星は明るく花は尊し (楠富 つかさ)
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#1

「うわぁ、もうくたくただよ……」

 

 弓道というスポーツは弓をつがえて矢を射るだけのスポーツだと思っている人が一定数いるんじゃなかろうか。実際、そう見えるかもしれないけど違うのだ。姿勢や所作は厳しいし、それをチェックする先輩達もけっこう厳しい。常に集中しなきゃいけない極度の緊張状態にもなるし、そうでなくても正しい姿勢や長時間の集中に耐えられる体力をつけるために筋トレをすることもある。こんな春先とはいえ汗をかくほどだ。

 

「あ、明梨ちゃん戻ってたんだ」

「おぉ、尊っち」

 

 部屋に入ってきたのは私のルームメイトでクラスメイトの新崎尊。お互いこの4月に星花に入ったばかりだけどそこそこ打ち解けてきた。

 

「まだ辛いのに部活行ってきたの?」

「昨日ほどじゃなかったし」

 

 声をかけてきつつ尊っちは制服を脱ぐ。私も着替えなきゃと思いつつベッドに背中を預けたままだ。そんな私を心配そうに見ながらも、尊はブレザーもスカートもブラウスもためらいなく脱いでシンプルな下着&キャミ姿をさらす。平均的な胸の大きさが小柄なせいでちょっと大きく見えるのは平べったい自分と見比べて羨ましく思う時がたまにある。

 

「そうは言ってもまだだるそうだよ。わたしは軽い方だけど重い人は立ってるのも辛いらしいし。無理しちゃダメだって」

 

 月の障りが重いからって部活を連日休むわけにはいかない。別に先輩たちが怖いわけでも部の雰囲気がブラックなわけでもないけど、自分が納得できない。

 

「まだお風呂行けないでしょ? 背中拭いてあげる。お湯持ってくるから待ってて」

「え、いやいい。出来るから。尊っちが拭くと力強いから痛いんだって」

「そうなの? 言ってくれればいいのに」

「昨日はそれを言う元気もなかったの」

 

 小柄な身体とぴょこぴょこ揺れるポニーテールが愛らしい尊っちだけど、ちょっとずぼらだったりがさつな一面がある。まぁ、そこが気楽に付き合ってられる理由でもあるんだけど。

 

「じゃあお湯だけ持ってくるね。そしたらわたし、お風呂行ってくるよ」

 

 星花女子学園には二種類の寮がそれぞれ中等部と高等部に設置されている。なにかと優秀な人がいる一人部屋の菊花寮と、一般生徒が二人部屋で過ごす桜花寮だ。もちろん、桜花にも学業や部活、課外活動で優秀な成績を修めているひともいるのだが。そんな桜花寮には各階に給湯室がある。洗面器にお湯を張ってタオルと一緒に持ってきてくれた尊っちはお風呂へ行った。一階にある大浴場は開いている時間がけっこう長い。だからか分からないけど、開いたばかりはなかなか熱い。一応、銭湯みたいに熱いのとそうでもないのと、浴槽が二つあるものの尊っちは熱いお風呂が好みらしくて部活終わってすぐ行ってしまう。

 

「このお湯も熱いや……」

 

 行こうと思えばシャワーくらい行けるんだけど、動くのも億劫だったしここはありがたく拭きますか。尊っちはしばらく戻らないだろうから身に着けているものを全部脱ぐ。もうそろそろ5月、部屋もクラスも一緒で何だかんだ一番仲の良い同級生だと思ってるけど……よくよく考えると尊っちのことあんまり知らないような。私もこれまでの話とか……まぁ、姉の話は何度かしてるけどそこまで深く家族のこととか小中学校の頃の話はしてないな。子供の頃の話はあまりしたくない部分もあるけど。ただ、尊っちも私と似たような子供時代を過ごしていそうな気がする。

 

「尊っち、意外と考えてることが顔に出ないよなぁ。どんなことを思って生活してるんだろう?」



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#2

「まさか長風呂をしてしまうなんて」

 

 わたしが大浴場を出た時、時計の針は十九時半を指していた。最近なぜだか時間を忘れてお風呂に浸かってしまう。邪魔されることがなくなったからか。それとも、わたしが疲れているからか。しかし理由は何にせよ、良い湯だった。

 

「明梨ちゃんただいまぁ……って、うわ、裸だ。しかも寝てる!」

 

 まさか友達にこんな趣味があったとは。いや、違うか。明梨ちゃんに限ってそんなことあるはずないか。疲れて寝ているだけだよね。すぐ横に濡れたタオルがあるから、体を拭いている時に寝ちゃったのかも。

 

「明梨ちゃん、起きて。風邪引くよ?」

 

 体を揺らしてみると、目を小さく開けた。露出狂ですか? と訊いてみると、もういいよね? と会話にならない返答をされた。

 

「あぁー、眠い、はやく犬返してよー」

「……犬? 完全に寝ぼけてるな」

 

 別に珍しいことではなかった。朝起きる時だって明梨ちゃんはこんな感じだから。でもまさか全裸で寝ているなんて。羨ましいくらい、肌が綺麗だ。目立った傷がない。胸は小さいけど体にあった大きさだし形もいい。

 

「……もう知らない!風邪引いちゃえ!」

 

 どうせ後悔するのは明梨ちゃんだし、後から何かを言われたってわたしはちゃんと声をかけたのだから。関係ないとは言えないけど、わたしは決して悪くない。

 

「食堂行ってるから、ちゃんと来てよね!」

 

 明梨の腑抜けた相槌を確認して、渋々部屋を後にした。あの反応は来ないつもりだな。なんてことを考えながら食堂まで歩く。いつもの道がなぜだか少し長く感じるのは、いつもは二人で歩いているからかもしれない。明梨ちゃんと初めて会ってからそう長くはないけど、誰よりも一緒にいるのは確かだ。明梨ちゃんはお姉さんのことを話してくれるけど、彼女自身のことはあまり話してくれない。昔の話なんて口も開かないほどだ。

 

「話してくれたっていいじゃんか……ねぇ」

 

 そう愚痴ると、もしかしたら言えないことなのかも? と考えてしまう。でも言えない過去ってなんだ? 甘えん坊だったとかやんちゃだったとかかな。もしかしたら一人で暴力団相手にやりあった過去とかあったりして。

 

「明梨ちゃんに限ってそんなことあるはずないか」

 

 どれだけ詮索しても答えなんて訊かないと分からないのだ。だったら今以上に明梨ちゃんと仲良くなって、明梨ちゃんから話してくれる日を待ち望むしかない……のだが、たまにこのままでいいのか? と考えてしまう。わたしはちゃんと明梨ちゃんに友達として接しているのか。明梨ちゃんに無理をさせていないのか。そんな事を考える。本人に直接訊く勇気もないし、考える神経もない。わたしは誰かに何かを言われないと、何も分からない。

 

「……一人で悩んでもしかたないよね。ご飯食べて忘れよ」



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#3

 身体よりも心に胃もたれを抱えた状態で寮部屋に戻ると、安栗明梨(あぐりあかり)は相も変わらず深い睡魔を友にしていた。一糸纏わぬ肢体のまま、寝息を除けば何一つ生物としての動きを感じさせていなかった。

 

 ルームメイトの新崎尊(しんざきみこと)はほとんど呆れたようすで明梨の艶姿を見やった。もう必要ないだろうと洗面器とタオルを片付けると、眠れる全裸の姫の今後について考えなくてはならなかった。

 

 寝言に対する整合性は置いといて、なんとも幸せなそうな夢を見ているわけだから、風邪を引いて目覚めの悪くなるようなことはしたくない。とは言っても、明梨の寝込みの良さと寝起きの悪さは実証済みなので、とりあえずは恥を知るべき姿をどうにかする必要があった。

 

(なんだかんだ言ったけど、やっぱり何か着せたほうがいいよねー……)

 

 いいよね、と決意したわりに実行に移すにはそれなりの時間を有した。ルームメイトのクローゼットを見た瞬間、良識的な後ろめたさが尊を支配したからである。やむを得なしとは言え、自分は今から他人の私物をまさぐろうとしているのだ。

 

 心の中でルームメイトに両手を合わせてから、尊はクローゼットの中をまさぐり、下着とパジャマを引っ張り出す。他人に服を着せるシチュエーションなどそうそうないから、かなり手間取るであろうことは予測できたが、飾り気のないショーツを広げて彼女の片足にくぐらせようとしたとき、思いもよらない方面で尊は蹴つまずきそうになった。

 

「うぅぅうん……っ」

 

 間延びした声が明梨の口から漏れる。まるで夢の中で目を覚ましたような声音だが、その絶妙な艶っぽさに尊は経験したことのない熱を心臓に感じていた。

 

(あうぅ……なんかマズイことしてるような……)

 

 善意の免罪符をもってしても、この厄介な感情をはらうことはかなわなかった。偶然の産物とはいえ、今の自分は産まれたままの姿であるルームメイトを好き勝手にできる立場にあったのだ。むろん、尊にはいかがわしいことをする意思はなかったが(そもそもそういうものが正直よくわかっていない)、片膝を持ち上げてショーツを通しながらつい明梨の裸体に目をやってしまうと、そのことに後悔しつつも、もう一度見たくなってしまうのであった。

 

 なんとかショーツを穿かせた間にいくつもの『もう一度』を積み重ねてしまった尊は、ついに耐えきれず眠れるルームメイトの姿をまじまじと見下ろした。

 

 庇護欲をかき立たせるような寝顔をしている明梨。ようやくショーツ一枚を穿かせられた肢体は運動部に所属しているものとしてはほっそりとしているが、少女らしい色香は確かにあり、すべすべとしたおへそ周りやほのかな胸部のふくらみも健康さを匂わせている。きめ細やかな肌は室内照明を受けてつるりと照り返しており、身体を拭いたあととも寝汗ともとれそうだが、まさか舐めて確認するわけにもいかない。

そして、生乾きの体躯から放たれる匂いはボディーソープとも異なる独特の芳しさをまとっていて、尊は自分と本当に同じ少女なのだろうかと疑ってしまったものだ。

 

「……わわわ、やばやばっ!」

 

 思わず声が出てしまった。気づけば頭は熱く震蕩

しんとう

しており、ねめつけるような視線を明梨の肌色に余すところなく注いでいたのであった。これだけ注視されても一切目を覚ます素振りをみせないのはさすがだが、尊のほうは何とも疲れ切った気分になり、ブラジャーを付けてやる気力も湧いてこなかった。

 

 パジャマを着せるのは、下の部分に関してはショーツと同じ要領で、しかもぶかぶかであったから楽であったが、上に関しては明梨の身体を起こさなければならなかったので難儀した。さすがに起きるんじゃないかとひやひやしながら腕に袖を通し、背後に回り、二人羽織の要領でボタンを留める。運動部で鍛えているとはいえ、なかなかの重労働であった。

 

 最後に毛布をかけて、これでやるだけのことはやった。健やかな目覚めを迎えるかは彼女の持ち前の抗体に期待するしかなかったが、結論から言えば、その期待はものの見事に裏切られた。

 

 翌朝、ぼやけた意識が可愛らしいくしゃみの音に揺れて、尊は上体を起こした。隣のベッドを見ると、寝間着を着せたくしゃみの主が自分の身体を抱きなから打ち震えているところであった。

 

「ううー……喉がやけるー身体がひえるー頭がぐらぐらするー意識がもーろーとするー」

「見事に風邪じゃん。わたしがパジャマを着せなかったら命がなかったんじゃないの。ちゃんと感謝してよね」

 

 尊の軽口に、明梨は気軽に反応ができないようであった。肩で息をしながら一番上のボタンを外して何とも言えない表情で自分の胸を見る。

 

「着せたって言ってもノーブラなんだけど私」

「ぜいたく言わない。文句言うなら今度寝てるわたしにブラ付けてみなさいよ。すっごく大変なんだから」

「……いろいろ現実を思い知らされそうだから遠慮する。それより頭が岩になったように重くって。今なら地面割れるかなー……」

 

 どうやら目を開けていてもルームメイトは夢心地のようである。寝言めいたぼやきはともかく彼女の体調を取り戻すのは大事な課題だ。

 ベッドから降りて、尊は言った。

 

「食堂の人に風邪にいいものを用意してもらうよう頼んでくる。あとは医務室で体温計と冷えぴったんね。汗出てる? 出てるんなら身体拭いたげるけど」

「いい。尊っちの摩擦っぷりは痛くなるから自分でやる」

「はいはい逞しいことで」

 

 摩擦めいたやり取りになったが、明梨相手だとなぜか心地よい気分になる。いってくるねとドアに向かおうとしたとき、明梨が背後に真面目な声を投げかけた。

 

「尊っち」

「どしたの?」

「……寝ている間に私に何かした?」

 

 やましいことはないはずなのに心を針で突かれた気分だった。

 声のうわずりを抑えながら尊は答える。

 

「何もしてない。風邪引き明梨に服を着せただけ」

「…………そう」

 

 よくわからない声音である。安堵したのか呆れたのか、いいのか悪いのかすらわからない。問いただそうと尊が振り返ったときには彼女は仰向けに寝崩れ、可愛らしい寝息を再発させていた。タヌキ寝入りの可能性もあったが、いちいち疑って友人を傷つけるような真似はしたくない。

 

 したくはなかったが。

 

「……ずるいや」

 

 思わず小声でこぼしてしまう。一方的にもやもやを押し付けて、回答を煙に隠してしまう。身体のほうは無防備のくせして内面はなかなか守りが堅いらしい。

 

 寮部屋から出ている間も、尊の頭にはシーツの上で仰向けに浮かぶ明梨の裸体がちらついていた。熱の発生源もわからずがむしゃらに煙を払おうとするさまだ。追い払うごとに煙は濃くなり彼女の体躯を鮮明に色づかせてしまう。

 

(うう……本当にどうすればいいの〜!)

