ツクモ!〜俺以外は剣とか魔法とかツクモとかいう異能力で戦ってるけど、それでも拳で戦う〜 (コガイ)
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第一章 出会い頭の吹雪
夢と出会い


 例えば、何か悪い事が起こるとして、それを止める事は出来るのだろうか。

 その悪い事、というのは前兆があるかもしれないし、ないかもしれない。あったとしても小さかったり、当たり前すぎたり、逆に大きすぎて分からなかったり、分かっていても止めようがないかもしれない。もしかすると、勘違いだと思って気にも留めないかもしれない。

 けれどもし、もしもだ。

 

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 でも、今回はそうではない。最悪の状況に陥った訳ではなく、ただ成るようになってしまっただけ。とは言っても、悪い事には変わりはない。さっき挙げた中でどれに分類されるかはさておき、彼らは『家』を失くした。

 いや、その家は焼かれているのだ。今、目の前で。

 轟々と燃え盛り、全てを灰と化すような勢いで炎は家を飲み込む。

 少年と少女、家に住んでいた彼女らは何を思っているのだろう。憎しみか、復讐のための怒りか、それとも家を奪われた事への悲しみか。

 

 ——こんなの……こんなのあんまりだ……。

 

 少年は否定する。今起きている惨劇は現実ではないと、この感情が嘘だと。

 

 ——いや、待て。俺はこんな家は知らない。隣にいる彼女も。

 

 だが、彼は気づく。記憶と現状との違和感に。

 

 ——そもそも、一体……一体俺は……俺は誰だ? 

 

 記憶がない、その事に今更ながらも気づく。自身の記憶や名前が思い出せず、そもそも何故今に至るかの記憶すらも無かった

 

 ——俺は……俺は何故……

 

 彼の感情には徐々に混乱が交じる。記憶の曖昧、現状の悲惨さ。何もかもが理解できない。

 やがて、彼の意識は朦朧としていく。いや、はっきりとしてくると言った方が正しいか。何にせよ、視界に広がる火の惨劇からは離れていく。

 

 ——おい、ちょっと待ってくれ……! 

 

 現状の把握もできないまま、視界は一気に暗くなる。

 

「ハッ……! 夢、か」

 

 少年は仰向けの状態から勢いよく飛び起きると同時に、今までの見ていた物は現実ではなかった事に気がつく。あんな悲惨な出来事が夢だけに止まっている事には安堵のため息を漏らす。

 だが、彼の呼吸は荒く、心臓の鼓動は収まる事を知らない。全身にまとわりつく冷や汗も、止まることはない。それは、先の夢が現実だったからこそ、彼の中にある感情が収まりきらないのではないか。

 

「……とりあえず、帰るか」

 

 彼はその嫌な感情を振り払うため、何か行動を起こそうとする。

 地面に座っていた状態から、両足を使い、立つ。そして、周りを見渡し自分がどこにいるかを確認する。

 どうやらここは、どこかの森の中のようだ。日が入ってこないほど、木が生い茂ってる訳でもなく、かといって遠くが見えるほど過疎でもない。程よい塩梅の森であった。

 だが、彼はそんな中で妙な違和感に襲われる。

 

「背中がなんかかゆいな……」

 

 それが違和感の正体、ではない。

 もっと根本的な問題。それがなぜ起こっているのか。なぜ背中に手を回した時、直接肌に触れられるのか。それさえ気づければ、

 

「そこに誰かいるの?」

 

 あともう少し早く気づければ、この後の不幸な出来事を避けられたかもしれないというのに。

 

「うん……? ああ、ここにいるぞ」

「敵意は……ないみたいね」

 

 木の陰から出てくる人物、それは年齢的にも身長的にも少年より一回り小さい少女だった。

 

「ここで何して……」

 

 少女は最初、普通に接しようとしたが、すぐに視線を下に向けて少年の異常に気がつく。

 

「きゃあああ! アンタなんで裸なのよ!」

「へ……?」

 

 少女悲鳴をあげられ、少年は自身の体を見回す。そこでやっと自分が今どういう状況なのかを理解し、二回目の冷や汗が、全身から決壊したダムのように流れていく。

 男の象徴、ナニが股の間を自由気ままにぶら下がり、露出をしてしまっていた。

 

「なんで……」

 

 その疑問を浮かべるのは当然だ。だが、間違いでもある。

 

「なんで俺裸なんだ!!!!」

 

 森の中の困惑の叫び。しかし、そんな事をしている場合じゃないと、少年は少女からの怪訝な視線で気がつく。

 彼女はまるで少年を不審者かのように睨む。いや、はたから見れば実際、不審者である事は間違いない。

 そして、少年はこの状況で、とある方程式を組み立てる。

 自身を睨みつづける少女、ここから何が導き出せるのか、通報、警察沙汰、逮捕、最後には刑務所送り。このままでは、その彼の予想が現実と化してしまうだろう。そして、確実に社会的な意味で殺されてしまう。そうなる前に弁明をしなければならない。

 

「いやそのこれは、気がついたらこうなってたわけで……べつに裸が好きな訳じゃなくて……記憶がないんだ! とにかく信じてくれ!」

「……信じられる訳がない」

 

 少年の必死の抵抗も虚しく、少女の冷ややかな目は続く。

 

「くそ、こうなったら……!」

「あ、ちょっと!」

 

 誤解を解くのは不可能、そう判断した彼は逃走を選択する。だが、

 

「うわ!?」

 

 その足は走り出した瞬間にもつれ出し、体は切り倒される木のように地面と平行になっていく。しかも、彼に降りかかる不幸はそれだけではない。

 

「ふごっ!?」

 

 彼が倒れた先には木の根っこが地面から隆起しており、彼の頭と衝突し、意識を失わせてしまう。

 

「……いったいなんだったの?」

 

 裸かと思えば逃げ出し、勝手に転び自滅する。そんな少年の不可解な行動の一連に、彼女は困惑するしかなかった。

 これが、物語の始まりだ。



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記憶は失いました

 頭をぶつけ、気絶をしてしまった少年は再び目を覚ます。

 

「ここ、どこだ?」

 

 起き上がって周りを見渡すと、どうやらここは木造建築の家の一部屋のようだ。彼から見るとそこは少々田舎臭いという印象を受ける。物はあまり置かれておらず、あまり飾りっ気がしない部屋だ。

 それらは記憶にない。だが、どこか見覚えがあるような気がした。

 

「……とりあえず、誰かと会って話すか」

 

 ベッドに寝ていた事を確認した彼は、どうしてこんな所にいるのか。その疑問を解消させるだめ、行動を起こそうと思った瞬間だった。

 

「へぇ、意外に起きるのが早かったわね」

 

 隣に置かれてある椅子に一人の少女が座っていた事に、彼は気がつく。その彼女は少年が気絶する前に出会った少女と同じで、見た目は一端に言ってしまえば綺麗と表されるだろう。凛とした立ち振る舞いにどこか幼さを残しながら顔であり、彼よりも年下か。

 黒みがかった青の髪を肩まで伸ばしており、それがさらに彼女の魅力を引き立てる。

 しかし、彼の目を引いたのは、彼女がつけている花の髪飾りだ。

 

「で、目が覚めたばかりで悪いんだけど……」

 

 そう言うと少女は近くの机をバンッと力強く叩き、少年を威圧する。

 

「あんなところで何してた訳? どうして裸だったのかしら?」

 

 その覇気に似た何かに、少年は肌は凍りつき、心臓を鷲掴みされたような感覚に陥る。幼い顔つきながらも、人を萎縮させるような迫力に、一種の恐怖すら覚える。

 

「し、知らない。気がついたらここにいた」

「嘘は言わないで。貴方がさっき、似たような言葉でごまかそうとしてた事、覚えてるのよ」

 

 ずい、と彼女は顔を近づけ、さらにその表情を険しくさせる。それに比例し、覇気も一気に強くなる。

 もしかしたら殺されるかもしれないと思わせるほどまで。

 

「ほ、本当なんだよ! 寝る前の記憶がないんだ!」

「だから、そんなの信じられるわけ……いえ、ちょっと待って」

 

 彼女は何に気がついたのか、少年に向けていた威圧を解き、考え込む。

 

「そういえば倒れて頭を打ってたわね。その時に記憶がなくなった? なら、彼の言う事も信じられるかしら……さっきも似たような事言ってたしまさか……」

「あ……あのー?」

「貴方、名前は?」

「へ?」

「名前よ、な・ま・え」

 

 そう言われて少年は、名前を思い出そうとする。しかし、その結果彼は何も思い出す事はなかった。

 

「……分からない」

「どこにいたのかも?」

「分からない。さっきも言ったけど、さっき寝る前からの記憶はない」

「……嘘を言ってる様子はない、か。いいわ、その言葉信じる。多分、さっきの時も嘘はいってないのよね」

「あ、ありがとう」

「礼を言われることなんかしてないわ。まあ、強いて言うなら外で裸にならないことね」

「裸……?」

「……嘘、やっぱさっきのは忘れて。思い出すのもいやだから」

 

 彼女は頭を振り、悩ましい顔をする。どうやら、さっきの出来事は軽くトラウマになっているようだ。

 

「なあ……ええっと、お前名前は?」

「私? そういえばまだ名前言ってなかったわね。

私の名はルディア、性はルフェンよ」

「ルディア……か。じゃあルディア、ここはどこなんだ?」

「ここはカントリ村……といっても記憶がないなら忘れてるか」

 

 少年は彼女、ルディアと名乗った少女が口にした村の名前を、脳で探しだそうとする。しかし似たような単語はあっても村の名前としては、記憶にない。

 

「ああ、知らないな」

「でしょうね。まあ、一応言っておくわ。ここはニュールド領にあるカントリ村、そしてこの家は私のよ」

 

 説明はしてくれるものの、彼からしてみればやっぱり記憶にない名前ばかりだ。

 何も思い出せないことに少し彼は肩を落とす。

 

「……少し待ってなさい」

 

 そんな彼の心情を知ってか知らずか、彼女は何かしらの案を実行しようと、部屋から出ていく。

 そして、十分後。

 

「悪いわね。最近使ってなかったから、探すのに時間がかかったの」

 

 謝りながらも部屋に入り、少女が渡した物は直径二十センチほどの楕円形の鏡だった。

 

「鏡……?」

「自分の顔でも見れば何か思い出すと思ってね。できる限りのことはしてみないと」

 

 そうは言うものの、鏡は所々くすんでおり自身の顔は見えにくい。とてもではないが、身だしなみに気を使う女性が持つ物ではない。

 

「……まあ、俺が気にすることでもないか」

 

 色々と思うところはあるが、彼はそんな事を気にせず鏡を覗き込む、

 そこに映っていたのは、もちろん少年の顔だ。なんともまあ、締まりのない顔というか、寝ぼけたかのような顔というか。やる気のない半目に、肩まで伸びた黒の髪。どう見てもだらけている者の顔だ。

 だが、それ以外にも気になる点が一つ。

 

 ——前髪、少し違和感が……

 

 顔の中央に、鼻先まで伸びた一束の前髪。記憶のないはずの彼が、唯一自身の顔に疑問を持った部分だ。

 しかも、唯一それはうっとおしいと思っていた。

 

「どう、何か思い出した?」

「……いいや。ただこの前髪だけは、どうにも違和感がある」

 

 一際伸びた前髪を摘みながら、彼の意識はそこへと集中する。

 

「ふぅん、変わってるわね。……人の事言えないけど」

 

 ルディアは微笑みそうになったが、何に気づいたのかその可愛らしい顔は、すぐに物憂げそうな表情に変わってしまう。しかし、最後の方の言葉は少年には聞こえなかったので、嫌味を言われただけだと思い拗ねてしまう。

 

「悪かったな、変わってて」

「悪いだなんて、そんな事ないわよ。変わってるからこそできる事もある」

 

 何か意味深な言葉を苦笑いに似た表情で言うが、少年は『そうか?』と、興味なさそうに返す。それには、彼女の信念が隠されていたのだが。

 しかし、彼女の『さて』という言葉から皮切りに、話は本題へと戻る。

 

「貴方、これからどうしてするの?」

「どうって、急に言われてもなあ。別に記憶を取り戻す、なんて面倒くさいし、そっちは何かのきっかけがあったらぐらいに考えてる。

 ただ、衣食住に関しては否が応でも何とかしていかなくちゃならない。まあ、その当たりは自分でなんとか……」

「だったらここに住めば良いじゃない」

 

 それは死角からの渡りに船だ。そう言わんばかりに、少年は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。

 少年としてはこれ以上の迷惑をかけられないと考え、野宿するしかないと視野がかなり狭まっており、まさか住む場所を貸してくれるとは思ってもみなかった。

 

「それ……本当に良いのか?」

「私は構わないと思ってる。まあ、ほかに当てがなかったらだけどね。

 でも、条件が一つ。ここにいる間は私の畑仕事を手伝うこと」

「それだけか?」

「それだけよ。けど貴方、見たところあんまり筋肉なさそうだし、最初は筋肉痛になるから覚悟しといた方がいいわ」

「あんまり脅すなよ。そんな畑仕事ぐらいで、筋肉痛になるわけがないだろ」

 

 この口調からも分かる通り、少年は畑仕事というものを舐めきっていた。しかし、田植えから収穫までの仕事は、かなりの重労働だ。少年のだらけた体では、畑仕事を行った夜には悲鳴を上げているかもしれない。

 

「はいはい、そう思って——」

 

 そう思っておきなさい、ルディアがそう言い切ろうとした直前だった。



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見習い戦士登場

「ルディア! 今日こそ勝たせてもらうぜ!」

 

 部屋のドアはバンッと、壊れるほど勢いよく叩かれ、そこから現れたのは身の丈以上もある大剣を背負った少々口の荒い少女だった。

 ルディアと比べるとガサツで、せっかく綺麗な金髪もボサボサであり、野生児に近い雰囲気を持っていた。しかも、体の所々に鎧を着ており、まるで戦士のような格好だ。

 しかし、それよりも目立ったのが所々に刻まれた傷痕だろう。

 

「また来たの? 別に私としては、訓練の相手になるから良いけど、今回はタイミングが悪かったわね。ソフィ」

「はぁ? 何を言ってんだ?」

 

 ソフィと呼ばれた少女はズカズカとルディアに近づいてく。最初は少年の事に気付いていなかった、というか眼中になかったが、ルディアの言葉によって彼女の意識が始めて少年へと向けられる。

 

「今日は彼の看病をしなきゃいけないの。だから、来るならせめて明日になさい」

「彼……?」

 

 野生児少女はルディアに言われ、少年をまじまじと舐め回すように見る。顎に手を添えながら、『ほうほう』とか『なるほどなるほど』と、何に納得したのか口をニマニマさせ、意味深な表情を浮かべる。

 

「なによ、その顔は」

 

 逆にルディアは気味が悪いと言わんばかりの、嫌な顔でソフィアを睨みつける。

 

「やっぱりな。さて、邪魔者のアタシはとっとと退散しますかね。そんじゃお二人さん。あとは仲良く……」

「馬鹿か」

「痛っ!?」

 

 何か勘違いをしている。そう判断した瞬間にルディアの脳天直下チョップがソフィに繰り出される。

 その威力は見ての通りで、チョップを受けたソフィがうずくまり、床に倒れるほどの激痛を受けたようだ。

 

「彼は森で倒れてたところを助けただけよ。面識はさっき初めてしたところだから、アンタが思うような関係じゃないわ」

「なーんだ。つまんねぇの」

 

 真実を伝えられた瞬間に、少年からソフィの興味が一気に薄れる。

 しかし、少し空気気味になりそうな少年からすれば、いきなり現れた少女ソフィの存在が気にかかる。

 

「なあ、ルディア。そいつ誰だ?」

「こいつ?」

「おお! アタシか!」

 

 自身が話題となる。そう聞いた瞬間に彼女は落胆の感情から一気に明るく興奮し、誰に頼まれた訳でも無しに自己紹介を始める。

 

「アタシはソフィ! 前衛でバッタバッタと敵を薙ぎ倒すカッコいい戦士だ!」

「見習いの、ね」

「余計な事言うなよ〜」

 

 Vサインをしながらポーズをつけたソフィであったが、水を差された事で、『ちぇっ』と言いそうな表情でまた落胆する。

 

「で、お前の名前は?」

「それが分からないのよ。彼、記憶喪失みたいだし、持ち物らしき物も一切なし。正直、お手上げ」

「は? なんだそりゃ」

「けど、名前がないのは不便か……」

 

 ソフィの一つの疑問により、話は次へと進む。

 名前をどうするか。

 偽名だろうと、仮名だろうと何かしら少年には必要なものだ。いつまでも貴方やら、こいつやらではシャンとしないだろう。

 

「なら名無し(ノーネーム)だ!」

「却下、安直すぎる」

「ちぇっ……じゃあ正体不明(アンノウン)!」

「却下、理由はさっきと同じ」

「それなら、記憶喪失(ロスト)!」

「却下……というか、さっきから後ろ向きな名前しか出してないわよね?」

 

 次々と案を出していくソフィであったが、それはことごとく却下されていく。

 

「なんだよ、別に悪くないだろ?」

「悪いわよ。少なくとも名前にするようなモノじゃないわ」

「だったら何が良いんだ?」

 

 そう言われると、今度はルディアが何か案を出そうとする。

 

「そうねぇ……リル」

「リル?」

 

 あまりにも突発で単調な名前、それにソフィと少年は首をかしげる。

 

「そうよ。リルーフ・ルフェン、それが良いと思う」

「なんだよそれ。聞いとくけど、どういう意味だ?」

「そんな者ないわ。勘よ、勘」

「うへぇ、お得意の奴ですか」

 

 ソフィの顔は一気に不機嫌となる。ルディアは勘といったが、それはソフィにとって何か嫌な思い出でもあるのだろう。

 

「絶対アタシの方が良いと思うけど」

「それなら、本人に聞いてみましょ」

 

 向き合っていた二人は、少し空気気味であった少年に再び目を向けて、ある質問をする。

 

「私のリルーフと、コイツのノーネーム? とかなんたらっていう奴、貴方はどっちが良い?」

「お、俺が決めるのか?」

 

 優柔不断な質問返しであるが、それは不安というよりも、面倒という感じで、自分で決めるよりも他人にさっさと決めてほしいという考えが表に出ていた。

 しかし、この状況ではもう通用しない。

 

「当たり前よ。貴方の名前なんだから、貴方が自身が決めないと」

「なら、ルディアが言った方で」

 

 だが、なんだかんだ言って即決した。

 

「そっちの方がまだマシだし」

「なんだよ〜、アタシの方が……」

「くどい」

 

 本人が決めた事であるのに、まだダダをこね出すソフィであったが、それは一蹴される。

 

「それじゃあ仮だけど、貴方の名前はリルーフ・ルフェン。これで良いわね?」

「良いんだけどさ、何故ルフェンっていうお前と同じ苗字を使うんだ?」

「都合が良いからよ、対外的に」

 

 理由の一つを聞いただけで少年、リルは『ふーん、そうか』と流し、追求はしなかった。

 

「さてリル、今日は休みなさい。明日からはビシバシ働いてもらから」

「あ、ああ」

「ソフィはさっさと部屋から出ることね。お茶ぐらいは出してあげるから」

 

 ルディアはソフィの手を掴み、強引に部屋の外へと連れ出そうとする。リルを安静にしておきたいという理由だろうが、少し無理やりすぎる行動でもあった。

 

「お、おい! そんな引っ張んなって!」

 

 静止の言葉も聞かず、部屋を出て扉を閉める。

 

「なんだよ、無理やりしやがって。もうちょっと話ぐらいは……」

「最初に言っておくわ」

 

 ソフィの文句を断ち切るように、強くルディアは警告をする。

 わざわざ少年のいないところに連れ出したのは、この話を聞かせたくないからだ。

 

「彼に過去の話は聞かないこと。もちろん家族とか友人とかの話もね。話題に出すことも極力避けなさい」

「なんでだ?」

「記憶喪失だからよ。彼は自分の正体を知る手掛かりがない。自分の顔を見ても何も思い出せないし、持っていた物もない。今はその事に無頓着だけど、意識し始めてしまえば精神的に追い詰められるかもしれない」

 

 彼女は今日初めて話したばかりの少年を心配していた。これから共に生活する者として、不安にさせるような事はさせたくなかった。

 

「……はいはい、分かった。ていうか、私が家族のこと何て話すわけないし」

 

 ソフィは渋々ながらも了承する。最後の部分は小声で、皮肉を垂れながら。

 

「最後、何か……」

「にしてもお前、相変わらずお人好しだな」

「……そうかもね。けど、今回は無駄かもね。これから一切彼に過去を意識させないなんて無理だし、そもそも見た感じからデリケートな性格してなさそうだし」

 

 その言葉にソフィは肩透かしを食らったかのような表情をする。

 

「なんだよ、それ」

「アンタの言うお人好しが難儀になっただけよ。

 さあ、さっき言ったとおりお茶を出してあげるから、さっさと行くわよ」

 

 友人に茶を出す。そのためにルディアはキッチンに向かい、ソフィもそれについていく。

 

「お、ラッキー! ついでにクッキーもくれよな」

「はいはい欲張り屋さんね」



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労働、そして吹雪

「こ、腰がぁ〜……」

 

 リルがルディアの家に住み始める事になってから三日後。朝から彼は麦わら帽を被りながら、畑仕事に勤しんでいた。

 

「筋肉痛になるとは言ったけど、それが今日まで続くなんてね」

「う、うるせぇ……」

 

 腰に痛みを覚えながらもそれを必死に落としながら種植えをしているリルに対し、平然とした顔でルディアは淡々と同じ作業を行う。

 彼がルディアに世話になる事が決まってから翌日、早速畑仕事を手伝うことになり、どうやらタイミングよく基礎の土壌作りからだった。

 まず一日目の仕事は肥料撒きで、簡単な仕事だ。

 問題は二日目だった。土を耕すというのが仕事であったが、二人の速さは歴然でリルが一を進めるとルディアは十以上ものスピードで終わらせていったのだ。

 やり終えた後には、主に彼の腰がやられていた。クワの扱いに慣れていないのもあるが、彼が普段から運動をしていない事が伺える。しかし、それだけではない。

 

「大体さあ、この畑広すぎじゃないか!?」

 

 どこかの競技場が立ちそうな広大な畑のスペースが、彼の体をイジメ倒したせいでもある。

 もちろん、それら全てを彼が耕した訳ではない。先ほども言ったように、仕事量にすれば十分の一にも満たないがそれでも彼にとっては過度な広さである。

 

「それぐらいしないと、自給自足ができないのよ。でも今日は種まきだけだから、体への負担は少ないはずよ」

「それでも腰を落とすから、痛いんだよなぁ。

 はぁ〜、めんどくさい」

「そんなこと言わない。貴方が決めたことよ」

「わぁってる。やる事ぐらいはやる」

 

 非常に嫌な顔、もとい私はダルいですと言わんばかりの顔をするものの、やる事はちゃんとやっているリルであった。

 しかし、そんな彼がふと気づく。空を見上げ、そして周りの空気を感じていると、昨日との差異がある事に。

 

「にしても、今日はやたら寒くないか? 昨日は汗でびしょ濡れになるくらい暑かったのに」

 

 昨日は雲ひとつない空に太陽が一つだけだったはずなのに、今はどんより暗い雲が空を覆い被さり、彼らの周りの空気が肌を刺すような寒気に変化していた。

 

「……ええ、そうね」

 

 ルディアもその事には気づいていた。いや、それのさらに先、核心部分までも読み取っていた。

 

「今日の仕事はここまでにしておいた方が良い。これからもっと寒くなりそうだしね」

「そんな事まで分かるのか?」

「まあね」

 

 彼女はタネを入れていた袋を持ち上げながら家に持ち帰り、リルも不思議そうな顔をしながらその後を追う。

 

「けど、なんで寒そうになるからって種まきを切り上げるんだ? 別に続けたって……」

「さっき寒くなるって言ったのは間違いだった。このままだとこの辺り一帯が凍りつくわ」

 

 その冗談とはとても捉えられない本気の言葉、それは彼の背筋を凍らせるものだった。

 

「お前……それ本当なのか……?」

「そのままの意味よ。放っておいたら何もかもが凍り死ぬ。

 だから、私が止めに行くわ」

「へ……?」

 

 その言葉に、リルは困惑を隠せなかった。

 今、彼女はこの自然現象を止めてみせると言い出した。この三日間で彼女の体が鍛え抜かれていたことは分かっていた。少なくとも彼より遥かに。

 しかし、しかしだ。自然が起こす災害には人一人ではまず立ち向かうことはできない。いや、どんなに人がいてもだ。

 

「いや、確かにお前は強いよ? 力はあるし何度も戦ってるところは見たことある」

 

 この三日間、ルディアは初日と同じように勝負を挑んでくるソフィと毎日戦い、そして悠々と勝利していた。

 しかも、リルの中にある知識の『試合』よりも激しく、そして実践的な『戦闘』であった。細かい内容までは目で追いついていけないほどのスピードだったけど、それでも人間の限界を超えたような力を彼女は持っている事が、素人目の彼でも理解できていた。

 

「けど、今回はそれで解決できるわけじゃ……」

「できるわ。黒幕の居場所も大体特定できそうだし」

 

 この異変は人為的だ。彼女はそう断言する。

 

「黒幕って……」

「ま、貴方は家で留守番でもしておくことね」

 

 リルの質問は無視され、ルディアは家に着くと同時に持っていた種袋を玄関近くに置き、なにやら準備をし始める。

 

「これとこれとこれと……あとこれも」

 

 物置らしきところから鞘に収まった直剣や、取り回しの良い短剣に、それより少し短く手頃なナイフを一本ずつ。胸や肩、膝の主要部だけを守る鎧、謎の粉や液体が入った道具袋などを取り出していく。

 どうやら、本当に彼女は戦いに行くらしい。

 

「なあ、これからどんどん寒くなるんだろ? だったらこの家大丈夫なのか? あんまり防寒とかできなさそうだけど……」

「大丈夫よ。この家、閉め切っていれば外の影響を受けない魔法があるから」

「ま、マホウ?」

 

 それはこの三日間で初めて聞いた単語だった。

 

「そんな摩訶不思議な物があるのか?」

 

 彼にとってそれは非現実的だと感じていた。知識としてはほんの僅かにぼんわりとある程度だが、それを実際に見たことはなく、馴染みのない物だ。

 

「摩訶不思議って……ツクモよりは聞いたことあるでしょ」

「ツクモ……?」

 

 またもや聞きなれない単語が出てくる。

 

「けど、今の貴方には関係ないわ。ほら、そこの暖炉の横にあるツマミ」

 

 話題を切り上げ、ルディアは指をさしてリルの視線を誘導する。

 

「もし寒かったら、それを捻れば火がつくわよ。普段はあまり使わないけど、今回は緊急だから使っていいわよ」

「へぇー、いっつも不便だけど今回は便利な物だな」

 

 この家では水を使うにも一苦労で、川まで樽で補給に行ったり、火も毎回薪を用意して火打ち石でつけるという、手間がかかるものばかりであった。

 だからこそ、今回は捻るだけどいう一工程だけのそれが便利だった。

 

「晩飯までには戻ってくるけど、貴方料理できるわよね?」

「俺がやるの? できるけど……めんどくせぇ」

 

 大きな溜息をつきそうなほど、彼は心底嫌そうに眉を寄せる。

 

「なら、やっておいてね。材料はキッチンに全部あるはずだから。

 じゃあ、そろそろ行ってくるわ」

「なんで買い物に行くようなノリで、氷河期時代を止めようとしてんだ」

 

 リルは呆れるが、ルディアの内心は彼の思ったような軽い感情ではなかった。

 

「そう見える? 私、こういうの初めてなのよ」

 

 静かに、そして落ち着いて、こんな物は日常と変わらないような顔で言うが、彼女は確かに緊張している。大きく鼓動する心臓を必死に抑えて、背中には汗が流れる。けど、それでも彼女はそれを表面には出さない。

 

「……そうは見えないな。

 まあ、なんだ。行くなら行ってこい。どうせ、記憶のない俺なんかが行っても足手まといだろうし、任せる」

「ええ、そうするわ。晩飯は期待してるわ」

「しないでくれ」

 

 会話をひとしきり終えた後、ルディアは家を出る。この原因を突き止め、そして阻止するために。

 

「……行ったか」

 

 黒幕と言っていたが、リルには何が何やらさっぱりわからない。しかも、魔術やらなんやらと、聞きなれない単語しかなさすぎる。けど、けれどもだ。

 

 ——何故、戻ってこないという不安が駆り立ててくるのだろうか。



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なんで巻き込まれるの

 

 ルディアがこの自然現象を止めると言って、出かけてから二時間後。

 

「なー」

「クゥン?」

「暇だな、ルル」

「ワン!」

 

 リルは暇を持て余していた。

 最初は昼食を食べていないことに気付き、キッチンの食材を使って簡単な料理を作って食べていたのだが、そこから何をやることでもなくなってしまった。

 

「ルディア、早く帰ってこないかなー」

「ワン!」

 

 そうしているうちに彼は、この家に飼われていた犬、ルルをもふもふするだけの機械になってしまっていた。

 ルルとは白とグレーの毛並みを持ち合わせている狼に似た雄犬だ。ルディアに非常に懐いており、リルにも心を許している。

 しかも、毛がもふもふでリルがクセになってしまうほど柔らかく、手がずっとルルから離れなくなってしまった。しかし、その時間はあともう二秒で終わってしまう事を彼は知らない。なぜなら、

 

「ルディア! 今日こそ勝ってみせるぞ!」

 

 戦士の風貌をした少女ソフィが突撃訪問してきたからである。

 

「うん? なんだリル……と、ルルか! 

 よーしよし、元気か?」

「ワン!」

 

 ルルの頭をガシガシと撫でるソフィであったが、彼は嬉しそうに吠える。

 ただ、リルの方はもふもふタイムを邪魔されたことに不満で、彼女を親の仇のように睨んでいた。しかし、彼女は気にする素振りもなく、話を続ける。

 

「で、ルディアはどこだ?」

「ルディアはこの吹雪を止めるってどっか行った」

「はぁ? こんなドラゴンが出しているかのような、激しい吹雪の中へか?」

「ドラゴン……?」

 

 今日二回目の彼にとって馴染みのない単語が出てきた。しかし、それよりもだ。

 

「それって、人が出られないほどなのか?」

 

 外の天気は、ソフィによれば荒れているらしい。それがどの程度なのか。

 

「こんな天気なら、普通の人間だったらお陀仏だろうな」

 それを聞いたリルはすぐさま窓から顔を覗き込み、外の様子を確認する。そこに広がっていたのは白銀の世界、と言えば聞こえは良いが、実際には雪が地面とほぼ平行に走る強烈な吹雪の光景が広がっていた。

 

「そんな焦らなくても、この家は閉め切ってれば外の影響を受けない仕組みになってるぜ」

 

 それはリルにも分かっていた。ルディアから聞いている。問題は彼女自身だ。

 

「あいつは……ルディアは……」

「ん? ああ、あいつの事を心配してたのか。ルディアなら平気だ、へーき。どうせ何もなかったように帰ってくる」

「……本当か?」

 

 確かに彼女は、何ともないような顔で出かけた。緊張しているとは言ったが、それでも彼も大丈夫だろうと確信している。

 だが、それ以上に不安が勝っていた。彼女が帰ってこなければ、()()()()()()()()()()()()と。

 

「……そんなに不安なら、一緒に来るか?」

 

 彼の内心を読み取ったかのごとく、彼女は誘いを持ちかける。

 

「ルディアがどこへ行ったのか分かるのか?」

「ああ、ここへ来る途中に不審な所があった。私もちょっとばかりあいつに用があるしな」

「けど、外が……」

「大丈夫、大丈夫だって! この家からすこーしばかりコートとか拝借すれば良い。もしもの時は私がいるし、な? な? 

 よーし決定だ! ルディア捜索隊、ここに結成!」

 

 優柔不断なリルを、強制的にパーティに加え、腕を引っ張り早速準備をしだすソフィ。

 

「お、おい! まだ行くなんて……!」

「えーと、防寒着は確かここら辺に……」

 

 客室のタンスから防寒着を引っ張りだしてリルに着せたか否や、すぐにルディアを探すため、外へと出発する。

 

「ルル! 留守番頼んだ!」

「ワン!」

 

 彼女の無理やりとも言える行動に、リルはストップの言葉すらもかけられない。ルディアがいれば止めたのだろうが、ここにはいない。つまり、ソフィを止める者は誰もいないのだ。

 

「は、早い! 早いって! ほとんど引きずってる!」

 

 先導するソフィに対して、引っ張られるリルは足がついていかずに、何度もこけそうになる。

 最後はバランスを崩してしまい胴体が引きずられる……ことはなく、走るスピードが速すぎて、もはや飛んでいた。

 

「よし、ここだ!」

 

 それが十分くらい続いたころだろうか。目的の場所についたと同時にソフィは急ブレーキをかけ、その反動でリルは吹っ飛び、地面を転がりながらも最後には近くの木にぶつかってしまう。

 彼は体をさするも、特に怪我はないようだ。

 

「いっ……てぇ!!お前、もうちょっとマシな運び方はなかったのか!?」

「良いじゃん。怪我はないしめちゃくちゃ早くついたし。そもそもチンタラしてたら、寒さにやられちまうからな」

 

 親指を立てて良い笑顔で言うが、彼からしてみれば迷惑でしかない。

 

「だとしてもだな……」

 

 普通に歩くとか、負ぶってもらうとか、そういうのはないのかと言いたいところではあったが、その前にソフィが話を打ち切る。

 

「それよりもさ、ほらここ。多分ここにルディアがいるぜ」

 

 彼女が指差した場所、そこは木々が生い茂るなかでポツンと不自然に開いた場所の中央。

 誰が、どうやって、一体何のために。理由は一切理解できないが、地下への入り口らしき階段が掘られていた。しかも、その周りは氷のかまくらができており、いかにも今の気候に適している生物が中にいます、と言わんばかりの作りだ。

 

「確かに元凶がいそうな気配だな。けど、毎日ここを通ってるんだろ? 作りかけとか見て怪しいとか思わなかったのか?」

「いいや、そもそも私は別にここは通ったことないぜ」

「はあ? だったらなんで分かるんだ?」

「魔物がここに集まってるからさ」

 

 魔物、また彼にとって摩訶不思議な単語が出てくる。しかし、ここらの人はそう言うものが一般常識としてあると、追求することはせず話を聞き続けた。

 

「森の中を歩いてると、あいつらいつもは私を襲ってくるくせに、今日は逃げていきやがるんだ。そいつらの方向から予測するに、おそらくここら辺だな、と思ったら見事に当たりだったってわけだ」

「魔物が集まってるって……そんな半分賭けみたいな考えで、ルディアの場所を知ってるって言ったのか?」

 

 リルは呆れ顔をするが、彼女は『いやいや、それだけじゃない』と理由を付け加える。

 

「そいつら、普段は見ない奴らだったんだよ。しかも、青かったり白かったり、毛が異様にフサフサだったりと、雪が降る地方にいるような魔物ばっかりだったんだ。なら、そいつらとこの異常な天気が関係あると思うだろ?」

「へ、へぇ〜……」

 

 案外頭を使った予想であることに、リルは少し驚く。

 見た目からして脳筋と言わんばかりの戦士タイプだと、彼は勝手に偏見で決めつけていたから、余計に意外であった。だがしかし、ならばもう少しだけこっちの身も考えて欲しいとも思った。

 

「んじゃ、俺は帰る」

 

 用は済んだ。だからもうこの場に意味はないと、立ち去ろうとするが、

 

「待てよ」

 

 襟を掴まれ、止められる。

 

「なんだよ! 帰らせてくれよ! 無理やり連れてこられても、俺には何もできないんだよ!」

「じゃあ、この吹雪の中を帰るのか?」

 

 ソフィに指摘され、周りを見るとそこは一寸先は闇ならぬ雪という、視界が極限に悪い光景だった。

 

「この中を森を抜けて、なんていうのは自殺行為だぜ。さっきは私が連れてきたから良いものの、帰り道が分かってないなら家に着くのはほとんど不可能だ」

 

 彼女の言う通り、土地勘のない彼が家に帰る事は無理だ。さらには吹雪や疲れた体の影響で、このまま外を歩けば凍死すること間違いなしだろう。

 ならばソフィと一緒に階段を降り、洞窟の中に行くしか選択肢はない。

 

「……しゃあねぇ。中に入るしかないみたいだな。

 けど、それまでだからな! あとは知らないからな!」

「そう言ってられるのも今のうちだぜ」

 

 ソフィの不穏な言葉を気にしながらも、リルは階段を降りていく。

 彼らの待ち受けるのはいかに。



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突入、初ダンジョン

 私が見るに、こいつはかなり()()()

 普段は面倒くさそうにしたり、戦いを避けたりしている。今回の件も気乗りじゃないし、なよなよしているが、それは力を隠しているだけだ。

 ならば、無理やりにでもついてこさせるべきだ。極限状態になればその力を使わざるを得ないし、最終的には盾にもなる。そうなれば、私は楽にここのボスへと辿り着き、ほぼ疲弊しない状態で倒せる。

 

 先行されてしまったルディアも、流石に道中の魔物との戦闘で体力を使わざるを得ない。そこを横取りしてやれば、私の名声はグンッと跳ね上がる。まあ、そこはオマケだが。

 

 なんにせよ私には力が要る。少なくとも()()()以上の力が。その為にはなんだって利用してやる。

 ここのボスに勝てばこの『ダンジョン』にいる魔物達は私の下につくだろう。魔物の絶対は強者だ。勝てば官軍、負ければ死という価値観がここのやつらには植えつけられている。故に、その個々の強さは人間の上を行く。そいつらからならば力も得られるだろう。

 

 私は力をつけなければならない。どんなやつにでも一人で、この手に持つ武器一つで。『魔法』なんていうセコイやり方じゃダメだ。()()()を倒すのは通過点に過ぎない。私にはそれ以上の目的がある。

 前衛の人間こそ戦いにおいて最強。後ろでちまちまと攻撃するのはただの臆病なだけだ。だから私は戦士として戦い、そして——

 

 その為にはこいつの力は必要だ。最終的に力を手に入れればいいのだから、過程に関してどうこうは言わない。言わないのだが……

 

 

 =====

 

 

「だ! か! ら! 嫌だったんだよ!」

「そらそら! 逃げろ逃げろ!」

 

 リルとソフィ一行が『ダンジョン』と呼ばれる場所に入ってから、約三十分。リルは棍棒を振り回す小鬼に追いかけ回されていた。

 ここの中は意外にしっかりと作られており、壁や天井などは石で補強されていた。しかし、そこへと入った瞬間にあらゆる方向から魔物が襲ってきた。リルからすれば、少なくとも記憶を失ってから始めての遭遇であり、恐怖心と焦りから、冷静ではいられなかった。

 小鬼や犬猫、どこの動物に似た物もいる。

 今、彼を襲っている小鬼もまた魔物だ。

 

「後ろは常に注意しとけ!」

「あべしっ!」

 

 しかし、ソフィの大剣に背中を斬られ、あっさりと倒されてしまう。

 

「ふぅ、この階層は片付いたな」

 

 額の汗をぬぐい、余裕だったというあっさりとした顔で周りを見渡す。彼女の目に映るのは地面に倒れた魔物の数々だった。

 

「はぁはぁ……た、助かった」

 

 対して、肩で息をして安心感で地面に座り込んでいるリル。彼は魔物への恐怖から逃げ、追いかけ回されただけだが、畑仕事の疲労により、体力はもう限界だ。

 

「礼なんていらない。……ったく、私の見立て違いだったか? 逃げてる最中もただ闇雲に見えたし、何回もズッコケてたし」

 

 自身の見当違いに呆れる彼女は、襲ってくる魔物をほとんど一人で倒していた。彼女らがいる階層は地下五階で、階層の広さはそんなに大きくない。

 しかも、魔物は数が多いが、強さに関してはそこそこで、ソフィが大剣を一振りするだけで吹っ飛んでいき、簡単に奥へと進むことができた。

 けれども、リルにとっては一匹だけでも脅威で、戦うすべを持っていないため、ほとんど彼女頼りだった。

 

「……うっ」

 

 しかし疲れからなのか彼は吐き気をもよおす。顔は青ざめ、口を手で押さえて今から吐くのではないのかと思わせる様子だ。

 

「おいおい、ちょっと走っただけでだらしねぇな」

「……いや、そんなんじゃない。この有様を見てると何だか気持ち悪い……うっぷ」

 

 疲れから、ではなかった。彼の具合が悪い真の理由は戦闘の後にできた光景であった。

 斬られたり潰されたりした体。飛び散った赤い血。魔物特有なのか青い血や肉もある。中にはかなりえげつないものもあり、致命傷は免れていても多量出血による死亡となっているのではないのか。

 もちろん、直前まで彼に襲いかかってきた魔物も、だ。

 

「こんなの戦場じゃ日常茶飯事だぞ。それに、こいつらは死んじゃいない」

「う、嘘つけ」

「本当だ。魔物っていうのは心臓と脳みそさえ繋がってれば、勝手に回復しやがるんだよ」

 

 ソフィの言っていることは事実だ。詳細は省くが、魔物の生命力は凄じく瀕死であっても、個人差はあるが半日で完全回復するほどである。

 

「そんで、私はそのどっちも潰さずに倒してきた。

 あ、でも勘違いすんなよ。死ぬ姿が嫌だとか、殺したくないとか、そんか大それた信念とかが理由じゃねえからな」

「そんなもんはどっちでも良い。死んでるか、生きているのかもな。

 俺はこの有様を見るだけで、気持ちが悪……うっぷ」

 

 二度目の吐き気を抑えるリルを、ソフィは『やれやれ』と言いそうな顔で呆れる。

 

「ほら、もう行くぞ。このまま進めば次は親玉かそれを守る門番だ。そろそろルディアとも再開できるはずだ」

「も、もう行くのか? ちょっとぐらい休憩させてくれよ」

 

 気分が悪い、だけではなくまだ息も整っていない彼の具合も考えないソフィは自分勝手な言葉を言い続ける。

 

「残るんだったらいいぞ。残党がお前を狙いにくるかもしれないからな」

「い、行きます! 行きゃあいいんでございましょう!」

 

 疲労と冷ややかな対応に脳みそがおかしくなったのか、訳の分からない返答をしながらも、リルはふらふらと立ち上がり、洞窟の奥深くへと進む。

 

「うう、やっぱ疲れた……」

「文句ばっか言うなよ」

「誰のせいでこんな所に連れて来られてるんですかね?」

 

 リルはソフィを睨みつけるも、彼女はどこ吹く風で、目を逸らす。

 そして、彼らが歩みを進めて地下六階へと降りた時、目の前には一本の通路があった。

 

「ここ、なんかさっきよりも狭くないか?」

 

 そして、異常に気づいたのはリルだ。

 さきほどの階層は広間であったが、ここはそれに比べると道幅がかなり狭い。敵が今まで行ったゲリラ戦には向いていないだろう。

しかも、この通路は整備されておらず、岩肌が表面に直接出ている。今にも崩れやすそうなのに、本当にこの先に黒幕がいるのだろうか。

 

「私の後ろに隠れてろ。死にたくなきゃな」

 

 その警告にリルは素直に頷き彼女の背中に隠れる。

 男としては情けない話ではあるが、この方が危険が少ない。

 

「あれ、なんか見えないか?」

 

 歩き続けて数分、彼らはあるものを発見する。それは縦五メートルほどの大きな影であった。暗くてそれが生物なのかただの物であるのかは判別できないが、たしかにそこには壁以外の物が存在していた。しかも、道を塞ぐほどの大きさであり、ここを通る者を邪魔をするかのよう。

 

「なんだ? これじゃ通れそうにないな」

「いやでも、横からなら通れるかもしれないぞ」

 

 行き止まりではなさそうだが、にしてもソレの違和感は拭えない。一体何の目的でここにいるのか、理解できない。

 

「よし、ちょっときついけどそこの隙間を……」

 

 あまり気にしても仕方ないと思い、ソフィはその大きな影の横を通ろうとする。その瞬間だった。

 

「ココハ通サン……」

 

 巨大な影がついに動きを見せる。

 と同時にその後ろから光が照らされる。

 

「うおっ!?」

「なんだ!」

 

 急な光に、彼らの目はくらみ未だ影の正体は分からない。だが、目が慣れてきたのか、だんだんとそれの正体が見えてくる。

 それは

 

「で、でか……」

 

 人型の魔物であった。ただし、青肌の腹がとっぷりと出ており胴体が異様に大きく、はっきり言ってデブの魔物だった。しかも、短足で一歩一歩の歩幅は狭そうだ。そのかわり腕が地面につくほど長く、それを振り回せば回避できるかどうか。

 しかも服はほとんど着ておらず、身につけているのは腰回りの布と、頭の不細工な兜くらいか。

 

「こんなの相手できるか! 俺は逃げるぞ!」

 

 山荘で殺人事件が起こった時に発言すれば死んでしまうようなセリフを吐きながら、恐怖心が極限まで高まったリルはその光景から目を背けるように逃げ出してしまう。

 しかし、それは力のない一般人であれば当然の行動だ。むしろ、冷静でいられるはずがない。

 

「おい待て! 不用意に……!」

 

 今日二度目の警告、しかし今度は無視されてしまう。しかもその途中で地響きが起き、リルの目の前で落石が起こる。

 あと一歩踏み出していれば、彼は岩に巻き込まれて本当に死んでしまっただろう。そして、ちょっとチビっていた。

 

「逃ゲル事モ許サン」

 

 どうやら、さっきの落石はデブ魔物が起こしたようで、天井を腕で叩きつける事により、衝撃で崩れさせたらしい。

 

「ふん! ならお前をぶっ倒して先へ進むまでだ!」

 

 これだけ巨体と地形を崩落させるほどのパワーを見せつけられても、彼女は怯える事なく、むしろ立ち向かっていく。

 

「ヌゥゥゥン!」

 

 それが蛮勇なのか勇気なのかはさておき、巨大な魔物、仮称デブは彼女を叩き潰そうと右腕を振り下ろす。大振りではあるけれどそこそこ速く、まともに喰らえば行動不能、最悪の場合は即死もあり得る。

 

 しかし、彼女は重い装備をしているはずなのに、それらの重量をものともせず軽々と左へ避ける。

 次にデブは腕を地面に引きずるように水平に広範囲へと薙ぎ払う。場所が狭い為に跳んで躱すしかないだろうが、その腕は巨体と比例するように太く、生半可なジャンプでは跳び越せない。そのはずなのだが。

 

「ほいよっと!」

 

 彼女は跳んだ。悠々とまるでこのぐらいは楽勝であるかのように。

 その戦士は未熟でしかも男よりも弱いはずの女性であるはずだ。けれども、ソフィは男であるリルよりも優れた身体能力で戦っていた。

 そして接近しきった時、彼女は回避から攻撃へと移る。

 

「まずはその片腕を貰ってくぜ!」

 

 ソフィが先ほど以上の脚力を使いジャンプしたと思えば、今度は体を捻って天井を蹴る。それら一連の行動から読み取れる通り、やはり彼女の身体能力は一般人であるリル以上だ。

 そこから急降下をしていくと同時に彼女は大剣を前方に構え、

 

「そらよ!」

「ヌゥゥゥッ!」

 

 肩へと落とす。

 斬るというよりは叩くと言った方が正しい気がするけれど、やはり剣である故にデブの肩の肉は割かれ、青い血が飛び散る。

 しかし、だ。

 

「ちっ! やっぱ途中で止まるか!」

 

 彼女の大剣は肉に挟まれ動かなくなってしまう。

 

「潰シテクレル!」

 

 相当な痛みを感じているはずなのに、あるいは鈍感なのか、デブは体についた虫を叩くかのように、手の平でソフィを潰そうとする。

 その場にとどまっていればぺちゃんこどころか、とてつもなくエグい姿になってしまう。

 

「抜ぅ、けぇ、ろ!」

 

 それを避けるため肉に刺さった大剣を引き抜いて回避する。そして、その勢いのまま地面に転がっていく。すぐに体制を立て直そうとするが、

 

「ウオオオォォォ!」

「速——!」

 

 右腕の握り拳による追撃が繰り出されていた。

 それは彼女を確実に捉え、地面をクレーターに変えた。しかし、そこから血や肉が飛び散る事はなく、ソフィの影も形もなかった。代わりに舞い上がったのは土ほこりのみ。

 デブもそれにすぐに気がつき、敵の姿を視認しようとするが、

 

「あ……」

 

 リルを視界に入れた瞬間、そのターゲットは戦う力を持たない彼へと向いてしまった。



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間一髪からの

 

「アアアァァァ!」

 

 言葉とならぬ咆哮、それは彼の心を恐怖に陥れる。

 振りかぶった右腕によって次の瞬間には潰される。否が応でも戦慄し、理解してしまった。

 

「し、死にたく……」

 

 それでも彼は生を求める。こんなにも近く、死が寄り添おうとしても。

 だが、どうにもならない事もある。それを分かっているのか、彼の脳は幻のようなものを見せる。

 

 ——なんだこれ? 

 

 最初は理解できなかったが、一瞬にしてこれが走馬灯であると判断した。死の間際に見る物だと、彼の知識に残っていたため、そう思い込んでいた。

 

 ——記憶がないのに、皮肉なもんだ。

 

 走馬灯は過去の記憶を映し出すものであり、それを失ったにも関わらず見せられる。彼の記憶など三日しかないのに。

 だが、彼の見る走馬灯には不思議なことが起こっていた。目の前に起きている状況とほぼ一緒で、大差はない。強いて言うならば周りが外のように明るいことだろうか。

 

 ——これが過去の記憶か? 

