声だった。

 

「ヤツは"ヨルムンガンド"。……だったモノだろう。完全に敵の手に堕ちてしまっている」

 

ーーヨルムンガンド。北欧神話に登場する怪物。恐らくアメリカのドミネーターの一体だろう。

なぜそいつが、北欧神話に存在しない天使に侵食されたような姿になってしまっているのだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

44.変貌する多面騎士

「っ……」

 

ーー格が、違う。そう一目で分かった。

流石は"ヨルムンガンド"……魔王の言っていた『ドミネーターの力は元になった概念や物品、そして国力に由来する』と言うのが本当なら、アメリカの制圧者であり神殺しの怪物の名を冠したこいつはきっと最強クラスだ。いつぞやの魔王以上かもしれない。

 

『おい、何ぼーっとしてるノンシェイプナイト……! 捕捉されたら終わりだ! 一旦カロライナ州の方にでも逃げるぞ! 』

「が、ぁ……」

 

逃げるーー逃げる。そうだ、逃げなければ。

絶対に勝てっこ無いんだ。この地に命をかけるまでの理由だって無いはずだ。

あんな怪物とやりあってる暇なんて無い。

俺の義務は日本を守ること。それ以外に命をかける権利など無い。

タイサを失い、『アルメリア』じゃなくなった俺にはそれしか残されていないーー俺は、一歩後ずさった。

 

【はっ……応援してんのか? お前】

 

「が、ぐ、ぅ……っ!」

 

ーーその時、ジニアの顔が脳裏を掠めた。

不器用で、優しくて……どことなくタイサに似た、あの少年の顔が。

照れ臭そうに頭を掻く姿も、どこか内罰的な口調も、その全部が自分を愛してくれたあの人と被って網膜に焼き付いている。

見捨てる、見捨てるのか、見捨てるのか? 俺は。

タイサは俺なんかを助けるためにその身を(なげう)った。勝てない戦いに、挑んだのだ。

それなのに、タイサに救われた俺はこの苦境に背を向け、必死に生きようともがく人々を唾棄(だき)しようとしている。

 

「ぅ、が、ぁ……」

『……チィ、これだから……!』

 

……そんなの、駄目だ。

だからもう一度、もう一度だけ、私利私欲のために命をかけたい。

右手に雷を装填する。……ここに居る全員、逃がすぐらいの時間は稼げるか? 雷神トールの近くまで引き付けて、俺のサポートに回ってもらってーーいや、そもそも雷神の場所が分からない。下手に都付近まで通したらそのまま押し込まれる。

どうすればーー

 

『……奴と渡り合う方法は、無いわけじゃない。』

「がぁ……?」

「だがそれには大きな代償が伴うだろう。しかも確実じゃない……それでも、やるか?」

 

呆れた、しかし少しだけ温かい声で魔王が俺に問い掛けてきた。

俺はそれに頷く。そんな夢のような方法があるのならば、代償なんて怖くない。

一体どうするというのだ。

 

『今の君は、君のコアから溢れるドミネーターとしての力を私が調整する事で能力を制御できている。その右腕はそれによる物だ。しかし出力は大幅に下がってしまっている。分かりやすく言えばリミッターだな』

 

魔王は溜め息を吐いてから、さらに続ける。

 

『つまり、この"リミッター"を緩めれば、君は全盛期……いや、私のコアを取り込んだ分、以前を遥かに凌駕する力を発揮できる筈だ』

 

……しかし、それには代償がある、と。

 

『……あぁ。本来この力は君の手に余るものだ。恐らく、すぐ本能に飲まれて理性を喪うだろう。全開で力を行使出来るのは……おおよそ、三分と二十秒。それが臨界値だ。それ以上は戻ってこれなくなる』

 

ーー三分間だけ、俺は全盛期の力を振るえる。そういう事か。

今一度ヨルムンガンドの方を睨んだ。……押し返せるか? 魔王の核を取り込んだ事による力の増強がどれ程かにもよるが……恐らく、厳しい戦いになるだろう。

……経験上、全てのドミネーターはその膂力とは別に強力な特殊能力を備えている。『天使の布』の寄生、『黒龍』の空間透過、魔王の肉体支配など。

あの『ヨルムンガンド』も、恐らく何かしらの異能を備えているだろう。

 

