空飛ぶにわとり番外編 (甘味RX)
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本編前
グランコクマで迷子


なにかの任務で遠目に見るのがせいぜいで、大佐とも陛下ともほとんど会える機会が無かったころ。ビビリの頑張ってた時代。


 

 

【 迷子の迷子のレプリカくん 】

 

 

 

 こんばんは。

 マルクト軍入隊三ヶ月の二等兵リックです。

 

 俺は現在、真夜中のグランコクマ市民街にいます。

 

 

 先輩方に「アンパン買ってこいや」と宿舎を送り出されたのは三十分前のこと。

 でも当然というかなんというか この時間に開いてるお店なんて早々なくて、あちこち渡り歩き、ようやく見つけた露店でなんとかパンを買うことが出来ました。

 

 よかった買えたと安堵の息をつきながら、引き返そうと道を振り返り、固まった。

 ザァッと頭から血が下がっていく。

 

 背後から、たった今アンパンを買った店のシャッターが閉まる音がした。

 それがぴしゃんと閉じきれば、あたりはほんの少しの街頭の明かりを残しに真っ暗になる。

 

 額から冷や汗が噴出すのを感じながら、俺は呆然とあたりを見渡した。

 

「……ここ、どこ?」

 

 人々のざわめきがなくなった町は、見慣れたグランコクマとは思えないくらい無機質に目に映る。

 

 そういえば、俺、市民街の奥まで来たのはじめてだ。

 生まれてしばらくは宮殿内のごく一部しか歩けなかったし、兵士研修のときも兵士になってからも寮生活で無断外出禁止だし、昼間は訓練だし……。

 

 高まる恐怖にアンパンの袋を持つ手に力を込めると、紙袋のガシャリという音がやけに大きく響いて思わず飛び上がる。ここここ、こわ……っ!

 

 

 そして、帰らなくては、と本能に急かされて歩き出すも、どちらから来たのかすらもうすっかり分からなくなっていた。

 暗い道を恐る恐る進むうち、目にどんどん涙が溜まってくる。

 

(ま、真っ暗だ)

 

 取り巻く闇から逃げるようにスピードが上がっていき、最終的には全力疾走になっていた。

 

(怖い、怖い、怖い。……こーわーいーッ!!)

 

 走り出してそうしないうちに、涙目から号泣になる。

 滲んで揺れる視界の中、俺はとにかくがむしゃらに走った。

 

 怖い。怖い。怖いよ。ここどこなんだよ。怖い。アンパン冷めるよ。怖いってば。

 

「~~ジェイドさぁん……っ!」

 

 迫り来る恐怖感に耐えかねて、強く目を瞑った。

 

 そのとき。

 

 

 がつん、と右足の先が何かにつっかかる。

 へ、と声を上げる間もなく、俺の体は前方に大きく吹っ飛んで、顔面スライディングで地面につっこんだ。

 

「こんなところで何やってるんですか」

 

 顔を押さえてもだえていると、耳に届いた低いけど よくとおる声に、俺は勢いよく体を起こして、後ろを振り返った。

 

 そこには、薄い硝子越しに俺を見る、呆れたような真っ赤な目。

 

「じぇっ……!」

 

 スライディングのせいだけでなく、確実に顔が紅潮している気がする。

 その顔面スライディングをするはめになった原因が、何食わぬ顔でちょっと突き出された彼の右足だとかそんな事はもうどうでも良かった。

 

「ジェイドさんんん!!」

 

 抱きつこうとした俺の額を彼がガシッと掴んで止める。だけどここでめげるような余裕は、今の俺にはなかった。

 額を押さえられたまま、腕を伸ばしてジェイドさんの軍服の端を両手で力いっぱい握る。

 

「ジェイドさんジェイドさんジェイドさんー……!」

 

 そのまま、またべそべそと泣き出した俺を見て、彼が溜息をついた。

 そして額に掛かる圧力が少し減る。

 

「一般兵の夜間外出は禁じられているはずですが?」

 

「アンパン……アンパンを……うう、アンパンさぁん……」

 

 ああ、なんか今 ジェイドさんと混ざった。

 

 軍服を掴む手の片方を離して、すっかりしわくちゃになったパンの袋を掲げてみせる。

 するとジェイドさんは訝しげに眉間に皺を寄せたあとに、得心したというように肩をすくめた。

 

「またパシリにされてたんですか」

 

「ただの買い物係ですよぅ」

 

「……それをパシリというんです」

 

 言いながら、ジェイドさんが頭痛を堪えるように額に手を当てた。

 そ、そうなのか。覚えとこう。

 

 赤い目はもう一度こちらを映して、すぐにそれた。

 軍服の端を掴んでいた俺の手を払って、さっと身をひるがえし夜のグランコクマを歩き始めたジェイドさんの背中を目で追う。

 

「ジェイドさん?」

 

「大佐と呼びなさい、リック二等兵」

 

「え、あ、はいっ……大佐」

 

 そうだ。軍に入ったんだから、俺とジェイドさんはもう上司と部下なんだ。

 

 兵士になる。

 それは自分で望んだことであるにも関わらず、少し寂しく思った。なにより、“ジェイドさん”と大好きな名前を呼べないことを。

 

「しかし、私の軍人としての仕事は先ほど終わりました」

 

 聞こえてきた言葉に顔を上げて、先で立ち止まった背中を見つめる。

 

「となると今ここにいるのは大佐でなくて ただの三十路男です。夜間の無断外出についての責任を問える立場にもありません」

 

 すると彼はすこし、少しだけ、こちらを振り返った。

 赤い目がまた俺を捕らえる。

 

「……帰りますよ、リック」

 

 それは本当に一瞬で、言い終えるよりも先にそらされてしまったけれど。

 俺は頬がだんだん緩んでいくのを感じながら、その背中を追った。

 

「はい、ジェイドさん!」

 

 



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ピオニーとジェイドとリックの日常

ピオニー視点


 

 

【 それが僕らの日常 】

 

 

 

 

 私室から伸びる抜け道を通って、ジェイドの執務室へと顔を出したピオニーは、その光景に目を丸くした。

 

 デスクに座ったまま最上級に輝く笑顔を浮かべるジェイドと、その前に青い顔で正座するリック。

 

 今の状況をひとことで表すとして、

 何も知らない者が見れば「混沌」

 マルクト軍の者が見れば「地獄」

 

 そしてピオニーからみれば、「日常」に他ならなかった。

 

 だがジェイドの笑顔がここまで強烈なのは珍しい。

 よほどのことをやらかしたのかと思いつつ、おもむろに場に割り込んだ。

 

「よっ、今日はどうした?」

 

 すぐに二対の目がこちらを捉えるも、もはやそこに驚きはない。

 ピオニーがジェイドの執務室に転がり込む、これもまた日常だ。

 

 その代わり下のほうからは救いを求める視線が、正面からはさも鬱陶しそうな赤が一身に注がれている。

 だがジェイドはまたすぐに笑顔を浮かべてピオニーを見た。関係ないのに背筋に寒気が走る。

 

「ええ、どこかのバカが馬鹿なタイミングで バカなことをやらかしただけです。ええもう、どこかの大馬鹿者が」

 

「……ごめんなさぁい……」

 

 おそらく大分前から説教され続けていたのだろうリックが少々燃え尽き気味に謝罪を口にする。

 とにかく謝る事にかけてはエキスパートと呼んで過言でないこの子供がここまで力尽きているのもまためずらしい。

 

「なんだ? そんなにまずいことやったのか?」

 

「……はいぃ」

 

 

 

 

 町に程近い場所に現れる魔物の討伐に、ジェイド率いる第三師団が向かった。

 

 この手の任務に第三師団が当てられることはまず無いのだが、今回は数が多い上に、一体一体がそれなりの強さを備えた群れだったゆえに保険の意味も込めて白羽の矢が立てられたらしい。

 ジェイド直属であるリックも当然その任務に同行した。

 

 討伐は、思った以上にてこずったという。

 決して負ける戦いではないものの、全員の生還は少し危ぶまれる。そんな状況において、ジェイドは威力の強さゆえに普段あまり使わない譜術を放とうとした。

 

 その狙い定めていた領域に、ぽっと出てきたリックが入り込んでしまったらしい。

 リックの言い分としては戦闘のさなかに偶然押し出されてしまったのだという。

 

 ピオニーは、不器用な幼馴染があの子供に味方識別(マーキング)をつけていないときがあることを知っている。

 

 とはいえリック自身が、味方識別の有無までは分からないにしても、もろとも吹っ飛ばされる時があるということは承知しているから普段は上手く避けているのだが、今回はどうも間が悪かったらしい。

 

 

 

 

 結果的にジェイドがなんとか効果範囲をずらして事なきを得たものの、任務完了後の現在、ジェイドの執務室にて懇々と説教中。

 聞いた話を纏めるとこんなところだった。

 

「まったく新兵じゃないんですから、音素の動きと規模くらい察しなさい」

 

「はい……」

 

 説明の合間にも怒られているリックを見ながら、ピオニーは室内の大きなソファにどかりと腰を下ろして笑った。

 

「別に何もなかったんだろ? いいじゃねぇか、腕がもげたで無し、丸焦げになったでなし、ハゲたで無し」

 

「ハゲませんよ!!」

 

 頭を押さえながら最後の一文に過剰反応するリックの向こうで、ジェイドは深く溜息を吐いていた。

 細められた眼鏡越しの赤い目がピオニーを捉える。

 

「陛下がそうやって甘やかすから、いつまで経ってもリックがヘタレなんじゃないですか? まぁ八割方 生来のものですが」

 

「バカ言え、叱ってばっかじゃビビリになるぞ。まぁもうだいぶ手遅れだが」

 

 赤と青の瞳が交差して、きしりと空気にヒビが入る。

 仁王立ちの皇帝陛下と、笑顔を捨てたマルクト軍大佐がデスク越しに睨みあった。

 

「大体、陛下は物の教え方がおおざっぱすぎるんですよ。もっとしっかり説明してやらないとダメじゃないですかバカなんだから」

 

「なんだと!? お前のマニュアルみたいな説明のほうが分かりづらいだろうが! かいつまんで教えてやらんと理解出来んだろうがアホなんだから!」

 

「もう全部俺が悪かったってことでいいですからケンカしないでくださいぃー!!」

 

 割り込んできたリックの声に はたと気付いてそちらを見やると、しゃくりあげながら ぼろぼろと泣く子供の姿に、頭の冷えた大人二人、バツが悪そうに顔を見合わせた。

 

 やがてジェイドは眼鏡を押し上げながら息をついた。

 

「二十代男の図体で泣かないでください、みっともない」

 

「はいぃ~」

 

 情けない声で返事をするリックに、ジェイドはもう一度溜息をついて額を押さえた。

 

「お説教はここまでにしますよ。その代わり、次の無いようにしてください。……直撃を喰ったら怪我じゃ済まないんですから」

 

 息と共に静かに押し出された言葉。

 やはり涙声で返事をするリックの声を耳の端に聞きながら、ピオニーは少し目を見開いた。

 

 事が仕事となると厳しい奴だからと思っていたが。

 ああこれは、と二人に気付かれない程度に口元に手を当てる。

 

(なんだ、こいつ)

 

 説教はここまでと言いながら、さらに注意点を言い聞かせるジェイドと、がっくり肩を落として開始した説教に涙するリックを見比べて、込み上げた笑いを手の平で覆い隠した。

 

 

(心配してんじゃん)

 

 分かりづらい幼馴染の分かりづらい動揺。

 

 それを微笑ましいと言ったら今度はあの説教が己に向くだろうことを察して、ピオニーはその光景を楽しく見守らせていただく事にした。

 

 

 



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ピオニーとジェイドとリックの日常Ⅱ

 

 

 

【 あるグランコクマの一日 】

 

 

 

 

 ブウサギの鳴き声響く部屋の中、ほうきを手に持った俺は仁王立ちで目の前の人物を睨みつけた。

 

「いいかげん掃除っ……してくださいとはもう言いません! ええ言いませんから! だからせめて!」

 

 トコトコと愛らしく歩いてきたブウサギが、口に咥えようとした紙を寸前でさっと引き抜く。

 それを眼前の、マルクト帝国ピオニー九世陛下へと突きつけて、俺は叫んだ。

 

「国家機密モノの書類を床に放置するのは止めてくださぃいい!!」

 

 整理整頓しろなんて無理なことも言わないから、ブウサギが食べないところに置いて欲しい。

 間違って食べられた重要書類が今までいくつ出たことか。でもブウサギに罪はないので怒れない。

 

 となると陛下に管理してもらうほか方法は無いのだ。

 いいかげんにしないと ここのブウサギたちが大佐にフレイムバーストで丸焼きにされてしまう。俺だってブウサギは好きだからそんな暗黒色の展開は断じて避けたい。

 

 陛下は聞いてるんだか聞いてないんだか、膝に乗せた一匹のブウサギ(あれはネフリー様だ)を撫でながらあっけらかんと笑った。

 

「バっカだなぁお前~。俺にそんな器用なこと出来ると思うか?」

 

「上に乗せとくだけで良いんですぅ!」

 

「んじゃリックが乗せといてくれ」

 

 ああ、いつもこうして陛下に負ける。

 涙ながらに床の書類を拾い集め、机の上においた。

 

 いやいや、一回戦は負けたが、まだまだ勝負はこれからだ。

 俺は手にしたほうきで部屋の掃除を続けながら、今一度 陛下に向き直った。

 

「じゃあ掃除の件はもういいですから、仕事してください陛下」

 

 頭の中で二回戦のゴングが鳴る。

 

 机の上には先ほど置いた他にも、目を通さなければならない書類の山が築かれていた。

 それにちらりと目をやった陛下がうんざりした顔になる。

 

「……後でやる」

 

「ダメですー! そう言って陛下いつもやらないじゃないですか!」

 

 なんでマルクトの皇帝と、こんな夏休みの宿題をめぐっての母と子みたいな会話をしているんだ俺。

 理性は状況の異常さを認識しながらも、毎度のやりとりすぎて正直あまり違和感を覚えていない自分に瞑目する。

 

「陛下が仕事してくれないとジェイドさんが大変なんですっ」

 

「お前は寝ても醒めてもジェイドさんジェイドさんと……。たまには俺のことも昔みたいにピオニーさんって呼んでみろ! 自分が考える究極に可愛い声で呼んでみろ!!」

 

「俺、声はまごうかたなく二十五歳の男ですよ!?」

 

「いや、いいんだ。俺が楽しいから。ていうかどれだけ気色悪いか試したい」

 

 陛下と大佐は本当に幼馴染なのだと思い知らされる瞬間だ。この『楽しいから』でどこまでもやらせる辺りがまさに一緒だ。

 

 まずい。これ以上 会話してるとまた負ける。

 最終手段として、俺はさっと部屋の外に出て、顔だけをだし扉から中を覗き込んだ。

 

「とにかく、ちゃんと仕事してくださいね!」

 

「あ、リックてめ……ッ!」

 

 悪態は聞ききらずに、がちゃん、と扉を閉めて、さらにすぐ外から鍵を閉めた。

 少しの間、中から声が聞こえていたけど、やがて静かになったのを感じて扉からそっと背を離した。

 

「……か、勝った……かな?」

 

 扉に耳をつけて、物音を確認する。

 すると中からは微かな紙の音が響いていた。

 

 目を輝かせて拳を握る。

 やった! 今日こそ勝てたんだ!!

 

 初めての勝利を噛み締めながら、ほうきをメイドさんに返しに行くため、その場を後にした。

 

 

 

 そして三十分後。

 差し入れのお茶菓子を持って、俺は部屋の扉を叩いた。

 

「陛下、ちょっと休憩しましょう」

 

 いつもなら休憩という言葉に飛びついてくるはずなのに、少し待っても何も反応が無い。おかしいな、寝ちゃったのかな。

 

「……陛下? はいりますよー」

 

 首をかしげながら、かけた鍵を外して扉を押し開けた。

 

 いつもどおりブウサギだらけの雑然とした部屋の中。

 そこに主の姿は……なかった。

 

 手にしたお菓子の乗ったお盆を思わず落としかけるも、ダメになったらもったいないという気持ちがとっさにブレーキをかけて踏みとどまる。

 

 とりあえず机の上にお盆を置いた。

 がしゃんと少し派手な音をさせてしまったのはもう仕方ない。

 

 重なった書類の上につっぷして、ぶるぶると震える。

 

「……へいかぁああー!!」

 

 扉にも窓にも外から鍵かけといたのに、なんで脱走できるんだ あの人は!

 

 

 

 

 

「で、ここに来たと」

 

「…………めんぼくないです」

 

 デスクに腰を落ろした上司は、うなだれる俺を前にそれはもうイイ笑顔を浮かべて言った。

 うう、怒鳴られた方がまだマシだ。この笑顔の大佐は怖い。

 

 だけど陛下の行動パターンは大佐が一番よく知っているし。もしかしたらここへ逃げてきてるかもしれないとも思って来たのだが、あいにくと陛下の姿は無かった。

 

「どうしましょう大佐ぁ」

 

「知りませんよ。アレの面倒を見るのはリックの仕事でしょう?」

 

「動きが奇想天外すぎて俺には予測がつきません……」

 

 俺の仕事は大佐の補佐。

 そして大佐の補佐というと、その内容の六割が陛下の相手だった。

 

 その間は仕事が はかどるようでジェイドさんはわりとご機嫌だ。

 だから出来れば大佐に頼らないで何とかしたかったのだけど、俺にはもうお手上げ状態。

 宮殿内はくまなく探したと思うのに、陛下は一向に見つからない。

 

 ぐったりと肩を落とす俺を見かねたのかは定かじゃないけど、大佐が少し笑みを浮かべて口を開いた。

 

「頭を冷やしなさい、“人”を探すからいけないんです。“隠れる場所”を探しなさい」

 

「隠れる場所?」

 

「ええ。あなた得意じゃないですか、人に見つからない場所を見つけるの」

 

 これで人を探すのがと言われないあたりちょっと切ないが、大佐の言うとおり俺は隠れ場所を探すのだけは得意だった。

 それすなわちビビリだからだ。誰にも見つからない安全な場所は本能が心得ている。自信たっぷりに言うの本当に切ないけど。

 

「自分だったらどこに隠れるか、それを考えて探しなさい」

 

「……やってみます」

 

 こくりと頷いたあと慌てて敬礼を付け加え、俺は大佐の執務室から出た。

 扉が閉まりきるその間際、「がんばりなさい」とジェイドさんの声が聞こえた気がして振り返るも、すでに扉は音も無く閉じていた。

 

 幻聴だったのかもしれないけど、俺は熱くなる顔をひきしめて、拳を握った。

 

 お、俺、頑張りますジェイドさん!!

 

 

 

 

 

 宮殿入り口を出発点に、俺は自分だったらどこへ隠れるかを考えながら歩き出した。

 

 例えば植木の裏だとか、大階段の影、資料室の本棚の横や、客室の隅っこ。

 決して人がこないわけじゃないけど、気付かれない。そんな場所を重点的に見回った。

 

 でも謁見の間の椅子の裏まで見たところで、やっぱり自分の勘では当たらないんじゃないかと不安に駆られる。

 

 ジェイドさんはああ言ってくれたけど、陛下は本当に計り知れないところがあるし。

 見張りの兵士さんと挨拶を交わして通路を歩きながら、うぅん、と唸った。

 

 こうなると宮殿のてっぺんとかいう可能性も考えるべきだろうか。

 でももし俺だったら隠れるためにわざわざそんな所には……。

 

 そこで、ちかり、と頭の中に白い光が瞬いた気がした。

 

 目を見開いて顔を上げる。

 

 

 

 

「……陛下」

 

「お、見つかったか。思ったよりは早かったな、これで夜まで逃げおおせるつもりだったのに」

 

「全然早くないですよ! ずっと探してたんですから!!」

 

 陛下の部屋の、ブウサギの眠るベッドの陰。

 ちょっと身を乗り出してそこを覗き込めば、ゆったりと床に座り込んだ陛下が笑っていた。

 

 まさに灯台下暗し。

 陛下は脱走なんかしてなくて、最初からずっとここにいたんだ。

 

「まったくもう、こういうことしないでくださいよぉ。俺、本当に焦るんですからー……」

 

「ハハハッ、わりぃわりぃ」

 

 ちっとも悪いと思っていなさそうな軽い謝罪に俺はまた肩を落としたけれど、すぐに顔を上げて苦笑した。

 

「あんまり心配させないでください、ピオニーさん」

 

 手前に寝転ぶブウサギに体重半分 預けながら言うと、ピオニーさんはすこし目を見開いたあとに、がしがしと後頭部をかく。

 

「……わり」

 

 ほんのちょっとだけ、バツが悪そうにそう呟いたピオニーさんの顔は、ほんのちょっとだけ、赤かった気がする。

 

 女の人にはあれだけ愛を囁くのに、自分に「大好き」を向けられるのは苦手な、優しい人。

 この人はやっぱりジェイドさんの幼馴染なんだろう。そんなところまでそっくりだ。

 

 俺は腕の中のブウサギと顔を見合わせて、笑った。

 

 

 

 

「じゃ、仕事しましょうかピオニーさん!」

 

「悪いリック俺ちょっと腹痛が」

 

 




床に放置するのは内部関係のつまんない書類だけで、ちゃんとした国の書類なんかはしっかり管理してたりする陛下。要するに遊ばれてる。
そして陛下の妙な言い訳にいちいち騙されるからまた遊ばれる。



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ピオニーとジェイドとリックの日常Ⅲ

ピオニー視点


 

 

【 漢の心得 】

 

 

 

 

「いいかリック。男ってやつはな、簡単に諦めちゃいけないんだぞ」

 

「うう?」

 

 見かけこそ少年だが中身は赤ん坊同然の子供は、分かっているのかいないのか、俺の言葉に目を丸くして首をかしげた。

 

「世の中、甘い言葉だけでどうにかなるもんじゃない。要は根気だ、根気が必要なんだ」

 

 ぐっと拳を握って力説する。

 

「言葉、態度、プレゼント。持てる全てを持ってして攻めろ。それを途中で諦めたら落とせる女性も落とせな、」

 

「一応選ばせてあげますが丸焼きと串刺しどっちがいいですか?」

 

「……まぁ時には引く事も肝心だ」

 

 背後から響いた絶対零度の柔らかな声に俺は握っていた拳をほどいて素早く顔の横に上げた。

 それと同時に軽い金属音を残して何かがコンタミネーションでしまわれる音がして内心安堵の息をつく。

 

 振り返ればいつのまにやってきたのか、この子供を作り出した張本人である男がいつもの輝かしい笑顔で立っていた。何か言われる前にさっさと言い訳をすることにする。

 

「お前が忙しそうだから俺が代わりに色々教えてたんだろ」

 

「それは結構ですがもう少し内容を考えてください。皇帝じゃなかったらとっくにふっ飛ばしてますよ」

 

「いやちょっと待て。お前たまに吹っ飛ばすだろ俺のこと」

 

 さも多少は敬っているかのような言い方は止めてくれ。

 皇帝になってからも何度かくらった奴の見事な譜術を思い出して背筋が冷える。

 

「じぇーどさんっ!」

 

 響いた声に はたとそちらを見ると、リックはいつものようにパッと顔を明るくして、最近ようやく確かになってきた足取りでジェイドのほうへ走り寄った。

 

 生まれたてのレプリカというやつは本当に赤子と変わらないようだが、ただ人間の赤ん坊よりは覚えや成長が早いような印象を受ける。

 

 しかしそれ以外はまったく変わらない、ただの子供だ。

 ちょっと器が大きいだけの、小さなこども。

 

 抱きつこうとしたリックの肩をぎりぎりで掴んで押し止めたジェイドの姿に、俺は少し目を細めて微笑んだ。

 

 なんにも他と変わりやしない。

 不器用な親と、真っ直ぐな子供。

 

「リック」

 

 留められたことを気にするでもなく、ただ嬉しげに笑ってジェイドを見上げていた子供に呼びかける。

 不思議そうに振り返ったリックと、また何か言い出すのかと渋い顔のジェイドを見返した。

 

「男ってやつは、自分の気持ちに正直に生きるんだぜ」

 

 声高らかに言い切れば、やっぱり不思議そうな顔のリックと、渋みと眉間の皺を増したジェイドの顔が目に入る。

 

 そんな二人の様子に、俺はまた笑った。

 

 

 

 

「へーいーかー。ちゃんと聞いてますか?」

 

 過去から現在へ急に引き戻される感覚に、俺は何度か目をしばたかせて、さっきの記憶の中の子供と、今目の前の青年が同じ人物であると脳に言い聞かせた。

 姿は大きくなったが、やっぱり中身は子供であるということも。

 

「んん、ああ、聞いてる聞いてる」

 

「陛下が話聞いてないときにする返事 第三位ですねっ」

 

 そうなのか。無意識だった。

 二位と一位の存在が気になりつつも、悪い、と軽く片手を上げる。

 

「もー。だからこの書類とこの書類が……」

 

 見ただけで嫌になる堅苦しい字がびっちり書き込まれた紙をリックが幾枚か差し出したとき、寝室の扉がノックされる音がした。

 軽く返事をすると、扉を開いて入ってきたのは、さっきまで過去に登場していた人物その二だ。

 

「ジェイドさん!」

 

「おう、どうした」

 

 過去と変わらず、やはり奴の姿を見て顔を輝かせるリックに笑いそうになりながら問う。

 

「所用で出てきますので、諸々許可をいただきに」

 

 そう言って手渡された書類にざっと目を通して、判を押してやる。

 好きにやれとそれを返せば、どうも、と簡単な礼がかえってきた。

 

 するとすぐに身をひるがえして出て行こうとするジェイドに、リックが笑顔で自分を指差す。

 

「あっ、じゃあ俺も一緒に」

 

「結構です」

 

 ばたん、と無慈悲に閉じられた扉を見つめて、がくりと下がった肩。

 毎度のことながら俯きかげんにぼたぼたと涙を滴らせている。よくもまあ、これだけそっけない反応をされ続けても付いて回るもんだ。

 

 俺はひとつ息をついた。

 

「――男ってやつは?」

 

 その背を見ながら静かに呟くと、反応したリックが頭をあげて、俺を振り返る。

 

「……簡単に、あきらめない」

 

 やはり情けなく眉尻は下がったままだったが、それでもそれなりに強い光を浮かべた目が再び扉を睨み、ぐっと拳を握った。

 

 続けざまに二人の人間を吐き出した扉がゆっくりと音を立てて閉じる。

 

 

 あいつがなけなしの度胸をみせるのはジェイド関係のときだけだなぁ。

 おさまらぬ笑いの合間、扉の向こうに消えた子供を思い、そして不器用な旧友に向けて、独りごちる。

 

「中々、よく育ったと思わないか?」

 

 なんてったって、大切なやつのために頑張れるのが男ってもんだ。

 

 

 ……まあ、臆病すぎるのがたまにキズだが。

 

 通路のほうから響いてきた爆音と音素の振動、そして聞きなれた悲鳴に苦笑した。

 

 

 



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ピオニーとジェイドとリックの日常Ⅳ

 

 

 

【 このひと時に あなたを想う 】

 

 

 

 

 俺がまだ幼児同然だったころ。世界みたいな赤色が俺を迎えに来てくれた。

 

 彼はときどき俺の様子を見に来てくれていたけど、どうも忙しくなってしまったようで、ドアの向こうから金茶の髪が覗く事がめっきり少なくなった。

 

 ノブが回る音に目を輝かせては、肩を落とす日々。

 

 どんどん落ち込んでいく俺を見て、暇を見つけて(仕事をサボって)は顔を見せにきてくれていたピオニーさんが、ふと良い事を思いついたように笑顔を浮かべた。

 

『リック、ジェイドのこと色々ききたいか?』

 

『じぇーどさん?』

 

『ああ。聞くなら任せとけよ。あいつに関しちゃ、俺のほうが大先輩なんだからな』

 

 ずっと、くもりみたいだった気持ちの中に、晴れ間が見えた気分だった。

 

 それから陛下はジェイドさんのことをたくさん俺に話してくれた。

 その大半は子供のころの話、時折混ざる最近の話、そしてよく脱線する話の流れ。

 

 すべてが新鮮で楽しかった。

 

 

 

 

 

 

 

「兵士学校のころ、ですか?」

 

 ティーポッドを手に、俺はカップに半分紅茶を注いだところで動きを止めた。

 皇帝仕様のきらびやかな椅子にだらしなく座った陛下が、手をひらひらと軽く横に振る。

 

「あー、つうかアレだな、ジェイドの直属になる前。表立った会話できなかっただろ? お前らなんかコミュニケーションとか取れてたのか?」

 

 コミュニケーション。

 俺と大佐の間で使われるには違和感のありすぎる単語に引っ掛かりを覚えつつも、過去の記憶をさらった。

 

 兵士を目指して人の世に出てからは、外向きの関係は常に「大佐と兵士」。

 レプリカだと感づかれないために、間違っても自分とのつながりを見せるなとジェイドさん直々のお達しだったので、俺に逆らう理由はなかった。

 

「でも他に人がいないときは声かけてくれましたよ」

 

「へぇ、なんて」

 

「何か入り用なものはあるかとか、あるならジェイドさんの自宅のほうにその旨書いた手紙を送るようにとか」

 

「……それ会話か? それで満足だったわけか?」

 

「もちろん」

 

 そのためにこの職を選んだようなものだし。

 

 兵士になる。

 それはたぶん俺が生まれて初めて言ったわがままだ。

 

 頼んだ時、大佐は少し眉を顰めたけど、何も言わなかった。

 

 その後はとんとん拍子に事が進み、気づいた時には兵士学校への入学手続きを終えていた。掛かった費用はすべてジェイドさんが負担してくれたらしい、と俺は陛下から聞いた。

 

 兵士見習い生活が始まってからも、生活必需品やら必要経費やらは大佐が出してくれていた。

 直接大佐からの援助だと悟られないように、ちょっとアレなルートとか裏工作とかがあったらしいという事はこの際目を瞑っておこう。

 

 まあ色々あって大佐直属になれてからは、大っぴらにジェイドさんの後をついて回れるから俺は今すごく幸せだ。

 

「そう例え仕事の六割が陛下のお世話だったり、研究の実験台にされたり実戦でオトリにされてもろとも吹っ飛ばされたりしても」

 

「ティーポッドが小刻みに震えてるぞ」

 

 いやいや俺は幸せです。

 

 不満があるとすれば、そうだ。

 大佐の色んな話を俺は知っているけれど、そのどれもが大佐から直接聞いたわけじゃないということ。

 それはジェイドさんの事を何一つしらないのと同じことなんだと思う。

 

「いいなぁ、陛下は。ジェイドさんと一緒にいた時間が長くて」

 

「そりゃ稼働年数からして俺のほうが断然長いんだから当然だろ。後はアレだ、最近のあいつに関してならお前の方がよく見てんだろうが」

 

 確かに直属になれてからはそうかもしれないが、それはほんの一、二年の話だ。まだ分からない事も多い。

 だけど陛下の言葉をつっかえ棒にして、ヘコみかけた気持ちを何とか留める。

 

「……よし! 大佐の譜術のキレについてなら俺以上に詳しい奴はいないと思います!」

 

「あー、まあ そうだろうなぁ。毎日なにかしらくらってんもんなぁ オマエ」

 

「はい!」

 

 ちなみに今朝はとびきり活きの良いロックブレイクをいただきました。

 

 陛下は拳を握った俺を見てからりと笑ったあと、

 ふいに静かな表情を浮かべて机の上に手を組んだ。

 

「なぁ、リック」

 

「はい?」

 

 そのめずらしい顔つきに内心首をかしげつつ、青い瞳を見返す。

 海のような深い青。

 

「お前、ジェイドのこと好きか?」

 

「大好きです」

 

 間髪いれず答えを返せば陛下はきょとんと目を丸くした。

 

 俺はその問いにすらならない問いに、いよいよ首を傾げる。

 だって、ローレライといえば第七音素、ユリアといえばジュエ、ジェイドさんといえば大好き、だ。

 

「そっか」

 

 だけどそう囁いた陛下がとても柔らかく目を細めて笑っていたから、俺もその意図を察して、苦笑した。

 

 それはまさに無用の心配だろう。俺は、何があったって。

 

「あいつのこと頼むぜ、リック」

 

「はい、もちろん」

 

 まだまだ頼りないかもしれないけど。

 あの人の背中には、追いつけていないけれど。

 

「俺は諦めませんから」

 

 

 ジェイドさんの口から、ジェイドさんの言葉で、ジェイドさんのことを聞きたい。

 その思いは変わらず胸にある。

 

 でもそれにはもう少し、蓋をしておこう。

 今は傍にいられるだけで幸せだから。

 

 

 

 ……だ、だけど、いつかは……お願いしますジェイドさん。

 

 

 



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フリングス将軍とリック

アスラン・フリングス視点


 

 

【 言葉の意味 】

 

 

 

 マルクト軍本部。

 渡された書類の中身を確認して、フリングスは傍で控えている青年に視線を移した。

 

「ありがとう、リック」

 

「とんでもないです」

 

 ジェイド大佐の直属部下である彼は、そう言って嬉しげに笑う。

 

 立場上よく大佐や陛下と顔をあわせる関係で、彼とも顔見知りではあったが、こんなふうに緊張を解いてくれるまでには随分かかった。

 特に嫌われていたわけではないと思うのだが、彼はどうも気が弱いというか、弱すぎるというか。

 

「大佐にもお礼を伝えてもらえるかい」

 

「はい、もちろん」

 

 そして小さく頷いたリックを見たところで、ふと気付いた。

 

「なんだか元気がないな。何かあったんですか?」

 

 問うと彼は、いえそんなことは、と少し言葉を濁しながら目を泳がせる。

 どう考えても何も無かったことは無いような仕草だ。

 

 彼と自分、そう年齢は変わらないはずなのに、どうも小さな子と話をしているような印象を受けて、さらにそのことに違和感を覚えないことがなんだかおかしかった。

 

「じゃあ悩みでも?」

 

 持ったままだった書類を自分のデスクの上に置きながら問い直すと、迷うように唸っていた彼がおそるおそる口を開く。

 

「少将、大好きより大好きって、なんて言ったらいいんですか?」

 

 突然の質問返しとその内容に、聞いておきながら何だが一瞬固まってしまった。

 慌てて脳の活動を再開させて、問いの理解とそれに対する返事を考える。

 

「そうだな……愛してる、かな?」

 

 するとリックは確認するように何度か言葉を口の中で繰り返し、納得がいったのかぐっと拳を握った。

 

「愛してるか……よし! ありがとうございます!」

 

「いや、力になれて良かったよ」

 

 それにしても大好きより大好きだなんて、好きな女性でも出来たのだろうか、と微笑ましい気持ちで目を細めた。

 

「さっそくジェイドさんに言ってきます!」

 

「ちょっと待った!」

 

 すぐさま出て行こうとするリックの両肩を掴んで止める。

 

「えっと、それは、どういう?」

 

 問いの意味を急いで再構築しながら聞いたところによると、何度大好きだといっても大佐が全く信じてくれないから、彼は「大好き」より強い言葉をさがしていたのだという。

 

 なるほどそれで、と納得すると同時に込み上げる苦笑。

 臆病さと合わせて、彼の大佐への懐きようも内部でわりと知れたところだ。

 

 ジェイド大佐はその能力の高さやクセのある人柄から、おおむね人には疎まれるか怖がられるか、もしくは宗教的なまでに祭り上げられるか、の三つに分かれる。

 

 皮肉や倦厭する言葉もよく聞こえたが、最後のパターンに当たる者達が口にする大佐についての様々な賛辞も耳にした。

 

 だけど、「大好き」という言葉を使ったのは自分が知る限り彼だけだったように思う。

 それこそ子供のように真っ直ぐに口にするから、見ているほうとしても毒気を抜かれるようだった。

 

「でも大佐にということなら……さっきのは止めたほうがいいですね」

 

「ぇえ、何でですか? 大好きより上級の言葉なら大佐も何か反応してくれるかもしれないのに」

 

 そうですね上級の譜術を返してくれると思いますよ、とは言わずに、そこは曖昧な笑みでごまかした。

 ずっと軍属で来た者は多少なりと色恋沙汰にうとい場合があるが、彼はもっと根本的なところから拙い気がする。

 

「いや……なんというか、“愛してる”は主に男性から女性へ使うものなんだ。だからジェイド大佐に言うにはちょっと、どうだろう」

 

「そうなんですか」

 

 少しがっかりしたように言う姿に、さっき止めることが出来て本当に良かったと思った。あのまま行かせていたらまず間違いなく宮殿のどこかが壊れただろう。

 

 じゃあどうしよう、とリックが難しい顔で独りごちる。

 それを見て、フリングスはふと笑みを零した。

 

「言葉は、単なる記号です」

 

 山のような意味を持った音、それは突き詰めれば伝達手段のひとつに過ぎない。

 忘れてはいけないのは、この言葉というものが“気持ち”を伝えるために作られたのだということ。

 

「大好きだという気持ちがたくさん詰まった『大好き』は、時に『愛してる』に勝ると俺は思いますよ、リック」

 

 薄っぺらな愛してるも、うわべだけの大好きも、その逆もある。

 要はただの音の羅列にどれだけの思いを込めるかだ。

 

 それに彼は考え込むように真剣な顔で俯いたが、すぐにパッと頭を上げた。

 

「……ありがとうございます、フリングス少将!」

 

 そして軍隊仕様の見事な礼をしたかと思うと、こちらの顔を見返して明るく笑う。

 なんだかこの間 町で見かけた懐っこい大きな犬のようだとぼんやり考えた。

 

 「それでは失礼しました!」とやっぱり軍隊仕様のかちっとした敬礼を残して、今度こそ部屋から出て行ったリックが消えた扉を少しの間 眺めたあと、ぶっと噴き出した。

 

 込み上げる笑いを喉の奥に留めようとしながら、デスクに手をつく。

 そこには先ほど渡されたばかりの書類がおいてあった。

 

 

 首を傾げるほど臆病で、ジェイド大佐が“大好き”で、普通の軍人のような、子供のような、まったく訳の分からない男。

 あれでは大佐は大佐でさぞ扱いに苦労していることだろう。

 

「ははっ」

 

 そしてフリングスはあの変な青年を、中々どうして気に入っている。

 

 

 




ほぼ軍内育ちのリックは、軍で生きる上の知識はあっても一般常識には少しうとい。


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ジェイドの私物を壊して大慌て?

 

 

【 スペクタクルズ・パニック! 】

 

 

 

 

 窓から差し込むうららかな光。

 絶えることなく響く静かな水音。

 

 換気のために先ほど開けた窓から流れ込む心地良い風と、鳥たちの軽やかな歌声。

 そして目の前に鎮座する物体を前に、立ち尽くす俺。

 

 ……え?

 

 

 

 

「大佐、失礼しまー……あれ」

 

 腕いっぱいに抱えた書類と共に、薄く開いた扉を押し開けて、俺はきょとんと目を丸くした。

 頼まれていたものを持ってきたのだが、その執務室に主の姿がなかったのだ。

 

 忙しい人だからなぁ。また誰かに呼ばれて行ってしまったんだろう。

 でもそう長く持ち場を離れる人でないことも確かなので、すぐに戻ってくるはずだ。

 

 にしても重い。

 へたすると視界すら塞ぎかねないほど大量の紙類を受ける腕が、そろそろ限界を主張しはじめている。

 

 視線を動かして様子をさぐりながら部屋の中へ入った。大佐の机がある位置をすばやく確認する。

 

「あー、重かったぁ」

 

 書類を机の上までもっていき、そこでぱっと手を離した。

 やっぱり二回に分けて運べばよかっ、

 

 ガシャリ

 

 耳に届いた、紙を落としたのとは別の硬質な音。なんだ今の。

 

 数秒間考えた後、窓のほうを向いて背伸びをしようとしていた俺は背後を振り返った。

 あるのはたった今、書類を置いたばかりの執務机。

 

「…………」

 

 静かに体の向きを変えて、無意識に足音をひそめながら机に近寄る。

 書類の山が、なんだか少し傾いでいる気がした。

 

 背中にじわりと汗が滲み出てくるのに気付かないふりをして、俺はおそるおそる、そこに手を伸ばす。

 

 紙の束を今一度、ゆっくり、ゆっくり、そうっ~と、持ち上げた。

 そこには窓辺から差し込む昼下がりの日光を受けて爛々と輝く眼鏡。

 

 ……の、残骸?

 

 たっぷりと考えて、己のやらかしたことを理解した瞬間、声ならぬ悲鳴と電撃が体中を突き抜けていくのを感じた。

 

 ぺしゃんこになった元メガネを摘み上げてみる。

 レンズにヒビ。フレームは歪んで、ツルが今ぽろりと落ちた。

 

「っ、っ、ーーッ!??」

 

 机に突っ伏して、駆け抜ける寒気と怒涛のような冷や汗をそのままに自問自答を始める。

 なんだ。俺は何をしてしまった。

 

「これ、メ、メガネ、だよな」

 

 どこからどう見ても眼鏡だ。元だけど。

 

「……ジェイドさんの、眼鏡、だよな……?」

 

 ジェイドさんの執務室に置いてあるんだから、ジェイドさんの眼鏡に決まってるだろう。

 

 いや、でも待て。考えてみろリック。ジェイドさんはめったなことじゃ眼鏡を外さないじゃないか。

 なんでも譜眼の抑制装置だとかで、俺だって素顔のジェイドさんほとんど見たことないし!

 

 ………………。

 ……いや、自分の言葉にショック受けてる場合じゃない。

 

「でも、そうだよな。はは。ジェイドさんの眼鏡なわけないな」

 

 きっとゼーゼマン参謀総長が忘れた老眼鏡でも預かってたんだろう。

 あ、それならそれで参謀総長に謝んないとなぁ。

 

 でも誠心誠意謝ればあのひとはきっと許してくれるだろう。

 にしても良かった。これが大佐の眼鏡だったら俺、明日の朝日を見られないところだった。

 

 眼鏡を手にホッと息をついたとき、執務室の扉が開く音がした。

 

「ああ。もう来ていたんですか」

 

 それに続いた声に、ぴんと耳を立てる。

 一気に浮上した気持ちを感じつつ、笑顔で振り返った。

 

「大佐! おつかれさまで――…」

 

 そして、ぎしり、と固まる。

 

「所用で少し出ていたんですよ」

 

 言いながら丁寧に扉を閉めた大佐が、またこちらを振り向いた。

 

 俺の大好きな真っ赤な瞳。

 その間をいつもへだたっているはずの薄いガラスは、そこにない。

 

「ところでリック。すみませんがどこかで……」

 

「みてません!!」

 

 ジェイドさんかっこいいと男惚れする余裕もない。

 とっさにメガネを握り締めてそう叫びながら、俺は大佐の横をすり抜けて部屋を飛び出した。

 

 

 

 

「……で?」

 

 謁見の間。

 

 王座で頬杖をつき足を組んだ皇帝陛下は、半眼のまま一言、そう零す。

 床にがくりと膝をついた俺は涙目で陛下を見上げた。

 

「お前の形相に気を効かした憲兵が通したんでなきゃ、皇帝への謁見なんて本当なら三年待ちだぞー。分かってるか?」

 

「三年ってどれだけ謁見希望されてる気ですかぁ。半端な見栄張らないでくださいよぅ」

 

「やかましい! そんなとこばっかりちゃんと拾うな!」

 

 玉座から身を乗り出しながらそう怒鳴り、そのあと気を取り直すようにひとつ咳払いをして、「で?」と会話の続きをうながした陛下。

 

 そこで俺は、先ほど起こったばかりの出来事をしどろもどろに説明する。

 

「ジェイドの眼鏡を壊したぁ?」

 

 全てを聞き終えた陛下が、調子外れな声をあげた。

 

「はい……どうしましょう陛下」

 

「どうもこうもお前、早急に国外逃亡するか、おとなしくインディグネイションの餌食なるか」

 

「うわーーーん!!!」

 

「待て待て。冗談だ、じょうだん」

 

 手をひらひらと振る陛下。

 本当に冗談で済まないからやめてください。

 

「でもなぁ、リック。 そりゃあ……」

 

 ふと静かな顔をした陛下が何か続けようとしたとき、謁見の間の大きな扉の向こうから響いた声があった。

 

「陛下、失礼します」

 

 それに俺はびくっと肩をはねさせる。

 この声は……!

 

 陛下は少し考えるように片眉をあげた後、「入れ」と言った。

 

 扉が開き、向こう側にジェイドさんの姿を確認する。

 次の瞬間には、俺はまた壊れた眼鏡を握り締めて全速力でその脇を通り抜けていた。

 

 

 

 

 トボトボとひと気のない通路を歩く。

 

 また逃げてしまった。

 何やってるんだ俺。こんなことしたって……。

 

「あれ、リックじゃないか」

 

「フリングス、少将?」

 

 顔を上げれば、ほがらかな笑顔を浮かべたフリングス少将の姿。

 俺は彼の顔をしばらく眺めた末、だばっと涙を滴らせた。

 

「うわ」

 

「フリングス少~将ぉ~。ジェイドさんが、ジェイドさんのぉー!」

 

 泣きながら訴えると、彼はそれだけで納得したように「ああ」と笑みを浮かべる。

 

「今度は何があったんだ?」

 

「……ジェイドさんの眼鏡を、壊してしまいました」

 

 一度書類で潰した上に、さっきから幾度となく握り締めていたせいですっかり見る影もなくなった眼鏡を見せると、少将は苦笑をみせた。

 

「これはこれは。かなり盛大に壊しましたね」

 

「なんかもう、俺どうしたらいいのか……」

 

 深く肩を落として溜息をつく。

 そのうえ二回も逃げてしまったし。

 

 するとフリングス少将は俺を見てやわらかく微笑んだ。

 

「本当に?」

 

「え?」

 

 目を丸くして、少将を見返す。

 彼はそっと笑みを深めた。

 

「本当はもう、どうすればいいか分かってるんじゃないのかい?」

 

 優しく告げられた言葉が体に染み渡る。

 

 俺は少し俯き、情けなく眉を下げて、頷いた。

 

 

 

 

 小刻みに震える拳を再度握り締め、俺は目の前の扉を睨む。

 

 いつも見ている大佐の執務室の扉。

 それが今は地獄への扉にも見える。

 

 ああでも、がんばれ俺。

 

 強く目をつむって息を吸い、扉をノックするための手を振り上げ、……からぶった。

 

「ぉうわっ!」

 

 なぜか想定していた位置に扉がなかったがゆえに、思い切り前につんのめってそのまま床に倒れこむ。痛い。

 ぶつけた鼻を押さえながら顔をあげると、そこには真っ赤な瞳があった。

 

「……あれ?」

 

 その赤を覆う、薄いガラス。

 

「あれ、ジェッ、さ、眼鏡、なんで、……あれぇ!?」

 

 大佐は呆れたように溜息をつきながら、眼鏡を押し上げた。

 

「まったく、早とちりもいいところですよ」

 

 床に座り込んだまま目を皿のようにして大佐の顔を凝視する。

 続いて手の中に視線を落としたが、そこには確かにボロボロの眼鏡。

 でもジェイドさんの顔にも眼鏡。

 

「その眼鏡はゼーゼマン参謀総長のものです」

 

「ええぇ!?」

 

 混乱しきりの俺に、大佐は事の顛末を話してくれた。

 

 俺が破壊した眼鏡は参謀総長のもので、会議室に置き忘れていたのを大佐が回収したと。

 だけどそこで、めずらしいことに大佐はそれをどこに置いたか忘れてしまったらしい。

 

「まったく、私も年ですかねぇ」

 

 そう言っていつもの顔で肩をすくめた大佐を呆然と見返す。

 それから手の中の眼鏡を見て、ざっと全身の力が抜けた。

 

 最初の予想通りだったのか……。

 なんでこんなときばっかり勘が当たってるんだ。

 

 さっきまでの緊張がほぐれていくと同時に、俺はそろりとジェイドさんを見上げる。

 

「ジェイドさん、ごめんなさい」

 

 大佐が怪訝そうに首をかしげた。

 

「眼鏡を壊したことですか?」

 

「いやっ、それもそうなんですけど、その……すぐに…謝らなくて……」

 

 すると大佐は得心したというように目を丸くして、ふと表情を緩める。

 そして俺の手から、壊れた眼鏡をひょいと拾い上げた。

 

「そうですね。それではいますぐにこれと美味しいお茶菓子を持って、ゼーゼマン参謀総長に謝りにいきなさい」

 

 ひび割れたレンズを覗きながら、ジェイドさんはそう言って静かに微笑んだ。

 

「それで、ゆるしてあげますよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ大佐、戻ってきたときは何で眼鏡してなかったんですか」

 

「最近よく譜術を使うもので、念のため技術部に点検をお願いしていたんです」

 

「そんなに譜術使うような任務ありましたっけ?」

 

「いやですねぇ。あなたが毎日使わせてるんですよ」

 

「……あ」

 

 

 



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彼と僕の記録 ~ブウサギ育成日誌~

 

「俺といっしょに、帰りましょう」

 

 懇願するように語りかけながら、そっと手を伸ばす。

 それを否むように、彼は僅かに顔を背けた。

 

「もう十分じゃないですか。お願いです、お願いですから……もう」

 

 もう一度、内心の焦りを押し隠しつつ呼びかける。

 静かに向けられたその瞳を、俺は真っ直ぐと見返した。

 

「おねがいします」

 

 考えるように伏せられた目が持ち上がり、ようやくこちらに歩き始めた姿を見て、ほっと息をつく。

 

「ジェイドさ……」

 

 そして次の瞬間、頭部へ鋭い衝撃と、目の前に真っ白な光が走った。

 

 

 

 

「~~~~~っ!」

 

 額を押さえて悶絶する俺の傍らから、小さな足音が遠ざかっていくのが聞こえる。

 ヒヅメが全力でヒットした場所に手を当てたまま、涙目によろよろと上半身を起こした。

 

 小さな逃走者はすでに陰も形も見当たらない。

 広大な庭園の中、俺は情けない声で彼の名を呼んだ。

 

 

「ジェイドさまぁ~!」

 

 

 抜けるような晴天の今日。

 

 いつものごとく、てこでもサボろうとする陛下に何とか仕事をさせようとしたら、かわりにペットのブウサギ達の世話を命じられた。

 

 というか、

 

「あーそろそろブウサギたちの散歩の時間なんだよなぁ。あーあ、俺の可愛いブウサギ達が運動不足でぶくぶくに太って、ジェイドに食われたらどうしようかなー」

 

 なんていうあからさまな主張に負けて、世話役を志願した。

 

 でもこれで陛下が仕事をしてくださると思えば安いもの、とブウサギ達をつれて散歩に出たのはいいのだが、途中でブウサギのジェイド様が縄を抜けて脱走なされたのだ。

 

 傍にいたベテランメイドさんに他のブウサギを任せてすぐに追いかけたはいいものの、これが中々捕まらない。普段は宮殿育ちと思えないほどの健脚だ。

 

「そんなところ飼い主に似なくていいのにー!」

 

 またジェイド様を探して走り出しながら、脱走常習犯の皇帝陛下を脳裏に思い描いて泣き叫ぶ。

 

 ああ、この廊下もほんの数十分で何度行き来したことか。

 逃げるジェイド様は、時折わざと姿を見せては先ほどのように巧みに俺をかわしてみせる。

 

 最初は「どうしたの?」「大丈夫?」と聞いてきてくれていたメイドさん達も今は無言で失笑するのみだ。たまにどっち行ったとか教えてくれるけど。

 

 結果として軍の早朝ランニング以上に厳しい走りこみとなっている中、柱の影から姿を現したジェイド様が軽快に駆けて行くのを見つけて、また地面を蹴る。

 

「ジェーイードーさーまーぁ!!」

 

 彼は少しだけ振り向いて、俺を挑発するように「ぷぎっ」と小さく鳴いた。

 それを受けて、長時間の追いかけっこに俺の中の何かが限界を訴え始める。

 

「ジェイドさま! 怒りますよっ!?」

 

 大佐が頭をかかえるほど臆病だとて、日々の軍での訓練は伊達じゃない。

 

 全速力で後を追う内、距離が詰まってきた。

 そんな状況で、彼は少し先で立ち止まったかと思うと、俺に向けてぷいっとお尻を振る。

 

 俺の中の何かが切れた瞬間だった。

 

「こんの……っ!」

 

 ことさら強く床を蹴った俺を見て、彼もまた身をひるがえす。

 さっと廊下の角を曲がったヒヅメの音に続いて、小さく扉が開く音。

 

 後で考えたら拍手したいほど見事なコーナリングを持って同じ角を曲がった俺は、その先で薄く開いていた扉のノブに手をかけた。

 

「ジェイド!! いい加減にしなさいっ!」

 

 そして力いっぱい開いた扉の先には。

 

「……ほう?」

 

 とても綺麗に浮かべられた笑顔の前、俺もそっと笑みを口元に乗せて、涙した。

 

 

 

 

 一撃の元に伏せられた俺は、大佐のデスクの前で、特大タービュランスを受けた名残をそのままに正座していた。

 呆れるようにこめかみに手を当てていた大佐が、ひとつ溜息をつく。

 

「まあ、大体の事情は分かります」

 

 俺的マメ知識。ここで「分かってるのにタービュランスなんですね」と言ってはいけない。

 

 それにしても、大佐はここに至るまでの経緯をあらかた承知しているらしい。

 まあ大佐だから「何でも知ってるんですよ」と言われれば俺はそれで納得してしまいそうだったが、どうもそうではないようだ。

 

 ふと気付けば、大佐が呆れた顔を向けているのは俺じゃなくて、その向こう。

 不思議に思いながら視線を追う。

 

「よっ、リック」

 

 そこには執務室のソファに、我が物顔で寝転ぶピオニー陛下の姿。

 しかもその腕の中にはご満悦な表情のブウサギが一匹。

 

「へ、陛下」

 

「ん?」

 

「……執務は!」

 

 言いたいことがぐるぐると脳内をめぐり、結局 最初に出てきたのはそれだった。そのために俺は額にヒヅメマークを作ったのに。

 

 だが陛下は不敵に笑みを浮かべて、立てた親指でビシッと自分を示した。

 

「見張りがついてても脱走する俺が、見張りも無しに逃げ出さないと思うか!」

 

「自信たっぷりに言わないでくださいぃ~……」

 

 がくりと肩を落とす。

 そして陛下に寄り添うジェイド様を恨みがましく見やった。

 

「陛下、なんとかしてください。ジェイドさ……その子いつもそうなんですよぉ」

 

 名を呼ぼうとした瞬間、背後からひやっとした冷気を感じてとっさに言い換える。

 

 ジェイド様の犯行はなにも今日に限ったことじゃない。俺が世話をしようとするといつもこうなのだ。

 それを聞くと陛下は小さく笑って、優しく彼の頭を撫でる。

 

「コイツはこんな態度しか取れないけどな、お前のこと気に入ってんだよ」

 

「どこがですか~」

 

 額の痕を指差して返すと、陛下はまた笑みを深めた。

 

「嘘じゃない、気に入ってんだ。だけど根っから不器用でな。それをどう表現したらいいのか分からんらしい」

 

 膝の上に乗りなおしたジェイド様が、ぶ、とひとつ鳴く。

 それに今度はニカリと笑って、陛下は首をかしげた。

 

「な、ジェイド」

 

 そんな様子をぽかんと眺めていた俺の耳に、静かな咳払いが届く。

 

「……だから、その名前は止めてください」

 

 振り返れば苦虫を噛み潰したような顔のジェイドさん。

 そして陛下は、また声を上げて笑った。

 

「まあそういう事だ、これからもジェイドと仲良くしてやってくれ」

 

「は、はい」

 

 同じ空間に同じ名前がふたつ存在する状況に少し混乱しながら頷くと、よっこらせ、と若くない掛け声と共に陛下が立ち上がる。

 

「仕方ない。たまには真面目に仕事してやるかな」

 

「いつも真面目に仕事してください!」

 

 聞き捨てならない発言に慌てて突っ込むが、陛下は聞く耳持たず、ジェイド様を引き連れて部屋を出て行ってしまった。

 

 どっと襲いくる疲労感に一度大きくうなだれてから、俺も立ち上がる。

 そしてデスクのジェイドさんに向き直った。

 

「すみません、お騒がせしました……。でも今度こそしっかり見張ってきますから!」

 

「まあ、頑張りなさい」

 

 ぽつりと返って来た言葉に、俺は盛大に口元を緩ませる。

 よし、俺、ぜったい陛下に仕事させてみせるぞ。

 

「はい! ジェイドさんも、がんばってください!」

 

 それじゃ!と喜び覚めやらぬ頭のまま、さっきまでの疲れも何のそのと元気いっぱいに部屋を飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 嵐のような騒がしさが過ぎていった執務室の中、ジェイドは小さく溜息をついた。

 

「……まったく」

 

 口元に乗った緩やかな苦笑には、気付かないふりをして。

 

 

 




【オマケ】


「はぁ~」

 束になった紙を机でとんとんと慣らしながら、息をつく。
 すると向かいで面倒くさそうに書類と格闘していた陛下が顔を上げた。

「なんだ? お前もこのしち面倒くさいフォニック言語の羅列が嫌になったか? じゃあすぐ休憩にして街にでも女の子に声かけに行こうぜ」

「嫌なのはこの未処理の書類たちだけです」

 目を輝かせる陛下に半眼でそう返す。

「そうじゃなくて、俺は今 感動してるんです! ようやくここまでこぎつけた……!」

 今だ額に残る鈍い痛みを感じつつ目頭を押さえた。

 朝からずっとブウサギとの追いかけっこ。
 宮殿内を右へ左へ、たまに上と下へ。
 それでヒヅメパンチ。そしてタービュランス。

 その末で、陛下がようやく執務に取り組んでくれたのだ。大佐の補佐として陛下のお世話を任せられている身としては涙も出てくるだろう。

 俺をさんざん振り回してくれたジェイドさまは、今は同じ陛下の部屋の片隅をどことなく機嫌良さげに歩いている。

「それにしてもジェイドさまには手を焼かされました……」

「元気いっぱいで可愛いだろ」

 ペンを手の中でくるくると回しながら、陛下が笑う。

「まあ確かに男の子は元気いいほうが良いですけど、あれは良すぎですよー」

 宮殿を走り回る健脚ぶりを思い出して苦笑した。
 すると陛下が突然、目を丸くして俺を見る。

「は?」

「え?」

 互いの顔を見つめあったまま、しばしの沈黙。

「あぁー、そうか」

 やがて陛下は一人で納得したように頷いた。

「そうか言ってないな……まあいいか。次の書類は?」

「えっと、あ、これです」

 呆気に取られていた俺はその言葉にハッとして別の紙を渡す。

 なんだか自己完結されてしまったけど、せっかく集中して仕事してるところを邪魔するのも何なので、とりあえずそのまま黙る事にした。

 部屋には、ペンが走る音と、紙がすれる音だけが響いている。
 俺も陛下に見てもらう書類の順番を考えながら紙をめくっていると、ふと、足元に重みを感じた。

 目を数度しばたかせて、それからおもむろに机の下を覗き込む。
 そこには。

「ジェイドさ、ま?」

 俺の足元に寄りかかって、すやすやと寝息をたてるブウサギが一匹。
 それをぽかんとみやってから顔を上げると、いつの間にか陛下がこちらを見て微笑んでいた。

「言っただろ?」

 柔らかく告げられた言葉に、少し前、やはり陛下から聞いた言葉を思い出す。

 『お前のこと気に入ってんだよ』

 本当なのかはやっぱりよく分からないけど、それでも、少なくとも、俺は嫌われているわけではないらしい。

「……はい」

 足元の温もりを確かに感じて、頬を緩ませた。


 そして俺が再び脱走したジェイドさまに軽快な飛び蹴りをくらうのは、また数日後の話。


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ジェイドの誕生日について(前)

 

 

【 あなたの生まれた日(前編) 】

 

 

 

 

 いつもと変わりない執務室での仕事風景。

 

 黙々と、かつ迅速に仕事を片付けて行く大佐。

 

 気付けば当たり前のようにソファでくつろぎつつも、時折雑談のついでみたいに、何だ要領悪いな、それよりこっちだろ、なんてそれとなく俺の仕事を後押ししてくれている陛下。

 

 さすがに執務慣れしている相手のてきぱきとした助言に、己の処理能力をフル回転させてなお追いつかずに慌てる俺は、机を挟んでその向かいのソファに座っている。

 

 しかしピオニーさんが直々に手伝ってくれるというのは本当に恐れ多くありがたい事だと思うが、その労力を今まさに執務のほうへ割きにいけば、大臣さんたちの胃痛は大分ましになるんじゃないかと限界を超えた頭のはしっこでちょっと考えた。今ごろみんな頭抱えてるんだろうなぁ。

 

「ま、こんなもんだろ」

 

「はいぃいい……」

 

 どうにか及第点を頂いた書類たちをまとめ、机にかるく打ち付けて角を揃えながら、使いすぎで頭痛がしかけていた脳を開放する。するとついでに肩からも力が抜けた。

 

 でもおかげで仕事はいつもよりずっと早く片付いたから、休憩と陛下へのお礼も兼ねてお茶を淹れようと席を立つ。

 

「あ、大佐は、」

 

「今は結構です」

 

 さらっとした返事が戻ってきて、それに分かりましたと頷いたものの、俺はちょいと頬をかいた。

 

 ジェイドさんは仕事に没頭すると寝食を忘れがちで少し心配なのだが、いるときはいるって言ってくれるし、先に仕事を終わらせたいのかもしれない。

 なんにせよ大佐が今はいらないと言うのなら、俺にはそれ以上食い下がるだけの技術も度胸もなかった。

 

 炊事室に行こうと部屋を出たところでふと思い出して、閉めかけだった扉から上半身だけを戻してのぞかせた。

 

「そういえば宮殿のメイドさんからもらったお菓子もあるんですけど、食べますか?」

 

「食う食う。にしてもお前そういうのよく貰ってるよな、リックのくせに」

 

 え、何ですかそれ。

 

 なんか褒められてない事はわかるが、それ以上の意味を理解しかねていたら、書類から目を離さぬままの大佐が「職場に居ついた動物に なにくれとなくエサをやる感覚ですよ」と補足する。

 

 「ああ……」と妙に納得した様子でぽつりと呟きながら頭の後ろで手を組んだ陛下に、俺はやっぱりわけの分からないまま、とりあえずそっと目頭を押さえてみせた。

 

 

 

 

 ティーポットとカップふたつを乗せたトレイを片手に持ち替えて、小さく二回ノックした後、お待たせしました、と声を掛けながら執務室へ戻る。

 

 扉に背を向ける位置のソファに座る陛下が肩越しに振り返って笑った。

 

「おう。なんだ早かったな」

 

「炊事室で同僚と出くわしたんで火付けてもらったんですよ~」

 

 水をお湯にするためには知ってのごとく火が必要で、そこで普通は、薪をくべて道具で火種を起こしたりするわけだけど。

 

 なにせここは天下の譜術大国マルクト軍部。

 軍内で譜術士としての立場になくとも譜術を齧っている人が大多数だ。

 

 特に第五音素の素養がある人は多いので、みんな大体 譜術でポンの一発着火なのだが、マルクト軍において非常に肩身のせまい極少数層“譜術まったく使えない派”である俺は、同じ派閥である兵士トニーと肩を寄せ合いながら、いつも道具を使って着火している。

 

 それでまあ、火がつくっていう結果は同じだけど、当然 譜術でつけるほうがその結果に辿りつくまでの時間も早いわけで。

 

 机の上に広がっていた書類を安全なところに避け、置いたカップに紅茶をそそぎながら、ふと、つい先ほど炊事室で同僚とかわした会話を思い出す。

 

「そうだ陛下、教えてほしいことがあるんですけど」

 

「ん。……なんだ?」

 

 淹れたての紅茶が入ったカップを慣れた手つきで口元に運んだ陛下が、その青い目をまっすぐにこちらに向けた。

 

 生活の中で分からないことがあると、俺はたまにこうして陛下や大佐に訊ねる。

 そうすると何だかんだ言いつつも、ふたりは大概ちゃんと答えてくれた。

 

 煙にまかれたり嘘を教えられたりすることも無いではなかったけど、すごく些細でつまらないような質問にも、とても真剣な答えを返してくれた事だって、無いではなかったから。

 