 

 リルは疑問に思うが、それには誰も答えず走馬灯(映像)は流れる。

 デブが右腕、つまり彼から見て左からの攻撃が繰り出される。それは今の状況と一緒。

 そして、視点が一気に右へとズレる。たどたどしく紙一重であるが、どうやら攻撃は食らっていないらしい。右腕は伸ばされたまま、次に左腕のパンチが向かってきて、左へと避ける。そうすると、デブのスキはど真ん中にできる。ぽっかりと、まるでそこを狙えと言わんばかりの。

 

「っ!」

 

 反撃できそうなタイミング、そこで彼の意識は現実へと戻される。体感だと十秒ぐらいに感じられたが、実際にはコンマ数秒も経ってはいないらしく、未だデブは右手を振り上げたままだ。それでも、動かなければ死ぬのは変わらない事実。

 ならば、さきほど見た走馬灯のように動くか? あれが未来視のようなものである確証はないが、賭けるならばそれしかない。ソフィを信じるという手もあったけど、必ず助けてくれるとも限らない。そんな人情的であれば、そもそもこんなところに無理やり連れてはこない。

 

「まだ……死ねない!」

 

 膝はガクガクと震え、恐怖で体を思うように動かせない部分もあったが、死ねないという僅かな覚悟から、彼は自身の見た走馬灯に賭けることにした。

 それと同時にデブは動き出す。彼から見て左からの攻撃、それは走馬灯を見る前も分かっていたこと。だから彼は右へと避ける。

 彼女のように上手く、ではないけれども、デブのデカい拳をなんとかギリギリ躱せた。

 

「けど二回目!」

 

 次の攻撃がすぐ来る。それは通常の彼では予測できなかった事。本来であれば、反応できなかった左から二段目の攻撃。

 反射神経なんかでは絶対に避けられない速さではあるが、デブの動きは単調で予測できれば対処はできる。その証拠に、

 

「だぁぁぁ!」

 

 あの彼が、さっきまで魔物に追いかけ回されていただけのリルがデブの攻撃を避けることができた。本当に間一髪で、足はもつれかけていたが、当たることはなかった。

 しかも、デブの両腕は伸ばされたままで、それらによって三段目の攻撃が行われることはない。

 

「よし! 後は……」

 

 この隙をついて逃げるなり隠れるなりすれば良い。そもそも彼の力で反撃など無理だ。リル自身も分かっていたのか、攻撃する素振りもない。その判断は正しかった、判断自体は。

 

「ぁ……」

 

 しかし、彼は意識を目の前の敵から一瞬そらしてしまった。どこへ逃げるか、どこへ隠れるかを考えてしまった。

 デブの攻撃はまだ終わっておらず、頭突きによる三発目が放たれていた。走馬灯にないそれは彼の反応を遅らせ、もうどうにもできない状況へと持っていかれてしまう。いや走馬灯にあったとしても、彼は体制を崩し、次の行動を即座に移すことはできなかったかもしれない。

 なんにせよ、彼の命運はほぼ決まっていた。

 デブの頭に潰される。なんともカッコ悪い死に方ではあるが、素人が二回も避けらたのなら上出来だ。

 

 ——まだ、まだ! 

 

 だが、彼の心は諦めていない。

 死にたくない、生きたいなどではなく、もっとその先。このデブを超えたところに彼の固執する理由があるかのよう。目ははっきりと今の現状を捉えている。けれども、焦点自体は別に合わされている。

 届かないと分かっていても、掴まずにはいられない。何か方法はないかと模索して、そして……

 

「隙あり!」

 

 救助者が現れる。

 それは上から降ってきたソフィであった。彼女はデブのヘイトが完全にリルへと集中していた瞬間を狙い、頭を大剣で斬る。いや殴った。まさに脳天直下だ。

 

「グフッ——!」

 

 その衝撃でデブの兜は真っ二つに割れ、さらには脳を揺さぶられたからか、膝から崩れてそのまま倒れてしまう。

 リルからすれば急展開に頭が追いついていけないが、とにかく脅威が去ったことは理解できた。そして、安心からまたちょっとチビっていた。

 

「ふぅ……いやぁナイスだったぜ!」

 

 一体どこに隠れて、どうやって上を取ったのか。突如として姿を現したソフィはデブの体の上に立ち、リルに対して親指を立てる。

 

「お、お前、一体何処にいたんだ?」

 

 まだ心臓の鼓動はたかぶっており、戦いの余波からの興奮が抑えきれない状態であったが、リルは訊かずにはいられなかった。

 

「天井だよ、天井。土煙に紛れてあの魔物の視界外に移動して、そのまま上にジャンプしたんだ。

 さらに、天井に張り付くためにこの剣をぶっ刺して、機会を伺ってたんだ」

 

 それは耳を疑うような言葉だ。

 天井に剣を刺したと、彼女はさも当然のように行ったが、天井は岩だらけだ。彼女にいくらパワーがあるとはいえ、天井に張り付くほどの力というのは人間の力を超えている。

 だが、すでに彼女らが人の身を超えているとリルは理解しているので追求はせず、真実だと判断した。

 

「いやぁ、でも凄かったぜ!」

「何がだよ」

「あいつの攻撃を避けた事がだよ! 一発目は単調だったから分かるとして、二発目は完璧に予測してないと無理な動きだ。私には分かるぜ。

 そして、その避け方がこいつの隙をつくようだった。反撃こそはできなかったけど、私に目に狂いはなかったって事だな!」

 

 ニッカリと子供のような笑顔を見せるソフィであったが、彼女の指摘は鋭く、かなり的確だ。彼が走馬灯の行動に沿っただけとは言え、それらは反撃をするためのものだ。

 だからこそ、リルはソフィに対する評価を改めた。最初こそ脳筋でただの猪突猛進であるかのように見えて、実は抜け目ない頭の持ち主であった。

 

「さあ、次はボスだぜ!」

「なんで分かるんだよ」

「そりゃあんなに大層な扉があるからな」

 

 彼女の指差した先、そこには綺麗なはずなのに禍々しいという両極端が混在した雰囲気の大きな扉があった。さっきまではデブで見えなかったが、障害が倒されたことによりその存在が露わとなる。

 

「この先にルディアもいるはずだ」

 

 側から見れば確証のない言葉ではあるが、リルも扉の向こうにルディアがいると確信、いや感じ取っていた。

 何故かは知らない。けれど、彼の第六感はここにきて働く。今まで何も感じなかったはずなのに。

 

「さあ、行くぜ」

 

 誰に確認を取るまでもなく、ソフィは扉を開ける。



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雪帝、エンプト・スノーガ

 彼らが進んだ先には今までの階層のような広間があった。比較すると多少なりとも威厳さが感じられる氷の装飾などが施されている。

 

「さ、寒っ!」

 

 しかも先ほどまでの部屋は、まだ人間が活動できる範囲の温度であったが、ここは外と変わらないほどの冷気が充満している。

 そして、この部屋の中央で二人がすでに戦闘を繰り広げていた。

 

「氷塊よ、我が手足となり敵に降り注げ。巨型雹(アイスレイン)

「クッ……どれだけ疲れ知らずなのよ!」

 

 それは槍を携えた人型の男魔物と、それに押され気味なルディアの姿であった。

 魔物の容姿は人型と言ったが、今までの魔物と同じく青白い肌を持ち、しかも頭から二本の角が生えている。体は長身、さらに筋肉隆々で、リルと比べれば二回りほど大きい。髪は白髪で全てかきあげており、服は軍服に少しアレンジを加えたか物のようだ。

 そして、今までの魔物とは一線を介すような力。ルディアは魔物から放たれる何十もの氷を直剣で全て弾いているが、一向に反撃できる気配はない。

 

「これは初めてだ、人の子よ。私と三十分も戦って未だに立っているとは」

「奇遇ね、私もよ! ()()()以外に苦戦させられたのはね! 

 というか、アンタ魔物の範疇を超えてるわ! どっかの魔族なんじゃないの!」

 

 敵は冷静に喋り無表情にも見える余裕を持ち、ルディアの方はかすり傷以外は受けていないものの、疲労が溜まっている。

 

「嘘……だろ……」

 

 魔術、それを戦闘で使われていることにリルは驚愕した。彼女が三十分間も戦い続けているのにもそうだが、氷という物が宙に浮き、敵の指先一つで自由に動かされている事が、正に彼の常識を超えていた。

 

「そ、ソフィ! こんなのどうすれば……! あれ?」

 

 あまりに予想外の光景から、リルはソフィに助けを求めたが、すでに彼女の姿はそこになく、

 

「うおりゃァァァ!」

 

 魔物へと接近し、攻撃を仕掛けていた。

 大振りで重く叩きつけるような斬撃。本来であれば分かりやすく、さらには戦っている彼女らに比べればスピードが遅く、対処できるような攻撃である。しかし、それは後ろからの奇襲。敵は存在すらも認識できていないはずで、避けるなんて無理だろう。しかし、

 

「っ……!」

 

 魔物はソフィを視認する。ただ、それだけならばまだ良いだろう。彼女は声を上げながら大剣を振り下ろしたのだ。直前であろうと、気づかないわけがない。

 しかし問題はその後、彼女の奇襲が即座に生み出された氷の壁によって阻まれてしまった。

 

「反応早すぎだろ!」

 

 悪態をつきながらも彼女は、氷塊による反撃を避けるため後ろに下がる。

 ソフィの言った通り、敵の反応はあまりにも早すぎる。魔術の発動がどれだけのスピードかはさておき、()()()()()()()()()()()()()が、普通の人が反射で防ぐよりも圧倒的に速すぎる。

 これでは真正面から当たるかどうか。

 

「ふむ、外が少し騒がしいと思っていたが、二人目の侵入者か」

「侵入者じゃねぇ! 私はソフィ! お前をぶっ倒しに来た!」

 

 初撃を余裕で防がれてしまったにも関わらず、彼女は高らかに威張る。その自信はどこから来るのかと訊きたい。

 

「名を名乗るぐらいの礼儀は備えているか。ならば、そこの彼女には二度目になるが、私の名も教えよう。

 エンプト・スノーガ、それが私に与えられた称号だ」

 

 その名乗りを誰も止めることはなかった。

 第一印象で感じられた冷徹、しかし戦いの中でも忘れぬことのない礼儀、そして何よりも全てをひれ伏させれるその威厳。

 まさに長の風格を、彼は持ち合わせていた。

 

「そこの」

 

 その一挙一動に見惚れたかのように釘付けにされ、同時に自身へと矛先は向かないようにと願っていたリル。だが、それは一蹴されるようにエンプトと名乗る魔物と、目が合ってしまう。

 

「は、はい……? 俺……なのか?」

「ああ、そうだ。

 そこの戦っていた彼女からもは名を聞いた。だから、お前の名も聞いておこう」

「俺は……」

 

 ——下手すれば殺される……! 

 

 彼は戦慄していた。

 殺気などという、第六感が鋭くなければ感じ取れないものを脳が理解していたわけではない。けれど、エンプトの力はリルを一瞬にして死に至らしめるという事だけは、理解していた。

 そして、彼の顔はあまりにも無表情すぎる。だから、何が彼の超えてはならない一線か、彼の求める答えは何かというのが全く分からない。

 言葉は慎重に。それが今の現状に必要であることは確かだ。だが、

 

「ふっ……!」

 

 ソフィによる背後からの二度目の奇襲によって、話は打ち切られる。しかしまたもや氷の壁に防がれてしまい、先ほどの再現のようになってしまう。

 

「ちっ……声は抑えたつもりなんだがな!」

 

 彼女なりに気配を最小限に抑えていたつもりではあるが、こういう技術を要する事は苦手なようで、エンプトには気づかれていた。

 

「礼儀をわきまえているとは言え、やはり、少々元気な子みたいだな」

「はあ!? お前、それケナしてんのか? それとも褒めてんのか!?」

 

 戦闘中に意表な言葉を突かれ、動転してしまうソフィであるが、当の本人であるエンプトはキョトンとした顔で、何かしましたかと言わんばかりに首をかしげる。

 

「何を言っている? 私はただ純粋な評価をしたまでだ」

「嘘つけ! どこが純粋な……」

「そこ!」

 

 反論をしようとする彼女だが、その言葉の途中で三度目の奇襲が成される。

 しかも、今度はルディアが短剣で刺しに来ていた。その動きは大雑把なソフィとは違い、無駄がない洗練されたモノ。真っ直ぐ、そして最速で的確に急所を狙いにいく刺突だ。さらには直前まで気配を悟らせず、音を全く出さずに接近していた。

 並みの相手どころか、鍛え抜かれた強者でさえ反応できるかどうか。まるで熟練の暗殺者かのよう。

 

「っ……! これも防ぐか!」

 

 それでも攻撃は届かず、氷壁に刺さるだけとなる。

 

「気配を消しても無駄だ。貴様自体の動きは読み取れなくとも、私は周りにある冷気の動きで把握できる」

「説明どうも!」

 

 しかし、彼女の攻撃をはまだ終わりではなかった。

 壁に突き刺さった短剣を貫通させるように柄を殴り押し込む。その結果、刃先が反対側にほんの少し出ただけだが、彼女にしてみれば充分である。

 

「何を……?」

「極限まで圧縮されし水は岩をも貫く——」

 

 魔法を使うための前準備、彼女の詠唱は今から起こる現象を予言する。

 そして、

 

圧縮式水砲(ハイドロレーザー)!」

 

 貫通した短剣を介して水流のレーザーが放たれる。

 

「むっ!」

 

 それは、真の意味で裏を突いた攻撃だった。短剣という近接でしか攻撃できない武器という先入観を逆手に取り、魔法という射程を伸ばした攻撃を行う。杖という魔法に向いた武器ではないので威力は数段落ちるものの、それでも致命傷になるかもしれないほどの威力だ。

 だから、エンプトはもちろん避ける。頰スレスレに掠らせながらも。

 しかし、ここで彼に隙ができる。しかも反射で体を傾けた事から、体制が崩れてしまった。

 

「貰った!」

 

 その隙を見逃さないように、ソフィが攻撃を仕掛ける。

 大剣での斬撃、というよりかは大剣の腹での打撃だ。

 

「うぐっ!」

 

 それをエンプトはモロに受けてしまう。だが、ここで問題があった。

 

「ちょっと、私が……!」

 

 その直線上に、氷壁を挟んだ形ではあるがルディアがいた。しかし、そんなものは御構い無しと、エンプトを大剣ごしに抱えたまま走り、

 

「だァァァりゃぁぁぁ!」

 

 氷壁へと叩きつける。

 

「ごはっ……!」

 

 その衝撃でエンプトは青い血を吐き、そしてこの戦闘において初めてのダメージを負うことになった。それはソフィの手柄ではあるが、

 

「っ……!」

 

 エンプトが叩きつけられたと同時に氷壁は砕け散り、ルディアへと襲いかかる。

 一つ一つは小さく、大きなダメージではないが、広範囲であるがゆえに避けようがなく、複数であるから総合すると厄介になる。それを彼女はなんとか頭だけは腕で守り、体の方は傷だらけになってしまう。

 

「もういっちょ!」

 

 それらを()()()()()()、ソフィは蹴りによる追撃を加える。

 エンプトはそれをまたもやマトモにくらってしまい、吹っ飛んでいく。しかも、ソフィを巻き込みながら。

 

「うぐっ……!」

 

 エンプトとソフィ、互いに敵同士の存在が一緒に転がっていく。

 それが十数メートル続いたぐらいで、二人は体制を立て直す。

 

「いつっ……ソフィ! アンタ何してくれてんのよ!」

 

 彼女としてはソフィは助けに来たのだと思っていた。リルを連れてきた理由は分からないが、それでも好敵手(ライバル)として、古い友人として手を貸してくれると勘違いしていた。

 

「もちろん敵に攻撃してんだ」

 

 ルディアの怒りに、ソフィはただ当然の事をしたまでだという風に答える。

 

「その余波がたまたまお前に当たってるだけだ。

 言っとくけどな、ルディア。私はお前に手を貸したりはしない。お前は倒すべき相手だ。死なれちゃ困るが、ここで死んだらそれまでの奴って事で切り捨てる!」

 

 それが彼女の本心だ。

 若干のツンデレが見え隠れしないでもないが、要は攻撃が当たっても知らないと言うことだろう。そしてこの戦いは実質的な三つ巴だという事が共通認識となる。

 

「つーわけで、戦闘再開だ!」

 

 その言葉とともに、彼女は一歩を踏み出そうとする。しかし、

 

「む……な、なんだ?」

 

 彼女の大剣は氷によって地面と接着されていた。それだけではない。いつのまにか足も凍らされて身動きが取れない状態となる。

 

「くそ、いつの間に……!」

粘着凍土拘束(スティッキーフリーズ)。貴様の攻撃を受けた時、仕掛けておいた」

 

 氷はどんどんと広がり、手足はほとんど使い物にならず、わずかに胴体と顔が動かせるだけで、それ以外の彼女の体を凍らせる。

 

「んにゃろう! セコイ手を使いやがって!」

「奇襲した者が言うセリフか?」

「それは良いんだよ!」

 

 何が良いのかさっぱりだ。彼女の基準では奇襲はオーケーラインに入っているようだが、エンプトはそれを無視し、標的を変える。

 

「くっ……!」

 

 彼の視線は横で膝をついているルディアに集まる。

 

「疲れで動けなくなったか」

 

 もう彼女の体は立ち上がることすら出来ないくらい、疲労が溜まっていた。もちろん、さっきのソフィから食らった傷もあるだろう。しかし、最大の原因は目の前にいる男との激闘の末に作られた疲れだ。

 

「はぁはぁ……一応、聞いておく。何する……つもり?」

「安心しろ。命までは取らん。少しの間大人しくしてもらうだけだ」

 

 どうやら、殺しはしないらしい。それでも彼女は安心はしない。彼らの目的が何であるか、理解できないからだ。

 

「ど、どうすれば?」

 

 そのかたわらで遠目に二人が話しているところを見る者、リルは焦り、迷っていた。

 彼女らの話は聞こえていないため、リルはこのままではルディアが殺されると思っている。

 ならば、今から助けに行くか? いや、彼にはそんな力はない。リル自身もそれはよく分かっている。この部屋の前では奇跡的な回避を見せたが、ただの一度でしかなく、次も上手くいくとは限らない。

 

「だからと言って見殺しにするのか? 

 そんな事をすれば、俺はまた……また……!」

 

 もう、彼に考える余裕はなくなって来ている。時間を無駄にすればするほど、殺されるまでの猶予がなくなるし、そもそも不安という感情のせいで、冷静な思考ができなくなっていく。

 

「どうする、どうする……? どうしたら、俺は……!」

 

 そして次の瞬間、彼の頭を真っ白にする事が起こる。

 

「ではな、()()()よ」

 

 エンプトが今まで使っていなかった背中の槍を手に持ち、彼女に向ける。エンプトは気絶させるために当てる場所を考えてはいたが、リルからすればそうは見えない。そう、言うなれば

 

 確実に殺される……! 



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ただ、がむしゃらに

 

「うあああぁぁぁ!!」

 

 一瞬、それは一瞬という言葉が正しかった。

 零コンマなどでは到底測りきれない時間。

 

 状況が逆転した一瞬。

 

 リルがエンプトの懐まで入るまで一瞬。

 

 そして、エンプトの顔にリルの拳が入るまでも一瞬。

 

 何もかもが一瞬の間に終わる。

 

「なっ……!」

 

 重厚で、なおかつ疾風の如き一撃。

 無感情に見えたエンプトも表情を変えざるを得なかった。ひよわに見えたはずの体から繰り出された強烈な攻撃に、目を見開き驚愕を表す。その表情には僅かな恐れを含みながらも、ニヤリと口角を上げていた。

 

「っあああ!」

 

 リルの猛攻はこれで終わりではなく、次々と繰り出されていく。

 顔、顎、頰、胸、腹、胴、脇腹。最初の一撃から連撃を繋げ、一発、また一発と相手に入れる。

 エンプトも槍による反撃をしてくるが、彼は寸前で避け、すぐさまカウンターを放つ。

 弱者であったはずのリルが今、強者であるエンプトを圧倒していく。

 

「まだまだ……!」

 

 彼の脳は真っ白となっている。無駄を削いだ、という意味ではなく、何もかもを理解できていない、ほぼ無意識であるのだ。

 相手がどういう動きをしているか、自分が今何をしているのか。脳が把握しきれていない。

 なぜこんな事をしているのかという理由すらも。

 ただ体が的確に敵を撃つだけ。ただ反射的に敵の攻撃を避けるだけ。

 自分の意思では動いていない。まるで別の思考が体を動かしているよう。

 

「ふっ!」

 

 そして、そのままリルはエンプトを追い詰める。小さく、そしてひ弱な体が、それよりも筋肉がついたデカイ体を吹っ飛ばそうとする。

 最初と同じ重い一撃。それが彼の拳から放たれ……! 

 

「……あれ?」

 

 空を切った。見事なくらいに敵の体の前を通り抜けた。攻撃を外してしまった。

 言うなれば、スカしてしまったのだ。

 体が無理をしてスピードに追いつかず、足を滑らせ、コケてしまう。

 

「むう……」

 

 その一連の流れに、興がそれたかのように無表情に戻るエンプト。その目はまるで養豚場の豚を見るかのように冷ややかだ。

 こんな大失態をすれば、恐怖心よりも羞恥心が勝ってしまう。最後の最後でのポカ、詰めが甘いどころではない。

 

「まあ……ここまで追い詰めた事は賞賛に値する」

 

 情けか慰めか、彼の言葉は決して悪意あるものではないが、だからこそリルの傷心を抉る。これならば、いっそ貶してくれた方がまだマシだ。

 

「だが、少し眠っていてもらおう」

 

 しかし、その羞恥心すらも一瞬の感情となる。

 今から殺される。リルは直感していた。

 死への恐怖心はある。けれども、何故かそれを自然に受け入れていた。ルディアが、他人が殺されるよりかは恐怖は感じない。

 すなわち、()()()()()()()()

 

「しばしの眠りを。勇者よ」

 

 もうもがく気にもならなかった。さっきので体力を使い切ってしまったのもそうだが、なにより彼の心はもう諦めていた。

 このまま死んでしまっても、彼女を助けられたのなら……

 

「はあああ!」

 

 エンプトが槍を振り下ろす。もう彼は抵抗しなかった。

 

「何諦めてるのよ!」

「うおっ!?」

 

 しかし、リルは誰かに抱きかかえられ、助けられる。

 

「ル、ルディア……?」

 

 それは先ほどまで動けなくなっていた彼女であった。

 

「勝手に助けたと思ったら、今度は勝手に死のうとして……ふざけんな!」

「わ、悪い……って、お前動いて大丈夫なのか?」

「回復の魔法を多少かじってたからね。あと五分ぐらいは動けるようにはなった」

 

 その回復魔法が傷を治すだけのものでなく、疲れすらも癒すらしく、彼女の顔色は良くなり、戦闘を再開できる体となっていた。

 

「ほう、僅かな隙を使って持ち直したか。だがどうする? そいつは最初の一撃がとてつもないスピードであったから私を圧倒したが、貴様はそうではあるまい」

「ええそうね。わたしにそんな俊敏さはない」

 

 エンプトの指摘をあっさりと認めるルディア。しかし、そう判断した上で、彼女は勝ちを見据える。

 

「けど、さっきので分かった。アンタ、接近戦が苦手ね」

「……だとしたら?」

「それに持ち込むまでよ」

 

 彼女は一呼吸を置き、話を続ける。

 

「これは愚痴よ。勝手に聞き流してちょうだい。

 わたしはアンタと戦う時、どこかあなどっていた。有象無象と同じだってね。だから、私は()()を使わなかった」

 

 手に握ったのは直剣ではなく短剣、それはさっきも使()()()()()。けれど、ルディアの言う『これ』は短剣の事ではない。

 

「でも、もうそんな事はしない。全身全霊をもって、貴方を負かす」

 

 短剣の刃先を敵に向け、宣言した。勝利をかっさらうと。

 

「——行くわよ」

 

 地面を蹴り、彼女はエンプトに接近する。その速さはリルが出したものでも、ましてや、さきほどまでの彼女にすら届かない。

 

「ま、待て……!」

 

 必死に声を絞り出すリル。けれども、もう彼女には届かない。

 

「何度来ても同じだ……巨型雹(アイスレイン)

 

 向かってくるルディア、それに迎撃しようと大量の氷塊を放つ。それはさっきと同じ。これのせいで彼女は近づく事さえ許されなかった。だけど、

 

「我が心は想いだけに留まらず。この力はその先、心のあり方が表れる……」

 

 短剣がぼんやりとした光を帯びる。目を刺すような強さではない。火のように揺らめき、そして、一部は何かの顔を成していく。

 

九十九(くじゅうく)の神、その中の一をここに再現しよう」

 

 詠唱を終えて、彼女は飛んでくる氷塊を対処しようと、短剣をかまえる。しかし、どう見ても刀身が短い短剣で、直径六十センチ大の塊を斬ることはできない。けれども、

 

「はっ!」

 

 ルディアは簡単に斬っていく。

 一つ、二つ、三つ。襲いかかる氷塊をいくつも。

 力はまったく入れていない。ただ短剣を振っているだけ。それでも、次々と氷塊を斬り落としていく。さきほどのように押されながら対処しているのではなく、近づきながらもそれをやってのけている。

 疲れ切った体であるというのに、何故それができるのか。

 いや疲れ切った体であろうと、()()()()()()()()()()できるのか。

 

「ま、まさか……!」

 

 その真相をエンプトは読み取ったかのように、予感する。

 だが、それすらも許さないとルディアは肉弾戦ができる距離まで近づききった。

 

「驚いてる暇はないわよ!」

「っ……防御氷壁(アイスウォール)!」

 

 彼女の攻撃を防ぐために、とっさに氷の壁を作る。

 即席であるというのに、今までとまったく変わらないものができあがった。

 しかし、彼は冷や汗を流す。この壁は無意味なものになるのではないかと、悪い予感がしていたからだ。

 そして、その予感は当たる。

 

「うぐっ……!」

 

 壁はまるで、豆腐のように容易に斬られ、そのままエンプトの左肩も斬られる。利き腕と反対とはいえ、長物の槍を扱うには不十分な体となってしまう。

 あまりにも呆気ない。最初とは状況は全く逆。それなのにエンプトはまたもや口角を上げる。優位に立っていた時は無表情であったはずなのに。

 

「もう一本取る!」

「させるか!」

 

 切り返しによる二段目の攻撃、そのままではエンプトはもう一方の腕も斬られてしまうが、それをさせんと彼はソフィにも放った粘着凍土拘束(スティッキーフリーズ)を彼女の右腕につける。

 

「ちっ!」

 

 そしてそれは瞬く間にルディアの腕を凍らせ、使い物にはならなくさせ、さらには短剣も手から離れてしまう。

 

「これで利き腕を失ったな!」

 

 そして、互いの条件は五分五分となる。いや、ルディアの方が不利かもしれない。人間の利き腕は本来、右だ。使える腕を比較すれば、エンプトは右、ルディアは左だけ。

 普通ならば、利き腕と反対の手では扱いづらいはず。さらには武器も手放してしまった。彼女に勝ちの目はないのではないか。

 

「この勝負私の……!」

 

 私の勝ちだ。そう言い切りながらも、槍の鋭い一閃を放とうとする。両手を使っていない分、スピードはさっきよりも落ちるが、ルディアを貫くには充分なはずだ。それは勝利を決める一撃となる、はずだった。

 

「悪いわね」

 

 しかし、傷を負ったのはエンプトの方だった。

 ルディアは左腕で短剣を持ち直し、彼のもう片方の腕を斬り落とした。しかも、右手と同じスピードで鏡に映したかのように。

 

「私、両方とも利き腕なのよ」

 

 さらにはエンプトの足をも斬り落とし、彼は一切動けない状態となり、地面に五体投地されてしまう。

 敗北、エンプトは完全に敗北した。それは誰もが認める事だろう。彼自身も。

 

「……ツクモ。まさか、お前がその使い手だったか」

「ええ、その通り。この短剣は九年前から使ってるから」

 

 その年数が何の意味を示すのか、蚊帳の外であるリルだけは理解できないが、彼女らの話は進む。

 

「貴様は幼そうに見えてかなりの鍛錬者のようだな。

 利き腕が両方なのも、修練の結果だろう」

「はあ? ツクモはそうかもしれないけど、利き腕は元々よ。も・と・も・と」

「……ふっ。まさか天性だったか」

 

 負けたにも関わらず、心地よい笑顔でどこか遠い場所を見るかのような表情をするエンプト。

 

「……殺せ」

 

 そして、彼には全てを受け入れる覚悟ができていた。

 

「私はこの土地における侵入者だ。本来いてはならない者。そして、それが負けた末路は死が相応しいだろう」

「あんた……それでいいの?」

「構わん。恨みもせんよ」

 

 彼の言葉に嘘偽りはない。清々しいほど彼は恐怖心などなく、自分から死をもたらしてくれと、頼んだ。

 本人なりには納得しているのだろう。だが、

 

「ま、待ってくれ!」

 

 倒れて動けなくなったエンプトに一匹の魔物が、庇うように覆い被さる。それはリルを追いかけ回していた小鬼だった。

 

「兄貴はただオイラ達の意見を聞いてくれただけなんだ! オイラ達は自分達の国が作りたいって……南に行けば、作れるかもって! 

 だから! 兄貴は関係ないんだ! 兄貴だけは勘弁してくれ! オイラ達の命はどうしてくれても構わないから……!」

 

 自身の命を投げ打ってまで、小鬼は懇願する。ルディアには敵わないだろう。けれどもせめてエンプトを助けたかった。

 しかも、その想いは一匹だけではない。扉の方を見てみれば、今までソフィが倒してきた魔物達が集まっていた。その目は敵意がある物ではなく、小鬼と同じくただただ彼をの身を案じているだけだ。

 

「……別に殺しはしないわ」

 

 けれども、ルディアは魔物達の予想を反するような答えを返す。

 

「今ここで私が殺したら、悪役みたいになるじゃない。

 まあ、最初から殺す気もないんだけどね。外の吹雪を止めてくれたら、あとはどうしてくれても良いわ」

 

 あっさりと彼女は許した。あっけらかんとした態度はエンプトの顔を鳩が豆鉄砲を食ったようにする。

 

「いいのか?」

「ええ、迷惑をかけないならここに住んでも、私は構わないわ」

「そうではない。殺さなくていいのか? 復讐に来るかもしれんぞ」

「その時はその時よ。というよりアンタ、そんな性格じゃないでしょ」

「……甘いな」

「かもね。けど、厳しい道でもあるわ」

 

 何を思ったのか、彼女の焦点は明後日へと定まる。その選択がただのエゴだけではないということか。

 

「わかった。貴様の想いは受け入れよう。この者達の想いも無下にできぬからな。ただし、私たちはここには住まぬ。元の場所へと帰る」

 

 その彼の言葉により、この異変の終着点が決まる。ひとまずは一件落着といったところだろうか。

 しかし、問題はまだ多く残されている。その中でも

 

「俺は……来なくても良かったかもな」

 

 リルの感情は最大の問題だろう。



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その後の、ツクモの

 ツクモ、それは想いが力となる霊のようなもの。

 

 ルディアから話を聞く限り、簡潔に纏めれば以上の一文となる。もう少しツクモの事を掘り下げるとまず、個人差はあるが、物を大切に使い続けてると宿るらしい。厳密に言えば、物に宿る霊はツクモガミ。物と霊を一括りにしてツクモと区別しているようだ。

 

 そのツクモが物に宿るとその物の性質が強化されるようで、剣ならば斬れ味、盾ならば硬度が上がる。さらには武器に限らず、包丁、フライパン、彫刻刀、ツルハシ、はたま芸術作品までにも宿るとの報告も。閑話休題。

 

 ツクモはかなりレアな存在であり、もちろん人よりも強くなれたり、良い成果を出せたりするものなのは確かだ。しかも、まだまだ可能性のある物らしい。まあ、欠点はあるらしいが。

 なんにせよ、ルディアはそういうレア物のツクモを持っていて、それがあったからこそ、氷魔物のエンプトを倒せた。

 

 ——つまり、別に俺がいなくても良かったのかもしれない。

 

 

 =====

 

 

「ふぁああー……!」

 

 気の抜けるような大きなあくびを一つしながら、リルは背伸びをする。

 窓の外からは小鳥のさえずる声や朝日が入って来ていた。つまり、今の時間帯は朝であった。

 

「……夢、じゃないよな」

 

 彼は寝起きに、早速昨日のまでの事を確認する。朝から急に寒気がすると思えば吹雪が降り出して、かと思えばソフィに強制連行からの洞窟での死闘。記憶を失ってからの日々は非日常的に感じられて、何故生きているのかも不思議だ。どこからが夢なのかを疑ってしまうほど。

 もしかしたら、記憶喪失というのも夢が見せる幻覚で、痛みを感じれば不思議な夢から醒めるかもしれない。そう思い、彼は自分の頰をつねってみる。

 

「いっ……!」

 

 痛覚が刺激される。それで今見てる現状は夢でない事が……

 

「……いや、こんなので判断できるなら、とっくに夢だってわかるか」

 

 筋肉痛だったり、ソフィに体を打ちつけられたりと、痛みは何度も感じた。だからこれが夢だと、彼は断定できなかった。魔法やツクモといった不思議な物があるのなら、痛みを感じる夢だってあるかもしれない。

 

「どっちにしろ、起きるしかないか……寝てたいけど」

 

 夢か夢でないか。彼にとってその差異はどうしようもない物だ。夢から醒める方法なんて、彼の知識にはない。さっきの頰をつねるというのも眉唾物だ。

 

「よいしょっと」

 

 床に足をつけ、立ち上がる。

 真っ白なベッド、木造の田舎臭い部屋。彩りのない家具。どれもこれも、寝る前と同じ光景。記憶喪失から初めて見た部屋と同じ。そして、記憶はまだ失われたまま。

 棚から動きやすい作業着を取り出し、寝巻きからそれに着替えると扉を開けて、部屋の外へと出る。

 

「……あいつ、起きてるのか?」

 

 昨日、ダンジョンと呼ばれる場所でルディアはかなり疲労しているように見えた。だから彼は心配し、居間に向かう前に彼女の部屋へと向かう。

 

「ルディア、いるか?」

 

 ドアをノックし、彼女がいるかを確認する。しかし、返事は返ってこない。

 

「おい、開けるぞ」

 

 どうせ寝ているのか部屋には居ないのだろうと、答えは聞かずに入る。

 もし裸で寝ていたらどうするつもりだ、と言いたいところだが、ざっと部屋を見たところルディアは居なかった。

 しかし、そうでなくとも私室というのはプライベートな場所だ。部屋の主がいないからと言って入ってはならない。

 

「やっぱいないか」

 

 だが、罪悪感のカケラも感じない彼はルディアがいない事を確認しながら、諦めの声をもらす。

 にしても、彼女の部屋は随分と女性らしくない物だ。実用品ぐらいしかなく殺風景か部屋。ある一つを除いては。

 

「これは……写真?」

 

 机の上に置かれた一枚の写真立て。それが彼に目に入ってくる。

 その写真には親子と思われる二人の人物が写っていた。一人はとても小さな女の子だ。歯を見せつけるような大きな笑顔をしており、元気そうに見える。おそらくは幼少期のルディアだろう。

 そして、もう一人。母親らしき人がルディアを抱いている。

 その人物は非常に綺麗で、ルディアが大人になったらこんな風になるだろうという姿見だ。冷静で女性でありながらも男気のある雰囲気。誰からも頼られ、そしてその誰もを救う。まるで英雄のようで、そして、親近感もわく人柄に見えた。

 

「……うっ……く!」

 

 そんな感想を抱いていたリルは突如として頭を押さえて、地面にへたりこんでしまう。

 

「な、なんだ……急に……」

 

 彼を襲ったのは頭痛であった。しかし、何故? 

 何かしらの持病かとも考えたが、答えは見つからない。そもそも、彼は記憶喪失だ。理由も何も、それら全ては記憶と共に封じられてしまっている。

 

「こんな所にいたのね、リル……ってアンタ大丈夫なの!?」

 

 いつのまにか彼の後ろに立っていたルディア。最初は勝手に部屋に入った事へ呆れていたが、それはすぐさま忘れ去られたかのように、彼の容態を心配する。

 

「だ、大丈夫……ちょっと立ちくらみがしただけだから」

 

 心配させまいと、なんとか立ち上がってみせる。

 

「無理しなくていいから!」

「いや、本当に大丈夫……痛みは治まってきたから」

 

 痩せ我慢にも見える彼の行動であったが、本当に彼を襲う頭痛は引いていき、体は通常の状態へと戻っていく。

 

「本当ね?」

「ああ」

 

 ルディアからもリルの体はどこにも異常がないようには見えた。ならばこれ以上追求しても何も出てこないだろうと、半分諦めるように『分かった』と言い、その話は終わりになる。

 

「今から朝食を作るから、貴方は顔でも洗ってきなさい」

「はいはい」

 

 リルは一旦彼女と別れ、洗面台へと向かう。

 彼女に言われた通り顔を洗ったり、寝癖を直したり、歯を磨いたりと、朝の準備をしていく。それらをし終えたら、ルディアがいるであろう、キッチン兼居間へと足を運ぶ。

 そこには材料を用意しているルディアの後ろ姿がもちろんあった。

 

「まだ準備中よ。暇なら、ルルのご飯を用意してあげて」

 

 見てもいないのに、リルの存在を察知したのか。その言葉に彼は少し肩をビクつかせてしまう。

 やはり、女の子とは言っても、彼女は戦場に身を置く者。ある程度の気配は見なくてもわかるのだろうか。

 

「わ、分かった」

 

 リルはその事に戸惑いながらも、彼女の言う通りに犬のルルのご飯を用意していく。

 

「横、邪魔するぞ」

 

 パンやベーコンやら卵やらをフライパンで一斉に焼いているルディアの横に移動して、キッチンにある冷蔵庫らしきものから、ルルの食糧を探す。

 

「これで良いのか?」

 

 何の肉かは分からないが、ルディアが以前に指定していたものを手に持ち、彼女に見せる。

 

「ええ、それをルルにあげれば、あとは自由にしてて良いわ」

 

 確認を済ませたところで、リルはルルを呼び出し、肉を与える。

 しかし肉は地面にベタ付けにして、ペット用の皿を用意しないのかと言いたいが、以前にリルが質問をするとルディアからすれば問題ないらしい。

 

「よしよし、上手いか?」

「ワン!」

 

 非常に微笑ましい。非常に微笑ましい光景である。

 お肉を無我夢中で食べるルルに、それを見てニヤニヤするリル。その空間は癒しで溢れている。

 もう一度言おう。非常に微笑ましい光景である。

 

「……なあルディア、話しても構わないか?」

 

 しかし、それらを一蹴するかのように、彼はある質問をする。

 

「何?」

「さっき部屋にいなかったけどさ、どこか出かけてたのか?」

「ちょっとね。旧い知り合いが来たのよ。すぐ帰ったけど」

「ふーん、どんな奴だ?」

「良い奴よ、魔族だけど。ただね……」

「うん?そいつ、なんか問題でもあるのか?」

「その人自体は良いのよ。でも上がね……。

 今日来た人は……まあ、遣いの人みたいなものなんだけど、そいつの上司が胡散臭いというか何というか」

 

 そのルディアの言葉の中には、あまり関わりたくないという思考が混ざっているようにも聞こえる。

 

「……複雑なんだな」

「まあね。頼れると言えば頼れるのよ。……言ってることはあまり信用できないけど」

 

 それを聞いて、複雑だと言ったリルは考えを改め直す。『とても』複雑なんだな、と。

 

「じゃあもう一つ質問。昨日の事なんだけどさ。あいつらどうなったんだ?」

 

 彼の言うあいつらは、エンプト達のことである。彼は昨日、エンプトが倒されたあとに、ルディアから後始末があると言われて帰らされ、その後の事情は知らなかった。

 

「大丈夫よ。魔物は自然治癒力が尋常じゃ……」

「それはソフィから聞いた。俺はどこへ行ったのかが知りたいんだ」

「帰ったわ。ホントびっくりするくらいいさぎよく」

 

 この事は彼にとっても意外だった。

 魔物のことをよくは知らないリルであったが、悪であるという偏見が彼の中にはあった。そんな者達があっさりと引き返すなんて思いもしなかった。

 

「じゃ、じゃあなんでここに来たんだ?」

「北の故郷で嫌がらせを受けてたらしいわよ。全部ボスが跳ね返したらしいけど。でも、住みにくいのは変わりないから、ここに移住をしてきたみたい。

 吹雪は、最初にインパクトを与えて反逆する気をなくすためだって」

「それほとんど侵略者じゃねえか」

 

 昨日のエンプトは侵入者だとか口にしていたが、自身はそれ以上にタチの悪いというオチ。投げたブーメランが巨大化して戻っているようである。

 

「確かにね。けど、土地の人達を排除するんじゃなくて、あくまでも共に過ごしたいって言ってたし、案外そこまで悪党じゃないと思うわ。

 ……ほら、できたわよ」

 

 朝食が出来上がった。そう言わんばかりに、ルディアは料理が乗せられた二枚の皿を運ぶ。

 きつね色に焼けた食パンに、カリカリに焼けたベーコン、胡椒と塩が振りかけられた目玉焼きと、彼らの朝食がこれが当たり前だった。

 

「はいはい。フォークだけでいいか?」

「ちゃんとナイフも出しなさい」

 

 ふざけた事を言うリルであったが、それでもナイフとフォークを二組をテーブルに出して、椅子に座る。

 

「んじゃ、いただきます」

 

 リルは手を合わせ、食事前の挨拶をする。しかし、ルディアはその仕草を珍しい物をみたかのようにまじまじと観察していた。

 

「な、なんだよ。そんなに見られたら食べづらい」

「それ、毎日やってるわよね。どういう意味があるの?」

「どういうって……ほら、食材って、命ある物を食べるだろ? それを奪っているわけだから、それに感謝を込めてっていう意味で」

「珍しいわね。そういえば、そんな文化が北にあるって聞いたことがあるわ」

 

 北、その方角は彼にエンプトの事を思い出させる。エンプトの部下がここを南と呼んでいたことから、彼らが北に住んでいることは間違いない。つまり……

 

「それって、エンプトがいるところに……」

「ん? ああ、違う違う。あいつらは北東から来たのよ。私が言ってるのは北西のこと」

 

 ほっ、と彼は胸をなでおろす。またあんな死をかけた戦いになることはごめんだし、そうでなくともエンプトという人物? は苦手であるからだ。

 

「……あ、思い出した。これ、もう一つ意味があるんだ」

 

 突然として、けれどもそれはとても大切な事だったと、忘れてはいけない事だという風に、説明を付け加える。

 

「料理に携わってくれた人、その人に感謝を込めるっていうのもあるんだ」

 

 それを口に出す時、いつも無愛想な筈の彼は笑っていた。どこか誇らしげに、それでいて安らかに。

 

「俺はそっちの方が意味合いとして強いかな」

「……なるほど」

 

 彼女は何かを納得したように、パンを一口咥えて考えをまとめていく。

 

「となれば、貴方の過去はそこにあるんじゃないかしら」

「どういう意味だ?」

「北西の土地にある文化、そして料理への感謝から、親はおそらく料理人ね」

 

 リルはその言葉に、脳みそが追いついておらず、ぽかんと口を開け、思考を巡らせる。彼の頭には記憶を取り戻すという考えがないゆえか、理解にすこし時間が必要のようだ。

 

「えっと……つまり、そこへ行けば俺の記憶が戻るかもってことか?」

「可能性はある。けど、あまり期待しちゃダメよ」

「あ、ああ。頭の隅に置いとくぐらいにしておく」

 

 記憶探し。その事について、今やっと彼は考え始める。衣住食が揃っているこの状況で、生きていくことは可能だ。だが、少しばかりであるが、彼の中にも何かが恋しいという感情が動き出している。

 それを思い出す為には、もちろん記憶が必要だ。ならば、記憶を探す旅に……

 

 ——まあ、いいか。

 

 しかし、彼はその考えをポイ捨てしてしまう。

 記憶というのは彼にとって必要性がなかったのか、それとも単に面倒くさかったのか。



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やんちゃ娘、再来

「ルディア! 今日も勝負だ!」

 

 ルディアとリルの朝食中、今日も今日とて元気良いソフィの訪問の時間がやってくる。

 

「ソフィ、また来たの? 悪いけど、今日はパスよ。

 流石に昨日ので疲れたし。そもそも、畑仕事で忙しいのよ。急な吹雪で作物の管理をしなくちゃいけないの」

「そんな事を言ったって敵さんが、はいそうですかって引いてくれはしないぞ」

「じゃあ何? アンタが代わりに畑仕事をやってくれるの?」

「私の日給は高いぜ?」

 

 ああ言えばこういう。そんなソフィに呆れて、ルディアは眉間を押さえてしまう。

 どう言えば彼女を止めることができるのだろうか。

 

「大体さー、お前が悪いんだぞ」

「は? 何がよ」

「ツクモなんていう協力で珍しい物を隠し持ってた事が、だよ! 

 なんで今まで黙ってたんだよ! 長い付き合いだろ!」

 

 若干キレ気味であるが、彼女はどうやらルディアがツクモを持っている事を知らなかったらしい。しかも、彼女らは幼馴染だという事がはっきりと……

 

「長いって、アンタがこの村に来たのは一年ぐらい前でしょ」

 

 ……それはソフィの勝手な言い掛かりだった。

 

「実質、十年ぐらいの付き合いだろ」

「どこが?」

 

 彼女のとんちんかんな発言に、ルディアはもう頭を悩ませるしかない。

 しかし、その事はどうでもいいと、食事を食べ終わったリルは席を立ち、黙ってその場を離れようとする。皿洗い当番という面倒くさいことから逃げる為だが、

 

「こら、どこ行くの」

 

 即座に捕まえられてしまう。

 

「……先に外出て待ってようと思ってな」

「嘘つかないの。皿洗い、サボろうとしてたでしょ」

「ギ、ギクッ!」

 

 完全にバレていた。それこそ心を見透かされているように。

 ……しかし、擬音を口に出すのはいかがな物だろうか。

 

「そうだ! お前だよお前!」

 

 その様子を見てソフィはなにかを思いついたかのように声を上げる。だが、ルディアの目はそれに対して冷ややかな目をする。

 

「……アンタって話が飛躍するわよね」

 

 だが、ソフィはルディアを無視して、話を進める。

 

「リル、お前が相手になれ!」

「はあ?」

 

 突然の宣戦布告に、気の抜けた声しか出してしまうリル。どうしてだ、と言いたかったが、その前につらつらと彼女は説明を続けてくれた。

 

「昨日のを見て確信できた。お前は優れた洞察力と瞬発力の持ち主だってな。

 魔物の隙を突くような避け方、昨日のボスが反応できないほどの距離を詰めるスピード。さらには素手にも関わらず、敵をボッコボコにしていった。

 だからさ、お前なら結構良い勝負ができるはずだ」

 

 たしかに、その理論ならば、彼は彼女と五分五分の勝負ができるかもしれない。しかし、あくまでも戦う意思があるかどうかは別問題。

 

「嫌だ。めんどくさい」

 

 そして、彼にはその戦う意思がなかった。

 

「は? なんでだよ」

「なんでも何も……はあ、めんどくさ」

 

 さらには、説明までもを放棄してしまう。彼の怠惰はどこまで行くのか。

 その様子を見て、ルディアはリルの『めんどくさい』と言う発言に少し眉をひそめる。

 

「めんどくさくても攻撃してくれば、戦わざるを得ないよな?」

「……え?」

 

 しかし、ソフィからしてみれば、もう関係ないようで、今からでも始めると言わんばかりの殺気を出してくる。

 リルは、もう逃げ出したかった。ここから走り去り、ソフィが追ってこなくなるまで。だが、彼の体力で果たして逃げきれるのだろうか……

 

「分かったわ、ソフィ。私が戦う。だから、彼に手を出さないで」

 

 しかし、そこで助け舟が出される。

 

「おう、そうこなくっちゃな」

 

 ルディアが代わると言った瞬間、ソフィは完全にリルを意識から外す。もう、用は無くなったかのように。

 

「別にアタシとしてはこいつでも良かったんだけど」

「そんな事、微塵も思ってないくせに。リルに迫ったのは、私に戦うって言わせるためでしょ」

「バレてたか。ま、でもリルと戦うのは、微塵ぐらいには思ってたけどな」

 

 いつのまにか高度な駆け引きが行われていた。

 そんな事も気づかなかったリルは若干の恐怖を感じたが、それでも戦わずに済んだという事から、安堵のため息をつく。

 

「リル、皿洗いよろしくね」

「えぇー……」

 

 しかし、皿洗いの当番からは逃られない! 

