魔王さま マネージメントのお時間です ~課長! 私は魔王じゃなくてOLなんです!~ (Rオウ)
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第1話 召喚

2019年12月10日 東京都新宿区某所

 

 夜の8時をまわったがオフィスの照明はまだ消える気配はない。数年前まではこの時間であっても多数の社員が残業をしていたが、会社の上層部が政府のぶち上げた【働き方改革】を生真面目に受け取ってしまい、多数の一般社員の罵倒や陰口を受けながら表面だけ取り組んだため、オフィスに残って残業している社員はめっきり減った。ただし一人あたりの業務量が減ったわけではないところに闇があったりする。つまりはそういうことなのだが、今、オフィスに残っているのは上司と部下の二人だけであり二人のデスク周辺とプリンター複合機の置いている場所だけをLED照明が煌々と照らしていた。

 

「課長~、資料2-5の説明文できましたけど、グラフの方まだですか?」

「グラフはもうちょっと待ってくれ。もうすぐだから。あとちょい」

 

 狩野真央は入社3年目のOLである。学生気分も抜けて業務にも精通し始め、最近は先輩から頼られることも増えてきた。忙しいことに逆にやりがいを感じ始めワーカホリックの入り口に片足を突っ込み始めた将来有望な社員と周囲からは見られている。

 

 課長からのグラフが上がってこないと、これ以上この資料の作りこみができないので、真央はマウスとキーボードから手を放して軽く休憩を取る。課長を横目で観察しながら課長から自分がどう見えるか想定し、体の位置を微妙に変えて机に自分の大きすぎる胸を乗せる。肩が凝って辛い。昔からそうだったが、最近は更に凝りが酷くなってきたような気がする。ただ、辛いけれどもメリットがないわけではない。

 

「課長~、知ってますか? TOYOT●だと社内資料にほとんど手間をかけないらしいですよ?」

 

 課長を観察する。無造作にまとめた髪が垂れ目気味な目にかかっているが、視線がどこに向いているかちゃんと分かる。真央が話しかけた瞬間、視線がモニターから外れてこちらを向きかけたがすぐにモニターに戻った。

 

(だめか~、また失敗)

 

「ああ知ってるよ。結構有名だよね、その話」

 

 課長は真央の胸を見ようとしない。この会社に入社して初めての上司が今の課長だ。課長は入社当初から真央の顔をしっかり見て業務の内容を解説してくれたり、どんな質問でも丁寧に教えてくれ、時にはホワイトボードで図を描きながら解説してくれた。担当内の部下はもちろん、他の担当の社員の相談にも喜んで乗ってる。自分の仕事も忙しいのに。

 

 同期で仲の良い蔵ちゃんから「大当たりだよ、真央ちゃんの上司。うちの課長なんかさぁ?」とかの話を何度も聞いた。自分もそう思う。だけど自分の気付いた範囲では課長は一回も自分の胸を見ていない。部下になって一年以上も経つのに。

 

 学生の時の男友達はもちろん、社会人になってからもほとんどの男性は真央の胸を見て話す。視線を胸にチラッとかじゃない。胸をガン見しながら話す。

 

(私の顔はそこじゃないですよ~、もっと上ですよ~)

 

 と、胸をガン見する目の前の男性に念を送り付けるけど、残念ながら一度も通じたことはなかった。

 

 ある時ふと気づいた。

 見ない方が不自然だよね?

 

 それからはもっと課長の視線を意識的に追うようになった。そうしたら分かったことがある。課長は私以外の部下と話すときは基本顔を見て話をしているけど、割と視線があちこちに飛んでる。

 

 私と話すときは課長の視線は私の顔から動かない。

 課長が物凄く意識的に私の胸を見ないようにしてることに気付いたのは私が入社して1年と半年が過ぎたくらいの頃。

 

 じゃあ私の胸に視線が行くようにしてやろうじゃないかと変な方向に暴走をし始めたのが今年になってから。自分で暴走って言うのも変だけど。同期の蔵ちゃんからは狙ってるのバレバレだよと忠告を受けたけど、そういうのじゃないからって流してる。

 

「課長がもっと偉くなってうちもTOYOT●みたいに変えてくださいよ、私、パワポ職人卒業したいです」

 

って言ったら課長が苦笑いした。

 

「もう、データ整理終わるから3-2のまとめの文を仕上げていって。結論の方向性は予想通りの結果出たから」

「はーい」

「データとグラフ、サーバーのフォルダに格納したから確認して」

「ファイルはこの201912102022のやつです?」

「そう、それ」

「これかぁ、これなら10時くらいまでには終わりそうですね」

「遅くなって悪いね、いつも助かってるよ。そうだ、ちょっと何か温かいもの買ってくるよ」

 

 課長が自販機で温かいお茶を私の分も買ってきた。

 

「あとは明日の部門長説明が上手くいけば決済回せるよ」

「また説明は私ですか?」

「ああ、頼むよ。狩野さんが説明するとすごく受けがいいんだ。話し方が上手いし声もよく通るし」

「学生時代、演劇部で鍛えましたからね。こんな形で役立つとは思ってもみませんでしたけど」

 

 キーボードで文字を打ち込んで、マウスでテキストボックスの位置を調整する。

 

「いやまさか学校も部も後輩だったとはびっくりしたよ」

「ですよね、課長が部の伝統の指サインの創始者って聞いた時は本当に驚きました」

「今でも使えるよ、ほら?」

 

 課長が左手で指をくるくると変えながら手の向きも変えて私にサインを送ってきた。

 

「来週の忘年会楽しみですよね」

 

 二人して笑った。

 

 

 ───

 

 時間はかかったけど資料も無事完成したので会議室のプロジェクター用のノートPCにファイル移して明日の部門長説明の準備も終わった。

 

 机の上の資料を片付けていたら課長がさっきの話だけど、と話を振ってきた。

 

「うちの企業文化だと資料の作りこみを省略するのはなかなか難しいんだよ」

「なんでです?」

 

 課長が腕を組んで首を傾ける。

 

「あんまり良い話じゃないけど、うちは転勤しまくる企業文化だからね。しかも転勤して同じ業務で勤務地が違うとかじゃなくて、違う業務で違う勤務地とかになるので、数年に一回ごとにせっかく業務に精通した人材がリセットされちゃうんだよ」

「色んなことに詳しくなっていきませんか?」

「そういうことを狙ってる面もあるね。ただし5年10年前に経験した業務知識は陳腐化して使えないことが多いけど」

「ああ~」

 

 課長が肩を竦める。

 

「で、そういう環境だから偉い人ほど転勤繰り返して、人材的には判断能力に優れているけど業務には精通してない偉い人、というのが出来上がる」

「そんなこと言っていいんですか?」

「いいんだよ。だからうちの会社において社内資料とは業務に精通してない偉い人への判断を仰ぐための即席インプット素材であるんだ。偉い人が正しい決断をできるようなサポートという位置づけ」

 

 私は少し考え込んだ。

 

「それ良い状況なんですか?」

 

 課長はまた肩を竦めて

 

「難しいね。自分で考えてみるのもいいかもね」

 

 苦笑いしてる課長が答えを言っている気がした。

 

「じゃあ帰ろうか」

「そうですね」

 

 その時、課長がアレ?っていう顔をして不思議そうに周りを見渡した。自分も釣られて周りを見ようとしたらいきなり課長と私を取り囲むように光の円陣がオフィスのタイルカーペットに浮かび上がった。

 

「なにこれ!」

 

 びっくりしてよろける自分を課長が支えようと肩を掴んだ瞬間、光が弾けた。

 

 

 ───

 

 守衛室の受付で座っていた警備員は会社の敷地を一瞬閃光が走り眩く照らしたのに気付いて驚いて外に飛び出した。飛び出した時には光は消えてしまったが、光源であろう自社ビルを仰ぎ見てもどこにも異常は見つからなかった。

 

「蛍光灯でも飛んだかな?」

 

 警備員は首を傾げながら守衛室に戻り、鍵束と認証用のマスターカードをもってビル内の巡回に出かけた。

 



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第2話 角が生えた

 痛い痛い痛い!!!

 無理だからっ!!

 そんな堅くて太いのは入らないって!

 

 光のようなものに包まれて周りが良く見えない。だけどそんなことは些細なことだ、頭に鉄の杭をねじ込まれるようなこの痛みに比べれば。

 

 ギリギリギリと擬音が聞こえそうな痛みの塊が額から後頭部に抜けて行く。痛みで吐き気がするなんて、そんな豆知識知らなかった。膝がガクガクと震えて崩れて倒れそうに体が揺れるのに何故か倒れなかった。

 

 (あ、課長が肩を支えてくれてるんだ)

 

 周りはよく見えないけど、肩を支える力強い腕が感じられる。

 少し痛みが和らいだ気がする。

 

 そうすると頭にねじ込まれているのが痛みだけではないことに気付いた。

 何か記憶? いや知識の様なものが痛みと共に頭に強制的に入れられているような感じがする。

 

 そして、痛みが完全に消え失せた時、周りの眩しい光も消えてなくなった。

 

 

 

 まるで最初から無かったかのように痛みが消えたので、隣で自分を支えてくれている課長に声をかけようと顔を上げた。

 

「ええええええええええええええええええぇぇぇぇっっ!!!!!!!!?」

 

 こんなに驚いたのはいつ以来だろうか? 違う、こんなに驚いたのは絶対に生まれて初めてのはず。

 

「課長ぉっ!! 角っ! 角が生えてますよっ!?」

 

 課長の側頭部から黒くて太くてねじ曲がった物凄く立派な角がぐるりと巻くように二本生えていた。

 

「えぇ? 大丈夫なんですか、それ!?」

 

 課長は大騒ぎしている私の方は見ていなくて何故か真剣な表情で周りを見渡していた。私だけが取り乱してて損をしているような気がする。もしかして私が知らないだけで角が生えるのは大したことじゃないのだろうか?

 

 あ、ようやく課長が私を見た。

 

「狩野さん、大丈夫? 頭痛はもう治まった?」

 

 課長が心配そうに私の顔を覗き込んでくる。私を心配する優先順位が低くないですかね?

 

「私はもう大丈夫ですけど、課長はその……角に気付いてます?」

 

 課長は、ああこれね? と言いつつ右手で自分の角を撫でている。

 

「でも、狩野さんにも生えてるよ?」

 

 課長が人差し指を私の額の方に近づけてきて……何か触られた感じがした。あの位置からは私に届かないはずなのに……と、自分の額に手を恐る恐る近づけると堅くて丸くて尖ったものが指先に触れた。

 

「うそ……」

「狩野さんの角は白くて少し透き通ってて艶がある感じだね」

 

 額の髪の生え際から真っ直ぐに角が一本生えていた。私が茫然自失で絶句していると、課長が周りを見るように促したのでようやくここがオフィスじゃなくなっていることに気付いた。

 

 

 

 広場、というべきだろうか。まず間違いなく日本ではない。古ぼけた石造りの建物が広場を囲んでいる。建物の向こうは白い靄がかかっていて遠くまでは見通せない。さっきまでオフィスにいたはずなのにどうしてこんなところにいるのだろうか?

 

 ……そして私たちを取り囲むように跪くこの何百何千人もの人たちは誰なんだろうか?

 いや、人じゃなかった。角が生えてる!

 あああ、私も角が生えてるんだった!?

 

 いや落ち着こう、私。

 大丈夫、課長も角が生えている。

 

 うん、ちゃんとした根拠じゃないけど大丈夫な気がしてきた。

 

 落ち着いたら自分に呼びかけている声に気付いた。跪いているこの人たちが一斉に一定のリズムで呟いている。

 

「まお…さま。ま…お…さま」

 

 空気に溶け込むような不思議な響きの声だったので気付けなかった。いやそれよりどうしてこの人たち私の名前を呼んでるの? しかも様付で。

 

「貴方たちは誰? 私の名前をどうして呼んでいるの?」

 

 延々と繰り返される呼びかけに、私は思わず問いかけてしまった。

 あれ? 私は今、日本語を喋ったっけ?

 

 もしかしたらそれが引き金だったのだろうか、課長と私を包む透明な球体が私の発した言葉で割れて砕けて消えて行った。そんな球体に包まれていたなんて私は気付いてもいなかった。

 

 球体が割れた時、私とこの世界が何かで結びついたのを感じた。絡み合い結びついた形容しがたい無数の何かは私の体の表面を通り胸の奥で圧縮されその後爆発した。

 多分、爆発したように感じただけで実際には爆発したのではないのだろうけど、私はその衝撃に耐えられず後ろによろめいたが、その時課長が私を凝視しているのに気付いた。

 

 あれ? 課長が私の胸を見ている? え? 今このタイミングで? いや見てるというより驚きで凝視してる?

