妹。
それは、血の繋がった年下の女の子の事でありそのカテゴリには様々な属性が存在する。
例えるなら、反抗期。
今にも凍りつくような目付きを浮かべ、兄を兄と思わない程の冷酷さで兄を罵る妹。
創作物でも書かれるが、これはリアルでも多い。
創作物のデレは現実の妹に対するアンチテーゼの1種なのではないかと、俺は思うね。
またまた例えるのであれば、守ってあげたくなるような妹。
創作物でもかなり多い兄に甘える妹は、殊更その手のユーザーの間では人気を博しており、何を隠そう‥‥‥俺も守ってあげたくなる系の創作物は好きであった。良いよね、ゆるふわ系。滾らないわけないよね、そんなカテゴリ。
まあ、半ば自慢気に己の持論を振りかざした俺氏ではあるのだが、何も俺は今、まさにそういう系統が好きと申している訳では無い。
寧ろ、その手のものは現実を直視するに連れて虚しくなってくる。現実で妹が仮にいたとしても創作物のように『お兄ちゃんしゅき』みたいにデレる訳がない。
あったとしても、落胆するのみ。それ程までに創作物のデレというものは効果的な、人の琴線に触れる何かを持っているのだ。
そう、現実は違う。
リアルと妄想の区別を適切に付けられるようになるのが、大人としての第1歩を踏み出すきっかけになるとするならば、俺は既に大人になっているのだろう。
少し、安堵する。
俺はもう大学生。就職も控えているこのご時世に気分転換の為に作られたコンテンツにどっぷり浸かり込むなんてこたぁ御免だね。
やるなら適度に、何事もそれが肝要である。
何事も無難に、普通に、しっかりと石橋を叩いて渡ることが大切なのだ。
「‥‥‥‥‥‥」
そう、俺とて普通の人間であり大学生だ。
夜になれば睡眠を摂る為に目を瞑るし、意識を落とせば朝を迎える。
規則正しい生活を1人で送れるようになるまでには時間もかかったが、今ではこの一人暮らしのワンルームマンションでこうして朝早く起きることが出来ている。
一人暮らしを始めるまではてんでダメだった炊事も今や人並みに出来るようになったんだ。
褒めて欲しいものだぜ。
「朝飯は昨日の残りのカレーにするとして‥‥‥後は、今のうちに顔洗っとくか」
ワンルームマンションに住んでいる俺だが、朝は早く起きている。何せ、朝のこの部屋は戦場だ。
通っている大学は比較的近くにある為、30分前にでも起きられるが、その時は講義に遅れるのを覚悟している。その理由は、『俺が1人でこの部屋に住んでいない故』である。
大学に行くためにはもう1人、脳を正常に機能させねばならない奴がいる。
それも、まともに起こすまでに時間がかかる。
それこそ、『眠い眠い』と駄々を捏ねる、4歳のガキみたいにな。
本来なら、ほっといて大学に1人で通っていることだろう。
しかし、これも自業自得‥‥‥というよりかは運命って奴なのかな。
生まれて物心ついてから20年。成人を迎えても尚のこと世話をかけさせられるこの女の子の面倒を見ると奴さんの親に約束してしまったのだから仕方ない。
あの時は進んで、自らが望んで世話をすると言った。
ほなら、最後まで面倒を見る───奴が一端の人間になり、普通の人と普通の恋をして、独り立ちするまでは、しゃんとさせるのは筋ってものだ。
「‥‥‥そろそろ、か」
6時半を周り、部屋の一室のドアを3回ノックした後にドアを乱暴に開ける。
すると、そこには乱雑に散らばった物、物、物!
そして、沢山の物に囲まれ安堵したかのように眠っているロングヘアーの女。
他人の部屋すらも魔窟にしてしまう4歳児は、今日も健在で、ぐーすかぐーすか夢の中。
はったおしたくなる位に、苛立たせてくれる。
「‥‥‥おい、北上」
「くー、くー」
「起きろ、北上麗花」
2度声をかけるも、タイミングを合わせるかのように女───北上麗花はくーくーと寝息を立てている。
しかし、俺は見逃していない。
奴の身体にかかっている毛布が、一瞬だけピクリと動いたことを。
つまり、コイツは起きてはいるがまだまだ眠る───寝たいということを俺に示したのだ。
しかし、以前にも言ったようにそろそろ起きなければ奴の支度スピードでは悠然と遅刻することになるだろう。そうしたら俺まで巻き添えだ───
「起きてるんだよなぁ‥‥‥」
「くー、くー」
「家主の命令だ、起きろ‥‥‥麗花!!」
「むにゃ‥‥‥ああ〜、折角暖かくしたお布団が〜」
言うが否や、布団を引っ剥がす。
この寒いのにも関わらず紫色のネグリジェを着て眠っている麗花。
ほう、こうして見ると綺麗である。
すらりと伸びた手足、乱雑に散らばってはいるものの絹のように綺麗な髪、端正な顔立ち、豊かな胸の膨らみに、寝間着姿───この状況に置かれている人物が何処ぞのラノベやエロゲの主人公なら、動揺した挙句ゲームによっちゃ
「へっ」
心底思う。
そんな展開クソくらえってな。
いいか、嫌でもそういう状況に何度も置かれちまえば何れにしても『慣れ』というものが当人の身体を蝕む。
そうすれば、いつかこんなドキがムネムネの展開が来ても、こうして鼻で笑えるようになるぜ。
下着姿?
ベランダにかけられた女性物の下着を洗っているのは俺だ。
スラリと伸びた手足に、端正な顔立ち?
何度も見たよ、なまじ貞操観念の欠如している此奴に何度も何度も急接近された。
結果として理性が負けたことなんて1度もない。他人な上に、あの顔立ちだ。次第に他の奴にも欲情しなくなったさ。
胸!
身体の1部だ!!
以上!!!
「あー!またこっくんが変なこと考えてる!!」
「邪推は止めろ。なんでお前を居候させたのか真面目に考えてたところなんだ」
尤もそれは半分嘘で半分本当なのだが。
目付きは寝ぼけ眼の癖して、頭が冴えるのは速い。
北上麗花は、侮れない程に鋭い時がある。
「またそうやって誤魔化して‥‥‥あ、こっくん♪」
「あ?」
「だーいすき!」
「死んでしまえ」
ニコニコ笑顔でそう宣う麗花。
前言撤回だ。
やはりコイツはまだ寝惚けてる。
もしくはただのアホだ。
間違いない。
「良いから早く支度しろってんだよ」
「えへへ、そうやって突き放すの変わらないね」
布団を片付け、枕の皺を伸ばしかけた時麗花は己の抱き枕を未だに抱え込みながら、ベッドに座った状態で俺に言う。
「突き放す?違うね、矯正してんだよ」
「矯正!私歯医者さんがするようにこっくんに矯正されちゃうのかな?」
誰が手前の歯の矯正なんかするか。
というか、会話の要点さえ理解したら、俺がお前の何を矯正するのか位分かるでしょ?
何で歯医者に話が飛躍しちゃうのさ。
「もう‥‥‥それでいい。そうしてみせる、歯医者の如く、俺がお前の生活リズムをバッチリ矯正してみせるからな!!」
「と、言いつつ2年が経ちました〜♪」
「喧嘩を売っているんですか?」
「いーっ♪」
己の歯を見せ、悪戯っぽい笑みを送りながら何処ぞのショッカーの鳴き真似擬きをする麗花。似てないし、妙なアレンジが加わっていて拙い。
俺は特撮物にハマっているわけではないので尽くを知っているわけではないが、少なくともショッカーがそんな女の子のような綺麗な声出すわけがない。
そして、恐らく麗花もショッカーなんて知らないだろう。即ち、ショッカー云々は俺の世迷言である。一刻も早く記憶から消そうと思っている。
「こっくん」
掃除を終え、そろそろ朝食を摂らなければならない時間となった為、朝から一息つこうとした所気分屋で飄々としている所の北上麗花さんが俺に声をかける。
振り向けば、以前として麗花は着替えを済ませてなく抱き枕を抱きしめたままニコニコスマイルで俺を見据えている。
飽きないの、それ?
「なんだ、言っとくが朝食はカレーだぞ」
「こっくんのカレーは美味しいから大丈夫♪」
それは何よりだ。
こっくん嬉しいから今度は激辛カレーを麗花に食べさせようと思うんだ。
甘口が好き?
知ったこっちゃねえや。
「そんなことより、座って座って!」
「え、そんな時間ないのでマジで止めてください」
「良いから、それこそ早く!」
解せぬ。
てか、立ち上がって何する気ですか?
あ、ちょっと。
ダイビングは不味いですって!!
「そーれっ!」
ぼふっ。
そんな音と同時に、俺の身体は麗花のベッドに沈みそれと同時に感じる暖かく、柔らかな感触。
おう、なんだ。
抱きつかれてるな。
押し倒されているな。
「ぎゅー♪」
そして、親の顔より見たこの光景。
部屋の天井に、暖かく柔らかな感触。
以前はちょっとばかしドギマギしたが、今は劣情など微塵も感じなくなった。
本来なら、出るとこが出ている麗花のスタイルには魅力的なものがあるだろう。それこそ、そこら辺の男ならイチコロ出来てしまうほどの悩殺ボディだ。
そこは認めよう。
ただ、今の俺に───長年幼馴染みやってきた俺にはそんなことで狼狽える程のメンタルを身に付けてはいない。
それこそ、俺は北上麗花という女の子を何処か妹のように見てしまっているのだから。
「こうしてしまえばこっくんは突き放さないから」
突き放さない。
突き放せる訳がない。
余程のことがない限り、武力行使に出ることが出来ない俺を知っている、狡猾な女である。
「‥‥‥慣れって怖いなぁ」
「こうして抱き合えばみんな幸せだね♪」
「え、すいません謎の宗教的なの辞めてくれませんか?」
「あはは、出たよこっくんの照れ隠し」
「あ、そういうのいいんで離してください」
「こっくんが素直になるまで離しませーん」
ああ、どうしてかな。
こんなにどうしようもない奴なのに何故か憎めなくて。
最終的には怒るどころかこうして甘やかしてしまう俺は、本当に『慣れ』に支配されちまったんだなと、心底思う。
ただ、それは麗花がいつまでも自立出来ない免罪符にゃならん。
俺の目の届く内に、1人で生活出来るように仕込むのが俺のやるべきことであり、ミッションだ。
ただ───
「ほら、早く行くぞ。俺は外に出てるからな、着替えを済ませてとっとと飯食え」
「着替えさせて欲しいな〜」
「手前でやれ」
着替えすらも、なあなあにされた後に手伝うこともある時点で進行度はお察しという所だろう。
「はい!これ!着て!!」
「はーい」
「カレー!!食べろ!!」
「おかわり〜♪」
「戸締りはしたか!?よし、行くぞ!!」
「部屋の窓閉めるの忘れちゃった♪」
「な゛ん゛で゛だ゛よ゛ぉ゛!゙」
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第2話
完結するかは未確定です。
北上麗花という女の子について語る上で欠かせないピースというものは、山ほどある。
例えるなら、髪が長くて変な結び方をしていたりとか。
はたまた肺活量が異常な程高く、公園内を長距離マラソンしても汗ばむ程度だとか。
そういったように北上麗花という女の子を語ろうと思えば、俺はいくつでもそのピースを見つけ、話すことが出来る。
それだけの仲だ。
それだけ長い年数腐れ縁をやってきた。
その中で、北上麗花を語る中で尤も欠かせないピースってのはやっぱり───
何をしでかすか分からない、年齢と思考がマッチしてない頭の中なんじゃないかと俺は思っている。
「散歩〜♪散歩〜♪歩くの大好き〜♪」
「俺達は通学をしているんだがな‥‥‥」
朝。
なかなかスイッチの入らない麗花に世話を焼きつつも、何とか大学の1時限目に間に合うであろう時間帯に俺達は通学することが出来た。
マンションは、大学の近くで徒歩10分もすれば辿り着く。電車を使うのもありだが、麗花たっての希望で徒歩に落ち着いた。
俺としては、電車を使いたい気分なのだが麗花から目を離したら何処で道草を食うか分かったもんじゃない。
「大体、お前は何時になったら1人で起きれるんだ。いい加減自立をしなさい。部屋だって汚くして‥‥‥」
「お母さんみたいだね、こっくん♪」
「はっ倒すぞ」
笑い事じゃないんだよ。
毎日毎日朝起きて、飯を作って、麗花を起こして、着替えさせて、メシ食わせて、講義受けて、バイト。
そろそろ就活も視野に入れなければならないんだからな。
「お前も、自立した後のこと考えとけよ。OLになんのか、何か始めるのか」
「将来かー、昔はやりたいこと沢山あったなぁ」
ほう、やりたいことね。
麗花は今でも夢で頭の中が1杯のお花畑ガールとでも思っていたのだが、どうやら奴にも諦める力があったらしい。
試しに何したかったのか聞いてみるか。
通学中の暇潰しにはもってこいだろ。
「因みに何になりたかったんだ?」
「そうだなー、登山家とか!!」
おう、登山家か。
今でもお前ならなれそうな気がするけどな。
「後は、歌手!」
おう、歌手か。
お前ん家のお母さんに似て、歌は上手かったよな。
目指せるんじゃないのか?お前なら。
「あと、こっくんのお嫁さん!」
ほう、こっくんのお嫁さんね。
先ずは貞操観念から覚えて、肝心な時にパニくる未熟で初心な恋心を鍛えればその夢も達成‥‥‥
達成───
「ねーよ、アホ」
「あう」
麗花の頭にチョップを食らわせる。
軽く頭を抑え、てへっと笑う麗花。
こら、舌を出すな。てへぺろしてるお前なんて見とうない。
「えへへ、本当だよ?昔は本当にこっくんとずーっと一緒に入れたらなー‥‥‥なんて思ってたんだから」
「まあ、現に今も一緒だしな」
「夢、叶っちゃったな〜」
間接的にはな。
ただ、これから人生は何年と続くんだ。
何時俺が麗花と離れ離れになったとしても、それは不思議ではない。
大体、俺だって麗花がまともに生活出来るようになって、好きな奴でも出来たら離れるつもりだしな。
「さあ、こんな所で道草食ってないで、とっとと大学行くぞ」
「あ、あの葉っぱ美味しそう!天ぷらにして食べてみない?」
「文字通り道草食おうとしてんじゃねえよ」
洒落にならんから、本当にヤメロ。
※
「おかしい」
1限目を終えたら、俺と麗花はそれぞれ違う講義室に向かうことになる。
麗花は必修の講義。俺も必修の講義。
しかし、学籍番号の違いで講義室が別々になってしまっている。
幾ら腐れ縁といえども、くっつく確率が100%な訳あるまい。
こうなるのは薄々勘づいていた。
「で、何がおかしいんだ?」
顔を隣の席の野郎に照準を合わせると、男───今どきあまり若者がする髪型ではなかろうロングヘアを後ろで纏めあげている男が俺をじーっと擬音がつくような様子で睨んでいた。
なぜ睨む、何故俺はお前の目の敵にされているんだ。
「俺は色んなサークルをやって、男友達も女友達もそれなりに増えた。高校時代、ぼっちで有名だった俺がここまで来れたのはある意味快進撃と言っても過言ではない」
そうか。
まあ、快進撃の原因のひとつにその金髪ロングヘアーが入っているのだとしたらこれ程見当違いなこともないのだが、1年生からこの友人とつるんでる俺からしたら、彼は快進撃を起こしたといっても確かに過言にはならない。
依然として、その金髪は受け付けないが。
もっとヘアカラーを落ち着いた色に出来ないもんかね。
「おめーにはこの色の良さが分からねえんだよ。結局な、男の価値は1位でこそ輝く。敢闘賞じゃ意味がないんだ」
「そう思って一念発起したのがその金髪ロングヘアーってか」
「良いか、枯太郎。人は金メダルに憧れる。なら、この金髪も、皆の憧れの象徴なんだ」
訳が分からん。
お前さんがあの野球漫画のギブソン並の富と名声と実力を身につけたら、そうなったとしても分からなくもないがチャラいだけのお前に憧れる奴なんて俺はいないと思うがな。
「まあ、100歩譲って俺の事はどうでもいいんだよ。問題はお前だ、南宮枯太郎」
「俺?」
「何で俺に彼女が出来ないで、お前に彼女が出来るんだよ!!おかしい!!現実が可笑しすぎる!!」
待て。
冷静になれ。
何処から拾ったそのガセネタ。
「うるせえ!!俺は見たんだよ‥‥‥!!あの綺麗な女の子とふたりっきりで‥‥‥仲睦まじく歩いているその様をな!!」
まんま今日のネタじゃないか。
「お前、まさか俺がその子と付き合ってるとでも言いたいのか?」
「付き合ってないとは言わせないぞ!?あんなに密着して‥‥‥しかもお嫁さんとか、そんなことを抜かしてた筈だ!!」
「あのな‥‥‥」
勘違いも甚だしい。
そもそもの話、麗花はその手のことについて100年は早いと俺を含む他に公言しているんだ。
あの時のお嫁さん発言はジョークだと聞くやつが聞けば分かるし、そもそも数十年前の話で今じゃそんな素振り全く見せないからな。
お前らにとっては過剰なスキンシップも麗花にとっては当たり前。そんな俺達の関係は良くて親友以上彼女未満だから。
「断言する。俺とあの女の子は付き合ってはいない」
「なんだと‥‥‥?」
「ただ、俺はアイツの家族と約束したんだ。東京の大学通わせる引き換えに、俺が麗花の面倒を見るって。ただそれだけだ」
本当にそれだけの関係なのだと思う。
約束をして、それを遂行している最中。
その生活の中で俺が麗花の面倒を見ている。
何らおかしなことはないだろ。
「ただそれだけ‥‥‥?おまっ、あんな綺麗な女の子の面倒を見るのが、たったそれだけ‥‥‥?」
たったそれだけだ。
言っとくがな、こちとら恋愛感情なんてちっとも持っちゃいねえんだ。
そう考えたら腑に落ちないものかね?幾らお似合いだろうと、本人にその気がなけりゃくっつく必要ないのと原理は同じだと思うんだがな。
ぶつぶつと何かを呟きながら男は立ち上がる。
そういや此奴の名前なんだったかな───と思っていると、男は涙を浮かべ講義室を出ていった。
「このプレイボーイがァァァァァ!!!!」
去り際に大きな声で、俺を糾弾しながら。
解せぬ。
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第3話
バイトで生活費を稼ぐ。
それは、俺───
今日に至るまで大学に2年間通っている俺な訳だが、何も家庭が裕福なわけでもないし、仕送りにも限度がある。
そのために、俺は普段の学業と同時並行しバイトをすることで仕送りだけでは足りない生活費を賄っている。
最初は辛かったが、今では環境にも恵まれ楽しくバイトができている。これが噂のワーカホリックって奴かね、知らんけど。
因みに麗花は確りと金を貰っている。おかげでバイトをする必要もなければ、金稼ぎに苦心する必要も無いのだ。
具体的に言うなら、個人的な金でロボット掃除機通販で買えるくらいの金銭的余裕である。
引っ越して間もない頃に通帳を持って俺にクスリと笑いかけた麗花の顔を俺は忘れないからな。
とはいえ、麗花も何もしてくれないわけじゃない。
俺が疲れてぐでーっとしてたら頭撫でたりマッサージしてくれたりするし、俺がバイトで不在の間は風呂掃除したりといった家事をしてくれる。
まあ、先程までワーカホリックとか宣ってた俺だがこうして俺が今の生活に適応出来たのは何気に麗花のおかげでもあるのだ。
帰る場所に、明かりがついていて出迎えてくれる見知った顔があるだけで心は暖かくなる。
今日も麗花はせっせと家事をしてくれているのであろう。
ありがたや、ありがたや。
「‥‥‥という話を息抜きがてらにした訳だが、これ息抜きになってんのか?」
「うん!バッチリだよ!」
そりゃ良かった。
いや、まあ「息抜きに何か話してみてよ!」とか言われた時は何を話せば良いのか悩んだものだが、こうして喜んでくれたのなら話した甲斐もあったものよ。
「それにしても、コタローセンセにそんな人がいたなんてねぇ‥‥‥?もう付き合っちゃいなよ〜」
「あ゛ぁん?センセーに軽口を言えるその口は何処だ?」
「にゃはは、出たよその重低音!コタローセンセっていつも煽られたりするとそうなるよね!」
360度回転する上等な椅子に腰掛けた女の子は、俺の話を聞くと、『にゃはは』と独特な笑い声を上げて、俺を見据える。
