逆行オイフェ (クワトロ体位)
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序章
第01話『葬式オイフェ』


 

 グラン暦813年

 シアルフィ公国

 シアルフィ城

 

「お加減はいかがですか?」

 

 シアルフィ城の一室。

 城主が棲まうにはあまりにも質素な造りの一室に、青髪の壮年の男、そしてベッドに横たわる白髪の老人がいた。

 

「あまり良くないな。近頃は立ち上がる事も困難だ」

「何を仰る。老け込むにはまだまだ早いですよ」

「しかしな……」

「何でしたら、今から奥方を迎えるとかどうでしょう? 妙齢の美女を紹介しますよ」

「貴公はいつから女衒の真似事をするようになったのだ……」

 

 気遣う壮年の男性に、ベッドに横たわる老人は貯えられた口髭を歪め、力の無い笑みをひとつこぼす。

 老人に伴侶はいない。生涯不犯を貫き通した老人は、女性に興味が無かった……というわけでは無かったのだが、その全精力を荒廃した国家、そして未成熟な主君へと捧げる必要があったのだ。

 

「ユングヴィ公。私は、もう長くない。今更妻を迎えても、付き合わされる女性が可哀想だ」

「シアルフィ公……いや、オイフェさん。そんな寂しい事を言わないでください。それに、今この場は俺達しかいません。昔のように呼んでください」

「……そうだな、レスター」

 

 レスターと呼ばれた男は昔を懐かしむように表情を緩める。

 ベッドに横たわるオイフェと呼ばれた男も、同じ様に微笑みを浮かべていた。

 

「しかしこの死にぞこないの見舞いに時間を使っていいのか? イチイバルの件はまだ片付いていないだろう」

「いや、まあそうなんですが……当初は俺とファバルだけで済む問題だと思っていたのですがね……」

 

 レスターはバツが悪そうに顎を掻く。

 ユグドラル大陸に存在するグランベル七公国、周辺五王国の全てを巻き込んだ光と闇の戦乱。その傷跡が癒え、各国が復興を果たし、より繁栄を遂げた現在でも、戦乱が残した様々な問題が数多く表面化している。

 国家間の賠償問題、それに伴う領土問題、戦災に遭った市民への補償問題、軍縮による兵士の失業問題。

 そして、神器の継承問題。

 それが、レスターが継承したユングヴィ公国と、同じく聖戦を戦い抜いた同志、ファバルが受け継いだヴェルダン王国との間で顕在化していた。

 

「神器の継承問題はお前達だけで済む話ではない」

 

 妙に軽い言い草をするレスターを、嗜めるように言葉をかけるオイフェ。

 解放戦争後、主君であるセリス王からシアルフィ公国を任されたオイフェにとっても、隣国で起こるこの問題は頭痛の種であった。

 

 グラン歴632年。

 かつて大陸を支配したロプト帝国の苛烈な暴政に抗い、ダーナ砦に籠城せし十二の聖戦士達。

 その戦士達の前に古代竜族が現れ、血の盟約と共に与えた伝説の武器は、今も尚聖戦士達の子孫に受け継がれている。

 それは聖戦士の一人、弓使いウルが遺した“聖弓イチイバル”も同様であった。

 

 本来はウルが興したユングヴィ公国へ連綿と受け継がれていたイチイバル。だが、先のグランベル解放戦争により、その所有はユングウィ公国からヴェルダン王国へと移っていた。

 

 ファバルがイチイバルを継承する前の所有者は、ファバルの母親でありレスターの伯母、ユングヴィ第一公女ブリギッド。イチイバルの使用条件であるウルの聖痕は、ブリギッドの息子であるファバルへと色濃く受け継がれていた。

 それ故に、先の解放戦争ではファバルが聖弓の力をいかんなく発揮し、ロプトウス打倒の一翼を担っていたのだ。

 

「俺としてはそのままヴェルダンにくれてやれば良いと思っているんです。どうせ俺にはイチイバルは使えないし、息子達にもウルの聖痕は強く発現していません」

「しかし今後はどうなるか分からないではないか。お前の孫や、ひ孫に聖痕が現れる可能性もある」

「どうでしょうかね。ファバルの息子にはウルの聖痕が強く現れている。もう、ウルの血統はあちらが直系です。こちらはすっかり傍系になってしまった」

「……レスター。その話を臣下達の前ではしていないだろうな?」

「まさか。オイフェさんだけですよ。本音で話せるのは」

 

 解放戦争後、聖戦士達の末裔はそれぞれの故国に戻り、戦後の復興に努めた。

 レスターも自身の母親であるエーディンの故国ユングヴィ公国を受け継ぎ、その復興に努める。

 そして、ファバルもまた父親であるジャムカの故国ヴェルダン王国へと赴き、豪族達による内乱状態であったヴェルダンを平定、王国の再統一を果たす。

 ファバル本人の実力もだが、統一に最も力を発揮したのは聖弓の威力と求心力であるのは言うまでもない。

 

 そして、数十年経った今日に至るまで、ユングヴィとヴェルダンの間に神器継承問題が発生したのだ。

 

「ヴェルダンの民は建国以来初めて神器を抱く事になった。だから、返したくない気持ちも十分わかるんですがね」

「それはユングヴィの民にも言える事だ。元々持っていたものが奪われたとも言えるのだから」

「そうなんですがね。でも、大陸の国家を眺めてみたらグランベルに神器が集中しすぎていると思うんです。まあ、聖者ヘイムの元に聖戦士が集結したから、ヘイムが建国したグランベルに集中するのも仕方ないとは思うんですけど」

「……ともかく、神器の継承問題はお前たちの代で解決しようと思わない事だ」

「はい。御助言の通り、孫の孫のさらにその孫の代まで棚上げし続けます」

「交渉の継続と言ってもらいたいのだがな……」

 

 結局のところ、オイフェはこの問題を次代以降にまで先送りするしかないと考えていた。

 早急に解決を急げば、武力紛争にまで発展しかねない。再びユングヴィとヴェルダンが戦端を開くことは、解放戦争を経験した者達にとって繰り返される“悪夢”そのものだ。

 時間をかけ、ゆっくりと解決へ向け、交渉を重ねる。

 国家間には、早急に解決してはいけない問題というのがあるのだ。

 

「ヴェルダンとまた戦になったら母上が悲しみますからね」

「そうだな……」

 

 レスターの母、エーディン。

 あの“バーハラの悲劇”を生き抜き、解放戦争を戦い抜いた聖戦士達の母ともいえるエーディンは、数年前、終生の住処と定めたイザーク国ティルナノグにて、その長い人生を終えていた。

 遺体はエーディンの遺言に従い、そのままティルナノグに埋葬されている。

 

「墓参りは行っているのか?」

「ラナ……じゃなかった、昨年の王妃陛下の墓参に同行しましたよ。シャナン王も、スカサハ将軍も元気そうでした。パティ……イザーク王妃は、相変わらずウットリしていましたけど」

 

 生臭い政治の話はここまで。後は、旧交を温める話だ。

 

「変わらんな、パティ妃陛下は」

「もう結構良い歳してるんですけどねぇ……オイフェさんも早いとこ身体を治して、母上の墓参りに行きましょう。きっと、母上も喜びます。それに、王妃陛下……ラナもオイフェさんに会いたがってましたよ」

「そうだな……」

 

 レスターの妹、ラナ。彼女は現グランベル国王、セリス王の正妃となり、セリスの王道をその可憐な外見に見合わない剛力を持って支えていた。

 幼少のセリスと共にティルナノグに落ち延びたラナは、幼馴染ともいえるセリスを愛し、セリスもまた常に己を支えてくれたラナを深く愛していた。解放戦争が終結した際、セリスの求婚を受け、ラナは晴れてセリスと結ばれたのだ。

 

「……お前たちの母、エーディン様は、慈愛に溢れた素晴らしい御方であった。彼女の友愛の精神を、努忘れるな」

「はい」

 

 ティルナノグで落ち延びたセリス達を、慈しみながら育て上げたエーディン。

 自身もバーハラで夫でありユングヴィの騎士であったミデェールを失い、深い悲しみを抱えていた。だが、それでも次代に希望を託し、セリス達を育ててくれたエーディンは、オイフェにとっても母といえる存在。

 懐かしむようにそう言ったオイフェに、レスターは無邪気な笑顔を浮かべて言葉をかける。

 

「そういえば、オイフェさんから母上の話をあまり聞いたことがなかったですね」

「お前はティルナノグでずっと共にいたからな……あまり話すことも無いと思うが」

「でも、俺らが知らない話とかあるんでしょう? 聞かせてくださいよ」

「お前たちが知らない、エーディン様の話か……」

 

 レスターの言葉を受け、オイフェはベッドの上で何かを思い出すように瞑目した。

 

「……」

「?」

 

 ふと、それまで纏っていたオイフェの空気が、少しだけ変わる。

 その微妙な変化に、レスターはやや訝しげな表情を浮かべるも、黙ってオイフェの言葉を待っていた。

 

「……ティルナノグで再会した時、謝られたよ」

「謝る?」

 

 やがて絞り出すように声を出すオイフェ。

 何かを悔いるように。

 そして、何かを怨むように。

 

「シグルド様を見捨ててしまったと」

「ああ……」

 

 オイフェがセリスを支え、解放戦争の狼煙を上げた、その十五年前。

 かつての主君……いや、兄ともいえる存在を思い出したオイフェは、苦い表情を浮かべながら言葉を続ける。

 

「エーディン様は、シグルド様が()()に討たれる瞬間を見ていたそうだ。そして、見捨てるしかなかったとも」

「……」

「まだ青二才だった私に、涙を流して謝罪していた。エーディン様も、お前の父……ミデェール殿を亡くしていたというのに」

「……」

「それでも、ずっと私に謝り続けていた。ずっと、涙を流し続けていた。私は、何も言えなかった。エーディン様が涙を流しているのを、ただ見ていることしか出来なかった」

「……」

 

 オイフェの沈鬱な表情を見て、レスターもまた表情を暗くさせる。

 解放戦争を戦ったレスターですら話でしか聞いたことのない、聖騎士シグルドと勇者達を襲った悲劇。特に、リューベックでセリスを託され、主君と共に戦う事も出来ず、逃げる事しか出来なかったオイフェの無念はいかほどであろうか。

 

「……レスター。お前は、あ奴……あのアルヴィスをどう思う?」

「アルヴィス前皇帝ですか?」

 

 ふと、オイフェがレスターの目を見ながら、そう言った。

 レスターは考え込むように顎に手を当てるも、直ぐに言葉を返す。

 

「悲しい人だったと思います。俺が言うのも、変かもしれませんが」

「……」

 

 悲劇の根源とも言えるグランベル帝国皇帝アルヴィス。その存在は、レスターにとっても父の仇。

 だが、このシアルフィ城で繰り広げられたアルヴィス皇帝との戦いで、レスターの考えに少しだけ変化が生まれる。

 セリスとの一騎打ち。討たれたアルヴィスの最期の言葉。そして、セリスが目にしたという、父シグルドと、母ディアドラの霊魂。

 悲しみを知れと両親に諭された、セリスの想い。

 全てが終わった今だからこそ、レスターはアルヴィスもまた運命に翻弄された被害者であると認識していた。

 

「セリス王も仰せになられていました。彼も、あのマンフロイの陰謀の犠牲者だと──」

 

 

「私は違う」

 

 

 瞬間。

 レスターは、オイフェから発せられるただならぬ怨念に気圧され、それ以上言葉を紡ぐ事が出来なかった。

 

「レスター……お前は、私にだけ本音を言えると言ったな。ならば、私も本音を言おうじゃないか……」

「ッ!」

 

 オイフェは、尋常ならざる怨気を纏っていた。先程までの温和で知的な表情が一変し、般若の如き形相。

 レスターは初めて見る豹変したオイフェの姿を見て、この世の怨みを全て煮詰めたような悪寒に苛まれていた。

 

「アルヴィスがセリス王に討たれた時、私は思ったのだよ」

「なにを、ですか?」

 

 そして。

 

「私が、この手でアルヴィスめを八つ裂きにしたかったと……!」

 

 オイフェは、生涯燻ぶらせていた怨みを、レスターの前にぶちまけた。

 

「パルマーク司祭も、そしてセリス王も、アルヴィスもまた悲しみを背負う人だと言っていた。その悲しみを知れと」

 

「だが、私は許せなかった」

 

「シグルド様を、そしてディアドラ様を奪った、アルヴィスを」

 

「この手で殺したかったのだ!」

 

「この手で仇を討ちたかったのだ!」

 

何故(なにゆえ)お二人が引き裂かれねばならなかったのだッ!」

 

何故(なにゆえ)セリス様と幸せに暮らす事が出来なかったのだッ!」

 

何故(なにゆえ)何故(なにゆえ)何故(なにゆえ)ッッ!!」

 

「奴だ!」

 

「奴が奪ったからだ!」

 

「マンフロイの企みなど知ったことか!」

 

「アルヴィスが醜悪な野望を抱いたせいで!」

 

「シグルド様は、アルヴィスに殺されたのだ!」

 

「ディアドラ様は、アルヴィスに奪われたのだ!」

 

「全て、奴の仕業なのだ!」

 

「許すことなど、出来ようものか!」

 

「お前に想像できるか!? 父と、母を、惨たらしく奪われた、セリス様の悲しみをッ!」

 

「兄と、姉を、無惨に奪われた、私の哀しみをッッ!!」

 

「許せぬ!」

 

「たとえセリス様が許しても、この私だけは!」

 

 

「絶対に(ゆる)す事など出来ぬのだッッッ!!!」

 

 

「オ、オイフェさん……」

 

 激高したオイフェに、慄く事しか出来ないレスター。

 数十年間、誰にも見せた事が無いオイフェの真の姿。アルヴィスはレスターにとっても父の仇。だが、オイフェがここまでアルヴィスに対し憎悪(ぞうお)を燻らせていたとは。

 レスターはショックでそれ以上言葉が出せなかった。

 

「ゴホッ……!」

「オイフェさん!」

 

 やがて、オイフェは苦しそうに咳き込む。興奮したせいか、オイフェの体調は急激に悪化していた。

 

「オイフェさん! 直ぐに医師を──」

「レスター……!」

 

 慌てて控える城医を呼ぼうとしたレスター。その手を、オイフェはひしと掴む。

 

「私は、お前たちが思っているような人間ではない……!」

「オイフェさん、今はそれどころじゃ──」

「聞け! レスター!」

「ッ!」

 

 鬼気迫る表情で、レスターの手を握り締めるオイフェ。

 病に侵された老人とは思えない程の握力を受け、レスターは硬直したように身を竦ませた。

 

「お前は、お前たちは、私のようになるな……!」

「……」

「憎しみを、悲劇を、繰り返しては……」

「オイフェさん……!」

 

 やがて、ぐったりと身体を弛緩させるオイフェ。

 意識を手放したオイフェの身体を、レスターは慌てて支える。

 

「オイフェさん! オイフェさん! ああ、くそ! 誰か! 誰かある!」

 

 気を失ったオイフェを見て、レスターは大声で控える城医師を呼ぶ。

 オイフェはレスターの声かけに反応することなく、意識を落とし続けていた。

 

 混乱に包まれるシアルフィ城。

 だが、医師達の努力も虚しく、シアルフィ公オイフェ・スサール・シアルフィは、七十年に及ぶ激動の生涯に幕を閉じた。

 

 

 

「レスター公」

「デルムッド将軍」

 

 数日後。

 シアルフィ城で行われた葬儀にはグランベル王セリスを始め、各国の元首、有力諸侯、その配下ら多くの人々が集い、解放戦争の立役者であるオイフェの死を偲んでいた。

 死期を悟っていたオイフェは己の葬儀をあくまで小始末に行うよう遺言を遺していたが、それでも多くの人々が葬儀に参列しており。それは、グランベルの国葬といっても差し支えない規模で行われていた。

 

 参列したユングヴィ公レスターは献花を終えると、共に聖戦を戦ったアグストリア諸公連合国の大将軍、デルムッドに声をかけられる。

 デルムッドは“獅子王の再臨”とまで謳われたアグストリア王アレスに同行し、オイフェの葬儀に参列していた。

 

「惜しい御方を亡くしてしまった。若い頃、貴公共々厳しく指導して頂いた事が、今はとても懐かしく思える」

 

 沈鬱した表情でそう述べるデルムッド。

 解放戦争後、乱立した軍閥による内乱状態が続いていたアグストリア。それを統一し、アグストリアを再び列強の一員へ押し上げたのは、アレス王の統治もさることながら反逆軍閥征討の急先鋒に立ち続けたデルムッドの功績による所も大きく。

 自身の従兄弟であるアレス王と共にあり続けたデルムッドは、オイフェの薫陶を直に受けた解放戦争初期からの古強者でもあり、それは若き時分、共に汗と血を流したレスターもまた同じ。

 二人は少年時代をティルナノグで共に過ごした幼馴染でもあり、聖戦の系譜を共に抱く同志でもあったのだ。

 

「そうですね、将軍……いや、デルムッド。今は、昔のように呼び合わないか。俺達まで堅苦しくしてたら、オイフェさんも安心して逝く事が出来ない」

「……そうだな。わかった、レスター」

 

 エッダの教主、コープルが鎮魂の祈りを捧げている中、各人が順番に献花を続けている。

 その様子を、葬儀場の後ろの方で見つめるレスターとデルムッド。公人として葬儀に参列していたが、声を抑えていれば多少は昔のように話す事が出来た。

 

「思えばあの人には色々な事でお世話になったものだ。国の事、アレス王の事、ナンナの事、母上の事……」

「うん……。そういえば、ラケシス様は、まだ……」

「生きているとは流石に思っていない。ブリギッド様の例もあるが、俺もナンナももう諦めている。親父殿は最期まで諦めて無かったが……。骨のひとつでも見つかってくれればと思っていたが、それもな……」

「そうか……」

 

 “バーハラの悲劇”の後、レンスターへ落ち延びたデルムッドの母ラケシス。デルムッドの妹ナンナを身籠っていたラケシスは、ナンナ出産後間もなくオイフェ、セリスらと共にティルナノグへ落ち延びた幼いデルムッドを迎えに、単身イード砂漠へと旅立つ。

 そして、そのまま今日に至るまで行方知れずとなっていた。

 

 記憶を失い、名前を変えたファバルらの母ブリギッドのように、どこかで生きている可能性もあった。だが、今となってはその望みも薄い。

 ラケシス捜索にはオイフェも携わっていた事を思い出したレスターは、諦観の念を浮かべるデルムッドと共に複雑な表情を浮かべていた。

 

「レスター、俺たちもこうやって大勢の人に惜しまれながら逝くのかな」

「さあな。ま、お前さんの葬式じゃここまで人は集まらんと思うがね」

「あ、この野郎。じゃあお前の葬式には俺は行かないぞ」

「俺はお前さんの葬式には行くよ。花より団子でも供えようかな」

 

 小声でそう軽口を叩きあう二人。

 そういえば修練の時にこうして軽口を叩いていたら、即座にオイフェさんの拳骨が飛んで来たなと、レスターはぼんやりと思い出していた。

 そして、修練の後はいつも笑顔を浮かべて、頭を撫でて褒めてくれた事も。

 同じ事を思い出していたのか、デルムッドもまた懐かしむような笑顔を浮かべていた。

 

「……」

 

 ふと、レスターは献花台へと視線を向ける。

 

「ユリア様……」

 

 視線の先に、儚い表情で花を捧げる一人の女性の姿があった。

 グランベル王セリスが異父妹、ユリア皇女だ。

 ユリアは解放戦争後、()()()()()の罪を償うかのように、バーハラ郊外にある教会にて祈る日々を過ごしている。

 結婚もせず、生涯に渡って動乱で命を落とした人々の冥福を一人祈り続ける、痛ましいまでのその姿。

 今も、解放戦争を戦い、生涯を兄であるセリス王、そしてグランベルへ捧げていたオイフェの冥福を静かに祈っていた。

 

「……」

 

 そして、レスターはオイフェが死に際に見せた激しい怨恨を思い起こす。

 ユリアは、オイフェがユリアの父アルヴィスに、あそこまでの増悪を燻らせていたことに気付いていたのだろうか。

 祈りを捧げるユリアを見て、レスターはやりきれぬといった表情を浮かべる。

 

 ユリアの後に献花を捧げたセリス王が思わず涙を流し、オイフェの棺にすがりつく様子が、参列した人々の涙を誘う。

 だが、唯一レスターだけが、悲しみとはまた違う複雑な表情を浮かべ続けていた。

 

「どうした、レスター」

「……いや、なんでもない」

 

 レスターの様子を訝しむデルムッドであったが、やがてオイフェの冥福を祈るように目を瞑る。それを見て、デルムッドは同じ様に恩師であるオイフェの冥福を祈っていた。

 

 

 レスターはオイフェの死に際に見せた、あの苛烈な怨念を誰にも話すことはなく。

 生涯胸に秘め、名軍師と謳われたオイフェの偶像を守り続けた。

 

 

 光の公子、セリスを支え続けたオイフェ。

 

 だが、その心の奥底には、主君の仇、アルヴィスへの深い囚われがあった。

 

 死者の魂は、やがて冥府へと還る。

 

 しかし、怨念を抱えし軍師の魂は、冥府へと誘われず。

 

 

 

 全ての始まりの、あの日へと──

 

 

 

 

 

 

 



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第02話『号泣オイフェ』

 

「──そろそろ戦場を経験するのも悪くはないだろう。ただし、戦うのはまだ早い。しばらくは私のそばにいて、相談相手に──」

 

 朧気な視界。

 頭にモヤがかかったような、曖昧な思考。

 温い湯の中に浸かったような、気だるい感覚。

 

「──オイフェ?」

 

 ああ、懐かしい声が聞こえる。

 兄と慕った、あの人の声……。

 

「オイフェ、どうした? 急に押し黙っちまって」

 

 尊敬する、あの先輩の声も聞こえる。

 いや、私が勝手に先輩扱いしていただけで、彼らは私を後輩とは思っていなかったのかもしれないが……

 

「オイフェ、聞いているのか?」

 

 ああ、この声は、アレク殿だ。

 キザで、女癖が悪い、それでいて、芯は熱い男。

 尊敬する、シアルフィの騎士。

 

「オイフェ」

 

 そして、シグルド様の、両翼の一人。

 緑の翼を持つ、熱い魂を持った男。

 

「オイフェ!」

「ッ!?」

 

 びくりと、身体が跳ねる。

 雷に打たれたような衝撃が、身体中に駆け巡る。

 

 そして、私の中にあったモヤが晴れた。

 

「アレク……殿……?」

 

 目の前に、アレク殿の姿。

 そしてアレク殿の後ろには、あの人──シグルド様の御姿が──

 

「あ、ああ……!」

 

 再び、視界がぼやける。

 涙で、前が見えない。

 でも、大きな、大きなシグルド様のお姿は、よく見える。

 

「シグルドさまぁ!」

「オ、オイフェ?」

 

 思わず、シグルド様の胸に飛び込む。

 年甲斐も無く、涙と鼻水を垂れ流しながら。

 

「シグルドさま! シグルドさまぁ! シグルドさまぁ!!」

「オイフェ、一体どうしたんだ」

 

 ああ、シグルド様の匂いだ。

 シグルド様の、大きくて、強くて、優しいお身体。

 大好きな、大好きなシグルド様!

 

「う、うぅぅ~! シグルドさまぁ……シグルドさまぁ……!」

「オイフェ……」

 

 これは、夢だ。

 いや、私は、あの時、死んだのだ。

 だから、これは死後の世界。

 シグルド様がいる、死後の世界だ。

 

 シグルド様の手が、私の背中をさすってくれる。

 それが、どうしようもなく、暖かい。

 まるで、あの時のように──。

 

「シグルド様、リューベックの約束、覚えていますか? 私を迎えに来てくれる、あの約束を!」

「な、何を言っているんだオイフェ」

「シャナンと私が、どれほどあの約束を信じていたか! ああ、ひどいです、シグルド様!」

「オイフェ、落ち着いてくれ。お前が何を言っているのか」

「褒めてください、シグルド様。私は、セリス様を、立派に──」

 

 感情が、溢れて止まらない。

 ああ、それにしても、私は何を言っているのだろうか。

 あの約束は、私達を落ち延びさせる為の、シグルド様の優しい嘘だったじゃないか。

 それを責めるなんて、できるはずもないのに。

 

「アレク。お前がオイフェを連れてきたんだろう。一体どういう事なんだこれは」

「そ、そんなこと言われてもよノイッシュ。俺にも何がなんだか……おいアーダン! お前がなんか変な事を吹き込んだんだろ!」

「なんで俺なんだよ。ノイッシュ、お前が何か怖がらせるような事を言ったんじゃねえのか?」

「私がそんな事するわけないだろう。やはりお前が何か怖がらせるような事をしたのではないのか?」

「アーダン。お前固い、強い、遅い、ブサい上に怖いとかどんだけ盛るつもりなんだよ」

「固い、強いってのはいいけど遅いってのは気にいら……最後何て?」

 

 懐かしい声が聞こえる。

 アレク殿、ノイッシュ殿、アーダン殿。

 シアルフィの、若い騎士たち。

 ああ、みんな、あの頃のままだ。

 あの頃の……

 

 あの頃の?

 

「……オイフェ。初めての戦場だ。お前が混乱するのも無理はない」

「シグルド様……?」

 

 ふと、違和感を覚える。

 顔を上げると、シグルド様の困惑しきった表情が見える。

 

 ……顔を、上げる?

 

「あ、あれ?」

 

 私はシグルド様から離れ、自身の手を見る。

 シワだらけだった手は、十代の頃の瑞々しさを取り戻していた。

 

 顔を触る。

 張りのある肌。

 口髭がない。

 

 周りを見回す。

 困惑した、アレク殿達の姿。

 そして、シグルド様の姿。

 

 壁面にかけられた、鏡を見る。

 そこには、あの頃の、十四歳だった私の姿が……。

 

「アレク。やはりオイフェにはまだ戦場は早かったようだ。オイフェは、このまま城に残らせるよう──」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 待て。落ち着け。

 死後の世界にしては、あまりにも生々しい感触。

 これは、一体どういうことなのだ?

 

「……あの、ひとつ確認したい事が」

「何をだ、オイフェ」

 

 ……いや、まさか。そんな。

 これは、夢でもなく、ましてや死後の世界でもないというのか。

 

「あ、あの……」

 

 ならば、確認しなければならない。

 夢でもないのなら、きっと今は……

 

 涙を拭い、しっかりとシグルド様を見る。

 あの頃の、シグルド様を。

 

 

「今、グラン暦何年ですか?」

「は?」

 

 

 




シグルド様のお世話くらいできます……////


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第03話『甘々オイフェ』

 

 グラン暦757年

 ユングヴィ公国

 ユングヴィ城

 

「シグルド様! 私も行きます! エーディン様が気がかりでとても休んでなどおれません!」

「そうか……。分かったよ、ミデェール。宜しく頼む。でも、無理はしないように」

「はい! ありがとうございます! シグルド様!」

 

 従軍を懇願するミデェールと呼ばれた若き騎士に、シグルドは真っ直ぐとその瞳を見つめる。

 主、そして想い人を救うため、ミデェールは負傷した肉体を押して内に秘める闘魂を燃やしていた。

 その様子を、オイフェはここ数日間の状況を振り返りながら静かに見つめていた。

 

 グラン暦757年。

 イザーク王国によるグランベル友好都市ダーナの虐殺から端を発したイザーク征伐。その間隙を突く形で、ヴェルダン王国によるユングヴィ侵攻が開始された。

 先のイザーク征伐の為、出払っているユングヴィ主力騎士団、バイゲリッターの留守ついたヴェルダンの侵略軍……ヴェルダン王国第一王子ガンドルフ率いる軍勢は、瞬く間にユングヴィ城を制圧する。

 弓騎士ミデェールら僅かに残った兵士達は善戦するも、あえなく落城の憂き目にあった。

 

 ガンドルフはユングヴィ城を配下デマジオへ任せ、捕らえたユングヴィ公女、エーディンを連れ一時帰国する。

 同盟破棄からの電撃戦。奇襲を悟らせない為、ガンドルフは少数の手勢でユングヴィへ侵攻していた。

 そしてユングヴィを足掛かりとし、本格的なグランベル侵攻を果たすべく、弟であるヴェルダン王国第二王子キンボイスが率いるジェノア兵団、第三王子ジャムカ率いるマーファ兵団を中核としたヴェルダン王国軍主力を引き連れ、王都バーハラへ向け進撃する算段であった。

 

 ユングヴィ公国以外でグランベル王国を構成するシアルフィ公国、ドズル公国、フリージ公国も、それぞれの主力騎士団はイザーク征伐の為本国を留守にしており。公爵家のひとつであるエッダ教団は本領を守るだけで手一杯の軍備しか備えておらず。

 唯一グランベルでまともな戦力として残っているのは、ヴェルトマー公国騎士団ロートリッターのみ。だが、ロートリッターはグランベル王国近衛騎士団でもあり、王都バーハラから動く事は出来ない。

 彼らが動く時は、王都バーバラが脅かされる時。もしくは、グランベル国王アズムール王が親征する時のみなのだ。アズムール王の性格上、即座に動く事は考え辛い。

 

 故に、ガンドルフはエバンス城城主ゲラルドに周辺の制圧を命じると、悠々とエーディンを連れヴェルダン王国軍主力を迎えに行った。

 バーハラ攻略はヴェルダン全兵力で当たらねば成し遂げられないとは思っていたが、イザーク征伐でガラ空きの周辺公国へはユングヴィへ残してきたデマジオ、エバンスのゲラルドの手勢のみで十分に制圧出来る。

 事実、デマジオは隣国シアルフィへと侵攻を開始していた。領内の村々を略奪しながらの、まさに蛮族の侵攻である。

 

 だが、シアルフィの留守を預かるシアルフィ公国公子シグルドが、その暴虐に待ったをかけた。

 デマジオ麾下ヴェルダン山岳兵団三千に対し、シアルフィ公国に残された手勢は僅か四百。十倍近い兵力差を相手に、シグルドは無謀ともいえる戦いを開始したのだ。

 

 そして、シグルド軍は予想外の大健闘を見せる。略奪の為兵力を分散していたヴェルダン軍を効率よく各個撃破せしめ、更に妹婿であり士官学校からの盟友、レンスター王国王子キュアンの援軍を受けその勢いを増す。

 更に小勢ではあるが、ドズルのいい男ことドズル公国公子レックス、ヴェルトマー公国公子アゼルの加勢も受け戦力を拡充させる。

 

 デマジオらヴェルダン軍は悪戦するも、ついにはユングヴィ城はシグルド軍によって奪還されたのだった。

 

 

「シグルド公子、グズグズしていられません。エーディン公女を救う為、一刻も早くヴェルダン王国へ向かわなければ」

「シグルド。レックス公子の言う通りだ。兵は拙速を尊ぶともいう。奴らの態勢が整わない内に、まずはヴェルダンの玄関口、エバンス城を攻め取るべきだ。騎兵で先行すれば奴らの虚を突くことが出来る」

「私もそう思います! 今頃、エーディン様は……!」

「……分かった。キュアン、レックス、それにミデェール。疲れていると思うが、手勢を纏めてくれ」

 

 ユングヴィ城の一室。いまだ小勢ではあるが、シグルド軍の主要メンバーが顔を揃える。

 ユングヴィを解放したはいいが、肝心のエーディン公女は捕らわれたまま。彼女を救出しなければ、ユングヴィの奪還は真に果たせたとはいえない。

 今後の方針を決める軍議の場にて、レックス、キュアン、ミデェールがそう進言すると、シグルドは数瞬迷うも即座に方針を下した。

 

「シグルド様。エバンス城を攻めるのは良いのですが、ヴェルダンとの国境の川……ユン川の橋はガンドルフ王子に落とされているとの情報があります。工兵隊は全てバイロン様と共にイザークへ遠征していますし、我々だけで架橋するには時間がかかるかと」

 

 そう意見具申するのは、赤い鎧に金色の髪を靡かせる騎士ノイッシュ。同じくシアルフィ騎士であるアレクと双璧を成す、シアルフィ公国騎士団グリューンリッターの若き才能だ。

 ノイッシュの言葉を受け、シグルド、そして先程意見を述べたキュアン、レックスも顎に手を当て考え込む。

 ヴェルダンとユングヴィの境に流れるユン川は、徒歩はもちろん、馬で渡るにも困難な川であり。軍勢を安全に渡らせるには、当然橋が必要になる。

 だが、現在のシグルド軍にはシーフ、いわゆる戦場工作が得意な兵科はいない。ソシアルナイトなどの騎兵は専門性の高い兵科の為、慣れない架橋工作には時間がかかる。下手に騎兵だけ先行させ、橋をかけている間にヴェルダン山岳弓兵から狙い撃ちされる可能性もあった。

 

「……確かに時間はかかるかもしれないな。すまんキュアン。やはり騎兵は先行させず、このまま全軍で──」

 

 シグルドが、そう言いかけた時。

 

「いえ、それには及びません」

 

 それまで黙っていたオイフェが待ったをかける。

 全員がオイフェに注目し、そのあどけない紅顔へ視線を向けた。

 

「このまま騎兵を先行させ、橋を確保してください」

「おいオイフェ。ノイッシュの話を聞いていなかったのか? 橋はヴェルダンの蛮族共に落とされているって……」

 

 妙な確信を持ってそう述べるオイフェに、不審げな表情で見やるアレク。

 そのようなアレクに、オイフェは淡々と言葉を続けた。

 

「橋はヴェルダン軍によって再び架けられています。間違いなく」

「なぜ、そう思うんだ?」

 

 さも見てきたかのようなオイフェに、今度はシグルドが疑問を呈する。

 オイフェは変わらぬ調子で言葉を続けた。

 

「まず、第一にヴェルダンのグランベル侵攻はまだ終わっていません。エーディン公女を拐かしたガンドルフ王子は追跡を恐れて橋を落としていましたが、再侵攻の為には再び橋をかけなければなりません」

「それはそうかもしれないが、根拠はあるのか?」

「彼らは国家間の盟約を突然破棄するという蛮行を行ってまでユングヴィへ侵攻しました。元々後には引けない状況なのに、ユングヴィ城を取り戻されたとあってはまるで意味がありません」

「……」

「加えて、ガンドルフ王子は残虐な性格で知られています。エバンス城に残されたヴェルダンの将は、間違いなくユングヴィを失陥した責任を問われ処刑されるでしょう。つまり、処刑を恐れて再侵攻を開始します。既に一部の部隊はこちらへ向かっているかもしれません」

「しかし──」

「シグルド様。キュアン王子の言う通り、時間をかければかけるほどヴェルダンに有利に運びます。エバンス城を押さえれば、彼らは侵攻拠点を失いグランベル攻略を一時中止せざるを得ません。また、エバンス城は我々がヴェルダン深部へ侵攻する拠点でもあり、アグストリア諸公連合との境にある要衝でもあります。今後の事を考えたら奪取しないという手はありません」

「オイフェ、それは」

「シグルド様。迷っている場合ではありません。ご決断を」

 

 シグルドを射抜くような視線で見るオイフェ。

 有無を言わせないその迫力に、シグルドはシアルフィ城で泣き縋ったあのオイフェと、目の前のオイフェが果たして同一人物なのかと、困惑した表情を浮かべていた。

 

「シグルド。指揮官はお前だ。命令してくれ」

「キュアン……」

 

 オイフェの言葉に同調するようにそう述べるキュアン。親友の言葉に、シグルドは迷いを捨て決断する。

 

「……よし。やはり当初の方針通り騎兵を先行させる。ユン川の橋を確保し、エバンス城への露払いを。歩兵部隊は追従し、そのまま先行した部隊と共に城を包囲する」

「「「はっ」」」

 

 シグルドの号令を受け、各人は早速行動を開始する。

 慌ただしいその様子を、オイフェは複雑そうな表情で見つめていた。

 

「……前より、少し早いかな」

 

 そう独り言を呟くオイフェ。それを隣にいたヴェルトマー公子アゼルが見留めた。

 

「オイフェ。何をぶつぶつ言っているんだい?」

「あ、アゼル公子……」

 

 アゼルの姿を見たオイフェは、一瞬だけ表情を固くする。

 

「オイフェ?」

「い、いえ、何でもありません」

「それならいいけど……それにしても、流石は名軍師と謳われたスサール卿の孫だね。僕じゃあんな献策は出来ないよ」

「いえ、私はまだまだお祖父様には及びません」

「それでもすごいよ。僕もがんばらなきゃ……エーディン公女を助ける為にも……」

 

 固い表情でそう述べるアゼルを、複雑な表情を浮かべて見やるオイフェ。

 オイフェはアゼルが抱く淡い恋心が、決して叶わぬ恋であるのを思い起こす。

 そして、アゼルと結ばれるのは、あのフリージ家のおてんば姫であることも。

 

「そう、ですね。まあ、ガンドルフ王子がマーファ城へ向かったのなら、エーディン公女はそこまでひどい扱いはされていないと思います」

「なぜそう思うんだい?」

「マーファ城には穏健派のジャムカ王子がいます。彼がいるなら、人質であるエーディン公女の扱いも丁重なものになるかと」

「そうなんだ……何でも知ってるんだねオイフェは」

「い、いえ、その、お祖父様が生きていた頃に色々と教わってて……」

「でも、どちらにせよ急がないとだね」

「は、はい。時間が経てば経つほど、ジャムカ王子も主戦派に押され、エーディン公女を庇いきれない恐れがあります。急ぐに越したことはありません」

 

 頬に朱を差しながらやや慌てた様子を見せたオイフェ。それを見て、アゼルはひとつ苦笑を浮かべる。

 自身より歳下のこの少年が、大人顔負けの献策をした事に畏怖の念を感じていた。だが、今のオイフェにはそのような思いは抱かず。

 アゼルは年相応の反応をするオイフェに優しげな視線を向けていた。

 

「……」

 

 当のオイフェはアゼルの柔和な顔付きを見て、僅かに目を伏せるように顔を背けた。

 あの男と同じ赤髪、そしてどこか面影を感じさせる顔立ち。それを見ると、どうしようもない激情が湧き上がるのを感じる。

 

「……っ!」

 

 アゼルに見えないよう、ぐっと拳を握り締め、その感情を抑える。

 目の前のアゼルは、あの仇敵の弟。

 だが、アゼル自身は、シグルドに最後まで付き従った、悲劇の犠牲者だ。

 内に秘める怨恨をぶつける相手ではなかった。

 

 紅顔の美少年の粘ついた葛藤に気付く者は、この場では誰もいなかった。

 

 

 

「オイフェ。こちらへ来なさい」

「は、はい」

 

 キュアンら騎兵部隊が出陣した後、続けて出陣する歩兵部隊を纏め、騎乗の身となったシグルド。

 別の馬に乗りシグルドへ追従しようとしたオイフェであったが、ふとシグルドから呼ばれ慌てて傍へ駆け寄る。

 先の切れのある献策とは打って変わり、その様子は年相応の少年の姿を見せていた。

 

「オイフェは私が乗る馬に一緒に乗るように」

「へ? あ、はい!」

 

 そう言われ、オイフェはキョトンとした表情を浮かべた後、やや顔を赤らめて頷く。

 

「兄上。オイフェはもう立派なシアルフィ男子ですよ。今更馬に二人乗りなんて」

 

 やんわりと、しかしはっきりとした調子でそう嗜めるのは、シグルドの実妹であり、盟友キュアンの妻、エスリン。

 キュアン、そしてレンスター王国が擁する主力騎士団ランスリッターの若き才能、フィンと共にシグルドの元に駆けつけた家族想いの才女である。

 

 エスリンは先行する騎兵部隊には加わらず、麾下のトルバドール小隊と共にシグルドが率いる本隊とエバンス城へ向かう事になっていた。

 トルバドール隊も騎兵科ではあるが、その主任務はソシアルナイトら攻撃騎兵部隊が敵陣深くまで縦深突撃する際の支援である。故に、今回のような橋の奇襲、そして確保ではその真価を発揮しない。

 それよりも万が一騎兵部隊が失敗した時に備え、後方で待機していた方が負傷した将兵の救護など効率の良い運用が出来る。

 現状、シスターなど回復聖杖を使える者がエスリンらトルバドール隊しかいないというのもあり、下手に前線に出して貴重な後方支援部隊を損耗するわけにもいかない、という事情もあった。

 

 当然、これらの部隊配置はオイフェが進言している。

 まるで、こうした方が()()()()()結果が生まれると言わんばかりに。

 

「エスリン。そうは言っても、オイフェは私の大事な相談役であり軍師のようなものだ。常に意見を聞けるようにしたい。これが一番合理的だと思うのだが」

「でも、一緒に馬に乗るなんて少々子供扱いが過ぎるのではありませんか。オイフェだってそう思うでしょう?」

 

 エスリンにそう言われたオイフェ。

 この年頃の少年なら、馬くらい一人で乗りこなしたいはず。ましてや、大の男と同乗するなど、恥ずかしさが勝り辛いのではと。

 そう思っての老婆心めいた親切心から発せられた言葉である。

 

 だが。

 

「いえ! エスリン様! 私はシグルド様とご一緒したいです!」

「え? あ、そ、そう……なら、いいけれど……」

 

 食い気味にシグルドと同乗を望むオイフェ。

 その勢いに気圧され、エスリンはそれ以上言葉を重ねることが出来なかった。

 

「決まりだな。来なさい、オイフェ」

「はい! 失礼します!」

「うん……うん?」

 

 そして、オイフェはさも当然といった体でシグルドの()()に跨った。

 

「あの、オイフェ。私の後ろの方がいいのでは?」

「いいえ! ここが良いです! ここでなきゃダメなんです! ダメでしょうか!?」

「いや、ダメじゃないが……まあ、オイフェが良いのなら……」

 

 当のシグルドですら困惑するオイフェの同乗方法。自身の後ろに跨るとばかりに思っていたシグルドは面を喰らつつも、やがてオイフェを抱きかかえるように手綱を握り直した。

 

「……オイフェって、結構甘えん坊さんなのかしら?」

 

 シグルドと共に馬に乗り、嬉しさを隠しきれぬといった様子のオイフェ。

 それを見て、エスリンはそう呟くのであった。

 

 

 

 

 

 



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第04話『鼻血オイフェ』

  

「あれは……?」

「──ッ」

 

 エバンス城へ進軍するシグルド一行。

 先行するキュアンら騎兵部隊が橋の確保に成功したとの伝令を受けていたシグルドは、王都バーハラの方向から現れし赤髪の貴公子の姿を見留めた。

 

 僅かな供回りと共にこちらへ近付く赤い髪、赤い服、赤い空気。

 それを見た瞬間、オイフェはそれまでの嬉々とした表情を一変させ、傀儡(くぐつ)の如き無表情を浮かべた。

 

「シグルド公子、久しぶりだな」

「アルヴィス卿!? どうしてあなたが!?」

 

 アルヴィスと呼ばれた赤色の貴公子。

 グランベル王国六公爵家の一つヴェルトマー家の当主であり、魔法戦士ファラの直系、炎魔法ファラフレイムを操る稀代の魔道士。

 そして、グランベル王アズムール王の近衛騎士団、ロートリッターを率いる若き公爵である。

 

「陛下が心配されてな。私に見てくるよう命じられたのだ。それと、これは陛下からの下賜品である。受け取ってくれ」

「これは銀の剣……なんと名誉な……」

 

 アルヴィスより渡された銀製の剣を受け取り、シグルドは感極まったかのように言葉を詰まらせる。

 儀礼用の装飾剣と侮るなかれ。

 その斬れ味は、重装甲を纏ったアーマーナイトですら容易に截断(せつだん)可能な程。

 アズムール王が秘蔵せし珠玉の逸品にして、武人の蛮用にも耐えうる大業物である。

 

「……」

 

 シグルドとアルヴィスが言葉を交わしている中、オイフェは無表情で沈黙を続けていた。

 

「ところでシグルド公子。我が弟のアゼルが貴公の軍に加わっていると聞いたが……」

 

 弟であるヴェルトマー公子アゼルを心配そうに気にかけるアルヴィス。

 鉄仮面の下に隠された家族への情愛を感じたシグルド達は、わざわざアズムール王の下賜品を携えて駆けつけたことも手伝い、アルヴィスへ好意的な感情を向けていた。

 

「……」

 

 だが、オイフェだけは。

 決して、アルヴィスの顔を見ようとはせず、顔を伏せたまま沈黙を保ち続けている。

 

 オイフェが、アルヴィスの顔を見る時は──

 

「──アゼル公子には、この戦いが終われば私からもヴェルトマーへ戻るよう説得してみます」

「それを聞いて安心した。では、私は王都へ戻ることにする……ああ、そういえば一つ忘れていた」

「なんでしょう?」

 

 馬首を返し、王都バーハラへ帰還しようとしたアルヴィス。

 だが、ふと思い出したかのように口を開いた。

 

「その、一緒に馬に乗っている少年は一体誰なのか。先程から気になっていたのだが」

 

 そのままオイフェへと視線を向けるアルヴィス。

 赤い視線を受けても、オイフェは沈黙を続ける。

 

「ああ、オイフェですか。彼はスサール卿の孫で、私の……いえ、我が軍の軍師として働いてもらっています」

「なんと、あのスサール卿の。随分若いが、スサール卿の孫ならば何も心配いらないな」

「はい。まだ子供ですが、色々な事に良く気付いてくれます」

 

 そこまで言ったシグルドは、自身の懐でじっと身を竦ませるオイフェへと視線を向ける。

 

「オイフェ。アルヴィス卿へ御挨拶を」

「……オイフェ、です」

 

 シグルドに促され、亡者の如き沈んだ声で応えるオイフェ。顔は伏せられたままだ。

 つい先程まではウキウキとした様子でシグルドと馬に乗り、不必要なまでに身体をこすりつけ甘えていたオイフェ。

 だが、今はまるで親の仇にでも出くわしたかのような暗澹たる空気を纏っている。明らかに様子がおかしいオイフェに、シグルドは戸惑いつつも雑な挨拶をした少年を咎めた。

 

「オイフェ。もう少しきちんと挨拶を──」

「いや、良い。スサール卿の孫とはいえ戦場は初めてなのだろう? 緊張するのも無理はない」

 

 叱りつけようとするシグルドを制し、アルヴィスは目を細めながらオイフェを見つめていた。

 その眼差しは、慣れぬ戦場に身を置く少年を慮るような、優しい眼差しであった。

 アルヴィスの配慮に、シグルドは一礼と共に言葉を返す。

 

「申し訳ありませんアルヴィス卿。後できつく叱っておきます」

「シグルド公子。甘やかすのは良くないが、厳し過ぎるのも良くない。私はアゼルに少々厳しくし過ぎていたようだからな」

「アルヴィス卿……」

「ではシグルド公子。私は王都へ戻る。ヴェルダンの蛮族共に、グランベルの威光を刻みつけてやれ」

 

 そう言い残し、アルヴィスは馬を走らせ王都バーハラへと戻っていった。

 

「……オイフェ。緊張するのもわかるが、貴人の前ではもっと誠実な態度で挨拶をしなさい」

「……はい。ごめんなさい、シグルド様」

 

 アルヴィスの言う通り、初めての戦場で余人には分かり得ぬ困惑があったのだろう。

 そう思う事にしたシグルドは、苦笑いを浮かべつつオイフェの頭を撫でた。

 

「次から気をつけるように。アルヴィス卿はお優しい御方だ。次に会った時にきちんと御挨拶をすれば、きっとお許しになってくれる」

「お優しい……御方……?」

 

 振り返り、思わずそう聞き返してしまったオイフェ。

 オイフェの困惑した表情を、シグルドは柔和な笑みを持って見つめる。

 

「そうだ。アルヴィス卿は陛下の近衛を預かる御方だ。その人柄、実力は私などでは及ばない。オイフェも見習うと良い」

「……」

 

 視線を前に戻したオイフェは、ただ黙ってシグルドの言葉に頷いていた。

 

「……っ」

 

 そのまま、シグルドが駆る馬に揺られるオイフェ。

 すると、そのあどけない鼻孔から、一筋の血が流れる。

 

「っ」

 

 慌てて、シグルドに気付かれぬよう血を拭う。

 幸いにして、オイフェが鼻孔から血を流しているのに気付かれる様子もなく。

 そのまま粛々と行軍するシグルド軍本隊は、ユン川の橋を確保する騎兵部隊と合流する。

 

 そして、全軍をもってエバンス城を包囲するのであった。

 

 

 オイフェは、アルヴィスの顔を決して見ようとはしなかった。

 宿敵と定めた男の顔を見る時は、必ず──

 

 

(殺す時だ──)

  

 

 見る時は、殺す時だ。

 そう易々と殺しはせぬ。

 惨たらしく(はらわた)を抉り出し、ゆっくりと死を認識させながら、嬲り殺しにしてくれる。

 首はバーハラの市街へ晒し、躯はグランベル全土へ引き摺り回してくれん。

 

 ただ殺すだけでは飽き足らぬ。

 滅するだけでなく、命乞いの涙も流させる。

 その様を目に焼き付けるまでは、決して奴の顔など見ぬ。

 見るわけには、いかぬ。

 

 そう、憎悪を燻ぶらせる、可憐な外見を持つ少年。

 その外見からは想像がつかない、悍ましいまでの毒気を内包する少年。

 それに気づく者は、この場には──。

 

 

 まだ、いない。

 

 

 


 

「エーディン様をどこへやった!」

「ま、待て、飛び道具とは卑怯だぞ──ぐあっ!」

 

 エバンス城周辺の敵を掃討し、重騎士アーダン、そして弓騎士ミデェールを先頭に城内へと突入したシグルド軍。

 守将ゲラルドは突入したミデェールと一騎打ちを演じるも、遠距離からの怒涛の速射を喰らい文字通り蜂の巣にされ討ち死にする。

 ゲラルド敗死の報はエバンス城内を巡り、抵抗するヴェルダン将兵は続々と降伏していった。

 一先ず、戦いはシグルド軍の勝利で終わろうとしていた。

 

 

「……」

 

 まだ城内での戦闘は継続してたが、ほぼ制圧は完了している状況。オイフェはシグルドから離れ、一人エバンス城の政務室へと入り込んでいた。

 

「……よし。これがあれば」

 

 落城寸前の政務室では羊皮紙が散乱し、統治情報が敵に渡らぬよう重要書類は焼却されていた。

 とはいえ、シグルド軍による迅速な攻城戦により、書類滅却は徹底されておらず、オイフェはいくつかのめぼしい情報を入手する事に成功していた。

 これは、前回では得られなかった代物であり、書面には領内の生産情報、村同士での利権問題、関所の通行税率などエバンス領の基礎情報が記載されていた。

 

 前回はこれらの情報は何一つ得ることは叶わず、エバンスの統治は手探りで行ったものだと、オイフェはため息をひとつ吐く。シグルドがシアルフィから呼び寄せた官僚団は、グランベル本国からも派遣された役人共にあれやこれやと都度横槍を喰らい、効率の良い行政は施行されず。エバンス領の生産力を十全に活用出来ぬまま、シグルド軍はアグストリアの動乱に巻き込まれていった。

 此度もシアルフィから官僚達を呼び寄せることになると思うが、グランベルの役人の横槍はこの資料を盾にすればある程度は防げる。

 少なくとも、以前のシグルド軍よりかは多少戦力を増強できそうだと、そう安堵してのため息でもあった。

 

「オイフェ、こんなところにいたのか」

「一人でうろついてちゃ危ないぜ。まだ城内の敵は完全に片付いていないし」

「ノイッシュ殿、アレク殿」

 

 そこに、ノイッシュとアレクの姿が現れる。

 二人はエバンス城に残されているかもしれないエーディン公女を捜索している最中であったが、途中姿が見えなくなったオイフェを心配し、こうしてわざわざ探し出していたのだ。

 

「シグルド様も心配されていた。直ぐに私達と──」

 

 ノイッシュがそう言った瞬間。

 

「オイフェッ!!」

「ッ!?」

 

 柱の影から、じっと身を潜めていたであろうヴェルダン軍残党が現れる。

 

「お前ら! 動くんじゃねえ! このガキぶっ殺されてえか!!」

「オイフェ!」

「くそ!」

 

 残党は一名。素早い動きでオイフェを捕らえると、血糊で汚れた鉄製の斧を少年の首筋へと這わせる。

 人質となったオイフェ。ノイッシュとアレクは抜刀するも、それ以上動くことは出来なかった。

 

「お前ら、剣をこっちへ投げろ! 妙なマネするとガキを殺す!」

「くっ……!」

「チッ……!」

 

 ノイッシュとアレクは数瞬躊躇するも、やがて言われた通り手にした剣を残党の足元へと投げる。

 残党の腕の中で身じろぎひとつしなかったオイフェは、おもむろにその口を開いた。

 

「あの、私を人質にしてもヴェルダンへ帰れる保証はありませんよ。大人しく降伏した方が身の為だと思うのですが」

「うるせえ! 黙ってろこのクソガキ!」

 

 突然発生した修羅場にも拘らず、オイフェは冷静そのものといった態度を見せていた。残党が残っていた事を察知せず捕まった瞬間はそれなりに動揺していたものの、直ぐに澄ました表情で降伏を勧告するその胆力。

 戸惑うノイッシュ、アレクを尻目に弁を立てるオイフェ。苛立つ残党を挑発するかのように、尚も降伏勧告を続けようとした。

 

「ですが」

「黙れっつってんだろうが!!」

「オイフェ!?」

 

 減らず口を叩き続けるオイフェに激高した残党は、斧の柄でオイフェの顔面を殴打する。

 少年の端正な鼻孔から鮮血が飛び散ると、アレクは思わず腰を浮かせた。

 

「だから動くんじゃねえって──」

 

 アレクを牽制するべく斧を構え直す残党。

 その、瞬間。

 

「ガッ!?」

 

 残党の肉体に、稲妻の如き衝撃が走る。

 

「えいッ!」

「うがぁッ!?」

 

 オイフェは素早い動きで残党の手首を極めていた。そして、そのまま小柄な体躯を大きく躍動させ、残党を背負い投げる。

 

「ッ、このガキァッ!」

「ッ!?」

 

 だが、残党もそれなりの手練なのか、投げ飛ばされつつも受け身を取り、勢いよく立ち上がり斧を振りかぶる。

 

「なっ!?」

 

 だが、斧はオイフェの身体を斬り裂く事は無く。

 ギリギリのところで斧を躱したオイフェは、足元に転がるアレクの剣を素早く拾い、そのまま残党の大腿部を斬り裂く。

 

「ギッ!?」

「──ッ!」

 

 怒涛の追撃。身体の随所に撃剣を受けた残党はたたらを踏み、少年の猛攻を防ぐ事は能わず。

 

「ゲェッ!」

 

 そして。

 残党の喉元に、オイフェは剣を刺す。流れるような必殺の一撃。

 斃れる残党の死骸に、オイフェは冷めた視線を向けていた。

 

「オ、オイフェ……」

「お、お前……」

 

 突然繰り出されたオイフェの大立ち回り。

 ノイッシュとアレクは予想外の出来事を受け、ただ呆然と立ち竦むのみであった。

 

「……ノイッシュ殿。エーディン公女は見つかりましたか?」

「……」

 

 流れた鼻血を拭いつつ、オイフェはノイッシュへ向けそう告げる。

 特に動揺も見せず、常の呼吸を保つオイフェ。ノイッシュは不気味なほど落ち着いている少年に慄くも、やっとの思いで言葉を返した。

 

「……いや、まだ見つかっていない」

「そうですか。なら、ノイッシュ殿とアレク殿はこのままエーディン公女の捜索を続けてください。もっとも、エーディン公女はもうこの城にはいないとは思いますが」

「あ、ああ」

「まだ残党が残っているかもしれません。捜索には十分気をつけてください。私はシグルド様の元へ戻ります」

 

 剣、ありがとうございました。と、アレクへ剣を渡しながら、オイフェはそのまま政務室から立ち去っていった。

 

「……いつの間にあそこまで。アレク、あれはお前の得意技だろう?」

 

 しばらく呆然としていた二人の騎士。困惑を隠せぬノイッシュは、オイフェが立ち去った方向を見ながらそう言う。

 オイフェが繰り出した怒涛の追撃は、アレクが独自に研鑽を積んだ剣法に酷似していた。

 

「ああ。でも、最後の一撃はまるでお前みたいだったぜ」

 

 妙に手慣れた手付きで剣の血糊を拭い、アレクへ剣を返却したオイフェ。その剣を見つめながら、アレクはそう言葉を返す。

 残党に止めを刺した一撃。それは、ノイッシュが得意とする必殺の剣法だ。

 

「教えたのか?」

「まさか。いずれは教えようと思っていたけど……お前こそどうなんだ?」

「私もまだ教えていない」

 

 二人はそれぞれの得意手をオイフェに伝授した覚えは全く無く。

 修練の場をこっそり見て覚えていたのかもしれないが、それでもあの動きは実戦を経験している者にしか出来ぬ動きであり。

 だが、それよりも、もっと気になる事が二人にはあった。

 

「アレク、オイフェは……」

「ああ。()()()()な。アイツ」

 

 十四才の、それもまだ初陣を経験したばかりの少年。

 その少年が、躊躇なく人間を殺害した。二人が知る限り、オイフェが人を殺すのはこれが初めてのはず。

 にも関わらず、オイフェは“殺しの童貞”を捨てた者特有の動揺を一切見せず、終始淡々とした様子を見せており、まるで歴戦の、それも屍山血河をくぐり抜けた(つわもの)の如き風格を備えていた。

 

「スサール卿が教えたのだろうか……」

「いや、流石にそれは無いと思うぞ……」

 

 オイフェの祖父、スサール卿が人の殺し方まで教えていたのだろうか。

 ノイッシュがそのような突飛な発想に囚われるのも無理は無いかと、アレクはなんとも言えない表情で相棒を見やっていた。

 

「……」

「……」

 

 困惑する二人の騎士。

 荒事とは無縁と思っていた少年が、唐突に見せた異常ともいえる戦闘力。

 それを目の当たりにしたノイッシュとアレクは、しばらくの間その場から動く事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 



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第05話『夜勤オイフェ』

 

 グラン暦757年

 ヴェルダン王国

 エバンス城

 

 寡兵でありながら見事ヴェルダン侵略軍を打ち破ったシグルド軍。

 エバンス城を制圧した兵士達は皆口々にヴェルダン蛮族如き口ほどにも無いと気炎を上げ、勝利の美酒に酔いしれている。

 だが、シグルドら主だった者達は、素直にその勝利の美酒に酔いしれる事が出来なかった。

 オイフェが事前に予想していた通り、エバンス城にエーディン公女の姿は無く。

 依然として、ヴェルダンとの戦は継続することとなる。

 

 エバンス城占領後、バーハラより遣わされた使者により正式に“王国聖騎士”として叙勲されたシグルド。

 同時に、使者はアズムール王の勅命も携えていた。

 

 “神聖なる盟約を破棄した、不遜なるヴェルダン王国を征伐すべし”

 

「シアルフィ公爵家が長子、シグルド・バルドス・シアルフィ。アズムール陛下の御勅命、謹んで拝命いたします」

 

 一地方での武力紛争が国家間の戦争にまで発展した瞬間、そして聖騎士誕生の瞬間であった。

 

 

 攻城戦の片付けがある程度終わり、夜の帳が下りるエバンス城。その大食堂。

 現在、大食堂ではユングヴィ奪還、エバンス城制圧、そしてシグルドが王国聖騎士に叙勲されたことによる祝宴会が行われていた。

 といっても、占領したばかりの敵勢力地。エバンス城周辺の制圧は完全に果たされたとは言い難い状況であり、戦勝の宴というには些か慎ましいものとなっている。

 

 とはいえ、抜くべきところは抜き、明日への闘志へと変える術は、シグルド含め全員が備えている。

 エーディンの姿がエバンス城になかった事でひどく落胆していた弓騎士ミデェールも、この時ばかりは沈んだ表情を見せず。逆に、エーディン救出に魂を燃やしているかのように、用意された果実酒を一気に飲み干し、宴の空気を明るくさせていた。

 

 オイフェは若年という事もあり、酒ではなく果実を絞った水が用意されていた。だが、オイフェはそれを少しばかり口をつけた程度に済ませ、あとはシグルドの給仕を甲斐甲斐しく務めていた。

 嬉しそうに、そして生き生きとした様子でシグルドの給仕を務めるオイフェに、周囲は二名を除き微笑ましいものを見るかのように目を細めていた。

 

「……」

「……」

「お、なんだよノイッシュ、アレク。おめえら全然飲んでねえな。腹でも壊してんのか?」

 

 杯を片手に押し黙るノイッシュとアレクに、顔を赤らめたアーダンが呑気な調子でそう言った。

 それを無視する二人の騎士。黙って杯を傾ける二人の視線は、甲斐甲斐しくシグルドの世話をするオイフェに向けられていた。

 

「なんだか、オイフェはシグルド公子の女房みたいだな」

 

 そのようなオイフェに、僅かに顔を赤らめたドズルのいい男ことドズル公国公子レックスが、茶化すようにオイフェに声をかける。

 

「ハハ、言われてみれば確かに女房みたいだな。シグルド、良い嫁さんを持てたじゃないか」

 

 レックスに同調するように、同じく酒に酔ったレンスター王国王子キュアンが、顔を赤らめながらシグルドへそう言う。

 隣に座るキュアンの妻エスリンは、夫とレックスの軽口を嗜めるように口を開いた。

 

「キュアン、そんな言い草はオイフェに失礼よ。レックス公子もいい男なんだからイジメちゃだめよ」

「私は良いのか……」

 

 エスリンの説教じみた言葉を受け、キュアンといい男は二人揃って悪戯がバレた子供のように肩を竦める。オイフェだけを気遣い、実兄を無視するようなエスリンの口調を受け、シグルドまでがバツの悪そうな表情を浮かべる。

 それがなんとも名状し難いおかしみを見せ、場の空気を更に和ませていた。

 

「エスリンは手厳しいな……オイフェ、すまないな」

「い、いえ、私は大丈夫です」

 

 苦笑いを浮かべたシグルド。オイフェは酒を一滴も飲んでいなかったが、少々顔を上気させていた。

 

「そ、それに、私なんかじゃなくて、シグルド様はきっと素敵なご婦人と出会えます。ええ、間違いありませんとも」

「オイフェ、それは少し気が早いのでは」

「いいえ。きっと、素敵な出会いがあります」

 

 上気しつつも、そうはっきりと断言するオイフェ。

 世辞とは言い難い何か確信を持った言い様のオイフェ。シグルドは苦笑を浮かべつつ、自身を慕う少年の柔らかい髪をくしゃりと撫でていた。

 

「オイフェの予想は当たるからな。シグルド、ヴェルダン征伐のついでに嫁探しをしたらどうだ?」

「キュアン……」

「お前もそろそろいい歳だろう? 結婚はいいぞ。女房は身代の薬とも言うしな」

「あら。じゃあ私はあなたの薬ということになるのかしら?」

「もちろんだエスリン。良薬口に苦しとも言うが」

 

 キュアンの減らず口に、エスリンは思わず夫の肩をぺしりと叩く。だが、それでもキュアンの勢いは止まらない。

 

「そうだ、フィン。お前もオイフェに嫁探しを手伝ってもらったらどうだ?」

「えぇ!?」

 

 素っ頓狂な声を上げたのは、レンスターが誇る槍騎士団ランスリッターの若き才能、フィン。

 まさか自分にまで矛先を向けられるとは思ってなかったのか、上ずった声でキュアンに応えていた。

 レンスター主従に、オイフェはにこりと笑いながら口を開く。

 

「フィン殿にもきっと素敵な奥方が見つかりますよ。もしかしたら、アグストリアで出会えるかもしれませんね」

「アグストリア?」

「おお、そうかそうか。よかったなフィン。アグストリアの深窓の御令嬢を嫁に迎えられるそうだぞ」

「いや、オイフェはそこまで言ってないんですが……」

 

 困り果てるフィンに、一同は思わず笑い声を上げる。

 終始和やかな空気が、エバンス城の大食堂を包んでいた。

 

(深窓の御令嬢ではなく、金色の雌獅子ですけどね……)

 

 かつてのフィンの妻、ノディオン王家のわがまま姫の姿を思い浮かべながら、オイフェはそう心の中で呟いていた。

 

 

 

 


 

 深夜。

 オイフェは、大立ち回りを演じた政務室に一人籠もっていた。

 寝静まったシグルド達、寝ず番の警護兵にも気付かれぬよう、燭台の明かりを最低限に落としている。

 

「……神よ、感謝致します。再び、シグルド様に会わせてくれた事を」

 

 政務室に備えられた机の上で、オイフェは祈るように両手を組み、どこかにいるであろう神に対し感謝を捧げる。

 最初は、夢かと思った。

 だが、夢にしてはやけに生々しく。

 しばらくして、オイフェは己の“時”が巻き戻っていた事に気付く。

 

「……感謝、します」

 

 感謝を捧げ続けるオイフェ。そのあどけない瞳から、一筋の涙が流れる。

 求めてやまなかったシグルドの温もり。それを再び味あわせてくれた事。

 そして、悲劇を回避する為の、やり直しの機会を与えてくれた事。

 

 そして、何より──

 

「あ奴めを……アルヴィスめを、この手で殺せる機会を与えてくださった事に、感謝致します」

 

 涙を流す少年。しかし、少年らしからぬ怨念混じりの低い声で、そう呟く。

 燻ぶらせ続けた復讐の炎。

 それを思う存分仕果たせる機会を与えてくれたことを、オイフェは黒い感情を込めながら感謝を捧げ続けていた。

 

「……」

 

 しばらく祈りを捧げていたオイフェであるが、やがて机の上に二枚の地図を広げる。

 一枚はヴェルダン王国の地図。ジェノア、マーファ、そして王都ヴェルダンの詳細な情報が記載されている。

 これも、敵方の重要書類滅却を免れた貴重な情報だ。ヴェルダンを効率良く攻略する為に必要な物である。

 

 もう一枚は、ユグドラル大陸全土を俯瞰するように描かれた大地図。

 これからオイフェが持ち得る全ての知識、全ての知力を総動員した“悲劇回避”のシナリオを練る為に必要な物である。

 

「……」

 

 オイフェは黒い感情を滾らせながら、鋭い目つきで地図を睨む。

 エバンス城に至る前、宿敵と邂逅する事を失念していたオイフェ。溢れる殺意を漏らさぬよう、必死の思いで感情を殺していた。

 その後のエバンス城で、ヴェルダン軍残党にその黒い感情を思わずぶつけてしまったのも、オイフェにとって不覚であり。

 ノイッシュ達に“殺し”を見られたのは、昂ぶった感情をぶつける為とはいえ流石に迂闊すぎる振る舞いであった。

 

(いっその事、全てを話すか──いや)

 

 オイフェは己が経験したこれから起こる何もかもを、シグルド達へ打ち明けようかとも考えた。

 だが、直ぐに頭を振り、その発想を打ち消す。

 何もかもを打ち明けるには、今の状況はあまりにも危険であると認識していた。

 

(ロプトの手先が、どこに潜んでるとも分からぬ)

 

 現在進行系で大陸全土を覆う暗黒教団の影。

 各国の中枢に入り込み、邪神復活の野望を成就せんべく暗躍する暗黒司祭共。それを警戒したオイフェは、今はまだ打ち明ける時ではないと判断する。

 

「……ああ、くそ。神よ、何故もっと前に時を戻してくれなかったのですか」

 

 先程の感謝の念とは正反対に、今度は神への文句を垂れるオイフェ。

 ユグドラル大陸全土を巻き込んだ大謀略。

 それを成し遂げたロプト教団大司祭マンフロイ。かの大司祭がユグドラル大陸全土を俯瞰して練り上げた陰謀に、今のシグルド達で対抗するにはあまりにも無謀と言えた。

 

「もっと前に戻してくれれば、お祖父様のお力をお借りする事が出来たのに」

 

 オイフェは自身の祖父、スサール卿の姿を思い浮かべ、そう呟く。

 名軍師スサール。その経歴に見合う、その大智謀。

 その助けがあれば、マンフロイの陰謀にも十分に渡りあえるのに。

 

「お祖父様が生きていれば……」

 

 だがそのスサールは、グラン暦755年、ちょうど今から二年前に老衰により亡くなっている。

 スサールはシアルフィ家の縁戚でもあり、当主バイロンの指導役として若き日を共に過ごしている。そして、グランベル士官学校の教官を経て、アズムール王に直接仕えその補佐を務めていた。

 隠居した後でもその智謀が重宝され、グランベルの要人はスサールの知恵を借りるべくこぞって隠棲先を訪ねている。士官学校時代の教え子でもあるフリージ家当主、そしてグランベル宰相でもあるレプトールですら、時たまスサールの元へと訪ねていた。

 同様に士官学校の教え子でもあったドズル家当主ランゴバルトも、スサールの葬儀では号泣してその亡骸に縋り付いている。それ程、スサールの智謀と人徳は、政治の利害関係を超え、絶大な影響力を及ぼしていたのだ。

 

 つまるところ、スサールさえいればクルト王子を擁立するバイロン派と、クルト王子を廃嫡しようとする宰相レプトール派との政治闘争を仲裁し、挙国一致で暗黒教団の陰謀に立ち向かう事が出来たであろう。

 そう思い、オイフェは深い溜息をひとつ吐く。

 当然、ロプト……聖者マイラの血を引くアルヴィスの追放、少なくともロートリッターの指揮権、そして炎魔法ファラフレイムの所有資格は剥奪出来たとも。

 直接的な軍事力さえなければ、アルヴィスを殺害する事は不可能ではない。

 

「……」

 

 オイフェは再び頭を振ると、大陸地図へと視線を戻す。

 無いものをねだってもしょうがない。今は、己が持つ全てを用い、悲劇を回避する方策を立てるしかなかった。

 

「……敵ながら見事な計画だな」

 

 オイフェはマンフロイが立てた陰謀の全容を、その立場になって考える。

 リボーの族長によるダーナの虐殺、ヴェルダン王バトゥによるユングヴィ侵攻、アグストリア王シャガールによるアグストリア動乱。

 その全てを裏で操っていた暗黒司祭の執念にも似た大陰謀に、オイフェは思わず感嘆の声を漏らしていた。

 大陸全土を俯瞰した謀略、そして針の穴を通すような緻密な計略。これを計画出来うる人間は、ユグドラル全土を見渡しても、恐らくマンフロイだけだろう。

 

「だが、結局はアルヴィスさえいなければ、奴の計画は全て破綻する」

 

 マンフロイの陰謀の要。それは、かつてユグドラル大陸を暗黒の時代に陥れたロプト帝国、その皇族である聖者マイラの血を引くヴェルトマー家当主アルヴィスの存在。

 アルヴィスの母シギュンは、呪われた血を持つマイラの子孫。その血を近親交配により色濃くし、生み出された子を暗黒神ロプトウスの依代とする。

 そしてロプト帝国を復活させ、ユグドラル大陸を再び暗黒の時代へと戻す。

 それが、マンフロイの悲願であり、陰謀の最終目的であった。

 

 だが、言い換えればマイラの血を引くアルヴィスの存在がなければ、その野望を達成する事は不可能となる。

 

「ディアドラ様……」

 

 そして。

 オイフェは悲痛な表情を浮かべながら、ヴェルダン王国の地図に記された“精霊の森”を見つめる。

 かつて主君が愛した女性の名を呟きながら、自身の胸から湧き上がる様々な感情に囚われ、オイフェはみしりと拳を握りしめていた。

 

 シギュンの子、ディアドラ。アルヴィスと同じく、聖者マイラの血を引く娘。

 シギュンは隠れ住んでいた精霊の森の隠れ里を飛び出し、ヴェルトマー家前当主ヴィクトルに見初められアルヴィスを産んだ。

 だが、好色家であるヴィクトルはシギュン以外との女性と何度も関係を持ち、シギュンの心を荒ませる。

 それを憐れんだグランベル王国王子クルトがシギュンを慰め、いつしか二人は恋に落ち、関係を持ってしまう。ヴィクトルは二人に対し、怨念が籠もった遺書を残し、当てつけるようにして自ら命を絶った。

 

 悲痛な思いに囚われたシギュンは幼いアルヴィスを残しグランベルから姿を消す。

 精霊の森へと帰ったシギュンは、クルト王子との間に授かったディアドラを産み、そのまま静かに息を引き取っていた。

 

「……」

 

 思えばこれもマンフロイの計画の一環であったのかと想像したオイフェは、とてつもなく周到で巨大な敵を相手取るのだと再認識し、内なる闘志を燃やす。

 執念ならば、こちらも負けはしない。

 

 知恵比べだ。

 マンフロイ狂気の謀略と、オイフェ執念の計略。

 どちらが上か、決着を付けてやる。

 

「今度は……今度は、絶対に……!」

 

 グラン暦757年。

 運命の日ともいえる、シグルドとディアドラの出会い。

 呪われたマイラの血。そして、シギュンを想い、子を成さなかったクルト王子のただ一人の娘。

 それが、世に現れた時。

 そこから始まる、悲劇の物語。

 

 オイフェは血がにじむ程拳を握りしめる。

 今度こそは、今度こそはディアドラがロプト教団、そしてアルヴィスによって奪われぬよう、決死の覚悟を持って守り通す事を誓っていた。

 

 守る。守り通す。

 シグルド、ディアドラ。

 そしてセリスが、幸せな未来を迎えられるように。

 バーハラで散った、聖戦士達の運命を変える為に。

 

 オイフェは、その為に逆行したのだ。

 その為に、もう一度己の命を燃やす時が来たのだ。

 自身の命と引き換えても、それは絶対に成し遂げねばならない、オイフェ絶対の使命であり、絶対の宿命なのだ。

 

「……申し訳ありません、ユリア様」

 

 ふと、オイフェはアルヴィスとディアドラの子……セリスの異父妹である、ユリアの名を呟く。

 オイフェの悲願が果たされる。つまり、オイフェが目指す未来では、ユリアは生まれる事は無い。

 

「ふ、くふふ……」

 

 オイフェはまだ芽吹いてもいない命に謝罪する自分がひどくおかしなものに見え、自嘲めいた笑いをこぼす。

 全てを救う。しかし、それにより本来犠牲とならない者の命が必要である事が、オイフェの心を僅かに乱していた。

 

『私は、お父様の罪を償わなければなりません』

 

 生前、ユリアからそう告げられたオイフェ。

 その言葉通り、ユリアは聖戦の犠牲者達の冥福を祈る日々を過ごしていた。

 自身の幸せなど、全く望まぬその姿勢、その覚悟。

 それは、同じく自身の幸福を捨て、生涯グランベル、そしてセリスへと尽していたオイフェと同じ生き様。

 オイフェはある意味、ユリアに対し同志ともいえるシンパシーを感じていた。

 

「……」

 

 だが、オイフェは冷たい表情を浮かべると、ユリアの一切を己の心から消した。

 ユリアならわかってくれると、己に言い聞かせながら。

 

「……ヴェルダン攻略は、前と同じ。アイラ殿、エーディン様、デュー殿、ジャムカ殿……シャナンは、まだ当てには出来ぬか」

 

 ヴェルダンの地図を見る。ヴェルダン攻略は、前と同じようにすればいい。いや、前よりも状況は多少改善されている。

 以前と同じように仲間を増やし、戦力を拡充させるのは既定路線。それ以上に、戦力を増やす。

 ヴェルダン制圧後の事も考え、出来るなら早めに攻略を開始したい所だ。

 

 以前は、グランベルから派遣された役人……おそらくは、アルヴィスの息がかかった者達による占領統治が施行され、その生産力の恩恵をシグルドが十分に受けることは無く。

 元々のシアルフィ留守部隊、エバンス領で募兵した兵力、そしてマーファ領の一部を継ぐことが許されたジャムカ王子の手勢のみで、シグルドはハイラインとノディオンの紛争から始まるアグストリア動乱へと巻き込まれていった。

 

 それを、此度はもっとマシな形にしたい。

 アグストリア動乱の終局、シグルドを追討する為に派兵された大軍勢に対抗する為にも。

 ヴェルダンの国力を可能な限り、そして早急にシグルドの物としなければならない。

 

「ディアドラ様にも、早くお会いしたいしな……」

 

 昂ぶるディアドラへの想い。

 恋心とはまた違う、親愛の感情。

 生まれたばかりのセリスを抱くオイフェを、優しく包むように抱きしめてくれたディアドラの温もり。

 

 母とも姉とも思えた精霊の森の少女を求め、オイフェはその熱き血潮を燃やしていた。

 

 

 オイフェによる全てを守り、全ての恨みを晴らす為の計画は、朝日が登るまで続けられた。

 

 

 

 

 



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第一章
第06話『笑顔オイフェ』


  

 久しぶり、オイフェ 

 

 ずいぶん立派になったね。口ひげなんて生やしてさ

 

 ……一番大変な時に、そばにいてあげられなくてごめんね

 

 ……おいらは大丈夫。片腕でも、結構やれることあるんだよ?

 

 まあ、おいらのことはいいよ。それより、エーディンは元気? そう。ならよかった

 

 ミデェールが、最後まで……最期まで、ずっとエーディンの心配をしていたからさ

 

 セリス様……皆の子供達も、元気かな?

 

 そっかぁ。もう十五歳なんだね、セリス様

 

 早いなあ……ほんとに、早いね……。あれから、もう十三年も経つんだね

 

 ……うん。話したいことは、沢山あるんだ

 

 でも、おいら、ちょっと時間なくてさ

 

 もう、ティルノナグを出なくちゃならないんだ

 

 だから、これ

 

 ミデェールが使ってた弓と、ベオウルフが使ってた剣。それと、ホリンとアイラが使ってた剣

 

 これ、オイフェに預けるよ

 

 子供達が使ってくれると、皆も喜ぶと思うんだ

 

 あ、あと、少ないけど、このお金も

 

 ……うん

 

 大変だった。でも、オイフェとシャナンに比べたら……

 

 ……ごめんね。おいら達で、終わらせるはずだったのに

 

 ……あれから、どうしてたか……あの時のこと、聞きたい?

 

 といっても、おいら達は逃げるので精一杯だったから、あまり詳しくは話せないけど……

 

 ……うん

 

 ノイッシュも、アレクも、アーダンも、シグルド様を助けようとして……

 

 ホリンとアイラが道を斬り開いてくれて……でも、二人はそのまま……

 

 その後、ジャムカとミデェールとベオウルフが、おいら達を逃してくれて……

 

 ……泣かないで、オイフェ。もう、そんな歳じゃないでしょ

 

 ……でさ、その後、ブリギッドとラケシスと一緒に、メルゲンへ逃げて来たんだ

 

 そこで、ブリギッドのお腹が大きいのに気付いてさ……

 

 ラケシスも身重だったし、おいら大変だったんだよ? ファバルもまだ小さかったし、あの頃は本当に…… 

 

 うん。メルゲンで、二人のお産を手伝った。っても、おいらが直接手伝ったわけじゃないんだけどさ

 

 ……その後、ブリギッドが行方不明になって

 

 ラケシス達だけ先にレンスターに行ってもらって、おいらはファバルとパティを修道院に預けて、ブリギッドを探してたんだ

 

 でも、結局見つけられなかった。イチイバルだけ、見つかったんだけど……

 

 ごめんね。おいら、探しものは得意だったのに、全然役に立てなくて

 

 ……それから、しばらく修道院の手伝いをしてた

 

 でも、帝国が、子供狩りを始めて……危なくなったから、ファバル達を連れてラケシス達と合流しようと思って、レンスターに行ったんだけど……

 

 ……うん。もう、レンスターは、トラキアに……

 

 とりあえず、おいら達は難民にまぎれて、コノートまで行けたんだ

 

 そこで、おいらはファバル達を孤児院に預けた

 

 ずっとファバル達と一緒に居たかったんだけど、おいら、どうしてもブリギッドのことを探したかったんだ

 

 ジャムカにお願いされたからさ。ブリギッドと、子供達を頼むって……

 

 おいらずっとブリギッドを探してた。それで、やっと見つかったかもしれなくてさ

 

 ああ、腕は、その時にやっちゃって……ちょっと、死にかけた

 

 今は……うん。大丈夫だよ

 

 それで、ブリギッドの所に行く前に、ずっと預かってた皆の武器を、オイフェ達に渡したくて

 

 ……

 

 ごめんね。おいら、もう行かなきゃ

 

 大丈夫。また会えるよ

 

 いつか、きっと

 

 

 皆で、一緒に──

 

 

 

 

 ヴェルダン王国。

 二大大国グランベル王国とアグストリア諸侯連合と隣接し、大陸最大の湖を抱く鬱蒼とした蛮族の地。

 深い森に覆われた国土はエバンス領の一部を除き農作に適さず、棲まう民は狩猟、漁業、林業で生計を立てている。

 とはいえ大国に挟まれた立地条件もあり、ヴェルダンはグランベルとアグストリアの交易の中継を担うべく馬借、つまり陸運業がそれなりに発達している。

 また、大陸一の商業都市ミレトスと海を挟んで隣接しているのもあり、ヴェルダン産の材木、毛皮、魚介類などの主要品目をミレトスを介し全国へ輸出する為、特にジェノア領では海運業がその国力に見合わない規模で発達していた。

 

 湖の西側に突き出た岬とその周辺に広がる“精霊の森”と呼ばれる森林地帯は、古より聖域と定められており、神秘的な逸話には枚挙にいとまがない。言い伝えによると、数十年に一度、湖には太古の精霊が現れ、訪れた者に幸福をもたらすという。

 

 ヴェルダン王国の祖は流れ着いた海賊とも土着の山賊とも言われているが、そのルーツはユグドラル大陸で興った他の国々とは違い定かではない。

 現国王バトゥ王は誠実かつ温厚な性格を備えた人物であり、多くのヴェルダン豪族をその人徳で治めていた。

 

 バトゥ王には三人の息子がおり、長男を事故で亡くした後、王国の後継者として長男の息子、つまり自身の嫡孫であるジャムカを養子として迎えていた。

 だが、次男ガンドルフ、三男キンボイスはジャムカを後継指名した事により不満を覚え、日に日にバトゥ王への反発を強める。また、大国への反発心が強い好戦的な豪族達もガンドルフらを支持しており、ヴェルダン王国の内情は不安定なものとなっていた。

 

 そして、ある日のこと。

 バトゥ王の前に、サンディマという謎の祈祷師が現れる。

 次男と三男、そして豪族達の反発に疲弊していたバトゥ王は、サンディマによる緩やかな“洗脳”からは逃れられず、ついには身分怪しき祈祷師でしかないサンディマの政治的な進言を尽く受け入れるようになる。

 また、それに乗るように、ガンドルフとキンボイスの専横も日増しに強くなっていた。

 

 そして、グランベルによるイザーク征伐。

 手薄となったグランベルを侵略するよう進言するガンドルフに、バトゥ王は生気の無い表情で頷く。日々サンディマからグランベルの脅威を刷り込まれていたバトゥ王は、既に冷静な判断力を失っていた。

 

 ヴェルダンによるグランベル侵攻の日。

 それは、聖戦士達が運命に翻弄された、始まりの日でもあったのだ。

 

 

 

 アズムール王の命を受けヴェルダン征討軍を起こしたシグルド。

 ヴェルダンによるユングヴィ奇襲のお株を奪うように、電撃的にジェノア領へ侵攻するシグルド軍は、迎え撃つキンボイス王子率いるジェノア兵団をたった一度の会戦で粉砕。キンボイス王子をも討ち取る事に成功する。

 ジェノア兵団の客将……イザーク国より落ち延びていた王女アイラも、ジェノア城に捕らわれていた兄王子マリクルの息子、甥であるシャナンがオイフェの進言により迅速に救出されたことにより、その矛を収めシグルド軍へと合流していた。

 

 ジェノア城を占領し、周辺の制圧を手早く終えたシグルド軍。

 その段取りを如才なく整えていたオイフェ。

 そもそも、キンボイス率いるジェノア兵団との会戦は、オイフェの不自然なほど正確な敵部隊配置の予想を受け始められており。

 それを受け、シグルド軍はキュアンら騎兵部隊を中心とした運動戦を展開。山岳歩兵中心であるジェノア兵団は騎兵部隊に翻弄され、ジェノア西に位置する森林部へと戦場を移そうとする。

 

 森の中でなら騎兵の運動性は殺され、数に勝るジェノア兵団がシグルド軍を打ち破る事は容易い。

 だが、森林部に近づいたジェノア兵団は、事前に待機していたアゼル率いる魔道士隊、そしてアーダン率いる重装甲兵部隊により挟撃される。

 この効果的な采配により、シグルド軍は兵力に勝るジェノア兵団撃滅に成功していた。

 

 その采配のほぼ全てを献策したオイフェ。

 曰く、祖父スサールに伝授された軍略のおかげ、とのことであるが、それにつけても驚異的な軍才である。

 シグルド達はこの無垢な少年軍師に驚愕しつつも、囚われたままのエーディン公女を救うべく軍勢をマーファ城へ向けていた。

 ヴェルダンに受けた恥辱を晴らすべく、一騎当千の働きをするアイラを先頭に、迎え撃つヴェルダン軍を蹴散らしつつ進むシグルド軍。

 そして、マーファ城近辺へと到達したシグルド達は、ついに“ある少年”と共に逃げ延びて来たエーディン公女の姿を見つけるのであった。

 

 

「エーディン、無事だったのか! よかった……!」

「シグルド様、助けにきて下さったのですね。ごめんなさい、シアルフィの方々まで危険な目に会わせてしまって……」

 

 ヴェルダン王国マーファ城郊外。

 進軍するシグルド達はエーディンの姿を見つけると、全員が安堵の表情を浮かべ彼女を迎え入れていた。

 

(ああ、よかった……無事だった……)

 

 オイフェもまた一安心といった様子を見せていたが、その視線はエーディンではなく傍らにいる身なりが良いとは言えない、自身と同年代の少年へと向けられていた。

 

「よかったねエーディンさん。ああ、これでおいらもガンドルフの奴に舌を抜かれずに済むよ」

「君は?」

「おいらはデューっていうんだ。よろしくね、シグルド公子!」

 

 太陽のような活発な様子を見せる、盗賊少年デュー。

 彼はマーファ城で盗みを働いた罪で幽閉されており、近々ガンドルフ王子による処刑が執行される身であった。

 だが、エーディンとデューはマーファ城下からの脱出に成功する。それを手引したのは、グランベルとの戦争を最後まで危ぶみ、反対の声を上げ続けていたジャムカ王子であった。

 

(よかった。もしかしたら、マーファまでの攻略が早すぎたせいで、デュー殿の処刑も早まる可能性もあった。だが、それは杞憂だったようだ。ジャムカ王子が上手くやってくれたおかげだ……)

 

 そう思い、安堵のため息をひとつ吐くオイフェ。

 懐かしい顔をまた見れたことで、オイフェはこみ上げてくる気持ちを抑える事が出来ず、少しだけ眼尻を濡らしていた。

 

 なにより、デューはオイフェが立てた計画に必要不可欠であり、求めてやまなかった人材の筆頭。場合によってはエーディンの救出より優先すべき存在であった。

 

 その理由は、デューが持つ天才的な生存能力、諜報能力、そして捜索能力にあった。

 敵地の真っ只中でも傷一つ負わず必要な情報を持ち帰る才能。そして、敵が秘蔵する財産を銅貨一枚に至るまで根こそぎ掻っ攫う嗅覚。

 オイフェが計画する、全てを救い、最良の結末を迎える為のキーマンである。

 

「エーディン様、姫様! ご無事だったのですね! ああ、よかった……!」

「ミデェール、あなたこそ元気な様子で安心しました」

「申し訳ありません。私にもっと力があればこのような事にはならなかったのに……」

「もういいのよ、ミデェール。あなたの所為ではないのですから」

「エーディン様! ご無事でなによりです!」

「まあ、アゼル公子! あなたまでユングヴィの為に戦ってくれたのですね!」

「俺もいるぞ!」

「レックス公子まで……相変わらずいい男ですね」

 

 エーディンを慕うシグルド軍の主だった者達に囲まれ、エーディンもまた安心した表情を浮かべる。

 その様子を見つつ、オイフェは輪から外れふてくされた表情を浮かべるデューの元へ駆け寄っていた。

 

「ちぇ。なんだいなんだい。エーディンさんをここまでエスコートしたのはおいらだっていうのに」

「ええ。確かに、デュー殿が一番の功労者ですよ」

「へぇ! 見どころある人がいるもんだ! 見たところおいらと同じくらいの歳に見えるけど、君は?」

「初めまして。私はシグルド様に仕えるオイフェと申します。デュー殿よりひとつ歳下の十四才です。同年代の方がいなくて寂しい思いをしていましたので、これからも宜しくお願いしますね」

「う、うん。よろしくね、オイフェ」

 

 絶対に逃さんとばかりにデューの肩を掴み、妙に凄みのある笑顔を浮かべるオイフェ。

 元々なし崩し的にこのままシグルド軍へ転がり込むつもりだったデューであったが、もしかしたら自分はとんでもない所へ来てしまったのではないかと、やや引き攣った笑みを浮かべながらオイフェに応えていた。

 

(よし。後は、マーファを落とし……シグルド様をディアドラ様に引き合わせるだけだ)

 

 若干引いているデューに構うことなく、その肩をみしりと掴むオイフェ。懐かしさも手伝って、肩を掴む力は強い。

 

 いつかきっと

 皆で、一緒に──

 

 かつての人生。ボロボロとなったデューと交わした、この約束。

 結局、その約束は果たされることは無かった。

 シグルドに尽し、落ち延びたオイフェ、そして戦友達の遺児を人知れず支援していたデュー。

 だが、解放戦争前、オイフェが帝国の内情を探っていた時分。

 

 オイフェは、デューの死を知ることとなる。

 デルムッドとレスターを伴い、ペルルークへ潜入した際。

 帝国貴族の屋敷へ盗みを働いた盗賊が処刑され、死体が街中で晒しものにされていた。

 

 あの太陽のような輝き。

 それが、その躯から、僅かに発せられていた。

 

(あの時の約束……今度は、必ず……)

 

 そう心の中で呟くオイフェ。

 悲劇の犠牲者を、今回は出すつもりはない。

 

(ディアドラ様……貴方も……)

 

 そして、オイフェは当面の最大の目的……ディアドラとの再会へ向け、そのあどけない表情を引き締めていた。

 

 

(あれ? そういえばおいら自分の歳を言ってなかったけど、なんでオイフェはおいらが十五歳だって知ってるんだろ……まあいいか。ていうか、痛い……痛いんですけど……)

 

 オイフェが運命を変える為に必要な同輩となった少年、デュー。

 その悲願の道連れとなった盗賊少年は、肩の痛みに耐えつつ、オイフェの圧力に気圧されるかのように苦笑いを浮かべ続けていた。

 

 

 



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第07話『爆釣オイフェ』

 

 ヴェルダン王国

 マーファ城

 城主の間

 

「なにっ!? グランベルの連中がもう来やがったのか!?」

 

 シグルド軍がマーファ城郊外へと進軍した報を受け、ヴェルダン王国王子ガンドルフは驚愕の声を上げる。

 数日前に弟キンボイスのジェノア兵団が敗れ、ジェノアが制圧されたという報告を受けたばかり。

 義弟であり実の甥でもあるジャムカ王子と共に、マーファ城にて迎撃準備を整えていたガンドルフであったが、シグルド軍の異常ともいえる侵攻速度に狼狽を見せていた。

 

「兄貴。この状況でもまだやるつもりなのか」

 

 ガンドルフの狼狽えぶりとは対照的に、ジャムカは冷めた表情を浮かべている。

 グランベルとの戦端を開けば、初戦は勝ちを拾えるかもしれない。いや、事実ユングヴィ奇襲は上手くいった。

 だが、いくらグランベルがイザークに兵力を向けているとはいえ、その国力差は十倍以上にも及ぶ。

 イザークとの戦が終われば、その全戦力がヴェルダンへと向けられるのは必至。

 各公爵家の主力騎士団、それも神器持ちの将帥が来襲すれば、ヴェルダンは瞬く間に焦土と化すであろう。そもそも弓騎士団バイゲリッターが留守でなければ、ユングヴィはヴェルダン軍の侵攻など容易く防げたのだ。

 

 そう警鐘を鳴らし続けていたジャムカ。

 だが、父を始めジャムカの意見を聞くものは、ヴェルダンの為政者の中では誰もいなかった。

 

「当たり前だ! キンボイスの馬鹿野郎は油断しただけだ! グランベルのモヤシ共なんざ元々大した数じゃねえ! 俺がマーファ兵団を率いて打って出れば、奴らなんぞ!」

 

 実弟キンボイスが討ち取られても全く悲しむ素振りも見せず、あまつさえ罵倒まじりにそう息を巻くガンドルフ。

 ジャムカは一瞬悲しげに表情を歪めるも、すぐに冷然と言葉を返した。

 

「シグルド軍は騎兵中心だ。おまけに練度も士気も高い。野戦なんかすれば猟師に毛が生えた程度の俺たちじゃ蹂躙されるのがオチだ。数の利なんて関係ない」

「うるせえ! やってみねえと分からねえだろうが!」

「やる前から分かってるからそう言ってるんだ。それに、俺のマーファ兵団を猟師……いや、山賊の集まりに変えたのは兄貴じゃないか。余計に勝ち目は無いよ」

「それはてめえが腑抜けたやり方してるからだろうが!」

 

 マーファ領は元々ジャムカが封じられていた場所であり、本来の第一王子であった父の遺領。そして、そこを守るマーファ兵団は、ジャムカが手ずから鍛え抜いた精兵軍団だった。

 だが、王位簒奪を狙うガンドルフはサンディマと謀り、マーファ領をジャムカ一人ではなくガンドルフと共同で治めるようバトゥ王に進言する。

 既にサンディマの操り人形と化していたバトゥ王の命を、ジャムカは忸怩たる思いで受け入れていた。

 

 その後、ガンドルフはジャムカからマーファ兵団をも奪うべく、兵団の部隊長クラスの人事に強引なやり方で介入していく。

 自身の息のかかった者を送り込むべく、身に覚えのない罪で兵団から追放された部隊長は数知れず。

 ジャムカの抗議は虚しく、マーファ兵団を構成する五千の兵力の内、ジャムカが掌握しているのは三百程度にまで落ち込んでいた。

 

 当然、優秀な部隊長の多くを失ったマーファ兵団の練度は、以前よりも遥かに劣ったものとなっており。加えて、ガンドルフによる虐待ともいえる苛烈な練兵は、兵士の質も著しく劣化させていた。

 苛烈な練兵に耐えかねて脱走する兵士も多く、兵団の規定数を維持する為、ガンドルフは近隣の村々から徴兵を繰り返し、素性の怪しい流れ者までかき集めており、ますますその練度は劣る一方であった。

 

 大事な働き手を奪われた領民達。そしてマーファ兵団の狼藉兵士共による治安悪化。その原因となったガンドルフへの領民達の怨嗟は、推して知るべしである。

 

「兄貴、今からでも遅くはない。シグルド公子へ停戦の使者を送るんだ」

「馬鹿かてめえは! 今更そんなこと出来るわけねえだろ!!」

 

 生意気な義弟の言に、ガンドルフは激高してそう応えた。

 ジャムカはため息をひとつ吐くと、ある事実を義兄へと告げる。

 

「兄貴。俺はエーディン公女を解放した。ついでにあの盗賊のガキもな。今頃、エーディン達はシグルド軍に保護されているだろう」

「なっ!? て、てめえなんてことしやがる!」

「俺もシグルド軍がここまで早く来るとは思ってなかったんだけどな。個人的に、エーディンにはもう少しマーファに滞在して欲しかったが。まあ、奪ったイチイバル共々お帰り願ったよ」

「そんなことは聞いてねえっていうかイチイバルまで返しやがったのかてめえ!? なんでそんなことしやがった!?」

「そりゃあ、エーディンを籠城戦に巻き込むわけにはいかなかったからな」

「あぁ!?」

 

 悪びれる様子もなく堂々とそう述べるジャムカ。

 顔面を怒りで朱に染め上げ、額に太い青筋を立てるガンドルフに構うことなく、ジャムカは突き放すように言葉を重ねる。

 

「兄貴、悪いことは言わない。俺が親父を説得してグランベル王国と停戦交渉を始めるまで、このまま城に籠もってろ」

「て、てめえ!!」

「弱くなっちまったマーファ兵団だが、それでも俺の本当の親父が遺してくれた兵士達だ。出来れば無駄死にさせたくない。野戦なんて馬鹿な真似はせず、このままマーファ城で籠城するんだ。いくらシグルド軍とはいえ、少ない兵力で城を落とすのは難しいだろう」

「こ、この野郎、言わせておけば……!」

「じゃあな、兄貴。俺はヴェルダン本城へ行く」

「ま、待て! 逃げんのかこの野郎!!」

 

 尚も激怒するガンドルフを尻目に、ジャムカは踵を返し部屋から立ち去る。

 扉の向こうでは尚もガンドルフが何かを喚いていたが、それを無視して城下へと足を向けていた。

 

 

 

 城門を出たジャムカは、馬場に向かうと自身の愛馬に跨る。すると、直率部隊の部隊長がジャムカへと駆け寄った。

 

「ジャムカ王子。我々もご一緒します」

「いや、お前たちはこのままマーファに残れ」

「ですが……」

 

 同行を申し出る部隊長を制するジャムカ。

 納得がいかないといった体の部隊長に、ジャムカは諭すように言葉を述べる。

 

「どうせ兄貴のことだ。このまま大人しく城に籠もっている事はないだろう。兄貴が敗れたら、お前たちはそのままシグルド公子に降伏しろ」

「こ、降伏ですか?」

「親父が造ったマーファの街を戦場にするわけにはいかないからな。兄貴が出陣しても、適当な理由を作って城に残るんだ。いいか、グランベルじゃなくて、シグルド公子に降伏しろよ。公子なら、マーファを悪いようにはしないだろう」

「は、はい」

 

 ジャムカの指示を受け、部隊長は戸惑いつつも頷く。

 一人マーファ城を後にしようとする主へ、部隊長は尚も縋るような視線を向けていた。

 

「ジャムカ王子は……」

「この戦争、誰かが責任を取らなきゃいけない。王族だからな、俺は」

 

 寂しげな笑みを浮かべ、馬首をヴェルダン本城へと向けるジャムカ。

 その後ろ姿を、部隊長はそれ以上言葉を述べることなく、黙って見送っていた。

 

「エーディン……君とはもう一度会いたい。その時は、もっと気の利いた話が出来るといいな」

 

 そう呟きながら、ジャムカはヴェルダン本城へと馬を走らせていった。

 

 

 

「くそが! どいつもこいつも舐めくさりやがって!」

 

 ジャムカが立ち去った後の城主の間では、ガンドルフが備え付けられた調度品へ当たり散らしており、怒り心頭といった有様を見せていた。

 楽に勝てると思っていた戦争が、気付いてみれば己が居座るマーファ城にまで敵が押し寄せる始末。加えて、人質だったエーディン公女まで失うとは。

 何よりガンドルフが腹立たしく思うのが、ジャムカの言う事をある程度は理解できた事だ。

 

 驕暴な圧制者であるガンドルフ。しかし、その政治的見識は決して低いものではない。

 少なくとも、この状況で野戦に打って出るリスクが分からぬほどの馬鹿ではなかった。

 いや、馬鹿でなければそもそもユングヴィへの侵攻を企てることはなかったのだが、追い詰められたガンドルフはどこかで冷静な判断力を培うことが出来たのだろう。

 

 ガンドルフは散々物に当たり散らすも、やがてぜいぜいと荒い息を吐きながら、籠城の指示を出すべく部屋の外に控える側近の男を呼び付けようとした。

 

「ガ、ガンドルフ王子!」

 

 だが、呼び付ける前に、荒々しく扉を開けながら側近が慌てた様子で入室する。

 ガンドルフはそれをギロリと睨みつけた。

 

「ノックぐらいしやがれ馬鹿野郎!」

「さ、さーせん、つい……」

「ったく……で、なんだ?」

「へ、へい。あの、グランベルの連中が……」

「グランベルの連中がどうしたっていうんだ?」

 

 粗野な側近に辟易しつつ、ガンドルフは続きを促す。

 側近はガンドルフの気圧に押されながらも、おずおずと報告を続けた。

 

「グランベルの連中が引き返していきやす」

「なんだとお!? なんでそれを早く言わねえんだ馬鹿野郎!」

「さーせん!」

 

 側近の尻を蹴飛ばしつつ、ガンドルフは窓際へと駆け、遠眼鏡を取り出すと郊外へ向ける。

 望遠から覗かれた光景には、慌てた様子で撤兵を開始するシグルド軍の姿があった。

 

「ほ、本当だ……グランベルの奴らが撤退していやがる……!」

 

 それまでの整然とした行軍とは打って変わり、まるで弱兵の寄せ集めの如き有様でジェノア方面へと撤退していくシグルド軍。

 それを見たガンドルフは、それまで見せた怒りの表情から、徐々に口角を引き攣らせていった。

 

「ク、クククク……! イチイバルとエーディンを取り戻したからもうここには用はねえってか? 間抜け共め!」

 

 そう言うやいなや、ガンドルフは遠眼鏡を投げ捨てると歪な笑みを浮かべる。

 シグルド軍を撃滅する好機を受け、ガンドルフは尻を押さえ蹲る側近へ向け激声を発した。

 

「おらっ! なにチンタラしてやがる! さっさと連中をぶち殺しに行くぞ!」

「え? でもジャムカ王子は籠城してろって……」

「てめえは誰の手下なんだ馬鹿野郎! 撤退してる連中を追撃するんだよ馬鹿野郎! グズグズしてると逃げられちまうだろうが馬鹿野郎!」

「さーせん!!」

 

 騎兵が多いとはいえ、急な転進にもたついているのかシグルド軍の動きは非常に鈍い。

 歩兵、それも鈍重な兵科であるアクスアーマー、アクスファイター中心のマーファ兵団でも、駆ければその無防備な尻を蹴り上げ壊滅に追い込むことが出来るだろう。

 元々の数の利を、十二分に活かすことが出来るのだ。

 

「おらさっさと行くぞ! この俺様が直々にシグルドをぶっ殺して、エーディンを今度こそ嬲り尽くしてやる!」

「へ、へい!」

 

 エーディンの美しい肢体をロクに味わう事なく逃げられたのもあってか、ガンドルフは劣情まじりの激を飛ばしていた。

 

「エーディン以外の女はお前らにくれてやらあ! 気合入れろよ!」

「さっすが〜! 王子サマは話がわかるッ!」

「気安い口きいてんじゃねえよ馬鹿野郎! 王族だぞ俺は!!」

「さーせん!!!」

 

 欲望を剥き出しにしながら、蛮族共はマーファ城から出陣していった。

 

 

 騎兵中心であるはずのシグルド軍が、妙に騎兵が少ない状態であるのを、欲望に駆られたガンドルフが気付くことはなかった。

 

 

 


 

(まさかここまで簡単に引っかかってくれるなんて……)

 

 数刻後のマーファ城郊外。

 そこかしこに屍を晒すマーファ兵団、そして討ち取られたヴェルダン王国第一王子ガンドルフの死体を見ながら、オイフェはそう呆れるように思考する。

 ヴェルダンの民を蛮族と蔑むつもりはなかったが、それでもこの有様は残念極まりないと、勝ち戦にもかかわらずため息を吐いていた。

 

 ジャムカがガンドルフに言った通り、マーファ城の攻城戦はいくらオイフェの軍才があっても困難。故に、オイフェはある作戦を立案する。

 

 オイフェがシグルドへ進言し、実行に移された作戦。

 それは、籠城の構えを見せるマーファ兵団を、シグルド軍がジェノア方面へ撤退するよう“擬態”して釣り出す事であった。練度の高いシグルド軍ならば、本当に撤兵しているように見せかける事は造作もなく。

 

 同時に、ドズルのいい男ことレックスが率いる斧騎兵を中核とした打撃力の高い別働隊を編成。マーファ領南にある海岸へと移動させる。

 海岸と陸地を阻むようにそびえる崖に身を隠しながら、いい男たちはマーファ兵団に気づかれることなくその後方へ迂回することに成功する。

 

 そして、擬態を止めたシグルド軍本隊と別働隊は誘引されたマーファ兵団を挟撃。前後から、特に後方から激しく攻め立てられたマーファ兵団は瞬く間に総崩れとなり、ガンドルフがシグルドに討ち取られると次々と降伏を始め、兵団としての戦力を完全に喪失する。

 ガンドルフの側近だった男も「さーせん!!!!」と会心の土下座で命乞いをしており、無事シグルド軍の捕虜となっていた。

 

(まあ、上出来という事にしておこう……)

 

 オイフェはマーファ兵団の釣り出しに失敗した時に備え他にもいくつか策を用意していたが、それらが徒労に終わったことでなんとも言えない表情を浮かべていた。

 とはいえ、前回に比べシグルド軍は大した損害を出すこともなく。前回は正面からマーファ兵団とぶつかり、少なくない損害を出しながらマーファ城を攻略していた。

 

 今回は戦死者も少なく、戦傷した者たちも温存していたエスリン麾下トルバドール隊により問題なく戦線に復帰しており、その士気は前回に比べ遥かに旺盛であった。

 

 

「見事……いや、見事すぎる手並みだな。少年軍師殿」

「アイラ王じょ……アイラ様」

 

 これのどこが見事なのかと、オイフェは胡乱げな目つきで話しかけてきた女剣士の姿を見やる。

 難しい表情を浮かべつつ、アイラと呼ばれた美しい黒髪を靡かせた女剣士へ向き合った。

 

「今回の勝利はアイラ様の奮戦のおかげです。むしろ、見事と言いたいのは私の方です」

「いや、私より軍師殿やレックス公子の働きの方が見事だった。いい男だな彼は」

 

 アイラの言葉を受けても、オイフェは驕り高ぶる様子を一切見せず。そして、オイフェがアイラに向けた言葉に嘘偽りはない。

 事実、いい男が率いる打撃部隊に配置されたアイラの戦いぶりは凄まじいの一言に尽きた。剣聖オードの名に恥じぬ剣鬼、いや剣姫の秘剣には、敵はおろか味方ですら慄くばかりだ。

 

 秘剣“流星剣”

 十二聖戦士の一人、剣聖オードが開眼した、五度の斬撃を流星の如く繰り出す究極の奥義。

 イザーク王家に“神剣バルムンク”と共に伝えられている絶技の前では、立ちふさがる敵兵は哀れな躯を晒すのみ。

 

 それを良く知っているオイフェは、今回もアイラの実力を高く評価していた。

 前もそうだが、此度も十分にその剣技に頼らせてもらおうとも。

 

「軍師殿の策が無ければ、私達はここまで大きな勝利は得られなかっただろう。誇るといい」

 

 心の底から感心しているようにそう述べるアイラ。

 褒められてもどこかバツの悪そうにするオイフェに、優しげな視線を送る。

 

「それと、私のことはアイラと呼び捨てて構わない。今の私はイザーク王女アイラ・オードヴィ・イザークではなく、ただの剣士アイラだ」

「そういうわけには……でしたら、アイラ殿って呼ばせてもらいますね。それから、私のことも軍師殿ではなく、オイフェと呼び捨てて構いません」

「そうか……なら、お言葉に甘えるとするよ。オイフェ」

「はい。アイラ殿」

 

 そこまで言って、オイフェは花が咲いたかのような可愛らしい笑顔を浮かべる。

 やっと笑顔を浮かべたオイフェに、アイラはもまた笑顔をひとつ浮かべた。オイフェの笑顔を見ると、アイラの高ぶった戦意が、この可憐な少年に癒やされるかのような。

 そのような心地よい気持ちに浸りつつ、アイラはオイフェの笑顔を見つめている。

 同時に、深い感謝の気持ちも、この少年へと向けていた。

 

 イザークから遥か東に位置するヴェルダンへと落ち延びてきた、イザーク王家であるアイラ。そして、シャナン。

 敵国王家であるアイラとシャナンを、シグルドはグランベル本国に突き出す事はせず、彼女らを自身の庇護下に置いている。

 グランベルとイザークが交戦している現在、政治的に不安定な立場であるアイラは、いつかはイザーク本国へシャナン共々送り返す事を約束するシグルドに感謝し、その恩に報いるべく撃剣を振るっていた。

 シグルド軍の主だった者達もアイラ達に同情を見せており、その身分を全員でグランベルから秘匿、仲間として迎え入れていたのだ。

 

 そして、アイラの感謝の念は、厚情を見せるシグルド達に加え、オイフェにも向けられていた。

 

「オイフェ。私はお前に感謝している。今まで言う機会がなかったから、改めて言わせて欲しい」

「え?」

 

 聞き返すオイフェに向け、アイラは深々と頭を下げた。

 

「シャナンを救い出すのに尽力してくれて、ありがとう」

「それは……」

「オイフェがジェノア城を早期に占領するべしとシグルド殿に進言していたのだろう? そのおかげで、シャナンを無事に救い出す事が出来た。本当にありがとう」

「アイラ殿……」

 

 頭を下げるアイラに、オイフェは困ったような表情を浮かべた。

 オイフェがジェノア城へ別働隊を派遣し、早期占領をするようシグルドへ促したのは、シャナンの早期救出もそうだが、それ以上に別の意図があり。

 

 ヴェルダン第二王子キンボイスが治めるジェノア領は、海運業が盛んな為ヴェルダン中の資本が集まる豊かな土地。

 ジェノアの城下町では、いくつもの廻船問屋による商業取引が日々活発に行われていた。

 だが、その活況も、バトゥ王がサンディマに洗脳され疲弊していくのと比例するかのように冷え込んでいく。

 キンボイスが対グランベルの戦備を整えるべく、過剰なまでの重税を施し始めていたからだ。

 

 そのジェノア領を、シグルドが解放した。

 圧政から解放されたジェノア領の民は、進んでシグルド軍へ協力しており。

 それは、壊滅を免れた廻船問屋の商人らも同様。

 元々グランベル本国からある程度の軍需物資、軍用資金の支援を受けていたシグルド軍であったが、ジェノア領からも資金物資の援助を受け、その軍備を更に拡充させていた。

 

 そして、オイフェが目指す全てを救う計画には、この廻船問屋たちが無傷で残る事が重要であり。

 前回ではシグルド軍の勢いに押され焦燥したキンボイスによる焼き討ち、つまり焦土戦術の煽りをうけ、ジェノア領の海運業はほぼ壊滅状態であったのを思い出したオイフェ。故に、その保護を優先するべくジェノア城の早期占領を訴えていたのだ。

 

「……」

 

 とはいいつつも、前のオイフェにとって戦友……いや、辛い想いを分かち合った同志であり、深い絆で結ばれたシャナンの存在は、当然無視できるものではなく、大切な存在のひとつ。

 その大切なシャナンがジェノア城に囚われている事を知っていたのでさっさと助けました、それからジェノアの海運業を保護するために手早くジェノア城を占領しました、などと言えるはずもなく、オイフェはアイラの感謝の気持ちを素直に受け止めきれずに困ったような表情を浮かべていた。

 

「……お礼は、私ではなくシグルド様へお伝えしてください。シグルド様は、本当にお優しいお方ですから」

「オイフェ……」

 

 自身より主を立てる忠臣少年。

 その遠慮する姿勢に、シグルドはなんて良い臣下に恵まれているのだろうと、同じ王侯貴族でもあるアイラはやや嫉妬の感情をシグルドへ向けていた。

 オイフェのような優秀な家臣に恵まれていれば、イザークはリボー族長の暴走を未然に防ぐことが出来たのにとも。

 

「……」

 

 そして。

 

 オイフェが本当の所、全く別の理由でアイラに遠慮していたことを、当のアイラはかけらも想像することが出来なかった。

 

 

(ごめんなさいアイラ殿。ヴェルダンが片付き、シグルド様がディアドラ様をお迎えした後……貴女の旦那様を、しばらくお借りしますね)

 

 

 オイフェによる悲劇を回避する為の大戦略。

 盗賊少年デューに続く、二人目の要。

 

 剣姫の将来の夫であり、ユグドラル大陸史上最強の双子剣士の父でもあるあの大剣豪。

 かの大剣豪の姿……金髪碧眼の美丈夫の姿を、オイフェは静かに思い出していた。

 

 

 

 




CPは『皆違って皆良い』の精神で推していきましょうね(毎回アーダンに追撃のリングを拾わせながら)


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第08話『自演オイフェ』

  

 シグルド軍、マーファ城を占領す。

 郊外の会戦でヴェルダン王国王子ガンドルフを討ち取ったシグルド軍は、その勢いで城を包囲せしめる。そして、マーファ城守備隊は一切の抵抗を見せず、そのままシグルド軍へ降伏した。

 

 ここまで電撃的な侵攻速度を見せていたシグルド軍。

 しかしマーファを占領した後、シグルド軍はピタリとその動きを止めた。

 今後の進撃において、軍内の意見が真っ二つに割れていたからだ。

 

 キュアン、アイラ、アレク、フィン、ドズルのいい男ことレックスら主力を担う者達は、このまま勢いに乗じ、ヴェルダン本城へ攻め上がるべきと強く訴える。

 エスリン、ノイッシュ、ユングヴィに帰らずシグルド軍へ参加したエーディン、そのエーディンに想いを寄せるアゼルやミデェールは、兵士の疲労を考え侵攻を一時停止するよう訴えていた。

 アーダンはシグルドの決定に従うと中立の姿勢を見せており、必然、シグルドは既に軍師的立場を確立したオイフェへと意見を求める。

 

 そして、オイフェは軍勢をマーファへ駐留するよう進言した。

 理由としては以下である。

 

 曰く、グランベル本国や占領地域からの後方支援は潤沢、兵士達の士気はいまだ軒昂であるも、肝心の兵士達の疲労は貯まる一方なのは確か。故に、一度休ませるべきというエスリン達の意見はもっともである。

 また、マーファ領の治安悪化は深刻であり、治安維持の為しばらくは軍勢を駐留し続ける必要もあり。

 加えて、ヴェルダン本城へと至る道は深い森に覆われており、その道は細く狭い。土地勘も無く疲弊した軍勢で進撃すれば、森に身を潜めた敵兵に不覚を取る恐れもある。地の利は向こうにあるので、ここは一度体勢を整え、準備万端で臨まざるを得ないと。

 

 この説明を受け、アイラ達はやや不本意ながらもオイフェの意見を受け入れていた。

 だが、キュアンだけは、オイフェの説明を受けても尚、ヴェルダン本城早期攻略を訴える。

 とはいえ、シグルド軍の戦闘支援を担うエスリン、エーディンの説得を受け、渋々とではあるが最終的にはオイフェの意見に頷いていた。

 彼女達はその軍務上、兵士達の疲労には人一倍敏感であり、それ故にヴェルダン攻略を一時停止するよう強く訴えていたのだ。

 

 実の所、オイフェ自身も、軍事的にはキュアンの意見がまったくもって正しいと認識していた。

 多少の疲労や損害など無視し、このままヴェルダン軍の体勢が整わない内にヴェルダン本城を制圧すれば、ヴェルダン征伐という戦略目的は達成されるのだ。

 軍勢の休息や占領地の治安維持など、ヴェルダン本城を制圧した後ゆるりと行えば良い。

 

 その理を覆してまでマーファ駐留を進言したオイフェ。

 軍理よりも優先すべき、ある理由があったからだ。

 

 それは、かつて主人が愛した人と、再び出会う事──。

 

 

 

 マーファ城

 城下町

 

「シグルド様、私は少々用を足してきます」

「ああ。わかった」

 

 マーファ城城下町。

 シグルド達が制圧する前は、半ばならず者と化したヴェルダン兵により、街の治安は悪化していた。だが、シグルド軍による治安維持活動により、街は以前の平穏を取り戻している。

 現在、シグルドはオイフェと二人で城下を巡察中であり、その身辺を警護する兵士は連れていない。

 治安回復が予想以上に早く進んだ為、警護兵を伴う必要がなく、シグルドはオイフェと二人きりで城下に繰り出していたのだ。

 

「ふぅ……」

 

 シグルドはちょうど街の中心にある広場に設けられた噴水の縁へと腰をかけると、深い溜息を吐く。

 そして、ここ数日間の激務を思い出し、疲れた表情を浮かべた。

 

 シグルド軍がマーファに駐留してからはや五日。

 この間、シグルドは慣れぬ書類仕事に忙殺されていた。

 シアルフィにいた頃は、政務全般はシアルフィ官僚団、そして父バイロンが主に行っており、シグルドはその補佐を務めていただけで、主体的に政務に関わることはなく。

 初めてともいえる本格的な政務は、ある意味戦よりも疲弊するものだと、シグルドは疲れた表情でそう振り返る。

 そして、その原因ともいえるオイフェの事を思い、再びため息をついた。

 

 既にエバンス領の統治を任されていたシグルドは、占領したジェノア領、マーファ領も兼任する事となり。

 グランベル本国からは役人、それもグランベル宰相レプトール、ヴェルトマー公爵アルヴィスの息がかかった者達が送り込まれていたが、オイフェ並びにシアルフィから呼び寄せた官僚団によって、役人達は統治にろくに関わることが出来ず、名目的な監査に留まるのみであった。

 

 当初、これにより本国役人との間で大きな軋轢を生むと懸念したシグルドであったが、オイフェが“戦時中の占領統治はシグルドが行うべし”と堂々と役人に言い放ち、その抗議を封じていた。

 役人の手を借りずとも占領統治がスムーズに進んでいた事が主な理由ではあったが、それ以上に決め手となったのは、シグルドが王国聖騎士として叙勲された事だ。

 聖騎士として叙勲されたことにより、シグルドの身分はシアルフィ公爵家公子としてではなく、アズムール王の直参家臣として扱われている。故に、シグルドが治める地はアズムール王の直轄領なのだと。

 

 これを年端のゆかぬ少年に理路整然と言い放たれた本国役人達は、驚愕と共に額に青筋を浮かべるも、それ以上抗弁する事が出来ず。せいぜいレプトールやアルヴィスへ告げ口めいた報告を送るのみであった。

 もっとも、一番驚いていたのは、海千山千のグランベル役人と堂々と渡り合ったオイフェを、直で見ていたシグルドであったのだが。

 

 ともかく、これによりシグルドは現在までに占領した各地を統治する事となり、その内政全般を統括する身となる。

 尚余談ではあるが、シアルフィ官僚団は少し見ぬ間に、オイフェが鬼のような内務能力を備えていたのを見て、シグルド同様に驚きを隠せずにいた。

 だが、オイフェによる怒涛の指示により、疑問を覚える暇もなく、政務に忙殺されることとなる。

 

 そして、それはシグルドも同じであったのだが、結局の所スサール卿の孫という事実が、オイフェの軍略、そして政略能力の高さを物語っているのだと、半ば強引に納得することにしていた。

 

 

「ごめんなさい、シグルド様……」

 

 シグルドが疲れた表情を浮かべているのを、物陰から見つめるオイフェ。少々無理をさせてしまった事に罪悪感を感じている。

 しかし、これからオイフェが目指す未来では、この程度の政務は難なくこなしてもらわねば話にならない。

 ややスパルタとなってしまった事は申し訳なく思うも、これも必要な事であると、断腸な思いで主をこき使っていた。

 

 そして、オイフェがシグルドや官僚団以上に酷使している存在が、もう一人。

 

「あ、いたいたオイフェ」

「デュー殿。首尾はどうですか?」

「ばっちぐーだよ。ていうかオイフェはおいらをこき使いすぎだよ」

「ごめんなさい。でも……」

「わかってるって。おいらの力が必要なんでしょ? しょうがないなあオイフェは」

「はい……ありがとうございます、デュー殿」

 

 シグルドに気付かれぬよう声を落としてオイフェと話すのは、盗賊少年デューだ。

 やや疲労を滲ませているものの、その声はどこか弾んでいた。

 

 現在、デューの立場はオイフェの直属となり、その補佐を務める形となっている。

 そして、オイフェはデューにあらゆる諜報任務を任せ、その能力をフル活用していた。

 この五日間、デューは主にマーファ周辺にて活動している。

 周辺の敵情偵察が主な任務であったが、オイフェは同時に“ある人物”を捜索するよう依頼していた。

 そして、デューはその人物を探し出すことに成功する。

 

「それにしても綺麗な人だったねぇ……」

 

 デューが探していた人物。

 それは、シグルドと結ばれる運命を持つ、グランベル王子クルトの落胤……そして、呪われた血を持つ精霊の森の乙女、ディアドラ。

 マーファまでの進撃が早すぎたのか、エーディンからディアドラの存在は語られることはなく。

 前は長期の監禁生活を憐れんだジャムカ王子により、エーディンは監視付きとはいえ、マーファの城下を自由に歩く事が許されていた。

 そこで、エーディンはディアドラと出会い、シグルドの存在を伝えている。

 

 今回はエーディンが城下へ行く事はなく、マーファはシグルド軍によって早期制圧が成されている。

 時期的にディアドラが精霊の森の隠れ里から抜け出し、マーファ城下へ来ているのは分かっていたオイフェであったのだが、詳しい所在は判明していない。

 故に、彼女の居所を探し出すべく、デューに捜索を依頼していたのだ。

 

「で、段取りはどうでしょう?」

「流石にその辺のごろつきを使うのはまずいから、おいらがマーファで手下にした連中にやらせるよ。おいらの言うことをよく聞く奴らだし、口は固い連中だから安心して」

「そうですか……本当、デュー殿には頭が下がります」

「ふふん。そうそう、そうやってもっとおいらを頼るといいよ」

 

 ふんす、と鼻をならしつつ、得意げな表情を浮かべるデュー。

 こき使われているにもかかわらず、デューはオイフェの言うことを実によく聞いていた。

 平民、それも盗賊の身でしかなかったデュー。日々の糧を得る為、他人の財産を盗む事に費やしていた毎日。

 せめて義賊めいた真似事をしたく、盗みはもっぱら悪徳商人や悪辣貴族限定で行っていたのだが、それでも卑賤な身分であるのは変わらない。

 

 それが、真っ当な貴族であるオイフェに頼りにされている。

 自身と同年代とはいえ、誠実な態度で接してくれるこの少年軍師に、デューもまた真摯に応えていた。

 素性の知れぬ盗賊でしかなかった自分を、唯一無二の存在であるように扱ってくれる。必要としてくれている。

 それが、デューがオイフェに従う理由だ。

 

「ていうか、なんであの人を探してたの?」

「それは……」

「ああ、言いたくなければ別に言わなくていいよ。でも、いつかは教えてくれるんでしょ?」

「はい、もちろん」

 

 やや歯切れの悪いオイフェに、デューはひらひらと手を振りながら笑顔をひとつ浮かべる。

 オイフェが何か大きな事を成し遂げようとするのを、本能で察していたデュー。

 その大仕事の一端を担える事が、たまらなく楽しい。

 理由は、後で聞ければそれでいいのだ。

 多少の無茶振りは構わない。どんどんこき使ってくれ。

 

 このデューの姿勢に、オイフェは心の底から感謝をしていた。

 頼もしすぎるその存在に、深い感謝を。そして、その時が来たら、全てを打ち明けようとも。

 二人の少年は、ある意味では運命共同体となっていたのだ。

 

 

「あ、そろそろ来るかな」

「……!」

 

 そして。

 オイフェにとって、ヴェルダンでの最大の目的が達成される瞬間が訪れようとしていた。

 

「ディアドラ様……!」

 

 オイフェの視線の先に、波打つ銀髪と儚げな雰囲気を持つ、美しい乙女の姿があった。

 ディアドラ。運命に翻弄された、悲劇の乙女。

 そして、オイフェが守り通す事を誓った、大切な人の、大切な存在。

 

「ディアドラっていうんだね、あの人」

「……なぜ、私がディアドラ様を知っているのか、聞かないんですか?」

「それ今更言う? 言ったでしょ。いつか教えてくれれば、それでいいって」

「……ありがとう、ございます」

 

 涙まじりのオイフェを見て、何かを察したかのように気遣うデュー。

 デューの配慮に、オイフェはただただ感謝するだけだ。

 

「それより、そろそろ始まるよ」

「はい……ですが、大丈夫なんでしょうか? その、デュー殿を疑うつもりはないのですが……」

「心配しなさんなって。まあ見ときなよ」

 

 もの珍しそうに辺りを見回しながら、シグルドがいる噴水へと近づくディアドラ。

 これから始まる“茶番劇”を画策していたオイフェは、涙を拭いつつディアドラの姿をまっすぐに見つめ直していた。

 すると、どこからか現れた複数の少年たちが、ディアドラの前に立ちふさがる。

 

「よーよーネエちゃん。おれたちとお茶しな~い?」

「ねーちゃんキレイだねえ。おれたちと一緒に遊ぼうよ」

 

 やや気の抜けた空気が辺りを漂う。

 見れば、デューと同じ年頃の少年たちが、ディアドラの周りを囲んでいた。

 

「マーファは初めてかい? おれたちがじっくりエスコートしてあげるぜ」

「へへへ。いい所連れてってやるよー」

 

 ガラの悪い少年たちに囲まれたディアドラ。しかし、少年たちは傍から見ても明らかに“悪ぶっている”ような、なんともいえない不自然さを醸し出している。

 ディアドラは一瞬驚いた表情を見せるも、直ぐに微笑ましいものを見るかのように目を細めた。

 

「ふふ……。じゃあ、せっかくだから案内してもらおうかしら」

 

 そう優しげに応えるディアドラ。

 当の少年たちはそれを受け、やや挙動不審に陥る。

 

「え、マジで」

「ちょ、どうすんだよこれ……」

「予定と違う……」

 

 肩を寄せ合い、ひそひそとそう相談する少年たち。彼らがデューより指示を受けていた内容は、嫌がるディアドラを無理やり連れ出そうと騒ぎを起こす事にあった。

 だが、早くも想定外の事態が発生したことで動揺を隠せずにいる。

 ディアドラは変わらず優しげな視線でそれを見ていた。

 

「デュー殿……」

「あ、あれ、おかしいな。こんなはずじゃ……」

 

 そして、物陰から見守っていたオイフェ達も困惑を露わにしていた。

 じっとりとした目で咎めるようにデューへ視線を向けるオイフェ。

 デューは額に汗を浮かべつつ、ごまかすようにオイフェから目を背けていた。

 

 オイフェが画策していた茶番。それは、かつてシグルドがディアドラと“出会った時”を再現する事。

 運命の出会いを再現し、再びシグルドとディアドラが恋に落ちるのを促す。

 シグルドがごろつきに絡まれているディアドラを助けたのが、その恋の始まりでもあったのだ。

 

 それを再現するべくデューに諸々の段取りを任せたオイフェ。

 だが、いくら本物のごろつきを使うのは躊躇われるとはいえ、まさか年端のゆかぬ少年、しかもここまでの大根役者を揃えるとは。

 オイフェは頼りになる少年の姿が途端にどうしようもない間抜けな少年に見え、段取りを丸投げした自身の愚かさを恨んでいた。

 

「と、とにかくこっちこいよ!」

「言うこと聞かないとひどいめにあわすぞ!」

「おとなしくしろい!」

 

 少年たちはディアドラの手をやや強引に引っ張りどこかへ連れて行こうとする。

 

「ああ、引っ張らないで。どこにもいかないから、ね?」

 

 そのような少年たちに、ディアドラは困ったような表情を浮かべつつ、あくまで優しげに応える。

 危機感などこれっぽっちもない、どこか牧歌的で、ほのぼのとした光景。

 

 ぐだぐだである。

 そう思ってしまったオイフェはどうしてこうなったと頭を抱えており。

 デューは何もかもから視線を背け、どこか遠い所を見つめていた。

 前からの経験も含め、その軍略、政略の手腕はユグドラル大陸有数のものとなっていたオイフェ。

 しかし、色恋に関しての手練は未だ未熟なものであった。

 

「あー……その、君たち。そちらの女性が困っているじゃないか。離してあげなさい」

 

 頭を抱えていたオイフェ。

 だが、自身が愛する主君は、オイフェの破綻しかけた計画を修正するかのように颯爽と……いや、おずおずとではあるが、ディアドラ達の前へと登場していた。

 

「ッ!? や、やっと来てくれた……じゃなかった、なんだおまえ!」

「わぁ、この人が聖騎士さま……じゃなくて、え、えーっと、げっ! あんたはもしや!?」

「グランベルの聖騎士!? ……か、かっこいい」

 

 芝居がかった様子で、そうわざとらしくシグルドへ驚く少年たち。

 もう既にボロが出まくっている状況に、オイフェはハラハラしながらそれを見つめる。

 

「そうだよ。分かっているなら、その人を離してあげなさい。それから、女性を無理やり連れて行くのは男として恥ずべき行為だ。もうしないように」

「あっはい」

「ごめんなさい、聖騎士さま」

「もうしません」

 

 思わず素で謝る少年たちに、シグルドはふっと笑みを浮かべる。

 

「謝るなら私ではなくて、その人に謝るんだ。いいね?」

「アッハイ」

「ごめんなさい、おねえちゃん」

「もうしません」

 

 シグルドのやんわりとした説教を受け、既にならず者を装った演技が消え失せた少年たちはディアドラへぺこりと頭を下げていた。

 

「お姉さんごめんねー!」

「また遊ぼうねー!」

「さようならー! さようならー!」

 

 そして、そのままそそくさと逃げるようにその場から立ち去る少年たちを、シグルドとディアドラは相好を崩しながら見つめていた。

 微笑みを浮かべるディアドラを、シグルドは気遣うように声をかける。

 

「その、大丈夫かい? 怪我は……あるわけないか……」

「はい、大丈夫です……ちょっと、楽しかったですし……」

 

 そう言ったシグルド。そう応えるディアドラ。

 そして、二人は初めてお互いの瞳を覗き込んだ。

 

「あ……」

「え……」

 

 目と目が合う。

 その瞬間、二人は生まれて初めて、心の奥底に蓋をしていた感情が溢れ出るような想いに囚われる。

 恋という、切ない感情だ。

 

「あの……その、君の名前は……?」

 

 顔を紅潮させたシグルドは、素朴な田舎青年のようにたどたどしくディアドラの名を尋ねる。

 同じく顔に朱を差したディアドラも、純真無垢な少女のように口ごもりながら応えていた。

 

「……ディアドラ、です」

「ディアドラ……美しい名だ……」

「そんな……シグルド様も……」

「……? どうして、私の名を?」

「街の人達が噂をしていました。新しくマーファに来た聖騎士様のお名前を。想像していた通りのお方なのですね……」

 

 陶然とした様子でシグルドの顔を見つ続けるディアドラ。

 シグルドもまた、見惚れるようにディアドラの顔を見つめ続ける。

 まるで、二人の周りだけ時が止まったかのような。

 二人だけの、神聖な時間。

 

「あの、私は所用に出た家臣を待っているんだ。待っている間だけだが、よかったら、少しだけ話を……」

「私も、もう少ししたら里に帰らなければなりません。でも、少しだけなら……」

 

 ディアドラは慎ましやかに自身の左手を差し出す。

 その手を、シグルドはゆっくりと、丁寧に包んだ。

 

「……」

「……」

 

 見つめ合いながら、手をつなぎ合い噴水へと歩く男女二人。

 それを見つめる少年二人。

 

「いいなぁ、あの二人……」

「……ぐす」

 

 うっとりとしつつ、羨ましそうに見るデューとは違い、オイフェは嗚咽を噛み殺しながらそれを見つめていた。

 

 なんて美しい二人なんだろう。

 なんて美しい光景なんだろう。

 生きて、再びこの光景を見れるなんて。

 なんて、至福なんだろう。

 

 溢れ出す想いが、オイフェの心をかき乱す。

 だが、それは存外に心地良いものだと、オイフェは思っていた。

 

「オイフェ。それ、笑ってんの? それとも泣いてんの?」

「両方です……」

 

 笑いながら涙をとめどなく流すオイフェに、デューは当惑しつつ、苦笑いを浮かべている。

 オイフェは、時間の許す限りシグルドとディアドラを見つめていた。

 今度こそ、二人を守り通すと誓いながら──。

 

 

 

 



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第09話『勇者オイフェ』

   

 ヴェルダン王国

 ヴェルダン城

 謁見の間

 

「親父。もう潮時だ。これだけ言ってもまだわからないのか」

「……」

 

 ヴェルダン城の謁見の間にて、ヴェルダン王国国王バトゥに詰め寄るジャムカ王子。

 既に形勢はヴェルダン軍にとって不利どころか敗北に傾きつつあり、ジャムカはバトゥ王へと休戦……いや、グランベルへ降伏するよう進言していた。

 

「兄貴達は死んだ。物見の情報じゃマーファに駐留していたシグルド軍がこの城に向かってきているそうだ。落とされるのも時間の問題だ」

「しかし(のう)……」

「シグルド軍は僅かニ週間でマーファまで獲っちまったんだぞ。豪族連中もやる気を無くしてるし、もう俺達に残された兵力は少ない。このままじゃ滅亡するだけだ」

「……」

 

 歯切れの悪いバトゥ王。彼も、この状況に至るのをどこか察していた節があるのか、うつむきながらジャムカの言を聞いていた。

 謁見の間にはヴェルダン本領、そしてマーファやジェノアから逃れてきた主要豪族達もいるが、皆この戦況を覆せるとは思い至らなかったのか、その表情を暗くしていた。

 主戦派であった豪族ですら口を閉ざしていることが、彼らがシグルド軍に対し抱いていた認識が誤っていたことを暗に物語っていた。

 

「シグルド公子は悪い人間ではない。現にマーファで降伏した兵士達も悪い扱いをされていない。このまま戦って滅ぶより、降伏してヴェルダン存続の可能性を少しでも探るんだ」

「しかし、グランベルが我が国を滅ぼすというから儂はガンドルフに出撃を許したのだ。元々、我が国から戦を仕掛けるつもりは……」

「それはサンディマとかいう魔法使いの話だろ。親父も兄貴達も奴に騙されすぎだ」

 

 サンディマ、という名前が出てきたことで、バトゥ王は苦々しげに表情を歪める。

 サンディマの進言。いや、巧言に踊らされた老いた君主は、全面降伏か、それとも徹底抗戦をするかで揺れに揺れていた。

 

 

「ジャムカ王子。それは少々言葉が過ぎるのではありませんかな」

 

 

 ふと、謁見の間に悍ましいまでの暗黒の気が漂う。

 いつの間に、いや始めからそこにいたかのように、魔術師サンディマが佇んでいた。

 

「サンディマ。この戦争の責任の一端は貴様にもある。どう落とし前をつけるつもりだ」

「これはひどい言い様ですね。私はただグランベルの脅威を説いていただけなのですが」

「ふざけるな! 貴様の戯言でどれだけの人間が犠牲になったと思っている!」

 

 激高するジャムカに対し、サンディマは不敵な表情を崩さない。

 この状況下でもある種の余裕を持つその態度に、バトゥ王以下豪族達も戸惑いの表情を向けていた。

 

「戦争には犠牲はつきもの……それに、ヴェルダンの勝ち目が無くなったわけではありませぬ」

「何を言っている! もうヴェルダン本領以外はグランベルに占領されているんだぞ!」

「ジャムカ王子。王子にはもう少し視野を広くして頂きたいのですがねぇ」

「なにっ!?」

 

 激高し続けるジャムカに構わず、サンディマは挑発するように雄弁と口を動かす。

 

「反グランベルを掲げているのはヴェルダンだけでは無い、ということです。今頃アグストリア……ハイライン王国の軍勢が、エバンス領へ侵攻を開始している事でしょう」

「なんだと!?」

 

 このサンディマの言葉に、謁見の間はざわめく。

 思いも寄らないハイラインによる増援の報。それまで降伏に傾いていた豪族達に、にわかに継戦の気運が高まっていった。

 

「アグスティのイムカ王がそのような事を許すはずがない! 戯言も良い加減にしろ!」

「ええ、確かにイムカ王はまだ反グランベルの姿勢を見せていません。ですが、アグストリア諸侯はそう思ってはいないようですなぁ」

「馬鹿な……!」

 

 サンディマの言葉を信じられぬのか、ジャムカは射抜くような視線で怪しげな魔術師を睨んでいる。

 すると、サンディアの言葉を証明するかのように、バトゥ王が口を開いた。

 

「ジャムカ。サンディマの言う通りじゃ。既にハイラインのボルドー王から密書が届いておる。エバンス領の奪還を手伝うとな」

「親父! なんでそんな大事な事を黙っていたんだ!」

「それは……」

 

 バトゥ王はちらりとサンディマへと視線を向ける。

 この情報を開示しないよう言い含められていたのか、所在なさげな表情を浮かべていた。

 

「ともあれ、ハイライン軍にエバンスを脅かされたシグルド軍はマーファから引き返して行くでしょう。それを追撃するもよし、シグルド軍が引き上げた後に奪われた領地を取り戻すもよし……少なくとも、全面降伏をする局面ではありませんな」

「サンディマ、貴様……!」

「ジャムカ王子。貴方は残った豪族を率いてマーファ奪還に向け出陣するお役目があるはず。これ以上の問答は無用と思いますがね」

「くっ……!」

 

 勝ち誇ったようにそう言い放つサンディマ。

 ジャムカは悔しそうに表情を歪めるのみ。

 しばしその場で拳を固く握りしめていたジャムカであったが、やがて言われた通り軍勢を率いるべく謁見の間を後にしようとした。

 

 だが。

 

「ご、ご注進!」

 

 一人のヴェルダン兵が、息を切らせて謁見の場に現れる。

 危急の報告を携えていたのか、その表情もまた焦燥していた。

 兵士はバトゥ王に直接報告しようと息を整える。

 

「良い、このまま報告しろ」

「は、はい!」

 

 ジャムカにそう言われた兵士は、一瞬バトゥ王へと視線を向ける。

 バトゥ王が僅かに頷くのを見ると、兵士はその場にて報告を開始した。

 

「エバンスへ進軍したハイライン王国の軍勢がノディオン王国のクロスナイツに敗れました! ハイライン軍を率いたエリオット王子はエルトシャン王により()()()()()()とのことです!」

「なっ……!」

 

 再びざわめく謁見の場。

 そして、明らかに狼狽を見せるサンディマの姿。

 サンディマが立てた勝ち筋が早くも崩壊したことで、豪族達は手のひらを返したかのように弱気の姿勢を見せていた。

 

「親父」

 

 ただ一言、バトゥ王へそう言ったジャムカ。

 ジャムカの言葉を受け、バトゥ王は深い息をひとつ吐く。

 日々のサンディマの洗脳を受けてきたバトゥ王。しかし、この国家存亡の危機を受け、その洗脳が解かれつつあった。

 バトゥ王はしばし黙した後、やがて重たい口を開く。

 

「……ここに至っては是非もない。降伏しよう」

「親父! 分かってくれたか!」

「ジャムカ、儂は間違っておった。愚かな父を許せ……。皆もそれでよいな?」

 

 バトゥ王の言を受け、豪族達も断腸の思いで頷く。

 幾人かは戦後の賠償問題まで頭を働かせており、その表情を更に暗くさせていた。

 

「ジャムカ。お主が使者となり、シグルド公子の元へ降伏を伝えるのだ」

「わかった。親父は……」

「儂は全ての責任を取るつもりだ」

「親父……」

 

 バトゥ王の憑き物が落ちたような表情を見て、ジャムカは悲しげに表情を歪める。

 王は、たった一人残された王位継承者に、最後の命を下していた。

 

「ジャムカ。お主がいれば、ヴェルダンは滅びぬ。辛い役目を押し付ける事になってしまったが……」

「……」

「もう行け。ヴェルダンを頼むぞ」

「わかった……親父……」

 

 苦しげに表情を歪めるジャムカであったが、やがてバトゥ王に促され謁見の場を後にする。

 その後を、豪族達もまた沈鬱した表情で追従していった。

 

 謁見の場に残されたのは、瞑目し玉座に深く腰をかけるバトゥ王、苦い表情を浮かべるサンディマ、そして数名の近衛兵のみであった。

 

「バトゥ王……はやまった事をしましたな……」

 

 サンディマは恨み言を呟くように口を開く。

 それを、バトゥ王は冷然とした表情で応えた。

 

「サンディマ。グランベルのアズムール王には儂の首……そしてお主の首で詫びを入れるつもりじゃ」

「なに?」

「お主の言うことを聞いてしまった儂が愚かであった。だが、お主……いや、お主達の陰謀は、流石にこのまま見過ごすわけには行かぬ」

「……」

「儂がただの操り人形とでも思うたか? お主の背後にいる存在など、とっくにお見通しよ。グランベルの戦争に勝った後、儂はお主らを纏めて捕縛し、処刑するつもりじゃった」

「……」

「だが、それも今となっては叶わぬ。せめて、陰謀の尖兵であるお主だけは、この儂共々……」

「ク……ク、クククク……!」

 

 バトゥ王がそれとなく指示し、近衛兵がサンディマを囲む。

 だが、サンディマは不気味な笑いを浮かべると、懐から一冊の魔導書を取り出した。

 

「老いぼれめ! この程度でこの私を倒せるとでも思ったか!」

「ッ!?」

 

 瞬間。

 謁見の場は、殺意の籠もった暗黒の気に満ちる。

 

Jötmungandr(ヨツムンガンド)

 

 サンディマにより発動された暗黒魔導。

 黒衣のオーラが近衛兵達を包む。兵達は、自身の“死”を認識する間もなく、その生命活動を停止させた。

 

「ぬぅ!? 暗黒教団め!」

 

 バトゥ王は老体に鞭を打ち、自身の愛斧を振りかぶりサンディマへと襲いかかる。

 だが、サンディマはそれを避けようともせず、不気味な笑みを浮かべながら魔導を発動させた。

 

「死ね」

「ガッ……!!」

 

 黒い波動がバトゥ王を包む。

 最期に一矢報いようとした老いた国王。だが、暗黒魔導をその身に受け、即死した。

 

「老いぼれめ。最後の最後で邪魔をしおって……」

 

 バトゥ王の死骸を憎々しげに睨むサンディマ。

 すると、音もなく配下の暗黒司祭が現れる。

 

「サンディマ様」

「人よけの結界は張っているのであろうな?」

「はっ。ですが、よろしいのでしょうか……?」

「構わん。せめてこの老いぼれが継戦の意思を見せていればまだやりようがあったが……結界の効果が切れる前に、城に火を放つのだ。もはやここには用は無い」

「はっ」

 

 サンディマは配下に指示を下すと、更に憎々しげに表情を歪ませた。

 

「シギュンの娘はまだ見つかっておらぬし……くそ、大司教様に何と申し開きをすればよいのだ……」

 

 そう言い残し、暗黒司祭共はヴェルダン城から姿を消す。

 ほどなくして、城は大火に包まれるのであった。

 

 

 


 

 ヴェルダン王国

 精霊の森

 

「そうですか。エルトシャン王がやってくれましたか」

 

 “ハイライン軍、ノディオン王国のクロスナイツに敗れる”との報をジャムカらヴェルダン首脳が受けていた時。

 同様の報告を、オイフェはマーファ城とヴェルダン城の間にある精霊の森にて受けていた。

 既にヴェルダン本城攻略へ進発していたシグルド軍は、予想に反して全く敵の迎撃を受けず、森の中腹まで至っている。

 このまま何の妨害も無く進めれば、ヴェルダン本城まであと二日の距離まで迫っていた。

 

(よし。これで時間が稼げるな……)

 

 エルトシャン王がエリオット王子を討ち取ったという報告に、オイフェは僅かに口角を上げる。

 前もクロスナイツがハイライン軍を撃滅していたものの、エリオット王子はほうぼうの体で逃げ出すことに成功している。

 

(ひとまずの賭けには勝った。あとは、それを活かすだけだ)

 

 しかし、此度はオイフェの策略により、ハイライン王国王子エリオットはエバンス郊外にてその命を散らしている。

 オイフェはシグルド、そしてキュアンと共に、エバンス城攻略後、ノディオン王国へと向かった事を思い出していた。

 

 

 エバンス占領後、オイフェはシグルドへ“此度の紛争の事情説明”をエルトシャンに行うよう進言している。

 隣国で発生した紛争の詳細を伝えるのはもっとも。シグルド本人が伝えるのならよりこちらの大義名分、そして誠意が示せる。

 ついでとばかりにキュアンの同行も勧め、エバンスを出立したオイフェ達は、既にエバンスへと向かっていたエルトシャンと道中で邂逅していた。

 

 士官学校の同期であったシグルド、キュアンの事情説明を受け、エルトシャンは以前に増して快くエバンス領の後背を守る事を約束する。元々エバンス領占領の訳を問い質す為にやって来たエルトシャンであったが、わざわざ向こうから事情説明にやって来た、それも旧友二人が同時にやって来たことで、そのわだかまりは以前に増して綺麗に消え去っていた。

 更に、“敵性勢力”の効果的な迎撃を行うべく、キュアンとエルトシャンはあれやこれやと戦場での布陣について意見を交わす。

 

 想定される敵勢力が明らかにハイライン軍を意識していた内容だったのは、事情説明に至る道中、オイフェがキュアンと“エバンス領の防衛”について軍談を交わしていたから。

 キュアンは少々具体的すぎる内容に首をかしげつつも、エルトシャンからハイライン軍の動向が怪しいとの言葉を受け、オイフェとの軍談内容を叩き台にし、エルトシャンへ助言を行っていたのだ。

 

 ともあれ、キュアンの助言を受けたエルトシャンはクロスナイツをノディオン城に待機させるのではなく、半数をノディオンとエバンスの国境へ隠すように配置させる。

 そして、のこのことやって来たハイライン軍を伏兵により挟撃、エリオット王子は魔剣ミストルティンの錆となっていた。

 

 オイフェはエリオット王子を討ち漏らす事も想定していたが、予想以上に良い結果が生まれたことで安堵のため息を吐いていた。

 これで、ハイラインのボルドー王は、息子を討ち取ったエルトシャンへ前回以上に増悪を抱くだろう。敵愾心をむき出しにする隣国を前に、エルトシャンが迂闊に城を開ける事はなくなるはず。もっとも、その事について釘を刺すのも忘れないが。

 

(イムカ王はシャガールに命の弦を握られている……暗殺を防ぐのは難しいだろう……)

 

 だからこその此度の仕掛け。

 前は賢王とまで謳われたイムカ王が実子シャガールにより暗殺されたことで、アグストリアの動乱が始まっている。

 既に後手に回っている状態のオイフェでは、この暗殺を防ぐことは難しい。警告を送ろうにも、シャガールを裏で操っているマンフロイに嗅ぎつけられる恐れがある。

 まだ、正面から暗黒教団と事を構える時期ではない。

 

(エルトシャン王がノディオンに留まってくれれば、動乱の初動はこちらの有利に運ぶ……少なくとも、シグルド様がいきなり矢面に立つ事はない。できればそのままエルトシャン王を味方に付けたいが……)

 

 オイフェの大計略では、クロスナイツ……エルトシャンを敵に回すのは絶対に避けなければならず。

 その為、あらゆる布石を打ち、エルトシャンをこちら側へ引き込む算段であった。

 

 いや、現時点ではまだエルトシャンを味方に出来ないとオイフェも認識している。シグルドがバーハラ王家に対し絶大な忠誠を誓っているように、エルトシャンもまたアグスティ王家に至上の忠義を捧げているのだ。

 だが、味方に出来ぬまでも、最悪敵に回らなければそれで良い。

 アグストリア動乱での終局、シグルド軍がエルトシャン率いるクロスナイツと血で血を洗う血戦を繰り広げたのを記憶していたオイフェ。

 此度はその戦力を絶対に相手にしないよう、その怜悧な知略を働かせ、あどけない表情を引き締めていた。

 

 

「ところでオイフェ。こんなところに一体何の用があるんだ?」

「レックス公子。それは……」

 

 兵士から報告を受け策謀を巡らしていたオイフェに、ドズル公爵家公子レックスことドズルのいい男が声をかける。

 現在、オイフェは森の中腹で休止しているシグルド軍本隊から離れ、レックスと僅かな供回りを連れ精霊の森の奥深くまで入っていた。

 

「ヴェルダン本城への迂回路がないかと思いまして。ついでに、エバンスとマーファをつなぐ湖の水運開発を考えていますので、それの現地調査です」

 

 そうよどみなく応えるオイフェ。しかし、その腹積もりは全く別のところにあり。

 ちなみに、オイフェとレックスが軍勢を離れるのを、シグルドはどこか上の空で了承していた。

 マーファから出立したシグルドは、当初は緊張を適度に持っていたが、やがて精霊の森を進むに連れぼんやりと彼方を見つめる事が多くなっていた。

 明らかに“恋煩い”のそれである。

 ヴェルダン征伐の総仕上げを前に気合が足りていないシグルドに、キュアンやエスリンが叱咤するのを、オイフェはやや“茶番”が効きすぎたと冷や汗を浮かべながら間に立っていた。

 

 オイフェの説明を受け、レックスは如才ないオイフェの行動に感心しつつも更に疑問を重ねる。

 

「じゃあ、なぜ俺となんだ? こういうのは文官連中と一緒の方が良いんじゃ」

「敵の迎撃が無いとはいえ、この辺りはまだ敵の勢力圏です。レックス公子のような勇者と一緒なら、安心して調査できると思いまして」

「うれしいこと言ってくれるじゃないの。それじゃあ、とことん護衛してやるからな」

「はい。よろしくお願いしますね」

 

 可愛らしい笑顔を浮かべながらそう言うオイフェに、レックスは男前な笑顔を浮かべていた。

 

 

「湖畔だな」

「湖畔ですね」

「……俺は素人だから詳しいことは分からないが、ここを船着き場にするのはちょっと難しいと思うぞ」

「……ですね」

 

 やがて湖畔へ辿り着いたオイフェとレックス。

 同行した兵士達を少し離れた場所に待機させた二人は、目の前に広がる美しい湖の光景に見惚れつつ、その湖畔が船着き場に適さぬ地形であるのを見抜いていた。

 とはいえ、元々湖の水運開発は必須だと思っていたオイフェであったが、この場所へ来た本来の目的は水運開発の下見ではない。

 

「仕方ありませんね。戻るとしましょう」

「ああ。了解した」

「ところで、あの、レックス公子。ひとつお願いがあるのですが」

「ん、なんだ?」

 

 シグルドが待つ本隊へ戻ろうと踵を返すオイフェとレックス。

 だが、オイフェはレックスが佩いている重厚な鉄の斧へと目を向ける。

 

「レックス公子の斧を少し貸して頂けませんか?」

 

 唐突なこの申し出にレックスはやや首をかしげるも、オイフェがここに至るまでにチラチラと自身の斧へ視線を向けていたのを思い出したのか、妙にそわそわとしているオイフェへいい男前な笑顔を浮かべた。

 

「重いから気をつけるんだぞ」

「はい、ありがとうございます……お、重いですね」

「はは、可愛い奴だ。顔を赤くさせちまって」

 

 重量のある斧を持ったからか、やや顔を赤く染めるオイフェ。

 それを見たレックスは、斧に興味を持ちつつも、シグルド達の前では恥ずかしさが勝り言い出せなかったであろうオイフェのいじらしさに目を細めていた。

 

 だが、レックスはオイフェが斧の重量を支えきれず、フラフラと湖畔の先へと近づくのを見て慌てて声を上げた。

 

「おい、オイフェ。気をつけろよ。そのまま湖に落っことさないように──」

「あ」

「ちょっ!?」

 

 レックスが心配した矢先に斧を湖へ落とすオイフェ。

 ややわざとらしさもあるオイフェのこのやらかしに、レックスは抗議しつつ沈み行く斧へと駆け寄った。

 

「お前人の物を!? ああ!? 俺の斧が!?」

 

 だが、レックスの抗議空しく、斧はみるみる湖へと沈んでいった。

 

「オイフェ! お前なんてことを──!」

「静かに、レックス公子」

「え?」

 

 尚も抗議を上げようとするレックスを、冷静に湖面を見つめながら遮るオイフェ。

 見ると、湖面は僅かに発光しており、辺りは濃い霧に包まれ始めた。

 

「な、何が……お、女!?」

 

 そして、湖面より薄い光と共に現れる一人の美しい女性……否、精霊。

 神秘的な雰囲気を放つ精霊は、綺羅の如く輝く二振りの斧を携えていた。

 

「貴方が落としたのはこの金の斧ですか? それともこの銀の斧ですか?」

 

 幻想的な光景に飲まれるレックス。

 傍らにいるオイフェは、どこかで見たような風貌の精霊を訝しむように見つめていた。

 しばらく沈黙が漂うも、レックスはおずおずと口を開く。

 

「い、いや、俺が落とした……落とされたのは、そんな立派な斧じゃない。普通の鉄の斧だ」

「貴方はとてもいいおとk……正直な方ですね。ご褒美にこの勇者の斧を授けましょう……」

 

 精霊はそう言うと、どこから取り出したのか光り輝く一振りの斧をレックスへ授けた。

 落とした鉄の斧より遥かに秀抜である“勇者の斧”を受け取ったレックスは、突然発生したこの事態に戸惑うばかりである。

 

「では斧戦士ネールの血を引く者よ……貴方の武運を祈っています……」

 

 そして、精霊は現れた時と同様に薄い光を発し、消え失せようとする。

 だが。

 

「待ってください!」

 

 それまで沈黙を保っていたオイフェが、その可憐な声を上げる。

 

「あら、貴方は……」

 

 引き留められた精霊は、そう言った後じっと見据えるようにオイフェの紅顔を見つめる。

 オイフェもまた、精霊の目を真っ直ぐ見つめていた。

 再び沈黙が漂う湖畔。

 物言わぬ少年軍師の思いを読み取った精霊は、やがて力なく首を振りながら言葉を発した。

 

「ごめんなさい。私では貴方の知りたいことは分かりません」

「……そう、ですか」

 

 残念そうにうつむくオイフェ。

 オイフェは、この超常ともいえる精霊の存在を知っていた。

 以前、レックスが勇者の斧を取得した時の逸話。シグルド軍では眉唾ものとして誰も信じようとしなかったのだが、オイフェは自身の“時”が巻き戻ったという超常現象を身を以て体験している。

 それ故、その原因を知りたく、こうしてレックスと共に精霊が現れる湖畔へとやって来たのだ。

 

 誰が、何の為に己の時を巻き戻したのか。

 そして、その現象を、一体どのような理で成し遂げたのか。

 それらを知りたく精霊へ心で問いかけるオイフェ。

 だが、残念ながら精霊はその答えを持っていなかったようだ。

 

「ですが」

 

 しかし、精霊は言葉を続ける。

 

「貴方からは大きな力のうねりが感じられます。それが、貴方にとって良い事なのか、それとも悪い事なのかは、私には分かりません」

「……」

「どうか、一つ一つの判断を間違えないように。聖戦の系譜を紡ぐ者よ……貴方の幸福を祈っています……」

 

 そこまで言った後、精霊は今度こそ薄光と共に姿を消す。

 霧が晴れた湖畔には、オイフェとレックスの姿しかなく、常の状態へと戻っていた。

 

「オイフェ……ありゃ、一体何だったんだ?」

 

 レックスがやや呆けたようにそう呟く。

 オイフェは、冷静に言葉を返してた。

 

「私にも詳しくは分かりません。ただ、この国には精霊にまつわる伝承がいくつも残っています。多分、その内のひとつでしょう」

「精霊……本当にいるんだな……」

 

 オイフェの言葉を受け、レックスは尚も湖面へと目を向けている。

 そして、己の手にある勇者の斧の重量が、それが現実であったのを証明していた。

 

「行きましょう、レックス公子」

「あ、ああ……」

 

 そして、オイフェはシグルドが待つ本隊へと戻るべく踵を返す。

 もはやここには用はないと言わんばかりにさっさと湖畔を後にする少年軍師。

 いい斧を持ったいい男は、戸惑いつつも少年の後に続いていた。

 

 

 

 



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第10話『嘔吐オイフェ』

  

「シグルド様! ヴェルダン城が……!」

「ッ!?」

 

 精霊の森を進軍するシグルド軍。

 そこに、降伏の意思を伝えにジャムカ王子が現れる。

 正式な降伏ではないにせよ、それでもヴェルダンが白旗を上げたことで、シグルド達は安堵の表情を浮かべていた。

 だが、ヴェルダン本城へと辿り着いたシグルド達が目にしたのは、燃え盛る城の姿であった。

 

「親父、親父ぃ!」

「ジャムカ王子!? 誰か、王子を抑えるんだ!」

 

 義父バトゥ王を救うべく駆け出すジャムカ。

 それを、ノイッシュとアレクが慌てて止める。

 

「放せ! 放してくれ!」

「ジャムカ王子! 落ち着くんだ!」

「それ以上近づくと焼け死んじまう!」

 

 半狂乱となったジャムカを必死に抑えるノイッシュとアレク。

 二人がかりで身を押さえられたジャムカは、尚も燃える城へと向かおうとした。

 

「ジャムカ王子! どうか、どうか落ち着いてください……!」

「エ、エーディン公女……すまない……」

「いえ、辛いお気持ちはお察しします……」

「……くそ。せっかく戦争が終わるというのに……親父……!」

 

 だが、暴れるジャムカへエーディンがひしと縋り付くと、ジャムカは幾分か落ち着きを取り戻していた。

 悔しそうにうつむくジャムカに、一同は憐憫の眼差しを向けている。

 

「……」

 

 そして。

 この騒ぎに全く動じず、燃えるヴェルダン本城をじっと見つめるは少年軍師オイフェ。

 その可憐な顔立ちは、炎に照らされ紅く染まっている。

 よく注意して見ると、その口角は僅かではあるが妖しく歪んでいた。

 

(これでシグルド様によるヴェルダン王国の支配がより確実なものとなったな……)

 

 燃え盛るヴェルダン城。

 それによる国王バトゥの死。

 沈鬱な気分に浸るシグルド達の中で、その死を喜んでいるのは、オイフェのみである。

 

「シグルド様。ひとまず火を消し止めましょう。その後の事は、それからです」

「分かった……全軍、城の消火を行う。市街地へ火が移らないよう十分注意するんだ」

 

 作った表情を浮かべ、シグルドへそう進言するオイフェ。

 ヴェルダン城は城下町とやや離れて築城されていたが、それでも火の勢いは激しい。

 シグルドの号令の元、軍勢は城の消火活動へ移行していった。

 

(さて、サンディマはアグストリアへ逃れた可能性が高いな。流石にヴェルダンに潜伏し続ける程愚かではあるまい……)

 

 オイフェは大火の下手人であろう暗黒司祭サンディマの動向を予測する。

 サンディマがマンフロイより厳命されていたシギュンの娘、ディアドラの捜索。

 それを確実に成し遂げる為、サンディマはヴェルダン中枢へと入り込んでいる。ヴェルダンによるグランベル侵略は副次的な結果であり、本来の目的はディアドラの捜索なのだ。

 そして、それはシグルド軍の驚異的な侵攻速度により阻まれている。

 おそらくは、隣国アグストリアに潜伏し、ディアドラの捜索、そして略取の機会を伺っているのだろう。

 

(元々奴らは裏でコソコソと蠢く者共だ。堂々と表に出てきたのは、ユリウスがロプトウスに覚醒してから。それまでは、せいぜい少数の司祭が妨害を仕掛けてくる程度……動向には十分注意する必要があるが、今はそれよりも優先すべきことがある)

 

 前回はヴェルダン攻略の終局、ヴェルダン本城でシグルドの前に立ちはだかったサンディマ。

 だが、それはおそらく、サンディマの本意ではなかったのだろう。

 マンフロイの大陰謀は既に“詰み”の段階に入っている。しかし、まだ彼らが表に出てくるタイミングではなく。

 このタイミングで暗黒教団が表に出てくれば、レプトールやランゴバルドなど、聖戦士の系譜を継ぐ者達の離反に遭う。チェックメイトを目前にして全てをひっくり返されるような愚を行うのは、本来ありえないのだ。

 

(故に、今は捨てておいて構わない。それよりも、シグルド様の地盤固めが先決……バトゥ王は残念だったが……)

 

 オイフェが描く絵図は、戦時中のバトゥ王の死が必須条件であった。

 元々、バトゥ王はサンディマにより殺される運命にある。しかし、バトゥ王は戦争終結のそのタイミングまで息を引き取らず、シグルドへ暗黒教団の存在を示唆している。

 つまり、ヴェルダン王国の主権を持ったまま亡くなっているのだ。

 これは、オイフェが目指す“シグルドによるヴェルダン支配”にとって些か望ましくない展開だった。

 

 前回はジャムカに王位継承がされぬまま、なし崩し的にグランベル本国による統治が執行されていた。

 だが、今回はジャムカ王子が正式な外交の使者としてシグルドの元へ赴いている。降伏の意思を携えてきたジャムカ王子をシグルドが後見することで、よりヴェルダンを実効支配する形となる。

 その布石は打ってきた。元々、本国の権力者達はヴェルダンを蛮族と蔑む風潮があった。手間のかかる直接支配より、シグルドに支配させ税を徴収する方がより旨味のある形と捉えるだろう。

 

(ヴェルダンからの収益をそれなりに整える必要があるが……シグルド様は名君であらせられなければならない。当座の資金は、やはりあの手を使うしか無いな……)

 

 前はエバンス領とマーファ領の一部以外はグランベル役人により統治が執行されており、ガンドルフやキンボイス時代に比べ些かマシにはなっていたものの、厳しい課税によりヴェルダン民衆は苦しめられている。

 シグルドはエバンス領を至極真っ当な租税徴収を行い、グランベル本国への献上金も本国役人から見れば微々たる量しか納めていない。

 それが、クルト王子の暗殺に加え、反乱を企てる為に不正に軍資金を貯め込んでいたと見做されていた。これにより、シグルドやバイロンに同情的だった貴族達も口を閉ざし、クルト暗殺の真偽を誰も確かめようとせずシグルドを反逆者として認定していた。

 

(まあ、今回は本当に軍事力を整えさせてもらうがな……ただし……叛逆者は、貴様らだ……!)