 

 尊が話したことで、明梨が熱で学校を休むことは知れ渡ったが、その中で原因不明なピンク色の熱病と闘っている少女がいる事実に気づくものは誰一人いなかったのである。

 



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#4

 寝付きが良くて、寝起きが悪く、序に言えば態度も悪い。………………いや、女の子好きなだけで不良とかそういうわけじゃないんだけど……………………

 

「うむむむむ………………」

 

 一人、おふとんの中で唸る。ボディーブローされてるような『痛み』とは別の、痛みですら無い何かに唸る。何かでうなされる。起きてるのにうなされるとは一体。でも、強いのがきた中で教室の喧騒と無駄口に包まれる状態だった数日前よりかは、風邪の今の方が幾分か楽だった。起きてうなされる方が楽なわけで。楽なので頭も働いてしまうわけで。頭重いのに。ああもう。まったく。

 

「……………………むぐぐ」

 

 コロコロ転がればぐわんぐわんと鐘が鳴るなり法隆寺状態の、響く痛みが頭を襲う。かと言ってじっとしていれば鉄板で蒸し焼きにされてるかのごとく高熱でほだされ、だからと言ってパジャマを脱いだら昨日の二の舞、三の舞。やけくそでいっそお布団無しなんてのも思いつくが、風邪をひいてる身で自殺行為なので流石にやらない。やったら尊に今度こそ呆れ返られ放置プレイされる。……………………それもいっそ新たな境地に目覚めるのかもしれないけど、如何に女の子好きだからって、その気は今のところ無い。それに、やるなら相手は…………………………

 

「……………………うう」

 

 ころんもふっ。ずきずき。このずきずきが何時もとは違う症状なので、文姉は呼んでない。むしろ今は一人がいい。例の重いやつなら感染りはしないけど、こっちは万人共通事項なのだ。文姉に感染ったら私が居たたまれなくなる。まぁ正確には、アレももらい伝染りする事もままあるんだけど、それは側に四六時中居るならば、というお話で。詰まる所、結局体調不良とはそういうモノで、一人で治すのが理にかなっている。そしてそれが自業自得ならば尚の事連絡なんか出来やしない。………………しかし、それに加えて変な熱が加わっているせいで、一般の風邪よりもタチが悪い熱を帯びてしまっている。やつ当たる対象がいるからこそこんな変な思考になってしまっているのかもしれない。普段の私なら、こんなこと、ないのに。

 

(ううん………………)

 

 裸を見られるくらいなんてこと無い。お風呂で一杯見られてきたんだし。今までも、今も、そしてこれから先も。

 でも、なんだろうか、このもやもやは。ズシンとくる身体と頭の重みと熱と、加えてもやもやが渦巻いて。重いアレが来てないだけマシかもしれない。

 

「お姉ちゃんのとは別……………………?」

 

 ころんもふっ。ずきずきずきずき。好きなのか好ましいのかはたまた友人として知人として好きなのか。尊はどうも、そこら辺で私の中では少し特別になりつつある。そんな存在だからこそ、裸を見られたのが、触れられたのが、果たして双方どういう意味になるのか、そこらあたりを考えると………………

 

(うーーーーーーーーーーーん)

 

 ぷすぷす。ぐるぐる。ころんころんもふばさもふっ。ずきずきずきずき。それは、恥ずかしくもあり悔しくもあり。風邪で伏せっているとはいえ、生まれたままの姿を見てもなんにも感じてもらえず無防備でも襲われず変なこともされず。信頼の証なわけなのだけれど、なんか、悔しいと思ってしまう気持ちが欠片もないと言えば、残念ながら嘘になる。けれど、同居者に犯罪を期待するというのは土台おかしな話。うん。おかしいんだ。おかしいんだけれど………………でも、本当に何もされなかったわけじゃないからこそ、気になってしまう。

 

「なんでブラだけ」

 

 首を傾げてパジャマの袖をぷらぷらぱたぱた。このパジャマは彼女が着替えさせてくれたもの。確かにつけるのめんどいし、寝そべったままの私じゃつけにくいし起こさないとつけられないしで、その際に私の目が覚めたらたぶん殴ってると思うし。通報するし。お姉ちゃん呼ぶし。それを考えると、彼女がブラつけだけしなかったのは言葉通り納得できる。彼女ががさつでめんどいのを極力避けたがる傾向なのは、短い付き合いながらも私も大凡は把握している。

 

「だからほんと、なんでブラだけ?」

 

 だからこそ、生まれる疑問。いう事聞かずにぐーすか寝てた私なんだから、めんどいのを嫌う彼女ならお布団をぽいぽい乗っけてしまう方が、幾分も彼女らしかった。一分もかからない布団追加よりも時間をかけて服を着せる、という行為自体、どうにも彼女らしくない。と同時に、友人思いでもある彼女らしくもあり。と、納得しかけるところではあるものの、わざわざ袖を通したりショーツまでやっておきながら、そこまでやっといてブラだけスルーというのは画竜点睛を欠く。もうショーツの時点で恥ずかしいんだからここまで着せるなら最後まできちっと着せるとは思うんだけど……がさつだからって今更なんでブラだけ遠慮したんだろ……胸の大きさの余裕的な何かかな………………どうせちっちゃいよ、ふんだ。

 

「……………………」

 

 そこで、遠慮が生まれた理由を考える。行きつくところは……彼女も少し、私を、何かしら意識したのかもしれない……? とか?

 

「まさかね」

 

 自惚れめいた何かに繋がるソレを、ないないと首を振って即座に否定。否定しつつも、今後裸を見られる機会は幾らでもあるわけで。そも、お風呂で一杯お互い見られてきたんだし。今更ブラつけるのを遠慮するというのも変なお話なので、またぐるぐると疑問が渦巻く。まぁ纏めてしまうと、変なことが起きました、以上、という結論なんだけど。……あんまり納得はできてないんだけど……頭痛いし重いし、今はいいや…………治ってから考えよ…………文姉に相談……は、この前の根掘り葉掘り事件を考えたら躊躇われる。

 

「…………う…………ココア入れてこよ……………………」

 

 のそりともぞりと這い出てのたのた。重いアレが来てないだけマシかもしれないと、さっきは前向きに考えたかったが、この後何時か、アレの痛みがこれに重なるかもしれない恐怖を考えたら、さっさと来てほしくもあった。詰まる所、結局体調不良とはそういうモノで、一人で治すのが理にかなっている。そしてそれが自業自得ならば尚の事。

 

「尊は…………………なんだろう」

 

 まだよくわからない彼女。そしてそれは、私にも言えた。そうしてそれらを纏めるには、今の私は弱り過ぎ。一先ず共同キッチンへここあここあとのたのたと。甘くて暖かいものを頂いて、ゆっくりしっかり休んでおこう。

 

―――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――

 

「あら、安栗じゃない?」

「え? あれ? 先生!?」

 

 キッチンには白井先生ともうひとり学生がいた。しょっちゅうお世話になる保険医の先生を保健室以外で見るのはなんだか新鮮。そのお隣からは、くしゅんと可愛らしいくしゃみが時折鳴り響く。

 

「……大分弱っているのね。橋本も安栗も」

「…………う……………………はい……………………」

「ずずっ……うぐー……」

 

 素直に肯定・保健室に行けないくらいの症状で。その上でアレを上乗せされたらと思うと、気絶も視野に入るくらいには、今の体調は悪い。

 

「分かった、丁度いいし、安栗のも作るわ」

「えっでっでも」

「んぇ~? 先生? このコは………………?」

「一年の安栗明梨、お前と同学年だな」

「そーなんだぁ」

 

 にょこっと先生越しに顔を出して、引っ込めたその人は、同い年らしい。ちょっと顔を抑えていたのが印象的だった。

 

「はじめましてーあたしは二組の橋本梢って言うの、よろひ……っくしゅん!!」

「わわっ!? だ、大丈夫です!?」

「ダメー」

 

 ダメらしい。………………まぁダメだから白井先生と一緒にいるんだろうし授業出てないんだろうし………………ダメ仲間としてちょっと心配だ。誰がダメだ。

 

「橋本は………………これくらいでいい?」

「うんーわざわざありがとーせんせー」

「いいのいいの。これから三年付き合うんだから、早目に知れて助かるわ」

 

 こぽこぽと煮立ったソレを、慣れた手付きで水筒ややかんに次々注いで持っていく橋本さん。

 

「ええと、安栗さん? だっけ? ではではお先にぃ………………っくしゅん!!」

「わわわっ!?」

 

 そうして大量の飲料を持って、ごめんね~また今度~と言いながら、くしゃみをしながら彼女は出ていった。顔を抑えていたのでどんな顔かよく判らなかったけど、涙目で赤かった。相当にひどいみたい。

 

「重度の花粉症らしくてね」

「かふんしょう」

「なんでもれんこんの戻し汁が効くらしいの」

「そ、そうなんですか……」

 

 何かを煮込んでいると思えば、輪切りれんこんが沢山大鍋に入っていた。僅かに残っている紫がかったピンク色のそれは、一見すると………………

 

「…………なんだか、魔女の大鎌みたい……………………」

「魔女よろしく、味もそんなものだわ?」

 

 飲んで見る? と勧められて、少しだけ飲んでみるものの………………

 

「うぇっ」

「ふふふ、そう。土の味みたいでしょう」

 

 うにぇーと流しでぺっぺする私に苦笑い、今度はミネラルウォーターを寄越してくれた。

 

「こ、こんなのが………………効くんですか?」

「勿論。まぁ不味いのは認めるわ」

 

 睨みながらも尋ねるものの、医者でもある先生がわざわざやっているんだから、当然効果はあるとのお答えで。でもこれは………………治る半面確実に気持ち悪くなる。なった。なんてもの飲ませたんだ。花粉症でもなければこの液体は飲みたくはないなぁ……

 

「所謂ポリフェノールってやつね」

「へぇ……………………あ…………」

「うん、このココアにも入ってる」

「そ、そうなんだ……………………」

 

 お隣でココア用のミルクを温めている先生は、パタパタと手際よく紅茶もついでにと入れていく。紅茶はこの先生の代名詞でもあるらしい。

 

「だから、もしかしたら、安栗のそれの症状も、ポリフェノールで改善される可能性もあるしね」

「う、うーーん……………………」

 

 だから飲ませてみたとの事。語りながらもその手は丁寧にくるくるくるりとミルクを混ぜて、少しづつココアに入れていく。丁寧かつ淀みないそれは、白衣を着ているせいもあって、なんだか実験液体にも見えてきてしまう。先入観とか見た目ってすごいなぁなどと、自分の飲み物なのになんだか他人事のように感じていた。

 

「重いのは、辛いでしょう?」

「………………………………はい………………」

 

 さておき、確かに花粉症以外で考えれば、私にも効果はあるのかも知れない。先生の言う通り、ここまで重いソレは、他の人にはない傾向だった。でもココアがスキなのは、暖かくて甘くて美味しくて、なので、残念ながら甘くなくて美味しくないポリフェノール特化の液体はご遠慮しておくことにした。効果が劇的にでもあるなら別だけれど……それで毎回吐き気をもよおすのであれば気持ち悪さAが気持ち悪さBに変わっただけになってしまう。……橋本さん何時もこんなのを飲んでいるのか……と思うと、強いなぁと思ってしまうと同時に、花粉症怖いなぁとも思ってしまう。どうか私は発症しませんとように一つ祈ってみたりもする。

 

「はい、出来たわ」

「すみませんありがとうございます………………」

「薬も大事だけど、好きなものを摂取するのもまた大事だから、いいのよ」

「………………はいっ」

 

 私の態度に、何かをに満足したらしい先生は、クスリと微笑みそのまま部屋まで送ってくれた。文姉にも言われた通り、安静にしていないと倒れてしまう。それで何度も文姉に迷惑かけてしまっていた。ちょっとだけ賢くなって、ちょっとだけ知り合いを増やして、ちょっとだけ先生にも触れて、今日の私の授業は終わりにしよう。ずっしり重い身体で動くのは、考えるのは、やはり疲れてしまうから。ゆっくり安静に身体を癒やしなさい、との言葉を頂き、閉じた部屋で一人ころりと寝そべって。天井見上げてまぶたを閉じて、時折ココアをずずっと飲んで、自身を心身ともに癒す。今日の宿題はさしずめこんなところだろう。

 

 心、の方の目処は全然たっていないけれど、ね。

 




なめなめたけたけせんせーからブラジャーのパスがっ!!(きゃっち) きゃっちしたらへんたいじゃないですかどういうことですか。
さておき、こうしてお話を繋ぐのは中々に楽しいですね。まだまだ知り合って間もない二人。双方の心情如何に、何処へ向かいましょうか。そこは、後ろへパスなのです。
企画に感謝です。


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#5

「はいはい、ちょっとお邪魔するよー」

 

「わっ、な、なんだ……もう、ちゃんとノックくらいしてよね、文姉ぇ」

 

 私が宿題をしようと自室の机に座った途端、勢いよく開いた扉から見知った顔が入って来た。いつもの事ながら何かを企んでいそうなにやり顔。血の繋がった実姉とはいえ、ルームメイトとシェアしているこの部屋にノックもなしとは……それなりに重大か、あるいは早急の用事なのかと身構えた。

 

 幸いにもまだルームメイトの尊は下校していない。もしも私が逆の立場だったら他人同然の人がノックもなしに入ってきたら、と想像すると尊に申し訳なさしか生まれない。

 

 ちらりと時計に目をやれば時刻はまだ四時を過ぎたところ。今日は部活だったんじゃ? と思い姉を見上げれば、なんとも満足げにふむふむと部屋中を見渡していた。

 

「文姉、今日部活だったんじゃないの? さっき帰る途中でジャージ姿の雪乃先輩とすれ違ったけど……」

 

「雪乃? あー、そうそう。部屋がやけに綺麗だったから要件を忘れるとこだった。明梨、もっかい制服着直して学校行くぞ」

 

「え? え?」

 

 やっと口を開いたかと思えば壁に掛けておいた制服をハンガーごとバサッと投げてよこす文姉。理由も分からず訳も分からず、しぶしぶとブレザーに腕を通せばそのままむんずと掴まれて「ほれほれ、急げって」と半ば引きずられるように部屋を後にした。

 

「痛いよ、文姉ぇ。私、まだ何も答えてもらってないんだけど……」

 

「おっと、すまんすまん。まぁついて来いって。姉ちゃんが理由もなく悪いところに連れて行った事があったか?」

 

「それは……」

 

 ない事もない……。そう言いたかったけど、今それを言ったらそれこそ悪い方向に進んでしまうんじゃないかという嫌な予感がしたので飲み込んだ。

 

 文姉は昔からこうだ。口も早いが手も早い……じゃなくて行動が早い。情報収集が上手いだけに、それに匹敵する行動力も備わっている。もちろん、良い方にも悪い方にも。

 

 だけど、私が憧れるその行動力には欠点だってたくさんある。知りたくないものも聞きたくないものも見えてしまう。見てしまったものを消化するか口外するか、情報収集係りは楽じゃないから。いっそ心を鬼にしてスキャンダル専門誌の張り込みを仕事にでもしたら割り切れるのかもしれないけど。

 

「いいか、明梨。これから目にする事は誰にも言っちゃダメだぞ。姉妹の契りだ、いいな?」

 

「し、姉妹の契りってなんか意味が違うように聞こえるけど……」

 

「誓うのか誓わないのかハッキリ言え。姉ちゃんは明梨を信用してここまで連れてきたんだ。その意味が分かるだろ?」

 

 そんな事言われても……本当に今日は強引すぎる。私だって文姉を信用してない訳じゃないけど、それを知る事によって生じるメリット・デメリットが全く読めないのだからおいそれと頷けない。

 

 つべこべやり取りをしているうちに校門に差し掛かった。下校途中の生徒に逆流する私たちを見てみんなが首を傾げている。取り分け鼻息を荒くしながら私を引きずる文姉は何事やらと注目を浴びていた。

 

 校舎の向こうに傾いている夕日が眩しくて、だけど綺麗で目を細めて見上げた。いつも背を向けて歩いていたから、こんなにオレンジ色なのだと気付かなかった。その夕日に照らされて文姉の髪がキラキラと黄金色に輝いている。後ろからとことことついて行く私の目には、その眩しい光景だけが映っていた。

 

「あれぇ? おっかしいなぁ……」

 

 文姉が足を止めたのは校舎の裏側にある焼却炉。あれだけの下校中生徒も、さすがにこんな人気

ひとけ

のない場所には誰一人としていない。知られてはいけない秘密の話なら、さっき私の部屋で言えばよかったのに……という疑問を抱きながら辺りを見渡した。

 

「キョロキョロすんなって。そのうち分かるから……」

 

「でも、文姉……あっ」

 

 見渡した文姉越しに、小さな影が一つ蠢いていた。思わず大きな声を出してしまい、しゃがみ込んだ文姉に人差し指を立てられた。

 

「しーっ。……あーぁ、隠れちゃったよ……。まぁいいさ。また顔出すだろ。ほれ、お前もあげるか?」

 

 ポイッと投げられたそれをキャッチする。バレー部で鍛えた文姉のコントロールが優れているのか、はたまた弓道部で鍛えた私の動体視力が優れているのか。

 

 手の内に収まったそれは、一瞬鼻を刺激する匂いがした。でもそれがなんだかすぐに分かった。

 

「にぼし……? じゃあさっきの黒い影って……」

 

「しーっ、だからお前は声デカいっつってんだろ。この前はこっちの茂みにいたんだけど……」

 

 文姉が覗き込んでいたのはツツジの垣根。時より細かい枝に頭を突かれては「いてて」と言いながら髪を整えている。その背中を見て思い出した。

 

 文姉と私は小さな農家の大きな家で育った。長女で面倒見のよかった文姉は小さいお母さんのようにいつも忙しなく走り回っていた。それでいて慌ただしい毎日に不満一つこぼさず、だけど堂々と仕事をこなしていく頼もしい姉だった。