 リルは嫌そうな顔をするがしかし、断る事なく『分かった』という言葉と『ちぇっ』という軽い舌打ちを残し、食事し終わった皿を全て回収し、キッチンのシンクへと持っていく。

 

「ところでさ」

 

 模擬ではあるが、戦う前だというのに興味が湧いたのか、ふとソフィは質問をする。

 

「お前のツクモ、なーんにも喋らなかったよな。あれはどういう事だ?」

「は? ツクモって喋るのか?」

 

 その質問に反応したのは、ルディアではなく、リルだった。

 彼はルディアからツクモの説明を聞いてはいたが、それは冒頭のモノローグで語った事だけだ。ツクモが人語を口にするなど、初耳であった。

 

「少なくとも、私は喋っているのを見た事あるぜ」

 

 どうやら、彼女はただの知識ではなく、実際に体感した事らしい。ツクモはレア物であるので、共通の特徴を断言しにくいが、他の物がそうであるならば、彼女のツクモがそうでないとも限らないだろう。

 

「……私のは特殊でね、ある人曰く未完成らしいの」

 

 しかし、彼女のツクモはそうではなかった。

 

「未完成……なのか?」

 

 リルから見ればとてもそうには見えない。

 あの窮地から勝利を奪い取るほどの力が、なぜ未完成だと言えるのか。

 

「そうよ。多分、私の想いがあの短剣に乗り切っていない。だから、ツクモガミは何も喋らず、無表情になっているの」

「ふーん、ていう事は倒すなら今って事だな! よし、表に出るんだ!」

 

 未熟である内に倒してしまおう。そう考えているのか、話を終えて戦ってしまおうとする。

 

「分かったわ。けど、武器ぐらいは取らせてよね」

「じゃあ、早く取りに行ってこい!」

 

 こうしてまた、日課である彼女達の戦いが始まろうとしていく。

 ただし、男子であるリルはその横で皿洗いやら畑仕事やらと、あまり関わろうとはしなかった。

 ちなみに、今日もルディアが勝利したとか。



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第二章 異次元の魔術師
守り人と周りの人


 吹雪の異変から三ヶ月後、朝方の時刻。

 風は少し涼しくなったものの、太陽の光は暖かく、以前と比べても特に気候の変化はなかった。特例であった異常気象の吹雪はなく、木々は生い茂ったままで、春日和といった表現が一番だろう。

 

「いち……に……いち……に……」

 

 そんな中で、リルーフ・ルフェンは森の道を歩いていた。整備はそこそこされているものの、小石がたまに紛れ込んでいたりしており、普通に歩く分には問題ないが、彼は普通には歩いていなかった。

 

「こんな山盛りの野菜を売らないと、生活できないって……農作業って大変だろ……」

 

 キャベツやら、トマトやら、ジャガイモやら。とにかく大量の野菜を背中に背負い、右手と左手も、その野菜を包んだ風呂敷に掴み、運んでいた。

 

「そりゃあ大変よ。普通なら馬を使うんだから」

 

 そしてもう一人、リルの他に同じように荷物を持って歩いている人物、ルディア・ルフェンがいた。

 いや、同じように、というのは語弊があるだろう。彼女はリルよりも多く荷物を背負い、かつ安定した歩き方をしている。

 

「だったら、馬を飼ってくれよ〜……」

「買うにも育てるにもお金が必要じゃない。それにこっちの方がトレーニングになるし」

「俺はそのトレーニング、必要ないんだが!」

 

 リルのツッコミも虚しく、無かったかのようにルディアは先へと進む。

 

「くっそ〜……待ってくれよ!」

 

 それに置いていかれまいと、リルもペースを上げる。

 

「いち……に……さん……し……」

 

 数字を声に出しながら、一歩を出す度に慎重に歩く。

 少しでも体制を崩せば、重心が全て持っていかれるからだ。

 

「見え……て……きた……!」

 

 しかしその重労働も、もう終わりを迎えようとしている。目的地である村が見えてきたからだ。

 これらの大量の野菜は、全てリルとルディアが丹精込めて作った農作物だ。つまり、この三ヶ月の努力の結晶である。

 それをどうするか。市場へと売りに出すのだ。まあ、直接売るわけではないのだが。

 

「はぁはぁ……つ、ついた!」

 

 そんなこんなで、二人はある家の前まで野菜を運び切る。

 森を抜けて一番に見える二階建ての家、リルが事前に聞いた話ではそれが村長の家らしい。たしかに他と比べても大きく、ルディアの平屋とは違うものだ。

 

「とりあえず、一旦下ろしましょ。ほら、背中の荷物、持ってあげるから……」

「だから言ってるだろ!」

 

 その辺に荷物を下ろそうと、ルディアがリルの荷物に手をかけた瞬間、家の中から怒号が聞こえてくる。

 

「な、なんだ?」

 

 その外まで響いてくるような大きな声に、何かあったのではないかと、ドアを少し開いて中を覗き込む。そこには二人の人物がいた。

 一人はヒゲを生やした強面で茶髪の中年男性。もう一人は髪の毛が抜けた頭と白ヒゲが特徴的な老人であった。

 二人は何やら言い争いをしているらしく、その内容までは分からないが、対立していることぐらいは理解できる。

 

「もういい、親父!」

 

 中年男性は痺れを切らしたのか、話を打ち切りドアへと向かう。このままいけば、外の二人と鉢合わせになるだろう。

 

「ま、まずい!」

 

 別にまずくも何もないし、隠れる必要はないが、聞き耳を立てていた事に罪悪感を感じているのか、リルはルディアの背に身を隠す。

 

「くそっ!」

 

 中年男性は思いっきりドアを開けたかと思うと、今度は力一杯たたくように閉める。

 

「あぁん?」

 

 そして、ルディアの存在に気付き、不機嫌な表情で睨む。対して彼女はその眼光に怯む事なく、見つめ返す。

 男の異様な敵意と嫌悪、それを受けてなお、彼女はなんて事ないように表情を変えない。そして、

 

「おはようございます、トッドさん」

 

 爽やかな笑顔で挨拶を交わそうとする。あくまでも友好的な態度を心がけて。

 だが、男はそんなルディアを見ても嫌悪が薄まることも隠す事もなく、目をそらす。

 

「ケッ、スカした奴だ」

 

 そう言い残して、男は去っていく。そのやり取りがどういう訳があったのか、リルには全く理解できない。

 彼は脳内にある記憶を探り、確か村長とは仲が良いはずだと確認する。ならば、村の人とは仲が良いと思い込んでいたのだが、どうやら全員が全員ではないらしい。

 

「……なあ、ルディア。今のは?」

 

 リルは男が見えなくなった事を確認して、おそるおそる彼女に事情を聞いてみる。

 

「さあ?」

「さあって……」

 

 彼女自身にも理由が分からないのか、それともとぼけるつもりだろうか。

 

「別に良いんだけどね、嫌われても。やる事は変わらないんだし」

「それは……」

 

 それは寂しくはないのか。

 そう言おうとして彼は口をつぐむ。彼女には彼女なりの訳がある。事情も知らない他人が口を挟む余地はない。しかも、やる事は変わらないと彼女は言った。ならば、何を言っても変える事は無いのだろう。

 

「さあ、ぼさっとしてないで村長さんに会いにいくわよ」

「お、おう……」

 

 それでも未だ釈然としないリルであったが、ルディアの言う通り、村長への用を済ませる。

 家の中に入ると、先ほどの老人がうなだれており、ため息をついていた。何をそんなに憂鬱げになっているかは、おそらく男が関係しているのだろう。

 

「おじいちゃん、いる?」

 

 そしてその老人、村長にルディアは声をかける。

 

「うん? おおう、ルディアちゃんか。久し振りじゃのう」

「つい昨日も会ったでしょ」

「はて、そうじゃったかのう」

 

 このやり取り、正に祖父と孫娘そのものである。言っておくが、二人は肉親では無い。血の繋がりもない他人だ。

 

「村長さん、こんにちは」

「なんじゃ、今日はリルくんも一緒かえ」

「まあ、荷物持ちとして」

 

 対して、こちらは当たり障りの無い会話である。

 厳密に言えば、村長が距離を縮めようとして、リルがそれに馴染めず、逆に距離を置こうとしてると言った感じか。

 

「まあまあ、ゆっくりしてくれ。ワシはお茶でも出すとするかのう」

 

 客が来たと言う事で、お茶を出すために腰を真っ直ぐキビキビとした動きで台所へと向かおうとする村長。しかし、ルディアはそれを引き止める。

 

「いいのよ、おじいちゃん。今日は野菜を届けに来ただけなんだから」

「じゃったら、余計に構わんじゃろ。収穫した後の仕事はなーんもないわい」

「それでも農作業以外にもやらなくちゃならない事はあるの」

「そうじゃったか……なら仕方がないのう」

 

 村長は明らかに落ち込んだ声を漏らしながら、頭をがっくしとさせる。

 にしてもこの老人、シワの深さや頭、ヒゲから見て、かなりの年齢のはずだが、腰は曲がっておらず、しゃっきりと伸びている。それを見て、リルはルディアからのある話を思い出す。

 

 ——この村は農村でほとんどの人が畑を持っている。

 

 であれば、この人もそうだろう。と言う事は、この肉体も日々の肉体労働のおかげか。

 

「ところで、ルディアちゃん」

 

 うなだれた頭を再度持ち上げ、村長は話を変えてくる。

 

「さっき、トッドが出て行ったんじゃが……会ってはおらぬか?」

 

 トッド、それは先ほどの中年男性だ。さらにそのトッドは親父と叫んでいた。村長とは親子なのだろう。

 

「……会ってないわ。多分、すれ違ったんだと思う」

 

 彼女はあくまでも嘘をついた。

 村長がわざわざ聞いたのは、おそらく彼女達の関係を憂いての事だ。ルディアが何か言われていないか、心配だったからだろう。

 

「そうか、それならいいんじゃ」

 

 なにかのため息を漏らすかのように、安心する村長。しかし、その肩の荷は降りていないようにも見える。

 

「ルディアちゃん、実はのう……」

「じいちゃん……?」

 

 村長が何かを話そうとすると、家の奥から子供がひょっこり出てくる。

 その子はどうやら可愛らしい男の子のようで、ルディアよりも一回り小さかった。そして、幼い顔と栗色の長めの髪が相まってどこか中性的な雰囲気を醸し出す。

 

「お、おおう。ティディか」

「じいちゃん、その呼び方はやめてって言ってるじゃん」

 

 リルはそのティディという少年とはまだ会ったことはない。しかし様子を見るからに、その二人がどうやら血の繋がった本当の祖父と孫だと推測する。

 だが、まだ確証はないので一応小声でルディアに聞いてみると、

 

「なあ、あの二人って……」

「ええ、あの子が村長のお孫さんよ。そして、トッドさんの子どもなの」

 

 本当にそうであった。

 

「そうじゃったのう。ではのティデルト、じいちゃんはルディアお姉ちゃんと大事な話をしなくてはならん。じゃからの……」

 

 大事な話、それはリルにとっては何のことやらさっぱりだ。

 しかし、自分自身の事ではないかと、少し不安になるのだが、

 

「いいのよ」

 

 ルディアは村長の手を止める。

 

「もう分かってるの」

 

 その部分は耳打ちするような小声で口を動かしたが、リルはそれを聞き取る事も、そもそも何かを言っている事すら分からなかった。

 結局、今この場で彼がルディア達の問題を知る事はなかった。ただ目にしたのは彼女がティディの頭を撫でることだけだ。

 

「おはよう、ティディ。今日も元気?」

「うん、僕は元気だよ! ルディアお姉ちゃん!」

 

 ティディと呼ばれるのは良いのかとリルは心の中で突っ込むが、本人も嬉しそうだし、言うのは野暮だと判断して口をつぐむ。

 にしても、ティディと呼ばれる子は随分とルディアに懐いている。頭を撫でられるたびに、ブンブンと尻尾を振っているようにも見えるほど。

 

「えへへ……」

 

 なんとも幸せそうな顔ではあるが、リルの存在を視認したとたん、ティディの表情は一変する。

 ルディアの服を掴み、リルから隠れるかのように彼女の陰に隠れる。しかも、その顔は敵意丸出しで、眉をひそめ、まるで縄張りに新人が入ってきたネコのように、不機嫌になる。

 

「どうしたの、ティディ?」

「むー……」

 

 頰を膨らませ、しきりにリルをじっと睨みつける。何が気にくわないのか、どうやらリルを嫌っているようだ。

 

「あー……こりゃあ、嫌われたか?」

 

 その自覚をやっと持ったリルは『やれやれ』と言わんばかりに後頭部を掻き毟る。

 

「むぅ、こりゃ珍しいのう。ティディが他人を嫌うとはのう」

「リル、貴方何かしたの?」

「そんな事はしてねぇよ。するわけない」

 

 とは言っても、ティディが不機嫌な事には変わりはない。

 

「……しゃあねぇ。ルディア、俺は先に帰るぞ。どうせここにいたって、何もしないしな」

 

 ならば、邪魔者は速やかに立ち去ろう。そう思ったリルは家から出ようとする。

 

「あ、待って。私もすぐ行くから。

 ティディ、ごめんね。今日はまだ用事があるから」

「お姉ちゃん、帰っちゃうの……?」

「うん、でもまた今度遊びに来るから。それまで良い子にしててね?」

「うん、わかった!」

 

 なんとも、子供の扱いが上手い人であろう。彼女は割と子ども好きなのだろうか。

 

「おじいちゃん、外に野菜置いてあるからね」

「いつも、ありがとのう。ほい、いつもの代金じゃ」

 

 村長は事前に用意していたとされる小袋を取り出し、ルディアに渡す。

 

「うん、こっちこそありがとう……って金貨五枚多いわよ」

 

 受け取ったや否や、彼女は中身を見ていないはずなのに、余剰分があると判断する。なんの比較もなく重さだけで、分かったのだろうか。

 しかし、村長はその指摘には驚かず、ルディアの手をしっかり両手で握る。

 

「良いんじゃよ。リルくんもきて生活が大変じゃろ? これはその分のお金じゃ。

 本当ならもうちょっと増やしたかったんじゃが、それ以上増やすと、どうせ受け取らんと思ってな」

「おじいちゃん……」

 

 その余剰分の金貨は間違いではない。老人なりの優しさであった。

 

「本来なら、()()()のお前さんにはいくら支払っても足りんぐらいなのじゃが……」

「それはいつも良いって言ってるでしょ。……あんまり良く思わない人もいるし」

 

 またルディアは最後の言葉を小声にする。もちろんリルにもティディにも聞かれる事はなかったのだが。

 

「じゃあ、そろそろ行くわね。金貨五枚、ありがたく使わせてもらうわ」

「うむ、じゃあの、ルディアちゃん、リルくん」

「それじゃあ、失礼します」

「バイバイ! ルディアお姉ちゃん!」

 

 ティディは思い切って手を振り、ルディアだけに挨拶したが、リルに対しては睨みつけるだけであった。

 

「……ホントに貴方、何をしたのよ」

「ホントに知らないんだって!」

 



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記憶喪失の友人は

二人が帰路を辿る途中、ルディアは何かおかしな事を言い出す。

 

「……何かいるわ」

「は?」

 

 最初に会った時のリルならば、否定をするが、彼女が常人離れをした能力を持っていると理解している今ならば、その事を信じる他ない。

 

「ど、どこなんだ?」

「森の中……左!」

 

 その察知能力はどうやら的確なようで、彼女の言った通りの場所から何かが飛び出てくる。

 黒い影、人型であることは確かなのだが、姿がはっきりと見える前に、ソレはリルに襲いかかる……! 

 

「危ない!」

「うわっ!?」

 

 ルディアの声、それと同時にリルの視界は横へとズレる。もう少し正確に言うと、ルディアがリルの体を右手で抱え、黒い影の攻撃をかわしたのだ。

 

「あ、ありがとう……」

「礼を言う暇はなんかない! アンタは私の後ろに隠れてて!」

 

 彼女は敵をしっかりと見据えたまま叱責し、武器は持っていないものの、戦闘体制に入る。

 敵の存在、それは男の人間だった。ツノや尻尾、口から飛び出る牙もない。肌は赤くも青くもない。しかし、目の色は少し変であった。赤色の光を帯びており、鼻息が荒く、まるでケダモノのような唸り声を出していた。

 

「コイツ……操られてる……?」

 

 そう判断するのもつかの間、敵は飛びついてくる。ただ、それはルディアやソフィのスピードには及ばず、精々三ヶ月前の魔物達と同等か、それ以下だろう。

 それでも、一般人には反応できないものである。

 

「ふっ……!」

「アガッ!」

 

 大振りな右腕での攻撃、それを彼女はあっさりと掴み、一瞬の内に組み伏せる。男は暴れるものの、振りほどける気配はない。

 

「これは術を解くしかないわね」

 

 そう言うと彼女は何かを詠唱したと思いきや、掴んでいる手とは反対の手を男の頭に添えて、詠唱を始める。

 

「汝にかけられし術、洗脳の術、今こそ我が消し去ろう……」

 

 それと同時に、だんだんと彼女の手に暖かな光が宿っていく。かと思えば、男は落ち着きを取り戻したかのように、ケダモノらしさが消えていき、目の色は赤から黒へと変化していく。

 そして、その光が収まると、彼は意識を手放し、目を閉じて眠ってまう。

 

「大、丈夫……なのか?」

「ええ。今のところはね」

 

 安全を確認したリルは男の顔を覗き込む。

 男は短いツンツンの茶髪に、整った顔立ちをしており、リルと比べれば、いや比べなくとも明らかなイケメンだ。少々童顔ではあるが、充分に男らしい顔つきでもある。

 体の肉つきもしっかりとしており、リルよりも背が高めだろうか。以上から、おそらく彼とリルは同世代くらいの年齢だろう。

 

「こいつ、縛っておいた方がいいのか?」

「必要ないわ。魔法で操られてただけだから。それよりも一旦彼は家に連れて行きましょ。ほら、担ぐの手伝って」

 

 リルは少し怪しみながらも、ルディアの言う通りに男の肩を持ち上げて、彼女の背中に乗せる。

 

「よし、これでいいわね」

 

 しっかりと男が背中に乗った事を確認し、ルディアは男を軽々持ち上げ、リルとともに再び帰路を辿り、そして何の出来事もなく帰宅する。

 

「で、どこに寝かせるんだ?」

「使ってない部屋に三つ目のベッドがあるから、それを使うわ」

 

 この家には、リビングにキッチン、そしてルディアの部屋とリルの元客室がある。その他にも部屋はいくつもあり、今回はその中の空き部屋を使う事になる。

 

「ほら、下ろすわよ」

 

 その空き部屋に入り、早速二人はベッドに男を寝かせる。

 にしても、使っていない部屋と彼女は言ったが、ベッドや床に埃はほとんど溜まっていない。彼女が定期的に掃除をしているからだろうか。

 

「彼、服も体も結構ボロボロね」

 

 今ベッドで寝ている男は肌にいくつものかすり傷を負っており、服も奴隷のような物で、人として生活していたとは到底考えにくい。

 

「そうだな。森の中から出てくるくらいだから、そこらの動物と同じのような生活でもしていたんじゃないのか?」

「かもね。けど、操られていたのは少し気にかかるわ。

 まあ、でも今は彼が目覚めるまでの看病よ。リル、彼の服を着替えさせてあげて。貴方、服が少し大きかったでしょ? 彼ならピッタリなはずよ」

「へいへい」

「返事は、はいの一回よ。それじゃあ、私は外に出るから……」

「ううーん……」

 

 その時、誰かの声が聞こえる。二人はその声に聞き覚えがなく、一瞬戸惑ったが、誰の声かが次には理解する。

 男が目を覚まし、起き上がったからだ。

 

「(ここは……?)」

「起きたわね。しかも結構早く」

「(君は誰なんだ?)」

「聞きなれないわね……どこの言葉かしら?」

 

 早速会話が始まったが、二人は互いの言葉が分からず、その様子はぎこちない。どうやら、彼の言語はルディア達の使う物とはまた違う物らしい。

 だが、唯一互いの言葉を理解している者が一人だけいた。

 

「ルディア、こいつの言ってる事分からないのか?」

 

 それは記憶喪失のリルだった。

 

「貴方、彼の言っている事分かるの?」

「一応な」

「(お前、(さとる)か?)」

「へっ……?」

 

 突然として、知らない名前が出てきて驚くリルであったが、男は跳び起き彼の肩を掴む。

 

「(暁! やっぱ暁じゃないか! 今までどこに行って……いっつつ)」

 

 しかし、体中の傷が痛みとなり、彼の体は上手く動かす事ができず、布団から転がり落ちてしまう。

 

「そんなに慌てないで。自覚がないようだから言っておくけど、貴方の体、結構ボロボロなのよ」

「それ多分、こいつには理解できないぞ」

「あ、そう……ね。私も彼の言葉理解できないんだから普通はそうよね」

 

 とりあえず、またベッドに乗せるため、リルとルディアは彼の体を再度持ち上げて、寝かせる。

 

「(サンキュー)」

「ああ。どういたしまして」

 

 礼を返したが、リルには一つ懸念があった。

 自身の言語を彼が理解しているかどうかだ。今普通に喋っている言葉はルディアに理解できているが、そもそもそれ以外の言語というのをどうやって喋ればいいのか分からないのだ。

 つまり、彼の知識には一つの言語しかない。言葉を理解できても、口に出す知識がない。

 

「(どうしたんだ、暁?)」

「いや、俺はそのサトルなのかどうか……なあ、俺の言葉分かるか?」

 

 ここで、彼は意を決して尋ねる。一か八かではあるが、そうするしかなかった。言語の切り替えができない以上、ダメ元で試してみる。

 

「(は……? いやまあ、普通に分かるけどさ)」

 

 成功だ。そしてここに来て、今やっと彼とのコミュニケーションが取れる事が発覚した。

 

「アンタ、さっき私達の言葉じゃ理解できないって言ったわよね?」

「いや、俺の言葉は分かるらしい」

「嘘でしょ!?」

「本当だ。あと俺の事をサトルってずっと呼んでる」

 

 ルディアはその事実に疑心の目を向けるが、先ほどの様子からすれば二人の会話に齟齬があるようには見えず、とりあえずは大丈夫だろうと判断する。

 

「じゃあ、ちょっと通訳してくれる?」

「あ、ああ」

 

 そして、ここからルディアと男との初めての会話が始まる。

 本来ならばリルという通訳が通されて会話が成り立っているが、今回はそれを省略していく。

 

「貴方、まず名前を教えてくれない?」

「俺? 俺の名前は日高(ひだか) 善明(よしあき)だ。君は?」

「私はルディア・ルフェンよ。よろしくね、ヨシアキ」

「ああ、こちらこそよろしくルフェン」

「別にルディアで良いのよ」

「そうか? なら、ルディアで」

 

 順調に会話が進む。リルの通訳はスムーズに行われているようで、つまづくことも、ほとんどなかった。

 

「まず最初に確認しておくけど、貴方、記憶喪失じゃないわよね? 親の事とか、自分がどこにいたのとか覚えてる?」

「え? ……うん、ちゃんと記憶はある。大丈夫だ」

 

 男、善明は少し考え、記憶がある事を確かめる。

 

「じゃあ、次の質問。ヨシアキ、貴方どこにいたの?」

「その前に。ここ日本じゃないよな?」

「ニホン……聞いた事ないわね」

「本当か? 結構世界中でも知られてると思うんだけどな……」

「なあ、ルディア。その日本っていうのお前が知らないだけじゃないのか?」

「それはないわ。この世界で国と呼ばれる場所は六ヶ国しかないはずよ」

 

 ルディアの言う通り、この世界には国が大まかに六個あり、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「となると、彼は別世界からの迷子っていう可能性が高いわ」

「べ、別世界って……そんな所から来れるのか?」

「ありえなくはないわよ。魔法であれば、それぐらいの可能性を秘めているし、神話の神さまも別の世界から来たらしいし」

 

 そう言われると、リルは納得せざるを得ない。彼は魔法やこの世界について詳しいわけではないが、不可思議な体験に一日の内で何個も出会っており、否定できる材料がなかった。

 

「暁? 別世界とかって、何の話をしてるんだ?」

「いや、俺も何がなんだか……」

「……ねえ、そのサトルっていう名前だけど」

 

 ルディアが唯一聞き取れる単語、『サトル』という名前、それはどんな翻訳をしようが、固有名詞であるためこの場にいる誰もが同じ音であるため、彼女はそれについて言及する。

 

「それ、彼がサトルだっていう証拠はあるの?」

「あるさ。本人に聞いてみればいいじゃないか」

「あいにく、彼は記憶喪失よ」

「うそ……だろ……?」

 

 衝撃の事実、それは彼の目を点にさせる。

 その顔は絶望と、そして信じられないという感情で埋め尽くされており、今にも涙を流しそうであった。

 

「じゃ、じゃあ、俺の事も……」

「待って。その前に私の質問にちゃんと答えてちょうだい」

 

 友人が自分の事を覚えていない。そんな残酷な現実を突きつけられている善明だが、その彼にルディアは問い詰める。問い詰めなければならなかった。

 

「し、質問って……」

「彼がサトルである証拠よ。

 そうね、例えばそのサトルがいつ失踪したか。それぐらいは答えてもらわないと」

 

 こんな質問をしているが、彼女とて鬼ではない。彼の言うことを否定したいわけではなく、あくまでも事実確認をしたいだけだ。

 

「え? えっと……大体三年ぐらい前、かな?」

「なら違うわね。彼は三ヶ月前に来たばかりよ」

「そ、そんな事ない! だって、暁と俺は同い年だったし、そこにいる暁は暁とおんなじ顔だし! 

 そもそも、その二年と十ヶ月? ぐらいに何かあったかもしれないじゃないか!」

 

 なんだか意味不明な言葉を並べており、善明すらも理解できていないのではないかと思われるが、それくらい彼は必死なのだ。友人が友人でないと、三年来に再開した暁が幻となっていくようだったから、ルディアの言うことを否定したかった。

 

「……まあ、別世界間の時間のズレっていう可能性もなくはないか。

 いいわ。この話は一旦保留よ。リルが本当に暁なのか、貴方の帰る方法とかを解決できるようにしておくから」

「別に帰るなんて言ってない」

「そんなこと言って……っ!」

 

 会話の途中、突如としてルディアは何かに感づいたように険しい顔つきになる。冷や汗が額から流れ出し、歯をくいしばる。鬼気迫る表情とは、まさにこの顔であろう。



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強襲の気配

 

「ルディア、どうしたんだ?」

「……来たわ。私が今目的としていた人が、殺気立って」

「は? それって誰なんだ? それに殺気立ってって……」

「おい、ルディア」

 

 さらに、話を腰を折るように、今度はソフィが訪ねてきた。しかし、今回は普段のように荒っぽくドアを開けたりはせずに、静かに入ってきた。

 その顔からしてルディアと同じく、危険を感知したというべきか。声が普段より低く、いつものテンションが高い彼女とは思えないほどだ。

 にしても、彼女のいう目的としている人物はソフィであったのだろうか。

 

「お前にお客さんだ。リルも連れて外に出ろだとよ」

 

 いやおそらく、目的の人物はソフィの言う外の客だろう。

 

「……リルは置いていくわ。どうせ、ロクな事にならなさそうだし」

「そうした方がいいだろうな。そんじゃ行くぜ」

「ええ。リル、悪いけど留守番を頼むわ」

「え、え? 何が……とりあえず説明ぐらいはしてくれ!」

 

 流れるように会話を進めるルディアとソフィに対し、リルは何の理解もできずにいて、状況説明を求めるほかない。

 

「説明は後、まずは現状の問題を解決しなくちゃならないの」

 

 だが、それは断られ、二人は部屋の外へと出て行く。

 

「お、おい……! ま、待て……もう行ったか……」

 

 残されたのはリルと善明の二人。

 先ほどの会話もあってか気まずい雰囲気となる。友人であるかどうか、なんていう話がうやむやになった今、彼らの距離感は絶妙に難しくなっている。

 

「ワンワン!」

 

 そこへ、固い空気を和らげるようにルルが入ってくる。愛くるしく尻尾を振り、リルへと飛びつく。

 ふかふかの銀色の毛、キラキラとしたつぶらな瞳、柔らかい肉球、小さな体。どれをとっても人を癒す存在として最適であった。

 彼はルルを慣れた手つきで受け止め、頭を撫でたり、首をかいたりする。

 

「おお、ルル。急に入ってきて……いや、ルディアに言われてきたんだな」

「ワン!」

「かわいい犬だな」

「ああ。ルディアも犬だっていってたな。俺は狼だと思うけど」

「そうか? 犬じゃん」

 

 ルルという潤滑油が登場したことで、みるみる内に二人の距離は近くなっていく。それはルルの狙ったことか否か。

 そして、機を見計らったところで、善明は先ほどの話を掘り返す。

 

「……なあ、さと……ルル」

「別に暁で良い」

「いや、今はまだ決まった訳じゃないし、そもそも三年も会ってないんだから、顔間違えてるかもしれないしさ……。

 それよりもお前、記憶失くしたんだって?」

「ああ。三ヶ月よりも前の記憶はないんだ」

「そっか……大変だな」

「別に。食って寝る分には困ってないし、記憶は無くたって生きていけるし」

「……そういうとこ、暁に似てんるな」

「どこがだ」

「無頓着なとこだよ」

「なんだよそれ」

 

 さらっと悪口を言われたリルであったが、気にかけるようでもなかった。善明は懐かしい物を見る気持ちがあった。見れば見るほど、彼の中にある影とリルが重なる。

 

「……まあでも、確かにそうかもな」

 

 だが、対してリルは思うところがあった。いや、諦めていたと言った方が正しいか。無頓着、つまり何も気にしていないというところが。

 

「俺はもう、どうでも良いと思ってる。何にもできなかったしな……」

 

 心に何かを抱えている。彼が暁なのかわからないけれども、善明が唯一理解したのはそれだった。

 この三ヶ月間に何があったのか、そもそもそれ以前の記憶も彼の物と一致するかも定かではない。しかし、それでも善明の目からすれば、彼の今の顔には闇が見えてしまう。焦点が合わず虚ろな目は、深いトラウマが蘇ったかのよう。

 

「リル、お前……」

 

 一体何がリルを憂鬱にさせるのか、それを善明は聞こうとするが

 

「へ……?」

 

 直前にリルは落ちる。

 立っていた状態から地面に座り込んだ、訳ではない。彼は()()()()()落ちたのだ。

 何故か。それは床に穴が空いたからだ。別に茶化した事は言っていない。事実として本当に突然、彼の足元に穴が出来た。床がすっぽりと抜けたかのように。

 

「うわぁぁぁ!」

「リル!」

 

 重力に従い、リルは驚きながらも下へと落ちる。藁にもすがる思いで伸ばす手、それを善明は掴もうとするが、体の痛みで上手く動けず、またベッドから転がり落ちてしまうだけとなる。

 

「いっ……!」

 

 落ちた。そう思った直後、リルは尻餅をつき、しっかりとした地面の上に乗る。

 尻の痛みに堪えながら、意外にも空中にいた時間が短かったことにホッとする。一瞬だけだったのでそこまで深くは落ちていないだろうとリルは脳内で考察していく。しかし、何の前触れもなく床が抜ける事は彼にとって驚愕で、一瞬ではあるが死ぬかとも考えた。

 

「……いやまあ、死んでも良いんだけど」

 

 そんな不謹慎な事を考えながらも、彼は周りを見渡そうとする。どこにいるのか確認するためだ。穴が空いたという事は床とその土台が脆かったということだろう。

 おそらくは地下室があったのか。いやしかし、リルは家主からそんな話は聞いていない。ならば一体ここはどこなのか。

 

「あれ……?」

 

 彼の眼前に広がる光景、それは予想外の展開となる。

 この三ヶ月間、見慣れた光景。朝起きて仕事をする際、必ず見かける物。多少整備された道とそれを挟むように生える木々。そして、少し横に振り向けば、ルディアと一緒に世話してきた作物が畑に植えられている。

 そう、ここは家の外だ。地下に落ちたと思っていたはずなのに、一瞬にして青空の下へと放り出されていた。

 

「やはりここにいましたね」

 

 不可思議な事で状況が読み込めない中、彼の目の前にいる女性が喋り出す。

 妖美な佇まいと、ルディアやソフィには持ち得ない大人びた色気、そして全ての人が虜になるくらいの美麗な顔、艶やかな色をした金色の髪、そしてより彼女の美しさを引き立てる黒のドレス。

 その姿に彼は見惚れていた。だが、次の言葉で現実に戻される。

 

「話の当人が出てきましたので、そろそろ本題に入りましょうか。

 リルーフ・ルフェン、彼は敵に回れば非常に危険な存在になります。ですから、彼を引き渡しなさい」

 

 今目の前にいる彼女は、自分を危険だと思っている。その言葉が深く彼に突き刺さる。



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英雄の敵

 リルと善明を家の中に残したルディアとソフィ。その二人は外で『客』を出迎える。待っていた客は三人だった。

 

「久しぶりね、ルディア」

「ええ、久しぶり……なんていう呑気な挨拶、私もしたかったわ。そんな殺気混じりの魔力を向けなければね」

「あら、ごめんあそばせ」

 

 先に挨拶をしたのは客の内の一人、三人の真ん中にいる女性であった。妖美な雰囲気と大人の色気を醸し出しており、ソフィと同じ金髪を腰まで揺らす。そして、普通の人よりも少し長く尖った耳は人外の物か。

 背は女性にしては高く、ルディアやソフィはもちろん、リル、さらには善明以上か。さらに、黒いドレスと三角帽子が彼女を古典的な魔法使いだと物語る。

 

「さあ、あなた達も挨拶して」

「はい。メティス様」

「なんでアチキが……」

 

 彼女が挨拶を促したのは残りの二人。

 

「久しぶりだな、ルディア。といってもメティス様とは違って三ヶ月前に会っているが」

「そうね、前は()()()()()()()()()()に来たわね。カリュ」

 

 一人は背の高い女性。カリュと呼ばれた彼女は、メティスと呼ばれた黒い女性と同じくらいの身長を持っており、武人らしい立ち振る舞いや強い志を持つような顔つきなどは、メティスとは違うベクトルで魅力があると言えるだろう。

 また、光に反射して輝く銀髪や犬のような耳と尻尾を持ち、和服をベースに動きやすさを重視して改良されたような衣装は、まさに武闘家そのものだ。

 

「……」

「ピテーコス、お前も挨拶をしろ。メティス様の顔に泥を塗るつもりか」

 

 残りのもう一人、不機嫌そうに顔を逸らす少女は再度挨拶を促される。

 大きな猿耳と中華風の服、それに茶色のツンツンで短めな髪が特徴の彼女は、ルディアやソフィ達と同じぐらいの背丈で、メティスら二人と比べると二回りほど小さく見え、まるで格下のように見える。

 美しいというよりは可愛らしい感じの顔立ちで、威圧感が全くない。

 

「うるさいカリューオン! メティス様にちょっと気に入られたからって調子に乗りやがって!」

「私は命令通りにしているだけだ。お前もそうすれば良いだろう?」

「ぐぬぬ……」

「そもそもお前の方こそ……」

「はいはい、二人とも。喧嘩はそこまでよ」

「う、申し訳ありません……」

「す、すみませんでした……」

 

 カリューオンとピテーコスと呼ばれる二人を制し、メティスは再びルディアとソフィへと目を向ける。

 喧嘩していた二人はまだ不満げであったが、メティスの言葉のみで口を止め命令にすんなり従う。おそらく、関係性としては主人と従者のようだ。

 

「ごめんなさいね、見苦しいところ見せちゃって」

「そこの二人は相変わらずのようね」

「ええ。ひっきりなしに互いに吹っかけるのよ」

 

 メティスと名乗った彼女はただ微笑む。そこに悩み事なと一切なく、余裕の風格を表す。

 

「ところで自己紹介は必要かしら? 直接会うのは初めての人もいるみたいですけど?」

「必要はないぜ、『異次元の魔術師(アドヴァ・ウィザード)』さん。お前の噂は耳にタコができるくらいからな」

 

 不敵にソフィは笑ってみせる。別に愉快なわけではない。彼女はメティスの事をよく知っており、その内では確かに恐怖が渦巻いている。

 だが、そうそれはエンプトが見せた笑顔に近い。あの追い詰められた時の氷の魔人の表情に。

 

「あら、これは野暮でしたわね。腐っても彼の子ですもの。自己紹介は不要だと判断するべきでした。……と言ってもどちらにせよ後でする事になるかしら」

「メティス、前置きはいいからさっさと用件を言いなさい。先に言っておくけど、エンプトの事はカリュに全て話した。それ以上の事は知らない」

「今回はそんな事じゃないわ。話ももうついたし。

 ……そうね、そろそろ本題に入りましょうか」

 

 メティスが一呼吸をする。その瞬間にルディア達を取り囲む空気が張り詰める。ピリピリなどという生やさしい擬音ではない。肌をごうごうと焼かれているかのような重圧(プレッシャー)、それが彼女らを容赦なく襲い掛かる。

 

 メティスの表情が一変しただけで、その場が豹変する。それを可能としているのは彼女の目か。先ほどまでの微笑みは消え、体を突き刺すかのような表情でルディア達を見つめる。

 

 ——だが、敵意がない事にルディアは違和感を感じていた。

 

「ここに男が一人いるはずです。その男を出しなさい」

 

 圧倒的な迫力、ルディアはそれに耐え、辛うじて口だけでも動かす。

 

「……いない、わ。ここにアンタの目的の『男』はいない」

「へぇ、三ヶ月前に貴方達が戦ったエンプト(雪鬼)は『二人の少女と一人の少年をもってして倒された』なんて言っていたけれど、あれは嘘だったのかしら?」

「さあ? 少なくとも私があいつと戦ったとき、ソフィ(こいつ)以外はいなかった」

 

 息苦しいこの状況で、真実を伝えることさえも気圧されてできないかもしれなかったというのに、ルディアはあえて嘘をつく。

 嘘だとバレてしまった場合、どうなってしまうか。しかし、それを踏まえた上で下した彼女の判断だ。

 

「そう。なら、そこの貴方……ソフィアネストだったかしら?」

「っ……!」

 

 話しかけられたソフィは肩をびくっとさせ、驚く。緊張されたこの空間でまさか自身に話が振られると思わなかったからか、それともその名が出たからか。

 

「……ああ、そうだけど?」

 

 声を震わせながらも、なんとか応える彼女。しかし、先ほどの軽々しい口調は抑えれ、ただ質疑応答をするだけの機械と化してしまう。

 

「貴方もその場にいたのでしょう? ならば答えられるはずよ。三ヶ月前、エンプトとルディア以外にも誰かいたのかしら?」

「それは……」

 

 だが、その質問にソフィは一瞬考える。

 正直に答えれば、()()()()()からすればソフィは殺されないだろう。だが、それをルディアが許すかどうか。しかし、言わないならば()()()()()()()()()()()は起こらない。

『男』の命運自体はソフィからすれば、どうなろうとも構わないが……

 

「知らないな。三ヶ月前のことなんて忘れた」

 

 悩んだ末、彼女が出した答えは嘘をつくことだ。

 しかし、これはルディアのついた嘘とは種類が違う。『男』を助けるためではなく、どうにも転ぶ嘘だ。これでは彼女の証言があてにならない。

 

「そう、ならしょうがないかしら」

 

 その一言にルディアは安堵のため息を無意識に漏らす。このまま帰ってくれるだろうと、そう思ったからだ。

 だが、現実は非情だ。

 

「家の中にいるか、確認させてもらってもいいわよね?」

 

 心臓を掴まれたかのような衝撃、それをルディアは身をもって体感する。背筋を流れる汗は明確に感じられ、気持ち息も荒くなってきたか。

 しかし、『まだ慌てるな』『勝手に期待していただけ』『()()はかけてある』などと自身を落ち着かせるような言葉を並べる。

 

「ルディア、少し顔色悪いわよ? 大丈夫、私は疑ってなんかいないわ。ただ念の為よ」

「……そう。いくらでも調べても構わないわ」

 

 平常心を取り戻しながらも、彼女は祈る。バレないようにと、彼がメティスの目に触れないようにと。

 だが、それとは別にメティスに関して怪しいとルディアは感じている。直感ではあるけれども、彼女は諭すような言葉を口にしながらも全てを見透かしいるような気がした。

 

「ならばメティス様、私たちにお任せください」

「だからカリューオン! そういうでしゃばるところが……!」

「ピティ、これ以上場を乱さないで。そんなに暴れたいのなら後で……ね?」

「ひっ……」

 

 その一瞥でピテーコスは氷のように固まる。先ほどのような謝罪の言葉すら出てこない。

 冷たい目線、そして『後で』の内容、それは彼女にとっての恐怖(トラウマ)か。

 

「……でもまあ、今回はピティの言う通りになるかしら」

 

 メティスは腕をそっと前に伸ばし、それと同時にルディアとソフィの斜め上前方に何か黒い物体が現れる。形は円盤状で直径八十センチほどだろうか。

 それが何であるかをソフィが考えていたその次に

 

「なっ……!」

「うわっ! ……いっつつ」

 

 その円盤状の物体から人が落ちてくる。しかも、その人をよくよく見れば、先ほどまで話題となっていた()()ではないか。

 

「ふふっ、やはりここにいましたね」

 

 最初から居場所が分かっていたような物言いに、ルディアは戦慄する。

 本当に最初からなのか、それとも何処かのタイミングで知ったのか。どちらにせよ、メティスの話し方を思い出してみると手のひらを踊らされたようだった。

 彼女は()()()する。やはり、目の前にいる魔法使いは底が知れないと。

 

「アンタ、いつから分かってたの?」

「さあ、いつからかしら? けど、私が十年間貴方を見守ってきたのは確かよ。だから、嘘も簡単に見破れるかもしれないわね」

「その十年間で私はあなたのこと、一切理解できなかったけど」

 

 苦し紛れに悪態をついてみるものの、メティスの思考は一切分からずじまいだ。掴み所のない喋り方、場を作り出すような覇気、そしてリルを一瞬にして移動させたあの能力。どれをとっても厄介がすぎる物だらけだ。

 

「さて、そこの貴方」

「俺、か……?」

 

 呼び掛けられたリルは、まだ状況を読み込めていない中でメティスへと目線を釘付けにされる。

 家の中から外へ出され、更には見知らぬ者が三人がおり、しかも周りは緊迫の雰囲気となっている。この状況ではうろたえてしまうのが当然ではあるが、彼は何故か落ち着いていた。エンプトと目を合わせたときは恐怖におののいていたが、今は違う。

 初対面ではあるが、彼女とは話し合いでなんとかなるのではないのかと、そう思えた。

 

「確かリルーフ・ルフェン、だったかしら?」

「あ、ああ。そうだが、なんで俺の名前を?」

「三ヶ月前、ここにやってきた魔物から聞きました。

 さて、まずは自己紹介をさせていただきましょう。私の名はメティス・アドヴァ・ウィザード、世間では『異次元の魔術師』とも呼ばれています」

 

 丁寧でそれでいて上品な佇まい。さきほどまで緊張感を作り出していた人物とはとうてい思えない。

 

「そこのルディアとは……まあ、知り合いと言えばいいのかしら」

「ルディア、本当なのか?」

「ええ。彼女、両親とは友人だったの。その繋がりでね。

 あいつ、基本的には良い奴だけれど……言ってる事は信用できないわ」

 

 良い奴で信用できない。その二つの特徴が両立する事に疑問を持つリル。しかし、今重要なのはそこではない。

 ルディアはメティスから目を逸らさず、ずっと視界に捉え続けている。しかも、その顔には敵意が見える。そこで、彼はこの状況が普通ではないということに気づき始める。

 

「ついでに言っておくと、十六年前の英雄サマでもあるぜ」

「英雄⁉︎なんでそんな人が……」

「さあな、こっちが聞きたいくらいだ。お前、記憶を失う前に何かやらかしたんじゃないか?」

 

 ソフィの補足から衝撃の情報が出てくる。英雄と呼ばれるまでの人が自身を狙う目的、それはまるでリルが世界の敵だと言わんばかりだ。

 

「こっちの二人はカリューオンとピテーコス、私の使い魔よ」

「はじめまして、リルーフ・ルフェン。メティス様に紹介を預からせてもらったカリューオン・ファアドヴァだ」

「ふん、ピテーコス・ファアドヴァ。名乗るだけ名乗ってやる」

 

 二人は対極の挨拶をする。片方は懇切丁寧に、もう片方は嫌々仕方なしに。



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諦めた選択に

 

「話の当人が出てきましたから、そろそろ本題に入りましょうか。

 リルーフ・ルフェン、彼は敵に回れば非常に危険な存在となります。彼をこちらに引き渡してください」

「待ちなさい」

 

 静かにその警告を拒否するかのように、話を止めるルディア。

 彼女は、メティスが目的の為ならば、どんな手を使う者であると知っていた。だから、リルがメティスの手に渡ればどうなるか。

 それを懸念したからこそ、彼女はこの行動に出る。

 

「あなたが何をする気なのかは知らない。彼が何をしてしまったかも。けれども、彼は三ヶ月より前の記憶がないの。

 だったら彼が何を知ってしまったか、何をしでかしてしまったかを追求するのは早すぎるわ。せめて記憶を取り戻してからにして」

 

 彼女がここまでリルを庇う理由、それはただお人好しなだけなのだろうか。

 リルはルディアという人物をこの三ヶ月間見ていて、彼女が他人に優しい人間だという事を理解していた。

 だが、今の言葉からすれば彼に対して肩入れしすぎている印象を受ける。一緒に住んでいただけの同居人だろうと、ここまで真剣になるだろうか。

 

「……ルディア、あなた一つ勘違いしているわ。

 私は彼が記憶を失っているかどうかなんていうのはどうだっていいの。重要なのは彼という存在、彼そのものよ」

「どういう意味?」

「十六年前、この世界に魔王が襲来していたというのは知っているわね?」

「ええ、母さんとアンタ達で倒したっていう話はね」

 

 リルはその事実に驚愕のあまり、ルディアを見たまま固まる。

 今まで親族関係の話は一切聞かされてなかったが、まさか世界を救った英雄の娘だとは予想外すぎることだった。

 ただ、ソフィは顔を一つも変えていないことから、その事は最初から知っていたようだ。

 

「その魔王、公言はされていないけど異世界からの来訪者だったわ。

 ……そして、魔王に限らず転生者は強大な力を持つことが多い。その意味、あなたになら分かるわよね?」

 

 メティスが言う特徴、それにルディアは心当たりがありまくりだった。

 リルが三ヶ月前の事件で見せたあの力、彼女がツクモという力がなければ苦戦していたあのエンプトを、それ無しで圧倒的なまでに押し込んだあの刹那の一撃。

 恐れられる力と言えばそうなのだろう。しかも、素性が分からない者が持っているとなればなおさら。

 

「……シャクだけど、アンタの言ってる事は理解できるわ」

「納得したようね。なら彼を」

「納得なんてしてない」

 

 けれども、彼女は警告をさらさら聞く気はなかった。

 

「確かに彼が何なのか、どういう人間だったかなんて知らない。過去も記憶もない。

 けど、だからと言って私は彼を危険視する気はない。素性不明で、前例と同じ事が起こるかもしれない。そんな事を言ってしまえばあの人と……母さんと同じ苦しみを味わうことになる! 

 アンタも見てて苦しいと思わなかったの!」

 

 次第に荒げていく彼女の声、剥き出しになっていく感情。

 普段は表情をあまり変えず、戦いの中でさえも冷静さを失わずにいた彼女がここまで激しく、そして必死になることなどリルは初めて見た。

 メティスはそのことに対し、一瞬だけ目を伏せたかと思えば、またすぐに冷ややかな表情に戻る。

 

「……それとこの話は別よ。全ての人間が彼女のような性格とは限らないわ」

「そうかもね。けど、少なくとも彼は悪人じゃない」

「どうしてそんな事が言えるのかしら?」

「そんな物、簡単よ」

 

 彼の過去を知らないと言ったはずの彼女は自信満々に答える。この三ヶ月の間に彼の何を見て、何を知ったのだろうか。そしてその理由は……

 

「——直感、ただそれだけ」

 

 第六感、あるかも分からない人間の感覚だと、ルディアは言い切った。

 

「そこまで言うなら、説得は難しいわね。その頑固さはきっと()()譲りなのでしょうから」

 

 だが、その反論のせいで事態が悪化した事は確かだ。

 先ほどまでのメティスになかった敵意、それがいよいよ表立つ。恐怖がこの場を支配し、同時に宣戦布告となる。ルディアとソフィは戦闘態勢となり、それぞれが携えていた武器、ソフィは大剣、ルディアはツクモが宿る短剣を始めから構える。

 ここから先は刹那の気の緩みも許されない。

 

「では、ここからは武力行使をさせていただ……」

「待ってくれ!」

 

 そのはずだった。

 止めたのは話の中心人物となっているリルだ。

 

「俺……そこまでして守ってもらう資格なんてない」

 

 それはまるで何もかもを諦めたかのような一言。誰とも目を合わそうとせず、ただ。苦しい感情に耐えながらも無理に笑っていた。それはまるで何か卑屈になっているかのよう。

 

「だってさ、話を聞く限り俺、悪い奴かもしれないんだろ? しかも記憶は無いし、俺の持っている力も強すぎるし。そんな奴が危険だって言うのも当然だ」

 

 リルはメティスの言い分を肯定しながらも、前へ進む。それはまるでメティスの要求を受け入れるかのように。

 

「そもそもさ、その強大な力っていうのも俺が元から持ってたとは思えない。どうせ、一般人が持ってちゃいけない力なんだろうな。そんな力は俺じゃあ持て余すだけだ。あの時だってがむしゃらにやった結果、力が出ただけ。そんなんじゃあ、またいつ感情に任せて力が出てしまうかも分からない」

 

 一歩、また一歩と。正論をつらつらと並べながらも、彼は自身を肯定していく。これが正しいのだと内心言い聞かせる。

 ルディアの気持ちをないがしろにしている事から、心臓に針を刺されたかのような痛みも感じていたが、これが最善なのだと彼自身はそう決断していた。

 そして、彼は最後の一言、自身の運命を決める結論をメティスに伝えようとする。

 

「だからさ、メティスの言う通り……」

「ふっざけんじゃないわよ!」

 

 だが、それはパチンという軽い音によって止められる。何をされたのか、リルは理解できていなかった。怒号とともに頰へ痛みが走ったことは確かだ。その怒号はルディアの物だ。

 

「ルディ……ア……?」

「なに諦めてんのよ! それっぽい事ばっか言って、自分を騙して、ホントはただ楽になりたいだけでしょ! 