 思い出して口元を緩めつつ、俺はほぼ空になったポットをトレイの上に戻してから、首を傾げた。

 

「誕生日って、なんですか?」

 

「はあ?」

 

 するとピオニーさんが呆気にとられたように目を丸くして、書類書きの合間、大佐もちらりとこちらを見たのに、何かまずい事を言っただろうかと思わず姿勢を正す。

 

 カップを机に戻した陛下が、ひとつ息を吐いて髪をかきあげた。

 

「なんだ。いきなりどうした?」

 

「あ、いえ、深い意味はないんですけど。さっき行き会った同僚が、ようやく彼女の誕生日に休暇がとれたんだってそれはもう喜んでたから……そういえばたまに聞くけどどういうものなんだろうと……」

 

 思いまして。

 

 後半に向かうにつれてどんどん声が小さくなっていくのを自覚しながら、やや早口にどうにか言い切って視線を泳がせる。

 

 陛下は短く口を閉ざしたあと、いつものようにニッと笑って「そうだな」と明るく話を切り出した。

 

「とりあえず誕生日ってのは、そいつが生まれた日のことだ」

 

「生まれた日ですか?」

 

「おう。……というかお前、マルクト軍でも毎年参加してるだろう。ユリア聖誕祭とか俺の生誕式典とか。あれ、なんだと思ってたんだ?」

 

「ユリアさまのお祭りと、陛下主催のお祭りかと……」

 

 あれがそうだったのか。誕生日って随分華やかな行事なんだなぁ。

 

 しみじみと考えていると、執務がひと段落ついたのか、ふいに顔を上げたジェイドさんがぽつりと呟く。

 

「誕生日なら貴方にもありますよ」

 

「えぇ! 俺もあんなお祭りを!?」

 

「そこに至るまでの思考パターンが透けて見えますねえ。とりあえず貴方が思うところの祭りと誕生日の関連性は一旦切り離して下さい」

 

「は、はい」

 

 言われるままに、ひとまず誕生日イコール生まれた日という情報だけを頭に残したところで、ひとつ気になって首を傾げる。大佐は俺にも誕生日がある、と言った。

 

「被験者の誕生日じゃなくて、ですか?」

 

「あくまでその個体が生まれた日を指すわけですから、まぁ貴方は貴方で誕生日があることになりますね」

 

「しかしお前の言い方には情緒ってもんがないな」

 

「おやおや心外ですねぇ。こんなに情緒溢れる美中年をつかまえて」

 

 大佐が輝かしい笑顔を浮かべてゆったりと首を横に振る。

 

 それに半眼で肩をすくめた陛下が、結局こいつの誕生日はいつなのかと問うと、丁寧に眼鏡を押し上げた大佐は「把握はしてませんが」と目を伏せた。

 

「要するに作成日ですから昔のデータをあされば何処かには、」

 

「ジェーーーイド」

 

「なんですか?」

 

「お前そりゃ……さすがに身も蓋もなさすぎるぞ」

 

「本人はちっとも気にしてないみたいですが」

 

「あ?」

 

 そんな会話をぼんやりと意識の端に引っかけつつ、俺はぽかぽかと温まる頬で瞳を輝かせた。

 

 誕生日。

 そんなすごいものが俺なんかにもあるだなんて。

 

 思わず拳を握って喜んでから、はたと思い至る。

 

「あれ、じゃあもしかしてジェイドさんにも誕生日ってあるんですか?」

 

「あなた正直私を何だと思ってます?」

 

 それはそれは綺麗な微笑みを向けられて、びくりと肩を震わせた。

 

 そんなやりとりに慣れた苦笑を浮かべてカップの紅茶を飲みきった陛下が、「あ」とふいに何か思いついたような声を上げて、青の目を細めた。

 

「そういやジェイド、お前の誕生日もうすぐだろ。シルフリデーカン22の日」

 

 突然話を向けられた大佐は、なぜか一瞬不愉快そうに眉を顰めたあと、ちっとも興味無さそうな相槌をひとつ打って、書き終えた書類をまとめながら会話を繋ぐ。

 

「……そうでしたか? まあ三十路過ぎた男が今更、誕生日も無いでしょう」

 

「なんだ、毎年格式ばった面倒くさい誕生式典をこなさにゃいかん俺へのあてつけか」

 

「いやですねぇ、年を取るとひがみっぽくなって。ところでリック。いつまで休憩してる気ですか?」

 

「――えっ、あ、ハイ! スミマセン!」

 

 慌てて自分のカップに残ったお茶を飲みきって、避けていた書類をもとに戻しながらも、俺の頭は違うことでいっぱいだった。

 

 ジェイドさんの、誕生日。

 

 思わぬところで手に入った情報に弾む気持ちを抑えようと小さく息をついたが、やはり緩もうとする口元を隠そうと、書類内容を考えるふりで手をそえる。

 

 向かいに座る陛下がそんな俺を見て、なんだか楽しげな笑みを浮かべていた。

 

 





思考するお子様とたきつける大人と不本意な大人。



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ジェイドの誕生日について(中)

 

 

【 あなたの生まれた日(中編) 】

 

 

 

 

 誕生日とは。

 生まれた日、あるいは毎年迎える誕生の記念日のこと。

 

 積み上げた数々の本にうずもれるようにして、俺は机の上に突っ伏した。

 

 資料室をどれだけ捜しても誕生日そのものに関する資料はまったく出て来ず、結局見つけられたのは、オタオタにもすがる思いで開いた辞書に書いてあったその一行だけだった。

 

「だから、その記念日に何をやるのか知りたいのに……」

 

 唯一経験した誕生記念日だったらしい、陛下やユリアさまの式典は違うって言うし。

 どれほど深い溜息をつけど、行き詰った思考に新たな風が吹き込むことはない。

 

 資料室で一人、さんざん唸った末に、俺はむくりと顔を起こした。

 

 

 朝の謁見が終わったころを見計らって、馴染みのメイドさん達に挨拶しつつ陛下の私室へ向かう。

 二回ノックをして、失礼します、と控えめに扉を開けた。

 

 おう、と陛下の軽い返事の傍らにふともう一つの気配を感じて、はたと、もはや癖のようにわりと常日頃から俯きがちの視線を上げる。

 

 そこで書類片手に陛下と向かい合うゼーゼマン参謀総長の姿を見つけた瞬間、俺は条件反射のごとく、扉を閉めた。

 

 だがすぐにハッとして、閉まった扉に向けて頭を下げる。

 

「し、失礼しました!出直してきます!」

 

「おいおい。用があって来たんじゃないのか?」

 

 中から苦笑気味な陛下の声が響いてきた。

 私的な用事ですから大丈夫です、と早口に告げて身をひるがえそうとした俺の耳に、今度はゼーゼマン参謀総長の朗らかな笑い声が届く。

 

「リック。わしの用件は今しがた済んだところでの、構わないから入ってきなさい」

 

 参謀総長 直々のお言葉。俺は迷った末、おそるおそる元の位置に戻って、虫の鳴くような声で失礼しますと言いながら扉を開けて部屋に入った。

 

 

 そして話を聞けばゼーゼマン参謀総長は、軍部の人達に泣きつかれて陛下の仕事をせっつきに来たらしい。

 

 大仰に腕を組んだ陛下が、拗ねたように息をつく。

 

「ゼーゼマンを寄こすなんてアイツら汚いよなぁ~」

 

「ぐ、軍部の人たちが参謀総長に泣きつかなきゃならないほど仕事をため込んでる陛下もひどいと思います……」

 

 きっとまた内部モノの、絶対やらなきゃいけないけど重要じゃない書類ばかりため込んだに違いない。

 皆さんお疲れ様です、と掛け値なしの労いの言葉が心中に零れた。

 

「まぁそれはさておき、お前の話ってのは?」

 

 なぜだか妙に楽しそうな顔でにやりと笑った陛下に首を傾げつつ、俺はこっそりとゼーゼマン参謀総長のほうを見やって、考える。

 

 ……これくらいの質問なら、聞かれてしまっても変には思われないだろうか。

 

 一体何が一般常識で、何を知らないと不審がられてしまうのか。それなりの時間を生きては来たけれど、俺にはまだまだその境界線が分からない。

 

 だけど戻した視線の先、陛下が「ああ別に平気じゃね?」と言うように肩をすくめたので、俺はようやく そろりと口を開いた。それにしても何か色々と適当っていうか軽いですピオニーさん。

 

「ええと……誕生日って、何をやるものなんですか?」

 

「美味いもん食ってばか騒ぎをする」

 

「陛下。それではあまりに身も蓋もないですなぁ」

 

 家族や恋人、親しい人達で集まって祝うのが一般的だとゼーゼマン参謀総長が補足してくれた説明を聞いて、眉尻を下げる。

 

「それって、親しくないと祝っちゃダメなんですか?」

 

「そんなことはないが、さほど繋がりがないのなら祝いの場に同席することはあまり無いのお」

 

「そうですか……」

 

 小さな溜息と共に肩を落とした。

 

 すると得心顔で悪い笑みを浮かべた陛下が、何やら舞台上の一流役者みたいな仕草で、そこで朗報だ!と右腕で空を払った。

 

「親しかろうが親しくなかろうが腹に一物も二物もある老いぼれ共だろうが」

 

「陛下、その辺でお控えを」

 

「まぁ最終的にはこっちが一方的に知ってるだけの初対面だろうと、細かいこと関係無しに出来るのが、誕生日プレゼント―― 贈りものだな!」

 

 贈りもの。告げられた言葉を復唱する。

 そして浮かべた笑みをふと柔らかいものに変えたピオニーさんが、ぐしゃぐしゃと俺の頭をかき回すように撫でた。

 

「で、俺が教えてやるのはここまでだ。あとは自分で考えてみろ」

 

 乱れた髪をちょっと直しながら、「はあ」とあやふやな返事をする。

 贈り物と言われても、なんだか想像がつかなさすぎてどうしたらいいのか分からない。

 

 俺みたいな薄給の一兵士が、今まで誰かに何かを贈るなんて格好良いことを出来たわけもないし、お菓子を貰ったりはするけど……おすそわけ、っていうのは贈りものとはまた違うんだろうなあ。

 

 悩む俺を見て、ピオニーさんがまた楽しげに笑った。

 

 

 

 

 軍基地に戻るならついでに届けて欲しいとゼーゼマン参謀総長に託された書類を小脇に、慣れた軍部の廊下を歩きつつ、俺はまた小さく唸り声をあげた。

 ただ資料室で唸っていたときと違うのは、考える問題が一歩進んで入れ替わったことだ。

 

 誕生日プレゼント、とは。

 

 さっきからすれ違う先輩方や同僚達に、参考として何が欲しいものかを聞いてみているのだが、お金とか彼女とか愛とか、いまいちピンとこない答えばかりだった。

 

 お金 ――大佐は俺よりはるかに高給取りだ。

 彼女 ――俺なんかが心配するまでもなく、ジェイドさんは、もてる。かっこいいからな!

 愛? ――「大好きだ」ということなら常日頃ウザがられるほど言葉にして、事実ウザがられている。

 

「うああぁ……」

 

 考えれば考えるほど八方ふさがりだ。

 いつもの調子で頭を抱えかけて、すぐ手にある書類の存在を思い出し、止める。

 

「…………」

 

 一旦前方に戻した視線を、またちらりと書類に向けた。

 連想的に、これを今から届ける相手のことを思い浮かべる。

 

 前にジェイドさんがあまりにも俺の大好きを信じてくれないからと、“大好きより大好き”を伝えるための言葉を探していたときに、そっと答えをくれた人。

 

 俺が相談だなんてどうにも恐れ多くて、ちょっと……わりと腰が引けてしまうけど。

 少し考えて、それからぐっと拳を握った。

 

 

 

 

「やあ、いらっしゃいリック。どうしたんだい?」

 

「お疲れ様です! ええと、これをゼーゼマン参謀総長から、フリングス少将にって」

 

 ありがとう、と朗らかな笑みを浮かべて書類を受け取ったアスラン・フリングス少将は、軽く紙をめくって内容を確認する。

 規則的な視線の動きが文字の終わりに行きつくかというところで、俺は、あの、とうわずった声を上げた。

 

「誕生日プレゼントって、何をあげたら喜んでもらえるんですかっ!!」

 

 少将が、その青い目をきょとんと丸くする。

 

 手元で書類の束をきれいに戻しながら、しかし視線はまっすぐにこちらを見ていた。

 俺はじわじわと顔が熱くなるのをどこか遠くに感じつつ、直立不動で返事を待つ。

 

「誕生日プレゼント?」

 

「はい!」

 

「……ジェイド大佐の?」

 

 はい、ともう一度大きく頷いてから、今度は俺がはたと目を丸くした。

 ご存じなんですか?と問うと、彼は苦笑のような、込み上げる笑みを堪えるような、そんな顔で口元に手を添えて首を横に振った。

 

「いや、あの方はあまりご自分のことは話されないからなぁ。でも君がそんなふうに真剣なら、きっと大佐のことだろうと思って」

 

 そうしたら当たりだったみたいだと言うフリングス少将はいよいよ堪え切れなかったらしく、屈託ない笑い声をひとつ零した。

 いつも穏やかに微笑んでいることが多い彼にはめずらしい、軽快な笑顔だった。

 

 少しして彼はその笑みを優しげなものに変えると、それで、と僅かに首を傾げる。

 

「リックは、どんなものを贈りたいと思っているんだ?」

 

「え?」

 

「驚かせたい。笑わせたい。楽しませたい。喜ばせたい。贈りものにも、いろんな意図があるんですよ」

 

 どこか、幼い子供に言い含めるように丁寧な音で発せられた言葉。

 俺はゆるゆると視線を机の上に乗った書類に落とす。

 

 誕生日。プレゼント。ジェイドさんの、誕生日。

 

 胸の中であいまいに浮かんでいる気持ちと言葉が、どうすれば誰かに伝わる形になるのかを必死に考えながら、おずおずと口を開いた。

 

「……その、すみません。なんていうか俺、よく分からないんです。誕生日とか、プレゼントとか、何をどうお祝いすればいいのか、とか」

 

 全部がはじめてで、手探りだから、俺はどういうものにどういう――フリングス少将が言うような、意図がこもるのか、それさえも分からない。

 

「でも、誕生日っておめでたい……大切な日なんですよね?」

 

 脳裏に思い描くのは、いつもの金茶の髪と赤い目と、青色の軍服。

 大佐はそんなに嬉しそうじゃなかったけど、それでも、やっぱり。

 

「喜んでもらえなくても、ジェイドさんの大切な日をお祝いしたかったんです」

 

 大好きな人の、大切な日を。

 

 しかし元々そんな一方通行にも程がある計画だったから、大佐の喜ぶものをと思っても、本当のところ叶うわけがない。

 ついでに「貴方が何もしないのが一番のプレゼントですよ」と笑顔で斬られる想像までして軽く泣いた。

 驚かせるのも、楽しませるのも、俺には到底 出来ない高難度技だ。

 

 いっそ仕事で使う紙とかインクにしようかと考えかけて、いやそれはプレゼントではなく備品補充というものだと思い至ったところで、何も言わずに話を聞いていてくれた少将が、俺を見てそっと目を細めた。

 

「前、大好きより大好き、の言葉を探していた君に話したことを、覚えていますか?」

 

「え……あ、はい」

 

「ただの音の羅列にどれだけの想いを込めるか。それと同様です。贈りものという形にとらわれ過ぎず、誕生日を祝いたいという気持ちをまず、大事にすればいいんじゃないかな」

 

 その思いだけあれば、どんなものでも最高のプレゼントになり得るのだと言って、彼は微笑んだ。

 

「……お、思いの丈をありったけ込めすぎてウザイって一刀両断されてタービュランスだったりしませんか?」

 

「いやぁそればかりは時の運だね」

 

 贈った後の反応を運に掛けねばならないほどの相手だということは分かっていたが、フリングス少将に真剣な顔で言い切られるとちょっと切ないものがある。

 

 はたはたと涙を滴らせ、ですよね、と呟いて目頭を押さえていると、その間にいくつかの書類に判を押した少将は、また慎重にその内容を確認して、うんと頷く。

 

 改めて束ね直した書類を俺に差し出しつつ、彼はゆるりと目元を緩めて笑った。

 

「こうして君が今ここで悩んでいることも含めて、誕生日プレゼントというものなんだよ」

 

 渡された書類を受け取りながら、その言葉にちょっと眉尻を下げて首を傾げる。

 

「……よく分からないです」

 

 すみません、と謝った俺に、フリングス少将はまた僅かに微笑んだだけだった。

 

 そうして相談に乗ってもらったお礼を敬礼と共に告げ、身をひるがえす。

 すると部屋を出る寸前で名を呼ばれて、振り返った。

 

 

「大切なのは、自分の気持ちと相手の気持ち。それと、君がどうしたいか、ですよ」

 

 

 



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ジェイドの誕生日について(後)

 

 

【 あなたの生まれた日(後編) 】

 

 

 

 

 

 とぼとぼと長い廊下を歩きながら、フリングス少将に言われた言葉を考える。

 

 自分の気持ち。ジェイドさんの誕生日をお祝いしたい。

 相手の気持ち。……たぶん、祝われたくはない、んだと思う。

 

 間逆の答えが出て来て、規則的に前後する自分のつま先を見ながら、うう、と唸る。

 ああそういえば下ばっかり向いて歩くなっていつも教官にも大佐にも陛下にも言われてたっけ。

 

 現実逃避のようにそんなたわいない記憶を引っ張り出して、しかし思い出したからにはと顔を上げた。

 

 ええと、あと何て言ってもらったんだっけ。

 俺が―――。

 

 その場に足を止める。

 

「俺が、どうしたいか……」

 

 瞬間。頭の中でみっつの問いが重なって、光る。

 思わぬ場所からころんと転がりでたキレイな硝子玉を見つけたような気分で、ぱあっと表情を輝かせた。

 

「そうだっ!!」

 

 拳を握って思わず叫べば、偶然通りかかった兵士仲間が驚いてびくりと肩をすくませたのを見て、俺は慌てて謝りながら、それでも口元を緩ませた。

 

 

 

 

 そして、時はシルフリデーカン22の日。場所は大佐の執務室。

 

 黙々と仕事をするジェイドさん、やっぱりサボりに来てる陛下。

 昼下がり、手元の仕事に一区切りついた俺。

 

 よし、と声には出さずに頷いて、高鳴る心臓をひた隠し、限りなく自然に席を立つ。

 

「よおし仕事も切りがいいところまで出来たしお茶淹れに行こうかなー、あはははー」

 

 今にも浮足立ちそうな歩調もどうにかこうにか押し込め、いつもどおりに部屋を出て行こうとすると、ひょいと片手を上げて俺を呼びとめた陛下は、何やら笑い転げる寸前みたいな表情だった。

 大佐が書類から顔を上げないまま無言で眉根を寄せる。

 

 今一瞬のすきに陛下が大爆笑するような事件があったとも思えないので、大佐の反応と合わせ、また何か(陛下的に)楽しいイタズラでも思いついたのだろうかと、毎度それに巻き込まれる身としてはどうにもぞっとしない可能性に寸の間笑顔がひきつる。

 

 だがありがたい事に予想は外れ、陛下は「茶」と言って、笑いを堪えるためか一度短く言葉を切った。

 

「リック、茶……俺の分も、頼む」

 

「? ハイよろこんでー!」

 

 結局なにがそんなに陛下のツボにはまったのかは分からなかったが、元より一緒に淹れてくるつもりだった俺はほっとしながら笑って敬礼をする。

 

 緊張が解ければ、先ほどまで考えていた“いつもどおり”の自戒もすっかり忘れて、俺はるんるんと足取り軽く部屋を出た。

 廊下を進む途中で背後から全力の爆笑が響いてきたのに、陛下は今日も陛下だなぁと楽しげな日常を噛み締めた。

 

 

 

 

 軍内の、ちょっと無骨な見慣れた炊事室。今日は誰もいなかったから、火は道具でつけた。

 よし、と今度は声に出して気合いをいれて、軍服の袖をまくる。

 

 贈りものって形にとらわれすぎず、俺は祝いたい、ジェイドさんは祝われたくない(おそらく)。

 

 それなら、要するに、誕生日プレゼントだと気付かれなければいいのだ。

 

 にんまりと堪え切れない笑みを浮かべて、だけどちょっとどきどきしながら紅茶を淹れる。

 いつもよりずっとずっと丁寧に、時間を計って、お湯の温度を調節する。

 

 今日のために何度か自分で練習した成果も加わって、温めたカップの中に揺れるきれいな琥珀色の出来に、俺は安堵の息をついた。

 

 そしてソーサーの上に慎重にカップを移した後、その脇にそっと、宮殿のメイドさんに教えてもらった美味しいと評判らしいお店で買ってきたお菓子を添えた。

 

 最後に、俺はほかほかと湯気を立てる紅茶に向かって、軍仕込みの角度でふかく頭を下げる。

 

「……お誕生日!おめでとうございます!」

 

 面と向かってはいえない、だけど言いたい祝福の言葉を、目の前の紅茶とお菓子に託す。

 一度また深く下げた頭をその勢いで起こして、ふ、と短く息をついた。

 

 準備は上々。さて後は。

 

「受け取ってもらえるか、だよなぁ」

 

 最後にして最大の難問に、紅茶の乗ったトレイを手に取りながら、情けなく肩を下げた。

 

 

 

 

 扉の前で一度大きく深呼吸をしてから、二回、扉をノックして開けた。

 

「ただいま戻りましたー」

 

 なるたけいつもの顔でへらりと笑ったつもりで、しかし心臓は冷や汗が出そうな程ばくばくと弾んだまま、部屋に入る。

 

「どうぞ、陛下」

 

「おう」

 

 笑いの波は一応過ぎ去ったらしく、陛下はいつもの気軽な笑みでカップを受け取った。

 

 ここまではいつもどおりだ。後は、ここから。

 我知らず詰めていた息を細く吐きだしながら、トレイを持つ指先に力を込める。ファイト俺。

 

「ジェイド、さん」

 

「何ですか」

 

 淡々と書類の文字を追う硝子越しの赤。

 その動作を邪魔しない位置へ、零さないように音が立たないように、俺は渾身の注意を払ってカップを置いた。

 

「おつかれさまです」

 

 それだけ言うのが精一杯で、どうぞ、とも言葉を継げなかった俺は、キッチンに運ばれていくニワトリがごとく、ただ訪れるであろう判決を待った。

 

 思わずトレイを胸に抱きこんで固まる俺を余所に、ジェイドさんは傍らに置かれた紅茶をちらりと一瞥して、また書類に視線を戻す。

 

 う……や、やっぱりダメ、だったか……、

 

「――――ありがとうございます」

 

 一拍置いて、返されたことばに、ぽかんと目を丸くした。

 

 変わらず黙々と仕事をさばいていく大佐をどこか呆然と見つめながら、しかしじわじわと脳内に浸透してきた現実。

 

「~~~っ!」

 

 そして、サンダーブレードに撃たれたような衝撃と共に一気に顔が熱くなるのを感じた。

 

 いらないとか、何のつもりですかコレは、なんて突っ返されるかも、とか、最上級の明るい想像として、無言で受け取ってくれたりすれば嬉しすぎると思っていた、のに。

 

 ありがとうございます。その低い落ち着いた声を反芻する。

 なんだこれ、夢じゃないのか。

 

「……いつまでそこに突っ立っているつもりですか?」

 

「っうあ!ハイ!すみません!」

 

「つかお前、自分の分はどうしたんだ?」

 

 ふいに聞こえた陛下の問いに、俺は「へ」と間抜けな声を上げて、胸に抱きこんでいたトレイを改めて見やる。

 ……まあ、何も乗っていないから抱きこめていたわけで。

 

「わ、忘れてた! ええと、淹れたときはちゃんとカップみっつだったから……」

 

 炊事室でひとつ悲しく置き去りにされた紅茶の図が脳裏をよぎる。

 

 慌てて、取りに行ってきます、と声を上げて再度 部屋を飛び出した。

 転ぶなよ、と背に掛かる笑い混じりの声にハイと返事をしながら、廊下を突っ走る。

 

 なんにしたって受け取ってもらえたんだ。

 俺の“誕生日プレゼント”は。

 

 込み上げる笑みを抑えきれずに零しながら、よぉしっ、と高らかに拳を握った。

 

 

 

***

 

 

 

 賑やかに飛び出していった子供を見送って、大人ふたりが残された部屋には しんと沈黙が落ちる。

 

 あいつは時たま、予想の嬉しい斜め上をいってくれるものだと、いつもより風味の良い紅茶を口に運ぶふりをして、ピオニーは口元を隠した。

 

 何をやってくれるだろうかと思っていた。

 

 見当違いの誕生日観にいきついて大騒ぎになっても面白いし、やっぱり見当違いの贈りものをしてジェイドを怒らせても楽しいもんだ。

 

 八割方しくじるのを前提に、しかしどれにしてもあの子供は、この性質の悪い幼馴染に、ごまかしようもない(そもそもごまかす気もない)駄々漏れの好意でもって祝福を告げるのだろうと思っていたのに。

 

 あれでいて、中々どうして、日々成長し、色々と考えているらしい。

 いつもの全身で表わす全力の「大好き」ではなく、たどたどしくも相手を思いやるような、静かな「大好き」。

 

 軍でどれだけしごかれても変化のない臆病で後ろ向きな性根が、ジェイドが関わるだけでこうも変わるのだから、まったく愉快なものだ。

 

 まったく、どういう結果であれ盛大にジェイドをからかってやろうと思っていたのに、こんなやりかたをされては、それも出来ないではないか。

 

 ただどうにも緩みかける口角を、中身はすでに飲みきろうかというカップで必死に隠しながら幼馴染の様子を窺い見る。

 

 何がしかの表情を作りかけて失敗したような中途半端な顔つきの、それでも無理やり顰めたらしい表情のまま、普段とくらべると随分と雑な所作で、奴は添えられていた菓子をひとつ、口の中へ放り込んだ。

 

 





陛下は、幼馴染が今日も変わらず好かれているのを確認するのがちょっと趣味です。


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もしもリックが女の子だったら?

 

 

【 たった・たられば 】

 

 

 

「で、今日の一撃は?」

 

「兵士学校時代の教官から稽古のお誘いを頂いたのを俺が全力で遠慮し続けていた末のタービュランスです……」

 

 入室すると同時に夕飯の献立を問うがごとく訊ねてきたピオニー陛下へ、俺は術の名残で少々よれた姿のまま答えながら、軍部で大佐に託された書類を机に置いた。

 

 それを面倒くさそうに一瞥しただけで動きを見せない陛下に代わって、向かい合う位置の椅子に腰を下ろした俺が締め切り順に並べ直す。

 

 その中からいくつか、とりあえずこれだけは今日中にやって貰わなければ確実に(俺が)上級譜術でお仕置きされるであろう分を差し出して涙ながらに懇願した。

 するとひょいと肩をすくめた陛下がようやくペンを手に取ったのを見てほっと息をつく。

 

「にしてもまぁ、よく毎日くらってるもんだよな」

 

 陛下がサインを書く合間に乱れっぱなしだった髪や服を軽く直していると、半ば感心したように掛けられた言葉に、いや俺もくらいたいわけではないんだけどと思いながら肩を下げた。

 

「むしろどうしたら一日一譜術じゃなくなりますかねぇ」

 

「いっそ女の子だったら違ったんじゃないか?」

 

「そんな自分の意思では今更どうしようもないこと言われても! 第一いくら体が女の子でも、中身が俺じゃ意味ないですよ」

 

 多少の相乗効果は発揮しているかもしれないが、基本的にウザがられているのは男だからではなくて俺だからだ。

 

 言っていて涙ぐんでくるがそればかりは変えようのない事実なので仕方ない。

 ていうか陛下もいきなりそこ行ったって事はもう俺自身には手のつけようが無いって思ってるんですね。

 

 そんなこちらの内心を知ってか知らずか、陛下はそこでグッと拳を握った。

 

「いや意味無くなく無いぞ! お前が女の子なら俺はいつもの十倍以上は分かりやすく可愛がってやる。女の子ならな」

 

「それもう俺がどうじゃなくて、ただ陛下が女の子好きってだけじゃないですか……」

 

「ああ女の子は大好きだ」

 

 真顔で返してきた皇帝陛下の向こうに、日々胃を患っていく大臣様達の幻が見えた気がしてそっと顔をそらす。なんだよ、と半眼で呟いた陛下に、いえ、と首を横に振った。

 

「で? 結局お前はどっちが良いんだ!」

 

「ど、どっちも何も……」

 

 最初から女の子になりたいと望んだ覚えは無かったが、とりあえず頭の中にその風景を思い描いてみる。

 

 男の自分。

 女の自分。

 

「俺は―――」

 

 

 

 

 ふ、と意識が浮上するのを感じて、ゆっくりと瞼を押しあけた。

 視界に映った紙の束を見ながら、ここはどこだっただろうかとぼやけた頭で考える。

 

 確か朝起きて、大佐のところに行って書類と譜術を一発貰って、それで陛下のところに……。

 

 陛下の……。

 

「……執務っ!!」

 

 がたんと音を立てて椅子から立ちあがった。

 仕事中に眠っていたという事実に血の気が引く。

 

 まずい、書類も出来ていない上に陛下に脱走されたとあっては、上級譜術どころじゃなくミスティック・ケージものだと涙ぐみながら見回した室内。

 

「おぉ、なんだなんだ」

 

 ペンを片手に書類を前に、という確かに仕事をしていたと分かる様子で、眠りに落ちる前と変わらぬ位置のまま、突然起きたこちらに驚いたのか目を丸くするピオニー陛下の姿に、今度は自分がこぼれ落ちそうなくらい目を見開く事となった。

 

「脱走、してなかったんですか!?」

 

「寝てるリックを置いて脱走するわけ無いだろー? あ、これ急ぎのやつ、終わったぞ」

 

 にっこりと満面の笑みと共に差し出された書類の束。

 それと陛下の顔を何度か見比べて、俺は眉根を寄せる。

 

「何か企んでますか?」

 

「どうしたんだ、当然」

 

「いや、だって、この隙に脱走してないとか」

 

 あり得ないと言ってはなんだが、こうして自分が取り乱す程度には珍しい事態だと思った。

 陛下が「おいおい」と苦笑して肩をすくめる。

 

「俺が眠ってる女性を置いてどっか行くような男に見えるか?」

 

「……女性?」

 

「そりゃまぁ実年齢的に言えば女の子だろうけどな」

 

 十歳だし、と小さく付け足した陛下の声をどこか遠くに聞きながら、少し悩んで自分の体を見下ろした。

 そこにある胸のふくらみを確認して、首を傾げる。

 

 胸。そう、胸だ。

 胸があって当然だろう。

 

 

 自分は、女なんだから。

 

 

 なのになぜ今、ちょっとショックを受けたような気がしたのか、どうして女性と言われて不思議に思ったかと、考えたのはほんの一瞬。

 

 ひとつ瞬きをした後は、自分がそれらに違和感を覚えたことすら忘れていた。

 

「ところでリック」

 

「あ、はい」

 

「稽古の約束とやらは平気なのか?」

 

「へ?」

 

「いや、兵士学校時代の教官と」

 

 古いぜんまい仕掛けの音機関のように、自分の脳が回転する音が聞こえた。

 今朝方ジェイドさんから譜術を喰らう要因となった話が、流れるように浮かんで消える。

 

 勢いよく時計のほうへ顔を向け、そこで表されている時刻と、約束の時間を照らし合わせ、

 

「すすすすみません陛下ちょっと失礼します!!」

 

 陛下の楽しげな笑い声を背に受けながら、転がるようにして部屋を飛び出した。

 

 

 

 

 マルクト軍本部にある譜術用の鍛錬場。

 収縮した音素が、炎となって膨らみ、弾けるのを見届けた女性教官が深く頷いた。

 

「見事なフレイムバーストだねぇ、リック。……もう少し近ければ」

 

「へ、へへ……」

 

 自分が経っている位置から最も遠い、

 それなりの広さを誇るこの鍛錬場の壁際ぎりぎりのところで発動したフレイムバースト。

 

 兵士学校時代から変わらない自分のこの癖を再確認した教官が、ギッと眉尻を吊り上げたのを見て取り、ひ、と小さく悲鳴を上げて後ずさった。

 

「せめて半径八メートル以内くらいには入れたらどうだい!?」

 

「だ、だって自分の近くで術が発動するのって怖いじゃないですかぁ!!」

 

「だからってあの距離は無いだろう!視力検査やってんじゃないんだよ!」

 

 譜術士が術にビビってどうする、とこれまでも幾度となく言われた指摘を受けて、返す言葉もなく肩を落としていると、ふいに鍛錬場の扉が開く音がして顔を上げる。

 

 そこから現れた姿を視認した瞬間、一転して表情を輝かせ、力いっぱい床を蹴りあげた。

 

「ジェイドさぁあああん!」

 

「おやリック」

 

 そのままの勢いで抱きつこうとしたこちらの頭を、大佐が直前で掴んで止める。

 

「稽古は終わりましたか?」

 

「ま、まだです……!」

 

 輝くような笑顔とは反対に五本の指へジワジワと込められていく力を感じて、頭を掴まれたまま、冷や汗を浮かべながら敬礼した。

 結構、と笑みを深めた大佐の手がこめかみから離れて行く。胸に手を当てて息をついた。

 

「それで大佐はどうしてここに?」

 

「少し確認する事があったんですよ」

 

 大佐はそう言って、手に持った書類の角で鍛錬場の奥にいる人を指してみせた。

 あれは確か情報部の偉い人だ。気付かなかった。

 

「その後は戻るんですか?」

 

「ええ、進めたい仕事があるので」

 

「じゃあ……!!」

 

「稽古、頑張って下さいねぇ?」

 

 自分も一緒に、と言いかけたところで見事に刺された釘に打ちひしがれつつ、はい、と半泣きで頷いた。稽古から逃れたいという思惑などお見通しらしい。

 

 とぼとぼと歩き戻った先で、教官が呆れたように片眉を上げた。

 

「あんた、よくあんなおっかない男に付いていくねぇ」

 

「そんな! おっかなくなんて! ……無い事もないですけど」

 

 オトリにされた記憶やら日々炸裂するエナジーブラストやらを思い出して少し目をそらす。

 その先で偉い人と何か話しあっている大佐を横目にちらりと窺って、ふへ、と締まりなく口元を緩めた。

 

「でもジェイドさんは――」

 

「あー。もういいもういい。その顔みりゃ分かるよ」

 

「そうですか?」

 

 どこか呆れた顔で言葉を遮った教官に、いかに大佐が格好良いかを語ろうとした音をどうにか飲み込む。

 大佐のことならいくらでも話せるのになぁ。ちょっと残念だ。

 

 さて稽古の続きを、と零した教官にどきりと心臓を弾ませる。

 そんなとき、小さくもしっかりと、自分の耳に届いた声があった。

 

「リック」

 

 聞き間違えるはずもない大好きな声。

 見れば、鍛錬場の扉を半分ほどくぐったところで足を止めた大佐の姿。

 

 こっちを真っ直ぐ捉えた赤い目に、これはまさか、と顔を熱くする。

 い、一緒に行って良いって事……。

 

 ふらりと足を大佐の方へ踏み出しかけ、途中ではっとして振り返ると、教官は動物を追い払うように手の甲をこちらに向けて数度振った。

 

「今日の稽古は終了だ」

 

「いいんですか!?」

 

「ほらさっさと行きな」

 

「はいっ!」

 

 拳を握りしめながら頷いて、彼の人めがけ走り出す。

 

「ジェイドッ、さぁーーーん!!」

 

「エナジーブラスト」

 

 

 焦げた煙を上げて床に突っ伏したこちらに、大佐は何事も無かったかのようないつもの笑顔を浮かべ、ぱんと手を打ち合わせた。

 

「行きますよリック」

 

「はいジェイドさん!」

 

 若干頬を滴るものがあるのはさておいて勢いよく立ち上がり、身をひるがえした大佐の後を小走りで追う。

 

 その途中、少しだけ視界に映った大佐の横顔に、おや、と目を丸くした。

 

「ジェイドさん、もしかしてご機嫌ですか?」

 

「まあ」

 

 返事と共に押し上げられた眼鏡の反射に隠れてしまった赤色の目。

 首を傾げつつ、まあジェイドさんが楽しそうならいいやと、自分もまた笑みを深める。

 

 世界には柔らかな水の音が響いていた。

 

 

 

 

 水の音。乾ききっていないインクの臭い。

 薄く目を開き、ぼんやりとした頭で頬に触れる紙に焦点を合わせる。

 

 ああ何だ、ただの機密書類か。

 

 …………。

 

 いや、待て。

 

「……機密書類!?」

 

 目の前の書類を掴んで跳ね起きたところで、はたと我に返り周囲を見回す。

 

 自分がいるのが陛下の部屋だという事をようやく認識して、機密書類があっても不味くない場所なのだと知り安堵の息をついた。

 

「ようやく起きたか」

 

 声が聞こえて気付けば、机の端で頬杖をついた陛下。

 起き上がったときに力が入ったのか、ちょっとシワがついてしまった書類を慌てて伸ばす俺を見て肩をすくめた。

 

「お前が寝てるってのに脱走もせず仕上げてやったぞ。感謝しろよー」

 

「す、すみません、ありがとうございます……?」

 

 寝ぼけた思考のまま反射で頭を下げてから、いや執務ってそもそも自主的にやるべきものなのではと思い至ったがとりあえず黙殺してみる。

 

 そして俺が寝ている間に嵐の後みたいになった机の上を片付けていると、ついさっきまで見ていた夢の内容を思いだしてきた。

 

 女の子だったら、なんて話してたからあんな奇妙な夢を見たのか。

 

 それにしても自分はどのみち一日一譜術らしいと考えてほろりと涙を滴らせ、集めた書類をいくつか確かめたところで、思わず笑みを零した。

 

 分かりづらく散らかされてるけど、すっかり片づいた急ぎの仕事。

 

 素知らぬ顔でそっぽを向いているピオニー陛下を窺いみた。

 

「変わりませんでしたよ」

 

「……は? 何が」

 

 怪訝そうにこちらを映す青。

 俺は返す言葉に堪え切れぬ笑い声を混じらせて、首を横に振った。

 

「いえ、何でも」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『で? 結局お前はどっちが良いんだ!』

 

『俺は――――』

 

 ふたつの自分を思い描いてみたのは、ほんの一瞬。

 答えはすぐに出た。大好きな大好きな赤色の目。

 

『別にどっちでもいいです、ジェイドさんと一緒にいられるなら!』

 

 呆気に取られたように丸くなった青色の瞳はやがて細く弧を描き、太陽みたいな笑顔に変わった。

 

 

 




ピオニー「ところでお前、稽古の約束とやらはいいのか?」
リック「…………はっ!!」


オマケ『先天性でなく突発的に女の子化した場合』
・ガイの場合
「なんで逃げるんだよガイー!」
「すまん!お前は悪くないんだがこればっかりは……!」

・ジェイドの場合
「いやぁ、さほど違和感がない事がむしろ気色悪いですね」
「ひどい!!?」



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崩落編
ティアさんを口説いてみよう!


 

 

【 愛の言葉をささやきましょう 】

 

 

 

 

 操作席にいなくちゃ動かないんだけど、いたからと特に忙しい事もないタルタロスでの移動中。

 

「いーなー」

 

「なにがですの?」

 

 艦橋のメインは自然と女性陣のおしゃべりになる。

 その間、男たちは黙ってそれを聞いているわけだけど、俺としては変にみんなで無言になるより このほうがよっぽど楽しい。

 

 後はときおりルークがヒマそうになるくらいで、ガイも大佐も特に口を挟む事はなかった。あ、いや、大佐はたまに何食わぬ顔で混ざってるときもあるけど。

 

 まあそんなこんなで平和な航海を、俺はモニターに映る海を見ながら満喫していた。

 

「ティアのメロンだよー」

 

 瞬間、ごふっ、とあちこちで噴出した音が聞こえる。俺も噴出した。

 

 平和な航海とか満喫とか考えて三秒もしないうちに起きたアニスさんの爆弾投下に、大佐をのぞく全員の動きが一気に崩れる。ティアさんにいたってはパネルに突っ伏していた。

 

「アアアアニス! そ、そんな、はしたないですわよ!」

 

「だってぇ。あれがあったら玉の輿計画ももうちょっとスムーズに進むと思うんだよねー。ガイだってどうせならメロンのほうがいいでしょ?」

 

「俺に振るなっ!!」

 

 反射的に怒鳴り返した後、ガイは咳払いをひとつして声をひそめた。

 

「胸がメロンだろうがメロンじゃなかろうが関係ないだろ。女性はそのままが魅力的なんだ」

 

「えぇ~、そんな答えつまんないよぅ。じゃあリックは? やっぱメロンがいいよね?」

 

「へ!?」

 

「めっ、メロンメロン連呼しないで!」

 

 顔を真っ赤にしたティアさんの抗議に慌てて謝るガイの声を耳の端に聞きながら、まさかこの手の話題が振られると思っていなかった俺はびくりと身をすくめた。

 振り返った先に爛々と輝くアニスさんの笑顔を見つけて、ようやく脳が動き出す。

 

「おれ、俺は別に……! め、め、め、メロンかメロンでないかといえば それはちょっとメロンに心動くかもし、しれまっ、せんけど、でも、だってそんなオレ……っ、俺は、その、でもやっぱり!!」

 

「アニース。あんまり子供をからかわないでやってください。そろそろ壊れてきましたから」

 

 ずっと流れを傍観していた大佐が、呆れたような声を割り込ませた。

 それを受けてアニスさんが首を捻る。

 

「子供って、リックもう二十代半ばですよねー。そんな動揺する質問でも無い気がするけど」

 

「女性に慣れてないんですよ。顔はそれなりに良くても、中身がアレですからね。向こうがそういう対象と見て近寄ってきませんから」

 

 大佐がそう言うと、言葉なくともみんなの中に納得ムードが漂った。

 何でそんなルークまでしんみりした顔なんだ。

 

「じゃあ女の子 口説いたりとかしないわけ?」

 

「まさかそんな」

 

 アニスさんの問いにすぐさま首を横に振る。

 まずしない上に、もしやろうと思ったとしても軍属では機会は無いに等しい。あって宮殿のメイドさんか。後は寮になるとガタイのいい先輩方しかいない。

 

「女の子のひとりも口説けなきゃ男じゃないっしょ」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「そ! じゃあほら、ティアで練習してみよー!」

 

「え!?」

 

「えええ!?」

 

 違う方向から同時に上がった驚愕の声にかまうことなく、なぜか全員の共同作業で俺とティアさんが隣同士にさせられる。

 さっきは庇ってくれたはずの大佐すら、なぜかなぜか、嬉々として指示を飛ばしていた。

 

 そんなわけでティアさんと隣同士です。

 口説くって、何をすればいいんだ。

 

「……ティアさん」

 

「……え、ええ」

 

 とりあえず声を掛けて向き合ってみたけど、お互い言葉もなく、半端な沈黙が場に下りる。

 なんでもいいから喋る、と隣のアニスさんから小声の指示が飛んできた。

 

 なんでも……。

 

「ご、ご趣味は!?」

 

「リック……それはないだろ」

 

 方々で零れる溜息。ガイからすら突っ込みが入る始末だ。

 何が違うんだ。どうすればいいんだ。

 

「た、鍛錬を少々」

 

「ティアも答えなくていいから!」

 

 向こうで真面目に答えてくれたティアさんがアニスさんに制されていた。

 なにか口説き文句は知らないのかとアニスさんに軽く怒られて、悩む。

 

 世界の勉強をするために大佐の書斎や宮殿の資料室にあった本はけっこう読んだつもりだが、その中のどこにも女の人の口説き方なんて書いていなかったし。

 

 考えた末、ちょっと昔の記憶が浮かんできた。

 

「……そういえば、気になる女の子がいたらこう言えって陛下に聞いた気がします」

 

「王族式か~! ねぇねぇやってみて!」

 

 アニスさんのほうを向いていた首をぐりんとティアさんのほうに回される。

 えぇと、確か。

 

「毎日貴方の作ったお味噌汁を、」

 

「うわダメだ」

 

 言い切る前にアニスさんからノーサインを出された。

 

「ダメですか?」

 

「ダメ。……えっと、じゃあ他にはなにかある?」

 

 そう問われて、再び記憶の底をさらいに掛かる。

 まだ何かあっただろうか、と最近のものから順に思い返していき、また思い出した。

 

「本当に好きな人を見つけたらこう言いなさいって……」

 

「それだぁ!」

 

 びしりと人差し指が眼前に迫る。

 

 だけど、これは、本当にいいんだろうか。

 不安になりつつも引っ込みがつかずに、俺は再度ティアさんと向かい合った。

 

「……えっと、相手の方の手を握って、目をまっすぐ見て」

 

 失礼ながらティアさんの手を取らせてもらい、目を見つめる。

 瞳は綺麗な青色をしていた。

 

 それに見惚れつつ、例の言葉を言おうと口を開く。

 

「俺の子供を産んでくださ、ゴぶっ」

 

 即行トクナガの拳が飛んできました。

 

「それホントにピオニー陛下に聞いたの!?」

 

「本当ですよぉ! でもなんか、あんまり一般的じゃなさそうな感じだったんで使うつもりはありませんでしたけど」

 

「めずらしく正しい判断です。ところで他にも教わりましたか?」

 

 振り向くと、眼鏡を逆光で輝かせた大佐が立っていた。

 びくりと身をすくめる。気分は蛇に睨まれたカエルだ。

 

「あ、あとは、女性を見かけたら声掛けないほうが失礼だとか、すごく綺麗だったら連絡先をお聞きして陛下に教えろとか……?」

 

「そうですか」

 

 それだけ言って元の指令台まで戻ってしまった大佐を呆然と見送る。

 その反応を見て、とりあえず陛下の言っていたやつは実戦しなくて良かったらしいと悟った。

 

「……あの、リック?」

 

 控えめに掛けられた声のほうを見やると、ティアさんがこっちを向いて少し首をかしげていた。

 

 青の目がまっすぐに俺を捕らえる。

 

「自分に合わないことを無理にしなくてもいいと思うわ。好きな人を見つけたら、リックはリックなりに一生懸命そのことを伝えれば良いの」

 

 諭すような柔らかな声が胸に響く。

 するとティアさんは最後にすこし微笑んで、言った。

 

「あなたはそのままで十分素敵よ」

 

 

 おそろしく長く感じた数拍の間の後、ホワイトアウトしかけた頭を勢いよく引き戻し、真っ赤になった顔をそのままにぐりんとアニスさんのほうを向いた。

 

「こ、これが口説くってことなんですね!!?」

 

「そう!!!」

 

「え!?」

 

 これはすごい威力だ。

 一瞬のうちになんかどこまでも着いていきたい衝動に駆られてしまった。

 

「なんか分かった気がしますアニスさん!」

 

「ん! ティア先生をよっく見習うように!」

 

「はい!! ありがとうございますティアさん! 俺がんばります!」

 

 

 

「えぇええー!!」

 

 

 平和なタルタロスの艦内には、その日、ティアさんの叫び声が響き渡った。

 

 

 




タルタロスで移動中で、わりと緊迫感なくて、もうティアがメロンってことになっててアニスがリックがレプリカだって知らない、謎の時間軸。


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レプリカトリオでほのぼの

 

 

【 I like you 】

 

 

 全員の休憩のため、タルタロスはいま港に停泊している。

 

 各々自由な時間を過ごしたり、用事がある人は用事を済ませたりしている中、特にやることのない俺は艦橋で機材の点検をしていた。

 

 分厚いマニュアルを片手に、設定に異常が無いかをひとつずつ調べていく。

 

 でも俺そんなに譜業には詳しくないからガイに頼めるならそのほうがいいんだけど、せっかくの休憩中に邪魔するのは悪いし、何よりあいつに任せたら勢いで分解されてしまいそうな気がしてちょっと怖い。ガイの目があんなに輝くのは譜業や音機関を前にしたときくらいだと思う。

 

 そして最後のチェックが終わり、終了のキーを叩いたとき、

 

「リック」

 

 響いた呼び声にピッと身を弾ませた。俺がチーグルだったら今絶対に耳が立ったはずだ。

 

「ルーク!」

 

「あ……おつかれ。いま、平気か?」

 

 振り返ると、そこには思ったとおりの赤がいた。

 ルークは俺が持っているマニュアルに目をやって、ちょっと申し訳無さそうに眉尻を下げた。

 

 雑務は半分趣味みたいなもんだし、こういうのは俺の仕事だから構わないのに。

 にかりと笑みを浮かべる事でそれを伝えてから、俺はマニュアルを椅子の上に置いてルークに走り寄った。

 

「いま終わったとこ! なに? どうした? 俺になんか用?」

 

 目を輝かせながら詰め寄るとルークは一瞬逃げ腰になったものの、すぐ苦笑して指で外を示した。

 

「いや、停泊しててもイオンのやつあんま遠出できないだろ? せめて甲板で風にでも当たらせてやりたいんだけど」

 

 お前も来るか、とルークが言い切る前に、俺は力いっぱい頷いてみせた。

 

 

 

 

「ありがとうございます、ルーク。リックも、付き合ってくれて」

 

 甲板の手すりに捕まりながらそう言って微笑んだイオンさまに、俺は笑って返して、ルークはちょっと気恥ずかしそうに頭をかいていた。

 

 いつも一緒のはずのアニスさんの姿が見えないことを不思議に思い聞いてみると、せっかくの休憩時間だから好きに過ごしてもらうようイオンさまが送り出したらしい。

 

 きっとアニスさんは渋っただろうなぁ。でも最終的にイオンさまの笑顔に負けたんだろう。

 そのときの様子が目に浮かぶようで、思わず口元を緩める。

 

 そのまま三人でのんびりと海を眺めていると、怪訝そうな顔のルークがふと俺を見た。

 

「なぁ、リック」

 

「ん?」

 

 イオンさまの向こうに立つルークに俺も視線を移すと、彼はなんだかバツが悪そうに目を泳がせていて、何事かと首をかしげる。

 少し間何やら言いにくそうに唸っていたけど、やがてルークは意を決したように口を開いた。

 

「おまえさ、俺の何がいいんだ?」

 

 突然の問いに俺がぽかんと翠の瞳を見返すと、それをどう解釈したのか顔を赤くしたルークが慌てて首を横に振る。

 

「べ、別に変な意味じゃないからな! ……たださ、前の俺、あんなんだったじゃん。お前に好いてもらえるようなこと何もしてないのに……って……」

 

 ルークの声はどんどん小さくなっていき、最後はほとんど聞こえなかった。

 

 けど。

 

 喜びに転げまわりたい気持ちを必死に抑え、俺は前の手すりに寄りかかってルークの顔を覗きこんだ。

 

「ルークは最初から優しいよ」

 

 ここ最近ガイに卑屈~と怒られているのも頷ける。

 大佐と一緒で、元から大好きを向けられるのが苦手な観はあったけど。

 

「ね、イオンさま」

 

「はい。ルークは優しいです」

 

 顔を向ければイオンさまは一瞬目を見開いたあと、とても嬉しそうに微笑んだ。

 

 イオンさまがこんなふうに無邪気な笑みを浮かべるのも、アニスさんかルークが関わってるときだけなんだって、ルークは気付いてるだろうか。

 

 今のルークは“大好き”に対してすごく臆病になっているような気がする。

 好かれることが怖いのか、好くことが怖いのかは、分からないけど。

 

 でもあいにくと、そういうのには慣れてるんだ。

 

「優しくて、間違うけど前見れるから、俺はルークが好きだよ」

 

 あの人もなかなか言葉どおりに“大好き”を受け取ってくれないから、俺は言う。

 大好きな人へ大好きですよと、何回だって伝えるんだ。

 

 イオンさまと俺で にこにこと笑いながら顔を眺めていると、ルークはちょっとの間 呆然としていたけれど、やがて弾かれたように顔を真っ赤にした。

 

 言葉になりそこなった意味を成さない声が彼から零れるのを、イオンさまと二人微笑ましく見守る。

 

 ゆっくりでいいから、彼らが大好きを幸せに受け取ってくれるようになってくれたら、いいと思う。

 例えばそれは、俺のじゃなくてもいいから。

 

「…………あ、ありが、」

 

「それにルークの髪の色ってほら、ジェイドさんの目と一緒じゃん?」

 

 今現在 町のどこかで休憩しているはずの上司を思い、うへへへ、としまりのない笑いを零すと、隣からぴしりという音が聞こえた気がした。

 

 横のイオンさまがなぜか苦笑している。

 え、何、なん……

 

 見えない速さの回し蹴りが、俺の膝の裏に入る。

 そして人間の構造上 がくんと抜けた膝を、思いきり地面に打ち付けた。

 

「お前それか! 結局そこかよ! あーくそ、感動したオレがバカだったぁ!!」

 

「え、ちょっ、ルーク! ル~ク~!!」

 

 膝の痛みで俺が動けずにいる間に、ルークはずんずんと歩いて艦橋のほうへ消えてしまった。

 

 伸ばした右手も虚しく空風吹き抜ける甲板。

 

 やがてその手をゆっくりと下ろして、笑った。

 それを見たイオンさまもおかしそうに口元に手をやる。

 

「ふふ……後で ちゃんと機嫌を取ってあげないといけませんね、リック」

 

「はい」

 

 ルークの背中が消えた方向を見やって、俺は目を細めた。

 

(確かに、最初はジェイドさんの瞳と重ねたからだった、けど)

 

 そしてイオンさまと顔を見合わせて、そっと微笑む。

 

 

 

 いま、俺の大好きな赤は、ふたつ。

 

 

 

 

 



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ドキッ★病人だらけの看病大会

ルーク視点


 俺達の旅は今、史上最大の危機に見舞われている。

 

「ジェイドさーん! みんなー! しんじゃイヤですぅ!」

 

「風邪で死んでたまるかぁーー!!」

 

 横になっていた俺は、最後の気力を持って起き上がり、寝台にへばりついて号泣するリックにそう怒鳴った。

 

 

 

 

 外殻降下作業を進める旅の途中、俺たちはある小屋に滞在していた。

 

 もともと旅人用に開放してあるものらしく、中には簡単な調理場と、部屋いっぱいのベッドが設置してある。このあたりは町と町の間隔が広くて、しばらく休める場所がないからだろう。

 

 しかし急ぎの旅をしているはずの俺たちがこんなところで留まっているのには理由がある。

 

 ここ最近の強行軍が祟ったのか、はたまた近隣で流行していたのか、俺たちは揃いもそろって、風邪で参っていた。

 

「ええと、パナシーアボトル、パナシーアボトルですね!?」

 

「……それはいいから水をください」

 

 しかもあのジェイドすら感染している。

 

 死霊使いを寝込ませる風邪。

 まずい、死んでたまるかとは言ったけどもしかすると俺なんか消えるかもしれない。

 

 人数分の寝台があったのは幸いだったけど、治癒術を使えるティアやナタリアまで寝込んでしまい、唯一 健康なのが。

 

「ジェイドさぁああん! ルークー!! みんなぁー!」

 

 ……よりにもよって、この男だった。

 

 その頭の上にはやはり心配そうなミュウの姿。種族が違うゆえなのか風邪はうつらなかったようだ。

 ていうかリックのやつも本気でチーグルなのかもしれない。だってあのジェイドを倒した風邪なのに。

 

「うるさいなぁ~……騒がないでよぅ、あ、あたまガンガンする……」

 

「す、すみませんアニスさん。あの、ところで」

 

 リックが、きょとんとした顔で首をかしげる。

 

「風邪って、なんですか?」

 

 その瞬間、俺は生まれて初めて、ユリアに祈った。

 ついでに段々つらくなってきたので目を伏せる。ああ、無事に明日の朝日をみられますように。

 

「……それマジで聞いてるわけ」

 

 アニスがつかれた声で聞き返すのが聞こえた。

 

「そういえば軍の先輩方が冬ごろになると訓練を休むことがあったような……あ、でも一人だけ夏に」

 

「それはバカです」

 

 当人いわく本当に久々だという風邪がきついのか、ジェイドがいつも以上に切って捨てる口調で突っ込んだ。

 なんでだ。俺も前 夏に一回ひいたぞ。

 

「風邪というのは、悪性の音素が体に進入することで起こる病気よ……。主にくしゃみ、咳、発熱や倦怠感などを伴う…わ……」

 

 右向こうからティアの解説がか細い声で響いた。

 固い、っていうか、病気のときくらいもっと肩の力抜いてもいいと思う。まじで。

 

 休むのが不器用すぎるティアが心配でなんとなくハラハラしていると、もっとハラハラする事態がやってきていた。

 

「風邪……病気……うん、分かりました! 俺とミュウでみんなを看病すればいいんですね!」

 

「がんばるですのー!」

 

 確かに今動けるのはリックとミュウの二匹、もとい一人と一匹しかいないのだから、そうなるのが自然なのだけれど、なんだろうか、このどうしようもない不安感。

 

 しかしあれでも軍人として、俺より三年長く生きてきた言わばレプリカとしての先輩だ。信じていいだろう。うん、きっと。

 

「えっと、まず何をしたらいいんだ?」

 

「そうだなー……」

 

 リックの問いかけに答えたのはガイの声。

 彼もまた熱で頭が働かないのか、考えるような間があった。

 

「布を水で冷やして、頭に乗せるんだ。 出来るか?」

 

「分かった」

 

 それから手ごろな布を探しているのか、荷物を探るような音の後に、今度は調理場の方向から水音。

 この調子なら大丈夫だろうと俺も安心して眠りにつこうとしたとき。

 

「………………っ」

 

 ?

 

 呻くような声。

 なんだろうと思うより先に、ガイの悲鳴が耳に届いた。

 

「ッ顔ぜんぶにかけなくていい!!」

 

「え!?」

 

 そうなの?と聞き返すリックの傍らからゼェゼェと荒い息が聞こえてくる。もしかして濡らした布を顔前面に掛けたのか。

 

「というかこれ絞ってないだろ!?」

 

 ころす気か。ああ一気に冷や汗が出てきた。

 

 

 そこで外で物音がしたとかで、リックとミュウが軽く怯えつつも剣を片手に様子を見に行ってしまった。

 小屋の中に、安らかな寝息を立てているナタリアを除いた面々の物言いたげな沈黙が広がる。

 

 するとジェイドが寝ているほうからシーツが擦れる音が聞こえてきた。

 あいつ潜ったな。我関せずで一人だけ難を逃れるつもりか。

 

「アンタもおとなしく看病されろよジェイド」

 

 すると同じく気づいたらしいガイの声と、身を乗り出したのか寝台がきしむ音。

 

 薄目を開けて見ると、ジェイドの隣の寝台にいるガイが、ジェイドが被っているシーツの裾を引っ張って潜るのを阻止していた。

 そうだ、俺だってこんだけ怖い思いをしてるのに一人だけ逃げさせてたまるか。

 

「いえいえ老体はやはり静かに眠るのが一番の薬ですから、看病してもらうほどのことはありません」

 

 風邪を引いてるとは思えない滑らかな喋りだが、若干声は掠れていた。ジェイドも人の子だったんだな。

 

 そこでガイがめずらしく声を荒げて、やかましい!と怒鳴った。

 

「ルークの育て方を大失敗したのは確かに俺だが、リックについては旦那の責任だろうが!!」

 

 え、大失敗なの?

 

「看病の仕方くらい教えとけよ!」

 

「そんな暇ありませんでしたよ。第一あの子自体やけに丈夫で、風邪はおろか花粉症にかかっているのすら、ここ三年間は見たことがありません」

 

「三年?」

 

「その前は私の直属じゃなかったんです」

 

 しかしリックのあの様子からするに三年どころじゃなくて、風邪というものにかかったことがないのかもしれない。あいつどれだけ健康なんだ。

 

 そのとき、がちゃりとノブが回る音がした。リックが戻ってきたらしい。

 

「すみません。ただのオタオタでしたー……あ、ガイ起きてていいのか?」

 

「あ、ああ。ちょっとな。今寝るよ」

 

 ガイがあわてて寝台に入ったのを見て俺もまた目を閉じる。

 

 倒したの?というアニスの問いに、ミュウにミュウファイアで追い払ってもらったとリックが答えた。

 当然のように言ってるがかなり情けない。お前の剣は単なる精神安定剤か。

 

「そういえばもうだいぶ陽が落ちてましたよ。そろそろお夕飯作りますね」

 

「ごめんなさい。お願いするわ」

 

 申し訳なさそうに言ったティアに、リックが「へっちゃらですー」と和やかに笑う声。

 リックの料理は特別美味しいというわけじゃないけど、普通に食べられるから、これは安心していい――……

 

「じゃ、カレーでいいですか?」

 

「いいわけあるかぁーー!!」

 

 ガイの叫びと共にシーツが跳ね除けられる音。

 そして早足に調理場のほうへ歩いていく気配がする。

 

「病人への食事はまず消化の良さだ! 次に栄養! ああ出来れば温かいものがいい! アレンジ法がいろいろあるが簡単に作れる病人食筆頭はお粥だ!」

 

 語りの合間に、がちゃんがちゃんと調理器具を引っ張り出しているらしい音、水を鍋に入れたらしい音、中にエンゲーブライスを入れたらしい音、が連続して聞こえてきた。

 

「いいか、まず鍋にライスと水を入れる! それから火にかけて――……!」

 

 ガイラルディアの三分クッキング。

 なぜかそんな言葉が脳裏をよぎった。

 

 一から十まで、俺にすら分かり易くおかゆの作り方を説いていくガイ。

 そして最後、実際に火をかけた音がする。

 

「後はこのまま二十分炊くだけだ! 途中で混ぜたくなるかもしれないが混ぜたらダ、」

 

 唐突に途切れた声を不思議に思った次の瞬間、大きな何かが盛大に床へ倒れる音がした。ああガイー!とリックの悲鳴が聞こえる。

 

 ……ありがとうガイ。お前の雄姿は無駄にはしない。

 

「ご主人様! つらくなったらすぐミュウに言ってですの! がんばってなんでもするですの! ご主人様、さむくないですの?」

 

 人の布団の上でぴょこぴょこ飛び跳ねながら喋りまくるチーグルを踏みつけてやりたいと思いながらも、熱が上がってきた体が動こうとする気配はない。

 

 遠のいていく意識の中、俺は誓った。

 

 もう絶対、風邪なんかひかねぇ。

 

 

 

 

 翌朝。

 俺は熱が下がってることより、太陽を拝めたことに感動していた。

 

 どうも感染力が強い代わりに一日で直る風邪だったらしく、他のみんなもすっかり元気になって、一夜を明かした小屋の前にそろっている。

 

「まあ、それではリックとミュウがずっと私達の看病をしてくれてましたの?」

 

 大変だったでしょう、とねぎらいの言葉を掛けるナタリアと、嬉しげに笑うリックとミュウの後ろで、俺達はみんな心なしかげっそりとしていた。

 

「結局ナタリアは朝までぐっすりだったな……」

 

「なんか、うらやましいかも……」

 

 ガイとアニスが朝日を見て眩しげに目を細めながら呟き合う。

 俺もあれからずっと寝ていたのであまり偉そうなことは言えないのだが、話を聞くとあの後も大変だったようだ。

 

「体をあったかく、って言ったら今度は布を熱湯につけようとしますしねぇ」

 

「その後、頭は冷やすのよ、って教えたら布団の上にやかんを置こうとしたわね」

 

 ティアとジェイドの軍人二人はまだ客観的だったが、どことなく目が遠かった。

 

 ああ思い起こせばただの風邪なのに、ほんと、大変な目にあった。

 

「ルーク! 元気になってよかったなぁ!」

 

 歩き出した俺の横に並ぶと、満面の笑顔を向けてきたリック。

 

 朝起きたら、俺の寝台に突っ伏して眠っていたリックとミュウ。

 額の布の代えを握り締めて、まぬけな顔で。

 

「…………」

 

 ああほんと、ひどい目にあった。

 

 だけど、ああいうどたばたした感じとか、看病とか。

 眠っている自分の額に手を当ててくれる、誰かとか。

 

「さんきゅな、リック」

 

 

 まあ、悪くないかもって、思った。

 

 

 

 




オールドラントでのウイルスの扱いが分からなくて、とりあえず悪性音素。でもそのへんは普通にウイルスだったのかもしれません。


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レプリカコンビを見守る大人組

ガイ視点


 

 

【 みまもるひと= 】

 

 

 

「だからこれで右から……ストレ、ノーレ、アルカ、だろ?」

 

「えー、でもルーク。これがこうで左から……ノーレ、アルカ、ストレ、じゃないか?」

 

 旅の途中。

 節約のために二部屋しか借りなかった宿の花のない男部屋にて。

 

 さきほどから寝台の上で黙々と荷整理をしているルークとリックを、ガイは少し離れた場所でコーヒーを飲みながら何とはなしに観察していた。

 同じ机の向かいには報告書らしき書類を手にしたジェイドがいる。

 

 最初は、パーティ内の雑用を主な仕事とするリックが荷袋を広げ始めて、そこに手伝うと言うルークが加わった。

 

 そうして二人で楽しげにひとつずつ点呼しながら中身を種類別に纏めていたのだが、C・コアの小袋に差し掛かったとき、順調に流れていた声と手が動きを止めて、今に至る。

 

 一部始終見ていた自分も相当ヒマだなと自覚しつつ、考え込む二人をまた眺めた。

 

「え、いや、だから、これがノーレだろ?」

 

「うぅん、それは、アルカだと思うけどなぁ」

 

「でもそうしたらこっちは何なんだよ。こっちがアルカで、そっちストレ、これノーレだって絶対」

 

「んんん~……?」

 

 間に置いた三つのコアを前に難しい顔をしているルークとリック。

 そんな様子をジェイドは初めてちらりと横目で窺ったかと思うと、軽く笑って肩をすくめた。

 

 再び書類のほうに意識を戻したジェイドにガイも僅かに苦笑してから、こう着状態へ入った二人の姿を見て、あらためて微笑む。

 

 まだいくらかリックが遠慮がちではあるが、間に横たわる空気が前より大分くだけてきた事に嬉しさを覚えた。

 

 屋敷ではつくりたくとも作れなかっただろう“友達”。

 己以外にもそういう存在が出来るのはルークにとって良い事だ。

 

 まぁ多少寂しくはあるが、そうあることも含めて良かったと思えるといえば、これはやはり。

 

「親馬鹿……いや、バカ親ですねぇ」

 

「だよなぁ」

 

 思考を読んだようなタイミングで呟かれた言葉に瞑目する。

 実はこの男が心を読めると言われてもきっと驚かないだろうと思った。

 

 何故かと言われれば……ああ、そういえばリックが何か言っていたなと思い出す。

 そうだ、あれだ、“ジェイドだから”だ。聞いたときは世の不思議が全てそれでまかり通る気さえした。

 

「そういうあんたはどうなんだ?」

 

 荷物に夢中になっている二人は、小声でかわされるこちらの会話には気付かない。

 目でもう片方の子供を示して問えば、ジェイドはほんの僅か表情を緩めて、肩をすくめた。

 

「さあ、どうでしょう」

 

 その表情の変化とそれを感じ取れた自分に驚きつつ、くえないおっさんだ、と返してコーヒーをあおった。

 

 本当にわけのわからない奴だと思う。

 そうしてあいつの変化を喜ぶこともするくせに、いざってところで渋い顔。

 

 変わって欲しいのか、欲しくないのか。

 いやそれとも、一番変わりつつあるのはこの男なのだろうか。

 

 

「これがノーレ!」

 

「いやっ、でも、きっとこっちがノーレじゃ…!」

 

 響いた声に、ジェイドと同時に顔をそちらへ向ければ、そこには真剣に話し合う子供二人がいる。

 

 あまりに平和なその様子に、ふと脱力した笑顔が浮かんだ。

 ジェイドも呆れた顔で息をついて、最後に少し口元を緩めてからまた書類に目を移す。

 

 だれが、じゃない。

 みんな少しずつ変わっていってるんだ。

 

(それは、きっと、俺も)

 

 暖かな気持ちに目を細めて、カップに残った液体を一気に飲み干す。

 

 

 じんわりとした苦味が脳にしみこんでくるのを感じながら、ガイはとりあえず、いつあれがストイル、ノーレド、スピリトであることを彼らに伝えようかと考えていた。

 

 

 




本文途中、チラ見して笑った段階であれがストレノーレアルカじゃない事に気づいてたジェイド。だけど言わないジェイドさん。

そしてガイも最初から気付いているんだけど、ちょっと面白いから言わないで見てる、ささやかな愉快犯。


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七歳児と十歳児のケンカ?