何なのかね、この瞳は。まさに期待に染まったかのような、キラキラした顔付きは。
「‥‥‥センセ」
「あん?」
「結婚式には呼んでよねっ」
「ないから。そういうの本当にないから」
サムズアップしても無駄だから。
「あちゃー‥‥‥まあ、流石に今すぐ結婚なんてしないよね。コタローセンセは大学生だし、何より甲斐性なしだし!」
「‥‥‥ったく、ちょっと良い成績を取ったらこれだよ。はーっ、やだやだ。ちょこーっと全教科教えただけなのに良い成績とって、こんなに軽口言い合えちゃうんだから」
「それは、あれだよ。センセーの教え方とコミュニケーションの取り方がとっても上手かったからなんじゃないかな?」
「‥‥‥はっ、んなワケあるかよ。ここまで勉強してきたのはお前の実力だ。だから胸張れ、今どき高一から家庭教師雇ってお勉強───なんてなかなかいないんだからな」
本音である。
この女、見た目茶髪のキラキラギャルで読者モデルにも出るようなギャルだが、この歳で学業も頑張ろうとしている。
曰く、勉強出来ないのはカッコ悪いかららしい。
これがプライドって奴なのかね。
「なあ、所さんよ」
「ん、なーに?」
なんでもない。
ただの独り言だ。
「まあ、兎に角勉強は程々にしてお前もしたいこと見つけたらそれに没頭するんだな。高校生活は1度きり‥‥‥後で後悔しても俺は責任を取れんからな」
「大丈夫だって!今が1番楽しいし‥‥‥コタローセンセのおかげで勉強もちょっぴり楽しくなってきたしね!」
「ほう、なら最初あれだけ苦手にしてた数学は?」
「大っ嫌い!」
だろうな。
大体分かってた。
※
俺、南宮枯太郎は家庭教師をしている。
学業に差し支えない範囲で家庭教師───まあ、ほぼほぼとある家の専属なのだが───を週三日で行うことで、生活費を賄えてしまえているこの現状。
俺はそれに満足していることもあり、このバイトは1年間という長い期間続いている。
その中で、特に家庭教師をすることが多いのがこの女の子───所恵美である。
大学1年の冬からカテキョを始めて早1年。最初はお互い始めての体験であった為、距離感を測りきれずぎこちない節があったが試行錯誤の末に今ではフレンドリーに接することができている。
割と大変だったんだぞ。
読モやってることを恵美のお母さんに聴いてからお洒落について勉強したりとか、今どきの香水とか何やらの流行りに聡くなったりとか、頑張って話題を作ったりしたんだからな。
まあ、それも今では良い思い出だ。
何せ、その頑張りと引き換えに出来たのは確かな信頼関係。
『南宮先生』が『コタローセンセ』という呼び方に変わった瞬間は、本当に嬉しかったことを覚えている。
「コタローセンセは結婚観とかないの?」
さて、時刻は少しだけ進んで1時間後。
お勉強を終わらせて、一息ついていた所に───親切なご両親からお茶までご馳走してしまい申し訳ありませんと恵美に土下座して、それを見た恵美が苦笑いするといういつも通りの流れでお話をしていると、不意に恵美がそのようなことを尋ねる。
「結婚観?」
「んー‥‥‥例えばさ、どういう人と結婚したいとかー、どういう人がタイプだとか!」
ニシシと笑みを見せる恵美に、俺は少し困惑。
そんなこと聞かれるとは思ってもいなかったし、回答に対しての準備もしてなかった。
ううむ、困ったぞ。
「‥‥‥俺はまだ結婚とかは考えていないが」
当然だ。
まだまだバイトしかできない俺の経済力では誰かを養えないことくらい分かってる。
そして、就職したとしても直ぐには誰かを養えないことも分かっている。
ただ、その先───未来のことを考えたとして。
その未来に一緒に居て欲しい人が居るとするならば。
「温かいご飯と、暖かい家庭を一緒に作ってくれる人‥‥‥とか?」
これまた、本音だ。
結婚できるかどうかは先程も言ったように知らん。
だが、結婚するなら結婚して良かったと思える家庭を作りたい。
俺にとって、そんな家庭が暖かいご飯と家庭を一緒に作ってくれる家庭なのだ。
「へぇー‥‥‥じゃあさ!さっき言ってた麗花さんって人はコタローセンセの結婚観にピッタリ合うんじゃないの?」
「何故?」
「コタローセンセ、言ってたでしょ?都会暮らしに適応出来たのは麗花さんってヒトが家事をしてくれてるからって!」
またも目をキラキラさせる恵美。
彼女は高校1年生。順当に行けば恋やら愛に敏感な年齢故か、俺に対して良くこういう話をせがむことがある。
これが俗に言う恋バナって奴なのかね。
だが───
「いやぁ、麗花はないっすよ」
「ええっ!?」
「恵美は分かってない。奴がどれだけ生活力のない女なのかってのがな」
奴がもっときっちりとした生活が出来てれば、そもそも奴が俺の部屋にいることもないだろうし、麗花のお父さんもお母さんも幾ら幼馴染とはいえ俺の部屋に滞在させることもなかったろう。
割と苦渋の決断だったと思いやすぜ。
「まだまだ青いな、恵美。観察眼を鍛えて出直してこい」
俺が鼻高々とそう言うと、恵美は顔を膨らませてこちらを睨む。
その視線はジト目、ここに極まれりといった所か。
「むー‥‥‥そう言うならもっと教えてよ、麗花さんのコト!」
「聞くか?聞いちゃうか?よし、聞け」
「ん!いーよ‥‥‥ドンと来い!!」
そうして話を始めた俺と恵美。
話が終わった頃には、淹れられたお茶は既になくなっていた。
相対性理論とはこのことを言うのか。
どうでもいいがな。
「麗花さんってヒト可愛いじゃん!!これで家事もできるなら惚れない男はいないっしょ!」
「最初は風呂場を泡まみれにしてたけどな」
「え」
「白米を空焚きしたり、水々しいカレーを作ったり、野菜炒めの野菜を丸ごと炒めたり、隠し味に色んな材料入れて隠し味同士で喧嘩させたりとかしてたけどな」
「ええっ!?」
「恵美はそうならないように、家事できるようにしとけよ?」
「普通しないよ!!」
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第4話
日常というものは平和であるのと同時に思いの外恐ろしいものである。
よく、平和ボケという言葉があるのが良い例だ。
ただ、慣れがなければ人は安寧の時を過ごせない───というのもれっきとした事実である。
人ってのは必ず何処かで平和ボケをしなきゃいけない連中なんじゃないのかと、俺は思うね。
無論、俺も『慣れ』という平和に支配されてしまった男である。
北上麗花という人間がいつも傍にいることにより、俺にとっては彼女が居る日常が半ば当たり前のように感じてしまっている。
普通、男女が1つ屋根の下にいたらミリ単位でも興奮するものなんだがね。
ただ、悲しいかな。そこもやはり俺にとっては『慣れ』が先行してしまって、新鮮味やら劣情やらを感じなくなってしまっているのが現状である。
故に───
「あ、こっくんおかえりなさーい」
こうしてネグリジェだけを身につけ出迎えてくれる麗花を目の当たりにしても、何にも感じなかったとしても、それは仕方ないことなのだと思われる。
「‥‥‥今日は柚子湯?」
「大正解!今日はバスロガールの柚子の香りを使ってみたんだ♪」
道理でな。
柚子の香りが鬱陶しいと思ったぜ。
「お前、何時もは森林だろ‥‥‥いや、まあ良いか」
「あれ、もしかして森林の方が良かった?ならそう言ってくれればいいのに」
「そんなこと一言も言ってませんけど」
「素直じゃないなぁ〜♪」
「テメエ・コノヤロウ」
理解不能な麗花の煽りのようななにかに怒りのような何かを抱く。
そもそもの話、俺は森林が好きだとは一言も言っていない。
こうして話が飛躍して終いには宇宙の果てまで元あった話題が吹っ飛んでしまうのが麗花の専売特許である宇宙人っぷりである。
「ほれ、兎に角お前は着替えろ。またネグリジェひとつとかなしだからな。パジャマ実家から持ってきたんだから寒い日位使えよ」
「後で一緒に探してくれない?昨日探したけどなかなか見つからなかったんだよねー」
なら、昨日のうちに言えよ。
これに懲りたら部屋を片付けて、片付けられる女になってください。毎週お前さんの部屋を掃除してるのは俺なんだぞ?
「うーん、1分間探して見たんだけどなー」
「もっと探せよ。お前の部屋の場合1分じゃ済まないんだからさ」
「こっくんも探してくれたら30秒で終わるね♪」
「うわー、昨日と同じタイムで見つかると思ってるよこの幼馴染み!ちっとも懲りてねえ!!」
麗花の部屋へと向かい、ドアを開ける。
すると、そこにはやはり数多くの物が散乱しており、ベッドが何処にあるのかが何とか分かる状態まで、部屋は汚くなっていた。
非常事態である。
何が非常事態って、コイツの部屋が1年前から1週間置きに必ず汚くなっている事だ。
先ず、コイツの部屋は基本的に物が多い。
断捨離をよしとせず、思い出を大切にする性格からか、彼女は記念物を捨てることが滅多にない。
それが直接的に部屋が汚い原因となっている。
「てか、3年前の日記とか持ってくる必要あったのかよ」
「あったよ、私の大切な思い出だもん」
「思い出って絶対傍に置いとくものじゃないだろ。実家に置いてけよ」
今でも思い出す、今の家に麗花を迎え入れるために駅まで迎えに行った時のことを。
その日の前日、俺宛てに3つの大きなダンボール箱が届けられた。
まあ、麗花が来ることが分かっていた俺はそこまでは予想していたので、特になんの違和感を感じることもなく、普通にそのダンボール箱を麗花の部屋になる予定の小部屋に置いといた。
モバイルで麗花から『もし、こっくんが舌切り雀の世界にいたら大きな箱と小さな箱、どっちを選ぶ?』と連絡が来たので『小さな方』と答え、『小さい方、開けてみて!』ともう一度連絡が来たので開けてみたら小さなびっくり箱が飛び出してきて、俺の頭を命中した。
その箱はムカついたので乳歯が抜けた時に健康な歯が出てくるようにとお祈りをする子どもの如く、天空に向かって投げ捨てた。
まあ、そこはいい。
びっくり箱の下りは非常に腹が立ったが、引越し便で荷物が届けられるのなら、これ程効率的で親切な方法はない。
問題はその後なんだ。
後日、約束を遵守して麗花を駅まで迎えに行くとそこには驚くべき光景が鎮座していた。
リュックを背中に背負い、スーツケースを2台引っ提げて『やっほー!こっくーん!』とか抜かしてきた麗花を見た時、俺は絶句した。
聞くところによると、そのバックにはお絵描き帳や、数年前の日記帳まであったとか。
単刀直入に言わせてもらおう。
アホかと笑いたくなったね。
しかし、それが北上麗花という女なのだ。
何処までも思い出を大切にしてしまう。
だからこそ故郷に友達は沢山いたし、東京へ行くと決まった時は悲しんだ奴も沢山いると聴く。それは今まで培ってきた麗花の力。
欠点でもあるが、それは紛れもない北上麗花のアイデンティティなのだ。
「こっくん?」
ふと、思考の海に潜っていたことを悟り現実に戻ると目の前で麗花が俺の顔を覗き込んでいた。
その動きに気付けない程思考の海に潜っていたんだなぁ、なんてなんでもないことを考えつつ俺は部屋に入り、一番最初に目にしたのは行き場を失いピクリとも動かないロボット掃除機。
「お前さ、ロボット掃除機買うならしっかり身の回りの整理できるようにしてから買えよ」
今の状態じゃゴミすら物で敷き詰められてて掃除機の出番が全くないんだよ。
しかも、この状態じゃロボット掃除機動かせねえし。
「最近はロボット掃除機の時代が来た!ってニュースで見たから、私も文明の利器にあやかろうと思ったんだ。これでゴミを取れればこっくんも私もこの部屋もハッピーだね!」
「文明の利器にあやかる前にお前は断捨離した方が良いぞ。や、割とマジで」
純真無垢な笑顔をこっちに向けないでくれませんかね。
言ってることが穴だらけなのに、思わず流されちゃうだろ。
「ほれ、パジャマ発見」
「ありがと〜♪」
麗花がパジャマに着替えている間に俺は部屋を出る。
全く、人騒がせな奴だ。
本当に30秒もしないうちに見つかってしまったじゃあないか。
「あ、そういえば」
「あん?」
麗花がドア越しに声をかける。
反応すると、麗花がドアから顔を覗かせ風呂場を指さした。
「お風呂にする?それともご飯にしちゃう?ご飯にするなら食べてる間にお湯沸かしとくけど」
「風呂でいいよ。ガス代勿体ないし」
「森林浴をしたいんだね♪」
「使い方間違ってますよ?森林浴じゃないからね?」
本当に森林浴できるならしてみてえわ。
誰でもいい、誰かこの疲労困憊の枯太郎めに癒し成分をください。
「くすっ、ご飯温めとくからね〜」
ごゆっくり〜と生暖かい目付きを浮かべられ、麗花はドアを閉めた。
何やら盛大な誤解をされているようだが構わん。森林浴が好きだろうが、日光浴が趣味だろうが俺が困ることはない。
「‥‥‥」
時々、思うことがある。
もし、俺がこの部屋に1人で滞在していたのならどうなっていたのだろうと。
幸いなことに、現在はホームシック等の精神病にかかった経歴はない、てかなる余裕がない。
なら、1人でいたら故郷を懐かしみホームシックになっていたのだろうか。
仮にそんな未来があったとしたのなら、俺は麗花に感謝しなければならない。
麗花のおかげで、毎日が騒がしい。
家に帰ればあたかも故郷に居るような、そんな気持ちにさせてくれる。
俺も、麗花の立ち振る舞いに魅せられた人間の1人だ。
だからこそ───幼馴染みとはいえ面倒を見ているし、一緒に通学もしている。
そして、その『尊敬』の想いに今までヒビが入ったことはひとつもない。
天真爛漫な北上麗花の姿に、俺は魅せられている。
そんな姿に、俺は何度も助けられてきたんだ。
「ま、そんなこたァ口が裂けても言えんがな」
それを聞かれて『可愛いなぁ』、なんて言われた日には軽く死ねるもん。
ぜってー言わねぇ。こればかりは墓場まで持っていってやるからな。
あんがとな、麗花さんよ。
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第5話
それは、唐突な出来事であった。
今日の予定は特にない。講義もなければ課外活動もない。そんな1日に興奮感を覚えた俺は朝ご飯を少し豪華なものにした。
一汁三菜のご飯をしっかり噛み締め、未だに眠っている麗花をそろそろ起こすかと立ち上がった時。
不意に部屋から飛び出してきた麗花に、ラグビー部もビックリな高速タックルを腹に喰らった。
気が付けば俺は横になり、麗花がマウントポジションを取る。床ドン、または押し倒された状態って奴だ。
麗花を見つめる。
すると、彼女はその綺麗な顔を笑みに染めて一言。
「遊びに行こう!」
幼児ばりの一言を、言ってのけた。
「遊びに行く‥‥‥だと?」
冗談じゃない。
折角の休日に、俺はまた外に出なければならないのか。
良いか北上麗花。俺はこれから貯めておいた本や積みゲーを茶でも飲みながら読み漁るっていうやりたいことがだな‥‥‥
「こっくん、何時も本読んでるよね」
バレテーラ。
まあ、そりゃそうだわな。
俺、暇さえあれば本読んでるし。
ただ、このまま麗花の思い通りになるってのもなんか悔しい。てか、休みたい。
「あのな、麗花。俺は疲れてんだよ。そして休みたい。つまりだ、幼馴染のお前ならどういうことか分かるよな?」
「外遊び!」
「お前何言ってんの?」
俺が何時進んで外遊びしたよ。
長野じゃ毎回寝てたろ。
それをお前が揺すって揺すりまくって最後には俺を外から文字通り引っ張り出したんだろ。
「最近、こっくんと外で遊べてないから」
「そりゃ元の生活リズムが違うからな」
「だから遊びに行こう!!」
いや話聞けよ。
あーもう!きたよこれ!だから上下に揺するなって!!気持ち悪くなる!!朝ごはん吐いちゃうから!!
「分かった!!分かったから!!!何でもするから!!」
「本当!?」
「ああ、だから先ずは朝飯を食え。1日の始まりは朝ごはんからって言うし、先ずは食え」
「わーい!わーい!」
俺にのしかったまま両手を上げて喜ぶ麗花。
てか、幾ら麗花の身体が軽いと言ってもいい加減苦しいので降りてくれませんかね?
これじゃ俺が死んでまうねん!!
※
朝ご飯を食べた後に、支度をして外に出る。
そこまでなら通学をしているのと変わりはないのだが、今回は持っているものや行き先やらが違っている。
尤も、このげんなりした俺の気持ちは通学時の俺のメンタルとさして変わらない訳なのだが。
都内のビル街。
様々な店やショッピングモールが建ち並ぶ店に、俺達は繰り出していた。
理由は特にない。
強いて言うのなら、麗花と一緒にウインドウショッピングとでも言ったところであろう。
「うーん!外の空気が美味しいな〜♪」
「さいですか‥‥‥」
まあ、楽しんでくれているのならそれでいい。
こちとら大して外でやりたいことなんてないからな。
麗花が笑ってくれるのならそれでおーけーだ。
「久しぶりだね〜、こっくんとこうやって外に出るの」
「そうか」
この前当てもなく外に出たのはいつ頃だったかな。
言っちゃ悪いが外になら何時でも出れるからな。
大学で外にも出てるし、大して重要性を感じないというのが実情である。
「ま、お前が気分転換出来たってんなら良かったよ」
昔から外に出るのが大好きな活発美少女だったもんな。
あれから何年経っても頭と心の中身の根本が変わらないっていうのはある意味素晴らしいことなのか。
そう思っていると、不意に麗花が俺の左横から顔を覗かせる。
何だ、どうかしたのか。
「大学、楽しい?」
「何だよ、唐突に」
「何となく、かな」
何となくにしては唐突が過ぎるぞ北上麗花。
かつてお前は支度をしろと急かす俺のことを『お父さんみたい』と宣ったが、それはお前さんにも言えることなのではないか。
今の質問、まるでうちの母さんみたいだったぞ。
「まあ、楽しいよ。自分で選んだことだしな」
炊事で好きなものを作れる。
部屋も好きにしていい。
ある程度の自由が確約されているこの世界は酷く心地好い生活なのだが。
しかし、俺の回答が気に入らなかったのか。
麗花は何処かピンと来ないような表情を浮かべる。
太陽直下のような笑みが見えない。
はて、何か気に入らないことでもしてしまったか。
「最近、笑わないね」
「俺か?基本笑わないタイプだろ」
「嘘だ〜中高生時代のこっくんはちゃんと笑ってたよ?」
「そんなものか」
「そんなものだよ!」
俺も初耳だよ。
俺の表情筋なんてまともに機能してないと思ってたからな。
まあ、麗花にとっては俺の表情筋はまともに機能してたのだろう。
いやはや、人は俺の知らない所をよく見てるなぁ。
「笑ってるこっくんが見たいなぁ」
「む、そういうことなら笑ってみせよう‥‥‥へっ」
「ダメー!!」
「ふごっ!?」
鼻で笑おうとした途端に、俺の顔面は麗花の掌底打ちによって押しつぶされる。
麗花よ、俺が何をしたというのだ。
「その笑みはこっくんの笑みじゃないよ!!」
「俺の笑みってなんだろう」
「こっくんスマイル!」
「聞かない方が良かった」
ほならね?貴女が笑わせてみてくださいって話でしょ?
そもそも俺はそんなに表情を表に出さないタイプである。
そんな俺に笑えと言うのに無理があるのではないか?
「兎に角、こっくんの笑みはそうじゃなくて、もっとパーって光るものなの!あ、そうだ‥‥‥ちょっと顔貸して!」
その瞬間、麗花の両手は俺の頬を掴んだ。
その秒数まさかの1コンマ。
場所が場所なだけに抵抗できないのが辛いっ‥‥‥!
騒ぎを起こしたくない気持ちもあるけどこの状況は精神的に辛い‥‥‥!!
「ほら、笑って笑って!ニーって笑って♪」
───もう我慢出来ねぇ!!