 

 みしりと拳を握りしめ、僅かに口角を歪に引きつらせる少年軍師。

 全てを救うと誓ったオイフェは、シグルドの為、そしてディアドラの為……そして、自身の復讐の為に、その頭脳を働かせていた。

 

 

 


 

「はー……馬に乗ってる連中が羨ましいぜ……」

 

 数日後。

 焼失したヴェルダン城を後にしたシグルド軍は、戦後処理をマーファにて行うべく軍勢を引き返していた。

 途上にある精霊の森を再び通過するシグルド軍。

 その中で、重騎士アーダンはため息と共に騎乗する戦友達を羨ましげに眺めていた。

 

「まあ、俺なんか乗せたら馬が潰れちまうからなぁ……」

 

 押し寄せる敵兵をその重武装で防ぎ、拠点防衛などを行う兵科であるアーマーナイトは、その重装備ゆえ騎乗には全く向かない兵種であり。

 そのアーマーナイト隊を統括するアーダンもまた、部隊長でありながら騎乗を許されぬ身であった。

 当然、今の今までずっと徒歩での移動であり、これからもそれは変わらないだろう。

 特に、アーダンはその大柄な体躯のせいで、軽装でも馬が直ぐに疲弊するほどの体重を備えており、騎馬で楽に移動できるシグルド達へ羨望の眼差しを向けていたのだ。

 

「……? オイフェのやつ、一体どうしたんだ?」

 

 現在、軍勢は精霊の森の中腹にて小休止を取っている。

 各々が体を休めている中、アーダンはオイフェが道を外れ、一人森の中へひっそりと分け入って行くのを目撃する。

 

「どこへ行こうってんだあいつは……仕方ねえなあ」

 

 アーダンは下ろしていた腰を重たそうに上げ、こそこそと他者に見つからぬよう姿を消したオイフェの後を追う。

 ノイッシュやアレクほどではないが、アーダンもまたここ最近のオイフェの目覚ましい活躍に違和感を覚えていた一人であり。

 だが、豪放磊落な見た目に反し、やや繊細な心根を持つアーダンは、思春期の少年の変わりぶりを戦場という異常な環境のせいだと判断しており。

 故に、アーダンはオイフェをそれとなく気にかけていた。

 

「熊とか出たら危ないしな」

 

 既に停戦が成っている現状、ヴェルダン兵が森に潜伏している可能性は無く。降伏を不服とし、山賊化した豪族も中にはいたが、それらはヴェルダン城北部にあるノディオンとの国境周辺に集結している。

 しかし、暇を嫌ったキュアンらレンスター隊、そしてハイライン軍を蹴散らしたエルトシャンのクロスナイツによって討伐軍が組まれており、鎮圧も時間の問題だろう。

 故に、この場所で注意すべき存在は、熊や狼など危険な野生動物のみであった。

 当然、アーダンであればそれらの危険な野生動物など武器を用いず素手で仕留めることすら可能。オイフェの身を案じる優しい巨漢は、少年の後を追うべく森の中へ分け入って行った。

 

「……あいつ、何やってんだ?」

 

 森の中を進むアーダン。

 身につけた甲冑はガチャガチャと音を立てていたが、不思議と森がその音を吸収しているかのように、アーダンは意外なほど音を立てずにオイフェへと近づく事に成功する。

 そのオイフェは、現在茂みに身を隠すようにして何かを見つめていた。

 

「オイフェ、何やってんだこんなところで」

「ひゃあっ!?」

 

 アーダンの声に、オイフェは生娘のような可愛らしい叫び声を上げた。

 

「ア、アーダン殿、脅かさないでください……ていうか、声が大きいです」

「あ? 何で?」

「いいからしゃがんでください」

「おいおい。引っ張るなよ」

 

 オイフェは声を潜めつつ、アーダンの手を掴むと茂みの向こう側から見えないようにその大きな体を一生懸命引っ張る。

 当然、オイフェに引っ張られても微動だにしないアーダンであったが、なにやらただ事では無いオイフェの様子を受け、巨体を丸めながら地にあぐらをかく。

 

「おっと、隠れるならこうした方がいいだろ」

「わっ」

 

 アーダンはそのままオイフェの脇へ手をいれ、抱っこするように自身の膝の上に座らせた。

 

「う……ちょっと恥ずかしいのですが……」

「なーに言ってんだおめえは。シグルド様に甘えながら馬に乗ってたくせによ」

「あ、あれはシグルド様の馬の乗り心地が良かったからです」

「寂しい事言うなぁ。俺だって馬に乗れたらなぁ……」

「あ、ごめんなさい……」

「この口が悪いんだな、このやろ!」

「わは、やめてください、くすぐったいです! ていうか、バレちゃいますって!」

 

 妙なところでアーダンのコンプレックスを抉ってしまったオイフェ。

 アーダンはふてくされるようにオイフェの頭に顎を乗せ、その柔らかい頬をくすぐる。紅顔の美少年は身悶えしながら抵抗するも、優しい巨漢のくすぐり攻撃からは逃れられなかった。

 はたから見れば、仲良くじゃれ合う美少年と野獣である。

 

「んで、何やってんだこんなところで? 誰かいるのか?」

「えっと、それは……」

 

 やがてくすぐるのを止めたアーダンは、茂みの向こうに意識を向けるオイフェが何をやっているのかと問いかける。

 そして、ちらりとオイフェの視線の先へ目を向けた。

 

「あっ!?」

 

 すると、アーダンは思わず驚愕の声を上げる。

 視線の先には、一人森の中で佇むシグルドの姿があった。

 

「ありゃシグルド様じゃねえか! なんだってこんなところでお一人で──」

「だから声が大きいですってばー!」

「むぐぐ!? むぐー!」

 

 アーダンの口を慌てて抑えるオイフェ。

 必死なその様子を受け、アーダンはやや冷静さを取り戻す。

 

「むぐ、むぐぐ」

「いいですか、絶対にシグルド様()に気付かれないようにしてください。あと、この辺りは既にデュー殿が安全を確認しています。いいですね?」

「むぐ。むぐ、むぐぐ?」

「えっと、それは見てもらえば分かるというか……」

「むぐぐー。むぐぐ」

「はい。ですから、大きな声を出さないようにしてくださいね」

「むぐ」

 

 オイフェは口に人差し指を立てながらアーダンへ声を落とすよう念押ししていた。

 アーダンはやや不審げに首をかしげるも、やがてしっかりと頷く。

 それを見て、オイフェはようやくアーダンの口から手を放した。

 

「ぷは……ていうか、見てればわかるってどういうこったい?」

「いいから、静かに……」

 

 声を潜めシグルドへ視線を向けるオイフェとアーダン。

 しばらくすると、森の奥から一人の女性の姿が現れた。

 

「女……? ずいぶんとべっぴんさんだなぁ……」

「……」

 

 現れた銀髪の乙女に見惚れるアーダン。

 オイフェは、主君と乙女の姿を目をうるませながら見つめていた。

 

「シグルド様……」

「ディアドラ……ここに来れば、君に会えるような気がした。でも、本当に会えるなんて……」

「私も、ここに来ればシグルド様と会えるような気がしました……」

 

 見つめ合う二人。

 そして、シグルドはゆっくりと……静かに、ディアドラを抱き寄せた。

 

「もう一度……もう一度、君に会いたかったんだ……」

「私も……私もです、シグルド様……」

「ディアドラ……」

「好きになるのが恐かった。忘れようと努力しました」

「……」

「でも、だめだったの……もう、どうしていいかわからない……」

「……」

 

 ディアドラはシグルドの胸の中で一筋の涙を流す。

 愛してしまった人。どうすればいいのか分からない自分。

 乙女の痛ましいまでの葛藤を、シグルドは優しく包む。

 

「ディアドラ。君が何を恐れているのか、私には分からない。だけど……」

「……」

「私は、君を守る。どんな嵐にも屈しない。それだけは、約束する」

「ああ、シグルド様……」

 

 シグルドの言葉に、ディアドラは目に涙を溜めながらその顔を見つめる。

 そして、二人は少しづつ……少しづつ、口を近づける。

 

「……」

「……」

 

 口づけを交わす、二人の男女。

 森は、二人の神聖なひとときを守るかのように、静寂に包まれていた。

 

「ディアドラ……」

「シグルド様……」

 

 見つめ合うシグルドとディアドラ。

 どんな事があっても、どんな嵐が来ても。

 絶対に、ディアドラを守る。守り通す。

 尊く、神聖な約束を、シグルドとディアドラは口づけと共に交わしていた。

 

 

「シグルド様、いいなぁ……」

 

 惚れ惚れするような美しい恋の姿。

 アーダンは、それを陶然と見つめ続ける。

 堅物と思っていた主君にもようやく春が来たかと、安堵の気持ちも混ぜながら見つめ続けていた。

 

「エゥ……エ゛ゥゥ……!」

 

 そして。

 アーダンは自身の膝の上で、なにやらえずくような声を聞く。

 

「オ、オイフェ!? いきなりどうした!? なんか悪いもんでも食ったのか!?」

 

 見ると、涙を流し、笑いながらえずくオイフェの姿があり。

 アーダンは意味不明な感情を見せるオイフェに戸惑いつつ、その可憐な背中を心配そうにさすっていた。

 

「と……」

「と?」

 

 すると、オイフェは苦しそうに言葉を発する。

 それを、アーダンは注意深く耳を傾けた。

 

「尊すぎて吐きそうです……」

「なにそれ怖い」

 

 泣き笑いながらそう言うオイフェに、アーダンは若干引きながら困惑の表情を浮かべていた。

 

 

 



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第二章
第11話『脱法オイフェ』


  

「やれやれ、終わったら終わったで大変だ」

 

 グラン暦757年

 エバンス城

 政務室

 

 シグルドによるウェルダン征伐から一ヶ月の時が経過していた。

 シアルフィより派遣された官僚団の一人、パルマーク司祭はぼやきつつ、ヴェルダン征伐の戦後処理をこの政務室でこなしている。

 他の官吏達が忙しなく書類と戦う中、パルマークもまた占領統治を軍政から間接支配へと移行する手続きをオイフェの指示により行っていた。

 

 元々、パルマークはエッダ教団の聖職者であり、本来の役目はシアルフィにおけるエッダ教の教役が主である。

 十年前、司祭に叙階されたばかりのパルマークは、気合十分でその教義を伝えるべくシアルフィへ赴いている。

 熱心に教役活動を行うパルマークであったが、高い見識を持つパルマークは政務に関しても度々助言を請われるようになり、気がつけば聖典より法典を持つ事の方が多くなっていた。

 

 更に、当主バイロンに請われ、数年前からシグルドの指導役にも就いている。

 シアルフィの内政に参画する傍ら、士官学校を卒業したシグルドへ、為政者とは何たるかをつきっきりで指導する日々。

 その内両親を早くに亡くし、養育をしていたスサール卿の死去と共にシアルフィへ移り住んで来たオイフェも、パルマークの“授業”に加わるようになる。

 

「しかし、オイフェはどこでこのような知識……いや、やり口を身に着けていたのやら……」

 

 パルマークはオイフェの政務指示をこなしつつ、その辣腕ぶりに舌を巻いていた。

 確かに、シグルドへの指導に参加するようになったオイフェは、明らかに政務能力でシグルドよりも抜きん出た才能を見せていた。

 元々スサール卿に十分“仕込まれて”いたのか、ともするとパルマークが教えを受ける瞬間もあり。

 だが、ヴェルダン征伐が始まってからのオイフェは、とてもではないが自身が知るオイフェとは思えないほどの働きを見せていた。

 

「まるで老練な政治家……違うな。老獪な謀略家だ。よくまあ、このような手段を思いつく」

 

 ちらりと、パルマークは政務室にかけられたヴェルダンの地図を見る。

 そこにはシグルドが治める領地が記されており、その領地はこのエバンス領に加えジェノア領沿岸部の一部に及んでいる。

 残りのヴェルダン領は、唯一残されたジャムカ王子が継承していた。

 そして、ジャムカが継承したヴェルダン王国は、グランベルの保護国として記されていた。つまるところ、傀儡国家としてグランベルに従属する形である。

 

 形式上はグランベルの保護国として扱われているヴェルダン。しかし、その内情はシグルドによる直接支配が成されている。

 他国から見ればそれほど違いは無いのかもしれないが、シグルドが与えられた権限はグランベル王国を構成する各公爵家と遜色ない、事実上の“シグルドによる半独立国家”という形となっていた。

 

 その段取りを実質一人で整えたのは、まだ幼さの抜けきらない少年、オイフェだ。

 

「誰もが忘れ、形骸化した法律を持ち出してまでシグルド様にヴェルダンを治めさせるとは……いや、強引すぎるが、確かに、宰相殿も文句は言えまい……」

 

 オイフェが取ったシグルドのヴェルダンの実効支配。

 それは、かつてグランベル王国がグラン共和国と名乗っていた頃に施行されていた、古い法律を持ち出して成し遂げられていた。

 

 


 

 王都バーハラ

 バーハラ宮殿

 

 王宮で与えられた執務室で、フリージ公爵でありグランベル王国宰相レプトールは、ここ数日で起こった王宮内での出来事に不機嫌さを隠せぬといった様子を見せていた。

 王都の熟練の職人が精魂込めて拵えた腕置き付きの椅子に深く腰をかけつつ、右目にかけたモノクル(片眼鏡)越しにギロリと目を剥き、届けられた報告書に目を通している。

 

「その、父上。やはり法務官のフィラート卿の見解では、シグルド公子が()()()()()()()に任じられるのは法的に見ても至極真っ当とのことでして……」

「……」

 

 レプトールの前でそう所在無さげな表情で述べるのは、レプトールの長子ブルーム。レプトールは息子の表情を見てますます顔を顰めていた。

 ブルームは先のイザーク征伐における増援軍第二陣の指揮官として、フリージ公国騎士団“雷騎士団ゲルプリッター”を率いる身である。

 出征前、アズムール王に謁見すべく参内したブルーム。そこで、この政局にも立ち会ってしまっていたのだ。

 

 ちなみに、増援第一陣はドズル公国騎士団が担っており、当主ランゴバルド自ら嫡子ダナンと共に“斧騎士団グラオリッター”を直率するという気合の入れようを見せている。

 既にイザークにて滞陣しているグランベル王国王太子クルト王子が率いる“神聖騎士団ヴァイスリッター”、シアルフィ公爵バイロン率いるシアルフィ公国騎士団“聖騎士団グリューンリッター”、そして軍監としてクルト王子に随行するユングヴィ公爵リングと合流している頃だろう。

 ユングヴィ騎士団“弓騎士団バイゲリッター”は、リングの長男、エーディン公女の弟であるアンドレイ公子が率いており、イード砂漠北方フィノーラ方面のイザーク軍を掃討すべく展開していた。

 

 更に余談ではあるが、クルト王子が率いるヴァイスリッターは、元々はバーハラ王家の近衛として編成された騎士団であった。だが、現在その役割はヴェルトマー公国騎士団“炎騎士団ロートリッター”が担っている。

 これにはクルト王子が抱える個人的な負い目が非常に作用しており、王宮内でのクルト王子の立場をやや悪化させる原因となっている。

 

 若きヴェルトマー公爵アルヴィスへの公正さに欠ける程の忖度。公爵身分にもり立て、王宮内での便宜を図るまでは良い。だが、ヴァイスリッターを外征専門の即応部隊に改編させてまでヴェルトマーに近衛の役割を担わせるのは、流石に“王子の暴走”といっても差し支えなく。

 宰相レプトールを始め、王宮内の貴族達はこぞって不公平な政治的忖度を行うクルト王子を批判する。

 もちろん、レプトールはおおよその事情を理解していたのだが、同じく事情を理解し、王子の擁護に回ったバイロン、リングらとは違い批判の急先鋒に立っている。

 これは、レプトールの野心を考えれば当然の行動ともいえた。

 

「あの……」

「……」

 

 無言で顔を顰め続けるレプトールに、恐縮しきった態度を見せるブルーム。

 十二聖戦士が一人、魔法騎士トードの直系であり、神器“雷魔法トールハンマー”の継承資格を持つブルーム。しかし、元来は心根の優しい青年であり、政争、ましてや暴力には向いていない性格を持っていた。

 それが、ヴェルトマーより迎えた妻……ヒルダにより、その性格は殺伐としたものへと矯正されている。特にブルームの息子イシュトー、そして娘のイシュタルを産んでから、ヒルダはますますフリージ家で強権を振りかざし、夫を大いに尻に敷きながら自身の思うがままに作り変えていた。

 

 家長であるレプトールは“腑抜けた息子にはいい薬だ”と半ば黙認していたが、流石にここ最近のヒルダには目が余り、先日バーハラに呼び出し厳しく叱責している。

 そろそろ還暦を迎えようとしていたレプトールであったが、現役の聖戦士でもあるレプトールの怒気は、それこそ雷神が起こす百雷にも等しき怒りであり。文字通り雷を落とされたヒルダは、半泣きになりながら養父に許しを乞いフリージへと戻っていった。

 ちなみにヒルダが叱責される様子を、バーハラ経由でエッダへ外遊しに出向いていたレプトールの次女ティルテュも目撃しており、雷神の怒りを肌で感じつつ、戦々恐々とエッダへと向かっていった。

 

 しかし、ヒルダを厳しく叱責したのがまずかったのか、ヒルダが大人しくしたのと比例するかのように、ブルームの覇気もまた以前のそれへと戻りつつあった。

 

「しかし、“属州総督”とは……なかなか時代錯誤な制度ですね」

「陛下の御裁可も下りているのだ。迂闊な発言は慎め」

「は、はい……」

 

 難しい表情でそう述べるレプトールに、ブルームは恐る恐る相槌を打つ。

 “属州総督”という言葉を聞いた瞬間、父の眉間にシワが寄るのを目撃してしまい、更に表情を暗くさせていた。

 

(流石はスサール翁の孫、といったところか……)

 

 不機嫌な表情とは裏腹に、レプトールはやや感心したようにそう思考する。

 この属州総督にシグルドが任じられた一件。これを仕組んだのは、わずか十四歳の少年。

 アズムール王へヴェルダン戦の軍状報告を奏上すべく、宮中へ参内したシグルドと共にバーハラへ訪れたあの少年の姿を見て、レプトールは恩師の面影を僅かに見出しており。

 シグルドの奏上文の作成、そして宮中への根回しは、スサールの名を前面に押し出してあの少年……オイフェが画策していた。

 あまつさえ、埃を被っていた古い法制度を持ち出してくるとは。

 レプトールはしてやられた、という感情より、その手腕を素直に称賛する気持ちの方が強い事を自覚し、眉間に皺を寄せながら口角を引き攣らせていた。

 

 グラン暦447年

 十二魔将の乱により、それまでユグドラル大陸を支配していたグラン共和国が滅亡する。それから約二百年近く、大陸はロプト帝国による暗黒の支配が続いた。

 その後、“ダーナ砦の奇跡”が起こり、十二聖戦士が誕生。ロプトの支配に終止符を打つ。

 十二聖戦士達は各地に散り、それぞれの国を興したのがグラン暦649年、今より百年ほど前の時代である。

 

 戦後、各地で国を興した聖戦士達は、国家の基幹ともいえる各種法律を、そのままグラン共和国の物を踏襲する形で制定している。

 これは士官学校時代、グラン共和国の政体を研究していたレプトールもさもありなん、と納得する形であり。グラン共和国は、今の専制君主制とは違い共和制が敷かれていた政体であったが、その法治は実に機能的で無駄のない、ある種の理想の支配体制であったからだ。

 元老院による執政官、つまり首班の公選制度は、血族による世襲制度という絶対王政に改変されていたものの、それ以外の外政、民政、軍政はグラン共和国当時のままといっても差し支えないほどであり。

 グランベル士官学校などはまさに共和国時代から続いている制度の代表で、グランベル王国、並びに子弟を留学させた各国の軍事力を底上げする制度となって今日まで続けれられている。

 

 さて、そのグラン共和国の法制度の中に“属州総督”というものがあり。

 グラン共和国は今のグランベル王国で興った国であるが、度重なる外征により土着の豪族らを平定、ユグドラル大陸全土の支配を確立している。

 その過程で、支配地域の運営を効率よく行う為に成立されたのが、この属州総督制度だ。

 

 制度の要約をすると、外征を行い占領した属州の軍事的緊張が高い場合、その外征を行った軍団、及び指揮官がそのまま属州の総督となり、“属州における課税、財政運営”、“属州における司法”、“属州における軍事統括”を行うと定められた制度であった。

 これは軍事的緊張が解かれるまで続くと定められており、言い換えれば隣国との緊張が続く限り永遠に属国の支配を委ねられることとなる。もちろん、総督は一代限りの任命とされていたが、後継者指名は総督の意見も多大に反映される仕組みとなっている。

 

 グランベル王国が興った当時、初代国王である聖者ヘイムはこの制度もグランベル王国の法典に組み入れていた。

 ヘイム自身、この制度を使う事は無いと思っていたのかもしれない。だが、ロプト帝国滅亡後の混乱期でもあった王国勃興期は、とにかく節操なく共和国の法律を踏襲していた節が見受けられ。事実、それで上手くいっていたのもあり、この属州総督制はそのまま法改正することなく残っていた。

 

 オイフェはこの法律に目をつけた。

 まず、前提条件である“軍事的緊張”。隣国アグストリアはその内実はともかく、表面上はグランベルとの軍事同盟が続いており、些か条件付けとしては厳しいものがある。

 だが、ヴェルダン本領とノディオン王国の境にある山間部に、ヴェルダン降伏を不服とした豪族集団が潜伏をしているのを、オイフェはことさら過大な脅威として本国役人、及びバーハラへ喧伝した。

 実際はキュアンとエルトシャンにより壊滅状態となっていたが、一部残党は未だ山間部に潜伏している。

 オイフェはその残党豪族をあえて“生殺し”にするよう、キュアンとエルトシャンへ征討を中断させていた。

 

 前提条件をクリアしたこと。そしてなにより、オイフェの巧みな弁舌により、アズムール王はシグルドの総督就任を裁可していたのだ。

 

「ヴェルダンの件はそれほど問題は無い。今更シアルフィの若僧がヴェルダンの蛮地を手にしたところで大勢に影響は無い」

「……」

 

 余人が聞けばやや首をかしげるような物言いをするレプトール。ブルームはそれを聞き、表情をこわばらせていた。

 

「万事滞りなくやるように。もう征け」

「はい。では父上。行ってまいります」

「うむ……武運を祈る」

「は、はい……」

 

 含みのある言い方で息子を見送るレプトール。

 件の陰謀の一端を背負わされたブルームは、緊張した面持ちで執務室を後にした。

 

「……あれでは先が思いやられるな」

 

 ブルームが退室した後、レプトールはため息と共に憂鬱とした感情を吐露する。

 自身の野望を果たさんべく、ランゴバルト、そしてアルヴィスと共謀した国家転覆。一世一代の大勝負の尖兵に、良く言えば善人、悪く言えば小心者の息子に担わせたのは、やや荷が重かったかと思考する。あの様子では何かに付けて敏いリングあたりに勘付かれるのではないかとも。

 鬼嫁(ヒルダ)に活を入れられなければ、ブルームは腹芸のひとつも出来ぬか。

 

「まあよい。いざとなればグスタフやムハマドが上手く支えるだろう……」

 

 とはいえ、レプトールはブルームの補佐に腹心の将軍達を付けている。

 ある意味、フリージ家の命運がかかっているのだ。出し惜しみするつもりはレプトールにはない。

 

「それに、シアルフィの若僧が総督になったとはいえ、徴税率はこちらで決められる。せいぜい毟り取ってしかるべき時には骨抜きになっているようにすれば良いのだ……」

 

 不敵な笑みを浮かべながらそう呟くレプトール。

 事実、属州の統治は総督に一任されているとはいえ、本国へ献上すべき租税率は宰相に決裁権がある。属州運営が困難になる程搾り取れば、シアルフィの連中がレプトールの野望を阻む程の力を持つことはありえないのだ。

 

「せいぜい我らの肥やしになってもらうとするか……」

 

 陰謀渦巻く王宮内にて、レプトールは一国の王となるべくその野心を燃やしていた。

 

 

 


 

(なんて思っている頃かもしれないな)

 

 エバンス城郊外。

 バーハラから帰還したシグルドとオイフェ。愛しのディアドラが待つ城内へまっすぐ向かったシグルドとは違い、オイフェはゆっくりと城内へ歩を進めていた。

 宰相レプトールを始め国家転覆を策謀する連中が苛税を強いてくるのは、この少年軍師にとって想定内であり。その対抗策についても既に準備段階に入っている。

 あとは、それをどのような段取り、そしてどのような交渉で成し遂げるか、オイフェはつらつらと思考しながらシグルドの後に続いていた。

 

(まあ、一番の難関だったシグルド様の説得に比べたらなんてことはない)

 

 歩きながら、オイフェはシグルドがこの総督就任案に猛然と反対をしていた事を思い出していた。

 曰く、ただでさえ王国聖騎士に叙勲されただけでも過分と思っていたのに、それ以上の権力を望むような事はしたくない。加えて、これ以上本国との軋轢を生むのも望んではいないとも。

 シグルドがこのような清廉な人物であるのは百も承知なオイフェは、ヴェルダンの民がシグルドの総督就任を望んでいると、民衆へ忖度した物言いでシグルドの逃げ道を塞ぐように説得をしている。

 また、シアルフィより派遣されたパルマーク司祭も総督就任を強く推したのもあり、シグルドは渋々とではあるがオイフェを伴い王宮へと向かっていた。

 

 

「おかえりなさいませ、シグルド様」

「ディアドラ!」

 

 城内へ入ると、ディアドラが微笑を浮かべてシグルドを出迎えていた。

 シグルドはディアドラの姿を見留めると、直ぐに駆け寄りそのすらりとした可憐な身体を抱きしめていた。

 

「あの、シグルド様……その、皆が見てますから……」

「あ、す、すまない……」

 

 シグルドの腕の中で、やや顔を赤らめモジモジと身を捩らせながらやんわりと嗜めるディアドラ。

 シグルドもまた頬を染めながら慌てて身体を離す。

 周囲は生暖かい目で二人を見つめていた。

 

「ふふ……シグルド様ったら、見てるこっちが恥ずかしくなるような事ばかりするのね」

「正直眼福です」

「まあ。オイフェったら随分とおませさんなのね」

 

 オイフェの隣ではユングヴィ公女エーディンが穏やかな様子でシグルド達を見つめている。

 おませな発言をするオイフェを嗜めつつも、幼馴染であるシグルドが幸せそうな様子を見て、羨望と安堵が混ざったような表情を浮かべていた。

 

「その、エーディン様。お疲れの所申し訳ありませんが、またワープとリターンを使っていただけないでしょうか?」

 

 ふと、オイフェはエバンスとバーハラ間の移動に大貢献したエーディンへ、再び件の長距離移動魔術の使用を依頼する。

 リターンの杖は元々エスリンがレンスター王国から持ち込んだ物を譲り受けており、ワープの杖はデューが隠し持っていた物をオイフェが早々に取り上げてエーディンへ渡していた。尚、ワープを取り上げられたデューはオイフェへ抗議するも、オイフェが貯めていた現金(お小遣い)を全額譲渡されると手のひらを返したように抗議を取り下げていた。

 

「え、もう? オイフェったら人使いが荒いのね」

「ごめんなさい。ですが、エスリン様はご婚礼の準備をお任せしているので、どうしても……」

 

 やや驚いた様子を見せるエーディン。オイフェは申し訳無さそうに頭を下げている。

 長距離移動魔術であるワープ。その聖杖を使いこなせる人材は、シグルド軍の中で現状エーディンしかおらず。

 帰還手段であるリターンはエスリンも使用出来るが、現在シグルドとディアドラの電撃婚の準備に追われており、婚礼の段取りや各所の要人へ結婚式の招待状を送付するなど多忙の身である。

 もっとも、現在グランベルはイザークとの戦争中であり、招待状を送る人物はごく少数に留まっており。

 戦時中の為、その結婚式は慎ましやかに行われる手はずとなっていた。

 

 余談ではあるが、この長距離を即時移動可能たらしめるワープとリターンの聖杖は、その性質ゆえかごく少数の生産に留まっている超貴重品である。

 もともとライブの杖などの聖杖類は、ハイプリーストの中でも特に魔力素養の高い者でしか生産できず、その使用回数も限られたものとなっており。修繕には多額の浄財を納めねばならず、その希少性を更に高めていた。

 また、使用者が一度行った事のある場所でしか移動する事が出来ない上、使用者の負担も大きい聖杖であり、上記含め様々な理由から乱用は避けるべき貴重な代物である。

 

 とはいえ、エーディンは先のエバンスとバーハラの往復でワープとリターンを一回づつしか使用しておらず、まだまだ余力は残っていた。ユングヴィ公女であるエーディンは当然バーハラ王宮へ何度も行った事があり、シグルド達の瞬間移動も容易く行えていた。

 ちなみに、オイフェがワープとリターンを使ってまでバーハラ行きを急いだのは、シグルドがエバンス領主に任じられる前にヴェルダン総督就任を成し遂げる為であった。

 本国からの指示を待っていれば、前回と同じくシグルドの支配領域はエバンス領に留まっていたことだろう。

 それ故、エーディンに依頼し、ワープとリターンを使ってバーハラへ参内していたのだ。

 

「仕方ないわね。じゃあ、もうひと頑張りしましょうか」

「はい、ごめんなさい」

 

 ぺこりと頭を下げるオイフェに、エーディンは優しげな微笑みを浮かべる。

 現在、エーディンはミデェール共々シグルドの与力として正式にユングウィから派遣された形となっており、立場上オイフェの指示に従わない理由はない。

 尚、レンスター王国王子キュアンもまた父であるレンスター国王カルフ王から正式にシグルドの幕下へ入るよう命じられており、オイフェの指示に従い山賊化したヴェルダン豪族残党の掃討任務に就いている。

 ヴェルトマー公子アゼルは半ばヴェルトマーから出奔したような形となっており、当主アルヴィスはそれを黙認している。

 ドズルのいい男はいい男なので誰にも文句を言われずにシグルド軍へ参加し続けていた。

 

「ふふ。謝らなくてもいいのよ。私は、オイフェにも助けられたようなものですし」

 

 オイフェにそう応えるエーディン。エーディンはシグルド、そしてオイフェの卓越した軍才によりユングウィの窮地を救ってくれたと認識しており、それ故に多少の無茶振りも快く応えていたのだ。

 

「……はい」

 

 慈愛に満ち溢れたエーディンの姿を見て、ティルノナグでの日々を思い出したオイフェは、思わず両眼に涙を浮かべる。

 

(助けられたのは、私の方だ……もう、あのような思いはさせません……)

 

 夫や仲間を失ったのにも拘らず、若きオイフェ、そしてシャナン、更に聖戦の系譜を継ぐ子供達を育て上げたエーディン。

 オイフェはエーディンに気付かれぬよう涙を拭いつつ、その苦難を二度とエーディンにさせまいと、決意を新たにしていた。

 

 

 

 

 

 



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第12話『悶絶オイフェ』

 

 ああ、生まれた。

 無事に、お生まれになった。

 

 ディアドラが産気づき、慌ただしい城内。

 控えの間にてそわそわと落ち着きのないシグルドと共に、オイフェは聞こえてきた赤子の泣き声を聞き、嬉しさ、そして懐かしさが沸き起こる。

 

「ディアドラ!」

「シグルド、様……」

 

 赤子の声を聞き、シグルドは勢い良くディアドラの産室へと入る。

 オイフェもまたシグルドの後に続くと、おくるみに包まれた赤子を抱えるディアドラ、そして寄り添うようにディアドラと赤子を抱えるシグルドの姿があった。

 

「オイフェ、見てくれ。私達の子供だ」

「はい……!」

 

 ほわあ、ほわあと産声を上げ続ける赤子の顔を、オイフェは涙を堪えながら覗き込む。

 わずかにだが、父親の髪色と同じ薄い青色の産毛が見えた。

 

「ああ……」

 

 万感の思いがオイフェの胸の内に沸き起こる。

 ティルナノグへ落ち延びたあの日。

 幼いセリスを抱え、辛い日々を過ごしたあの頃。

 解放戦争を戦い抜いた、あの激動の日々。

 

「セリス様……」

 

 一筋の涙をこぼしながら、オイフェはかつて至上の忠誠を近った光の公子の名を呼んでいた。

 再会できた、最愛の主君の忘れ形見。

 此度は、決してそのような──

 

 

「セリス? 何を言っているんだオイフェ」

 

 

「え──?」

 

 抑揚の無い、シグルドの声が響く。

 見ると、シグルドは能面の如き無表情を浮かべていた。

 突然のこのシグルドの変わりぶりに、オイフェは戸惑いを露わにする。

 

「そうよオイフェ。この子はセリスなんて名前じゃないわ」

「ディ、ディアドラ様……?」

 

 ディアドラも、不気味なほど曖昧な表情を浮かべてそう応える。

 悍ましいまでの怖気が、シグルドとディアドラから発せられていた。

 

「……ッ!?」

 

 いや、怖気の発生源は二人からではなかった。

 おくるみに包まれた赤子。

 その赤子から、可視化出来るほどの暗黒の気が、オイフェの身体を包むように発せられていた。

 

「この子の名は、セリスではない」

「シ、シグルド様……?」

 

 暗闇に包まれたオイフェ。聞こえるシグルドの声が、徐々に変質していく。

 薄く見えるシグルドの姿が、徐々に変化していく。

 

「この子の名は……」

「あ……あ……」

 

 オイフェは得体のしれぬ恐怖に包まれ、慄くことしか出来ない。

 いやだ、見たくない。そのような未来は、あってはならない。

 口には出せぬ、慟哭めいた叫びが、オイフェの五体を引き裂く。

 憎しみが、少年の身を焦がしていく。

 赤子から発せられた暗闇が、オイフェの心まで黒く染めていく。

 

 そして──

 

 

「ユリウスだよ、オイフェ」

 

 

 赤い赤子を抱えた、赤い怨敵が、嗤っていた。

 

 

 

 

「──ッッ!!」

 

 窓枠から朝日がくさびのように差し込んでくる。

 その光を受けつつ、オイフェは寝台の上で跳ね上がるように身を起こした。

 

「はっ……はっ……!」

 

 全身を汗でぐっしょりと濡らし、荒い息を吐くオイフェ。

 信じたくはない、まさしく悪夢の光景を目の当たりにした少年の表情は、常の状態とはかけ離れた、青く、白い悪相に変質している。

 オイフェはぶるりと身を震わせると、己の肩を抱くように身を縮ませた。

 

(なんて……なんてひどい夢だ……)

 

 最悪の目覚め。

 よりにもよって、一番あってはならない未来の光景。

 それをまざまざと見せつけられたオイフェは、恐怖、増悪、悲哀の感情が混ざり合い、嗚咽を噛み殺すようにベッドの上で蹲っていた。

 

「オイフェ、大丈夫か?」

「あ……アレク殿……」

 

 しばらく蹲っていたオイフェだったが、ふと顔を上げると自身を心配そうに覗き込むアレクの姿があった。

 

「なかなか起きてこないからさ。随分うなされてたみたいだけど、具合でも悪いのか?」

「い、いえ……大丈夫です。ちょっと、怖い夢を見て……」

「そっか。でも、今日はシグルド様とディアドラ様のご婚礼の日だから、その顔色のままじゃまずいと思うぞ」

「はい……」

 

 言われるまでもなくひどい顔色なのは自覚している。

 そう思ったオイフェは、ひとまず顔を洗おうと洗面台の方へ身体を向けた。

 

「うわ、汗凄いな。オイフェ、ちょっとバンザイしろバンザイ」

「え? あ、はい」

 

 そう言われたオイフェは、寝台の上で両腕を上げる。寝起きでやや不明瞭な意識だったからか、オイフェはアレクの言われるがままに真っ直ぐ両腕を伸ばしていた。

 

「うりゃ!」

「わぁっ!?」

 

 すると、アレクはオイフェの濡れた汗衣を勢いよく剥ぎ取る。

 一瞬にして上半身を裸に剥かれたオイフェ。

 しっとりと汗に濡れた少年の上半身は、未だ咲ききらぬ未成熟な性を感じさせており。

 伝う汗が桜色の突起を濡らし、その幼い色香を得も言われぬ官能にまで昇華させていた。

 

「んじゃ、拭いていくぞ」

「ア、アレク殿! 自分で出来ますから!」

「いいからいいから。先輩に任せておけって」

 

 戸惑うオイフェに構わず、アレクは手にした手ぬぐいでオイフェの身体を丁寧に拭いていく。

 脱がした時は乱暴であったが、オイフェの身体を拭うアレクの手付きは、壊れやすい陶磁器を磨くかのように繊細なものであった。

 

「あっ……アレク殿……んっ……自分で、やりますからぁ……!」

 

 正面から己の上半身へ手を這わせるアレクに、オイフェは顔を赤らめながら身悶えする。

 脇の下や首筋に感じる刺激に、少年は思わず悩ましげな吐息を吐く。

 

「いいからいいから……しかし、オイフェはキレーな肌しているなぁ。まるで女の子みたいだ」

「そ、そんなこと……んんぅ!」

 

 ちょうどへその辺りを撫でられたオイフェ。可憐な少年の口から発せられる耽美な呻きを聞いても、アレクは淡々とオイフェの身体を拭い続けていた。

 

(なるほど、女性の扱いに慣れたアレク殿だからこそ、このような手さばきが出来るのか)

 

 などとどこか明後日の方向に思考を巡らすオイフェ。

 だが、流石にこれ以上はいけないと、オイフェはアレクの手を払おうとした。

 

「うし。んじゃ、今度は背中だな」

「わっ!?」

 

 と思った矢先、アレクはオイフェの肩を掴むと、くるりと背中を向けさせる。

 

「背中も綺麗だなぁ……ほんと、俺が十四歳だった頃とは大違いだぜ」

「ん、んぅ……!」

 

 アレクはしっかりとオイフェの肩を掴みながら、空いた片方の手で優しく汗を拭う。

 傷一つない、白磁器のような背中を丁寧に拭う。

 布が身体に当たる度に、オイフェは背筋から伝わる妙に生々しい快感に悶え続けていた。

 

 

「こんなに綺麗な身体なのに、あんな風に人を殺せるんだな」

 

 

 瞬間。

 アレクは、それまでの優しげな空気を一変させ、何かを咎めるような冷然とした声を上げた。

 

「ア、アレク殿……?」

 

 オイフェは豹変したアレクに僅かに慄く。恐る恐る後ろを振り返ると、厳しい視線を向けてくるシアルフィの若き騎士の姿があった。

 

「オイフェ。お前は、一体何を隠している?」

「え……」

 

 オイフェの身体を拭う手を止め、アレクは真っ直ぐにオイフェの瞳を見つめる。

 困惑したオイフェの表情に、ますます疑念の眼差しを向けていた。

 

「あのヴェルダンの残党を殺った時は、火事場の馬鹿力でも働いたのかと思ったけどよ……ここ最近のお前さんは、妙な所ばかりだ」

「……」

「シグルド様の総督就任も強引すぎるぜ。なんでわざわざ古い法律を持ち出してまでシグルド様を総督にしたんだ?」

「それは……」

「あと、ここ最近ジェノアの廻船問屋を通じてミレトスの商人連中とよく会っているそうだな。一体何を話合っている?」

「……」

「まだあるぞ。お前、エバンスの闘技場の元締めにも会っていたな。なぜそんな事をするんだ?」

「……」

「なぜ、俺達に何も言わないんだ?」

 

 オイフェ、お前は、一体何を企んでいる?

 そう言われ、オイフェはアレクから顔をそむけ、 泣きたくなるような気持ちに囚われる。

 

 やましいことをしているつもりは毛頭ない。

 ただ、巻き込みたくないだけ。

 いずれは知る事になるが、今の彼らに背負わせるべき重さではない。

 これは、私が、私だけが行える、絶対の使命なのだ。

 

 そう叫び出したいのを、ぐっと堪えるオイフェ。

 敬愛するアレクに、どこかのタイミングでこのような疑念をぶつけられる事も覚悟していたオイフェ。だが、いざ正面から追求されるのは、少々少年の心には堪える。

 用意していたあれこれの申し開きも、尊敬するシアルフィ騎士の先輩の瞳を見ると、どこかへ霧散していくのを感じた。

 

「……いずれ、詳しくお話します」

「オイフェ、あのな」

「ですが!」

 

 尚も咎めようとするアレクを制し、オイフェは顔を上げると真っ直ぐにアレクの瞳へ視線を向けた。

 

「私は、シグルド様を裏切るような真似は、決してしません」

「……」

「ただ、シグルド様と、ディアドラ様が幸せに暮らせるように……そう、したいだけなんです。それだけは、本当です……!」

「……」

 

 再び俯き、ぎゅっと寝台のシーツを握りしめるオイフェ。

 それを見たアレクはしばし沈黙をするも、やがて深いため息をひとつ吐いた。

 

「オイフェ。お前は、ちょっと俺を……俺達を見くびっているぜ」

「え?」

 

 顔を上げるオイフェ。

 そこには、いつもの愛敬のある笑みを浮かべたアレクの表情があった。

 

「あのなオイフェ。お前がシグルド様に忠誠を誓っているように、俺もシグルド様に忠義を誓っているんだ。ノイッシュやアーダンもそう。言っておくけど、俺らはシグルド様がこーんなちっこい頃から一緒にいたんだぜ?」

「アレク殿……」

 

 小さく指を丸めるアレクを見て、それじゃ小人じゃないですか……というつっこみを思わずしてしまうオイフェ。

 それを受け、アレクはオイフェの頭をぐりぐりと乱暴に撫で付けた。

 

「だからさ。お前がコソコソ何をしているのかは気になるけど、全部シグルド様の為にやっているのは十分理解(わか)っているんだ」

「アレク殿……」

「ちょっと厳しい言い方をしたけどよ……ああ、なんていうか、ぶっちゃけるとさ。一人で全部抱え込もうとするんじゃないって、言いたかったんだ」

「……ごめん、なさい」

 

 頭に感じるアレクの暖かい温度を感じ、オイフェは双眸に涙を溜める。

 結局の所、アレク殿の優しさに甘えてしまった。

 そう自責の念に囚われると共に、オイフェは決して一人で戦っているわけではないと痛感しており。

 様々な感情が溢れ、瞳に涙を溜めるオイフェを見て、アレクはその柔らかい髪をゆっくりと撫でていた。

 

「結局知りたいことはわからなかったけど……まあ、お前が本当にシグルド様を想っているのはわかったよ」

「ごめんなさい……」

「謝らなくてもいいさ。でも、近い内に必ず話してくれよな? お前の目的をさ」

「はい……わかりました……」

 

 そう言い残し、アレクはオイフェの寝室を後にした。

 その後姿を、オイフェは申し訳無さそうな表情で見つめていた。

 

(ああ、アレク殿には敵わないな……)

 

 上手くやっているようにはしていた。

 だが、残された時は少ない。

 しかるべき日には、シグルドの前に千軍万馬の将兵を揃えなくてはならぬ。

 だが、なりふり構わぬ所業を見留めないほど、アレク達は愚かではなかった。

 

「いずれ、お話します……その時は、力を貸してください……」

 

 ベッドの上で頭を下げながら、少年は一人そう呟いていた。

 

 

 

 

 



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第13話『良男オイフェ』

  

 グラン歴757年

 エバンス城 

 

 オイフェとアレクのひと悶着が起こってから数刻後。

 エバンス城内にある聖堂では、この日行われるシグルドとディアドラの婚礼を祝うべく各地より要人が集まっていた。

 とはいえ、その数は多くはない。

 未だにイザークとの戦が続いている現状、いくら王国聖騎士、そして属州総督の婚礼とはいえ、大々的に祝える世相ではないからだ。

 もっとも、シグルド自身は己の婚礼の規模などどうでもよく、あくまでディアドラを正式に妻として迎える為のけじめとして婚礼に臨んでいた。

 

「シグルド様……とても、良くお似合いです」

「そ、そうか。ありがとう、オイフェ」

 

 新郎であるシグルドが控える一室にて、オイフェは聖騎士の礼服に身を包んだシグルドの姿を見て思わずうっとりとした表情を向ける。

 その身なりは凛々しい騎士を思わせており、惚れ惚れするような男ぶりを見せていた。オイフェでなくとも、この場に居合わせる全員がその男ぶりに見惚れるのは必然であり。

 シグルドは着慣れぬ礼服に少々窮屈そうにしていたものの、オイフェへ屈託のない笑顔を浮かべていた。

 

 ちなみに、オイフェも婚礼用の礼服を身に着けている。丈の短いキュロットに銀色のベストを纏うその装いは、オイフェの中性的な容姿も相まって、見るもの全てが思わず笑顔を浮かべるほどの可愛らしい男の子ぶりを見せていた。

 

「でもよかったのか? ホイホイ参列させちまって。俺は新郎だってかまわないで食っちまう人間なんだぜ?」

 

 そのようなシグルド達を見て、挨拶にやってきたドズルのいい男(レックス)がそう嘯く。こちらも騎士用の礼服を纏っているが、一部を除きシグルドに比べ些か映えはしない服装だ。

 だが、いい男だ。

 いい男がチャペル内に存在するだけで、新郎であるシグルドの凛々しい姿が霞んでしまう恐れは十分にあった。

 

「あのさぁ……主役はシグルド総督なんだから、レックスはもっと控え目に行こうよ」

 

 そのレックスを嗜めるように声を上げるのは、同じく礼服に身を包んだヴェルトマー公子アゼルだ。

 丈の長い白いスラックスを履いており、オイフェと同じようなデザインの臙脂色のベストを身に着けていた。

 少し背伸びをした、青年に変わりつつある見た目麗しい少年のコーデだ。

 

「ところでアゼル。俺のベルトを見てくれ。こいつをどう思う?」

「すごく……大きいです……じゃなくて、もうちょっと落ち着いたデザインのやつなかったの?」

 

 妙に下腹部へ視線誘導するレックスに、アゼルはやや呆れた口調で応える。

 このような軽口を気軽に叩けるほど、この二人は幼少の頃からの長い付き合いがあった。

 

「生憎礼装用はこれしか持って無くてな。これ、ブリアンが贈ってくれたやつなんだ」

「あ、そうなんだ。ブリアン君、そんな贈り物するくらいになったんだねぇ。今いくつだっけ?」

「もう六歳だ。ダナンのアニキより俺に懐いててな。まったく、可愛い甥っ子さ」

「そっかぁ……六歳でそのベルトをチョイスしちゃうんだ……」

 

 レックスの自己主張の激しい(クソデカ)ベルトを見やりつつ、アゼルはドズルの嫡流でありレックスの甥でもあるブリアンの先行きを思い、なんとも言えない表情を浮かべていた。

 

(ブリアン公子、か)

 

 シグルドとオイフェはレックスとアゼルのやり取りを微笑ましく見ていたが、オイフェはブリアンの名が出た事で、何かを懐かしむような。

 それでいて、何かを哀しむかのような表情を浮かべる。

 

 ブリアン・ネイレウス・ドズル。

 

 かつてオイフェが戦ったユグドラル解放戦争、その終局。

 オイフェら解放軍の前に立ちはだかった、国士無双の斧騎士。

 その勇猛にして果敢な武者姿を、オイフェは静かに思い出していた。

 

 

 


 

 グラン歴778年

 

 光の公子、セリスを擁する解放軍がシアルフィにてアルヴィス皇帝を打ち破り、暗黒神の化身であるユリウス皇子を打倒せんべくグランベル帝国本領へと進軍したこの年。

 シアルフィ城の北方、ドズル城との境にある山谷では、最後の聖戦を戦う戦士達の姿があった。

 

「オイフェ殿! 崖上の暗黒魔道士共は排除しました!」

「アルテナ様、ご苦労様です。このまま前線を支えていただきたい」

「承知! ディーン! エダ! 私に続きなさい!」

「はっ!」

「わかりました! 行くよ、ケイト!」

 

 飛竜に騎乗した見た目麗しい乙女が、麾下の竜騎士を連れ前線へと飛翔していく。

 アルテナと呼ばれた、槍騎士ノヴァの直系である女竜騎士。

 その手には、既に多量の血を吸ったのか、妖しい輝きを放つ神器“地槍ゲイボルグ”があった。

 

「オイフェさん! 来るぜ! 兄貴だ!」

「気をつけられよ。兄上は強敵……武人の中の武人にして、本物の聖戦士です」

 

 オイフェへそう警告の声を上げるのは、解放戦争初期に帝国を離反し、解放軍へ参加したドズル公国公子、ヨハンとヨハルヴァの兄弟だ。

 二人の視線の先には、ここまで戦力を温存していたであろうドズル公国の斧騎士団“グラオリッター”が、一際輝く戦斧を携えた一人の騎士に率いられ、オイフェ達の前へと現れていた。

 

 現在、解放軍は二手に分かれ展開している。

 セリスが率いる解放軍本隊は、暗黒教団に占領されたエッダを攻略中だ。

 そして、オイフェはシアルフィ防衛の為に残された部隊を率い、ドズル公国から出撃してきた斧騎士団“グラオリッター”を迎撃していた。

 占領したばかりのシアルフィ城は籠城するにはやや厳しい状態。

 しかし、シアルフィとドズルの間は狭隘な地形に囲まれた一本の街道しかなく、大軍の展開には厳しい地形だ。

 故に、オイフェはそこを戦場に選び、セリス達がエッダを落とし、ドズル城を後方から攻め落とすまで時間を稼ぐ算段だった。

 

「ブリアン公子……やはり引いてはくれぬか……」

 

 しかし、グラオリッターもまた二手に分かれ、解放軍の前へと立ちはだかる。そしてグラオリッターの本隊は、ブリアンを先頭にシアルフィ守備隊へ猛攻を加えていた。

 前線で大いに暴れまわるヨハン達の実兄であり、ドズル家嫡男であるブリアン。それを見て、オイフェは湧き上がる無念の感情を押さえられず、僅かに歯噛みをしてその姿を見つめる。

 輝きを放つ戦斧、斧戦士ネールの直系だけが持つことを許された、神器“聖斧スワンチカ”。それを担ぎ、前線の兵士を蹴散らかすブリアンの戦ぶりは、まさに戦場に現出した“暴風”といっても過言ではなかった。

 

 そして。

 ブリアンは、あくまで暗黒神側で戦い抜くつもりなのだ。

 十二聖戦士達の末裔が光と闇の陣営に分かれた此度の聖戦。それは、この最終局面であっても変わらない、残酷な現実であった。

 

「このままじゃ突破されちまう! 俺が出る!」

「ヨハルヴァ! 私も征くぞ!」

「ま、待て! 二人とも!」

 

 しびれを切らすかのように、ヨハンとヨハルヴァの兄弟はそれぞれの愛斧を抱えブリアンへ向け走る。

 静止の声を上げるオイフェであったが、ブリアンの勢いに乗じたグラオリッターの各部隊に前線が押され、オイフェがいる本陣にも敵が押し寄せる有様。

 肉薄した敵グレートナイトの一人を斬り伏せたオイフェの目には、既にブリアンと対峙するヨハン達の姿が見えた。

 

「この裏切り者どもめ! ドズル家を滅ぼすつもりか!」

 

 破れ鐘のような激声が響き渡る。

 ヨハン、ヨハルヴァの姿を見とどめたブリアンは、威嚇するようにスワンチカを担ぎ、敵対する弟達へ野獣の如き鋭い眼光を浮かべている。

 ヨハン、ヨハルヴァはそれに気圧されつつも、自身の斧を握り締め実兄を睨み返していた。

 

「兄上、心配するな。ドズル家は私が立派に再建してみせる。もう兄上の出る幕はないのだ」

「ブリアンの兄貴、ドズル公国は俺が守ってやるよ。民もそれを望んでいるさ!」

 

 互いに斧を構え、対峙するドズル家の男たち。

 グラオリッターは自分達の大将の戦いを邪魔立てしないよう、オイフェら守備隊を牽制するように戦闘を繰り広げていた。

 

「とはいえ兄上。我らは斧戦士ネールの血を引く聖戦士の末裔だ。一応聞くが、やはりこちらに付くつもりはありませんかな?」

 

 ふと、斧を構えたヨハンが諭すようにブリアンへと声をかける。

 だが、その説得を、ブリアンは哄笑を持って返していた。

 

「戯け! ここに至ってはどちらかが斃れるまで戦うのみよ! 貴様らもネールの血を引く者なら、潔く覚悟を決めんか!」

 

 獰猛な野獣のような嗤いを浮かべながら、スワンチカを構えるブリアン。

 重厚なるその威容は、これまで戦ってきた数多くの強敵達よりも、一際重い圧力を放っていた。

 そして、その威容に隠された計り知れないほどの覚悟が、ブリアンから発せられる。

 

「ブリアン公子……」

 

 遠巻きにブリアンの姿を見たオイフェの胸中に、やり切れないといった感情が沸き起こる。

 ドズル家は、当主ダナンを除き“子供狩り”だけは承知しなかった。それは、ドズル本国を守っていたブリアンもまた同じ。

 解放軍と戦った、ある種の“義”を背負った者達と、ブリアンは同じだった。

 

 雷神の血を引き、己の愛と義に殉じたイシュトー。

 竜騎士の王子、いや王として最後まで意地を貫いたアリオーン。

 高潔な軍人として、滅び行く主君の露払いを果たすかのように散ったリデール。

 

「……」

 

 彼らもまた、決して滅んで良い“悪”ではなかった。

 滅んで良い“巨悪”は、ユリウス、マンフロイ……そして──

 

「兄上、残念です。嗚呼、いい男は父に加え実の兄とも争わねばならぬのか……しかしこれもラクチェの為。兄上、お覚悟を!」

「悪いな兄貴。俺はあんたを倒して、ラクチェに振り向いてもらえるようないい男になるぜ!」

 

 暗鬱たる感情に支配されかけたオイフェであったが、状況はそれを許さない。

 勇ましい声を上げるヨハンとヨハルヴァに、ブリアンは不敵な笑みを持って応えていた。

 

「愚かな弟どもよ! 二人だけでこの俺に勝てると思うなよ!」

「むっ!?」

「うぉ!?」

 

 聖斧一振。

 その凄まじいまでの暴圧。ヨハンとヨハルヴァは、背筋に冷えた汗を浮かべながら、実兄の圧力に身を晒していた。

 

「それに──!」

 

 スワンチカを構え直すブリアン。

 ゆるりと、ヨハン達へ間合いを詰めていた。

 

「その程度でいい男を名乗るなど片腹痛いわ! 貴様らではこの俺、そしてあのレックス叔父御の足元にも及ばぬ!」

「いや、叔父上の名を出すのは反則だぞ兄上!」

「流石の俺も叔父貴並みになれたなんて自惚れちゃいねえよ!」

「ぃやかましい! 百回生まれ変わって出直せぃッ!!!」

「ッ!? 来るぞ! ヨハルヴァ!」

「うおおおおおッ!!」

 

 重爆開始。

 そう表現するしかないほどのブリアンの苛烈な猛攻が、ヨハン達へ襲いかかった。

 

「……いかん! デルムッド、トリスタン! ヨハン達に加勢するぞ!」

「はい!」

「分かりました!」

「ハンニバル将軍! 後は任せます!」

「うむ。我輩にお任せあれ。オイフェ殿も油断なされるな!」

 

 数合打ち合っただけで、ヨハンとヨハルヴァは劣勢に立たされる。

 対するブリアンは余裕の表情を崩しておらず。

 オイフェは即座に加勢を決断すると、指揮を“トラキアの盾”とまで謳われたハンニバルへ任せ、傍らに控えるデルムッド、そしてクロスナイツの精鋭を父に持つトリスタンを引き連れ、暴風吹き荒れるドズルのいい男たちの戦いへと乱入していった。

 

「雑魚共がいくら来ようと物の数ではないわ!」

「くっ!?」

 

 だが、オイフェ達の横槍を物ともせず、ブリアンはスワンチカを縦横無尽に振り回し圧倒する。オイフェの袈裟斬りを容易く弾き、間髪入れずその首へ爆斧を振りかざす。それをかろうじて防ぐオイフェ。

 デルムッド、トリスタンも懸命に撃剣を入れるも、ブリアンへはかすり傷ひとつ付けられなかった。

 加勢を受けたヨハンとヨハルヴァも、体勢を立て直しその攻勢へと加わる。

 

「何という強さ! だが、例えこのヨハン死すとも愛は死なず!」

「くそっ! こんなに強えのかよブリアンの兄貴は!?」

「ヨハン! ヨハルヴァ! 口を動かす暇があったらもっと手を動かせ!」

「こっちは五人がかりだってのに! この化け物め!」

「デルムッド! トリスタン! お前達もだ! 集中しろ!」

 

 五対一という圧倒的に不利な状態にもかかわらず、四方から攻撃を全て防ぎ、不敵な笑みを絶やさないブリアン。いや、状況は攻撃を加えているヨハン達が逆に聖斧の猛撃に晒され、いつの間にか防戦一方となっている。

 

「チィッ!?」

 

 オイフェもまた自身の愛剣にてブリアンの撃斧を必死に防いでいた。

 だが。

 

「ぐっ!?」

「オイフェさん!?」

 

 スワンチカがオイフェの肩を抉る。

 バランスを崩したオイフェは落馬し、固い地面へその身を打ち付けた。

 

「オイフェさ──」

「しゃらくさいわ小僧ども!」

「ぐあっ!?」

 

 助けに入ろうとしたヨハン、ヨハルヴァ、デルムッド、トリスタン。

 しかし、ブリアンが咆哮と共に放った重爆斧により、ヨハン、デルムッド、トリスタンは馬ごと吹き飛ばされる。徒士であるヨハルヴァもまた踏みとどまれず、その爆風に吹き飛ばされていた。

 地を這うオイフェらを見て、グラオリッターの斧騎士達は歓声を上げていた。

 

「貴様があのオイフェか」

「くっ!?」

 

 倒れるオイフェへ、馬上にて斧を突きつけるブリアン。

 その表情は、先程までの獰猛な嗤いは消え失せ、やや寂寥感が籠もった表情だった。

 

「レックス叔父御も哀れなお人よ。貴様らのような雑魚の為に命を散らしたとは」

「なに……?」

 

 ブリアンの口から発せられた、バーハラで散った勇者の名。

 それを聞き、オイフェは額に青筋を浮かべブリアンを睨む。

 

「貴様にレックス殿の何が分かる!」

 

 シグルドが始めた、ユングウィ、そしてグランベルを救う為の義戦。

 その最初期から参戦し、シグルドを支え、そして殉じていったドズルの貴公子、レックス。

 その名を貶められたと感じたオイフェは、殺意が籠もった眼差しをブリアンへぶつけていた。

 

 だが、それを受け、ブリアンもまた怒気を孕んだ言葉を返す。

 

「分かる!」

「ッ!?」

 

 ブリアンの激声。

 それは、不思議と戦場全体へと響き渡っていた。

 

「叔父御は俺の……いや、ドズルに棲まう全ての男達の憧憬(あこがれ)なのだ!」

「なっ──!?」

「ドズル家三代の恨み……そして、叔父御の無念を晴らさせてもらう……死ねぃ!」

 

 もはや問答無用。

 そう断じたブリアンは、無慈悲の撃斧をオイフェへと振り落とした。

 

(これまでか──)

 

 迫りくるスワンチカの猛威。

 刹那の瞬間、オイフェはぎゅっと目をつむる。

 

(申し訳ありません、セリス様──シグルド様──)

 

 そして、聖戦を最後まで戦えなかった事を、守ると誓った主君、そして守れなかった主君へと謝罪していた。

 

 

「させません!」

「ぬぅ!?」

 

 

 だが、オイフェの頭部をスワンチカが断裂することはなく。

 刃先が頭部に触れた瞬間、天空より飛来した神槍の一閃が、聖斧を弾き返した。

 

「アルテナ様……!」

 

 額から血を流すオイフェが目撃したのは、飛竜に騎乗し、地槍ゲイボルグを構える、レンスター、そしてトラキアと二つの国を背負う王女アルテナ。

 オイフェとブリアンの間に立ち、全身から金色の闘気を放つ。

 

「ネールの戦士よ! ここからは私が相手です!」

「ゲイボルグ! 神器持ちか! 少しは歯ごたえのある奴が出てきたな!」

 

 ブリアンはスワンチカを構え直すと、同様に金色の闘気を放ちながらアルテナへ突撃する。

 直後、地槍と聖斧がぶつかり合い、激しい衝撃波が発生した。

 オイフェは思わず身を伏せ、その暴威に耐える。

 

「オ、オイフェさん、大丈夫ですか……?」

「デルムッド……皆は無事か?」

「は、はい、なんとか……」

「……もはや我らには介入できぬ。ここはアルテナ様に任せるしかない」

「はい……」

 

 肩を押さえたデルムッドが、オイフェへ心配そうに駆け寄る。

 だが、その視線はブリアンと激しく打ち合うアルテナへと注がれていた。

 

 打ち合う毎に大地が、空気が揺れる。

 その争いに余人が介入しようものなら、瞬く間にその打ち合いに巻き込まれ挽き肉となるだろう。

 神器同士の戦いとは、それほどの激しい戦いなのだ。

 

「くぅっ!?」

「うぬっ!?」

 

 地槍が、ブリアンの肩を貫く。

 聖斧が、アルテナの脚を穿つ。

 一見すれば互角の争い。

 だが、拮抗は徐々にアルテナの不利に傾いていった。

 

 アルテナが脚からの出血に気を取られた、一瞬の隙。

 

「ダッシャアッッ!!」

「あッ!?」

 

 その隙をつき、ブリアンはアルテナの騎乗飛竜を()()()()()()()()

 

「くッ!?」

 

 甲高い鳴き声と共に昏倒する飛竜。その飛竜に足を下敷きにされ、身動きの取れなくなったアルテナ。

 

「もらった! 死ねぇ!!」

 

 間髪入れず斧を振りかざすブリアン。

 レンスターで生まれ、トラキアで育った悲劇の王女の命運が、尽きようと──。

 

 

「死ぬのはお前だ」

「ッ!?」

 

 

 刹那。

 一振りの魔剣が、アルテナとブリアンの間に入る。

 目にも留まらぬ凄まじき疾さで、スワンチカを受け止める、魔剣ミストルティン。

 

「アルテナ王女、よくやった」

「ア、アレス殿……どうして……?」

 

 漆黒の馬に騎乗し、漆黒の甲冑を纏い、神器が発する神々しい闘気を放つのは、ノディオン王エルトシャンの遺児……黒騎士ヘズルの直系であり、魔剣ミストルティンの継承者、アレス。

 セリス率いる本隊にいたはずのアレスが、どうしてここにいるのか。

 そのような疑問を浮かべるアルテナに、アレスは僅かに口角を上げた。

 

「あっちは粗方片付いた。だから、俺がこっちに来た。それだけだ──!」

「うぬ!?」

 

 鍔迫り合いとなった状態から、アレスがスワンチカを弾き返す。

 勢いに押されたブリアンは間合いを取ると、荒い息を吐きながら聖斧を構え直した。

 

「今度はミストルティンか! 相手にとって不足はなし!」

「生憎だが俺には不足だ。斧で剣に勝てると思うなよ──!」

 

 対峙する両雄。

 その脇で気絶する飛竜に足を取られたアルテナに、一人の少女が駆け寄る。

 

「アルテナ様! 大丈夫!?」

「リーン、あなたまで……」

「アレスなら大丈夫! あたしがしっかり応援したから、あんな奴には負けないよ!」

 

 アレスと共に来たのか、踊り子のリーンがアルテナを介抱する。

 リーンの踊りは不思議な力を発揮する。通常なら一日以上かかる距離を半日で駆けるほど、人間の潜在能力を大いに引き上げる効果があるのだ。

 

「いざぁぁぁッッ!!」

 

 そして、ブリアンはスワンチカを大上段に構え、アレスに吶喊する。

 押し迫る豪斧の圧力を前に、アレスは冷静にミストルティンを構えていた。

 

(アレス殿──!)

 

 オイフェは、刹那の瞬間に繰り広げられる光景を見つめる。

 ブリアンの斧が、アレスの胸元へ迫っていた。

 

 一閃。

 

 甲高い金属音と共に、二人の聖戦士は互いの得物を交差させる。

 そして、戦場は静寂に包まれる。

 

「……」

「……」

 

 一瞬の攻防の後、動きを止めるアレスとブリアン。

 ふと、ブリアンはにやりと己の口角を引き攣らせた。

 

「くっ」

「アレス!?」

 

 アレスが僅かに体勢を崩す。

 見ると、その胸元は血に染まっていた。

 アレスの負傷を見とどめたリーンは思わずその名を叫ぶ。

 

 しかし。

 

「見事……!」

 

 ずしりと、重たい音が響く。

 ブリアンが落馬し、地に倒れ伏す音だった。

 

「ブリアン公子……」

 

 乾いた地面は、ブリアンから流れる血でみるみる濡れていく。

 血海に沈むネールの斧戦士は、最後まで不敵な笑みを絶やしておらず。

 オイフェは負傷した肩を押さえつつ、倒れ伏すブリアンを見下ろしていた。

 

「本当、に……これ……で……叔父……御……」

「……」

 

 猛将の最期。

 それを看取ったオイフェは、丁寧な手付きでブリアンの目を閉じていた。

 

 

 その後、フィッシャー将軍率いるグラオリッターの別働隊を蹴散らし、ドズル城を落としたセリス本隊。

 既に戦意を喪失し、武装解除したグラオリッター本隊を捕虜にし、セリス達と合流したオイフェ達。

 だが、あの凄まじい戦いぶりを見せたブリアンに畏怖を覚え、その表情は晴れやかではなかった。

 

 あとどれだけ、このような猛者と戦わねばならぬのだろう。

 そのような思いが、オイフェ達の中で渦を巻く。

 

 終わりは近い。

 だが、その終わりは、容易な道ではない。

 

 その事を痛感したオイフェ。

 そして、生涯、ブリアンの熱き闘魂を忘れる事は無かった。

 

 

 

 

 

 




ヨハヨハ兄弟は二人共生き残ってくれると心に優しい(弱いオタク)


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第14話『縁結オイフェ』

  

「あの、レックス公子。個人的には、その……ベルトは良くお似合いですよ」

 

 オイフェが前回のブリアンについて思いを馳せていると、おずおずとではあるがレンスターの若き騎士、フィンがレックスのフォローをする。

 とりあえずのフォローではあったが、どこか場を和ませるフィンの空気に、オイフェは表情を和らげていた。

 フィンの服装はレンスター騎士のフォーマルな装いであり、尚武を国是とするレンスター王国らしい、単調でありながらどこか勇武を感じさせている。

 そういえばセリス様が王位についたときもこのような装いだったなと、オイフェは一層懐かしい気持ちに浸っていた。

 

 ちなみに、フィンがこの場にいる理由は至極単純なもので、『後学の為にシグルドの新郎っぷりを見てこい』とキュアンに言われたからに過ぎない。そのキュアンは、シグルドのベストマンとして諸々の介添えをする段取りとなっていたが、何かに付けて性急な性格ゆえか、すでに城内のチャペルにて待機していた。

 というより、シグルドへ指輪を渡す役目以外の殆どをフィンに押し付けたというのが本当の所であり。

 後にフィンへ仕事を押し付けたのがエスリンにばれてしまい、愛妻から長時間の説教を喰らったキュアンはやつれ果てた姿を晒す事となる。

 

「お、そうだなフィン。それじゃあ、しっかりベルトの穴を締めておかないとな」

「レックス……いちいち言い方がきもちわるいよ……」

「アハハ……」

 

 じっとりとした目で親友を見やるアゼルに、乾いた笑いを浮かべるフィン。いい男はいい笑顔を浮かべるのみである。

 その愉快な様子を見て、シグルドとオイフェはクスクスと忍び笑いを漏らしていた。

 

 

「なんだか楽しそうだな、シグルド」

「エルトシャン! 来てくれたのか!」

 

 和やかな空気に包まれる控室へ現れたのは、隣国ノディオン王国を治め、シグルドとキュアンの士官学校からの盟友、エルトシャンだ。

 エルトシャンの姿を見とどめたシグルドは、思わずその金獅子の風格を備える盟友の元へと駆け寄った。

 

「当たり前だろう。お前の晴れ姿を見なくてどうする」

「エルトシャン……」

「まあ、わざわざ招待状を届けてくれたのもあるしな。これで行かなかったら私の信義に反する」

「いや、それでも来てくれてうれしいよ。ありがとう、エルトシャン」

 

 お互いの肩を抱き合いながら笑顔を浮かべる両雄。

 それを見て、オイフェは安心したようにほっと一息をついた。

 

(エルトシャン王には前回以上にこちらに寄っていただかなければならない……やはり直接出向いた甲斐はあった……)

 

 オイフェは先日、シグルドの総督就任に伴いノディオンへ訪問した事を思い起こす。

 シグルドが総督としてノディオン王へ表敬訪問する事で、外交上の誠意を示す必要があったからだ。その時に、婚礼の招待状も携えていたのだ。

 

「エルトシャン、グラーニェはどうしたんだ?」

 

 ふと、シグルドはエルトシャンの伴侶であるグラーニェの姿が無いのを見留める。

 

「グラーニェはアレスと一緒にディアドラへ挨拶しに行った。あいつは随分ディアドラの事が気に入ったみたいだからな」

 

 そう応えるエルトシャン。

 ノディオンへ挨拶に出向いた際、シグルドに随伴したのはオイフェだけではなく。

 オイフェの進言により、ディアドラもまたノディオンに出向いていたのだ。

 その時、エルトシャンの妻であるグラーニェは、可憐なディアドラをひと目見た時から大層気に入っており。まるで実の妹のように可愛がるその姿に、オイフェは目論見が当たった事で密かに安堵していた。

 

 エルトシャンをシグルド陣営に引きずり込むべく画策するオイフェ。家族ぐるみでの付き合いを深めさせ、“しかるべき時”にはエルトシャンが堂々とシグルドの味方になるよう仕向けねばならない。

 もっとも、グラーニェがシグルドをそっちのけにしてまでディアドラを気に入ったのは、オイフェにとってもやや誤算であったのだが。

 前回ではグラーニェとディアドラの交友は皆無であった為、ここまで仲が良く──今の所グラーニェが一方的に可愛がっているだけなのだが──なるとは、オイフェにも予想外だった。

 

「グラーニェの代わりといってはなんだが、今日は妹も連れてきた。ラケシス、入れ」

 

 そう言ったエルトシャンは、控室の扉へと目を向ける。

 数瞬してから、ノディオン王家の獅子の紋章が刺繍された若葉色の可愛らしいパーティドレスに身を包んだ、輝くような金髪の乙女が現れた。

 

「お久しぶりです。シグルド様」

「ラケシス、君も来てくれたのか。随分と綺麗になったね」

 

 ラケシスと呼ばれたうら若き乙女。

 咲いたばかりの白百合を思わせる上品で美しい乙女は、いきなりのシグルドのリップサービスにやや頬を染めながら言葉を返す。

 

「シグルド様、そういったお世辞はディアドラ様に言うべきでは?」

「お世辞じゃないさ。本当に綺麗になった」

 

 やや真顔でそう述べるシグルドに、ラケシスは増々照れたように赤らんだ顔を俯かせる。

 その様子を見て、オイフェは人知れず頭を抱えていた。

 

「シグルド……お前な……人の妹にまでな……」

「あ、あの、エルトシャン王。シグルド様に他意は無くて……」

「そのような事は十分理解している。だからこそだ。オイフェ、お前がシグルドの軍師であるならば、こういうところも正すよう直言出来ねばならぬのだぞ」

「は、はい……」

 

 なぜかオイフェがエルトシャンに説教めいた小言を受けてしまい、今度はアゼルやレックスがくすりと笑いを漏らす。

 オイフェはエルトシャンの小言を受けつつ、せめてブリギッドと出会うまでに、シグルドの女性に対して素直過ぎる性格を正さねばと決意を新たにしていた。

 とはいえ、これに関してはセリスの教育で十分に経験を積んでいる。セリスもまた、油断するとストレートな好意を余人にぶつけ、ややこしい勘違いを発生させていたからだ。

 

(血は争えないな……)

 

 シグルドの子、セリス。そしてエルトシャンの子、アレス。

 アレスもまた細かい事でオイフェに文句をつける事が多々あり、それを思い出したオイフェはエルトシャンの小言を受けつつもどこか嬉しそうに表情を緩めていた。

 

「んん! シグルド、ディアドラにも挨拶をしてくるから、私達はそろそろ行くぞ」

「そうか。エルトシャン、ラケシス。今日は来てくれてありがとう。大したもてなしは出来ないが、ゆっくりしていってくれ」

 

 半ば強制的に話を打ち切り、エルトシャンはラケシスを伴い控室から退出していった。

 

「エルトシャン王の妹君もなかなかの美人だったな。アゼル、お前はどう思う?」

「え? いやまあ普通に綺麗な人だったと思うよ」

「なんだお前、ほんとエーディン以外には興味ないんだな」

「な、なんだよ! バカ言うな!」

「ははは。可愛いやつめ。次はションベンだ」

「なんでさ!? なんで今の会話の流れでおしっこが出てくるのさ!?」

 

 アゼルを弄るレックス。微笑ましいその光景を他所に、オイフェは先程から陶然とした表情を浮かべるフィンに目を向けた。

 

「……」

「フィン殿?」

「……可憐だ」

 

 そう、ぼそりと声を漏らすフィン。

 オイフェはそういえば()()()()()フィン殿とラケシス様が出会うのは初めてだったな、と思い起こす。

 彼らが初めて出会ったのは、あのアグストリア動乱の初期だった。

 直接目にはしてなかったが、フィンがラケシスに一目惚れした事はオイフェは知っていた。

 

(今回もがんばってくださいね、フィン殿。前回以上にハードルは高いですが……)

 

 そう、心の中で呟くオイフェ。

 彼らが男女の仲になったのは、シレジアへ落ち延びてから。それまでは、あくまでシグルド軍の同輩でしかなく。

 いや、仮にもノディオン王家の姫君であるラケシスに、フィンはどこか遠慮していたのだろう。

 故に、シグルド軍が“賊軍”となったタイミングでしか、フィンはラケシスにアプローチが出来なかったのだろう。

 もっとも、そのような事情がなくとも、フィンはいずれはラケシスに想いを告白していたのだろうが。

 

(今回はシグルド様がシレジアへ行くような事は、絶対にありえないですからね……)

 

 そして。

 オイフェの大計略では、此度のシグルドがシレジアへ落ち延びるという事態は想定しておらず。

 前回のようにフィンがラケシスと結ばれるには、前回以上に身分の差を乗り越える必要があった。

 

(……いや、やはり少しばかり助ける必要があるな。うん)

 

 オイフェは思う。

 フィンがラケシスと結ばれるよう、それとなく助けてやろうかと。

 フィンの恋の障害は、身分の差だけではない。

 あの風のような自由騎士が、フィンの前に立ちはだかっているのだ。

 

 それは複雑で、苦い感情を滲ませた、男女の情愛の形。

 少年軍師は、その切ない恋の行方に頭を巡らせていた。

 

(でも、どうすればいいのか……うーん……)

 

 とはいえ、男女の情愛に疎いオイフェが出来る事は限られていたのだった。

 

 

 

「やれやれ。シグルドには参るな」

「はい……」

 

 控室を出たエルトシャンとラケシス。

 ディアドラの控室へ繋がる通路を歩くエルトシャンに、後に続くラケシスは未だ婚礼が始まっていないにもかかわらずやや疲れた表情を見せていた。

 

「相変わらずでしたか、シグルド様は」

 

 ノディオン王家の兄妹の後に続くのは、クロスナイツの三つ子騎士の長男、イーヴだ。

 エルトシャンの腹心でもあるイーヴは、弟達であるエヴァ、アルヴァと共にラケシスの守役としての顔も持つ。

 流石に三兄弟全員で同行はしていなかったが、こうしてイーヴがノディオン兄妹の護衛として同行していたのだ。

 

「まあな。あの天然気質がなければシグルドはもっと良い騎士になれるのに……とはいえ、親友の喜ばしい婚礼だ。ラケシス、お前もそろそろ相手を見つける時じゃないのか?」

「え?」

 

 イーヴに応えつつ、やや浮ついた表情でラケシスへそう述べるエルトシャン。

 ラケシスは兄の言葉に、さも心外といった表情を浮かべていた。

 妹の微妙な表情に構わず、兄のおせっかい焼きは続く。

 

「オイフェはともかくとして、ヴェルトマーのアゼル公子やドズルのレックス公子もなかなかの美丈夫だったではないか。どうだ? ここらで婿探しなんて」

「エ、エルト兄様! 確かにレックス公子はいい男でしたけど、私はまだ誰の妻にもなりません!」

「わかったわかった。だが、お前もいずれはノディオン王家の王女として誰かに嫁ぐ日が来るのだ。いつまでも独り身でいようとは思うな」

「……はい」

 

 兄妹の情を超えつつあるラケシスに気付いているのか、エルトシャンはやや厳しく妹へ言葉をかける。

 ラケシスはエルトシャンの言葉に、不承不承といった体で頷いていた。

 

「……私は、エルト兄様のような人でなければ好きになれないわ」

 

 そう、小声で呟くラケシス。

 兄に聞こえぬよう、か細い声を漏らしていた。

 

「……」

 

 しかし。

 ラケシスの胸の中に、シグルドの控室にいた青髪の青年の姿が浮かぶ。

 

「……?」

 

 ちくりと、胸を刺すような痛み。

 生まれて初めて味合う、焦げるような痛み。

 僅かな痛みであるが、ラケシスはその痛みに戸惑いの表情を浮かべていた。

 

「……私は、エルト兄様のような人でなければ、好きになれないわ」

 

 確認するかのように、再びそう呟く。

 その痛みは、乙女の心の奥底に微かな傷をつけていた。

 

 

「それはよろしいのですが、二回も言わなくていいかと」

「聞いてたのっていうか雑に流さないでよイーヴ!!」

 

 乙女の可憐な抗議に、三つ子の騎士は淡白な表情を浮かべていた。

 

 

 


 

「まあまあまあまあまあ! 素敵! 素敵すぎるわディアドラ!!」

「は、はい……ありがとうございます、グラーニェ様……」

 

 所変わって花嫁であるディアドラの控室。

 エルトシャンの妻であり、ノディオン王国の王后であるグラーニェは、ディアドラの控室に入った瞬間から挨拶もそこそこに全開だった。

 

「本当に素敵だわ! 可愛いくて綺麗で美しくて! ああもう! ほんとにもう!」

「あ、あの、グラーニェ様、苦しいです……」

 

 飾り気の無い、純白のウェディングドレスに身を包んだディアドラを、大きく胸元が開いたセクシーなドレスを纏ったグラーニェが力の限り抱きしめており。

 グラーニェの豊かなバストに顔を埋めたディアドラは苦しそうに身を捩らせるも、グラーニェの愛情表現だと思うとそれ以上の抵抗が出来ずにいた。

 

「あー! あーもう! あーもう! ディアドラ! こうなったらシグルド様じゃなくて私のところにお嫁に来なさい! ええ! ぜひそうしましょう! そうするべきだわ! エスリン! ディアドラをこのままノディオンへ持って帰るわ! いいわね!?」

「いやいいわけないでしょ。何言ってんのよアンタは……」

 

 ヒートアップするグラーニェへそう呆れた口調で述べるのは、シグルドの実妹でありレンスターの王太子妃であるエスリン。

 レンスターの王太子妃であるとはいえ、一国の王后に対しやや無礼な口調なのは理由があり。

 グラーニェの実家はレンスターの大貴族の家であり、政略婚でノディオンへ嫁いでいたという事情があった。その縁で、同じく政略婚でレンスターへ嫁いでいたエスリンは、度々レンスターへ里帰りしていたグラーニェとも顔を合わせる機会が多く。

 政略婚とはいえ、夫への愛は本物である二人。同じような立場、心境からか、二人が親しい友人になるのはそれほど時間がかからなかった。

 故に、このようなプライベートな場ではあけすけな物言いが許されていたのだ。

 

「エーディン、ディアドラが可愛いすぎるのよ、わかっているの、ねぇ!」

「はあ……」

 

 エスリンと同じく、ディアドラの付添いとして控えるエーディンにも息を巻くグラーニェ。ユングウィの公女はノディオンの王后に若干引きつつ生返事をするしかなかった。

 ちなみに、グラーニェが里帰りする時はルート上にあるユングウィへ立ち寄る機会も多く、グラーニェはエスリンを介してエーディンとも仲を深めていた。

 元々エーディンはエスリンとも幼馴染であり、グラーニェと親睦を深める機会は多かったのだ。

 

「なんだか……凄い御方だな……」

 

 少し離れたところでそう呟くのは、簡素なドレスを纏ったイザークの王女、アイラ。初対面のノディオン王后に、少々……いや、ドン引きしていた。

 此度の婚礼ではとりたててやるべき事がなかったアイラであったが、ある意味居候ともいえる己の立場を鑑みて、少しでも手伝えないかとエスリンに申し出ており。

 こうして、諸々の雑務を手伝っていた。

 

「ごめんなさい。ははうえは好きな人がキレイだといつもこうなんです……」

「そうなんだ……大変だねアレス王子は……」

 

 その隣では、エルトシャンとグラーニェの一人息子、ノディオンの王子であるアレスが、幼いながらも申し訳無さそうな表情を浮かべている。

 それに同情めいた視線を向けるのは、イザークの王子、シャナン。

 アイラとシャナンは共にイザークから落ち延びてきた身の上。その立場は、食客の武将としての身分だ。

 そして、アイラの弟として身分を偽っているシャナンは、シグルド陣営では最年少というのもあり、こうして賓客の子息であるアレスの面倒を見ていた。

 もっとも、現在進行系で面倒をかけているのは母であるグラーニェなので、アレスは齢三歳にして不始末を詫びる官公吏の如き哀愁を漂わせていた。

 

「ふー……中々のディアドラ味だったわ……」

「──」

「ディ、ディアドラ様、大丈夫ですか?」

「ちょっとグラーニェ! ディアドラ様がどっか行っちゃったじゃない! どうすんのよ!」

「大丈夫よ。しばらくしたら元に戻るわ……多分」

 

 散々ディアドラへ頬ずりし、全身をもみくちゃに愛撫しきって満足したグラーニェ。

 ディアドラは激しいスキンシップに消耗したのか、魂を抜かれたように虚空に視線を漂わせており、エーディンの声掛けを受けても放心状態であった。

 

「あら、貴方は……」

「えっ」

 

 達成感のある表情を浮かべるグラーニェは、ふと部屋の隅に控えるアイラへと視線を向けた。

 

「まあ、貴方も素敵ねえ……ディアドラの侍女?」

「い、いや、私は……」

 

 いきなり矛先を向けられ困惑するアイラ。そのアイラににじり寄るグラーニェは、雌豹の如き眼光を浮かべていた。

 

「なーんて。貴方達の事はエルトシャンから聞いているわ」

「ッ!?」

 

 直後、グラーニェは悪戯っ子のような笑みを浮かべる。

 アイラはやや剣呑な表情を浮かべるも、グラーニェが見せる慈愛の空気を感じ、増々困惑とした表情を浮かべた。

 

「イザークとグランベルの事は私も憂いているわ」

「……貴方には、関係ない」

 

 少しだけ表情を暗くさせるグラーニェ。

 それに、アイラは反発するように言葉を返す。

 

「ええ。関係ないわ。でも、こうして出会えたのだから、これからは関係ないなんて言わせないわ」

「……」

「私が出来る事は限られているけど……でも、貴方が、貴方達がいつかきっとイザークへ帰れるように……私も力を貸すわ」

 

 イザークとグランベルの戦争は、ノディオンには関係なき事。

 従属しているアグストリアが非介入を貫くならば、ノディオンがそれに従うのは道理。

 非公式な場とはいえ、グラーニェの言葉はアイラにとって軽薄な言葉に聞こえた。

 

「……それは、ノディオン王家としての言葉ですか?」

 

 値踏みするようにグラーニェの目を真っ直ぐ見据えるアイラ。

 一流の剣士が放つその圧に、グラーニェは全く怯むことはなく。

 

「いいえ。ノディオン王家の意見ではありません」

「……」

「ですが」

 

 ふっと、グラーニェは優しげに表情を緩ませる。

 そのまま、そっとアイラの肩を抱いていた。

 

「貴方の友人としての言葉ではダメかしら。アイラ」

「……いや、ダメじゃない。グラーニェ、ありがとう……」

 

 グラーニェの手を取り、儚げな笑みを浮かべるアイラ。

 おかしなところもあるグラーニェだったが、根は慈愛に溢れた、優しい人。

 そう心で感じたアイラ。

 得難い友人を得た今日の婚礼に立ち会えた事を、父祖である剣聖オードへ静かに感謝を捧げていた。

 

「はぁー……一時はどうなることかと」

「ええ、本当に」

 

 ともすれば一触即発の事態をはらはらと見守っていたエスリンとエーディン。

 結局、和やかな空気を纏わせる二人を見て一安心といった表情を見せていた。

 オイフェが意図しなかった、一つの縁。

 それが、身を結んだ瞬間であった。

 

 

「く、苦しいです……グラーニェ様……」

「あ、戻ってきた」

「え、これ、ちゃんと戻っているのですか……?」

 

 直後にうめき声を上げるディアドラを見て、エスリンとエーディンはなんとも言えない表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 




「はまだ ディアドラが可愛いのだ わかってるのか おい!」
「はあ・・・」


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第15話『宴会オイフェ』

 

(ああ、素晴らしいご婚礼だった……)

 

 シグルドとディアドラの婚礼がつつがなく終わり、オイフェは格別の満足感に浸っていた。

 チャペルの内陣にて花嫁を待つシグルドの凛々しい姿。ヴァージンロードを歩くディアドラの可憐な姿。聖書台の前で指輪を交換し、誓いの口づけをする、二人の尊い姿。

 それを見たオイフェは目尻に涙を溜め、その神聖で幸福な光景を噛み締めていた。

 

 とはいえ、オイフェの目には神々しい輝きを放つ婚礼であったが、余人から見ればそれは中々にコミカルなものとなっていた。

 

 準備に時間がかかったのか、中々姿を現さないディアドラを心配しすぎて落ち着きのないシグルドに介添えのキュアンが脇を小突いたり、現れたディアドラの美しい花嫁姿に見惚れ呆然としてしまい段取りの全てを忘却したシグルドにキュアンが脇を小突いたり、誓いのキスがやたら長いシグルドとディアドラに神父役のパルマーク司祭が盛大な咳払いをしたり、フラワーガールならぬフラワーボーイのデューが派手にすっ転び花びらが入ったカゴぶちまけたり、ディアドラの花嫁姿を見てグラーニェが突然興奮したり、いい男がいい男だったりと、やや落ち着きのない挙式ではあった。

 

 だが、それらは概ね参列者の笑顔を誘い、和やかな婚礼の一助となっていた。

 

 

 現在、婚礼後の晩餐会がエバンス城で行われており、シグルド陣営の主だった者達、そして招かれた賓客らが思い思いにパーティを楽しんでいる。

 立食式で行われたパーティでは、各人が料理と酒を楽しみ、楽団が演奏する華やかな曲に合わせダンスに興じている。また、シグルドの計らいにより無礼講での会話も楽しんでいた。

 

「ディアドラ……綺麗だ……とても……」

「シグルド様も……とても……素敵です……」

 

 そのシグルドであるが、ディアドラと指を絡めるように手をつなぎ合い、陶然と見つめ合いながら二人だけの世界を作っている。当然、それらは周囲から筒抜けであったのだが、全員が空気を読んで生暖かい目で見守っていた。

 

「あ、あの、エーディン様、良かったら、僕と一緒におど──」

「エーディン様! エーディン様がお好きなワインをお持ち致しました!」

「あら、あらあら……」

 

 また、これを機にエーディンと仲を深めようとするアゼルであったが、それを阻止せんとミデェールが横槍を入れ、両者に挟まれたエーディンは困ったような表情を浮かべる。

 

「そこで俺は言ってやったのさ。『腹ン中がパンパンだぜ』ってな」

「ほお……」

「それはそれは……」

「ウホッ……」

「やりますねぇ!」

 

 その隣では、レックスが軽妙洒脱な語りを賓客達の前で披露しており。

 やたら筋肉質な男達に囲まれネットリとした視線を向けられるレックスだったが、いい男は全く気にしていなかった。

 

「奥様! こちらの方はあのグリューンリッターの騎士様ですって!」

「まあ! 凛々しくてかっこいい御方だわ!」

「いや、あの、私はまだ若輩で……」

 

 少し離れた所では、ノイッシュが賓客の貴婦人達に囲まれ困惑しっぱなしの表情を浮かべている。

 

「ご婦人方。こいつは奥手でして、こういった場には慣れていないのです。宜しければ俺と一緒に踊りませんか?」

「あら! こちらもハンサムな御方だわ!」

「ああ、素敵……」

 

 同じく貴婦人に囲まれたアレクは、ノイッシュとは正反対に惚れ惚れするような伊達男ぶりで黄色い歓声を浴びていた。

 

「アーダン! 肩車! 肩車して!」

「はいはい、わかったよもう」

「アーダン、おしっこ」

「はいはい、便所はあっちだよお嬢ちゃん。一人で行けるか?」

「アーダン! 僕とも遊んでよ!」

「はいはいってシャナン、お前とはいつも遊んでるじゃねえか……くそぅ……あいつらだけいい思いしやがって……」

 

 アーダンはシャナンを始め賓客の子供達に大人気であり、子供に囲まれつつノイッシュとアレクへ恨みがましい眼差しを向けていた。

 

「あの、ラケシスおばうえ」

「ん? おば……?」

「あ、いえ、ラケシスおねえさま……」

「ん。なぁに、アレス?」

 

 一方では、アーダン達の様子をそわそわと落ち着きのない様子で見ていたアレスが、意を決したかのようにラケシスへお伺いを立てている。

 

「ボクもアーダンやシャナンといっしょに遊びたいです」

「そう? じゃあ、いってらっしゃい」

「はい!」

 

 許可を得たアレスはパッと顔を輝かせ、優しい巨漢と子供達の輪に加わっていった。

 

「チャンスだ。フィン、行け」

「えっ!?」

「ラケシスは今一人だ。エルトもイーヴも近くにはいない。時は得難くして失い易しとも言う。レンスターの騎士ならば、この千載一遇の好機を逃すな」

「い、いや、ラケシス様はノディオンの王女で、私は騎士見習いの身分ですし、そ、そもそも、ラケシス様の事は、別に……」

「ええーい! お前が行かぬならば俺が行く! フィン、後に続けぇー……グー……」

「えぇ……」

 

 やや前後不覚に陥ったキュアンにそう呆れた声を上げるフィン。

 勇気を出せないこのレンスターの将来を背負う期待の星に、キュアンは苛立ちを隠せないように声を荒げ、直後に爆睡した。

 とはいえ、フィンも少なからず酒が入った状態。

 眠りに落ちた主君を放置し、アルコールも手伝ってか緊褌一番の大勝負に打って出た。

 

「あ、あの、ラケシス様……」

「……あなたは、確かシグルド様の控室にいた」

「は、はい。レンスターの騎士見習いで、フィンと申します」

「そう……」

「は、はい……」

 

 アレスがアーダンの背中をよじ登り、アーマーソシアルナイト(ぼくのかんがえたさいきょうの騎兵)ごっこで遊んでいる様子をぼんやりと眺めていたラケシスに、フィンが緊張しきった表情で話しかける。

 フィンを一瞥したラケシスは、興味が失せたかのようにアレス達へ視線を戻す。

 フィンは所在無さげに言葉を詰まらせてしまい、やや気まずい空気が流れていた。

 

「……子供」

「え?」

「子供、好き?」

「え、いや、あの、ええっと……!」

 

 唐突なラケシスの問いかけに、顔を赤面させるフィン。

 センシティブな質問にどう応えればいいのか、しどろもどろになりながら必死になって答えを探していた。

 ちらりとフィンの方を見たラケシスは、くすりと花が咲くように唇をほころばせる。

 

「ふふ。変な人」

「えっ? あの、なんか申し訳ありません……」

「なんで謝るのよ。それより、アレスの子守りが無くなって暇になってしまったわ」

「は、はあ……」

 

 うじうじと煮え切らないフィンに業を煮やしたのか、ラケシスは微かに刺々しい表情を浮かべた。

 

「もう、気が利かないわね。レディから誘うのはマナー違反なのよ?」

「えっ!? あ、いや、あ、その……え、ええと、ラケシス姫。よ、宜しければ、私と踊っていただけませんか?」

「……三十点ね。つまらない人」

 

 ため息をひとつ吐いたラケシスは、ステップを踏むように軽やかな足取りでフィンの手を引いた。

 

「せめて、ダンスで楽しませてくれる?」

 

 長い睫毛を可憐に揺らし、優しいような皮肉なような独特の笑顔を浮かべるノディオンの姫。

 その表情に数瞬見惚れたレンスターの若き騎士は、やがて強張った表情を緩め、ぎこちない笑顔を浮かべながら応えた。

 

「はい……! 喜んで!」

 

 数組の男女が楽曲に合わせて楽しげに踊る踊り場へ、未熟ではあるが瑞々しい活力を感じさせる若者達が加わっていった。

 

「フィン、やるじゃない。それにしても、ラケシス王女ってあんな風に笑うのねグラーニェ」

「どうして、どうしてなのよぉ~! 私のディアドラがお嫁にいくなんてひどすぎるわぁ~~ッ!!」

「人の話聞いてる? ていうか別にあなたのディアドラ様じゃないでしょうが……」

 

 備えられたソファに座りパーティを楽しんでいたエスリンだったが、フィンの健闘を見て思わずニヤニヤと含んだ笑みを見せる。

 だが、自身の隣で場末の酒場でくだを巻くかのように飲んだくれていたグラーニェの醜態を見て、一瞬で真顔になっていた。

 

「だって、だってぇ~~ッ!!」

「もう。最近調子が良くなったからって、あなたは元々身体が強い方じゃないんだから、飲みすぎは良くないわよ。はいお水」

「う゛、う゛ぅ~~……お水おいしい……」

 

 差し出された水をちびちびと飲むグラーニェに、エスリンはやれやれといった体で力なく笑っていた。

 

「……私は、いつまでこうしていればいいのだ」

「ご、ごめんねアイラ。グラーニェはお酒飲むとちょっと絡み酒になっちゃうから……」

「いや、絡み酒というか、物理的に絡まれてるのだが……」

 

 グラーニェを挟んで同じソファに座り、そう非難がましい声を上げるのはアイラ。

 しなやかな筋肉をドレスで隠したアイラの四肢に、酔いつぶれたグラーニェが手足を絡めるように抱きついている。

 身動きの取れないアイラは乾いた表情をその美しい顔に貼り付けていた。

 

「でも、よかったわね。シャナンも楽しそうじゃない」

「……そうだな」

 

 アーダンの膝の上でアーマーソードファイター(ぼくのかんがえたさいきょうの剣士)ごっこで遊ぶシャナンを見ながら、そう呟くアイラ。

 招待客の中でアイラ達の正体を知るものはシグルド陣営以外ではノディオン王家の人間しかおらず、公ではアイラはシグルドの客将身分でしかない。

 しかし、シグルドが身分の差を鑑みぬ超無礼講を許しているこのパーティ。アイラやシャナンにも楽しんでもらいたいというこの心遣いに、アイラは祝福の気持ちと共に、シグルドへ深い感謝を捧げていた。

 もっとも、その恩恵を現在最も多く受けているのは、ノディオンの姫君の軽やかなステップに必死についてくように踊る、レンスターの従騎士であったのだが。

 

「子供には何も罪はないからね」

「……エスリン。貴方にも子供がいると聞いたが」

 

 ふと、寂しげな表情を浮かべるエスリン。

 アイラはエスリンが幼い子供を残し、夫共々シグルドの救援に参上したエスリンの事情を思い起こし、気遣うように口を開いていた。

 

「ええ。アルテナっていう名前で、一歳になったばかりの娘がいるわ」

「その、会いたくないのか?」

「もちろん。可能なら今すぐにでも会いに行きたい。でも、そういうわけにはいかないから」

「その……」

「でも、お義父様やお義母様もいるし、信頼できる子が面倒を見てくれているから心配はしていないわ。セルフィナって言ってね、アルテナのお姉さんになるんだ-! って、一生懸命お世話しているの。すっごく可愛い子なのよ」

「……そうか」

「アイラも……いえ、何でもないわ」

 

 エスリンの話を聞き、優しげな微笑を浮かべるイザークの王女。

 信頼出来る家臣に恵まれているエスリンを羨ましそうに見つめるも、それ以上エスリンへ気遣う事を止める。

 エスリンもまた、アイラの現状を気遣うように口を開くも、イザーク王女であるアイラの正体を余人に知られるわけにもいかず、申し訳無さそうに言葉尻を窄めていた。

 

「……私も、このパーティを楽しむことにするよ」

「アイラ……」

 

 優しげな微笑を浮かべる王女、アイラ。

 恩のあるシグルドの晴れの日に、これ以上陰鬱な話題を続けるわけにはいかず。

 健気で、いじらしくもある剣姫の表情を、エスリンもまた微笑を持って応えていた。

 

 

「アイラ~ん……こうなったらアナタがディアドラの代わりにウチに来なさい~……はむはむ」

「何を言っているんだ貴方は……あと私の髪を食べるのはやめて頂きたい」

 

 だが、今のアイラの状況は、ちっともパーティを楽しめる状態ではなかったのであった。

 

 

 

 



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第16話『腹黒オイフェ』

 

 私は、あなたが羨ましい──

 

 グラン歴777年

 アルスター城

 

 度重なる過酷な逃亡の果て、レンスター王家の遺児であるリーフ王子がフィアナ村にて挙兵し、マンスター地方での果てなく苦しい戦いを始めてから一年。

 マンスター地方での戦いの節目ともいえるアルスター攻略を、同じくイザークにて挙兵した光の公子、セリス率いるユグドラル解放軍が成し遂げ、共に解放軍の旗頭として亡父の無念、そして世界の命運を背負った二人の少年はこのアルスターにて出会うこととなる。

 従兄弟同士でもあるセリスとリーフは、互いに尊敬の念を持って接し、この苦しく辛い戦いの苦労を分かち合う。

 

 そして、リーフ王子率いるレンスター解放軍はマンスターへ。

 セリス公子率いるユグドラル解放軍はコノートへと、それぞれ軍勢を向ける事となった。

 

 

「フィン殿、こちらにおられましたか」

「……オイフェ殿」

 

 アルスター城の中庭。

 リーフ軍の軍師である元ブラギの僧侶、アウグストと今後の戦略方針を詰めていたオイフェは、入念な打ち合わせが佳境に入り、アウグストから小休止の申し出を受け軍議が行われていた部屋から退出していた。

 どこかで一息入れるかとふらりと城内を歩くオイフェ。すると、中庭に備えられた長椅子に一人座る、レンスターの騎士、フィンの姿を見留めた。

 

「隣、よろしいか?」

「……ええ。どうぞ」

 

 オイフェはフィンの隣へ腰を下ろす。

 西に傾いた朱い陽の光が二人を茜色に染める。

 共に幼い主君、いや主君の遺児を守り育てて来た忠臣。

 分かち合える苦労は、それこそセリスとリーフの比ではない。

 オイフェとセリスと違い、フィンとリーフに安住の地は無かった。いや、ティルノナグに落ち延びてからも、帝国の魔の手が度々迫り、危うい局面も多々あった。

 だが、それでもオイフェ達はティルノナグを追われる事はなかった。ともすれば安全な場所で、着々と牙を研ぐ事ができた。

 

 フィン達に、それはない。

 フィン達がレンスター落城から今日この日まで繰り返していた悲惨な逃避行。安息の地を得たかと思えば、幾日も経たずに帝国の追手に追われ、計り知れない辛労辛苦を味わう日々。

 リーフの軍師、アウグストから大凡の事を聞いていたオイフェは、フィンが味わった苦難は察するに余りあると、その端正な口元を固く結んでいた。

 

「……」

「……」

 

 横並びになり、それまでの苦労を分かち合うかのように沈黙する二人。

 言葉はいらない。

 ただ、お互いのそれまでを想うだけで、十分だった。

 

 アルスター攻略後、リーフとアウグストに同行していたフィン。

 再会の挨拶もそこそこに、オイフェは直ぐに実務レベルでの協議をアウグストと行っている。数時間にも及ぶ綿密な会合は、解放軍の戦略、戦術、兵站、解放地の統治など幅広い分野で行われていた。

 その場には同席していなかったフィン。軍議に参加していなかった為、こうして改めてその姿を見ることとなったオイフェ。精悍な表情の下に、苛酷な戦いを繰り広げていた騎士の姿を見つめる。

 

 そして、僅かに憂慮するように眉をひそめた。

 

「随分……お変わりになりましたな」

 

 これが、あのフィン殿か。

 

 再会し、フィンの姿を見たオイフェはそう思考する。

 かつてオイフェが知るフィンは、元気いっぱいなキュアンに振り回され、困ったように笑い顔を浮かべていた。キュアンの粗相に頬を膨らませ、エスリンに宥められはにかんだ笑顔を浮かべていた。

 そして、あのノディオンの姫君の前で見せていた、赤らめた顔に嬉しそうな微笑みを浮かべていたフィン。

 

 だが、今のフィンの姿は、喜怒哀楽の感情が全て抜け落ちたような。

 ただリーフを守る為に、修羅の槍を振るう孤高の戦士の姿でしかなく。

 リーフやレンスターの解放軍にとっては、それは頼もしい姿なのかもしれない。だが、かつてのフィンを知る者が見れば、それは恐ろしく“危うい”ものに見えた。

 

 度重なる逃避行の果て、ボロボロとなったレンスターの騎士。壊れかけている彼をつなぎとめているのは、ただリーフ、そして亡き主君への忠誠心……そして、あの美しい金髪の乙女への想いだけだった。

 

「それは、オイフェ殿もでしょう」

 

 無表情にそう述べるフィン。

 口元に視線を受けつつ、オイフェは頬をかきながらフィンへ言葉を返した。

 

「いや、まあ。似合いませんか?」

「いえ、良く似合っています」

 

 とりとめのない会話の後、再び口を閉ざすオイフェとフィン。

 しばらく夕日を見つめていたが、ふとオイフェが思い出すかのように口を開いた。

 

「そういえば、デルムッドにはもう会いましたかな?」

「……はい」

 

 フィンがそう言いつつ、重たい空気を纏わせたのを察知したオイフェ。

 それを受け、ああ、やはりと、柔和な顔を悲しげに歪めていた。

 

『デルムッドはフィンとラケシスの子。そして、ナンナは()とラケシスとの子だ』

 

 アルスターでリーフ軍と合流する前。

 セリス軍の大目付として同行する、かつてシレジアの風の王子と謳われたあの人物から、そう言われていたオイフェ。

 にわかには信じられぬオイフェであったが、今のフィンの姿を見て、それは事実なのだと、言葉にできない確信めいた感情を浮かべる。

 

 あまり、私達のことは、立ち入ってくれるな。

 

 そう、言外に言われたオイフェ。

 アウグストから、フィンとリーフがレンスター落城から今までどのような足跡を辿っていたかを大凡聞いていたオイフェ。

 そして、フィンがレンスターで再会したであろう、かつて愛した人。愛した人が、自分とは別の男の子供を身籠っていた事を、フィンはどのような思いで受け止めていたのだろう。

 ターラで別れた、愛した人。それを、どのような想いで見送っていたのだろう。

 

 重苦しい空気の中、長い息をひとつ吐いたオイフェは、フィンへ努めて明るい口調で話しかけた。

 

「……フィン殿。実は、私は今の歳になっても男女の営みというものを全く知らずにいましてな」

「え……?」

 

 僅かに、無の表情からやや驚いたといった表情を浮かべるフィン。

 それに構わず、オイフェは飄々とした感じで言葉を続ける。

 

「ですので、フィン殿がデルムッド……ラケシス様への想いで苦しんでいるのは、私には分からぬ苦しみです」

「……」

「今の今まで、私の中にあるのは、ただセリス様を立派に育て……そして、グランベルの王として君臨して頂くことだけなのです」

「それは……」

 

 私も、同じです。

 そう言おうとしたフィンだが、オイフェが己の何もかもをセリスに捧げていたという凄まじい覚悟を感じ取り、それ以上口を開くことは出来なかった。

 

「私の幸せは、セリス様です。セリス様の幸せだけが、私の幸せなのです」

「……私は、貴方が羨ましい。私には、そこまでの純粋な思いは無い」

 

 フィンは己の覚悟が足りぬと、オイフェにそう叱責されているように感じ、辛そうに表情を歪める。

 

「我々は、シグルド様やキュアン様を救えなかった」

「……」

「だけど、今はセリス様とリーフ様がいる。共に戦う、頼もしい仲間もいる」

「……そう、ですね」

 

 顔を上げたフィンは、清廉な忠義に身を焦がす、口ひげを蓄えたかつての少年軍師の顔を見る。

 オイフェはすっと立ち上がると、フィンへ貼り付けたかのような笑顔を向けていた。

 

「戦いはまだまだ続きます。ですが、我々は決して一人ではない。その事をどうかお忘れなく」

「オイフェ殿……」

 

 さて、これ以上アウグスト殿を待たせるわけにはいきませんな。

 そう言い残し、オイフェはフィンの前から立ち去っていく。

 壊れそうな自分を、オイフェなりに励ましてくれたのか。

 そう思ったフィンは、オイフェの後姿を僅かな謝意と共に見つめていた。

 

 そして、はっとしたように目を見開いた。

 

(ああ、オイフェ殿は……)

 

 ()()()()()()()()()()()

 キュアンへの想い、リーフへの想い、そして、ラケシスへの想い。それらの想いで、ギリギリで踏みとどまっていた自分とは違い、とっくに壊れていたのだ。

 一度壊れた自分を、セリスへの忠義、そして世界を暗黒教団から救うという使命感で、作り直していたのだ。

 

「オイフェ殿……」

 

 共に聖戦の系譜を懐き、苦難の道を歩んできた者同士。

 だが、決定的に違うその生き様。

 フィンは深く目を閉じると、オイフェが見せた哀しい忠義に想いを馳せていた。

 

 フィンがオイフェの心の奥底に秘める悍ましいまでの怨恨に気付くことは、終ぞ無かった。

 

 

 


 

「皆、楽しそうだ……」

 

 オイフェはシグルドとディアドラの邪魔をしないように、パーティ会場を散歩するようにのんびりと歩いていた。

 シグルドとディアドラの仲睦まじい様子を永遠に眺めていたい衝動もあったが、かつての陽だまりである勇者達の輝かしい姿も見たく、こうしてパーティ会場を回っている。

 

「……?」

 

 ふと、オイフェは壁際にもたれかかり、物憂げな表情を浮かべながら佇む、ヴェルダンの新王であるジャムカの姿を見留めた。

 ヴェルダン王族の正装であるトーブ調の民族衣装を纏ったジャムカは、僅かな供回りと共に黙々とグラスを傾けていた。

 

「ジャムカ王」

「オイフェか」

 

 ジャムカは声をかけてきたオイフェにふっと寂しげな笑みを浮かべる。

 供回りは主君の空気を察したのか、オイフェとジャムカの会話の邪魔にならないように後ろへ控えていた。

 

「……このパーティは、お気に召しませんか?」

「そういうわけではないんだが……俺が楽しんで良い場じゃないからな」

 

 ふと、ジャムカはパーティ会場の中央へと視線を向ける。

 エーディンがアゼルとミデェールに挟まれあたふたしている様子を、眩しそうに目を細めて見つめていた。

 

「ジャムカ王、そのようなことは」

「いや、いいんだ。婚礼では大役を担わせてくれたし、これ以上は自重しておく」

 

 そう言ったジャムカは、手にしたグラスを煽ると、ふうと重い息を吐く。

 

「……その節は、本当に、どう御礼を申し上げていいのか」

「いや、むしろ礼を言いたいのはこちらの方だ。まあ、これを機にヴェルダンが少しでも許されるといいな」

「はい……」

 

 オイフェはジャムカが婚礼時、ディアドラの親族役として共にヴァージンロードを歩いていた姿を思い起こす。

 ジャムカの逞しい腕に手を絡ませ、静々とシグルドの元へ歩くディアドラ。ゆっくりと、花嫁と歩調を合わせていたジャムカ。大事な役割を担った若きヴェルダン王へ、オイフェは混じりけのない純粋な感謝を捧げていた。

 

 王国聖騎士、そして属州総督としてヴェルダンを統治する事となったシグルド。

 その結婚相手となったディアドラ。しかし、その身分は平民、それも素性不明の森の民でしかなく。

 前回では、此度の婚礼とは違い形だけの婚礼を上げていたシグルドとディアドラ。祝福する者達も、シグルド陣営の数名のみという寂しいものであったが、ディアドラの身分にまで気を回す必要はなかった。

 だが、此度の婚礼はシグルドの属州総督としてのお披露目でもある。故に、ディアドラの身分の格をそれなりに整える必要があった。

 得体の知れない端女を妻に迎えるなど、今のシグルドの身分では許されないのだ。

 

 しかし、だからといってディアドラの本当の身分を公にするわけにはいかない。少しでも匂わせるだけで、暗黒教団の魔の手が伸びてくるのは必至であり。

 そこで、オイフェはディアドラをヴェルダン王家の係累として、その身分を捏造する事を計画する。

 属国と成り果てたヴェルダンの新王として、戦後処理を忙しなく働くジャムカの元を訪れたオイフェ。オイフェは徴税の軽減と引き換えにジャムカへこの申し出をしており、戦後復興の為少しでも国庫を潤したいジャムカが断る理由は無く。

 

 こうして、ディアドラはジャムカの亡父が密かに産ませた庶子としての身分を得る。

 立場上シグルドの義兄となったジャムカであるが、征服された国の子女が征服者へ嫁ぐのは周囲からみても不自然ではなく、むしろシグルドと形式的ではあるが縁戚関係となれたのは、ジャムカが国家元首である以上悪くない“取引”であった。

 

 ディアドラ自身は当初、恐れ多すぎるといった理由でこの事を固辞しようとしていた。だが、オイフェにシグルドの妻となるにはこのような形式を踏まなければならないとやんわりと諭され、渋々と頷いている。

 当然、シグルドはシグルドでディアドラの身分がどのようなものであれ、妻に迎えるのは厭わないと鼻息を荒くさせていたが、オイフェ、そしてパルマーク司祭のいつも通りの理攻めの説得により、最終的には首を縦に振り、諸々の手続きの承認を下していた。

 

「オイフェ、めでたい日にまでジャムカ王と悪巧みか?」

「エルトシャン王……いえ、悪巧みでは……」

「いや、冗談だ」

 

 しばらくとりとめのない話をしていたオイフェとジャムカであったが、そこへイーヴを連れ、グラスを片手にしたエルトシャンが声をかける。

 慌てて応対するオイフェに、エルトシャンは色気がある整った顔立ちを柔和に和らげていた。

 

「しかし、公爵家の参列者はシアルフィとユングヴィからしか来ていないのだな……バーハラからは法務官のフィノーラ卿のみ。レンスターからはキュアン達が来ているとしても、少々寂しいな。これは」

「……」

 

 ふと、エルトシャンはパーティ会場を見回すようにさりげなく視線を回す。

 エルトシャンの言う通り、この婚礼に参列した貴族諸侯は多くなく。フリージ、ドズル、ヴェルトマーの貴族は誰一人として参列しておらず、エッダ公爵家からも参列者はいない。

 バーハラ王宮から駆けつけたフィラート卿は、現在旧知であるパルマーク司祭と談笑している。彼は、王宮では中立の立場を保っていたが、心情的にはバイロン……つまり、シアルフィ派に傾いていた。

 

 オイフェはフリージらシアルフィと敵対する公爵家へは一通も招待状を送っていないので、シアルフィやユングヴィ以外の公爵家からの参列者が少ないのは当たり前ともいえた。

 エッダ家に関しては、今後の計画上絶対的な中立の立場を取ってもらわねばならず、あえて招待リストから外している。

 そして何よりディアドラ、アイラ達の姿をフリージ、ドズル、そしてヴェルトマーの者に見せるわけにはいかないという理由があった。

 

 アイラやシャナンについては、現在戦争中のイザーク王族である為、当然ながらその顔を知るものに見られるわけにはいかず。もっとも、元々アイラ達は国家間の社交界に出ることはほとんど無かったので、参列した貴族がその正体を看破することは無かった。

 ディアドラについては言わずもがなである。少しでも暗黒教団との関わりが疑われる者へは、そもそも招待状を送付していなかったのだ。

 

「ウチの商家連中も何人か来ているようだけど、もう少し来てほしかったんじゃないか?」

「仕方ありません。今はイザークと戦時中ですし……エルトシャン王やジャムカ王が来てくれただけでも十分光栄です。主のシグルドに代わって、改めて御礼申し上げます」

 

 ぺこりと頭を上げるオイフェに、ノディオンとヴェルダンの王は何となしに決まりが悪そうに頭をかいていた。

 

「いや……オイフェ。私も、お前に礼を言わねばならない」

「え?」

「グラーニェの事だ。あれの為に希少な薬草を届けてくれた礼は、まだしていない」

「ああ、その件は……」

 

 真摯な視線をオイフェに向けるエルトシャン。ノディオンの獅子王は、この少年軍師に感謝をしていた。

 妻であるグラーニェは、元々病弱な体質であり。今現在の活発なグラーニェを見ると信じられぬことだが、つい数週間前までは床に臥せっているのも珍しくなかったのだ。

 だが、オイフェが婚礼の招待状を携え、シグルドと共にノディオンへ訪れた際。オイフェは入手していたジェノア領で僅かに取れる、滋養強壮の効果が高い薬草も持参していた。

 それを服用したグラーニェは、日に日に体調が快復しており。その効能に驚いたエルトシャンは、シグルド、そしてオイフェへただただ感謝するだけであった。

 

 この薬草であるが、ジェノアの商家が細々と栽培していた希少性の高い薬草であり、原産地はトラキア地方の山深い場所にある。だが、養殖環境を整えるのは非常に難しく、ジェノア商家は幾度とない試行錯誤の上、偶然その環境を整える事に成功していた。

 といっても、生産量は極々僅かなもので、商家はその薬草を流通させることなく秘匿財産として所有していた。

 

 トラキアの山巓に自生している薬草の原種を入手するのは、ノディオン王家でも非常に難しい代物であり、そもそもその存在は一般的に知られていない。トラキア王家ですら数年に一度入手できるかというそれを、オイフェは諸々の利益供与の約束と引き換えに全てエバンス城へ献上するよう手配している。

 ジェノア商家としては解放者であるシグルド、その実質的な頭脳であるオイフェへ恩を売る機会を逃すわけにもいかず、嬉々として薬草を差し出していた。

 

 オイフェが秘匿していた薬草を知っていた事を、交渉に訪れた少年軍師の異様な気迫に押されたジェノア商家が追求することは無かった。

 

「エルトシャン王。あの薬草は根本的な治癒効果が認められた薬草ではありません」

「うむ……」

「ですので、()()()()服用する必要があります。あまり無理はさせないよう、グラーニェ王后へしっかり注意するようお願いします」

「ああ。分かっている」

「もちろん、薬草は定期的にノディオンへ届けるよう手配しますので、そこはご安心ください」

「ああ……すまないな、オイフェ」

「いえ。礼には及びません。エルトシャン王は、シグルド様の()()()()()()ですから」

 

 頭を下げようとするエルトシャンへ、謙虚な姿勢で応えるオイフェ。

 だが、その腹の中はやや黒い思惑が滲んでおり。

 

(まるでグラーニェ王后の健康を人質にしているみたいだな。いや、シグルド総督に限ってそのようなつもりはないのだろうが……)

 

 一流の狙撃手としての顔も持つジャムカは、それを僅かに察知するも、直ぐに頭を振りその思いを打ち消す。

 だが、ジャムカのこの推量は、その卓越した弓術に見合うかのように的を射ていた。

 

 オイフェは、エルトシャンを何が何でもシグルド陣営に引きずり込む腹積もりであり。

 その為には、外道と謗られようとも構わないほどの、悪辣な手段を用いる覚悟であった。

 希少薬草は、その栽培地を特定出来ぬよう、オイフェの手により絶対的な秘匿を施されており。オイフェとジェノア商家以外では、秘匿工作を手伝ったデューでしかその栽培地を知る者はいなかった。

 

 

「むっ。ラケシスと踊っているのは」

「キュアン様の部下で、レンスターの従騎士であるフィン殿ですね」

「そうか……従騎士か……キュアンの……うーむ……」

 

 ふと、エルトシャンは踊り場で青髪の若者と可憐に舞う妹の姿を見留める。

 オイフェの言葉を受け、難しそうに表情を歪めていた。

 

(フィン殿……今回は、前回以上に上手くやってくださいね……)

 

 微笑の内に、自身の悲願達成の黒い感情を滲ませるオイフェ。

 フィンはレンスターの、キュアンの騎士。そして、キュアンはシグルドと義兄弟であり、絶対的な信頼関係で結ばれた盟友。

 故に、フィンがラケシスと結ばれるのは、エルトシャンをシグルド陣営へ()()()()一助となるはずだ。

 

 最期には忠義より家族の情を優先したエルトシャン。

 それをよく知っていたオイフェは、妻、そして妹という()を打ち込む為、増々フィンの恋路を援護するべくその頭脳を働かせていた。

 

(……もう、あのような複雑な関係は見たくない)

 

 オイフェは想う。

 フィンと、ラケシス。

 そして、あの風のような自由騎士との関係を。

 

 それは切なくて、悲しくて、尊い男女の関係。

 男女の情愛に疎いオイフェですら、その純粋で、歪な関係は、心に重たいしこりを感じさせる関係だった。

 

(ならばこそ、彼と会う必要がある……)

 

 フィンの恋敵というには大いに複雑な背景を抱える、エルトシャンの旧友でもある自由騎士の姿を思うオイフェ。

 フィンの援護以上に、オイフェの大計略で必要なその人物は、剣姫の夫であるあの大剣豪と並び、この段階で必ず出会う必要があった。

 

「あのエルトシャン王、お礼の代わりといっては何ですが、ひとつお願いが」

「なんだ?」

 

 その人物を得るべく。

 オイフェは自身の策謀を悟らせないよう、可憐な口を歪めていた。

 

「手練の傭兵を紹介して頂きたく」

 

 少年軍師の秘めた計略は、暖かい晩餐会と反比例するかのように、冷酷な温度を発していた。

 

 

 

 

 



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第17話『撹拌オイフェ』

 

 グラン暦778年

 フリージ城南方森林地帯

 

 解放戦争終盤。

 光の公子セリス率いる解放軍は、ドズル城制圧後フリージ城を攻略するべく軍勢を進める。

 だが、フリージ城へ至る道中。

 セリス達は、物見の報告によりユングヴィの弓騎士団、バイゲリッター出撃の報を受ける。

 

 このままでは、フリージの雷騎士団ゲルプリッターと挟撃される──

 

 動揺を見せる解放軍の主だった者達。

 だが、解放軍の総帥であるセリス、そして政略、軍略面で支えるオイフェとシャナン、更にセリスの個人的な軍師にして解放軍の軍監でもある風の賢者──レヴィンは、冷静にその報告を受けていた。

 

「オイフェ、シャナン、レヴィン。このまま全軍でバイゲリッターの迎撃に向かうのはどうだろうか」

 

 設営された大天幕。その中心で、青磁器のような透き通った声が響く。

 どこか幼さを感じさせつつも、解放軍の旗頭としての風格も備える甘いマスクの貴公子──セリス・バルドス・シアルフィが、そう自論を述べていた。

 世界を救う運命をも背負ったこの若き公子は、危急の事態を受けても慌てずに状況を分析しており。

 その堂に入った姿に、オイフェは愛した主君の忘れ形見の成長ぶりを感じる。

 思わず、目頭が熱くなった。

 

「同感だ。ゲルブリッターは装甲魔導兵主体の騎士団だ。我々がバイゲリッターを迎え撃っている間に攻め寄せる程の機動力は無い」

「シャナンの言う通りだな。それにしても、同じ聖戦士の家だというのに……あの馬鹿者共は……」

 

 セリスの意見に真っ先に同意する、イザークの王子シャナン。神剣バルムンクを持つ解放軍の主力を担う王族剣豪である。

 そして、フリージやユングヴィの者達へ毒づきながらシャナンに同調するのはレヴィン。

 かつての自由を愛し、暖かい光と風を運んだシレジアの王子の面影は今は無く。厳格な態度を常に保ち、セリスや解放軍の若者達を厳しく指導する解放軍の重鎮である。

 実の息子や娘すら顧みぬその厳しい態度は、余人を近づけさせぬ冷たい空気を放っており、まともに会話出来るのは解放軍の中ではセリス達のみであった。

 

「なら、一旦フリージ城への進軍は中断して──」

 

 シャナンとレヴィンの言葉を受け、即断を下すセリス。

 そのまま、全軍へ号令をかけようとした。

 

「お待ち下さい、セリス様」

 

 だが、解放軍の実質的な軍師であるオイフェが待ったをかける。

 

「オイフェ。他にどのような策があるというのだ」

「シャナン、ここはあえて軍勢を分けるのが上策だ」

「なんだと?」

 

 オイフェの進言に、セリス、シャナン、レヴィンは怪訝な表情を浮かべる。特に直接疑問を呈したシャナンは更に表情を険しくしており。

 各個撃破の機会をわざわざ棒に振り、敵軍の思惑通り軍勢を分ける愚を犯すオイフェの意図が掴めず、続きを促すように視線を向ける。

 その視線を受け、オイフェは献策を続けた。

 

「バイゲリッター、ゲルブリッター。なるほど、確かにグランベル有数の戦力を持つ騎士団です。しかし……」

 

 一呼吸を置くオイフェ。

 その表情は、冷徹に戦場を俯瞰する軍師の面貌であった。

 

「我々もまた、数多くの敵を屠ってきた選りすぐりの精兵です。軍勢を分けたところで、()()()()()()()()()()()物の数ではありません」

「それは……」

「そうかもしれないが……」

 

 セリスとシャナンは、ともすれば敵を過小評価するオイフェに渋い表情を向ける。

 ここに来て慢心ともいえる油断を見せるオイフェ。そう捉える二人に、オイフェは更に言葉を重ねる。

 

「軍勢を分ける理由は更にあります。全軍でバイゲリッターを迎え撃つのは確かに確実ですが、その間にバーハラに控えるヴァイスリッターが増援に来る可能性があります。フリージ城に籠もられては、攻略に時間がかかり……生贄として攫われた子供達の生命も危うい」

 

 そして、ユリア様の安否も……

 そこまで言い切ったオイフェ。セリスとシャナンははっとしたように表情を一変させる。

 

 解放軍に、時間の猶予はそもそも無い。

 時をかければかけるほど、ロプトの生贄として攫われた子供達、そして暗黒教団に拐かされたユリアが、どのような仕打ちを受けるかわからない。

 そして、暗黒神の復活の時も近い。

 解放戦争は、ただの反乱ではなく、この世界に光を取り戻す為の聖戦なのだ。悠長に時をかけて良い戦いではなかった。

 

 だが、この時のオイフェは子供達の心配以上に、その子供達を()()()()()()()()という風評が立つのを恐れ、フリージとユングヴィ両騎士団の早期殲滅を進言していた。

 それは、全てが終わった後に始まる、セリスの王道の為。戦後を見据えた、オイフェの冷徹な判断である。

 

「レヴィン様。私が見た所、ゲルブリッターはセティやホーク達だけでも十分に渡り合えると思いますが」

 

 ふと、オイフェは先程から腕を組み、黙して思考するレヴィンへ声をかける。

 レヴィンは重たい息を吐きつつオイフェへ応えた。

 

「……確かにな。風は(いかづち)を容易く打ち払う。ゲルブリッターはあれらだけで互角に渡り合えるだろう。あれはまだまだフォルセティを使いこなせていないが、ここで神器の潜在能力を最大限に解放する事ができれば……あれ一人で、フリージを攻略する事も可能だ」

 

 神器持ちによる単独での城塞攻略を仄めかすレヴィン。荒唐無稽ともいえる言い草だが、そもそも十二聖戦士が遺した神器は大量破壊兵器ともいえる戦略性を持っている。

 その中でも特に絶大な威力を発揮していたのは、風使いセティが遺した風魔法フォルセティ。その最大出力は、局地的な暴風域を発生せしめる事が可能であり、文字通り一騎当千の性能を誇っている。

 かつての聖戦士の一人、風使いセティと同じ名を抱く風の勇者。かの青年が、その潜在能力を十全に発揮する事ができれば、軍勢を分けたところで解放軍が敗れるはずがないのだ。

 もっとも、それを行うには術者に多大な負荷をかける必要があり、下手をすればセティの命と引き換えになる恐れもある。故に、フリージ攻略にはそれなりに戦力を割く必要もあるのだが。

 

「レヴィン……」

 

 レヴィンは実の息子であるセティの名を決して言おうとはしない。親子の情が一切感じられぬその言葉を聞いたセリスは、少しだけ哀しそうな表情を浮かべる。

 

 咳払いをひとつするオイフェ。

 やや重苦しい空気を払うように、かねてより策定していた部隊配置をセリスへ進言する。

 

「ではセリス様。セティらマギ団、リーフ様率いるレンスター解放軍、アルテナ様の航空騎兵部隊、アーサーの魔道士隊、アレスの傭兵隊、そしてセリス様の本隊はフリージ城へ。シャナン率いるイザーク抜刀隊、ヨハンら重戦士隊、そしてハンニバル将軍の装甲部隊はバイゲリッターの迎撃へ。ファバルやレスターの弓兵隊もシャナン達の支援に回します」

「……分かった。二人もそれでいいね?」

 

 的確な部隊配置を進言するオイフェに、セリスは介然と頷く。とはいえ、既に部隊がそのように動けるようオイフェが手配済なのもあり、内心舌を巻いていた。

 

 オイフェの真骨頂は、勝つ為の戦略、戦術を考案する事に非ず。大軍を手足のように操る、卓越した軍政手腕にある。

 兵站、編成、指揮統制。軍隊が行軍を開始する為に必要な計画策定を、オイフェは通常の倍以上のスピードで処理することが出来た。

 その桁外れな軍事官僚的才能は、リーフ軍の軍師アウグストをして「もしオイフェ殿がセリス様ではなくリーフ様に仕えていたら、我が軍はもう半年早くマンスター地方を解放していただろう」と評する程である。

 リーフ軍の兵站任務を担う自由都市ターラ前市長の娘、リノアン公女などはオイフェを「先生」と呼び崇拝する程で、曰く「トラキア戦以降、私達は一度も飢えたことが無い」と、特に兵糧調達能力を高く評価していた。

 それ程までに、オイフェは解放軍全軍にとって無くてはならない、実務的支柱となっていたのだ。

 

 セリスの言葉を受け、シャナンやレヴィンも鷹揚に頷く。

 

「よし。そうとなれば早速──」

 

 バルムンクの柄に手をかけ、麾下の剣士隊に号令をかけるべく立ち上がるシャナン。

 

 すると、天幕の入り口から活発な戦乙女の声が響いた。

 

 

「シャナン様! わたし達の出番ですね!」

 

 

 幕内へ元気良く乱入する一人の剣豪乙女。ずかずかと遠慮なしにシャナンの前へ歩くその乙女の名は、シャナンの従妹であり、イザーク──否、もはやユグドラル最強の剣士となりつつある、ラクチェだ。

 その業前は、バルムンク無しのシャナンでは、もはや必勝は期し難い程のものであり。

 あけすけな活発さを見せるラクチェの姿を見て、シャナンは嘆くようにこめかみに手を当て、レヴィンは重たいため息をつき、セリスとオイフェは苦笑いを浮かべていた。

 

「おいラクチェ! 勝手に入るんじゃ──!」

「ああもうこの猪武者女は! ご、ごめんなさい! セリス様!」

「軍議に乱入とか頭おかしいんじゃないのアンタは!」

 

 そのラクチェを追いかけるように慌てて天幕へ入る若者達。

 イザーク抜刀隊の精鋭であるロドルバン、ラドネイの兄妹。それと、リーフ軍から父共々イザーク抜刀隊に参加した、イザーク王家傍系の乙女であるマリータ。

 

「……申し訳ありません。妹が粗相を」

 

 最後に現れたのは、ラクチェの双子の兄であり、剣技において妹と双璧を成す剣豪青年、スカサハだ。

 そのようなスカサハ達を無視し、ラクチェは俄然気炎を上げる。

 

「シャナン様! わたし達が出るからには派手にやりましょう! バイゲリッターの連中を()()()してやるんです!」

「か、かく拌……?」

「ラクチェ、かく乱じゃないの?」

 

 威勢の良い猪突猛進乙女に、シャナンはツッコミが追いつかないかのように言葉を詰まらせる。

 思わず訂正の声を上げるセリスに、ラクチェは不敵な笑みを向けた。

 

「いいえセリス様! かく拌です! 刃物を使ってね!」

「そ、そうなんだ。すごいねラクチェは」

「そうなんです! すごいんですわたしは!」

 

 ふんす、と鼻息を荒くさせ、牙をむき出しにしながら可愛らしい……いや、獰猛な嗤いを見せる剣豪乙女。母の形見である勇者の剣を握りしめるその体躯から、純粋な戦意が滲み出ている。

 そして、ラクチェの言は確かな実力に裏打ちされた言葉でもあり。

 母であるアイラ、そして従兄であるシャナン……いや歴代イザーク王家──開祖である剣聖オードですら成し遂げ得なかった、流星の(つるぎ)の新たなる境地。

 

 秘剣“流星剣十段斬り”

 

 自身を発狂寸前まで追い込むことで達成されるこの絶技は、通常五回の斬撃を放つイザーク剣法奥義“流星剣”を、倍の十回の斬撃で行う、ラクチェが開眼した流星剣の究極進化形である。

 

 この十度の斬撃を最後まで受けて生き延びた人間はいない。

 シャナンやスカサハ、そして同じオードの系譜を抱くリーフ軍の切り込み隊長、ガルザスとマリータの親子ですら、木剣を用いた模擬戦でようやっと凌げるレベルだ。冷やかしでラクチェの稽古に参加したシャナンの偽者、シャナムなどは、一合打ち合っただけで瞬殺されている。

 故に、ラクチェの言う通り、敵陣をかき回し、文字通り撹拌せしめる事が可能であろう。

 

「ミンチよりひどいことにしてやりますよ!」

「そうなんだぁ……すごいねぇ……」

 

 光の公子はやや顔を引き攣らせ、剣豪乙女の現実味のある残酷無残な発言に若干引いていた。

 

「ラクチェ。刃物といってもたかが知れている。余り過信するな」

 

 そうラクチェを嗜めるスカサハ。

 父の形見である銀の大剣を背負いながら、いささか暴走気味に戦意を昂ぶらせる妹に渋い表情を浮かべていた。

 

 ラクチェと対を成すように卓越した剣技を見せるスカサハ。

 彼はイザーク剣法の奥義を、妹とは別の形で昇華していた。

 

 秘剣“真・月光剣”

 

 イザーク王家、そしてイザーク剣法の開祖である剣聖オード。

 かの剣聖の高弟に、後のソファラ領領主、リボー領領主となる二人の男がいた。

 二尺八寸(約85cm)の片刃剣を好んで使用するオードに、高弟達は九尺(約300cm)以上もある巨大な大剣にて稽古相手を務めていたという。

 オードが神速の斬撃を複数回放つ術理を得る為に、その稽古台となった二人の高弟。自然と、オードと相反するように、大剣による一撃必殺剣法の術理を会得していった。

 重装甲に守られた敵兵ですら一刀のもとに斬り捨てる、必殺にして決死の斬撃。

 それが、ソファラ一族とリボー一族に連綿と伝わる秘剣“月光剣”である。

 

 その月光剣を十全に使いこなし、かつてのシグルド軍の中核を担っていたのは、ラクチェとスカサハの父であり、ソファラ領領主の息子、ホリン。

 志半ばで斃れた大剣豪の遺志は、シャナンを通じてスカサハへとしっかりと受け継がれていた。

 古に繰り広げられた剣聖と高弟達との稽古と同じように、スカサハは大型木剣にてラクチェの稽古相手を務めている。それ故なのか、従兄を通じて託された亡父の絶技を、より強力な形で練り上げていたのだ。

 

 渋面を浮かべるスカサハに、ラクチェは変わらず元気いっぱいに応える。

 

「わかったわ!」

「わかってないだろ」

「わかってるわよ! 要は全員ぶった斬ればいいって事でしょう!」

「いやバサークでもキメてるのかお前は」

「あ、あの、スカサハもラクチェも程々に、ね?」

 

 砂漠に水を撒くかのようにスカサハの言が全く響いていないラクチェ。おずおずと仲裁をするセリスを余所に、双子の剣士は幾度も繰り返されたであろう兄妹げんかを演じていた。

 

「お前達というやつは……ううむ……」

 

 それを見て、シャナンは額に当てた手の力を強める。イザークの将来を担う若者達の、頼もしくも残念なその有様に、とうとう頭痛を覚えるにまで至ったシャナン。耐え切れぬといった風に、うめき声をひとつ上げる。

 だが、同じくラクチェ達の様子を見ていたオイフェは、くすりと忍び笑いを漏らした。

 

「何がおかしい」

 

 じっとりとした目でオイフェを睨むシャナン。

 オイフェは、何かを懐かしむように口を開いた。

 

「いや、なに。血は争えぬなと思ってな」

「……まあ、そうだな」

 

 眉をひそめながらも、同じ様にどこか昔を懐かしむように表情を和らげるシャナン。

 かつて見た、聖戦士達の親達の光景。

 

 スカサハとラクチェの両親、ホリンとアイラ。

 普段は冷静沈着であるアイラは、こと戦場ではその高ぶった戦意を剥き出しにし、無茶な戦術を取る事も多く。それを、ホリンが正論を持って注意する。

 だが、寡黙なホリンが反発するアイラを説き伏せるほど、流暢な説得が出来る事は稀であり、ついにはお互い剣の柄に手をかけるほど、一触即発の事態になるのはしばしばであった。

 それを、シグルドが慌てて仲裁に入る。嘆息しながらも、どこか柔らかい空気を放つシグルドに、ホリンとアイラは毒気を抜かれたように矛を収める。

 

 それと同じ光景が、オイフェとシャナンの前で繰り広げられていた。

 セリスが一生懸命双子の仲裁に入る様子が、亡父シグルドの姿と重なる。

 もっともアイラとは違い、ラクチェは日常から勇猛果敢猪突猛進馬耳東風ではあったが。

 

「……」

 

 昔を懐かしむように目を細めるオイフェ。

 そして、その様子をじっと見据える、風の賢者。

 

(オイフェ……お前は、やはり……)

 

 レヴィンは、オイフェの瞳の奥底に隠された亡き主君への粘ついた執心を見抜いていた。

 オイフェが想うセリスへの愛情は本物。しかし、それは、あくまでシグルドという存在があってこそのもの。

 シャナンは既にその想いから脱却し、ただ暗黒の世を払う為に正義の剣を振っていた。イザークの王子は、未来の為に剣を奮っているのだ。

 だがオイフェは。

 過去の為、そして燻り続ける怨みの為に、その智謀を奮っていた。

 

(……今は……それに、これからも……オイフェの力は必要だ)

 

 レヴィンはあえてこの(ひずみ)を正そうとせず、そのまま静観していた。

 今のオイフェをうかつに触ると、どのような変化を遂げるかわからない。

 ロプトを打倒し、セリスによるユグドラル大陸統治を大磐石の重きに導く為には、オイフェの卓越した政治力が必要なのだ。

 

(神竜王ナーガよ、聖竜ティルヴィングよ。このバルドの系譜を継ぐ、哀れな男が全ての役割を終えた時……願わくば、その魂を救いたまえ……)

 

 瞑目しながら、レヴィンはそう想う。

 レヴィン──いや、風竜フォルセティの魂を宿した契約者は、妄執に囚われた人間の魂の救済を、静かに願っていた。

 

 

「『たかが知れている』けど『派手に』ですと……」

「うん……頑張ろう……」

「バサーク……暗黒の剣……うっ、頭が……!」

 

 天幕内では、剣豪兄妹に付き合わされるロドルバンとラドネイ兄妹、そしてマリータの悲痛な呟きが響いていた。

 

 

 

 


 

「というわけで闘技場に行きましょう、アイラ殿」

「何がというわけなのだ……」

 

 グラン暦757年

 エバンス城

 

 シグルドとディアドラの婚礼から一ヶ月が経過していた。

 この間、シグルドはオイフェの助けも借り、滞りなくヴェルダンを治めている。

 属国と成ったヴェルダン王国も、総督であるシグルドには歯向かう姿勢も無く、粛々とその統治を受け入れていた。ヴェルダンの民衆も苛税に苦しめられることもなく、日々の生産活動を精力的に行っている。

 特にオイフェが考案した減税政策が多いに反映された施政により、民衆──特に商家には大幅な軽減税率が施されており、直接戦災被害にあった地域住民には一年間の免税を施すなど破格の対応を受けている。

 結果として、領内の余剰の富がインフラ等の各種開発投資に回されており、シグルドの善政に応えるのもあってか、ヴェルダンの国内総生産は戦前に比べ二割以上の伸びを見せている。

 ヴェルダン領は、短期間で驚くほど豊かな景況を見せていたのだ。

 

 もっとも、グランベル本国は属州総督領へ容赦なく徴税を課しているのだが、これに関してはオイフェが画策した()()()商業活動にて、その資金を十分に賄っていた。

 

「エバンス城下の闘技場に()()()剣士が来ているとの情報を得ましたので」

 

 エバンス城の中庭で、甥であるシャナンに剣の稽古をつけていたアイラ。そこに、澄し顔でそう話すのは、紅顔の美少年軍師オイフェ。

 ちょうど稽古が一段落したのを見計らって声をかけており、アイラは汗でしっとりと濡れた身体を手ぬぐいで拭いながらオイフェの話を聞いていた。

 

「アイラ、闘技場へ行くの?」

「いや、私は……」

「行くなら僕も連れてってよ! アイラが闘技場で戦うの、僕も見たい!」

「いや、まだ行くとは……」

 

 稽古の疲れはなんのその、元気いっぱいな様子を見せるシャナン。

 幼く無垢な甥っ子の視線を受け、アイラは困ったように美しい顔を歪めていた。

 

「アイラ殿。これはアイラ殿の為でもあるんですよ」

「どういう事だ?」

 

 オイフェにそう言われ、怪訝な表情を浮かべるアイラ。

 美少年軍師はつらつらと言葉を続ける。

 

「率直に聞きますが、アイラ殿はイザークから落ち延びてから、ご自身の稽古が出来ていますか?」

「……シャナンの稽古が優先だから、出来ていないのは確かだ」

「なら、たまにはご自分の為に剣技を磨いてみませんか? という話です。正直、アイラ殿のお相手を出来る方は、今のシグルド様の麾下にはいませんので」

「む……」

 

 考え込むように顎に手を当てるアイラ。

 言葉には出さないが、確かに現在のシグルド軍の中でアイラと一対一で戦える近接兵科の人間は皆無であるのを認識していた。

 剣士に対し優位に立てる、優れた槍騎士であるはずのキュアンですら、「ゲイボルグがあったら相手してやらんでもない」と堂々と言い放つレベルであり。この情けない夫の発言を聞いた妻のエスリンは、厳重に保管している自身の行李、それもやたら長い行李をチラチラと見ながら、なんとも言えない微妙な表情を浮かべていたという。

 また、武勲一番のレックスならば、勝てぬまでもアイラの剣戟を受け止められる可能性はあった。

 だが、彼はいい男(エリート)だ。

 別の意味で受け止めかねないし、そもそもアイラは女である。色んな意味で受け止めてもらえないだろう。

 

 かくして、シグルド軍に参加してからも、アイラはシャナンの稽古をつけるだけで自身の稽古は全く捗らず。

 己の成長に歯止めがかかっている現状を、日々忸怩たる思いで過ごしていたのだ。

 

「……なら、行く」

「はい。じゃあ、早速行きましょう。シャナンも一緒にね」

「アイラ! がんばろうね!」

 

 渋々、といった体で頷くアイラ。

 敬愛する伯母のアイラの活躍を見れると思ったシャナンは、嬉しそうに目を輝かせていた。

 

「……優れた剣士、か」

 

 そしてアイラ自身も、燻っていた己の戦意が思う存分発散出来るとやる気を滲ませており。

 オイフェのお眼鏡にかなう剣士の実力とやらは、一体どれ程のものなのかと、内なる闘志を静かに燃やしていた。

 

(……まず、一人)

 

 それを、どこか冷たい瞳で見つめるオイフェ。

 内なる怨恨を幽闇に燻ぶらせ、二度目となるこの世界を撹拌するべく。

 その手段である大剣豪を、確実に獲得すべく策動していた。

 

 

 

 

 

 

 




※十二の古代竜族の一人である聖竜さんの名前は適当です。名前がはっきりしているのはナーガのおやびんとミストルティンの兄貴とサラマンドの兄貴とフォルセティの兄貴くらいなので……。だいたい神器の名前と一緒だとは思いますが、もし判明している場合はご一報いただきたく存じます。


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第18話『借金オイフェ』

 

 エバンス城下にある闘技場は、各地に設けられた闘技場と同じく、その運営はミレトスの商業ギルドが行っている。

 闘技場以外でも、各地の流通や金融におけるミレトス商業ギルドの影響力は強く、グラン共和国時代から商業の中心地であったミレトスは世界中を経済的に支配しているといっても過言ではなかった。

 ロプト帝国時代に一度壊滅的な被害を受けたものの、その後のグランベル王国成立と共に往時の勢いを取り戻している。

 

 そして、商業ギルドが運営する闘技場は、在野の荒くれ者達による腕試しの場に留まらず、大衆娯楽、つまるところ公営賭博の顔も持っていた。

 娯楽の少ないこの世の中。一攫千金を求めるのもあり、わざわざ遠方から闘技場を訪れる者も少なくない。それ故に、商業ギルドの中でも随一の収益性を持つ施設が、この闘技場なのだ。

 

 各国に地代を治めながらも、商業ギルドは闘技場運営で莫大な利益を上げており、エバンスだけでも一月の収益はおよそ50万ゴールドにも達している。

 納める地代の割合は各国で若干異なるが、収益の二割から三割程度に定められていた。

 

 当然、各国はその収益性からより多くの闘技場誘致に尽力しようとする。だが、賭博依存による社会問題が目立って来たことでその無制限の進出を危うんだグランベルのアズムール王、アグストリアのイムカ王、そしてシレジアのラーナ女王が中心となって各国に呼びかけ、近年制定された条約により闘技場の進出は制限されている。

 現在運営されている闘技場は、エバンス以外ではグランベル王国のシアルフィ、アグストリア諸侯連合のアグスティ、シレジア王国のセイレーンとザクソン、イザーク王国のリボー、マンスター地方のアルスター、トラキア王国のミーズ、そしてミレトス地方ではペルルークのみとなっていた。

 

 

「わぁ! 見てよオイフェ! もう五人も勝ち抜いたよ!」

「ええ。すごいですね」

 

 現在、オイフェとシャナンは闘技場貴賓室にてアイラの奮戦を観戦している。

 オープンテラスの手すりにつかまり、身を乗り出しながら楽しそうにアイラを応援するシャナン。オイフェは備えられたソファに座りながら、その様子を微笑をもって見つめていた。

 

 当のアイラは、シャナンに加え大勢の観衆からの大歓声を受け、少々恥ずかしそうに頬をかいている。

 その足元には、刃引きされた鉄の剣による殴打をまともに受け、装甲をひしゃげさせ昏倒する相手闘士(アーマーナイト)の無残な姿があった。

 

「本当にお強い方を連れて来たんですねオイフェ様。確かお名前は……」

 

 そのオイフェに、赤髪を後ろに束ねた妙齢の美女が語りかける。大きく胸元が開いたドレスを纏い、スリットから覗く素足は官能的な美しさ見せている。唇に引かれた紅は艶めいた色気を放ち、見る者全てが抵抗出来ない、魔性の魅力を放っていた。

 闘技場の支配人でもある彼女は、ミレトス商業ギルドの幹部でもあり、収益性の高い闘技場経営を背景にギルド内でも強い発言権を持つ女性だ。

 

「カトリーヌさんです。アンナ支配人」

 

 そう澄ました顔で応えるオイフェ。

 カトリーヌとは闘技場エントリー時にアイラが使用した偽名であり、イザーク王累であるのを秘匿する為にそう名乗らせている。

 シャナンは「髪を金髪に染めてもっと日焼けした方がいいんじゃない?」と、叔母の偽装を熱心に提案しており、更にはその正体はとある伯爵令嬢で故あって王国を追われた云々と無駄に設定を盛ろうとしていたが、「そこまでするくらいなら行かん」とアイラににべなく断られ、こうして偽名のみの擬態に留まっていた。

 

「カトリーヌさん、ねぇ……ウフフ……」

 

 アンナと呼ばれた支配人は妖艶な微笑を浮かべると、オイフェの隣へしなだれかかり、開いた胸元をその頭へ押し付けるようにして座る。

 オイフェの無垢な頬に妖しく手を這わせ、行儀よく座るその膝を煽情的な手付きで撫でる。

 やや顔を上気させ、艶美な雌の匂いを発するアンナ。オイフェは柔らかで艶かしい感触に頬を染めつつ、困ったような表情を浮かべた。

 

「あの……あ、当たっているのですが……」

「フフ……当たっているって、何が?」

「え、いえ、あの、その……ア、アンナ支配人の、その……」

「フフフ……当てているのよ……それと、アンナ支配人じゃなくて、アンナさんって呼んで……?」

 

 身を捩らせるオイフェ。それに構わず、アンナはオイフェの耳元へ囁くように息を吹きかける。

 背筋に痺れるような刺激を感じたオイフェは、努めて平静に言葉を返した。

 

「え、えっと、ア、アンナさん……」

「嗚呼……よく言えました……」

「あ、あの、んぅっ」

 

 じゃあ、ご褒美ね……と、アンナが囁いた後、オイフェは衿首から直接侵入してくるアンナの手により桜色の突起を撫でられる。

 指先でくりくりと蕾を弄られ、たまらず嬌声めいた小さな悲鳴を上げた。

 

「ひぅっ」

 

 直後、耳朶に生暖かく湿った粘膜の接触を受け、オイフェは更にか細い悲鳴を上げる。

 ぺろりと舌なめずりしたアンナは、興奮気味に鼻息を荒くし、欲望の限り少年軍師の耳を味わっていた。

 明らかに事案である。

 

(度し難い!)