 

 だけど、そんな驚きよりも津波の様に響き渡る歓声が私と課長を包み込んだ。

 

「魔王様が降臨なされた! 我らが召喚に応えて下さったのだ!!」

 

 誰かがそう叫んでいる。

 

「魔王様!」「魔王様!」「魔王様!」

 

 周囲を取り囲んでいた数千人の歓喜の声が、暴力的な圧力と化して私を押し潰そうとする。

 鼓膜に叩きつけられる歓声と、胸の奥で燃え盛るような熱から私は逃げ出したくてたまらなかった。

 

 助けを求める目で課長を見ると、課長が右手で立て続けにあの演劇部のサインを出しているのに気付いた。

 

 え、うそ!? 課長、マジですか!?

 

 出されたサインのあまりの内容に、逃げようとか思っていたことは全部吹き飛んだ。

 

 タイミングを合わせろとか、課長なに考えてるんですか!?

 

 

 



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第3話 魔族

 課長が数歩前へ進み、芝居がかったように右手を高く掲げた。指がパチンと打ち鳴らされる。

 

 打ち鳴らした指先から漆黒の糸の奔流が課長の腕、肩に巻きつき、胴体に進みキュルキュルと衣擦れの様な音を発しながら課長の体を包み込んだと思ったら、課長は黒で統一された燕尾服に着替えていた。

 

 はい?

 

 信じられない出来事に驚きの表情を浮かべかけたのを無理やり押し留める。課長の背中に回した左手から私に向かってサインが出続けているのだ。とりあえず疑問は後回しにしてやるしかない。

 そう、この人たちは観客。そして私は俳優。課長が言ってる(サイン)のはつまりはそういうこと。

 役を演じきらねば!

 

 ……っじゃないですよ! 課長? 役はなんですかぁっ? 聞いてませんよぅ!

 

 

 あ、だめだ、課長はもう次の準備を始めてしまった、合わせないと!

 背筋を伸ばし、顎をツンと持ち上げ、つま先から足を下す感じで課長の方へ一歩足を進める。

 

 課長が振り向きざまに右手を水平に振り、先ほどと同じように指を打ち鳴らす。その課長の動きに合わせて指先の延長線上にちょうど来るようにタイミングを合わせる。

 課長の指先から今度は真紅の糸が迸り私の体にキュキュキュッっと巻きついてくる。

 

 うっきゃあああああ??

 

 これ意外と体の動きを邪魔してくるよ? これで倒れたりしたら課長から後ですっごく叱られそうな気がする!

 

 更に前へ歩を進める。オフィスで仕事着として着ていたグレーのシフォンのブラウスが消えて真紅のAドレスに勝手に着替えさせられた。ドレスは胸をやたら強調したデザインで、真紅のアームカバーはハーフレースで肘まである……

 

 こ、これは舞台衣装と割り切ろう。きっとこれが必要。落着け、私。顔が少し火照ってるけど大丈夫。生まれて初めて着るド派手な衣装を、それがどうしたという尊大な態度でさらに一歩前に進む。

 

「魔王様の御前である! 皆の者、控えよ!」

 

 よく分からないけど、課長の声はこの広場に詰める数千の人全員に届いた。先ほどまでの歓声が嘘のように広場が静まり返った。

 

(いや、魔王様ってなんですか、課長?)

 

 課長は左手を胸に当て私に優雅に一礼すると、そのまま跪いた。私の目に浮かべた疑問は課長に華麗にスルーされたようだ。

 

(あとで絶対に説明してもらいますからね、課長)

 

 課長は私の左前斜めで私に向いて跪いている。私の位置からは課長の右手が辛うじて見える。周辺視使ってだけど。目が痙攣起こしそう。

 

「代表のもの、前へ出よ」

 

 私の言葉もやはり不自然に広場全体に響き渡った。もしかして課長が何かしてるのかな? 私の疑問をよそに課長の右手が細かく動いて私にサインを出してきた。

 

 え? いやです! そんなことしたくありませんよ。どうしてもやれって? えーっ!?

 

 私から見て右斜めにいた老人が立ち上がり、ゆっくりと杖をつきながら私の正面までやって来ると跪いて杖を差し出すように横向きに置いて頭を下げた。広場にいる人たちにこれでもかって注目されてる。

 

「魔王様に拝謁を賜り、「挨拶はよい」」

「……は」

 

 老人が頭を更に深く下げる。

 いや、割り込みたくはないんですけど、課長が割り込めって言う(サイン)んですよ、ごめんなさい。

 

「まずは要点を申せ。我らを異界より呼び寄せし理由についてだ」

 

 で、ここですね。ここでやるんですね? 何の意味があるのか分かりませんけど、やればいいんでしょおぉ!

 

 覚悟を決めて両手を胸の下で組む。それをぐいっと持ち上げて思いっきり胸を逸らす。ただでさえ胸が目立つデザインのドレスに、私のちょっと人前では口に出せないくらいのカップの胸が搾られ飛び出さんばかりになる。敢えてヤケクソで擬音をつけるなら、ばいーんって感じだ。

 

 効果は絶大だった。

 

 広場に詰める数千人が出すどよめきの声は先ほどの歓声を物理的に大きく上回った。目の前の老人は頭を下げていたはずなのに後ろにひっくり返って私を驚愕の目で見てワナワナと震えている。

 老人だけじゃない、広場の私に近い位置で跪いていた人たちはほとんどが後ろに倒れてる。中には気絶したのか、隣の人に「しっかりしろ!」とか助け起こされている人もいた。

 

 なぜ!?

 

 大量に倒れ伏す人たちが出る中で課長は悠然と私に頭を垂れた姿勢のままだ。あ、口の端が持ち上がってにやりと笑ってる!!

 

 後で絶対に説明してもらいますからね、課長ぉ!

 

 老人が体を起こしてもう一度跪く。頭の位置が低すぎてもはや土下座に近い。

 

「……よもやこれほどの魔力()の持ち主であるとは。伝説に謳われる初代魔王様に匹敵……いやそれをも上回るか……」

「私の力のほどは理解したようですね」

 

 私は軽く微笑みを浮かべて老人を高みから見下ろした。一番分かってない私が言うのもなんですが。

 

「魔王様。ここはたった一つ残された魔族の都でございます……」

 

 

 老人の話は非常に長かった。よく分からない固有名詞は別にして要約するとつまりはこうだ。

 

───

 

 彼ら角の生えた人たちは魔族と呼ばれており、数百万人の人口と魔力で制御された複数の大都市を抱え長く繁栄していたが、ある日人族の勇者を先頭に魔族と人族の間で戦争が起こった。魔族と人族はお互いの存在を把握していたが、文明、もしくは社会としての交流は行われていなかった。だがそれは覆され、勇者に率いられた人族の軍勢が魔族の都市になだれ込み、都市に住んでいた魔族は皆殺しにされた。魔族は人族よりも優れた魔法技術と魔力を持っていたが、人族の数の暴力の前に敗北を重ね、都市を陥落(おと)され、殲滅戦を仕掛けられた。

 瞬く間に追い詰められた魔族はわずかに残った人々と最後に残った都市に立てこもり最後の手段である禁術に手を出した。

 

───

 

 ここまでイマエさん(魔族の老人)から聞き出すのに随分と時間がかかった。殺された魔族を思い、泣きながら話すイマエさんを慰めながらだし。

 

 しかしちょっと待って。凄い怖い状況なのが判明したんだけど。

 

「それで禁術というのは?」

 

 話も佳境に近いと思ったのか、課長がイマエさんに先を促した。

 

 



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第4話 育成バカ上司

 課長が口にした「禁術」という言葉を受けてイマエは呆然とした顔で課長と私を見た。

 

 いやそんな風になんで知ってるんだみたいな顔されたらこっちがビックリだよ。

 貴方さっき自分で喋ってたじゃない、泣きながら。

 ああいや、そういうことね。ついポロッと言っちゃったわけか……

 

 課長と私の態度から、イマエは自分がうっかり言ってしまったことに気付いたのか、今度は慌てて後ろを振り返った。

 

 イマエの声の届く範囲の魔族の皆さんは全員ポロポロと泣いていた。中には号泣している人もいる。まあこの都市に逃げ込んだ魔族の皆さんが最後の生き残りだというなら、親しい友人や家族を失った人がほとんどだろうし、しかもその情景を詩人張りに感情を込めて語られるのを耳にしたらそうなっちゃうのかも。

 

 でも「禁術」の言葉を耳にはしてるだろうから、落ち着いたら思い出す人もでるんじゃないかな。

 なのになぜホッとするのか、このご老人(イマエさん)

 

 いいのかな? そんな脇が甘くて。この人が魔族の代表だということにすごく不安を感じるけど、こういう裏表を物理的に持てないおじさんって職場でもいたなぁ……良いか悪いかで言えば悪いんだろうけど、みんながフォローに回るタイプ。

 

 まあでも私は外部の人間で口出しする立場じゃないし……じゃないな!?

 私が魔王だった!?

 そもそもなんで私が魔王なんだっけ!?

 

 そうだよ、課長教えてくださいよ?

 と思っていたら、課長の右手がパタパタと動いてた。ちょっと見逃してた。えーっと?

 

 そうか、そういえば紹介がまだだった。

 

「イマエ、紹介が遅れましたがその者は私の従者。名をカチョウという。私が最も信頼する一人です」

 

 課長、言われた(サイン)通りちゃんと紹介しましたよ? でも信頼についてはどうかなぁ? 私の扱いがかなり雑なのでこのままだとウソになっちゃいませんかね?

 

「おお、この方は魔王様の従者……のカチョウ殿でありますか。魔王様の召喚儀式を行ったのに何故か二人のお姿が現れましたので面食らっておったのです」

 

 面食らったのはこっちだよ。

 

「魔王様の召喚儀式については毎回詳細な記録が残されておるのですが、魔王様の従者まで現れたというのはおそらく初めてでございますな。しかし従者でありながらこれほどの魔術の使い手とは。カチョウ殿が最初に操った具現化魔術はまさに練達の域、見事としか申しようがございません。もちろん魔王様の凄まじき魔力()と比べるわけではありませんが、これほどの使い手は魔族の中にもそうはおりませんぞ。もし人族との戦争初期にこのカチョウ殿が軍にいれば違った展開になったかも知れませんな。いやいや本当に」

 

 早口でまくしたてるイマエの目はチラチラと背後の魔族の皆さんの方を伺ってる。とりあえず禁術の話題から逸らそうと話を振ったら全力で乗ってきた感じ。ちゃんと空気は読めるんだね、必死過ぎて怖いけど。

 

 で、この次の指示はなんでしょうかね?

 

 チラっと課長を見る。

 私とイマエを見て何かを考えているようだけど右手は動いていない。

 

 いやいや、課長?

 

 もう一度チラっと課長を見て催促する。

 すぐに課長は私の視線に気づくと、右手を私から見えないように背中に隠してにっこり微笑んだ。

 

 あああぁぁぁ! 課長の悪い癖がよりによって今っ!! この非常時に何考えてるんだバカ上司!!

 

 しかもこれ仕事じゃないでしょおぉ!?

 抗議の意思を込めて睨み付けるけど、課長に黒い笑顔で跳ね返される。

 

 ……仕方がない。この顔をした時の課長はちょっとやそっとじゃ引いてくれないのは経験済み。

 はぁ、頭痛い。確かに自分で考えて自律的に動けるかどうかというのが私の育成計画書の項目に入っていたけどさぁ。魔王様として次はどんな行動するべきか自分で考えなさいとかが、人生に訪れるとは思ってなかったよ。

 しかも唐突に上司には梯子を外されるし。こんな時まで育成視点で部下見てるとか頭おかしい。いやこれパワハラなんじゃないかな。いっそ社内コンプライアンス窓口に相談してみようかな。

 

 課長が魔王の振る舞いについて指導してくれないんです、とか言って。

 

 ……産業医との面談を強制的にセッティングされそうだしやめとこうか。

 

 さて、と、バカなことを考えるのはここまで。

 

「イマエ」

「は。何でございましょう、魔王様」

 

 ほんの微かに声に疲れを含ませるようにして、イマエに命じる。

 

「既にずいぶん時間が経ちましたし皆も疲れているでしょう。それに込み入った話をするにはここは向いていません。まだ色々と聞きたいことがあるので質問に答えられる者を何名か選んで場所を移しましょう。どこかゆっくり話せるところへ案内しなさい」

 

 この魔族の皆さんが魔王召喚儀式で私と課長をこの世界に召喚したっていう状況はおおよそ把握できてる。信じ難いけど、私も課長も角が生えて、課長は魔術使ってるし私は胸で魔族の皆さんをブッ飛ばしたし……。

 夢でも見てるのでなければこれが現実だと認めないわけにもいかない。

 元の世界に帰れるのかどうか、もの凄く気になるんだけど聞いて確認したいんだけど、今はその時じゃないことくらいは分かる。

 召喚したばかりの魔王様が何もしないまま「元の世界に帰りたいんですけど?」とか言い始めた場合、魔族の皆さんの反応を想像すると怖すぎる。

 魔族の皆さんは魔王様とやらに何かをして欲しくて魔王様を召喚して、それが何故か私なんだけど、何をして欲しいというのはまだ言われてない。

 だけど用がないなら呼んだり(召喚)しないわけで。

 魔王()にやって欲しい何かを知るためには、魔族の状況と今後の目的を聞かなければならない。そして今までの状況と今後の目的を繋ぐのが「禁術」、のはず。

 周りに大勢の魔族の皆さんがいるここでは「禁術」についてイマエは説明できないのであるなら場所を移して課長と私とイマエと+αだけになった時に禁術について色々と聞ける。

 

 方針を決める前には可能な限り検討する。仕事であるならその検討時間がほとんどない時もある。時間を更に確保できないか努力しつつその限られた時間の中で最善を尽くせ。

 時間がないからできないというのが許されるのは学生まで。プロ(社員)なら結果を求められると課長がうちの担当に配属される新入社員には毎年言って聞かせてる。

 

 三年目にもなるとこの言葉には少し嘘が混じってると分かるけど、新入社員から学生気分をほんの少しでも抜き取る手助けにはなってるのだろうか。

 

 さて一応、私なりに考えて方針を決めた。

 

「そうでありますな、魔王様。もう夕方も遅い時間。広場の西手に宮殿がございますのでご案内いたします」

「ええ、お任せしますわ」

「先に人をやり食事の準備と寝所を手配させましょう」

 

 そこに課長が口を挟んできた。

 

「魔王様、少しお待ちください。魔族と人族が戦争をしているのですからまずは最低限この都市の状況を聞かねば御身に危険が迫るやもしれません」

 

 あ……そうだった。でも、イマエや広場にいる魔族の皆さんに切迫感は……ない、し? そんなにしっかり確認しなくても大丈夫じゃない、かな?