「あーやめて!口引っ張らないで!?ばっちいでしょ!?麗花、ダメ‥‥‥あああああ!!」
その日は休日どころじゃなくなりました、まる。
11月10日 16:25 いくつかの誤字を修正致しました。
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第5.5話 麗花の日記
明くる日の朝、私はこっくんが土曜日の講義に出ているあいだ自分のお部屋のお片付けをしていた。
こんな早朝からするものではないのだろうけど、ここはこっくんのお家。家の主の言うことはちゃんと聞きなさい、というこっくんの忠告通りに私は部屋をロボット掃除機と『激オチそうじ丸』をお供に掃除していた。
私が部屋の掃除を始めるようになったのは本当に唐突。
こっくん印の朝ご飯を食べながら、今日は何処に行こうかなーと考えていると、先に朝食を食べ終わったこっくんが私を見て、一言。
『お願いだから部屋を片付けて下さい!や、俺講義なんでたまには自分でお掃除してつかーさい!!』
唐突にそう切り出した言葉と同時に土下座するこっくん。
そこまで言うなら掃除するしかないよね。
なんだか了承した後に土下座した格好のまま、こっくんふるふる震えてたけどどうしたんだろう。私にはちょっと分からない。
閑話休題───
「‥‥‥あれ?」
ロボット掃除機をまともに機能させるために、まずは床の下に散らばったものをお掃除をしていると、不意にダンボール箱の中から1冊のノートが落ちてくる。
それは、少し薄めで表紙にはお花の写真が付いているノート。
私がそういったノートをこっくんのお家に持っていったものと言えば。
「わぁ、これって───」
言わずもがな、高校時代の日記帳である。
日記を書くことがほぼほぼ日課になっている私にとって、この日記帳は思い出の詰まった大切なもの。
特に、高校時代は文化祭に体育祭!色んなイベントやこっくんと過ごした沢山の日常を記した思い出が綴られている。
そんな日記帳に魅せられた私は、少しだけお掃除を休憩して床に膝を着いた状態でノートを見つめた。
ページを捲ると、そこに現れたのは簡単な絵と文字を交えた体育祭の記録───
「‥‥‥あはは!体育祭でこっくんコケたんだっけ!!」
思い出して見ればそうだった!
やけに短距離走に張り切っていた高校1年生のこっくん。
かなりの数を走って、自信も付けた状態で『さあ行くぞ!』って張り切って100メートル走に挑んだらスタート地点で見事にズッコケたんだ。
でも、その後も頑張って走ってて偉かったな〜。
他の人なら諦めて力を抜く人も居ると思うのに、こっくんは決して諦めないで戦った。
うん、ものすごい偉いと思う!
「後はー、後はー‥‥‥」
ページを捲っていく。
高2の思い出。こっくんとお蕎麦を食べた思い出───お蕎麦美味しかった!
サッカー観戦しに行った思い出───まさか地元のクラブの声援がここまで大きいとは思わなかった!
ページをめくる手は止まらない。
尚も秋、冬、新年と日記帳はどんどん消化されて、高校2年生の卒業式が終わって────
そこからの日記帳に、少しだけ空白が出来ていた。
「‥‥‥あー」
ここの空白のこと、覚えてる。
確か、ここの空白期間───何をしても楽しくなくてネタ切れみたいな感じになっちゃったんだっけかな。
でも、今ではそれも良い思い出!
この数ページ後には夏の思い出がぎっしり書かれてる。
書こうと思えば、空白期間の所から書けたけど、それはなんとなく嫌だった。
人並みにうんと悩んだ思い出が、その空白期間には記されている気がしたから。
この空白を見れば、あの時に抱いた大切な気持ちを何度だって思い出せそうな気がしたから。
※
むかーし、むかし。ある所に男の子と女の子がいました。
男の子は、とっても無愛想でいつも女の子を突き放します。
だけど、そんな男の子が時々見せる笑みが女の子にとっては、とっても嬉しいのです。
私が色んなことをした時に、本当に時々見せる呆れつつもちゃんと私を見て笑ってくれる、そんな男の子の笑顔が、女の子は大好きなのです。
ずっとずっと、この時が続けばいいのに───なんて思う日があった。
慣れ親しんだ故郷で、こっくんや友達の皆といつまでも笑顔になれる日々を作っていければいい───それさえあれば良いと思う時があった。
けど、高校生になって皆がそれぞれの進路を決めて。
その流れの中で私は自分も変わらなくちゃいけないって思って。
けど、今の生活が好きな私との間で一種のジレンマみたいなものに嵌っちゃって、一時期元気がなくなっちゃった時があったんだ。
楽しい筈の日常が、楽しくない。
嬉しさよりもお別れの寂しさばかりが頭を過ぎる。
だからかな、一時期はこっくんと一緒に登校してる時もあんまりお話することがなくなっちゃっていた。
そんな日が何度も続いていて、今までの朝のこっくんはずっと無口でいたんだけど、夏休みの前。
丁度6月が終わろうとしてた頃に、唐突に登校中のこっくんが私の顔を覗き込み、自分から話しかけてきた。
今の今まで、朝に弱いこっくんが自発的に話すことなんて見たことのなかった私は、こっくんのその姿にびっくりする。
そんな私の表情が滑稽だったのかな、こっくんは少しだけ呆れ笑いを浮かべつつ私に話しかけてきた。
『なあ』
『ん?』
『お前さ、やりたいこととかあるか?』
『えっ、やりたいこと‥‥‥?』
『もし、行きたいところがないなら俺と一緒にキャンパスライフでも送ってみないか?』
あまりに意外なこっくんのその一言に、最初は更にビックリしたけど、それ以上に私は嬉しくなった。
何が嬉しかったのかって、今まで私に付いてきてくれたこっくんが初めて私に道を示してくれて。
こんな私でも、まだ誰かと離れ離れにならなくて済む。それも、こっくんと一緒に大学へ行ける。
とっても嬉しかった。
けど、少し不安にもなった。
ここ最近、浮かない顔つきをしていた私は何度もこっくんに心配されていた。
例えば、何時もの私がぽけーっとしてた時。こっくんは私をアイアンクローで目覚めさせてくれるのだけど、最近のこっくんはしっかりと私の肩を揺すって目覚めさせてくれる。
それは、私にとっては大きな違い。
普段武力行使を厭わないこっくんがそうしてくれたときは、本当に真面目な気持ちで私に向き合ってくれてる時。
最近、ぽけーっとしてた時が何度も続いてた。
こっくんもその分私を心配してくれていた。
だからこそ、思った。
こっくん、私のこと考えて無理してないのかな───と。
今まで何度も回答をはぐらかしてきたけど、もしかしたらこっくんに悟られちゃったかも。
だから、普段あんまり提案なんかしないこっくんが今の私に、提案してくれたのかな。
その旨を伝える。
すると、こっくんはまるで有り得ないものを見るかのような引き攣った顔付きで私を見た。
何か変なこと言っちゃったのかな───なんて思ってたら案の定、こっくんにとって私の言ったことは変なことだったらしい。
『あ?何言ってんだ。別にテメエの人生なんだし、行きたくなきゃ行かなきゃいい。けどな、いっそ選ぶなら、お前の後悔しない道を選べよ。その後悔したくない道ってのがまだ見つからねえなら‥‥‥俺が見つかるまで傍に居てやる』
その声は、いつもの尖った声じゃなかった。
何処か優しい声色で、何時ものイケイケドンドンなこっくんじゃなかった。
ツンとデレを数値化したのなら間違いなくツンの比率が高いこっくんが、デレと取ってもおかしくない態度で私のことを考えてくれた。
嬉しかった。
だからかな、私もその誘いに2つ返事で了承したんだ。
『‥‥‥えへへ』
『あ?』
『私、こっくんと同じ大学に行く!』
そんな決意表明とも取れる言葉を残して。
それから、私の選択は早かった。
とんとん拍子に勉強、合格、引越しと進み一足先に東京へと赴いたこっくんに会いに、新幹線へ向かう。
友達は、私の東京行きを悲しんでくれていた。
また今度、こっくんも連れて帰ってくるって行ったらやや苦い顔をされて『爆発しろ』とか言われた。
どういう意味だろ?
ちょっと分からなかったな。
悲しんでくれる友達と、少し生暖かい目付きを浮かべている友達を背に、私は故郷に別れを告げた。
離れそうになっても、離れない。
いつも近くにいてくれる。
そんなこっくんは、私にとって大切な存在。
日記には、沢山のこっくんとの思い出が記されている。
これからも、こっくんと一緒に思い出を増やしていきたかったから、私は故郷を飛び出したんだ。
そして、いつかこっくんに胸を張って伝えられる夢を見つけたい───なんて、少し思ったりしながら私はホームでキョロキョロしてるこっくんに手を振る。
『おーい!!こっくーん!!』
『ああ、そこに居たか麗花。全く、何して‥‥‥え、ちょっと待って?その大量の荷物は何?』
驚いて、目を見開いているこっくん。
口角は少しだけ上がっていて、顔が引きつっているのが目に見えた。
その中で、私はニコリと笑みを見せる。
これからの暮らしに想いを馳せて。
未来への展望に胸を弾ませて。
そして───いつか、こっくんを頼らなくてもいいように、ちゃんとした『夢』を見つけるために。
『よろしくね♪』
『枯太郎』くん。
しばらく、お世話になります。
「‥‥‥懐かしいなぁ」
まあ、あれだよ。あれ。
何だかんだ今の暮らしは上手くいってると思うんだ。
最初は仕送りでいっぱいになった通帳を持ってこっくんに笑いかけたらアイアンクローされたり、お風呂をあわあわまみれにして、こっくんに頬を引っ張られたり色々あったけど、最近はちゃんと家事ができるようになった。
こっくん、私が初めてまともな料理を作った時凄い驚いてなぁ。失礼しちゃうよ、全く。
それでも、そんなこっくんが私は好き。
ちょっと失礼だけど、いつも一緒に居てくれるこっくんも、無愛想なくせに、たまに笑いかけてくれるこっくんも、私が同じヘマした時でもなんだかんだ許してくれるこっくんも、全部好き。
なんとなーく、ずっと一緒にいたいって思わせてくれるこっくんが大好きなんだ。
「せいり、せいとん、とんとーん♬︎っと‥‥‥?」
こっくんに言われたお片付けをしていると、不意に見つけたもう1つの日記。
わぁ、私が小学生の頃の日記だ!
これまた懐かしいなぁ〜
確か、随分前に書いたっきりそのままどこかに放っといちゃったんだろう。
ホコリ被ってて、少し煙い。
音楽会、運動会♪
この頃はこっくんもちっこくて可愛かったな。ちゃんと人並みに笑えてたし、ニッコリと笑みも見せてくれた。
けど、今は無愛想でなかなかニコリと笑ってくれない───ま、優しいこっくんでいることには変わりないんだけどー‥‥‥
やっぱり、こっくんには笑ってて欲しいな。
何時か、小学生みたいに声高に笑えたら良いな。
そしたら、嘘抜きでみんながハッピーになれると思うんだ。
だって、こっくんの笑みは────
「あ!これも懐かしい!!」
バレンタインデーとホワイトデーは家族間でよくやり取りをしてた。お母さんと一緒に作ったチョコをこっくんに渡して、その後こっくんがホワイトデーで色んなものを買ってくれたんだ。
例えば、登山用のシューズ!
後は激オチそうじ丸!
勿論、お菓子とかも貰ったけど激オチそうじ丸を貰った時は嬉しかったなー。
ページを捲る。
すると、案の定ホワイトデーのことが書かれてて、似顔絵と共に綴られた日記帳に。
3月14日
ホワイトデー!
こっくんが私の頼んだものを全部買ってくれてとっても幸せ♪
嬉しくて、嬉しくてキスしちゃった!
気絶したこっくん、かわいいなぁ♪
私の思考回路は、ショートした。
「‥‥‥キス?」
それって、カードとかに付いていると値段が下がるとかそういうものじゃなくて?キズじゃなくて、キス?
きす、キス‥‥‥キッ──────
「〜〜〜!?!?!?」
キス!?
キスなんてしてたっけ!?
いやいやいや、ちょっと待って‥‥‥!!
キスって‥‥‥お魚の方じゃなくて?
こっくんと、私が‥‥‥キ、キキ‥‥‥
「〜〜〜!!!!」
「‥‥‥いや、お前なにしてんの?」
今日1日、こっくんの顔を直視できないかもしれない。
そんな想いを抱きつつ、いつの間に帰ってきたこっくんに変な目で見られながら、私の思い出巡りは終わりました。
恋愛感情?
そんなの2人の間にあるわけないだろいい加減にしろ!
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第6話
最初は、こんなつもりではなかった。
講義が終わった後、最近流行りのプリンを買ってそそくさと退散。後は麗花と買ったプリンでも仲良く食べようと淡い考えを持って街に繰り出していた。
人はそれなりに多かったが、何とかプリンは購入出来た。運が良いね、たった2つしか残ってないプリンは俺にとっちゃ好都合。後ろに並んでる奴もいなかったし、後腐れなく2つ購入し退散。後は、帰るだけで目的は達成できた筈だったんだがな。
「おうおう兄ちゃん、ちょっと余所見が過ぎんじゃねえのか?」
「あ゛っあ゛ぁ゛ん?」
俺氏、学ランの2人に目をつけられてしまいました。
いや、別に絡まれることに関してはどうでもいいんだ。
この街中でイキがるヤンキーの武力なんてたかが知れてる。
精々1発殴られて警察チラつかせた後にこっちがイキり返せば後は警察が何とかしてくれるからな。
ただ、周りの視線が痛い。
同情されるような目付きが、とんでもない位に心に突き刺さる。
同情をするくらいなら、警察を呼んでくれ。そっちの方が数倍マシなんだよ。
「ケッ、ビビってんのかぁ?」
「ビビってないです」
「口答えしてんじゃねえよ!!」
「ウス」
その場合、黙ることになるのだが結局シラを切れば逆ギレされる。
こちらが何を提示した所で、このヤンキー達には通用しないのだ。
「ッたくよー‥‥‥ちょっと俺等より身長高いからってナマ言ってんじゃねえよ」
「両親に感謝ですね」
「身長もデカけりゃ態度もビッグってか‥‥‥はー、これだから最近の若者は‥‥‥」
「すんません、俺の信条なもんで」
「‥‥‥テメエ、さっきから巫山戯てんのかァ!?」
ふざけられるのならふざけてみたい。
俺は、至極真っ当な答えを返しているのみだ。
それ以上もそれ以下もない。
「そこまで反抗したいならそう言えば良いんだよ」
「ウス」
「俺達が殴ってやっからよォ!!」
いや、ホントに早くやることやって俺を解放してください。
そっちの方がいっその事清々しいし、俺も通報できるしwin-winじゃないか。
衆人環視の中、こうしている方が辛いのだからこの2人には早くこの状況を打破して欲しいってのが本音だ。
「なっ‥‥‥舐めんじゃねぇ───!!」
等々堪忍袋の緒が切れた男が、振りかぶる。
拳の軌道はストレート。
その軌道が俺の顔面を今まさに捉えようとしたその瞬間─────
「ちょおっと待ったぁ!!」
そこに割り込む1人の女。
その光景に驚いたのか、殴りかかろうとした男は突如その拳の軌道を変え空を殴った。
腕が痛そうなのは、ご愛嬌である。
いや、それよりも。
「なんだコイツ」
小さな女の子だ。
突如割り込んで来た私服姿のこの女。
誰かが呼んできてくれた私服警官だろうか。
だとしたら呼んだ一般人、ナイスである。
「私の名前は茜‥‥‥野々原茜ちゃんだよ!」
「俺は南宮枯太郎っす。所であなたは警察の方ですか?」
「んにゃ、違うよ」
なんと。
ならば、お前は何故ここに飛び出してきたのだ。
良いか。これは男と男の真剣勝負。どっちが警察に捕まるかっていう際どい勝負をしているのであってだな‥‥‥
「ヤンキーなんて警察呼ばなくても対応できるよ‥‥‥この茜ちゃんの魅力にかかればね!」
お願いだから警察の力を使わせてください。
お前の可愛さは分かるけど、それじゃ心もとないのも確かだ。
「大丈夫だって!全くー心配性だなぁコタローちゃんは!」
「何処が大丈夫なのか教えろ、後コタローちゃん言うの止めろ」
「安心的要素は‥‥‥茜ちゃんの可愛さ!」
「お巡りさーん、助けてー!!ここに2匹のヤンキーと頭のおかしい女の子が居るよー!!」
恥も外聞も最早俺にはなかった。
予想外の出来事の連続。助っ人のあまりに不確定的安心要素。
兎に角今の俺は警察を呼びたかったのだ。
「な、何だよテメエ!!」
俺と突如割り込んで来た少女が即興で噛み合うことすらない会話をしていると、ヤンキーが存在を証明しようと大きな声を出す。
こちとら鬱陶しいことこの上ないのだが、彼女はそんな男達に嫌そうな顔つきを1度もせずに男達に笑顔を見せた。
「そこの青少年達!積み重なるストレスで大人にぶつかりたい情動もよーく分かる!けど、このままの状態続けてたら‥‥‥ケーサツのお世話になっちゃうよ?」
「う‥‥‥!」
「ぐ‥‥‥それを言われちまうと、弱いぜ」
「でしょでしょ?だから、ここは茜ちゃんの『可愛さ』に免じて!今のうちに逃げてくれると嬉しいなっ」
両手を合わせてチラッと男達を見遣る野々原。
こうして見るとなかなかにあざとい訳なのだが、言っていることは至極真っ当だ。
まあ、可愛さ云々に関してもアピールが過ぎるが間違いではない。
普通に可愛いしな。
「ッ‥‥‥そこまで言われたら、なぁ?」
「ああ‥‥‥仕方ねえ、行くぞ。そこの野郎!!命拾いしたなぁ!!」
そのあざとかわいい野々原のファインプレーにより、引き下がっていく男達。
いや、マジで警察使わないで対応出来たぞコレ。
凄いな、これが『カワイイ』の力か。
流石世界共通語。世界基準の可愛いはヤンキーを封じ込めてしまう。
予想外の『カワイイ』の効力に俺の手首はボロボロだ。
今ならコタローちゃん呼びも許す。マジでありがとう。
「全く、近頃の若者は有り余るストレスを発散できてないヤンキーばっかりだね‥‥‥ま、茜ちゃんにはそこら辺の感情理解できないんだけどさ」
まあ、お前みたいな奴には到底理解出来ない感情だろうさ。
世界中、全員がお前さんみたいなあざとさや可愛さを持っているわけがない。
ヤンキー達が俺に喧嘩を売ったのも、いわば自己の証明みたいなもんだ。
『俺は強い!だからここに生きている意味があるんだ!!』っていう奴等なりの主張なんじゃねえのかね。
「ふーん‥‥‥まあ、いいや!それよりも大丈夫だった?」
「ああ」
お前さんのおかげだ。
サンキューな。
「災難だったねー、けどコタローちゃんも茜ちゃんに会えたんだからラッキーだよね!私服姿の私に会えて、あまつさえ助けてもらえるなんて宝くじの1等当てるよりも珍しい事だと茜ちゃんは思うなっ」
「掌を返させてもらうよ。お前さんのカワイイに助けられた」
「ふふん!茜ちゃんの手にかかればこんなものなのだ!」
本当だよ。
お前がいなければ俺は今頃痛い思いをしていたことだろう。
この件に関してはガチで感謝しなければならない。
それも言葉だけじゃない、誠意を持ってだな。
「折角助けてくれたんだ。何か御礼がしたいのだが‥‥‥アンタさえ良ければ、何処かで奢るぞ」
「な、何という幸運!喉が乾いた途端に人助けを敢行したらまさかの『奢り』!!茜ちゃんは天にも愛されているんだね!!」
天にまで愛されているのか。
まあ、善行積んだ結果なんだし当たり前だわな。
尤も、俺は恩返しって当たり前のことをしたまでなのだが。
「じゃあ何処で飲む?居酒屋?」
「コタローちゃんは茜ちゃんをいくつだと思ってるのさ」
「ん?そんだけキャラ作ってんなら20歳位なんじゃねえのか?」
「ちょっと待って!?今のキミ割とワケ分かんない計算してるよ!?」
え゛。
じゃあ何歳だというのか。
仮にこれが学生だとしたら、あのヤンキー追っ払ったクソ度胸何処から湧いたのかって話になるんだが。
「‥‥‥因みに、お幾つで?」
「おっとー‥‥‥聴いちゃう?レディーに?女の子に?何よりこの『カワイイ』が生んだ最高傑作であるところの茜ちゃんに年齢を聴いちゃう?」
「ああ、お前の人生最大の汚点であるところの俺がお前さんの年齢を聴いても良いか?」
「さりげなく自分ディスるのやめなよ‥‥‥」
野々原はそう言うと苦笑いを浮かべる───も、直ぐに表情を笑みへと染め上げ、己の『幸せ』という心情を素で表したかのようなニコリとした笑みで、俺を見据える。
その姿、まさに小動物。
奴が自分をカワイイと宣うのも分かる気がする。
奴の自意識は過剰そうで過剰ではないのだ。
「茜ちゃんは、オシャレなカフェでオシャレなプリンパフェを食べたいのである!」
「プリンパフェ、とな」
「そそ!ですがそのカフェの敷居は私にはちょーっとばかし高いんだよねー‥‥‥まあ、理由は察してちょ」
「カップルが多いとか、金がかかるとかか?」
「両方正解のコタローちゃんには正真正銘現役JKの茜ちゃんとデートに行けちゃうチケットを進呈しよう!!」
ほう、どっちも正解か。
あんだけカワイイと自負してた癖に彼氏はいないらしい。
あれか、付き合いたいとカワイイは違うってか。
はー、分かんねー。まあ、どちらでもいっか。
「まあ、良いわ。丁度バイト代も入ってるし‥‥‥そのカフェ案内しろよ」
「ゴチになっちゃいまーっす!」
「もっと俺を崇めるんだな‥‥‥えっと、あ、そうだ。アカネチャン」
「なしてカタコトなのさ‥‥‥」
仕方ねえだろ。
人の名前を覚えるのは苦手なんだからよ。
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第7話
「コタローちゃんはさ、もっと感情を表に出しても良いと思うんだよ」
時刻は3時過ぎ。
未だに家に持ち帰れていないプリンを片手に、俺と俺を助けてくれたアカネチャンとやらはプリンパフェを食べながら談笑をしていた。
最近流行りらしいカフェ。
そこにはたくさんのカップルがそれぞれの青春を慈しんでおり、そこら中に甘い空気が蔓延している。
確かに1人では敷居が高いな‥‥‥なんて思いながらアカネチャンの話を聴いていると、不意にそんなことを言われたものだから思わず目線を自分の頼んだコーヒーからアカネチャンの顔面へと向けた。
「感情?」
「あのね、ヤンキーは人畜無害そうな相手を狙うワケ。即ちヤツらはハイエナなんだよ。その気になれば茜ちゃんをも襲いかねないハイエナなんだよ!!」
「あの、そういうの自分で言ってて恥ずかしくないんすか?」
「何で?だって茜ちゃんはカワイイじゃん」
そりゃそうだが。
そんなこと大っぴらに自負できる奴なんてそうそういねーぞ。
果たして何を飲めばそんな自信家になれるんだ。
オシャンティーなカフェか?