「ガァァァ……」

 

ーーだが、戦う。あの人に報いるために。

……勝てないとしても、せめて……せめて、ここに居る人間の半分が逃げるまでは押し留める。

負けるにしろ、俺がヨルムンガンドをギリギリまで削れれば、シフがなんとかしてくれるかもしれないからだ。

希望的観測に過ぎない……が、希望が無いよりは遥かにマシだ。

 

『……どうなっても知らないぞ』

「がぁう」

『はぁ……全く、何故こんなお人好しに私は負けてしまったんだか……まあ分かった。あくまで私は敗北者だ。君の決定には従うさ……では、いくぞ』

 

魔王の言葉を境に、胸を中心として全身が異常なまでに熱くなる。まるで心臓から出た血液がマグマになって血管を巡っているみたいだ。

 

「ガァ"ァァ……!」

 

ギチギチという金属質な音と共に、体が組み変わっていくのを感じる。

肌は硬質に、筋繊維は強靭に、骨は密度を増しーー生物としてのランク、あるいは階段を一足飛びに駆け上がる感覚。

一気に目線が高くなった。力が恐いぐらいに(たぎ)る。

 

「ガアァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァァ"ァ"ァ"ァァッッッ!!!」

 

ーー脳が、体が、闘争を求めている。心臓が馬鹿みたいに速く動いて熱い血潮を全身へ駆け巡らせる。

視界が真っ赤に染まって、脳髄が何か小さい虫にでもに食い荒らされてるみたいだ。

それに耐えるため咆哮する。俺が震えているのか、世界が震えているのかーービリビリと、空が揺れた。

 

「なんだ、ありゃあ……!?」

 

シフが、俺の方を向いて目を見開いていた。あいつの様子から見て、今の俺の姿はノンシェイプナイトのものに変化出来ていると思って良いだろう。ふと手を見ると、魔王の影響なのか指先が狼の爪の如く鋭くなっている。

これなら簡単に奴の(はらわた)を抉り出せそうだーー俺の中に住み着いた怪物が、口が裂けそうなぐらいに笑った。

 

「*******!」

「グラァァァッッ!」

 

ヨルムンガンドと目が合った。奴の這いずる速度が早まる。

ーー時間が無い。早期決着は願ったり叶ったりだ。

俺はクラウチングスタートの体勢を取り、全力で地面を蹴り飛ばす。それは爆発的な推進力をもって、俺の体をヨルムンガンドの付近まで運んだ。

近くで見ると、本当に迫力が凄まじい。しかし恐怖は感じない。

むしろ強大な敵との対峙に、自分の体が絶大な歓喜に打ち震える事が分かった。

ーーぶち殺してやる。右手に雷の槍を形成して、全力で奴の体表に突き立てた。

 

「ガァァアァアアァアア!!!」

「*****!?」

 

俺の放った雷槍は、ヨルムンガンドの鱗を二、三数焼き焦がして内部の肉を露出させた。

ーー勝てる、殺せる、今の俺なら。

自分の攻撃がこの怪物に通用している事に軽い感動を覚えながら、二発目を用意ーー

 

「ぐ、が、ァっ……!?」

『*****……』

 

ーーヨルムンガンドの巨体が、高速で()()()()()()

その場で回転した事により恐ろしく加速の効いた尻尾が、大剣の斬撃の如く鋭く重たい一撃となって正確に俺を凪ぎ払った。

 

『っ、鞭の原理か……! おい、奴は思ったより知性が残っているようだ、ただの獣だと思ったら足元を掬われるぞ!』

 

浮遊感を覚えた後、高速で何かに叩きつけられるのが分かった。軋む肉体を動かし状況を確認すると、背後には俺の形に抉れた砦の防壁があった。どうやら吹き飛ばされたらしい。

鉄色の腹部が大きく抉れていて、そこからバチバチと雷が漏れだしている。

 

