オレと私は一人で二人! (御鍵)
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第一話:半睡

現代モノのポケモンを増やしに来ました。


 二度目の人生。

 あるいは、時を遡って人生のやり直し。

 多くの人が一度は妄想したのではないだろうか。あの時こうしていれば。もっとやりようがあったのではと。

 

 自分にも同じ事を考えた時期があった。でもだからと言って、ことごとく思い通りにならないのが人生というものだ。

 

 簡潔に言えば——これもはや「やり直し」でも「逆行」でもなく「転生」だろって所か。

 

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

 

 東向きの窓から朝の日差しが寝室を照らし、暖かに目覚めの時を告げる。

 いつもより妙に鋭く感じられたその感触に違和感を抱きオレは目を開けた。

 

「ん…んん…?んん!?明る!?寝過ごしたあ!?」

「おや、お嬢様。もうお目覚めですか?」

「今何時!?」

 

 寝起きのオレは慌てていた事もあって、普通なら絶対に聞こえないはずの声に対して話しかけてしまった。

 するとその声の主は戸惑いながらも優しく答えてくれる。

 

「どうされたのです、そんなに慌てて…。まだ6時半過ぎでございますよ」

「6時半過ぎ!?じゃあ今すぐ着替えて行けば間に合う…」

「落ち着いてください。ゆっくり朝食をとってからでも間に合うでしょう。ヒコザル様、お嬢様を落ち着かせてあげてください」

「ヒコッ!」

「え?——ぅわっぷ!」

 

 オレが訳も分からず身支度しようと右往左往していると、聞こえるはずのない声がもう一つ聞こえてきた。その正体について考えるより早くオレの視界はぐらぐらと揺れ出す。

 

「ココッ!ヒコココ!」

「ちょっ!やめ、やめろよヒコザル!……ヒコザル?」

 

 実際に口にしてからようやく違和感に気付いた。相変わらずヒコザルがオレの頭の上でじゃれているのでめちゃくちゃ視界が揺らされているが、反対に頭は冷静になって冴えてくる。

 

「ヒコザル……え、これ現実?」

「お目覚めになったようですね。おはようございます、お嬢様」

「あ、はいおはようございます…」

 

 オレの呆然としたような呟きを違う意味で取ったらしい目の前の女性に挨拶され、オレも反射的に挨拶を返した。オレの意識がしっかり覚醒したのを確認したヒコザルは足元に降りて無邪気な瞳をこちらに向けている。

 ——夢じゃ、ないのかよ……。

 

 

 

 

 

『続いてのニュースです。開催まで一年を切ったポケモンバトル世界大会、日本の代表選手8名が本格的に強化合宿を始めました』

 

 見覚えのない豪邸の内装に戸惑いながらも、先ほどの女性に着いていく形で食堂へと向かう。途中で扉が半開きになっていた部屋の前を通過した時にニュースの声が漏れ聞こえ、オレにこれがまぎれもない現実である事をよりはっきりと認識させた。

 

(しっかし、あまりに現実味のない現実だなあ…)

 

 観察すればするほど目の前の光景が信じられない。今歩いている家の内装はどこぞの貴族か富豪を思わせる豪華さだし、前を歩く女性は白と黒を基調として袖口にはフリルのついている、いわゆるメイド服を着ている。

 オレのすぐ隣では当たり前のようにヒコザルが歩いているし、その鳴き声も足音も、頭の上に飛び乗られた時の感触も全て夢や妄想と言うにはあまりにリアルだ。

 

(これってやっぱ、あのポケモン…だよな…?)

 

 ポケモンと言えばあの超有名な大人気ゲームだ。初代の時点で既に百を超える種類のキャラクターがおり、その数はシリーズが進むごとにものすごい勢いで増えている。

 ポケットモンスター、縮めてポケモン。オレの知ってる世界の人間なら今さら敢えて説明するまでもないほどの大作となった創作物だろう。

 

 そう、創作物のはずだ。少年時代に自分がポケモントレーナーとなる事を妄想した者も多いだろうが、それだけに間違いなく創作物だと断言できる架空の存在のはずである。

 何故、それが隣にいるんだ…。

 

「——様、お嬢様!」

「はっ。え、な、何?」

「? 食堂に到着致しました。もしやまだ寝ぼけていらっしゃいますか?食堂を素通りしていく勢いで歩かれていましたよ」

「…そうかも」

 

 いかんいかん、考え事はひとまず後回しだ。ひとまずは周りの人間に無用な心配をかけないようにしなければ。

 高貴な家では食事の作法も厳しそうだが、オレならまず問題ないだろう。何故ならオレは元演劇部、しかもちょうどこういう富豪の家の当主役を演じた事がある身だからな。こういう作法とかはひたすら調べまくって、個人的にワークショップにまで行ったほどだ。

 …まあ、ここまでずっと目を逸らし続けてきた大問題がもう一つあるんだが。

 

(なーんで女の子なんだよ…)

 

 ヒコザルに起こされた後、あのメイドさんのような女性——つーかまんまメイドだな、あの人にしっかり身だしなみを整えてもらった。

 鏡に映ったオレの姿を見た時は絶句した…どこからどう見ても完璧な女の子だし、しかもまだ幼い。見た目だけで言えば5〜6歳、少なくとも未就学児なのは間違いない。ポケモンの設定にてらせばこのロリボディはまだ自分のポケモンを持てないはずだから、ヒコザルはペット的な枠なのだろう。

 さすがに女の子は演じた事がない。不安だ。

 

「おはよう、琴葉(ことは)

「おはようございます、お父様」

「…?」

 

 どうやら琴葉と言うらしいオレが父と思しき相手に挨拶を返すと、妙にビックリしたような顔をされた。まさかこの人琴葉の父じゃない?でも食堂のテーブル——貴族キャラの家シーンでよく見るあの無駄に長いやつ——の端っこというか、要するに一番偉い人が座る席にいるし、この人が当主ならお嬢様と呼ばれてる琴葉の父はこの人だよな?

 

「どうした、そんな丁寧な言葉遣いをして。どこか具合でも悪いのか?」

 

 そっちかい!

 いや、ていうか、じゃあ琴葉は普段どう喋ってんだ?とりあえず『貴族っぽい』っていう固定観念を捨ててみるか…。慎重に、そう慎重に探ってみよう。

 

「いいえ、ただたまにはこういう話し方もしてみようかと思っただけです。ただの気まぐれですね。それとも……やっぱりこういう話し方の方が良い?」

「はっはっは、かわいい娘め。やはりいつもの生き生きした言葉遣いの方が琴葉らしい。多少作法が悪くとも自分らしいのが一番だ」

 

 マジかよ変に気ィ張って損した。

 まあこれで一つ確定した事があるから丸損ってわけじゃないか。この家は少なくともただの富豪であって貴族じゃない。貴族ならもっと礼儀作法にうるさいはずだからな。

 だからってやりたい放題やって良いってわけじゃないだろうが。

 

「じゃあ、いつものにしようっと」

「うんうん、それがいい」

 

 金があると心に余裕が生まれるんだろうな。貴族の真似事をしてるのもこの人の道楽って所か。

 

 オレがちょっとだけ安心して緊張を解いている間に食事が運ばれてきていた。メニューは…案外普通だ。ロールパン、コーンポタージュ、ウインナー、その他多種少数…ただ見た目や香りが普通じゃない。

 

 まず見た目は、普通じゃないとは言ったがおかしな所があるわけでもない。ただ輝いて見えるだけだ。輝いて見えるから普通じゃないのである。

 パンの焼き色一つ取ってもそうだが、全てがこの食堂の照明を受ける事でアートとして完成する…そんな芸術的な計算のもとにできているのだ。

 

 そして香りは、明らかにおかしい。それはマイナスな意味ではなく、むしろオレの語彙ではこれ以上ないほどの簡潔な褒め言葉だ。

 具体的に言えば、香りだけで既に美味しい。一体どうすれば、食べずとも味を感じられてしまう料理ができるのだろうか。

 

 ああ、今目の前に置かれている朝食は間違いなく世界最高峰の芸術だ。

 

「これは…今日の厨房チーフは岩波(いわなみ)だな。まったく、あれは相変わらず規格外な腕をしている」

 

 もう数えきれないほどこの料理を目にし香りを味わい口にしてきた父ですら改めて感動している。それほどまでに素晴らしい朝食なのだ、これは。

 

 ………ん?いや、ちょっと待って。オレ今すごいパワーワード聞かなかった?

 

「お父様、今日の(・・・)厨房チーフって、うちコック何人もいるの?」

「うん?まあ、そうだな。たくさんいるよ」

 

 はぐらかされた。しかもこれ、絶対答える気のないやつだ。

 

「さて、では冷めてしまう前に頂くとしよう。琴葉、手を合わせて」

 

 オレの質問を軽く流し父は手を合わせて朝食を始めようとする。ここでオレはもう一つ気になった。

 

「あれ、お母様は?」

「はっはっは、またおもしろい事を言う。彼女はポケモンリーグの仕事でしばらくここを離れているじゃないか」

 

 そうなのか。

 なんか安心した。こういうのってフィクションだと大抵死別してたり両親が不仲だったりするから、こうやってちゃんと愛情を確認できるのは嬉しい。

 あとついでにポケモンリーグの存在も知れた。時間ができたら優先的に調べたいな。

 

「では今度こそ。琴葉、手を合わせて」

「はい」

「「いただきます」」

 

 そういえばこんな事を教えられる時点で、今いる場所が少なくとも日本である事もわかる。オレの知ってる日本かどうかは別として、だが。

 今は少しでも早く自由な時間がほしい。調べたい事が多すぎる。琴葉の人間像も知りたいが、言ってもまだ幼子だ。ここからはオレが好きなように振舞っても大きな問題はないだろう。

 

「!?」

 

 まあ、今は過去に味わった事のない衝撃的な美味しさの朝ご飯に感動して、調べ物はその後にするかな。

 

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

 

 暗い…。

 上も下もわからないし、狭いのか広いのかもわからない。

 ただ真っ暗で、ここがどこなのかまるで見当がつかない——気が付けば、そんな場所に私はいた。

 

「——ッ!」

 

 声は出せない。口も動かない。

 それで気付いたけど、身体も全く動かせない。感覚がないのか、本当に今の私には身体がないのか……暗くて何も見えないのか、目がないから見えないのか……何もわからない。

 ただここにいる私は妙に冷静だった。

 

清華(きよか)、清華…』

 

 誰かが私を呼んでいる。でも、それは私の知らない名前だった。

 知らない名前なのに、私はそれが自分の事だと自然にそう思った。ついこの前まで、あるいはもっとずっと昔は、私には別の名前があったのに。

 

『起きているのかしら。それとも寝てる?お母さんね、今日やっとお仕事が一区切りついて、今帰ってきた所なの』

 

 お母さん。そう、この声はお母さんのものだ。

 お母さんが私に優しく語りかけている。私は言葉を返す事ができないのに、優しく、囁くように、温かな言葉をくれる。

 だから私も、たとえお母さんには届かないとしても、ここで言葉を返そう。

 

 ——お母さん、私は

 

『夕べお父さんから電話があってね、琴葉ったらもうおかしかったらしいの』

 

 ——あなたの事が大好きな私が、

 

『突然どこかの貴族みたいな話し方をしてみたり、本が読みたいだなんていい出したり』

 

 ——私が、琴葉だよ。

 




ポケモンと言いつつ一番メインに書きたいのは人間だったり。


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第二話:蠢動

物語の進行が遅いのは作者の特性がスロースタートだからではなくS種族値が5しかないから。ナマコブシの素早さと同じですね。


 あれから三ヶ月が経った。

 あれと言うのはもちろんオレが琴葉(ことは)という名前の女児になり、超裕福な家の子どもとして目覚め、何故かポケモンのいる世界へやってきた事だ。

 この三ヶ月間色々調べて、ようやく琴葉やこの世界の事がわかってきた。

 

 まずオレこと琴葉についてだが。

 

「琴葉お嬢様、本日は午後14時よりお菓子作りのお稽古のご予定ですが、それまでは如何なさいますか?」

「そうだなあ、庭園でヒコザルたちと遊びたい!」

「かしこまりました」

 

 1998年4月5日午前11時22分、この西四辻(にしよつつじ)家の長女として生まれた。2003年12月6日現在、ほかに兄弟姉妹はない。

 なんか、某ドラゴ◯ボ◯ルに出てくるピ◯コロさんとほぼ同じ声をしてるシブい執事さんがいたり、他にも燕尾服やメイド服に身を包んだ使用人がたくさんいたりと貴族のような暮らしをしているが、西四辻家はただ財力がヤバイだけの一般家庭だそうな。

 少し意外なのは、このままの生活を続ければオレは古鳥(ふるどり)小学校という公立の小学校に通う事になるという事。これだけの金持ちなら私立に行くものかと思っていたが、どうやら前回でも通っていたのと同じ小学校に通えるらしい。ただ前回ではポケモンがいなかったのは勿論の事、西四辻 琴葉という人物にも会った覚えがない。『懐かしのあの頃に戻れる』なんて楽観的に構えず、多少以上のイレギュラーは覚悟しておくべきだろう。

 ちなみにこのピッコ◯ボイスの執事さんは男性の使用人の中じゃ一番オレと直接話す事が多く、オレのスケジュール管理や教育なんかは大体この人の仕事だ。彼は最初こそ畏れ多いと遠慮したがオレの気がひけるため、武宮(たけみや)さんと本名で呼んでいる。

 

「繰り返しますが午後にはお菓子作りが控えております。泥塗れになるような事だけは避けて頂きますようお願い致します」

「わかってるって」

柿川(かきかわ)からも同じ内容を言付かっておりますので」

 

 それと、女性の使用人でオレと直接話す機会が多いのは、主にオレの身の回りの世話をしてくれる柿川(かきかわ)さん。三ヶ月前のあの日、オレを起こしに来て身支度を整える手伝いをしてくれたのも彼女だ。

 それにしてもこの二人から同じ事を重ねて注意されるとは……三ヶ月以上前までの琴葉のお転婆さには未だに驚かされる時がある。

 

「何かありましたら庭師の待機小屋までお越しください。彼らに対応させましょう」

「いつもの事だね。じゃあ行ってきまーす」

「行ってらっしゃいませ」

 