爪の垢か?
「兎に角!コタローちゃんはもっと感情を表に出すプロフェッサーになるべきなのだ!自信が付けば未来が見える!未来が見えれば世界が変わる!!」
「へぇー、あれだな。まるで何処ぞの宗教団体みたいな殺し文句だな」
「‥‥‥コタローちゃんってさ、かなりハードな人生生きてない?」
「何でさ」
「さっきから茜ちゃんのありがたーいお言葉を!!皮肉で返してばっかじゃん!!フツーそんな皮肉ポンポン出ないからね!?割と傷付いて茜ちゃん泣くよ!?」
いや、逆に泣かれたらこっちが困るわ。
俺はいつも通り、俺でいるわけであってこの話し方を変えることはできない。
皮肉に関しては勘弁してくれ、思ったことをポンポン躊躇いなく言う悪癖が幼馴染のせいで身についてしまったんだ。
「ほら、そんなこと言ってないで食えよパフェ。美味いだろ?」
「なんだかはぐらかされた気もするけど‥‥‥ま、いっか」
ため息を吐きつつもプリンパフェを食べる為にスプーンをせっせと動かすアカネチャン。
プリンパフェの甘さは彼女の趣味嗜好に合致したのだろうか、頬を緩めて笑みを見せる。
そういう顔をしてくれるのなら、こちらとしても奢った甲斐があるってものだろうか。
「感情‥‥‥ね」
まあ、思い当たる節はある。
元々表情をコロコロ変えるのは不得手な男だ。
そのせいで麗花に侘しい思いをさせたこともある。
奴は、奴の関わる皆が笑顔でいてほしいと願う心根は至極真っ当な優しい女の子だ。
だからこそ、俺も笑ってくれれば幸せだと彼女は言う。何度も、この前も言われた。
が、彼女の要望通りにはなかなか上手くいかないのだ。
元々のスキルもある。
何度も何度も『意図的に』笑おうとしたが、なかなか上手くいかん。
「‥‥‥感情を表に出すのは良い事だと思うが仮に今の俺が笑うとこうなるぞ」
そう言って、俺は幸せの感情をイメージしながら笑う。
結果は見事な程に失礼な鼻笑い。
これがあるから感情を表に出すのは嫌なのだ。
「うっわー‥‥‥酷いねそれ。因みに何を想像したのさ」
「‥‥‥幸せな感情」
「コタローちゃんの幸せは鼻笑いで済ませられるものなの!?逆に凄いと思うよそれ!?」
だろ?
その割に、まともな笑みを見せることは苦手なんだ。
ここまで来ると1周回って自分の笑みに嫌気がさしてくる。
この苦しみが分かるだろうか。少なくともアンタにゃ分からねえだろう、はっはー。
「ま、俺の生まれ持つセンスってことでここはひとつ」
「そんなんじゃ絶対済ませられないって‥‥‥」
時は過ぎていく。
目の前の景色だって、いつかは変わっていくもの。
その中で、俺のこの表情と麗花の天然っぷりは環境が変わろうが、さして変わるものではなかった。
この先、これからこの光景が変わることはあるのかね。
まあ、今の俺には到底理解しえないものだろうさ。
コーヒーの味は上々だったと言えよう。
金をかけて飲むくらいの価値はあった。
アカネチャンも満足そうであったからな、痛い出費ではなかったと個人的には思っている。
アカネチャンと別れて徒歩で家まで歩くこと早10分。俺にとってのエデンでもあるマンション5階の一部屋。
そこにたどり着くや否やプリンを冷やして料理の支度。
簡単に作ることの出来る野菜炒めで今日は勝負だ。
「美味しーい!」
勝負には勝った。
味見の段階で美味しいと言われて嬉しくない訳がない。
内心、ガッツポーズをしながらほくそ笑む。俺の料理にケチを付けられたことは1度としてないものの、こうして食べてもらった人に美味しいと言われるのは心にくるものがある。
「そうか、だが今日はプリンを用意してるからな。食いたきゃ野菜炒めは食いすぎるなよ」
「はーい」
鼻歌を歌いながら野菜を更に炒めていく。
すると、俺の何かを察したのか麗花が後ろから声をかける。
「こっくん、何か嬉しいことでもあった?」
「何故?」
「んー、何か楽しそうなオーラがしたから!」
楽しそうな、オーラね。
そりゃまた結構な宇宙人発言だ。
ただ、麗花のそういう予感的な何かは全て的中する。
恐ろしいもんだ。
「まあ、な」
「やっぱり!どんなこと?」
「大したことじゃないぞ?ただ単に、さっき言ったプリンを買いに行った時に友達ができたってだけでな」
本当に大したことではない。
が、それを言うと麗花は本当に目をキラキラさせるものだから仕方ない。
果たして麗花の立場的には今の俺の話にどれだけの価値があったのか、聞いてみたいものだ。
「こっくんの大したことないは大したことあるの裏返しだからねー」
「え、待って。意味が分からないんですけど」
「だってこっくん、進んで友達を作りたがるタイプじゃないでしょ?」
む。
それを言われてみればそうだが。
確かに俺は積極的に友達を作るタイプではない。
表面上の友達は作るが『皆でパーティ!!イャッフゥゥゥゥゥ!!!!』的なノリは苦手故に友達と遊びにも行かない。
チャラ男が星のように居る都会では、メシに誘われることも多かった。今ではパタリと尾を引いているが。
「だから、こっくんが友達を作るのは私的に凄い嬉しいのと同時に、驚愕の事実なんだ!」
「‥‥‥そういうものなのね」
改めて麗花の中で俺の話題がどれだけ大したことなのかが分かったような気がする。
つまり奴の中では俺という人間が友達を作るのは麗花的にはネズミがライオンに勝つことよりも有り得ないことであり、なんだかんだ嬉しい───ということ。
うむ。
単刀直入に言わせろ。
「俺だって友達の1人くらい作るわ。お前が見てないだけでな」
そう、俺は表面上は友達擬きを作れる。
何もコミュ障って訳じゃないってことを理解して欲しいわけなのだが麗花にはそんな詭弁通用せず、ニコニコ笑顔で俺の詭弁を弾き飛ばす。
「えー、うそだー。だってこっくん長野に居た時も私とばっか遊んでたじゃん」
「ばっかお前。年がら年中お前と居たか?俺はお前といない時間に友達と遊んだりしてた。それが事実なんだ」
「えー、ずっと一緒にいたと思うんだけどなー」
そ、そりゃお前の気のせいだ。
週にいっぺんくらいは友達と遊んでいた。
まあ、浅い交友関係ではあったのだが。
麗花が冷蔵庫を開けて、買ってきたプリンを見つける。
『わあっ』と驚きつつも、麗花はプリンではなく俺を笑顔で見つめる。
なんだろう、いつも通りの筈の視線が痛い。
「でも、嬉しいなぁ」
「‥‥‥」
「えへへ、こっくんに友達できて嬉しいなぁー♪」
「‥‥‥ヘルプミー」
自分が惨めに思えてきた。
アカネチャン助けて、麗花が虐めるよ。
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第8話
「と、言う訳で最近は不審者が多いので気をつけてください‥‥‥だとよ」
ほーん。
そんな素っ頓狂な声で金髪の友達の話を受け流している今日この頃。
俺は講義に耳を傾けつつ、ペンを耳にかけつつオフモードと形容してもおかしくない態度で椅子に座っていた。
俺の耳に聴こえてくるのは講義の話とうだうだとくっちゃべる金髪の不審者情報。
どうでも良い情報をうだうだと話すのは止めて欲しいんですがね。
「おい、聴いてんのかよ枯太郎」
「ごめん、聴いてなかった」
「いや、聴いてくれよそこは」
なんということでしょう。
どうやら目の前の友達は俺に情報の取捨選択すらもさせてくれないらしい。
目の前の友達の辛辣さに涙が止まらないぜ。
「おーけぃ‥‥‥分かったからその喧しい声を抑えてくれ。で、不審者がどうしたんだよ」
実のところ不審者情報なんぞ聞かなくても良かったのだが、ここまで聴けと言われて聴かないのは悪い気がしたので、そう言うと金髪はニヒルな笑みを浮かべて両手を広げた。
ウザイ。
「実はな、最近綺麗な女の子が所構わずスカウトされている事案が発生しているらしい」
「男が気にするだけ無駄な情報をありがとよ」
「違う、最後まで話を聞けよ‥‥‥あのな。不審者はもう1人居るわけ」
「おう」
「で、その1人はスーツを着ている男を所構わずターゲットにするらしい‥‥‥ティン!ティン!とか言ってな」
「卑猥だなぁ‥‥‥お前の言い方」
「俺のせいか!?これって俺のせいなのか!?」
そらそうよ。
もう少し言い方ってものがあっただろうに。
まあ、その話は置いといて俺のことは兎も角麗花に関しては少し考えてみても良いかもしれない。
奴は自らの面白いと感じたものにはなりふり構わず突っ込む悪癖がある。
仮に、彼女の琴線に男の性格なんかがマッチしてしまったらスカウトどころの話じゃなくなる。
下手したらスカウトよりもヤバい騒動に発展する可能性があるからな。
「忠告サンキューな、麗花にはよーく言っとくよ」
「あ、ああ‥‥‥あの女の子か。確かにあの子ならスカウトされてもおかしくはない‥‥‥ってかもうスカウトされてんじゃね?」
はっは、まさかねー。
でも少し不安だ。
「じゃ、そろそろ行くわ」
その言葉を最後に、俺は立ち上がり講義室を出た。
メールで待ち合わせ場所を大学の出口に設定してるからな。できるだけ早めに行って、晩飯買いに行こーっと。
「あ、お前も気を付けろよ!?お前も下手したらスカウトされるからなーッ!」
短いので2話投稿。
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第9話
こんなことが起こると心のどこかで想像はしていた。
しかし、実際に寸分違わず予想していた事案が発生するとは思ってなかった俺にとって、目の前の出来事はどうにも頭を悩ませてしまう。
何せ───
「普通が1番ですよ♪」
「ふ、ふつ‥‥‥いや、確かに僕は普通なんだけど───ってそうじゃなくて!」
この事態を収拾する具体案を、俺は何ら持ち合わせてないんだからな。
とはいえ、このまま傍観者気取ってるわけにもいかない。
このままでは、麗花の暴走は止まらず目の前の男───悲しいかな、皮肉にも世間から不審者扱いされている男の人があまりにも不憫だ。
「麗花」
「あっ、こっくん!」
わーい、と近付いてきた麗花を華麗にスルーして不審者と呼ばれているスカウトマンに声をかける。
「ウス、ウチの天然が失礼しました」
「え、あ‥‥‥うん。別に大丈夫!オーディション受けてみないかって話をしてただけだから」
それが良くないと思うんですが。
現に周りがザワザワしているし。
それに、ここは大学校外とはいえ構内とは目と鼻の先。
巷を騒がす不審者なだけあって、周りの噂話が絶えないのは些か問題だと思うんだよな。
「ここだと話すものも話せないでしょ。近くのカフェでお話でもしたらどうっすか?」
「あ、ああ。そうしてくれるとありがたいけどキミは‥‥‥」
「?近くで道草普通に食ってますけど」
そこで何故躊躇う必要があるのか。
男友達だろうと己のやりたいことに気を遣う必要なんてあるまい。
若さの情動に身を任せ、己の為すべきスカウトに力を注げば良い。
若さってそういうものだろ。
「えー、こっくん一緒に晩御飯買いに行こうよー」
「え、お前アイドル勧誘と俺と晩飯買いに行くのとどっちの方が優先順位高いの?」
「こっくんとお買い物!」
「ファッ!?」
コートを着用した麗花が抱きつこうと伸ばしてきた両手を右に躱す。
というか、いい加減抱きつきに行くの止めてくれませんかね。他なら良いけどここ外だからね?1人、あなたに注目してるプロデューサーさんがいるんだからね?
「オーライ、良く聞け麗花。今お前はとある課題を背負っている。それはなんなのか、家族に幾度となく注意されているお前なら分かるよな」
「んーと‥‥‥なんだっけ」
「だぁからお前は自立をしろって何度も何度も言われてんだろうが!!折角プロデューサーさんがオファーしてんだ!!俺にくっついてばっかいないで話だけでも聴きやがれ!!」
俺と麗花は共同生活を送る際に1つ、約束事をしている。
それは、大学生活を送っている内に1人前の大人になり、1人で生活を送れるようにすること。
炊事、掃除、そして手に職を付けること。
そうして所帯を持つことで、人は漸く大人になれるのだ。
しかし、今の麗花はどうだ。
炊事はできるものの、掃除がお風呂掃除と家事以外は壊滅。手に職を付けるどころか明確な夢がない。
それは俺との約束に反していると思うんだ。
「‥‥‥俺も就活とか色々自発的にやってんだ。前にも言ったろ、何するか考えとけって。選択肢の幅を広げる為にも、こういう話は聞いとくべきなんじゃないのか?」
締めにそう言って麗花の肩を叩く。
すると麗花はぽけーっとしていた表情から不意に笑顔を見せる。
はて、麗花の中でどんな心境の変化が起こったのかと期待していると麗花は俺の両手を両手で握り、一言。
「夢活だね!」
「知らねーよ」
訳の分からん発言をしてくれやがった。
まあ、どんなに意味不明の動機とはいえお話を聞くのは良い事だ。
精々話を聞いて、夢の幅を広げてしまえば良い。それで俺が困ることは何一つないんだからな。
ファイト、麗花。
そして、いち早く夢を見つけるんだな。
プロデューサーの元に駆け出す麗花を見て、若干の安堵を得る。
しかしそれも束の間。
後ろに居る俺を見ると、またしても奴はニコリと笑みを見せる。
なんだ、今度は何を言ってくるんだ。
「じゃあ、話だけしてくるから待ってて〜」
「なんで待つ必要なんてあるんすか」
「だって今日こっくんのカレーでしょ?こっくん、放っといたら激辛カレー作るもん。私、甘口の方が良いから」
流石麗花だ、俺の考えていることを寸分違わずに予測してやがる。
確かに今日は麗花の目を盗んでこっそり激辛カレーを作ろうと思ってたが、そこを見破るとはな。
だが、俺もこんな所で引き下がれない!
今日こそは激辛カレーを食べるんじゃい!!
「大丈夫だって!しっかり激辛用意しとくから!!」
「ダメー!!」
「ぐえっ‥‥‥!?」
その瞬間、麗花の掌底打ちが俺の喉元を直撃する。
いや、なんでコイツこんなに掌底打ち上手なの?
「激辛カレー食べたら、喉がひりひりーってしちゃうからだめ!」
「巫山戯んな!!激辛を食べた時に吹き出る汗が良いんだろ!?汗をかくことが大切なんだよ!!それが肝要なんだよ!!」
「そうなの?」
「そうだ‥‥‥分かってくれたか、麗花」
「でも、私は甘口が良いなー」
「くっそ、この甘党め‥‥‥」
折り合わないカレーの好み。
あまりの相容れなさに少々辟易しているとくすくすと笑い声が聞こえた。
それは麗花の笑い声ではなく、男の少し低い声。
気が付くと、プロデューサーが笑っていたのだ。
「‥‥‥何笑ってんすか」
「いやいや、キミ達を見てたらまるで仲睦まじい彼氏彼女の関係に見えてきてね」
ジーザス。
恵美や金髪にも言われたが俺と麗花はそんな風に見られてるのか。
おい、麗花大変だ。
俺とお前は付き合っているように見えているらしいぞ。
「‥‥‥付き合ってる?」
「ほら、あれだ。プロデューサーが言ってんのは俺とお前が男女の関係になってるってことだ。俗に言うイチャイチャしてるっていう、例のアレ」
「こっくんと‥‥‥私が?」
さっきまでニコニコ笑顔だった麗花の顔が固まる。
その姿をずっと見つめていると、3秒程した後に麗花の顔が朱に染まった。
その姿は、まさに小学生。
狼狽しているその様が、ちょっとだけ可愛い。
「そんなの私には100年早いよ!!!」
うん、知ってた。
前も聞いたし、それ。
「‥‥‥と、いうわけです。俺と麗花は付き合ってなどいませんのでどうぞお気遣いなく───ああ、麗花。名刺だけは貰っとけよ。ワンチャンあの人ガチもんの不審者の可能性あるし」
「不審者じゃないよ!?」
それも概ね分かってはいる。
今のは俺の使えないボキャブラリーを活かした低俗なジョークだ。
とはいえ、名前も所属も知らない状態で完全に信じるのには無理がある。
出来ることなら、そっちの個人情報を教えてもらいたいものなのだが。
「そ、そうだ!そこまで怪しまれているのなら僕がプロデューサーっていう証拠を見せよう!!」
男はスーツから名刺を2つ取り出し、麗花と俺に渡す。
ほう、765プロとな。
ほほう、石嶺さんとな。
ほほほう、39プロジェクトとな。
うん、さっぱり分かんねぇ。
「僕の名前は石嶺広夢。765プロのプロデューサーで、現在とあるプロジェクトに必要なアイドル達を集めている最中なんだ‥‥‥因みに僕は今日アイドルを2人スカウトした!!」
友達を何人泊めた的なノリで言われても。
まあ、本日だけで2名の確約を取れたのって非常に優秀なのだろうな。
丁度良い、どんな人がスカウトされたのか聞いてみようか。
「企業秘密なら別に構わないんですが、どんなアイドルを見つけたんですか?」
「おっ、聞いちゃうかい‥‥‥?今日の僕の活躍を、聞いちゃうかい?」
「はぁ、まあ聴けるもんなら聴いてみたいっすけど‥‥‥」
したり顔の石嶺プロデューサーに曖昧な返答を返すと、彼は少し得意気な顔で改まり、両手を広げる。
その格好はこれから世界征服を目論む魔王のような立ち振る舞い。
端的に言うと、彼の爽やかフェイスにその立ち振る舞いはアンバランスが過ぎて似合ってない。
「‥‥‥じゃあ、教えてください」
「可愛さと自信が一級品の野々原茜さんだ!」
あ、それ知り合い。
ワロチ。
「それから、読モとして活躍してた所恵美さん!最近は時々しか見てなかったけど、アイドルをやってくれるらしいんだ。いやぁ、掘り出し物だったよ」
あ、その読モ俺の生徒。
マジテラワロス。
「そして、北上麗花さん!今日は大漁だったよ!!」
大漁なのか。
それは本当に大漁なのか。
俺の不安はそこにあった。
ただ、この短期間でアイドルを2人獲得出来たというのは大きいことなんだろう。
尤も、石嶺プロデューサーがこの先何人アイドルをスカウトするのか───というのが気になるところではあるのだが。
「まあ、麗花をアイドルにするのなら‥‥‥あれっすわ。頑張って下さい」
「‥‥‥?あ、ああ。頑張るよ」
プロデューサーさんは知らない。
北上麗花という女の子が、どれだけのクレイジーガールなのかってのをな。
まあ、それを抜きにすればアイドルとしての才能───プロデューサーさんが言うところの歌う、踊る、会話、ビジュアルの面で麗花は天才的なそれを持っている。
是非是非、二人三脚で頑張って欲しいものだ。
ミリシタとは違ってぷっぷかさんがお外でスカウトされました。
わーい!もう無茶苦茶だぁ!