 

 文姉がこの星花女子学園の寮に入ってからは、次女である私が文姉の代わりとなって後を継いだ。でもずっと文姉におんぶに抱っこだった私が後任になれる訳がなく、弱音を吐いては文姉を尊敬し、同時にここにいてくれないというもどかしさから恨む事さえもあった。

 

「いたぞ。静かにこっち来い」

 

「う、うん……」

 

 文姉は茂みの奥で蠢く黒い影に向かってにぼしをふりふりし始めた。真剣な事にも楽しさを隠せないという横顔は小さい頃から何も変わらない。「ほれ、こっちだ。ほれほれ」と嬉しそうに覗き込んでいる。

 

「文姉、人間に慣れてないんじゃ出て来ないよ……。そんなに食べさせたいなら置いてってあげよ?」

 

「バカだなぁ、明梨は……。エサってのは手からあげる事に意味があるんだぞ。それは猫も人間も同じさ」

 

「人間も……?」

 

 私と会話しているはずなのに、文姉の視線は茂みから一時も離れていない。ううん、視線だけではなく、心すらも離れていない。まるで私ではなく、その奥の自分自身に言い聞かせているような……。

 

「ふ、文姉っ、あっちあっち。左の方でカサッて言った……」

 

 私が耳元で囁くと、「よぉーっし、でかしたぞ」とにんまり笑ってそちらへにじり寄って行った。私も抜き足差し足でついて行く。その先では、茶トラの猫が「ンナー」と鳴いてこちらを覗いていた。

 

「いい子だ。ほれ、今日はにぼし持って来てやったぞ?」

 

 今日は? という事は以前にも来ていたのだろうか。距離を保ちつつ辺りを警戒しながら少しずつにじり寄ってくる茶トラ猫。文姉も警戒を解く為か、ふりふりしていたにぼしを地面すれすれまで下げ、じっと忍耐強く反応を窺っている。

 

 どこかで見た事がある。ハッキリとは思い出せないけど、小さい頃にも同じようなシチュエーションがあったはず。あの時は確か……確か猫は結果的に逃げてしまったんだった。背中におんぶしていた妹が泣き出して、驚いた猫は二度と姿を現さなかった。

 

「なんだ……お前もか……。まぁいいさ、ほいっ、ここ置いとくから好きな時に食べな」

 

 そんな事を重ねているうちに、猫との忍耐合戦を諦めた文姉が立ち上がった。投げたにぼしは、ビクッと数歩後ずさった猫の前にぽてりと落ちていった。茶トラ猫は一旦にぼしの匂いを嗅ぎ、それからちらりとこちらを見ながら垣根の奥へと咥えて行った。『いいの?』そう言っているようにも見えた。

 

 満足げにパンパンと手をはらう文姉の横顔を眺めて思う。『お前も』とは誰の事なのだろう、と。でも、聞いていいのかは分からない。先程より傾いた夕日は、相変わらず私の小さいお母さんを綺麗な黄金色に照らしていた。

 

「誰にも言うなよ、明梨」

 

「え、う、うん……。でも、どうして……?」

 

「どうしてって……あいつの特別になりたかったからさ。誰か他の奴があいつを手名付けちまったら、あいつももうあたしからはエサを食べなくなるだろ。……エゴ、だがな……」

 

 楽しそうだと思ったのに……。文姉に面倒を見てもらえて幸せになれたかもしれなかったのに……。与える側と受ける側、どちらかが傾いてしまっていては成り立たない事もあるのだと、そんな当たり前の事を私は改めて思い知った。

 

 綺麗だと思っていたオレンジ色が切なくて、そっと文姉から顔を逸らした。

 

「なぁ、明梨」

 

「……何?」

 

「お前、大切な人がいんだろ?」

 

「え、え? え? い、いない……よ……?」

 

 あわあわとどもる私を見て、文姉がまたにやりと笑う。こ、この情報通の姉に知られていない訳がないと思っていたけど……。

 

 恥ずかしくて言えない……。

 

「ふん、まぁいいや。あたしはさ、いたんだな、これが」

 

「えっ? ふ、文姉にもっ?」

 

「も?」

 

「え、う、ううん、何でもない……」

 

 口を開けば開く程、墓穴を掘り進んでいく私。見透かされてるとは思ってもやっぱり本当の事は言えない……。

 

「その大切な人にも言えない事があったら、いつでも姉ちゃんとこ来いよな。切なさの乗り越え方くらいは教えてやるから」

 

「……文姉?」

 

「……さっ、帰って宿題しておけ。あたしはこれから部活に行くから」

 

「え、これから? もうそろそろ終わっちゃうんじゃ……」

 

「じゃーなー」

 

 きょとんとする私を一人残し、文姉はダンダンというボールの音のする方へ駆けて行った。最初から最後まで振り回されちゃった……。だけど悪い気はしない。

 

 きっと文姉は、『大切な人の特別になりたいのなら、自分から手を差し伸べろ』って伝えたかったんだ。ガサツで面倒見のいい文姉らしい、遠回しなお節介……。

 

「じゃあ……帰りますかね……」

 

 大切なルームメイトの待つ、私たちのあの部屋へと……。




黒鹿月木綿稀様作 『From your roommates』より、姉妹関係をクローズアップしてみました。
姉に諭された明梨がどうなっていくのかお楽しみに!

次はらんしぇ様です。
きっとかわいい百合世界が待っていますよ♪
こうご期待!



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#6

「悪化してない?」

 

 部屋に戻ると明梨は何故か制服で、掛け布団もかけずにベッドに横たわっていた。苦しそうだし汗もかいてるみたい。

 

「明梨。学校行ったの?」

「お姉ちゃん……」

 

 うわごと? それともお姉さんに連れられたってこと? 制服の状態から着替えさせるのは昨日より難易度が高い。かといってそのままだと辛そうだし。とりあえずブレザーを脱がせて、ワイシャツのボタンを上2つ外す。

 

「何か、欲しいものある?」

 

 熱を持って赤くなった頬と上がった息、流れる汗がどうも色っぽく見えて、必死に気にしないよう目を逸らしながら問う。

 

「水……ちょうだい」

「分かった」

 

 自販機で買って部屋に戻ってきてはたと気付く。起き上がれないんじゃない? どうやって飲むの?

 

「起き上がれる?」

 

 弱々しく首を横に振る明梨を見て1つ考えがよぎる。いや、まてまてそれは良くないぞ。でも手っ取り早く済ませられるし。コップで渡してもこぼれちゃう。ストローなんて、この部屋には無いし。

 

「ほんと、何してんの。ちゃんと寝てればもう治ってたかもしれないのに」

 

 着替える体力もあったとは。もう昨日みたいなことはできないからね。忠告もしたし。

 

「水……」

 

 あまりに弱っているのでそれ以上風邪の事を言うのはやめる。

 うつっちゃうかな。いや、大丈夫でしょ。うん。

 持っていたミネラルウォーターを少し口に含む。薄く開いた唇に……

 

「っ! げほっげほっ!」

 

 いやいや違う! これは違うの! 明梨に水を飲んでもらう為であって決して他意は無いのよ!

 べ、別にキスじゃない! ノーカン! だから! 頑張れ!

 深呼吸深呼吸。

 

「すー、はー……」

 

 よし。

 

「明梨。恨まないでね」

 

 今度こそ口に含んだ水を明梨にうつす。

 うわぁ。柔らかいや……。

 ちゃんと水を飲んだ事を確認して自分は部活着に着替える。部活前に様子を見に来たんだけど、1人にするのちょっと不安かも。

 

「もっと……ちょうだい……」

「え! あ、ああ、水ね! 水!」

 

 無心無心……仕方ないことだしどうせ明日元気になったらこの事なんて明梨は忘れてるわよ。

 って、それも何か癪だわ。わたしだけこんな思いするなんて。

 2度目も柔らかい唇にドキドキして、やっぱり熱がうつるんじゃないかと思った。

 

「ここに置いてるから。次からは自分で飲んでね。ちゃんと寝てるんだよ。わたしは部活に行くからね?」

 

 部活バッグを取る為にベッドを離れようとすると、服の裾を掴まれる。その手はすぐに離れたけど。あーもう! なんなのもう!

 

「……ふぅ。電話、出るかな」

 

 ていうか、やっぱり着替えないと……体拭いて、ショーツとタンクトップだけなんとか着せて、タオルケットを増やしてあったかくして。汗かいてもいいようにバスタオルでもひいてれば大丈夫。うん。めんどくさい……。運動靴、は高価すぎるけど。編み物に使うものでも買ってもらおうかな。最近あまり出来てないし。それくらいはいいでしょ。そう、忠告したのにここまで酷くなってるのが悪いんだから。ジュースで勘弁する程優しくないんだからね!

 

「すみません、今日はお休みさせてください。……はい、明日からまた頑張りますので」



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#7

ひどく、人生がつまらない。

 

 そう言う人間は、その人本人がつまらない人間であることが多い。

 

 そうなんだ。

 

 私自身が、つまらない人間なんだ。

 

 私、|城戸愛羅(きどあいら)は「|星花女子学園(せいかじょしがくえん)」という私立校の高等部に通う、ごくごく普通の女子高生だ。一般的な収入のある一般的な男女夫婦のもとに生まれ、一般的な教育を受け、一般的な生活を送っている。変化も刺激も無い。つまらない日々を過ごしている。なにか刺激的な出来事に遭遇できないかと思ってジャーナリストを志望し新聞部に入部したものの、望んだような事も起こらず、怠惰に校内新聞を作っているだけだ。つまらない。たまに普通じゃない生徒や教員とかも見かけるが、どいつもこいつもキチガイばかりだった。刺激は欲しいが、面倒事は勘弁してほしい。

 

 あー、つまらない。

 

「……今日もだるそうな顔してるね、クー」

「……レン。また来たの」

 

 突然話しかけてきた彼女、|寅宮恋子(とらくれんこ)もまた、私と同様につまらない人間だ。私は、彼女のことを「レン」と呼んでいる。「|恋子(れんこ)」だから。

 

「……それに、また私のこと『クー』なんて気安く呼んで」

「クーに足りないものだよ。『|城戸愛羅(きどあいら)』に足せば『喜怒哀楽』になるでしょ? もっと前向きに、もっと楽しまなきゃ、自分の人生を。まだ退屈してるの?」

「ええ」

「退屈な日常から抜け出したいなら…………わたしと結婚を前提に付き合えばいいと思うの。ほらこれ。『婚姻届』という名の永遠の契約書。ここにサインと実印お願い」

「……またそれ?」

「ほら、女の子同士で付き合うことなんて、うちみたいな女子高じゃ珍しくないし。わたしなら、クーの最高のパートナーになれる。きっと楽しいよ?」

 

 ……訂正しよう。こいつ、レンもその「キチガイ」の一人だった。こんなつまらない人間の私に構うなんて、常軌を逸している。それに結婚だのパートナーだの、とても正気の沙汰とは思えない。精神科への受診をお勧めする。

 

「あなたみたいな変人には付き合いきれない」

「うぅ、ひどい……。あっ! どこ行くの?」

「部活」

「わたしも一緒に……」

「ついてこないで。気持ち悪い」

「あ…………」

「……あぁ?」

「あっ…………」

 

 私がキチガイで池沼なレンの手を振り払おうと腕を振り回したせいで、入れ違いに教室に入ろうとしていたクラスメイトの新崎尊に自分の左手をぶつけてしまった。

 

「ご、ごめんなさい。……喧嘩中……だった?」

「いやーちょっと痴話喧嘩しちゃってて…………あはは」

「彼女とは喧嘩するほど元々仲良くなんてない。レンも自惚れないで」

「うーひどっ。…………それよりも、新崎ちゃんはどうしたの? もう教室にはうちらしか残ってないけど」

「……うん、ちょっと忘れ物」

 

 …………まあ、いい。

 レンもきっと正気を取り戻せば、こんな無価値な私にも嫌気が差すだろう。

 

 ◆

 

 慌てて教室に戻ると、ちょうど同じタイミングで扉の近くにいた|城戸愛羅(きどあいら)さんにぶつかってしまった。

 

「ご、ごめんなさい。……喧嘩中……だった?」

「いやーちょっと痴話喧嘩しちゃってて…………あはは」

「彼女とは喧嘩するほど元々仲良くなんてない。レンも自惚れないで」

「うーひどっ。…………それよりも、新崎ちゃんはどうしたの? もう教室にはうちらしか残ってないけど」

「……うん、ちょっと忘れ物」

 

 ……そうだ。私は「あれ」を取りに来たんだった。今日の休み時間、友達に「風邪によく効く」と聞いて借りた、この……。

 

 ……長ネギの形の消しゴム(長ネギの香りも再現されている)を。



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#8

「明梨ちゃん、ちゃんと寝れた?」

 

 急いで二人の部屋に戻ると、まだ赤ら顔を浮かべてうんうん唸ったまま。具合が悪そうなところは何度も見てはいるけれど、いつだって心臓に悪い。走ってばっかで乱れた息を整えてる間に、気だるそうな声が零れる。

 

「……いっぱい寝すぎたから、もう寝れないや」

「まだ、大丈夫じゃなさそうだね……冷えピタ替えよっか?」

「うん、お願い」

 

 ローテーブルに置いておいた二リットルのスポドリも、半分近くは飲んでくれてるのは、ちょっと安心する。でも、治るのはまだまだ先そう。声も気だるげだし、朝に貼った冷えピタはとっくに温んでいて、まだ、おでこも熱い。

 

「じゃあ、なんか消化にいいの買ってくるから」

「待っ、……いいよ、行ってらっしゃい」

 

 まだ、風邪で倒れてるからなのかな、「待って」と言おうとした声は、切なげに聞こえる。別に、やましいことなんてしてないはずなのに、心の中で、何かが引っかかる。抱えてしまったもやもやと、同じところに。

 やましさに、部屋を飛び出すように出る。鍵をかけて、近くのコンビニまでひとっ走りする。どれだけ走っても、はがれてくれない罪悪感。コンビニに着いても、まだ、それは胸の中でずしりと重い。

 おかゆのパックと、ゼリーを何個か買って、また寮までひた走る。何かに、押しつぶされそう。あのとき、事故みたいなものだけど、……キス、しちゃったときから。

 柔らかかった唇の感触も、熱のせいか火照った顔も、潤んだ目も、……思い出しただけで、心臓が弾けそうになる。

 また、帰り道も全力で駆け抜ける。あの時の情動も、今のやましさも、振りほどきたくて。……それなのに、ずっと残って、消えてはくれない。

 

「ただいま、とりあえずおかゆとゼリー買ってきたよ」

「ありがと……、なんか、早かったね」

「まあね、そんなに食べれてなさそうだし、ちょっとでも早く治してほしいもん」

 

 なんて、本当は嘘。息をすぐ整えられるくらいには、走るのには慣れててよかった。走りづめてたとしても、ごまかせるから。

 

「そっか、ありがと、尊っち」

「じゃあ、給湯室でおかゆあっためてくるから」

「……まだ、お腹空いてないからいい」

 

 今は、まともに顔が見れないから、部屋を出ようとしたのに、……気づいてよ、なんて、身勝手すぎるよね。

 

「そ、そう?じゃあ冷蔵庫しまうから、食べたくなったら言ってね?」

「うん、ありがと、……ねえ、お水、注いでくれる?」

 

 ペットボトルやら湿布やらがごちゃごちゃになっている冷蔵庫に無理やりスペースを作って、レジ袋ごと突っ込む。ローテーブルにもう出してたスポドリも、大分ぬるくなって、あんまり飲みたくないのかなと察する。ぬるくなってると、酸っぱくなっちゃうもんね。

 