 

 だが、オイフェは内心辟易しつつも、仕方なしといった体でされるがままだった。

 

 このアンナという女支配人が倒錯的な少年性愛の気質を備えているのは、オイフェは十分承知していた事であり。

 自分がアンナの嗜好に合う容姿であるのかは不明だったが、こうして会合を重ねる度に己の肉体のあんなところやこんなところにまで手を這わせようとしているアンナを見て、オイフェは何かを悟ったかのように好きなようにさせていた。

 諸般の事情でこの女支配人の機嫌を損ねるわけにもいかず、ただその性的虐待接待(ドセクハラ)を耐え忍ぶのみである。

 尚余談ではあるが、アンナには瓜二つの姉妹が複数名存在しており、トラキア半島在住の姉妹にはジェイクという恋人がいるとかいないとか。

 

「すごい! もう六人目やっつけちゃった! エルサンダーよりずっとはやい!」

「ん、んぅ……よ、よかったですねシャナン。で、できればそのまま応援しててください」

「ウフフフフ……」

 

 シャナンは相変わらず闘技場で戦うカトリーヌことアイラの応援に夢中であり、そのすぐ後ろでは痴女支配人が少年軍師の性虐に夢中であり。

 オイフェはシャナンの情操教育上、このまま後ろを振り向かないよう祈るばかりであった。

 

「と、ところで、例の話なのですが」

 

 とうとう股間にまで侵略の魔手が伸びたのを受け、オイフェが苦し紛れに話題を変える。

 例の話、という言葉を聞いた瞬間、アンナはそれまでの美少年性愛者(ショタコン)の顔から、冷徹な商売人の表情を浮かべた。

 

「……ギルド総会に打診してみましたが、概ね希望通りになるかと思います」

 

 そう冷静に述べるアンナ。オイフェのデリケートゾーンに這わせていた手を引っ込め、傍らに置いてある水差しへと手を向けた。

 ほっと一息ついたオイフェもまた居住まいを正し、アンナの方へ身体を向ける。さりげなく唾液に塗れた耳を拭うのも忘れない。

 

「そうですか。それはありがたいです」

「こちらとしては損は無いですからね。でも、本当によろしいので?」

 

 オイフェに水を注いだグラスを渡しながら、アンナはそう訝しむように言う。

 

「構いません。減税措置を継続しつつ、本国へ納める税を確保する為には必要な事ですから」

 

 オイフェは水を飲みつつ、そうアンナへ言葉を返す。

 オイフェがアンナを通し、ミレトス商業ギルドへ申し入れをした件。

 

 それは、2000万ゴールドにも及ぶ巨額の借款である。

 これはグランベル国王アズムール王の保有財産、つまり大国の王族が持つ財産とほぼ同額であり、当然経済的世界支配を確立しているミレトス商業ギルドにとっても大きな金額である。

 

 オイフェはヴェルダン領の水運開発利権、そしてエバンス城自体を担保にしてこの借款を申し出ている。

 償還期間は十年。利率は三割と、ギルドにとっても返済能力が疑わしい数字だ。

 実の所、オイフェも期間内に返済できるとは思っておらず。最悪、利子さえ払い続ければ償還期間は延長できると踏み、借款の申し出を行っていた。

 

 当初、この巨額借款案をオイフェに提示されたシグルドは、その金額の大きさに卒倒しかけるも、意外なことにパルマーク司祭がオイフェに同調したことで、最終的にはこの借款案を受け入れている。

 オイフェは事前にパルマーク司祭とこの話を詰めており、司祭は領内の好況を鑑みいずれは税収も大幅に上がり、返済も問題なく終わると踏みオイフェに同調していた。属州領ならびにヴェルダン王国の民の生活、そしてシグルドが民に慕われる名君として成長出来るように想ってこその考えである。

 

 また、オイフェは減税政策に併せてそれまでの所得の多寡に関わらず一定の税額で課税を施す人頭税を見直しており、所得に応じた累進課税制を新たに施行している。現状はグランベル本国に納める税に苦労する程の税収でしかないが、後々領民の所得が増えれば、結果的に属州領の税収が上がり健全な領地経営が出来る。加えて、借款による資金で大規模な財政出動を行えば、更に領民の所得を底上げ出来る。

 これらの事から、パルマークはオイフェの経済政策に反対することはなく、積極的にその政策を実行出来るよう協力していたのだ。

 

 ところで、このような説明をオイフェとパルマークに滔々と受けていたシグルド。だが、「おまえたちの話はちょっとむずかしい」とやや残念な回答をし、二人に長い溜息を吐かせている。軍略には優れた才能を見せるシグルドであるが、こと政略に関しては非常にお粗末な見識しか持ち得ず。とはいえ、領民の為ならばと、オイフェの政策を全て実行するよう指示を下していた。

 尚、婚姻後片時もシグルドの側から離れようとしないディアドラは、当然この説明を一緒に聞いており。そして、ディアドラの方がこの政策をより正しく理解していた。

 ならばと、オイフェは主君の教育と併行してディアドラをシグルドの政策秘書とするべく熱心な教育を施すようになる。

 元々、地頭は決して悪くないディアドラ。オイフェの政経学の講義を一生懸命こなし、愛する夫の助けにならんと甲斐甲斐しい努力を見せていた。

 

「でも、本当に助かりました。私が言うのもなんですが、断られる可能性が高かったので」

 

 ぺこりと頭を下げつつ、オイフェはアンナへ感謝の気持ちを表す。もっとも、オイフェは一度断られたら今度はシアルフィの資産も担保にしてやろうかとも考えていたので、この借款はオイフェにとって必然である。

 それに、オイフェが画策する()()の商業活動の効果が現れれば、借款は実質返済したようなものだ。

 

 先程までの邪悪な視線はどこへやら、アンナは慈愛の眼差しでオイフェを見つめていた。

 

「いえ。この話を断る人間は、商売人としては二流ですから」

「二流? 一流の商人でも普通は断ると思いますが」

 

 そう笑みを浮かべながら嘯くアンナに、オイフェは疑問を浮かべる。

 アンナはオイフェの柔らかい髪を指で弄りながら、少年軍師の疑問に応えた。

 

「フフフ……品を東から西に運んで儲けを得て、使わずに貯め込むのは三流。より多くの儲けを得る為に、それまでの稼ぎから諸々の投資をするのは二流……では、一流の商人とは、儲けを一体どのように使うと思いますか?」

「……売る商品を自分たちで作り出す為に、投資をすることですか?」

「うーん……半分正解って所かしら」

 

 アンナはオイフェの髪を弄り、耳朶を優しく揉んだ後、つうと首筋から下腹部にかけて指を這わせる。

 オイフェはアンナの行為を努めて無視し、次の言葉を待っていた。反応すれば、また容赦の無い性的虐待が再開されるのは必定である。

 だが、その抗う様子が増々アンナの昂りに油を注ぐ事となっており、オイフェは自分から訪ねておきながら早くこの痴女支配人(ドスケベ妖怪)闘技場(牢獄)から逃れたいと思っていた。

 

「一流の商人のすべき事は、需要を創出する事です」

「需要の創出、ですか……」

 

 オイフェを弄る手を止め、含んだ笑顔を浮かべるアンナ。

 少年が秘める宿望を見透かすかのように、鋭い視線を向けていた。

 

「オイフェ様。オイフェ様は、何か大きな事を成し遂げようとしている」

「……」

「それは、世を乱す悪辣な謀かもしれません。ですが、少なくとも私は、そこに大きな需要を見出しました。だから、これは必要な融資であり投資……という事ですよ」

「……それは、どうでしょう」

 

 はぐらかすように視線を背けるオイフェ。

 思わぬ所で核心に迫られたのもあり、その冷静な表情を少しばかり乱していた。

 

「ウフフ……融資金をどのように使うか……楽しみにしていますね」

 

 さらりとオイフェの髪を撫で、アンナは作ったかのような表情を浮かべ、そう囁く。

 

「ええ……有意義に使わせていただきます」

 

 オイフェもまた、作ったかのような笑顔を浮かべる。

 

(流石に一筋縄では行かぬか……女狐め……)

 

 ロプト帝国の弾圧すらも生き延びた、商魂たくましいミレトス商人の気魂。

 それは、オイフェが目指す大望の一助になるのか。

 それとも、致命的な妨げとなるのか。

 

 オイフェは目的の為の手段が誤りとならないよう、今後も慎重な舵取りを強いられる事となるのであった。

 

 

「まあ、返せなかったらお城が無くなっちゃいますからね。返済は確実に行いますので、そこは安心してください」

「ウフフフ……返せなかったら、私が経営する秘密のお店で一生働いてもらおうかしら……?」

「それはいやです」

 

 飢えた雌狼の如き表情を浮かべるアンナに、オイフェは本能で危機を察知していた。

 

 

 


 

「この程度か……」

 

 オイフェが痴女の毒牙に苛まれている一方。

 足元に転がるサンダーマージを一瞥したアイラは、ため息をひとつ吐いていた。

 

 オイフェが提案した闘技場挑戦。

 己の剣技に伍する程の剣豪がいるのかと、勇んで挑戦した。だが、今の所アイラを満足させる程の使い手は現れず。

 さては空約束をされたかと、アイラは貴賓室にいるであろうオイフェへと恨みがましい視線を向ける。テラスで大きく手をふるシャナンと目が合い、ひらひらと手を振りながら、アイラは帰ったらどのような文句を垂れてやろうかとしかめっ面を浮かべていた。

 

「むっ」

 

 救護の者がサンダーマージを回収すると、向こう正面から新たな闘技場闘士が現れる。

 刃引きされた大剣を背負う、金髪の剣闘士。

 その姿を見留めたアイラは、それまでの対戦者とは全く違う、一流の強者のみが発する空気を感じ取る。

 表情を引き締め、改めて対戦者を見据えた。

 

「……っ」

 

 剣闘士も呼応するようにアイラの顔を見る。すると、彼は一瞬ではあるが驚愕の表情を浮かべた。

 だが、直ぐに石仏の如き無表情を浮かべ、大剣を構える。

 その微妙な表情の変化を訝しみつつ、アイラもまた己の剣を構え直した。

 

「では、女剣士カトリーヌと、剣闘士ホリンの試合を始めますッ!」

 

 闘技場の中央で対峙する両者。審判役の男が大音声でそう言うと、観衆はわあわあと歓声を上げ囃し立てる。

 アイラのおかげで大損した者、大儲けした者の喜怒哀楽入り混じった歓声。しかし、アイラにはその歓声は全く聞こえず、静寂の世界の中でホリンを見つめていた。

 

(強い!)

 

 大剣を正眼に構えるホリン。その所作から滲み出る、深い剣境。

 自身が知るイザーク剣法の流れを汲む、隙きの無い構え。兄マリクルや、父マナナンとはまた違った、火炎の如き圧力が、ホリンの剣先から発せられていた。

 

 これほどまでの使い手が、まだこの世の中に潜んでいたとは。キュアンあたりに言わせれば、井の中の蛙大海を知らず、といったところか。

 そう自嘲したアイラは、背筋に冷えた汗を一筋垂らしていた。

 

「では……開始(はじ)めいッ!」

 

 戦闘開始の合図が、審判から発せられる。

 剣戟に巻き込まれぬよう退避する審判を尻目に、アイラとホリンは全く動く気配は無い。

 

「……」

「……」

 

 剣を構え、対峙し続ける両者。

 観衆もただならぬ両者の剣気を受け、ざわざわとざわめき声を上げる。

 やがて、観衆のざわめきも止み、闘技場は不自然な程の静寂に包まれた。

 

「……」

 

 ふと、ホリンが大剣を下段に構え直す。

 それを見たアイラは、僅かに頭に血が登るのを自覚した。

 

(落とし下段で余裕を見せるか──!)

 

 上半身ががら空きのホリンを見て、アイラは己が“舐められた”と認識し、その美しい表情を歪め額に青筋を立てる。

 それがホリンの“誘い”であるのも十分承知していたのだが、元々血の気が多いイザークの剣姫。拮抗した実力者からの挑発をいなせる程、老成しているわけでは無かった。

 

「フッ──!」

 

 瞬間、アイラは肺腑を抉るような鋭い気合を発する。

 だが、それを受けても、ホリンは微動だにせず。無表情に下段の構えを取り続ける。

 

「……ッ!」

 

 アイラは剣を構えつつ、じりじりと間合いを詰める。

 撃尺の間合いに入った両者は、共に倪視しつつ剣を構え続けていた。

 

(ああ──)

 

 ふと、アイラはそれまでの怒りがみるみる霧散し、憑き物が落ちたかのような表情を浮かべる。

 これだ。この境地。

 この尋常ならざる武芸の深奥にある境地こそが、己の剣技をより一層高みに導いてくれる。

 アイラは己の飢えた闘争心を慰撫する、目の前のホリンに密かに感謝を捧げていた。

 

 そして──

 

(この男なら──)

 

 自身の全て。そして、秘剣“流星剣”すらも受け止めてくれるだろう。

 そう想ったアイラ。

 想った時には、既に身体は動いていた。

 

「シィッ──!!」

「ッ!?」

 

 神速の奥義が放たれる。

 面、袈裟、逆袈裟、車斬り、下段払い。

 それらの剣撃が、一呼吸の間に放たれる。

 全ての斬撃が、ホリンの体躯へと吸い込まれていった。

 

「ッ!?」

 

 しかし。火花が爆ぜると共に、重厚な金属音が鳴り響く。

 五度の斬撃を、ホリンはその大剣にて全て防いでいた。

 まるで重さを感じさせない、神速の大剣捌き。刹那の攻防でその妙技を目にしたアイラは、直後に頭上に凄まじい剣圧を感じた。

 

「くっ!?」

 

 奥義を発動し、それを尽く防がれたアイラ。反撃の刀勢を防ぐべく、自身の剣にて大剣を迎え撃つ。

 

 一閃。

 

 瞬きを一つしたアイラ。

 直後に見える、截断された自身の剣。

 

「なっ──!?」

 

 驚きと共に、自身の折れた剣を見やるアイラ。

 ホリンが繰り出した反撃剣。

 それは、イザーク剣法でも限られた者でしか扱えぬ、あの剣技。

 

 闇夜に煌めく月光の如き一閃。

 それは、リボーとソファラ領主一族でしか伝授されぬ、秘剣“月光剣”であった。

 

(なぜ──いや、しかし──)

 

 やられたのは事実だ。

 悔しさと共に、どこか達観するような想い。折れた剣を見つつ、アイラは目の前の現実をそう受け止めた。

 勝負は、己の負け。

 しかし、この勝負は良い鍛錬になった。

 

 ホリンの正体も気になるところだが、ひとまずはこの勝負、己の負け。

 しかし、次に試合う時は──

 

「勝者、カトリーヌ!」

「なんだと!?」

 

 審判の裁定。どよめきと共に歓声を上げる観衆。そして、驚愕の声を上げるアイラ。

 どこをどのように見たら己の勝利と断じれるのか。アイラは食って掛かるように審判へと声を荒げた。

 

「いい加減な裁定をするな! なぜ私の勝ちなんだ!?」

「い、いや、その」

 

 つかつかと距離を詰められ、胸ぐらを掴みかねない勢いで迫るアイラ。たじたじとなった審判の男は、闘技場の中央へと指を指しながら震えた声で応えた。

 

「た、立っているのが貴方でしたから……」

「なにっ!?」

 

 そう言われ、アイラは勢いよく振り返る。

 見ると、大剣を杖のようにして片膝をつき、荒い呼吸と共に全身から玉のような汗を滲ませるホリンの姿があった。

 

「……く」

 

 流星の奥義を防ぎ、直後に月光の絶技を放つ。

 その凄まじい過負荷により、ホリンの肉体は瞬時に一万キロカロリーを消費。過酷なる撃剣運動である。

 これがもし実戦であれば、動けぬホリンはアイラに止めを刺されていただろう。例え折れた剣でも、動けぬ相手を仕留めるには十分すぎる凶器なのだ。

 

「……」

「……」

 

 複雑な表情でホリンを見つめるアイラ。

 そして、額に汗を浮かべつつ、少しだけ相好を崩すホリン。

 

 亡国の剣姫は、異国の地で出会った“同郷”の剣士の姿を見つめ続けていた。

 

 

「あの、勝ち名乗りしてくれませんかね……?」

「……」

 

 おずおずとそう申し出る審判を、アイラは全く顧みる事は無かった。

 

 

 

 

 



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第19話『悪魔オイフェ』

誤字報告をして頂いた方々に感謝致します。


  

 ああ──寒いな──

 こっちへおいで──ディアドラ──

 

 秋の空が見せる、独特の青白い夜明けの光が差し込む。

 寒冷地であるシレジア王国程ではないが、エバンスの秋口も相応の冷え込みを見せている。

 早暁のこの時間帯は、部屋の中でも薄着ではいられないほどの寒さに包まれていた。

 

「ん……」

 

 窓枠から僅かに差し込む光で目を覚ましたシグルド。

 衣服は何も身につけておらず、寝具からこぼれた素肌にひやりとした冷気を感じ、僅かに身を震わせた。

 

「ディアドラ……」

 

 寝ぼけ眼を浮かべたまま、隣で眠るこの世で誰よりも大切な存在の名を呟くシグルド。その隣では、すうすうと静かな寝息を立て眠るディアドラの姿があった。

 彼女もまた夫と同じように、裸身で寝具の中に包まっている。

 シグルドの暖かい体温を求めるように、その身をピッタリと寄せながら眠っていた。

 

「……」

 

 シグルドはディアドラを起こさないように、優しい手付きで愛妻の銀髪を撫でる。

 そのまま、その美しい額に口づけをした。僅かに浮かぶ()にも、愛おしそうに唇を這わせる。

 

「んぅ……」

 

 少しだけ身じろぎをするディアドラ。その様子がひどく可愛らしいものに見えたシグルドは、ディアドラを抱え込むように抱きしめると、しっとりとヴェーブがかかった銀髪に口づけを重ねる。

 

 ああ、このまま、永遠に──

 

 シグルドの逞しい胸板に頭を乗せ、幸せそうに眠るディアドラ。それを、慈しむよう可愛がるシグルド。

 このままずっと、ディアドラと眠り続けたい衝動に駆られる。

 

(……でも、嫌われてしまわないだろうか)

 

 ふと、シグルドの心に不安な気持ちが沸き起こる。

 飽きもせずディアドラの美しい肢体に溺れる毎日。婚礼を上げてから同衾をしない日は無く、寝ても覚めても常にディアドラの香りを求めていた。

 見かねたエスリンが「仲が良いのは結構ですが、流石に節度を弁えてください! ディアドラ義姉様も!」と、顔を真っ赤にしながら叱りつけるほど、シグルドは人目を憚る事なくディアドラを愛していたのだ。

 

 ちなみに、ぷりぷりと頬を膨らませるエスリンに、夫であるキュアンは「逢いたいが情、見たいが病ともいうではないか。俺達もあまり人の事は言えないと思うが」と、エスリンを抱きながらそう囁き、エスリンは耳まで真っ赤に染まりながら夫の腕の中でもじもじと身体を捩らせており、レンスター夫妻(バカップル)を目の当たりにしたフィンは砂糖を吐き出した。

 

(うーん……)

 

 とはいえ、エスリンの言う事はもっともだと、シグルドはディアドラを抱き締めながら懊悩する。

 政務中でも常にディアドラがそばにおり、重要書類に判を押しながら時々ディアドラの髪を撫でる。城下を巡察する時は、領民の生暖かい視線に晒されながら、ディアドラと指を絡め合い街を歩く。それは、ともすると実に政務に不誠実な姿。

 それほどまでに、精霊の如き儚げな美しさを見せるディアドラは、これまでの人生で女を知らなかったシグルドにとって抗い難い魅力であり。夕餉を終え、寝室へ向かうと直ぐにディアドラをベッドに引き込み、その身体を激しく求めてしまう。エスリンに言われなくとも、いささか()()が過ぎているのを自覚していた。

 

 もちろん、シグルドはディアドラが少しでも嫌がる素振りを見せれば共寝すらも控えようとしていた。だが、顔を赤らめつつも、ディアドラはシグルドの情交の求めに素直に応じている。

 いじらしいまでの愛敬を見せるディアドラに、若い滾りを持て余すシグルドが止まるはずもない。

 

(嫌われたくない……嫌われたくないが……)

 

 どうしても、この身体はディアドラを求めてしまう。

 恋は病とは言い得て妙であり、シグルドは極めて重篤な病変に罹患していたのだ。

 

「ん……シグルド様……」

 

 寝言のような呟き声を上げるディアドラ。もぞりと身体を捩らせ、スリスリとシグルドの胸に頭を擦りつけている様子が、シグルドの庇護欲めいた愛情をより昂ぶらせる。

 抱き抱く力を強め、愛妻の銀髪に顔を埋めた。

 

「シグルド様……おはようございます……」

「うん……おはよう、ディアドラ……」

 

 むにゃむにゃと呟きながら目覚めの挨拶をするディアドラに、シグルドは啄むようなキスを交わす。

 未だ半覚醒状態なのか、ディアドラもまた雛鳥が餌を求めるようにシグルドの唇を求めた。

 

「シグルド様……」

 

 ふにゃりと蕩けるような笑顔を浮かべるディアドラ。ころころと子猫のように喉を鳴らし、全身を使ってシグルドに甘える。

 腕の中のディアドラがたまらなく愛おしくなったシグルドは、もう今日はこのまま政務を休もうかという誘惑に駆られていた。

 

「……いや。それは駄目だ」

「……?」

 

 しかし。

 清廉な精神を持つシグルドは、その悪魔の誘惑に打ち勝つ。

 確かに政務を一日休んでも領地運営に支障は無い。優秀な官僚団……主にオイフェが、領地運営を一手に担い、的確な施政を施していたからだ。

 だが、弟のように可愛がるオイフェだけに苦労をかけるのは、兄として、そして主君としてあるまじき姿。

 やたらとディアドラのそばにいるよう進言するオイフェだったが、それに甘え続けるわけにはいかないのだ。

 

 シグルドの前から去る悪魔の顔は、少しだけオイフェに似ていた。

 

「起きよう、ディアドラ」

「はい……ひゃっ」

 

 そのままディアドラを抱きかかえながら、シグルドはガバリと上半身を起こす。

 戸惑うディアドラに構わず、妻を横抱きにしながら寝台から起き上がった。

 

「身支度をしよう」

「はい」

 

 寝台の脇でディアドラを横抱きにし、仁王立ちをしてそう言ったシグルド。お姫様抱っこをされたディアドラは、火照らせた顔をシグルドへ向けていた。

 お互いに寝具の中で散々甘えていたのもあり、衣服を纏わぬ状態でも部屋の寒さは気にならないほど身体は火照っている。

 

「……」

「あの……シグルド様……?」

 

 そう。

 火照っているのだ。

 シグルドのシグルドが。

 

 男性特有の朝の生理現象と言い張る事もできたかもしれない。しかし、今現在シグルドが主に下半身を硬直させ動きを止めていた理由は、直前まで営んでいた夫婦のスキンシップによる所が大きい。

 凄まじい羞恥に襲われたシグルドは、煩悩を打ち払うかのようにぎゅっと目を瞑っていた。

 

「あ……」

 

 中々動き出そうとしないシグルドに怪訝な表情を浮かべていたディアドラであったが、直後に腰の部分に灼熱の体温を感じる。

 そして、火照らせた顔を更に赤く染めた。

 

「あ、あの……お辛いようでしたら、その……わ、わたしが……」

 

 ゆでダコのように真っ赤に染まったディアドラは、恥ずかしそうにシグルドのシグルドを慰めようとか細い声を上げる。

 悪魔の誘惑第二陣である。

 

(神よ──!)

 

 シグルドは腕の中でもじもじと恥ずかしそうに身体を捩らせる裸身のディアドラを視界に入れぬよう、必死になって目を瞑り続ける。やや額に汗を垂らすほど、この誘惑は度し難きものであった。

 婚礼を上げ、身も心も結ばれてから半年は経とうとしているのに、ディアドラは出会った頃の初々しさを未だに見せており。これでは、シグルドは常に新鮮な春気に晒されるばかりである。

 懊悩し続けるシグルドは、今すぐにでもベッドに戻るよう囁く悪魔の幻影を、神に縋りながら必死になって打ち払っていた。

 

「いや! 服を着る!」

「は、はい」

 

 えらく勇ましい声で衣服の装着を宣言するシグルド。その声にちょっとだけびっくりしつつも、ディアドラは確りと首肯した。

 バルドの末裔は、悪魔の誘惑に打ち勝ったのだ。

 その内面世界での凄まじい戦いは、まさしく()戦といっても過言ではないほど。

 悪魔は恨めしそうな表情を浮かべ、シグルドの前から消え去る。

 その顔は、オイフェに酷似していた。

 

「……くしゅんっ」

「あ、すまないディアドラ。寒かったかい?」

 

 夫の熱い体温に包まれているとはいえ、素肌を晒すディアドラは冷気を感じ、くしゃみをひとつする。

 シグルドは慌ててディアドラを下ろし、手早くを毛布に包むと自身の衣服と共に愛妻の衣服を整えていた。

 

「あの……ディアドラ」

「はい、何でしょう?」

 

 いそいそと政務服を身に着けつつ、シグルドは恐る恐るディアドラの顔色を伺う。ゆったりとしたシフトドレスを纏い、簡素な装飾が施されたローブを羽織りつつ、ディアドラはまっすぐにシグルドの瞳を覗いていた。

 

「毎晩、嫌じゃないか?」

「? 嫌って……?」

「その……と……共寝をするのが」

 

 語彙力を喪失したかのようにたどたどしく言葉を述べるシグルド。

 ディアドラは「あっ……」と何かを察したかのように顔を赤らめるも、夫とは違いはっきりとした口調で言葉を返した。

 

「嫌じゃありません」

「しかし……」

「わたしは、シグルド様と一緒にいられる事が嬉しいのです」

 

 そう言いながら、ディアドラはそっとシグルドの背中へ抱きつく。

 

「わたしは、人と交わってはいけない運命(さだめ)にありました」

「……」

 

 ディアドラの中に眠る、暗黒神の血。

 聖者マイラの末裔であるのを、ディアドラは婚礼前にシグルドへ打ち明けている。

 呪われた血筋を持つ乙女を、シグルドは受け入れていた。

 

 暗黒神復活を目論む暗黒教団。

 かの者達に、ディアドラの存在が露呈すれば。

 関わった者全てが不幸な運命を辿る事となる。

 

 そして、ディアドラ自身が知らない、もうひとつの血筋。

 ディアドラが聖者ヘイム……バーハラ王家の血を引く事は、シグルド陣営で知るのはただ一人だけ。

 血筋を大団円への切り札にせんべく、悪魔の如き冷徹な策謀を巡らすオイフェだけだった。

 

「それでも、シグルド様はわたしを守ってくれると……そう仰ってくれました」

「ディアドラ……」

 

 シグルドはディアドラへと振り返る。

 何かを耐えるように、悲しげに顔を歪めるディアドラ。

 シグルドは、愛する妻を抱きしめていた。

 

「でも……わたしは、怖いのです」

「ディアドラ……何度でも言う。君は、必ず私が守る」

「いえ、違うの。理解っているの……シグルド様が、わたしを守ってくれることは……」

 

 シグルドの胸の中で、精霊の森の乙女は一筋の涙を流す。

 不安が、乙女の心をかき乱す。

 

「でも……シグルド様と、わたしの為に……()()()犠牲になる気がして……怖いのです……」

「ディアドラ……」

 

 優れたシャーマンでもある乙女が、超常の力で予感した漠然とした不安。シグルドは、ただ抱きしめる事でしか、その不安を和らげる事は出来なかった。

 

 朝日が抱き合う二人を照らす。

 全ての生きとし生けるものへ活力を与えてくれるはずの光は、暗澹たる予感に苛まれたディアドラの心を晴らすことは無かった。

 

 

 


 

「オイフェ。少しいいか?」

 

 執務室で大量に積まれた陳情書を捌くオイフェの前に、少々苦い顔を浮かべたノイッシュが現れる。

 オイフェは書類に目を通すのを中断し、軍装姿のノイッシュへと目を向けた。

 

「練兵はもうよろしいので?」

「アーダンに引き継いでいる。お前が考案した軍制は中々効率的だが、少しばかり急進的すぎるな」

「それは、慣れていただくしか」

「いや、咎めているわけではない。ただ、グリューンリッターの諸先輩方には受け入れられないだろうな」

 

 そう言ったノイッシュ。

 エバンス領で新たに募兵し、シグルド軍を再編成したオイフェの手腕を、褒めるとも貶すともいえない微妙な評価を下してた。

 その軍制改革は、若い世代が集まったシグルド軍でしか受け入れられないであろう革新的な内容となっている。

 一言でいえば、オイフェは志願兵制度による歩兵部隊を新たに編成していたのだ。

 

 グランベルの一般的な軍制では、騎士階級に従兵する一般兵卒は、基本的に領民の強制徴募により充足が成されている。

 彼らは当然のことながら職業軍人では無い。戦陣に赴く前にある程度の練兵は施されるも、隊列を守らせる為の歩行訓練がせいぜいであり、まともな戦闘訓練を経ずに戦地へ投入されるのが常である。

 兵役の際の必要な武具も必要最低限しか支給されないのが往々にしてあり、これはシアルフィ騎士団グリューンリッターでも見られる光景である。

 前線に配置しても質も士気も低い平民兵士では使い物にならず、質も士気も高い騎士階級の軍勢や百戦錬磨の傭兵隊に蹴散らされるのが常であった。

 

 それを、オイフェは良質な武具を与え、十分な訓練を積ませ、更には退役後には多額の恩給を支給するなど、社会的な成功を望む平民を登用するべく様々な施策を施した。

 兵役期間は二十年。エバンス領はおろか、ジェノア領からも志願者が続出したのは言うまでもない。

 かつて戦った解放戦争にて、多くの平民が義勇兵として参戦していたのを記憶していたオイフェ。それ故、平民の永続軍事登用に何も忌避感は無かった。

 積極的に戦う平民が、優れた国防意識を持つことを十分に理解していたからだ。

 

 槍歩兵(ソルジャー)剣歩兵(ソードファイター)弓歩兵(ボウファイター)を中核とした歩兵部隊には、ナイトキラー、斬鉄剣、キラーボウなど高額の武具を多数配備している。

 アゼル率いる魔道士隊にもエルファイヤー、エルウィンドなど希少性の高い魔導書が支給され、レックスを隊長とした斧兵部隊ではいい男たちがハンマーやポールアクスを振り回し日々の練兵をこなしていた。

 これらの装備調達、兵士への俸給等は、ミレトス商会からの借款により賄われていた。

 

 オイフェはそれぞれの兵種毎にノイッシュら騎士階級を隊長格につけ、日々の練兵を施している。

 最終的にはその兵科をまとめ、諸兵科連合(コンバイントアームズ)の組織を目指していたが、流石に練度が整っていない内にそれをするのは躊躇われた。

 複数の兵科が集まった戦闘集団の強さは、あのシレジアでの()()で散々味わっており。あの傭兵部隊が、ある意味オイフェが目指す諸兵科連合のモデルケースとなっていた。

 

 また、オイフェは戦術研究目的という名目でシューターを二門購入している。

 ユグドラル大陸で普遍的に扱われているシューターだが、搭載兵器はロングアーチなどの一般的な投擲兵器ではない。

 アンナを通じてミレトスから秘密裏に招聘した武器職人に多額の研究費用を与え、シューターに搭載させる新兵器を開発させていた。

 試作品の完成は半年以上先になる見通しだが、すでに新兵器の名称は武器職人により提案されている。

 新兵器の名称は、“エレファント”と名付けられていた。

 

 これらの軍拡は、オイフェの内政面の補佐を務めるパルマーク司祭がグランベル本国に“叛意あり”と見做される恐れがあると懸念していた。だが、オイフェ自身はその点について全く心配しておらず。

 本国──レプトール宰相や、アルヴィス公爵ら、王権の簒奪を狙う者達。そして、それらを裏で操る暗黒司祭にとって、むしろシグルド軍のある程度の戦力拡充は歓迎すべき事なのだ。

 無論、対アグストリアの尖兵に立たせるという思惑があってこその話である。

 

「私としてはもう少し騎兵を増やして欲しかったのだが」

「それは流石に……騎兵はもっとお金がかかりますから」

 

 オイフェの言葉に気落ちするノイッシュ。

 多額の資金を使い軍拡をしているのならば、自身の兵科である騎兵の拡充にも予算を回してくれればいいのにと、やんわりと不満を露にしていた。

 しかし、歩兵やシューターとは違い、騎兵は非常に手のかかる“金食い虫”である。

 

 騎兵中心の騎士団では、騎馬の維持に莫大なコストがかかるのだ。馬は従順な性格から古来より家畜動物として人に飼育され、軍事面でも優秀な軍用動物として運用されている。

 だが、軍用馬は一般的な家畜とは違い、とにかく金がかかる。

 輸送用の馬車馬ですら馬糧は一頭につき一日で10kg以上は消費し、飲水量も人間の十倍以上は必要だ。馬具も定期的な交換が必要な消耗品であり、そもそもの世話にも人を使う。

 騎兵を大量運用する国家は、常に軍用馬の維持に頭を悩ませているのだ。

 

 尚余談ではあるが、ペガサス騎兵を大量運用しているシレジア王国では、国家が輸入する品目の半数以上がペガサス用の飼料で、その大半はグランベルが輸出している。寒冷地であるシレジアでは、十分な量の飼葉を栽培するのが難しいからだ。

 そして、オイフェの前世。バーハラの悲劇の後、シレジアの天馬騎士団がグランベル帝国軍に蹂躙されたのは、内戦による騎士団の消耗、そして弓騎士団バイゲリッターの猛攻に晒されたのもあるが、この飼料の輸出を止められペガサス騎兵の本来の性能を発揮できなかったことも大きい。

 またトラキア王国でも、領内の生産性の低さに加え、ペガサスよりも維持コストがかかる飛竜騎兵を多く抱えているが故に、慢性的な財政難に陥っている。

 それほど、軍用騎獣の維持には多大な資金と物資が必要なのだ。

 

 

「ところでオイフェ。少し話があるのだが……」

 

 ノイッシュは本来訪れた目的を話すべく、紅顔の美少年軍師の瞳を覗く。

 

「なんでしょう?」

「……シグルド様と、ディアドラ様の事だ」

 

 言い辛そうな体でそう述べるノイッシュ。

 オイフェは、少しばかり目を細めた。

 

「シグルド様とディアドラ様がどうかされましたか?」

「オイフェ。お前、シグルド様にディアドラ様を常にお側に控えさせるように進言したな」

「それが、何か問題でも?」

「問題だらけだ」

 

 少々語気を荒げるノイッシュ。

 同輩のアレクとは違い、質実剛健にして愚直なまでに誠実な性格を持つ騎士は、近頃の主君の姿に不満を隠せずにいた。

 

「仲睦まじいのは結構。だが、何事も節度というものがある」

 

 ノイッシュからしてみれば、近頃のシグルドは少々色に溺れている。エスリンが文句を言ったのも、ノイッシュら一部の騎士達の不満を代弁したという側面もある。

 城内の人間ですら、少々シグルドのディアドラに対する愛情は度を越したものとなりつつあったのだ。

 

「節度とは?」

 

 オイフェはあくまで淡々とした調子を崩さない。

 ノイッシュはオイフェという可愛い後輩に対する想いもあり、その様子にやや苛立ちを見せた。

 

「政務中、特に城下の巡察では、お二人には毅然とした態度を取ってもらいたいのだ。知っているか? 街雀共は皆シグルド様とディアドラ様の仲を面白おかしく揶揄している。吟遊詩人などは、お二人の事を歯の浮くような恋唄で吟じているそうではないか」

「冷えた仲を噂されるよりかはよっぽどマシだと思いますが」

「そういう事ではない! シグルド様には属州総督としてあるべき姿を取ってもらいたいのだ!」

 

 声を張り上げる赤鎧の騎士。

 ひとつため息を吐いたオイフェは、この誠実な騎士の不満も幾ばくかは理解できた。

 しかし──

 

「このままでは政務にも大いに影響が出る。醜聞が出る前に、オイフェもシグルド様に──」

「ノイッシュ殿」

 

 言葉を荒くするノイッシュを、オイフェは冷えた声で遮った。

 

「政務に支障が出る。だから何だというのです」

「なに?」

「支障が出る前に、支障が出ないよう十全に支えるのが、本来の臣下としての有り様だと思いますが」

「む……」

 

 主君の有り様を正す前に、まずは己の有り様を見直せ──

 そう言外に述べるオイフェ。

 権力者を支える臣下、官僚としてのあり方は、私心の入り込む余地は一切無い。

 己の命、心は、全て主君の為にある。主君が望む全てを整えるのが、忠臣としての有り方なのだ。

 

 主君が間違った方向に向かうのを正そうとするノイッシュ。それもまた正しい忠臣としての有り方。

 しかし、オイフェはこの件に関しては絶対に譲れなかった。

 

 シグルドがディアドラとの情交を深めるのを、何人足りとも邪魔はさせぬ。

 何事にも、邪魔はさせぬ。

 お二人には、()()()()()仲睦まじく添い遂げてもらわねばならぬのだ。

 

「……お前の言うことは一理ある。だが──」

 

 オイフェの執念にも似たこの感情。

 それを感じ取ったノイッシュは慄きつつも、その為に多大な労苦を背負うオイフェへ諭すような言い方をした。

 

「だからといって、お前が何もかもを背負わなくてもいいではないか」

 

 机に積まれた膨大な陳述書。

 オイフェはシグルドの政務を最低限に整えるべく、こうして事前の処理を行っている。

 そして、その量は、武官であるノイッシュから見ても尋常ではない。

 

「これくらいは大した事ではありません。内務に関してはパルマーク司祭にも十分働いて頂いておりますし」

「では聞くが、オイフェ。お前は昨日いつ寝た?」

 

 このノイッシュの問いに、今度はオイフェが言葉を詰まらせる。

 

「……日が沈んでから、少しして」

「嘘をつくな」

 

 ふるりと、肩を震わせる。

 その様子を抜け目なく見たノイッシュは、更に詰問するように言葉を重ねた。

 

「デューから聞いたぞ。お前、毎日毎日ほとんど寝ていないそうじゃないか」

「……」

 

 デュー殿め、口の軽い!

 そう内心毒づくオイフェ。

 オイフェの直属となったデューは、あちこちへと飛び回り、近頃ではアグストリア方面での様々な調略活動に従事している。

 時折エーディンにも協力してもらい、ワープとレスキューを駆使してアグスティ城下へもデューを潜入させ、主にアグストリア諸侯連合の盟主、イムカ王の嫡子シャガール王子の動向を逐一調べさせていた。

 デューがオイフェの元へ報告に訪れるのは、皆が寝静まった深夜の時間が多く。デューは報告後、さっさと床につき昼まで寝ているのが常であったが、オイフェは少しばかりの仮眠を取るだけで、朝日が昇ると共に政務に従事している。

 

『ちゃんと眠らないと死んじゃうよ』

 

 余人が見ればオイフェの顔色は瑞々しく張りのある壮健ぶりを見せている。

 だが、デューは持ち前の鋭い観察眼で、オイフェの睡眠不足を見抜いていた。

 心配そうにそう言ったデューに、オイフェは笑いながら『心配には及びません』と言い放ち、そのまま政務を継続していた。

 

「お前が倒れたら、誰がシグルド様を支えるんだ」

 

 エバンス、そしてヴェルダンを豊かにし、曲者揃いのミレトス商人と渡り合いながら、精強な軍隊を育成する。

 もはや属州領、シグルド軍はオイフェ抜きでは立ち行かなくなると言っても過言ではないほど、優れた才幹を見せていた。

 その才能をただ闇雲に酷使するのは、清廉な騎士であるノイッシュは見過ごすわけにはいかなかった。

 

「……わかりました。シグルド様には、私からも話をします」

 

 根負けしたようにノイッシュへ頭を垂れるオイフェ。

 とりあえずの言質を得た事で、ノイッシュはため息を吐きつつ、安堵の表情を浮かべていた。

 

「なら、もう言うことはない。私は練兵に戻る」

「はい。宜しくおねがいします」

 

 短い言葉を交わし、ノイッシュは政務室から退出しようとドアへと向かう。

 

「オイフェ。あまり物事を焦りすぎるな」

 

 去り際にそう言葉を残したノイッシュ。

 先輩騎士からの労りの言葉に、オイフェはただ黙って頭を下げていた。

 

 

「……足りないんですよ、時間が」

 

 ノイッシュが去った後、一人そう呟くオイフェ。

 かつて味わった、最悪の結末。その最後の分水嶺ともいえる、アグストリア動乱。

 デューからの情報では、その動乱の徴候が既に現れている。

 安眠を貪れる程の、時間的な余裕はもう残されていないのだ。

 

 前回では、無惨にも閉じられた運命の扉。

 それを()()()()()べく、オイフェは自身の命を限界まで燃やす覚悟を決めていた。

 例え敬愛する先輩騎士に言われようとも、それを覆すつもりはない。

 

 そして、愛する主君。その主君が愛する、大切な存在。

 二人の幸せな時間を守り通す覚悟も、オイフェは固く決意していた。

 

 

 

「あ、ノイッシュ兄さん、お疲れ様~」

「デューか……その、兄さんというのは止めろと言ったはずだが」

「えーいいじゃん。ラブリーでおいら気に入っているんだけどなー」

「ラ、ラブリー……」

 

 執務室から出たノイッシュ。廊下を歩いていると、程なくしてデューと出くわした。

 あけすけな物言いをするデューに、生真面目なノイッシュはいつも弄られているが、これはシグルド軍ではよくある光景である。

 オイフェ直参とはいえ、平民身分でしかないデューがこのような無礼講を許されているのは、シグルドの度量の深さに加え、オイフェの個人的な忖度が多大に働いているのは言うまでもない。

 

「ククク……騎士様を兄さん呼ばわりとはね……」

 

 ふと、締まりのない軽薄な声が響く。

 見ると、デューの後ろでくつくつと忍び笑いを漏らす、無精髭を生やした金髪の傭兵の姿が見えた。

 

「お前は?」

 

 物腰から優れた実力を感じ取ったノイッシュは、やや剣呑な顔つきで傭兵の姿を見やる。

 

「ベオウルフ。しがない自由騎士さ」

 

 シニカルな態度を崩さない傭兵の男──ベオウルフ。

 嘲るような笑みを浮かべながらそう自己紹介するベオウルフに、ノイッシュは増々眉に皺を寄せた。

 

「傭兵風情が、このエバンス城に何の用だ?」

「傭兵風情ねぇ……そりゃ、傭兵なんだから雇われに来ただけなんだがな」

「なに?」

 

 この男──!

 挑発的な態度を崩さないベオウルフに、ノイッシュは更に警戒心を込めた眼差しを向ける。

 殺気めいた視線を受けても、ベオウルフの態度は変わらない。だが、僅かではあるが、ベオウルフからも抜き身の刀身のような殺気が漏れ出る。

 エバンス城の廊下では、騎士と傭兵による一触即発の事態が起こっていた。

 

 が。

 

「ぷ、ぷぷぷ……じ、自由騎士って、ベオのおっちゃん、そりゃカッコつけすぎだって!」

 

 それまで傍観していたデューが、堪えきれず笑いを漏らす。

 エバンス城を訪れたベオウルフを、オイフェの元まで案内していたデュー。天真爛漫な盗賊少年は、一癖も二癖もあるこの傭兵にすら、あけすけな態度を貫いていた。

 

「お前ほんと無礼な奴だな! あとそのおっちゃんっていうの止めろ! 俺はまだそんな歳じゃない!」

「えーいいじゃん。ラブリーでおいら気に入っているんだけどなー」

「ラ、ラブリー……」

 

 ラブリーな盗賊少年の発言に毒気を抜かれたベオウルフ。同時に、それを見ていたノイッシュもまた警戒心が霧散する。

 冷静に考えてみれば、シグルド軍で誰よりも警戒心が強いデューが同行している時点で、ベオウルフが害意を持つ人間ではないのは分かりきっていた事ではあった。

 

「……とにかく、城内では粗相はするなよ」

「……わかったよ」

 

 微妙な空気が流れる中、ノイッシュは差し障りの無い言葉を残し練兵場へと足を向ける。

 雑な返答をしたベオウルフも、デューを伴いオイフェの元へと向かっていった。

 

(ホリンといい、あのベオウルフといい……オイフェは一体何を考えているのやら……)

 

 シグルドの懐刀として、日々頭脳を働かせる少年軍師。

 その卓越した頭脳の元へ、着々と集う在野の猛者達。

 それらを使い、オイフェは一体何をするつもりなのか。

 

 ノイッシュは何か大きな動乱の予感を感じ、不穏な気持ちを抱えながら練兵場へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 



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第20話『家出オイフェ』

  

 イード砂漠リボー西方

 グランベル王国軍宿営地

 

 夜の砂漠。

 篝火に照らされた天幕が、煌々と白い光を反射している。

 厚手の外套を着込んだ歩哨の兵士が、白い息を吐きながら油断なく辺りを見回し、天幕内にいる要人の警護を遂行していた。

 

「やれやれ、砂漠の夜がここまで寒いとはな」

 

 厚手の外套に身を包んだ一人の老貴族。

 どっかりと天幕内に備えられた床几に腰を下ろし、備え付けられた簡易暖炉の前でせわしなく手を擦っている。

 乾燥した砂の大地は地熱を保つことが出来ず、昼夜の温度差を非常に大きいものとしているのだ。

 

「年寄りには堪えるか、リング」

 

 リングと呼ばれた老貴族を、同じ年頃の老貴族が揶揄する。

 口角を引き攣らせながら、リングは厭味ったらしく言葉を返した。

 

「おお、堪えるわい。お主と違って儂は繊細だからな」

「なんだ、儂が大雑把とでもいうのか?」

「バイロン。お主が大雑把じゃなければ、エスリン姫がウチのエーディンにあれこれ愚痴ったりせぬわ」

 

 温められた蒸留酒が入った木製のマグを受け取りながら、リングはそう皮肉を続ける。

 バイロンと呼ばれた老貴族とおざなりに乾杯し、ぐいとマグを傾けると、熱く太い息を漏らした。

 

「レンスターモルト、二十年物だな。お主は大雑把な男だが、酒の趣味は良いな。どこで手に入れた?」

「惜しいな、二十一年だよ。これはシグルドが陣中見舞いで贈ってくれたものだ」

「シグルド殿か。おい、お主の倅はユングヴィに大変な借りを作ったんだぞ。どうしてくれる」

 

 リングが難しい顔を浮かべながらそう言うと、バイロンは先程のリングのように僅かに口角を引き攣らせていた。

 ユングヴィ公爵家当主であるリング・ウルル・ユングヴィ。そして、シアルフィ公爵家当主バイロン・バルドス・シアルフィ。

 二人は領地が隣同士なのも手伝い、幼少の頃から親睦を深めており、宰相レプトールらと対抗する為の政治的な同盟者でもあった。

 

 現在、両名はグランベル王国クルト王子を大将としたイザーク征伐軍に従軍しており、クルト王子直率の神聖騎士団ヴァイスリッター、バイロン率いる聖騎士団グリューンリッターを中核とした征伐軍は、ここイード砂漠にてイザーク軍と熾烈な戦闘を繰り広げていた。

 リングもまた自身の騎士団、弓騎士団バイゲリッターを率い従軍していたが、イード砂漠北方のイザーク軍の抑えとして長子アンドレイにバイゲリッターを任せ、フィノーラ方面に展開させている。

 軍監としてクルト王子の元に残ったリングは、先のヴェルダン軍のユングヴィ侵攻、そしてシグルドがヴェルダンを返り討ちにし、拐かされたエーディンの救出、奪われたイチイバルも取り返した報を受け、シグルドへ大きな恩義を感じていた。

 

「シグルドは貸しを作ったと思うておらぬよ」

「そうは言うがな、それでも儂はシグルド殿に恩義に感じているよ。エーディンを嫁にやっても良いくらいには」

「それについては一足遅かったな。まったく、あの朴念仁め。いつのまに嫁など迎えおって……それにしても」

 

 バイロンもヴェルダン征伐の経緯を記した軍状報告を受け取っており、事の顛末を知ると喜びと共に、不安な感情を露出していた。

 

「ヴェルダン王累の娘を嫁に迎えたのもそうだが、聖騎士叙勲に加えて属州総督とはな……正直、シグルドには荷が重い職務だと思うが」

「結構な事じゃないか。息子の出世は」

「事が事だけに素直に喜べんよ」

 

 そう言うと、杯を煽るバイロン。

 武人としては自身すらも超える才覚を見せるシグルドであるが、政治的な立ち回りは得意な人間ではないのを、父親であるバイロンはよく理解していた。

 シグルドがエバンスの一領主として封じられるのならばまだ良い。だがヴェルダンを属国化し、実質全てを治める器量は、今のシグルドには厳しいとも。

 拙い政治力で、レプトールら王宮に潜む反クルト王子派の連中と、どのように渡り合えるというのか。

 父親として、そしてシアルフィ当主として、シグルドの総督就任は諸手を挙げて祝福できる状態ではなかったのだ。

 

「シグルドが宰相殿と渡り合える姿が想像できん」

「しかし件の総督就任はオイフェが一枚噛んでいたそうじゃないか。あれだけの政略眼があるなら、シグルド殿を上手く支え宰相とも渡り合えると思うが?」

「オイフェか……あの子も、一体いつのまにあそこまで……」

 

 シグルド達と同様に、バイロンもまたオイフェの急成長に舌を巻いていた。実際に近くにいるシグルド達ほどではないにせよ、一連の政局を成し遂げたオイフェの政治力は、とてもではないが自身が知るそれとは思えず。

 

「オイフェに能力を隠すような老獪さがあったとも思えん。問い質すような事でもないが……」

「まあ、しばらくは様子見じゃな。良くも悪くも、オイフェはシグルド殿の為に献身的に働いているようだし、今の所政治的な危うさは見受けられん」

「うむ……」

 

 ぐいと杯を呷る。

 酒精の強い蒸留酒を一気に飲み干したバイロンに、リングはちびりと酒を舐めつつ嗜めるように口を開いた。

 

「おい、あまり呑み過ぎるなよ。今はシグルド殿の事よりも、目の前のイザークだ」

「わかっている……そろそろ殿下がこちらにいらっしゃるしな」

 

 現実的な政治家でもあるリングの言葉を受け、バイロンがそう応えると、ちょうど歩哨の兵士が天幕内に入ってきた。

 兵士の後に続く貴人の姿を見留めたバイロンとリングは、即座に立ち上がり、胸に手を当て腰を深く折る。

 これは、王族へ最大限の礼を尽くす伝統的拝礼(ボウ・アンド・スクレープ)だ。

 

「シアルフィ卿。ユングヴィ卿。今宵は一段と冷え込みますね」

 

 力強くも気品のある声で、グランベル王位継承権第一位クルト・アールヴヘイム・バーハラはそう言った。

 

「殿下。今は我々しかおりません。どうか常のお言葉で」

 

 案内役の兵士が退出したのを見計らい、慮るようにそう言ったバイロン。

 クルトは微笑を浮かべながら用意された床几へ腰を下ろした。

 

「わかったよバイロン。ところで、美味そうなものを呑んでいるじゃないか。ご相伴預からせてもらいたいのだけど」

 

 唐突にくだけた様子を見せるクルト。リングが新しくマグに蒸留酒を注ぐと、気さくな態度でそれを受け取る。

 バイロン派の旗頭でもあるクルトは、若き時分にこの両公爵から軍事、政治面で散々鍛えられたという過去があり、その関係性からこうした態度で両名と接していた。

 クルトはゆっくりと蒸留酒を飲むと、ほうと満足そうな息を漏らした。

 

「レンスターモルト二十一年」

「流石ですな殿下。どこかの大雑把な舌とはえらい違いで」

 

 バイロンの皮肉げな視線を受け、リングは不貞腐れたように口をへの字に曲げる。

 既に繰り広げられていたであろう二人のやり取りを想像したクルトは、クスリと忍び笑いを漏らしていた。

 

「この上等な酒は誰から贈ってもらったんだ? バイロンの趣味じゃないだろう?」

「愚息からの陣中見舞いですよ、殿下」

「シグルド公子……いや、今はシグルド総督か。本当に良い趣味をしている」

 

 表情を緩めながら、クルトは感心したようにそう言う。

 すると、バイロンは苦笑をひとつ浮かべた。

 

「いや、これは娘が選んだのでしょう」

 

 亡母に代わって口うるさく父と兄の世話を焼いていたエスリン。当然、このような気遣いは彼女にしか出来ない。

 嫁ぎ先の名酒を贈って来た時点で、真の贈り主は想像に難くなかった。

 

「エスリン姫か。確か彼女はレンスターのキュアン王子の元へ嫁いでいたな」

「ええ。あのお転婆を快く受け入れてくれたレンスター王家には感謝しかありません」

「ふふ……それと、シグルド総督も伴侶を迎えたそうじゃないか。心配事が減ったな、バイロン」

「ええ、何よりです。あとは殿下が御妻妾を迎えていただければ万々歳なのですがな」

「む……」

 

 クルトはそれまでの朗らかな表情を一変させ、やや沈鬱した表情を浮かべる。

 近頃のバイロンとリングは、殊更クルトの、バーハラ王家の後継ぎ問題に口を出すようになっていた。

 

「……近頃、シギュンの夢を見たんだ」

「殿下……」

「あれから十八年も経つというのに……ふふ、未練がましいな」

 

 絞り出すようにそう述べるクルト。

 バイロンとリングは憐憫の眼差しでクルトを見つめる。

 

「世継ぎをもうけるのは私の義務だ。それは理解している。だけど、いつかシギュンが私の元に戻ってきてくれるのではないかと……そう思っていた」

「……」

「だから、最後に悪あがきをさせてくれ。この戦が終わり次第、シギュンと、その子供を探す」

「しかし……」

「王子でも王女でも構わない……もし、王女だったら、彼女譲りの銀の髪を持つ美しい女性に成長しているだろう……」

 

 未だにシギュンへの想いを断ち切れぬクルト。王族として、それは甘すぎる感情かもしれない。

 そもそも、シギュンは前ヴェルトマー当主夫人。密通を持っての関係は、王宮内では公然の秘密とはいえ、クルトの政治的立場を危うくさせるスキャンダルである。

 この複雑な女性関係さえなければ、クルトは優秀な統治者としての実力を持っている。

 それだけに、クルトを支えるバイロンとリングは、未だにシギュンへの未練を持つクルトへ忸怩たる思いを抱き続けていた。

 

「ならば殿下。その戦を終わらす為の算段を致しましょう」

 

 杯を置いたリングはそう冷徹な声を上げる。

 最後に、という言質を取れただけで、リングの中で後継ぎ問題は大きく前進していた。

 リングの言葉に同調するように、バイロンも言葉を続ける。

 

「先の会戦でイザーク軍を撃ち破ったのは良いのですが、いかんせん我らも大いに戦力を喪失しました。やはりドズルに加えフリージからの増援を待たざるを得ない状況です」

 

 イザーク国王マナナン王が斃れ、後を引き継いだマリクル王子率いるイザーク軍。

 リボー西方で行われたヴァイスリッターとグリューンリッターとの会戦で、マリクルは獅子奮迅の奮戦を見せている。

 両騎士団の前衛を壊滅させ、防衛陣を突破したマリクルは自らクルトの陣所へ斬り込んでおり、神剣バルムンクを振りかざしクルトへあと一歩の所まで迫っていた。しかし、聖剣ティルフィングを構えたバイロンが寸出の所で間に入り、これを撃退している。

 このマリクルの勇戦はイザーク諸族をより奮い立たせ、王を喪ってもイザークが組織的抵抗を継続たらしめる要因となっていた。

 

 もし、マリクルがこの時にクルトを見事討ち取っていたら。

 バイロンやリングを始めレプトール、ランゴバルト、アルヴィスらグランベル諸侯は大きく政治的方針転換を強いられる事となったであろう。

 それはユグドラル大陸の裏で策動する暗黒教団、そして運命に抗うオイフェにとっても同様。

 だが、バイロンにより深手を負ったマリクルはクルトを討ち果たすことは叶わず、その後のイザーク軍の敗走の混乱の中で傷が癒えぬまま戦死している。

 その躯は()()()()()()()()()かのような無惨な有様を見せていたという。

 

「バルムンクは?」

「依然行方知れずです。手の者に捜索させていますが、イザーク軍が持ち去ったというわけではなさそうですな」

 

 イザーク軍を追撃中にマリクルの遺体を回収したグランベル軍であったが、肝心のバルムンクの行方は知れない。

 戦場では傭兵集団も数多く参戦しており、不届き者が神器を持ち逃げした疑いもある。とはいえ、既に神器を使用できる王族はもはやイザークには残されていない。マナナンとマリクルの弔い合戦に燃え、未だに纏まりを見せるイザーク軍残党も、いずれはグランベル軍によって鏖殺される運命といえた。

 

「リボーは間もなくグラオリッターにより陥落するとの報があります」

「そうか……なら、我々はこのままランゴバルト卿の後詰をする形になるな」

「先の会戦でヴァイスリッターとグリューンリッターは大きく戦力を減らしましたからな……しかし、あのドズルのクソオヤジにおいしいところを持っていかれるのは、いささか癪ですわい」

 

 リングのぼやきを受け、クルトは苦笑を浮かべる。政治的闘争を繰り広げている相手とはいえ、今の所ドズル公国の騎士団は全力を持ってイザーク領を攻め立てている。

 マリクル率いるイザーク軍との会戦で戦力を大きく消耗していたヴァイスリッターとグリューンリッターと入れ替わるように前線へ突出したグラオリッターは、ドズル家当主ランゴバルドの督戦の元苛烈な攻撃を加えており、イザークの玄関口ともいえるリボーを攻略していた。

 

「ブルーム公子率いるゲルプリッターももう間もなく着陣するとの事です。丁度、我々がリボーへ入城した頃に到着するかと」

「ウチの倅もフィノーラ方面から呼び戻しております。リボーで戦力を集結させ、一気呵成にイザーク本城へ侵攻するのがよろしいかと」

「……」

 

 バイロンとリングの言を受け、クルトは考え込むように顎に手をやる。

 ふと、呟くように言葉を発した。

 

「では、()()はリボーに……いや、なんでもない」

「?」

 

 頭を振るクルト。訝しむように見つめる老将二人。

 クルトの脳裏に僅かに浮かんだ、ある事実。

 それは、戦力を減らしたヴァイスリッターとグリューンリッターが、戦力を温存したグラオリッター、ゲルプリッター、そしてバイゲリッターに()()されるという事である。

 

「バイロン、リング。このつまらぬ戦、早々に終わらせたいものだな」

「はい」

「ですな」

 

 流石に表立って造反はしないだろう。

 そう思い、頭を振ったクルトはバイロンとリングへ向け表情を引き締める。

 バイロン達も居住まいを正し、クルトへと視線を返していた。

 

「ああ、そういえばひとつ御報告が」

「なんだ、バイロン」

 

 ふと、バイロンが何かを思い出したかのように言葉を上げる。

 クルトの促しを受け、バイロンは滔々と贈り物に添えられたオイフェ直筆の書状の内容を口に出した。

 

 

「いえ、愚息を支えているオイフェ……スサール卿の孫なのですがな、近々直接陣中見舞いに訪れるそうで。いや、わざわざ愚息を放り出してまで来なくていいと思ったのですが、何やら内々な話があるとのことでして……」

 

 

 

 


 

 グランベル属州領

 エバンス城郊外

 

 この日、エバンス城東方に位置する平原にて、シグルド軍は大規模な軍事演習を行っていた。

 新たに編成した歩兵部隊を中心に二手に分かれ、エバンスへ侵攻してきた敵性戦力との交戦を想定した演習となっている。

 攻め手がエバンスの東方、()()()から来襲したという想定は、流石に見る者が見れば眉を顰めかねない内容となっており、監査として派遣されたグランベル本国役人は「攻め手がグランベル本国側からというのは如何なものか」と厳しく追求している。

 これに、演習の一切を企図したオイフェは“ヴェルダン王国とアグストリア諸侯連合への配慮”と一言で切り捨てていた。

 属国化したばかりのヴェルダン、そして盟友エルトシャンが治めるノディオン側からの侵攻を想定すれば、隣国は元より属州からの反感を買うのはもっとも。それに、シグルドがグランベル本国に反旗を翻すとお疑いか? と、オイフェは本国役人へ逆に詰問する有様であり。

 もはやいつもの光景となってはいたが、本国役人は額に青筋を浮かべながら宰相府へ告げ口めいた報告を送るしかなかった。

 

 オイフェにとって、反逆を疑われた所で痛くも痒くもない。

 宰相レプトールは元より、暗黒教団を含め陰謀の中心にいるであろうアルヴィスは、いずれは雌雄を決する必要があるからだ。

 アズムール王の覚えめでたいシグルドを今の時点でアルヴィスらが排除する事は難しく、オイフェは堂々とこの軍事演習を企画していたのだ。

 

 演習では攻め手にキュアンらレンスター隊、ノイッシュ、アレク、ドズルのいい男たちを中核とした騎馬隊を配置している。

 迎え撃つ守勢側にはシグルドを大将とした歩兵部隊を中心に配置しており、アゼル率いる魔道士隊もここに配置されていた。

 

「オイフェ。質問があります」

「なんでしょう、ディアドラ様」

 

 現在、オイフェは平原を見下ろせる小高い丘で演習を監督しており、用意させた机と椅子に陣取り兵達の動き、指揮官の動きを事細かに記録していた。

 その隣には、シグルドの妻であるディアドラもオイフェの記録を熱心に手伝っていた。

 

「あの、なぜ魔道士隊の皆様が草や小枝を貼り付けているのでしょう?」

 

 ディアドラは迷彩により見事に風景と同化している魔道士隊へと目を向けている。

 事前に知らされていなければ、遠目にはそこに魔道士隊が潜んでいるとは看破できない陣容であった。

 

「魔道士隊は遠距離から攻撃が可能で非常に強力な戦力です。ですが、意外と正面からの攻撃には弱いのです」

「だから、兵を潜ませる……?」

「はい。遠距離で発見され難い位置ならば、魔道士隊の真価を十全に発揮することが出来ます」

 

 平原へ目を向ければ、キュアンを先頭に騎兵隊が猛然と歩兵部隊へ攻撃を加えており、装備の整った歩兵とはいえ散々に蹴散らされている。

 が、しばらくすると側面から魔道士隊による低出力の魔法攻撃が放たれ、騎兵隊は陣形をみるみる崩していく。ミデェールら弓騎兵部隊が反撃を試みるも、迷彩により魔道士隊の位置が掴めず、刃引きされた殺傷力の無い矢は明後日の方向へと飛んでいた。

 

「でも、貴人にはあまり好まれない方法なのでは?」

「仰るとおりです。アゼル公子には苦労をかけてしまいましたが」

 

 草木を身に着け、泥に塗れる戦法は、当然のことながら貴公子であるアゼルは難色を示しており。

 そも、魔法の心得のある騎士は騎馬によるマージナイト、または重装甲を纏ったバロンを目指し日々研鑽を積んでいる。

 それを、平民歩兵と同じような扱いを受けるのは、大人しい性格のアゼルですら忌避感があった。

 オイフェもマージナイトの機動性、そしてバロンの堅守性には一目を置いていたが、()()()の兵科と同じ陣容では、最終的に数に勝る方が勝ってしまう。ならば、相手と同じ土俵に立つ道理はない。

 戦法の有用性を滔々とオイフェから説明されたアゼルは、渋々とではあるが若草色に染められた戦闘服を身に着け、草木で迷彩を施し、地を這いつくばる伏撃訓練を実施していた。

 泥まみれのアゼルに、いい男が存分に弄り倒したのは言うまでもない。

 

 尚、低出力とはいえウィンドやファイアーを受けた騎兵はそこかしこに負傷兵が出ており、エスリンらトルバドール隊が救護に奔走していた。

 

「演習とはいえ、お味方が傷を負う姿を見るのは辛いですね……」

 

 その様子を痛ましい想いで見つめるディアドラ。

 彼女の慈愛の心に胸を痛めたオイフェであったが、諭すように言葉をかけた。

 

「ディアドラ様。そのお味方が傷を負わず、死に至らないようにする為の演習なのです。トルバドール隊も戦場での救護の訓練にもなります」

「そうなのね……でも、このような演習を必要としない世の中でありたいのですが」

「もちろん、戦を必要としない世の中にする為に政治(まつりごと)があるのです。そして、この演習もその政治の一環と捉えてください」

「はい……」

 

 平原では騎兵隊に蹴散らされた歩兵部隊が魔道士隊の援護を受け勢いを取り戻し、苛烈な逆襲に転じている。

 反撃の先鋒である剣士隊の先頭には、先にシグルド軍へ参加した剣闘士ホリンの姿が見え、態勢を立て直そうとする騎兵隊へと斬り込んでいる。そして、そのホリンを迎え撃つべく、同じくシグルド軍へ参加した自由騎士ベオウルフが前に出ていた。

 

「すごいですね、お二人」

「ええ。頼もしい方達です」

 

 騎乗にて巧みに撃剣を奮うベオウルフ。それを大剣にて防ぎ、逆撃の剣を入れるホリン。

 一進一退の攻防を繰り広げていた両者であったが、形勢は徐々にベオウルフの不利に傾いていく。そして、ホリンの姿を見留めたアイラが加勢すると、ベオウルフは即座に馬首を翻し撤退行動に移った。

 ホリンとアイラはベオウルフの瞬時の判断に呆気にとられるも、必死で後を追いかける。

 だが、ベオウルフの撤退を支援するべくノイッシュとアレクが間に入り、剣士隊の勢いは減殺されていた。

 

「あ、シグルド様」

「え?」

 

 そして、平原では逆襲に転じた歩兵部隊を率いシグルドが突出していた。

 更に、撤退していたはずのキュアンがそれを見留め、単騎でシグルドに向け突撃している。

 当然、演習は大将同士の一騎打ちの様相となっていた。

 

「あの、これは演習としてどうなのでしょう?」

「まあ、シグルド様ですから……」

 

 本来はシグルドは本陣から一歩も動かず、あくまで歩兵部隊の指揮に専念する予定だった。

 だが、逆襲の機を見て自ら先頭に立つ機微は、オイフェにとって判断が難しい行動でもあり。

 シグルドにより歩兵部隊の勢いが増したのは確か。しかし、予定外の行動は全軍の指揮に乱れが出る。本陣の護衛を任されていたアーダンが慌てて追いかけていく様子を見て、オイフェはひっそりとため息を吐いていた。

 

「キュアン王子は、あれで良かったのかしら?」

「退路をフィン殿がしっかり確保していますから、あの判断は正しいですね」

「つまり……」

「大将としての判断は、残念ながらキュアン王子が一枚上という事になります」

「そう……」

 

 戦場の機微を本能で察知し、突出したシグルド。そのシグルドの戦闘力に伍するのは、攻め手ではキュアンしかいない。

 守勢の反撃の勢いを殺すべく、単騎で迎え撃ったように見えたキュアンであったが、その後ろではフィンが主君の退路を確保するべく奮戦している。

 レンスター主従の阿吽の呼吸。そして、盟友シグルドの行動を完璧に読んでいたキュアン。

 攻め手は守勢を撃滅する事は叶わなかったが、大将としての指揮はキュアンに軍配が上がっていた。

 

「まあ、今回はノイッシュ殿やアレク殿が攻め手でしたから、実戦ではシグルド様があのような状況になる事はありえません」

「そうね……わたしも、シグルド様のお力になれるようにがんばります」

「はい。私も、及ばずながら力になります」

 

 戦場では大将を補佐する副官の存在が重要。ディアドラは演習を見て、それを十分に理解していた。

 そして、優秀な参謀の存在もまた、戦場では極めて重要である。

 

「……」

 

 オイフェはディアドラの姿を見つめ、少しばかり暗鬱とした表情を浮かべる。

 本来であればディアドラには戦場に出てほしくない。しかし、優秀なシャーマンであるディアドラは、光魔法を始め各種聖杖の心得もある。

 大将であるシグルドの脇を固めるには、非常に優秀な人材といえた。

 

 そして、暗黒教団の魔手からディアドラを守るには、現状ではシグルドの隣がもっとも安全なのだ。

 シグルド個人の戦闘力は、キュアンやホリン、そしてアイラですら、本気を出したシグルドに勝てるかは怪しいものであり。

 それほど、シグルドの武勇はこのユグドラル大陸では屈指のものとなっていたのだ。更に神器を装備したシグルドが古今無双の武力を見せるのは想像に難くない。

 

「では、そろそろ演習を終了しましょう」

「はい」

 

 演習場ではキュアンにいいようにあしらわれたシグルドが完全に勢いを殺されており、オイフェは両軍の引き分けと裁定していた。

 これによりシグルドは単騎駆けの良し悪しを学び、キュアンも()()()()()()()()を強めるだろう。

 どちらかといえば、オイフェは此度の演習でキュアンに想定外の伏兵に対する心構えを実地にて学ばせたかった。

 前世でのレンスター夫妻の無残な結末は、オイフェにとっても非常に心の重しとなっていたのだ。

 

「喇叭をお願いします」

「はっ!」

 

 オイフェが傍らに控える兵士に指示を出し、演習終了の喇叭が鳴らされる。

 全軍が動きを停止し、それぞれ陣所へと戻っていく。

 負傷した者はトルバドール隊、そして歩兵部隊の後方に控えていたエーディンら救護兵部隊に介抱されていた。

 

「オイフェ」

「デュー殿」

 

 後始末をするべく書類を整理し始めると、どこからかともなくデューが現れる。

 ディアドラにそれとなく挨拶したデューは、小声でオイフェへと話かけていた。

 

「イザークの……もう……」

「……はい……では……」

 

 ひそひそと話し合う少年達。

 ディアドラはそれを少々怪訝な表情を浮かべて見つめていたが、やがて話を終えたオイフェがディアドラへと顔を向けた。

 

「ディアドラ様。私はしばらくエバンスを留守にします。留守中はシグルド様のお傍から離れないようにしてほしいのですが、エスリン様に怒られないようにほどほどにしてくださいね」

「えっ!?」

 

 オイフェの唐突なこの申し出。

 ディアドラはそれを聞き、その可憐な容姿に見合わない素っ頓狂な声を上げるしかなかった。

 

 

 数日後。

 エバンス城から、オイフェの姿が消える。

 同時に、城から姿を消した者は三名。

 

 デューと、ホリン。そしてベオウルフが、策謀を巡らす少年軍師へと同道していった。

 

 

 

 

 



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第三章
第21話『歴史オイフェ』


 

「はぁ……」

 

 グラン歴757年が暮れようとするこの時分。

 エバンス城の物見台にて、物憂げなため息をひとつ吐く黒髪の乙女。

 イザークの王女、アイラ。ここ数日、彼女は甥であるシャナンとの稽古を終えると、こうして一人物見台に立ち彼方を見つめていた。

 イザーク人の中でも一際黒く、美しい輝きを見せるその瞳は、エバンスを発ち、イザークへ旅立ったオイフェ達がいるであろう方角へ向けられていた。

 

「ホリン……」

 

 乙女の心に僅かな火を灯す男。同郷の剣術を操る金髪の若き剣豪、ホリン。

 闘技場での熱戦。

 アイラと紙一重の差で敗れたホリンは、直後にアイラへ自身の剣を捧げている。

 曰く、金だけの為に戦っていた自分がひどく虚しくなり、アイラに負けたことでその剣を誰かの為に使いたくなったと。

 

 ホリンの真っ直ぐな瞳に戸惑うアイラ。

 逃げるようにホリンの処遇をオイフェへ一任した。

 オイフェは初めからこの事が分かっていたかのように、ホリンをシグルド軍の客将として迎え入れる段取りを整えていた。

 

 その後は新編のソードファイター隊の隊長に就任したアイラの補佐を務めていたホリン。

 軍務で顔を会わせる度に、アイラはホリンへある感情を抱くようになる。

 

 共に、演習で剣を振るうホリン。

 共に、シャナンへの稽古をつけるホリン。

 その後、二人きりでの稽古。

 自身と滾るような修練を積む、ホリン。

 

 それらを見ていく内に、アイラの心の中に熱く、もどかしいまでの感情が湧き上がっていた。

 乙女がそれを恋だと気づくには、そう時間はかからなかった。

 

「……そういえば、あいつは結局アレを身に着けてくれたのだろうか」

 

 ふと、アイラは自身の長い髪を指先で弄る。

 ホリンがオイフェの特命を受け旅立つ前夜。

 アイラは急な出立が決まったホリンへ、自身の髪で拵えた指輪を贈っている。

 エバンス城の門前で、旅立つホリンへ半ば強引へ渡したその指輪。

 イザーク人ならば、その意味は理解るはずだ。

 

「うっ……」

 

 ふと、アイラは己のしでかした行為を今更ながら思い起こし、徐々に頬を赤く染める。

 

「うおおお……っ!」

 

 そして、物見台の上で蹲ると、両手で顔を覆い隠しながらジタバタと悶え始める。

 

「い、今更、だが! ここ、恋人でもないのに、あ、あんなのを渡してしまうなんて……!」

 

 イザークにて女性が自身の髪で拵えた指輪を送る風習。

 それは、戦地へ赴く()()へ送るお守りである。

 

「これじゃ私はただの重たい女ではないか!!」

 

 早朝、一人物見台の上で身悶えするアイラ。

 羞恥が全身へと広がり、その様子は傍から見てかなり奇妙なものとなっていた。

 

「……あいつは、私の事をどう想っているんだろう」

 

 ふと、アイラは肝心のホリンの想いに胸をはせる。

 指輪を渡すというわかり易すぎる行為を受けても、ホリンは眉ひとつ動かさず黙って受け取っていた。

 いや、受け取ったからには、アイラの想いを受け入れているのは確かだ。

 

『お前に俺の剣を捧げる』

 

 闘技場で敗れた際、アイラへそう告げていたホリン。

 思い返すと、この言葉はアイラにとって劇薬といっても差し支えない、甘美な響きとなって思い起こされていた。

 

「はぁ……」

 

 再び悩ましげなため息をひとつ吐くアイラ。

 ホリンが旅立ってから、幾度となく繰り返された悩ましい想いは、剣姫の心をかき乱し続けていたのだ。

 

 

「む……あれは……?」

 

 しばらく物見台の上でぼんやりと遠くへ視線を向けていたアイラ。

 すると、郊外から二騎の騎士が駆けてくるのが見えた。

 

「あれは……アゼル公子に、レックス公子(いい男)か……」

 

 剣姫の優秀な視力は、遥か遠くに位置する二人の貴公子の姿を正確に捉える。

 早朝の遠乗りへでかけたヴェルトマー公子アゼル、そしてドズルのいい男の姿が、アイラの瞳に映し出されていた。

 

「そういえば、彼らはいつもこの時間に遠乗りに出かけていたな……」

 

 エバンス城に入城して以降、騎乗が得意でないアゼルに、いい男は気前よく早朝の乗馬訓練に付き合っていた。

 ドズルのいい男は、いい男特有の男前な騎乗法を惜しみなく親友に伝授しており、そのおかげかアゼルはめきめきと乗馬を上達させている。

 ただ、鐙を蹴る際の「あおおっー!」だとか「ンアーッ!」というドズル式の掛け声には未だに慣れていなかったが。

 ちなみに、ドズル公国騎士団グラオリッターの騎士達もまた同様の掛け声をもって手綱を操っており、万馬のグレートナイトの勇ましい掛け声は、大地を震わすと共に相対する敵兵の尻を震え上がらせる程の武威を放っていた。

 

 物見台の上にいるアイラに気づかないアゼル達は、そのまま馬の手綱を引きながら厩舎へと歩を進めている。

 鋭い五感を備えるアイラは、数十メートル上の物見台にいながらも、二人の会話を鮮明に拾う。

 

 余人に聞かれていると気づかぬ二人は、普段通りのあけすけな物言いで会話を交わしていた。

 

「いいこと思いついた。アゼル、お前俺の勇者の斧にファイアーしろ」

「なんで!?」

「ファイアーまみれでやりまくる(二回攻撃する)のもいいかもしれないと思ってな。男は度胸! 何でも試してみるのさ」

「ああ火属性付与(エンチャントファイア)ってそういう……って色々おかしいよ! 試す前に無理がありすぎるよ!」

「だろうな。俺も初めてだよ。とりあえず遠慮しないでぶっかけろ」

「微妙に会話が噛み合ってないしあと言い方ァ!!」

「ああ……次はライナロックだ……」

「聞けよ人の話!!!」

 

 気さくな会話を交わすアゼルといい男。

 まるで市井に棲まう平民の若者達のような、親しげな様子が見て取れた。

 

「いいな……あいつら悩みなさそうで……」

 

 そう呟くアイラ。

 アイラから見れば、この二人が自身が抱えるような悶々とした想いに囚われているとは到底思えず。

 いつも通り鍛錬に励む姿を、アイラはやや眩しそうに見つめていた。

 

「……いや、違うか」

 

 即座に頭を振る。

 彼らはグランベル人。

 自身の故国、イザークとの戦時中だ。

 いい男の故国、ドズル公国も主力騎士団をイザークへと派遣している。アゼルの故国、ヴェルトマー公国は直接戦闘には関わっていないものの、ロートリッターはバーハラからイード砂漠方面での兵站を担うべく兵力を展開をしている。

 

 平時ではなく、今は戦時。

 それ故、安穏と過ごすのを良しとせず、こうして試行錯誤を交えながら鍛錬に励んでいるのだ。

 真っ直ぐな若者達は、悩みを抱えつつ、己が出来る事を懸命にこなしていただけだ。

 

「私は、思ってたより弱かったのだな……」

 

 膝を抱えながら、弱々しい呟きを放つアイラ。

 自身は故国の存亡の危機にも関わらず、恋にうつつを抜かす有様。

 今この瞬間でも、イザークの一族郎党が斃れているかもしれないのに。

 

「……度胸か」

 

 ふと、先程のいい男の言葉が思い起こされる。

 男は度胸。つまり、女にも度胸は備えられて然るべきなのだ。

 

「私は……シャナンを立派に育て……そして、イザークへ帰る」

 

 それ以外の感情は、今の己には不要。それを成し遂げる為の、度胸を備えるのみ。

 故国を離れ、孤独な生き様を強いられていた己は、闇夜に輝く月光に、一時惑わされただけ。

 そう思ったアイラ。

 思った後は、ホリンへの恋情は、幾ばくか薄れていた。

 

「帰ってきたら、指輪を返してもらおう……」

 

 寂しげに呟きつつ、アイラは立ち上がる。

 全てはシャナン──イザークの為に、命を燃やすべく。

 孤高の剣姫は、大いに後ろ髪を引かれながら、自身の想いに蓋をしようと決意していた。

 

 

 


 

 この世で一番大切な存在は何かと問われれば、エスリンは迷わず娘のアルテナと答えるだろう。

 だが、この世で一番愛しているのは誰かと問われれば、迷わずキュアンと答える。

 ある種の二律背反的な思考ではあるが、結婚し、一児をもうけても尚、エスリンが恋する乙女なのは変わらない。

 

 つまるところ、エスリンはキュアンが大好きなのだ。

 

「キュアン、いる?」

 

 エバンス城に充てがわれたレンスター夫妻の部屋。

 政経学を学びながら夫シグルドの補佐を努めるディアドラは、城内の家政には中々手が回らない。故に、エスリンがディアドラに代わりエバンス城の家政を一切取り仕切っていた。

 ちょうど業務が一段落しており。麾下の槍騎兵隊の練兵を終えたであろうキュアンと共に、お茶でも飲もうかしらと部屋へと戻っていた。

 

「いないのかしら……?」

 

 しかし、お目当ての夫の姿は部屋のどこにも見当たらず、部屋にはエスリンしかいない。

 見ると、ソファやテーブルには夫が脱ぎ散らかした衣服が乱雑とした状態で放置されていた。

 

「もう、キュアンったら、どうしてこんなにだらしないの」

 

 ぷりぷりと頬を膨らませつつ、エスリンはキュアンが散らかした衣服を手早く集めていく。

 大方部隊の教練を終え、戎衣から軽服に着替えてそのままフィンを連れてどこかへ出かけてしまったのだろう。

 

「最近、フィンばっかり連れ歩いてて……ずるい」

 

 ヴェルダン征伐を終え、エバンスへ腰を落ち着けてから……特に、シグルドの披露宴以降、キュアンはことフィンの育成に熱心だった。

 腹心の部下である為、軍務では常に傍らにいるのは当然として、食事の時ですらエスリンよりもフィンとの会話が多い。

 もちろんエスリンもフィンの事を弟のように可愛がってはいるのだが、それにつけてもキュアンの熱心さは、流石に乙女の嫉妬心を多いに煽っていた。

 

「むぅ……」

 

 そして、キュアンがフィンを鍛えるのに熱心な理由も、エスリンは十分に承知している。

 シグルドとディアドラの披露宴の翌日。

 何やら思いつめた表情のフィンが、自身を徹底的に……大陸一の槍騎士になれるよう、徹底的に鍛えるようキュアンに直訴していた。

 

 その理由は明言していなかったのだが、披露宴での金髪の美姫──ラケシス王女と、たどたどしくも至純なダンスを踊っていたのを見れば、その理由は推して知るべしである。

 レンスターでキュアンに仕えて以来、私心を押し殺し忠実に主へ尽くしてきたフィン。

 それが、初めて見せた純粋な想い。

 

 あの御方に相応しい騎士になりたい──

 

 ラケシスへの恋慕。十五歳の騎士見習いが、初めて見せた自儘。

 フィンがラケシスと結ばれるには、厳格な身分の差、実妹を溺愛する兄王の許可、そしてそもそものラケシスの気持ちなど、超えるべき大きなハードルがいくつもある。

 しかし、キュアンはこの純粋な想いに応えぬほど、冷血な男ではなかった。

 フィンの申し出を受け、己が持つ槍術の真髄、騎士としての心構えを惜しみなく伝授していた。

 

『ちょっと、無茶じゃないかしら』

 

 以前、エスリンはキュアンへフィンがラケシスと結ばれるのは非常に難しいのではないかと述べている。

 しかし、キュアンはそれに対し。

 

『愛に超えられない壁などない! 俺の目の黒い内はフィンに悲恋なんてさせないぞ!』

 

 と、実に良い笑顔、歯の浮くような台詞で愛する妻に言葉を返していた。

 もちろん、エスリンもレンスターへ嫁いで以降、何かにつけて健気に尽くしてくれるフィンが幸せになれるよう願っている。

 とはいえ、キュアンの熱意はいささか熱心が過ぎるとも思っていた。

 特に、自身という可愛い奥さんを差し置いてまでやることかとも。

 

「……まぁ、仕方ないか」

 

 キュアンが着ていたシャツを抱え、エスリンはため息を吐きながらソファへ腰をかける。

 フィンへの想いもそうだが、キュアン……レンスターの人間が持つ、ある種の恋愛観を思えば、あの熱心さも理解はできるのだ。

 

「悲恋かぁ……」

 

 ふと、エスリンはレンスターで過ごした日々に思いを馳せる。

 レンスターは豊かな生産力を背景としたユグドラル大陸有数の文化先進国。市井の劇場では、演劇や歌曲の為の劇場がいくつも建てられ、そこでは男女の恋愛をテーマにした作品が多く上演されている。

 エスリンもキュアンに誘われ何度も城を抜け出し、お忍びでそれらを観賞していた。

 

 しかし。

 ある時、エスリンは恋愛物の作劇に、こと悲恋物が全く存在しない事に気付く。

 故国のシアルフィや王都バーハラでは、悲劇的な男女の恋愛物が大いに流行った時期もあり、文化的な繋がりが深いレンスターでもその手の作品が上演されていると思っていた。

 しかし、不自然なほど悲恋の物語は見受けられない。

 まるで、レンスター全体が悲恋アレルギーを患っているのかと思ってしまうほど、見ているこちらが恥ずかしくなるような甘酸っぱい物語のみが演じられている。

 

 だが、レンスター──地槍ゲイボルグにまつわる悲哀の物語と共に、トラキア半島の歴史を紐解くことで、その理由は察せられた。

 

 

 グラン歴632年。

 ダーナの砦にて古代竜族と契約(ゲッシュ)を交わした十二聖戦士。

 竜族の力──神器を得た聖戦士達は、十六年の時を経て晴れてロプト帝国を打倒する。

 戦いを終えた聖戦士達は、それぞれの地にてグランベル七公国、周辺五王国を建国した。

 

 トラキア半島では十二聖戦士が一人、竜騎士ダインを国王としたトラキア王国が建国された。

 同じ聖戦士の一人、ダインの実妹でもある槍騎士ノヴァがこれを支え、実際の統治は兄ダインがトラキア半島南部、妹ノヴァがトラキア半島北部をそれぞれ統括する。

 これは地政学的な要件が重なり取られた統治形態であり、豊富な鉱物資源を有するが故に峻険な山岳地帯が殆どの南部は、野良飛竜の生息地というのもあり、世界最強の竜騎士であるダインでしか安泰に統べる事が出来なかった。

 豊穣な穀倉地帯である北部は、平原も多いこともあり優秀な槍騎士であるノヴァが治め、その人なりを十全に活かし穏やかな統治を施していた。

 食料などの生活物資を南部へ、鉄鋼などの鉱物資源は北部へ。トラキアは建国初期から安定した経済活動、そして兄妹による平穏な治世が施されていたのだ。

 

 だが、その平和は、ノヴァが夫を迎えた時に綻びを見せる。

 ノヴァの伴侶となった男は、元はダインの腹心の部下であった。だが、義兄弟となった後も、ダインは変わらず己の部下としてノヴァの夫を粗略に扱う。

 ダインからしてみれば、今まで通りの気さくな関係を維持していたつもりなのだろうが、ノヴァの夫からしてみればその態度は驕慢な君主のそれでしかなく。

 

 そして、ノヴァが夫を迎えてから数年後。

 ある日、グランベル王国の外交使の面前で、ノヴァの夫はダインに手酷い叱責を受ける。

 衆目の前で己の頬を叩かれたノヴァの夫は、それまでの積もりに積もった鬱積が爆発する。ノヴァを連れレンスターの領地に戻ると、トラキア王国からの離脱、独立を宣言。

 ダインへ反旗を翻した。

 

 これに北部の領主達、そして南部へ生活物資を卸していた豪商、豪農が同調。

 領主達もダインが南部優先の施政方針を取り続ける事に不満を覚えており、生活物資の卸値などでその影響を露骨に受けていた豪商達は、ある意味領主達以上にダインへ不満を抱えていた。

 折しも凶作の年が続いたのもあり、そもそも南部へ回す食料が少なかったという背景もある。自分達ですら飢えているのに、なぜ南部の連中に格安で食料を渡さなければならないのかと。

 

 反旗を翻したノヴァの夫ら北部領主達に対し、ダインが下した決断は“見せしめ”を起こす事だった。

 既に水面下で独立工作を進めていたコノート領主を、策を弄しトラキア王城へ呼び出し、そのまま謀殺。その後、コノートへ麾下の竜騎士団を進駐させ、領民の為に蓄えられていた食料を南部へ回した。

 

 見せしめで行われた誅殺と略奪。

 ダインの中では、これで北部の叛逆は終わりを告げるはずだった。

 だが、これを受け北部領主達はノヴァの夫を盟主とした軍事同盟、マンスター同盟を結成。即座にコノート奪還の軍を起こす。

 血で血を洗う、トラキア内戦の勃発である。

 

 ノヴァは始めは夫と兄の間に立ち、平和的な紛争解決に尽力していた。

 しかしノヴァの努力も虚しく、両軍の争いは日に日に熾烈を極める。そして、とうとう夫とダインが直接槍を交える瞬間が訪れた。

 間に立ったノヴァは、地槍ゲイボルグを持って両者の争いを止めようとする。

 

 だが、夫の槍がダインを穿とうとしたその時。

 ノヴァは、夫をゲイボルグで貫いていた。

 止めようとしたつもりが、誤って愛する夫を刺し貫く悲劇。

 直後、狂乱したノヴァはゲイボルグにて己の命を断った。

 

 その後、ダインも謎の死を遂げ、南北は互いの盟主の弔い合戦に燃え骨肉の争いを演じるようになる。

 天槍グングニルと共にトラキア王位を継いだダインの息子は、やがて北部征伐──北伐をトラキア王国の国是と定め、ノヴァの遺児もまたゲイボルグを継承し南部と対抗する。

 紛争は長期化しつつあったが、やがてグランベル王国による調停が入り、休戦協定に加え様々な経済協定が南北で結ばれた。

 

 こうして、兄妹が手を取り合って生まれたトラキア王国は、完全に南北に分断された国家となった。

 だが、分断された後も、トラキア半島の悲劇は終わらない。

 休戦後、幾ばくか頭が冷えたのか、ダインとノヴァの息子達はそれぞれの妹──互いの従妹を娶り、南北の緩やかな融和を図ろうとした。

 

 しかし、既に経済的な南北格差が生まれていたことで、北部の領主達──既に独立した国家群を形成していたマンスター諸国の思惑が、南北の再統一を良しとせず。

 様々な謀略の末、レンスターに嫁いだダインの娘は毒殺される事となる。

 これに激怒したダインの息子は、自ら天槍グングニルを用い自身の妻……ノヴァの娘を殺害すると、休戦協定を無視し再度北伐を開始する。

 グランベル王国を始め周辺国が調停軍を派遣し両軍の争いを止めるまで、南北は激しい攻防を続けた。

 

 その後も小競り合いを続けながら今日に至る南北トラキア。

 もはやトラキア半島は、南北のどちらかが絶滅しなければ、再統一が果たされる事はなかったのだ。

 

 

「悲しい……とても哀しい話……」

 

 エスリンはソファに腰掛けながら、トラキア半島で繰り広げられた悲劇の歴史に思いを馳せる。

 この悲劇の歴史により、レンスターでは“地槍ゲイボルグを持つ者は愛する者を失う”という伝説が生まれていた。

 固い絆で結ばれていたはずの兄妹、同胞が。

 天の槍と、地の槍が、互いに呼び合い、血で血を洗う殺し合いを演じる。

 その結果、それぞれが愛する人を失った、トラキアの歴史。

 それが、レンスター民の悲恋アレルギーとなって現れていたのだ。

 

「お養父様は……なぜ私に……」

 

 エスリンはふと、厳重に封印された自身の行李へ視線を向ける。

 その中にあるのは、悲劇の象徴……神器、地槍ゲイボルグが収められていた。

 

『必要となったら、地槍の力を使いなさい』

 

 レンスター現国王、カルフ王よりそう言われ、内々に渡されたゲイボルグ。息子の出征を受け、万が一を考えカルフはゲイボルグを持たせたのだろう。

 事実、ゲイボルグの継承を済ませたキュアンがそれを用いれば、先のヴェルダン征伐はもっと早く終わっていた。

 だが、エスリンは行李の封印を解こうとは思わなかった。

 解けば、この悲劇の物語が、自身にも降り掛かってくるのではないかと恐れたから。

 

「……迷信、よね」

 

 そう呟きながら、キュアンのシャツをぎゅっと抱きしめるエスリン。

 ゲイボルグを用いれば、キュアンがいなくなってしまう。そのような事など考えたくはない。

 

「それに……オイフェもそう言ってたし……」

 

 エスリンは、先日旅立ったオイフェの姿も思い起こす。

 ゲイボルグの秘匿は、シグルド陣営の中ではエスリンしか知らぬ事実。しかしあの紅顔の少年軍師は、なぜだか分からないがゲイボルグがエスリンの手にある事を知っていた節があった。

 ヴェルダン征伐が終わりしばらくしてから。

 オイフェは真剣な表情を浮かべ、ある事をエスリンへ告げている。

 

『エスリン様。神器は強大な力を持つ武具ですが、所詮武具でしかありません。努、迷信などに惑わされぬよう』

 

 そう述べたオイフェ。

 曰く、神器の力は強大なれど、それにまつわる逸話を恐れる必要は無い。

 迷信は、あくまで迷信。

 あるのはこの世に生きる人と人との摩擦から生じる災いだけであり、天災などは自然の摂理である。

 

 この超現実的な言葉に加え、オイフェはトラキア半島の歴史について自身の“所感”も述べている。

 それは、生々しい“人と人との摩擦”であった。

 

 

 ロプト帝国を打倒した十二聖戦士の一人、初代グランベル王国国王でもある聖者ヘイム。

 彼はロプト帝国打倒の旗頭として聖戦士達を率いていたが、その実、やや利己的で猜疑心の強い政治家でもあった。

 ロプト帝国打倒後、同じ聖戦士──ダインとノヴァが建てたトラキア王国は、繁栄を遂げるにつれ、グランベル王国を脅かす潜在的な驚異としてヘイムの目に映っていた。

 

 “民草の安寧を脅かす邪悪なる勢力に抗するには、大国主導による盤石な指導力こそが肝要である”

 

 晩年、側近の一人にそう漏らしていたヘイム。

 この事大主義思想は、ヘイムが持つ本質をよく現していた。

 十二聖戦士の内、五人の聖戦士がヘイムと袂を分かち、それぞれの独立国家を建国したことからも、ヘイムの独善的な思想に反発をもつ聖戦士は少なくなかった。そして、そのような“離反的”な聖戦士達を、ヘイムが警戒しないはずもなく。

 ある意味、ロプト帝国打倒末期から、十二聖戦士達には不協和音が生じていたのだ。

 

 故に、潜在的な国力でグランベルを凌駕しかねないトラキアの内部分裂を、ヘイムが画策した陰謀と言われても否定は出来ない。

 ノヴァの夫へ独立を唆し、秘密裏に資金物資を支援したのは、ヘイムの意向を受けたグランベルの外交使ではないか。

 その後の調停も、ダインとノヴァが死亡し、両軍が疲弊しきった状況を見計らっており、あまりにもタイミングが良すぎる。

 また、融和を図ろうとした南北を、再び決裂させた要因はマンスター諸国の謀略だったが、外交的圧力をかけそのようにさせたのもグランベル王国──ヘイムの差し金だったのではと。

 

 今でこそグランベルとマンスター諸国……特にレンスターとは、シアルフィからエスリンが嫁いだことからも蜜月といえる友好関係を築いている。

 だが、それはあくまで表面的なもの。

 軍事、そして経済でも、隙きあらば互いの足を容赦なく引っ張り合う状況だ。

 国家間での真の友好は存在せず、常に片手で握手し、片手で殴り合う状態が続くものであるのは、エスリンですら感じる非情な現実である。

 

 そして、それらの謀略の歴史を看破したオイフェ。

 証拠は無い。

 だが、確たる説得力が、オイフェの言葉にはあった。

 いや、それらの謀略の決定的な証拠の存在すら、オイフェは知っているように思えた。言葉の節々に、明確な証拠を匂わせる具体的な話があったからだ。

 

 

「オイフェって……」

 

 変わったわ。本当に。

 

 エスリンは、そう独りごちる。

 オイフェがスサール卿の死去に伴いシアルフィへ来たのは、ちょうどエスリンがレンスターへ嫁いだ時分。

 里帰りの時でしか接する機会はなかったが、あの頃のオイフェは同年代の子供に比べ賢くはあれ、年相応の無垢な少年だった。

 

 だが、ユングヴィ救援にシグルドが立ち上がった時。

 エスリンが夫と共に駆けつけ、シアルフィで再会した少年軍師は、自身が知る無垢な少年とは一線を画する存在になっていた。

 時折シグルドへ甘える仕草を見せていたが、それでも様々な献策、そして老獪な政治手腕でシグルドを支え、ヴェルダン総督まで押し上げたオイフェの才覚は、天真爛漫な気質を持つエスリンですら若干の悍ましさを感じるものであった。

 

 そして、先日旅立ったオイフェの思惑。

 父バイロン、グランベル王子クルトへ陣中見舞いに伺う名目で、オイフェはシグルドへ出立の許可を申し出ている。

 道中()()()()()()()()()と言い、政務の引き継ぎを完璧に整えてからのこの申し出。

 渋るシグルドであったが、既に事前の根回しをしていたのか、もはやいつも通りの光景となったパルマーク司祭の言葉も受け、オイフェの出立を許可していた。

 パルマークとしてはシグルドがオイフェから離れ、本当の意味で独り立ちする良い機会と捉えており、内務の完璧な引き継ぎを条件にオイフェに賛同していた。

 

 こうして、護衛に手練の剣闘士ホリン、そしてエルトシャンの推挙で雇った自由騎士ベオウルフ、更にオイフェの耳目となり才覚を働かせるデューを引き連れ、オイフェはイザークへと旅立っていった。

 なにか重大な、世界を揺るがしかねないその思惑に、エスリンは言いしれぬ不安に苛まれていた。

 

「キュアン……」

 

 不安を誤魔化すように、エスリンは強く夫のシャツを抱きしめる。

 そして、夫の匂いが強く残るシャツに顔を埋める。

 

 こうしていれば、キュアンが抱きしめてくれるような──キュアンに、包み込まれるような──

 

 そのような得も言われぬ安心感が、エスリンの心を慰める。

 そのまま、夫の香りを求め、シャツに顔を埋め続けた。

 

 

「……スン」

 

 

 そして。

 

 

「スゥゥゥゥ……!」

 

 エスリンのやや倒錯めいた性癖が、キュアンの匂いで炸裂した。

 

「はぁぁ~~……♥」

 

 女一人、密室、汗くさシャツ。

 何も起きないはずがなく……。

 

「これ……やっばぁ……♥」

 

 存分にキュアンの汗を吸ったシャツ。

 その匂いを嗅ぎ、脳天へ痺れるような快楽を覚えるエスリン。

 傍から見れば、王侯貴族に相応しからぬ、変態そのものである。

 

「スゥゥ~~……フッ……ホァァ~~♥♥」

 

 しかし、エスリンは止めない。止まらない。

 先程までのシリアスな空気は霧散しており、エスリンは鼻孔を大きく開き、シャツを貪り続ける。

 まるでソムリエのように匂いを堪能し、官能的な吐息を漏らしては変態行為を継続せしめる。

 愛する夫の香ばしい香りは、結婚し、経産を経ても尚、恋する乙女にとって強烈な麻薬に等しい効能を発揮していた。

 

 つまるところ、エスリンはキュアンが大好きなのだ。

 

 

「エスリン様、何をされているのですか?」

「ノヴァアアアアアアッッッ!!??」

 

 行為に耽っていたエスリンへ、不意打ち気味に声をかけたのは、義姉となったディアドラ。

 突然声をかけられた事により、エスリンは素っ頓狂なレンスター式の叫びを発していた。

 

「ディディディディディアドラ義姉さま!? なななななん……ッッ!!??」

 

 唐突に現れたディアドラに、滑稽な程の狼狽を見せるエスリン。

 キョトンと首をかしげながらエスリンの様子を見つめるディドラは、不思議そうに言葉を返した。

 

「ごめんなさい、ノックをしてもお返事が無かったから……それで、キュアン様のシャツを抱き締めて変な声を上げてたから、何をされているのかと思って……」

「えええええーーーーッと! こ、これは! 深い! ワケが! あって!!」

 

 行為に没頭するあまり、エスリンはディアドラの来室に気付くことはなく。

 がっつりと己の痴態を、無垢な精霊の乙女に目撃されていた。

 慌ててキュアンのシャツを放り出すエスリンの様は、先程の「だらしない」という夫への言葉を、見事なブーメランに昇華させていた。

 

「あ……」

「へ……?」

 

 しかし。

 ある意味では夫シグルド以上に天然乙女であるディアドラ。

 だが、彼女は同時に優秀なシャーマンでもある。

 狼狽するエスリンの姿を見て、義妹が何をしていたのか、その精霊的な直感で察することが出来た。出来てしまった。

 

「ああ、キュアン様の匂いを嗅いでいらしたのですね」

「ワアアアアアアッッ!?(羞恥)」

「大丈夫です。わたしもよくシグルド様のを嗅いでいますから」

「ナアアアアアアッッ!?(驚愕)」

「最近はシグルド様の……その、下着の匂いも好きで……」

「ハアアアアアアッッ!?(畏怖)」

 

 精霊の乙女が自身の性癖を看破し、更に唐突に開陳した性癖。

 自身より遥かにレベルの高いそれに、エスリンは錯乱するばかりであった。

 

 

 シアルフィ産レンスター乙女の叫び声は、オイフェ不在のエバンス城内によく響き渡ったという。

 

 

 

 

 

 

 



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第22話『心傷オイフェ』

 

 グランベル王国はシアルフィとエッダを結ぶ街道。

 そこに、一台の馬車、そしてニ騎の騎馬が、木枯らしが吹きすさぶ街道を進んでいた。

 

「なぁオイフェさんよ。もうちっとシアルフィに滞在しても良かったんじゃないか? 暖かい城で年越ししてからでも遅くはないと思うんだがね」

「申し訳ないですがゆっくりしていられる状況ではないので。我慢してください、ベオウルフ殿」

「へいへい……ったく、エバンスでのんびり過ごせると思ってたんだが、どうしてこうなったのやら」

 

 騎乗の身である自由騎士ベオウルフが、シニカルな笑みを浮かべながら馬車の御者台にて手綱を握るオイフェへと文句を垂れる。

 寒空の中、このオイフェの旅の道連れに指名された事は、ベオウルフにとって慮外の出来事であった。

 

 エバンスを出立したオイフェ一行。

 目的地のイード砂漠──グランベル王国軍陣所へは、ユングヴィ、シアルフィ、エッダ、ダーナを経由する。だが、オイフェはユングヴィ、シアルフィには僅かばかりしか滞在せず、最低限の休息を取るとそのまま出立している。

 同行する盗賊少年デューなどは、復興途上のユングヴィはともかく、暖衣飽食なシアルフィの街並みをろくに見物できない事に不満を露わにし、ぶーぶーとシュプレヒコールを上げていた。

 

「もうしばらくすればエッダに着く。それまで我慢しろ」

 

 馬蹄の音を響かせながら、ベオウルフを嗜めるように声を上げる剣闘士が一人。

 流浪の剣姫が密かに想いを寄せる、孤高の剣豪ホリンだ。

 ホリンもまたオイフェの旅路に同道する身であったが、漂泊の自由騎士とは違い今の所一つの不満も漏らしていない。

 そのようなホリンに対し、ベオウルフは諧謔味に口角を歪める。

 

「我慢ねぇ……お前さん、本当はエバンスから離れたくなかったんじゃないのか?」

「そんなことはない」

 

 ベオウルフがそう軽口を叩くと、ホリンが纏う空気が僅かに変わる。

 オイフェの要請により此度の旅路の道連れとなったホリン。単純な護衛として同道する身上ではあるが、当初はオイフェの同道要請を断っていた。

 目的地がグランベルとイザークの最前線と聞き、自身の素性を鑑みたからだ。

 もちろん、オイフェはその正体──ホリンがイザーク国ソファラ領主の息子であるのを既知であったのだが、敢えて知らぬ振りを通していた。

 今はアイラ──同郷の剣姫へ心を開くも、ホリンの本質は俗世から離れた武芸者であり。それ故に、こちらからその正体を看破すると、苛烈な警戒心を露わにし、最悪の場合シグルド軍から出奔しかねない。

 

 アイラとの恋路を密かに応援するのもあり、オイフェはホリンが自ら身の上を明かしてくれるのを待つだけだ。

 とはいえ、旅路の終着点はイード砂漠、それもイザーク国リボー領近く。イザーク方面での土地勘があり、その上腕も立つホリンの同行はオイフェにとって必要不可欠でもあったのだ。

 であるからこそ、オイフェは今回の同行を拝み倒してまで嘆願している。

 最終的には、アイラが一目を置き多大な感謝を捧げるオイフェの願いを、ホリンは受け入れていた。

 

 やや剣呑な空気を放つホリンを見て、ベオウルフは諧謔味に口角を歪めた。

 

「本当かね? あの女剣士と随分仲が良さそうに見えたがね」

「……そんなことは、ない」

 

 そっぽを向きながら、ふてくされたように言葉を返すホリン。

 ベオウルフはますます口角を引き攣らせていた。

 

「ほーん。なら、俺があの娘を頂いちまってもいいんだな?」

「なに?」

 

 にわかに殺伐とした空気が膨れ上がる。

 薄ら笑いを浮かべるベオウルフに、ホリンは射抜くような視線を向けていた。

 

「あの娘、アイラといったか。美しい黒髪にしなやかな肉体」

「……」

「それに、俺の見立てじゃアイラは生娘だろうな。初物は色々と面倒だが、あの肉体(カラダ)なら味わいはそこらの淫売女とは比べ物に──」

「貴様ッ!」

 

 背負う大剣に手をかけるホリン。

 苛烈な殺気を受けても薄ら笑いを浮かべるベオウルフ。

 両者の間には、熱した空気が渦を巻いていた。

 

 エバンスを出立してから数日。僅かな間ではあるが、ホリンはベオウルフの軽薄ともいえる態度に若干辟易しつつあった。

 それに加え、密かに想いを寄せ合う剣姫に下劣な感情を向ける始末。

 朴訥な穏健剣豪であるホリンであったが、流石にこの下衆を見逃すわけにはいかず。

 

「あらら、ムキになっちゃってまぁ」

 

 対するベオウルフ。

 道中の暇つぶしでからかってみたら、思いの外憤慨を露わにするホリンに興味を隠せずにいる。

 泰然自若とした練達の士と思われたホリンだったが、その内面は情緒あふれる荒武者だった。

 刹那的で享楽的な傭兵であるベオウルフ。剣技では一枚も二枚も上手なホリンに、こうして向こう見ずな挑発を続けるのは、傭兵としての性質(サガ)といえた。

 

 もっとも、危険ともいえる挑発を続けても、己の身に一切の危険が無いのも熟知しており。

 

「止めてください。ベオウルフ殿も、ホリン殿も」

 

 透き通るような少年軍師の声が響く。

 ベオウルフは旧知であるノディオン国王、エルトシャンの紹介を受けてシグルド陣営に参加した身の上。

 しかし、客将ではあるが、アイラやホリンとは違いある程度の立場上の保証、忖度はされる身分である。

 己が腑抜けた働きを見せればエルトシャンの顔に泥を塗る事になるが、同時に己の立場はエルトシャンが保証してくれているのだ。

 加えて、ベオウルフはオイフェがエルトシャン、ノディオンへ尋常ならざる忖度をしているのを、持ち前の鋭い洞察力で見抜いており。

 己の立場は、オイフェもまた保証してくれているのを理解していた。

 故に、立場的にはやや下のホリンへ、分別を超えた愚弄を行っても己にはお咎め無し。という事である。

 

「……チッ」

 

 オイフェの制止を受け、ホリンはしばし逡巡するも、やがて大剣の柄から手を離した。

 その様子を見て、ベオウルフは肩をすくめる。

 

「へっ。冗談だよ冗談。あいにく雌狼の臥所(ふしど)に忍び込む蛮勇は持ち合わせておらんよ」

「……」

 

 なおも減らず口を叩くベオウルフに、ホリンは依然射抜くような視線を向け続ける。

 それを見てため息をひとつ吐くオイフェ。

 とはいえ、この享楽的な態度は()()で十分見知っている。オイフェもまた、散々ベオウルフに弄られた()()があるのだ。

 特に少女ともいえるその容姿を散々からかわれたのもあり、口ひげを蓄えて威厳を出すようになったのも、根底ではこのベオウルフの弄りがあったのは、オイフェも少なからず自覚するところであった。

 

「もー、ふたりともさー。ウマが合わないのはわかるけどさぁ、もう少し仲良くやろうよ」

 

 馬車の中からひょっこりと顔を出しながらそう言ったのは、同道者の最後の一人、盗賊少年デューだ。

 天真爛漫な性格のデューは、王侯貴族であろうが城番の下士であろうが、誰に対しても太陽のような明るさで接する。

 身分怪しき者でしかないデューであったが、シグルドやオイフェが無礼講を許し、そしてなにより持ち前の明るさも手伝い、シグルド陣営の誰もがデューを可愛がりこそすれ、疎んじる者は皆無だった。

 

「む……」

「ううむ……」

 

 それ故に、此度の旅上では必然的にホリンとベオウルフの間に立つ事が多く。

 デューの気の抜けた発言で、二人の毒気が抜かれるのは常の光景になりつつあった。

 

「なんかベオっちゃん好きな女の子に構ってほしくて悪口言う男の子みたいだよね」

「んなわけねえだろ! ていうかその呼び方やめろ!」

「またまたそんなこと言っちゃってさー。女々しい男はモテないぜよ?」

「な、なに言って──!」

「あ、女々しい所をあえて見せるのがベオっちゃんのテクとか? 女泣かせの罪深い男だねえベオっちゃんは。いよっ」

「こ、このガキ……!」

 

 もっとも、デューの無垢な減らず口には歴戦の傭兵ですらたじたじであったのだが。

 場の空気が妙ちくりんに和んだのを見て、僅かに微笑を浮かべるオイフェ。久々に味合うベオウルフの底意地の悪さに辟易していたのもあり、デューに翻弄されるベオウルフを見て溜飲が下がるのもあった。

 

(まあ、実際女泣かせではあるのだが……困ったものだ)

 

 ふと、オイフェはベオウルフの波乱な人生について思いを馳せる。

 同時に、解放戦争ではリーフ軍の中核を担った、あの気ままな自由騎士の姿も。

 

(やはりフェルグスはベオウルフ殿の……いや……)

 

 それは問うまい。

 そう、頭を振るオイフェ。

 誰しも触れられたくはない過去があるのだ。

 

(しかし今回はしっかりと手綱を握らねばならぬのは確か。フィン殿の為にも、ラケシス様の為にも)

 

 御者台で手綱を握りながらそう思うオイフェ。

 男女の機微には疎いオイフェだったが、それでもあの三者の関係は些か目に余るものがある。

 レンスターの忠烈な騎士フィンと、自由気ままな伝説の騎士であるベオウルフ。

 そして、金獅子の如き美しさを備える可憐な姫騎士──ラケシス。

 彼らの関係は、オイフェからしてみれば理解し難い複雑な関係だった。

 

 兄妹の情を超えてまで愛した兄を亡くし、時を経ずして心と体を通い合わせたフィンとも哀しい離別を経た亡国の姫。シレジアで臥薪嘗胆の時を過ごしていたシグルド達は、ラケシスの病的なまでに消沈した姿を見て心を痛めていた。

 何度も自傷行為を繰り返すラケシスを、エーディンが必死になって止めていた事はオイフェにとって生々しい記憶だ。

 

 そして、失意の底に沈むラケシスの心の隙間に入ったのは、ラケシスの兄──エルトシャンから大切な妹を任された、ベオウルフ。

 ラケシスの心を慰め、元の活発さを取り戻させたのは、普段は偽悪的な振る舞いを見せるベオウルフが、同一人物とは思えない程の誠心を持って接したからだろう。

 

 しかし、まさかそのまま男女の関係にまでなるとは。

 既にフィンとの子……デルムッドを出産していたラケシスが、リューベック攻略時に体調を崩していたのを記憶していたオイフェ。

 そして、バーハラの悲劇の後、ティルノナグに落ち延びてきたエーディンから、当時のラケシスがナンナを宿していた事を聞いていた。

 この事実はシグルド陣営、ひいては解放戦争を戦ったセリス陣営でも知る者は極僅かであり。

 公式ではナンナはフィンの娘として扱われている。

 

 “幼かったのよ。ラケシスも、ベオウルフも、私達も……皆……”

 

 自暴自棄になってたとはいえ、ラケシスが性に対しやや奔放が過ぎるのではと嫌悪感を露わにするオイフェに、エーディンは後悔の念を滲ませながらそう優しく諭していた。

 ラケシスが悲しみを自分だけで乗り越えられなかった事。

 不貞と知りつつ、慰める内に情を超えた愛が芽生えてしまったベオウルフが、ラケシスと体を重ねた事。

 それは男女の交わりという心理を考えれば仕方のない事だったと。

 

 そして、傷心のラケシスを支えきれなかったのは、私達にも非はあるとも。

 エーディンは言外で、そう自嘲していた。

 悲痛な表情を浮かべて諭すエーディンを見て、そういうものかと、オイフェは納得するしかなかった。

 

 同時に、オイフェの中である種の“女性不信”が芽生えた瞬間でもあり。

 生涯妻帯しなかったのは、表向きはセリスへ何もかもを捧げねばならぬという理由があったから。

 だが、根底にある理由は違う。

 

 あんなにも愛し合っていたシグルドとディアドラが、無残にも引き裂かれたトラウマ。

 そしてなにより、このラケシス達の余人には計り知れぬ複雑な関係を見聞きした事が、オイフェの生涯不犯を決意たらしめる要因となったのだ。

 

 

(ともあれ、そのような事態には……此度はさせぬ)

 

 手綱を握りしめながら、オイフェは改めて悲劇の回避を誓う。

 単に、シグルドとディアドラの幸福の為、そして己の怨恨を晴らす為だけではない。

 共に辛苦を味わった、同胞達の為にも、オイフェは悲劇を回避しなければならないのだ。

 

「……見えてきましたね」

 

 そして、その為に成し遂げねばならぬ、重要な局面がひとつ。

 此度の目的の一つである、エッダの城下町が、オイフェの目に映る。

 

 そして、そこに棲まう一人の聖職者。

 全てを救う為の、キーマンの一人。

 

 エッダ教団を束ねる神父の姿を、オイフェは思い起こしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第23話『流言オイフェ』

 

 十二聖戦士が一人、大司祭ブラギがロプト教から人々を解き放つ為に興したエッダ教。

 ユグドラル大陸に数千年前から存在する土着宗教を土台としたこの宗教は、ロプトの圧政に苛まれた民衆にとって、文字通り救いの神となっていた。

 自然崇拝を基本としたエッダ教の教えはロプト帝国崩壊後も広く民衆に浸透し、グランベルだけではなくユグドラル大陸全土の人々から信仰されている。

 同時に、大司教ブラギの末裔である代々のエッダ家当主、エッダ教教主もまた人々からの崇拝の対象となっていた。

 

 ブラギは幼少の頃、ロプト教団の生贄として処刑される身の上だった。だが、教団内部の良心──ロプト教マイラ派の神官によりその命を救われ、マイラ派の拠点であるアグストリア北方の小島にて秘密裏に育てられる。

 マイラ派の神官から聖杖や魔導書の生産、使用の教えを受け成長したブラギは、聖者ヘイムが率いる解放軍に参加。その後、十二聖戦士の一人として“ダーナの奇跡”に出会う。

 竜族の力により“運命と生命を司る者”となったブラギは、その超常の力をもって聖戦に多大な貢献を果たした。

 そして、ブラギは聖戦後、共に戦った聖戦士達の協力も得て、各地にエッダ教の布教に従事する事となる。

 

 十二聖戦士を率いた聖者ヘイムも、その称号の通り、元はブラギと同じく聖職者としての身分を持っていた。

 しかし、その偉業は聖職者というよりも、武力で世界を救った英雄として人々に認識されていた。

 故に、ヘイムの血を引くバーハラ王家は政治力と武力にて俗世の権威を持ち、宗教的な権威はブラギのエッダ家が補完する形となり、他の国家も同じような権威関係が構築されるようになる。

 見方を変えれば、教皇であるエッダ家の方が各国王家より権力を持ち得る構造であったが、ブラギが世俗的な野心に一切関心が無かったのも手伝い、エッダ家は特に各国の国政に参与することは無く、粛々と国家の宗教儀礼に殉じるのみであった。

 

 とはいえ、エッダ教が全く政治に関わっていないかというと、そういうわけでもなく。

 各地に設けられたエッダ教の教会。

 信仰の拠点である教会は、見方を変えれば国家の行政機関としての側面も持ち合わせていた。

 

 教会は葬祭や布教の拠点だけではなく、国家による教育、文化、福祉の拠点としても活用されており、戸籍の管理も教会が行っている。

 新生児に行われる洗礼儀式は、そのまま領民の出生届として処理され、結婚や死亡の届けもそのまま教会で処理されいるのだ。

 

 そしてこれらの教会の運営資金は主に信徒からの喜捨により賄われている。

 そしてこの喜捨金は領民のみならず、グランベル王国をはじめ各国の国庫からも支払われていた。いわば、司法立法徴税以外の行政サービスをエッダ教が金銭で肩代わりしている形となっていた。

 民衆に広く支持されるエッダ教が行政を執り行うのは、ロプトの圧政で疲弊した民衆の感情を鑑みたという背景もあり、ユグドラル大陸の一般的な行政形式となっている。

 

 各地の教会を取り仕切る司教はエッダで教育を受けた者が派遣されており、基本的には各国の意思に従い布教活動、そして行政を執行していた。

 しかし本質的にはエッダ家が各国の行政を握っているといっても過言ではなく、人別帳や地図など国家の基幹情報はエッダ家に筒抜けとなっている。

 これが、グランベルが覇権国家たらしめる要因のひとつとなっていたのだ。

 

 当然ではあるが、これに危機感を覚える為政者は少なくなく、自国のエッダ教司祭の掌握に様々な手段を用いるようになる。

 アグストリア諸侯連合でエッダ教を統括するマッキリー王家など一部の者たちは、世俗的な野心を捨てきれず、金銭の収受を受け自国の便宜を過度に図るようになっていた。

 だが、これはあくまで一部の者達だけであり、大半のエッダ教司祭は、開祖ブラギや現エッダ家当主の意向を受け、政治的な中立の立場を堅持していた。

 

 そも、元々は俗世を疎うブラギが教会による行政執行を容認したのは、前述の民衆感情を考慮したのもあるが、本来はグランベル王国の監視を目的としていたのもあり。

 ロプトという巨悪を打倒しても、人と人との摩擦から生じる災いは無くなったわけではなく、グランベルがロプトのような暴虐国家に変貌しないという保証はない。

 聖者ヘイムの独善的な思想を見抜いていたブラギは、最終的な抑止力として、教団に行政的な役割を与えていたのだ。

 

 教祖の号令があれば、各国の行政機能はたちまち麻痺せしめ、安定した国家運営を維持するのは難しい。もちろんそれを行えば大権力からの報復は免れないが、元々失うものが少ないエッダ家にとってそれは些細な問題であり。

 トラキアの内戦を除き、イザーク征伐までは各国は軍事衝突を起こさず、平和な治世を保ち続けている。

 エッダ家は、その宗教的基盤をもって代々世界の安定に寄与し続けていたのだ。

 

 しかし、現在その安定は暗黒教団の暗躍により綻びを見せている。

 これは現エッダ当主が、ともするとブラギよりも俗世への関心が少なく、政治的な介入を嫌い続けていたから起こり得た事でもあり。

 人の野心へ直接干渉することで世を乱す暗黒教団。

 その存在に気づく事は、現在のエッダ当主では難しかったのだ。

 

 そして、現在のエッダ教教祖であり、グランベル王国エッダ公爵家当主の名は、大司祭ブラギの直系。

 神器“聖杖バルキリー”の継承者──クロード・ギュルヴィ・エッダ。

 

 敬虔に神への祈りを捧げるクロードの元へ、悲願を胸に秘める少年軍師──オイフェが現れたのは、グラン歴757年が暮れようとする時だった。

 

 

 

 

 

 エッダ公国

 エッダ城

 

「初めまして。私はスルーフと申します。皆さまの滞在中のお世話を仰せつかりました。ご用命の際はお気軽にお申し付けください」

 

 齢十二歳程だろうか。オイフェより少し年若の少年侍者(アコライト)が、エッダ城城門にてオイフェ達を出迎えていた。

 行儀正しく出迎える侍者──スルーフ少年を見て、オイフェは()()()()も手伝い密かに相好を崩していた。

 

 スルーフに案内され、オイフェ達は馬車を預けると旅装をそのままに城内へと案内される。

 エッダ城はバーハラ王宮などとは違い、過度な装飾はされず質素な造りとなっている。また、ドズル城のような堅牢な要塞とは違い、城壁を含め城郭内部にはろくな防衛設備はなく、ともすると大商家の屋敷といっても差し支えないほどの脆弱性を持っていた。

 戦闘城塞としての機能が一切ないエッダ城の構造は、エッダの祖であるブラギの穏健な性格を如実に現しており、その()()を前回で十分に受けていたオイフェは、様々な想いで城郭の様子を見つめていた。

 

「申し訳ありません。クロード神父は現在領内の巡幸に出かけていまして……お戻りになるまで、このまま城内でおくつろぎください」

「ええ、わかりました」

 

 柔らかな金髪を揺らし頭を下げるスルーフ。それに、オイフェもまた丁寧に応える。

 年の瀬というのもあってか、城主であり教主でもあるクロードは領内の教会を巡幸中だ。

 元々、月の半分は王宮内にて祭事に従事するクロード。

 エッダに戻れば領内の宗教儀式に赴くのが常であり、その身は六公爵家の中でも特に多忙だ。

 年に一回のブラギの塔、聖地巡礼以外でも国外を巡幸する事も多々あり、忙しなさでいえばユグドラル随一の身といっても過言ではなかった。

 若くしてエッダを継いだクロードは、その若さゆえのフットワークの軽さを活かし、精力的な活動を行っていたのだ。

 

 オイフェは事前に書簡を送っており、滞在中にエッダへ訪問しクロードと会見する約定を取り付けている。

 もちろん、この時期にクロードがエッダへ戻っている事は、ミレトス商会からの情報を通して把握済だ。もっとも、クロードの動静は非公然のものではないため、その情報を得るのは容易かったのだが。

 

 スルーフのクロード不在の言を受け、人見知りのしないデューが無邪気に疑問を上げた。

 

「戻るって、どれくらいかかるの?」

「明日にはお戻りになりますよ。えっと……」

「おいらはデューっていうんだ。こっちはホリンで、こっちはベオっちゃん。よろしくねスルーフ」

「はい。よろしくお願いします。デューさんに、ホリンさんに、ベオっ……ちゃんさん」

「ちょっと待て。なんでその呼び方押し通した?」

 

 スルーフはデュー達へ、オイフェへ向けたのと同じように丁寧な挨拶をする。

 誰に対しても誠実な態度で接するのは、聖職者としての教育を十分に受けているのと同時に、スルーフが持つ人としての美徳であろう。

 これもまた、オイフェは十分に知っていた事であり。

 

 リーフ軍の従軍司祭として兵士達の慰安を行っていた前回のスルーフは、その人徳により兵士個々人と部隊全体の精神状態を良好な状態に促す役割を果たしていた。

 またセリス軍と合流してからは、当時は心身共に未熟だったクロードの実子、コープルの指導役にもついており、後にクロードの後を継ぎエッダ教教主となったコープルの実務面、精神面での補佐も務めている。

 

 このスルーフの性格は、クロードの薫陶を幼少の頃から受けていたからこそ培われたものであり。

 それ故、クロードの死後もその霊言を聞くことができ、人々の心の安寧を保ち続けることが出来たのだろう。

 信憑性が疑わしき怪しい宗教家では決してないのだ。

 

「こちらが皆様がお泊りになる部屋になります。少し狭いかもしれませんが……」

「いえ、十分です。ありがとうございます」

 

 やがて、オイフェ達は用意された客間へと通される。

 四人が旅の疲れを癒やすには十分なスペースがあり、簡素ではあるが清潔に整えられた調度品の品々がオイフェ達を出迎えていた。

 

「三日ぶりのおふとん!」

「デュー、行儀が悪いぞ」

 

 真っ白なシーツが敷かれたベッドへ、デューが勢いよく飛び込む。嗜めるホリンも、苦笑が混じった表情を浮かべながら自身の荷物を片付けていた。

 スルーフはその様子を見ても、穏やかな微笑を崩さずにいた。

 

「では、お食事の際にまた。それまではごゆるりとおくつろぎください、オイフェ様、デューさん、ホリンさん、ベオっ……ちゃんさん」

「お前さっきから絶対わざとだろ! なんでちょっと半笑いなんだよ!」

 

 行儀よく一礼し、スルーフは部屋から退出する。

 誠実な性格がちょっとした所作からも滲みでており、オイフェは感心したように表情を和ませていた。

 

 とはいえ、目下の目的を忘れたわけではない。

 

「皆さん、私は少し用を足してきますね」

「ほーい」

「了解した」

「くそぅ……あのガキ絶対性格悪いぞ……」

 

 荷物を下ろし、装具を外して寛ぐデュー達を背に、オイフェはスルーフの後を追うように部屋を退出する。

 その懐には、ある重要な文書が携えられていた。

 

「スルーフさん」

「あ、オイフェ様。部屋になにか不備でも?」

 

 そう離れてはいなかったのか、オイフェは直ぐにスルーフに追いつく。

 疑問を浮かべるスルーフに、オイフェは表情を引き締めながら懐へと手を入れた。

 

「これをクロード様にお渡し願いたく」

「はあ。手紙、ですか?」

「はい。会見の前に、クロード様へお伝えしたい事がありまして」

 

 此度の会見の名目は、戦後の属州総督領でのエッダ教信徒の状況、そして布教状況の報告といった差し障りない内容となっている。その会見にはクロード以外にも幾人かのエッダ教側の人間が参加する予定だ。

 だが、オイフェの真の目的はそのような慣習的な内容ではない。

 

「その、恥ずかしながらシグルド様の件でして……」

「シグルド総督の?」

「はい。シグルド様と、御妻君であるディアドラ様の、その……」

「ああ……」

 

 言いよどむオイフェを見て、スルーフは少しばかり頬を染める。

 総督となったシグルドが妻を迎えた事は、当然のことながら各公爵家にも伝わっている。

 そして、その美しい()に溺れている、といった風評も、僅かながらではあるが漏れ伝わっていた。

 

 ヴェルダンを瞬く間に征服した属州総督殿の豪傑ぶりは、色事にも及んでいるようだ。

 

 クロードの愛弟子ともいえるスルーフも、そのような風聞を聞く機会があったのだろう。

 言いよどむオイフェを見て諸々を察したスルーフは、オイフェの手紙を大事そうに受け取っていた。

 

「かしこまりました。クロード神父に直接お渡しいたします」

「はい。よろしくお願いします」

 

 そのようなシグルドの悪しき風評が立っているのは、ノイッシュがオイフェへ苦言を呈している事からも、シグルド陣営にとって無視できぬ事なのだろう。

 そう如才なく察したスルーフ。

 自身とそう変わらない年頃のオイフェが、主君の房事にまで頭を悩ませているのだろうかと、やや同情めいた眼差しを向けていた。

 

(よし。スルーフ殿ならば手紙を余人に見られることなく、直接クロード様に渡してくれるだろう……)

 

 当然のことながら、オイフェの手紙に記載されているのは、全く異なる内容であり。

 そして、シグルドの風評については、オイフェが()()()に流したという事実もある。

 

 ユングヴィを奪還し、ヴェルダンを征伐したシグルドの実力。

 それは、レプトール宰相、アルヴィスら国家転覆を企む連中……そして、世界を再び闇の時代に陥れようとする暗黒教団の謀略とは違った結果を生んでいた。

 せいぜいエバンス領だけを与え、その後予定しているアグストリア征伐の尖兵にするはずだった彼らの謀略。

 しかし、結果を見れば、シグルドはヴェルダン全土を統括する属州総督にまで登り詰めている。

 その実力を、自身の謀略の結果とはいえ、警戒しないはずがない。

 

 そこで、オイフェは一計を案じる。

 シグルドがディアドラとの愛を以前よりもより深く育むのは、オイフェの願望でもあるが、計略のひとつでもあった。

 あえてシグルドが色に溺れているという風評を流し、()の油断を誘うのだ。

 

 流言飛語を逆手にとったこの計略。

 シグルドに好意的な者にとって微笑ましい内容となり、シグルドに敵対する者にとっては侮りとなる。そのように、オイフェは風評を絶妙にコントロールしていた。

 これらは実に上手く作用しており、バーハラ王宮内ではシグルド陣営の軍拡が、この風評により巧妙に迷彩が施される事となり。

 

 ある程度の軍拡は、敵対勢力にとって許容範囲。しかし、実態はその許容を遥かに超える陣容となっている。

 だが、この計略により“色に溺れた小僧如きに何ができる”と、軍拡について問題視する者を減らす事に成功していたのだ。

 

 外聞はシグルドの色欲に頭を悩ませる体裁を取らねばならず、オイフェは己の心を殺しながらその計略を実行し続けていた。

 己の願望を、強かに(はかりごと)へと変換するその才覚は、前回にも増して鋭い切れ味を備えている。

 もっともその本音は、恥も外聞もなく、お二人には大いにイチャイチャして頂きたい。日が昇り日が沈むまで、何事にも遮られることなく、お二人だけの時間を過ごして頂きたい。ああ、早くセリス様に会わせて頂きたい。いや、お子はセリス様だけはなく、もう二人や三人……否、一個小隊を組める程拵えて頂きたい。それを成し遂げる為に、己の生命、己の全てを捧げ奉らん。

 と、やや常軌を逸したものとなってはいたが。

 

 狂気ともいえる願望を孕んだオイフェの計略に気づく事なく、スルーフはオイフェへ一礼した。

 

「では、また後ほど」

「はい」

 

 目下の布石を打てたことで、オイフェはほっと一息をつく。

 そのままスルーフへ返礼し、部屋へ戻ろうとした。

 

 すると。

 

「スルーフさま!」

「おや」

 

 廊下の向こうから、ふわふわとした銀髪を揺らした可愛らしい少女が現れる。

 

「アマルダさんじゃないですか。どうしたんですか、そんなに慌てて?」

 

 スルーフの口から、アマルダという名を聞いたオイフェ。

 またも懐かしい思いが、その胸の内から湧き上がる。

 

 そして、少女から発せられた言葉で、その想いはより深みを増していった。

 

 

「あ、あの、姫さまを見なかったですか!?」

 

 

 怒りの雷神乙女の姿が、オイフェの中に映し出されていた。

 

 

 

 

 

 



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第24話『電流オイフェ』

 

「あの、その、姫さまを見なかったですか!?」

 

 息を切らせながらそう言った少女アマルダ。

 装いはフリージ家の侍女に見られる簡素な服装を身に着けている。

 しかし、少し短めに切り揃えられた銀髪を揺らす少女は、年相応のちんまりとした可愛らしい見た目となっている。

 これがあの鉄血の女将軍アマルダの幼少時分かと、オイフェは()()()()アマルダが見せた勇壮な姿を思い出しながら感慨深げに見つめていた。

 

「残念ながら私は見ていませんね」

「そう、ですか……もう、姫さまったら! お勉強のお時間なのに、どこをほっつき歩いているのかしら!」

 

 ぷりぷりと頬を膨らませ、“姫さま”が行方をくらませているのに憤る少女アマルダ。

 微笑ましい仕草である。

 

「アマルダさん。そんなに怒ってはだめですよ」

「でも!」

 

 そのようなアマルダを、スルーフは穏やかに嗜める。

 よしよしと少女の柔らかい頭を撫でながら言葉を続けた。

 

「それに、そんなに怒ってたら、せっかくの可愛いお顔が台無しですよ?」

「あ、あぅ……」

 

 優しげに頭を撫でられたアマルダは、頬を真っ赤に染めながらもじもじと体を竦めるばかりだ。

 傍から見れば、仲睦まじい兄妹のようにも見える。

 

(なるほど。二人はこの頃から面識があったのだな)

 

 前回でのスルーフとアマルダの関係。

 レンスター解放戦争時、敵対するフリージ家の将軍としてリーフ軍の前に立ちはだかったアマルダ。

 彼女はロプト教団の子供狩りに断固反対しており、戦争中に密かに子供たちを匿うなど、フリージでは数少ない人道的な部将であった。

 しかし、皇帝アルヴィス、ひいては主家であるフリージ家への忠誠心も高く、主家への忠誠心と非人道的行為との狭間で懊悩する。

 しかし結局はスルーフによる説得を受け、アマルダはリーフ軍へと投降。その剣を誤った主家を正す為に振るう。

 

(ふむ……)

 

 オイフェはスルーフとアマルダの様子を見て、この頃からアマルダが()()()()していたのだなと察しをつける。

 前回のアマルダは、何かに付けてスルーフに判断を委ねる節があり、リーフ軍へ投降してからはそれはより深刻なものになっていた。

 スルーフはスルーフで、敬愛するクロードの忘れ形見、コープルを第一に考えており。

 

 聖戦が終わった後、主家の再興に尽くすためフリージへ戻るアマルダ。その時の彼女がスルーフへ向けた視線は、名状しがたい湿った瞳でもって向けられていた。

 それを、スルーフは見てみぬ振りをしていたようにも思える。

 彼の使命は、死して尚、世界の行く末を案じるクロードの霊言を全うする事だけだった。

 

 その後、フリージが安定した政治体制となったのを見届けた後、アマルダはスルーフと結ばれたが、その関係は少々健全な男女関係とは言い難いものであった。

 妻を省みぬ、敬虔な宗教家である夫。その夫へ、盲目的に従う妻。

 聖戦の後、男女の関係として結ばれた戦士達の中でも、スルーフとアマルダの関係は少々痛ましいものがあったのだ。

 

(まあ、此度はどうなるか分からんが……)

 

 もちろん、今回のオイフェはフリージ家が北トラキアを蹂躙する事態は想定しておらず。

 アマルダが順当に育ち、フリージ家の将軍となったとしても、その剣はレンスターの者に向けられることはないだろう。

 このまま前回と同じように彼らが結ばれるという保証は無いが、少なくともスルーフに関しては、盲目的にコープルに拘り続けることは無い。

 オイフェが目指す未来では、クロードがスルーフに()()()()()()()を残すことは無いからだ。

 

 そう思ったオイフェ。

 となれば、後はアマルダ。

 二人がどうなるにせよ、アマルダの今後を思い、依存癖を少しは正してやろうかと思い口を開いた。

 

「アマルダさん」

「へ……? あの、どなたですか?」

「私はヴェルダン総督府の執政官補佐を務めるオイフェと申します。よろしくお願いしますね」

「は、はい。アマルダです。よろしくおねがいします……」

 

 オイフェは話しやすいよう膝を曲げ、視線をアマルダに合わせる。

 幼さ故にオイフェの役職名を咀嚼しきれないのと、少しばかり人見知りしているのもあり、アマルダはひしとスルーフの腰にしがみつきながら挨拶を返してた。

 

「アマルダさん。どうして姫様を探しているのですか?」

「え?」

 

 質問を投げかけられたアマルダはキョトンとした表情を浮かべる。同時に、スルーフもまた少しばかり怪訝な表情を浮かべていた。

 オイフェは変わらず微笑を浮かべながら言葉を続ける。

 

「お勉強の時間と言ってましたが、アマルダさんはなぜ姫様にお勉強をしてもらいたいんですか?」

「え……なぜって……だって、先生がそういうから……」

 

 うつむきながら自信なさげに言葉を返すアマルダ。

 幼い子供は、大人の言う言葉を素直に聞くのが道理である。

 しかし、ある程度は子供へ自立した考え方を教育するのも、大人としての役割だ。

 

 未だ十四才の少年ではあるが、中身は数多くの後進を指導してきた老練。

 子供の教育は心得たものである。

 

「では、アマルダさんも姫様にお勉強をしてもらいたいんですか?」

「……」

 

 そう問いかけられ、少女は押し黙る。

 スルーフの侍者服の裾をぎゅうと掴みながら、うんうんと一生懸命頭を働かせていた。

 

「……わたしも、姫さまにはお勉強してもらいたいです」

「どうして?」

「だって、お勉強する姫さまが好きだから」

 

 ほっぺたを桃色に染めながら、アマルダは自分の思いをはっきりと口にしていた。

 結論は同じ。しかし、過程はそれまでと違う。

 僅かな成果だが、オイフェはとりあえずはよしと、満足そうにアマルダへ頷いていた。

 

「そうですか。なら、私も姫様を探すのを手伝いましょう」

「ほ、ほんとうですか!?」

 

 オイフェの言葉に、アマルダはぱっと顔を輝かせる。

 愛らしい少女の頭をひと撫でしつつ、オイフェはスルーフへと視線を向けた。

 

「ところで、今更な確認ですが、姫様というのは……」

「フリージ公爵家のティルテュ公女ですよ、オイフェ様」

 

 予想通り、雷神の娘の名がスルーフより告げられる。

 フリージ家が当主、レプトールの長女。

 嫡子ブルームの妹である、公女ティルテュ。

 無垢な輝きを持ち、怒りの雷神の血を継ぐ雷撃乙女。

 

(ティルテュ公女……アゼル公子……)

 

 同時に、オイフェはその雷撃乙女の伴侶となる──現在はエバンスで魔道士隊を統括する、ヴェルトマー公子アゼルのかつての姿も思い起こしていた。

 

 前回でのシグルドの義戦、その終局。

 バーハラの悲劇を、妻ティルテュと生き延びたアゼル。

 シレジアの寂れた村へと落ち延び、そこで二人の子──後のフリージ当主アーサー、そしてシレジア王后ティニーをもうけ、俗世の縁を断つようにひっそりと暮らしていた。

 

 しかし、ある日の事。

 ティルテュはアゼルがアーサーを連れ所用に出かけた隙きをつかれ、フリージの手の者にティニー共々拐かされる。

 妻子を拉致されたアゼルは、アーサーを村の者に預けると、単身フリージへ妻と娘を取り戻しに出向く。

 だが、アゼルはそのまま帰らぬ身となった。

 

 アルヴィス皇帝の腹違いの弟でもあったアゼルは、当時ではアルヴィスの政治的なアキレス腱ともいえる存在だった。

 フリージ家やドズル家、ユングヴィ家など有力諸侯はアルヴィスの戴冠を支持していたものの、アズムール王の寵愛を受けていた中堅貴族らは、アルヴィスへの王位禅譲を快く思っておらず。

 反逆者シグルドの一党であったとはいえ、アゼルの生存は彼らにとって喜ばしいものであり、アルヴィスの権力基盤であるヴェルトマーの内部分裂を画策するにはちょうどよい存在であった。

 故に、グランベル帝国の統治を大磐石の重きに導く為に、アルヴィス派の貴族に暗殺されたのだ。

 

 この事実を後から知ったアルヴィスは、全く表情も変えずにその報告を受け、アゼルを暗殺した者達を特に追求せず不問にしている。

 覇道を歩む赤き皇帝は、弟の死を顧みる事は無かった。

 

 しかし、セリス公子率いる解放軍が勝利した後。

 ヴェルトマー城を見分したオイフェは、ヴェルトマー家の者が納められる墓所に、名もなき墓標がひっそりと建てられているのを目にする。

 墓守曰く、毎年必ずアルヴィス皇帝が訪れ、この墓標へ花を手向けていたという。

 

(偽善者め──)

 

 スルーフ達に気づかれぬよう、みしりと歯を食いしばるオイフェ。

 贖罪のつもりかと、当時のオイフェはその逸話を聞いた瞬間、不快な思いが猛然と湧き上がっていた。

 シグルドとディアドラという、尊い夫婦──尊い家族を壊した男が、自身の家族には憐憫の情感を抱くか。

 アゼルには、オイフェもまた相応に憐憫の想いを抱いている。

 しかしその想いを、あのアルヴィスと共有していたという事実が、オイフェの心の闇を増々深める結果となっていた。

 

「……」

 

 数瞬、憎悪の念に囚われていたオイフェ。

 しかし、早々とその怨念に蓋をする。

 この場で噴出させてよい感情ではないのは、十分理解していた。

 

 スルーフは何やら難しい表情で押し黙ってしまったオイフェを少し怪訝に思うも、そのまま慇懃に頭を下げた。

 

「申し訳ありません。着いたばかりのお客様にこのようなことをさせてしまって……」

「いえ、お気になさらず」

 

 渦巻く憎悪をおくびにも出さず、スルーフへ言葉を返すオイフェ。そのようなオイフェに、スルーフは少しだけ表情を緩める。

 妹分であるアマルダへ目をかけてくれたことで、スルーフの中でオイフェへの好感度が高まっており。

 そもそも、一侍者でしかない自分とは違い、オイフェは今をときめくシグルド総督の右腕と目される少年。

 自身とそう年頃が変わらないオイフェに、元々憧憬めいた気持ちを抱いていた。

 

「あ、あの、ありがとうございます。オイフェさま」

 

 兄同然、いや、少女の心に兄以上の思慕の念を抱かせるスルーフに倣うよう、アマルダもまたオイフェへぺこりと頭を下げる。

 

 同時に、少女の口から、オイフェが今もっとも()()()()()()名前が飛び出した。

 

「ああ、よかったぁ。これでアウグスト先生に怒られないですみます」

「え──」

 

 瞬間。

 オイフェの身体に電流走る。

 

「アウグスト先生は当教団の僧侶でして、エッダに滞在中のティルテュ様の勉学を見ているのですよ。少々癖の強いお方なんですけどね」

「は、はぁ……」

 

 よく知っています。彼の御仁が尖った性格をしているのは。

 そう返すわけにもいかず、スルーフの補足に生返事をひとつ返すオイフェ。

 

 軍師アウグスト。

 元ブラギの僧侶で、解放戦争では若きリーフを支えた鬼謀。

 その悪辣なまでの超現実主義的軍才を、口さがない者は“生得危険な姦人”“老獪な食わせ者”“奸智に長ける謀臣”“元聖職者に有るまじき毒舌”とまで評していたが、これはもっともであるとオイフェも思っていた。

 そして、現時点のオイフェがもっとも()()()()()()()()()とも。

 

(迂闊だった。アウグスト殿は、まだこの時期はエッダにいたのだ)

 

 僅かに臍を噛むオイフェ。

 やり直しの人生を与えられて以降、初めて見せる動揺。

 

 ブラギの僧であったアウグストは、アルヴィスが帝位を戴冠した後、グランベル帝国内で勢力を伸ばしてきた暗黒教団による“エッダ教迫害”の煽りを受け、エッダを追われ放浪の身となっている。

 だが、その後同じく各地へ聖戦の準備を行っていたシレジア王──風竜フォルセティの契約者、レヴィンと出会い、その意向を受けリーフ軍へ参加するべくマンスター地方へと赴く。

 一時的に身を寄せていた海賊団をリーフ軍の生贄として差し出すという、えげつないやり方で加入したのは公然の秘密だ。

 ともあれ、アウグストはその苛烈な智謀をもって、リーフへ英雄とはなんたるかを厳しく指導していたのだ。

 

 そして、あのアウグストがオイフェが現在進行形で行っている計略──表に出ている政略活動だけで、その実態を容易に看破してくるのは想像に難くなく。

 

(出来ればこのまま出会わずに済ませたいが……)

 

 無理だろうとも、オイフェは思う。

 おそらく、ヴェルダン総督府から使者が訪れる事を、アウグストは承知していると思われる。

 そして、オイフェが行った総督領の政策、そして軍拡の本来の目的を容赦なく指摘してくるはずだ。

 その動機が興味本位であれ、アウグストはオイフェの計画の核心に迫ってくるだろう。

 

(話すわけにはいかん──!)

 

 今はまだ、オイフェが画策する計画の全貌を余人に知られるわけにはいかず。

 いっそのことアウグストをこちらに引き込むかと、ふと思考するも。

 

(論外!)

 

 その考えはすぐに捨て去る。

 アウグストは目的の為なら手段を選ばぬ男だ。

 オイフェの暗黒教団から世界を救うという第一の目的。

 それを達成させる為、アウグストはディアドラの出自を公表するよう画策するだろう。

 暗黒教団の魔手が伸びる恐れがあるが、それこそ何もかもをぶちまけれは、そもそもの近親婚によるロプトウスの現界は困難になる。

 マイラの血筋と併せて公表し──恐らくアルヴィスへも、その血筋による不利益を問題視せず、ヴェルトマー公爵としての身分を保証し、こちら側に引き込むよう取引をもちかけるはずだ。

 暗黒教団の脅威を世界中へ拡散し、マンフロイが成し遂げた謀略を盤面からひっくり返す。

 この上なく最短で、最良のやり方。

 

 しかし。

 

(それでは駄目なのだ──!!)

 

 アルヴィスへ聖戦士としての自覚を促し、暗黒教団から離反させる工作は、オイフェも確かに有効性を認めていた。

 しかし、ディアドラのマイラの血筋を公表するのは避けたい。ロプトに対する人々の増悪は、未だ各地で燻っている。いくら聖者と謳われたマイラの末裔とはいえ、その迫害の対象からは逃れられない。

 シグルドとディアドラの幸せな生活の為に、それは避けたいのだ。

 

 そして、なにより。

 論理的思考から外れた、感情的な思考。

 怨みを晴らすという、()()()()目的を達成する為にも、アウグストが取るであろうやり方では駄目なのだ。

 

 オイフェの前世を含め、アウグストに何もかもを話せば、冷酷無比な鬼軍師は今のアルヴィスと前回のアルヴィスは別者であるとばっさり切り捨てるだろう。個人的な動機に囚われるオイフェの矛盾を、容赦なく論破してこよう。

 そして、それはオイフェも理解している。

 今のアルヴィスは、国家転覆を企むとはいえ、現時点ではディアドラを奪ってはいない。

 罪は、まだ犯してはいない。

 

 だが、これは理屈ではない。

 理屈で片付けては、いけないのだ。

 

(……どうしたものか)

 

 とにかく、今はアウグストには出会いたくない。

 こちらに引き入れずとも、彼の鬼軍師と下手に舌戦を繰り広げては、此度のエッダ訪問の目的に支障が出かねない。

 スルーフを通じてクロードとの()()を図るオイフェではあったが、その前にスルーフ達に不信感を抱かれては堪らない。

 こちらの都合などお構いなしに、アウグストはオイフェにあれこれ詰問してくるだろう。

 それを、少なくとも目の前のスルーフには聞かれたくなかった。

 

 が。

 

「あ……」

 

 悪い予想とは、往々にして現実のものとなる。

 

「アマルダ嬢。ティルテュ様は見つかりましたかな」

 

 僧衣に身を包んだ壮年の男が新たに現れる。

 気難しそうな表情を常に浮かべ、余人の評判など全く気にせず自身の所感を述べる男。

 僧侶アウグストの登場である。

 

 そして。

 オイフェは驚愕の眼差しで、アウグストの()()を見ると、脳髄へ電流を流し込まれたかのような衝撃を受けていた。

 

 

(フサフサだ!)

 

 

 そう現実逃避めいた思いに囚われるオイフェ。

 禿げ上がった頭でリーフ軍へ叱咤激励していた軍師の頭皮は、未だ豊穣な実りを見せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第25話『問答オイフェ』

  

 本来、神とは尊ぶものであり、祈り願うべき存在にあらず。

 神に無闇に頼らず、生きる我が身を力の限り尽くす。

 これが、ブラギの僧として神に仕えた拙者が導き出した真理です。

 とはいえ、全ての人間がそうあるには、いささか生き辛い世の中であるのも確か。

 

 一日でも早く帝国を打倒し、セリス様やリーフ様達による、万人が神を尊ぶ()()を持ち得る世の中にしたいものですな。

 オイフェ殿──

 

 

 

「拙僧の頭に何か?」

「あ、いえ、なんでもありません……」

 

 唖然とした表情で自身の頭部へ視線を向けるオイフェに、アウグストは不機嫌そうな態度を隠そうともせず、少年軍師を睥睨する。

 ギラリと光る禿頭がある意味アウグストを構成する重要なパーツだっただけに、目の前のたわわに実った頭髪は、オイフェにとって信じられぬ光景であり。

 それは、それまで想定したこの荒法師との舌戦内容を、一瞬にして忘却してしまうほどの衝撃をオイフェに与えていた。

 

(ムム!?)

 

 とはいえ、よく注意して見ると、生え際は既に枯死が進行しており。

 もう十年もすれば、オイフェが知るアウグストの頭部が無事現出せしめるだろう。

 

 アウグストはやや落ち着きのないオイフェを不審げに見やるも、不意に足元のアマルダに僧衣の裾を引っ張られた。

 

「アウグスト先生、オイフェさまも姫さまをいっしょに探してくれるって!」

「オイフェ様?」

 

 こらこら、はしたないですよと、アマルダを抱きかかえるスルーフ。

 アマルダが幼子とはいえ、スルーフもまた華奢な体躯の少年。よいしょと少女を抱える少年侍者を見て、オイフェは意外と腕力があるのだなと明後日の方向に思考を巡らしていた。

 

「ほぅ……貴殿があのスサール卿の……」

 

 そのようなオイフェを、アウグストは値踏みするかのように睨む。

 厳しい視線を受け、オイフェはやや緊張感を取り戻していた。

 

「初めまして。私はヴェルダン総督領執政官補佐を務めるオイフェ・スサールと申します」

「ブラギの僧、アウグスト・オド……いくつか質問をしても?」

 

 ほら来た!

 挨拶もそこそこに、アウグストが早速口角砲を装填したのを受け、オイフェは僅かに顔を顰める。

 どうせこちらが拒否しても、この男は質問を取り下げる事は絶対にしない。

 有髪という奇襲攻撃の衝撃から立ち直りきれぬオイフェは、半ば諦めたかのように「どうぞ」と言葉を返すしかなかった。

 

 

「属州総督殿は謀反をお企みか?」

 

 

 瞬間、場の空気は凍りつく。

 オブラートに包むファジーな質問にはほど遠い、アウグストのド真ん中ストレート。

 

「スルーフさま、むほんってなんですか?」

「謀反というのはですねアマルダさん、謀反というのは……謀反!?」

 

 抱っこされながら素朴な疑問を浮かべるアマルダに、抱っこしながら驚愕で顔を引き攣らせるスルーフ。

 オイフェもまた僅かに眼尻を引き攣らせるも、抜かりのない表情で言葉を返した。

 

「謀反とは一体何のことでしょう?」

 

 軽いジャブを撃ってくるような鬼才ではないと十分に理解していたが、ここまでのストレートを放ってくるとは予想だにせず。

 オイフェは差し当たり質問を質問で返すしかなかった。

 

「ほぉ。補佐官殿は謀反の意味をご存知ではないと?」

 

 ここで変化球をひとつ放つアウグスト。

 硬軟入り混じったこの話術。嘲るような雰囲気を発しているのは、こちらを苛立たせ本音を引き出そうという魂胆だろう。

 

「はい。宜しければご教授願います」

 

 故に、わざわざ乗る必要はない。

 澄ました顔でそう言葉を返すオイフェに、アウグストは一瞬意外そうに眉を吊り上げるも、即座に厳しい面貌を浮かべた。

 

「……属州の軍備拡張。常備兵に平民まで雇い入れるとは、謀反の疑いを向けられても仕方ないのでは?」

 

 揺さぶりが通じないとみるや、さっさと本題へ切り込むアウグスト。

 不要な腹の探り合いを忌避するその姿勢は、オイフェが知るアウグストの実直すぎる性格をよく現していた。

 

「平民兵の編成は領内の雇用対策でもあります。それに、属州の治安は未だ安定したとは言い難いです。ウェルダン豪族も一部は山間部に逃れ山賊化していますし、平民の力を借りなければ領内の治安維持は難しい」

「それよ。そもそもが、たかが山賊ごときに備えるには過剰すぎる戦力だと思いますがな」

「我が軍は元から寡兵で属州領を治めています。領内の治安維持に必要な軍備を整えたまでです」

「数百万ゴールドの軍拡が必要とは思えぬ。やはり謀反の準備をしているとしか思えませぬな」

「それこそ穿ちすぎです。属州領の軍備増強は宰相府の認可を受けています」

「イザーク征伐で背後の守りが薄くなったから、という名目かな。なら、今度はアグストリアが攻めてくるとでも? バカバカしい、イムカ王はそこまで愚かではない」

「ですが、現にヴェルダンは盟約に背いたではありませんか。属州領の軍備は領内の治安維持が第一ですが、危急の外患に備えるのもグランベル王国臣下として必要な心構えだと思います」

 

 アウグストの詰問を淡々といなすオイフェ。

 熱を帯びる両者の舌戦で、場の空気は緊迫感を増していった。

 

「外患と申したが、属州領の不必要な軍備増強が隣国──アグストリアを刺激しているだけなのでは?」

「実際の隣国であるノディオン王国との関係は良好です。心配されるような軍事的緊張はありません」

「緊張はない? ならば、後顧の憂いなくグランベル本国へ侵攻できますな」

「……アウグスト殿」

 

 ここで、それまでの平坦な声色から、少しばかり険を含んだ声を上げるオイフェ。

 鋭い視線を向けるオイフェに、アウグストは依然不機嫌そうな表情を浮かべていた。

 

「それ以上はシグルド様──属州総督並びにシアルフィ公国嫡子への侮辱と捉えます」

「ほお……イザーク征伐という国難の中、更にグランベル内乱の可能性に憂慮する一介の僧侶の言葉を侮辱と捉えると?」

 

 ああ言えばこう言う!

 オイフェは内心、アウグストの不遜な態度に辟易するも、これぞアウグスト殿と、どこか納得する思いもあった。アウグストが本当に内乱の可能性を憂慮しているのも理解しており。

 同時に、味方であれば頼もしい知謀が、敵に回るとこれほど厄介な鬼謀になるのかとも思っていた。

 杓子定規的なグランベル役人を相手取るとはわけが違う。それ程までに、アウグストの舌鋒は痛い所を突いている。

 実際に、アウグストの言葉はかなり()()()()()()からだ。

 

「スルーフさま。なんでアウグスト先生とオイフェさまはけんかしているんですか?」

「そ、そうですね……なんでですかね……」

 

 先程からオイフェとアウグストの舌戦を見守っていたスルーフ。

 二人の殺伐とした議論は、まるで蛇と鼬がもつれ合い互いの急所に牙を突き立てる様にも見え、アマルダを抱えながら冷や汗をかくばかりであった。

 

「神に祈るブラギの僧として物申す。民草の安寧の為……国内の不必要な混乱は避けるべく、これ以上の軍備増強は控えていただきたい」

 

 不遜でありながら、実直な言葉を放つアウグスト。

 流石のアウグストですら、現時点の暗黒教団の陰謀には気づく事はできず。

 故に、表に出ている情報だけを吟味し、このような忠言をオイフェに言い放ったのだろう。

 

 アウグストの言葉を受け、オイフェはしばし沈黙する。

 そして、ゆっくりと、何かを思い出すように言葉を返した。

 

「……神とは、尊ぶべきもの。祈り願うべき存在ではない」

「なに……?」

 

 オイフェの言葉で、初めて動揺めいた感情を表すアウグスト。

 それに構わず、オイフェは言葉を続ける。

 

「誓って、シグルド様は謀反など企んでいません。ただ()()()()()の為に、生きる我が身を力の限り尽くしているだけです」

「……」

 

 このオイフェの言葉を聞き、アウグストは瞠目すると、そのまま黙考する。

 目の前の少年から何かの啓示を受けたかのように、黙して思考せし黒衣の僧侶。

 まるで長年追求している真理解明の手がかりを掴んだかの如く、不機嫌そうな表情をやや興奮したそれへと変えていた。

 

「……拙僧の失言を詫びよう。謀反の嫌疑をかけた事、謹んでお詫び申す」

「いえ、誤解が解けたようでなによりです」

 

 急に方針転換したアウグストに若干戸惑いつつ、オイフェはとりあえずの難局を乗り越えたと実感する。

 スルーフの手前、これ以上の問答は危険であると思っていただけに、アウグストがすんなり矛を収めた事で、内心安堵の思いが広がっていた。

 

 と思っていたら。

 

「いや、しかし流石はあのスサール卿の薫陶を受けただけありますな。オイフェ殿のお話は実に興味深い。宜しければ、もそっと」

「え?」

 

 妙にギラついた視線を浮かべながら、少年ににじり寄る荒法師。

 それまでとはまた違った圧力を受け、オイフェは数歩後ずさる。

 

「あ、あの、ティルテュ公女はよろしいので……」

「ああ、あのお転婆公女などどうでもよろしい。それよりも、オイフェ殿がどのようにしてその知見を培ったのか興味が尽きませぬなぁ……」

「え、えっと、あの……」

 

 フリージ公爵家長女に対し、実際凄い失礼な言い草をしているアウグストだったが、もとより世俗の権力が通じ辛いエッダ教の僧侶。

 お構いなしに、目の前の少年へと興奮した視線を向け続けていた。

 

「スルーフさま、おてんばってなんですか?」

「ティルテュ様のことですよ、アマルダさん……」

「へー。姫さまはおてんばだったのですね!」

 

 呑気な様子のアマルダに、疲れた中間管理職の如き表情で応えるスルーフ。

 そのすぐ隣では、興奮した中年僧侶に迫られ怯える少年軍師の姿。

 事案である。

 

(まずいぞこれは……!)

