思春期ツナ君 (ようぺい)
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1話 プロローグと思春期ツナ君

 コイツら付き合い始めたな──。

 

 そう感じたのは俺が高2の夏休み大半を使ったイタリア旅行から帰って来てからだ。

 

 明らかに違う空気、目と目で通じ合っている素ぶりにお揃いのリング。さらに俺の遊びの誘いを断った2人が一緒に何処かへお出かけしていく姿を目撃してしまった。

 

 男2、女1。3人は小さい頃から一緒に遊んでいた。何処へ行くにも当たり前のように一緒だった。だがこれからはそうもいかないだろう。あいつらが何も言わなくても俺も空気くらいは読むつもりだ。

 

 しかしながらあいつらは一向に付き合っている報告をしようとしない。いや、しようとはしているだろう。おそらく「いつ言う?」だの「んー、でも悪いよねぇ」だのとタイミングを計っているところだと思われる。

 

 だが隠し事はお互い様だ。俺も親友であるあいつらに、墓まで持っていかねばならない秘密を作ってしまったのだから。

 

 ベッドで仰向けになっている俺は右手を上へ伸ばし、人差し指に嵌められたたリングをぼんやりと眺めていた。

 

 夏休みと一緒に8月も終わろうとしているがやる事もない。こちらは付き合っている事を知らない設定なのだから、親友達を誘っても構わないだろうと思ったものの、それでも気を使ってしまいそうだからと一度手に取ったスマホをポイっと放り投げた。

 

 エアコンが効き過ぎてぶるっと震える。贅沢に毛布でも使おうかと思った時だ。

 

 ピンポーン、とインターホンの音がこの部屋に届いた。

 

 両親はイタリアで働いている。それが旅行の理由であったのだが、つまりこの家に外れた俺しかいないので俺が出るしかない訳だ。

 

 だが出ない。直接家に来るのは新聞か宗教の勧誘くらいなのだから。

 

 ところが何度かのピンポンの後にガチャッと玄関のドアが開く音がして、一瞬胸が強い鼓動を打った。

 

「ヤス、いるのー? 入るよー?」

 

 女の声。その昔から聞き慣れた声に「何だ……」と小さく息を漏らした。泥棒でも何でもない、親友の片割れの女だ。

 

 部屋の外から足音が近付いて来る──。

 

「あ、いた。ちゃんと出てよ」

 

 毎度の事だがノックは無かった。入って来た女はベッドで横になっている俺を発見して眉をひそめている。

 

「何かよう?」

 

「夏休みの宿題見せてもらおうと思って」

 

 顔だけ向けた俺にずいっと突き出したカバン。中には課題やら何やらがぎっしりなのだろう。

 

「ツヨシは?」

 

「ツヨシはバイト」

 

 ツヨシとは俺の親友(男)の事であり、目の前にいる親友(女)はミチコという。そして俺はミチコが呼んだとおりにヤスだ。

 

「外超暑かった〜」

 

 ベッド横のミニテーブルに着いたミチコがノースリーブの胸元を開いてパタパタと手で風を送りこんでいる。深そうな胸の谷間にはじっとりと汗が滲んでおりつい目が行ってしまう。

 

 ツヨシ、お前はこの胸を……。

 

 別にミチコを好きだった訳ではないが、それはそれ、これはこれだ。

 

 ベッドから体を起こした俺は机に積まれた夏の課題をミニテーブルへと運んだ。

 

「じゃあ勝手に写せよ」

 

「ありがとー。お礼に良い物持って来たから食べて?」

 

 ミチコは料理が得意だ。ひとり暮らし同然の俺にもよく作りに来てくれていた。これからはそんな事も無くなりそうだが──。

 

 カバンから取り出したタッパーを受け取りパカリと開けてみる。そして予想外なモノに僅かに目を見開いた。

 

「何これ、豆腐?」

 

「うん。美味しいよ?」

 

 心を奪われそうなミチコの笑顔から再びタッパーの中身へ目を落とす。やはり見直してもひじきが乗せられた豆腐だけであった。

 

 正直がっかりだが、これまで散々世話になっておきながら文句も言えまい。もしかしたら凄い美味い豆腐なのかもしれないし。

 

「サンキュー。自分じゃわざわざ豆腐とか買わないし、晩飯ん時食わせてもらうわ」

 

 冷蔵庫にタッパーをしまい、再び部屋へ。課題を写しているミチコを後ろから覗き込むと、これまで全然手をつけていなかった事が丸わかりだった。

 

「お前さぁ、夏休み何やってたんだよ」

 

「えっ? い、色々……? うん、色々……」

 

 課題を写しながら返されたのは曖昧な返事。色々とは、付き合い始めてからのアレコレ色々なのだろうと容易に理解出来た。

 

 きっと俺がいない間に2人きりで楽しい事をしていたのだろう。そこに居場所はない。あったらあったで困るが、それがとても寂しく思えた。

 

 

 ベッドに腰を下ろした俺がしばらくぼんやりしていると、

 

「それどうしたの?」

 

「それってどれ?」

 

「その指輪」

 

 ミチコの視線は俺の右手に嵌められたリングに向いている。しまった、と思った。こいつらの前では外していたのだがつい忘れていた。

 

 何故か──、単に恥ずかしいからだ。旅行から帰ればこいつらがお揃いのリングをつけ始めており、そこで俺まで付け始めていたら「あー、そんなに私達とお揃いが良いんだ」と哀れまれる気がしたのだ。

 

「イタリアで貰ったヤツ」

 

「へぇ、私のと似てるね?」

 

 嬉しそうに右手を小さく上げたミチコ。少なくとも不快には思われていないらしい。

 

「リングから炎が出せると幸せになれるって話知ってる?」

 

 突然おかしな事を口にしたミチコに俺はドキリとした。

 

「何だよそれ。ナントカの炎って都市伝説、今そんな話になってるの?」

 

「いやいや、都市伝説じゃないよ? ちゃんと実在するよ?」

 

「お前出せるの?」

 

「わ、私は出せないけど……。でも私もツヨシも出せるように頑張ってるよ?」

 

 誰か出せる奴を知ってるような口ぶりだ。正直この話を膨らませたくないので聞こうとは思わないが。

 

「ふーん。じゃあ俺も出せるようにならなきゃな、つって」

 

 そこで「あれれ?」と、ある考えが浮かぶ。こいつらがリング付けている理由ってもしかして炎を出したいからなのか? と。

 

 普通に考えれば都市伝説に真剣に取り組むこいつらは変だ。だが俺はイタリアで炎をバンバン見て来た。あれは危険だがカッコイイ物だ、こいつらが何処で誰のを見たのかは知らないが、憧れるのもわかる。

 

「もういい加減に聞くけどさぁ、お前とツヨシって付き合ってんだろ?」

 

「はぁ?」

 

「はぁ? はやめようねって昔決めただろ。心が傷つくから」

 

「だってそんなの『はぁ?』じゃん。全然付き合ってないんだから」

 

「マジで?」

 

「マジで。メシアに誓って」

 

 両手を組んで目をつぶり、祈りを捧げるポーズを決めたミチコ。何故救世主(メシア)なのかはわからないが、とにかく付き合っていたのは誤解だと判明した。今の俺には良かった意外の感情が出て来ない。

 

 安心して体の力が抜けてしまった俺はベッドへ勢い良く背中を預けた。

 

「あーあ、お前らに気使って損した」

 

「えー? 何処が気使ってんのよ」

 

「いや使ってるし。今日だってすげぇ暇だったんだよ。んでお前ら誘おうかと思ったけど、やっぱ2人の邪魔になりそうだからって」

 

「そっか、それは可哀想に。じゃあ慰めてあげるからおいで?」

 

 とんでもない事を言い出したミチコ。この胸に飛び込んでおいでと言わんばかりに両腕を広げている。10年以上つるんでいるが、こんな大胆な発言が出た事がなく、俺は唖然としてしまう。

 

「か、過度なお触りはNGって決めただろっ?」

 

 本当は決めていないし、決めなくてもちゃんと一線は引いていた。体を起こした俺に対してミチコは小首を傾げる。

 

「そんな事いつ決めた? て言うかいやらしいアレじゃなくて、お母さん的なアレと思って欲しいんだけど。そう、真の母性愛よ」

 

「いやいいって。そんなんしたら絶対勃起するし。そっちの責任は取ってくれんの? くれねぇんだろ? だからいいわ」

 

「勃起……? 汚らわしいッ」

 

 冗談っぽく言ってやったところ、その反応は意外でありゾッとした。本当に汚い物に向けるような目だったのだ。どうやったらそんな目で人を、友達を見られるのかと思える程に冷たい眼差しなのだ。

 

「わ、悪い……」

 

 一気に空気が重くなり、俺は自分の家にいながらも、早く自分の家に帰りたい気分になった。

 

「ヤス、私課題やるから邪魔しないで」

 

 ミチコはひとつ息を吐くと、何かを諦めたような顔をして課題を写し始めた。つか俺の課題丸写ししてるくせに偉そうだな。

 

 ムカついたから俺はミチコには見えないようにリングにボッ! とジッポで遊ぶように黄色い炎を灯してやった。どうだ、お前が何で炎を出したいのか知らんが羨ましいだろ。

 

 ミチコが「何の音?」と怪訝な顔でキョロキョロしている様子がたまらなく愉快であった。

 

 

 

 ◆

 

 

 夏休みが終わり新学期が始まっていた。あの日はミチコとおかしな空気になっていたが、次に会った時にはまるで嘘だったように元通りになっていた。

 

「あ、えっと……」

 

 休み時間、廊下で声を掛けて来たのはミチコのクラスの2人の女子だった。仲良くはない、顔見知り程度だ。

 

 しかし彼女達は何か言いたげな顔をしている。

 

「どうしたの?」

 

「……あのさぁ、夏休みの間にミチコのお父さん亡くなったりした?」

 

「してないけど?」

 

 いきなり変な事を聞かれてしまい、俺は小さな驚きを交えて答えた。だが女子達は「えぇっ?」とそれ以上に驚きを見せた。亡くなっていなきゃ困るみたいなニュアンスだ。

 

「じゃあアレ何なんだろ……」

 

「ねー、怖くない?」

 

 話が見えないままヒソヒソ始められた内輪話。耐え切れず割って入る。

 

「アレって何?」

 

「あのね? ミチコが写真見てたの。ちゃんと写真立てに入れた写真ね?」

 

「でも写真立てに入れて持ち歩くなんて変じゃん? お父さんの遺影だったらギリわかるけど。でも本人に聞きにくいじゃん?」

 

 彼女達は互いの顔を見合わせ「ねー」と眉をひそめている。少なくとも俺には写真に心当たりはない。

 

「そんで写真はどんな人だった?」

 

「ハ、ハゲたデブのキモいおっさん……。何か変な服着てた気がする。寺の人みたいな? 名前出てこない」

 

「それならアイツの親と全然違うわ。身も心も引き締まったビジネスマンだし」

 

 やはり違ったが、これでスッキリとはならない。むしろ余計に謎が深まる。

 

「うーん、じゃあ誰なのってなるじゃん? 怖いじゃん?」

 

「そうそう。それに夏休みも全然遊んでくれなかったし、何か変だよ」

 

 2人ともミチコを心配してくれている。ミチコの親友として喜ばしいところだが、変と言われれば確かに変だ。夏休みの課題はほとんどやっていなかった、リングの炎に興味を持ち始めていた、それに豆腐も不味かったし。他にも色々と──。

 

 しょうがない、ちょっとミチコにぶつかってやるかと思った時だった。

 

 

 ドガシャーンッ! という机や椅子が派手に倒されたような音、そして「うわぁぁぁッ!?」「キャーッ!」といった男子女子入り交えた悲鳴が教室から廊下へと突き抜けてきた。

 

 聞こえたのは俺のクラスだ。おそらくケンカだろうが、急いで戻ったところ教室は相当酷い有り様だった。

 

 机と椅子の大半がぶっ倒れ、クラスの人間は皆壁に張り付いて怯えている。そして中央では現在進行形でマウントポジションからのパンチの雨が降り注いでいた。

 

 クラスメイトをぶん殴っているのはツヨシだ。鬼のような形相で拳を振り下ろすツヨシの姿に俺はギョッと体を硬直させてしまった。そして俺はさらに、悪夢を見た。

 

 やられているのは女子なのだ。俺の親友が女相手に、女の顔を、男の両の拳でひたすらに殴り続けているのだ。

 

 周辺には血が飛び散っている。女子はピクリとも動いていない、下手したら死んでいるかもしれない。

 

 一瞬の出遅れを恥じ、俺はこれでもかと強く床を蹴り、大きく両腕を振って駆け出した。

 

 狭い教室、距離など有って無いものだ。瞬く間にツヨシは俺の眼下。ダッシュの勢いそのままに、どうしようもないクズ野郎の横っ面に渾身の拳を叩き込んだ。

 

 吹っ飛んだツヨシに説教をかましている暇はない。殴られていた女子が何よりも優先だ。

 

「ぐ……ッ」

 

 下を向いた俺は思わずギュッと瞳を閉じてしまった。仰向けで倒れている彼女が誰だかわからなかった。入学から1年半同じ教室で学んだクラスメイトにも関わらず、俺は彼女が誰なのかわからなかったのだ。

 

 それでも微かに唇が動いていた。蚊の鳴くような声で「おかあ……さん……。おか……あさん……」とそう呟いていた。

 

 どんな事情があっても人間のやる事じゃない。ましてや10年来の親友だ。10年掛けて積み重ねた絆や友情など、たったこの一瞬で粉々に崩れ落ちてしまった。

 

 その時クラスの人間に肩を痛いくらいに掴まれた。小刻みな震えが伝わってくる。

 

「は、早く保健室! ううん、救急車!」

 

 一瞬頷きかけたが、すぐに小さく首を横に振った。

 

「……大丈夫だ、俺がいる」

 

 後の事は後で考えよう。俺は床に転がっている割れた写真立てを横目にして、自身のリングへと黄色に輝き放つ炎を灯した──。

 

 

 ◆

 

 

 ツヨシにやられた女子を傷ひとつ無く治療した俺は、騒ぎの隙をついて野次馬の中にいたミチコを校舎裏に引っ張っていった。

 

「炎、出せたんだね」

 

「他に言う事あんだろが」

 

 あんな事があったと言うのに何が炎だ。おめでとうと言わんばかりの嬉しそうなミチコに俺は怒り、いや悲しみを覚えた。

 

「だって仕方ないよ。そっちのクラスの子に聞いたんだけど、ツヨシの大切なメシアの写真落としちゃったんだって。あの子も焼かれて地獄に堕ちちゃうだろうね」

 

「心の狭い救世主だな。たかが知れるっつーの」

 

「メシアを侮辱するなァッ!」

 

 鼻で笑った俺に対してミチコは鬼のように激怒。怒るか試してみるつもりで言ったのだが、これは重症だ。

 

 だが襲い掛かっては来なかった。フー、フー、と体全体で息を整えたミチコはやがて柔らかい表情で語り始めた。

 

「教えてあげる。私達人間は、皆生まれつき体に悪魔を宿しているの。それが炎の正体」

 

「まあそう思う奴もいるだろうな。メシアが言っていたのか?」

 

 人間離れしたぶっ飛んだ力だ。わからなくもない。俺自身だって教室には戻りづらいところがある。

 

「メシアは全知全能たるお方。悪魔を宿して生まれてきた罪深き私達をお救い下さるの。私もツヨシもメシアの元で悪魔を追い払う修業中なのよ?」

 

 頬を染めうっとりとした表情で答えたミチコ。

 

 俺は言葉が出ない。何を言えば良いんだ? ヤバイ宗教にハマったのは間違いない。きっとカウンセラーが長い時間を掛けて洗脳を解く事になるだろう。だったら俺はさっさと諸悪の根源を断つ。それだけの力が俺にはある。

 

「ヤス、何があっても私の事信じてくれる?」

 

「信じるよ」

 

 投げやりに返して俺はミチコに背を向けた。コイツとは話にならん。まずはメシアについて調べ──、

 

「うッ!?」

 

 途端背中に激痛が走った。思考がグチャグチャになる痛み、息出来ね、痛ぇ、死ぬほど、やばい、何で、俺何された? 何で? こんな、痛ぇって……!