 あの時もそうだった! 助けるだけ助けて、自分だけ死んでも良いと思って! 取り残された人がどれだけ悲しい思いをするか、アンタ全然分かってない!」

 

 息継ぎもなしに、彼女は怒りをぶつける。それは憎いための怒りではない。どちらかといえば懇願が含まれているかのような怒りだ。

 

「あっ……」

 

 それに何を共感したのか、彼の脳裏に何かが映し出される。ノイズが激しく、鮮明ではないが、彼女の言うことに当てはまる部分もあった。

 血だらけの女性、それを抱き起こそうとするリル。そして……

 

「……けど、どうするんだよ。

 素人の俺でもわかる! あいつはルディアでも勝てない! だったら、最初から大人しくしとけば……!」

 

 不意にリルの目から涙が流れる。それはフラッシュバックされた記憶からか。

 彼の言う通り、戦う前から彼女達はメティスに気圧されており、それでは勝てるはずもない。だが、怯むことなくルディアは答える。

 

「それでも、私はやる」

 

 そう言って彼女はリルよりも三歩前へ出る。

 メティスを止める、その事はもう確定事項だと言わんばかりに。

 

「なんで……」

「さあな」

 

 そしてもう一人、彼の前に立つ者がいた。それはソフィだ。

 

「あいつはそういう性格なんだよ。誰がなんと言おうと何を想おうと、見捨てるなんていう選択はしない。その先に何が待っていようとな。

 悔しいけど、それで勝っちまうんだ」

 

 最後の部分、それは小さく呟かれた。しかし、リルに聞かれないようにボソボソと言ったわけではなく、気持ちがこぼれたような物だ。だから、彼が聞いたかどうかははっきりとしない。

 

「ま、けど今回はそう楽観できるもんじゃない。

 相手は掛け値なしの英雄様だ。実績があるからとかじゃなくて、()()()()()()()()()()()()()()()奴相手に戦う。世界一の魔術師との戦いつっても過言じゃねないな」

「そんなのと戦うのになんで……まさかお前も……!」

「ああ、戦うつもりだ。けど、お前のためじゃねえからな。アタシ自身のために戦うだけだ。あんな大物とやりあう機会なんて滅多にねえからな」

 

 強気な事をいう彼女であったが、いまだその膝は震えており、恐怖を抑え切れてはいなかった。ただ、本心であることは確実だろう。ソフィはリルに思うところはなく、案じることも今までなかったのだから。

 

「行くな……」

 

 だが、それでも彼はソフィに、そして当然ルディアにも願う。

 

「行かないでくれ……」

 

 二人の背中、リルにはそれが遠ざかって見えてしまう。

 まるでそれは、もう届かないところまで行ってしまうように。

 

「頼むから……」

 

 声は震え、顔はうつむき、歯を食いしばりながらも、また頬に熱いものが流れる。

 

 ——戦うか、止めるか? 

 

 ここで彼の中に選択肢が出てくる。

 戦う、それは彼女らと共にメティスに立ち向かう。

 止める、それは彼女らを止め、メティスの警告に従う。

 

 ——戦ったとして、勝てるのか……? 

 

 彼は自問自答していく。

 戦うという選択は彼女らを守り、そして自身の行く末も勝ち取る。そんな素晴らしい選択だ。だが、もしそうするとして彼には一つの疑問が浮かび上がる。本当に勝てるのかという事だ。

 自身には強大な力がある、それは確からしいが、扱いこなせるのだろうか。しかし、エンプトとの戦いではミスをしてしまい、そのことから彼は自信を失ってしまっている。

 

 ——だからといって、ルディアを止められるのか……? 

 

 その選択もおそらく無理だ。彼女達は戦う決意を持ち、リルにはそれを止める言葉などもうない。現に、止めようとして逆にルディアに押し込まれてしまった。

 だがもう一度止めれば、いや強引にでも力づくであれば……止められるのではないか。

 

「どうする……どうする……!」

 

 彼女たちの身を案じ自身の行く末を捨てるか、それとも、より困難な道を進み勝ち取るか。

 彼の中で思考が渦巻く。死んで欲しくはない。しかし、それを実現する力があるのか。ならば、自身を犠牲にして、いやそれではルディアが……

 

「——え?」

 

 判断を決めかね、どうしようもない状況におちいったリル、その彼の目の前に一つのナイフが転がってくる。

 鞘に納められ、刃と柄の長さがほぼ一緒で、ルディアが使っている短剣よりは短めだ。

 

「これを持って、早く逃げなさい」

 

 それを投げた人物はルディアだった。

 意図はどうであれ、彼を思っての事は間違いない。ナイフは護身用なのか、それとも一人で生き延びろということか。ともかく、それは選択肢だ。その選択肢を彼は選んだ。

 ナイフを拾い上げ、必死に彼は走る。涙を流し、目指す場所もないまま、目の前など見ずに。その行動はたった一つの理由だけだ。

 

 ただここから逃げる。

 

 選択ですらない選択。選択から彼は逃げたのだ。最初は自分だけ死んでもいいという思いから外れ、ルディアたちのことからも逃げた。

 それはまるで未熟な子どものように。



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空間の魔法

「……行ったわね」

 

 リルが走り去った事を確認したルディア。彼女は再度敵を視界に捉え、戦闘態勢へと入る。

 

「良いのか? あいつ相手なら、()()()()()()()()()だと思うけど?」

 

 そしてもう一人、英雄に立ち向かう者、ソフィは意味深な言葉を口にする。

 

「ただの賭けよ。何故メティスが彼の居場所を知ってたか、なんていうのは分からないけど、少なくともこの場にいさせるよりはマシだと思っただけ」

「へぇ、そういうことか」

「……そろそろ立ち話は終わりにしても?」

 

 痺れを切らしたのか、それともリルを早く探したいのか。この問答を終わらせようとするメティス。彼女の敵意はさらにルディアたちの肌を刺す。

 

「ええ、待たせたわね」

「よっしゃ! 開幕一発目はアタシが……!」

「待ちなさい」

「ぐえっ!」

 

 戦の幕が切って落とされる。それを体現するようなソフィの先制攻撃をルディアが襟を掴んで止める。

 そのため、ソフィは首を一瞬だけ閉められ、そのままゴホゴホと咳き込んでしまう。

 

「な、なんだよ。これからってところで」

 

 意気揚々としたところで止められてしまい、少々不満気になるソフィ。しかし、ルディアは冷静に相手の能力を判断する。

 

「無闇に突撃しない。アンタ、敵の能力を分かってるから、さっきは()()言ったんでしょ?」

「噂だけだ。実際にどのくらいすごいのかは見てからじゃないと、分からない。だから、まずはいちいち考えずに突っ込めば良いんだよ」

「そう、なら別に良いけど……」

 

 その時、ソフィは何かに気圧された。メティスが放った覇気、それと同様か、それ以上のものを感じてしまう。

 

「前みたいな邪魔はしないで」

 

 絶対の警告。ここを踏み入っては生きて帰さないという殺気。彼女の触れてはいけない逆鱗を示している。そう、下手をすれば殺す。

 ソフィは思う。彼女が今まで想いを、そして怒りを、ここまで前面に押し出すことはなかったと。冷静を装っているかのように見えるが、彼女の内では感情の渦が回っているのだろう。

 

「……オーケー、邪魔はしない。

 ただどうする? 敵の大将さんをやらなきゃならねぇんだろ」

「まずは使い魔二人をやる。あいつらも結構強いからね。私はピテーコス(サルの方)をやるから、アンタはカリュをやって」

「良いのか? あの狼の方が強そうに見えるけど」

「彼女は私の動きを全部知ってるのよ。小さい頃、模擬戦の相手をしてもらってたから」

「ふーん、ま、お前がいいならやってやってもいいぜ」

 

 ソフィは足を開き、グッと力を溜める。踏み込みで一気に相手へと距離を詰めるためだ。けれども、

 

「あともう一つ」

 

 大切なことだからと、ソフィのスタートダッシュを止めるように付け加える。

 

「あ? なんだ?」

黒孔(ブラックホール)、それだけは気をつけて。孔を通ってしまえば何処かへと飛ばされるわ。最悪の場合、負けるわよ」

「……ああ、分かってる」

 

 その返事には少し含みがあるようだったが、誰もその中身を詮索も思考もしなかった。

 

「じゃあ、早速……っ!」

 

 警告を胸に留めたと同時に、ソフィは敵へと目標を定める。そして、地面を蹴ろうとしたその時だった。彼女は違和感に気づく。

 狼人間のカリューオンの姿が見えないのだ。さっきまでその素振りはなかった。ただ立っていたはずの人間が視界外から一気に消えるほどのスピードを出すとは思えない。

 そう、仮にあるとすれば……

 

「……まさか!」

 

 ルディアはその過程の答えを出さずに、後ろを振り向く。彼女の直感が働き、すぐさま防御の体制を取った。そして、彼女が向いた方向からカリューオンの強襲が来る。

 

「ふっ……!」

 

 真っ直ぐ、そして鋭さを併せ持った突き。だが、それは武器を用いた物ではなくただの手刀、いや爪での突きだ。獣のそれと同じように尖った爪は獲物を捕らえるための物。

 しかも同様に硬度もあり、ルディアの短剣と触れた瞬間に金属音が鳴り響く。木や石などでは絶対に出せない甲高い音。それと同時に火花も散る。

 

「先手を取られちま……」

 

 やられた、という後悔に似た感情を出し切る直前。しかし彼女は、足場が突如無くなったかのように、重力に引っ張られる。

 そして、次の瞬間には空へと放り出され、体が思うように動かせなくなる。

 

「なっ……!」

 

 驚きはするものの、これが何でどういう物かも一瞬で理解する。

 

 ——これがあいつの能力か! 

 

 ルディアとも話していた通り、彼女は噂だけ聞いていたが、ここまで()()とは予測していなかった。しかも、黒孔(ブラックホール)の事を事前に聞いていても反応すらできなかった。

 けれども、彼女に焦りは見えない。

 

「地平線……太陽の位置……木の角度……」

 

 ぶつぶつと何かを言いながらも冷静に何かを見据え、そして脳をフル回転させる。

 状況がまさに天と地がひっくり返るかのようだと言うのに、手足をばたつかせる事はせず、頭だけを動かす。

 

「今見える景色から方向は……こっち!」

 

 そして、彼女は先ほどのルディアのように後ろに振り向き、大剣を構える。しかし、それだけではない。ルディアのように咄嗟ではなく、読み切ったと確信したのか、その大剣で大きく重い一撃を放つ。

 

「がっ……!?」

 

 しかも、その一撃は後ろから迫ってきた耳が異様に大きい少女、ピテーコスに直撃する。

 

「よっしゃあ!」

 

 女性らしくない高らかな喜びの声。ガッツポーズでもしそうではあるが、彼女はそうせず、着地のために体を捻り、足を地面につける。

 

「あら、こちらは意外とやりますね」

「世界屈指の魔術師にそんな言葉を貰えるなんて、光栄すぎて憤死しちまいそうだ」

 

 メティスの言葉に鼻で笑い飛ばすソフィ。しかし、ここまでで彼女はこちら側が一気に不利であると悟った。

 まず第一に、最初の作戦が瞬く間に崩れ去った事。実際に対峙する敵が反対になってしまった。

 しかも、だ。横目でチラッとルディアの様子を見てみると、銀髪の犬耳カリューオンに押されてしまっている。

 

 ソフィの見立て通り敵は強く、武器はないもののその手についた爪で鋭い突き、斬撃をいくつも繰り出す。その動きは以前に戦ったエンプト以上。無駄はなく、連撃の中に間もない。

 だが、スピードに関してはルディアとほぼ変わらない。人外である敵は人以上の力を持っているが、彼女もそれと同等以上に渡り合える身体能力を有している。

 では何で差がついているか。それは()()だ。

 

 ——ツクモっていうのは体の動きじゃなくて、武器自体を強化するだけだからな。

 

 ルディアは前の戦いと違って初めからツクモを使っている。それはつまり、彼女が本気だという事だ。しかし、ツクモは刃が当たらなければ意味がない。

 それを分かった上で、敵はそれに触れないように躱している。動きもすでに読まれているという事だから、ツクモの尋常ではない威力は無力化されているも同然だ。

 

「あいつが苦戦する姿か……アタシと勝負しても一回も見せた事なかったのに」

 

 嫉妬心を交えたぼやきをこぼしながらも、彼女は次の手立てを導き、実行に移す。



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茶猿のピテーコス

 

 彼女の次の行動、それは走る事だ。後退でも前進でもなく、敵からの距離をある程度保つように円を描くように周る。それだけではない。ジグザグと曲がり、不規則性を入れていた。

 

「普通ならば、そうするでしょうね」

 

 ソフィがおこなっている動き。その意図は相手に動きを読まれないようにする事だ。

 空間魔法、それが世界最強の魔術師が得意とする魔法。彼女はそう聞いていた。リルが急に外へと瞬間移動したのも、ソフィが宙に舞ったのも全てはそれが原因だ。

 『空間』というのは物が存在するために必要な要因の一つ。それが安定しているからこそ、物は崩れずに存在を維持できる。

 つまり、『空間』は世界そのものとほぼ同義だ。それを、彼女は操っている。

 

 ——だけど、それも魔法の域。本当に全てが一瞬な訳がない! 

 

 ソフィの中では色々な考察が飛び交うが、結論だけ言えば、上記のとおりだ。

 

「さて、そろそろ……」

 

 その間にも彼女は、作戦を考えていた。一人で突っ込んでも二人相手に、いやメティスだけだろうと負ける。勝つためには人手が必要だ。

 

「行くぞ!」

「なっ……!」

 

 ソフィはメティス達の周りを走るのをやめ、今度は目標を変えて走り出す。その目標は激しい攻防を繰り広げるルディアとカリューオンだ。

 だが、それは相手に背中を見せる、つまりは隙を見せるという事になる。大胆な戦法がゆえにピテーコスは驚く。しかし、体はその隙を見逃さんと言わんばかりに、即座にソフィの後を追う。

 

「逃さん!」

 

 強がりをいうピテーコスであったが、どれだけその走りが野性的な四足歩行でも、二本の足で走るソフィとの差は縮まらない。

 

「はあああ!」

 

 そしてソフィは、もう一歩踏み込めばカリューオンの後ろに立つというタイミングで、大剣を上段に構える。

 

「っ……一旦……!」

「させない!」

 

 カリューオン、そしてルディアもその事に気付く。前者はもちろん避けるために後退をしようと重心を後ろに動かそうとするが、後者はそれをさせまいとかすりもしない攻撃の数を増やす。

 相反する思惑だが、その結果ルディアの狙いがうまく行くこととなり、カリューオンを留まらせる事に成功する。

 

「ナイスだ、ルディア!」

 

 褒め言葉を口にしながらも足を前に出し、大剣を振り下ろそうとする。だがしかし、

 

「しまっ……!」

 

 ソフィの目の前に黒い物体が突如として現れる。それはリルを外まで動かした物と一緒、つまりはメティスの魔法による物だ。まさに見た目はブラックホール。

 おそらくはこれに入った瞬間、何処かへと飛ばされるのだろう。それは体が思いもよらない場所へと移動するということ。一瞬ではあるが、相手の思うがままになるということ。そしてそれは隙となってしまう。

 

「なんてな」

 

 そうならないように彼女は大剣を地面に突き刺し、体を強制的に止める。反射神経が良いのか、それとも読んでいたのか。

 

「もらった!」

 

 だが、それでは次の問題が発生する。ピテーコスによる背後からの追い討ち、それをどう対処するか。大剣をすぐさま使うならば、敵はすぐそばまで接近しており、時間がない。別の武器を使うにしても同様だ。ならば、彼女は何をしたのか。

 それはピテーコスの胸元をうまく掴み、

 

「どぉりゃぁっっっ!」

「うわっ!?」

 

 持ち上げた。しかも、()()()()()()()()()()()

 彼女は左手は大剣を掴んだまま、もう片方はピテーコスを掴み、そのまま左手のみの力で二人分の体重を軽く持ち上げたのだ。しかしそれだけではない。

 

「そらプレゼントだ!」

 

 持ち上げたピテーコスを黒い物体を超えるように投げ飛ばす。その標的はもちろんカリューオンであり、ピテーコスという弾が当たる。

 

「うあっ……!」

「くっ……!」

 

 猿と狼、不仲である二匹は共に地面を転がっていく。

 

「よっし、このまま追撃……っ!」

 

 そのまま後を追いかけ、その大きな隙を突こうとするソフィであったが、ピテーコスとカリューオン先ほどから何度も姿を現している黒孔に入っていったからだ。

 そこがどこへ繋がっているのかは、メティスのみしか知らない。知る術があるとすれば彼女の思考を読むか、実際に入るしかない。だから、ソフィは追撃をやめたのだ。

 

「助かったわ」

 

 かすり傷を多く負いながらも、素直に礼を言うルディア。しかし、彼女の息は全く乱れておらず、平常時そのもの。意外と余裕があるように見えるが、体力はジリジリと減らされている。

 

「これで貸し一つだ」

「ええ、今すぐ返してあげる」

 

 互いに冗談めかしながらも、二人の視線はメティスの方へと集まる。気づけば、さっき吹き飛ばされていた二人はいつの間にか彼女の両脇に立っていた。

 カリューオンの方はまだピンピンしているが、ピテーコスの方はそうではなく、少し疲れ気味のようだ。

 

「アンタ、猿と戦ってたみたいだけど、意外とやれてるのね」

「まあな。と言っても、あいつ自身は未熟だからな」

 

 散々な言われようではあるが、それをみかねてかメティスはある言葉をかける。

 

「ピティ、そろそろその武器、使ってあげたら?」

「っ……いえ。これを振るわずとも……」

「まだ一度も当てられていないのに?」

 

 氷のように冷たい言葉がピテーコスに牙を向き、その瞬間彼女は冷や汗をかく。メティスは例え仲間に対してであろうと、冷酷さは忘れないのだろうか。

 

「……言い方を変えましょう。ピテーコス、あなたは私の使い魔です。使い魔の行動は主人が責任を持たなければならない。その意味が分かりますね?」

 

 ただ聞いているだけ。それにも関わらず、ピテーコスは首に手をかけられているような気さえした。そして、その手に段々と力が入り、徐々に閉められていくようにも感じられる。

 それほどまでに、メティスの言葉には場を作る力を持っている。

 

「……了解しました。ならば今、私情を捨て、主に勝利を捧げましょう」

 

 そういうと、彼女は一本の剣をいつの間にか握っていた。

 それは奇妙な形をしており、刃が反り返っていた。それだけではなく、片刃で背の部分には落差のある凹凸の形をしており、特に刃先に近い部分には何かを引っ掛けるような刃があった。

 

「ソフィ、気をつけて。あれはきっと相手の武器を引っ掛ける物よ。迂闊に振り回してたらその大剣、取られるわ」

「ああ、わかってる。分かってるんだが……」

 

 口を濁しながらも、ソフィは考え事をする。敵の一人が本気になった。それは彼女にとって重要ではないかのように。

 

「なあ、あの世界の魔術師、アレで本気か?」

「そんなわけないじゃない。……本気を出したらもっとヤバいわ。世界が半壊するんじゃないかしら?」

「だろうな。アレが英雄様の実力ってんなら、鼻で大笑いしちまう」

 

 軽口を叩くものの、彼女の顔に笑みはない。

 今の状況はまだ不利とも有利とも言えない。いわば拮抗状態だ。しかし、相手にはまだ隠し球がいくつもある。ソフィにもないことにはないが、果たしてそれが通じるか。

 

「……私に考えがある」

 

 それを言ったのはルディアだ。

 

「聞かせてもらおうじゃないか」

「作戦としては単純、まずはピテーコスを一点集中で倒す。それで二対二よ。

 けど、直接相手にするのはアンタに任せる。私はカリュと戦いながら支援してあげる」

「りょーかいだ」

 

 了承の声と同時にソフィはグッと構える。

 

「作戦会議は終わった? なら……」

 

 メティスの言葉も聞かず、彼女は一気に走り出す。それは先ほどと同じような付かず離れずを意識した走り。それと同時にルディアも反対側へと走る。

 

「……ピティ」

「はい」

 

 それに対し、英雄とその使い魔は多くを語らず、一言ずつを交わしただけで意思疎通を取る。そして、

 

「っ……!」

 

 一瞬の間にソフィの前を取る。

 

「クソ! 分かってても慣れないな!」

「貴様ごときが、我が主人の力を理解できると思うなよ!」

 

 ピティの一撃、それは真っ直ぐに放たれる斬撃。ただの馬鹿正直な剣筋ではあるが、不意を取られたソフィでは回避は不可能だ。

 

「軽いな!」

 

 しかし、なんとか大剣を前に構えることで攻撃を防ぐ。しかも走っていた勢い余って向かってくる攻撃を押し返し、突進攻撃を仕掛ける。

 そのままであれば、体の軽いピテーコス(猿人)は吹っ飛ばされてしまうだろう。

 だが、そこに逆転という状況が作り出される。

 

「ただ軽いだけだと思うなよ」

 

 今までソフィにやられっぱなしであったピテーコス。その彼女が相手にあっと言わせる間もなく、不意を取る。

 

「っ……!」

 

 先の言葉通り、ソフィは何も言えずに死が間近に迫りくることを痛感する。

 彼女の持っていた大剣はいつのまにか弾かれたかのように宙を舞い、喉元の直前までピテーコスの手刀、もっと正確に言えば刃物のように鋭い爪が接近していた。

 何が起こったか。それ自体はソフィにも理解している。だが、今は考察している時間ではない。

 

 ——なんとかこの状態を打開するんだ! ここで死んでなんかいられるか! 

 

 彼女のその思考は間違いではない。けれども、だ。ここからどうしたところで死から免れることなど不可能。反射神経で避ける、攻撃を防ぐ、叩き落とす、それらを行うにしてはあまりにも遅すぎる。

 どうあがいたところで次の間には彼女の頭と胴体はおさらばだ。

 

瞬間凍結(フリーズ)!」

 

 もちろん外的要因がなければの話ではあるが。

 

「なっ!」

 

 横槍を入れるように凄まじいスピード飛んできた流体、いやほとんど熱線(レーザー)と言っても過言でもないそれは、狙いすましたかのようにピテーコスの腕を弾いたかと思えば、奇妙な剣ごと腕が凍っていった。

 

「っ……まさか!」

 

 自身にこんな事をした者が、ピテーコスは推測できているらしく、ある方向に憎悪の視線を向ける。

 それはカリューオン、と戦っていた筈のルディアだ。その彼女は勢いよくバックステップをしたような姿勢で、指先はピテーコスへと向けていた。つまり、先ほどのレーザーは彼女の魔法であった。もっと言えば、それは()()()()()使()()()()()魔法だ。

 

「人間めがァァァ!!」

 

 怒りに心を飲まれた顔で、親の仇のように叫びをあげるピテーコスであっだが、それは自身の負けも意味していた。

 

「目の前の敵から意識逸らすなんて、余裕だな!」

 

 その一瞬でできた隙を、ソフィは見逃しておらず、攻勢へと転じる。敵の懐へと入り込み、武器を持たない彼女はその拳を構える。

 それはまるで、リルの拳と似ているような、それでいてどこか違うような。

 何にせよ、彼女の拳は左からだされ、そして右へのワンツーコンボへと繋がり、ピテーコスの胴へと直撃する。

 

「うがっ……!」

「トドメ! 最後の一発!」

 

 掛け声と共にソフィの体は沈み込んだかと思うと、加速を思いっきりつけたアッパー攻撃が繰り出され、ピテーコスの顎を伝い、その威力は脳へと届き、声も出せずに、彼女は意識へと手放してしまった。

 

「決まった……」

 

 空中に舞うピテーコスを眺めながらも、勝利による優越感に浸るソフィであったが、いまだ勝負は付いていない。その事に彼女も一瞬で思い出し、緩みかけていた気を再び引き締める。

 

「あら、ピティ負けてしまいましたか。あの子は少し未熟なところがありましたから」

 

 仲間の負け、それは状況が多かれ少なかれ不利になったという事であるはずなのに、異次元の魔術師は驚きも、焦りもしない。ただ、それは予想内の事であったかのように。

 

「仕方ないですね。彼女には一度帰ってもらいましょう」

 

 スッと、メティスは指を動かす。それと共に倒れてしまったピテーコスの体の下に黒孔(ブラックホール)ができ、彼女を吸い込んでしまった。そこがどこへ繋がっているのかは本人以外は知る由もなしだ。

 

「ナイスだ、ルディア。あれがなけりゃ死んでた。サンキューな」

 

 一方で、その光景を見ながらも、ソフィは感謝の言葉を述べる。

 

「アンタが礼を言うなんて珍しいわね。そういうのは一生口にしないタチだと思ってた」

「アタシだって言う時は言うぜ。滅多に言わないだけで」

 

 二人とも互いに余裕があるような喋り方ではあるが、双方ともにいまだ峠すら越えていないことは理解している。

 しかも、ルディアの方はエンプトと戦った時とほぼ同じ疲労が溜まっているはずだ。カリューオンと戦いながらも、そこから隙を見いだして、ソフィの援護射撃をしたのだから。

 

「ふふ、やはり人間というのは面白い生き物ね。

 いいえ、こういうべきなのかしら流石は彼、そして彼女の娘らなのだと」

 

 それには一体どういう意図があるのか。先ほどまで敵意を剥き出しにしていたはずの彼女。しかし、今は何に愉悦を生み出しているのか、まるで成長を嬉しがる母親のように微笑む。

 

「ですが、今は冷徹に徹しなければならない」

 

 しかし、またもや背筋が凍りつくような視線を向ける。

 

「っ! 来るわよ!」

「そんなもん、言われなくても分かってる! あいつが本気の一端を出すってことはな! 

 

 異次元の魔術師、それたる由縁となる力が見せつけられると、二人は直感する。それが二対二になったからなのか、それとも時間が掛けられてしまったのかは分からない。

 けれども、彼女が、彼女の周りが変化していく。それは比喩的表現ではない。

 

 今まさに、異次元にいるかのような強さが彼女らの身に降り注ぐ。



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異次元の魔術師、その本領

 最初はどうでも良いって思ってた。

 記憶の事なんて、自分の事なんてどうでも良いって。

 俺の命なんか、誰に使われようが良かった。まあ、それが他人の為に使えるのなら、それこそ出来すぎなほど最高の結果だ。

 

『ふっざけんじゃないわよ!』

 

 でも、今は心が迷っている。振り子のように一つの場所に定まらない。

 ルディア達をおとりの様に使い、自分は生き残ろうとして逃げている。

 

『なに諦めてんのよ! それっぽい事ばっか言って、自分を騙して、ホントはただ楽になりたいだけでしょ!』

 

 正しいかと思った選択をせずに、そこから一番遠い事をしている。

 走って、走って、走って。

 

「うわぁ!?」

 

 そして転んだ。木の根っこに足が取られたんだろう。

 でも、この体は止まる事は許さなかった。

 

「……なんで、なんで俺は走ってんだよ……」

 

 枝に服が破れようとも、土で汚れようとも。理由も分からずに。

 彼女の言葉も、自身の心すらも理解できない。

 ああ、彼女の言葉が何回も頭の中を反響し、こだまする。

 分かって……分かってる……! 俺がやろうとしてたことは……! 

 

『—い———ぶ。——て—か—』

 

 いっ……! 痛ぇ……頭が……何かを……思い出せ……

 何か……ノイズが……その声は……

 

『取り残された人がどれだけ悲しい思いをするか、アンタ全然分かってない!』

 

 っ、お前に言われなくても……そんなの……そんなの……! 

 俺には痛いほど……! ()()()、どれだけ辛い思いをしたのか……! 

 だから、他人を巻き込みたくなくて……! 

 だから、わざと諦めて……! 

 だから、

 

「俺が一番……!」

 

 ルディアの言葉、それに俺はハッとし、立ち止まってしまった。

 ——その言葉は俺に言っているのか? 俺がいなくなって、お前は悲しんでしまうのか? 泣いてしまうのか? 

 俺は

 

『そこまでしてもらうほど立派に生きていない』

 

 っ……。

 また、か。

 けど俺は、俺は! 

 

「見つけましたよ」

 

 心の葛藤、その決着がつかぬ内に声を掛けられる。いや、追いつかれた、選択の時が来てしまったというべきか。

 俺が顔を上げると、そこには

 

「……メティス」

「先ほどぶりですね、リルーフ・ルフェン」

 

 英雄と呼ばれたその人が、冷気に帯びたわけでもなく、かと言って優しさで満ち溢れているわけでもない、複雑な顔で俺の前に立ち塞がっていた。

 彼女が何をするか、なんていうのは分からないが、それでもたった一つだけ確かな事がある。

 

 ——ここで何もしなければ、終わる。

 

 それを望んだのは俺自身だ。けど……

 

 =====

 

「我はこの世界に変革をもたらし、万物を統べる」

 

 メティスとリル、彼女らの二度目の邂逅から十分ほど前。

 

「其処にはいっさいの非法則はあらず」

 

 数的不利を打破したルディアとソフィら。しかしその直後、二人を絶対的な力が襲っていた。

 

「外界からの手はなく、ただ、我の手により全てが御されん」

 

 世界一の魔術師、その彼女が紡ぐ詠唱。それは生半可ではない事が起こるのは確実だ。

 

「我は創造せし者、我は操りし物、我は秩序なりし物」

 

 何かが変わっていく。何かが作り出されていく。彼女自身を称しているかのようなその言葉は、世界に変革をもたらす。

 

「ここに我が世界を創ろう」

 

 そして、詠唱が終わったと同時に、その変革は終わる。これ以上は不可能なのか、それともこれ以上は不必要であるのか。

 

「な、なんだよこれ……」

 

 あまりの変化に見習い戦士、ソフィは唖然とする。手に持つ大剣すらも、その切っ先は下を向いてしまい、戦闘態勢をとるわけでもなく、圧倒されていた。

 対して、ルディアは苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、この状況を作り出した魔術師、メティスを睨み続ける。その頬に恐怖から生まれた冷や汗を垂らしながらも。

 彼女らに一体何が起こったのか。答えは何も変わっていない。変わったのは彼女らではなく、

 

「まさか、世界そのものすらも変えてしまうなんて、やっぱりアンタは底知れないわね」

 

 周りの世界が変わったのだ。

 敵味方を含めた四人を包んだ世界、それは禍々しい黒紫の雲が立ち込んでいた。どこを見ても家はなく、森はなく、元の穏やかな世界はない。

 ただただ暗く、光はない。しかも、さきほどまで彼女らを支え、確固たるものとして存在していた地面すらもなく、代わりに浮遊感を彼女らは与えられていた。

 落ちることも許されず、平常とは違う感覚に、動きが制限されてしまう。

 

「当然です。手札というのは多量に用意しておき、そして隠しておく物。貴女に見せなかったのは……本来、別の意味でしたが、結果としてそうなってしまったわね」

「……ふん、それは余計な心配よ」

 

 メティスの言う別の意味、それがソフィの脳に一瞬引っ掛かったが、それもよりもこの状況をどうするかに、すぐ意識が切り替わる。

 今をなんとかしなければ、先がなくなるかもしれないからだ。

 

「ルディア! 敵さんと話をしている場合じゃねぇ! こっからどうするか考えろ! 

 ……っていうか、これ動けないんじゃないか!?」

 

 ソフィはその場から動こうと、なんとか歩いてみたり、泳いでみたり、手足をバタバタさせてみるが、彼女の体が移動する事はなかった。

 

「それはそうよ。これは文字通りメティス(アイツ)の世界。

 おそらくはこの世界の中にいると、何もかもの主導権が彼女の手の中となってしまう。私たちの体でさえも、例外ではないわ」

「なんだよそれ! 超卑怯じゃんか!」

 

 この世界、その性質を一瞬で見ぬかれたことに、メティスは少し驚く、

 しかし動揺はせず、またすぐに表情を戻す。

 

「……よく見破ったものね、私の『コズモス』を。保護者として、その成長を嬉しく思います。

 けど、今は敵同士。その洞察力は警戒しておくことにしましょう。それとも、お得意の直感かしら?」

「母さんの代わりを名乗るなら、もう少し信頼して欲しいわね。それとも、()()()()()()()()()()()()はそんなに知られたくない事なの?」

「——反論はしません」

 

 またもや当事者にしか分からない会話。その意味を知るには材料が足りなさすぎるし、会話はそれ以上を続くとは思えず、今はまだ謎のままだ。

 そして、ルディアの脳はすでに戦闘予測をしていた。彼女はこの世界を看破したものの、対策までには至っていない。その証拠に彼女の体も動く事はなく、ただ浮いているだけとなっている。

 メティスの能力に対抗するには、同じ能力を持つか、それともこの世界に感情できるほどの能力を持つか。

 いや、どちらも無理だ。彼女は首を振り、不可能だと判断してしまう。

 

「くっ……こんな時、母さんなら……!」

「はあ!」

 

 それでもまだ諦めきれずに方法を探すルディアであったが、その前に銀狼人のカリューオンが手刀の一線を繰り出す。

 

「はや……」

 

 メティスのそばにいたはずのカリューオン。しかし、一瞬にて目前まで詰め寄る。それはメティスの魔法を使ったからとは思えない。

 ルディアの目には、地面らしきものを蹴って、目前まで詰め寄ったかのように見えた。しかも、この世界ができる前よりも格段に速い。それはまるであの時のリルのように。

 

「っ……!」

 

 ほとんど反射で、刀身の小さい短剣を使い、攻撃の軌道を読み、なんとか彼女は攻撃を凌ぐ。反応が遅れていれば首が吹き飛んでいたかもしれない一撃ではあるが、問題はそこではない。

 カリューオンの姿、それがいつの間にか消えてしまった事だ。

 

「一瞬でどこに行きやがった! 

 つーか、なんでアイツは動けるんだよ! しかも、あんな速く!」

「さっきも言ったでしょ。ここはメティスの世界。全てはアイツの思い通りになる。強くなれと言えば強くなるし、死ねと言えば死んでしまう。そういう理不尽な空間よ……!」

「聞けば聞くほど卑怯だな、ソレ!」

 

 全くだ、と同意せざるを得ないほど、ルディアもソフィの言葉に共感していた。自身の描いた通りの事が起こるなんて、なんの手立てもあるまい。

 

「……ソフィ後ろ!」

「え……」

 

 突然の警告、それに一歩遅れて反応したソフィは後ろを振り向くと、そこにはカリューオンがまた襲ってきていた。

 

「アクアバレット!」

 

 ルディアは迎撃をしようと、詠唱無しの即興魔法を放とうとするが、

 

「なっ……! まさか、魔法も……!?」

 

 それが形成される事はなかった。

 だから、敵の攻撃をどうにかするにはソフィしかいない。胴体への一撃、それを食らってしまえはまだ致命傷になりかねないだろう。

 

「うおっ!」

 

 しかし、彼女は体の中心は動かせないなりにも、なんとか体を捻り、致命傷を免れる。

 

「ぐっ……!」

 

 がしかし、脇腹に傷を負ってしまう。戦闘には大きく支障には出ないだろうが、打開策もないのに、体力を減らされるのは正直辛いだろう。

 

「無駄です。この世界において、魔法を行使できる者は私しかいません。『外源魔力(マナ)』はなく、『内源魔力(オド)』も外に出てしまえば私の主導権となるのですから」

「ご丁寧な説明どうも!」

 

 皮肉を言ってみるものの、ここでは挑発にも何にもならず、ただ虚しい負け惜しみにしかならなかった。

 しかも、カリューオンの旋風のごとき攻撃は二度に収まらない。

 

「また……!」

 

 三度、四度、五度と次々に、そして前後左右、上下にわたり、立体的な各種方向から、攻撃が幾度となく行われる。

 しかも、間髪というのはほぼない。防いだ、躱した、その直後にはすでに次の攻撃が来る。そのスピードには限界がないのか、まだまだ加速していく。

 その猛攻に、ルディア達はジリジリと……ではない。

 

「きゃっ……!」

 

 何が起こったのか、その一つ手前の攻撃までは完全に防いでいた。そのはずなのに、次には体が追い付かず、ルディアはカリューオンの一閃を胴体へともろに受けてしまう。

 

「止まりなさい、カリュ!」

 

 その状況に至った事を確認したと同時にメティスは命令をかける。その声色は何かを焦ったかのようで、迅速に止めたかったかのように早口であった。

 使い魔のカリューオンはそれに瞬時に従い、ゆっくりと主人の元へと浮遊する。

 

「ルディア!」

「だい……じょう……ぶ……」

「そんなわけあるか!」

 

 それは誰の目にとっても明らかであった。攻撃を受けた所、腹からは大量の血が止めどなく溢れてきている。このままでは出血死してしまうだろう。

 

「早く応急処置を! 死んだら承知しねえからな!」

「アンタ……意外と……やさしい……とこ……ある……っ! ケホッケホッ!」

「しゃべるな! んな事、今はいいだろ!」

 

 怒りを交えながらも、傷の手当てをしようとソフィは駆け寄るが、冷静を欠いていたせいか、この空間では動けないことを失念しており、走り出そうとしても、足が空を掻き切るだけとなった。

 

「だああああもう! そういえば動けないんだったな!」

 

 この怒りをどこに向ければいいのか、分からないソフィは、それでも体を動かさなかれば気を紛らわせないのだろう。なんとかルディアに近づこうと大剣を振ったり、彼女の服に引っ掛けようとしたり、泳ごうとしてみたりと、あれこれを試してみるものの、やはりどれも無理だった。

 

「これが私の世界。貴女達がどう足掻いた所で、反撃は不可能。いいえ、その気になれば一瞬で殺す事もできます」

 

 無慈悲を体現したかのようなメティスの目は、まるで圧倒的なまでの強者が小動物を見下すかのよう。それには驕りなど一切なく、だからこそルディア達にとっては絶望でしかないだろう。

 今のままでも相当に状況が絶望的なはずなのに、敵の強さの底は見えず、未だに得策はない。

 

「クッ……わかってた……けど……力の差は……歴然……ゲホッ!」

 

 それは戦っている本人達が一番よく理解していた。

 攻める事はできず、回避もできず、守りに徹しようと崩されてしまう。遠距離の攻撃手段があればまだマシであっただろうが、魔法は使えず、武器を投げたとしても一回きり。弓矢か、もしくは投げても帰ってくる武器でもあれば……

 

「……いや、何にしても、アイツに操られて終わり、か。そもそも魔法なんて使いたくないしな」

 

 色々と考えてみたものの、全て考え損だという結論に至ってしまう。



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逆転の目・前編

 あまりにも大きな力の格差、それに対して諦めという感情が出てきてしまう彼女達。それをみかねてか、メティスから声が掛かる。

 

「ルディア」

 

 それはとても弱々しく、これまでに彼女が出したことのない感情を表しているかのようだ。

 冷酷の仮面を被りきっていたはずなのに、今だけは何かを案じるかのように優しさを見せる。

 

「もういいでしょう。貴女は充分に戦った。ここで退いてください。私は、争いにきたわけじゃないわ。

 誰かを見捨てるなんていうこと。それは貴女にとっては心苦しいのかもしれないけれど、救いに繋がる事もある。だから……」

「——うっさいわね」

「っ……!」

 

 慈悲にも似た言葉、それは異様に低く、そしてこの空間を響かせる声によって返される。

 誰が出した声か、もちろんルディアだ。しかし、彼女は致命傷ともいえる傷を負っているはずなのに、格上であるメティスさえも威圧されるような声を出せるはずがない。けれども、彼女は言葉を続ける。

 

「そんなもの、アンタの勝手な言い分よ」

 

 何かを押し返すような声、だがそれは怒りからではない、憎しみからではない。単純な意地、彼女が持つ信念がそうさせる。だれがどう言おうと、曲げる事はない。ただただ真っ直ぐに諦めない意思を貫き通す。

 

「なら、私は私の言い分を通す」

 

 客観的に見れば、それはわがままで、独善的に見えるかもしれない行為。けど、彼女には関係なかった。相手もまた同じように、勝手な理由でしかないと言い切ったのだから。

 

「今ここで折れたら、後悔する。

 いやそれ以上に何か、取り返しのつかない事になる……! 

 だから……だから私は! 私自身の心を信じる!」

 

 その時、何かが光る。この不気味な空間に、太陽なき空間に、一筋の光が刺す。強くも暖かい光は、優しくもどこか芯のあるものであった。

 その光は彼女の怪我を治し、血すらも無くし、まるで何もなかったかのように、彼女を万全の状態にする。

 

「アンタを打ち負かして」

 

 彼女の手が持つ短剣、いやそれに宿るツクモと呼ばれる存在が、共鳴するように光を帯び、強くなっていく。

 やがてそれは、彼女の体にも伝うように包んでいく。

 

「これがツクモの力……! いや、()()()()()()()()っていうべきか」

 

 光がルディアを包みきったとき、今までこの世界になかったはずの地面が、彼女の足に現れる。いいや引き込んだのだ、彼女のツクモが、元の世界から。

 

「リルを『守る』! 

 ——それが、私の想い!」

 

 不安も、諦めも、焦りも、そこには一切ない。誰かを守るという純粋な想いを前面に出した宣言は、この絶望を打破するきっかけとなった。

 

「……ああ、人の子よ」

 

 あまりにも綺麗な在り方。誰が共感したか、その誰かは他人には聞こえない小声を溢す。

 

「光の道筋も見えない最悪の状況で、光を作り出すとは……」

 

 それはなんとも素晴らしい——

 

「ソフィ」

 

 やっと重力によって地面に立ち、自由に体を動かせるようになったルディア。

 反撃の目が出てきた所で、隣の友人に手を差し出す。

 

「今からアイツを倒す。けど、そのためにはアナタの力が必要なの。

 変わったのは私たちが自由に動けるようになっただけ。アイツらが反則級に強い事は変わらない。

 それでも、この勝算の低い戦いに乗ってくれる?」

「当然。むしろ、見下してた英雄様に一泡吹かすチャンスを見逃したりするもんか!」

 

 再度のルディアの頼み。それは、この戦いを降りる最後のチャンスを与えたようにも見える。

 しかし、ソフィは迷いもなく、二つ返事で頼みを承諾し、彼女の手を掴む。

 

「ありがとう」

 

 それと同時に、ルディアを包んでいた光が手を伝い、彼女もそれを纏っていく。そして、ソフィも同様に地面に立ち、自由に動けるようになった。

 

「おおっなんだこれ!? これお前のツクモか!? けど、ツクモっていうのは()()()()()宿()()()()はずじゃあ……」

「理屈は後。私だって、今の自分の力に驚いてるの。けど、まずはアイツよ」

 

 驚いているとは、そして直前まで致命傷だったかもしれない傷を受けていたとは、到底思えないほどの冷静さ。そんな彼女が今見ているのはたった一つ。

 

「……よくもまあ、辛抱強いこと」

 

 未だ圧倒的な壁として立ちはだかるメティスだ。

 

「ツクモ、それは自身の想い。言い換えれば自分の世界を作るという事。それのおかげで私の魔法がどれだけ無力と化したことでしょう」

「そうだとしても、お前は今でも最強の一角とか言われんだろ!」

「さあ? 何のことでしょう」

「しらばっくれないでよね。それにメティス、アンタは本当にツクモの存在を疎ましいと思っているのかしら?」

 

 ソフィにはどこか余裕のある表情で言葉を返したのに、ルディアには何も喋らず、黙る。

 

「いいわ。アンタがどう思っていようと、まずは倒す」

「……ええ。彼をどうにかするなら、私よりも強くなってもらわないとね」

 

 戦闘が再度始まる。そう思えるほど緊張感が高まっていく。

 何かのきっかけがあれば、今まで以上に激しい戦いの火蓋が切って落とされよう。

 

「んじゃ、毎度のごとくアタシからだ!」

 

 ……そのきっかけはソフィであった。

 彼女は早速、この世界で初の地面を使っての跳躍を行う。それは真っ直ぐで、分かりやすいほどの軌道。メティスに向かっての物だ。

 

「単調すぎる!」

 

 もちろんのこと、それはカリューオンが横から出てきて、その特攻を『腕で』止める。その腕はえぐられ、血肉が飛び散るが、ソフィの大剣を止めてみせる。しかも、肉が鳴らすとは思えない金属音を鳴らしながら。

 

「ぐっ……ツクモのせいか威力が増しているのか……!」

「へえ、そりゃ嬉しい誤算だ。けど、お前の言う単調さ、それにも目を向けたほうが良いぜ?」

「何を言って……!」

 

 ソフィの言う裏、それはすぐに表立つ。

 

「もらった!」

 

 いつの間にか接近していたルディア、彼女はソフィの背中を追うように、足元に地面を()()()()()()()走っていた。

 ソフィを壁にして、敵の視界から逃れながらも。

 

「いつの間に……! だが!」

 

 鍔迫り合いもどきをしているカリューオン。そこから防御を解いてしまえば、ソフィの大剣に真っ二つとされるまでだ。

 しかし、ソフィの大剣はフッと軽くなり、重力に従って振り下ろされた。そこに銀狼人の姿はない。

 

「っ……クソ、またか!」

 

 溜めも構えもなく、その場から消え去ってしまう現象。もうこれは……

 

「魔法……まさか、メティスの空間魔法……! 黒孔(ブラックホール)がなくても瞬間移動ができるのか!?」

 

 ソフィが考えついた一つの考察。それはある意味で当たりであった。

 カリューオンは主であるメティスによって、何の動きもなく魔法による瞬間移動ができる。しかし、それはこの世界の中でのみという欠点があるが。

 

「やらせん!」

 

 そのカリューオンの移動先、それはもちろん主を狙うソフィの目の前だ。

 

「今までは避けられてばっかりだったけど、今回こそは……!」

 

 割り込まれると分かっていたのか、彼女が繰り出す一閃はほぼカリューオンを狙ったかのようだった。

 それに対して、銀狼人は何かを掴もうと手のひらを刺突の前に出す。そして、

 

「くっ……」

 

 カリューオンの手の平に短剣が刺される。

 

「ちょっ……捨て身すぎる……!」

 

 だが、驚いたのはルディアの方であった。彼女が狙っていたのは肩であり、それを斬れれば、片腕を飛ばせる、ないし不能にさせられる。

 いくら魔法で身体強化をして防いだとしても、ツクモの力があれば、どちらにせよダメージを負わせられる。そう踏んでいたにも関わらず、

 

「掴んだ!」

 

 カリューオンが彼女の右手をそのまま掴んだ行動には、予測も予想すらも超えられてしまった。

 しかも、だ。

 

「いっ……」

 

 銀狼人の鋭い爪が、ルディアの右手に突き刺さる。それは深く、骨までも届き、完全に彼女の右手を潰していた。

 

「自分の手を犠牲に、相手の手を潰しにかかるなんて……ちょっとやりすぎじゃない?」

「さて、それはどうかな?」

 

 互いに軽口を叩いているが、実際彼女らの顔は痛みから歪んでおり、眉間にシワを寄せ、片目は強く瞑り、口はへの字に曲がっており、声も辛そうであった。

 

「けど……!」

 

 それでも、彼女たちが動きを止める事はない。

 顎を捉えた蹴り、それはルディアの柔軟な体から繰り出される。真っ直ぐで、真下からの狙いすましたかのような蹴り。

 

「っ……効かん!」

「やっぱり……!」

 

 しかし、脳天を揺さぶる事はなく、いや首をほぼ動かすことすらもなかった。

 武器での攻撃では彼女の身を貫通したのに、蹴りでは効果がないのは、ツクモの特性か。

 

「ふっ!」

 

 反撃として、カリューオンはルディアの右手を捻り、もう片方の手で、彼女の胴体を突き刺そうとする。

 ルディアは避けようとするものの、右手を掴まれ、いやカリューオンの爪が右手へと完全に食い込んでおり、それが放されることがなかった。

 

「これじゃあ……!」

「ルディア! これを使え!」

 

 彼女のピンチ、そこから救ったのはソフィのある物だ。

 ソフィの声と共に、()()()であれば必須のナイフが投げられ、ルディアはそれをキャッチする。

 

「危ないじゃないの!」

 

 突然の刃物の飛来に叱咤するものの、それを使ってこのピンチを脱する手立てを導く。

 その手順はたった一つ。

 

「はあっ……!」

 

 カリューオンの手首を斬ることだ。

 これにより、ルディアは拘束を逃れ、なんとか後ろに一歩引き、攻撃を避けられた。

 そして、さらに勢いを利用して、一度後退し、体勢を立て直す。

 

「ったく、肉を切らせて骨を断つ、なんていう言葉はあるけど、少し自分の身を削りすぎよ」

 

 銀狼人の体を、特に傷だらけの腕を見ながら、受けるダメージを度外視したそのカリューオンの戦法に呆れかえるルディア。しかし、その当人は辛そうながらもどこか余裕そうな表情で言葉を返す。

 

「まあな、普通はそう思うだろう。しかし、だ」

 

 そう言うと、彼女は切り落とされてた自身の手を、いつの間にか回収しており、それを血を流している手首に接合部同士を繋げたかと思えば、

 

「なっ……!」

 

 その手は斬られてなかったかのようにくっつき、しかも、何の違和感もなく指を動かしていた。

 腕の傷も回復し、体力も全て元通りになったようだ。

 

「ご主人様共々常識外れね。アンタら魔族っていうのはどいつもこいつも規格外すぎる!」

「貴女だって、もう手の傷が回復しているわよ。魔法も使っていないのにその自然治癒力を持っているなんて、人の身を超えているのではなくて?」

 

 メティスの言う通り、ルディアの右手にある深い傷にはすでに肉は再生している。

 

「さっきも言ったけど、何でこうなってるのか私が知りたいくらいよ」

「まったくだな」

 

 いつの間にか、ソフィも退いていたようで彼女の言葉にも同意する。

 その行動自体には何の疑問も抱かないのだが、

 

「……なんで泥だらけなのよ」

 

 体中が泥でまみれていた事に関しては、疑問を持たざるを得ないだろう。

 

「いやあ、はっはっはっ!」

「笑ってないでちゃんと説明なさい」

「ほら、あれだろ? お前にあの銀髪人狼が惹きつけられたから、これはチャンスだと思って英雄様に攻撃しようとしたんだ。

 そしたら、足元の地面を泥に変えられちまってな。それでも何とか進もうとしたら全身にまで被せてきやがって、最後には風圧の弾かなんかで、押し戻されちまったんだよ」

「アンタもアンタで大変だったのね。ほら、洗い落とすわよ」

 