 

 

【 レプリカ戦線異常なし 】

 

 

 

 

「どうしてだよ!」

 

 旅の途中、野宿のため薪拾いに出ていたガイは、響いてきた声に驚いて顔を上げた。

 見れば先で焚き火を挟んで言い合うルークと……。

 

 その相手を視認して、目を見開く。

 

「リック?」

 

 ルークと対峙しているのは、どうしたことかあのリックだった。

 目に余るを通り越して不憫になるほどの臆病さをほこるあの男は、それゆえに諍いとは程遠いところにいる。

 ジェイドに泣きつく姿はよく見るが、誰かと口論するなんて間違っても出来なさそうな男だ。

 

 それにルークだって昔ならいざ知らず、今は変に突っかかることはない。

 アニスとはよくじゃれあいのような喧嘩をしてもいるが、あんな見るからに戦意がない上に良くも悪くも好意の塊のようなリックにきつく当たれる奴ではないはずだが。

 

 間に焚き火を挟んで睨み合う二人と、少し離れたところに我関せずで腰を下ろし目を伏せているジェイドを数度見比べた末、ガイはそっと足元に薪を下ろしてジェイドのそばに寄った。

 

「何かあったのか?」

 

 他の仲間はまだ食材探しや洗濯から戻っていないらしいが、唯一「いやぁ最近節々が痛んで」とまた年寄りぶって見張りとしてここに残っていたジェイドなら、一部始終を見ていただろうと問いかける。今更だがついさっきまで誰より颯爽と槍を振り回していた男がよく言うものだ。

 

 するとジェイドは面倒くさそうに伏せていた瞼を持ち上げた。その下から覗いた赤色がちらりとガイを見る。

 

「つまらないことですよ」

 

「ルークとリックが喧嘩してるんだぞ? そんなわけないだろ」

 

 とくにここ最近、あの二人は仲が良い。

 少々ぎこちなさが残るものの、それでもようやく“友達”らしくなってきたのだ。そんな二人があんなふうになっている原因がつまらないはずはない。

 

 ガイとジェイドの会話も耳に入らない様子の二人に今一度視線を戻す。

 そのとき、対峙しながらもやはりおどおどと瞳を揺らしていたリックが、ルークをまっすぐ見据えた。

 

「俺だって、それはゆずれないよ」

 

 小さな声ながらもはっきりとしたリックの物言いに驚く。

 彼がルークに異を唱えるなんて、明日はアイシクルレインでも降るのだろうか。

 

 それを受けたルークが一度辛そうに眉を顰めて顔を伏せ、すぐに上げた。

 

「嫌なものは嫌なんだ。おまえなら、分かってくれるって思ってたのに」

 

「でも、ルークのためなんだよ!」

 

 いつになく必死に喋るリックに、ルークが鋭い視線を向ける。

 

「俺のためじゃないだろ! おまえは……お前はいつだって、ジェイドのことしか考えてない!!」

 

 うん?

 

 会話の流れに首をかしげる。同時にじわりとした汗が背中に浮かんできた。

 何かがおかしい。二人はなんの話をしているのだろう。

 

 ルークの言葉に、リックが急いで首を横に振る。

 

「ルーク! 俺はそんな、」

 

「そんなことないって言えるのか!? だったら止めてくれよ! じゃないと俺はっ、」

 

 耐えかねたように荒げられた声を遮るように、リックは再度ゆるく首を振った。

 

「ごめんルーク。それは、出来ない」

 

「リック!」

 

「……ルークがこういうのイヤなのは分かってる。だけど……俺やっぱり……!」

 

 展開にまったくもってついて行けず、混乱のあまり思わずジェイドの服をしっかと掴みそうになったとき、リックがグッと拳を握り締める。

 

 

「カレーにキノコいれたほうがいいと思うんだ!!」

 

 

 ぐえっ、ぐえっ、ぐえっ。

 小ぶりなグリフィンが、頭上を通過していった。ついでに頭が真っ白になる。

 

 

「だーかーらー! 俺キノコ嫌いなんだって! 頼むから抜いてくれよ!!」

 

「で、でも好き嫌いはないほうがいいってナタリアも言ってたし、俺もそう思うし……」

 

「そんなこと言ってお前ただジェイドに食わしてやりたいだけだろ! 知ってんだぞカレーごとのジェイドの反応ノートに纏めてんの!!」

 

「な、なんでソレを!!」

 

 秘密にしていたつもりだったらしいリックがザッと後ずさる。

 しかし調理担当のたびにうきうきと書き込んでいればいやでも気づくだろう。

 

 キノコを入れる入れないできゃんきゃんと騒ぎ続ける子供二人を見ながら、ガイは燃え尽きた背中で立ち尽くしていた。

 

 

「だからつまらないことだと言ったでしょう?」

 

 背後から響いたジェイドの声が、むなしく風にとけて、消えた。

 

 

 



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ガイとジェイドとリックで団欒

ガイ視点


 

 

【 大人の見解 】

 

 

 

 

 パッセージリングやセフィロトの件をどうにかするため、俺達は今ダアトに来ている。

 

 だが到着したときにはもう日暮れで、今から行っても門前払いだ。

 一刻を争う時期ではあるが、無理に進めば良い結果が出るというものでもない。それに偽王女疑惑で考え込んでいるナタリアの事も気に掛かった。

 

 最初は「こんなゆっくりしてもいいのかな」と渋っていたルークだが、ナタリアを元気付けてやれと言えば二つ返事で頷いて、宿で借りたトランプを手に張り切ってナタリアを誘っていた。

 

 

 そして今、隣の部屋から聞こえてくるにぎやかな声に口元を緩める。

 よく響くアニスの高笑いとルークの怒声。

 

 いつのまにやら本気で遊びに熱中しているようだが、その中に混じるナタリアの笑い声に、結果として俺達のもくろみは成功したらしい事を知る。

 

「で、俺はあんたと顔つき合わせて作戦会議か……」

 

「おや ご不満ですか。こんな美中年が一緒なのにねぇ」

 

 いっさい感情のこもらない軽口に俺も半眼で肩をすくめた。

 

 楽しげな女性陣の部屋の隣にある男部屋では、俺とジェイドが明日の予定について話し合っている。

 

 本来ならここにルーク他もう少し仲間が揃うのだが、今回はナタリアのみならずみんなの気分転換も兼ねるつもりだったので、この中では保護者の立場に近い自分たちを残しに後は隣へ回ってもらった。

 

 いやしかしそういえば、別の意味で賑やかしい男の声がしないような。

 

 そう思ったところで扉をノックする控えめな音が部屋に響いた。

 

「どうぞ」

 

「あ、すみません失礼します」

 

 カップの乗ったトレイを手に、ひょいと顔を覗かせたのは今しがた思考に登場していた男だった。

 

「宿のおかみさんにスープ貰ってきましたー」

 

 カップの一つを丁寧に俺の前においたリックを見上げる。

 

「隣に混じらないのか?」

 

「まぁ、ほら、俺はなぁ。二十五歳だし」

 

 外見は、というところが言外に込められたのは、一応ここが公共の場であることを考慮してだろうか。

 

 こういうあたり、ルークより三年長い十年という歳月を思わせる。世間に自分がどう映るかは承知しているのだろう。

 まぁ自覚があってもあれだけビビってりゃ無意味だが、こうして静かにしてれば一応 俺より年上に見えなくもない。

 

「ジェイドさんもどうぞっ」

 

 おい俺のときと声のトーンが違うぞ。

 

「ああ、ありがとうございます」

 

 そう言ってカップを受けとったジェイドが緩く微笑むと、リックは幸せそうに笑ってハイと頷いた。

 

 そんな光景を口に運んだカップの裏から眺める。

 

 こうしてよくよく観察していると、ジェイドはリックに対して特別理不尽なわけでもない。

 ……いや、決して良い扱いでもないのだが。

 

 今のように、ちゃんとした所では礼を言うし、あんなふうに褒めるみたいに笑いもする。

 

 厳しいのも確かだが、それゆえに不当な男ではないのだと思った。

 だから頑張ってるなら褒めるし、まずい事をすれば怒る。

 

 それは育てる者としては正しい姿に思えたが、元来の性格なのかジェイドは「褒める」ほうの表現がかなり不器用だ。(怒るほうはおそろしくきついが)

 

「何やってるんです?」

 

「え、いや、道具の整理をしようかなって」

 

「……別に構いませんから机でやりなさい」

 

 俺たちの邪魔をしないようにということなのか、部屋の隅に行こうとしていたリックが、ジェイドの言葉を受けて荷物袋と共に席についたのを横目に見る。

 

 しかしジェイドさんジェイドさんと呆れるほど付きまわっている毎日は伊達じゃないようで、アイツは奴の分かりづらい肯定に気付くらしい。執念……もとい「ジェイドさん大好き」の勝利か。

 

「明日は、まぁ行ってみてだろうな」

 

「アニスも居ますから何とかなるとは思いますがね」

 

 ただ時折、なんの脈絡もないところで突き放しているように見えるのが不可解ではあった。

 理のない行動。よく考えればあまりにジェイドらしくない。

 

 そしてそういうとき、リックは怒ったような顔で眉をひそめる。

 あんまり一瞬だし、そのあとすぐに泣いてわめきだすから、中々気付けなかったが。

 

 そのジェイドの行動や、リックの表情が何を意味しているのか、俺はしらない。

 

 だが――

 

 その時がちゃりとドアノブが回る音がして、はっと顔をあげた。

 そこから覗いた真っ赤な髪に目を丸くする。

 

「ルーク?」

 

「なあ、リックいるか?」

 

 突然の指名に驚いたリックが「うひへ!?」と裏返った声を上げながらビクリとはねる。

 

 拍子に手にしていたダークボトルがすっとんだが、それはジェイドがろくに見もせずに左手で見事キャッチしていた。

 

「話し合いはとりあえずジェイドとガイだけでいいんだろ? お前もこっち来いよ」

 

 全然アニスに勝てねぇんだ、と悔しげに言ったルークが返事もまたずにリックの首根っこを掴んで引きずっていこうとする。

 

 顔を赤くしたリックが慌てて声を上げた。

 

「お、俺もいっていいの!?」

 

「バカ。何言ってんだよ、とーぜんだろ」

 

 嬉しさに口をはくはくとさせるリックを引っ付かんだルークは、ドアを閉める直前に俺達に向けて言った。

 

「あ、終わったらお前らも来いよ。絶対な!」

 

 閉じた扉と、少しして隣から聞こえてきた殊更明るい声に、ジェイドと顔を見合わせて笑みを浮かべた。

 

「絶対だとよ」

 

「やれやれ、ああいうところはまだ親善大使が抜けてませんねえ」

 

「まー、ルークの性格の一部だし」

 

 それに突然あんまり殊勝になられすぎても調子が狂うので、俺としてはあれくらいでいいが。

 

 

 響く楽しげな笑い声。

 おいていかれた道具袋を整えながら、少し目を伏せる。

 

「――無くしたくないな」

 

 これから先、どれだけのことが待ち受けているのか。

 目の前すら不透明で想像もつかないが、未熟ながらも大人である自分は心から祈る。

 

 

 あの子らの笑顔だけは、何があっても。

 

 

 口に乗せなかった言葉の先を読み取った、目の前の器用で不器用な男は、何も言わずに暖かなカップを指でなぞった。

 

 

 





ジェイド「ところでガイ、ワイン飲みますか?」
ガイ「騙そうと思うならせめて一度隠してくれないか」

さっきのダークボトルだろソレ。
(By.ガイ)



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ダアトで迷子、アッシュと遭遇

 

 

 

【 迷子の迷子のレプリカくん - にばん 】

 

 

 

 

 

 

 ピオニー陛下、俺、今日は太陽が昇るのと同じ時間に起きました。

 寝坊しそうなルークを起こしたし、朝ご飯だって残さず食べたんです。

 

 出発までまだ時間があるっていうから散歩に出たら、迷子の女の子をみつけて、その子のお母さんを一緒に探したりもして、無事に引き合わせてあげることができたんです。

 

 俺、頑張ったんです。

 なのに、なんでこんなことになってしまったんでしょう。

 

 

 現在地はダアトのどこか。

 そうです迷子です。迷子の子を送り届けて自分が迷子になったんです。

 

 でもそんなのもうどうでもいいというか、こうなると些細なアクシデントに過ぎない。

 今一番の大事件は、俺の前を歩く赤色の存在だった。

 

「アッシュさん」

 

「うるさい黙れ」

 

「……はい」

 

 なんでどうしてこんなことに。

 力いっぱい問いかける相手は俺自身。

 

 

 数十分前、自分が迷子だと気付いた俺は、力いっぱい混乱していた。

 迷子という事象よりも、それによって発生するであろう「おいてけぼり」という未来のほうに焦っていた。

 

 だって相手はジェイドさんだ。定時までに帰ってこないとなればイチもニもなく置いていくに決まってる。

 「旅に犠牲は付き物ですから」なんてわざとらしく苦しげな顔で言った次の瞬間には笑顔で歩き出す。

 

 言ってて軽く泣きそうだがあの人はそういう人だ。そりゃもう。

 

 考えたらどんどん不安になってきて、早く帰らなくてはと思うも帰り道が分かるようならそもそも迷子になってない。

 

 焦って焦って、半泣きになった俺の視界の端に過ぎったのは赤色。

 

 別に、それが大佐やルークであると思ったわけじゃない。

 ただものすごく気が弱っていた俺は、懐かしい色に反射的にすがりついてしまっただけなんだ。

 

 それがどこの誰であるかなんて考えもしなかったんだと、一応言い訳をさせてほしい。

 俺だってそれが何者か知ってたら掴みやしなかったんだ。本当に。

 

 アッシュの髪なんて。

 

 

 

 

「ッてぇ!」

 

「……あっ」

 

 痛がる声が聞こえて、そこで初めて正気に戻った。

 見ず知らずの人の髪を掴んでしまうとは俺なんてことを。

 

 慌てて手を離しながらも、綺麗な赤色の髪だなぁと思った。ルークみたいな…いや今はそれどころじゃない。

 

「す、すみません! 俺ぇうぁアッシュ!?」

 

「あぁ!?」

 

「……さん!」

 

 とっさに敬称を付け足すも、頭の中にはちょっとした嵐が訪れていた。

 混乱大セールな俺を振り返って睨みつけたアッシュは、一瞬眉を顰めた後、はっとしたように目を丸くする。

 

 それもすぐ睨み顔に変わったけど、とりあえずその反応で一応俺のことも覚えていてくれたらしいことを知った。

 

「テメェ、こんなとこで何してやがる。屑共はどうした」

 

「お、俺さんぽしてて……みんなはまだ宿なんだけど」

 

 そこまで言ったところで今度は俺がハッとした。驚愕でぶっ飛んでいた焦りが再び舞い戻ってくる。

 

「そうだ俺、迷子の女の子でお母さんとちゃんと会えてだけど迷子で宿わかんなくてどうしよう! なあどうしよう!?」

 

「とりあえず落ち着け! なんだかわからんが俺は知らん!」

 

 すがりつく俺をアッシュが必死に振り払おうとするも、ジェイドさんで鍛えられている俺の手はがっちりとアッシュの服を握っていた。

 

 ここで蹴り飛ばしたりしないあたりアッシュは意外と優しいのかもしれない。彼の人なら問答無用でタービュランスだ。俺泣かない。しかし今は別件で泣きそうだ。

 

「俺っ、ここどこだかわかんないんだよ! 置いてかないでアッシュ…さんー!!」

 

 恥も外聞もなく正直なところをぶちまければ、アッシュは心底嫌そうな顔をしたものの、考え込むように唸ってから俺の手を振り払った。

 

 そして歩き出してしまったアッシュの姿に、ああやっぱりダメかと肩を落としかけたとき、前方から不機嫌そうな声がかかる。

 

「……さっさとしろ!」

 

 そう怒鳴ってまた歩き出したアッシュを寸の間ぽかんと眺めたが、俺はすぐにその背を追った。

 

 

 

 

 そんなこんなで今に至るわけだが、思えばあのとき俺必死すぎた。

 どうしてよりにもよってアッシュに頼ってしまったのだろう、と少し後悔する。

 

 しかし、何で俺がこんなこと…等と先ほどからぶつぶつ言っているアッシュの足取りは確かで、周りの風景も段々賑やかなものに変わってきている。

 

 どうも彼は本当に俺を案内してくれているらしい。

 まだ怖いことに違いはないが、馴染みのない街の中で見知った背中は心強く見える。

 

 アッシュと行動を共にしていた期間は短かったが、それでも少しは気付けたこともある。

 

 ルークのオリジナル。六神将。

 なんだかいつも不機嫌そうで、怒ってて、ナタリアさんにだけはちょっと優しい。

 

 ずかずかと前を歩いていくアッシュの、揺れる赤を見た。

 

 そういえば“ルークさん”と何となく似てて、怖いけど、悪い人じゃない。

 それで、それで。

 

「アッシュさん」

 

「あぁ?」

 

「ありがとう」

 

 アッシュの足並みが一瞬乱れて、すぐ元に戻る。

 

「……ふん」

 

 やがて返ってきた小さな返事。

 彼が前を向いているのをいい事に、俺は少し苦笑した。

 

 やっぱりこの人も不器用な、優しい人?

 

 まだ答えには行き着かないけど、少なくとも怖くはないらしい。

 アッシュへの印象を少し改めながら笑みをごまかすために俯けていた顔を上げて、はたと足を止めた。

 

「……あれ、アッシュ?」

 

 いつのまにか目の前から消えた赤色に、きょろきょろと辺りを見回す。

 もしかして笑ってたのがバレて見捨てられたんだろうか。

 

 迷子に逆戻りかと青ざめかけた俺の耳に、聞きなれた声が届いた。

 

「リック!」

 

「ルーク!!」

 

 人ごみの向こうから駆けてきたルークが俺の前で止まる。

 上がった息を整えながら、良かった見つけた、と零すルークに俺も再び涙ぐむ。

 

「ルークー! うわあ俺おいてかれちゃうかと思ったー!」

 

「ああそうそう! 俺も本気でオマエ置いてかれるかもと思った!」

 

「え?」

 

「ジェイドが『旅に犠牲は付き物ですから』とか言い出して、不明者の事は早々に忘れて切り替えなさい、なんて すっげぇ笑顔で言われたし」

 

 やっぱり!!!

 

 一気に噴き出した冷や汗を背中に感じつつルークの背後を見ると、他のみんなが徐々に追いついてくるところだった。

 

 ルークだけ全力疾走で見つけに来てくれたようで、早いですわよ、なんてナタリアさんが怒っている声が聞こえる。

 偽王女騒動から日も経っていなかったので、その元気な様子にちょっと安心した。

 

「まったく、迷子になんてなるなよな」

 

 するとひとつ息をつきながら仁王立ちになったルークの言葉に首をかしげる。

 

「俺、迷子になってたって言ったっけ?」

 

「いや、ジェイドがきっと迷子だって言うから」

 

 哀しいほどに読まれている自分が哀しい。しかし本当に迷子だっただけに立つ瀬も無く、うう、と呻いた。

 

 それでも、こっちこっち!と元気に手を振っているルークや、人ごみの隙間に見えたジェイドさんの姿に安心して肩の力を抜く。

 

 そして今一度 町並みを見渡してあの不機嫌な赤色を探したが、どこにも映りはしなかった。

 なので俺はまた僅かに苦笑して、どこともしれない赤色へ、小さな敬礼を奉げた。

 

 

「行くぞー!」

 

「あっ、はーい!」

 

 

 



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王女と兵士の料理教室

 

 

 なんで、どうして、こんなことに。

 

 長旅のお供である簡単な調理セットを前に、可愛らしいピンクのエプロンをつけて気合たっぷりに腕をまくるナタリア。

 その後姿を眺めながら、これまたピンクのエプロンを付けさせられた俺は、遠い目で乾いた笑みを浮かべた。

 

 そうだ、事の起こりは数十分前。

 

 今日の料理当番はナタリアだった。

 頼むから俺たちに任せておいてくれないかという懇願を、彼女はいつも凛々しい笑みを浮かべて却下する。

 

「いいえ、わたくしだけ楽をするわけにはいきませんわ」

 

 もしもこれが災害現場か何かで、俺が国民だったなら、自国の王女の慈悲深さに心から感動しただろう。このひとに一生ついていこうって思っただろう。

 ああ、かえすがえすも、ここが調理場でさえなかったら。

 

 とりあえず生きて朝日を拝みたいとみんなの願いが満場一致したのはいいのだが、手伝いという名目で料理を食べられる方向に軌道修正する役目が、俺に任せられた。というか押し付けられた。離れた場所で談笑しているみんながちょっと恨めしい。

 

 だけど。

 

「さて、何を作りましょう。ルークは好き嫌いが多いですから……」

 

 食材を見比べて一生懸命に考えているナタリアの姿に、俺はふっと微笑む。

 

 ま、いいか。

 料理をする女の子って、やっぱり可愛いし。なによりナタリアだ。

 

 正直俺も料理が上手いほうではないので、頑張らなくてはと気合を入れて服の袖をまくったとき、ナタリアのほうも今日のメニューが決まったようだった。

 

「やっぱり苦手なものは克服しませんと。だけど、ルークだけでは不公平ですわね。わたくしも頑張ります」

 

 ニンジンとタコの入ったサラダと、それを食べた後のご褒美なのかチキンサンドを作るというナタリアに、ちょっと胸をなでおろす。

 よかった、あんまり難しい料理じゃない。

 

「じゃあ先にサラダを作ろう!」

 

「そうですわね」

 

 頷いたナタリアがふわりと笑った。

 

 そういうふうにしてると、王女様じゃなくて女の子だなと感じる。

 そんな年相応の表情を俺たちには見せてくれることを嬉しく思いながら、俺も彼女に笑い返した。

 

 調理場に向かっていたナタリアが、万能包丁を持って振り返る。

 

「ではまず野菜を切らなくては!」

 

「プチプリーー!!?」

 

 彼女の手に握られた魔物の姿に悲鳴を上げた。

 素早くそれを取り上げると、ナタリアが不思議そうに俺を見返す。

 

「どうしましたの?」

 

「ま、まだ材料あるんだからそっち使おう!?」

 

「でも食材は節約しませんと……」

 

「何でそういうトコわりとサバイバーなんですか!」

 

 キムラスカの王女はたくましいです陛下。

 涙目のプチプリをすばやく野に離してやってから振り返ると、今度はその手に、ぷりぷりとした水色の球体が。ていうかオタオタだ。

 

 全力ダッシュでその手からオタオタをかっさらう。

 

「ナタリア! っっだから!!」

 

 色々と言葉にならなくて全ての気持ちをひっくるめた一言を吐き出すと、心外だというようにナタリアが腕を組んだ。

 

「まあ、チュンチュンやウオントは食べますのに、なぜプチプリやオタオタはダメなのです? 食わず嫌いはダメですわよ」

 

「俺、好き嫌いないですけどコレは視覚的にヤです!」

 

 顔の脇に持ち上げたオタオタと一緒に泣きながら訴えると、彼女はふと眉をつりあげた。

 そしてその細い指をぴしりと俺に突きつける。

 

「リック。敬語は止めると、イニスタ湿原で約束したでしょう?」

 

「……あ」

 

 さっきから無意識のうちに敬語になっていた事に気付き、慌ててオタオタで口を隠した。

 そんな俺を見てナタリアが小さく息をつきながら、表情を緩める。

 

「わたくしは王女と兵士ではなく、もっと皆と対等な関係でいたいのです。これだけ一緒に旅を続けてきましたのよ。他人行儀は無しですわ」

 

 また、無邪気な少女の笑みを浮かべたナタリアに、俺もオタオタを腕に抱き直しながら苦笑した。

 

 この旅の中で何度も思ったことだけど、変わったのはルークだけじゃない。

 ナタリアもいろんな事を乗り越えて、本当に強くなったんだ。

 

 きっとキムラスカは良い国になるだろう。マルクトも負けていられませんね、と内心で陛下や大佐に語りかける。

 まあ大佐はすぐそこにいるけど。俺に今日の夕飯の行方を丸投げしたのもどこ吹く風で眼鏡拭いてるけど。

 

「ごめん、ナタリア」

 

「はい」

 

 二人で穏やかに笑いあう。

 

 ああ、本当に、

 

「では続きをしましょう。そのオタオタを返してくださいな」

 

 ここが調理場でさえなかったらなぁ……!

 

 さばきますわ、と付属されたセリフさえ考えなければ、天使のような笑顔を持って手を差し出すナタリアを前に、俺は泣きながらしがみついてくるオタオタをしっかりと抱きしめた。

 

 

 



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シェリダンで迷子、シンクと遭遇

 

 

【 迷子の迷子のレプリカくん - さんばん 】

 

 

 

 

 

 

「もう絶対に休憩おわったよな……」

 

 シェリダンの片隅、赤いレンガで出来た低い塀に腰掛けた俺は、頬杖をついてぼんやりと呟いた。その隣には食材が中身いっぱいに入った大きな紙袋がふたつおいてある。

 

 ちょっと心の整理をつけたくて、ここシェリダンに一人残ってから四日。

 忙しいみんなにカレーを作ろうと思い立ち、休憩時間を利用して買い物に出たのは三十分前。

 

「イエモンさん怒ってるかなぁ」

 

 はあ、と小さく溜息をついた。

 

 意気揚々と買い物を済ませたのはいいのだが、ここシェリダンは職人の街というだけあり、町全体がからくり箱のような構造をしている。

 変なところに秘密の小道があったり、何が起こるかも分からないボタンが複数あったり。

 

 そんな街において、俺はものの見事に、迷子になってしまった。

 

 安くて良い食材を求めてあちこち歩き回ったのがいけなかったのか。

 実は休憩を取るのももどかしいほど忙しい現場をほったらかして、迷子。ジェイドさんがいたなら「またですか」と心底呆れられたに違いない。

 

 しかもこういう時に限って人の姿は一向に見当たらず、道を尋ねる事すらままならなかった。

 

「ジェイドさん達、どうしてるかなー」

 

 ナタリアはちゃんとインゴベルト陛下…おとうさんと仲直りが出来たのだろうか。

 和平の話し合いは上手くいっているだろうか。みんな、怪我はしてないだろうか。

 

 もわもわと胸の中に立ち込める思いに、またも情けない顔で溜息をつく。

 

 そのとき、すっと視界の端を影が通った。

 反射的に顔を上げた先で、見つけた姿に目を丸くする。

 

「あー!」

 

「…………あ」

 

 指をさして声を上げると、向こうは正直「ゲ」と言いたそうな声で口元を歪めてみせる。

 

 一瞬顔を見合わせたまま時間が止まり、直後すばやく身をひるがえそうとした彼の右腕を、俺は走りよってガシリと掴んだ。

 

「なんで逃げるんだよシンク!」

 

「……なんでアンタはこんなとこにいるのさ」

 

 顔の大部分を覆い隠す特徴的な面をつけた緑の髪の少年は、そう言って口をひきつらせる。

 

「あいつらはバチカルに行ったんじゃなかったの」

 

「俺はちょっと、ここで留守番なんだ」

 

「あっそ」

 

 早々に会話を切り上げて一刻も早く逃げたそうなシンクの肩を、俺はさらにしっかりと掴んだ。

 戦ったら十中二十くらい勝ち目はないけど、単純な体格だけでいえば俺のほうがでかい。

 

 どうも今戦う気はないらしいシンクが疲れたように溜息をはいたのは、そのまま十五秒くらい経ったときのことだった。

 

「……なに」

 

 いささか肩を落としてそう呟いた彼に、俺は「あは、あはは」と気まずい笑みを浮かべたまま、言った。

 

「道を教えてください」

 

「……は? なに、あんた、まさか」

 

 迷子、という単語が空気にさらりと溶ける。

 あらためて他人の口から聞く、己の状況のいたたまれなさに、赤面しつつ小さく頷いた。

 

 シンクが「わかった、分かったから」と色々諦めた顔で片手を上げたのは、それからまた三十秒ほど経過したころのこと。

 

 

 

 

 やはりひと気のない街中。

 大きな紙袋をふたつ抱えて、シンクの後ろを歩きながら、俺はちまちまと話しかける。

 

「いやぁ良かった。このまま帰れないかと思ったけど、一緒なら大丈夫だよな!」

 

「何その根拠。僕だってこのへんの地理は詳しくないよ」

 

 さっきもただうろうろしていただけだと言うシンクに、目を丸くする。

 

「え、じゃあシンクも迷子 」

 

「ちがう」

 

 光の速さで否定された。

 

 シンクいわく、確かに帰り道を知ってるわけではないが、こんなもの適当に歩いていけばどこかには出る、らしい。

 

「勘か、すごいな」

 

「行き会った敵に案内させるアンタも十分すごいよ」

 

 言っとくけど僕ら敵同士なんだけど分かってる、と心底疲れた声で早口に言われると、なんだか謝りたくなった。

 ごめん。でも、迷子って本当に心細くて。

 

 しかし俺としてはどうも、シンクが敵という感じがしない。

 むしろ傍にいると落ち着くというか、なんというか。

 

「あ、そういえば袋ひとつ持ってほしいんだけ、」

 

「ねえ、ひとの話きいてる?」

 

 ごめんなさい。

 

 えー敵同士、敵同士、と自分に言い聞かせていると、ふいに左手が軽くなる。

 見れば俺が持っていた袋のひとつを、軽々と片手に持つシンクがいた。けっこう重いのに。さすが六神将。

 

 そんなことで感心されても相手は一個も嬉しくないという事実に気付かない俺は、満面の笑みでシンクの隣に並んだ。

 

「あんたの知ってる道に出るまでだよ」

 

「わかった」

 

 にこにこと笑いながらシンクを見やっていると、彼はやっぱり訳が分からないというように顔をゆがめる。

 そんな姿が何だか幼く映って、俺はまた笑う。

 

 なんか、やっぱり、悪いやつじゃない気がするなあ。

 

 

 

 

「あれ、ドックに行く路地だ!」

 

 連れ立って数分ほど歩いたところで、見慣れた地形に行き会えた。

 そう俺が声を上げるが早いか、シンクは持っていた紙袋を俺に押し付ける。

 

「じゃあここまでだ。さっさと行きなよ。次は本当に敵同士だからね」

 

「あ、……うん」

 

 言うが早いか身をひるがえすシンク。

 俺はちょっと考えて、紙袋をひとつ地面に置き、その中を探った。

 

「シンク!」

 

 そして目当てのものを探り当ててから、彼の背中に駆け寄る。

 訝しげに振り返ったシンクに真っ赤なリンゴをひとつ、手渡した。

 

「なに、これ」

 

「リンゴ。カレーに入れると美味しいってタマラさんに教わったから」

 

 一個おすそわけだと言えば、彼はちらりと後方に置いてきた紙袋のほうを見た。そしてどことなく困惑げに首をかしげる。

 

「こういうの、隠し味ってやつじゃないの?」

 

「え、そうなんだ?」

 

 紙袋いっぱいに買ってきたリンゴを思って俺も首をかしげた。

 たくさん入れたら美味しいんじゃないの?

 

「にしても、今日はありがとうな。助かった!」

 

「あぁ、そう」

 

 手の中のリンゴを見つめていたシンクが静かに呟いて、今度こそ身をひるがえし歩き出してしまう。

 

 その背に大きく手をふりながら、もう一回声を上げた。

 

「ほんとー、あーりーがーとー!」

 

 手を上げも、振り返りもしなかったけど、俺はそこでシンクの姿が見えなくなるまで見送ってから、おいてきた袋を抱え直し、よし、と気合を入れる。

 

 無断遅刻をイエモンさんに怒られたら、そのあとは、がんばって美味しいカレーを作ろう。

 

 最後に一度だけ、シンクが立ち去った方向を眺めて笑みを浮かべ、そのあと、元気よく地面を蹴りあげて走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰もいない路地の途中、少年はぴたりと足を止める。

 手にした真っ赤な果物を少しの間ながめて、彼はそれを一口かじった。

 

 かし、と軽い音がする。

 

「……甘」

 

 そう言った後、彼はまた果物を一口かじりながら、再び静かな路地を歩いていった。

 

 




シンクは情報収集とかでシェリダン駐留してた。
それでもってリックが戦闘要員としての印象が薄すぎて、微妙に図りかねた距離感。


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ルークとリックが子供の姿に

ジェイド視点


 

 

【 こそだて日誌ND2018 】

 

 

 

 

 

 ジェイド・カーティス三十五歳独身。

 彼は今、なんの因果かこの歳にして、子育てをしている。

 

 いや、正直幼い子供の一人や二人抱えていてもおかしくない年齢なのだから別に歳は関係ない。

 どちらかといえば、独身であり内縁の妻やら隠し子やらがいるでもないのに、というほうが正しいのかもしれないが、なんにしても今、ジェイドは子育てをしていた。

 

「うー、あ?」

 

「じぇーど! じぇーど!」

 

 訳が分からない。いや違う目の前の現実を理解したくない。

 そう心は望むものの、この頭は残酷なほど的確に答えをはじき出す。

 

「……ルーク、それは食べ物ではありません。リック、服を引っ張るのは止めなさい」

 

 ティアの薬を調達する為に立ち寄ったベルケンド。

 その宿の一室、目の前には寝台のシーツを口に運ぼうとする赤毛の子供と、きらきらとアホみたいに笑顔を浮かべて軍服のすそを引っ張る子供。

 

 “こども”と、普段なら外見と中身が一致することのない者たちへと、比喩的に口にする呼称だが、今回ばかりは違う。

 

 それは言葉どおりの意味を持って、二人の子供に向けられていた。

 

「七歳と……十歳程度。実際に生きた年数と比例したサイズということですか」

 

 

 

 

 事の起こりは数十分前。

 

 各々が用事を済ませるために街へ出る中、資料や施設のそろった場所にいる内に試したい研究があったので、ジェイドは宿に残っていた。

 

「ジェイドさんが残るなら俺も残りますー」

 

「あ、じゃあ俺も特に用事ないからさ、二人でカードかなんかで遊ばねぇ?」

 

 そう言ってリックとルークも宿に残り、まあ邪魔さえしなければ構わないかとジェイドも何も言わなかった。

 それが間違いといえば間違いだったのかもしれないが、今更なにを言っても後の祭りだ。

 

 資金面を考えてやはり一纏めの男部屋。

 ひとつしかない机はジェイドが作業に使っているため、窓際にある寝台の上で、二人はカードを広げていた。

 

「三のワンペア!」

 

「四のワンペア!」

 

 なんとも地味だ。

 

 先ほどから繰り広げられているある意味の接戦を遠くに聞きながら、研究に没頭していく。

 集中すると周囲を省みなくなる。それもまた、今思えばこの失敗の要因だったかもしれない。

 

「ジェイド、さっきから何やってんだ?」

 

「何かやりたい研究があったみたいだよ」

 

「へーえ。にしてもすげぇ熱中してんな。今ならジェイドのこと、驚かせられるんじゃねーの?」

 

「へ?」

 

 不覚なことに、このときジェイドは少し油断していた。

 

「なあルーク、本当にやるの?」

 

「シーッ。……いっつも俺達がからかわれてるんだからさ、たまにはこういうのもいいだろ?」

 

 いつもならいくら研究中でも人の気配がすればすぐ分かるのに、同じ部屋にいるのがこの二人だからと気を抜いていたなどと、本当に、本当に、不覚だった。

 

「わっ!!」

「わ、わーっ!」

 

 背後から大声を上げられ、ジェイドの試験管を持つ手が思わず、緩んだ。

 

 

 

 

 そして試験管が薬品ごと頭上に舞い上がり、後ろにいたリックとルークにふりかかって、現在に至る。

 ああまったく今思い出しても不覚だ。

 

 レプリカ体との間にどういう反応を起こしたのか知らないが、中に入っていた薬品は至って無害なものだった。

 おそらくそうかからず元に戻ると思うのだが、問題はその間彼らの面倒を誰が見るのかということだ。

 

 適役であろうガイは譜業さがしに街へ繰り出してしまったし、他の女性陣もまだ戻っていない。

 そんなこんなでこうして何とか子守りをしているのだが、そうするうちにいくつか気づいたことがある。

 

「ああう? リックー?」

 

 ひとつは、体が小さくなっただけならさておき、勢いあまって中身まで退行してしまっていること。

 

「はぁい。どーしたのー、るく」

 

 しかし完全に幼児化してしまったわけではなく、若干ながら元の記憶も残っているらしいということ。

 

 リックがジェイドのことを「じぇーど」と呼んでいたのは、確か生まれて一、二年のうちだ。

 当然ながらそのころのリックはルークを知らないはずだが、お互いのことはちゃんと覚えている様子だった。

 

「半端なものですねぇ」

 

 しっかりと記憶があれば、ただコンパクトになっただけでむしろ幅を取らずにすっきりするものを。

 こちらがこぼした声に反応して、リックがひょいとこちらを振り向いた。

 

「じぇーど?」

 

「なんでもありませんよ。ところでお二方、そろそろお昼寝の時間ですよ」

 

 リックの後方でルークが舟をこいでいるのを見つけて、これ幸いと話を切り出す。

 このまま寝かせてしまえばこちらのものだ。その間に元に戻るだろう。

 

「るく、ねむい?」

 

「んん~……ぅ」

 

 こしこしと目をこするルークの顔を覗き込むリック。こうしているとルークの兄かなにかのようだ。

 リック本人も少々そのつもりらしく、精一杯年上らしく振舞っている雰囲気がある。

 

 そのまま見守っていれば、リックはルークの手を引いてゆっくりと立たせ、寝台に横にさせてやっていた。

 もしかするとあのビビリは元に戻らないほうがしっかりしていて便利かもしれない。

 

「ねーむれっ、ねーむれっ、ゆーりーあーのー、むねーでーぇ」

 

「あなたもですよ、リック」

 

 ルークの胸をぽんぽんとたたきながら、おそらく子守唄らしいものを歌い始めたリックに内心少しだけ焦りつつ、立ち上がってリックの隣に並んだ。

 

 子を寝かしつける定番の童謡のはずだが、あの外れ調子ではせっかく寝付いたルークが起きてしまう。

 相変わらず究極に幼稚な歌い方だ。こればかりは大きくても小さくても変わらないらしい。

 

 シーツをめくり、ルークの隣に入るよう促すと、リックはちょっとだけ考えるようにした後すぐ寝台にもぐりこんだ。

 寝台の脇にある椅子に腰を下ろして、完全に寝入ったルークと、うとうとし始めたリックをぼんやりと眺める。

 

 この調子ならもう眠るだろうと胸をなでおろしたとき、リックが今にも瞑りそうな目をこちらに向けているのに気がついた。

 

「なんですか」

 

 寝入るのを妨げないよう、静かな声で聞き返す。

 すると、またふいに軍服の一部を引っ張られた。みればシーツの下から出たリックの手に握り締められている。

 

「おこってないよ」

 

「誰がです?」

 

 半分眠っている子供の言葉と軽く相槌をうつが、リックは真剣な目でジェイドを捉えていた。

 

「ぜんぜんおこってないし、こわくないよ。だから、いいんだよ」

 

「……何がです?」

 

 なにか頭の端にひっかかるものを感じながら、再度聞き返す。

 

「しあわせだから、そんなに……なくても」

 

 すると子供は、ひどく嬉しそうに笑った。

 

 

「――いいんですよ、ジェイドさん」

 

 

 まもなく聞こえてきた寝息。

 寝台で身を寄せ合って幸せそうに眠る子供二人を見下ろし、ジェイドはひとつ息をついて、目を伏せる。

 

 そこには暖かな闇が、広がっていた。

 

 

 

 

「へぇ~! なになに、二人いっしょに寝てるわけ?」

 

「ふふ、まるで子供のようですわね」

 

 陽が暮れて戻ってきた仲間たちが、ひとつの寝台を覗き込んでいる。

 

「上にミュウも寝てるのね……かわいい」

 

「そろそろ夕飯だし、起こすか? 旦那」

 

 こちらを見た空色の目に、にっこりと笑みを返した。瞬間全員が顔をひきつらせる。

 

「寝かせておきなさい」

 

 それで食いはぐれたら仕方がない。

 自業自得、人を驚かそうとした報いだろう。

 

 抗わないに越したことはないと判断したのか、それならと皆そそくさと部屋を出て行く中、ジェイドも椅子を立ちそれに続く。

 

 

 扉を閉める間際、一度だけ部屋の中を顧みた。

 

 窓際にある寝台に並んで眠る二十五歳軍人と十七歳青年という中々に苦い光景を確認して、ジェイドは楽しげに口元を緩め、静かに扉を閉めた。

 

 

 

 



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決戦前夜NGテイク

 

 

【 ビバ☆雪合戦 】

 

 

 

 

 

 

 ケテルブルクホテルの前で、俺は何とはなしに空を仰いでいた。

 

 ケテルブルクで過ごす、もしかしたら最後かもしれない夜。

 明日はみんなアブソーブゲートに向かう。ヴァン謡将を、倒すために。

 

 俺も。

 

 湧き上がってくる恐怖を逃がすように、は、と息を吐く。

 それは紫色の夜空に白く浮き上がり、やがて雪と混じるように消えた。

 

「リック」

 

 背後から控え目に響いた呼び声に思わずびくりと肩を跳ねさせる。

 恐る恐る振り返ると、そこには赤色の髪と翠の瞳。

 

「あ、わり、驚かしたか?」

 

「だ、だいじょうぶ」

 

 今のちょこっと情けない姿を見られていたのかと思うと気まずいが、なぜかそれ以上にルークが気まずげな顔だったので、俺は自分の思考を中断して首を傾げた。

 

「ルークも出かけるのか?」

 

「あー、まあ、適当に……」

 

 曖昧な返事と共にルークが俺の横にならぶ。

 

 決戦前夜とあって、他のみんなも各々の時間を過ごすべく外に出ている。ホテルに残っていたのはルークだけだ。

 そういえばミュウも先ほどどこかへ行ったなとぼんやり考えていると、ルークがふいに、あのさ、と話を切り出した。

 

「……おまえ、明日いいのか? その、俺たちと……」

 

 告げられた言葉にきょとんと目を丸くして、考える。

 今の言葉と、泳ぐ翠の目と、気まずげな態度。

 

 すべてを総合してはじき出した結論に、俺は思わず苦笑した。

 

「どうしたの今更」

 

「いや、でもさ、リックは別に関係ないわけだしよ……あ、わ、悪い意味じゃないぞ! ただ巻き込んじまったよなって……」

 

 しょんぼりと肩を落とすルークを見ながら俺も眉尻を下げた。

 ここにきて成り行きだからみんなと一緒に行くんだと思われてるなら、それはそれで切ないものがある。

 

 だけどまあ、こういうのはジェイドさんで慣れっこだ。

 ここでヘコんで終わりの俺だったら、あの人と一緒にいられるわけがない。

 

 はたと思いついて、ちょっとだけ意地悪く笑いながら足元の雪を拾い上げた。

 そしてそれを、視線をそらしているせいでこちらの行動に気づかないルークに、ぽいと投げつける。

 

「うっわ! つめてぇッ!! なにすんだよリック!」

 

「雪合戦しようルーク!」

 

「はあ?」

 

 突然の言葉に、ルークは一度 怪訝そうに顔をしかめたが、笑う俺と、俺がまた手に取った雪を見比べて、少しの沈黙の後、にやりと笑った。

 

「上等だ。相手になってやらぁ!」

 

「そうこなくっちゃ!」

 

 

 

 

 高級感ただようホテルの前に、響く子供みたいな俺とルークの笑い声。

 とびかう小さな雪玉がいくつか。

 

 目の前に跳んできた雪を軽くかがむことで避けてみせると、ちょっとくやしげに眉根をよせたルークが次の瞬間には口の端を上げて、足元の雪に手を差し入れた。

 

 何をするのかと目を丸くして見返していると、彼はその雪を持ち上げるようにして、俺のほうへ散らしてくる。

 

 ほうけていたせいで盛大に口へ入った雪にむせていると、ルークが自慢げに笑みを浮かべて胸を張った。

 

「どうだ、穿衝破!」

 

「ぶはっ。ハハッ、これ穿衝破って、ルーク!」

 

 そっちがそうくるなら、と俺も小さな雪玉をいくつか腕に抱え、先ほどの俺と同じようにこちらの作業をきょとんと見ていたルークの頭上に、それらを全部放り投げた。

 

「うわ!」

 

「へっへー! コチコチハンマー!」

 

「譜術ぜんぜん使えないくせにー……!」

 

「い、痛いところを……いいの! これくらい夢みさせて!」

 

 マルクト軍にあって譜術を使えない兵士はただでさえ肩身が狭いのだから、気分くらい味合わせてくれてもいいはずだ。

 

 むつっと頬を膨らませながら新たな雪玉を作っていると、雪国の静かな空気の中によく透る きれいな、だけど今はちょっと戸惑ったような声が響いた。

 

「ルーク? リック?」

 

「ティアさん!」

 

 外から帰ってきたティアさんの青色の目が、俺とルークを見比べて不可解げに揺れる。

 

「え、と、……何をしているの?」

 

「雪合戦です!」

 

 満面の笑みで言って返せば、そういうことじゃないんだけど、という小さな呟きと苦笑。

 そのあとティアさんはひとつ咳払いをして人差し指を立て、きゅっと眉を吊り上げた。

 

「明日はアブソーブゲートに向かうわ。今日は極力体を休めないと、……兄さんもいるのよ、きっと簡単にはいかない」

 

 兄さん、と口にする時、思いつめるように目を眇めた彼女に、何か声をかけてあげなくてはと焦った俺が口を開こうとした瞬間のことだった。

 

 ぼふん。

 

 それなりの速度と勢いを持って、真っ白な雪玉が、ティアさんの顔に当たる。さっと頭のてっぺんから血の気が引いた。

 

「ティ……っ!!?」

 

「命中~!」

 

 そんな俺の後ろでよっしゃあと声を上げながらガッツポーズを決めるルーク。

 嬉しげなルークと、顔についた雪のせいで表情が窺えないティアさんとをわたわたと見比べる。

 

「ティ、ティアさん」

 

 逡巡の末、俺は そっと彼女に向けて手を伸ばしたが、肩に置くとも雪を払ってあげるともつかない、どっちつかずの位置のまま指先を漂わせた。

 

「…………」

 

 雪がはらはらと零れおちていくのと合わせて、ティアさんの肩が小刻みに震え出す。

 やがてその裏から現れた青の瞳は、雪の冷たさのせいかほんのり涙目だった。

 

 そして今度は俺がどうしようと思う間もなく、彼女は足元の雪をつかみ上げ素早く球状にすると、それを美しいほどのフォームでもって真正面へ投げつけた。

 

 頬の脇を鋭い風がすり抜けていったと思った直後、ルークがいた方向から「もぶっ」というくぐもった悲鳴が聞こえてくる。

 

「ちょうしにのらないでっ!!」

 

 肩で息をしながら寒さに赤くなった頬で言いきられた言葉には、たぶん、これ以上ふさわしい使いどころはなかったかもしれない。

 

 ご愁傷様ルーク、と俺が思わず手を合わせそうになったとき、雪の中に突っ伏していた赤色が起き上がった。

 

「こ、今度はこっちから行くぜ!」

 

「覚悟なさい!!」

 

 思った以上に重い球だったのか、若干よろけ気味ながらもルークがびしりとティアさんを指させば、新たな雪玉を手にティアさんも拳を握る。

 

 俺はきっと、止めなきゃダメなんだ。

 まあまあって二人をなだめて、明日のためにそろそろ切り上げて。

 

 ああもう頭ではわかってるのに。

 まずい、まずいぞ、俺ちょっとわくわくしてる。

 

 理性と本能の間で数秒揺れ動いた末に、俺は抑えきれなかった笑みを浮かべて、目の前で繰り広げられる雪合戦の真っ只中へと飛び出して行った。

 

 

 

 

「……で」

 

「何してるわけぇ?」

 

「雪合戦!」

 

 帰り道で偶然一緒になったのだというガイとアニスさんが何とも言えない表情で訊ねてくるのに、ティアさんやルークと遊んでいるというこの状況が楽しくて仕方ない俺はにぱりと笑顔で返す。

 その向こうからは雪玉の攻防と合わせて「ルークのばか!」「ティアのメロン!」というやりとりが聞こえてくる。

 

 ルークそれはセクハラじゃないか、と呟くガイの隣、アニスさんは大きな瞳をきょとんとさせながら腰に手を当てて立ち直していた。

 

「めっずらしー、ティアまで一緒になっちゃってる」

 

「ああ……でもま、このほうがいいかもな。 がちがちに緊張してるよりは、さ」

 

 言い合いながら雪を投げ合う二人の姿を見て、ガイが緩く笑みを浮かべる。

 

 明日は決戦。でも固くなってれば勝てるってものでもない。

 そう頭では分かっていても、やっぱりきしんだ音を立てる気持ちが、みんなにもあるのだろう。

 

 俺だけじゃない。

 

 その事実に今更ながら気づき、ふいに体の力が抜けた気がした。

 アニスさんの小さな笑い声が耳に届く。

 

「だね。よーし、私もやろっと!」

 

「お手並み拝見だな。負けないぞ、リック」

 

 ほうける俺に向けられた柔らかな言葉に、はっとして頷いて見せれば、人好きのする顔でにかりと笑ったガイと腕まくりをしたアニスさんが、軽快な足取りでルーク対ティアさんだった戦場へと繰り出していった。

 

 みんなで雪合戦。

 嬉しすぎる響きに にやけて同じく足を踏み出そうとした俺の背後から、聞きなれた低い声。

 

「楽しそうですねぇ~、リック」

 

「はヒィっ!!?」

 

 声が聞こえるまで何の気配もなかった後方を弾かれたように振り返れば、そこではぴしりと立ったジェイドさんが、鮮やかな笑みを浮かべていた。 冷や汗が背筋を伝う。

 

「お、おかえりなさいジェイドさん」

 

「ええ、ただいま戻りました。それで貴方は明日の準備もせずにこんなところで雪遊びですか」

 

「いや! その! もうちょっとしたらやりに行こうかななんて……」

 

「頼んでおいた物資の調達は?」

 

「……終わったら、いこうかなー……な、なん……て……」

 

 笑顔の圧力が怖すぎる。

 

 そういえばそれをこなしに行こうと思ってホテルを出たところで、見事に積もった雪が目に入り、ちょっとだけと遊びだしたんだった。

 そこにルークが来て今に至り、当然ながら俺はまだ何にもしていない。

 

「ほう?」

 

 周囲で着々と渦を巻き始めている音素に泣きながら土下座しようとしたとき、ジェイドさんのさらに後ろから「まあ!」という弾んだ声が聞こえてきた。

 

「これが雪合戦というものなのですわねっ。話には聞いていましたがこうして見るのは初めてです」

 

「あ、ナタリア。 おかえり!」

 

 恐怖に沈んでいた体をぴこんと跳ねさせて、明るい金色に向き直る。

 すると彼女も深緑色の瞳をきらきらとさせて俺を見た。

 

「私も参加させてくださいませ!」

 

「! ……うん、うん! ナタリアも一緒にやろう!」

 

 表情を輝かせながら二人で手を取り合う。

 すごい、本当に“みんなで”雪合戦が出来るんだ。

 

「では、参りますわよ!!」

 

「うんっ!」

 

 こんなところまで上品に足元の雪をきゅっと丸めたナタリアが、目の前の合戦場に飛び出していくのに続けと足を踏み出しかけて、ふいに首筋へ流れた気温のせいだけではない冷気に俺はすぐさま足を止めて固まった。

 

 譜業細工のオモチャみたいに固い動きで振り向けば、そこには呆れたような目で眼鏡を押し上げる大佐の姿。

 そうだった。嬉しさのあまり忘れてた。

 

 これはもうケテルブルク中の積雪を消滅させるイグニートプリズンか、と丸焦げになったそう遠くない未来の俺を脳裏に描き、我知らずはらはらと頬を涙が伝いだしたとき、大佐がひとつため息をつく。

 

 それと同時に周囲に集められていた音素が霧散したのに気付き、目を丸くする。

 

「ジェイドさ……いや、その、た、大佐……?」

 

「まあ、皆さんもすでにあの調子ですからねぇ」

 

 ちらりと俺の後ろに目をやって、大佐が肩をすくめた。

 つられてそちらを見れば、いつのまにやら白熱しつつある雪合戦の現場が目に映る。

 

「俺の本気見てみるか!?」

 

「やろーてめーぶっころ~す!」

 

 あ、トクナガが巨大化してる。

 

 まさに合戦場と化しているケテルブルクホテル前。

 何だかんだみんな負けず嫌いだから、右肩上がりにヒートアップしている気が。

 

「ふむ。たまには私も童心にかえってみますか」

 

 ぽつりと響いてきた声に動きを止めた。

 なんだ、それは、つまり。

 

 ジェイドさんと一緒に、遊べる?

 

「っジェイドさ ――!!」

 

「手加減はしませんよぉ?」

 

 笑顔で振り返った俺は、そこで向けられたこの上なくさわやかな笑みに、先ほどとは違う意味で動きを固める。

 

 ……な、何も用意してなかったことやっぱり怒ってるんですね!

 

 

 

 

 ジェイドさんならともかく、みんな雪合戦のルールなんて分からないから、ただ誰かに向かって投げ合うだけの何でもあり雪合戦。

 

 近くにいた俺とルークはなんとなくタッグを組んでいた。

 

「きゃあ!」

 

 ルークの投げた雪玉がナタリアに当たり、ナタリアが笑いながら「もう、ルーク!」と声を上げる。

 

「よっしゃあ当たった!」

 

「すごいやルーク!」

 

 ハイタッチをかわそうとした俺達の間を、ふいに冷たい空気が通り過ぎた。

 たらりとルークの頬から血が落ちる。

 

 とっさに背後を見やればホテルの外壁に突き刺さっている棒状の何かが見えた。

 

 恐る恐る歩み寄り、それの正体を確認して立ち尽くすルークのほうを勢いよく振り返る。

 

「つ、つららだよルーク!!」

 

「ちょっと待てありえねーだろ壁刺さってんぞソレ! 砕けるだろ普通!!」

 

 ほっぺたを押さえたルークが涙目で怒鳴る。

 軽くつついてから引っこ抜いてみたが、どう見てもツララだ。

 

 ツララが横に飛ぶなんて不思議な事がありますのね、とナタリアが目を丸くして首をかしげたので、とりあえずそういうことにしておいたが、俺は先ほどのツララを冷たさのせいだけじゃなく小刻みに震える手で握り締めた。

 

 ……いるの? 来てるの? マジで?