 

「イマエ殿?」

「カチョウ殿、懸念はご尤も。されど安心なされよ。都市の周りはあの……」

 

 イマエが建物の向こうにかかる靄をぐるりと指差す。

 

「アレが護っている故に」

「アレの説明は?」

 

 課長の問いかけにイマエは口を開きかけ

 

「……宮殿にて」

「了解しました」

 

 少なくとも私にはあれはただの靄に見える。でも護るという言葉を聞いて再度目を細めて見直す。……やっぱり靄は靄にしか見えない。

 

 それ以上の追及を止めた課長の視線が靄から離れて広場に集まった魔族の皆さんに流れた。

 

「この者たちはこの後どうされますか?」

「そうですな、一旦解散させましょう」

「解散です、か。先ほどから気になっておりましたが、この都市は人の生活の匂いがない。先ほど避難してきたと仰っていましたし永らく無人だったのではありませんか?」

「……その通りです、立ち入りを禁じられた都でありましたので」

「ならば解散と仰ったがこの者たちは一体どこへ帰るのですか? 住処だけの問題ではない、水と食料はどうなっておるのですか?」

 

 課長の口調は少し咎めるような響きがある。私の気のせいではないはず。

 

「設備が大分痛んでおりましたが、水は井戸がなんとか使えるのが分かっています。食糧については持ち込んだ分しかありません、な……」

「寝床は?」

「建物にかけられた停滞の魔術がまだ機能しておりましたので、少し手を入れれば十分に使えます」

「なるほど、……であるならば」

 

 課長が魔族の皆さんを前に声を張り上げる。

 

「皆の者、聞け。今日はこれにて解散する。そして明日の朝再びここに集まるのだ。解散の前に魔王様よりお言葉を頂く、傾聴せよ!」

 

 課長は、「さあ、場を温めておきましたよ?」というように一歩引いて、私に一礼したまま顔を上げないので課長の表情は見えない。

 

 課長の手は動いていない。

 

 私に何を話せと!?

 

 顔が引きつるのを感じながら私は前に足を進めた。

 

 

 



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第5話 私は魔王

 コツ。

 

 歩をこれ以上進められない。広場の中でも私のいるここは少しだけ段差があって高くなっている。

 不自然に思われない程度にゆっくりと歩いて考える時間を稼いだつもりだけど、話すことなんて何も思いつかない。

 

 この無茶振りは酷い!! 課長、あんまりですよ!?

 

 沈黙が焦りに変わって心臓の鼓動がどんどん早く大きくなる。

 額に油汗が滲み出ているのが分かる。

 

 気が焦れば焦るほど、むしろ何も考えられなくなる。カラカラと思考が空回りしている。

 

 無理! これは無理!

 

 さっきまでは辛うじて自分の中に残っていた何とかしようという前向きな思いが、切迫感に塗りつぶされて消えていく。

 

 ダメだ、逃げよう! と後ろに振り返り走って逃げようとした時、課長の右手が動くのに気付いた。

 

 

 彼らの顔を見ろ?

 

 それだけを私に伝えて課長の右手は動くのを止めた。

 

 彼らの顔を見ろ?

 

 訳が分からない。それに何の意味があるのか。そもそもさっきまで魔族の皆さんを正面から見てたよ!

 こんな指示より何を話せばいいのか教えてくれればいいのに!

 

 理不尽さへの怒りと焦りが心を占めつつも、私はなぜか言われるままに後ろを振り返り、一番手前の魔族の人の顔を見た。

 

 なぜかその人の顔が、表情が私の胸を射た。

 

 その隣の魔族の人の顔、その後ろの魔族の人の顔、そのまた後ろの魔族の人の顔、もう一列後ろの魔族の人の顔。私は何かを求めるように一人一人の魔族の人の不安そうな顔を衝撃と共に瞳に収め続けた。

 

 誰もかれもが不安そうなを顔をしていた。

 

 『魔族の皆さん』

 

 私が心の中で魔族の人たちを形容するのに使っていた言葉。

 そう、つまり……私は今まで個人としての彼らを見ていなかったのだ。ただ、自分に関係のない集団として彼らを見ていた。 

 

 だから気付けなかったのかも。

 

 どうしてそんなに不安そうにしているのか。なぜ私に縋るような目を向けているのか。

 

 先ほどまでの自分を振り返る。

 

 何を話せばいいのか?

 

 何を語ればいいのか?

 

 自分の中を必死に探したところで彼らに語りかける言葉が見つかるわけがなかった。そうだ、思いつくわけなんかなかった。

 

 彼らにかける言葉を、彼らを見ないまま出てくるわけがない。

 

 私は足を悪くしている老人、疲れた顔をしている子供、泣きそうな顔をしている母親、一人一人を見て胸の奥で何かが動くのを感じた。私は自分がしなければならないことを今、心で理解した。

 

 私の角が白く仄かな燐光を放つ。口をついて出るのは彼らのための言葉。

 届けなければならない、彼らが必要とする言葉を。

 

「皆さん、私は魔王です。皆さんを導くためにこの地に降り立ちました。皆さんが呼ぶ声が私に届いたのです」

 

 私は右手を胸に当てた後、舞うように軽く右へ手を振った。

 胸から生まれた無数の光の粒子が蛍のように軽やかに飛び、広場に集う魔族の人の中に散っていく。

 

「私は皆さんと共にいます。皆さんの苦難も悲しみも今や私のものです」

 

 私は左手を胸に当てた後、踊るように軽く左へ手を振った。

 胸から新たに生まれた無数の光の粒子が夕闇の暖かな残光のように広場に集う魔族の人を照らした。

 

「私と共に進みなさい。私が前を歩きましょう。私が連れて行くその先に必ずや希望があります」

 

 両手を広げて彼らのために声を紡ぐ。

 

「新しい明日を私と共に迎えましょう」

 

 彼らに私の笑顔が届きますように。

 

 角が放つ燐光がゆっくりと溶け込むように消えて行った。

 

 私の中の不思議な高揚も収まっていく。

 

 

 広場に集う人たちの顔から不安が消えたように思う。

 私がしたのは根拠のないただの口約束の様なもの。

 

 それを現実にしなければならない。自分の心がそれを望んでいる。

 

 そうだ、私が魔王なんだ。少なくとも今は。

 

 振り返って課長にドヤ顔を見せつけようとしたけど、課長は私を見て難しい顔を浮かべていた。

 

「やはりそうか……」

 

 そう呟いた声が聞こえた気がした。



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第6話 肖像画

 宮殿の両開きの大きな扉を開ける。

 

 自分の手で。

 

 ……あのー、ちょっとおかしくありませんかね?

 物語だとこういう場面ではお付の人とか部下が開けて、うむとか頷きながら偉い人(魔王)が通るもんじゃないのかな?

 

 後ろに控えている課長をチラっと見る。

 そりゃあ、カチョウは課長で(魔王)平社員(ペーペー)ですが。

 ロールプレイ上でもいいので、課長が私に一礼しつつ扉を開けるところを見たらちょっとドキドキするのに。

 

「ありがとうございます」

 

 扉を開けた私にイマエが一礼する。宮殿の正面扉は封印されていて魔王にしか開けられないと言い伝えられていたらしい。

 でも普通に開いたよ? レリーフとかがガッツリ彫りこまれて金銀細工で彩られた重厚そうなこの扉。重いのかと思ったらすごく軽く開いたけど。これアレじゃないの? 封印されてるって誤った情報が伝えられていて誰も検証しなかっただけとか?

 

 ……ありえる。まあもういいんだけど。

 

「礼は不要です。そもそも」

 

 私は眩暈がするほど立派な宮殿を見上げる。

 

「……私の宮殿ですからね」

 

 

 

 私たちは、広場に集まっていた人たちを解散させ、事情をよく知るイマエさんの部下たちと宮殿までやってきていた。

 

 そして扉を開けたわけなんだけど、開いた扉の中からは意外と騒々しい音が響いてきている。もちろんイマエさんが手配した人たちが中の清掃とか料理の準備のために先に入って作業していたからだ。

 

 え? どこから入ったかって?

 

 裏口は開いてるんだってさ。

 

 ……やっぱり正面扉も封印なんかされてなかったよね、絶対。そして誰も確認しなかっただけだよね。

 

 気を取り直して宮殿に足を踏み入れる。

 

 扉を抜けてすぐそこは大きなホールになっていた。

 天井にシャンデリアが眩く輝いてホールの中を昼間のように照らしている。

 ホール正面の中二階の壁には肖像画が並んでおり、なぜかそれに惹きつけられるのを感じる。

 並んでいる額縁のうち二つは空っぽで裏板が見えているのが特に目立つ。

 

「魔王様、よろしいでしょうか?」

 

 中二階へ続く階段がホールの両サイドにあり、その二つのうち右の階段にイマエが私を丁寧な態度で誘う。課長をはじめ、他のメンバーも私の後をついて階段を昇る。

 

 なんだろう?

 

 イマエは一番手前の空っぽの額縁の前で足を止め

 

「魔王様、この額縁の前にお立ちください」

 

 言われるままに何も入ってない額縁の正面に立つと、額縁の上部の隅から水のような金属が溢れて来てそれが零れることなくフレームの内側を覆っていく。

 

 あっ!!?

 分かった!!

 

 私は急いで角度と表情を調整する。バチバチバチバチッっと激しく瞬きして瞼の上をほぐす。慌てるな私、表情筋に集中するのだ!

 何百何千回となく練習してきたことなので私はやれる。この一発勝負に勝つ! さぁ来なさい!

 

 数秒後、液体金属らしきものがフレームの内側を全て覆うと眩い閃光を発した。液体金属はその後再び額の上部へ消えていった。

 そしてフレームの中には写真みたいな肖像画が残されていた。

 私は軽く頷いて、どこかに瑕疵がないか念入りに確認する。

 

(……まあまあ、ね?)

 

 うん、会心の出来ではないが、ほぼ満足できる。我ながらいい仕事をしたわ。特にこの額から伸びたちっこくて白い角が意外と似合う。

 

 ふぅ、緊張が緩んだら他の肖像画に興味が湧いた。おそらくこれは歴代の魔王の肖像画なんだろうけど、左隣の額には何も収まってないのは何故なんだろう?