「お水でいい?スポドリ、まだ残ってるけど」

「あー、もう酸っぱくなっちゃってんだけど、……そっちのほうがいい、よね?」

「いいよ、別にそっちにしないと死ぬわけじゃないし」

「それもそうだけど、早く治さないとだし……、好きにお願い」

 

 よかった、これで、ちょこっとだけ目を離せる。今は、まだ、心の準備ができてない。胸が高鳴ったまま、止まらない。

 ローテーブルに置いてあったコップを持って、流し台に向かう。ついでにスポドリのボトルも持って。確か、薄めたほうが水分取りやすいって聞くし、あの独特な酸っぱさも薄くなるよね。わたしが戻ってきたときには、もう体を起こしていた。

 

「ちょっと薄めたのにしたんだ、そっちのほうが吸収しやすいらしいし」

「そうなんだ、ありがと」

 

 コップの中を一気に飲み干す明梨ちゃんに、ちょっと安心する。それだけ、元気出てきたんだね。

 

「あとね、これ」

 

 ポケットの中から取り出したのは、昨日買ってきた長ネギ型の消しゴム。目を丸くするのが、わたしにも見てとれる。

 

「もー、尊っちなにこれーっ」

「おまもり代わりにはなるかなって、ネギって確か風邪にいいんでしょ?」

「そうだけどさ、あんまりいい思い出ないんだよね」

「えー、そうなの?」

 

 実家が農家っていうし、わたしが苦手な野菜もいっつも食べてくれてるし。だから、野菜は好きだと思ってたのに。嫌な思い出って、何があったんだろう。

 

「昔、私が風邪引いたときさ、いっつもおばあちゃんが畑からネギ引っこ抜いて首に巻いてきたんだよねぇ……」

「え、何それっ!?」

「実際よく効くんだけどね、治ってもしばらくネギの臭いが取れなくてさ……」

「そ、それは大変だったねぇ」

 

 やっぱり、やめたほうがよかったかな。胸の中で、なにかがざわつく。嫌われたくないよ、ルームメイトだからっていうのもあるかもしれないけど、全然、それだけじゃ説明できそうにないくらいに。

 

「でも、ありがと、……私のこと、考えてくれて」

「ううん、こっちも、ありがと」

 

 消しゴムを手にとって、まじまじと眺める。何度もひっくり返して、確かめて、何か引っかかったように声をかけてくる。

 

「ねえ、これネギのにおいするんだけど……」

「ああ、それ香りつきってあったんだよね……」

「そんなんどこで売ってるの!?」

 

 そりゃ、びっくりするよね、見つけたときは、自分でもびっくりしたもん。病人なのも忘れたように声を高くする明梨ちゃんにちょこっとおののきながらも、答え合わせをする。

 

「商店街のとこの雑貨屋さん、正直なんであるんだろうなって思ったよーっ」

「誰が買うんだろうって感じだもん、……あ、尊っちが買ったか」

「そんなこと言えるなら、看病しなくていいくらい治ってるよね?」

「待ってよ、……まだ、治ってないんだから」

 

 冗談なのに、本気みたいにとって慌てる明梨ちゃん。そんなこと、するわけないでしょ。そんなに不安な顔しないでよ、わたしまで、何か黒いものが心に入り込んで、……怖い。

 

「もー、そんなことするわけないでしょ?」

「はぁ、よかった……、本気で心配したんだからね?」

「あはは、ごめんごめん」

 

 明梨ちゃんのほっとした声に、わたしも、安堵が吐息に混じる。

 二人で話してたら、いくらでも話ができちゃう。それが心地いいんだけど、でも、……ときどき、不安になる。明梨ちゃんにとっては、どうなんだろうなって。知らないうちに、傷つけてないかって。知り合ってまだ経ってないし、まだ、わたしは、明梨ちゃんのこと全然知らない。そこら辺の人よりはわかってるだろうけど、それでも、なんか物足りなくて、不安になる。

 

「それで、ご飯どうする?」

「うーん……、割とお腹空いてきたからかも、……うどんとか、簡単なのだったら」

「そう?おかゆ買ってきたんだけど、それでもいい?」

 

 時間を見ると、まだ七時前。これから混む時間に、具合が悪い子を食堂に連れて行くわけにもいかないし。わたしも、そんなに料理上手じゃないから、それで済むなら、助かるんだけどな。

「じゃあ、おかゆでいいよ、ゼリーもあるみたいだけど、さすがに今は入らないかな」

 

 そう言って、わたしのことを気にかけてくれるのが、たまらなく嬉しい。いくらだってわがまま言ってもいいのに、それだけ、わたしのこと、大事なのかな、なんて、夢を見過ぎてるのかもしれない。ずっと眠ってて夢を見てたのは、明梨ちゃんのほうなのに。

 

「じゃあ、そうするね、ちょっと待ってて」

「うん、わかった」

  

 寂しげに聞こえたのは、わたしの思い込みすぎなのかな。ほっとするような、何か心の中が抜け落ちたような気分のまま、給湯室まで向かう。ポットのお湯を出そうとして、湯せんするための器がないと、自分の部屋まで一往復、おかゆをよそうお茶碗を取るためにもう一往復。

 

「どうしたの、そそっかしいなぁ、今日の尊っちは」

「べ、別にいいでしょ? あんまり、こういうのしたことないんだし」

 

 どたばたと部屋に駆けこむと、ちょっと力の抜けた笑い声。ぶっきらぼうに返して、廊下を走り抜ける。

 わたし、何してるんだろう。何でもないことなのに、手がつかない。近くにいると、ドキドキしてしまうせいで見てたくないのに、遠くにいると、なぜか、明梨ちゃんの顔が、どうしたって浮かんでしまう。

 もう茹だりきったおかゆをお椀に移すときも、指をやけどしそうになって、……わたし、だめになっちゃったみたい、明梨ちゃんのせいで。

 

「ただいま……」

「お疲れ、どうしたの、今日は」

「ううん、なんでもない」

 

 何でもないわけないよ、でも、明梨ちゃんのせいなんて言えない。それを、もし言ってしまったら、……わたし達の関係が、全部壊れてしまいそうな気がする。

 

「ちょっといい?給湯室片してくるから」

「うん、その間、ちょっと冷ましてるね」

 

 やっぱり、落ち着かないや。二人きりの空間を出て、思わず漏れたため息。給湯室に戻って、湯せんするために持ってきたティーポットを取りに行く。胸のざわめきも、鼓動の高鳴りも、理由なんてもうとっくに分かってる。……ただ、明梨ちゃんのこと、見てたくないだけ。

 そのまんま、友達として好きなだけでいられたらよかったのにね。こんなに熱い気持ちを抱えていなかったら、今みたいにくすぶって、ふと触れたくなる衝動に駆られなくて済んだのに。

 

「ただいま……、わたしも、ご飯食べてきていい?」

「えー?……、食べさせてほしいな、なんて」

 

 わたしの気も知らないで、明梨ちゃんのいじわる。今だってドキドキしてるのに、そんなことしたら、どうなるかわかんないよ?

 でも、嫌なんて言えない。胸の中で持ってしまった感情は、まるで呪いかなんかみたいにわたしを縛り付ける。

 

「もう、とっくに元気でしょ?」

「いいじゃん、ちょっとくらい」

 

 わたしが明梨ちゃんへの恋心に踊らされてるの、本当は分かってるんじゃないかってくらいの口ぶりに、どうしたって逆らえない。だから、顔、見せたくなかったのに。

 

「全く、しょうがないなぁ」

「へへ、ありがとー」

 

 気の抜けた声で、よっこらしょといった感じでゆっくり起き上がる明梨ちゃん。……やっぱり、まだ、治ってなかったのかな。わたしをちょっとでも安心させようとしてたのかな。こんな風に、明梨ちゃんが寝込んでるのなんてよくあることなのに、まだ、わかんないや。

 本当に、いじわるなんだから、明梨ちゃんは。そうやって簡単に、わたしの心を狂わせて。わざとらしい口ぶりにも、妙に緩んだ顔にも、反発する気持ちが膨れ上がって、……それでも、しょうがなくお椀と匙を取ってしまう。……『好き』なんだから、もう、どうしようもないよ。

 

「はいはい、じゃあ、口開けて?」

「ちゃんとふーふーしてね?やけどしちゃうでしょ?」

「……わかってるよ、そんなの」

 

 何かが溢れそうになるのを押し殺して、ベッドの端っこに座る。髪からか肌からか漂うにおいが届くような距離。明梨ちゃんの熱がわたしにもうつったように、頭の奥がくらくらする。

 ただ、息を吹きかけて、それを食べさせるだけなのに。胸の中が、どうしたって痛いくらい跳ねる。

 こんなことずっとやってたら、いつか心臓が止まっちゃいそう。

 

「それじゃあ、いくよ?」

「……うん」

 

 おかゆを掬って、軽く息を吹きかけて、それを明梨ちゃんの口元に運ぶ。大したことでもないのに、匙を持つ手が震える、食べるとこをまともに見れなくて、目を閉じてしまう。

 

「……みことっち?」

 

 不思議そうな声で、わたしを呼ぶ声。ベッドが沈む音に目を開けて見ると、近づこうとしたのか、太ももの近くに乗った手。匙の中を見ると、目を閉じる前と変わらない。

 

「何?」

「今日の尊っち、何か変だよ?もしかして、風邪うつしちゃった?」

「そうじゃないよ、ただ考え事」

「そう、……私でいいなら、話聞くよ?」

 

 そんなこと言われても、無理だよ、明梨ちゃんにそれを言ったら、それはもう、告白するのと変わらないよ。

 

「ありがと、でもいいよ、わたしで何とかするから」

「ならいいんだけど、……いっつも看病してくれてるから、そのお返しにって」

「べ、別にいいから、ほら、口開けて?」

 

 それでも、早まる鼓動が、乱れてく気持ちが、治まるわけなくて。むしろ、もっともっと増していく。責任取ってよ、なんて、言えたらよかったのにね。

 時間が経って、大分ぬるまったおかゆを、ひと匙ずつ掬って、明梨ちゃんの口に運んでいく。こうしてるだけで、胸の中がどうにかなっちゃいそうで、気持ち多めになってしまう。

 

「んむ、……もうちょっとだけ、待って……?」

「うん、わかったよ」

 

 相変わらず、明梨ちゃんが食べてるとこはまともに見れなくて、匙から伝わる感覚に頼りきりになってしまう。

 

「もう、食べたよ?」

「あ、……ごめん」

「やっぱり、尊っちも風邪引いたんじゃないの?全然、大丈夫じゃないじゃん」

「そんなんじゃないよ、大丈夫」

 

 体の奥が熱いのは、明梨ちゃんの風邪がうつったせいじゃないはず。むしろ、そのほうが良かったかもしれない。こんな風に、揺れ動く気持ちに、悩まなくたって済むから。

 

「大丈夫じゃないから言ってるの」

「明梨ちゃんのほうが全然大丈夫じゃないじゃん、大人しく看病されてよ」

「……はいはい」

 

 何で、そんな寂しそうな顔するの。わたしが、声を荒げたから?胸の中に入ったヒビを、なぞられるような感触。

 勝手に傷つけて、その事に傷つく。一体、何がしたいんだろう、わたし。何度も繰り返して、その度に心臓が破裂しそうになる。

 お椀の中も、見れなくなってて、いつの間にか、空っぽになっていた。こんなにふらふらしてるのに、食欲はあるんだな。それとも、さっきの、ごまかすための言葉をまだ貫いてるのかな。

 

「……ありがとね」

「ううん、いいよ、……じゃあ、わたしもご飯食べてきていい?」

「あ、……うん、ゼリーはあとにするから、とりあえず、寝かしてほしいな」

 

 抱きついてくる腕は、なんだか弱々しい。力、全然入ってないじゃん。汗もいっぱいかいてるし。ずっと元気に見せかけて、わたしに心配させないようにするつもりなの?

 

「だめだよ、汗だくじゃん、一杯くらいは水飲まなきゃ」

「うん、そうかも、もう喉からから……」

「こういうときはスポーツドリンクがいいんだけど、冷たいと胃に悪いんだよねぇ、だから、ちょっとずつにしてね」

 

 冷蔵庫に入れてある五百ミリのペットボトルを渡すと、それを受け取ってくれるけど、今にも落っことしてしまいそうなくらいに弱々しい。こんなんじゃ、フタも開けられないだろうからと、キャップも取ってしまう。しばらくは、こうしていてもらおうかな。明梨ちゃんの喉が乾く度に口移しなんてしてたら、きっとわたしの心臓が持たないから。

 

「ありがと、……尊っちもご飯食べにいっていいよ?」

「駄目、ちゃんと飲めるか見てからにする」

 

 さっきから、ペットボトルを両手で持ったまま今にも取り落としそうだし、明梨ちゃんの頭が、うつらうつらとしてる。

 

「あれ?飲まないの?」

「今、飲むから……っ」

 

 急かしたせいなのか、大きくむせたのと同時に、力の抜けた手からペットボトルが落っこちて、寝間着中に中身をぶちまける。全部零れるまえにペットボトルは拾えたけど、もう四分の一も残ってるか怪しいくらい。

 

「こほっ、けふっ、ご、ごめ……っ」

「ごめん、焦らせたわたしのせいだよね」

「いいの、心配してくれただけでしょ?」

 

 優しいような、どこか冷たいような、明梨ちゃんの言葉、全然つかめない。でも、今はそんなこと考える場合じゃないと、首を何度も横に振る。

 寝間着びちゃびちゃだし、布団にもかかってるかも。今の明梨ちゃんだと着替えることもままならないし。……シャワーでも浴びさせたいくらい汗だくになってるけど、お風呂場に連れていくこともできなさそう。

 

「……それにしても、着替えなきゃだね、汗もいっぱいかいてるし」

「えー?」

「えー、じゃないの、ほら、起こすよ、立てそう?」

「うぅ……、ちょっと待って……」

 

 抱き起こすのも明梨ちゃんの頭がふらふらしてて危なっかしいし、軽く手で引っ張ってあげるだけ。起きてからもふらつく体を、抱きとめて支える。わたしより頭半分高い体は、全部わたしに預けてくれるくらいに、あまりにも無防備で、……ふと、唇を重ねたくなる衝動。それと一緒に熱くなる体。

 

「明梨ちゃん、やっぱりすっごく熱いや」

「だから……、寝かせてって、言ってるでしょ……?」

「駄目だよ、着替えないとだし、わたしのベッド座って?」

「うん、わかった……っ」

 

 それでも、全然動かない体を、そのまま引っ張る。ふらふらした体は、強引に動かせば倒れてしまいそう。ローテーブルをぐるりとまわって、わたしのベッドまでのいつもの数歩が、今はマラソンのコースみたいに思える。一歩一歩進む度に漏らすうめくような声が、なんだか、かわいくて、切なく耳をくすぐる。

 ようやくたどり着いたわたしのベッドに、ゆっくりと座らせる。もしマットレスにもかかってたら、そのままわたしのベッドで寝かすしかないだろうし、そうであってほしいような、そうじゃないほうがいいような。わたしの中で、ゆらゆらと揺れる感情。

 さっきと同じ距離とは思えないくらい一瞬で、明梨ちゃんのベッドを撫でるように触れていく。まだあたたかいマットレスが、一か所だけ大きく冷たく濡れている。

 

「あっちゃー、ベッドも駄目みたい」

「そうなんだ、ごめんね……」

 

 謝る声が、妙に胸に刺さる。明梨ちゃんの声から、力が抜けたせいだって信じ込ませようとして、でも、そうじゃないのかもってざわめく。

 

「いいよ、洗濯は今からだと混んでるから無理だし、とりあえず着替えしなきゃね」

「やだ、もう、動きたくない……」

「気持ちはわかるけど、汗だくでパジャマまでぐしょぐしょのまま寝たら、風邪なんてずっと治んないよ?」

「そうだけどさ、体重いの……」

 

 もともとめんどくさがりなとこがあったけど、今の明梨ちゃんはわたしがいなきゃ何もできなさそうなくらい。

 