2019/11.13 細かな誤字を修正
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第10話
その場は熟考ということに留まったと言えば良いのだろうか。
ファミレスでの1幕。
本来なら2人で今後についての会話をするのが定石な筈のこの場面。
その場面に俺がいるというのもなかなか奇天烈なことだと思うのだが、この光景を麗花やプロデューサーさんはどう思ってるんだろうね。
そんな思いから横に座る麗花を見遣る。
「わーい!パフェ美味しーい♪」
先程の狼狽っぷりが嘘のように、緊張の欠片もなくパフェを平らげてやがった。
まあ、こういう物怖じしないマイペースっぷりは良くも悪くも麗花の持ち味ではあるのだが、今回はそれが悪い方に作用しそうで気が気でない。
続いて、プロデューサーを見る。
「あはは‥‥‥なんていうのかな、大物っぷりを感じるね」
麗花の食べっぷりに苦笑いしているプロデューサーの顔付きは若く、俺より歳がやや上程度と予想できるほどの男だった。
スーツをピシッと着込んでいる訳では無いが、シワになっていないシャツや、パンツ。そして確りと正された姿勢は彼を好青年たらしめる要因となっていた。
成程、これがプロデューサーというやつか。
そう考えていると、あまりに俺という存在が場違いな気がしてきた。
何せ、俺はプロデューサーと麗花の仲を取り持っただけの一般人なんだからな。
「俺ってここに居ていいんスか?」
「何故だい?」
「こちとら麗花の幼馴染って面を除けばただの一般人なんですぜ?アンタにとっては俺の存在は正直無意味。下手したら邪魔になってる可能性もあるんだ」
そんな俺がここに居て良いものなのかと本気で悩んでいる。
俺の存在で麗花の夢の幅が狭まるのは嫌だ。
それは、多分俺にとっては死ぬこと並に辛いことだから。
けれど、石嶺プロデューサーはそんな俺の一言に笑みを見せると、サムズアップを敢行する。
「いや、良いんだ。寧ろキミみたいな冷静に物事を分析できるような男の子が居てくれた方が良いのかもしれない」
「俺が冷静だって‥‥‥?」
その目曇ってんじゃないのか、というのが真っ先に出た考えだった。
が、その考えを口に出してしまう前に石嶺プロデューサーが畳み掛けるように言葉を発する。
「キミ、不審者の情報が出ていることを危惧して北上さんの前に立ったろう?」
「あ?」
「咄嗟の判断だったと思う。不審者情報が出てたのは‥‥‥僕的には不本意だったけど、キミは北上さんを守る為に何が正しいのかというのを察して北上さんの前に立ったんだ」
────それは。
「買い被りが過ぎますよ。俺にそんな甲斐性はありません」
そんなことが出来ているのなら、俺はもっと友達ができていると思う。
仮に何が正しいのか、というのが分かっていたとしてもそれを行動に移せるほどの勇気もない。
ただ、あの時の俺はトラブルメーカーにもなり得る麗花の珍行動を阻止するために石嶺プロデューサーの前に立ってみせた。
じゃなきゃ石嶺プロデューサーが大学の警備員にしょっぴかれる可能性もあったしな。
結果として、その行動が高評価に繋がったというのなら、それは素直に嬉しいが。
「そうかなー‥‥‥ま、仮にそうだとしてもそういう『気遣い』や『お節介』ができる人は好きだよ。何ならウチに欲しいくらいだ」
いや、お世辞かよ。
まあ良い。
ここは調子には乗ってはいけないが、口車に乗せられた方が面倒なことも起きまい。
素直に感謝しとこう。
「ありがとうございます!」
「‥‥‥あ、今お世辞だと思っただろ。今に見とけよ、高木さん‥‥‥社長がキミみたいなセンス光る子を見逃す訳がないからね」
はいはい。
嘘松も程々にして欲しいものだ。
とはいえ、俺の必死の営業スマイル&お世辞対応が簡単に見破られたのは今後の課題だ。
そこは直しとかなければな。
「さて、そろそろ本題に入ろっか。北上さんの食事も終わったみたいだし」
パフェを食べ終わった麗花がスプーンを置く音が聴こえると、談笑の為緩んでいた空気がピリっとなる。
なるほど、これがON/OFFの切り替えって奴か。
社会人ともなると、これが当たり前のように出来なければならないのだ。つくづく学ばされる。
「うん、まあ僕としては北上さんに765プロに加入してもらいたいと思ってるよ。北上さんには確かな才能を感じた、アイドルとして大成できるだけのそれがね」
「こっくん!私アイドルの才能あるって褒められた!」
「まあな、お前歌も上手いし基本どの運動だって出来るし、無駄に顔良いし」
まあ、勿論石嶺プロデューサーが見たのはそれだけではないと思うが。
麗花の外見だけじゃない。もっと───プロデューサーとしてアイドルを何人か引っ張ってきた石嶺広夢なりの勘があったのだろうと俺は思っている。
ただ、問題はそこじゃない。
「ただ、北上さんにアイドルをやるという意思があるのか。そこが大きな問題だ。自分からアイドルに誘っておいてなんだけど、目指す目標に真っ直ぐになれない人を765に加入させようとするほど、こちらは急いでいる訳では無いから」
そう。
どんなものでもそうだが、上を目指す気概がなければ人はスキルアップを計ることは出来ない。
スキルアップ出来ない奴は、上から離され、下に突き上げられ、いつの間にか堕ちていく。
そういう世界だ。
その世界に今から飛び込むのにやる気の欠片もないのなら、それはやめてしまった方が良い。
それが身のためだ。
「ちょっと意地悪になっちゃったかもしれないね。けど、僕がスカウトしてきた娘達は皆そう。ある娘は時間がないと言った。ある娘は家族を楽にさせたいという明確な決意を胸に秘めていた。そういう意志のある子は強いよ。どれだけ折れたとしても、その決意に魅せられた人達が支えてくれる、付いてくる。
北上さんには、あるかな。その目標の為だけに頑張れるっていう目指すものが。壁にぶち当たった時、その目標を糧に突き進めるものが‥‥‥」
石嶺プロデューサーのその一言の後、俺の周囲を無言が襲う。なんなのかね、この空気は。
否、それは考えるまでもないよな。
隣で騒がしかった麗花は顎に手を当て、何かを思案している。
昔もそうだ。
奴は何かを考える時、何時もの騒がしさが一転して黙りこくる時がある。
長野に居た時の高3の春がまさにそれだ。
仲の良かった友達とのお別れに何か思うところがあったのかは知らんが、兎に角考え込む。
そして、最良の答えを導き出すんだ。
極端な奴ほど、感情の機微は悟りやすい。
そして、今のこの瞬間が麗花の感情変化の瞬間なんだと俺が気付くことに、迷いはなかった。
麗花にとって、かけがえのないもの。
夢に突き進む為の決意。
それを麗花は数ある答えの中から1番大切なものを答える為の取捨選択をしている最中なんだ。
「席、外すぞ麗花」
「こっくん?」
「考えろ、お前にしかない何か。最良の答えを導き出せよ」
そして、それを盗み聞く権利は俺にはない。
俺は俺、麗花は麗花だ。
ここで他人が干渉するようなことは、決してあってはならない。
幼馴染と言えども、引くべき一線は引く。
俺にとって、その一線が『夢に対しての干渉』だった。
席を立ち、先に会計を済まそうと石嶺プロデューサーの前を通る。
そのすれ違いざまに、石嶺プロデューサーは俺を見て笑みを浮かべた。
その笑みは、顔を少し歪ませた嫌らしい笑み。
ハッキリ言おう、気色が悪かったね。
「‥‥‥やっぱりキミは、他者のことを考えられる子だ」
「だぁから買い被り過ぎですって」
再度繰り返された賞賛とは名目ばかりの世辞。
その言葉をはぐらかすと、石嶺プロデューサーはその言葉に若干の苦笑を見せ、続ける。
「‥‥‥知ってるかい?今、世間を賑わせてる不審者のお話」
「そりゃ、まあ」
情報が嫌でも耳を通る現代社会だ。
不審者がアンタを除いてもう1人居るってのは分かってるさ。
何でも『ティン!』とか抜かすらしいではないか。
ウチの金髪が言ってたぞ。
「あはは‥‥‥よく分かっているじゃないか」
「本題を話してください。で、それが何だって?」
帰るつもりが会話が長くなってしまう。
早いところ、麗花との2者面談に移って欲しい俺にとってはこの会話を早く終わらせたいのが実情だった。
故に、遠回しとも取れる石嶺プロデューサーの発言の真意を探ろうとすると、石嶺プロデューサーは最後に頼んだコーヒーを一口飲んで喉を潤した。
「キミ、その人に多分気に入られるよ。そういうタイプの子だ」
はっ。
なんだ、不審者に気に入られたところで大して嬉しくはないんだがな。
そもそもの話、俺がそう何回も不審者に絡まれてたまるかってんだ。
不審者に絡むのはアンタの対応で懲り懲りだね。
後ろを振り向くと、そこには麗花が居る。
笑顔を向ける何時もの光景。
けれど、これからはその光景が変わるかもしれない。
それくらいの人生の岐路に立たせれていると俺は思う。
そんな大事な状況に俺が居ること自体が先ずはお節介なんだと気付かねばならない。
俺に出来るのは、夢や希望の可能性を共に探ること。そして同居人として、幼馴染として、奴が進むと決めた道を1人の人間として応援することだけだ。
───そして、今出来るのは麗花大好物のカレーライスを丹精込めて作り上げる事。
「麗花、甘口カレーちゃんと作っとくから。お前は存分に悩めよ」
「うん!」
「じゃ、失礼します」
踵を返して、俺は店内を出る。
コーヒーのお金は、テーブルに置いといた。
後は2人が話し合えばそれで話は終了。
是非是非、アイドルでもなんでもやってくれと切に願う俺であった。
この時の俺はまだ考えていなかった。
この時の甘い見通しが今後の人生に関わることになっちまうなんてな。
まあ、つまりだ。
あの時の俺は、超がつくほど油断してたってワケなのさ。
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第11話
人にだってそれぞれの持ち味がある。
その人なりの武器があり、その人なりの道がある。
人によって未来は多種多様。
それは、俺の交友関係とて例外ではなかった。
2者面談の結果は俺には分からぬ。
あれから外に出て、買い物して、甘口カレーライスを麗花に振る舞うと、相も変わらずのニコニコスマイルでカレーライスをぱくつく麗花。
美味しそうに食べる様は見ているこちらからしても和まされるものだが、今の俺にはひとつの懸案事項があった。
「で、アイドルはやるのか?」
不意に尋ねると、麗花はカレーライスを食べる手を止める。
食べながら話すことはしないらしい。
麗花は非常にその手のマナーが出来上がっている。
「う〜ん。取り敢えずオーディションは受けることにしたよ」
ほうほう。
なら、お前は目指す目標とやらを言えた訳だ。
素晴らしいではないか。お前はそれを言ったことで第一関門とも取れるプロデューサーのテストをパスすることが出来たんだ。
書類審査に受かったのと変わらねえぜ。
「でね、オーディションに行く前に色々やっとかないといけないことがあるんだ」
「なんだ?エントリーシートか?面接練習か?出来ることなら手伝うぞ」
「和三盆♪」
「は?」
なんだそりゃ。
そんな感情を抱きつつ、そう言うと麗花は身を乗り出して顔を近付ける。
「面接会場の皆を幸せにする為に歌を考えたんだ〜。こっくんも聴いて聴いて!」
ジーザス。
俺は麗花の歌を聴きながら、天井を睨んだ。
といった風に、北上麗花には北上麗花のアイドルのなり方というものがあり、彼女は現在色々な支度をしている最中だ。
これから家族にも説明しなければならないし、場合によっちゃ俺との同居も考えねばならない。
幸い、マンションには空きがある。
大掛かりな引越しにはならんと思うがね。
まあ、それは良いんだ。
麗花はなんだかんだ前に進んでいる。
俺も、進路はアイドルではないが目指すものを見つけるため日々歩いている。
それに対して思考を巡らせる程、その事態に関しては困窮していない。
俺は、石嶺プロデューサーの一言を忘れちゃいなかった。
アイドルをスカウトしたという自慢。
そして、その内の1人に自分の生徒が含まれているってことにな。
「ごめんなさい、今日はお呼び立てしてしまって」
いつも通りなら今回は授業の筈だが、今回は違う。
俺が机を挟んで会話しているのは、恵美の母さんである。
恵美とはまた違った落ち着いた雰囲気───と思えば何処かノリや笑顔が似ていてやはり家族なんだなと思わせる何かが恵美の母さんにはある。
「いえ、仕事なんで」
「ふふっ、もう少し気軽に構えてくれて構わないのよ?確かにこれはお仕事の一環だけど、枯太郎くんのことは恵美からも良く聞いてるから」
え。
恵美から?
そりゃどういうことですかい。
「恵美とコミュニケーションを取るために、色々してくれたのでしょう?お陰で恵美は枯太郎くんに勉強を教えてもらうことが楽しみになったーって言ってたから」
「えー、なんのことでしょうか。僕は何かやった覚えはないんですがね‥‥‥」
慌てて弁解を目論むものの、恵美の母さんには通用せず。軽くくすくすと笑われ、受け流された。
影の努力で大の大人がファッション雑誌読み漁ってたとか親にバレたら恥ずかしいに決まってんだろ。
クッソマジで恥ずかしい。
「そう、枯太郎くんには2年間恵美に勉強を教えて貰った。お陰様で恵美は志望校にも受かったし、今も無理ないペースで勉強が出来てる‥‥‥恵美の努力もあるけど、それは貴方のお陰でもあるのよ?」
「‥‥‥あざす」
「ふふっ、可愛い所もあるのね」
死にたい。
今すぐ穴掘って埋葬されて生き埋めになってしまいたい。
しかし、悲しいかな。目の前にはスコップもなければ土もない。
穴掘りマスターでもない俺には到底叶わない話だ。
「‥‥‥で、ここに呼び出したのは娘さんの課外活動のことですかね」
話を変えよう。
こうしてスーツ着て真面目な格好している以上、俺が恵美の母さんに羞恥プレイのようなことをされる謂れは全くない。
真面目な話に如何に早く誘導するか。
それが俺にとっての最優先事項だ。
「あれれ、バレてた?」
「すんません、風の噂で。アイドルのスカウトを受けて、それを了承したという話を聞いたので」
言おうとしていたことが、予め知られている。
それは俺からしたら気味悪いことこの上なく、実際に俺はその愚行を犯してしまった訳なのだが、恵美の母さんは気にすることなく、話を続ける。
心の広い御方である。
人を弄れるだけのボキャブラリーに溢れていれば、真面目な話とそうでない時のメリハリも付ける。
初対面でこの方が恵美の母と言われても、当然違和感を感じることはなかろう。そんな人だ。
「ああ───怒ってないから大丈夫。それなら話は速いから」
恵美の母さんは更に続ける。
その笑みに、少しだけシリアスを交えて。
「恵美のこと、どう思う?」
「恵美が、ですか?」
「あの子は、アイドルになっても勉強を続けられるだけの学力があるかな。見た感じ、私はあると思ってる‥‥‥というか、信じてる」
「娘さんのこと、信頼なさっているんですね」
「それは当たり前。親が娘を信じないで誰が信じてあげるの‥‥‥あの娘が『やる』って言ったものは出来るだけ尊重してあげたい。それが親心ってものだから」
「けど、信頼と不安は違う‥‥‥そういうことでしょう?俺を呼び出したことってのは」
「あはは‥‥‥枯太郎くんにはバレバレだね」
そりゃあな。
俺も今現在保護者紛いのことをしているから何となく分かる。
俺は北上麗花という女の子の存在に信頼をしている。明朗快活で、元気溌剌。時に突飛なアイデアを見せたかと思えば、さりげなく人を気遣う面もある。
トラブルメーカーなのだって、麗花に人脈がある証拠だ。人と関わらなければ、そもそもトラブルが起きることも少ないんだからな。
けれどそれと同時に不安もある。
当たり前さ、麗花がトラブルを起こせば他人に迷惑がかかる可能性だってある。
たった1人の幼馴染だ。
不安にもなるし、心配するなんて当たり前のことだ。
信頼しているからこそ、その存在を大切にするが故に不安を抱く。
信頼と不安はセットみたいなものなんだろう。
そういうことが分かるから、俺は何となく恵美の母さんの言っていることに合点がいったのさ。
「なら、直近の成績を見てみましょうか」
資料を机に広げ、ここ2年の恵美の成績を確認する。
「所恵美さん。中学3年から早2年。あの時の俺は大学に入り立ての新米ホヤホヤ家庭教師でしたが、そんな俺から見ても、彼女の成績は飛躍的に上がっています」
「指導と努力の二人三脚の結果ね」
「ええ‥‥‥ですが、思うんですよ。家庭教師が新米の中で、ここまで成績が伸びたってのは殆どが恵美さんの実力なんだって」
「え」
「恵美さん、見えないところでちゃんと努力してると思うんです。間違えた所は、しっかり直すし態度も悪くない。宿題はしっかりこなす等々、やるべきことをしっかりやったからこそのこの成績だと自分は思うんです」
家庭教師の時間以外にも家では間違えた所を律儀に直してく自慢の生徒だ。
だからかな。俺がこんな事言うのもなんだが、1人の目上の立場として俺は彼女のやりたいことを応援したい。
やりたいと思ったことを、学生時代にちゃんとやって欲しいワケだ。
「確かに困難な道だと思います。アイドル活動に、勉強。そもそもの話、人が2つのことを両立するのには相当の努力が必要です。少なくともそれは俺には無理だった、これをやりきるってだけの『プライド』がなかったから」
嘘ではない。
俺には特定のものに関しての明確な執念やプライドが学生時代なかった。
だからこそ、現状が大学生活をしつつ就職することを一定の目標にしている男になっている。
それは光り輝く夢なんかじゃないさ。
半ば惰性の義務感だ。決して褒められたもんじゃあない。
けど、俺は俺。
俺が突入したそのルートに、恵美が入るとは限らない。否、する訳がない。
何せ奴には───
「けれど、恵美さんには正しく、誠実なプライドがちゃんと宿ってます。だから、大丈夫です。二兎目を目指そうってなっても、成績を落とさない‥‥‥彼女なら、文武両道を出来ると2年間見てきて、そう思わせられました」
時に恵美は他者に気を遣いすぎるきらいがある。
けれども、それ以上に恵美は周りに心配をかけまいと努力をする。
そんな彼女が自分の意思でやりたいと決めた。
そしたら、俺がそれを邪魔するようなことはせまい。
成功だって、できると信じている。
「‥‥‥そうですか、ええ分かりました。貴方が来てから恵美の成績は飛躍的に上がりましたからね、そんな貴方が言うのなら私は信じます」
「過度な期待を俺にかけんといてください。俺はいつも通り、彼女に勉強を教えるだけですから」
ま、色々お節介垂れた訳だが結局のところ、俺が変わる必要はない。
何処までも普通に彼女に勉強を教えれば良いのさ。
それこそ、アイドルのことなんて知らないって体でな。
そう言うと、恵美の母さんはまたしても笑みを見せ頭を下げたのだった。
「今後とも、恵美をよろしくお願いします」
よろしくなのは、こっちな訳なんですがね。
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第12話
2月。
この時期になると大体の講義は終了を迎える。講義は前年の後期から冬休みの期間まで行い、冬休みを挟み残りの講義を消化───後にテストを行い、単位を取得するのが殆どの大学生のお約束事のようなものだ。
当然、俺と麗花もその例に漏れず単位を取得し無事後期の日程を消化することに成功している。
麗花は元々地頭は良いからな。惰眠を貪らず、しっかりノートを取れればそう単位を落とすことは無い。
出席に関しては俺が叩き起こす。そうすれば単位の取れる北上麗花の完成だ。
‥‥‥大学に入りたては滅茶苦茶苦労したがな。
新生活に馴染めず、寝坊、バイト、講義中のダブル居眠りと兎に角この生活に馴染めなかった。
しかし、それも今では気にしない程馴染めてしまっている。
これに関しては、家事を分担したり、一緒に馬鹿やって笑いあってくれた麗花のお陰である。
そして、今日はそんな麗花に叩き起されることから始まる。
いつの間にか俺の部屋に侵入した麗花。
布団をゆさゆさと揺らされ目を覚ますと、そこには和服に白いエプロン。大正浪漫溢れる給仕服を着用した女が居た。
さて。
俺はこの状況にどう反応すべきなのかな。
「‥‥‥あの、なんの冗談ですか」
「給仕服!」
「‥‥‥また通販か」
「最近は給仕服の時代だって何処かのサイトに載っててね〜」
「その下りはこの前も聴いた!!」
何故この時代に貴様は大正浪漫にあやかろうとする。
時代は変わったんだ。
このご時世、給仕服なんて買っても意味がないだろう!何のために使うんだそのコスプレ!!