 さっきサラッと言ったけど、西四辻家には広い庭園がある。多くのポケモンたちが思い思いに過ごしていて、彼らの楽しそうな姿を見ながら日向ぼっこしたりもちろん直に触れ合うのもオレの好きな事の一つだ。

 しかもポケモンの生態ごとに適した環境が用意できるよう、多少地形区分もされている。第四世代のゲームを遊んだ事がある人ならパルパークをイメージするとわかりやすいかもしれない。どんだけ広いのオレんち。

 

「よし、ヒコザル!行こ!」

「ヒコッ!」

 

 で、次にこの世界の事。

 意外だったのは、ポケモンが初めてこの世界に現れたのが西暦1906年3月3日だった事。元々存在していたわけではなく、割と最近になってから突然現れたのだという。

 正史——というかオレの知る日本史・世界史ではこの頃、日露戦争が終わって日本もロシアも財政難に陥り国力が疲弊していた時期だったはずだ。

 

「おはよう、みんな!」

「ヒコッコー!」

 

 そこから先の歴史はオレの持つ知識と大きく異なる。必ずポケモンが中心にいるからだ。

 細かい事は調べただけではよくわからなかったけど、衝撃的だったのは今の平和な日本や比較的穏やかな国交関係が世界大戦なくして成り立っている事だろうか。

 何しろポケモンが突如出現したのだ。人間同士で争っていては最悪の場合人類そのものが絶滅しかねない。人間の定めたルールにより領土を拡大しようが、そんなものは例えばカイリューがはかいこうせんを撃ちまくればそれだけで意味がなくなる。

 

「ギャラドス!今日も鱗が輝いてるね!」

「グオオ!」

 

 それを世界に知らしめ国境を超えた人類の一致団結を促した立役者が彼らギャラドスという種だ。庭園にいるコイツは武宮さんのポケモンだから当時の個体とはもちろん別物だが。

 さてこの青いこいのぼりみたいな形をしている巨大なポケモンがギャラドスというのだが、この種は本当に危険だ。何しろ水棲生物のくせしてひとたび暴れれば野山を丸々一つ破壊できるほど陸上での凶暴性も高い。こんなのがウジャウジャいる海の上で軍艦など走らせても、敵国に攻撃を仕掛けるより早く撃沈されるのがオチだ。

 

 ただ不可解な点もある。歴史を見ていると、ポケモンたちが暴れた事により人間が実害を被った事例がただの一つも見当たらないのだ。

 要するに、どうやって人類はポケモンたちの凶暴性と危険性を知ったのか、という疑問が残る。

 

「おお、ラフレシアの花びらは今日も鮮やかだね」

「ラッフウ」

 

 日露戦争は総力戦だった。さらに二国間以外の外交関係にも影響を与えた事で、オレの知る歴史ではこれを第0次世界大戦と呼ぶ人物もいたほどだ。

 1906年3月3日ならまだそのダメージが回復しきっていないはずだろう。そんな時期にポケモンが現れて、日本は、ロシアは、被害が出る前に彼らを制圧できたのだろうか。

 

「どうしたの、ニドリーノ。また二ドリーナと喧嘩しちゃった?」

「ニドォ…」

 

 これはオレの憶測に過ぎないが、恐らく当時にもオレと同じようなのが数人いたのではないだろうか。根拠も何もないが、そうとでも考えなければ今この世界で人類の文明が発展している理由も、人間とポケモンが共存できている理由も、オレにはまるで見当がつかない。

 

「今日も良い天気だなあ…」

「ヒッコォ…」

 

 オレがよくポケモンたちと触れ合っているのは彼らをもっとよく知りたいからでもある。創作物としてオレが一方的に知っているポケモンではなく、この世界で実際に生きている、本物のポケモンを。

 そうすればきっといつか真実も見えてくる——そう信じて。

 

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

 

 鬱蒼としてまるで人気のない樹海の中、そいつは目を覚ました。全身を影のように黒い不気味な衣で包み、頭部からは白い髪のようなものが同じく影のようにうねりながら伸びている。首元には赤い牙のような物まで生えており、その姿が少なくとも人間でないことは誰が見ても明らかだ。

 

「……ここは…………?」

 

 体力を消耗しているのか、そいつの動きは鈍い。身体のどこかが痛むのか、僅かに覗く目も苦しげだ。

 

「クッ……!わからん、何故だ………ワタシは何か、何かを思い出したいのに……!何を忘れたのか、何故思い出したいのか……何故忘れたという事がわかるのか、わからん……!」

 

 どうやらそいつの様子が苦しげなのは、ただ消耗しているだけというわけでもないらしい。

 そいつはいわゆる記憶喪失に陥っていたのだ。

 

「……誰だ」

 

 ふと、そいつに近付く気配があった。そいつは全身のダルさも一度傍に置いて、凄みの効いた声で近付く気配に威嚇する。

 

「ヨンワ」

「……本当に誰だ?ワタシはお前によく似たものを見た事がある……気がする。だがワタシにはお前がわからない。よしんばワタシの見たものと同じ容姿(かたち)だったとしても、何となくソレとお前は別物である気がする……」

 

 そいつの前に姿を現したのは、これもまた人間ではなかった。『おばけ』と聞いて真っ先に想像するデフォルメされたあの絵の姿から腹部と腕が巨大化し、特にその腹部には顔に見えなくもない模様がある。

 

「ヨンワール」

「ヨ、ン、ワー、ル…()(わる)……だが自称ではヨンワール?うむむ…聞き覚えがなくもないような……いや、今それはいい」

 

 そいつはしばし頭を抱えて唸っていたが、やがて改めてそのヨンワール(仮)に向き直った。

 

「おい、ヨンワール。お前に聞きたい事がある」

「ヨンワール……ノワ、ヨンワ」

「? ここはどこだ。ついでにお前は何故ワタシの前に現れた」

 

 名前を呼ばれたヨンワール(仮)が俄かに微妙な表情になったのを少し疑問に思いつつ、そいつはもっと優先的に答えを得たい質問をした。

 だがヨンワール(仮)も、そいつが期待するような答えは持ち合わせていなかったようだ。

 

「ノワ、ヨンワ、ヨンノワール」

「フジ…アオ、ハラジュ……?何だそれは。いや、しかし、ワタシがお前の縄張りに入ってしまったから追い出しに来たのか。それは悪い事をした」

 

 そいつは見た目も不気味で言葉遣いこそ横柄に取れるが、態度は実に殊勝であった。

 そのギャップに毒気を抜かれたヨンワール(仮)は、さっさと追い出そうという当初の目的を一度忘れもう少しそいつと会話をしたくなった。

 

「ヨンノワール」

「ん?ワタシの縄張りか?すまない、わからないんだ。気付いたらここにいて、ほとんど何も思い出せなくなっていた」

 

 そいつは自身の状態を素直に話した。ヨンワール(仮)に対する警戒心は解いていないが、それ以上にそいつには頼れる存在が必要だったのだ。

 ——いや、そいつにとって最も似合う言葉で表現するなら、利用できる存在が。

 

「ノワ…」

「……何だと?」

 

 そしてヨンワール(仮)にも、そいつが記憶喪失だと知った事で打算的な考えが浮かんでしまった。

 

「取引をしようというのか。ワタシはお前の縄張りで過ごさせてもらう代わりに、お前の野望とやらに協力しろと。……その野望というのは、一体何だ」

「ヨンワー…」

「答えを聞かねば教える事はできない、そういう事か」

 

 この世界に生きる全ての人間が善人というわけではないように、ポケモンの中にも悪い心を持つ者がいる。そうでなければ善だ悪だという概念すら生まれない。

 そしてヨンワール(仮)は、他の者にとっては不運な事に、そしてそいつにとっては恐らく幸運な事に、悪側だった。

 

「……良いだろう。このままではワタシには頼る者がない。お前は野望を為すために協力者が必要。となれば利害の一致だ。ククク……記憶喪失と言っても、語彙や思考・判断能力までは損なわれていないようで安心したぞ。いや、もしやある程度失われてこれか?何にせよラッキーだ」

「ヨンワール」

 

 そいつとヨンワール(仮)が探り合いをしている間に、辺りにはすっかり夜の帳が下りていた。ヒトの気配など一切感じない鬱蒼とした樹海の中は、夜になった事でさらに不気味さを増している。

 そんな暗黒の森で、この世界において後に史上最悪となる協力関係が結ばれてしまった。

 

「クックック…」

「ヨンワール…」

 

 もしもそいつが目覚めて最初に会ったのがヨンワール(仮)でなければ、この先の出来事はまた変わっていただろうに。

 よりによって、考え得る限り最悪の事態が引き起こされようとしていた。その事実に気付ける者など、この夜には誰もいないまま。

 




ちなみに作者のS種族値って執筆速度の事ね。


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第三話:黎明

毎日投稿はこれが限度かなあ。週一ペースは崩したくない。


 2008年3月25日。

 この体での生活ももう自然に送れるようになった頃の出来事だ。

 これがなければきっと、取り返しの付かない事になっていた——そんな重大な事件のあった日がこの日である。

 

「フーンフフフーン…あ、おはようヒコザル」

「ヒコッ」

 

 オレはすっかり自分で身だしなみを整えられるようになっていた。

 一度は大の男だったとは言え、肩甲骨にかかるくらいにまで髪を伸ばした事はない。そのオレが今や普通に女の子として暮らしているのだから慣れとは怖いものである。

 

「よし、完成」

 

 やや赤みがかった茶髪をふんわりとしたポニーテールにまとめ、前髪をストレートアイロンでまっすぐ伸ばす。オレの基本スタイルだ。

 …柿川さんに最初に教わった形を貫いているのが、他のパターンを考えるのが面倒だからというのは屋敷の誰にも言わない秘密だ。

 

「………」

 

 しかしオレの、というよりこの西四辻 琴葉の姿は、見れば見るほどアニメのキャラクターみたいに思える。もうすぐ10歳だから、実際のキャラクターで言えばアニメ版ポケモンのハルカやヒカリと同い年なのだが、あの世界の頭身がいかに狂っていたかわかる。オレなんてまだまだちんちくりんだ。

 どちらかと言えば某萌え特化の四コマ漫画を掲載してるあの雑誌に出てきそうな見た目だ。というかあの頭身感覚なら「身長は小四で止まりました」と言えば高校生でも通じそうな気がする。オレまだ小三だけど。

 

「…まあ、まだ今度の四月で小四なんだし、伸びるよね」

 

 これからこれから、と自分に言い聞かせながらヒコザルを連れ食堂へ向かう。この世界に来たばかりの頃は柿川さんの案内なくして辿り着けなかった場所だが、今やすっかり覚えてしまった。

 

 

 

「お嬢様、春休みが始まったばかりではございますが、勉学を疎かにしてはいけませんぞ。ポケモンたちへの理解を深めるのは結構ですが基礎教養もしっかりと身に付けなければ…」

「わかってるって武宮さん。午後から書庫行くつもりだから。それに私の成績は武宮さんも知ってるでしょ?」

「油断は禁物です。しかし、お嬢様にお嬢様なりの計画があるのならば私は尊重致します。お嬢様が学年首位という現状も存じておりますから」

 

 朝食を終えていつもみたいにヒコザルと庭園に出ようとした所で武宮さんに止められた。ここの所オレがフィールドワークに出る事が多くなったのは確かだけど、武宮さんもどこか説教っぽくなってきた気がする。

 まあ両親が多忙を極めている分、武宮さんをはじめとする使用人たちが厳しくないといけないんだろう。多分そういう風に指示も出されてるし。

 

「本日は午後より雨の予報も出ております。お昼よりも気持ち早めにお帰り頂くようお願い致します」

「わかった。行ってきまーす」

 

 屋敷を飛び出し庭園の中にある森っぽくなっているエリアに向かいながら空を見上げれば、確かに今日は鈍色をしていた。

 森エリアは庭園の中でも比較的屋敷の外周に近く、端までいけば敷地と公道を分ける朱色の壁が見えてくる。

 今日行きたいのは正にそこだ。

 

「パラスたちに会うのは久しぶりだなあ。元気にしてるかな、みんな」

「ヒコォ」

 

 溢れ出る期待の感情をヒコザルに話しかける事で放出し、二人して表情を緩ませながらお目当ての場所を目指す。

 すると程なくして、オレたちの表情は引き締まる事となった。

 

「ん?前の方から誰か来るな…あれって柿川さんのユンゲラーじゃ?」

「ヒコ?」

 

 この時点では何も感じなかったが、ユンゲラーの様子がどうもおかしい。どこか切羽詰まったような表情だし、いつも冷静な彼らしくもなく息が荒くなっている。

 

「どうしたの、ユンゲラー?」

「ユンゲラー!」

「へ?ちょ——」

 

 オレの問いかけに対しユンゲラーは、説明するより見せた方が早いとばかりにテレパシーを送ってきた。催眠術を応用したユンゲラーの得意技だ。

 

 その送られてきたテレパシーはどうやら実際にユンゲラーが見た光景らしい。

 場所は実に見慣れた場所だ。緑ばかりの森と外の公道を隔てる朱色の壁の目の前で、これまた見慣れたポケモンたちが思い思いに過ごしている。

 

『!?』

 

 と、そこへ唐突に一人の人間が降ってきた。オレとほぼ歳の変わらないだろう少女だ。彼女の着ている衣服は所々裂けており、そこから覗く肌は火傷したように赤くなっている。上着のフードも半分以上が破れてしまっていて、長い真っ白な髪がボサボサに乱れていた。

 そんな全身ボロボロの少女はしかし、息を乱れさせながらも何かから逃げるように這いずっている。そこへさらに西四辻家とは関係のない存在が侵入してきた。

 

『っ!!』

 

 お腹は黄色く、背中とツノは青色のカブトムシのような見た目のポケモン——カブルモだ。この家の庭園にはカブルモなんていないし、ましてや先の白い少女なんてこの家の敷地内で見た事もない。

 明らかに二人とも部外者なのだが、カブルモは少女の姿を見つけるなりツノを光らせて襲いかかった。目的は屋敷の襲撃ではなく飽くまで少女という事らしいが、だからといって庭園で暴れられたくはない。それに少女の事も見て見ぬ振りはできないので、庭園のポケモンたちは一斉にカブルモへ攻撃を仕掛けた。

 パラスたちは一斉にひっかく攻撃を、ニドリーノや二ドリーナがどくばりを、ユンゲラーはねんりきをそれぞれ放つ中、カブルモは驚異的な身のこなしでその猛攻を掻い潜っていく。