 

 脳裏を過ぎるのは、ルークとは別の鮮やかな緋色だった。

 

 

 

 

 豪速球ならぬ豪速ツララとその投げ主の事はほんのり忘れることにして、雪合戦を再開してから少し。

 ふいにナタリアが動きを止め、その深緑色の瞳をキッと吊り上げながら腰に手をあてる。

 

「リック。先ほどから、どうして私には当てないのです。女だからですか? 王女だからですか?」

 

「い、いや、その、なんていうか……」

 

 告げられた言葉に、ぎくりと肩を跳ねさせてしどろもどろに弁解する。

 

 さっきのルークを見ていた身としては、下手なことしたらいつかツララを通り越してアイシクルレインが飛んできそうで怖いというのもあるが、やっぱり兵士根性が染みついているので、どこか“ナタリア姫”に遠慮している部分があるというのも否めない。

 

 彼女は俺が濁した言葉に混じったそんな気持ちをしっかり感じてしまったらしい。

 

「……私たち、ここまで一緒にやってきましたのよ。今更、遠慮なんて」

 

「ナタリア……」

 

 ナタリアが悲しげに眉根を寄せて、顔を伏せる。

 しゅんと落とされた細い肩に俺はおろおろと視線を漂わせた。

 

 ナタリア。

 敬語でなくていい、名前で呼んでくれていいと、ついかしこまった態度を取ってしまう下っ端な俺に根気強く何度もそう言ってくれた。

 

 王女じゃなくて、仲間として接してほしいって、言ってくれるから。

 

 俺はぐっと拳を握り締める。

 

「っ分かりました! 男、リック一等兵、全力で雪合戦に臨んでみせます!!」

 

「そこ! 敬語!」

 

「ごめんなさい!」

 

 

 

 

 ちゃんとみんなと同じようにナタリアに雪玉を向けるようになってからというもの、雪に混じって飛んでくるツララを必死にかわしていると、いつのまにか隣にいたガイが「へぇ」と感心したように息をついた。

 

 その声に半泣きのままガイのほうを振り向く。

 

「ど、どうかした? アイシクルレインきたか?」

 

「は? ああ、いや、よく見てるとさっきから全然当たってないと思ってな。すごいじゃないか」

 

 心のお母さんに褒められたとあって、さっきの泣きべそもどこへやら、俺は緩んだ顔で笑みを返した。

 そして避けたときに膝についた雪を払いつつ立ち上がり、胸を張る。

 

「ほら、俺逃げるのは得意だから!」

 

「うんうん。自信たっぷりに言うにはちょーっと情けないぞリック」

 

 苦笑するガイを前に今一度へらりと笑いながら頭をかいたその瞬間、脳が鋭い衝撃に見舞われた。

 

「……で、なんで今のジェイドのは避けなかったんだ?」

 

「……雪玉数個で済んだところを天衝墜牙槍→天雷槍→瞬迅槍のコンボにはしたくないから」

 

「…………ああ……」

 

 体半分 雪にうずめながら遠い目で呟けば、ガイは得心したように頷きながらそっと俺の上の雪を払ってくれる。

 

 それにしてもこの音は軽いのに痛いという感じがまさしくジェイドさんだ。雪玉も同じなのか。しかも今回は自業自得なだけに何も言えなかったりする。

 

 この雪合戦が終わったら急いで準備を始めよう、と心の片隅に留めながら、ゆっくり体を起こした。

 自分からちらほらと雪が落ちていくのを視界の端に見ながら、改めて目の前の景色を眺める。

 

 真っ白な雪。静かな世界。

 そこに出来たいくつもの足跡と、今まだ響く賑やかなみんなの声。

 

 目を伏せて深く長く、息を吐いた。

 

「リック?」

 

 不思議そうなガイの声に瞼を持ち上げ、こちらを覗きこんでいる空色の瞳に向けて笑みを返す。

 

「行こう、ガイ!」

 

 勢いよく立ちあがってガイの腕を取り、俺達はまた雪合戦の激戦地に向かって駈け出した。

 

 紫色の夜空。白く消えるいくつもの息。

 

 もう、恐怖は湧き上がってこない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

 雪の街にも変わらず鳥はいるようで、ちゅんちゅん、と愛らしい声が響く中で、直立のまま視線を泳がせる。

 

「……それで、つい夢中になって朝方まで雪合戦を続けた結果、皆さん熱を出して寝込んでしまった、とそういうことでよろしいですか?」

 

「…………はい」

 

 決戦当日だったはずの日、ケテルブルク知事邸にて、大佐そっくりの仕草で頭痛を堪えるように眼鏡を押し上げたネフリーさんの前、俺は身を小さくしてそっと頭を下げた。

 

 

 

 




アブソーブゲート一回目直前ケテルブルクNGテイク。


偽スキット『赤い人』
ネフリー「そういえば街中で倒れている赤い髪の青年を見つけたとのことで、怪我もしているようでしたので同じくケテルブルクホテルに運ばせたのですが良かったですか?」
リック「ほんっとうにありがとうございます……!!!」

何から何まで。


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空白のひとつき編
ジェイドとリックの日常×2


ジェイド視点


 

【 ユリア聖誕祭 ~きよしこのよる~ 】

 

 

 

「てーねーぜー、くろーりょー、てーぜー」

 

 にこにこと上機嫌に笑いながら執務室に紙で作った花を飾り付けていく部下の姿を、ジェイドはしばらくの間黙って視界の端に見ていたが、手元の仕事が一区切りついたところでゆっくりと顔を上げた。

 

「なんです? それは」

 

「花飾りです!」

 

「それは見れば……ああ、なんだかいつかもこんなやり取りをしましたね。違いますよ。 今の歌……歌ですか? 歌ですよねぇ。それはなんなんですか」

 

 まあ行動にも若干の突っ込みどころはあったが、これでもビビリさえしなければ基本的にまじめな男だ。

 

 ちゃんと自分の仕事を終わらせた上で、休憩時間にやってることなのでそれに関しては己が干渉することではない。

 しかし先ほどの、どこかで聞き覚えがある旋律が気にかかった。

 

 旋律は、確かにそうだ。いやしかし、そんなまさか。

 あんな情緒もなにもない童謡のような歌われ方のものが。

 

 「あれですか?」とリックがまた嬉しげに笑みを浮かべる。

 

「ティアさんの譜歌です!!」

 

「譜歌ですか」

 

 本当にあれが、という驚きと同時に、それはティアの譜歌ではなくユリアの譜歌なのだが、と考えるも、彼にとってあれは“ティアの”譜歌に他ならないのだろうと思い口にはしなかった。

 

 

 

「てーねーぜーくろー、りょー、てーぜー」

 

 また調子はずれに歌を口ずさむ子供の、揺れる背中を眺めながら、ジェイドはひとつ笑みを浮かべて、また書類へと視線を落とした。

 

 

 

*****

 

 

 

 

【 Tender Red 】

 

 

 

「ジェイドさんの目は血の色ですね!」

 

 

 確認済みの書類に判を押そうとしていたジェイドは、無邪気な笑顔と共に告げられた言葉に、不覚にも一瞬固まってしまった。

 

 ジェイドがさばいた書類を黙々と片付けていたリックが、ふとまじまじこちらを見つめてきたので、どうかしたかと問い返したら出てきたのが今の台詞だ。

 

 ひとつ息をついて平静を取り戻しながら眼鏡を押し上げる。

 

「……これは、貴方にしては気の効いた皮肉を言いますね」

 

「え!? 皮肉!?」

 

 すると彼はがんと頭を小突かれたような顔で目を見開いた。今のがそれ以外のなんだというのか。

 

 確かにこの譜眼により色を帯びた目はそのように影でひやかされることも多いが、口にした相手が相手なだけに内心首をかしげる。

 

 ジェイドの言葉を受けてあわあわと情けなく眉尻を下げた彼が口を開いた。

 

「だってオレ、昔陛下に、」

 

「またあの人ですか」

 

 もういいかげんにしてほしい。

 ただでさえこの子供はアホだから何でもかんでも鵜呑みにしてしまうのに。

 

 後でグランドダッシャーかサンダーブレードか、と思考するジェイドの不穏な気配を察したらしいリックは慌てて首を横に振る。

 

「い、いえ! あの、オレ昔ピオニー陛下に、血がたくさん出たら死んでしまうからって教えてもらって」

 

 だから死を何より恐れる彼にとって、血も恐怖の対象であるに違いない。

 どうしてまた血のようだなどという言い回しを使ったのだろうか。それもまた嬉しそうな顔で。

 

 先ほど皮肉とは言ったものの、そんな意図が無いらしいことは はなから承知している。この子供に笑顔で皮肉を言えるほどの器用さはないだろう。

 

 そんな中で、リックがパッと頬を紅潮させながら笑みを浮かべた。

 

「それでオレ、血が出ると死んでしまうっていうことは、血は命そのものなんだって思ったんです」

 

 だから、と続ける。

 

「ジェイドさんの目は命の色なんだなぁって!」

 

 そう思ったら嬉しくなってしまったんだと、本当に嬉しげに告げる子供を見返して、ジェイドは一瞬目を丸くしたあと、小さく苦笑を浮かべながら、手元の薄いファイルで目の前の頭をぺんと叩いた。

 

 

 

 



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ウソとあなたとシーフード

ジェイド視点


 

 

 

「ジェイドさん! 今日のカレーはシーフードです!」

 

 今日もまた無駄に元気いっぱい執務室に入ってきたかと思えば、突然そんなことを言いだした部下のきらきらと輝く瞳を、ジェイドは真顔で見返した。

 

 あの旅の最中から何にどう目覚めたのか、自作のカレーに凝るようになったこの子供。

 

 だがまあ、食べるだけならばやぶさかでもない。

 作るたびにいつものアホみたいな笑顔で持ってくるそれを口にし、それなり、半端、まずい、と淡白な感想を返す日々にも慣れてきていたのだが。

 

「シーフード、です!」

 

「…………そうですか」

 

 何やら返事を期待している様子だったので、とりあえずそう返す。

 というか今の言葉に対しそれ以外に何を言えと言うのだろう。

 

 食べろというなら分かるが、目の前に物があるわけでもなく――第一、昼にはまだ早い。

 

 新しい味を作りだしたという報告なら、今度はこれがこうでと騒がしいほどに続く説明があるはずで――そもそもシーフードは新作でも何でもない。

 

 それはすごい楽しみだ、などという温かい反応を、ジェイドに期待するような子供でもないし――もちろんそんな反応をするはずもない。

 

 そうですか。

 

 となれば、そう言うしかないだろう。

 これ以上にふさわしい言葉があるならば教えてほしい。

 

 表情こそ変える気はないが内心いつにない困惑に見舞われていると、元凶であるリックはそんなジェイドの反応を見てきょとんと眼を丸くした。

 

「……驚かないんですか?」

 

「何にです」

 

「……シーフード……」

 

「その中にオタオタの二、三匹も入ってればそれなりに驚いてやれますが」

 

 そんなことがあれば、おそらく驚くよりも先に目の前の男を蹴り倒しているだろう事はこの際黙っておく。

 

 どうやらジェイドが選んだ唯一にして最善の返答は相手が望んでいたものではなかったらしく、リックは不思議そうに首を傾げて、うぅん、と唸った。

 

「おかしいなぁ」

 

「一体全体、何がしたかったんですか?」

 

 段々面倒くさくなりながらも何とか聞き返してやると、精一杯 まじめな顔をしているらしいリックがぴしりと人差し指を立てる。

 

「だってジェイドさん、今日のカレーは本当は野菜カレーなんですよ」

 

 いつのまにか人の執務机の上に身を乗り出して、リックが言った。

 

 チヨチヨ、と窓の外で小鳥が鳴く声がする。

 いつも絶え間なく響く水の喧騒を遠いところに聞きながら、ジェイドは机の引き出しを開けた。

 

 そしてそこから比較的 表層の厚い本を取り出し、

 

 目の前にいる男の頭頂部へと、おもむろに振りおろす。

 

「ぎゃッ!!」

 

 簡潔な悲鳴を上げてリックが机上に突っ伏した。

 

 その頭からしゅうしゅうと上がる煙を視界の端に見やりながら、ジェイドはまた丁寧に本を引出しにしまう。

 

「な、なんでいきなり殴るんですか!?」

 

「殴りたくもなりますよ。貴方、本当に何をしたいんですか」

 

 殴られた場所を押さえて起き上がった涙目の部下を半眼で見返しながら問うた。

 するとリックは、だって、と口にする。

 

「今日は嘘をつくのをユリアさまが許してくれる日で、嘘で驚かされたひとはその一年を元気に過ごせるようになる日なんだって――」

 

 なにか情報が混濁している気がするが。

 

「――ピオニーさんが」

 

「あの男いい加減にしてくれませんかねぇ」

 

 一度だけでいい、本気で国主だということを忘れて幼馴染として殴りたい。

 ついでに言えば目の前の子供をもう一度殴らせてほしかった。

 

「リック。あなたも何っ回騙されたら気が済むんですか」

 

「えっ、あ、いはいいはい! いはいれす! じぇいろはん!!」

 

 殴る代わりに片頬を思い切りひっぱってやると、リックはベンベンと机を叩きながら ――「いう!いうえす!(※ギブ!ギブです!)」――叫ぶ。

 

 適当なところで手を離し、涙目で頬をさするリックをちらりと見やった。

 先ほどのあれは嘘のつもりだったのか、とようやく納得すると同時に、ひとつ苦笑を零す。

 

 『嘘で驚かされたひとは その一年を元気に……』

 

 その言葉を鵜呑みにして、おそらく、いの一番に自分のところに来たのだろう。

 ほら愛されてるな、としたり顔で笑う昔馴染みが瞼の向こうに見えるようだった。

 

 まったく、そんな意図でこの子供をからかうのもいい加減にしてほしいものだ。

 

「……分かってますよ」

 

「ぃへ? な、なにがえすか?」

 

 まだ微妙にろれつの回らない様子で聞き返してくるリックに向けて、ジェイドはひょいと肩をすくめた。

 

「野菜カレーだったって事です。まあ、昼に頂きますよ」

 

「ほんとですか!?」

 

「不味かったら容赦しませんが」

 

「……ほ、ほんとですか……!」

 

 満面の笑みを返せば、びくりと肩を揺らしたリックが軽く青ざめながら、「いや…大丈夫…うまく出来た……はず…」と独りごちる。

 

 その頭を今度は手元にあった書類の束で パシンとはたいて仕事に戻るよう促せば、今度は弾かれたように動き出した部下の背中を見つめて、小さく息をつく。

 

 

 分かっている。

 

 なんでカレー作りを始めたのか。

 あの嘘を聞いて、どうしてすぐ自分のところに来たのか。

 

 分かっているから厄介なのではないか。

 

 

 年貢の納め時、という言葉がふいに頭をよぎったが、もう少し気づかぬふりをするために、ジェイドは目の前の書類に意識を移した。

 

 

 





空白のひとつき編、譜術訓練の前。



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ウソとあいつと皇帝陛下

ガイ視点


 

 

 その日もいつもどおりにブウサギの散歩を終えたガイは、途中で例のごとく渡しておいてほしいと任されたジェイド宛ての書類を手に、流れる水音が心地よくこだまする通路を抜け、外に通じる大扉をくぐった。

 

 両脇で扉を守る兵士達と軽い挨拶を交わしてから、宮殿前広場へ通じる石畳を真っ直ぐ歩み始める。

 何気なく仰いだ空の青さに目を細めたとき、ふいに視界の端をよぎった影に、はたと足を止めた。

 

 改めて顔を向けると、庭師の手で丁寧に整えられた木々の隙間から、見知った後ろ姿が窺えることに気付く。

 それはまさに今、会いに向かおうとしていた人物に違いなかった。

 

 これは手間が省けたとそちらに足を向ける。

 

「おーいジェ、」

 

 そうして名を呼ぼうとした瞬間、後ろから思い切り襟元を引かれると同時に近くの生け垣の影に引きずり込まれた。

 

「待て待てガイラルディア、今面白いところなんだ」

 

「こんなとこで何やってるんですか陛下……」

 

 ガイは締まった首元を緩めながら一応相手に合わせて小声で返す。

 

 すると意味ありげに笑ったピオニー・ウパラ・マルクト九世陛下は、何も言わずに、垣根の間から向こう側を覗くよう、指でちょいと示してみせた。

 

 疑問を抱えつつも言われるままに葉と葉の隙間へ目を凝らす。

 

「……リック?」

 

 先ほどはジェイドの姿しか窺えなかったのだが、よくよく見てみればその向こうにはもうひとつの人影があった。

 

 彼らも執務の関係で宮殿に来ていた帰りらしく、リックはそれなりの量のファイルを腕に抱えている。

 代わりにジェイドがほぼ手ぶらであるのはまぁさほど特別な事態じゃない。あの笑顔でリックの手の上に次々と書類を重ねて行く姿はちょっとした日常だ。

 

 だからこの現状で異変と呼ぶべきものと言えば、ジェイドを前にするリックの様子だろうか。

 

 どうもおかしい。

 

 まるで今から勝ち目のない革命でも起こそうとするような、切羽詰まった深刻な顔つきで、何か言いかけては止める動きを繰り返している。

 

 対するジェイドがどういう表情をしているのか、この位置からは読み取ることが出来ないが、こうしてリックの発言をちゃんと待っていてやるところを見ると、おそらく少しだけ眉を顰めて不器用に困惑しているに違いないと見当をつける。

 

 ジェイドにそうさせるだけの真剣さをもった雰囲気で、しかし何事か言い淀んでいたリックだったが、やがてぐっと息をのんで勢いよく顔を上げた。

 

「ジェイドさん!」

 

「何です」

 

「ええと、その、オレは」

 

 必死に言葉を紡ごうとするリックに釣られるように汗の滲んできた手の平を握り締め、ガイは訳が分からないままそのなりゆきを見守っていた。

 

「ジェイドさん。あの、オレ、ジェイドさんのこと」

 

 思いきるようにきつく眉間を寄せる。

 

「だ、だい……」

 

 ちらりとジェイドのほうを窺う。

 

「だ……」

 

「…………」

 

「だい……」

 

 広がる沈黙。

 

 水のせせらぎ。

 少し遠くから人々の明るい話し声。

 

「……………………きっ、」

 

 ちよ、とどこかで鳥がひとつ鳴いた。

 

 ――――そしてリックの両目から、ぶわっと涙があふれる。

 

「すみませんやっぱりウソでもオレには言えませんごめんなさいジェイドさぁああんー!!」

 

 大量のファイルを抱えたまま、号泣しながら脱兎のごとく駆けだしたリックの背中が見る間に広場の向こうまで消えて行くのを呆然と見送った後、ガイは自分の隣で肩を震わせて笑う皇帝陛下をかえりみた。

 

「ぶっは……! あー、やっぱリックが言えないか。まあそりゃそうだな」

 

 言われたときのジェイドの反応もみたかったんだが、と独りごちるピオニー。

 どうにか説明を求めると、彼は笑いすぎで涙の浮かんだ目尻をぬぐいながらおかしそうに話してくれる。

 

「いや、リックに教えてやったんだよ」

 

「何をですか?」

 

「今日は一番大好きなヤツにある嘘をつかないと二度と美味しいカレーが作れなくなってしまう恐るべき日だぞってな」

 

「念のため聞いておきますが、それ……」

 

「ああうんウソウソ」

 

 ピオニーがあっけらかんと笑って顔の前で手を横に振る。

 頭痛を堪えるようにこめかみに手を添えた。

 

「ちなみに、ある嘘っていうのは?」

 

「大好きなヤツに大嫌いと言う」

 

 返された答えを聞いて目を丸くした後、ゆるりと苦笑を零す。

 そんなこと試すまでもなく分かる。

 

「アイツにそんなこと言えるわけないでしょう」

 

「だな」

 

 そう小さく相槌を打ったピオニーの横顔をガイはちらりと窺って、手のかかる子供を見るように微笑み、ばれない程度に肩をすくめた。

 

 ああきっとこの人は、楽しくて仕方がないのだ。

 どれだけ小突いても転ばせても、まっすぐに旧友を慕い続けてくれるリックの存在が、嬉しくて仕方ない。

 

 まぁ、その気持ちも分からないではないが。

 

「ほどほどにしたほうがいいですよ、きっと。……それじゃあ俺はこのへんで~」

 

 垣根の向こう側から朗々と響いてきた詠唱に未だ気付かぬ上機嫌の皇帝陛下を置いて、さりげなく身をひるがえす。

 

 全速力でその場を離れる途中、背後から聞こえてきた悲鳴に合掌した。

 

 

 



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やさしい(?)ジェイドさん

 

 

 

【 カボチャ男爵の功績 】

 

 

 

 

 

 

 腕に抱えた大量の書類が重みを増した気がした。

 

「ああもう……なんでこんな事に」

 

 肩を落とすと、ずるりとズレてきた視界を右手で立て直す。

 

 目口を繰り抜かれたカボチャのはりぼての中から覗いた執務室の扉。

 開き慣れているはずのそれが、なんだか試練の門みたいに見えた。

 

 

 事の発端は例によって例のごとくピオニー陛下。

 ちょっと仕事のことで私室に立ち寄ったら、説明より先にこれを頭に被せられた。

 

 いわく、この格好をして大佐にあることを要求すれば今年一年ケガ知らず(大佐が)、という願掛けの儀式らしいが、俺だって積み重なる日々の中で一ミクロンずつくらいは進歩するのだ。また嘘じゃないですよねと半眼で訊ねられるようになる程度には。

 

 まぁ結局押し切られ、こうしてこの格好でここに立っているのだが。

 深く息を吸ってドアノブに手を掛ける。

 

 寸前で怖気づかないように俺はことさら力強くそれを押し開け、叫んだ。

 

「ジェイドさん! お、おおおかしを貰えないと、イタズラのようなものをさせて頂く事になるかもしれませんすみません!」

 

 そして勢いそのまま謝る。

 

 同時に何らかの衝撃を予想して目をつむったが、どれだけ待っても、蹴りも槍もタービュランスも、分厚い書類ファイルさえ、飛んでくることはなかった。

 

 もしかして居ないんだろうか。

 そうだったらいいなぁと僅かな希望を込めて、室内の様子を窺うべく、そろりと瞼を押し上げる。

 

「リック?」

 

「ぎゃあっ!!」

 

 カボチャの目部分を覗きこむ赤色の瞳。

 

 その予想外の近さに、書類の束を抱え込んだまま後ずさろうとした俺の頭を、大佐がカボチャごと両手で挟んでその場に押しとどめた。

 

「何してるんですか」

 

 呆れ顔の大佐に促され、とりあえず執務室に入る。

 

 今のうちに平静を取り戻そうと出来るだけ丁寧に扉を閉めて振り返った俺の目に映ったのは、なぜかじっとこちらを見る大佐の姿だった。

 

 ああそういえば被ったままだっけ、と己の頭を覆うオレンジの固まりに意識を向けていた俺は、その瞬間、大佐の赤い目にちらりと過ぎった不穏な光に、気付かなかったんだ。

 

 

 何だか例の目的は失敗、というかうやむやになったようだし、もうコレは外してしまおうかと はりぼてのカボチャに手をやろうとしたとき、ふと顔に影が掛かった。

 

 カボチャの目口から差し込む少ない光が遮られた要因を反射的に探った目が、これまた少ない視界に広がる青を見つけて丸くなる。

 

 どうかしたのかと訊ねるより先に、頭を覆っていたオレンジの気配が消え、周囲に光が広がる。

 

 いきなり明るくなった世界に慣れない目を瞬かせつつ、俺の頭から取ったカボチャを手に、にっこりと微笑む彼の人の姿をまじまじと眺めた。

 

「ジェ、ジェイド、さん?」

 

 今まで見た事もないような穏やかすぎる微笑を前に、俺は首筋にじわりとした汗がにじむのを感じる。

 大佐はカボチャをこちらに手渡すと、俺の肩に優しく手を置いた。

 

「書類を取りに行ったきり、中々戻らないから心配しましたよ、リック」

 

「……は?」

 

 そんな失礼極まりない相槌が零れたのが自分の喉からだとか考える余裕もない。

 

「怪我をしたばかりなんですから、無理をしてはいけませんよ?」

 

「い、いや、いやいやいやケガならもう大分前にふさがってます、けど……」

 

 じりっと後ずさろうとすると、肩に置かれている手に力がこもり、もう片方の手がそっと頬に添えられる。

 

 ひ、と何の音もなり損ねた空気が喉の奥で渦を巻いた。

 

 金茶の髪が触れそうなほどに詰まった距離で、レンズ越しの赤が柔らかく細まり、口元がゆるりと弧を描く。

 

「ん?」

 

「っ、っ、っ……ーーー!??」

 

 おねがいだれかたすけて。

 

 

 滝のように滴る冷や汗。

 頭は血の気が上がったり下がったりもうワケが分からない。

 

 真っ白に染まりかけたそんな頭を引き戻したのは、部屋の隅から聞こえてきたガタガタンという荒い物音だった。

 

 ギギギと軋みそうなほどぎこちなくかえりみた音の先。

 

 そこで例の抜け道の出口にあたる散乱した私物群の中から、へたな執務漬けのときより疲れ果てた顔をしたピオニーさん本人が、上半身だけ這い出たまま力尽きているのを見つけ、目を丸くする。

 

 ずるずると顔を上げたピオニーさんは青い顔で大佐に両手を合わせた。

 

「ジェイド…………俺が悪かった……」

 

「分かればいいんです」

 

 いつも通りの声でそう返すや否や、身をひるがえし颯爽と執務机に戻るジェイドさん。

 

 俺は目が回るような思いで、しかしどうにか口を開いた。

 

「えっと、ど、どういう?」

 

 要点を纏めてから喋りなさいと怒られそうな問いかけだったが、大佐は気にした様子もなく、その意味を確実にくみ取って「ああ」と相槌を打ちながら、作業途中だったのだろう書類を手に取った。赤い瞳が紙の文字を辿って僅かに左右へ揺れる。

 

 短い沈黙の末、再びこちらに視線を移したジェイドさんがにこりと笑った。

 

「いつもしてやられるばかりというも癪なので、たまにはピオニー陛下に何か意趣返しをと思いまして?」

 

「オレの心臓が止まりそうでしたけど!?」

 

 陛下のことだから悪戯を仕掛けた後は絶対にどこかで成り行きを見ているはずだと確信しての行動だったらしいけど、俺へのドッキリ比率のほうが遥かに高かった気がします。

 

 いや、というか、これはまさしく。

 

「……とばっちりですか?」

 

「まあ何事にも犠牲は付き物ですから」

 

 そう言って淡々とペンを滑らせ始めたジェイドさんに、俺はがくりと肩を落とした。

 ついでにずっと持ちっぱなしだった書類とカボチャのはりぼてを長机の上に置く。

 

 ソファでは疲労困憊を全身で表した陛下が寝そべっていた。

 どうやら今回は大佐のひとり勝ちのようだ。

 

 俺は小さく笑ってから、さて、と腰に手をあてる。

 

 陛下が静かな間に大佐が仕事を進められるように、もうちょっと書類探しの旅に出てこなくては。

 

 はりきって扉のほうへ足を向けた。

 その後頭部に、かつんと微かな衝撃。

 

「?」

 

 そのまま、ころんと頭のてっぺんを転がって落ちて来た何か。

 とっさに差し出した手の平で受け止めたのは、色鮮やかな紙に包まれた丸い小さな飴玉だった。

 

 それが飛んできたと思しき方向を振り返った先でかちあったのは、赤い瞳。

 

「ジェイドさん、これ」

 

「今度は何を吹き込まれて来たんだか知りませんが、欲しかったんでしょう?」

 

 そういったものが。

 

 ジェイドさんはちらりと俺の手に乗ったものを見る。

 ソファで仰向けに寝転ぶ陛下が静かに微笑んだのが、視界の端に映った。

 

 こうなると何だかもう事の発端さえ忘れてしまいそうな現金な俺は、へへ、と締まりのない頬をそのままに、小さな飴玉を大切に握り締める。

 

 

 机の上のカボチャのはりぼてが、ほら俺のおかげだろう、と自慢げに笑ったような気がした。

 

 

 




きれいなジャイアン≒やさしいジェイドさん


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ドキッ☆軍人だらけの大運動会(前)

 

 

「軍にも娯楽が必要だよな……」

 

 いつものごとく大佐の執務室に入り浸っていた陛下がソファに寝そべりながら零した呟きに、書類をさばいてた大佐と、さばいてもらう書類を区分けしていた俺は、は?と聞き返すことも出来ないまま、いつになくまじめな陛下の横顔を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぽぽん、ぽん、ぽぽん。

 

 晴れ渡る青空に打ち上がる連絡用譜術。

 それが残したしろく丸い煙がふよふよと風に流されていくのを呆然と見つめる。

 

「……ジェイドさん」

 

「あれが皇帝なんだから仕方ないでしょう」

 

 消え入る声で名を呼べば、彼は吐き捨てるようにそう言った。

 俺の少し前に立つ上司の背中になんともいえぬ哀愁を感じてほろりと涙するが、

 

「さ、リック。やるからには勝たないとお仕置きですよ」

 

 振り返った大佐は華麗に開き直っていた。

 

 それがあの陛下のもとでやっていくための必須スキルなんですね。郷に入っては郷に従いまくるんですね。

 

 

 陛下のあの呟きから数日。

 

 水の都市グランコクマでは『マルクト軍、秋の特別強化訓練』と銘打たれた行事が今、開催されようとしていた。

 

 

 いつもはそれなりに厳かな宮殿前の庭は、簡易テントとカラフルな紙飾り、そして地面に引かれた幾筋もの白い線と、正直雰囲気もへったくれもない。

 

 ロープで区切られた中心部分の外にはたくさんの一般市民。

 屋台も出ていて実に賑やかだ。俺もなんか買ってこようかな。いや違う、そうじゃない。

 

「強化訓練っていうか、これつまり運動……」

 

「秋の特別強化訓練だ」

 

「え、えらい人はいつもそうやって名目でごまかす!」

 

「おまえらのためだろうが」

 

 頭にハチマキ、手にプログラムと書かれた小冊子を丸めたものを持ってやってきた陛下が、俺の言葉をさえぎってあくまでも訓練だと言い張った。

 ヒマだからだ。ぜったいに最近自分が暇だったからだ。

 

「……それで、軍人のみ参加の行事になんで俺まで?」

 

 疲れ気味に立ち尽くしていたガイが、そこで初めて拱手つきで声を上げる。

 この突発的な軍行事に、なぜか貴族であるはずのガイラルデラ……ガ、ガル、ガラン伯爵も参加する運びとなっていた。いつもの調子で引っ張り込まれたらしい。ごめんガイ、俺まだ本名言えない。

 

「気にするな、面白そうだったからだ。俺が」

 

「ええそうでしょうとも」

 

 こんなときばかり皇帝オーラを出しながら言う陛下にガイがひきつった笑顔で返す。

 

「じゃ、せいぜい頑張ってくれ。まぁ勝つのは俺の皇帝連合だがな!」

 

 ハーッハッハッハ。

 どこかの空飛ぶ譜業博士みたいな高笑いを残して、陛下は対岸の簡易テントへと去っていった。

 

「いえいえ、最後に勝つのはこちらですよ」

 

 その背を見送り、不敵な笑みでささやく大佐。

 俺とガイはそんな二人を遠い目で眺めて、顔を見合わせた。

 

 

 この運動…もとい特別強化訓練は、ふたつの派閥に分かれて行われる対抗戦の形になっている。

 

 ひとつはピオニー陛下率いる重鎮の方々含めた皇帝連合。

 もうひとつは、ジェイドさん率いる懐刀選抜。別名死霊使いチーム。

 

 相手が皇帝とあれば軍人は遠慮するのが常というものだけど、遠慮はいらないと陛下が先ほど宣誓で言っていたので、あの人がそういう以上本気のはずだ。

 そして本当に遠慮をして欲しくないからこそ、陛下は大佐をこちらのリーダーに据えたのだろう。大佐なら遠慮はしない。

 

「譜術の暴発はルール違反じゃありませんよね?」

 

 ほんと、もう、遠慮皆無です。

 輝く笑顔で振り返った大佐に、俺はふるふると強く首を横に振った。逃げて皇帝連合の人たち。

 

 

 

 

「続きましてはー、結束力強化訓練ですー」

 

 新兵らしい少年が、本部席から間延びした調子で項目を読み上げる。

 

 白い線で描かれた大きな楕円形のトラックの中、複数の軍人たちと一緒にスタートラインに並んだ俺とガイは、またも呆然と顔を見合わせた。

 

 そんな俺たちの足には、きっちりと結ばれた白い紐。

 

「結束力強化っていうか……」

 

「なあガイ。これって二人三きゃ、」

 

「結束力強化訓練ですよ」

 

 突如聞こえた優しい声に、え、と振り返る。そこにやわらかな銀色。

 陛下に続いて俺の言葉をさえぎったのは、フリングス少将だった。

 

 この状況を理解するのに必死で気づいていなかったが、見れば隣のレーンで部下とおぼしき男性と片足を繋いでいる。

 

「少将も参加するんですか?」

 

「はい。マルクト軍全員参加ですから」

 

 そう言って笑みを浮かべた少将が、すいと俺に右手を差し出してきた。

 

「お互い正々堂々、勝負しましょう。やるからには負けませんよ!」

 

「……は、はぁ」

 

 いつにない熱さを見せる彼に腰が引けつつも、その手を握る。

 

 フリングス少将は人がいいから参加はするだろうと思ってたけど、ここまで乗り気なのはなんでだろう。

 そう考えたところで、彼がふいに観客席の一部へと手を振った。

 

「見ててください、ジョゼットー!」

 

「が、がんばってアスラン」

 

 観客席から私服の女性がひとり、恥ずかしげに返事をかえす。

 少将がグッと拳を握った。

 

「あなたのために勝ちます!!」

 

 そういうことか!!

 その瞬間、周囲の心はひとつになった。

 

 いつもは平静な若き将軍の燃えように、いちについて、の掛け声にガイと二人で前傾姿勢を取りながら、愛は人を変えるんだなぁとぼんやり考える。

 

「スタート!」

 

 ぱん、と小さな譜術が破裂音を立てたところで、みんな一斉に走り出した。

 

 全体は二チームなのだが、競技…もとい訓練にはレーン分の走者がいる。

 点数の計算方法がいまいち不明だけど、ゴール人数でも変わるのかもしれない。

 

 この特別強化訓練のために急遽 組んだ他の人たちと比べ、俺とガイは付き合いがある分だけ息も合っていると思う。

 というかガイの合わせ方が上手いので、俺たちはぐんぐんと周りを引き離していた。

 

 よし。

 このまま行けば、勝てる!

 

「あっ! ジェイドがパフェ持って手招きしてる!」

 

「え!!?」

 

「ぉぶッ!!」

 

 すばやくブレーキをかけ頬を赤らめて声のしたほうを顧みる。

 隣から何かが地面に叩きつけられるびたんという音と、オタオタが潰れたような声が聞こえた。

 

 しかし声のした方向に大佐の姿はなく、そこには胸を張る陛下の姿。

 

「引っかかったな リック!」

 

「ひ、卑怯ですよ陛下!」

 

「こんなのに引っかかるお前が悪い! というか俺だって本気で引っかかるとは思わなかった」

 

 くう、と己の不覚さに拳を握り、ガイに謝ろうと振り返った先で、地面にべったりと突っ伏すガイを見つけて声なき悲鳴を上げた。

 

「ガイ! なんで、どうして、こんな姿にー! ……陛下なんてことを!!」

 

「俺か? なあ、ほんとに俺か?」

 

 力なく伸びるガイとそんなガイを抱えて泣く俺の向こうで、フリングス少将たちがとっくにゴールテープを切っていた。

 

 

 



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ドキッ☆軍人だらけの大運動会(後)

 

 

 

 結束力強化訓練の終了後。

 懐刀選抜の本陣にて、俺はぼろぼろのガイの隣で、大佐に深く頭を下げる。

 

「すみません大佐! 巧妙な罠に、引っかかってしまいました……!」

 

「……巧妙……。……まあ、いいでしょう」

 

「いいのかよ! なんかアンタ最近リックに甘くないか!? 見ろ! この打撲痕!!」

 

 ガイの前面には地面に打ち付けた痕と汚れが付着していた。本当にごめん。

 

 でも俺に大佐とパフェなんて、猫にマタタビ、犬にウオントジャーキー。

 これに引っかからずしてどうする、という組み合わせなのだ。

 

「ガイ、リック。しばらくは休んでいなさい。貴方たちには最後のリレ……団結力強化訓練に出てもらいます」

 

 リレーなんですね。

 

 

 

 

 リレー……団結力強化訓練に参加する他の師団員たちと一緒にくじ引きで決めたところ、ガイは第三走者、そして俺がまさかのアンカーという、まさに貧乏くじな結果になってしまった。

 

 中身が十歳でも一応 体は成人男子かつ軍人なのでそれなりには走れるが、スピードのほうはあまり自信がない。

 

 でもこれが最終種目。ここでの勝敗が結果を分けるかもしれないのだ。

 走者に決まった以上、何がなんでも勝たないと、今度こそ大佐にタービュランスのひとつも貰ってしまう。

 

 がんばろう、と気を引き締めて己の立ち位置についたところで、俺は はたと隣のレーンに目をやって、固まった。

 

「……え、なん、あっ……。……出るん、ですね……こういうの……」

 

「皇帝勅命なんだ」

 

 俺の問いに苦々しい表情を見せたグレン将軍は、いつもの鎧を脱いだ軽い軍服姿でそこに立っていた。

 

 ここにいるということは、当然ながら彼が皇帝連合のアンカーなのだろう。

 

 しかしセントビナー駐留の彼までここにいるとは、いや、というか、軍人全員参加ってことは、今現在マルクトの警備ってどうなってる?とちょっと無粋な考えが頭に浮かんだ。

 

 いやいや、今は目の前のレースに集中するんだリック。

 思考を打ち消すようにかぶりを振った俺を、グレン将軍がちらりと見る。

 

「……このようなわけの分からない催しでも任務は任務だ。それにお前に負けるのも癪に触る。本気で行かせてもらうぞ、リック一等兵」

 

 貴方、本当に真面目ですね、と感心しそうになる心を叱咤して、俺もきりっと彼を睨み付けた。

 

「望むところです」

 

 そう返すが早いかスタート合図となる譜術が弾けて鳴る。

 俺とグレン将軍は、さっとレーンの先に視線をやった。

 

 第一走者、第二走者はほぼ互角。

 さほどの差もなく渡されてきたバトンが、やがて第三走者――こちらはガイだ――にまわる。

 

「ガイーッ! がんばれ!」

 

「ッ、リック!」

 

 ガイは身が軽い。相手に体ふたつ分ほどの差をつけて、俺のところまで走ってきたガイに、ぐっと手を伸ばす。

 

「頼んだ!」

 

「ああ!」

 

 バトンを受け取り、地面を蹴り上げた。

 グレン将軍が小さく舌打ちして、間もなくバトンを受け取って走り出した気配がする。

 

 さすがお父上の背を見てずっと軍人として育ってきた方だけあり、その身体能力も半端じゃない。

 背後に勢いよく迫ってくる足音を感じて、俺も歯を食いしばり何とかスピードを上げる。

 

 視界の端に走る人影が見える距離の中、前だけを睨んで走った。

 

 あと十メートル。

 五メートル。

 

 三。

 

 二。

 

「まけるか……っ!」

 

 そして、ゴールテープが宙に舞った。

 

「おっ、ぐっ、あっ」

 

 しかし止まりきれずにつんのめり、そのまま二転三転とボールのように転がって、二メートル先でようやく止まる。

 

 逆さまに広がる世界の向こうから、汗を滴らせたグレン将軍が呆れ顔で近づいてくるのが見えた。

 

「何をやってるんだ」

 

「どっ、どっちが勝ちましたか!?」

 

 体を起こしながら問いかけると、彼も分からなかったのか本部席のほうを顧みる。

 なにやら話し込んでいた様子の実行委員の人たちの内、やがて一人がトラックのほうに出てきた。

 

 参加者もお客さんもみんなでそれを見守る。

 

 実行委員の人は、すいと左手を掲げた。

 

「勝者、皇帝連合!」

 

 わっと観客席から歓声が上がる。

 俺は肩で息をする合間に、ひとつ大きく息を吐いた。

 

 かてなかった、なぁ。

 

 なぜか当初考えていた、大佐に怒られる、ということよりも、純粋でどこかさっぱりした悔しさが頭を占めていた。

 

 なんだろう。悔しいけど、辛くない。

 不思議な感じだ。

 

 むしろ、

 

「いい試合だった」

 

 思考とかぶるように響いた声に、え、と目を丸くしながら隣を見上げる。

 

 するとあさってのほうを見ていたグレン将軍がちらりと俺を一瞥した。

 いつものように顔を顰めているけど、そこに険しさがない事にむしろ驚く。

 

 だから、すいと目の前に伸びてきた手に、すぐ反応することが出来なかった。

 

「あ……」

 

 何か言わなくては、と思ってすぐに止め、俺は曖昧な苦笑でその手をつかんだ。

 

 

 

 

「すみませんジェイドさん~」

 

「よくやったほうでしょう」

 

 タービュランスを覚悟して戻った本部にて、大佐がものすごく暖かい言葉で迎えてくれた。

 嬉しさにほろりと涙しながら「はいぃ」と情けない返事をする。

 

「ほんとがんばったよ、おまえ!」

 

「ガイー!」

 

 こちらもまた暖かい笑顔で迎えてくれたガイや他の仲間たち。

 とりあえずガイにタックルの勢いで抱きつきながら咽び泣いた。

 

 ああ、勝てなかったことは申し訳ないけど、俺は今とても幸せだ。

 

「ところで点数はどうなったんですか?」

 

 鼻をすすりながら問いかけると、大佐もわずかに首をかしげて「そういえば通達がありませんね」と言った。

 

 さっきのが最終訓練だったはずなのに、いつまで経っても本部に動きがない。

 今度はみんなで首をかしげて顔を見合わせたとき、突然向こう側の陛下がぽてぽてと中心へ歩いていくのが見えた。

 

 ちょうど中間地点についたところで、陛下が「あ~」と曖昧な声を出す。

 

 そして少しの間 雑に頭をかいていたと思うと、彼は一度俯いた後、カラッとした笑顔を浮かべて、衝撃の事実を言い放った。

 

「すまん! だれも採点してなかったらしい! どっち勝ったか分からんな! ハハハ!」

 

 ひゅう、と冷たい木枯らしが吹きぬけた宮殿前。

 

 一筋の電撃が陛下の足元に落ちた。

 

「おわっ!? な、なにしやがるジェイド!」

 

「それはこっちの台詞ですよ」

 

 これだけ離れた場所から見事にサンダーブレード(縮小版)を陛下すれすれのところに落とした大佐が貼り付けた笑みを浮かべて右手を掲げる。

 

 危険を本能で察した周囲の兵士たちがじりじりと距離をとっていく。

 俺とガイも、体の向きはそのままに足だけで後ろに下がった。

 

「き、きっと誰かが取ってると思ったんだよ!」

 

「こんなアホみたいなことやらせるんです。せめて言いだした者がちゃんとセッティングするべきでしょう。ええするべきです」

 

「だから悪かったって、うぉあっ!!」

 

 今度はロックブレイク(ミニ)。

 

 それを皮切りに次々と襲い来る譜術を持ち前の運動神経でなんとか避けながら、陛下が怒鳴る。

 

「おまっ、皇帝を襲う臣下があるか! 不敬罪だ!!」

 

「いえ~、私は陛下を狙っているわけじゃありませんよ。単なる試し撃ちです。ただ手元が狂う事(ポロリ)もあるよ、ということで」

 

 軽い笑い声を上げながら譜術を持って皇帝を追い回す大佐と、さすがに怖いのか軽く涙目になりながら逃げ回る陛下の姿をぼんやりと眺める。

 するといつのまにか隣に来ていたグレン将軍に、ぽんと肩を叩かれた。

 

「…………なんだ、その……お前も、苦労しているのだな」

 

「……貴方にそんな真剣に労わられるのも切ないです」

 

 そんないささか無礼な言葉に怒ることもなく、だろうな、と静かに肯定されてしまえば、俺はもう爆音響き渡るこの場にて途方にくれるしかなかった。

 

 

 最後は、一般市民のおばさん達が作ってくれたおでんをみんなで食べました。

 とてもおいしかったです。

 

 

 



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ルークとリックの中身と外見年齢が伴っていたら?

ジェイド視点


 

 

 

【 空飛ぶ おこさま -The Flying Child- 】

 

 

 

 

 

 

 

「大佐のうそつきー!」

 

 きんと鼓膜を鳴らした声に、ジェイドは数度、ゆっくりと目を瞬かせた。

 

(……なんだ?)

 

 体中を取り巻く違和感。

 靄が掛かったような頭をなんとか回転させて現状を飲み込もうとする。

 

 目の前に広がる巨大なモニターと、聞こえてくる声。キーを叩く複数の人間の背中。

 見間違えるはずもない、これは己が指揮していた戦艦、タルタロスの艦橋だ。

 

 しかしタルタロスは振動中和のため地核に沈めたはず。

 これは一体、なんの夢なのか。

 

 ヴァンを退け、外殻大地を下ろし、ジェイドはグランコクマで溜まりに溜まった仕事をこなしていた。

 このところはアブソーブゲートで負ったリックの怪我もほぼ完治したと通常通り手伝わせていたはず、だが……。

 

「いまじゃなくていいじゃないですかぁ!」

 

 そこでまた響いてきた声に、はっと意識を引き戻す。

 先ほどはしっかり認識することが出来なかったが、よく聞けばこれはリックの声だ。彼もいるのか。

 

「大佐?」

 

 早く状況を把握しなければ――。

 そう思考をめぐらせながら、不思議そうに問いかけてくるリックへ視線を移し、

 

「な……」

 

 固まった。

 

「和平交渉にいくっていうなら、俺たちも平和にいきましょうよ!」

 

 涙目で詰め寄ってくるのは、十歳程度の少年。

 

 どういうことだ。

 ジェイドは改めて混乱しはじめた頭を必死に動かして考える。

 

 声は、リック。

 外見もちゃんと見ればリックの面影がある。しかし、少年。

 確かに彼の実年齢は十歳ほどだが、それでもあくまで外見は二十五歳。

 

 ならこれは誰だ。しかしこのビビリ方といいテンションといい、間違いなく。

 

「橋が爆破されます!」

 

 そのとき艦橋を揺らした警告音と部下のひとりが発した声に、眉をひそめた。

 

 考えろ。考えろ。

 ジェイドはこの状況に覚えがある。

 

 タルタロス。橋の爆破。先ほどのリックの言葉。

 

(和平交渉)

 

 外殻がまだ外殻大地であったころ、親書受け渡しのためエンゲーブに行く途中のことだ。この戦艦は、漆黒の翼を追っていた。

 

 そのとき、そこで、自分はどんな行動をしたか。

 

「……タルタロス、停止せよ! 譜術障壁起動!」

 

 足元で、爆発ですよ危ないですよ死んじゃいますよ、と高めの声でわめくリックをいくらか手加減して蹴り飛ばし、頭を冷やしなさい、とつぶやいた。

 

 そうだ。頭を冷やせジェイド・カーティス。

 そして認めろ。

 

 どうやら自分は、過去へ戻ってしまったらしい、と。

 

 

 

 

 そのとき自分が何を考えてどう行動していたか、慎重に思い起こしながら辿り着いたエンゲーブ。

 とりあえず前と同じように下艦に手間取るリックはおいてきた。

 

 ローズ婦人邸まではおそらくそのままなぞれただろう。

 後はこのあたりでルークとティアに会うはずだったが、

 

「俺はどろぼうなんかじゃねぇっていってんだろ!」

 

 現れた公爵子息の姿に、ジェイドは軽く意識を飛ばしたくなった。

 

 しかし嫌になるほど優秀な脳はそれを許してはくれなかった。

 目の前の状況をしっかりと飲み込む。

 

 貴方もですか。

 そう言いたくなるのを必死にこらえ、苦し紛れに眼鏡を押し上げる。

 

「くいモンにこまるような生活はおくってヌェーからなっ」

 

 七歳児の姿をしたルーク・フォン・ファブレが、そこにいた。

 

 これはもうイオン様が二歳児になってなくて良かったと思うべきなのだろうかと、ジェイドは理解しがたい環境の中で己を慰める術を学び始めていた。

 

 

 

 

 その後、チーグルの森でルーク達を捕縛してのタルタロス。

 

「おまえらがゆーかいに失敗したルークさまだよ」

 

「公爵子息さまとは存じあげず大変なごぶれいをぉー!」

 

 二人揃うとまた眩暈のしそうな光景だった。

 そして気になるといえばそのことについてのツッコミが他の誰からも一切入らないということだろうか。

 

「誘拐のことはともかく、今回の件は私の第七音素とルークの第七音素が超振動を引き起こしただけです」

 

 至って冷静なティアが今は無性に切ない。何か言うことはないのだろうか。

 たとえば軍人と自己紹介しているであろうリックが十歳児な事とか。

 

 そのリックはずっとガラガラガンガラと腰にさした剣を引きずって歩いていることとか。

 規格サイズの剣だ、子供の体格では引きずりもするだろうが、そもそもなぜ子供がいるのかとか、もろもろ突っ込んで欲しかった。切実に。

 

 

 

 

 

「まさか、封印術!?」

 

 変に違う行動を起こすのもどうかと思い、封印術も再びくらうことにしてみた。

 解き方のコツは覚えているから、前よりもずっと早く解除できるはずだ。

 

 それにしてもこの状況、何をどう動けばいいのやら。

 いっそ今のうちにパッセージリングをどうにかしに行ってしまおうか。

 

 ぐんと身体に掛かった圧迫感に膝を突きながらつらつらと考えていると、リックの叫び声が通路に響く。

 そうだ、ここは。

 

「ジェイドさんに……っなにすんだぁ!」

 

 あの大きさでは切りかかるより先に切り捨てられてしまう。

 しまった。慌てて顔を上げる。

 

 がんごろがんごろがんごろがんごろ

 

 一応抜刀はしたようだが盛大に剣先を引きずりながら走るリック。

 ……確実に殺される。

 

 とにかく阻止しようと急いで槍を取り出すが、このタイミングでは間に合わない。

 リックが剣を振りかぶる。いや、持ち上がってはいないが。

 

「たあ!!」

 

 するとラルゴはまったくもって動じることなく、その剣を鎌の柄で受け止めると、リックの首根っこを掴んでぽいと後方に放り投げた。

 

 アンタもアンタで何か疑問に思ってくれ。

 真顔のラルゴを眼鏡越しに捉えながら、ジェイドは内心で願う。

 

 

 

 

 そして前回と同じように事は進み、カイツール。

 むせび泣きながら駆け寄ってきたリックの頭を掴んで、抱きつかれる寸前で止める。

 

 実を言うとタルタロスでグリフィンに連れて行かれるとき、現在のジェイドの攻撃射程から言って助けてやれそうだったのだが、槍を投げようとした直前でなぜか前のときは記憶になかったライガが一匹襲ってきて、結局リックは今回もまたさらわれていた。まあ無事なのは分かっていたからいいのだが。

 

 ただ忘れていただけだろうか。

 記憶の食い違いを少々怪訝に思いながら首をかしげていると、ちょうどガイとリックが初めて顔を合わせたところだった。はっとしてその様子を見つめる。

 

「俺はガイ。ガイ・セシルだ。ルークのところで使用人をしている」

 

「あっ、お、俺は、リック。マルクト軍のへーしで……ジェイド大佐のちょくぞく部下、です」

 

 そこで至って普通に自己紹介を終えて戻ってきたガイをジェイドはじっとりと見下ろして、やがて盛大なため息をついた。

 

「……貴方ならと思っていましたが……がっかりです」

 

「な、なんでいきなりアンタに失望されなきゃならないんだ!?」

 

 がっかりだ。がっかりすぎる。

 いっそのこと名前もガイラルディア・ガラン・ガッカリオス伯爵とかにしてしまえばいいのに。

 

「確かにアニスやティアのように若くして実戦投入される者も多いですが、それはあくまで一部、極めて優秀な人材に限られるのですよ、ガイ」

 

「だからなんだよ突然っ!」

 

「時に貴方、リックをどう思いますか」

 

「え? ああ、えーと、あれだけ臆病でよく軍人なんかやってるよな」

 

 そうじゃない。真に突っ込むべきはそこじゃないだろう。

 この時点では二十五歳の体であったとしても同行させるかどうか正直ちょっと迷ったくらいのビビリでヘタレだ。

 それでもって今は十歳児。そんなのを普通 極秘任務に同行させると思うのか。

 

 ああまったくもどかしい。

 

 記憶どおり、ルークを庇ってアッシュの剣を受けるヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデの背中を睨みつけながら、今のうちに彼を切り捨てておけば後でさぞかし楽だろうと良からぬ考えを少しだけ過ぎらせた。

 まあこの時点ではこちらが不利になるだけだからやらないが。

 

「……旦那、何だか分からんが殺気を撒き散らさんでくれるか」

 

「何をおっしゃいます。こんなに穏やかな顔つきじゃありませんか」

 

 にっこりと微笑んでそう返せば、ガイが顔を引きつらせて後ずさる。

 

 ジェイドはまたひとつため息をついて、空を見上げた。

 まったく、これからどうなることか。

 

 いや、違う。

 

「これからどうすればいいのやら、ですかねぇ……」

 

 ふぅと連続で零れたため息は、深くそして重たい。

 とりあえず、視界の端でちょろちょろと動き回っている十歳児に足をかけて転ばせてみた。

 

 この心労の六割くらいはコレのせいだ。きっと。

 

 

 

 

 コーラル城内部。

 

 前と同じくフォミクリー装置を見つけたはいいが、あることが分かってるのに「えぇえーチョーびっくりぃー!!」などと驚けるわけもなく、とりあえずそこは黙殺しておいた。

 ただリックがハッとしたような視線を送ってきたので、それには一応軽くうなずいて返してはみたが。

 

 そして城の頂上部についたところで案の定ルークが皿割れ、もとい攫われて、今はいち早く追っていったガイがシンクに蹴り飛ばされたところだった。

 

 シンクがやけに落ち着き払った動作ですいとこちらを見下ろす。

 

 その様子に、ジェイドは僅か眉をひそめた。

 “前”のとき、彼はこんなに冷静だっただろうか。

 

「今回の件は正規の任務じゃないんでね」

 

 しかし、いや やはり台詞に前との違いはなく、

 勘違いだったかと息をつきかけたとき、シンクがふとジェイドの隣に視線をやった。

 

「この手でお前らを殺……せ、ないのは、残念…だけど……」

 

 なんだ、今の明らかな動揺と間は。

 そう思い彼が一瞬向けた視線をたどってみて、納得した。

 

 そこには、十歳児の姿のリック。

 

「…………。シンク、貴方もしや……」

 

「やっ、奴は人質と一緒に屋上にいる! 振り回されてえーとゴクロウサマ!」

 

 今ちょっと自分の台詞を忘れた烈風のシンクは、どことなくおぼつかない足取りで走り去っていった。

 

 その背を白い目で見送りつつ、確信する。

 あれはジェイドの記憶にあるあのシンクだ。

 

 シンク、ならツッコミなさい。

 せめてこの状況にツッコんでから行きなさい。

 

「ジェイドさん、あの六神将っぽい人とおしりあいなんですか?」

 

 きょとんと二十五歳のときより幾分大きな目を丸くして見上げてくるリックに、ええまあ微妙に、と返事をしながら、段々このサイズに慣れつつある我が目を内心で嘆いた。

 

 

 

 

 そして時間はめまぐるしく過ぎていく。

 

「あいつ、オレと同じ顔……」

 

「………………(サイズの明らかな違いには触れないのか)」

 

 何が悲しくてあれだけ苦労して成し得た外殻降下をまたやらなければならないのか、ぶっちゃけ誰が二度もやるか面倒くさいと思った。

 

「ここが砂漠の下だってこと忘れないでよね。アンタ達を生き埋めにすることも出来るんだよ」

 

「どうでもいいですがシンク、ちょっとはこっちを向いたらどうです」

 

「……そのまま先に外へ出ろ」

 

「シ~ンク」

 

「うるさいな! こっちも結構いっぱいいっぱいなんだよ!!」

 

 しかし出来ればアクゼリュス崩落は食い止めたいと考えたが、ジェイドが前回と違う行動を起こそうとすると、そのつど何かしらの邪魔が入るのだ。

 

「いっそ事故のふりして第十四坑道ごと埋めたらいい気がしませんか?」

 

「旦那、何の話だ。そしてなぜ俺に振る」

 

 そのときは十四坑道を譜術で壊す直前でなぜか後ろから走ってきたトロッコに跳ね飛ばされた流れで乗ってしまい奥まで強制連行された。

 

「たいさっ、俺、ルークさんとケンカしてきます!」

 

「分かりました。アニス、今すぐ迷子札をひとつ作って下さい」

 

「私ですかぁ!?」

 

「いま母親担当がいませんから」

 

 そんな調子で、突如足元に穴が開くくらいはまだいい。

 頭上からオタオタが大量に降ってきたり、時季はずれのプチプリの大移動に巻き込まれたり、オタオタが降ってきたり、タライが落ちてきたり、オタオタが降ってきたり……あまり思い出したくないが、とにかく邪魔が入る。

 

「な、なんで再会早々インディグネイションなんだジェイド! 不敬罪っていうかもう暗殺だろコレ!!」

 

「なんとなくです」

 

 そんなこんなで先を知っているにも関わらず思い通りに動けない事がもどかしくもあったが、とりあえずグランコクマでピオニーからもリックとルークのサイズについて突っ込みが入らなかったとき、ジェイドはいろいろと諦めることにした。

 

「ジェイドさん、オレ、こわいんだ」

 

 だからシェリダンの職人達が六神将たちの手に掛かるときも、前と同じように、見送った。

 

「部外者にしないでください」

 

 なくなると分かっていながら、アクゼリュスも、なにもかも、前と同じ通りに進めるしかなかった。

 そしてジェイドは、何ひとつ変えられることなく、ここまで来たのだ。

 

「臆病者のレプリカが、大胆なことをするものだな」

 

 何ひとつ。何ひとつ。

 

「大切なひとを守れないのは、もう、イヤなんだよ!!」

 

 何、ひとつ。

 

 

「……冗談じゃありませんね」

 

 詠唱を止め、コンタミネーションで槍を取り出す。

 すると惑星が圧し掛かってくるような重量が途端に体全体を取り巻いた。

 

 立ち尽くしたまま、指一つ動かすことも容易ではない。

 そんな中で、ジェイドは槍の柄を握り締めた。

 

 足を、強く前に踏み出す。

 

「二回も三回も、その馬鹿に風穴開けさせてやる義理はないんですよ」

 

 そう動く必要はない。このまま、投げれば。

 

「……ヴァン!」

 

 ジェイドは大きく槍を振りかぶり、

 

 そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、起こしちゃいましたか!?」

 

 聞きなれた間抜けな声に、目を瞬かせた。

 

 朦朧とした頭で周囲の様子を探りながら身を起こす。

 鼓膜を揺らす水音。乾ききっていないインクの匂い。机の上に散らばるいくつかの書類。

 

 目を丸くして慌てる、青年の姿。

 

「……リック?」

 

「は、はいっ! すみませんオレ決して仕事をサボっていたわけではなく、ジェイドさんがうたた寝なんて珍しいなーなんてウットリしばらく眺めてたとか、こうしてると普段の恐怖の大王っぷりがウソのようだとか思ったりしてませんよ! してませんから!」

 

 もげそうなほど必死に首を横に振る青年を少しぼんやりと眺めた後、そっと窓のほうへ視線を移して息をついた。

 

「…………夢、でしたか」

 

「今のうちに写真撮っとこうかなんて本当にちょっとしか考えてませ……え?」

 

 なんともひどい夢だった。

 あんな夢を見るなんて、もしかすると自分はかなり疲れていたのかもしれない。

 

 あんな。

 

「ジェイドさん? どうかしましたか?」

 

 きょとんとこちらを覗き込んでくる顔を横目に見やって、またひとつ息をついた。

 

「……貴方がその大きさで良かったですよ」

 

「へ?」

 

「当社比ですがね。ビビリとヘタレはそのままですし」

 

「えええ?」

 

 訳が分からない様子で目を白黒させるリック。

 少しだけ口元を緩める。

 

 

「わりと役に立っている、ということですよ」

 

 それを聞いて目を皿のように見開いた直後、バカみたいに赤くなった子供を見てから、ジェイドはゆっくりと瞼を伏せた。

 

 

 





偽スキット『その直後』
ジェイド「ところで先ほど何か言っていましたねぇ。恐怖の大王でしたか?」
リック「いや、そのっ、ちが……!!」

サンダーブレード頂きました。(By.リック)



>コーラル城inシンク。
少し前に7歳児な親善大使を見て襲われた強烈な目眩と動揺がやっと治まったところで現れた新たなちっちゃいのに、かろうじて保っていた平静が見事にクラッシュされた。



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仁義なき戦い~ブウサギの章~

 

 皇帝陛下の執務室。

 いつものように脱走を謀ったピオニー陛下が大臣たちに捕まって、ここに移送されてきてから数十分。

 

 面倒くさそうにというならまだ可愛いもので、しばらくの間は直球でやりたくなさそうにしていたのだが、今は静かに執務を進めてくれている。

 

 俺は机の脇に立ちながら大まかな書類の区分けをしていた。

 これがまた頭の痛いことに、国民にとって大切な案件はしっかり処理済みで、残っているのは予算案やら何やらの内部ものばかり。こうして拒否する仕事も選ぶあたり、本当に手に負えない人だと思う。

 

 でも、だからこそこのひとは国民に支持されるのかもしれない。国という器の中の“ひと”を何よりも愛する皇帝陛下だから。

 そう考えると、こうして振り回されている自分さえちょっと誇らしい。

 

 そのとき、ことり、と万年筆を置く音が聞こえた。

 

「ブウサギをもう少し増やしたい」

 

 精悍な顔つきで俺を見据えた陛下が一言呟く。

 沈黙の間に水のせせらぎが悠然と横たわり、そして俺はいくつかの紙を机の上に置いた。

 

「それでね陛下。こっちが明日までで、こっちが今日までです」

 

「ブウサギをもっと増やしたいんだ」

 

 真顔のまま繰り返された言葉に口元を引きつらせ、足元にいた一匹のブウサギの上半身をすばやく持ち上げてその小さなヒヅメを陛下に向ける。余談だけど半分だけでもけっこう重い。

 

「だめですよ! ルークさまが来たばかりじゃないですか!」

 

 他の子たちより まだいくらか小ぶりな腕の中のルークさまが、ぶ、とひとつ鳴く。

 

「ケチくさいこと言うな! いいじゃないか後一匹や二匹!」

 

 椅子にふんぞりながら ぷいと顔をそむけた陛下に向けて、俺もきりっと眉を吊り上げて胸を張った。

 

「だめですー! 陛下は可愛がるばっかりでちゃんとお世話しないんですから! 散歩だってガイに任せっきりで!」

 

「一応皇帝なんだからペットの世話くらい家臣に任せたっていいだろう!?」

 

「オレだってこれがインゴベルト陛下ならそう思います」

 

「お前さりげなくと思わせてあからさまに俺を国主だと思ってないな」

 

 いい皇帝だと思われたいなら脱走しないでください。

 山積みになった紙の中に、今日締めのものがいくつあるのか、考えるのも恐ろしい。

 

 そこではたと思い起こし、山の中からひとつの書類を引っ張り出す。

 

「そういえばこれ、ゼーゼマン参謀総長がこうしてくれって言ってました」

 

「ん、ああ、分かった」

 

 紙の上を万年筆が走るささやかな音が空気に馴染む。

 それを耳の端に聞きながら、俺はまた別の書類をぱらぱらとめくり、簡単に内容を確認する。

 

 確かこれは軍部の関係で、こっちが貴族院で……。

 

 そうしている内に書き終えたのか筆の音が止み、陛下が勢いよく顔を上げた。

 

「付けてやりたい名前がまだいっぱいあるんだぞ!」

 

「えー、なんですか? へんなの付けたらまた大佐に怒られますよ」

 

 バルフォアさまとかカーティスさまとか。

 いや、後者は大佐というよりカーティス家の方々に怒られそうだが。

 

 そんな俺の思いをよそに、陛下は恍惚とした笑みを浮かべながら、拳を握った。

 

「まずガイラルディアだろ? それでアニスに、ティアに、ナタリア……」

 

「いろいろ譲って他はいいにしてもナタリアは止めてください! キムラスカに和平条約破棄されちゃいますよ!!」

 

「イオンも候補だったんだが」

 

「ダメですっ!」

 

 そちらは本人よりアニスさん含む導師守護役の人たちに物凄く怒られそうだ。

 アニスさんも陛下に直に怒るわけにはいかないだろうから、巡り巡って止めなかった俺が怒られそうなのもまた怖い。

 

 己のためにも全力で却下させて頂くと、不服そうに口を尖らせた陛下は俺が区分けした束をざっと見て、一枚の書類を指さした。

 

「これはあれか?」

 

「あ、いえ、こっちはこれです」

 

 何枚かの書類を広げて、いくつか言葉を交わす。

 

 そういえばキルマカレーが後一歩のところで完成しないんだよなぁ。

 分量に問題があるのか。それともスパイスのほうをもう一回あらってみるべきだろうか。いやいや、やっぱり隠し味をもう少し工夫して。

 

 完成した書類を脇に重ねた陛下が万年筆の先をびしりとこちらに向ける。

 

「結局なんだ? おまえはブウサギが嫌いなのか!?」

 

「つぶらな瞳にまんまるシルエット、触ればプニふわ、大好きですよ! 当たり前じゃないですか! だからこそオレは一匹一匹大事に育てたいんです!」

 

 首を横に振りながら、俺はググッと両拳を握り締めた。

 それに心外だとばかりに陛下が眉をひそめる。

 

「俺はみんな平等に愛する自信があるぞ!」

 

「数が増えればそれだけ目が届かないでしまうことも増えるんです! ストレスでジェイドさまの毛づやが悪くなったりしたらどうするんですかぁ!」

 

「俺がそんなミスをするものか!!」

 

「そんなに新しい子がほしいならどなたかにお子様が出来るまで待ってください!」

 

 そのころにはルークさまも立派な大人になっているから、もう一匹くらい増えても安心だろう、という思いからの提案はどうやら陛下の耳に届いたようで、彼ははたと動きを止めた後、しみじみと腕を組んだ。

 

「そうだな。ジェイドはそろそろお年頃だから、お婿さんを決めてやらんといかんか」

 

 そしてまさに娘を嫁に出す父親のように、陛下は一瞬 哀愁漂う表情で深い息を吐いて、おもむろに俺を見上げる。

 

「ジェイドのお婿さん、お前は誰がいいと思う?」

 

「うーん、そうですねぇ。ジェイドさまとサフィールさまって仲良しじゃないですか?」

 

「ああ、よく一緒にお昼寝してるな。そうか、うん、それじゃあ、ひとまずお婿さん候補はサフィールで!」

 

 

 旋律の戒めよ、という出だしの詠唱が扉のすぐ向こうから聞こえてきたのは、

 

 それから約三秒後のことだった。

 

 

 




リックの中で名前元ネタとブウサギは繋がってないので、かわいいほうのジェイド&サフィールが仲良いのは全然構わない。

でも本家のジェイドサフィールが仲良いとは口が裂けても言いたくない。
仲良しだなと思う瞬間があっても絶対に言わない。だってくやしいもん。



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あるひよこのはなし

外殻大地編、崩落編、空白のひとつき編で「鬼ごっこ」をテーマにしたオムニバス


 

 

 

 むかしむかしあるところに、一匹のひよこがいました。

 

 そのひよこは暇さえあれば空を眺めていました。

 

 

 

 

【 にわとりの思い出 -The Memorial Chicken- 】

 

 

 

 

 

 

 

「陛下ー! 待ってくださいよぉ!」

 

「ハーッハッハ! ケテルブルク韋駄天のフランツと呼ばれた俺の足に追いつけるか!?」

 

「ちょ、誰ですかフランツって!! その前に韋駄天ってなんですか!?」

 

 荘厳な造りの宮殿の中を、俺とピオニー陛下が雰囲気ぶち壊しで全力疾走する。

 今日も今日とて執務をさぼって脱走しようとする陛下を現行犯で発見したはいいが、そのまま鬼ごっこに移行してしまった。

 

 しかし俺だって日々きつい訓練をこなしている軍人なのに、どうしてデスクワークが主なはずの皇帝陛下に追いつけないんだ、韋駄天のフランツ恐るべし。

 

 いや、ていうかこの人いっつも筋トレしてるじゃないか。なんで皇帝が執務の合間に体術の修行をしてるんだ。そして何故 主なはずのデスクワークがおろそかにされているんだ。

 

 いい加減 手をつけてもらわないといけない書類の束を思い出し、何が何でも捕まえないと、と意気込んで走り出した瞬間、顔面に鈍い痛みが走った。

 

「ぶっは……! な、なんでいきなり止まるんですか!!」

 

「……止まれと言ったり止まるなと言ったり面倒なやつだな」

 

 突如停止した陛下の、皇帝としては無駄に逞しい背中にしたたかに顔を打ち付けた俺が半泣きで怒鳴ると、陛下はそう言ってあきれたように肩をすくめる。

 

 ぶつけた鼻を押さえながらたたずまいを直し、陛下に向き直る。

 

 もしかしてやっと執務に戻ってくれる気になったのかと問えば、いやそうじゃないけど、というあっさりした返事が戻ってきた。……そうじゃないんですね。

 

「お前、今度の任務に同行するんだって?」

 

 急な問いに、はたと頭の中を探る。

 今度の任務といえば、キムラスカのバチカルに和平の親書を届けに行く件だ。

 

「あ、はい、大佐が俺も行くようにって」

 

「めずらしいな」

 

「そうなんです! 俺、政治が関わるこんな大きな任務に参加させて頂くの初めてですよ!」

 

