人理の海に身を委ねて (クロユキヤナギ)
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リンゴが落ちて、ゴングは鳴る。
じゃない方もいるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。
記憶を取り戻したのは……
自分が転生した、と気づいたのは5歳の頃だった。
その前々からどことなく違和感を覚えてはいたが、巷で話されていた、この話を聞いて頭に記憶が舞い戻った。
『アイザック・ニュートン』
『プリンキピア』
『力学』
真っ先に思ったのは「あっ、聞いたことある」という感想。
そして「どうして聞いたことがあるのだろう」という疑問から、ストンと生前の記憶が頭に重みを持って降り立った。
「い、痛ェ……上からたらいを落とされたみたいに、物理的に痛ェ……」
いや、プリンキピアやらニュートンやらで思い出したこの状況では、上からリンゴを落とされた、の方が正しいのか。
5歳の身に……というより脳内に、かれこれ数十年の21世紀を生きた青年の記憶が入り込めば、そりゃ頭痛がするのも当然なのだろう。
もしや某作品の
そこまで思考を広げて、ふと思い至る。
そうだ——俺は、どの世界に転生したのだろう、と。
*****
ひとまず、家に帰って状況を整理しよう。
急に頭を抑え出した子供に奇異の視線を向ける人々から逃れるように、道端を後にする。
今の記憶(生前の記憶ではない、という意味で)を頼りに、我が家へと辿り着く。
「……ぼっろいなぁ」
苔の生えた壁。猫が出入りできるほどの穴が下部に空いている扉。開けば、緑と腐肉の香り。
「うっひゃ、猫の死体をネズミが漁ってらぁ……」
記憶取り戻して早々、嫌なものを見てしまった。
とりあえずいつものように、猫の首根っこ(ダジャレではない)を掴んで、ネズミ共々窓から投げ捨てる。
よし、と息を吐いて——
堪らず胃の中身が逆流してきた。
「ぇ……んぐ、がぁ……」
今、俺は何をした。
猫とはいえ腐りつつある死体を素手で掴んで、そして挙げ句の果てに窓から投げ捨てた。
何故そんなことができるのか……とっさの判断で窓から顔を押し出して吐き出す最中、目を開く。
自分の吐瀉物のさらに奥、人通りも少なくない道に出た猫の死体とネズミ。通行人はそれを見て、僅かに顔を顰めるものの無視して去っていく。
そう、顔は顰めても——ほんの僅かだけ。
吐ききった口元を適当に拭い、そっと空を見上げる。
空には生前と変わらなく輝く太陽。眩しくて目を閉じた。
その中で思考を広げる。例えばパリ。生前の記憶では美しい街として名が知られたその街も、21世紀初頭までは道端に動物の死骸やら糞やらが溢れていたとか。
「やべぇな……1687年」
目を閉じたおかげで、より明確に感じ取れた腐臭にまた吐き出した。
これが、1682年イングランドで生を受け、5歳にて自らを転生者と悟った男……ジョン・ラカムの(ある意味)始まりだった。
*****
一通り落ち着いた後、目的を遂行しようと自室のベッドに腰かけた。
そう、状況整理だ。
「まずは……今はグレゴリオ暦1687年。プリンキピアにニュートン力学が掲載されるのは生前の記憶だとそうだったはず」
色々パンナコッタ・プリンにニてる、で覚えていた。実際大学受験の時に役立った覚えもある。
そして、今の記憶もそうであると伝えている。
「あぁっと、1687年だと……ウィーン包囲とかか? 第一次…は確か16世紀だったよな。じゃ、第二次だ」
しかしぶっちゃけ思い出したところで、ここはイングランドの隅っこ。ウィーンとかいうヨーロッパのしかも内陸の話はあんまし関係ない……
「……とりあえず、1687年のイングランド。ここまでは確証あり。
次は——俺の名前」
ジョン・ラカム。
しがない漁師の家の生まれ。
何をするにしても弱気で、あだ名は『腰抜けのジョン』。