 

 オイフェは想定外にアウグストの追求が始まったのを受け、なんとかこの場から逃れようと頭を巡らす。

 前世で共に轡を並べた関係もあり、オイフェ個人の感情としては、このままアウグストの知的探究心に付き合ってやってもよかった。だが、会話の流れでオイフェの計画が漏れる可能性もある。

 というより、アウグストは元よりそのつもりでオイフェに迫っているようにも思えた。

 見方を変えれば、この鬼謀をオイフェの意にかなう方向で味方に付けられる機会にも思えたが、それでも現時点で不必要なリスクを負う必要はない。

 

 神に縋る事は決してしない少年に、神は微笑むことはなく──

 

 しかし。

 

 

「ふんふんふーん……げっ!?」

 

 

 神が微笑むことはなくとも、女神は微笑むものである。

 

「あ、姫さまだ!」

 

 アマルダの元気の良い言葉が響き、全員が少女が指差す方向へ視線を向ける。

 視線の先に、鼻歌まじりで廊下を闊歩する、雷神の娘──

 

 フリージ公爵家が長女、ティルテュ・ソール・フリージの姿があった。

 

 

 

 

 

 

 




※今更ですが登場人物のファミリーネームやらミドルネームは正式に判明しているキャラクター(セリスとリーフしかいませんが)を参考に適当につけてます。


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第26話『逃走オイフェ』

 

「にーげろー!」

「あ、姫さま! お勉強しなきゃだめですよー!」

 

 オイフェ達の目前で、脱兎のごとく遁走を開始するフリージのジャジャ馬娘、ティルテュ。

 課せられた勉学に嫌気が差し、隙きを見て逃げ出せたのは良い。だが、こうして早々に発見されてしまうのは、彼女が持つ天性の愛嬌、そしてお茶目な慢心によるものだろう。

 逃げ出すティルテュを見留めたアマルダは、スルーフの腕からするりと抜け出すとパタパタと追いかけ始めた。

 

「こらー! まちなさーい!」

「やーよ! 神父様に会いに来ただけなのに、もうずっと勉強漬けじゃない! やんなっちゃう!」

「だからってさぼっちゃだめですよー! まちなさーい! おてんば姫ー!!」

「あんたどこでそんな言葉覚えたんよ!?」

 

 少し見ぬ間にアマルダが妙な語彙を身に着けていたのを受け、ティルテュは走りながら思わず驚愕の声を上げる。

 ともすれば、かつての勇者達の一員であるティルテュとの感慨深い再会。しかし、目の前の光景はなんとも気の抜ける有様であり。

 しかし、これはオイフェにとって千載一遇の好機でもある。

 みるみる内にフリージ家の乙女と少女が遠ざかっていくのを見つつ、オイフェは瞬時にこの場を離脱する為の方策を打ち立てた。

 

「あ、まってくださ~い」

「!?」

「!?」

 

 やや棒読みな口調でわざとらしく慌てながら少女達を追いかける少年軍師。

 これが、少年オイフェが打ち立てた危急の回避策。

 もとい、ただの強引な逃走である。

 アウグストは先程までの知見溢れる様子とは打って変わり、いきなり知能指数が低下したオイフェに呆然としており、スルーフなどにいたっては「マジかこの人」と愕然とするばかりだ。

 

 とはいえ、これはオイフェが()()だからこそ許される荒業。

 かつての壮年の姿であれば、このような不調法な振る舞いは決して許されないだろうが、現在の見た目は十四歳の少年。少々の無作法は許されると踏んだ、確信犯めいた行動であった。

 

 とにかく、オイフェとしてはこの場さえ逃れられれば、後は頼もしい道連れ達が己の“盾”になってくれるだろうと強かに頭を働かせており。

 ホリンがもつ高潔な義侠心ならば、かよわい少年であるオイフェを、邪な破戒僧の追求から身を挺して庇うだろう。

 ベオウルフがもつ驕慢な性格ならば、アウグストの厭味ったらしい性質とも互角に渡り合い、双方共倒れを狙える。

 デューは言うに及ばず。空気の読めない発言ばかりしている悪ガキと思われがちだが、実のところデューは誰よりも空気が読める良い子だ。

 オイフェが困っている気配をいち早く察知し、気難しいアウグストを煙に巻く為、ことさら道化めいた態度で翻弄してくれるだろう。

 

 かくして、少年軍師は鬼謀の荒法師から逃れることに成功す。

 生真面目なスルーフならば、秘密裏に渡したクロード宛の手紙の存在をアウグストに漏らすことはあるまい。

 そして、少年少女お転婆娘の活発な脚力に、運動不足の中年僧侶が追いつけるはずもなく。

 

「オイフェどのー! まだ話は終わっておりませぬぞー!」

 

 アウグストの呼び止める声を背に、オイフェは全力でエッダ城内を駆け抜けていった。

 

 

 

「やれ……逃げられてしもうた……」

 

 そう呆気に取られ、アウグストはため息をひとつ漏らす。

 

「あはは……なんだか不思議な方ですね……」

 

 同様に呆気に取られていたスルーフも、アウグストに同調するように言葉を返す。

 いきなりなオイフェの変わりように戸惑うばかりであったが、このアウグストの脂っこく尖った性格も十分知っており、衝動的に逃げたくなるのも無理もないなと一人合点していた。

 

「じゃあ、私はこれで……」

 

 そして、そそくさとその場を後にしようとする。

 オイフェはもちろん、スルーフ──いや、エッダの人間にとってアウグストは非常に面倒くさい人間であり、積極的に会話をしようとする者は底知れぬ善人であるクロード以外は皆無であった。

 

「スルーフ」

「な、なんでしょう」

 

 すると、いつもの仏頂面に戻ったアウグストが待ったをかける。

 びくびくとしながらも、スルーフは仕方なしといった体でアウグストの言葉を待った。

 

「お主は気づいて……いや、なんでもない」

「は、はあ。じゃあ、失礼します……」

 

 長引くかと思ったら、予想に反して即座に解放されるスルーフ。

 何かを言いたげなアウグストに構わず、今度こそその場を後にした。

 

「……」

 

 一人残されたアウグスト。

 黙考しながら、少しばかり伸びた顎髭を撫でる。

 

「結局、軍拡自体は否定せなんだな……」

 

 先程まで繰り広げられたアウグストとオイフェの問答。

 終始行き過ぎた軍拡を咎めるアウグストに、オイフェはそれが過剰だとは反論せず。

 しかし、数百万ゴールド規模の軍備拡張については、弁解すらせず事実として扱っていた。

 

「普通はもっと過小に弁解するはずだが……」

 

 この手の追求を受けた者は、自身の行いを正当化するべく、事実とは過小、もしくは過大に申告するものだ。

 しかしオイフェはそれをせず、ただひたすら“事実の正当化”を訴えていたのみ。

 常識的に考えれば、この規模の軍拡は()()以外何ものでもない。

 戦備を整えている、つまり属州領は()()()()()()()()()()準備していると公言しているようなものであった。

 

「世界を救う……世界とは……?」

 

 そして、オイフェが最後に言い放った言葉。

 シグルドは、ただ“世界の安寧”の為に正しい行いをしている。

 忠を尽くす国家や国王でもなく、ましてや自身の領民の為でもない。

 もっと大きな、世界の安寧。

 ユグドラル大陸では無視できぬ勢力となったシグルド陣営ではあるが、それでもシグルドは一国の領主でしかない。

 それが、世界を救うとは、いささか分をわきまえない言い草。

 オイフェが言った、世界を救うとは、一体()()から救うというのだろうか。

 

「……いや、まさかな」

 

 ふと、アウグストの脳裏に、あの暗黒教団の存在がよぎる。

 しかし即座に頭を振り、その可能性を否定する。

 ロプトは、もう百年も前に滅びた。生き残りの残党が僅かにいるらしいが、その程度の者達に一体何が出来ようというのか。

 アウグストはロプトの存在を頭の片隅に留めつつ、先程聞けなかった属州総督府の“軍資金”について思考を巡らした。

 

「数百万ゴールド規模の軍事費を賄えるとは……やはりあの噂は本当のようだな」

 

 当て推量で言い放った金額だが、どうやらそれほど差異はなかったようだとアウグストは振り返る。

 一介の僧侶でしかないアウグストであるが、各地のエッダ教徒を通じて情報収集能力はそれなりに備えている。故に、ミレトス商人がヴェルダン総督府に多額の資金を貸し与えているとの情報も得ており。

 

「傍から見れば返済出来るか疑わしき金額。しかし」

 

 正確な金額は分かりかねるが、あの規模の軍事費を賄いつつ、領内の開発投資、そして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を行うからには、相当額の融資を得ているのだろうと推察する。

 

「可愛げのある顔立ちをしている割に、なかなか()()な事をしよる」

 

 そう、どこか感心したように、邪悪ともいえる笑みを零すアウグスト。

 オイフェが行った経済政策。領民を豊かにする政策とは別軸で、オイフェはエバンスの陸運商人、そしてジェノアの海運商人達へ多額の資金援助を行っていた。

 要は、他国の同業者よりも()()荷を運べるよう、オイフェが援助した形だ。

 

 これにより、既にアグストリアの陸運業では甚大な影響が出ており。

 特にアグストリア諸侯連合マッキリー王国では、王国内の流通業は軒並み破産ないしエバンス商人に吸収されており、アグスティからグランベル方面への流通は属州総督──オイフェの支配下にあるといっても過言ではなかった。

 元々、陸運を担う馬借業に従事する者は、身分低き者が多数を占めている。彼らの元締めは商会を名乗ってはいるが、実質はヤクザ者とそう変わりはなく。

 故に、マッキリー王のクレメントはその実態に気付く様子はない。元よりアグストリアにおける宗教的な便宜を図る事を第一としているクレメントでは、密かに仕掛けられた経済戦争の被害に気付けるはずもないのだ。

 

 もちろん、この事を危ぶむ者はアグストリアにもいる。

 その筆頭であるノディオン王国国王エルトシャンは、アグストリアの流通を他国の商人に握られている現状を憂いていた。

 流通を握られるという事、即ち、有事の際の物資調達に非常に影響が出るという事をだ。

 だが、エルトシャンはエバンスの馬借達が中継点に自国──ノディオンを必ず経由し、それにより多額の経済効果を生んでいる実態、そしてなにより妻であるグラーニェの健康を()()()()()()()()()()という現実を鑑みて、直接的な抗議に踏み切れないでいた。

 アグストリアを統べるイムカ王が市場原理主義的な方針を取っていたのもあり、国外との競争に負けた国内の流通業に特に関心を示さず、また積極的な保護を行うつもりもなかったのも大きい。

 エルトシャンは一国の王ではあるが、他のアグストリア諸王家とは違い、誰よりもアグスティ王家──イムカ王へ忠誠を誓っていた。だから、イムカ王の方針に従うまでだ。

 

 こうして、アグストリアの主要な流通はオイフェに握られる。

 今は格安で荷を運んでいるが、いずれ言い値で物を運ぶようになるだろう。代わりを見つけようにも、アグストリアの流通業はもはや存在しない。

 その時点で抗議しようものなら、それこそ膨れ上がった属州領の軍事的圧力が襲いかかってくるだろう。

 アグストリアが“諸王国の緩やかな連合”といった政体の構造的不備をついた、悪辣な経済支配であった。

 

「しかしミレトスではそう上手くいっていないようだな」

 

 翻って、ミレトス地方でもオイフェは経済戦を仕掛けており。

 同様の手口で、ジェノア海運業に多額の援助を行い、他のどこよりも安く荷を運ばせていた。

 しかし曲者揃いのミレトス商人は、いちはやくその思惑を察知しており。

 まさか自分達が貸した金で経済戦を仕掛けられるとは思っていなかったものの、早い段階で麾下の海運業を支援、泥沼の値下げ合戦を行っていた。

 

「ミレトス商人も一枚岩でないのが、この話の肝だな」

 

 当然の事ながら、ミレトス商人の中では借款の早期返済を迫り、この経済戦を早々に終わらせる動きもあった。

 しかし、エバンスを中心に活動しているミレトス商人──アンナの勢力が、ミレトス商会の意思統一を阻んでおり。

 ミレトス商会内での勢力拡大を目論むアンナは、あえてこの経済戦争を煽っている節が見受けられた。

 それほど、属州領──オイフェに肩入れしていると、アウグストから見ても容易に想像が出来たのだ。

 

「身体を売っているという噂は真か……いや、流石にそこまではせぬとは思うが」

 

 噂では、少年性愛癖のあるアンナに、オイフェがその無垢の身体を差し出したというのがある。

 アウグストはオイフェの立場上、流石にそこまではやらないと思うも、僅かな会話でオイフェが己の身体ですら()()と認識しているのも察知していた。

 故に、あの少年がなぜそこまでして、軍事拡張を含めた大規模な経済戦略を打ち出していたのか……アウグストは直接問い詰めたい衝動を抑えきれなかったのだ。

 

 なお余談ではあるが、このジェノア商人とミレトス商人による値下げ合戦の恩恵を一番多く受けていたのは、遥か彼方に位置するトラキア王国である。

 食料等の生活物資の殆どを他国からの輸入に頼っていたトラキア王国は、不当な価格でマンスター地方から食料を輸入せざるを得ない状態だった。

 しかしこの値下げ合戦により、グランベルやヴェルダンから安価で生活物資を輸入する事が可能となり。

 また、自国で生産される各種鉱物資源の輸出も、コストを抑える形で行う事が可能になり、需要が急激に伸びたヴェルダン──属州領へ、多量の鉱物資源を輸出するようになる。

 わざわざ国王自らが傭兵まがいの事をせずとも、多量の外貨物資を獲得出来るようになり、トラキア王国は短期間で健全な財政状況へと戻りつつあった。

 

「トラバント王の野心次第では、トラキア半島は戦乱の気運が高まるだろうな……」

 

 そう憂いるように呟くアウグスト。

 現在のトラキア王国の好況は、国是である北伐の必要性を薄くしていた。

 しかし国是は国是。経済的な理由が主ではあるが、感傷的な理由としても、マンスター地方の“奪還”はトラキア王家の宿命ともいえた。

 このままトラバントが矛を収め、国内の開発に尽力するか。

 あるいは、獲得した資金で更なる軍拡を行い、マンスター地方へ侵略を開始するか。

 こればかりは、いかに優れた洞察力を持つアウグストですら、予想がつかないものだった。

 

「ふむ……」

 

 アウグストはより思考の深度を深くする。

 オイフェがここまでする理由、そしてその覚悟。

 世界を救うという、一見すると高尚な目的。

 しかしあの少年軍師が秘める悲壮なまでの覚悟。

 アウグストはこのオイフェの()()()()()()を直感的に見抜いていた。

 スルーフは気付いていなかったようだが、あれはあの年頃の少年が抱いて良い感情ではない。

 

 それだけに、アウグストがオイフェがそこまでする理由を是が非でも知りたかったのだ。

 

「ともあれ、このままではロクに話を聞くことは出来ぬだろうな」

 

 先程の強引な逃走は、呆気に取られたものの納得がいく行動。

 この場さえ逃げ切れればアウグストの追求を逃れられる。そのような自信があるのだろうと、アウグストは悟っており。

 同行する者達を盾にするのか、あるいはエッダ教団内で()()()()()である自身の立場を利用するのか。

 クロード以外の高位司祭からは嫌われているアウグストなら、それとなく不快感を示せば面会謝絶に持っていくことは容易だろう。

 

「となれば……」

 

 ニヤリと、不敵にほくそ笑むアウグスト。

 社会的にも身軽なこの僧侶は、思い立ったら即行動に移す事が可能だった。

 

「真理だ。あの少年の言葉は、真理なのだ」

 

 ニヤつきながら、興奮気味に自室へと急ぐ。

 オイフェの粘ついた感情の正体。それを突き止める以上に、天啓にも似た衝撃があった。

 それは、オイフェが言い放った、あの言葉。

 

“神は尊ぶものであり、祈り願うべき存在にあらず”

 

 長年の真理探求の解答が、少年の口から発せられていた。

 神に祈るアウグスト。しかし、いくら世の中の安寧を祈っても、人と人との摩擦からによる世の理不尽は無くならない。

 

 何故神は、この祈りを聞き入れてくれないのか。

 何故神は、この願いに目を背けるのか。

 全能者である神とは、本当に存在するのか。

 

 ロプトの闇を払いし十二聖戦士、そしてその聖戦士達へ超常の力を分け与えた竜族。

 人々は彼らを神とまで崇め奉るも、アウグストは日に日にその想いに疑問を抱くようになっていた。

 

 竜族とは、そういう力を持った、そういう種族なだけ。

 そして、聖戦士達もそのような力を持った只の人間でしかない。

 ならば、祈るべき神とは、願うべき存在とは、一体何であるのか。

 

「あの少年、オイフェ殿が見据える未来に、その答えはある!」

 

 息を切らせながら、自室へと戻ったアウグスト。

 興奮冷めやらぬといった様子で、備えられた文机へ取り付く。

 

「良かったですな、ティルテュ公女。拙僧の授業は今日でお終いです」

 

 そう呟きながら、一心不乱に羊皮紙へ何かを書きなぐる。その後、何かに取り憑かれたかのように旅装を整え始めた。

 

 それからしばらくして。

 アウグストの姿はエッダ公国から消える。

 

 彼が向かった先には、エバンス城が存在していた。

 

 

 

 

 

 

 



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第27話『雷撃オイフェ』

 

「我が君に仇なす叛徒共──大人しく雷神の贄になりなさい──」

 

 グラン歴777年

 ミレトス城郊外

 

 ミレトス地方の解放を目指し、光の公子セリス率いる解放軍が一路ミレトス城へ進軍している最中。

 道中に広がる深い森の中を進軍していた解放軍は、森に潜伏していた数多のダークマージによる奇襲攻撃を受けていた。

 先に行われたラドス城とクロノス城との間で行われた会戦──グランベル大陸随一の武勇を誇る、リデール将軍率いる精鋭部隊との戦闘で疲弊していた解放軍は、ダークマージ隊、そして帝国に雇われた獰猛な傭兵部隊の奇襲に対応しきれず、図らずも各個に分断されてしまう。

 

「まさか、ここに来て──!」

 

 解放軍の軍政の要であるオイフェ。しかし、奇襲を受け、今はセリスの本隊と離れ離れになってしまう。同じように散り散りとなった解放軍の将兵を纏めるも、間髪入れずあの“雷神”がオイフェ達の目の前に現れていた。

 黒を基調とした艶かしいドレスを纏い、スリットから覗く足は扇情めいた情欲を誘う、闇に魅入られた雷神の姫。

 

「イシュタル姉さま!!」

 

 立ちはだかる雷神に向け、フリージ公爵家が公女ティルテュの忘れ形見──ティニーが、悲痛な叫び声を上げる。

 少女の声を受け、雷神の乙女──神器トールハンマーを継承し、闇の皇子ユリウスへ傅く乙女──現フリージ家当主イシュタルは、少しだけ寂しげな表情を浮かべると、従妹であるティニーへ言葉を返した。

 

「ティニー……少し見ない内に、あなたはどんどん似て来るわ……あの優しかったティルテュ叔母様に……」

「イシュタル姉さま! どうか! どうか矛を収めてください! わたしは姉さまと戦いたくありません!」

「……もう私にそのような期待はしないで。私の心を動かせるのは──!」

 

「ユリウス様ただ一人だけだ!!」

 

 火山が噴火したかのような激しい雷鳴が轟く。

 神器が起こす、究極の(いかづち)

 雷魔法トールハンマーの猛威が、オイフェ達へ降りかかろうとしていた。

 

「ティニー、引け!」

「で、でも、オイフェ様」

「いいから引くのだ! この場でトールハンマーに対抗できる者はおらん!」

 

 戸惑うティニーの肩を掴み声を荒げるオイフェ。

 掌握した将兵の中で、イシュタルのトールハンマーに対抗できる神器持ちはいない。

 いや、例えシャナンのバルムンク、アレスのミストルティン、ファバルのイチイバル、アルテナのゲイボルグがあったとしても、トールハンマーを防ぐ事は出来ても満足に反撃する事は難しい。

 唯一トールハンマーに対し勝ちを拾えうるのは、風の勇者セティが持つ神器フォルセティのみであった。

 

 豪雷の圧力からティニーを庇うオイフェ。

 その時、二人の勇士が、果敢にオイフェとイシュタルの間に立った。

 

「オイフェ様! ここは僕らが!」

「我々が時間を稼ぎます! オイフェ殿は早くセティ殿を!」

 

 利発な顔立ちを見せる少年と、深い紺色の短髪を靡かせる女騎士。

 リーフ軍で類まれなる才能を発揮する、マギ団の魔法少年アスベル。

 そして、“魔法騎士トードの再来”とまで謳われた兄を持つ、青魔の乙女オルエン。

 彼らもまた、主君であるリーフと離れ離れになっていた。しかし、オイフェの指揮下に即座に入り、その武勇をいかんなく発揮せしめる。

 

「オルエン、あなた……!」

「イシュタル様、もはや我らに言葉は不要。トードの再来とまで謳われた兄に恥じぬ戦いをお見せします」

 

 かつてはフリージ家の騎士としてその剣と魔を奮っていたオルエン。その姿を見留めたイシュタルは、僅かに増悪が籠もった眼差しを向ける。

 愛し合った親兄弟、そして固い絆で結ばれた主従。

 それが、敵味方に分かれて争う此度の聖戦。

 フリージの当主であるイシュタル、そしてフリージの騎士だったオルエンも、この悲哀の螺旋から逃れることは出来なかった。

 

「合わせてください! オルエン様!」

「承知!」

 

 イシュタルと対峙するアスベルとオルエン。

 阿吽の呼吸にて、それぞれの最大奥義を放つべく魔力を練る。

 

風精(ジルフェ)よ、僕に力を──! グラフカリバー!!」

「兄上、力を貸して下さい──! ダイムサンダ!!」

 

 風魔法グラフカリバーと、雷魔法ダイムサンダによる二重奏。

 神器に追いつくべく開発された、人智の結晶ともいえる必滅の魔法。

 重厚にして怜悧な風刃と、苛烈にして鋭利な雷撃が、イシュタルへと放たれた。

 

 轟音。

 閃光。

 爆発。

 

 風雷の合わせ技による強烈な魔撃は、ともすれば神器の一撃にも匹敵するほどの威力。

 周囲の木々は隕石の落下を受けたが如く薙ぎ倒され、その威力がいかに凄まじいかを物語る。

 雷神イシュタルといえど、この猛爆を無傷で凌げるとは──

 

「それだけかしら?」

「なっ!?」

「なにっ!?」

 

 否。

 雷神の申し子は、無傷。

 アスベルとオルエンは決して手を抜かず、全力を持って魔法を放っていた。足止めが主ではあるが、もしかしたらこの手でイシュタルを討ち取れるかもしれない。

 そのような皮算用を目論めるほど、二人も相応に修羅場をくぐり抜けた実力者。

 

 しかし、そのアスベルとオルエンの全力ですら、イシュタルはまるでそよ風に当たるかのように全く問題にせず。

 イシュタルが備える膨大な魔力。彼女の魔力量に対抗出来るのは、この世界ではユリウス唯一人だけであった。

 

「灼かれなさい──雷神の怒りに──!」

「ッ!?」

「くっ!?」

 

 雷神の圧力。

 十分に練られし超越の雷撃が、アスベルとオルエンに襲いかかった。

 

 

Thor's Hammer(トールハンマー)

 

 

 極大の紫電が迸る。

 直後に聞こえる、爆撃音の如き轟音。

 

「あぐぅッ!?」

「ガァッ!?」

 

 直撃を受けしトラキアの勇士達。魔力を全開にし、トールハンマーの威力を減殺するべく防御するも、行動不能たらしめる一撃からは逃れることは出来ず。

 かろうじて難を逃れたオイフェとティニーは、神器が放つその凄まじい威力に戦慄した。

 

「な、なんという……!」

 

 神器の威力は十二分に既知である。

 そう思っていたオイフェ。

 しかし、目の前のイシュタルが放った雷は、それまで目にしたどの魔法よりも凄まじきもの。

 個人の武勇が戦況を左右するのは得てして起こり得るものだが、イシュタルが持つ武力はその程度では収まらない。

 文字通り、単騎で解放軍を殲滅せしめるほどの“武”であった。

 

 本当にフォルセティで抗しきれるのか──。

 そのような焦燥めいた思いに駆られるオイフェ。

 この場にセティがいたとしても、果たして戦いになるのかと。

 

「イシュタル姉さま! もう止めて!!」

「あ……ティ、ティニーさん……!」

「ティニー様……お下がりください……!」

 

 倒れ伏すアスベルとオルエンを庇うティニー。

 涙を流し、姉とまで慕った従姉へ、その可憐な眼差しを向ける。

 

「ティニー……昔の誼であなただけは見逃してあげる。だから、そこをどきなさい」

「嫌です! どうして、どうしてですか姉さま! どうして、ロプトなんかに!」

 

 ティニーによる決死の説得。

 イシュタルは辛そうに表情を歪める。

 

(どうする……!)

 

 距離を取り見守るオイフェ。

 しかし、そこから一歩も動くことは出来なかった。

 ティニーの説得を受けつつも、イシュタルは油断なくオイフェを牽制しており。

 ここで下手に動けば、容赦なくティニーごと雷撃が襲いかかってくるだろう。

 オイフェはティニーの説得が成功するのを、ただ見守るしかなかった。

 

「ロプト……そうね、聖戦士の一族が闇に手を貸すなんて本来はあり得ないわ」

「なら、どうして!」

「……ティニー」

 

 ふと、イシュタルは悲しげな瞳を覗かせる。

 それは、膨大な魔力量を持った故の、悲哀に満ちた生き様。

 

「あなたは、私をただの少女にすることができる?」

「え──?」

 

 唐突に言い放たれたこの言葉。

 ティニーは一瞬言葉を詰まらせる。

 

「私の魔力は常人には耐えられない程……それこそ、使用人を殺めてしまうほどに……」

「ッ!?」

「この子の兄……ラインハルトも、殺しかけた事があった」

 

 火傷の煙を燻ぶらせながら、「イシュタル様……」と、か細い声を上げるオルエン。

 かつて側近としてイシュタルに仕えたオルエンの兄、ラインハルト。

 彼もまた、類まれなる魔力の才能を持っていた。

 だが、そのラインハルトをしても、イシュタルの()()を受け止めきれず。

 

「魔力を抑えることができるようになるまで、私は父上とすら手を繋げなかった……でもね」

 

 幼少のイシュタルに触れし者は、その膨大な魔力の奔流に晒される。

 素養のある者ですら重傷を負うほどのその魔力量。

 必然、幼いイシュタルは余人との触れ合いを隔絶された生活を余儀なくされた。

 

「ユリウス様だけは、私の手を引いてくれたの」

 

 何かを思い出すように、イシュタルはそう言葉を紡ぐ。

 まだ、ユリウスがロプトウスに覚醒する前。

 バーハラ王宮に父ブルームと共に参内したイシュタルは、そこで幼少期のユリウスと出会っている。

 貴族の子弟がユリウスの遊び相手をしている中、一人寂しく膝を抱えていたイシュタル。

 その手を、ユリウスは無垢な笑顔を浮かべながら引いていた。

 

「だから、私の世界はユリウス様だけなの……そこに光も闇もない」

「イシュタル姉様……」

 

 イシュタルの悲痛なまでの覚悟。

 痛ましいまでの、恋慕の情。

 超越者だけが感じる孤独を、優しく癒やしてくれたユリウスという存在。

 イシュタルにとって、それはまさしく神聖な存在であり、心の拠り所だった。

 

「だから……だから、ユリウス様に仇なす者は、私にとっても敵なの」

 

 そう言うと、イシュタルは再度トールハンマーを発動するべく魔力を練る。

 これ以上の問答は無用。

 ここからは、肉親の情は一切通用しない。

 そのような覚悟が、イシュタルから発せられていた。

 

「ティニー……ごめんね……」

「──ッ!!」

「ッ!? ティニー! 逃げろ!!」

 

 慈悲深く、哀しい笑みを浮かべたイシュタル。

 ぎゅっと目を瞑るティニー。オイフェは駆け出すも、無慈悲の雷撃はティニーへと──。

 

 

「遊びは終わりだ、イシュタル」

 

 

 瞬間。

 悍ましいまでの闇が、オイフェ達を包んだ。

 

「ユ、ユリウス様!?」

 

 魔力の発動を止め、驚愕の表情を浮かべるイシュタル。

 その隣に、突如現れた闇の皇子。

 

「ユリウスだと……!?」

 

 赤い長髪を靡かせ、漆黒のローブを纏うロプトの皇子。

 そして、オイフェにとって仇敵である、あの男の息子。

 グランベル帝国皇子ユリウスが、オイフェ達の前に現出していた。

 

「ユリウス様、手傷を……!?」

「ふん、大した事ない。だが、兄上も中々良い手駒を持っているな……やけにオードの血が濃い娘だったが」

 

 見ると、ユリウスは右手に僅かに裂傷を負っており。

 鋭利な刃物でつけられたであろうその傷を、ユリウスは紅く湿った舌で舐め取る。

 

「ふふ……兄上ともっと遊びたかったけど、お前が哀しそうにしているのを感じてな」

「ユリウス様……」

「だから、雑魚と遊ぶのはもう終わり。バーハラへ帰ろう、イシュタル」

「あっ……」

 

 唇を紅く染めたユリウスは、イシュタルを抱き寄せるとその美しい頬に口づけをする。

 頬を紅く染めたイシュタルは、艶かしい程の倒錯的な快楽を覚え、そのままユリウスへと身を預けた。

 

「ふふ……次は何をして遊ぼうか……」

 

 そう言い残し、闇の皇子と雷神の美姫は姿を消した。

 

 

「……」

 

 オイフェ達は、一言も発することができず。ただ、闇の首魁が消え去るのを見ているだけしか出来なかった。

 オイフェ達を一顧だにせず、ユリウスはバーハラへと帰還した。生殺与奪権は、終始ユリウスが握っていた。

 神器を持たぬオイフェ達では、その気まぐれな暴虐に耐えることすら許されなかったのだ。

 

「……ティニー。アスベルとオルエン殿を」

「は、はい……」

 

 呆然としていたティニーへ、オイフェは静かに声をかける。

 重傷を追い、気を失っていたアスベルとオルエンを、オイフェとティニーは介抱し始める。

 見た所、二人は致命傷には至っていなかった。

 

 結局のところ、イシュタルは()()()()()()いたのだ。

 本気ならば、最初の一撃で、アスベルとオルエンの生命の灯は消えていただろう。

 

「強い……!」

 

 グランベル本国、そしてオイフェの故郷、シアルフィ。それを目前にする、セリス率いる解放軍。

 決戦の時は近い。

 だが、打倒すべき闇の巨魁は、あまりにも強大。

 それを肌で感じたオイフェ。

 どのようにして、彼らと対抗すればよいのか。

 

 人智の及ばぬ怪物達を前に、オイフェは慄くことしか出来なかった。

 

 

 


 

「こ、ここまで来れば……」

 

 脂っこい中年僧侶から強引な逃走を果たしたオイフェ。

 とりあえずエッダ城の中庭へとたどり着いたは良いが、肝心のフリージ少女達の姿はどこにも見受けられなかった。

 

「はぁ……」

 

 乱れた息を整えつつ、備えられたベンチへと腰をかける。周囲には人の気配はなく、オイフェは一人静かに身を落ち着かせていた。

 エッダ城の中庭は自然林をそのまま取り入れたかのような深みのある造園となっており、木漏れ日がオイフェの火照った身体を包む。

 チィチィと囀る野鳥の声、さざなみのように揺れる木々の音が中庭全体を包んでおり、オイフェは自然と己の心体が安らぐのを感じていた。

 

「ここは落ち着くな……」

 

 しばしベンチに身を預ける。

 思えば、二度目の人生を歩み始めてから、ここまで安らいだ気持ちになるのは初めてであり。

 シグルドの優しさに包まれた時の安心感、そしてディアドラの優しさに包まれた時の安堵感。

 大切な人と、大切な人が大切にしている人。その人達との触れ合いは、逆行の少年軍師にとって至福の時だった。

 

 だが、同時に彼らは守護らねばならぬ存在でもあった。

 シグルドに頭を撫でられ、褒められた時も。

 ディアドラに頬を撫でられ、慈しまれた時も。

 常に、暗黒の勢力を警戒し続けていた。

 

 エバンスを出立する前。オイフェは大切な二人の元から、一時的にとはいえ離れる事を大いに躊躇っていた。

 しかし、二人の為にも、此度のエッダ──そしてイザーク行きは、決しておろそかには出来ない。

 全てを救う為の、大きな布石。

 それは、オイフェ自身でしか成し遂げられない、重要な使命だったからだ。

 

「ん……」

 

 つらつらと思考の海に沈むオイフェ。比例して、名状しがたい眠気のような心地よさに包まれる。

 昼下がりのエッダ城中庭は、驚くほど快適な温度が保たれている。

 時折そよぐ風が、青々とした緑の匂いも運んでおり、自然とオイフェはベンチに身体を寝かせていた。

 

「……」

 

 目を瞑る。

 やらねばならぬ様々な事を思考するも、徐々に意識は遠のいていく。

 久方ぶりに感じる安らぎ。

 エッダの神聖な雰囲気が、孤独に戦い続けるオイフェの心を癒やしていた。

 

 そう時間も経たない内に、オイフェは静かな寝息を立てていた。

 日頃、睡眠時間を削ってシグルドとディアドラに尽くしていたオイフェ。

 しかし百戦錬磨の老練とはいえ、今の身体は十四歳の少年でしかない。

 多少の無茶は効く身体とはいえ、蓄積した疲労は相応に多い。

 

 故に、生命を司るブラギの神通力に抗えなかったのか、オイフェは束の間の休息を取ることになった。

 木漏れ日は、眠る少年軍師を包む。

 

 そして──。

 

 

「ん……?」

 

 小一時間程経っただろうか。

 ふと、オイフェは頭部に少しばかりの違和感を覚える。

 

「花……?」

 

 もぞりと頭に手をやる。すると、一輪の花が、簪のように自身の頭に添えられていた。

 

「あ、起きた?」

「ッ」

 

 直後に、快活な乙女の声が、微睡むオイフェの意識を覚醒させる。

 見ると、オイフェの顔を覗き込むように、柔らかな瞳で見つめる雷神の乙女の姿があった。

 

「ティ、ティルテュ公女?」

「おっはー。ていうか、あたしの事知ってたんだ」

「も、申し訳ありません。公女の前でこのような」

「あーいいのいいの。気持ちよさそうに寝てたから、つい悪戯しちゃったしね」

 

 慌てて身を起こすオイフェに、ティルテュはひらひらと手を振りながら花を添えた事を詫びていた。

 紫がかった緩やかな銀髪を束ね、明るい笑顔を見せる乙女。

 フリージ公爵家長女、ティルテュ。

 天真爛漫なフリージの乙女。そして、非業の死を遂げた、儚い雷神の乙女。

 改めてその姿を見たオイフェは、かつてのティルテュの悲惨な運命を思い出し、僅かに目頭を熱くしていた。

 

「申し遅れました。私は──」

「オイフェくんでしょ? 実はあたしもキミの事は知ってたんだよねー」

「そ、そうでしたか」

「ふっふっふ。なんで知ってたと思う?」

 

 トスン、とオイフェの横に座り、悪戯っ子のような無邪気な笑顔を浮かべるティルテュ。

 自己紹介をする前に自身の名前を言い当てた事で、ミステリアスな女を演出しようとしているのだろう。

 とはいえ、その様子はひどく滑稽な愛嬌に塗れていたのだが。

 当然、オイフェはティルテュが自身の名前を言い当てた理由は察していた。

 

「アウグスト殿ですか」

「せいかーい。ていうか、あのおっさんマジやばいと思わない?」

「は、はあ……」

 

 あけすけな物言いのティルテュに、少々気圧されるオイフェ。

 しかしこのあっけらかんとした性格は、まさしくオイフェが知るティルテュその人だった。

 

「なんかエバンスからオイフェくんが来るって聞いてさ、もうそっからやべー感じでやばかったし」

「はあ」

「まあそこまで悪い人じゃないんだけどね? でもめちゃデリカシーないし、めちゃネチっこいし、あたしの勘だけどあのおっさん将来絶対ハゲるわ。ていうかハゲろ」

「はあ」

「ほんと勉強しろ勉強しろって超うるさいし、最近はアマルダまで一緒になってさー。ていうかアマルダもちょっと前までは『ひめさまー』って感じで可愛げがあったのに、アウグストのおっさんに吹き込まれてから小姑みたいなガキんちょになっちゃったし。あたしの勘だけどあの子将来絶対男に依存するタイプになるわ。ちょっと心配」

「はあ」

「まだラインハルトの方が可愛げがあったっていうかー。あ、ラインハルトっていうのはね、アマルダの前にあたしのお付きをやってた子なんだけどね、イシュタルの傅役? っていうのになるからお付きから外れてね、あ、イシュタルはこないだ産まれたあたしの姪っ子ちゃんでね、ちょっと魔力が強い子なんだけどもう超可愛くてね、イシュトーも同じくらい超可愛いし、ほんとあの鬼ババからあの子達が産まれたのが超信じられないっていうかー、あ、イシュトーはあたしの甥っ子ちゃんでね」

「はあ」

 

 ペラペラと中身の無い話を捲し立てるティルテュに、生返事を繰り返すオイフェ。

 フリージ家に連なる人々の名前が怒涛の勢いで繰り出されるも、大体は既知の内容であった。

 

 しかし、この屈託のない会話こそ、オイフェが知るティルテュなのだ。

 相槌を打ちながら、僅かに笑顔を覗かせるオイフェ。

 

 懐かしき“再会”は、まだ始まったばかり──。

 

 

 

 

 

 

 



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第28話「虐待オイフェ」

 

「ほんとラインハルトって超薄情だと思わない? あの子将来絶対ヤクザみたいになるわ」

「はあ」

 

 相も変わらず実の無いお喋りを続けるティルテュ。

 懐かしさもありずっと聞き役に徹していたオイフェ。ちょっと辛くなってきたのもあるが、ティルテュの天然な明るさを見ていると不思議と辛さは和らいでおり。

 そして、聞き役に徹するのは、オイフェにとって手慣れた事でもあった。

 

 かつての前世ではその立場上ゆえに、解放軍の若者達からよく相談を受けていたオイフェ。

 解放軍内での立ち振舞いや、仲間同士の軋轢、そして色恋沙汰など、オイフェは子世代のほぼ全員から様々な悩みを打ち明けられ、センシティブな内容にも真摯に耳を傾けていた。

 シレジアの天馬騎士フィーなどは、恋人であるアーサーの事で良く相談に訪れており、相談事をする度に『わたしはもっと大人になりたいんです!』と可愛らしくオイフェへ助言をせがんでいた。

 

「はー。もっと素直であたしの言うこと全部聞いてくれる子がお付きにならないかなー。あ、ヴァンパあたりを今から仕込めば……」

「はあ」

「ま、ワガママなのはわかってるんだけどね。でも、そういう事もあるじゃん?」

「なるほど」

 

 どういう事があるのだろうと、オイフェは僅かに首をかしげる。

 しかし、この手の乙女の相談は、往々にして答えを求めることもなく、ただ話を聞いてもらいたいだけなのは十分承知している。

 オイフェはあくまで聞き役に徹するのみだった。

 

 ちなみに、フリージ公爵家では“お付き”と呼ばれる制度があり、これは有力家臣の子女が当主の子女に直接奉公するという、フリージ家の伝統的な近侍制度である。

 物心ついた時から当主子女へ仕える事で、精神的な繋がりを濃くし、普段から主従の絆を深めるといった意図があった。

 また、見込みがある家臣子女は、そのまま幼少の当主子女の傅役に就く事もあり、これにより互いに成長した主従は固い絆で結ばれ、フリージ家の結束を強める効果を発揮していた。

 イザーク遠征で公子ブルームに従い出征したグスタフ、ムハマドの両将軍も、幼少の時分は当主レプトールに付き弟のように可愛がられており、グスタフ将軍などはそのまま幼少のブルームの傅役にも就いている。

 

 ティルテュには前年までフリージ家の重臣であるシュナイダー家の長男、ラインハルトがお付きとなって奉公していたが、その利発さを買われテュルテュのお付きを外れ、ティルテュの姪でありトードの直系でもあるイシュタルの傅役に就任している。

 これはフリージ当主レプトールの意向が大いに反映されており、ラインハルトという優秀なお付きがいるにも関わらず、いつまでたってもフラフラしているジャジャ馬娘にいい加減堪忍袋の緒が切れたという事情があり。

 ジャジャ馬娘よりかは、将来有望なイシュタルに付かせた方がラインハルトの将来の為にも良い、という思惑もあった。

 

 ラインハルト本人としては、年上なのに色々と手のかかるティルテュの世話を途中で放棄したくないという妙な義務感もあった。

 だが、トード直系であるイシュタルの傅役という名誉、そして何よりその愛らしさを見て、ティルテュよりイシュタルへ生涯の忠誠を誓うようになる。

 

「でもラインハルトってなんだかんだで良い子なんだよねー……ケンプフのばかちんとは全然違うし」

「なるほど」

 

 オイフェ自身は、ラインハルトに関しては前回でも顔を合わせた事は無く、話でしかその存在を知らない。

 リーフ軍の前に立ちはだかった、“トードの再来”とまで謳われた一騎当千の武人。

 ラインハルトの武名は、イザークで挙兵したオイフェ達へも轟く程。そして、その武力はトールハンマーを持つイシュタルを除けば、フリージ家最強とまで評される程であった。

 

 しかし、ラインハルトはマンスター解放を目指すリーフ軍とトラキア大河で対峙し、その勇壮な生涯に幕を閉じる事となる。

 元々ラインハルトはイシュタルの右腕として武勇を奮っていたのだが、イシュタルとの主従としての親密さを闇の皇子ユリウスに妬まれ、ラインハルトはイシュタルから遠ざけられていた。

 それ故、グランベル本国ではなく北トラキアの地に追いやられていたという背景があったのだ。

 

 もし、この時ラインハルトがイシュタルから遠ざけられる事なく、そのままグランベル本国の防衛戦──バーハラでの戦いに参戦していたら。

 恐らく、解放軍はユリウスの──ロプトウスの邪悪な野望を打倒することは叶わなかったであろう。

 それ程、バーハラでの最終決戦は、互いの総力を尽くした熾烈な戦いであり、ギリギリでの勝利だったのだ。

 

 雷神の申し子イシュタル、最凶の天馬騎士メング三姉妹、古の魔戦士ロプト十二魔将、ロプトの大司教マンフロイ──そして、ロプトウスの化身であり、闇の皇子として帝国に君臨したユリウス。

 あの邪悪にして強大な敵の中に、音に聞くラインハルトまで加わっていたらと想像したオイフェは、今更ながら背筋に冷えた汗を滲ませていた。

 

「なんか顔色悪いけど大丈夫?」

「あ、いえ、大丈夫です。何でもありません」

「ほんとお? やっぱあのおっさんに何かされたんじゃ……」

「いえ、本当に何でもありません。ご心配には及びません」

「ほんとにほんとお? ちそちそとかいじられなかった?」

「本当に大丈夫ですから……ちそちそ?」

 

 心配そうにオイフェの下腹部へ視線を向けるティルテュだったが、言葉の節々に彼女が持つ生来の優しさが表れており。

 久方ぶりのティルテュとの会話は、聞き役に徹していても、オイフェにとって懐かしき日々を想起させる、優しい時間だった。

 

「そっか、アウグストおじさんが無理やりオイフェくんのちそを……」

「ティルテュ様、あの、ちそって」

「嫌がるオイフェくんだったが、そのちそはおじさんの虐待めいたテクで半びそになりやがてびそびそのちそちそに……」

「あの、ティルテュ様」

「虐待おじさん×美少年……ある!」

「ないですティルテュ様」

 

 美しく可憐なその外見とは真逆の汚く腐った世界へ旅立ってしまったティルテュとの会話も、オイフェにとって優しい時間なのだ。

 

「あ、ごめんね。エスニャがそういうの超好きだからさ、あたしもついドハマりしちゃって。あ、エスニャはあたしの妹でね、超可愛いんだけどちょっとアレな子でね」

「はあ……」

 

 しばらくして現世へと帰還を果たしたティルテュ。そして、その口からエスニャという名前が出た。

 そういえばエスニャ様はそういった男性同士の官能作品を嗜んでいたなと、オイフェは微妙にゲンナリしながら思い出しており。

 同時に、貴腐人エスニャの非業に塗れた生涯も思い出し、その表情を暗くさせた。

 

 エスニャもまた、運命に翻弄された悲劇の乙女。

 ティルテュの妹であるエスニャは、クロード神父に付き従いブラギの塔へ旅立った姉を心配し、追いかけるようにしてマディノへと至っている。

 そして、父レプトールの野心を見抜いていたエスニャは、気丈にもそのまま姉と共にシレジアへと落ち延びる事となる。

 

 それから起こる、あの悲劇。

 グラン歴761年に起きた、バーハラの悲劇。

 姉であるティルテュとは違い、エスニャはそのままフリージ家の者に捕らえられ軟禁されてしまう。

 当時のフリージ家は、アルヴィスにより前当主レプトールが謀反人の咎を課せられ、往時に比べその権勢を著しく失墜させていた。

 そのフリージ家の復権を目指し、レプトールの跡を継いだティルテュらの兄ブルームは、後のグランベル帝国皇帝であるアルヴィスの命に必死で従うようになる。

 

 バーハラの悲劇の数ヶ月後、ブルームは同じく帝国内での権力拡大を目指し、幼いスコピオを当主に据えたユングヴィ家と共に麾下の騎士団を率いシレジアへと侵攻。

 シレジア王国を滅亡させたブルームは、隠れ住んでいた妹ティルテュの拉致にも成功し、そのままフリージへと送る。

 フリージの姉妹は再会するも、そこに喜びは少なく。共に悲劇を慰め合うかのように、慎ましく痛ましい時を過ごしていた。

 

 しかし、グラン歴762年。

 トラキア大河の戦いで、レンスター王国がコノート王国の裏切りにあい、トラキア王国に大敗したこの年。

 ブルームは皇帝アルヴィスの命を受け、疲弊した北トラキア──マンスター地方へと侵攻を開始する。

 しかし、レンスターの主力騎士団、ランスリッターが壊滅しても尚、マンスター地方ではレンスターの同盟国、アルスター王国が健在だった。

 勝てぬ相手ではないが、ここでアルスター相手にいたずらに戦力を喪失しては、後に控えるトラキア王国との決戦で遅れを取るかもしれぬと考えたブルーム。

 そこでブルームが打った手は、政略婚によるアルスター王国懐柔策だった。

 

 グランベルとトラキアという二つの戦闘国家に挟まれたアルスター王国に、その政略婚を受け入れぬという選択肢はなく。

 こうして、マンスター同盟の崩壊と共に、フリージ姉妹は再び引き裂かれる事となる。独身であったエスニャはアルスター王家へ嫁ぐ事となったのだ。

 

 その後、アルスター王との間に娘を一人もうけたエスニャ。政略婚とはいえ、アルスター王から愛されていたエスニャは、それなりに穏やかな時を過ごしていた。

 だが、グラン歴765年、ブルームがアルスターを巡察した際に発生した暗殺未遂事件、そしてレンスター王家の遺児リーフを匿っていた責を問われ、アルスター王家は取り潰しとなり。

 

 エスニャはリーフ達と娘のミランダを逃した後、全ての責任を取るかのように、自らの手でその命を絶った。

 

「どうしたの? やっぱマジで具合悪いとか……」

「い、いえ。大丈夫です。本当に……」

 

 フリージの乙女達の非業の最期。

 そして、目の前のティルテュの最期。

 それは、エスニャと同じように、救いがたい哀しみに満ちた最期だった。

 

「……今度は、絶対に救いますから」

「ん? なんか言った?」

「いえ、なんでもないですよ。ティルテュ様」

「?」

 

 儚い笑顔を浮かべ、ティルテュに応えるオイフェ。

 キョトンとした表情を浮かべるティルテュ。彼女が()()()迎えた非業の死が、オイフェに痛ましい想いを抱かせる。

 それは、兄嫁であるヒルダに虐待を受け死亡するという、目を背けたくなるような哀しい最期だった。

 

 ブルー厶は叛逆者シグルドの一党とはいえ、実の妹達にはそれなりの愛情を示していた。

 妻であるヒルダがティルテュらに悪感情を持っているのも承知しており、その暴虐がエスカレートしないよう目を光らせていた。

 また、ブルー厶の息子であるイシュトー、娘であるイシュタルも、ティルテュ達にはよく懐いていたのもあり、夫の目を盗んで嫌がらせを仕掛けるヒルダをそれとなく嗜め、時には直接庇う事もあった。

 エスニャがアルスターへ嫁いだのも、このヒルダの悪意から遠ざける意味合いもあったのだ。

 

 だが、ブルー厶が北トラキア王国国王となり、フリージから本拠を移すと、イシュトーもまた父に従い北トラキアへと赴く事となり。

 イシュタルもユリウスへ直接仕えるべく、バーバラ王宮で暮らすようになり、ティルテュの盾となる“家族”はいなくなってしまう。

 ティルテュは叛逆者シグルドの元で積極的に戦い、そして皇帝アルヴィスの弟、アゼルと結ばれていたのもあり、その政治的立場も難しく。

 アルヴィス皇帝へ忖度したブルームの意向もあり、ティルテュはフリージから一歩も外に出ることは叶わず、一人フリージへ取り残される事になったのだ。

 

 そして、制止する者がいなくなったが故に、ティルテュへ向けたヒルダの度を越した虐待が始まるのは必然といえた。

 フリージに居残る家臣達は、誰一人ティルテュを助けようとはしなかった。

 下手に手を差し伸べれば、ヒルダからどのような制裁を加えられるかと恐れていたからだ。

 ティルテュを幼少の頃から知り、彼女に愛着を持つ家臣が皆ブルームと共に北トラキアへと赴任していたのも、ヒルダの加虐を増長させていた。

 

 ティルテュの娘、ティニーが語った陰惨な加虐の内容。

 それを仇であるヒルダの前で糾弾したティニーの、悲壮なまでの想い。

 悪態をつき、最期まで暴虐性を失わなかったヒルダへの嫌悪感と共に、オイフェはやりきれぬといった想いを抱いていた。

 

 

「ところで……さ。あの……話は、変わるんだけど」

 

 僅かに消沈するオイフェだったが、当のティルテュは己の非業の未来に感づくことはなく、そのまま会話を続ける。

 だが、それまでの喧しい口調とは打って変わり、ティルテュは何かを問いかけたいかのように、もじもじと口ごもらせている。

 オイフェは少々不審に思いつつも、「何でしょう?」と言葉を返した。

 

「あのさ、オイフェくん達……シグルド公子、じゃなくて、シグルド総督? のところにさ。あいつ……あいつら、いるんでしょ?」

「あいつら?」

 

 疑問を浮かべるオイフェに、ティルテュは勢いよく言葉を続けた。

 

「あいつらよ! 百枚めくりのレックスに、あいつ! 子猿のアゼル!」

 

 可憐な怒りを滲ませながら、ドズルとヴェルトマーの貴公子の名を告げるティルテュ。

 しかしながら彼女が言い放った両公子の肩書きに覚えがなかったオイフェは、思わずその意味を問いかけた。

 

「確かにレックス公子とアゼル公子は我々の元におりますが……その、百枚めくりと子猿というのは?」

 

 オイフェの疑問に、ティルテュは口先を尖らせながら、両公子との赤裸々な思い出を語り始めた。

 

「あいつら子供の頃からの付き合いなんだけど、ほんと最っっ低だったの! レックスはスカートめくりの常習犯でイヤがるあたしのスカートをめくりまくってたし! なにが『今日中に百枚めくらないといけない(使命感)』よ! 思い出すとほんとムカつく!」

「はあ」

「アゼルはアゼルでレックス(ボス猿)に従うだけの子猿みたいなヤツだったし! 見てるだけでかよわいあたしを助けようともしなかったし!」

「はあ」

「ま、あたしはやられたらやり返すのをモットーにしているから、仕返しにアゼルのスボンを百回下ろしてやったけどね! ざまーみろって感じ!」

「はあ……あの、それならアゼル公子じゃなくてレックス公子のズボンを下ろすのが筋ではないでしょうか」

「だってレックスは自分から脱いじゃうし」

「自分から脱いでいくのか……」

 

 やや困惑を露わにしつつも、オイフェは三人が幼少の頃から良好な関係を築いていたのだなと、オイフェは感慨深げに三者の幼少時分を想像していた。

 

「アゼルを脱がしたと思ったらレックスも脱いでいたなんて……何かがおかしいと思ったわ」

「何もかもおかしいと思いますが」

 

 恐らくレックスはアゼルだけに恥をかかせまいと自ら下着をさらけ出していたのだろうと、オイフェは感慨深げにレックスの篤い友情の心に思いを馳せていた。

 

「とにかくあいつら、特にアゼルがシグルド総督に迷惑かけてないかなって思ってさ」

 

 ふと、オイフェは先程からテュルテュがやけにアゼルにこだわっているように見え、思わず微笑を浮かべる。

 幼馴染を心配するには、少々顔に朱が差しているティルテュの様子がひどくおかしく、微笑ましいものに見えたからだ。

 

「大丈夫です。お二人共属州総督領ではなくてはならないお方になっておりますよ」

「そ、そう……まあレックスはいい男だからいいけど、あのアゼルがね……」

 

 オイフェの言葉を受け、少しだけ複雑そうな表情を浮かべるティルテュ。

 おせっかいとは思いつつも、オイフェはティルテュへ含んだ笑味を浮かべながら言葉をかけた。

 

「ティルテュ様はアゼル公子が心配なんですね」

「は、はあ!? あたしがアゼルなんか心配するわけないじゃん! あくまでシグルド総督に迷惑かけてないかなって思っただけだし!!」

 

 面白いくらいに動揺を露わにするテュルテュ。

 言い訳をするように言葉をまくし立てる。

 

「あんなチビで頼りなくて女々しいヤツなんか心配しないわよ!」

「でも、ティルテュ様はアゼル公子が気になってしょうがないように見えますけど」

「はああ!?」

 

 ティルテュの様子がおかしくて、やや煽るように言葉を返すオイフェ。

 フリージの乙女は増々顔を赤く染めていった。

 

「あたしがアゼルなんかを気にするわけないでしょ! あたしは神父様みたいな大人で優しくて包容力のある人が好きなの! だれがアゼルなんか!」

 

 若干語るに落ちているところも、テュルテュが持つ天性の愛嬌なのだ。

 クスリと忍び笑いをひとつ漏らしたオイフェ。とはいえ、これ以上弄るのもかわいそうだし、何より現在のアゼルは未だユングヴィ公女、エーディンに懸想している身だ。

 変に煽り立て、彼らの関係がこじれてしまうのは忍びない。

 

「これは、失礼しました」

 

 ぷんぷんと頬を膨らませるティルテュを見て、オイフェは微笑を浮かべながら頭を下げる。

 同時に、できればアゼルとティルテュには、前世と同じような関係──同じように、男女の仲として結ばれてほしいとも思っていた。

 しかし、それを今生において再現出来るよう促すほど、オイフェは男女の情愛について手慣れているわけでもなく。

 もしかしたら、今生では彼らはそれぞれ別の相手を見つけてしまうかもしれない。

 だが、オイフェはアゼルにはティルテュ、ティルテュにはアゼルが、一番の“似合いの相手”とも思っている。

 

 パズルのピースが嵌るように、アゼルとティルテュが結ばれるのは、オイフェの中で極々自然な在り方なのだ。

 だから、今生でも、彼らが仲睦まじく……そして、あのような悲劇的な運命を迎える事なく、生涯を全うして欲しい。

 そのような想いを、オイフェは抱いていた。

 

「ほんと失礼しちゃうわ。そういうのマセガキっていうのよ、オイフェくん」

「いえ、そのようなつもりは」

「そんなんだからアウグストおじさんにちそをびそられるのよ」

「まだ続けるんですかその話……」

 

 アゼルとの関係性を前に、ティルテュの性的嗜好を矯正せねばならぬかと、密かに頭を抱えるオイフェ。

 世話の焼ける“親世代”とのとりとめのない会話は、血相を変えたアマルダに見つかるまで続けられていた。

 

 

 

 

 

 




※拙作の聖戦時空ではアミッドとリンダはいません。


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第29話『近親オイフェ』

 

 エッダ城に棲まう者は、身分の上下にかかわらず皆同じ食事が提供される。

 教主クロードと今日入信したばかりの修道者が同じ食事を摂るのは、他の公爵家では見られぬ光景であり。

 当然、エッダを訪れた客人もまた、彼らと同じ食事が供されていた。

 

「オイフェ、これおいしいねぇ」

 

 エッダ城大食堂。

 大勢のエッダ教徒が祈りを捧げた後、オイフェ達も用意されたテーブルにて食事にありつく。

 舌鼓を打ちながら満足げな表情を浮かべるのは、天真爛漫な盗賊少年デューだ。

 

 この日用意されたメニューは、柔らかく焼かれた白パン、獣肉入りのシチュー、そして果物が少々。オイフェら年若には果実を絞ったジュースが添えられ、年長者にはワイン、エールが供されていた。

 公爵家の食卓に上がるにはいささかありふれた献立ではあるが、意外にもその量は多く、そして味も悪くない。

 当然、食欲旺盛のデューには嬉しく、トロリと具材が煮込まれたシチューをニコニコしながら頬張っていた。

 

「デュー殿、ここでの食事は静かに摂るものですよ」

 

 おしゃべりをしながら食事を摂るデューを、それとなく嗜めるオイフェ。

 テーブルマナーは祖父スサールから徹底的に叩き込まれていたオイフェは、同年代の少年に比べ非常に行儀作法に優れていた。

 

 余談ではあるが、オイフェがシアルフィに移り住んだ時、まず初めに行った事は、バイロン、シグルド父子の豪快なテーブルマナーを、貴族らしいそれに矯正する事だった。

 なにかにつけて口うるさいエスリンがレンスターに嫁入りし、食事の時以外にも好き勝手の類を謳歌していたバイロンとシグルド。そして、その束の間の自由はオイフェによって終止符が打たれていた。

 

 とはいえ、それでも節々でだらしない所作が残るシアルフィ父子。

 シグルドなどは総督になった今でも、身につけていた衣類をベッドや椅子に放り投げるという悪癖が抜けておらず。

 しかし、これに関してはオイフェは問題にしていなかった。

 シグルドが脱ぎ散らかした衣類は、妻であるディアドラが手早く回収し、綺麗に整えていたからだ。

 如才ないこのディアドラの姿を見て、オイフェは満足感と共に、己の心が尊いもので満たされていくのを実感していた。

 

 ディアドラが日常的にシグルドの下着──特に股間部分をクンカクンカと嗅いで頬をうっすらと朱色に染めているのを、オイフェは終ぞ気付くことは無かった。

 

(そういえば、アウグスト殿はどこへ行ったのだろうか……)

 

 ふと、オイフェは既にエッダ城から消え失せたアウグストの事を思う。

 あの後、スルーフからアウグストが出奔した事を聞いたオイフェ。

 突飛すぎるアウグストに驚きつつ、あの鬼謀僧侶が向かった先が気になっていた。

 

(まさかエバンスへ向かったのではあるまいな……)

 

 スルーフ曰く、残された書き置きには“真理追求の旅に出る”としか書かれていなかった為、アウグストがどこへ旅立ったかは不明である。

 しかし、なんとなく嫌な予感を感じたオイフェ。

 エバンス城門にて、ニッタリとした笑みでオイフェを待ち構えるアウグストを想像し、ゲンナリとした表情を浮かべていた。

 

(まあ、仮にエバンスへ向かったとしても、パルマーク司祭がいる。アウグスト殿も無茶は出来まい……)

 

 オイフェと共に、内務ではシグルドの両輪として才覚を見せるパルマーク。

 その身分はエッダ教の司祭であり、その階位はアウグストより上位である。

 流石にパルマークの前では傍若無人ぶりは発揮せぬだろうと、オイフェはそれ以上アウグストの動向について考えるのを止めた。

 

「……あ」

 

 シチューを掬いつつ、何となしにデューへと視線を向ける。

 すると、盗賊少年の口元は少しばかりデミグラスソースで汚れていた。

 

「デュー殿。口の周りが汚れてますよ」

「うー……自分で出来るよー」

 

 口角をソースで汚したデューに、オイフェは手ぬぐいで優しく拭う。

 オイフェとデューの対面にて食事を摂っていたホリンは、仲良しな少年達を見て目尻を下げながらパンを頬張る。

 その隣では、ベオウルフが「母ちゃんかおめーは」と、少々呆れた表情でワインを呷っていた。

 

 そして。

 

(キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!)

 

 オイフェ達から少し離れたテーブルで、密かに気炎を上げる乙女の姿あり。

 フリージ公爵家御一行の為に用意されたテーブルでは、第一公女ティルテュが早くも温まっていた。

 小うるさいアウグストがいなくなり、元より乙女のテンションは高い。

 アウグストが大量の宿題を残していった事実は、麗しい少年達の友愛を前にした乙女にとって、最早忘却の彼方へ追いやる程の些細な事なのだ。

 

(温厚知的系美少年と活発天然系美少年の純粋無垢な絡み……ちょっとこれマジヤバい……マジ尊い……! やっぱおっさん×美少年より美少年×美少年が大正義だわ!)

 

 お転婆なイメージの強いティルテュではあるが、一応は公爵家令嬢としての諸々の作法は心得ている。

 余計なお喋りはせず、静かに、そして瀟洒にスプーンを口に運ぶティルテュ。

 だが、その目は野獣の如き眼光を発し、オイフェ達へ向けられていた。

 

「あ、オイフェもソースついてんじゃん。おいらが拭いてあげるよ」

「えっ……あ、ありがとうございます……」

 

 少々照れながらも、デューの好意を素直に受け入れるオイフェ。

 デューのやや乱暴な手付きに、はにかんだ笑みを浮かべていた。

 このような仲良し小好しな少年二人に、剣闘士は増々相好を崩し、自由騎士は「母ちゃんが二人……?」と若干迷走せしめた。

 

(ほっほっほぉ~……! マジヤバい性欲止まんない……! オイフェくんが攻めかな? それとも隣の金髪の子が攻めなのかな? 金髪くんがグイグイ迫るのもありだけど、オイフェくんのヘタレ攻めも捨てがたい……! ああ、毒素が、毒素が抜けていくぅ~~!! おっほっほっほっほぉ~~っ!!!)

 

 そして、トップギアへと至るフリージ乙女。

 ギラついた目でオイフェ達を見やりつつ、瀟洒な仕草でパンを千切る。しかし、そのハンドスピードは通常の三倍以上。眼光は増々鋭く光っていた。

 猛烈な勢いでパンを貪るティルテュを見たアマルダは(なんか今日のひめさまちょっときもちわるい……)と不審げに見やりつつ、黙ってパンをモグモグしていた。

 

「うわ、なんか寒気が……」

「気の所為ですよデュー殿……」

 

 雷乙女の腐った視線を受け、機敏な少年達は怖気に似た寒気を覚える。

 だが、オイフェは努めてそれを無視し、デューもまたその気配を完全にシャットアウトした。

 急にテンションがだだ下がりした少年達を、ホリンとベオウルフは不思議そうに見つめていたのであった。

 

「食堂に 少年二人 ちそ(いず)る」

「あの、ひめさま……なんで泣いているんですか?」

「違うのアマルダ。これは毒素めいた何かが流れ出ておるだけなの」

「えっ、きもちわるい……」

 

 フリージ乙女、熱き魂を萌やすばかりなりけり──。

 

 

「あ、そういえばデュー殿」

「ん~……? なに、オイフェ」

 

 食事が終わり、祈りを捧げた後部屋へ戻るオイフェ一行。

 腹が膨れ、少しだけ眠たそうにしているデューへ、オイフェは真剣な眼差しを向ける。

 それを見て、デューもまた表情を即座に引き締めた。

 最早オイフェの腹心ともいえる存在となったデュー。

 その目を見ただけで、オイフェの秘めたる想いを容易に汲む事が出来た。

 

「重要な話があります。あとで中庭に……」

「っ! うん、わかった!」

 

 前を歩くホリンやベオウルフに聞こえぬよう、小声でデューへ告げるオイフェ。

 聞いた瞬間、デューの瞳は爛と輝く。

 

 とうとう、その時が来た。

 

 デューはそう想い、やや興奮を隠しきれないでいた。

 以前約束した、オイフェの大計画。その共有。

 やっとその時が来たと、デューは本能で察していた。

 そして、それは間違いではない。

 

「じゃあ、ホリンとベオっちゃんには適当な理由を話しておくね!」

「はい、宜しくお願いします」

 

 嬉しそうにそう提案するデュー。

 消灯後に二人して部屋から抜け出すのを不審がられないよう、もっともらしい理由を考える必要がある。

 しかし、この手の誤魔化しはデューにとって朝飯前であった。

 

(申し訳ありません、シグルド様。まず、あなたに打ち明ける前に……デュー殿と……そして、クロード神父へお話します……)

 

 嬉々とした様子で部屋へ向かうデューを見つつ、オイフェは内心、愛する主君へそう詫びていた。

 オイフェが目論むクロードとの密談。

 その内容は、オイフェの前世を打ち明けるという、計画の核心に触れる内容だった。

 

 そして、それをクロードへ打ち明ける前に。

 オイフェは、最も頼りにするデューへ打ち明けようと思っていた。

 

 このタイミングでデューへ前世を話すのは、計画上さして意味の無い事である。

 だが、このタイミングでデューへ打ち明けないのは、信義にもとるのだ。

 

 “謀略とは(まこと)なり”

 

 祖父スサールが、生前オイフェに授けたこの薫陶。

 スサールは礼儀作法や政経学に加え、様々な計略、謀略の術を孫であるオイフェへ伝授していた。

 その中でも、オイフェはこの教えに深く感銘を受けていたのだ。

 

 謀略は、誠心を持って当たるべし。

 諜報に従事する者には、誠を貫くことが肝要。

 誠とは、真心なり。

 事を成すには、誠心誠意真心をもって従事することが必要不可欠である。

 

 このスサールの教えは、オイフェは前世で身にしみる程の有効性を実感していた。

 グランベル帝国、そしてロプト教団に対抗すべく、各地の抵抗勢力や帝国内部の良心とも結びつきを強めていたオイフェ。

 解放戦争における様々な政治謀略の成功は、オイフェと反帝国勢力との間に、真心と真心との結びつきがあったがゆえである。

 

 そして、それは目の前のデューも同様。

 真心を通わせなければ、この先の難事は到底成し遂げる事は出来ず。

 それ故の決断であった。

 

(しかし……)

 

 だが、この期に及んで、オイフェはデュー、そしてクロードへ何もかもを打ち明けるのを戸惑っていた。

 全ての元凶であるロプト。

 その悪しき血を引くアルヴィス、その悲しき血を引くディアドラ。

 これから起こる、動乱と謀略の歴史。

 哀しみに塗れた、悲劇の未来。

 

 それらを包み隠さず話す覚悟は出来ている。

 だが、クロードの未来──クロードと結ばれる、あの乙女の事を話すのは、オイフェに深い懊悩を与えていた。

 

(シルヴィア様……)

 

 戦場に咲く一輪の花。

 旅の踊り子にして、()()()()()()()()()()

 

 かつての前世において、シグルドの元へ集った勇者達。

 悲劇の結末を迎えたとはいえ、それぞれが想い人と結ばれたその姿は、オイフェにとって今生でも尊いものである。

 だが唯一、オイフェが逡巡する関係を持った男女がいた。

 

 ブラギの神父、クロード。

 そして、クロードと結ばれた、クロードの()()であるシルヴィア。

 

 知らぬとはいえ、あのアルヴィスとディアドラ以上に禁忌を犯した男女──兄妹の関係。

 それを繰り返すのは、果たして倫理に則っているのだろうかと。

 

(レヴィン様……私は、どうすればいいのでしょうか……)

 

 オイフェはかつて風の賢者──レヴィンより聞かされた、禁忌の物語を思い出していた。

 

 

 


 

 重要な話がある──

 

 そうレヴィンに言われ、オイフェら解放軍の主だった者達がペルルーク城の一室に集まったのは、南トラキア解放戦争を終え、ミレトス解放戦争が始まったグラン歴777年のこの年。

 

 世界の痛みを共有出来る者のみ聞け。

 それが出来ない者はこの場から去れ。

 

 そう言ったレヴィンだったが、誰一人として退室する者はおらず。

 そして、レヴィンは世界の表裏で繰り広げられし光と闇の真実を語り始める。

 

 子供狩りの実態、それに連なるロプトの野望、そしてアルヴィスの野望。

 禁じられた交わりによる、ロプトウスの依代、ユリウスの誕生。

 そして、ユリアが、ユリウスの実弟──セリスの異父妹である事。

 

 先ごろ行方不明になったユリアの素性を知り、光の皇子セリスは驚愕と共に、ひどく辛そうな表情を浮かべる。

 目に悲しい影がよぎるセリスの手を、ラナがそっと握っていた。

 

『助けに行こう。子供たちを、ユリアを』

 

 想い人の温かい体温で、セリスの瞳に熱いものが宿る。

 解放軍を率いるに相応しき英雄は、己の成すべき事を十分に理解していた。

 大将の想いを汲んだ解放軍の若者たちは、皆一様に熱き魂を燃え上がらせる。

 士気は十分。

 光と闇の戦い。その終局へ向け、正義を超えた大義を燃やしていた。

 

 

「して、レヴィン様。我々に話とは?」

 

 レヴィンによる真実の語りが終わった後。

 ペルルーク城の一室には、レヴィンとオイフェ、そして“トラキアの盾”と謳われたハンニバル将軍のみが残されていた。

 レヴィンは懊悩とした表情を浮かべながら、この二人にだけ居残りを申し付けていた。

 

「オイフェ殿と我輩だけですか。何かトラキアに関する重要なお話があると見受けられますな」

 

 長い顎髭を貯えた歴戦の将帥は、唐突な居残りを申し付けられても泰然自若としており、ジェネラルに相応しいどっしりとした物腰を見せている。

 余談であるが、ハンニバルがカパトギア城、そしてミーズ城で目を光らせていたからこそ、トラキアは単独でマンスター諸国、そしてグランベル帝国と互角に渡り合えたといっても過言ではなく。

 

 “南征を起こし多くの血を流して得る物といえば、さして取り柄もないトラキアの地と生き残りの気違い残党のみ。ならば、食糧等物資の供給を絶ち、柔らかい真綿で首を絞めるようじわじわと弱らせるのが、マンスター諸国にとって安泰といえよう──”

 

 このようなマンスター諸国の認識も、一方では正しい。

 だが、このハンニバルにより常に南征を阻まれていた、という事実は歴然たるものである。

 トラキア王国で竜騎士団と双璧を成す装甲軍団を徹底的に鍛え上げていたハンニバル。

 麾下のカナッツ、マイコフの兄弟将軍も、文字通りハンニバルの両輪として働き、装甲軍団の堅牢性をより一層厚くさせていた。

 

 この装甲軍団を突破し、精強な竜騎士団を殲滅し、峻険なトラキアの地を征服せしめる強力な軍事力を用意するのは、マンスター諸国が一丸となっても難しく。例えグランベル帝国であっても、全力でかからねばトラキアを制覇する事はかなわなかった。

 セリス率いる解放軍ですら、ハンニバルの装甲軍団と正面から戦う事は避けていたという事実が、名将ハンニバルの武名をより高める事となる。

 こと守勢に回れば、ハンニバルの将才はオイフェやアウグストですら有効な作戦を立案する事は不可能であったのだ。

 

「いや、トラキアの事ではない……リーンと、コープルの出生についてだ」

「リーンとコープルの……」

 

 そう言った後瞑目するレヴィンに、オイフェは既に当たりをつけていたリーンとコープルの素性について思いを巡らせる。

 リーンもコープルも、親であろう彼らによく似ていた。

 その踊りの才能、その聖杖の才質。

 親の才能をよく継いでいるのは、想像に難くなかった。

 とはいえ、あくまでも憶測でしか無いため、オイフェはこの事を内心に留めるばかりであった。

 あの二人──クロードとシルヴィアの、()()()関係性についても、思い当たる節があり、それがオイフェの口を閉ざす要因でもあったのだ。

 

「コープルの出自をご存知なので?」

 

 コープルの育て親であるハンニバルは、その眼を大きく開き、風の賢者の姿を見つめる。

 外交使節の随行員としてダーナを訪れた際、修道院の前に置き去りにされていた赤子のコープルを偶々見つけ、そのまま養子として育てたハンニバル。

 なんとも運命めいたものを感じていたハンニバルは、コープルを実の息子同然に可愛がり、大切に育て上げていた。

 それ故に、レヴィンが語るであろうコープルの出自は、ハンニバルにとって非常に重要な事柄といえた。

 

「……まず、この話を聞く前に、一つ誓って欲しい事がある」

 

 黙してレヴィンの言葉を待つ二人。

 レヴィンは目を開くと、そのまま厳しい声色で言葉を続けた。

 

「決して、この話を漏らすな。生涯胸に秘め、墓まで持って行け。それが出来ぬというのなら、この話は無かった事にする」

 

 強い口調でそう言い放つレヴィン。

 オイフェとハンニバルはその気圧に僅かに慄く。

 だが、力強く言葉を返した。

 

「誓って、他言しません」

「承った。どのような内容であれ、我輩の胸に秘めておく事を誓おう」

 

 両者の誓いの言葉を受けても、レヴィンはまだ迷っている節があった。

 だが、それでも意を決すると、コープルとリーンの出自について、滔々と語り始めた。

 

「まず、あの二人が姉弟だというのは、もう知っているな」

 

 旅の踊り子、リーン。そして、名将の養子であるコープル。

 この二人が実の姉弟だと判明したのは、ペルルーク城の攻城戦の最中であった。

 ペルルーク城を守る帝国軍──その中に潜んでいた暗黒司祭。

 攻城戦の終局、城内へ突出したセリスに次ぐ解放軍の英雄──リーフが、この暗黒司祭の攻撃を受けてしまう。

 即座に後方へ移送されるも、既にリーフの命は尽きかけ、どのような回復聖杖を用いてもリーフが覚醒する事はなく。

 半ば狂乱めいた様相で聖杖を振り、自身の命すら投げ捨てようとするナンナを、親であるフィンが押し止める痛ましい姿。

 

 しかし、リーフの危機を、一組の男女が救う。

 リーンとコープル。

 コープルが孤児だった頃から、肌身離さず持ち歩いていた一振りの聖杖。

 それを振るうと、リーフの身体は徐々に生気が宿り始める。

 途中でコープルの魔力が尽きかけたが、それをリーンが支えると、聖杖はその輝きを強め、リーフのエーギル(生命力)は完全に元通りとなる。

 コープルとリーンの額には、ブラギの聖痕が浮かんでいた。

 思いがけない姉弟の再会。

 リーフの快復と共に、リーンとコープルの再会は、解放軍の皆が祝福を持って受け入れていた。

 

 だが、レヴィン……そしてオイフェだけが、複雑な表情を持ってそれを受け入れていた。

 

「そうですな。リーンとコープルが姉弟だったのは驚きましたが、やはりあの二人はクロード神父の子供達で?」

「そうだ。そして、母親はシルヴィア……ハンニバル将軍は知らぬだろうが、シルヴィアはかつてシグルドの元で戦った勇者の一人だ」

 

 ハンニバルの言葉に、レヴィンは重たい口調で応える。

 それを聞き、オイフェは密かに眉間に皺を寄せた。

 そして、レヴィンは語る。

 クロードとシルヴィアの、本当の関係を。

 

「クロードとシルヴィアは……実の兄妹だ」

「なっ、なんと……!?」

「……」

 

 この世界では不道徳極まりない事実に、流石に動揺を隠せないハンニバル。

 対して、オイフェはやはり、といった体でため息をひとつ吐いた。

 

 それから語られる、クロードとシルヴィアの真実。

 エッダ公爵家の長女、クロードの妹であるシルヴィアは、赤子の時分、両親と共にとある盗賊団の襲撃を受けてしまう。

 クロードの両親が、妹の洗礼──そして、命名の儀式を行う為に、領内の教会へ向かった矢先に起こったこの悲劇。

 エッダ城に残されたクロードのみが逃れる事ができたこの事件は、当時のエッダ公国、ひいてはグランベル王国にとって重大な事件として取り扱われる事となる。

 

 治安の良いエッダ領で起こった襲撃事件は、様々な陰謀が囁かれる事となったが、結局襲撃犯である盗賊団が残らず討伐された事で一応の収束を見せる。

 だが、クロードの両親は死亡し、妹の消息は不明となったこの事件。

 幼くしてエッダを継ぐこととなったクロードは、周囲の支えもあり立派な聖職者として成長する事となるが、生き別れた妹の存在は、クロードの心の奥底に燻る重しとなっていた。

 

 しかし当のクロードの妹は、紆余曲折を経て盗賊団から旅芸人の一座に拾われる事となる。

 シルヴィアと名付けられた赤子は美しく成長し、衆目を癒やす踊り子としての身分を得た。

 そして、シグルドの元で、兄妹はお互いの素性を知らぬまま再会。

 

 そのまま、禁断の恋に堕ちてしまうのだった。

 

 もしかしたら、クロードはどこかでシルヴィアが妹だと気付いていたのかもしれない。

 しかし、気付いた時には、既に二人の子供達が生まれてしまっていたのだろう。

 その時のクロードの懊悩を想い、オイフェは増々表情を暗くさせていた。

 

「オイフェは気付いていたようだな」

 

 そのようなオイフェを見て、レヴィンもまたやはりといった様子を見せる。

 オイフェはレヴィンに勝るとも劣らない重たい空気を発していた。

 

「……十六年前は、流石に気付けませんでした。ただ、あの二人……リーンとコープルの聖痕が、他の聖戦士の血を継ぐ者達に比べ濃すぎるように見えました。それこそセリス様や、シャナン、アレスよりも」

「敏い者は気付くだろうな。それで」

「リーンとコープルがクロード様とシルヴィア様の子供、ブラギの血を引く事は公表して良いと思います。しかし、クロード様とシルヴィア様の関係は伏せたほうが宜しいかと。肯定も否定もせず、有耶無耶にしたまま闇に葬り去るべきと愚考します」

「我輩も同感です。これは、流石に……」

 

 聖戦士の血を引く者が新たに解放軍に加わる。

 その事は、全軍の士気を大いに上げる事になるだろう。

 しかし、その二人が、不義の関係から生まれたと知れたら。

 

 既に皇帝アルヴィスと、皇妃ディアドラの不義の事実を知ってしまった解放軍の若者たち。

 特にリーンと恋人関係にまでなったアレスや、密かに想いを寄せ合うアルテナがそれを知ったら。

 そして、その二人の周囲はどう思うか。

 ハンニバルですら顔を顰めるその禁じられた関係は、エッダの将来を継ぐ事となったコープルにとって汚点ともいえるスキャンダルだ。

 スルーフなど、敬虔なエッダ教徒は、恐らくコープルを教主として仰ぐのをよしとしないだろう。

 それほど、聖戦士の血を継ぐ者同士の近親婚は、この世界では禁忌中の禁忌であったのだ。

 

「二人の考えはわかった。ならば、この話は我々だけで収めよう」

「はい」

「承った……しかし、良くぞお話くだされたな。レヴィン様」

 

 頷くオイフェ、そしてレヴィンを慮るように言葉をかけるハンニバル。

 ハンニバルの気遣いを受け、ようやくレヴィンの表情に憑き物が落ちた。

 

「すまない。この話は本当は誰にも話すつもりはなかった。だが、オイフェが気付いたように……他にも気付く者が現れるかもしれない。いらぬ邪推をされては、リーンとコープルが哀れだ……」

「……」

 

 レヴィン一人では抱えきれぬ禁断の恋。

 そして、それを上手に隠し通し、セリス達やリーフ達に対し巧みな情報統制を敷く事は、オイフェとハンニバルでしか出来ない。

 アウグスト辺りは、もしかしたら気付くかもしれないが、エッダの安定を鑑み決して口外せぬだろう。

 とはいえ、あの鬼謀はこのような繊細な情報統制は不得手であり、本人が気付かぬ所で漏洩してしまう恐れがあった。

 故に、ハンニバルがトラキア勢の情報を統制する必要があったのだ。

 

「頼むぞ、オイフェ、ハンニバル」

「はい」

「はっ」

 

 こうして、重鎮達により、ブラギの血を引く者の禁忌は闇に葬られることとなる。

 オイフェ、そしてハンニバルは、生涯クロードとシルヴィアの関係を口にすることはなく。

 

 ユグドラル大陸の歴史において、禁断の関係を持ってしまったのは、赤き皇帝アルヴィスと、精霊の森の乙女であるディアドラのみとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




※クロードとシルヴィアは加賀氏曰く「結ばれたら遠い親戚、結ばれなかったら兄妹」とのことですが、拙者インモラル大好きの助でござるので結ばれた上で兄妹設定を貫き通す所存(性癖とんがり侍)


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第30話『告白オイフェ』

 

 エッダ城中庭。

 夜の帳が下り、人気のなくなったエッダ城中庭に、二人の少年の姿があった。

 

「オイフェ、とりあえずこの辺りには誰もいないみたいだよ」

「わかりました、デュー殿」

 

 周囲に誰もいない事を確認したデュー。

 如才ない盗賊少年のおかげで、誰に知られる事なく秘密の共有を行える準備が整う。

 オイフェはふうと深い息を吐くと、真っ直ぐにデューの瞳へ視線を向けた。

 

「デュー殿」

 

 これから話す内容は、絶対に他言無用。

 デューだからこそ打ち明ける、秘中の秘。

 信頼おける者だけに行う、一世一代の大告白。

 オイフェの真摯な眼差しを受け、デューは神妙な表情を浮かべ少年軍師の次の言葉を待った。

 

「これから話す内容は、デュー殿にとってとても信じられない事かと思います。それでも、最後まで聞いてくれますか」

「うん」

 

 短く言葉を返すデュー。そっけないとも思えるが、もはや少年達に長い会話は不要。

 オイフェとデューの間には確かな絆がある。詭弁を多用する少年軍師であるが、目の前の盗賊少年だけには嘘はつかないからだ。

 だが、それでもオイフェは不安を拭いきれない。

 これから先の未来の情報を、デューがどのように受け止めるか分からないから。

 

 僅かに躊躇するオイフェだったが、やがて意を決し、デューの瞳を覗きながらゆっくりと語り始めた。

 

「私は──」

 

 オイフェは語る。

 己の前世、そして悲劇の歴史を。

 

「私は数十年先までの未来を知っています」

「え──?」

 

 デューは短い驚きの声を上げる。

 それに構わず、オイフェは滔々とこれから起こる何もかもを、静かに語り始めた。

 

 

 

「──これが、これから起こるユグドラル大陸の──我々に起こる、全てです」

 

 持ち込んだ燭台の蝋燭が短くなり、辺りは少しばかり白み始めている。

 数刻程の時をかけて語られたオイフェの話を、デューはずっと黙って聞いていた。

 

「うーん……」

 

 聞き終えたデューは腕組をし、唸るような声をひとつ上げる。

 オイフェが唐突に語り始めた前世の記憶。

 人が人生をやり直す、逆行という現象は、夢見がちな盗賊少年にとってもにわかに信じられぬ事であり。

 だが、デューはオイフェが嘘を言っているとは到底思えなかったし、思いたくもなかった。

 

「ちょっとまっててね」

「……はい」

 

 デューはもみもみと自身のこめかみを揉む。

 深夜に長時間、それも驚愕の内容ともいえるオイフェの話を聞き続け、少しばかり疲れた表情を見せる。

 バイタリティ溢れるデューですら、腹落ちするにはしばらくの時間が必要だった。

 オイフェはデューにうなずき、静かに瞑目する。

 デューがこの話を受け、どのような反応を見せるのか。

 それは、少年軍師にも予想がつかないものであった。

 

 もしかしたら、己が発狂したと断じられ、デューに見限られてしまうかも。

 そのような恐れが、オイフェの内に沸き起こる。

 もし、もしここでデューが離脱してしまったら。

 オイフェが目指す、()()()()()()()()()()は、決して迎えられないだろう。

 

(でも──)

 

 話さずにはいられなかったのだ。

 嘘はつかねど、真実を伝えていないこの現状。唯一無二の頼れる味方に対し、それは決してしてはならない、“誠”から外れた不誠実な所業だった。

 愛する主君──誰よりも大切なシグルドより先に、デューに真実を伝えた事も、オイフェにとって懊悩すべき事実。だが、これは必要な事。

 真実を共有する()()がいなくては、この先の難事は到底成し遂げられないのだ。

 

 デューがオイフェの話を咀嚼しきるまで幾ばくかの時間が流れた。

 オイフェが語ったのは闇の皇子ユリウスが討伐され、世界に平和が訪れた所まで。細かい所──個々人の細かい顛末──は省いていたが、それでも膨大な情報量であった。

 だが、元々地頭は決して悪くはないデュー。それなりに時間がかかったとはいえ、自己の中で情報を整理する事が出来た。

 

「二つだけ聞きたい事があるんだけど、いいかな?」

 

 ふと、デューはやや軽い調子でオイフェへ言葉をかける。

 オイフェは不安げな表情を隠す事は出来ず、思わずデューへ問い返した。

 

「私の話を信じてくれるのですか?」

 

 ここまで話しておいてこの弱気さは何だと、オイフェは心の中で自嘲する。

 そのようなオイフェの不安を感じたのか、デューはにっこりと笑顔をひとつ浮かべた。

 

「信じるよ」

 

 短い言葉。

 だけど、“誠”がこもった言葉。

 それを聞き、オイフェの眼尻は僅かに濡れる。

 安堵と、喜びの感情が、少年軍師の心に溢れた。

 

「ありがとう、ございます」

「いいって。実際マジか!? って話だけどさ、オイフェがディアドラさんの名前を知ってたのも、今の話で納得したし。それに──」

 

 そう言ってから、デューは真っ直ぐにオイフェを見つめた。

 

「おいらオイフェのこと好きだし、信じるよ」

「え?」

 

 唐突に告られたオイフェ。

 泣き面をやや赤く染める。

 

「あ、好きってそういう意味じゃないよ? そういうのはレックスの専売特許だし」

「は、はあ」

「オイフェってほんとおませさんだなあって思ったけど、中身おじいちゃんなら色々納得だね」

「否定はしませんけど……おじいちゃん……」

 

 ひらひらと手を振りながら、LOVEではなくLikeの意を伝えるデュー。

 あけすけな物言いに呆気にとられるオイフェ。重たい空気は少しばかり明るい空気に変わっていた。

 

(ありがたい──)

 

 思うに、これはデューなりの気遣いなのだろう。

 己の言葉を信じてくれた上に、不安を和らげるためにあえて調子の良い言葉をくれる。

 盗賊少年の優しい心遣いに、オイフェはただ感謝を捧げるのみだ。

 

「で、聞いてもいいかな?」

「はい。どうぞ」

 

 やや横道にそれたが、デューは表情を引き締めるとオイフェへ再度問いかける。

 真剣な表情のデューに、オイフェもまた真摯な表情でデューを見つめていた。

 

「おいらって、死んじゃうんだよね。ペルルークで」

「……はい」

「そっか……じゃあ」

 

 デューの行く末。

 天寿を全うすることなく、無惨な最期を迎えたデューの未来。

 それを確認したデューは、増々沈鬱げに表情を固くする。

 

「じゃあ……おいらは……」

「デュー殿……」

 

 人はいずれ死ぬ。とはいえ、死に方というのがある。

 子世代を密かに支援していたデューの、人生の幸福とは程遠い結末。

 それにショックを受けたのかと、オイフェは気遣うようにデューの肩に手を置いた。

 

「おいらは……!」

 

 デューはオイフェの手に、自身の手を重ねる。

 そして、心配そうに見つめるオイフェの目へ視線を返した。

 デューの泣きそうな表情に、オイフェの眼尻は再び水気を帯びていた。

 

 

「おいらはずっと童貞だったの!?」

「は?」

 

 

 いきなりのデューの悲痛な叫び。

 オイフェは素で真顔になる。

 

「だってオイフェの話だとおいらの子供の話が一切無かったじゃん! つまりおいらはこれからずっと独身でお嫁さんどころか彼女もいない生涯童貞(チェリーボーイ)って事じゃん!」

「いや、その」

「そんなの残酷すぎる! 死ぬより辛いよ!!」

「そんなに」

 

 前世では独り身を貫いたオイフェ。

 それは主に亡き主君の遺児、セリスを支えるという使命感によるものであり、伴侶を得ない苦しみというのは終ぞ経験しておらず。

 故に、デューの悲痛な叫びは、オイフェにとって少々理解がし難いものであった。

 

 とはいえ、前世のデューにまったく女っ気が無かったというわけではなく。

 オイフェは記憶の中にあるデューの色男っぷりを必死で思い出し、気遣うように口を開いた。

 

「あ、でもデュー殿はすごくモテてましたよ」

「マジで!? サジで!?」

「え、ええ……サジ?」

「具体的に!? どんな子にモテてたの!?」

 

「ええっと……」と、食い気味なデューに圧されつつ、オイフェは前世のデューの周りにいる女性の姿を思い起こす。

 前世、厳寒の地、シレジア王国はセイレーンでのひととき。

 シグルドやオイフェにとって雌伏の時であり、一部の者にとっては辛い時間ではあったが、それ以外の者たちにとってセイレーンでの生活は比較的穏やかな時でもあった。

 そこで、デューの周りには複数の女性の姿があった。

 

「シレジアの天馬騎士団の方々で……」

「天馬騎士団?」

「はい。フュリーさんの部下の方々と良く遊んでいたのを覚えてますよ」

 

 シレジアの天馬騎士の乙女、フュリー。

 齢十八歳にして実姉と共にシレジア四天馬騎士にまで叙される程の女武者。

 しかし、心根は非常に穏やか……いや、若干の人見知りをするような、大人しい、もっといえば引っ込み思案な性格の乙女だった。

 

 そのフュリーであるが、紆余曲折を経てシグルドの元で戦う事となり、フュリーの配下である天馬騎士達もまたフュリーと共に轡を並べる事となる。

 当然、ペガサスは女性しか背に乗せないという種族特性がある為、フュリー隊の構成は全員女性であった。

 

「そっかあ。おいらにもちゃんと春が来てたんだねえ……えへへ」

「え、ええ……」

 

 にやけ顔を隠そうともせず、デューは己が寂しい独り者であったのを回避せしめていた“事実”にひとり喜ぶ。

 とはいえ、“実態”を知るオイフェは少々引きつった笑みを浮かべるしかなく。

 

 音に聞こえし天空の戦乙女達であるシレジア天馬騎士団。一方で、彼女らは未婚率が非常に高い騎士団としても有名であった。

 騎士を引退し、家庭に入る者も多少はいたが、現役の騎士で伴侶を得る者は皆無といっても過言ではなく。

 もちろん、天馬騎士団では厳しい訓練の日々が続く為、とてもではないが男漁りをする暇はない。しかし、意外な事に騎士団の規則では、特に色恋沙汰の禁止というのは制定されておらず。

 かといって男に興味が無い者ばかりというわけでもなく。

 

 要するに出会いが無かったのだ。彼女達には。

 共に王国を守る風魔道士達は、もっぱら市井のうら若き乙女達に人気であり、彼らの選択肢に天馬騎士団の乙女達は存在せず。

 唯一と言っていい身近な男衆からも見放されては、彼女らの満たされぬ欲望は募る一方。

 だが、このような鬱屈とした思いを訓練にぶつけていたがゆえに、シレジアの天馬騎士団は非常に高い練度を保っていたといえよう。

 

 そして、鬱屈し過ぎたがゆえに、一部の者達の性癖が歪んだそれへと変わっていく。

 フュリー隊を構成する天馬乙女達。

 

 恵体な乙女達は、皆金髪好きだった。

 そして、ショタコンだった。

 

 人懐っこいデューが、少しばかりの下心と共に、乙女達と微笑ましい交友を重ねる内。

 健全な友好の日々(おねショタ)爛れた肉欲の日々(おねショタ)へと変わり果つるのは、太陽が宵闇に飲まれるが如き自然の摂理といえよう。

 

「えへへ。ペガサスナイトのおねーさん達のハーレムかあ……うふふ」

「あはは……」

 

 嬉しそうなデューを見て、オイフェはそれ以上言葉を紡ぐ事が出来なかった。

 セイレーンでの、デューが過ごした過酷な日々。

 壮絶な飢えと渇きを覚えた雌狼共に貪られた、哀れな子羊の如き悲惨。

 

 あくる日の事。

 盗賊少年の無邪気な魅力に抗えきれず、辛抱堪らなくなった天馬乙女達(肉食獣の群れ)がデューを集団レイプ(おねショタ)した。

 まごうことなき強姦事件(おねショタ)ではあったが、とはいえデューと乙女達の間には親愛の感情(おねショタ)が育まれていた事は確か。

 多少の乱暴(おねショタ)は認められたものの、この件は健全な男女の恋愛(おねショタ)として天馬騎士団で処理される事となる。

 やや乱れた衣服を直しつつ頬を赤く染めながらバツが悪そうにしている天馬乙女達の傍らで、ヨレヨレとなった衣服を纒い全身を内出血(キスマーク)で赤く染めながら放心しているデューを、見て見ぬふりをする情けが天馬騎士団団長マーニャにも存在した。

 

「いや~まいっちゃうなあ。前? のおいらって、けっこうなプレイボーイだったんだねぇ」

「そうですね……」

 

 実際には行き遅れのアラサー女騎士共に貪り喰われた哀れな生贄である。

 そして、凌辱(おねショタ)されて以降、毎朝頬を痩けさせ、うつろな瞳を浮かべてセイレーン城に登城するデューのやつれ果てた姿が見られるようになる。

 太陽のような明るさを持つデューであったが、『太陽が黄色いや……』と、その明るさは見る影もなく。

 相反して、フュリー隊は毎日が意気軒昂、勇気凛々、お肌ツヤツヤであり。定期的に行われたシグルド軍の演習でも、彼女達の奮戦ぶりは凄まじいものであり、隊長であるフュリーですら若干引く程であった。

 

 シグルド軍の男衆は、毎晩女性を侍らせるデューへ羨望と嫉妬の眼差しを向け、毎朝無惨な姿で帰還するデューへ憐憫と同情の眼差しを向けていた。

 シグルド軍きっての色男、アレクをして曰く

 

『あいつはペガサスナイトのお姉さん方に精気を吸われ過ぎたから見た目が変わらなかったんだよな。ペガサスナイトじゃなくてサキュバスナイトかな? 夜だけに』

 

 と、外見の変化が著しいはずの少年の成長が阻害されていた事実を指摘していた。

 これは、オイフェもさもありなんと、納得するしかなかった。

 リューベックで別れる時分には、オイフェの身長はデューより数センチ高くなっており、裏を返せばデューは身体的な成長は全くしていなかったといえた。

 もちろん、その後にティルノナグで再会した時には、デューは年相応の成長を遂げてはいたのだが。

 

 そして、この壮絶な日々を糧に、デューは相手の生命力を吸収せしめる独自の秘剣“太陽剣”を開眼するに至るのだが、これはまごうこと無き余談である。

 

「……」

 

 ニコニコ顔のデュー。

 それを見ている内に、オイフェの心に少しばかりの影が差す。

 事故まがいの繋がりとはいえ、結局はフュリー隊と心と心を通わせていたデュー。

 しかし、デューの非業の最期と同様に、彼女たちもまた幸福とは程遠い結末を迎えていた。

 

 バーハラの悲劇の際。

 ロプトの大司祭、マンフロイと壮絶な一騎打ちを演じ、武運拙く瀕死の重傷を負ったシレジア王子レヴィンと、その伴侶となったフュリーを逃がす為。

 囮となったフュリー隊の半数が、バーハラで命を散らす事となる。

 そして、その後に行われた、グランベル帝国によるシレジア王国侵攻。

 バーハラを生き延びたフュリー隊の騎士達は、そこで全ての者がその儚い命を散らしていった。

 

 レヴィンやフュリー、僅かに生き残ったシレジア王国の者たちが、落ち延びた先であるトーヴェ城の郊外に建てた戦没者達の合祀墓。

 そこに、悲しみに塗れた表情で、花を手向ける金髪の青年の姿が見受けられていたという。

 

 フュリー隊の中には、妊娠した者もいた。

 だが、子を産む事は、出来なかった。

 

 

「おいら安心したよ。んじゃ、次の質問なんだけどさ」

 

 そう言ったデュー。

 気落ちしていたオイフェは、その気安い雰囲気により、柔らかい微笑を浮かべる。

 

「はい、どうぞ」

 

 笑顔で応えるオイフェへ、デューは真っ直ぐな視線を向けた。

 

 

「オイフェはシグルド総督とディアドラさんを救いたいの? それともアルヴィス卿へ復讐がしたいの?」

 

 

 瞬間、場の空気は張り詰めたものに変わる。

 じっとオイフェの瞳を覗く、盗賊少年デュー。その表情は、何もない所をじっと見つめる猫のような無表情。

 オイフェは変わらず穏やかな微笑みを浮かべる。だが、その目だけは。

 怜悧な光を宿し、デューの表情を見つめていた。

 

「なぜ、そう思うのですか?」

 

 抑揚の無い、平坦な声でそう問い返すオイフェ。

 デューはオイフェの底しれぬ憎悪を感じているのか、それとも努めて無視しているのか。いつもと変わらず、呑気な空気を纏わせていた。

 

「なんとなく」

 

 そう言って、デューはオイフェの憎悪の根幹へ無遠慮に手を伸ばした。

 

「たださ。オイフェはアルヴィス卿を殺したいのかなって」

 

 その言葉を聞いた瞬間、オイフェは奥歯を軋ませる。

 絞り出すように、デューへ言葉を返した。

 

「……アルヴィスは、マイラの血を汲んでいます。奴が生き延びている限り、ロプトウス復活の可能性は──」

「でもさ、それだとディアドラさんも殺さなきゃならないじゃん」

 

 無邪気に、しかし容赦なく核心をつくデュー。

 暗黒神ロプトウスの血族──聖者マイラの血筋は、大団円に終わった前世ですら、未だに脈を打っている。

 セリスとユリアが生き延びている限り、暗黒神復活の芽は絶たれていないのだ。

 

「ディアドラ様はッ!」

「オイフェ!」

 

 声を荒げるオイフェを遮るように、デューは鋭い声を上げる。

 僅かに逡巡したオイフェへ、諭すように言葉を続けた。

 

「しっかりしてよ」

「ッ!」

 

 多感で、それでいて無垢なデュー。

 ゆえに、オイフェが内包する歪な矛盾に気付いたのだろう。

 そして、その矛盾を抱え続けている限り、オイフェが目指す幸せな結末を迎える事は、難しいだろうと。

 そう、言外に伝えていた。

 

「……」

 

 オイフェ自身も、どこかでこの事は気付いていた。

 果たして、今のアルヴィスを殺す必要は、本当にあるのかと。

 いかなロプト、聖者マイラの血を引くとはいえ。

 ファラの系譜を継ぐ聖戦士を、己の私怨の為に、殺していいのかと。

 想定したアウグストの言の通り、マイラの血を不問にする代わりに、ロプト打倒の同志へ引き入れる方が良いのだろうかと。

 

 以前計画した全てを救うための方策。

 しかし、同時に、オイフェは己の怨恨を晴らすべく、憎悪の限りにそれを策定していた。

 果たして、己とマンフロイは、何が違うのかと。

 恨みを持って謀略を練る己は、あのマンフロイと同じなのではと。

 

「私は……」

 

 懊悩するオイフェ。

 救いたいシグルド。幸せになってほしいディアドラ。人生を全うして欲しい勇者達。

 そして、殺したい、アルヴィス。

 決して許せぬ、赤き宿敵。

 

「……両方、です」

 

 今世でディアドラと邂逅した時と、同じ言葉を述べるオイフェ。

 しかし、その言葉は、重くて暗い。

 粘ついた怨恨、大切な情愛。

 その狭間に揺れる少年軍師は、そのどちらも成し遂げる覚悟を、デューへ吐き出していた。

 

「そっか」

 

 オイフェの悲痛な覚悟を受けたデュー。

 少しばかり瞑目すると、さばさばとした調子で言葉を返した。

 

「わかった。じゃあ、両方やろう」

「え──」

 

 ひどく簡潔にオイフェへ共闘を誓うデュー。

 オイフェは驚きと共にデューを見た。

 

「おいらがどこまでやれるか分からないけど、おいらはオイフェに従うよ。だって──」

 

 オイフェはデューの意図をつかめなかった。

 だが、デューの気持ちだけは、終始一貫していた。

 

「おいら、オイフェが好きだし」

 

 はにかんだ笑みを浮かべるデュー。

 オイフェは、申し訳無さと、頼もしさで、眼尻を再び湿らせていた。

 

「ありがとう、ございます……」

「いいってことよー。それより早くロプトとアルヴィスを倒して、おいらのお嫁さんを見つけたいしね! あ、今回の場合はおいらがシレジアに行かなきゃだめなのかな? そのへんの予定くわしく!」

「……ふ、ふふふ」

 

「何笑ってんのさ!」と、デューはぐりぐりとオイフェの頭へ腕を絡ませる。

 その痛みは、今のオイフェには不思議と心地良い痛みとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第31話『非難オイフェ』

 

「オイフェ様、どうぞこちらへ」

 

 丁寧な所作でオイフェを案内するスルーフ。

 スルーフの案内を受け、オイフェはエッダ城の主が控える間へと静かに入っていった。

 

 城主の間にしてはいささか質素すぎる造り。

 簡素な調度品に囲まれ、部屋の中央でオイフェを出迎える、一人の宗教家。

 オイフェはその男を見留めると、慇懃に挨拶を述べた。

 

「お初にお目にかかります。ヴェルダン属州総督補佐官のオイフェと申します。……クロード神父」

 

 ぺこりと、その柔らかい頭髪を揺らしながら挨拶を述べるオイフェ。

 少年とも少女とも思える美童の声は、聞く者全てがある種の父母性を刺激せしめる音色。

 

「……」

 

 だが、それを受けたエッダ教の教主──クロード・ギュルヴィ・エッダは、眉間に少しばかり皺を寄せ、難しい表情を浮かべるばかりであった。

 

「では、私は失礼します」

 

 普段は柔和な表情で来客を迎えるはずのクロードが、難しい表情で押し黙っているのを不審に思うも、案内役のスルーフはそれ以上訝し事はせず粛々と退出する。

 如才ないスルーフ故に、これから行われるであろうセンシティブな会談内容にクロードがやや悩んでいるのだろうと推測し、それ以上の追求はせずにいた。

 

(さて……)

 

 スルーフが退出し、部屋はオイフェとクロードの二人きりの密室となる。

 オイフェはつとクロードの表情を伺いつつ、今後の話し合いの流れを思惟する。

 

(やはりクロード神父には全てを話す事はできないな……先にデュー殿と話してよかった……)

 

 ここでオイフェが思案するのは、当初の予定を変更し、クロードには全てを打ち明けず、部分的な情報を開示するに留める事であった。

 これは事前にデューと相談した結果であり。

 持ち前の直感から、デューは敬虔な聖職者であるクロードに何もかもを伝えるのは時期尚早では? と懸念していた。

 少年特有の“秘密の共有”という独占欲めいた感情ではない。

 むしろ、デューはエバンスへ帰還次第、シグルドら主だった者達へさっさと秘密を打ち明けろと主張している。

 どうにも、現時点でのクロードに前世情報を開示するのは、言葉に出来ない漠然とした不安を感じさせていた。

 

 しばらく検討していたオイフェだったが、結局は現時点でクロードに前世情報を伝えるのは見送ることにした。

 とはいえ、必要な情報を共有することは変わりは無い。

 特に、暗黒教団の脅威は、クロード──エッダにとっても、()()()で無視できぬからだ。

 そして、現在進行系で暗黒教団の脅威に晒されているのは、オイフェ達──シグルドやディアドラも同様。

 

 万の大軍ならば、鍛え上げた新生シグルド軍、そして己の智謀を十全に振るい、いかようにも粉砕せしめよう。

 しかし、暗黒教団の尖兵は只人に紛れ、にわかに牙を剥く闇の異形。

 武勇に優れた者であっても、その初襲を未然に防ぐ事は難しい。

 特攻精神に溢れたテロリストの初襲を、被害無しで防ぐ事、困難極まりなし。

 そして、こちらに出来るのはただひとつ。

 闇害が起こり得た後の、徹底的な報復のみである。

 

 もし、シグルドやディアドラの身に闇の魔手が伸びたならば──。

 一体何のために己は逆行したのかと、オイフェは死んでも死にきれぬほどの後悔に苛まれる事となるであろう。

 その恨み、想像を絶する。

 それこそ、()()()()()()()()()()()()()()()程には──

 

(……)

 

 暗鬱な感情に支配されかけたオイフェは、僅かに頭を振る。

 そのような悲劇は、もう繰り返してはならない。

 だからこそ、暗黒教団……その謀略の要であるアルヴィスを滅する為に、()()()()()()()()()()()をやってもらわねば。

 そして、いかにクロードがオイフェを疑うことなく、オイフェにとって最適な行動を行うか。

 それは、この会談の内容にかかっていた。

 

 思案を巡らせるオイフェであったが、スルーフの気配が遠ざかるのを確認したクロードがその重たい口を開いた事で思考を中断した。

 

「……書簡の内容は、本当なのでしょうか」

 

 挨拶を返さず、いきなりのこの問いかけは、クロードを知るエッダ教団の者が聞けば正気を疑うほどの無作法。

 しかし、オイフェは端然と言葉を返した。

 

「事実です」

 

 真っ直ぐにクロードを見つめる少年軍師。

 少しばかりその視線に圧されたのか、クロードは額に一筋の汗を垂らしていた。

 

 もし、この場にスルーフが残っていたとして、この問答を聞いていれば、事前にオイフェが伝えた密書の内容と相違があるのに気付くことが出来たであろう。

 オイフェがスルーフに伝えた内容は、シグルドの痴態に関する相談であり。

 しかし、実際に書かれていた内容は、全く異なる内容であった。

 

「……私には信じられません。このエッダに、()()()()()がいるなんて」

 

 オイフェが記載した密書の内容。

 それは、エッダ教団内部に隠れロプト信者──暗黒教団の尖兵が潜んでいる事を指摘した内容だった。

 当然、クロードはスルーフから渡された密書をひと目見るや、たちの悪い冗談だと信じる事が出来ず。

 しかし、公的な立場のあるオイフェがそのような戯れをエッダの教主へ行うか。

 否である。

 

 そして、何よりその隠れ信者の名前を具体的に指摘せしめていたのも、クロードがオイフェとの密談に臨む切っ掛けとなっていた。

 

「ロダン司祭が、隠れロプト信者だなんて……」

 

 青い顔でそう呟くクロード。

 ロダン司祭……エッダ教の司祭の中で、クロードに次ぐ階位の持ち主。

 先代エッダ教主と共に教役を重ね、エッダ教団の中でも人望が厚いロダン司祭。年若いクロードも、かの司祭の手厚い補佐を受け、今日までの教役を行っていた。

 エッダ公国の内政、外交すら、クロードの補佐……いくつかは実権を握る立場であるが、クロードを始めエッダ中の司祭達、そして周辺国やグランベル王宮からの支持は厚い故、問題なくその地位を維持している。

 エッダの中で、唯一“偽善面がいけ好かない”と毛嫌いしていたのは、大偏屈者であるアウグストのみであった。

 

「証拠はこちらに」

 

 戸惑うクロードに構わず、オイフェは一冊の教典を取り出した。

 

「これは……!」

 

 オイフェが取り出した教典を見て、クロードの表情が強張る。

 禍々しいオーラを僅かに発する、邪教の聖典。

 漆黒の装丁に記される“Loptr”という文字を見たクロードは、僅かに震える手で表紙をめくった。

 

「……ッ!?」

 

 表紙をめくると、暗黒神へ永遠の忠誠を誓う言葉と共に、ロダン司祭の名が記されていた。

 

「確かに……これはロダン司祭の筆跡です。ですが、これは、あまりにも……」

 

 驚愕、恐怖、懐疑がないまぜとなった表情でオイフェを見やるクロード。

 ロプト教典の装丁はくたびれ果てており、ロダンの署名もインクがかすれている。

 それらが意味するのは、余程長い年月、ロダンがロプト教徒であるのを隠し続けていた、という事実であった。

 その事実が、じわりとクロードの心胆を寒からしめる。

 そして、このような事実を信じる事はできずにいた。

 

 慄くクロードへ、オイフェは努めて冷静な声色で言葉を返した。

 

「私がこれを偽造したとお疑いでしたら、その目的、そしてその“利”が何であるのか、逆に教えていただきたい」

「い、いえ、決してオイフェ殿を疑っているわけでは……」

 

 毅然とした態度でそう述べるオイフェ。クロードは困惑を隠せず、ただ少年軍師が突きつけた事実に狼狽えるばかりである。

 ちなみに、このロプトの教典は正真正銘、ロダンの所持品である。

 エッダ城内にあるロダンの私室、教典の隠し場所を突き止めるのは、前世でエッダ城を十分に検分したオイフェにとって造作も無い事であり。

 そして、オイフェの意を受け、ロダンの私室に忍び込み、見事教典を掻っ攫うデューの手腕。

 徹夜でオイフェと話し合ったせいで寝不足極まりないコンディションであったが、初めからお目当ての“お宝”の場所が判明し、且つ部屋の主がクロードと共にエッダを留守にしているとなれば、デューにとってその窃盗は赤子の手をひねるようなものである。

 教典をオイフェに渡したデューは、そのまま一睡もせずクロードとの会談に臨むオイフェを気遣いつつ、耐えきれぬとばかりに部屋へ直行。未だ高いびきをかくベオウルフを踏んづけながら自分のベッドにダイブし、自由騎士の呻き声を背に深い眠りについていた。

 

「では、一体……」

 

 僅かに落ち着きを取り戻すクロード。

 そのまま、オイフェへはっきりとした口調で問い詰める。

 

「どうして、ロダン司祭がロプト信者だと存じていたのですか?」

 

 ロダンが隠れロプト信者。それを何故オイフェが知るのか。

 

「……」

 

 しばし沈黙するオイフェ。

 実際、その答えは単純明快。

 ただ()()()()()からだ。

 そして、当初はこのタイミングで前世を打ち明けるつもりであったオイフェ。しかし、予定変更。

 事実を()()()に開示する必要に迫られたオイフェは、そのあどけない唇を引き締めながら、口述の内容を思考していた。

 

 前世でのグランベル解放戦争。

 エッダ城攻防戦の際、暗黒神側でエッダを率いたのは、クロードに代わりエッダ教主へ収まっていたロダン。

 アルヴィス皇帝の治世下では、ロダンはクロード時代を引き継ぐかのように、帝国内での教役を卒なく指導していた。

 

 だが、ロプトウスに覚醒したユリウス皇子の暴虐が始まると、呼応するかのようにロダンも豹変する。

 子供狩りを積極的に推奨し、エッダの教義をロプトの都合の良い様に歪め、逆らう敬虔なエッダ教徒は尽く粛清せしめる。

 当然、後に残るは俗世の欲に取り憑かれ、暗黒神に鞍替えした売教僧共のみであった。

 

 ロダンは、初めからロプト教団の尖兵だったのだ。

 本性を隠し続け、じわりじわりとエッダを侵食する。それは、クロードが教主として──否、クロードの両親が存命していた時分から行われていた。

 そして、それらの証拠は、エッダ城を攻略したセリス軍が、城内を検分した折に発見したロプト教の祭壇から得ている。

 

 ロダンがエッダ城内にて秘密裏に──ユリウスが覚醒してからは堂々と──造設していた、ロプト教の祭壇。

 ロプト教団の総元締めともいえる大司教マンフロイからの隠密指令。その内容を、仔細余す所なく保存していたロダン。

 その几帳面な性格は、彼本来が持つもので、信仰によるものでは無かったのであろう。

 もしくは、暗黒神の時代が必ず来ると確信していたからこそ、指令内容を隠蔽していなかったのか。

 

 最早その真意は不明だが、ロダンがエッダ教徒としてエッダ教団内に潜入し、様々な工作を行っていた証拠は残っている。

 その一つに、クロードの両親が死亡し、クロードの実妹が行方不明になった、あの襲撃事件があった。

 

「クロード神父。貴方のご両親がお亡くなりになり……そして、妹君が行方不明となった事件。覚えているでしょうか?」

 

 オイフェが唐突に言い放ったこの言葉。

 クロードは不意に突かれた己のトラウマに、沈鬱とした表情を浮かべる。

 

「……忘れるはずがありません」

 

 クロードの悲痛な表情。そして、悲哀を滲ませるその声色。

 それを聞くオイフェ、表情は一切変わらず。

 冷淡に、事実の説明を続けるのみである。

 

「その事件を謀ったのは、ロダン司祭です」

「えっ──」

 

 更なる驚愕の事実。

 困惑を深めるクロードに構わず、オイフェは言葉を続ける。

 

「先代エッダ教主夫妻を亡き者にし、己がエッダの実権を握る布石にする──ロダン司祭はそう企んだのでしょう」

「……ッ」

「徹底的な実行犯である盗賊団狩りは、ロダン司祭が下手人ごと事件を闇に葬り去りたいと思ったからでしょう。そして、年若いクロード神父の補佐として、エッダを我が物にしようと──」

「待ってください!」

 

 弁を続けるオイフェに、クロードは声を荒げる。

 次々と突きつけられるオイフェの言葉に、クロードは軽度の錯乱状態に陥っていた。

 

「その襲撃事件、そもそものロダン司祭がやったという証拠は!? それに、襲撃事件がロプトと何の関係があるというのです!? そもそも、貴方は私の質問に答えていない! どうして貴方は、それらを知っているというのですか!?」

 

 矢継ぎ早にオイフェを問い詰めるクロード。肩で息をするその様子は、普段の落ち着いたクロードとはかけ離れた姿。

 相反するように、冷静極まりないオイフェ。

 短く言葉を返す。

 

「暗黒教団」

「だから、それを何故──ッ」

「暗黒教団は、各公爵家、各王家──ユグドラル大陸全土へ、深い根を張っています」

「ッ!?」

 

 オイフェは語る。クロードにとって寝耳に水のそれは、エッダに収まらず、世界規模での陰謀。

 

「先のヴェルダン軍の侵攻、そしてイザーク征伐の切っ掛けとなったリボー族長によるダーナ虐殺……これらは、闇に潜む暗黒教団による陰謀の可能性が高いのです」

「……」

「当然、何年も前から、闇の根はヴェルダンやリボーへ張り巡らされています。我が祖父スサールは、その徴候に気付いておりました」

「スサール卿が……?」

 

 思いがけず放たれた名軍師スサールの名。

 そして、オイフェは()()を交えた弁を立て始める。

 

「祖父は暗黒教団の陰謀を看破するべく、少数の手勢にて秘密裏に調査を進めていました。既に王宮にまでかの勢力の根が張っていたため、祖父も慎重にならざるを得なかったのでしょう。ですが、ご存知の通り祖父は二年前に天寿を全うしております。それ故に、私がその調査を引き継いでおりました」

 

 と語るオイフェであるが、これは詭弁、もっといえば大嘘である。

 スサールは暗黒教団の存在を、その軍師的本能で察知していたかもしれないが、それを表に出さずに他界している。

 どちらにせよ、スサールが暗黒教団の調査など行っていない。

 だが、陰謀の全容は事実なのは確か。

 結果さえ正しければ、過程などどうでもよく。

 要は、オイフェが陰謀の全容を知り得る説得力のある“ストーリー”が必要なのだ。

 

「不覚極まりない話ではありますが、私が暗黒教団の陰謀……その一端を把握できたのは、我が主、シグルドによるヴェルダン征伐が終わってからでした。ヴェルダンにて蠢動せしめるロプトの手先を捕縛したのです。そして、そやつから襲撃事件の真相を知り得、ロダン司祭がロプト教徒と知る事ができたのです」

 

 嘘も方便は続く。実際にヴェルダンにて暗躍していた暗黒司祭、サンディマは未だに捕縛されていない。

 アグストリアに潜伏しているであろうと当たりはつけていたが、オイフェが積極的に捕縛に動いていないため、その消息は不明である。

 だが、サンディマが行っていた事は既知であり、サンディマとロダンがロプトの繋がりを持っているのは想像に難くない。

 

「……それが事実として、何故王宮に知らせないのですか。何故、各国へその事実を伝えないのですか」

「先程も言いましたが、暗黒教団の根は深い。下手に動けば、こちらが闇に葬られかねない。それほど、闇の勢力は大きくなっているのです」

「……」

「故に、ロダン司祭の捕縛は、まだ控えていただきたいのです。教典は、私の手の者が後で気付かれぬよう戻しておきます」

「……それで」

 

 疲れた表情を向けるクロード。

 そのままかすれた声でオイフェへ言葉をかける。

 

「この話を私にして、何をしろと? いえ──」

 

 クロードはロプトの教典を見やる。

 闇の教団の陰謀。その存在、その物的な証拠を見ても、尚。

 

「やはり私には信じられません。これは、何かの間違いではないでしょうか?」

 

 すがるようにオイフェへ視線を戻すクロード。

 冷徹な表情を続けるオイフェ。

 

 そして、オイフェの此度の目的を果たす瞬間が訪れた。

 

「ならば、確かめれば良いではありませんか」

「え──」

「貴方には、()()()()()()()()()()()()があるではありませんか」

 

 やや()()めいた口調のオイフェ。

 徐々に思い起こされる、オイフェの前世におけるクロード。

 悲劇を生き延びたエーディンから聞いた、クロードと、その実妹にして禁じられた伴侶──シルヴィアとの会話。

 図らずとも聞き耳を立ててしまった、クロードがシルヴィアだけに明かした話。

 

「貴方には、真実を知る権利がある。真実を知る手段がある。そして──」

 

 貴方が、真実を知り。

 その後に起こる、悲劇を予知し。

 神託による、全知を得て。

 

 その上で、貴方は()()()

 

 シグルド様を、ディアドラ様を。

 シグルド様の下に集う、勇者達を。

 

 バーハラでの悲劇を予知しておきながら。

 

 貴方は、諦めたのだ。

 

 多くの死を、運命と甘受し。

 いずれ世界を、数多の光が照らすと盲信し。

 

 貴方は、そうやって投げ出したのだ。

 

 何故、諦めたのだ。

 何故、シグルド様に悲劇を伝えなかったのだ。

 何故、運命の扉を閉じたのだ。

 

 予め、悲劇を知っていれば。

 もっと有効な打ち手があったはずだ。

 運命の扉は、開けたはずだ。

 貴方達の世代で、終わらせる事ができたはずだ。

 

 それなのに、貴方は──!

 

 貴方は──ッ!

 

 貴方にはッ!!

 

 

「真実を知る義務があるッ!!」

 

 

 少年の、恨みが籠もりし大喝。

 怨念に塗れた、少年の瞳。

 怨嗟に塗れた、少年の声。

 

「ッッ!!」

 

 慄くクロード。

 高僧が持つ特有の感受性が、少年が持つ恨みの深淵を覗かせる。

 

「オ、オイフェ殿……貴方は……」

 

 全身から冷えた汗を吹き出し、クロードはかろうじて震えた声を上げていた。

 オイフェは、怨恨を燻ぶらせながら、底冷えするような声を返す。

 その瞳は、暗い炎を宿していた。

 

 

「ブラギの塔。貴方は、そこで神託を受ける義務があるのです」

 

 

 少年の冷徹な言葉が、クロードの臓腑へと染み込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第32話『御詫オイフェ』

 

 “聖地へ巡礼する”

 

 エッダの主、クロード神父が城内の主だった者達にそう告げ、巡行帰りの旅装そのままに再び旅立とうとしたのは、オイフェとの密談が終わりしばらくしてからの事。

 アウグストの急な出奔とはわけが違う、エッダ教主の乱心ともいえる突然の行動。

 当然、ロダン司祭を始め、高位司祭達は皆一様にその突飛な行動を咎め、クロードを止めようとする。

 が、温厚篤実なクロードが、珍しく強い口調でそれを止めた。

 

『エッダ公国の公爵、並びにエッダ教教主として命じます。私の留守中、エッダを滞りなく運営するように』

 

 こう言われては、ロダン以下司祭達は押し黙るしかなく。宗教性の強いエッダ公国とはいえ、根は他の公国と同じく、少数のサディストと多数のマゾヒストにより構成される厳格な封建社会であるのは変わらない。

 

 そして、クロードが己を“教主”と自称したのは滅多にない事であり。

 普段は一エッダ教徒としての分を忘れぬよう、彼は己の肩書を“神父”と称し、王侯貴族の前でもそれを貫いている。もちろん、公的にはエッダ公爵であり、エッダ教教主としてアズムール王から叙任されているので、それは公称ではなく通称としての意味合いが殆どではあった。

 

 だが、普段はそのような謙虚で敬虔なクロードが、権威を傘にして配下に命じるという衝撃。

 その只事ではない様子を受けざわめく司祭達を背に、クロードはスルーフを含めた僅かな供回りのみを引き連れ、エッダ教の聖地──“ブラギの塔”へと出立していった。

 

 

 

「何かがおかしい」

 

 半ば虚を衝かれる形でクロードを見送ったロダンは、己の居室へと戻るとそう独りごちる。

 クロードの暴挙ともいえるこの行動。

 先日までの巡行が終わり、この後はエッダ公国の公務をこなし、その後は王宮へと戻る。

 そのような公的スケジュールを完全に無視するなど、普段のクロードでは考えられぬことであり。あまつさえ、そのような振る舞いを行えば、いくらエッダの教主とはいえ王宮からの追求は免れないのも理解しているはずだ。

 

 なのに何故、クロードは慣例を無視した聖地巡礼を断行せしめたのか。

 

「属州の者に何かを吹き込まれたのか……」

 

 考えられる原因はただひとつ。

 クロードが旅立つ前に行っていた、属州総督補佐官──オイフェとの密談だ。

 しかし、その内容を伺う前に、クロードはブラギの塔へ巡礼へ行き。

 

 そして、件のオイフェ一行も、既にエッダから姿を消していた。

 クロードの出立という混乱の最中、まるで逃げるように姿を消したのは、ロダンから見ても不審であり。

 オイフェ一行の一人である金髪の少年が、出立前後にやけに()()()()()()()を見せていたのも、今思うと怪しさ極まりない。

 

「いかんな。これはいかん」

 

 事実を問い質そうにも、問い質す相手がいなければ意味がない。

 だが、クロードの真意がどうであれ、今このタイミングでブラギの塔へ向かわれるのは非常にまずい。

 彼が真に信仰を捧げる教団にとって、現在進行系で大陸を覆う陰謀を察せられるわけにはいかない。

 それほど、ブラギの塔での託宣は、エッダ教徒にとって真実を伺える確実な手段として認知されていたからだ。

 

 ともあれ、まずはエッダ教司祭としての行動を取るべく、ロダンは文机に向かう。

 事の顛末を王宮へ報告し、エッダ教の立場を守るため。

 王宮務めを放棄したクロードの代わりに、ひたすら陳謝する内容を書き連ねる。

 

「……」

 

 そして、ロダンは王宮へ始末書めいた報告書を書き終えると、深い息をひとつ吐いた。

 そのまま居室内に備えられた金庫へと足を向け、厳重な施錠が施されたそれを丁寧に解錠していった。

 

「うむ?」

 

 ふと、僅かな違和感を覚えるロダン。

 以前に解錠した時と比べ、その具合が異なるような──そのような漠然とした違和感。

 

「ふむ……」

 

 だが、開いてみれば特に逸失した物はない。

 貴重品が収められたそれらをどけ、二重底となっている蓋を開く。

 

「……うむ」

 

 上層に収められたそれとは遥かに価値が違う、ロダンが何よりも崇め奉る一冊の書物。

 それが無事なのを見て、その違和感は杞憂であったと、ロダンは安堵のため息を吐いていた。

 

「偉大なる我らが神、暗黒神ロプトウスよ……我を導き給え……」

 

 そして、ロダンがエッダ教司祭で偽装した、本当の顔が現れる。

 禍々しいオーラを放つ一冊の教典──ロプト教の神典へ、五体投地にて狂信を捧げていた。

 

「……」

 

 邪宗門の儀式を終えたロダンは、再び神典を金庫へ仕舞い、厳重な封印を施す。

 そして、再度文机へ向かった。邪教徒としての義務を果たすべく、羊皮紙へペンを走らせる。

 

「……よし」

 

 書き終えたロダンは封蝋を施すと、腹心の部下へそれらを託すべく席を立った。

 二通の書状。一通は、王宮の内務全般を司る宰相府──フリージ公爵レプトール宛で、事の顛末を詫びる書状。

 

 もう一通は、王宮にてアズムールの近衛を務める、若きヴェルトマー公爵──アルヴィスへ宛てられていた。

 だが、その真の宛先はアルヴィスではない。

 ロダンの真の主──闇の首魁である、ロプト教大司教マンフロイへ宛てられていた。

 

 “クロードが真実を知る前に、()()()()()対応を取られるべし”

 書状には、そう記されていた。

 

 

 もし──もし、ロダンがもう少し神典へ注意力を向けていたら。

 以前に収めた神典が、収めた時よりも僅かに配置がずれていたと気付けていたら。

 この後のユグドラル史は、全く異なる──オイフェの“前史”をなぞるような展開となっていたであろう。

 

 加えて、封蝋へ刻印する印璽が、使用する前に僅かに蝋が付着していた状態なのに気付けていたら。

 

 だが、そのような注意力は、クロードの強引ともいえる聖地巡礼事件で霧散しており。

 ロプトの潜入工作員ともいえるロダンですら、クロードの強権ぶりはそれほどの衝撃を与えていたのだった。

 

 

 

 

「えー! 神父様またどっかいっちゃったの!?」

 

 同刻、エッダ城内。

 貴賓が宿泊する為に設けられた一室にて、フリージ公爵家がお転婆娘、ティルテュが不満と驚愕をないまぜにした声を上げていた。

 

「ぐす……スルーフさまが、姫さまに、これをって……」

 

 ぶーたれるティルテュを前に、アマルダがスルーフからの手紙を差し出す。

 だが、そのちんまりとした手はふるふると震えており、少女のいじらしい瞳は親愛と依存の対象が消失せしめたことで濡れに濡れていた。

 ぐずるアマルダを見たティルテュは、やれやれといった体で、その愛くるしい銀髪をワシャワシャと撫でる。

 

「もーこの子ったら。そんなにスルーフ君が恋しいか~? おぉぅ〜?」

「ううぅ……うぅぅ~……!」

「えぇマジか……重症だわこりゃ……」

 

 常ならば、スルーフの件で弄ると照れ隠しで相応に反発を見せるアマルダ。

 だが、今のアマルダは、ひたすらに哀しみに暮れる少女でしかなく。

 

「しょうがないわねー……どれどれ」

 

 ともあれスルーフからの手紙を読まないことには始まらない。

 乙女の憧れであるクロードに会えなかったのは残念極まりないが、可愛い妹分にして子分のメンタルケアも重要だ。

 哀しみを堪えて渡した手紙を、無下にするわけにはいかぬのだ。

 

「……んん~?」

 

 読み進めるティルテュ。

 徐々に、その可憐な眉間に神経質な皺が浮かんでくる。

 

「ちょっとなによこれ!」

「ひぅっ」

 

 突然怒りだすティルテュに、怯えた声を上げるアマルダ。

 主の豹変ぶりにちょっとびっくりしちゃったのだ。

 

「神父様に会いに来たってぇのに偏屈坊主のアウグストのおっさんに勉強漬けにされてやっと神父様に会えると思ったら今度は会う約束すっぽかされた挙げ句に(ウチ)に帰れですって!? 冗談じゃあないわ!!」

 

 スルーフが記した内容。

 クロードの言伝も添えたそれは、ティルテュと会うのを楽しみにしていたクロードが、どうしても外せない要件があり会えない事を詫びる内容。

 追加で、フリージへ使いを出し、ティルテュを迎えに来るよう要請を出しており、迎えが来るまでおとなしくエッダに滞在しておくようにとも。

 窮屈な実家から逃れ、クロードに甘えながら怠惰に年を越そうと企んでいたティルテュ。であったが、これでは何をしに来たのか分からないと、憤りを露わにしていた。

 

「狂いそう……! ……ん?」

 

 静かな怒りに身を任せるティルテュだったが、手紙の一節を見ると、それまでの怒りを引っ込めなにやら思案に耽る。

 手紙の内容には、クロード一行の目的地がエッダ教聖地である事も記されており、まずはエバンスへ向かい、そこから船で向かうと、中々の詳細が記されている。

 スルーフとしては、バイタリティ溢れるティルテュが迂闊な行動をしないようあえて詳細を書き記し、雷撃乙女が諦めて大人しく迎えを待つよう仕向けるつもりだったのであろう。

 

「エバンスねぇ……閃いたわ!」

 

 だが、この場合は逆効果だったようだ。

 またロクでもない事を思いついたであろう主を見たアマルダは、今度は不安で瞳を濡らす。

 

「あの、姫さま」

「ねえアマルダ。ちょっち耳を貸しなさいな」

「え、あ、はい」

 

 アマルダの声かけを制し、そのちいちゃいお耳へ口を近づけるティルテュ。

 ひそひそと話かける様子は、まるで仲の良い姉妹が悪戯の相談をする様。

 

 だが、聞いていく内に、妹分はみるみる表情を青くさせていった。

 

「だ、だめですよぅ! そんな勝手なこと!」

「ふふん。覚えておきなさいアマルダ。あたしは『好き勝手』の(るい)なの。おわかり?」

「わかりません! 姫さまがゆるしてもわたしがゆるしません!」

「い、言うじゃないこの子……つーかあんたあたしのお付きでしょ!? 黙ってあたしの言うことを聞いてなさいよ!」

「いやです! そんなことゆるしたらわたしが殿さまに怒られるんです!」

「お父様は大丈夫よ! 黙ってれば!」

「それがだめなんですよぅ!」

 

 喧々諤々と口論を交わすフリージ主従。

 自身の権威が通じぬ従者を前に、ティルテュは大いに苦戦せしめる。いや、どちらかといえば実父の権威の方が強かっただけではあるが。

 先程まではスルーフと離れ離れになっていたことで悲観に暮れていたアマルダであったが、今は堂々と口ごたえするおしゃまな少女。

 

 アマルダがかようなまでに変質したのは、ティルテュがフリージからの迎えを無視し、単身クロードの後を追いかけるという暴挙を提案したからであった。

 

「仮にバレてもアマルダはまだちっこいからそんなに怒られないっしょ……多分」

「そういう問題じゃないんですよー!」

 

 グランベル公爵家の公女とは思えない程の軽挙妄動。

 ふわっふわなその計画に、後に残されるアマルダはたまったものではない。必死になって、ティルテュが考えを改めるよう説得する。

 だが、ふとティルテュは何かを思いついたかのようにアマルダへ向き合った。

 

「じゃあ、あんたも来る?」

「へ?」

「考えてみればあたし一人じゃ色々不便だし。アマルダも付いてくれば色々言い訳できるかもだし? それに、いい機会じゃない。あんた色々な所を見て回りたいって言ってたじゃん」

「え、でも……わたし達だけじゃ色々危ないし……」

「大丈夫よ。あたしの魔法の実力知ってるでしょ?」

「でも……」

 

 にわかに逡巡とした態度を見せるアマルダ。依存癖のある少女ではあるが、好奇心旺盛な子供であるのは変わらない。

 アマルダの悩む様子を見て、ティルテュはキラリと瞳を輝かせる。

 

 もうひと押し。

 そして、ダメ押しの一手は、コレしかあるまい。

 

「神父様にはスルーフくんも付いていってるんだよね~……」

「ッ!!」

 

 スルーフの名を出されては、アマルダは押し黙るしかなく。

 ほっぺたを赤くし、うむうむと揺れ動くアマルダを見たティルテュは

 

(チョロすぎてちょっと心配)

 

 そう思考した。

 

「まああたしに任せておきなさいって。悪いようにはしないからさ……そしてあたしは神父様とホーリーなアバンチュールを! あんたはあんたでスルーフ君とめくるめく依存めいたネチョネチョの愛憎劇にでも飛び込むが良いわ!」

「で、でもやっぱり勝手について行くのはよくないですよぅ」

「いやここに来て焦らすんじゃないわよ怒りで急に冷静になったわ」

「はぅっ」

 

 勝ち確ゆえに思わず性癖を漏らす雷撃乙女。

 最後の最後で煮えきらない態度を見せるアマルダに若干情緒不安定になるも、少女のほっぺをモミモミとムニることでその抗弁を封殺せしめる。

 

「んじゃ行くわよ! ついてきなさいアマルダ!」

「へぅぅ……」

 

 存分にムニられて酩酊状態に陥ったアマルダ。その手をぐいぐい引っ張るティルテュ。

 最後は力技でアマルダを丸め込む形となったが、よくわからない自信に満ちあふれる乙女にとって、この結果は至極当然なのだ。

 

(そういえば、エバンスにはあいつらもいるんだよね……あいつ、元気にしているかな……)

 

 銀髪少女の手を引きながら、雷撃乙女は想い人への憧憬とはまた違う、暖かい感情を仄かに燻ぶらせた。

 彼女の心の大半はクロードが占めている。

 だが、心の片隅に。

 

 暖かい、赤髪の少年の姿があった。

 

 

 なお、心をときめかせクロードを追いかけるティルテュであったが、エバンスには忌み嫌う偏屈坊主が先行せしめているのを、乙女が気付くことはなかった。

 

 

 


 

 夜。

 オイフェ一行らがエッダを訪れ、各人へ少なくない混乱をもたらした後。

 エッダから北へ少し離れた場所にて、馬を走らせる者二名あり。

 ロダン司祭の命を受けたエッダ公国の使者である。一名は懐に二通の書簡を抱えており、もう一名はその護衛だ。

 

 彼らの目的地は当然、バーハラ王宮である。

 緊急性の高い案件の為、必要最低限の人員のみであるが、エッダとバーハラ間での治安はユグドラル大陸の中でも群を抜いて高い。途中で野盗に襲われる事態など、それこそその支配地域の権力者が“故意”に計画しなければ発生しないのだ。

 

 なお、彼らがワープ等の転移魔法を用いなかった理由は、書簡──二通目のアルヴィス宛の書簡を、極力余人に見られないようにする為。

 バーハラ王宮へ直接転移するには、専用の受信用地へ転移せねばならず、警備上の都合で所持品を全て検める事になるからだ。

 万が一、ロプトの存在が王宮で発覚してしまっては、陰謀の全てが台無しになる恐れがある。ゆえに、早馬にての伝書であった。

 もっとも、彼らは純粋なエッダ教徒であり、ロプトの手先である自覚は露ほどもなく。単に、ロダンの指示でこのような移動手段を用いているに過ぎなかった。

 

 とはいえ、日中に早馬を走らせるように、馬を駈歩(かけあし)で走らせているわけではない。

 常歩(なみあし)より少し早い、速歩(はやあし)のペースで馬を走らせていた。

 整備された街道上とはいえ、星明かりが頼りの中で馬を全力疾走させるにはリスクが大きい。途中に不意の事故に遭い、馬が怪我をしては元も子もないからだ。

 ちなみに、馬の睡眠時間は1日約3時間。それも連続して睡眠を取るわけでもなく、10分程度の睡眠を繰り返すのみ。

 故に、このように夜半の急な出立にも対応可能なのだ。

 眠気を我慢するのは人間だけ、ということである。

 

「……?」

「どうした?」

 

 丁度エッダ市街地を抜け、郊外の森のあたりに差し掛かった時。

 ふと、護衛役の男が馬を止める。

 

「今夜中にはエッダ領を出なきゃならんのだ。こんな所で止まってるわけにはいかんぞ」

「いえ、それはわかっているのですが……」

 

 書簡を持つ使者は訝しげにそう言うと、護衛に構わず馬を進めようとする。

 が、それでも護衛の男は周囲へ視線を巡らしていた。

 

「どうしたと──」

 

 そう、使者が言葉を続けた瞬間。

 護衛の男が、ずるりと落馬した。

 

「は──?」

 

 護衛の男が地に倒れ、それまで騎乗していた馬が混乱で嘶く。

 数瞬してから、使者は護衛が何者かに襲われたのだと認識した。

 

「なっ!?」

 

 困惑する使者の前に、全身を黒装束に包み、面布で顔を隠した男達が現れる。

 それも二名。使者を挟み込むようにして陣取った。

 

「き、貴様ら! 私がエッダ公国の者と知っての狼藉か!?」

 

 馬首を翻すも、前後を襲撃者に挟まれては、使者の男は狼狽するばかり。自身の身分を明かし、襲撃者を牽制することしか出来なかった。

 左右は馬では走破困難な森に囲まれており、逃走は難しい。

 護衛の男が倒された状況で、荒事とは無縁の使者の男が、この状況を打破するのは不可能といえた。

 

「知ってるさ」

 

 ふと、前方に陣取る襲撃者が、不敵な声を上げる。

 

「なら、なぜ──」

 

 それに気を取られた使者の男。

 が、その一瞬で、後方にいた襲撃者の刃が届いた。

 

「ガッ──!?」

 

 頭部へ鋭い衝撃を受けた使者は、そのまま落馬。

 意識を深い闇へと落とした。

 

 

「ヒューッ。相変わらず結構なお点前で」

「……護衛の方は殺していないだろうな」

 

 護衛と使者、双方が倒れた深夜の森の中。

 襲撃者の男達は、それぞれ面布を外しながら、お互いの仕事を確認し合う。

 

「結構強めに打っちまったが、まあ死にはしねえだろうよ。いつ起きるかは知らんが」

「そういうところだぞベオウルフ……」

 

 襲撃者の正体はホリンとベオウルフ。

 ベオウルフの態度にため息を吐きながら、峰打ち不殺の剣を納刀するホリン。

 エッダの使者を闇討ちした彼らであったが、当然自らの意思で襲撃を企図したわけではない。

 

「ショタ軍師殿に絶対に殺すなって言われてたからな。そんなヘマはしねえよ」

「ショタ……」

 

 襲撃を指示したのは、策謀巡らす少年軍師。

 オイフェの指示を受けた二人は、こうして闇夜の襲撃を見事成功せしめる。そして、ホリンはオイフェの更なる指示に従うべく、昏倒する使者の懐を探った。

 暗い森の中での作業であったが、夜目の利くイザーク人らしく、ホリンは直ぐにお目当ての代物を見つけた。

 

「……」

 

 二通の書状。バーハラ王宮宛てのそれらを回収するホリン。

 そして、己の懐から()()()()()を取り出した。

 

「……よし」

 

 ホリンが取り出した新たな書状。

 封蝋はロダンの印璽が押印されており、傍から見ればその違いは全く分からない。

 だが、中に記されている内容は大違いであった。

 

「しかし、何故オイフェはこのような……」

 

 そう呟くホリン。

 慌ただしくエッダを出立した矢先、間もなくエッダから王宮へ向け使者が現れる事を告げたオイフェ。

 その使者を襲撃し、携えている書簡を交換するべし。

 その意図が分からず戸惑うホリンであったが、密かに恋慕と忠義を寄せるアイラの恩人であるオイフェに逆らうつもりはなく。

 

「ま、ショタっ子達が何考えてるかは知らんが、金がもらえる内は黙って従うのが傭兵の流儀だぜ。ホリンさんよ」

「俺は傭兵じゃない……」

「同じようなもんだろ。ともかく、終わったのならさっさと戻ろうぜ」

「ああ……」

 

 ベオウルフに促され、ホリンは森の外に繋げてある愛馬の元へ向かう。

 しばらくして、闇夜に紛れた金髪の襲撃者達は、雇い主である少年軍師の元へと馬を走らせていった。

 

(イザークの為、か)

 

 馬を駆るホリンは、襲撃の指示を受ける際、オイフェに言われたある一言を思い出していた。

 

『この襲撃は、グランベルと()()()()……否、ユグドラルの安寧をもたらす為の大切な一手。抜かりなきようお願いします……ホリン殿』

 

 やけにイザークを強調した少年軍師。

 その少年軍師の計り知れない思惑に、ホリンは難しい表情を浮かべながら、少年軍師の元へと駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第四章
第33話『砂漠オイフェ』


 

「我々は血の代替(スペア)である」

 

 少年オイフェが、まだシアルフィ城へ移り住む前。

 健在であった祖父スサールに、オイフェはそう告げられていた。

 幼くして両親と死別したオイフェを、厳しくも慈しみをもって育て上げたスサール。

 だが、この時のスサールは、まるで肉親の情は感じられず。

 厳然と告げるそれは、聖戦士の末裔としての義務を果たさんとする、冷徹な政治家の姿であった。

 

「スペア、ですか?」

 

 敬愛する祖父が発する冷たい空気に呑まれ、たどたどしい言葉を返すしかないオイフェ。

 それを受け、スサールは鷹揚に頷く。

 

左様(さよ)。聖戦士バルドの血統は、決して絶やしてはならぬもの。それ故の代替なり」

「……」

 

 祖父の冷徹な言葉。押し黙るオイフェに、スサールは滔々と言葉を続ける。

 

「父祖バルドが実子は二人。その一人は、嫡流として今も続くシアルフィ御本家の血筋……バイロン様の御父上であらせられる。そして、バルドが残したもう一人の子……それが、儂の母である」

「……」

 

 改めて言われなくても、オイフェは己の曾祖母が聖戦士バルドの娘であり、シアルフィ家の系譜を十分知っている。

 ならばなぜ、祖父が唐突にこのような話をしたのか、その真意を図りかねていた。

 が、オイフェの疑念に、スサールは即座に答える。

 

「故に、御本家にもしもの事があれば、我らが……お主がシアルフィを継ぐのだ」

「ッ」

 

 僅かに息を飲むオイフェ。

 主家を継ぐ者が途絶えれば、分家筋が後を継ぐのは道理。

 それは、十分に理解している。

 だが、面と向かって誰かに──それこそ、親であり教師である祖父から言われたのは、少年オイフェにとって初めての事だった。

 

「シグルド様もエスリン様もまだお若い。問題は無くシアルフィの血……バルドの血は連綿と受け継がれていくだろう」

「……」

「だが、もしまたロプトのような闇が世界を覆えば……それにより、シアルフィの御本家が潰えてしまったら……」

「……」

 

 言われずとも、オイフェがシアルフィの旗──ニ頭の竜に挟まれた、聖剣の旗を背負う事になる。

 そして、バルドの血を、今度は己が残していかねばならぬのだ。

 

 それを理解したオイフェ。ふと、自身の左手が疼くのを感じ、ぎゅっと右手を重ねる。

 少年の柔らかい手甲に、僅かに浮かぶ聖なる痣。

 僅かに滲む、バルドの聖痕が、じわりと熱を放っていた。

 

「よいなオイフェ。いざという時の“備え”……決して怠るでないぞ」

「……かしこまりました、お祖父様」

 

 言外に、スサールはオイフェへ確実に子を成すように伝えていた。

 バルドの血、決して絶やすなかれ。

 それが、代替である我らの義務なり。

 このような祖父の意を受けたオイフェは、ただ頭を垂れて言葉を返すのみであった。

 

 

 結果として、スサールのこの訓示はオイフェの意思により無視される事となる。

 個人的な感情──男女の営みを忌避するまでに刻みつけられた、愛し合った者達が無惨に引き裂かれたのを目の当たりにしたトラウマは、無論ある。

 だがそれ以上に、十全に発展したシアルフィ領を、セリスへ──シグルドの子へ“返上”するという、オイフェの譲れない意志があったのだ。

 もちろん、バルドの直系であるセリスが子を成している事実があってこそのこの決意だったが、それでもバルド傍系スサール家の系統は断絶する事となる。

 

 全ては、シアルフィ領を禍根無く返上する為。下手にスサールの血を残しては、諍いの種になりかねない。

 狂信的なまでのオイフェの忠義──シグルドへの慕情が、そのような冷徹な決断を下していたのだ。

 

 以上が、オイフェの“前世”でのシアルフィ家系譜の顛末であった。

 そして、“今生”では。

 

 その訓示は、果たして守られるのか。

 はたまた、前世と同じ様に無視されるのか。

 ただ、少なくとも今は、己の血を残すという考えを、オイフェは持っていなかった。

 そのような()()がある状態で、此度の大望は果たせるはずもない。

 オイフェは、そう考えていた。

 

 

 全てを救う為、そして己の怨みを晴らす為に策動するオイフェ。

 その血は、熱く、暗く、重く。

 その血の宿命に従うか、抗うか。

 それは、オイフェ自身にも分からぬ事であった。

 

 だが、その血は滾っている。

 大望を成就する為、討ち果たすべき相手がいるからだ。

 その相手は二人。

 赤き宿敵、アルヴィス。

 

 そして、暗黒教団──ロプト教団大司教、マンフロイ。

 その陰謀の核心部。

 

 

 “クルト王子暗殺”を阻止せんべく、オイフェは熱き血潮を滾らせていた。

 

 

 

 


 

 イード砂漠

 フィノーラ市

 

 フィノーラは茫漠と広がるイード砂漠北方に位置する都市で、グランベル、シレジア、そしてイザークの三国間での物流の中継を担う交易都市である。

 その所属はグランベル王国の衛星都市として扱われており、本国から離れている都合上、恒久的な自治が認められていた。

 フィノーラのオアシスには砂漠に棲まう者達だけでなく、交易都市であるがゆえに各国の商人も集まっており、日々の商いを活発に行っている。付随して、腕の良い職人らもフィノーラへ集まっており、各種工芸品等の特産品を日々生産していた。

 中でもフィノーラ産の刀剣類は各国でも評価は高く、観賞用から武人の蛮用にも耐えうる実用品まで幅広く品揃えており。腕の良い熟練職人(マイスター)の逸品を求め、グランベルはもちろんマンスター諸国やアグストリア諸侯連合からも商人が買付けに来るほどである。

 

 この鍛冶集団を積極的に支援したのは、シアルフィ公国当主であるバイロンだった。

 宰相レプトールらの反対を押し切り、シアルフィから職人を派遣してまでフィノーラ鍛冶集団の育成を支援したバイロンには、当然のことながらフィノーラに棲まう者達は深い恩義を感じており。

 バイロンとしてはフィノーラの自主自立を促し、周辺国との緩衝地帯を作る事で、国体の護持を堅実に図っただけなのだが、思惑はどうであれフィノーラの発展に寄与したのは事実。

 

 こうして、ミレトス地方ほどではないにしろ、フィノーラは人、物、金が集まるイード砂漠屈指の経済都市となる。

 このような高い自治性と経済力を守る為、フィノーラはグランベル王国の戦力とは別に、独自の軍事力を保持していた。鍛冶集団が常駐するのも、フィノーラ軍の戦備を維持する為に必要だからだ。

 しかし、その兵力は当然の事ながらグランベル各公爵家の騎士団に比べ規模は小さい。

 故に、有事の際は傭兵集団を雇用し、その戦力を拡充せしめている。

 

 そして、現在のフィノーラには、荒事を生業とする傭兵達の姿が見られるようになる。

 剣呑とした市内の様子は、周辺にて有事が発生した事を明確に表わしていた。

 だが、それらの戦闘集団とは比較にならぬ程の武力を持つ軍団。

 弓馬の達者で構成されたその軍団は、市外のオアシスにて兵馬を休ませている。

 

 フィノーラ市外にはためく、二頭の竜に挟まれた聖弓の旗印。

 ユングヴィ公子アンドレイに率いられた弓騎士団“バイゲリッター”が、フィノーラを囲むように駐屯していた。

 

 

 

 

「んで、なんで俺らはこんなとこにいるんだよ……」

 

 フィノーラ市内にある宿屋の一室。

 砂漠の暑さを幾分か和らげる風通しのよい部屋。

 その一室に備えられたラタンソファに突っ伏すように寝転び、うだるような声でそう述べたのは、漂泊の自由騎士ベオウルフ。

 

「知らん。オイフェに聞け」

 

 暑さと疲労で消耗するベオウルフとは違い、平然とした声を返すのは、月光の剣闘士ホリン。椅子にもたれかかるベオウルフとは対照的に、壁に寄りかかりながら油断なく外の様子を伺っている。

 窓から覗く往来にはフィノーラ市民に加え、明らかに筋者と思われる厳つい面相の者も多数おり。腰に下げている得物が、彼らが“戦”を生業にしている者と容易に想像が出来た。

 記憶にあるフィノーラ市とは程遠い状況。治安が極端に乱れているわけではないが、それでもガラの悪い空気に包まれたフィノーラは、ホリンがかつて訪れた街の様子とは一変していた。

 ともかく、ピリピリとした剣呑なる空気に包まれている。

 そう感じたホリンは、その原因は言うまでもなく、イザークとグランベルが戦争状態にあるからだと思考していた。

 高い自治性を持つが故に、宗主国の軍隊が駐留している事実が、フィノーラの緊張を高めているのだろうとも。

 

 元々乾燥地帯の暑さには慣れているのか、普段と変わらぬ様子でそう思考していたホリン。

 もっとも、顔には出ていないだけで、実際にはホリンも相応に疲れてはいたのだが。

 

「あんたもタフだね……ああ、クソ。早く夜にならねえかな」

「街の中でも夜は夜で冷えるぞ」

「んなこたわかってるんだよ。夜になったら淫売宿が開くだろ。そこで暖を取るさ。女体の熱でな」

「……」

 

 ニヤリといやらしい笑みを浮かべるベオウルフに、目を細めてため息をひとつ吐くホリン。

 だが、慰安したくなる気持ちもわかる。

 このような“弾丸行”を経たら、息も精も抜きたくなるものだと。

 

「ボーナスが入ったんだ。パーッと使わないと損だぜ」

 

 そう嘯くベオウルフ。

 ボーナスとは、先のエッダ使者襲撃の際、使者や護衛の者から奪った金品の事だ。

 無論、()()()()という本来の目的を隠蔽する為に行った偽装であり、ベオウルフ達はあくまで金目的の盗賊という筋書きを作る為だ。

 これに関して、ホリンは思う所もあったが、色街遊びをするには丁度よい金額ではある。

 

「……いやでも俺は行かないからな!」

「お、おう。別に誘ってはいないんだが……まあいいか」

 

 フィノーラに存在する娼館を想像した瞬間、ホリンの脳裏には黒髪の剣姫の姿が浮かぶ。

 慌てて不犯の誓いを立てるホリンに、ベオウルフはおざなりな返事を返すのみ。

 どうせアイラに操を立てているのだろうと容易に想像がつくが、弄り倒す体力も気力も、ベオウルフには残されていなかったのだ。

 

「にしても、ダーナを()()()してフィノーラとはね……なーんで遠回りしたんだか」

「……」

 

 ベオウルフのこの疑念。ホリンも無言で同意を示す。

 オイフェ一行の目的地であるイザーク征伐軍陣所。最前線であるリボーへ行くには、ダーナを経由しイード砂漠を東進せねばならない。

 しかし、今現在、自分たちはイード砂漠北方に位置するフィノーラにいる。

 何故こうなったか、ホリンはエッダを出立してからの旅路をつらつらと思い起こす。

 

 

 オイフェ達がエッダを出立し、イード砂漠へ至った後。

 玄関口であるダーナを門前にして、オイフェ一行はそのまま()()()している。

 

 急ぐ旅故とのことであるが、それならば何故リボーを目指さず、北方に離れたフィノーラへ立ち寄るのか。

 デューは事前に何かを聞かされているのか、特に文句を言わずに黙って従っており。

 ベオウルフは時折疑問を浮かべるも、此度の同道にて多額の報酬を得ているのか、こちらもオイフェの寄り道に文句は言わず、いつもと変わらずへらへらとした薄笑いを浮かべるのみ。

 一人ホリンだけが、怪訝な表情でオイフェへ付き従っていた。

 

 そして、一行がダーナへ差し掛かった時。

 リボー軍のダーナ略奪の爪痕が残る、崩落した城壁。

 その隙間から見える、治安維持の為に派遣されたヴェルトマーの炎騎士団“ロートリッター”。

 少数の部隊しか派遣されていなかったが、壁外からもよく見える炎の紋章(ファイアーエムブレム)が、陵辱されたダーナを慰撫するかのようにはためいていた。

 

 だが、その炎の紋章を目にした際のオイフェが、一瞬だけ悪鬼羅刹の如き表情を浮かべるのを、ホリンは見逃さなかった。

 僅かに漏れ出た、少年の悍ましいまでの怨念。

 憎い、憎い、炎の紋章。

 この世から消し去ってやりたい、赤い紋章。

 己の全てを投げ売ってでも、あの男だけは──

 傍らにいたデューが、ゆっくりとオイフェの背中を擦り、ぽんぽんと優しく叩く。

 オイフェははっとしたようにデューを見つめた後、静かに頭を下げ、常の表情を浮かべていた。

 

 

 こうして、そのまま不眠不休でフィノーラまで至ったわけだが、ホリンの中でオイフェは実に不審な雇い主へと変わり果てていた。

 何故ダーナを素通りしてまでフィノーラ行きを急いだのか。

 何故あの時、あのような憎悪(ぞうお)を発露させたのか。

 そしてなにより、何故エッダの使節を襲い、書簡の交換という工作を命じたのか。

 

 不可解な事だらけ。

 ホリンは、果たしてこのままオイフェに付き従ってもよいのかと、一人自問自答する。

 目を瞑り、少年軍師の策謀について、己の頭を働かせる。

 

(オイフェは……本当に俺達の味方なのか)

 

 深まる疑念。

 いくらイザークの為と言われても、やっている事は怪しさ満点である。

 エッダ使節への偽書交換は、表沙汰になればオイフェどころかシグルドの立場も危うくなる。

 付随してシグルドの元へ身を寄せるアイラ、シャナンの身にも危険が及びかねない。

 

 故に、この件だけは、何故そのような事を行ったのか、書簡の内容は何なのか。

 ホリンはオイフェへそう問い正した。

 

『書簡の内容はまだ明かせません。が、偽書と交換したのは──』

 

『ただの時間稼ぎです』

 

 そう淡々と返すオイフェ。

 何に対しての時間稼ぎなのか、ホリンはそれ以上問い詰めようとするも、オイフェの目配せを受けたデューに上手いことはぐらかされ、それ以上聞くことは出来なかった。

 

 エッダに巣食うロプトの手先が、クロードの聖地巡礼を危ぶみ、王宮──アルヴィスら陰謀の首魁へ報告する事は、オイフェにとって折込み済みであり。

 エッダ教教主による聖地での神託受信とは、エッダ教並びにクロード神父個人へ絶大な信用を寄せるアズムール王にとって、疑いようもない進言にして真実。

 それ故に妨害工作を企てようと、アルヴィスらへ注進したのだろう。

 

 オイフェがエバンスにいるのならば、むしろいかなる妨害工作など物の数ではない。

 何を企もうとも、全て百倍返しにしてくれんと。

 だが、今現在、オイフェはエバンスから遥か遠い砂漠の地に身を置いている。

 危急の工作には対応する事は不可能だ。

 

 だから、オイフェは偽書による時間稼ぎを図った。

 王宮へはクロードの“病気療養の為、王宮出仕はしばらく見合わせたい”との内容。

 アルヴィスらロプトの者達へは、ロプトの活動が滞りなく進んでいると、差し障りない内容を偽造した。

 もちろん、これらは時間が経てば発覚する大嘘であり、稚拙な偽装工作ではあるのだが、時間を稼げれば何でも良かった。

 

 本来死すべきはずの、聖者ヘイムの血を色濃く継ぐ、クルト王子。

 彼の()()を果たせれば、そのような稚拙な計略など些細な事でしかないのだ。

 

 

(“俺達”、か……)

 

 そのようなオイフェの腹の中は、ホリンに知る術はなく。だが、思考していく内に、ホリンはあくまで属州領の兵士ではなく──己の所属は、イザーク王国であるのを自覚していた。

 

「フ……」

 

 思わず、自嘲げな笑いが漏れ出る。

 そのイザークを捨てたのは、他ならぬ己自身ではないかと。

 

(アイラ……)

 

 エバンスで再会した、イザークの剣姫。

 王位継承者であるシャナンを連れての逃避行が、ホリンの胸を締め付けていた。

 

 王族が落ち延びてしまうほど、イザークの戦況は絶望的。

 既にマナナン王、マリクル王子は亡き者となり。

 戦を主導できる有力豪族も、殆どが討ち死にし。

 残るイザーク人は、勝ち筋の見えぬ悪戦へと身を投じていた。

 

(……)

 

 ホリンは想う。

 生まれ育った、ソファラでの日々。

 ソファラに棲まう、一族郎党。

 そして、共に切磋琢磨した、リボーの男。

 彼らは今も尚、イザークを守る為に戦い続けているのだろうか。

 

(……?)