 ルディアがスッと宙に指をなぞると、どこからともなく人の身体ほどの大きさの水球がソフィの頭上へと現れ、そしてそのまま重力に従い彼女へと落ち、泥をほぼ流していく。

 ……ついでに、体をずぶ濡れにしながらも。

 

「ぶへぇー……これじゃあ、明日絶対に風邪ひいちまう……」

「明日の心配より今日の心配をしなさい」

「おう、分かってる。

 ……にしても見たぜ。あのカリューオンっていうやつ。まさかこの土壇場まであの回復力を隠し持ってたなんてな。

 これじゃあ、泥仕合確定だな」

「……アンタ、わざと言ってる?」

「まっさか。そうだとしても、さっきみたいに水に流してくれよな」

 

 子供特有の無邪気な笑みをソフィは浮かべるが、それを見たルディアは『わざとだ』と確信して、頭を抱えながら呆れ返る。

 

「いいわ、アンタが水を刺すような事を言っていたとしても、別にもう気にしない」

「おいおい、お前が言っちまったらダメじゃないか。

 ……で、どうする? あっちは異常な回復力を持ってて、お前もそうなってる。これじゃあ、一生終わらないぜ?」

「いいえ、終わるわ。どちらも生き物であるかぎりね。

 私は傷を回復できても、体力までは無理よ。現に今はスタミナが底を突きかけている。それがなくなるか、()()()()()()()()()()、それで私は終わりよ。

 あっちも、おそらくは無限じゃないわ。どこかで限界が来るはず。……けど」

「その大元を狙った方が早いってか?」

「そうなるわね」

 

 狙うべき相手、それは言葉に出し切る前に合致する。

 

「ソフィ、言っておくけど次が最後のチャンスになるかもしれない」

「どうしてだ?」

「そろそろ、体力がきついのよ……頭はフラフラするし、体が言うことを聞いてくれそうにない……」

「……分かった。お前が意識を失えばツクモの効力はなくなる。私の武器も効かなくなる。だろ?」

「そういうことよ」

 

 最後のチャンス。つまりはもう時間は残されていないということだ。

 

「私はまだまだ行けたんだけど、お前がそういうことなら仕方ない」

「何言ってんの。メティスの重圧(プレッシャー)に体力を削られて、アンタもフラフラぎみになってるわよ」

「へ、何のことだか」

 

 二人には体力が残されていない。それは動きにも直結する。身体能力が落ちるこの状態でメティスに()()()()()()かどうか。

 

「今度はわたしからいく。後押しは任せたわよ」

「……オーケー、何を考えているかどうかは分からないけど、最高の後続を務めてやるぜ」

 

 しかしそれでも、彼女らが退く様子も、弱気になる様子もない。それは引き戻せない所まで行ってしまったからではない。

 譲れない物があるからだ。



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逆転の目・後編

 絶望的な状況から、ツクモの隠されたる力によって逆転の目が見えてきたルディアとソフィ。しかし、体力的にルディアは後一回の攻防で体力切れになってしまうという。

 だが、彼女らに闘志は充分に残されている。

 

「まだ、諦めないつもりなのね」

「ええ。隣の人は知らないけど、私は死んでもやるつもりよ。

 だから……!」

 

 走る。彼女は走る。

 自身の意志を貫くために。

 目の前の敵を倒すために。

 彼を守るために。

 例え、それがどれだけ不細工でも、よろよろとしていても。

 愚かでも。

 

「はああああっ!」

「……カリュ」

「承知!」

 

 向かってくるルディアを止めるために、カリューオンは右爪の斬撃を放つ。

 今までのどの攻撃とも変わらないキレとスピード。スタミナの概念などないようだ。

 

「流水の……如き!」

 

 けれども、ルディアはその攻撃を文字通り()()()()

 

「なに……!?」

 

 彼女は両足を使って、銀狼の腕をホールドする。力を真っ正面からぶつけるのではなく、受け身になり、相手の力を読み切って利用したかのよう。さらには、

 

「これで!」

 

 短剣を両手で上段に構え、突き下ろそうとする。

 しなやかで、洗練された動きの後に大胆で力任せの大雑把な一撃。そこには隙もなく、無駄もなく、まるで静かにゆらりゆらりと身を任せているかと思えば、突如として激しく全てを巻き込む。水のよう。

 

「っ……まだ片腕が残っている!」

 

 それを銀狼は左腕で受け止める。短剣の方ではなく、それを掴むルディアの腕をだ。

 互いに力勝負となるが、片腕のカリューオン、両腕のルディア、両方の力は拮抗する。

 

「これで押し切れるわけないか……!」

「私も魔族の端くれ! 純粋な力では負けはしない!」

「そりゃそうよね。けど……ソフィ!」

「待ってました!」

 

 だが、力の拮抗は第三者によって破られる。その第三者であるソフィはルディアの背中に向かってタックルを繰り出す。もちろんそれはルディアへの攻撃ではなく、

 

「なに!?」

 

 その先にいるカリューオンへの間接的な攻撃だ。ソフィの力がルディアの力と合わさり、一気に敵へと押し切ろうとする。

 

「っ……だあっ!」

「きゃっ!」

 

 しかし、その前に銀狼は彼女の短剣を上空へと弾き飛ばす。豪快すぎるほどのローリングソバットを彼女の手に当てて。

 

「ソフィ! 剣が……!」

「分かってる。けど、ここからはアンタの仕事!」

 

 武器を失ったソフィ、けれども彼女が攻撃の手を緩めることはない。

 

「な、何を!」

 

 彼女はカリューオンの懐へと飛びつき、そのまま体を掴む。そして、

 

絶対零度(ゼロ・ポイント)!!」

「っ、カリュ!」

 

 自身ごと銀狼を氷に閉じ込める。いや、凍らせたといったほうが正しいか。

 ルディアとカリューオンの体、詠唱とともにそれらの熱は一気に奪われていき、動きを止め、霜を表面に作り出し、白に染まっていく。

 

「……そういうことか」

 

 そして、何を察したのか、ソフィは凍っていく二人に目もくれず、メティスへと一直線に走る。

 

「英雄さんよ! これで一対一、サシでの勝負だ! 邪魔してくる使い魔さんもいねえから、存分に戦えるぜ!」

「……友人のことはお構いなしですか」

「ふん! アイツとは友達じゃねえし、アレは勝手にやってる事だ!」

 

 なんとも淡白で、彼女らしいと言えば彼女らしい言葉ではある返し。けれども、間違っているわけではない。

 

「そう。まあ、貴女がどういう人であれ、向かってくるならば、倒すまでです」

 

 メティスが宙をなぞる、と思えばソフィの足元が泥に変わり、彼女の足を沈ませていく。

 

「うおっ!? さっきとおんなじ手を使いやがって!」

「有効ならば、何度だって使う。それが戦いの定石ではなくて?」

「ちっ! 余裕ぶりやがって! その顔、すぐに崩してやる!」

 

 反骨心を露骨に表すソフィは、泥のぬかるみに抵抗し、なんとか前に進もうとするが、依然として足が遅いままだ。

 

「っだああああ! こんなもんやってられるか!」

 

 その事に、とうとう頭の沸点に達してしまったのか、声を荒げながらも、彼女はあるものを投げる。

 

「うおおおりゃああああ!」

「……ついにヤケになってしまいましたか」

 

 メティスに投げた物、それは泥だ。

 足元に張り付くそれは、ある意味で無限であり、ある程度近づいている今なら、腕で投げるだけでも飛び道具としてなんとか役に立つだろう。

 

「しかし、それは私の()()()。貴女の物ではありません」

 

 だが、メティスが手のひらを向けるだけで、その泥団子たちはピタリと止まってしまう。

 

「うおりゃ! うおりゃ!」

 

 その結果に目もくれず、ソフィはひたすらに足元の泥を彼女に投げつける。

 まるで壊れてしまった機械のように。

 

「無様ですね。意味もないことを繰り返し……」

 

 しかし、目の前が泥の壁で埋め尽くされ、ソフィの姿が見えなくなったところでメティスは気付く。それは……

 

 ——ああ、それは何という分かりやすい目眩しでしょう。

 

「ラスト!」

 

 その掛け声と共に、泥の壁からソフィの大剣が飛び出してくる。

 泥を投げたのはあくまでも牽制であり、目眩し。本命はこちらだったのだろう。意表をつくような一手、それは相手にとって死角であっただろう。

 

「……言ったでしょう。その泥は私の物。つまりは自由に操れるのだと」

 

 その相手が、英雄でなければ。

 貫通された泥の壁、しかし起こったのはそれだけでなく、泥は大剣に纏わり付き、大剣と共に動きを止めていく。

 空間を操る魔法使いが、泥の空間を止める。大剣自体を止められなくても、その周りを止めれば良いだけの話だ。

 だが、だかしかし、()()()()()は終わっていない。

 

「だからどうした! アタシの剣はアタシのだ!」

 

 止まっていたはずの大剣、それは泥を振り払い、またもや動き出す。

 

「っ……!」

 

 ソフィは泥沼を突破し、大剣の柄を蹴り、真の意味での意表を突いた一撃を放つ。

 足元の泥を投げたのは、取り除く意味合いもあったのだろう。

 完全に予測もしていなかったその一閃、それはメティスの顔へと狙いを定めていた。避けるには()へ飛ぶしかなかっただろう。

 しかし、ここからいくら彼女の反射神経を駆使しても、避けきれはしない。

 ルディアとソフィ、彼女らの絶望の状況が一転、食らいつき、対等なまでに持っていき、サシの状況まで持ち込み、そしてついに……! 

 

「奥の手……隠してたな……!」

 

 ソフィのその一撃がメティスの頭を潰すことはなかった。

 

 いや、もっと言えば、大剣が彼女の体に当たることすらなかったのだ。

 大剣の刀身はメティスにぶつかる直前で歪み、まるで彼女と接触する事を拒むかのように、曲げられ迂回していたのだ。

 

「やっぱり、『動けない』んじゃなくて、『動く必要がない』のか……!」

「ええ。いくらツクモとは言え、それは()()のツクモではありません。ツクモの想いと貴女の想いが別であれば、自身の世界を作り出す力は半減してしまう。

 彼女自身が向かってくれば、また別の結果となったでしょうが。

 それに、貴女に宿るツクモ、そろそろ限界では?」

 

 メティスに言われて、自身の体を見てみるソフィ。そこには力強い光はなく、薄ぼんやりと光るツクモしかなかった。

 そして、その光は際限なく弱くなり、消えていく。同時に彼女の体は、また宙へと舞い、しかも今度は指一本すらも動かなくなってしまった。

 

「くっ……ルディア……気を失ったか」

「無理にツクモを他人の体に宿していたわけですから、その想いの元となる彼女が気絶してしまえば、その効力は失われるのは当然でしょう」

 

 ルディアは意識を失い、ソフィは動けなくなった。

 敗北、そのことがソフィの頭に浮かぶ。これ以上はもう打つ手立てはない。何もできない。待つことしか。

 

「……へっ、結局のところ、英雄様に勝つことなんて無理だったか」

「あら、らしくありませんね。貴女なら、まだ諦めないと思ってましたが」

「そんな事ない。私だって馬鹿じゃないし、戦況はよく見てるつもりだ。だから……」

 

 その直後、メティスの左肩が斬り落とされる。

 

「その顔を見れただけで、私達の大勝利だ……!」

 

 ニヤリと、何の屈託もない笑みで彼女は宣言する。

 無邪気で満足したという高らかな笑顔は、本当にそう勝ち誇っているかのようだ。

 

「……ええ、一本取られた。それだけは認めましょう。

 では、さようなら。ソフィアネスト」

「うぐっ……!」

 

 何がぶつかったのか、突然ソフィの頭が揺れたと思いきや彼女は意識を手離してしまう。



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譲れぬ意地

「まさか、知恵の象徴として長年崇められてきた私が、人の幼子に裏を書かれたとは」

 

 一体、先の一瞬に何が起こったのか。それは今、メティスが拾い上げた一本の短剣にある。

 それはルディアの短剣であった。

 カリューオンによって打ち上げられてしまった、いやメティスに落とされるようにされた短剣は、重量に従って落ち、それに宿るツクモの力で彼女の左肩を斬り落としたのだ。

 

「彼女はこれを狙っていたのね。わざわざ顔の中心ではなく、()()を狙っていたのも、左に避けさせるため。

 ……考え無しに見えて、意外に聡明な子」

 

 下手すれば、脳天から体が真っ二つになっていたかもしれないのに、戦いの状況を冷静に分析するメティス(魔法使い)。どこまで行っても感情的になることはないのか。

 そういえば、と彼女はソフィの言葉にハッとする。『その顔を見れただけで』

 その顔とは一体どの顔だったのだろうと、自身の顔を触ってみる。

 

「いつもと変わらない……はずよね。

 一体どういう意味だったのかしら」

 

 誰も見ていない。そんな中で彼女はポツンと呟く。

 本当にその顔が変わらない物だったのだろうか、それともその一瞬だけは何か変わっていたのだろうか。

 その答えはソフィだけが持っている。カリューオンが見ていれば、聞けただろうが。

 

「——今は彼の事を優先すべきね」

 

 様々な考察を脳内に立てるメティスであったけれども、それを一旦脳内から排除し、最初の目的だけを見据える。

 そのために彼女はカリューオンに近づき、凍結した体を火の魔法で溶かす。

 

「ほら、カリュ。起きなさい」

「ううっ……私は……」

 

 冷凍状態から目覚めたカリューオンは、少し頭が回っていないようで、目の焦点が定まらないでいる。

 しかも、直前の記憶までないような素振りだ。

 

「大丈夫?」

「メ、メティス様!」

 

 主人の姿を見た瞬間に驚くと同時にキリッと姿勢を正し、なんとか体裁を保とうとするカリューオン。

 しかし、その一連の動作にメティスは微笑を交えるだけで、なんのお咎めも下そうとはしなかったり。

 

「申し訳ありません! 何があったのか分かりませんがすぐに命令を……」

「いいえ、構わないわ。彼の動向は()()()()()()()ようにしてあるから」

「彼……ハッ。少しずつ思い出しできました。確かその彼の事で、ルディア達と戦闘になり、私は凍結されてしまい……」

 

 ようやく、状況整理ができるようになっできたカリューオン。そして、気を失っていた原因をようやく思い出したところで、ある物を視界に入れ、面を食らってしまう。

 

「メティス様! 腕が……!」

「うん……? ああ、ルディアにやられたのよ。……いえ、これはソフィアネストにしてやられたというべきかしら」

「そんな事を言っているのではなくて! 

 ……ああ、もう! すぐに傷口を見せてください! 治療します!」

 

 銀狼人は自身の主人の大雑把さに呆れ返るも、テキパキと治療の準備をしていく。準備といっても、これから行う治療は手作業ではなく、魔法による物だ。

 カリューオンの詠唱とともに傷口から肉が再生し、メティスの左腕を形取っていく。

 

「いかがでしょう、メティス様?」

 

 メティスは再生した左腕を軽く動かしてみる。

 

「ええ、袖がない事以外はなんとも」

「それはご勘弁ください。

 ……というより、メティス様」

 

 ギロリと、カリューオンは立場が上であるはずのメティスを睨む。

 

「自身の体にはもう少し気を使ってください! 体の一部が欠損したというのに、気にしなさすぎです!」

「あらあら、主人を気に掛けるなんて、使い魔らしくなったわね」

「むうー……話をはぐらかさないでください……」

 

 カリューオンの怒声を浴びせられるメティスであったが、そんなことはどこ吹く風。彼女は微笑み、カリューオンの頭を撫でる事で、叱られた事をうやむやにする。

 戦闘中はあれだけ冷酷な表情を見せていたが、身内だけとなるとほがらかとなり、そのギャップは逆に怖いくらいだ。

 

「……さて、彼女はどうしましょうかね」

 

 彼女、それは地面に倒れているルディアだ。彼女の体はもう凍ってはおらず、カリューオンと同じく、自由に動かせるだろう。意識があればの話だが。

 

「まったく。他人に諸刃の刃が、とか言っていた割に自分も捨て身だったじゃない」

 

 ルディアの自身ごと凍結させる方法、それはメティスの言うとおり捨て身すぎる方法であった。

 人間の体内は多くの水分でできている。それらが凍る、つまり水から氷となる時に膨張し、内側から体が破裂してしまう可能性がある。魔族であるカリューオンならばまだしも、人間ではその物理法則を無視できないだろう。

 

「とりあえず、彼女達は家に寝かせましょうか。この世界に残らせておくのもかわいそうだし。カリュ」

「はい。では二人の事はお任せを……」

 

 カリュがルディア達を運ぼうとした時、メティスはある事に気がつく。誰かが自身のドレスの裾を引っ張っていた。

 

「ううっ……まだ……よ……」

 

 それはルディアであった。

 意識を失っていた彼女は確固たる信念から、また意識を取り戻したのか。そして僅かな力を振り絞り、抵抗の意思を見せ続ける。

 

「……そろそろ諦めなさい、ルディア。そのまま続けるなら貴女、死ぬ事になるわよ」

「それは……アンタが……殺すって事……? それとも……」

 

 彼女は息絶え絶えで、最後の方は誰も聞こえないぐらい小さな声だった。けれども、その目には強い()()がある。

 まだ意識を失う事はないだろう。

 

「……でも、それでも私は……止まらない……。

 もし諦めるとしたら……それは、アンタが彼を殺して……()()()()()()()()()その後よ」

 

 その答えに、メティスは目を伏せるように複雑な顔をしながら黙るしかなかった。

 

「そう、なら一生諦めない事ね。私も止める気はないわ」

「……あっそ。でも、一つだけ訂正させて……私、アンタを殺しなんてしないわ。

 ——喰らう。その体の全てを喰らおう」

 

 ルディアのその言葉に、メティスは本当に自身の体を喰われたかのような感覚に陥る。彼女はルディア達に動揺こそしたが、力の差故に恐怖というものを彼女らから覚えた事はない。

 しかし、今だけは違う。ルディアからは放った言葉が現実化するような覇気があり、それにメティスは飲まれてしまった。

 本気だ。彼女は、彼女のツクモ(想い)はあまりに本気なのだ。

 だからこそ、彼女の周りに銀色のオーラが見えても、()の姿が見えようともなんらおかしくはないだろう。

 

「……ごめんなさい、ルディア」

 

 それに警戒してか、メティスは魔法を放つ。ソフィにも放った不可視の魔法で、当たれば対象の意識を失わせる。

 動けないルディアに回避する方法はなく、ただ待つしかないだろう。

 

「っ……!」

 

 しかし、ルディアはもうそこにはいなかった。

 残されていたのは、空間を切り裂いたかのような爪痕と、その先に見える元の世界のみ。

 だが、その爪痕はどこかへと続いており、軌跡を追ってみれば、先ほどまで倒れていたルディアが、獣のように前屈みで立っていた。

 動けないはずの彼女、それにも関わらず立っているまだ隠されたる力が残っていたからか。

 

「メティス……」

 

 その姿は確かにルディアだ。けれども、あまりにその雰囲気は荒々しく、いつもの彼女とは思えない。

 手からはまるで爪のようなオーラを放ち、空間を切り裂こうとしている。

 豹変した彼女は暴走したような目で、メティスを捉える。そして、

 

「アンタを止める……!」

 

 地面を蹴った。その速さというのは普段の彼女と同じだろう。しかし、パワーは違う。何もかもを、世界そのものを巻き込んでいくかのような迫力、いや全てを斬り裂いているのだ。すべての法則を無視するかのようなそれは神か、それとも鬼神か、あるいは別の何かか……。



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リルの想い

 誰に憎まれようとも、誰に嫌われようとも、誰に阻まれようとも。私は正しい道を行く。

 どんな烙印を押されたって、どんな悪評を背負ったって構わないわ。それで、誰かを守れるなら。

 

 ……けど、やっぱり否定されるのは悲しいわね。それが私の守りたい者であるほど。

 

 でも、これが私の道。私しかできない、私が最大限できること。

 いつだって、私の思うようにはならなかった。知恵の象徴であるのに、とんだ皮肉ね。

 裏切られ、夢を現実に壊され、友を失って、そして……

 だから、私は決めた。今度こそ、守って見せると。この手の平の上に全てを乗せてみせようと。誰も犠牲を出さず、誰も傷つかなずに、()を倒すと。

 そのためには、周到な準備が必要だった。いつかも分からない期限に間に合うかどうかはその時次第でしょう。けれど、これまでは順調そのものでした。

 

 今起こっている最大の不安要素が無ければ。

 

 外からの侵入者。それが一番の杞憂であった。その対策はしてありましたが、それでも来る物は来てしまう。しかも……

 ともかく、これは私が処理しなければならない問題。この世界で唯一の空間魔法を操る私しか、解決できないのだから。だから、この場所に私自身が来た。遣いでは意味がない。

 そして、それは正解であった。異界からの来訪者である彼の心は不安定で、元の場所に帰りたがっていた。

 

 けれども、それ以外の者はどうだろうか。

 

 ソフィアネスト……は、まあ、置いておきましょう。

 ルディアは何も知らないはずの他人()を庇い、そして守ると決意した。

 そして()()も。彼はルディアにつくと言った。

 ああ、予想はしていた。けれども、自身の命を懸けてまでとは思いもよらなかった。彼女のツクモがあそこまで強くなったということは、想いもそれ相応という事。

 

 ——本当に私は正しいのでしょうか。

 

 そんな不安が募る。覚悟はしてきたというのに。

 ……いえ、この感情は押し殺さなければならない。この選択は過去に、九年前にしてきたのだから。

 もう、後戻りなどできない。してはならない。それが私の贖罪。彼女への、そして彼への……

 

 =====

 

 ルディア、ソフィとメティスらの戦いが終わった十分後、つまり話は今に戻る。

 森の中の少し開けた場所でメティスとリル、彼女らの再会は僅か一時間も経たずに果たされてしまった。使い魔であるカリューオンとピテーコスはそこには、いない。

 

「メ、メティス……」

「先ほどぶりですね、リルーフ・ルフェン」

 

 二人とも体は汚れており、服は破れ、そして何かに必死だった。リルはそこら中にかすり傷を負い、メティスも左の袖は全て破損し、かぶっていたとんがり帽子も何処かへ行き、スカートも足元まで見えるくらい破れていた。

 しかし、彼女の服そのような破れた部分や汚れはあるものの、体自体には傷がない。

 そのことにリルは違和感を覚える。ルディア達が戦ったはずなのに、傷がないということは、メティスの体は驚異的な回復力を持っているのか、それとも圧倒的に強靭なからだなのか。今の彼には知る由もない。

 しかし、その事に思考を割いたことで、彼はあることを疑問に持つ。

 

「ふ、二人は……ルディアとソフィはどうなったんだ!」

 

 メティスが今ここにいると言うことは、あの二人は敗れてしまったと言うこと。それが精神的な物なのか、物理的なのかはさておき。

 

「彼女らであれば……意識を失ってもらっただけです。心配ありませんよ、生死に関わるまでの怪我は負っていません」

「よ、よかった……」

 

 安否の確認ができたところで、彼はホッと胸を撫で下ろす。

 だが、根本の問題は解決できてない。

 彼には未だ不安が残っている。メティスが言う自身の素性の不詳。

 自分が何者かも分からない。悪であるかもしれない。無能であるかもしれない。自身の存在が謎であり、そして生きても良い存在なのか信じられない。

 いくらルディアが彼の事を認めようとも、彼自身はそうではない。

 

「ルディア達は死ななかった……けど、巻き込んでしまった事には変わらない……」

 

 何もしないとしても、ただいるだけで周りの人を不幸にしてしまう。

 ならば、いっそメティスにこの身を預ければ……その先に死が待とうとも……

 

「けど俺は……俺は……!」

 

 しかし一歩ずつ、逃げるように彼は後退していく。

 ついさっきまでなら、これでいいのだと自分を納得させていたはずなのに、迷いが出てしまう。

 ルディアの言葉、そしてさっきからちらつく記憶の断片。これらが彼を踏みとどまらせようとする。

 そして、今も

 

「っ……」

 

 自身の進路を阻むように立つメティスを見ていると、彼の脳裏にノイズ混じりの映像が流れ出す。おそらくは自身の過去だろう。その映像には自身の前に立つ誰かが見えた。

 それと共に、頭に軋むような痛みと()()()()()()()()()()()()()()()が彼を襲う。

 何故そんな事になったのか、なんていう因果関係は記憶が不十分の彼に分かるはずもない。しかし、

 

「この……記憶に……何か……答えが……」

 

 ノイズの向こう側か、はたまたもう少し時間が進んだ記憶か、彼は直感する。この記憶のどこかに、最良の選択があるのだと。

 

「……リルーフよ」

 

 そんな彼に、メティスは声をかける。その声は優しく、まるで何かを宥めるかのよう。

 

「私は貴方を責めなどしません。ただ、貴方は運が悪かっただけ。

 今、この世界には新たなる厄災が復活しようとしています。だから、私は不安要素を早めに取り除いておきたい。

 ですから、貴方を殺しはしません。ですから私の元へ……」

「うるせぇ!!」

 

 怒声にも似た突然の拒否に、メティスは身をすくめてしまう。

 先ほどまでの彼ならば、こうはなっていない。今までの覇気の無い彼とは違う。そこには、何か意思が芽生えようとしている。

 

「今……思い出せそうなんだ……!」

「っ……リル、この世界で貴方が生きる意味はありません。ですから……!」

 

 何故か彼女は焦っている。額に汗を垂らし、まくし立てるかのようにその口は早くなっていた。

 けれども、

 

 ——生きる意味を見失わないでくれ。

 

「……ああ、ほんの少し。ほんの少しだけど……思い出せた」

 

 何がきっかけとなったか、彼はある事を思い出す。

 誰かの遺言を。死に際に放った希望の言葉を。

 

「メティス、悪いけど、お前に俺の生きる意味なんて決められない。

 だってそんな物、自分で決めることだ」

 

 記憶の断片を取り戻したことで、彼は決心をする。

 

「今までは諦めていたんだ。死んでもいいやって、悪だろうと善だろうと、自分なんかどうでもいいって。

 

 ……けど、それじゃあダメなんだ。

 

 だって、誰かが悲しんでしまうから。

 だって、何も分からないままになるから。

 だって、全部の可能性がなくなってしまうから

 

 ……メティス、お前の事情なんて一つも知らない。

 けど、俺は俺の生きる意味を、過去を取り戻す! 

 だから……」

 

 リルはその体を低く構え、()()()()()()()()を出そうとする。

 

「俺はもう、諦めなんてしない!」

 

 そして、彼は選択をした。前に進むために、戦う。それが彼の選択だ。

 地面を蹴り、真っ直ぐにメティスへと駆け出す。

 

「……カリュ」

 

 それを予測していたか、否か。メティスは使い魔であるカリューオンを、リルが走り出したと同時に黒孔(ブラックホール)から喚び出す。

 

「承知! ここから先は行かせんぞ!」

 

 目の前を塞ぐ銀狼人。彼にとって、それは何故か最大の障壁に見えた。

 

「っ……くそ……」

 

 圧倒的な存在感、絶対に手を出せない者。

 体力がとか、相手が二人になるとか、そういう次元ではない。

 今のままでは絶対に敵わない、リルは第六感でそう感じていた。

 

「そこを退けぇぇぇ!!」

 

 けれども、自身が言った手前だからというのもあるが、彼は諦めるわけには行かなかった。

 ただ思った事をそのままに、叫ぶ。そこに何の力はない、はずだった。

 

「っ……!?」

 

 しかし、リルの願いに似た叫びは、カリューオンを一歩引かせる。まるで彼の道を開けるかのように。

 これには体の自由を奪われたカリューオンを、そしてそう願ったリル自身にさえも驚かせる。

 

「うおおお!」

 

 その様子にリルは少し戸惑いながらも隙をついて、カリューオンの横を素通りしていき、一人となったメティスに狙いを定める。

 

「思い出せ……あの時を……!」

 

 しかし、彼は何故かそこで一瞬止まり、また体を低く構える。今度は走り出すというような様子ではなく、右手を腰の横に引き、まるで拳の突きでも出すかのようだ。

 

「それは、まさか……!」

 

 その先を予測できていたのか、メティスは黒孔(ブラックホール)を前に展開する。

 そう、これはエンプトとの戦いでリルが放った瞬間移動……もどき。しかし、人の体感では、ほぼそう見えるため言い方自体は問題ない。

 

「だああああ!」

 

 一秒ほどの『タメ』、そこから繰り出されるのは、誰も追いつけるはずもないスピード。神速というにはあまりにも過小表現ではないかと思うほどの真っ直ぐな水平跳躍。

 だから、メティスの予測はどうあれ、行動は適切であった。地震に向かってくるのであれば、その間に障害物を置けば良い。

 

「……狼……閃……!」

 

 そう、メティスへと一直線に向かってくるならば、だ。

 

「はああっ!」

「これは……!」

 

 リルが地面を蹴った瞬間まで、彼女は目視する。しかし、次にはもう彼の姿を見失ってしまった。あまりにも速すぎるのか、それは全てを置き去りにする。

 だが、メティスは手応えを感じなかった。黒孔(ブラックホール)に入っていったという手応えを。

 つまり、彼はその黒孔には入っていない。

 

「……後ろ……!」

 

 しかし、彼女はすぐに彼の行動を読み切る。

 自身の横で砂埃が舞い、風が不自然に吹き荒れた。つまり、誰かが高速でそこを通ったということ。その誰かは一人に絞られる。リル、彼しかいない。

 だから、横を彼が通りすぎ、後ろに回り込んだのでさないかと、彼女は予想したのだが、

 

「いない……」

 

 そこにリルの姿はない……

 

「いいえ……違う……」

 

 いや、()()()()いないだけだ。

 メティスが振り返った先の光景にはいくつかの不審点がある。分かりやすいほどの地面を蹴った跡。異常なほど空中に舞う土埃。

 そこから、彼がそこにいたことも、どこへ行ったかも彼女の頭の中で判明する。

 

「左……! ガイアよ!」

 

 彼女が指摘したその場所に、地面から壁が瞬時に形成される。

 

「読まれて……!」

 

 そして、その向こう側にはリルが走って距離を詰めていた。

 

「けど、進んで見せる!」

 

 壁に阻まれた。その程度で彼は歩みを止めようとはしない。

 メティスに突き出そうとしていた拳を土壁に放ち、破壊する。土壁だった物は、まるで岩のように破片となって飛んでいくが、その先にいるメティスに当たる前に砂のように霧散していく。

 リルとメティスの間に、障害物はもう無い。しかし、

 

「っ……! 右手が……!」

 

 彼の振り切った右手、それがいつの間にか黒い何かに捕らえられてしまう。引いても押してもびくともしないそれは、まるで空間そのものに固定されてしまったよう。

 

「けど、左手はまだ……っ!」

 

 残る左手、しかしそれも黒い物体に捕まってしまい、次第に両足、胴体さえも捕まり、動かなくなってしまう。

 壁に止められた一瞬の間に、体の全てが止められてしまった。それらは全てメティスの魔術だ。ルディア達との戦いで、これを使わなかったのは手加減していたという証拠だ。

 

「っ……動けない……!」

「それは空間そのものを止める魔術。力任せでは逃れることなど不可能です」

 

 彼女の言う通り、リルはどんなに、どういう風に力を入れても体が動くことはない。

 さらに、彼はある異変に気がつく。

 

「いっ……! 腕が……それになんか体中に痛みが……!」

 

 全身から強烈な痛みを感じる。

 当然だ。瞬間移動並みの速さの動きを、身体能力が一般人並みの素人である彼がやれば、何かしらの反動が来るはずだ。体中の筋肉が張り裂けるか、はたまた神経が焼き切れるか。

 それがエンプトと戦ったような一回だけならまだしも、今彼は後先考えず、三回連続でやってしまったのだ。その体が動けなくなってもおかしくはない。

 

「しかも、頭も……意識が……」

 

 どうやら、脳までも疲労したのか、酸素を求めるほどに彼の頭は固定されずにフラフラと揺れる。



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強さって

「何故……」

 

 格上に挑むリル、その姿をメティスは冷酷な視線で、見下ろす。

 いやただ冷酷なだけではない。どこか慈悲があるかのようにも見える。

 

「何故、貴方はそこまでして戦うのですか? 

 貴方自身も言っていたではありませんか、敵うはずもない相手だと」

 

 何故、と聞かれて彼は考えてしまう。

 彼女がこのタイミングで質問をしてきた理由に関して、というのもあるけれど、主たるはそれではない。

 

「貴方が先ほど述べた理由……誰かが悲しむからというのはこの際置いておきましょう。

 何も分からなくなる、全ての可能性がなくなる。そんな曖昧な理由で貴方は戦うのですか?」

 

 この疑問に彼は考えられない訳ではない。

 言ってしまえば、その答えはそれそのものなのだ。

 しかし、それでは彼女は納得しないだろう。だから、

 

「分からねぇな」

「は……?」

 

 あまりにも突飛な解答に、メティスは呆気を取られてしまう。

 

「……納得するかどうかなんて、知らないし、お前の考えが変わるなんて一ミリも思わないけどさ。

 俺は、()()()()()()戦ってるんだ。忘れてはいけない。思い出さなくちゃならない。その先に何があるかなんて、検討もつかないんだけどな。

 でも、言葉にできないからと言って、理由にならない訳はない。詳細な理論じゃなくて、曖昧な感情で動く。

 楽しいから、嬉しいから、憧れてるから、好きだから。

 

 ——俺の場合は、そうすべきだから」

 

 ただ純粋な感情論、だからこそ彼は動くことをやめない。その感情がある限り、彼は進み続ける。そして、なぜか彼の周りにオーラが一瞬見える。

 右足も、左足も、右手も、左手も、体も、想いを再確認するほど、それらは動き始める。彼女の魔法を徐々に引きちぎるように。

 

「嘘……そんなことって……!」

「だから、俺は……まだ……!」

 

 そして、リルはメティスの拘束から逃れる。

 

「終われないんだ!!!」

 

 そのまま一歩踏み込み、彼女の顔に拳を喰らわせようとするが、

 

「くっ……黒孔(ブラックホール)!」

 

 直前に、黒い穴に身を包まれてしまう。そして、その次の瞬間には、

 

「空……いや、いつの間にこんな上に飛ばされてんだ!?」

 

 はるか上空で、青い空と目下の緑に染まる森が彼の視界に広がる。

 綺麗、そうとても綺麗だ。その身が重力によって、高速落下していなければ。

 

「傷つけたくはなかったのだけれど!」

 

 しかも、メティスは風の刃を、彼を囲うように展開させる。

 リルは動くこともできず、その風の刃に人の身が通れるような隙間もない。

 

「こんなところで……何か、何か……!」

 

 避けようもなく、防ぐ手段はその両腕しかない。しかも、両腕が不能になってしまえば、メティスと戦える状態ではなくなってしまう。果たして、彼のその両腕が真空波を防げるかどうか。

 

「考えろ……考え……くそ……考えられない……」

 

 しかし、今の彼の脳では何の道筋も導きだせない。

 できることといえば、

 

「とにかく、一つ一つ対処するしか……!」

 

 それだけしかない。

 嵐のような猛攻に、そんな単純な作戦しか思いつかないのが、彼の懸念ではあるが、じっくりと考える時間などない。

 

「くっ、はあっ……!」

 

 襲いかかる半透明の刃を、彼は一つ、あるいは二つ同時に防ぎ、そして受け流していく。

 右へ左へ、時には風の勢いを利用し、空中で体を飛ばしながらも。

 しかし、そうするごとに彼の腕の皮は少しずつ抉られていく。ほんの少し、血も流れないほど、薄く切られていく。

 だが、それは明らかな傷であり、ダメージだ。削られていることには違いなく、そして、

 

「っ……血が……!」

 

 右の前腕部に大きく擦り傷ができ、血が飛ばされる。

 だが、それでメティスが放つ風は最後だ。そう風の刃は。

 

「なっ……まだあるのか!」

 

 今度は地面から突き出された土柱が、重力によって落ちる彼を狙う。その直径は彼の身長とほぼ同じ程度か。

 重力で加速された体と真っ直ぐに上空へ打ち上げるそれがまともに衝突すれば、ひとたまりもないだろう。

 

「右手……いや左手で……!」

 

 それに対してリルは左腕を引き、そして構える。その土柱を貫通させてみせると言わんばかりに。

 そして、彼の利き腕が右手にもかかわらず、それを今使わないのは後のため。

 

「全力で、突き進む!」

 

 リルと柱がぶつかる、その直前に彼の拳が突き出される……! 

 

「っずあああ!!」

 

 彼の体は、落下のスピードを衰えさせず、土柱を裂くように割っていく。

 その様はまるで達人の瓦割りのようだ。しかし、その左腕は突き進むごとに皮がめくれ、傷つき、血塗れとなる。

 

「ああああ!! ……っ。やっと地面についたか……」

 

 そして、地上近くまで土柱を割ったところで、彼の体は止まる。

 無数の刃と巨大な土柱という普通の人間が受ければ、死んでしまってもおかしくない攻撃を、彼の体はかすり傷が数箇所程度で済ませた。しかし、左腕に限れば、見るに堪えない状態となっている。

 傷は多く、特に末端となるほど酷くなっている。そして、最も酷いのが指の関節だ。肉が剥けすぎて、骨までも見えているところがある。

 

「ぐがっ……! 左腕は、もう使えないか……けど、今動かなきゃ……!」

 

 その痛みは決して小さな物ではない。けれども、彼は歯軋りをしながらなんとか耐えている。

 今は痛みに悶えている場合ではない、土柱を割った衝撃で周りを舞う土埃。これを使うチャンスであると。

 

「今、彼女は俺の見えていないはず……!」

 

 そして、彼は構える。重心を低くしたそれはエンプトに放った、そして先に何回も行ったあの技。

 左腕に力は入っていないが、たしかにあの技だ。

 メティスがどこにいるかは、空中にいる時に把握しており、その方向へと構えている。

 

「もう一回……もう一回だけ!」

 

 人の身を超えたのではないかと思えてしまうほどのスピードを出す跳躍。動きの無駄を一切削ぎ落とし、人が出来る限りの技術を全て注ぎ込んだこの技の名は、

 

「『第七の型、牙狼・閃翔』……!」

 

 その名を叫んだ瞬間、彼の体は土埃から飛び出し、それらを晴らし、一筋の軌跡を作り出す。

 まさに一瞬、一瞬で彼は光速すらも超える。しかし、

 

「っ……」

 

 目前に黒き光線が迫る。光を吸収する光線とはこれいかにと言いたいところだが、さて置き。

 その黒いレーザーもまたメティスの魔法で、その性質を彼は知らない。それに当たれば、対象の体全体に纏わり付き、体にかかる重力が何十倍となってしまう。

 何十倍の重力は、その体を動かなくするか、あるいは急激にその動きを遅くさせるか。何にせよ、詳細は彼が知るよしもない。もう一度言おう。

 

 彼が知るよしもない。

 

 その理由は実に簡単だ。なぜなら、

 

「ふっ!」

 

 当たる直前に避けた。

 低く飛んだ体から、足を地面につき、横へとずらした。たったそれだけだ。

 

「っ……あのスピードで……!?」

 

 起こった事は実に簡単だが、それは異常でもある。

 メティスが驚いたのは、リルのスピードで、体を横へと動かせた事だ。よほど高い洞察力で事前に読んでいたとしか思えない。しかし、そこまでの余裕が彼にあったのかも不思議だ。

 さらに、彼は一切減速する事はなく、

 

「これで!」

 

 メティスとの距離を詰め切る。

 神速のスピード、その勢いを一切殺しきらず、拳に乗せる。これでメティスの顔を貫かんと言わんばかりのその威力は、

 

「ぎぃっ……まだ隠し球が……!」

 

 不可視の障壁によって殺される。

 

「……リル、この『最後の手段』まで出されるとは見事です。

 しかし、これでもう終わり」

 

 リルの拳が防がれた、その隙をつき、メティスは指先に集めていた魔力を撃ち出そうとする。

 それは、今さっき放った光線と全く同じ物。彼女の目に、もう手加減という文字はない。当たれば、大きな隙を生み、そこからさらに意識を失うまで攻撃されるだろう。

 

 ——まだ……まだ終わっちゃいない! 

 

 しかし、リルは道筋を探す、ここから繋がる一手を。

 避ける隙はなく、右手は即座には動けない。それでも彼は何かないかと思考を巡らせる。

 脳が酸素を求める中、答えは出ない。エネルギー切れ、けれどもまだ探す。

 彼女は最後の手段と言った。ならば、その最後の手段の先に行ければ……

 

『——一度だけでいい』

 

「えっ?」

 

 その時、彼の中で何かが聞こえる。声の主はすぐに理解した。

 ルディアだ。

 しかし、彼女はここにはいないはずだ。けれど、

 

『——彼を、守ってあげて』

 

 確かに彼には聞こえた。

 いや、それは耳で聞いているのではない。頭の中に直接伝わっているような感覚だった。

 

「これ、なのか……!」

 

 そして、リルはある事に気付く。

 その理由も、正体も。

 彼の腰にかけてあるナイフ。逃げる際にルディアから渡された物。取り回しがよく汎用性に長けているが、攻撃するにはあまりにも刀身は短い。

 

 しかし今は、今だけはこれが最適だった。

 

「お前の力、借りるぞ!」

 

 道筋が見えた。そう確信したときには、彼の()()は腰のナイフに掛ける。

 右腕は突き出されており、傷を多く纏った左腕を使うしかなかった。けれども、問題はない。そのナイフは今だけではあるのだが、扱う者の力をほとんど必要としないのだから。

 

「っ……いっっっけぇぇぇぇぇ!!!」

 

 気を失うほどの痛みを堪え、リルはナイフを掴んだ左腕を振るう。

 その叫びはやせ我慢を一助する物なのか、今までよりも一際大きく、一縷の望みに懸けているかのようだ。

 しかし、メティスの指からはすでにレーザーが放たれている。

 それがリルに当たるの方が早いのか、それともナイフが振るわれる方が早いか。それは……! 

 

「な……ぜ……!」

 

 ナイフの斬撃、それがメティスのバリアを、そして黒いレーザーを斬り裂く。つまり、リルが紙一重で早く動いていた。

 力がほぼ入らない傷だらけの腕だけでも、彼女の攻撃と防御を同時に潰すそれは、ツクモの力だ。

 

「いぎっ……! やっぱ、無茶だったか……!」

 

 だが、彼の左腕はナイフを振り切ったと同時に、そのナイフを離し、あらぬ方向へと放り投げてしまう。

 傷だらけの腕ではそれが限界か。

 

「けど……これで……!」

「っ……!」

 

 何にせよ、彼にはもう関係ない。次の一撃で、全てが決まるのだから。

 メティスの言う『最後の手段』、それが本当であれば、彼女にリルの一撃を防ぐ手段はもうない。

 いつの間にか腰まで引いていた彼の右腕、左腕以外は完璧な突きの型。

 

「最後だああああ!!!!!」

 

 そこから放たれる再度の拳。真っ直ぐで、最速の一撃はもう邪魔される事はない。

 メティスも、何とかしようと魔法を使おうとするが、一歩遅かった。保険として張っておいたバリア。それを打ち破られ、次の一手も斬られてしまった。

 

 ——これが、彼の……!

 

 そして、彼女は覚悟を決める。

 自身の負けであると、彼はもう自身が干渉できる者ではないと。

 顔へと近づく拳に、メティスは目を逸らす事はない。恐怖などなかった、あったのはそう……

 

「っ……何故……?」

 

 しかし、彼女はすぐに理解する。目を開けていたからこそ、自身に降りかかる運命を受け入れていたからこそ、それらは全て無かったかのように軌道を変えていた事を、全て見えていた。

 

「何故、攻撃を外したのですか……?」

 

 リルの拳、それは何にも触れず、メティスの顔には当たらず、顔の横にある空を切るだけとなった。

 それは無意識でとか、体がついていかず、などではない。

 

「当たり前だ。攻撃する意味なんかない」

 

 彼はあえて外したのだ。

 

「お前は俺の力を恐れた。なら、力で解決する訳にはいかないだろ。

 納得させるには俺の意思を見せる必要がある。

 倒すことも視野に入れてたけど、そんなじゃあダメだ」

 

 低くした姿勢を元に戻し、彼はよろめきながらも戦う意思がないことを示す。

 その目はどこかうつろでありながらも、しっかりと何かを見定めていた。

 同時に彼は悟る。もう少しで意識を失うだろうと。それほどまでに体は満身創痍の状態だ。

 

「私を説得できるとでも?」

「さあ。お前のことなんて全然理解できてないしな。

 ……けど、これが一番良い方法だと思っただけだ」

 

 そして、彼は一呼吸置いた後、高らかに宣言するかのように、自分の想いを伝える。

 

「俺は殺すつもりはない! 

 お前が敵であり続けようと、それは変えない! 

 だって、お前が死んじまったら、誰かが悲しむから……! 俺だって多分同じだろう……! だから……!」

 

 しかし、その中でふらり、と彼の体は傾く。限界を迎えてしまったのだろう。

 

「まだ……!」

 

 けれども未だ肝心な事を言えてないため、せめてそれだけでも、彼の足は踏ん張る。

 

「俺を……信じてくれ……それが……お前の最善でもあるから……」

 

 まるで遺言を遺すかのように、その声は小さくなり続け、最後に彼は倒れる。

 メティスは……何故か空を見上げていた。どこまでも広がる澄み切った青と、眩しく光る太陽。

 リルには目もくれない。

 

「メティス様! お怪我は!」

 

 そこへ、今まで動けずにいたカリューオンが、尻尾と耳を揺らしながらも走り寄ってくる。

 彼女はリルが気絶する直前まで動く事ができず、主人を一人で戦わせた事と、その姿が苦戦していたようにも見え、謝意と焦りの気持ちでいっぱいだった。

 

「……ええ、大丈夫よ。カリュ」

「いいえ、大丈夫な訳がありません! 

 さっきも言いましたが、メティス様は自身に無頓着な所があります。最後にこの子が出した拳を……うん? 本当にお怪我がない……?」

 

 不思議そうにメティスの顔を見回すカリュであったが、そこに傷どころか汚れも一切ない。

 

「だから、そう言ってるじゃないの。カリュはちょっと心配屋が過ぎるようね」

「も、申し訳ありません」

 

 どこか楽しそうに冗談めかしに喋るメティス。それにカリュは少し戸惑う。

 さっきも笑っていることはあったが、カリューオンには分かる。それは作り笑いに似た物で、今の笑顔はまた違うものだと。

 リルとのやり取り、それでメティスの何が変わったのか。

 

「……あら、ルルじゃない」

 

 そして、メティスは銀色の小型犬、ルルに気付く。

 一切吠えないルルであったが、何故彼女は気づいたのか。

 

「さっきぶりね。あの子達の側にいなくて大丈夫なの? 

 ……そう。男の子が看てるから来たのね。さっきのは……やっぱり貴方でしたか」

 

 首を掻いたり、頭を撫でたりしながらも、彼女はまるでルルと会話しているかのように、喋りだす。

 いや、実際に()()()()()()()。他の者には聞こえないだけで。

 

「彼? 彼は……大丈夫。寝ているだけだから。

 ……ええ、ええ。大丈夫よ。そのことも」

「メティス様、その彼をどうするのですか?」

 

 カリューオンはリルの対処の指示を仰ぐ。

 本来ならば、()()()()()通りにするはずだが……

 

「そうね、彼は……」

 

 メティスのその一言で、彼の今後が決まってしまう。

 果たして、リルの運命は……



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信頼と信用と、ごまかしと

「う……ん……朝、か」

 

 小鳥がさえずり、朝日が登ると同時に、ルディアは自身の部屋で目を覚ます。

 太陽の光はあるものの外は少し薄暗く、のんびり屋の人間ならばあと五分などと言いながら、二度寝をすること必然の時間帯。

 しかし、これが彼女の習慣なのだ。農業のために朝早くから起き、作物の管理をする。例え、早朝の作業がなくとも、だ。

 

「今日は……いつもより、体が疲れてるわね」

 

 そして、体を起こすと共に、自身の調子を確認をする。

 それは農業にも関わることではあるが、その本質は戦士としての自己管理だ。

 戦う者であれば、常に体調を万全にしておく物。そうでなくとも、今日一日何ができるかを自身で把握していなければならない。それが命に関わる事もありえるのだから。

 

「あんまり無茶はしないとして……まずは顔でも洗いでもしようかしら」

 

 体を一通り動かして、調子を確認した後は、身支度を整える為に部屋を出て洗面台へと向かう。

 顔洗いから始まり、髪を解かして、歯を磨き、そして農作業をする為に動きやすい服に着替える。

 

「……よし、それじゃあ朝ご飯の用意ね。

 今日は私が当番だったかしら」

 

 それが終われば、今度は朝食の準備だ。

 そう思い、彼女は台所へと向かうのだが、

 

「おはようカリュ。貴女、いつも早いわね」

「……む? ああ、おはようルディア」

 

 銀色の毛を持つ人狼、カリューオンが先に来ていたようだ。

 彼女は頭に三角頭巾を被り、割烹着を身に付けており、大きな耳や尻尾に生えているフサフサの毛が料理に入らないようにしている。そのため毛が多い彼女を安心して台所に立たせられるだろう。

 しかし、そんな彼女は顎に手を添えながら、何かに悩んでいるようだった。

 

「どうしたのよ、そんなに悩んで」

「いや何、ちょっとした事だ。朝食に何を作ろうかと思ってな」

「本当にちょっとした事ね。

 それなら、私がいつも作ってるやつで良いんじゃない? トーストとベーコンとそれからスクラブルエッグ。

 食材は足りてると思うし」

「なら、そうしよう。早速作るか」

 

 相談が終わり、朝食のメニューが決まったところで、二人は調理を開始する。その中で、

 

「……む? なんだ、ルディア。そんなに私の顔を見て。私の顔に何かついてるか?」

 

 ルディアはカリューオンの顔、いや、その少し上を横目で見ていた。

 

「何もついてないわ。でも、昔から気になってたんだけど、そんな頭巾を被って耳に違和感ないの? それに聞こえ辛いんじゃない? 