 これはまずいと判断したユンゲラーは早々に攻撃を中断して屋敷へと急ぎ——そこでテレパシーは終わった。

 

「——と、なるほど。放っとくわけにはいかないね。ヒコザル、急ごう!」

「ヒコッ!」

「ユンゲラーは屋敷まで行って、お父様か武宮さんか、それか柿川さんにこの事を伝えて」

「ユンゲラー!」

 

 ユンゲラーが見せてくれた映像は完璧だ。状況は一発で把握できたし、少女やカブルモたちの居場所もオレならすぐわかる。この庭園は文字通りオレの庭なのだ。

 オレはユンゲラーに屋敷へ向かわせると、ヒコザルと一緒に全速力で走り出した。

 

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

 

「はぁ…はぁ…」

 

 西四辻家の庭園で、一人の少女が痛む身体に鞭打って這いずっていた。少女はもう満身創痍で、服の裂け目から覗く肌は火傷で赤くなっている。長い真っ白な髪もボサボサになっており、ここへ来るまでによほど酷い目に遭ったようだ。

 

「カッブウ!」

「ひっ…!」

 

 そんな少女に追い打ちをかけるかのごとくカブルモが襲いかかる。ツノを光らせて繰り出したその攻撃は虫タイプの大技、メガホーンだ。ただカブルモ自身のレベルが低く使いこなせないのか、技には精度というものがカケラもない。

 それ故放置しておくのは余計に危険で、庭園で暮らすポケモンたちが総出でカブルモを止めようとしていた。

 

「私を、助けてくれてる…?」

 

 少女の目の前ではパラスやニドリーノたちがカブルモと戦っている。その図は確かに少女を助けようとしているように映るだろう。実際彼らは自分たちの住処を守りたいだけなのだが、それが間接的に少女を助けることに繋がっている。

 

「カブウ!」

「パラァ!?」

「ニドオ!!」

 

 が、劣勢だ。

 小さな体躯のどこにそんな力があるのか、カブルモはつつく攻撃やメガホーン、れんぞくぎりなどの技を駆使してパラスたちを蹴散らしていた。

 

「カーブッブッブ…」

「うぅ…」

 

 脚を怪我しているのか、少女は立つ事ができない。庭園のポケモンたちを突破したカブルモは狩人の目で少女ににじり寄り、攻撃の構えに入った。

 

「どうして…私が、こんな目に……クソが」

 

 吐き捨てるような呟きが誰かに届く事はなく、少女はカブルモが攻撃を放つのを見ている事しかできなかった。

 ツノを光らせて高く跳躍、カブルモのメガホーンだ。その攻撃が少女に直撃する——

 

「いた、あそこだ!ヒコザル、ひのこ!」

「ヒイッコオ!!」

「カブ!?」

「………え…?」

 

 ——その直前で、ヒコザルの攻撃が間に合った。飛行能力も滞空能力もないのに空中に身を晒していた事が災いしカブルモはヒコザルのひのこをかわす事ができず、効果抜群の技を諸に受けたカブルモはそのまま奥の木に叩きつけられた。

 

「君、大丈夫!?」

「……あ、うん…」

「よし、じゃあもう少しだけ待っててね。今あいつを追っ払うから!」

「ヒコッ!」

 

 すぐに立ち上がったカブルモから少女を守るように、琴葉とヒコザルが立ちはだかる。その背中を見て少女は息を吐いた。

 

「……ムリだ…」

 

 それは諦めのため息だった。

 

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

 

「今あいつを追っ払うから!」

 

 文字通り間一髪間に合った!

 オレが見つけた時点で既にカブルモが攻撃を繰り出していたから血の気が引いたけど、どうもあのカブルモは覚えている技だけ一丁前で本人は技を使い慣れていないらしい。

 その上で庭園のポケモンたちをまとめて倒したのは、天性の才能だろうか。とにかく、オレにとって初めてのポケモンバトルだ。負けるわけにはいかないし純粋に負けたくもない。

 

「行くよ、ヒコザル!ひっかく攻撃!」

「ヒコッ!」

「カッブ!」

 

 ヒコザルのツメを使ったひっかく攻撃を、カブルモは横跳びにかわした。ただ身体の形がより人間に近い分、ヒコザルの方が器用な動きが可能だ。

 

「そのままひのこ!」

「コオ!」

「グウッブ…!」

 

 ひっかく攻撃の姿勢から身体を捻って素早く繰り出されたひのこをカブルモはかわす事ができない。そこでカブルモはつのでつく攻撃でひのこを弾く事にしたようだが、それじゃあ間に合わないだろう。

 

「ひのこを続けるんだ!」

「ヒコココオ!!」

「ブッ…!カブウッ…!」

 

 このまま体力勝負に持ち込めば相性も良く攻勢も取ったこちらが有利。それに今回の場合、オレ個人としては不本意ながらこのまま時間稼ぎを続ければ確実にこちらが勝てる。

 …それが油断だった。

 

「カブブウッ…!」

「よし!そのまま押し切れ、ヒコザル!」

 

 ポツ。

 一瞬聞こえたその音に胸騒ぎを覚えてオレが地面を見れば、そこにはごく小さい物とは言え周りの土よりも色の濃くなっている点があった。

 ポツ、ポツ。

 音はすぐ気のせいで済まないほど多く大きくなり、その都度地面に色の濃い点が増えていく。

 

「あ、雨…もう降り出したんだ」

 

 後から客観的に見返せば、この感想がいかに呑気で間の抜けたものであったかとオレは頭を抱えてしまう。傷だらけの白い少女が風邪をひかないだろうか、彼女の怪我にこの雨水がしみないだろうかと他人の事ばかり気に掛けていたのだから。

 実際にはオレのヒコザルこそがこの場の誰より窮地に追いやられていたというのに、残念ながらオレがそれに気付いたのは事態が悪化してからの事だった。

 

「ココ…コオッ…!」

「カーブ!ブッ!」

 

 攻撃しているのはヒコザル、防戦一方なのはカブルモ。にもかかわらずヒコザルの表情は俄かに必死なものとなり、対するカブルモは余裕を取り戻したかのような表情になっていた。

 頭上には木々が生い茂っている事もあり、雨の音は余計に大きく響いている。それが意味する所は即ち——

 

「ヒコザル、どうしたの?なんかひのこの威力が落ちてるような……っ!」

「カブウ!」

 

 オレが気付いた時にはもう遅い。

 カブルモはニヤリと笑うと器用に身をひねり、多少の被弾は厭わずにひのこの猛攻から逃れた。

 先ほどまではあのカブルモでも防ぐのに精一杯だったひのこだが、雨が降り始めた事によりその威力が半減してしまったのだ。

 

(オレはバカか!?天気が雨の時は炎タイプの技の威力は下がるんだ…そんな事知ってたはずなのに!)

 

 一瞬の油断が命取り。カブルモは自分の有利状況を知ると先ほどまでのダメージなどなかったかのように機敏に動き出した。

 

「くっ…!ヒコザル、落ち着いてカブルモを見るんだ!」

「ヒコオ」

 

 自然に降り出した雨だ。いつ止むかもわからない。こんな状況から立て直しを図るにしても、機動力で勝る相手に対し棒立ちは愚策中の愚策だ。

 それが分かっていても、この時のオレには他に手が思い浮かばなかった。

 

「カッブウ!」

「あれは…!?」

 

 少しの間そうしていると、唐突にカブルモが動きを変えた。今までは撹乱するかのように跳び回っていたのだが、その場で身を捻り横回転を始めたのだ。

 ツノはより鋭く尖り、その回転はドリルのように。

 そしてカブルモがただの回転する青い何かに見えてきた頃、勢いよくヒコザルに向かって突進してきた。地面タイプの強力な技、ドリルライナーだ。

 炎タイプのヒコザルには効果抜群、少なからず疲弊している事もあってこれは耐えられない。

 

「か、かわせヒコザルー!」

「コオオオオ!!」

 

  当然オレは回避するよう叫んだが、先の攻撃による疲労と初めて見る大技の圧にヒコザルは足がすくんで動けなかった。

 このままカブルモのドリルライナーがヒコザルにクリーンヒットする——ここにいる誰もがそう思った瞬間、後ろから頼もしい声が聞こえた。

 

「モジャンボ、しぼりとる!」

「モォーンボオ」

「カブッ!?」

 

 高速で回転していたカブルモの身体が濃い青緑色の触手を束ねたような腕によって容易くホールドされ、逆方向に雑巾絞りの要領で回転させられた。

 それを為したのは、武宮さんのモジャンボだ。

 

「勇敢な行い、実にご立派でしたぞお嬢様。ですがやはり勉強不足、経験不足は否めませんな。後はお任せください」

「武宮さん…!」

 

 武宮さんは落ち着いた様子でオレを庇うように立ち、近くの木に寄りかかって座っているボロボロな少女を一瞥すると厳しい眼差しをカブルモに向けた。

 

「さて、今の一撃で実力差はわかったと思うが……まだやる気かね?」

「カブゥ…」

 

 凄みのある武宮さんの問いかけに対し、カブルモは悔しそうに歯噛みするとオレとボロボロな少女を順番に目で追ってから外壁の外へ逃げ出した。

 その背中が見えなくなって足音も聞こえなくなかった事を確認すると、武宮さんは一転優しい目になってオレたちの方へ振り返った。

 

「逃げましたか。まあ良いでしょう。お二人がご無事で何よりです」

「あ……その………」

「武宮さん、オ…私は無傷ですけど、ヒコザルは体力が切れかけてて…それにこの子も無事って言うには傷だらけだし…」

「ふむ…ではお嬢様はヒコザルを運んであげてくださいませ。こちらの子は私とモジャンボで屋敷までお送りします。——立てますかな?」

「え、えっと、はい………つぅっ…!」

 

 武宮さんに差し出された手を見た上でボロボロな少女は自力で立ち上がろうとして、しかし脚の痛みに顔を歪めて倒れ込んだ。

 

「無理は禁物です。モジャンボ、この子を抱えてあげなさい。傘は私が」

「ありがとう、武宮さん。ヒコザルもよく頑張ってくれたね」

 

 結局、オレの初めてのポケモンバトルは実質負けに終わった。オレの言う「不本意な勝ち方」とは要するに、武宮さんに助けてもらう事だったのだから。

 

(悔しいな…)

 

 ヒコザルを抱えながら歩くオレは、武宮さんには聞こえないよう静かに鼻をすすった。

 




この進め方だと作者がペルソナ5好きってバレそうだよね。ハードを持ってないからプレイできないんだけどさ(泣)


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第四話:少女

早速お気に入り登録、誤字報告、そして評価してくださった皆様、本当にありがとうございます。



「ん……こ、ここは…?」

 

 西四辻家の屋敷の中で、ボロボロだった少女は目を覚ました。戸惑いながら外を見ればまだそれほど暗くなっていないという事くらいしかわからない。

 痛む身体を無視して起き上がろうとしたらしいところで、オレが部屋に入っていった。

 

「あ、もう起きたんだ。丁度良かった。聞きたい事もたくさんあるし、ティーセットも持ってきたし。紅茶は好き?」

「え?えっと……嫌いじゃない…かな…」

「良かった。じゃあ今淹れるね」

 

 オレがベッドのそばに丸椅子を寄せて紅茶を淹れているのを、ボロボロだった少女は不思議そうな目で見ている。

 その視線に気付いたオレはなるべく優しい声で問いかけた。

 

「先に、何か私に聞きたい事はない?」

「あるけど…えっと、まずここはどこ?」

 

 最初の質問がそれなんだ、とはオレの率直な感想である。てっきり名前を聞かれるかと思っていたが、どうやらものすごく警戒されているらしい。目力がヤバイ。

 

「はは…ここは私の家だよ。西四辻家のお屋敷。私はここに住んでる西四辻 琴葉って言うんだ」

「どうして助けてくれたの?」

 

 オレが苦笑して答えると食い気味に次の質問を投げてきた。

 だがこの質問はさすがにオレの予想外の内容だ。

 

「んー、どうしてって言われても…。うちの敷地内であのカブルモに暴れられても困るし、やっぱり君を放っておけなかったからだし…」

「…変なの。見ず知らずの不法侵入者なんか助ける理由なくない?」

「不法侵入を自覚してるなら、君の名前と家を教えてほしいな。送りようがないから。はい、紅茶淹れたよ」

 

 オレが話しながら差し出した紅茶のカップをボロボロだった少女は受け取ったが、不機嫌そうな目でそれを睨みつけたまま口を付けようとしない。

 ここまでの言動から大体そういう子なんだなと察したオレは、特にそれを気にすることもなく自分で淹れた紅茶を啜った。

 

「うーん、葉は良いから美味しいのは美味しいけど、まだまだ柿川さんのようにはいかないかあ」

「え?あれだけ得意そうにしといて練習中なの?」

「ごめんね、実はまだ」

「ふーん」

 

 苦笑するオレを見たボロボロだった少女は徐ろに紅茶を一口飲んだ。淹れたてだから相当熱いはずなのだが、冷ました様子はなしだ。

 

「あ、熱いから気を付けて…って、遅かったか」

「なんだ、普通に美味いじゃん。これでまだまだって、そのナントカさんはどんだけ美味いお茶淹れるっていうの?」

「そりゃあもう一度飲んだら忘れられない味だよ。本当に初めて飲んだ時の衝撃たるや!あの味を再現したいんだけど、オレじゃあまだまだ練習不足みたいで」

「………」

「?」

 

 つい饒舌になってしまい口を押さえたオレにボロボロだった少女は少しだけ意外そうな目を向けてくる。オレがその視線を正面から捉えると途端に彼女は悪戯っぽい笑顔に変わってからかうように言ってきた。

 

「ふーん、『オレ』ねえ。ふーん、そっかあ。そうなんだあ」

「へっ?………ああ!?」

 

 どうやら柿川さんの紅茶の事を考えていたら無意識のうちに素が出てしまったらしい。

 

「ち、違うんだよ今のは!なんていうかこう、いつもはそんな風じゃなくて、ええっと…」

「いいっていいって、誤魔化さなくて。むしろそうやって素顔隠される方がすっげームカつく。さっきみたいなのの方がこっちも話しやすくていいや」

「あ、そ、そう?そうなんだ…」

 