 

 イマエに空っぽの額縁について問うと、イマエは顔を伏せて

 

「これは先代の魔王様のために用意されたものでした。ですが非常に痛ましいことが起こり、召喚された魔王様はすぐに崩御されました。……我ら魔族に呪いの言葉を吐いて。それ以降、ここは立ち入りを禁じられた呪われた都市となったのです」

 

 後ろに控えていた課長が前に出て

 

「イマエ殿、その話を詳しく伺いたいんだが」

 

 イマエは首を横に振ったが、後ろについてきていた若者の一人がイマエに進言した。

 

「イマエ様、魔族であれば子供でも知っております。魔王様にお伝えするべきです」

「しかし、ノバよ……」

「イマエ様!」

「……分かった」

 

 イマエは伏せていた顔を上げて私を正面から見直すと

 

「今から200年前のことです。当時、魔族の間に原因不明の疫病が蔓延し、多くのものが倒れました。疫病の猛威は衰えることなく蔓延り、危機感を覚えた当時の指導者が魔王様の召喚儀式をこの都市で執り行いました。召喚に応じ降臨なされた魔王様は魔族の指導者と周りの者にこう言ったと文献に残されています」

 

『おお、なんという傲慢な者たちよ、妾の尊厳を黒き呪いで縛ろうとも妾の魂は砕けぬ、媚びぬ。曲がらぬ。貴様らは永遠に呪われるがいい!』

 

「魔王様は己の角をへし折り、その角で胸を貫き果てた……と文献に残されております」

「……なるほど、ね」

 

 課長の態度に何か思うところがあったのか

 

「カチョウ殿は先代の振る舞いについて何かお分かりになるのですか?」

「……言えることは私と今代の魔王様は自害などせぬし、貴方たちに呪いなど掛けぬ、ということだ」

「……ありがとうございます」

 

 イマエは課長の手を取り、深く頭を下げた。

 

 色々と気になることは増えたが、聞ける雰囲気じゃなくなってしまった。

 

 重い雰囲気の二人を避けるようにして、気分転換に肖像画を順に見ていく。6代目、5代目、4代目、みんな凄い美人だ。そして分かっていたけど、胸が大きい。いや私もそんなに負けてないと思うんだけどね?

 

 3代目、2代目、初代……

 

 あれ? なんか違和感が……

 

 今度は逆に辿る。

 初代、2代目、3代目、4代目、5代目、6代目、空席、私……

 

 あ!? 分かった、分かってしまった……。

 振り返って課長を見ると、露骨に目を逸らされた。課長も気づいたのか。

 勇気を振り絞ってイマエに尋ねる。

 

「イマエ、ちなみに、ちなみにだけど魔王の召喚儀式は一体どのようなものなのですか? 具体的には歴代の魔王はいつも同じ儀式をして召喚されたのか、ということですが?」

「いいえ、最初の召喚術式は偉大な初代魔王様が考案なされましたが、その後を引き継いだ魔術研究所が初代魔王様の召喚術式をベースに最適化を繰り返しております。魔王様を召喚するにあたっては偉大な資質()が召喚術式により反映するように長年ブラッシュアップを続けているのです」

 

 課長が目を逸らしきれなくなってとうとう真後ろを向いてしまっている。

 

「つ、角についてはどういう扱いなの?」

「角? 角でありますか?」

 

 イマエはまったく予想していなかったことを聞かれてびっくりしたという風に

 

「考えたことがない、といいますか、角がどうされたのですか?」

 

 

 

 ちょっと大きめの胸と非常に立派な角を生やした初代魔王様と二代目魔王様の肖像画を見ながら

 

「……そうです、か」

 

 と私は絶望的な声を漏らした。

 

 

 




……おかしい。真面目な内容にならない



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第7話 ポンコツ魔王

 初代魔王様はドリルのように巻いた太くて立派な角が側頭部から二本生えていた。胸はちょっと大きめ。もの凄い美人。鋭い瞳が理知的に煌めいて神秘的。

 ※物凄く有能そう。

 

 2代目魔王様は初代魔王様にそっくりの角が生えていて。胸はまあ大きいかな?レベル。初代とタイプは違うけどもの凄い美人。

 ※有能そう。

 

 3代目魔王様の角は額の両側から生えて後ろに伸びてそこそこ立派な角。そして結構大きな胸。グラビアなんかで見かけるレベル。髪が短くて野性的な美人。

 ※有能そう。

 

 4代目魔王様の角は3代目魔王様と同じく額の両端から角が生えてるけど長さが半分くらいになってる。そして人目を惹くかなり大きい胸。おっとり系の美人。この人のためなら頑張る人が大量に表れそう。お姫様系。

 ※なんとなく有能っぽい。

 

 5代目魔王様の角は4代目魔王様と同じくらい。吊り上った瞳をしてて気がすごく強そう。やり手のビジネスウーマンっぽい。クール系美人。胸はすごく大きい。

 ※超有能そう。

 

 6代目魔王様の角は額から1本の角がまっすぐ前に雄々しく突き出てる。アスリート系美人。胸はすごく大きい。腰の括れもすごい。

 ※有能そう。

 

 7代目は分からない。

 

 8代目の私は……透明感のあるちっこい角が仄かに輝いて可愛い。贔屓目に見ると美人なはず。親戚のおばちゃんには可愛いね、美人さんだねと言われたことはある。子供のころに。

 そして改めて見比べると胸は歴代魔王の中で私が一番大きい。控えめに言って独走。

 

 

 ……課長は初代魔王様に匹敵するような立派な角が生えていて、この世界に召喚された直後から信じられないほど早く順応して魔術まで使いこなしてる。一方私はというと、魔術の使い方なんかさっぱりだ。さっきはクリスマスのLEDイルミネーションみたいな何の意味があったのか自分でも分からないキラキラ綺麗に光る魔術を使えたけど、なぜ使えたのか分からない。もう一度やれと言われても多分できない。

 

 事実を積み上げると残酷な現実が見えてくる。

 

 理屈は分からないが、おそらく胸の大きさは魔力の強さとか量とかに比例して、角の大きさが魔術的な技量とか知識を左右しているような気がする。

 

 ……多分だけど魔術研究所とやらが完成形であった初代魔王様の召喚術式に最適化(よけいなこと)ブラッシュアップ(いらんこと)を繰り返した結果、最終的に出来上がったのが私である(胸特化型ポンコツ魔王)

 

 パシーン!

 

 今、私の心象風景の中で私自身にレッテル(ポンコツ魔王)が貼られた。

 貼ったのは私だ。

 剥がせそうにないのが辛い。

 

 あぁ!

 頭を抱えてのた打ち回りたいのに周りに人が多くてできない。

 私の立ち位置はつまりアレだ。

 

「くくく、やつは歴代魔王でも最弱」とか陰でプークスクスと笑われるやつ。

 

 あ、だめ。油断すると乾いた笑いが漏れそう……

 

 

 課長は肖像画の前で急に気落ちした私に全てを察したのか、

 

「イマエ殿、魔王様はお疲れのようだ。まずは軽く休める所へ案内をお願いしたい」

 

 とイマエに移動を促した。

 

 

 

──────────────────────────────────────

 

 

 

「それでは魔王様、食事の準備が整いましたらお呼びいたしますので、しばらくお待ちください」

「ええ、下がって良いわ」

 

 おそらく歴代の魔王様か魔族の指導者が使用していたであろう豪勢な私室に案内された後、私と課長を残してイマエたちは引き上げた。予定では食事をした後、またイマエ達と集まって話の続きをすることになっている。

 

 突貫で掃除したとするなら意外なレベルできれいに磨かれている椅子に私は倒れるようにどさっと座り込んだ。

 

「あー重い」

 

 いつも重いけど、今は余計に重く感じる自分の大きな胸を自室に帰った時のいつものクセで机の上に乗せてクッションにする。

 

 次の瞬間、我に返り慌てて背を伸ばして隣に控えていた課長を確認すると、課長は紳士的に視線を逸らしていた。

 

「あぁ、いや楽にした方がいいよ。大変だったからね」

 

 優しく微笑んでくれてる課長が心に痛い。

 私は課長から目を逸らして謝る。

 

「課長、ごめんなさい」

「狩野さんが悪いわけじゃないよ」

 

 そう、事実を積み上げると残酷な現実が見えてくる。

 

 最適化(よけいなこと)され、ブラッシュアップ(いらんこと)された魔王召喚術式は明らかに私個人を狙い撃ちしており、それが課長を巻き込んでしまったのだ。

 本来なら私は一人でこの世界に召喚されていたはず。

 

 そして課長がすぐに否定したということは課長もやっぱり気が付いていたんだ。

 

「……ごめんなさい」

「それ以上謝るなら、狩野さんを魔王様と呼び続けるけどいいかい?」

「……それは困ります」

 

 苦笑したらちょっとだけ心が軽くなった。

 

「ならその話はもうおしまいだ」

 

 課長が私の隣の椅子にゆっくりと座る。

 

「食事の時間まであまり時間がないかもしれない。お互いが気づいていることの整理と今後の方針を決めよう」

「わかりました」

「まずは狩野さんが気づいていることを何でもいいので言ってくれるかな?」

 

「では……あの……、課長? 私ポンコツ魔王みたいなんです!」

 

 私は意を決して課長に自分の重大な秘密を打ち明けた。

 

「……いや、それ知ってるから」

 

 

 

 顔を合わせて二人で笑いあったせいか少し心に余裕が持てた。

 

 



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第8話 呪い

「……だと思うんです」

「ありがとう、狩野さん。狩野さんがどこまで把握してるのか分かったよ」

 

 この世界に召喚されてからの状況と私の推測部分も含めて説明すると課長は何度も頷きながら考え込んでいる。

 

「それで、課長?」

「なんだい?」

「私たち、どうなるんですか?」

「そうだね、まずは我々の立ち位置を明確にしておこうか」

 

 課長は椅子から立ち上がると私の正面に回り、右手の指をパチンと鳴らした。

 

 指から白い糸のようなものが溢れだして、課長の横に四角い塊を作り出したと思ったらそれがホワイトボードになった。脚付きのキャスターで動かせるタイプだ。

 

「こ、ここでもホワイトボードなんですか?」

 

 課長のホワイトボード好きは社内でも有名だ。部下に説明する時や逆に説明を受ける時も机からわざわざ移動してホワイトボードでやり取りするのを好む。

 

「分かりやすいのが一番だからね」

 

 きゅぽん!

 

 課長は黒のホワイトボード用マーカーを取り出して、ホワイトボードに書きいれていく。

 

  ────────────────────

 

   1.日本へ帰還する優先順位

 

  ────────────────────

 

 書き終って私の方を振り返った課長は真剣な表情で私に問いかけた。

 

「我々は魔族の人たちに召喚されてこの世界にやってきたんだけど、今すぐ元の世界に帰ることができるのなら、迷わず帰ることを選択する。狩野さんはこの考えに賛同はできる?」

 

 なぜか当たり前のことを念を押すように確認してきた。

 

「え、いや勿論帰り……」

 

 ……帰りますよと考えたら、さっきの広場に集まっていた人たちの不安そうな顔が圧力を伴って脳裏に浮かんだ。彼らに向かって自分はなんと言っただろうか。

 

(私と共に進みなさい。私が前を歩きましょう。私が連れて行くその先に必ずや希望があります。新しい明日を私と共に迎えましょう)

 

 私はそう言った。あの言葉をなかったものとできるのだろうか? 今すぐ帰るというのであればそういうことになる。あの時はそう、彼らを救いたいという気持ちが膨れ上がって私は魔王だと、彼らを導くものだと決意した……はず。

 

 黙り込む私を見て課長がなぜか頷いた。

 

「それだよ」

 

 課長は再びホワイトボードに書き始めた。

 

 

  ────────────────────

 

   ・魔族数千人が危機的環境にいる

   ・魔族の事情を聴いて数時間の関係性

   ・まったく利害関係のない我々が彼らによって日本から強制的に召喚される

   ・我々は英雄でも王でもなく日本のサラリーマンとOLであり会社と雇用契約を結んでいる

   ・我々は彼らの境遇に責任はない

 

  ────────────────────

 

 

 そして最後に一行追加した。

 

 

  ────────────────────

 

   ・彼らを導くと約束した

 

  ────────────────────

 

 

 課長は私に近づくと座っている私の目の前で両手を叩き合わせた。

 

 パァン!

 

 びっくりして体を強張らせた私に課長はごめんねと謝りつつ

 

「思考をリセットして、ホワイトボードに書いてあることだけで、もう一度判断してみようか?」

 

 心を落ち着けてホワイトボードに書いてあることを読み直す。

 合理的で当たり前の判断をするなら当然彼らの事情は気の毒に思いつつも彼らが解決すべきことで私が責任を感じることではないということは分かる。

 

 ……だけど、そう考えようとすると思考が纏まらなくなって魔族の人たちに対する思いが膨れ上がり焦ったようなせっぱ詰ったような今すぐ何かをしなくてはと自分ではその気持ちをどうにもできなくなってくる。

 

 いつの間にか俯いて下を向いていた私の肩を課長が叩いたので顔を上げると、目の前に鏡が差し出され見慣れた私の顔が映っていた。

 

 そして額の上の見慣れない透明感のある白い角は薄く儚げな光を放っていた。

 

「ごめんね、自覚してほしかったんだ」

 

 課長に手渡された鏡を持って自分の顔を見続ける。

 

「それが……呪いだよ」

 

 ゆっくりと光が消えていくと同時に自分の中の焦りとか魔族の人たちへの思いが静まっていった。

 

「……これが、呪い」

 

 



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第9話 私たちは破滅する

 呪い?

 

 彼らの顔を見て心に湧いた、彼らの力になりたいというこの気持ちは呪い?