「元はと言えば明梨ちゃんが裸で寝てたからでしょ?」

「そーだけどさー……」

 

 本当だったら、一回シャワーでも浴びさせたほうがいいんだろうけど。さっきみたく、亀にだって抜かされるんじゃないかってくらいの遅さだと、お風呂に着くまでに消灯の時間になっちゃいそう。だとしたら、……わたしが、体を拭いてあげるしかないんだ。

 どくん、どくん、心臓が、体に熱を帯びさせる。ただでさえ熱いのに、きっと、今の明梨ちゃんと同じくらいになっちゃってる。

 真っ赤な顔を見せたくなくて、クローゼットに逃げ込む。昨日のおかげで、明梨ちゃんのものの中身は知ってしまってる。湧き上がる罪悪感は、昨日よりは少し薄れた。その代わりに、恥ずかしさが爆発しそうなくらいに溢れる。一通り揃えると、今度はわたしのところからスポーツタオルを一枚取り出して、あんまり顔を見ないようにわたしのベッドまで戻る。

 

「着替え取ってきたよ、本当ならシャワー浴びさせたいけど、下まで降りれないでしょ?」

「ありがと、……うん、今日はもう寝たい……」

「駄目だよ、明日治っても汗の臭いまき散らしたまま学校行くつもり?」

「うー、それはやだ……」

 

 やっぱり、そういうとこは明梨ちゃんも女の子なんだな。ほっとするような、なんか寂しいような。わたしよりずっと大人っぽいし、背も高いし、……絶対、今よりもっときれいになれそうなのに。こんなかわいいとこは、わたしにしか見せてほしくないような。

 そんな事考えちゃだめだ、そう言い聞かせて、首を思いっきり振る。おかしいよね、勝手に傷ついて、嫉妬みたいなことして。明梨ちゃんの着替えをベッドに叩きつけそうになるのを、慌ててこらえる。

 

「じゃあ、わたしが体拭くくらいならするから」

「……いいって、こんなんなら明日になってもどうせ治んないし」

「そういう問題じゃないの、着替えなきゃなのは変わらないんだから、そのついでだよ」

 

 どうして、急にそんなに嫌がるんだろう。わたしだって、……考えただけで頭が爆発しそうで、そんなこと実際にやったら、どうなるかなんてわかったものじゃないのに。

 

「そ、そう、だね……、なら、お願い」

「はいはい、じゃあ、手、上げられる?」

「わ、わかった……これでいい?」

「あ、……うん、いいよ?」

 

 そう言っても、腕が上がったのは、ほんのちょっとだけ。どんだけ我慢してたの、もう。

 一つ一つボタンを脱がせると、その度にむんわりと漂っていく、汗と、肌のにおい。昨日の夜よりも、ずっと色っぽさを増したような雰囲気に、流されてしまいそうな。そんなはずもないし、そんなこと考えてる場合でもないのに。

 

「……ねぇ、みことっち?」

「うわっ、ご、ごめん、今やるからっ」

 

 あんまり明梨ちゃんの体を動かせないから、ゆっくりと、服を手首のほうまで下ろしていく。真っ白な肌が露わになっていけばいくほど、甘酸っぱい、色っぽい匂いが濃くなっていく。昨日の夜、ブラなんて恥ずかしくて付けられなかったせいで、一緒に微かな膨らみも露わになる。思わずまじまじと見てしまいそうになるのを、慌てて抑える。

 できるだけ何も考えないように、ベッドに乗って、背中に回って手首にかかった袖を引っこ抜く。汗でしっとりと濡れたパジャマからも、どれだけ具合が悪いかが見て取れる。これじゃ、動けなくたって仕方ないか。そんなことでも考えてなきゃ、わたしの頭が桃色に染まってしまいそうになる。

 ベッドから降りて、できるだけ顔を見合わせる。無意識に目線を落としてしまったら、きっと、真っ白な肌に、心ごと奪われてしまう。

 

「今度は下脱がすけど、立てる?」

「うーん、どうだろ、……多分、無理かも」

「じゃあ、わたしがやるから、掴まってくれる?」

「うん、わかった……」 

 

 ゆっくりと、明梨ちゃんの腕が背中に回される。肩を掴んでくれてたら、楽だったのにな。そしたら、こんなに密着しなくたっていいのに。やめてよ、明梨ちゃんのにおいを顔中に浴びて、頭のなかがぐちゃぐちゃになりそうだから。

 明梨ちゃんを抱えて、抱き合ったみたいになる。汗で濡れてるせいか、明梨ちゃんの肌は、触れると吸い付くような感触。でも、もっと触りたいなんて不埒な考えが浮かんでしまうのは、そのせいじゃない。熱のせいなのか赤くなって、蕩けたような目の前の顔を見ていると、恋人同士じゃないとできないような事、してしまってる気分になる。……そんなわけ、ないのに。頭の中だけで思いっきり首を振って、吹き飛ばそうとしたって叶わない。

 

「じゃあ、脱がすよ」

「……うん」

 

 少し腰が浮いたのはわかったから、背中に回してた手を腰に下ろして、手探りでズボンの縁を探す。ねえ、そんなんで息を呑まないでよ、勘違いしそうになるから。息遣いすら聞こえるような、キスしようと思えば、すぐにだってできちゃうような距離。頭の中にいる、勘違いしかかったわたしに、わたしを飲み込まれてしまいそう。

 

「手、離すから、自分でつかまってね」

「うん、でも、あんまり持たないかもだから、早めにお願いね?」

「わかってるよぉ……」

 

 ゆるいゴムに手をかけて、ズボンを一気に引き下ろす。そうすると、真っ白なショーツが顔を覗かせる。昨日、わたしが穿かせたときとおんなじ。昨日わたしがつけたそのままで。……わかってたけど、無いはずの罪に、押し潰されていまいそう。結局、ふとももの真ん中あたりまで下ろして、そのまま手が止まってしまう。

 頭の中の妄想を振り払おうとして、全然、消えてくれない。手から伝わる、ピクリと明梨ちゃんの脚が震えたのは、何のせいだろう。

 

「ねぇ、もう座ってもいい?」

「……うん、いいよ」

 

 もう力が抜けちゃったせいなんだ、やましいことなんてしてないんだって言い聞かせて、ゆっくりと明梨ちゃんの体を下ろす。そうじゃなかったら、きっと、わたしが壊れてしまうから。急に落っことしたら駄目だから、しっかりと体を抱き留めて、……わたし、何してるんだろう。今、急にドアなんか開けられたら、言い逃れできるかもわからないような状況。鍵、閉めたっけ。ごちゃごちゃになりかけた気持ちが、見当違いな心配をしてしまう。よこしまな考えが頭にちらついて、……そのせいで胸が押しつぶされそうになる。

 

「じゃあ、全部脱がせるから、じっとしててね」

「あ、うん、……わかった、よ……っ」

 

 その声で、明梨ちゃんも緊張してるのがわかる。平静を保ってるふりなんてできなくなりそうなくらいに、心臓が、激しく鳴る。体の奥から、溢れそうなくらいの熱が生まれる。

 そのままかがんで、膝に引っかかったズボンをもっと下ろす。やっぱり、脚も細いな、白くて、汗のせいで艶っぽくなって、……綺麗。ずっと触れてたいような、見てはいけないものを見てしまったような。

 

「ちょっと、足上げるから」

「待って、心の準備、できてないから……っ」

「もう、何言ってるのさ、……体拭くだけなんだし」

「そ、そうだけどさ……っ、ちょっと待ってて」

 

 そう言いたいのは、わたしの方なのに。……もしかしたら、明梨ちゃんも、同じことを想ってるのかな。知りたい、けど、知りたくない。わたしと同じ気持ちを抱えてると聞いたら、きっと、抱えてる気持ちを包んだものが壊れて、とめどなく溢れてしまいそう。

 今、まともに明梨ちゃんの顔なんて見れない。用意してたタオルを持って、洗面台に向かう。お湯でしっかりと濡らしてから、何かを頭から追い出すように固くしぼる。何度も何度も、水滴がこぼれなくなるくらい。

 

「はい、体拭くから、大人しくしててね」

「……わかった、早くしてね?」

「わかってるよ、真っ裸なまま置いてけるわけないでしょ?それこそ風邪こじらせちゃう」

 

 本当は、触ることすら躊躇しちゃう。このまま、戻れなくなりそうだから。視線すら痛くなるせいで、もう一度ベッドに乗っかって、重なりかけた視線を逸らす。

 熱っぽい肌に、タオルを当てる、最初は、背中から。髪からかずかに見えるうなじが、やっぱり、羨ましいくらいきれいで、……そんな風に、見るんじゃなかった。わたしの中で、何かがはち切れそうになる。

 

「ねえ、どうしたの?」

「何でもない、あっそうだ、痛かったらちゃんと言ってね?」

「はいはい、……変な尊っち」

 

 できるだけ無心で、何も考えないように、……そう心に念じれば念じるほど、頭の奥から明梨ちゃんのことが捻じ込まれてくるような。おかしいよね、こんなの。

 おかしくなってるのは、誰のせいなの。なんて言おうとして、口をつぐむ。明梨ちゃんが悪いことなんて、全然無い。全部、好きになりすぎたわたしのせい。

 肌が赤くならないように、優しく撫で下ろして。それでも、罪悪感も、恋心も、消えてはくれない。もやもやを、何かにぶつけることもできない。

 一番、悩まされるとこがないだろうと思って、背中からにしてたのに。今でだって、ドキドキに胸を支配されてしまいそう。まだ背中しかやってないのに、わたしの中で熱が増していく。明梨ちゃんの視線を感じながらじゃ、何もできなくなりそうなくらいに。

 一回だけじゃ、半分くらいしか拭けてない。もう一回にいくのにも、しばらく躊躇して、ようやく終わる。早くしなきゃいけないのはわかってるのに。風邪っ引きを裸にさせてるわけだし、……こんな状況も、風邪も、長引かせればそれだけ、わたしの心も持ちそうにない。

 

「次、腕やるから、ちょっとでも上げられる?」

「あー、無理……、ていうかそんなことしてる時点でわかるでしょ……?」

「それもそっか、じゃあ、右手上げるから、じっとしてて」

「わかってる、どうせ動かせないし」

 

 一通り背中を拭き終わって、今度は体をずらして、右手のあたりを掴んで、軽く持ち上げる。左手だけで支えられるのを確認してから、右手に持ってたタオルを腕に当てる。手首のほうから、肘のほうへ滑らせる。腕の内側に手を回して、おんなじように、二の腕のほうも。ピクリと跳ねるような感触が伝わる度に、何かが、胸の中によぎる。

 

「ねぇ、もうちょっと優しくしてよ……」

「もう充分優しくしてるって、次脇のほうやるから」

 

 もうだめ、わたしの心が、欲望に呑まれそう、ムダ毛なんて一本も無いような脇の下にタオルを当てると、明梨ちゃんの体が、大きく跳ねるように動く。

 

「ひゃぅ、みことっち、くすぐったいってぇっ」

「もう、すぐ終わるから、じっとしててよ」

 

 そうしたって、何もよくならないのに。思わず荒れる口調も、抑えようと腕を強く握ってしまうのも。

 もやもやをぶつけるみたいに乱暴に脇を拭いて、瞬間、体の奥が冷たくなる。丁寧にしてもだめ、乱暴にやってもだめ、なら、わたし、どうしたらいいんだろう。答えなんて、どこにも見当たらない。

 

「じゃあ、腕、下ろすからね」

「あ……うん」

 

 急に離して、明梨ちゃんに何かあったら、きっと、わたしは、何もできなくなるくらいに落ち込むだろうし、……好きになる資格も、きっとなくなってしまう。

 そっと、脇腹に触れるまで右手を下ろして、脇腹に私の手が当たった途端、心臓に悪い悲鳴のような声が響く。

 

「ひゃあっ!?お、脅かさないでよ……」

「ごめ……ってか今のはちょっと敏感すぎない?」

「後ろからだもん、しょうがないでしょ」

「あー、はいはい、今度、左のほうやるから」

 

 普段クールな明梨ちゃんから出たと、疑いたくなるような高い声。そんなかわいい声出さないでよ、しちゃいけないような、わたしの中のどこかがしたいと疼いてるような事、してしまってるような気分になるから。

 もう一回、今度は左側。さっきとおんなじことを、反対側の手で。ぎこちなくなるのは、利き手じゃない左手でやってるせい、ドキドキしてるのは関係ない。そう言うには、体の熱が高くなりすぎている。わかってたよ、最初から。ただ、ごまかしたかっただけ。

 これ以上してたら、体がどうにかなりそう。左腕も済ませて、また悲鳴を上げさせてしまってから、一抹の期待に賭ける。

 

「ねえ、前のほう、自分でできたりしない?」

「……ううん、できそうにないや、ごめんね?」

「いいよ、そうだと思ってたし」

 

 知ってたけど、それも叶うはずがなく、……飛び出そうな心臓を何度も何度も飲み込みながら、ベッドから降りて、明梨ちゃんと向き合う。

 

「とりあえず、お水飲んでおきなよ、喉乾いてるでしょ?」

 

 ローテーブルに置いてあった、さっき明梨ちゃんがこぼしたけれど、まだちょっとは残ってるペットボトルを差し出す。見下ろすのは、今日はよく見たけれど、やっぱり新鮮な感じ。

 

「あ、ありがと……」

「今度はわたしも支えるから、ちゃんと飲んでね?」

「……うん、わかってるよ」

 

 さっきみたいに零されるのも、ベッドが使えなくなっちゃうし、お昼のときみたいに口移しなんてしたらきっと、わたしは体中の熱で爆発して死んでしまいそう。

 初めて見たもののように、ぼうっと受け取ったペットボトルを持ったまま。底を支えてあげると、ゆっくりと持ち上げたのが、まっすぐ口まで届いたのを見て、ようやくほっとする。中身が大きく揺れながら無くなっていくのと、喉が大きく動くので、どれだけ喉が渇いてたかもわかる。

 

「ふぅ……、もう一本、ある?」

「あるよ、でも、とりあえず真っ裸のままでずっといさせられないし、我慢して?」

「もう、しょうがないなぁ……、早くしてね?」

「……わかってるよ」

 

 苛立ちが零れて、空いたペットボトルを叩きつけるように置いてしまう。なんで、こんな気持ちなんて抱えてしまったのか、もう分からない。

 『友達』だったときに、戻れたらいいのに。そしたら、こんなに明梨ちゃんのこと、意識しなくても済んだから。

 

「……ごめん」

「別に、明梨ちゃんは悪くないよ、とりあえず、大人しくしてて、前拭くんだから」

「ん……うん」

 

 明梨ちゃんに当たる必要もないのに、つっけんどんな態度をとってしまう。それでびくつく明梨ちゃんが、かわいいなんて思ってしまう自分を殴りたくなってくる。

 わたしが怖がらせて、どうするんだろう。傷つけたいわけじゃないのに、どうしても空回り。

 膝立ちになって、見下ろされる角度になる。その視線が、今は胸に刺さる。痛いのも、苦しいのも、全部、わたしのせいなんだから。

 

「じゃあ、いくから、ね?」

「わ、わかった、……よ」

 

 そっと、タオルを首元に当てる。微かに零れたような声が、心の中のスイッチを押しそうになる。駄目になっちゃいそうなわたしを、抑えなきゃ、わかってるけれど、……無理かも。だって、こんなに近くに、真っ白な肌も、甘いにおいも。全部すぐ手が届くところにあるんだから。

 

「じろじろ見ないでよ、えっち」

「うぅ……、ごめん」

 