 グランコクマでやる比較的 簡単な会議など以外は、ビビる騒ぐやかましい、と大佐に締め出し又は置いてけぼりだったのに。

 

 きっと和平交渉というくらいだから、俺がちょっとビビったくらいではどうにもならないくらい平和で穏やかな会議になるんだろう。だから今回は同行させてもらえるに違いない。

 

 平和な任務かつジェイドさんと一緒。

 期待にわくわくと胸躍らせる俺の前で、陛下が少し目を細めて頭をかいた。

 

「……ま、一歩前進か」

 

「え?」

 

 陛下が何か呟いたような気がして、首をかしげて聞き返す。

 すると陛下はさらにがしがしと頭をかいた後、なんでもないと言って俺の後頭部を軽くはたいた。

 

 

 

 

 

 空をうつくしく飛び回る同胞をうっとりと見つめます。

 

 「ぼくもオトナになったら、あんなふうにとべるんだ」

 

 

 

 

 

「あーもうほんと頭くんなアッシュのやつ~!」

 

 逃げたスピノザをアッシュより先に見つけるんだと言うルークを宥めて無理やりダアトに向かっている現在、やはり彼は納得いかないようで、歩きながらも苛々と声を荒げていた。

 隣を歩みながら、よっぽど反りが合わないんだなぁと苦笑する。

 

「きっとアッシュに任せとけば大丈夫だよ、ルーク」

 

 そして気休めのようにそう口にした瞬間、翠がギッとこちらを睨んだ。

 

「……なんだよ、おまえもアッシュのほうがいいっていうのか?」

 

 まずいことを言った。やっとそう認識するも時すでに遅し。

 どことなく据わった目にうろたえつつ首を横に振る。

 

「い、いや、ただアッシュなら何とかしてくれるかなっていう……」

 

「あれだろ! どうせアッシュのほうが髪が赤いからだろ!?」

 

「待ってルークちょっと待って! 違う女の人に見惚れてた恋人に迫る女の子みたいになってる!!」

 

 詰め寄ってくるルークに首を振るスピードをさらに上げながら弁解すると、彼はゆるく俯いた後、若干涙目になりながら上目遣いに再度俺を睨みあげた。

 

「もういいよ! そんならアッシュと仲良くしてこいよ! テーマだって“アッシュの意味を知る”とかにしたらいいだろ!!」

 

「テーマって!?」

 

「リックのばかやろうー!」

 

「あっ怒りの対象が俺にすり替わってる! ま、待ってよルーク! ルークー!!」

 

 伸ばした手もむなしく、全力ダッシュで遠のいていくルークの背中。

 行き場のない指先をしばし漂わせ、今度は俺が涙目を通り越して普通に泣きながらがくりと肩を落とす。

 

 後ろから歩いてきたアニスさんが、そんな俺とだいぶ離れてなお走り続けるルークを見比べて、呆れたように息をついた。

 

「もー、ルークってばお子様だなぁ」

 

「アニスさん……どうしましょう、ルークを怒らせてしまいました」

 

「どうって、私が知るわけないじゃんそんなの」

 

 いよいよ号泣しながら緩々とアニスさんのほうを見れば、彼女はそんな俺にまた改めて呆れの半眼を向けて首を横に振る。

 

 ですよね、と消え入る声で返して、またぼたぼたと涙を滴らせていると、ふいに耳に届く軽快な足音。

 顔を上げれば、いつのまにか数歩前に出たアニスさんが、俺に向かってその小さな手のひらを差し出していた。

 

「アニスさん?」

 

「はやく追っかけないとルークはぐれちゃうよ。……ほら、いこっ!」

 

 俺はそれを少しの間 見つめたあと、ぱっと表情を輝かせて、その手を掴んだ。

 

「はい!」

 

 

 

 

 

 そして壊れた木箱の上に乗っては、そのちいさな羽をはばたかせていました。

 

 

 

 

 

「ジェイドさーん! ジェイドさーん! ジェーイドさーん! ジェーイードーさぁーーんー!!」

 

 ちょっと頼みたいことがあって、彼の人を探しマルクト軍基地を走りまわっていると、ふいに右斜め後ろのほうから盛大に息が噴き出される音がして、俺は足を止めた。

 

「あれ? フリングス少将じゃないです……どうしました?」

 

 通路の片隅で肩を震わせながら声無く笑うその人に首をかしげてみせる。 

 すると彼は、失礼、と言ってひとつ咳払いをし、改めてぴしりと背筋を正して向き直る。

 

「ジェイド大佐を探しているのかい?」

 

「あ、はい、ちょっと」

 

 つい言葉尻を濁してしまった俺に少将は気分を害すこともなく、穏やかに笑って「大佐なら譜術用の鍛錬場にいるはずですよ」と教えてくれた。

 

 大佐と鍛錬場。

 めずらしい組み合わせだなと目を丸くしていると、少将が言葉を続ける。

 

「君を見かけたらそこに来るように言ってくれと大佐に頼まれたもので」

 

「……ジェイドさんが? オレに?」

 

「はい」

 

 笑顔で頷くフリングス少将。

 

 嫌な汗が背筋を伝う。

 

 少し前まで怪我人だったこともあって、外殻降下の後グランコクマに戻って以来、日課だった大佐の譜術をくらうことがほとんど無かったのだ。

 先日のご落胤騒動で久々に大きいのを貰いはしたけどそれくらいのものだろう。

 

 もしかしたら積もり積もった特別訓練が今になって? ああ、在り得すぎて目眩と悪寒がしてくる。

 聞かなかったことにして今日のところは仕事に戻ろうかと震える手足の元に一瞬企んだが、いや、とすぐかぶりを振った。

 

「わ、わかりました、ありがとうございます、フリングス少将。い、いいい、いってみます」

 

 ここで止めたら二度と頼めない気がする。なにがって俺が。

 こんがりとこうばしく焼かれた数十分後の自分を想像して涙目になりつつ少将に礼をした。

 

「ところでリック」

 

 そういえば、というように切り出された声に顔を上げる。

 少将は小首を傾げながら俺を見ていた。

 

「前から言っているが、ジェイド大佐と同じく名前で呼んでくれていいんですよ? それなりに仕事上の付き合いもあるのに、いつまでも“フリングス少将”では堅苦しいだろう」

 

「いえそんな恐れ多い!!」

 

「まあそういう返事が戻ってくるのもいつものことでしたね」

 

 慣れたように微笑んで、少将が手にしていたファイルでトンと自分の肩をたたく。

 柔和な雰囲気があるフリングス少将だけど、そういうふとした仕草は男前だ。

 

「では、君が私を呼び捨て出来るくらいの地位まで出世してくるのを待つことにするよ」

 

 ひっそり男惚れしていたら、告げられた言葉に思わず遠い目になる。

 俺が出世できるならオタオタだって王様にだってなれます、少将。

 

 そして少将は、ああ、と声を零すと、突然 お手本みたいな敬礼を俺に向けてくれた。

 

「きっとしばらくの間は会えないと思いますが、お元気で」

 

「え、なんでですか?」

 

「今度 ケセドニア方面部隊の指揮を取らせて頂くんですよ。とはいってもキムラスカとの平和条約は締結しましたから、荒っぽいこともなく、ただの演習です」

 

 ここ最近は降下後の処理やら何やらでグランコクマに留まっていたけれど、フリングス少将はもともと外回りの任務を多く受け持つ人だ。

 

 もう本来の立場に戻らないといけない時期なんだ、とそれを少し残念に思いながらも、さっと敬礼を返した。

 

「お気をつけて」

 

「もちろん。待たせている女性もいますからね。ああリック、君もそろそろ行かないと、ジェイド大佐に怒られてしまうよ?」

 

「あああそうだった!」

 

 早く行かないとフレイムバーストで済んだかもしれないところがエクスプロードに変わってしまう。

 こうばしく焼けるを通り越しての消し炭か、灰か。アッシュか。俺はアッシュになるのか。

 

「す、すみません少将! オレ行きます!!」

 

「はい」

 

 もう一度しっかり敬礼をし直してから身をひるがえそうとした俺の背に、小さな笑い声が届いた。

 肩越しに振り返ると、失礼、と先ほどのように笑みを堪えながら少将が片手をあげる。そしてひとつ息をつくと、彼は柔らかに微笑んだ。

 

「……君は、いつも誰かを追いかけていますね」

 

 その言葉に俺はきょとんと目を丸くして、それから、苦笑する。

 

「オレが大好きな人たちは振り返りませんから」

 

 前を見て、時にはきつい向かい風の中にありながらも、ぐんぐん進んでいく。

 そんな人たちばかりだから、俺はいつだって必死なんだ。

 

「追いかけないと、すぐ置いてかれちゃうんですよ!」

 

 でも、そんな眩しい彼らが俺はやっぱり、大好きだから。

 顔いっぱいの笑顔を返せば、少将も何は言わずに、少し笑みを深めて首を傾げた。

 

 とはいえ今は未来の俺がアッシュ化するのを阻止すべく、いち早く鍛錬場に向かわなければいけなかったので、その真意を察する余裕はなかったけれど。

 

 さて俺は、そろそろ勇気を出さなくてはいけない。

 

 鍛錬場への道を足早に進みながら、ぐっと拳を握った。

 

 

 

 

 

 慌ただしく去って行った青年の背中を見送って、フリングスは手にしたファイルを持ち直しながら、どうかな、と独りごちる。

 

「君が足を止めれば、案外、待っていてくれるかもしれませんよ」

 

 

 

 

 

 

 むかしむかしあるところに、一匹のひよこがいました。

 

 そのひよこは暇さえあれば空を眺めていました。

 

 

 空をうつくしく飛び回る同胞をうっとりと見つめます。

 

 「ぼくもオトナになったら、あんなふうにとべるんだ」

 

 

 そして壊れた木箱の上に乗っては、そのちいさな羽をはばたかせていました。

 

 

 

 いつか飛び立つ、真っ青な空へ思いをはせて。

 

 

 

 



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空白のひとつき編 終了後~ レプリカ編 開始前
TOVクロスオーバーⅠ


TOV(Xbox版)メンバーとリックの出会い


 

 

【 きらきらひかる 】

 

 

 

 

 

 テオルの森。

 グランコクマの目と鼻の先にあるこの場所に、魔物の気配は少ない。

 

 木々の隙間から落ちる太陽の光が、ぬかるんだ土の上にたまる水にきらきらと反射するのを見ながら、深く息を吐いた。

 

 ゆっくりと、腕を胸の高さまで掲げていく。

 そして今度は短く、ふ、と息をついて、目を伏せた。

 

 意識を集中する。

 

 皮膚に触れる湿気た空気。

 陽の光。木の葉の香り。大地の温度。

 

 全身で、世界の中にある“音”を。

 

「……狂乱せし、地霊の宴よ……」

 

 感じ取る。

 

「ロックブレィ、ゴっ!」

 

 がちっ、と合いそびれた歯が舌を挟んで止まった。

 口を押さえて悶絶する俺の傍ら、術になりそこなった音素がさっぱりと霧散する。

 

 しびれる舌先に涙目になりながら顔をあげた。

 

「うう、また失敗した……」

 

 大佐に譜術訓練の終了を言い渡されてから数日、俺は隙を見てはこのテオルの森に譜術の練習に来ていた。

 

 鍛錬場で練習すればいいんだけど、こんなへっぽこな状態であそこに混じるのは恥ずかしい。

 それに大佐と訓練していた間の余波として俺が鍛錬場に行くとみんな青い顔になるから申し訳なくもあった。うん、俺もあまり思い出したくない。

 

 そんなわけで休憩時間を見計らってはこの森に練習にきているわけだが、俺が使うのは第二音素、土属性のものだけだから自然も影響を受けにくいはずだ。山火事、もとい森火事の心配はない。

 

「術式は間違ってないはずなんだけどなぁ」

 

 濡れていない岩の上に置いた『誰にでも出来るやさしい譜術(中級編)』をめくりながら確認する。

 

 いや、さっきのは単に詠唱を噛んだ上に舌噛んで集中が乱れたのが問題だったのだが、その前からどうも成功しないのだ。

 

「やっぱり音素のコントロールかな、うん」

 

 拳を握って、再度 挑戦する。 胸の前に手を掲げた。

 

「狂乱せし地霊の宴よ」

 

 フォンスロットよし。

 術式よし。

 音素の収集、構築……よし。

 

 いける!

 

「――ロックブレイク!!」

 

 

 

 

 木漏れ日が瞼の上に差し込む。

 その眩しさに目を眇めて俺は微笑み、

 

「…………げほっ」

 

 全体的に焦げくさい己に泣いた。

 

「フォンスロットよし! 術式よし! 音素の収集 構築よし! ぜ、全部ちゃんと確認したのにー!!」

 

 地面に突っ伏していた体を起こし膝立ちのまま頭を抱えて泣きわめく。

 

 今度こそと思って撃ったロックブレイクは、今度は霧散しなかった。

 霧散はせずに、小規模な音素の爆発となって俺とその半径一メートルを包んだのだ。

 

 森に飛び火しなかったようなのは幸いだが、こうなるとさすがの俺もちょっとヘコんでくる。

 

「ぜんぶ大丈夫なはずなのに失敗なんて、も、もうオレがダメって事なんじゃ……!」

 

 本当に才能なかったのかもしれない。

 せっかくジェイドさん直々に教えてもらったのにこんな事じゃ合わせる顔がないというか、むしろ大佐に怒られそうというか。

 何聞いてたんですか貴方、なんてミスティック・ケージかもしれない。

 

「うわーーー!! ごめんなさいジェイドさぁああん!!」

 

 号泣しながら頭を抱えた俺の後ろ。

 

「あれ?」

 

 ふいに、かわいらしい女の子の声が響く。

 砂糖菓子のようなふんわりとした声。

 

「ユーリ、こんなところに人がいますよ?」

 

「……取り込み中みたいだからほっとけ」

 

 肩越しにそろりと振り返れば、数メートル離れたところで立ち止まっている複数の人影。

 その中心で、桃色の髪をした女の子が、長い黒髪の人の腕を引いて俺のほうを指さしている。どうやら先ほどの声はあの子のもののようだ。

 

「でも何か困ってるみたいです」

 

「ふふ、始まったわね。エステルのほっとけない病が」

 

 きれいな青い髪の、なんだか色っぽい女の人がその女の子に答える。

 すると黒髪の人はひょいと肩をすくめて、こっちを見た。

 

 そのままつかつかと歩み寄ってくる黒髪の人。

 

 ボケッと目を丸くしてそれを見ていると、その人に続いてきた他の人たちも合わせて俺の傍で立ち止まる。

 

 先ほどの桃色の髪の女の子が、膝立ちの俺を覗きこむようにして首を傾げた。

 

「どうしたんです? こんな森の奥で」

 

「も、森の奥?」

 

 確かに森だけど、こんな、と言われるほどテオルの森は深い森じゃない。

 適当に歩いてもなんとか抜けられるし、そもそも迷うほど広くはないだろう。じゃなかったら俺がひとりで来たりしない。

 

 そう返そうとして、俺はさっと視線を周囲に巡らせ、固まった。

 

「……へ?」

 

 陽の光がようやく届く程度に鬱そうと生い茂る樹木。

 地面に張り巡る太い木の根と、テオルの森では聞くはずのない、グェグェッ、という大型の鳥系魔物の鳴き声。

 

 そんな深い深い森の中にたたずむ俺と彼ら。

 

「え? え? えぇええ!?」

 

「さっきから一人で騒がしい兄ちゃんだねぇ」

 

「……騒がしさだとレイヴンもあんまり変わらないと思うよ」

 

 頭を抱える俺を見て息をついた紫の着物の人が言うと、その隣にいる茶色の髪をした少年が遠い目でそう零したのを遠くに聞きながら、俺の脳内はぐるぐると回っていた。目も回したいくらいだ。

 

「だ、だってオレ、え? なんで。 どうして。いつのまにこんな森の奥に!?」

 

「なにアンタ、もしかして迷子なわけ?」

 

 半眼でじとりと俺を見る小柄な女の子。

 迷子。あまり良い思い出のない単語にどっと涙があふれ出てくる。

 

「でもっ、オレッ、そんなはずっ、まいごっ……!?」

 

「……あーもう! 迷子なら迷子でいいじゃない! 別に笑ったりしないわよ!」

 

 肩をいからせて怒鳴りながらも、泣きだした俺に焦った様子の彼女は、どこか面倒見が良さそうで、なんとなくアニスさんのことを思い出した。おかげでちょっと頭が冷える。

 

 ここはどうもテオルの森では無さそうだ。

 

 だけど、だからといってどこなのかと考えても答えは出てこない。

 そんな現在地が分からない状態の人間を、普通なんと呼ぶか。

 

「……迷子です……」

 

 うなだれた俺の目の前にしゃがみ込んだ最初の女の子が、気の毒そうに眉を下げた。

 

「それでさっきも困っていたんです?」

 

「え? あ、いや、さっきのは」

 

 その、だから、と意味のない言葉が吐きだされる。

 そんな言い淀む俺に集中するいくつもの視線。

 

 無言の圧力に、だらだらと背筋を汗が伝っていく。

 

「…………術の練習を、していたんです」

 

 さらに肩を落として、消え入るように零された俺の言葉に、なぜかいる大きな犬がワフンと相槌のような鳴き声を上げるのが聞こえた。

 

 

 




星と深淵。
世話焼きパーティとヘタレプリカ。


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TOVクロスオーバーⅡ

 

 

 俺を含めた総勢七名と一匹は、深い森の中にあるほんの少しだけ開けた場所で、円を描くように座っていた。

 

「ま、話は分かった」

 

 黒髪の人、ユーリと名乗った青年がそう言って息をつく。

 彼をさっき遠目に見ていたとき、実は女の人かと思ったのだということは、怒られそうだから黙っておこう。

 

 ユーリの頷きに続くように、人好きのする感じの少年カロルが苦笑を零す。

 

「術の練習したいけどあんまり下手なんで人前でするのが恥ずかしい、かぁ。それ、ボクもなんとなく分かる気がするな……」

 

「んで、森で一人ひっそり寂~しくやってたわけね」

 

 それに紫の着物をきた男性、レイヴンが軽い調子で肩をすくめた。

 

 出来ればあんまり“寂しい”のところを強調しないでほしいのだが。

 正直本当に寂しかった自分が浮き彫りにされてしまって余計さびしくなってくる。

 

「ついでに迷子なんて、なかなか刺激的じゃない?」

 

 ジュディスという青い髪の女の人が、ふふ、と綺麗に微笑んでそう続けるも、しかしどうして自分がこんな森の奥にいるのか分からない今、反論の言葉もなく眉尻を下げた。

 

 グランコクマのほうがどうなってるのか考えるのも恐ろしい。もう休憩時間終わってるよなぁ。ジェイドさん怒ってるかなぁ。

 

「……リックは、術のことで困っていたんです?」

 

「え? あ、う、うん」

 

 ちょっとの間なにか考えるように空を仰いでいた桃色の髪の女の子――エステルが、ふいに視線を戻したと思うと、彼女はきらきらと輝く目で拳を握った。

 

「術のことならリタにおまかせ、ですっ!」

 

「ぶっ!!」

 

 先ほどからずっと興味なさそうに傍観していた小柄な少女リタは、突然の指名を聞いて盛大に噴き出した。

 目を丸くしてはくはくと空気をはむリタに気づかず、エステルはなおも俺相手に嬉しそうに言葉を続ける。

 

「リタはすごいんですよ! 自分でたくさん研究をしているから、術のことにもすごく詳しいですし」

 

「ちょ、あの、エス、エステル……!」

 

「リタなら何か分かるかもしれませんよ」

 

「エ、エステル、だからね……!」

 

「ね、リタ!」

 

 ひとかけらの曇りもない真っ直ぐな笑顔でした。

 それを真っ向から受けたリタが、ぎしりと固まるのが見え、その頬が徐々に赤くなっていく。

 

 どこかイオンさまと似た雰囲気をかもし出すエステルに思わず笑みを浮かべた。

 ああなんだか、守ってあげたい感じだなぁ。

 

 きらめくエステルの笑顔と、赤い顔のまま固まるリタ。

 

 それから数秒経ってようやく動いたリタは、明らかに照れた顔のまま腕を組んで顔をそむけ、少しくらいなら付き合ってもいいけど、と裏返る声で告げたのだった。

 

 

 

 

 他のみんなが少し離れたところから見守る中、俺とリタは生徒と教師のように向かい合っていた。

 

「じゃ、とりあえずやってみせてくれる?」

 

 基本的な知識はあると伝えると、リタはおもむろに俺の横に移動してそう言った。

 

 なんだかいつかの大佐を彷彿とさせる台詞だ。

 リタは研究をしている、ってさっきエステルが言っていたことを考えると、彼女も天才というやつなのかもしれない。そんな天才仕様のスパルタ特訓を思い出して肝を冷やしつつ、腕を掲げて目を閉じた。

 

 フォンスロット、良し。 術式、良し。

 音素の収集、構築……よし。

 

 俺は短く息を吸った。

 

「狂乱せし地霊の宴よ、ロックブレイク!」

 

 ぽしゅん。

 

 情けない音を立てて、集めた音素が霧散する。

 数度やり直してみたが、やはり結果は変わらなかった。

 

「……この通りで……」

 

 もう泣くほど見た譜術の失敗例に、肩を落として涙を滴らせる。

 

 ジェイドさんのスパルタ訓練を受けていたときは、それでもちゃんと成功していたんだけどなぁ。

 一向に上手くいかなくなったのは、ひとりで特訓するようになってからだろうか。

 

武醒魔導器(ボーディブラスティア)のほうに問題があるってことはないの?」

 

 大きなカバンを抱えて地面に座っていたカロルの問いかけに、隣で顎に手を当てて何やら考え込んでいたリタが首を横に振った。

 

「ないわね。現に術の発動は出来てるわけだし」

 

 ボーディ、なんとかと言うのが何かは分からなかったが、『誰にでも出来るやさしい譜術(中級編)』には載っていないような専門用語なのかもしれない。

 

「発動できてるって? 術にはなってないよね」

 

 一人で納得していると、俺の代わりにカロルがそう不思議そうに聞き返してくれた。

 そうだ、あのとおり音素は綺麗さっぱり散ってしまったのに、発動できてるっていうのはどういう訳なんだろう。

 

 リタがひょいと肩をすくめる。

 

「術式は合ってるわ。でもエアルの調節で失敗してる。燃えくさがあるのに火種がないって感じかしら」

 

 火種、燃えくさ……エアルっていうのが音素のことをいう専門用語でいいなら、俺はやっぱり音素のコントロールに問題があるようだ。

 でも音素の纏め方というのはすごく抽象的なものらしく、各自でイメージしやすい形が違うとかで本にはあまり詳しいことは書いていなかった。

 

 イメージと言われても俺にはさっぱり分からない。

 どうすればいいんだろう。

 

「……ふむ」

 

 考え込んでいると隣から小さな呟きが聞こえてきた。

 そちらに視線をすべらせると、猫のようなリタの目と交差する。

 

 でも彼女はすぐに俺から視線をそらし、見物をしていたみんなに顔をやった。

 

「アンタたち、魔導器を使うときのコツとか教えてやってみてくれない?」

 

 草原に寝そべっていたユーリがひらひらと手を振る。

 

「オレは術なんて使えないぜ」

 

「いいわよ。だってコイツがつまずいてるのは術がどうとかのレベルじゃなくて、もっともっと根本的なところなんだもの」

 

 言いきられた言葉に、他の誰より俺が目を丸くした。

 「根本っつーと?」ユーリと同じく寝転がっていたレイヴンが勢いをつけて体を起こし、聞き返す。

 

 その問いにリタは若干言い辛そうに頭をかいた。

 

「研究者のあたしが、あんまりこういう漠然としたこと言いたくないんだけど……要するにアンタに足りないのは気持ちなのよ」

 

「きもち?」

 

 ぴしりと突きつけられた人差し指にいくらか身をのけぞらせながら首を傾げる。

 確実に技術的な問題だと思っていたのに、気持ちで術が失敗するっていうのはどういうことなんだろう。

 

「術式は合ってる。詠唱にも問題はない。エアルの調節だって出来てるのよ」

 

「え、でもさっきは調節で失敗してるって……」

 

「そこよ!」

 

 さらに突き出された人差し指。

 バランスを崩して倒れこんだ俺を半眼で覗きこんだリタが眉間にしわを寄せる。

 

「アンタはせっかく一度 安定させたエアルを、なんっでか発動の直前になってわざわざ乱してるの!」

 

「し、知らない知らない! オレそんなつもりはこれっぽっちも!!」

 

 苛立たしげに拳を握るリタに、ぶんぶんと首を横に振った。

 慌てる俺を見て彼女もひとつ息をつき、腕を組み直す。

 

「わざとじゃないって事は見れば分かるわよ。ただアンタは無意識に術を抑制してる、それは確かね」

 

「抑制って……なんで?」

 

「あたしが聞きたいわ。何? ホントは成功したくないわけ?」

 

 成功したいに決まっている、はずなのだが、専門家らしいリタにそう言い切られてしまうと自信がなくなってきた。

 

 彼女のいう“気持ち”というやつが、ジェイドさんと訓練しているときは出来た譜術を出来なくさせている原因なのだろうか。

 それが分かれば、成功するようになるだろうか。

 

「ふふふふ」

 

 そのとき、リタがふいに口の端を上げて笑った。

 それがどことなくお金のことを考えているアニスさんの様子とかぶって、半歩あとずさる。

 

「この際乗りかかった船よ……見てなさい。あたしの前でそんな半端な術使って、ただじゃおかないんだから……」

 

「リ、リタ? リタっ!?」

 

 静かな声色が逆に怖い。

 背後に青色の炎が見えた気がした。リタが拳を握る。

 

「絶対アンタに術の使い方を覚えさせてみせるわ!!」

 

「アスピオの天才魔導少女の名にかけてッ!」

 

 いつのまに傍に来ていたのか、可愛い風なポーズ付きで続けたレイヴンが、見事なグーパンチでもってリタに殴り倒されていた。

 

「頼む相手を間違ったかもなぁ」

 

「…………が、がんばるよ!」

 

 ユーリがどこか面白がるような含み笑いで言う。

 背中に浮かぶ冷や汗を感じつつ、俺もゆるゆると拳を握った。

 

 

 

 ジェイドさん、そちらはもうとっくに休憩時間が終わっているころでしょうか。

 

 あなたはきっと「へっぽこ兵士が執務をサボるとは良い度胸ですねぇ」とぴかぴかの笑顔を浮かべているものと存じます。俺も出来るだけ早く戻るつもりです。

 

 でもその前に、偶然会った親切な彼らの手を借りて、行き止まりだった譜術練習について何かしらの突破口を得られたらと考えていますが、

 

 

 

 ……なんだか、スパルタ訓練 再来の予感です。

 

 

 

 




女の子女の子と言うけれど、エステルがティアより年上なことには気づいてないリック。
いろんな意味で年齢詐称なアビス陣。筆頭は上司です。


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TOVクロスオーバーⅢ

 

 

 テオルの森、だったはずの、今はなんか違うような森の中。

 俺と対峙する位置に立ったユーリが、さっと剣の鞘を抜き捨てた。

 

「もう一回言っとくけど、オレは術は使えないぞ」

 

「いいわ。武醒魔導器からエアルを取り入れて安定させる過程は術も技も大して変わらないから」

 

 俺とユーリの中間、試合の審判のような位置で仁王立ちになったリタが言う。

 

「要するにコツとか! きっかけとか! そういう事なのよアンタに足りないのは!」

 

「はヒィっ!!」

 

 びしりと突きつけられた人差し指に身をすくめる。

 最近マシになってきたけど、やっぱりこれくらいの年頃の女の子に怒られるのは苦手だ。

 

 こちらのビビリようを見たリタがちょっと気まずげに頬を赤くし、ごほんと小さく咳払いを零して顔をそらした。

 

「そ、それじゃ始めて!」

 

 彼女の合図に息をのんで反対のユーリを見据える。

 

 開始早々 技のひとつも飛んできたらどうしようかと思っていたのだが、そんな心配に反し、ユーリはゆったりとした動きで手にした剣の峰をぽんと肩に当てただけだった。

 

 しかし俺の緊張ぶりは見て取れたようで、彼がそこで初めて笑みを零す。

 

「んなガチガチになるなよ。別に戦おうってわけじゃねえんだ、ただの練習でいきなり斬りかかりゃしないさ」

 

「で、でもユーリ、ただの練習だって突然 槍が飛んでくることもあるんだよ!?」

 

「……何だか分からないがオレはしないから安心しろ」

 

 比率としては譜術、譜術、譜術、槍、譜術くらいで飛んでくるのだ。そして油断してると稀に普通の右ストレートとかも来るから侮れない。

 あの特別訓練で何度お花畑を見たことだろう。とりあえずユリアさまが俺を常連さんとして扱ってくれるようにはなった。

 

「しかし正直コツっつってもピンとこねぇんだよな」

 

 うぅんと唸る声に、違うところへ行っていた意識を引き戻す。

 ユーリは手にした剣を上に放り投げてくるくると回し、落ちてきた柄を正確に掴んだ。

 

「まあ、こう武器を持つだろ?」

 

「うんうん」

 

 俺としてもなんとか突破口を得たい。

 彼の言葉と動きを逃すまいと目を凝らす。

 

「そんで……こう、やるとっ」

 

 柄を持つ手にもう片方の手を軽く添えてみせた次の瞬間、音素の力を帯びた鋭い斬撃が、空気を切り裂いた。

 おぉっ、とコツを学びとろうとしていたことも忘れて純粋に剣士として感嘆の声を漏らす。

 

 ぱちぱちぱち。

 ついでに思わず出た拍手が森の木々の間に響く中、ひとつ息をついたユーリが振り返った。

 

「出るだろ?」

 

「出ないよ」

 

 今までの感動を瞬時に捨て去り半眼で吐き捨てる。

 

 もしかすると彼も大佐と同じくなんでもわりと出来てしまう人なのだろうか。

 何にしても人並み以上のことをしないと事が叶わない部類の人間としては羨ましい限りだ。

 

 剣については被験者から引き継いだらしい才能のおかげで何とかなっているほうだが、それでも技は一朝一夕で習得出来るものじゃないし、出すのも同じく。

 

 見物をしている面々の中で唯一カロルだけが、俺の心中を察した気の毒そうな顔をしているのが見えた。

 うう……ジェイドさん達といい彼らといい、世の中には凄いひとが多すぎる……。

 

 

 しかし俺相手にユーリの教え方は酷というか無理だということに気づいたらしいリタが「はい次」と教える人を入れ替えてくれた。

 

「私は武醒魔導器を使っているわけでもないから、特に感覚的なものだけになると思うけれど」

 

 続いて俺の前に立ったのはジュディス。

 女の人らしい色っぽさの中にもしなやかな逞しさが垣間見える立ち姿が俺以上に男らしい。

 

 そしてその手にある獲物を見て、ちょこっと胸が弾んだ。

 

「ジュディスも槍使いなんだ?」

 

「ということは貴方の知り合いの誰かもそうなのね。腕前はどうかしら」

 

「すごい! すごいよ! そりゃ……もう…………」

 

 きらきらと輝く目で前半の言葉を告げた直後、特別訓練を思い出して顔をそらした。

 

 そこから何を読み取ったのか、ジュディスは「ぜひ一度手合わせをお願いしたいわね」と嬉しそうに微笑んだ。それを聞いたリタが、戦闘狂、とぼそっと呟いたのが耳に届く。

 

「そうね。私の場合は、」

 

 聞こえないふりをしたらしいジュディスは、言いながらおもむろに槍を構えた。

 

 ふっ、と短く息をはいた音。

 かすかな風が皮膚を撫でたと思えば、いつのまにか目と鼻の先に光る、槍の先端。

 

「こんな感じかしら」

 

「アンタもか!!」

 

 動くことも出来ずに固まる俺に代わって、リタが叫ぶ。

 前線の人はみんな感覚型なのか。いや、待て、俺も前衛のはずなのに。

 

 

 

 

 とりあえず答えは出ないまま、再度、講師が変えられた。

 ついでに言うとリタには一番最初に教えてもらったのだが、あまりに難しすぎて断念した。その見事に研究者視点の理論や計算に基づいた説明は俺の頭には荷が重い。

 

「よろしくお願いします」

 

「こちらこそっ!」

 

 どこかイオンさまを思わせる優しい雰囲気を持つ女の子。

 今度はナタリアみたいな綺麗な一礼をしてくれたエステルに、俺もにぱりと笑って敬礼を返す。

 

 彼女は譜術士みたいだから、分かりやすいコツを教えてくれるかもしれない。

 

「術を使うときは、まずお願いするんです」

 

「お願い、っていうと?」

 

「はい。エアルに力を貸してくださいって心をこめてお願いすれば、きっと応えてくれます!」

 

 これまでの どの教えよりも難易度が高い気がする。

 

「そして、このひとを助けたい……救いたいって強く願ううちに、それがいつのまにか術になってるんです」

 

 でもやってみる価値は十分にあるはずだ。

 エステルの声を頼りにしながら、手を掲げる。

 

 ええと、感謝、感謝。

 

 音素……いつもありがとう。

 お前がいるから譜術が使えるんだ……いや、最近はちょっと成功してないけど。

 

 譜業が動くのもお前のおかげなんだ。

 ひいてはガイが幸せなのもお前のおかげなんだ。

 

 それでそれで、ええと……うん、ありがとう!

 

「ロックブレイク!」

 

 もひゅっ。

 

 俺の術は、なんとも中途半端な音を立ててまたも宙に散った。

 

「オレには愛がない!? も、もしくは足りない!?」

 

「だ、大丈夫です! そんなことないです! ……きっと!」

 

 半泣きで叫ぶ俺をエステルがあわあわと慰めてくれる。

 すると突如後ろからぽんと肩を叩かれた。

 

「愛っていやぁ、俺様でしょ」

 

 肩越しに振り返れば無駄にきらきらとしたポーズを取るレイヴンの姿。

 

「はい次ガキンチョねー」

 

「ちょっ、ひどッ! 待ってよリタっち!」

 

 それを華麗にスルーしたリタに、レイヴンが慌てた様子で言い募る。

 すると深いため息を吐いたリタはじとりと彼を見やった。

 

「そんじゃ一応聞くけど、コツは?」

 

「可愛いお姉ちゃんを愛でるようにエアルを、」

 

「ほらカロル早く!」

 

 執事を呼ぶように二回ほど手を叩いたリタの傍らでは、レイヴンが「がっくり」と自分で口にしながら座り込み、地面に「の」の字を書いていた。

 

 

 

 

 最後の講師であるカロルは、その小さな体に見合わない大ぶりなハンマーを手にしていた。

 

 引きずられている先端が地面と擦れてごろんごろんと固い音を立てていたが、重さ自体は問題になっていないようで、至って普通に歩いてきて俺の前で立ち止まる。

 

「あ、あの、ボクも術は使えないんで参考になるか分からないけど」

 

「ううん、すごく助かるよ! むしろお願いします!」

 

 気弱な笑みを浮かべるカロルに首を横に振り、両拳を握って笑った。

 するとカロルも「そう?」と照れくさそうに頭をかく。

 

「そうだな。 ボクの場合……ユーリ達みたいに強くないから、コツって言えるようなものないんだよね……」

 

「うん」

 

「だからとにかく練習あるのみ!って感じで」

 

「うんうん……!」

 

「そうして毎日頑張ってれば、きっと強くなれるって……!」

 

「うん!」

 

 がしっ、と二人で手を取り合って顔を見合わせた。

 

「そうだよねカロル! ビビリだってヘタレだって頑張ってればいつか一人前になれるよな!!」

 

「うんっ! 強くなって、いつかナンに認めて貰えるように!!」

 

「ジェイドさんの役に立てるようにっ!!」

 

 生い茂る樹木のせいで見えないけれど、適当に当たりをつけて太陽(がありそうな方向)を見上げる。

 

 

 

「……おっさん、少年が二人いるみたいに見えてきたんだけど」

 

「はい、一生懸命なところがよく似てます!」

 

「両方ともヘタレってだけでしょ」

 

「つーかカロル先生、結局コツらしいこと何も言ってないな」

 

 はたはたと涙を滴らせながら理想の自分を思い描く俺達の背後、みんながそんなことを話していたのには、気づかなかった。

 

 



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TOVクロスオーバーⅣ

 

 

 あれから、みんなが教えてくれたことを胸に何度も術に挑戦したけど、結局一度も成功することはなかった。

 

 しかし音素を構築する負担は発動した時と変わらず体に蓄積する。

 肩で息をしながら落とした視線の先で、会った時から比べてほんの少し色を濃くし始めた森の影に気づく。

 

「あー、ちょっと疲れてきたんで休憩するわ」

 

 ふいに自然な調子でそう言いながら、ユーリが伸びをした。

 そのまま地面の上にごろんと転がった彼の姿や、それに同意して各々休息を取り始めたみんなを見て、苦笑する。

 

 一度思い切り吸った息を吐いて額に浮かんでいた汗をぬぐい、足を進めた先で、隣をいいかと聞けば好きにしろと小さく呟いたユーリの脇に腰を下ろす。

 

「ありがとう」

 

「なんの話だよ」

 

 そしてぽつりと口に乗せれば、ユーリが目を伏せたまま片眉を上げた。

 

「みんな優しいね」

 

「わけわかんねぇな。オレは自分が休みたかっただけだ」

 

 呆れたように言うけれど、駄目だよユーリ、騙されない。

 俺はそういう嘘つきをたくさん知ってるんだ。

 

「オレの好きなひと達も、みんな優しいんだ」

 

 考えるだけでこみ上げる温かな感情に、へへ、と緩みきった顔で笑うと、そこでユーリがようやく瞼を持ち上げて俺を見た。

 

 真っ黒なその目を見返して、笑みを深める。

 

「だからもう大丈夫だよ」

 

 込めた意図を瞬時に読み取った黒がかすかに見開かれたのに、これだけ長々と教えてもらっておいて何も習得出来なかった身として、申し訳ない思いで苦笑しながら頬をかいた。

 

「こんなに親切に付き合ってもらって嬉しかった、本当にありがとう」

 

「……諦めんのか?」

 

 上半身を起こしたユーリが真っ直ぐにこちらを見据える。

 俺はすぐに「いや」と首を横振った。

 

「練習は続ける。でもまたひとりでやるよ」

 

「今更一時間も二時間も変わらないだろ。第一ほかの奴らだって事を途中でほうり出したりしねえよ」

 

「平気平気。みんなに教えてもらったコツもあるし!」

 

 それに、と一度言葉を区切って、ユーリに向け微笑んだ。

 

「そんな優しいひと達に迷惑かけてまでやることじゃないって、オレの大好きな人なら絶対怒るし」

 

 彼らがどういう目的でここにいたのかは分からないけど、これ以上付き合わせてしまうのはきっと良くないことだ。

 

 協力してもらった。親切にしてもらった。

 これだけ嬉しい思いをさせてもらえば、もう十分。

 

「だから行くよ」

 

 しっかりと言いきってみせると、ユーリは小さく息をついて口の端を上げた。

 肩をすくめ、再度隣に寝転ぶ。

 

「分かった。でもこの休憩ぐらい付き合えよな」

 

「……うん!」

 

 ああ言ったもののやっぱり別れが寂しかった俺は、ユーリの言葉に大きく頷いた。

 もうちょっと、あと少しだけ、彼らと一緒にいさせてもらうことにしよう。

 

 するとこちらの会話がひと段落したのを見計らったように、大きな犬さんが俺たちに近寄ってきた。

 彼は確かラピードという名前だと、最初に教えてもらっただろうか。

 

 ラピードは、ユーリと俺の間ですとんと腰を落とした。そのつややかな毛並みをしばしまじまじと眺める。

 

 口にくわえられた煙管がなんだかニヒルで格好いい。

 もしかして吸うのだろうか。いやさすがにそれはないか。

 

 一定間隔で揺れる尻尾や、風格のある落ち着いた雰囲気に心惹かれ、おそるおそる手を伸ばしてみるが、こっちが臆病なのを察するのか犬や猫にはわりと怒られることのほうが多いので緊張する。

 

 やがて、ぽん、とその背中に俺の手が触れた。

 

 触れた瞬間だけラピードはちらりとこちらを見たが、怒ったり嫌がる様子はない。

 俺はほっと息をついて、しかし丁重に毛並みをまた何度か撫でた。

 

 そんなラピードを見てユーリが口元を緩める。

 

「めずらしいなラピード。おとなしく撫でられてるのか」

 

「この子ひとみしりなのか?」

 

「人見知り……っつーのは何か違う気がするが……。ま、わりと気難しい奴だからな」

 

 気安く触ってもらっちゃ困るって事なのか。

 なんだかそれはそれで彼のイメージに合ってて格好いいが、とりあえず今は機嫌が悪くないようでよかった。

 

「ラピードが嫌がらないのは犬好きの子供くらいだろ」

 

 撫でる手がぎくりと固まる。

 

「へ、へぇ~……」

 

 返す声がほんのちょっぴり震えた。

 まさか中身が十歳児ですとも言えない。というかさすが野生動物の勘だ。

 

 え、ていうか何、本当に?

 

 横目で窺ったラピードの青い瞳が思いがけずしっかりとこちらをとらえていて、俺は背に浮かぶ冷や汗を感じながら口の前に人差し指を立てた。

 

 ……な、内密に、お願いします。

 

 仕方がない黙っておいてやるぜと言わんばかりの大きな欠伸に苦笑していると、ユーリがふいに「なあ」と呼びかけてくる。

 

「ん?」

 

「術のことだけどな、リック」

 

「うん」

 

「エステルの言ってた事、案外 的外れでもないと思うぜ」

 

 突然の言葉に目を瞬かせて相手を見返した。

 エステルの言ってた術のことというと。

 

「……愛?」

 

「悪い、正直それはオレにもよく分かんないわ」

 

 そう苦笑するユーリに、そうだろうなぁと呟きかけて、それも失礼かと直前で飲み込む。

 しかし彼が愛や情を大っぴらに主張するタイプには思えなかったのだ。

 

 そう、簡単に表にこそ出さないけど、でもきっと、すごく優しい。

 

 それでもって面倒見が良いのも明らかだろう。

 こうして見ず知らずの俺にこれほど親身に付き合ってくれた彼らなのだから。

 

「そっちじゃなくて、もうひとつ言ってたのあったろ」

 

「もうひとつ……」

 

 

 『このひとを助けたい……救いたいって強く願ううちに、それがいつのまにか術になってるんです』

 

 

 ようやく思い当たり、ああ、と声を零した俺から目をそらしたユーリが、寝転んだ格好のまま、脇に置いてあった剣の中ほどを掴んで持ち上げた。

 

 その腕が空に向けて伸ばされる。

 

「オレが剣を振るうのはオレのためだ」

 

 零された音には何の気負いも、固さもなかった。

 森を吹き抜ける風みたいに自然な響きが、俺の中にすとんと落ちてくる。

 

「オレが生きるために、オレが勝つために、オレが守りたいって思ったもんを守るために、こいつを握ってる」

 

 途中でほんの僅かに混じった迷いさえひっくるめて、それでも真っ直ぐに吐き出される確かな意思を持った言葉。

 垣間見えるのは、臆病な俺にとって震えが走るほどの、強い“覚悟”だった。

 

「リック」

 

 ユーリの真っ黒な目が俺を見据える。

 

 ずっと目をそらしていた何かひどく恐ろしいものと向かい合わせにされたような錯覚に、ぞくりと背筋を伝うものを感じて拳を握り締めた瞬間、その黒がふいに緩む。

 

「お前はなんで術を覚えたいと思った?」

 

 持ち上げられた口の端、柔らかな声に、それまで体を覆っていた緊張が一気に霧散するのが分かった。

 代わりに自分を包んだのは、温かな何かと、大切な何かを忘れているような喪失感。

 

 なんで。

 なんで、術を?

 

「オレ……えっと、オレは、だから……」

 

 軽く混乱しながら意味をなさない呟きを繰り返す俺を、上半身を起こして隣に座ったユーリは我慢強く待っていてくれる。

 そんな姿にちょっと泣きそうになって、ふと答えに手が届きそうな気がした、そのとき。

 

 丸くなっていたラピードが起き上がり、はっと目つきを厳しくしたユーリが剣を掴み直す。

 

「エステル! 後ろだ!!」

 

 叫ばれた言葉に俺も反射的に視線を巡らせた。

 

 するとみんなから少し離れたところで咲いている花を前にしゃがみこんでいたエステルが、ユーリの声に「え?」と目を丸くする。

 

 その背後で生い茂る背の高い樹木が揺れたように見えた次の瞬間、大きな影がそこから這い出てくるのが見えた。

 

 巨大な熊型の魔物。

 

 俺がそう認識したのと、その魔物が体躯に見合った大きさの爪が付いた腕を振り上げたのは同時だった。

 

「エステル!」

 

 カロルが叫ぶ。

 

 全てがスローモーションのように見えた。

 

 みんながすぐ武器を構える姿。しかしこの距離では間に合わない。

 

 術ならば。視線をすべらせ歯噛みする。場所が悪い。リタがいるのはもう少し離れたところにある木の根もとだ。

 

 あそこからエステルの姿は見えない。視認できなければ味方識別は意味を成さない。当てずっぽうで撃つのは危険すぎる。 

 

 今この状況でエステルを助けられるとすればそれは。

 

 ざわりと首筋の産毛が逆立った。

 いつかの光景が脳裏をよぎる。

 

 アブソーブゲート。

 青い瞳。きらめく銀。震える手。動かない足。

 

 そして。

 

「っ!」

 

 その瞬間、弾かれたように体が動いた。

 

 腕を掲げる。フォンスロットを開く。

 周囲の音素をかき集めた。

 

 『どうしたんです? こんな森の奥で』

 

 困ってるみたいだとそれだけで俺に手を差し伸べてくれたエステル。

 優しい女の子。やさしくて温かい女の子。

 

 『お前はなんで術を覚えたいと思った?』

 

 思い出せ。思い出せ。

 オレはなんで譜術を使いたかった?

 

(イオンさま、アニスさんのお母さん、名前も知らないアクゼリュスの男の子)

 

 俺。そう俺は。

 みんなを。

 

(ヘンケンさん、キャシーさん、イエモンさん、タマラさん)

 

 大好きなひと達を。

 

(ジェイド、さん)

 

「狂乱せし地霊の宴よ!」

 

 “ 守りたい ”

 

「――ロック、ブレイクッ!!」

 

 ぱっと鮮やかな黄色の譜陣が広がる。

 

 しかし発動の反動で掲げていた腕が上に弾かれ、そのままバランスを崩して後ろに倒れこんだ。

 そこで後頭部を打ちつけてちょっと涙目になりながらも、すぐに起き上がって状況をみる。

 

 奇跡的なことに術は発動したようだが、大急ぎで作り上げたせいで標準は甘くなったらしい。先ほど振りあげられた腕を払いのけるに留まったようだった。

 

 あれではすぐ立て直されると気づき、ひやりと心臓が冷える。

 

「エス……!」

 

「よくやった」

 

 慌てて立ち上がろうとした俺の隣を そんな声とかすかな風の流れが過ぎて行った。

 

 目を見開いて顔を上げれば、そこに黒が見える。

 強くて真っ直ぐな背中が、あった。

 

「後はオレ達に任せとけ」

 

 こちらを振り返ることはせずに、ユーリは抜き身の剣の峰をトンと肩に当ててそう言った。

 

 オレ達、という言葉にほうけた頭で周囲に意識を向ければ、他のみんなも各々の武器を手にしっかりと戦闘体勢をとっている。

 

 さっきの一瞬の隙に立て直したらしいエステルも、細身の剣をぴしりと伸びた背で構えていた。

 

 

 そこで俺は、あれ、と思う。

 

 そして直後に始まった戦闘を見て、俺はようやく、自分の早とちりのようなものを、悟った。

 

 

 

 

 恥ずかしい。

 

 本当にいつになく恥ずかしい。

 グランコクマでルークを慰めたいと思って からぶったとき以来の恥ずかしさだ。

 

「まったくただのエッグベアのくせに驚かせないでよねー」

 

「ねー。おっさんもちょこっとびっくりしたわよ」

 

 あっさりと魔物を倒して会話を交わすみんなを少し離れたところに見て、俺はさっき譜術の反動で倒れこんだきり抜けた腰のまま地面に座り込んでいた。

 

 ついでに今は蒸気さえ出てきそうな顔を手のひらで覆っていたら、ふいに自分に影が差したのに気づいて、指の隙間からそろっと様子をうかがう。

 

「おう、大丈夫か?」

 

「ユーリ……」

 

「術のことはよく分からねえけど、さっき結構 無茶苦茶なやり方してたろ。平気か?」

 

 再度こちらを気遣う台詞を口にしてくれるユーリに感動しつつも、それ以上の困惑と恥ずかしさで俺は涙目だった。

 

「……なんていうか、うん、その……みんな強いんだなあ~って……」

 

 膝を抱えて縮こまり、消え入りそうな声で呟く。

 そうだ、あのコツ指南を受けた段階で俺は分かってたじゃないか。

 

 しかしそれをすっかり忘れて一人で大慌てしたのが自分なだけに、このこそばゆさをどこに向けるわけにも行かずはたはたと涙を滴らせる。

 というかちゃんと見ればあの魔物がさほど強くないのだって気づけたはずなのに。

 

 そんな俺の奇行にユーリは不思議そうに首を傾げたが、すぐ気を取り直したように笑みを浮かべる。

 

「リック」

 

 名を呼ばれて見れば、ユーリがひょいと片手を上げた。

 

「え? なに……」

 

「リック、こうですよっ」

 

 意図が汲み取れずに目を白黒させていると、いつのまにか後ろにいたエステルが楽しげに俺の手を掴んで引っ張る。

 エステルはされるがままに立った俺の手首に手を添えて、ユーリがしたのと同じように、肩ほどまで持ち上げて見せた。

 

 そして、それを見て喉の奥で笑ったユーリの手と、エステルに動かされた俺の手が、双方の中間でぱちんと音を立てて、当たる。

 

「やったな」

 

「助けてくれて、ありがとうございました!」

 

 俺の手を離し、くるんと愛らしく身をひるがえしてユーリの隣に並んだエステル。

 

 

 浮かべられた二人の笑顔に俺の顔はさっきとは違う意味で熱くなったが、今度は俯けることはせずに、へへ、と小さく笑みを零した。

 

 



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TOVクロスオーバーⅤ

 

 

「はっ? ここで別れるって……アンタ、迷子でしょ!?」

 

 あんまり正面切って自覚したくない自分の状況を単刀直入に叫んだリタの言葉がざくりと胸に突き刺さるも、避けて通れぬ真実には違いないので苦笑して受け入れた。

 

「たぶんそう遠くへは来てないと思うからなんとか帰るよ」

 

 遠くというか、俺はテオルの森から一歩も動いていないはずだ。

 それでここから帰れないなら多分どこへ行っても帰れない気がする。

 

 森抜けるまで一緒に来ればいいのに、と言ってくれたカロルに有難い気持ちを感じながら、ともするとその優しい申し出に転びそうになる心を叱咤して首を横に振った。

 

「なるべく早く戻らないとジェイドさんに怒られるからさ」

 

 というかもう確実に怒ってるだろうが今は考えないことにする。

 するとそれを聞いたエステルがきょとんと首を傾げた。

 

「そういえば、会った時にもその名前を言ってました。誰なんです?」

 

「オレの、上司!」

 

「そのひとの力になりたくてリックは術の練習をしてたんですよね?」

 

 そういえばカロルと話していたときにそのような事を口走ったかもしれない。

 

 譜術が成功していたとき、成功しなくなったとき。思えばあの時点で俺の答えは出ていたわけだ。

 たどり着いてみればあまりにあっさりとした結果に頭をかいた俺の正面、エステルがにっこりと愛らしい笑顔を浮かべた。

 

「きっとそのジェイドさんって、良い人なんですね!」

 

「……そ、…………」

 

「そんなこともないみたいだぞエステル」

 

 思わず詰まればユーリが少し意地の悪い笑みでそう続ける。

 頬を伝う冷や汗を感じながら、慌てて言葉を探した。

 

「いや! その! 良いひとかって言うと、なんというか、あれだけど、」

 

「あれって何よ」

 

 半眼で聞き返してくるリタに引きつった笑みを返した後、俺はひとつ息をついて、うん、と頷いた。

 

「オレの大好きなひとだよ」

 

 それを聞いたユーリは冗談まじりに ぱちりと片目を瞑って笑う。

 

「それを聞けりゃ十分だ」

 

 身体の後ろにしなやかに腕をまわしたジュディスが、そうね、と同意する。

 

「そのひとは善人ではないのかもしれない。でも、少なくとも悪いひとじゃないみたい」

 

「だね。リックがこんなに嬉しそうに言うんだもん」

 

 カロルが、子供らしい笑みを浮かべながら鼻をこすった。

 そんな彼らの姿を見渡して俺も笑う。なんだか、大好きなひとがまた増えそうだ。

 

 

 名残惜しいけれど、それでも別れの時は来る。

 俺には俺の帰る場所があるように、彼らにも彼らの行くべき場所があるのだから。

 

「じゃあな、リック」

 

 先に話をしておいたユーリはそう言って口の端を上げただけで、背を向けて歩き出す。

 

 そのピンと伸びた背中と俺を見比べたエステルは、少しだけ心配そうに眉根を寄せたけど、すぐにあの柔らかな笑みを浮かべて、また王女様みたいな綺麗なお辞儀を見せてくれた。

 

「……お元気で!」

 

 ユーリの背を追ってエステルも歩き出し、ラピードが俺の横をすり抜けていく。

 わふん、と小さく零された声が、あの事は内緒にしとくぜ、と言っていたように聞こえた。

 よろしくお願いしますと口の中で呟いて笑う。

 

 彼らに続こうとして、俺の前で足を止めたカロルがふいに片手を上げた。

 

 先ほどエステルに教えてもらったのを思い出し、小さく笑って、その手に自分の手を打ちつければ、ぱちっと景気のいい音がする。

 

「じゃあね。術の修行、がんばってよ!」

 

「うん、カロルも!」

 

 追いかける存在がいる者同士のシンパシーか、なんだか彼とは他人の気がしなかった。ヘタレ同盟でしょ、というリタの声をしたツッコミが頭の奥から聞こえたけど、とりあえず黙殺してみる。

 

「迷子が遭難にならないように気をつけてね」

 

「……うんジュディス。かなりシャレにならないから本当に気をつけるよ……」

 

 ふふ、とどこかジェイドさんにも似た読めない笑みを浮かべたジュディス。

 それでも声色に込められた感情はしっかりとこちらの身を案じてくれるものだった。

 

「さておっさんも行くかね」

 

 艶やかな背中が木の葉の向こうに消え、今度はあくび混じりにそう零したレイヴンが俺にひたりと視線を合わせる。

 

 その瞬間、なぜか反射的に背筋を伸ばしてしまい、あれ、と首を傾げる俺を見てレイヴンは今まで通りの気の抜けた顔で笑って、ひらひらと手を振り歩き出した。

 

「ま、どこの隊か知んないけど、頑張ってね~」

 

 その言葉に目を丸くする。

 

 軍服のままで譜術の連続失敗なんて恥ずかしい事してたらそれこそ怒られそうだったので、練習のときはいつも私服でテオルの森まで出ていて、今日もまたしかり、だったのに。

 ……俺、軍人だって言ったかなぁ。

 

「ちょっと」

 

「え!?」

 

「何驚いてんのよ」

 

 考え事の最中に話しかけられて意識を引き戻せば、目の前には俺を睨み上げるリタの姿。

 なにか怒らせることをしただろうかと慌てる中、リタは眉間にしわを寄せ、おもむろに口を開いた。

 

「アンタがさっきエステル守るのに使った術だけど」

 

「う、うん」

 

「今まで見せてもらった中でいっちばん雑だったわ」

 

 半眼で吐き捨てられた評価にぎくりと肩を跳ねさせる。

 必死だったとはいえ確かにあれは自分で考えてもひどかった。

 

「術式ガタガタ、エアルは不安定、詠唱も固くなりすぎ! あれで暴発しなかったのが不思議なくらいよ!!」

 

「はい……」

 

 返す言葉も無くうな垂れる。なんだか気分は兵士学校時代。

 あのころも剣技以外ではよく怒られたものだ。いや、正直剣技でもビビリ過ぎでよく怒られていたが。

 

「でも、ま、合格ね」

 

 思考の合間に零された音に、目を見開いてリタを見返す。

 すると彼女は視線を泳がせながら、どことなく赤らんだ頬でぽつりと呟いた

 

「エステル助けてくれて……その、ありがと、リック」

 

 口を閉じるのも忘れた間抜けな顔で止まった俺に、いよいよ真っ赤になったリタがギッと目を吊り上げて踵を返す。

 

「そ、そそそそれだけよ! じゃあねっ! 好きに遭難でも何でもすればいいじゃない!」

 

「えっ、あっ、それはちょっと!!」

 

 だからシャレにならないんだって。

 

 言うが早いか足音荒く遠ざかっていく小柄な背中。

 ジェイドさんみたいだというには素直で、“ルークさん”のようだというにはちょこっと大人の顔をした、可愛い女の子。

 

「リター! オレがんばるからーっ!」

 

 口の脇に両手を添えて簡単な拡声器代わりにしながら、もうかなり遠ざかった後ろ姿に叫ぶと、リタがぴたりと足を止めた。

 それから数秒間、何か思案するような間があった後、勢いよく振り返った彼女はやっぱり真っ赤だった。

 

「術の練習っ! サボったりしたら承知しないからね!」

 

 こっちに人差し指を突きつけてそう怒鳴ったリタは身をひるがえして、今度は軽く走るような歩調で一気に遠ざかっていく。

 

 それを見て、あはは、と思わず零した幸せな笑い声が森の中に響いた。

 しかしそれが途切れた後 襲いかかってきたどうしようもない静寂に、俺ははたと我に返る。

 

 そうか、これから一人なんだ。

 ジェイドさんが聞いていたなら何を今更と呆れられそうなことを考える。

 

 さっきまで賑やかだっただけに余計この風と葉擦れの音しか聞こえてこない今がきつい。

 それも普段なら心安らぐ音楽代わりなはずだけど、おそらくは見知らぬこの森においてそれらは不安を助長する材料にしかならなかった。ぶっちゃけ寂しい。

 

「……だ、だいじょうぶ、大丈夫だ。オレはテオルの森を出ちゃいないんだから、き、きっとここはちょっと奥なんだ……」

 

 軍の野外訓練で来た時にもこんな場所無かったという記憶は、今のうち忘却しておく事にする。

 

 とりあえずここでじっとしていても何も始まらないし怖い。

 動かなければと頭の端で考えるも、まさに右も左もわからないこの状況でどう動けばいいのだろう。

 

 右を見てみる。

 数メートル先を見通す事も出来ないほど生い茂る樹木。

 

 左を見てみる。

 同上。あ、黄色のお花が咲いてる。

 

 後ろ。

 さっきユーリ達が行ったほうだ。 すでに影も形も無い。

 

 ついでに上。

 ぎゃあ、ぎゃあ、と鳥型の魔物が立てる物騒な声。

 

「…………」

 

 ひとつ息をのむ。

 

 少しの逡巡の末、足に力を込め、地を蹴りあげた。

 もういっそ一気に駆け抜けてしまったほうが怖くないだろう。

 

 というかもう怖い。ほんと怖い。泣きそうだ。

 全力疾走のせいで弾む呼吸の合間、涙の滲む目を一度 強く瞑った。

 

 瞬間。

 

 すかっと足が宙をかく。

 

 そのことに疑問を覚えるより先に、視覚から入ってきた情報が背筋を粟立たせた。

 前方がほとんど確認出来ないほど生い茂った植物。

 

 その向こうは、崖でした。

 

「……ジェ、」

 

 ひくりと口元が引きつる。

 

「ジェイドさぁああああんー!!」

 

 そんな悲鳴だけを空に残し、俺の体は、真っ逆さまに落ちていった。

 

 

 



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TOVクロスオーバーⅥ

 

「なんですか」

 

 耳に届いた淡々とした声に、ぱちりと目を瞬かせる。

 

 視界に映るのは鬱そうとした緑ではなく、屋内の、なんとなく見慣れた天井。

 二度三度と瞬きを繰り返してもそれは変わらなかった。

 

「……はれ?」

 

 半端に裏返った情けない声が喉から絞り出された。

 なんだか号泣していたらしく湿った顔を袖で拭いながら、自分の置かれた状況を確認しようと思考を巡らせる。

 

 ゆっくりと身を起こせば、申し訳程度にかぶせられた毛布がはらりと落ちた。

 それを拾い上げる俺が横になっていたのは、ふかふかのソファ。

 

 見慣れた窓と、本棚。

 そして、さっきの、声。

 

 恐る恐る背後を振り返る。

 

「ジェイド、さん?」

 

 執務机に座る上司は、頭痛を堪えるようにこめかみに指を置いていた。

 深いため息が零れる。

 

「寝ててもやかましいですねぇ。森が森が、愛が愛が、あげくの果てに人の名前を大音量で」

 

「あ、あの、ジェイドさん。 オレなんでここで……?」

 

 毛布を軽く掴みあげながら聞くと、彼は「何で?」と俺の問いを復唱して、眉間の皺をぐんと深めた。

 自分がソファの上と知りながらも気持ち的に後ずさろうと体を傾がせる。

 

 ジェイドさんは書類を書いていた万年筆を置くと、机の上に肘を立て、組んだ手の上に顎を乗せるように体勢を整えた。

 あれは俺が幾度となく見た怒られる時の構えだと気づき血の気が引ける。しかも今日はまた一段と機嫌が悪い。

 

「貴方はテオルの森で倒れていたのを、たまたま見回りに行った衛兵に発見、回収されたそうです」

 

「テオルの森……」

 

「そこから医務室に回されたわけですが」

 

 話を聞きながら、ようやく脳に血液が回って頭が働くようになってくるも、この状況を打破する名案は浮かんでこない。というか今回は俺が全面的に悪い。

 

 そこで大佐が今までの顔つきを一転、きらっきらの笑顔を浮かべた。

 

「へっぽこ兵士が執務をサボるとは良い度胸ですねぇ」

 

 一言一句……!

 

 いつかの予想がそのまま現実になった言葉に、二の句も継げずソファの上に正座して縮こまる。

 

 しかし医務室に運ばれたはずの自分がどうして大佐の執務室で寝ていたのだろう。

 そんな疑問を俺が口に出すよりも早く、大佐が肩をすくめた。

 

「怪我の治療が済んだ以上、ただ寝ているだけの人間に貸してやる寝台は無いそうで」

 

 医務室から強制退去させられた俺を、他の兵士たちがそんな医務室長の言伝と共に運んできたのだという。

 

 ハハハお断りしたのですがねぇと笑う大佐。冗談でなく本当に断ったんだろう。うん、そういう人だ。

 しかし受け取り拒否されたはずの俺が今ここにいる事も、またひとつの答えであるに違いない。

 

 うへ、と締まりなく笑った俺を見て呆れたように目を細めた大佐だったが、ふいにまた視線を厳しくして眼鏡を押し上げた。

 

「譜術の練習をしていたそうですね」

 

「え!? あ、いやぁ……」

 

 単なる練習ならさておき失敗しかしてない練習なんて、譜術を教えてくれた人の目を見て言えるわけもない。

 

「おおかた練習中に音素の調節に失敗したんでしょう。 周囲に極めて小規模な爆発の跡があったと聞きましたが?」

 

 もごもごと言葉を濁すも、大佐はすでにお見通しだったらしい。

 

 ここのところ休憩のたびに抜け出す俺や、俺を回収してくれた兵士と医務室からの報告も合わせて、たぶん当事者である俺が話すより真実に近い結論を弾き出していたようだ。

 

 そうか。

 あの時、テオルの森で術に失敗したんだ。

 

 でも、それじゃあ――。

 

(まさか、夢?)