 

 私のこの気持ちは呪い?

 違う、そんなはずはない!

 

 でも。

 

 鏡に映る自分の小さな角が仄白く光った時に溢れていた自分の気持ち。

 角の灯りが消えた時に静まった自分の気持ち。

 

 この目で見てしまった。感じてしまった。

 

 理性と感情が私の中で正反対のことを主張している。

 頭の中を駆け巡る思いは支離滅裂で答えが出ない。

 

 鏡に映った自分の角を凝視する私を横に課長は静かに言葉を続けた。

 

「召喚術式は初代魔王様が考案したとイマエ殿は言っていたね。魔族に危機が訪れる時、異世界から莫大な魔力を持つものを召喚して魔族を救うため魔王として力を振るってもらう」

 

 課長は自分の角を軽くたたいた。

 

「先代魔王様の最後の言葉と狩野さんの様子からの推測だけど、召喚の際にこの角を通じて言葉や魔術の技術が付与されている。で、それだけじゃなくてこれ()セーフティ(安全装置)でもあるんだと思う。魔族を危機から救うために召喚した魔王が万が一にも魔族に敵対しないための、ね」

 

 課長の言葉が耳をすり抜けていく。

 

「おそらくは魔術研究所が召喚術式を繰り返し最適化(高魔力保有者の召喚特化)した結果、魔術の技能付与やセーフティ(安全機能)が機能不全に陥り、召喚された魔王が魔族への愛情の強制を自覚するレベルまで術式が劣化した」

 

 そして淡々と語る課長になんだか腹が立ってきた……

 

「そして、先代魔王は魔族への愛情を強制するこの呪いを許すことができなかった」

 

 私の気持ちを無視してる課長に一言、ガツン! と言い返して

 

「……でも、(狩野さん)は違うんだね?」

 

 

 え?

 

 

「本当に……もう、なんてお人好しなんだろうね、(狩野さん)は」

 

 課長は苦笑しつつ首を振って、本当にどうしよもないねって言いたげだ。 

 ガツンと言い返すために気持ちを高ぶらせていた私は話の変化についていけてない。

 

「鏡をよく見てごらん。そんなに悩みながら未だに彼ら(魔族)の力になりたいんだろう?」

 

 鏡に映った自分の角は光っていない。さっきからそうだ。顔はちょっと般若化してたような気がする。まずい。

 

「呪いがなくても彼らに責任を感じてもいるし、助けたいと思ってるんだね、(狩野さん)は」

 

 あれ?

 

 角は光ってないのに、なぜ課長に言い返したくなったんだろう?

 何かに怒ったから?

 じゃあ何に対して怒ったんだろう?

 

 怒りの元を探して自分の心の中を探ってみる。

 

 あっ!

 

 ある。彼らの力になりたい、不安を取り除いてやりたいという静かな思い(決意)が私の心の根っこにちゃんとあった。

 そうだ、思い返してみるとこの角が光ってた時の気持ちはもっと昂るような気持だった。

 私の中に二つの同じ気持ちがあって気付かなかったんだ。

 なんだ、馬鹿だなぁ私は。この気持ちをそのまま受け取ればよかったんだ。

 

 でも嬉しい。

 

 私が彼らに言った言葉は嘘ではなかったんだ。

 自分の心の整理がつくと課長が私を優しい目でずっと見ているのに気付いた。

 

 あれ? こんな課長見るの初めてなんですけど。

 

 それになんだかさっきから課長との距離が近い!

 君なんて呼ばれたのも初めてなんだけど!?

 

 あ、これは来るかもしれない。

 

 私の女子力(ゴースト)が囁いている!

 

 会社でやったら一発セクハラアウトだけど、ここは会社ではないし日本ですらありません。

 しかもここでは私は魔王でむしろ上司、従者のカチョウは部下ですからね。

 これが嫌いな女子も多いけど、私は大丈夫な方です。オールオッケー!

 

 ススッっと頭をポンポンしやすい位置にずらして上目遣いで課長を見上げ何度も練習したグッとくる角度に合わせる。

 

 さぁカモン。

 

 一回でも既成事実(頭ポンポン)を作ればこっちのもの。

 何回も要求して慣れさせて(調教して)感覚を麻痺させればいつでも頭ポンポンの間柄に。 

 

 

 ……チッ、不発。

 

 

 いいところ(ポンポン寸前)まで行ったのに急に手を止めて、課長は難しそうな顔をして自分の手を見ている。

 

「どうしたんですか?」

「いや、なんでもない。なんでもないんだ。気を使わせてごめんね」

「いえ」

 

 流れたのなら仕方がない。気分を変えて気になってることを聞いておこう。

 

「ちょっと聞きたいことがあるんですけど」

「なんだい?」

「課長は最初の話で、すぐ日本に帰れるならとか言ってましたけど、もしかしてすぐ帰る方法を知ってるんですか?」

「……ああ、帰る方法か。そうだね、まあ知ってると言えるかな。セーフティ(安全装置)の術式の考え方からすると間違いないと思う。多分、魔族の危機を救ったと魔王が()()()()()帰還の魔術が作動するようになってるはずだよ」

 

 課長は自分の角を根元から先っぽまでなぞりながら

 

「莫大な魔力を持った存在を召喚し、魔術の技術も付与し全権を委任するような強力な存在は仕事が終わったら帰っていただかないと、魔族の社会が分裂する危機(リスク)が発生する。この術式を考案した初代魔王様ならそこを必ず気にするだろう」

「もしかして魔王様と魔族指導者層との権力争いとか?」

「そう。役目を終えた魔王様は平和裏に帰っていただくのが一番なのさ。だから召喚術式と帰還術式はセットになって角に埋め込まれている」

 

 課長は角を指さしながら

 

「なぜ分かるかというと角に関する知識が私の頭に入り込んでいるんだ。これもおそらく召喚術式の本来の意図(設計)ではないと思う」

 

 課長は私を見て微笑んだ。

 

「だから、彼ら(魔族)を助けないと我々は日本に帰れないんだ」

 

 あ、嘘をつかれてる。

 

「……課長。話を逸らしましたよね? 私が聞いたのは、今すぐ日本に帰れるかという話ですけど」

「いや……、逸らしてはいないよ」

「今すぐ日本に帰る方法があるんですね?」

「……あるには、……ある」

 

 課長は私の目を見ようとしていない。

 

「教えてください」

 

 自分でも言葉が固くなったのが分かる。

 彼ら(魔族)を助けたいというのは私の本心だ。でも今すぐ帰れるのなら私も心が揺れる。

 

 課長はホワイトボードに今度は人の上半身と角の絵を描いて、そこに魔族の文字で複雑な計算式を無言で書き始めた。書き終わるまで私の方を一度も振り返らなかった。

 

「ここの部分、これが帰還の術式になる。召喚した対象者の元座標は角の中に暗号化されて格納されている。そして帰還術式が動作すると、その元座標ポイントを読み込み帰還術式が起動する。帰還術式だけでは元の世界に帰れないようになってるんだ。そして起動のトリガーとなるのがここだ」

 

 課長はこちらに背を向けたまま、図と式の解説を始めたけど見ても聞いてもさっぱり分からない。

 

「つまり……術式のここの部分を書き換えれば、帰還の術式が起動できる」

「書き換えるってどうやるんです?」

「まず、術式とつながってる狩野さんの心を切り離す」

「あ、はい」

 

 心を切り離すってどうやるんだろう?

 

「そのために狩野さんの角をノコギリで切り落とす」

「の、ノコギリ!?」

「ああ、大丈夫だ。ノコギリは具現化魔術で用意できるから」

 

 心配はそこじゃないですからっ!! しかも切り離しは物理か!

 

「あの、それって大丈夫なんですか?」

「奈良公園の鹿を知っているかい?」

「え、えぇまぁ?」

 

 な、奈良?

 

「毎年、秋にノコギリで鹿の角を切っているんだ。観光客がケガをしないようにね。角には神経も血管もないので鹿は大丈夫らしい」

「へー、あっ! じゃあ大丈夫なんですね?」

 

 無意識に額の角を触っていた、というか撫でていた私はほっとした声を出した。

 その声を受けてなぜかホワイトボードの前で私を見ないように下を向く課長。

 

「自分の角を触っていてどう思う?」

「え? あ、堅いですよね?」

「角に触れている感触は?」

「え? ありますけど……」

「そうなんだよ。狩野さんも私の角も鹿とは違って神経が通っている。神経が通っているということは血管も通っている……」

「えぇ?」

「ところで牛の除角(じょかく)を知っているかい?」

「は?」

 

 う、牛?

 さっきから課長の話は唐突すぎる。

 

「牛は小さいころに畜産関係者、そして牛同士の安全の為に角を切るんだ。それを除角(じょかく)という……」

「へ、へー?」

「牛の角には神経も血管も通っていて、切るときはそれはもう……切った後は焼き鏝で焼いて血を止めるんだ。中にはショック死する牛も出るそうだ」

「ダメじゃないですか!!」

「……そうだよね。でもそうやって切り離した角の術式を書き換えれば日本に今すぐ帰れるんだ」

「……」

「……」

 

 私も課長も二人とも押し黙ったままだ。沈黙が痛い。

 

「か……」

 

 今、私やばいこと言いかけたので口を閉じる。

 

「念のために言っておくと召喚術式の起点は狩野さんになってるので帰還するための座標は狩野さんの角にしかないんだ。だから……」

「分かってます、分かってますから」

 

「か」の一文字だけで全部バレてしまったらしい。察しが良すぎるのも困る。

 

「なんで奈良の鹿のエピソードを?」

「……牛の除角を説明する前に場を和ませようかと思って」

 

 逆効果だよ! 落差が強調されただけだよ!

 

 二人とも再び沈黙する。

 居心地が悪いなんてもんじゃない。

 

 椅子に座りなおした時、ギシっと音が鳴った。思ったよりも大きな音がした。

 

「……とりあえず、その方法はナシでお願いします」

「分かった」

「とにかく、彼らの問題を解決しないと日本には帰れないということが分かりました。もうそれで充分です」

「……そうだね」

 

 私の言葉を受けて課長が随分落ち込んでる。すぐに日本へ帰るルートがなくなったからだろうか?

 

「あの……課長、すごく落ち込んでますけど大丈夫ですか?」

「ああ、まあそうだね。狩野さんはその様子だと気づいてないのか」

「何をです?」

「あと少ししたら我々は破滅するんだ」

 

「へ?」

 



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第10話 突きつけられる現実(リアル)

今回は少し重い内容を含んでおります。
予めご了承願います。


「破滅、ですか?」

 

 何を言い出すんだ、この人(課長)

 自分では気づかなかったが、相当変な目で課長を見ていたのだろうか、課長が私から目を逸らした。

 

「ごほん。……ちょっと言葉が適切ではなかったかもしれない。破滅といってもすぐ死ぬような話じゃない……でもまあ社会的な死ではあるかなぁ」

 

 割と遠い目をして、虚空を見上げていた課長が腕から腕時計を外して私に差し出してきた。

 

 CASI●のF-91Wだ。普段はセイ●ーなのに週に一回くらいこれ(F-91W)をつけている。本人(課長)はどうやらとてもおしゃれだと思っているらしい。時々うっとりと眺めている。このセンスだけは理解できない。そのうち止めさせよう。

 

 あ、時計じゃなくて、時間の方かな。

 

 【05:17】

 

 5時17分……。ああ、そうか日本の時間か。

 これがどうかしたのだろうか?

 

「あの、課長? 時間がどうかしましたか?」

「まあ色々濃い時間だったから、現実の感覚がぶっ飛んでてもおかしくないけど、もう日本は明け方に近いよ」

「……はい、それが?」

「あと3時間少々で会社の始業時間だ」

 

 ……あっ!!

 

「部門長説明!?」

「……ちがう、そうじゃない」

「え? でも会議室の予約は10時に入れてますよ?」

「いや、まあそれも大事なんだけどさ。その手前で騒ぎになるはずだ。例えば……そういえばここ2、3年はうちの担当じゃ起こってなかったから解説をしてなかったなぁ。私のミスか」

 

 課長は立ち上がって、ホワイトボードを消すやつで消して何か書き始めた。

 ちなみにホワイトボードの「消すやつ」の正式名称はイレーザーらしい。うちの会社だけじゃなくて多分日本中の会社で「消すやつ」という名前(愛称)で呼ばれてる奴だ。いつの間に出した(具現化)したんだろう?

 

「さて」

 

 ホワイトボードに書き終わった課長がこちらを向いた。演説が始まるようだ。

 

 ──────────────────────

 

  社員と連絡が取れない時の企業の対応は?