 

 愕然としたまま背中丸めて振り返る。そこには両手で赤く染まったナイフを握りしめたミチコの姿があった。人を刺しておきながら優しく微笑んでいるのがさらに恐怖を倍増させる。

 

「な、なにすんの……? 俺、刺されるような事した……?」

 

「大丈夫だから。私を信じて? 何も怖がる事はないから、ね?」

 

 冷や汗を流し、引きつらせた顔をした俺の手が強く握られた。母親が子供を安心させるように「大丈夫、大丈夫」と何度も呟きながら。

 

 ね? じゃねぇ……だろ。お前が言うなとぶっ飛ばしたい。しかしどう言うわけか、意外と痛みが引いている事に気が付いた。

 

 それでも大丈夫とはとても思えなかった。

 

 痛みや出血の代わりに、刺された箇所がゆっくりと円が広がるように赤い塵と化していくのだ。腰や腹はもう消えてしまったのだが、何故か立っていられる。ナイフに付着していた血も良く見れば赤い塵であった。

 

「な、なんだこれ……。どうなって……」

 

「メシアから頂いたナイフには悪魔を切り裂くチカラがあるの。その赤いのはプリマ・マテリア。あらゆる全ての物質の元となっているの」

 

 言ってる事はわからんが、よくあるペテン宗教じゃなかったのか……? 何らかのチカラを持ったガチな奴って事か……? インチキを見破ってコイツの目を覚まさせようと思っていたが、そう単純な話じゃなさそうだ。

 

 て言うか、それ以前にこのままじゃヤバイ……! このまま体が消えていったらどうなっちまうんだ……!?

 

 女子のケガを治してほとんどガス欠だが、力を振り絞り炎を灯す。炎を纏わせた右手で消えていく部位を抑えるがまるで効果が無い。

 

「ダメか……ッ! これどうすんだよミチコッ!」

 

 焦る俺とは対照にミチコは落ち着きを払っている。俺が消えていくのがそんなに楽しいか。

 

「聞いて? リングから炎を出している状態こそ、悪魔が体から追い出され掛けている状態なの。そして悪魔はヤスと戦ってヘトヘトになっている。そこが唯一無二、悪魔を体から切り離せる絶好のチャンスってわけ」

 

「チャンス……? 本当に炎が悪魔だとしても、消えちまうだろうが、俺までッ!」

 

「確かにヤスの体は悪魔と一緒に滅びる。でも安心して? それは本当に一時的な事なの」

 

 安心? 一時的? それは一度塵と化すが、すぐに魔法のように綺麗さっぱり元に戻るとでも言うのか? つかそうじゃなきゃ困る。だが次のミチコの言葉は俺を、俺を──。絶望の穴へ突き落とした上にガッチリと蓋で塞いでしまった。

 

「体は滅びても魂は永遠に不滅。次の世で悪魔から解放された体となって生まれ変わる事が出来るわ。そこにこそ真の幸せが待っているの。メシアの教えよ」

 

 つまりやっぱ死ぬって事じゃねぇか……! メシアって奴は何をどうしたらコイツをここまで変える事が出来たんだよ……!

 

「幸せにならなくて良いから、今すぐ俺を戻せ……」

 

 まずこれだ。これが出来なきゃメシアを潰すも糞もない、既に胸から膝までの間が消えた。時間がない、全部消える──。

 

「出来ない。そんな方法ない。ヤス、私達も必ず自分の悪魔を追い払うから……。次の世でまた一緒に……」

 

「一緒になんだよ……! 次の世で一緒になったらまずテメェをぶっ殺してやる……ッ! 許さねぇ、幸せになんかさせねぇ、即殺すッ! つー訳でお前はどうやっても幸せにはなれねぇ! この人殺しがッ!」

 

 憎しみ、恨み、怨念、呪い、あらゆる負の感情を吐き捨て叩きつける。ミチコがビクッと体をすくませた。最高に怯えた表情で瞳の奥を震わせている。

 

 それで良い。だから来るな。いつか炎を出せるようになっても、絶対に追って来るな。

 

 口が消えた、もうコイツには何も言えない。

 

 目が消えた、もうコイツの顔を見られない。

 

 そして脳が消えていくと共に意識も失われていく。そして最後に思ったのは、

 

 たのむ、だれか、こいつを、たすけて──

 

 

 ヤスの最後の願いが誰かに届いたかはわからない。それでも叶えられる可能性がある男、それは沢田綱吉。この物語の主人公である。

 

 

 ◆

 

 

「おっぱい触りてぇ〜」

 

 並盛中休み時間の事だ。数人の男子グループで談笑中に、机に突っ伏しながら小さく嘆いた者がいた。

 

 その切実な願いが耳に入ってしまった女子は「サイテー」だのと眉を釣り上げているが、何処の学校でも良くあるのどかな光景である。

 

「女子のおっぱい触った事ある奴ー」

 

 ひとりの男子が雁首(がんくび)揃えた冴えない男子達へ挙手を求めた。だが皆無反応。女と無縁な連中で構成されたグループなのでわかっていた事だ。むしろ抜け駆けがいなくて安心したいがための意味合いが強い。

 

「じゃあさ、ウチのクラスだったら誰のおっぱい触りたい?」

 

「俺吉田さんかなぁ。でけぇし」

 

「俺絶対笹川。可愛いもんな」

 

 女に縁が無い癖にこんな話題で盛り上がってしまうのも男子中学生には良くある事だ。

 

「ツナは?」

 

 話を振られたのは沢田綱吉。別にグループメンバーではないのだが、たまたま席が近かったので半ば強制的に参加させられてしまった。が、その手の話題は苦手な綱吉は顔を赤くして「えっ? えっ?」と戸惑うばかり。

 

「ひとりだけ良い子ちゃんぶってんじゃねぇぞダメツナ〜」

 

「いや、俺はそう言うのは全然……っ」

 

 ノリの悪さを責められる。だが綱吉は嘘を吐いた、しっかり興味はあるのだ。意中の相手である笹川京子の胸に触れたいと思った事は2度3度どころではない。と言うより誰でも良いから触れるものなら触ってみたいくらいに思っていた。

 

 

 そんな彼らの元へ歩み寄って来たのはこのクラスの委員長を務める男子であった。メガネを掛けたいかにも真面目そうな見た目である。

 

「キミ達、そんなくだらない話をしている暇があったら英単語のひとつでも覚えたらどうだい?」

 

「くだらなくねぇよ。いくらガリ勉の委員長だって女子に興味くらいあんだろ」

 

「女子? 僕たちは学生の身、そんなものにうつつを抜かしている暇などないはずだ。ま、それ以前に僕は女子なんかに全く興味がないがね。やれやれ、時間を無駄にしてしまった。失礼するよ」

 

 言うだけ言って背を向けた委員長に「つまんねー奴」と中指を立てる男子達であった。

 

 

 1度エッチな煩悩が生まれた綱吉の頭は中々切り替わってはくれない。その後の授業中は女子の胸を盗み見したくなる葛藤との戦いが続いた。しかしそんな中でふと思う。

 

(もしかして俺ってメチャクチャスケベな奴なんじゃ……! 何をやってもダメダメなのに、性欲だけは人一倍強いってマジで終わってんじゃん……!)

 

 ついには自分はどうしようもない異常性欲者──、そんな自己嫌悪が始まってしまった。

 

 綱吉には親友と呼べる獄寺の山本という友人がいるが、その手の相談を持ち掛けられるかと言えばそうでもない。普段つるんでいてもそういった話題は基本的に出ないのだ。

 

 獄寺は理想とするボンゴレファミリーや未確認生物などの話ばかりだし、山本はもっぱら野球の話で女のおの字も出やしない。ゆえに相談し辛く、綱吉の悩みは結局ひとり胸の中だ。

 

 

 

「あぁ? 何か文句でもあんの?」

 

 そう睨み付けて来たのは沢田家の居候ビアンキだった。帰宅した綱吉がリビングで彼女と顔を合わす早々盛大なため息を吐いたのだ。

 

 その理由は彼女の開いた胸元につい目が行きかけた事に対する自己嫌悪であったのだが、綱吉の胸の内など知らない者にとってはイラっとするのは道理である。

 

「いやごめんっ、何でも──」

 

 謝りながらもビアンキの胸に目が吸い寄せられてしまった綱吉。大人のビアンキはまだ成長期であるクラスの女子とは比較にならない程ドドンッと立派な胸をしている。

 

 一緒に生活していて意識した事はもちろんあったが、今日は一層意識してしまう。

 

 ビアンキはニヤリと不敵に笑うと自身の胸を隠すように手を当てた。

 

「見たわね」

 

「み、みみ見てないよッ!」

 

「いや、あんたバレバレだから」

 

「見てないってばッ!」

 

 大きく取り乱しながらも否定したが無駄なあがき。そしてさらには台所の方を向いたビアンキが、

 

「ママーン! ツナが私のおっぱい──」

 

「ちょ、やめてって! ごめんなさい、謝るから許してっ!」

 

「バーカ、冗談よ。ママン今買い物行ってるから」

 

 ピシッと飛んで来たデコピン。額を抑えた綱吉はやけに落ち込んだ顔をしており、ビアンキは小首を傾げる。

 

「どしたの? 何かあった?」

 

「いや、別に……」

 

 綱吉は目を逸らした。こんな悩み、女相手ではなおさら相談しにくい。

 

「あったからそんなショボくれてんでしょーが。わかった、京子に振られたんだ」

 

「違うって!」

 

 声が大きくなった綱吉に返されたのは舌打ちひとつ。いつでもサッパリした性格のビアンキにとっては目の前のウジウジに苛ついて仕方がない。

 

「じゃあ何よ。て言うかその顔見てるとムカムカするから言え」

 

「だ、誰にも言わない……?」

 

「言わないわ。どうせ下らない事なんだろうし」

 

 ひと言余計であったが、観念した綱吉は意を決して相談する事にした。それに人生経験豊富なビアンキなら何かアドバイスをくれるかもしれないという期待があった。

 

 

 リビングから場所を移してビアンキの部屋。何やかんやでまともに足を踏み入れるのは初めてだ。

 

 その辺に下着を含む脱いだ物が散らかっており、綱吉は目のやり場に困ってしまう。

 

(この部屋居づらいなぁ。でも何かすごい良い匂いする……)

 

 部屋に入るなり赤い顔で立ち尽くしている綱吉へ「さっさと座んなさいよ」と声が掛けられた。

 

 既にミニテーブルが置かれた床へ腰を下ろしているビアンキ。綱吉は緊張気味にその対面に正座。膝の上に強く握った拳を置き覚悟を決めたが、下を向いたまま「えっと、えっと……」とゴニョゴニョしたまま全く話が始まらない。

 

「じれったい。早く言いなさいよ」

 

 業を煮やしたビアンキが脚を伸ばし、テーブルの下から綱吉の膝をツンツン蹴ってくる。

 

「や、やめろよ」

 

「やめなーい」

 

 嫌なはずなのだ。しかし脱ぎ散らかっている下着や、部屋の匂いに当てられていた上に、すぐそこにあるビアンキの生足にさらにドキドキしてしまう。

 

 やがて、ポタッ、ポタッ、とテーブルに落ち始めた水滴。鼻血である。

 

「げ、鼻血出た」

 

「はぁ? ちょっと勘弁してよ」

 

 ビアンキは手近にあったティッシュ箱から何枚か取り出すと、だらだら血を垂れ流している綱吉の鼻に押し当てた。

 

「ったく世話の焼ける子ね」

 

「じ、自分で出来るからっ」

 

「良いから上向いてジッとしてなさい」

 

 蛍光灯の眩しさに目をつぶっていると段々死にたい気分になってくる。自分は鼻血なんか出して何をやってるんだろうと、どうでも良くなってしまった。

 

「……俺ってすごいエッチな奴なのかもしれない」

 

 綱吉はもう言っちまえであった。ビアンキは衝撃の告白に強くショックを受けているだろうが、顔が見えないのが不幸中の幸いだ。

 

「そうね、知ってるわ」

 

「な、何でッ!?」

 

 心の何処かでは否定してくれるのを期待していたのだが、あっさり裏切られてしまった。

 

「だってあんたエロいじゃん。そんな事、今さら言われなくても知ってるわよ」

 

 千切ったティッシュを綱吉の鼻に突っ込んだビアンキ。綱吉が顔を下げて見た彼女は至極どうでも良さそうな表情をしていた。

 

「お、俺って普段からエロいと思われるような事してる……?」

 

 普段の行動を思い返すが自分ではわからない。もしかしたら京子やハルからもそう思われているかもしれないと不安に包まれてしまう。

 

「だってあんたオナニーしてるでしょ? それでもうエロいじゃん」

 

「し、し、してない……。え? て言うか何その言葉……。お、俺そのオナなんとかっての知らない……」

 

 ストレートな物言いを受けた綱吉は壊れたロボットのようにどもって目を泳がせた。その白々しさにビアンキの眉間にシワがよせられる。

 

「ウザ。いや知ってるから。隠さなくて良いから」

 

 細心の気を使っているはずがバレていた事に、もう思考がグチャグチャだ。

 

「た、たまに……。たまにだよ!? ほんっとに超たまに! それだけは信じて!」

 

「別にどうでも良いわよ」

 

 頻度などに興味無さげなビアンキから、さらに衝撃の告白がなされる。

 

「京子とハルだってあんたがオナニーしてる事知ってるわよ?」

 

「そ、それはさすがに嘘でしょ……?」

 

 心臓が飛び出しそうになるが、一緒に住んでいるビアンキならともかく、京子とハルが家に居る時にした事など断じてない。

 

「本当よ。そう、あれは10年後の世界、ボンゴレ基地アジトでの事」

 

 ハッとした綱吉。そっちの話を持ち出されると自信が無くなってしまう。なにせ数ヶ月間も京子とハルと同じ屋根の下、もとい地下施設で暮らしていたのだ。毎日の厳しい特訓の疲れと鍵付きの完全個室部屋という生活の中で油断が生じていたかもしれない。

 

 ビアンキはその時の事をポツリポツリと語り始めた──。

 

 基地アジトの家事は主に京子とハルに任されていた。食事に洗濯、そして掃除。綱吉の部屋の掃除もである。

 

『そう言えば、たまに男の子達の部屋って変な臭いしませんか?』

 

 家事がひと段落し、食堂でお茶中の京子とビアンキに話を切り出したのはハルだ。

 

 純真無垢なハルと違い、京子とビアンキには察しが付いていた。2人は視線を逸らし困った顔をしている。

 

『特にゴミ箱が何か生臭いっていうか……。隠れてお刺身でも食べてるのかなって思ったんですけど違うみたいですし、一体何なんでしょうね?』

 

『ハルちゃん? そ、それはね……?』

 

 教えてあげようとする京子だが、やはり恥ずかしくて無理だ。そこでお姉ちゃんポジションのビアンキが懇切丁寧にハルに説明を始めた。

 

『ハル、よく聞いて? 男達はね? オナニーをしているのよ? 学校ではマスターベーションって習ったのかしら』

 

『やだビアンキさんっ。ハッキリ言い過ぎっ』

 

 キャッと赤くなった顔を隠した京子。そしてハルはというと、

 

『ギャーッ! 不潔です! ド変態です! 信じられませんッ!』

 

 嫌悪感マックス。椅子を倒す勢いで立ち上がったハルの強烈な叫び。やがて力なく座った彼女は涙目となりうな垂れていた。

 

