あるいは鳩でいっぱいの小屋 (かげのね)
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1話

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 町外れの公園に、不思議な小屋が建ったらしい。広大な敷地ながらも、そこにあるのは鬱蒼とした深緑色の雑草が我が物顔で居座る広場や年老いた豹の毛皮のような薄汚い錆だらけの遊具ばかりで、暇を持て余した子供でさえも遊び場には使わないような気味の悪い公園であった。

 そんな見窄らしい公園に、煌々たるネオンの光が飾り付けられた小屋が現れたのはつい五日前の話であった。なんでも近隣に住む田翁が公園の方から差す眩しい光を不審に思い、螽斯やら轡虫がギッチョンカシャカシャと喧しい草叢を掻き分け公園に赴いたのだが、そこで白やら躑躅色やらの妖艶な光に彩られた小屋を見つけたという。未曾有の恐怖を覚えた田翁は然し、同時に強力な磁石に吸い寄せられるように無意識に身体が神威の如きネオンライトの宿主に向かって歩みを進めたことに気付いた。本能という河川は理性の堤防を飲み込み氾濫し、退避と盲進の信号で脳が混乱した彼は、石膏像のように固まって動けなくなってしまった。

 しばらくしてようやく呪いが解けたように四肢の自由を取り戻した田翁は、半ば腰を抜かしながら公園から逃げ出し、寝静まった町に転がり込み小屋の話をして回った。年寄りの戯れ言と思い最初こそ相手にしていなかった町の人々も、徐々に必死さの中に恍惚を浮かべながら語る田翁の話に関心を持ち、三日も経てば町中には不思議な小屋の噂が流行病の如く広まっていた。

「おれはあの時、まるで魔術にでもかかっちまったような気分だった。きっとあの小屋には、魔術師か何かが住んでるに違いねえ」

 田翁のその言葉は、小屋に関する奇怪な情報の数々によっていよいよ現実味を帯びてきた。まず奇妙なのが、その小屋は昼間の公園には存在しないということである。壊したり、動かした形跡すらなく、町民たちは狐につままれたような気分になるが、また夜になれば光り輝く小屋は音もなく現れる。一日中見張っていた者もいたそうだが、夜の闇とともに天地を覆い尽くす不自然なまでの鳩の大群に気を取られている間に、気付いたら艶やかな光とともに小屋は同じ場所に在ったという。小屋のないかつての風景など思い出せなくなってしまうほど、燦々と、昭々と。

 さらに、小屋の中に入ってやると意気込み公園に向かった何人かの町民は帰ってこなかった。魂を抜き取られたような虚な眼をして帰還した者に話を聞いても、

「彼奴らは幸福を手に入れたんだ。ああ、ここに抜け抜けと帰ってきてしまった自分が悔やまれる」

 と繰り返し口にするばかりで詳細を語らなかった。

 最初は斜に構えて莫迦々々しいと思っていた私も、まるでファンタジーや御伽話のような話の数々を聞いているうちにとうとう好奇心を抑えることができなくなってしまい、意を決して今夜恋人を連れ町の人々とともに魔術師の住む小屋に行くことにした。

「あたしは嫌です。魔術師は魔法で人々を魅了してしまうというじゃありませんか。あなたが魔術師の魅力の奴隷にでもなってしまったら、あたしはきっと生きていけない」

「なに、心配はいらないよ。ショウや舞台を観に行くようなものじゃないか。それともお前、僕との絆が魔術師ごときに引き裂かれると云うのかい」

 子供のような眼に涙を滲ませ愚図る臆病な我が愛する人(アモーレ)を目眩がするような濃厚な接吻を材料に不承ながら説得に成功した頃には夜も更け、町の人々は魔術師の小屋へと蠱惑の霊に取り憑かれたように歩み始めた。

 侵入者を許さぬ罠のようであったあの夥しい雑草の群れはモーセの割った海と化していた。町の誰かが刈り取ったらしい。最後の警告と云わんばかりにか細く鳴く螽斯を虚目の妖怪たちは蹂躙していった。哀れな我が友よ! かつて夜の世界はお前たちの独擅場であったろうに。