 まあ結果的にオレが素を出した事によってボロボロだった少女が多少距離を詰めてくれたのなら、悪いことではなかったと思うべきだろう。

 何というか、このちょっと意地悪そうな女の子に弱みを握られたのは、新たな不安の種ではあるのだが。

 

「にしてもこんな大豪邸に住んでるって言うからどんな箱入り娘のお嬢様かと思ったら、案外おもしろい子なんだね。オ・レ・さ・ん?」

「西四辻 琴葉!」

「あはははは、そうだった!あたしってばホント人の名前覚えるの苦手でさ。えーっと、オレの人?」

「わざとだよね?絶対わざと言ったよね今のは!?」

「あはははははは!」

 

 これだけ捻じ曲がった性格をしておきながら、楽しげに笑うボロボロだった少女の様子は今まで見てきた誰よりも純粋で快活なのだから調子が狂う。きっとこの歪さが彼女の魅力なのだろう。

 

「ああもう、何でもいいからオレが自分の事オレって呼んでるの、屋敷の人には言わないでくれよ」

「やっぱそっちが素なんだ。うん、わかった。あたしに対してそれ隠さないならいいよ」

「…まったく。こんな疲れたのはいつ以来かな…」

円山(まるやま) 英美(えいみ)

「……え?」

 

 オレがため息を吐いている間にポツリと少女が言い、うっかり聞き逃しそうだったオレは確認のために顔を上げた。

 

「だから、あたしの名前。円山 英美って言うの。古鳥(ふるどり)小学校に通ってる、えーっと、今度の四月で四年生。琴葉は?」

「ああ、オレもそうだよ。古鳥の新四年。なんだ、同じ学校の同じ学年だったんだ」

「ま、一学年に四クラスだもんね。面識なくても不思議じゃないか」

 

 先ほどまでの敵対心むき出しだった様とは打って変わって、ボロボロだった少女もとい英美はフランクな態度で接してきた。どうやら先ほどまではオレが自分を普通の少女と偽っていたのが気に入らなかったらしい。

 たかがこれだけの事で次の質問に踏み入って良いのか不安ではあったが、聞かなくてはいけない事なのでオレはカップを持つ力を少し強めて英美に問う。

 

「あの、さ。英美は、なんであのカブルモに襲われてたの?」

「あー、あれね」

 

 やはり少し不満そうな顔に変わった。ただオレが素を隠さないようになっているからか、先よりは自然に会話してくれそうだ。

 

「あれはまあ、あたしが全面的に悪いかな。ちょっと嫌な事あって、気分紛らわそうと石蹴りながら外歩いてたの。で、うっかり強く蹴りすぎちゃって飛んでった石があのカブルモの頭に直撃して、襲われちゃったって感じ」

「な、なるほど…」

 

 やたら執念深くカブルモが追っているように見えたから何事かと思えば、案外些細なキッカケで拍子抜けしてしまった。

 というか、それだけの理由であんな傷だらけにしてなおトドメ刺そうとかあのカブルモも大概だな…。

 

「じゃあウチに入ってきたのは?っていうか、落ちてきたよね?」

「うん、あいつのメガホーンが足下に着弾してさ。衝撃で吹っ飛ばされちゃった」

 

 英美は随分あっさり語ったが、衝撃だけであの外壁を超えるほど吹き飛ばすのは相当な威力だ。何しろ西四辻家の外壁は高さ3mはあるのだから。

 それほどの威力を持つ技を使いこなすまではいかないものの覚えているあのカブルモは、冷静に考えればかなりの強者だ。今度バトルする事があれば絶対に勝つと心に決めたが、早速自信がなくなってきた。

 

「ん?じゃああの火傷みたいなのは?」

「ああ、見てわかるでしょ?あたしアルビノなの。先天性白皮症。日光というか、紫外線アウトなんだ」

 

 言われてみればそうだ。カブルモの強さや英美の傷の酷さばかりが目についてすっかり頭から抜けていたが、アルビノの事はオレも多少知っている。実際にアルビノの人間に会うのは前回も含めてこれが初めてなので、本当に知識として少し知っているという程度なのだが。

 だからこそ尚更気になる事もある。 ただ、これはまさか英美本人に聞くなんて絶対にできない事だ。

 今はそれよりもっと大事な事がある。

 

「そんな事より、ここが古鳥の校区内で良かったよ。歩けるようになったら勝手に帰るからこの屋敷の正門の場所だけ教えてくれる?」

「え?いや、さすがにそれはダメだよ!」

「えー、なんで?ずっとここでお世話になるのも気が引けるんだけど」

 

 いやいや、いきなり何を言い出すんだこの子は!?

 

「そうじゃなくて!もう夕方だし、親が心配するんじゃないの?連絡して迎えに来てもらわないと」

「……別に、あたしの事心配するような親なんかいないし」

「…?いや、だとしてもさ、さすがにまずいって!正門の場所は教えるまでもなく分かりやすい所にあるけど、小学生女子が無断で人の家に泊まるとかマジで色々問題だから!迷惑被るのこっち!わかる?ってかわかって!」

 

 何なんだろう、英美はさっきオレの事をどんな箱入り娘かと思ったみたいな事言ってたけど、常識知らずって意味じゃ人の事言えないじゃないか。

 いやまあ、カブルモを追い払ったあの時点で救急車を呼ばなかったオレたちにも既に問題はあるけどさ。なまじ専属医を雇っている分そういう常識的な発想を欠いていたかもしれない。

 

「……はあ、わかった。じゃ電話貸して。家に連絡する」

「よかった、わかってくれた」

 

 何はともあれ、英美は自宅に連絡してくれるようだ。しかしこの歳で反抗期とは……中々ませた子だ。

 オレは一度カップを机に置き、武宮さんに事情を話して携帯電話を借りてきた。武宮さん自身を連れてきても良かったのだが、彼は彼で仕事が忙しいはずなのでそれはやめておいた。

 余談だがオレの記憶が確かなら今年は日本で初めて某リンゴのロゴで有名な会社がスマートフォンを発売するはず、この固定電話の子機をひたすら小さくしたような形状の携帯電話も見おさめが近いかもしれない。

 

「はい、ケータイ。使い方わかる?」

「うん。…だからそんな説明書ガン見しなくて大丈夫だよ」

 

 偉そうな口をきいたがオレはその某リンゴのロゴで有名な会社のスマートフォンから携帯電話を持った身なので、この時代の携帯電話の事はよく知らないのだ。英美は使い方を知っているようで助かった。

 

「——あ、もしもし。私、英美。うん、もうすぐ帰るよ。うん、そう、心配いらない。うん、じゃあね。——はい、連絡終わったよ」

 

 ん?なんで知ってるんだろう?

 

「……琴葉?」

「へ?ああ、ごめん。連絡終わったんだね。どうだった?」

「うん、すぐ迎えに来てくれるって。じゃああたしもう行くね」

 

 オレが考え事をしている間に英美は電話を終えたらしい。すると彼女はすぐにベッドから降りて立ち上がり歩き始めた。

 

「え、ちょ、ちょっと待って!まだ傷痛むんじゃ…」

「こんなの歩けさえすればどうって事ないし。さっきは足も怪我したばっかで全身覚束なかったけど、今はもう大丈夫だから」

「だからって…って、言っても英美は聞かないか。せめて門までは送るからね」

「はいはい、それで気が済むならそうしてください。迎えまで一緒に待つ事はないけど」

「はぁ…うん、そうだね」

 

 この意地っ張りで悪戯好きなお転婆ちゃんがオレの言う事を素直に聞くとは思えないが、一応忠告だけしておこう。カブルモの話で確信したが、どうもオレはこの世界のポケモンという存在を少し舐めていたようだし、外は思ったより危険らしい。

 友達と呼べるほどの仲になれたかは分からないが知り合いにはなった。そんな人が、オレが注意していれば防げたはずの事故に巻き込まれでもしたら目覚めが悪いどころの騒ぎじゃない。

 

「じゃあまた学校で。同じクラスだと良いね」

「だね。また学校で」

 

 英美の事は気にかけておこう。前回は会わなかった人物だが、少なくとも悪い人じゃないだろうし。

 オレの知る古鳥の卒業アルバムには写っていなかった彼女は。

 



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第五話:入学

 2008年4月8日。

 古鳥小学校の始業式の日だ。

 この日は穏やかな日和で、咲き誇る桜が日光に照らされ新年度の始まりを彩っている。

 

「琴葉。いよいよ今日から四年生だな。おめでとう」

「ありがとう、お父様」

「そして今年は琴葉が初めてポケモンを持ち、正式にポケモントレーナーとしてデビューする年でもある。胸を張って式に臨み、立派に節目の日を過ごしてきなさい」

「うん!」

 

 父も心なしかいつもより嬉しそうだ。

 思えばあっという間の五年間だった。目を覚ますと突然知らない家の知らない子供になっていて、でも住んでる街の事はよく知っている。

 歴史も殆ど一緒かと思えばポケモンという創作物だったはずのものが実在するせいで近代史以降に大きな違いがあり、その割に地理には目立った違いが見当たらない。

 そんな不思議な世界だったものだから、一度は社会に出たオレが園児にまで戻っても退屈はしなかった。きっとこれからはもっと退屈しないだろう。

 

「よし、準備完了。行ってきます!」

「行ってらっしゃい、琴葉」

「行ってらっしゃいませ、お嬢様」

 

 オレは大きな期待と小さな不安を胸に学校へと向かった。ちょうど他の純粋な子供たちと同じように。

 

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

 

「おはよう、琴葉ちゃん」

涼音(すずね)、おはよー」

 

 学校に着いてすぐオレに声がかけられたのでその主を見れば、去年から仲良くしている嘉島(かしま) 涼音(すずね)がふんわりとした笑顔で小さく手を振っていた。

 涼音は同年代の中でもかなり華奢な体格で、性格も大人しく控えめな子だ。主体性がないとまでは言わないが主張の弱い方であり、人に頼られ注目される立場が苦手でいつも集団の中に隠れているような印象がある。

 

「涼音はもう新しいクラス分け見た?」

「ううん、まだ。私も今来た所だから」

「そっか。じゃあ一緒に——」

 

 見に行こう、と言いかけた所で、オレは背後から妙な視線を感じて振り返った。

 

「………?」

「どうしたの?」

 

 しかし背後にはオレを見ていたような人物は誰もおらず、ただ校門近くの木の葉や桜の花びらがさわさわと揺れているのみだった。

 

「琴葉ちゃん?」

「うん?」

「どうしたの?急にぼーっとして。早くクラス分け見に行こう?」

「ああ、うん。そうだね」

 

 何だったんだろうとは思いながらも、今考えても仕方ないと割り切ってオレは歩き始めた。

 この世界は本当に新鮮な事だらけだ。

 

「えーっと、嘉島、嘉島…あった!私、2組だって」

「あっ、じゃあ同じクラスだ!よろしくね、涼音」

「良かった。こちらこそよろしくね、琴葉ちゃん」

 

 クラス分けが張り出された掲示板の前は大勢の児童でごった返していたが、オレは人混みに慣れているし涼音は小さいしでするすると抜けられた。

 今年はオレと涼音は4年2組で同じクラス。前回と同じだ。尤も前回の4年2組に琴葉なんていなかったし、涼音ともそんなに話す方ではなかったが。

 それよりも、オレは名簿の下の方に載っている名前の方が気掛かりだった。

 

「あっ…ねえ、あれ」

「あ、あの子…」

 

 ふと背後の喧騒が気になった。というのも、ガヤガヤしていたものが俄かにザワザワしているものへと変わったのだ。

 

「? どうしたのかな」

「さあ…」

 

 涼音の問いかけについ生返事をしつつ、オレは喧騒の原因たる存在を目で追った。

 それは春に着るには暑いだろうフード付きの外套に身を包み、肌を一片たりとも出さないよう慎重に歩いている同年代らしき子供の姿だ。オレはその姿に心当たりがあった。

 

「ねえ、あれじゃない?」

「ああ、あの」

「滅多に学校来ないって噂の」

「こんな時間に来るなんて珍しい」

 

 遠巻きにひそひそ話をしている一同もオレが思い浮かべているのと同じ人物の事を噂しているようだ。

 その噂話のネタにされている本人はそんな事など意にも介さず、クラス分けの名簿で自分の名前を確認するとさっさと校舎の中へと向かった。

 それは必然的に、オレの横を通り過ぎる事になる。

 

「くだらないよね、ああいうの」

「まったくね」

 

 すれ違いざま彼女(・・)はオレに囁いた。同じように囁き返すと、彼女は小さく笑うように息を吐いてから「後でね」とだけ言い、教室へと歩いていった。

 

「………涼音、私たちも行こっか」

「えっ?あ…うん、そうだね」

 

 しばし沈黙が支配していた空間は、オレたちの会話をキッカケに再び喧騒が広がった。

 

 

 

 

「ねえ、琴葉ちゃん。今朝のって…」

 

 始業式も無事に終わり教室で各クラスの担任の先生が来るのを待っている間に、涼音が遠慮がちに話しかけてきた。

 

「うん?」

「ほら、あのフードの人…」

「ああ、英美の事」

「知り合いなの?」

 

 オレがあっさり名前を出すと涼音はビックリしたような声を出した。無理もないだろう。円山 英美は、この古鳥小学校ではちょっとした噂の人(・・・)だ。

 

「春休みの間にちょっとね。偶然話す事があって」

「そうなんだ…」

 

 オレの話を聞いた涼音の顔は複雑だ。不安そうな、申し訳なさそうな、それでいて少しだけ安心したような、そんな表情になっている。

 

「あの、琴葉ちゃん。その…円山さんって、噂で聞くような怖い人?」

「さあ?私もそれほどよく話した訳じゃないし、そもそも私はその噂を知らないし…」

 

 オレが慎重に言葉を選びながら話している内に、その英美が教室へと戻ってきたのを視界の端で捉えた。トイレにでも行っていたのだろう。

 

「それに涼音がどういう人を怖がるのかも私は分かってないからさ。色眼鏡で見ずに、実際に話してみたら?」

「うん…それもそっか」

 

 小四ともなれば、オレでも女子の社会がいかに面倒かは多少分かっている。その上で自らマイノリティになれるのは涼音の長所だ。いくらオレが背中を押していると言っても。

 こちらの話がひと段落したのを確認すると、英美がおもむろにオレたちの方へと歩いてきた。教室の中には一気にオレたち三人とそれを遠巻きに見るその他という構図が出来上がる。