 

 しかし、そう想っている内に、ホリンは己の中で大して郷土意識が芽生えていないのにも自覚していた。

 己の所属はイザーク。

 しかし、ソファラの者達は、生きているのか死んでいるのか、いまいち興味が湧かない。

 

(ああ、そうか──俺は──)

 

 イザークの剣士ではなく──アイラの剣士なのだ。

 黒髪の剣姫を守り、守られ、共に並ぶ、アイラの為の剣士なのだ。

 

 そしてそれは、ずっと前から、そうだった。

 

 

 

 はるけき過去が思い起こされる。

 剣闘士ホリンの、少年時代。

 ホリンはソファラ領領主の息子だ。だが、その身分は決して高くはなかった。

 アグストリア人である母は父の愛妾でしかなく。イザーク人との正妻との間には、数名の兄弟が既におり、ホリンはあくまで育預としての身分しか与えられていなかったのだ。

 

 しかしそれでも節々の挨拶には、親兄弟揃って主君筋であるイザーク王家へ参礼せねばならない。

 父に連れられ、年賀の挨拶でイザーク城へ赴いた際。

 通された大広間にて口上を述べる父の後ろで、上座に座るイザーク王家の人々を、ちらりと覗いた少年ホリン。

 

 そして、端の方に美しい黒髪を備えた、一人の少女と目が合った。

 幼少の頃のアイラ。

 兄であるマリクルの隣で、居並ぶ豪族らへ凛とした表情を覗かせていた。

 

 思えば、この時の己は、いわゆる一目惚れだったのだろうかと、ホリンは想う。

 そして、この時の思い出は、己の人生の中で最も輝いていた時だったとも。

 

 大人達が宴席で騒ぐ中、豪族らの子供たちは広い庭にて遊ぶのが通例。

 しかし、ホリンは自身の髪色が他の子供たちとは違うのもあり、庭の片隅にて一人棒を振っていた。

 

『お前、ヘンな髪の毛してんな! なんでイザーク人じゃないのにここにいるんだよ!』

 

 異端を見留めれば、純粋な敵意を向けるのが子供の常。

 いつのまにか黒髪の子供たちに囲まれたホリンは、キっと声を上げた一人の少年を睨みつける。

 

『おれはソファラのホリンだ! イザーク人だ!』

 

 毅然とそう言い返すホリン。

 しかし、言い返された一際黒髪が荒い少年は、ニヤニヤとした笑みを浮かべ、ホリンの金髪を掴んだ。

 

『じゃあこの髪はなんなんだよー!』

『ぐっ!?』

 

 髪を引っ掴み、どて腹へ膝を入れる。

 うめき声を上げるホリン。そのまま蹲るも、誰も助けようとはしない。

 ホリンの腹違いの兄弟達は、皆“面白い見世物”が始まったと、嫌らしい笑みを浮かべて傍観するだけだ。

 

『くやしかったらやり返してみろよ!』

『……!』

 

 ぐいと胸ぐらを捕まれ、顔を叩かれながらそう言われる。

 しかし、ホリンは我慢する。

 ここで乱闘騒ぎでも起こしたら、母の立場がより悪くなり、余計な心労をかけてしまう。近頃は父の愛も薄くなったように思えた。

 ホリンがやり返して来ないのを見て、黒髪の少年はホリンを突き飛ばし、つまらなそうな目を向ける。

 

『はっ、すくたれものってやつだなお前』

『……』

 

 そう言い放ち、取り巻きの少年達を従え、ホリンから離れる。

 だが、ホリンが土汚れを払おうと立ち上がった時。

 

『きっと母ちゃんがイザーク人じゃないからだな。これだから南蛮女は。母ちゃんもすくたれものだなこりゃ』

 

 その言葉を聞いた瞬間、ホリンは己の頭がカッと熱くなるのを感じる。

 自分がいくら悪く言われたって、我慢は出来る。

 だが母を悪くいうのは許せない。

 やむを得ない事情で、半ば強制的にソファラへと連れて行かれ、自分を孕んだ母。

 周りに頼るべく人もおらず、正妻からの虐めに耐え、それでもホリンを慈しんでくれた、たった一人の母。

 

 それを、悪く言う者は──

 

『ウワアアアアッッ!!』

 

 少年ホリンの咆哮が轟く。

 黒髪の少年が気付いた時には、ホリンに突き飛ばされ、馬乗りにされていた。

 

『て、てめー!』

『うぐっ!』

 

 喧嘩慣れしているのか、即座に蹴りをぶち込み、ホリンと体勢を入れ替える。

 己の腹に跨る少年に、ホリンは懸命な抵抗を続けるも、無慈悲な暴虐が開始されようとしていた。

 

『ボコボコにしてやんよ!』

 

『やっちまえガルザス!』という周囲の囃し立てを受け、ガルザスと呼ばれた黒髪の少年──リボー族長の息子は、容赦なくホリンの顔面へ拳を振りかざす。

 ホリンの顔はみるみる腫れ、鼻や口から血が流れ出た。

 

『まいったって言え!』

『……ッ!』

 

 はあはあと息を荒げながら、ガルザスはホリンの腫れた顔を見やる。

 ホリンは涙で濡れた瞳で、ガルザスを鋭く睨み返していた。

 

『ガアアアアッ!!』

『うわーっ!?』

 

 一瞬の隙をつき、ホリンはガルザスの腕へ噛み付く。

 痛い、痛いと泣き喚くガルザス。離せ、離せと周囲の子供達がホリンを嬲る。

 しかしどれだけ嬲られようとも、ホリンはガルザスの腕へ牙を立て続けていた。

 

『何をしているッ!』

 

 子供の喧嘩にしては尋常ならざる騒ぎに発展したのを受け、濃い黒髪を備える青年が止めに入る。

 イザーク王位継承権第一位、マリクル王子だ。

 そして、その傍らには──黒曜石のような艶やかな黒髪を揺らす、少女アイラの姿。

 

 イザーク王子の姿が現れれば、子供たちは大人しく頭を垂れるのみ。

 無論、ホリンもガルザスに噛み付くのを止めていた。

 

『お前達、ここをどこだと思っている!』

 

 そこから、次代のイザーク国王の容赦の無い説教が始まる。

 有力豪族らの子弟の教育も、この国の王子の仕事なのだ。

 固い地面で正座をする子供たち。ガルザスなどは泣き面に蜂といったところだ。

 

『……』

 

 説教を受けている間、頭を上げる事は許されない。

 だが、ふとホリンは──己の顔を見つめる、アイラの視線に気付いた。

 バレぬように、少しだけ視線を上げる。

 アイラの柔らかい顔が見える。

 ふと、その蕾のような唇が動いた。

 

 “おまえ、やるな”

 

 小さな八重歯を覗かせ、いたずらっ子のような笑みを浮かべるアイラ。

 数瞬、ホリンはその笑顔に見惚れていた。

 

 その後は散々に説教され、実父からも容赦のない鉄拳制裁を受けソファラへの帰路についたホリン。

 そして、エバンスで再会するまで、ホリンはアイラと再会する事は叶わなかった。

 この件が原因で、イザーク本城へ出向く事は禁じられたからだ。

 

 しかし、得た(えにし)はある。

 ひどい喧嘩をしたはずのガルザスが、いたくホリンを気に入り──今度こそはまいったと言わせる為に──わざわざ山を超えてまでリボーからソファラへ出向き、共にイザーク剣法を学ぶ仲になったのだ。

 子供同士の拙い稽古は、青年へと成長した時分には一流同士の試合へと発展していた。

 そして、互いの技量と比例するように、ホリンとガルザスの間に深い友情が生まれていた。

 ガルザスがリボー氏族の娘に惚れ、嫁に迎えたいという相談をされるくらいには、ホリンとの関係は衣を着せぬ間柄となっていたのだ。

 そして、共に剣聖オードへと追いつかんべく、練磨を続けようとも。

 

 だが、それは数年前に終わりを告げる。

 ホリンの実母が病に倒れ──息を引き取った事で、ホリンの郷里へのしがらみは無くなっていたのだ。

 

『武者修行へ行く』

 

 ホリンがしばらくして廻国修行へ旅立つのを、ソファラの者達は誰も止めようとはしなかった。

 そしてそれは、無二の親友となったガルザスもであったが、抱く想いは正反対。

 

『また会おう』

 

 そう言ってホリンの背を力強く押したガルザス。

 親友の成長を願う、純粋な想いだった。

 

 親友(とも)の想いは、ホリンの中で複雑な想いとなっていた。

 ガルザスは、また会おうと言った。

 しかし、己はもうソファラには──イザークには、そこまでの想いは無い。

 

 剣は好きだ。

 父祖の技に一歩一歩近づいていくのは、楽しい修行だ。

 しかし、その剣を何かの為に振るうという想いは、当時のホリンには存在しなかった。

 少なくとも、ガルザスのように故国の為に剣技を磨くという発想はなかったのだ。

 

 そして、ホリンは各地を転々とし、剣闘士として日銭を稼ぐ日々を過ごす。

 エバンスへ腰を落ち着けたのは、ここ数ヶ月での事。

 闘技場で勝ち名乗りを上げ続ける日々。

 

 その頃には、故国とグランベルが戦端を開いた事など、ホリンにはどうでも良くなっていた。

 最早、黒髪の少女の瞳すら──忘れてしまっていた。

 

 闘技場で、長い黒髪を靡かせるアイラを見るまでは。

 

 

 

 

「──リン! ホリン! 聞いてんのかおい!」

「ッ!」

 

 ベオウルフの声が響き、ホリンははっとしたように目を開く。

 どうやらいつのまにか寝入ってしまったようだと、己の不覚を恥じる。

 気づけば日は傾いており、砂漠の街に夜の帳が下りようとしていた。

 

「寝てるのか起きてるのかはっきりしろよな……お前超分かり辛い」

「あ、ああ。すまん」

「まあいいけどよ。それより、ショタ軍師殿がお呼びだぜ。お出かけだとよ。さっさと支度しろや」

 

 既に外出の準備を整えていたベオウルフ。

 見ると、部屋の入り口ではオイフェとデューの姿が見え、何事かを確認し合っていた。

 

「ああ、分かった」

 

 ホリンは立ち上がると、自身の愛刀を佩く。

 そのままオイフェへ向かって歩を進めた。

 

「オイフェ」

 

 そう、短い言葉を発するホリン。

 その言葉を受け、オイフェはホリンへ視線を向け、次の言葉を待った。

 

「お前は何の為に戦っている?」

 

 短く、真に迫った問いかけ。

 少年軍師は少しばかり訝しむも、即座に言葉を返した。

 

「シグルド様()の幸せです」

 

 端的にして真実の言葉。

 これ以上ない、オイフェの回答。

 

「それは、アイラも──“俺達”も含まれているのか?」

 

 再度問いかけるホリン。

 少年軍師は、短く返した。

 

 

「当然です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ガルザスはアイラの甥だけどマリータの年齢考えるとシャナン世代じゃなく聖戦親世代なのでホリンとマブダチにしてもバレへんか……


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第34話『契約オイフェ』

 

 むせかえるような獣臭──そして、濃厚な女の匂い。

 薄暗い部屋の中に充満する、脳天を痺れさせるような、独特の香りが鼻孔をかすめる。

 

「ククク……良い子だねぇ……」

「……」

 

 何かしら催淫効果のある香が焚かれているのだろうか。

 オイフェはそう、微熱に侵された頭で思っていた。

 

「綺麗な身体さね……思わず壊したくなる程……」

「っ」

 

 オイフェの無垢な肉体──衣服は纏わず、下帯のみを身に着けた、少女のような少年の肉体(カラダ)

 その剥き出しとなった桜色の花綸へ、女豹のように獰猛な視線を向けた女がひとり。

 イザーク人が好んで着用する剣士服を、扇状的に着崩した女の肉体。スリットから覗く太腿は、鍛え抜かれた戦士のそれであり、所々大きな疵痕が走っている。

 はだけた胸──豊かに蓄えられた張りのある乳房にも、鋭利な刃物で傷つけられたであろう刀傷痕が走っていた。

 しかし、その疵だらけの肉体は、うっすらと湿り気を帯びており、名状し難い熟れた淫気を放っている。

 女は僅かに赤らめた顔を歪めながら、ゆるりと少年の肉体へ近付く。

 思わず、後ずさるオイフェ。

 

「動くんじゃないよ」

「ッ!」

 

 しかし、女の一声でその動きは止められる。

 そのまま少年と女豹はつま先が触れ合うほど密着し、女の闇のような黒髪がオイフェの顔に触れる。

 耳元に粘ついた吐息がかかり、オイフェは金縛りにあったかのように自身の身体を硬直させた。

 

「っ、くぅ……!」

 

 直後、少年の蕾が鷲掴みにされる。

 上気した表情を歪め、唇を噛み締めることで込み上げる衝動を耐えるオイフェ。

 女子と見紛う程の少年の肉体であったが、健康な男子同様、二次性徴はとっくに迎えている。

 下履き越しとはいえ、敏感な少年の性は、乱暴な陵辱への耐性は持ち合わせていないのだ。

 

「虐めたくなる……!」

「~~ッ!」

 

 硬軟入り混じった手付きで少年を蹂躙する女。空いた手でオイフェの髪を掴み、自身の鼻孔へと寄せる。

 オイフェは女の胸元に引き寄せられる形となり、呼吸が困難になるほど女の身体に密着した。艶めかしい谷間から感じられる、汗と雌獣の匂い。そして、僅かな血の匂い。

 

「スウゥゥ……フフ……癖になりそうだねぇ……」

 

 オイフェの髪に顔を埋め、若草にも似たその匂いを嗅ぎ、陶然とした表情を浮かべる女。

 しかし、口角は愉悦に引き攣らせており、女の加虐めいた性質(たち)を如実に表わしていた。

 

「っ、はぁ」

 

 顔を上げ、潤んだ瞳で女の顔を覗くオイフェ。

 少年の可憐な表情を見て、女の瞳孔は猫科動物のように肥大する。

 

「嗚呼、堪らない……堪らないねぇ!」

「ンゥッ!?」

 

 乱暴に髪を捕まれ、オイフェは無造作に唇を吸われる。

 女の湿り気のある舌が少年の口腔内へと侵入し、蛇が得物を仕留めるかのように粘膜を絡ませる。

 

「ッ!!」

 

 柔らかい舌が僅かに引っ張られる。そして、噛み付かれた。

 少年の舌へ歯を立て、流れた血を啜る。女の呼吸は荒いそれへと変わり、血走った眼で少年を貪る。

 蕾を掴む手は益々力が込められ、オイフェは口から血を流しつつ、ただひたすら加虐に耐えるしかなかった。

 

(度し難い!!)

 

 何気に今生での初めてを奪われてしまったオイフェ。否、ここまでの陵辱めいた口虐は、前世でも経験した事は無い。そして、このままでは前世から守り通して来たもっと大事な物も散らされてしまうやも。

 そう考え、憤懣を抑え打開策を練る。

 が、催淫香がオイフェの冷静な思考を阻害しており、女豹の拘束から逃れる有効な手立て、立案能わず。

 

(どうしてこうなる……!)

 

 濃厚な女の体臭に包まれ、下帯を僅かに汚しながら、オイフェは何故己がこうも少年性愛者(ショタコン)に狙われてしまうのか──ここに至るまでの経緯を思い出していた。

 

 

 

 


 

 フィノーラ市は歓楽街、その外れにある大きな館。

 構えはそれなりのものであったが、領主の館に比べるまでもなく、粗野な造りを見せている。

 夜更けであるにも関わらず、門前は煌々と篝火が焚かれており、複数名の番兵が(たむろ)しており。

 だが、よく見れば番兵は皆女性であり、その館をねぐらにしている一団の特徴をよく表わしていた。

 

「なあオイフェさんよ……ここにいる連中はまさか……」

「お察しの通りだと思いますよ。ベオウルフ殿」

 

 館に近付くにつれ、不安げな表情を浮かべるベオウルフ。

 澄ました顔を浮かべるオイフェを、訝しむように見つめた。

 

「んじゃあ、もう一個察するとだな……あんた、こいつらを雇おうなんて考えてるんじゃないだろうな?」

 

 言外に正気を疑うように、そう述べるベオウルフ。

 変わらず、オイフェは何食わぬ顔で応える。

 

「名のしれたベオウルフ殿ですから、彼女達にも顔は利くと思いまして。交渉の仲立ちをお願いしますね」

 

 しれっとそう言ったオイフェ。ベオウルフは慌てて少年の肩を掴む。

 

「おい。悪いことは言わねえ。それだけは止めておけ」

「何故でしょう?」

 

 肩を掴まれながらも、意外といった調子で応えるオイフェ。

 自由騎士は少年軍師の無謀すぎる考えを改めるよう、鬼気迫る表情で言葉を続けた。

 

「あいつらの親玉は“地獄のレイミア”だぞ!」

 

 声を荒げるベオウルフ。

 “地獄のレイミア”という名前が出ると、後方で馬車を牽くホリンもまた表情を強張らせた。

 

「地獄のレイミア……傭兵団“レイミア隊”を率いる女剣士……」

「知ってるのかホリデン!?」

「デン……?」

 

 横にいるデューの意味不明な返しに戸惑いつつ、ホリンは己が知るレイミアという傭兵の所感を述べた。

 

「噂でしか聞いた事がないが、類まれなるイザーク剣法の使い手と聞く。麾下の傭兵団は全て女性で構成されていて、それらもまた手練れ揃い。そして──」

 

 一呼吸を置き、ホリンは同じイザーク剣術の使い手に対し、嫌悪感を露わにした。

 

戦場(いくさば)では残虐な振る舞いが多いとも。拷問、略奪、放火……金の為なら相手構わず殺しまくる、殺人者の集団。デュー、お前はこの事を知っていたのか?」

 

 唾棄するようにそう言ったホリン。件のレイミア隊の登用をオイフェが画策しているのを受け、少年軍師の腹心であるデューへ問い質すように視線を向ける。

 

「おいらは反対したんだけど……まあこれからやる事考えたら、おいら達だけじゃ手は足りないのは分かるんだけどね」

「どういう事だ?」

「それはオイフェから聞いてよ。それよりもホリンには」

 

 そう言って、デューはホリンの耳へと口を寄せる。

 

「交渉が失敗した時に備えておけってさ」

「……」

 

 耳打ちされた内容は簡潔。

 いざという時の鉄火場に備えよという、少年軍師の指令だ。

 

「納得の行く説明が欲しいのだが」

「まあ、そこはもうちょっと辛抱してよ。おいらも心苦しいとこもあるしさ」

「……わかった」

 

 デューが困ったようにそう言うと、渋々とではあるがホリンは首肯する。

 いずれにせよ、目の前の女傭兵団は凶賊紛いの集団。

 対峙する上で油断は禁物である。

 

「とにかく俺は反対だぞ! あの女はマジで洒落になってない!」

「そうは言っても、もう会う約定は取り付けてますし」

 

 翻って、尚もオイフェの説得を続けるベオウルフ。

 淡々とした調子で返すオイフェであったが、ベオウルフの憂慮はよく理解している。

 理解しているからこそ、この場は譲る気は無い。

 大望を成す為に、レイミア隊との契約は必要不可欠。

 

 使()()()()()()()()、手駒が必要なのだ。

 

「いーや! お前は分かってない! あの女の恐ろしさはな──」

 

 そうベオウルフが言いかけた時。

 

 

「何が恐ろしいって言うんだい?」

 

 

 門前から、長剣を佩いた一人の女が現れる。

 篝火に照らされ、艶めいた長い黒髪を靡かせる女剣士。獣の匂いと、血の香りを纏わせる女豹。

 ともすれば、イザークの剣姫と同じような出で立ち。しかし、違う点がふたつ。

 アイラの髪は、鮮やかな紫光りを備える黒髪。そして、凛とした美しい顔立ちの下に隠す、克己と慈愛の精神。

 

 だが、目の前の女剣士にはそれはない。

 黒髪はただひたすら周囲の闇を映すかのように、濃い黒色を見せている。

 そして、その表情は、恐ろしいまでの野性と魔性を備えていた。

 鷹のような鋭い眼に、鷹揚な眉。紅を引いた唇は血を吸ったかのように赤く、ともすれば上質な蠱惑の影が覗いている。

 しかし、それらは女の美しさというには些か語弊があり、獰猛な捕食者が人間に擬態しているといっても過言ではなかった。

 

 女剣士の名はレイミア。

 冷酷無比な戦いぶりで知られる、女傭兵団“レイミア隊”の頭目、“地獄のレイミア”である。

 

「ひ、久しぶりだな……レイミアの姐御」

「本当、久しぶりだねぇ……ベオの坊や」

 

 面識があるのか、両者は衣を着せぬ言葉で挨拶を交わす。歳はそう離れてはいないのだが、ベオウルフを舎弟扱いするレイミアからは、女傑の如き貫禄が感じられた。

 

「相変わらず景気は良さそうだな姐御……肌から血の匂いがするぜ」

「ほほほ、これはほめ言葉をありがとうよ坊や」

 

 ベオウルフの皮肉めいた言葉も余裕でいなすレイミア。

 ここに至っては仕方なしと、ベオウルフは肚に気合を入れ直していた。

 

「初めまして。私はヴェルダン属州領補佐官のオイフェと申します。高名な傭兵、レイミア殿に会えて光栄に思います」

「おや、悴者(かせもの)風情にずいぶんとご丁寧な挨拶だねぇ……」

 

 殺伐とした空気が漂う中、オイフェはぺこりとレイミアへ頭を下げる。

 少年の可憐な顔を、レイミアは値踏みするように、湿り気のある瞳で見つめていた。

 

「一介の傭兵でも知ってるよ……名軍師スサールの孫にして、属州総督領の黒幕サマの噂はね」

「……」

 

 黒幕になったつもりはないが、事実として属州の政策を一手に担うのは確か。

 特に否定するつもりは無いオイフェは、黙ってレイミアの瞳を覗き返す。

 一介の傭兵にしてはやけに事情通なのも、この女傭兵が一筋縄ではいかない存在なのを物語っていた。

 

「ま、とりあえず中にお入り。夜は冷えるさね」

 

 紅い口角を歪に歪めながら、レイミアは自身の居館へとオイフェ一行を誘導する。

 番兵の殺気立った視線を受けながら、オイフェ達は地獄の門を潜っていった。

 

 

 

 

 

「何か飲むかい?」

 

 通された応接間。

 一行を武装した女傭兵──上物の刀剣(勇者の剣)を佩いたソードファイター達が囲み、怜悧な空気がそう広くはない部屋を包んでいる。

 彼女らはレイミア隊の中でも精鋭中の精鋭であり、頭目を護衛するに相応しき使い手であった。

 

「いえ、お構いなく」

「そうかい? 砂漠の夜は長い……喉が乾くと思うけどねぇ」

 

 使い込まれたテーブルを挟んでレイミアと対面するオイフェ。差し出された水差しを慇懃に辞退するのは、何かを()()()ては敵わないから。

 油断なく対峙するオイフェに、レイミアは諧謔味に表情を歪めていた。

 

「んじゃ、まだるっこしい事は抜きにして早速本題に入るとしようかね」

 

 そう言ったレイミアは、オイフェ達を順番に見やる。

 訝しむようにレイミアへ視線を向けるベオウルフ。

 周囲のソードファイターの動きを警戒するホリン。

 背後の扉へそれとなく目配せし、緊急の脱出に備えるデュー。

 そして、じっとレイミアの瞳を覗くオイフェ。

 

 二百名からなる地獄の傭兵団、レイミア隊の懐へたった四名で乗り込んで来た蛮勇なる男達。

 それは、レイミアにとってひどく好ましい──嬲り甲斐のある代物だった。

 

「事前に聞いていたかと思われますが、私達は貴女方──レイミア隊と契約したく思います」

 

 淡々と述べるオイフェ。変わらず口角を歪ませながら、レイミアはゆっくりと応える。

 

「わざわざグランベルからお出でになって、ウチらと契約したいだなんてどんな物好きさね。理由を聞いても?」

「レイミア隊の実力を高く評価しているからです」

「ほ、それは光栄さね」

 

 見え透いたお世辞。薄ら笑いを浮かべながら、そう判断しかけたレイミアだったが、オイフェの眼は嘘偽りのない光を放っていた。

 

「……ウチらのどこを評価してくれたっていうんだい?」

 

 少年の無垢な瞳を受け、レイミアの口角は吊り上がったままだが、浮かべる視線は真剣なそれへと変わる。

 

「個々人の戦闘力の高さ。それに加え、あらゆる状況を想定した兵種編成。独自の後方支援部隊まで揃え、生存性も他の傭兵団とは比較になりません。足りないのは騎兵の機動力のみ。逆にお聞きしたいのですが、どのようにしてそのような編成を考案したのですか?」

 

 少しばかりの知的好奇心を覗かせながら、オイフェはレイミアへ矢継ぎ早に質問を返す。

 レイミア隊の編成はソードファイターを中核とした歩兵部隊ではあるが、ボウファイターやサンダーマージで構成された支援攻撃部隊、シスターなど後方支援部隊を備えるなど、単一の戦闘集団としてはほぼ完成された編成となっている。

 オイフェが現在育成しているシグルド軍も、このレイミア隊を参考にしているのは言うまでもない。小規模ながら諸兵科による連合部隊を編成せしめたのは、オイフェが知る限りグラン歴750年代当時ではこのレイミア隊だけであった。

 それほど、前世はシレジアでの戦い──王弟ダッカーの最後の矛として立ちはだかったレイミア隊との地獄の戦いは、オイフェの記憶に深く刻まれていたのだ。

 

「別に、アタシが思いついたわけじゃ──」

「加えて、レイミア殿は義に篤い。一度結んだ契約は絶対に反故にしない信頼があります」

「え──」

 

 更に称賛を被せるオイフェ。呆気に取られたような表情を浮かべるレイミア。

 実のところ、この契約を最後まで──文字通り、金を貰えば死ぬまで戦う傭兵というのは、当時としては貴重な存在であった。

 契約を結んだ傭兵は、戦場の趨勢を見て寝返りを打つ者は少なくない。また、雇い主が気に入らぬから、といった独善的な理由で契約を一方的に破棄する者もいる。

 前世でベオウルフがアンフォニー王家を裏切り、シグルド軍へ付いたことからも、それは容易に伺えた。

 

 そして、前世におけるレイミア隊が全滅するまでダッカー王弟に付いて戦ったのは、この傭兵の信用を重視する義があったのは確かなのだ。

 もっとも、素行の悪さは他の傭兵団と比べるまでもなく、悪辣なものであるのも確かなのだが。

 

 ちなみに、トラキア傭兵が各国から重宝されていたのは、傭兵となった竜騎士達が契約を最期まで履行する絶大な信用があり、戦場での乱暴狼藉を謹んでいた信頼があったからであり。

 国王トラバントの厳命により、竜騎士達は文字通り死ぬまで傭兵として、そして騎士としての戦いを止めなかったのだ。

 傭兵稼業でしかロクな外貨獲得手段がなかった、悲惨な国情ゆえである。

 

「そ、そこまで言われるとねぇ……」

 

 少年特有ともいえる好奇心。加えて、純粋な称賛。

 それを受けたレイミアは、体温が少しばかり上昇するのを感じていた。

 

「少し照れるさね……」

 

 少年軍師の無垢な瞳から逃れるように、視線を外すレイミア。

 その意外な所作に、レイミアを知るベオウルフは「気持ち悪っ」と驚愕の眼差しを向けるも、即座に蛇の如き睨みを受け明後日の方向へと顔を背けた。

 

「ま、そんなことはどうでも良いさね。それよりも……」

 

 居住まいを正すレイミア。ほのかに染まった頬を常に戻すと、再び口角を諧謔味に吊り上げる。

 

「お生憎様だけどね、ウチらはフィノーラの領主サマと契約済なんだよねぇ」

「ですが、その契約も直に切れるのでは?」

 

 揺さぶりのネタをひとつ放るも、見透かされているのか少年軍師には通じない。

 今度は少しばかり苛ついた表情を覗かせるレイミア。

 

「その後はザクソンにでも行こうと思ってるよ。あんたらに心配される筋合いはないさね」

 

 己を高く売りつける為の三文芝居なのは、互いに百も承知。しかし、これは傭兵団と契約する上での通過儀礼のようなもの。

 打てば響くように、オイフェはレイミアへ言葉を返した。

 

「では、まだ私達と契約する余地はあるのですね?」

 

 そう言うと、レイミアはつと己の顎に手をやる。

 しばし考えた後、俗物的な表情で少年軍師へ視線を向けた。

 

「ま、そうなるね。ただ──」

 

 すると、レイミアはオイフェの手へ、自身の腕を伸ばす。

 少しばかり戸惑うオイフェに構わず、手のひらへ自身の指をつうと這わせた。

 

「契約金次第だねぇ」

 

 キリっと、オイフェの手へ爪を喰い込ませる。

 針が刺すような痛み。脇に控えるホリンやベオウルフは、即座に腰を浮かした。

 が、オイフェはそれを手で制す。

 

「金額交渉に時間をかけたくありません。ですので──」

 

 オイフェはレイミアの指を、ゆっくりと握る。

 少年の暖かい体温を感じ、レイミアの下腹はじわりと熱を帯びていた。

 

 レイミアは少しばかり陶然とした表情を浮かべ──

 

「一年契約で五千ゴールドでどうでしょうか」

 

 直後、真顔になる。

 

「随分……舐め腐った金額をお出しするねえ……!」

 

 相場を一切無視したオイフェの提示金額。通常、この規模の傭兵団を一年雇うには、食事や住居の提供など条件にもよるが、少なくとも十万ゴールドは必要だ。

 ベオウルフは個人で契約しているも、その条件は三年契約で一万ゴールド。それを加味すれば、この金額提示はあまりにも足元を見すぎている。

 だが、オイフェはお澄まし顔でそう言い放っており、レイミアはそれまでの諧謔味のある表情を一変。口角は歪んでいるも、薄っすらと額に青筋を立てていた。

 

「オイフェ、それは流石に……」

「いや、姐御、オイフェはちょっと桁を間違えただけで……」

「安すぎィ!」

 

 一方で、ホリン、ベオウルフ、デューはオイフェの乱心っぷりに一瞬で表情を青ざめさせていた。

 安く買い叩くにも程がある。

 グランベルの高慢な役人でも、もう少し気の利いた金額を提示するのでは。

 ちなみに、五万ゴールドでも戯けた金額提示であるのは変わらないので、ベオウルフの弁解は火に油を注ぐこととなる。

 

「所詮はガキの戯言さね──!!」

 

 傭兵稼業は舐められたら終わり。安く買い叩かれたと知られては、今後の商売が成り立たない。

 使い潰されるにも、相応の金額が無ければ、配下を含め己自身も納得出来ないからだ。

 傭兵稼業を見下すような態度を示したオイフェ。

 さてどの様に叩きのめしてやろうかと、レイミアは殺気を放ち、オイフェから手を引こうとした。

 

「ああ、誤解してほしくないのですが」

「ッ!?」

 

 すると、オイフェはぐいとレイミアの指を掴み直す。既に臨戦体勢となっていたホリンを制し、レイミアもまた戸惑いつつも殺気立った部下達へ目配せする。

 緊張感が漂う中、オイフェは言葉を続けた。

 

()()五千ゴールドの契約でどうでしょうか」

「は?」

 

 にっこりと無垢な微笑みを浮かべながらそう言い放つオイフェ。

 その言葉を咀嚼しきれず、数瞬硬直するレイミア、そしてオイフェを除く周囲の者達。

 

「え、えーっと、あたしらは200人いるから……」

「ひゃ、ひゃくまん……!」

「お、お頭! 百万ゴールドですよ! 百万ゴールド!」

「一年どころか十年は食いっぱぐれませんよ!」

「乗るしか無い、このビッグヴェーブに」

 

 思わず、それまで黙って控えていたレイミア隊がにわかに騒ぎ始める。

 いきなりの高額年俸提示。浮足立つのもむべなるかな。

 

「お黙りッ!」

「ッッッ!!」

 

 ぴしゃりと配下の女衆を黙らせるレイミア。

 尚も己の指を握りしめるオイフェへ、静かに問い返した。

 

「誤解していたのは悪かったよ。でもね……」

 

 そう言いながら、レイミアはゆっくりと指を動かし、オイフェの手のひらへ自身の手を重ねた。

 

「流石に条件良すぎるねぇ……アタシらに何をさせようって言うんだい?」

 

 ぎゅうとオイフェの手を握りしめるレイミア。

 金払いの良さは、往々にして危険度が跳ね上がる事を意味していた。

 それを問い質すように握力を強めるレイミア。少年の柔い手には万力で締め上げられたかのような痛みとなる。

 だが、オイフェはその痛みを意に介さず、言葉を返した。

 

「“秘”です」

「なに?」

 

 視線をレイミアから逸らさないオイフェ。

 じっと見据えたまま言葉を続ける。

 

「契約を結んで、事を始めるまでは言えません」

「……そうかい」

 

 みしりと、オイフェの手が軋む。

 しかし、表情を一切変えないオイフェ。

 しばしの間、オイフェとレイミアは互いの手を握り続けていた。

 

「……少し、二人だけで話しをしないかい?」

 

 ふと、レイミアはオイフェの手を離す。

 オイフェは痛んだ手を擦りつつ、そう提案したレイミアを訝しげに見つめた。

 難しい契約。その場合、雇い主と腹を割った()()()()が必要なのは当然であり。

 

「オイフェ」

 

 しかし、相手は地獄のレイミア。

 かような相手と二人きりにさせては、その身が危うい。

 撤退を促すようオイフェの肩へ手をかけるデュー。

 

「ええ、分かりました」

 

 だが、オイフェは地獄の提案に乗る。

 

「オイフェ、ダメだって──」

「デュー殿、ここは私に」

 

 そっと、デューの手へ自身の手を重ねるオイフェ。

 それまでの殺伐とした交手とは違う、友愛が籠もった手付きだった。

 

「……危なくなったら、直ぐ逃げるんだよ」

「大丈夫ですよ。それより、デュー殿達もお気をつけて」

 

 短く、そう囁き合う少年達。

 デューはオイフェへ首肯すると、戸惑うホリンとベオウルフへ顔を向けた。

 

「しょうがないよ。オイフェを信じよう」

「む……」

「……姐御。お手柔らかに頼むぜ」

 

「善処するよ」と、ニヤついた笑みを浮かべるレイミア。

 目配せをすると、レイミア隊の女傭兵達は、デュー達を部屋の外へと連れ出していった。

 

 

「さて、少し付き合ってもらおうかね……オイフェ補佐官殿」

「……」

 

 室内にはオイフェとレイミアだけが残され、部屋の温度は少しばかり低下する、

 ふと、レイミアは席を立ち、オイフェの前へと進んだ。

 

「ついておいで」

「……はい」

 

 そして、オイフェをエスコートするように、その手をとる。

 先程の暴虐的な強さとはまた違う、嗜虐めいた粘りが感じ取れた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第35話『脱衣オイフェ』

 

「ここは……」

 

 デューらが退出した後、オイフェもまたレイミアに誘われ応接間を後にしていた。

 別に設けられた扉から屋外へ出ると、敷地内にある館の離れへ案内される。

 レイミアは妖艶な笑みを浮かべながら、オイフェを中へと招き入れた。

 

「ここは頑丈に作られた小屋でね。アタシの()()()()寝室になっているのさ」

 

 そう言いながら、レイミアは内扉の鍵を閉める。

 内外から施錠出来る木製の扉は重厚な造りを見せており、見た目以上に堅牢性がある事を物語っていた。

 

「個人的、ですか」

「そうさね。だから内緒話をするにはうってつけさね」

 

 見れば、窓枠は最小限しか備え付けられておらず、外の様子は伺えない。厚い壁は内部の音を尽く遮断し、外部へ漏らす事は無いだろう。

 言われた通り、防諜にはもってこいの部屋。

 そして、その中で何が起ころうが、外部の人間は何も察知することは出来ないだろうとも。

 

「まあ座りなよ」

 

 備え付けられた豪奢な寝台へ腰をかけつつ、レイミアはぽんぽんと自身の隣へ座るよう促す。同時に、寝台の横に備えられているテーブルから、水差しとグラスを取る。

 更に、小さめの香炉を炊き、薄煙を燻ぶらせた。

 その香りを嗅ぐと、何やら身体の芯が熱く昂ぶるような、説明のつかない情欲が湧き上がっていた。

 オイフェは警戒心を隠せず、少しばかり逡巡する。

 

「それとも契約はなかったことにするかい?」

 

 口角を歪ませながらそう言ったレイミア。

 オイフェからすると、確かに身の危険を冒してまでこの傭兵団と契約する価値は、本来ならばない。

 しかし。

 

「いいえ。納得いただくまでお話をしましょう」

 

 この時期。そしてこの場所。

 イード砂漠でどの勢力にも属さない、纏まった兵力。高い戦力。

 そして、決してこちらを裏切らない駒。

 それは、このレイミア隊以外に存在しなかった。

 

「飲みなよ」

 

 おずおずと座るオイフェに、レイミアは寝台の横に置かれたテーブルから、先程と同じように液体が入ったグラスを差し出す。

 だが、その中身は水ではなく、琥珀色の液体。

 

「……」

「安心しな。毒なんて今更盛るつもりはないさね」

 

 そう言いながら、同じ瓶から自身のグラスへ注ぎ、ぐいと飲み干す。

 少しばかり顔を赤らめながら、ほうと生暖かい息を吐いた。

 妖しげなえくぼを寄せるレイミアを見て、オイフェは毒を食らわば皿までと、意を決して杯を傾ける。

 

「っ」

「ククク、お子様にはまだ早かったかねえ」

 

 予想通り、グラスの中身は酒。

 しかし、予想以上に酒精が強い。

 前世でも酒は嗜む程度しか呑んでいなかったオイフェ。加えて、この身体はまだまだアルコールを受け止められる肉体ではない。

 くらりとした酩酊感に耐えつつ、オイフェはレイミアへと視線を戻した。

 

「……契約を渋る理由は何でしょうか」

「そうさねぇ」

 

 レイミアは変わらず妖しげな空気を纏わせ、オイフェと向き合う。

 剣士服をはだけさせ、張りのある胸元を露出させる。

 

「契約金に不満があるのですか?」

「それもあるねぇ」

 

 寝具が擦れる音を立てながら、レイミアはぐいとオイフェへ身体を寄せる。

 女豹のむわりとした雌臭が鼻孔をくすぐり、オイフェは羞恥を堪えるかのような表情を浮かべた。

 

「なら、他に何が」

 

 気付けば呼吸が間近に迫る程密着した両者。

 さながら、蜘蛛の糸にかかった蝶のように、オイフェはレイミアの湿った視線に囚われていた。

 香水と体臭、酒の香りが漂う荒い息。

 それらを嗅ぎ、オイフェの体温はほのかに熱くなる。

 

「簡単さね」

 

 そう言って、レイミアはオイフェへ身体を向ける。

 真っ直ぐに、少年の瞳へ視線を向けていた。

 

「坊やの意図が読めないからだよ」

「……」

 

 女傭兵の率直にして実直な意見。

 契約金の多寡ではなく、依頼主の真意。

 それを正確に読み取る事が、レイミア隊を今日まで生きながらえさせた秘訣であった。

 

「あっ」

 

 ぐいと肩を掴まれ、寝台へ押し倒されるオイフェ。

 レイミアの固く締まった二の腕が露わになり、その腕力はオイフェでは抵抗不可能。

 艷やかで長い黒髪が、オイフェの頬に当たる。

 オイフェの無垢な瞳を覗き込みながら、レイミアは言葉を続けた。

 

「こちとら命を張った傭兵稼業。貴族のお坊ちゃまのお遊びに付き合えるほど気楽な商売じゃないんだよ」

 

 しかし、思ったよりずっと真摯な眼差しで、ややドスの効いた声を上げるレイミア。

 その言葉は、常時戦場へ身を置く、生命(いのち)賭けの傭兵でしか発せぬ言霊。

 

「ガキが戦争ごっこしたいなら余所を当たりな」

 

 そう言って、オイフェを解放するレイミア。

 不機嫌そうにグラスを煽り、ひらひらと手を振りながら、内扉の鍵を放り投げる。

 床に投げ捨てられた鍵を見つめながら、オイフェはああ、とひとり納得げに息を吐いた。

 

(信用ならん、というわけか)

 

 身体を起こしながら、オイフェはさもありなんと思考する。

 考えてみれば、前世含め、共に轡を並べた傭兵達は皆何かしらの“誠”を持っていた。

 栄達の野望や世を救う大義だけではなく、血のつながりや情のつながり。

 理由は様々だが、彼らが戦った理由は、己が定める誠に従ったまでだ。それは、目の前のレイミアも変わらないだろう。

 

 故に、レイミアからして見れば、オイフェの申し出は貴族の道楽に見えても不思議はない。

 契約金の多寡などズレた考えであり、誠心から外れた礼に欠ける振る舞いだったのだ。

 どのような者であれ、計略に従事する者には真心──誠心を持って接するのは、偉大なる祖父から受けた大切な薫陶。それを忘れてはならない。

 

「では、どうすれば信用してもらえるのですか?」

 

 同時に、オイフェはレイミアへある種の“義侠心”も感じていた。

 最悪、交渉決裂時に自身が人質となり、多額の身代金を要求されると予想していたが、蓋を開けてみれば子供へ説教する女傭兵でしかなく。

 もっとも、これに関してはシアルフィ──バイロンの息が大いにかかったフィノーラ領主と契約していた以上、そこまでの無法をする可能性は低く、よしんば事に及んでも対処できるようデュー達を連れていたのもあるが。

 

 悪辣な戦ぶりで知られるレイミア隊であったが、裏を返せば依頼主を決して裏切らないその評価は正しく。

 己の都合だけで、フィノーラ、ひいてはシアルフィとの敵対を避ける義心はあると。

 オイフェはそう判断していた。

 密室で酒と妖しげな香を交えた会合は、こちらの恐怖心を煽る演出だったのだろうとも。

 

「どうすれば、ねぇ」

 

 レイミアは震えて逃げ出すとばかり思っていたオイフェが、予想外の食いつきを見せた事で、心の内に小さな波が立つのを感じていた。

 嗜虐めいた笑みを浮かべ、オイフェの言葉を待つ。

 年頃の少年にしては肝が据わっている。どうやらこの少年は、ただの貴族の御曹司ではないようだ。

 

 そして。

 オイフェは、この時の発言を、生涯後悔する事となる。

 

 

「なんでもします。私に出来ることなら」

「ん? 今なんでもって──」

 

 

 流れが変わった。

 同時に、オイフェは思う。

 

(あ、いかん)

 

 己の学習能力の無さに辟易するオイフェ。

 会った瞬間に、レイミアからはエバンスの女支配人(ショタコン)と同じ匂いがしたのを、何故気付けなかったのかと。

 しかし時既に遅し。

 レイミアはそれまでの妖艶な笑みとは別格の、嗜虐心あふれる女傭兵(ショタコン)の嗤いを浮かべていた。

 

「……なら、そこに立ちなよ」

「は、はい……」

 

 オイフェを自身の前に立つよう促すレイミア。

 そして、無慈悲の言葉を続ける。

 

「脱ぎな」

「え?」

「服を脱げって言ったのさ。なんでもするって言葉は嘘かい?」

 

 そう言ったレイミア。

 己の倒錯した嗜虐心を満たせる、滅多に無い機会。

 逃すはずもなく。

 

「全部、ですか?」

「当たり前だろう」

 

 羞恥に頬を染める少年を、ニヤニヤと厭らしい笑みで見つめる女傭兵。

 事案、事案なのだ。

 

 しかし。

 実はこの時までのレイミアは、どこか冷静な思考を保っていた。

 貴族の御曹司が、素性も知れぬ傭兵、それも女からの、屈辱的な要求を飲むはずがない。

 ここまで脅せば、諦めて逃げ帰るはずだ。

 

「わかりました」

「は?」

 

 だが。

 レイミアのサディスティックな要求をすんなりと受諾したオイフェ。

 するすると自身の衣服へと手をかける。

 

「ちょ、マジかい」

 

 初めて困惑を露わにするレイミア。

 しかし、戸惑うレイミアに構わず、オイフェは脱衣を続ける。

 上着を全て脱ぎ、しなりとした少年の柔肌を露わにする。桜色の蕾が、淫気が籠もった部屋に露出される。

 

「あ……」

 

 そして、オイフェは下履きを脱ぎ始める。衣擦れの音と共に、少年の健康的な脚部が現れた。

 

「ああ……」

 

 レイミアは陶然とした様子でそれを見つめていた。

 少年の無垢な性。穢れなき純潔。

 それが、一枚一枚、花弁が落ちるように露わになる。

 それは、得も言われぬような官能的で、背徳的な光景であった。

 

「──っ」

 

 最後に、オイフェは深く呼吸をし、柔らかい綿布で繕われた下着に手をかけた。

 しゅるりと音が鳴ると、少年の身を包む物は一切なくなり、この世に誕生した時と同じ姿となる。

 

「……ッ」

 

 いささか血走った目を見開くレイミア。

 穢れを知らぬ少年の陰部。

 どの春画よりも淫らな、生々しいまでの未熟な性。

 それが、女傭兵の情欲を容赦なく刺激していた。

 

「これで、よろしいですか?」

 

 前を隠そうともせず、己の全てをさらけ出したオイフェ。赤らんだ顔ではあるが、恥じらいは感じられなかった。

 脱衣(覚悟)完了。

 その意志、その決意。

 少年から溢れる様々な想いが、レイミアの心を穿つ。

 

 己の肉体、必勝の為の手段。

 どのように嬲られようと。

 そして、どのように姿形変われど。

 オイフェは、意に介さない。

 

(シグルド様やディアドラ様……皆の為なら……!)

 

 全ては、愛する人達の幸福の為。

 その為には、己の肉体──貞操など、どうなろうが構わない。

 彼らの幸せな結末さえ見届けられれば、この命さえも惜しくないのだ。

 恥じらいなど、とうに捨てていた。

 ましてや、目の前の女傭兵に恋慕の情など一切無い。

 男娼まがいの行動に至ってしまったのは計算外だが、それでも手段として行使するのに躊躇いは無いのだ。

 

「そこまでするかい……」

 

 あまりにも堂々とした脱ぎっぷりのオイフェに、レイミアは思わずそう述べていた。

 そして如実に感じられる、少年の尋常ならぬ死狂うた覚悟。

 狂信的なまでのそれは、レイミアの肉欲をそそると同時に、何故少年がそこまでして自分達を雇おうとしてるのか、純粋な興味が湧いていた。

 もはや貴族の戦争ごっことは、到底断じる事は出来なかった。

 

「……こっちに来なよ」

 

 レイミアは思う。オイフェのこの覚悟を無下にするのは、かえって礼を失する行いだと。

 据え膳食わぬという思いも多少ある。だが、目の前の美童が、己の肉体をなげうってまで果たそうとする目的が、どのようなものなのか──興味が尽きなかった。

 

「あっ」

 

 寝台に腰掛けるレイミアの前に立つオイフェ。直後、ぐいと手を引かれ、再び寝台へ押し倒された。

 だが、此度のレイミアの表情は、先程の少年を説教する大人の顔ではなく。

 欲情と好奇に満ちた、扇情を煽る“女”の顔だった。

 

「交渉の続きは──」

 

 衣擦れと共に、レイミアもまた己の肌を晒す。

 妙齢の女性だけが持つ、熟れた魅力。

 しかし、筋張った肉体に縦横に走る疵は、その魅力とは程遠い武骨な物。

 

 だが、思春期の殆どを戦場に身を置いていたオイフェには、それが不思議と“美しい”と感じられた。

 

 

「臥所の中でやろうかね」

 

 

 かくして。

 少年軍師が前世から守り続けた花は、砂漠の地にて散らされる事となる。

 

 

 

 


 

「何をする!?」

 

 オイフェとレイミアが離れへと移り、しばしの時が経った。

 少年軍師に随行する金髪三人衆は別室に案内され、まんじりとした時間を過ごしていた。

 が、しばらくすると一人の女傭兵が監視の者達へ何事かを伝える。直後、傭兵達は突然三人の身柄を拘束せしめた。

 

「抵抗するんじゃないよ!」

「あんたらの大将の身柄はウチのお頭が預かってるんだ。大人しく縄につきな」

「くっ……!」

 

 当然、ホリンは抵抗を試みるも、オイフェが人質となっている事実を突き付けられ、それ以上の抵抗が出来ないでいた。

 

「ま、なるわな……」

「やっぱ怖いスね傭兵は」

 

 ベオウルフとデューは無駄な抵抗はせず、大人しく捕縛されていた。

 どこかこうなるであろうと予測していたベオウルフと、このような状況でも呑気な空気を纏わせるデュー。

 そのような二人を見て、ホリンは苛立ちを隠せず。

 

「お前ら! こんな状況でよくもそんな──」

「まあ落ち着けやホリン」

 

 しかし、ベオウルフが真剣な眼差しでホリンを見る。

 いつもの享楽的な態度とは違い、何かしらの考えがあるのが見て取れた。

 

「姐御はそこまで馬鹿じゃねえよ」

「む……」

 

 短くそう告げるベオウルフ。

 傭兵レイミアの事を多少なりとも知っているベオウルフは、ここでオイフェに危害を加えるような浅慮はしないだろうと判断していた。

 

「大方俺らをビビらせて追い返そうとする腹積もりだろ。何かするつもりならとっくにやってるさ」

「んだね。ま、ここはオイフェの交渉を信じようよホリン」

「……」

 

 二人からそう言われては、黙るしかないホリン。

 客観的に見て、オイフェ一行が直接的な危害を被る可能性は低い。

 戦力の高いレイミア隊ではあるが、所詮は一介の傭兵団。グランベルの貴族に楯突く気は毛頭無い。

 オイフェの身に何かあれば、大国からの報復は免れないからだ。

 

 しかし、だからとて巫山戯た契約をすんなり受けては、傭兵団としての面子に傷がつく。

 貴族を震え上がらせる──“地獄のレイミア”としての箔をつける為、必要以上に物々しい雰囲気を作り出しているだけ。

 このベオウルフの判断は概ね正しく、デューもまたオイフェの胆力を信じてそのような結論に至っていた。

 もっとも、二人はオイフェが別の意味でナニかされているとは露程も思いつかなかったのだが。

 

「それに、いざとなれば……ね?」

 

 ふと、小声でホリンへ囁くデュー。

 縛られた両手をくいと動かし、親指で丸を作る。

 この程度の拘束など、容易に抜けられると暗に伝えていた。

 

「……わかった」

「ったく、姐御を敵に回すなら報酬を上げてくれなきゃワリに合わねえぜ」

「二人とも気をつけてね。オイフェに何かあったらマズいし」

 

 既にナニかされているのだが、それでも緊急の鉄火場に備え、三人は監視の者に聞こえぬよう小声で囁き合う。

 武器は拘束の際に取り上げられていたが、ホリンの実力ならば無刀でも目の前の監視は片を付けられる。

 監視の者達から武器を奪い、デューの手引きでオイフェを救出。

 その後はフィノーラの領主の元へと逃げ込めば良い。

 

 しかし。

 

「──この子がいいわ」

「へ?」

 

 ふと、監視の一人が、デューの前に立った。

 品定めするかのように、その表情を厭らしく歪める。

 

「ちょっと先輩方。あたし達の分も残しておいてくださいよ」

「はいはい。ま、あんた達は黙って見張りを続けな」

「ちょっとは愉しめそうね……ウフフフ」

「あなた達はくじで決めた順番をちゃんと守りなよ~」

「くじって、絶対いつものイカサマじゃないスか。いいんスかこれ」

「先輩……あなたはクソだ」

 

 見れば、監視の女傭兵達にも序列のようなものがあり。

 先輩と呼ばれた三名の女傭兵に、その後輩であろう三名の女傭兵らが口々に不満を述べていた。

 

「なっ、おいらに何するつもりだ!?」

「うるさいガキだね。いいからこっちへ来な」

 

 拘束されたデューを無理やり立たせる。

 先輩傭兵の三人。その内、一人は筋骨逞しいソードファイター。もう一名は、回復聖杖を携えたシスター。残るは、ぴりりと紫電を纏わせるサンダーマージだ。

 引き続き監視を続ける女傭兵は、ソードファイター二人に、ボウファイターが一人。

 

「そう来たか……ちとマズイな」

「ベオウルフ、どういうことだ?」

 

 苦虫を噛み潰したような渋面を浮かべるベオウルフ。ホリンもまた緊迫した様子を浮かべる。

 

「姐御よろしく、レイミア隊はサディスティックな連中の集まりでな……大方、デューを痛めつけてこちらを恐れさせるつもりだろうよ」

「なにっ! なら──」

「まあ待て待て。ライブ持ちもいるってことは、痛めつけた後はちゃんと治療するつもりだ。悪趣味なのは変わらんが」

「くっ……」

「デューには気の毒だが……しばらくすればもっと監視の目が緩む。どちらにせよ、それまで待つんだ」

 

 そう諭され、ホリンは浮かばせた腰を下ろす。

 忸怩たる思いを堪え、盗賊少年へ心配げな視線を向けた。

 

「デュー……!」

 

 連行されるデューの後ろ姿を見つめるホリン。その背中は少しばかり震えている。

 

「ホリン……ベオっちゃん……!」

 

 当のデューは、これから行われるであろう“拷問”を想像してか、幾許かの恐怖を滲ませている。

 油断を誘う為にあえて呑気な空気を醸し出していたデュー。

 しかし、嗜虐趣味を持つ者達にとって、それは逆効果であったと、後悔も滲ませていた。

 

「デュー……すまない……」

「お前その呼び方いい加減やめろよな……」

 

 ホリンとベオウルフの不安げな視線を背に、デューは隣室へと連れて行かれた。

 

 

 

「わあっ!?」

 

 そして。

 乱暴に連行されたデュー。

 瞬く間に両手足を寝台へ縛り付けられ、衣服を全て剥ぎ取られる。

 

「お、おいらは暴力には屈しないぞ!」

 

 四肢を縛り付けられては、いかなデューとはいえ縄抜けは難しい。身を捩らせながら、勇敢な盗賊少年は精一杯の抵抗を示していた。

 

「んじゃ、私からね」

「ちょっと、順番は?」

「年功序列よ。くじは無効だわ」

「ずるい~」

 

 しかし。

 怯えるデューは、目の前の女傭兵達が脱衣し始めたのを見て、訝しげな表情をひとつ浮かべる。

 そして、ちょっと期待に満ちた表情も浮かべた。

 

「た、楽しいかも……い、いや、でもおいらには天馬騎士のおねーさん達が!」

 

 会ったこともない女性達に操を立てるデュー。だが、この場ではひどく無意味であった。

 

「こちとら男日照りが続いてたんだ。早かったら承知しないからね」

「あ、いや、あの、おいら、こういうのは初めてというか、その、優しくしてというか、おいらは……!」

 

 かような懇願はガン無視され、一番槍を務めしソードファイターの女が、寝台に縛りつけられるデューに勢い良く跨った。

 

「こうるさい!」

「おいらアッ──!」

 

 

 デューの花が乱暴にむしり取られたのは、奇しくもオイフェの花が摘まれたのと同時刻であった。

 

 

 

 

「アッ! アウゥ! アアッ──!」

 

 隣室から僅かに漏れるデューの悲鳴(嬌声)

 それを聞いたホリンとベオウルフは、その表情を憂いに沈ませていた。

 

「デュー……!」

「ひでえ事しやがる……きっと電気(サンダー)を使ってる」

 

 地獄のレイミア隊の名に恥じぬ、悍ましいまでの地獄が繰り広げられているであろう事を想像したホリン達。

 しかし、減ったとはいえ、残された監視の者達は、なぜか集中力が増しているように見え、迂闊な行動は取れずにいた。

 

「ああ、早く交代来ないかな」

「楽しみっス」

「怒らないでくださいね。楽しみすぎて監視を緩めるとかバカみたいじゃないですか」

 

 油断なく警戒する女傭兵達。その様子に隙きは一切無かった。

 

「悪魔め……!」

 

 悪辣な女傭兵団に、ホリンは愚弄する事でしか、その暴虐に抗うことは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




Q.前話のスケベシーンと情景が若干違くない?
A.そうでしたっけ?フフフ^^


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第36話『恋話オイフェ』

 

 グラン歴777年

 自由都市ターラ

 

 光の公子セリス率いる解放軍が、トラキア王国との血戦に打ち勝ち、幾日が経った頃。

 誰がために戦ったのか、トラキア戦は解放軍の将兵に様々な想いを残していた。

 しかし、これにて後顧の憂いを断った解放軍。哀しみや憎しみを乗り越え、いざグランベル本国を解放せんと気炎を上げる。

 そして、解放軍は南トラキアはルテキアと北トラキアはメルゲンとのちょうど中間に位置する、自由都市ターラへ入城していた。

 

 ターラに駐屯していたムーサー将軍率いる帝国軍は、先のトラキア戦にて戦力の殆どを喪失しており、残置部隊は解放軍の接近伴い早々に撤退している。

 故に、ターラは無血開城にて帝国の支配から解放されていた。

 

 

「……」

 

 ターラ領主の館。

 その執務室にて、黙々と大量の軍状書類を捌いているのは、解放軍の軍師であり軍政全般を統括するオイフェ。

 部隊の再編成、兵站の構築、進攻ルートの確保等、軍勢が進発する上で必要な事項を処理していく。

 

「思ったより兵糧の心配はせんでいいな……」

 

 解放軍にとって幸運だったのは、残置部隊がターラのインフラや物資を破壊、略奪せずに帝国内地へ引き上げていった事だろう。もっとも、これに関してはターラ前市長の娘、リノアン公女が事前に市内へ潜入しており、市民の掌握や諸々の工作活動の結果、残置部隊は逃げるように帝国へ発ったという背景もある。

 ともあれ、トラキア戦で消耗した解放軍は、十分な補給を受けた状態でミレトス地方へと進攻できる。帝国内地へ攻め入る為、ミレトスの早期解放は必須であった。

 

 今や反帝国の抵抗運動は各地へと広がっており、グランベル帝国はその反乱に対処する為、兵力を分散せざるを得ない状態に陥っている。

 シレジアではミーシャ将軍率いる新生天馬騎士団が大いに暴れまわっており、ヴェルトマー騎士団ロートリッターの半数が鎮定に乗り出すほどだ。

 アグストリアでも民衆による蜂起が多発し、各都市で帝国排斥運動が起こっている。

 ヴェルダンでは帝国の支配力が弱まったのを受け、山賊化した豪族がここぞとばかりに大規模な略奪行為を始めており、これらに対応するべくユングヴィ騎士団バイゲリッターがユン川国境を固めていた。

 

 つまり、グランベル帝国内地の守りは、常時にくらべ手薄いといえた。

 この機を逃す軍事的理由は無い。

 

「ふう」

 

 一息入れるオイフェ。

 時刻は夜半。先程まではターラ解放を喜ぶ酒宴が行われており、オイフェもこれに参加していた。

 だが、宴が中締めした後、オイフェは執務室へ向かっている。

 情勢は一刻の猶予も許されない。

 しかし、解放軍の若者たちにはしっかりと英気を養ってもらいたい。

 だから、この仕事は己一人で構わない。

 

「もうすぐ……もうすぐです、シグルド様……」

 

 そして、何より。

 あの仇敵を討つ機会が目前に迫っているのだ。アルヴィス皇帝を守る禁衛部隊、ロートリッターの半数はシレジアへと出兵している。

 帝国内では、もはや赤い皇帝より闇の皇子──ユリウス皇子を優先した防衛体制となっていた。皇帝を守る戦力を減らしてまで、占領地の鎮定を優先する始末。

 

 オイフェはこの好機を逃すはずもなく。同情心など一切湧かず、ただ己の復讐心を燃え上がらせていた。

 酒が入っていても、仇討ちの準備に支障はない。

 

「……」

 

 とはいえ、それなりに飲酒量があったオイフェ。

 喉の乾きと少々の空腹を覚えると、食堂へ向かうべく腰を上げる。

 この時間、いまだ酒宴を開いている者はいないだろう。

 

「さて」

 

 しばらくして食堂へ辿り着いたオイフェ。最低限の明かりで照らされた食堂内。宴は広い中庭で行われており、使用人らも早々に撤収したのか、人の気配は無く。

 オイフェは飲料と軽食を調達するべく、一人厨房内へ立ち入る。

 生憎、ロクな食料は残されていなかったが、なんとかパンと干し肉を見つけた。

 

 そして、執務室へ戻ろうとしたオイフェ。

 

 だが、その時。

 

「んじゃ、第二部おっ始めようかー!」

「女子会よ女子会ー!」

「後半戦まいりましょう! 後半戦スタート!」

 

 入り口から元気の良い女子達の声が響く。

 思わず、厨房内に隠れるオイフェ。

 脊椎反射で身を潜めてしまう。

 

「ほらほら、アルテナ様も飲もうよ!」

「ずえったい逃さないから~!」

「い、いや、私はこの、女子会? なんて初めてだから、その」

 

 見れば、こまった顔を浮かべオロオロする王女アルテナの両腕を、がっしりと掴み連行する小娘共の姿があり。

 右腕を掴むは、シレジアの天馬少女フィー。左腕を掴むのは天真爛漫な盗賊少女パティだ。

 更に、彼女達の後ろにぞろぞろと続く乙女達の姿。

 

(皆、これからまた呑むつもりか……なんとまあ)

 

 呆れたようにそう思うオイフェ。

 きゃいきゃいとそれぞれ席につき、持ち込んだ酒や軽食を広げる乙女達を見て、その若さ溢れるバイタリティに舌を巻いていた。

 

「ほら、ユリアも座りなよ」

「はい。ありがとうございます、リーンさん」

「あ、ラクチェ! それ皆で食べようと残してたキッシュよ! 何一人で食べてんの!」

「いいじゃないナンナ! 減るもんじゃなしに!」

「あ、あの、減っているんですけど……」

「ティニー、ラクチェは昔っからこんな感じだから、ツッコむだけ無駄よ」

 

 ダーナの踊り子リーン、謎めいた神威を放つ少女ユリア、ノディオンの王女ナンナ、剣姫の娘ラクチェ、慈愛のフリージ娘ティニー、ユングヴィ公女の逞しき娘ラナ。

 解放軍の女性陣が勢揃いである。

 よくよく見れば、彼女達は皆一様にほんのりと頬を桜色に染めており、既にそこそこの飲酒量が伺えた。

 

「オーシェーイ……」

「おらよ……」

「何を言っているのですかあなたたちは……?」

 

 特にパティとフィーの酩酊ぶりは酷く、余人には難解な言語にて会話を成立させており、両サイドを挟まれたアルテナの困惑は深まるばかりである。

 

(やれ、これは困った)

 

 息を潜めつつ、オイフェは何故さっさと立ち去らなかったかと後悔する。

 既に聖戦乙女達のギアはマックスまで上げられている。ここで迂闊に姿を表せば、酔っぱらい共に捕捉され酒のツマミにされるのは必定。書類仕事の続きなど望むべくもない。

 それに、あけすけなぶっちゃけトークを楽しむ女子達の中に、自分のようなおじさんがいては興ざめする者もいるだろう。

 

(どうしたものか……)

 

 しかし、このまま隠れて聞き耳を立て続けるのも、いささか具合が宜しくない。酔っぱらい乙女達の本音が飛び交う中、聞いてはいけない内容も絶対出てくるからだ。

 オイフェにとって娘とも妹とも思える聖戦の系譜を継ぐ乙女達。故に、己が立ち入ってはならぬ、守られるべきプライバシーがある。

 

 なんとかして気付かれずに脱出できぬものか。

 そう、オイフェが思考していると。

 

「うぇえええ!? リーンってばもうアレスとそんなところまで行ってたのー!?」

 

 きゃああと黄色い歓声が上がる。

 テンションが上がったパティを前に、リーンが頬を染めている。そして、それは酒のせいだけではないだろう。

 

(これは気まずい……)

 

 始まってしまった。

 乙女達の初々しい恋話(こいばな)にして、生々しいガールズトーク(下ネタトーク)が。

 オイフェは非常に居心地が悪くなる思いでそれを聞く。同時に、できればもっとオブラートに包んでほしいとも思っていたが、それは望めないだろうと、諦観の想いも抱いていた。

 

「で、でもまだキスまでだし、そこまでは……」

「ちゅーしてんじゃん! めっちゃちゅーしてんじゃん! あたしもシャナンさまとちゅーしーたーいー!!」

 

 リーンの想い人、アグストリアの正統なる後継者であるアレス。そのアレスと順調に愛を育んでいるリーンに、パティは子供のような駄々をこねる。

 すると、フィーがやや呂律の回らない口調でパティへ言葉をかける。

 

「シャナンさま、かっこいいからね〜。パティもうかうかしてらんにゃいよ〜」

 

 からかうような口ぶりのフィー。

 オイフェと共にセリスの両輪として神剣を振るう、イザークの王子シャナン。そのシャナンを、パティが堂々と懸想し続けているのは周知の事実であった。

 

「むぅ……!」

 

 パティはフィーの言葉を受け、赤らめた頬をむむっと膨らます。その赤みは、酒のせいだけではないだろう。

 盗賊少女は反撃の口火を切る。

 

「そーゆーフィーはアーサーとどうなのさ? もうちゅーまでしたん?」

「ファッ!?」

 

 予想外の反撃を受け、フィーは乙女らしからぬ汚い叫び声を上げる。

 

「あ、いや、ア、アーサーとは別にそんなこと……あいつとは、あ……相棒みたいなもんだし……」

 

 急に弱気になり、ごにょごにょもじもじと身を竦ませるシレジア天馬少女。その表情はほんのりと赤く、それは酒のせいだけではないだろう。

 共にシレジアから旅をし続け、もはや一心同体とまでなった相棒の姿──長い銀髪を揺らす、魔法戦士アーサーの姿が、天馬少女の脳内を占める。

 

 いじり甲斐のあるその様子。

 俄然パティの追撃は続く。

 

「そんなこと言っちゃって~。ほんとは隠れてえっちな事とかしてんじゃないの~? 例えば──」

「エッチな事してるんですか!?」

「おっふ」

 

 唐突に、そして轟然とパティの言葉を遮るのは、アーサーの実妹であるティニーだ。その勢いに押され、パティは思わず口を噤む。

 兄と天馬少女との情事に、ティニーはあふれんばかりの好奇心を覗かせていた。

 

「た、例えば、縄とか使ったり──」

「は?」

 

 しかし。

 好奇心で隠しきれぬ、アブノーマルな性癖も覗かせるティニー。

 フリージ乙女の性癖的伝統は、残念ながらこの少女にも色濃く受け継がれていた。

 

「ロウソクとか、バラ鞭とか。あ、でもお兄様はどちらかというとヘタレ攻めな気質もあるから、もしかしてフィーさんが」

「ティニー?」

「でもお兄様の強気受けも捨てがたい……」

「ティニー!?」

「野外露出放置剣山生花お兄様……ある!」

「ないよ! ていうかどんな変態プレイなのよそれ!!」

 

 ぐるぐる目でまくし立てるティニー。顔が赤いのは、酒のせいだけではないだろう。

 

「そーいうティニーこそ、あたしのお兄ちゃんとどうなのよ!?」

「ふぇっ!?」

 

 お返しとばかりにフィーの必殺の一撃を喰らうティニー。

 フリージ少女の脳裏に浮かぶのは、フィーの実兄にしてシレジア王位継承者、風の勇者セティの姿。

 

「ミーズで結構いい感じになってたじゃん! 皆知ってるんだよ!」

 

 ミーズ城攻略の際、セティとティニーは敵陣後方での破壊工作に従事している。

 危険な任務を共に乗り越えた二人。余人が見ても分かりやすいほど仲を深めていた。

 

「ふぇぇ……!」

 

 セティとの仲を指摘され、ティニーはゆでダコのように顔を赤くさせる。

 この少女、土壇場では異様な攻撃力を備えるが、防御力は紙装甲。いつものやられ負けである。

 

「あなた達、お互いのお兄さんのことが好きなのね……なんだか不思議な感じ」

 

 ふと、傍観していたナンナがそう呟く。

 それを聞いた瞬間、絶好のタゲ逸しの機会が訪れたとばかりに、ティニーが懸命に口を開いた。

 

「ナ、ナンナさんだって、リーフ様に告白されたって聞きましたよ!」

「えっ!?」

「どこまで進んだんですか!? もうしっぽりずっぽししたんですか!?」

「なに言ってんの!?」

 

 ティニーの腹いせにも似た怒りの連続攻撃に、ナンナもまた狼狽す。セリスに次ぐ解放軍の象徴であるリーフの姿が、ナンナの乙女心に浮かぶ。

 そして、思い起こされるは、リーフ軍の戦いの節目となるマンスターの魔城での戦い。

 北トラキアで蠢動せし闇の司祭、ベルド司祭との戦いに勝利したリーフ達。その後、リーフから愛の告白を受けていたナンナ。

 アルスターのミランダ王女などごく一部の者を除き、その恋路を解放軍全体が勝利と共に祝福していた。

 

「実はあたし、マリータさんから色々聞いてるんだよね。なんか夜な夜なリーフ様の寝室からナンナのエッチな声が聞こえるとか……」

「ちょ!? リーンまでなに言ってんの!? リーフ様とはまだそこまで──」

「まだそこまで? じゃあ、どこまでいったのかしら?」

「ラ、ラナまで……うぅぅ……!」

 

 にやにやと嗤いを浮かべるリーンとラナ。いじられるナンナは、どう答えればよいか、悶々とするばかり。

 その表情は赤く切ない。酒のせいだけではないだろう。

 

「えっと……ッ!?」

 

 すると。

 ナンナ……否、乙女達は、食堂内に強烈な闘気が立ち込めるのを感じた。

 

「ナンナ……その話、詳しく聞かせなさい」

「ヒッ」

 

 ずいと身を乗り出し、ナンナへ詰問するは、リーフの実姉であるアルテナ。若干目が据わっているのは、酒のせいだけではないだろう。

 トラキアで運命的な再会を果たしたレンスターの姉弟。

 失われた家族の時をやり直すかのように、アルテナはリーフへ、リーフはアルテナへ親愛の情を向けていた。

 しかし、アルテナに関しては、それまでの反動からか若干ブラコンの気質を醸し出しており。

 

「帝国との戦いが終わるまでリーフと破廉恥な事をするのは許しません!」

「ひゃ、ひゃい……」

 

 泣き面に蜂とはこのこと。

 将来の義姉であるノヴァ直系の圧力に、ヘズル傍系の義妹は怯え竦むばかりである。

 しかし。

 母から受け継がれし勝ち気なカリスマが、ナンナにその圧力に抗う特攻精神を与えていた。

 

「で……ですが、そういうアルテナ様だって、コープルといい感じじゃないですか。わたし見ましたよ。アルテナ様がコープルと恋人繋ぎで手を繋いでたの」

「ヌ゛ッ!?」

 

 姫騎士ならぬ汚い呻き声。アルテナもまた、特攻には紙装甲だった。

 トラキアの盾、名将ハンニバルが養子コープル。その可憐な少年は、幼少の頃からアルテナの遊び相手として度々トラキア城を登城する身であり。実の姉弟のように、アルテナとコープルは仲睦まじい日々を過ごしていた。

 故に、トラキアでの戦いが終わった後。

 その仲が増々深まるのは、むべなるかな。

 

 ちなみに、アルテナにはトラキアの王子アリオーンとの恋仲が囁かれていたが、両者は家族愛以上の情を互いに抱いていないのが実情だった。

 それは、亡きトラバント王の南北統一の想いとは相反する、ただ純粋な家族の愛情。

 トラバントには、実子アリオーンと養女アルテナの子を統一トラキア王国の王、南北統一の象徴として据える思惑があったのだ。

 天槍グングニルと地槍ゲイボルグが融和を果たすその光景。

 だが、もはやその光景を見ることは叶わないだろう。

 トラキアは、リーフの元で再統一される運命だった。

 

「ショタ……」

「ショタコン……」

「ショタコンだわ……」

「うーん、なんでか分からないけど、なんか複雑な気分……」

「清廉強気姫竜騎士×弱気少年プリーストのおねショタ……ある!」

「い、いえ! コープルとはそういう関係ではありません! な、なんていうか、も、もう一人の弟というか、その、そういうのじゃ……!」

 

 そんなこんなであわあわと狼狽を露わにするノヴァの聖戦士。

 先程まで放っていた鋭利な闘気は、頼りない真綿の如き空気へと変わっていた。

 

「ラ、ラナはどうなのですか!? セリス様をお慕いしているとリーフから聞きましたよ!」

 

 力技でラナを次の標的に仕向けるアルテナ。

 しかし、ラナはそれまでのねんね共とは違い、不敵な微笑みを浮かべていた。

 

「そうですね、わたしはセリス様が好きですよ」

「えっ!?」

「やっぱりそうなんだ!」

「ラナ、かっくい〜!」

 

 今まで思わせぶりな態度だったラナが、改めてセリスへの想いを、堂々と宣言するその勇姿。

 時空が違えば、その雄姿は世紀末覇者の如き風格を備えていたであろう。

 王者の風格を放つラナに、周囲は称賛の眼差しで──

 

「わたしもセリス様が好きですよ」

 

 瞬間。

 ピシリと場の空気が凍る。

 その中で、柔和な笑顔を浮かべるひとりの少女。

 聖女ユリアの参戦である。

 

「えっと、これは……」

「ま、まさかユリアもセリス様を……」

「ど、どうしましょう……!」

「どうもこうもないよ!」

 

 周囲がざわつく中、ラナは微笑みを絶やさず。こめかみに青筋がうっすらと浮かぶのは、酒のせいではない。

 ちなみに、この段階ではセリスとユリアの()()()()()を知る者は、解放軍では一人を除き皆無である。

 

「そう……わたし、小さい頃から、セリス様とずっと一緒に過ごしてきたの。その重みが分かるかしら?」

「はい。とても素敵だと思います」

 

 ラナの牽制にまったく動じないユリア。

 手強き相手に、ラナはみしりと拳を握る。

 

「わたしはセリス様の優しい心が大好きなの」

「はい。わたしもセリス様の優しいところが好きです」

「わたしはセリス様の勇気溢れる心も大好きなの」

「はい。わたしもセリス様の勇気に助けられました」

 

 剣呑な空気を醸すラナ。しかし、無垢なユリアには響かない。

 

「じゃあ──!」

 

 ならば、伝家の宝刀を繰り出さん。

 強力なマウントを取るべく、ラナはキリリとユリアを見据えた。

 

「わたしはセリス様の裸を見た事があるわ!」

「えっ、それって子供の頃の話じゃ……」

「うっさいわねナンナ!」

「ヒィッ」

 

 特大のマウントを一瞬で台無しにされたことで、ラナは覇王の形相をナンナへ向ける。

 兄であるデルムッドより、ティルノナグでの思い出を聞いていたナンナ。幼い頃、よく皆で川遊びをしたもんだと、デルムッドはしんみりと幼少期の無邪気な思い出をナンナへ聞かせていた。

 そのおかげで、ナンナは猛烈な邪気に晒されていたのだが。

 

「セリス様の裸は見た事ないです……」

 

 しかし、それまでの笑顔が消え、しゅんと気落ちするユリア。

 それを見たラナは、己の勝利を確信し、握りしめた拳を天高く掲げた。

 

 しかし。

 

「でも、セリス様の下着なら嗅いだことがあります」

 

 再び場の空気は凍る。

 そして、にっこりと聖女の如き尊い笑顔で度し難い事をのたまうユリア。酒のせいでは、ない。

 

「セリス様の下着を嗅いでると、とても安心するんです」

 

 やや陶然とした表情でそう述べるユリア。

 対して、ラナの表情は死んだ。

 

「こまった。ちょっとかてない」

「ちょっ、ラナ、大丈夫!?」

「ああ、そういえばユリアはよく洗濯係をやってたよね……アレスのは嗅いでないよね?」

「あたしもシャナンさまのおぱんつ盗もうかな……」

「は、破廉恥な! 破廉恥すぎます!」

「レベル高いです……わたしもまだまだですね……」

 

 そのまま立ち往生するラナ。周囲は騒然とし、もはや収拾はつかず。

 聖戦の女子会は混沌を極めていた。

 

 

(これはひどい)

 

 一人身を潜ませ続けるオイフェ。今まで聞いていた上で、出た感想がこれである。

 乙女達の酷いラリーの応酬。矢玉飛び交う戦場の凄惨な光景が如く、全員が被弾せしめ、致命傷を受けていた。

 オイフェは勝利者のいないこの無惨な戦いを、ひっそりと嘆くばかりであった。

 

 しかし。

 一人だけ、この過酷な戦いに巻き込まれず、泰然自若と傍観し続ける乙女がいた。

 

「ふーん。エッチじゃん!」

 

 モグモグとミートパイを頬張り、嚥下しながらそう述べるは、解放軍の剣豪乙女ラクチェだ。

 

「……ラクチェだって、ヨハン達にいつも凄い求愛されてるじゃない。実際どうなのよ?」

 

 かろうじて復活したラナが、それまで被弾せずにいたラクチェへ恨みがましい視線を向ける。

 ラクチェに想いを寄せる、ドズルの貴公子兄弟。父を裏切ってまでラクチェへの想いを優先した兄弟に、どう応えるつもりなのか。ラナはそう問いかけていた。

 

 そして、ラナは幼馴染であるラクチェが、己の援護射撃を一切放棄していたのも、言外に咎めていた。

 もっとも、ラクチェがずっと黙っていたのは、食べ物を喰らうのに夢中だったのもあるが。

 

「そうね。あたしは──」

 

 そう言うと、ラクチェは刀剣の如き怜悧な闘気を滲ませる。

 まさしく、それは死神の気配。乙女達は思わず姿勢を正し、首筋に冷えた汗を垂らす。

 

 解放軍の死神兄妹──特に妹には用心せい。話が通じないから。

 

 敵対するあらゆる勢力へ、このような最大の警戒をもたらした剣豪乙女。

 味方にとって戦女神ともいえる頼もしき戦意が、敵には死神の処刑宣告に変わる、その残酷なまでの武威。

 ラナを含め、乙女達は皆、この場にラクチェを招いた事を若干後悔し始めていた。

 

「──あたしは、あたしより強い男としか子作りしないわ!」

「「「えぇ……」」」

 

 しかし、斜め上を行くラクチェの言葉。

 流星のようにあさっての方向へ飛んでいく。

 

(これはひどい)

 

 そして、頭を抱えるオイフェ。

 ラクチェの蛮勇極まりない恋愛観を受け、淑女教育を怠った過去の自分、ついでにその教育を放棄していたシャナンを責めていた。

 同時に、ラクチェの情操教育に手こずっていたであろうエーディンへ、最大限の同情も抱いていた。

 

「ま、あたしより弱くても、せめてあのレックス公子みたいないい男になってほしいわね!」

「ヨハン達には難しいんじゃないかしら。 エーディン母さまからよく聞いてたけど、いい男レベルが段違いだと思う」

「わたしもレヴィン様から聞かされました。いい男のいいお話を、たくさん」

「あたしも小さい頃ね、お母さんから聞いた。シグルド様と勇者達といい男の物語!」

「あたしもコノートの孤児院で聞いてたよ! お兄ちゃんがよくいい男のマネしてた!」

「フィアナ村でも流行ってたなあ。リーフ様がオーシンやハルヴァンといい男ごっこして遊んでた」

「あたしも行く先々で吟遊詩人から聞いていたわ。いい男の叙事詩(いいサーガ)を」

「わたしもお母様から聞きました。お母様とお父様といい男の昔話……」

「私もよく知っています。ドズルのいい男の話を聞くと、なんだか元気がでてきました」

 

 宴もたけなわ。

 壮絶な殴り合いを演じた乙女達であったが、ふとそれまでの自身の過去を振り返ると、しんみりとした空気が流れる。

 それぞれが想いに耽るその様子。

 もう、彼女達にわだかまりはなかった。

 なぜなら、皆同じように、辛い過去があったからだ。

 

「色々あったなぁ……」

「そうだね……」

 

 誰一人として、満たされた少女時代を過ごしていない。

 辛い生活、辛い出来事。

 奪われた家族、引き裂かれた家族。

 辛く、険しい困難。

 

 そして、これからも、彼女達は様々な試練に直面するだろう。

 

 しかし。

 

「皆がいるから、乗り越えられた……がんばってこれたんだよね……」

 

 ふと、フィーがそう呟く。

 顔を上げる乙女達。その表情は、明るい。

 

「それに、大好きな人もいるから、もっとがんばれるしね!」

 

 赤らんだ笑顔でそう返すパティ。

 それを聞き、乙女達の頬も赤らむ。

 それは、酒のせいではない。

 

 愛する仲間。

 そして、愛しい人がいる限り。

 乙女達は、これからも困難に打ち勝つことが出来るだろう。

 

「あの、ラナさん」

 

 赤らんだ顔で、ユリアがラナの顔を覗く。

 ラナは、今度こそ──笑顔で、ユリアを見つめた。

 

「わたし、ラナさんも好きです。セリス様や、皆さんと同じくらい」

 

 セリス様への想いが、お互いに少し違うのかしら。

 ユリアの慈愛の言葉を聞き、そう思ったラナ。

 同時に、ユリアの純粋さを眩しく思う。

 

「……わたしも、ユリアが好きよ。皆も、同じくらい好き」

 

 ただ、セリスへの想いを抜きにしても。

 ラナは、ユリア──全員が、好きだった。

 

「みんな愛してるぜ〜!」

「もう! パティったら!」

「私も皆を愛しています!」

「アルテナねえさ──アルテナ様まで……」

「わ、わたしも、皆を愛してます!」

「あたしの方が愛してるわよ!」

「なんでそこに対抗してんのよラクチェは……」

 

 気付けば皆で肩を抱き合い、絆を確かめ合う聖戦の乙女達。

 笑顔で抱き合い、笑顔で語らうその様子。

 それは、輝かしく。

 そして、尊い光景だった。

 

 まるで、彼女達の親が

 悲劇に遭う、その時まで過ごした

 

 慈しい光景のように──

 

 

 

 

「やれやれ……」

 

 結果として、オイフェが厨房から姿を表したのは、乙女達全員が力尽きた明け方になってからであった。

 酒瓶やら酒椀やら皿が散乱する中、テーブルに突っ伏す者、床に寝転ぶ者、だらしなく椅子にもたれかかる者。

 惨憺たる有様を見て、オイフェは苦い笑いをひとつ浮かべる。

 

「徹夜だな、これは」

 

 書類仕事を残して睡眠は取れず。慮外の徹夜仕事になってしまった事を、誰に文句を言えばよいのやら。

 ともあれ、その前にやるべき事がひとつ。

 

「まったく、嫁入り前だというのに……」

 

 乙女達が風邪を引かぬよう、毛布をかけたり、ソファへ運んだり。

 この様子では、乙女達が覚醒するのはまだまだ先だ。放置するわけには行かない。

 だらしなく腹を出し、床で大の字で眠るパティを抱え、ソファへ横たわらせる。

 

「んにゃぴ……シャナンさまぁ……」

 

 可愛らしい寝言を言うパティ。

 想い人であるシャナンへの気持ちが、寝ても覚めても溢れていた。

 

「……」

 

 パティの寝顔を見つめるオイフェ。

 その恋の行く末。成就してほしいと想う。

 

 だが、それには様々な困難が待ち受けているだろうも、オイフェは思っていた。

 

 パティやリーンに待ち受ける、それまでの育ち、身分の差による障害。

 ラクチェやフィー、ティニーが乗り越えなければならない、互いの家、一族への因縁。

 ナンナやアルテナを襲う、南北の民からの怨嗟、怨念。

 そして、ラナとユリアが背負う、王者の責務、その重圧。

 

 恋する乙女達。しかし、その恋は、決して普通の恋ではなく。

 常人ならば早々に諦めてしまうほど、重く、切ない恋だった。

 

「……」

 

 オイフェはしばし瞑目する。

 彼女達の幸せ──恋が実り、幸せな結末を迎えるよう、真摯に願っていた。

 決してあのような──愛した主君、その伴侶を襲った、悲劇を繰り返してはならない。

 

「私に出来る事は限られているが……頑張るのだぞ」

 

 そう言い残し、オイフェは乙女達を起こさぬよう静かに食堂を出る。

 政治的な困難は、いくらでも手助けをしてやれる。

 しかし肝心の男女の恋愛は、オイフェにはどうしようもなく。

 

「私には縁なき事だからな……」

 

 オイフェは想う。

 己の人生に、色恋沙汰は無縁であると。

 それは、オイフェの誓約にして、悔恨の念から来るもの。

 

 彼女達の親──リューベックで、彼女達の親に()()()()()自分が、どうして色恋に現を抜かせるのだろう。

 どうして、シグルド様とディアドラ様の仇を取らず、伴侶を迎える事が出来るのだろう。

 

 己は、この命、彼らの為に捧げなければならぬ。

 セリス様、聖戦士の子供達に、捧げなければならぬ。

 彼らの子供達に、報いなければならぬ。

 

 それが、オイフェの最大の使命だった。

 それを達する為。

 己に、恋は不要。

 重く、切ない覚悟を、オイフェは背負う。

 

「……もうすぐです。シグルド様」

 

 そして、もう一つの使命。

 

 赤い怨みを晴らす為、オイフェは文机へ向かう。

 

 怨恨を抱える、孤独な軍師。

 その孤独を癒やす存在は、オイフェの前に現れる事は無かった。

 

 オイフェが、内に秘める孤独と怨みを分かち合う存在と出会うには、もう数十年──

 

 

 逆行の時を、待たねばならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第37話『事後オイフェ』

 

 “結局、アタシ達に何をさせたいんだい?”

 

 “ある御方──やんごとなき御方を救う手助けをしてほしいのです”

 

 “それは、アタシ達にしか出来ないのかい?”

 

 “貴方達にしか出来ない……というよりは、貴方達しかいなかった”

 

 “そうかい……それで、救うべき御方っていうのは誰の事だい?”

 

 “……グランベル王太子、クルト殿下です”

 

 “そいつは大物だねぇ。それで、相手はイザークの連中かい?”

 

 “……”

 

 

 “獅子身中の虫──それと”

 

 

 “暗黒教団──”

 

 

 

 小さめの窓枠から、甘く白い光が漏れ入り、砂漠の寒冷がピークに達した頃。

 オイフェは消耗した肉体を休めるように、微睡みの中にいた。

 寝台の中で身体を丸め、衣服を何も纏わず、裸身で眠るオイフェ。屋内は氷点下近くまで気温が下がっていたが、オイフェの肉体は生暖かい()()で包まれており、少年軍師を心地よい眠りへと誘っていた。

 

(……)

 

 オイフェはぼんやりとした曖昧な状態で目が覚める。頭の中は未だ覚醒しきっておらず、ぬるま湯に浸かったかのような、無意識との狭間に揺れていた。

 

(……?)

 

 ふと、自身の頭を包む柔らかで、暖かいモノ──そして、頬に当たる豆粒のような固いモノに気づく。

 

(……)

 

 おもむろにそれを口に含む。

 唇で挟むと、その豆粒は少しばかり大きくなった。

 舌でころがすと、唾液とは別の液体で湿り気を帯びていく。

 

「んぅ……ッ」

 

 すると、何かを我慢するかのような、切なげな声が聞こえた。

 

(ははうえ……?)

 

 んくんくとそれを吸うオイフェ。まるで赤子が母親の乳を求めるかのように。母乳のほのかな甘さとは違う、野性味のある塩気が感じられた。

 そして、オイフェの柔らかい髪を、優しく梳くように撫でる、何者かの手。

 ゆっくりと、たどたどしくて、不器用な優しさ。

 

 オイフェは遥けき過去……前世での母の温もりを、朧げながら思い出していた。

 

「フフ……乳は出ないさね」

「ッ!?」

 

 気だるい空気が包む中、湿った声が響く。

 それを聞いたオイフェは、即座に脳髄を覚醒状態にまで引き上げた。

 

「こ、これは、その」

 

 一糸まとわぬ姿で、地獄のレイミアがオイフェへ厭らしい笑みを向けていた。筋張った肉体、張りのある乳房を隠そうともせず、ニヤニヤと少年を見つめる女傭兵。

 寝具の中、レイミアと裸身で抱き合う形で眠っていたオイフェ。

 己の無防備極まる姿を見られ、羞恥心と共に不覚を恥じる。

 

「フフフ。賢い賢い少年軍師殿は、未だ乳離れが出来ないと見える」

「う……」

 

 度し難い!

 己の油断も、目の前の女豹も。

 そう思ったオイフェ。少し不貞腐れるようにレイミアへ背を向けた。

 

「ま、年頃の男の子なんてそんなもんさね……ククク」

「……」

 

 背を向けるオイフェへ、片肘をつきながらニヤニヤと笑みを向けるレイミア。

 いじり甲斐のある少年の姿が堪らなく愉悦なり。そう言外に述べていた。

 

「ずいぶんと心地よさそうにしてたねぇ。必死になって、可愛い顔を見せてさ」

「……」

 

 確かに、数十年貞潔を守り続けていた身としては、初の情事は中々の心地よさ、得も言われぬ快楽があった。

 レイミアの嗜虐的な指摘により、耳の裏まで赤く染めるオイフェ。この手の羞恥、前世含め久しく経験しておらず。

 見た目相応の、初心な反応をするばかりである。

 

「その……」

 

 羞恥に悶えるオイフェだったが、ふと恐る恐る、といった声を上げる。

 少年の敏感な機微。

 察せぬほど鈍感なレイミアではない。

 

「アンタが心配するような事はないさね。女で傭兵をやっているんだ、()()()()はしっかり把握しているよ」

 

 レイミアがそう言うと、オイフェは少しばかり安堵の表情を浮かべる。

 畜獣の内蔵や魚類の浮袋等で作られた避妊具は、王侯貴族ですら満足に持ち得ぬ超高級品。

 まして、一介の傭兵身分が持ち得る代物ではない。

 

 オイフェは祖父スサールの言を思い起こす。

 スサールの血──バルド傍系の血、決して絶やすことなかれ。

 シアルフィ本家の()()としての責務を全うせよ。

 

 しかし、それは何も今やるべき事ではないのだ。そもそも、下手にバルドの血をばら撒けば、将来の禍根にもなりかねない。

 そして、レイミアもまた妊娠のリスクを懸念しており。

 悪辣な戦ぶりをしてきた傭兵が、下手に貴人の子を孕むと、栄達よりも厄介事が増えかねないからだ。

 少なくとも、今はまだ。

 

「では、契約は結んでいただけるのでしょうか?」

 

 懸念案件がとりあえず解決した事で、改めて契約締結の是非を問う少年軍師。

 同衾し、己の初めてを捧げたのだ。ここまでさせておいて、今更契約を結ばないという選択肢は許さぬとも、言外で述べていた。

 

「さて……」

 

 考え込むように顎に手を当てる地獄の傭兵。

 目を細めながら、少年軍師の柔い後ろ髪を見つめた。

 

「暗黒教団云々の話は、眉唾めいた話だけど……そこは信じるよ」

「では」

「だけどね」

 

 期待するようなオイフェの声を、ぴしゃりと遮るレイミア。

 今更オイフェの言を疑うつもりは無い。文字通り、我が身を差し出してまで己の信を、誠を得ようとした少年だ。

 一度寝た程度で情が移るほど初心ではないが、この少年が見せた心意気を買わないほど薄情でもないのだ。

 故に、クルト王子暗殺の陰謀、そして背後に潜む暗黒教団の存在は信じる。

 

「正直、王太子殿下の暗殺云々なんて大陰謀(おおごと)に首を突っ込みたくは無いねぇ」

「……」

「二百人の若い衆、路頭に迷わせるつもりは無いよ。アタシ一人ならともかく」

 

 しかし、だからとて二つ返事で受けられる話ではない。

 悪名高い地獄のレイミアは、二百名の女傭兵達の命を背負う女頭目でもあるのだ。

 彼女らを路頭に迷わせるどころか、文字通り地獄へ導きかねない依頼は避けて当然。信憑性が疑わしき暗黒教団の脅威より、貴族の政治闘争に関わる方がリスクは高いと判断していた。

 

 己一人なら、オイフェに付き合うのも一興。刹那的な傭兵らしい生き方が出来るかもしれない。

 だが、それを配下の女傭兵達に付き合わせるのも忍びなし。

 大国の政治的陰謀に首を突っ込むような蛮勇は、根無し草の傭兵集団では避けてしかるべきであり。

 その危機察知能力めいた嗅覚があるからこそ、レイミア隊は今日まで生き永らえてこれたのだ。

 

「……条件を追加してもいいかい?」

 

 ふと、レイミアがそれまでの気だるい声色から、はっきりとした声を上げる。

 避けるべき依頼。

 しかし、少年の身を捧げてまでの覚悟。

 それは無下には出来ない。

 

「どうぞ」

 

 オイフェはレイミアへ身体を向ける。

 女傭兵は、真摯な眼差しで少年軍師を見つめていた。

 

「二つ。まず一つ目は、契約満了後にアタシらを正式に抱えてもらえないかね」

 

 打算と妥協が入り混じったこの提案。

 傭兵稼業をいつまでも続けるのは、レイミアにとっても本意ではない。

 いずれはどこぞの国、勢力に属し、その後ろ盾を得ようとする腹積りは、オイフェが来る前から常々考えていた事であり。

 まして、大貴族の陰謀に関与するからには、フリーランスのままでいるのは危うき事この上ない。

 

「それは……」

 

 傭兵部隊を正規軍に登用する例は一応ある。

 しかし、軍政を監督するオイフェではあるが、決裁権者はシグルドである。

 これについては確約は出来ず。

 

「善処します。最悪、私の私設部隊として雇用する事を誓います。それと、属州の領民としての身分も」

「それじゃあまり変わらない気がするけど……まあいいさね。それじゃ、あと一つ」

 

 とはいえ、最悪オイフェ──スサールの名の元で登用される事は、無頼の輩であり続けるのとはわけが違う。

 公的な身分保障が得られれば、多少の()()()()をした後でも、罪に問われる可能性は少なくなる。

 もっとも、レイミア隊の売りである暴虐性も制限される事となるが、それについては元々示威行為として行ってきた事だ。制限されてもさほど問題にはならず。

 配下の嗜虐性癖は、他の()()で発散させればいい。

 肝心なのは、配下達の安全なのだ。

 

「あと一つは──」

 

 ひとまずの約束を得たレイミア。

 そして、何よりも譲れない条件を、少年軍師へ言った。

 

「アタシらを使い捨てるようなマネだけはするんじゃないよ」

 

 真剣な眼差しでそう言ったレイミア。

 オイフェは僅かに目を細める。

 

「……分かりました。貴女達()()を使い捨てるような真似はしません」

 

 重たく、冷たい声色でそう言ったオイフェ。

 大切な人を救い、大切な人達を守る。

 そして、怨みの元を断つ。

 幸せな結末を“彼ら”が迎える為の生贄。

 それは、己も含む。

 

 自ら退路を断つ姿勢、そしてデューとはまた違った意味で運命共同体を宣言したオイフェ。

 目的の為の、手段は選ばない。

 

「そうかい……」

 

 レイミアはほんの少し、憐憫の眼差しでオイフェを見つめる。

 僅かの間で悟った少年の秘めたる覚悟。そして、滲み出た怨念。

 己の全てを投げ出すその生き様は、刹那的な生き方を強いる傭兵にとって、ある種の共感を生んでいた。

 同時に、この少年をここまでさせる貴族社会の歪さを見て、憐れみを覚える。

 

「契約は成立だよ」

 

 短く、そう応えたレイミア。

 諸々の思惑があるにせよ、ここまで言わせたのだ。契約を断る理由は無く。

 同衾までして断れば、何かしらの報復もありえる。

 実のところ、逃げ道が無いのはレイミアも同じだった。

 

「これで、アタシらとアンタ──オイフェ殿は、運命共同体さね」

 

 オイフェの柔い頬をひと撫でし、妖艶な笑みを浮かべるレイミア。

 少年軍師は無表情でそれを見つめていた。

 

「はい。宜しくお願いします」

 

 レイミア傭兵団との契約が無事成立した事で、オイフェはふうと息をひとつ。

 そして、レイミアが言い放った“運命共同体”という言葉を反芻する。

 

 遥けき未来(かこ)

 オイフェが運命共同体とまで思った、ただ一人の少女にして、この世の闇を打ち払うヘイムの血を引く聖女。

 目の前の女傭兵と比べるべくもないが、それでもあの聖女の姿が思い起こされる。

 

 大切な人と結ばれぬ運命(さだめ)を悟り、身を引いた聖女。

 大切な人に捧げる使命(さだめ)を背負い、身を尽くした軍師。

 

 共に壮絶な覚悟、葛藤を抱えた同志。

 果たして、目の前の女傭兵レイミアと、同じ想いが抱けるのだろうか。

 

 こればかりは、オイフェにも分からない。

 分かろうとも、思わなかった。

 

 

「それじゃあ、景気づけにもう一回アタシの乳でも吸うかい?」

「遠慮しておきます」

 

 乳房を見せつけるよう、扇状的な仕草で誘惑する女傭兵。

 それを、少年軍師はそっぽを向きながら、冷静に拒んでいた。

 

 レイミアが少しだけ残念そうに、切なげな表情を浮かべていたのを、オイフェが気付くことは無かった。

 

 

 


 

「お前達! よく聞きな!」

 

 レイミア隊が根城にしている館。その中庭の広いスペースに、レイミア隊所属の二百名の女武者達が集まる。

 居並ぶ女達に、頭目であるレイミアが凛とした表情を向けていた。受ける女達も、真剣な眼差しで己の頭領を見つめる。

 

「オイフェ……だいじょぶだった……?」

「はい、私はだいじょ……デュー殿は大丈夫なのですか?」

「おいらはだいじょーぶだよ……ふへへへへへ」

 

 レイミアの傍らでは、オイフェ一行の姿があり。

 己を気遣うデューの姿を改めて見たオイフェは、その壊れた玩具の如き有様に驚きを隠せずにいた。

 見ると、頬や首筋や腕に内出血の痕が滲んでおり、実に痛ましい様子を見せている。

 居並ぶレイミア傭兵団の最前列では、レイミアの腹心と思わしき六名の女傭兵達が並んでいるが、皆一様に肌ツヤが良く、時折デューへ舌なめずりをしながら野獣の如き眼光を向けていた。

 

「すまないオイフェ……俺達がついていながら」

「正直羨ましかった。俺も無理やり混ざればよかった」

 

 悔恨の念を浮かべるホリンに、後悔の念を浮かべるベオウルフ。

 だいたい何があったか察したオイフェは、とりあえずデューから視線を逸した。

 この程度の消耗、太陽の如きバイタリティを持つデューにとって物の数ではないと、前世情報からそう判断していた。たった六名如きなんだ。前は十人以上もいたじゃないかとも。

 

「つーかオイフェ。お前もヨロシクやってたんじゃねえの?」

「え、えっと、それは……」

「あーあーあーどいつもこいつも羨ましい身分でございますねえ。クソが」

 

 ぶーたれるベオウルフ。

 デューへの拷問が、ある意味拷問じゃなかったのが堪らなく羨ましく。

 その不満を雇用主にぶつけようにも、雇用主まで乱痴気二毛作(ずっこんばっこん)していたとなれば、文句のひとつも言いたくなるだろう。

 

「オイフェまで……くそ……俺はなんて無力なんだ……」

「あ、いえ、ホリン殿は別に……」

「オイフェ。次はこのような事はさせない。遠慮せず俺に頼ってくれ」

 

 一方で忸怩たる思いを堪えきれないといった様子のホリン。

 この剣闘士は、オイフェもデューも望まぬ性交を強要されたのだろうと、明後日の方向に義憤を燃やしていた。望む望まないは、オイフェもデューも正しくもあり正しくもなかったのではあるが。

 

「そこ、うるさいよ!」

「へいへい」

「くっ……」

 

 無頼の金髪共に一喝し、ふんと鼻息ひとつ吐く黒髪の女傭兵。

 そのままオホンと咳払いし、配下の傭兵団へ目を向けた。

 

「アタシらの新しい仕事が決まったよ! シレジア行きは無しだ!」

 

 ざわりと傭兵達がざわめく。

 フィノーラでの仕事が終わり、その次はシレジアはザクソンへ向かうと聞かされていただけに、急な予定変更に不安と期待をないまぜにした感情を見せる。

 

「アタシらの新しい雇い主はこの属州総督補佐官オイフェ殿だ! 粗相したら承知しないからね!」

 

 そう言うと、レイミアはオイフェの肩を抱き、己の身へ寄せる。

 抱き寄せられたオイフェは戸惑いつつも、傭兵達へ向かい頭を下げた。

 

「音に聞くレイミア傭兵団の力、大いに期待しています。宜しくお願いしますね」

 

 オイフェの慇懃なその態度。

 今までの貴族の雇い主は、往々にして傲岸不遜な態度で接しており。そも、自分達のような末端にまで頭を下げるなど、初めて目にする事であり。それは、レイミア隊全員へ、新鮮な驚きを与えていた。

 同時に、どこか得意げな表情のレイミアを見て

 

「あ、ヤッたな」

「お頭も手が早い……」

「あの子も可愛いわね~……食べちゃっていい?」

「お頭のお手つきだから止めたほうがいいですよ」

「あたしらはデューくんだけで満足っス」

「みんなでショタ喰いするから尊いんだ。絆が深まるんだ」

 

 などと、良き雇い主と契約したレイミアを称賛するような視線を向けていた。

 

「準備ができ次第リボーへ向かう! 次の仕事は今までの温い仕事とはワケが違うよ! 気合入れていきな!!」

「「「おおーっ!!」」」

 

 レイミアの短い方針演説が終わり、気勢を上げる女傭兵達。

 グランベルの御曹司との契約。さしずめ、相手はイザークの軍勢か。

 そう当たりを付け、気合十分で頭目に応えていた。

 

「カーガ、テラ、ナリー、コヤ、ユカ、ヨーコ。あんたらは残りな」

 

 出立の準備を行うべく、散会した傭兵団。

 しかし、レイミアは腹心らへ待ったをかける。

 頭目の呼び止めを受け、残る六名の女傭兵。

 

 ソードファイターのカーガ。

 同じくソードファイターのテラ。

 シスターのナリー。

 サンダーマージのコヤ。

 ソードファイターのユカ。

 ボウファイターのヨーコ。

 

 レイミアが傭兵団を発足させてからの古参の六名だ。

 乗り越えて来た、浴びてきた血は他の傭兵達とは比べるまでもなく。

 文字通り様々な地獄を見てきた者達だ。面構えが違う。

 

「あんたらはフィノーラを発つ前にちょっとした仕事があるんだ。いいかい?」

 

 不敵な面で腹心らを見やるレイミア。

 何か面倒な事でも申し付けられるのか。しかし、その笑みは自分達ならば任せられると、信頼している笑みであるのも、六名は承知していた。

 

「補佐官殿。任務のご説明をして頂いても宜しいかねぇ?」

 

 慇懃無礼な態度でオイフェへ発言を促すレイミア。

 相変わらず少年軍師の肩を抱いており、その手はやや湿ったものとなっており。

 レイミアの気まぐれな少年弄りはいつまで続くのやらと、オイフェは嘆息混じりに六名の女傭兵へと顔を向けた。

 

「とある軍勢……その物資集積所の破壊工作をお願いしたい」

 

 勘の良い者は、それだけでどの軍勢への工作をするのか、察する事ができた。

 傍から聞いていたベオウルフ、ホリンも怪訝な表情を浮かべる。

 事前に聞かされていたであろうレイミア、そして六名の女傭兵を微妙に警戒するように距離を保つデューだけが、オイフェの目的を十全に察していた。

 

「詳細はこちらのデュー殿へ。彼も工作に同行します」

「え」

 

 だが、問答無用で同行を命じられるデュー。

 もっとも、これはレイミアとの交渉前から打ち合わせていた通りの流れであるのだが、任務中にまたあんな事やこんな事をされると想像した盗賊少年は、顔を青ざめさせ身体の一部を赤くさせた。

 

「マジ?」

「これはげに楽しみ……」

「あら~。楽しそうな任務ね~」

「まあ流石に任務中は手を出さないから、そんなに怯えなくていいですよ」

「その代わり終わった後は分かってるっスよね?」

「結局は手を出すんやけどなブヘヘヘヘ」

 

 ギラつかせた眼光を浮かべる女武者共。

 危険が予測される任務でも、彼女達の戦意は微塵も揺らがない。

 

「オイフェ……やっぱおいらじゃなくてホリンかベオっちゃんに……」

「気持ちは分かりますけど、すいません」

「そんな……わかったよ、やればいいんでしょやれば……」

 

 逡巡するデューであったが、オイフェの真摯なお願いを受け、渋々とではあるが同意を示す。

 元より断るつもりはなかったのだが、それでも目の前の女狼共とはあまり同じ時を過ごしたくないのもあり。

 

「ほら、行くよ!」

「私が守護らねば……」

「怪我してもすぐに治してあげるからね~……昨日みたいに」

「性欲……じゃなくて闘争心漲ってきた」

「こういうのは終わった後の事考えると楽しいっスよ?」

「わたし達六人がデューくんを支える……ある意味“最強”だ」

「あ、ちょっ、そんなとこ引っ張らないで」

 

 デューは屠殺場に連行される畜獣が如き哀愁を漂わせながら、昂ぶる六名の女傭兵達に連れられていった。

 

「デューに何をさせるつもりだ?」

「この辺りのイザーク軍はもう蹴散らされた後だぜ。一体どこを襲うってんだ?」

 

 すると、ホリンが怪訝な顔つきでオイフェを見やる。

 今までオイフェに付き従っていたベオウルフも、少年軍師の思惑が読めず。珍しくホリンへ同調していた。

 二人の疑問に、オイフェは短く応える。

 

「ユングヴィ騎士団……バイゲリッターの物資集積所です」

「なっ!?」

「……そうかい。あー、めんどくせえ所紹介してくれたよなエルトの奴もよ」

 

 驚愕を露わにするホリンに、長年の経験からある程度背景を読み取り、どこか得心するベオウルフ。

 オイフェ一行の様子に、レイミアは変わらずシニカルな笑みを浮かべていた。

 

「勝算はあるのかい? 補佐官殿」

 

 そのままオイフェの柔い頬をもみながら、挑発するような声をかけるレイミア。

 オイフェは、変わらず短く応えた。

 

「デュー殿と、彼女達ならやれると信じています」

 

 頼もしき盗賊少年と、逞しき女傭兵達の後ろ姿を見つめながら、オイフェはそう言い切っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あんましオリキャラ出したくなかったのですが、名無しキャラはそれはそれで不便だと思い仕方なく出した次第。


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第38話『焼討オイフェ』

 

 ぼくのちちうえはご公務がいそがしくてあまり弓を教えてくれません。

 

 だから、ぼくはあねうえに弓を教わっています。

 

 あねうえはすごいのです。

 

 ユングヴィで一番すばらしいお力をもっているのです。

 

 ぼくが当てられなかったテーブルのびんに、百発百中で矢を当てることができるんですよ。すごいでしょう?

 

 ……でも、ある日からあねうえはぼくに弓を教えてくれなくなりました。

 

 ある日から、ぼくはあねうえに弓を教わらなくなりました。

 

 

『海賊にさらわれてしまったの』

 

 

 もうひとりのあねうえが、そう言って泣いていました。

 

 海賊とは悪いやつなのでしょうか……。

 

 

 悪いやつなら、ぼくがやっつけてやります。

 

 ぼくがやっつけて、あねうえを助けてあげるんです。

 

 いっしょうけんめい弓を練習して、強くなって。

 

 必ず、あねうえを助けるんです。

 

 

 それで、あねうえを助けて

 

 あねうえに、もういちど会えたら

 

 うまくなったねって、ほめてもらうんです。

 

 

 だから、きっと

 

 必ず、助けるから

 

 

 ブリギッド姉上──

 

 

 

 

「……朝か」

 

 フィノーラの歓楽街。

 貴人向けの高級娼館の一室にて、ユングヴィ公子アンドレイは目覚める。

 どうにも砂漠の朝に慣れず、切れのよい目覚めとはいえない。

 

「……」

 

 慣れぬ気候で覚醒しきらぬ自分。

 感覚が冴えるにつれ、不快な感情が湧き上がる。

 

「チッ……」

 

 舌打ちひとつ。直前まで見ていた夢の内容が、ユングヴィ公子を苛立たせていた。

 ある日突然、いなくなってしまった、尊敬する姉。

 その幻影を求め、遮二無二弓を引く日々。

 気付けば、ユングヴィでは唯一無二の弓の達者になった己。

 

 だが、求めてやまない温もりはない。

 

「あ、アンドレイ様」

「……」

 

 不機嫌のまま起き出し、支度をするアンドレイ。

 共寝を務めた娼婦が慌てて手伝おうと起き出すも、アンドレイはそれを無視し、備え付けられた手水桶で閨房でかいた汗を拭う。

 見ると、娼婦の首筋には赤い痣が走っており、暴虐な荒淫が行われていたのは想像に難くない。

 

「アンドレイ様……」

 

 だが、娼婦の瞳は艶のある濡れ方をしており、視線はアンドレイの鍛えられた背筋を追いかけ続けていた。

 決して被虐趣味を持っている女、というわけではなく。

 乱暴な扱いをされても尚、ユングヴィの貴公子の魅力に抗えないだけだった。

 

 

「おはようございます、アンドレイ様」

「うむ」

 

 支度を済ませ、部屋から出たアンドレイ。

 待機していた側近の男に短く応えると、能面の如き無表情を浮かべる。

 貴人御用達の娼館は、内装や調度品も相応に豪奢となっていたが、アンドレイはそれらに全く興味が無いかのように歩を進める。

 付き従う側近達も、主の機嫌を損ねないよう黙して後に続いてた。

 

「あ、これはユングヴィの公子様」

 

 ヴェルダン産の一級品で拵えられた木製の扉の前に立つと、娼館の長が揉み手をしながら見送りに来る。

 しかし、アンドレイはこれも無視する。

 

「亭主、世話になった」

「はい。ありがとうございます」

 

 側近の一人が金子を取り出し、娼館の主へとそれを渡す。

 既に料金は支払っていたのだが、それとほぼ変わらない額の心付けを渡す事で、グランベル大貴族の貫禄を見せる。娼館の主はそれを分かっている為、恭しく受け取っていた。

 しかし、アンドレイはそのやり取りにもさして興味を示さず。側近が開けた扉をさっさと潜り、黙したまま娼館を後にした。

 

「……」

 

 気温が徐々に上がりつつあるフィノーラの朝。爽快感のある空気に包まれても、アンドレイの表情は暗い。

 待機していた馬車に乗り込むアンドレイ。その表情は、先程まで見た夢の内容もあってか、粘ついた闇が差していた。

 

「……」

 

 護衛の騎士達が馬車に随伴する様子を、つまらなそうに見つめるユングウィの公子。

 事実、この地に来てから、アンドレイの気持ちは晴れる事はなく。

 

 フィノーラ方面のイザーク軍に対するユングヴィ騎士団バイゲリッター。

 その指揮を実父リングから託されたアンドレイは、堅実な指揮ぶりを見せ、さして損害を出さずにイード砂漠北部からイザーク軍を追い払っていた。

 フィノーラ方面に展開するイザーク軍はお世辞にも精兵とはいえず、士気も装備も貧弱な軍勢であり。バイゲリッターの実力ならば、一人残らず殲滅する事も可能だったが、アンドレイは深追いせず騎士団の戦力保持に努めている。

 アンドレイ自身が無駄な消耗を嫌う用兵を好んでいたというのもあるが、此度の場合、この後に控える“大事”に備えていたという事情があり、余計な戦闘は控えていた。

 

「親殺しか」

 

 ふと、重たい声色でそう呟くアンドレイ。共に馬車に乗り込んでいた側近の男は、主が嘯く物騒な物言いにも眉一つ動かさないでいた。

 アンドレイは此度のイザーク遠征部隊の編成も任されており、“しかるべき時”に造反する騎士はそもそも連れて来ていない。リング卿に忠誠を誓う騎士はユングヴィ城に残っており、その数も少ない。

 そして、それらの騎士は先のヴェルダンによるユングヴィ侵攻を受け、ミデェールら極一部の者を除きその殆どが討ち死にしていた。

 

「どうせなら姉上も……」

「……」

 

 アンドレイの呟きを、再度黙して応える側近。実姉へ向けた冷酷な物言いにも、眉を動かさず。

 ヴェルダンの侵攻はアンドレイにとっても寝耳に水だったが、どちらにせよ宰相レプトールによる共謀を受けた時点で、分水嶺は過ぎていたのだ。

 

「御妻君はご無事でなによりでした」

「フン」

 

 側近がそう言うと、アンドレイはシニカルな笑みをひとつ浮かべる。

 ヴェルダンによるユングヴィ侵攻時。ユングヴィ城は略奪の限りを尽くされたが、アンドレイの妻は無事だった。

 なぜなら、アンドレイの妻は妊娠していた為、バーハラにあるユングヴィ公爵邸にて静養していたからだ。

 

「どうせヴェルダンの蛮族共も計画の一端だろう。妻が無事なのも予定通りという事だ」

「はっ」

 

 アンドレイの嘯きに、此度は応える側近の男。

 陰謀の一端により自国領内を荒らされた事は、アンドレイにとってさしたる問題ではない。

 イザークを呑み込んだら、次はアグストリアか、シレジアか。

 そして、それらの尖兵に立たされたヴェルダン王国並びに属州領も、最後は呑み込んでしまえばよい。

 奪える富は無数にあるのだ。最終的に、ユングヴィは己の統治で増々栄える事となるであろう。

 アンドレイはそう確信していた。

 それ故に、陰謀の全容を知らされていないアンドレイだったが、陰謀の全容を知る必要もなかったのだ。

 

「部隊の状況はどうか」

「はっ。既にリボー方面への出立準備は整えております」

 

 淀みなく応えるアンドレイの側近。

 陰謀の布石は着々と打たれており、バイゲリッターがリボーへ到着した時に、それは発露する。

 グランベル王太子クルト、シアルフィ公爵バイロン、そしてユングヴィ公爵リングの死という結果となって。

 

「主だった者達はどうか」

「皆、覚悟を決めております。アンドレイ様が案ずるような事にはなりませぬ」

 

 配下の掌握を再度確認するアンドレイ。

 元々、アンドレイはバイゲリッターの騎士達からの支持は厚い。これはユングヴィ公爵家の後継問題も絡んでおり、政治的な立ち回りを如才なく務めるアンドレイを、一部の者を除き期待する者が多いという事情があった。

 生きているかどうかも分からぬ公女に拘り続けるリングは、ユングヴィ公国主要貴族からの支持を失いつつあったのだ。

 

 現実的な政治判断をするリングが、唯一見せる非合理的な方策。

 十数年前に拐かされた、ユングヴィ第一公女ブリギッド。

 ウルの聖痕を色濃く受け継ぎ、神弓イチイバルの唯一の継承者であるブリギッドの生存を疑わぬリングは、私財はおろか公国の国庫金まで投じてその捜索を続けていたのだ。

 

 当初はユングヴィ貴族達も進んで協力していた捜索活動も、時が経つにつれ国庫を圧迫する捜索活動に不満を覚えるようになる。莫大な資金を投じても、ブリギッドの影も形もなく、徒に時間と金と人を費やす日々。

 有力貴族は捜索を打ち切り、アンドレイを後継指名するようリングへ訴えかけるも、イチイバルの継承に拘泥するリングはそれらの意見を一切無視する。あまつさえ、捜索に反対する貴族達を制裁するかのように、捜索資金の更なる供出を命じる始末。

 

 故に、リングへ見切りをつけ、堅実な実力を見せるアンドレイを担ぐ勢力が、年月の経過と共に勢いを増していくのは必然であり。

 宰相レプトールも、懇意にしているアンドレイがユングヴィを継ぐ事を後押ししており。仮に此度の陰謀がなくとも、いずれはアンドレイ派によるクーデターが発生していたであろう。

 

 これらの事情もあり、陰謀に加担したアンドレイ。

 父殺しという人道に外れた行いも、もはやアンドレイにとって躊躇するような事ではなく。

 

『アンドレイは駄目だ。いくら弓の腕が立つといっても、所詮ウルの力を継がぬ者。家督を継がせるのはブリギッド以外におらん』

 

 以前、父リングが実姉エーディンへ言った言葉を聞いていたアンドレイ。

 エーディンは父の言葉に反対もせず、黙って顔を俯かせるのみ。エーディンとしても、ブリギッドの生存は信じてやまない事。それ故、父の言葉に異論は挟めず。

 だが、この時点で、リング、そしてそれまで慕っていたエーディンへの想いが、アンドレイの中で消え失せていた。

 

『ぼくはブリギッドあねうえより強くなるよ!』

『いーや! それはないね!』

『そんなことないもん! あねうえより強くなって、ぼくがブリギッドあねうえやエーディンあねうえを守るんだ!』

『まあ、アンドレイったら。ブリギッド姉様もうかうかしてられませんね』

 

 少年時代。慈しい記憶。

 そのような事もあったと、アンドレイは薄い笑みを浮かべる。

 だが、もはや家族への情はない。

 

 それは、いまだ見つからぬ──生きているかどうかさえも分からない、ブリギッドへの想いも同じだった。

 

 誰が為に事を成すのか。

 ある日から──敬愛していた姉を喪い、その姉に及ばないと自覚してからのアンドレイは、寂しさを紛らわすかのように己の野心に忠実になった。

 ウルの血が濃くなくとも、己にはユングヴィを継ぐに相応しい力がある。

 それを証明する時が来たのだ。

 

 己の歪な野心を、静かに滾らせるアンドレイ。

 その表情に、後悔の念は無かった。

 

 

「……?」

 

 滾っていたアンドレイ。

 すると、駐屯地から来たであろう伝令の兵士が駆けてくるのが見えた。

 

「止めろ」

「はっ」

 

 馬車を止めるよう指示を出すアンドレイ。

 護衛の騎士が馬車戸を開けると、息を切らせた伝令が馬上のままアンドレイへ伝書を差し出した。

 

「アンドレイ様! こちらを!」

「……」

 

 伝書を渡されたアンドレイ。

 内容を読み進める内、その端正な眉が少しばかり歪んでいく。

 

「……領主の館へ」

「はっ」

 

 読み終えたアンドレイは、さして動揺を見せず、目的地の変更を告げる。

 ユングヴィ公子を乗せた馬車は、バイゲリッター駐屯地とは逆方向にあるフィノーラ領主館へと馬首を返していた。

 

「何事ですか?」

「……」

 

 側近の男がそう問いかけると、アンドレイは黙って伝書を差し出す。

 読み進める間、伝令がもたらした報告を咀嚼する。

 

(解せぬ)

 

 伝令がもたらしたその内容。

 それは、バイゲリッターの物資集積所が何者かに襲われ、物資の一部が焼失したとの報告だった。

 

「解せませぬな」

 

 側近の男も同じ考えだったのだろう。

 アンドレイは短く首肯する。

 

「イザーク衆の仕業にしては出来すぎております」

 

 側近が指摘する通り、厳重な警護を掻い潜り、軍団物資を焼き討ちするような真似は、戦力を喪失したフィノーラ方面のイザーク軍には不可能であり。

 少数精鋭で破壊工作を実施するにしても、そのような高い練度を保った戦力はもう残されていないはずだ。

 また、武具や兵糧には目もくれず、バイゲリッターが保持する()()のみが焼失したことも、アンドレイらにとって不可解であり。

 警護の優先順位が一番低かったであろう馬糧を狙ったのは理解出来るが、それにつけても手際が良すぎる。

 報告によれば、賊の姿を見た者はおらず、気が付けばバイゲリッターの馬糧の一切が焼失せしめていたというのだ。

 まるで、初めからそれが目的だったかのように。

 

「領主が馬糧を融通してくれるでしょうか」

「大枚を叩く必要があるかもしれんが、私が交渉に出向けば問題ないだろう」

 

 警備責任者への追求や、賊の正体は気がかりではあるが、何はさておき失った馬糧の補充をせねばならない。この即断力も、アンドレイが反リング派の貴族達に支持される一因でもあった。

 領主へ馬糧の融通を申し込むのも、流石にユングヴィ公子が直々に申し込めば嫌とはいえないだろう。

 しかし、フィノーラはグランベル東北地方における物流の中継都市でもある。隊商の為に用意された馬糧を全て差し出すわけにはいかず、またそれらを徴発するような無茶もできない。

 フィノーラが生み出す経済的利益は、バーハラ王宮にとって無視できぬ収益だからだ。今後の事を考えると、アンドレイの独断でそれをやるには憚られる。

 

「足りなければ兵の糧食を馬に食わせればよい」

「はっ。ですが……」

「分かっている。しかし、リボーへの到着を遅らせるわけにはいかぬ」

「はっ……」

 

 だが、バイゲリッターの行軍力を維持するには、フィノーラ中の馬糧を調達しても足りるかどうか。

 十分な馬糧が無ければ、騎兵はおろか物資輸送の馬にも力は出ない。行軍速度の低下は、リボーでの“決戦”に遅れる可能性が出る。

 なにより、仮に強行軍にて間に合わせたとしても、飯不足により気合が足りていないであろう兵馬で、果たしてバイゲリッター本来の実力が出せるのだろうか。

 

「気に入らぬな」

「……」

 

 しかし、そう言いつつも、冷静な表情を保つアンドレイ。

 側近は、予想外の難儀を受けても尚、泰然とするアンドレイに黙して応える。

 頼もしい将来のユングヴィ公爵に、絶大な信頼を寄せていた。

 

 

 そして、アンドレイは領主の館に到着し、目当てにしていた馬糧が殆ど()()()()()()()()()事実を受け、初めて渋面を浮かべた。

 側近は、黙ってそれに応えていた。

 

 

 


 

「もったいないねえ。これだけの量を捨てちまうなんて」

 

 フィノーラの南方に位置する荒野。レイミア傭兵団が土まみれとなり、懸命に地面を掘り起こしている。

 そして、掘られた穴に大量の馬糧が投棄されるのを、地獄の女傭兵レイミアは嘆息まじりに眺めていた。

 

「必要ありませんから」

 

 それに短く応えるオイフェ。

 フィノーラ領主との交渉にて、可能な限り馬糧を供出してくれた領主を思うと、少年軍師の心は少しばかり痛む。

 しかし、これは不必要な物資であり、必要な行為だった。

 

「ま、それはいいんだけど……でも、埋めるより焼いちまった方が早くないかい?」

「煙を出したくありません。出来る限り我々の存在を察知されたくありませんので」

 

 大量の馬糧は、当然燃やせば煙が出る。それを察知され、隠密行に徹するオイフェ達の存在を気取られるわけにはいかない。

 

「でも、フィノーラの領主サマがチクるかもしれないだろ?」

「だから急ぐ必要があるのです。領主殿には悪い事をしましたが……」

 

 そう言ったオイフェは、結果的にはフィノーラ領主を騙してしまったことを詫びていた。

 レイミアと一夜を明かしたオイフェ。デュー達へ馬糧焼却を指示した後、フィノーラ領主へ契約解除を申し出るレイミアに同行し、そのまま馬糧買収の交渉を行っている。

 もちろん、その名目はシアルフィ騎士団グリューンリッターへの馬糧補給という体だ。

 

 政治的な立ち位置としては中立を保つフィノーラ領主。しかし、心情はバイロン派一択であり。

 だが、中立的な立場を堅守する為、表立っての支援は憚られた。下手に宰相派に目を付けられると、フィノーラでの安定した経済活動に支障が出るからだ。

 とはいえ、政治的な機微をよく理解していたオイフェの案を聞き、少しでもバイロンへの恩返しになると判断したフィノーラ領主。限界ギリギリまで馬糧を提供するのを快諾していた。

 もちろん、交渉時にはバイゲリッターの馬糧は一切喪失しておらず、オイフェ一行が馬糧を抱えフィノーラを出立した後に、デュー達による破壊工作が実行されている。

 

「悪い子だねぇ」

「レイミア殿ほどではありません」

 

 嫌らしい笑みを浮かべるレイミアに、多少は慣れたのか減らず口を叩くオイフェ。

 

「言うねぇ……でも、そんなところも可愛いねぇ……」

「は、はあ……」

 

 しかし、嫌らしい笑みをイヤらしい笑みに変えたレイミアには、未だ慣れることは出来ずにいた。

 

「オイフェ……はやく行こうよ……」

 

 そのようなオイフェに、馬車の中から弱々しい声を上げるデュー。

 幌の隙間から僅かに顔を覗かせるその表情は、難しい任務を成し遂げたが故なのか、疲れ切った表情を見せていた。

 

「そうですね。レイミア殿、急がせてください」

「あいよ。お前達、モタモタするんじゃないよ! 急ぎな!」

 

 オイフェの言を受け、配下を叱咤するレイミア。バイゲリッターに追いつかれるわけにはいかない。

 埋め立てを急いで終わらせた傭兵達は、各々が馬、そして馬車へと乗り込む。

 

「お前達もいい加減にしな!」

 

 そして、レイミアはデュー()が乗っている馬車へと激声を飛ばした。

 

「お頭、ちょっとくらいいいじゃないですか」

「御褒美欲しい也……」

「まあ実際はデューくんがほとんどやったから、私達は付いていっただけなんだけどね~」

「でも一応護衛の役割は果たしたと思いますよ?」

「デューくんすげーっス! マジ半端()ねぇっス!」

「イきすぎにも限度あり。しかしそのスタミナ誉れ高い」

 

 デューに同行したカーガ達もまた、任務達成からか満足感ある表情を浮かべ、生気をギンギンに漲らせていた。

 これならば、これから始まる全てを救う為の計画──その核心も達成できるだろう。

 オイフェは精気をシナシナに萎ませたデューを、見て見ぬ振りをした。

 

「それじゃ行きますかね、オイフェ補佐官殿」

「はい……あの、なんで私はレイミア殿と……」

「つべこべ言うんじゃないよ!」

「は、はあ……」

 

 気合十分のレイミア隊。各々が馬を走らせ、一路リボーへと進む。

 なぜかレイミアが乗る馬に同乗する事となったオイフェは、上気したレイミアに気圧され大人しく手綱を預けていた。

 もちろん、オイフェが前だ。

 

「……ッ」

 

 レイミアの熱い吐息を頭上に感じつつ、オイフェもまた気合を入れ直す。

 王宮に巣食う奸賊共。その背後に潜む暗黒教団。

 そして、それらの中心にいる、ヴェルトマー公爵アルヴィス。

 

 奴らの野望、これにて止める。

 そして、完膚なきまでに叩きのめすのだ。

 

 己の歪な復讐を、静かに滾らせるオイフェ。

 その表情に、後悔の念は無かった。

 

 

 

「なあホリンよ。あいつらだけズルくね?」

「……」

 

 滾るオイフェの後ろを、渋面を浮かべながら追従するベオウルフ。

 ホリンは、黙ってそれに応えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




セックスばっかしてんなこの作品(小学生並みの感想)

※当初の予定では二言目には「貴様もステキカットにしてやろうか」とデーモン閣下みたいなアンドレイにするつもりでしたが、やっぱ大沢版のアンドレイも素敵やなって(遠い目)


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第五章
第39話『世界オイフェ』


 

 アグストリア諸公連合

 ノディオン王国

 

 ノディオン王国の首府、ノディオン城の厩。

 グラン暦758年が明け、人々が新年を祝うのもひと段落したこの頃。

 早朝のノディオン城の厩は、そこかしこで霜柱が立つ程冷え込んでいたが、そこに佇む二人の男女の周りだけは、どこか暖かな温度が保たれていた。

 

「さあ、行くわよフィン」

「はい。御伴します。ラケシス様」

 

 ノディオン王女ラケシスは、厩舎から白毛が美しい自身の愛馬を引き、鞍に跨りながら気合十分といった表情を浮かべる。

 気合が入りすぎているのか、その頬は少し赤みが差している。

 姫騎士の気合に応えるは、レンスターの従騎士フィン。彼もまた、故国から連れてきた栗毛の愛馬に跨り、少しばかり浮ついたような、赤らんだ笑顔を浮かべていた。

 

「それ!」

 

 ラケシスが馬を走らせ、城門から出る。

 しなやかに馬を走らせるラケシスを追いかけるように、フィンは手綱を操り馬を走らせていった。

 ラケシスの遠乗りにフィンが付き合うのも、これが三回目。最初は馬の扱いに優れたレンスターの者ですら引き離すラケシスの馬術に、フィンは付いていくのがやっとだった。

 しかし、二回目にはすぐに追いつくようになり、三回目の今ではラケシスと馬を並走させるにまで至っている。

 短期間でめきめきと馬術を向上させるのは、彼がレンスター騎士として相応しき技量を身に着けたいという向上心もあったが、どちらかというと彼自身のある欲求が働いたのいうのが正解だろう。

 

「ラケシス様! 今日はどちらまで!?」

「エバンスの国境近くまで!」

 

 そう言って、ラケシスは楽しそうに馬を駆けさせる。

 美しい金髪を風に靡かせるラケシスの横顔を、フィンは眩しそうに見つめていた。

 

 

 

 

「あの従騎士と一緒だと、よく笑うようになったな」

 

 ラケシス達が遠乗りに出かける様子を、ノディオン城の城閣から見つめるは、ここノディオン王国の主──黒騎士ヘズルの血を受け継いだ、金獅子の王。

 

「嫉妬かエルト」

「違う。妙な事を言うなキュアン」

 

 獅子王エルトシャンは、からかうように口角を歪める盟友──レンスター王国王太子、キュアンへ不機嫌そうにそう言った。

 

「過保護すぎるのも良くないぞ。兄妹は他人の始まりとも言う。適度な距離で見守るのが兄としてのあるべき姿だとは思うがな」

「しかし、最近は街道の往来も増えている。この間も傭兵の集団がエバンスへ向かったという情報があるのだぞ」

「大方オイフェが集めている募兵の口だろう。エバンスに行けばノイッシュやレックス(いい男)が上手いこと躾けるさ。それに、何かあっても妹姫殿はウチのフィンが死んでも守る。そういう風に育てたからな」

「……」

 

 得意げに調子でそう述べるキュアン。澄まし顔で用意された紅茶に口をつけるその様子に、エルトシャンは増々仏頂面を深める。

 とはいえ、確かに己は妹を妙に気にかけ過ぎているのではと、自覚するところもあった。

 

「……ラケシスはノディオン王家の庶子だ。あまり苦労はさせたくない」

 

 そう言って、エルトシャンは窓際から離れ、キュアンの対面に備えられたソファへ腰を下ろす。

 端正な顔立ちにやや憂いを帯びたエルトシャンの表情。しかし、その奥底に秘められたある感情は、対面に座るキュアンは気付くことはなかった。

 

 エルトシャンの実母、ノディオン正妃が病に没した折、女官であったラケシスの母が傷心のノディオン王を慰めた事で、ラケシスは生まれた。

 身分低き者であったラケシスの母は、王の子を身籠った後、王家への畏れからかその姿を消す。

 

 そして、幾年かの歳月が流れた。

 ラケシスの母を諦めきれなかったノディオン王は、ついには母子を探し出し、宮廷へと迎え入れる事となり。

 エルトシャン十七歳。ラケシス十二歳。

 初めて出会った兄妹は、ひと目で互いが血を分けた肉親だと悟り、家族としての親愛の情を通わせ──。

 

 その時から、兄妹はその親愛の情で、互いの禁忌の感情に蓋をするようになった。

 

 いつから恋をしたのだろう。

 やはり、初めて会ったあの時だろうか。

 

 そのような感情を内々に秘める若き獅子王。

 先代ノディオン王は、息子の禁断の恋を看破したのか、レンスターから少々強引にグラーニェとの婚姻を取り付け、異論は許さないかのようにエルトシャンへ家督を譲り、病没した。

 

「だが、ラケシスばかり構っていると、グラーニェが煩いんじゃないか? あいつ、小さい頃から俺にまで口喧しくてな。何度尻を蹴飛ばされたかわからん」

「……生憎、お前が心配するような事は何もないよ」

 

 キュアンとグラーニェの幼少時分の思い出を聞かされ、エルトシャンは少し表情を緩める。

 レンスター有力貴族の娘であったグラーニェは、幼少期からレンスター王宮へ度々出入りしており、幼いキュアンとよく遊ぶ仲だった。

 それ故、親友とはいえ他国の王妃にも気安い感情を向けている。

 

「良く模擬戦に付き合わされたよ。下手な騎士よりも強いんじゃないのか、グラーニェは」

「ノディオンへ来てからはあまり剣を振っている姿を見ていないのだがな。アレスを産んでから体調も崩してしまったし……」

 

 グラーニェの怒涛の連続斬りからの追撃、そして軽妙な待ち伏せ戦法に翻弄されていたキュアン。

 散々それに苦しめられていたのを思い出したのか、少々げんなりとした表情でそう言った。エルトシャンは苦笑しながら友に応えていた。

 

「まあ最近はよく稽古をしているようだが」

 

 そう言って、エルトシャンは窓際へと立つと、中庭へと目を向ける。

 ワンピース調の動きやすい稽古着で木剣を振るグラーニェの姿が、そこにはあった。

 そして、相手を務めるのは、こちらも軽装で木剣を構える、キュアンの愛妻エスリン。

 

 “よーしそれじゃあ十本目いっくわよーエスリン!”

 “待って。なんでそんなに元気なの? ていうかもう休ませ”

 “しゃあっ! 禁断の竜裂二度打ち!!”

 “あっぶな!? ちょっとは加減しなさいよ莫迦ぁ!!”

 

 息も絶え絶えなエスリンに対し、グラーニェは元気一杯。

 容赦のない打ち込みを見せるノディオン王妃に、レンスター王太子妃はたじたじといった体である。

 

「なあ、普通逆じゃないのかこれ」

「……」

 

 妻達が猛然と剣稽古で汗を流しているのに対し、旦那連中は呑気に茶をすする有様。

 ふとした疑問を浮かべるキュアンに、エルトシャンは黙して語らぬのみである。

 

「しかし凄い効き目だな。オイフェの薬草は」

「……」

 

 そして、病弱だったグラーニェが、見違える程の壮健さを見せているのを、感心するかのように言うキュアン。

 オイフェが用意した薬草の薬効。いささか()()が良すぎる。

 そう思ったエルトシャンは、またも訝しげな表情を浮かべていた。

 

「なあキュアン。シグルドはどこまで──」

 

 ふと感じた、少年軍師の底知れぬ何かを感じたエルトシャン。

 疑念にも似た言葉を、つい親友へと吐き出す。

 

「シグルドは(はかりごと)を巡らせるような男じゃないぞ。巡らせる事ができんとも言うが」

「それは良く理解っている。というか、お前はもう少し言葉を選べ……シグルドは義に篤い男だし、ノディオンの……俺の敵じゃない。それは理解ってはいるのだが」

 

 親友の言葉を先読みするかのように、遮りながらそう断じるキュアン。エルトシャンは尚も言葉尻を濁す。

 

「だが、オイフェは……」

 

 しかし、ウェルダン戦以降のシグルド──属州総督領の動き、もっといえば、総督補佐官であるオイフェの動向は、エルトシャンもおいそれと看過できないでいた。

 

「オイフェがシグルドを傀儡にしているとでも言いたいのか?」

「だからお前はもう少し言葉を選べ……そういう事を言いたいわけじゃないが、それに近い事が起こっているのではないかと思ってな」

 

 そう言って、エルトシャンはもう一人の親友の姿を思い起こす。

 つい先日、新年の祝いでキュアン夫妻と共にノディオン城を訪れていたシグルドとディアドラ。

 獅子王は幸せいっぱいといった姿を見せていたシグルド夫妻が、何か大きな──とてつもない計謀に巻き込まれているのではないかと、不穏めいた何かを感じ取っていた。

 そして、それに大いに関わっているのが、あのオイフェではないのかとも。

 

「何が言いたい?」

 

 そう言ったキュアン。こちらも、少し怪訝な表情を浮かべる。

 シグルド達がエバンスへ帰城しても、ウェルダンの山賊対策を共に当たるキュアン達だけは、ノディオンへ残っている。

 いや、そういう名目で、エルトシャンはそれとなくキュアンをノディオンへ留めていた。

 深まる疑念を、シグルド抜きで話をしたかったからだ。

 

「キュアン。覚えているか? ノディオンエバンス間の街道で」

「ああ。オイフェが立案した“敵対勢力を効果的に撃滅する布陣”だな」

 

 やや剣呑な空気が漂う中、エルトシャンとキュアンは以前オイフェが進言したある出来事を思い起こす。

 

「ただの図上演習(ウォー・シミュレーション)だと思っていたが、直後にハイラインの軍勢が攻め寄せて来た。オイフェはハイライン軍が来る事を予想していたのではないか?」

「それはそうだろう。オイフェはあのスサール卿の孫だぞ。あらゆる事態を想定していてもおかしくはない」

 

 ウェルダン侵攻の正当性を証明するべく、エルトシャンを訪れていたシグルド一行。

 既に一連の侵攻を問いただすべくノディオンを発っていたエルトシャンと街道で邂逅した一行は、そこでオイフェが簡易的な図上演習を提案し、エルトシャンとキュアンを巻き込んで様々な想定を共有していた。

 

「想定していた仮想敵が具体的すぎる。お前やシグルドには言ってなかったが、オイフェが想定した軍勢はハイライン軍の編成とほぼ同じだったのだぞ」

「では、お前がハイラインの馬鹿王子を討ち取り、その後のイムカ王の調停までオイフェの想定通りだと?」

「……」

 

 キュアンにそう言われ、エルトシャンは押し黙る。

 ハイライン王子、エリオットを先の戦で討ち取っていたエルトシャン。

 当然、ハイライン王ボルドーは、愛息子を喪った怒りで即座にノディオンへ兵を向けようとしていた。

 しかし、狙ったかのようなタイミングで、アグストリアの盟主イムカ王が、ノディオンとハイラインの紛争の調停に出る。

 

 火事場泥棒的な振る舞いをするハイラインの非は、余人が見ても明らかであり、イムカ王に同調するようにアンフォニー王国やマッキリー王国からも調停の使者が来る始末。

 周りに味方がいない事を悟ったボルドー王は、渋々ではあるが調停を受け入れ、ノディオンから幾ばくかの賠償金を得る事で手打ちにした。

 

 喧嘩両成敗の形となったわけだが、実質的にはハイラインの暴走でアグストリアとグランベルの全面戦争にまで発展しかねなかったのだ。

 エルトシャンはイムカ王から内々ではあるが、功を労う言葉を賜っていた。

 

 しかし、シグルドがエバンスへ入城した時点で、エバンスからアグストリア各地に密使が出ていた事を、エルトシャンは後々になって気付く事となる。

 密使がどのような内容を携えていたのかは不明だが、ノディオンとハイラインの調停に何かしらの関わりがあるとしか思えなかった。

 

 それに。

 

「……」

 

 エルトシャンは、図上演習が終わった際、オイフェに言われたある一言を思い出す。

 

 “ああ、近い内に主シグルドを交えて狩猟会をしたいものですね。ラケシス姫もご一緒だと尚更華やいだものになるでしょう”

 

 笑顔でそう言った少年軍師。今を思うと、その笑顔は無垢な少年にあるまじき、悍ましいものが感じられた。

 そして、エルトシャンは否応なしに思い起こす。

 ラケシスと初めて出会った際に、開かれたハイライン王家との狩猟会を。

 

 前日、エリオット王子から公衆の面前で母親を愚弄されたラケシス。前ノディオン王を誑かした女狐とまで言われ、激高したラケシスは容赦なくエリオットを打擲するも、その時はエルトシャンが間を取りなし、一応の和解を果たしていた。

 が、その後に開かれた狩猟会で、ラケシスはエリオット王子に獰猛な狩猟犬をけしかけられる事となる。事故を装ってラケシスへ報復を果たそうとしたエリオットを、またもエルトシャンが寸出の所で妹姫を救っていた。

 

 忘れていたわけではないが、風化しつつあった憎悪を呼び起こされたエルトシャン。

 そして、忘れられない、妹姫への狂おしい恋慕の情。

 それを()()されたのではないかと、この頃ラケシスへの想いが深まるにつれ、エルトシャンはそう疑念を浮かべるようになった。

 その感情さえなければ、ハイラインとの戦いで、エリオット王子を討ち取るまでには至らなかったのではないかと。

 戦場で見た、愛する妹へ手をかけようとした不届き者の顔。

 その顔を見た瞬間、エルトシャンは猛然と魔剣ミストルティンを振るっていた。

 

 エリオットを討ち取った後、エルトシャンは封印していた妹への想いが増々強まるのを自覚していた。

 以前、シグルドとディアドラの婚姻の日、ラケシスへ夫を迎えるよう言い放った事は、このもどかしい想いをなんとか誤魔化そうとしてたから。

 しかし、あの少年軍師は、それすらも見透かしていたのではないか。

 

 だから、こうして──。

 

「まあ想定通りだからなんだ。世は並べて事もなし。確かにオイフェは何やら色々と動いてはいるが、シグルドの不利益になるような行動はしていないと思うぞ」

 

 湿った情感が沸き起こる中、キュアンの言葉で我に返るエルトシャン。

 キュアンは続ける。

 

「それに、シグルドがこのままグランベルで力を持つのは、我がレンスターにとっても不利益ではない」

 

 一瞬、冷徹な為政者の顔を覗かせるキュアン。

 レンスター王国を背負う若き狼の思惑を、獅子王は見逃さず。

 

「トラキア王国との戦争にグランベルを……シグルドを巻き込むつもりか?」

「せっかく手伝い(いくさ)をしたのだ。それなりの見返りはあって然るべきだと思うがね」

 

 目下、レンスター王国が抱えるトラキア王国との確執。

 どちらかが絶滅しない限り、トラキア半島に渦巻く殺伐とした因縁は晴れないだろう。

 そして、キュアンは自身の手で、この因縁に決着をつける腹積もりでいた。

 

 レンスター、マンスター同盟だけでは、強靭なトラキア王国を滅する事は叶わず。

 ならば、大国グランベルの力を、レンスターの利に沿うように借りるしかない。

 キュアンの父、レンスター王カルフが、ただ息子の恋慕の為にシアルフィと縁戚を取りまとめた訳ではないのは、エルトシャンも十分に察していた。

 

「まあ、大体は父上の思惑だがな。俺やエスリンは本当にシグルドを助けたいと思ってウェルダン戦に参じたぞ」

 

 しかし、為政者としての顔を一枚めくれば、純粋に親友(とも)を想うノヴァの末裔としての顔が現れる。

 

「情勢がどう動こうが、俺は最後までシグルドと共に槍を並べよう。俺はレンスター王族である前に、槍騎士ノヴァの末裔なのだ」

 

 高潔な聖戦士としての矜持。

 そして、義兄であり親友であるシグルドの為に、その義を貫く事を誓うレンスターの王子、キュアン。

 その姿が、エルトシャンには少しだけ眩しく見えた。

 

「俺は……」

 

 エルトシャンは想う。

 主家への忠。

 親友への義。

 そして、家族への情。

 そのどれかを選べと言われたら、果たして自分は──。

 

「ま、お前はお前の信じる道を行けばいいさ」

 

 そのようなエルトシャンの胸中を慮ってか、キュアンは滋味のある口調でそう言った。

 

「俺の信じる道……」

「そうだ。オイフェが何を謀っているのかは知らんが、俺やシグルドはお前の意志を尊重するよ。例えどのような事になろうとも」

 

 誰が為に戦うのか。

 それが肝要だ。

 

 そう言って、キュアンは少しだけ諧謔味のある笑みを浮かべた。

 シグルド軍は、国家や家に固執している者はいない。

 皆、誰かの為に剣を取り、槍を奮って来たのだ。

 そして、それはあのオイフェも同じ。

 言外に、そう伝えていた。

 

「ただ、とりあえずは妹離れをした方がいいと思うがな。ところでウチのフィンなのだがな、あいつは今は従騎士だが、ああ見えて実はそれなりに家格は良くてな」

「お前という奴は……」

 

 やや強引に弟分を推すキュアンに、エルトシャンもまた少しだけ口角を引き攣らせていた。

 

 

 

 

「フィン、お腹が空いたわ。ここで一休みしましょう」

「はい。ラケシス様」

 

 遠乗りに出たラケシスとフィン。

 エバンス領との境にある小川に到着し、馬を一休みさせるついで、自身らも休息を取るべく川べりにて腰を下ろす。

 敷物を敷き、持参した弁当を広げるフィンの手際。少しばかり焦っているのか、見習い騎士のたどたどしい仕草に、ラケシスは小さな微笑みをひとつ浮かべていた。

 

「あの、これは私が作ったのですが……」

 

 おずおずといった体で、サンドイッチを差し出すフィン。

 断面が少しばかり崩れており、挟んであるハムやレタスも形が悪い。

 ラケシスはそれをつまむと、黙って口の中へ放り込んだ。

 

「……四十点ね」

「そ、そうですか……」

 

 もぐもぐと咀嚼し、そう言ってのけたノディオンの姫。

 金獅子の姫君の採点に、レンスターの若武者はがっくりと項垂れる。

 

「でも、この間よりはマシね。それなりに美味しいわ」

「そ、そうですか!」

 

 ラケシスの微妙な褒め方にも、嬉しそうな顔で応えるフィン。

 己の言葉ひとつでコロコロと表情を変えるフィンに、ラケシスは面白い人、といった感情を抱いていた。

 イーヴやアルヴァ、ノディオンの騎士達は杓子定規的な反応しか見せず、ラケシスを完全に子供扱いしている。

 

 しかし、フィンだけは決して己を子供扱いせず。

 立派なレディとして扱ってくれる。

 ここだけは、兄の──大好きなエルトシャンと違っていた。

 そして、己の言葉に初心な反応を見せるのは、フィンだけだった。

 もっとも、レディの扱い方は、スマートなものではなかったのだが。

 

「あ、あの、何か?」

「別に」

 

 じっとフィンの顔を見つめていたが、ふいと顔をそらす。

 ラケシスはもくもくとサンドイッチを頬張り続けていた。

 

(……わたしって嫌な奴だ)

 

 フィンが己に向けている感情は、乙女はそれとなく気付いていた。

 身分違いも甚だしい失敬な感情ではあるのだが、今のラケシスにとって、それはある想いから()()するにはちょうどよいものだった。

 

 わたしは、エルトシャンが好き──

 兄としてではなく、一人の男として──

 

 エルトシャンが妹への想いに懊悩していたように、ラケシスもまた兄への想いに悩み苦しんでいた。

 エリオットから救ってくれた時。

 いや、それより前、初めて出会ったあの時から。

 説明のつかない、切ない感情が、ラケシスの中で渦巻いていた。

 

 だが、それは言うまでもなく禁忌の感情。

 近親など、とんでもない事なのは、余人に言われなくても十分に理解っている。

 だからこそ、辛い。

 辛い想いに苦しんでいた時に、出会った。

 レンスターの、純粋な従騎士に。

 

「……」

 

 彼もまた、乙女をひと目みた時に、焦がれるような想いを抱いてしまったのだろう。

 そして、その慕情に、乙女は逃避するかのように身を寄せた。

 己を慕う心を、己が慕う心を隠滅する為に利用した。

 

 傍から見れば、最低な女だ。悪女っていうのかしら、こういうのって。

 

 最初は、からかい半分の逃避。しかし、フィンと交流を続ける内に、幾ばくかの罪悪感も感じるようになった。

 フィンのあどけない笑顔を見る度に、乙女の心は揺れ動く。

 こんな感情を抱くようになるなんて、思ってもいなかった。

 

「……」

「あ、あの、どちらへ?」

 

 いたたまれない気持ちになったのか、ラケシスはサンドイッチを食べ終えると、そのまま黙って立ち上がる。

 

「レンスターの騎士は、レディが花を摘む所にまでエスコートするよう教わるのかしら?」

「はあ、花を摘むなら私もてつだ……あ、いや、その、あの、いえ、そういうのじゃ!」

 

 やや天然気味な反応を見せるフィン。

 それを見て、ラケシスは毒気を抜かれたような、綻んだ笑みを見せた。

 

「馬鹿ね、貴方って人は」

「は、はい……」

「そんな遠くまで行かないから、ここで待ってて」

「は、はい!」

 

 顔を真っ赤にさせてあたふたと慌てるレンスターの従騎士へ、乙女は軽やかな足取りで近くの森へと足を運ぶ。

 歩きながら、先程までの自身の感情を咀嚼していた。

 

(ズルい女ね、わたしって)

 

 居心地の良いフィンという陽だまり。それが、乙女の狂おしい感情を慰めていた。

 いつか、エルトシャンへの感情を完全に断ち切る時が来るだろう。

 でも、それは想像するだけで、乙女の胸を切り裂かんばかりに苛む。

 

「ズルい女ね、わたしって……」

 

 つい、そう独りごちる。

 乙女は、己に芽生えた感情に、ただ振り回される日々を過ごしていた。

 

 

 

「ん……」

 

 小川から少し離れた場所、森の中。

 尿意を覚えていたのは確かではあったので、ラケシスは手早く用を済ましていた。

 淑女たるもの、野で用を足す動作も瀟洒なものであるのだが、それはそれとして人に見られてはならぬのは絶対の是である。

 

「さてと」

 

 金糸の刺繍が施された下着を履き直し、スカートをたくし上げる。腰に下げた短剣も確認し、身だしなみを整えた。

 手水が無いので、早く小川へ戻り手を洗いたいものだ。

 そう思い、ラケシスはその場から離れようとする。

 

 その時。

 

「おやおや、これは眼福……」

「ッ!?」

 

 不気味な声が響く。

 瞬間、ラケシスは誰何の声を張り上げようとした。

 

「おっと、大きな声を出してもらっては困りますね」

「ァッ!?」

 

 しかし、ラケシスはそれ以上声を出すことができなかった。

 全身が金縛りにあったかのように硬直し、それ以上動くこともできない。

 

「ふっふっふ……いけませんなぁ、供も連れずにこのような所へ……」

「……ッ!?」

 

 薄暗い森の奥から、一人の男が現れる。

 薄汚れた緑のローブを身に纏う男の表情はよく見えない。

 しかし、悍ましい怨念めいたオーラが、男の周囲を漂っていた。

 

「クククク……ヴェルダンの一件から、こうして身を潜め続けた甲斐があったものよ……」

「ッッ!!」

「ああ、無理に声を上げない方がよろしいですよ。ラケシス姫」

「ッッ!?」

 

 自身の名を呼ぶ男の姿に、ラケシスは恐怖を滲ませた瞳を向ける。

 何かしらの術を使ったのか、男が近付くにつれ、ラケシスの硬直は強まっていった。

 見ると、男の周囲には同じようなローブを纏う数名の男達もいた。

 

「サンディマ様、術の準備は整えております」

「うむ。汚名返上の機会だ。抜かるでないぞ」

「はっ」

 

 そう言って、部下と思われる者が森の奥へと消える。

 突然発生したこの異常な出来事に、ラケシスは慄くばかりだった。

 サンディマと呼ばれた男──ヴェルダン王国を破滅寸前まで追い込み、暗黒教団の尖兵として蠢いていた魔道士サンディマは、ラケシスへ悪意が籠もった嗤いを浮かべていた。

 

「突然の無礼、平にご容赦して頂きたい。しかし、我らの悲願の為……貴女には少しばかり協力して頂きます」

 

 サンディマはそう言うと、残った配下の暗黒魔道士へ目配せをする。

 意を受けた魔道士達は、ラケシスを拘束すべく縄をかけた。

 

「ッッ! ッッッ!!」

「聞きたい事は沢山あるでしょうな。しかし、知っても意味がない事だ。貴女はこれから我々の操り人形になってもらうのだから」

「ッッッ!!!」

 

 ラケシスの敵意を受けても尚泰然とするサンディマ。

 暗黒教団の秘術、“洗脳術”の準備が整えられた森の奥へ連行される乙女へ、つらつらと言葉をかけていた。

 

「ようやく判明したシギュンの娘の居所……しかし、エバンスは異様なまでに守りが固い。ですが、友好国であるノディオンの姫──ラケシス姫、貴女なら容易くシギュンの娘を誘き寄せる事が出来るでしょう」

「ッッッ!!!」

「何、事が終わったら貴女の身柄は丁重にノディオンへ送り返しますよ。もっとも、アグストリアも我が神の贄となる運命ですが」

「~~ッッ!!」

 

 先のヴェルダンでの陰謀が失敗し、潜伏の日々を過ごしていたサンディマ。しかし、教団の悲願──聖者マイラの血を引く娘を得るまで、イード砂漠へ帰還する事は出来ない。

 生き残った配下を使い、シギュンの娘──ディアドラの居場所を、苛烈な残党狩りから逃れながら捜索していたサンディマは、ついにその居場所を突き止めていた。

 しかし、手堅い防衛体制が整えられたエバンス城は、手配書が出回ったサンディマでは忍び込む事すら難しく。

 それに、常にエバンス城最強の戦力──聖騎士シグルドが、ディアドラの側にいる。

 うかつに手が出せないと悟ったサンディマは、更に潜伏を続け、なんとかしてディアドラを拐かす手段を練っていた。

 

 そして、機会が訪れる。

 最近、妙にレンスターの若党と遠乗りに出かけるノディオンの姫の存在。

 それが、サンディマにとって光明であり、陰謀成就の手段となっていた。

 

「怖がる事はありませんよラケシス姫。少しばかり……夢を見ていただくだけだ」

 

 森の奥へ連れられたラケシス。簡易的な祭壇が拵えられたその場所へ誘われると、サンディマは洗脳を施す為の儀式を始めた。

 

「さあ、ラケシス姫……我が瞳を見るのだ」

「ッッッ」

 

 暗い、海の底のようなサンディマの瞳。

 その黒い瞳を見る内に、ラケシスの意識は徐々に遠ざかる。

 

(ああ、助けて……助けて、エルト兄様……!)