 

 ルディアが気にしている事、それは自身にない大きな犬耳……失礼、狼耳だ。

 カリューオンが被っている頭巾は、先も述べたが、毛が落ちないようにするためだ。だが、それと同時に、耳は強制的に倒されており、さらには耳の穴は塞がれている。

 五感のうちの聴覚が塞がれていとなれば、違和感を感じざるを得ないだろう。

 

「まあ……そうだな。最初は違和感があったが、今はもう慣れている。衛生面には気を使わなくてはならないしな。

 それに聞こえ辛いという事はないな。なぜなら……」

 

 カリューオンはそう言いながら、三角頭巾からはみ出ている横髪をかきあげ、ある物を見せる。

 それは犬でも猫でも、ましてや象の耳でもない。人間の耳だ。

 

「へぇ、獣人って人間と同じ耳がついてるのね」

「まあな。とはいえ、皆が同じとは限らないさ。ピテーコスにはついていないようだからな」

「ふーん、そういう物なのね」

 

 よくある日常の他愛もない話。そこに険悪という文字はなく、仲の良い二人組に見える。

 まるで、昔からの友人同士か、それとも親子のように、彼女達の間には気安さと、親しみが感じられる。

 だからこそ、朝食も和やかな雰囲気で作っていく……

 

「……って、なんでアンタがいんのよ!!」

 

 そんなはずもなかった。

 

「昨日の事、忘れたとは言わせないわ! 

 例えやった事はアンタの主人でも、私はアンタを許さない!」

 

 彼女はここでやっと昨日の事を思い出す。

 メティス達がここにやって来て、リルーフを渡せと言い、ルディアは断り、戦い、そして、敗北してしまった。

 そうなると、リルは連れ去られているはずだと、彼女は決めつける。彼は死にたがっているようにも見えたのだから。

 

「ま、待て! 昨日はああなったが、それでもここにしばらく住まわせてもらう事は、キミも了承しただろう!」

「そんな事、一切記憶にないわね! リルを勝手に連れ出したアンタに……

 そうよ……リルは、彼は……!」

 

 カリューオンに向けていた怒り、しかしそれはある名前によって変化する。

 リル、彼が一体どうなったのか、メティスに殺されたのではないだろうかと危惧する。もし本当にそうなってしまえば……

 

「どいて!」

「くっ! おい、ルディア!」

 

 彼女はリルの安否を確かめるべく、カリューオンを弾き飛ばしながら走り出す。向かうはメティスの下へ。

 さっきから、彼女はメティスの魔力を感じていた。独特で、掴み所がないくせに、圧倒的な存在感を放つ彼女の魔力。それはリルが寝泊まりしていた部屋にあった。

 

「なんでこんなところに……メティス!」

 

 連れ去った相手の部屋にいるとはどういう神経をしているのかと疑いながらも、ルディアはドアを叩きつけるほどの勢いで開ける。まるで、乱暴なソフィのように。

 そして、そこにいたのは

 

「あら、おはようルディア。そんなに慌てないで、疲れ切った彼が起きてしまうもの」

 

 両足を揃え、膝に手を添えた優雅な姿で椅子に座るメティスと、

 

「ううん……な、なんだ? その声は、ルディア……か?」

 

 その横のベッドで寝ているリルであった。

 

「な、何で……リル、どうして居るの……?」

 

 口では疑問を抱いているかのようだが、実際に彼女が抱く感情は違う。

 ただの真っ白。あまりにも予想外の出来事に、脳内の全てが洗い落とされてしまった。

 しかし、ほんの僅かに残された安心感が、それまでの怒りと緊張と相まって、彼女の目から熱い何かを流させる。

 

「よか……った」

 

 震えた声を出しながらも、彼女は一歩ずつリルに近づく。

 その顔はもう怒りには包まれておらず、ただ安堵の笑みを浮かべる。

 

「ルディア……?」

「本当に良かった……!」

 

 そして、リルに触れられる距離まで近づいたとき、彼女は腕いっぱいに彼の体を抱きしめる。力強く、優しく、まるでそれは母親であるかのよう。

 

「いてててて!! ルディア! 痛い!!」

「ご、ごめん! どこか怪我してたの!?」

 

 だが、彼からしてみれば、突然謎の痛みを与えられた事になり、触れた部分全体の神経が悲鳴を上げる。

 

「ルディア、落ち着きなさい。常に冷静に、周りを把握する事を優先的に。

 私の数少ない教え、忘れたかしら?」

 

 昨日は完全に敵として戦っていた筈なのに、それを意に介していないかのように、メティスは微笑む。

 ルディアらを圧倒していた人物と同一だとはとても思えない。

 

「……覚えてるわよ、ちゃんと」

 

 それに対し、ルディアは一瞬疑心暗鬼の目を向けるも、今は敵意がないと判断し、ため息をつきながらも疑う事をやめる。

 

「急にウチに来たと思ったら、突然リルを渡せと言い、かと思えば看病らしき事をしてる。

 まったく……アンタは本当、何考えてるんだか」

「ふふ、さあ何を考えているのでしょうか?」

 

 その声色は、単に愉悦を楽しんでいるようにも聞こえるが、裏には底知れぬ何かを孕んでいるようにも聞こえる。

 英雄と呼ばれた魔術師の思考は誰にも読めないのか。

 

「何故ここにいるの?」

「貴女がここにいても良いって言ったからよ」

「言った記憶なんかないし、そもそも今の私はそんな事言わないわ」

「確かに言ってたわよ、寝ぼけてたかもしれないけれど」

「そんなの言ってる事になってない!」

 

怒声を浴びせながらも、彼女は頭を抱える。

この賢者(ひねくれ者)に真面目に付き合っていたら、身が持たないだろう。

 

「それに、戦いに疲れてる貴女達を放置しておくなんて、私の良心が痛むもの」

「良心なんてどこにあるのよ……けど、今はそれを指摘しても意味がないわね。

冗談なしで、ここからはちゃんと教えてもらうわよ。アンタの目的からリルを引き渡せと言った理由、そして、彼がまだここにいる理由もね」

 

 しかし、それでも彼女は追求する。上手く受け流されるか、あるいは嘘でごまかされるかもしれないというのに。

 

「私、嘘つくかも知れないわよ?」

「それでもよ。

 嘘かどうかは、聞いてから判断する」

 

 あまりにも真っ直ぐなそのいいように、メティスは笑顔を崩さざるを得なかった。そうなれば、ため息をついて呆れ返るしかないだろう。

 

「ここまで『私ははぐらかします』と言っているのに、真正面から聞きにくるなんて、やっぱり彼女の娘ね」

 

 けれども、彼女の表情は笑顔へと戻る。しかも、それはついさっきの裏があるような物ではない。誰かを嘲笑うかのようでもなく、純粋な笑み。

 

「貴女の質問にお答えましょう。とはいえ、全部ではないのだけれど」

「それでも構わない」

「では、何から話そうかしら。目的……は、そうね。この世界に脅威が再誕しようとしている。その為の準備がしたかった。

 そして、彼の話を聞いた時、私は危険分子だと判断した。その理由はもう話したわね?」

「彼が転生者で、っていう話ね」

 

 『ええ』と、メティスは相槌を打つ。

 転生者の話を忘れたという人のために説明すると、その転生者は力を持っている事が多く、過去に現れた魔王も同じで、しかもその力で悪さをしていた。これでは、記憶喪失で力のあるリルを警戒するのも無理ないという物だ。

 

「だから、私は彼を手元に置いておきたかった。転生者であろうと、ここの世界の者であろうと」

「殺す、の間違いじゃなくて?」

「あらやだ。そんな物騒な事言ったかしら?」

 

 飄々と返す彼女に、苛立ちを覚えてしまうルディアであったが、よくよく思い出してみると、確かに彼女はそんな事は一言もいっていない。ルディアがそう決め付けていただけだ。

 しかし、あの殺伐として雰囲気でただ連れ帰るだけとは思えないのも確かだった。

 

「まあ、そんなのどちらでも良いじゃない。

 

 ——私の考えは間違いだと気づいて、彼をここに残すことにした。

 

 それは貴女にとっても望ましい結果ではなくて?」

「そんな都合の良い事を信じろって言うのね」

 

 ルディアの疑心はここに来て一気に肥大化する。

 普通の人間であれば、胡散臭い者からの都合の良い話は信じられないと切り捨てる場合が多い。

 

「せめて、彼を残す事にした、その理由ぐらいは教えてほしいものね」

「……()()()()だと思ったからかしら」

「それは彼に言われたから?」

「ええ。とは言っても、それは私に向けてではなかった。彼は過去のことについて知るべきだと言った」

「だから自分もそれを知るべきだって? 

 そんな簡単に考えが変わるなら、戦う必要もなかったわよ」

 

 皮肉を言うルディア。たしかにその通りではあるが、メティスの話はそれだけで終わらない。

 

「そうね。けど、私はそう思った。そう思わざるを得なかった。

 だって彼、私に戦いを挑んだくせに、一度も攻撃しなかったのよ? 力を恐れる人に力で解決はしないって、それでいて『自分を信じろ』だなんて言うの。

 何も知らない私に、何されるかも分からないのに、甘いなんて物じゃないわ」

「……そうかもね。敵は殺すべきであり、情けを掛けるべきではない」

 

 彼女らの言葉から分かる通り、この世界では殺しがそこまで罪とはならないらしい。法がそれを許しているだけなのか、それか倫理観がそうさせているのか。

 

「だから、私はこの子を信じようと思った。

 彼が悪人だったら……いいえ、()()()()()()()、そう言える人はいないもの」

「それが、理由ね?」

 

 メティスはコクリとうなずく。

 

 ——信用しても良いかしら。

 

 ルディアは顎に手を添えて、そう考える。

 今まで彼女はメティスに対して、胡散臭いやら、信用できない者として評価していたが、この瞬間だけは何故か、嘘をついていないと確信ができた。

 筋が通っているというのも確かだが、こう言葉では表せない物。そう、例えるなら『直感』だろう。

 

「良いわ。今はその言葉、『信じてみる』」

 

 こうして、ルディアとメティスは和解する。

 例え、その裏にまだ何かが隠されていたとしても、この先何があるか予測できないとしても、メティスはリルを、そしてルディアはメティスを信じることにした。

 

「なあ」

 

 そして、ここで二人の話を聞いていただけのリルが声を上げる。

 相当な痛みが体を蝕んでいるのか、体は動かさず、口だけ動かしていた。

 

「メティス、お前がどう考えてようと、俺をここに残してくれたのは感謝する。

 けどさ……あんまり俺が言った事を繰り返さないでくれ。なんかそのさ……」

 

 リルの恥ずかしそうな物言いに、メティスは思わず、プッと笑ってしまう。

 

「ちょっ、笑うなよ! あれ、結構青臭いって自分で思ってるんだからさ! 

 っ……いってぇ!!」

 

 体を起こした途端、彼に取り付く痛みは急激に大きくなり、彼の体をベッドへと寝かせてしまう。

 

「ふふっ、笑うのは失礼だったわね。謝罪をさせていただきますわ。

 ですから、今はどうか体を休めて」

 

 何度もいうが、本当に敵であったとは思えないほどの英雄の豹変ぶり。優しい物言いにどこか違和感もあるが、今はこれで良いのだろう。

 誰も死なずに済んだ。可能性は潰える事なく、勝負の、そして事件の終幕は一旦、ここで終わり。

 

「メティス様! 何故ここに!」

 



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平和平和、それが一番

 メティスとルディア、そしてリルが部屋で和解し、話している最中に第四の人物が現れる。それは

 

「メティス様! 何故そこにいるのですか!」

 

 怒号を飛ばしながら入ってくる、白い三角頭巾と割烹着を見に纏ったカリューオンだった。

 

「あら、カリュ。おはよう」

「おはようございます。……ではなくてですね!」

 

 メティスの挨拶に反応し、すぐさまきちんとした礼を返す銀狼人(カリューオン)。しかし、すぐさまお説教モードに入る。

 

「メティス様、昨日の夜は一睡もしておりませんね? 

 しかも、この部屋でずっと起きていたのでは?」

「もう、困ったちゃんね。一体何を根拠に言っているのかしら」

「昨日の夜、寝る前にメティス様に話があったのですが、他の部屋を見てもいなかったので」

「……その時だけ()()()()()に用があったの」

「あれ? 俺、夜中に目を覚ました時にメティス、いた気がするんだけど……」

「ちょっと、リルーフくん。あんまりネタばらしをしちゃいけないの」

「やっぱり寝てないんじゃないですか! 

 メティス様の体は、メティス様一人の物ではないのですからもっと体に気を使って……!」

 

 漫才まがいの説教に、困惑するリルとルディア。

 何故カリューオンがメティスの行動を推理できたのかとか、夜中ずっと起きていたメティスは大丈夫なのかとか、もうそこの所がどうでも良くなっていた。

 

「一体、何を見せられてるのよ……」

「……シラネ」

 

 二人とも今すぐここから立ち去りたい気分であったが、リルは体を動かせず、それを不便に思ったのか、ルディアは話の方向性を変える。

 

「それよりもカリュ。朝食を作ってたんじゃないの?」

「む? ああ、そうだったな。実はそれはもう出来上がってる。だからリルーフたちを呼びに来たんだ。

 ……そこの主人は少々予想外だったが。

 全く、早朝であるこの時間に起きているのは大体夜通し起きていた事しかないからな」

 

 そういう事か、と二人は納得する。

 主人と共に行動しているからこそ分かる事であった。

 

「まあまあ、そんなこと言わずに。

 朝ご飯はできているのよね?」

「はい。すでに食卓に用意しています。リルーフの分は別途用意していますが……」

「なら、ここで食べましょうか」

 

 メティスがスッと指を動かすと、何ということでしょう。

 一瞬にしてリビングにあった食卓と椅子が、この部屋に移動させられる。しかも、その上には六人分の朝食が載せられており、その中の一つはスープらしき料理だ。

 

「うお……何度見ても、すごいなその魔法」

「でも何でこっちに移動させるのよ……」

「あら、食事はみんなで食べた方が美味しいって、貴女の母親から聞いたのだけれど?」

「何もここに持ってこなくても……」

 

 自身の母親、それを持ってこられたからか、ルディアは反論もなく、けれども頭を左右に振り、ツッコミを諦める。

 

「それで、載ってるのは六人分……この場にいる四人と、ヨシアキと、あとピテーコスもいるの?」

「ええ、彼女は極度の人間嫌いですが、慣れてもらおうかと思いまして」

「いつの間にかリルが襲われたりは?」

「大丈夫、あの子はそんな事しないわ。もししようとしても、その為にも私がここで見張っているもの」

 

 ——主人の見ている前で暗殺するわけないか。

 

 ルディアはそう考え、ピテーコスへの疑念は晴らす。今だけは大丈夫だと。

 

「そう、ならいいわ。とにかく朝ごはんにしましょ。

 私はヨシアキを呼んでくるから、カリュはあの猿を呼んできて」

「ヨシアキ……ああ、あの男の子か。わかった。

 ただ、ルディア。毎度の事だが、彼女の前でその呼び方はするなよ?」

「はいはい、抑えが効かなくなるから、でしょ? それくらい、私も分かってる」

 

 そんな話をしながらも、ルディアとカリューオンは部屋を出る。それぞれ別の人をここに連れてくる為に。

 そして、三分後。さっきに戻ってきたのは、善明を連れてきたルディアだった。

 

「なあ、ルディア。何でこっちに行くんだ? 

 朝食だったらリビングに……何で食卓がこっちに移動してるんだ?」

「さあね。どっかの誰かが持ってきたんじゃない?」

「あら、これは私なりの優しさよ。

 だって、リルは指一本も動かせないもの。一人で食べさせるなんてかわいそうじゃない?」

「え!? (さとる)、そんなに怪我してるのか!?」

 

 善明は記憶の中にある友人を無意識に口にしながらも、リルに近づき心配する素振りを見せる。

 布団を剥がして、右手を取ったり、体中を触ったりと。しかし、それはリルにとって悪手であった。

 

「いででで!!」

「あっ、ご、ごめん!」

 

 彼の行動全てが、リルの強烈な痛みへと変わる。

 それに気づいた善明はすぐさま手を離す。ルディアがやっていた事を繰り返しているようだ。

 

「ヨシアキくん、昨日も言ったでしょう? 彼は怪我人だって。

 傷もそうだけれど、昨日の戦いで限界以上の力を出し過ぎたせいで、全身にその反動を受けているの」

 

 その話、ルディアにとっては初耳ではあるが、リルが起き上がらない事を不自然に思っており、そうではないかと予想はしていた。

 

「す、すみません、忘れてました。

 えっと……メティス・ウィザードさんで、よろしかったでご、ござりましょうか?」

「メティスでいいわ。その敬語をやめても、ね?」

 

 年上らしく見えるメティスに、唯一かしこまるような言葉を使う善明。慣れていないのか、その使い方はおかしいが、彼女は優しく受け止める。

 

「わ、わかりまし……分かった。

 ふぅ……俺、敬語苦手だから、そう言ってくれて助かったよ」

 

 その一連の流れに、一つ指摘をするべきだと思う者がいた。

 いや、本当の事を言えば二つなのだが、今すべきなのは一つだと彼女は判断する。メティスがどうして異世界人の、もっと言えばこの世界にない言語を話せるのか、というは置いておく。

 なぜなら、メティスが()()()()()()()であり、叡智の賢者と呼ばれるほどの知識を持っているからだ。異世界の事を感知していおり、その言葉を習得していても不思議ではない。

 

「リル、その包帯……」

 

 彼女が、ルディアが指摘したのはリルの左腕に巻かれた包帯であった。

 今まで布団に隠されており見えなかったが、それは隙間なく巻かれており、左腕全体、指の先までを覆っていた。

 つまり、その下には傷だらけだという事。処置の仕方からどうやら骨折ではないようだが、それでもひどいことには変わりないだろう。

 

「ああ……これか? メティスと戦った時にちょっとな」

「無茶したって事……?」

「まあ、そういう事になる」

 

 ——これは、怒られるな。

 

 記憶は失っているものの、体が覚えているのか、リルはそう予測する。

 無茶をした。自身がそう感じていなくとも、そうせざるを得なかったとしても、他人がそう判断すれば、お叱りが飛んでくる事がおおよその常だ。今回もそうなる……

 

「……今回は良い結果になったから、大目に見てあげる。けど、今後は気をつけなさいよ。

 無茶は、自分が死ぬかもしれないって時だけすること」

「あ、ああ。そうするよ」

 

 事は無かった。

 少しばかり説教も入ったが、彼女の言葉はは優しく諭すだけに収まる。

 

「そう言えば、カリュはどうなったのかしら、ルディア?」

「部屋に入っていたのは見たけど、そこからは知らないわ」

「なら、ピティの説得に手間取ってるわね。あの子の人間嫌いは筋金入りだもの。

 ……と、噂をすれば、ね」

 

 メティスの言う通り、話題の二人が部屋に入ってくる。

 嫌そうな顔をしながら子供のように暴れている寝巻き姿のピテーコス、それを強引に引っ張り、連れてきたカリューオンだ。

 

「い、や、だ! なんでアチキが人間共と、しかもわざわざ飯の時間に同席しなくちゃならないんだ!」

「メティス様がそれをお望みだからだ。

 お前が人間を嫌っている理由は理解できるが、メティス様の考えも少しは汲み取ったらどうだ」

「それでも嫌だ! あんな奴らとなんて……」

 

 なんともやかましい入室ではあるが、これで全員が揃ったと言う事になる。

 

「おはよう、ピティ」

「メ、メティス様!? お、おはようございます……」

 

 ジタバタしていたピテーコスは主人の姿を視界に入れた瞬間、急に大人しくなり、身なりを正そうとする。

 ただし、寝巻きなので、どう頑張ってもだらしなく見えるのは仕方ない。

 

「さて、これで全員ね。みんな席に着いて、朝ご飯を食べましょう」

 

 メティスに促され、ベッドから動けないリルを除いてその場にる全員が食卓に着くとする。若干一名は複雑な顔をしながらではあるが、問題はないだろう。

 

「お、俺は……?」

「心配しなくても大丈夫よ。私が食べさせてあげるから」

 

 ルディアはそう良い、リル専用の病人食であるスープを持っていく。

 

「ほら、口開けて」

 

 あーん、と赤ちゃんかそれとも恋人ぐらいしか使わない、料理を口に持っていく行動を彼女は何の意識もせずに、リルへと行う。

 

「う、これ恥ずかしいな」

 

 対して彼はこの行動に少しばかりの恥を感じながらも、仕方なしに受け入れて、スプーンにすくわれたスープを口に含む。

 

「どう?」

「……うん、美味しいと思う」

「そう、ならカリュに伝えておくわね」

「ああ、伝えておいてくれ。

 ——それでその……ありがとう」

「え?」

 

 唐突なお礼に、戸惑ってしまうルディア。

 過程をすっ飛ばしたかのようなリルの言動には、誰しもが耳を疑ってしまうだろう。しかし、彼にもちゃんとした理由があった。

 

「その……さ。

 昨日、俺はどうなっても良いって諦めた時、お前が止めてくれなきゃ、生きる意味を見失ってた。

 過去を知ろうなんて思わなかった。だから……」

 

 ありがとう、その言葉を二回も言う事に彼はどこかむず痒さを感じてしまう。

 本来は顔を背けてしまいたいところだが、体は動かず、目を瞑るだけとなる。一回目は関係ない話の中だからこそ、言えたのだろう。

 

「その先ほ言わなくて良いわ。むしろ、私が感謝するべきなのかもしれない」

「え……?」

「あの時は、正直言ってただのエゴだった。もう誰も失いたくないって、もうあんな悲しい想いはしたくない、少なくともそんなエゴをアンタに押しつけてた。

 だからね、こんな私のこんなエゴで、生きる意味を見出してくれて、ありがとうって、本当に想ってるわ」

 

 礼を言うはずが、礼を言われた。

 しかも、何の恥じらいもなく、混じりっ気もない言葉に、リルはさらに赤面せざるを得なかった。

 

「よ、よくそんな事を真っ直ぐ言えるな」

「そんな事を想っているから言えるんじゃないの?」

 

 その光景は、平和そのものであろう。

 平和というものはいつまでも続くわけではないが、今はこれで良い。昨日の敵が同じ食卓の輪にいる。その内に何を抱えているかはさておき、団欒は素晴らしいものだ。

 せめて、彼らにこの一時の幸せを……

 

「ルディア! 昨日はアレだったけど、今日も今日とて勝負だ!」

 

 しかし、平和はすぐ崩れるものである。

 まあ、それも良い物かもしれない。これくらいならば。



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第三章 森の医師、覚醒の兆し
少年の容態、戦いの反動


 メティスらの戦いから三日後、ルディアは以前とは少し、いやかなり変化した生活を送っていた。

 朝早くから起床し、朝食を食べ、農作業にいそしむ。それは変わらないが、まず家に住む住人が多くなった。

 

「カリュ〜追加のおやつまだ〜?」

「ダメです。それ以上は栄養が偏ります」

「ケチー。ピティ、持ってきて」

「分かりました!今すぐ……」

「ピテーコス、あまりメティス様を甘やかすな」

「主様の求める事に応えるのが、使い魔の役目だ! 

お前みたいにメティス様の意見を否定する奴は黙れ!」

「ふん、本当に主のためだと思うならば、命令に従うだけでなく、もう少し頭を使って考える事だな」

「何をー!」

 

 と、以上が今現在リルの部屋にて行われている一部始終である。

 三日前に来たメティスと使い魔二人は、何故かそのままルディアの家に住み着き、一緒に寝食を共にすることとなった。

 何故とルディアが理由を聞いてみれば、

 

「友人の娘の様子が普段どうしてるのか気になったので。

 あと、彼の事もまだ気がかりですし」

 

 という事らしい。

 これで善明を加えて、ルディアの家には合計六人が寝泊まりをしている事になった。少し前までは彼女一人で生計を立てていたはずなのに、いつの間にか賑やかになってしまっていた。

 そして、もう一つ、彼女の生活に変化がある。それは

 

「ルディア……じゃない。ヨシアキいるか!

今日も勝負しようぜ!」

 

 毎日勝負を挑んで来たソフィが、対象をルディアではなく、善明へと変えた事だ。この発端は二日前、メティスらとの戦いの翌日まで遡る。

 

「ルディア! 昨日はアレだったけど、今日も今日とて勝負だ!」

 

 戦いの後だというのに、彼女の体は疲れ知らずなのか、勝負を挑む。だが、これにはもちろんルディアは

 

「嫌よ。しばらくは無理したくないわ」

 

 と、バッサリ断る。

 しかし、ここで引かないのがソフィという人物。あれやこれやを使い勝負に引きこもうとするが、それでもルディアは頑なに拒む。

 両者平行線の状態で話は進むのだが、ここで全くの予想外な人物からこんな希望が出る。

 

「俺、ちょっと戦ってみたいな」

 

 なんと、それは現代人である善明だった。彼はソフィらの戦いを見ていないのかそれとも見ているにも関わらず、そんな欲求が出る変態か。

 どちらにせよ、その名乗り出にソフィは

 

 ——リルと同じ世界からきたって言ってたな……なら、スゲェ力を持ってるかもしれないな。

 

 と考え、了承する。

 一応ルディアの提案で練習用の木刀でやれと言われ、二人は勝負をする。結果はもちろん、義明の負けだ。現代の精鋭部隊を集めても、でかい大剣を持ちながら、五、六メートルをゆうに跳ぶソフィに勝てるかどうかだ。一般人はその身に攻撃を当てることすら無理だろう。しかし、

 

「ヨシアキ!今日から毎日戦え!」

 

 彼女のお眼鏡に何がかかったのか、善明は彼女のお気に入りとなってしまう。

 以上がルディアの身の回りに起きた変化だ。しかし、彼女に変化はない。ただいつも通りに生活し、そしていつも通り己を鍛える。誰がいてもいなくても変わらない。

 だが、それを変えなければならないという事に彼女は薄々気付き始める。今回はそんな話だ。

 

「メティス、彼の具合は……って、また喧嘩してるの?」

 

 ルディアがリルの部屋に入ると、そこは睨み合っているカリューオンと、ピテーコスの姿があった。

 それは今にも爆発しそうで、彼女からしてみれば、怪我人であるリルに被害が及ばないかだけが、心配である。

 

「ふふ、まだ可愛いものよ。出会い始めの頃は、目があえばすぐ手を出す、なんてのは日常茶飯事でしたから」

「そうさせないでよね。

全く、人手が増えるかと思ったら、気がかりの要因にしかならないのは、本当にやめて欲しいわよ」

 

 嫌味を言いながらも、彼女は未だベッドの上に寝ているリルに近寄る。

 

「リル、まだ動けない?」

「動けないし、めちゃくちゃ痛い」

「そう、つまり昨日と変わらないか。

 あれから三日、だというのに未だ回復の兆しが見えない……。そろそろ動くべきかしら?」

 

 これは由々しき事態だと彼女は判断する。

 リルの症状、それはただの強烈な筋肉痛であると、二日前、村の医者によって診断された。

 だが、ただの筋肉痛がここまで続く事があるだろうか。いや、続いたとしても痛みが一切引かずにいる事はあるだろうか。

 ルディアはそこまで、医療に精通しているわけではないが、それでもこれはただの筋肉痛ではないと断言できた。

 動けないほどの激痛が三日も続く。これは別の何かではないかと。

 

「と言っても、あの人も腕はそこそこだし、いい加減な人でもないし。どうしたものか」

「あら、ルディア。悩み事かしら?」

「……ええ、ちょっとね。都会にでも行こうかなって」

「まあ!引っ越しを考えてたのね。私も手伝うわ!」

「そうじゃない」

「良い物件が余ってるっていう人がいてね、けどその物件、曰く付きらしい……」

「勝手に話を進めないで!」

 

 ルディアはメティスの誤解……冗談?を解き、一から自身が考えていた事を話し、腕の良い医者は都会にいるだろうから、そこへ向かうべきだという意見を述べる。

 

「良いと思うわよ。私もリルの症状はちょっと異常だと思案していたところだから」

 けど、ルディア。都まで何日かかると思ってるのかしら?」

「休まずに歩いて一週間。馬でも使えれば良いけど、生憎そんな事はできない」

「もう、ルディアったら。村の人達にお願いすれば、二つ返事で了承してくれるわよ。

 でもそうね、そんな気遣いのできる良い子のルディアちゃんには、私の魔法で……」

「そう、アンタの魔法なら一秒もかからずいけるわね?」

 

 セリフを取られたメティス、彼女はわざとらしく頬を膨らませて、怒るフリをする。

 ある意味、それは楽しんでいるようにも見え、ルディアを弄んでいるのではないか。

 

「人のセリフを取る悪い子に育てた覚えはありませんよ」

「アンタに育てられた覚えはないわ」

「ああ、これが反抗期というものなのね」

「……それで都に行く件なんだけど」

 

 真面目に話していてはラチが開かない。そう考えたルディアはなに食わぬ顔で、強制的に要件だけを伝えようとする。

 例え、メティスが『無視しないでよ』とか、『これは本当に反抗期かもしれないわね』などと言っても、ルディアの耳はそれらをシャットアウトする。

 

「明日の朝には出発するつもりだから、それまでには準備でるわね?」

「……ええ、人使いの荒いこと」

「なによ、人様の家に押し入っておいて、何も礼をせずいるわけ?とんだ英雄様ね」

「それに関しては、ちゃんと食料を渡してるじゃない。しかも、高級品ばかり。

 都の物から北のフリジア国の物まで選り取り緑よ!」

 

 メティスの言う食料、それは確かに一般の人が手に入らないような物ばかりであった。

 ピッグベアラーの肉や、ゴールデンバードの卵という特産品から、ヒュージドラゴンの肉や秘境のビアリーフルーツというレア物まで。

 この世界の者ではない善明からすれば、何のことやらだったが、ソフィはそれを見て

 

「すっげぇ! 世界中の食材が勢揃いじゃんか! しかも、全部上手いモンばっかり! こんなの久しぶりだな!」

 

 と、大はしゃぎであったそうな。しかし、ルディアはそれを宿泊料とは思っていないようで、反論をする。

 

「それはほとんどアンタ達の分だけでしょ?こっちはこっちで、冷蔵庫に残ってる物を消費してるの。早く食べなきゃいけない物ばかりだし」

「もう、口が上手なのね。けど、今回は協力してあげる。リルにも迷惑はかけたし」

「じゃあ、決まりね。早速準備を……」

「そこを退け!カリューオン!」

「いいや、ここを通すわけには行かない」

「……まだ、アンタ達喧嘩してるの?」

 

 彼女の頭からすっかり抜け落ちていた使い魔二人の存在。側からの目を気にすることもなく、未だうるさい口喧嘩を続けていた。

 

「うるさい、人間! 貴様には関係無いことだ!」

「はいはい、私には関係無いわよ。けど、それ以上うるさくするなら、外に出てからにしてもらえない? 怪我人もいるわけだし」

「人間に指図される覚えはない!」

 

 ピテーコスに反抗されてどうしたものかと、頭を悩ませるルディア。こうなってしまえば、主の言葉にしか耳を傾けないだろう。

 というわけで、彼女はメティスにアイコンタクトを送ってみる。

 

「……ピティ。もういいわ。

 私のためにという事は嬉しいけど、あんまりルディアを困らせちゃダメよ?」

「うぐ……分かりました」

 

 意思が伝わった事に、ルディアはホッとする。

 アイコンタクトが伝わるかどうかもそうだが、そもそも自身の使い魔が喧嘩している状況に、楽しんでいるメティスが止めようともしないことも、考えられたからだ。

 

「これで静かになったわね。

 そういうわけでリル、明日は都に行くわ。世話はそこのメティスがしてくれると思うから、思う存分わがまま言っておいて」

「分かった。

 ……その、ありがとうな。俺のために色々やってくれて」

「別に良いのよ。私がしたいようにしてるだけだから」

「前から思ってたけど、ルディアってお人好しだな」

「じゃあ、アンタは自分勝手ね。良い意味でも悪い意味でも」

 

 互いに軽口を言いながら笑うその時、部屋にある人物が入ってくる。

 

「ルディアちゃん、いるかな……おお、これはメティス様、お久しぶりです」

 

 それはカントリー村の村長だった。

 

「久しぶりです村長さん。ルディアに用があるなら、どうぞご自由に」

「おお、それはありがたい。ルディアちゃん、ちょっとこっちに来てくれるかの?」

「……分かった。メティス、リルをよろしく」

 

 何の疑問も持たず、言われるがまま村長についていくルディア。

 その光景にどこかで見覚えがあるリルであったが、いかんせん思い出せずに、彼女はこの部屋から出て行く。

 

「で、おじいちゃん。何の用かしら? こんな所まで連れてきて」

 

 そして、二人が移動した先は家の裏であった。誰も来ない場所で、二人は会話を始める。

 

「これはあまり他人に聞かれたくない話なんでのう。

 英雄様に聞かれるのも、何かとまずいしのう」

 

 村長の声色はどこか暗く、村長自身も言っているように、これからの話の内容は何かまずいのではないか

「ごめんね、おじいちゃん。わざわざこんな夜中に抜け出して、伝えに来てくれたことは本当に嬉しいんだけど……

 ——もうそろそろなんじゃないかって、私も気付いてた」

 

 けれども、それを言う前に彼女は察していた。

 まるで手遅れだったかのように、それともなんとかできたかもしれないけど、放置せざるを得なかったのか。

 

「……そうか。じゃがのう、その時は彼も連れて行った方がええ。ここに残れば余計辛い思いをするはずじゃ」

「ええ、そうね。きっと彼も……誰!」

 

 二人が話している最中、ルディアが声を上げる。

 一体何で反応したのか。耳か、目か、それ以外の何かか。

 

「ど、どうしたんじゃ?」

「誰かがいた……はずなんだけど、変ね。いなかったみたい」

「……まあ、ともかくじゃ。あの子が回復したら早々に逃げなさい」

「ええ、分かった」

 

 そこで、二人の密会は終わる。

 しかし、ここにいたのは二人だけではなく

 

「やはり、こうなってしまうのね」

 

 もう一人存在していた。

 



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王都バラデラへ

 リルの容態が回復しないということで、腕の良い医者を呼ぶべく、ここカントリー村から北にある王都のバラデラへと向かう事になったルディア。

 そして、彼女についていく者が二人いた。

 一人は、リルの事が心配……というのは半分建前で、王都に興味を持ったというのが本心である善明。

 もう一人は、案内役であるカリューオンだ。彼女はよく、メティスの命令でよく王都に来るらしいからだ。

 そして朝方。家の外ではこの三人と、それを見送るメティスとピテーコス、そしてルルが集まっていた。

 

「メティス、ここを抜ければすぐにバラデラにつくのね?」

 

 ルディアが指差す物、それはメティスの黒孔(ブラックホール)だ。

 

「ええ、バラデラの中に繋がってるわよ。けど気をつけてね。あくまでもその先は王宮だから。

 あまり無礼な事はしないでね」

「うへぇ、堅苦しい所は苦手だなぁ」

 

 善明はすこし嫌そうな顔をする。どうやら、彼は畏ったり敬ったりすることに慣れていないようだ。

 

「なんでそんな所に?」

「色々と懇意にしてもらって、そこに魔術式の基点を置かせてもらってるの。他のところにも繋ぐことはできるけど、事前に置いてる所が一番楽だから」

 

 ルディアはその事に違和感を感じる事はなかった。英雄と呼ばれる物であれば、一国の長と繋がりを持っていてもおかしくはない。

 ないのだが、彼女の直感は何か裏があると感じ取った。それは、メティスの言っていた脅威の再誕に関係があるのではないか。

 

「どうしたの?そんな顔して」

「……何でもないわ」

 

 今はリルが優先、そう思った彼女は考えていた事を一旦頭の隅に置いておく。まだ、急を要さないのなら。

 

「おい、ヨシアキ!今日も勝負しようぜ!」

「お、ソフィ!」

 

 そして、毎日恒例イベントであるソフィの突撃訪問がやってくる。

 

「うん?何だみんな揃って。アタシを出迎えにきたのか!」

「いや、そんなのじゃなくて……そういえば伝え忘れてたな、この事」

 

 善明はどこか気まずいそうな顔で説明を始める。

 

「今日はちょっとバラデラ? ってところに行くんだ。(さとる)……リルが回復しないから、医者に診てもらおうってことでさ」

「ふーん……」

 

 ソフィは彼の話を聞くと、何故か普段の無邪気な笑顔を曇らせて、声の質も重くなる。

 

「だからさ、ちょっと今日は無理……そうだ! ソフィも一緒に行こう! 王都って言われてるぐらいだから色々あるはずだし、それに……」

「悪いけど、アタシはパスだ。仕方ないが、今日は一人で過ごす」

 

 かかとを返し、右手をひらひらと振りながら、元来た方向へ帰ってくソフィ。

 一体何が、彼女の機嫌を損ねたのか。

 

「な、なんだ? 何か俺、悪い事でも言ったのか?」

「……さあ、私もさっぱり。

 というより、ヨシアキ。貴方、この三日間でよくそこまでニュールド語を覚えられたわね」

 

 そう、気がついた人もいるかもしれない。それが一種の異常事態だという事に。

 彼、善明は何の齟齬もなく、ソフィとすんなり会話ができていた。しかし、ルディアの言う通り三日前、彼は通訳がいないと一切会話もできない状態であった。

 一応、会話ができなければ困るという事で、メティスからニュールド語講座を受けていた。しかし、たった三日取得できるはずがないのだ。ないのだが、

 

「いやあ、なんかずっとルディア達の会話を聞いてたらなんとなく覚えちゃってさ」

「なんとなくで覚えられたら、翻訳家なんていう職業いらないわよ……。

 何か別の理由でもないと、おかしいわね」

「と言ってもなあ、強いて言うなら教えてくれる人が優秀だったから?」

「あらまあ、おだてたって何も出てきませんよ」

 

 そう言いながらも、メティスはどことなく嬉しそうだ。と言っても、それも演技かもしれないが。

 

「アンタ、何かした?」

「していないわよ。私は真っ当に教えただけ。彼に素質があっただけよ」

「……まあ、どちらでも良いわね」

 

 メティスが何かしたにせよ、彼女にとって不都合ではないため、真偽を確かめる事はしないルディアであった。

 

「ほら、そんなことよりリルの事、でしょ?

おみやげ買って、早く帰ってきてね」

「アンタ、目的変わってない?」

 

 そんなこんなで、都へ行く事となった三人はワープホールもとい黒孔(ブラックホール)へと通ることになる。

 リルの容態を確かめるために。

 

「では、私が先行しよう」

「いってらっしゃい」

「はい、行ってまいります」

 

 主人への挨拶をした後、黒孔へとカリューオンが入る。

 

「じゃあね、メティス。そこの使い魔はリルに闇討ちしないようちゃんと見張っててね」

「ふん、アチキは人間みたいに汚くないやい!」

「はいはい。

 ルル、行ってくるわね。リルの事、見守ってあげてね」

「ワン!」

 

 ルディアは犬のルルを最後に撫で、後のことを託す。

 

「ええと、じゃあ行ってきます」

「ちょっと待って、ヨシアキ君」

「はい、なんです……何か用か?」

 

 善明も、ルディアに続こうとするが、何故かメティスに引き止められる。

 

「あの事、ちゃんと覚えてるわね?」

「え、あ、はい。あれ、やらなきゃいけない?」

「もちろん。怪しまれたいなら、話は別ですが」

「えぇ、嘘つくのちょっと苦手だなぁ」

 

 メティスから一体何を指示されたのか、彼はすこし顔を曇らせて、なんとも言えない微妙な顔をする。

 嘘をつくというのは何のことだろうか。

 

「まあ、分かったよ。ルディア達にも言っておくか。

 じゃあ、改めて行ってきます」

「ええ、行ってらっしゃい」

 

 英雄と呼ばれた魔術師に見送られ、善明は黒孔を潜り抜ける。その先で見た物は、まるで別世界だった。

 善明からすれば全部別世界のような物だったが、一秒前の光景とは百八十度も違う方向性の物がそこには広がっていた。

 

「うわぁ、すっげえ」

 

 圧巻された善明は目を輝かせ、思わず感動の声を漏らす。

 赤い絨毯に、豪華に装飾されたクローゼット、天蓋つきのベッドと、彼が思い浮かべる王が住む場所そのものだった。

 先ほどまでいた、草木などの緑が広がり、古臭くも懐かしい家があった場所とは全く違う。

 まさに、最上級の住処だ。

 

「ヨシアキ、今は良いけどあんまりはしゃがないでよ。

 目立つし、周りの人から白い目で見られるから。

 それに街中じゃあ、そういう人が狙われるのよ」

 

 しかし、歓喜に胸躍る善明とは対照的に、ルディアは落ち着いた様子で、同行人に注意をする。

 

「わ、悪い悪い。こういう所初めてでさ。ルディアは結構冷静だけど、来たことあるのか?」

「ないわ。けど、勘違いしないでよ。私も少し落ち着かない」

「……全然そうは見えないけどなぁ」

 

 いつしかのリルも似たような質問をして、似たような返答をされた事があったが、彼女は感情を表に出さない人間なのだろうか。

 

「そういえばだけどさ、ルディア、カリューオン。

俺の名前だけど、一応イーサン・ブライトってことにしといてくれないか?」

「良いけど、何で偽名を?」

「メティスに言われてな。なんか、元の名前だとまずいからって」

「元の名前……ヒダカヨシアキ……む、メティス様から聞いたことあるぞ」

 

 メティスの意図を唯一知るカリューオン。その事で、二人の視線は彼女に集まる。

 

「なんでも、ここから北西の国で、君と似たよう雰囲気の名前が使われているらしい。

 しかも、以前にも話題になった魔王がそこから生まれてきたとか」

「なるほど、だから魔王誕生の場所は忌み嫌われていて、そこから由来しているような名前も嫌われてる。だから、名前を変える必要があるというわけね」

「そういう事だ。

 ではイーサン、ルディア。私はこっちの黒孔(ブラックホール)を閉じる作業があるから少し待っててくれ」

「ええ」

「ああ、分かった」

 

 カリューオンほそういい通ってきた黒孔……ではなく、その後ろにある魔法陣のような物に手を当てる。

 それが一体どういう事になっているのか、善明ことイーサンには分からなかったが、魔法という不可思議な物には魅力を感じており、興味深々に見ていた。

 

「……えらく、熱心に見てるわね」

「え? だって魔法ってなんかワクワクするじゃん!」

 

 子供のような返答に愛想笑いをするしかないルディア。しかし、イーサンからすれば冗談でもなんでもなく、単に魔法というフレーズだけで心がそわそわするようだ。

 だが、それを邪魔するかのように、ドアのノックが三回鳴らされる。誰かが入ってくるようだ。

 

「失礼いたします」

 

 入ってきたのは男の使用人……いや、身なりから見るに彼は執事だろう。

 オールバックにした髪型に、モノクルといういかにも執事らしい姿をしている。

 

「やはり。声が聞こえ、誰かがいると思えば、賢者様の遣いでしたか」

「貴方誰?」

「おお、失礼しました」

 

 名乗らずに出てきたことを謝礼しながらも、男は右手を胸に当て、お辞儀をする。

 

「私はこの城の執事を務めさせていただいております、ベトルーク・ウォルンと申し上げます。

 以後お見知りおきを」

「ご丁寧な説明、どうもありがとう。

 私はルディア、こっちはイーサンで、あっちの狼人間は……」

「大丈夫です。顔見知りですから」

「そう。分かった」

「それで、今回は一体何の用ですかな?」

「知り合いの様子がおかしくてね。この王都で優秀な医者を探しにきたの」

「ほう、個人の理由ですか。それでカリューオン殿だけではなく、貴方達がいらっしゃったのですね」

 

 執事のベトルークが納得したように顎に手を添えて、首を軽く振っていると、カリューオンが話に入ってくる。

 どうやら、黒孔の閉門が終わったようだ。

 

「お久しぶりです、ベトルーク殿」

「こちらこそ、カリューオン殿。どうやら、今回はまだのようでしたか」

 

 ——今回はまだ?

 ルディアはその言葉に反応する。その裏に何かがありそうな気がしてならなかった。

 

「ベトルーク殿、それは彼女らに話していないので」

「……失礼。いささか軽率な発言でした」

「いや、いい。それよりもだ。この手紙を国王に渡してくれないか?」

「む、これは賢者様からということで?」

「そうだ」

「分かりました。責任を持ってお渡ししましょう。貴方達のことは他の者に伝えてはおきますので、城の出入りはご自由に」

「ああ、ありがとう」

 

 執事は一礼をした後、部屋から立ち去る。

 

「では、私たちも行こうか」

 

 

 そして彼らも目的のために、この部屋から、そして城から立ち去り、街へと下りようとする。



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ツクモって?