ーーこんなの、掠り傷だ。

 

「ヴ、ラァ"ァァァ"ァァッッッ!!!」

 

傷を負う度、自分を縛っていた鎖が砕けていくような感覚を覚える。タガが外れてヒトから遠退くーーそれも、心地よい。

どうすればヤツを狩れるか。戦いの悦に支配された思考が回転して、体をどんどん戦闘に適した形状へ変化させていく。

そう、たとえばーー

 

『っ……おい、それ以上は……!』

 

二重変貌(ダブルデザイン)。『天使の聖骸布』×『失墜せし黒龍』。

 

「ぐ、ガァ……!」

 

ーーあまりの負荷に、脳が焼ける。体が更に組み変わる。イメージするのは雷鳴を纏う黒き龍。

ボコボコと全身が波打ち、四肢が漆黒の鱗を纏う巨駆へ変貌する。龍腕で拳を形作った。

今一度、爆発的な速度でヨルムンガンドへと突進する。

 

「ガァァァァッッッ!!!」

 

奴の振るう高速の尾と、俺の龍腕がカチ合った。

一瞬だけ拮抗するーーが、明らかに力負けしている。メキャメキャとこちらの腕から嫌な音が聞こえた。

だめだ、だメだ、こんなんじゃ、こいつを殺せない。

ヨルムンガンドの口元になにか光の粒子みたいなモノが集結している。なにか、大技を出すつもりだ。

赤く焼け爛れた思考を必死に回すーー……あぁ、そうだ。忘れていた。俺の知る『最強』をまだ使っていなかった。

 

「でザ、いン……!」

 

ーー変貌(デザイン)、『最果ての魔王』。

半ば砕けた腕を無理やり、魔王の使っていた十字槍へ変形させる。それは容易くヨルムンガンドの鱗に突き刺さり、存分にその肉を穿った。霞む視界の先で苦し気に唸る蛇に、俺の口元が歪む。

脳が、バチンバチンとゴム管が千切れるように嫌な悲鳴を上げているのが分かる。

 

「ヴ、ァアァァァ……!」

「*********!?」

 

もう、一押しだ……! これを逃したら次は無い。

俺に脅威を感じたのか、ヨルムンガンドはこちらに背を向け逃走を計っている様子だった。

 

「に、がスっ、ガァァァァァァァッ!!!」

 

ーー三重変貌(トリプルデザイン)

魔王と黒龍と天使ーーぜんブ、ぶつけてやるーー

 

『……時間切れだ』

「が」

 

体に力が入らなくなり、ガクンと膝から崩れ落ちた。両手足が鉄になってしまったみたいに重たく、動いてくれない。

ペリペリと、俺の身を包んでいた鎧が剥がれ落ちては霧散していく。

 

「ま、だ……!」

 

頭蓋の中で地震が起こってるみたいに痛む頭をおさえ、逃げていくヨルムンガンドへ手を伸ばす。しかし待ってくれるはずも無く。

俺の意識は、深い闇の中へ呑まれた。

 

 

レギオン・ジョージアの兵士たちは呆然としていた。

かつて彼らの前に現れ雷神トールを負傷させた"天蛇"。十年ぶりに出現したそれは、眷属であるシフを含めその場の全員を絶望へ突き落とした。全盛の雷神が辛うじて撃退したこいつを、今の自分達がどうにか出来る筈が無い。そう確信して。

 

ーーだがそれは、突如として降って沸いた特大の奇跡によって掻き消される。

獣の如き咆哮と共に現れたるは、たった一人の騎士。ヨルムンガンドに対し体長二メートルにも満たぬであろう()の騎士は、その体格差に見会わなぬ奮迅でヨルムンガンドを撤退させた。

まるで、おとぎ話から飛び出てきたようなその姿に、彼らは大いに沸いた。

 

「……救いの、龍騎士」

 

誰かが、ポツリとそう呟いた。救いの龍騎士ーーそんな、あまりにも稚拙で陳腐な呼びな。だがそんなものでも、いや、単純だからこそ、その場の全員の心に強く響いた。

 