「虫、虫、虫だらけで気持ちが悪いわ。魔術師は虫が嫌じゃあないのかしら」

「莫迦だね。虫が苦手で魔術が使えるかい」

 私の腕に柔らかな感触を押し付けながら震える両手を絡ませる彼女を遇らいながら百鬼夜行の最後尾を歩いて行くと、ついに魅惑の神威を着飾った厳かな魔術師の棲家が顕現した。庭球(テニス)コートほどの大きさのそれは草臥れた廃駅のようだった公園を全く違う世界に塗り替えていた。そこには文明社会の喧騒が心地好い東京や紐育(ニューヨーク)のような、または粗暴な艶の佇む九龍城砦のような、さらには銀幕の向こうの憧れである倫敦(ロンドン)巴里(パリ)の街並みのような名所の持つ魅力が垣間見えた。相容れない筈の景趣の混在に、私は直ぐに魔術の影を感じ取った。この調和の取れた混沌(カオス)へと足を踏み入れた瞬間、私たちは魔術師の傀儡も同然となってしまったのだ。

 重い鉄扉を開け中に入ると、まず眼に飛び込んできたのはこの町では見かけない先客たち、そして彼らの見つめる先の消失点に立つ少女だった。腰に薬品を提げた銀髪の少女、小綺麗な背広を着た丈の高い男、満洲服に似た衣装に身を包んだ緑の髪の中性的な若者などが呪われたように見つめるその一点にいる少女こそ魔術師であると私は直感した。私の想像よりもずっと幼かった魔術師は然し、一度向けた眼を背けることのできないほどの凄絶で凄艶な魅力を持っていた。鳳凰の翼のように絢爛な処々に躑躅色の混じった白と黒の髪は森羅万象の調和を司っていると云っても過言ではないほどに優美であり、典麗な顔立ちや露わになっている胸元や白い太腿は灰汁の溜まった汚れを焼き尽くした。

 魔術師は濃い睫毛を持った吊り目を我々に向けこちらを一瞥すると、直ぐに曖昧な虚空に視点を定め、頬紅を施した陰陽魚を踊らせながら両手を広げクルッと回ると、

「さ、そろそろ今宵のマジック・ショウも次の演目で終わりとしましょう。眠くなってきてしまいました」

奇術(マジック)だって? 彼女は奇術師(マジシャン)だったのか」

 私は誰に語りかけるのでもなく、強いて云うのならば恋人に聞こえるようにそう呟いたが、彼女から返事の類いと思える声は聞こえてこなかった。心臓の奥深くから絞り出された感奮の込められた震えた声で「ああ……」だの「ほう……」だのと溢す彼女から抜けた魂が奇術師の元へと吸い込まれて行くのを感知してしまった私の脳内に、惨苦を伴った後悔が土砂崩れのように押し寄せてきた。悋気や嗟歎の念など超越し、私は奇術師を甘く見たこと、恋人を連れてきてしまったことを猛烈に悔いた。

 然し幾ら犯した罪を悔いても時は既に遅し、奇術師が「最後にみなさんを莫迦で美しい鳩にしてあげます。どうぞ希望する方は名乗り出てください」と云うや否や、我が恋人、愚かで気の毒な我が恋人は奇術師の立つ舞台に真っ先に駆け出し、「どうぞあたしを鳩にしてください。そうして、生涯あたしを御傍に置いて可愛がってください」と額を地に擦り付け懇願すると、濃艶な笑みを浮かべた奇術師によってずんぐりとした土鳩にされてしまった。

 堪らず私も奇術師の元へと這い寄り、どうか、どうか私も恋人と共に貴女の美の奴隷にしてくれと泣き叫ぶと、重たい電流が走った身体は醜く美しい鳩へと姿を変えた。

 そうして私たち二人はいつまでも、満足げに嬌笑を響かせる奇術師の周りを飛び回り続けた。



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