 

  ・社員と連絡が取れない=行方不明

  ・社員と会社側の深刻な認識のギャップ

 

 ──────────────────────

 

 

「分かりやすく今回の我々のケースを題材にしてこれを説明してみようか。まずはじめに、我々の本日の予定は勤務になっているね?」

「はい、部門長説明の日ですから」

「そして勤務のはずの我々は今日の始業時間にオフィスへ顔を出すのは……おそらく無理だろう。……うん、無理だろうなぁ……」

 

 大事なことなので課長は二度ほど「無理」という言葉を繰り返した。

 

「遅刻の理由というのは、例えば急病であるとか、電車の遅延であるとか、車通勤であるなら渋滞等色々考えられるね」

「はい」

 

 パシ!

 

 課長がいつの間にか手にしていた指示棒でホワイトボードの「ギャップ」と書かれた部分を軽く叩いた。

 

「仮に入社して1年目の社員が寝坊してしまい始業時間に10分ほど遅れる見込みの時、その社員の心理状態はどうなってると思う?」

「えーっと、遅刻しそうで課長に怒られる、ですかね?」

「他には?」

「同じ担当の先輩に迷惑をかけるかも、ですか?」

「まあそんなところだろうね。チームで仕事をしているわけだから、その仕事の始まりを遅らせて迷惑をかけるというのが頭に浮かぶのは自然だね」

 

 課長は質問を重ねてきた。

 

「その社員は課長に遅刻しますと連絡を入れることにプレッシャーは感じるだろうか?」

「そりゃ感じるんじゃないですか? 怒られる相手に遅刻を告げてそれで怒られるわけですから」

「そうだね、それが普通だね」

 

 課長は笑いながら同意する。

 

「でも寝坊しての遅刻なら自業自得です」

「まあ例え話だから。それで、そういう若手社員が仮に100人いたとして、怒られると分かっていても連絡してくる社員はどれくらいいると思う?」

「え? ……全員連絡してきますよ、ね?」

「本当に? 遅刻するのは10分だよ? 電話で遅刻を報告してそこで怒られて、オフィスに遅れて出社してきてそこでまた怒られることになるよ。すごく損した気分にならない?」

「あ……性格によるかもしれません」

「うん、10分遅れてオフィスに出てきて、遅刻して済みませんでした! とやれば怒られるのは一回で済むから多分100人いたら数人は遅刻を連絡してこないだろう」

 

 パシン!

 

 課長は指示棒をホワイトボードに書かれたギャップという文字を再び軽く叩いた。

 

「全員ではないけれども一部の若手が遅刻を連絡してこないのは遅刻の迷惑が所詮その程度だと思っているからなんだよ。これが社員と会社側の認識のギャップだね」

「はあ」

 

 生返事をしてしまった。

 ホワイトボードに書かれたギャップという言葉と少々大げさに思える行方不明という言葉が気にかかる。

 

「遅れそうな場合に連絡を入れる社員もただ真面目なだけで、なぜ連絡を入れなければならないのか理由を正確に把握している社員も多分ほとんどいないんだ。でもね、社員がその理由を知らないのはそれを社員に丁寧に周知しない会社側に落ち度がある」

「そうなんですか?」

「現に狩野さんは理解してないだろう? これは会社側の立ち位置にいる課長である私が狩野さんに説明していなかったからだ。狩野さんに落とし込みができていないのは私の怠慢だった、だから今こうして落とし込んでいるから許してくれ」

 

 謝られても返事に困る。

 

「さて話を我々のケースに戻そう。あと数時間後、始業時間になっても出勤予定の私と狩野さんが出社してなかったら、私の上司であるA部長が私の携帯に連絡を入れてくるだろう」

 

 課長は服の内ポケットからスマホを取り出した。

 

「もちろん圏外だからA部長は私と連絡を取ることができない」

 

 課長はそう言った後、顔をしかめると取り出したスマホの画面を確認している。

 もしスマホのアンテナが立っているならスマホで検索しまくって知識チートが捗りそうだなぁとぼんやりと思った。

 

「大丈夫だった。間違いなく圏外だ」

 

 なぜか誇らしげな課長。あと大丈夫の使い方がおかしい。

 

「多分次にA部長は私の住んでいる社宅の家電(イエデン)に連絡を入れるだろう。もちろん誰もいないので留守電に連絡するように伝言を残すだろう」

「別に普通ですよね?」

「まあここまではね。次にA部長は情報連絡のルールに従い総務部長に部下の課長が無断欠勤し連絡も取れない状態であると第一報を報告する。ここまでで15分以内かな。報告を受けた総務部長は更に事業本部長に報告するかどうかを判断する」

 

 ん?

 

「この時までには狩野さんもオフィスに出勤してないことに職場の人間も当然気づいてるね。確認する役割の上司である私が不在なので、職位に基づきT課長代理が狩野さんの携帯に連絡するけどこれも当然繋がらない」

 

 課長は服の内ポケットから私のスマホを取り出した。

 

 ちょ!?

 

「いつのまにっ! か、返してください!」

「悪い悪い。服を着替えてもらった時に預かっていたんだけど中々返す機会がなくてね」

「み、見てませんよね?」

「もちろん見てないとも」

 

 焦った私はひったくる様にスマホを取り返した。指紋認証だから見られてないと思うけど……、見ていたら態度に間違いなく現れるだろうから見てはいないはず。

 

「いや本当に悪かった。この部屋に案内された時にすぐ返すべきだったね」

「いえ、いいんです。たしかに返せるタイミングありませんでしたし」

 

「……そうか、では説明を続けようかな。T課長代理は狩野さんと連絡がつかないことを総務に報告するだろう。この時点で総務は上司と部下の二名が同時に連絡がつかなくなっていることに気付く。同じ担当の上司と部下が行方不明という第二報が総務、もしくはA部長から総務部長に報告され、恐らくすぐに事業本部長へ報告が行くだろう。ここまで30分以内だ」

 

 なんだかすごく大げなさ動きのような気がする。

 

「連絡がつかないほとんどのケースは上司に報告を忘れた社員であるとか、マナーモードのまま寝坊したとかそういう大したことのない理由であることは会社も承知している。だけど社員が交通事故を起こしたり巻き込まれたり、事件を起こしたり巻き込まれているケースも稀には起こる。本当に稀だけど警察に拘束されていて外部との連絡の許可が下りない状態になることも起こるかもしれない」

 

 課長はホワイトボードにマーカーで書き足した。

 

 ──────────────────────

 

  社員が何らかの事件、事故に巻き込まれて

  企業が初動(広報)を失敗したら企業イメージが大

  きく損なわれるリスクがある

 

 ──────────────────────

 

 

「単純に寝坊や遅刻かもしれない。だけど違うかもしれない。連絡がないのも偶々かもしれない。だけど会社の経営層が社員のその情報を掴んでいないうちに社員が起こしたセンセーショナルな事件について本社ビルにマスコミが詰めかけていたらどうなると思う?」

 

 課長が口調に深刻さを滲ませつつ言葉を続ける。

 

「社員のちょっとした寝坊と会社の運命がかかった信用が同じテーブルに乗っかっていて性質の悪いギャンブルが始まっている。それなのに初動の段階ではそれがどっちであるのか区別ができないという悪夢。だから過去にそういった経験を積んで後悔した企業はトップまでできるだけ早く情報を上げる体制を作り上げようとするし、そして連絡する習慣が身についてない社員には上司に必ず連絡をしろと教えられる。でもその理由まできっちり落とし込めてないのがほとんどなんだ」

 

 課長がドヤ顔のまま指示棒でホワイトボードをタンタンと叩く。

 失われる信用は数百億円の価値を持つかもしれないし下手をすると倒産すらありえるからね。社会全体が寛容度を失ってそのしわ寄せで企業がリスク回避の傾向を強める~とかご高説を語り始めたので割り込んで止める。

 

 

「課長、ありがとうございます。そっちは十分に理解できましたのでもういいです」

「え?」

「私たちのケースを語ってたのに途中からギャップの話に逸れましたよね? 私たちの話をもっと具体的に聞きたいです」

「え、そっち?」

「元々、私たちの破滅がどうとかの話題ですよね?」

「うん……そうだったね」

「ほら、早く」

 

 課長は無言でホワイトボードに書いたのを消す奴でキュッキュと消して椅子にどすんと座った。

 

「……第二報を上げた後、私の住んでいる社宅や狩野さんの住んでいる借上社宅に総務課長が不動産管理会社の担当者と一緒に訪れるだろうね。立ち入る場合は警官の立会が必要になるケースもあるし時間は今日の午後くらいになるかな」

「うーん、社宅まで上がりこんで調べるんですね。ちょっとびっくりです」

「非常にプライベートな部分だからここまではしない会社も多いだろうね。賃貸の場合は契約書に状況によっては大家が部屋に入るという項目があるし、例えば高齢の社員が脳梗塞で倒れていたりしたら、もしかしたらこの対応で社員が一人死なずに済むかもしれない」

「……あ、なるほどそんなこともあり得るんですね」

「聞いた話だと、ある会社では社宅に入居する社員に、連絡の取れなくなった場合は社宅に上がりこむことを了承するという念書にサインをさせるようだよ」

「うわぁ……」

「連絡が取れないということは会社としては非常に大きなリスクとして考えているということを落とし込む上手い手かもしれないね。社宅に踏み込まれたくなくばちゃんと連絡しろってことだから」

 

 課長が苦笑する。

 

「まあ若い男だと部屋にエロいものとか普通に転がってるだろうけど、そういうのを上司に見られるとかなり気まずいだろうね」

 

 不意に課長が私の顔を覗き込む。

 

「顔色が急に悪くなったみたいだけど、大丈夫?」

「いえ、大丈夫です。なんでもありません。ち、ちなみに踏み込まれるとその……部屋にあるPCを起動して中を確認したりはするんでしょうか?」

「ははは、いやまさか。部屋に社員が不在かどうか確認するだけだよ。それ以上はそんな権限はないし許されることではないよ」

「で、ですよね!」

 

 ふぅ、驚いた。

 

「話を続けるよ? 我々は今ここにいるから社宅に上がりこんでも当然誰もいない」

「誰もいないんですか?」

「え?」

 

 課長がキョトンとした顔で私を見る。

 よし、誰もいない、と。

 

「いえ、続けてください」

「……自室にもいない、連絡も取れないから次はオフィスの入退室管理システムから我々の昨夜の退室時間を調べるはずだ」

「あっ! 二人揃って退室の記録がない……」

「その通り。この時点で上司と部下、別々ではなく何らかの同じ理由で姿を消していると会社は推測するだろう」

 

 課長は目を伏せて言葉を続ける。

 

「……会社は非常に事件性が高い案件だと考えるだろう」

「事件性、ですか?」

「二人揃って合意の元失踪する合理的な理由がないからね。つまり一方が一方を何らかの理由で害し、そして失踪した……というのが一番可能性が高いと考えるだろう」

「害しって……」

「まあその……殺害とか拘束とかかな。実際にはそんなことは起こってないから痕跡も何もないので今日の夕方には会社から緊急時の連絡先に指定されている私と狩野さんの家族に連絡が行くことになると思う」

「え!?」

「早ければ今夜にもそれぞれの家族から行方不明届(捜索願)が警察に出されるだろう」

「す、すごい大事(オオゴト)に……」

「警察はその上で事件性があるかどうか判断して事件性があると判断すれば捜査を始めるだろうし、事件性がないと判断すれば他の行方不明者のケースと同様に積極的な捜査等は行われないだろう」

「……あの、警察は社宅の私物とか調べるんでしょうか?」

「さぁ分からないな。パソコンの中身なんかは軽く調べられるかもしれないけど……。行方不明期間が長期化すれば私も狩野さんも退職扱いになって最終的には社宅の荷物は家族に引き取られるんじゃないかな」

「……」

 

 まずい。私の荷物が警察とか家族に見られる!

 

 焦る私に気付かず課長は気落ちした声で

 

「というわけで痕跡が何も見つからないはずだから犯人扱いはされないだろうけど、男と女だからね。私は加害者、狩野さんは被害者として周りの人には認識されるだろう」

 

 ここまで説明した課長が深いため息を吐いた。

 

「そして本当に困ることになるのは日本に帰還できた後かな。狩野さんと私が無事に姿を現したら、私は殺人者からちょっと頭のおかしいバカという評価に少しだけ浮上するけど、狩野さんの場合は被害者から男性上司と失踪したおかしな女性として評判は大きく傷つくだろう……申し訳ないと思う」

「……違いますよ、私が課長を巻き込んだんですよ」

「さっきも言ったが狩野さんのせいじゃない」

「課長のせいでもないじゃないですか!」

「そうかもしれない。でも上司として狩野さんのご両親に合わせる顔がない」

 

 課長の落ち込んだ声が逆に私を打ちのめす。

 

 私は俯いて両手で顔を隠した。

 

 違う! 課長の想定は間違っている!

 

 警察や私の家族が私の荷物やパソコンの中を調べて私の課長コレクションが見つかったら間違いなく、私は被害者から加害者へ華麗にクラスチェンジする羽目になる!