 

「おはよう、琴葉。本当に同じクラスになったね」

「おはよう英美。怪我はもういいの?」

「見ての通り、普通に歩けるから問題なし。で、この子誰?」

 

 周りから向けられる奇異の視線などお構いなしに英美は親しげな様子で涼音の事を話題にした。

 

「ああ、こっちはオ——友達の、嘉島 涼音。二年の時同じクラスだったんだ」

「かっ、嘉島 涼音です。あのっ…よ、よろしく…」

「そうなんだ。あたしは円山 英美。英美でいいよ。よろしくね、涼音」

 

 イメージより優しそうで安心したのか涼音の顔が少し明るくなった。

 

「っていうか、琴葉。それ」

 

 不意に英美が半眼でオレを見た。言葉ではそれ以上を語らなかったが、彼女の言いたい事はその眼で察せられる。

 だからオレも僅かに首を動かして遠巻きにオレたちを見ているクラスメートを示しながら返した。

 

「勘弁してよ」

「あー、そういう事。わかったわかった、じゃあいいよ」

「?」

 

 涼音は一人この会話の意味がわからないようだった。だがオレにとってはその方がありがたい。

 彼女が置いてけぼりになっている事に気を遣ったのか、英美はそれ以上オレ(・・)について追及しなかった。

 

「涼音はさ、なんか好きな事とかある?」

「えっ?えーっと、好きな事…かぁ」

「何でもいいよ。好きな食べ物でも、授業科目でも」

「あっ、草タイプのポケモンのお世話は好きだよ。ナゾノクサとかキノココとかね、喜んだ顔がすっごくかわいいから」

 

 涼音の声が珍しく少しだけ大きくなっている。と言っても、こんな様子の涼音をオレは割とよく見ているから驚きはしない。

 

「へえ、草タイプのポケモンたちの事が本当に好きなんだね」

「うん。いつから好きとか、どうして好きになったとかは、よくわからないけど…」

「そういうもんじゃない?いつから、はともかく、どうして好きになったかなんてわかんないから、それが好きなんじゃないの。私はそう思ってるけど」

「英美ちゃん…」

 

 二人の会話を横で聞いて、オレの英美に対する印象がまた少し変わった。

 オレはてっきり、英美は積極的に人と話す方ではないと思っていた。しかしこの様子を見るにどうもそれは間違っていたようだ。そうでなければそもそも彼女はオレたちに話しかけには来なかっただろう。

 

「さ、もうすぐ先生来るんじゃない?琴葉、涼音、また後でね」

「あ、うん。後でね、英美ちゃん」

「うん、後で。英美」

 

 英美の一声でオレたちがそれぞれの席に着いたのを見ると、周りでひそひそ話をしていた他のクラスメートたちも徐々に各々の席へと座っていった。それでも止まない内緒話にオレと英美は苦笑し、涼音は少し顔を赤くして下を向いていた。

 

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

 

 人の寄り付かない鬱蒼とした樹海の中。

 全身が真っ黒な影のようになっているそいつは、やや疲れた様子で目を覚ました。

 

「………夢か。どうもワタシは夢に縁があるな。またワタシ自身の事について少しわかってしまった」

「ヨンノワー」

「ヨノワールか。ああ、今目が覚めた。どうもワタシには近くで眠る者に悪夢を見せる能力があるらしい、という情報と共にな」

 

 目覚めたそいつに声をかけたのは以前ヨンワール(仮)と呼ばれていたポケモン、ヨノワールだ。彼の本来の呼び方も、そいつが夢で得た情報だった。

 

「ヨノォ…ヨンワ、ヨンノワール」

「なるほど…確証はないが、お前は周りの者に悪夢を見せるポケモンという存在に聞き覚えがあるのか」

 

 そいつはヨノワールと協力関係を結んで以来、度々このようにして自らについての情報や己が生きるこの世界についての情報の裏付けを取っていた。

 この森に棲むヨノワールはかなり博識なようで、滅多に森の外へ出ないというのにこの世界についてよく知っていた。もっともその背景には人間の弱い心が関係している。

 

「そうか。以前この森で自害した人間からそんな情報も得たのか」

「ヨンワール」

「生者と死者の間に対等な関係はありえないが、お前はゴーストタイプ——幽霊の性質を持っているからそれを可能にすると。そんな事も言っていたな」

 

 そいつはヨノワールの助力のもと着々と力を取り戻していた。

 

「その死者曰く、悪夢を見せるポケモンの名は——」

 

 全盛期のものにも迫る強力な力を。またその心に宿る悪の煌きをも。

 

「ダークライ、か」

 

 そしてそれを一番助長しているのは、悲しい事に人間なのかもしれなかった。

 




剣盾ランクマ楽しぃ( )


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第六話:準備

間空けすぎちゃった。最低週一ペースは守ろうと思ってたのになあ。


 2008年4月15日。

 もう通常授業も開始し、オレたちのような小学生は久し振りの勉強に頭と体を慣らすのに勤しんでいる頃だ。

 この日の朝、オレは涼音と一緒に教室の後ろの壁に貼り出されたクラス全員分の自己紹介シートを見ていた。

 と言っても、中身を細かく読むのは何となく気になった一部のクラスメートの分だけだ。

 

「あっ、琴葉ちゃんの見つけた。好きな食べ物は、イチジクのタルト……一昨年から変わってないね」

「あぁ、うん。美味しいからね」

 

 要は仲の良い友達のものから見ていくという事だ。

 ちなみにオレはイチジクのタルトも好きだが、こういう一番好きなもの一つを選ぶとなったら実は焼き肉の方が好きだ。ただそれだとどうも可愛げがないし、焼き肉が好きな最大の理由はビールによく合うからである。

 小学生がそんな事を語れるわけがないので、二番目に好きなイチジクのタルトを安定択として取っている。

 …あー、ビール飲みたい。

 

「嘉島 涼音は…あった。好きな食べ物、餃子?涼音は一昨年のと違うんだね?」

「うん。最近は餃子も好きになっちゃって」

 

 結構ガッツリしたものが好みのようでオレは少しビックリした。その割に縦にも横にも大きくならないのは意外にも運動の習慣があるのか、将来的にもっと違う場所が育ってくるのか…今それを考えるのはよそう。

 

「餃子かあ。良いよね、餃子も。あれもすっご——ゴホッ、ゴホッ!」

「だ、大丈夫?琴葉ちゃん?」

「う、うん。大丈夫。喉にホコリでも引っかかったかな?はは、はははは…」

 

 危ない危ない、うっかりビールに合うよねって言う所だった。ついさっきビールの事考えたばっかりだったからか…?気を付けないと。

 

「こっちは英美のか。好きな食べ物はオールドファッション?あいつ甘いのいけるんだ…」

「意外だった?」

「英美!いつからそこに?」

 

 突然背後から声を掛けられ、オレは飛び跳ねて驚きそうになった。

 

「琴葉ちゃん、琴葉ちゃんが咳き込んだ辺りからいたよ」

「涼音は気付いてたんだ…英美、おはよう」

「おはよ、琴葉。ふぁーあ…眠い…」

 

 英美は自己紹介シートには目もくれず呑気に欠伸をしていた。本当に眠そうだ。あまり寝ていないのだろうか。

 

「英美、寝不足は健康にも美容にもよくないよ」

「ええ?あぁ違う違う、そうじゃないの。こんな季節に二日も続けて学校来るなんて久し振りだからさ」

「英美ちゃん滅多に学校来ないって、本当だったんだ…」

「まあね。テストくらいは受けに来てるし月に4、5回は来るようにしてるから、滅多に来ないってほどじゃないと思うけど」

 

 英美、それは滅多に来ないって言うんだよ。

 とは言えなかった。オレがわざわざ自己紹介シートを見ていたのには理由があったからだ。

 時計を見ると先生が来る時間まであと僅か。それまでにある児童の分だけは見ておきたかったのだ。

 

「ん?琴葉、何を見てるの?」

封城(ほうじょう) 拓真(たくま)…」

「? それってあの髪のキレイな男子?」

 

 封城 拓真。6月21日生まれ、性別男。

 男子にしては少々長めの髪をキレイに整えており、顔も日頃からややしかめっ面なのを除けばかなりカッコいい部類に入る。体格は平均的だが体力はトップクラスらしい、というのは過去三年間の中で封城が積み上げてきた実績に基く噂だ。

 自己紹介シート曰く好きな食べ物は野菜うどんで、趣味はポケモンバトルの観戦と——

 

「へえー、ゲームが趣味なんだ。珍しい子だね」

「うん、だからちょっと気になってね」

「なるほどね」

 

 そう、この歳でゲームが趣味というのはこの世界じゃかなり珍しい。

 と言うのも、この世界にはポケモンがいる。その上ペットとして可愛がっている家庭も多いし実際オレだってヒコザルと一緒に育ってきた。

 ポケモンが常に隣にいる環境だから、一人で遊ぶだけになりがちなゲームというのは子供の間ではそれほど流行っていないのだ。友達と遊ぶなら可愛いポケモン自慢や運動競技が主流、小学四年生になって自分のポケモンを持てるようになればもうポケモンバトルが基本だ。プロトレーナーの道を諦めた年齢からはゲームが趣味というのも珍しくはなくなってくるが。

 ただしオレが封城について最も気になる点は、このポケモンが存在する世界においてゲームが趣味であるという点ではない。

 

「琴葉ちゃん。封城君なら、今日もちゃんと学校来てるよ」

「まあ、このクラスに限って今日休む人はほとんどいないんじゃないかな」

「確かにね。あたしが今日学校来たのだってそれ(・・)があるからだし」

 

 さて、ぼちぼち先生が来る頃だろう。着席を促すチャイムもなった事だしオレたちも座るか。

 何より今日は、英美も言っていたようにあれ(・・)があるからな。小学生二回目のオレさえつい気持ちが浮ついてしまう大事なイベントが。

 ……まあ、今日はまだいわゆる準備段階でしかないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——それでは、本日のポケモン学の本題に入ります」

 

 いかにもこの世界らしいポケモン学というこの科目は、主要科目に数えられてこそいないもののコマ数がかなり多い。生徒・児童側からは前回で言う体育の人気を遥かに凌駕し、また生物と直に関わる話なので大人側からもかなり重要視されているのだ。

 ポケモンたちを前回で言う所のイヌやネコなどと同列に扱う事ができないくらいには、彼らはヒトにとって身近な存在である。

 

「今年は皆さん心待ちにしているでしょう、自分のポケモンが持てる年です。ポケモントレーナーとしての心得は去年までの授業で勉強した通りですが——」

 

 担任の先生はここで一旦言葉を区切り、クラス内の一部の児童をチラリと見てから言葉を続けた。

 

「——国語や算数の授業の様子を見る限り、一部の人は去年の勉強内容をかなり忘れてしまっているようなので、今日のポケモン学も復習を兼ねた小テストから始めます」

 

 クラス中が落胆した雰囲気に包まれた。気持ちはわかるが、オレに言わせれば仕方ない事だ。ポケモンについての心得や知識は主要科目と同じくらい、あるいはそれ以上に重要で大切なのだから。

 今年のオレたちの担任、茅原(かやはら)先生はまだ若いがキビキビとした立ち居振る舞いで規則に厳しい女性の先生だ。オレの記憶が間違っていなければ前回の小四と同じ担任である。……ちなみに現時点では転生前のオレより一つか二つ程若い。

 ポケモン学の初回で小テストから始めるのはこういう人だからこその優しさだ。とは言えオレもこれが一回目なら周りのクラスメートたちと同じ反応をしただろう。

 

(テストの内容は特に難しい事もないな。いくらポケモン学がこの世界特有の科目っつっても、勉強以前に常識の範囲で考えれば分かる事ばっかりだ)

 

 茅原先生に指定された制限時間の15分の間、オレたちは黙々と小テストに取り組んでいた。少しだけ視線を動かせば英美も涼音も特に困った様子なく手を動かしているのが目に入った。

 

「封城君、もう終わったんですか?」

「はい」

 

 ふとオレの後ろの方から茅原先生の声と封城の退屈そうな返事が聞こえてきた。どうやら彼は思いの外簡単な内容だったテストをさっさと終わらせて頬杖をついていたようだ。

 まだ小テスト開始から6分、オレももうすぐ終わるが字を書くのが遅い人はもう少しかかるだろう。そんな中で一人だけ暇そうにしていれば確かに浮く。

 

(なんか、クセの強いメンバーが多いな…このクラス)

 

 オレは苦笑しながら自分の小テストに意識を戻した。

 

 それから3分程度が過ぎるとクラスの全員が小テストの紙を裏向きにし、時間が来るのを待ちわびていた。まだ頭を抱えている人がいない事を確かめると茅原先生は教壇に立ってクラス全員の注目を集める。

 

「はい、時間前ではありますが皆さんもう終わったようなので、答え合わせに移ろうと思います。隣の席の人とテストを交換してください」

 

 学校ではお馴染みの軽い不正防止システムに懐かしさをおぼえつつ、オレは隣に座る男子と小テストを交換し茅原先生の読み上げる正答とテストに書かれている答案を照合していく。

 隣の男子には申し訳ないがオレは彼の事を覚えていない。名前だけは卒業アルバムで見た覚えがあるが顔は全く忘れてしまっていた。要するにその程度の印象の相手だったのだ。

 …しかも彼は基本のタイプ相性もうろ覚えだし、ポケモンと接する上でのトレーナーの心得として正しいものを選ぶ記号問題ですら字が汚すぎて読めないという謎現象のせいで酷い点数になっていた。

 

「では全問正解だった人は手を挙げてください」

 

 クラスのほぼ全員が手を挙げた。ここで手を挙げられていないのは隣の彼と、なんと涼音もだった。

 あいつ何を間違えたんだろう。

 

「何人かの手が挙がっていないようですが……では一問だけ間違えてしまったという人は?」

 

 涼音がここで手を挙げた。

 

「嘉島さん、どこを間違えてしまいましたか?」

「あ、あの…ポッポのタイプを答える問題で、ノーマルタイプを忘れていました…」

「なるほど、確かに間違えやすい問題ですね。ポケモンが持つタイプの把握はバトルでは大事な知識です。今回正解だった人も授業で習った事のあるポケモンの分は最低限復習しておくように」

 