「おい……! やるぞお前ら! クソ蛇はもう居ねぇんだ! あの騎士に続けぇぇぇっ!」

 

シフの扇動に、兵士たちは地鳴りとも間違えそうな激しい叫びで返した。

かつてないまでに膨れ上がった士気。心無しかあの天使どもも腰が引けているように見えた。

 

 

その日、ジョージア陣営は久方ぶりの大勝利を納める事となる。

荒野の戦場に、ボロボロの男達の喜声が響き渡った。

ヨルムンガンドを打倒した『救いの龍騎士』の名と共に、



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

45.虚飾の英雄譚

「ぁ、あ……」

 

ーー鋭い激痛で、目を覚ます。

瞼の隙間から流れ込んでくる夕陽が眩しい。

頭痛はもはや例えようの無い次元にまで達していた。強いて言うのならば……右脳と左脳をミキサーでかき混ぜられてるみたい。それでも足りないかもしれない。

俺は、ヨルムンガンドとやり合って、逃げられて、そして……ああ駄目だ。頭が働いてくれない。

 

「がぁ……」

 

倦怠感に苛まれる体に鞭を打ち、近場の木に寄り掛かりながらふらふらと立ち上がった。

と、鼻の下を生ぬるい液体が伝っている事に気が付く。……鼻血だ。べったり手に張り付いた鮮血が、月明かりで艶やかに輝いている。

……どこかの血管でも、切れーー

 

「っ……!」

 

ーー左腕に激痛を覚え、再び地面に崩れ落ちた。嫌な予感を覚えながらも痛みの根元へ目をやる。

そこにはあらぬ方向に曲がった俺の腕があった。肉が露出し、骨が突き出ていないだけ奇跡といったぐらいには重傷だ。

……ヨルムンガンドに粉砕されたのが、微妙に再生して止まっている。恐らく完治する前に『時間切れ』になったせいだろう。

右腕は相変わらずノンシェイプナイト時のままだ。こちらはほぼ無傷なのが救いか。

今度はしっかり呼吸を整えてから、左腕に力を入れないようにして立ち上がった。

おい魔王、起きてるんだろ。黙ってないでなんか話して欲しい。痛みが紛れるから。

 

『……あぁ、すまない。力を使い過ぎたせいで、コアの"消化"が速まったようでね。少しボーッとしていた』

「がぁ……」

 

足を引きずりながら都の方へと進んでいく。

歩く振動だけでも、神経を直接抉られてるみたいに痛い。気が遠くなるが歯を噛み締めて堪えた。

緩慢な足取りで歩むこと二十分。俺はやっと砦の前にまでたどり着いた。俺が朝に着ていたパーカーとズボンがそこらに落ちていたので、それを適当に着て都の門をくぐる。

中では、大勢の男たちによって宴が行われていた。戦いに勝った祝いなのだろう。包帯まみれで酒を煽っている馬鹿な奴も居た。

『……完全に戦勝ムードだな。たった一度退けただけだと言うのに呆けた連中だ。まぁ、あの気の張り詰めようからして、こうなっても仕方が無いのかもしれんが』

「がぁ……」

 

折れた腕が出来るだけ目立たないようにしながら、俺は街を進んでいく。

幸い、皆が皆騒いでるお陰で誰も俺に構おうとはしなかった。

……あそこのベンチで、少しだけ休もう。流石に限界だ。

 

「はぁっ、はぁ……、おい! お前……っ! どこ行ってたんだ!?」

 

だがそんな街でただ一人、切羽詰まった様子で俺に声が掛ける人間が居た。

肩を掴まれ無理やり振り向かされる。激痛が走るが、そこに居た少年の顔でそれも吹き飛んだ。

息を切らしたジニアが、心配そうな顔で立っていたから。

 

「がう」

「砦の方に行ったって聞いて、本当に心配っ……! してないけど!? 馬鹿な事やって死なれたらお前と関わってた俺の評判が下がるんだからな! ったく、帰るぞ! なんでこんな騒がしい時に外に出なくちゃ……」