『がっかりです……。ツナさんはそんないやらしい事しないって信じてたのに、ハルは裏切られました……。もうハルはツナさんを軽蔑します、ご飯も作りません』

 

『待ってハルちゃん! 確かにいやらしい事かもしれないけど、そういうのって男の子達にとって大切な事なのよ?』

 

 意外にも京子からのフォロー。兄がいる彼女は男のアレコレの事情を理解している様子。もしかしたら偶然兄の現場を目撃してしまい母親に報告したところ同じ事を言われたのかもしれない。

 

『た、大切って何が大切なんですか……?』

 

『ハルちゃんはさ、ごはん食べたら、その、えっと、……ウ、ウンチくんするよね?』

 

『はひっ!? そ、それはまぁ、しますけど……』

 

『男の子はそれと同じなの。みんなウンチくんは汚いからってしない訳にはいかないよね? そうですよね、ビアンキさん?』

 

『失礼ね。私はそんな汚いモノしないわよ?』

 

 変な方向に話が逸れながらも最終的にはハルも納得して「わかりました! これからは見て見ぬ振りをしますっ」という結論に至った。

 

 

 途中から綱吉はテーブルに伏せたまま震えていたが、これで回想は終わりだ。

 

「──と、そんな事があったわけ。ま、厳密に言えば未来の私とここにいる私は別の人間なんだけど、残念ながらしっかり記憶はあるわ」

 

「うわぁ……。もう死にたい……。早く死にたい……。これから2人に会わせる顔ねぇ……」

 

 京子もハルも何食わぬ顔をしておきながら本当は「でもオナニーしてるんでしょ?」と、ほくそ笑んでいたのかと考えてしまう。

 

 綱吉がカッコ良く「仲間は俺が守る……!」とか「お前達は下がっていろ。アイツは俺が倒す」とかキメても、2人は「でも帰ったらオナニーするんだよね?」と──。そういう事なのかとさらなる苦悩を抱えてしまった。

 

「何で落ち込むのよ。男がエロいのは当たり前なんだから気にするなって話をしてあげたんじゃない」

 

 肩をすくめるビアンキ。こりゃどうにもならんな、と時間が解決してくれるのを待つしかなかった。

 



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2話 ツナ君の海外旅行

 強い弱いと言っても所詮は一個の人間だ。そこまで歴然とした差はそうそう出来やしない。しかしここ最近、マフィア間で個々の差が大きく開き始めていた。その理由はひとつ、超人的な力を発揮出来る死ぬ気の炎だ。

 

 それこそ天に選ばれし者のみが使用出来ると思われていた死ぬ気の炎。が、最近はそうではない。リングひとつで誰にでも使える可能性があるとハッキリ判明したのだ。

 

 人間という者は数字が大好きな生き物だ。テストの点から始まりどちらが優れているのか誰の目にも明らかに出来る。

 

 そしてここ、イタリア某所のレラネットファミリーアジト。晴れやかな天気の下の庭園では、どこのマフィアでも見られるお馴染みの光景が見られた。

 

「え、炎圧13万FV……!?」

 

 若いマフィアがスマホに表示された数値に打ち震えている。そんな彼の前にはリングに激しく燃え盛る炎を灯した中年マフィアの大柄な男。彼らは敵ではなく、同じファミリーの上司と部下の関係だ。

 

「ゾマさんすごいッス! 10万オーバーッスよ!?」

 

 死ぬ気の炎の強さは炎圧と呼ばれ、単位はFV(フィアンマ・ボルテージ)。スマホに入っている炎圧測定アプリで対象を写せば簡単に計る事が可能だ。己の強さを証明したいマフィア達はこの測定が大好きである。

 

 炎を消して「ふーっ」と長い息を吐いた中年マフィアのゾマ。炎を放出した疲労の中、13万という数値に満足そうな顔をしている。

 

「なんのまだまだ。俺は100万を目指しているからな」

 

「ひゃ、100万!? そんなのボンゴレにしかいませんよ!」

 

「強い炎の使い手はそのままファミリーの顔になる。数字っていうのは便利だな。無駄な抗争が減ってなによりだ」

 

 ドンパチを繰り返していたファミリーのボスの間でも「ウチには10万超えの奴がいるんだぞ」だの「ほほう、それはすごい。しかし10万超えはいないが、5万超えの数なら負けていませんよ」だの、そんな自慢大会が行われている。と言ってもこれは単なる自慢大会ではなく、互いへの抑止目的の側面が大きい。

 

 

 そのようにマフィア事情が大きく変わり始めた、そんなとある晩──。

 

 

 月明かりだけが頼りの無人の廃工場。不良グループの溜まり場と化しているようで、シャッターや壁にはスプレーアートが至る所に見る事が出来る。

 

 そんな中で鳴り響くのは連続する銃声──。

 

「何故俺を狙った!?」

 

 素早く動く影へ銃口を向けつつ、塗装の剥がれたコンクリート地面を駆けるのはゾマだ。

 

 その影、月の光が露わにしたのは魔法使いを想起させるローブ姿の小柄な男。ゾマはひとりで夜道を歩いていたところ突然襲われた。

 

 ローブ男はフードを深く被っており素顔は見えない。しかし銃撃に怯む事無しの軽いステップでの回避はまるでゲームでもしているかのように「クキキ」と歯を見せて楽しんでいる。

 

 それでも全弾回避している訳ではなく、数発はしっかり命中しているのだ。それにも関わらず、纏っているローブには穴のひとつも出来てはいない。その異常さにゾマの眉間にシワが増えていく。

 

「どうなってやがる……!」

 

「バーカ、威力足りねぇだけだろ。早く火使えよオラッ」

 

 銃弾の網をかいくぐり一気に間合いを詰められた。ローブ男は武器を出す気配がない。繰り出すのは鋭い手刀──。真っ直ぐ突き上げるように放ったソレがゾマの頬をかすめた。

 

 まるで刃物だ。ひと摘み程の頬肉が宙を舞った。だがそれだけ、ダメージは無いに等しい。

 

「つぁッ!」

 

 足の指でしっかり地を踏みしめ放ったゾマの回し蹴り。ブォンッ! というゾッとするスイング音が虚空に溶けた。小さく後ろへ飛ばれあっさりかわされたが構わない、元々弾のカードリッジを交換するための牽制に過ぎないのだ。

 

 蹴りの動作中に巧みに高速交換、瞬時に構え直した銃に灼けるような赤い光が集中する。入れ替えた特別製の弾丸へ死ぬ気の炎を蓄積させているのだ。

 

「消えろッ! 銃炎撃(バシヨード・ラメッカ)!」

 

 撃ち放つのは全てを灰と化す獄炎の一撃。銃口径からは想像もつかない巨大なビーム状の炎撃が轟音と共に解き放たれた。

 

 ローブ男は自身の全身を飲み込みかねない炎を前に、見せたのは恐怖でも驚愕でもなく──。

 

「悪くねぇ、60点」

 

 歓喜。懐から取り出したのは小さな赤い宝石のような物だ。

 

「Dランクで足りるだろ」

 

 掌に乗せた宝石がひとりでに細かく砕け散った。と同時に彼の前面空間にバシィィンッ! と弾けるような音を伴い出現したのは、2メートル大の紋様付きの円であった。

 

 見た目としては魔法陣と呼ぶのが適切か、それは赤い光を輝き放つ防護障壁である。

 

 爆風、爆炎、爆音が周囲一帯に巻き起こった。状況が一気に混沌となるが、そんな中でも互いに次の1手を打ち出さんと、強く地を蹴っていた。

 

 

 ゾマが打撃武器として振り下ろした銃とローブ男が突き出した手刀が激突──。

 

「さっきのは何だ」

 

 銃と手刀、押し合いが均衡する中ゾマがローブ男へ問いをぶちかました。

 

「ただの安い使い捨てアイテムだぜ? 知ってる? ゲームでも有名な賢者の石っつーの」

 

「賢者の石……? よく知らんが、伝説級にお高い物なのだろう?」

 

「低品質素材から作った低品質な賢者の石よ? 今時掃いて捨てる程あらぁ」

 

 あっさり問いに答えたのは自信の表れ。いつでも殺れると言っているようなものだ。少なくともゾマはそう受け取った。

 

 とどのつまり、未だ舐められていると──。

 

 ゾマは力任せに押し合いの均衡を打ち破り、一瞬の間髪さえ入れずにローブ男のフード越しの額に銃口を突き付けた。通常の弾丸は生地を通らないが、銃炎撃であればアイテム無しに防げない事は濃厚だ。

 

超銃炎撃(ラサークノヤ・ラメッカ)!」

 

 問答はもはや無用、ゼロ距離からの銃炎撃が撃ち出された──。

 

 だが頭を撃ち抜く事無く、最初に命中したのは地。コンクリートが粉砕され瓦礫が四散する。瞬時に額と銃口を滑らせかわされたのだ。

 

 かわす流れに乗じてボディに突き刺されたのは、赤いスパークを帯びたローブ男の鋭い手刀。出来上がったのはゾマの背中から手が生えているおぞましい絵。手刀が腹を、背中をいとも容易く貫通したのだ。

 

「残念、勝ったとお──」

 

「散れッ!」

 

 だが構わない。腹に穴のひとつふたつ空こうが微塵も緩まない。2度目のゼロ距離銃炎撃がローブ男の顔面へと無慈悲に放出された。

 

 断末魔上げる暇なく綺麗に消し飛んだ首から上。力無く膝から崩れ落ちると共に、ズルリとゾマの体から刺さっていた腕が引き抜かれた。

 

「勝ったと思ったか」

 

 途中で途切れてしまったローブ男のセリフを代わりに口にしてやったゾマ。少なくないダメージのはずだが、まるで平然としている。

 

 彼にとってこの程度の戦いはちょっとしたアクシデントだ。この後の予定も変わらない。しかし首無し死体に背を向けて歩を進めようとした時であった。

 

 首無し死体がゆらりと起き上がったのだ。いや、もう首無しではない。バチバチッ! と赤いスパークを放ちながら、首から上が再生していくのだ。グロテスクな筋繊維剥き出しな顔が元に──、と言ってもフード無しの素顔は初めて晒すが、特に美形でも醜悪でもない、何処にでもいる脇役顔だ。

 

「晴れの活性による再生か!? いや、炎は感じない! どうなってやがる!」

 

「ハハ、キミ強いねぇ。マフィアにでもなったら? つってな!」

 

「か……ッ!?」

 

 目の前の異常な現象にゾマは反応が遅れた。銃に手を伸ばした時、その時には彼の胸には月の輝きを映したナイフが深く突き刺立てられていた。

 

 よろめきながら後ずさるゾマ。死ぬほどに死にそうだ。

 

 だが生きている。深手を負ったがまだ戦える。しかし彼の身に起こり始めた異変がそれを許さない。

 

「な、何だ……!? 体が……!?」

 

 刺さったナイフから中心に体が赤い塵と化していく。見た事もない能力に頭が正常に働かない。体が意思に反して動かない。

 

「炎がガス欠近くの時しか効果ないんだよな。あんたもゲットされるポケモンみたいに弱ってたし、コイツも効くっしょ。ギャハハッ」

 

 風に流され四方八方に散っていったゾマだった赤い塵。それらが吸い寄せられるようにローブ男の掲げた掌に集まり始めた。掌上の赤い塵の塊へ顔を近づけ吟味するようにじっくり見つめる。

 

「これならD、いやCランク石の素材にはなるかな」

 

「石……? さ、さっきのか……?」

 

「狙われた理由わかった? 狩りだよ、狩り。強いアイテム作るための素材集め。強い奴ほど良い素材が手に入る、常識だろ?」

 

「そ、そんな事して何を企んでいる……」

 

「企む? 強いアイテム作るのに理由がいるか? あらら、もう口が無くなっちゃったよ、ウケんだけど」

 

 物言いたげなゾマの両目もすぐに赤い塵と化してしまった。もう彼には何かを伝える手段はなくなり、完全なる無に帰すまでの僅かな時間を感じる事しか出来なかった。

 

 

 ◆

 

 

 3月末、今日は並盛中終業式の日だ。沢田綱吉の2年生のクラスでは成績表も貰って後は帰るだけとなっていた。教室との別れを惜しむ者、春休みに胸を弾ませる者、これといって何もない者など様々だ。

 

 普段ならばいつも通りの成績表を貰い、どうやって母親に見せるか頭を抱えているはずの綱吉。ところがこの日はいつもとは違ってご機嫌な様子で帰り支度をしていた。

 

「良いよなぁツナ。明日からハワイなんだろ?」

 

「えへへ、すげぇ楽しみ。俺海外初めてなんだよ」

 

 綱吉は声を掛けて来た男子に照れ臭そうに返した。ご機嫌の理由はこれ、明日からリボーンと2人でハワイ旅行へ行くのだ。

 

『最近オメェ勉強も運動も頑張ってんな。よし、家庭教師の俺からちょっとしたハワイ旅行のプレゼントでもしてやるぞ』

 

 リボーンにそれを言われたのはほんの2日前。思い付いてすぐに海外旅行を実行に移せるあたり、改めてリボーンの凄さを思い知らされた。

 

 ただ勉強も運動もそれ程頑張っていないのは先程貰った成績表が語っており、リボーンに見せた結果取りやめにならないかが気掛かりではある。

 

(ま、大丈夫だよね。2が3つもあるし)

 

 自分にしてはまずまずの好成績だと思う事にして、いらん不安を吹き飛ばす。そんな綱吉の元へ寄って来たのは不良なのにオール5の獄寺だ。

 

「10代目もついに海外進出……! リボーンさんは10代目の世界制覇の足掛かりとして、まずはワイハを墜とさせようと、きっとそう考えていらっしゃるのですね!」

 

 胸の前に構えた拳を強く握り、うんうんと頷いている獄寺。

 

「えぇッ!? さすがにハワイでそんな事させないでしょっ! 普通にバカンスだって!」

 

 リボーンならやりかねないが、今回はハワイなのだ。ハワイだから大丈夫、多分、いや絶対──と、無理矢理にでも信じ込む。

 

「そっスかね? まぁとにかく、10代目がワイハでイキってる連中シメて帰国されるのを心待ちにしてます!」

 

(えぇ〜。勘弁してよ〜)

 

 変な期待を受けた綱吉は露骨に嫌な顔で肩を落とした。それでも何やかんや面倒に巻き込まれて、何やかんやケンカのひとつでも起こりそうな予感がしてしまうのはこれまでの経験からか。

 

 そう、例えばオンボロレストランの権利書を賭けて地上げ屋の用心棒と対決、とかそんな漫画で良くあるトラブルだ。綱吉は仮に何かあってもその程度だろうと勝手にあたりを付けていた。

 

 

 だが現実はもっと酷かった。

 

 

 綱吉がイタリア行きの飛行機に乗っている。バカンスの国ハワイではなく、マフィアの聖地イタリア行きだ。

 

「何で嘘吐いたんだよ……」

 

 隣の席のスーツ姿の赤ん坊リボーンへと恨みを込めた眼差しをぶつけた綱吉。騙されたのだ。空港内ではリボーンに任せっきりだったために、離陸前のアナウンスで初めて行き先に気が付き今はもう空の上。

 

「前もってイタリアって教えてたらお前行かねぇだろ? 『イタリア!? お前がイタリア連れてくって言ったらそんなの絶対マフィア絡みじゃん! 俺行かないからな!』って」

 

「当たり前だろ! しかもそんなヤバイ事が起こってる時に!」

 

 呑気にコーヒーをすすっているリボーンに対して綱吉の声が大きくなった。百歩譲ってイタリアは良しとしても、その理由は絶対に受け入れられない。

 

「そんなに帰りてぇなら機体のドアを無理矢理開けて日本まで飛んで帰れ」

 

「うぐ……」

 