 なんとも涼音らしいミスをしたものだ。草タイプ好きな彼女だからこそ飛行タイプの印象ばかりが勝ってしまったのだろう。

 今のやり取りから分かる通り、この世界の一般的なバトルの水準はかなり低い。プロ同士のバトルでも特性や変化技は効果を知っているだけで(つう)扱い、ゲームであったような天候を利用したパーティだとか、持ち物を絡めた戦術だとかはほぼ使われていない。

 

「では次にアンケート用紙を配ります。これは皆さんの最初のポケモンの希望を取るためのものなので、周りと相談したりせず自分の素直な気持ちを書いてください」

 

 その分この世界のポケモンバトルでは、ゲームではあり得なかった三次元の空間を利用した立体的なバトルが鍵になってくる。多彩な技を立体空間でどう活かすか、その工夫がプロに求められる技能だ。

 この世界のポケモンバトルとは、いわば見世物なのだ。

 

「……ちなみに、先程の小テストで半分以上間違えてしまった人はいますか?」

 

 隣の彼が手を挙げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「終わったー。これで金曜日にはポケモンに会えるんだ」

 

 授業が終わって休み時間。英美がわざとらしく伸びをしながらオレの所へやってきた。

 

「あれ、英美って家でポケモン飼ってないの?」

「ないない。あたしってばどうもポケモンをペットとして見れなくってさ。だったらもう正式にトレーナーになってからパートナーとしてポケモンを持ちたくて」

「あ、それすごく素敵だと思う。なんか、本当にポケモントレーナーって感じがして」

 

 涼音も会話に入ってきた。どうやら英美にはもうだいぶ慣れたようだ。

 

「って、私は結局、今までペットにしてたナエトルを最初のポケモンにするんだけどね…」

「それも『素敵』じゃん。『本当に』自分のパートナー『って感じがして』?」

 

 英美は悪戯っぽく笑いながら、涼音の言ったものと同じ単語を全て強調しながら返した。涼音は顔を赤くしてからかわないでよと抗議しているが、恐らく強調していなかった部分も英美の本心だろう。

 

「琴葉は?最初のポケモン、どうするの?」

「私はやっぱりあのヒコザルにするよ。物心ついた時からずっと一緒に育ってきたし」

 

 これはオレがずっと決めていた事だ。

 あのヒコザルはオレが初めてこの世界で目を覚ました時、既に西四辻 琴葉とかなり仲が良かった。

 それをオレの都合で引き離すのは偲びないし、何よりこの世界で過ごす内にオレはあのヒコザルの事を心の底から可愛がるようになっていたのだ。間違いなくオレ(・・)の感情で。

 

「へえー。……ねえ琴葉」

「なに?」

それ(・・)、ポケモンの前でもやるの?」

 

 改まって問いかけてくる英美の眼は、まっすぐオレの眼を捉えていた。

 その質問にオレはすぐに答える事ができず、質問の意味がわからない涼音はまた不思議そうな表情になっている。

 教室内の喧騒が、いつもよりうるさく感じられた。

 




評価・お気に入り・誤字報告助かってます。
感想もお待ちしております(露骨)


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第七話:傲慢


間空けすぎてごめんなさい。
これからも不定期な更新にはなってしまいますが、もしよろしければお付き合いくださいな。



「琴葉、いよいよ今日からだな」

「うん、お父様」

「ごめんね、琴葉。せっかくの記念日なのにお祝いできなくて。パーティは明後日、日曜日にしましょう」

「気にしなくていいよ、お母様。ポケモンリーグのお仕事なんでしょ?誕生日に大袈裟すぎるくらい祝ってもらってるし、そんなパーティだなんてはしゃがなくても」

 

 2008年4月18日。

 朝食の時間に、オレは父と母からトレーナーデビューについての祝いの言葉をもらっていた。

 この世界では10歳になる年度の四月に、学校で最初のポケモンと共に初級トレーナー免許証をもらう事で正式なトレーナーデビューの節目としている。家庭で飼っていたポケモンを最初の相棒とする場合、その日からポケモンをモンスターボールに入れて学校へ連れてくる事が可能となるのだ。

 ちなみに学校ではポケモン学でもない限り自分のポケモンをボールから出す機会はないが、そういう日の授業中は中庭で遊ばせておく事ができる。

 一応『なつき度』の概念はポケモンの進化と密接に関わっているためこの世界でも知られており、よほど古い伝統を守り抜いている厳しい学校でもない限りは、ポケモン学やバトル関連の行事がなくても学校にポケモンを連れていく事は認められている。

 

「それじゃあ行ってきます!」

「行ってらっしゃい、琴葉」

「しっかりね」

 

 父と母からもう一度温かい言葉をもらうと、オレは家を出て学校へと歩き始めた。今日のポケモン学は一限目、正式なトレーナーデビューが楽しみでついいつもより早く家を出てしまった。

 しかし歩き始めてすぐ、この間英美に言われた言葉を思い出してしまった。

 

『ねえ琴葉。それ(・・)、ポケモンの前でもやるの?』

 

 周りにあれだけ多くの人がいる環境だったため直接何の事かは言わなかったが、オレにはこの言葉だけで充分だった。

 オレは今でも英美以外の人と話す時は一人称を「私」にしている。それは本質的にはオレじゃない琴葉に気を遣っているからというのと、万が一にもオレが元男でTS転生した事がバレないようにするためというのが主な理由である。

 要するにオレは、自分を「他人より少し元気の良い普通の女の子」を取り繕っている状態がデフォルトなのだ。

 

「一応ヒコザルには素を見せてるつもりなんだけどなあ…。確かにどうしよう…」

「あ。おはよう、琴葉」

 

 独り言を漏らしながら歩いていると背後から英美に声を掛けられた。

 

「英美、おはよう。あれ、いつも道こっちだったっけ?」

「ノー。今日は何となくそんな気分だったってだけだよ」

 

 オレは英美の家がどこにあるか知らないが、そういえば英美はオレの家と自分の家の位置関係を知っていてもおかしくない。

 それにしても、何となくそんな気分、か。多分今し方考えていた事について話したいんだろうな…。

 

「やっとこの日が来たって感じだね」

「う、うん…」

「ん?元気ないじゃん。どうしたの?」

 

 英美の発言一つひとつを注意深く聴きながら歩いていたので、うっかり生返事を返してしまったらしい。

 とはいえここで悩んでいても時間はいずれ来る。だったら周りに知ってる人が誰もいない時に自分から話しておいた方が良いか。

 

「いや、実はさ、まだ迷ってて…」

「何を?」

「……オレのこと」

「ああ、それか」

 

 いざ話そうと思うとどう言葉にしたものかわからなくなってしまい変な言い方をしてしまったが、英美にはしっかり伝わったようだ。

 彼女は呆れたような溜め息を一つ吐いてから話し始めた。

 

「別にいいんじゃない、何でも。この前あんな事言ったのはあたしだけど、よく考えてみたら琴葉、親の前でもそれやってるでしょ」

「うっ……」

「やっぱり。屋敷の人には言わないでくれ、って言ってたもんね」

 

 そうか、どうしてわかったのかと思ったら、確かにあの時オレはそんな事を言ったな。

 でもそう言われてみれば答えはオレが思っていたよりずっと単純なものである気がしてきた。

 

「でも琴葉は、カブルモとバトルしてる時は普通だった。ヒコザルの前ではそれ(・・)やってなかったわけだ」

「あぁ…確かに」

「じゃあもう、それで解決じゃない?あたしの言った事は最初から悩む必要なんてない事だったって訳で」

 

 あっさり結論が出てしまった。

 オレは本当に何を悩んでいたのやら…答えはこんなに単純だったんだ。なのにオレは複雑に考え過ぎて、一番簡単な結論を見ていなかった。

 英美の俯瞰的な姿勢にはオレも見習うべき所があるかもしれない。一見素っ気ない態度とも取れるが、この冷静さは彼女なりの優しさを胡散臭くさせない要素でもある。

 

「ありがとう、英美。おかげでスッキリしたよ」

「そう。なら良かった」

 

 何なんだろうな、実際に生きた年数で言えば英美たちなんてオレより遥かに下なのに。オレは小学生二回目なのに。

 だからこそオレには彼女のような人たちから学ぶべき事がある、という事なのだろうか。

 

 

「あー、さすがに早すぎたかな。まだほとんど誰も来てないし」

「はは…てっきり考える事は皆同じかと思ってたけど、ここまで舞い上がってたのはオレたちだけだったみたいだな」

「だねー」

 

 やっとポケモントレーナーになれる。

 そう考えただけで気持ちが浮ついてしまい早すぎる時間に家を出た結果、まだ教室どころか学校内にほとんど人がいなかった。

 ほとんどという事は、数人程度はもう来ているという事でもある。

 オレと英美が教室に入ると、普段はあまり目立たない男子がもう席に座ってノートに何か熱心に書き込んでいた。

 

「封城君?おはよう、早いんだね」

「…ん、お前は……西四辻、だっけ。あと…円山?」

「そ。おはよ、封城」

「ああ」

 

 英美はいきなり遠慮のない距離感で挨拶した。オレの時とは大違いだ…もっともそれはオレが自分を隠していたからだろうが。

 一方で封城もそこについてはさほど気にしていないようだ。

 

「封城君はいつもこんな早く来てるの?」

「いや、今日だけだ。そういうお前らは?」

「同じ。遂にトレーナーデビューって思うとどうしてもね」

「…円山もか?」

「そんなとこ」

「意外、だな」

 

 少しの間オレたちの方を見ながら話していたが、オレも英美も一通り荷物の整理を終えた頃にはもうノートに目を戻していた。

 やっぱり気難しい人なのかなと思って次の言葉に迷っていると、なんと今度は封城の方から声が掛けられた。目はノートを見続けているが。

 

「意外と言えば」

「うん?」

「お前ら、有名人だよな」

 

 脈絡もなく封城はそう言った。

 オレも英美も彼の言いたい事がわからず、無言で次の言葉を待つ。

 

「西四辻はいつも成績トップクラスで皆に優しいお嬢様。円山は滅多に家から出ないし夏でも長袖の変わり者」

「うん、そうだね」

「あたしもそう思ってるし」

「二人に対してみんなが持ってるイメージは真逆だ。そんなお前らが実は友達だった」

 

 ここで封城は一度ノートから顔を上げ、オレたちの方を見て続けた。

 

「意外な組み合わせだ」

「………え、それだけ?」

「つまんな」

 

 最後の一言が思いの外あっさりしていた事で、オレは拍子抜けし英美はばっさり切り捨てた。

 そんなオレたちに封城は苦笑し、またノートに何か書き始めながら言葉を発する。

 

「せっかくこの三人しかいないんだ。イメージだけで見ずに直接話したいと思っただけだよ」

「言ってる事とやってる事が噛み合ってないんだけど」

「悪いな。俺もポケモンと会うのが楽しみなんだ。少しでも多く最初にもらえるポケモンについて復習しておきたくてさ」

 

 すかさず突っ込んだ英美にも封城は冷静に返した。オレが言うのも変な話だが、何というか大人だ。

 

「それ、ポケモンについて書いてるの?」

「ああ。ポケモンバトルはデータやシミュレーションじゃない。いくらプロの試合を見ても俺たちじゃあんな風にはできないからな」

「準備するに越した事はないって訳か」

「そうだ。…西四辻が優等生って噂は本当そうだな」

 

 この世界で初めてもらえるポケモンは、ゲームで言う所の御三家が該当する。事前のアンケートでは性格診断のような質問をされており、その診断結果から各新人トレーナーの性格に合いそうなポケモンをプロが判断して三匹に絞り込むのだ。

 

「俺が思うに西四辻なら……草タイプはフシギダネ、炎タイプはアチャモ、水タイプはアシマリじゃないか?」

 

 今封城が言ったように、世代はごった煮だ。この世界にとってポケモンは現実、ゲームに登場した順番など関係ないのだ。

 

「どうだろう。何にせよオレはもう一緒に育ってきたヒコザルを相棒にするって決めてるからなあ」

「……へえ。そうなのか」

 

 オレの答えに対して封城は意味ありげに笑った。ただオレとしても今回自ら素をさらけ出したのは敢えてやった事だ。

 

「イメージなんて当てにならない物でしょ、封城君?こっちがオレの素」

「そうだな、西四辻の言う通りだ」

 

 円山はオレが本来の自分を隠すのを嫌った。それが最初中々気を許してくれなかった理由だし、素を隠すのをやめてからはむしろオレをからかうほどの勢いだ。

 なんとなく、これは本当になんとなく感じた事なのだが、封城もオレが素を隠すのは良く思わないだろう。

 封城と円山はどこか似ているし、何よりこの二人には——

 

「円山、お前はどうだ?」

「あたし?」

「ああ。西四辻とはもう十分話した。後は一年あれば足りるさ。でも円山とはまだ話し足りない」

「ふーん、良いよ。何の話だっけ」

「最初のポケモンについて」

 

 ——少なくともオレにだけは確信できる、大きな共通点がある。

 

 

「それではこれから、皆さんに初級ポケモントレーナー免許証を配ります。出席番号順に名前を呼ぶので呼ばれた人は取りに来てください。全員に免許証が渡ったら校庭に集合し、そこで初めてのポケモンと対面になります」

 

 あれからオレと英美、封城の三人で雑談をしているうちに他の人も徐々に登校し、教室の中も賑わってきた。封城は涼音がやってきたタイミングでさり気なく会話から外れ、結局いつものグループで話していた。

 そんな、今日に限っては皆がいつもより長く感じていた朝の時間も過ぎ去り、ようやく一時間目の授業が始まった。

 

「封城 拓真君」

「はい」

 

 茅原先生が一人ずつ名前を呼び免許証を渡していく。

 

「嘉島 涼音さん」

「は、はいっ」

 

 そう、今この瞬間この教室で、また新たなポケモントレーナーがこの世界に誕生しているのだ。

 

「西四辻 琴葉さん」

「はい!」

 

 その中には当然オレもいる。

 そして同時に、この教室の全員がオレのライバルという事にもなる。

 

「円山 英美さん」

「はーい」

 

 オレが感傷に浸っている間に、このクラスの全員が免許証を受け取った。

 一気に教室中が沸き立つ中茅原先生が手を叩いて注目を集める。

 

「はいはい、皆さん!わくわくするのは分かりますがこれからが本番です!校庭にはもう皆さんの初めてのポケモンを連れてきてくださった方がいます!ポケモントレーナーになったという自覚と責任感を持って素早く集合するように!」