 

ジニアは俺の左手を引いて歩き出そうとした。出そうになる悲鳴を抑える。

しかし何か違和感に気が付いたのか、数歩で立ち止まってこちらへ振り返った。

 

「……見せてみろ」

「がぁっ……!?」

 

俺の手を持ち上げて、訝しげ気な顔になる。

パーカーの袖を捲って傷を見ると、ジニアは『ひっ』と短く悲鳴を上げた。

 

「おっ、お前!? なんでっ、腕が、折れてるじゃないか!? 血もこんなに出て……」

「がぁ」

「『見ればわかるだろ』みたいな顔すんな! っ、あぁもう……! 頭おかしいよコイツ……っ!」

 

着いてこい! と言ってから、ジニアは歩み出した。

早足で進んでいるが、頻繁にチラチラ後方を確認してくる。心配してくれているのだろう。

それに少し嬉しくなりながら歩いていると、すぐに大きな建物の前で立ち止まった。でっかい十字のマークが壁に書かれている。病院だろうか。

 

ジニアに促されるまま中へ入ると、そこは傷を負った兵士たちでごった返していた。人手は行き届いているのか悲惨な印象は受けない。むしろ外の祝勝ムードが中にまで入り込んできてるせいか明るい雰囲気だ。

 

「す、すいません、こいつ、怪我っ、してて……」

 

ジニアは白衣を纏った看護婦らしき女性に吃りながら何かを説明している。元来、人見知りなのだろう。

看護婦が俺の方へ駆け寄ってきた。鼻をつく臭いの消毒液と、腕を固定するための包帯を持っている。

……どうせ変身すれば治るだろうから、医療器具を無駄に使わせるのは忍び無いのだけれど。

横に座るジニアが今にも泣きそうな顔をしているから、それも言い出せなかった。

「治りますか……?」

「えぇ、見た感じ綺麗に折れてるから、しばらく安静にしてればちゃんとくっつくわよ……うわ、酷いわねぇ……」

「ぅあっ……」

 

看護婦が、容赦なく消毒液をかけてくる。傷口に塩を塗りたくられるような激痛。思わず顔をしかめてしまう。

それからクルクル包帯を巻き、俺の腕を固定していく……タイサと出会った時もこんな具合だったな。思うと俺は腕を折られてばっかりだ。

痛みに耐えながら遠くを見つめていると、不意に見覚えのある金の瞳と目があった。

猫のような灰色の癖っ毛の青年、アザレアだ。手を振りながら笑顔でスタスタ近付いてくる。それに気が付いたジニアは何故か、ビクンと肩を跳ねさせてよそを向いた。どうしたんだ。

 

「おぉ、シェノンちゃん! 姿が見えないから心配したよ! 良かった良かった……って腕ケガしたのかい……あれ、そっちの子は? お友達かな」

「う、えっ!? お、俺、えと、ジニア、です、はい。たぶん」

 

アザレアに話し掛けられたジニアは凄まじく狼狽し、目を反らしながら答えた。なんだよ『たぶん』って……俺の言えた事じゃないが、自分の名前にぐらい自信を持って欲しい。

俺が呆れた視線を送っていると、ジニアがアザレアの隙を見て耳打ちをしてくる。

 

「お、おい、誰だこいつ……? お前の知り合いか……!?」

「がぁう……」

「な、なんでビビってるのかって……べべ別にビビってないけど? 知らない人とか怖くないし!? ちょっと顔が良いから劣等感が……」

「聞こえてるよー」

「ひぃっ!? ごめんなさいごめんなさい!」

「……がう」

 

縮こまったジニアに、アザレアは困った顔で俺へ助けを求めてきた。

 

『……何かしらのパーソナリティ障害でも抱えてるんじゃないかこいつ? 思春期の対人不足は成長後の社会性を著しく損なうぞ。哀れだから君がたくさん話し掛けてやれ』

「ぐおぉ……」

 

無事な方の手でジニアの背中を優しくさすりながら溜め息を吐く……さっきの口振りからして、こいつ基本的に引き籠りなんだろうな。それでもこの反応は無いけど。人見知りって次元じゃないぞ。