 

 薄れゆく意識。

 その中で、乙女は想い人の名を呼ぶ。

 しかし、それに応える者はいない。

 

(助けて、助けて……兄様……たすけて……)

 

 徐々に、ラケシスは闇に飲まれる。

 己が己でなくなる感覚が、ひどく悍ましいものに感じられ、全身から冷えた汗を流す。

 乙女の思考は、完全に闇に飲まれようとしていた。

 

 

(たすけて……フィン……)

 

 

 ふいに、あの青髪の従騎士の姿が浮かんだ。

 だが、彼も、乙女の声に応えることは──

 

 

「ギャアッ!!」

 

 突として、サンディマ配下の悲鳴が響いた。

 

「なっ!?」

 

 洗脳を施す為に集中していたサンディマは、乱入者の姿を見てその術を止める。

 そして、青髪の騎士の、凛とした声が響いた。

 

「ラケシス様ッッッ!!!」

 

 槍を振るい、次々と暗黒魔道士を屠る、レンスターの若武者、フィン。

 怒りに身を任せたレンスター流槍術に、暗黒魔道士達は反撃する間もなく斃れていった。

 

「クソ! 邪魔をするでない!!」

 

 功を焦ったか、サンディマ。

 フィンの乱入を許したサンディマは、己の迂闊さを呪うも、即座に暗黒魔導を発動すべく魔導書を開いた。

 

「死ね!」

「グッ!?」

 

 Jötmungandr(ヨツムンガンド)

 

 必滅の暗黒魔術。

 フィンは四肢を闇の波動に貫かれ、糸の切れた人形のように倒れた。

 

「フィ……フィン……!」

 

 拘束術が弱まったのか、ラケシスはフィンの元へ駆け寄る。

 よろけた足を必死で動かし、死人のように白い表情を覗かせるフィンの元へ辿りつくと、その身体を揺すった。

 

「フィン! フィン!」

「ラケ……様……お逃げ……くだ……」

「駄目よ! 貴方を置いては行けない!」

 

 不完全な暗黒魔術だったのか、かろうじて即死は免れたフィン。

 しかし、その身は既に死に体。これ以上の戦闘継続は不可能であり、途切れた声でラケシスへ逃げるように呟くのみであった。

 

「ふん、少々想定外の事が起こったが……だが、それまでよ」

 

 ゆるりとラケシス達へ近付くサンディマ。

 予想外の出来事を受け、苛立ちを隠せないようにそう嘯く。

 

「ラケシス姫、観念するがよい」

「くぅッッ!?」

 

 フィンを守るようにサンディマと対峙するラケシス。

 しかし、彼我の戦力差は歴然としたものであり。

 サンディマは再び拘束術を発動し、金髪の美姫の動きを止めた。

 

「ぁ……ぅ……!」

「さぁ、こっちへ来るのだ!」

 

 ラケシスの髪を掴み、強引へ祭壇へと引っ張るサンディマ。

 

「ラケシス……様……!」

 

 連れて行かけるラケシスを見て、フィンは己の無力さを呪う。

 守るべき人を守れない、己の無力。

 何故、この身は動いてくれないのだ。

 

「くっ……!」

 

 絶望に苛まれる、レンスターの従騎士フィン。

 ぎゅっと目を瞑り、どうにかしてラケシスを救うべく思考を巡らす。

 しかし、どう考えを巡らしても、ラケシスを救う手段は思いつかなかった。

 

 想い人を救えない無念が、フィンを蝕んでいた。

 

 

「ガァッ!?」

 

 

 唐突に聞こえた、サンディマの悲鳴。

 目を開けるフィン。

 直後に見えたのは、血を吹き出す喉を抑えるサンディマの姿だった。

 視界の隅に、サンディマの喉を斬り裂いたであろう小ぶりのナイフが、地面に突き刺さっていた。

 

「いけないねえニイチャン。魔道士とタイマンするなら、まず喉を狙わねえと」

 

 茶化すような不遜な声が聞こえる。

 声の方向に目を向けると、深い森の中でも巧みに騎馬を操り、不敵な面構えを見せる一人の傭兵がいた。

 

「ガ……ぎ、ぎざま──」

「うるせえ。もう死んどけ」

「ギッッッ!!」

 

 喉を抑えながら傭兵へ憎悪を向けるサンディマ。

 しかし、傭兵の男は飄々とした体でサンディマへ剣を振った。

 更に深く喉を抉られたサンディマは、怨念を籠もらせながら絶命した。

 

「ふっ、俺をやれるヤツはいねぇよ──」

 

 そして、傭兵の男は、ややあっけに取られるラケシスとフィンへ、不敵な面構えのままこう言った。

 

 

 

「世界ひろしと言えどもな!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




フィン「世界ひろしさん……」
ラケシス「一体どんな人なんだろう……」


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第40話『内緒オイフェ』

誤字報告に感謝いたします。


 

 イード砂漠

 グランベル軍宿営地

 

「こちらです、オイフェ殿」

「はい。ありがとうございます」

 

 グリューンリッターの兵士の案内を受け、オイフェは宿営地の中心にある大天幕へと歩を進める。一介の兵士にすら丁寧な態度で接するオイフェに、案内役の兵は上機嫌を隠しきれない様子だった。

 

「……」

 

 ちらりと、営内の様子を見やる少年軍師。

 グリューンリッターの兵達がそこかしこで休息を取っている様子が見受けられる。だが、その軍容は記憶していたものよりいささか小始末なものであった。

 

「なんだい。天下の聖騎士団サマにしては随分とくたびれているじゃないか」

 

 やや挑発的な口調でそう述べるは、オイフェの隣を歩く女傭兵レイミア。

 その声を聞いた案内役の兵士は、先程までの上機嫌さを引っ込め、不機嫌な表情を浮かべていた。

 

「おい姐御。そういうのはここじゃやめとけって」

 

 そして、その後ろを歩くは、漂泊の自由騎士ベオウルフ。

 嗜めるように言うベオウルフに、レイミアは変わらず意地の悪い笑みを口元に浮かべる。

 

「属州総督補佐官にしてシアルフィ公爵家御育預(おんはぐくみ)様の御愛妾だよアタシは。()()に対して率直な意見を言っただけなんだけどねぇ」

「御愛妾ね……」

 

 レイミアの言に、ベオウルフは呆れたように口をへの字に曲げた。

 ちなみに、現在オイフェに付き従うのはレイミアとベオウルフのみである。

 レイミア隊はグランベル軍宿営地から少し離れた場所で野営を行っており。そして、ホリンとデューは、既にイザーク国内に潜入していた。

 無論、リボー攻略を行っているドズル公国軍、グラオリッターの()()の為である。ホリンはデューの護衛というのもあるが、イザーク出身故に地理に明るく、デューの偵察確度を底上げするという面で、此度の斥候に抜擢されていた。

 

 それほど、ここからの情報の取捨選択は重要であり。差す手に誤りがあってはならない。

 オイフェは人知れず気を引き締めていた。

 尚、今回は偵察任務の為、カーガらレイミア隊幹部(おねショタハーレムメンバー)は同行しておらず、久方ぶりに彼女達のあけすけなスキンシップ(毎夜繰り広げられる逆レイプ)から解放された盗賊少年は、涙を流しながら喜んでリボーへ向かっていったという。

 

「オイフェさんよ。考え直すなら今のうちだぜ?」

「は、はぁ」

 

 オイフェへそう耳打ちをするベオウルフ。

 耳朶へ感じる力強い武者の言葉に、少年は努めて澄ました顔で応えた。

 

「ベオウルフ殿が心配されるような事はありません。レイミア殿の力が必要なの本当ですし、私の裁量内であればレイミア殿がどのような立場を名乗っても構いません」

「そういう事だよベオ。あんたが口を出す筋合いはないさね」

「……わかったよ。やれやれ、とんだ美少年と野獣だぜ」

 

 ベオウルフの軽口にもどこ吹く風か、レイミアはシニカルに口角を歪めていた。

 とはいえ、オイフェとレイミアは肉体関係をもって“契約”を結んでいる間柄は事実であり、また貴族の士官が遠征の際に“現地妻”を拵えるのは、さして珍しい事ではない。

 事実、案内役の兵士はレイミアの愛妾発言を聞き、オイフェが性質(たち)の悪い女に騙されているのでは? と心配げな視線を送るのみで、愛妾を持つこと自体には何ら疑問を抱かなかった。

 少々若いが、この年頃で“女を覚える”のは悪くない経験であるし、然るべき伴侶を迎えた時につつがなく情交を交わせるようにしておくのは、貴族の男子にとって当然の“教養”でもあるのだ。

 

 現シアルフィ公爵であるバイロンも、結婚するまでは幾人もの侍女に手を付けていたし、大恋愛の末エスリンと結ばれたキュアンも、士官学校時代に盟友エルトシャンを伴い貴人向けの娼館へ通っている。

 親友らの誘いを断り、かといって衆道趣味に目覚めたというわけでもなく、結婚するまで愚直に貞節を守っていたシグルドはある意味では異質であり、周囲は奇異の視線をシアルフィ公子へ向けていた。

 

 尚余談ではあるが、ドズルのいい男と謳われたかのドズル公子は、士官学校時分、バーハラ中の貴人向け娼館(バーハラでは貴人向けの男娼館も存在する)を制覇したという伝説を残しており、各国の子弟は士官学校卒業後、その伝説を母国で流布し、ドズルのいい男の勇名は世界中に響き渡る事となる。

 尚、それにドン引きした幼馴染のヴェルトマー公子は、結局女遊びを経験しないまま現在に至るが、ユングヴィ公女への恋慕の感情もあったので、むしろ女体への関心は年相応に持っており、周囲はいい男の煽りを受け童貞のままのヴェルトマー公子へ同情めいた視線を向けていた。

 

 更に余談中の余談ではあるが、ディアドラとの初夜を迎える前、シグルドはキュアンから閨房についてのイロハを叩き込まれており、ディアドラもまたエスリンから殿方と臥所(ふしど)を共にする上でのアレコレを教授されている。

 しかし、いざ寝所へ至った際、薄布一枚でその柔らかい肌を隠すディアドラを見たシグルドは、極度の緊張からかレンスター王太子の赤裸々な指導を全て忘却。その若い猛りを本能のままディアドラへぶつけており、ディアドラは覚えた作法を用いる間もなく夫の激流ともいえる愛を必死で受け止める事となるのだが、詳細はここでは割愛する。

 

 オイフェにとってレイミアという女傭兵は、ただの愛妾ではなく、デューとはまた違った意味での運命共同体であった。

 無論、運命の扉を開くという目的を達成する為の、“手段”としてである。

 故に、オイフェは己の愛妾身分を名乗るレイミアの茶目っ気に、さして異を唱えるつもりはなかった。

 どの道己の花を散らされたのは事実であり、否定しても仕方ない事ではある。

 もっとも、あの日以降、過度な肉体的スキンシップはあれ、オイフェはレイミアとの情交を断っていた。レイミアも何かしらの思惑があるのか、オイフェを共寝に誘う事はなく。

 それに、下手に情を移しては、オイフェが己に課している“使命”にも支障が出かねない。

 

 どうせ、彼女は。

 そして、己の存在は。

 ただの手段でしかなのだ。

 

 

「ま、くたびれているのは事実だしねぇ」

 

 ふと、レイミアはそこかしこで休息を取る兵達を見て改めてそう言った。

 勇壮で知られるグリューンリッターの兵卒であるが、レイミアの言う通り疲弊しきった様子を見せており。

 先程の誂うような態度とは違い、女傭兵は率直な意見を述べていた。

 

「イザークの剣士隊(ソードファイターズ)と正面から撃ち合ったのです。相応の損害を被るのは仕方ありません」

 

 レイミアの言葉を、オイフェは少し険のある声で応える。

 先に行われたグランベル軍とイザーク軍の戦いである“イード砂漠の会戦”。

 互いに真正面から戦力をぶつけ合い、両軍に多大な損害を与えたこの会戦を、オイフェは前世において良く研究しており。そして、セリスら若い将才達へこの会戦を教材にして指導していた。

 無論、セリスに与えた課題は、いかにグランベル軍──特にグリューンリッターの損害を減らし、イザーク軍に対し効果的な戦術を取れるか、といった内容だった。

 

「ハッ。正面からイザーク衆と斬り合うなんて、また随分と勇ましい殿サマだね。シアルフィ公は」

 

 そう言って、レイミアは呆れるような言葉をひとつ。蛮勇めいた指揮を執ったシアルフィ公爵バイロンの、その愚を言外に指摘していた。

 

「バイロン様はそうせざるを得なかったのです。此度の戦はクルト殿下が総大将として出陣しております。ヴァイスリッターは前線には出せません」

「ふぅん……王太子殿下直率のヴァイスリッターをおいそれと減らすワケにはいかない、って所かねぇ?」

 

 バイロンを慮るオイフェに、鋭く斬り込むレイミア。その言に、オイフェは少し驚きが籠もった眼差しを向ける。

 戦闘団を率いる身とはいえ、レイミア隊は小規模なもの。局地戦を戦う“小兵法”はそれなりに心得ているだろうとは思っていたが、政治が絡んだ“大兵法”にまで通じているとは思ってもみなかった。

 

「もっとも、温室育ちの兵隊サマじゃあ使い物にならない、って所が“実情”だったんだろうねぇ」

「ッ」

 

 更に、レイミアは此度のグランベル遠征軍の“実状”を正確に看破してみせた。

 ヴェルトマー騎士団ロートリッターに役割を譲ったものの、元が近衛騎士団(ガーズ)という性質をもつヴァイスリッター。所属している騎士、兵卒は貴族の子弟やバーハラ出身者で構成されている。

 故に、小規模ながら領内の山賊征伐で実戦経験を積んでいる各公爵家騎士団とは違い、ヴァイスリッターで人間の血を見たものは少数である。そもそも王家お膝元である為、建国当初からバーハラ周辺の治安は安定しており、更に近年は治安維持はロートリッターが担っていた為、ヴァイスリッターが実戦を経験する事は皆無だった。

 イザーク軍を前に、戦闘慣れしていないヴァイスリッターを前面に出すのは悪手であった。

 

「まあ流石はシアルフィ騎士団ってのもあるけどね。お荷物抱えた状態でイザークの抜刀隊を蹴散らしたんだ。上等さね」

「……では、レイミア殿なら、どのような(いくさ)運びをするべきだったと?」

 

 侮るような口調のレイミアに、オイフェは少しむっとしたような表情を浮かべると、ならば対案を出せと厳しい声を上げる。

 故国シアルフィ、敬愛するバイロンの手腕。

 確かに、終わってみれば部隊の損害を抑える良策はいくらでもひねり出せる。

 だが、バイロンが少々無謀な戦に臨んだ理由も分かるのだ。

 

「おや、気分を害したなら謝るよ」

「いえ、お気になさらず。ただ、レイミア殿ならどのような策を立てるのか気になりまして」

「そうさねえ……」

 

 オイフェのご機嫌がななめになったのを受け、レイミアは薄い微笑を浮かべながらとりあえずの謝意を述べる。

 もっとも、内心としては薄紅色の頬をふくらませる少年軍師の様子が微笑ましくもあったが、とはいえレイミアとしては、己の()()もあるので、オイフェの機嫌をこれ以上損ねるわけにもいかず。

 ふと考え込むように顎に手を当てたレイミアは、そのまま冷静に持論を開陳した。

 

「アタシが騎士団の指揮官なら、馬鹿正直に正面から殴り合うのを避けるね。せっかく騎兵がわんさかいるんだ。イザーク衆が布陣した段階で騎兵で引っ掻き回すのが良策さね。王太子殿下の軍勢は後方で魔法で援護に徹するってところかね」

「なるほど」

 

 レイミアの回答は及第点。

 かつてティルナノグにおいて、軍事科目を含めた座学(リベラルアーツ)をセリスら次世代の若者に施していたオイフェ。

 イザーク会戦も度々題材として扱われており、レイミアの回答は概ねセリスが回答した内容と一致していた。

 

「アタシがグランベル軍の総大将だったらその限りじゃないけどね」

 

 そう言ってのけるレイミア。

 オイフェは思わず、といった体で女傭兵の顔を見やる。

 

「ドズルやフリージからも騎士団が来るんだろう? なら、ダーナあたりで全軍が揃ってからゆるりと進めばいい。イザーク衆は数で圧倒しちまえばいいのさ。そもそもダーナを獲った時点でグランベルの目的は半分達成したようなもんだ。イザークまで出張ったのは、王太子殿下に箔をつけさせたいのもあったんだろうけど……ま、お偉いさんにはお偉いさんの“政治的な都合”ってのがあるんだろうね」

 

 そう言って、レイミアは変わらず口角を歪め、オイフェのあどけない顔を見返す。

 レイミアの回答は満点。

 そもそも、数の利はグランベルにある。

 それを活かさず、リボー手前までバイロン達が突出した理由は、レイミアの言う通り政治的な理由、そして大陸を覆う陰謀が深く関わっていた。

 

 ヴァイスリッターが初陣者が多いのと同じく、総大将であるクルト王子も此度の遠征が初陣であった。

 それ故、政治的に対立しているドズルやフリージの軍勢を待って進めば、クルト王子の戦功がやや霞んでしまうのは確かだ。

 それに、実戦経験の少ないクルト王子の指揮を、特にあのドズル公爵ランゴバルドが素直に聞くとも思えない。足並みが揃わなければ、思わぬ不覚を取る可能性もある。

 故に、バイロンは盟友リングと図り、己の手勢のみで決着をつけようとしていた。

 クルト王子派のみで此度の遠征を終える事ができれば、政争を繰り広げている宰相レプトール派に大きく優位に立てるからだ。

 

 且つ、そもそも論でいえば、此度の遠征はリボー族長によるダーナ虐殺の懲罰戦争の意味合いが強い。

 当初、バイロンやリングはダーナを奪還した後、イザーク軍と本格的な戦闘は発生せず、幾度か小競り合いを経た後、少々の金穀と領土のやり取りだけでこの外征が終わると見込んでいた。

 しかし、イザークのマナナン王が()()()()を遂げた事で、状況はバイロンらの目論見から大きく外れる事となる。

 王の仇討ちに燃えるイザーク軍はマリクル王子の元苛烈な攻勢に出ており、それを放置出来ぬバイロンらは半ばなし崩し的にイード砂漠で大規模な会戦を迎える羽目になったのだ。

 

 そのような状況下で、バイロンとリングは手札から最適解を選んでいたと、オイフェは評価していた。

 グリューンリッターが手酷い損害を被ったとはいえ、イザーク軍の主力はマリクル王子が討ち取られたのもあり壊滅状態にある。

 イザーク王国領の征伐は現状グラオリッターが請け負っており、主力を欠いたイザーク軍を蹂躙、リボーの落城も時間の問題だろう。

 とはいえ、それはクルト王子派のグリューンリッターが会戦に勝利したからこそであり、戦後の功績はこちらが優位であるとバイロンとリングは算段したのだろう。

 クルト王子を取り巻く陰謀を見抜けねば、の話ではあるが。

 

「……」

 

 オイフェはこれらの政治的、そして暗黒教団の陰謀を、当て推量ながらある程度察したレイミアの洞察力に、内心舌を巻いていた。

 これらの推量は、高度な教育を受けた者でしか成し得ぬ事実であり。

 

「レイミア殿は、どこでそのような見識を培ったのですか?」

 

 故に、直接聞いてみる。

 レイミアが思わぬ拾い物なのか。

 それとも、獅子身中の虫になりかねない、危険思想の持ち主なのか。

 オイフェは判断を強いられていた。

 

「うふふ……な・い・しょ♥」

「は?」

 

 レイミアは片目を瞑り、茶目っ気たっぷりといった体でオイフェにそう言った。

 オイフェは思わず真顔で応える。

「ババア無理すんな」という呟きをしたベオウルフへ腹パンを一発入れつつ、レイミアは咳払いをひとつ。

 

「んんっ。ま、まあアレさね。女には秘密のひとつやふたつはあるってことさね」

「はあ……」

 

 会心の傭兵流ユーモアが不発だったのを受け、レイミアは少々居心地が悪そうにしていた。

 オイフェとしては単にはぐらかされただけとなっており、少しばかり不満げな表情を浮かべる。

 

「うぐぐ……オ、オイフェさんよ。姐御が軍略に敏いのは、単純にある人から教わったからだよ……」

「なんだい、もうネタバラシするのかい」

 

 腹を抑えながら息も絶え絶えにそう述べるベオウルフ。

 レイミアはつまらなそうにオイフェへ言葉を続けた。

 

「アタシが駆け出しだった頃にね、そこのベオを含めてアタシらの面倒を見てくれた人がいてね。色々と教わったのさ。もっとも、軍学に関してはアタシ以外はロクに身についちゃいないが」

 

 少しばかり懐かしむような眼差しを浮かべるレイミア。

 ベオウルフがレイミアと既知であったのは知っていたものの、共に同じ釜の飯を食う間柄だったとはオイフェも知らず。

 レイミアの言葉を受け、ベオウルフもまた昔を懐かしむように言葉を添えた。

 

「懐かしいぜ。結局、今生き残っているのは俺と姐御とヴォルツとジャコバンくれえか?」

「そうさねえ……まあアンタとジャコの野郎はさておき、ヴォルツをやれる奴なんてそういないだろうね。あの人ですら……」

 

 そう言って、ベオウルフとレイミアは揃って遠い目で彼方を見つめた。

 

「今頃どうしているんだろうな……世界ひろしさん」

「何も言わずに行っちまったからねぇ……世界ひろしさん」

 

 二人の傭兵が懐かしむ人物。

 オイフェもまた、深い知識をレイミアへ伝授したであろう人物に思いを馳せた。

 

(世界ひろし……どんな人なんだろう……)

 

 そのような益体もない事を考えている内に、オイフェらはバイロンが待つ大天幕へと至るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




キュアン「いいか、シグルド。女体の蜜壺というものはその日の心と体の調べ、そして“槍”使いでいくらでも千変万化致すものであれば、当方もまた腰使いによって槍筋の角度、深浅、拍子、呼吸をはかり、その攻め処を外さぬ絶妙な機を逃さぬよう全霊を傾けるのが妙髄である。このように武門の槍技と股間の槍技は、相手に臨機応変に対する上で、まことに相通ずるものなのだ」
シグルド「キュアン。私は冗談を聞いているのではないのだが」

エスリン「てな感じでキュアンは兄上に教えてると思うけど、真槍と内槍のつながりなんて人に話しても理解されるわけないと思うの。聞いてますディアドラ義姉様?」
ディアドラ「は、はい……(顔真っ赤)」


結局書き溜め出来ない性分だったのでゆるゆる更新していきます……


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第41話『精通オイフェ』

 

 グラン暦772年

 グランベル帝国東方辺境領イザーク王国

 ティルナノグ

 

「セリスさまが出てこないの」

 

 シグルドがバーハラで非業の死を遂げてから十一年。

 勇者達の遺児、そしてシグルドとディアドラの遺児であるセリスを抱き、オイフェらはここティルナノグへ落ち延びていた。

 臥薪嘗胆、雌伏の時を過ごす日々。

 もっとも、シャナン王子の元、反帝国勢力の隠れ里となっているティルナノグ。征服者であるドズル家の反乱軍狩りから逃れるにはうってつけの場所となっており、住民らの協力もあってか、一行は比較的穏やかな時を過ごしていた。

 

 セリス達が居を構える屋敷──村長の別宅を借り上げた屋敷で、聖戦の遺児達は健やかに、そして逞しく成長しており、セリスは十三の年頃となった。

 そして、あくる日の朝。

 朝食の時間となっても自室から出てこないセリスに、扉の前で悲しげな表情を浮かべるラナの姿。

 その周りには、ラナの兄レスター、スカサハとラクチェの兄妹、そしてデルムッドの姿があった。

 

「どうしたのだお前達」

 

 中々一階の食堂へ下りてこない子供達を心配したオイフェ。二階へ上がると、そのような光景に出くわしていた。

 

「セリスさまが部屋から出てこないんです。何度も呼びかけているのですが……」

 

 妹の頭を撫でながら、同様に困った顔を浮かべながらそう言ったレスター。

 父譲りの緑髪を特殊な染料で青く染めていたレスターは、いざという時にはセリスの影武者となるよう心がけている。故に、この頃はセリスの一挙一足を常に気にするようになっていた。

 無論、これはオイフェら親達が強いたわけではなく、レスターの自発的な行いだ。

 このようなあどけない子供にまで、そのような悲壮な覚悟を強いているのは、実母であるエーディンを始め、オイフェ達の胸を痛ませていた。

 

「そうか。レスター、何か心当たりはあるのか?」

「さあ……」

 

 ともあれ、今はセリスだ。

 以前は子供達は皆同じ大部屋で就寝していたのだが、流石に思春期を迎えた男女を同じ部屋に放り込むわけにはいかず。レスターとスカサハ、デルムッドの男子組と、ラナとラクチェの女子組でそれぞれ部屋が別れており。

 そして、セリスだけは、あえて他の子供らと別格の待遇となり、専用の個室を与えられる事となる。

 これについては、オイフェの方針に基づいている。

 グランベル解放の旗頭、総大将となるべく、然るべき教育を施す上で、明確な一線を引く必要があったのだ。

 

 とはいえ、就寝時以外は、セリスは皆と行動を共にしていた。

 勉学や鍛錬、もちろん食事もだ。

 セリスは誰にでも優しく、そして積極的に子供たちの輪に加わっていた。傍から見れば、寝る時以外のセリス達は、仲の良い兄弟姉妹と言っても過言ではない。

 だからこそ、この事態は、オイフェにとって些か解せない出来事だった。

 

「セリスさまが、入ってくるなって……」

 

 半泣きでそう言ったラナ。

 事の経緯を聞くと、いつまでも起きてこないセリスを心配し、ラナが部屋のドアをノックしており。

 そして、強い口調でそのように言われたのだとか。

 

「わたし……セリスさまに、嫌われちゃったのかな……」

「ラナ、泣かないで。セリスさまもちょっと機嫌が悪い日だってあるよ」

 

 とうとう大粒の涙を零し始めたラナを、一生懸命慰め続けるレスター。

 そしてその様子を見つめる子供達も、悲しげに表情を暗くさせる。

 オイフェもまた痛ましい思いを抱きつつ、ラナの柔い髪を撫でた。

 

「ラナを嫌っての事じゃないさ。きっと、何か理由があるはずだ」

「オイフェさま……」

 

 泣き腫らす顔でオイフェを見上げるラナ。

 たまらず、デルムッドとラクチェも、ラナへ慰めの言葉をかけた。

 

「そうだぞラナ。セリスさまが俺たちを嫌うはずがないぞ」

「そうよ!」

「たぶん、ええっと、なにか嫌な夢を見たとか」

「そうよ!」

「もしかしたら、ちょっと具合が悪いだけかもしれないし」

「そうよ!」

「あとはそうだなあ……でも昨日は普通だったし、ほんと何があったんだろ」

「そうよ!」

「ラクチェ、おまえほんとマジで……」

「そうわよ!」

 

 噛み合わないデルムッドとラクチェ。

 見れば、ラクチェのおめめはぐるぐると渦を巻いており。

 剣豪少女は、最初からこの状況にテンパっていただけだった。

 

「……?」

 

 オイフェはふと、先程から黙って俯くスカサハを見留める。

 悲しそうに頭を垂れているのかと思いきや、その頬は少しばかり朱が差していた。

 

「スカサハ。何か心当たりがあるのか?」

「……」

 

 オイフェにそう言われると、益々顔を赤くし、俯くスカサハ。

 スカサハは何事も正直に話し、隠し事も一切しない素直な性格だ。

 それだけに、この様子は何かおかしい。

 

「皆の前では言い辛い事なのか?」

「……」

 

 コクリ、と、僅かに首肯する。

 そうか、とオイフェもまた頷いた。

 

「お前達は先に下に降りていなさい」

「え、でも……」

「いいから行きなさい。もたもたしているとまたエーディン様に叱られるぞ」

 

 朝食を準備しているエーディンの名が出ると、スカサハを除く少年少女達はおずおずと食堂へ向かう。

 

「ラナも行きなさい。レスターも」

「はい……」

「わかりました。ほら、行くよラナ」

 

 オイフェは最後まで残っていたレスターとラナへ、そう優しく言葉をかける。

 ちらちらと後ろ髪を引かれるラナの手を、レスターはしっかりと繋ぎ、やがてデルムッド達の後へ続いた。

 

「さあ、話してごらん」

「……」

 

 人払いが済み、極力小声でそう話すオイフェ。

 スカサハは尚も逡巡するも、やがてポツポツと口を開いた。

 

「あの、昨日ラナがセリスさまと一緒に、セリス様の部屋で勉強をしてて……それで、俺も一緒にいたんですけど……」

 

 セリスが自室で自習をしている時、大抵はラナも一緒に学習するのが常であり。

 時折、スカサハやレスターもそれに参加しているのは、オイフェもよく知っている。

 いつもと変わらぬ光景。

 しかし、スカサハは懸命に言葉を選ぶように、しどろもどろに言葉を続けた。

 

「それで、セリスさまが羽ペンを落としちゃって……ラナが拾ったんですけど……」

 

 ここまでは特におかしな事はない。

 しかし、スカサハは相変わらず頬を染め、恥ずかしそうにしている。

 

「その、その時、ラナの胸が……」

「胸?」

 

 二次性徴を迎えた子供たち。当然、ラナやラクチェも、少女の身体から乙女の肉体へと成長し始めている。

 同時に、最近エーディンが嬉しそうに娘達の下着を繕っているのを思い出していたオイフェ。

 どうも月のものも始まったみたい。ラナは辛そうだけど、ラクチェは全然平気そうね。というかあの子はもう少しデリカシーを持つべきだわ。などと、センシティブな話題も交えており。

 プライバシーが無いように思えるが、いずれ聖戦を戦う子女達の健康状態の把握、その必要性は、エーディンも十分に承知している為、全体を統括するオイフェにだけは共有していた。

 

 それらを鑑みると、少しは話が見えてきた。

 

「セリスさま、わざとじゃないと思うんです。でも、ラナの胸が、セリスさまに見えてしまったみたいで」

 

 一気にそう捲し立てるスカサハ。

 夕刻、湯浴み後の、就寝前の一時。自習の時間はいつもその時間だ。

 そして、就寝前のラナは、エーディンお手製のゆとりのあるシュミーズを纏っていた。

 もちろん、その下には何も着ていない。

 

「それで、セリスさまの、その……あの……」

 

 それから、スカサハは茹で上がった顔で言葉を詰まらせた。

 両親由来の優れた剣才を開花させ始めたスカサハ。母アイラから、卓越した見切りも受け継いでいたのか、その動体視力も並々ならぬものであり。

 故に、見た、というより、見えてしまったのだろう。

 セリスの性の萌芽を。

 

「……だから、ラナと会うのが、恥ずかしくなったんじゃないかって」

「そうか。よく話してくれたな」

 

 ポンポンとスカサハの頭を撫でるオイフェ。

 最初は、何か深刻な問題を抱えていると思っていたが、聞いてみれば思春期特有の生理現象なだけであり。

 

「あ、あの、俺も、ラドネイと稽古した時に……!」

 

 そして、スカサハはセリスだけに恥をかかせまいと、自身の赤裸々な体験まで語り始める。

 微笑ましい友情にして、無垢な忠誠心の発露。

 

「セリスさまと同じような事があって。それで、その、その日の夜に」

「ラドネイの夢でも見たのか?」

「……はい」

 

 二次性徴を迎えたのは少女達だけではなく、少年達も同じだった。

 そして、オイフェは胸に暖かな思いが湧き起こるのを感じる。

 そういえば、セリス様もスカサハも、そしてレスターやデルムッドも、最近は少し声が低くなっていたな。毎日顔を会わせていると、僅かな変化にも疎くなってしまう。

 そう思いつつも、やはりどこか嬉しそうに表情を緩ませるオイフェ。

 彼らの成長が如実に感じられ、ただ嬉しく思う。

 

 それに、ラクチェが挙動不審だったのも、双子特有の感応力で、大凡を察していたからかもしれない。

 まあ、どちらにせよもう少し踏み込んだ性教育を施す必要がある。そう思い、その手の教育に関しては全てエーディンに放任していた事を反省するオイフェ。

 いや、しかし、やはり自分が口を出す必要はないのかもと、オイフェは思い直した。エーディンはエーディンで、その辺りの機微はよく心得た女性なのだ。

 とまれかくまれ。

 

「分かった。私がセリス様とお話をしよう。スカサハも食堂で待っていなさい」

「わかりました……」

 

 そう言って、スカサハを促すオイフェ。

 

「スカサハ」

 

 そして、トボトボと歩くスカサハの背に、優しく声をかけた。

 

「何も恥じる事はない。お前達が健やかに成長している証だ。ただ、あまり人に話すような事じゃないのも覚えておきなさい」

「……はい」

 

 スカサハは赤らめた顔に、少しだけ精悍な男の顔を覗かせていた。

 

 

「さて」

 

 それから、オイフェはゆっくりとドアをノックした。

 スカサハはよくエーディンの手伝いをしており、洗濯を任される事が多かったので、汚した下着を自分で洗い、諸々を隠蔽する事が出来たのだろう。

 だが、セリスも家事の手伝いは時折しているが、洗濯は任されていない。

 なので、手助けをする必要があった。

 

「セリス様、オイフェです。入りますよ」

 

 鍵は掛かっていないので、すんなりとドアを開ける事ができた。

 そして、ベッドの上で、毛布に包まるセリスの姿を見留める。

 

「セリス様」

「……」

 

 無言を貫き、もぞりと毛布の中で身を捩らせるセリス。

 苦笑をひとつ浮かべながら、オイフェはベッドの縁に腰をかけた。

 少しだけ、栗の花の匂いがした。

 

「とりあえず、お召し物を替えませんか? そのままではさぞかしご不快でしょう」

「……うぅ」

 

 そう言うと、セリスはようやく毛布から顔を出した。

 少し泣き腫らした瞳。

 オイフェは努めて穏やかに話を続ける。

 

「もちろん、エーディン様や皆には内緒にしておきますよ。お召し物は私が洗濯しておきますので」

「……オイフェ」

 

 先程のスカサハと同じ様に、赤らんだ顔でオイフェを見るセリス。

 その顔は、父シグルドより、母ディアドラによく似ていた。

 

「さあ、起きてください」

「うん……」

 

 もじもじとしながら起き上がったセリス。

 しかし、その後、ポロポロと涙を零した。

 

「セリス様、これは恥ずかしいことではありません。セリス様が大人になってきた、喜ばしいことなのですよ」

「違うんだ、オイフェ」

 

 スカサハの時と同じようにそう諭すオイフェ。

 だが、セリスはふるふると頭を振り、何かを懺悔するようにか細い声を上げる。

 

「僕は、最低だ」

「何を仰る」

「でも、僕は」

 

 即座にセリスの言葉を否定するオイフェ。

 しかし、セリスは続ける。

 

「僕、ラナをそんな目で見てるつもりはなくて……でも……でも……」

 

 切ない表情を浮かべるセリス。

 ぎゅっと胸を抑え、若く青々しい感情を吐露した。

 

「でも、ラナの事を考えると、胸が苦しくなって。それで、あんな夢まで見て……」

 

 ああ、と、オイフェはどこか納得したような表情を浮かべた。

 なんとまあ、お父上に似て不器用で、生真面目なお方だと。

 セリスの外見はディアドラにそっくりだったが、中身はシグルドに瓜二つだった。

 

「ラナに嫌われると思ったら、余計苦しくなるんだ」

「……」

 

 聖戦の系譜を受け継ぐ光の公子。

 しかし、今のセリスは、まだ普通の少年だった。

 純粋で、真っ直ぐなラナへの想い。

 きつく当たったのは、純真な想いの裏返しだった。

 

「そうですか……」

 

 オイフェはそれを好ましいと思った。

 互いの家格が釣り合うとか、相応しい相手だとか、そのような話ではない。

 ラナが、幼少の頃から、セリスを想い続けていたのを知っていたからだ。

 ひとつ呼吸を置く。

 そして、オイフェは若き主君へ滔々と語り始めた。

 

「少し、私の昔話をしましょうか」

「え?」

 

 悲しそうな表情から、少々の好奇心を浮かべるセリス。

 オイフェは話を続ける。

 

「私も同じでした。ある日、朝起きてみると、まあ下着が濡れておりまして」

「オイフェも?」

「はい。皆も同じですよ。とはいえ、あまり人には話す事ではありませんが」

「オイフェも、その、女の子の夢を見たの?」

「そうですね。よく覚えてはいませんが、シアルフィ城の侍女の夢だったのは覚えています」

「シアルフィの?」

 

 オイフェの言葉を興味津々といった様子で聞くセリス。

 どこか、秘密を共有する父子のような光景だった。

 

「オイフェが好きだった人?」

「いえ、そういうわけでは」

「じゃあ、どうしてその人の夢を見たの?」

「恥ずかしながら、侍女達が湯浴みをしているのを覗いてしまいまして」

「オイフェ……」

「あ、いや、自分から覗きに行ったわけではなくてですね」

 

 取り繕うかのようにそう言ったオイフェに、セリスはじとっとした目を向ける。

 苦笑しつつ、オイフェは昔を懐かしむように話を続けた。

 

「バイロン様……セリス様のお祖父様が、面白いものを見せてやると言って、それで付いて行ったら、まあそのような光景に出くわしたのです」

「それは……ごめん、オイフェ」

「セリス様が謝る事ではないですよ。覗いてしまったのは事実ですし」

 

 懐かしきシアルフィの人々。

 今は亡きバイロンとの思い出。

 このようなシアルフィ、バイロンの話は、セリスにとってとても貴重な話であった。

 

「お祖父様はどんなお方だったの?」

 

 何度か聞いた話だったが、改めてバイロンの話を聞きたくなったセリス。

 オイフェはそのようなセリスへ、慈愛に満ちた微笑みを向けた。

 

「厳しいお方でした。ですが、とても優しいお方でもあり、とても楽しいお方でもありました。そして、とても強いお方でした」

 

 それから、いくつかのエピソードを交え、バイロンの事を話すオイフェ。

 シアルフィ家の直系でありながら、シアルフィを全く知らぬまま育ったセリス。

 少し、羨ましそうな表情を浮かべた。

 

「そうなんだ……僕もお祖父様に会いたかったな」

 

 そう言ったセリス。

 己に流れるシアルフィの血、そしてバルドの血。聖騎士の血族。

 だが、求めてやまない家族は、もう目の前のオイフェだけだった。

 

「……いつか、必ず、シアルフィへ帰りましょう」

 

 オイフェはじっとセリスを見つめながら、何度も繰り返した誓いの言葉を述べる。

 シアルフィを取り戻すのは、セリスとオイフェにとって悲願にして宿命であり。

 そして、帝国の圧政から、民衆を救う為。

 そして、暗黒の世を、光で照らす為に。

 

 オイフェは、改めて誓う。

 セリスを、その時まで必ず守り通し、強く育て上げる事を。

 

 そして、自身の秘めた復讐を果たす事も──。

 

 

「もっとお祖父様の事を聞かせてよオイフェ」

 

 そう言ったセリスの表情は、色々と悩んでいた事を忘れたような、明るい表情だった。

 やっといつものセリスが戻ってきたのを受け、オイフェは苦笑をひとつ浮かべていた。

 

「そうですな。ですがその前に、まずはお召し物を替えましょうか。さ、下着を脱いでください」

「う……うん、わかったよ」

「それから、心配してくれた皆、ラナへちゃんと謝るのですよ」

「うん……わかったよ、オイフェ」

 

 羞恥の感情を覗かせながら、セリスは確りと頷いた。

 そのようなセリスを、オイフェは変わらず慈愛の眼差しで見つめていた。

 

 

「まあ、セリス様は私よりマシですよ。私が初めて下着を汚した時なんか、バイロン様が『祝いじゃ!』なんて言って、城中に言いふらしていましたからね」

「えぇ……その、ごめんオイフェ……」

「セリス様が謝る事じゃ……いえ、やはりこれはちょっと無いですね……」

「うん……ごめん……」

 

 セリスとオイフェの、主従の慈しいひとときであった。

 

 

 

 

 


 

 グラン暦758年

 イード砂漠北方

 グランベル軍宿営地

 

 試胆の時だ。

 そう思いながら、大天幕を潜るオイフェ。

 逆行人生における最大の山場。ここを失敗すれば、オイフェは計画の大幅な修正を余儀なくされる。

 クロード神父との会談は、あれはある意味では簡単であった。

 要はクロードが真実の確認をする為、ブラギの塔へと向かうよう仕向ければ良いだけだった。

 少々個人的な感情が籠もってしまったのは反省点であったが、あの会談はほぼオイフェの思惑通りに進んでいた。

 

 しかし、これから臨むグランベル王国重鎮との会談──シアルフィ公バイロン、ユングヴィ公リング、そしてグランベル王国王太子クルトとの会談は、政治的には初心であるクロードとのそれとはわけが違う。

 海千山千の宮廷政治家らと堂々と渡り合っていたバイロンとリング。特にリングの政治感は、あの宰相レプトールと五分するほどだ。

 その二人からとっくりと政治のイロハを教えられたクルト。その見識は侮れるものではない。

 

 おそらく、此度の陰謀がなければ、数年以内には宰相レプトールを始めとした反クルト派は、政治的に真っ当な手段でバーハラ王宮から一掃されていただろう。

 彼らを“クルト王子暗殺”という強硬手段に走らせたのは、もちろん裏に暗黒教団大司教マンフロイの策動があったのもあるが、それ以上に、このままではジリ貧であるという切迫感も多分に作用していたのだ。

 

「……」

 

 急に心細くなった。

 バイロンに再会するのは、オイフェにとって楽しみでもあり。政治が絡まなければ、バイロンはオイフェにとって親ともいえる好ましい人物だ。

 だが、此度の会談はそのような家族の団欒を許さない、シビアなものだ。自分一人だけで、果たして成し遂げる事が出来るのか。

 あの何者に対しても斜に構えるレイミア。

 彼女は、今は天幕の外でベオウルフと待機している。

 オイフェは思う。レイミアがいれば、この局面で如才なく援護射撃をしてくれるだろうにと。

 

 しかし、レイミアではあまりにも身分の格差がある為、オイフェと同席することは出来ない。

 それに、此度の訪問は、名目上はシアルフィ家育預であるオイフェが、当主であるバイロンの陣中見舞いに訪れたという体だ。

 余人に立ち入る隙は無い。例えレイミアがオイフェの愛妾を自称していてもだ。

 

(いや、腹をくくれ)

 

 密かにそう気合を入れるオイフェ。

 同時に、やはりレイミアは魔性の女であると、そう再認識していた。

 レイミアが隣にいる日々。その内、オイフェはどこか安心感を覚えていたの自覚した。

 元々駒として雇用したのに、気付けばある種の依存心が芽生えてしまった。

 これは危険だ。

 危険な兆候だ。

 下手をすると、レイミアの存在が命取りになるとも限らない──。

 

 オイフェは、レイミアの冷徹な心の奥底に僅かに芽生えた、暖かな火に気付くことはなかった。

 無意識に、その暖かな火に惹かれていた自分に、気付くことはなかった。

 現時点では。

 

 

「オイフェ、久しいな!」

 

 そう思っていると、奥から老齢の貴族が現れた。

 その足取りは壮健そのもの。漲る活力が溢れている。

 バイロン・バルドス・シアルフィは、息子同然に可愛がっているオイフェへ、嬉しそうに歩み寄っていた。

 

「お久しぶりです、殿様──わあ!?」

「ハッハッハッハ! なんだ、まだまだ軽いな! ちゃんと飯は食っているのか?」

 

 挨拶もそこそこに、バイロンはオイフェを軽々と抱き上げた。

 太い腕に抱えられたオイフェは、驚きと共に、懐かしい感覚により思わず相好を崩す。

 ああ、バイロン様だ。殿様だ。

 厳しいけれど、強くて、優しい殿様!

 

「おいバイロン。オイフェが可愛いのは分かるが、それくらいにしておけ」

 

 そう言ってバイロンを嗜める二人目の老貴族。

 ユングヴィ公爵リング・ウルル・ユングヴィは、やれやれといった体でバイロン達を眺めていた。

 

「やかましい。オイフェはシアルフィの子だぞ。他人にとやかく言われたくないわ」

「ほほー。オイフェ、バイロンはこう言っておるが、お主にとって儂は他人なのかのう?」

「い、いえ、そのような。ああ、ユングヴィ卿、お久しぶりでございます」

 

 抱っこされながらリングへ挨拶を述べるオイフェ。

 幼少の頃、両親を亡くしたオイフェ。育預としてシアルフィ家の一員となってからは、シグルドやエスリンに連れられ、良くユングヴィへも遊びに行っていた。

 そこで、利発なオイフェは、リングからも可愛がられることとなる。

 

「ユングヴィ卿か……なんじゃ、随分と他人行儀じゃのう」

「あ、いえ、その……えっと、リング様」

 

 オイフェがそう呼び直すと、リングは好々爺といった表情を浮かべ、オイフェの柔い髪を撫でた。

 

「いやしかし、しっかりと成長はしているようだな。筋肉が付いてきた。嬉しく思うぞ」

「い、いえ。あの、そろそろ下ろして……」

「なに、遠慮するでない。昔はこうやって、よく儂の膝の上に座っておったではないか」

「は、はい……」

 

 バイロンは近くの床几へオイフェを抱え、そのまま膝の上に乗せており。

 属州領補佐官という公的な身分を持つオイフェであっても、子供──いや、孫のように扱っていた。

 リングもリングで近所のおじいちゃんといった空気でオイフェに接しており、「菓子でも食うか?」と構ってくる始末だった。

 

(やり辛い……)

 

 懐かしい顔ぶれで暖かな気持ちになったオイフェだが、本来の目的を考えると、この状況は宜しくない。

 というか、距離感が近すぎる。

 これではシリアスな話題は切り出し辛い。

 

「懐かしいな。こうやって儂と一緒に風呂も入ったことも覚えておるか?」

「え、ええ。よく覚えています」

 

 その後、侍女の湯浴みを覗きに行こうと誘われたこともね! と、オイフェは密かに思うも、それは言わないでおいた。

 

「そう子供扱いするでないバイロン。オイフェが可愛そうじゃろ。飴食べるか?」

「何を言っておる。オイフェが子供じゃないのは儂も知っておるわ」

 

 そう言って、バイロンはニヤリと諧謔実のある笑みを浮かべる。

 

「表にいる女傭兵、アレがお前のコレだろ?」

「えっ!?」

 

 小指を立てながらニヤニヤと好色な視線を向けるバイロン。

 戸惑うオイフェに構わず、爺共の少年イジりは続く。

 

「いやはや、どんなおなごかと思えば、中々良い趣味をしているではないか」

「え、いや、えっと」

「オイフェ。まあお前の年頃なら女を覚えておくのも良いが、ありゃちと()()が立ちすぎておらんか?」

「いやリング。年増を選んだのは正解だ。()()()のおなごは年増に限る」

「そうかのう。オイフェには同じ年頃の娘が良いと思うのじゃが」

「違うぞリング。お主だってそれなりにおなごに精通していると思うが、儂が思うに、やはり初めては年増の包容力に包まれた方が上手く()くのだ。精通だけに」

「ちょちょ、ちょっと待ってください!」

 

 唐突にスケベトークをおっ始めた爺二人。

 オイフェは慌てて取り繕うばかり。

 同時に。

 

(……流石です。殿様、リング様)

 

 やはり、一筋縄では行かない。オイフェがただの陣中見舞いに訪れたわけではないのを、どこか察している節がある。

 故に、このような茶番めいた空気を作り、オイフェを試しているのだろうか。

 もっとも、半分、いや八割くらいは、ガチでオイフェを可愛がっている節もあったが。

 

(さて、どのように話を切り出すか……)

 

 バイロンとリングは、聖戦士の直系であり、老練な政治家でもあるのだ。

 これから始めようとする会談で、果たしてどれだけ主導権を握れるのか。

 そもそも、彼らのペースに嵌っている時点で、それがどれだけ難しいのかも。

 オイフェはそう思考する。

 だから、何かしらの切っ掛けがほしかった。

 

 すると、早々にその切っ掛けが訪れた。

 

「なにやら楽しそうですね、バイロン卿、リング卿」

 

 気品のある声が響く。

 バイロンとリングはそれを聞くと、即座に立ち上がり、腰を深く折った。

 

「あ、これは」

 

 オイフェも慌てて拝礼をしようとしたが、バイロンに抱えられている現状、満足な礼を取る事ができない。

 山吹色の長髪を壮麗に靡かせた貴人は、そのようなオイフェに穏やかな笑みを向けていた。

 グランベル王太子、クルト・アールヴヘイム・バーハラだ。

 

「殿下。粗相をお許しください。何分、私めの子が訪れておりまして」

「良いのですよバイロン卿。常の様子で構いません」

「はっ。格別なご配慮に感謝致します」

 

 そう言って、クルトはバイロン達の対面にある床几に座る。

 それを見た後、バイロン達も床几へ腰をかけた。

 

「このような無礼をお許しください。私はヴェルダン属州総督補佐官、オイフェ・スサールと申します。クルト殿下に拝謁を賜る名誉、真に光栄な思いでございます」

 

 バイロンに抱っこされた状態ではあるが、オイフェは真摯な表情でクルトへ挨拶口上を述べる。

 それを意外そうに見つめるクルトやバイロン。

 どうやら、この少年は場の空気に呑まれまいとしているようだ。

 

「構いませんよ。オイフェ補佐官」

 

 あくまで嫋やかな笑みを崩さず、オイフェの無調法を許すクルト。

 この場合、家族の団欒に割って入ったクルトの方が、無作法の誹りを受けてもおかしくはなかった。

 此度オイフェの訪問。クルトへの謁見は、明日の予定だ。

 だが、オイフェが無頼の傭兵を引き連れ参陣したのを、クルトもまた見留めており。

 

 それ故、興味が湧いた。

 この少年は、本当は、どのような意図でこの場に訪れたのだろう。

 ただの陣中見舞いなら、護衛をつけるにしても、もっと少人数のはずだ。

 しかし、引き連れた傭兵団。護衛というより、物騒すぎる“戦力”だった。

 

 公的な場所での謁見より、私的な場所で話をしてみたい。

 このようなクルトの内意を受けたバイロンとリングは、こうして必要以上にくだけた空気でオイフェを出迎えていたのだ。

 

「オイフェ補佐官も、常の言葉で話をしてください」

 

 にこやかにそう言ったクルト。

 その言葉を聞き、オイフェの眼光は、柔らかな少年のそれではなく。

 使命、悲願、宿望。そして、復讐。

 様々な想いを秘めた、軍師の瞳に変わっていた。

 

「殿様……バイロン様。下ろしてください」

 

 オイフェが纏う空気が変わった。

 それを感じたバイロン。頷くと、オイフェを膝から下ろした。

 クルトの前へ跪き、オイフェはその凛とした瞳を向ける。

 

 そして、オイフェの口上が始まった。

 

 

「クルト殿下。殿下には、我々と共にグランベル──属州領へ落ち延びて頂きたい」

 

 

 場の空気は、もはや先程の呑気な空気に戻る事はなかった。

 

 

 

 

 

 



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第42話『鉄拳オイフェ』

 

「以上が、此度の遠征における諸侯の叛乱計画です」

 

 オイフェが王太子クルトと謁見してから、一刻以上の時が経過していた。

 少年軍師が滔々と語る、反クルト王子派の叛逆。それを黙って聞いていたバイロン、リング、そしてクルト。

 三者は三様にその内容を咀嚼していた。

 

 宰相レプトール、ドズル公爵ランゴバルドが中心となって策謀した此度の計画。

 まず、クルト王子らグリューンリッター、ヴァイスリッター両騎士団を矢面に立たせる事で、その兵力を漸減せしめる事が第一の段階。

 消耗した両騎士団に代わり、グラオリッターがリボー攻略の尖兵となる事が第ニ段階。

 後詰として進発したゲルプリッター、そしてフィノーラ方面を攻略中のバイゲリッターがリボーへ集結する事が第三段階。

 そして、グリューンリッター、ヴァイスリッターを、集結した叛逆軍が包囲殲滅する事が第四段階。

 

 その後はクルトを弑逆せしめた首謀者はバイロンとし、叛乱諸侯は何食わぬ顔で王宮に留まり続け。

 ゆくゆくはドズル家がイザークを、フリージ家がアグストリアを併呑し、それぞれ独立国家を打ち立てようとする事。

 最後に、それらを裏で操るアルヴィスが、グランベル王国の王位簒奪を成し遂げる事。

 それが叛逆計画の最終段階だった。

 

「……」

 

 アルヴィスの名前が出た瞬間、クルトはあくまで無表情を貫くが、その視線は厳しいものだった。

 政治的に中立だと思っていたアルヴィス。いや、心情的にはシギュンの件もあり、多分な忖度を施していた相手。

 それが、己を破滅させんと陰謀を巡らしているとは。考えたくもない。

 そもそもが、オイフェの話は非常に疑わしいものだった。

 

「オイフェ、お前は自分が何を言っているのか分かっておるのか?」

 

 クルトの意思を代弁するように、バイロンもまた厳しい声色でオイフェへ詰問する。

 乱心したとは思えず。しかし、にわかには信じ難い話だ。

 証拠も無しに諸侯の造反を疑う事は、国内の混乱を招く意味でも避けるべきであり。

 もっとも、バイロンはオイフェの弁を「戯け」と一蹴する事は出来ず。それほどまでに、クルト派と反クルト派の対立は、根深いものとなっていたのだ。

 

 とはいえ、見方を変えれば、オイフェの言はグランベル軍の相撃を狙うイザークの謀略とも受け取れる。

 オイフェがイザークの間諜となったのか。いや、それはない。しかし、何かしらの計略に引っ掛かった可能性があった。

 愛しいシアルフィの子、オイフェ。だからこそ、バイロンは厳しく詰問せんとする。

 

「事の真偽はともかく」

 

 しかし、バイロンが詰問を開始する前に、リングが顎に手をやりながらそう発言した。

 

「確かにグラオリッターの動きは怪しいと思っておった。何故あやつらはリボーの攻略をあそこまで急いでおったのだ? リボーを落城せしめた後も、周辺の鎮定をろくにせぬままイザーク本城攻略へ向かったのも不自然じゃ。兵は拙速を尊ぶとはいうが、奴らしくもない」

 

 元からグラオリッターの動きには疑念を覚えていたリング。

 ドズル公爵ランゴバルドは、その蛮勇な見た目に反し、堅実な(いくさ)運びを好む将だった。

 逆に言えば、ランゴバルドは迅速な浸透突破戦術は決して行わない。グラオリッターも主の性格を反映してか、重装備故に通常のソシアルナイトより鈍重なアクスナイト、グレートナイトが中心となって編成されている為、そもそもが電撃的な侵攻に向かない騎士団であった。

 

「当初は功を独占したいだけかと思っておったが、なるほど、儂らを野戦に誘い込んで挟撃しようと目論んでいるなら頷けるのう。外征時でも各騎士団へ自由裁量を与えているのが災いしたな」

 

 また、グランベル王国に従属する各公爵家は、半独立国家として様々な権限を保証されている。

 当然軍権も然り。外征時には王家に従い兵力を供出する義務を負っていたが、戦地での指揮権は各公爵家に委ねられていた。

 此度の遠征に於いても、クルトが直接指揮権を持つのはヴァイスリッターのみであり、親クルト派筆頭であるグリューンリッターですら、クルトが直接指揮を執るのは憚られる。

 大まかな方針を下す事はあれど、実際の戦争指揮は各公爵家に一任されているグランベルの軍制。他国から見れば付け入る隙がありそうな仕組みだが、各公爵家がそれぞれ一国に匹敵する程の軍事力を保持している為、王家に忠誠を誓っている限りそれは問題とはならなかった。

 

「そもそもが、イザーク征伐は殿下とバイロンと儂の手勢だけで十分だったのに、宰相らがしゃしゃり出てきたのも妙な話よ。初めから殿下を弑い奉るつもりだったのならば色々と辻褄が合う」

 

 更に付け加えるなら、此度のイザーク遠征は過剰なまでに兵力が投入されており、イザークとグランベルの国力差を鑑みても、五つの騎士団が投入されるのは戦力過多(オーバーキル)と言っても過言ではない。

 考えてみれば、初めから不審な外征計画だったのは否めなかった。

 

「バカ息子がそれに乗っかってしまったのは残念極まりないが」

 

 そう言って、リングは普段の朗らかな表情に、暗い影を差した。

 

「リング、まだオイフェの話が真なのか分からぬのだぞ。そもそも、アンドレイ公子がお主を裏切るなぞ──」

「いやバイロン。アンドレイは儂を疎ましく思っておるよ。儂が生きている限り、あ奴はユングヴィを継ぐ事が出来ぬのだからな」

「リング……そこまで分かっていながら、何故アンドレイ公子に家督を譲らぬのだ」

 

 リングとアンドレイの確執は、領地を隣とするバイロンも既知であり。

 普段から抱えていた想いを、思わず口にしたバイロンに、リングはある種の諦観が混じった表情を浮かべていた。

 

「お主も分かるじゃろバイロン。聖戦士の家を継ぐという事は、神器も継ぐ事になるのだと」

 

 十二聖戦士が残した血統による神器継承。

 暗黒神を打ち倒すべく、竜族が人に与えた対抗手段は、いつしか政治的な権威として扱われるようになった。

 無論、強力な神器の力が政治利用されているのもあるが、それ以上に神器を抱く家への求心力は、ユグドラル大陸に於いて絶対的なものなっていた。

 

「神器をまともに扱えぬ当主なんぞに、家臣や民が忠を尽くすと思うか? いくら善政を敷いても、いずれ人心は離れる。アグストリアを見てみい。アグスティ王家へ忠誠を誓っているのは、もはやノディオンだけじゃぞ。それもエルトシャン王が騎士道精神溢れる御仁だからであって、今後はどうなるかわからん」

 

 そう言って、隣国アグストリアを例に出すリング。

 今や神器を継承せずにアグストリアの盟主となったアグスティ王家は、今代のイムカ王の善政があっても、アグストリア諸侯からの求心力を失いつつあった。イムカ王が代替わりをすれば、それはより顕著になるだろう。

 全ては神器を持たぬがゆえに。

 

 それほどまでに、この大陸では神器が権威の象徴となっており。

 それほどまでに、ロプト帝国の暗黒時代は、人心へ深い闇をもたらしており。

 そして、それほどまでに、十二聖戦士が、人々の眩い光となって世界を照らしていたのだ。

 

 アンドレイが聖弓イチイバルを継承せずにユングヴィを継げば、同様の事態に陥るのは疑いようもなく。

 恐らく、アンドレイの子、スコピオにもウルの聖痕が輝く事は無い。

 リングは現実的な政治家だ。

 神器が人々の求心力となり続ける限り、アンドレイへ家督を譲る事は決して許さなかった。

 

「それにな、バイロン」

 

 さらに、リングには家督を譲らない、もうひとつ理由があった。

 

「ウルの血が……イチイバルが教えてくれるのじゃよ。ブリギッドは、まだ生きておると」

「リング……」

 

 現実的な政治家であるリング。

 神器が持つ神秘性もまた、リングは現実として捉えていた。

 イチイバルが、ウルの血脈が、リングへ愛娘がまだ生存している事を明確に伝えていた。

 

(……)

 

 一連のやり取りをじっと聞いていたオイフェ。

 概ねリングの言は正しく、アンドレイが造反に走った理由も理解出来ており。

 そして、神器の重要性は、オイフェの前世に於いても根深い問題として顕在化していたのは、ユングヴィとヴェルダンのイチイバル継承問題を見ても明らかだった。

 

(だからこそ──)

 

 此度はそのような問題を起こさないようにする。

 無論、前世と同様に──もはや前世と同様の出会い方をする事はないだろうが──ジャムカとブリギッドには結ばれてほしい。ミデェールとエーディンにも。それぞれが、愛する人と結ばれてほしい。

 そして、オイフェは彼らが結ばれる前提で動いていた。彼らが政治的な厄介な問題を抱えず、幸せな人生を送ってもらう為に。

 ()()()()()()()なのだから。

 

 

「ま、それはそれとして、オイフェの話は到底信じられぬ事だがな」

「えっ」

 

 虚を突かれる少年軍師。

 急にはしごを外された形となったオイフェは、今まで自身を肯定していたリングへ驚愕の眼差しを向けていた。

 それに構わず、リングは淡々と指摘を続ける。

 

「宰相やドズルのクソ親父の思惑はまあ納得できる。あ奴らは特に領土欲が強いからのう。アグストリアとイザークを滅ぼし、自身がそれらの王となる野望があってもおかしくはない。そして、陛下や殿下が御存命である内は、その野望は決して果たせぬのもな」

 

 反クルト派がここまで強硬にクルト王子に反目する理由。

 バーハラ王家が断絶しかねない程の凶行を決断せしめたのは、既にバーハラ王家との決別を覚悟し、己の野望に生きる事を決断したからだろうか。

 

「そして、その野望は、アルヴィス卿が積極的に関わっておらんと果たせないのもな」

 

 付け加えて、これらの陰謀は、アルヴィスの協力が無ければ実現は非常に難しい。

 というより、アルヴィスが王家へ忠誠を誓っている場合、反クルト派は炎の紋章も敵に回す事になるのだ。

 近衛を預かるアルヴィスは、国体の護持、王家の存続が本来の使命だ。故に、宰相レプトールらが企む叛逆は看過出来るわけもなく。

 

 更に言えば、アルヴィスは宮廷政治の監察官としての役割も担っており、ロートリッターの諜報力を用い常に不穏分子の監視任務も行っている。このような陰謀がもしあれば、真っ先にアルヴィスが察知し、秘密裏に処刑するか表舞台へ引きずり出して大いに追求せしめるだろう。

 

「だからこそ、アルヴィス卿が宰相らの陰謀に加担しているとは思えぬ」

 

 故に、アルヴィスの存在は、バイロンとリングにとって、一種の政治的なセーフティーでもあり。

 かの炎戦士が睨みを効かせている限り、レプトールらは直接的な叛逆行為が行えないのだ。

 

 そして、バイロンとリングは、アルヴィスがバーハラ王家を裏切る理由が無いのも理解していた。

 

「オイフェ。仮にアルヴィス卿が陰謀に加担しているとして──」

 

 リングの言葉を引き継ぐように、バイロンはオイフェへ疑問を向けた。

 

「アルヴィス卿が何を得るというのだ? バーハラ王家に代わり王権を簒奪する? それが不可能なのは彼が一番良く知っているぞ」

 

 神器、そして聖戦士の血統が権力の象徴であるのは、当然グランベル王国も同じであり。バーハラ王家に対する民心の信は、十二聖戦士の中でも特に強いものがあった。

 聖者ヘイム──神聖魔法ナーガにより、このユグドラルは救われた。

 言い換えれば、救世の英雄の血が無ければ、この大陸の中心を統べる事は不可能という事。

 

 もしアルヴィスがヘイムの血統を無視する形で王権の簒奪を行えば、恐らくオイフェの前世における、シャガール王統治下のアグストリア以上の混乱が生まれるのは必至であり。

 その混乱に乗じ、レプトールやランゴバルドが、さらなる領土拡大を狙ってくるのは想像に難くなかった。

 まともな政治感を持っていれば、ヘイムの血が無いグランベル王国は、決して成り立たぬのは理解できるはずだ。

 

「そうじゃな。聖者ヘイムの血統はバーハラ王家だけに紡がれておる。眉唾じゃが、トラキア半島にヘイムの傍系が流れた話もあるが、仮にその血族を引っ張ってきたとしても、ナーガを継承出来ぬのであれば結果は変わらんじゃろう」

 

 神器による権威。ユグドラル大陸における、人の世の絶対的な理にして、いびつな統治の戒め。

 そして、それが覆る事は決して無い。

 

 ひとつだけ、除いて。

 

(やはり一筋縄では行かぬな)

 

 これまでのバイロンとリングの弁を聞き、オイフェはそう思考する。

 簡単に事が運ぶとは思ってもいなかったが、それにつけてもバイロン達の指摘は真っ当なものだ。

 

(だが、話は聞いてくれた)

 

 とはいえ、バイロン達のこのような反応は、オイフェにとって予想済でもあり。

 むしろ途中で乱心したと判断され、問答無用で天幕から叩き出される可能性も考慮していた。

 

「……」

 

 少し、思いつめたように表情を固くさせるオイフェ。

 早々にジョーカーを切る必要があった。

 小手先の弁で弄せるほど、この人達は甘くない。

 とっておきの切り札。

 

 

「アルヴィス卿──アルヴィスには、ロプト教団との繋がりがあります」

 

 

 瞬間、場の空気が凍る。

 禁忌とされた暗黒教団の名が、可憐な少年軍師の口から発せられた。

 

「馬鹿な──」

 

 今まで黙っていたクルトが、そう声を発した。

 諸侯の叛逆以上に信じられぬ、その存在。

 炎戦士ファラの末裔が、ロプト教団と結託しているなど。

 そのような事、信じられぬ。

 

「この──!」

 

 ふと、バイロンが立ち上がり、オイフェの前へ進む。

 そして。

 

「愚か者ッ!!」

「ッ!」

 

 鈍く、肉を打つ音が、天幕内に響く。

 バイロンは、愛息子同然に可愛がるオイフェへ、容赦の無い鉄拳を喰らわせていた。

 打たれた頬を赤く染め、床に倒れるオイフェ。一筋の血が少年の唇から流れる。

 前世を含め、バイロンに暴力を振るわれたのは、これが初めてだった。

 

「申し訳ありません、殿下。オイフェはやはり狂を発していたようです」

 

 バイロンはそのままクルトへ跪き、そう弁解した。

 それほどまでに、オイフェの言は衝撃的であり。

 荒唐無稽な陰謀論に加え、まさか暗黒教団の名を口にするとは。

 

「直ぐにシグルドの元へ、いや、シアルフィへ帰します。この子はどうやら悪い夢を見ているようだ」

 

 故に、完全にオイフェを狂人扱いし、シアルフィへ強制送還せんとするバイロン。

 リングもまた同様の思いを抱いていたのか、それを止めるような事はせず。

 クルトも同様であり、バイロンの言に頷くのみであった。

 

「殿下ッ!」

 

 しかし、オイフェはバイロンの気圧を跳ね除け、凛とした声を響かせた。

 少年軍師の得体のしれぬ、怨念にも似た執念。

 それを感じ取り、バイロン達は僅かに気圧される。

 

「これを」

 

 そして、懐から二通の書状を取り出し、クルトへ差し出すオイフェ。

 クルトは訝しみつつもそれを受け取る。

 

「これは……」

 

 二通の書状を読み進めるクルト。

 みるみる、その表情を蒼白とさせる。

 

「殿下、それは一体」

「……」

 

 そう聞くリングへ、クルトは無言で書状を渡す。

 読み進めるリング。

 その表情が険しくなる。

 

「確かに、これは……」

「リング、儂にも見せろ」

 

 リングから書状を奪い取るようにして、バイロンもまた書状を読む。

 そして。

 

「……エッダの印章だ」

 

 そう呟くバイロン。もはや、オイフェへ鉄拳制裁せしめた形相は鳴りを潜め、ただ驚愕を露わにしていた。

 オイフェの取り出した書状。

 先のエッダ訪問に於いてオイフェが奪取した、ロダン司祭がマンフロイとアルヴィスへ送った密書だった。

 

「にわかには信じられぬと思いますが、エッダ教団が用いる印章を偽造する事が難しいのは、殿下らもよく存じているはずです」

 

 各国の行政を肩代わりするエッダ教団。

 当然、公文書の責任や権威を証明する為、そして偽造を防ぐ手段として、文章には必ず押印を施していた。

 そして、司教以上は、それぞれ専用の印章が用意され、指輪に拵えられた印章を常に携帯している。

 門外不出の特殊な製法で拵えられたエッダの印章を、エッダの者以外が偽造する事は不可能だった。

 

「加えて、これがロダン司祭の印章であるのは、殿下もご存知のはず。そして、この内容が正しいのも」

 

 ロダンが記した書状は、これまでのオイフェの言を裏付ける、明白な証拠であり。

 各公爵家の有力者の印章は頭に入っているクルト。ロダン司祭とも文章を交わした事は何度もある。

 

 アルヴィスに王家への忠は無し。

 ファラの末裔は、ロプトの手先なり。

 もう、オイフェの言葉を疑う者は、この場にはいなかった。

 

「バイロン、リング。どうやらこの少年は嘘を言っていないようだ」

「……」

「……」

 

 しばしの沈黙の後、クルトはそう言った。

 気付けば、王族としての姿を取り繕うのを止めており。

 常の言葉を、オイフェにも向ける。

 

「で、オイフェ。私は何をすれば良い? 我々はどのような対処をすれば良いのだ?」

 

 グランベルを継ぐものとして、相応の胆力を見せるクルト。

 少年軍師へ、その可憐な瞳が秘める策を開陳するよう促す。

 

「最初に申し上げた通りです。殿下は我々と共に落ち延びて頂く。そして、バイロン様とリング様には」

 

 そう言って、オイフェは確りと両公爵を見つめた。

 

「リボーで籠城し、叛逆者共を引き付ける囮となって頂きます」

「なに?」

 

 オイフェの献策。

 戸惑うバイロン達であったが、リングがかろうじて疑問を返した。

 

「オイフェ。殿下に落ち延びて頂く意図はとりあえず置いておくとして、リボーで籠城するのは厳しいぞ。ゲルプリッターとグラオリッターだけならもう少し粘れるかもしれんが、バカ息子があちらに付いているのならバイゲリッターも相手にせにゃならん。いいとこ一ヶ月が限界じゃ」

 

 グリューンリッターが半壊した事に加え、ヴァイスリッターが戦慣れしていない現状では、落城したばかりのリボーで籠城するのは、戦上手のバイロン達でも厳しいものであり。ましてや、戦力を保持した三騎士団が相手となれば尚更である。

 しかし、そのような疑問に、オイフェは端的に応えた。

 

「バイゲリッターは当分フィノーラから動けません。仮にリボーへ到着したとしても、ほぼ使いものにならぬかと」

 

 オイフェがフィノーラで行った、バイゲリッターへの破壊工作。

 馬糧を喪失し、フィノーラでの調達も断った以上、バイゲリッターがまともな状態で着陣するのは不可能だった。

 

「それに、一月もあれば、ゲルプリッターとグラオリッターは必ず兵を引きます。その後、バイロン様達はイザークとの和平工作を進めて頂ければ」

「なんだと?」

 

 今度はバイロンが疑問の声を上げる。

 精強で知られるフリージとドズルの騎士団が、後に引けぬ戦いを始めた後、早々に撤退するとは考えられず。

 

「オイフェ……まさか、お主……」

 

 しかし、リングはオイフェの思惑に気付いた。

 気付いてしまった。

 少年軍師の、秘めたる計略と、凄まじい覚悟を。

 

 

「領国を脅かされてまで、遠征を続ける軍勢はおりません」

 

 

 オイフェによる、暗黒の謀略に対抗した、全てを救う計略。

 徐々に、それが芽吹き始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




最初から密書を見せれば話が早かったしぶたれずに済んだんじゃ……(小学生並みの感想)


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第43話『夜伽オイフェ』

  

 親愛なる兄上へ。

 

 早いもので、僕がヴェルトマーを出てからもう一年が過ぎようとしています。

 兄上はお変わりありませんか?

 僕は兄上のような立派な魔法使いになれるよう、毎日努力をしています。

 この間はついにボルガノンの魔導書が使えるようになったんですよ。

 少しずつ、兄上に近付けているといいなって思います。

 

 勝手にヴェルトマーを出て、兄上やコーエン伯爵に迷惑をかけた事は申し訳なく思います。

 でも、シグルド総督のところでお世話になってから、本当に毎日が充実しています。

 いつか立派になって、迷惑をかけた分をお返ししたいと思っています。

 そういえば、兄上の言いつけもちゃんと守っていますよ。

 毎朝欠かさず馬術と魔術、それに剣術の鍛練を続けています。

 最初はきつかったけど、最近はもう慣れました。

 

 ……レックスが毎朝僕の部屋の前でわざわざ持ってきたベンチに座りながら「(鍛練を)やらないか」って言って誘ってくるのはいつまで経っても慣れませんが。

 なぜ彼は毎朝謎のダンスを躍りながら僕を鍛練に誘うのでしょうか。

 正直斧を振り回しながら変な角度のポーズを見せつけてくるのは意味不明ですしちょっと怖いです。

 レックスの友人をやってもう十年以上経ちますが、未だに彼の事がよくわかりません。

 僕は本当に彼の友人をやれているのでしょうか?

 

 ……もうひとつだけ、弱音を吐かせてください。

 僕は、この間、失恋しました。

 兄上が「高嶺の花だ」と僕に仰ってましたが、彼女……エーディンが選んだのは、僕よりも身分の低い、ユングヴィの騎士でした。

 

 僕には何が足りなかったのでしょう。

 彼女と一緒にいた時間? 男としての魅力?

 それとも、彼女に対する想いの深さでしょうか?

 

 ……ごめんなさい、久しぶりの手紙なのに変な事を書いてしまって。

 でも、僕はもう平気です。

 しばらく落ち込みましたけど、今は立ち直れています。シグルド総督を始め、属州領の人達が慰めてくれましたし。

 ちなみにレックスも慰めてくれました。いつもの変な感じじゃなくて、割りと真面目に。

 やっぱり彼は僕の友人、いえ、親友なんだと思います。

 少なくとも、僕はそう思っています。

 

 ここ一年、色々ありましたが、僕は元気にやっています。

 辛い時もありましたが、結局、兄上が言ってくれた言葉が、僕の支えになってくれました。

 兄上が僕を愛しているという事。

 この先どんな事があっても、それだけは絶対に信じてほしいと言ってくれた事。

 

 だから、僕も兄上を愛しています。

 それだけは、絶対に信じてほしいです。

 

 属州領の仕事が忙しくて中々会いにいけませんが、今度シグルド総督の許しを得てバーハラに遊びに行くつもりです。

 その時は、真っ先に兄上に会いにいきますね。

 

 それじゃあ、体に気をつけて。

 愛しています。アルヴィス兄さん。

 

 アゼルより。

 

 

 

 

 

 グランベル王国

 バーハラ王宮

 ヴェルトマー公爵執務室

 

 唯一肉親と認める弟からの手紙を、ヴェルトマー公爵にしてグランベル王国近衛騎士団長アルヴィス・フィアラル・ヴェルトマーは、物憂げな表情でそれを読んでいた。

 

「アゼル……」

 

 十二聖戦士の一人、魔法戦士ファラの血を引く、ただ一人の肉親。

 アルヴィスには、もうアゼルしか家族は残されていなかった。

 

 呪詛を残し自害した父ヴィクトル。

 そして、その呪いから逃れるように姿を消した、母シギュン。

 当時七歳だったアルヴィスは、両親を喪った悲しみに苛まれながら、ヴェルトマー公爵家を継承していた。

 

 そんな。

 どうして。

 父上も、母上も。

 どうしていなくなってしまったの?

 僕は、ひとりぼっち……

 

 深い絶望、そして孤独に苛まれていたアルヴィス。

 だが、唯一、その孤独を癒やす存在がいた。

 

 アゼル。

 たった一人、血のつながった。

 僕の弟。

 僕は、一人じゃないんだ。

 

 アルヴィスは子供公爵と侮られまいと、自然とその紅顔に鉄仮面を纏わせるようになった。

 海千山千の貴族達の前で、弱みを見せないよう振る舞っていた日々。

 必然というべきか。

 純粋無垢な、腹違いの弟アゼル。それが、アルヴィスの安らぎとなっていた。

 加えて、シギュンの下女であったアゼルの母も、アルヴィスへ誠心誠意尽くしており、アルヴィスは彼女と弟にだけ心を許すようになる。

 

 その彼女も、アルヴィスが十七歳、アゼルが十歳の時に流行り病により亡くなっている。

 アゼルにおけるレックスのような気心知れた友人もいないアルヴィス。

 もはやアルヴィスが心を許せるのは、アゼルただ一人だけだった。

 

(だからこそ──)

 

 憂いを込めた表情を、更に歪めるアルヴィス。

 己がこれからやろうとしている事、そしてこれまでにやってきた事。

 それらをもしアゼルが知れば。

 アゼルは、アルヴィスから離れる事となるだろう。

 家族としての縁は断ち切られ、敵となるのだ。

 

 嗚呼、アゼル。

 私は、お前まで失いたくない。

 大切な、大切な弟のお前を。

 だけど。

 

「私に流れている血が、ファラだけではないなんて……! よりによって……!」

 

 苦痛に呻くようにそう独りごちるアルヴィス。

 悲痛な叫びは、誰もいない執務室に虚しく響いていた。

 

 

「これはこれは、なんとも痛ましいご様子ですな。アルヴィス卿」

「ッ!」

 

 

 突として、執務室に不気味な声が響く。

 一体いつ現れたのか。それとも、初めからそこにいたのか。

 濃紫色のローブに身を包んだ怪人が、アルヴィスへ向け醜悪な笑みを向けていた。

 

「マンフロイ……!」

 

 アルヴィスは怪人──マンフロイの名を、怜悧な眼光と嫌悪感を込めて呼んだ。

 暗黒教団の首魁、ロプト教団大司教マンフロイ。

 アルヴィスの殺視線を受けても全く意に介さず、不敵な笑みを浮かべ続ける。

 大陸の裏で暗躍し続けるマンフロイの胆力は、その程度では動じる事はないのだ。

 

「相変わらず神出鬼没だな貴様は」

「いえいえ。卿のおかげでございますよ」

「ふん……」

 

 天下のグランベルはバーハラ宮殿に、このような不審者が自由に出入り出来るには訳がある。

 常ならば、ワープ等の転移魔法を封じる為、エッダ教団による厳重な魔法結界が張られているバーハラ宮殿。最高権力者の所在地では、グランベルのみならず各国でもこのような結界が施されており、暗殺者から身を守る絶対的な防御機構として機能していた。

 しかし、ヴェルトマー公爵の執務室だけは、数年前からこの結界が解かれており。

 王国を鎮護する者の手引によって、暗黒教団の者が王宮内へ侵入を果たす、異様な事態。

 建国の父聖者ヘイムや、この結界を編み出した大司教ブラギも、この事は予想出来なかったであろう。

 

「で、今日はどうしたのだ。くだらん用事でわざわざ表に出るようなリスクを侵しに来たわけではあるまい」

「いえ、アグストリアでの仕込みが一段落したので、ご報告に上がっただけにございますよ」

「……そうか。では、イムカ王は」

「クックック……直にイムカ王の崩御が、バーハラにも伝わるでしょうな……」

 

 マンフロイはそう嘯き、己が策謀する大陸全土を巻き込んだ一連の陰謀を垣間見せる。

 アグストリアでの王位簒奪劇。

 賢王と謳われたアグストリア諸侯連合の主、アグスティ王イムカを、実子であるシャガール王子が暗殺せしめ、アグストリアの王位を簒奪する。

 それは、シャガールの野心を、操り人形の如く操ったマンフロイの手により成し遂げられていた。

 

「シャガールは思いの外よく踊ってくれる……引き続きアグストリアへ赴く必要はありますが、今後も我々の意のままに踊ってくれるでしょう」

 

 アグストリアにおける謀略は、マンフロイやアルヴィスが進める陰謀の一端であり。

 端的に言えば、陰謀成就の障害となる抵抗勢力を、アグストリアと相争わせ、根こそぎ廃滅させる為の謀略であった。

 アグストリアをグランベルへ侵攻させ、後のアルヴィスの治世における抵抗勢力と相争させる。それは、現段階で手を組んでいるレプトールやランゴバルドも含まれていた。

 どちらが生き残っても、相争し疲弊した状態に陥るのであれば、アルヴィス率いるロートリッターの敵ではない。

 

 結局のところ、アグストリアもまた滅ぼす対象であり。

 アルヴィスによる、グランベル王国簒奪。

 そして、その後に控えるユグドラル統一。

 絶対的な法治国家を建国しようとするアルヴィスは、暗黒教団と手を組み、それを成し遂げようとしていた。

 

 暗黒司祭の真意に気付かぬまま、炎の公爵は覇道を突き進んでいたのだ。

 

「それで、私もお前の手の内で踊る人形にすぎんというわけか」

「何を仰る。貴方は我々の同志であり、同胞ではありませんか」

「……」

 

 そう言われると、アルヴィスの表情は更に闇が増す。

 己の身体に流れる血統。

 それは、ファラの系譜だけではない。

 

「ロプトの血脈を抱く大切な御身……それを操り人形にしようなどと、我らは露ほどにも思うておりませぬ」

 

 遥か昔。

 ユグドラルから遠く離れたアカネイアの地にて、とある竜族と契約(ゲッシュ)を交わした者がいた。

 竜の意思が封じられた魔導書、そしてそれを操るための資格──竜の血を呑んだその男の名は、ガレという。

 そして、竜の名はロプトウスといった。

 後にユグドラル大陸を暗黒の世にしたロプト教団、ロプト帝国の祖であり、その象徴である。

 

 連綿と受け継がれた暗黒の血統、ロプトの嫡流は、グラン暦648年の十二聖戦士の戦いにより途絶えていた。

 しかし、ロプト帝国の歴史における、唯一の善性──ロプト皇族だった聖者マイラの血統だけは、途絶える事もなく今日まで受け継がれている。

 精霊の森に隠れ棲んでいたマイラの一族。

 アルヴィスの母親シギュンこそが、マイラの末裔であり、ただひとつ遺されたロプトの血脈だった。

 

「マンフロイ。重ねて言うが」

 

 マンフロイの言を受け、アルヴィスは射抜くような視線を向ける。

 

「私はロプト帝国を再興するつもりは微塵もない。私の中に流れるロプトの血は、人々を救うために立ち上がった聖者マイラの血なのだ。私は、あくまで貴様らロプトの者でも差別されない、公平な世を作りたいだけだ。それを忘れるなよ」

 

 己に言い聞かせるようにそう言ったアルヴィス。

 マンフロイは、あくまで不敵な笑みを崩さず。

 

「ほっほっほ……よく分かっております。我らが迫害をされない、素晴らしい世を迎える為にも……よく分かっておりますとも」

「……」

 

 マンフロイの嘯きに、冷徹な表情を浮かべるアルヴィス。

 アルヴィスへへりくだるような態度のマンフロイだったが、現時点でのイニシアティブは五分五分である。

 もし、この時点で、マンフロイがアルヴィスのロプト血統を表沙汰にすれば。

 アズムール王を初め、グランベル王国、いや、世界は、アルヴィスの存在を許さないだろう。

 もっともこの場合、マンフロイら暗黒教団もアルヴィスの道連れとなる定めであり。アルヴィスの処刑を機に、世界中でより苛烈な暗黒教団狩りが行われるのは想像に難くない。

 故に、互いに利用価値のある内は、互いを絶対に裏切らない関係ともいえた。

 

「しからば、念には念を。そもそものクルト王子暗殺が失敗すれば、これまでの仕込みは全て意味を成さぬのですからな」

「分かっている……貴様はもう失せろ」

 

 追い払うように退出を促すアルヴィス。

 これ以上、マンフロイが放つ闇の瘴気に耐えられぬと言わんばかりに。

 ほくそ笑みながら、マンフロイは素直にそれに応じようとした。

 

「では、最後に」

 

 しかし、退出間際に、マンフロイは邪悪な笑みを殊更深め、アルヴィスへ振り向いていた。

 

「未来の皇帝陛下へ良い知らせを。もうじき貴方の花嫁をご覧に入れられるかもしれません」

「なに?」

 

 そう言ったマンフロイ。思わず、アルヴィスはその邪悪な面貌を見やる。

 

「クルト王子が密かに産ませた落とし胤。ナーガの姫君の所在がようやく判明しましてね。お会いできる日を心待ちにされるがよい……では」

「……」

 

 そして、マンフロイは来た時と同様に、音もなくアルヴィスの前から消え去っていた。

 

「クルト王子の落胤か……」

 

 そう独りごちるアルヴィス。

 マンフロイが伝えるヘイム直系女子の存在。信憑性は疑わしい。

 そもそも、後継問題を抱えるクルトが、何故その女子の存在を認知していないのか。

 そして、マンフロイはどうやってその女子の存在を探し出す事が出来たのか。

 疑問は尽きない。

 

「本当にいるのなら……」

 

 しかし、仮にヘイム直系女子を、己の手中に収める事が出来るのなら。

 超法治社会の樹立という己の野望を、より確実なものに出来る。

 アルヴィスはグランベル王国の簒奪を狙っているが、なにも王国の内乱を望んでいるわけではない。

 正統な理由を以て、アズムール王から王権を禅譲されるのが理想であり、主たる目的でもあった。

 

「……」

 

 アルヴィスはそこまで思考すると、おもむろに立ち上がり執務室を出る。

 マンフロイの言う通り、クルト暗殺が確実に行わなければ、これまでの策謀が全て無駄になる。

 念には念を入れる必要があった。

 

「アルヴィス様」

 

 すると、扉の前で待機していた一人の女性が、アルヴィスへと頭を垂れた。

 アルヴィスの腹心にして、赤髪の女将軍。

 ヴェルトマー家重臣コーエン伯爵の一人娘、アイーダだ。

 

「アイーダ」

「はっ」

 

 バーハラ市内にあるヴェルトマー家の屋敷へと歩むアルヴィス。

 追従するアイーダへ、振り返らずに言葉をかけた。

 

「今宵は伽をせよ」

「……はっ」

 

 アルヴィスの命に、数瞬遅れて応えるアイーダ。

 将に相応しき凛々しい顔つきを無表情に留めていたが、僅かに瞳が濡れていた。

 アイーダが主の初めてを務めてから、既に十年が経過していた。

 だが、ヴェルトマー主従の肉体関係は、未だに続いていた。

 

 そして、アルヴィスがアイーダの肉体を求める時は、ただの情事ではなく。

 公には出来ない、密命を下す時でもあった。

 

 

 

 

「マンフロイ様」

 

 所変わり、バーハラ郊外。

 清涼な緑に溢れる森。しかし、その景勝に相応しからぬ暗黒の者がいる。

 先程アルヴィスの前に現れていたマンフロイ。

 そして、そのマンフロイに跪く、もう一人の暗黒司祭。

 

「ベルドか。トラキアでの首尾はどうじゃ?」

 

 濃緑色のローブに身を包むロプト教司祭、ベルド。

 主にトラキア半島での策謀に携わる、暗黒教団幹部の一人である。

 

「万事滞りなく。コノートの将軍が思いの外野心溢れる男でして、上手く使えば北トラキアを崩す要因になるやもしれませぬ」

「そうか。しかし、南トラキアとのバランスも考えねばならぬ。我らが北トラキアを制する地ならしは、慎重に進めねばならぬぞ」

「はっ。承知しておりまする」

 

 謀議を交わす暗黒司祭共。

 マンフロイの手足として働くベルドら暗黒司祭は、世界中にその根を下ろし、暗躍を続けている。

 全ては、ロプトによる暗黒の世を、再びこのユグドラルに築き上げる為。

 そして、迫害され続けた恨みを晴らす為である。

 

「このベルド、サンディマのような下手は打ちませぬ。安心してくだされ、マンフロイ様」

 

 同僚の不手際を嘲るように言ったベルド。

 ヴェルダン方面を任されていたサンディマの死は、教団内で知らぬ者はいない。

 

「奴は最後に詰めを誤ったな……シギュンの娘の居場所を突き止めたまでは良かったのだが」

「ディアドラと申す娘でしたかな。あの属州総督の」

「左様。だが、拐かそうにも守りが固くて迂闊に動けん……バーハラよりも魔法結界が厳重とか、どうかしておるぞあそこは」

 

 暗黒教団は既にディアドラの存在を突き止めていた。

 あとはその身を拉致せしめるだけなのだが、オイフェが金にものを言わせ拵えた超厳重な魔法結界、そしてオイフェの言いつけを律儀に守ったシグルドの二十四時間の鉄壁のディアドラ見守り体制は、流石の暗黒教団首魁でも手が出せずにいた。

 絡め手でディアドラ誘拐を実行しようとしたサンディマも失敗し、その命を落としている。

 故に、もっと大掛かりな仕掛けが必要だ。

 暴力めいた外圧を用いる手段しかない。

 

「アグストリアは属州領を戦乱に巻き込む為の駒よ。儂はそれに集中せねばならぬ」

 

 アグストリアをグランベルに攻めさせる本来の目的。

 それは、戦乱によりディアドラの防備体制に隙を作り、暗黒の手に収める事だ。

 マンフロイが陣頭指揮を取り続ける理由でもあり、失敗は許されない、至上の目的である。

 

 そして、現在の暗黒教団は、もう一つの目的も達成せねばならない。

 マンフロイは跪くベルドへ命令を下した。

 

「ベルド。お主は一旦トラキアでの工作は中断し、このままイード神殿へ戻るのだ」

「はっ。クルト王子暗殺ですな?」

「うむ。叛乱諸侯が万が一クルト王子を取り逃した時に備え、ダークマージを街道沿いに潜ませよ。……クトゥーゾフだけでは些か不安だからな」

「はっ。……近頃忘れっぽくなっていますからな、あの御仁は」

 

 万全を期すべく策動する闇の血族達。

 彼らもまた、絶対に負けられぬ戦いに身を投じていたのであった。

 

「分かっているな。万事抜かり無く進めるのだぞ」

「はっ」

 

 そして、ベルドはワープの魔法を用い、イード神殿へと帰還していった。

 

「……属州領か。彼奴等にも注意せねば」

 

 マンフロイは陰謀が順調に進行していると確信するも、どこか違和感を拭いきれずにいた。

 己の大陰謀に抗する何者かの存在。

 その存在を僅かに察知していたマンフロイは、剣呑な雰囲気を纏わせつつ、ベルドに続きバーハラから姿を消した。

 

 

 

 

 

 深夜。

 バーハラ市内にあるヴェルトマー公爵邸の一室。

 重厚なバロック様式の調度品が並ぶ寝室で、一際大きなベッドが備え付けられている。

 そこで、一組の男女が、互いの赤い熱に包まれていた。

 

「アルヴィス様……」

 

 激しい行為の後、濡れた肢体をアルヴィスへ預け、湿った吐息を漏らすアイーダ。

 アルヴィスは精を吐き出しきったのか、静かな寝息を立て眠っている。

 燭台の淡い光に照らされた主の寝顔を、アイーダは濡れた瞳で見つめていた。

 

 この御方はいつもそう。

 初めて臥所を共にした時から変わらないわ。

 

 そう想いながら、アイーダはアルヴィスの唇へ、そっと指先を這わせた。

 瑞々しくも、擦り切れたその唇。

 そして、触れた指先を、自身の唇へ当てた。

 

 アイーダに唯一許された、アルヴィスとの口吻(キス)

 どれだけ肉体(カラダ)を重ねても、アルヴィスは決してアイーダと直接口づけを交わすことは無かった。

 そして、それはこれからも変わらないだろう。

 アルヴィスが正式な伴侶を迎える時まで、この切ない行為は続くのだ。

 

 アルヴィスとアイーダが関係を持った理由は、ごくありふれた理由だった。

 男性貴族の初体験は人それぞれであり、大抵は士官学校時分に貴人向けの娼館へ行くか、実家の下女相手に筆おろしをするのが常で、シグルドのように伴侶の女性に童貞を捧げるのは稀である。

 そして、アルヴィスの場合は、副官として宛てがわれたアイーダとの艶事だった。

 

 アルヴィス十五歳、アイーダ二十歳の時。

 正式な伴侶としてではなく、あくまで副官であり、情婦としての関係。

 アイーダもまた初めてであったが、交合の知識は十分に習学していた。

 互いに拙さの残る情事だったが、少なくともアイーダにとって、それは尊い思い出として残っていた。

 

 この頃のアルヴィスは、まだ初々しさも残しており、アイーダは忠義以外の感情もアルヴィスへ向けていた。

 いや、それは十年経った今でも変わらず。

 むしろ、忠義と共に、その想いは深まるばかりだった。

 

 だが、アイーダはその心中を吐露する事は許されなかった。

 己の本分は、アルヴィスの剣であり盾。

 それを忘れる事は許されない。

 アルヴィスの妻として生きるのは、アイーダには許されなかった。

 

 しかし、アイーダは一つだけ禁忌を犯していた。

 それは、主と関係を持ってから二年後の事。

 丁度、アゼルの母親が亡くなった時の事。

 

 サイアス。

 許されない子。

 でも、私は、あの子を殺す事が出来なかった。

 

 愛する男の子を孕むという幸せ。

 そして、主君が望まぬ子を孕んでしまった背徳。

 幾度となく繰り返された情事の後、妊娠が発覚した時。

 アイーダは、愛と忠に挟まれ、苦悩した。

 そして、堕胎を決断する。

 

 しかし、実父であるコーエン伯爵がそれを止めた。

 一人娘の心情を慮ってなのか。それとも、政治的な思惑も絡んでいたのか。

 どちらにせよ、アイーダは母親となった。

 産まれた子供は、両親の特徴をよく受け継いだ、赤髪の子だった。

 

 サイアスと名付けられたその子は、公的にはコーエンの庶子として扱われ、アルヴィスに認知される事はなかったが、健やかに育っていた。

 母と名乗れぬ身の上。なれど、アイーダは軍務の合間を縫ってサイアスに会い、愛と慈しみをもって接していた。

 いずれはヴェルトマーの重臣としてサイアスを出仕させるべく、英才教育を施す日々。

 

 しかし、ある日のこと。

 アイーダの苦悩は益々深まる事となる。

 

 嗚呼、なんてこと。

 ファラの聖痕が、サイアスに現れるなんて!

 

 サイアスが発熱し、床に伏した時。

 苦しげに呻く息子の背に、アイーダはファラの聖痕を見留めてしまった。

 直ぐに父コーエンに相談した。

 サイアスをどうすれば良いのか。

 私は、アルヴィス様になんて言えば良いのか。

 

 苦悩する一人娘に、コーエンは聖痕を隠すよう伝えた。

 そして、然るべき時に、コーエンからアルヴィスへサイアスの存在を伝える事にした。

 問題の先延ばしでしかなかったが、アイーダは父の言葉に従っていた。

 

 そして、その日から、アイーダはサイアスとの接触を一切断っていた。

 これ以上息子へ情を移すのは、アルヴィスを裏切る行為だと思ったからだ。

 

「……」

 

 アイーダは、サイアスにアルヴィスの面影を重ねていた。

 アルヴィスに、サイアスの面影を重ねていた。

 こうして寝所を共にしている時は、特にそれを強く感じていた。

 

 そっくりだわ。

 あの子は、この人に。

 この人は、あの子に。

 

 共に愛おしい存在。

 共に慈しい存在。

 共に、守るべき存在。

 

 アイーダは、今までも、そしてこれからも、愛と忠に挟まれ、苦悩していくのだろう。

 

 そして──。

 

 睦言を交わすように、アルヴィスから下された指令。

 主の精を受け入れながら、アイーダはそれを受諾していた。

 

 ダーナへ赴き、ランゴバルドやブルームが討ち漏らした時に備えよ。

 

 一言だけ。

 しかし、陰謀を知るアイーダは、それが何を意味するのか十分に理解していた。

 クルト王子を確実に仕留めよ。

 それが、アルヴィスがアイーダへ望んだ事だった。

 

 全てが成功した暁に、アルヴィスは件のヘイムの娘と結婚し、グランベルの皇帝として君臨するのだろう。

 アイーダは、それを見届けることしか出来ない。

 

 そして、全てが失敗した時。

 アルヴィスは、その命を喪う事となるだろう。

 アイーダは、それを見届けるつもりは無い。

 

 その時は、私が真っ先に死ぬのだ。

 せめて、この人が、もうしばらく生き延びられるように。

 私が時を稼ぐのだ。

 

 でも、その時は、サイアスはどうなってしまうのだろう。

 叛逆者の一族として、父共々処刑されてしまうのだろうか。

 

 その時は、私はどうすればいいのだろう。

 

 

 苦悩し続ける女将軍アイーダ。

 その苦悩は、晴れる事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 




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第44話『検問オイフェ』

 

 イード砂漠

 グランベル軍宿営地

 

 一刻程の時が経過し、大天幕から出てくるオイフェ。

 待機していたベオウルフとレイミアは、少年軍師が痛ましく頬を腫らしているのを見留めた。

 

「オイフェさんよ、大丈夫か?」

「ええ、大丈夫です、ベオウルフ殿。ご心配なく」

 

 気遣うベオウルフに、オイフェは淡々と応える。

 どのような会談が行われたかは知らぬが、どこか一線を引いているベオウルフは、それ以上踏み込むことはせず。

 

 さあ、ここからだ。

 ここからが、本当の──

 

 オイフェは己が大望成就の分水嶺に立っているのを自覚し、紅顔を引き締める。

 ここからの打ち手にミスは許されない。

 大陸を覆う陰謀に真っ向勝負を仕掛ける少年軍師。

 気遣う自由騎士に構わず、険のある表情を浮かべる。

 その様子は、やや危うきものを漂わせていた。

 

「見せてみな」

「あっ」

 

 しかし、そのようなオイフェへ、即座に駆け寄るレイミア。

 傭兵剣士にしては嫋やか手を、少年の柔い頬へ這わせた。

 

「痛むかい?」

「い、いえ……だ、だいじょうぶです……」

 

 そっと腫れ上がった頬を撫でる。

 僅かに身をよじらせる少年軍師。

 

「そうかい……本当に?」

「んっ……!」

 

 レイミアは腫れた頬へ中指を這わせる。

 少し爪で頬を掻かれたオイフェは、チリチリとした鋭い痛みを感じていた。

 

「ここ……随分と腫れているじゃないか……」

「いえ、だいじょうぶ……ですから……!」

 

 レイミアの湿り気のある絡みを耐えるオイフェ。

 心なしか吐く息も湿度が高くなり、独身女傭兵はムワっとした空気を纏わせながら、美少年軍師を心配する体で嬲り続けた。

 

「他にも打たれた所はないかい?」

「いや、あの」

「よく見えないねぇ……ほら、こっちへおいで」

「あっ」

 

 ギラついた瞳を浮かべ、ぐいとオイフェを抱き寄せるレイミア。

 服の上からでも伝わる張りのある乳房、そして温い体温。

 レイミアの胸元に顔を埋めたオイフェは、香を焚き込んだ剣士服の下に、甘酸っぱい女の匂いも感じ取っており。

 少し、少年の体温も上昇する。

 

「嗚呼、どうしてこうも……」

「レ、レイミア殿?」

 

 そして、少年の暖かい体温とは比較にならぬほどブチ上昇(アガ)ったアラサー独身女傭兵。

 傷んだ少年の紅顔を見て、何かしらのスイッチが入ってしまったのだろうか。

 契約を結んだ時以降、肉を絡ませた情交を断っていたオイフェとレイミア。

 しかし、配下の女傭兵六人衆は、金髪の美童と宜しくヤっている日々。

 淫靡な熱に当てられ続けては、いかな地獄のレイミアといえど、平静を保ち続けるには些か限界を迎えていた。

 

美味(ウマ)そうに……!」

「ちょ、ちょっと! ひぅ!?」

 

 捕食開始。

 性癖に囚われた女盛りは、衆目を顧みず可憐な少年の肉を貪り始める。

 襟口からするりと手を入れ、桜色の蕾を蹂躙。更に、衣の上から少年の内槍も絡め取る。

 んふぅと鼻息を荒くし、熱っぽい表情を浮かべるレイミア。その湿り気が、涙目となって色々なアレに耐えるオイフェをじわりと侵食せしめており。

 そして、それを止める事は、もはや誰も──

 

 

「いきなりセクハラやめろや!」

 

 

 否、一人だけいた。

 

「なんだいベオ、いいところだったのに……ねえ?」

「え、いや、あの」

「いや周り見ろや。兵隊連中皆ドン引きしているぞ……」

 

 ベオウルフの一喝により、レイミアの性的虐待(ドセクハラ)は中断した。

 熱に冒されたように顔を赤らめるオイフェを撫でくり回し、レイミアは頬を膨らましながらそう不満を露わにする。

 だが、周囲のグリューンリッター兵士達が「うわぁ……」と、なんとも言えない表情を浮かべこちらを見ているのに気付くと、渋々とであるが少年軍師を解放した。

 ちなみに、何人かは股間を押さえ目を背けており。ダーナを出立して以降、これといった慰安を受けていない兵士達にとって、まさに目に毒であった。

 

 とはいえ、女所帯であるレイミア隊を性的に襲うものはいない。

 迂闊に襲えば女武者達の返り討ちに遭うのが必定でもあるのだが、そもそもグリューンリッターやヴァイスリッターの騎士、兵士達は、高い道徳教育が施されており。

 軍団の長であるバイロンやクルトの体面上という都合もあり、両騎士団は戦地での乱暴狼藉は一切しない、模範的な軍隊でもあったのだ。

 

 ちなみに、この時のレイミアとオイフェの湿り気のある絡みを見て、御稚児趣味(ショタ性癖)に目覚めた者が少なからずいたという。

 衆道若道は武門の誉なのだ。恐らく。

 

 

「い、今は、それよりも」

 

 なにはさておき、当面の方針を共有せねばならない。

 オイフェは熟れた肉体を持て余すレイミアとツッコミ疲れたベオウルフへ居住まいを正す。

 

「殿下は私の案を承諾しました。早速、今夜に」

 

 そう声を潜めるオイフェ。

 仔細を知るレイミアは、それまでの痴女面を引っ込める。ベオウルフもまた、表情を引き締め直していた。

 

「そうかい。ま、巧遅は拙速に如かずともいうしね。夜逃げはその日の内にやるのが相場ってもんさね」

「お、なんだい姐御。難しい言葉知ってんじゃねえか」

「アンタが無学すぎんだよ」

 

 軽口を叩き合う傭兵二人。

 少年軍師が企図する重大な計略に臨むには、些か調子が軽いようにも見えた。

 

(……いや、これがレイミア殿のやり方なんだろう)

 

 しかし、芯で抜けているようには見えない。

 傭兵ならではのメリハリというものなのだろうか。

 思えば、開幕ドセクハラも、オイフェが大事を前に気負いすぎないよう、レイミアが気持ちを解す意味で行ったのだろう。加えて、計略を余人に悟られない為にも、淫らな空気で場を擬態した意味もあったのだろう。

 もっとも、性欲が先走りメリメリしすぎており、あまり擬態効果は無かった気もするが、それはそれである。

 

「……」

 

 オイフェはペコリと傭兵二人へ頭を下げた。

 どちらにせよ、二人が己を気遣ってくれたのは事実。

 感謝。

 レイミアとベオウルフは、口元に優しげな笑みを浮かべオイフェへ応えていた。

 

「……デュー殿とホリン殿も直に物見から帰還します。今宵、殿下を抱き、我らは属州領へ脱出します」

 

 それから、周囲に聞こえぬよう小声でそう言ったオイフェ。

 その声色に、先程の危うさは無く。

 逆行少年軍師は、程よく冷静さを取り戻していた。

 

 

「ああ、でも明日の夜くらいにはそろそろ……ねえ?」

「性欲持て余しすぎだろ姐御! いい加減にしろ!」

「あの、もうちょっと真面目にやってください……」

 

 熱を疼かせる女傭兵とヤケクソ気味にツッコむ自由騎士を伴い、オイフェはレイミア隊の宿営地へと歩んでいった。

 

 

 

 


 

 月明かりが照らす砂漠の夜。

 イード砂漠はダーナとリボーを結ぶ街道沿い。

 グリューンリッターとヴァイスリッターの宿営地からそう離れていない場所で、“決戦”を間近に控えたゲルプリッターが宿営していた。

 重装魔導歩兵を中心とした、フリージ家が誇る雷騎士団。末端の兵士に至るまで、戦地に投入された兵士特有の緊張感を漂わせている。

 その中心部に、ゲルプリッター指揮官が控える大天幕があり。

 銀髪を靡かせた一人の将帥が、厳しい表情でその天幕を潜ろうとしていた。

 

「若様。少しよろしいか?」

 

 ゲルプリッター指揮官、フリージ公爵家ブルーム公子の大天幕へ、腹心であるグスタフ将軍がそう言いながら立ち入る。

 ブルームは難しい表情でそれを迎えた。

 

「グスタフか。何用か」

 

 大事を控え、寝付きが悪かったのだろうか。

 ブルームは寝酒を舐めながら寝台へ腰を下ろしており、目つきも少々剣呑なものとなっている。

 やや小胆な所があるブルーム。刻一刻と近付く“然るべき時”を前に、その緊張を酒精で誤魔化していたのだろうか。

 それに、先程ユングヴィ公子からの密使──バイゲリッターの着陣が遅れる報を聞き、ドズルと己の手勢だけで事に当たる羽目になったので、不安も増しているのだろうか。

 その様は、少々危うきもの。

 

「いえ、一つご報告がありまして」

 

 そのようなブルームに、特に感慨も持たないグスタフ。

 幼少の頃から傅役としてブルームを見守っていたグスタフ。大一番を前に萎縮し、何かで誤魔化す悪癖は、どれだけ教育を施しても治らず。

 同世代のドズル公子ダナンの猪突猛進ぶりとブルームを足して二で割れば丁度良く名将足り得る器になる、との王宮での評判は、不本意ながらグスタフも一理あると思っており。

 

(まあ、言わせておけばよい)

 

 事を成した暁には、そのような宮廷雀共のつまらぬ囀りは物理的に一掃せしめれば良い。

 そもそも、若き主君に足りぬ所は、己が補佐をすれば良いのだ。

 グスタフはそう割り切っていた。

 

 付け加えるなら、グスタフは此度の“叛乱”にバイゲリッターの戦力は不要とも考えていた。

 先のイザーク軍との会戦で、グリューンリッターは定数一万の兵力を三千にまで減らしている。

 ドズル公爵家騎士団グラオリッターの一万二千、そしてゲルプリッターの一万八千の兵力。

 (いくさ)童貞揃いのヴァイスリッター五千が無傷で残っていても、あちらは八千。こちらは三万。

 子供でも分かる、明確な数の利。

 

(シアルフィ公のティルフィングは脅威だが……しかし)

 

 こちらにはランゴバルドのスワンチカがある。多少の相性の不利はあれど、数で押し込めば十分に勝機はある。

 加えて、今のクルトは()()()()()()()()()()()

 勝算は十二分にあった。

 

 グスタフは改めてそう思考し、ブルームへ報告を続けた。

 

「属州総督補佐官の一行が我らの陣所を通過したいと。現在、ムハマドの部隊が調べております」

「属州総督? ああ、あのシグルド公子の」

 

 酔いが回っているのか、少々覚束ない口調のブルーム。

 さして興味が無いのか、おざなりにグスタフへ応えた。

 

「何もなければ通してやれ。大事の前の小事だ。気にすることもない」

 

 属州総督補佐官一行──オイフェ一行がイード砂漠の街道を通り、属州領へ帰還する事は、ブルームも事前に知らされていた。

 曰く、シアルフィ縁者として、バイロンらの陣中見舞いに訪れたとの由。

 

「よろしいのですか?」

「何がだ?」

「いえ、少々怪しきものがありますゆえ」

 

 しかし、グスタフはオイフェ一行に疑念を覚えており。

 夜間に移動するのは、気温が高い日中での移動を嫌ったからという砂漠ならではの事情があるので、それはまだ分かる。

 しかし公子身分とはいえ、ゲルプリッター指揮官であるブルームに何も挨拶もなく通り過ぎようという、些か無礼な振る舞い。

 軍勢の指揮に奔走されているブルームに遠慮したからだろうか。だが、何か引っかかる。

 そもそも。

 

「補佐官の護衛にしては些か規模が大きいかと。二百もの護衛は、小規模ながら軍勢といえるでしょう」

「グスタフ。お前は何を言いたい?」

「計画があちらに漏れた可能性も考慮しなければなりません」

「なに?」

 

 そう言ったグスタフに、ブルームはふむと考え込むように顎に手をやる。

 グスタフの意見を吟味した結果、ブルームは率直な意見を返した。

 

「少数の密使を放ってバーハラやシアルフィへ連絡を取ろうとするならば分かるが、計画を知りながらノコノコと我らの陣所を通過する事は無いだろう。大体、二百程度の兵で何が出来るというのだ。やはり放っておけばよい」

「しかし」

「どちらにせよムハマドに任せておけばよいのだ。私はもう休む。明日以降に備えねばならぬからな」

 

 ブルームはこれ以上の問答は無用と、グスタフに退出を促す。

 グスタフはため息を一つ吐くと、黙礼し天幕から退出した。

 

「……」

 

 確かに、何かに付けて疑り深いムハマドならば、怪しきものを発見次第即座に対処してくれるだろう。

 最近配下に組み込んだオーヴォという若い騎士も、ムハマドに似て猜疑心の強い男だ。この手の検閲任務に向いている。

 それに、ブルームの言う通り、オイフェ一行が仮に何かを含んでいるとしても。堂々とゲルプリッターの陣所を通過しようとしている事実が、彼らのある種の潔白を証明しているようなものだった。

 

「確かに……大事なのは明日以降……」

 

 そう独りごちるグスタフ。

 そもそもの叛乱自体が成功せねば、己どころかフリージの命運が尽きるのだ。ブルームが気負うのも理解できる。

 考えすぎか。しかし、どうにもこのタイミングは気になる。

 そう思いつつも、グスタフもまた“然るべき時”に備え、己の天幕へと戻っていった。

 

 

 

「女ばかりだな」

 

 ムハマド将軍の配下、ゲルプリッターの騎士オーヴォは、オイフェ一行を見て開口一番にそう言った。

 十人程が乗れる二頭立ての馬車が十数台。それと、十騎程の騎馬。

 いずれも女ばかりであり。

 

「女の園ってやつさ。お勤めご苦労さん」

「ふん。良い身分だな」

「いや、男が少ないから中々に肩身は狭いぜ? なんなら代わってやろうか?」

「ほざけ侠者(かせもの)風情が」

 

 オーヴォとそう剣呑なやり取りを交わすのは、馬上の身となるベオウルフだ。

 その少し後ろでは、馬車の御者台に座るホリンの姿。その表情は固い。

 オーヴォはベオウルフの飄々とした態度に辟易しつつ、手勢に指示を下し一行の取り調べを継続する。

 

「調べたって別に怪しいものは出ないわよ。さっさと済ませて欲しいわ」

「御禁制品の密輸を疑われるのは心外で御座る」

「まあこんな夜更けにお邪魔したらちょっと迷惑なのも確かだし~。我慢しなさい~」

「協力するんだから早く終わらしてほしいです」

「あ、それ自分の下着入れっスよ! プライバシーの侵害っス!」

「女子の恥部も容赦なく暴くとは騎士道にあるまじき醜態。ベルフェゴール」

「うるさいなお前ら!」

 

 そして、オーヴォはカーガら女幹部六人衆の喧しさにも辟易する。

 女三人寄れば姦しいとはいうが、彼女達は姦しいどころかちょっとした騒音だった。

 

「すいません、ほんとすいません」

「お、おう……」

 

 しかし、馬車の奥から全身を内出血(キスマーク)で赤く晴らし、頬を痩けさせたデューがプルプルしながら申し訳無さそうに現れると、オーヴォはその無残な見た目に免じ(引い)て、それ以上文句を言う事はなく。

 粛々と順繰りに馬車を臨検していく。

 

「しかしこのような夜更けに移動とは、属州総督補佐官も(せわ)しき役儀と言うべきですかな。オイフェ殿」

「無礼な形となったのは申し訳なく思います。ムハマド将軍」

 

 少し離れた場所で、オイフェはレイミアと共にムハマド将軍と会話しており。

 謝意をムハマドへ述べる一方、オイフェはデューにも申し訳ない気持ちを向けていた。

 デューは常に飢えた女狼の群れに捕食される獲物でしかなく。

 しかし、現時点では臨検の良い目くらましにもなっている為、そのままプルプルしてて欲しいとも思っていた。

 もっとも、翌日にはケロっとした表情でハツラツと働くので、流石は太陽の申し子と言うべきか。

 

 オイフェは一時期、デューのこの異常な回復力について、前世情報を含め考察した事がある。

 彼の回復力は、あの独自の秘剣“太陽剣”にも関わっていると推考していた。

 太陽剣。光魔法リザイアと同等の威力を放つ、対手の生命力を奪い取る妙技。

 彼がこのような剣技を会得したのは、ブラギの塔で聞いたという謎の声が関与しているとも推測していた。

 

 思えば、前世でデューが太陽剣を開眼せしめたのは、あのブラギの塔で謎の声を聞き、風の剣を拾得した事が切っ掛けであったかもしれない。

 その超常の声を聞いてから、デューは己の潜在能力を更に開放していったようにも思える。

 これらを鑑み、オイフェはデューがブラギの一族──祖竜バルキリーと何かしらの関わりがあったのではと、当初はそう推測していた。

 生命を司るバルキリーの能力由来なら、太陽剣の効果にも説明が付き易い。

 

 しかし、竜族が二人以上と契約を交わした事実は考え辛く。それに、契約を交わしたのならば、デューにも聖痕、あるいはそれに準じる印が身体に現れているはずだ。

 だが、デューにそのようなものは無い。共に風呂に入った時にそこは確認済だ。

 まじまじと己の裸体を眺めるオイフェに、デューは「えっ、オイフェってもしかしてソッチ(いい男)の気も……」と、ちょっと引いていたのは余談である。

 

 となれば、デューはもっと別の要因で、その超常めいた力を得た可能性があった。

 ブラギがエッダ教を布教する前から存在していたユグドラル土着宗教。

 精霊を信仰していたその宗教は、ブラギの塔にも縁がある。

 

 オイフェは思い返す。いい男と共に邂逅した、泉の精霊。

 竜族とは違う、この世に存在する超常の存在を。

 もしかしたら、デューはそれらと何かしらの関わりがある人物なのかもしれない。太陽の力は、竜族ではなく精霊由来なのかもと。

 全て推測の域を出ないが、少なくともデューは聖戦士の血統を受け継ぐ者達と同様、常人にはない何かを持っているのは確かであった。

 

 天真爛漫な盗賊少年デュー。

 中々に謎多き人物である。

 

 

「いかがいたした?」

「いえ、なんでも」

 

 ムハマドの声を受け、オイフェはやや逸脱した思考を元に戻した。

 今はデューの正体よりも、この関門を突破するのが先決だ。

 

「ウチの連中が粗相したらすまないねぇ、将軍サン」

 

 すると、レイミアがムハマドへ皮肉めいた笑みを向けながらそう言った。

 傍から見ると、望まぬ臨検に不快を露わにした無礼な女頭目の姿に見える。

 

「……オイフェ殿。随分と品性に欠ける者を連れ歩いておるのですな。シグルド総督の配下はこのような者ばかりなので?」

 

 それを無視し、ムハマドは受けた皮肉をオイフェへ返していた。

 人間性は顔に出ると良く言うが、ムハマドの顔も捻くれた性格がにじみ出ており。

 まるであのアグストリアの愚王、シャガールのような悪相だと、オイフェは密かに思っていた。

 

「重ねて申し訳有りません。あとできつく叱っておきますゆえ」

 

 しかし、オイフェは素直に頭を下げる。

 ムハマドの注意を引けるのならば、いくらでも頭を下げてやるといったところだ。

 

「へぇ……きつく……フフ、たまにはそういうプレイもいいかもねぇ……」

「……」

 

 普段のサディストっぷりから、ちょっとSっ気のある美少年にオモチャにされるマゾプレイにも興味があります、と若干倒錯し始めたレイミアに、オイフェは見て見ぬ振りをした。「えっ、オイフェ殿ってそういう趣味もお持ちなの?」といった表情を浮かべるムハマドにも気付かぬ振りだ。

 全ては、あるものを隠す為。

 その為ならば、変態上等である。

 

「将軍、一通り調べましたが、特に怪しきものは見当たりませんでした」

 

 しばらくして、オーヴォがムハマドへそう報告して来た。

 全ての馬車、積荷含めチェックしたオーヴォ。イザーク産の阿片等、禁制品を隠し持っている様子も無く。

 

「そうか……ではオイフェ殿。我らの陣所を抜けるのを許可しよう」

「お手数をおかけしました。ブルーム公子にも宜しくお伝えください」

 

 ムハマドの許可が下りると、オイフェ一行はダーナ方面へ出立すべく馬列を進ませる。

 その様子を、ムハマドとオーヴォは顰めた表情で見つめていた。

 ともあれ、仕事は終わった。

 夜も更けて来たことだし、さっさと一杯やって寝るか。

 そう思ったムハマドは、ふと馬車の一台を見留める。

 

「……うん? なんだあのシスターは」

 

 金髪の剣闘士、ホリンが手綱を握る馬車。

 固い表情で手綱を握るホリンの隣で、御者台に座る一人のシスターの姿があり。

 それを、ムハマドは訝しげに見つめていた。

 

「ああ、あのシスターですか。なんでも喉に古傷があるらしく、一切喋ることが出来ないとか」

 

 ムハマドに応えるオーヴォ。

 やたら背の高いシスターへ、感慨もなくそう言っており。

 

「いやしかし、あのような()()に生まれてしまうと、傭兵団でしか生計を立てられないのでしょうな。なんとも哀れな」

 

 フードを目深く被っているので、シスターの表情はここからだとよく見えない。しかし、筋張った顎先、キツイ化粧が散りばめられたその汚い面相は、間近で見たオーヴォは非常に残念な女ぶりと思っており。

 聾唖に加え醜女の人相。あれでは嫁の貰い手もいないだろうと、憐憫にも似た眼差しも向けていた。

 

「ふむ……まあよいか」

 

 シスターがフードから覗かせる金髪を見つつ、ムハマドはそれ以上追求する事はなく。

 オイフェ一行は、やがて闇に紛れるように、ムハマド達の視界から消えていった。

 

 

 

「で、殿()()。その、そろそろよろしいかと……」

 

 一行がゲルプリッターの宿営地から十分に離れた頃。

 それまで固い表情だったホリンは、恐る恐る、いや、畏る畏るといった体で、隣に座るシスターへ声をかけていた。

 

「……クックックック」

 

 そして、フードを被るシスターが、男性的な笑い声を漏らす。

 

「殿下、申し訳有りません。このような変装をさせてしまい……」

 

 さらにオイフェが、レイミアが駆る馬上から、シスターへそう謝罪する。

 くつくつと肩を震わせるシスターは、おもむろにフードを取り払った。

 

「いや、まさかこの歳になってこのような体験をするとは思わなかったよ」

 

 フードの下に隠れていたのは、ユグドラルでも貴種中の貴種の顔であり。

 グランベル王太子クルト。

 厚化粧にも程がある珍妙な顔面を、さも面白いといった風に歪めていた。

 

「いえいえ、よくお似合いですよ。王太子殿下」

「レ、レイミア殿!」

「いや、オイフェ。自分で言うのも何だが、よく出来た()()だと自負しているよ。なあホリン?」

「え、いや、あの、はい」

 

 レイミアの不遜な態度を受けても、楽しげにそう言い放つクルト。

 仮装舞踏会でもこのようなあからさまな女装はした事はなく、心底楽しげであった。

 

「いやしかし、まさか女装してゲルプリッターの目を掻い潜るとは思わなかった。なあホリン?」

「え、いや、あの、はい」

「ご不便をかけてしまい申し訳有りません。ですが、今しばらく辛抱していただきたく」

「構わんよオイフェ。まあ、今しばらく女の振りを楽しむとしよう。なあホリン?」

「え、いや、あの、はい。……なんで俺ばかり」

 

 そう笑いながら、クルトは御者台の上で寛ぎ始める。

 逃亡している身の上であるのに、この王子は存外に肝が太いようだった。

 

 オイフェが画策したゲルプリッター宿営地通過。

 積荷の臨検を受けるのは予想済であり、そこへクルトの身を隠すのは下策であるのは明確。

 堂々と身を晒しながら通過するのは論外だ。

 ならば、どうするか。

 

 オイフェが導き出したのは、クルトを女装させ、宿営地をやり過ごすといった奇天烈な策だった。

 木を隠すには森の中。

 女所帯であるレイミア隊に、ブサイクな女が一人紛れていても不自然ではない、といったやや強引な策。

 

 しかし、それは上手くいった。いってしまったとも言えた。

 

「私は少し休むとするよ。化粧はこのままの方がいいのかな?」

「はい、殿下。申し訳ありませんが、ダーナを抜けるまではそのままで」

「ふむ……まあ肌が荒れたらライブで治せばよいか。起きたら化粧の直し方を教えてくれ。なあホリン?」

「え、いや、あの、はい。……だからなんで俺なんだ」

 

 気安い空気を纏うクルト。

 とても大国の王子とは思えないが、かえってそのフランクさがレイミア隊に馴染んでもいた。

 さっさと馬車の奥で横になるクルトに、ホリンは固い表情を浮かべ続けていた。

 

 

「とりま、第一関門は突破さね」

 

 鞍上を共にするオイフェへ、レイミアはシニカルな笑みを向けており。

 当然のように前に座らせるレイミアに、オイフェは僅かに頬を膨らませていた。

 

「……まあ、あくまで第一関門です。直に気付かれ、追手も来るでしょう。急ぐ旅路なのは変わりません」

 

 そう言って、表情を引き締め直すオイフェ。

 バイロン達が叛乱諸侯の軍勢を引き付けるとはいえ、八千の軍勢では三万の軍勢全てを誘引する事は難しいだろう。

 少なくない数の追手が差し向けられるのは必定であった。

 

「そうさね……まあ、本番はここからなのは理解しているよ」

 

 レイミアはあくまで不敵な笑みを崩さず。

 しかし、僅かに緊張した面持ちも覗かせる。

 事前にオイフェと打ち合わせした内容を反芻しているのか、手綱を握る力も強まる。

 

「ダーナに到着……少なくともイード砂漠を抜けるまでは、油断は禁物です。ここには彼らが潜んでいます。襲撃は避けられません」

「わかっているよ。それにしても」

 

 そう言いつつ、レイミアはオイフェの身体へ密着し、自身の胸を必要以上に押し付けており。

 頭に感じる柔い感触を受け、オイフェは少々赤面するも、とやかく言うつもりはなかった。

 これは。いつものセクハラではない。

 無意識に、女傭兵は恐れていた。

 その恐れを誤魔化しているのを、オイフェは察していた。

 

「暗黒教団のダークマージか……流石に相手にした事はないけど、聞いた話じゃ手強い相手だろうね」

 

 イード砂漠に潜む暗黒教団。

 クルト王子の逃亡が発覚したら、叛逆諸侯の追手に加え、ロプトのダークマージが襲い掛かってくるのは想像に難くない。

 

「暗黒魔導も脅威ですが、高位のダークビショップは洗脳術も使って来ます。その場合、術者を倒すのに全力を傾けねばなりません」

 

 数々の暗黒魔導は脅威であるが、それ以上にオイフェは暗黒司祭の洗脳催眠術も警戒していた。

 思い返す、前世の時。

 バーハラでの最終決戦での時。

 ロプト大司教マンフロイの洗脳に陥った皇女ユリアの姿を、オイフェは鮮明に思い出していた。

 

「怖いねえ……ああ、王太子殿下は何故ナーガを持っていなかったのかねぇ。アレがあればロプトの連中なんて一発でぶっ飛ばせるんだろ?」

「仕方ありません。ナーガは本来人に向ける魔法ではありませんから」

 

 レイミアの愚痴にも似た言葉に、オイフェは少々同調するように宥める。

 神聖魔法ナーガ。

 グランベル王国を治めるバーハラ王家にだけ伝わる魔道書であり、暗黒魔法ロプトウスに唯一対抗できると言われる光魔法。

 王家の始祖である十二聖戦士の一人、聖者ヘイムの直系しか使用できぬ光輝の魔法を、此度の遠征でクルトが持ち出す事はなく、バーハラ王宮に安置したままである。

 父王アズムールからナーガの継承は済ませていたのだが、ナーガの本来の役目は、先述の通り暗黒魔法ロプトウスに対抗する為にある。

 その威力は凄まじいが、魔導書に封じられた神竜ナーガの意志が、人と人との争いにナーガを使用する事を禁じていたのだ。

 

 事実、オイフェはその威力を前世で一度しか目撃しておらず。

 言い換えれば、十二聖戦士の戦い以降、ナーガが使用されたのは一度しかない。

 それは、ロプトウスの化身となったユリウス皇子を、同じくナーガの化身となったユリア皇女が打倒した瞬間だけである。

 

 そして、此度のオイフェの逆行に於いて、ナーガの使用は想定されていなかった。

 ロプトウスの復活など、此度の生では絶対にさせない。

 そう、揺るがぬ決意を持っていた。

 

「……補佐官殿」

 

 ふと、レイミアは珍しく真面目な口調でオイフェへ語りかける。

 何か、と、オイフェは顔を上げ、レイミアの表情を見つめた。

 

「もし……補佐官殿が洗脳されて、洗脳した術者を倒せなかったら、どうすればいい?」

 

 オイフェの目を見つめながら、静かにそう言ったレイミア。

 いつもの皮肉げな表情は一切無い、真摯な眼差し。

 オイフェは、静かに応える。

 

「その時は、私を殺してください」

 

 真摯な眼差しを返し、そう言い放ったオイフェ。

 その瞳に動揺は一切無い。

 大切なシグルド、ディアドラ、そして勇者達の幸せな結末。

 それを見届ける事が叶わぬのは、死ぬよりも辛い。

 

 しかし、己が洗脳されては、彼らは前世と同じく悲劇に見舞われるのは確実だ。

 それは、死ぬよりも辛い。

 

 そして。

 

「ですが」

 

 オイフェの瞳に、僅かに闇が浮かぶ。

 それを見て、レイミアは息を呑んだ。

 

「その後……アルヴィスを、必ず殺してください。何に代えても」

 

 まだ出会って間もないレイミアに、このような呪いめいた願いを託すのは筋違いかもしれない。

 しかし、オイフェはそう言わずにはいられなかった。

 そして、レイミアがこの願いを聞き入れてくれるだろうとも。

 そう、願う。

 

「……わかったよ」

 

 しばしの間を置いて。レイミアは、少年の闇を哀れむような表情を浮かべながら、そう応えた。

 オイフェの呪いを、レイミアは甘受していた。

 

 荒野を進むオイフェ達。

 その先は、月明かりですら照らしきれぬ、深い闇が広がっていた。

 

 

「……じゃあ、アタシが洗脳されたらどうする?」

「えっ……」

 

 それから、レイミアはいつものシニカルな笑みを浮かべ、オイフェへそう問いかけた。

 オイフェは少々の動揺を見せる。

 だが、やがて、はっきりとした口調で応えた。

 

「その時は助けますよ。安心してください」

 

 少年軍師の瞳から、闇が消え失せ。

 代わりに、暖かな火が宿っていた。

 オイフェは、それを自覚しているのだろうか。

 

「……そうかい」

 

 レイミアは優しげな笑みを浮かべると、オイフェの額に口づけを落とした。

 少しだけ、その頬は紅く染まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




マンフロイ「ふぉふぉ……ユリアよ、お前はわしの催眠術にかかった。今からわしの言うがままに動くのだ。宙に浮けーーっ!」
ユリア「はい……ユリア……そ……空に浮きマス……」フワー
ユリウス「凄ェ!」


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第45話『騙討オイフェ』

 

 荒涼とした茶褐色の大地、緩やかな丘陵地帯が地平線の彼方まで続く風景。

 高地特有の乾燥した空気が満ちる空には、棲まう民の猛々しい気風を反映したような大きな黒鷲が舞い、地上では野生の馬たちが活発に駆け巡っている。

 イザーク王国はそのような荒々しくも牧歌的な風景が見られる、独立不羈の気高き精神を持つ遊牧民の国家だった。

 

 人々は古来より遊牧を生業とし、厳しい自然の中で馬や山羊、ラクダ等による牧畜を営んでいる。

 かつてこの土地にはれっきとした国家は存在していなかったが、十二聖戦士の一人、剣聖オードがイザークの統一に成功し、ようやく国家の体裁を整えていた。

 

 しかし、そのような歴史を辿ったイザーク王国は、この日首府であるイザーク城が落城した事で、実質的な滅亡を迎えていた。

 マナナン王がダーナで謀殺され、そして先のグランベル軍との会戦でマリクル王子が戦死した状況。

 残された豪族達は徹底抗戦を図るも、指導者を、そして神剣バルムンクを喪った状態では、烏合の衆である彼らにまともな抵抗は出来ず。

 ガネーシャやソファラへ逃れ、そこで抗戦を図る者達もいたが、いずれは同じように殲滅される運命であろう。

 

 イザーク王国の象徴であるイザーク城の城閣には、国家が陵辱された証の如く、ドズル公爵家騎士団グラオリッターの戦旗がはためいていた。

 

 

 

「クルト王子からの密書だと?」

 

 当代ドズル公爵であり、グラオリッターを束ねる猛将ランゴバルド・ネイレウス・ドズルは、イザーク城内の一室にて机上に広げた地図を睨みながら、腹心であるスレイダー将軍の報告に眉を顰めた。

 油断なく地図を睨んでいたその姿は、とても戦勝後の指揮官とは思えず。

 いわば消化試合となったこの局面に於いても、慢心せずに戦いを続ける名将の姿……というわけではないのは、報告に訪れたスレイダーも承知している。

 

「はい、閣下。どうも危急の案件とのことで」

 

 そう言いながら、クルト王子からの書簡をランゴバルドへ手渡すスレイダー。

 豪放磊落な風貌に相応しく、ランゴバルドはそれを乱暴に受け取り、訝しげな表情を浮かべそれを読んだ。

 

「……ふん。なんとまあ」

 

 読んだ後、クルトの印章が押印された書簡を、乱雑に机へ放るランゴバルド。

 その手付きに、王家への敬意は一切感じ取れない。

 これも、スレイダーは特に見咎めるわけもなく。

 

「クルト王子はなんと?」

「戦後の論功行賞について内々の儀があるそうだ。儂とサシで話がしたいと」

 

 そう言って、ランゴバルドは傍らに置いていた煙管に火を付ける。

 イザーク産の阿片膏が詰められた煙管を喫煙すると、程よい陶酔感に包まれたのか、ランゴバルドの表情はやや緩んだ。

 もっとも、この猛将は阿片中毒というわけではなく、あくまで嗜み程度に留めている為、スレイダーはこれも見咎める事はせず。

 

「……計画が漏れた可能性は」

 

 しかし、主の楽観的な空気には水を差すスレイダー。

 紫煙と共に書簡の内容をそのまま飲もうとしているランゴバルドに、叛逆計画を悟られたのではないかと指摘する。

 

「気付いているのならバイロンやリングが黙っておらぬだろう。この書簡はそのバイロンやリングにも内密でとあるぞ」

「ですが、閣下のみリボーへ召し上げるなど、この状況では些か不自然かと」

 

 憂慮するスレイダーに、ランゴバルドは呵呵と笑い声を上げた。

 

「よく読んでみろ。クルト殿下も中々どうして」

「?」

 

 ランゴバルドに促され、書簡を精読し始めるスレイダー。

 そして、主が楽観的になる理由を察した。

 

「……これは、確かに」

 

 書簡の内容を改めて読んだスレイダーは、クルト王子の意外な一面を垣間見て、そう納得の声を上げていた。

 

「戦後のケシ栽培についてドズル家に一任する意向、そしてバーハラ王家の取得分を考慮されたし、ですか。確かに、これはシアルフィ公やユングヴィ公には見せられませんね」

 

 要約すれば、イザーク利権の分前について相談しよう、といった腹黒い内容であり。

 イザークの特産品であるケシの実。

 かつて建国の祖であるオードが、それまでの牧畜産業から農耕産業へと産業転換を図った際、イザーク固有種であるケシに着目した事から始まったケシの実栽培。結局それまでの生活様式を変える事ができない部族が多かった為、イザークの農業生産はそれほど増加しなかったが、ケシ栽培だけはリボーやガネーシャの部族が熱心に取り組んでいたので、安定的に生産される事となり。

 そして、それを精製して得られる阿片は、元々は鎮痛、鎮静作用を目的とした医薬品として生産されていた。

 

 しかし、分量を誤れば強い中毒性を伴う麻薬としての一面もある阿片。

 必然、暴利を貪ろうとする者達によって、阿片はユグドラル中に流通する事となる。

 

 中毒者が多発し社会問題となるに至って、危機感を覚えた各国の指導者達は、阿片の供給量を制限するべく条約を交わす事となる。

 だが、アグストリアのアンフォニー王国やハイライン王国は条約を批准するも積極的に遵守しているわけでもなく、ヴェルダン王国もグランベル保護国となるまでは規制は形骸化しており。トラキア王国に至っては堂々と王家が阿片の密輸に関与していた。

 もっとも、トラキア王国では阿片は軍需物資として取り扱っており、一般での流通は固く禁じていた。ともあれ、悪徳貴族や豪商らの嗜好品としての人気が高いのは変わりなく。

 依然、禁制品に指定されながらも、少なくない量の阿片がユグドラル大陸で流通していた。

 

「このような東方の蛮地にわざわざ乗り込んだのも、コレ()目的だったのは、クルト王子も同じだったということよ」

 

 陰謀によって引き起こされた此度の遠征。

 しかし、戦後にイザークの支配権を狙うランゴバルドは、副次的な目的として、この阿片供給ルートを完全に支配下に置こうとしていた。

 それまで間に立っていた阿片商人やイザーク部族等を排除し、阿片の供給を独占せしめる事ができれば、ドズル家は己の代でもっとも繁栄する事が出来るだろう。

 そして、その目的がクルトも同じくしていた事は、ランゴバルドにとって意外であり、また納得できるものであった。

 

「しかし、だからとて閣下がお一人で行かれるのは危険です。まだ周辺の鎮定も終わってはいませんし……」

 

 あくまでランゴバルドをリボーへ向かわせないよう進言するスレイダー。

 陰謀の件がなくとも、イザークは未だ敵地であり。既に戦の趨勢は決したようなものだが、少数の護衛ではゲリラ化した残党に不覚を取る恐れもある。

 だが、主を案じるドズルの忠臣に、ランゴバルドは諧謔味のある笑みを向けた。

 

「だから、全軍で行くのよ」

「……なるほど。怪しまれずに軍勢をリボーへ展開出来ますな」

 

 どの道雌雄を決する為に全軍をリボーへ差し向ける算段だったグラオリッター。

 しかし、直前まで怪しまれずに軍勢を展開出来るに越したことはない。

 付け加えて。

 

「それに、クルト王子から阿片供給を一任された証があれば、後にレプトールがしゃしゃり出て来ても突っぱね易いわい」

 

 叛逆後の政局も見据えたランゴバルドの奸智。

 莫大な利益をもたらすイザーク産の阿片は、当然他の叛逆諸侯も関心を向けている。

 特にレプトールは、あれこれと理由を付けてフリージ家の取り分も確保しようと画策するだろう。

 しかし、抹殺対象とはいえ、グランベル王太子から直接阿片供給を一任された証があれば、レプトールの策謀も上手く躱す事が出来るだろう。要は、ゴリ押しするには相応の建前が必要なのだ。

 

 此度の叛乱で共闘する叛逆諸侯達であったが、所詮は利に則った同盟。

 昨日の敵は今日の友、そして今日の友は明日の敵にもなり得る。

 今は味方とはいえ、決して油断ならぬ相手同士でもあった。

 

「早速騎士団をリボーへ進発させるぞ。ダナンにも準備するよう伝えろ」

 

 そう言って、軍勢をリボーへ向けるべく指示を出すランゴバルド。

 副将として連れてきたランゴバルドの長男、ダナン公子の名が出ると、スレイダーは少しばかり眉を顰めた。

 

「はっ……ダナン様は、その」

 

 言葉尻を濁すスレイダー。

 ランゴバルドは“またか”と言わんばかりにため息をひとつ。

 

「また女か」

「はっ。どうもイザーク城で見初めた女に入れあげているようでして」

「あの馬鹿者めが。もう少し時と場合を弁える事が出来んのか」

 

 既に正妻を迎え、ドズル家嫡孫ブリアンが誕生しているにも関わらず、イザークの端女に熱を上げるダナン。

 城内のダナンに割り当てられた一室では、今も女の悲観げな嬌声が漏れ聞こえているだろう。

 それを思い、うんざりした体のランゴバルド。このような状況でも、好色ぶりを抑えられぬ嫡子には困ったものである。

 

「まあ、それほど悪い事ばかりではありません。なんでも、女はイザーク王家傍系だとか。オードの血は殆ど引いてはおらぬようですが、御子が生まれれば今後のイザーク統治にも役立つかと思います」

「しかし別に今じゃなくてもいいだろうが。まったく、あ奴にももう少しレックスを見倣っていい男になって欲しいのだがな」

「確かに。レックス様はいい男ですからな。私から見ても」

 

 この場にいないドズル家次男に想いを馳せるドズル主従。

 次男レックスは長男ダナンと腹違いの兄弟であり、当然ながらネール直系の聖痕は現れていない。

 しかし、いい男は長男よりもいい男だった。

 

「レックスももう少し融通が利く男だったらよかったのだがな……」

「……」

 

 そう言って、どこか寂寥感のある表情を浮かべるランゴバルド。

 もし、レックスがもっと己の言う事を聞く子だったら。

 この大事な局面に於いて、もっとも頼りになる男であっただろう。それこそ、色に溺れるダナンよりもだ。

 しかし、レックスは此度の陰謀を知ったら、迷わずランゴバルド達へ斧を振るうだろう。

 彼の義侠心の強さは、親であるランゴバルドも良く知っていた。

 だからこそ、いい男がいい男たる所以でもあった。

 

「今は属州総督の客将でしたなレックス様は。……我々と斧を交える時が来るのでしょうか?」

 

 不安げな表情でそう言ったスレイダー。

 今後の情勢次第では、レックスと刃を交える事になるのを案じていた。

 ドズル公国中の男たちから憧憬にも似た感情を向けられているレックス。

 当然、グラオリッターの騎士達も、いい男に強い憧れを持っていた。

 果たして、その時が来たら、騎士達はいい男へ斧を向ける事が出来るのだろうか。

 

「その時は、儂が引導を渡してくれよう」

 

 ランゴバルドは奸智巡らす謀将から、一人の親の顔を覗かせていた。

 静かにそう言ったランゴバルドへ、スレイダーは黙って頭を下げていた。

 

「ともあれ時間が惜しい。さっさとリボーへ向かうぞ」

「はっ。では、ダナン様も」

「まだ女と乳繰り合っているようなら首根っこを捕まえてでも引きずって来い」

「承知致しました」

 

 かくして。

 謀略に僅かな父性を滲ませた猛将は、勇壮なグラオリッターと共にリボーへと向かう事となる。

 

 もし、この時、ランゴバルドがもう少し慎重さを見せていたら。

 今後の局面は、もっと違う形となっていたのかもしれない。

 

 

 

 


 

 一両日が経過し。

 ランゴバルドはリボー城へと入城していた。

 城外から少し離れた所にスレイダーら配下の軍勢を配し、僅かな供回りのみで入城したランゴバルド。

 リボーへは正門からではなく、緊急時の脱出路として使われる埋門から入城しており。案内役のヴァイスリッターの騎士に連れられ、クルト王子が控える一室へと進んでいた。

 あくまで、密談の体を保つ為であり。

 そして、叛乱計画が漏れていない事を確信していた行動だった。

 

「むう……?」

 

 しかし、ランゴバルドはリボーへ入城した際、僅かな違和感を覚えており。

 妙に、城内が落ち着いている。

 言い換えれば、戦勝機運で浮ついている様子が一切ない。

 まるでこれから本格的な合戦が始まると言わんばかりに、リボーに駐屯するグリューンリッターとヴァイスリッターの兵士達は、ピリピリとした緊張感を保っていた。

 

「閣下、お腰のものを」

「なに?」

 

 だが、ランゴバルドはそれ以上城内を不審に思うことはなく。

 クルト王子が控える部屋の前に立つと、ここまでランゴバルドを案内した若い騎士が、臆することなくそう言った事で、その注意を逸していた。

 

「貴様、儂が殿下に何か含んでいるとでも思っておるのか」

 

 怒りを滲ませ、若い騎士に凄むランゴバルド。

 本当は一喝したい所であるが、あくまで密談の体であるが故に、ぐっと堪えていた。

 ここで己の存在を、城内にいるバイロンやリングに悟られるわけにもいかない。

 

「いえ、任務ですので」

 

 若い騎士はあくまで泰然とドズル公爵へ接しており。

 七三に整えた頭髪はぶれておらず、ネールの系譜を継ぐ聖戦士の圧にも全く怯む様子は無い。

 

「ほお……」

 

 その様子に少々の興味を覚えたランゴバルド。

 弱兵で知られるヴァイスリッターにも、このような気骨のある騎士がいたかと。

 

「貴様、名は?」

 

 それまでの怒りを鎮め、騎士の名を聞くランゴバルド。

 若い騎士は、淡々と己の名を告げた。

 

「リデールと申します。まだ若輩ですが、ヴァイスリッターの末席を汚させて頂いております」

「リデールか。わかった、その方の胆力に免じてスワンチカを預けるとしよう」

 

 そう言って、ランゴバルドは腰に下げていた聖斧スワンチカを、リデールへと預けた。

 

「ッ、と」

「ふん。もう少し腕力を鍛えんか」

 

 聖斧の重みに耐えきれずたたらを踏むリデールを一瞥し、ランゴバルドはそのまま部屋へと至る。

 

「殿下。ランゴバルド、只今参上致しました」

 

 腰を深く折り、クルトへ向け口上の述べるランゴバルド。

 しかし、部屋は薄暗く、クルト王子の姿はよく見えない。

 

「……殿下?」

 

 返事が無いのを不審に思い、顔を上げるランゴバルド。

 部屋の中央で椅子に座るクルトの顔は、よく見えず。

 

 そして。

 

「まんまと釣られおったな、この戯けが」

「ガッ!?」

 

 瞬間、頭部に鈍い衝撃を受けるランゴバルド。

 わけもわからず床に倒れ、瞬く間にその身を制圧される。

 

「き、貴様ッ!?」

 

 不意打ちを喰らうも意識を飛ばさないのは流石。

 しかし、うつ伏せで両椀を押さえつけられ、あまつさえスワンチカの加護が無い状態では、いかなネールの聖戦士といえど跳ね除けることは出来ず。

 ましてや、押さえつけている者が、聖剣ティルフィングを装備したバルドの聖戦士ならば尚更だ。

 

「バイロン! それに貴様はリングか! 貴様ら、一体どういうつもりだッ!!」

 

 部屋の済に隠れていたバイロンの襲撃に、ドズルの猛将は破れ鐘の如く語気を荒ませる。

 

「儂の変装も中々のものじゃろ、ランゴバルドよ」

「な、なにがッ」

 

 そう言いながら勝ち誇ったように金髪のカツラを脱ぐは、ユングヴィ公爵リング。

 そして、ランゴバルドを押さえつけているのは、シアルフィ公爵バイロンだ。

 

「いや、正直騙せたのが奇跡だと思うぞ」

「抜かせ。お主じゃガタイが良すぎて一発でバレるわい」

「お主よりは腹は出ておらんし、儂の方が殿下のお姿を良く模せると思うがな」

「それはどーかのう?」

「き、貴様ら! 儂の話を聞いているのか!?」

 

 呆れるようにそう言ったバイロンに、リングは口角を歪め応える。

 無視される形となったランゴバルドは、益々声を荒げており。

 

「おお聞いておるわい。恐れ多くも殿下に仇をなそうとする不届き者の話はな」

「なっ!?」

 

 しかし、リングの言葉を受け、ランゴバルドは言葉を詰まらせる。

 

「くだらぬ画策をしおって。お主らの企みはとっくに暴かれておるわ」

「な、何を言っている」

 

 ランゴバルドは動揺を露わにするも、押さえつけるバイロンがリングの言葉に続く。

 

「宰相らと謀ってこの地で我らごと殿下を弑い奉る計画、知らぬ存ぜぬは通じぬぞ」

「た、戯け! 儂がそのような事をするはずがないだろう! 乱心したか貴様らッ!」

 

 あくまでシラを切るも、脂汗を浮かべるランゴバルド。

 だが、リングが狡猾にドズルの猛将を攻める。

 

「ランゴバルドよ、儂は情けないよ」

「なにがだ!?」

「お主ら聖戦士の末裔が、暗黒教団の手先になった事がだよ」

「なにぃッ!?」

 

 リングの言葉に、ランゴバルドは驚愕を露わにする。

 ロプト暗黒教団は、奸計巡らすランゴバルドにとっても不倶戴天の敵。

 それと通じているなど、あってはならぬ事だ。

 

「ア、アルヴィスはそのような事は一度も……ッ!」

 

 そして、動揺の極みに達したランゴバルドは、そのように口を滑らせていた。

 

「馬脚を現しおったな。そのまましらばっくれておれば良かろうに」

「ぐ……ッ!」

 

 そう言ったリングに、一転して沈黙するランゴバルド。

 厳しい表情を浮かべ、ぎりりと歯を軋ませていた。

 

「リデール、もう良いぞ」

「はっ!」

 

 部屋の外で待機していたリデールを呼ぶバイロン。

 数名の騎士を引き連れ、リデールはランゴバルドを捕縛した。

 

「……儂を人質にしても無駄だぞ」

 

 拘束されたランゴバルドは、怨嗟入り混じった声でそう言った。

 ランゴバルドを人質にしても、グラオリッターは攻撃の手を緩める事はしない。

 むしろ、主の奪還に燃え、苛烈な攻勢を加えるだろう。

 よしんばランゴバルドが死んでも、仇討ちで更に燃え上がるだけなのは、蛮勇で知られるグラオリッターの気風を鑑みても明らかであった。

 

「クルト王子ごと貴様らを殺す計画は変わらぬッ! 暗黒教団が何だというのだッ! ここで貴様らを殺した後、儂がこの手でロプトの者共を皆殺しにしてくれるわッ!!」

 

 大音声でそう吠えるドズルの猛将。

 開き直った猛将の言葉に、バイロンとリングは哀れみのこもった眼差しを向けた。

 

「残念だが、殿下はもうここにはおらぬよ」

「なっ!?」

 

 再度驚愕を露わにするランゴバルド。

 もはや、これ以上の問答は不要であった。

 

「ランゴバルド、お主とは政道の場にて決着を付けたかったよ。連れて行け」

「はっ! まあ急ぐ必要もあるまい。ゆるりと連行せよ」

「く、くそ! 離せ! 離さぬかッ!!」

 

 バイロンはやや寂寥感を込めてリデール達へ指示を下す。

 ランゴバルドは騎士達により、城内の牢へと連行されていった。

 

「……やれやれ。奴が最後までしらばっくれていたら、儂はオイフェの方が策略に嵌ったと思うておったぞ」

 

 嵐が去った部屋。

 リングは呟くようにそう言う。

 バイロンもまたため息をひとつ吐き、盟友へ応えた。

 

「儂も正直嘘であって欲しかったがな。しかし、ここに至ってはもはやそれを論じる段階ではないだろう」

 

 ともあれ、謀略を認めたランゴバルドに、バイロンはどこか安堵した様子を見せていた。

 確かな証拠があったとはいえ、同じ聖戦士を嵌める事を躊躇っていただけにだ。

 そして、それに加え、安堵する事がもうひとつ。

 

「だが、儂は少し安心したよ」

「何がじゃ?」

 

 ふと、そう言ったバイロンに、リングは疑問の表情を浮かべた。

 陰謀を巡らしていたランゴバルドの、どこに安心したというのか。

 

「奴も聖戦士だったという事がだよ、リング」

「……ああ、そうじゃな。その通りじゃ」

 

 しかし、バイロンの言葉を受け、リングは納得の思いを抱いていた。

 暗黒教団に対し、苛烈な敵愾心を見せたランゴバルド。

 邪心を抱いていたとはいえ、その気概は十二聖戦士の末裔に相応しきものだった。

 

「……さて、奴の言う通り、グラオリッターは攻撃の手を緩める事はないじゃろうな。バイロン、ここからが大変じゃぞ」

 

 しばしの間を置き、そう言って表情を引き締めるリング。

 ランゴバルドが聖戦士の気概を見せたとはいえ、陰謀を止めたわけではない。

 むしろ、ここからがバイロンとリングにとって本番であった。

 

「暗黒教団の事を伝えても、彼らも後が引けぬ段階だからな。やはり一戦を交えるしかない」

 

 ここで叛乱諸侯に真実を伝えても意味が無いのは、先程のランゴバルドを見ても明らかであり。

 彼らもまた、分水嶺を過ぎているのだ。

 グラオリッターとゲルプリッターとの戦いは、もはや避けられぬ状況であった。

 

「まあスワンチカを封じられたのは良しとしよう。まったく、オイフェもえげつない策を思いつくもんじゃわい」

「うむ……」

 

 懸念であったランゴバルド、スワンチカの戦力を封じるべく、予めクルト()()の偽書でランゴバルドを釣りだしたバイロン達。

 だが、これはオイフェの献策であり、容赦ない策謀を躊躇いもなく献策した少年軍師に、バイロン達は若干の悍ましさを覚えていたのは余談である。

 

「どちらにせよここで儂らが敗れるわけにはいかぬ。気合を入れろよ、バイロン」

「ああ、分かっている」

 

 ともかく、これで籠城戦を有利に進める事は可能であり。

 そして、クルト王子が安全に逃れるためにも、可能な限り敵戦力を誘引し続けねばならぬ難しい籠城戦であるのは、バイロンも承知の事だった。

 

「儂らが出来るのはここで踏ん張るのみよ。あとは殿下に……オイフェに任せるしかない」

 

 そう言って、目下逃亡中のクルト、そしてオイフェを想うバイロン。

 叛逆諸侯、そして暗黒教団の陰謀を打倒すべく。

 

 バイロン達の決して負けられぬ戦いもまた、こうして始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第46話『抱枕オイフェ』

 

「オイフェ、何か嫌な予感がする」

 

 イード砂漠街道を進むオイフェ一行。

 ゲルプリッターの陣所を通過してから、時折隊商とすれ違うくらいで、一行は順調に当面の目的地ダーナへと進んでいた。

 しかし、斥候に出ていたデューが戻ってくるなり、そう不穏な言葉をオイフェへ告げる。

 

「何か見つけましたか?」

 

 厳しい表情でデューへ言葉を返すオイフェ。

 急ぐ旅路といえど、替え馬の補充は利かない砂漠の街道。

 馬に過度な負担はかけられぬ為、こうして周辺の偵察を密に行いながら進むしか無い。

 しかし、優秀なシーフであるデューがいる為、不意の待ち伏せなどは事前に掴み易いといえた。

 