 

 茅原先生は大声で注意すると足早に教室を出て行った。おそらくポケモンを連れてきた人たちに間もなくだと言いに行ったのだろう。

 それならオレたちも早く——そう思っていたら涼音がこの上なくそわそわした様子でオレのもとへやってきた。

 

「い、いよいよだね、琴葉ちゃん。私、緊張してきちゃった…」

「そうだね。って言っても、私たちはこれまで一緒に暮らしてきたポケモンが相棒だから、そんなに変わらないけど」

「そ、そうだけど…そうじゃなくて……さすが琴葉ちゃん、すごく落ち着いてるね…」

「?」

 

 涼音の様子がどうもおかしい。オレにはその理由がわからないが、どうも歯切れが悪いというか何というか…。

 オレが戸惑っていると英美も会話に参加してきた。

 

「もしあたしが琴葉の立場だったら、さすがのあたしでも落ち着いていられないなー?」

「どういう事?」

「え、まさか琴葉ちゃん、忘れたの…?」

 

 二人して何の話をしているんだろうか。

 オレの疑問に対する答えは、英美がいつもの悪戯っぽい笑顔と共に出してくれた。

 

「四年生のポケモン学、初めてのポケモンをもらう授業ではさ。各クラスの総合成績上位二人がみんなの前でポケモンバトルの実習をするんだって」

「は?いやそれ初耳なんだけど!?二人はどうしてそんな事を…特に英美なんてホントたまにしか学校来ないのに」

「琴葉ちゃん…一年生の時に言われたよ……?」

「琴葉も案外先生の話聞いてないんだ」

 

 一年生の時って…むしろ涼音はよく覚えてたな。

 でも言われてみれば、あの頃はオレも内心で周りを見下していたり明らかな『強くてニューゲーム状態』に気怠さを感じていたりしたから、人の話をまともに聞いていなかったのも確かだ。

 

「でも、それと私に何の関係が?このクラスの成績上位二人って、まだ今年度に入ってからテストもしてないのに」

「だから、去年最後のテストが基準。このクラスじゃ琴葉と——封城が、同率一位だったかな?」

 

 封城か。彼についてもまだ知らない事は多いな。

 しかし今はそんな事より、オレがクラスで成績一位?たかが小学校のテストと言えど、その油断からのケアレスミスとか授業で扱ってない解き方で問題解いたりとかで割と減点もらってるのに、その上で一位なのか。

 

「……知るのが急すぎたせいで、緊張するほどの余裕も私が成績一位とかいう事に対するビックリもないんだけど」

「前半はともかく、後半マジで言ってる?」

「琴葉ちゃん、ほとんど毎回100点近く取っててそれはないよ…」

 

 なぜか涼音にまで引かれた。

 いいや、どの道もう時間がない。不安要素は数あれど、オレだって一度は社会人を経験した身——もとい精神だ。だったらここはもう、それこそ三年前の自分のような傲慢さを思い出した方が良いかもしれない。

 それがどんな結果を招こうとも、な。

 

 

 



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第八話:無知

こんなに間隔空いてても見てくれる方々に最上級の感謝をこめてグラシデアの花を贈りましょう。皆様の心のシェイミをスカイフォルムにしてくださいませ



 

「他のみんなが初めてのポケモンを選ぶまでは、そわそわしっぱなしだね」

「うん…」

 

 校庭にて遂にオレたちのクラスにもポケモンが受け渡される時が来た。

 オレや涼音はペットだったポケモンがそのまま相棒になるので待つ事しかできないため、余計に焦れったく思える。

 

「そうでした。お家で一緒に暮らしていたポケモンを最初のポケモンにする人はもうそのポケモンをボールから出してあげて良いですよ!」

 

 オレたちのような人のそわそわした雰囲気を感じ取ったのか茅原先生がいつもより優しい声で許可を出してくれた。

 それを聞いた面々は待ってましたとばかりに各々のモンスターボールから自分のポケモンを出していく。

 そしてそれは、当然オレと涼音も例外ではなかった。お互い明るい笑顔で顔を見合わせると、オレたちもボールを放ってポケモンを出す。

 

「よし!おいで、ヒコザル!」

「ヒッコオ!」

「ナエトル、あなたも」

「アーオ」

 

 オレのヒコザルはかなり陽気な性格だ。オレにとっては見飽きた学校という場所もヒコザルにとっては初めて見る景色、ウキウキして足元を駆け回っている。

 一方涼音のナエトルは落ち着いたもので、彼女の足にややもたれながら欠伸などしている。かなり呑気な性格らしい。

 

「頭の葉っぱはみずみずしいし、甲羅も肌もツヤがあって綺麗。涼音は本当にそのナエトルの事が好きなんだね」

「そ、そんなこと…ううん、その通りだけど…ちょっと恥ずかしい……」

 

 オレが素直に思った通りの事を口にすると涼音は顔を紅くして俯いてしまった。ナエトルは彼女のこんな様子も見慣れているのか前足で慰めるように涼音の脚を軽く叩いていた。

 

 オレたちがそんな茶番をしているのを傍目に見ながら、英美たちポケモンを新しくもらう面々は目の前に並んだ三匹のポケモンたちに心を奪われていた。

 オレからは見えない位置にいたが、それは英美や封城でさえ同じだったらしい。この二人はそう簡単に感情が表に出るタイプではないが、この時ばかりは仕草に出てしまっていたようだ。

 

「俺の相棒候補は——へえ、なるほど…。おもしろいポケモンたちが出揃ったな…」

 

 封城の場合はこんな風に独り言を漏らし。

 

(ふーん…あのカブルモも琴葉ん家のも殺気立ってたからなあ。悪いのあたしだけど……でもこうやって見ると、案外悪くないかも…)

 

 英美の場合は口元に手を当てるなどという普段は絶対にしない、どちらかと言えば涼音がよくしそうな仕草をしていたそうな。

 

「はい、それでは皆さん自分のポケモンを選び終えましたね。ここにいるだけでもかなりの種類のポケモンがいると思います。ですが世の中には、今この場にいる数より遥かにたくさんの種類のポケモンがいるのです」

 

 そして全員が自分の相棒となるポケモンを選び終えたのを確認すると、茅原先生がクラスの児童全員を集合させて演説を始めた。

 

「皆さんが最終的にポケモントレーナーを目指すのか目指さないのかは人それぞれですが、今はその多様性を知って色々な景色を見る事が大切なのです。皆さんの隣にいるポケモンたちはきっとその助けになるはずですので、まずはそのポケモンたちと是非良い関係になっていってください」

 

 この世界においてポケモントレーナーを目指すということは、前の世界でいうとプロ野球選手を目指すようなものだ。にもかかわらず小学生の将来なりたい職業ランキング第一位にポケモントレーナーが入ってくるので、先生のするべき言い方は難しい。

 

「さて、ではそろそろ皆さんお待ちかねの、ポケモンバトルの実習に移りましょう」

 

 ここで茅原先生は声の調子を一転させて、なるべくクラスの雰囲気を明るくする声を出した。

 

「今日はもう時間が少ないので、バトルできるのは二人だけです。その二人は——西四辻さんと封城君、バトルフィールドに立ってください」

 

 やっぱりか…。

 さっき涼音と英美から聞いていなければきっと物凄く驚き戸惑ってしまっていた事だろう。

 …結局緊張してきてしまっているが。

 

「ポケモン学の成績に限れば西四辻が一位——その実力、存分に見せてくれよ」

「言われるまでもないよ。……あ」

「?何だ?」

「いや、何でもない」

「そうか。念のため言うけど、集中してくれよ?」

「わかってる」

 

 今朝封城が言ってた『もう十分話した』って、こういう意味だったのか…。

 封城に不審がらせてしまったが、これを言って失望させる事もあるまい。カブルモ戦以来のバトルでヒコザルも張り切ってるし、誰に言われるまでもなく全力で臨ませてもらおう!

 

「各自使用ポケモン一体、一本勝負!先にどちらかのポケモンが戦闘不能になった時点で試合終了です!」

 

 バトルフィールドはアニメでもよく見たバスケットボールコート程の広さの長方形で、中心にモンスターボールを象った円が描かれているものだ。両端にトレーナー用のスペースも用意されており、正に夢にまで見た景色がそこにあった。

 

「両者、ポケモンを!」

 

 茅原先生の一声でオレも封城も見ている他のみんなの表情さえも引き締まる。

 

「頑張ろうね、ヒコザル!」

「ヒコッコォ!」

「行くぞ、アシマリ!」

「アシャマ」

 

 封城が繰り出したポケモンは群青色の小さなアシカのようなポケモンだった。

 知ってるポケモンで助かった。ポケモンなんて前の世界じゃとんでもないビッグタイトルだし、オレがこの世界で目を覚まして今年で五年目…もしかしたらオレの知らないポケモンもいるかもと思っていたけど、杞憂だったかな。

 

「ライバルの相棒ポケモンとは相性が悪いのも記憶通りか…。まあ気にしても仕方なし。ヒコザル、ひのこ!」

「ヒコッコォ!」

 

「スッゲエ!なんだあのパワー!?」

「さすが成績トップ、家でもしっかりポケモンを育ててるのね」

「最近の西四辻さん、ちょっと変だったけど、こういうの見るとやっぱりすごいね」

 

 いつになく張り切っているヒコザルは以前のカブルモ戦を凌駕する威力でひのこを放った。その迫力にギャラリーからも称賛の声が上がる。

 だけど、ちょっと雑すぎやしないか?

 

「かわせ、アシマリ!」

「シャマア!」

 

「おおお、すごいジャンプ力だ!」

「やばいな!アシマリってあんなダイナミックに動けるんだ!?」

「かわいくてカッコいいー!封城君いいなぁ」

 

 一方でアシマリも曲芸のごときアクロバティックな動きでヒコザルの攻撃をかわし黄色い声援を浴びている。そのギャラリーの声が届いたのかアシマリは満面の笑みだ。

 アシマリの最終進化系って典型的な中速特殊アタッカーだったと思うんだけど、あんな動きができるのか…。

 でも、アシカに滞空能力はないはずだ!

 

「ヒコザル、足元に潜り込め!」

「ヒコオ!」

「ひっかく攻撃!」

 

 空中に留まっていられないのにジャンプしたなら当然大きな隙が生まれる。だからといって安直にひのこを使わせるのは愚策だ。

 何しろ相手は水タイプ。なら炎タイプに相性の良い遠距離攻撃みずでっぽうを使えるはずだ。技の威力にもポケモンのレベルにも大した差がない今ひのことみずでっぽうが正面からぶつかり合えばこちらが押し負けてしまうかもしれない。

 それなら近接戦に持ち込んだ方が分が良いというわけだ。

 

「アシマリ、はたく攻撃!」

「アシャマ!」

 

 オレの思惑通り、封城は素早く近接戦に対応するためノーマルタイプの物理技はたくを指示した。これならタイプ相性は関係ない。気合十分のヒコザルのパワーなら勝てる!

 

「ヒコァー!」

「ヒコザル!?」

 

 そんなオレの読みは外れ、ヒコザルはオレの足元まで仰向けに吹っ飛ばされてきた。

 

「す、すっげー!なんだ今の!?」

「アシマリの攻撃がヒコザルの急所に当たったんだわ!」

「アシマリって水タイプだよな!飛行タイプじゃないよな!?空中であんな動きできるのかよ!?」

 

 オレも何が起きたのか理解するまでに時間を要した。

 どうやらアシマリは空中で前転を始め、尻尾を使ったはたく攻撃にその空中前回りの勢いを乗せたらしい。その攻撃がヒコザルの脳天に入り、ひっかく攻撃をかわしながらアシマリの攻撃は急所に当てたという事だ。

 

「良いぞアシマリ。中々魅せてくれるじゃないか」

「アシャマア!」

 

「ヒコザル、まだ行けるか!?」

「ヒコォ…!」

 

 アシマリは封城にも観客たる他のクラスメートたちにも褒められ上機嫌だ。その上で目だけはまっすぐ油断なく、ふらつきながらも立ち上がるヒコザルを見据え続けている。これがポケモンの闘争本能か…。

 

「追撃だ。アシマリ、みずでっぽう!」

「アッシャマー!」

 

「かわせヒコザルー!」

「ヒッコオー!」

 

「おお避けたー!」

「ねえ、しかもなんかヒコザルの様子変わってない?」

「ホントだ!なんか……何だろう?燃えてるみたい」

 

 容赦なく迫るみずでっぽうをヒコザルは(すんで)の所で横飛びにかわし、目を赤く光らせ全身から炎を思わせるオーラを立ち上らせた。

 ピンチになると炎タイプの技の威力を上昇させるヒコザルの特性、もうかが発動したのだ。

 

「よし、ここから逆転だ!ヒコザル、ひのこ!」

「ヒィッコオー!」

 

 もうかが発動したヒコザルのひのこは威力、弾速、範囲の全てが増幅されており、アシマリに回避の余地はない。今度こそ攻撃がヒットするはずだ。

 

「チッ!アシマリ、みずでっぽう!」

「アシャッマア!」

 

 正面からひのことみずでっぽうが激突する。

 タイプ相性で言えばこちらが不利だが、攻撃は両者の中央で少しの間拮抗した後アシマリの方へ押し返された。

 

「シャマア!」

「クッ…!」

 

 効果はいまひとつだが確かな一撃、ようやくこちらから相手に与えられたダメージだ。攻めるなら今しかない。

 

「飛び込めヒコザル!ひっかく攻撃!」

「ヒッコオ!」

 

「迎え撃てアシマリ!みずでっぽう!」

「アッシャマア!」

 

 素早く跳ね回るヒコザルを狙撃するようにアシマリは短いみずでっぽうを連続で放った。ヒコザルもここであと一発でも攻撃を受ければ倒れてしまうため、その全てを持ち前のスピードでかわしていく。

 

「うおおお!ヒコザルすげえー!」

「あのはたく攻撃で決まったと思ったのに粘ってるね!」

「どっちもがんばれー!」

 

 クラスメートの応援を受けながらヒコザルもアシマリも動きをより一層激化させた。

 …オレの気のせいなら良いんだけど、アシマリって声援を受けるたびに動きが良くなっていってないか?