 心の中、全部見透かされたような、尖った声。心が冷えていくけれど、くすぶった熱が、消えてくれるわけじゃない。

 胸元はデリケートなところだから、丁寧に拭いていく。別に、他の意味なんてない、そう思わないと、いつわたしの中にある糸が切れてしまうかわからない。

 ゆっくりと下のほうにタオルを下ろしていく。布一枚向こうから伝わる感触。全然、膨らんでないのに、今まで触ったことのない柔らかさを感じる。スポンジみたいにすぐ跳ね返ってくるわけでもなくて、でも、クッションみたいにそのまま沈んでくわけでもなくて、ふにふにって感じ。……それも全部、明梨ちゃんのものなんだ。……そんな事思ってしまうと、すぐに頭がフリーズする。タオルすら、邪魔に思えるくらい。

 

「ん、……もう終わったの?」

「まだだよ、脚なんてちっともやってないでしょ」

「あー、そっか」

 

 ようやく胴体のほうを済ませて、大きな山の一つは超えられた。……でも、脚のほうにいくと、もう一つ。女の子の、一番大事なところ。よっぽどのことが無ければ、一番深い仲にでもならなければ、触らせないような。

 

「足、上げるからね」

「わかった、……ひゃっ」

 

 足の裏にタオルを当てた途端、ピクリと体が跳ねる。くすぐったいせい、だよね。かかとから指の間まで、ただタオルで軽くこすってるだけなのに。かわいいなんて思わせないで。

 

「ひゃっ、みことっち、やめ……っ」

「もうちょっとだけだから、待ってて?」

「あっ、むり、だってっ」

 

 ピクピクと跳ねる足を強引に抑えこんで、足の裏を済ませて。そうすると、ただでさえぐんにゃりしてた明梨ちゃんが、ますますふにゃふにゃになってて。……わたしが、明梨ちゃんのこと、襲ってるみたいな。何も悪いことはしてないはずなのに、背徳感が、背中をぞくぞくと走り抜ける。

 

「はい、じゃあ、反対も、ね?」

「ねえ、もっと優しく……、あっ」

「そんな動かさないでよ、終わんないよ?」

「でも、くすぐったいんだもん……っ」

 

 また、ピクンと明梨ちゃんの足が震える。力が抜けきってるからどうにか抑えられるけど、それだから、かわいいなんて思える余裕みたいなのができてしまう。手早く済ませて、今度は足の甲をゆっくりと。何かをこらえるように身を震わすのも、わたしに泣きつくような視線も、どうしようもなく、心の奥を衝き動かそうとする。

 

「はやく、終わらせてよ……」

「明梨ちゃんが変に動くからでしょ?」

「うぅ……、わかってるけどさ……っ」

「ちょっと、タオル濡らし直すから」

 

 終わらせたいのはわかってる。わたしも、このままだとどうにかなりそう。大分冷たくなってきた濡れタオルの感触で、ようやく明梨ちゃんから離れる言い訳を思いつく。

 洗面台に水が叩きつけられる音でごまかして、ふぅ、と大きなため息をこぼす。あれだけで、何回心臓が止まりそうになったんだろう。数えるのもめんどくさいほどに、明梨ちゃんにときめかされて。

 苦いほどに、溢れそうなほどに、好きになってしまったんだな、わたし。こんな気持ち、出会ったことないのに。今すぐ吐き出せば、楽になれるかな、……いや、きっと、もっと苦しくなるだけ。

 

「ふぅ、……じゃあ、続き、しなきゃだね」

「そ、そうだね」

 

 もう一回座り直して、真っ白な肌をまじまじと見てしまいそうになる。あたしと違って、まるで生まれてから一度も外に出てないと思わされるほどに真っ白な肌は、わたしのこんがりと焼けた肌とは大違い。明梨ちゃんだって外に出ないわけじゃないのに、……日焼け止めとか、何使ってるんだろうって訊きたくなるほど。

 

「もー、なにしてるの?」

「ううん、なんでもない」

 

 意識が飛びそうになってたのを、思いきり首を振って戻す。イライラする、すぐに意識が変なとこにむかうわたしに。足先から、ゆっくりと膝まで拭いて、そこで手が止まってしまう。これから上は、見ちゃいけないような、見たいような。

 やんなきゃいけないのも、別にやましいこともしてないのも、わかってるつもり。でも、頭の中で、周りには言えそうにないくらいのピンク色の妄想が浮かんでしまう。

 

「なんでもないなら、早くやってよ、ちょっと寒い……っ」

「わかってるよ、ちょっと待って」

 

 心の準備ができないって言えば一言で済むけれど、そんな言葉じゃ表せないくらいに、胸の奥が激しく鳴る。そういえば、半脱ぎのままになったままのショーツも脱がせなきゃだし、……脱がすときに後回しにしてしまったことに、後悔が胸によぎる。

 ごくり、と息を呑んでから、そっとタオルを左の太ももに掛ける。それを両手で包んでから、肌に引っかかりすぎないようにゆっくりと前に進ませていく。肌よりも白いショーツに突っかかって、……もう少し先まで行けたら、これからどうするかも悩まなくていいのに。……でも、脱がしたら、最初から女の子の大事なとこ、見えちゃうんだよね、……最初から、こんな状況になってしまったら、ドキドキしなくてもいい選択肢なんてなかったんだろうな。わたしが、明梨ちゃんのこと、好きになってしまったせいで。

 反対もおんなじとこまで進めて、言わなきゃいけないことなのに、それでも、喉に引っかかった言葉は、なかなか出てくれない。

 

「体動かすから、きつかったら言ってね」

「うん、わかった、けど……っ」

 

 ほんの少しだけ、そう心に言い聞かせなきゃわたしが壊れてしまう。この後、全部脱がせなきゃいけないことは、気づきたくなかった、できるなら、ずっと忘れていたかったのにな。ああ、もう、頭の中が爆発しそう。太ももの裏を拭くのに片足ずつ上げるのも大変だし、そこまでまで進めてしまえば、否応なく二つの脚の付け根に隠された花のつぼみに、どうしても目がいってしまう。

 見ちゃだめだよ、そんなとこ、わかってるけど、体は、思っているより衝動に素直になってしまっている。

 

「くすぐったいかもしれないけど、我慢して?」

「いいよ、……どうせ、今はろくに体動かせないし」

 

 これも、……仕方ないよね、うん。タオル越しでも、触れることを躊躇う。……好きな人を触り放題って言えば聞こえはいいかもしれないけど、よこしまな心とか、溢れそうな衝動とか、こらえなきゃいけない事なんていっぱいある。そもそもあんな言葉を考えてしまってる時点で、わたしはヘンタイさんなのかもしれない。

 わかってるよ、……でも、幸か不幸か、その先のことなんて、全然わからない。知ってしまいたいような、知りたくないような。でも、今から触れる場所が、特別なものなのはわかってる。

 ごめん、……この先に行ける関係になるまでは、もう触らないから、だから。

 そっと触れるだけで、ピクピクと震える体。明梨ちゃんも意識してるんじゃないかって自惚れさせるような、熱い吐息。

 

「やめ、ねぇ、みことっち……っ」

「……ごめん、今終わらせるから」

 

 軽く一撫でするだけで、罪悪感に頭がガンガンと痛む。ふと、タオルを拭いた面を見ると、ほんのりと赤い点が見える。ショーツも、元が白かったから気づかなかっただけで、引き下ろすと、付けた覚えのないナプキンに、赤黒いものがべっとりと付いている。脚を浮かせて、痙攣したように震えるせいで、自然と床に落ちる。

 

「終わったよ、……そういえば、昨日わたしナプキン敷かせてなかったけど、自分でやったの?」

「あ、……うん、あと、薬飲むの忘れてた……っ」

「そういえばそうだね、……とりあえず、着替えるのが先だけどね」

「うん、わかってるよ……」

 

 自分から、体を抱き寄せてくる明梨ちゃん、汗のむんわりとしたにおいは薄れて、その代わりに感じるのは、甘い、肌からか漂う香り。ちょうど倒れてた明梨ちゃんを着替えさせてたときに、感じたのと同じもの。

 

「とりあえず、下のほう先にしたいよね、……ナプキンってどこに置いてるの?」

「あー……、クローゼットの上の段なんだけど、届くっけ?」

「さすがに届くよっ!ちっちゃいからってからかわないでっ!?」

「うぅ……、それはごめんだけど耳に響くよぉ……っ」

 

 力の抜けた腕からするりと抜け出して、クローゼットを見ると、確かにナプキンの袋が上の段に置かれている。それに手を伸ばして、……若干背伸びして、手が届く。

 

「ほら、わたしだって届くんだよ?」

「……はいはい、すごいね」

「とりあえず、出てきちゃってるなら下から脱がせないとまずいでしょ?」

「わかってるから、急かさないでよ……っ」

 

 ちょっと脚が震えたのも、背伸びしたのも、気づかれてないかな、そんなことを考えた一瞬後に、明梨ちゃんの腕が、わたしの体に吸い付くような感覚。伝わる熱気が、あっという間に頭にまでかけ昇ってくるような。

 ナプキンをちゃんと合わせてから、ショーツを足元に引っ掛ける。さっきタオルを拭いたように、ゆっくりと上に。すらりと伸びていく白は、相変わらず、吸い込まれそうなくらい綺麗。パジャマのズボンで隠してしまうのが、もったいないくらいに。

 空色の地に、白い水玉のベールで、それを包む。膝の少し上くらいで止まって、ほっとしたような、寂しいような。足元が見えるくらいまでたくしあげて、軽く声を掛ける。

 

「ほら、早く立って、わたしのシーツまで汚れたら寝る場所なくなっちゃうでしょ?」

「うん……、分かってるから……っ」 

 

 最初から、汚れてもいい明梨ちゃんのベットでやるべきだったかな。そうしたら、わざわざわたしのベッドに移す必要もなかったし、……後悔ばかりが、頭によぎってしまう。

 

「ねえ、早く立たせてよ」

「言われなくたって、そのつもりだよ……」

 

 熱に溶かされそうなのを知ってか知らずか焦らしてくるのは、わたしが今までしてたののお返しなのか、それとも、明梨ちゃんなりに焦ってるからなのか、それすらもまともに考えられないくらいに。

 

「はい、起こすよ、だから、自分でも踏ん張って……っ」

「う、うん……っ」

 

 何度触れたって、明梨ちゃんの肌の感触には慣れてくれない。それどころか、触れるたびに、どう扱っていいのかすらわからなくなっていく。

 わたしより大きい体は、相変わらずわたしが支えないとすぐに崩れ落ちそうなくらいにふらふらになったまま。

 

「んん……しょ、っと……、下上げるだけだから、ちょっとだけ一人で我慢して?」

「わかった、けど、……早くして、ね?」

「わかってるから、急かさないで?」

 

 それでも、急がなきゃと思って、心だけ空回り。体の横に回ろうとしても、明梨ちゃんの腕が背中に回されている。弱弱しいのに、どうしたってほどけない。まだ上は何も着せてないせいで、甘ったるいような香りが鼻を襲って、わたしまで力が抜けてしまいそう。しょうがなく、片っぽの手だけ背中の方に回す。

 ぴったりとナプキンを付けさせてあげないと、次の朝に大惨事になっちゃうし。決して、もっとすべすべな脚を見てたいわけじゃない。やましさを強引に引きはがして、ショーツを、明梨ちゃんの体にぴったりくっつくまで丁寧に引き上げる。

 このまま一気にズボンもひっぱり上げると、思わず零れたため息。今のでも、ずっと長い時間が過ぎていたような。

 

「ゆっくり下ろすから、ちゃんとつかまってて?」

「うん、わかってるよ」

 

 これももう、今日だけで何度かしてるのに。ドキドキは、収まるどころか、数を重ねる度に増していく。

 明梨ちゃんの体が、ベッドに沈み込む重い音に、ようやく胸をなで下ろす。どっと力が抜ける。そのままベッドにへたり込むと、妙に温かい。

 

「上は、着させてくれないの?」

「あーもう、わかってるよっ」

 

 ちょっと、頭がくらくらするだけだもん、明梨ちゃんのせいで。このせいで風邪を長引かせたら、わたしの体のほうが熱くなって、そのうち爆発しそうだもん。ようやく気力が戻ってきて、立ちあがる。今度は、ブラもつけてあげないと、そのせいでお昼はちょっとだけからかわれたわけだし、明梨ちゃんの何かを、思いっきり傷つけてしまいそうな気もするし。

 

「ほら、手ぇ上げて?」

「あ、……うん」

 

 真っ直ぐに腕を上げさせてから、ちょっと子供っぽいデザインのキャミソールを着させる。その後は、替えのパジャマも。昨日、正体のなくなったときにパジャマを着せたのに比べたら、まだ楽かもしれない。でも、衣擦れの音の一緒に聞こえる、微かな甘い吐息も。……逆に、やりづらいよ。胸の奥に、どろどろとした何かがしたたり落ちてくる。

 

「とりあえず、終わったけど……、薬飲むんでしょ?ついでに水分も取ってほしいし」

「そうだね、……私の机にある鎮痛剤、出してくれる?『就寝前』ってあるやつの」

「うん、いいけど……」

 

 冷蔵庫には、まだスポーツドリンクのペットボトルは残ってる。冷たいものを飲ますのはあんまりよくないし先に出しておけばよかったんだろうけど。そんなの、考える余裕すらなかったな。

 ……全部、明梨ちゃんに、意識を吸い込まれてたせい。机の上に置かれていた、見たことのないラベルの痛み止めの薬を手に取る。

 

「それで、どれくらい飲むの?」

「えっと……一錠でお願い」

「そう、わかったから」

 

 しょうがないな、お水を汲んで、錠剤を取り出す。最初から、わかってたよ、できないってことくらい。

 

「はいはい、じゃあ口開けて?」

「ん、……」

 

 ほんのちょっとしか開かないのは、本当に弱ってるのかわざとなのか。前者なのはわかりきってるけど、明梨ちゃんに、今日は狂わされてばかり。薬を押し込むときに、指が軽く、唇に触れてしまう。……やっぱり、やわらかい。あのとき、キスしちゃったときも、おんなじものに触れたんだよね、……わたしの、唇で。

 

「ほら、早く水飲んで?苦くなっちゃうでしょ?」

「ん、わかってるってぇ……」

 

 まくしたてるように言って、何とか衝動をこらえる。強引にコップを押し当てて、……そこまでやって、心の奥が、首に氷を押し当てられたように冷える。また、明梨ちゃんが逆らえないのをいいことに、自分の都合ばっか押し付けて。嫌になっちゃいそう。わたしのことも、抱えてしまった気持ちも。

 

「じゃあ、ご飯行くけど……誰かいたほうがいいよね?」

「あ、……うん、そうだね」

 

 できれば、しばらくは明梨ちゃんとは離れてたい。でも、こんなポンコツになってるのを、一人で置いてくわけにもいかないし。

 

「明梨ちゃん、お姉さんいるんだよね?今呼べる?」

「だ、駄目、文姉だけは……っ、もっと、熱くさせてくる、から……っ」

「んー……、他に誰かいる?知り合いはそこそこいるけどさ……」

「えっと、じゃあ、雪乃さん、とか?」

 

 その名前が出た途端、物怖じしてしまう。バレー部のエースで、背も高くて、体もたくましくて、目つきも鋭いし、……走り込みして並んでるときに見てても、看病する姿なんて想像もできないんだけど。

 

「えっ、……白峰先輩って、大丈夫?怖くない?」

「え?あの人、ああ見えてけっこう優しいよ?」

「そ、そう?ならいいけど……」

 

 明梨さんのお姉さんも、バレー部って言ってたっけ。それで関わりがあるっていっても、優しい姿なんて想像できないや。

 

「大丈夫だから、……携帯取ってくれる?」

「いいけど……、操作できそう?」

「あー、それは大丈夫なはず」

「う、うん……じゃあ、はいこれ」

 

 受け取ると、一人で着替えもできなかったなんて信じられないくらいにさっくりと指が動く。やっぱり、わざとなんじゃない。わたしのこと惑わせて、何がしたかったの。訊く時間は、今はなさそうな。