 

 いくつかの顔が脳裏に浮かんで消える。

 知っているはずの森の見知らぬ場所で会った、優しいひと達。

 

 全部夢だったのだろうか。

 ほうけた気持ちで視線を膝の上に落とした俺は、そこに乗る自分の手を見た。

 

 緩く握り締めた手のひら。

 

 その奥に残る、人のぬくもり。

 

 じわりと浮かんできた温かい気持ちに目を細めたとき、ふいに物音が聞こえて顔を上げた。

 そこにはいつの間にか近くまで来ていた大佐。

 

 ソファに正座しているせいで自然と見上げる体勢になる中、その手がゆっくりと持ち上げられて、俺のほうに伸ばされる。

 

 大佐が静かに眉をひそめた。

 

「まったく、貴方は……」

 

 言いながら、そっと頬に添えられた右手。

 本当に心配してくれてたんだと目頭を熱くしたのも束の間、今度はその手が、全力で俺の頬を引っ張りあげた。

 

「ういひひは!!」

 

「集める音素の量とフォンスロットの調節は慎重にしなさいとあれほど言ったでしょう?」

 

「ちひれる! 皮がちひれますジェイドさん!!」

 

 顔は笑顔で声も穏やかなのにこの指先に込められた力と言ったらない。

 本当に俺のほっぺたが顔とさよならしそうですジェイドさん。

 

 泣いて騒いでギブギブと地面の代わりにソファを叩いて、ようやく手を離してくれた。

 ひりひりと痛む頬を涙目でさすっていると、ため息と言うには少し軽いものが耳に届く。

 

「譜術のことで行き詰まっていたのならそう言えばいいんですよ」

 

 颯爽と俺に背を向けてまた執務机についた大佐は、万年筆を手に取りながら片眉を上げる。

 

「私だって鬼じゃありません、教えを請う相手のために一時仕事の手を止めるくらいします。まあ最高に面倒くさいには変わりありませんが」

 

 そんな貴方が大好きです。

 

 赤の目は言葉通りめんどくさそうだった。

 でもそらすことなく向けられた視線に、俺は口がまたもにょりと緩みかけるのを感じて、顔を俯ける。

 

 まずい、早くひっこめないと何笑ってるんですかとまた怒られてしまう。というかそろそろ仕事に戻らないと。

 

 立ち上がり、掛かっていた毛布を畳んでいる途中にふと思いついて、俺は毛布を左腕にかけたまま執務机に歩み寄った。

 

「ジェイドさん、ちょっと手あげてみてもらってもいいですか?」

 

 怪訝そうに目だけでこちらを見上げながらも、おもむろに掲げられたその手に、俺はぺちんと自分の手を打ちつける。

 

「……何なんです?」

 

「へへー」

 

 唐突な事にジェイドさんは少しの間 眉をひそめていたけれど、おそらく締まりない顔で笑っているのだろう俺を見て、やがて小さく息をついて、苦笑した。

 

 

 




きらきらひかる終幕。

がむしゃらにやってた時には出来たことが、少し周りが見えるようになってくると出来なくなったりする。
理屈で考えすぎて譜術が使えなくなってたリックの話。


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レプリカ編
もしもリックが裏切ったら……?


 

 

 純白の雪が降りしきる。

 皮膚を刺すような冷気が立ち込めるこの場でひとり空を仰いでいた男は、背後から聞こえた複数の足音にゆっくりと目を伏せ、またすぐに持ち上げた。

 

 ぎしりぎしりと雪が音を上げる。

 それがなぜか悲鳴のように聞こえて、そう考えた己を笑いながら、振り返った。

 

 吹きすさぶ吹雪の向こうに見えた予想通りの人影に、苦笑して僅かに首を傾げる。

 一番前で立ち尽くしていた赤毛の青年が辛そうに表情を歪めて男の名を呼んだ。

 

「リック」

 

「さすが雪山っていうか、寒いよなぁ。待ってる間に凍死するかと思った!」

 

 冗談めかして笑いながら、翠の瞳を見返す。

 

「ルーク」

 

 唇を噛んでリックから目をそらしたルークの代わりに、きつく眉間にしわを寄せたガイが言葉を紡ぐ。

 

「ああ、本当に寒すぎだ。……お前がヴァンにつくなんてな」

 

 その言葉に笑みを消し、目を細める。

 深く息をつきながら見上げた空は、相も変わらず歪な灰色をしていた。

 

 雪の粒がひたりと頬に当たり、水に変わって伝い、落ちる。

 

「この世界は」

 

 リックは巡らせた視線をある一人に向けた。

 全体の少し後ろ、先ほどから射るようにこちらを睨む一人の男。

 

 赤の瞳をいつになく険しい色に染めた、その男に。

 

「この世界は、あなたに責任ばかり負わせる」

 

 それを聞き眉を顰め、ジェイドは一歩前に進み出てまた強くリックを睨んだ。

 

「責任とは誰かに負わせられるものではなく、己が認めて背負うものです。私や、ルークを傍で見てきた貴方が、それを一番知っていると思ったのですが、ね」

 

 言いながらその腕を一振りすると、手の中には銀の槍が現れていた。

 ジェイド、と戸惑うように名を呼ぶルークの声が吹雪に紛れる。

 

「はい、ジェイドさん。オレは知っています」

 

 続けてそっと剣の柄を握ったリックに、この冷たい空気とよく似た鋭く細い緊張が、両者の間に広がっていく。

 

 ガイがいつでも剣を抜ける構えを取り、ティアが静かにナイフを取り出した。

 それを視界の端に見ながら、リックは乾いた笑みを零す。

 

「知っています。その人が負える以上の責任を、負う必要のない責任を、勝手に押し付けていくこの世界を」

 

 誰が、ではない。

 もう世界自体がそのような形になってしまっているのだと男は続けた。

 

 預言を順守することを美徳とし、思考さえ止めることは、どれほど恐ろしいことだろう。

 自分達には、ひかれたレールがどこに向かっているかも分からないのに。

 

 ぽつりぽつりと紡がれる言葉に滲むのは、恐怖と、怯え。

 

「この世界はあなたに辛いばかりじゃないですか」

 

 リックが鞘からゆっくりと剣身を引き出していく。

 

「だったら、」

 

 そして抜き出した剣先を静かに地面へ下ろすと、僅かに伏せていた目を、ぴたりとルーク達のほうへ定めた。

 

「こんな世界、“俺”は いりません」

 

 雪山に響く確かな声色に、ジェイドが息をつく。

 

「本気なんですね」

 

「ねぇジェイドさん、どうしてもレプリカ大地計画には賛成しないんですか?」

 

 それこそ十歳児のように幼い物言いで問う男の目は、似つかわしくなく落ち着いた色をしていた。

 

「もちろんです」

 

 しかしどこか揺らぐ目を真っ向から見返して、ジェイドは断言する。

 瞬間、リックが少し歯を食いしばった。

 

「……そうですか」

 

 真っ白な世界にぽつんと落ちた言葉は、底のない闇色を思わせた。

 

 ゆるゆると剣先が掲げられていく。

 それはやがて、真っ直ぐにジェイドへ向けられた。

 

「じゃあ、あなたのレプリカ情報を抜き取って、レプリカを作ります。そうして俺は、新たな世界で新たなあなたと生きましょう」

 

 言いながらみぞおちの位置まで落とされた柄に、もう片方の手が添えられる。

 

「だから、“あなた”はいらない」

 

 半身引いて、リックが戦う姿勢をとると、ジェイドは微かに眉を顰める。

 

「――馬鹿な子だ」

 

「行きます」

 

 強く地面を蹴り出したリックを見て、全員すぐに構えを取る。

 

 ルークが泣きそうな顔をしているのを視界の端におさめながら、ジェイドも詠唱を始めた。

 己が創り出してしまった愚かな子供に、己の手で、決着をつけるべく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さく、と軽い音を立てて、持ち主の手から離れた剣が真白の雪に埋もれた。

 足を止めたリックが、小刻みに肩を震わせている。

 

「…………~~~っ」

 

 そして。

 

「うわああんジェイドさんジェイドさんジェイドさぁあんー!! ごめんなさいー! 要らなくないですごめんなさいー! だから死んじゃヤですぅう~!!」

 

 驚異的な瞬発力でジェイドに飛びついたリックに、誰のものともつかない溜息がそこかしこから聞こえる。

 あまりの勢いに数歩よろめいたジェイドは、その頭をがしりと抑えて引き剥がそうとしながら青筋付きの笑顔の下に口を開いた。

 

「……これでテイクいくつだと思ってるんですか?」

 

「だってジェイドさぁん!」

 

「だからちょっと頭を冷やしなさい。芝居なんですよ、芝居」

 

「芝居でもなんでも無理ですー! オレにはできません~っ!」

 

 ジェイドにひっついたままイヤイヤと泣きながら首を横に振るリック。

 それを遠巻きに見る仲間たちが小さく息をついた。

 

「やっぱダメそうだな」

 

 そう言ったガイが苦笑する。

 ティアも困ったように笑いながら、そうね、と相槌を打った。

 

「いっそ逆にする? 己の好奇心を満たすためにヴァン総長に寝返った大佐! 科学者にとって研究という欲求の前にはどんな説得も無意味だったのだー、とか」

 

 立てた人差し指をぷいぷいと振りながらアニスが言うと、腕を組んだルークがうぅんと唸り声を上げて考え込む。

 

「それだとまたリックが『ジェイドさんとは戦えません!』って同じ結果にならないか」

 

「あら、それならいっそ、リックもジェイドも寝返ったことにすればいいのではなくて?」

 

 深緑の瞳をきょとんと丸くさせたナタリアが首を傾げる。

 

「今度はルークとは戦えないって泣き出すかもな」

 

「あー、そっか」

 

 ガイが再度 息と共に吐きだした言葉に、ルークもまた小さく唸って頭をかいた。

 そしてくるりと背後の喧騒をかえりみる。

 

「なあジェイドー、今度はなんにする?」

 

「……なんでもいいからこのバカを引っぺがしてください」

 

「ジェイドさぁあん~!!」

 

 ロニール雪山奥地にて。

 リックの上げた声に反応して雪崩が起きる、数秒前。

 

 

 




深く考えてはいけない。


>裏切リック
崩落編ラストでリックが恐怖に立ち向かえていなかったら、レプリカ編でこうなっていたかもしれない。そんなもしもの話。


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さいしょのレプリカ編
少年と雪


幼少あの人とリック。たとえばのもしも。



 

 

 ケテルブルクの街並みを肺が熱くなるまで全力で駆け抜けて、辿り着いた広場には、時間が時間だからか人影はまるで無かった。

 それを幸いと俺はそのど真ん中に両手で顔を押さえてしゃがみ込む。ああもう顔が熱い。

 

 頼ってほしくて、力になりたくて、認めてほしくて、それで相談までしてほしいなんて。

 

「よ、欲張りにも程がある、だろ、オレ……」

 

 ついでにそれをルークにまで愚痴ってしまった辺りがまた恥ずかしい。言語中枢に至ってもホント最近 正直になり過ぎだ。駄々漏れにも程がある。

 

 勢い余って涙ぐみながら膝に額を押しつけた俺の耳に、ごうと強まる風の音が届く。

 同時に頬を打つ雪の感触に、吹雪いてきてるぞ、という別れ際のルークの言葉を今更ながらに実感した。

 

 ……ケテルブルクで遭難、っていうのはさすがに情けなさすぎるかもしれない。

 そんな事になろうものなら大佐に失笑されること必至だ。ていうか失笑で済めばいいが。

 

 あの勢いで飛び出した手前の戻りづらさはあるけど、仕方ない、と顔を上げた。

 

 瞬間。

 後頭部に鈍い衝撃。

 

 顔面から地面に為すすべなく突っ伏した。

 幸い降り積もった雪のおかげで激突の痛みこそ無かったが、代わりに露出した皮膚がもれなく冷たすぎて痛い。

 

 涙目で後頭部をさすりながら体を起こす。

 すると頭からほろほろと雪の粒が落ちてきて、ぶつかったのはどうやら雪の塊だったらしいと気付いたとき。

 

「おっ、人間だったか!」

 

 夜の静けさを弾くように響いた軽快な声に、目を丸くして振り返る。

 慣れた調子で雪を踏みしめながらこっちに駆け寄ってきたのは、金の髪をした少年。

 

「悪い悪い。あんまり動かないから新手の雪だるまかと思って確かめてみたんだ」

 

「え、あ、いえ……ど、どうも……?」

 

 それなら雪玉をぶつける、の何手順も前に、声を掛けるとか肩をたたくとかあるんじゃないかという疑問は、色々と突然すぎて混乱した頭には残念ながら浮かんで来なかった。

 

 すぐ隣にやってきたその少年が、座り込んだままの俺の頭に残る雪を軽く払う。

 

 その後に差し出された手。

 お礼を言ってそれを掴み、あまり体重を掛けないように立ち上がる。

 

「それでお前はこんなとこで、雪だるまの真似で何してたんだ?」

 

「別に真似してたわけじゃ……君は?」

 

 先ほどまでの自分の状況について一口には答えかねて問い返したが、彼は特に気を悪くした様子もなく、にかりと笑った。

 

「俺はここで待ち合わせしてんだよ」

 

「もうだいぶ時間が遅いけど」

 

「バカ言うなよ、これからが子供の時間ってやつだ」

 

 真顔で言うものだからうっかりそんなものかと納得しかけてしまう。

 何だか持論に妙に力がある子だなぁ。でもここまで言うんだから物凄く近所の子なんだろう。よそから来た俺なんかよりずっとケテルブルクには詳しいはずだし、大丈夫か。

 

「お前さ、雪だるまやってるくらいだしヒマだろ」

 

「断定?」

 

 しかし否定できないところが哀しい。

 

「あいつら来るまで暇つぶしに付き合えよ。俺はフランツ、お前は?」

 

「……リック」

 

 俺が答えたときにはすでに小さなベンチがあるほうへ歩き出していた少年――フランツは、その途中で肩越しに俺を振り返り、青い目を細めて「良い名前だな」と笑った。

 

 

 

 

「で、リックはここで何してたんだ」

 

 うう。忘れてなかったか。

 

 上に積もった雪を払って座ったベンチはそれでも水がしみて冷たかったが、今はそれより俺の肝のほうがよっぽど冷えている。

 

 別に秘密にしなきゃいけない事じゃないけど、どこからどこまで話したらいいのかがさっぱりだ。

 だが隣から突き刺さり続ける視線。弱ったなぁと眉尻を下げて笑った。

 

「そうだなぁ、例えば」

 

 ぼやかすつもりなのが丸わかりの切り出しにちょっと片眉をはねさせたフランツだったが、ごめんと言う代わりに苦笑を返せばひとつ息をついて続きを促してくれた。

 

「例えばフランツの友達……大切な友達が自分の知らない事で悩んでて、だけど自分には何も言ってくれなかったときにさ」

 

 ふと、揺らぐ赤色の瞳が脳裏をよぎる。

 我知らず目を眇めた。

 

「自分がその“知らない事”を知っていれば、何か違ったのかなって思うだろ」

 

 “ネビリムさん”の事を、俺がもっと知っていたならば。

 あのひとは俺に辛さを見せてくれるだろうか。

 

「思わない」

 

「な? だからさ、――……へ?」

 

 当たり前のように零された言葉を思わず流しかけて、目を丸くした。

 するとフランツは何を驚くのかと不思議そうに首を傾げる。

 

「誰にでも言いたくない事の百や二百は余裕であるだろ」

 

「いやそれは多い……」

 

「いくら仲よくしてたって、どうしても開けられない蓋はある。何でも話せなきゃ友達じゃないってのはハナから無茶な話だよ」

 

 ぴしりと人差し指を俺に向けたフランツは、俺よりずっと大人の顔をしていた。

 

「ただなぁリック。すごいこと教えてやろうか」

 

 真っ直ぐにこちらを捉える青に俺が息をのんだ瞬間、その表情が明るく崩れる。

 

「なんにも知らなくてもな、俺達は友達になれるんだ!」

 

 したり顔で笑うフランツを見て、肩の力が抜けた。

 同時に気も抜けたついでの笑いがこみ上げてくる。また俺は焦りすぎだったみたいだ。

 

「……あー、そうだ……そうだった」

 

 自分は何も知らないから相談に乗ってあげられない、なんて、とんだ言い訳。

 

「癖って中々直んないものなんだなぁフランツ」

 

「何だいきなり」

 

「誰かに責任を押しつけて逃げるのは、止めたはずだったんだけど。まったくオレは油断するとすぐこれだ」

 

 嘆くように片手で額を押さえながらも口元を緩めた俺を、少しの間まじまじと眺めたフランツも肩をすくめて、また笑った。

 

「よく分からんがお前の知り合いにも随分面倒くさいのがいるんだな」

 

 言って、少年は軽い掛け声をかけながら勢いよくベンチを立つ。

 

「俺の友達にもそんな奴がいるぞ。無愛想で仏頂面で、辛いだとかなんだとか何も言わん」

 

 冷たいとか性格悪いとか優しさ生産工場が建設放棄されてるとか、立て板に水のごとく罵倒しつつも、それを口にするフランツの横顔がすごく楽しげだったから。

 彼と顔も知らない彼の友人はきっと、年を重ねて、大人になっても、変わらず友であるのだろうと、何の根拠もないのにふとそう思った。

 

「にしても、すごい友達だなぁ」

 

「だろ。とにかく無駄に頭はいいヤツだから、自分の考えを他人なんかに話しても仕方ないっつーところだろうが……」

 

 ちょっと不満げにがしがしと頭をかいたフランツは広場の中心に向かって数歩進んで、雪に刻まれた己の軌跡を振り返るようにこちらを見た。

 

「ただ、ここが少し面倒なところで、本当にたまに、稀に、極稀に、億に一くらいの確率の、例外なんだが」

 

 今度はどこか愉快そうに緩められた青。

 

「心配させたくないから言わない、ってのもある」

 

 周囲で風が鳴る音が聞こえた。

 吹き付ける雪の多さに、思わず目を細める。

 

 さすが雪国育ちで慣れているのか、この吹雪にもちっとも動じない様子で、フランツが腰に手を当てて胸を張った。

 

「まぁ兆に一だがな!」

 

「さっきから聞いてると関係ないはずのオレが何故か泣きたくなるくらい確率低そうなんだけど」

 

「そういう事もあるってのだけ覚えときゃいいんだよ。……おっ、あいつらやっと来やがった」

 

 弾んだ声でそう言ったフランツに自分も同じ方向へ目を凝らす。

 降りしきる白の向こう側、僅かな人影がふたつばかり窺えた。だけど吹雪は性別すら分からないほど強まってきている。

 

「後は、そうだな」

 

 眼を開いている事も困難になってきた世界を、彼はまるで気付いてもいないような軽い足取りで、また数歩先に進む。

 

「相手が話してくるまで待ってやれ。それが出来るのが男ってもんだぞ」

 

 なあリック、と昔からの友人みたいに俺を呼んだフランツが、ふと真剣な顔つきになったのがかろうじて見えた。風がさらに強くなる。

 

「あのなリック」

 

「え?」

 

「俺の名前さ、ほんとは」

 

「ごめん、ちょっと風の音で聞こえづらくて……フランツ?」

 

 真っ直ぐに俺を捉えた青い目。

 風になびく金色の髪が、少しずつ白にまぎれていく。

 

「リック、あのな、俺の本当の名前は……――――」

 

 ごう、と渦を巻くような風の音が響いた。

 視界が真っ白に埋まり、俺は思わず目を瞑る。

 

 そして。

 

「――…………」

 

 次に開いた視界に映ったのは、静かに舞い散る雪。

 

「あれ?」

 

 今の今まであれだけ吹雪いていたのに。

 

 きょろきょろと辺りを見回す。

 分かるのは、誰もいない広場のベンチにひとりで腰を下ろした俺がいること。

 

「……フラン、ぁいてっ」

 

 つい先ほどまで傍にいた唯一の人間の名を呼ぼうとした瞬間、ごつりという鈍い音と共に後頭部へ走った衝撃。

 僅かに前へ傾いだ頭を引き戻す勢いで真上に顔を向ける。

 

「あ、ジェイドさん!」

 

 するとそこには、拳をグーの形で持ち上げたままの大佐がいた。

 さっきのは大佐の裏拳だったらしい。彼の人はそっと溜息をついた。

 

「何をやってるんですか貴方は、とケテルブルクに来るたび私にこれを言わせるつもりですか」

 

「ネフリーさんとお食事に行ってたんじゃ……」

 

「とっくに行ってきました」

 

 それでケテルブルクホテルに戻ろうとしたところで、広場の片隅にあるベンチでぼけっとしている俺を見つけたのだという。

 

「さて、風邪を引かないバカでも凍死なら出来るかもしれませんよ?」

 

「帰ります帰ります!! 一緒に帰らせて下さい!」

 

 にっこりと笑顔で告げられた言葉に慌てて立ち上がった。大佐と一緒に帰れる、なんていう機会を逃してなるものか。

 言うが早いかさっさと身をひるがえして帰路についた大佐を追いかける。

 

 その途中で俺は一度だけ足をとめて、広場を振り返った。

 

 ベンチに積もった雪に残る一人分の痕跡。

 体に残った不思議な感覚。

 

「…………」

 

 そんな空気を断ちきるように顔を戻すと、少し先で足をとめて、肩越しにこちらを見る赤色の瞳とかちあった。

 

 それはすぐにそらされてしまったけれど。

 歩みを再開した後ろ姿を見ながら、俺はこの上なく幸せな思いで苦笑した。

 

「待って下さいよ、ジェイドさーん!」

 

 





「お前の名前はリックだ」


(良い名前だろう?)
そう言って彼は、青い目を細めて笑った。


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TOVクロスオーバー続編Ⅰ

ユーリ視点


 

 

【 さらさらゆれる 】

 

 

 

 

 木々のさざめきに引きずられるように瞼を押し上げれば、各自好きな場所で眠りにつく仲間達の姿が視界に映る。

 そこに何の異常もない事を確認して、己の右腕を枕にするように体を横たえていたユーリはごろんと仰向けに転がった。

 

 葉の隙間から垣間見える空はやや白み始めていたが、夜明けまではまだしばらくありそうだ。

 元々深い眠りにつく性質ではないとはいえ、これほど早く目が覚めるのもめずらしかった。試しにもう一度瞼を落としてみたが、数分経っても寝なおすどころか、まどろむ事さえ出来やしない。

 

 近くで寝ているカロルから何やら聞きとれない寝言が零れたところで、ユーリは諦めて身を起こした。がしがしと雑に頭をかきながら立ち上がる。

 

 するとちらりと片目を開けてこちらを見たラピードに、ちょっと顔洗ってくる、と潜めた声で伝えれば、相棒は何も言わずにまた目を伏せた。

 

 

 今日の野営場所から程近くを流れる小川。

 そこのへりに立って大きく伸びをしたユーリは、その流れで朝と夜を半々に蓄えた空を仰いだ。

 

 朝に飲み込まれていない部分にまだ見える星を見つけてほんの僅かに口の端を持ち上げた後、顔を洗おうとその場で片膝をつく。

 すると体勢を整えようとついた右手が、ふと小石か何かで滑ったのか、ひざ丈にも満たない浅い川の中へ控えめな水音と共に浸かった。

 

 冷たい流水の感触。

 あっと声を上げるほどでもない、ささやかな出来事。

 

 それだけだった、はずだろう?

 

 

「…………あ?」

 

 

 流れる水の音。

 活気に満ちた人々の声。

 

 見知らぬ街中にひとり立ち尽くす、自分。

 

 意識が自分を取り巻く世界から逸れたのはほんの一瞬。そのほんの一瞬で、あまりにも劇的に移り変わった景色。

 さすがに理解出来ずに瞠目するユーリの前を当然のように通り過ぎていく沢山の人々。

 

 その中から、ちょうど目の前に通りがかった女性をユーリはとっさに呼びとめた。

 

「なぁ、ちょっと聞いてもいいか」

 

「はい?」

 

 見知らぬ男に突然声を掛けられたにも関わらず、足を止めた女性は人懐っこそうな笑顔を浮かべて首を傾げる。

 

「ここはなんて街なんだ?」

 

「あら、旅人さんなのね」

 

 彼女は明るく両手を打ち合わせて笑みを深めた。

 

「ここは水の都グランコクマ。美しい街よ、楽しんでいってね」

 

 そう言って小さく手を振りながら去っていった彼女の背が人波の向こうに消えたところで、腰に手を添えて息をつく。

 

「…………どこだよ、それは」

 

 めずらしくも頭を抱えたいような気持ちで、ユーリは半ば呆然と、目の前に広がる活気溢れた街並みを眺めた。

 

 

 




さらさらゆれる開幕。

子は親の鏡みたいな感じで国民もある程度は王様の鏡なので、例の陛下のもと基本的にグランコクマ民も明るく懐っこく育ってればいい。


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TOVクロスオーバー続編Ⅱ

ユーリ視点


 

 川に手をついて、気が付いたら街の中。

 

 何だソレ明らかに繋がってないだろうが、とぼやいたところで、誰が答えをくれるわけでもない。

 

 見事な噴水が設置された広場の片隅。

 街の賑わいに背を向ける形で欄干に肘をついたユーリは、目の前に広がる水の流れを見下ろして、小さく息をついた。

 

「まったく……わけわかんねぇ」

 

 例えばここが魔物溢れる洞窟だったなら、まだ考えようもある。

 だがこの広場に辿り着くまでそれとなく様子を観察してきたが、見れば見るほど普通の街にしか見えないから、余計に面倒だ。

 

 ただ、結界らしきものが見当たらないのが気掛かりなくらいか。

 

 街を守る結界魔導器(シルトブラスティア)

 魔物に満ちたこの世界で人間が暮らしていくため、それは無くてはならない物だった。

 

 しかし芸術だとか景観の為だけとは思えないほど、街中に張り巡らされている水の流れを見ると、もしかしたらハルルの木のように、ここでは水と魔導器が一体になっているのかもしれない。リタではないから、原理はさっぱりだが。

 

「水の都か。まさにだな」

 

 至るところを流れる透き通った水に目をやって、肩をすくめた。少し下町に分けて貰いたい程だ。

 

 まぁその程度のささいな違和感はあるし、自分がここにいる状況、というかここに至るまでの経緯は、明らかに異常だ。

 しかしだからとこの街が異常かと聞かれれば、それには首を横に振るしかない。

 

 まったく見知らぬ、しかし、変わらない街並み。

 

「……幻の街だとか言わないだろうな」

 

 ユーリが僅かに顔を顰めて、そうぽつりと呟いたとき、ふと背後から響いた雑な足音と共に、ふたつ、影が掛かる。

 

「よお、ネエちゃん。暇そうだな」

 

「待ちぼうけかァ?」

 

 ああまったく。

 どんな場所にも、ひとの虫の居所が良くないときに限って、飛び込んでくる違う虫がいるもんだ。

 

 肩越しに相手を振り返り、口の端を上げて皮肉げに笑った。

 

「声かけんなら見当違いだぜ。それともそっちの趣味か?」

 

 いかにもな風体をした大男と小男の二人組は、一瞬呆気に取られた様子をみせた後、はっとしたように顔を歪めた。

 

「……あっ、テメ、男かっ!?」

 

「ご名当」

 

「野郎まぎらわしい髪しやがって!!」

 

「知るかよ、お前らが勝手に間違えたんだろ」

 

 だが自分が置かれている状況よりかは、このほうがよっぽど分かりやすい。

 少しばかりうさ晴らしでもさせてもらうとしよう。

 

 浮かんだ笑みをそのままにちょいと指先を動かして挑発すれば、いとも簡単に怒りで顔を赤くした男たちが拳を握る。

 あのとき川べりに置いてきたのか手元に武器は無かったが、元よりただの喧嘩で剣を抜く気もない。こちらもゆるく拳を握った。

 

 それを合図にして小男のほうが足を強く前へ踏み出そうとした瞬間、視界の真ん中から左へ、そいつの体が吹っ飛んだ。

 

 ……まだ殴ってねえぞ。

 

 仰向けに倒れ込んですっかり目を回している様子の小男の脇には、土産物の菓子でも入っていそうな、包装された薄い長方形の箱が転がっている。

 どうやらあれが奴を吹っ飛ばしたらしい。残されて呆気に取られた顔の大男ともども、箱が飛んできた方向へ視線を向けた。

 

「なんだアンタ」

 

 行き場をなくした拳をほどいて横でぷらぷらと振りながら、ユーリはその先で仁王立ちする、箱を投げたと思しき男に声を掛ける。

 するとその男は「そうだな」と独り言のように呟いて、何やら短く考えるそぶりをみせた後、にっと楽しげに笑った。

 

「アビスゴールドと呼んでもらおうか!!」

 

 だから、誰だよ。

 

 

 



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TOVクロスオーバー続編Ⅲ

ユーリ視点


 

 

 まさか本名ではないだろうが、アビスゴールドと名乗ったその男は、なるほど確かに金色の髪をしていた。

 そしてどうも自分は憂さ晴らしの機会を逃したらしいと悟ったユーリの隣で、何やら立ち尽くしていた大男の顔色がさっと青く染まる。

 

「テメェあのときの!?」

 

 大男が半歩後ずさりながら人差し指をつきつけると、金の髪をした男は「おっ、覚えてたか」と満足げに言う。

 

「なら話は早いよな。また俺の技、くらいたいか?」

 

 青の双眸を片方ぱちりと閉じて、意地悪く笑みを浮かべた。

 大男は何やら悪態をつこうとしたようだったが、その口からは何の音も零れないまま、ただはくはくと空気だけをはんでいる。

 

 しばしの沈黙。

 

 どこか遠くで鳥が鳴いた。

 

 それを合図にしたように大男は目を回したままの小男を引っ掴んで、脱兎のごとく走り去って行ってしまった。

 周囲でそれとなく様子を窺っていた通行人たちも、事の終わりを感じて、また日常に戻ってしまえば。

 

 この場に残されたのはユーリと、もうひとり。

 

「いやいや災難だったなぁ」

 

 とても災難を労う表情には見えない愉快げな笑みと共に片手をあげた男に、ユーリは軽く後頭部をかきながら口の端をあげた。

 

「……ま、一応 礼言っとくわ。さんきゅ」

 

「何、気にするな。人助けは正義の味方の責務だ! いや俺としては美しいお嬢さんを助けるほうが良かったがまぁそれはそれとして」

 

 男は後半を独り言のように呟きながら一度ユーリの目の前を通り過ぎる。

 そして途中でひょいとしゃがみ込んで、先ほど小男を吹っ飛ばすのに使った箱を拾い上げた。

 

「まったく、あいつらに持たせてやろうと思って買ったのに台無しだな」

 

 そう言って箱の表面を手でかるく払いながら、逃げた二人に向けての悪態をついている。……じゃあ投げんなよ。

 思わず半眼になったこちらの内心を聞き取ったわけではないだろうが、金の髪をした男はふいにユーリをかえりみて、意味ありげに笑う。

 

 その顔の隣には、グランコクマ団子おでん味、と流れるような渋い字体で大きく書かれた薄い長方形の箱が、掲げられていた。

 

 

 

 

 

「うまい。さすがグランコクマ名産だ」

 

「……いや、うまいけどさ」

 

 確かに団子は美味い。

 少し前に全力投球されたせいで、若干くずれた見た目の分を差し引いたとしても申し分ない。

 

 しかし、なんだろうか、この状況は。

 

 隣には相変わらずテンションの高い金の髪の男。

 賑わう街並みをそれとなく眺めながら欄干に肘をかけて、ユーリは手にしている団子の刺さった串を指の先でもてあそぶ。

 

「で、結局あんたは何なんだ?」

 

「さっき言っただろ。正義の使者アビスゴールド」

 

「そうじゃねえっての……あー、まぁいいや。そのアビスゴールドにちょっと聞きたい事あんだけど」

 

「ん?」

 

 串に残った最後の団子一個を器用に食べた男が、視線をこちらに向ける。

 

 とはいえどう聞いたものかと、己の現状の異質さを含めて考えたが、元よりそういう回りくどいことは苦手な性質だ。

 早々に思考を纏めることを諦めて、とりあえず思いついたものから訊ねることにした。

 

「ここはグランコクマって街なんだよな」

 

「なんだお前、迷子か?」

 

「別に迷子っつーわけじゃない……はずなんだけどな……」

 

 色々あるんだよ、と適当に言葉を濁してから、苦笑して頭をかく。

 

 迷子という単語に引っ張られて脳裏に浮かんだ、ある男の姿。

 今の自分があいつと同じ“迷子”の立場にあると思うとやや複雑で、同時にちょっとおかしかった。

 

 そんなこちらの様子をどうとったのかは知らないが、男はひょいと片眉をあげて笑みを浮かべると、その視線を街並みのほうへ滑らせる。

 

「ここは水の都グランコクマ。美しい街だ」

 

 街の名を歌うように語る男の表情は、最初に場所を訊ねた女性と同じ、愛するものを誇る、自信にあふれたものだった。

 

 そして、さっきは悪かったな、と男が言う。

 謝罪の意味を問う代わりにユーリが首を傾げると、さっき絡んできたごろつき共の事だと相手は肩をすくめた。

 

「今は世界中が少しばかり慌ただしいからな、気が立ってるんだろう。多分そう悪い奴らじゃないと思うんだが」

 

 子の非礼を詫びる親みたいな顔で苦笑する姿に、ユーリは先ほどの男の動きをなぞるように、肩をすくめて笑ってみせた。

 

「気にしてねぇよ」

 

「そうか、助かる」

 

 男はそう言ってゆるりと微笑む。

 

 そうしている姿は自分より年上に見えるのだが、アビスゴールドだ何だと騒いでいる様子はまるで子供のような、非常に年齢の分かりづらい、金の髪をしたこの男。

 

 己がここに至る経緯、グランコクマという街、アビスゴールド、美味い団子。

 まったくわけは分かっていないが、まぁ何か吹っ切れてきた。

 

 とりあえずこれを食べ終えてから全てを始めることにしようと、ユーリは串に残った最後の団子をほおばった。

 

「そういやぁ」

 

 そのとき男がふと思い出したようにあげた声を聞いて、頬に団子を詰めたまま男のほうを向く。

 

「お前さん何ていう名前なん、」

 

 瞬間。

 青白い閃光のようなものが眼前を駆け抜けた。

 

 数秒ほど、思わず目を丸くして固まったユーリは、まず閃光の向かった方向に目をやった。青白く丸っこい物体を顔面にひっつかせたまま仰向けに倒れこんだ男がいる。

 とりあえず全く命に別条はなさそうだったので、次は、その青白い物体が飛んできたであろう方向に視線を向けた。

 

 すると。

 

「やぁあっとつかまえたー!」

 

 響き渡る、懸命なのにどこか情けない声。

 

 下がりきった眉尻と、ちょっと涙の滲んだ、やっぱり何だか情けない顔。

 

「もう何してるんですか!! こんな、……とこ、で……」

 

 どんどん小さくなっていったその声が、やがて途切れる。

 

 そのままぽかんと口を開けたまま動きを止めてしまった相手に、ユーリはつい噴き出しかけた口元を押さえ、それから改めて、柔らかな笑みを乗せた。

 そこでようやく一度大きく瞬きをした青年が、ゆっくりと口を開く。

 

「…………ユーリ?」

 

 それは見知らぬ街の片隅で果たした、まったく予想外の見知った顔との、

 

「よう、リック」

 

 ――――再会。

 

 




絡んできたチンピラコンビはマルクト帝国騒動記で出てきた人たちです。


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TOVクロスオーバー続編Ⅳ

ユーリ視点


 

 まるで、夢でも見ているような顔だった。

 こちらに伸ばしかけた手を、半端な位置で宙に留めて固まっている。

 

 戸惑いがちに情けなく眉尻を下げたその男の、頼りなげなその手の平に、ユーリはトンと拳をあてた。

 

「リック」

 

 ここにいるのは触れれば消える幻などではない。

 そう伝える代わりに、もう一度ゆっくりと名を呼んだ。

 

 すると俯きかけていた顔が勢いよく上がったけれど、まだ言葉は出てこない。

 

 そんなリックに掛けようとした、久しぶり、という言葉を引き止める。

 ユーリは少し考えてから、にっと口の端を上げて笑った。

 

「オレ達にあれだけ付き合わせた術練習、続いてないなんて言わせねぇぞ?」

 

 それと分かるように からかう色を乗せて言う。

 

 次の瞬間、目の前の男からぶわりと溢れた涙に、びくりとして反射で引きかけた手を、今度は向こうから逆に掴み直された。

 

「ユーリぃいい……!」

 

「……おう」

 

 真昼間の街中で二十代の男二人が手を取り合っている(しかも片方は号泣している)光景のシュールさを少しばかり考えもしたけれど、とりあえず顔に浮かんだのは相変わらずな顔見知りに対する、苦笑というには苦みの足りないそれだった。

 

「オ、オレっ! 夢じゃないって信じてたけど、状況が状況だったしちょっとだけ夢だったのかなーなんて思ったりもして、でもやっぱり夢じゃなかったんだユーリ~っ!!」

 

「わーったからちょっと落ち着け」

 

 涙でぐずぐずになっている男の肩を、掴まれていないほうの手でなだめるように叩く。

 前に会った時はここまで子供っぽい男じゃなかったと思うんだが。

 

 ふと覚えたささやかな相異感は、足元のほうから聞こえた憮然とした呼びかけにかき消された。

 

「盛り上がってるところ悪いが、オマエら俺のこと忘れてるだろう」

 

 地べたにあぐらをかいた体勢でひとつ息をついたのは、先ほど青白い閃光になぎ倒された金の髪の男。

 そしてその膝の上にちょんと乗っかっている、見慣れた魔物――オタオタの姿。

 

 戦い慣れた体が思わず動きそうになったその寸前で、気付く。

 青と白のラインをつなぐ、平和な大ぶりの縫い目。ふたつの目はボタンで出来ていた。

 オタオタのぬいぐるみだ。どうやら先ほど男に向かって投げつけられたのはアレだったらしい。

 

 リックがはっとしたように姿勢を正すと、精一杯きりりと眉を吊り上げて男へ向き直った。

 

「そうだ! もう何してるんですか! へい、」

 

「アビスゴールド」

 

 継ごうとしていた言葉を切れのいい声に遮られたリックは、目を丸くして口を閉ざす。引きあげたばかりの眉尻がまた緩々と下がっていくのを見た。

 

「……えっと」

 

「ア・ビ・ス、ゴーーールド」

 

 有無を言わさぬ青の視線を、おそらく真正面から受け止めたのだろうリックが、短い逡巡の末に控えめな声で、ごーるどさん、と繰り返した。

 それに満足げな笑みを浮かべた男の様子を見てから、リックは改めて会話を仕切り直す。

 

「だから、その、買出しの途中に同僚が大慌てで声かけてきて、何かと思ったらゴールドさんがどこにもいないって言うし……探してたんですからね!」

 

 買出しの途中だったという言葉通り、それなりの量の荷物を小脇に抱えたままのリックが怒ったように腰に手を当てたが、それさえなんだかどうにも迫力がなくて、自然と笑いが零れる。怒られている男も同様だったのか、口元に手を当て小さく咳払いをしてごまかしていた。

 

 それで、と膝の上にあったオタオタぬいぐるみを軽く掲げる。

 

「これは?」

 

「マクガヴァン元……さん、へのお土産です。いやぁ投げられそうなのが手元にそれしかなくて」

 

「どうでもいいがお前、俺の扱いが日々ぞんざいになってきてないか」

 

「色々気にしてると逃げられるから手段は選ばずとにかく動きを止めろとジェイドさんに教わったので実践してみました」

 

 きらきらと瞳を輝かせてリックが口にした名前には聞き覚えがあった。

 

 ジェイドさん。

 あの森で出会ったときも、あいつは感情たっぷりにその名を呼んでいたっけ。

 

「それにしてもゴールドさん! 街に出るなら誰かに言っていかなきゃダメじゃないですか!」

 

「まあ待てリック。いくら俺でもそこまで立場をわきまえずに街中フラフラすると思うか?」

 

「……すみません、ちょっとだけ……っ!」

 

 リックが滴る冷や汗もそのままに両手で顔を覆う。

 正直な奴め、と男は半眼で呟いた。

 

「安心しろ。ちゃんと護衛付きだ」

 

「あ、もしかしてユーリがそうなんですか?」

 

「それも面白そうだな」

 

 至って真剣な声色の相槌にうすら寒いものを、馴染んだ会話のテンポに昨日今日のものではないだろう彼らの繋がりを垣間見ながら、ユーリはついと視線を後方に滑らせる。

 

「あそこで茶ぁ飲んでる眼鏡の奴だろ」

 

 出店らしい簡易的なカフェの屋外に設置されたいくつかのテーブルのほうを顎で示す。

 

「よく分かったな」

 

 金の髪の男がにやりと笑った。

 

「え?」

 

 きょとんと眼を丸くしてユーリの視線を辿ったリックの顔がさっきの何倍にも輝いたのと、テーブルについて優雅な仕草で茶を飲んでいた眼鏡の男が、感情の読み辛い完璧な笑みを浮かべたのは、ほぼ同時だっただろう。

 

「おや、気付かれてましたか」

 

 低いわりによく透る声が、人の賑わいに混じりかろうじて耳に届く。

 

 店主に軽い礼を述べて席を立った眼鏡の男は、どこか騎士団の者を思わせるしっかりとした足取りで歩みよってくる。

 それを待たずに駆け寄って行ったリックの後ろ姿に、千切れんばかりに振られる尾の幻が見えた気がした。

 

 見ていて毒気を抜かれるほど体全体で好意を示すその姿を眺めながら、ユーリは、すいと目を細める。

 

「どうかしたか?」

 

 ふと向けられた問いかけに視線をずらせば、いつのまにか立ち上がった金の髪の男が、青い目を真っ直ぐにこちらへ向けていた。

 

「……さてな」

 

 それに肩をすくめて返したユーリは、名を呼ばれて再度リック達のほうへ視線を戻す。

 対して距離があるわけでもないのに満面の笑みでぶんぶんと手を振りながら戻ってくるリックに苦笑しつつ、軽く手を振り返してやった。

 

 そしてその後ろからこちらに向けられた、レンズ越しの眼差し。

 淡く浮かべられた笑みの奥にあるものを感じて、ゆるりと口角をあげた。

 

 この街に来てからは初めて向けられる類の気配。

 だがそれは、明け透けの好意よりもむしろ身に馴染んだものだ。

 

「これはこれは、初めまして」

 

「どーも」

 

 どう来るか、どう出るか。

 次の手を脳裏に巡らせながら、赤の双眸と視線を交差した。

 

 

 








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TOVクロスオーバー続編Ⅴ

ユーリ視点


 

 

「それでねユーリっ」

 

 しかし次の瞬間、それなりに張り詰まっていた空気を完膚なきまでに叩き壊す能天気な声と笑顔に流れをさえぎられ、ユーリは少々よろめきながらも、「……うん?」と律儀に相槌を返してやった。

 

「こちらがジェイドさんです!」

 

 頭痛を堪えるように眉間に指を添えている眼鏡の男を示して、嬉しげに紹介してくる。

 情報を頭の中で繋げると同時に、思わず目を丸くしてユーリはその男を見据えた。

 

「そうか、あんたが」

 

 “ジェイドさん”か。

 

 ほとんど声には出さずに呟いて、苦笑する。

 どうりでリックの反応が飛びぬけて良いわけだ。

 

 くつくつと喉の奥で笑うユーリをいくらか怪訝そうに眺める男――ジェイドを、勢いよく振り返ったリックが、腕を広げるようにして今度はユーリのほうを示す。

 

「それでジェイドさん、こっちがユーリです! 前に森で会ったときにオレの術練習を手伝ってくれたんですよ!」

 

「森で?」

 

「…はい、森で!」

 

 返事をする直前、リックが見せた微かな逡巡に内心首を傾げる。

 自分達が出会ったのは間違えようもなく、森だ。何を迷うことがあったのだろう。

 

 だがそれは、おそらく本人さえ無意識だったに違いない程に、短い間ではあったので、さほど気にする事もないかとユーリはすぐささやかな疑問を胸の内へ押し込めた。

 

「あと」

 

 そこでリックはジェイドの顔をちらりと窺ってから、ユーリに顔を寄せて耳打ちした。

 

「ゴールドさんは、ピオニーさんっていうんだ」

 

 まるで幼い秘め事のように、僅かばかり弾んだ声で伝えられたのは、それなりの意図があって伏せられていたはずの男の名。

 

 リックと自分がいくら顔見知りとはいえ、お互いの素性はほぼ何も知らない。

 なのに、それほどあっさり教えていいのか。しかも本人と(たしか)上司の目の前で。

 何故かこっちのほうがリックの立場を心配をするはめになりながら、横目で双方の様子を見る。

 

 いくら何でもこの距離だ、聞こえないはずはなかっただろうに、どちらの表情にも変化はなかった。

 いや、当の本人――ピオニーが、少しばかり微笑ましげに目を細めただろうか。

 

 どうやら無駄な心配だったらしいと肩をすくめたユーリの傍にあるリックの顔が、ふと忘れものに気付いたような間の抜けた表情に変わる。

 

 あれ、という声と共にリックはジェイドをかえりみた。

 

「ジェイドさん確か、報告がてら本部に顔出してくるって……」

 

 それがどうしてここにいるのかという疑問は、言葉にせずとも伝わったのだろう。

 ジェイドは一瞬見せた苦い顔の上に、わざとらしいほどの笑みを張りつけて眼鏡を押し上げる。

 

「ええ。ついでに己の残務の山でも冷やかしてこようかとうっかり執務室に戻ったのが運の尽きですよ」

 

 流れるような台詞と、その中へ器用に混ぜ込まれた溜息を聞いて、リックが遠い目をして曖昧に唸る。

 まぁそう言うなジェイド、とピオニーが妙にきりっと引きしめた真顔で片手をあげた。

 

 事情はわからないが、ここに至るまでのピオニーの言動を反芻するにつれ、なにやら分からないなりに納得できる気がしてユーリは半眼で髪をかきまわした。

 

「そういえばユーリ、エステル達は?」

 

(……おっと)

 

 心持ち油断していたところへ飛び込んできた、呑気な口調の、しかし少し鋭い質問に、気付かれない程度の苦笑を口の端に乗せる。

 

「ま、色々あってな。少しだけ別行動してる」

 

 本当に少しで済めばいいのだが、という補足は内心に留めておく。

 だが目の前の男はユーリの雰囲気から何を感じとったのか、心配そうに眉尻を下げた後、グッと拳を握った。

 

「色々って……あっ! 何か困ってるならオレ手伝うよユーリ!」

 

「ああ、いや」

 

「そうしたら立ち話もなんだし宿で」

 

「あのな」

 

「そうだみんなの事も紹介したいし! 術も見せたいし! 実は今度ゴールドさんの捕獲用にティアさんからピコハンを習おうかと思ってだからソレでっ」

 

「分かった分かった。とりあえず落ち着けリック」

 

 目の輝きと比例するようにどんどんつたなくなっていく話ぶりにひとまず休止符を打つ。

 そして期待に満ち満ちたリックの表情を裏切らぬように、ユーリはなるべく気をつけて柔らかな声を出した。

 

「ゆっくり話したいのは山々だが、あいつらを待たせてるんでな」

 

「エステル達を?」

 

「ああ。お前が心配するようなことはねぇよ、大丈夫だ。術も、あの時とびきりのを見せてくれただろ?」

 

 真っ直ぐに見返して笑えば、リックが少し照れくさそうに微笑んで頬をかいた。

 ジェイドはその様子をちらりと窺ってから、今思いだしたと言わんばかりに「まあ」と口火を切る。

 

「考えてみればこちらもそう時間に余裕があるわけじゃありませんでしたね」

 

 それを聞いてはっと跳ねさせた肩を、また緩々と落としていくリック。

 するとひとつ息をついたジェイドが無駄のない動作で眼鏡を押し上げ、丸まった背を蹴り飛ばすような、切れのいい明瞭な声で言葉を続けた。

 

「私達には私達の、やらなければいけない事があるように。彼には彼のやるべきことがあるんでしょう」

 

 寂しいのは分かりますが頭を冷やしなさい、と最後に付け足して颯爽と腕を組んだジェイドを、リックが涙目の上目遣いに見上げる。

 

 その風体はどうにも情けない事この上なかったけれど、それでも何か考えるように眉根を寄せた彼の双眸が、やがてしっかりとした光を帯びて固まったのを見て小さく口笛を吹いた。

 

 お見事、と内心ジェイドに拍手を送る。

 視界の端で満足げにうなずくピオニーの姿が見えた気がした。

 

「ところでリック。頼んでおいた買出しは全部終わったんですかぁ?」

 

 そこでそれまでの空気を一掃するように響いたジェイドの不自然に明るい口調と上がる語尾。

 びくりとあからさまに身を震わせたリックが、やや青ざめた顔をみせる。

 

「だ、大体、終わってたんですけど、あと、その、こまごまとしたものが少し……あったりなかったり……」

 

「あったりなかったり?」

 

「今! すぐ! 行ってきますっ!!」

 

 リックが弾かれたように敬礼の姿勢を取る。

 対照的に、大仰に腕を組んだピオニーが「ふむ」と得心顔で頷いた。

 

「まあ、ちょっと俺のせいと言えなくもないな」

 

「ちょっともなにも貴方のせいですよ」

 

 淡々としたジェイドの突っ込みにめげるどころか、あっさりと(おそらく意図的に)聞き流して、ピオニーは慣れた調子でリックの背を叩いた。

 

「そんなわけで俺が手伝ってやろう。お、メモはこれか?」

 

 言いながら、抱えている紙袋の一番上に置かれていた紙切れを拾い上げる。

 背を叩いた手が思いのほか力強かったのか、リックはよろけてむせながらも、「えぇ!?」とその背を勢いよくかえりみた。

 

「ピオ……ゴールドさん! ちょっ、待っ、護衛! 護衛はっ!?」

 

「バカ言え。お前がいるだろうが」

 

「ジェイドさん!?」

 

「行きませんよ私は。そんな面倒くさい」

 

「えー!?」

 

 おろおろと双方を見比べたリックは、早々に歩き出したピオニーの方へ伸ばそうとした手を、短い沈黙の末、しょうがないなぁとでも言いたげな苦笑と共に力なく落とした。

 

 しかしどこか嬉しそうに細められた目を何とはなしに眺めていると、そうしている間にもどんどん開いていくピオニーとの距離に気付いて慌てた顔で振り返ったリックが、半ば無意識だろう自然さでこちらに敬礼を向ける。

 

「ユーリ! あのさ、本当にすぐ戻ってくるから、ちょっと待っててもらってもいい?」

 

「おう」

 

 今自分が置かれている状況が、多少の時間を惜しんだからとどうにかなる問題とも思えない。軽く手を上げてそれに答える。

 

 身をひるがえそうとしたリック。

 ユーリは少し考えて、今一度その背を呼びとめた。

 

「リック。ちょっと聞いていいか?」

 

「ん? うん」

 

 静かに口の端を上げ、首を傾げて、問いかける。

 

「お前の年齢は?」

 

 リックは数度目を瞬かせ、不思議そうな顔で先ほどのユーリの動きをなぞるように首を傾げた後、いよいよ見失いそうなほど離れたピオニーのほうへ足を踏み出しながら笑った。

 

「えっと、二十五ー!」

 

 駆けて行くその背中にひらりと手を振る。

 待ってくださいよ、と響いてきた情けない声に肩をすくめて、傍らに首筋がちりりと焼け付くような気配を感じながら、欄干に肘をかけた。

 

 

 





偽スキット『そのころゴールドとシャッカー』
ピオニー「よし、まずは女の子がたくさんいそうな店だ」
リック「オレほんと後でジェイドさんに怒られるんで止めてください!」

平和な買いもの班。


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TOVクロスオーバー続編Ⅵ

ユーリ視点


 

 

「おっと、年上だったか」

 

 半ば純粋な驚きを込めて零した呟きに、応えはなかった。

 

 ゆるりと顔を向けた先、こちらを見据える赤の瞳を見返す。どこまでも静かな、底の見えない色。

 もしかしたら剣を握っている時の自分はこんな目をしているのかもしれないと、そんな取り留めもないことを考えて、ユーリは少し口の端を歪めた。

 

 きっと自分達はさほど遠い存在ではない。

 思考回路だとか、価値観だとか、そんなもので人間を分けるとすれば、この赤い目の男とユーリは同類というものに近い気がした。

 

 ただ、向いている方向が違うのだ。

 

 似た色をしながらも、決して相容れはしないだろう。

 お互いにそんな確信にも近い予感を覚えている。

 

 だがそこでユーリは、敵意がない事を伝える一番わかりやすい形として、軽く両手を上げてみせた。

 

「……深い意味はねぇよ、ちょっと気になっただけだ。あいつをどうこうする気もない」

 

 おそらく自分達は相容れない。

 だが、そんな結論とはまったく違うところで、こういう奴は嫌いではないとも思う。

 

「はてさて、どこまで気付いているのやら」

 

 冗談めかした声でそう告げたジェイドが眼鏡を押し上げる。

 硝子に反射する光が、その奥にある双眸が湛える色を窺えなくするのを見届けてから、ユーリは顔を上げて視線を空へと移した。

 

「さあな。俺には理屈も事情も分かんねえけど」

 

 その青さに少し、目を細める。

 

「あいつが見かけよりずっと人と触れ合ってきた時間が短いってのだけは分かる」

 

 ひとつ瞼を落としてから、ユーリは改めてジェイドのほうを向いて口の端を上げた。

 

「つーかあんたと話してるアイツ見てたら分かった、だな。前に俺らと会ったときは、まぁ情けない奴ではあったけど、あそこまで騒がしくなかった」

 

 あの時のあいつは“年相応”に、もう少し落ち着いていただろうか。

 そう、変わらず情けなかったが、こんなふうに気にすることはなかったのだ。

 

 前回は抱かなかった違和感。

 今回に限って引っ掛かった、微妙な視覚と感覚のぶれ。

 

 それらの原因、といっては気の毒かもしれないが、かなり多大な役割を担っているだろう男を見据える。

 

「あいつがバカみたいに泣いて笑って、騒がしいの、きっとあんたがいるからだな」

 

 その瞬間、垣間見えたレンズの奥。

 ちらついた赤色がなんとも表現し難い色を帯びて固まったのに、ユーリは思わず喉の奥で笑いを噛み殺した。何だ、そういう人間臭い顔も出来るんじゃないか。

 

 そんなこちらの様子を察したジェイドが、すぐに完璧な笑顔で表情を覆う。

 

「それじゃアレがいつまで経ってもお子様なのは私のせいという事ですか?」

 

 腹の探り合いに長けた一瞬の切り替えと頭の回転の速さを垣間見て、本当に油断ならない男だと半眼を向けるが、ジェイドは気にした様子もなく嫌味な笑顔と共に肩をすくめた。

 

 意趣返しのつもりでユーリも挑発的に笑みを浮かべる。

 

「ああ。あんたのおかげ、だろ」

 

 何かまたひねくれた反応が戻ってくるかと思いきや、ジェイドは意外な程おだやかな声で、やれやれ、と小さく呟いただけだった。

 思わず目を丸くしたユーリに気付いているのかいないのか、男は元通りの態度で「そういえば」と話を切り替える。

 

「時間にさほど余裕がないのは事実ですが、ついでの人探しくらいなら、まぁ出来なくもありませんが?」

 

 ばれてたか。大した驚きもなくその事実を受け止める。

 街並みに目を向け、彼らがまだ戻って来ないことを確認した。

 

「いや、いい。きっと何とかなるだろ」

 

 そっと目を伏せて笑う。

 

「それに、ああいう優しい奴らに迷惑かけてまで付き合わせるような事じゃねえし?」

 

「似合わない台詞ですね」

 

「……何であんたに似合わないって分かるんだよ」

 

 涼しい顔の眼鏡男を勢い睨みつけてから、ユーリは小さく噴きだして肩を弾ませた。

 

「ま、そうだけどな。受け売りだよ」

 

 誰のとは言わずとも分かったのか、ジェイドが眉根を寄せる。

 その様子を横目に見やって、ユーリもそっと息を零した。

 

「言ったらあいつ手伝おうとするだろ、きっと」

 

「そうですね。かといって状況的にもぶっちゃけ手伝えませんから、貴方と別れた後でアホみたいに泣いてヘコむんでしょうねえ、きっと」

 

 短い沈黙を割るように、知らない鳥の鳴き声が横切っていった。

 

 それから、なるほど、と思う。

 良い人かと聞かれてあいつが返事に迷うわけだ。

 

「あんた、どう考えても善人ってのじゃねぇよな」

 

「嫌ですねぇこんな善良な好中年を捕まえて」

 

「……へいへい」

 

 呆れ顔の相槌をひとつ打ってから、ユーリは口元に笑みを乗せた。

 

「まぁ、あんたは確かに悪人じゃないんだろうさ」

 

 あいつが自分の全部でもって、“大好き”だと告げるのだから。

 

 赤い瞳がちらりとユーリを見た。

 だが何も口にはしないまま、視線だけがゆっくりと街並みへ滑っていく。

 

 ちょうど、その時。喧騒の合間を縫って耳に届いた賑やかそうなやり取り。

 人々の隙間から覗くふたつの人影を視界にとらえ、ジェイドは小さく苦笑して肩をすくめた。

 

 

 



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TOVクロスオーバー続編Ⅶ

ユーリ視点


 

 

「ご苦労様です。メモに無いものとか買いませんでしたか?」

 

「おいおい何で真っ先に俺を見るんだジェイド」

 

 心外だと言わんばかりの芝居がかった動きでピオニーは首を横に振ったが、明確な否定を口にしなかったあたり怪しいものだ。

 

 すると予想外のところで、びくりと肩を跳ねあげさせた人物がいた。

 何となく衝動買いの類とは無縁そうな男だと思っていたので、ユーリは少々驚いて、慌てるリックの横顔を見つめた。

 

「あの、オレがちょっと……あっ、いや!? ちゃんと自分のお金で買いましたよ!?」

 

「……別に個人的な買い物まで制限した覚えはありませんから落ち着きなさい」

 

 ジェイドの言葉にぴたりと動きを止めたリックが、へへへ、と気の抜ける笑みをと共に頭をかいた。

 それから改めてこちらに向き直ったかと思うと、今度は言葉を探す子供のように視線を漂わせた。

 

「ユーリ。えーと、それでさ」

 

「ん?」

 

 すると今度は慌ただしく、物理的に何かを探し始めたが、両手いっぱいに増えた荷物がどうにもそれをやりづらくしていた。

 あのまま転げるのではないかと内心はらはらしつつも、とりあえずそのまま見守ってみることにする。まぁ最終的には見かねたピオニーが荷物を受け取ってやっていたが。

 

 そしてようやく目当てのものを見つけたらしいリックが、表情を明るくしてユーリに向き直った。

 

「これ、おみやげ!」

 

 下町の子供が貰った菓子を内緒だと笑って分けるときのように、手の平から手の平へ、丁寧に移された何か。

 

「あ、でもお店で扱ってるやつだから、響律符っていってもお守りみたいなものなんだけど」

 

 一度そっと握り締めてから、ユーリはその手を開いた。

 

 星が彫り込まれた小さなモチーフがついた、細い飾り紐。

 不思議な雰囲気を持った造形に見入りながら、響律符、と聞き慣れない音を一度だけ口の中で転がした。

 

「エステル達によろしく」

 

「おう。さんきゅ」

 

「そういえばグランコクマ団子もあるんだけど持ってく?」

 

「……や、大丈夫だよ」

 

 どれだけの時間を掛ければ仲間達のもとへ戻れるのかさえ分からない以上、受け取ったところで、土産としての役割を果たす前にユーリの腹に入る可能性が高い。

 先ほど食べた団子の味に思いをはせ一瞬ぐらついた理性を立て直し、「こいつがある」と受け取ったばかりの“お守り”を軽く揺らしてみせた。

 

 リックはそれを見て嬉しげに破顔した後、ふいに口を閉ざし、今度は静かに、ゆるりと微笑んだ。

 

 そんな大人びた仕草にユーリが目を見張ったのも束の間、先ほどの表情が幻だったように、一転して落ち着きなく視線を泳がせ始めたリックに半眼を送る。

 

「なんだよ」

 

「いや、なんていうか……」

 

 何が恥ずかしいのか唐突に顔を赤くしたリックはちらりと後方に並び立つジェイドとピオニーを窺った。

 どうにも照れくさそうに視線だけで空を仰いだあと、短く息をつく。

 

 すると小さく手招きをするリックに促されるまま顔を寄せた。ピオニーの名を聞く時にしたのと同じ、内緒話の形。

 となるとその時と同じく多少は彼らにも届いてしまうかもしれないが、そのことに気付いているのかいないのか、ただ先ほどより幾分ひそめられた声が耳に届く。

 

「オレにも理由、あるよ」

 

 リックは自らの腰元に掛かる剣の柄へ、丁寧に触れた。

 澄んだ金属音が微かに空気を揺らす。

 

 初めて出会った森の中で、交わした言葉が脳裏をよぎった。

 

 あの時。

 それは自分のためだと、ユーリは言った。

 

 あの時。

 目の前にいるこの男は奥底にある“何か”を確かに感じていたようだった。

 

 そう、あの時。ユーリがその答えを聞くことはなかったが、今 彼が言わんとしているのは、そのことではないだろう。あの森でリックが見つけたものは“術を使う理由”だ。

 

「まだ言葉にする勇気はないけど」

 

 音にする事さえ、たやすくはない。

 しかしはっきりと胸の奥に根付いた。

 

 それは。

 

「――がんばってるよ」

 

 己が剣を握る、理由。

 

 面映ゆそうに、しかしどこか晴れ晴れと笑ったリックの胸元に、前はつけていなかった歯車の首飾りが揺れているのに気付く。

 

 装飾品のたぐいではない。

 オレンジのリボンと、すすけた歯車。

 

「……ああ」

 

 そっと目を細めて、口の端を上げた。

 

 尋ねはしない。リックにはリックの物語があるのだ。

 ユーリにはユーリの、生きる世界があるように。

 

 それから身を離し、二人で顔を見合わせて笑い合う。

 

 ずっと黙ったまま様子を見ていたジェイドが、小さく息をついて眼鏡を押し上げた。

 そしてピオニーが持っていた例のオタオタぬいぐるみをおもむろに取り上げると、手慣れた動きでそれをリックの後頭部に投げつける。

 

「ぅえっ」

 

 突然の衝撃に締まりのない悲鳴を上げたリックは、バウンドして上空から目の前に落ちてきたその青いかたまりを慌てて受けとめ、何を言われたでもないのに「はい!」と妙に良い返事をしながらジェイドを振り返った。

 

 その先で悠然と腕を組んだジェイドがまたひとつ息をつく。

 

「そろそろ行きますよ。私達は宿へ戻る前にこの脱走中年を送り届けて来ないといけないんですから」

 

「なんだ、機嫌悪いなジェイド」

 

「ええ。どこかの誰かが余計な手間を増やしてくれたもので。そんなわけでおウチの人への言い訳は自分でしてくださいねぇ?」

 

「マジか!?」

 

「マジです」

 

 焦り顔で詰め寄ったピオニーに返される、何も知らなければさわやかな笑顔。

 

 そんなやり取りにも慣れたように苦笑を零したリックは、しかしどこか微笑ましげな色を浮かべた瞳で空を仰いだ。

 そのまま大切なものを噛みしめるように、ゆっくりと息をはく。

 

 潮時か。

 

 ユーリが頭の端でそれを感じたのと同じくして、彼がこちらに向き直る。

 

「……ユーリ」

 

「おう」

 

「オレ、」

 

 ふと、つぐまれた音。

 視線だけが思案げに左上を仰いだと思った、次の瞬間。

 

 にっと笑みを浮かべたリックが、右手を掲げる。

 

 それに思わず目を丸くすれば、殊更楽しげなものになった笑顔を見返して、ユーリもにやりと口の端を上げた。上等だ。

 

 掲げられた相手の掌へ、思いきり自分の手を打ち付ける。

 ぱちんと軽快な音があたりに響いた。

 

「またな、リック」

 

「~~っうん!」

 

 少し力を込めすぎたか、冷ますように右手を振る涙目のリックがそれでも嬉しそうに頷いたのに、ユーリは小さく声を上げて笑った。

 

 

 






偽スキット『でも結局こうなる』
リック「ユーリー! またねー! 絶対また会おうなーっ!!」
ジェイド「はいはい。ちゃっちゃと行きましょうね」
リック「うわあんユーリーーー!!」
ユーリ「………………」

とことん締まらない。
ジェイドさんと一緒だと色んなタガが緩みっぱなしのチーグル男。


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TOVクロスオーバー続編Ⅷ

ユーリ視点


 

 

 賑やかしいを通り越して嵐のようだった三人の姿が雑踏に消えて、しばらく。

 噴水のへりに腰をおろし、ユーリはぼんやりと流れゆく人波を眺めていた。

 

「これからどーすっかな」

 

 そんな呟きを零して初めて、そういえば肝心のところは何ひとつ進展していなかった事を思い出す。

 

 どうやってここへ来たかすら分からないのでは、どうすれば戻れるか、なんていう自問は哀しい程に無意味だ。

 ジェイドにでももう少し話を聞いておくんだった、と思うも後の祭りだろう。

 

 華やかで快活とした街並みに改めて目を向けて、髪をかきあげる。

 本当に、ここが魔物溢れる洞窟だったなら、むしろこれほど途方に暮れることはなかっただろうが。

 かといって焦燥感を抱くタイミングも何だか逃してしまったし、いよいよもって思考を投げ出しかけたユーリの目の前を、数人の子供たちが駆けていく。

 

 楽しげにはしゃぐ声に少しだけ意識を引き戻された。

 

 とりあえず事の発端を思い起こしてみることにする。

 

「川……、水か?」

 

 少なくともユーリが“きっかけ”であると認識したのは、川に手をついたあの瞬間。

 それで何がどうしてこうなったか、なんて聞かれても困るが、正直オタオタにもすがりたい状況だ。こうなれば片っ端から試していってみるしかない。

 

 ふちに手をついて上半身をよじり、後方にひろがる噴水を見る。

 噴き上がり落ちる水に弾かれ、絶え間なく波紋をえがく溜まり水にそっと手を差し入れた。

 

 ひやりと冷たい水に、指先の体温が心地よく奪われていく。

 

 そのまま五秒。十秒。十五秒。

 二十を数えたところで引きぬいた手を振って水を払い、肩をすくめた。

 

「ま、そう簡単にいくわけねえ――」

 

「待ってよみんなぁ!!」

 

「な」

 

 トン、と背にぶつかった、軽い衝撃。

 

 さっきの子供たちの、遅れた連れが走り抜けていったのだと、ようやく認識できたその時には、ユーリの視界にはすでに一面の水が広がっていた。

 

 なあリック。

 このお守り……水難は管轄外か?