 無事に日本に帰った後、私の両親が課長に土下座する光景が目に浮かぶ。

 

 うわぁああああああああああああ!!!!!!

 

 コアァァァァァ!!!!

 私の角が高周波音と共に強い白光を放ち室内を白く染め上げる。

 

「うわ! なんだ、角が!? 狩野さん? 狩野さん!?」

「課長!!! やっぱり今すぐ角を切り落として日本に帰りましょう!!」

「いや、落ち着いて狩野さん! 抱きつかないで! うおおお! 眩しい!!」

 

 コアァァァァァ!!!!

 

 

 視界が光に包まれ何も見えない状況で、私の心の中の魔族への思いが大きく強く膨らんで行く。

 逆に日本に帰りたいという思いが小さく折り畳まれていく。

 

 

 

 ──────────────────────

 

「えーっと落ち着いた? 狩野さん?」

「……はい、大丈夫です課長。取り乱してすいませんでした」

 

 私と課長は椅子を並べて座って、課長に手を握ってもらっている。

 

「いやあ呪いだねぇ。まさかああなるとは思わなかったよ」

 

 幸いなことに私が課長に抱き着いて意外とたくましい胸板に顔を擦り付けて押し倒して馬乗りしたことは暴走した角のせいになってる。

 

「ぷ、っく、ふふ、はっはは!」

 

 課長がいきなり笑い出した。

 

「そうだよな。今話したのが最悪のケースなんだ。評判が地に落ちる程度なんだな」

 

 破顔した課長が私を見る。

 

「最悪の未来でもこうやって笑い飛ばせる程度なんだ、大したことじゃあない!」

 

 そう言ってまた笑い出す課長を見てると私もそう思えてきた。

 

「日本に帰った後再就職は大変かもしれないけど、なんとかなるさ」

「そ、そうですね! 私もちゃんと責任を取るところを見せれば両親も納得するでしょうし」

「ん? 責任?」

 

 怪訝そうな顔をする課長に向けて私も大きな声で笑った。

 




第10話の投稿をもってタグの整理をします。
『真面目な内容の予定』→『真面目な内容を含む』
『予定は未定』→削除


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第11話 禁術

 自分の未来に待ち受ける暗雲を笑い飛ばしてようやく肚が決まった。

 吹っ切れたのかもしれない。

 

 望んでなったわけじゃないけど、私は自分の心に従い魔王としての役目を全うしてから胸を張って日本に帰る。そう決めた。課長は私をお人好しだと言ったけど、確かに自分でもそう思うけど、実は下心がないわけじゃない。

 さっきから課長と繋いでいる手が緊張(下心)で汗ばんできた。

 

「あの、課長? 今更なんですが魔王って具体的に何をしたらいいと思いますか?」

 

 魔王をやると決めたけど、白状すると何をすればいいのか分からない。

 

「……そうだね、一番最初にするべきなのは意識の切り替えかな」

「意識の切り替え?」

「そう、指示を受ける人から指示を出す人への意識の切り替え。できない人にはずっとできないくらい実は奥が深くて難しい」

 

 課長はさっきから私の目を見つめながら話している。見つめられると少し気恥ずかしいけど軽く微笑んで見つめ返す。まあ好感度を稼ぐ基本的な技なので多少はね?

 

「うん、もう大丈夫そうだね」

 

 そう言うと、課長は私と繋いでいた手を放した(下心に気付かれた)

 

 あぁ!! 選択肢を間違えた!

 

「この後イマエさんから色々聞いて何をすべきか考えることになるけど、手段と目的を間違わないようにね?」

「……はぁ」

 

 課長が私の気の抜けたような返事に怪訝そうな顔をする。

 だって仕方がないじゃない。さっきまで手を繋いでふわふわするような気分でいたのに、手を離されてしまったらそんなすぐには意識は切り替えられない。

 

「魔王という言葉に必要以上に引きずられないようにね。魔王が魔族という組織の頂点を意味するなら、魔王の役割とはつまり組織のリーダーの役割を担うということだからね」

「……リーダー、ですか?」

「身近な例で言えば私は課長という肩書の小さな組織のリーダーなんだよ。魔王の場合は社長の立場が近いかもしれないね。そういえば狩野さんは先月、3年目社員研修に行っただろう? たしか研修カリキュラムの中にリーダーについての講義がなかったっけ?」

 

 顎を擦りながら課長が問いかけてきた。

 

「えーっと……3年目社員研修って同期が久しぶりに集まるじゃないですか? 夜はもう飲み会ばっかりだったんで記憶が大分怪しいんですが、……確か入社してからの自分の業務実績の振り返り、各々の成功体験についてグループディスカッション、自己分析して自分の強みと弱みの把握、……自律した社員像についてグループディスカッション、それと……これから求められる自分の役割だったかな?」

「あ、最後の奴がそれっぽいね?」

 

 どうだったかな? アルコールで掠れかけた先月の記憶を掘り起こす。

 

「……たしか、これからの自分の役割って中堅社員として後輩の指導とか、主体的な行動とは何かとかでしたよ?」

「あれ? じゃあリーダーについては3年目社員研修でやらないんだな。なら実戦で実践するしかないかな?」

 

 嬉しそうに課長が呟く。

 

「ぶっつけ本番は勘弁してください……」

 

 こっちに来てからぶっつけ本番が多すぎる。

 

「じゃあ実戦前のレクチャーといこうか。魔王、つまりリーダーの役割ってなんだと思う? なんでもいいよ、思いつくままで」

 

 課長は椅子から立ち上がり、ホワイトボードの前に移動しマーカーを持って私に催促する。

 

「えー、リーダー……、リーダーとはみんなのまとめ役である?」

 

 課長が私の言ったことをホワイトボードに書き込んでいく。

 

 

───

 

 

「まあこんなところか」

 

 課長がホワイトボードを見て満足げに頷く。

 

「これがつまり狩野さんの()()リーダー像なんだね」

 

 ─────────────────

 リーダーとは?

 ・みんなのまとめ役

 ・みんなを引っ張っていく人

 ・率先して動く人

 ・責任を取る人

 ・なんでもできる人

 ・なんでも知っている人

 ・指示を出す人

 ─────────────────

 

 

 私は箇条書きされたのを見て落ち込む。自分で言っておいて自分がこれをやれるとは思えない。

 

「私、魔王をやるつもりはあるんですけど、向いてないかもしれません……」

 

 言葉が尻すぼみになる。

 

「まあ……実績もないのに自分はリーダーに向いてる! って思ってる人がリーダーに向いてるかというと疑問があるけどね。まあ私にもなんとか務まってるんだ。狩野さんにもできるよ」

「そうでしょうか?」

 

 課長が黒い笑みを浮かべてからかってきた。

 

「魔王様の従者である私めがサポート致しますのでご安心ください」

「もう! 止めてください、課長」

 

 コンコン

 

「おや、時間かな? このリーダーについては後で詳しくまたやろうか」

 

 課長がホワイトボードから離れて入口の扉に近寄った。

 

「名乗りなさい」

「臨時で厨房を管理しておりますグサカと申します」

「よろしい、入室を許可します。入りなさい」

 

 扉を開けてエプロンをつけた中年の男性が入って着て、私に一礼した。

 

「魔王様、お食事の用意ができました」

 

 私は軽く頷いて課長に了承した旨を伝えた。

 

「ご苦労様。それでは食事の席まで案内をお願いしていいかな?」

 

 

 グサカさんに案内されるがままに宮殿の廊下を歩く。来る時は気付かなかったけど廊下には塵ひとつない。魔族の現状から考えて何百年も住んでなかった都市の宮殿が隅々まで清掃されてるはずがないから魔術的な措置なのかな?

 

 課長の使う魔術見てると最早何でもアリだなとか思うけどこれだけの力があっても戦争で負けちゃうんだな……。

 

 ほどなくして食堂らしき場所に着いた。あの洋画とかで見かけるやたら細長い形のテーブルが置いてある。テーブルの上には人数分の料理が並んでいた。豆と根菜のスープとパンやサラダ。あと干した肉や塩漬けの魚がベースの何か。この都市の魔族の人たちって勇者と人族の軍隊に追われて逃げてきた人たちだから食事があるだけマシなんだろう。

 

 でもあとどれだけ食料は残っているのだろう? いやそもそも食料をちゃんと持って逃げてきた人ばかりじゃないはずだ。確認した方が良いのかな?

 いや違うか。確認してどうするというのか。

 ……これも違うか。多分確認する方法もないはずだ。

 

 さっき課長と話したリーダーとは何か? の問いが頭から離れない。

 何も考えずに指示など出せない。つまり私は適切な何かを考えて判断して指示を出すことを求められている。

 

 私は何を考えなければいけないんだろう?

 

 イマエさんたちがテーブルの脇に控えている中、上座に案内される。

 課長が無駄のない動きで先回りし椅子を引いてくれた。

 

 私は魔王、つまりこの場における最高位者なので私が座らないと多分誰も椅子に座れない。全員の視線を感じる中、優雅に見えるように意識的に椅子に座る。学生時代、演劇部に所属していた時に練習したことがある。背筋をぴんと伸ばして腰と足の角度に気を付け、早すぎない程度に足を斜めに畳んで座れば優雅に見える。

 でも椅子に座るのも気を使わないといけないとか、正直気が滅入る。

 

 椅子に座った私は脇に移動した課長に視線で合図する。もちろん他者に分かるようにだ。

 それを受けて課長がイマエさんたちに着席を促す。

 

 ……庶民には荷が重いです、課長。

 

 

───

 

 

 食事会は何事もなくすぐに終わった。豆のスープは意外と美味しかったけど、イマエさん達は緊張しすぎていて話しかけても「はい」「ええ」としか言ってくれないので会話は一切盛り上がらなかった。

 

 食事の時の会話は料理を美味しく食べるためのスパイスなんだけど、そんな余裕はないのかもしれない。私が鈍感すぎるのか。

 

 

 食器はすぐに片付けられた。このまま会議を始める。

 私の脇に立っている課長が人払いをさせ召使さんたちを下がらせた。

 

「では、イマエ殿。先ほどの話の続きをしたいのだがよろしいかな?」

 

 多分、この都市を囲む靄の話だ。事情を知るものだけここに集まっているはずなのに、イマエさんの顔は曇ったままだ。

 

「イマエ?」

 

 時間は無駄にしたくない。私の方からも後押しするとイマエさんは観念したようだ。

 

「失礼しました。なんなりとお聞きください、魔王様」

 

 私は課長と目くばせをした。

 

「まずは靄について聞きたい。あれが禁術で作られたもので、なんらかの防御結界なのであろう?」

「……はい」

「どのような効果の結界で、いつまで保つのか知りたい。そうだな、できれば経緯も聞いておきたい」

 

 パタタッ

 

 イマエさんの汗が床に滴り落ちた。

 どれだけ都合が悪いんだろう。

 

 事情を知っているはずの周りの部下たちもイマエさんの様子を怪訝そうに見ている。

 

「ノバ、例の魔術書を持ってきなさい」

 

 イマエさんが隣に座っていた、20代くらいに見える若者に指示を出した。肖像画の時にイマエさんに意見していた若者だ。

 

「魔王様。私とここにいる部下たちは、首都にあった魔術研究所の第三支部で論文や魔術書の収蔵庫の管理の仕事をしておりました。私は書庫主幹という役職で、そうですな、蔵書類に関する責任者でありました。今魔術書を取りにやらせてるノバと……」

 

 イマエさんは正面に座っている若者を指差し

 

「このキアツは私の直属の部下で2等主任の肩書を持っております。その隣のムタツとカムラは主に雑務でした。要するにここにいる私の部下は魔術書や論文の管理の仕事をしており、魔術研究所で働いてはいても魔術そのものはそれほど得意ではないのです」

 

 イマエさんはゆっくりと話を続けた。

 

「……そう、ですね。もう2ヶ月ほど前になりますが、魔族の領域の最も東に位置していた都市が最初に勇者と人族の軍に襲われてほぼ皆殺しにされました。生き残った僅かな者が首都にまで逃げてきて初めて人族の軍が魔族の領域に大挙して押し寄せ、周辺の都市を壊滅させながら首都に近づいてきているのが分かりました。魔族にはそれまで軍隊などなかったので警察組織を中心に魔術の得意な者、つまり研究所や、教育機関で働いていたものや狩人や武術に長けた者を集め抵抗軍を作ろうとしました」

 

 そこまで話したところでノバが一冊の本を抱えて帰ってきた。

 

「私と部下たちは、抵抗軍のメンバーには選ばれませんでした。代わりに研究所長より研究論文と魔術書を運びだし隠すように指示を受けました。その一冊がこれです」

 

 ノバが私に差し出した魔術書は黒い表紙に金文字でタイトルが書かれており意外と薄い本だった。

 黒革で装丁された表紙には飾り文字で『限定空間における時空泡散布の研究』と書かれていた。

 

 ……思っていたタイトルと違う。なんだこれ。

 

 受け取って表紙をめくると、

 

『研究成果の利用を禁ず デノン歴623年10月 魔術研究所 第14代所長エド・ツェナー』

 

と朱印が押されていた。禁じられているから禁術なのか。

 

 この薄い魔術書のページをめくって読み始めた私を、イマエが怯えた顔をして見つめていた。

 

 



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第12話 誰も彼も隠し事が多すぎる

あけましておめでとうございます。
2020年がみなさんにとって良い年でありますように。



 目が滑る

 

 誰か知らないけどこのフレーズを最初に思いついた人のセンスは褒め称えられるべきだと思う。

 

 今、私は魔術書を読みながら盛大に目が滑っている。書かれている文字は読めても中身が頭に入らない。関数式とかグラフとかが頻出しているので、これは魔術書なんかじゃなくて間違いなく理系の研究論文だ。

 

 目次から始まって、研究目的と研究内容の概要あたりで内容を理解するのは難しくなった。

 中学生で習った二次関数のグラフを半分に切ってひっくり返したようなグラフには横軸に空間充填率、縦軸に透過率と書かれていた。

 

 書かれてはいるけど、それが何を意味してるかは分からない。

 微笑みを顔に張り付かせたまま、自然な動作でページをめくる。

 

 ページをめくるたびにイマエさんがビクッっとする。

 

 止めてください、イマエさん!