 

「明梨ちゃん、先にご飯食べたほうがいいと思うよ?もう食堂閉まっちゃうし」

「え?……うわぁ、もうこんな時間じゃんっ」

 

 壁掛け時計に目をやると、もうそろそろ、食堂が閉まっちゃうような時間。洗濯もしてあげなきゃだし、お風呂の準備もしなきゃいけないし……、ああ、もう、それどころじゃないよ。

 明梨ちゃんの着替えてた服もレジ袋に突っ込んで、わたしの着替えとタオルは今は使いどころのないプールバックに詰め込んで、部屋を飛び出す。廊下に出ると、涼しい空気が肌に当たる。部屋の中が熱かったのって、換気してなかったからなのか、明梨ちゃんが熱かったせいなのか、……それとも、わたしが明梨ちゃんのせいで熱くなってたからなのか。

 息を切らせて食堂に駆け込むと、もう人はまばらになっている。それもそうか、今からご飯を食べる人なんて、わたしくらいだろうし。

 メニューなんて選んでる暇もなくて、目に飛んできたので食べれそうなものを買う。早く食べなきゃ、色々やることもいっぱいあるし、考える暇さえあればすぐ、明梨ちゃんの顔が頭をよぎってしまう、

 空いている席に座って、急いでご飯をかき込む。どうせ、今は味なんてわかりっこないんだ。何もかも、明梨ちゃんに乱されてしまったせいで。

 食器を返してから、お風呂に駆けこむ。……よく考えたら、なんでこんなに焦ってるんだろうな。洗濯機が使えなくなる時間までだって大分残ってるし、看病だって白峰先輩が部屋に来てるし、別に焦る必要なんてないだろうに。それでも、胸にはびこる焦燥は消せない。

 服を一気にひっぺがしてから、洗濯物を入れた袋に強引に押し込む、それなりに人の多い脱衣所を突っ切ろうとして。

 

「どうしたんだ尊、そんなに急かして」

「わ、みみ、宮出先輩!?」

 

 よりにもよって、部長に会ってしまうなんて。優しいけれど、サバサバしてて、痛いとこをすぐ突いてくるから苦手だ。

 

「どうしたんだよ、今日はずっとぼうっとしてさ」

「べ、別に、何でもないですよ」

「こらこら、そんな隠さなくてもいいだろ?」

 

 しかも、声質がいいのか、周りにもよく声が聞こえる。部活のときには助かるけど、こんな話しをしているときにはそれが憎らしい。わたしの中のもやもやも全部、筒抜けになっちゃうから。

 

「嫌ですよ、……いくら先輩にだって、言えないことくらいあるんです」

「そっか、……そういやあの時の有里紗も、似たようなこと言ってたなぁ」

 

 思い返すように目を瞑る先輩。長木屋先輩にも同じこと訊いてたのかな。優しいのか、干渉したがりなのか、わかんなくなってきちゃったや。

 

「先輩……、さすがにデリカシー無いって言われますよ?」

「そうかもしれないけどさ、心配なんだよ、……今の尊もあの時の有里紗も、魂がどっか行ったみたいな感じだったし」

「そ、そんなんですか?」

「まあね、特に去年の有里紗なんてひどかったなぁ、ずっと志乃のことで頭いっぱいでさ、普段の半分も力出せてなくてさ」

 

 志乃って確か、犬飼先輩のこと、だよね。長木屋先輩のルームメイト……だったよね。それって、長木屋先輩も、恋してたってこと、なのかな?

 

「わあー、由輝先輩何言ってるんすか!?」

「へぇー、そうだったんだぁ」

「な、なんだ、二人もいたのか」

 

 噂をすれば、じゃないけど、その二人がやってくる。もう寝間着ってことは、二人ともお風呂上がりなんだろうな。それに、ちゃっかり手が繋がって。……恋が叶うって、どういう感じなんだろう。それを訊くには、恥ずかしさのほうが勝るし、この場にとどまってたら、しばらく3人の話に聞き入ってしまいそうで。そもそも、相手がそんな関係になりたいって、思ってくれてるかもわからないのに。

 

「じゃ、じゃあ、わたしお風呂入ってきますから」

「そうだな、悪い、裸のまま引き留めて」

「いいですよ、……それじゃあ」

 

 浴場に入るなり、ふとため息が零れる。……わたしは、今の長木屋先輩みたいに、幸せになれるのかな。

 もやもやは、シャワーのお湯と一緒に流れてはくれない。



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#9

「………………………………んっ、かは、あっ………………」

………………あれ、私寝ちゃってた? 目を開けると、カーテンの切れ間からうっすらと白んだ空が覗いていて。………………えーっと、確か昨日は………………

 

「なんで私が呼び出されるのよ………………」

「まぁまぁ、いいじゃないの雪乃。」

「………………すいません………………こんなことで、いきなりお呼びして………………」

薬が回り始めたのか、ぼうっとして定まらない視線で2人の先輩を眺める。

「いいっていいって、ボクもけっこう苦しむほうだから気持ちはわかるし。………………それに、文化に任せたらもっと苦しませそうだしね。」

「………………いや、文姉に任せたくないのは………………」

「気恥ずかしいから?」

「………………そう、ですね。あとは、これ以上心配かけたくないから、というか………………」

「ふぅん………………姉妹って、そんな感じなんだ。」

墨森先輩が感心している脇で、白峰先輩は、

「望乃夏、なにボサッとしてんのよ。早くタオルとか片してあげなさい。」

「はーい………………」

と、墨森先輩が床に散らばったままのゴミやら何やらを片付けてくれる。もっとも、全部ゴミ箱に押し込むだけだけど。

「望乃夏は雑ねぇ。………………ところで、トイレとかは大丈夫?」

「………………あ、それぐらいなら、なんとか………………自分で、動けそうです………………」

だいぶ薬が効いてきたな………………ちょっとでも気を抜いたら、そのまま意識を手放しちゃいそう………………

「眠そうだね。………………無理せずに寝ちゃいなよ。不調を治すには寝るのが一番。」

墨森先輩がそっと話しかけてくる。その横で白峰先輩が、

「望乃夏は年中寝てるのに不調じゃないの。………………寝る前に、お水飲む?」

「あ、もらいます………………」

よっ、と自分で身体を起こそうとすると、すかさず白峰先輩の腕が背中に回されて、いっ、イテテテテ!?

「もう雪乃っ、そんなにいきなりやったら痛いでしょ? ほら、こうするの。」

すかさず墨森先輩が代わってくれて、なんとか身体を起こせた。

「もー、雪乃のヘタッピぃ」

「う、うるさいわねっ………………慣れてないのよ、こういうこと………………」

「うへぇ………………ボクは体調悪くならないように気をつけよっと………………でないと雪乃に………………」

「ど、どういう意味よそれっ!?」

そんな痴話喧嘩をよそに、私はペットボトルの水をこくり、こくりと飲み干して、またぽてっと横になる。

「………………あら、ごめんなさい。………………どうする? まだ、して欲しいことある?」

「あー………………とりあえず、尊っちの帰りを、このまま待ってます………………もうそろそろ、帰ってくると思うんで………………」

「そう………………なら私達は戻るわね。おやすみ。」

「おや、すみ………………」

そう言うのが精一杯で、扉が閉まるのとどっちが先だったか………………とにかく、私は夢の中に引きずり込まれた。

 

 

………………これが、覚えてる限りの昨日の記憶。白峰先輩達に「ありがとう」すら言えないままに寝落ちしちゃったし、後で文姉経由でお礼言っとかなきゃ………………

お腹に力を入れて、身体を起こしてみる。………………うん、昨日よりはずっと軽い。峠は、越したのかな?

「………………今日は学校行けるかな。」

一人でそう呟くと、とりあえず制服に着替えようとすると、足がなんだか重くて………………ん?

「………………みこ、とっち?」

身体をそっと起こすと、私の足元で尊っちがベッドに倒れ込んでて、私の足に尊っちの頭が乗っかっていた。

「………………みことっち、みことっち………………」

そっと足を引き抜いてゆさゆさと揺すってみるけど、尊っちはむにゃむにゃと夢心地。そういえば、と枕元の目覚まし時計を覗き込むと、針はまだ5時を指していた。

「………………まだ早いか。」

もう一眠りしようかな、と横になりかけて、ベッドにもたれ掛かりっぱなしの尊っちが気にかかる。………………尊っち、昨日も私のこと心配して看病してくれたし、私が寝た後に帰ってきた後も、私のことを看病しようとして、力尽きちゃったんだと思う。

「………………冷たい。」

尊っちの手を取ると、ひんやりとして芯まで冷えきってて。………………こんなんじゃ、風邪ひいちゃうよ………………

私の掛け布団を、そっと尊っちの肩から被せてあげる。………………はぁ、私ったら、尊っちのベッドまで奪って、その上こんな所で寝かせて………………ほんとに、悪い子だ………………

「………………寒い。」

ぶるりと震えると、まずは部屋のエアコンを入れて、とりあえずトイレに立つ。………………でも、その後は? 私もまだちょっと眠いし、帰ってきたらお布団もぐりたい。でも、本来の私の布団は寝れる状態じゃないし………………尊っちからお布団を強奪なんてできないし、どうしよう………………

とりあえずトイレを済ますと、急いでお部屋に帰る。ほんのりと温んだ空気の中、尊っちにかけたお布団が微かに上下するのだけが、私の目に入る。

(………………尊っち、起きてないかな………………)

こっそりと覗き込んでみるけれど、寝息が聞こえてくるだけ。悪いとは思いつつ、ゆさゆさと揺さぶってみる。

「みことっち、みことっち………………」

「うぅん………………あと2周………………」

………………尊っち、夢の中でも走ってるんだ………………ふぅん、なら………………

「よーし、ラストスパート、今ゴールっ」

「んっ、やっ、た………………?」

尊っちがバンザイするように手を微かに動かしたかと思えば、重そうなまぶたをぱっちりと開いて、

「………………あれ、ゴールテープは?」

きょとんとしてお部屋の中をキョロキョロする。

「おはよ、みことっち。」

「あ、明梨ちゃんおはよ………………って、明梨ちゃんっ!?」

「おわっ………………み、耳元でいきなり怒鳴らないでよっ。それにまだ、朝の5時だし………………近所迷惑。」

「ご、ごめん………………」

一瞬しょんぼりする尊っち。だけどすぐに立ち直って、

「………………………………そ、そんなことより、明梨ちゃん………………もう大丈夫なの?」

「ん。まだ身体は重たい感じするけど、昨日に比べたらぜんぜん元気。」

調子にのって両腕をぐるぐる。あっ、今なんか変な音が………………

「そっか………………よかった。」

尊っちの顔がほころんで一瞬ドキッとする。

(み、尊っちってこんな顔できるんだ………………)

ほんのりとぶり返してきた熱を感じつつ、ひとまず尊っちにありがとうを伝えようと一歩踏み出すと、

「………………へっくちっ」

尊っちのくしゃみが一つ。

「うう、寒いよぉっ………………」

「もう、そんなとこで寝てるからだよ。」

「あ、明梨ちゃんっ………………誰のせいだと思ってるの!?」

「ほらほら静かにっ!? ………………んまぁ、それに関しては私が悪いよね。だから、さ。」

尊っちから掛け布団を強奪して、寝っ転がって自分でひっ被る。

「あっ、明梨ちゃんっ!? 」

ぶるぶると震える尊っちに、意を決して話しかける。

「………………尊っち、こっち来なよ。一緒に、あったまろ?」

「………………ふぇっ!?」

目を大きく見開いて後ずさる尊っち。

「………………さっきまで私が寝てたからあったかいよ? それに………………ここ、尊っちのお布団だし。」

「そ、それはそうだけどっ!? ………………お、お布団なら明梨ちゃんの方があるから、そっち使うよっ」

「だーめ。昨日濡らしちゃったじゃん。そっちは一回洗濯しないとダメだよ。………………………………それとも、私と一緒はヤダ?」

「そ、そうじゃないけど………………うー………………」

尊っちがあわあわしてるのを、お布団の中から眺める。よし、もう一押し。

「………………みことっち、一緒に寝よ?」

空いたスペースをぽんぽんと手で叩くと、さんざん迷った末に尊っちはベッドの方に歩いてくる。

「お、おじゃまします………………」

恐る恐る布団に身体を差し込み始めた尊っちに思わず笑っちゃって、

「な、なにがおかしいのっ!?」

「いや、たかがお布団入るのに『おじゃまします』って………………」

「わ、悪いっ!?」

「………………いや、尊っちらしいなぁって。」

「………………むぅ………………あ、もうちょっと奥につめて?」

「はいはい。」

よっ、と動くと、尊っちは私の方に背中を向けて寝転がる。

「尊っち、こっち向いてよ。」

「や、やだっ!!」

「………………えー………………」

私は尊っちの方を向いてころんと寝っ転がる。そしてそのまままぶたを閉じて二度寝モードに入る。

 

………………寝れなかった。

(………………うぅぅぅ)

ごろんと寝返りを打って尊っちに背中を向ける。それでも背中越しに尊っちの呼吸が伝わってきて、頭の中が沸騰していく。

(………………い、一緒に寝ようって言ったのはいいけど………………尊っちが近すぎて、落ち着かないんだけどっ!?)

尊っちの方を向いて寝ると、どうしても尊っちのうなじが目に入って………………昨日はゆっくりお風呂出来なかったのかな、汗の匂いも鼻の奥をくすぐってくる。少し手を伸ばせば、尊っちのどこにだって触れられる。そんな距離感に戸惑って、さっきからずっと心臓のリズムが跳ねっぱなし。

(………………い、一緒に寝るのなんて、文姉や風(ふう)で慣れてるのに………………な、なんで尊っちのことは、こんなに気になるんだろ………………)

また回らなくなってきた頭で考える。………………私の身体の全部を見られたから? ………………いや、文姉や風と一緒にお風呂なんて何回もあるし………………けど他の人に見られるのは………………うん、修学旅行で何回かあったし………………あとは、身の回りのことをやってもらったから?

………………分からない。これが『スキ』なんだってことははっきり分かるのに、その後何をしたらいいのかが………………『仲睦まじくなる方法』だったら、文姉がどこからか集めてきた情報を、これでもかと聞かされたから一応は分かるし、私自身もそういうのスキだけど………………ただ、尊っちと『そういうコト』したいかって言われたら………………答えはノー一択。だって、尊っちはそういうの苦手そうだし………………第一に、尊っちの『スキ』と私の『スキ』が同じかなんて、尊っちに聞いてみなきゃ分かんない。

(………………この先、尊っちに面と向かって『スキ』って言う自信が無いよ………………)

二人分の温もりを包み込んだ掛け布団をぎゅっと握りしめた。

 

「........................っふぅ................」

張り詰めていた「気」を緩めると、今まで隠れていた疲れと汗がどっと出てくる。

................ふぅ、今日の練習終わり。弓を袋へと収めてロッカーに押し込むと、汗だらけのシャツと道着を脱いで制服に着替える。………………やっぱり数日休んでると、どうしても力の使い方とか忘れちゃうなぁ………………

「お疲れ様でーす、お先失礼します。」

すれ違う先輩達に挨拶して弓道場から出ると、寮への道をゆっくりと歩いていく。今日の夜ご飯はなんだろなぁ、なんて考える余裕があるぐらいには私も回復してて。………………ほんとに、尊っちには感謝しないとね。

「………………ん?」

後ろから一団が走って来るのが見えて、慌てて道を開ける。陸上部かな? だったら、尊っちがいるかなぁ………………とかのんびり考えていると、その集団の中にもはや見慣れたを通り越して見飽きたニヤケ顔を見つけて................うん、逃げよっと。

「おーいー明梨ー!?無視はないんじゃないの無視はー?」

「................文姉、練習中なんでしょ。」

足早に通り過ぎようとすると、

「おっと、連れないねぇ................昔みたいに『おねえちゃーん♡』って呼んでくれてもいいんだぞ?だぞっ?」

「だ、だれがっ!?」

................くぅ、やっぱり文姉はニガテだ................