「クッソこのプルジョワジーめ‥‥‥」
恨み節を呟きながら俺は寝起きの身体を無理矢理起こす。
どうせその給仕服も1日が終われば麗花の魔窟にほっぽり出されるのだろう。
南無、ハイカラさん。
「‥‥‥で、お前は何をしたいんだ。そんな服着て」
さて、合掌も程々に麗花にハイカラ衣装の真意を問うと麗花は右手に持ったいた泡立て器を掲げ、高らかに宣言。
「チョコを作ろ〜!」
「1人でやって、どうぞ」
全く、人騒がせな奴だ。
大体な、そういうのは1人で作るもんだろ。
彼チョコだろうが友チョコだろうが1人で丹精込めて作ることに意味があるんだ。
母さんがそう言ってた。
「よし!じゃあこっくんはオーブンの準備をして欲しいな。そしたら早くチョコを作れるよ!」
「あの、話聞いてましたか?」
「?」
訳が分からないとでも言いたげに首を傾げる麗花。
俺はしっかりと天然な麗花にも分かるように振舞った筈なんだが、俺の伝え方が悪かったのだろうか。
「俺は、お前に1人でやれと言ったんだが」
「うん、1人でやるよ?」
なら1人でやれよ、と俺が続けようとするとその言葉を遮るように麗花が言葉を畳み掛ける。
「チョコ本体を作ることは!」
「ファッ!?」
「だからね、こっくんはオーブンとか調理器具の準備をして欲しいな〜」
マジかよ。
どうやら俺は麗花に1本取られてしまったらしい。
ハイカラ麗花さんはどうしても俺をチョコ作りに巻き込みたいらしく、そこから逃れられる術は今現在を持って完全に閉ざされてしまった。
なら、どうするべきか───
そんなことを考える程選択肢に恵まれている状況ではなかった。
両手を上げて、降伏の意思を示す。
悔しいが、今の麗花に口で勝てる程俺のボキャブラリーは裕福ではないのだ。
「お手上げだ。全く‥‥‥で、俺はオーブンの準備だけでいいのか?」
「後は、まな板に、さいばしに〜‥‥‥あ、後はゴムベラも!」
「少しは手前で準備しろよ」
下準備くらい出来んだろうが。
それから、麗花と俺の奇妙なチョコケーキ作りが始まった。
麗花は流石に自分でチョコを作ると言った手前、それなりに手際良くチョコケーキを作っていく。
流石、2年間家事を分担してやってきただけのことはある。以前の悲惨っぷりとは段違いだ。
「うわぁ〜チョコ美味しそう!!」
「へいへい‥‥‥さいですか」
既に使い終わった調理器具を洗いながら、俺はオーブンで調理している最中のチョコケーキをじーっと見てる麗花にそう返す。
全く、世話のかかる女である。
尤も、それはお互い様ではあるが少しくらい苦言を呈したってバチは当たらない筈だろう。
目が覚めたら大正浪漫に身を包んだ幼馴染がいたら、誰だってビックリするだろうてからに。
「で、お前は何時までその給仕服を着てるつもりだ?」
「ん〜‥‥‥後もう少しかな」
「因みにそのコスプレ、幾らしたんだ?」
「1万円!」
やっぱりプルジョワジーだったじゃないか。
特にコスプレ趣味もない奴が1万円の給仕服を着てチョコだけを作るとか、どんな散財の仕方だよ。
勿論、金の使い方は自由だが麗花の金遣いに対しては少々心配を禁じ得ないんだが。
「ねえねえ、こっくん」
「あ?」
「似合うかな〜」
そう言って、裾をつまんでお辞儀をする麗花。普段のツインテールとは違い、髪をポニテで束ね後ろで纏めている調理用のヘアスタイルは新鮮で可愛い。
そして、何より───
「何着たって似合うよ、お前は」
素材が良いんだ。
これで余っ程奇特なものを着ない限り麗花は何でも似合うと思う。
全く、美人も罪なものだ。
そう考えてたら、何故か麗花のハイカラがとても可愛く思えてきてしまう。しまった、俺は大正浪漫に萌えるタイプだったのか───
「えへへ、ありがと〜♪」
「ちょ、待て抱きつくな馬鹿!エプロンにチョコレートが‥‥‥あああああ!?」
トリップしてたら抱き着かれて愛用していたエプロンにチョコレートがべっとりと張り付く。
洗わねばならない、晩飯までに間に合うのかコレ。
「ここでこっくんにクイズで〜す!」
抱き着かれたまま、麗花は俺に質問をする。
そんなことより離して欲しいってのは俺の考えであるのだが‥‥‥どうしてかな、ホールドされた腕を離すことが出来ません。
誰か助けて。
「今日は何の日でしょうか!」
「‥‥‥ほら、あれだろ。あれ」
相撲取りが取るやつ。
「そう‥‥‥ふんどしの日!」
「ぶっぶー!確かに今日はふんどしの日だけど私が求めてるのはその答えじゃありませ〜ん!」
そうですか。
で、答えを教えてくれたら離してくれますかね?
チョコの匂いが充満する前に色々洗っときたいんですけど。
「‥‥‥お前がチョコレートケーキを作るってことは、あれだろ」
バレンタインデー。
そう言うと、麗花は漸く俺の拘束を解いて───
「大正解〜、こっくん偉い偉い♪」
また抱き着かれた。
しかも、今度はあやすように頭を撫でられています。
バブみとか感じないので辞めてくれませんかね。
「そう、今日はバレンタインだよ。だから今日はチョコを作ったんだ。けど、何でケーキなのかは〜‥‥‥分かるかな」
そう言うと、麗花は冷蔵庫を開きチョコレートケーキを取り出す───
いや、ちょっと待て。
今、チョコレートケーキは作ったよな?
何で、もう冷やしてあるチョコレートケーキがあるんだ?
「今焼いてるのはお友達とこっくんにバレンタインデーとして渡すもの。で、これは〜‥‥‥」
そう言うと、麗花は笑顔を見せる。
両手に抱えたのはホール状のケーキ。チョコレートケーキだ。
「何時もバイトに学業に、色々お疲れ様!」
「え」
「ホワイトデーは、激オチ掃除まるがいいな♪」
最後にそう言い切ると、もう一度俺の元にまで近付いてきてお皿に乗っかっているホールケーキをそのまま俺に押し付けた。
「はい!」
「お前‥‥‥これ」
「バレンタインデーとお誕生日おめでとう、こっくん♪」
「ケーキ‥‥‥」
「こっくん自分の誕生日忘れてたでしょ。ダメだよ〜忘れちゃ!記念日は何時だって盛大に、ハッピーにしなくちゃ!」
すっかり忘れてた。
麗花は誕生日を迎えた奴にはケーキを振舞ってプレゼントをする。
つまり、これは今日誕生日の奴に送るわけであって。
2月14日という日に生まれた俺にとっては───
「‥‥‥ぁ」
やばい。
顔の火照りが止まらない。
なんだよ、それ。
「こっくん?」
「ちょっと待って。チョコケーキはちゃんと食べるから、今はもうちょい‥‥‥このままで、頼む」
馬鹿野郎。
不意打ちとかマジで止めろよ。
嬉しくて泣きそうになるだろうが。
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第13話
俺には親という存在がほぼほぼ皆無に等しいレベルで存在していなかった。
父は早い内に死別し、母は仕事で世界中を飛び回っている。
お金は払ってくれるし、偶に帰ってきた時は山程におまけがつくほど愛情を分けてくれるわけなのだが、それでも侘しいものは侘しい。
まあ、要するに俺は愛情なんてものを感じる機会があまり無かったと思ってくれれば結構だ。
だからかな。
偶の直球に弱い。
何時も、表情筋を動かさず気を張ることがノーマルだと思っていた俺だが元々がこんな性格だったとは微塵も思っていないからな。
こういう弱みは、俺が元々持っていたものなんだと今はそう感じている。
表情筋がぶっ壊れた俺には暫し1人の時間が必要だった。
憎き憎きハイカラ麗花。
彼女は意図も容易く俺の顔を朱に染め上げ、表情筋をぶっ壊した。
麗花のチョコ、そしてケーキ。
誕生日を覚えていてくれたって嬉しさが、俺の感情を揺さぶったんだ。
「ママー、あそこにベンチに座ってニヤニヤしてる人が居るよー」
「シッ!指を差さないの!」
‥‥‥兎に角、表情筋と心は整えねばならない。
しゃんとしろ、南宮枯太郎。
お前は他人に簡単にニヤニヤする変態と見られていいのか?
とっとと落ち着きやがれ。一刻も早く、平静を保つんだ。
「どうしたんだい?そんな仏頂面で」
俺が深呼吸をしながら心を落ち着かせていると、不意にそんな声が聞こえる。
見上げると、そこにはつい最近出会った男。
石嶺広夢がそこには居た。
「アンタは‥‥‥」
「久方ぶりだね、あれから北上さんの様子はどうだい?」
どうしたもこうしたも、今は何事もなかったかのように色々やってるよ。
全く、俺が居ぬ間に何があったのかね。
「普通っすよ」
「北上さんの普通‥‥‥か。因みにそれは本当に普通なのかい?」
「だと思います?」
「‥‥‥いや、失礼。それを聞くのは野暮だったね」
分かってくれたようで何よりだ。
石嶺プロデューサーが麗花にオファーした時から麗花の天然&大物っぷりは目に見えていた筈。
あれで一般常識の普通に当てはめられる───というのがそもそもの大間違いである。
「まあ、アイドルに関しては前向きですよ。ドタキャンなんてこたぁないんじゃないですかね」
「そっか、それは良かったよ。北上さんのポテンシャルは計り知れないものがある。今、アイドルを始めれば横一線からでも1つ飛び抜けた存在になるだろうね」
「色んな意味で、ですか」
「ははっ!そりゃあ違いないね」
石嶺プロデューサーは大笑いしながら、俺を見る。
俺とて何年も麗花を見てきた存在だ。
プロデューサーの麗花に対して言わんとしていることはある程度分かるし、話も合わせられる。
話題も尽きないだろう。
「南宮君、だっけ?キミとは馬が合いそうだ」
「馬、ですか」
「ああ!自分で言うのもなんだが、ちょっと熱が入ることも多い僕に、状況判断をすることに長けている南宮君。タッグを組めば、かなり良い線行くと思うんだがね‥‥‥南宮君はどう思う?」
「んー、微塵も思わないっすね」
「そ、即答‥‥‥まあ、急にそんなことを言われても困るか」
そりゃあな。
けれど、悪い気はしない。
そうやって認めてもらえることはさして悪いことでもあるまいし、石嶺さんのような既に定職に就いている方からそう言われるのは光栄の極みだ。
今後とも、そう言われるように邁進していこう。
「所で、さっきはなんであんな顔してたんだい?あの時はポーカーフェイスを地で行くような顔つきだった南宮君が、らしくない」
さり気なくそう尋ねた石嶺プロデューサーの一言。
その言葉に、若干の気恥ずかしさを覚えつつも石嶺さんならこの情けない現状を打破するきっかけを作ってくれるのではないかと、俺は縋った。
「俺、元々感情は表に出さない性格なんですよ」
「ああ、そりゃあ違いないね」
「麗花や麗花の御家族が言うに、昔はそんなんじゃなかったらしいんすけど、どうにも俺にはちゃんと笑った試しがなくて」
俺には本気で笑ったって試しがない。
昔の記憶故に、朧気になっていることもあるにはあるが、思い浮かばないって時点で俺の笑顔の回数なんてたかが知れてると言っても同然だ。
「んで、最近麗花から誕生日を貰ったんです」
「ほう、何を貰ったんだい?」
「チョコレートケーキです。麗花は誕生日の奴にケーキを送る癖がありましてね、自分の誕生日もロクに覚えてなかった俺は面食らったワケです」
そして、俺の中でとある感情が芽生えた。
それが『嬉しい』って気持ちだ。
麗花が誕生日を覚えててくれた。
それが俺にとっては本当に嬉しいことで、泣きたいくらい有難いことだったのさ。
「‥‥‥成程ね、それで南宮くんは嬉しくて嬉しくてニヤニヤしていたと」
「う゛‥‥‥核心を突くのは止めてくれませんかね。あまり良い趣味とは言えませんよ」
「あはは、悪い悪い。けど、南宮君がごくごく一般的な感情を抱くことは何らおかしなことではないと僕は思うよ。そういうのって、誰だって嬉しいものだし、俺だって嬉しくなる‥‥‥俺が思うに、枯太郎君は感情表現が苦手なだけなんだ」
「感情表現っすか」
「そう、喜怒哀楽を顔で表現することがなかなか出来ない。けれど、それは人それぞれなんだから気にすることはない、ありがとうって気持ちは顔だけじゃなくても伝わるもんだからさ」
そうは言うが、それはニヤニヤしていい免罪符にゃならないだろう。
人は計らずも第一印象で人を決める。
仮に俺が常時感情表現苦手でこうしてニヤニヤしていたら人は俺をどう思う?
言っておくが、俺は人の第一印象を気にしないほど図太い性格ではないんだからな。
「直したいんすよ、出来るなら」
関わった人間に対して侘しい思いをさせているのは重々承知だ。
麗花に対して時に失礼にも程がある態度を取ってしまっているのも重々承知している。
嬉しい時は、笑いたい。
それは、紛れもない俺の本心だ。
「‥‥‥そっか、枯太郎君は悩んでいるんだね」
「ええ、そりゃあもう」
だが、有言実行出来ないのが苦しいところだ。
俺にとって笑うというのは苦手なゴーヤを噛み締めるよりも難しいこと。
何せ、ゴーヤとは違って気概があっても出来ない俗にいう無理ゲーってやつなんだからな。
だが、それ程絶望感は感じていない。
それは、感情表現が絶望的な今であってもそんな俺に寄り添ってくれている奴がいるから。
対等な目線で、一緒に居てくれる『親友』がいるからなのかもしれないな。
石嶺プロデューサーが俺を見る。
視線を感じた俺は、石嶺プロデューサーをもう一度ちゃんと見据える。
石嶺プロデューサーは、笑うことのない真顔で俺を見つめていた。
「‥‥‥感情を表に出せないのなら、感情を出す人達に倣えば良い。人と積極的に関わり、その人となりを知り、理解することでキミは感受性を鍛えることができる。そして、キミの中の感受性が高まった時‥‥‥その時が、キミの感情表現が上手くいく時なんじゃないかなって思うよ」
「簡単に言いますね‥‥‥」
「当たり前さ、キミが感情を表に出せるようにする方策を、僕は持っているんだからね」
そう言うと、石嶺プロデューサーは立ち上がりベンチに座っている俺を見下ろす。
誰かが俺を見下ろせば、俺は誰かを自然と見上げる形になる。
その形が構築された時、石嶺プロデューサーは俺を確りと見据えた上で、手を差し伸べた。
「南宮枯太郎」
「?」
「765プロで、働いてみないかい?」
衝撃的にも程がある一言を残して。
2019.11.17 情景描写を追加。
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第14話
「いやいやいやいや」
俺は、彼のプロデューサーに困惑の色を隠せないでいた。
765プロへの勧誘。
まさか、何気なく相談した結果がこんなことになるとは微塵も思ってなかった故である。
予想の斜め上にも程があるだろう。
「嫌っすよ、俺は大学生っすよ?はっ‥‥‥もしかしてアンタは俺に大学生を止めろというのか」
「違う違う!キミは今盛大な誤解をしているよ!!」
ならばどういう了見なのだ。
言葉だけを掻い摘んでたら自然とそういう答えに至るだろう。
なにが入社だ、なにがウチに来ないかだ。
そもそもアンタの一存で決められるものでもなかろうに。
「大学を中退する必要はない!その代わり、インターンとして765プロで職場体験をするんだ」
「インターンだぁ‥‥‥?」
「そして、社風に合えば僕がキミを高木社長に推薦してキミは765プロに‥‥‥」
「やっぱりスカウトじゃねえか!?」
「だぁっ!?違う違う!!いや、手伝って欲しいのは確かだけどそれは第一優先じゃあないんだ!!」
立ち上がった俺の両肩を掴んだ石嶺プロデューサー。
すると、石嶺プロデューサーは情熱を孕んだ熱い眼差しで一言。
「南宮君!確かにキミに765に入社して欲しいってのは本音だ!!キミには気遣いとお節介の才能がある!!それを磨いて、プロデュース業に専念すれば僕なんかよりずっと良いプロデューサーに慣れると信じている!」
けどな、と更に石嶺プロデューサーは続ける。
「それよりもアイドル達の光り輝く姿と、その成長過程を共有していくことで僕はキミに笑顔になって欲しいんだ!!喜怒哀楽を全面に押し出して欲しい!キミに、『アイドル』を知って欲しいんだ南宮枯太郎君!!」
‥‥‥。
いや、言いたい事は理解したが。
「それでもアイドルのプロデューサーのインターンって。勧誘してくれるのは嬉しいですけど、流石に唐突が過ぎますぜ石嶺さん」
「だからこそのインターン生だ。暇がある時に事務所に寄って、仕事を体験したり見たり聞いたりして欲しい‥‥‥ぶっちゃけ、仕事を手伝って欲しい」
本音出たな。
くそ、まさかこのタイミングでこんなオファーを貰うとは思ってもみなかった。
大体俺は気分転換の為に外に出たんだぞ。
新たな懸案事項を抱えてどうすんだ、馬鹿。
「幸い、キミにはまだ期間がある‥‥‥何年生だい?」
「2年です。今年で3年───」
「なら全然期間があるじゃないか!!」
「いや、だから俺は───」
「兎に角、これ連絡先!ここに連絡をくれたら直ぐに出るから!!」
そう言うと、石嶺プロデューサーは立ち上がり鞄を片手にすたこらさっさと走っていった。
拒否される前に連絡先を押し付けられ、あれよこれよという間に言質を取られたとしか思えない。
この連絡先、どうしたらええんよ。
「ったく‥‥‥俺はまだ決まってねーって言いたかったのに」
765プロにインターン。
それは、就職先が決まっていない俺にとってはありがたい話である。
しかし、その就職先と己のメンタル的な要素を絡めてインターンを強引にこじつけられたのは不本意だ。
情けや同情でインターンの勧誘をされたくはなかったのが本音なんだからな。
しかし、そこは大学生。
機会があれば寄ってみようなんて悪魔的な発想が俺の脳内を襲う。
目標には貪欲なのが俺の主義なんだ、とでも言い訳したら良いのかね。
兎に角、縋った結果、明確な答えは貰えなかった俺氏。
感情を表に出すための具体案は授けてもらった訳なのだが、それは今のこの気持ち悪いニヤケ顔を解消させるきっかけにゃならない。
ベンチに座り、今一度深呼吸をする。
暫く、1人になる時間が必要だ。
そう、1人になる時間がな‥‥‥
「あれ?コタローセンセじゃん。どしたの?」
このベンチには何かエンカウント確率アップの魔法でもかけられているのかな。
目線を地面から声のした方───後ろを振り向くと、そこには言わずと知れた茶髪に1人の見知らぬ少女。
親睦会でもやってたのか、アイス片手に仲睦まじい様子である。
「あ゛ー‥‥‥俺は今人生という困難にぶち当たってる最中なんだ」
「あー、ちょっと人生に行き詰まったカンジ?まあ、大丈夫っしょ、コタローセンセ鈍感だし」
「おうおう、売られた喧嘩は買うぜ。とりま表に出ろよ‥‥‥恵美さんよ」
俺がそう言って凄むと恵美は乾いた笑い声を上げて口笛を吹く。
笑い声が独特なのは、もう慣れた。
「にゃはは‥‥‥おそよー、コタローセンセ」
「おそよーさん、恵美。で、お前は何してる最中なんだ?」
「新しく友達が出来たんだ、だから親睦会の最中でー‥‥‥これからカラオケ!!」
「おう、そうか。アイスは食い終わってから行けよ」
「分かってるって!」
それなら良い。
ところで、目の前にいるもう1人の女の子は誰だ。
挨拶してくれるのは有難いが、あまり友達を会話の流れに置いてけぼりにするもんじゃないぞ。
「あーっ、そうだね。えっと、琴葉。この人は私のカテキョ!」
「カテキョ‥‥‥って先生!?」
「あー、うん。そんな感じ‥‥‥かな?」
言い淀み、困ったように視線をこちらに送る恵美。
遠慮する必要はない。
事実、俺はお前の先生やってるんだしな。
「親睦会の邪魔をして悪かったな。俺の名前は南宮枯太郎、恵美の言ったように家庭教師を努めさせて貰ってる‥‥‥まあ、友達みたいなもんだ。よろしくな」
「あ、いえ‥‥‥!別に邪魔をした訳では」
よろしくお願いします、と続け握手をするカチューシャ。
まあ、特に何かをお洒落してる訳でもあるまいのに綺麗な女の子だ。
清楚系だな、普通に可愛い。
「琴葉はね〜兎に角真面目なんだよ!!この前なんて差し入れを大量に持ってきてね‥‥‥」
「良いじゃないか。気遣いって大切だぞ」
世の中はお節介を忌避されることも多いが、そもそもの話お節介どころか気遣いすらも出来ない連中の方が多いからな。
利己的に傲慢に生きるよりかは他者のことを考え、その結果がお節介になってしまった方が余っ程良いというのが俺の考えだ。
「田中さん‥‥‥だっけか?まあ、あれだ。今後とも、よろしく」
「は、はい。こちらこそ」
これにて一件落着だ。
女子会みたいなものにこれ以上男───そして年上の家庭教師が介入する訳にはいかん。
そんなの、浄水をドブに捨てるようなもんだからな。
「ほら、そろそろ行ってやれ。お前の仲間がアイスを買い終わったぞ」
「あ、ホントだ!じゃあまたね、コタローセンセ!」
「おう」
『琴葉、行こっ!』と声をかけ、恵美は走り去っていく。
───が、その足は不意に立ち止まり再度俺を見つめた。
遠目から、恵美が声をかけたのだ。
「あー‥‥‥コタローセンセ!!」
「あ?」
「あの時、信じてくれてめっちゃ嬉しかったよ!!」
は?