 

 

 

 

 

 

 頬を撫でる涼やかな空気。

 葉擦れと、鈴を転がすような虫のさざめき。

 

 そして。

 

「…………」

 

 いつのまにか詰めていた息を、ゆっくりと吐き出す。

 水面に反射する朝日を眺め、ユーリは大きく見開いた瞳を一度閉じ、また開いた。

 

 冷たい流水の感触に視線をずらせば、右の拳が川べりの浅瀬に浸かっているのが見える。

 それ以外のどこも水に濡れた様子はなく、傍らには自分の剣があった。

 

「戻った、のか」

 

 意識が、己を取り巻く世界から逸れたのは、またほんの一瞬。

 その間にがらりと移り変わった風景はあまりに“元通り”で、己が呟いた言葉にさえ、少々不安を覚えるほどだった。

 

 戻ったのか。

 それとも初めから、すべてが、夢だったのか。

 

 薄く眉根を寄せて身を起こそうとしたユーリは、右の拳にふと違和感を覚える。

 水の中から引っ張り出したその掌をそっと開いて、目を丸くした。

 

「――――……」

 

 緩々と浮かんできた微笑みをそのままに空を仰ぐ。

 

 そこですっかり昇りきろうとしている太陽を見つけ、そろそろ戻らないとまずいか、と身をひるがえしたところで、驚いたような声が掛かった。

 

「ユーリ?」

 

 はたと顔を上げると、水を汲みに来たらしいカロルが、頭の上に抱えあげた鍋と共に首を傾げていた。軽く左手をあげて挨拶する。

 

「よう」

 

「いないと思ったらこんなとこに居たんだ。どうしたの、当番じゃないのに早いね」

 

「目が覚めたんで散歩にな。もう戻ろうと思ってたとこだよ」

 

「あっ、じゃあ一緒に行こうよ!ちょっと待ってて!」

 

 軽い足取りでユーリの横を通り過ぎたカロルが、慣れた手つきで鍋の中に水を汲みはじめる。

 その背を待つ間にと、ユーリは丁寧に右手を開いた。

 

「おまたせ!」

 

「ああ」

 

 少しして、戻ってきた少年の、頭の上に抱えあげられた中身の入った鍋をひょいと取り上げてから歩き出す。ありがとうと笑ったカロルが隣に並んだ。

 

「あれ、ユーリ、そんなのつけてたっけ?」

 

 空いたほうの手にいつもどおりぶら下げていた剣の鞘をまじまじと眺めて首を傾げたカロルを横目でちらりと見て、ユーリは笑いながら軽くそれを揺らす。

 

「まーな」

 

 星のモチーフがついた細い飾り紐が、小さく弾んできらめいた。

 

 

 

 

 お守りというものが、誰かを想う願いであるなら

 お前がそうしてくれたように、俺も願おう。

 

 あの真昼の星のように

 たとえ見えずとも、会えずとも。

 

 願ってるよ

 

 お前の道の先の、光を。

 

 

 

 

 また似合わないと言われそうな話だと口の端を上げながら、ユーリは仲間のもとへ戻る道のりを、しっかりと踏みしめた。

 

 空にはいつも満天の星。

 そして背を押すように響くのは。

 

 

 ――――さらさらゆれる、水の音。

 

 

 




終幕。


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そんなお菓子の作り方

途中からアニス視点


 

 

「お菓子の作り方を教えてほしい~?」

 

 今しがた口にしたばかりの頼みごとを怪訝そうな表情で繰り返したアニスさんに、俺はハイと力強くうなずいた。

 

 現在、俺達は惑星譜術の触媒探しの真っ最中。

 みっつめの触媒(+全く無関係の怖い剣)を手に入れて、セントビナーからシェリダンに向かうところだった。

 

「お菓子って、何そのざっくりした話」

 

 アルビオール内、通路の途中で俺に呼びとめられたアニスさんは眉間にしわを寄せてそう言いつつも、色々あるよ、と指折り「お菓子」に分類されるものを上げていってくれる。

 

 ケーキにタルトに、マフィンにムース。

 ひとつひとつメモを取る俺を見て、アニスさんは小首を傾げた。

 

「ていうか、セントビナーでティアにアップルパイの作り方教えて貰ってなかったっけ? 結局トウフカレーパイになってたけど」

 

「あ、ハイ。でもそれとはまた別に、なんていうか、……紅茶にちょっと添えられるようなものが良くて」

 

 照れ隠しに頭をかきながら笑うと、彼女は一瞬だけお姉さんみたいな顔で笑って、それからすぐ呆れたような半眼になった。

 

「リックのことだからどーせ大佐絡みなんでしょ。まぁいいけどね、アニス先生のレクチャー代は高いよ~?」

 

「よろしくお願いします! ……ぶ、分割でもいいですか」

 

「そーだなぁ。ほんとに薄給みたいだし~、現物支給とか、あとは体で返してくれてもいいけど」

 

「体で、ですか?」

 

「そ!」

 

 きょとりと眼を丸くした俺に、アニスさんはぱちんと片目を瞑って笑って見せた。

 

「ガイド・リックのグランコクマ無料 観光案内、とかね」

 

 

 

 

(-Anise)

 

 よく話を聞けばお菓子が必要なのはかなり近日中らしく、それじゃ練習もろくに出来ないじゃないかと溜息をつけば、眼前の見た目だけは良い(中身は十歳児)男が心底申し訳無さそうに眉尻を下げるものだから、さらにと吐き出しかけた毒も引っ込めざるを得なかった。

 

「今の備蓄にお菓子の材料なんてないし、ともするとぶっつけ本番だよ?」

 

「ハイ……」

 

 しょぼんとうな垂れたリックの頭頂部を眺めながら、少し考える。

 

 いきなり突拍子もない事を思いついて実行に移そうとしている時も確かになくはなかったが、話が大佐関連だというのなら、何につけても大佐まず大佐ひたすら大佐という男がこんな手抜かりを……いや、まあ、するか。リックだし。

 

「ねえねえ、なんでこんなギリギリでお菓子教えてほしいって言いだしたわけ?」

 

「……最初は、普通に美味しそうなお店で買おうと思ってたんですけど」

 

 そうぽつりと言葉を零したリックは、温かいものを丁寧になぞるように微笑んだ。

 いつのまにかこういう顔も出来るようになったんだなと、妙に感慨深い驚きと共に、次の言葉を待つ。

 

「皆さんと旅をして、ごはん作ったり、作ってもらったり、カレー作るの楽しくなったりしてるうちに、なんか、良いなって」

 

 そういうのも、いいかなって。

 

 面映ゆそうに目を細めた、おおきなこども。

 そこに、ほんのちょっとだけ、緑色の目を細めて嬉しそうに笑う彼を映し見る。

 温かく思い出すにはまだ時の経っていない、未だ苦みの走る、だけど柔らかな記憶を想い、釣られるように微笑んだ。

 

「――……練習出来ないんだから、いつも以上にビシビシ厳しく教えるからね!」

 

 ちゃんとメモ取ってよ、と形ばかりきつく眉を吊り上げて指差すと、褒められた犬みたいにパッと表情を明るくしたリックがハイと元気よく返事をした。

 今度はこちらが、腰に手を当てて「よろしい」と偉そうに頷いてみせる。

 

 それから顔を見合わせ、二人で小さく噴きだして笑った。

 

 





そして、練習不足で例えどんなものが仕上がったとしても、あの人は渋い顔しつつ嫌味言いつつ何のかんのと食べてあげるんだろうなぁと思うアニスさん。


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ジェイドの誕生日について(おまけ)

 

「じゃあジェイドさん、最初からあれが誕生日プレゼントだって気付いてたんですか!?」

 

「ええ。まあ」

 

 惑星譜術の触媒探しのために立ち寄ったシェリダンの宿。

 今は俺とジェイドさんとミュウしかいない この部屋の、備え付けの小さなテーブルの上にお茶の準備を整えながら、俺は「えぇ~」と肩を落とした。

 

「絶対ばれてないと思ってたのに……」

 

「あれだけ挙動不審にしておいて本気でばれないと思っていたんなら色々通り越して心配になってきますねぇ。首の上に乗っかっているあたりが特に」

 

 ということは、今日 下の酒場に行こうとするジェイドさんを物凄く必死に引き止めた理由も、すでにお見通しということか。まぁもはや気付かれていないわけがない。

 俺は脱力気味に苦笑して、酒場のキッチンを借りて淹れてきた紅茶を丁寧にジェイドさんの前に置いた。

 

 それなら、ばれてたついでに今年は言ってもいいだろうか。本人に、面と向かって、あの言葉を。

 俺の目的を分かっていながらこうして宿に残ってくれたという事実に願いをかけて、紅茶の隣に手作りのクッキーを置きながら、意を決して口を開く。

 

「お誕生日、おめでとうございます!」

 

 言った。言えた。

 というか言ってしまった。

 

 判決を待つ罪人みたいにどきどきと胸を高鳴らせつつ彼の人の動向を見守る。

 少しして、ジェイドさんは何だかほんのりと居心地悪そうに、赤い目をこちらへ向けた。

 

「……やれやれ、なんて顔してるんですか。別に誕生日を祝われたからと怒りはしませんよ。まぁ三十五の独身男が今更 誕生会というのも無いなとは思いますが」

 

 ああ、もう三十六ですかと己の言葉を訂正して肩をすくめる。

 そんなジェイドさんを、足元からまじまじと見上げたミュウがぽつりと呟いた。

 

「ジェイドさん、照れてるですの?」

 

 一瞬、場の空気が固まったのを確かに感じた。

 

 大佐は俺が持っていたミュウ用のクッキーが乗った小さな皿を、すごく優雅な仕草で取り上げて、それからとてつもなく穏やかな笑みを浮かべた。

 

「おやミュウ。貴方の分はいりませんか、残念ですねぇ」

 

「みゅみゅ!? い、いるですのー!」

 

 慌ててジェイドさんの膝の上までよじ登ってきたミュウに、いやですね冗談ですよと笑って、その小皿を机に置く。

 やると言ったら本当にやる人なので、その言葉の真偽は少々怪しいところであったが、あまり突っ込んで飛び火するのも怖いから俺はひたすら沈黙を守り、自分の分のカップとクッキーの準備をした。ごめんミュウ。

 

 そして全員分の準備が整ったところで、ミュウを机の上にあげてやり、二人と一匹のささやかな誕生日パーティが始まる。

 

 お茶を飲んでクッキーを食べる以外はほとんど俺とミュウが喋っているだけだったが、それでもたまに返ってくる相槌やら突っ込みに、幸せな気分で目を細めた。

 

「しかし」

 

 何枚目かのクッキーを口に運んだところで、ジェイドさんが真剣な表情を浮かべて呟いた。

 

「例のごとく非常に半端な味ですね」

 

「ですよね!?」

 

 俺も試食のときにそう思った。アニスさんから聞いたレシピ通りに作ったはずなのに、出来あがったのはマズイって程じゃないけど別に美味しくもないという大層 半端な代物だった。

 

 前に食べさせて貰ったアニスさんのクッキーはすごく美味しかったから、きっとこれは俺の何かが足りないのだ。お前の料理は後一歩なにかが足りないって陛下も言ってたっけ。

 

「大丈夫ですの! だってこれは食べられますの!」

 

「うん、なんか、ありがとうミュウ」

 

 ごめん気使わせて。

 

 そんなやりとりを横目に、ジェイドさんが「王族二人の初期料理は食物の形をしてませんでしたからねぇ」と囁いた。ああそういえばそんな事もあったなぁと遠い目で思い出しながら、また一枚クッキーを口に入れる。

 

 さくりと崩れたクッキーは少し粉っぽくて、お世辞にも美味しいとはいえないものだった。

 

「すみません、甘いもの作ったのって初めてで……。きっと、次回はもうちょっと上達しておきますから!」

 

「――ま、期待しておきますよ」

 

「え」

 

 言うが早いか傾けたカップで顔半分を隠して目を伏せてしまったジェイドさんを、ぽかんと見やる。

 やがてじわじわと頬に集まり出した熱に、俺は半ば涙目になりながらカップを持つ手を震わせた。

 

「ジェイドさぁああん……!」

 

「その淹れたての紅茶ごと飛びついてきたらミュウにミュウアタックをお願いしますよぉ?」

 

 びくりと肩を揺らし、ちょっと浮きかけていた腰を元に戻す。

 

 カップをソーサーに戻して、結構、といつもの笑みを浮かべたジェイドさんが、またクッキーを一枚、手に取った。

 

 

 

 

 

「ところでジェイドさん、みんなにも誕生日ってあるんですかねぇ。あるといいですよねぇ!」

 

 そうしたらオレ絶対お祝いするのに、と瞳を輝かせて拳を握る。

 

 すると何事か言葉を発しかけた口を一度閉じたジェイドさんは、短い沈黙の後、あるんじゃないですかとどことなく投げやりに呟いて、もうあまり無い紅茶をあおった。

 

 




何かもう後でガイに教えさせよう、ともくろむ説明放棄の保護者と誕生日の何たるかを分かっていたようでさほど分かってなかったリック。


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知らないこと、知りたいこと

ガイ視点


 

 ユリアシティの片隅。

 膝を抱えて座り込む友の頭頂部をちらりと見やって、その隣に立つガイは苦笑を浮かべた。

 

「ルーク、そろそろ元気出せよ。ちょっとタイミングが合わなかっただけだって」

 

「タイミング……タイミングな……。そう一度、逃せば大変、タイミング……」

 

「なんの標語だよ」

 

 ザレッホ火山であまりのもどかしさに耐えきれず、ふたりを分かれ道で送り出したのだが、いざルークが口火を切ろうとしたところで触媒が見つかってしまったらしい。

 本来の目的を思えば喜ばしいことなのだが、なんとも間の悪いことだ。

 

 その直後はどちらかというと不貞腐れている感じだったルークだが、さらに時間が経ったら、一周まわって落ち込んできてしまったようだ。

 

 面と向かって拒否されたわけでもあるまいしそんな暗くならずとも、と思わなくもないが、昔ならいざ知らず、今のルークにとって他人の内側に踏み込むことはかなりの勇気がいるのだろう。

 そんな振り絞った勇気を全力で空振りとなれば、確かに落ち込みたくもなるかもしれない。

 

 しかし。

 

「そうやって“伝えられなくて”へこんでるってことは、“伝えたいことが何か”は分かったってことだろ?」

 

 空振ったということは、行動を起こしたということだ。

 

 最初にセントビナーで考え込んでいたころは、暗闇の中で形も分からないものを手探りしているような状態だった。

 それを思えばかなり進歩していると思うのだが、本人にとってはまだ不十分らしい。

 

 抱えた膝に突っ伏していた顔をようやく上げたルークが、どことなく拗ねた口調でしゃべり始める。

 

「……分かったっつーか、なんか色々考えてたら、アイツのこと全然知らないんだなって気付いた」

 

 レプリカであることや、この十年を兵士として生きてきたことは知っている。

 だが思った以上に、本人の口から昔の話を聞いたことがないのだと。

 

 ルークの言葉を聞きながら、外殻降下後にグランコクマで過ごした一ヵ月を思い出す。

 

 『自分と被験者は同一の存在であると信じ込んでいたリックは、その家族と面会してしまったんです』

 

 『前にリックが言ってたんだよ。自分と誰かの命を天秤にかけたとき、俺はすぐ自分に傾いてしまうんだってな』

 

 今一緒に旅をしている仲間の中で本人とジェイドを除けば、おそらくガイが一番リックの過去について知っている。

 しかしそれはあくまで、他の誰かの視点から語られたものだ。ひとつの事実ではあるが、ルークが知りたいものとは違う。

 

 『やっぱり家族を奪われたら、許せないか?』

 

 『“この人のそばにいたい”って気持ちの生まれたさいしょは、別にあるのに』

 

 そういう意味ではガイも何も知らないのと同じなのだろう。

 たまに零れる過去の欠片を拾うことはあっても、手渡されたことは少なかった。

 

「リックのことだから、聞けば普通に話してくれそうな感じはするけどな」

 

 被験者家族の件についてはジェイドも「本人が特に隠したがっていたわけでもない」と言っていた。

 もちろん笑って話せるような記憶ではないだろうが、その話題に触れる事さえまずい、というほどの危うさは今のリックを見る限り感じなかった。

 

「それは、俺もそうかなとは思うけどさ……」

 

 そうは思っても、人の過去に踏み入ることは簡単じゃないのだろう。

 だがそれを重々承知の上で、それでも今回はルークに頑張ってもらわなければならない。多分この件に関してリック一人に任せておくと、もどかしい状況がかなり長いこと続いてしまう。そんな気がする。

 

「“知りたい”んだろ、ルークは。なら、とにかく真正面からぶつかってみないとな」

 

 というか見守っている方も気が気じゃないので、出来れば早めに決着をつけてほしかった。

 

「…………うん」

 

 ルークは今一度 俯いてから、ぱっと勢いよく顔を上げた。

 赤い髪の隙間から覗く翠の目が、強い光を宿しているのを見て小さく笑う。

 

「少し前まではティアと譜術の練習をしてたみたいだが、そろそろ家のほうに戻ってるんじゃないか?」

 

「……分かった。ありがとうガイ、俺いってくる」

 

「ああ」

 

 立ち上がったルークはガイに向かってひとつ頷き、善は急げとばかりに走り出す。

 

 その背中が見えなくなるまで見届けて、ガイはゆっくりと頭上を仰いだ。

 ユリアシティを覆う膜のような天井から差し込む光に目を細める。

 

 

 ルークがリックの過去の話を聞けても、聞けなくても、おそらくそれはあまり関係のないことだ。

 大事なのは、そんなことではなくて。

 

「がんばれよ、二人とも」

 

 手探りの友情に奮闘するふたりの子供を思って、ガイはまたひとつ笑みを零した。

 

 

 




そんなこんなで部屋に飛び込んだらジェイドいるしなんか神妙な空気だしで完全に出鼻をくじかれ、とりあえず触媒探しに誘ってみたルーク。勇気空振り三振。

>「ティアと譜術の練習してたみたいだけど」
本人は秘密特訓のつもりだったけどみんなにはバレまくっている。


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あらかじめ自覚された彼の杞憂

アニス視点


 

 ロニール雪山でレプリカネビリムをどうにか退けたその翌日。

 アニスは、ケテルブルクホテルの豪華なベッドで目を覚ました。

 

 小さなあくびと共に体を起こす。

 雪国の空はいつも薄暗くて時間帯が分かりづらいが、カーテンの隙間から覗く光の具合からして早朝なのだろう。

 

 出発は昼頃の予定で、朝食にもまだ時間が早い。

 寝直すほどの眠気も残っていなかったアニスは、両隣のベッドで眠るティアとナタリアを起こさないように、そっと身支度を整えて部屋を出た。

 

 これがダアトやグランコクマ、バチカルだったなら、街に出て早朝の空気を楽しむのも良かったが、ここは雪国ケテルブルクだ。

 雪景色は美しいと思うけれど、それで大はしゃぎ出来るほどアニスは誰かのように子供ではない。

 

 だから早々にホテル内を散策することに決めて一階ロビーに降りてきたとき、窓から見えたその光景に、アニスは思わず「うわ」と顔をしかめたのだった。

 

 少し考えた末にホテルの扉を開いて、先ほどまで全く出るつもりのなかった屋外に足を踏み出す。

 

「……なにやってんのリック」

 

「あ、アニスさん! 雪だるまですよ!」

 

 ホテル前で黙々と雪だるまをこしらえていたその男──中身はほぼ子供──は、アニスを振り返って嬉しそうに笑った。

 

「そうじゃなくてぇ、このさっっっむいのに朝っぱらから雪だるまとか、信じらんないんですけど」

 

「え、でも今日あったかくないですか?」

 

 重ねて言うが、ケテルブルクは雪国である。

 痛みを感じるほどの冷気に満ちた白い世界をぐるりと見回して、アニスは怪訝そうに首を傾げた。

 

「なに言ってんの超寒いじゃん。リックだって、ほっぺた真っ赤になってる、し……」

 

 赤い頬。いつもよりちょっとだけ高いテンション。

 アニスの脳裏に「もしかして」と「そんなまさか」がめまぐるしく点滅する。

 

「……リック一等兵!」

 

「っはい!!」

 

「自身の状態を、報告しなさい!」

 

 いつかのジェイドを真似て問いかけてみると、リックは即座に立ち上がってぴしりと敬礼の姿勢をとった。

 

「まだちょっと体中ぎしぎししてます! あとすごくぽかぽかします! それと……えーと、何かふわふわするような感じが」

 

 「子供か」と突っ込みたくなるような言い回しの報告に、兵士としてこれで大丈夫なのだろうかと、リックに対してもう何度目になるか分からない心配を巡らせつつも、アニスは先ほど感じた予感が確信に変わっていくのを感じた。

 

 ぎしぎしする、というのは昨日無茶な使い方をした譜術の余波もあるだろうが、これはやはり。

 

「……リックさぁ、風邪って分かるよね」

 

「ハイもちろん! 前にみんながなってたやつですよね!」

 

「じゃあ、自分で風邪になったことは?」

 

 眼前に立つ見目だけは良いその男は、アニスの問いかけを聞いて、やはりどう考えても赤い顔のまま きょとんと目を丸くしたのだった。

 

 

 

 

「ディストといい貴方といい、ここではバカが引く風邪が流行ってるんですかねぇ」

 

「ごめんなさぁい……」

 

 具合が悪いのに長時間 雪にまみれていたからか、はたまた自分が風邪であると自覚したからなのか、リックはあのあと一気に体調を崩した。

 

 足取りもおぼつかなくなったその体を必死に支えつつ、リックは熱で、アニスは重さで、お互いにぜえぜえと息を切らしながら泊まっている部屋があるフロアまでたどり着いたところで、偶然行きあったのはジェイドだった。

 

 アニス達の様子を見て一瞬で事を察したらしく呆れたように肩をすくめると、ジェイドはリックの首根っこを掴まえて、今しがた歩いてきたばかりの廊下を引き返した。

 

 そうして文字通りリックを引きずって戻った部屋にはすでに誰の姿もない。

 みんな朝食をとりにホテル内にあるレストランへ向かったのだろう。

 

 そこでベッドに放り込まれたリックに改めて話を聞けば、いつもよりだいぶ早く目が覚めたと思ったら何だかぽかぽかしていたので、絶好の雪だるまづくり日和だと外に行ったらしい。

 

 それを聞いたときアニスは思わず「ばかじゃないの」と吐き捨てていた。昨日の今日でいったい何をしているのか。

 まぁ今までかかったことが無かったなら風邪の自覚症状が分からなくても無理はないが、それにしたって、と深く溜息をつく。

 

「とにかく、今日はもう絶対安静だからね!」

 

「はいぃ……すみません、バチカルにいくんだったのに」

 

 言うまでもなく動けなさそうだったが一応釘をさせば、力ない返事が返ってきた。

 いつも元気だろうとヘコんでようとやかましい男がこうも弱っていると、なんだか調子が狂う。

 

 アニスはまたひとつ息をついて、表情を和らげた。

 

「病人は細かいこと気にしないの。とにかく今はゆっくり休んでパパッと治すこと! わかった?」

 

「へぁい……」

 

「よーし。じゃあ大佐、私はみんなに このこと伝えてきますね」

 

「ええ、お願いします」

 

 その淀みのない返答に、おや?とアニスは目を丸くする。

 暗に自分はここに残ると告げたジェイドは、いつの間にかリックが寝ているベッドの脇に、椅子をひとつ移動させていた。

 

「昨日あれだけ無茶をやって、昨夜あの時間まで雪まみれになって、今日も朝から雪まみれですか? たとえ腐りきってても兵士なんですから、体調管理くらいは しっかりしてください」

 

「……うううぅ」

 

「まぁ、風邪ひとつ引かないバカかと思ったら風邪が引ける程度のバカだったみたいで良かったですねぇ」

 

「ジェイドさぁん ごめんなさぁいぃい……」

 

 さめざめと泣くリックの額をぺしりと軽く叩きながらジェイドが椅子に腰を下ろしたのを見たところで、アニスはくるっと身をひるがえして、部屋を出た。

 

 上質な床材で彩られたホテルの廊下を歩きながら考える。

 

 出会ったころだったら、迷うことさえせずにリックを置いていくと言っただろう。

 少し前だったら、アニスに看病を任せて、皆に状況を伝えにいく役目を選んだだろう。

 

 そのジェイドが先ほど当然のように部屋に残った意味を考えてつい顔が緩みそうになったアニスは、ガイのことばっか言ってらんないな、と苦笑した。

 

 それぞれの罪と打算となりゆきで出来上がったこのパーティは、所属する国も目的もバラバラで、今こうして一緒にいるのが奇跡のような組み合わせだった。

 

 正直、優しいばかりの関係ではないし、単純に性格的な面でも、べたべたした馴れ合いを好むタイプは少ない。

 

 仲良しこよしとは程遠い、歪で不揃いな「仲間」かもしれない。

 だけどそれでもずっと見てきたのだ。

 

 はねつけられても、はねのけられても、決して諦めない大きな子供を。

 突き放して遠ざけて、けれど見捨てない不器用な大人を。

 

 ずっとずっと見てきたのだから。

 

「ガイじゃなくても にやけちゃうって、あんなの」

 

 ずっとタダ働きだった仕事の果てに ものすごい金額の報酬を得たようなそんな気持ちで、アニスは足取り軽く昇降機に乗り込んだ。

 

 

 

 ホテル内のレストランに集まっていた皆にざっと経緯を説明した後、アニスは厨房を借りて作ったお粥が乗ったトレイを手に、また廊下を歩いていた。

 

 ちなみにそのとき「俺も手伝う」と言いかけたルークはガイが、「では私も」と続けようとしたナタリアはティアが、それぞれ買い出しに誘うことで最悪の事態を未然に防いでいた。

 

 いや、あの二人がリックを心配して手ずから作った料理なら、きっと本人は喜ぶだろう。

 最初期の、もはや食物と呼べるかさえ怪しかったころの品さえ「前衛的でおいしい」と言ってなんとか完食せしめたあの男が喜ばないはずはない。

 

 だが体調が万全のときならいざ知らず、人生初の風邪で弱り切っている今、最後の晩餐という名のトドメになりかねないので今回は遠慮してもらおう。まぁ回復してからなら どれだけ食べさせてもいいので。

 

 そんなやや非情なことを考えている間に部屋の前についたアニスは、リックがもう眠ってしまった可能性を考えて、ノックはせずにそっと扉を開いた。

 

「た、」

 

 大佐、と小声で呼びかけようとした喉が、視界に映った光景に音をなくす。

 

 アニスの想定通り、リックはもう眠っていた。

 そのためにか室内は少し光量が落とされていて薄暗い。

 

 そんな中でジェイドは、ただ静かにリックの右手首に手を添えていた。

 

 脈を取っているのだ、とアニスが認識したところで、とっくにこちらに気づいていたのだろうジェイドが振り返る。

 そしてアニスが持っているトレイを見て、口元に笑みを乗せた。

 

「おや、この子のですか」

 

「あ、えっと、そーです」

 

 眠ったばかりだからしばらく起きないだろう、というジェイドの説明を聞いて、それでも起きたら食べられるようにとベッドサイドの棚にトレイを置いたアニスは、今もまだリックの手首に添えられたままのジェイドの手をちらりと見た。

 

「……リック、どっかおかしいんですか?」

 

「強いて言うなら頭が若干アレですね」

 

「いやそれは知ってますけどぉ」

 

 そうじゃなくて、と言葉を濁したアニスに、ジェイドは小さく肩をすくめていつもの笑みを浮かべた。

 

「正真正銘、バカが引くただの風邪ですよ。一日休めば治るでしょう」

 

 熱で顔はまだ赤いものの、間の抜けた顔ですやすやと眠っているリックの様子からして、それは本当のことなのだろう。

 

「じゃあなんでリックの脈なんて取ってたんですか?」

 

 ただ風邪の具合を見ていたわけではないはずだと、アニスは半ば確信する。

 そう思わせるような、どこか形式めいた ぎこちなさが、先ほどの光景にはあったのだ。

 

 そしてアニスが目撃できたということは、ジェイドにもさほど隠すつもりが無かったということなのだろう。もちろんあえて見せようという気もなかっただろうが。

 

 ジェイドはリックの右手からするりと己の指を外して、その流れで静かに眼鏡を押し上げた。

 きれいだとリックが手放しで褒める赤い瞳が、光の反射の向こうに消える。

 

「――レプリカというのは、脆い生き物ですから」

 

 ぽつり、と。

 

 あまり感情を滲ませない声が紡いだその言葉を聞いて、アニスの中に浮かび上がったのは、ひとつの仮説だった。

 

 ああきっと。

 ジェイドはリックの臆病さを、ある意味で信頼していたのだ。

 

 臆病者はどんな状況にあっても自分自身の命を最優先する。

 その前提があったからこそ、ジェイドは今まで、リックを心配しなくてもよかったのだろう。

 

 立ち止まって振り返って、無事を確認する必要なんてなかった。そのはずだった。

 あの日アブソーブゲートで、リックがヴァンの前に立ちはだかるまでは。

 

 ジェイドはそこでほとんど初めて、“リックが死ぬ可能性”を考えたのかもしれない。

 

 もちろん死なない生き物などいないのだが、少なくとも目の届く範囲で、自分より先に死ぬことはないだろう、と。

 あの現実主義の塊のようなジェイドにそう思わせてもおかしくないくらいに、リックの、死への恐怖……生への執着は、絶対的なものであったように見えた。

 

 けれどあの臆病な子供は少しずつ変わっていった。

 

 アブソーブゲート、レムの塔、そして昨日のロニール雪山と、臆病なまま、それでも大事なものを守るために立ち向かおうとするリックを見て、この旅の中で同じように変わっていったジェイドは、諦めたのではないだろうか。

 

 失うことを懸念せずにいることを。

 

 心配しないことを、諦めたのではないかと、アニスは思うのだ。

 

 だからただの風邪だと理解していて、己の行動が意味のないものであると知っていて、それでも鼓動に触れて確かめるのは。

 

(よかったねリック)

 

 それとも「残念だね」と言うのが正しいだろうかと、せっかくの肝心なときに眠りこけている子供を見やる。

 

(――大佐、心配だってさ)

 

 だから早く元気になって、いつもどおりの情けない顔でジェイドの周りをうろついて怒られてしまえばいいと、アニスは寝言でまでジェイドを呼んでいるリックの頬をツンとつついて、小さく笑った。

 

 

 




そして翌朝どころか昼前には全快してジェイドを呆れさせるスーパー健康優良児の姿がそこに。


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最終決戦編
リックに女の影?


ルーク視点


 

 

 

「そういえば私、見ちゃったんだよね」

 

「何を?」

 

「リックがきれいな女の人と一緒にいるとこ」

 

 アニスの言葉に、ルークは飲みかけていた紅茶を盛大に噴き出した。

 

 惑星譜術を巡る旅を終えたルーク達は今バチカルのファブレ邸にて、来るべきエルドラント攻略に向けて英気を養っていた。

 そんな中、昼食後の穏やかなティータイムにいきなりぶっ込まれた話題にむせかえりつつ、ルークはかろうじて「はぁ!?」とあらゆる疑問を凝縮した一声を放った。ちなみに当のリックはつい先ほど「よぉし散歩に行くぞー!」と宣言して出かけていったのでここにはいない。

 

「昨日たまたま城下町で見かけたんだけど、あのリックがビビりもしないで親しげに話してたからさぁ。もしかして恋人? みたいな?」

 

「げほ、ごほっ……んなまさか! リックだろ!?」

 

「リックだけどぉ。一応顔は良いし、母性本能が振り切れてる感じのタイプなら中身アレでも良いって思うかもしんないじゃん」

 

 散々な言いようではあるが、ルークもアニスも、リックの人間性に特別問題があるとは思っていない。まぁ問題無くもないが、基本的には穏やかで人当たりの良い男だ。

 

 ジェイドジェイドと騒がしいところや死ぬほどビビリ倒しているところさえ見せなければ、好意を持ってくれる女性はそれなりに現れるだろう。

 アニスの言うように、中にはそんな面まで含めて好きだという相手だっているかもしれない。

 

 だからルークが「まさか」というのは、相手側よりもリック本人の性質を指してのことだった。

 ルークの言いたいことを察したらしいガイが苦笑を浮かべる。

 

「恋だ愛だって目を輝かせて騒ぐわりには、そのへん全然だからなぁ」

 

「お子様ですからね」

 

 ガイの言葉を継いだジェイドはついでのようにルークのこともちらりと見たが、お子様その二と見なされたルークはそれに気づかずに唸り声をあげる。やはり納得がいかない。

 

「まあ。誰かを愛しく想うことに年齢など関係ありませんわ。リックだって自分で気づかないだけで、恋をしているかもしれません」

 

「そういえば、ナタリアは子供のころから婚約者がいたわけだものね」

 

 ティアが得心したように頷く。

 立場上、周囲が決めた婚約であるとはいえ、いつか結ばれる相手に対する幼いながらの ほのかな想いは、彼女のよく知るところであるのだろう。

 

 しかし皆、やはり現状であのリックに恋人が出来るとは思えないのか、それぞれどこか微妙な様子で頭をひねっていた。ジェイドは全くいつもどおりだったが。

 

 そんな中、ふいにアニスが悪い顔でにやりと笑った。

 

「ルーク隊員」

 

「……何だよ隊員って」

 

 いやな予感がしたルークが心持ち身を引きながら問い返すと、アニスはそんなルークに向かって人差し指をびしりと突きつける。

 

「きみをリック恋人疑惑事件の調査員に任命しよーう!」

 

 一瞬の静寂の後、ファブレ邸には本日二度目となる、ルークの盛大な「はぁああ!?」の一声が響き渡ったのだった。

 

 

 

 

 翌日。

 

 また「よぉし散歩に行くぞー!」と宣言をしてファブレ邸を出たリックの後を追って、ルークはバチカルの城下町に来ていた。そう、一人でだ。

 

 当初はこの計画を言い出したアニスも来るはずだったのだが、出発直前でラムダスに呼び止められ、体調を崩した料理人の代わりに客に出す料理を作って欲しいと頼まれてしまい、「しっかり調査してきてよね!」とルークに全てを託してリトルビッグシェフは去っていった。

 

 残りのメンバーも、ナタリアは公務、ティアはシュザンヌの話し相手、ガイはメイド達に追い回されていて捕まらず、ジェイドは面倒事の気配を察したのかいつのまにやら姿を消していた。

 

 そんなわけでルークはたった一人でリックの尾行をするはめになったことを最初こそ不服に思ったわけだが、実際 屋敷にこもっていたところでろくな事を考えないし、恋人疑惑の真相についても正直気になっている。

 

 結果、調査員として全力を尽くすことにしたルークは、先ほどからリックの動向を真剣に観察しているのだが。

 

「……何してんだ、あいつ」

 

 リックは先ほどから大階段の端に腰を下ろして、流れる人波をじっと眺めていた。

 

 かと思えばたまに何かに気づいたように立ち上がり、目の前を過ぎた通行人を追いかけ、少々話してから元の位置に戻る、という行動を何度か繰り返している。

 

 最初は女性に声をかけていたから、まさかのナンパかと驚愕したのだが、その次は男性に話しかけたり、老人だったりと、リックが呼び止める相手は性別も年代も様々だった。どうやら違うらしい。

 

 そしてリックに話しかけられた相手の反応も、怯えて逃げるように走り去ったり、嫌そうな顔をして怒ったり、昔からの仲間みたいに会話に応じたりと実に様々だ。

 

 観察すればするほど、謎が深まる。

 

「あー、せめて話してる内容が聞こえればなぁ」

 

 もう少し距離を詰めようかとルークが悩み出したそのとき、今までとは逆に、リックに向かって近づいてくる人影が現れたのに気づいた。

 同じくそれに気づいたらしいリックが、ぱっと表情を輝かせながら駆け寄っていった、その相手は。

 

「え」

 

 リックの外見と同じくらいの年の頃の、美しい女性だった。

 彼女は親しげな様子でリックと言葉を交わしはじめる。

 

 見ちゃったんだよね、と昨日聞いたアニスの声が脳内にこだました。

 

「え、え、なに、まじで……は?」

 

 言葉にならない衝撃にルークが目を白黒させている間にも、大階段の端に並んで座った二人はなにやら熱心に話をしている。

 リックが身振り手振りを交えて一生懸命に何かを伝え、女性は柔らかな笑みを浮かべながら、ひとつひとつ頷いて聞いていた。

 

 まさか本当に恋人かとルークは謎に戦々恐々としながらその光景を見守っていたが、そのうちに、どうもやっぱり違うような気がしてきて首を傾げる。

 

 ルークが色恋沙汰に疎い分を差し引いたとしても、あの二人の間にはそういった甘い空気がちっとも感じられない。

 どちらかといえば身内のような、親戚のような、何か共通のつながりによる絆に裏打ちされた、そんな関係に近く見えた。

 

「共通の、つながり……」

 

 マルクトで暮らすリックにとって長らく敵国であり、以前からの知り合いなどいるはずもないキムラスカの王都バチカルで、家族や親戚にも等しい共通のつながりがあるとすれば。

 

 それは。

 

「――レプリカ?」

 

 そう思うと、今までルークが抱いていた曖昧な違和感がすべて払拭される。

 フェレス島やレムの島で見たときのように揃いのボディスーツを着てはいなかったが、リックが声をかけた人々はみんなレプリカだったのだろう。

 

 見た目にはもはや普通の人間と変わらない彼らをどうやって見分けたのかは分からないけれど、きっと今話している彼女も。そう思えば二人の間にある空気にも納得がいった。

 

 現状では“レプリカ”の象徴といえるあのボディスーツを捨て、街に紛れることが出来るだけの知恵を、自我を持ったレプリカ達。

 リックが何を思って、彼らに何を伝えようとして、何をしようとしているのか、詳しいことは分からないままだったが、真剣な顔で懸命に話すリックの姿に、ルークは小さく息をついてがしがしと頭をかいた。

 

 しばらくして女性はふいに紙とペンを取り出して短く何か書き付けると、その紙をリックに渡して微笑んだ。

 リックは一瞬呆けた顔をした後、じわじわと喜びを浮かばせた様子で紙を受け取り、彼女に向かって深々と頭を下げる。

 

 女性は軽く手を振って立ち上がると、最後にリックの頭を撫でるようにぽんと手を置いて、その場を立ち去っていった。

 

 彼女の背中を見送りながら、触れられた頭に手を置いたリックが苦笑するのまで見届けたところで、ルークは今まで隠れていた物陰を出た。

 

「リック」

 

 そうして声をかければ、まだそれなりに距離があったにも関わらず素早くルークの姿を見つけたリックが、ぱぁっと目を輝かせた。相変わらずの反応の良さに今度はルークが苦笑を浮かべる。

 

「ルーク! どうしたのこんなところで!」

 

「あー、まぁ、散歩?」

 

 尾行していた手前、少々ぎこちなく「お前は?」と問い返すと、リックは先ほど女性から渡された紙を大切そうに顔の脇に掲げた。

 ひらりと風に揺れた紙には――先ほどの女性のものだろうか――名前と住所らしきものが書かれている。

 

「連絡先集め、かなっ」

 

 そう言ってリックはちょっと気恥ずかしそうに、しかしどこか誇らしげな顔で、笑ったのだった。

 

 

 

 

 もう少しあの場に居るというリックと別れて屋敷に戻ってくると、ルークはすぐアニスに捕まって、調査報告会という名目の午後のお茶会に引っ張り込まれた。場所はジェイドとリックが使っている客室だ。

 

「で? それで? どうだった?」

 

 リックを除いた全員が集まった部屋の中で、アニスが楽しげに問いかけてくる。

 好奇心に輝く目からルークはそろりと視線をそらして頬をかいた。

 

「あー……やっぱ何でもなかったよ。アニスが見たっていうのも、たまたま道聞かれてたとか、そういうのだろ」

 

 しどろもどろにルークが返した言い訳にアニスは一瞬黙り込み、その大きな茶色の目でじっとルークを見据えていたが、やがてひょいと肩をすくめた。

 

「ふーん。まぁリックだもんね、そんなとこでしょ」

 

 もっと追求されるかと思っていたが、アニスはそのままあっさり話を切り上げると、今度はガイがメイドに追い回されていた件でからかい始める。

 あれほど乗り気だったアニスのそんな反応を不思議に思いつつも、ルークは拍子抜け半分、安堵が半分の溜息をついたのだった。

 

 

 そしてお茶会はナタリアの公務の時間が迫ったところでお開きとなり、現在部屋の主であるジェイドを除いたみんなが部屋を出た後、ルークは扉をくぐる前に足を止めた。

 

「なぁ、やっぱりジェイドは知ってたのか?」

 

 肩越しに振り返って問いかければ、何をと言われずとも分かったらしいジェイドが、わずかに微笑んで首を傾げた。

 

「私が知っていたのは、何かやりたいことがあるようだ、ということだけですよ」

 

 それだけ分かってりゃ十分だろ、と相変わらず何でもお見通しな男をルークは半眼で見やる。しかしあのリックがジェイドにも詳細を話していないというのは意外だった。

 

「…………あのさ、」

 

「ルーク」

 

 迷った末に口を開きかけたルークを、ジェイドの静かな、しかしどこか穏やかな声が押しとどめる。

 

「おそらくもう少し目処がついたら言うつもりなのでしょうから、私はそれを待つことにしますよ」

 

 本人の口から、それを告げられる時を。

 

 ゆるりと細められた赤色を見やって、ルークは「そっか」と小さく笑った。

 

 

 



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エピローグ後
新米レプリカ保護官とカレーの現状


ピオニー視点


 

「実際、リックの立場ってどうなんです?」

 

 エルドラントを巡る一連の騒動の後始末で、雪だるま式に増えていく執務地獄の中、自主的に休憩をもぎとってジェイドの執務室に転がり込んでいたピオニーは、ガイの言葉にひとつ目を瞬かせた。

 

「どうっつーと」

 

「傍仕えだった兵士が実はレプリカで、しかも突然マルクト軍大佐の息子。それに事実上の地位は無いに等しいですが、レプリカ保護官への抜擢……風当たりは強いのでは?」

 

 心配げに眉をひそめて言う青年に、ピオニーは肩をすくめて返す。

 

「まぁそりゃ、何も無しってわけにはいかないわな」

 

「大丈夫なんですか?」

 

 ピオニーは、こちらの会話に我関せずで仕事を続けている執務室の主をちらりと見やり、それから目の前で怪訝そうに首を傾げるガイにまた視線を戻した。

 

「あー、そうだな。例えばこの間の会議なんだが、頭の固い年寄りがいらんことを言ったんだ」

 

 ――大分 数が減ったとはいえ、レプリカ問題は未だ深刻です。聞けばリック殿はレプリカであるとか。それでは苦労も多いでしょうなあ。

 

 ――何せレプリカは気味の悪い人間もどきだと……ああこれはもちろん私の意見ではありませんよ。一般的な認識の話です。

 

 ――ただ私は、レプリカ保護官といった立場の中でそういった偏見や蔑視を受けたリック殿が、我々人間に対して不信感を抱くというような事がなければ良いのですがと、ご心配申し上げているのです。

 

「……リックがレプリカ達を率いて反乱を起こす可能性があると?」

 

「えらく回りくどい言い方だったが、そういう事だな」

 

「あるわけ無いでしょう! 大体あいつがそんな奴だったらとっくに反乱してますよ! ジェイドの部下をやってた段階で!!!」

 

「まあまあ落ち着けガイラルディア」

 

 今後もレプリカのレプリカ保護官として活動するなら、この手の揶揄はくさるほど受けることになる。

 あまり酷ければ多少諫めるくらいはしたかもしれないが、それでもピオニーもジェイドも、リックが挑むべき新たな戦場に、口を挟むつもりはなかった。

 

「それでも俺だって多少は心配してたんだ。腹芸だの舌戦だの、どう考えても向いてないからな。だが、俺は忘れていた。あいつが誰のもとで数年働き続けてきたのかを」

 

「……というと」

 

「ジェイドの嫌味に慣れすぎてて並大抵の嫌味は笑えるほど通じない」

 

 ド直球なものから真綿で首を絞めるようなものまで、ありとあらゆるパターンの巧みな嫌味をその身に受けながら生きてきたリックに、生半可な嫌味など、そよ風に等しかった……のかもしれない。

 

 ――お気遣いありがとうございます! 大丈夫です! これから精一杯頑張りますので、よろしくお願いします!

 

 会議の場に緊張しつつも元気いっぱい答えていたリックを見ながら、慣れって怖い、とピオニーは思った。

 

「あれだけ手応えが無いと、いっそ毒気を抜かれるかもなぁ」

 

「あぁー……」

 

 ガイが何とも言えない表情で、しかしどこか納得したように唸っていると、扉が数回ノックされる音が部屋に響く。

 失礼します、と言って中に入ってきたのは、大きめの皿が二枚乗ったトレイを持ったリックだった。

 

「ジェイドさーん、ピオニーさーん。出来まし……あれ、ガイだ! いらっしゃい!」

 

 執務室の中にガイを姿を見つけたリックが家族を見つけた犬のごとくパッと目を輝かせると、ガイも思わずと言ったように小さく笑って、気安い調子で片手を上げた。

 

「ガイもカレー食べる?」

 

「ん? ああ、それカレーか。どうりで何か良い匂いがすると」

 

 トレイの上を見て納得したように言ったガイに、リックは「へへー」と締まりのない顔で笑ってから、カレーが盛られた皿の一つをまず真っ先にジェイドのところへ持って行く。

 

「ジェイドさんどうぞ!」

 

「ありがとうございます。……そこに」

 

「はい!」

 

 机上の開いた一角にてきぱきと食事の準備を整え、満足げに頷いたリックが今度はピオニーのほうへとやってきてカレーの皿を差し出した。

 

「ピオニーさんもどうぞ!」

 

「おー。しかし迷わず皇帝を後回しとは相変わらず歪み無いなお前」

 

 皿とスプーンを受け取りつつ、ピオニーは改めてガイに、お前も食べていったらどうだ、と勧めた。

 

 すると大臣に泣きつかれて脱走した皇帝を回収にきたお人好しの青年は、こちらが食べ終わるまで戻る気がないことを悟ったようで、ひとつ溜息をついてリックに苦笑を向ける。

 

「……そうだな、頼めるか?」

 

「了解! ちょっと待ってて!」

 

 それに元気よく敬礼を返したリックがまた執務室から飛び出していくのを見送って、ピオニーはカレーをひとくち頬張った。

 視界の端では、書類を脇によけたジェイドも同じようにカレーを食べ始めている。

 

「お前どんなに忙しくてもリックのカレーは食うよな」

 

「まあ、これに関してだけはあの子のことを心から評価してますよ」

 

「正直スパイスの調合からやり出すようになるとは思わなかった」

 

「そのうち野菜も自分で育てたいって言ってましたねぇ」

 

「どこまで行く気だアイツ」

 

 “親”に似たのか何なのか、あの子供はことのほか凝り性であったらしい。

 一連の旅の中でカレー作りの技術をやたらと上げて帰ってきたリックは、どこかの誰かに最高のカレーを食べさせるために、現在も日々邁進中である。

 

 めずらしく素直に褒めるジェイドの言葉を聞いたガイが、感慨深そうに目を細めた。

 

「一部の試作品はともかくとして、本当に上手くなったよな。最初のころは何というか、まずくはないけど、って感じだったが」

 

「まぁ今もカレー以外はその味ですけどね」

 

「カ、カレーの付け合わせに作ってるサラダだってわりと上達しただろ! ……盛りつけとか!」

 

 なぜかガイが必死にフォローしてやっている姿を見ながら、ピオニーはリックの料理がずっと半端な味だった理由を考える。

 

 それはきっと、あの子供に“好み”が無かったせいだ。

 好きも嫌いも“誰か”に由来していて、自分で選んだ味がなかった。

 

 逆にジェイドは何でもそれなりに美味しく作る。

 だけどレシピに忠実に作りすぎるから、何も特徴がなくなる。

 

 正反対のようでいて、やはりどこか似ているものだと思った。

 

 またひとくち、ばくりとカレーを放り込む。

 口の中に広がる温かな風味に、ピオニーはひとつ頷いて、満足げに口の端を上げた。

 

 

 




副題 『ぶっちゃけ休憩とかしてる場合じゃないくらいクッソ忙しい男達による束の間の現実逃避』



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新米レプリカ保護官と彼女の近況

ティア視点


 

 その日、久しぶりにユリアシティを離れたティアが訪れたダアトの教会。

 そこにはアニスの他にもう一人、予想していなかった人物の姿があった。

 

「リック?」

 

「ひぃスミマセンすぐ対応します!!! ……えっ。あ、ティアさん!」

 

 名を呼ばれて反射的に声を上げたらしいリックが、こちらを振り返ってパッと表情を輝かせる。その反応に小さく笑みをこぼして、ティアは二人のもとに歩み寄った。

 

「ティア久しぶりー! 元気だった?」

 

 今日はどしたの、と首を傾げたアニスに、ティアは手にした書類の束を掲げる。

 

「私はこれを届けに来たんだけど、リックも来ていたのね」

 

「はい! レプリカ保護官としての打ち合わせと、……ディストを正式にマルクトで引き取るための面倒くさい手続きを色々」

 

 旅の仲間達には決して見せないような、心底忌々しげな表情で吐き捨てたリックに苦笑していると、アニスが「あとフローリアンの健康診断にね」と付け足した言葉を聞いて首を傾げた。

 

「健康診断? リックが?」

 

 それは、医療的な専門家ではなかったはずのリックが健診をするという事に対してであったり、マルクト担当のレプリカ保護官であるはずの彼がダアトにいるフローリアンを診に来る事にであったりと、様々な疑問を込めた問いだったが、ひとまず前者の意味で取ったらしいアニスがにやにやと笑ってリックをこづいた。

 

「ってやっぱり思うよね~。リックほんとに出来るのぉ?」

 

「で、できますよ! そのためにジェイドさんのスパルタ指導受けたんだから大丈夫です!」

 

「ほえ? 健康診断のためにわざわざ大佐が直接指導?」

 

「基本的なところは専門の方に習ったんですけど、他にも色々ありまして、そのへんを大佐にお願いしました」

 

「あーレプリカだから音素の結合がうんたらくんたら、とか?」

 

「ハイそんな感じのを……色んな意味で身を持って学びました……」

 

 座学にも関わらず綺麗なお花畑が見えました、と遠い目をするリックの向こうに、自前のサンプルがあるんだから使わない手はありませんよね、と笑うジェイドの姿が浮かぶようだとアニスがぬるい同情の眼差しを向けていた。

 

「ゆくゆくはこっちのレプリカ保護官の人にお願いするんですけど、今のところはオレが担当させてもらってます」

 

 レプリカ問題には各国が共同で取り組むことで合意されているが、予算や人材の確保などの政策的な面はともかく、当のレプリカ達への対応については現状マルクトが先導する形になっている。

 これに関しては、レプリカ研究の第一人者であるジェイドの存在が大きいのだろう。

 

 そのジェイドの知識を叩き込まれたリックが、ジェイドに代わって各国の保護官に伝えていく予定で、今は準備段階にあるらしい。今回のフローリアンの健康診断もその一環だそうだ。

 

「それでわざわざダアトまで来てるのね。お疲れさま」

 

「オレとしては嬉しいですよ! アニスさんにもフローリアン……さまにも会えますし」

 

「おぉっとリック~? フローリアン?」

 

「フローリアン、……さま」

 

 アニスの指摘から逃れるように、リックがついと目をそらした。

 

 モースに代わり大詠師となったトリトハイムも様付けで呼んでいるのに自分が呼び捨てにするわけには、とリックはフローリアンに対して敬語と敬称を使っている。

 しかしどこか弟のように思っているフローリアンに、油断するとすぐ気安く接してしまいそうになるらしく、こうして敬称に詰まってはアニスにからかわれていた。

 

「リック、あまり無理しなくていいんじゃないかしら。みんな気にしないと思うけど……」

 

「ホントわけ分かんないとこでビビるよね。ナタリアのこと呼び捨てにしてる段階でもう怖いもんなくない?」

 

 そうなんですけど、いやでも、とまごつくリックに向かって、またアニスがにやにやとした笑みを向ける。

 

「いーじゃんビシッと呼んじゃいなよ、リックぐ・ん・そ・う様~! でしょ」

 

「う、うわぁ、それ呼ばれるとゾクッとします」

 

「おっ昇進の快感で?」

 

「恐怖で……畏れ多くて……」

 

「どこまでもビビリか! えー、じゃあカーティス軍曹?」

 

「畏れ多さが増してますアニスさん!!!」

 

 とんとんと進んでいく会話を聞きながら、ティアはぱちりとひとつ目を瞬かせた。

 

「リック、もしかして昇進したの?」

 

「はい一応……あれ、アニスさんから聞いてませんか?」

 

「レプリカ保護官の件と、大佐の養子になったって事は聞いたけど」

 

「あ。その手紙来たあとティアに会ってなかったかも」

 

 アニスとリックはお互いに忙しい時間を縫って、こまめに手紙のやりとりをしている。

 だからティアもアニス経由で近況を聞いているのだが、このところはずっとユリアシティにいたためその機会はなかった。

 

「エルドラントの件と、今までの功績を評価して、ってことで昇進のお話を頂いたんですけど」

 

 自分はただついて行っただけで殆ど何もしていないから、最初は断るつもりだったとリックは言う。

 

「そうしたら大佐に、有り難く拝命しておきなさい、って言われて」

 

 “いつかティアも言っていましたが、国家というものは勲章か昇進か、それくらいしか感謝を示す方法がないんですよ。”

 

 ジェイドはそう言って肩をすくめたという。

 

「なら大佐も昇進を?」

 

「あ、いえジェイドさんは。今はまだ自由に動けないと不便だからって断ってました」

 

「そんだけ言っといて自分は国の感謝 受け取らないんだっていう」

 

「……大佐らしいわね」

 

 そんなわけで今はリック一等兵ではなく、リック・カーティス軍曹なのだと、そう言うリック本人もまだ慣れない様子でぎこちなく階級とファミリーネームを付け足して苦笑した。

 

「そういえばさぁ、大佐との親子生活ってどんな感じ? パパ……は無いとして、父さんとか父上とか呼んだりしたの?」

 

 カーティスという名を聞いて思い出したのか、アニスが興味津々といった様子で尋ねる。

 するとリックは、え、と驚いたように目を丸くした。

 

「特に、今までと変わりないですけど」

 

「えぇぇ何そのうっすい反応。大佐の息子になった感動とか興奮とかないわけ?」

 

「いやだって、オレはその、アレですし」

 

「何アレって」

 

 アニスにじとりと半眼で睨まれたリックが、気まずそうに頬をかく。

 

「親子って言っても書類上の形だけだから、あまり深く考えなくていいって、ジェイドさんが。だからオレはあくまで単なる養子であって、別に父親とか……む、息子とか、そういうわけでは」

 

 顔を赤くしたり青くしたりと百面相をしながら、しどろもどろに為される説明を聞いて、ティアは困ったように眉尻を下げた。

 

「リック。たぶん大佐が言いたかったのはそういうことじゃなくて、」

 

「いいよティアもうほっときなよ……ライガも食わないってやつだよ……」

 

 どうせまたしばらくグダグダやって周りに散々心配かけといて結局いつの間にか良い感じのとこに落ち着いてるんだよ、と実感たっぷりの口調で言ったアニスが、ティアの肩に手をおいてふるふると首を横に振った。

 

 あの旅を乗り越え、レプリカ保護官として働き出して、随分しっかりしてきたと思ったが、こういうところはまるで変わらない。相変わらず遠回りをしながら、それでも必死にもがいているらしい。

 

 リックらしいと思わず零れた笑みをふと消して、ティアは目を伏せた。

 

 かつての仲間達は皆それぞれのやり方で、前に進もうと頑張っている。

 ティアだけが、今もあの日に囚われたままなのかもしれない。

 

 記憶の中に揺れる赤。そこに思いを馳せたティアの耳に、あの、と小さな声が届く。

 はたと見上げると、気遣わしげな表情でこちらを覗き込んでいたリックが何事かを言いかけて、しかし止め、代わりに明るい笑みを浮かべた。

 

「オレ、今度からティアさんにもお手紙書いていいですか?」

 

 そうすれば今回のような昇進の話や、それ以外のちょっとした近況などもすぐに伝えられるから、と熱心に訴えてくるリックの様子に、ティアはまた思わず――今度こそしっかりと――笑った。

 

「私はあまり手紙を書いたことがないから、味気ない返事になってしまうかもしれないけど」

 

 それでもよければ、と肯定を返すと、リックは一瞬ほっとしたように眉尻を下げる。

 そしてとても嬉しそうな顔をして、「こちらこそよろしくお願いします」と言った。

 

 






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新米レプリカ保護官 vs 譜業博士 vs レプリカンティス

 

 

「ワイヨン鏡窟の調査依頼、ですか?」

 

 告げられた場所の記憶を、あの濃密な旅の思い出から引っ張り出す。

 執務机で書類をめくっていたジェイドさんは、そうです、と肯定して顔を上げた。

 

 こちらを向いた赤い瞳を見返しつつ、俺は首を傾げる。

 

「あそこってキムラスカ領ですよねぇ。どうしてジェイドさんが、っていうかマルクトがやることになったんですか?」

 

「平和条約を締結したとはいえ、向こうがわざわざ依頼してくるような案件は今ひとつしかないでしょう」

 

「あ、レプリカ関係ですか」

 

「ええ。まぁこの件に関わっている張本人の身柄がこちらにあるから、というのもありますが」

 

 目的地の名を考えても確実に張本人でしかないサフィール・ワイヨン・ネイスこと

ディストの身柄は先日、正式にダアトからマルクトに移された。

 いや、本体はずっとグランコクマにいるし、不本意にもちょくちょく顔を合わせているのでとても今更感があるが、書面の上での手続きもようやく終わったのだ。

 

「シェリダンで開発中のレプリカ探索機が、ワイヨン鏡窟の方角から大規模なレプリカとフォミクリー反応を捉えました」

 

 装置はまだ未完成なので誤作動の可能性が高いけれど、下手に放置して何かあったら大変だし、念のため調べておきたいということらしい。

 

「我々はその先遣隊といったところです」

 

「なるほ……我々?」

 

「おや、自分の肩書を忘れましたか?」

 

「わ、忘れてません!」

 

 俺はジェイドさんの直属部下で、レプリカ保護官だ。

 『ジェイドさんが』『レプリカの反応を』調べにいくというならば、それはもうついて行くしかないだろう。

 

 しかし何かこう、デジャブ感溢れるやりとりである。

 具体的に言うと、ぜんぜん平和じゃなかった平和条約を巡る旅に行く前にも、こんなやりとりをした気がする。ちょっと不安になってきた。

 

「……これは、平和な任務なん……ですよね?」

 

「今回のところは調査だけですからねぇ。平和なんじゃないですか?」

 

「そ、そうですよね! 調査ですもんね!」

 

 ほっとして喜ぶ俺を見るジェイドさんが、どこか生ぬるい笑みを浮かべていたことには気づかぬまま。

 

 

 迎えた調査当日。

 

 

 俺はキラービーを噛み潰したような顔をして、隣で同じような表情をしている男とともに、ワイヨン鏡窟の中を進んでいた。

 

「まったく、どうして私がこんな場所まで来なきゃならないんです」

 

「その“こんな場所”に研究施設作ったの誰だよ」

 

「しかもジェイドとならいざ知らず、まさか、こんなノミの心臓レプリカとだなんて」

 

「ジェイドさんは別の仕事で遅れてくるって何回も言っただろ!」

 

 ただでさえ忙しいジェイドさんが、わざわざワイヨン鏡窟のあるラーデシア大陸まで調査に来れたのは、そもそもこちらで別件の任務があったからだ。

 キムラスカ側もそれを承知の上で、ならついでに、と依頼をしたというのが事の次第である。

 

 かくいう俺もこちらでレプリカ保護官としての仕事があったのだが、それが思いのほか早く済んだため、一足先にワイヨン鏡窟へやって来たのだ。

 

 出来れば、いや心の底からジェイドさんと一緒に来たかったのだが、極めて合理主義である上司が、暇な部下をそのままにするわけもなく。

 全力でごねる俺達を輝く笑顔で黙らせて、ジェイドさんは俺に先行調査を任せ、“重要参考人”とともに蹴り出し……送り出した。

 

「ノミレプリカ!」

 

「バカディスト!」

 

 ワイヨン鏡窟の調査における重要参考人、またの名をディスト。

 

 どうしてこの男が調査に同行しているのかといえば、事前に聴取して、現地に行って調査して、疑問点を持ち帰ってまた聴取して、結果を基にまた調査して……というお決まりの手順を「時間の無駄です」の一言で切って捨てた、やはりジェイドさんの合理主義ゆえである。

 

 まぁディストが相変わらずジェイドさんからの聴取にしか応じない以上、正規のやり方では何度も顔をつき合わせる羽目になるので、まとめて一気に終わらそうという事だったのかもしれないが。

 

 ただしディストはれっきとした囚人だ。その両手には縄が掛かっており、そこから延びる紐の先は俺がしっかりと握っている。もっとちゃんとした譜業式の手枷もあるんだけど、相手が譜業博士なことを考えると、縄のほうが安心だろう。絵面はひどいが。

 

 

 ジェイドさんが見ていたら呆れかえること間違いなしの口喧嘩をしながらたどり着いたのは、ワイヨン鏡窟の深部。スターと会ったあの場所だ。

 

 そこにドンと鎮座している音機関を前に、俺はここへ来る前にジェイドさんから叩き込まれた知識を引っ張り出しつつ、諸々の確認作業をこなす。

 

 ざっと見たかぎり前と変わった様子はないが、“大規模なレプリカとフォミクリー反応”の正体は何なのだろう。

 内心首を傾げていると、俺の手元を見ていたディストがバカにするように息を吐いた。

 

「手際が悪いですねぇ」

 

「……しょうがないだろ」

 

 イエモンさん達のおかげで音機関の扱いはそれなりになったと思うが、こんなでもやっぱり譜業博士であるディストと比べたら、俺の技術なんてそりゃオタオタレベルにしか見えないだろう。