「こら文化、サボらないの。」

ごすっ、とものすごい音がして文姉が地面に沈み込む。

「イテテ................もー雪乃っ!?アタマ凹んだらどうすんだよっ」

「ほんとにへっこんで、えっちなこと考えられなくなったらよかったのに。」

「ひどいなっ!?」

なんてやり取りを横目に見つつ、白峰先輩に向き直る。

「あの、白峰先輩………………………………昨日は、ありがとうございました。」

「あら、弓を背負ってるってことは………………体調の方はもういいの?」

「ええ、まぁ、お陰様で………………」

「そう………………なら、よかったわ。」

「えーなになに? 雪乃と明梨で何かあったの? ん?」

「………………文姉は黙ってて。」

ぐいっと押しのけると、去りゆく白峰先輩に、墨森先輩へのお礼も伝えてもらうように頼んで、その場を離れる。………………なお、文姉はしっかりと白峰先輩に首根っこ掴まれて連れてかれたけど。

その後は何事もなく寮に帰りついく。………………あー疲れたー………………あれ、鍵かかってないや………………尊っちが先に帰ってきてるのかな?

「ただいまー………………あれ? 」

おかしいな、電気ついてない………………開けっ放しでどこ行っちゃったんだろ………………そう思って一歩部屋の中に踏み出した途端、ぐにっとしたものを踏んづける。

「っ!?」

慌てて飛び退いて床に視線を向けると、

「................尊っち?なんでそんなとこで寝てんの?」

文字通り、尊っちが入口の床に『落っこちてた』。

「................んぁ、明梨ちゃん................帰って、きたの?」

腕に力を入れて尊っちが身体を起こす。そして立ち上がろうとして................足がプルプルしてまた倒れる。

「もぅ尊っち、なにしてるの................」

「ごめん................ちょっと肩貸して................」

言われた通りに腕を貸すと、なんとか尊っちは立ち上がってよろよろと自分のベッドまで這っていく。そして、ベッドに豪快にダイブする。

「どうしたの、そんなへろへろになって………………」

「横を長木屋先輩が走ってたからペースを合わせて走ってたんだけど................突然ニヤっと笑ってペース上げてきたの................慌ててこっちもギア上げたら、更に向こうが上げて................この繰り返し。」

「うわっ、そりゃキツいね………………」

「『朝練に来なかった分もここでトレーニングしてきなよ〜』って言われて………………」

「………………それに関しては、ほんとにごめん。」

そう、結局あの後ウトウトしてきたのはいいけど、ふと目線を上げたらいつも起きる時間はとっくに過ぎていて。慌てて尊っちをたたき起こしてダッシュで登校したけど………………ほんとにギリギリで、午前中はお腹の虫との戦いだった。

「................そ、それよりも明梨ちゃん................れ、冷蔵庫から水取って………………あと、ちょっと太ももを揉んでくれない? り、寮までは意地で歩いてきたんだけど、部屋着いたらガクガクになっちゃって................」

「えぇ................私だって久しぶりの部活で疲れてるのに................」

「お、お願い、尊っち………………昨日、看病してあげたじゃない………………」

「はいはいわかりましたよっと。」

冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して尊っちの首筋に当てる。それから、尊っちの足元に膝をついて、太ももを力を込めて揉んでいく。

「い、痛いよ明梨ちゃんっ、もっと、丁寧にっ!?」

「………………注文が多いなぁ………………」

ちょっと力を抜いて揉んであげると、

「あー、きもちいー」

尊っちがしんなりする。

「しんなりみことっち。」

「だって、気持ちいいんだもん………………」

ぐでーっと全身の力が抜けっぱなしの尊っちを見て、ちょっとイタズラしたくなる。

「尊っち、腰とか背中もやってあげよっか?」

「おねがーい………………」

うん、そう言われたからにはちゃんとやらないとねっ、うひひ………………

「よっ、と」

腰に両手を当てて体重をかける。

「ぐっ、あ、明梨ちゃん、もっと下ぁ………………」

「ここかな?」

「もうちょっと下………………」

「あーもう分かりにくいなぁ………………脱がすよっ」

そう言うが早いか尊っちのジャージを腰の骨のあたりまで下ろす。

「にゃぁっ!? 」

「今日はイチゴちゃんかぁ」

「あ、明梨ちゃんのえっち!!」

「えー、だってどこまでが腰か分かんなかったんだもん。」

「それ絶対ウソだよねっ!?」

尊っちがきゃんきゃん騒いでるのをサラッと聞き流して、背骨の終わりの方をぐっぐっとマッサージする。

「………………あ、そこっ………………」

「お、やっぱりここだったんだ。」

更に強めに押すと、流石に尊っちが悲鳴をあげる。………………ん、これぐらいがいいのか………………

「やっぱりって………………」

「あぁ、うちの父さんがお風呂上がりにやっぱり腰もんでくれーって言うんだけどさ、だいたいこの辺を揉むと満足してくれるんだ。」

「へぇ、明梨ちゃんって優しいんだね。」

「そ、そうかなぁ………………」

………………実はマッサージ代が貰えるからってのは、黙っておこう………………

「………………ん、おしまい。」

「ありがと、明梨ちゃん。」

尊っちが恐る恐る立ち上がろうとして………………あ、立てた。けどなんだか危なっかしい………………

「うぅ………………明梨ちゃん、肩貸して………………」

「いいけど、ちゃんと洗って返してね?」

「そういう意味じゃないよっ!?」

疲れていても尊っちのツッコミは健在みたいで、

「はい、そっち掴んで。………………ぐっ、尊っちって意外とおも」

「流石に怒るよ?」

「………………重くないねって言おうとしたのに………………」

尊っちの腕を私の方に回して担ぐと、ほんのりと尊っちの香りが鼻をくすぐって………………

「あ、明梨ちゃんも大丈夫? ふらついてるけど………………」

「だ、大丈夫だよっ!? それより尊っち、もうこんな時間だけど………………」

「………………あ、ほんとだ。………………うーん、どうしようかなぁ。」

「………………尊っちは、先にお風呂とご飯と私と………………どれがいい?」

「うーん………………お風呂とご飯と明梨ちゃんかぁ………………………………って、明梨ちゃん!? な、なななななにいってるのっ!?」

「………………いや、冗談だけどさ………………お風呂とご飯だとどっちがいい? 」

「うーん………………明梨ちゃんはどっちがいい?」

「私? 私は、先にお風呂かなぁ。尊っちだって、背中汗びっしょりだったよ?」

「………………そうだね、先にさっぱりしよっか。」

尊っちが自分のクローゼットをごそごそするのに合わせて、こっちも着替えを用意する。………………尊っちの汗の匂いをかぐと、なんだか頭がくらくらしてくるんだよね………………あと、私の汗の匂いを尊っちにかがれたくないし。………………明日、制汗剤買ってこよっと………………

「明梨ちゃん、早く早くっ」

「………………はいはい。」

………………なんか不思議だなぁ、自分の汗の匂いは隠したいのに、尊っちの汗の匂いだと嗅ぎたくなるって………………

 

「うわぁ、混んでるねぇ………………」

大浴場に一歩足を踏み入れると、むわっとした熱気に襲われる。尊っちと一緒にシャワー浴びれそうなとこは………………ないか。

「あっ、尊ちゃーん。」

その声のする方を振り向くと、

「………………あ、犬飼先輩………………………………と、長木屋先輩………………」

「………………新崎ぃ、なんであたしはそんなテンション低いの? 」

「………………長木屋先輩にいじめられたからに決まってるじゃないですか………………」

「ええっ、有里紗ちゃんそんなことしたの!?」

「だぁぁっ!? し、志乃先輩、誤解っすよぉ!?」

おっきい方の先輩がうろたえる。

「………………き、昨日休んだ分の埋め合わせを新崎にやらせただけですよ………………」

「いや、ペース併せようと横に並んだ途端ギア上げて私をグロッキーにしたのは誰だと思ってるんですか!?」

「有里紗ちゃん、それはどうかと思うよ………………?」

「………………いや、横を走ってる人に釣られて自分のペース乱すようじゃまだまだだよってことを気づかせたくて………………」

「それなら言ってくれればよかったのに………………」

「………………………………あのー、尊っち? そろそろお風呂入りたいんだけど………………」

「………………あ、ごめん明梨ちゃんっ。それじゃあ先輩、また明日。………………あと、長木屋先輩はいつかタイムで上回るんで覚悟しといてくださいね?」

「お? やれるもんならやってみな?」

「有里紗ちゃんも尊ちゃんもケンカしちゃダメっ、ほら行くよ有里紗ちゃんっ」

ずるずると引っ張られていく先輩を横目で見送ると、空いたシャワーの前に腰を下ろして身体を洗い始める。

「尊っちはそっち使って。」

「うんっ」

………………ほんとは「洗いっこしよっか」って言いたかったけど、そんなこと言い出す勇気もなくて………………やっぱ私はヘタレなまんま。

「………………明梨ちゃん、終わったよっ。」

「わかった。………………今日はあんまり長湯できないから、サッと入ってあがろっか。」

「えー、ゆっくり入りたいよぉ。」

「んぅ………………わかった、付き合うよ。」

ぬるめのお風呂に足を突っ込んで、尊っちの横に腰を下ろす。

「ふぅー………………」

尊っちが足を思いっきり伸ばしてため息をつく。

「………………尊っちって、身長の割に足長いよね。」

「………………それ、褒めてるの?」

「もちろん。」

うっすらと日に焼けた両足は微かに筋肉がついていて、目線を上げればぷにっとした太ももが見える。更にその上は、

「………………明梨ちゃんのえっち。」

「………………昨日、さんざん人の胸とか大事なとことか眺めて息荒くしてた尊っちに言われたくなーい………………」

「あ、あれはしょうがないでしょ!? 」

これ以上いじめると尊っちがパンクしそうだからやめといて、ひとまずお風呂から上がることにした。

 

「あ、今日は野菜炒めなんだ。ラッキー。」

夕飯に好きな物が出ると知って、自然とテンションが高くなる。

「野菜炒めかぁ………………」

「尊っちはお肉の方が好きなの?」

「そうじゃないけどさ………………」

おや? 尊っちのテンションが低めだな………………

「いただきますっと。」

はらぺこのお腹にご飯と野菜炒めを詰め込んでいく。お味噌汁も流し込んで………………あれ、尊っち?

「尊っち、ご飯しか食べてないじゃん。」

「………………明梨ちゃん、実は私、お野菜全部嫌いなの………………」

「ふぅん。………………わかった、じゃあ尊っちの野菜炒め全部貰っていい? 大好物だからさ。」

「い、いいの? なら全部あげるっ」

返事を待たずに尊っちのお皿から野菜炒めが送られてくる。いやー、ラッキー。

「それにしても明梨ちゃん、野菜炒め好きなんだ。」

「んぐ、まぁね。親が遅くなった時に文姉が売れ残りの野菜とかクズ野菜を刻んでテキトーに胡椒振って作ってくれたの。だから決まった味は無いんだけどさ、あれが不思議と美味しいんだ。………………………………時たまモロヘイヤとかキュウリとかトマトとかの、ゲテモノが混ざるのを除けばね………………」

「い、言わないでよぉっ!? お野菜ほんとに嫌いなんだから………………」

「そんなんだから尊っちはちっちゃいんだよ。」

「あ、明梨ちゃんだってそんなにおっきくないじゃん!?」

「………………尊っちはどこの話をしてるのかな? 私は身長のことを言ったんだけど………………」

「し、身長に決まってるでしょ!?」

………………そう言いながら胸を押さえるあたり、やっぱりそういう意味じゃん………………………………いいもん私はこれから栄養沢山とって成長するもん………………

 

「うー、つかれた。」

部屋に帰るなり、尊っちが自分のベッドにバタンキューする。

「どうする? またマッサージする?」

「んー、おねがーい………………」

「今度はふくらはぎと太もも行くねー。」

一応断ってから、尊っちの足の間に膝をついて太ももをマッサージする。時折「あー」とか「んっ」とか尊っちの声が漏れるのを受け流しつつ、次はふくらはぎに行こうとした時に、

「………………ねぇ、明梨ちゃん。」

「………………なぁに?」

「………………なんでもない」

「何さぁ、気になるじゃん。」

「………………明梨ちゃんは、女の子を好きになるのってどう思う?」

ぎくっ。思わず指に力が入って尊っちが暴れる。

「ご、ごめん………………それで、それがどうしたの?」

「………………んっと………………やっぱりそういうのって、相手にちゃんと伝えるべきなのかなぁ………………でも断られたらって思うと………………」

尊っちの歯切れが悪くなる。………………………………ほんとにしょうがないなぁ、『私の』尊っちは。ベッドから降りて、尊っちの枕元の床に膝をつく。そして、

「………………私も好きだよ、尊っち。」

一世一代の勇気を酷使して、耳元で伝える。………………あ、尊っちが飛び上がった。

「あ、ああああああ明梨ちゃんっ!? い、今なんてっ!?」

「………………二度も言わせないでよ、バカみことっち。けっこう、ハズいんだから………………」

流石に二度目を言えるほどの気力は無くて。ひとまずベッドの上の尊っちの足元に座って、返答を待つ。

「………………明梨ちゃん。」

尊っちが起き上がってベッドの上に座り直す。

「………………私、新崎 尊は、………………安栗 明梨の、ことが、好きです。」

全身カチコチになった尊っちが、一言一言噛み締めながら言う。そんな尊っちについ吹き出しちゃって、

「………………あ、明梨ちゃんっ!! わ、私が勇気振り絞ってるのにっ」

「………………ごめんごめん。いや、堅苦しいなって。………………いつもの尊っちらしくしてよ。私もそういう堅苦しいの苦手だからさ………………」

「………………あ、明梨ちゃん………………………………………………大好き。」

「私も大好きだよ、尊っち。」

お互いに見つめあって、少しずつ距離を詰めていく。尊っちの日焼けした顔がぼんやりする距離になって、手と手がぶつかって、軽い音が一つ。

尊っちは、ミカンの味がした。

 

数分か、はたまた数秒なのか。一瞬の時間が過ぎて、尊っちから唇を離す。ぽへーっとして気が抜けたままの尊っちを、軽く揺すって起こす。

「………………なんだか、ぽわーってした………………」

「………………こっちは、なんだか頭の奥がふわふわして………………」

………………わたし、ほんとに尊っちと………………そう考えると、まともに尊っちのことを見れなくなって、

「………………わ、私もう寝るっ!!」

布団をひっかぶってベッドに横になると、尊っちが慌てて掛け布団を引っ張る。

「ちょっと、明梨ちゃんのベッドはあっちでしょっ!?」

「ま、まだあっちの敷き布団洗濯してないから、今日はこっちで寝かせて?」

「き、今日も、2人で寝るの………………?」

「し、しょうがないでしょ?」

………………ウソ。実は向こうの布団はもうとっくに乾いてるし、こぼしたのはスポーツドリンクだから特にシミなんてできてない。………………尊っちと、同じお布団に入ってたいだけ。

「も、もう………………今日だけだからね? 明日は、ちゃんと向こうのお布団で寝るんだよ!?」

「はいはい。………………あ、それとも明日は私のベッドで尊っちも一緒に寝る?」

「寝ないよっ!?」

そう口では言いつつも、私の方に身体を寄せてくる尊っち。布越しに伝わる尊っちの熱が、私を暖めていく。

「………………明梨ちゃん、私が寝てる間にえっちなことしないでね?」

「しないからね!?」

そう言って部屋の電気を消す。暗闇の布団の中でそっと伸ばした手は、尊っちの手のひらと重なって、そのまま結ばれる。

 

明日も、尊っちの明かりになれますように。



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