 この(微笑み)を維持するのも集中力がいるんですよ?!

 

 読み進める振りをしながらイマエさんの様子を伺う。

 視線を魔術書に固定したまま、イマエさんを観察する。女子なら誰でも大抵身に付けてる視線の技術だ。

 見ていることを相手にわざと気付かせる技術。見ていることを相手に悟らせない技術。これができなきゃ女子なんかやってられませんよ。調べてみると周辺視という名前でアスリートでも必須とか。演劇にだって周囲との連係が必要な技術なので私も身に付けている。

 

 私がページをめくるたびにイマエさんの顔に噴き出た汗が床に滴り落ちている。

 

 あれ?

 

 たしかキアツとか言ったイマエさんの向かいに座ってる若い男子も何か深刻そうな顔をして私を見ている。

 

 ……一体この魔術書に何があるんだろう?

 

 研究概要の最後のページをめくると唐突に魔方陣が描かれたページになった。

 魔方陣全体を描いたページの次は、魔方陣の一部を拡大して切り抜きその構成要素を解説してるっぽい文章が隅の方に書かれている。以降も魔方陣の解説ページが続いている。

 

 もちろん、目が滑って内容は頭に入ってこない。

 

 

 

 あ、……ちょっと待って?

 

 自分が大変重要なことを見落としていることに今更気が付いた。

 魔術書を読んでいる私をここにいるみんなが注目している。

 そういう状況で私が魔術書を読み終えたらどうなるだろうか?

 特に眼球が血走って飛び出さんばかりに私を凝視しているイマエさん。

 いや、イマエさんに限らない。

 この魔術書の()()について軽く感想でも聞かれたら私はどうなる?

 読んではいるけど、内容について私は欠片も理解できてない……

 頼りたい課長はこの魔術書をまだ読んでいない。

 さすがに読んでもいない魔術書について課長のサポートは期待できない。

 

 あぁ! なんで私は魔術書を渡されるままに読み始めちゃったかな?!

 

「魔王様、魔術書(禁術)をお読みいただきましたがどう思われますか?」

 

 と誰かに聞かれて

 

「あはは~、どうかなぁ~?」

 

 なんて答えると間違いなく失望される。

 キラキラとした輝く目からジトッとした目で見られることの変化に私は耐えられるだろうか?

 いや違う。問題なのは私に向けられる視線だけの話では済まないことだ。

 

 食事前に課長と話したリーダーについて私が言ってホワイトボードに書かれた言葉が脳裏に浮かび上がる。

 

 ─────────────────

  リーダーとは?

  ・なんでもできる人

  ・なんでも知っている人

 ─────────────────

 

 そう、私のリーダー像とはなんでもできる、なんでも知ってる人というもの。

 きっとそれは私だけじゃない。誰だってそうだ。

 

 つまりここにいる全員、そして広場にいた魔族の人たちは(魔王)をなんでもできてなんでも知っている頼れる魔王様(リーダー)だと信じているはずなのだ。

 だから人族の軍勢に追い詰められ滅ぼされかけている状態であっても、ここの魔族の人たちは比較的落ち着いているのだ。全ては魔王様という信頼を集めるリーダーの存在にかかっている。

 逆に魔王が部下からの信頼を失えばその組織は機能しなくなるのは想像に難くない。素人にだってそれくらい分かる。信頼を失えば私の魔族を救うという願いは砕かれ、そして魔族は救われない。

 

 大前提として、(魔王)は魔族の人たちに失望されるわけにはいかないんだ。

 

 頭の中で考えながら魔術書を読んでいる振りをしていたら、次が最後のページになっていた。

 魔術書の内容は分からないし頭に入ってもいない。そもそも魔術の素養が私にはインプットされてないので理解しろという方が無理な話だと思う。

 だけど……この最後のページをめくったら誰かが私に質問してくるかもしれない。

 

 この追いつめられている感覚!

 

 これほどの危機は、三ヶ月前課長がデスクの上に置きっぱなしにしていたコーヒーカップを私が給湯室に持って行って洗う(など)しているところを派遣の河合(29歳独身)さんに見られた時以来だ。

 洗ってただけって言い張ってあの日は何とか切り抜けたけど、その日以来河合さんの私に対するチェックが厳しい。

 さらに自分のカップは自分で洗うようにという通達が担当内に再度流されてしまった。絶対に別の意図が込められている。私には分かる。

 

 

 

 ちらっと課長を見る。

 課長は私の視線に気付くと軽く肩を竦めて見せた。

 

 それ(魔術書)を読んでないので何とも言えない、というのが課長の答えらしい。

 

 

 ……こうなったら力技でいくしかない。

 

 

 魔術書の最後のページに指をかけたまま、膝の上に置いて顔を上げてイマエさんを見る。

 イマエさんは私を見ているのでちょうど見返す形になる。

 訝しげな顔をするけどそれでも私は凝視する。

 

 いや、睨んじゃだめだ。微かに微笑む感じがいいかも。

 

 そして凝視し続ける。

 

 

 よし、イマエさんは目を逸らした。勝った!!

 更に念を押すように十分時間をかけてイマエさんを見続ける。

 

 次はキアツ君だ。

 

 睨まないようにむしろ目に優しさを浮かべてキアツ君を見る。

 彼は、イマエさんと私を交互に見比べた後、躊躇いつつ私から目を逸らした。

 

 フッ、弱い。

 

 残った人たちにゆっくりと視線を流す。よし、大丈夫そうだ。

 私は魔術書の最後のページを読まないままパタンと閉じると、脇に立つ課長に流れるように魔術書を差し出した。

 

「拝見いたします」

 

 課長は私に目礼すると受け取った魔術書を立ったまま読み始めた。

 

 よし、乗り切った!

 

 予め質問しそうな人に微笑んで(威圧して)目を逸らさせている間に魔術書を課長に渡すことで質問のタイミングを潰すのに成功した。

 次、質問があるとするなら課長が魔術書を読み終えた時だけど、その時は課長が私をサポートできる。

 

 我ながら良い機転だった。

 自己満足に浸っていると魔術書を読んでいる課長が感嘆の言葉を上げた。

 見ると、課長はもう魔術書を半分くらいまで読み込んでいる。

 どんだけ読むのが早いのか。

 

「……ほう、これは凄いですね。確率論的に自然発生する微小空間(時空泡)を魔力で発生確率と存在時間をブーストするのか」

 

 その呟きを聞いた何人かは首を傾げている。課長はそれを見て

 

「全員が理解しているわけではなさそうですね。魔王様、この者たちに魔術書の内容を解説することをお許し頂けますか?」

「許可します、カチョウ。禁術とありますが既に使用されていて我々はその影響下にいますからね。その内容を共有することは急務と言えます」

 

 課長、完璧です!

 本当の解説先は私ってことですね?

 

「は、では時空泡とは……」

 

 言いかけて黙り込んだ課長は、イマエさん達に気付かれないように私の方をチラ見した。

 

「模型で説明した方が理解がしやすいか……」

 

 今の酷くない!?

 

 課長は私から少し離れて全員から見える場所に移動した。

 

 パチン!

 

 課長と私たちとの間に横1m縦2m厚さ30cmくらいの透明の壁が現れた。

 

「これが私たちのいる世界、空間を一部切り出したものだと思ってください。そして……」

 

 透明の壁の中央に白いピンポン玉みたいなものが一つ現れた。

 

「これが時空泡をイメージしたものです。単なる物体ではなく、我々の世界とは完全に独立した別の時空間です。別の宇宙と言い換えてもいいでしょう。自然状態では目に見えないほど小さく、発生した瞬間に消滅するほど短い間しか存在できません」

 

 課長は壁の中の白いピンポン玉に指を近づけ

 

「ただのボールに見えるでしょうが、この時空泡に物理的に干渉する方法はほぼありません。別の宇宙から別の宇宙に干渉する方法がないように、この時空泡は壊せず、触れず、何もできない。ただ、魔王召喚術式のように世界を跨って干渉する大規模魔術のみ影響を与えることができます」

 

 壁の中の白いピンポン玉の隣に今度は赤いピンポン玉が一つ現れた。

 

「ですが発生する時空泡はそれぞれ別の性質を帯びた時空間であるので、それぞれの時空泡に焦点を合わせた大規模魔術式と魔力が必要になります。そして微小なこれらの泡が無数に増えて空間を占有していくと……」

 

 様々な色をしたピンポン玉が透明な壁の中に無数に現れ充満した。

 

「そちらから私が見えなくなりましたかな? このように見通せず、あらゆる物理的な力、魔術をもってしても干渉することのできない光も時間すら通さない無敵の障壁と化すのです」

 

 えー、凄いじゃない! これなら靄に包まれた中が安全ていうのも理解で……え、待って?

 

「カチョウ様。質問よろしいでしょうか?」

 

 ノバが挙手している。

 

「どうぞ?」

「たとえば空からとか、地面に穴を掘って人族の軍が侵入してくることは可能ですか?」

「良い質問だ」

 

 良い質問です!

 

 課長は片手に開いたまま持っている魔術書に軽くを目をやった後、食堂の左側の窓へ近づいた。躓いたのか足を一瞬止めた後窓の外を指差し

 

「……外の空の方を見たまえ。空にも薄く靄がかかっているだろう?」

 

 分かりにくいけど確かに外を眺めると空の方にまで靄がかかっている……あれ、気のせいか微妙にさっきより明るいような?

 

 課長は窓際から戻ってくると、カラフルなボールの埋め込まれたオブジェと化している壁を軽く叩いた。すると壁はぐにゅっと変形し球体に姿を変えた。

 

「この魔術書の魔方陣の構築方法だと、時空泡は壁ではなく球形状にこの都市を取り囲んでいるはずだ。そうですねイマエ殿?」

「……その通りです」

 

 課長がもう一度球形のオブジェクトを叩くと時空泡の模型が消えて行って内部が見えるようになった。

 

「この都市は空から地面の中まで時空泡に包まれているが、問題はその空間充填率か……さて」

 

 課長は元の位置、つまり私の脇にまで移動してきた。魔術書を片手で持って開いたままにしている。

 

「ここからはイマエ殿に私が質問したい。この禁術をこの規模で発動するためには莫大な魔力が必要だったはずだ。どこからそんな魔力を用意したのかね?」

「魔族の都市には設備を動かすための魔力タンクが地下に設置されておるのです。この都市は200年前に立入禁止になりましたが魔力タンクはそのまま残されていたので、タンクに残っていた魔力を全て魔方陣に注ぎ込みました」

 

 課長の質問に答えるイマエさんの顔色が明らかに悪い。

 

「ありがとうございます。では次の質問ですが、この時空泡を任意の場所に発生させる魔術の効力はいつまで続きますか?」

「……それは」

「それは?」

 

 ごくりと唾をのみこむイマエさん。顔色はもう真っ青だ。

 

「……分からないのです」

「でしょうな」

 

 課長は深くため息を吐くと片手で開いてもっていた魔術書の最後のページをめくった。

 

「最後のページが……ありませんからな」

 

 

 

 魔術書の最後のページは破り取られていた。

 

 




【補足】
 時空泡というのは実際に量子論とか宇宙定数について出てくる単語ではありますがこの物語の中での扱いは上記とは別の使い方をしておりますのでご注意ください。

 また、魔王召喚術式のように世界を跨る魔術が使われる世界観であるので魔族は我々の世界より「宇宙」「空間」についての理解が深い世界である設定です。
ハードSFではないので非常に緩く受け取って頂けると幸いです。





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