 

「ふふん、せいぜい頑張って調べなさい。どうせ無駄でしょうがね」

 

 縛られてなかったら腰に手を当ててふんぞり返っていそうな調子でディストが言う。

 

 成果が出ないことを知ってるかのような口ぶりに何か引っかかるものを感じたが、装置の操作方法でいっぱいの頭ではうまく追求出来そうにない。

 悔しさに唸りつつも、とにかく今は任務を遂行しようと装置に向き直った。

 

 けれど、その後もディストが何かと茶々を入れてくる。

 遅いだのジェイドさんがいないことへの文句だのを告げてくるディストのそれは、ジェイドさんの嫌味の鋭さと比べれば、チュンチュンのさえずりにも等しいはずのものだった。しかし。

 

「あーもーうるっさいなぁ! そんなのオレだって! ジェイドさんと一緒がよかった!!!」

 

 そう。俺の怒りの沸点は対ディストの場合のみ、異様なほど低かった。

 

 怒鳴り返した勢いのまま、装置に拳を振り下ろす。

 もちろん操作盤のある箇所などではなく、ただの金属部に向かって、だが。

 

 何もない、何もないはずの場所に拳を叩きつけたその瞬間。

 

 どこかでカチリと音がした。

 

「え?」

 

「ちょっ、ばっ……!!」

 

 妙に焦ったディストの声が耳に届くが早いか、体が一気に浮遊感に見舞われる。

 気づけば俺達の足下にあったはずの地面が、円形にきれいさっぱりと無くなっていた。

 

 …………ジェ、

 

「ジェイドさぁああぁああんんー!!!」

 

「じぇいどぉぉお~!!!」

 

 悲鳴だけを地上に残して、俺達の体は、真っ暗な円の中へと落ちていった。

 

 

 

 拝啓、ジェイドさん。

 

 同行者がめちゃくちゃ気に入らないやつであること以外、わりと平和な任務であったはずの俺の前には今。

 

「なんって余計なことしてくれたんですか! このヘタレプリカ!」

 

「オレがいらんことしいなのはジェイドさんのお墨付きだから認めるけど! お前にだけは! 言われたくない!! ……なんなんだよアレ!!」

 

 ――――魔物図鑑には確実に載っていなかった、なんか、ものすごい大きくて怖くて強そうなモンスターがいます。

 無性にグランコクマに帰りたいです。

 

 突如として開いた穴から、何やら暗いダクトのようなところをオールドラント童話にあったおにぎりのごとく、すってんころりんころころりんと(実際はもっと悲惨な効果音だったが)転がり落ちた俺達が吐き出されたのは、ワイヨン鏡窟の地下空間だった。

 

 ここそのものは自然の地形なのだろうけど、周囲にはダクトや謎の装置などがあり、人の手が加えられたことは明らかだ。しかし以前の調査書にこんな場所の記録はない。

 

 それらをディストに問いただそうとしたその時、岩陰からのっそりと姿を現したのが、あのモンスターだった。

 

 でもレプリカらしき気配を感じるし、もしかしたら友好的なモンスターかもしれない。

 出会い頭で抱いた希望は、しかし一瞬で叩き潰された。むしろ俺達が叩き潰されかけた。

 

 だから今、こうして必死に逃げ回っているというわけである。

 

「出口とかないのかよ!」

 

「ありますがっ、外側から一定の手順を踏んで解除しないと開きませんよ! 私が作った隔離システムは、完璧です!」

 

「直通ダクト作っといて何言ってんだ!!」

 

「アレは、いざというときのっ……隠しギミッ……ああもう私は頭脳派なんですよ! いつまでっ、走り回らせるつもりですか! あなた剣士でしょう何とかしなさい!!」

 

 息も絶え絶えに無茶ぶりしてきたディストの言葉に、なんとかったって、と背後に迫るモンスターをチラ見した。

 

 うん。

 

「ムリだよ! どう考えても瞬殺だよ! オレが!!!」

 

「当たり前です! ノミレプリカにっ、そこまで期待してませんよ! 時間を……稼げと、言っているんですっ!!」

 

 そう言われて思わず目を丸くする。譜業博士にはどうやら何か策があるらしい。

 

 少し迷ったが、さしものディストも自分の命が掛かっている状況で下手なことはしないだろう。

 ひとつ息を吐いて腹をくくり、剣を抜いた。

 

「……三十秒。それ以上は保証しないからな!」

 

「ふん、私の手にかかれば五秒で完了ですよ!」

 

 ディストの両手に掛かった縄を斬り、お互いの顔は見ないままに吐き捨てる。

 どこかへ向かって駆けだしたディストの足音を聞きながら、俺はその場で体の向きを変えた。

 

 そうすれば、先ほどまで背にしていたモンスターの姿が、目の前へと現れる。

 冷や汗で滑りそうな剣の束を思いきり握りしめて、その巨大な体躯を見上げた。

 

 いや、しかし、これは。

 

「持つかな……三十秒……」

 

 先ほど切った啖呵の、舌の根も乾かないうちに零れた弱音を、ジェイドさんが聞いていたら鼻で笑ったに違いない。

 隙あらばひきつりそうな口元をそんな想像で無理やり笑みの形の変えて、俺は地を蹴った。

 

 でも別に倒すわけじゃないし、ただ気を逸らすだけなら何とかなるんじゃないか、なんて。

 

 そんな前向きなことを考えていた時が俺にもありました三秒くらい。

 

「ひぃ!!? ちょっ、でぃっ、ディストぉ!! まだ!? まだなのか!?」

 

「今やってます! というか十秒しかたってませんよ! 三十秒保証すると言ったのはどこのレプリカです!?」

 

「じゃあ五秒で完了って言ったのどこの譜業博士だよ!!! って、うわあ!」

 

 モンスターの腹から発射されたレーザーをかろうじて避ける。

 

 向かい合ったときの圧迫感で言えば、ネビリムよりはずっと軽い。

 けれどそのへんのモンスターとは全く比べものにならない迫力で、火炎弾やら氷結ブレスやらを飛ばしてくる謎のモンスターとの攻防は、三秒間に五回くらい命の危機を感じるものだった。

 

 そういう意味では遊ぶようにじわじわとこちらを痛めつけていたネビリムと比べ、純粋な殺意のみで仕留めに来ているあのモンスターのほうが、一瞬一瞬の緊迫感は上かもしれない。ていうかどっちも怖いムリ。

 

 とにかくディストのほうに攻撃が行かないようにと、胃に穴が開きそうな気分で、涙目になりながら逃げ回ること十数秒。

 

 広大な地下空間に、「なーっはっは!」とディストの笑い声が響きわたった。

 五秒はさすがに無理だったが、譜業博士はそれでも三十秒以内で作業を終えたらしい。

 

 ディストが操作していた装置から、何かの音が流れてくる。

 耳障りな雑音のようにも、美しい音楽のようにも聞こえる不思議な音色だった。

 

 するとモンスターが、突如として苦しげな唸り声を上げつつその場に倒れ込む。

 それを見届けて、「どうです!」とディストが得意げに胸を張った。

 

「こんなこともあろうかと用意しておいた、体内の第七音素に感応する特殊な振動数を発生させる装置!」

 

 そして指揮者のように両手を広げて、高々と己の発明品について語り始める。

 

「直接的なダメージは一切与えませんが、レプリカは全身に走る激痛で身じろぎもままならなくなります! つまり損傷を与えることなく、かつ安全に! レプリカを捕獲できるというわけです! まぁ第七音譜術士やその素養のある人間にも少々影響が出たりとまだ改良の余地はありますが、何にしてもレプリカへの効果は桁外れ! 絶大です!!」

 

「おまえはブウサギに蹴られて全治三週間の怪我をすればいい」

 

「だからそこまで言うならいっそ死ねと言えと前にも言ったでしょう! 貴方のそういう中途半端な温情が逆に怖いんですよ! 大体なんで責められなきゃいけないんですか、私はちゃんとレプリカを無力化し……あっ」

 

 ようやく気づいたらしいディストが、俺のほうを見て笑みをひきつらせる。だがすぐに開き直ったように胸を張った。

 

「そ、そういえばレプリカでしたねぇ!」

 

「ほんと覚えてろよ!!! いぃ、っ~~~~……!」

 

 モンスターともども地面に突っ伏したまま恨み言を絞り出すと、自分の怒鳴り声が体に反響してさらに悶絶する。

 

 しかし痛い。尋常じゃなく痛い。

 確かにこれなら、痛みで暴れるなんてレベルを通り越して動くことも出来ないだろうが、このままだと俺も逃げられない。

 

 動けるのがディストだけじゃ、とそこまで考えたところで はっとする。

 同時に同じ結論に行き着いたらしいディストが、装置の前で首を傾げた。

 

「これはもしや、脱獄する絶好の機会なのでは……?」

 

 何ちょっと悩んでんだジェイドさんに言いつけるぞ。

 

 痛む体に鞭打ってまた怒鳴りつけたようとしたとき、装置から流れる音の調子が、急に変わった。

 ガガッ、ザザザ、ピー、と歪んだ異音が混じり始めたかと思えば、やがて装置そのものが白煙を上げ始める。

 

 そして最後にボン!と軽快な爆発音を立てて装置は完全に沈黙した。

 

「……………………おい、譜業博士」

 

「……外殻降下時の衝撃! 障気の侵入! メンテナンスをせず長期に渡る放置! 故障の要因になる事なんていくらでもありますよバカじゃないですか!!?」

 

「逆ギレすんな!!」

 

 装置の停止。

 

 それすなわち、レプリカを無力化する音も止まった、というわけで。

 

 見ればあのモンスターがゆるゆると体を起こし始めていて、自分も慌てて立ち上がろうとするが、痛みの余韻で体がうまく動かない。

 

 それはモンスターも同様らしく先ほどより動きは鈍くなっているけれど、そもそも基礎能力が桁違いであるからか、向こうのほうが一足早く体勢を立て直した。

 

 ディストが必死に装置を再起動させようとしているのが視界の端に写ったが、さしもの譜業博士もあと数秒足らずでの復旧は難しいだろう。

 剣はかろうじて握れるが、受け流すにしろ逃げるにしろ、こんな状態でどうにか出来る相手じゃない。

 

 恐ろしいモンスターが、ひたりと俺に狙いを定めた。

 

 間に合わない。

 どうするにも、明らかに、間に合わない。

 

 それでも。

 

 “生きて守る”のだと、あの雪の街で誓ったのだから。

 

「あきらめて、たまるか……!」

 

 手持ちの譜術の中では最速で発動することが出来て、なおかつ逃げる時間を稼げる可能性のある、唯一の術式を展開する。

 

 別の生き物の頭のような形をした片腕を、モンスターがこちらへ向けた。

 先ほどそこから放たれたのは強力な火炎弾だった。直撃すれば、確実に終わる。

 

「…………っ!」

 

 諦めてはいない。けれど。どうしても間に合わない。

 抗いようのない現実が、目に痛いほど光り輝く炎の塊が、今まさに放たれようとした。

 

 そのとき。

 

「―――― サンダーブレード!」

 

 泣きたくなるほど大好きな声が、耳に届いた。

 

 鋭い雷にうたれたモンスターの腕から、放たれる直前だった火炎弾が、そのまま手元で暴発して弾ける。

 痛みにか、獲物をしとめ損ねた怒りにか、モンスターは腹の底まで響くようなびりびりとした雄叫びを上げた。声量と迫力に、圧倒されそうになる。

 

「ぼさっとしない!」 

 

 けれどその一喝にハッとして、構築の途中だった術式を一気に組み上げた。

 

 それが今まで“彼”にしか成功したことのない術だとか、確率の低さとか、失敗したらこの後どうするかとか。

 そんなことを考えてる暇もなく、ただ大好きな声に背中を蹴飛ばされるようにして、俺はその譜術を放つ。

 

「ピコハンッ!!!」

 

 それはモンスターの頭に落下して、ぴこっ、と緊迫感のない音を立てた。

 

 だがその平和な音に反して、効果は絶大である。

 急にふらふらと足下を覚束なくさせ始めたモンスターに、俺は術の成功を悟った。

 

「やっ、ぐえ」

 

 やった!と喜びの声を上げかけた喉から、なぜかゲコゲコの潰れたような音がこぼれる。いや、原因は分かっているので、なぜかも何もないのだが。

 

 俺の首根っこを掴んでずるずると引きずりながら、かの人は足早にどこかへ進む。

 少し離れたところから、ディストのものらしい足音が慌ただしくこちらに向かってくるのも聞こえた。

 

 やがて首根っこが解放されて、俺がぼたりと地面に落ちたのは、俺達が落ちてきたあのダクトのところだった。

 見ればそのときには無かった一本のロープが、ダクトの奥に続いているのが分かる。

 

 追いついたディストが、それを見て口元を引きつらせた。

 

「わ、私は頭脳派なんですよ? なのに、まさか、これで上まで登れというんですか!?」

 

「あ、あの……オレもまだちょっと、体がうまく動かないんです……けど……」

 

「おや。ではもうしばらく此処でアレと戯れて行きますか? 私は構いませんが」

 

「「全力で登らせて頂きます」」

 

 三秒間に五回のペースで訪れる命の危機はもうイヤです。

 

 奇跡的に成功したピコハンが効いているうちに、悲鳴を上げる体に鞭打って、ロープ伝いにダクトを上がっていく。

 その途中で疲労を紛らわすついでに、俺はふと気になったことをディストに尋ねた。

 

「ていうか、こんな技術あるなら……言いたかないけど何でヴァンに教えなかったんだよ」

 

 レプリカを無力化する装置。しかも効果は絶大。

 こんなものを使われたら、俺達はひとたまりもなかっただろう。

 

「私のっ、天才的発明を、どうしてわざわざ、あの男に貸し出してやらなきゃっ、ならないんです、か!」

 

「これこそ心底言いたくないけどお前がそう言う奴でよかったよ」

 

「はぁ? なんです、それは! というか今っ、話しかけないでくださいよ!」

 

 ぜぇはぁ言いながら怒鳴り返してくるディストに小さく肩をすくめて、あとは黙々と、暗くて狭いダクトの中をのぼり続けた。

 

 

 そしてようやく戻ることの出来た地上――といっても鏡窟の中だが――にて、かの人は「さて」とこちらを振り返り、優雅な動きでスッと眼鏡を押し上げた。

 

「現状に至るまでの詳細な報告をお願いします、リック軍曹殿」

 

「……ハイ、…………ジェイドさん」

 

 なんとも輝かしい笑顔を浮かべた上司を前に、俺はあの装置の余韻のせいばかりでなくぴるぴると体を震わせながら、涙目で頷く。

 

 とはいっても俺自身ほとんど訳の分からないままに落ちて、ああなってこうなって今に至っている。

 怖いモンスターが、変な装置が、といった程度のことしか言えないわけだけど、ジェイドさんはそんな俺の足りない説明であらかたの事情を察したらしい。呆れたようなため息をひとつ吐いた。

 

「いらないことをする男と空気の読めない男のコンビですから、どうせ平穏無事には行かないだろうとは思いましたが。相変わらず予想の斜め上にやらかしますねぇ貴方は」

 

「返す言葉もございません……」

 

「まぁ今回に限っては相応の収穫もありましたから、良しとしましょうか」

 

「え?」

 

 収穫。そんなものあっただろうかと首を傾げていると、ジェイドさんがおもむろにディストのほうを振り返った。

 

「ディ~スト?」

 

 そして弾むような声色で、その名を呼ぶ。

 

 こちら側からは青い軍服の背中しか見えないが、その対面でどんどん顔色を悪くしていくディストの様子からして、ああ、たぶん、とびっきり輝く笑顔を浮かべているんだろうなぁ。

 

「では、あの地下空間について、洗いざらい吐いて貰いましょうか」

 

 その言葉を合図に俺はそっと目を閉じて、耳をふさいだ。

 頭の中にきれいなお花畑を思い浮かべ、僅かに聞こえてくる断末魔から意識をそらす。

 

 きっと帰りは縄で拘束するまでもなく、逃亡する元気なんか残っていないに違いなかった。

 

 

 

 

 ディストへの聞き取り(?)の結果、あの地下空間は思ったよりずっと広大な造りであるらしい事が分かった。

 それにレプリカ探索機の反応からして、ほかにも複数のレプリカがいる可能性が高いという。

 

 別の場所にちゃんとした入り口があるそうなのだが、そちらはどうも厳重に細工してあるようで、それを突破しつつ、本格的に調べようと思ったらかなり掛かるだろうとの事だった。何がってお金が。

 

 結論から言うと、マルクトによるワイヨン鏡窟の調査は“保留”になった。

 

 今回の調査はキムラスカ側の依頼であるため報告は上げるけれど、レプリカ問題やらなにやらで人員も資金もすでにいっぱいいっぱいだ。

 差し迫った問題がないならば、まず間違いなくキムラスカでも“保留”になるだろうとのことだった。

 

「あとは潤沢に予算のある暇な方が、個人的に何とかしてくれる事を期待するしかないでしょうねぇ」

 

「そ、そんな人いますかね……」

 

「さあ?」

 

 帰りの船の中、ジェイドさんはそう言って肩をすくめた。

 

 

 それから報告書の作成に取り掛かったジェイドさんの邪魔をしないように、俺はベッドに腰を下ろして、おとなしく趣味に没頭している。

 

 少しすると、隣のベッドで屍のように転がっていたディストが、俺の手元をちらりと見て眉根を寄せた。

 

「……何ですかソレは」

 

「音機関」

 

 一から自分で作っているお手製品である。

 まぁただ前へ歩くだけの、ほとんどオモチャに近いものだが。

 

 手のひらサイズのそれをこね回す俺を、ディストは少しの間 黙って眺めていたけれど、やがて渋い顔でおもむろに手を差し出してきた。

 

「貸しなさい」

 

 そう言われて、俺もまた渋い顔になりつつも、「ん」と音機関をその掌へ乗せる。

 ベッドの上に身を起こしたディストは、俺の音機関をざっと眺めて、息を吐いた。

 

「……この回路は余分です、音素伝導率が悪くなる。こちらももっと簡略化して、摩擦を減らしなさい」

 

 ぽつぽつと上げられていく問題点はすべて納得のいくもので、なるほど譜業博士は伊達じゃないらしい、と俺もこればかりは素直に感心する。

 

 ディストにいつもの調子で口喧嘩をするだけの体力が残っていないこと、俺は報告書制作中のジェイドさんの邪魔をしたくないこと、そして音機関の話題であることなどの理由で、俺達の会話はかつてない程まともに進行していた。

 

「なんです? この薄汚れた歯車は」

 

 その途中、一番重要な位置に組み込んである煤けた歯車を見たディストが、怪訝そうに片眉を上げる。

 

「動作的には問題なさそうですが、わざわざこんなものを使わずともいいでしょうに」

 

 煤けた歯車。

 書類を書くジェイドさんの背中。

 目の前の、気にくわない男。

 

 すべてを順繰りに見やってから俺はふいとそっぽを向き、「いいんだよ、それで」と何食わぬ調子で吐き捨てた。

 

 






>新米レプリカ保護官vs譜業博士vs…
&でも+でもなくvs


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新米レプリカ保護官と盲目の男、そして皇帝陛下

 

 

 セントビナーの片隅にある、一人の男が暮らす小さな家。

 そこを手土産とともに訪ねると、家主の男は俺が渡したばかりのグランコクマ団子(六本入り)の箱の角を指先でなぞりながら、何とも微妙な表情を浮かべた。

 

「……お前もマメだよな。僕のこと嫌いなんだろうに」

 

 そう言って、もう二度と光を映さない両目を眇めてみせた男の名を、カシムという。

 

 自分自身に譜眼を施そうとして失敗し、盲目となった彼の身柄は、大佐の取り計らいのもと一度カーティスの屋敷に移された。

 そこでリハビリやら何やらをこなしていたようだが、やがてどうにか身の回りのことをこなせるようになった辺りで、支援を打ち切ってほしい、屋敷を出る、とカシムのほうから申し出があったらしい。

 

 そこに至るまでの間にカシムの中でどういう変化があったのかなんて、俺は知らない。こいつのことなんて知りたいとも思わない。

 けれど彼は確かに、あの日のことを飲み込んで、そして乗り越えたのだろう。

 

 たまに危なっかしいときもあるけれど、前より随分とスムーズになった彼の動きを視界の端に収めつつ、俺はいつものように掃除用具を取り出して、ふん、と息をついた。

 

「ああキライだね。かぎりなく。焦げ付いたカレー鍋と同じくらいキライだ」

 

「……お前の中で焦げた鍋がどの程度の位置づけかによって、受け取り方が変わってくるんだが」

 

「じゃあ言い方を変える。どこかの世界一空気が読めない男と同じくらい気に食わない」

 

「よ、余計分かりづらくなったぞ! どこの誰だそれは!」

 

 困惑するカシムをよそに黙々と掃除を続ければ、彼もまたひとつ息をついて、大人しく椅子に腰を下ろす。

 いつもならそのまま釈然としない顔をしつつも黙り込んでいるのだが、少しして、カシムがそろりと口を開いた。

 

「そんなに僕が嫌なら……なんであのとき大佐に取り次いでくれたんだよ」

 

 その言葉に、俺は拭き掃除をしていた手を止めて「はぁ?」と眉根を寄せる。

 

「ジェイドさんに会わせろって突然声かけてきたのそっちだろ。大体なんでオレだったんだよ」

 

「そりゃ……道ばたで書類ぶちまけてる間抜けな兵士が“ジェイドさんに怒られるぅ!”とか言ってたから」

 

「う、うるさいな転んだんだよ!! 忘れろ!」

 

「というか、お前も最初は断ってたじゃないか。涙目で。必死に。なのにどうして最終的に取り次ぐ気になったのかって話さ」

 

 今一度問われて、あの日の記憶がふと脳裏によみがえる。

 

 いくら俺がビビリだからって、頼み込まれて誰でも彼でも連れて行くわけもない。

 それでも。それでも俺が、結局この男の願いを叶えてしまったのは。 

 

「あんたも最初は――ただ本当に、ジェイドさんに憧れてただけだったんだろ」

 

 ジェイドさんのことを口にする彼の、きらきらと輝く瞳を覚えている。

 あのときは確かにあった、純粋な好意がにじむ声を、覚えている。

 

 俺はきっと、そこに少し自分を重ねたんだ。

 

「…………あとオレは別の人達に会うためにセントビナーに来てるんであって、あんたはついでだ! ついで!」

 

 気恥ずかしいような腹立たしいような気持ちで投げやりに怒鳴ると、カシムはしばらく沈黙を保った後、

 「そうか」とだけ呟いて、ふと、力の抜けたような笑みを浮かべた。

 

 

 

 

「ようリック。ジェイドなら今いないぞ」

 

 朝。

 いつもどおり大佐の執務室に行くと、そこではこの国の皇帝陛下がソファでくつろいでいました。

 

「あハイ……昼まで会議だって聞いてます……けど、あの、陛下は何を……?」

 

「自主休暇だ」

 

「サボリですね!?」

 

 もぬけの殻になった部屋を見て胃を押さえる大臣さん達の姿が目に浮かぶようだ。今度セントビナーに行ったときによく効く胃薬を調達してこようと思った。皆さんいつもお疲れさまです。

 

 ここで、本当に大臣さん達の胃を思うのなら、すぐに陛下を連れ戻してあげたほうがいいのだろうけど。

 

「……もー、ちょっとだけですよ」

 

 エルドラントのあれこれ以降とにかく忙しいピオニーさんに、少しくらい息抜きをさせてあげたいなという気持ちもあるのだ。

 だから形ばかりは怒ったように眉根を寄せつつも俺がそう告げると、ピオニーさんは喉の奥で小さく笑って、分かった分かった、と肩をすくめてみせた。

 

「そういや、またセントビナーに行ってきたんだって?」

 

大佐の机に山積みになった書類を仕分ける俺に、陛下がふと思い出したように問いかけてくる。

 

「はい。お母さん……被験者のお母さんが、お友達から良いお茶を貰ったから、近くに寄ることがあったら飲みにおいでって手紙をくれたので」

 

「いつの間にか母親と文通まで始めてんのか。まぁ最近はケガして帰ってくることも無いようだし、妹のほうともそこそこ上手くやれてるってわけだ」

 

「いや、そこは入室二秒で一閃きます」

 

「相変わらずか!」

 

 怪我をしなくなったのは、単純に俺が防御するようになったからである。

 最初の頃こそ驚きやら何やらで反応出来なかったものの、来ると分かっていて、こちらも剣を持っていて、なおかつ相手がヴァンとか六神将みたいなレベルでなければ、俺だってそれなりに対処は出来る。出来てしまう。出来てしまった。

 

 それからというもの余計に剣戟の激しさが増した気がするのだが、かといってわざと防御の手を緩めようものならそれこそ烈火のごとく怒られるのだ。いや、そもそも俺が反撃してこないこと自体、腹立たしいらしいのだが。

 

 だから一度お母さんに、誘ってくれるのはとても嬉しいけど俺は来ないほうがいいんじゃないかと言ったのだが、大丈夫大丈夫と明るく笑い飛ばされるばかりだった。本当に大丈夫なんだろうか。

 

「あとは、カシムだったか? どうせ奴の家にも寄ってきたんだろ、どうだった様子は」

 

「…………アイツは……まぁ……普通ですよ」

 

「ははは!! お前がそこまで渋い顔するのサフィールとそいつのときくらいだなぁ、いや傑作だ」

 

 毎度のことながらピオニーさんは俺の態度が悪いのがなぜか面白いらしく、膝を叩いて笑う。

 

「楽しまないでくださいぃ! もうそれ以上笑ったら大臣さん呼びますからね!!」

 

「あー、はは、悪い悪い。ところでリック、被験者親子の話を聞いているときにふと思ったんだが」

 

「? はい」

 

「ジェイドのことはお父さんって呼ばないのか?」

 

 どばさささ

 

 手に持っていた書類の束が、床に滑り落ちた。

 

「そ、そんっ、そ、そそ……え!?」

 

「なんだなんだ。赤面したり蒼白になったり忙しいやつだな」

 

「だ、だって!! ピオニーさんが! 急に!!!」

 

 それは前にアニスさんに言われてから、俺としても妙に意識してしまっている件だった。

 

 確かに俺はジェイドさんの養子になったけど、でもそれは書類上のことで、父さんとかそういう、だって俺は、ジェイドさんは、と以前アニスさんにもしたような言い訳をしどろもどろに繰り返す。

 

「と、というか今は、レプリカ達の保護を進めないといけなくて、まだまだ頑張らないといけないことがたくさんあって、その、今はまだ、俺のことは別にいいんです」

 

 落とした書類を拾いながらそう言うと、ふむ、とひとつ頷いた陛下がふいにソファから腰を上げて、俺の前まで歩いてくる。

 

「……陛下?」

 

 首を傾げつつ俺も立ち上がって、真っ直ぐにこちらを見る青を見返していると、陛下がふいに不敵な笑みを浮かべた。

 その笑顔になんだか嫌な予感がすると思った次の瞬間。

 

「おし、手合わせするぞリック!」

 

 そんな言葉とともに、鋭い拳が顔面すれすれに飛んでくる。拾ったばかりの書類たちが再び手から零れ落ちた。

 

「えぇ!? ちょっ、陛下!?」

 

「ほっ」

 

 それを何とかかわして一息つく間もなく、今度は蹴りだ。

 さほど広くもない室内では逃げるのにも限界があり、慌てて顔の横に腕を差し込んでガードする。

 

 何でいきなり、何でこんな場所で、と聞くべきことはたくさんあったはずだが、避けるのに必死すぎてどの疑問もうまく言葉にならない。

 ただ何で皇帝陛下がこんなに鍛えてるんだとは思った。ちょっとした兵士よりはるかに一撃が重い。

 

「あのっ、オレ、体術はあんまりっ……うわ!!」

 

 いつの間にか追い込まれていたらしく、足がソファの肘掛けにぶつかった。

 バランスを崩した俺はそのまま背中からソファに倒れ込む。

 

 そんな俺の顔の真横に、陛下の拳がぼすりと突き刺さった。

 

「俺の勝ちだな」

 

 真上から覆い被さるようにこちらを見下ろしている陛下が、にやりと笑う。

 

「……もう、突然なんなんですかぁ」

 

「はは。息抜きだ息抜き。仕事ばっかじゃ体もなまるだろ?」

 

「だからって何も室内でやらなくても……」

 

 ぶつぶつと苦情を零す俺に陛下はもう一度小さく笑ってから、ふと真剣な表情になった。

 普段はあまり見ることのない真摯な色をした青がこちらを映し、なぁリック、と俺の名を呼ぶ。

 

「頑張るのはいいが、あまり焦って先ばかり見るな。足元から一個ずつ埋めてきゃいいんだ」

 

「…………」

 

「その途中で、少しくらい自分のことに掛かり切りになる時があったって構わんだろ。というか構わん。マルクト皇帝が許す」

 

 だから、焦らなくてもいいから、ちゃんと考えてみろと、太陽みたいな人が笑う。

 

 親子とか父親とかそんな事を考えたときに胸の中に過ぎる、温かいような、くすぐったような思いにつける名前を俺はまだ知らない。

 いつだって心に言葉が追いつかない俺は、やっぱり今度もその感情の意味を知るにはみんなの倍以上の時間が掛かるのだろう。

 

 だから、今はまだ、なにも言葉にならない俺だけど。

 

「――ありがとうございます、ピオニーさん」

 

「……おう」

 

 お礼を言われた途端ぶっきらぼうになった返事に、思わず小さく噴き出した俺をじとりと見やってから、陛下が身を起こす。

 続いてソファから起きあがったところで俺はようやく気づいた。

 

 男二人が大立ち回りをした後の、室内の惨状に。

 

「あの、ピオニーさん、片づけ」

 

「よし頑張れリック!!」

 

「ええええー!!! 手伝ってくれないんですかぁ!!?」

 

「いやぁ久々に運動して疲れたからな~」

 

「おや。では大人しく椅子に座って、デスクワークなど如何ですか?」

 

 唐突に聞こえた第三者の声に、俺達は揃ってぴたりと動きを止めた。

 俺は飼い主に呼ばれた犬よろしく目を輝かせて、陛下は口元をややひきつらせてゆっくりと、入り口のほうを振り返る。

 

「……ようジェイド、早かったな」

 

「会議が順調に進んだもので。ところで陛下、執務室で皆様お待ちかねですよぉ?」

 

「いや、まぁ、なんだ。もう少ししたら戻るつもりでだな」

 

「――衛兵!」

 

 低いのによく透る大佐の声が響いて間もなく、執務室の扉が勢いよく開かれ、そこから数名の衛兵たちが突入してきた。

 彼らは素晴らしく統率された動きで陛下を確保すると、そのまま執務室を飛び出していく。

 

 そして「ジェイドこの裏切り者ぉおおおお!!」という陛下の断末魔(?)を残して、部屋の扉が、ぱたんと閉まった。

 この間、実に十五秒足らずの出来事である。お仕事頑張ってください陛下。

 

「やれやれ。……さて、さっさと片づけますよ、リック」

 

「え、あ、はい!!」

 

 部屋を散らかしたことを怒られると思ったけど、大佐は一度確認するように俺の顔を見ただけで、何も言わなかった。

 

 散らばった書類をいくつか拾ってから、俺はふと、まだ告げていなかった言葉を思い出して大佐に向き直る。

 

「ジェイドさん」

 

「なんですか」

 

「おかえりなさい」

 

「ああ、……ただいま戻りました」

 

「はい! おかえりなさい!!」

 

「返された挨拶にさらに返してどうするんです」

 

 

 そう言ってジェイドさんは呆れたように赤い目を細めて、それから、小さく笑った。

 

 

 



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れぷりかのしあわせなゆめ

 

「うわ~! 遅刻遅刻!!」

 

 これはまずい。絶対に怒られる。ていうかたぶんもう怒ってるだろうなぁ。

 その光景を一足早く脳裏に描いて苦笑しつつ、グランコクマの街中を走る。

 

 そして待ち合わせ場所である噴水の前にたたずむ少年の姿を見つけた俺は、大きくを手を振りながらそちらへ駆け寄った。

 

「ごめーんシンクー! 待ったー!?」

 

「えぇまぁ待ちましたけどそれが?」

 

「うわ敬語だ。すごい怒ってるときのやつだ。あの、遅れてすみませんでした」

 

 思わず上官にするように敬礼しつつ謝れば、シンクはじとりと俺を睨みあげてくる。

 

「届け物するのに一人じゃ心細いから一緒に来てくれって、頼んできたのそっちだよね」

 

「本当にすみませんでした!!!」

 

 謝罪を重ねた俺に、シンクはひとつ深々と溜息をついてから気を取り直すように話を進めた。

 

「で、届け物って何なの」

 

「これなんだけど」

 

「なにそれ。手紙?」

 

「招待状だって」

 

「何の」

 

「さぁ」

 

「……まぁいいけど。誰に届けるわけ?」

 

「さぁ?」

 

「ふざけてるなら帰るよ」

 

「本当にオレ知らないんだって!」

 

「誰に届けるかも分からないものを届けに行くって? そんなの、適当なやつに押しつけるか捨てるかしなよ」

 

「そ、そうもいかないだろ。あとその……どうせだからみんなの顔見てこいって休暇貰っちゃったし、おみやげ買ってくるってアスランさんとも約束したし……」

 

「…………ハァ」

 

 シンクは今一度深い溜息を零すと、頭痛をこらえるように額に手をやりながら、くるりと身を翻した。待たせた上に目的もはっきりしないときては、さすがに呆れられてしまったのかもしれない。

 どれもこれも俺の落ち度とあっては引き留める言葉もなく、これは一人旅に決まりかと肩を落としてうなだれていたら、ふと視線を感じて顔を上げる。

 

 するとそこには、とっくに行ってしまったかと思っていたシンクが、こちらを振り向いたまま立ち止まっていた。

 

「……なにしてんの?」

 

「え」

 

「アンタが目的地決めてくれないと、こっちはどうしようもないんだけど」

 

 淡々と告げられた言葉が、ゆっくりと頭に染み込んでくる。

 一拍おいてその意味を理解した途端、俺の両目からブワッと涙があふれ出た。

 

「シ、シンクぅ~~~!!!!」

 

「ウザ」

 

 

 

 

 というわけで最初に訪ねたのは、ケテルブルクのとあるお宅。

 

 ノッカーを鳴らすと間もなく扉を開けてくれたその女性は、唐突な訪問にも関わらず「あら」と笑って俺たちを家にあげてくれた。

 

「久しぶりねリック。シンクも」

 

「はい! お久しぶりです、ネビリムさん!」

 

「……ふん」

 

 ゲルダ・ネビリムさん。言わずと知れたジェイドさん達の先生だ。

 この街でずっと私塾の先生をしているそうで、俺も一度譜術とかを習いに来たいのだが、今のところ忙しくて実現できていない。

 

「それで、今日はどうしたの?」

 

「あ。えーと、この招待状なんですけど……あの……。これ……どこに届ければいいか知りませんか?」

 

 隣に座るシンクのじと目が痛い。

 うん分かる。言いたいことは分かる。わけのわからない質問をしている自覚は大いにあるから許してほしい。

 

 ネビリムさんは手渡された招待状をじっくり眺めると、小さく笑って首を横に振った。

 

「少なくとも私宛てではないわね」

 

「ですよねぇ……」

 

「当たり前だろ。ほら、とっとと次行くよ」

 

「ま、待ってよシンク!」

 

 さっさと先に行ってしまったシンクを追いかけようと慌てて立ち上がったところで、ネビリムさんに呼び止められた。

 

「よければこれを持っていって」

 

「……レシピ、ですか?」

 

 渡されたのは手書きのレシピ。しかもカレーだ。

 けれど普通のカレーではなくて、ところどころ見たことのないアレンジが加わっている。

 

「私特製カレーのレシピ。自分で言うのもなんだけど、おいしいんだから」

 

「へー、こういう調理法もあるんですねぇ! しかも隠し味が……」

 

 思わずカレー談義に入りそうになったところで、玄関のほうから苛立たしげなシンクの声に呼ばれてはっと我に返る。

 

「す、すみませんネビリムさんお邪魔しました。また今度ゆっくり、」

 

「リック」

 

「はい?」

 

「ジェイド達のこと、よろしくね」

 

「……はい!」

 

 力強い俺の返事を聞いて、ネビリムさんはとても満足そうに、そして嬉しそうに笑った。

 

 

 

 

「閣下ならば所用で外出中だ」

 

「そ、そうですか……」

 

「何か用事か? 急ぎの案件ならばお戻り頂けるよう連絡を取るが」

 

「いえ!!!!! ぜんぜん!! ほんと!!! 大丈夫なんで!!!!!」

 

 ユリアシティに入ってからここまでシンクの背に隠れつつ進んできた俺は、リグレットの言葉を聞いてようやくホッと力を抜く。

 あんた本当にヴァン苦手だよね、とずっと盾にされていたシンクが呆れたように呟いた。

 

「あの、ところでリグレット……さん。これについて何か分かることありますか?」

 

「招待状? いや、身に覚えはないな」

 

 何となく予想していたが、やっぱりかぁと苦笑する。

 

 本当にこれ何なんだろう。

 同じものを、どこかで見た気もするんだけど。

 

「それはそうとシンク。たまにはダアトに戻ったらどうだ」

 

「何いきなり」

 

「最近マルクトに入り浸っているだろう。友人と遊ぶのが楽しいのは分かるが、兄弟のところにもちゃんと顔を出してやれ」

 

「ゆ、」

 

「それなら大丈夫です! 招待状の件がどうあれ、どのみち会いに行くつもりだったんで!」

 

「そうか。導師によろしく伝えておいてくれ」

 

「分かりました!」

 

「そういえば閣下とティアがセレニアの花を使ったサシェ……匂い袋を作ったのだが、数があるからひとつ貰ってくれないか」

 

「めずらしいですねぇ、あの二人がこういうの」

 

「先日ホドに戻られた際にガルディオス家にも顔を出したそうなのだが、そこでマリィ様に捕まって色々やることになったらしい」

 

「ガイのお姉さんほんと強い……あっ、じゃあひとつ頂きますね」

 

「ああ。シンクはどうする?」

 

「…………………………何でもいいよ、もう」

 

 なぜか疲れ切った顔のシンクに首を傾げつつ、淡い香りを放つそのサシェを、ネビリムさんのレシピと同じところへしまった。

 

 

 

 

 そのあとも色んなところに行って、招待状のことを聞き歩いた。

 

 チーグルの森の、アリエッタやライガクイーン。

 住処にしていた森が火事で焼けてしまったと聞いたときは心配したけど、今はチーグル達とも仲良くやれているようで安心した。

 

 アクゼリュスではレプリカと街の人達が力を合わせて働いている。

 父ちゃん早く、と手を振って笑う元気そうな男の子とすれ違った。

 

 ケセドニアで会ったラルゴは奥さんに買っていくお土産で悩んでいたので、一緒に露天を見て回った。

 だいぶ時間をかけてようやく決まったかと思うと、今度はナタリアへのお土産で悩み始めたため、シンクが俺を引きずってその場を離脱した。

 

 シェリダンではイエモンさん達や、ヘンケンさん達と会った。

 調子はどうだ、音機関は触っとるか、と返事をする暇もないくらい、口々に言葉をかけてくれた。

 がんばれよリック。そう言って背を叩いてくれた手が、温かかった。

 

 

 でも、この招待状についてはやっぱり何も分からないままだった。

 

 

 

「え、シンク行かないの?」

 

 そして俺たちが最後に向かったのはダアト。

 けれど教会の前まで来たところで、シンクは突然、俺ひとりで行けと言った。

 

「ちゃんと元気なところ見せていこうよ。リグレット……さんにも言われてたじゃないか」

 

「あぁ、ハイハイ。後で顔出しとくから」

 

「ほんとかなぁ」

 

 おざなりな返事に苦笑すれば、シンクはひょいと肩をすくめてみせる。

 

「ここまで付き合ってやっただけでも有り難いと思いなよね」

 

「うん、ありがとう。シンクがいてくれてよかった」

 

「…………、モースに見つからないうちに早く行けば。苦手なんでしょ」

 

「あ、そうだった!!」

 

 ダアトに来るたび何やかんやで怒られるから、嫌いではないが出来れば会いたくない相手である。

 それじゃあ、と急いで教会前の階段を上がろうとしたところで、ふいに呼び止められた。

 

「リック」

 

「何、ぅわっと」

 

 放物線を描いて降ってきた赤い物体。

 とっさにキャッチしてから見れば、それは赤々としたおいしそうなリンゴだった。

 

「せいぜい、がんばりなよね」

 

「? うん……ってあれ!? シンクいまオレの名前!」

 

「ほらモース来るよ」

 

「ぅわぁ!!」

 

 全速力で教会に向かって走り出した俺の後ろから、小さな笑い声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 礼拝堂で祈りを捧げるそのひとの背中を見つけて、ぱっと表情を輝かせる。

 

「イオンさま!」

 

「……久しぶりですね、リック」

 

 ゆっくりとこちらを振り返った彼は、あの優しい笑みで俺を迎えてくれた。

 胸の中から溢れ出るうれしさを堪えきれずに、その勢いのまま話し始める。

 

 みんなに会ったこと。みんなと喋ったこと。

 みんなみんな、幸せそうだったこと。

 

 イオン様は静かに微笑んで、ずっと俺の話を聞いてくれていた。

 

「だからシンクも顔見せたらって言ったんですけど、あっそうだ、シンクがオレの名前呼んでくれたんですよ!」

 

「ふふ、そうなんですか」

 

「はい! あとリンゴもくれて……、あれ」

 

 手に持っていたリンゴを見せようとして、そこに何もないことに気づいた。

 今の今までここにあったはずなのに。

 

 慌てて自分のポケットやらを探ってみれば、リグレットから貰ったサシェまで無くなっていることが分かった。

 

「なんで……だって、さっきまでは、」

 

「リック」

 

 俺の名を呼ぶ優しい声が、鼓膜を揺らす。

 

「あなたは知っているはずです。この“招待状”が誰のものかを」

 

 招待状は、いつの間にかイオン様の手にあった。

 

 すると今まで何もなかった表面に、じわりと文字が浮かび上がる。

 そこに書かれた宛名は――――リック・カーティス。

 

 ……ああ、そうだ。思い出した。

 あの手紙は。

 

 

「ルークの、成人の儀への……招待状だ」

 

 

 瞬間、世界が硝子のように割れてはじける。

 気付けば何もない真っ白な空間に、俺と彼だけが残っていた。

 

「イオンさま……」

 

「リック。あなたがシンクと見て回った世界はどうでしたか」

 

 みんなが生きていて、みんなが笑っていて。

 本当にこんな未来があったらって、泣きたくなるほど幸福な、この世界は。

 

「……イオンさま。オレ、これでもね、前よりは強くなれたと思うんです」

 

 ほんの一歩かも、その半分かもしれないけど。

 あなたが強いと信じてくれた俺に、あのころより少しは近づいてると思うんだ。

 

「ここは俺にとって、とてもとても、幸せな“夢”でした」

 

 どれだけ辛いことがあっても、苦しい思いをしても。

 あなた達を失ってしまった哀しい世界だとしても。

 

 俺たちが出会い、懸命に生きたあの時間を、無かったことにはしたくない。

 

「だから帰ります」

 

 そう言った俺を見て、イオン様は嬉しそうに目を細めて笑った。

 

 白い世界が、ふいに光を放って膨れ上がる。

 イオン様の姿が見えなくなり、すぐに自分の姿さえあやふやになった。

 

 けれどすべてが白に飲まれる直前、声だけがひとつ耳に届く。

 

「――――もうすぐですよ」

 

 何がもうすぐなのかと尋ねる間もなく、意識はそのまま、白い光に融けていった。

 

 

 

 

 目が覚めた、ということを自覚して数秒。

 あれ、俺はどこで何をしていたんだっけ、と疑問を覚えて、寝起きの脳みそをじわじわ回転させていく作業にまた数秒。

 

 ここは? ……執務室。

 何をしてた? ……ええと、そうだ、仕事。

 

 少しずつ現状に理解が追いついていく。

 

 俺はジェイドさんの執務室で山のようにある仕事を必死に処理していて、でも途中で、逆に効率悪いって少し休憩するように勧められて、ソファに腰を下ろして、それで、それ、で……。

 

「ぅわああ寝てましたすみませんっ!!!」

 

 座った直後からもう記憶がないので、その一瞬で寝たらしい。

 一気に覚醒してソファから立ち上がり、書類をまとめてジェイドさんのところへ持って行く。

 

 そしてタービュランスを覚悟しながら書類を差し出すが、何故かいっこうに受け取ってもらえる気配がない。

 

 不思議に思って首を傾げていると、ジェイドさんはなぜか顔をしかめていた。

 何だかめずらしい、困惑したようなその表情に目を丸くする。

 

「ジェイドさん? どうしました?」

 

「……それはこちらの台詞なんですがねぇ」

 

「え?」

 

 ひとつ瞬きをした瞬間に、自分の目からぼろりと何かが零れる。

 

「え、え? ちょっ、」

 

 ほろり、ほろりと顔を伝って落ちていくそれは、後から後から、とどまることなく溢れてきた。

 

「うわ、書類が……」

 

「おやおや、先に書類の心配ですか。軍人の鑑ですねぇ」

 

「ぐ、軍人関係ありますかね……あと、あの……オレなんで泣いてるんでしょうか」

 

 寝過ごしたのに焦りはしたけど、いくら俺でも泣くほどの事じゃないだろう。ジェイドさんのお仕置きタービュランスはまぁ怖いが、それもまだ喰らってないし。

 

 勝手に出てくる涙をどうすることも出来ずに立ち尽くしていると、ひとつ溜息をついたジェイドさんが席を立ち、わざわざ執務机を挟んで反対側にいる俺の隣まできてくれる。

 

 じっとこちらを見下ろすジェイドさんに向き直り、なんだろう、壊れかけた音機関みたいに殴って直されるんだろうか、とちょっとびくびくしつつも黙って見上げた。

 

 ジェイドさんの瞳が、すいと細められる。

 その硝子越しの赤を見て、ああやっぱりキレイだな、なんて思ったところで。

 

 ぽん、と頭に乗った重み。

 

「どうせ怖い夢でも見たのでしょう。まったく、ビビリですねぇ」

 

 口調はいつものままなのに、ぽん、ぽん、と宥めるみたいに頭の上で動く手のひらが優しくて、今度は意識的に涙が出そうになった。

 

「何かの夢を……見た感じはするんですけど、あんまり覚えてなくて」

 

 ただなぜか唐突に、この間届いた手紙のことを思い出す。

 一度開封したきり、しまうことも捨てることも出来ず、所在なげに自室の机に置きっぱなしにしている、あの招待状。

 

 それと。

 

 (――――もうすぐですよ)

 

 記憶の底から、誰かのやさしい声が聞こえたような気がした。

 

 

 

 

 

「あ、でも、何かちょっと思い出せそうな……。えーと……たまねぎ、にんじん、じゃがいも……あと隠し味がたしか……」

 

「…………。タマネギが目にしみた夢でも見たんじゃないですか」

 

「あっなるほど!!?」

 

 納得した勢いで涙が止まって、ジェイドさんに心底呆れた顔をされた。

 

 





>リックは【だれかのカレー】のレシピを手に入れた!
なんだか懐かしい味がするカレー
ジェイド、ピオニー、ディストが食べるとMPの回復量が20%アップする




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レプリカ保護官と悩みごと

 

 透明な硝子の向こう、店先に並んだ色とりどりの響律符。

 あの旅の中で見つけたものとは違ってほとんど実用的な効果はない一般向けの……いわばお守りのようなそれらを見るともなしに眺めながら、うぅんと唸る。

 

 ぐるぐると頭の中を巡るのは、目の前に並んだ品々とはまるで関係の無い言葉と感情。

 ついでに、知ってるかリック、と笑った彼の人から聞いた話を胸の内で反芻してひとつ息を吐いた俺の肩を、誰かが突然ぽんと叩いた。

 

「よっ」

 

「ぅわあっ!!!」

 

 色んなもので頭がいっぱいで何一つ気配を察せなかった剣士失格な俺が思わず悲鳴をあげて飛び退くと、誰かも「うおっ」と声を上げたのが聞こえる。

 とても聞き覚えがあるその声に、俺は驚いた勢いで涙の滲んだ目で後ろを振り返った。

 

「ガ、ガイだぁ……ごめんびっくりさせて」

 

「いやこっちこそ……まさかそんなに驚くとは思わなくてな。どうしたんだ? 何か悩み事か?」

 

 さすがガイ。いくら俺がビビりといえど慣れ親しんだグランコクマの街中で肩を叩かれただけでここまで驚くのは……うん、たまにしか無い、はずだから、何かそこまで周囲に気が回らなくなるほどのことがあったのでは、と察してくれたらしい。

 

 いつも話を聞いてくれるときと同じように、穏やかな空色の瞳が俺を見る。

 さっきまでとは違う意味で視界が滲みそうになるのをぐっと堪えながら、俺は「うん」と肩を落としながら頷いた。

 

「って言ってもあの、レプリカ保護官としての、みたいなすごい悩みではないんだけど」

 

「はは。悩みごとにすごいもつまらないもないだろ。……店先で立ち話ってのもなんだし、時間あるなら向こうで座って話すか」

 

 ガイに促されるまま移動して、噴水のそばにあるベンチに二人で腰を下ろす。

 さらさらと落ちる水の音を聞いているうちに渦巻いていた心が少し落ち着いて、ほうと気の抜けた息をついた。

 そんな俺の様子を見計らい、「で? 何を考え込んでたんだ?」とガイが改めて問い直してくれる。

 

「あの……『今日は実の父親から義理の父親、近所の頑固親父から全マルクト国民の父親的存在といえるこの俺まで、オールドラントのありとあらゆる“父”と名の付く存在に感謝と贈り物を捧げる日なんだ』って……陛下が」

 

「またあの人か!!!」

 

「あっ、いや! さすがにオレもそれは嘘だなって分かったぞ! 軍の先輩が今朝また娘さんに洗濯物いっしょにしないでって怒られたって言ってたし!」

 

「分かり方がなんとも切ないな」

 

 何にしても陛下の話はただの発端であって悩みの原因ではない。

 そう前置きをしてから、俺は隙あらば胸につっかえてしまいそうになる思いを、どうにか言葉に変えて押し出した。

 

「オレ、そこで陛下に“父親”って言われたときにさ……その、真っ先に、ぱっと思い浮かべちゃったんだ」

 

「誰を?」

 

「…………ジェイドさん、を」

 

 消え入るような声でその名前を口にして、ぎゅうと身を小さくする。

 視界の端でガイがちょっと驚いたように目を丸くしたあと、苦笑するように、けれどなんだか微笑ましげに口の端を緩めたのが見えた。

 

「なぁリック」

 

「……、はい」

 

「お前のことだから、たぶん血が繋がってないとかそういうことを気にしてるんじゃないんだよな」

 

 こくりと頷く。

 だってそれは俺があの旅の中で学んだことのひとつだ。血の繋がりがなくても親子は親子なのだと、みんなが教えてくれた。

 

「じゃあジェイドが父親ってのがイヤってい、」

 

「すっっっごくうれしいです」

 

「食い気味にくるなぁ」

 

「……だからこそ、どうしたらいいか分からないっていうか……オレはうれしいけど、ジェイドさんはオレが、……その、そういうふうに呼んだら、困るんじゃないかとか……あと普通にカーティスの名字だけでも畏れ多いのにこれ以上色々身が持たないっていうか」

 

 聞き上手なガイのおかげで緩んだ心が、今まで胸いっぱいに詰まっていた迷いをぽろぽろと吐き出していく。

 

 うん、そうだ。俺は嬉しかった。

 書類上のことでも、ジェイドさんと親子になれたことがすごくすごく嬉しい。

 それだけでもう溢れるくらいに嬉しかったから、だから、それ以上を欲しがろうなんて思っていない……つもりだったけど。

 

 『父さんとか父上とか呼んだりしたの?』

 

 アニスさんに言われて、ああいいなって、そう呼んでみたいと思ってしまった自分がいることに気づいてしまった。

 言われるまで自分の気持ちに気づかなくて、誰かに教えてもらって、すでに知っていたはずの感情を手に途方にくれるこの感じもまた、あの旅の中で何度も味わったものだ。

 

「あー……なんかオレ、いっつも知ってる道を遠回りしてる感じだよなぁ……」

 

「でも、遠回りしたおかげで見つかったものもあっただろ?」

 

 子供を見守る大人みたいな目で、ともだちみたいな気安い声で、そう言ってガイが笑う。

 だから俺も、頼もしい兄を見るようだと、大切なともだちに答えるようだと、そんなふうに感じてもらえたらいいなと思いながら、笑みを浮かべて「うん」と小さく頷いた。

 

「なぁガイ」

 

「うん?」

 

「……とうさんって呼んでも、ジェイドさん怒らないかな」

 

「そうだなぁ、まぁ、ためしに呼んでみるのが一番いいんじゃないか?」

 

「いや!!! それは!!! ……も、もうちょっと心の準備をしてから、ということで……」

 

「なんかもう遠回りのプロだな」

 

 苦笑したガイは怖気づく俺を慰めるようにぽんと頭を撫でたあとで、もう一度「呼んでみればいいさ」と独り言のように呟いて、空色の瞳を柔らかく細めた。

 

 

 




アビス15周年ときいて。


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レプリカ保護官と彼の推論

アビス18周年!!!!!


 

 セレニアの花が咲き乱れる渓谷に歌が響く。

 祈るように、願うように、絶え間なく紡がれていたその歌声がやがて静かに途切れたところで、「よろしかったの?」とナタリアがいたわしげに歌声の持ち主へと問いかけた。

 

 今日は、ファブレ侯爵家で成人の儀が行われている。

 その場へ招待されていたうちの一人であるティアは、ルークの墓前で行われる儀式に興味はない、と小さく(かぶり)を振った。

 

 いや、ティアだけではない。皆同じように考えたからこそ自分達はここにいるのだろう。

 空に浮かぶ月を見上げて目を細めたジェイドの横で、ガイが力強く言葉を続ける。

 

「あいつは戻ってくるって言ったんだ。墓前に語りかけるなんてお断りってことさ」

 

「まぁリックはその墓前に語りかける儀式に参加していていないんですけどね」

 

「う~わ~~この大事なとこで決まらない感じリックらし~~~」

 

「すっぽかす覚悟が決まらなかったみたいですよ。ビビリなので」

 

「侯爵家から名指しで来た招待状とか断れないよねぇ。ビビリだもん」

 

「そ、そう言ってやるなよ……あいつだってギリギリまで悩んでたんだし……最後もう色々板挟みで半泣きだったし……」

 

「いやですねぇ。最初に言ったのはガイじゃないですか、あんな儀式に参加するやつの気が知れないと」

 

「そこまで言ってないし俺はそんな欠席裁判みたいにするつもりで言ったわけじゃないんだが!!?」

 

 冗談はさておき、ルークの成人の儀への参加も一応レプリカ保護官としての仕事のうちだ。

 まだまだ不安定な“レプリカのレプリカ保護官”としての立場を固めるためには、時折この手の式典や儀式への招待に応じて、地道に顔を売っていくことも必要である。

 

 まぁ、あの子供はおそらくそんなことまでは考えていないと思うが。

 おそらく侯爵家からの招待を蹴るのが畏れ多いが六割、あれ以来気落ちして体調を崩しがちだというシュザンヌのことが気がかりなのが三割、あとの一割は……あの子供なりに真剣に悩んで、考えて、選んだ結果なのだろう。

 

「……そろそろ帰りましょう。夜の渓谷は危険です」

 

 しばらくしてジェイドが促せば、彼らは後ろ髪を引かれるようにしながらも月に背を向ける。

 しかしその後に続こうとしていたティアの足音が、ふいに止まった。

 前を歩いていた仲間達もそれに気づいて立ち止まり、振り返る。

 

 その先に。

 ──揺れる、緋色の髪。

 

「ここからなら、ホドを見渡せる。それに……約束してたからな」

 

 知っている。ジェイド・カーティスは知っている。

 あれが、“誰”であるのかを。“誰”でないのかを。

 

 ひとり、またひとりとその緋色に駆け寄っていく。

 彼らの背中を眺めながら、ジェイドは静かに、目を伏せた。

 

 

***

 

 

「えっ、あれ? なんでみんなエンゲーブに……あとそちらのフードの方は……?」

 

 エンゲーブ、ローズ夫人邸にて。

 扉を開けたポーズのままぽかんと立ち尽くすリックに、ジェイドはにこりと笑みを向けた。

 

「さて、何ででしょうねぇ」

 

「ももももしかしてオレだけ仲間外れ……」

 

「──に、するつもりだったらここで集まってませんよ」

 

「で、ですよね」

 

 ルークの成人の議に出席した後はその足でエンゲーブに仕事をしにいくと、出立前の本人から聞かされたのはジェイドである。避けるつもりがあるなら、こんなところでわざわざ集合するはずもない。

 

「とりあえずさっさと扉を閉めて、あなたもこっちに座ってください」

 

「はい……あの、ローズさんは?」

 

「少しブウサギの様子を見てくる、と。気を使って席を外してくれたようです。あなたの仕事が始まるころには戻ると仰っていましたよ」

 

「はあ……」

 

「リックのお仕事というと、やっぱりレプリカ関連なのですか?」

 

「あ、うん……エンゲーブでもレプリカを保護してくれてるから、その定期検診とか、面談とか……」

 

「手紙で近況聞いてるけど、ほんとリックめちゃくちゃ忙しそうだよね」

 

「いや、みんなほどでは……」

 

「事実上の責任者といえば聞こえはいいですが、要するにあちこちから面倒事を押しつけられてるんですよ。レプリカに関わる仕事を進んでやりたがる人材はそう多くありませんから」

 

 ジェイドが淡々と吐いた言葉を聞いたリックは、一瞬きょとりと目を丸くしたあと、何かに気づいたように柔らかく表情を緩めた。

 

「オレなら平気ですよジェイドさん。少しずつですけど彼らを受け入れ始めてくれてる人たちもいますし……何より、この仕事はオレがやりたかったことですから!」

 

 めずらしく迷いのない、まっすぐな声でそう言い切った子供に、ジェイドは言葉は返さずにひとつ肩をすくめる。

 そんなジェイドの反応から何を受け取ったのかは知らないが、リックはことさら嬉しそうに「へへ」と笑った。

 

「──お前がそんなアホ面してるってことは、やはりヴァンとの決着はついたんだな」

 

 そんなところへ静かに響いてきた声に、リックがぴたと動きを止める。

 それを発したのは、リックから見て一番奥の椅子に腰を下ろしたフードの人物だ。

 

「え……」

 

 半ば呆然とそちらに視線を向けたリックの前で、その人物がフードを払い落とす。

 

 緋色の髪。翠の瞳。

 

 ジェイドのように知識からの推測ではなく、その動物的な直感をもって、リックは気づいたことだろう。

 目の前にいるが“どちら”なのかを。

 

「ア、ッシュ……?」

 

 その名を呟いたきり凝視したまま動かないリックの視線の圧に耐えかねたのか、緋色の青年はどこか気まずそうに眉根を寄せた。

 

「……悪かったな、“ルーク”じゃなくて」

 

 あの戦いの結末については、まだ詳しく伝えていない。

 だがタタル渓谷での短い会話や反応の中で、おそらく察しはついているはずだ。

 ならばどこか純粋な喜びに徹しきれないこちらの空気に、気づいていないわけもないだろう。

 

 おそらく彼自身の中でもまだ何ひとつ整理がついていないであろう感情が、今の今まで重なり続けていたそれが思わず零れたようなその言葉に、ナタリアがとっさに声をかけようとした瞬間。

 

 ぼすっ、と軽快な音がした。

 

 見れば戦闘中にもめったにお目にかかれないような俊敏さを見せたリックが、どこからか取り出した青い塊を見事にアッシュの顔面にヒットさせている光景があった。

 

「~~~あほ! あほアッシュ! 嬉しいに決まってるだろ! アッシュが帰ってきたことが嬉しいし、ルークがいないことはすごく悲しいし、でもアッシュが生きててくれてほんと、めちゃくちゃ嬉しいし……どっちの気持ちも同じくらいあって、ぐちゃぐちゃで、なんかっ、だから、ああもう、悟れよ!!!」

 

 「お前なんかもうアホッシュだ!」とリックが勢い任せに怒鳴ると、アッシュの顔面に張り付いたミュウが「そうですの!」と追従する。リックが投げたのはミュウだったらしい。

 タタル渓谷に集まったのは各々の判断であり、特に示し合わせたわけではないので移動手段や戦闘力に乏しいミュウはあの場にいなかったのだが、どうせならとエンゲーブに来るついでにミュウも拾い、ついでにあまり目立つわけにいかないジェイド達に代わり、先ほどリックを呼びに行かせた次第である。

 

 普段あまり会話しないわりにこういうときは妙に息の合う一人と一匹から突如ミュウアタックを受けたアッシュは、顔面にひっついていたミュウを引きはがしてから、微妙にバツが悪そうな顔で「繋げるんじゃねぇよ滓」と呟く。

 しかしどこか張りつめていた気が抜けたようなその表情に、リックもまた肩の力を抜いて、笑った。

 

「……おかえり、アッシュ!」

 

「…………ああ」

 

 しかし本当に、良くも悪くも空気をぶち壊すのが得意な子供である。

 予想だにしなかったあまりにも突然の再会にどこか距離感を計りかねていた面々もつられるようにその空気を和らげて、会話に加わる。

 

「まぁ何の説明もなくここまで連れてこられたんだ。そりゃアッシュだって戸惑うだろ」

 

「説明っていうか、え、そういえば本当にこれどういう状況なんですか? なんでアッシュが? みんなどうしてここに?」

 

「リックの疑問が一周してる。だからぁ、それを今から色々すり合わせるために集まったんだって。ですよね~大佐」

 

「こんなどこに出しても面倒くさい人、いきなりバチカルにもグランコクマにもダアトにもつれていけませんよ。ひとまず話し合って方針を固めなくては。で、それならいちいち説明するより全員集まってから一度に話すほうが楽じゃないですか」

 

「それで何を聞いても『あとで』の一点張りだったわけか……」

 

「よ、よく分からないけどお疲れさまアッシュ」

 

 会話の合間に、リックがティアのほうへちらりと視線を向ける。

 声をかけるか迷った様子を見せ、しかし今は“いつも通り”を続けることにしたらしいリックの代わりとでもいうように、ミュウが俯きがちに口を閉ざす彼女へ寄り添うように膝の上へ降りた。

 

 確かに今は、そっとしておくしかないだろう。

 ジェイドはひとつ息を吐き、アッシュに向き直る。

 

「ところでアッシュ。最初に少し聞いておきたいことがあるのですが」

 

「あ?」

 

「あなたはヴァンとの決着について“知らなかった”のですね?」

 

「お前が説明しなかったからな。だが、あの景色を見れば……聞かずとも想像はついた」

 

「なるほど。ではもうひとつ」

 

 ジェイドもまた“いつもの笑顔”で人差し指を立てれば、アッシュは怪訝そうに顔をしかめる。

 

「────あなたが最後にリックとかわした約束は?」

 

「こいつと?」

 

「ええ」

 

 アッシュは記憶を辿るようにしばし目をすがめたあと、「カレー」と小さく呟いた。

 突然の料理名に首を傾げる皆をよそに、アッシュはリックを睨みつける。

 

「おまえの作ったカレーを、一緒に食うと」

 

「! 約束! 覚えててくれたんだ!!」

 

「…………忘れてなかっただけだ」

 

「いいよ食べよう! いつ食べる? 今作ろうか? オレあれからもずっと色々チャレンジしてて、あっ台所借りていいかローズさんに聞いて、」

 

「落ち着け」

 

 はしゃぐリックと呆れるアッシュの姿を見ながら、ジェイドは思考する。

 今の問答で何がとは分からずとも、ジェイドが“何か”を確認していたことは分かったのだろう。ガイやアニスがこちらに探るような視線を向けていたが、答えようもない。

 

 もしかしたら、なんて。

 

 脳裏を過ぎるそれが、果たして科学者としての結論なのか、それともジェイド自身の希望的観測に過ぎないのか。

 己でも区別のつかないその可能性に、今はまだ、口を閉ざすしかなかった。

 



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