「信じてくれて、ありがとねー!!」
最後にそう言って、走り出す恵美。
『信じる』という言葉に、覚えは無かった故に聞いた瞬間は素っ頓狂な声を上げたのだが、恵美と俺に関わる出来事と言えば『あの件』しかなく。
恵美の母さんとの会話が、恐らく聞かれていたのだろうと判断することに、そんなに時間はかからなかった。
「あー‥‥‥」
まあ、あれだ。
今日は家に帰って、悶えよう。
そして明日からリセットだ。
それしかないわな。
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第15話
休暇期間ほど暇を持て余す時間はない、というのが俺が抱く長期休暇に対しての考えだった。
元々人とワイワイすることが好きではない俺は自然と飲み会なんかをすることはなく、休みといえば寝て、起きて、趣味である読書や積みゲーをすることしかやることがない。
しかし、これがなかなか良いのだ。
人に適した気分転換は人の数ほどある。
何が正しくて、何が悪いのかなんてそんなもの俺には分からん。
健康に良いと言われているものだって、それを享受する際にストレスを感じてしまっていたら意味がない。
結局、自分に1番負荷のかからないものこそが気分転換なんだと俺は思うね。
しかし、本日。
厳密には昨日、予定が出来た。
決行日は明日、その内容とは。
「実家に帰るぞ」
長野への帰郷である。
昨日、俺の元に二通の電話が来た。
送り付けた主は、北上家と母からである。
北上家からは、何時もお世話になっているというお礼の言葉に様子はどうだという確認。
そして、母からは───
『久しぶりぃ!!愛しの‥‥‥愛しの枯太郎!!』
愛の言葉を何度も何度も吹きかけられた。
こちらとしては愛の言葉を囁かれるのは馴れている上に非常にありがたいことなのだが、そこまで『愛してる』と言われても1周回って引いてしまうのが俺である。
事実、10分に渡る愛の言葉に俺のメンタルはヒエッヒエだった。
しかし、そんな母である『
母が帰宅するのは非常に珍しいことである。
そして、運良く俺は休暇。
麗花も、1度帰宅して両親に告げなければならないことがあるだろう。
俺達が長野に行かない理由は、存在しなかった。
「帰るの!?わーい!こっくんと長野だ〜!!」
「1泊するのみだがな。それで、お前も色々報告してこい」
「うん♪」
そう言って、自分の部屋へと戻っていった麗花。
早速支度ってか、随分とまあ楽しみにしているこって。
とはいえ、俺ものらりくらりとしている必要はない。
早いとこ支度して、土産のひとつでも持って行くってのが最低限のマナーって奴だよな。
「俺もするか、支度」
その言葉が決め手となり、俺の午前中の予定は無事決まった。
金と必要最低限のものをウェストポーチに突っ込み、適当な場所に置いておく。
着替えをハンガーにかけ、明日の着替えをスムーズに済ませる。
そうすれば間もなく起床後即出発の準備完成だ。
「さて、後は買い物だが‥‥‥」
母は甘いものが好きである。
そこに至るまでの過程というものは大してある訳では無いが、兎に角彼女は甘いものが好きなのだ。
だからこそ、俺が母さん宛に買うべき東京土産の構想は大体分かっていた。
和スイーツ、和菓子。
だが、保温のことも考えたら和菓子が妥当だろう。
東京土産に困ることは無い。
見繕って、母さんに東京土産を送ってしまおう。
「麗花ー、今から俺土産買いに行くけどお前も行くか?」
「うん!行く〜♪」
まあ、なんだかんだ麗花は外に出ることが好きである。
俺からの誘いを、断ることもなく午後の予定は麗花と外に繰り出すことに決まった。
和菓子、というものに最初は嫌悪感を示していた。
俺がまだまだ精神的にも身体的にもガキだった頃の話だ。
物心が付いた頃には親父が亡くなっていた。
事故だったらしい、まあ何で事故ったのかは知らんがな。
まあ、そんな過程もあって母さんが外を飛び回る仕事に就いた。
毎日毎日外に出て、たまに帰ってきたと思ったら疲れた顔して帰ってくる。
『毎日苦労をかけてごめんね』
俺がまだ自立出来なかった時に、母が口癖のように呟いてた言葉がそれだった。
しかし、朝起きれば母は居ない。
そんな俺が朝起きた時に目にするのはテーブルの上に置いてある朝ごはんに、お土産として置かれている和菓子だった。
それが俺の和菓子が嫌いだった理由である。
あの時の俺は、テーブルには和菓子よりも母さんに居て欲しかったと思っていたんだ。
我ながらガキだと思うね。
事情も何も分からないから駄々を捏ねている。
傍から見たらみっともないガキさ。帰ってくれるだけマシだってのによ。
そんな俺が、和菓子を買いにデパートに来ている。
お隣で、晩飯をほぼ毎日作ってくれた北上家の一人娘と共にだ。
あの時から、俺は成長出来たのかね。
1人が寂しいだなんて、言わない強さを得れたのかね。
そんなことは、実質2人で生活している俺には分からないんだろうな。
「‥‥‥ホンットに、何の因果かね」
今じゃ和菓子を進んで買ってしまうほどの和菓子ジャンキーになってしまった。
遺伝、というものは怖いものだ。
まさか味覚まで母さんと同じだとは思わなんだ。
「お客様、お決まりですか?」
「あ、この和菓子下さい」
「かしこまりましたー」
金を払い、袋に包まれた和菓子土産を片手に提げる。
さて、麗花は何処に行ったのかと見回すと、横から麗花がスキップしながらこちらへやってくる。
周りの目とか気にならんのかね、この19歳児は。
「その和菓子、美味しいよね〜」
「‥‥‥そういうお前は何をやってんだ?」
「試飲〜、このお茶美味しいんだよ〜」
そうか。
まあ、茶よりコーヒー派の俺には縁のない話だろう。
「麗花は何か買わなくて良いのか」
「買った方が良いかな」
「東京土産に希少価値なんてものは大してないが、普段世話になってんだから買っても良いんじゃないか?」
普段、仕送りとかしてもらっているんだ。
あまつさえ、お前はバイトの心配する必要ないほど金を貰っている。
こういう時くらい、土産を買った方が良いとは思うがな。
さて、俺が購入するよう提案してみると麗花が数ある土産物の中から俺の土産を見つめ、その土産と同じものを手に取った。
おうコラ店員、ニヤニヤしてんじゃねえぞマジで。
「じゃあ、こっくんと同じの買う〜!」
「手抜きがバレるぞ」
「運命共同体だね♪」
「巻き込まないでくれませんかね」
一悶着あったものの、麗花が選んだのは俺と同じ和菓子。
店員は相変わらずニヤニヤしたまま会計すると麗花に紙袋に入れられた和菓子を渡す。
それを受け取った麗花を見た俺は土産売り場を後にした。
付いてくる麗花は鼻歌を歌っている。
おかしな鼻歌だ。
「‥‥‥今日、晩飯どうする?」
「あったかーいものを食べたい!」
「じゃあ、鍋か」
鍋なら簡単に出来上がる。
何せ鍋を用意して適当に何か突っ込んどけば鍋にはなるからな。
豆腐に白菜、肉も入れていい。
鍋をするものの好みにより、バリエーションは豊富である。
と、いうわけで今日は鍋だ。
異論は認めん。
「ワインってどんな味がするのかな」
不意に、麗花がデパートに並ばれているワインのケースを横目に呟く。
まさか酒に興味を持つなんてな。
まあ、年齢的には大人なんだし興味を持ってもおかしくはない。
「酒は飲んでも飲まれるな、とはよく言うからな。あまり飲まねえことに越したことはないだろう」
「あの高そうなのとか、気になるな〜」
無視かよ。
まあいいけど。
「俺はあまり飲まんぞ。何か、母さんに酒を飲むなと念押しされてるからな」
母さんが言うには、自分も親父も酒には弱かったらしく1杯酒を飲んだだけで収拾がつかなくなってしまったらしい。
そんな私達から産まれた枯太郎が酒に強いわけがないらしいというのが母さんの考えだ。
酒は百薬の長とは言うが、俺はあまり飲まないようにしよう。
酒癖悪くて他の奴に迷惑なんてかけられないからな。
「それでもいいよ、でも‥‥‥いつか一緒に飲んでみたいな」
「‥‥‥そうか」
「見てみたいな〜酔ったこっくん!」
「絶対嫌だ」
会話しながら、今日の晩飯を買いに惣菜売り場へと向かっていく。
すると麗花が不意に俺の前へ躍り出て、俺の行く手を遮る。
「こっくん」
「あ?」
「今度、お酒一緒に飲もうね♪」
にへっと笑いながらそう言った麗花の言葉には希望があった。
酒なんて別に拘りがある訳じゃないが、何故かその言葉には胸に響くものがあって。
だからかな。
照れ隠しに、俺は麗花の頭に軽くチョップを敢行した。
麗花が『あう』と頭を擦りながら、それでも笑顔は崩さずに俺を見る。
そんな光景をおかしいと呆れつつも、俺は前へと進みながら麗花に言葉を紡いだ。
「ま、少しなら良いぞ」
「本当!?」
「ただ、飲みすぎはしないからな。程々にするぞ」
「わーい!こっくんとお酒〜!!」
「聴いちゃいねえ」
ま、今はそれよりもやらなければならないことがあるんだがな。
麗花はアイドルとしての道を邁進する。
俺は就職に向けて頑張る。
それぞれがそれぞれの道を進んで、その結果ワインを飲めるような歳になれたら、その時は1杯位は交わしたいものだ。
そして、いつか麗花とお互いの夢を語らいながら、酒を飲めればそれも一興だと俺は思うね。
2人はまだお酒は飲んでません(独自設定)
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第16話
残りの2話に少々時間がかかっておりますが、必ずキリの良い形で完結はさせて頂きますので、もう少しお付き合い頂ければ幸いです。
新幹線を使っての長野行きは半年ぶりだったか。
そんなことを想像しながら、俺は車窓から見える景色を眺めていた。
眺める景色は緑に染まったり山々の景色になったりと目まぐるしい。
しかし、そんな景色もいつかは見覚えのある街並みに変わり、自然と安堵感のようなものを得るのと同時に、帰ってきたんだな───ということを強く実感するきっかけになる。
「‥‥‥ま、直ぐに帰ることになるんだがな」
母さんの滞在期間は今日のみ。
明日にはまた家を出て仕事だ。
そうなってしまえば俺が長野に居る必要はなくなる。
旧知の友人など、欠片もいないからな。
その一方で、麗花にはやらねばならぬことがある。
家族にアイドルをすることを認めてもらうこと。
後は、部屋のこと。
アイドルが男とひとつ屋根の下で暮らすことが不味いことくらい流石に知っている。
それは、幾ら幼馴染だとしてもだ。
麗花と俺は幼馴染の垣根さえ外してしまえば、赤の他人。
俺と麗花が幼馴染だということを世間は知らないだろう。
と、なると麗花が今のままの暮らしをしていたら少なくとも何らかの形で不都合が生じる可能性がある。
要は、麗花も一人暮らしをしなきゃいけないってことなのさ。
「わー!長野だよ、こっくん!長野ー!」
目の前には、そんな心配露知らずとでも言いたげなスマイルで車窓から見える景色を眺めている麗花。
どうしても、コイツが部屋を1人で綺麗にできる生活が想像できないんだが、どうしたもんかね。
「こっくん?具合悪いの?」
「‥‥‥頭が痛いよ」
未来に関してのことでな。
そんな意図を孕んだ言葉を麗花に告げると、麗花は俺の頭に手を添える。
「おい」
何してんだ。
「こっくんに魔法をかけるんだよ」
「お前何言ってんの?」
「痛いの痛いの飛んで行けー♪」
コイツ1度はっ倒してやろうか。
「そんなおまじないでお前は俺の頭痛が治るとでも思ってんのか‥‥‥?」
「うん!」
ジーザス。
俺はおまじないが通用するほどお子ちゃまでもなければ狂信的なおまじない信者でもない。
新幹線という公共の場で俺を子ども扱いするのは辞めて欲しいものだ。
「それにしても‥‥‥懐かしいな」
長野の景色が見えてきた。
そろそろ駅にはつく頃だ。
おおよそ見積もって30分といったところかな。
「こっくん」
「あ?」
「灯さんに、会えて嬉しい?」
その言葉に、俺は目を見開く。
それは、あまりに唐突な発言だったからか。
しかし、いつまでも固まっちまう程この状況に慣れていないワケではない。
「かもな」
気を取り直して、そう言う。
しかし麗花は納得いかないのか不満気。
解せぬ。
「えー、でも笑ってないよ?」
「ばっかお前。俺、心の中では滅茶苦茶笑ってるからね?表情筋攣るくらい笑ってるからね?」
心の中では笑えてるのかもしれないという一抹の期待からそんな虚言を吐き、保身に走る。
しかし嘘松は何れバレる運命にあり、それは俺も例に漏れず。
「じゃあ笑って〜!」
「やだよ!!って、また!?またそれ!?やめて麗花手を俺の顔から離せ‥‥‥アーッ!!!!!」
結果、余計な体力を使う羽目になってしまったのだったのは言うまでもない。
新幹線は約2時間程かけて東京から長野へと辿り着く。まあ、そこまでは簡単な道のりだと言えよう。
しかし、ここから電車移動等を挟むと流石に座り疲れのようなものが身を襲う。
ましてや普段は物静かな俺が麗花との会話のペースに合わせようといつもより気を張ってしまっていた。
そりゃあ疲れるわな。
当たり前っちゃ当たり前だ。
「帰ってきた〜!」
「疲れた‥‥‥予想以上に、疲れた」
それにしたって予想外の疲労感である。
不可抗力っちゃ不可抗力だが半ば自業自得でもあるこの展開。
容赦なく襲う倦怠感に俺は涙が止まらないね。
「この後はどうやって行くの?」
「ああ、この先は母さんが車で来てくれるらしいから。テキトーにベンチで座って待つぞ」
「おー!」
おかしい。
麗花だって2時間近く新幹線に座ってたはずなのに。
彼女と俺では持ってる体力が段違いではあるのだが、それでもその違いは驚愕だ。
長旅を楽しいものと感じているかどうかの違いか。
どちらにせよ、麗花の底なしの体力には脱帽せざるを得ない。
「そういえば」
不意に麗花が空を見上げながら呟くと、その顔をにぱっと笑みに染める。
期待感が滲み出ており、ワクワクしているという様が見て取れた。
「なんだ?」
「灯さんって、車変えたのかな」
「どうだったかね‥‥‥」
確か、ずっと車検とかに出しつつも車種は変えてなかった気がするんだが。
「そもそも、どうして急に母さんの車のことを気にしたんだ?」
「灯さんの車の風を感じられる感覚が大好きだから!」
そりゃどの車でも窓を開ければそうなる気がするんだがな。
ただ、穏やかな空気が蔓延しているこの地域で運転しながら風を浴びるのは俺とて嫌いな訳では無い。
故郷は嫌いではないからな。
普通に、大好きだ。
「お前も免許取ってたよな」
車の免許を取ると聴いた時は不安だったが、麗花は1発で受かってしまったらしい。その結果、車が必要な時は麗花に頼み込んで車に乗っけてもらっているこの現状は些か情けないと感じている。
俺もバイトして金に余裕が出来たら車の免許を取りに行こうと思っている。
金を稼がなければならない。
「うん」
「どうだ?簡単だったか?」
「筆記は、ちょっと難しかったけど実技は楽しかったよ?すいすい〜って運転したら直ぐに終わった!」
参考になるのかどうかは分からんが、麗花的には『アリ』らしい。
聞いた俺が言うのもなんだが、あれだな。信頼出来んな。
元々運動とか実技的なテストには天才肌の一面を魅せる麗花だ。
凡人の俺が麗花の体験談を聞こうとしたのがそもそもの間違いだったか。
まあ、いい。
麗花が簡単に出来たと宣うなら、俺はそれ以上の努力で免許を取るのみだ。
というか、面子云々より普通に就職した後運転とか出来ないと色々厄介だし。
『取りたい』じゃなくて『取らなきゃいけない』んだよな。
ちくせう、人生は辛いぜ。
「今年の目標は車の免許取得だ。後で教えてくれよ、筆記」
「テスト内容忘れちゃった♪」
「ウッソだろお前」
数秒前の俺の期待を返せ。
勝手に期待をしたのは俺だけど、とりま返せ。
「枯太郎ー!!!」
と、雑談を重ねていると不意に後ろから声が聴こえる。
その声は半年ぶりに聞いた声。
「‥‥‥母さん」
南宮灯。
俺の母である人が停車した車から手を振って俺たちに大声で挨拶していた。
「あー!灯さんだー!」
「‥‥‥ったく」
その声に気が付いた俺は麗花を促し、停車している車へと向かう。
母さんは車を降りて、俺達を迎える為か両手を広げた。
さながら映画の感動的な再会のようだ。
実際は、感動の再会と呼べる程の過去は持ってない在り来りな再会なんだがな。
「母さん」
「なになに、感動的な再開に涙が止まらないって?やだなーもう!私ったら人気者!」
「人目を気にしてくれないか?」
「辛辣だった!!息子が辛辣だよ!!」
泣き真似をしながら俺の肩に手を置く母さん。
傍目から見たら悪いことをした子どもに泣きつくお母さんにしか見えないのだが、俺は母さんがこういう時どういう顔をしているのかを知っている。
「良いことだよ、反抗期!本当に枯太郎は会う度に成長してるね!」
特に何も考えてない。
悲観も糞もない、爽やかな笑顔で俺を見つめてくるのだ。
「反抗期じゃねえって。普通に静かにするだろうよ、ここ駅前だぞ?」
「でもでも、久しぶりの再会だし〜」
「猫なで声止めてくれ。てか肩に手を置くのヤメ‥‥イタタタタ!?!?何で力入ってんの!?何で俺の肩握り潰そうとしてんの!?」
「肩凝りだねー」
「凝ってねえ!」
置かれた手を少し強引に振りほどき、母さんの追撃を躱す。
すると、近くに居た麗花がクスクスと笑みを作り、俺を見る。
「相変わらず仲良いね、こっくんと灯さん♪」
「仲良いっていうか‥‥‥過剰なスキンシップというか‥‥‥」
「愛だよ‥‥‥愛!」
「ややこしくなるからアンタ少し落ち着け」
愛はあるのは重々承知だがその愛は時と場所を考えて欲しいものだ。
「あーもう、兎に角行こうぜ」
いい加減行かないと麗花の御家族が心配するだろ。
運転して貰っている手前偉そうなことは言えないが、それでも母さんは自重というものを知っとくべきだと俺は思うんだ。
‥‥‥そう考えていると、気が付く免許を持っていない俺の肩身の狭さ。
ワーカホリックでもなんでもいい。早く免許を取得できるだけの金を貯めたい。そして、免許取りたい。
「ふふ、分かってるよ‥‥‥それじゃー出発しよーっ!」
「おー♪」
車好きの麗花が前の席に座り、母さんが運転。
そして俺は後ろの席に座る。
これまた母さんが麗花を連れて運転する時お馴染みの光景だ。
昔にレディファーストとか言われてた時代が懐かしいね。
まあ、前部座席に座ろうが後部座席に座ろうが大した拘りはない訳なのが実情なのだが。