「世界史にんな名前の奴出てきたか……?」
ジョンでイングランドといえば、マグナ=カルタで有名な失地王ジョン。あとは……飛び矛のジョン・ケイ。ジャックリーかワットタイラーのどっちかの乱で名言残したジョン何とか。これくらいだろうか。
三つとも時代錯誤も甚だしい。
「と、なると——この世界の元となった作品の登場人物か?」
しかし、ジョンというありふれた名前をキャラクターに用いる作品は中々少ない。少し奇を衒った方が名前が覚えられるのはどこの業界でも同じこと。
事実、自分の知識でジョンで出てくるのはもはや『ジョン・ドゥ』とか『ジョン・スミス』とかの偽名しかない。
「あぁ、あとジョン・レノン!」
れっといっとびー。自然に身を任せて。生前の自分が好きだった言葉だ。まぁ、これも半世紀近く時代が違うので関係ないだろう。
世界史に名前が出てこないとなると、モブ転生か、それとも生前の自分が大して関わったことのない分野での有名人か。
そこまで思考を広げて、一度原点——記憶を取り戻して真っ先に思ったことに立ち返る。
ここはどんな世界なのか。
「時代背景は近代そのもの。ここから異世界ファンタジーとかは取り除ける——ゼロ使みたいに実際の世界から転移ってことがなければだけど」
個人的にはシエスタちゃんやティファニアちゃんが好きでした。
確かあれらは現代が舞台だったし、残念だけど有り得ない。
「うん、ぶっちゃけ分からないな」
下手したら知らない作品の可能性もある。それより可能性がありそうなのは、普通に元の世界の過去に転生しただけの可能性も否めない。
「……少し、疲れたな」
ベッドに完全に横たわり、思考を一旦リセットする。
近世っぽい(または普通に近世の)世界で、自分の憑依先の正体はほと掴めず。
ならば、やることは一つ。
「変に事件とか起こさず、かつ健康的な生活を維持して暮らしますか」
この時代、一番恐ろしいのは医療が発展してないことだし。
願わくば、狼と香辛料のように時々シリアスがある程度のほのぼのとした世界でありますように。
*****
そんなこんなで日々をゆったり過ごしていた自分。
時間が経つのはこと早いもので、記憶を取り戻してから30年。
市民政府二論やら名誉革命からの権利の章典とか、スコットランドを飲み込んでグレートブリテン誕生とか色々あったけど、正直一漁師(軍隊に入ることも考えられたけど、スペイン継承戦争とかで死にかねないので全力で逃げて、親の家業を引き継いだ)には関係はなく。
もはや生前の記憶を超える年数を暮らし、「もう転生とか憑依とかどうでもいいから、このままいい奥さん貰って幸せに死にたいなぁ」と思っていた時だった。
「よーし、ボート全部戻ったなぁ! そんじゃぱっぱと剥いで、採油しとけ!」
「あいさ、団長! 今日は大量ですぜー!!」
「そりゃあ、いい! 稼いだ金でいいもん食って、娼館はしごしようじゃあねぇか!」
「「「ははは!!!」」」
延縄によるタラ漁を営んでいた親父だったが、その家業を引き継いだタイミングで捕鯨が流行り始めた。
ある程度金も溜まっていた職場が大型帆船を手に入れて、一足先に捕鯨業へと手を出した。
そこからは油欲しさに市民だけでなく領主、果てには国が諸手で買い取ってトントン拍子で発展。俺も操舵の腕を買われて大出世。
今日もこうして、港に帰ろうとした時……
ドカンと一発、大砲の音が鳴り響いた。
そう、一般市民にとって、ムガルの皇帝が死のうが、宗教改革が起きようが、大して生活に支障はない。
だけど、この時代は俗に言う『大航海時代』。
そう、海賊の黄金時代だっていうことは、一般市民でも軍人でも大事なことだった。
転載してゲロる。尊敬する二次創作作品の一つでも、似たような展開がありました。
事実、当時の常識って今とはだいぶ違うので、自分が転生したら最初はかなり苦労すると思います。
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