 言葉を失った綱吉。とうに日本を離れ、何処かの海の上を飛んでいるであろうこの機体。もはや空を飛べる綱吉でもどうしようもない。思い返せば最初から話が美味すぎたのだ。リボーンがご褒美にバカンスの提供などありえない。己の浅はかさにほとほと嫌気がさしてしまう。

 

『実は最近イタリアで行方不明者3桁を超える事件が起きていてな。9代目からの指令で俺たちもそいつの調査に加わってくれって事だ。ま、イタリアもハワイも大して変わんねぇし良いだろ?』

 

 離陸してから先程飛び出したあまりにも無茶苦茶な発言。マフィア絡みと思わせないためにも行き先まで騙していたリボーンは悪どい事この上ない。

 

 不貞腐れた綱吉は思いっきり椅子に背中を預け、

 

「あーあ、ハワイに行くってみんなに自慢しちゃったじゃん……。お土産とかどうすんだよ」

 

「事が済んだら帰りにハワイくらい行かせてくれんだろ」

 

「そんな簡単に済む問題ならわざわざ日本から呼び寄せるはずがないだろ。て言うか普通に事故とかって線は無いの? 大体俺なんかが行って何が出来るんだよ」

 

 聞き込みするにしても言葉がわからないのだ。ハッキリ言ってクソの役にも立たない自信があった。

 

「さっきも言ったがわかっているだけでも100人以上が消えてんだぞ? その大半がマフィア、それも相当な腕利きばかりだ。そして消えたと思われる時間帯には、強い炎エネルギーが感知されたケースが多かったらしいぞ」

 

「それって誰かと戦って連れ去られたって事?」

 

「多分な。それに相手は死ぬ気の炎の使い手じゃないって説が有力だ。これは感知されたのが消えた奴の炎だけってところからの推測だが」

 

「えっと、つまり訳わかんない力を持った敵が現れたかもしれないって事?」

 

「世の中には死ぬ気の炎以外の力もゴロゴロ転がってるからな。今わかっているのはこんくらいだ。後はあっちで仲間と合流してから聞く事になるさ。飛行機ではきっちり睡眠取って体調整えておけよ」

 

 綱吉が愕然としているのを他所に、リボーンは早着替えでスーツからパジャマ姿へ。さらにアイマスクと耳栓まで付けて完全に寝る体制へ入ってしまった。世界を飛び回っていただけあってやたらと慣れている。

 

 ほんの少しの間を置いて「すぴー♪」と可愛らしい寝息が聞こえ始め、綱吉は肺の空気を空にする勢いで特大のため息を吐き出した。到着まで後12時間。昨夜はドキドキしてあまり眠れなかったのだが、嫌な話を聞かされたせいですっかり目が冴えてしまった。

 

(もう最悪だ……)

 

 バカンス行きに輝かせていた瞳はすっかり光を失い、今や絶望の闇に堕ちていた。

 

 暇潰しにと空港で買った漫画雑誌を取り出しページに目を落とすがまるで内容が入って来ない。ページをめくってため息、めくってため息。そんな事を5分程続けていると──、

 

「あのさぁ、さっきからずーっとため息吐かれて、いい加減うざいからやめてくんない?」

 

「へ? 俺の事?」

 

 突然声を掛けられギクリとした綱吉。相手は綱吉の左隣の窓際席に着いている、同じ年頃の女の子だ。座席に着いた時から居るのは知っていたが、その時は「うわっ、女の子かよ。これ気使うなぁ」などと考えていた。

 

 そしてその女の子は綱吉に対して気を使う事も無く、

 

「折角の旅行なのに、辛気臭いのがいると気分悪くなるんだけど」

 

「ご、ごめんなさいっ」

 

 赤の他人にそこまでハッキリ物申せる事に驚きながら謝っておく。言い方にムッとしない事もないが、ここで波風立てても仕方がない。それに良く見れば、いや良く見なくともとても可愛い子なのだ。

 

 良くも悪くも中学生らしい京子やハルとはまた違った、芸能人的な垢抜けた見た目の女の子。学校にも垢抜けた女子はいるが、その完成度は雲泥の差である。

 

 美少女と一緒なのは嬉しい反面緊張もしてしまう。それがこれから10時間以上というのは結構キツイ。ところが可愛さ余って憎さ百倍──、と言う程では無いが、女の子の攻撃的な態度に緊張も何処かへ失せてしまった。

 

 取り敢えず再び漫画雑誌を開いて前回気になる展開だった作品だけ読み始めたのだが、綱吉はどうにも隣が気になる様子。女の子がチラチラ漫画雑誌を覗き見して来るのだ。試しに1秒くらいで次のページをめくると小さく「あっ」という声が聞こえた。

 

(何だよコイツ。まさか読みたいのかな?)

 

 うざいと言われた後なので少し悩む。向こうも同じで、読みたくても貸してと言いにくいだろうし、今を逃せば帰国するまで読めないはずなので中々諦め切れないのかもしれない。

 

「えっと……、良かったら読む?」

 

 突然の綱吉からの申し出に女の子はギョッとして目を逸らした。チラ見がバレていた事に対する恥ずかしさがあるようだ。

 

「い、良いの? じゃあ読ませて?」

 

 えへへ、と女の子は照れ臭そうに雑誌を受け取ったのだが、意外にも素直で綱吉には拍子抜けだ。せめて「し、仕方ないから読んであげるわ!」くらいには突っ張って欲しかった。

 

「キミひとりなの?」

 

「そうだけど?」

 

 雑誌を貸したついでに少しばかり気になっていた事を尋ねた綱吉。てっきり別の座席に家族がいるのかと思っていたのだがそうではなかった。

 

「イタリアに? ひとりで?」

 

「悪いの?」

 

 気に障ったらしく、女の子の口調には苛立ちが混ざっている。鋭い目で睨まれた綱吉はビビって軽く身を引いてしまう。

 

「……嫌な言い方してごめん。父親がずっとイタリアで仕事してるから久しぶりに会いに行こうかなって。何かピリピリしちゃって八つ当たりしちゃった。酷いね、私」

 

 打って変わって再び口を開いた女の子は目を伏せて何処か寂しげだった。久しぶりというのがどのくらいかわからないが、会える期待と言うよりも、会う事に対して不安そうな顔をしている。これはかなり長い年月会っていなそうな臭いに綱吉は返す言葉に困ってしまう。

 

(ウチの父さんも10年くらい帰って来なかったしな。俺なんて死んだと思ってたくらいだし)

 

 結局「そうなんだ」と返してそれっきり互いに沈黙。帰って来ない父親自慢なら負けない綱吉であったがそんな話をする空気でも無い。女の子はすっかり読書タイムへ突入してしまい、綱吉は早くも暇を持て余してしまった。

 

 そんな時に綱吉がやる事と言えばこれだ。ペンとノートを取り出した彼は何かを書き始めようとしている。

 

(う〜ん。イクス……イクス……。イクスフラッシュ。いや、響きがださいな。それに古臭いし)

 

 これは必殺技ノートである。一般的にはいずれ黒歴史となる厨二ノートなのだが、綱吉の場合はリアルで使用出来るので形だけの厨二共とは訳が違う。そして現在新必殺技の名前を考えている真っ最中だ。

 

(待てよ? イクスブレイクってのは何かかっこいい響きじゃないか? うん、良いっ。これは採用!)

 

 豆電球が光る古いエフェクトを出した綱吉。しかし「さあ書くぞ」といったところでペンが止まってしまう。

 

(えっとブレイクって英語でどう書くんだっけ。て言うかブレイクってどういう意味だっけ。まぁ良いや、かっこいいし)

 

 

 そんな隣で楽しそうにしている綱吉の様子に、旅行記でも付け始めたのかと思った女の子は気になってまたまたチラ見。

 

X-BUREIK(イクスブレイク)

 

 てきの体の中で炎を放出して体内から大ばく発させる技。※あぶないので人にはやらない。

 

「うわぁ……」

 

「な、何だよその『うわぁ……』って。文句あんのかよ」

 

「私は別にそういうのキモいとか思わないから安心して? 必殺技は大事だもんね。だって必殺技だもん。うんうん、わかるわかる。でもさっきのスペル違うよ? 無理しないで平仮名にした方が良いんじゃない?」

 

 生暖かい目と優しい口調を向ける女の子。綱吉の事を幼く可哀想な奴と思い始めたのだ。今度はピッタリ綱吉へと肩をくっつけ遠慮無しにノートを覗き込み始めた。

 

「ねぇ、何でやたら技の名前にXが入ってんの?」

 

「え? こ、こだわり……?」

 

「ふーん。じゃあ私が知ってるカッコイイ技教えてあげる、ペン貸して?」

 

 女の子はノートの端に奪い取ったペンをサラサラッと走らせる。ご丁寧にルビまで振って得意気に見せられた綱吉は顔をしかめてしまう。

 

天空X字拳(てんくうぺけじけん)……。何これ、だっさ」

 

 と言いつつ天空の二文字が何処かしっくり来てしまうのが憎たらしい。

 

「つーかさ、あんたって歳いくつなの?」

 

「4月から中3」

 

「マジで? 私と同じじゃん。色々ガキっぽいから絶対年下かと思った」

 

「い、色々? 色々ってどこ?」

 

 女の子はイタズラな笑みを浮かべ、

 

「言って良いの? 大丈夫? 泣かない?」

 

「……やっぱやめて」

 

 聞けば身体的特徴を捉えた心ない言葉が飛び出して来そうな予感。まだまだ飛行機の時間は長いので、ここで精神的ダメージを受けるのは不味い。そんな綱吉に残念だと言わんばかりに女の子は肩をすくめた。

 

 

 それからもちょくちょく2人は言葉を交わしていた。大体は女の子の方から話し掛けて来るが、暇で死にそうなオーラが目に見えているので男子中学生特有の「あ、コイツ俺の事好きだな」などと変な勘違いはしない。

 

 持ち込んだお菓子を交換したり、好きな漫画の話をしたりと、女の子とは意外にも気が合い、綱吉のバカンス消失の悲しみとイタリア行きの不安はいつの間にか何処かへ消えてしまっていた。彼女と話すのが楽しいと思えたのだ。

 

「ちょっとトイレ行ってくんね」

 

 席を立った女の子。無言で行かないあたりに少しばかりの嬉しさを感じてしまう。

 

 数時間前までは赤の他人だったのだ。それにも関わらず、昔からの友人のように気軽に話が出来ているのが実に不思議な気分であった。それはもしかしたらこの飛行機という日常とは違った空間がそうさせているのかもしれない、と綱吉は思った。

 

 女の子の遠ざかる背中を見送った綱吉へ、

 

「完全に浮気だな。帰ったら京子とハルに報告しねぇと」

 

 突然可愛らしい声で可愛くない発言をしたのは探偵衣装を纏ったリボーンだ。いつの間にか起きていたらしく、綱吉は眉をひそめる。

 

「起きてたのかよ。て言うか何処が浮気なんだよ」

 

「つーのは冗談で、今回の旅は危険が伴うんだ。万が一あっちで会う事があっても下手に関わるんじゃねぇぞ? 未来の世界でもちょっと関わっただけの連中が大勢殺されちまってた事を忘れるなよ」

 

 リボーンの声が低くなった。こういう声を出す時は冗談抜きのマジな事は知っており、綱吉はゴクリと息を飲んだ。

 

 

 

 離陸から8時間が経った。照明を落とした薄暗い客室では皆毛布に包まり寝静まっている。いや、静かではない、イビキもそこそこだ。

 

綱吉は狭い座席スペースながらもどうにかこうにか眠りについていたのだが、飛行機に慣れていないせいか2時間程で目が覚めてしまった。

 

「あ、起きた」

 

 イヤホンを外して小声を漏らした女の子。綱吉は女の子の隣で寝顔を晒していた事に恥ずかしさを覚え、毛布を引っ張り顔を半分隠そうとした。

 

「安心して? 別にあんたの寝顔とか興味無いから」

 

「あっそ。キミは寝ないの?」

 

「あんま眠くなくって」

 

 それでも形だけでもと女の子が椅子に寝そべるように体を傾けると、互いの顔が近づき見つめ合う状態に。その整った顔立ちに綱吉はドキリとして目を逸らしてしまう。

 

 綱吉のピュアな反応に小悪魔のように笑う女の子。お? 照れてるな? とかそんな声が聞こえてきそうだ。

 

「……どうせあんたとはこれっきりだから言っちゃうけどさ。私、父親と最後に会ったの8歳くらいの時なんだよね。だからあっちはその辺で私に会っても絶対わからない。そういうの考えると結構キツイんだ。親子なのに名乗らないといけないって変だよね」

 

「写真送ったり、連絡とか取ってないの?」

 

「……うん。離婚して出て行っちゃってそれっきり。今はもう再婚してあっちに家族もいるみたい。そもそも今回父親には行くって言ってないの。ただ今年は受験生になるし、その前に一度会ってスッキリしておこうかなって」

 

 女の子の声が震えている。何に怯えているか綱吉にはちゃんと理解出来ていた。

 

 だが自分の父親家光も似たようなものだった。母親とは連絡を取っていたらしいが、息子である自分とは何ひとつ無かったのだ。それでも今はちゃんと想い続けていてくれた事を知っている。ゆえにもしかしたら女の子の父親も、という希望は抱かなくもない。

 

「……無責任に『きっと大丈夫だよ』だなんて言えない。て言うか俺にはキミが踏み出そうとしている方に背中を押す事くらいしか出来ない。進むにしても退くにしても応援するよ」

 

「退く? そんなのあり?」

 

「ありだよ。前に友達に言われたんだ。逃げちゃえば良いじゃんって。それが俺、結構心に刺さったんだよね」

 

 綱吉が気休めの言葉で濁さずに真剣に応えてくれた事が嬉しかったのか、女の子は「ありがと」と柔らかな微笑みを見せてくれた。今日見せた勝気な笑顔、小悪魔な笑顔とは違い心を奪われそうな笑顔だ。

 

 ところがすぐに目と眉を釣り上げてしまい、綱吉の腕に肘をゲシゲシぶつけ始めた。

 

「つーかさ、私も話したんだからそっちも何か話してよ」

 

「う、うん……」

 

 綱吉は自分の身の上話を語り始める。もちろんマフィアの件は抜かしてであるが、ずっと父親がいなかった話、ちょっと前までは救いようの無いくらいにダメダメだった話、それでも今はたくさん助けてくれる友達がいて毎日が楽しい話。概ねそんな内容だ。

 

「何かこういうの修学旅行みたいだね」

 

 ふとそんな事を口にした綱吉。と言っても男子と女子で夜な夜な語り合う事もないかと思ったところで、

 

「じゃあこうしてみる?」

 

 女の子は体を起こすと2人の間にある肘置きを上げ、続けて自分と綱吉の毛布を2枚使いそれぞれの頭から足元までをすっぽり覆ってしまった。

 

「ちょ、な、何ッ!?」

 

「漫画とかでこういうのあるじゃん。夜回りの先生から隠れる的な? 苦しくない?」

 

「へ、平気……」

 

 綱吉は嘘を吐いた。息苦しくはないにしても全然平気ではない。肩同士がくっつき、耳元で囁かれ、オマケに甘い匂いまでしてくる。

 

 これまでの人生で女子とこんなに接近した経験などないのだ。だが決して嫌ではなかったのは、単にスケベな男だからなのか、隣の女の子に惹かれてしまったのかは判断が付かない。

 

「普段と違う空間だからか変な事しちゃった……。ずっと隣にいたから情が湧いたって言うか、父親の事で共感したって言うか……」

 

「つ、つり橋効果みたいな?」

 

「それも違うかな? 勇気貰えたのが嬉しかったの。それに一緒に話するのも楽しかった。ひとりで飛行機乗ってたら色々考えちゃって、着く前に参ってたかもしれないし。だから隣があんたで良かった」

 