それにしても────
「ったく‥‥‥」
この光景も何も変わらないようで、結構だよ畜生。
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第17話
あれから車に乗り込み、数分後には家に辿り着いた。
北上家へと向かっていく麗花を見送りつつ、自分と母の荷物を下ろしていると母さんがニヤニヤしながらこちらを見ていることに気が付いた。
何だ、俺に何か付いているのか。
「麗花ちゃん可愛くなったねー」
同意する。
が、天然っぷりもそれと比例するように増幅してきていることを母さんは知った方が良い。
「同居生活はどうよー、楽しい?」
「まあ、それなりに」
不都合はないな。
特に良いのは家事交代制だ。
様々な家事を体験しながら、かつ休む時は休める。
生活が自堕落にならずに済んだのはこの制度のお陰だろう。
「というか最初は幾ら旧知の仲とはいえ同居することに抵抗があったんだがな」
「それは枯太郎位よ?別に私も北上さん家も心配してなかったし」
そりゃ北上家は放任主義みたいなところあるからな。
北上家の家にお世話になったことも幾つかあるが、始めてきた時はのびのびとした生活感というか、空気が滲み出ていて逆に馴染みにくかった。
が、母さんと麗花の母さんが親友同士ということもあり良くしてもらった結果、のびのびとした環境に時間はかかったが馴染むことが出来た。
1人でも孤独感を感じることのなかったのは、間違いなく北上家の影響が大きい。
本当に、麗花含め北上家には感謝しかないのだ。
「‥‥‥でも、良かったな。枯太郎が元気に生活できてて」
ぽつりと母さんが呟く。
この前にも言ったように、母さんは家に居ないことの方が多い。
俺が大学に行く為に東京へ行ったこともあり、ただでさえ会えないのが更に機会を失った。
今では1年に1回、それもその期間は1日のみという少ない時間でしか会うことが出来ない。
かなりの心配をかけているであろうことは、察していた。
「‥‥‥その、すまん」
「え、何が?」
いや、だから。
「仕事で忙しいのに気遣ってくれた。どうせ、母さんのことだ。俺の考えてた我儘なんてお見通しだったんだろ。そのせいで迷惑もかけた。だから、すまん」
迷惑を何度もかけた。
心配もかけた。
我儘も言ったこともある。
殊更息子がするべきではない3つの行為のフルコースを母さんに送ってしまったからこそ、俺はこのタイミングで謝らなければいけないと感じていた。
しかし、そんな俺の心配を他所に母さんは俺の肩をポンと叩く。
その行為に下げた頭を上げると、母さんはニコリと笑みを見せて笑ったのだ。
「‥‥‥なぁに言ってんのよ。母さんが唯一無二の最愛の息子に気遣うのは当たり前でしょ?寧ろ、謝んなきゃいけないのはこっちの方。色々侘しい思いしてきたでしょ?大事な時期に、一緒に居れなくてごめんなさい」
「そんなこと」
反抗しようと開けた口を、指で抑えられる。
人差し指を唇に突きつけられ、言葉を発せない。
「あるの。だから、枯太郎が謝る必要なんて全くないから。傲慢でいて、もっと枯太郎は驕り高ぶる必要があると思うの」
驕り高ぶる必要はないと思うんですがね。
しかし、その言葉は何処か俺の心につっかえていたものを取り除くような言葉だった。
最初は何処か気安さみたいなものがあった。
仕事で忙しいのは分かっているのにも関わらず、俺は愛情を求めた。
けれど、それが大人になるに連れて事情を知って。
罪悪感からか、母さんに何かを求めることは自然と少なくなっていた。
けれど、その罪悪感はその一言で大分楽になった。
母は強し───そんな言葉を聴いたことがあるが、それを体験した位の衝撃である。
「‥‥‥ありがとう」
今も昔も大切な人だと言う感情は変わることがない。
そして、この人が南宮の家で1番強い人ということも俺が知っている。
俺は、母さんを心から尊敬しているんだ。
「‥‥‥いつか、その引き攣った笑みも直せるといいね」
そりゃ自覚してる。
けど、なかなか治らん。
「あは、無理しなくていいからね。今の枯太郎の笑みも可愛いし」
「それは褒めてんのかね‥‥‥」
半ば皮肉のような口ぶりで、俺がそう言うと母さんはクスリと笑った後に軽くドヤ顔を見せ、一言。
「勿論、褒めてるに決まってるわよ」
そう言って、荷物を降ろしに家へと向かっていった。
その背中には、母親としての確かな威厳がある。
そして、俺はその背中にずっと守られてきた。
「───ありがとう」
感謝しか、ない。
長野、南宮家での1日は割と恙無く過ぎていった。
実家に帰った時特有のリラックスモード。
長らく食べていなかった母の手料理。
忙しくしているので手伝おうと行ったのだが『枯太郎はそこでテレビでも見てて』と言われてしまったので、特に訳もなくテレビを見ることになった。
が、それも次第に飽きがくる。
結局普段家事、読書等をしていた俺がまったりテレビ等性に合うはずもなく結局2階の自室。ベランダのある部屋へと向かっていった。
窓から月が一望できるこの景色は俺のお気に入りであり、長野に帰ると毎度毎度月をぼーっと見るのが日課となっている。
そして、今日も俺は例に漏れることはなかった。
パブロフの犬の法則ってのが、俺にも染み付いてしまっているのか。
半ば反射的に窓を開けて置かれていたサンダルを履き、ベランダの手すりに肘を置いた。
「こんばんは、麗花さんよ」
「あ、こっくんこんばんはー」
何処か、確信めいたものがあった。
麗花なら、ここに居るのではないかという確信。
それは、故郷にいた時に良く一緒に月を眺めていた経験からか。
「早くもお月見気分か?」
「うん!」
何度も何度も、この月を幼馴染と眺めた。
そして、仲を深め親友とも呼べる仲になった。
だからかな、この月は俺が思っている以上に俺という人間を形成する為には大切な景色なんだ。
「えへへ、久しぶりだね。こうしてこっくんとベランダでお話するの」
「まあ、久しいな」
最近、長野には帰っていなかった。
それ故に、この月を見ることもあまり無かったからな。
ベランダで話すことも無く、自然と時が過ぎていき、気が付けば俺達はもう大人だ。
けれど、原点に帰るべき場所はある。
それが、俺達がこうして見ている月の下なのだろう。
「アイドルのこと、話したか?」
話題転換する為に、麗花目的だった筈の親への了承について尋ねる。
すると麗花は迷うことなく即答。
「うん、話したよ〜」
「部屋は?」
「こっくんの隣が空いてるでしょ。そこに住むって話をしたよ。後はー‥‥‥好きにしろって言ってた!」
「放任だなー」
流石、ほのぼのファミリー長女の麗花だ。
両親の愛と天然を一心に受け継いだ割とジーニアスな女の子。
髪を2箇所結んでお団子ツインテールにしている独特なヘアスタイルも、麗花考案のもの。
それすらも似合ってしまうのが、割と憎たらしい。
ふと、上空を見上げる。
するとそこには曇りひとつない空と、綺麗な月が浮かんでいる。
「綺麗だねー」
「‥‥‥ああ、確かに綺麗だな」
そんなことを言い合いながら、月を見つめる。
そんな時間が何分か続いた後か。
不意に麗花がこちらを見つめた。
「なんだ?」
在り来りな言葉で、そう尋ねる。
すると、麗花は少しだけ微笑んでまた月を見つめた。
「私、覚えてるかな」
「あ?」
「これから大人になって歳を重ねても、こんな綺麗なお月様のこと、これをこっくんと見たこと、覚えてるのかな」
その時、麗花は何時ものような明朗快活な笑顔ではなかった。
笑ってはいるが、その笑顔には覇気がない。
クスリと笑った程度だ。
それは、麗花の笑みではない。
そんなことを察してしまえるほど、俺は心底この幼馴染が気に入っている。
人と関わることを良しとしない俺が、コイツとなら深く関わってもいいと思っちまってる。
もっと、一緒に居たいと心が叫んでる。
そんな想いが心を巡り、結論が頭の中に纏まる。
結局、子どもの頃と根本は何も変わってないんだな、南宮枯太郎って人間は。
手を伸ばせば、届く。
だから俺は手を伸ばした。
あの時、勇気を振り絞って大学行こうと誘った時と同じように。
麗花の頭を撫でた。
「安心しろ。お前が仮にこのお月様を忘れようが、俺が覚えててやる。てめーが忘れたって言うのなら、俺が一生覚えていられるようにこの日常を叩き込んでやるさ」
「こっくん」
「ノスタルジーはお前の役目じゃないだろ。らしくねーぞ、しゃんとしろ麗花」
お前はそうやってうじうじ考えるような人間じゃない。
お前が物事に関して必要以上に深く考えたところで、それは大して意味の無いことだ。
お前は、動くだけで周りを魅了出来る。
天然が1周回った天才的な発想に。
皆を置いていくような前向きが過ぎる気持ちに。
そして、物怖じすらしないその行動っぷりに。
俺を含め、関わった奴等全てがお前の存在に引っ張られるんだ。
「覚えたいなら、覚えとけ。けど、それを気に病む必要なんてない。俺が居るから、お前はお前らしく前向きでいろよ。そして、新しい景色に胸を弾ませろ。もっと楽しいものを、ハッピーになるものを見つけやがれ」
ノスタルジックな麗花よりもエキセントリックな麗花の方が見ていて飽きない。
そりゃ迷惑を被る時もあるが、どちらも心配かけんなら俺はエキセントリックな麗花の面倒を見たい。
勿論、慣れてるからってのもある。
けれど、1番の理由は───
「やっぱ、優しいなぁ」
ニコリと笑った麗花の方が良いからに決まってる。
「当たり前だ、じゃなきゃ俺はお前と一緒に生活なんてしてないだろうよ」
「確かに!」
「いやそこ認めるんかーい」
恥も外聞もないな‥‥‥と呟きながら大きくため息を吐く。
すると、麗花が向こうのベランダから俺の方を振り向いた。
それぞれがベランダの柵にもたれ掛かってた時とは違い、月に照らされた麗花が何処か幻想的で、高貴なオーラを放つ。
「ねえ、こっくん?」
麗花が、笑みを見せる。
そして、いつも通りの希望に満ちた笑みで一言。
「だーいすき!」
「何度も聴いたよ」
そして、この気持ちが揺らいだことはない。
俺が、何時も元気溌剌でちょっと天然な所もある北上麗花という女の子に抱いている感情。
麗花が抱いている気持ちと、少しだけ似てて非なるもの。
「俺も『だいすき』だ」
たった一言のその気持ちは、本心で発したものだってハッキリ分かる。
嘘偽りない、今の俺の気持ちだ。
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最終話
家に帰ってきた後に始まった麗花のお引越し大作戦は恙無く終わらせることが出来た。
契約諸々を済まし、隣の部屋に荷物を置いて、表札適当に掲げたら麗花の王国の完成だ。
何かマンションの人達に別居とか騒がれてたけど、違うから。そもそもそういう関係じゃないから。
「ふー、終わったね〜!!」
時は過ぎて春前。
インテリア、家具の置き場所諸々を手伝いながら漸く麗花の王国が完成した3月の末。
明日からは新生活&麗花のアイドル活動初日である。
オーディションは無事に合格したらしい。
まあ、石嶺プロデューサーが直接スカウトしたくらいだ。
余程のことをしでかさない限り、受からないことはないと思っていたが案の定麗花は合格した。
その際に自作の歌を披露したらしいが、あれは本当にやったのかね。
良く失格にならなかったと心底思うぞ。
まあ、何はともあれだ。
「これで引越しは終了だ」
これからは同居人ではなく隣人。
関係性がさして変わることはないが、生活リズムは変わってくる。
自分で家事も、掃除も、片付けも頑張る。
そして、それは俺も同じことである。
「こっくん、私がいなくて大丈夫かな〜」
「言ってろ、お前こそしっかり片付けしろよ」
折角部屋も綺麗に纏めたのに一週間後には魔窟になってたら泣くぞ。
「えへへ、大丈夫だよ。こっくんは心配性だな〜♪」
「大丈夫じゃないから心配してるんだがな‥‥‥」
「えー、それを言うならこっくんだって心配だよ」
麗花のその一言に顔が引き攣る感覚を得る。
確かに、俺が大学生活をまともに送れていたのは少なからず麗花の影響もある。
帰るべき場所に人が居る。
その暖かさは既に実証済みである。
けど───
「大丈夫だ。俺だってお前と暮らして成長した。もう1人で居たって負けねえから」
昔はダメだったけど、俺だって大人だ。
人並みに生活することだって出来る。
それに、一生いなくなるわけでもあるまい。
その気になれば、何時でも会いに行けるんだからな。
「えへへ、そっか」
「ああ、信頼してくれて構わないさ」
「心配だなー、こっくん割と抜けてるところあるし」
「俺が何時お前に抜けた姿を見せたか、しっかり説明してもらおうか北上麗花さんよ」
それを言うならお前の方が抜けてるところあるだろうが。
そういうのブーメランって言うんだぞ。
さて、雑談も程々に時計を見る。
時刻は6時。
そろそろ帰って晩飯の支度をせねばならない。
以前と違って家事は全て俺がやらねばならなくなったからな。
麗花のありがたみを感じるところだが、いつまでも感傷に浸っている訳にはいかない。
寧ろ大学に入ってからの2年弱、家事を無理なく全て経験出来ただけマシって奴だからな。
「それじゃあ俺はそろそろ帰るけど、マジで自分の部屋を魔窟にするのは止めろよ?絶対だからな?ねえ、お願い。マジで一瞬で汚くするのだけは止めてよね?」
「分かった〜♪」
信頼出来ねー。
しかし、このまま過保護になるのも良くない。
後はなるようになれ、そんな面持ちで俺は麗花の部屋を後にして自室へと向かっていった。
というのが昨日の話だ。
今日の俺の朝は上々。
起こす奴もいない。故にゆっくりと朝飯を作り、至福の時を過ごすことに成功する。
さて、本日は大学主催のインターンだ。
スーツに着替えて鞄を提げてネクタイを整えると自然と気持ちが引き締まる感覚がする。
良い傾向である。どんな物事に立ち向かう時でも気を引き締めることは大切だからな。
「‥‥‥今度、行ってみてもいいかもな」
石嶺プロデューサーに言われたことを、テーブルに置かれた1つの名刺を見ることで思い出す。
幾ら適当なスカウトとはいえ、石嶺プロデューサーなりに誠意を持って応えてくれたのだ。
誠意には誠意で返すべきだし、断ろうが了承しようが1度は連絡すべきだろう。
ま、電話したら電話したで気が付いたらインターン決定───みたいなことになっちまう可能性も無きにしも非ずだが。
しかし、麗花は俺のような中途半端な立場ではない。
もう、社会人としての1歩を踏み出しつつある。
何せ、アイドルとして成功してしまえばテレビにも出演出来る。そうしたら麗花は芸能人という職業を確立することになる。
その輝かしいキャリアの1歩目に立っているのだ。
成り行きとはいえ、凄いことだと思う。
だからかな。
いや、ぜってーそうだ。
心のどこかで、負けたくないという気持ちが溢れだしているのも否めないのだ。
これから始まる麗花のアイドル生活。
そして俺は就職に向けてインターンも前向きに検討していく。
2人がそれぞれの未来を描いていく。
麗花の言葉を借りるなら、これが『夢活』といった所なのだろうな。
「‥‥‥うっしゃ!そろそろ行こう!!」
感傷に浸っている場合じゃないということは分かっている。
頬を叩いて気を引き締め直した後、俺は大学に向かうために玄関を後にする。
確りと鍵閉めをしたら、準備は万端。
さあ、ここから俺の1歩目が始ま────
「ふわぁ‥‥‥あ、おはようこっくん」
「おう、麗花おはよう‥‥‥」
隣のドアから出てきた麗花。
やる気があると思いつつ、今できる最大限の笑みで俺は彼女に振り向いた。
が、その笑みは一瞬で凍りつくことになる。
「‥‥‥は?」
Why?
ドウシテ、レイカ、ネマギ、ワイ?
そんなカタコトが頭の中を駆け巡る。
そうだよ、おかしい。
何故この瞬間、麗花は寝間着姿で新聞取ってんだよ。おかしいだろ。
時刻を見る、麗花のレッスン開始時刻は9時。
そして、今の時刻は8時半。
今からじゃあ、全速力で駆け抜けても間に合うか分からぬ。
「あれ、こっくんどうしたの?」
寝ぼけ眼の麗花がそう尋ねると、俺は途端に現実に引き戻される。
コイツはもしかしたら今日、何の日かということを忘れているのかもしれない。
それを悟ったからこそ、俺は尋ねた。
「今日、なんの日だ?」
自分でも顔が引き攣ってるのが分かる中、何とか平静を装い、麗花に問う。
すると、麗花は暫し上をポカンと数秒見上げた後、視線を俺に移し、一言。
誰よりも明るい笑顔で。
親の顔より見たその溌剌とした立ち振る舞いで。
「レッスン初日だ〜」
衝撃の一言を言ってのけた。
見渡せば広がる青い空。
そんな綺麗な景色を背に、俺と麗花は新たなスタートラインに立つ。
確かに不安だ。目先の見えない暗闇、一寸先はフリーター。そんな怖さが就活にはある。
けれど、俺の隣には麗花がいる。
それだけで勇気が湧いてくる。根拠の無い自信に満ち溢れてくる。
どうにかなっちまいそうな気がしてならないのさ。
だから、俺はどんなときも負けやしない。
邁進して、突き進んで、当たって砕けてやるさ。
ただ、それよりもまずは───
「こっくん、後で遊びに行こっ♪」
「そんなことよりも先ずは支度だろうがよぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおお!!!!」
この問題児にお節介を焼くことから始めようかと思うんだが、どうだかな。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
完結するためのパワーが足りず、グダグダになってしまいましたが何とか踏みとどまり、拙いながらもキリの良い所で終わらせることが出来ました。
続きは‥‥‥あれです、文章力の乏しさのせいで書けないです。ごめんなさい。
正直自分の作ったオリ主がプロデューサーやってるのとか想像出来ないし、このままアイドル編やっても更にグダグダしてしまいそうで、手をつけられませんでした。枯太郎君は一生就職活動のまま時が止まるんやで‥‥‥
某兎の小説書いてる作者様本当にリスペクトです。
文章構成力も、キャラの性格を描く表現力も、段違いです。
これからも精進させて頂きます。
それでは、またいつかどこかで。
繰り返しになりますがこの度は当小説をご覧になって頂き本当に、本当にありがとうございました。
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