 

「いっけえ!ヒコザル!」

「ヒイッコオ!!」

 

「アシマリ!」

 

 そしてとうとうヒコザルのひっかく攻撃が届く距離まで再接近できた。あとは全力の一撃を叩き込むだけ。ヒコザルにもありったけの力を出し切ってもらうためにオレも気合を込めた声で叫んだ。

 その、『決まる』と思った瞬間が油断だった。

 

「今だ!みずでっぽう!」

「シャーッマア!!」

 

「ヒコッ!?」

「ヒコザル!?」

 

 ヒコザルが最後に腕を振りかぶった一瞬の隙を突いて、封城はアシマリに素早くみずでっぽうを指示したのだ。今度の攻撃はヒコザルの腹に直撃、効果は抜群。

 先ほどと同じように仰向けに吹っ飛ばされたヒコザルはしかし、オレの足元で倒れたまま立ち上がれはしなかった。

 

「ヒコザル、戦闘不能!アシマリの勝ち!よって勝者、封城君!」

 

「すげえー!封城のやつ、あの西四辻に勝ちやがった!」

「西四辻さんなら逆転できると思ったのに…!封城くんすごすぎる!」

「良いバトルだったよね!私見ててすっごいドキドキした!」

 

「アシマリ、よくやった。これからもっと強くなろうな」

「アシャマ!」

 

「ヒ…ヒコォ……」

「ヒコザル、お疲れ様。…ごめんね」

 

 オレと封城がそれぞれにポケモンを労いボールに戻したのを確認すると、茅原先生が授業の締めに入った。そこで何やら『ポケモンバトルは結果が全てじゃない』とか『バトル本来の目的を見失ってはいけない』とかの注意を言っていたらしい事を後から涼音に聞いたが、この時のオレの耳にはまるで入ってこなかった。

 オレは、負けた。その事実がオレの胸に重くのしかかっていた。

 

 



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第九話:師弟


作者の体型が横にダイマックス
更新ペース遅くて申し訳ないです



 

 2008年4月21日。

 週末明けで皆の士気が下がる月曜日だが、この日オレは全く違う理由で集中力を大きく欠いていた。

 

「西四辻さんー?どこ行くのー?」

「え?」

「今週給食当番でしょー。白衣掛けてあるのはそっちじゃないよー」

「あ…そうだったね、ごめん」

 

 懐かしさを感じていたのは最初だけで、その後三年間ずっと日常の一部分となっていたものなのに、今日はすっかり忘れていた。

 食器に給食を盛っている間も全く集中できず量の配分もメチャクチャになってしまったし、その上何度もこぼしかけたほどだ。

 授業中も前回含めた過去最低レベルに酷かった。

 

「西四辻さん!」

「……へ?あ、はい?」

「次、西四辻さんの番ですよ」

「は、はい。えっと……」

「はあ。教科書36ページ、3行目から」

 

 国語の時間、文章を一文ずつ皆で読み合わせる小学校の定番だ。

 茅原先生にもすっかり呆れられ、休み時間には多くの人がオレに心配するような言葉をかけてきた。

 涼音もその内の一人だった。

 

「琴葉ちゃん、今日どうしたの?なんか調子悪そう…」

「ん……ちょっとね、事あるごとに考えちゃってて。その、この前の事…」

「この前——それって、前の金曜日のポケモン学の事?」

「うん…」

 

 週末もその事ばかり考えていた。なぜ負けたのか、どうすれば勝てたか、オレと封城の違いは何か——なるべく詳細にバトルを思い出しながらずっと分析を続けていた。

 

「あの時こうしていればその先はどうなってたか、とか……考えだすと止まらなくなって、ずっと頭の中でシミュレーションを繰り返しちゃっててさ」

「そうだったんだ…」

 

 そもそもオレが劣勢を強いられた最大の原因はアシマリが予想外にアクロバティックだった事だ。その上でもっと冷静な状況判断ができれば、あえて接近戦を挑む事もなかったかもしれない。

 だからと言って不利相性のまま遠距離戦を続けていてもスタミナ勝負になればダメージを受けていたヒコザル側に勝機があるとは思えないし——

 

「——葉ちゃん?琴葉ちゃん!」

「……え?あ、ごめん。なに?」

「やっと返事してくれた。またボーッとしてたよ」

 

 こんな感じでもう何度目かになる同じ思考に陥っては名前を呼ばれて意識が引き戻されての繰り返しだ。

 心の中で再三涼音に謝りながら目を合わせれば、彼女は何やら思案顔で恐る恐るオレに問いかけてきた。

 

「琴葉ちゃんは、封城君に勝てなかったのが悔しいんだ?」

「うん、そうだけど…」

「じゃあ、もっとバトルで強くなりたい?」

「それはもちろん!」

 

 少々回りくどい言い方で焦れったく思ったが、涼音の顔がいつになく真剣だったのでオレも鼓動を早めながら彼女の次の言葉をじっと待った。

 

「それなら、私良い所知ってる…!」

「本当?」

「……かも」

 

 最後は自信なさげなのが涼音らしく頼りないが、多分それはオレが希望に満ちた目で彼女を見たからだろう。オレの、もとい人の期待に応えられる自信がない涼音だからこその曖昧な語尾だと思えば、その情報は信頼できる。

 

「それって、どんな所なの?」

「え、えっとね、本格的なポケモンバトルの練習ができる所…で良いのかな」

「ポケモンバトルの練習…それってもしかして」

 

「はい、席に着いて。帰りの会を始めますよ」

 

 いい所で職員室から戻ってきた茅原先生が全員の着席を促した。

 

「えっと、じゃあまた後でね」

「うん、また」

 

 涼音の言う本格的なポケモンバトルの練習ができる場所とは、オレの予想が間違っていなければ多分アレ(・・)だ。そしてもし本当にその通りなのだとしたら、オレは一秒でも早くそこへ行きたいしそこならオレの求めている答えも見つかるだろう。

 

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

 

「お待たせ、涼音」

「あっ、琴葉ちゃん。……と、えっと…」

 

 あの後オレと涼音はお互い一度家に帰り、教科書などを置いて身軽になってから再度集合した…のだが、涼音はオレの斜め後ろに立つ人物に視線を向けたまま困ってしまった。

 まあ無理もないだろう。何しろこの人はどういうわけか「同行する」と主張して強引に着いてきたのだから。()がオレに理由も説明せず頑固になるのは珍しい。

 

「お初にお目にかかります。私、西四辻家にて執事を務めております武宮と申します。以後お見知りおきを」

「はっはい、あのっ。ええっと、琴葉ちゃんの、じゃなくてえっと、琴葉さんの?お友達の、嘉島 涼音です。えと、よろしくお願いします…?」

 

 武宮さんは無駄に仰々しいし涼音はそんな武宮さんに合わせて無理やり堅苦しく話そうとするしで、正直オレとしては見ていられない。

 

「武宮さん!別にそんな堅くしなくていいっていうかむしろソレやめてって言ったよね!?涼音も無理して合わせなくていいから!武宮さんの事とか気にしないでいつも通りでいいから!」

「お嬢様の仰る通りでございます。私の事はお気になさらず、どうぞお楽しみくださいませ」

「武宮さんは日本語が苦手なのかな?」

 

 そろそろツッコミ入れるのやめていいよね。もう疲れてきた…。

 仕切り直してオレは涼音に話しかけた。

 

「それで、さっき言ってた本格的なポケモンバトルの練習ができる所ってどこにあるの?」

「あ、うん。案内するね。駅前のロータリー沿いにあるから、ここからなら歩いて10分くらいかな…」

「意外と近いね」

 

 そんな近くにあるのに全然知らなかった。

 確かに電車に乗る機会ってこの歳だとあんまりないしウチの最寄駅は通学路から外れているから目も向けないけど、もっと自分の住む街に興味を持つべきかもしれない。

 前回だって大学卒業を機に上京してしまったから地元の風景ってもうほとんど覚えてないし、今回ならではの新しい施設があるのなら尚更だ。

 

「ふむ…やはりこの近くでとなると、そちらでしたか」

 

 武宮さんが何か呟いているがとりあえず無視しておこう。

 それからオレと涼音で他愛もない話をしながら歩いていると、本当に約10分弱で目的地に到着した。

 

「着いた。ここだよ、琴葉ちゃん」

(やっぱりここ(・・)だったか)

 

 涼音の示す建物は地方では存在感を放つ堂々とした佇まいで駅前のロータリーにそびえていた。淡いオレンジ色の屋根が日光に煌めき白い外壁はそこが荘厳な雰囲気の施設である事を表しているようだ。

 そしてこの建物の立派な看板には、シンプルながら目立つデザインで大きく「GYM」と書かれていた。

 

「ポケモンジム。ポケモンリーグ公認のポケモントレーナー養成施設ですな。プロの世界で最前線に立つ者からエンタメの世界で大衆に見世物を提供する者まで、次代を担うポケモントレーナーを幅広く育成する施設にございます」

 

 武宮さんがこの世界のポケモンジムについて解説を入れてくれた。

 オレの知るポケモンジムとはかなり違うが、それも世界が違うからだと思えば納得できる範囲だ。

 何より、オレの予想はある意味当たっていた。

 

「それにしても、涼音はよくこんな場所知ってたね?」

「う、うん。時々、見学に来るから」

 

 そうだったのか。涼音と出会ってから結構経つけど全然知らなかった。

 

「ね、早く入ろう?」

「…そうだね」

 

 涼音は目を輝かせてオレの袖を引っ張った。こんなに積極的な涼音は見た事がない。彼女はそんなにポケモンバトルが好きだったのだろうか。

 とにかくいつまでもジムの前で突っ立っていても仕方ないので、オレたちは自動ドアを通ってジムの中に足を踏み入れた。

 

「おお…」

 

 一歩入ってジムの中を見渡せば、そこはオレの記憶とイメージに概ね合致するポケモンジムだった。

 学校に用意されているものより幾分広いバトルフィールドがいくつも設営されており、そこでは年齢も性別も様々な人たちが実戦に観戦に励んでいる。

 少し端の方へ目をやればサンドバッグやルームランナー、ベンチプレスなどの体力トレーニング器具が置かれているスペースもあり、奥には更衣室まで用意されていた。

 何だっけか、第五世代のアニメにこんな感じの施設が登場した気がする。ポケモンバトルクラブ?あれに似てる。

 

「どうかな、琴葉ちゃん?」

「うん…すごい、すごいね!ここ!」

 

 心の中に抱く感想はいくらでもあった。でも不安げに問いかけてくる涼音の顔を見ていると、不思議と一番単純な言葉しか出てこなくなって、オレの語彙力は今の体の歳相応になってしまった。

 少しの間そうしているとオレたちの来訪に気付いた大柄な男性がこちらへと歩いてきた。

 

「ようこそ!——っと、嘉島クンじゃあないか。また見学に来てくれたのかい?」

「あ、いえ、今日はお友達を連れてきてて」

「ふむ。では隣の彼女が…」

 

 涼音はこの男性とはすっかり見知った仲のようで、若干言葉に詰まりながらもオレを紹介した。

 大柄な男性だと遠目に見ても思ったけど、近くで見るとより大きく感じる。全身の筋肉が無駄にバランスよく鍛えられており、そのどれもが無駄にはち切れそうなほど膨れ上がっている。

 純粋に身長も高い上に姿勢も良いので、圧迫感が半端じゃない。しかしその目をよく見れば、そこにはどこまでも優しそうな光が宿っていた。

 

「あ、ああ…」

「?」

 

 ただこの男性はオレの後ろに目を釘付けにしたまま突然震え出してしまった。それは表情から察するに、驚いた時の衝撃と何かに歓喜する気持ちが混ざり合った嬉しそうな、しかし信じられないといった震え方だ。

 この直後、オレはこの人の体格を間近に見ておきながら耳を塞がなかった事を心の底から後悔する事になる。

 

センセー!

 

 耳がキーンとなってから抑えても時すでに遅し、頭が痛くなるほどの大声で男性は叫んでいた。

 

「武宮センセーでねえですか!お久しぶりッス!」

「うむ、久しぶりだね。柴田(しばた)君」

「うおおおお!その節はどうも、本当に世話になりましたッ!」

「…え?え?どういう事?」

「さ、さあ…?」

 

 大声による衝撃と会話の意味が分からないのとでオレの声は思いの外小さくなり、説明を求めるオレの言葉は辛うじて涼音に届いたのみのようだ。

 

「しっかし武宮センセー、まさかこんな所までおいでになるなんて!武宮塾の方は順調なんですかい?」

「あー、実は諸事情があってね。武宮塾はもう随分前に後継に渡してしまったんだよ」

「エーッ!そうなんですかい!?したら、今は何を」

 

 柴田さんと言うらしいこの男性は先ほどまでの格式ばった話し方はどこへやら、若さを感じさせるワイルドな態度に変わってしまっている。

 

「今は西四辻様の家で執事をしている」

「執事ッスか!?」

「柴田君の方はその後どうかね?——と、これほどまでに立派なジムを構えていれば聞くまでもなかったかな」

「恐縮ッス。おかげさまで、今のアッシがあるもんッスから。……あ!」

 

 懐かしさを噛みしめるように武宮さんと話していた柴田さんだったが、唐突にオレたちの方を見るとくしゃりとした笑顔になって話題を変えた。

 

「ま、まあ積もる話はまたにしましょうや!お子さんたちが困ってまっせ」

「それもそうだな」

 

 二人してオレと涼音の方へ視線を戻す。それを会話に参加してよしのサインと捉えたオレはおずおずと気になる事を聞いた。

 

「えっと、武宮さん?その方とはお知り合い…?」

「ご紹介が遅れまして失礼致しました。こちら私の教え子の柴田(しばた)にございます」

柴田(しばた) 正太郎(せいたろう)ッス!…って、あれ?武宮さん(・・・・)って、随分他人行儀ッスね」

「ああ、言ってなかったね。こちらの方は——」

「西四辻 琴葉です。よろしくお願いします、柴田さん」

「——そういう事だ」

 

 柴田さんは少しの間考え込むようにオレと武宮さんの間で視線を行ったり来たりさせると、一瞬で大きく息を吸い込んだ。

 オレは直感的に次に起こる事態を悟り慌てて耳を塞ぐ。

 

エエエエエ〜〜〜!!?!?!?

 

 小学四年生女子の小さく薄い手など易々と透過して柴田さんの大声が鼓膜を破らんばかりに震わせた。

 



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