 綱吉の肩に頭が乗せられた。これは嬉しい。だがそれ以上にやばい、今にもアレが出そうだ。思春期なので仕方がない。

 

「あの、ごめんなさい。出ちゃったんですけど……」

 

「出ちゃったって何が? え、まさか、嘘でしょ!?」

 

 出ちゃうモノと言えばアレしかないと思い至り、慌ててガバッと被っていた毛布を外した女の子は綱吉の股間へ目を落とした。が、特に何も無い。

 

「で、出たの? よくわからないけど……」

 

「鼻血出ちゃった……。ティッシュティッシュ……」

 

 女の子が顔を上げればそこには間抜けな鼻血面。芽生えかけていたちょっとしたモノはもはや完全消滅してしまった。

 

「……あんたってやっぱガキだわ」

 

 

 ◆

 

 

 13時間近くのフライトも終わり、やっとこさイタリアの地に降り立った綱吉。それなりに混雑した空港は周りを見渡せば外国人だらけ。普段から外国人と関わる事が多い彼なのだが、目の前に広がる光景に「ここ本当に外国なんだなぁ」と早くも実感し始めていた。

 

 ゲートを一緒に通り少し歩いたところで女の子が足を止めた。

 

「じゃあ私行くから。また会えたら良いね」

 

 ここで女の子とはお別れだ。結局互いに名前も知らないままであったが、旅の出会いはむしろそれで良いのかもしれない。綱吉に出来るのは彼女が父親に歓迎されるように祈るだけだ。そしてこの地で良からぬ事が起こっているのなら、万が一にも巻き込まれ無いにように全力を尽くしてやるつもりだ。

 

 つもりだったのだが──。

 

「あッ! 俺の荷物!」

 

 白昼堂々。ちょっと目を離した瞬間にスーツケースを現地の男にかっぱらわれてしまった。

 

「ダメツナ。ここは日本じゃねぇんだ、平和ボケしてっと棺桶で帰国するハメになるぞ」

 

「さ、先に言えよ! あーもう、どうすんだよ!」

 

「身をもって経験しといた方が良いと思ってな。頑張って取り返して来い」

 

「ちくしょ〜っ! 中にはパスポートも入ってんだぞ!」

 

 傍観するリボーンに恨みをぶつけつつダッシュで盗人を追い掛ける綱吉。しかし距離は開くばかり。綱吉が鈍足なのを差し引いても盗人が速いのだ。利用客達の間を華麗なフットワークでくぐり抜けるその様は熟練を思わせ、荷物を諦めされるのには十分だ。

 

「やれやれ、いつまで経ってもダメツナだな」

 

 帽子を深く被りため息を吐いたリボーンは懐から取り出した銃を構え狙いを定める。ターゲットはもちろん綱吉だ。

 

 パンッ! という小さな銃声は空港内の喧騒に溶けて消えた。人の間を針穴を通るように1発の銃弾が駆け抜ける。

 

「ギャッ!」

 

 見事後頭部を撃ち抜かれた綱吉は大きく前のめりに倒れてしまった。近くの老紳士が「だ、大丈夫かい?」と声を掛けようとした時──。

 

 

復活(リ・ボーン)ッ! 死ぬ気で捕まえるッ!」

 

 

 勢い良く起き上がったのは額に炎を灯し白目を剥き、おまけにトランクス一丁の綱吉。もはや説明不要の死ぬ気弾による死ぬ気モードだ。突然の奇行を目の前にした老紳士は腰を抜かしてしまった。

 

「うおおおぉぉぉッ!」

 

 そうして荒々しい叫びと共に素足で駆け出した綱吉。先程とは段違いのスピードだ。

 

 

「へへ、楽勝。やっぱ日本人旅行客は美味しいぜ」

 

 逃げ切ったと思い振り返った盗人であったが、ミッションクリアの喜びの笑みはたちまちに崩れる事となる。

 

「な、何だァッ!??」

 

 あまりの驚きに目を飛び出させ心と体が凍り付いてしまった。理解不能。何故パンツ一枚なのか、何故オリンピック選手も真っ青な大ジャンプをしたのか、何故大の字となり自分に向かって落下して来るのか──。

 

 答えの出ないままに、盗人は綱吉の大ジャンプ&ボディプレスの餌食にされてしまった。

 

「うおぉぉぉッ! 捕まえたーッ!」

 

 一撃で盗人の意識を断った綱吉は勝利の雄叫び。シュウ〜ッと額の炎も消えて一件落着だ。

 

「ふぅ、良かった〜。ぐえッ!?」

 

「確保!」

 

「逃がさんぞ、変質者め!」

 

 息をついた瞬間に綱吉へ襲い掛かるのは空港の警備員達。パンツ一枚で空港を走り回ればこれもまた必然。あっという間に綱吉は警備員の山の下敷きにされてしまった。

 

「俺は違うんです! 誤解なんです!」

 

 必死で弁明するも聞く耳持たず。来て早々のトラブル続出に綱吉はイタリアに来た事を心から後悔したのであった。

 

 

 ◆

 

 

「だっはっは! そりゃあ災難だったな!」

 

 車内に響くのは綱吉の父親である家光の笑い声。どうにかこうにか警備員達から逃れた綱吉は、やっとこさ迎えの家光と合流を果たした。

 

「でもまさか父さんがわざわざ迎えに来てくれるなんて。よく知らないけど偉いんでしょ?」

 

「息子がはるばるイタリアまで来てくれたんだ。父親としてこのくらいはやらせてくれ」

 

 ハンドルを握る家光と後部席の綱吉がミラー越しに目を合わせた。割と最近まで家を空けていた父親の事が嫌いであったが、今は素直に嬉しく思っている。

 

 しかし陽気な笑顔の家光であったが、徐々に表情に雲がかかっていった。

 

「済まない。危険な場所に呼び寄せておいて何が父親としてだよな」

 

「今さらかよ。で、俺は何すりゃ良いのさ」

 

「こちらの調査が進むまでは街のパトロールに当たって欲しい。悔しいがそれ以外打つ手が無いのが現状だ」

 

「リボーンと一緒に? 街って言っても俺ここが何処かもわかってないんだけど」

 

 そもそもずっとハワイに行くつもりだったのだ。ガイドブックのひとつも読んでおらず、今この国にいる人間で最もイタリアについては無知識であろう。

 

「いや、リボーンには別の調査を頼む事になる。心配するな、ちゃんと現地に詳しいパートナーは用意してある」

 

「じゃあ良いけど……。バジル君とか?」

 

 家光は「すぐにわかるさ」と不敵な笑みをこぼしただけで誰とは答えてはくれなかった。

 

 あまりマフィアマフィアしたのは勘弁して欲しい綱吉であったが、そのパートナーに対面した時には「ゲゲゲ……」と変な声を漏らしてしまった。

 

 

「遅いぞ沢田ッ!」

 

 ホテルへ到着するなり飛ばされた叱責。道路に面した入り口前の階段で腕を組み、目と眉を釣り上げている黒髪のスレンダーな女性は家光の部下ラル・ミルチだ。過去に軍人の教官を務めていただけあり、やたらと厳しい。

 

「えっと、すいません……」

 

 遅いぞと言われても困るのだが取り敢えず謝っておく綱吉。未来の世界でコーチされた経験もあり正直苦手だ。

 

 車から降りたのは綱吉だけであり、家光が車内から顔を覗かせた。

 

「俺とリボーンはこのまま本部へ向かう。ラル、後はよろしく頼む」

 

 続いてリボーンも顔を出し「んじゃ、気張れよ」とあっさりそれだけ。

 

 あっという間に車が彼方へ小さくなっていく。ゆっくりのんびり構えている暇は無いらしい。

 

「オレ達も行くぞ。部屋へ案内する」

 

「う、うんっ」

 

 ピンッと張った背筋でホテルの入り口へ歩き始めたラル。綱吉は遅れないように重たい荷物を抱え後を追った。

 

 チェックインなどは済ませてあるらしく、そのままエレベーターへ。綱吉が壁に背中を預け長い息を吐いていると、

 

「疲れたか?」

 

「あっ、いや、全然っ」

 

 すぐに背筋を伸ばしたるんでませんアピール。しかしラル・ミルチが続けた言葉は綱吉を驚かせもさせ感心させもした。

 

「移動続きだったのに無理をするな。いついかなる時でも動けるように今夜はぐっすり休んで体調を万全に整えろ。それが今お前がやるべき仕事だ」

 

「う、うんっ!」

 

 エレベーターを降りた2人は部屋の前へ。ラル・ミルチが鍵を開けて入室。

 

「ねぇ、ラル・ミルチの部屋は何処? 隣? それに明日何時に起きれば良いの?」

 

 適当なスペースへスーツケースを転がした綱吉。他に確認する事が無いか考えていると、

 

「オレもこの部屋だ。明日は6時起床。寝坊は許さんからな」

 

「えぇッ!?」

 

「甘ったれるな。さっさと寝れば十二分に睡眠は取れるはずだ」

 

「いやちがっ、そうじゃなくて同じ部屋なの!?」

 

「眠っている間にあの世に行きたいのか? 今はそういう可能性もある非常事態という事を忘れるな」

 

「確かにそれはそうだけど……。でもやっぱコロネロに悪いんじゃ……」

 

「ガキが。20年早い、キサマなど赤ん坊と同じだ」

 

(あ、赤ん坊と結婚するくせに……)

 

 綱吉の気遣いは一蹴。飛行機でもガキっぽいと言われた事もあり結構(こたえ)たり。もう風呂入って寝てしまおうと、丸めた背中で浴室へと消えて行くのであった。

 

 

 

 綱吉がひと足先に眠りについた頃、ラル・ミルチはシャワーを浴びていた。布団を頭から被って饅頭みたいになっていた姿を思い返してやや視線を落とす。

 

(20年は言い過ぎだったか? アイツも一応は男。安いプライドを傷付けないためにも10年にしておくべきだったかもしれんな)

 

 年頃男子の気難しさに肩をすくめる。そして髪を洗おうとシャンプーに手を伸ばそうとした時だ。

 

 磨りガラスの曇った浴室ドアの向こうにぼやけた人影が見えた。

 

(沢田? いや──)

 

 ハッとして体を硬直させた。ぼやけていても色が明らかに綱吉の着ていた服では無い。

 

「だ──」

 

 腰を落とし、誰だと叫ぼうとした瞬間には力任せにドアが開けられ──、

 

「むぐッ!?」

 

 突如浴室内に突入して来た何者かに口を塞がれた。いついかなる時でも戦場に身を置く心構えのラル・ミルチが反応出来なかった。それ程までに突入からの一連の動作は迅かった。

 

 口元を手の平で塞がれたラル・ミルチはそのまま片手ひとつで持ち上げられていく。引き剥がそうと必死で抵抗を試みるがビクともしない。

 

「初めまして」

 

 薄ら笑いを浮かべている侵入者の口がニタリと開いた。濃い緑色のローブを纏い、フードを深く被った魔法使いのような男。ゾマを殺ったローブ男と同じ姿だが、同一人物かどうかは定かではない。そしてその腕力は魔法使いなどとは到底呼べやしない、豪腕の戦士のそれだ。

 

「そして」

 

 ローブ男の空いている右掌がラル・ミルチの引き締まった腹にかざされた。息を飲む。このままでは殺られるのは火を見るよりも明らか。

 

「さような──、ガッ!?」

 

 宙ぶらりんながらも渾身の力を振り絞った膝蹴りがフード男のアゴを見事に捉えた。それと共に拘束から解放、浴室タイルに足腰を打ち付けた痛みの中で「ぷはぁッ!」と久しぶりの空気を目一杯に吸い込む。

 

 フード男はドガシャンッ! と浴室ドアもろとも洗面所へ吹っ飛んで行ったが大して効いていない。それどころか「そうこなくっちゃ」と言った喜びさえ伺わせる。まるでゲームだ。

 

 狭い浴室では勝機は無いと見たラル・ミルチはびしょ濡れの裸だろうが構わずその場を飛び出した──。水滴を撒き散らしながら、綱吉が既に殺られていない事を祈ってベッドを目指す。

 

「敵だッ! 起きろ沢田ッ!」

 

 寝室へ駆け込むと共に証明をつける。取り敢えず最悪は無かった。部屋中央のベッドには綱吉が目をこすりながら体を起こしている場面があった。さすがに音が響く浴室から大きな音がすれば毎日寝坊のダメツナでも起きてくれる。

 

「て、てき……? どわぁッ!? な、何なのッ!?」

 

 何なの、とはラル・ミルチの素っ裸を目の当たりにしての事だ。寝ぼけ眼は一瞬で覚醒。だが愚かにも敵が迫る中にも関わらず両腕で顔を隠し、見てないアピールを始めてしまう。

 

「目を開けんかバカ者!」

 

「見ない! 絶対見ない!」

 

 2人がそんなやり取りをしている間に、ローブ男が部屋に足を踏み入れようとしていた。ギャハハ、と下卑た笑い声をあげ、いつでも殺れるという自信が漂っている。

 

「な、なにアイツ!? 本当に敵なの!?」

 

 ようやくの状況把握。慌てふためく綱吉へとローブ男が迫る。問答無用のとてつもない速さ、身を低くした床のひと蹴りで既に綱吉の眼前──。

 

「しまったッ!?」

 

 失着だ。綱吉が戦闘態勢に入るまでの時間を稼ぎ損ねたのだ。ラル・ミルチはローブ男をあっさり素通りさせてしまい、届かぬ手を伸ばして振り返る。が、やはり届かないものは届かない。戦闘態勢に入っていない綱吉の程度は良く知っているゆえに悔やみ、己を呪ってしまう。

 

 そしてラル・ミルチの伸ばした手の先では「あわわわわっ!」としている綱吉の腹目掛け、ローブ男が手刀を一気に突き出そうとしていた。

 

「避けなきゃ明日の朝刊載っちまうぜ!?」

 

 しかし次の瞬間にはフードから僅かに覗く口元が驚きの形を示した。当たらなかったのだ。加えて標的にしたはずの綱吉の姿も消え──。

 

 一体何処に、という思考は強制終了。寝室にあるのは瞬時に背後に回り込んだ綱吉が、ローブ男の頭を掴み床に叩き伏せている光景。額に炎を灯した超死ぬ気モードだ。

 

「あ、あの一瞬で……!?」

 

 ラル・ミルチは味方ながらに戦慄に打ち震えた。まさに電光石火。死ぬ気丸抜きで超死ぬ気モードへ移行した事はもちろん、その移行スピードが瞬きひとつ許さないデタラメさ。トドメにその後の回避からの反撃の流れ。いつの間にこれ程の成長をしたのかという気分であった。

 

「お前が行方不明事件の犯人なのか?」

 

 綱吉の声を耳にしながらも何が起こったのかわからないまま床に頬擦りしているローブ男。押さえつけてくる強大なパワーに対して出来るのはかろうじて口を動かす事だけ。

 

「パ、パンツ野郎じゃなかったのか……!? 詐欺じゃねぇか、こんなの……!」

 

 この場に似つかわしくない単語に拍子抜けしたが、そのセリフは綱吉のボンゴレ10代目といった背景を知らずに襲った可能性を意味している。となると余計にわからず、いくらなんでも盗人の敵討ちとは思えない。

 

「空港で見ていたのか? 俺を襲った理由は何だ」

 

 頭を押し付ける力が強まりローブ男のうめき声が大きくなった。

 

「く、糞でも喰ってろ」

 

 ローブ男の口元に笑みが作られた。しかしその時後ろでハッとした顔をしたのはラル・ミルチだ。

 

「何だ!?」

 

 彼女の位置からは綱吉の背後の空間に赤い紋様の描かれた大きな円が音も無く出現したのがハッキリ見えた。何かはわからない。だがこの状況、やばいモノに間違いないと判断する他ない。

 

「離れろ沢田ッ!」

 