 城の門をくぐると、そこは別世界だった。いや、別世界でもなんでもないのだが、それを言うと色々面倒なので、ここでは()()()()()が前につくことを明記しておく。

 

「ここが、王都バラデラ……!」

 

 彼、善明(イーサン)はメティスの黒孔を抜けてから、新鮮な物ばかりを目にしてきた。

 豪華な王宮もそうであるが、その典型的な中世の城とはまた別に、一種の近未来的な要素と少し古臭い雰囲気が妙にマッチした街並みに彼は興奮せざるを得なかった。

 

「すげえ! 中世の街かと思ってたら結構時代が進んでるんだな!」

 

 キョロキョロと、彼は街全体を見回す。近くにあるものから、街へ続く大きな石畳みの階段や道路、水が綺麗な噴水、石造りの家や、レンガでできた大きな建物。

 遠くには黒い煙を上げる煙突や、レールを左右に伸ばしている駅も見える。おそらく、工場や列車などがあるのだろう。

 建物が続く街は限界がないかのように広く見え、まさに王都と呼ぶにふさわしい。

 

「はいはい、イーサン。あんまり騒がないの。

 さっきも言ったでしょ? 目立つのはよくないって」

「あ、悪りぃ悪りぃ……」

「まあ、分からなくもないわ。私も最初に来た時は落ち着かなかったし」

 

 苦笑いをする善明に、呆れながらもフォローを入れるルディア。それはまるで姉弟のようなやり取りだ。ただ、見た目だけからすれば、その立場は逆ではある。

 

「……うん? なあなあ、ルディア。あの道路に走ってるの、あれは何だ?」

 

 善明はある物を指差す。その先にあるものは、籠型の乗り物であった。停留所らしきところで止まると人を乗せ、またどこかへ走っていく。しかも、それは地面から少し浮き、道路に敷かれた溝に沿って走っているようだ。

 

「あれは確か……魔導車じゃなかったかしら? 私もあんまり分からないわ。あんまり使った事はないし」

「魔導車であっているぞ。ただし、正式名称はマイクロ・マギア・トレインという名前だ。

 魔力で動く乗り物で、あの道路にある溝から反発力を受けて走っているんだ。

 元はあの駅から走る魔導車からの派生で、こっちは路線魔導車と呼ばれているな」

「へぇー! カリューオンって物知りだな!」

 

 褒め言葉を受け、カリューオンは鼻でも伸ばしたかのように、少し誇ったような顔をする。

 

「これくらいはな。賢者の使い魔と呼ばれているぐらいだし、知識は豊富であるように気をつけている」

「じゃあじゃあ、あれとか……」

「善明、今日は遊びに来たんじゃないわよ。リルのこと、忘れた?」

「あ、ごめんごめん、忘れるところだった。確か腕の良い医者だったっけ?」

「そうよ。話は歩きながらでもできるから、さっさと向かいましょ。

 カリュ、案内頼んだわよ」

「ああ、分かった」

 

 その言葉で、三人は目の前にある大きな階段を降りていく。

 向かいから来る人達には気づかずに。

 

「そういえばさ、なんかルディア達の会話聞いてると、ツクモっていう単語が聞こえて来て、気になってるんだ」

「ツクモを? 別に良いけど……おっと」

「む」

 

 そしてもちろんその一人、フードを深く被り、全身をローブに羽織った人と、ルディアがぶつかってしまう。

 互いに少しよろけはするものの、しかしすぐに体勢を立て直す。

 

「すみません。少し話し込んでいたもので」

「謝る事はないわ。私も不注意だったから」

「そう言ってくれて助かります。ところでアナタ……いいえ、なんでもありません。

 私は用があるので、失礼します」

 

 ローブの人物は丁寧にお辞儀をし、連れの人達と城の中へと入っていく。

 ルディアはそれを見届けるかのように、ローブの人物を見えなくなるまで、目で追っていた。

 

「あの子、可愛かったな……」

 

 フードに隠れていた顔をあの一瞬で、見破ったのか、彼は魅力的な女性としてローブの人物を見る。しかし、ルディアとカリューオンはそうではない。

 

「彼女、できるわね」

「気づいたか、ルディア」

「当たり前よ」

 

 彼女達がそう気づいた理由、それは一瞬で体勢を戻した事にあった。

 ルディアとローブの人物は互いにぶつかり、そして同時に体勢を戻した。体幹がしっかり鍛えられていなければ、ああはならない。

 歩き方も真っ直ぐであり、()()()()()()()()()()()()安定していた。

 

「なあ、二人とも何の話をしてるんだ?」

 

 しかし、素人目のイーサンからすれば、意味深な内容である事は分かるが、その内容時代は理解はできていなかった。

 

「ごめんごめん、個人的な話よ。

 それで、さっき何の話をしてたんだっけ?」

「さっきって……そうそうツクモだよ! あれが戦いにどうのこうのって言ってたから」

 

 話は戻り、三人はまた歩き始める。

 

「ツクモね……リルに話したことをそのまま話せば良いか。

 ツクモガミ、通称ツクモっていうのは、簡単に言えば人の想いによって生まれる力で、その人が普段使っている道具に宿る物。

 道具に宿ると、その周りに霊のような物が浮かび上がるの。そして、その霊はよく持ち主と似ている性格として出てくるわ。

 そしてそのツクモは善の力ともされているわ」

「善の力……?」

「そう、これまで確認されたツクモは善人が持つ道具にしか宿らず、悪人が使っていたという報告はないの」

「へぇーそれって便利で『都合が良い』よな」

「ええ。けど、それには理由があって、ツクモが使える条件にあるの。

 その条件は二つ。一つはその道具を大切に使っている事。もう一つはその人の想いが強い事。

 悪人であると一つ目の条件に合わないって言われていて、だから悪人には使えないっていう理論なのよ」

「ふーん、そうなんだ。でもさ、

 

 悪人かどうかなんて、そんなの人の勝手じゃないか? 道具を大切にする人はするだろうし。

 

 イーサンのその純粋な意見に、ルディアはハッとする。

 本人は何にも考えてはいないだろうが、かなり核心についたような発言だ。これで、ルディアは一つ、先入観を取り除く事ができた。

 

「善人か悪人かなんて人の勝手……道具を大切にするかはその人次第……」

「うん? どうしたんだ、ルディア」

「いえ、なんでもないわ、とりあえずツクモの説明よね」

 

 知識皆無の人からの発想に、何かを見つけられそうなルディアであったが、今それを見つけたところで、どうにもならないと思ったのか、ツクモの説明を続ける。

 

「それで、ツクモっていうのは十六年前に見つかったもので、最初はここから北西にある国で使われていたらしいわ。

 そしてツクモの最大の特徴は、宿った道具の性質を最大限に引き出すことよ。

 剣ならば斬れ味を、盾なら防御力を、そして画家の筆ならば、絵具がなくても自由に色彩を描けるらしいわよ」

「え? 武器だけじゃないのか?」

「そうよ。その人の想いが強ければ、武器だけじゃなく、職人や料理人なんかの道具にもツクモが宿る可能性があるわ」

「へぇー、色んな事に使えるんだな!」

「ツクモ全体で見ればね。けど、個人から見てみれば違う。

 確かにツクモは、その人の願望通りの行動をすれば力を発揮するけど、逆に言えば、それ以外だと力が半減したり、思い通りに使えなくなったりするの。

 例えば、誰かを倒したいという想いで作られたツクモがあったとしても、戦う相手がその誰か以外なら、あんまり力が出なかったりするし、逆に感情を押し殺して、戦いたくもない人と戦おうとすると、ツクモが消えてしまうことだってあるの」

「なるほど、ツクモを使うにも簡単じゃないんだな」

「そうよ。良くも悪くもツクモは本人の精神に関係してくる。強化されるのは道具だけだから、当たらなかったり、そもそも武器がなければ、意味がなくなってしまう。

 でも、想いが強くなればそれだけツクモも強くなるし、ちゃんと自分の心を理解していれば、ツクモは心強い味方になるわ」

「ふんふん、なるほど。大体分かった。ありがとうな。

 自分の心によって、強くなるツクモ、か。俺も使ってみたいな!」

 

 ルディアの説明を聞いて、無邪気に笑うイーサン。しかし、ここでカリューオンから補足兼説教が入る。

 

「イーサン、使いたいと願うのは構わないが、ツクモは物を大切にしないと使えないぞ。

 しかと、その年月は最長十年と言われてるらしい。そう努力もなしに易々と使えるなんて、都合の良い話はないと思っておくんだな」

「う、良いじゃん良いじゃん! 憧れるぐらいさせてくれよ! 使えるかもって思わせてくれよ!」

「ふっ、なら頑張って努力して、それ相応の力を身につけることだな。そうしていればその内、君の望む力が手に入れられるかもな」

 

 カリューオンはイーサンの頭に手を乗せて、そのまま撫でる。が、彼はその事を良く思っていないようで、頬を膨らませる。

 

「カリュ、それやめてくれよ。子供扱いされてるみたいで、なんかヤダ」

「……あ。す、すまん! つい無意識でやってしまうんだ」

「アンタ、それ。よくやるわよね。私にもたまにやってるし」

「むう……それについても謝ってるじゃないか」

「そう言いながら、何回も同じことやるじゃない。反省してるとは思えないんだけど」

 

 ルディアの追撃にぐうの音も出ないカリューオン。過去の事を掘り返すという事は、よほどルディアはそのことに不満を持っていたのか。

 

「もし、そこのお兄さん」

 

 と、会話中ではあるが、とある女性から声がかかる。

 その人はどうやら人外のようで、青肌でありながらも、胸と尻が他の街の人よりも明らかに大きく、しかも、それが強調された扇動的な服……いや、布とも言える衣服を着ていた。

 妙に色気があり、艶かしく、まるで人間の男を何かに堕とすかのような雰囲気があった。

 

「え……? も、もしかして、俺っすか?」

 

 その色気にイーサンはまるで初めてを終えてない人のように、ドギマギしながらも足を止めてしまう。

 よく見れば、コウモリのような羽や先がハート型になっている尻尾、捻り曲がったツノがついており、本来白目の部分が黒目になっていたりと、その姿は淫魔そのものだ。

 

「はい。あの、少しお時間よろしいですか?」

 

 女性はイーサンとの距離を一気に詰め、さらには体も密着させて、彼の心臓の高鳴りを加速させていく。

 

「ええ!? そ、そう言われても……!」

 

 こうなってしまえば、もう彼の脳はパンク状態で、誰かに助けを求めるという思考すらも、淫魔の魅了に奪われてしまう。

 

「少し、ほんの少しだけで良いんですよ。ただ私と……」

「そこまでにしてくれる?」

 

 だが、彼女からイーサンを引き剥がすかのように、ルディアは彼の体を掴み、引っ張り出す。

 

「私たちは別の用事があるの。客引きなら、別の人にやってくれる?」

「そんな……!」

 

 淫魔らしき女性はあからさまにがっかりする。しかし、それは演技にも見えず、しょんぼりとした顔に、何故かルディアは罪悪感を感じてしまう、

 

「私はただ、ただ……!

 

 お花の魅力を伝えたかっただけなのに!」

 

「……は?」

 

 予想もしなかったところからの一撃。これにはルディアも面食らった顔になるのも無理はない。

 

「ですから、お花です! お花って綺麗で、それでいて、どこでも生えてくる力強さを兼ね備えているんですよ! こんな魅力的な物、買わないと損ですよ!

 しかも! 観賞用だけでなく、実用性にも優れているものもあるんです! ちょっと可愛そうですが、擦り潰して飲めば疲れを取れる物や、傷を治すものまで!

 さらにさらに!」

「わ、分かった! 分かったからちょっと落ち着いて!」

 

 ルディアに止められないと、いつまでも早口で花について延々と熱い説明会を続けていきそうな淫魔であったが、その彼女の言葉で我に返り、深呼吸を一つ取る。

 

「す、すみません……私、お花のことになるとつい夢中になってしまうんです」

「私も花は好きだから、気持ちは分かるけど、あまり人に押し付けない方が良いわよ。

 それにしても花売りだったとはね。昼間っからやってる風俗店かと思ったじゃないの」

「そ、そんなエッチな店! 私は働いてません!」

 

 その格好で言うか。とは、三人全員が共通で思っていても、声に出しては言わなかった。

 

「けど、そうね。お花買って行こうかしら」

「ほ、本当ですか!?」

 

 購入者の出現に、分かりやすく嬉しがる淫魔……いや、淫魔なのだろうか。こんな純粋に感情を出す子が淫魔だとは到底思えない。

 

「ル、ルディア? 俺たち、リルのために医者を呼びに来たんだよな?」

「別に良いじゃない。急かす事でもないし。

 それに花を買ってあげれば、良い手土産になるし、見舞い品にもなる。近くに飾ってあげれば、少しは退屈な時間がマシになるわよ」

「で、本当はどうなんだ?」

「私も欲しいから。って、私が花好きな事、アンタ知ってて聞いたわよね?」

「さて、どうだったか」

 

 とぼけるカリューオンではあるが、その言葉に嫌味はなく、ただの冗談だ。そのことはルディアも理解しており、二人とも同時に笑う。

 

「では、こちらへどうぞ! お好きな花選んでくださいね!」

 



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淫魔の花屋と医者

 花屋で花を買ったルディア達。そのあとは、腕の良い医師がいると言われている病院へと向かう。

 どうやらその医師はカリューオンと知り合いのようで、さらには今の時間ちょうど暇だったらしく、往診をお願いすると快く了承してくれた。

 そして、そのまま何事もなく家へと帰り、リルの診察へと移る。これで、彼の容態が分かる……

 

「これは……ただの筋肉痛ですな」

 

 そんな事にはならなかった。

 

「は? 筋肉痛が三日も続くわけ?」

「そう言われましてもな。ワシの知る限りでは、そうとしか。

 いやはや、医療の道を続けて三十年。まだまだ知らないことばかりですのう」

「うっそだろ……」

 

 研鑽の余地はあるということですな、などと嬉しそうに言いそうな白髪の医者ではあるが、リルからすればたまった物ではない。

 わざわざルディア達が、都から連れてきてくれたというのに治療法どころか、自身の身に何が起こっているかも判明しなかったのは痛手だ。

 

「ねえ、カリュ。この人、本当に腕が良いっていう評判の人なの?」

「……間違いはない。私も多少のイロハは教えてもらっている身ではある。

 知識ならば都で右に出るものはいないはずなのだが……」

「評価してくれるのはありがたいがのう、カリューオンさん。私ももう老いぼれ、この頭の中に残っている知識は過去の物ばかり」

「それは流石に卑屈になりすぎです。知識とは先人から続くものばかりなのだから」

「そうだとしても、私には何もできんかった。医者としてお恥ずかしい話ですよ」

 

 申し訳なさそうに喋る老人であったが、これで振り出しに戻った事には変わらない。

 こうなれば、リルの容態を突き止めるには、世界で指折りの医者を探すか、それとも……

 

「そうだ。思い出しました! 王都には一人、他人との縁も持たない医者がいましてね」

 

 これは行き詰まってしまったか、誰もがそう思ったところで、彼はある糸口を見つける。

 

「ほう、聞かせてくれ」

「その医者はあの森へとよく向かっていて、いつも何かを持って帰っておるみたいです。まあ、薬草か何かでしょう。

 しかも、その薬草を使っては次々と新薬を使って、私らでは手のかかる症状をあれよあれよと治していくらしい。

 その人ならば、何か分かるかもしれませんのう」

「そう。他に当てもないし、その医者に頼るしかないわね。

 で、どこにいるのかしら?」

「確か……花を売っている妙に肌を露出している魔族と一緒に住んでいるとか」

「それってもしかして……」

 

 王都に赴いた三人は、共通の人物を思い浮かべる。そう、花屋で魔族、それはあの人しかいないだろう。

 という事で、再びバラデラに向かうことになった三人は、十分程度で城から街へと繰り出していた。

 

「まさか、あの花屋が関係してたとはね」

「全くだ。どこで何が繋がっているかもわからんな。人の縁というのは奇妙な物だ」

「そうだな。けど、俺はバラデラに来れただけでなんか嬉しいんだけどな!」

 

 今日二回目の上京だというのに、イーサンの上機嫌は継続中のようで、未だ浮かれているのは誰が見ても分かる。

 

「にしても貴方、不慣れな中でよくそんな元気でいられるわね。二日前なんか、自分の世界に帰れないかもしれないって言われたのに」

 

 二日前、それはメティスに善明(イーサン)が元の世界に帰れないかとルディアが聞いた日の事だ。

 空間の魔法を操るメティスであれば、別世界へ渡れるのではないか。そう聞いたところ、それは無理だと判断された。その理由は……

 

「確かパラレルワールド……だったけ? 俺、よく分かんないけど」

「ええそう。

 パラレルワールド、並行世界と呼ばれる物。異世界があるならば、必ず存在し得る物。

 鏡合わせのように無数に存在しながらも、その一つ一つに僅かな差異があり、その性質こそが貴方が元の世界に帰れないっていう理由。

 無数の世界から貴方のいた世界を探し出す事は不可能で、似たような世界に戻れたとしても、正確な元の世界ではないし、そうなると歪みができる。

 それがメティスの言い分みたいね」

「……今聞いても、よく分かんないな。まあでも、帰れないってことぐらいは俺だって分かる。それで、ちょっと不安にも思ってるさ。

 けど、クヨクヨしたって仕方ないし、今はできることをやる。

 そんでもって、それはリルの事だ」

 

 イーサンはそう言いながら、口角を上げる。

 その鋼のメンタルにルディアは呆れ返り、笑うしかない。

 

「アンタ……よっぽどのバカなのね」

「それ、よく言われるよ」

 

 二人は笑顔で、年相応のやり取りをしながらも、歩みを進める。そこに一切の負の感情はない。

 だが、その二人に追従しながらも、眉間にシワを寄せる人物がいる。カリューオン、彼女は別世界について、そしてリルとイーサンについて考えていた。

 

「メティス様はイーサンにパラレルワールドの事を説明されていたのか……ならば、なぜリルを元の世界に返すと言ったんだ?」

 

 使い魔である彼女は、ある程度主人の意図は知っている。メティスがリルを殺そうとしたのではなく、ただ元の世界に返すという真意も。

 だからこそ、イーサンを元の世界に返せないと言ったことは理解できなかった。

 

「リルを元の世界に返すというのは嘘だった? 元の世界ではなく似たような世界に返すつもりだった? いや、ならば『歪み』というのはどうなる。

 殺す……いや、それはあり得ないはずだ。それならばあの時、()()()()()()()()()()()だ。

 考えれば、考えるほど分からん。……はぁ、めんどくさいな」

 

 カリューオンは似合わない言葉を吐きながらも、イーサン達の後をついていく。その考えを隅に置きながらも。

 そして、彼ら三人は目的地である魔族が経営している花屋に到着する。白、青、赤、黄色、色鮮やかな花達が生き生きと咲いているそこは、ルディアにとってどこか親しみを覚える場所だった。

 

「いらっしゃいませ……あれ、さっきのお客さん?」

 

 そして、つい一時間ほど前に会った青肌の淫魔が、その花屋の前で花の世話をしていた。

 相も変わらず、見た目は少年少女に見せられないような過激さを持ち合わせている。

 

「何か買い忘れですか?」

「いいえ、貴女にちょっと聞きたいことがあるの。

 少し変わった医者がここにいるって聞いたのだけど、心当たりあるかしら?」

「医者……はい、メリーさんですね?」

「メリー?」

 

 イーサンはその名を聞いて羊を思い浮かべるが、話は関係なく進む。

 

「メリー、その人が医者かしら?」

「そうです。一応ここの二階を診療所してらっしゃるんですけど……」

 

 説明の途中、淫魔は気まずそうに目を逸らす。

 

「どうしたの?」

「いやあ、実はあの人、今いないんです。一週間前からずっと帰ってこなくて」

「一週間って……それやばいんじゃ!」

「大丈夫ですよ。あの人、医者とは言っても元軍人だし、それくらい帰って来ないなんてザラなんですよ」

「大丈夫であれ、そうでなかれ、私たちはその人が必要なの」

「そうなんですか……なら、探しに行ってもらえません? あの人は森に入ったはずなので」

「森……ってことはあの……?」

「はい、そうです」

 

 森、それがどこを指しているのかわからないイーサンは頭を傾げる。

 

「なあ、ルディア。森って……?」

「ここから南東にある森のことよ。だいぶ大きいから人探しってなると結構大変になるわね」

「大丈夫です! あの人はこれと同じ物を持っているので!」

 

 淫魔はそういうと胸の谷間からペンダントらしき物を取り出す。それは涙型の水晶のようで、人の心を穏やかにさせるような緑の色をしていた。

 

「それは?」

「共鳴ダウジングです! これに魔力を通すと対になっている共鳴ダウジングの方向を指してくれるんです!

 これを貸しますんで、あの人を探してきてください!」

「良いけど、これ、本当に借りて良いの?」

「はい! 花好きな人に悪い人はいませんので! あなたになら盗まれても構いません!」

「それもう、悪いひとなんじゃ……」

 

 そのイーサンのツッコミで、ルディアとカリューオンがぷっと笑いはじめる。

 

「ちょ、ちょっと!? 私何か変なこと言いましたか!?」

「ふっ……悪いな。あまりにも見た目とは反する性格だと思って」

「私もよ。もちろん良い意味で、だけど」

「もう、良い人だなんて言って損しました」

 

 拗ねたように淫魔は腕を組んで、ぷいっと顔を背ける。その様子さえも、笑いの一因になると知らずに。

 

「じゃあ私たち、そろそろ貴方の同居人を探しに行くわ。

 ええっと……貴方名前は?」

「私? 私はアリアナです!」

「私はルディア、そっちの黒髪はイーサン、銀狼人の方はカリューオン。

 アリアナ、あなたの同居人、ここへ連れ戻してくるわ」

 



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七色の森

 凄腕と噂の医者を探しに、森へと行くこととなったルディア達。

 森はもちろん街の外にあるということで、バラデラを囲む城壁の近くまで彼女達は来ていた。

 

「すっげぇ、たっけぇ!」

 

 何かを見上げるイーサン、彼の口からこぼれる声には称賛と一種の憧れが含まれていた。一体何が彼の心を動かしたのか。

 それは城壁だ。高さ十メートル以上ものある石で積まれた城壁は、無限に横へと伸び、街全体を守護していた。大きいというだけで、男心をくすぐるが、それが街を守っているとなれば、さらにワクワクさせるのだろう。

 

「イーサン、流石に気を引き締めなさいよ。城壁から一歩出れば、魔物が襲ってくる可能性があるんだから」

 

 一方で、ルディアは冷静そのものだ。

 彼女は背中に直剣と短剣、そして腰にナイフを掛け、胸や肩、膝などの部分に鎧を装備している。今から戦いに行くかのように。

 

「わ、悪い悪い。やっぱこういうのって新鮮だからさ」

「今回は許されないわよ。わざわざ危ないところに自分から行くって言ったんだからね」

「うぐ……イゴキヲツケマス……」

 

 この二人がこんなやり取りをおこなった理由。それは、イーサンの発言にあった。

 森の中に医者いるという情報を得た彼女ら、しかし、森は薄暗く、見通しが悪く、さらには強力な魔物がいる可能性がある。

 もし森の中で魔物と遭遇すれれば、危険な状況となり、イーサンは足手纏いになる。彼の身体能力は低く、多少動けると言ってもそれは彼の元いた世界での話だ。命が関わる危険な場所へは連れて行けない。

 そう判断した他の二人ではあるのだが、頑固に彼は拒み、ついにはルディアが許してしまうという事になる。その時の彼女はこう言っていた。

 

「連れて行かないって無理やり置いて行っても、こう頑固だと跡をついてくるわ。だったら一緒に行動するのがかえって安全よ」

 

 これには、カリューオンも納得せざるを得なかった。

 というわけで、引き続き医者の捜索は三人で行うことになる。

 

「ところでさ、カリューオンはどこ行ったんだ? さっきから姿が見えないけど」

「彼女なら、移動用の馬車を用意してるらしいわ。

 徒歩でとなると一時間ほどかかるし、馬車なら二十分ぐらいでつくから、移動がぐんと楽になるから助かるわ」

「なるほど、そりゃあ便利だな」

 

 そんな会話をしているうちに、二人の横に一台の馬車が止まる。そしてその中から、

 

「待たせたな、二人とも」

 

 カリューオンが顔を覗かせ、親指を立てる。

 

「なんだい、アンタらがカリューオンさんのお連れか!」

 

 他にももう一人、馬の手綱を引く御者の男が前に座っていた。彼は大層立派な髭を蓄えており、体毛もそれ同士が絡まるほどもっさりしていた。

 

「ええっと、アナタが森へと連れて行ってくれるんですか?」

「おう、なんだ堅っ苦しいやつだな? 俺と話す時はもっと砕けて喋りな、少年!」

「は、はい……じゃなくて、分かった! おっちゃん! 今日はよろしく!」

「おうよ! あと俺はおっちゃんじゃなくて、メギドって名前だからな!」

「メギドか、俺はよし……じゃなくてイーサンだ! よろしく!」

「おう、イーサン! 良い名前だな!」

 

 会って間もない二人だが、妙に気が合ったのかすぐに距離を縮め合う。まるでこの後に肩を組み合いそうなほどに。

 

「イーサン、その人と仲良くなるのは良いことだけど、早く乗りなさい」

「おっとそうだった。メギドのおっちゃん! 森までよろしく!」

 

 そう言って、イーサンは馬車に後ろから乗り込む。その中には多少の荷物が入っていて、狭くなっているものの、それでも三人という人数ならば、余裕で乗り込めるスペースがあった。

 

「それじゃあメギド、よろしく頼む」

「よっしゃあ! それじゃ南西の森に出発だ!」

 

 カリューオンが全員座った事を確認すると、メギドに出発の合図を送る。そして彼もそれを聞くと手元の手綱で、馬に進むよう合図を送る。

 ルディアら三人を乗せた馬車は城壁の門を潜り抜け、広大な草原の中走っていく。

 

「いよいよ、出発か! なんかワクワクするな!」

「アンタ、いつでもワクワクしてるわね……」

「まあ、そう言ってやるな。彼にとっては色んなものが初めてなのだからな。

 ……そうだ、イーサン。森へ行く前にこれを装備していくんだ」

 

 そう言って、カリューオンは馬車にもともと積まれてあった木箱からある物を取り出す。

 

「それは?」

「鎖かたびらだ。一般の物より少し軽く、脆いかもしれないが、君にならぴったりだろう。普通の鎧よりも動きやすいから、そう言った意味でもな」

「へぇー、ありがとな!」

「気にするな。万が一のことを考えただけだ。それにこれは余り物だからな。

 あと、これも一応背負っておけ」

 

 カリューオンが取り出したのは直径五十センチほどの円形の盾だった。

 

「盾を? なんで背負うんだ?」

「背中からの奇襲を防ぐためだ。私やルディアならともかく、君は素人だろう? 不意打ちに反応出来なければ、死んでしまうからな。

 あとは、この鉢巻を頭に……それと各関節に……」

「お、おい……!」

 

 荷物からはさらに、防具類の物が出てくる。彼女はそれを全部出すつもりなのだろうか、イーサンに次々と手渡してくる。

 

「カリュ、あんまり装備させすぎると、動けなくなるわよ」

「大丈夫だ。全て軽素材でできてる。とは言っても、私も全部は装備させる気はないさ。

 イーサン、ちょっと着てみてくれ」

「分かった」

 

 そう言って、彼は何故か服を脱ぎ出す。

 

「ちょっと! 何やってんのよ!」

「え? 鎖かたびらを着るために……」

「バカ! それは服の上から装備するものよ!」

「そうなのか!?」

「はあ……リルの事を思い出すわ……」

 

 イーサンの無知っぷりに、頭を抱えしかないルディア。そのあと、それぞれの装備の仕方を彼に教えながら、代わりに防具を装備させていく。

 

「で、どうだ?」

「うーん、やっぱ全部装備すると重いな」

「ふむ、ならやはり関節の装備を抜いて……」

 

 重要度の低い物を順番にカリューオンは外していくが、そのさまはまるで子供の世話をする親のようだ。

 その事を感じていたのか御者のメギドも後ろを見て発言する。

 

「カリューオンさん、アンタなんかそうしてると、母親みたいだな」

「そうか?」

「ああ、俺もお袋を思い出すよ。どこかに出かけるだけで、あれは持ったか、これを持ってけなんてな。今思えば懐かしい思い出だ」

「確かに、カリュにはそういうところあるわね」

「むう……まあ、いつもメティス様に仕えているからな。そう言った部分はあるかもしれん」

「あいつは、自分でそういうのやりそうにないものね」

「ああ、そうだ! あのお方は自身の事を全く気にしていなんだ! いつもいつもこの前も……食べれれれば何でも良いと……」

 

 カリューオンの逆鱗に触れたのか、そこから普段ためこんでいたであろう不満が爆発する。

 

「……カリューオンってこういう事、言わないって思ってたから意外だな」

「誰にでもこういうのはあるのよ」

 

 それについていけない二人は小声で話す。

 

「はぁ……全く、あの人は面倒くさい」

「……アンタ、割と似合わないこと言うのね」

 

 と、その途中で放った言葉でルディアはさらに、苦笑いまですることとなる。

 

「私だってこういう事は思う。むしろ、周りが評価しすぎなんだ」

「へぇ、今日はカリューオンさんの意外な一面を見ちまったな。

 そういえばだけどよ、あの森について妙な噂を聞いだんだ」

 

 メギドのその言葉で、和やかな空気はすこし不穏な方向へと風向く。

 

「なんだ、その噂ってのは?」

「最近あそこに住む魔物が少なくなってるみたいでよ」

「そんなことが妙? 別に魔物がいなくなるのは良いことじゃないのか?」

「ところがどっこい、そうはいかねぇんだよ。何せ、森から帰ってくる人が減ってるらしいからな。

 アンタらも気をつけた方が良いぜ」

「ああ、生きて帰ってくるよ」

 

 生きて帰る。それは当たり前なのだが、ルディアには別の懸念があった。

 森に入って帰る人が減っている。彼女らの追っている医者もその森に入っている。ならば、その医者は……

 

「……今考えても無駄か。居場所はこれが教えてくれるから、まずは見つけることね」

 

 淫魔に渡されたペンダント、これが本当に探知に使えるのかどうかも怪しいが、今はこれしかないのだ。

 そしてなんだかんだで、三人は二十分ほど馬車に揺られ、目的地である森の前に到着する。

 

「ここが、目的の森なのか?」

「ええ、通称七色の森。本当に七色に光るわけじゃないけど、場所によって特徴が変わるからそう呼ばれてるらしいわ」

 

 そう言われて、イーサンは森を見渡す。しかし、いくら見ても緑ばかりで、やはり七色ではないようだ。

 

「けど、この森共通の特徴が奥に進むほど、魔物が凶暴であること……なんだけど」

「最近は魔物がいないことが気になってる、か?」

「まあね。慎重に行った方が良いと思うわ。

 特にイーサン、貴方はね」

「わ、分かってるよ。安全第一、ルディア達と一緒に行動、逃げろと言われたらすぐ逃げる、だろ?」

「よろしい。

 じゃあ、これを使うわよ」

 

 ルディアはポケットの中からペンダントを取り出す。

 

「使い方は、地面に垂直になるよう垂らして、魔力を通すと……」

 

 口にした使用方法通りにペンダントを使うと、それは淡く緑に光り、森のある一方向へと指す。

 

「おお、これまるでアレみたいだな。ええと……ええ……なんだっけ」

「さあ? 私は知らないわよ」

「残念ながら私もだ」

 

 イーサンのいうアレ、正解はペンデュラムであるが、誰も知る由はないし、そもそも今は関係ないことなので、流される。

 

「カリューオンさん、俺はちょっくらここからを適当に回ってるから、合図を出してくれりゃここへ戻ってくる」

「ああ、しかし大丈夫か?」

「安心してくださいよ。その辺の賊や魔物だったら、こいつらで逃げきれるからな」

「そうか、無理はするなよ」

「アンタらもな」

 

 ここまで送ってくれたメギドはどうやら一時離脱のようで、帰りまでは別行動となってしまう。

 

「私たちもいくわよ」

 

 そして、三人も森の中へと入っていく。医者が居ると言われているこの七色の森へ。



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奥へ奥へと誘われ

 医者がいると言われている森の中、三人は戦闘に入っていた。とは言っても、エンプト戦やメティス戦ほど激しくはなく、ルディアやカリューオンにとっては肩慣らし程度のものだった。

 

「フゴッ!」

 

 ツノが生えた紫色のイノシシ、それは姿を見せなくなったという魔物でもあった。

 

「はあ!」

 

 その通常よりも大きいイノシシの魔物をルディアはツクモの宿った短剣……ではなく直径にて一刀両断にする。

 

「ウォォォ!」

 

 だがしかし、攻撃後の隙をつくように、彼女の後ろから熊の魔物が襲い掛かる。その熊は全身から骨が突き出しており、周りを全て傷つけるような禍々しさを持ち合わせた見た目をしているが、

 

「ウゴッ……!」

 

 突如として胸から手が生える。いや、背中から手が貫通し、その手は心臓を握っていた。

 

「背中がガラ空きだぞ?」

 

 その手はカリューオンのものだった。

 彼女が手を引き抜くと、熊は糸が切れたかのように倒れ、ドシンという重い音とともに動かなくなる。

 

「ありがと、カリュ」

「なに、私がやらなければ君がやっていただろう?」

 

 二人の会話には余裕があり、それほど戦闘は苦では無かったことが読み取れる。

 ただ、それに比べて少しばかり手間取っている者もいる。

 

「くっ……そこだ!」

 

 ルディア達が戦っていたイノシシや熊とは、大きさも迫力もない小柄の鳥と戦っているイーサン。

 彼は盾を使いながら、攻撃を防いでは攻撃。防いでは攻撃という堅実な戦い方をとっていた。その理由は、相手がいくら小柄とはいえ、空中に飛んでいる鳥だからだ。

 無闇に振り回しても、相手が空中にいる限り、彼はその攻撃範囲に敵を入れることができない。だから、彼は地道な戦いを選ぶしかなかった。

 

「今だ……!」

 

 けれども、彼の剣は鳥の体を貫き、勝利を掴み取る。きちんと頭を使ったからこその勝利だ。

 

「ふう……」

「お疲れ、イーサン。初めてにしては結構やるじゃない」

 

 戦闘が終わったことを確認したルディアは、周りを少し警戒しながらも、イーサンに近寄る。

 

「まあな。一応ソフィからも褒められたし。なかなか筋があるって。

 でもまあ、こういう戦い方を教えてくれたルディアのおかげかな。ソフィと戦ってた時はただの攻め一点だったし」

「ふぅん、アイツが褒めるってなかなか珍しい……そこ!」

 

 話の途中、彼女は何かに感づいたと同時に、即座に矢を弓につがえ、そして狙いの間もなく、木の葉の影へと矢を放つ。

 

「フゲッ!?」

 

 矢は何かに当たったようで、当てられたモノは一瞬の断末魔の後、木の枝から落ちて来る。

 

「やっぱり、もう一匹いたようね」

 

 その木から落ちた何かは猿の魔物だった。頭は矢に打ち抜かれており、おそらくはさっきルディアが放った矢であろう。

 

「うお、すげぇな。弓の扱いもだけど、隠れてる相手を見つけ出すなんてな」

「魔力を探れば、ね。こいつらは魔力を垂れ流しにしてるから、分かりやすいの。

 そうでなくても、よく見てれば草が揺れてたから、魔力を使わなくても探せるわ」

「ほへぇ、ドウサツリョクってやつだな。俺もやってみたいな」

「そう簡単にはできないわよ。それよりも今は医者を探すべきね」

 

 そう言って、彼女ら三人は歩を進める。

 

「にしても、イーサン。先ほどの戦闘は上出来だった。ルディアの言う通り、初めてとは思えんぼど冷静だったな」

「そうかな? 結構緊張してたんだけど」

「いや、普通ならばもっと緊張して、動けなくなるなんていうのがザラだ。そうでなくとも、冷静さを欠いて武器を振り回すかの二択だ。

 君はよくやっているよ」

「そ、そうかな?」

 

 カリューオンからのお褒めの言葉に、どこか浮ついてしまうイーサン。

 彼は本来戦うべき者ではないのだが、あの鳥は危険度が低い魔物であったため、練習相手として戦っていた。

 

「けど、カリューオンやルディアに比べたら、俺なんて弱い方だよ」

「それは当たり前だ。私もルディアも、今まで積み重ねてきた修練や経験がある。一朝一夕で超えられはしないさ。

 それにルディアは天賦の才がある。あのイノシシの魔物だって本来ならば、普通の戦士数人がかりでも手こずる相手だからな」

「や、やめてよ。そんな手放しで褒められると、逆に恥ずかしいんだから」

「他にもだな……」

 

 顔を真っ赤にするルディアであったが、カリューオンの褒めはまだ続く。子どもの頃から覚えが速いやら、全武器種が使えるやらと。

 

「良い加減にしてよ! まったく、アンタは悪い意味でも母親らしいわね」

「自身が手塩にかけて育てた子だ。自慢するのも当然だろ?」

 

 口の減らない銀狼人ではあるが、ルディアは微妙な顔をしながらも、どこか悪くはないと思えるような気がした。

 その様子を見ていたイーサンは置いてけぼりではあったが、ある事を言い放つ。

 

「二人とも、そうして見てるとなんか本当に親子みたいだな」

「そう? まあ、彼女から色々と教えてもらったことはあるけど、それでも親とは違うわ」

「ふぅん、俺にはそう見えるけどなぁー」

「ルディア、話も良いがそろそろ」

「そうね」

 

 カリューオンが何かを促すと、ルディアはポケットから例のペンダントを使う。

 彼女らはこの作業をもう三回ぐらい行なっている。しかし、結果はどれも進行方向と同じ方向にしか指さない。そして今回も。

 

「まだ先か。もう一時間は歩いたんじゃないか?」

「それほど、医者が奥まで進んだと言うことだろう」

「……それだけじゃないと思うわ」

「どういうことだ?」

「このペンダント、ほんの少し下を向いてる。地下洞窟か、あるいはダンジョンか……」

「なあ、それって同じじゃないのか?」

「違うな。地下洞窟は天然であり、ダンジョンは人工物だ」

「え、ダンジョンって人が作ったのか!?」

「それも違うわ。ダンジョンは魔族特有の魔法によって作られた建造物の一種よ。

 その昔、一部の魔族は人間達を支配しようとして、その拠点としてダンジョン形成魔法が使われていたの。

 魔力保有量が多い魔族だからこそできる魔術ね」

「それ、初耳なんだけど」

「そうだった? まあ、詳しくは後で話すわ」

 

 雑談を交えながらも、彼女達は奥へ奥へと進んでいく。しかし、その途中で……

 

「む、二人とも止まれ」

 

 カリューオンは何かに気づく。

 

「ど、どうしたんだ?」

「……ツタだ」

「へ?」

「ツタがそこら中にはびこっている。しかも、その量が異様に多い。こんな物がこの森に生えているととは、聞いたことがない」

 

 イーサンは周りを見てみる。確かにカリューオンの言う通り、そこにはツタが生えていた。

 そのツタは一つ一つが異様に大きく、木に巻きつき、物によっては木を折っているツタもある。それはまるで森そのものを侵食していくかのようだ。

 しかもその模様、黄色い斑点がツタの不気味さを増している。森も薄暗くなっているからか、余計に

 

「……どうやら、医者はこの奥のようね」

 

 ルディアの持つペンダント、それはツタの根本であろう、森の奥へと指している。

 それに対して、イーサンは不安な顔をする。

 

「進まなきゃいけないってことか?」

「そうよ。この奥がどうなってるのか分からないけど、確認しないことには……」

 

 その時、イーサンの視界がグラリと揺れる。

 

「え……?」

「ちょ……イ……ぶ……」

 

 ルディアからの言葉は反響して聞こえ、何もかもがグチャグチャに混ざる。

 感覚という感覚が混沌としていき、何が起こっているかすらも理解できなくなる。

 

「くっ……頭が……」

「イ……、イーサン!」

 

 だが、ルディアの必死の呼びかけに、やっと彼の意識は明確化する。

 

「はっ……! ご、ごめんルディア……急に目眩みたいなのがして……」

「そう、なら、良かった……」

「え、ま……!」

 

 イーサンを心配していたルディア、だがしかし、彼女は突如、短剣での刺突を彼へと繰り出す。

 

「くっ……」

 

 イーサンはその攻撃をなんとか避けるものの、その行動に驚愕や戸惑いがあった。

 

「どうしたんだよ、ルディア! 急に攻撃してくるなんて!」

「ふっ!」

「うおっと!?」

 

 ルディアの攻撃の次は、カリューオンの攻撃であった。それも彼は間一髪で避けるが、頭の中は混乱で埋め尽くされる。

 

「い、一体なんだって言うんだ……」

 

 何故か敵として立つルディアとカリューオン、その目をよく見れば、光を失っているようにも見える。

 

「くそ、一体何がどうなってるんだ……!」

 

 しかし、彼はそれに気づけても、彼女らの状態を理解することはできなかった。だから、彼は逃げるしかないと判断し、入り口の方面へと走る。

 けれども、

 

「な、なんだよこれ……」

 

 彼は絶望の淵に陥る。

 目の前に、ツタの壁が高くそびえ立っていたからだ。

 

「こんなの、来たときにはなかったのに……くそ!」

 

 後ろからはルディアたちが追ってくる。迷ってなんかいられない彼は、とにかく逃げる。壁沿いに走り、出口がないかと探す。

 十分、二十分と時間は過ぎていき、ついに彼はスタミナが切れて、ついにはへたり込んでしまう。

 

「も、もうダメだ……」

 

 息は上がり、これ以上走ると体が悲鳴をあげそうなくらい、疲労が溜まっていた。だが、運良くなのか、ルディア達からは一旦逃げ切ることはできた。

 

「……追ってはいない。けど、ここかどこかも分からない。

 はぁ……一人ぼっちか」

 

 しかも、いつのまにか日の光が差し込まないぐらい奥まで入ってしまったようだ。その暗い森の中で彼は孤独となってしまう。つい数十分前までは、太陽の下で陽気に笑っていたのに。

 

「失った……また俺は……」

 

 そして、心すらも森と同様に暗くなってしまう。

 

「……暁、お前はどこに行ったんだよ……」

 

 かつて失った友人、それを彼の口はぽつりとこぼす。

 心細い彼にとって、今の状況は友人を失ったときと似ているのだろうか。



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大樹の罠

「体の内側に意識を向け、魔力の感覚をより明確化……」

 

 ルディアは目を閉じ、集中する。 

 

「外からの感覚は完全に切る……」

 

 例えその耳が、その肌が、四方八方から飛んでくる攻撃を捉えても。

 空気の流れや、空を切る音。

 

「『コレ』の原因となる物を排除……」

 

 敵の攻撃が、体に当たる。その感覚を彼女の脳は読み取るが、()()()()()()()()()()()

 

「打ち破る……この幻術を……!」

 

 活にも似た声、それにより、彼女の感じる世界は霧が晴れたかのように『幻』がなくなる。

 

「ふぅ……幻なんて厄介な物、使うなんてね」

 

 彼女が目を開けると、そこは暗い森の中であった。幻にかかる前と同じ。そして不気味なツタもそこに存在していた。

 

「他の二人は……」

 

 そして、彼女は同行していたはずのイーサンとカリューオンを探すべく、まずは周りを見渡す。

 そこには……

 

「ルディアは幻術が解けたんだな」

 

 大きな耳と尻尾を携えたカリューオンがいた。

 

「ええ。敵は厄介な物を持ってるわね、幻覚を見せる()()だなんて」

「ああ、どこから飛んでいるのかは知らないが、目に見えず、無意識に呼吸で体の内に取り込んでしまう。それでも、魔力で常に洗い流せば大丈夫だろう」

 

 ルディアはひとときの間のみ、幻に囚われていた。しかし、彼女はその現実からの乖離、差異などを見つけ、それが現実ではないとすぐに看破した。

 

「カリュは私より早く幻を解いたみたいね」

「いや。私はメティス様の計らいで、元々他人からの術には耐性を持っているんだ。とは言っても、最初に目眩はしたがな」

「へぇ、便利な物ね。それよりも、イーサン(ヨシアキ)は?」

「……残念ながら幻に引っかかり、何処かへ行ってしまったようだ。私が持ち直したときにはもう居なかった」

「それを早く言いなさいよ!」

 

 イーサンがいない。それは彼女達にとって一大事だ。いくら多少戦闘ができるとはいえ、彼はこの世界の事を知らなさすぎる。そして、もちろんこの森のことも。

 もし誤って、危険な森の奥へと行ってしまったなら……

 

「ともかく跡を追うしかないわ」

 

 そう言うと彼女は何故かしゃがみ足元の地面を触ったりじっと観察しだす。

 

「彼の靴は確か……うん、これね」

 

 どうやら足跡からどこへ行ったかを探し当てるつもりのようだ。

 

「ほう、鹿狩りの経験が活きているみたいだな」

「感心するのは後にして。彼の命が関わってるんだから」

「分かっている。では迅速に行こう」

 

 僅か情報を頼りに彼女らは、この広大な森の中から一人の男を探し出すため、道を外れる。

 その先に予想外の結果が待ち受けていても。

 

 ーーーーー

 

 彼女らの探し人、イーサンは森を彷徨っていた。もちろん、それは現実の森ではなく幻覚によって見せられた偽の森。

 

「はぁ、はぁ……ど、どこまで行けば良いんだよ……」

 

 日の光も刺さない暗い森の中、一寸先は闇とはまさに今の状況だろう。

 下手をすれば木にぶつかってしまうだろう……

 

「いっ……! 木にぶつかったのか……」

 

 ……ともかく、それくらい彼の視界は塞がっていた。

 そんな中、彼は暗闇の中で人影を見つける。もちろん暗いので、その詳細までは彼には分からなかった。

 

「だ、だれかいるのか……?」

 

 声をかけるも、その人影からの反応はなく、人影はそのまま奥へと進む。

 

「ま、待ってくれよ……!」

 

 何の手がかりも目印もないとは言え、その人影を彼は不用意にも追ってしまう。

 そして、辿り着いた場所は……

 

「ここは、家……?」

 

 森には、いや『この世界には』似合わない、現代風の家だ。

 何故、という疑問は彼には浮かばない。ただ、この先に何かがあるような気がしてならなかった。

 

「扉……開けるべきなのか……?」

 

 彼はドアノブに手をかけようとするものの、その直前でためらってしまう。この向こうには何か、恐ろしいものが待っていると、直感していたからだ。

 

「開けなよ」

 

 その時、後ろから声がかかる。

 

「その先に、何があるのか。君にはもうわかってるんだろ?」

「何って……俺に分かるわけが!」

 

 そいつが誰か、という疑問に持つ前に、彼は否定しようとする。しかし、それと同時に言葉に詰まってしまった。

 

「過去に見たことをもう一度見るだけ。そうだろ?

 だから、何の心配もいらない。だってそれは……」

「や、やめろ!」

 

 惑わすような言い方に、彼は顔を伏せ、首を振る。

 

「何をだい? 君はもうとっくに……」

 

 その誰かが、何かを言いかけた瞬間、イーサンの頭に衝撃が走る。

 まるで頭を撃ち抜かれたかのような、けれども本当に貫通したわけではない感覚。もしそうだとすれば、彼はもうとっくに死んでいる。

 

「いってぇ……何だ、急に」

 

 彼は何かが当たった場所である頭を触る。そこは何故か濡れていた。

 気づけば、謎の声はなく彼の視界は緑色に変わっていた。おそらくは森の中なのだろうが、彼の目はぼやけており、しっかりと物を捉える事ができなくなっていた。

 

「……さ……、ヨシアキ!」

 

 そして、聞き覚えのある声が耳に入る。その声は

 

「ルディア……? どこにいるんだ、ルディア!」

「ヨシアキ、ここよ!」

 

 段々と彼の感覚が明確になっていくと同時に、彼は自身の置かれている状況を把握していく。そして、ルディアがどこにいるのかも。

 イーサンは、周りにツタの壁が阻んでいる事に気がつく。だが、そのツタの壁は所々隙間が空いており、そこからルディアやカリューオンの姿も見えた。

 

「ルディア、カリューオン! ここは一体……」

「話は後! そこにいるやつから早く逃げて!」

 

 彼女が指差した方向に、彼が目を向けるとそこには

 

「な……」

 

 絶句するしかない、巨大な物がそびえ立っていた。

 周りの木とは比べ物にならないくらい巨大な大樹。高さ十メートルをゆうに越えたそれは、しかしその表皮が作る模様はどこか人間の顔をしているかのようで、僅かに動いている。

 しかも、周りのツタを自由に操っているようで、その数は数えきれないほどの無数。しかも、それは不気味に蠢いていた。

 極め付けは所々から生えている獣の足や顔だ。それは大樹が吸収しているが如く、ズブズブと取り込まれていく。

 そこで、彼は思い出す。この森に連れてきた馬車の御者の話を。

 

「魔物がいないって……こいつが吸収してるのか!」

 

 周りの魔物を吸収する事で巨大化し、ここまで成長した。それがこの大樹の真実だろう。

 

「そんなこと言ってないで早く逃げろ! 君は幻覚を解く術を持たないのだから……」

 

 カリューオンの必死の警告も虚しく、イーサンはまたもや感覚が朦朧としてくる。

 

「あ……まずい……またあれが……」

 

 彼の体はひざまずき、動かなくなってしまう。おそらくは幻覚を見せられてしまったのだろう。

 

「ヨシアキ! ヨシアキ!

 ……呼び掛けても無駄か。とにかく、向こうに行く方法を探さなきゃ、彼が危ない!」

 

 大樹から伸びるツタの触手、それはイーサンに向かっている。何をするつもりか彼女らに検討はつかないが、良くない事で間違いはない。

 

「このツタがあの大樹の意思で動いているなら、入口なんて作ってる訳がないだろう。

 ここは力技で切り開くしかないな」

 

 カリューオンは爪を立て、ツタを切り落とそうと構える。しかし、

 

「っ! カリュ、後ろ!」

 

 後ろから二匹の魔物に襲われてしまう。

 

「なっ……! はあっ!」

 

 それぞれ蹴りと直剣でなんとか対処したものの、その魔物の姿は衝撃的なものであった。

 

「こいつらは……! 先ほど倒したはずでは!」

 

 その二匹の魔物、片方はツノが生えてイノシシで、縦に傷跡があり、もう一匹は胸にアザがある熊の魔物であった。

 しかもその二匹、体が植物に浸食されているような姿であった。

 

「どうやら、あの大樹が何かを仕掛けたみたいね。なら、もう一回倒すだけよ!」

「グオオオ!」

 

 イノシシが突進を仕掛け、熊は爪を振り下ろす。その行動はさっきと全く変わらず、二人にとってそれは、ただの繰り返しだ。

 

「はあっ!」

「これで!」

 

 ルディアはイノシシを傷跡に沿って真っ二つにし、カリューオンは胸のアザにに向かって手を貫通させる。しかし、

 

「こいつ……再生してる!?」

「く、心臓がないか!」

 

 どちらも違った結果を見せる。

 イノシシは真っ二つにされながらも、その断面から触手のようなものが生えて、元に戻っていく。

 熊は生物の要である心臓がなく、カリューオンはそれを掴む事ができず、さらにはそのまま襲いかかってくる。

 

「ウオオオン!」

「舐めるな!」

 

 右腕による押し潰すような一撃をカリューオンは咄嗟にもう片方の手で止める。どちらも人間ではないその腕力で、拮抗状態となる。

 その隙に彼女は腕を引き抜こうとするが、

 

「っ、離さないつもりか!」

 

 触手が彼女の体を掴む。

 

「ウゴオオオ!」

 

 動けなくなった彼女を、熊はもう片方、左腕の一撃を加えようとする。が、

 

「ふっ……!」

 

 彼女は体を上下逆さに捻り、ローリングソバットもどきで熊の左肩をぶち抜いた。

 

「グガッ……!?」

「まだっ!」

 

 さらには、それに続くように頭、腹、右肩へ、次々と蹴りの連撃を続け、最終的に彼女の捕まっていた腕の周りを剥がしていく。

 さながら、鮮やかに舞う蝶のようでありながら、荒々しさを持つ蜂のようだ。

 

「……厄介だな」

 

 しかしながら、体をバラバラにしても、その一個一個の動きは止まらず、また元の体へと戻ろうとしていく。

 

「それだけじゃないわ。奥、まだ来るわよ」

 

 ルディアの言う通り、森の暗闇の中から次々と魔物の大群が押し寄せてくる。

 あの大樹は吸収するだけでは飽き足らず、魔物の体を支配しているのか。

 

「不死身の軍団……まさにこの状況を表すにはちょうど良い言葉だ。全く、ただの人探しかと思えば、とんだ厄介事になったな」

「本当にそうね。この量、まともに相手してもキリがないわ」

「どうする? 彼は助けるんだろう?」

「当たり前よ。見てカリュ、あいつらの体、触手で繋がってるみたいよ」

「ほう、よく見つけたな。そして、それらはすべて大元であるあの大樹に繋がっている……」

「そう言うことよ。私が火の魔術を使う。そうすれば、まとめて燃やせるはずよ。

 カリュ、アンタは一瞬でいいから足止めをして」

「了解だ」

 

 一歩、カリューオンは前にでると、大きく息を吸う。そして、最大限まで吸った瞬間に息を止め、溜めていた空気を吐き出すかのように

 

「破ッ!!!」

 

 耳をつんざくような声を上げる。

 体に強制をするような声によって魔物たちは気圧され、動きを止める。

 対象でないルディアでさえも、その体にピリピリとした軽い雷が通ったかのような感覚に陥る。

 

「魔術……じゃ、ないようね。単純な技か、それともツクモに似た何かか……」

「ルディア、今だ!」

「……ええ、分かってる!」

 

 ルディアは魔力を火に変換し、手のひらに集める。数は三。少なく思えるが、それは手始めでしかない。

 

「威力は小さいけど……! 火球(ファイア)!」

 

 手を前に突き出すと共に、その火球らは魔物へと向かい、敵の体を燃やしていく。しかも、火球は当たった瞬間に破裂し、周りにいた魔物にも火を移す。

 それにより、放った数である三よりも多く、敵を燃やしていく。

 

「まだまだ!」

 

 しかも、彼女の追撃は止まず、さらに他の魔物にも火球を放つ。連射していく様は、機関銃のようだ。

 

「グオオオ!」

 

 火を纏い、次々と苦しんでいく魔物であったが、それと同時に大樹と繋がっているツタとは切り離され、火を消そうと転がり始める。

 

「末端は切り落として、元となる大樹には燃えないようにしているのか!