「ううん。一リーグ先まで見てきたけど怪しい奴はいなかったよ。でも、さっきから誰かに見られているような気がして……」

 

 そう言って、不安げに周囲を見回すデュー。

 盗賊少年の不安が伝播したのか、それとも本当に何者かの視線を感じ取ったのか。

 オイフェら含むレイミア隊全員に、名状しがたい悪寒が走っていた。

 

「もしかして私達の想いがデューくんに……?」

「以心伝心。胸が熱くなるで候」

「離れていても繋がっているって素敵よね~」

「デューくんしゅき……ずっとお部屋で飼っていたい……」

「コヤちゃんってデューくんが絡むとたまにアブない感じになるっスよね」

「分かっちゃうよ私スナイパーだから。セックススナイパー♥」

「いやそういうのいいから……あとヨーコさんはまだボウファイターでしょ……」

 

 不穏な空気を和らげたいのか、レイミア隊幹部(おねショタハーレムメンバー)がそう軽い調子を見せるも、デューの不安は晴れず。

 塩対応された節操なし共は、流石に緩めた表情を引き締めるしかなく。

 

「……」

 

 デューの違和感。思い当たる節はある、と顎に手をやるオイフェ。

 イード神殿を根城とする暗黒教団、ロプトの暗黒司祭達。

 不自然な違和感の正体は、それしか考えられない。

 しかし、彼らがこのタイミングで表に出てくる可能性は薄いはずだとも、オイフェは思っていた。

 

 オイフェの前世に於いて、ユリウス皇子がロプトに覚醒してから、子供狩りを始めとした暗黒教団の暴虐が堂々と行われていた時期があり。

 イード砂漠の街道でも、暗黒神の供物として旅人が襲われる事例も少なくなかった。

 しかし、今この時期に、暗黒教団が表に出てくるとは思えず。ヴェルダンに潜んでいた暗黒魔道士達も、追い詰められるまでは決して前線には出てこなかった。

 バイロンらに事前に確認したが、重傷者の後送や物資の輸送隊が街道を通過する際、野盗等に襲撃されたという報告は上がってきていない。

 まだ、彼らはイード砂漠奥地へと潜伏している状況のはずである。

 

「何か思い当たる節でもあるのかい?」

 

 黙考していると、レイミアがそう声をかけてきた。

 流石に気温が高い日中では不必要に身体を密着させては来ないが、相変わらず馬を相乗りしている為距離が近い。

 女傭兵の芳しい吐息を感じつつ、少年軍師は応える。

 

「ダークマージの襲撃があるかもしれません」

 

 静かにそう言ったオイフェ。

 レイミアにも緊張が走る。

 

「例の暗黒魔法が飛んでくるってのかい?」

「その可能性は否定しきれません」

 

 レイミアの言葉に頷くオイフェ。デューが警戒している以上、彼女が言うあの暗黒魔法の攻撃の可能性は考慮せねばならない。

 暗黒魔法“フェンリル”。

 高位の暗黒司祭、それも魔力量が多い者でしか扱えぬ長射程の暗黒魔法。

 その威力は、小さな町ひとつなら容易に壊滅せしめる事が可能。

 

 前世では、フェンリルが発動した際、ナーガの血脈に瞬間的ではあるが覚醒したユリアによって、その闇は防がれており。

 彼女による光魔法“オーラ”により、フェンリルの使い手は打ち倒されていた。

 

「闇に対抗できるのは光だけか……」

「はい。だから、この場は急いで──」

「いや、その心配はないんじゃないかい?」

「え?」

 

 そう言うと、レイミアはホリンが手綱を握る馬車へと目を向けた。

 

「こっちには世界一の光魔法の使い手がいるじゃないか」

「い、いえ、それは……」

 

 御者台に座るシスターに扮したグランベル王太子を見ながらそう言ってのけるレイミア。

 目があったクルトは、ケバい厚化粧顔を面白そうに歪めていた。

 

「……殿下には属州領に到着するまで、その御身を隠してもらわなければなりません。殿下の御力を借りるのは、最後の手段だと思ってください」

「そうかい。ま、そうじゃなきゃアタシらが雇われた意味が無いしね」

 

 レイミアは諧謔味のある笑みをオイフェへ向け、そう応えていた。

 その姿に、説明の付かない頼もしさを覚えるオイフェ。

 いざとなれば使()()()()()事も厭わないつもりで契約を交わしていた。だから、己に薄っすらと宿ったこの感情に、危機感も覚える。

 

(情は移してはならぬ)

 

 そう己を戒めるオイフェ。

 レイミアが過度に己に寄り添って来るのも、打算から来ているものだと察していた。

 だから、今までの触れ合いは、彼女の甘い罠でもあるのだろう。

 情を移した己を上手く操り、傭兵団の立場を確立しようとしているだけ。

 そう思っていた。

 

「……ここからは、より気をつけて行きましょう」

 

 自分に言い聞かせるように言ったオイフェ。

 少年軍師の言葉を聞き、少し寂しげな眼光を覗かせたレイミア。しかし、直後にいつもの皮肉げな笑みを浮かべた。

 

「あいよ、補佐官殿。よし、アンタ達! ここからは陣形を変えるよ!」

 

 配下の女武者達へ号令をかけるレイミア。

 彼女の一声で、女傭兵達はよく訓練された動きで陣形を変える。

 近接職が前方、そして殿を務めるべく配置に付く。

 遠距離職はその後方で支援し易いように移動。回復職は支援に徹するべく中央に配置。

 騎兵職はいないので、実際の戦闘では下馬して戦う事となるが、それでも不意の遭遇戦に対処し易いと言えた。

 

 スムーズなレイミア隊の動き。

 それを見たオイフェ。心なしか前世で対決した時よりも、その動きは洗練されているように見えた。

 

「良い動き、良い兵達だ。なあホリン」

「え、あ、はい。おれ……私もそう思います」

 

 瞬く間に陣形を変えたレイミア隊を見て、クルトはそう感心したように言う。

 ホリンは固い表情を浮かべたままであった。

 

「移動速度は落ちるけど勘弁しておくれよ」

「いえ、用心に越したことはありません」

 

 警戒態勢で進む事となり、予定よりもダーナ到着が遅くなる事を危惧したレイミア。

 しかし、背に腹は代えられない。

 なんとしても、クルトを無事に属州領へ連れて行かねばならぬのだ。

 政治的な理由。

 陰謀に打ち勝つ手段。

 そして、なによりも。

 

(ディアドラ様……)

 

 大切な人が、家族の慈しみを得られる為。

 クルトを、ディアドラの元へ連れて行かねばならぬのだ。

 父を知らぬディアドラ。娘を知らぬクルト。

 互いに顔を知らぬまま生を終えるのは、あまりにも哀れ。

 

「デュー殿、引き続き警戒をお願いします」

「うん! わかったよオイフェ!」

 

 少年の複雑な想いを汲み取ったのか、デューはことさら元気よくオイフェへ返事をしていた。

 連日の性的虐待(おねショタ)の疲れなどなんのその。

 心を通わせた少年軍師を、懸命に支えんとするその姿。

 その姿に、オイフェは心底頼もしく思っていた。

 

「じゃあベオっちゃん、またお世話になるね」

「だからその呼び方やめろや……」

 

 ちなみに、デューが斥候に出る時は、必ずベオウルフが護衛に付いていた。

 デュー一人でも過酷な状況で生還せしめる事は可能だが、機動力のあるベオウルフが一緒ならば、いざという時の対処がよりし易い。直接戦闘に巻き込まれた際も、ベオウルフの実力ならばより安全にデューを逃がす事が出来る。

 無論、ベオウルフもサバイバリティが高い男なので、彼自身の心配もそこまでは必要ない。

 それに、なんだかんだで、この二人の相性は良かった。

 

「よし、行こうかベオっちゃん」

「へいへい」

 

 デューはベオウルフが駆る馬にひらりと乗ると、ポンポンと自由騎士の肩を叩いていた。

 

「ベオ、デューくんに何かあったらマジでただじゃ置かないからね」

「デューくんの代わりに死ぬ覚悟を持つべし。骨は拾う」

「私もデューくんと一緒にお馬に乗りたいわ~」

「むしろデューくんの馬になりたい……市中引き回しの刑にされたい……」

「自分らは部隊の指揮を取らなきゃならないっスからね。しゃーないっス」

「そのカワイイおしりを鞍でゴンゴンされる気分はどうだ? 感想を述べよ」

「ほんとうるせえなお前ら!」

 

 余計な雑音を背に、自由騎士は盗賊少年を後ろに乗せながら愛馬を駆っていった。

 

 

 

 

 それから、危惧した襲撃もなく進んだオイフェ一行。

 だが、警戒態勢を取りながらの移動は、女傭兵達に疲労を蓄積させる。

 連日の一昼夜通しての移動も重なり、馬達もまた相応の疲労を滲ませており。

 故に、野営をする事となった。

 

「ここは風通しが良いな」

「ええ。海が近いので」

 

 簡易的なテントを張り、焚き火を囲むオイフェ達。クルトの言う通り、この場は夜間でもそこまで冷え込んでおらず、風通しが良い快適な場所だった。

 オイフェ達は極力目立たぬよう、野営場所は街道から離れた海岸に近い所を選んでいた。少し歩けば、断崖の下にあるマンスター湾が見えるだろう。

 潮風が当たる中、一行は各々で焚き火を囲み、食事を取るなどして休息を取っていた。

 

 もっとも、過度に緩んでおらず、適度な緊張感を保っている。

 レイミア隊幹部達も、普段ならさっさと適当なテントなり馬車の中にデューを引きずり込み不眠不休の乱痴気二毛作(寝る暇なしのずっこんばっこん)に興じているはずだが、この時ばかりは自粛していた。

 

「お口に合うか分かりませんが」

 

 そう言って、レイミアがクルトへ椀を差し出す。椀の中身には、干し肉と一緒に小麦粉から練ったダンプリングを煮込み、酢と塩で味付けをしたシチューが入っていた。

 差し出されたシチューをスプーンで掬い、口へ運ぶクルト。

 

「美味い。レイミア殿も中々の料理達者だな」

「ありがとうねぇ、王太子殿下」

 

 クルトの賛辞に口角を歪めるレイミア。

 公的な場所ではない為か、やや不敬な態度の女傭兵。しかし、クルトが気さくな態度で傭兵達へ接している為、オイフェはそれを特に注意せず。

 そもそも、この脱出行は隠密行動であるのだ。下手に貴人扱いしては、思わぬ所でクルトの素性が発覚し、不覚を取る可能性がある。

 

 時と場合を選ぶ処世術も、レイミアはまた達者なり。

 そう思いつつ、オイフェもシチューを掬い口へ運ぶ。

 

「美味しいで──」

「ありがとうねぇ! 補佐官殿!」

「あっはい」

 

 オイフェの賛辞には食い気味に反応するレイミア。心なしか鼻息が荒い。

 その様子におかしみを覚えたのか、クルトは含み笑いを漏らしていた。

 

 ところでこのレイミア隊、兵食を担当する炊事班は特に決められてはおらず。

 通常なら、この規模の傭兵団でも、炊事担当は決められているものなのだが、レイミア隊は全員が女であるという特色があり、手すきの者が都度給食を担当していた。

 戦を生業とする傭兵達。存外、料理というのは、戦場での良い気分転換になるのだろう。

 

 今日は珍しくレイミアが数名の配下と共に、手ずから手料理を振るまっており。

 いくつもの大鍋で煮込まれたシチューは、簡単な味付けであっても、中々のものに仕上がっていた。

 久々の団長飯。レイミア隊の女傭兵達は、皆舌鼓を打つばかりなり。

 

「ところでオイフェ。このレイミア殿はどこまで知っているのかな?」

 

 和やかな空気の中、ふとクルトが声を抑えてそう言った。

 この場にはオイフェ、クルト、レイミアしかいない。

 他の者達は皆少し離れた場所で休息を取っていた。

 クルトの言葉に、オイフェはスプーンを置いて応える。

 

「凡そ全てです。彼女は信用に足る人物です」

 

 そう言ったオイフェ。

 クルトは意外そうにレイミアを見る。

 レイミアは、変わらず皮肉げに口元を引き攣らせていた。

 

「では、この後の事も?」

「はい。殿下が属州領へ到着した後も、大凡の事は共有しております」

 

 オイフェが目指す運命の扉をこじ開ける計画。

 その本番は、クルトがエバンスに到着してから始まる。

 

 簡単に言えば、錦の御旗を掲げる事で、叛逆諸侯の正当性を失いせしめるのだ。

 加えて、アルヴィスがロプトと繋がっているという、ロダン司祭の書簡と併せて公表する。暗黒教団の存在を明るみにし、仇敵をとことん追い詰めるのだ。

 

 本来ならば、そこでアルヴィスがロプトの血脈であるという特大の爆弾も放り投げたい所。

 しかし、それをしてしまえば、芋づる式にディアドラがマイラの系譜である事が明るみに出てしまう。

 シグルドとディアドラの幸せの為にも、それは憚られた。

 

 ともあれ、クルトの檄文を各地に放つことで、叛逆諸侯の陰謀を暴き、事の正当性を容赦なくグランベル中の貴族へと突きつける荒業。

 レプトールやアルヴィスに付いている反クルト派の中堅貴族達も離反するしかなくなる。

 大混乱は必至であろう。

 

「そうか……なあオイフェ。やはり戦は避けられぬのだろうか」

 

 気鬱げにそう言ったクルト。レイミアが事情を知るならば、踏み込んだ話も可能と判断したのだろうか。

 既に叛逆諸侯達との戦端は、リボーに残るバイロン達により開かれている。

 故に、このクルトの発言そのような意味ではなく。

 クルトは、グランベル本国での内戦を危惧していたのだ。

 

「我らが相争えば、民の安寧も脅かされる。できれば戦は避けたいのだが」

「それは宰相やアルヴィス次第です、殿下」

 

 民衆の平穏を願うクルト。

 王道を歩む為政者としては正しき姿だ。

 しかし、オイフェは王道を歩む者ではない。

 茨の道を進む、怨讐滲ませる軍師だった。

 

「ですが、もし戦になっても、我々に正当性がある限り、叛逆者達はまともに戦えないでしょう」

 

 冷静に所見を述べるオイフェ。

 レプトールやアルヴィスが、既に捕縛されたランゴバルドのように開き直っても、配下の騎士、兵士達はその限りではないと断じていた。暗黒教団の存在を知りながら戦意を保てる者は少ないのだ。

 前世では、セリスら解放軍に最後まで抵抗する者達は多かった。だが、今とは状況が違う。

 長年の利心、忠義、因縁等に囚われ、闇の勢力に身をやつす者は、今この段階では決して多くはないのだ。

 

「もっとも、宰相……フリージと直接争う可能性は低いでしょうが」

「そうだといいが」

「宰相レプトールは魔法騎士トードの末裔です。流石に聖戦士としての使命を忘れたつもりはないでしょう」

 

 オイフェの見立てでは、恐らくレプトールはこちらとの和睦を図るだろう。

 狡猾な謀略家でもあるレプトール。だが、流石に暗黒教団の存在を許す事は出来ない。そして、ランゴバルドのような向こう見ずな蛮勇さも持ち合わせてはいない。

 シグルド率いる属州軍が、本領であるフリージ公国を窺う姿勢を見せれば尚の事。

 早々に己の不利、そして聖戦士としての使命を悟り、恭順の姿勢を取る事が予想された。

 

 その後の落とし所としては、叛逆の罪を直接問わない代わり、家督をブルーム公子へ譲りレプトールは隠居。トールハンマーも王家預かりにし、ゲルプリッターの戦力も縮小させる。

 後継者であるイシュトー、イシュタルも人質として差し出すように命じれば、フリージ家は二度と叛逆を企む事はしないだろう。

 

「陛下の安全も宰相が保証するということか」

「はい。直接陛下を救出する策も用意していますが、宰相は陛下を頼り和睦の道を探るはずです。そこは心配なさらずともよろしいかと」

 

 父であるアズムール王の身を案じるクルト。

 しかし、オイフェはそれについては特に心配をしておらず。

 この段階でアズムールに危害を加えれば、それこそ反クルト派の貴族達は一斉にレプトールやアルヴィスを討伐するべく行動を開始するだろう。

 レプトールの性格を考えるなら、和睦の仲介者としてアズムールを立てる事も予想される。

 アズムールの安全は叛逆諸侯達が保証していると言っても過言ではなかった。

 

「ですが、アルヴィスだけは必ず成敗します。彼が生きている限り、ロプトはまた世に現れるでしょう」

 

 しかし、オイフェはアルヴィスだけは逃げ道を与えるつもりは無く。

 ロプトとの繋がりを周知する事で、アルヴィスを否応なしに叛乱を継続せざるを得ない状況に追い込む。

 そして、そのアルヴィスへ追従する者はほとんどいないだろう。

 ヴェルトマーの有力貴族であるコーウェン伯爵も、実孫であり正統なファラの系譜であるサイアスのヴェルトマー後継を保証してやれば、アルヴィスへ見切りをつけこちらへ恭順を示すはずだ。

 コーウェンがアルヴィスから離れれば、ロートリッターも自然と瓦解し始める。

 

 後は、一人残されたアルヴィスを成敗するだけだった。

 オイフェ自身の手で。

 

「……アルヴィスを赦すつもりはないのか?」

「ありません。彼は危険です」

 

 絞り出すようにクルトはそう言葉を述べる。

 その言に、オイフェは冷たい声色で応えた。

 少年軍師が発する怖気に、クルトは僅かに息を呑む。

 

「……だが、私にはアルヴィスが暗黒教団と繋がっているのがどうしても腑に落ちない。彼は魔法戦士ファラの直系だぞ。いくら王権を奪うつもりでも、何故ロプトなんぞと手を結んだのだ?」

 

 かろうじて言葉を返すクルト。

 幼少の頃から情をかけていた相手が、暗黒教団と手を組み己を陥れようとしている事実。クルトは、未だにそれが信じられなかった。

 だが、オイフェはそのようなクルトに、僅かではあるが険のある表情を向けた。

 

 貴方の所為ですよ

 

 そう冷酷に言いたくなるのを、ぐっと堪えるオイフェ。

 

「……分かりません。彼に直接問い質すしかないでしょう」

「そうか……」

 

 オイフェはクルトの罪を糺す事はしない。

 前世。大切な人達を奪った、バーハラの悲劇。

 その要因となった存在を前にして、少年軍師の胸に複雑な想いが沸き起こる。

 

(……いや、それは問うまい)

 

 だが、僅かに頭を振り、その想いに蓋をするオイフェ。

 前世での悲劇は、様々な要因が重なって起こった悲劇であり。

 無論、元凶はアルヴィスの野心、そしてロプト大司教マンフロイの陰謀によるものだと理解している。

 しかし、マイラの血脈が同時に二人現れる原因を作ったのは、目の前のクルトだ。

 彼がディアドラの母、シギュンと密通しなければ、ユグドラルを覆った闇を防げたのではないかと。

 

 オイフェはその事を断罪するつもりはなかった。

 今更それを問い糾しても意味がないのもあったし、何よりクルトがシギュンと関係を持たなければ、ディアドラはこの世に生まれていなかったのだ。

 それに、当時のシギュンの境遇を思えば、クルトの同情が愛情に変わるのも理解出来た。

 

 どちらにせよ、オイフェにとって大切な人達、その幸せ。

 それは、必ず守り通さねばならない。

 此度の運命の扉は、必ず開かねばならぬのだ。

 

 悲劇を回避するという大義名分。

 しかし、クルトの是非は問わないという矛盾めいた大義。

 オイフェは、逆行人生において、この矛盾を抱え続ける事となるだろう。

 

 “わかった。じゃあ、両方やろう”

 

 ふと、以前デューに言われた言葉を思い出したオイフェ。

 矛盾を孕む少年軍師。

 しかし、その矛盾を肯定してくれる者もいる。

 少し、気持ちが和らいでいた。

 

「シチューが冷めちまうよ」

 

 そして、もうひとり。

 少年軍師の、怨念にも似た矛盾を包む者がいた。

 

「……ありがとうございます、レイミア殿」

 

 ぬるくなったシチューを啜るオイフェ。その様子を、レイミアは眼を細めて見つめていた。

 前世での事はデューにしか明かしていないオイフェ。

 しかし、レイミアは直感でオイフェの矛盾に気付いている節があった。

 それは、オイフェの弱点を抑え、己の立場を優位に運ぶ腹積もりなのだろうか。

 それとも。

 

「……」

 

 その様子を、同じくぬるいシチューを啜りながら見つめるクルト。

 複雑な想いは、クルトもまた同じ。

 陰謀に立ち向かうオイフェ。

 しかし、どこか悍ましい気を漂わせる少年軍師。

 どこまで信用すればいいのか。

 

 様々な想いが起こる荒野の夜。

 その想いを包むように、夜は更けていった。

 

 

 

 

「あ、あの、レイミア殿」

「ん~?」

 

 食事が終わり、一行は就寝を取るべくテント、馬車へと籠もる。

 交代で不寝番を立て襲撃に警戒しつつも、しっかりと休息を取り有事に備える女傭兵達。

 当然、頭目であるレイミアも休む事となったのだが。

 

「少し窮屈なのですが……」

 

 レイミアは自身のテントにオイフェを引っ張り込み、その柔い身体を抱き枕にしていた。

 布越しとはいえ、濃厚な女の匂いに包まれたオイフェ。

 バイロン達の元を発ってから、一行に入浴の機会など無く。

 濡らした布で身体を拭くだけだった女傭兵の肉体からは、香ばしくも甘い芳香が立ち込めており、少年の脳髄を焦がしていた。

 

「いいだろ、別に」

 

 ぎゅうとオイフェを抱きしめながら、眠たげな声で応えるレイミア。

 契約時に同衾して以降、就寝は別々だったのだが、ここに来て強引に共寝を要求した理由がわからず。

 オイフェは赤らめた顔を困惑させるばかり。

 

「なにも喰っちまうつもりはないんだ。このまま寝かせておくれよ」

「は、はあ……」

 

 そう言って、レイミアは逞しい脚をオイフェの下半身へ絡ませる。

 下腹部を擦りつけるような抱擁に、少年の熱も上がる。

 しかし、言葉通り性的な行為をおっ始めるつもりは無いようだ。

 オイフェはため息を吐きつつ、女傭兵の熟れた肉体に大人しく包まれていた。

 

「……何故、ここまでしてくれるのですか?」

 

 ふと、オイフェはそのような疑問を口にしていた。

 レイミアがここまで己に入れ込む理由。

 己がこの女傭兵の性的指向に合致している、というだけではないはずだ。

 

「言っただろう? 運命共同体って。アタシ達は補佐官殿に全賭けしたのさ」

 

 レイミアの張りのある胸に包まれたオイフェからは、彼女の表情は見えない。

 しかし、その声は優しげなものだった。

 

「それだけとは思えませんが……」

 

 モゴモゴと口を動かすオイフェ。呼吸をする度に、レイミアの芳醇な匂いが鼻をくすぐる。

 レイミアが、レイミア隊の女傭兵達が真っ当に生きる為。この言葉は、嘘ではないのだろう。

 だが、真意は隠している。

 オイフェはそう思っていた。

 

 故に、それを確かめたい。

 土壇場で裏切られては困るのだ。

 

「……補佐官殿が本音を言ってくれたら、アタシも本音を言うよ」

「……」

 

 少し、寂しげにそう言ったレイミア。

 オイフェは沈黙を返していた。

 言外に、オイフェが隠し事をしている限り、己も本音を語るつもりはないと。

 そう、伝えていた。

 

「……私は」

 

 しばしの時間が流れ。

 微睡みに包まれたオイフェは、その可憐な口を僅かに開いた。

 言うか、言うまいか。

 己が、逆行した存在であることを。

 

「私は──」

 

 しかし。

 オイフェが語り始める前に。

 

 

「敵襲ッッ!!!」

 

 

 緊迫した叫び声がテントの外から響く。

 同時に、戦闘音が、野営地に響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第47話『空襲オイフェ』

 

「これは一体どういう事だ?」

 

 リボー城周辺の森の中。

 そこに、身を潜ませながら、グランベル軍の動向を伺っていた怪しき人物が二名。

 

「ベルド様、これは……」

 

 濃緑色のローブに身を包む二人の暗黒魔道士。

 暗黒教団幹部ベルドと、その配下であるコッダは、リボー城にて発生した戦闘を見て困惑した表情を浮かべていた。

 

「計画が漏れたのか? いや、しかし……」

 

 彼らが目にした光景。

 それは、リボー城に籠もるグリューンリッターとヴァイスリッターが、城外に到着したゲルプリッターへ攻撃を仕掛けているという、彼らにしてみれば不可解極まる光景であった。

 

 聖剣ティルフィングを掲げ、配下の騎兵隊と共にゲルプリッターの前衛へ襲いかかるシアルフィ当主バイロン。

 叛意を秘めているとはいえ、この段階ではまだ叛逆行為が発覚していないと油断していたゲルプリッター。バイロンの猛撃を喰らい、瞬く間に前衛部隊は壊滅せしめる。

 この危急の事態を受け、周辺に潜んでいたグラオリッターが救援に向かうも、リデールらヴァイスリッターの精鋭部隊の伏撃を受け、その勢いを殺されてしまう。

 数に勝るゲルプリッター、グラオリッターが態勢を立て直した頃には、バイロンらはさっさとリボーへ籠もり、その門を固く閉ざしていた。

 

 ゲルプリッターを率いるブルーム公子は、予想外の奇襲を受け動揺を隠せず。腹心のグスタフ将軍らの叱咤を受け、ようやく軍勢を立て直していた。

 翻って、既に実父ランゴバルドが人質に囚われたと知り、グラオリッターの指揮を引き継いたダナン公子。実父を救出せんべく、碌な陣立てをせぬままリボーの攻城戦を開始していた。

 しかし、バイロンやリングの巧みな指揮により、いたずらに兵を失わせる結果となっており、やがてゲルプリッターと共に城を包囲するに留めていた。

 

 事態の把握に努めようとするブルームと、事態の早期終着を図るダナンが、意見を対立させるのは必然だった。

 何故、計画が漏れたのか。そして、この事態はグランベル本国にも既に伝えられているのか。ひとまずは様子を見て、本国のレプトールに指示を仰ぐべきなのではと主張するブルーム。

 否、もはやここに至ってはクルト王子を弑い奉るしか道は無し。早々にリボーを攻め落とすべしと吠えるダナン。

 

 彼らにとって不幸だったのは、明確な上位者であるランゴバルドが不在であった事だろう。

 序列で言えば同格のブルームとダナン。故に、意見が対立した状態では、それぞれの軍勢が連携を取れるはずもなく。

 グスタフやスレイダーらそれぞれの将軍達が意見の調整に奔走するも、ふとした切っ掛けでブルームとダナンは互いに口汚く罵り合い、決定的な対立をしてしまう。

 

 曰く、「親父の顔色を伺い嫁の尻に敷かれる軟弱者。すくたれもののへたれ公子」

 曰く、「色欲塗れの軽薄者。本当にいい男の兄とは思えぬ愚か者のボンクラ公子」

 

 日頃から抱えるコンプレックスを互いに抉られた両者。ブルームがダイムサンダを、ダナンがプージを取り出した時点で、将軍達は意見の調整どころでは無くなり、両公子を必死で抑え付ける始末。

 

 かくして、少年軍師の思惑通り。

 ゲルプリッターとグラオリッターは、攻城戦を開始出来ぬままリボーの包囲を続ける羽目となり、戦場は膠着状態へと陥っていた。

 

 

「……こうも見事な籠城戦を見せるとは、計画は漏れていたと見て良いだろう」

 

 そう言って、厳しい表情を浮かべるベルド。

 イード神殿へ到着してから、早速リボーの様子を見に来てみれば、このような状況に出くわす始末。

 そして、グリューンリッターとヴァイスリッターが、まるで予め決められていたかのように、鮮やかな籠城戦を展開する光景。

 これらを鑑み、ベルドはクルト暗殺計画が既に露呈していると判断していた。

 

「コッダ、最近妙な動きはなかったか? 例えば、奴らの元にグランベル本国から使者が訪れていたとか」

 

 以前からリボー周辺に潜伏していたコッダへそう尋ねるベルド。

 コッダは淀みなく上長へ応える。

 

「はっ。そういえば、どうも属州領の使者が訪れていたようで」

「ふむ……」

 

 輜重隊や負傷兵の後送等、イード砂漠の街道は叛逆諸侯の軍勢以外にもグランベル軍所属の部隊が行き来している。

 しかし、属州領の使者──オイフェ一行に関しては、此度の遠征軍に直接の関わりは無い。

 故に、計画発覚に何かしらの関係があると窺えた。

 

「奴らはまだイード砂漠だな。万が一という事もある。然るべき手を打たねば」

 

 今このタイミングで叛逆計画をバーハラ宮殿に伝えられるのは、叛逆諸侯はもちろん、暗黒教団にとっても宜しくない。

 ダーナ虐殺から端を発する此度の陰謀。そもそものクルト王子の暗殺に失敗すれば、一体何のためにリボー族長を操ったのか分からぬというもの。

 アルヴィスをロプトの血脈を持って操り、暗黒教団の存在を認めさせた世を作る。

 そして、その後に控えるロプト帝国の復興、暗黒神ロプトウスの復活。

 ロプトによるユグドラル支配を大磐石の重きに導く為にも、ここでナーガの直系たるクルトを亡き者にせねばならない。

 

「ですが、我々だけではいささか心もとないかと。属州領の者共は傭兵団を護衛に雇っているようです。半端な討ち漏らしがあっては……」

「うむ……まったく、クトゥーゾフ殿がもう少しフェンリルを上手く扱えておれば、このような心配はせんでもよいのに……」

 

 とはいえ、オイフェ一行を直接手を下そうにも、現在イード神殿に控えるダークマージ達は数が少ない。神殿にはロプトの一族である子女達もいたが、彼らは未だ暗黒魔道士として育成中であり、戦力に換算できなかった。

 イード神殿を守るダークビショップ、クトゥーゾフのフェンリルもあまり当てに出来ず。

 マンフロイからフェンリルを授かったは良いものの、それは魔力量が多い者でしか満足に扱えない代物であり。不安定な威力、射程では、オイフェ一行を討ち漏らす事も考えられた。

 

 しからば、どうするか。

 

「……仕方あるまい。コッダ、例の連中の所へ。まだこの付近に駐留しているはずだ」

 

 ベルドがそう言うと、コッダは心得たとばかりに頷いた。

 

「承知致しました。イザークの残党を装い、上手く属州領の者共を襲撃するよう依頼します」

「頼むぞ。金子はいくらかけても良い。あ奴らが襲いかかっている間、わしはクトゥーゾフ殿らと共に討ち漏らしに対処する。時間がない、行け」

「ははっ!」

 

 そして、コッダは音もなくベルドの前から姿を消す。

 それを見送った後、ベルドもまたイード神殿へ帰還すべくワープを発動させた。

 

 

「戦場の臭いに誘われるハイエナ共……時間稼ぎにしかならぬが、せいぜい我らの役に立てよ……」

 

 

 

 

 


 

 最初に気付いたのは、野営地中心部にいたホリンだった。

 

「……?」

 

 眠る時でも胸甲を装着し、鋼の大剣を抱えていたホリン。

 クルトの護衛として片時も側を離れなかった剣闘士は、その鋭利な直感にて異変を察知していた。

 

「何事か?」

「殿下、お静かに」

 

 ただならぬその様子。クルトはやや眉を顰める。

 しかし、ホリンはクルトを制止しつつ、じっと息を潜ませ、感覚を研ぎ澄ませていた。

 オイフェから伝えられたユグドラルを覆う陰謀。それは、ホリンにも共有されていた。故に、クルトの重要性はホリンもまた重々承知している。

 叛逆諸侯以外にも、クルトの命を狙う者がいるのもまた然り。

 

「……」

 

 馬車の幌から顔を出し、外の様子を伺うホリン。

 僅かに白み始めた空。闇夜に包まれた野営地を照らし始める。

 時折、波が岸壁を打ち付ける音が、ホリンの耳朶に響く。

 野営地は、奇妙な静けさを保っていた。

 

「……?」

 

 だが、ホリンは静寂の中。

 遠くから、妙な音が響くのを察知した。

 

「羽音?」

 

 聞き慣れぬその音は、何かが羽ばたく音に似ていた。

 そして、一瞬だけ聞こえる、何かが嘶く音。

 その正体を掴もうと己の記憶を探るホリン。

 

「ッ!!」

 

 しかし、直後にその思考は中断した。

 

「殿下ッ!!」

 

 瞬間、馬車の上空から鋭い殺意が()()()()()

 

「チィッ!!」

 

 槍だ! 槍が降ってきた!

 幌の上部から貫通する手槍。それも複数。

 超人的な動体視力でそれを捕捉したホリン。

 大剣を瞬時に繰り出し、降りかかる手槍を叩き斬る。

 

「ぐっ!?」

「殿下!?」

 

 しかし、一本の手槍がクルトの側頭部を掠めていた。

 クルトはくぐもった呻き声を上げ、そのまま昏倒してしまう。

 

「敵襲ーッ! グァッ!?」

 

 歩哨の女傭兵の金切り声が響き、直後にその声が断末魔に変わる。

 そして、それが合図となったかのように、各所で争いの音が聞こえ始めた。

 

「殿下ッ! くそッ!」

 

 頭部に衝撃を受け昏倒したクルト。命に別状は無さそうだが、下手に動かすわけにはいかない状態。

 ホリンはクルトの状態を確認した後、勢い良く馬車を飛び出した。

 馬車の中に留まっていては、クルトを満足に守れぬ。

 

「ッ!?」

 

 直後、馬車へ向け襲いかかる人外の気配。

 

「シュッ──!」

 

 ホリンは、本能でそれを迎撃していた。

 

「ギャアッ!!」

「キュイイッ!!」

 

 短い息吹と共に大剣を一閃。月光の煌めきは、このような不意の遭遇戦でも陰りを見せず。

 大剣を振り抜くと共に、襲撃者の悲鳴、そして甲高い鳴き声が同時に響き、血風と共に大地に倒れる音が鳴った。

 返り血を浴びつつ、ホリンはようやくその姿を確認する事が出来た。

 

「ドラゴンライダーだとッ!?」

 

 頭部を縦に截断された飛竜、そして胴体を割られ臓物を溢す竜騎兵の死体。

 己が仕留めた襲撃者の正体が予想外なのを受け、ホリンは慄きが籠もった声を上げていた。

 

「くそ、いつの間に」

 

 周囲を見回すも、既に各所で怒号、剣戟、魔法の射撃音が鳴り響き、野営地は戦場の騒乱に包まれていた。

 火も放たれたのか、馬の嘶きと共にそこかしこで炎上する馬車も見受けられ、レイミア隊は混乱の坩堝に叩き込まれていた。

 

「……ッ」

 

 しかし、己に課せられた役目はただひとつ。

 クルトを守る。至極単純な任務。

 どのような状況に陥ろうとも、それは変わらないのだ。

 

 月光の剣士は、丹田に気を入れ、襲いかかる竜騎兵の群れを迎撃し続けていた。

 

 

 

 

 

「見張りは何をやっていたんだい!」

 

 オイフェとしっぽりしていたレイミアは、襲撃を知らせる声を聞くと即座に跳ね起き、抜刀しながらテントの外に出ていた。

 少年のぬくい体温を抱き抱いていた為か、ウォーミングアップは既に終わったとばかりに、女傭兵の肉体はトップギアまで暖められている。

 オイフェとの湿った微睡みを邪魔された怒り、そしてまんまと襲撃を許した配下の不甲斐なさにも憤るも、今となっては後の祭り。

 

「あれは……?」

 

 オイフェもまたレイミアに続きテントから出ており、鋭く視線を向けると瞬時に状況を掴み取っていた。

 上空から襲いかかる竜騎兵の群れ。

 この大陸に於いて、組織化された飛竜の軍勢を率いるのは、彼らしかいない。

 

「トラキア竜騎士団……!」

 

 トラキア竜騎士団。

 貧国の宿業を具現化した、戦場のハイエナ集団。

 それが、野営地の空を覆っていた。

 

(何故彼らがここに……?)

 

 不可解な思いに囚われるオイフェ。

 トラキア王国は先の鉱石通商によりそれなりの外貨を獲得している。

 故に、傭兵稼業などする必要は当面はないはずだ。

 

 いや、そもそも何故この場に彼らがいるのか。

 グランベルのイザーク遠征を稼ぎ場と見て、周辺まで出張っていたのか。

 通商により外貨を得ても尚、彼らは一銭でも多く稼がねばならぬほど、貧困に喘いでいるとでもいうのか。

 

「ッッ!?」

 

 だが、オイフェの推測はそこまでだった。

 オイフェへ向け急降下せし竜騎兵が一騎。

 槍を突き立てながら、猛然と少年軍師へ襲いかかる。

 

「させるかいッ!」

 

 しかし、間髪入れずレイミアが割って入った。

 愛刀である銀の大剣にて竜騎兵の鉄槍をいなす。

 

「シイリャァッッ!!」

 

 直後に繰り出される連撃、そして追撃の一撃。

 怒涛の攻めを受け、竜騎兵は乗竜ごと為す術もなく斬り伏せられた。

 

「助かりました、レイミア殿」

「気をつけなよ。にしても、まさかトラキアのハイエナ共が襲ってくるとはねぇ……!」

「申し訳ありません。これは想定外でした」

 

 そう言って頭を下げるオイフェ。

 ダークマージや野盗の襲撃を警戒していたが、まさか空から襲撃者が来襲するとは思わず。

 デューが感じ取っていたのは、遠距離からこちらを伺う竜騎兵達の殺意だったのだろう。

 だが、流石の盗賊少年も、この空襲を事前に察知する事は叶わなかった。

 

(おのれ……!)

 

 逆行人生に於ける、オイフェ初めての不覚。

 ぎしりと歯を食いしばる。

 だが、今はこの襲撃に対処せねばならなかった。

 

「お頭ッ!」

 

 不覚を恥じていると、返り血に塗れたレイミア隊幹部の一人、ソードファイターのカーガが駆け寄って来た。

 肩で息を切らしながら、レイミアへ頭を下げる。

 

「申し訳ありません、私達が警戒していながら──」

「御託はいいよ。状況はどうなっているんだい」

「あんまり大丈夫じゃないです……」

 

 見れば、カーガは肩を負傷しており、時折痛そうに顔を顰めている。

 敵は事前にこちらを偵察していたのか、ボウファイター隊やサンダーマージ隊が迎撃態勢を取る前に奇襲を果たしており、距離をつめられてはその優位性は発揮できず。

 戦況は芳しくなかった。

 

「でも、デューくんが言うにはドラゴンライダーは50騎もいないだろうと」

 

 面目躍如といったところか、デューは混乱した状況でも的確に敵勢を把握していた。

 態勢を立て直せば、数で押し返す事が可能。

 デューの言伝を聞くと、レイミアは即座に指示を下す。

 

「アンタ達は手勢を纏めな。弓兵や魔道士連中を守っておやり」

「はい!」

 

 レイミアの下知を受け、カーガは混乱する女傭兵達へ叱咤しながら、ソードファイター隊を纏めるべく野営地を駆けて行った。

 

「アタシ達はどうする補佐官殿」

「……殿下はホリン殿に任せましょう。私達は敵の指揮官を探し、態勢を立て直す時を稼ぐべきかと」

 

 即座に戦場を俯瞰したオイフェ。

 想定外の奇襲を受けたとはいえ、そのような不測の事態に備えてホリンを連れてきたのだ。

 かの大剣豪なら、この状況でも必ずクルトを守り通してくれるはず。

 ホリンが頑張っている内に、こちらは早々にこの襲撃を終わらせる行動に移るべきだ。

 

「そうさね。でも、補佐官殿は大丈夫かい? 流石のアタシもお荷物抱えながら戦うにはちと厳しいよ」

 

 オイフェの言葉に頷きながらも、厳しい表情を浮かべるレイミア。

 この鉄火場で、か弱い少年を守りながら戦うつもりは無いと、冷酷に告げていた。

 

「大丈夫です。先程は不覚を取りましたが、私も戦えますので」

 

 しかし、オイフェはピリリと熱い戦意を、その可憐な瞳に覗かせる。

 竜騎士の死体から鉄の槍を拾い、しっかりと腰溜めに構える、闘争に慣れたその所作。

 百戦錬磨のレイミアは、その姿が決して虚勢ではないのを察していた。

 

「……アンタ、本当に何者なんだい」

 

 レイミアはオイフェの底知れない何かを感じ取り、その口角を引き攣らせていた。

 初対面で見せた胆力もさることながら、こと戦闘に於いても尋常ならぬ肝の据わり方。

 十代半ばの少年が見せて良いものではなく、まるで数多の修羅場をくぐり抜けた戦士の風格を漂わせていた。

 

「グズグズしている暇はありません。行きましょう」

「あ、ああ……わかったよ」

 

 オイフェはレイミアの言葉を無視した。

 今はそれどころではない。この場を切り抜けるのが先決。

 戸惑いつつも、レイミアもまた優先順位を違える事はせず。

 オイフェと共に、トラキア竜騎士団の指揮官を探すべく行動を開始した。

 

(トラキア竜騎士団ならば、指揮官は前線に出ているはず……)

 

 指揮官を倒せば統率が乱れるのは、万国の軍隊に於ける共通の現象であり。その隙に、弓兵や魔道士による逆襲態勢を整える。

 至極単純な対応策だが、現状の打ち手はこれしかない。

 そして、トラキア竜騎士団は指揮官率先の性格が特に強い軍隊だ。

 卓越した観察眼を持つオイフェならば、ほどなく見つけ出す事が可能である。

 

「……見つけた!」

 

 レイミア隊のソードファイターを倒したドラゴンナイトが一騎。それを見留めたオイフェは、即座にその竜騎士へ向け吶喊する。

 

「少年兵か。かわいそうだがこれも仕事だ」

 

 同時に、竜騎士もまたオイフェの接近に気付く。

 鋼の剣を構え直し、少年軍師を迎え撃つ。

 

「我が名はパピヨン! 竜騎士団の恐ろしさを思い知るがいい! 覚悟ッ!!」

「ッ!」

 

 飛竜を巧みに操り、上空からの袈裟斬りを放つ竜騎士パピヨン。

 オイフェはそれをかろうじて躱す。

 

「鋭ッ!」

「むっ!?」

 

 すかさず反撃の刺突。

 少年とは思えぬ鋭い一撃は、パピヨンの脇腹へ突き立てられる。

 

「効かぬ!」

「うあッ!?」

 

 だが、オイフェの力ではパピヨンの装甲を貫くことは能わず。

 前世での武技は染み付いているも、必ずしも前世と同じ武力を持っているわけではない。

 竜騎士はオイフェの槍を斬り払い、飛竜を操りオイフェの体躯を吹き飛ばす。

 

「シイリャァァァッッ!!」

「むむっ!」

 

 そこへ乱入するレイミア。女傭兵の剣圧を受け、竜騎士は僅かに怯む。

 

「二体一とは卑怯な!」

「奇襲をしかけておいてどの口が言ってるんだいッ!」

 

 そう罵り合いながら撃剣を交わす両者。

 しかし、飛竜を操りヒットアンドアウェイを繰り返しながら戦うパピヨンに、レイミアは攻めあぐねる。

 

「……」

 

 槍を拾い直しつつ、その様子をじっと睨むオイフェ。

 非力な己が中途半端に加勢しては、かえってレイミアを危険に晒しかねない。

 故に、機を伺う。

 非力な己でも、必殺の一撃足り得る機が、必ずある。

 

「──ッ」

 

 一瞬、レイミアと目が合う。

 彼女もまた、オイフェの狙いを理解していた。

 

「喰らえッ!」

「ぐぅッ!?」

 

 パピヨンの一閃。レイミアはそれを()()()喰らっていた。

 僅かに腕を斬られるレイミア。

 

「隙ありッ!」

 

 パピヨンはこの好機に飛びついた。

 怯むレイミアへ、さらなる一撃を繰り出すべく、剣を大きく振りかぶる。

 

「……ここッ!」

 

 その僅かな間隙を狙い、オイフェは体当たりするように槍を突き入れる。

 手応えあり。

 

「ぐぉっ!?」

 

 頸動脈を抉られたパピヨン。

 主の異変が伝わったのか、飛竜はその場で硬直するように身を竦ませた。

 

「シイィッ!!」

「キュイッ!!!」

 

 その隙を逃さず、レイミアが飛竜の心臓へ撃剣を突き入れる。

 短く嘶き、飛竜は絶命した。

 

「ううっ……トラキアに栄光あれ……!」

 

 乗竜の後を追うように、パピヨンもまた絶息し果てた。

 

「お見事、補佐官殿」

「レイミア殿も」

 

 勢い余って大地に倒れていたオイフェへ、レイミアはいつもの皮肉げな笑みを浮かべながら手を差し伸べる。

 それを掴むオイフェ。

 女傭兵の手から、高揚した体温が感じられた。

 

 

「おーい! オイフェー!」

 

 それから、戦場を駆け回っていたであろうデューの元気な声を聞くオイフェ。

 ベオウルフが駆る馬に乗りながら、デューがこちらへ近付いて来るのを見留めた。

 

「オイフェ、大丈夫かい?」

「ええ、大丈夫です。デュー殿も無事でなによりでした」

 

 互いの無事を喜ぶ少年達。

 一方、傭兵達もまた無事を確かめ合う。

 

「姐御が手傷を負うなんて珍しいもんが見れたぜ」

「うるさい小僧だね。アンタはちゃんと働いたのかい?」

 

 軽口を交わすレイミアとベオウルフ。

 しかし、まだ戦闘は終わっていない。

 オイフェは表情を引き締めると、ベオウルフ達へ指示をひとつ。

 

「まだ油断はなりません。ベオウルフ殿とデュー殿は、このままホリン殿の元へ」

「おう、了解した!」

「オイフェも気をつけてね!」

 

 奮戦し続けるホリンの応援へ向かうよう指示を下すオイフェ。

 ベオウルフ達は即座に踵を返し、最重要人物の護衛を続ける剣闘士の元へ向かっていった。

 

「さあ、反撃開始です。まずは──」

 

 そう言って、改めて戦場を見渡すオイフェ。

 パピヨンの死はほどなく敵勢へ伝播するだろう。

 既に統率の乱れが見え始めていたトラキア竜騎士団。

 形成は逆転しつつあった。

 

 

 だが。

 

 

「──ッ!?」

 

 突然、オイフェは得体のしれない悪寒を感じる。

 いや、この悪寒には覚えがあった。

 前世、イード神殿。

 闇の眷属による、必滅の暗黒魔法。

 

 

 Fenrir(フェンリル)

 

 

 白み始めた空は、突如闇の魔素に覆われる。

 直後。

 空から、闇が降りてきた。

 

 レイミア隊の悲鳴。

 竜騎士団の絶叫。

 暗黒魔法フェンリルは、悍ましい怨念の如き闇を野営地へ撒き散らす。

 敵味方問わず、この場にいる全ての生命の火が、闇により消え失せようとしていた。

 

「ッッ!!」

 

 そして、オイフェは激しい衝撃に包まれる。

 身体中が引き裂かれるような衝撃。

 凄まじい威力で、己の身体が、意識が飛ばされていくのを感じる

 

「──?」

 

 だが、オイフェは薄れゆく意識の中、妙な違和感を覚えていた。

 衝撃は感じる。

 しかし、痛みはそこまでではない。

 まるで、何かに守られているような──

 

「レイミア、殿──」

 

 少年の細い体躯は、女傭兵の逞しい肉体に包まれ、保護されていた。

 レイミアはオイフェを、最後までその身をもって庇い続けていた。

 二人の肉体は、そのまま彼方へと吹き飛ばされていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




タタタンタン タタタンタン タタタンタンタタタンタンタン
テッテテ テッテテ テッテテ テッテテテテテー(ポポピポポロロー)


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第48話『情愛オイフェ』

 

 何か、温かいものに包まれていた。

 心地よく、安心できる匂い。

 かつての記憶が蘇る。

 自分が、本当に少年だった頃の、遠い記憶。

 

「かあさま」

 

 オイフェは呟いた。

 もはや顔を思い出すのすら困難となった実母の記憶。

 だが、母のぬくもりだけは、何故か忘れることが出来ない。

 

「……?」

 

 しかし、今感じている暖かさは、そのような母の慈愛とは、また違ったものであった。

 まぶたを僅かに開くオイフェ。

 喪失していた五感が徐々に戻り始める。

 

 波の音。

 砂の感触。

 潮の匂い。

 

(海岸……?)

 

 夢現のような状態から覚醒する時の、ふわりとした感覚。

 意識が鮮明になるにつれ、オイフェは自身が砂浜にいる事を自覚する。

 

(崖から落ちたのか……)

 

 数十メートルは転落したのだろう。

 竜騎士団の奇襲。その後の暗黒魔法の急襲。

 闇の災禍に、オイフェ自身も逃れる事能わず。

 フェンリルの闇害は、少年軍師を野営地直下の崖へ突き落としていた。

 

 指は動く。脚も。

 自身のダメージはそれほどでもない。ところどころ打ち身がひどいが、行動不可能になる程ではなかった。

 それよりも、クルト王子……皆は無事なのだろうか。

 自身の被害分析を早々に切り上げ、身を起こそうとするオイフェ。

 

「まだ寝てなよ」

 

 掠れた女人の声を聞き、オイフェはようやく自分が誰かに膝枕をされているのに気付いた。

 

「レイミア……殿?」

 

 視界に映るレイミアの顔。

 いつもの皮肉げな笑み。

 紅を差した唇が蠱惑的に歪んでいる。

 

 しかし、常に見えたそれは、オイフェの感覚が鮮明になるにつれ、それが非常であるのに気付いた。

 

「レイミア殿……!」

 

 身を起こす。手足はまだ痛むが、骨折等の重大な損傷は無い。

 しかし、それよりも。

 

「レイミア殿!」

 

 崖に背中を預け、端然と座りオイフェを膝枕していたレイミア。ともすれば、いつもの睦言の延長とも言える気安い様子を見せている。

 だが、その肉体の損傷はひどいものだった。

 オイフェを膝枕していた両の脚は、膝の先が折れ曲がっている。

 左腕も使い物にならぬほど骨折しており、赤黒い体液を滲ませていた。

 黒色の剣士服は何かに濡れたかのような重たい色合いを見せており、腹部から赤色が広がっている。

 頭部にも裂傷があり、妖艶な表情を赤く染め、紅を差していた唇は、赤色の血液によって上塗りされていた。

 

 闇害、更に滑落から少年軍師を身を挺して庇った代償だった。

 

「もう少しイイモンを買えばよかったねぇ……」

 

 咳と共に血を吐きながら、レイミアは自身の腕に装着された腕輪へそう文句をつける。

 ライブの腕輪。玉石に封じられた治癒魔法が装着者を癒やす希少なる逸品。

 レイミアがフェンリルからの即死を免れ、更にオイフェを滑落から庇っても命を繋いでいるのは、この腕輪が十全に効能を発揮せしめたが故である。

 だが、今現在レイミアが身につけているライブの腕輪は、玉石の輝きが失われており。

 魔力を封じ込めた術者の技量が低かったのか、既に回復効果は喪失していた。

 

「……」

 

 オイフェはレイミアの状態を見て、その命の弦が危うい事を察する。

 ライブの腕輪によって致命傷は免れた。しかし、重傷だ。

 

「添え木をします。このまま動かないで」

 

 そして、オイフェは辺りを見回す。

 水平線に太陽が落ちかけており、そこで初めて丸一日時間が経過しているのに気付き、愕然とする。

 だが、即座に頭を振り、流木を集めるべく行動を開始する。

 クルト王子は無事なのか。ベオウルフは、ホリンは。そして、デューは無事なのだろうか。

 いや、しかし、今はレイミアを助けなくては。

 そう思いながら、早々に流木を拾い集めると、レイミアの元へ戻った。

 

「お借りします」

 

 そう言って、オイフェはレイミアの装具を外し、剣を取った。

 自身の上衣の一部を帯状に裁断し、添え木用の包帯を拵える。

 

「痛みます。噛んでください」

「……お手柔らかに頼むよ」

 

 裁断した上衣の一部をレイミアへ噛ませるオイフェ。奥歯の粉砕を防ぐ為だ。

 ずれた骨を整復する際、途方も無い苦痛がレイミアが襲う。

 痛みを伴わない施術など、この状況では望むべくもなかった。

 

「ぐ……うぅッッ!!」

 

 折れた骨を引っ張り、正常な位置へと強引に直す。

 激痛を感じ、悲痛な声を漏らすレイミア。

 痛ましいその様子から目を背けるように、オイフェは黙々と応急処置を続ける。

 骨折箇所へ添え木し、包帯をきつく縛る。

 両脚を固定した後、更に右腕の骨折も処置する。

 レイミアはオイフェの匂いが残る上衣を噛み締めながら、痛みに必死で耐え続けていた。

 

 少年軍師は気付いているのだろうか。

 レイミアを治療する。それが、この状況に於いて非合理的ともいえる行いだという事を。

 以前のオイフェなら、レイミアを捨て置き、クルトらの状況を確認するべく野営地へ戻る事を優先していただろう。

 いざという時、女傭兵共は切り捨てる存在だった。

 それが、大切な人達の未来を救うためだと、そう決意していた。

 

 だが、今のオイフェは、そのような決意とは正反対の行動を取っていた。

 前世の知識を総動員し、応急処置を続ける少年軍師。

 

 絆されたつもりはない。

 だが、見捨てる事もできない。

 何故だか分からない。

 腐っても、己は義に篤いバルドの血を引いているからなのだろうか。

 

 それとも。

 

「ずいぶん、慣れているじゃないか……」

 

 憔悴したレイミアは、オイフェが手慣れた様子で応急処置を施していたのを、いつもの皮肉げな口調で指摘する。

 今だ痛みは引かぬも、先程よりは幾分か楽になった。そう言外に伝えてもいた。

 

「……失礼します」

 

 それを無視し、オイフェはレイミアの剣士服へ手をかける。

 レイミアの剣士服は、腰骨まで深いスリットが入った前掛けの立襟で、イザークの剣士が好んで着用している物であり。当然、前世でイザーク暮らしが長かったオイフェは、その構造を良く知っている。

 留め具を外し、前掛けを開くと、レイミアの引き締まった肉体が露わになった。

 

「慣れているじゃないか」

「黙っててください」

 

 レイミアの軽口を遮り、状態を確認するオイフェ。

 サラシがきつく巻かれた乳房は、浅い呼吸でいっそう窮屈そうに見えた。筋ばった疵だらけの肉体は、苦痛からか脂汗が滲み出ており、その体温も熱い。割れた腹筋も、どこか精強さを欠いていた。

 そして、オイフェは脇腹に裂傷があるのを見留める。

 

「うっ……」

 

 手早く流血した箇所に包帯を当て、止血を施す。

 胸骨、もしくは肋骨が折れているのか、レイミアは苦痛の吐息を漏らしていた。

 

「……まずいな」

 

 一通りの応急処置が終わると、オイフェは改めて海岸へ視線を向ける。

 マンスター湾に面したこの海岸は、この時期、この時間は満ち潮となっているようだ。

 しばらくすれば、オイフェ達がいる場所も海に沈む。

 移動しなくてはならない。

 

「少し待っていてください」

 

 それから、オイフェは長めの流木を急いで集めた。

 千切れた上衣を完全に脱ぎ去り、流木を用い簡易的な担架を拵える。

 下衣姿となったオイフェを見て、レイミアは少し茫とした声を上げた。

 

「アタシの服を使えばよかったのに」

「そうはいきません」

 

 夜間は急激に気温が低下するイード砂漠地方。

 体力が低下したレイミアの衣服を剥ぐのは躊躇われる。

 

「動かしますよ」

「うん……ッ」

 

 レイミアの傷んだ肉体を慎重に動かし、担架へと乗せるオイフェ。

 そして、腹に力を込めると、高潮が及ばない場所へと担架を引きずっていく。

 自身より大きい身体の女性を、懸命に運ぶ少年軍師。

 肉体の痛みからか。それとも、少年の献身に感動しているのか。

 レイミアの瞳は、僅かに濡れていた。

 

「ここなら、大丈夫でしょう」

 

 やがて、オイフェ達は潮が及ばない潮上帯へと移動した。

 疲労感を滲ませるオイフェ。

 変わらず、周囲は崖に阻まれており、野営地までの道筋は不明だ。

 だが、明るくなればルートは見つかるかもしれない。

 

「レイミア殿、苦しいでしょうがもうしばらく我慢してください」

「……わかった、よ」

 

 掠れた声、更に意識が朦朧とし始めたレイミア。それを見て、オイフェはレイミアが軽度の脱水症状を起こしているのに気付いた。

 最後に食事を摂ってから随分と時間が経過している。

 加えて、レイミアは負傷し、体力も低下。

 この状態で、脱水症状が進行しては危険だ。

 

「唾を溜めて、なるべく鼻で呼吸を」

 

 口腔内の乾燥を防ぎ、体内の水分減少を最小限にする砂漠の民の知恵。

 だが、レイミアは口中の唾液はロクに残っていないのか、乾いた呼吸を繰り返すのみ。

 

 手伝う必要があった。

 やや逡巡するも、レイミアを救命すべく行動に移す。

 

「レイミア殿、口を空けて舌を出してください」

「……」

 

 オイフェの声を受け、レイミアは僅かに口を空け、紅い舌を露出させた。

 

「ッ」

 

 オイフェはその舌を己の口中に入れた。

 自身の舌を押し込むように絡ませ、レイミアの口中を潤す。

 湿った水音が響く中、少年は女傭兵へ自らの唾液を送り続けていた。

 

「……情熱的だね」

「違います」

 

 性行為ではない。これはあくまで救命行為であり、愛情を交わす行為ではないのだ。とでも言うように、オイフェはそっけなく返す。女の粘った匂いが口内から鼻に抜けたからか、柔い頬に朱を差していた。

 ともあれ、対処療法をしただけなのは変わらない。まだ水は必要だ。

 飲料水を探さなくては。

 だが、周囲に水場は無い。

 椰子の実等の気の利いたものはなく、海水を飲むのは論外だ。

 己の尿を飲ませるのは最終手段であり、できればやりたくない。負傷した者であれば尚更憚られる。

 どうする、オイフェ。

 

「あ……」

 

 すると、オイフェは頬に水滴が落ちるのを感じた。

 雨だ。

 既に暗くなっていたので気付かなかったが、上空は雨雲で覆われており、やがて少なくない量の雨が降り始めた。

 幸運だ。

 

「レイミア殿、また動かしますよ」

 

 しかし、雨に濡れて体温が下がるのは避けたい。

 夜間の気温が低いのならば尚更。

 オイフェは担架からレイミアを下ろし、そのまま下衣も脱いで担架の布面積を広げる。

 そして、レイミアが濡れぬよう屋根のように立てた。

 それから、剣帯から鞘を取り、担架から伝う雨水を集める。

 

「……ッ」

 

 上半身を晒したオイフェ。

 打ち付ける雨、そして低気温が、少年の体温を容赦なく奪う。

 だが、このような極限状況に慣れていたオイフェ。

 前世では、これより過酷な状況に幾度も遭っている。

 なんのこれしきと、少年は熱い体温を燃やしていた。

 

「さあ、飲んでください」

「……」

 

 オイフェはレイミアの半身を慎重に起こし、集めた水を飲ませた。

 ゆっくりと、鞘口から水を飲むレイミア。

 鉄の味、油の味。ひどい味だ。

 だが、命は繋ぐ事は出来る。

 

「……どうして」

 

 喉が潤い、少し落ち着いたのか。

 レイミアは仰向けになり、小さくそう言った。

 どうして、自分を見捨てようとしなかったのか。

 何故、ここまでしてくれるのか。

 

「使い捨てないと約束したからですよ」

 

 オイフェもまた、小さくそう応えた。

 誠が籠もった、真摯な答え。

 レイミアは意外そうにオイフェを見つめる。

 視線は海へ向けられていたが、少年の表情はどこか達観したものが現れていた。

 

 つまるところ、これがオイフェの本質のひとつであった。

 無論、狂信的な忠義と情熱を孕んだ復讐心も含めて。

 

「そうかい……」

 

 発熱からか、オイフェを見つめるレイミアの頬は、紅く上気していた。

 

「……冷える、ね」

 

 それから、レイミアはオイフェへ寒気を訴えた。

 雨は既に上がりかけており、さらさらと細かい水霧となって辺りを包む。

 簡易的な屋根はあまり役に立ってなかったのか、レイミアの衣服は濡れてしまっていた。

 

「……」

 

 オイフェはしばし黙し。そのまま、レイミアの服へ手をかける。

 再び露わになったレイミアの素肌へ、自身の暖かく柔い肉体を重ねた。

 怪我人を気遣ってか、情熱的な抱擁ではなく、慈愛の包容だった。

 

「暖かい、ね」

「……」

 

 折れていない腕でオイフェを抱き、そう呟いたレイミア。

 気付けば、雨は止んでいた。

 星明かりが、互いの体温を求めるよう身体を重ねる二人を照らす。

 波音だけが、周囲に響いていた。

 

 そうしている間、オイフェは自身の感情の正体をずっと探っていた。

 なんだろうか、これは。

 ああ、これは、きっと。

 

「……私は」

 

 オイフェは気付いた。

 この、言葉に出来ない感情の正体を。

 

 愛してしまったのだ。

 この女を。

 

 肉体関係があるとはいえ、オイフェとレイミアは雇い主と傭兵という割り切った関係だ。

 しかし、この切ない感情は、どうしても割り切る事が出来なかった。

 純潔を奪われたからか。

 それとも、命を救われたからだろうか。

 何が理由かは、まだ分からない。

 

「私は、これが初めての生ではありません」

「……どういうことだい?」

 

 そして、レイミアが何故ここまで尽くしてくれるのか知りたかった。

 だから、オイフェは伝えた。

 己が、二度目の人生を。

 逆行した存在である事を。

 

「……そうだったのかい」

 

 オイフェの滔々とした独白。

 ユグドラルの動乱の歴史。

 オイフェが辿っていた波乱の人生。

 全て聞き終えたレイミアは、それが嘘だとは思わなかった。

 このような状況で、オイフェが嘘を付く男ではないと理解していたからだ。

 

 誠心を見せてくれたオイフェ。

 それに応えぬ程、レイミアは己の心に嘘はつけなかった。

 

「……アタシはね、奴隷だったんだよ」

「え……?」

 

 レイミアは、オイフェに対する想いを、途切れ途切れに語り始めた。

 痛む肉体を堪えながら、本当の言葉で語り始めた。

 

「ガネーシャで、親に売っ払われてね……それから、ひどい人生だった」

 

 滔々と語るレイミア。

 その半生は、悲惨だった。

 

 ガネーシャ近郊の部族出身だったレイミア。

 彼女の部族はイザーク王家が強引に推し進めていたケシ栽培政策に乗った口であり、レイミアが十歳になる頃まではそれなりに羽振りが良かった。

 だが、天候不順による凶作、更に各国による阿片規制の煽りを受け、一転して困窮に喘ぐ事になる。

 王家からのこれといった保証もなく、近隣部族に助けを求めるも、遊牧民としての誇りを喪ったレイミアの部族に手を差し伸べる者は無かった。

 

 蓄えは瞬く間に食いつぶし、明日の糧すら事を欠く段階となって、困窮した部族が取った手段は非情なものだった。

 奴隷商人の馬車に乗るレイミアは、両親の悲痛な表情よりも部族の長老達の下卑た安堵の表情を記憶していた。

 共に馬車馬に揺られ、不安そうに己を見つめる弟の表情も、よく覚えていた。

 

 それから語られたのは、前世でこの世のあらゆる悪意を見てきたオイフェですら聞くに堪えないものだった。

 レイミアを買い上げた少女趣味の商人が、戯れに剣を与えた所、望外な剣才を見せた事で、剣奴として闘技場に出るようになってからも、レイミアの人生に凡そ安らぎというものが見出だせなかった。

 

 幾度となく死線を潜り抜け、必死になってその日その日を生き抜く日々。

 生き抜いた事で剣士として完成した頃には、レイミアの精神はひどく歪なものと成り果てていた。

 同じ境遇の女奴隷達と諮り奴隷商人を謀殺し、無頼の傭兵団を立ち上げてからも、それは変わらなかった。

 女だけの傭兵団。彼女達が他者に虐げられる事なく生きるには、他者を必要以上に虐げる必要があった。

 

 地獄のレイミアという二つ名が付けられるのは、必然と言えた。

 

「……似てるんだ」

 

 ふと、レイミアは潤んだ瞳でそう呟いた。

 誰に、と聞き返す事はしなかった。

 共に性奴隷として売られたレイミアの弟は、花柳病を患い十四才でこの世を去っている。

 壊疽で肉体が崩れ落ちた弟を、レイミアはどのような想いで看取ったのだろうか。

 

「因果ってやつなのかね。順序が逆かもしれないけど」

 

 自嘲気味に話す口ぶりに、嗚咽が交じるのは、まだ彼女に人としての心があるから。

 しかし、己が行ってきた非道は、決して許されるものではない。

 許されようともしなかった。

 

 弟の面影を感じさせる、オイフェに会うまでは。

 

「どうすれば、あの子を」

 

 助けられたのかな。

 アタシが、もっと強かったら、あの子はあんな死に方はしなかった。

 あの子が死ななければ、アタシはこんな生き方をしなくてもよかった。

 

「……」

 

 オイフェは、レイミアの剥き出しの感情に、罪悪感のようなものを感じていた。

 レイミアの人生が悲惨極まりないのは同情する。

 しかし、だからとて他者を踏みにじるような悪虐は褒められたものではない。むしろ、悪人として断罪されるべき存在であるとも思っていた。

 そこまで考えて、何故自分がレイミアの罪に共感めいた感情を覚えているのかも、理解していた。

 

 ああ、そうか。

 この女も、恨んでいたのだ。憎悪していたのだ。

 この世のありとあらゆるものを憎み、それをどうにかしたかっただけなのだ。

 生々しい増悪を、蓮っ葉な風体で覆い隠していただけなのだ。

 

 レイミアと違い、オイフェにはセリスがいた。

 凄絶な恨みを押し殺せる信仰対象がいた。

 自分とレイミアの違いは、それだけだった。

 

 悲しみを知ればこそ、人を許す事が出来る。

 哀しみを知るからこそ、人を赦せぬ事になる。

 

 嗚呼、どうして陵辱された人心というのは。

 こうも、救いがたい。

 

「レイミア」

 

 オイフェはレイミアの名前を、本当の意味で初めて呼んだ。

 幼子のように泣きじゃくるレイミアを、慰めるように抱きしめた。

 赦すことはできない。しかし、愛することは出来る。

 傷の舐め合いともいえる、不健全な情愛。

 

 だが、オイフェは自分の感情に素直に従っていた。

 矛盾を孕むのは己とて同じ。

 いつかきっと、その報いは受けるだろう。

 地獄に堕ちるのは、己とて同じなのだ。

 

 まったく、私はどうしてこうも。

 救いがたい。

 

 

「オイフェ」

 

 レイミアは、初めてオイフェの名前を呼んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




そなたはレイミアを愛してしまったようじゃ(77歳占いモロ感のおやじいさん)


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第49話『籠城オイフェ』

 

 イザーク王国

 リボー城城外

 

 急ごしらえにしてはそれなりに堅牢性のある破城槌に取り付く兵士達は、目前に迫った死を認識しながらも決して引こうとはしなかった。徴募された平民兵士ばかりであったが、彼らが逃走に走らなかったのは、尚武を誉れとするドズルの出身だから──というよりも、後方で目を光らせているグラオリッターの騎士に督戦されている事が、彼らが引くに引けない状況を作り出していた。

 

 とはいえ、指揮官達は冷酷なれど非情ではない。破城槌隊を元気付けるように、数少ない攻城兵器(アイアンアーチ)をリボー城内へ向け連射し、更に後方からゲルプリッターの魔道士部隊も援護射撃に加わる。

 十分に練られた魔力により、轟音と共に数多の天雷(サンダストーム)が城内へ落とされ、空中に板切れや人間の切れ端が放り投げられていた。

 

 味方の援護射撃に自信を覗かせたのか、グラオリッターの指揮官は兵士達へ突撃を命じた。もし破城槌が失敗しても、後方には数千もの後続部隊を控えさせている。彼らが死しても、破城槌が破壊されなければ城門の破壊はいずれ果たされると確信していた。それに、このまま城門破壊が成功すれば、そのまま控えさせていた打撃部隊が城内へ乱入し、この戦を終わらせてくれる手はずだった。

 指揮官の命を受け、恐怖に支配された破城槌隊は、城門へと勢いよく突撃していった。

 

 ずしりと破城槌が突き出され、城門が軋む。

 数度、それが繰り返される。この間、守勢側からの反撃は無い。

 グラオリッターの指揮官はこれを奇貨と捉え、後方に待機していた斧騎士隊にも前進を命じた。城門が破壊された瞬間、敵に立ち直る(いとま)を与えず城内へ乱入させるのだ。

 破城槌を操作していた兵士達は、すぐ後ろに無数の斧騎士達が控えているのを確認し、ようやく恐怖の感情を勇気に変換していた。蛮声を上げ、最後の一突きを叩き込もうとする。事実、城門はその一撃で粉砕されるほどの損傷を受けていた。

 

 これまでまったく沈黙していた城内の魔道士隊が、反撃を開始したのはその瞬間だった。

 

 攻城側から観測出来ない位置に配置されたマージ、マージナイト、セイジの部隊が、城壁の各所に設けられた狭間から一斉に魔法を射撃する。グラオリッターは誘い込まれたのだ。彼らが前進した箇所は、あらゆる魔力が集中される殺戮地帯(キルゾーン)だった。

 風魔法(エルウィンド)雷魔法(エルサンダー)炎魔法(エルファイアー)、そして少ないが光魔法(ライトニング)も放たれ、城門前は瞬く間に地獄絵図と化す。

 避けることの出来ない死がグラオリッターの騎士、兵士達へ叩きつけられ、無数の人生が終結を迎えていた。

 

 嵐の後に残されたのは、もう二度とその役目を果たせないであろう破壊された破城槌、シスターやプリーストを呼ぶ悲鳴、家族や恋人の名を弱々しく呟く声、打ち砕かれた斧、そして、原型の想像がつかぬほど細切れにされた肉塊と土の混合物だった。

 

 しかしそれでも尚、グラオリッターの指揮官は再突入を命じようとした。敵の狡猾さに憤り、配下達の不甲斐なさにも怒りを滲ませ、額に青筋を浮かべながら激声を発しようとした。

 グラオリッターの兵達を大量死から救ったのは、この戦場に於いて唯一彼と同格の身分を持つ、魔法騎士トードの末裔だった。

 

「これが栄光あるドズル公国騎士団、グラオリッターのやり方か」

 

 フリージ公子ブルーム・ソール・フリージは、煽るような口調でそう言い放った。

 兵達が哀れに思ったのもあるが、どちらかと言えば無茶な指揮を取り続ける愚か者への侮蔑が言葉尻に表れていた。

 

「あと一撃で城門は破壊出来る!」

 

 ドズル公子ダナン・ネイレウス・ドズルは、およそ貴公子とは思えないがさつな風貌を、怒りと共にブルームへ向けていた。遠眼鏡を握りしめる両手は白く染まり小刻みに震えている。彼の心理状況が如実に表れていた。

 

「それよりも何故貴様は装甲魔道士隊を前進させぬのだ! ちまちまと遠距離から雷を落としてもまるで効果が無いではないか!」

 

 ダナンの怒声を受け、ブルームは何を言っているのだと顔を顰める。ゲルプリッターが遠距離からの援護に徹しているのは事前に決められた行動であり、攻城戦の主役はグラオリッターにあるというダナンの強硬姿勢に押し切られた形だった。

 

「貴公とは話にならんな」

「なにぃ!?」

 

 ブルームはそう冷淡に言い放つと、そもそもこの状況に陥った経緯にも呆れともいえる感情を滲ませていた。

 攻城戦自体に反対し、城を包囲するに留めるという意見を持っていたブルーム。互いに得物を持ち出してまで紛糾した軍議の場であったが、最終的にはダナンに押し負ける形で攻城開始に同意していた。

 主攻はグラオリッターが担うという方針にも同意していたが、結果的に突撃した部隊が全滅したのを受け、攻撃の中止を申し出ていたのだ。

 

「スレイダー、損害はいかほど出ているのだ」

「はっ。ブルーム様。約千程になります」

 

 ダナンを無視し、傍らに控えるスレイダー将軍へそう問いかけるブルーム。短時間で発生したとは思えぬほどの損害状況に、流石のダナンも歯ぎしりするばかりであり。

 やがて遠眼鏡を思い切り地面に叩きつけ、地団駄を踏みながら周囲へがなり立てた。

 

「中止だ! 攻撃中止! クソッ!!」

 

 そう言いながら、ダナンは備えられた大天幕へと引き上げていった。スレイダーはブルームへ一礼すると、前線部隊に下がるよう伝令を走らせていった。

 

「全くの無駄死にですな」

 

 それを見つめていたブルームに、傍らに控えていたグスタフがそう述べる。

 加えて、守勢側の指揮ぶりを称えていたのを暗に伝えていたが、ブルームは別の意見を持っていた。

 

「だが、ダナン公子の言う通り、あと少しで城門は突破できる。それに、敵の反撃もいつまでも続くとは限らん」

 

 そう冷静に言ったブルームに、グスタフは意外そうな表情を浮かべた。

 何かにつけて小胆なブルームであったが、蛮勇極まりないダナンの様子が、かえって彼に肝を据わらせる事となっており、戦況を俯瞰させる余裕まで与えていた。

 更に、目的達成の為の狡猾さも。

 

「グラオリッターの兵達は哀れであるが、このまま我らは援護に徹する。そう遠くない内に、リボーは攻略できるだろう」

 

 ブルームは攻城の前面に立たせる事で、グラオリッターの消耗を図っていた。

 後の世界秩序に於いて、ライバルとなるドズル家が疲弊する事は、ブルームはもちろん、背後にいる父レプトールも歓迎するだろう。今となっては、叛逆がバイロン達へ発覚した事は、そう悪い事態ではないとも思っていた。

 

「御意に」

 

 ブルームの言葉を聞き、思ったよりダナン様との組み合わせは良かったかもしれぬな、と、グスタフは思っていた。もちろん、ブルームにとって、そしてフリージ家にとってである。

 ブルームの成長は、グスタフにとって喜ばしいものなのは確かなのだ。

 

「ところで、アンドレイ公子はどうだ? バイゲリッターの着陣は何時になる?」

「はっ。やはり早期の着陣は難しいと伝令を寄越しております」

「一部の部隊に馬糧を集中させてこちらへ向かわせる事も不可能だというのか」

「はっ。どうも、全軍での着陣に拘っているようで」

 

 嘘だな、とブルームは内心思うも、それは口には出さない。グスタフも同様の思いなのか、主へ短く首肯するに留めていた。

 アンドレイ公子率いるバイゲリッターは、破壊工作により馬糧を喪失せしめたのが尾を引いており、未だにフィノーラで足止めを喰らっていた。

 だが、全軍でなくとも少数の援軍は出せるはずだ。この状況に於いて、弓兵の援護は万金を積んでも得難いものであり、叛逆に加担する者ならば何がなんでも援軍を差し向けようとするだろう。

 

 しかし、アンドレイは騎士団をフィノーラへ留め続けていた。

 ここに来て日和見を見せるか。ダナンへ向けた侮蔑とはまた違った種の侮蔑の感情を浮かべるブルーム。

 土壇場で裏切りに近い行いを取ったアンドレイに憤るも、ブルームはそれ以上考えるのを止めた。

 ないものねだりをしても、状況は好転しないと割り切っていたからだ。

 

「では、属州領の使者はどうだ?」

 

 そう言ったブルームに、グスタフは難しい表情を浮かべた。

 その後ろでは、先程からブルーム達の会話を黙って聞いていたムハマド将軍が、更に鬱々とした表情を浮かべている。

 

「はっ。既にオーヴォに追撃を命じております。足の早いマージナイトのみで編成しておりますので、確実に捕捉できるかと」

 

 オイフェ一行を素通りさせてしまった失態を挽回するように、ムハマドは額に汗を浮かべながらそう述べる。一連の叛逆が発覚したこの状況で、オイフェ一行が無関係だとは思えない。恐らく、叛逆の情報は掴んでいるはずだ。それを見逃すわけにはいかない。

 ムハマドは五百騎程のマージナイト部隊を編成し、配下のオーヴォにオイフェ一行の追撃を命じていた。

 

「いや、素通りさせてしまったのは私の責任でもある。そう自分を責めるでない。最悪逃してしまったとしても、バイロンらが叛逆を試みたという筋書きは変わらぬ。バーハラに事が伝わっても、父上が上手くやるだろう」

「ははっ。格別な御厚情、痛み入ります」

 

 この短期間で、自らの非を認めるまでに成長していたブルーム。ムハマドもまた、未来のフリージ当主の成長を喜んでいた。

 

「どちらにせよ我々は分水嶺をとっくに過ぎている。リボーを攻略せねば──クルト王子を弑する事が出来ねば、我らに明日はないのだ」

 

 浮足立つ態度は既に消え去り、ブルームは一軍を率いるに相応しい将となっていた。

 グスタフとムハマドは頼もしく成長した主へ頭を垂れ、その忠誠心を発露していた。

 

 しかし、彼らは気付いていなかった。

 オイフェ一行に、最大の目的であるクルト王子が紛れているのを。

 

 

 


 

「こりゃもたんな」

 

 リボー城城主の間は、今や籠城戦の指揮所と化し、机の上は敵味方の大まかな配置が書き込まれた周辺の地形図がでんと広げられている。

 本来の用途とかけはなれてしまった城主の間には、グリューンリッター(イザーク軍との会戦で壊滅に近い損害を受けていたので基幹となる幹部騎士は少ない)の騎士数名、そしてヴァイスリッターの騎士も何名かおり、兵站状況等を記載した帳面を抱えながら老眉を顰めるリングの姿もあった。

 

「糧秣は十分にあると思うが。城内の井戸もまだ使える。一ヶ月そこらはわけもないだろう」

 

 片や、共に籠城戦を指揮するバイロンがそう述べる。

 このような状況となっても、こと兵站に関しては良好な状態を保ち続けていたグリューンリッター。皮肉にもイザーク軍との会戦により、兵隊の頭数が減ったおかげで輜重物資は余剰が生まれていた。無論、戦闘部隊が漸減されている状態では、それは何も慰めにはなっていなかったのだが。

 とはいえ、食料はともかく、飲料水に関しては現地調達に頼るしかなく(当たり前ではあるが)、幸運にもリボー城の井戸には毒物等による汚染は確認されていなかった。

 

 通常、落城寸前の防衛側が取る手段は、攻撃側に対する嫌がらせの一環として井戸に毒物を投げ込み、使用不可能にするというのがある。

 領内の村々も同様の処置が取られる事も多く、征服者の兵站に損害を与える事で侵攻速度を停滞させるという焦土戦術に他ならぬが、意外にもイザークではこのような事態に遭遇する事はなかった。

 

 イザークが厳しい自然環境に置かれた土地故に、水の価値が他国に比べて高いから、というのもあったが、戦争を指導すべき王族が既に壊滅した状態、焦土戦術という国土を大いに荒らす行為をリボーの守備隊が戸惑ったというのが実情だった。

 結果的ではあるが、会戦によりマリクル王子を討ち取った事で、バイロン達は水不足に悩まずに済んでいたのだ。

 

「水や兵糧は良い。三食しっかり食っても一ヶ月以上は持つだろうよ。バイロン()の指揮よろしく兵力も維持されておる」

 

 やや皮肉が込められたリングの言に、バイロンは鼻をひとつ鳴らすだけだった。

 初戦でグリューンリッターの選抜騎兵隊を率いゲルプリッターの鼻面をかき回した折、実のところ損害はこちらの方がやや多かった。

 フリージの重装魔導兵を奇襲によって壊乱せしめたのは良いが、ゲルプリッターは決して弱兵集団ではない。部隊によっては即座に反撃態勢を取り、猛烈な雷魔法を喰らわせている。

 いかに絶大な魔防効果がある聖剣ティルフィング、そしてそれを持ったバイロンが一騎当千とはいえ、戦は個人でやれるものではない。それに、一騎当千は過言ではないが(状況次第でもあるが)、所詮当千である。万を超える軍勢相手では程なく鏖殺されるのは自明の理だった。

 

 バイロンら騎兵隊が早々に城内へ引き上げたのは、ただでさえ貴重な戦力をこれ以上喪失させるわけにはいかないという、兵理に則った行動である。もちろん、出鼻をくじき籠城戦を有利に進めるという意義はリングも理解していたが、彼に言わせてみれば引き際はもっと早く、それこそ前衛部隊をひと当てすれば十分なものであり、ティルフィングにて数十名の敵兵を討ち取るほど深入りしたバイロンを暗に批判していた。

 

「問題は」

 

 リングはそう言いながら、同様に軍状を把握するリデールへと視線を向ける。

 どちらにせよ無傷でこの状況を乗り切れるとは思ってもいなかったので、これ以上バイロンの蛮勇ぶりを批判する気にもなれなかった。

 リングに促され、リデールは淀みなく状況分析を補足する。

 

「魔導書の消耗が深刻です。此度の遠征で魔道士隊は得意手の魔導書を三冊は持たせておりましたが、現在は完全充足の一冊を持っていれば御の字といった体で。リボーでの補充も叶いませんでした。初めから備蓄がロクに無かったのもありますが」

 

 リデールの報告を聞き、騎士達は一様に表情を難しくさせた。

 将来を嘱望されていたリデールの報告は、優秀さ故に残酷なまでに正確だった。

 

 ヴァイスリッターは他の騎士団よりも規模が小さいが故に、従来の三兵編成(騎兵、歩兵、魔道士兵)の比重が魔道士に偏った編成となっている。

 マージファイターやマージナイト、セイジを中心にした騎士団は、実勢経験を積んでいなくとも実のところは強力無比な戦力。しかし、それは十分な補給があっての話だ。

 そしてそれは糧秣の話ではなく、彼らの生命線ともいえる魔導書の事である。

 

 魔導書は魔道士のエーギルを変換し、様々な戦闘魔術(コンバットマジック)として発現されるが、もちろんそれは無限に撃てる代物ではない。術者のエーギルに余裕があっても、触媒となる魔導書に込められた魔力が尽きてしまうからだ。

 魔導書の修理(実際には魔力の再装填)は高位の司祭でしか行えず、それも専用の設備が整っていなければ不可能だった。回復聖杖も同様であり、これは高位司祭の殆どを抱えるエッダ教団の政治的なバランサーとしての思惑が作用した結果となっていたが、今となってはそれは考えても仕方ないことであった。

 

 そして、此度の籠城戦。

 旗頭であるクルトが不在である為、彼らはリングの指揮の元戦っている。リデールは優秀であったが、騎士団での序列はまだ若輩であり、ヴァイスリッター全軍を指揮するには貫目が足りなかった。

 必然、魔道士の統率に不慣れなリングの元で、彼らが実力を発揮できるか不安であったが、意外にも先程の戦闘では実力以上の力を発揮している。

 これはリングの指揮が影響していた。『合図と共にとにかく撃ちまくれ』という至極単純な命令に、彼らは遮二無二従っていたのだ。その結果、大戦果ともいえる結果をもたらしている。

 

 しかし、それがいけなかった。

 戦慣れしていないヴァイスリッターのマージファイター、マージナイト、セイジ達は、必要以上に敵へ魔術を叩き込んでいた。初陣の魔道士が恐怖心を誤魔化す為に魔術を乱発する現象は特に珍しいものではなく、これはユングヴィの救援に駆けつけたヴェルトマー公子アゼルも同様の経験をしている。彼が持参したファイアーの魔導書は、エバンス城に入城した段階で使い果たしていた。

 

 また、先の前哨戦に於いて、リデール率いるヴァイスリッターが、ダナン率いるグラオリッターを伏撃した際も、多量の魔導書が消耗していたが、これはリデールの確信犯的な指揮によるものである。

 精強無比なのはグラオリッターも同様。ゲルプリッター程ではないが、対戦闘魔導戦術(アンチ・コンバットマジック)にそれなりに長けた騎士団を相手に魔導書をケチっていては、逆にリデール達が爆斧の餌食になる恐れがあったからだ。

 

「それで、どれだけ戦えるのだ」

「はっ。バイロン様。この調子で消耗すれば一週間はもたぬかと。それに、木材の消耗も激しいです。無駄遣いは避けるよう命じておりますが、そう遠くない内に温かい食事にありつけなくなります」

 

 更に、木材の枯渇も危惧するリデール。

 破壊された城門や城内設備の修繕で木材を使用せねばならぬのに加え、炊飯でも薪として木材を消費する。

 ある意味で、魔導書より木材の枯渇のほうが深刻であった。

 暖食の有無は兵士の士気に直接関わる。過酷な籠城戦に、冷えた飯で戦い続けられるほど人は強くないからだ。

 

「つまり、纏めると」

 

 そう言って、リングは帳面を持ちながら芝居がかった仕草で一同を見渡した。

 

「我々はここで大して損害を受けていないフリージとドズルの精兵を相手に貧乏くさい戦いを強いられるというわけじゃ。頼みの魔道士隊はひと合戦分しか使えぬし、騎兵も籠城戦じゃ役に立たん。弓兵も少ないし、やれる事といったら門を固く締めて祈るくらいじゃな」

 

 声色はおどけていたが、目は全く笑っていないリングの言葉に、騎士達は増々厳しい表情を浮かべる。

 リデールもまた目を不安げに細めており、普段の糸目もあってか完全に目を瞑っているようにも見えた。

 唯一表情が変わっていなかったのは、バイロンだけだった。

 

「まあ、それでも時間を稼ぐしかない」

 

 余暇をどこで過ごそうか、とでも言うような口調でそう言ったバイロン。

 場の空気は和むことは無く、むしろ騎士達の不安を増大させていた。

 しかし、長年バイロンの下で剣を振るっていたグリューンリッターの騎士達は、主の機微を敏感に察し、やがて何かを覚悟したような不敵な面構えを見せる。中には諧謔味に口角を歪ませる者もいた。

 唯一無二の盟友であるリングもまた、同じような表情を浮かべていた。

 

「諸君」

 

 そう言って、バイロンは勇壮な武人としての顔を見せた。

 

「我々はこの城で全滅する覚悟を持って事に当たらねばならない。一日でも賊軍をリボーに引き付け、殿下の御宸襟を安じ奉らねばならぬのだ。諸君らの奮戦を期待する」

 

 方針としては、このまま悪戦を続けるより他はないという、ひどく簡潔したものだった。

 だが、士気は保たれている。バイロンの悲壮なまでの覚悟は、この場にいる騎士達はもちろん、城内に籠もる全軍へと波及していたからだ。

 

「その割には余裕があるじゃないか」

 

 リングはバイロンの悲壮な覚悟に隠された、どこか楽観的な様子に目敏く気付いていた。

 バイロンは短く応える。

 

「殿下はもちろん、息子を信じているからな。頼りになる息子をな」

 

 息子であるシグルドの元へ落ち延びたクルト。無事に落ち延びてくれれば、後は彼らがなんとかしてくれる。

 クルトの脱出が成功すれば、叛逆諸侯、そして暗黒教団の陰謀を打倒できると、バイロンは確信していた。

 

「息子か」

 

 リングはバイロンの言葉を聞き、少しばかり不快な表情を浮かべる。

 儂と違ってお主の息子は裏切りものだと、暗に非難されたと感じていたからだ。

 

 しかし、直後に言われたバイロンの言葉で、リングから不快感が消え、ひどく納得した表情が浮かんでいた。

 

 

 リング、お主には息子が一人しかおらぬが、儂の息子は二人もいるのだよ。

 一人よりも二人の方が頼りになるのは道理であろうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※リングの指揮官レベルは★10くらいあります(トラ7仕様)


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第50話『失恋オイフェ』

 

 グランベル属州領

 エバンス城城下町

 

「いいかアゼル。オイフェはあれが精霊だなんて言ってたが、俺はそうだとは思っていない。あれはエリートの神だ。エリートたるエリートの俺にエリートとは何たるかを示してくれたエリートの女神だ。なので俺はこれからあそこを精霊の森ではなくエリートの森と呼ぶ事にする」

「ごめん後半何言ってるのか全然わかんない」

 

 短期間で驚くべき程発展を遂げたエバンスの城下町。

 オイフェが打ち出した様々な政策は周辺からの人口流入を促しており、それに応じて商売気のある者達もエバンスへ集っている。

 賑わいを見せる露店立ち並ぶ街路を歩くのは、ヴェルトマー公子アゼルとドズルのいい男だった。

 

「はぁ……」

 

 活力ある街の様子とは打って変わり、アゼルの表情は暗い。いい男の軽快なトークを聞いても気分は晴れなかった。

 当然だ。なにせ、彼は人生初の失恋という青々しい苦しみに苛まれているからだ。

 兄へ宛てた手紙では強がっていたものの、想い人が自身を全く眼中に入れていなかった事実は、恋路拙きアゼルにとって強烈な喪失感を味合わせるに十分であり。

 想い人と恋敵がはにかみながらも情熱的な口づけを交わしていたのを目撃した時などは、しこたま嘔吐した後丸一日寝込んでしまった程である。

 

「まあまあアゼルくんよ。ため息ばかりじゃいい男になれないぜ? せっかくの休暇なんだ、パーっと遊んで気分を変えようや」

「そうだねレックス」

 

 ともあれ、持つべきものは親友(いい男)である。

 元気付けようとしてくれるレックスの好意に応えるべく、こうして街に繰り出していたのだ。

 加えて。

 

「この所忙しかったもんね」

 

 アゼルが憔悴していた原因は、なにも失恋のダメージだけではない。

 緊急的に実施されたノディオンエバンス間の街道警備に忙殺されていたのもあった。

 

「クロード神父の件もあるけど、ノディオンのお姫様があんな危ない目に遭ったら、そりゃあ街道の警備も厳重にせにゃなるまいよ」

「フィン、大丈夫かな。すごい責任感じてるって聞いたけど」

「キュアン王子とエスリン妃がいるから大丈夫だろ。御二方に任せておけばいいさ。それにしても、世界ひろしとはいえあんな傭兵がいるとは世界ひろしとはいえ思わなかったぜ」

「うん……なんで二回言ったの?」

 

 先頃エッダの教主クロード神父がエバンスへ訪れたのは、一部の者は事前にオイフェから知らされていた。

 そして、聖地ブラギの塔への船便をも手配しており、クロード神父訪問自体はつつがなく終わっている。

 シグルドへの挨拶もそこそこに、クロードはオイフェが手配していたノディオン港からの船へ搭乗し聖地へ向かっていた。

 陸路を用いずに海路を用いるクロードを、同じ教団出身のパルマーク司祭は少々訝しむも、やけに切迫した様子のクロードを見てそれ以上何も言うことはなく。

 エッダ教主でありエッダ公国公爵としての身分を持つクロード。多忙なのは以前から知っており、此度の巡礼も何か理由があっての事だろうと自得していた。

 

 そして、先のノディオン王妹ラケシスの誘拐未遂事件。エバンスとノディオン間の街道付近で発生したこの事件は、当然関係各位に衝撃を与えていた。

 ノディオン国王エルトシャンなどは、この事件を聞き激怒。自ら騎士団を率い街道警備に乗り出す始末だった。

 また、この事件がノディオン領内で発生した事実が、エルトシャンの怒りをより昂ぶらせるものとなっていた。加えて、ラケシス自身の証言により、護衛として従っていたフィンの責任を咎める事も出来ず(もっとも、本人は自責の念に苛まれ続けているが)

 要は、獅子王の面子を潰されたようなものだ。自身の膝下で、自身の妹を誘拐されかけるという事は、エルトシャンにとって屈辱的な情念を滾らせる結果となった。無論、その情念の奥底には、禁断の恋情が燻っていたのは言うまでもない。

 

 苛烈な治安維持活動はクロード神父がノディオン港を出発してからも継続しており、一時はノディオンとエバンス間の物流を停滞させる程だった。

 文字通り国境封鎖にまでエスカレートしたこの件は、レンスター王子キュアンと属州総督シグルドが直接エルトシャンを止めに入る事で一応の決着を見せる。

 

 その後、三者の調整により、属州領側からも街道警備の兵を出す事となり。その煽りを最も多く受けたのが、過酷な訓練の合間を縫って街道警備に従事する羽目となったアゼルといい男だった。

 

「つーか忙しかったのは仕方ないだろ。そもそも街道警備に志願したのお前じゃんアゼルバイジャン?」

「まあそうなんだけど……バイジャン……?」

 

 アゼルが街道警備に志願した理由は至極単純。要は失恋を忘れたかったから。忙しない環境に身を置くことで、エーディンの事を少しでも忘れたかったからだ。

 いい男がそれに付き合うのはいい男なので特に理由はない。

 

「なんだよ、まだ引きずってんのか」

「……」

 

 とはいえ、そのような任務をこなした後でも、アゼルの失情は晴れる事はなく。

 悶々とした感情を籠もらせるアゼルは、ふと言葉を吐露する。

 

「僕さ。思ったより嫉妬深い人間だったみたい」

 

 アゼルの言葉を黙って聞くレックス。

 無言の親友に促されるように、アゼルは滔々と己の心情を語り始めた。

 

「エーディン様とミデェールが仲良くしているのを見てたらさ、僕はなんでヴェルトマーの公子なんだろうって思うようになって」

 

 エーディンがミデェールに明確な恋心を抱いたのは、恐らく先のヴェルダン戦での一件だろう。

 最後までエーディンを守るべく奮戦したミデェール。その姿は、元よりそこはかとない好意を抱いていたユングヴィ公女にとって、好意が恋情に変わるに十分な程、悲壮で、勇壮な姿だったのだろう。

 また、身分の差も、二人を燃え上がらせる要因となったのは想像に難くなく。

 隠れて逢瀬を重ねるエーディンとミデェールを目撃したアゼルは、何故自分がユングヴィに生まれ、ユングヴィの騎士としてエーディンの側に居られなかったのだろうかと。

 そう益体もない事を考える始末。

 

「僕がミデェールの立場だったら、エーディン様と結ばれていたんじゃないかって」

 

 悲痛な想いを浮かべながら感情を吐露するアゼル。

 初めて失恋を味わう若者特有の、どうしようもなく切ない感情。

 アゼルは認めたくなかったのだ。ミデェールに、自身が男として劣っているという事実を。

 

「……」

 

 ずっと黙って聞いていたレックス。

 やがて真摯な表情を浮かべ、親友へ真正面に顔を向けた。

 レックスの真摯な瞳を受け、アゼルもまた潤んだ瞳を返す。

 

 そして。

 

「なんだそれ! くだらねえな!」

「口悪っ!? もう少し言い方考えてよ!」

「なんですかそれは。くだらないですね」

「言い方改めろとは言ってないよ! そこはなんかこう、建設的な意見を言うとかさあ!」

「じゃあ俺、失恋したアゼルくんの為に一軒家建てるから……」

「建設しろとは言ってないしそもそも余計なお世話な上に意味不明だよ!!!」

 

 身も蓋もないいい男の直球。

 ヴェルトマー公子は自身の赤い髪の如く顔を赤くするのみ。

 

「じゃあ真面目に言うけど、お前が抱えているのはただのコンプレックスだぞ」

「う……」

 

 しかし、レックスのずばりな物言いに、アゼルは言葉を詰まらせる。

 ヴェルトマーの大貴族の子弟が、平民とさして変わらぬユングヴィの騎士階級身分に劣等感を抱くのもおかしな話ではあるが、多感な思春期ともいえるアゼルにとって、それは自身もどこかで認める事実であった。

 

「仕方ねえ、俺様がひと肌脱いでやるか」

「え」

 

 そのような劣等感を解消するには、アゼル自身が何かしらの自信を身につければ良い。

 そう結論付けたレックス。

 ずいと近寄るいい男に、アゼルは思わず一歩後ずさる。

 

「な、なんだよレックス」

「アゼル。お前が自信をつける手っ取り早い方法を教えてやる」

 

 気付けば至近距離にまで接近を許したアゼル。

 いい男のエリートオーラに押されたのか、アゼルは蛇に睨まれた蛙の如く身を竦ませるばかりである。

 それから、いい男はアゼルの肩をがっしりと掴み、こう言った。

 

「おし、じゃあ童貞捨てにいくぞー」

「ちょっと待って?」

「その前に俺と練習しよう、な!」

「ちょっと待てよ!?」

 

 アゼルを拘束し、その柔い唇を奪おうとするいい男。

 当然その異様な様子は衆目を集める事となるが、「いい男がまたなんかやってらっしゃる」とエバンス住民はそれ以上気にする事はなかった。

 

「暴れんな……暴れんな……!」

「やめろォ!!!」

 

 じたばたと抗うアゼルであったが、力の差は歴然。

 為す術もなく、ファーストキスを略奪されようとしていた。

 

 

「おーっすアンタ達! 元気にしてたヴォオオオオッッ!?」

 

 突として聞こえる雷撃乙女の声。

 いきなり汚い嬌声が聞こえたのを受け、レックスとアゼルは行為を中断しその声の主へと振り向く。

 

「ティ、ティルテュ!?」

 

 フリージ公女ティルテュ。

 久方ぶりに再会した幼馴染達へ挨拶した彼女は、挨拶そうそう鼻血を噴出させその場に蹲っていた。

 

「や、やっべェ~……! そういうのはロンモチで大好物だけど、知り合い同士がやってると破壊力が桁違いだわ……!」

「姫さま、気持ち悪い」

 

 貴人らしからぬ醜悪な笑みを浮かべながらそう独りごちるティルテュ。

 既に鉄血の女将軍の片鱗を見せ始めたお付きの幼女アマルダに冷然とした視線を向けられるも、フリージ乙女はめくるめく妄想を昂ぶらせていた。

 

「お、ティルテュじゃん。お久しぶりぶりぶり」

「む、お久しぶりぶりぶりねレックス」

「何その挨拶……」

 

 しかし、いい男の声を受け、流れる鼻血を拭いながらそう挨拶を交わすティルテュ。

 突然現れた幼馴染の公女に戸惑うアゼルであったが、いい男の拘束が緩んだのを受け素早くその射程距離から逃れていた。

 レックスはぺこりと可愛らしく両公子へお辞儀するアマルダへ、いい笑顔を向けていた。

 

「んで、何してんのよこんな往来で」

「いやこっちのセリフだよ。どうしてティルテュがエバンスにいるのさ」

 

 やっと普通の会話が出来たことで落ち着きを取り戻したアゼルは、ティルテュが何故エバンスにいるのかを問い質していた。

 

「そりゃあもちろん神父様に会いに来たのよ! いるんでしょエバンスに」

 

 そう言って慎ましい胸を張るティルテュ。

 曰く、辻馬車を乗り継いでエッダからエバンスへ至ったのはいいが、迂闊にエバンス城へ向かうと諸々を心配したシグルドによりフリージへ強制送還されかねない。

 さてどうしたものかと思案を巡らせながらエバンス城下町を観光していると、見知った幼馴染達の姿を見留めたという次第であった。

 

「クロード神父はもういないぞ」

「は?」

 

 しかし、そのようないい男の言葉に固まるティルテュ。

 既にクロードは船便にて聖地へ向かっており、どうあがいてもティルテュが追いつける道理はない。

 無慈悲な事実に、フリージ乙女は再度その場に蹲る。

 

「まじかー……じゃああたしはどうすりゃいいのよ?」

「どうもこうもねえよ!」

「うざ! あんたいい男なのにそういう所は昔から変わらないわね!」

 

 歯に衣着せぬ物言いを交わすフリージ公女とドズルのいい男。

 とはいえ、昔からこのような関係だった事を思い出したアゼルは、二人のやり取りを見て微笑みを漏らしていた。

 

「なに笑ってんのよ」

「え、いや、笑っているわけじゃ」

 

 ポカリとアゼルを肩パンしながらそう言ったティルテュ。

 そのような幼馴染二人の姿を見て、レックスは何やら考えるように顎に手を当てていた。

 

「ティルテュはフリージへ帰りたくないのか?」

「当たり前よ! せっかく神父様に会いに来たのにこのままフリージへ帰ったら何の為にここまで来たのかわかったもんじゃないわ!」

「そうかそうか。じゃ、クロード神父が帰ってくるまでこのままエバンスにいたらいいじゃんアゼルバイジャン?」

「うーん……じゃあそうするわ」

「レックスはその言い方気に入ったの……? ていうかそんなの無理だよティルテュ」

 

 気さくな物言いでそう提案するレックスに、ひどく軽い調子で応えるティルテュ。

 しかし、政治的なあれこれを抜きにしたそれは、アゼルですら危ういものを感じる。

 水面下で敵対しているフリージ公爵の娘をエバンスに留めるには、シグルドの立場を微妙なものにしかねなかった。

 

「黙ってればいいじゃん」

「そうよね。黙ってればいいわ」

「えぇ……」

 

 どの道クロードは巡礼の帰りにまたエバンスへ立ち寄る。

 それを考えれば、このままエバンスへ留まるのも悪くない。

 既に事後承諾的に父レプトールへクロードを追いかけエッダを出立していた事を伝えていたティルテュは、そのままなし崩し的にエバンスへ滞在するのもさして変わらぬだろうと、浅薄な考えを持っていた。

 当然、シグルドを始め、ティルテュを知る属州領の者達へもそのような強引な論理を押し通すつもりであり。レックスやアゼルが協力すれば、その無茶も押し通せると確信していた。

 なんだかんだで、二人はヴェルトマーとドズルの公子なのだ。彼らの口添えがあれば、無茶も道理に変わるというもの。特に、いい男の発言力が説明の付かない説得力を備えていたのは、もはや説明不要である。

 

「姫さま……」

 

 そのようなティルテュに、はあと深い溜息をひとつ吐くアマルダ。

 このお転婆姫に振り回され続けていた幼女は、もう何も言う気力は残されていなかった。

 

「じゃあアゼル、後は任せた」

「え?」

 

 しかし、レックスはいい笑顔でそう言って、その場からスタスタと立ち去ろうとする。

 言うだけ言って直接の面倒事は全てアゼルに被せようとするレックスであったが、いい男なのでその辺りは許されるのだ。

 

「お、そうだ。ティルテュよ」

「なによ」

 

 去り際にティルテュの肩を叩きながら、レックスは小声で呟いた。

 

「アゼル、失恋したんだ。お前さんからも慰めてやってくれよな」

「はあ?」

 

 じゃ、よろしくぅ! と、いい笑顔で親指を立てながらその場を去るレックス。

 いい男の背中は、いい男だった。

 

「……あんた、失恋したんだって?」

「えっ? いや、失恋っていうか、なんというか……」

「ふーん……」

 

 いい男が去った後、失恋した事実を問い詰めるティルテュ。

 アゼルは戸惑いながらも、もじもじと身を竦ませる事で暗に肯定していた。

 

「ふん!」

「痛っ!? な、なんだよ急に!?」

 

 そのようなアゼルを見て、ティルテュはその脛へ蹴りを一発入れる。

 急に蹴られた事を抗議するアゼルを無視し、フリージ乙女はそのまま踵を返した。

 

「あたし、疲れちゃった。アマルダと一緒にしばらくあんたの所に世話になるから、はやく案内して」

「え、いやちょっと待ってよティルテュ!」

 

 そう言いながらエバンス城へと向かうティルテュ。

 慌てて追いかけるアゼルだったが、その表情は先程の失恋の悲しみに苛まれていた切なさは、綺麗さっぱり消え去っていた。

 

「姫さまも素直じゃないですね……」

 

 振り向いたティルテュの表情を見ていたアマルダは、そう呟きつつ、フリージとヴェルトマーの若者達を追いかけていった。

 少しばかり朱を浮かべた頬を膨らます主に、やれやれと嘆息する幼女らしからぬ様子を見せながら。

 

 

 

 

「あれはティルテュ公女……ここまで付いてきてしまったのか……」

 

 若者達の甘酸っぱい様子を、遠くから見留める一人の僧侶。

 薄くなった前髪を撫でつつ、訝しげな表情を浮かべるは、エッダの僧侶であり、破戒僧ともいえる傲慢な男、アウグストだ。

 

「まああのお転婆はどうでも良いが……」

 

 ともあれ、アウグストにとってティルテュがエバンスにいようがいまいが関係なく。

 クロード神父よりも前に属州領へ至っていたアウグストは、これまで見聞した領内の様子を思考する。

 

(やはり戦に備えているとしか思えん)

 

 アウグストはエッダを出立してから、そのまま真っ直ぐエバンスへ向かったわけではなく。

 属州領へ入った際、そのままヴェルダン領にまで足を伸ばし、シグルドの施政下をつぶさに観察していた。

 そして、アウグストは属州領が異様なまでに軍備を拡張している事を看破していた。

 

(ヴェルダンに対する施策も臭う。あれでは、ジャムカ王はいざとなれば属州領を守る為に必死になるだろうな)

 

 ジャムカが治めるヴェルダンでも、属州領の内政干渉が行われていた。

 既に街道整備や湖の水運開発等の巨額のインフラ投資を受けていたのもあり、ジャムカは特にそれに反発する事なく、むしろ積極的に属州領の施策を受け入れていた。

 無論、それが領内を豊かにする事を理解していたからだ。敗戦国の義務であるグランベル王国への朝貢も、属州領が実質肩代わりしている現状もあり、またシグルドと形式的ではあるが縁戚関係となっている以上、ジャムカがシグルドと一蓮托生な関係なのは言うまでもない。

 

「さて、どのような思惑なのやら」

 

 アウグストは領内の経済政策により、平民(シビリアン)の権利を拡張している事も気付いていた。無論、グランベルによる封建制を崩さないギリギリの所ではあるが、平民に領内の移動の自由、そして楽市楽座ともいえる商売の自由も許している事は、富国強兵の一環であるのは疑いようもなく。

 更に、その先にある事実も、アウグストは看破していた。

 降って湧いた権利を守る為、平民達はいざとなれば属州領の為に必死になって戦うだろうと。

 

「クロード神父の巡礼も気になるが……まあ、オイフェ殿を待つしか無いか。さしあたって、パルマークめに当分世話になるとするか」

 

 そう嘯き、アウグストもまたティルテュ達に続きエバンス城に向かう。

 旧知であるパルマーク司祭の元へ向かい、属州領の中枢にも入り込もうとしていた。

 

「果たしてシグルド公子……いや、シグルド総督はどのような御仁なのかな……フフフ……」

 

 当然、己が一目置くオイフェが、絶大的な忠誠を誓うシグルドの人柄も見定めようとする。

 にやりと歪に口角を歪める破戒僧は、様々な思惑を秘め、エバンス城へと向かっていった。

 

 果たして、それがオイフェの大望の一助になるのか。

 それとも、致命的な足かせとなるのか。

 

 僧侶から軍師へ変貌を遂げたアウグスト。

 ユグドラルを渦巻く陰謀へと、足を踏み入れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




色んなキャラ描きたいなってなると話が進まねえ~(ジレンマ)


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第51話『変態オイフェ』

 

 グランベル属州領

 エバンス城

 

「よいしょ」

 

 エバンス城の水場。

 そこに、水仕事に従事する一人の乙女の姿があり。

 城主シグルドの妻ディアドラだ。

 灰を溶かした桶に自身の衣類や夫の衣類を浸け込み、ゴシゴシと洗濯板にこすりつける様は手慣れたもの。

 当然、このような日常的な家事スキルは、精霊の森で暮らしていた時分に培ったものである。

 

 普段のシフトドレス姿とは異なり、掃除婦と見紛うような質素な麻服に身を包むディアドラ。

 城主、それも属州総督──貴族の妻が、このような身なりで自ら洗濯に従事するなど、恐らくグランベル大陸を見渡してもディアドラだけだろう。

 庶民的な気質を持つエスリンですら、洗濯は専ら使用人に任せていた。彼女が時折見せる家庭的な姿は、夫キュアンへ手料理を振る舞う程度である。

 しかし、ディアドラは元から精霊の森で庶民(エッダの教区簿冊には載っていない、ある種の最下層民だったが)であった身。使用人に身の回りの全て任せるほど、まだ上流階級の生活に慣れておらず、こうして自ら洗濯を行う次第であった。

 

「ふぅ」

 

 粗方の洗濯を終え、ひと息つくディアドラ。

 ふと、空を見上げる。

 

「いい天気……」

 

 本日は快晴。まさしく洗濯日和なり。

 未だ未洗濯の衣類を少し残すも、この天気ならば衣類は気持ちよく乾いてくれるだろう。

 そう思い、ディアドラは腰に手を当て、背筋を伸ばす。

 超自然的な神威を備えているからか、彼女の可憐な手は水仕事で荒れることはなく、陶磁器のような美しさを保っていた。

 

「もう一息ね」

 

 そして、残りの洗濯物を片付けるべく、再び腰を落とす。

 週に一度の洗濯なのだ。気合も十分。

 ちなみに、ディアドラは毎日洗濯仕事を行うつもりであったのだが、彼女にこのような水仕事を日常的にされては、元から配置されている侍女や奉公人の仕事を奪ってしまう。故に、紆余曲折を経て週に一度だけ、ディアドラが洗濯を行う事となっていた。無論、夫シグルドと自身の衣類のみであるが。

 

「あと一枚……?」

 

 ふと、ディアドラは籠に残された最後の一枚を見留め、その動きを止めた。

 

「……」

 

 一枚の布をじっと見つめるディアドラ。

 真顔だ。

 その布は、高品質なリネン製で拵えられた男性用下着であり。

 

 使用済みの、シグルドの下着(おぱんつ)であった。

 

「……」

 

 ディアドラはキョロキョロと辺りを見回し、周囲に人がいない事を確認する。

 この時間、この洗濯場にはディアドラしかいない。

 慣れぬ領主の妻として日々を過ごすディアドラ。政経学に励み、社交の場や城下巡回にも夫に付き従い、シグルドの妻として相応しくなれるよう健気な努力を怠らない日々。

 だが、精霊の森で慎ましい生活を営んでいたディアドラにとって、それは相応のストレスにもなっていた。

 故に、この洗濯の時間は彼女にとってストレス発散の場でもあり。

 城内の奉公人達は皆それを理解っていた為、ディアドラの邪魔をしないよう、洗濯の時間をずらしていたのだ。

 

「……」

 

 そして、ディアドラは貴金属を扱うかのように、シグルドの汗やら何やらを存分に吸った下着をそっと手に取った。

 そのまま、ゆっくりと自身の鼻孔へと近付ける。

 

「……クン」

 

 恐る恐る、といった体でクロッチ部分をひと嗅ぎ(テイスティング)するディアドラ。

 美しく可憐なその顔を、少しだけ紅く染める。

 

「……スゥー」

 

 そして、じっくりと味わうように吸い込む。

 愛するシグルド。

 愛おしすぎるシグルド。

 どうしようもなく愛おしい人の香りを嗅ぐと、どうかなりそうな想いに囚われる。

 

「フー……フフ……♥」

 

 否。

 事実、彼女はどうかしていた。

 深呼吸し、赤らんだ顔に笑みを漏らすその様子は、ともすれば世界中の男を魅了しかねない程、神秘的で、艶めいた美貌を放つ乙女の姿。

 実際はただの変態人妻だった。

 

「スゥスゥ……フゥ~……ウフフフフ♥」

 

 恍惚とした表情で倒錯的な行為(おぱんつ深呼吸)を繰り返すディアドラ。余人に目撃されては一大事である。

 しかし、この時のディアドラはシャーマンの祈祷の如きトランス状態に陥っており、シグルド成分を時にはポップに、時にはジャジーに。性欲を淑女的にエスコートしながら、くんかくんかとおぱんつ吸引せしめる。

 吸引中、彼女の脳細胞は各種の神経伝達物質、主に多幸成分(オキシトシン)がドバドバと分泌しており、まるで重度の薬物中毒者の如き様相を呈していた。

 

 

「ディアドラ殿……何を……」

「フゥッ!?」

 

 ディアドラの至福のひととき(変態行為)は、剣姫の震えた声にて中断を余儀なくされた。

 

「アイラ様?」

 

 ちょっとびっくりしちゃったディアドラの後ろに立つは、イザークの王女アイラだ。

 いつもの美しく凛とした佇まいは、理解不能な現象に出くわした者特有の困惑に包まれており。

 端的に言えば、アイラはドン引きしていた。

 

「……スー」

「いや続けるのか!?」

 

 嘘だろう、と言わんばかりに愕然とするアイラ。

 だが、例えアイラに見つかろうとも、ディアドラは止まらない。止まる気がない。愛する夫の香ばしい香りに包まれたい一心でおぱんつをキメ続ける。

 ディアドラはシグルドを愛している。この世で誰よりも好きだ。好きで好きでたまらないから、おぱんつをキメる。

 そのような健気で一途な想いを独特の愛情表現(異常行動)にて表わしていたディアドラ。

 アイラはドン引きしていた。

 

「フー……あの、何か御用でしょうか?」

「え、いや、あの、はい」

 

 おなかいっぱいになって満足したのか、やがていつも通りの貞淑な様子で応じるディアドラ。

 いつもと違うのは両手でしっかりとシグルドのおぱんつを握りしめている事だけである。

 アイラはドン引きしていた。

 が、この場に来た本来の目的をかろうじて思い出し、居住まいを正す。

 

「んん、ええと、うん、よし。私は何も見なかった。見てないぞ。んん! ……ディアドラ殿。パルマーク司祭がお呼びだ。なんでも、司祭の旧友が訪ねて来たとか」

 

 鋼の精神で凛とした佇まいを取り戻したのは流石。そのままパルマーク司祭の言伝を淀みなく伝える。

 ちなみに、アイラは手すきの時はよくディアドラの相手を務める事が多く。無論、アイラの第一はシャナンを守り育てるというのがあるが、最近は世話焼きの騎士達(主にアーダン)がシャナンの面倒を見る事が多く、シャナンもまた彼らによく懐いていたのもあり、比較的アイラの時間は浮く事になる。

 シグルドとしても、一騎当千のアイラがディアドラを気に掛けてくれるのは頼もしくもあり、そしてありがたかった。

 

「随分と見識がある御坊らしい。シグルド殿共々、後学の為に是非接見してみないかとの事だ」

「まあ、そうなのですね。じゃあ、すぐに準備しまスー」

「いやだから続けるんじゃあない! 変態か貴女は!!」

 

 無かった事にしようとしたアイラの努力も虚しく、ディアドラはシグルドを堪能し続けていた。

 

 

 

 後日、ユングヴィ公女エーディンの元を訪れたアイラは、以下のような会話をしたという。

 

「エーディン。グランベルやヴェルダンの御婦人は、その……伴侶の下帯に、なんというかその、何かしらの興味を持ったりするのだろうか? 例えば、匂いを嗅いだりとか」

「え、そんなことしませんよ普通」

「そ、そうか」

「どちらかというと嗅がせる派ですね私は」

「そうか……なに?」

「この間もミデェールに……ふふ、彼ってば、とっても可愛い顔で私の」

「いや変態かっ!!!」

 

 

 

 


 

「お初にお目にかかる。拙僧はブラギの僧アウグスト・オド。以後お見知り置きを」

 

 城内の応接室。

 向かい合うシグルドとディアドラへそう口上を述べるは、ブラギの僧アウグスト。

 常時そうあるように、彫りの深い顔立ちに鋭い眼光を覗かせていた。

 

「グランベル属州領総督、シグルド・バルドス・シアルフィです」

「グランベル属州領総督夫人、ディアドラ・ヴェルダンヌ・シアルフィです。アウグスト様、宜しくお願いしますね」

 

 騎士服に身を包み、丁寧な挨拶を述べるシグルド。例え身分低き者であっても、彼は常に誠実な態度を取る。

 そして、落ち着いた色合いのシフトドレス姿に装いを改めたディアドラ。誰に対しても、彼女は嫋やかな微笑みを向ける。ミドルネーム、ファミリーネームも淀みなく述べる様子は、彼女がこの名前に感謝と愛着を持っている証左だろう。

 

(ふむ……)

 

 両人の挨拶を受け、アウグストはひとつ納得の念を抱く。

 なるほど、初見でも理解る。説明のつかない魅力が御二方に表れておるな。オイフェ殿が忠誠を誓うわけだ。

 そう思える程、シグルドとディアドラには尽くしたくなるような何かが感じられた。アウグストのような者ですらこうなのだ。余程の邪心を持っている者でなければ、この魅力には抗い難いとも。

 

 アウグストはそう思いつつ、この場に至るまでの事を思う。

 エバンスに到着した後、城下のエッダ教会を通し、パルマークに再会したアウグスト。そこで、シグルドとの面会も希望していた。

 パルマークとしては、いきなり現れた旧友に、これまたいきなりな頼み事をされ困惑するも、エッダで共に教義を修めていた時分、アウグストにあれこれと借りを作っていた事をそれとなく匂わされ、渋々ではあるが面会をセッティングしていた。

 

『アウグスト、頼むから無礼を働いてくれるなよ』

 

 同席する事となったパルマークが事前にそう言うも、アウグストは曖昧な笑みをひとつ浮かべるだけだった。

 とはいえ、パルマークとしても主の見識が増えるのは望ましい。貴族階級の者が宗教家から教えを受けるのはさして珍しい事ではないし、そもそも自身もエッダ教団の司祭である。加え、性格に難はあれど、アウグストの説法は現実的な切り口も含められており、中々に面白いとも思っていた。

 シグルドの成長の為にも、アウグストから様々な教えを受けるのは有意義なのだ。当然、ディアドラに対しても同様である。

 それに、妙な事になる前に、自分がアウグストを止めれば良いとも思っていた。

 

 もっとも、彼は旧友の舌鋒の鋭さを忘れていたのを、程なく気付かされる事となる。

 

「本日はどのような御法説を聞かせていただけるのですか?」

 

 丁寧な口調でそう言ったシグルドに、アウグストは口角をやや吊り上げた。

 

「そうですな。では、早速」

 

 それから、アウグストの説法が始まった。

 自身が目にしたユグドラルの世況から始まり、民草の生活、ブラギの教えを絡めた政治的な講釈。

 オイフェやパルマークとはまた違った解釈もあり(彼らの教えや思想を全否定するわけではなく、あくまで角度を変えた見方)、シグルドとディアドラは熱心に話を聞いていた。ディアドラは途中から自身の帳面を取り出し一生懸命記述する程である。

 

 そのような夫妻を微笑ましい想いで見やるアウグスト。

 この愚直な姿勢も、家臣や民衆から愛されている要因なのだなとも察しており。

 同時に、どこか危うさも覚える。

 

「ところで、シグルド総督」

「はい」

「領内の軍備拡大についてなのですが」

 

 怪訝な表情を浮かべるパルマークを捨て置き、唐突に話題を変えたアウグスト。

 ギラリと脂で光る額を覗かせながら、鋭い視線を向ける。

 

「属州領やヴェルダン王国の治安維持の名目の割には、拙僧が見聞きした陣容は些か剣呑なるもの。隣国はもちろん、バーハラ王家に二心ありと拙僧は愚察するが如何に?」

「お、おいアウグスト!」

 

 詰問めいた口調でそう述べるアウグストに、パルマークが声を荒げる。

 しかし、シグルドはそれを制し、しっかりとアウグストへ向き合う。

 

「属州の軍備は宰相府の認可を受けています。それに、私はアズムール陛下から聖騎士の栄誉を賜った身。その私がグランベルに反旗を翻す事は有り得ません」

 

 アウグストの無礼に憤る事もなく、シグルドは真摯な態度でそう応えた。

 初見で腹芸が得意でないのを察していたアウグストは、シグルドが本気でそう思っている事も見抜く。

 腹の中で感心するも、それをおくびにも出さず続けた。

 

「ふむ。臭いますな」

 

 カマをかけるようにそう言ったアウグスト。

「えっ」と慌てて自身の顔に手を当てるディアドラに、「いやそういう意味ではなく」と、アウグストは苦笑しながら訂正する。

 もちろんディアドラからは不快な臭いは一切感じられず、むしろ森林浴をしているかのような自然的滋味溢れる香りを纏わせていた。

 

「ディアドラ、君は良い匂いだよ」

 

 シグルドはシグルドで呑気に愛妻のフォローをしており。顔を赤らめたディアドラは、もじもじと身を捩らせてるばかり。ちらりとシグルドの下半身に視線を向けていたのは、幸運にも誰にも気付かれなかった。

 

(毒気を抜かれるとはこの事よな……)

 

 なにやら話が明後日の方向に進んだのを受け、少々心配になるアウグスト。

 だが、だからこそオイフェがあの年頃にしては異様な知恵者なのだなとも納得していた。天然が行き過ぎてやや危うい主君には、あれくらいの切れ者が付いて丁度よいとも。

 

「アウグスト殿」

 

 しかし、シグルドの実直さは、アウグストの予想を超えていた。

 

「これまでの話で貴方が民の目線を持っている事が理解りました。その貴方がそのような危惧をしているという事は、民もまた同じ事を思っている証拠でしょう」

 

 そう言ってから、シグルドは何かを決意したかのような双眸を浮かべた。

 

「貴方に言われてやっと決心がつきました。属州領の軍備は大幅に縮小します」

「シ、シグルド様!?」

「パルマーク、私もずっと考えていたんだ。このまま属州の軍備を増強するのは、世にいらぬ戦乱を招きかねないのではないかと」

「し、しかし、宰相府やオイフェにはなんと説明するのです?」

「宰相殿には私から直接説明するよ。きっと、宰相殿も理解ってくれると思う。もちろん、オイフェも」

 

 パルマークにそう諭すシグルド。

 その様子に、アウグストは狐につままれるような表情を浮かべた。

 何を言っているのだ、この御仁は。

 一介の僧侶、それも今日出会ったばかりの者の話を鵜呑みにするのか。

 

「本気なのですか?」

 

 故に、思わずそう言ってしまったアウグスト。

 シグルドは頷いた。

 

「ええ、本気です」

 

 自身の言葉に嘘偽りは無い。恐らく、シグルドは直ぐにでも軍縮へ動き出すだろう。

 夫の決意を力づけるように、ディアドラもまた真摯な視線をアウグストへ向けていた。

 シグルドの和を尊ぶその生き様。ディアドラが彼を愛する理由のひとつだった。

 

「しかし、既に雇用した平民兵の処遇はどうされるおつもりか。それに、そのような大事をオイフェ殿やパルマークに相談もせずに決めるのは……」

 

 そこまで言って、アウグストは途端におかしみを覚え、やがて呵呵と笑いをひとつ上げた。

 いつの間にか、自身がシグルドの幕下に入ったような感覚を覚えていたからだ。

 

「いや、御見逸れしました。流石はオイフェ殿が忠義を誓うだけある」

「え?」

 

 和やかな口調でそう言ったアウグスト。

 そのまま薄くなった頭を下げた。

 

「試すような真似をしてしまい誠に申し訳ない。拙僧の言は戯言として聞き流されよ」

「いや、しかし……」

 

 尚も言葉を続けようとしたシグルドを制し、アウグストは言った。

 

「属州の軍備拡大、その真意はオイフェ殿が帰還せしめればおのずと分かるというもの。今は、どっしりと構えていればよろしい」

 

 そう言って、アウグストは議を終わらせた。

 戸惑うシグルド達であったが、アウグストはどこか快い表情を浮かべていた。

 

「オイフェ殿を信じなされ。あの御仁、決して世を乱す邪心は孕んではおりませぬ。拙僧の命をかけてそう断言しましょうぞ」

 

 こうして、軍師アウグストとシグルド達の邂逅は終わった。

 それは、そのままシグルド軍に、軍師の鬼謀が加わる事を意味していたのであった。

 

 

 ところで、エバンス滞在の許可を得るべくアゼルと共に登城したフリージ公女ティルテュは、城内でアウグストと鉢合わせした際、乙女らしからぬ汚い悲鳴を上げていたという。

 

 

 

 


 

 結局オイフェとレイミアがレイミア隊と合流出来たのは、互いに想いを伝えあってから数刻程経ってからであった。

 

「オイフェ!」

「お頭!」

 

 身動きの取れぬレイミアを看ていたオイフェ。土と血で汚れたデューに先導された傭兵達により発見され、思わず表情を緩める。

 

「お頭、大丈夫?」

「まだ生きてるよ……」

 

 弱々しくはあるが、レイミアはいつもの皮肉げな笑みを駆けつけたシスターのナリーへ向けていた。

 そのまま治癒魔術(リライブ)による治療を受けるのを見つつ、オイフェは表情を引き締め直した。

 

「デュー殿、状況は」

「殿下達は無事だよ。あの後……」

 

 主だった者は無事。しかし、デューから語られる内容を受け、オイフェは僅かに眉を顰める。

 

「殿下が光魔法を使ったのですね?」

「うん。それでおいら達は助かったんだ」

「そうですか……いえ、何よりです」

 

 そう言いつつも、オイフェの心は晴れない。

 状況は、オイフェが予想していた以上に悪化していた。

 

 オイフェとレイミアが崖下に滑落した直後。

 闇魔法フェンリルの暴威に包まれた野営地。潜んでいた暗黒司祭のこの攻撃は、直後に放たれた膨大な光魔法により相殺されていた。

 寸出で覚醒したクルト王子による光魔法オーラ。その光威は、野営地を包む闇を払い、そのままフェンリルの使用者をも撃ち抜く程。

 流石はナーガの直系、天晴れなる魔力。

 

 だが、それはクルトの存在をダーナを抜けるまで隠蔽するという、オイフェの目的が果たせなかった事を意味していた。

 

「おいら、殿下だけはホリンかベオっちゃんに護衛してもらって、先に行ってもらうように言ったんだけど……」

 

 そう言って、申し訳なさそうな表情を浮かべるデュー。

 暗黒教団が直接オイフェ一行を捕捉せしめた事実。加えて、光魔法、それも使用者が限られるオーラの魔法を見られてしまった。

 フェンリルの使い手はクルトが討ち果たしたのは疑いようもないが、恐らく生き残りはいるだろう。

 クルトの存在が発覚したと見て間違いない。そうなった以上、クルトだけでも先に逃がす必要があった。

 しかし、デューはクルトが野営地に留まり続けているのを伝えていた。

 

「ナリー、何人やられた?」

「……二十七名。でも、動かせない負傷者はいませんよ」

 

 レイミアとナリーの会話を聞き、大凡を察したオイフェ。

 広域治癒魔術(リザーブ)を用いレイミア隊負傷者を治療していたクルト。だが、連続して多量の魔力を使用したせいで、クルトもまた一時的に行動不能に陥っており。指揮官であるオイフェとレイミアが同時に遭難したのも相重なり、一行は襲撃を受けても尚、野営地に留まり続けていた。

 

「レイミア殿」

「アタシらは気にしないでいいよ。傭兵稼業をやっているんだ。何時死んでも良いように覚悟はしているさね」

 

 部下を喪ったレイミアを気遣うオイフェ。しかし、レイミアは気丈な笑みをオイフェへ返す。

 

「それに、少しは楽になった。これならアタシも強行軍にも耐えられるさね」

「……ごめんなさい」

「オイフェ」

 

 回復したレイミアだが、未だ自力での歩行は叶わず。

 担架で運ばれながら、レイミアはオイフェの名を呼んだ。

 

「そういう契約だったろ」

「……」

 

 レイミア隊の損害、頭目のレイミアの負傷。

 無傷でエバンスへ帰還出来るとは初めから想定していない。トラキア竜騎士団の奇襲は想定外だったが、何かしらの妨害を受ける事は想定していた。

 だからこそ、クルトやデュー達、そして己の盾として使える戦力。使い捨てても構わぬ戦力。

 それを求めて、わざわざフィノーラへ寄り道したのではないのか。

 

 だが、オイフェは守るべき戒めを破ってしまった。

 情を移してはならぬという戒め。それが破られたことで、オイフェにとってレイミア、そしてレイミア隊もまた守るべき存在となってしまった。

 

「さあ、グズグズしていられないよ。ロプトの連中に気付かれたんだ。補佐官殿も気合を入れ直しな」

「……はい」

 

 そのようなオイフェの心中を見透かしてか、レイミアは努めて諧謔味のある表情を浮かべる。

 今は、目の前の難事を切り抜ける事を考えるのみ。

 多少の損害に目を瞑ってでも、クルトを無事エバンスへ送り届けねばならないのだ。

 

「行きましょう」

 

 女傭兵の発破を受け、気持ちを切り替えたオイフェ。

 なに、守るものが増えただけだ。今までも、これからもそう。

 想いに囚われすぎては、難局切り抜けること能わず。

 結局は、やる事は変わらないのだ。オイフェはそう自得していた。

 

 大切な人の為。

 大切な人が、大切にしている人の為。そして、自身が大切にしている人々の為にも。

 彼らの幸せな明日の為、オイフェは決意を新たにしていた。

 

「……」

 

 担架の上で、レイミアの表情は少し影を差す。

 果たして、情愛を伝え合ったのは良かったのだろうか。

 オイフェに亡き弟の面影を見て、抑えられない気持ちをぶつけてしまったのは、本当に良かったのだろうかと。

 まだ、レイミアはオイフェの負担を分かち合える程の存在ではない。

 それが、歯がゆくもあり。

 

「オイフェ」

「デュー殿」

 

 ふと、デューがオイフェの肩へ手を置く。

 少年軍師の心中を慮るのは盗賊少年もまた同じ。

 前世含め、付き合いの長いデューは、オイフェの支えとして十分な存在だ。

 太陽の気遣いを受け、心なしかオイフェの表情にも陽が差していた。

 

「……」

 

 その様子を、湿った感情で見つめていたレイミア。

 直後、妙なおかしみを覚え、笑いをひとつ零した。

 

 なんだ、アタシはデューに嫉妬しているのか?

 切羽詰まった状況なのに、随分と余裕がある。

 こんなんで大丈夫かね。いや、大丈夫なんだろう。

 

「お頭、熱いですね」

「うるさいよ」

 

 茶化すようにそう言ったナリーに、レイミアはいつもの皮肉げな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第52話『残置オイフェ』

 

 一大事だ。

 夜の砂漠に倒れ伏す一人の暗黒司祭。彼はそのような重大な危機感を覚えていたが、全身を光の奔流に貫かれた後では、満足に声を上げる事が出来なかった。

 

 オイフェとレイミアが海岸へ投げ出された時。

 トラキア竜騎士団の夜襲に乗じ、野営地から離れた場所にて闇害を撒き散らしていた暗黒司祭達。竜騎士団ごと屠るつもりで放った暗黒魔法フェンリルは、発動中に強大な光魔法により押し返されていた。

 オーラの魔法。それも、絶大な聖威をもって放たれた必殺の魔撃。

 これに耐えうるのは、暗黒教団でもマンフロイ大司教を始め、極々限られた者だけだろう。

 

 事実、イード神殿を守るクトゥーゾフ司祭は、この反撃のオーラを受け即死していた。フェンリルという魔力(エーギル)を多量に使用せしめる闇撃を放った直後であり、仮に彼の魔法防御がマンフロイ並にあったとしても、致命傷は避けられなかったであろう。

 引き連れていた護衛のダークマージ達も全滅しており、この場で唯一生き残っているのは、トラキア方面を担当しているベルド司祭のみであった。

 

(一大事だ)

 

 生気を失った表情で、芋虫のように地を這うベルド。

 彼は文字通り肌で感じていた。自分達が狙った獲物が、ただの獲物ではなかった事を。

 

(あれはナーガの光だ。ナーガの直系──クルト王子があそこにいる!)

 

 トラキアでの策謀を任されるベルド。相応の切れ者でなければ、そもそもマンフロイから大任を任される事は無い。

 であるからして、上述の材料だけでクルト王子がリボーより逃亡していた事実に気付くのは当然であった。

 

(く、くそ……身体が……!)

 

 しかし、光輝の直撃を受けたベルドは即死を免れただけであり、瀕死であるのは変わらない。

 なんとしてもこの事実をマンフロイへ伝えなければ。

 そう思い地を這うも、死は着実にベルドへ這い寄っていた。

 

 だが、信仰深いベルドに暗黒神が微笑んだのか。

 

「ベルド様!」

 

 茶色がかった赤毛を揺らし、煤けたローブを纏う一人の少年が現れる。

 

「セ、セイラム……!」

 

 ベルドは見知った少年の名をかろうじて呟くも、それだけで己に残された生命力がごっそり抜け落ちる感覚を覚えた。

 

「しっかりしてください!」

 

 セイラムと呼ばれた少年は、特徴的な前髪(物理法則を無視したヘアスタイル)を揺らしながらベルドを介抱する。オイフェ一行を襲撃する為出撃したベルドらを補佐すべく、当然ながらイード神殿からも多数の人足が供されている。

 その内の一人がセイラムなのだが、彼は運が良かったのか襲撃時には野営地から離れた場所におり、こうしてベルドの窮地を救う存在となっていた。

 

「セ、セイ……」

「喋らないでください! お身体に障ります!」

 

 ベルドは必死にクルト王子の存在を伝えようとするも、即座にセイラムに遮られてしまう。

 献身的且つ100%善意で行っているだけに、ベルドは瀕死の身でありながら行き場の無い怒りを覚える始末だった。

 

(わしの事などどうでもよい! 早く大司教様にこの事を──!!)

 

 血走った眼でそう訴えるも、虐げられていた被差別民であるロプトの民にしては珍しく、セイラムは温厚篤実な少年だった。

 

「ベルド様、気を確かに。必ず助かります」

(そうではない莫迦者!)

 

 もはやうめき声しか上げられぬベルドは、そのまま痛みと怒りに耐えかね気絶した。

 しかし、セイラムの献身的な介抱を受け一命を取り留める事となる。

 

 だが、彼がようやく口をきけるまでに回復した頃には、既にオイフェ一行はダーナへ到達した後だった。

 

 

 

 


 

 敵軍の襲撃が確実視される中での逃避行は、通常ならば軍勢の足を大いに鈍らせる。敗軍に統率の取れた撤退行動を可能とさせるには、指揮官が余程の傑物であり、更には兵士の練度も極限まで高められていなければ成し得ぬ事だった。

 しかし、イード砂漠をダーナ方面へ進むオイフェ一行は敗軍でもないし、指揮官も兵士も優秀である。

 粛々と進む一行は、追手の襲撃に遭わずダーナまで辿り着く事ができた。

 

「補佐官殿。これからどうするね」

 

 ダーナ郊外。

 野盗の襲撃に遭った体でダーナへ逃れたオイフェ達を、街の住民は特に気遣うわけもなく、また気にも止めていなかった。

 リボー軍の襲撃を受けた街の復興はまだ道半ば。とてもオイフェ達に気を使っている暇はない。街に駐留するグランベル軍は少数。表向きは治安維持に手一杯であり、おざなりに見舞いの言葉をかけるだけで放置する始末だった。

 無論、駐留するグランベル軍がヴェルトマー公爵家の部隊であるのは、オイフェも十分に承知していた。

 

「……このままダーナを発ち、一刻も早くグランベル領へ」

 

 一行がそこかしこで休息を取る中、レイミアから今後の方針を尋ねられたオイフェは、僅かに逡巡した後そう述べた。

 当初、オイフェはこの時点でクルトの存在が相手に発覚した場合、レイミア隊を囮として使()()する腹積もりであった。

 陽動として多方面に部隊を分け、自分はクルトと共に少数で属州領を目指す。

 シアルフィ領付近まで行けばほぼ安全であるからして、この局面さえ凌げるならば手段は選ぶ必要はない。

 だが、オイフェはそうしなかった。

 

「本当にそれでいいのかい?」

 

 少年軍師の葛藤を見抜いていたのか、レイミアはじっと黒い瞳をオイフェへ向ける。

 オイフェは濡れた瞳をレイミアへ返した。

 

「貴女達を使い捨てる事は出来ません」

「……」

 

 オイフェの言葉を受け、レイミアは難しそうに眉を顰める。

 彼女としても、使い捨てられるのは真っ平御免であるのは確か。しかし、この局面で陽動を出さない事が悪手であるのも理解していた。

 そう思うも、言葉には出せなかった。

 

「陽動は出します」

 

 しかし、オイフェはレイミアの心中を代弁するようにそう言った。

 

「陽動って、ベオ達にやらせるつもりかい? いくらあいつらがしぶとくてもフリージの連中相手じゃ」

「いえ、ベオウルフ殿もこのまま殿下の護衛に付いてもらいます。もちろん、デュー殿やホリン殿も」

 

 レイミアの言を遮るオイフェ。

 事実、グランベル領に入ったら大掛かりな襲撃の可能性は少なくなるが、少数の襲撃──手練による暗殺は警戒し続けなければならない。本当に安心できるのは属州領に入るまでだ。

 そして、そのような危険を回避するにはデューやホリンの力は必須。クルトと別行動を取らせるわけにはいかない。

 

「私がダーナに残ります」

 

 平素の如くそう言ってのけたオイフェに、レイミアは正気を疑うような眼を向けた。

 しかし、問い質す前にオイフェの言葉が続く。

 

「私がダーナに駐留するヴェルトマー家の部隊に保護を求めます。そこで時間を稼ぎますので、レイミア殿らは殿下と共に先に属州領へ向かってください」

 

 虎穴に入らずんば虎子を得ず、とでも言うのか。

 あえて陰謀企む叛徒の懐に入り、クルトを逃がす為の時間を稼ごうとするオイフェ。

 

「無茶だよ」

 

 短く、そう嗜めるレイミア。

 しかし、オイフェは勝算が無いわけではないと前置きし、言葉を続ける。

 

「堂々と属州領補佐官が保護を求めて来たなら彼らも無下には扱わないでしょう。それに、私は現時点ではシグルド様に次ぐシアルフィ公爵家継承権も持っています。シアルフィ家に連なる私をここで害する程、彼らは愚かではありません」

 

 叛逆諸侯の陰謀は、今の所表には発覚していない。叛徒共の筋書きでは、秘密裏にクルトを排除した後、その首謀者をバイロン達──シアルフィ家になすりつける事となっていた。

 しかし、この時点で叛逆を表沙汰にし、オイフェを殺害しようものなら、その時点で陰謀関係なくシアルフィ家は明確に敵対行動を取るだろう。

 ここで問題となるのが、もはや無視できぬ勢力となりつつあるシグルドの存在である。

 

 対アグストリアの尖兵として用意していたシグルド軍が、この時点で明確な敵対行動──それこそ、アグストリアと同調し、叛逆諸侯を成敗する名目でバーハラへ兵を向けたら。

 アルヴィス率いるロートリッターだけでそれを防げるか。どちらにせよ、難しい局面を強いられる事は間違いない。

 リボーを攻略している部隊もバイロンらが健在である以上、迂闊に兵を引き返すわけにもいかなかった。

 

 言ってしまえば、オイフェ一行がダーナへ至った時点で、ある程度の目的は達成されたようなものである。

 もちろん、クルトが無事に逃げ延びる事が前提ではあるが。

 しかしそれを成し遂げられれば、あとはどうにでもなる。

 己の生命以外は。

 

「補佐官殿が秘密裏に暗殺される可能性だってあるんだよ。事故に見せかけて殺すことだって可能なんだ。あとからいくらでもゴマカシは利く。叛乱を知っているかもしれない補佐官殿をタダで返すとはとても思えないねえ」

 

 オイフェの身を案じるようにそう言ったレイミアだったが、今更正攻法で凌ぐのはナンセンスであると暗に批判していた。

 そもそもクルト暗殺という外道を画策した連中だ。ルールを律儀に守る事を期待するのは愚かであると。

 

「それこそいきなり殺される可能性は低いでしょう。陰謀を知る私を生かしたまま尋問するはずでしょうから」

「でも、その後おっ死んじまったら同じ事じゃないか」

「その分時間を稼げますよ。お陰様で苛められるのは慣れていますから」

 

 予想外に茶目っ気を含んだオイフェの物言いに、レイミアは頬を僅かに染め押し黙る。だが、実際は容赦のない拷問が繰り広げられるのは想像に難くない。それにオイフェの華奢な肉体が耐え切れるとは思えなかった。

 しかし、オイフェの覚悟は揺るがなかった。

 全てを守り、幸せな未来を掴み取る為。

 それは、目の前のレイミアも同じ。

 そう誓ったからだ。

 

「……わかったよ」

 

 オイフェの覚悟が揺るがぬのを認めたレイミアは、やがてため息と共にそう言った。

 そして。

 

「じゃあ、アタシが護衛で残るよ」

「え?」

 

 今度はオイフェが疑問を浮かべる。

 何を言っているのだ、貴女は部隊を率いて殿下を無事に──

 

「皆まで言わすんじゃないよ」

「んぅっ!?」

 

 そう言おうとしたオイフェだったが、ぐいとレイミアに引き寄せられ、彼女の胸の谷間に顔を埋めてしまう。

 むせ返るような濃い女の匂いが鼻孔を貫き、脳髄を冒す。いかに中身が老練とはいえ、少年の肉体では毒にも等しい香りだった。

 

「それに、ちぃと切れ味が鈍ったんじゃないかい? 補佐官殿」

「~~ッ」

 

 口を開こうとしても弾力のある乳房に阻まれてまともに言葉を発せぬオイフェ。呼吸と共に濃厚な女の匂い、そして潮味が口中に僅かに広がり、オイフェの頬は朱を増していった。

 

「補佐官殿を一人残してダーナを発ったら流石に不自然すぎるさね。芝居を打つならそれなりにケレンを利かせないと」

 

 モゴモゴと口を動かすオイフェ。少年の可愛らしく抗う様子、そして少年の柔い肉を胸に感じ、レイミアは少しだけ陶然とした表情を浮かべるも、常の口調でそのような指摘をしていた。

 

「いいかい? レイミア隊は過酷な行軍に嫌気が差して脱走兵が続出。護衛が逃散して属州領まで無事に辿り着けるかわからないから頭を下げにいくって体だ。実際は少数に分けてグランベル領へ入る。もちろん殿下もね」

「ッぷは! ……それは」

 

 話しながらオイフェを解放したレイミア。レイミアの指摘は、オイフェも全く考えてなかったわけではない。

 というより、その辺りをレイミアに一任するつもりで自身が残ると申し出たのだが、己一人では少々不自然なのも確か。

 

「……わかりました。ご同行お願いします」

「そうこなくっちゃ! アンタ達! ちょっとこっち来な!」

 

 今更危険を説いて引き下がるようなタマではない。そう思い、オイフェは渋々ではあるがレイミアの進言を受け入れていた。

 オイフェの了承を得たレイミアは早速とばかりに幹部連中を呼びつけ、逃散に見せかけた少数での脱出行の打ち合わせを始めていた。少しばかり嬉しそうなのは、心を通じ合わせた少年と共に居られる喜悦が滲んでいるからか。

 

「方針は決まったか?」

 

 そうしていると、シスター姿に扮したクルト王子が声を抑えながら現れる。

 少々憔悴した顔つきなのは、膨大な魔力を消費した疲労が残っているのもあるが、どちらかといえば王族にはやや過酷な逃避行を続けていたのが原因だろう。

 

「殿下、申し訳ありません。このような不甲斐ない有様で」

「いや、よい。ただで逃げられるほど甘くはないのは十分に承知しているよ」

 

 そう言われ、オイフェは改めてクルトが次期グランベル国王にふさわしい度量を持ち合わせているのだなと感じた。

 過酷な旅路を強いる事には文句を言わず、あまつさえ守られるだけでなくレイミア隊の危機を救うべく戦ったクルト。自身の所在が発覚しかねない危険な行為を躊躇わず行ったのは、軽率として咎めるものではない。

 危急の際に果断な行動が出来るのは、王者の気質として申し分なきもの。

 

「それで、今後の方針は?」

「はい。私とレイミア殿で──」

 

 クルトに促され方針を伝えるオイフェ。

 追手を翻弄するべくダーナへ残ると言うオイフェへ案じる表情を浮かべるも、クルトは鷹揚に頷いた。

 ここまで己を導いた少年の才覚。危険なのはオイフェ自身が一番良く分かっているであろうと、今更意見を言うつもりはなかった。

 

「わかった。では、無事に属州領で会える事を願っているよ」

 

 クルトはそう言って馬車へと戻って行った。

 オイフェは想う。クルトは非の打ち所がない君主の器也。だからこそ、どうしてあのような不義を……。

 

「オイフェ!」

 

 ふと、太陽の如き活発な声により、オイフェの思考は中断した。

 

「デュー殿、ちょうどよかった」

 

 デューの姿を見留めたオイフェは頭を切り替える。

 先程クルト王子に語った内容を話すと、当然デューは反対意見を言おうとした。

 だが、オイフェはデューが口を開く前に、懐から封蝋が施された一通の書状を取り出した。

 

「これを」

 

 押し付けるようにデューへ渡す。受け取ったデューは怪訝な表情を浮かべた。

 

「ねえオイフェ。これってオイフェに何かあったら開けろってやつじゃないよね?」

「当たらずといえども遠からずですね。まあ、確実にシグルド様へお届けしてください」

 

 滔々とそう述べるオイフェに、デューははっきりと拒否を示した。

 

「やだよ! オイフェに何かあったらおいら──!」

 

 そう言いかけるも、オイフェにがっしりと肩を掴まれるデュー。

 

「頼みます」

「……」

 

 真摯な瞳を浮かべたオイフェ。運命共同体と認めたからこそ、デュー以外にこの事を任せられない。

 言外にそう述べるオイフェに、デューはしばらく押し黙っていたが、やがて確りと頷いていた。

 

「わかったよ。でも、絶対にエバンスで会おうね」

「はい。もちろん」

 

 潤んだ瞳を浮かべそう言ったデュー。

 オイフェもまた、確りと頷き返していた。

 

 それから、夕闇に紛れレイミア隊は三々五々にグランベル領へ散っていった。

 オイフェとレイミアはそれを見届けた後、揃ってダーナ領主の館へと赴く。

 館にはヴェルトマー家の炎の紋章旗。

 そして、コーエン伯爵家の紋章旗がたなびいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




花京院!(ズアッ)


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第53話『回復オイフェ』

 

 母は決して血も涙もない冷酷な人間などではありません。

 幼少だった私に人目を忍んで会いに来てくれた時は、いつも山のような菓子や玩具を抱えて、はにかんだ笑顔を私へ向けてくれました。

 本質としては、暖かい血の通った、優しい女性だったのです。

 

 一族が犯した罪を償う為、哀しい運命(さだめ)を背負っていた父を弔う為にも。

 そして、母のような悲しい人を、二度と作らない為にも……。

 私は炎の紋章(ファイアーエムブレム)こそが正義の印と世の中の人々に言われるよう、ヴェルトマーに生涯を捧げようと思います。

 このファラの聖痕に誓って──。

 

 

 

 イード砂漠

 ダーナの街

 領主の館

 

「大変な目に遭っていたようですね、属州総督補佐官殿」

 

 ヴェルトマー公爵家に仕える将軍アイーダは、保護を求めて現れたオイフェに開口一番そう言った。

 主に劣らない燃えるような赤髪を携えた女将軍は、目の前の少年軍師を慮るように微笑を浮かべている。

 そして、その隣では、オイフェの内心を見透かすかのように冷然とした視線を向ける、灰色の魔女の姿。

 アイーダと共に、アルヴィスの腹心を務める女武将、ヴァハだ。

 

「アイーダ殿にはご迷惑をおかけしてしまい申し訳なく思います」

 

 ヴェルトマー軍が駐留する領主の館にレイミアと共に訪れたオイフェ。敵陣の真っ只中に自ら飛び込んだ形であるが、その表情は常の沈着ぶりを見せていた。

 レイミアはオイフェの一歩後ろで片膝を付いており、愛剣の銀の大剣はヴェルトマーの従卒に預けている為、現状無腰である。

 が、胸の谷間に隠した懐剣をいつでも抜けるよう、油断なく周囲を警戒していた。ちなみに懐剣はオイフェの手で無理やり押し込めさせており、顔を赤らめながら自身の生肌に手を入れる少年オイフェの羞恥を存分に消化し、少年の暖かな温度を丹念に味わったおかげでコンディション(性欲解消)は概ね好調であった。

 

「いえ、迷惑など。我々は同じグランベルの臣ではないですか」

 

 そう言ったアイーダは、薄っすらと微笑みを浮かべながら、あくまでオイフェを気遣う様子を見せていた。

 無論、オイフェが陰謀の核心を掴んでいるのも、アイーダは承知していた。

 ロプト司祭ベルドが画策したオイフェ一行襲撃。

 現状、陰謀の中核であるアルヴィスとロプト教団の接触は、大司教マンフロイとの不定期の密談のみ。しかし、アルヴィスはただ黙って陰謀の趨勢を眺めているわけではなく、アイーダやヴァハら腹心を用い教団への情報収集を密かに行わせていた。

 オイフェ一行をロプト教団が襲撃した事実は、隠形に長けたアイーダの手の者により確りと観測されており、概ねオイフェが陰謀の一端を掴んだ事による襲撃なのだろうとも察知していた。

 

(流石に殿下が既に脱出しているとは気付いていないだろうが……)

 

 そのようなアイーダの表情からそう思考をするオイフェ。

 この分では、クルトの存在もいずれは発覚しよう。ならば、クルトが安全圏に逃れる為の時間稼ぎをする必要があるのは、既に覚悟していた事だ。

 

「シグルド総督には既に私が使いを出しておきました。属州領から迎えが来るまでこちらに滞在してはいかがでしょう?」

「お気遣い痛み入ります。では、お言葉に甘えてしばらく厄介になります」

 

 思った通り、アイーダは自身をダーナに留めておくつもりなのだろう。そう思いつつ、オイフェは慇懃に返事をする。

 どうせ使いが携えている内容は、恐らくオイフェが負傷、ないし病を得た為、しばらくダーナに滞在するという旨だ。

 ヴェルトマー公爵家ではなくアイーダ個人が使いを出したという言がその証拠。シグルドへ虚偽を報じた事が発覚した際、自らがトカゲの尻尾となるというアイーダの悲壮な覚悟が滲み出ていた。

 ともあれオイフェが事前に推察した通り、アイーダはこの時点で属州領及びシアルフィを敵に回すつもりはないようだ。

 

「……」

 

 今すぐに拘束されないと察知したレイミアは、それまでの警戒を幾分か緩めていた。

 護衛が逃散したという偽装がうまくいった。そう確信しつつも、完全に警戒を緩める事はせず。

 アイーダが放つ冷徹な空気が、油断する事を戒めていたからだ。

 

「ところでアイーダ殿」

「なんでしょう補佐官殿」

 

 表面上の空気が和んだのを見計らい、オイフェはアイーダへなんとなしに言葉をかけた。

 

「コーエン閣下はお元気でしょうか。以前、宮殿でお見かけしたのですが、ろくにご挨拶も叶いませんでしたので」

「ああ、それは」

 

 思いがけず実父の名が出たのを受け、アイーダは少々面食らう。

 基本ヴェルトマーから出ないコーエン伯爵であったが、アルヴィスへ領内のあれこれを報告する為に度々バーハラ宮殿へ赴いている。この間もコーエンはアルヴィスと謁見しており、オイフェもまた属州領立ち上げで宮殿へ足を運んでいるからして、両者がニアミスしていたであろう事は、アイーダも納得していた。

 

「もちろん、我が父はまだまだ壮健です」

「そうですか。それは良かった」

 

 にこりと可愛らしい笑みを浮かべるオイフェ。少年の無垢な笑顔を見て、アイーダもまた表情を綻ばせる。

 

「閣下の次子様もお変わりない様子と伺いました。たしか、今は十歳になられたとか」

 

 しかし、直後に放たれたオイフェの言葉で、アイーダの目は僅かに細まった。

 

()の事をご存知なのですか?」

「はい。よく存じております」

 

 やや不自然なオイフェの言動。コーエン伯爵に男子──己以外の庶子がいる事は、なにも隠しているというわけではない。オイフェがそれを知っているのもおかしくはないが、それにしてもここで話題に出す意味は。

 少年軍師の真意を測りかねるアイーダだったが、オイフェは構わず続ける。

 ただの時間稼ぎをするつもりはオイフェにはなかった。

 前世知識を用い、アイーダへ強烈な餌をチラつかせる。

 端からそのつもりで、炎の紋章、その懐へ飛び込んだのだ。

 

「ヴェルトマー家を支えるに相応しい、将来楽しみな少年と聞いております」

「それは、過分なお言葉を」

「いえいえ。()()()()()()()()()()として、健やかに成長して欲しいと願っております」

 

 聖痕という言が出たのを受け、とうとうアイーダから笑みが消えた。

 

(まさか……ッ)

 

 知っているとでも言うのか。

 サイアスが私の子なのを。

 サイアスがアルヴィス様の子なのを。

 そして、ファラの聖痕が現れているのを。

 

 疑念は深まり、ある種の確信となっていく。

 慇懃なオイフェの態度。そして、アイーダの直感がそれを是と認めていた。

 

「……お疲れでしょう。部屋を用意しておきました。今宵はゆるりとお過ごしください」

 

 アイーダはそれ以上オイフェとの会話を控える事にした。

 腹の探り合いは不得手というわけではないが、この少年軍師にはこれ以上余念を晒すわけにいかない。

 

「ご配慮に感謝いたします」

 

 そう言って、オイフェはぺこりとお辞儀をした後、レイミアを伴い退室していった。

 

「……アイーダ。いいのか」

 

 オイフェが退室したのを見計らい、それまで黙していたヴァハがそう言った。

 腹の中の読めぬ少年軍師。その真意を放置していては、陰謀成就の致命的な障害になるのではないかと。

 

「良い。どちらにせよ補佐官は我々の手中にある……いざとなれば本当に病を得た事にすればいい」

 

 険しい表情を浮かべながらヴァハへそう返すアイーダ。

 言外に、オイフェへの苛烈な拷問を示唆していた。

 無論、その後の口封じも含めてである。

 

「そうか。なら、私は一旦リボーへ向かう。フリージやドズルの連中が漏らした場合、直ぐにこちらへ戻ってくるつもりだ」

 

 信頼する同僚に全てを任せたヴァハ。

 常に浮かべる怜悧な表情を引き締めながら、陰謀の最前線へと向かうべく退室しようとした。

 

「アイーダ」

 

 去り際に、ヴァハはアイーダへちらりと振り返った。

 

お前の弟(サイアス)の事は心配するな。何かあれば私も守ってやる」

 

 そう言って、ヴァハは退室した。

 

「……ありがとう」

 

 姿が見えなくなったヴァハへ、アイーダは静かに感謝を述べる。

 そして、一時でも同志を疑った自分を恥じていた。

 サイアスの素性はヴェルトマーでも極々限られた者しか知らない。そして、その内の一人がヴァハだった。

 一時期はアルヴィスの夜伽役を巡り争った仲でもあるアイーダとヴァハ。しかし、アルヴィスの覇道を共に支えようと誓ってから、アイーダとヴァハの間にわだかまりは存在せず。

 サイアスを身ごもった時などは、「例えアルヴィス様との子じゃなくても一生後悔するぞ」と、堕胎しようとするアイーダを同じ女としての立場で止めていた。

 そして、ファラの聖痕が現れてからも、決してその秘密を漏らさないとも誓っていた。

 

 共にアルヴィスへ忠愛を抱き。

 共にアルヴィスを支える同志であり。

 そして、共に助け合う、親友だった。

 

(だからこそ)

 

 なぜオイフェがサイアスの秘密を知っているのだろうか。

 最初はヴァハから漏れたと思ってしまったが、先程のヴァハの言葉が、それを明確に否定していた。これも直感でしかないが、アイーダはどうしてもヴァハが裏切っているとは思えず。

 

「色々と聞き出す必要がある……」

 

 愛する主君の為に傲然と情念を燃やすアイーダ。

 しかし、オイフェに対しては、氷の如き冷めた温度を向けていた。

 

 

 


 

「なんだか色々とぶっこんでいたようだけど……大丈夫なのかい?」

 

 用意された客室にて。

 監視、盗聴の仕掛けが無い事を確認した後、やれやれとベッドの上で寛ぎながら、やや不安げにそう言ったレイミア。もちろん、オイフェの身を案じての言である。

 

「何かしら仕掛けてくるかもしれませんが、今は直接的な行動は取らないでしょう。アイーダ殿には殿下の動向から注意を逸らしてもらわなければなりません。だから、私への疑念を植え付ける必要がありました」

 

 レイミアの心配を余所に淡々とそう述べたオイフェ。

 元から陽動として乗り込んだのだ。全て覚悟の上での会見である。

 とはいえ、「お前たちの陰謀はまるっとお見通しだ!」などと宣うどころか匂わすだけで「そうですか。じゃあ死んでもらう」と秒で処刑されるのは目に見えており、ただの自虐行為である。

 そこで、陰謀とは直接関わりの無いサイアスの素性を、暗に知っていると匂わせたのだ。

 様々な事象が重なり、今やアルヴィスのアキレス腱になりうるサイアスは、アイーダの注意を引くのに恰好の存在でもあった。

 

「そうかい。それにしても、コーエン伯爵に息子がいたなんて知らなかったさね」

「公表はしていましたが、伯爵家の後継はアイーダ殿と既に決まっています。庶子であるサイアス殿はあまり目立つ存在ではないという事でしょう」

「ふうん……」

 

 表向きはサイアスはコーエン伯爵の庶子である。これも貴族社会では特に珍しい事でもないし、庶子に注目する者もそうそういないのは、レイミアも理解するところだ。

 前世があるとレイミアへ告白したオイフェだったが、大まかな情報しか共有しておらず。

 サイアスの素性は、未だレイミアも知らぬ事だった。

 

「……サイアスって子、本当はアルヴィス卿の隠し子だろ?」

 

 しかし、オイフェとアイーダの僅かな会話から、サイアスの正体を看破したレイミア。

 地獄の女傭兵は耳も地獄耳なのか。そう感心しつつも、オイフェはレイミアならあの程度の会話から察するのも可能だろうとも思っていた。

 

「はい。ファラの聖痕を受け継ぐ、正統なヴェルトマー継承者です。そして、母親はお察しの通りアイーダ殿です」

「やっぱりねえ……。それじゃ、いずれはロプトの連中に狙われる事になるわけだ。腹を痛めた我が子を守ろうとする、健気な母親の機微に付け入るって事さね。あくどい策だ」

 

 否定はしない。

 というよりも、そのくらいのセンシティブな内容でなければ、知略にも長けるアイーダの注意を引くことは叶わないのだ。

 半端な言を宣うものなら、即座にその違和感を見抜かれ、芋づる式にクルトの逃亡を察知せしめるだろう。

 当然、オイフェ自身はそのまま亡き者として扱われるのだ。それは何が何でも避ける必要があるのも当然である。

 

「でも、それが上策なのも理解しているよ」

 

 そう言って、レイミアは冷たい笑みを浮かべた。

 元よりこの女傭兵も悪辣な手段を常用し、日々の糧を得てきたのだ。この程度の奸計など責める気にもなれなかった。

 

「はい……」

 

 じっと瞑目するオイフェ。

 その脳裏には、かつての前世における、ファラの正当なる後継者──策謀の出汁にしてしまった、サイアスの姿があった。

 

 

 

 解放戦争終結時。

 ロプトウスの化身であり、闇の皇子ユリウスを打倒したセリスら解放軍は、喜びもつかの間、直ぐに戦後世界の立て直しを余儀なくされた。

 

 グランベル七公国、周辺五王国。

 聖戦士の末裔達は、責務、使命、因縁、そして想い人との幸せを掴む為、それぞれの故国へと散っていく。既に各々がその内意をオイフェら解放軍重鎮に伝えていた。

 しかし、ヴェルトマー公国の処遇だけは、オイフェとレヴィンが直接介入する必要があった。

 

 全ての元凶でもあるロプト教団。その闇の勢力にもっとも近い存在であり、そして皇帝アルヴィスの勢力基盤だったヴェルトマー公国。当然、解放軍の主だった者達の中にも、口にこそは出さぬが、ヴェルトマーの取り潰しを願う者もいた。

 アルヴィスやユリウスという“悪”に対して、ヴェルトマー自体を取り潰す事で帝国統治時代の総括をさせる。

 もっともらしい理由だけに、当初オイフェはこの案に条件付きではあるが賛意を示していた。無論、ヴェルトマーはバーハラ王家──セリスの直轄領として編入し、ヴェルトマー家は宮廷祭祀として政治的な実権から切り離す。

 言い換えれば、ヴェルトマー家を完全にバーハラ王家の支配下に置くのだ。

 

 しかし、これにレヴィンが難色を示した。

 聖戦士の系統は独立、ないし半独立性を保ってこそ均衡が得られる。

 ただでさえ聖剣ティルフィングを懐いたままグランベル王となるセリスに、神聖魔法ナーガを継承したままのユリアが付いているのだ。これ以上、バーハラ王家に神器が集中するのは、今代はともかく、後のユグドラルに禍根を残すのではないかと。

 基本的に、ひとつの家に神器が二つ以上あってはならないのだ。

 ナーガがヘイムに神器を分散させるよう戒めた逸話を交え、レヴィンはそう語っていた。

 

 ちなみに、統一トラキア王国で新王リーフの後見として留まる王女アルテナも、弟の統治がある程度落ち着いた後は、ゲイボルグをトラキア王家に返上し、エッダの新教主となるコープルの元へ行く内意を伝えている。

 無論、これはリーフらトラキアの面々も承知済であり、顔を赤らめたアルテナの背中を微笑ましい眼差しで後押ししていた。

 オイフェはリーフの血統にゲイボルグ継承者が現れなければどうするのだと疑問を浮かべたが、これに関してはコープルとアルテナの子は必ずブラギの聖痕が第一に顕現すると、レヴィンはそう断言していた。

 直系同士で子を成した場合、主に男系聖痕が優先的に現れるのは過去の例から見ても納得は出来たが、レヴィンの言はそれとは別に、何かしらの確信をもった発言である。

 

 解放戦争が終結してから十数年後。

 レヴィンが言った通り、リーフとナンナの子にノヴァの聖痕が、コープルとアルテナの子にブラギの聖痕が現れたのを受け、オイフェはレヴィン──風竜フォルセティが、解放軍の若者たちの為に何か仕組んでいたのではないかと、冗談まじりにセリスへ述懐していた。

 それぞれの恋路を応援していたオイフェ。政治的なハードルはオイフェが奔走し解決していた。しかし、聖痕が絡む血統問題に関しては、オイフェですらどうしようもなく。オイフェは密かにフォルセティへ感謝を捧げていた。

 

 話をヴェルトマー継承問題に戻す。

 レヴィンの意向によりヴェルトマー家は存続する事となったのだが、問題はその継承者だ。

 当初、ヴェルトマーは本人の意思もあり、アゼルとティルテュの遺児であるアーサーが継ぐ事となっていた。

 しかし、これにオイフェが待ったをかける。

 アーサーがヴェルトマーを継ぐとなると、必然的にフリージはアーサーの妹、ティニーが女公爵として継ぐ事となってしまう。

 

 これは流石に忍びなさすぎる。そうオイフェは反意を示していた。無論、ティニーがシレジア王となるセティと結ばれていた事実を鑑みての事である。

 ティルテュの姪であり、同じフリージの血族であるアルスターのミランダ王女も、フリージの継承権を持っていたが、彼女は戦後、とある騎士と恋に落ち、そのまま行方をくらませていた。

 

 フリージの継承者はアーサーを於いて他は無い。

 ならば、ヴェルトマーは誰が継ぐ?