 ラル・ミルチの叫び。直後、円の中から轟音と共に飛び出したのは巨大な赤い光を放つエネルギー波。

 

「チッ!」

 

 舌打ちをひとつ、ローブ男から離れてギリギリの回避。対象を見失ったエネルギー波は部屋の壁へ吸い込まれるように直進──。

 

 次いでホテル全体が揺らぐような豪快な爆発、爆熱──。

 

「ラル無事か!?」

 

 綱吉は煙の中にいるであろうラル・ミルチに呼び掛けた。咄嗟に炎のバリアを展開していたので、後方にいた彼女は無事であろう。

 

「ああ! それより奴を逃がすな!」

 

 煙で見えないが爆発と規模からして壁に大穴があけられた事は想像に難くない。煙幕に乗じて攻撃して来なかったのを考えれば、逃走の二文字が脳裏によぎるのは必然。

 

 綱吉は爆発のあった方向へと駆け出した。

 

 足が縁を感じた。強く踏み切り外へ飛び出すと、両の掌から放出される炎の推進力でホテル屋上の高さまで上昇、急いで周囲に目を向ける。

 

「見つけた!」

 

 ビルからビルへ、忍者のように屋上へ飛び移っていく人影。地上の人混みに紛れなかったのは皆が足を止め爆発先を見上げているからだろう。

 

 ローブ男も相当速いがここからの綱吉は別次元。両掌の炎を一気に放出し超加速、まるでコマ送りと早送り並みのスピード差だ。

 

「は、速……ッ。マジで何者だよ……」

 

 とてつもないプレッシャーを感じて振り返ったローブ男は、猛スピードで迫り来る綱吉を見据えた。

 

 懐から取り出したのは小さな赤い宝石、賢者の石。

 

「Aランクだが出し惜しみしてらんねぇ……」

 

 賢者の石がひとりでにパキンッと砕けた。直後、胸元で構えた両掌の間に出現したのはスパークを帯びた光球。

 

「死んだぞテメー!」

 

 光球より放たれたのは巨大竜巻状のエネルギーの塊だ。ソフトボール大の光球が、ビルひとつ程度であればあっさり飲み込んでしまいそうな巨大な代物を発生させた。それがうねりを上げ、周囲に強烈な激風を撒き散らしながら綱吉へと襲い掛かる。

 

「こ、これは……!?」

 

 目と鼻の先まで距離を詰めていた綱吉はまさかの現象に目を見開いた。こんな大規模な攻撃を過去見た事がない。

 

 それでも回避は選ばない。ここで逃がす隙を与える訳にはいかないのだ。未知なる力による攻撃に対してあまりに迂闊かもしれない。しかし彼の直感が何とかなると告げていた。ならばそれを信じて突き進む──。

 

形態変化(カンビオ・フォルマ)ッ!」

 

 右手のグローブが眩い光と共に形状を変化させる。

 

 赤いグローブが形を変えた姿──、白く輝くそれは初代ボンゴレがフルパワーの一撃を放つ際に顕現させたとされる必殺の武器Ⅰ世のガントレット(ミテーナ・ディ・ボンゴレ・プリーモ)

 

 ガントレットが炎を纏う。超高密度、超高純度な透き通った大空属性の炎。

 

 眼前迫る竜巻の中心に振り下ろすのは最強の拳──。

 

ビッグバン・アクセル

 

 あまりにもあまりな勝負。巨大竜巻に対してたった拳ひとつで挑まんと言うのだ。だがサイズの差が威力の差ではない。

 

「うおぉぉッ!」

 

 大気が震え上がるような激突──、だが破れず。

 

 否、連撃──。

 

バーニング・アクセル

 

 撃ち放つ究極の二連撃は森羅万象、全てを凌駕する──。

 

 拳に貫かれ、弾けるように細かく拡散した巨大竜巻型のエネルギーの残骸が月と街の光で煌めいている。

 

「バカな!? アレを消し飛ばしただとッ!? 街すらひとつ消せるAランクの石だぞ!?」

 

 そんな幻想的な光景もローブ男にとっては悪夢。天変地異どころではない巨大竜巻が消失し、夜風と共に霧散していく様は悪夢以外の何物でもなかった。

 

 

 ビルの屋上へ降り立った綱吉。奥の手中の奥の手が破られたローブ男はゆっくり後ずさるのみ。これまで狩っていた連中とは別格が過ぎる思いだ。

 

 ガントレットから赤いグローブへ戻した綱吉が銃に似せた形で右手を構える。ボンッ! と指先から撃ち出されたのは小さな炎の弾丸──。

 

 目にもとまらぬ速度を誇る炎の弾丸がローブ男のフードをかすめた。

 

「……逃げられると思うな、大人しく投降しろ」

 

 追い詰められたローブ男であったが、たちまちに口元が綻び、ニヤリとした笑みを作り始めた。

 

 と同時に綱吉の頭上から音もなく何かが降り注いだ。小さく横へ飛び間一髪かわせたが偶然だ。ローブ男の表情に嫌な予感が走ったと言う他ない。

 

 膝をついたまま自分の立っていた場所に目を向けると、ビルの屋上に刺さっているのは氷柱(つらら)のようだった。頑強なコンクリートに突き刺さる鋭さに綱吉はゾッと血の気が引いていく。

 

「仲間か……」

 

 ローブ男に注意を払いつつ周囲を警戒。綱吉を囲むように現れたのは計4人の同じローブ姿の男達だ。

 

「へへ、助かったぜ。まさか助けに来てくれるとはな。さぁやっちまおうぜ! コイツなら壊れない完全な石を作れるはずだ」

 

 仲間が助けに来てくれた事に胸を撫で下ろしたローブ男。先ほどまで怯えていたのはどこへやら、形勢逆転と言わんばかりに勝気な態度だ。

 

「これで5対1。悪いがおしま──」

 

「間違えるな。3対1だ」

 

「ど、どういう意味だッ?」

 

 途中で言葉を遮った綱吉へとローブ男が怪訝な声で問いをぶつけた。だがその答えは次の瞬間には自分の目で確認する事となってしまった。

 

 ドサッ、ドサッ、と助っ人に現れたはずのローブ男達が声も上げずにその場に倒れ伏していくのだ。さらに倒れた彼らが時間差で分厚い氷漬けにされていくオマケ付き。

 

「もう2人やってある。俺のスピードを甘く見るな」

 

 言い放った綱吉を前に、騒つくローブ男達。口元にあったはずの笑みは完全に失われていた。

 



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3話 ツナ君キスをする

 イタリア市街地に並び立つ高層ビルのひとつ。その真夜中の屋上にて、綱吉はローブを纏いフードを被った謎の襲撃者を追い詰めていた。

 

 ローブ男は5人。内2人は綱吉によりいつの間にか氷漬けにされ行動不能。そして残った3人が直面しているのは絶望だ。素材アイテム集めにモンスターを狩っていたら、到底歯が立たないボスモンスター、いやラスボス、いやもっと飛ばして次回作の隠しボスが現れた心境だった。

 

 

「お、お前らAランクの賢者の石どれだけ残ってる……? 俺はゼロ」

 

「1個だ……」

 

「俺も……」

 

 屋上中央で3人がヒソヒソと相談中。10メートル程離れた綱吉は腰を落とし構えており、それ即ち口の中に拳銃を突っ込まれているのと何ら変わらない。彼らは既に綱吉にはこの程度の距離はあってないようなものだと体感済みなのだ。

 

「よし、なら俺が囮になるからAランク同時にぶちかませ。散ッ!」

 

 作戦決行、囮を買って出たローブ男が力強く右足を踏み出したその時──。

 

 ゴッ! っという鈍い音──。本当に10メートルの距離など何の意味も無かった。あらかじめ展開しておいた3枚重ねの防護障壁など障子の張り紙同然に破られて、気が付いた時には綱吉による超スピード突進からの肘打ちがローブ男の顔面に突き刺さっていた。

 

「ガ……ッ!? は、速ぇんだよテメェ!」

 

 綱吉の手加減に加え、銃撃すら無効化する強靭なローブに守られ大ダメージには至っていない。大きく仰け反ってしまったが、上体の反動をつけて槍の如き鋭さの手刀を綱吉へと突き放つ。

 

(頸動脈一点狙い! つかどっか当たれ!)

 

 しかし願い虚しく紙一重。僅かに首を傾けるのみの動作でかわされ、と同時に繰り出されていたのは右拳によるカウンターだ。たったそれだけの交錯でわかる圧倒的戦闘センスの差に先に心が折れそうになる。

 

(よ、余裕かよ……)

 

 顔面に拳をめり込ませながら、かすかに見えた綱吉の表情からは、必死さなど微塵も感じられない。まるで全力を出していないのだ。これまで狩っていたマフィアとは桁違いの強さである。

 

 ゴシャアッ! と耳に優しくない音と共に頭から地面に叩きつけられたローブ男。だが地に倒れながらも執念で綱吉の片足にしがみついた。

 

「離せ!」

 

 足から引き剥がそうとする綱吉。だがすぐにハッとして残った2人に目を向けた。

 

 2人の片掌に乗っている赤い石──、賢者の石が赤いスパークを帯び強大なパワーを生み出していく。何かとてつもない攻撃をしようとしているのは一目瞭然であった。

 

「仲間ごとやる気か!」

 

「クケケ、離さねぇ……! 絶対離さなぇ……!」

 

 足下を一瞥すれば薄気味悪くにやついたローブ男が足にしがみついている姿。こちらも死を覚悟している──、綱吉にはそう映った。

 

「消えろ化け物!」

 

 石が砕け散った次瞬、空間に出現した赤い輝きの魔方陣から解き放たれたのは、禍々しい黒の渦を帯びた真紅の破壊光線。それが2発だ。空と街を不気味に赤く染め、ビルの屋上を大きく削りながら綱吉の身に襲い掛かった。

 

 それでもこの時点ではたとえ足を掴まれていようとも、避けられない事もなかった。しかし避ければ後ろに見える街がどうなるかわかったものではない。

 

 1発なら空の彼方へ弾けるかもしれないが2発は無理。よって綱吉に出せるカードは正面切っての防御ただ1枚。

 

 だがその1枚、絶対の防御を誇る最強の1枚だ。

 

「守れナッツ!」

 

 綱吉が叫んだ直後、2つに重なる破壊エネルギーが彼の身を飲み込んだ。

 

 直撃。大きくビルが揺れ、ドーム状に爆発が広がる──。

 

 ローブ男達の前には勝利確定に等しい光景。爆風でフードがめくれ、晒した瓜二つの顔面に熱風を浴びながら恍惚とした笑みを浮かべた。

 

「やったか!?」

 

「ああ。いくら奴が化け物とは言え、あれを受けてはひとたまりもあるまい」

 

「しかしもったいなかったな。奴を素材にすればSランク以上の石が作れたのに。これじゃあまず木っ端微塵だぜ」

 

「だな。Aランク石も使っちまったし、収穫ゼロの大赤字だ」

 

 そんな勝利の余韻は突如として終わりを迎える。

 

 このまま屋上全土を消滅させるまで広がり続けるかと思われたドーム状の爆発──、それがまるで神の息吹でも受けたかのように、細かな火の粉となって消失してしまった。

 

 ローブ男達が目の当たりにしたのは、黒いマントを大きくひるがえしただけで強大な爆発を消し飛ばしてしまった綱吉の姿。

 

 次の瞬間には2人のローブ男は背を向けて逃げ出していた。バカな!? などと驚きの言葉は必要なかった。そんな事を口にする時間すら惜しかった。規格外、これは勝てん、彼らは瞬時にそう悟り、逃げの1手を打っていた。

 

 

 忍者のように建物に飛び移って行く連中を綱吉は追えなかった。追わなくてはと思っているのだが、足が言う事を聞かないのだ。

 

 捨て身の作戦で自分の足を掴んでいたローブ男の手はとうに離れている。そしてその彼の体は、胸から下が綺麗さっぱり消滅していた。

 

 敵でも味方でも、綱吉は人の死に慣れていない。リアルな死体を目にしたのさえ初めてだ。

 

 胸の奥にズシリと重たい物が置かれ、息が荒くなる。どうにか死なせずに済む方法があったのではないかと、頭がグチャグチャになる。

 

「ご、ごめん……」

 

 足元の見るに耐えない亡骸に綱吉は小さく呟いた。目を強く閉じて何度も同じ言葉を口にした。

 

 だがそんな綱吉をあざ笑うように──。

 

「じゃあ死ネッ!」

 

 突然ガバッと顔を上げたローブ男。その驚愕は綱吉の心と体に一瞬の硬直をもたらした。

 

 一瞬で十分、訪れた千載一遇の好機にして勝機。ローブ男が素早く懐から右手いっぱいに掴み取り出したのは、10はあろうかという賢者の石だ。

 

「全部やらあァッ!」

 

 そのまま無造作に綱吉の腹に押し付ける。虚を突くゼロ距離爆撃、防御も回避も許さない──。

 

 腹と掌の隙間から漏れる赤い光が綱吉の顔を絶望色に染め上げ、幾重にも重なる轟音が夜の街に響き渡った。

 

 先の爆発により酷く尖ったコンクリートを水切りのように跳ねながら大きく吹き飛ばされた綱吉。もはや腹部があるのかないのかもわからない。ただ死ぬ程に熱く、全身も地面の摩擦でズタズタとなっていた。

 

「つ……」

 

 かろうじて片目を開ければローブ男の身体がみるみる内に再生していく目を疑う光景。形勢がひっくり返り、一気に絶体絶命の危機だ。

 

 再生を終えたローブ男は勝ち誇ったセリフも何も無しに、綱吉へトドメを刺すべく駆け出していた。服までは再生出来ていないため、おそろしく間抜けな格好であるが、互いにそんな事を気にしている余裕は無かった。

 

(すぐ刺す! コイツは何するかわかったもんじゃねぇ!)

 

 ボロボロの懐から取り出したのは何の変哲も無い小さなナイフだ。しかしそのナイフは人間を賢者の石の素材となる赤い塵へと変える代物である。だが相手を大きく消耗させないと効果が無いため、ここでようやく出番が来たわけだ。

 

 力を振り絞り立ち上がった綱吉の足下には血溜まりが出来上がっている。目が霞み、膝も笑っており、もはや満身創痍。

 

 小さく後ろへ飛び、水平に払うように炎を帯びた右手を振るう。ボワァッ! と展開されたのは炎の壁。だがパワーが弱い、構わず炎を突っ切って飛び出されてしまった。

 

 そして迫るのは一撃必殺となるナイフのひと突きだ。

 

 ナイフの切っ先が綱吉の左腕、肘の上あたりを切り裂いた。傷は浅い、それに今さらかすり傷のひとつやふたつ、どうと言う事はない。しかし綱吉は知らない。そのナイフにどんな効果があるのか全く知らないのだ。

 

 左腕に違和感を感じたのはそれから間も無く、やたら前へ前へと突っ込んでいたローブ男が急に大きく距離を取った時であった。

 

(ど、毒か……!? いや違う──? これは一体……!?)