まあ……ジニアの為にも今日は早いとこ家に帰るか。

俺は、脈打つように痛む頭を押さえながら立ち上がった。

 

「あ……家まで送ってくよ。流石にその怪我じゃ心配だし」

「がぁ」

 

俺はアザレアに支えられながら建物から出た。ジニアはいそいそと一人で前の方を歩いて行ってしまう。人見知りだからアザレアと話したくないのだろう……と思ったが、頻繁にこちらへ振り向いて、何か言いたげな顔をしている。『どうした』と視線を送ると、何故か拗ねたように目を逸らされた。

めんどくさい性格してるなジニアは……

「さぁ! 雷鳴の如く現れた龍腕の大英雄! 神に等しき()の"天蛇"を打倒せしめた救いの龍騎士! 最新にして最強の英雄譚を聴きたい者はーー」

 

俺達の進路の先には、大きな人だかりが出来ていた。

吟遊詩人らしき、帽子を被った男が良く通る声で何かを語っている。

……救いの龍騎士? さっきの戦場には龍に乗った騎士なんか……いや、まさか。

 

「あ、耳も早けりゃ仕事も速いなぁ……吟遊詩人(かれら)は。二人とも、折角だから聞いてくかい?」

「が、がぅ……?」

「いやぁ……戦場に"変なの"が出てね? まぁアレのお陰でこのレギオンは首の皮一枚繋がったんだけど……いやはや、どうなってんだか。事実は小説より寄なりとは良く言ったものだよ……ねぇ?」

 

細まった瞼の向こう側にある金色の瞳が、ジロリと俺を見た。

……俺とヨルムンガンドの戦闘が、脚色されて英雄譚になったのか? 何が『最新にして最強の英雄』なんだか。中の人の腕へし折れてるんですけど。

少しだけ不本意な気持ちになりながら、詩人の語りに耳を傾ける。

 

「風の噂によれば……彼の龍騎士の正体は、かつて"天蛇"に滅ぼされた亡国の王子!」

「ぐお(おい)」

「その素顔は正に細身の麗人! 二メートルにも及ぶ長身にして鋼の肉体は、男として正に美の極致にあり!」

「ぐおぉぉ!?(おぉぉい!?)」

「ど、どしたのシェノンちゃん」

 

前方を陣取っている女性陣から黄色い歓声が挙がる。こ、こいつ、女性人気の為にイケメン設定にしやがった。都市伝説というのはこうして生まれていくのか。

足元に散らばる投げ銭を満足そうに集める吟遊詩人を睨みながら俺は大きな溜め息を吐いた。余計に頭が痛くなる。

横目でジニアを見れば、じぃっと詩人の語りに聞き入っていた。完璧に騙されてやがる……まあこの年頃の男の子はこういう話好きだろうけども。

 

『ほ、細身の麗人だと、ぷっ……ま、まぁ、嘘はついてない。そこに女児と低身長を付け足せば完璧だな』

「があぅぅ……」

 

それから十数分程して、俺達はジニアの家の前まで辿り着いた。

二人で同じ場所に住んでると知ってアザレアが『……兄弟なのかい?』と聞いてきたから、似たようなものだと返した。

 

「うーん……でも、本当に何なんなんだろうねぇ……アレ。亡国の皇子にして伝説の戦闘民族の末裔で悪の組織に改造された正義ヒーローらしいけど」

「がぁぁ!(設定ごちゃごちゃじゃねぇか!)」

「じゃ、僕は用事あるから帰るよ。シェノンちゃんも……()()()()()()()()()()()()()()()

 

アザレアに別れを告げ、俺とジニアは家の中に入った。

ランタンの灯によって照らされた暗い室内で、二人分の影が壁に揺らめいている。

 

「はぁ……疲れた。買い出し以外で外に出たのなんて久しぶりだ……」

「ぐお」

「あぁ、お前は座ってろよ怪我してんだから。ご飯は俺が用意するよ」

 