 ただの木にしては、知能が高すぎる……!」

 

 大樹には届かなかったものの、魔物の軍勢は数を減らし、彼女らは優勢に立っていく……かに思われた。

 

「っ……」

 

 突然、魔術で敵を焼き尽くしていたルディアは膝をついてしまう。

 

「なっ……ルディア! どうしたんだ!」

「ごめん……アンタ達との戦いの疲れがまだ残ってたみたい……。魔力ももう底をついちゃった……」

 

 一人が戦闘不能となる。それは大きな痛手だ。言い方を変えれば、それは足手まといとなるのだから。

 

「く……メティス様がいれば……」

「……そうよ、メティス。カリュ、アイツを呼べないの……? 使い魔なら、主に……」

「悪いが、無理だ! 実はさきほどから連絡を取ろうとしているのだが、反応がない……!」

「絶体絶命ね……」

 

 そういいながらも、おぼつかない足取りで彼女は立ち上がる。

 

「ルディア……!? 無茶をするな!」

「いいえ……ここで無茶しなきゃ、死ぬだけよ」

 

 彼女達の目の前にはまだ魔物が多く残っている。瀕死ぎりぎりの状態の者がいるなかで、逆転するならば、それはツクモしかない。

 

「私がやるわ。アンタはヨシアキをお願い」

 

 ルディアは刃渡りそこそこの剣の代わりに、小さく扱いやすい短剣を手に持つ。

 それこそ、彼女が本気である証拠。短剣には人の顔をしたオーラが浮き出る。触れるだけですべてを切り開くそれは、さらに光を強くする。

 彼女の想いが強くなっていく証拠だ。

 

「無茶だ! いくらツクモの力とはいえ、この数を相手に……」

「やるわ。やってみせる。その想いを可能にするのが、ツクモの力よ」

 

 こうなってしまえば、頑固として動かない。敵として相対した時も、そう考えていたカリューオンは、もう半ば諦めていた。

 

「……死ぬなよ」

「当然よ。やるなら全員生き残る」

 

 絶望的な状況で、彼女たちはそれでも希望を掴もうとする。果たして、その結末は……

 

「なっ……!」

「何……!?」

 

 まだ、だった。この盤面をひっくり返す要素はもう一つあった。

 ツタの壁の向こうから光が、熱線が放たれる。



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炎を纏い

 ルディアとカリューオンの戦闘中、善明はまた幻覚を見ていた。真っ白な空間で、ただ彼一人。

 

「また……か……」

 

 そして、もう一人。姿ははっきりと見えないが、彼はなぜか自身より少し年上で、男だと判断する。しかし、さっきの謎の声の主と同一人物かどうかまでは分からなかった。

 

「……うん、君がいいね」

「何の事?」

「いや、まあ、気にしなくていいよ。

 俺はただ君に力を与えるだけだから」

「はあ?」

 

 謎の男の言葉は、善明を疑心にさせる。急に出てきて力を与えると言うのは、怪しいほかないだろう。

 

「あ、ごめんごめん。説明不足だったね。

 ……とは言っても、どう説明したらいいやら」

「あなたは……誰だ?」

「誰、か。俺は……正義のヒーロー、謎の男だ!」

「はあ?」

 

 その言動で、ますます怪しくなってしまうその男は、ぼんやりとしか見えないはずなのに、ポーズを決めている事はなんとなく分かる。

 

「まあまあ、俺の事はどうでもいいよ。

 どうせ、()()()()()()()んだから。」

「それって、どういう……」

「とにかくだ。俺は君に力を与える。

 君は難しい事を考えずに、思うがままに力を振るう。

 本当はそういう事、タブーなんだけど、君なら、君たちなら大丈夫だと思うから」

 

 男は、手のひらから光をだし、その光の玉は善明へと入っていく。

 

「え、ええ!? 何、さっきの!?」

「俺の力だよ。とは言っても、君が何を『想う』かで、変わっていくはずだ」

 

 男の言うことに何一つ理解できていない善明、しかし別れの時間と言わんばかりに、男はさらにぼやけていく。

 

「こ、今度は一体……?」

「時間切れだ。細かい説明はあまり出来なかったね。

 とにかく、君は気負わずにいけばいい。俺が勝手に期待しているだけだから。

 何をするべきかは自分で決めることだから」

「ま、待ってくれ! そんなこと言われたって何も……!」

「君の知りたいこと、それは僕の——が教えてくれる。だから……」

 

 ノイズ、善明の視界にそれが走る共に、真っ白な空間はなく、男の姿はなく、現実である暗い森があった。

 大樹や、周りを囲んだツタの壁もそのまま。そして、迫りくる触手、それが彼を襲おうとしている。

 

「なっ……く、来るな!」

 

 手に持っていた剣で触手を斬るが、無数に近い数に襲われては、その勢いを止めることはできない。

 

「これじゃ、キリが……!」

 

 素人の彼でも分かる絶望。今の自分では、乗り越えられない状況。

 そう、もっと力があれば……

 

 ——おい、俺を使え。

 

「えっ?」

 

 彼が求めたと同時に、脳内に声がかかる。またあの男かと思われたが、確実に違う。

 それは、そう、どこか親近感があるものだ。

 

「誰、だ?」

 

 ——いいから、使え! その手に持ってるやつをな!

 

「手って……」

 

 彼は剣を眺める。手に持っていると言えば、これと盾しかない。

 その剣が、語りかけてきた。彼はそう直感する。

 

「これしかない……!」

 

 右手に持った剣を、彼は無意識に左手に持ち替えて、掲げる。

 するとどうであろう。

 

「うわっ!?」

 

 掲げた本人ですら、驚くほどの光が剣から放たれる。

 

「なっ……!」

「何……!」

 

 そして、壁の外にいたルディアとカリューオンでさえも、その光に驚きを隠せなかった。

 

「あれは……ヨシアキか?」

「だとしたら、あの光は……いや、あれは炎!」

 

 彼の剣から放たれる光は、全てを焼き尽くす。植物の魔物やツタの壁。彼の障害となるものは、炎に包まれる。

 

「これは、俺の力……?」

「そうさ! お前の隠されし力だ!」

「な、なんだこれ!?」

 

 そして、善明は自身が持つ剣の変化に初めて気づく。

 人の顔した霊のような何かが、剣の周りに漂い、しかも剣自体も変化していた。多少の装飾と鍔の真ん中には赤い宝石が埋め込まれている。

 そして、最大の変化はその刀身だ。刃渡りが先ほどの五割増しとなり、ルディアの剣よりも長くなっていた。

 

「お、お前は……?」

「俺か? 俺はそう……『ムラクモ』だ! よろしくな!」

「お、おう! よろしくな!」

「さて、ヨシアキ……今はイーサンだっけか?」

「な、なんで俺の名前を?」

「そりゃあ、俺はお前だからな!

 そんなことより、敵を倒すんだろ?」

「そ、そんな事できるのか?」

「おうよ! 俺がついているんだから当然だ!」

「おおっと……!?」

 

 そういうと、剣は持ち主の意に反するかのように、刃先が大樹へと向く。

 

「さあ、『想え』! 敵を倒すってな!」

「あ、ああ! 敵を倒したい!」

 

 彼の言葉と共に、赤き炎は強く輝く。

 燃え盛る炎は白にも近く、天まで突き刺さりそうなほど巨大と化していく。

 

「うおっ!?」

「そうだ! その気持ちだ!」

 

 そして、それと共に、ムラクモと名乗った霊もその体を大きくしていく!

 

「来た来た来た! その『想い』受け取ったぜ!

 そう! 我が名はムラクモ! 火をつかさりし剣だ!」

 

 火炎の嵐が剣を中心として吹き荒れる。彼を襲っていた触手も、その炎に焼かれ、近くことさえ許されなかった。

 

「熱い! 熱……くない?」

「そりゃそうさ! この炎は敵を倒すためのモンだからな!

 さあ! 今度はこの俺を振るえ! あの大樹に向かってな!」

「大樹……」

 

 善明は視線を手に持つ剣から、この元凶である大樹に向ける。

 不気味なその顔は、彼を睨み、また天敵として恐れているような気さえもした。

 

「よし、それじゃあ……」

 

 彼は構える。その剣を、敵を全て焼き尽くす炎の大剣、いや巨剣を!

 振り下ろすような構え。一撃で決めるという想いから来たそれは、

 

「ムラクモ! 行くぞ!」

「おうよ!」

 

 今、天が堕ちるがのように斬撃として放たれる!

 

「ブレイクバースト!!!」

 

 耳を貫くような轟音と、視界を塞ぐような輝きが、この場を全て包み込む。

 

「ウオオオオ……!」

 

 それは大樹の叫び声であろうか、低重音の断末魔を上げるが、それは炎によってかき消される。

 燃えて燃えて、幻覚も現実も、彼の敵となった者たちは灰と化していく。魔物の軍勢も、大樹の全ても。

 

「これが、本当に俺の力……?」

「だから、そう言ってんだろ。まあ、ここまでとはな。俺も驚きだな!」

 

 ニヤリとムラクモは笑うが、善明はそれどころではなかった。目の前をゴウゴウと燃え盛る炎に、それは自身がやったのかが、未だ半信半疑であった。

 

「たった一回、剣を振っただけなのに……」

「ヨシアキ!」

「ヨシアキ、大丈夫か!」

「る、ルディア! カリューオン!」

 

 駆け寄ってくるルディアとカリューオンに、善明はその困惑する心を一旦置いておく。

 

「大丈夫、なんとか平気だ」

「本当ね? なら、速くここから離れるわよ! 事情は後で聞くから!」

「な、何でだよ」

「周りをよく見ろ! こんな火事現場の真ん中にいると危険だ! 何が倒れてくるか……っ!」

 

 カリューオンが言ったそばから、火を纏った大木が彼女らに向かって倒れてくる。

 

「はあっ!」

 

 が、しかし、カリューオンの手刀の一閃により、それは砕ける。

 

「こういう事だ! 他にも何があるか分からん!」

「わ、分かった! とにかく離れれば良いんだな!」

 

 善明が了承した共に、三人はその場から走り去るように離れる。

 

「アンタ、そんな力どこに隠し持ってたのよ!」

「分からない! 急に変な男に会ったと思ったら今度は剣に変な……ムラクモっていう奴が現れて……」

「剣に……ムラクモ……ってそれ、ツクモじゃない!」

「おうよ! 俺がヨシアキのツクモ、ムラクモだ!」

 

 霊のようにフワリと浮きながら、ムラクモが彼女らの目の前に現れる。

 その姿は人間のようでありながら、炎を象徴するかのように熱い男だ。

 

「つまりは、ヨシアキの世界でもツクモは存在するということか」

「そ、そんなはずないって! だって俺の世界はそういう不可思議というか、非現実的というか……魔術とかそういう物は全部ない筈だ!」

「じゃあ、なんで……!」

 

 走りながらも討論が繰り返される中、彼女らと並行するように、ここ最近で見慣れた物が、何もない場所から現れる。

 それは黒孔であった。

 

「これは、メティスの……」

「はい、正解〜」

 

 黒孔(ブラックホール)から、上半身半分だけ現れるメティス。

 

「カリュからの連絡があったみたいだけども、今はお取り込み中だったかしら」

「いやタイミングはバッチリよ!

 アンタの力であの火事、どうにかできるでしょ!」

「あら、ずいぶん派手にやったわね。このままだとこの森全部焼き尽くしちゃうかしら?

 そうなるとまずいわね。ここら一体の生態系が崩れて、人の生活にも……」

「分かってるなら、さっさとやって!」

「はいはい。もう、せっかちなんだから」

 

 メティスはその上半身だけの状態から、全身を黒孔から出し、空中へと飛ぶ。

 そして、それ以外の三人と一霊は彼女を見守るため、その足を止める。

 

「範囲指定、効果確認。外なる魔力よ、汝らのためにも、我に力を」

 

 手を差し出し、その上に光が集まる。

 その光は魔力だ。しかも、彼女の者だけではない。

 森全体が呼応するように、彼女に魔力を分け与えていた。

 

「確定せよ」

 

 詠唱とともに、燃え盛る木々が結界のようなバリアに包まれる。

 

「集約せよ」

 

 詠唱とともに、その結界は小さくなり、木々は取り残されたまま、炎だけが結界の中に集まる。

 

「静まれ」

 

 詠唱とともに、結界はさらに小さくなり、中にある炎と一緒に、音もなく消えていく。

 

「魔法って……こんな事もできるんだ……」

「……やっぱり、あの時は本気出してなかったわね」

 

 わずか数秒の出来事、しかし災害はその間に治る。これが、英雄と呼ばれた者の力だ。

 

「ふぅ……それで、森に医者を探すはずが、何故こうなっているのかしら?」

 

 メティスは振り返り、善明とルディアを見つめる。

 それは怒りか、はたまた蔑みか。

 

「そ、それは……俺が……うごっ!?」

 

 正直に白状しようとした善明だが、脇腹にルディアの手刀が入る。

 

「私よ。私が魔法で敵を焼き払おうとした。そしたら、不注意でこんなに被害が大きくなってしまったの」

「あら、アナタもこんな失敗することがあるのね」

 

 微笑むメティスであったが、ルディアの言葉を信用しているかどうかは怪しい。その真意を見抜いているかどうかは……

 

「……む? そこに誰かいます! メティス様、失礼!」

 

 しかし、それらを遮るように、カリューオンは黒く焼け焦げた森の中に入っていく。

 かつては木だった物をどかしたり、持ち上げたり、大樹があった根本の場所へと向かっていった。そして、そこには人がいた。

 

「ゲホッゲホッ……ったくよぉ、土ん中に閉じ込められたと思ったら、火が上から迫ってくるなんて、どんな地獄だ……」

 

 すこし口の悪い女性が、火災の跡から出てくる。その様子に、善明とルディアはあることを思い出していた。

 

「なあ、ルディア。あれってもしかして……」

「ええ、私もそうだと思うわ」

 

 淫魔から言われていた医者の特徴、その一つ一つを確認していく。

 

「ええと、確か、赤いショートヘアに、白衣。それから、メガネと目つきが悪くて、不良のような顔つき……」

「特徴とピッタリね」

 

 そう、今出てきた彼女こそが、善明達が求めていた医者、そして行方不明となっていたあの淫魔の同居人だ。



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帰還

「はい、リル。あーん」

「あ、あーん」

 

 ルディア達が森の中で医者を探しに行っている間、メティスはリルの看病を行なっていた。

 食べやすくするためにすり下ろした果物を、スプーンで彼の口に持っていき、それを彼は加える。まるで、親子か恋人か何かみたいではあるが、彼は体をほぼ動かせないので、仕方ないのだ。

 彼自身が恥ずかしかろうと。

 

「どうかしらお味は?」

「うん、甘い。めちゃくちゃ甘い。なのに、しつこくない」

「そうでしょう、そうでしょう。最高級の物ばかりを集めましたから」

 

 ドヤ顔で自慢をするメティスであったが、彼は怪訝な顔で彼女を見る。

 

「あら、何か言いたそうですね」

「……別に。ただ、すり下ろしただけで自慢するのもどうかなって」

「すり下ろしただけなんて、貴方もまだまだね。

 この果物は世界中から集めた物。つまりは、その世界各国と繋がりを持っている私だからこそできるのよ」

「繋がりうんぬんは初めて聞いたんだが」

「そうだったかしら? どちらにしても流通が発達した時代なら、お金さえあれば、誰でも買えるのですけど」

「なんだそれ」

 

 いい加減な言い回しに、彼はもう呆れることしかできなくなる。それでもルディアのようにメティスの言動に首を振るだけでなく、彼はわずかに笑っていた。

 

「でさ、メティス。ひとつ提案なんだけど」

「何かしら?」

「あの扉の向こうから、めちゃくちゃ視線をかんじるんだけど……どうにかしてくれないか?」

 

彼の視界には入っていないが、それでも感じる殺気に似た視線、それはピテーコスのものだ。

 

「うぎぎぎ、あの人間……! アチキでさえあんな手厚い看病をメティス様から受けた事ないのに……!」

 

 彼女は扉と壁にヒビが入るほど強く掴み、リルの事を恨めしそうに、もとい憎悪の念で睨んでいた。

 

「もうピティったら、あんなところで」

 

 そういうとメティスは手元に黒孔を出現させ、それに手を入れる。

 かと思えば扉の向こうで、ピテーコスの悲鳴らしき声が聞こえ、そして一瞬の静寂がこの場を包む。

 

「……メティス、何やったんだ?」

「一時的に帰ってもらっただけですよ。アナタが気にするような事は何もやっていませんから」

 

 彼女はふふっ、と微笑むものが、その裏にとてつもなく恐ろしい何かが隠れているように思え、リルはこれ以上追求することはできなかった。

 

「なあ、メティス。一つ聞いてもいいか?」

 

 しかし、その代わりとは行かないが、彼は質問をふいに投げかける。その表情は真剣そのもので、いつもの気怠い顔ではない。

 

「はい、なんでしょう?」

「二日前、ルディアが俺を何故ここに残す判断をしたかって聞いた時、お前は言ったよな。俺を信じたからって」

「ええ、そうですけれど」

「……理由は、本当にそれだけなのか?」

 

 その瞬間、メティスの微笑みは消え、雲行きが怪しくなる。だが、彼はそのまま話を続ける。この重い空気に気づいていないわけではない。

 

「ただの勘なんだが、お前の理由はそれ以外にあると思ってる。

 そんな信じるなんて、曖昧な感情論だけで、お前が納得するとは思えないんだ」

「あら、私でも感情で動くことはありますよ」

「それでも、だ。なんというかこう……」

 

 言葉を出そうとする彼、しかし、口は動かず、何を言うかも悩んでしまう。

 

「……例えそうだとして、アナタは自由の身となった。それで良いのでは?」

「良くない。いや、良いのかもしれないけど……俺の中で足りないと思ってしまう。

 お前は多分、善意で俺を見逃してくれたんだと思う。けれど、その先の真意を知らないといけない。

 俺が三日前に取り戻した記憶の欠片が、そう言っているんだ」

 

 その真っ直ぐとした表情。確信はなく、ただその意思だけが固く存在している彼に、またメティスは微笑みだす。

 

「申し訳ないけれど、私から言える事は一切ありません。これ以上は互いに不利益をこうむる可能性がありますので」

「そう、か。お前がそう言うのなら仕方ないか。

 こっちも見逃してもらってる身だ。了承せざるを得ないな」

 

 彼の体は動かせないため、何の動きもないが、少しがっかりしたように、溜息をつく。

 

「ですが……」

 

 しかし、メティスは立ち上がり、その右手をすっと彼の額にあてる。

 その手、その指は白く、細く、リルは思わず綺麗だと感じてしまう。女性の理想のような小さな手。魔族とはそう言うものなのだろうと思わせるほど。

 

「おまじないはかけてあげるわ」

「おまじない……? 魔法とかじゃなくてか?」

「ええ、魔法がある世界だからこそのおまじないよ」

 

 詠唱も無しに、彼の額は光りだす。

 それが何のおまじないなのか、それとも魔法なのかも分からずに、それは行使される。

 その『おまじない』を掛けられている彼自身は特に抵抗もなしに、受け入れる。痛みを無視して動けると言えば動けるが、それをしないということは彼女を信頼しているのだろうか。

 そして、それが数十秒続いたと思えば、光は収まり、メティスの指は彼から離れていく。

 

「それで、今のは?」

「だから、おまじないよ。貴方の今後の行く末を、良い方向へと変えてくれるおまじない」

 

 メティスはデフォルメされた星を出しそうなウインクをする。

 

「……教えてくれないんだな」

「当然です。これもヒントになってしまいますから……あら」

 

 話の途中、彼女はあることに気がつく。

 

「少し待ってて」

 

 そういうと、彼女は頭に右手を当てる。

 

「……これはカリュからの呼び出しね。しかも結構前から入ってる」

「な、何を言っているんだ? 大方魔法か何かだと思うけど」

「ええ、そうよ。カリュから魔法による連絡が入ってた。急ぎの用事みたい。

 ごめんなさい、リル。ちょっとここを離れるわ」

「いや、いい。それよりも速く行ったらどうだ。急ぎの用件っていうの、俺も気になるからな」

「そう言ってくれてありがとう」

 

 ーーーーー

 

 そして、時間は数十分後に流れる。

 探索組の三人と、メティス、そして三人が探していた医者は王都バラデラへと帰り、花屋の前に集合していた。

 

「メリーを無事に連れ帰ってくださり、ありがとうございます!」

 

 青肌の淫魔は九十度に体を曲げ、礼を言う。

 露出度が高い格好から、すこし違和感を感じる者もいたが、ここまで礼儀正しければ、そういう目で見る者はだれもいなかった。

 

「ちっ……だからそのメリーっていうのを、うおっ!?」

 

 赤髪の白衣を着た女医者が文句を垂れる前に、淫魔アリアナは力づくで、彼女の頭を掴み、下げさせる。

 

「や、やめろ! 何でワタシが頭を下げなきゃなんねぇんだ!」

「助けてくれたんですから、礼を言うのが筋ですよ?」

「わ、わかったから! お前力強いんだから、もうちょっと加減しろ!」

「しょうがないですね」

 

 そういうとアリアナは手に入っていた力を緩め、メリーと呼ばれた医者を解放する。

 

「いっつつ、ったく、首がやられちまうかと思った……」

「で、お礼は?」

 

 首を抑えるメリーに、威圧をかけるアリアナ。しかし、メリーは気にせず『はいはい』と生返事をする。

 

「ちっ、しゃあねぇな。まあ、お前らのおかげで帰りが数日ぐらいは速くなった。それだけは感謝しとく」

「それだけ、ですか?」

「それぐらいだろ、事実としては」

「命の! 恩人に! 対して! 失礼……」

「まあ、待ちなさいな」

 

 怒号を浴びせる淫魔であったが、それをメティスがまあまあと、なだめる。

 

「メ、メメメ、メティス様!? あの伝説的英雄の……あの!?」

 

 その姿に、淫魔は目玉が飛び出るかと思うほど見開き、へっぴり腰になる。彼女にとって、それほどメティスという存在は大きいのだろう。何せ、英雄と呼ばれる存在だ。これが普通……いや、少しオーバーリアクションかもしれない。

 

「はい、そうですよ。賢者であり、英雄のメティス様とは、私のこと。

 ここは私の顔に免じて、その怒りの矛先を収めてくださいませんか?」

「しかし、アナタ様に失礼では……」

「いえいえ、こちらとしては彼女にある者を診ていただきたいのです。それさえしてくれれば、彼女の無礼も目を伏せましょう」

「メティス様がそういうのであれば……」

 

 アリアナはその怒りを抑え、一歩下がる。まだ、怒りは残っているものの、メティスという英雄の存在で、それは一時的に収まっているようだった。

 

「上手いこと話をまとめたわね」

「ルディア、それどういう事だ?」

 

 その様子を見て、後ろでイーサンとルディアはこそこそと小声で話し合う。

 

「この状況、メティスはあのメリーっていう医者に恩を着せたのと同じなのよ。こっちの要求を断れば、あのアリアナっていう淫魔が黙ってはいないでしょうからね」

「言われてみればそうだけど、医者がそういうの断るのか?」

「普通の医者なら断らないわ。けど、あの医者の格好から見るに普通じゃない。

 白衣は着ているけどボロボロだし、着方もだらしない。どこかイライラしてて、言動も荒い。医者にしては少し怪しいわ」

「まあ、そうは見えるけどさ」

 

 彼女らの会話、それに反応してか、メリーは二人を睨みつける。

 

「ああ? そこの二人、なに喋ってんだ?」

「い、いや! 何にもない!」

「メリーさん、あんまり私のお連れを怖がらせないでくださる?」

「ちっ、その呼び方をやめたらな。ワタシの名前はマリソン・ウォクターだ。よく覚えておきな」

 

 その怒りは一定値を超えてしまったのか、彼女は親指の爪を一目も気にせず噛みだす。

 足もせわしなく動き出し、眉間にシワもよる。

 

「失礼、マリアナさん。改めまして、お願い申し上げます。

 私の知人が、謎の病にかかっており、それを治療するためには貴女の医者としての腕が必要です。どうか、私と共に知人の下へ来てくださりませんでしょうか?」

 

 懇切丁寧な喋り方。まさに知性を感じさせる賢者であるが、マリソンは三度目の舌打ちをする。

 

「そんな回りくどいことしなくとも、行くに決まってんだろ」

「その寛大なお心、感謝いたします」

「けっ、そのむず痒い喋り方はやめろ。でなきゃ、断るぞ?」

「あら、この方が良いかと思いまして」

 

 わざとらしい言い方に、またもやマリアナは舌打ちをするが、それ以上は何も言ってこない。

 これは承諾したという事だろう。

 

「んじゃアリアナ、ちょっくら外診に行ってくる」

「はい。夕飯までには戻ってきてくださいね」

「では、参りましょう。こちらへ」

 

 メティスは片手を広げ、マリアナを城へと誘導する。

 

「あん? 城へ行くのか?

 ……いや、術式がそこにあるのか。空間の魔術師というぐらいだ。一瞬で移動できる何かがあるんだろうな」

 

 粗暴な言動とは裏腹にその鋭い推理に、親しくない者の数人、主にイーサンは驚く。

 

「医者の割に、魔法に関して詳しいのですね。

 その通りです。この場でも魔法はつかえるのですが、なにぶん面倒なものでして。

 ところで、何故あのような場所にいたか、お聞きしてもよろしいかしら?」

「ああ? 確かな、アレは三日か、四日ぐらいだったか? そんぐらい前に森の中で、頭がふらっときてな。気付いたら土の中に閉じ込められちまった。

 なんとか脱出しようとしても穴は掘れねぇわ、上を塞いでる植物を剣で斬ろうとしても斬れねぇわで、大変だった。

 それから断食に耐えて、今日の出来事に至るってわけだ。それ以外の事は知らん」

「あの大樹に関しても?」

「ああ。こんな事聞いてなんになるんだ?」

「王に報告しようと思いまして。森が危険とあらば、その調査をしなければ」

「なるほどな。そうしてくれ。でなきゃ怪我人どころか、死人が増えちまうだろうからな」

 

 そうして、医者マリソンを加えた五人は、リルが待つ家へと戻る。



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診断結果

 日が沈み、一日の終わりを告げる夕暮れ時、周りは赤で染まり、まるで火で焼けたかのようだ。

 そんな時間に、ようやく噂の医者を連れ帰ることができたルディア、カリューオン、そして善明。彼らはリルの待つ家へと帰る。

 騒々しい街から一転、メティスの黒孔を通ると、森の中の静かな一軒家。帰ってきたという安心感が彼らを包む。

 

「ほう、ここがあの……ずいぶん質素というか、田舎くさいというか」

 

 医者であるマリソンが家について早々に口にした言葉がそれだった。

 

「田舎くさくて悪かったわね」

 

 ルディアはムッと眉を潜める。

 

「そうカッカすんな。私も農村出身でな。ただ懐かしくなっただけだ」

 

 それに対し、マリソンは悪気はなかったかのように、その強面の表情を崩し、笑ってみせる。

 

「……そう、なら気にしないわ。

 ついてきて。部屋に案内するから」

「ああ……その前にちょっと待ってくれ」

 

 しかし、その笑顔はしかめっ面に戻る。

 

「なに?」

「誰かタバコ持ってないか? 今頃なんだが、最後に吸ってからかなり間が開いてんだ。

 イライラして仕方ねぇ」

 

 医者であるはずの彼女はタバコを求め、全員を見渡す。

 

「アナタ、医者よね? タバコは百害あって一利なしと言われてるけど?」

「それとこれとは別だ。おい、そこの賢者さんよ。お前なら、そういう嗜好品を溜め込んでんじゃねぇのか?」

「残念ながら、私の嗜好にタバコはありませんわ」

「ちっ、じゃあ、そこの犬耳」

「私もだ。メティス様の使い魔として、そういう物に頼ってはいない」

「誰も持ってねぇのか。ちっ、しゃあねぇ」

 

 目星をつけた人は誰も持ってないとわかり、彼女は余計にイライラしだし、足を揺らす。

 禁断症状でも出てきたのだろうか。

 

「落ち着かねけど、診察するか。病人の所へさっさと連れて行け」

「その状態でするつもり?」

「安心しろ。正確にやってやる」

 

 その言葉に信じられないルディアだったが、ここでタバコを用意する気も、時間もなく、連れて行くしかないと判断する。

 

「はぁ……ちゃんとやってよね。こっちよ」

 

 溜息をつきながらも、彼女はマリソンと共にリルの部屋へと移動する。もちろん他の三人もその後をついて行く。

 

「そこのベッドに寝ている彼よ」

「聞いたところによると筋肉痛が三日間続いてるって話だったな」

「……お前が、医者か?」

 

 寝ていなかったリルは首だけを動かし、医者であるマリソンをなんとか視界に入れる。

 

「ああ、ワタシがお前を診てやる医者、マリソンだ。お前は確か……リルーフだったな」

「そうだ」

「応答はできる、か。

 とりあえず診察にあたってだが、一人は残って他は全員部屋を出てくれ。はっきり言って人数が多いと邪魔だからな」

「なら、私が残りましょう」

 

 メティスが一歩前にでる。

 

「アンタ、ずいぶんと彼に熱心ね」

「あら、いけませんか? 彼に期待しているということですよ」

「数日前は、あれだけ目の上のタンコブのように、厄介がってたのにね。まあ、いいわ。よろしくね」

「はいはい」

「イーサン、でるわよ」

「……あ、俺のことか。分かった」

 

 メティスとマリソンを残し、ルディア達は部屋の外にでて、リビングへと移動する。

 

「診断の結果が出るまで待つだけか……」

 

 そして、イーサン達にできる事は待つしかないと思われる。だが、ルディアはそう思っていないようで、溜息をしながら頭を振る。

 

「アンタねぇ、そんな呑気にしてる場合じゃないのよ」

「どうしてだ?」

 

 きょとんとした顔で、イーサンは無自覚に見つめ返す。

 

「リルがなんでメティスに追いかけられてたか、覚えてる?」

「え? ええっと、なんか素性不明で、大きな力を持っているからって……」

「で、アンタ、森の中で何やった?」

「ええっと……分からない」

「分からないって、あんだけ山火事を起こしといて、それだけで済むと思ってるの?」

「だって! 本当に分からないんだもん!」

 

 まるで駄々っ子のように手足をバタバタさせるイーサン。しかし、それを許すルディアではなかった。

 

「まあまあ、そう怒るなルディア」

 

 しかし、その二人の間に割って入るカリューオン。

 

「メティス様も大方察しているはずだ。しかし、あの方は今なお黙認しておられる。

 彼の一件のように警戒しているなら、すでに行動に出ているはずだからな」

「……そう、かもね」

 

 カリューオンのフォローにより、とりあえずは怒りを収めるルディア。しかし、彼女の懸念は続いたままのようで、難しい表情となっている。

 

「けど、イーサン。あの力についてはちゃんと話してもらうわよ。なんで隠し持ってたかについてね」

「いや、そう言われてもなぁ……隠し持ってたわけじゃなくて、いつの間にか持ってたんだよ。

 なんか、変な男に渡されたらしくて、気づいたら剣が変わってて、ムラクモってやつが……」

「ムラクモ? それって……」

「おう、俺のことだ!」

 

 イーサンの背中に背負われた剣、それが霊と共にガチャガチャと動く。

 

「アンタ、まさかツクモを手に入れたの?」

「おう、嬢ちゃんの言う通りだ! 俺はこいつのツクモなんだぜ!」

「え、これがツクモなのか!?」

 

 本人自身はどうやら気付いてなかったようで、驚きの声を上げ、目を見開く。

 

「どう見てもツクモでしょ。霊のような姿、それが剣の周りを漂う。ツクモの特徴そのものよ。

 ただ、数時間しか持ってない剣にツクモが宿るのはどうかと思うわね」

「そう言われても……なんか、急に変な男が現れたと思ったら、力をくれるって言い出して、気がついたら、ツクモ? がついてたんだ」

 

 イーサンは頭の後ろをかきながら呑気に話す。しかし、ルディアはそれをいぶかしむような目で見る。

 

「そんな上手い話があるわけ……」

「しかし、実際に起きている。理由は分からんが、それを容認するしかないだろう。

 ルディア、君も感じているだろう? 今までのイーサンからは考えられないほどの、気迫が放たれている」

「確かに……」

 

 『へ?』と言わんばかりのイーサンの無自覚な顔。その身から放たれているのは、魔力という名の威圧感だ。

 

「その剣、ちょっと見せてもらっても良い?」

「良いけど……はい」

 

 ルディアに言われて、イーサンは背中から剣を引き抜き、彼女たちに見せる。

 

「……やっぱり。森に入る前とは全然違う形になってるわね。

 刀身も違うし、そもそも基本構造すらも変わってるような……」

「初心者用に、と渡した物が片手剣にしては異様な大きさまでになっている。それをイーサン、君は片手で振り回していたな」

「いや、重さとかはそのままだと思うけど。というか、ツクモが宿ったら武器の形って変化する物じゃないのか?」

「そんなことないわ」

 

 その証拠に、と言わんばかりにルディアは腰の短剣を彼に見せる。

 イーサンの剣とは違いシンプルで装飾のないそれは、だからこそ無駄のない洗練さを感じさせる。

 

「なんか……普通だな」

「だからこそ使いやすいのよ。私はこれを五年間使ってきた。ツクモが宿り始めたのは三年ぐらい使ってから。

 普通はそれぐらいの時間をかけないとツクモは宿らない。その間にも武器が壊れたりするかもしれないから、整備をしたりして、扱いにも十分注意した。そうしてできたからこそ、努力の結晶とも呼べる」

 

 それを語るルディアの姿はどこか過去を懐かしんでいるようにも見える。

 研鑽を積み重ね、その果てに生まれし物、それがツクモだ。

 

「とは言ってもなぁ……なんとなくで、できたんだし」

 

 けれども、彼はそれをあっさりと否定するような言葉を放つ。

 

「……いいわ。とにかく、その力に振り回されないようにね。

 何に使うかはアンタの勝手だけど、もし……」

 

 ルディアが何か言いかけた時、廊下からアリアナが出てくる。

 

「お前ら、あいつの診察が終わったぞ」

「意外に早かったな」

「まあな。それで、あいつの症状なんだが……筋肉痛だ」

 

 その瞬間、風の音が聞こえてくるぐらい、シンッと静まり返る。

 

「え、ちょ、アンタ、本気で言ってる?」

「ああ、普通の筋肉痛よりもひどいだけだ。

 お前ら、なんか心当たりがあるか? 普段とは桁違いな動きをしてた、とか」

「あるといえば……あるけど」

「なら、それが原因だろ。

 筋肉痛ってのは、今までよりも激しい動きをして筋肉が壊れてるから起こり、それが治るまでの時間は、どれだけ激しい動きをしたかによる。

 三日も掛かったのはそれだけあいつが無茶な動きをしたからだ」

 

 あれだけ森の中で苦労をした結果、分かった事は以前と変わらないまま。

 それゆえに、ルディアとイーサンは肩をガックシと落とす。骨折り損のくたびれもうけだ、と。

 

「なんだよそれ〜……。結局、おんなじことじゃないか」

「しょうがないわよ……。こういう事もある。割り切っていくしかないわ」

「ちっ、勝手に期待して、勝手に落ち込みやがって。

 安心しやがれ。明日には動けるように治療は施しといた。他の医者には真似できん医療魔法でな」

「貴女、そんなのが使えたの?」

「まあな。そういう事だから、ガッカリすんな」

 

 振り出しに戻ったわけではない。そう分かったところで、どんよりとした雰囲気は少しだけ明るくなる。

 

「まあ、貴方には礼を言わないとね。ありがとう」

「……医者として当然の事をしただけだ」

 

 少し照れくさいのか、目を逸らすマリソン。その声色もどこか優しくなる。

 

「さて、メティスはまだ部屋にいる?」

「あ? ああ」

「そう。ちょっと私は用事があるから」

 

 そう言って、ルディアは廊下へと向かう。その言い草からメティスと話があるのだろう。

 

「……あいつ、何故」

 

 そして、マリソンは先ほどの診察に疑問を持っていた。小声で誰も聞こえない声でつぶやく。

 

「何故、あいつは嘘をつけと言い出したんだ?」

 

 ーーーーー

 

 場所は変わり、ルディア家の裏。

 そこにはルディアと彼女に連れられて来たメティスがいた。

 前は村長との対談が行われていたが……

 

「こんなところに呼び出して……告白かしら?」

「ふざけないで。こっちは真剣なのよ」

 

 ルディアの声色は重く、これ以上の冗談は許さないと、言わんばかりのものだ。

 

「単刀直入に聞くわ。私の兄はどこへ行ったの?」

「そんな人いないわ」

「嘘をつかないで!」

 

 周りを震わせるような怒声。それはリルに浴びせた物と似ていた。

 

「私の肉親は、もう兄さんしかいない。

 その兄さんが何処へ行ったか、それを知っているのでは貴女のはずよ」

「……前にも言ったけれど、もう一度言うわ。

 アナタに兄はいない。それはただの記憶違いよ」

 

 その話の何が真実なのかは判断しかねる。

 だが、もし他に人がいたなら、ルディアが正しいと思うだろう。

 そこまでして、追い求める人物が幻想とは思えないのだから。

 

「兄さんはいないって言い張るのね。

 良いわ。私は明日、()()()()()()()わ。兄さんを探しにね」

「そう……私はいないと言ったわよ」

「居場所は教えてくれないのね」

 

 ルディアは少し寂しそうな顔をする。期待していた答えを聞けなかったからだろう。

 

「リルやイーサンはどうするのかしら?」

「リルは……多分、私と行くことになる。彼が本当に記憶を取り戻すつもりならね。

 イーサンはアンタに任せる。彼は別世界の人だから、アンタなら帰る方法を見つけてくれるでしょ?」

「あらあら、私、また殺そうとするかもしれませんわよ?」

 

 わざとらしい言い方で挑発するメティス。しかし、ルディアはそれを流す。

 

「カリュが言ってたわ。もしそうならとっくに行動してるって」

「もう、勘のいい子も考え物ね」

 

 困ったような顔をするが、その次にはその猫被りを止め、真剣な表情をするメティス。

 それはルディアの想いに応えるかのようだ。

 

「ルディア……行くのね」

「ええ。これはもう決めたことなの。アンタが言ったことが嘘でも本当でも、私はこの村を離れなければならない」

 

 覚悟を決めた様子。これにメティスは止める言葉などなかった。

 

「……せめて、これだけは言わせて。私には何もできないけれど、」

 

 しかし、代わりに彼女はまるで母親のように優しく、語りかける。

 

「——アナタの旅路が良き物となるよう、祈っています」

「……ええ、ありがとう」

 

 この会話が何を意味するのか。

 その一部は、すぐわかるようになる。



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37話

 そこは、村のどこか。

 ルディア達が住んでいる家ではない、村のどこかの家。数十人という人がそこに集まっていた。

 

「おい、聞いたか?」

 

 村人の一人、頭の髪が薄い中年の男が訊く。

 

「はい。あの賢者様が負けたとか……」

 

 そして他の一人、先ほどの彼と比べると若く、気弱そうな男が返す。

 

「いや、俺の聞いた話だと、催眠にかかったとか」

「そんなはずないだろう! あの賢者様がそんなのに……」

「じゃないと、あの豹変っぷりは説明がつかないんじゃ……」

「誰がやったんだ? あのガキか? それともあの呪いの娘が?」

「いいえ。催眠なんかじゃありませんわよ! 賢者様が催眠にかかるはずがないです!」

「そうだそうだ! あれはきっと偽物だ!」

 

 老若男女の根も葉もない噂が飛び交い、村人達の声は大きくなる。

 不安が不安を呼び、互いにその不安を増大させていく負の連鎖。

 

「皆、静かに!」

 

 だがある一人、筋肉質で強面の顔を持った男が、一声でその場を沈める。

 その男、いつかの日に、ルディアを目の上のタンコブのように睨んできた男と同一人物である。

 

「賢者様の変化、その過程を予測する事は難しいだろう。私たちは魔法を専門としているわけでもない、ただの農民だからな」

 

 男の言葉にその場にいる全員が聞き入る。

 そのカリスマ性は、まるで村人達の長と言わんばかり。それほどその男は皆から信頼を得ているということだ。

 

「しかし、原因は明らかだ。あの娘に間違いはない。

 ならば、どうするかは自ずと分かるだろう」

「け、けど、あんな『化け物』に僕らが束になっても勝てないよ。どうするつもりだい?」

「それは真っ正面から戦った場合だろう。やつも人間だ。人間の摂理には逆らえまい」

 

 彼はためらいもなしに次の言葉を放つ。それはまるで、当然の仕打ちだと、自分達は何も間違いではない善だと、考えているかのように。

 

「あの家を焼く。このままでは、()()()()()()になる」

 

 ……そして、数時間後。草木も眠る丑三時。

 森の中で、大勢の人影が動く。その人影は村人達だ。本来ならば、ほとんどの村人が眠っているはずなのに。

 彼らはある場所を取り囲むように、動いていた。

 

「準備は良いな?」

 

 長らしき男は村人に小声で尋ねる。

 

「ああ、全員配置についてる。あの家を取り囲んでいるさ」

「よし。じゃあ合図をしろ」

 

 男が指示を出すと同時に、村人全員がポケットからジッポライターらしき物を取り出し、手に持った松明に火をつける。

 と思いきや、松明を村人達は一気に走り出す!

 

「いけ! いけぇ!」

「やれー!」

 

 彼らは、囲んでいたとある場所へと向かい、そしてその場所に火をつける。

 その場所は、家だ。まるで、放火魔のような彼らの行動だが、その心に一切の快楽などない。これは全て正義のためだと、心から信じていた。

 

「あいつを打ち払え!」

「焼き殺せ!」

 

 火はやがて、家へと燃え移り、そして段々とその規模を大きくしていく。壁を焼き、屋根を焼き、周りにある畑にまで燃え盛る。

 限度を知らない炎の勢いほ、家全体を包みこんしでしまった。

 これでは、中にいる人間は助かるかどうか。

 

「やっと……やっとだ。これで俺たちは……」

 

 殺人を犯したかもしれない。それなのにも関わらず、彼らは達成感すら感じている。

 いや、中にいる人間を殺すつもりだった。そうとしか考えられないだろう。だから、彼らは目的を達したかのような表情をしている。

 

「なんで……」

 

 しかし、その外で、疑問を浮かべる者もいた。

 

「なんで……こんな事に……」

 

 その者は……リルーフ・ルフェン。記憶喪失となり、三ヶ月よりも前の記憶を失った少年だ。

 そう。今燃えている家、それはルディアの家であり、そして彼が住んでいた家。彼の記憶の中で、唯一の住の場所として存在していた家だ。

 しかし、彼らは必要最低限の荷物を持ち、そこから逃げるように離れていた。

 

「なあ……本当にイーサンや、メティス達は大丈夫なのか?」

「あいつらは大丈夫よ。事前にこの家からは離れてもらった」

「そう、か」

 

 ルディアからの答えをもらい、リルは安堵のため息を漏らすような……それでも、喉の奥に何か引っかかるような複雑な表情をする。

 彼の言葉の真意、それは数十分前にあった。リルはベッドの上で寝ていたのだが、ルディアに起こされ、訳の分からないまま、その家から逃げると知らされた。

 彼は戸惑いながらも、眠気と体中を走る痛みに耐えながら足を動かし、そして、ここまで来た。

 体の痛みはそれまでよりも軽減されていたようで、自分で動くことはできていた。

 

「くそっ……」

 

 彼は怒りも、憎しみも、湧き上がることはなかった。

 ただ家を失った悲しみと、何故燃えているのかという疑問しかない。

 

「……ごめん、こうなるって分かっておきながら、一度も話せてなくて」

 

 そして、彼に謝る少女、家の持ち主であるルディアは目を伏せながら、罪悪感に胸を痛める。

 だが、その声は至って冷静で、いつもより少し声色が暗いぐらいで、普段とあまり変わらない表情だ。

 

「なんで……」

 

 だからこそ、その冷静さは彼の叫喚に繋がる。

 

「なんでそんな平気そうな顔なんだよ!」

 

 それは突然の事であったが、ルディアは驚きも、反応すらもせずに、平然としているかのようだ。

 

「お前は悲しくないのかよ! 住む家を失くして! 思い出の場所を燃やされて!」

 

 彼の叫び、それはやはり、怒りからではない。

 頬から涙を流し、声は怒声に近いながらも、震えていた。

 

「——別に、何も思わない訳ないわ」

「だったら……!」

 

 そこから先、彼は言葉を失ってしまう。燃やされている家を微動だにせず見る姿、そこにリルは気づかされた。

 流す涙はなくとも、ルディアは確かに悔やんでいた、惜しんでいた。けれど、覚悟も感じられた。まるで、こうなることは分かっていたかのように。それでも、この選択を選んだと言わんばかりに。

 しかし、彼女は流れるようにかかとを返す。後悔はもうないのか。

 

「さあ、行くわよ。どうせ、この村からは出て行くつもりだったし。アンタも……そうでしょ?」

「……ああ。俺は記憶を取り戻す。そう決めた。そのためにはまず、旅をして情報を集める。

 ……だけど、やっぱりこんな形で出て行きたくはなかった」

「ごめん」

 

 リルのぼやきに似た愚痴に、ルディアは反射的に謝ってしまう。その目を伏せるところも、さっきと同じ行動だ。

 彼女も、こうなる事は避けたかったのだろう。

 

「いい。お前が悪くない事だけは分かるから」

 

 彼はこの状況になった理由を聞かず、彼女を許す。それは信頼の証だ。

 

「……ごめん」

「そんな何回も謝るな。

 だから、行こう。今は……前へ」

 

 そして、リルは自ら歩みを進める。

 何も分からない。何も理解できていないまま。自身を知るきっかけさえも、ルディアの存在も、そして村人達の奇行の理由も。

 だが、

 

「おいおい、どこに行くつもりだ?」

 

 彼らが向かう先、木の影から人影が出てくる。

 

「っ……誰!」

 

 ルディアは即座に反応し、腰から短剣を抜き、その出てきた人影に刃先を向ける。

 

「そんなに大声だすなよ。あいつらに気づかれちまうぜ?」

「なんだ、アンタか。脅かさないでよね」

 

 素直に姿を見せたその人物は、身の合わない大剣を引っさげたソフィであった。

 

「おいおい、そんな残念そうな顔すんなって。私がついて行ってやるっていうのにな」

「はあ?」

 

 唐突なパーティ参加宣言に、ルディアは首を傾げるしかなかった。

 

「アンタ、どうして……? いや、そもそも私たちについてきて大丈夫なの?」

「アタシがしたいからそうする。当たり前の事だろ?」

「いや、そうじゃなくて、そもそも両親とか……」

「止めるやつなんかいないな。私は元から家出して来てるんだから」

 

 今になって分かる衝撃の事実。それにはルディアも驚きを隠せなかった。

 

「とにかく、ルディア! 勝ち越しなんて許さないからな!」

「……まさか、私に勝つためについてくるつもり?」

「ああ。お前に勝つためだ」

 

 ソフィのパーティ参加の理由は本当にそれだけなのだろうか。いや、そもそも、なぜルディアに勝たなければならないのか。

 その理由を聞こうとリルが声をかけようとするも、先にソフィが発言する。

 

「もたもたすんなよ。ここに留まってれば、いつかは見つかっちまう。話は後にもできるからな。

 なあに、野宿が心配って言うなら、私に任せときな! 慣れてるからな!」

 

 そう言いながら、彼女はズカズカと森の中を進む。獣道すらない、暗い場所を何も恐れる事なく。

 しかし、困惑するルディアとリルはそうではなかった。

 

「なあ、ルディア。ソフィの言ってた事……」

「知らなかったわ。どこにあいつの家があるとかも聞いてなかったし……」

「おい、いつまで喋ってんだ? さっさと行くぞ!」

 

 ソフィに急かされながらも、リルは確認する。この三ヶ月間で、何も知ろうとはしなかったことを。自身の事も周りの事も。

 

「……だから、こんな事が起きたのかもしれないな」

 

 そして、彼は後悔をしながらも、何かを決意をする。この暗い森を進みながらも。

 

「待ってくれ!」

 

 だが、まだ彼らの旅に参加する者がいた。

 進むことをやめ、三人は声のする方向へ向く。

 

「お前……イーサン?」

 

 そこには、剣と盾を背負うイーサンがいた。

 彼は膝に手をつき、汗だくになりながら、肩で息をする。どうやら、ここまで走って来たようだ。

 

「俺も、ついていく!」

「アンタ、メティスと一緒にいたんじゃ……」

「はぁはぁ、あの人にはリル達と行ってもいいって言われた。けれども、ここへ来たのは俺の意思だ」

 

 息を整えながらも、彼は膝から手を離し、真っ直ぐと見る。その視線の先にはリルがいた。

 

「行っておくけど、リルがアンタの言う暁っていう保証は……」

「分かってる。それでも、俺は君たちについていくよ。

 俺がこの世界に来たのは……意味があると思うから」

 

 彼のその目は揺るぎない物であり、テコでも動かせそうになかった。

 

「……良いわ。なら、勝手にしなさい」

「ありがとう」

 

 これで、パーティが決定する。

 リル、ルディア、ソフィ、イーサン。四人はそれぞれの目的を持ち、それぞれの思惑で村を離れる。

 旅、それはここから始まる。最悪の始まりであったが、その最後はいかに。

 

「……なあ、お前は本当に暁、なんだよな?」



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