 

 目を向けた先にはボロボロと赤い塵となり崩れ散っていく左腕──。こんな現象見た事も聞いた事もない。

 

 左腕肘下から始まった分解。どこまで広がるのか、いつ止まるのかわからない。見当も付かない。まさか、まさかと鼓動が早まる。

 

「何を──」

 

 少なくとも、勝負の決着が着いたと同義な程にヤバイ状況だと言う事がハッキリした。それはローブ男の腰に手を当てた余裕のポーズが物語っている。

 

「何をしたッ!」

 

 ローブ男は無言である。口を閉ざしたまま、綱吉が散らす赤い塵を掌上に吸い寄せているだけ。

 

 それは綱吉を超が付くほどに危険な相手だと思っている故だ。冥土の土産にペラペラ喋れば何処から綱吉が光明を見出すかわかったものではない。だったらこのまま不安と謎を抱えたままにさせておくのがベストだと判断していた。

 

 現に綱吉は焦りで思考が定まっていなかった。頭の中では「落ち着け」がひたすら繰り返され、

 

(かすった程度で死に至る程の武器があるなら、とっくに使っていたはずだ……。しかしこれ以上分解が進めば──)

 

 ギリッと強く奥歯を噛み締める。迷っている時間は無い。

 

 綱吉は左腕の武装を解除、同時に右手に爆発的な炎を宿した。ローブ男に軽やかに距離を取られるが、今は眼中に在らず。見据えるのはただ一点だ。

 

「…………」

 

 息を止め、高く振り上げた炎を纏った手刀。すぐにやらなければ取り返しが付かない事になる。だが、だが、だが──。

 

 母親は泣くだろうし、父親もイタリアに呼び寄せた責任を感じるかもしれない。獄寺や山本は何を思うだろう。京子は、ハルは──。

 

(やれ……! やれ……! 後の事を考えるな……!)

 

 このままではその後さえも無い。浮かんで来る大切な人達の顔を振り払い、元を断ち切らんと一気に手刀を振り下ろした──。

 

 

 

 

 

 

 飛びそうな意識を唇を食い縛り繫ぎ止める。光が消えかかった瞳に映るのは、手の届かない位置で転がり、尚も赤い塵と化していく左腕だった物体。

 

 

「ま、まさか腕を切断するとは……。最高にクレイジーじゃないか」

 

 これにはローブ男も唖然。しかし既に重傷を負っていた状態からの左腕切断のダメ押しだ。だったらもう1度ぶっ刺してやるとナイフを構えるのだが、

 

(いや、待て……)

 

 チラリと目を向けた屋上端。そこにあるのは助っ人に駆け付けたと同時に氷漬けにされた仲間であるローブ男2人の姿。

 

(あれがヤバイ。おそらく地面にひっそり冷気を走らせ、瞬間的に爆発させる技。あれを喰らえば再生も糞もねぇ、ジ・エンドだ)

 

 後ひと押しなのだ。だがその欲は抑える。綱吉に再生能力がバレた以上、その手の技を使われる可能性大。

 

(つか初見殺しの隠し玉ももうねぇし、ここはSランク相当の腕1本分で良しとすべき! つー訳で逃げるぜ!)

 

 冷静に逃げを選択したローブ男。彼に取っては十分に黒字の戦果だ。

 

「ま、待てッ!」

 

 右手を小さくなっていくローブ男の背中へ伸ばす綱吉。しかしもう追い掛ける力は残っていない。あっという間に姿を消され、ガクリと力無く両膝をついた。

 

 アドレナリンが下がったためか、全身の痛みが膨れ上がるように増した。冷や汗が止まらない。大きく肩で呼吸を繰り返しながら、改めて自身の惨状に目を向ける。

 

 左腕は焼き切った為に出血は無いのだが、腹部は別だ。さすがに血を流し過ぎた。死は刻々と近づいており、早いところこちらも焼くなりして止血しなければならない。考えただけで生き地獄だ。そしてそこまでやっても左腕は無いままなのだから本当に泣きたくなる。

 

 

 ようやく仲間が駆け付けてくれたのは、それから数分が経過した頃であった。

 

 戦いの最中に変形してしまった屋上の扉が蹴り飛ばされ、姿を現したのはラル・ミルチであった。大急ぎで来たのか、ゼェゼェと息を切らしている。

 

 ホテルにて2人はローブ男の襲撃を受け、その後綱吉は逃走したローブ男を単独で追跡し今に至る。ラル・ミルチは遅ればせながらの登場という訳だ。

 

「さ、沢田……!? おいッ!」

 

 暗くてわからなかったのか、綱吉の異変に気が付いた彼女は傍らで足を止め愕然と立ち尽くした。血塗れの上に左腕が無い、まさかこんな事になるとは想像もしていなかった。

 

 そしてすぐにハッとして、しゃがみ込み容態をチェックし始めたのだが、

 

「出血は止まっている……? どうやって……? ま、まさかお前、自分で焼いたのか……!?」

 

 ラル・ミルチの声は珍しく震えていた。こんな中学生の子供がどれだけの痛み苦しみを味わったのかと、想像するだけで胸が張り裂けそうになった。

 

 そして最初から最後まで綱吉ひとりに全部任せてしまったのだ。何も出来なかった自分が心から許せなかった。

 

「お、お前と言う奴は……! オレを恨め……!」

 

「全部俺が油断したせいだから……。ラルは何も気にしなくて良い……」

 

 掠れた声で小さく首を横に振った綱吉。実際油断が招いた結果だ。八つ当たりするつもりはない。

 

「……ヘリを呼ぶ。それまで頑張ってくれ」

 

 ラル・ミルチが携帯を取り出した時だ。

 

 その時、ハラリと──。

 

 2人の膝下に白い羽根がゆっくりと落ちてきた。

 

 釣られたように綱吉が死んだ瞳で見上げれば、そこには天使が──。

 

 小さな天使の翼を背にして、空から舞い降りて来る者がいた。

 

「やあ綱吉君。調子はどうだい?」

 

「白蘭……」

 

 瀕死の綱吉の前に降り立った、ニッコリ笑顔の若い白髪男。彼の名は白蘭。綱吉が「何故ここに」と聞く前に彼の方から語り始めた。

 

「実は仲間に連中を追わせててね。今からアジトでも叩いてやろうかと思ってるんだけど、キミも一緒にどうだい?」

 

「何だとキサマ! 沢田の状態を見てから物を言え!」

 

 飄々(ひょうひょう)としている白蘭に声を荒げたのはラル・ミルチだった。

 

 それに続いて綱吉は目を伏せ、

 

「悪いがこのザマだ。役に立てそうもない」

 

「そうかい? だったらそんなキミに丁度良い物があると思うよ?」

 

 軽く肩をすくめた白蘭は綱吉に背を向けたかと思うと、屋上の端で氷漬けになっているローブ男の元へ歩き始めた。

 

 

 

 

 

「違和感あるかい?」

 

「いや、全く……」

 

 自身の左手を閉じたり開いたりしている綱吉は驚きを隠せない。本当に魔法のようだ。

 

「すごいだろ? 賢者の石の力」

 

 先程白蘭は氷漬けのローブ男を解凍し、懐から賢者の石を拝借。その力であっという間に綱吉を全回復させてしまった。切断した左腕も中々グロテスクな光景であったが元通り再生したのだ。

 

「良かった……。安心したぞ……、沢田」

 

「あ、ああ……。済まない、心配を掛けた」

 

 ラル・ミルチが胸に頭を埋めて小刻みに震えてくるものだから、目を丸くしてしまう綱吉。怒られるかもしれないが、つい魔が差してそのまま頭を撫でてみたり。

 

(コロネロ、済まない……)

 

 夜空にコロネロの顔を思い浮かべた綱吉は次に白蘭へ視線を送った。

 

「お前、あの石を知っていたのか?」

 

「これでも8兆のパラレルワールドを支配していた男だからね。そのくらいの知識はあるさ」

 

「ならどうして未来の戦いで使わなかった? あれを使えばもっと有利に事を進められたはずだ」

 

「作るのがとっても難しいんだよ。賢者の石はもちろん、キミを赤い塵へ変えたナイフの方もね。ナイフの材料の材料、そのまた材料から作らないとならない気の遠くなる話さ。それに他にも諸々と同様に──。少なくとも、ポッと出の僕に作れる代物では無かったよ」

 

 先程ローブ男が左腕の塵を吸い寄せていた意味がわからなかったのだが、腑に落ちたと同時にとても聞き捨てならない発言であった。

 

「あの赤い塵が石を作るのに必要って事は、連中はそのために人を襲っているのか?」

 

「あれは一部界隈では万物の元、プリマ・マテリアと呼ばれる物質だ。つまり人間以外からでも採取は可能なんだよ。ただ品質の良し悪しだろうね。彼らは良い賢者の石を作るには、強い人間から取れる赤い塵がベストだと判断したのさ。それがマフィアが狙われた理由だと僕は読んでるんだけど」

 

「それでイタリアのマフィアを……。酷い話だ」

 

「ハハ、他人事だね。でも1番不味い状況になっているのはマフィアの国イタリアとも限らないよ?」

 

「どういう意味だ?」

 

 綱吉の問いに対する答えは返されなかった。その代わりとして、

 

「そろそろ行こうか」

 

 白蘭の言葉にコクリと頷いた綱吉。ところがラル・ミルチに服を掴まれてしまった。

 

「待て。いい加減お前は休め。後はオレに任せろ」

 

「僕はどちらでも構わないけど、空も飛べないキミじゃねぇ。待ってるのもかったるいし。て言うか連中相手じゃ足手纏いになるだけだと思うよ?」

 

 ふふん、と白蘭から嫌味を挟まれたラル・ミルチは俯いて押し黙ってしまう。

 

 綱吉は酷く悔しそうな面をしているラル・ミルチの前髪にそっと触れ、

 

「俺なら大丈夫だ。ラルは捕らえてある奴らの事を頼む」

 

「……わかった。絶対無事で帰って来いよ」

 

 

 その直後、綱吉は突然の事に頭が真っ白になった──。

 

 

 ラル・ミルチに唇を重ねられたのだ。それは俗に言うキスと呼ばれる行為である。無論、綱吉にとっては初めてである。オマケに結構長かった。

 

「お前が無事に帰って来られるようにと、まじないのような物だ。嫌だったら悪い事をした……」

 

「い、いやじゃない……。えっと、う、嬉しい」

 

 混乱収まらない中、どうにか返事を返した綱吉。それを受けてラル・ミルチは「そうか」と少しだけ口角を上げた。

 

 キスをして来た張本人は特に照れてもいないので、大方言葉の通りだ。さすがにコロネロには悪いとは思っているが、それでも綱吉のあんなズタボロ瀕死な姿を見た後で、このまま何もせずに行かせたくなかった。

 

「じゃ、じゃあ……、行って来る」

 

 赤くなった顔を隠すように、綱吉はラル・ミルチに背中を向けると、今度は白蘭からがっしりと肩に腕を回されてしまった。

 

「おいー、綱吉君〜。おいー。えぇっ? おいー」

 

「な、何だよ、さっさと行くぞっ」

 

 綱吉は白蘭に変なノリでからかわれながら、星が輝く夜空へと飛び立つのであった。

 

 

 ◆

 

 

「待ってたぜ白蘭様」

 

「やあご苦労様」

 

 長い飛行の後に地上へ降り立った綱吉と白蘭。ローブ男を追跡していたという、曲がり角の陰に潜んでいた男が声を掛けて来た。綱吉は知っている赤髪の屈強そうなその顔を見て、名を口にしようとするが出て来ない。

 

柘榴(ざくろ)だ。忘れんな」

 

 柘榴──。未来世界では白蘭への忠誠を見せるために己の故郷を滅ぼした恐ろしい男だ。

 

 彼らはローブ男が入ったという街中に構えた1階建の建物前にいる。隠れ家アジトというよりも、堂々とした研究施設といった印象だ。

 

「じゃ、入ろうか」

 

 軽い足取りで閉ざされた正面の門へ進み始めた白蘭と柘榴に綱吉が待ったを掛ける。

 

「いきなりだな。作戦とかは立てないのか?」

 

「この面子ならいらないでしょ。敵が出て来たら倒す、単純なものさ」

 

「つー訳だ。チンタラしてんな」

 

 鉄門を軽々と飛び越え進んで行く2人。仕方が無い、と綱吉は彼らの後を追った。

 

 

 

 一体何が待ち構えているかと思えば、中はあまりにも普通で綱吉には拍子抜けだ。目の前に広がったのは普通に白衣を着た職員達が普通に残業お仕事中の光景。何処をどう見ても悪の巣窟とは思えなかった。

 

「さすがにここは違うんじゃないのか……?」

 

「何だァ? てめぇ、俺が見間違えたっつーのか?」

 

 柘榴が綱吉の胸ぐらを掴みかけた時、若い男性職員のひとりが怪訝な顔をして歩み寄って来た。中でもボロボロ血みどろの服を着たままの綱吉に視線を向けている。

 

「誰だい? ここは関係者──」

 

 ドゴッ! という音がしたかと思えば、次の瞬間には男性職員は天井に頭が突き刺さり、ブラブラと首から下を揺らしていた。

 

 そして高く真っ直ぐ右足を挙げているのは柘榴。問答無用でいきなり蹴り飛ばしたのだ。これには綱吉も血の気が引いてしまう。殴り込みに来たにしても、もし間違いだったら大問題だ。

 

「お、おい。本当にここなんだろうな」

 

「間違いねぇ。おそらくこのフロアは世間へのカモフラージュだ。やべぇのは地下。嫌な気配がぷんぷんしやがる」

 

「そういう事。多分皆悪い奴らだから綱吉君もどんどんやっちゃって?」

 

 片っ端から見た目は善良な一般市民の職員達をぶん殴っていく2人。綱吉の常識では考えられない連中だ。

 

 それに「やっちゃって」と言われても手を出せず、綱吉はこの場でクソの役にも立っていない。しかし言われるまでもなく、下から背筋が凍り付く気配が感じられるのも確かだ。

 

 夜間急襲に飛び交う悲鳴、逃げ惑う人々──。

 

「助けてくれー!」

 

「イヤーッ!」

 

「殺さないで! 殺さないで!」

 

 それでも誰ひとりとして警察を呼ぼうとしない。呼ばれて困るのはあちらなのだろう。

 

 しかしフロア中を探しても下へ降りる手段が見つからない。業を煮やした柘榴がデスク下に隠れていた職員の髪の毛を掴み引っ張り出した。さらに壁に顔面をガスガス叩き付け、メガネが割れ、破片が刺さり、顔面血だらけだ。

 

「どうやって下降りんだよコラ。階段も何もねぇじゃねぇかよォ?」

 

「な、ないっ、しらないっ」

 

 続けて白蘭がデスク上の家族写真らしき物を手に取り、

 

「これ、キミの家族? へぇ〜、綺麗な奥さんと可愛いお子さんだね?」

 

「家族には手を出すな!」

 

「で、どうやって下に降りるの? はい、3、2──」

 

「か、隠し……、扉、そこ……」

 

 そんなマフィアらしい方法で、ようやく下へ降りる方法を見つけたのであった。

 

 

 二重三重に隠された上にとてつもなく重たい隠し扉。それを開ければ地下へと続く長い階段──。

 

 相当な深さで終わりが見えない。さらにひとつ段を降りるに連れて嫌な空気が濃くなっていく。

 

「血の臭いがするね。ビビりの綱吉君は帰っても良いよ? 中学生には刺激が強いショッキングなモノがありそうだ」

 

「ここまで来てそんな訳にいくか」

 

「そうかい? じゃあ大変なモノ見ても『俺は人間を滅ぼす! 人間は滅ぶべきなんだ!』か言い出さないでね?」

 

「あんまり脅かすなよ……」

 

 白蘭がそんな事を口にした頃には長い階段は終わりを迎えてようとしていた。

 

 

 階段を抜けるとそこは何もない広い部屋だった。しかしコンクリート製の壁や床の所々に小さなクレーターやヒビ、果ては血痕まであり、覚悟はしていたとは言え何とも不吉な予感をさせる。

 

 ここではローブ男達が待ち構えている様子はない。その代わりに、ズン……、ズン……、というまるで巨大な生き物が近付いて来る足音がこの部屋に届いて来る。

 

「ふぅん、賢者の石だけを作っている訳じゃなさそうだね」

 

 お化け屋敷でも楽しんでいるかのように、白蘭はクスリと笑いをこぼすのであった。

 

 



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4話 殺さずツナ君

 頭部はライオン、体は人間──。

 