大きく欠伸をしてから、ジニアはキッチンの方へ歩いていった。調理をするその背中をぼんやり見ていると、『……なあ』とジニアが呟いた。

 

「お前……あの、あれの事、どう思う」

「ぐぉ……?」

「……"救いの龍騎士"の事だよ」

 

トンっ、と小気味良い音で野菜をぶつ切りにしながら、ジニアはぼそりと言った。

僅かに見える横顔は、その心中に渦巻く複雑な感情を俺に伝えてくる。

……どう思うも何も、あれ俺なんだけど。

微妙な顔をしている俺に、ジニアは更に続ける。

 

「………凄い嫌な予感がするんだ。良い側面しか無い物なんて世界に存在しないんだよ。あの騎士はこの都を救ったかもしれない。でもきっと、更にマズイ何かを引き寄せる」

「がぁう……?」

「嘘じゃない! 父さんがいつも言ってたんだ……人にも物にも必ず二面性があって、例えば俺から見た『良い人』も、他人から見れば『嫌な奴』なんだって。だから良い奴も悪い奴も信じるなって! あとなんか良く分かんないけどイケメンと美女は皆性格が悪いって」

「ぐぉ……(多分それお前の父さんが一番性格歪んでるよ……?)」

「と、とにかく! お前は、あれの事どう思うんだ」

 

くわっ! という感じで迫ってくるジニアを呆れた目で見ながら、俺は机の上に転がっていたペンに手を伸ばした。

……そうだな。俺は、良い存在なんかじゃない。

 

【俺も、あれは、ただの化け物だと思う】

「そ、そうだよな……あ、煮えた。ほら出来たぞ」

 

ジニアは俺の前に、お盆に乗った汁物を出してきた。

……タイサと違って料理出来るんだな。俺は木のスプーンで具の野菜を口に運んだ。……しょっぱいし、野菜は煮えすぎてグズグズのベチャベチャだ。お世辞にも美味しいとは言えない。

 

「どうだ……?」

【美味しいよ】

「そ、そうかっ! ふ、ふふふ……っ、これ、父さんも美味いって言ってくれたんだ」

 

ジニアは食べる俺をにまにましながら見ている。他人に自分の作った物を食べて貰うのは嬉しいものだ。気持ちは良くわかる……でもちょっとばかし量が多い。残したいが、ジニアがきらきらした目で見てくるから頑張って飲み干した。

 

「……ぷはっ」

「おかわりするかっ?」

「がぁう……」

「そ、そうか」

 

しゅんっ、として食器をかたずける背中に罪悪感を感じた。

……明日からは、どうにかして俺が作ろう。傷付けないようにそう伝えなければ。

が、下腹部に圧迫感を覚え俺は席を立った。スープを飲み過ぎたせいだろう。

 

「んっ……」

「どこ行くんだ?」

「ぐお……(トイレ……)」

 

急いでトイレに入り、バタンと扉を閉める。

腰を下げながら、俺はほっと溜め息を吐いた。

 

『……ジニアの話も、あながち間違いではない』

「ぐお(お前もイケメン嫌いなのか魔王)」

『違うわバカ。……先程の戦闘が新たな脅威を引き寄せるという事だ。ヨルムンガンドを退けられる存在が居ると分かれば、次は向こうも本気で潰しに来るだろう。何かしらの対策を練らねばまずい』

 

悩まし気な声色で魔王が言う。

……対策と言っても、具体的にどうすれば良いんだ。

 

『例えば兵器への変形だが……まず、君は頭が悪すぎる』

「ぐおおっ……!?」

『変形能力持ちの癖に現代兵器の再現程度やってのけられないとは……全くの出来損ないだ。私が狩ったドミネーターの中にも何体か不定形タイプは居たが、体を組み換えてホーミングミサイルぶっぱなしてきた事もあったぞ。勉強して銃の一丁や二丁出して見せろ』

 

確かに……雷は目立つし、何より燃費が悪い。銃の機構を再現する事が出来ればかなり小回りが効くようになるだろう。

現代兵器の構造を頭に叩き込む事を、当面の目標にするか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。