 そんな3メートルはあろうかという巨大な怪物が、研究所の地下深くへ降りた綱吉達の前へ現れた。

 

 白蘭と柘榴は「ふーん」とどうでも良さそうだが、綱吉はゲームに出て来るようなモンスターにそこそこの驚きを見せている。

 

「な、何だコイツ……。獣人……って呼べば良いのか?」

 

「連中はこんなのも作ってるんだね」

 

「つ、作る? どうやって?」

 

「そりゃ色々さ。遺伝子をいじくったりとか」

 

 何でも知っている白蘭と違い、綱吉にはサッパリわからない。だが今はどうでも良い事として、目の前の敵に集中する。

 

「お前達、上から連絡があった侵入者だな」

 

「喋った……」

 

 さらにライオンの口で流暢に言葉を発せられ、これまた驚きを重ねてしまう。

 

「もちろん僕達がその侵入者だけど、それで? まさかとは思うけど『死んでもらう』とか言うつもりかい?」

 

 ハハッ、と笑顔を崩さない白蘭。他の2人もデカイだけの雑魚だろうと同様の考えだ。

 

「……そうだな。悪いが見逃す訳にもいかんのだ。恨んでくれて構わない」

 

 どういう訳か、ライオン人間は気乗りしない物言いだ。白蘭はつまらなそうに肩を竦める。

 

「キミは自慢のパワーが僕らに通じず『バ、バカな!? こんなはずでは!?』ってやられるタイプかと思ったけど、ちょっと期待外れだね」

 

「言葉が通じるなら好都合だ。痛い目に遭いたくなければ通してくれ。お前では俺達に勝つ事は出来ない」

 

「言っただろう!? 見逃せないとッ!」

 

 綱吉の言葉に返されたのは、剥き出した鋭く巨大な獣爪による斬撃──。大きく振り上げた右手から、力任せに振るわれた猛獣の武器が綱吉の脳天へと襲い掛かる。

 

 綱吉は避けない。避けるまでもない。軽く左手を挙げ受け止めてやるだけ。今となってはこの程度の攻撃はそれだけで事足りる。

 

 ズゥゥン……! という低い音と共に綱吉を中心に小型のクレーターが出来上がった。ライオン男の強靭な右手は綱吉の頭上で止められたまま、それ以上下へ行く事を許されない。完全に力負けだ。

 

「ぐ……! この小さな体の何処にこんな力が……!?」

 

 だったらと、大きく口を開いて現したのはもうひとつの武器──。獲物を噛み砕き引き千切る、猛獣の牙だ。

 

 噛む力は先の攻撃力の比ではない。右手を受け止めさせたまま、一気に綱吉の頭部を喰らいにいく。

 

 だが次の音はガブリでもグシャリでもなく、ガキィィィン! という上牙と下牙が激しくぶつかった音。即ち不発。

 

 綱吉はライオン男の手を抑えたまま左足を軸に身を引いての回避、互いに同じ高さに頭がある状態から──、

 

「そのまま食い縛っておけ」

 

 綱吉の右拳が爆発的な炎を纏う。狙うはそのデカイ顎、僅かに膝を曲げる動作から、流れるように全身の力で放つ右拳を天へと突き上げた。

 

 人の身のパンチとは思えない豪快な打撃音。顎から脳天へ衝撃が駆け抜け、巨躯が宙へ高く舞った。カタを付ける好機だ。

 

 地へ向けた両掌が煌めいた次瞬、ズバンッ! という空間が弾け飛ぶような音を残して綱吉が姿を消した。

 

 ありえない初速からの上昇で瞬く間に綱吉は天井間際、先に宙へ飛ばされたライオン男よりさらに高位置を取っていた。

 

「うお、あいつハエみてえに速ぇな」

 

 天井の高さは10メートル強、体育館並にある。柘榴は文字通り目にも止まらなかった綱吉のスピードに舌を巻いた。

 

 飛来するライオン男を、体の正面を地に向けて待ち構える綱吉。次いで伸ばされる両腕。右掌を地へ、左掌を天へと構えを取った。

 

 天へ放つのは姿勢制御の柔の炎、そして地へ解き放つのは純然たる破壊力を秘めた剛の炎──。

 

X−BURNER

 

 轟音と共に地下室に顕現したのは炎の柱。右掌から放出された炎はまさにそれであった。ライオン男は全身を飲み込まれ、苦しげな叫びを上げながら地へと焼き落とされた。

 

 X−BURNERは溜めを必要とする技だが、今の綱吉はほとんど溜め無し、せいぜい全力の5%程度の出力しか出していない。

 

 それでも結果はライオン男が地で倒れ伏している姿。立髪や体毛が焼け焦げて煙を立ち昇らせている。百獣の王の威厳は見る影無し、誰が見てもKOだ。

 

 自然落下に身を任せ着地した綱吉へと、やる前から見えていた予想通りの結果に欠伸をひとついれた柘榴。

 

「よっわ。つかまだ息あんぞ、さっさと殺せよ」

 

「……人を殺すのはダメだ」

 

「人? どう見てもモンスターだろ?」

 

「ハハ、綱吉君って本当面白い事言うよね」

 

 白蘭と柘榴に奇異の目を向けられたが、綱吉自身おかしな事を言った実感はあった。それでも先刻ローブ男を死なせて──、と言っても死んだフリからの完全復活をされてしまったが、とにかく敵であったとしても死なせるのは本当に嫌な気分だったのだ。

 

「何とでも言え。どの道コイツはもう戦えない、先へ進むぞ」

 

 綱吉が通路へと続く出入り口へ足を向けようとした時だ。地面にキラリと光る物が目に入った。写真を入れられるロケットペンダントだ。

 

 拾い上げて中を確認しようとすると、

 

「か、返してくれ……。大切な物なんだ……」

 

 倒れたままのライオン男の口から、消え入りそうなか細い声が届いた。

 

「……お前のか」

 

 戦える状態ではない事を再確認した綱吉は、改めてロケットの中に目を落とすと、写真にはメガネを掛けた大人の男、そして5〜6歳の小さな女の子が共に写っていた。

 

「……お前の飼い主だった人達か?」

 

 綱吉の言葉に手を叩いて笑い始めたのは白蘭だ。

 

「飼い主だって! 超面白いよ今のギャグ! 綱吉君、キミはこのライオンを一体何だと思ってるんだい?」

 

 何だと言われてもわからない。突然変異で生まれて来たライオンなのか、ライオンを改造したものなのか、それとも別の世界からやって来たものなのか──。

 

「改造されたライオン……?」

 

「違う。改造された人間だよ。人間にライオンの遺伝子を組み込んだ合成獣(キメラ)ってやつさ。もちろん綱吉君の言う通りそのパターンもあるけど、これだけ流暢に喋れるのは人間ベースでまず間違いないね」

 

 自信なさげにも最も可能性を感じた回答をした綱吉であったが、白蘭のセリフに「えっ……」と耳を疑った。

 

「人間……? 人間だったのか……? そんな事って……」

 

「写真は……、俺と娘だ……。ずっと昔のだが……」

 

 綱吉は写真の男とライオン男を交互に驚きに大きく開いたままの目を移すが、当たり前だが面影は全くない。

 

「どうして……? に、人間だったんなら、何故こんな所で、そんな姿で……」

 

「昔はここも普通の生化学の研究所だったんだ……。俺はいち研究者として長くここに勤めていた。だがある日、出資者と所長が変わってからこの研究所は一変した……。人の倫理を外れた研究に着手させ、逆らえば俺のように怪物にされてしまう。上に残っている連中は高い給料に目が眩んだ糞さ」

 

「つってもオメェよ。俺らの事殺す気だっただろうが」

 

「……家族を人質にされているんだ。許してくれとは言わん」

 

 柘榴の問いに返された言葉に、綱吉は手にしたままのロケットに細めた目を向ける。

 

「この写真の女の子か?」

 

「それは──」

 

 ライオン男が語り始めようとしたその時──。

 

 パァンッ! という銃声が部屋に響いた。

 

「ぐ……ッ!?」

 

 悲痛な呻き声を上げたのはライオン男。綱吉達の視線が銃声の方向へ集中した。遠く離れた通路出入り口で銃を手にしているのはローブ男だ。

 

「オメェは余計な事喋ってねぇで、暴れて時間稼ぎしてりゃあ良いんだよ!」

 

「キサマッ!」

 

 だが綱吉に矛先を向けられたローブ男は「クケケ」と嫌な笑い声をあげて踵を返してしまう。ご丁寧に頑丈なシャッターも下ろして。

 

「もうちっとそいつらの相手頼むぜ!」

 

 そう言い残し通路へと姿を消してしまった。訳がわからな過ぎる。ライオン男が戦闘不能なのは見て明らか、撃ってしまえばダメ押しだ。

 

「お、おい。大丈夫か……?」

 

 ハッとした綱吉が撃たれたライオン男に視線を戻すと、その様子は明らかに常軌を逸していた。

 

 全身が焼けるように熱と湯気を発し、血管がボコボコと浮き上がっている。目は不気味に真っ赤に光り、牙は剥き出し。単に撃たれただけとは思えず、全く大丈夫そうではない。極め付けにバチバチッ! と全身から赤いスパークを発している。

 

「撃ったのは薬品入りの弾──、いや、この膨れ上がる凄まじいパワーから考えて、中身は液状にした賢者の石だろうね」

 

「つまりどうなるんだッ?」

 

 綱吉が冷静に分析している白蘭にもどかしさを感じていると、

 

「ウガァァァッ!」

 

 大気を揺らす咆哮と共にライオン男が飛び跳ね起きた。それもダメージなどまるで無かったかのように身軽にだ。そしてその瞳からは理性のカケラも感じられない。かと言って野性とも違う。だだ純粋なる狂気、それだけだ。

 

「どうなるかだって? 取り敢えず僕達を殺る気みたいだよ?」

 

 白蘭は身構え、普段のにやけた笑顔はいつの間にか消え失せていた。笑っていられない相手だと既に悟ったのだ。

 

 冷や汗を流す綱吉は声を大にして訴え掛ける。

 

「正気に戻れ!」

 

「いや無理っしょ。もうコイツ戻って来らんねぇよ」

 

 柘榴の言う通り、もはや言葉が通じている様子は無かった。返事として3人へ振り降ろされたのは、先ほどとは雲泥のパワー及びスピード差を誇る獣爪だ。

 

 3人は素早くバックステップでかわしたものの、コンクリート地面をえぐり作られた3本の深い爪痕に緊張が走った。直接爪撃で地を削ったのではない、振るった獣爪が生み出した真空波によるモノだ。

 

 そしてゾッとする間も与えぬ繰り出される両獣爪によるラッシュ──。長いリーチと真空波がまともに近付く事を許さない。瞬く間に地下室の壁と地面がおびただしい爪痕で埋め尽くされていった。

 

 

「調子に乗りやがって! 何をしようがたかが百獣の王! 地球最強生物の前には猫同然よッ!」

 

 防戦一方に痺れを切らした柘榴が取り出したのは、手の平サイズで小さな窪みがひとつあるサイコロ状の物体。未来の兵器たる(ボックス)である。

 

 そしてリングに灯すのは嵐──。

 

 全属性中最大の攻撃力を秘めた嵐属性の炎だ。

 

「修羅開匣!」

 

 匣の窪みに炎が注入された直後、柘榴が荒々しい球状の炎の渦に包まれた。

 

 渦が消え去った時、姿を現したのは人間のそれでは無く、こちらもまた怪物だ。ダークブラウンの肌に、爬虫類の瞳。鋭く分厚い爪ととらばさみのようなギザギザとした牙。長い尾を振るい、そして両肩からはほとばしる真紅の嵐属性の炎──。

 

 匣兵器生物との融合により、人間を遥かに超越した存在と化す修羅開匣。柘榴の匣はティラノサウルス。先の言葉通り、いかに百獣の王ライオンと言えども、どちらが種としてパワーが勝るか比べるまでもない。

 

「行くぜ!」

 

 炎でコーティングされたティラノの頑強な皮膚に任せ、柘榴は強く地を蹴り滑空の突進を仕掛ける。

 

 立て続けに襲い掛かる3本1セットの真空波群を強引に突破──。

 

「効かねぇよ、バーロォッ!」

 

 一気に潜り込んだ懐、ここまで距離を詰めればライオン男の長いリーチが仇となる。

 

 ボディに叩き込む両拳連打──。

 

 呻き声を上げるライオン男。己の懐へ狙いをつけた右の獣爪を振りかざそうとするも、

 

「遅いぜ!」

 

 瞬時に突き上げた柘榴の左拳が攻撃の初動を潰す。他も同様、噛み付かんと口を開こうものなら飛んで来るのは顎を閉ざす下方からの掌底、何か動く気配を察知した瞬間には、その箇所に攻撃を叩き込んで初動から潰していく。何もさせない完全封殺だ。

 

 しかし獣爪と牙、ライオン男の武器はそれだけではなかった──。

 

 

 赤い雷撃──。

 

 

 何の前兆も無かった。突如ライオン男が全身から放出したそれが柘榴の身を貫いたのだ。だが半径1メートル程の短い射程、そして威力もそこまでではない。

 

(な、何が起こった……!?)

 

 一瞬全身が痺れたが、防御力が功を奏てそこまでダメージは受けていないし体も動く。しかしこの超接近戦において、その刹那の空白こそが致命的な隙となる。

 

 ザシュッ! という斬り裂く音と共に鮮血が散る。一瞬気を逸らしてしまった柘榴が胸を獣爪でやられたのだ。強引に突破出来た真空波とは別次元の威力。

 

「マ、マジかよ……!」

 

 ギリギリ身をよじり致命傷は避けている。だがライオン男は体勢を立て直す猶予を与えてくれそうにはなかった。それどころか既に眼前には大口を開けたデカイ顔──。

 

 しかしその牙剥く口が閉ざされる事はなかった。

 

 ライオン男のサイド、白蘭の中指が白く輝き始める。

 

「白指──」

 

 放たれたのは死ぬ気の炎を集中させたレーザー状の攻撃だ。それが尋常ではないスピードで一直線に疾走、捕食体勢にあったライオン男の横っ面にズドンッ! と撃ち込まれた。

 

「す、すまねぇ白蘭様……!」

 

 柘榴はその隙を突いて距離を取る。しかし小爆発後、消えて行く白煙から現れた結果は大きく首を傾けただけ。

 

「へぇ、動きを止めただけか。随分えげつないパワーアップだね。ほら、綱吉君も攻撃しなきゃ。協力プレイがボス戦の醍醐味だろ?」

 

「……もう、ダメなのか?」

 

 死なせたくないという綱吉の願い。すがるような目を向けられた白蘭は首を横に振った。

 

「ダメだね。見てごらん? 血液がボコボコ沸騰したみたいに湯気立っているだろ? 液状の賢者の石なんか体に入れた代償さ。どの道助からないよ。連中にしてみれば、時間稼ぎさえ出来ればライオン君には死んでもらっても構わないんだろうね」

 

「……わかった。少しでも早く楽にしてやろう」

 

 不本意だ。それでも綱吉には頷くしかなかった。大きく息を吐き、再び柘榴と交戦中のライオン男をしっかりと見据える。獣爪に裂かれたダメージと雷撃を警戒しているせいで、あまり優勢とは言えない。

 

 ところが白蘭は「んん?」と小首を傾げた。何か期待外れな顔だ。

 

「決断早くてつまらないな。綱吉君は綱吉君らしく、何とか死なさずに済む方法は無いかって、ギリギリまで悩み苦しんでいれば良いんだよ。そうしたら今回は僕が手を貸してあげるつもりだったのに」

 

「手があるのか!?」

 

 ふふん、と笑いを零し取り出したのは匣だった。しかし炎を注入する窪みが2つある、綱吉が見た事もない匣だ。

 

「試してみるかい? 僕の取って置き、D匣──」

 

 

 

 



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