 オイフェの言にそう返したレヴィン。オイフェは、一人の男の名を告げた。

 

 サイアス・コーエン。

 レンスター解放戦争終盤、類まれなる知略を駆使し、リーフ軍を大いに苦しめた元バーハラ宮廷司祭。そして、皇帝アルヴィスの実子にして、正統なるファラの系譜を抱く者。

 結局、サイアスはリーフ軍に敗れ、そのまま俘虜となっていたが、その身はリーフ軍がセリス軍と合流してからも表には出ていなかった。

 

 理由はひとつ。

 サイアスの身の安全を、リーフが慮っていたからだ。

 同じリーフ軍に所属するサラ──ロプト大司教マンフロイの孫娘であるサラと同様、サイアスの出自は解放軍の面々に余計な諍いを起こしかねない。昨日の敵が今日の友となる解放軍ではあるが、それでもサイアスがアルヴィスの実子である事は、恨みを筋違いした者による凶行を招きかねなかった。実際、ティニーがセリス軍に投降した時も、同様の事案が発生している。

 故に、解放戦争が終結するまで、サイアスはサラ共々レンスター某所にて匿われる事となっていた。

 

 当然、オイフェはサイアスの出自含めて承知済だ。

 しかし、トラキア戦の頃、サイアスに直接面会したオイフェは、不思議と憎悪の感情を抱くことはなく。

 仇敵の特徴を良く受け継ぐ赤髪を見ても、オイフェの憎悪はあくまでアルヴィス本人にあった。もっとも、オイフェが分別をつけていたというより、サイアス自身の人柄が、オイフェに憎悪を抱かせる余地を与えなかったのもあった。

 

 ともあれ、こうしてサイアスは再び表舞台に立つ事となる。

 そして、セリスがグランベル王として戴冠し、各国へ赴く解放軍の面々と謁見した時。

 セリスは、サイアスへ言った。一番辛い役目を押し付けてしまったと。

 

 サイアスは気丈に振る舞い、父母の哀しみを弔うとセリスへ誓っていた。

 各公爵家の者と同様に、バーハラ王家へ絶対の忠誠を誓い、ファイアーエムブレムを正義の印にすると。

 その様子を、オイフェは感慨深く見つめていた。

 

 オイフェが秘める激しい憎悪は、この時、ファイアーエムブレムにより封印が施されていたのだ。

 そして、その封印は、オイフェの今際の時まで破られる事はなかった。

 

 

 

 そのような過去(未来)を回想していたオイフェ。

 しかし、今を生きるには、今の現実、現状に目を向かなければならなかった。

 

「あの、ところで」

「あん?」

 

 そう言って、オイフェはもじりと身じろぎをひとつ。

 

「私はいつまでこうしていればいいのでしょう?」

 

 オイフェはレイミアに後ろから抱きかかえられた現状に疑問を浮かべた。

 客室に入り、不審な物がない事を確認した直後。

 オイフェはレイミアに引っ張られ、こうして今の今まで抱っこスタイルで会話していたのだった。

 

「いいじゃないか。こうしていると落ち着くんだ」

「あっ」

 

 そう応えながら、レイミアはオイフェを抱えたままベッドに横たわる。

 客室には二つベッドが備えつけられていたが、このまま一つのベッドしか使わないつもりなのだろう。

 しっとりとした女の香りに包まれながら、オイフェは特に抵抗せずレイミアのされるがままだった。

 

「こうしていると、なんだか身体の調子も良くなるしねぇ」

「はあ……」

 

 くんくんとオイフェの柔い髪を嗅ぎながらそう言ったレイミア。こころなしか声も弾んでいる。

 オイフェはため息交じりに諦観の念を浮かべていたが、現実問題、レイミアが本調子でないのも承知していた為、彼女の好きにさせていた。

 

 トラキア竜騎士団、そしてロプトマージらの襲撃を受け、オイフェを庇い重傷を負ったレイミア。

 救助された際、傭兵団のシスター総出で回復聖杖による治療を受けていたレイミアだったが、完全に復調したわけではない。

 クルトもリカバーを用いレイミアを治療していたが、そもそも回復聖杖による治療魔法は、対象者の生命力(エーギル)を術者と魔杖の力により活性化させ、自己治癒力を極限まで高めるものである。

 瀕死の重傷者ですら完治せしめる治癒魔法。しかし、負傷の性質によっては、対象者が完治するまで相応の時間がかかるものであった。

 

 特にレイミアに関しては、闇魔法の直撃を受けたのもあり、外傷以外にも病毒めいたダメージも負っていた。

 治癒魔法は外傷にこそ絶大な効果を発揮するも、疾患病毒に関しては特に効果は認められない。

 治癒魔法がこれだけ普及しても、様々な医薬品を調合する薬師の数が減らない理由でもある。

 必然、しばらくは安静を強いられる身体なのだが、無理を通しているのはオイフェも同様。だから、レイミアの好きにさせていたのだ。

 アイーダと会見する前のプチセクハラ程度では、レイミアが調子を取り戻すはずがないとも思っていたが。

 

「ねえ、オイフェ」

 

 甘ったるい声でオイフェの耳朶へ囁くレイミア。

 耳元に艶めかしい吐息を受けつつ、オイフェは努めて平静を保とうとする。

 

「なんでしょう、レ……レイミア……」

 

 しかし、いざ名前を呼び合う仲になったのを再確認すると、オイフェの心臓は早鐘を打ってしまう。

 男女の恋愛という情事に一切経験が無かったオイフェ。改めてそのようなアレコレを意識してしまうと、どうにも羞恥が勝ってしまうのは、致し方のない事なのだ。

 

「こっち向いてよ」

 

 そのようなオイフェに、上気した顔で諧謔味のある笑みを浮かべるレイミア。

 同じく顔を赤らめつつ、もじもじとしながら身体を向けた美少年軍師を見て、アラサー女傭兵のスイッチ(ショタコン性癖)はオンである。

 

「……」

「あ、あの、無言でその、触られても……ッ」

 

 急に真顔になり、オイフェの下腹部を服越しにまさぐるレイミア。

 

「んぅ……ッ」

 

 真剣な表情で鼻息を荒くしつつ、オイフェのオイフェをオイフェし続けるレイミア。

 羞恥に悶える美童に、熟れた肉体を持て余す女豹は盛り上がる一方だった。

 

 ところでオイフェ自身気付かぬ事ではあったが、知略を駆使している時以外、この少年軍師の精神は肉体に同調しつつあり。

 つまり、身も心も少年そのものに戻っていた。

 だが、少年ではあるが子供ではない。

 権謀術数に怜悧な知を振るう少年──しかし、艶事には不慣れでいちいち羞恥に悶えるシャイボーイという、アンバランスな魅惑を放っていた。

 

 故に、麻薬だ。この無垢な肉は。

 だから、喰わずにはいられない。

 回復云々以前に、三大欲求を満たす為にも、レイミアはオイフェを貪る必要があった。

 

「……」

「あ、あの、なにを」

 

 おもむろにオイフェへ覆いかぶさり、少年の柔肌を晒すべく黙々と衣服を剥ぎ取るレイミア。

 レイミアもまた乱雑に衣服を脱ぎ始めた段階で、オイフェはそう抗議するも、もはや色々と手遅れであった。

 

「レ、レイミア。貴女はまだ本調子じゃないですし、そもそもここは敵地の──!?」

 

 レイミアは尚も抗弁を続けるオイフェの口を、自身の熱い唇で塞いだ。

 ずっとお預けを喰らっていたのだ。例え敵地の真っ只中でも、据え膳食わぬはなんとやら。

 言い換えれば、ただの節操無しであった。

 レイミア隊幹部達が、自らの頭目に多分に残念な影響を受けていたのは、もはや語るまでもなかった。

 

 

 翌日。

 レイミアは色んな意味で復調していた。

 オイフェは、ちょっと疲れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ティニーがお嫁に行けない問題を解決するにはティルテュを平民キャラにくっつけるしか方法がないのですが、アゼティルの初々しく甘酸っぱいフルーティーなロマンシングスケベの為にもサイアスには確実に生き残ってヴェルトマーを継承して頂く(ロプトリスク急上昇)


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第54話『占爺オイフェ』

 

「昨日はお愉しみでしたね」

 

 アイーダから朝食を誘われたオイフェは、朝の挨拶もそこそこに炸裂したこの言に思わず啜りかけたスープを噴出しそうになる。

 あくまで従者の立場であるレイミアは同席はしていなかったが、オイフェの後ろでニンマリといつもの諧謔めいた笑みを浮かべていた。ちなみにレイミア自身は既に朝食を済ませている。

 

「まあ、寛いでいただけているようで安心しましたが」

 

 淡々と朝食をとりながら極力オイフェから視線を外すアイーダ。自身も貴族階級であるが故に、貴人との距離の取り方は実に如才ない。とはいえ、客観的には自身とほぼ同格の身分であるので、オイフェにはそのような物言いが許されていた。

 それにオイフェの年頃なら、護衛兼愛妾を抱えていても不自然ではないのだ。自身もアルヴィスと同様の関係なので良くわかる。

 

「これは、その」

「いえ、不躾な物言いで申し訳なく。ですが、そちらの従者殿にはもう少し声を抑えるよう申し付けては?」

 

 その割には容赦なく言葉責めをかますアイーダ。少年オイフェは気恥ずかしそうに顔を赤らめるのみである。

 しかし、これは予め予想していた事であり、狙い通りとも言えた。

 

 昨晩の営みではレイミアの嬌声(時折オイフェの快楽混じりの苦悶の声も混じっていたが)が部屋の外にも漏れ聞こえる程であったが、これはある意味意図的に行われていた。

 護衛が逃散し、情けなくもアイーダへ保護を求めた属州領補佐官。そして、陰謀を知らぬまま呑気に女傭兵と乳繰り合う少年。

 そのような擬態に一味加えるべく、レイミアは必要以上に艶めかしい声を漏らしていたのだ。

 

 もっとも、行為の途中から擬態ではなくマジのアレになっていたが、結果オーライではある。

 給仕を務める使用人達の生暖かい視線に苛まれているのも、覚悟の上だ。

 

「善処します……」

 

 そう言いながらおずおずとスープを啜るオイフェ。後ろではさて今夜はどのようにオイフェを虐め抜いてやろうかと、愉悦げに口角を歪めるレイミアの姿があった。

 

「……」

 

 アイーダはちらりと視線を上げる。羞恥に悶えるオイフェ、そのオイフェに剥き身の性欲を向けるレイミアを見て、品の無い連中だと思いつつ。

 しかし、やはりどこか怪しい。

 そもそもサイアスの話を持ち出した時点で、腹に一物を抱えているのは確かなのだ。

 ヴェルトマーの女武将の勘は冴えていた。

 

「補佐官殿。今日は街を見て来てはいかがでしょう?」

「街をですか?」

「ええ。ダーナはイザーク軍に荒らされましたが、当面の復興は完了いています。ちょうど、戦需で商人達も戻って来ていますし、退屈はしないと思いますよ」

 

 そのような提案をするアイーダの思惑は至極単純。

 このまま館に滞在している状態より、あえて館の外に泳がせてオイフェの腹の中を探る。

 自由にさせる体でその実、監視の目は厳重。そこはオイフェも分かっていた。

 

「そうですか。では、今日は街を見てまいります」

 

 しかし、オイフェはこれに乗った。

 どうせ館の外でも中でもダーナにいる限りは四六時中監視がついているのだ。

 ならば、いざという時──脱出する為の経路を下見するのも悪くはない。

 

「ダーナは我がヴェルトマーの手勢により治安が維持されています。良い気分転換になるでしょうし、ゆっくりと見て来てください」

「はい。ありがとうございます」

 

 薄い笑みを浮かべながら、アイーダはオイフェへそう言った。

 オイフェもまた、作ったような微笑を返していた。

 

 

 

 

「んで、補佐官殿はどういう見立てなんだい?」

 

 しばらくして街に繰り出したオイフェとレイミア。

 ダーナは先のリボー軍の侵攻により略奪の限りを尽くされていた。しかし、その後グランベル軍がダーナを奪還すると、そのままイザーク遠征軍の拠点とするべく急ピッチで街の復興が果たされていた。

 今もところどころ崩壊した建物が散見されるが、往来では人々の活気が戻っている。

 露店が立ち並ぶ大通りで、レイミアはそうオイフェへ問いかけていた。

 

「思ったよりは戦禍の影響を受けていないと思います」

 

 差し障りない言葉を返すオイフェ。

 ちらりと後方へ意識を向けると、通行人を装った監視の存在を感じた。会話も聞かれているだろう。迂闊な事は話せない。

 

「そうさねぇ」

 

 レイミアもそれを分かっているので、突っ込んだ話はしない。

 だが、オイフェもレイミアも鋭い視線で街並みを見回していた。

 ダーナの復興状況。そして配置されたヴェルトマー軍の規模。軍需物資の集積状況。

 それらをそれとなく確認し、脱出する為のルートを確認する。

 

「そう遠くない内にダーナは以前の活気を取り戻すと思いますよ」

 

 要所にヴェルトマー兵が立哨していたが、数はそう多くはない。それを見て、オイフェは街からの脱出がそう難しくないと悟った。

 しかし、いざ脱出するならば、そもそも領主の館から脱出しなければならない。街の警備より館の警備が厳重なのは理解しており、アイーダの監視がもう少し緩まなければ、それは果たせそうに無かった。

 

「でもまだ荒れてる所が目立つと思うけどね。ちとカマをかけすぎたんじゃないかい?」

 

 レイミアは言外にサイアスの存在を匂わせた事を責めた。

 クルト王子脱出の確度を上げる為とはいえ、アイーダの注意をいささか引きすぎたのではないか。

 

「巡察には微妙な塩梅が必要なのですよ」

 

 澄ました顔で応えるオイフェ。

 何もしなければ、アイーダはダーナ周辺へ注意を向ける可能性があった。本当に護衛が逃散したのか、それくらいは確認をするだろう。

 そして、芋づる式にクルト逃亡が発覚する可能性もゼロではなかった。

 

「ま、いいさ。それよりせっかくだから色々見て回らないかい?」

 

 ともあれ、己は既にオイフェ一点買いをした身であり、そして深い関係となった間柄。傭兵団の将来もあるが、ここまで来てオイフェを見捨てる事は出来ない。

 そのようなレイミアを見て、オイフェははにかんだ笑みを浮かべた。

 

「……では、僭越ながら私がエスコートしましょう」

 

 そう言って、オイフェは細い腕をレイミアへ差し出した。

 少々赤面しているが、堂々たる少年紳士ぶりである。

 

「そうかい」

 

 対し、レイミアは常の諧謔めいた笑みを浮かべるのみ。

 しかし、よく見るとその頬は僅かに朱を差しており。加え、滋味のある穏やかな瞳を浮かべていた。

 オイフェの腕に自身の腕を絡ませるレイミア。身長差があるので紳士淑女の連れ合いというより、背伸びした弟と出かける姉のような光景となったが、それでも二人が纏う空気は、どこか暖かみのあるものだった。

 

 これは擬態。

 アイーダの注意を引きつつ、過度な警戒心を持たせない為の演技であり擬態。

 そうお互いに言い聞かせながら、オイフェとレイミアは街を見て回った。

 

 いつか、本当にこうして──。

 ふと、レイミアはそのような感情が、心の奥底から湧き上がるのを感じた。

 しかし、それは果たしていつになるのだろうか。

 本当に、その時は来るのだろうか。

 

「……」

 

 答えを求めるようにオイフェの顔を見るレイミア。

 オイフェは、儚げな笑顔を返すだけだった。

 

 

 

「そこな方。宜しければ運勢を占ってみんかね?」

 

 ひとしきり露店を冷やかした後。

 オイフェとレイミアは、街路の片隅にぽつんと店を構える占い師に呼び止められた。

 

「えっと……」

「面白そうじゃないか。ちょっと見てもらおうよ」

 

 白鬚を蓄え、ボロを纏う老人占い師。その姿を訝しむオイフェだったが、レイミアは占いに乗り気のようだ。

 手を引かれ、占い師の前に進む。

 

「名前を伺っても?」

 

 別に隠す必要はないので、本名を名乗るオイフェとレイミア。

 占い師は手元の水晶玉へ手をかざし、しばし瞑目する。

 

「オイフェ殿とレイミア殿……お主らは既に結ばれておるぞ。そりゃもうずっこんばっこんと」

「え、あ、はい」

「何言ってんだいこのジジイ」

 

 別に隠す必要はないが、急に下世話になった占い師に困惑するオイフェ達。

 しかし、この手の占いはこういうものなのかもしれんと、オイフェは考えを改める。

 前世でも解放軍の若き女性達が、こうして街の占い屋に足を運んでは、一喜一憂していた姿を思い出したからだ。

 

「ほほう。常にレイミア殿が上位のプレイとな。しかしレイミア殿はたまには自分を責めて欲しいとも思っておるようじゃぞ」

「え、あ、はい」

「何言ってんだいこのジジイ!」

 

 別に隠す必要はないのだが、割と容赦なく性癖方面で攻めてくる占い師に更に困惑を深めるオイフェ達。

 こんなセンシティブな内容を毎回聞いていたのかあの子達は。たまげたなあ。

 そのような益体もない事を考えつつ、占い屋へ足を向けた事を後悔し始めるオイフェ。レイミアは既に羞恥を殺意へと変換し始めていた。

 血の雨が降る前に帰ろうかと思ったオイフェ。しかし、占い師が妙に神妙な顔付きを浮かべたのに気付く。

 

「それにしても、オイフェ殿はなかなかに不思議な運勢を纏っておるのう」

「え?」

 

 それまでの下ネタ占いとは違う空気を放つ占い師。

 オイフェもまた困惑しつつ居住まいを正す。

 

「しかしこのままでは幸せにはなれんな」

 

 そして、占い師はそう断言した。

 

「どういうことだい?」

 

 オイフェに代わり険のある言葉を返すレイミア。

 深く繋がった少年の、不穏な未来を予測する占い師を睨む。

 しかし、占い師はレイミアの視線を無視し、言葉を続けた。

 

「大切な人達を守る。立派な心がけじゃ。じゃが、時には大切な人達に頼る事も大事じゃ」

「……」

 

 占い師はじっとオイフェを見据えそう言った。

 オイフェは変わらず沈黙を続ける。

 どこか、占い師が纏う空気、この感覚には覚えがあった。

 

「隠し続けるのは辛かろう。だから、思い切って何もかもを伝えればよい。そうすれば、運命の扉は()()()()開かれるじゃろうて」

 

 神秘的な空気を纏う占い師に、オイフェは突然外界と隔離された感覚に陥る。

 周囲は闇に閉ざされ、自身と占い師しかいない空間。

 当惑を強めるオイフェに、占い師は最後にこう言った。

 

「達者でな……聖戦の系譜を継ぐ者よ」

「えっ?」

 

 突として視界が開ける。

 ダーナの街。先程と変わらない光景。

 しかし、目の前の占い師の姿は消え失せており。

 

「どういうまやかしだい……」

 

 卓越したレイミアの視力を持ってしても、占い師が突然消えたようにしか見えず。

 残された水晶玉、無人の占い屋の露店を見て、オイフェは精霊の森での一件を思い出していた。

 

『貴方の幸福を祈っています』

 

 泉の精霊にそう言われたオイフェ。

 何かしら超常の者が、こうして自身へ忠告を与えてくれたとでもいうのか。

 もしかしたら、自身の逆行にも何か関わりがあるのだろうか。

 

「大切な人……」

 

 ふと、そう呟く。

 それから、レイミアを見上げた。

 

「なんだい?」

「いえ……」

 

 目の前のレイミアは、もはやデューと同じく運命を共にする者。

 そして、大切な、愛おしい女性。

 守ると同時に、十分に頼っている存在だ。

 だが、あの占い師が言ったのは、デューやレイミアの事だけではないのだろう。

 

「シグルド様……ディアドラ様……」

 

 エバンスにいる大切な人々。

 シグルドやディアドラ。それに、アレクやノイッシュ、アーダンらシアルフィの先輩騎士達。

 加え、前世でシグルドと運命を共にした勇者達。

 今生ではまだ出会えていない勇者達も、それに含まれているのだろう。

 

「……」

 

 オイフェは黙考する。

 デューだけではない。

 己の秘めたる何もかもを、大切な人々へ伝える必要が迫られていた。

 しかし、それは果たしてこの段階で吉と出るか。

 はたまた、取り返しのつかない凶事を招くのか。

 こればかりは、軍師の頭脳をもってしても分からなかった。

 

「……まあ、何があってもさ」

 

 レイミアは押し黙るオイフェへ、優しげな言葉を向けた。

 

「アタシだけは、ずっとオイフェの味方だよ」

 

 そう宣言したレイミア。いつもの諧謔めいた笑みに、真摯な眼差しを浮かべながら。

 

「……私も、レイミアの味方です。ずっと」

 

 オイフェは、レイミアの瞳を真っ直ぐに見つめながら、そう応えていた。

 

 

 

「あ、お客さん来てたんですか!?」

 

 そこへ小用へ出かけていたと思われる本物の占い師が現れる。

 先程の老人とは違う意味で怪しさ溢れる風体の占い師だった。

 

「それじゃあ占っていきますね~……お主らは既に結ばれておるぞ。そりゃもうずっこんばっこんと」

「え、あ、はい」

「またかい!」

 

 戦禍に苛まれたダーナの街で、少年軍師と女傭兵の困惑した声が響いていた。

 

 

 

 それからしばらくして。

 ダーナの街、領主の館へ至る兵団あり。

 精強で知られたフリージ公爵家騎士団ゲルプリッター。

 オイフェ一行を追う、騎士オーヴォの部隊である。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第55話『拷問オイフェ』

 

 フリージ家騎士オーヴォは、切迫感に駆られながらも努めて平静を装い、ここダーナの領主の館、その門を叩いた。

 既に配下のマージナイト達を街の要所、外周へと散らせており、目的の人物が密かに脱出しても対応できるようにしている。

 しかし、引き連れていた騎士の数は二百程。とてもではないが、街の包囲を単独で可能にする戦力ではない。

 故に、ここでケリをつけるつもりでいた。

 

「フリージ家の騎士殿がこんな時刻に何の御用で?」

 

 既に日が沈んだダーナの街。

 かがり火が照らされた領主の館、その門から、数名の配下を引き連れて一人の女将軍が現れる。

 ヴェルトマー名門貴族コーエン家の跡継ぎにして、ロートリッターの司令官騎士(ナイト・コマンダー)、更に、ヴェルトマー公爵アルヴィスの愛妾でもあるアイーダだ。

 一部隊を率いているとはいえ、ただの騎士将校(ナイト・オフィサー)身分でしかないオーヴォとは格が違う。

 しかし、オーヴォは怯むことなく用件を伝えた。

 

「こちらに属州総督補佐官が逗留していると伺った。我が主ブルーム公子の命により、その身を改めさせてもらう」

 

 オーヴォはそう毅然と言い放った。

 アイーダは美笑を浮かべた。

 

「理由を聞いても?」

「言えない。主命だ」

 

 不遜な態度を崩さないオーヴォ。必然、アイーダの背後に控えるヴェルトマー兵も、剣呑な空気を醸し始める。

 この場で泰然自若としているのは、アイーダだけだった。

 

(さて……)

 

 それから、アイーダは冷然と脳髄を働かせた。

 ここでオーヴォの言う通り、オイフェの身柄をあちらへ引き渡すか。

 フリージ軍がわざわざ快速部隊(マージナイト隊)を送り出すくらいだ。オイフェが陰謀の全容とまではいかなくとも、一端は掴んでいるのは状況的に明らかになった。

 故に、オイフェを引き渡し、その口を封じる事で陰謀成就を盤石とするか。

 

 しかし陰謀を共に諮る叛逆諸侯ではあるが、現時点で情勢は未だ不安定。クルト王子暗殺が果たせてない以上、表だっての協力は憚られた。それはフリージ家も同じで、だからこそオーヴォは理由を話さなかったのだろう。

 加え、オイフェはサイアスの存在──ファラの聖痕を受け継いでいるのを知っている節があった。

 仮にオイフェからその存在が漏れ、フリージ家にサイアスがアルヴィスの子だと知られても、実のところ何ら問題があるわけではない。

 問題は、アルヴィスが密かに接触している暗黒教団に、その存在を知られる事だった。

 

 当然、アイーダはアルヴィスがマイラの血統を汲んでいるのを知らない。だからこそ、主が暗黒教団マンフロイ大司教と密会しているのを疑問に思っていた。

 主曰く、ロプトの者でも迫害されない、公正な世の中にする為。その為に、彼らの力も借りなければならない。

 アイーダは神妙に頷くも、腹の内では承服しかねる言葉だった。

 

 アルヴィスは暗黒教団の危険性を十分承知した上で、安全に制御できると言っていた。事実、強力な力を持つ暗黒司祭共であっても、ファラフレイムを操るアルヴィスならば容易く手綱を握れるだろう。

 だが、もし仮に。暗黒司祭を上回る、闇の化身が現れてしまったら。

 アルヴィス一人で、それに抗う事は出来るのだろうか。

 

 百年前の聖戦で、十二聖戦士が総力を挙げてようやっと封印せしめた暗黒の勢力。

 だが、此度の陰謀で、少なくともバルドとオードの血脈は途絶える予定だった。

 前回よりも頭数が減った聖戦士達で、果たして次の聖戦は戦えるのだろうか。

 

(サイアスは私の大切な子……そして、いざという時の希望だわ……アルヴィス様にとっても……)

 

 だからこそ、ファラの血統を色濃く継ぐサイアスの存在は、暗黒教団にとって危険な存在なのだ。

 前聖戦、業火ファラフレイムを操り、炎戦士ファラは暗黒神と堂々と渡り合ったという。聖者ヘイムが神聖魔法ナーガを発動できたのは、ひとえにファラの奮戦があってこそだとも。

 サイアスは幼少でありながら、既に並々ならぬ魔力を備えている。あのフリージの麒麟児、イシュタルと同等の魔力を備え、そしてイシュタルよりも魔力の制御が上手であった。もしもの時は、ファラ以上の力を発揮できるだろう。もしかしたら、アルヴィスよりも──。

 故に、サイアスがファラの聖痕を持っている事は、これ以上他者に知られるわけにはいかなかった。

 

「分かりました。では、お引き取りください」

「なに?」

 

 諸々の算段を終えたアイーダ。

 出た言葉は、オイフェ引き渡しの拒否だった。

 

「なぜ──ッ」

 

 オーヴォは声を大にしてその愚かさを指摘したくなった。しかし、グリューンリッターとの戦端が開かれているとはいえ、今この段階でグランベル本国にそれを知られるわけにはいかない。

 この場ではフリージとヴェルトマーの者しかいないとはいえ、どこで誰が聞き耳立てているとは分からないのだ。迂闊な発言は戒める必要があった。

 

「理由もなく補佐官殿を引き渡すなど出来ません」

「……ッ」

 

 そう言い放ったアイーダ。剣呑な気を纏わせ、オーヴォへ怜悧な視線を向ける。

 身分の格もそうだが、実力的にも両者には隔絶とした差が開いていた。この場で強硬手段に訴える事もできないオーヴォは、唇をかみしめる事しかできない。

 

「……出直す。我が部隊はしばらくダーナに駐留する」

「どうぞご自由に」

 

 退散するオーヴォらへ、アイーダは変わらず冷たい瞳を向けていた。

 

「……」

 

 しかし、これでオイフェが腹に一物を抱えているのは明白となった。

 オーヴォらに気づかれぬうちに、こちらで始末をつける必要がある。

 

「鉄は熱い内に叩くに限るか……」

 

 アイーダはそう呟くと、オイフェがいる館へと踵を返した。

 

 

 

 

 

「そろそろずらかり時じゃあないかい?」

 

 街の散策から戻り、客室にて休んでいたオイフェ達。しかし、騒がしい外の様子に気づく。

 窓から一連のやり取りを眺めていたレイミアは、フリージの追手が予想よりも早く到達した事で、やや焦燥感を露わにしていた。

 オイフェもそれを見つつ、恋人となった女傭兵へ言葉を返した。

 

「そうですね……」

 

 オイフェはじっと外の様子を伺う。思惑通り、アイーダはこちらへの疑念を元に、オーヴォらを追い払ってくれた。

 

「……」

 

 だが、アイーダの何かを決意した表情を見ると、オイフェは短く瞑目。

 そして、レイミアの瞳を覗いた。

 

「レイミア」

「……なんだい?」

 

 想いを伝え合った少年。敬称をつけず、自身の名を呼んだオイフェの瞳。

 レイミアはそれを視ただけで、何か嫌な予感を覚えた。

 

「オイフェ。アンタまさか──」

「やはり私の策は少々甘かったようです」

 

 レイミアの言葉を遮り、静かに言葉を発するオイフェ。

 困惑するレイミアへ、ゆっくりと近付いた。

 

「アイーダ殿は思っていたよりも果断なようです。それに──」

 

 そして。

 オイフェは、レイミアの逞しい腰をしっかりと抱きしめた。

 

「なにを──ッ!?」

 

 戸惑うレイミア。オイフェの優しい抱擁に、体温が上昇する。

 だが、直後に強烈な酸欠状態に陥った。

 

「オイ……フェ……?」

 

 オイフェの当て身。至近距離からの拳が、レイミアのみぞおちを抉っていた。

 意識外からの当て身により、流石の地獄の傭兵も意識を手放すしかなく。

 

「ごめんなさい」

 

 意識を落としたレイミアを抱き留め、そのまま床へ横たわせる。

 それから、オイフェはレイミアの唇へ口づけを落とした。

 

「私は、愛した人と共に地獄に落ちる覚悟を持てなかった」

 

 オイフェは哀し気な瞳を浮かべ、レイミアの黒々とした長い髪を梳く。

 野性的な芳香を放つ髪にも、ゆっくりと口づけを落とした。

 当て身は浅い。頑健なレイミアならば、直ぐに覚醒するだろう。

 だから、そうなる前に。

 

「レイミア。貴女だけは……」

 

 そして、オイフェはレイミアを残し、その場を去る。

 少年軍師は、これから待ち受ける何もかもを甘受するような。

 そのような、悲壮感ある表情を浮かべ、アイーダの元へ足を向けた。

 

 

 


 

「これは補佐官殿」

 

 アイーダの執務室を訪れたオイフェ。出迎えたアイーダはそう言いながら、傍に控えるヴェルトマー兵へ僅かに目くばせをしていた。

 

「わざわざお越しいただいて……私も補佐官殿にお伺いしたい件があったのです。丁度良かった」

「いえ、アイーダ殿。私も貴方に用件がありましたので」

 

 挨拶もそこそこに、オイフェはアイーダの赤い瞳を見据える。

 少年が発する空気が、それまでと明確に違う事を感じ取ったアイーダ。必然、自身も少年の目を見据えた。

 

「まず、先程のフリージ家の部隊は、いったい何の要件でここへ来たのでしょう?」

 

 そう言ったオイフェに、アイーダは冷たい言葉を返した。

 

「それは補佐官殿がよく存じているのでは?」

 

 アイーダの言葉にわずかに沈黙するオイフェ。

 果断苛烈な女将軍に、虚々実々の駆け引きは効果が無い。

 だが、もう少し時間を稼ぐ必要があった。

 

「ううん……思い当たりませんね……」

 

 わざとらしく困った表情を浮かべるオイフェ。

 アイーダはそれを冷めた目で見つめる。

 だが、オイフェはうんうんと腕を組み、悩む素振りを続けた。

 

「補佐官殿……」

「あ、いえ、もう少しお待ちを。何か思い出しそうです」

 

 それからしばらく道化を演じるオイフェ。思惑が読めない以上、アイーダは眉間に青筋を浮かべつつもそれに付き合う。

 が、流石にそろそろ限界だった。

 

「ああ、やっと思い出しました」

 

 時間にして小一時間粘ったのだろうか。

 オイフェは、唐突にこう言った。

 

「貴方達が謀反を企んでいるのを」

 

 オイフェがそう言った瞬間、アイーダは即座に指示を下した。

 

「捕えろ」

 

 控えるヴェルトマー兵の動きは素早かった。

 即座にオイフェを床に押さえつける。

 オイフェはそれに全く抵抗をしなかった。

 

「これがヴェルトマー家のやり方ですか」

「黙れ。こちらの質問だけに答えろ」

 

 それまでの慇懃な態度は消え失せ、敵対者に対する冷酷さだけを露わにするアイーダ。

 散々焦らされた分、相応の怒りが滲み出ていた。

 

「ここで答えてもいいのですか?」

 

 オイフェは拘束されても尚、不敵な態度を崩さず。

 それを受け、アイーダは苦々しい表情を浮かべた。

 

「……地下室へ連れていけ。私が直々に尋問する」

「はっ」

 

 配下の者は此度の叛乱を承知しているが、サイアスの事を知られるのはまずい。

 故に、アイーダが一人で事を進める必要があった。

 

「……護衛の剣士はどうした?」

「……」

 

 しかし、アイーダはここでレイミアの姿が無いのに気づいた。

 オイフェは、沈黙を返した。

 

「直ぐに客室を調べろ!」

「は、はっ!」

 

 即座に指示を下すアイーダ。しかし、この判断は、やや遅きに失した。

 

「ア、アイーダ様。護衛の剣士は既に……」

「ッ!」

 

 ほどなく戻って来た配下の報告に、アイーダは臍を噛んだ。

 客室にレイミアの姿は無く。

 開け放たれた窓が、女傭兵の逃亡を示唆していた。

 

「追えッ!」

「はっ!」

 

 追手を差し向けるも、この後に及んで泰然とし続けるオイフェを見て、アイーダはそれは無駄だろうと察していた。

 

「心配しなくても、彼女は何も知りませんよ」

「……」

 

 そう短く言ったオイフェ。どうだか、と思うも、アイーダは思考を切り替える。

 たかが女傭兵一人、陰謀の全容を知っていたとしても。

 その言を誰が信じる?

 その言葉で誰が動く?

 放置していても、問題にはならないだろう。

 

「補佐官殿……覚悟はよろしいか」

「……」

 

 連行されるオイフェに、アイーダは烈火の気を当てた。

 オイフェはそれをそよ風のように流した。

 これから始まるであろう苛烈な尋問──拷問を前にして、異様な腹の据わり方だった。

 

(……よかった)

 

 この時、オイフェの内は安堵の思いが広がっていた。

 言うまでもなく、レイミアが己の意図通り、館から脱出してくれたからだ。

 あのまま強引に引き離さなければ、レイミアは己と運命を共にしようとするだろう。

 だが、ここに至っては、レイミアは真っ先に殺害される対象だ。

 

 オイフェはそれを強いる事が出来なかった。

 愛してしまったから。

 ただ、それが理由。

 

 それに、如才ないレイミアならば、そのまま逃げるにせよ、己を救出するにせよ、必ず館を脱出してから行動を起こすだろうとも思っていた。

 思った通り、逃げてくれた。

 聡い女性だ。

 だからこそ、好きになった。

 

(できればそのまま逃げてほしいが……)

 

 そう想うも、これ以降はオイフェにも予測がつかなかった。

 

(ずるいな、私は)

 

 ふと、そう想う。しかし、これでよい。

 オイフェはどこか満足気な表情を浮かべていた。

 それを訝し気に思うも、アイーダは変わらず厳しい視線を向け続けていた。

 

 

 

 

 それから程なくして。

 オイフェは館の地下室に監禁された。衣服をはぎ取られ、下帯ひとつ姿。

 天井から吊り下げられた荒縄にて手首を緊縛、中空に無垢な肉体を吊るされていた。

 

「補佐官殿……私は駆け引きが好きじゃない」

 

 この場ではオイフェ以外、アイーダしかいない。

 手にした鞭をオイフェへ向けるアイーダ。それは性的玩具の類ではなく、堅い革紐を幾重にも束ねた一本鞭(ブルウィップ)であり、高い殺傷能力を持っていた。

 

「知っている事を全て吐け。そうすれば痛くはしない」

「……」

 

 沈黙を返すオイフェ。

 舌打ちの後、アイーダは鞭を勢い良くしならせた。

 

「ッッ!」

 

 背中に走る激痛。

 肉を穿つ音が鳴り、オイフェの表情は歪む。

 

「お前が喋るまで」

「ッッッ!!」

 

 更に走る激痛。

 傷一つ無かった綺麗な背中に、二つ目の痛々しい赤筋が刻みつけられた。

 

「これは終わらないぞ」

「くぅッッッ!!!」

 

 三度目の鞭打。

 皮が剥がれ、被打箇所から流血する。

 オイフェは歯を食いしばって耐え続ける。苦悶の表情を浮かべるも、瞳の火は消えていなかった。

 

 刑罰としての鞭打ち刑は一般的ではあるが、それは法に則り打鞭回数が厳格に制定されている。

 だが、これは拷問。回数無制限の地獄である。

 

「ふぅ……」

 

 更に数度、オイフェの背中や腹部に鞭打を見舞ったアイーダ。

 その呼吸は少々荒くなり、頬は赤く染まっていた。

 アイーダは本来、アルヴィスへの被虐的な忠義に陶酔している人間であり、このような加虐行為で興奮する性質ではない。

 しかし、オイフェの魔性の肉体を穿つ度に、言い知れぬ喜悦が滲み出るのを実感していた。

 

 なるほど、あの女傭兵が夢中になるだけある。

 濡れた瞳で苦痛に耐え忍ぶ美童。

 白磁器のような美しい肉体を、醜悪な赤筋で汚す背徳。

 これは、癖になりそうだ。

 

「喋る気になったか?」

 

 しかし、アイーダはこれが任務であるのを忘れたつもりはなかった。

 オイフェが持つ叛乱の情報、そしてサイアスの素性。

 それをオイフェ以外、誰がどこまで知っているのか。

 確認する為の作業であり、決して新たに芽吹いた性癖を満たす行為ではない。

 

「……ッ」

 

 涙を流し、口角から血を滴らせるオイフェ。噛み締めた奥歯が粉砕したのだろうか。

 都合十度の打擲。

 少年の肉体の限度を見極め、アイーダはそれ以上打つ事を止めた。

 これ以上叩けば、オイフェは痛みに耐えかね失神しかねない。打ちどころは吟味しているので死にはしないだろうが、鍛えた偉丈夫でも百度叩けば死に至るのが鞭打ちだ。

 これで、オイフェは許しを請いながら喋るはずである。

 

「……」

 

 しかし、オイフェは沈黙を続けた。

 凛とした瞳は、アイーダの赤目を視続けていた。

 

「そうか」

「ぐぅッッ!!」

 

 返ってきたのは、少年の背に新たな血飛沫が追加される事だった。

 苦悶の声が響く地下室。

 だが、それを止める者は、誰もいなかった。

 

「強情な……ッ」

 

 二十数度の鞭打の後。背面は所々骨が見える程肉が抉れており、床に血溜まりを作っていた。

 僅かに息を切らせるアイーダは、ぐったりと弛緩するも、未だ瞳の火は消え失せていないオイフェに驚嘆を露わにする。

 オイフェの体躯ではもう限界のはずだ。なのに、意識を手放さず無言の抵抗を続けるその胆力。

 とてもではないが、十代の少年とは思えなかった。

 

「死ぬぞ、少年」

「……」

 

 このままでは死ぬまでオイフェは耐え続けるだろう。

 何も情報を引き出せずに死なれては困る。

 そう思ったアイーダは、搦手もひとつ考える。

 

「……あの女傭兵、そこまで大事か?」

「……」

 

 レイミアを引き合いに出すと、オイフェの瞳が僅かに揺らいだ。

 

「あの女傭兵も直に──」

「無駄、ですよ……」

 

 拷問が開始されてから、初めて言葉を発したオイフェ。

 じっと、アイーダを見据える。

 

「彼女は、貴女方では、捕らえられない……」

「……」

 

 今度はアイーダが沈黙を返していた。

 事実、オイフェが時間稼ぎをしていたとはいえ、まんまと館から逃げおおせたレイミア。

 加え、現状ではオーヴォの部隊が強行手段に出ないよう、アイーダ率いるヴェルトマー軍がそれを警戒している状態。

 レイミア捕縛に割ける人員が限られている中、上手く捕まえられる保証はない。

 

「なら、このまま死ぬ気か?」

「……」

 

 アイーダがそう言うと、オイフェは弛緩させた肉体をふるふると震わせ始めた。

 それが恐怖から来るものだと断じたアイーダは、ここぞとばかりに言葉を重ねる。

 

「そうだろう。死にたくなければ、いい加減話す──」

 

 

「死ぬ気などあるわけないだろうが」

 

 

 瞬間。

 それまでどこか可憐な声色だったオイフェから、地獄の底から発せられた禍々しい声が放たれた。

 

「なん──!?」

 

 それから、アイーダは見た。

 くつくつと嗤う、オイフェの姿を。

 

「くふ、くふふふ……ッ」

 

 怖気が走る少年の変貌。

 痛みに耐えかね、発狂してしまったのだろうか。

 だが、その目は狂気に支配された者独特の濁りは一切感じられない。

 悍ましい程の、情念だけが浮かんでいた。

 

「ひとつ、教えてやる」

「……なにをだ?」

 

 かろうじて言葉を返すアイーダ。

 オイフェは、血に塗れた口角を歪めていた。

 

「貴様らの主、アルヴィスは……聖者マイラ……ロプトの血を引いているぞ……」

「なにっ!?」

 

 暗黒神に連なる呪われた血脈。それが、愛する主君に流れているという言葉。

 アイーダの血流は煮え立つ。

 

「戯言をッ!!」

「ッッッッ!!!」

 

 それまでの痛ぶりとは違い、殺意が込められた鞭打が放たれる。

 その一撃で、オイフェはとうとう意識を手放してしまった。

 

「……ッ」

 

 肩で息を切らしながら、アイーダは先程のオイフェの言を反芻する。

 アルヴィス様にロプトの血が流れている?

 嘘だ。

 そんなデマカセを、よくも──!

 

 意識を落とすオイフェを、憎悪の眼差しで見やる。

 だが、これ以上の尋問は、もう不可能だった。

 

「……」

 

 気絶するオイフェを放置し、アイーダは地下室を後にする。

 しばらく休ませ、また尋問を再開すればよい。

 あの様子なら、もうニ、三日は持つだろう。

 それでも吐かなければ。

 問題ない。殺せば良い。

 

「……オイフェめ」

 

 少年軍師に刻みつけられた新たな茨。

 元より抱いていた暗黒教団、そしてアルヴィスへの疑念が、アイーダの中で徐々に膨らみ始めていた。

 

 

 

「……」

 

 血の臭いが立ち込める地下室。

 意識を失ったオイフェだが、決して生きる事を諦めたわけではなかった。

 死ねるはずがない。

 死ぬわけにはいかない。

 

 なぜなら、あやつ──アルヴィスを、この手で斃さねば。

 死にきれぬのだ。

 事実、死にきれなかったのだ。

 

 逆行人生で、愛を知ったオイフェ。

 大切な人と、共に困難に立ち向かう事を誓った。

 大切な人と、共に守り合う事も誓った。

 大切な人へ、全てを伝える覚悟も持った。

 

 しかし、その根底では。

 恨みという湿った情念が、埋火のように燻り続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第56話『強行オイフェ』

 

 レイミアは怒りの感情に支配されていた。

 怒りに身を任せながら、ダーナの街をひたすらに駆けていた。

 

(チクショウッ!)

 

 怒りの矛先は複雑だった。

 想い人へ苛烈な拷問を施しているであろう敵への憎悪。

 自身を逃がす為、あえて犠牲となった恋人の不器用な献身。

 そして、そうするしかなかった自身への不甲斐なさ。

 

(オイフェ……!)

 

 ギリリと歯を噛みしめる。

 恋人の無事を想いながら、レイミアは駆け続けた。

 荒れた裏路地を猫のように駆けるレイミアの姿を、余人が察知する事は出来ない。これならば追手を撒くことが可能だろう。そのままダーナを脱出する事も容易だ。

 だが、自身の安全を自覚する度に、レイミアは己の心が軋むのを感じていた。

 

 ああ、アンタは正しいよ。

 あの状況じゃ、アタシは何もできずに殺されるだけさ。

 でも、これはあんまりじゃないかい?

 

 痛みを分かち合うと誓った矢先、己一人を逃したオイフェ。

 その心遣い、痛いほど染みていた。

 だからこそ、許せなかった。

 

「……ッ」

 

 息を切らせ、闇に溶け込んだレイミア。

 追手は十分に撒けただろう。自身が発見される心配はもう無さそうだ。

 ようやく、これから何をすれば良いのか考えるゆとりが生まれる。

 

(そんなもの決まってる!)

 

 助けるのだ。オイフェを。

 ほんの一月前の自分ならば、オイフェを捨て置いてさっさと逃げおおせていただろう。

 しかし、レイミアは自分でも不思議と、このまま彼を見捨てるという選択肢が全く浮かばなかった。

 

「しかしどうしたもんかね……」

 

 火照る肉体に反し、思考は冷めた温度を取り戻していく。

 だが、冷静になればなるほど、己一人でのオイフェ救出はひどく難しい事も理解する。

 手勢は既にエッダ領へ入っているだろう。

 当然、このような時にもっとも頼りになるデューも、クルト王子を守りながらエバンスを目指している状態だ。

 

 ここで、レイミアが取れる手段は三つだった。

 一つ目は、このまま身ひとつで逃走し、エバンス方面へ向かったクルト王子らと合流。その後、オイフェの救出をする。

 二つ目は、単身領主の館へ斬り込み(カチコミ)、オイフェ救出を力技で果たす事。

 

 一つ目は難しいだろう。要は助けを呼びに行くだけなのだが、助けを呼んでいる間にオイフェが殺害される可能性が高かった。それに、よしんばデューがいたとしても、救出が確実に果たされる保証はどこにも無い。

 二つ目は論外だ。それこそ、オイフェの意思に反する。己がただ猪突猛進に無駄死にしただけと知ったら、おそらくオイフェは悲しむと同時に深く失望するだろう。それだけは嫌だ。死んでも。

 

 ならば、三つ目しかないのだが。

 

「どうすりゃいい……」

 

 そう独りごちるレイミア。

 計略を駆使し、想い人を無事に救出せしめる。当然、己と一緒にだ。

 しかし、それは果てしなく達成困難であるのも理解できた。

 

 要は、まとまった戦力で領主の館へ強襲をかけるのだ。混乱するヴェルトマー家の部隊を尻目に、密かに館へ潜入。オイフェを救出する。

 単独で突入するよりは成功率が高い、唯一の手段であった。

 

 しかし肝心の手勢はクルト王子護衛の為グランベル領へ分散している。

 なら、その戦力はどこに?

 

「……」

 

 汗で冷えた肉体は、再び温度を上昇させていった。

 頭部からの熱が湯気となるほど、レイミアは己の頭脳を全力で働かせていた。

 

「……これしかないか」

 

 やがて、レイミアは凛とした瞳を浮かべると、口角を真一文字に引き締めた。

 勝算は、正直低い。

 しかし、現状考えられる策はこれしかなかった。

 

「さて」

 

 再び駆け出すレイミア。

 足先はフリージ家の紋章を掲げる、オーヴォの部隊の元へ向いていた。

 どのようにしてフリージ家とヴェルトマー家を仲違いさせ、両軍相撃まで持っていけるのか。

 駆けるレイミアは、まったく策が思い浮かばなかった。

 

 女の武器を使い、部隊長を誑かすか?

 否。

 オーヴォはそのような誘惑に屈するようなタマには見えないし、事実そうではないだろう。

 それに、自身の容姿にはそこそこの自信は持ってはいたが、決して万人がなびくような傾城の美貌を持っているとは自惚れてはいない。

 そもそもそのような媚眼秋波(びがんしゅうは)は不慣れであるし、実行したところで不審者扱いされるのが関の山だろう(無垢な少年ならば自信はあるが)。

 

 ならば、流言を用い、互いに血を流させるよう仕向けるか?

 否。

 相手も馬鹿の集まりではないのだ。仮に想定通りに事が進んでも、計略とは入念な事前準備が必要なものである。実を結ぶには幾日もかかるだろう。

 とても一両日中には決着をつけられるとは思えなかった。

 

 どうする、レイミア。

 どうやってフリージ軍を引っ張り出せる。

 

「オイフェ……!」

 

 走りながら、レイミアはオイフェの名を呼んだ。

 どうしてもオイフェを救いたかった。

 それから、文句と同時に一発引っ叩いてやらねば気がすまなかった。

 

 その後は、もちろん。

 思い切り抱きしめてやるのだ。

 

 望まぬとはいえ、粗で野で蛮な悪辣なる生き様を見せていた女傭兵。しかし、今は切なき想いに囚われた、凛々しき女武者であった。

 超常なる者が今の彼女を見たら、果たしてどう思うのだろう。

 

 

「……ッ!?」

 

 後に、レイミアはこう述懐する。

 この時は、どうも誰かさんが──それこそカミサマか何かが助けてくれたんじゃないかねぇ。

 ほんと、ご都合主義にも程があるよ。

 

「……」

 

 駆けるレイミアの前に、月明かりに照らされた一人の男が現れる。

 姿はよく見えないが、全身から発する野獣の如き気圧。

 レイミアはそれを受けただけで、背筋に冷えた汗を流した。

 

 強い──それも、とてつもなく。

 

 追手か。全く気配が感じられず、唐突にレイミアの前に現れたその男。

 しかし、殺気はそれほど感じられず。

 戦闘前の緊張感のみが、男から感じられた。

 

「……イザークの者か?」

 

 男はそう短く言葉を発した。

 レイミアもまた短く応える。

 

「そうさね。捨てた故郷だが」

「……」

 

 男はじろりとレイミアを見やる。

 鋭い視線を受けるも、レイミアはこのやり取りで男がヴェルトマー家の者ではないと看破していた。

 同郷の匂い。それが、男から強く感じられた。

 

「お前が領主の館から逃げ出すのを見ていた」

「……」

 

 逃亡していたとはいえ、男からの視線を全く気付けなかったレイミア。

 それだけでも相当の手練れだ。しかし、何故己と接触をしてきたのだろう。

 そう思っていると。

 

「手伝ってやる」

「あん?」

 

 唐突なこの申し出。

 疑問を浮かべるレイミア。罠なのだろうか。

 いやしかし、アイーダがこのような回りくどいやり方をするのだろうか。男の意図が読めない。

 

「手伝うって」

「属州領補佐官が囚われているのだろう? 俺もあの少年に用があるのだ。死んでしまっては困る」

「……」

 

 そう応える男に、レイミアは観念したようにため息をひとつ吐く。

 そして、腹をくくった。

 

「そうかい。じゃあ、一個だけ策があるんだけどね。アンタとなら……ていうか、アンタ何者だい?」

 

 レイミアはようやく男の名を尋ねた。

 男は、短く自身の名を告げた。

 

「ガルザス。傭兵だ」

 

 

 


 

「……ッ」

 

 激しい鞭打ちに晒され気絶していたオイフェは、朦朧とした意識のまま覚醒した。

 徐々に意識が鮮明になるにつれ、肉体から熱い痛みが迸る。化膿した傷口は熱を持ち、少年の体躯に多大な負担をかけていた。

 

「……?」

 

 しかし、監禁された地下室に加虐者はおらず、吊るされた己一人のみ。

 耳をすましてみると、上階から慌ただしい気配が感じられた。

 覚えがある、戦闘の気配。

 

「誰が……?」

 

 まさかレイミアが単身突入してきたとでもいうのか。

 冗談ではないと、オイフェは表情を歪める。

 何のために逃したのか。これじゃあ何も意味がない。

 彼女には、生きて人生を全うして欲しいのに。

 

 それに、オイフェはむざむざ殺されるつもりはないとも思っていた。

 アイーダが自身を殺すつもりで拷問を仕掛けているのは十分理解していた。

 しかし、オイフェはアイーダが自分を殺せないとも思っていた。

 サイアスの事。そして、アルヴィスに流れるロプトの血統。

 その事実を誰がどこまで知っているか、アイーダは必ず確認する必要があった。

 

 故に、オイフェはそれまでは生存を約束されたようなものである。

 もちろん、過酷な拷問にこの身が耐えきれない可能性もあったが、そこは強靭な精神力を持つオイフェ。

 どこまでも耐える自信があった。

 

 一月。

 それまで耐え凌げれば。

 アイーダはおろか、叛逆を企んだ諸侯は軒並みナーガの御旗の元にひれ伏す事となる。

 そのように仕向けていたのだ。勝算は十分にあった。

 

「……」

 

 しかし、状況は急変した。

 徐々に近付く戦闘音。撃剣を交わす音、魔術が放たれる音。絶命する人間の悲鳴。

 音はとうとうオイフェが囚われている地下室、その扉の前まで迫っていた。

 

「オイフェッ!!」

 

 果たして、現れたのは予想通り、大剣を血に染めた女傭兵の姿だった。

 長く黒々とした髪も返り血で染めていたレイミア。一目散に己に駆け寄るその鬼気迫る姿に、オイフェは戸惑いを露わにした。

 

「どうして──」

 

 そう言いかけるオイフェに構わず、レイミアは即座にオイフェを拘束する縄を截断する。

 吊り下げられていた縄が斬られ、体を落下させるオイフェを、レイミア確りと抱きとめていた。

 

「……一発引っ叩いてやろうかと思ってたけど、それは後回しさね」

 

 レイミアは瞬時にオイフェの肉体的ダメージを見留める。

 無垢な体躯に刻みつけられた醜悪な傷痕。既に背中は全体に腫れが広がっており、骨が見える箇所が三つもあった。

 痛ましい想い人の様子に、レイミアはぎゅっと唇を噛み締めていた。

 

「馬鹿野郎が……!」

 

 そのまま、オイフェを力強く抱きしめる。

 女傭兵の血腥い身体。しかし、オイフェは説明のつかない安心感に包まれるのを自覚していた。

 

「レイミア……」

 

 レイミアに体重を預けるオイフェ。

 今更、罪悪感が強く沸き起こっていた。

 しかし、状況はオイフェ達が感傷に浸るのを許さず。

 

「……さ、とっととここからズラかるよ」

 

 短い抱擁の後、レイミアはオイフェを背負い、持参した長布にて自信の肉体に固定する。

 背負子のように背負われたオイフェは、どのように脱出するつもりなのかと疑問を上げようとした。

 

「ですが、どうやって……」

「黙ってな!」

 

 それを封殺し、勢いよく走り出すレイミア。

 未だに鳴り響く戦闘音から、レイミアは単独で突入したわけではないのだろうと察するオイフェだが、それにしても一体誰が。そして、このような強硬手段を可能たらしめる程の戦力は、一体。

 

「あっ」

 

 その疑問は直ぐに解決した。

 地下室から抜け出し、館のエントラスへと躍り出たレイミアとオイフェ。

 そこで、ヴェルトマー兵に対し鬼神の如き勢いで剣を振るう、孤高の剣客の姿があった。

 

「ガルザス……殿?」

「だから黙ってなって言ってるだろうが!」

 

 前世、北トラキア解放戦における終盤、リーフ軍に加入したオードの大剣客。

 自身が記憶するより若々しいその姿は、最凶の剣姫とまで謳われたあのラクチェよりも凄まじい剣圧を放っていた。

 ガルザス・オデル・リボー。二十半ば。

 心気充実の武者姿である。

 

「遅いぞ」

 

 血糊そのままの愛剣を揺らし、蒸気のような剣気を噴出させるガルザス。

 既に幾人か斬り伏せられており、おっとり刀で駆けつけた増援のヴェルトマー兵も、その圧に押され遠巻きに囲む事しか出来ない。

 

「随分と思い切った手段を取る……ッ」

 

 そして、赤髪の女将軍アイーダが、オイフェ達の前に現れた。

 

「ここに至っては是非もない。死んでもらうぞ」

 

 アイーダはそう言うと配下に指示を下す。

 ガルザスが暴れまわっている間、アイーダらマージ隊は遠巻きから魔力を充填していた。

 ファイアーマージ達による炎魔法の一斉射撃。これには、流石の大剣豪も──。

 

「ッ!」

「なにっ!?」

 

 しかし、ガルザスは瞬間移動でもしたかのように一気に距離を詰めた。

 そして、繰り出される秘奥。

 

「シィィッッ!!」

 

 裂帛の気合一閃と共に、詠唱中のファイアーマージ達、その首が五つ、宙空に舞った。

 流星剣。

 イザーク王累のみに伝わる、けだし剣技。

 

「撃てっ!!」

 

 至近距離まで詰められたアイーダの判断も早かった。

 味方の巻き添えも辞さぬ炎魔法が複数放たれる。アイーダもまた、必殺のエルファイアーを放っていた。

 

「ッッ!!」

 

 だが、ガルザスの絶技はこれに留まらない。

 火炎を掻い潜り、さらなる追撃を繰り出す。

 都合十度の流星の(つるぎ)。アイーダを除く全てのファイアーマージが、これにより絶命し果てた。

 

「くっ!」

 

 しかしアイーダもまた流石。

 配下が斬られている間に後方に跳躍し、ガルザスの刃圏から逃れる。

 

(おのれっ!)

 

 だが、アイーダはこの状況が非常に不味い事も自覚していた。

 ガルザスを殺すだけなら容易い。エルファイアーではなく、より強力な火炎──それこそボルガノン、もっと言えばメティオのような大火球を用いれば。

 

 しかし、それは出来ない。

 館ごと焼失せしめる大魔法を使ってしまえば、オイフェ暗殺の隠蔽が難しくなるからだ。

 ダーナには復興特需を期待して各地から物資、そして商人が集まっている。既にヴェルトマー軍による治安回復が成されている以上、領主の館を燃やし尽くすのは、余計な詮索を大いに生む。

 戦災直後のダーナで商いをする程の商魂逞しい商人達だ。その情報伝達速度はアイーダの予想よりも早いだろう。

 もし“オイフェ殺害の為に館を焼いた”とシアルフィ──属州領に伝わってしまえば。

 クルト暗殺達成がまだ確定していない状況で、それは避けねばならなかった。

 

(それに──)

 

 アイーダは、実のところ未だにオイフェの殺害を躊躇っていた。

 サイアスの事もそうだが、それ以上に、拷問時に放たれたオイフェの言葉が、アイーダの判断を鈍らせていた。

 主君が暗黒神の血を引いているという事。それが、何を以て、そのような根拠で宣ったのか。

 愛するアルヴィスの為に、確かめずにはいられなかった。

 

「……ッ」

 

 相対するガルザス。汗を滴らせるその様子は、秘奥を繰り出した疲労が滲み出ていた。

 そして、オイフェを背負いガルザスの後ろで警戒するレイミア。

 館の出入り口を塞ぎ、遠巻きに囲むヴェルトマー兵、そしてアイーダ。

 誰が意図したのか、奇妙な膠着状態が生まれる事となる。

 

「くそ、まだかい」

「……」

 

 レイミアが小声でそう呟き、ガルザスは沈黙を続けた。

 何かを待っている傭兵二人。

 

「オイフェ、いいかい」

「えっ」

 

 オイフェはその様子を不審に思うも、レイミアが更に小声で呟いた。

 そして、何事かを伝える。

 それを聞いたオイフェは、レイミアへ確りと頷いていた。

 

「アイーダ様!」

 

 そうしていると、状況が動く。

 膠着状態に陥った現場に、門を固めていたヴェルトマー兵がアイーダの元へ駆け寄った。

 

「なんだと」

 

 兵士から耳打ちをされたアイーダは驚きを露わにする。

 と同時に、館の外から軍勢の足音が響いた。

 

「ま、待ってください! ここは──」

「ええい! どけ! 押し通る!」

 

 もみ合う音と共に、扉が強引に開けられる。

 現れたのは、武装した兵士を引き連れたゲルプリッター──オーヴォだった。

 

「む!?」

 

 そして、オーヴォはオイフェ達と対峙するアイーダらを見留める。

 

「アイーダ殿! これは一体どういう状況なのだ!」

 

 詰問するオーヴォ。状況は混迷を極めていた。

 オイフェ達と対峙するヴェルトマー勢。そして、ヴェルトマー勢と対峙するフリージ勢。

 三つ巴ともいえる混沌とした状況が現出していた。

 

「オーヴォ殿、それは私が聞きたい。何故ここへ来た?」

 

 アイーダは冷淡な瞳でオーヴォに応える。

 

「賊が我が部隊の兵を殺害した。痕跡がこの館へ続いていたのだ」

 

 オーヴォは不信感を露わにしながらそう応える。

 アイーダは舌打ちを我慢するのに必死だった。

 フリージの兵士を殺害し、そのまま館へ侵入したのは、目の前の剣豪ならば可能だろう。

 そして、それを画策したのは、目の前の女傭兵である事も。

 彼らの思惑通り、突如乱入したフリージ軍。陰謀を共にする味方ではあるが、この状況では招かれざる客だった。

 

「オーヴォ殿!」

 

 逡巡するアイーダは、直後に聞こえた少年の声に、更に表情を歪める事となる。

 

「ヴェルトマーは、アルヴィス卿はロプトの血族! 暗黒神復活を画策しています!」

「なっ!?」

 

 恐れていた事が現実となった。

 オイフェによるアルヴィスのロプト血統の告発。

 案の定、オーヴォは思考を停止させたかのように凍りついていた。

 

「でまかせだ! 耳を貸すな!」

 

 強い口調でそう言ったアイーダだが、困惑を深めるオーヴォには響かない。

 オイフェはその隙を逃さず、畳み掛ける。

 

「オーヴォ殿! 主家を暗黒神の手先にするおつもりですか!」

 

 暗黒神の手先、という言霊。

 ユグドラルを生きる全ての者にとって、それは忌避されるべき言葉だ。

 

「証拠は──」

「殺せ!」

 

 当惑しながらもそう返したオーヴォだが、直後にアイーダが配下へそう命じる。

 ここでようやく、アイーダはオイフェの殺害を決意していた。

 

「し、しかし」

 

 だが、アイーダの命令に、ヴェルトマー兵は困惑しながら包囲を続けるのみ。

 当然だ。

 彼らもまた、主君がロプト血統を抱いているという言葉に、少なからず衝撃を受けていたからだ。

 もっといえば、この場で平然としていたのは、オイフェとレイミアのみであった。

 

「今だよ」

「ッ」

 

 ヴェルトマー、フリージ両軍に生まれた混乱。

 その間隙を逃さず、レイミアはガルザスへ合図する。

 ガルザスもまた地味に驚愕していたのだが、レイミアの言葉で瞬時に戦闘体勢へ切り替えた。

 

「遅れるなッ!」

 

 力技による強行突破。

 しかし、混乱する両軍はそれを止める事は出来ず。

 

「しまっ──!? 止めろ!」

 

 アイーダはそう命じるも、時既に遅し。

 扉、そして館の門に配置された兵士を猛然と斬り伏せ道を開くガルザス。そして、それに続くレイミアとオイフェ。

 アイーダは彼らが外の闇に消えるのを忸怩たる想いで見やるしかなかった。

 

「追え──」

「待たれよアイーダ殿」

 

 追跡を命じるアイーダに待ったをかけたのは、幾分か平静を取り戻したオーヴォだった。

 不審が敵意に変わりかける感情が、オーヴォから発せられていた。

 

「先程の補佐官の言、事の次第では看過出来ぬ」

 

 オーヴォは実直な男だった。先程のアイーダが見せたオイフェへの殺意。

 それだけで、オイフェの言が一定の信憑性を持っていると実感していた。

 控えるフリージの兵士達も、部隊長と同様の感情を見せている。

 対し、ヴェルトマーの兵士達は、当惑しながらアイーダへ視線を向けていた。

 

「この場を逃れる為の戯言だ。まんまと引っかかってしまったな、オーヴォ殿」

 

 そう冷酷に言うアイーダだが、動揺を隠しきれないのか、やや上ずった声を上げていた。

 オーヴォの疑念は深まる。

 もしアルヴィスが本当にロプトの血統を抱いているのならば。フリージは叛逆計画を即座に中止し、その氷刃を炎の紋章へ向けるだろう。

 

「……どちらにせよ補佐官追撃は我らの任務。我々に任せてもらおう」

「……好きにしろ」

 

 アイーダはそう返すしかなかった。

 もはや、フリージはオイフェを殺せない。少なくともオーヴォは殺すつもりはなかった。

 捕縛し、事の真偽を確かめる。そうしなければ、主家を歴史上の大罪人にしてしまう事を理解していたからだ。

 

「次にまみえる時は敵にならぬ事を願っている」

「……」

 

 オーヴォのこの捨て台詞に、アイーダは沈黙を返すしかなかった。

 

 

 

 

 

「ガルザス!」

 

 オイフェ達が闇夜を駆け抜け、ダーナの街から脱出した頃。

 街の外では馬をニ頭引いた女性が、オイフェ達を迎えていた。

 

「すまない、少し遅れた」

「グズグズしていられないわ。急ぎましょう」

 

 女性はそう言うと手綱をガルザスへ預ける。

 自身もガルザスの後ろへ跨ると、オイフェを背負うレイミアにも手綱を渡した。

 

「アンタがガルザスの」

「フィオーラと申します。でも、悠長に自己紹介している場合じゃないわ。さあ、早く」

 

 フィオーラと名乗った女性。ガルザスの妻であり、後に魔剣に囚われし月と星の少女剣士の母となる女性である。

 

「やったね、オイフェ」

「……ええ」

 

 レイミアが駆る馬に揺られ、意識を薄れさせるオイフェ。

 消耗した少年の体躯は、女傭兵の逞しい腕に包まれ、心地よい安らぎを覚えていた。

 

「ありがとう……レイミア……」

 

 オイフェは、そう感謝の言葉を呟き、安らかな寝息を立てていた。

 

 

 そして、一行はオーヴォの追跡を振り切り。

 そのまま、エバンスへ生還を果たす事となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※奥さんの名前はマリータの中の人繋がりで適当です。


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第57話『経済オイフェ』

 

 グランベル王国属州領

 エバンス城

 

 この日、ノディオン王国国王エルトシャン・ヘズ・ノディオンは、近々で問題となっているグランベル属州領との経済的課題──アグストリアの流通が麻痺せしめる程、エバンス通商業者による寡占問題を協議するべく、ここエバンス城へ訪れていた。

 加え、この訪問はアグストリア新王となったシャガールの内意を受けての事であり、会見が終わった後は王都アグスティへ事の次第を報告、更にその足でノディオンの飛び地であるシルベール城へ向かわなくてはならない。アグストリア北方に位置するオーガヒル海賊の活動が活発になったが故、治安維持にクロスナイツの出動を命じられたのであるが、それにしても性急な命令を乱発していたシャガール。

 エルトシャンは不審に思うも、先王イムカが崩御したばかりのアグストリア諸侯連合。いらぬ不協和音を他国に見せるわけにもいかず、こうしてハードスケジュールをこなす事となっていた。

 

「やあエルトシャン。よく来たね」

 

 城主の間を訪れたエルトシャンは、ユグドラル大陸南西部でもっとも力を持つ男の出迎えを受けた。

 

「シグルド、今日は親善訪問ではないぞ」

「ああ、分かっている」

 

 属州領総督シグルド・バルドス・シアルフィは、そう牽制するかのように言ったエルトシャンへ、口元を引き締めながらそう言った。

 

「エルトシャン。(まつりごと)の話をするにしても、我々の旧交を温めるのは悪くないと思うぞ。外交とは結局、個人の友誼の上で成り立つものだからな」

「キュアン、お前もいたのか」

 

 既に備え付けらてた長椅子に座りそう言ったのは、レンスター王太子キュアン・ファリス・クラウスだ。優雅に紅茶が入ったティーカップに口を付ける様子は洗練された貴公子そのもの。しかし、槍を取らせれば槍騎士ノヴァの末裔に恥じぬ、大陸一の実力を持っていた。

 

「エルトシャン、実はもう一人会見に同席してもらうのだが、いいだろうか」

「俺は構わないが……」

 

 すると、別室で待機していた一人の男が現れる。

 僧衣を纏ったその男は、脂で照り上がる額をエルトシャンへ向けた。

 

「エルトシャン王、お初にお目にかかる。拙僧はブラギの僧アウグストと申します」

「アウグスト殿にはオイフェがいない間私の個人的な相談役になって頂いているんだ。今日の会談も何か助言をもらえればと思って。もちろん、エルトシャンにとっても悪くないと思うが」

 

 エルトシャンはアウグストの頭部を見つつ、この会見の目的を思えば、知見のある人間の参加はむしろ望ましいとも思っていた。もっとも、アウグストがどれほどの者なのかは不明である。

 しかし、シグルドがオイフェの代わりとまで言ったのだ。少なくとも、あの少年と同等に頭が切れると断じていた。

 

「では、アグスティのシャガール殿下……陛下からの御内意を伝える。文章にしてきたからまずは目を通してくれ」

 

 挨拶もそこそこに、エルトシャンは書状を一通、シグルドへ渡した。

 いずれ正式な使者を派遣する前の事前協議であるのだが、内容が内容なだけに、エルトシャンは厳しい表情を浮かべていた。

 応じて、読み進めるシグルドの表情も険しくなっていった。

 

「……エルトシャン、確かなのか?」

「残念だが、陛下の意思は固いと思う」

「シグルド、俺にも読ませろ」

「失礼キュアン王子。拙僧も」

 

 書状をキュアンに渡すと、そのまま押し黙ってしまうシグルド。

 何事かと読み始めるキュアンは、書状を覗き込むアウグストの濃厚な加齢臭に若干表情を険しくさせるも、内容を読み進める内にやはり表情を険しくさせていった。というより、王侯貴族にも構わず常のスタンスで接し続けるアウグストに若干辟易しているのもあった。

 

「エルト、これは……」

 

 そう言って、キュアンはエルトシャンの目を見る。同期の桜の瞳は、無常観を漂わせていた。

 

「ふむ。属州領内の馬借商家に対する重課税、並びにいくつかの商家を認可取り消しによる締め出し、交易品に対する関税の大幅引き上げ。そして、アグストリア商家に対する賠償金の請求……なんとも身勝手な言い分ですな」

「アウグスト殿、流石にその言い方は……」

「しかし理解は出来る。拙僧から見てもあれはちとやりすぎではありますからな。いやはや、間に立つエルトシャン王も大変ですな、これは」

「アウグスト殿……」

 

 アウグストの不躾な物言いを嗜めるシグルドであるが、これは第三者の見地から的確とも言えた。

 オイフェが画策した対アグストリアの経済戦争。アグストリアの流通業を疲弊させ、属州領の経済圏に強引に組み込む事で経済的な依存度を上げる。

 付随して、属州領で生産された物品を過剰なまでに輸出し、アグストリア国内の商家も疲弊させる。属州領への支払いでアグストリア国内の正貨は不足し、産業の停滞や物価の上昇をも引き起こしていた。

 アグストリア先王イムカはあくまで市場原理主義を貫いていた為、これを特に問題としていなかったが、新王となったシャガールは、即位してから性急な政策を実行し、これに対抗していた。

 

「俺も反対した。だが、陛下は聞き入れてくださらなかった」

 

 そう言って力なく表情を暗くさせるエルトシャンだったが、アウグストはそれを鼻で笑うかのように口角を吊り上げていた。

 

「シャガール王は治世の才能が皆無ですな」

「アウグスト殿!」

 

 いきなりの不遜な物言い。

 嗜めるシグルドだが、忠君の士と謳われたエルトシャンは、これを見過ごすわけにはいかなかった。

 

「アウグスト殿。不敬がすぎるぞ」

 

 エルトシャンはそう言いながら殺気立った視線を向けるも、アウグストは異にも介さない。

 

「よいですか御三方。それぞれが国家を治める為政者となるなら、この問題の本質をよく理解する必要がある。確かに属州領商人による商いは、アグストリアを疲弊させているが、しかしこれは長期的に見れば全く問題にはなりませぬ」

 

 唐突にアウグストの授業が始まったのを受け、シグルド達は困惑を露わにするも、不思議とアウグストの言葉を遮る事は出来なかった。

 そして、アウグストは以下の事を滔々と説明し始めた。

 

 確かにアグストリアの馬借業は、属州領(オイフェ)の資金援助を受けたエバンス馬借による価格競争についていけず、一時的にではあるが数を減らすだろう。しかし、それは永遠に続くものではない。

 いずれは適正価格による取引が復活するだろうし、その頃にはアグストリアにも拠点を置く属州領の馬借業は、もはや帰属意識が希薄となり、国際商家として自身の利益追求のみにひた走るだろう。これら強力な商家による流通インフラの構築は、アグストリアにとっても悪い話ではない。

 加え、貿易摩擦による短期的な不均衡は、結果的に輸入の減少、そして輸出の増大を引き起こすので、つまりは自然に均衡が取れるものである。

 事実として、短期間の属州領の猛烈な経済成長に比例して、伸び率こそは低いものの、アグストリア全体での経済は確実に成長を果たしていた。

 

「しかしシャガール王は少々短気な御方なようですな。先に行った正貨増産は、悪手中の悪手だった」

 

 だが、新王となったシャガールは、短絡的な解決手段を求めていた。

 即位してから手始めに行った正貨の増産。これは、悪貨の蔓延を招くこととなり、アグストリアにおけるゴールドの価値を下げ、物価上昇は加速度的に高まる結果となっていた。付け加えて、アグストリア諸侯連合という国家形態が、問題を更に深刻化させていた。

 

 ゆるやかな国家連合ともいえるアグストリア。構成する諸国家は、アグスティ王家に対しての軍役義務を負っている以外、内政は完全自治を委ねれられていた。というより、中央集権を完全に確立している国家は、実はユグドラル大陸ではトラキア王国とシレジア王国しか存在しておらず。

 グランベル王国では中央政界に各公爵家が入り込んでいるので、擬似的には中央集権体制が敷かれていたが、それでも内政は基本、各公国の自治体制が敷かれていた。

 後の国家は有力豪族、大領主の寄り合い所帯なのが実情であった。

 

 アグストリアは五つの王国による連合王国であり、盟主であるアグスティ王家は各王家の経済政策を統制出来ず、無法が蔓延る結果となった。

 増産したゴールドを不正に蓄財するアンフォニー王国などはまだ良い方で、貿易品の大量流入により保有資産が目減りしたマッキリー王国などは、商家を巻き込んで領内の穀物価格の釣り上げも行っていた。ハイライン王国はここぞとばかり軍備増強を図り、領内の民生を圧迫していた。

 結果として、アグストリアの民草は短期間で強烈な貧困に苛まれる事となり、発生した暴動件数は従来の五倍にも達しようとしていた。

 

 シャガールは失政の挽回を図るべく、属州領に対する苛烈な搾取を決断していた。

 既にアグスティへ支店を構えていた商家は、いきなり徴税官が法外な税を課し、半ば強制的に徴収していた事をシグルドへ陳情している。

 抗議の使者をアグスティへ送る前に、こうしてエルトシャンが現れた次第であった。

 

「よいですかな。政とはすなわち、世を治め民の苦しみを救う事が肝要なのです。これを蔑ろにしては、いずれは民心は離れ、国家の崩壊を招く事となる。肝に銘じておきなされ」

 

 経世済民こそが、健全な国家運営なのだから。そう言って、講釈を終わらせたアウグスト。心なしかどこか達成感のある、満足気な様子を見せていた。

 そのようなアウグストに、感心しながら聞き入るシグルド、どこか物憂げな様子でそれを聞いていたエルトシャン、そして無表情で聞いていたキュアンと、三者三様な反応であった。

 

「御高説は良いが、目の前の問題に対処するのが先決ではないのか。何か案はあるのか、御坊」

 

 常に戦いに身を置いているレンスター騎士らしく、即物的な一面を持つキュアンがそう言うと、アウグストはニヤリと厭らしい笑みを浮かべた。

 

「今更抗議しても意味は無いでしょうな」

「では、どうすればよい」

「その前に、エルトシャン王」

 

 そして、アウグストは改めてエルトシャンへ言った。

 

「アグストリアと属州領……グランベルが戦になった場合、ノディオンは、エルトシャン王はどうされるおつもりか」

「なに?」

 

 アウグストの言葉に場は凍りつく。

 怪僧は構わず続ける。

 

「これは実質的な宣戦布告と同義なのはエルトシャン王もおわかりでしょう。正式な使者がバーハラに送られる前に王が来てくれたのは助かりますが、それでも開戦の先送りにしかなりませぬ。シグルド殿がこれを承知しても、宰相府が許すとは思えませぬからな」

「しかし、シャガール陛下はそのような……」

「エルトシャン王。現実を見なされ。クロスナイツをシルベールへ送るよう命じたのも、親グランベルのノディオンの戦力を分散させ、侵攻を滞りなく進める為としか拙僧には思えませぬ」

「し、しかし……」

 

 惑うエルトシャンだったが、その可能性は頭の片隅にあった。

 だからこそ、交渉により開戦を回避するつもりでもあった。

 だが、アウグストは既に分水嶺は過ぎたと冷酷に伝える。

 

「国内の経済問題を属州領討伐にすり替えただけですが、それでも戦を起こすには十分な大義名分。それに、今のグランベルはイザークとの戦が長期化し国内は手薄。属州領さえなんとかすれば、あとは切り取り放題という、十分すぎる程の好機ですからな」

「……」

 

 エルトシャンは気鬱げに俯いた。

 忠義と友義、義と忠に挟まれ懊悩する。

 若き獅子王に課せられた重荷。

 シグルドとキュアンは、親友の言葉をじっと待っていた。

 

「俺は……」

 

 重たい空気に包まれる中、言葉を振り絞ろうとしたエルトシャン

 主命に従い対グランベルの尖兵となるか。

 それとも、一命を賭して主君を諌めるべきか。

 

「シ、シグルド様!」

 

 しかし、エルトシャンが答えを出す前に。

 一人の騎士が、慌てた様子で執務室に現れた。

 

「ノイッシュ、今は会談中だ。一体どうしたんだ」

 

 シアルフィの若き騎士ノイッシュが息を切らせて入室するのを見留めたシグルドは、ただならぬその様子に訝しげな表情を浮かべていた。

 

「そ、それが……」

 

 無作法な入室をしたのにも関わらず、ノイッシュは無礼を詫びる前に報告を続けた。

 

「オ、オイフェが帰ってきました。それと、もう一人──」

 

 ノイッシュの報告により、場の空気はそれまでとはまた別の、異様な緊張感に包まれた。

 一人アウグストだけが、恍惚げに口角を引き攣らせていた。

 

 

 


 

「お久しぶりですね、ラケシス様。お変わりありませんか?」

 

 同刻、エバンス城の客室。

 歓待するシグルドの妻ディアドラへ、金髪の美姫──ノディオン王女であるラケシスは、はにかんだ笑みを返してた。

 

「はい。お気遣いありがとうございます、ディアドラ様」

 

 エルトシャンのエバンス訪問に同行していたラケシス。

 件の誘拐未遂事件以降、エルトシャンにより半ば軟禁に近い形でノディオンに留められていたラケシスだったが、この時は強引に兄王に同行していた。

 己を救ってくれた者達へ、直接感謝を伝えたい。妹姫のこの申し出に、義に厚い獅子王は首を縦に振らざるを得なかった。

 

「でも、ディアドラ様もあまり無理はしないほうが……」

 

 そう言ったラケシスの視線の先は、少し膨らんだディアドラの下腹部へ向けられていた。

 

「大丈夫よラケシス様。この時期は少しくらい運動した方がいいんだから。ね、ディアドラ義姉様」

 

 代わりに答えたのは、レンスター王太子妃であるエスリン。経産婦である彼女は、ディアドラの現在の状態を誰よりも理解していた。

 

「ごめんなさい、本来はこのような身体でおもてなしをするのは失礼だと思ったのですが……」

「いいえ、そんなことはありませんわ。ディアドラ様のお気遣い、とてもうれしく思います。それと、遅れましたが、ご懐妊おめでとうございます」

「ありがとうございます、ラケシス様」

 

 目出度くシグルドの子を妊娠していたディアドラに、ラケシスはそのような純粋な祝意を向けていた。

 

「ラケシス様もそろそろじゃないの~。誰かいいお相手いたりするんじゃない?」

 

 気さくげにそう言ったエスリンであるが、ある程度親しんだ者へそのような距離感を見せるのは、彼女の人間的な美徳でもある。実際、ラケシスは軽い調子で話しかけてくるエスリンを好ましく思っていた。

 

「そうですね……」

 

 しかし、少々鬱げに声を落とすラケシス。

 想い人はいる。だが、結ばれてはならぬ禁断の相手であることは、己の心の奥底に封印しなければならなかった。

 

「ラケシス様なら、きっと素敵な殿方に出会えますよ」

「ありがとうございます、ディアドラ様」

 

 夫達とは違い、客室は暖かみのある空気に包まれていた。

 ディアドラやエスリンと接していると、ラケシスは不思議と気持ちが落ち着くのを感じる。

 

「まあいい相手なら一人いるんだけどね……一人いるんだけどね!」

「エスリン様……?」

 

 急に挙動不審になるエスリンに困惑するラケシス。

 しかし、義妹がこうしてたまにこわれるのは、ディアドラには見慣れた光景ではあるので、微笑ましげに目元をほころばせるだけであった。

 

「例えば~……ウチのフィンとか!」

「えっ」

 

 可愛がっている弟分を推すエスリンに、更に戸惑うラケシス。

 唐突にフィンの名を聞くと、少々頬を赤らめた。

 

「まあそれとはあんまし関係ないけど、フィンね。ずっと悩んでいるの。だから、ラケシス様からも何か言ってあげてほしくて」

 

 ふと、エスリンはそう言って慈愛の表情を浮かべた。

 ラケシス誘拐事件は、かの世界的傭兵(ひろし)の活躍により未遂に終わっている。しかし、フィンは己の未熟さを恥じ、そして自責の念に苛まれていた。

 もしあそこで(ひろし)が現れていなかったら──。

 そのように自分を責め続けるフィンに、エスリンが気に病まないわけがなかった。

 

「そうですか。フィンが……」

 

 そう返すも、乙女の心の内は、ある種の葛藤に苛まれていた。

 愛する人は、実の兄であるエルトシャン。それは、ずっと前から変わらない。

 しかし、最近は一人の青年が、その心の隙間に現れていた。

 

 フィン。

 あの時、私を助けようとして、必死になって戦ってくれた。

 何故、あなたはそこまでしてくれたの?

 

 そのような疑問は、結局今だ聞けずにいた。

 当然だ。あれから、ノディオンから一歩も出ることは叶わなかったのだから。

 だからこそ、こうしてエバンスに来た。

 フィンに会えば、己の心の葛藤に、僅かながら答えが見いだせるとも思っていた。

 

 そして。

 

「失礼します──」

 

 ドアをノックする音、聞いたことのある声が響いた。

 そして、開かれたドアから、青髪の見習い騎士の姿が現れた。

 ラケシスは、己の鼓動が早鐘を打つのを自覚していた。

 

「噂をすれば来てるやんけ~!」

「エスリン様、落ち着きましょうね」

 

 突然興奮するエスリンを宥めるディアドラ。

 それを見て、ラケシスは幾分か落ち着きを取り戻していた。

 

「フィン……」

「……」

 

 一瞬、目が合う。

 しかし、フィンはラケシスへ一礼するのみだった。

 

「なんでそこで何も言わないんじゃヘタレが~!」

「エスリン様、落ち着きましょうね」

 

 もはや外野の声は聞こえず。

 ラケシスは、フィンの姿を見て、何かが溢れそうなのを、必死でこらえていた。

 

 どうして何も言わないの?

 あの時、助けられなかったのは、あなたのせいじゃないのに。

 どうして、そんな顔をするの?

 

 ラケシスを見て、フィンは何かを後悔するように、そして罪悪感に塗れた沈鬱な表情を浮かべていた。

 己を責め、黙するフィンに、ラケシスもまた何も言えなかった。

 

「……ディアドラ様、エスリン様。それから……ラケシス様。至急、城門の方までお越しください」

「へ? なんでよ?」

 

 絞り出すように出た言葉は、事務的な伝達事項だけだった。

 代表してそう疑問を上げるエスリンへ、フィンは粛々と言葉を続ける。

 もう、ラケシスは見ていなかった。

 ラケシスは、フィンを見続けていた。

 

「それが、オイフェが帰ってきたのですが」

「まあ、オイフェが」

「オイフェくん、やっと帰ってきたのね。なんか二年くらい会ってない気がするわ」

「そうですね。随分と久しぶりに感じます」

 

 実際はオイフェ不在期間は四ヶ月ほどではあるのだが、エスリンのその言葉に、ディアドラはうんうんと同意を示していた。

 とはいえ、可愛がっている弟分であり、師事している政経学の師匠に久しぶりに会えるとなると、ディアドラの声も弾む。

 

「でもわたしがオイフェくんの出迎えに行くのは良いんだけど、義姉様は身重なんだから、このまま待ってもらっても良いんじゃない? ていうかオイフェくんが会いに来いや!」

「エスリン様、わたしは大丈夫ですから……」

 

 だが、妊婦に、それも主君の妻にわざわざ出迎えさせるとはいかなる了見か。

 そう憤るエスリンの言い分はもっとも。

 しかし、神妙な顔つきにて次の言葉を言ったフィンに、エスリンとディアドラ、そしてラケシスは、驚嘆に塗れた表情を浮かべた。

 

「オイフェと一緒に、グランベルの──クルト王子がいらしています」

「は?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第58話『帰宅オイフェ』

 

「オイフェ、着いたよ」

 

 デューの手を借りながら馬車を降りるオイフェは、数ヶ月ぶりに見るエバンスの城郭を見て、僅かに瞳を潤ませていた。

 

「やっと帰って来れましたね、デュー殿」

「うん。大変だったねえ、オイフェ」

 

 未だ歩行に支障が出る程、オイフェの肉体は回復しきっておらず、デューは甲斐甲斐しくオイフェを介助していた。

 二人の少年は、困難な旅路を終え、万感の想いで城郭を見つめていた。

 

 オイフェがレイミア、そしてガルザス夫妻により救出されてから一週間。

 分散先行していたデュー達とシアルフィ領にて無事合流したものの、一行は休む間もなくエバンスへ急行していた。

 急ぐには理由があったが、それでもこの行程は、苛酷な責め苦を負った少年の体躯を蝕んでいた。

 

「っ」

 

 ふらりとよろける。

 だが、その身体をそっと、背後から受け止める女武者が一人。

 

「大丈夫かい? 補佐官殿」

「え、ええ。ありがとうございます、レイミア殿」

 

 しっとりと艶めいた黒髪が顔に当たり、野性味ある女の香りが鼻孔をくすぐる。

 レイミアの顔を見ると、どこか安心感が湧くと同時に、犯罪を共犯するような罪悪感も感じていた。

 

「いいさ。ま、カラダが本調子になったら、たぁっぷり可愛がってやるから──覚悟するんだね」

「う……」

 

 野獣の眼光に諧謔味に口角を引き攣らせ、最後はややドスの利いた声でそう言ったレイミアに、オイフェはそれまでの情感が全て吹き飛び、言いしれぬ悪寒を感じていた。

 しかし、これは仕方ない。なにせ、共に地獄に堕ちると誓い合った矢先に、自らを犠牲にして彼女を逃したのだ。逆の立場で考えたら、まあ自分も相当怒ると思う。

 ダーナを脱出してから、その事については特に触れなかったレイミア。オイフェの負傷を慮っていたのもあるが、とはいえしっかりと根には持ってはいた。

 

 多分、復調したらぶん殴られる。

 その後、めちゃくちゃにされる。

 そのような予感がしたオイフェは、背筋をぶるりと震わせていた。

 レイミアの湿った怒りは正当なものではあるし、甘んじて受け入れるべき罰ではあるのだが、それでもあまりハードなアレコレは勘弁してもらいたい。そう思うも、覚悟を決めるしかないオイフェであった。

 

「まあまあ姐御、オイフェが無事でよかったじゃん。おいらもこの手紙シグルドさんに渡したくなかったからさ」

 

 そう言って間に入るデューは、懐から一通の書状を取り出しオイフェへ渡した。

 

「ごめんなさい。でも、必要な保険でしたから」

「それは分かってるけどさぁ……」

 

 書状を受け取りながらそう返すオイフェに、デューはしっかりと朋輩の瞳を覗いた。

 

()()はオイフェが直接みんなに伝えなきゃ駄目だと思う」

 

 天真爛漫なようで、相変わらず容赦なく核心を抉るデューの物言い。

 言われずとも。しかし代替手段を用意せず何が軍師か。

 と反論したくなるも、オイフェは苦い笑いを浮かべながら謝意を示すのみであった。

 

「補佐官殿。アタシは一旦外すよ」

「レイミア殿?」

 

 すると、レイミアがそう言った。

 不安げに視線を返すオイフェに、女傭兵は口角を歪めながら少年軍師の頬を揉む。

 

「アタシがいたままだと色々とややこしいだろ?」

「いひぇ、そんにゃことわ」

「まあまあ。ちゃんとアタシを紹介してくれようとするのは嬉しいけどさ……えっ……柔らか……なにこれ……」

「レ、レイミニャどにょ?」

「柔い……気持ちいい……美味そう……」

「あ、あにょ」

「……んっ! んんっ!!」

 

 ちょっと変なスイッチが入り始めたレイミアだったが、鋼の精神でかろうじて自制せしめる。

 少年のモチモチでツルツルの柔肌を丹念に味わうのを諦めたアラサー女傭兵の忸怩たる思い、推して知るべし。

 

「まあ、やることが山積みだしね」

 

 デューへオイフェの身体を預けながら居住まいを正すレイミア。実際、当面の仕事は山積みであるのは確か。

 小勢とはいえ二百を数えるレイミア隊がいきなり幕下に入ったのだ。流れの傭兵がふらりと加入するのとはわけが違う。

 当面の宿を手配するだけでも中々の大仕事だ。レイミアが直接監督せねば、余計な手間が増えるのは想像に難くなかった。

 

「そういうわけで一旦失礼するよ……デューの坊や。補佐官殿をしっかり支えるんだよ」

「うん。任してよ姐御。ていうかイチャつくのも程々にね」

「うるさい小僧だね」

 

 デューの髪をくしゃりと撫でつつ、レイミアはその場を後にした。

 

「オイフェ、大事ないか」

「殿下」

 

 レイミアと入れ替わるように、グランベル王太子クルトが現れる。

 既に変装(女装)は解いており、バーハラ王家のヘラルディック(紋章入り)サーコートを纏っていた。

 己を気遣うクルトに、オイフェはペコリと頭を下げる。

 

「殿下のおかげで問題ありません。ありがとうございます」

 

 オイフェ達がクルト達と合流した時。オイフェの肉体は簡単な応急処置が施されただけで、非常に痛ましい様子を見せていた。

 もちろん、クルトは即座に治癒魔杖にてオイフェの治療を行っていたが、リライブやリカバーは効果が絶大な反面、治癒対象者の体力を大いに消耗させる。

 通常は絶対安静が必要。しかし、オイフェがそれを拒否し旅路を続けていたのは前述の通りである。

 

「あまり無理はしないようにな」

「お気遣い感謝いたします」

「……」

 

 シグルドへは先程ノイッシュを通じ、オイフェ帰還、クルト来訪を伝えている。

 出迎えを待っている間、会話を続けるクルトだが、どこかその瞳には疑念めいたものがちらついていた。

 

「あら? ねえ、ミデェール。あれはオイフェじゃないかしら?」

「そのようですね姫様──なぁっ!?」

 

 すると、所用の帰りなのか、一人の女性が若い騎士を伴い現れる。

 ユングヴィ公女エーディンと、名実共に彼女の騎士であるユングヴィ弓騎士ミデェールだ。

 

「なに変な声出して。そんなに昨日のプレイ(調教)が忘れられなかったのかしら? ほんと、欲しがりさんなんだから……え……?」

 

 驚愕の声と共に硬直したミデェールを訝しむエーディンだったが、直後にオイフェの隣に佇む貴人の姿を見留め、自身もまた言葉を詰まらせる。

 エーディンよりも早くその存在に気付いていたミデェール。この時ばかりは、弓兵特有の高視力が仇となっていたのか、驚愕のあまり彫像の如く固まっていた。

 

「嘘……殿下……」

「やあエーディン公女。久しぶりだね」

 

 そのようなエーディンへ、クルトは茶目っ気たっぷりに片目を瞑る。リング公爵を通じ、クルトとエーディンは社交界に於いて気心知れた仲ではあった。

 が、それでも予想だにしない人物であっただけに、エーディンは淑女の礼法(カーテシー)すら忘れ、只々恋人共々硬直するのみであった。

 

「あ、オイフェだ。やっと帰って来れたんだね……ってええっ!?」

「おっほほw開幕デューオイごっちゃんでぇすwww供給過多すぎてどうしてくれんのよマジで……マジで!?」

「どう見てもクルト殿下です。本当にありがとうございました」

 

 ちょうどその場に居合わせたアゼル&ティルテュwithいい男も、クルトの姿を見ると流石に驚きを隠せず。

 

「君は、確かヴェルトマーの」

「は、はい! ヴェルトマー公爵アルヴィスの弟でアゼルと申します!」

「それから、君は宰相殿の御息女だね。名前は確か……」

「はひ! ティルテュと言いましゅ! お目にかかれて光栄でしゅ殿下!」

「そして君はドズルのいい男」

「よろしくお願いさしすせそ」

 

 極度の緊張でテンパってしまうアゼルやティルテュを微笑ましげに見やるクルト。若者たちの初々しい姿が、とても好ましく思えた。

 

「そんなに畏まらなくても良いよ。ここはバーハラの宮殿ではないのだから。しかし、皆元気が良いね。将来の成長が楽しみだ」

「え、は、はい!」

「あ、ありがとうございマシュ!」

「エリートだから多少はね?」

 

 アゼルとティルテュは変わらず微笑ましい慌て方をしている。それが、クルトの心を和やかなものにしていた。

 

「……」

 

 しかし俯瞰して見ると、クルトは緩んだ表情に影が差すのを自覚した。

 ユングヴィ家、ヴェルトマー家、フリージ家、ドズル家の子女が一堂に会するこの陣容。更に、オイフェから事前に聞かされたところでは、イザーク王家の亡命も密かに受け入れており、加えて叛逆諸侯の陰謀を明るみにするべく、エッダ教主も抱き込んでいる。

 レンスター王太子も属州領の客将として在籍している上に、今日はノディオン王もエバンスに滞在しているとか。

 自分を含めたら、十二聖戦士の血統でダインとセティの一族以外は皆シグルドの元へ集っていることになる。

 

 これではどちらが叛逆者か分かったものではない。

 そう思ってしまうクルトの心情は、直系だけで見ても過半数の聖戦士が一つの旗の元に集うという、物騒なこの現状を認識すれば致し方ないのかもしれない。

 無論、陰謀の裏に蠢く暗黒教団に抗すると考えれば、これはむしろ過小戦力とも言えるが、それにしても。

 

(シグルドは本当に……)

 

 二つの、ある感情を抱くクルト。

 一つは、かのバルドの聖騎士が、本当に野心を抱いていないのかという疑惑だ。

 平民兵を正規兵として編成するという革新的な軍制、そして不相応なまでに充実した軍備。そう遠くない内に、シグルド軍は大陸最強の軍団に成長するだろう。それこそ武力を以てグランベルを、ユグドラルを平定しかねないほど。

 アウグストが謀反の疑いを持っていたように、クルトもまたシグルドの叛逆という猜疑心を抱いていた。

 

 もう一つは、シグルドが意図せずにそれを成している事の、嫉妬めいた警戒心。

 ある意味、こちらの方がクルトにとって衝撃だった。彼の天性のカリスマとも言うべき資質──王者の資質。

 それを見出してしまったクルトは、心の内に薄暗い感情を滲ませていた。

 

 国家の垣根を超えて集まった者達が、シグルドの為に力を尽くす現状。

 対し、己は配下の諸侯の叛乱を招き、バイロンら無二の忠臣を見捨て、おめおめと落ち延びている始末。

 何がグランベルの王太子だ。

 聖騎士一人の人望に負けているではないか。

 (おれ)のなんと情けない姿よ。

 

「……」

 

 クルトは自然とアゼルの赤髪へ視線を向けた。

 劣等感は罪悪感の記憶も呼び起こす。

 アゼルの兄、ヴェルトマー公爵アルヴィス。

 彼から見れば、己は母親を奪い取った悪人なのだろうか。

 いや、贖罪めいた気持ちを向けていても、きっとアルヴィスは自分を恨んでいるのだろう。

 叛逆の直接的な動機ではないにせよ、ある程度の後押しをした感情を持っているのは間違いなかった。

 

 クルトの視線に気付き、ちらりと視線を返すアゼル。

 やや険しい表情でじっと己を見つめ続けるクルトに、アゼルはおずおずと声をかけた。

 

「あ、あの、僕、何か失礼なことを……」

「バカアゼル! チラチラ見てたらそりゃ失礼になるわよ!」

「アゼルお前さっき俺が着替えてる時もチラチラ見てただろ嘘つけ絶対見てたゾ見たけりゃ見せてやるよよしはいじゃあケツ出せぶちこんでやるぜ嬉しいダルルォ!?」(一呼吸)

「レックスはいい加減自重しよ?」

「アンタさっきから全然噛み合ってないわよ」

「センセンシャル」

 

 とはいえ、息ぴったりなアゼルとティルテュを見ると、やはり和やかな気持ちになる。

 案外、くっつけば仲睦まじい夫婦になるのかも。

 そう思うと、クルトは奇妙なおかしみを覚えた。

 嫌悪感や困惑、不安が混同した感情が、彼らを見ていると幾分か和らぐ。ならば、シグルドに直接会えば、これはどちらに振れるのだろうか。

 

「殿下!」

 

 そうしていると、当のシグルドが大慌てで駆けてくるのが見えた。

 後ろにはキュアン、そしてエルトシャンもいる。

 息を切らせつつも、シグルドはクルトの間に立つと、見事な最敬礼を見せた。

 そのようなシグルドに、クルトは薄い笑みを浮かべる。

 

「どうやら奇襲に成功したようだね、シグルド総督」

「はい、まったく」

「なに、楽にしてくれ。非公式の訪問だからね、これは」

「はい、殿下」

 

 シグルドもアゼルやティルテュのように初々しい様子を見せているが、クルトの瞳は先程よりも険しい光が浮かんでいた。

 

「クルト殿下、お久しぶりです」

「殿下。父王カルフに代わり、不肖このキュアンが挨拶言上を──」

「エルトシャン王、キュアン王子も礼はいりません。どうか楽に」

 

 シグルドに続き礼を尽くそうとするエルトシャン、キュアンを、そう言って制すクルト。戸惑う若君達であったが、当然、彼のグランベル王太子が、なぜ突然エバンスへ現れたのか。

 一同はオイフェへと疑問の視線を向ける。

 

「オイフェ、よく帰ってきてくれたね。でも、これは一体……オイフェ、体調が良くないのか?」

「シグルド様、大丈夫です」

 

 帰還の挨拶を述べる前に、シグルドからそう言われたオイフェ。思わず、瞳が潤む。

 ああ、お優しいシグルド様。

 事の次第を問い質す前に、私の心配をしてくれた。

 だから、大好きなシグルド様。

 少年軍師は、消耗した肉体から、得も言われぬ陶酔感が沸き起こるのを感じていた。

 

「シグルド様。エバンスを不在にしてしまい申し訳ありませんでした」

「それはいいよ。それより、何故殿下がここにいるんだい?」

「それはこれからご説明します。ここではなくお城の大広間へ──」

 

 シアルフィ主従の会話。どこか、兄弟が久しぶりに出会ったような、そのような優しい空気が流れていた。

 

「……」

 

 クルトはそれを少しばかりの羨望の眼差しで見つめていた。

 自分も可愛がっていた臣下がいた。

 ヴェルトマー公爵アルヴィス。

 若くして父ヴィクトルから家督を受け継いた、灼熱の貴公子。

 彼が家督を受け継ぐ遠因となった負い目から、クルトは必要以上に政治的な忖度を施していた。

 しかし、目の前のシグルドとオイフェのような関係性は、終ぞ築くことは出来なかった。

 

 当然か。

 彼らのような、健やかな関係ではなかったのだから。

 不貞を働き、母親を奪ってしまった自分が、何を持って彼に償えるというのだろうか。

 

 自嘲げに口角を引き攣らせるクルト。

 薄暗く、湿った感情に苛まれていた。

 

 ああ、シギュン。

 今の私を見て、君は──

 

 

「オイフェ、おかえりなさい」

 

 クルトの耳朶に、どこか聞き覚えのある声が響いた。

 可憐で、儚く、神秘的な声色。

 慈愛に満ちた、精霊の少女の声。

 

「え……」

 

 美しくウェーブがかかった銀髪が、クルトの目に飛び込む。

 そして、その顔立ちは、かつて愛した女性と瓜二つだった。

 

「ディ、ディアドラ義姉様。まず兄上大好きっ子(オイフェくん)より先にクルト殿下へ御挨拶しなきゃ……」

「本当にクルト殿下がいらしていたのね……兄上大好きっ子……わたしのこと……?」

 

 先程の若者達と同様に驚きを露わにし、やや錯乱しているエスリン、ラケシスの姿は、もはやクルト瞳には映っていなかった。

 エスリンに促され、ディアドラはしずしずとクルトの前に進む。

 

「あの、御挨拶が遅れました。わたしはシグルドの妻、ディアドラと申します」

「……」

「あの、クルト殿下……?」

 

 それまでの若者達への対応と違い、呆然と立ち尽くすクルト。

 不思議そうに首をかしげるディアドラを、ただ黙って見つめ続ける。

 

「シギュン……」

「え?」

 

 そう呟いたクルト。

 母の名を呟くクルトに、ディアドラは僅かに驚きの表情を浮かべる。

 

「あの、なぜお母様の名前……を……?」

 

 どこか懐かしく、それでいて寂しい感情が乙女の内に広がる。

 それから、サークレットの下──額の(聖痕)が、じわりと熱を帯びていくのを感じた。

 

「お母様……君の母親は、シギュンなのかい?」

「……はい」

 

 何か、予感めいたものを感じたディアドラ。潤んだ瞳でクルトへ応える。

 クルトはゆっくりとディアドラの髪へ手を伸ばし、美しい銀髪を撫でた。彼の胸には、ヘイムの聖痕が熱く脈動していた。

 

「あ、あの、殿下」

 

 何やらただならぬ気配を受け、シグルドはディアドラの傍へ行こうとした。愛するディアドラ、そして、彼女の胎内に宿っている自身の分身の為に。

 クルトに何か思うわけではなく、これはシグルドの本能的な行動だった。

 

「?」

 

 しかし、誰かに袖を引かれ動きを止める。

 

「オイフェ?」

「シグルド様、大丈夫です」

 

 シグルドの袖をひしと掴み、真摯な瞳を向けるオイフェ。まるで、これから何人たりとも不可侵で、神聖な儀式が行われるとでも言うように、愛する主君を止めていた。

 

「ディアドラ……」

 

 少々不安げに二人を見つめるシグルド。

 しかし、情愛が感じられる空気は、どこか男女のそれとは違うものが感じられた。

 

 まるで、生き別れた親子が出会ったような──

 そのような、慈しい空気。

 

「似ている。シギュンに……」

「……」

 

 ディアドラを撫でながら、瞳を潤ませるクルト。

 気持ちよさそうに、目を細めるディアドラ。

 僅かな接触。そして、血の共鳴。

 それだけで、二人は互いの存在に気付いていた。

 

 お互いが、父と、娘であることを。

 

「あなたは……」

 

 頬に当たるクルトの手へ、ディアドラは自身の手をそっと重ねた。

 

「わたしの、お父様なのですね」

 

 ディアドラは静かにそう言った。

 

「ああ……!」

 

 それを聞いたクルトは、思わず膝から崩れ落ちた。

 滂沱の涙を流し、嗚咽を噛み殺すように泣き崩れていた。

 

「……お父様。泣かないで」

 

 泣き崩れるクルトを、慈しむように抱くディアドラ。

 彼女も、一筋の涙を流していた。

 

 美しい絵画のような光景が現出する。

 まるで、贖罪する咎人を、精霊が慈愛の心で、その罪を赦しているかのように。

 

「オイフェ。お前は……」

 

 これを知っていたのか?

 そう言おうとするも、シグルドは目の前の光景から目が離せなかった。

 ディアドラ。

 呪われた血を引く忌子。

 そして、聖なる血を引く神子。

 戸惑いながらも、シグルドはずっと、目の前の慈しく、罪深い光景を見守り続けていた。

 

 

「おい、エルト」

「ああ。分かっている」

 

 皆がクルトとディアドラを見守っていた中で、キュアンとエルトシャンはひっそりとその輪から外れた。

 小声でそうやり取りした両雄は、これから始まるであろうグランベル王国──否、ユグドラル全土を巻き込んだ動乱の気配を敏感に感じ取っていた。

 

「そうか。ならば、もはや何も言うまい。フィン、ちょっとこっちへ来い。父上へ使いを出さねばならん」

 

 騎兵指揮官らしく、オイフェの話を聞く前に行動を起こそうとするレンスターの若殿の姿。フィンを呼びつけ、あれこれと指示を下していた。

 もちろん、キュアンはオイフェの話が何であろうと、最後の最後までシグルドに付き合うつもりだった。義兄であるシグルドを助けるのはもちろん、それがレンスター王家の、槍騎士ノヴァの直系として相応しい生き方だと確信していたし、何よりその方が面白そうだった。

 

「……分かっているさ、キュアン」

 

 エルトシャンは物憂げな表情から、何かを決意するように口元を引き締めていた。

 獅子王の(たてがみ)が、僅かに逆立っていた。

 

「エルト兄様……」

 

 そのようなエルトシャンを、ラケシスはじっと、何かを耐えるように見つめ続けていた。

 主君の用命を聞いているフィンの、熱を持った視線に気付かぬまま。

 

 

「……っ」

 

 一方のオイフェ。

 やっとここまで来た。

 そう想うと、身体の節々に痺れを感じていた。

 苛酷な旅路を続けていた肉体が、安息と共に限界を迎えようとしていた。

 

「オイフェ、だいじょうぶ?」

 

 オイフェが体重を預けてきた事で、デューは心配げにそう言った。

 ともすればいつ気を失ってもおかしくないオイフェの状態。

 しかし、少年軍師は、まだ意識を落とすつもりはなかった。

 

「大丈夫です」

 

 目の前の光景は、少年の肉体を補強せしめる情感があった。

 さあ、気合いを入れ直せオイフェ。

 これから、大事なお話をシグルド様達へお伝えせねばならないのだから。

 そう己を叱咤する。

 

「……」

 

 それから、オイフェは改めてクルトとディアドラの姿を見つめた。

 とうとう出会ってしまったヘイムの父子(おやこ)

 それを見て、逆行軍師は何を想う。

 

 守護(まも)らねば。

 

 許されぬ行いの末に生まれた慈しい父と娘。

 そして、聖なる血に混じる忌まわしき暗黒の血統。

 常人ならば、葛藤に苛まれ、大義と情愛の間に揺れ動くだろう。

 

 しかし、それでも愛した人たちの幸せを願うオイフェ。

 葛藤は既にない。情愛と怨念が、今のオイフェを形作っていた。

 感情を優先するという非合理は、少年の心を歪なものにしていた。

 

 それは、いつかは清算しなければならない、少年の矛盾でもあった。

 だからこそ。

 

 レイミア、ごめんなさい。

 私は、全てが終わったら──

 

 

 

「……?」

 

 ふと、オイフェの肩に何者かの手が置かれた。

 それから、少年の鼻孔を掠める、中年男性の加齢臭。

 嫌な予感がしたオイフェは、恐る恐る振り向いた。

 振り向いてしまった。

 

 

「待ちくたびれましたぞオイフェどの

 

 

 振り向けばアウグスト。

 喜悦が限界を超えたのか、湿った吐息と共に口角を歪に引き攣らせ、脂ぎった嗤いを浮かべていた。

 

 オイフェは気絶した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第六章
第59話『天馬オイフェ』


 

 オイフェが聖者マイラ──暗黒神ロプトウスの血統にどのような想いを抱いていたのか、同じ時代を生きた者達の間でもその印象は大いに異なっていた。

 聖王セリスが示したのと同様、ロプトの者へすら深い慈愛の心を持っていたと断ずる者もいれば、苛烈なまでに憎悪を抱いていたと断じる者もいた。

 実際にどうであったのかは定かではない。憎悪に塗れたオイフェの臨終に立ち会ったユングヴィ公爵レスターですら、その判断はなんとも難しいと感じていた。

 とはいえ、ある人物が士官学校で行った講義、それがもたらしたちょっとした混乱の後始末をしたオイフェを見れば、それはある程度想像する事ができた。

 

 光の公子セリスが聖戦の系譜に導かれし勇者達と共に暗黒神を打倒し、グランベルの聖王としての王道を成した後。

 各国の貴族子弟の留学生のみならず、平民の士官候補生も受け入れるようになったグランベル王立士官学校では、先の解放戦争の戦史講義が盛んに行われていた。

 平民階級としては初の士官学校学長に就任したディムナの努力の甲斐もあり、解放戦争の当事者達──各国の指導者となった王侯貴族も教授として講義に加わる事となり、当時の状況を覚えている限り生徒達へ伝えていた。

 これは軍学というより、悲劇を繰り返してはならぬという道徳教育の側面が強かった。

 

 そして、レンスター解放戦争で智謀を振るったブラギの僧アウグストもこれに参加をしていた。だが、他の講義が複数回、数日かけて行われるのに対し、アウグストの講義はたった一日で終わっている。

 要はアウグストの毒気に当てられた生徒達がよからぬことを考え出しては困るので一日で打ち切ったのだが、解放戦争が終結し一介の僧侶となったアウグストが、戦争当時では考えられぬほど穏やかな人間となり、それに幻惑されて進講を依頼したディムナの責任も多大にあったのは確かである。

 ともあれ、燃え尽きる前の蝋燭が盛大に炎を上げるように、枯れ果てた老僧侶アウグストが久方ぶりに本性を現したその講義は、ただ聞いているだけで良い他の講義とは違い、生徒達へひどく頭を使わせる教授法となっていた。

 

 彼は解放戦争を戦史、戦訓という過去の事実として伝えず、つい先ほど起きた事、あるいは現在進行系で発生している事象として語った。様々な困難、それで生じたあらゆる出来事を疑わせ、もっとよい解決案がないかと考えさせた。

 本来の士官学校らしい授業風景となってはいたが、戦史を軍事的な事例研究(ケーススタディ)として扱うのは当時としては異例であるし、なによりアウグスト自身が士官教育(オフィサー・エデュケーション)を受けた事は無く、その軍学は全て実戦のみで培ったという事実が、生徒達に異様な緊張感を与えていた。

 

 更に生徒達を当惑させたのが、当時の帝国軍──ロプト教団の立場となり、セリス率いる解放軍を“敵軍”として想定した事例研究だった。

 帝国軍が解放軍に敗北した要因を分析し、どうすれば解放軍を撃滅できたのかを語り、あまつさえ当時の帝国軍を慮った事も口にしていた。

 不敬どころか、一歩間違えば叛乱と見做されるような事を平然と述べるアウグストに、生徒達が戦慄したのは言うまでもない。実際、ある生徒(彼はバーハラ出身の貴族だった)は激高してアウグストを批判した。

 

「尊崇だけでは戦に勝てぬ」

 

 老怪僧はこのように切って捨て、批判者を黙らせていた。数多の敵軍をその智謀で屠って来た凄味が、実戦を知らぬ若者達へそれ以上の抗弁を許さなかった。

 静まりかえった教場を見回しながら、アウグストは続けた。

 

「解放戦争終盤、ユリア皇女がロプト大司教マンフロイに拐かされたことがあった」

 

 トラキア半島での戦闘を終わらせた解放軍がミレトス地方ペルルークへ進軍した時。つかの間の休息、その間隙を突かれたのか、大司教マンフロイによりユリア皇女が誘拐されるという事件が発生する。

 この時はまだユリアがナーガの血統──皇帝アルヴィスと皇后ディアドラの娘であり、セリスの異父妹である事実は隠されていたのだが、ユリアの失踪は解放軍が暗黒神ロプトウスへの直接的な対抗手段を喪失していた事を意味していた。

 当然、暗黒神の化身である闇の皇子ユリウスは、マンフロイへユリアの処刑を命じた。

 ロプトウスを廃滅せしめる手段は神聖魔法ナーガのみ。例えナーガを除く十一の神器が束になってかかろうとも、ユリウスへ致命を与える事は不可能だったからだ。

 

 しかし、マンフロイは洗脳術を以てユリアを支配下に置くようユリウスへ具申した。そして、ユリアを解放軍の矢面に立たせた。

 セリスを含め解放軍の精神的な癒やしであり、支えであったユリアを敵対させるという悪辣。セリスによる懸命な説得も虚しく、ユリアは闇に囚われ続けていた。

 

 だが、様々な困難に打ち勝ち、マンフロイを直接打倒したセリス。ユリアの洗脳は解け、兄妹は手を取り合い──ついには、ナーガの光を以て暗黒神ユリウスを倒した。

 

 客観的に見れば、マンフロイのこの失策により、解放軍は勝利を掴んだということになる。誘拐に成功した時点で、マンフロイはユリアを殺害するべきだったのだ。

 だが、暗黒神復活を成し遂げた慢心からか、マンフロイはユリアを殺さずに己の支配下に置いていた。

 元々は皇帝アルヴィスを従わせる為の一助とはいえ、マンフロイがアルヴィス亡き後もユリアを処刑しなかった理由は定かではない。しかし、アウグストはこう言った。

 

「拙僧はこれを失策と断じる事はできない。むしろ至極妥当な策であると評価する。もちろん、我々(解放軍)から見ても助かったのは事実ではあるが、客観的に見てもあれはマンフロイの失策ではない」

 

 続けるアウグストの言葉は、禁忌(タブー)を恐れない、残酷なまでに現実的な物言いだった。

 ナーガの直系であるユリアを殺害すれば、その時点での神聖魔法ナーガの使い手は潰える事となる。

 だが、竜族が残した神々の血統は“傍系さえ無事ならば直系の復活が可能”という、ある意味で厄介な仕組みとなっていた。

 ターラ公爵家のリノアン公女がナーガ傍系であるのは、当時知る者はほとんどいなかった。そして、ユリアが死亡しても、リノアンに直系聖痕が発現するという事も無い。

 

 だが、リノアンが子を二人以上──男女の子を成し、その男女が子を成したとすれば。

 近親交配による血の純化により、三世代後にはナーガの直系が晴れて復活する事となる。

 マンフロイは愚か者ではない。長い年月を経て、陰謀を成就させた稀代の謀略家である。当然、己がアルヴィスとディアドラで行ったロプト直系復活と同じ手法を、相手がやらないと断じる程楽観的ではなかった。

 

 いわば、これはマンフロイによるロプトの安全保障策だったのだ。

 こちらが把握していないどこのだれとも分からぬ者が、突然ナーガに覚醒せしめるという危険。これをマンフロイは放置できなかった。

 無論、神聖魔法ナーガが渡らなければあまり意味のない事でもあるが、それでも潜在的な驚異であり続けるのは確かだ。

 神聖魔法ナーガを厳重に封印した上で、更にナーガの直系血統を“管理”する。それが、暗黒の世を大磐石の重きに導く、マンフロイの最後の策だったのだ。

 

 ナーガとロプト、光と闇は、表裏一体であり一心同体。

 それを現実として捉えていたのは、ユグドラルの人間では、アウグストとマンフロイ、そしてオイフェだけだった。

 

「光と闇の血は、残念ながらもはや解離出来ぬほど交わってしまった。これについて拙僧はとやかく言うつもりはない。男女交合の愉悦は真理からの賜物であるからな」

 

 アウグストの不遜な物言いは、もう誰にも止められなかった。

 

「ナーガの血脈と共に、ロプトの血脈もまた健在である。ユグドラルは竜族の血の呪いに支配されているともいえるのだ。この不変となった事実を認識した上で、諸君らは軍人として、指揮官として常に正確な決断をしなければならぬ。それを忘れるなかれ」

 

 これがアウグストだった。これこそが統一トラキア王国の礎を築いた鬼謀だった。

 ユグドラル大陸に光をもたらした聖戦士への挑戦とも言えるアウグストの言葉は、士官学校の生徒達に衝撃を与えていた。そして、他の諸侯達の講義とは違い、アウグストの講義が一日で終了した理由でもあった。

 

『士官候補生への教育効果は大なれど、それ以上に多大な誤解を招来せしめる』

 

 後学にと講義を聴講していたオイフェは、同じく聴講していたディムナへこのような感想を残した。

 もっとも、青ざめた表情で茫然自失としたディムナは、感想を残すどころでは無かったのだが。もしアウグストを天敵として見做していたあのフリージの乙女がこれを目にしていたのならば、『超えちゃいけないラインがあるでしょこのクソ坊主!』と言い放っていただろう。

 それから、オイフェとディムナは受講した生徒達へ緘口令を敷き、講義自体を無かった事にするべく粛々と対処をした。

 このような後始末をせねばならなかった事が、未だにユグドラルが“竜族の呪い”に囚われている事実を如実に物語っていた。

 

 セリスとユリアにロプトの血脈が埋火のように脈動しているのは、誰もが知る公然の秘密であり、ユグドラル最大の禁句でもあった。

 それを傲然と指摘したアウグスト。

 つまるところ、彼にとって神々の系譜は傍迷惑な存在でしかなかった。

 それはロプトは無論のこと、十二聖戦士ですら同様だった(ブラギはあくまでエッダ教の大司祭という認識でしかなく、無条件で信じられるものではなかった)。

 

 そして、実のところオイフェもまた同じ想いを抱いていた。

 だが、それはオイフェの立場では決して口にすることは出来なかった。

 だからこそ、オイフェは自身の代弁者ともいえるアウグストの後始末を甘んじて実行していたのだ。

 

 オイフェはアルヴィスを恨んでいたと同時に、悲劇の根幹でもある神々の系譜も忌避していた。

 なぜ竜族はこのような欠陥まみれの血脈を残したのか。

 いずれ復活するロプトウスへ対抗する為とはいえ、ロプトの血が聖戦士の血と交われば、ユグドラルは未来永劫、定期的に爆発する時限爆弾を抱え続ける羽目になるというのに。

 

 アウグストは傲岸不遜にそれを客観的な事実として受け入れていた。

 だが、この救いであり破滅という矛盾は、オイフェにとって粘ついた感情を──それこそ、あのバーハラの悲劇に芽生えた感情を、より暗く、根深く成長させていった。

 悲劇と救世の両方を体験し、直系ではなく傍系という、貴種と雑種双方の観点を持つオイフェだからこそ芽生えた、歪な矛盾であった。

 

 アウグストが老衰にて大往生を遂げた翌年、オイフェもまた後を追うように病に倒れた。

 オイフェがその生涯で子を成さなかったのは、政治的な理由だけではなく、彼が示した竜族へのささやかな抗議であり、精一杯の抵抗だったのかもしれない。

 

 

 


 

 グラン暦758年

 エバンス城

 

「なあアゼル。ペガサスにも穴はあるんだよな」

「いきなり怖いこと言うのやめてレックス」

 

 先のオイフェ帰還は、エバンス城に多大な混乱をもたらしていたが、一部の者達は我関せずとまではいかずとも、常の空気を保ち続けていた。

 というより、あれ以上あそこにいて何になるといった体でその場を離れただけともいえた。

 渦中のクルト王子はディアドラと出会ってからまともに話せる状態ではなく、しばらく落ち着かせる必要があった。

 そしてなにより、全ての説明をするはずだったオイフェがいきなり昏倒してしまったとあっては、立ち会った者達もひとまず解散、オイフェが覚醒次第改めて大広間へ集合といった流れになるしかなかった。

 デュー曰く、ちょっとびっくりしちゃっただけだからすぐ起きると思うよ。多分。

 

 まあ、そのような次第でも、いい男はいつも通りいい男であり、アゼルはいつも通り真顔だった。

 

「ハードゲイに加えてガチケモの気まであるとか流石のあたしもちょっと引くわ……」

 

 アゼルの隣では『マジかよこいつ』といった表情のティルテュの姿があった。

 最近はこの三人で──ティルテュは三人ではなく二人きりが良いとも思っていたが──つるむ事が多かった。こうるさいアマルダから逃げおおせ、青春を謳歌する乙女の機嫌は悪くない。どうやらクロード神父の事は乙女の意識からやや外れてきているようだった。

 ちなみにアマルダは、その愛くるしい見た目のおかげか、エバンス城の者達に猫可愛がりされており、ティルテュを探す前に菓子やらなんやらを与えられ身動きが取れない日々が続いていた。もっとも、本人も若干まんざらでもない様子だったが。

 

「腐女子のお前にだけは言われたくないんだよなぁ……つーか俺は獣に欲情するような変態じゃないゾ。ただノンケだって構わないで喰っちまう人間なだけなんだぜ」

「なおさら性質(たち)悪いよレックス!」

「タチだけに?」

「うるさいよティルテュ! なんなのさ二人とも!?」

 

 軽口を交わす幼馴染達に、自身の赤髪のように顔を上気させツッコミを入れるアゼルの姿は、もはやこの三人の中では日常の光景であった。

 

「ところでなんでペガサス? あんたシレジアに何か縁があったっけ?」

「なんもないゾ」

 

 そう尋ねるティルテュだったが、いい男は相変わらず彼方を見つめたまま。

 どうやら、何かを見つけていたようである。

 

「ティルテュ、見ろよ見ろよ。何やってんだアゼルもホラ見とけよ~」

「なによ、ペガサスでも見つけたの?」

「なんだよもう……」

 

 どこからともなく遠眼鏡を取り出したいい男。アゼルとティルテュに渡しながらある方向を指し示す。

 すると、複数のペガサスナイトがこちらへ飛来して来るのを見て取れた。

 遠眼鏡無しではゴマ粒程度にしか視認できぬ距離であったが、いい男は終始裸眼だった。

 

「あら、本当にペガサスだわ……ていうかあんたマジで気持ち悪いわね!? なんで遠眼鏡無しでアレに気付けるのよ!?」

「なんだろう……アグスティの方から来てる……」

 

 ペガサスナイトの一団はアゼル達の元、つまりエバンス城へ向かっていた。敵対行動では無さそうだが、シレジア天馬騎士団にしか配備されていないペガサスナイトが、何故アグストリア、それも王都アグスティ方面から飛来しているのか。

 訝しむアゼルに、ティルテュも少々怪訝な表情を浮かべていた。

 

「アゼル、なんだろうねアレ」

「わからないけど……でも、急いでシグルド総督に報告しに行こう。まだ門兵達は気付いてないみたいだし」

「まあそうね。にしても、今日はほんと色々起きるわね」

「うん……」

 

 不安げなアゼルにあっけらかんとした様子で接するティルテュ。

 だが、立て続けに起こる予想外の事態に、フリージ乙女の陽気を受けてもヴェルトマー公子の不安は晴れなかった。

 

「行こう、レックス」

「おかのした」

「ティルテュも、はやく」

「はーい」

 

 それから、若者達はシグルドの元へと駆けた。

 シグルドの元へ集ってから、アゼルがこのような胸騒ぎを覚えるのは初めてだった。

 ヴェルダンとの戦でも、いい男が隣で斧を振るっていれば恐怖心が勇気へと変わっていたし、エーディンへの想いが粉砕してからの悲しみの日々も、ティルテュが来てからは楽しい毎日へと変わっていた。

 だからなのか、どうもアゼルはあのペガサスの集団が凶兆めいたものに見えてしまった。

 

 どうも、妙だ。

 まるで、なにか──とてつもなく、なにか大変な事が始まってしまうような。

 それに、自分が大海に投げ出された筏のように翻弄されしまうような。

 そのような漠然とした不安を、アゼルは感じていた。

 

(なんだろう……いやな予感がする……)

 

 これが、新たな戦乱の始まりを告げるとは。

 この時、アゼルは全く予想できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




マンフロイ「あ♥ちょっと洗脳する♥」
ユリウス「ちょっと洗脳してんじゃねえよ!」


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第60話『挨拶オイフェ』

 

「あ、起きた」

「……デュー殿」

 

 不覚にも卒倒してしまったオイフェであったが、目覚めるのにそれほどの時はかからなかった。

 急遽運ばれたエバンス城の私室にて目を覚ますと、すっかり女房役が板についたデューの姿があった。

 

「お見苦しいところ見せてしまいましたね……」

「気にしないでよ。それより具合はどう?」

「ええ。もう大丈夫です。ありがとうございます、デュー殿」

 

 ほわりとした空気が少年達の間に漂う。にこりと微笑んだデューは水差しから一杯の水を注ぎ、オイフェへ手渡した。

 

「ほい、お水」

「ありがとうございます」

 

 コップを抱えるようにして一口飲み下す。

 冷たく喉を潤してくれるその感触は心地よかった。

 人心地がつき、オイフェはほうと息をつく。しかし喉の飢えは未だ収まらず。また水を口に含んだ。

 

 

「拙僧にも一杯いただけますかな」

「ブーーーー!!!」

(きたな)っ!?」

 

 突如聞こえた中年僧侶の声。オイフェは盛大に水を噴出し、デューへぶっかけていた。

 

「ア、アウグスト殿……!」

 

 むせながらそう言ったオイフェ。

 デューの向こう正面に座っていたアウグストは、にんまりと脂ぎった顔をオイフェへ向けていた。

 

「いやぁ、失敬失敬。まさか突然倒れるとは思いませんでしてな」

「い、いえ、それは別に……しばらくぶりです、アウグスト殿」

 

 差し障りない挨拶を交わしつつ、オイフェはじろりとデューを睨む。デューはそれに気付いていながらも、どこ吹く風で付着したオイフェ汁の除去に勤しんでいた。

 

「いやはや。男子三日会わざればとは言いますが、随分と逞しくなりましたな」

「は、はぁ……ありがとうございます」

 

 じろじろと無遠慮な視線を向け続けるアウグストに、オイフェは努めて表情に出さないようにしていたが、少々頬が引き攣っていた。

 

「ふむ……」

 

 そのようなオイフェへ、アウグストはまんじりとした眼光を浮かべた。

 

「色を知りましたな。それもごく最近」

「うぇ!?」

 

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまうオイフェ。相変わらず予想外の方向で攻めてくる軍師僧侶に狼狽する。

 

「ぬふふ……若い内は何かと加減が効かぬもの。まあ男などそういうものではあるが、あまりおなごに負担をかけないようにするのもシアルフィ男子の嗜みと存じますがな」

「あ、それは大丈夫だと思うよアウグストのおっちゃん。姐御も割とえっちだし」

「ほう? 姐御とな。年増を相手に選ぶとは、いや、オイフェ殿も中々」

「二人して何の話をしているのですか……」

 

 己が気を失っている間、デューとアウグストはすっかり親睦を深めていたようだ。

 デューと相性が合わない人間は中々いないだろうが、それでもこの偏屈坊主とも仲良くなってしまうデューの無邪気。

 出会いたくない相手がいつの間にかエバンスにまで迫っていた事は少々恐怖ではあるが、この場でデューがいればそこまでひどいことにはならぬだろうと、オイフェは僅かに安堵のため息をもらしていた。

 

「ところで、随分とまた難儀を抱えておるようですな」

 

 しかし、アウグストが懐から書簡を取り出すと、オイフェの表情は途端に引き締まった。

 いつの間にか、アウグストもまた真剣な面持ちになっていた。

 

「ごめんオイフェ。でもおいら、アウグストのおっちゃんにも協力してもらった方がいいと思うんだ。シグルドさん達に話す前に」

「デュー殿……」

 

 オイフェはそう言ったデューを見てため息をひとつ吐いた。無論、安堵からではない。アウグストが取り出した書簡は、自身にもしもの時があった時用に認めた陰謀の全容、そして今後の方針だった。

 それをアウグストに読まれてしまったという事実。しかし、オイフェはデューの独断、そして情報漏洩を責めるつもりはなかった。そもそもクルト王子の存在を直に見られている以上、隠し通す事は不可能だった。

 そして、客観的に見ればデューの意見はもっともだとも思っていた。

 そもそもで言えば前世で共に轡を並べた仲。むしろアウグストの知略は、陰謀に立ち向かう上で万馬の援軍にも等しい代物だ。

 方針の違いで対立する事を恐れてはいたが、エッダ城で邂逅した時と今では状況が違う。

 腹を括ったオイフェは、アウグストへ向き直ると、口を開いた。

 

「既に書簡に目を通したのであれば、我々を取り巻く現状はご存知かと思います。その上で──」

「あいや、待たれい」

 

 アウグストは片手を突き出すと、オイフェの言葉を制した。

 

「この書簡の真偽はクルト王子がエバンスにいる事実を鑑みれば疑う余地はありませぬ。諸侯の叛逆は現実、そしてその背後に暗黒教団がいる事も。クロード神父が突然聖地へ向かったのも頷けますな。それから、エバンスの軍拡はそれらと相対する為の布石だったのも今となっては理解できる。ついでにディアドラ殿の警護が厳重だった理由も、クルト王子の落胤だったのであれば不思議ではない。しかし──」

 

 一呼吸置き、アウグストは言葉を続ける。

 

「ふたつ、分からぬ事がある」

「なんでしょう」

「まずひとつ。アルヴィス卿よ」

 

 アルヴィスの名が出た瞬間、オイフェの瞳に冷たいものが浮かぶ。

 

「陛下の信任が厚いアルヴィス卿が何故暗黒教団と手を組んでまで王権簒奪を狙ったのだ? 彼は曲がりなりにもファラの聖戦士。決して闇の勢力に染まるような人間ではありますまい」

 

 そう疑問を呈すアウグスト。オイフェは平静にそれに応えた。

 

「それは私にも分かりません。ですが、アルヴィス卿と暗黒教団が諸侯の叛乱を煽り、裏で絵図を描いているのは間違いありません」

 

 オイフェは全てを伝えるつもりはなかった。

 アルヴィスが聖者マイラの血──暗黒神ロプトウスの系譜を抱いている事実。

 そして、それは母を同じくするディアドラもまた同じ。その事実を知っているのは、暗黒教団以外ではシグルドとオイフェ、デューとレイミアの四名だけだった。

 

 ちなみに、シグルドはオイフェ達がそれを知っていると思ってはいない。最愛の妻の秘密は、己だけが知り、そして墓まで持っていく秘密だと認識していた。

 当然だ。前回の聖戦から百年経過したとはいえ、未だロプトに対する弾圧は凄まじいものがある。暗黒神の血統であると知られたが最後、ディアドラは火炙りを免れない。

 

 そして、ディアドラがクルト王子の落胤であり、唯一残されたナーガ直系であると判明した今。

 ディアドラの暗黒の血統は、絶対に守り通さねばならぬ秘密であった。かつてオイフェの前世に於けるセリスやユリアとは状況が違う。あれはユリウスという分かりやすい巨悪をセリスらが打倒したからこそ許される、ユグドラルの歪な矛盾だったのだ。

 公にすれば誰も喜ばない。暗黒教団以外は。

 

 オイフェの説明に少々訝しむような表情を浮かべたアウグストだったが、まあよいでしょうと呟き、次の問いを口にした。

 

「ではもうひとつ。オイフェ殿はどのようにして暗黒教団の陰謀を知り得たのか。ぜひそれを教えて頂きたい」

「……」

 

 アウグストからの鋭い指摘。やはりそこを突いてきたかと、オイフェは内心舌打ちをした。

 何故陰謀を知っているのかと言われれば、単に己が逆行人生を生きているからなのだが、その事実をアウグストへ伝えるのは問題があった。

 アウグストがそれを信じる信じないという話は問題ではない。多少は懐疑的になるだろうが、そうでなければ説明がつかないのをいずれ悟るだろう。

 

 問題なのは、オイフェの行動、そして方策が、公平性に欠けていると判断しかねない事だった。

 暗黒教団の野望を阻止せんべく策動するオイフェ。同時に、シグルドとディアドラの幸せな未来、そしてシグルドの元に集った勇者達の幸福を願うオイフェ。

 そして、アルヴィスへの復讐を果たさんとするオイフェ。

 それは私心が多分に混じる、利己的な姿だった。

 

 アウグストは僧侶でありながら辛辣で過激な現実主義の徒であったが、恐ろしく公明正大な男でもあった。そして、そのような信念にどこまでも誠実であろうとする。

 オイフェの前世──アルヴィスへの底知れぬ憎悪を知れば、呆れるか、それとも侮蔑するか。どちらにせよ、ナンセンスだと切って捨てるだろう。

 現実的なアウグストなら、今のアルヴィスはシグルドも殺していないし、ディアドラも奪っていないと断じ、アルヴィスを暗黒教団から離反させるべく行動を開始するだろう。いや、先ほどの会話からして、既に具体的な離間策を考えているのかもしれない。

 

(それは出来ぬな)

 

 そう思考したオイフェ。怜俐な空気を察したのか、デューが心配そうにオイフェを見つめていた。

 そのデューへ、オイフェは人形のような無機質な笑みを向けた。

 

「……私がこの陰謀を知ったのは、我が祖父スサールが陰謀の兆候を掴み、その調査をしていたからです。私は祖父の死後、それを引き継ぎました」

 

 結局、オイフェはクロード神父へ語ったのと同様の詭弁を用いた。

 滔々とそれらしい事を述べるオイフェに、アウグストは顰みながらも黙って聞いていた。

 

「ふむ」

 

 やがて、アウグストは何か考え込むように腕を組んだ。

 

「……まあいいでしょう」

 

 その言葉は、オイフェの嘘を見抜いているようだった。しかし、この場でそれを追求するような真似はしない。アウグストは鷹揚に構えると、話を続けた。

 

「さて、拙僧がどこまでお役に立てますかどうか……されどこの知。オイフェ殿に預けると致しましょう」

「アウグスト殿」

 

 オイフェは感謝の言葉を述べようとしたが、アウグストはそれを手で制した。

 

「オイフェ殿」

 

 アウグストはじっとオイフェの瞳を覗く。僧侶らしく咎人を説教するような、そのような瞳を浮かべていた。

 

「流れた血は元には戻りません」

「え──?」

 

 唐突に言い放たれたアウグストの言葉。戸惑うオイフェに構わず、アウグストは続けた。

 

「その血を価値あるものにするか否か……それこそが肝要ですぞ。オイフェ殿」

「……」

 

 アウグストの言葉は、オイフェの深層を穿っていた。

 

「……お言葉、胸に刻みつけます。アウグスト殿」

 

 オイフェは深く一礼した。その心境は、隣で見ていたデューですら推し量れぬものだった。

 

 それから、軍師二人は当面の打ち合わせを始めた。

 程なくして議論は終わり、オイフェはシグルドらが集まる大広間へと赴いた。

 

 

 


 

 エバンス城

 大広間

 

「シレジア天馬騎士団に所属するフュリーと申します! 宜しくお願いします!」

 

 オイフェが大広間へ至る少し前、大広間では天馬乙女の上ずった声が響いていた。

 緊張した面持ちで背筋を伸ばし、ぎこちない礼をシグルドへ向ける愚直な女騎士。

 シレジア四天馬騎士の一人に数えられ、女王ラーナの守護を務めるうら若き乙女の名は、フュリーと言った。

 

「初めまして。グランベル聖騎士、属州領総督シグルドと申します」

 

 そのようなフュリーへ微笑みながら挨拶を返すシグルド。柔和なシグルドの声を受けても、フュリーはガチガチに緊張していた。このような場に慣れていないのか、終始身体を硬くしている。

 シグルドに続き、この場に集まった主だった者達も、努めて優しく挨拶の言葉を天馬乙女へ向けた。

 

「ノディオン国王エルトシャンだ。宜しく頼む」

「フュリーです! 宜しくお願いします!」

「レンスター王太子キュアン。音に聞くシレジア天馬騎士の槍捌き、是非とも拝見したい」

「フュリーです! 宜しくお願いします!」

「キュアンの妻のエスリンです。よろしくね、フュリーさん」

「フュリーです! 宜しくお願いします!」

「ユングヴィ公女エーディンと申します。よろしくお願いしますね」

「フュリーです! 宜しくお願いします!」

「僕はヴェルトマー公子のアゼルといいます。あの、フュリーさん。そんなに緊張しなくても」

「フュリーです! 宜しくお願いします!」

「ティルテュどえーす」

「フュリーどえす! 宜しくお願いします!」

「レックスっス」

「フュリーです! いい男っスね!!!!!」

 

 ぐるぐると目を回しながら挨拶を返すフュリー。だいぶいっぱいいっぱいなその様子に、シグルド達はちょっと心配になっていた。

 しかし無理もない。フュリーはシグルド軍にここまで各国の貴人が集まっているとは露ほども思っていなかったからだ。

 

「と、ところで、エバンスに赴いた理由は何でしょう?」

 

 シグルドは居住まいを正しつつフュリーへそう言った。

 相変わらず酩酊したようなフュリーだったが、懸命に来訪の理由を告げた。

 

「はい! あ、あの、エバンスはとてもとても発展しているのですごい羨ましいのですが! その! シレジアも中々負けてないというか! まあそれは今は関係ないんですけど! すいませんちょっと関係しているのですけど! 街が発展してるとたくさん人が集まりますよね! これくらい人が集まってたらすっごい楽しいと思いますけど! それは置いといてですね!!」

 

 だめだった。

 フュリーはもう色々限界だった。

 一体何をしに来たのだと一同が怪訝な表情を浮かべたところで、オイフェがアウグストを伴い大広間へ現れた。

 

「シグルド様、おまたせしました」

「オイフェ」

 

 ぺこりと頭を下げる少年軍師。その体調が良さそうなのを見て、シグルドは安堵の表情を浮かべていた。

 オイフェは集まった面々を見て、幾人か姿が見えないのに気付いた。

 

「シグルド様。殿下とディアドラ様は」

「ああ。今、殿下は別室でお休みになられている。ディアドラがついているよ」

「そうですか。では、アイラ殿は」

「アイラ? 彼女は練兵場に用があると言っていたが……そういえばホリンともうひとり剣士がいたね。彼の事もあとで教えてくれ」

 

 はいと返事を返すも、まあ仕方ないかと思うオイフェ。できれば全員揃った状態が望ましかったが、後ほど詳しく説明すれば良いだけだと切り替えていた。

 

「でもオイフェ、タイミングが悪かったね。今、シレジアから使者が来てて──」

 

 シグルドの言葉を受け、オイフェはちらりとフュリーの姿を見る。記憶に残る天馬騎士の初々しい姿。ちっとも変わらないその微笑ましく残念な姿に、オイフェは懐かしい想いを感じていた。

 

「フュリーさんですね。属州総督補佐官のオイフェと申します」

「フュフュフュリーです!!」

 

 あわあわと目を回すフュリーへ挨拶をするオイフェ。隣のアウグストはフュリーを訝しむように見た後、オイフェへ小声で話しかけた。

 

「これもオイフェ殿の想定内なのですかな?」

「少し時期は早まりましたけど、まあそうですね」

 

 どうやらフュリーの来訪はオイフェの思惑通りらしい。アウグストはにやりと口角を引き攣らせ、少年軍師の大計略に心を滾らせていた。

 

「フュリーさん。エバンスへいらした理由は、レヴィン王子の捜索で」

「はいそうです!!!」

 

 さらりと重大な事を述べたオイフェに食い気味で返事をするフュリー。

 外交的な駆け引きが完全に欠如したそのやり取りに一同は一瞬放心するも、やがてざわざわとざわめき始めた。

 それを無視し、オイフェはシグルドへ向き直る。

 

「シグルド様。これから話す内容はシレジアも関与する話です。フュリー殿が同席した状態でも構いません」

「そ、そうか。しかしオイフェ、レヴィン王子の捜索とは一体……」

「それを含めてお話します」

 

 少年軍師の冷静な声が響く。

 混沌とした大広間が、にわかに緊張を帯びていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




おら行け!(リフィスを突っ込ませるアウグスト)


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第61話『神託オイフェ』

 

 かつてユグドラルに於ける聖職者とは、あくまで自然崇拝を元とした精霊信仰の祭司でしかなく、読み書きや医術を治めてはいるも、魔術等の特別な能力は備えていなかった。

 しかし、ロプトウスと契約したガレがロプト教を興すと、ロプトの聖職者達は古代竜族の力を元にした超常の力を得るようになる。必然、ロプト教以外の宗教は、その力に抗えず排斥されていった。

 強大な力を背景としたガレは十二魔将の乱を経て、それまでのユグドラル統一国家だったグラン共和国を滅ぼすとロプト帝国を建国。皇帝となったガレの元、帝国内のごく一部の市民を除く異教徒達は、絶対的な階級制度の最下層──奴隷身分へと落とされる事となる。

 

 長く辛い弾圧と迫害の歴史。

 ロプト皇族である聖騎士マイラが、このような状況下の民衆を救済すべく、帝国へ叛乱を起こす事件もあった。しかし、即座に鎮圧され、マイラは処刑。相変わらず人々は苦難に苛まれ続けた。

 しかしマイラの叛乱は、ロプト教内で唯一の良心と呼ばれたマイラ派という宗派を形成する切っ掛けとなった。

 マイラ派はロプト神を土着宗教の神々の高位存在として位置づけ、神々の融和を図りながら帝国内の差別を無くすという教義を信仰し、そして布教した。

 当然、帝国がこれを許すはずもない。民衆への弾圧と同じ、いやそれ以上の迫害が行われ、マイラ派は隠れ宗教として密かに信仰されるに至った。

 

 十二聖戦士の一人、大司祭ブラギが、幼少の頃ロプトの生贄になるところをマイラ派の神官に救われ、アグストリア北方の島──オーガヒル島の西部にある彼らの隠れ里で育てられた事から、この地はブラギにとって特別な意味を持つようになる。

 神官としての教育を施されたブラギは、その後帝国の圧政に抗う反乱軍に参加。後にダーナにて運命と生命を司る聖戦士の一人となり、帝国打倒の聖戦に多大な貢献を果たした。

 

 聖戦が終結した後、ブラギは第二の故郷とも言えるマイラ派の隠れ里を訪れた。

 しかし、里は既に帝国軍により滅ぼされた後であり、自身を守り慈しんでくれたマイラ派の神官達の屍を見たブラギは、深い哀しみに包まれることとなる。

 そして、彼らの崇高な魂に報いる為、そして荒廃した世界を癒やすべく、ブラギはユグドラル土着宗教の流れを汲んだエッダ教団を興した。

 

 故郷であるエッダを本拠地としたブラギは、同時にマイラ派の隠れ里の跡地に巨大な塔を建立した。

 マイラ派の神官達への鎮魂の為、強大な己の力を封印する為、そして、後世への戒めを残す為に。

 ブラギの遺志により、彼の遺骨が塔に安置され神格化されるに至ってから、塔はブラギの塔と名付けられ、エッダ教の聖地として多くの巡礼者が訪れるようになる。

 

 塔内に残された祭壇石碑には、ブラギ自身が刻んだとされる後世への戒め──かつて己を救ってくれた者達のように、ロプトの者であってもその身を犠牲にしてまで人々を救ってくれた者達がいた事。故に、彼らを差別し、迫害してはならぬという、ブラギの切なる想いが残されていた。

 

 そして、ブラギの塔では、極々限られた者でなければ足を踏み入れることができないエリアが存在した。大司祭ブラギの直系血統を持ち、ブラギの神から神託を受けるに相応しき者だけが到れる場所。

 塔の最上階に位置する、祭祀場である。

 

「……」

 

 そこでは、静かに祈りを捧げ続ける一人の男がいた。

 エッダ公爵家現当主、そしてエッダ教団現教主。大司祭ブラギの直系子孫である、神父クロードだ。

 祈り続ける彼の表情は、神に祈るには些か険しい表情となっていた。

 

「神よ……」

 

 ブラギ神の力により、この世の真実を知る事ができる唯一無二の託宣。ブラギ直系が聖地にて祈りを捧げる事で可能とせしめるそれを、クロードは逡巡しながらも行使していた。

 しかし、それは無闇矢鱈に行使できるものではない。

 神託の政治利用を恐れた大司祭ブラギが、直系への過度な聖地巡礼を禁じていたからだ。

 クロードはその禁令を破り、こうして神託を受けていた。

 そして、それを破るのではなかったと後悔もしていた。

 

「なんという……」

 

 告げられた真実。

 暗黒教団がグランベル、いや、ユグドラル各国に深い根を張り、病毒のように中枢を蝕む現状。

 現在進行系で暗黒教団の陰謀が遂行されているというオイフェの言葉を裏付ける神託に、クロードは言葉を失う。

 そして、神託はそれだけではなかった。

 

「このままでは……」

 

 クロードが神託により視た未来。

 それは、クロードにとって受け入れ難い未来となっていた。

 暗澹たる思いに苛まれたブラギの直系。

 どれだけ祈っても、この暗い感情は晴れない。

 ブラギ神は、真実と未来を残酷に告げていた。

 

「……?」

 

 ふと、クロードは祭壇の中央に、神々しい気配を感じる。

 

「これは……!?」

 

 ブラギ直系だけが使用せしめる唯一無二の聖杖。

 前回聖戦以降、所在が知れなかった神器──大司教ブラギがこの地へ封印した神器が、クロードの目前に現れた。

 

「バルキリー……!」

 

 死の現在を覆し、生の未来へと回帰させる奇跡の聖杖。

 それは神聖魔法ナーガよりも希少で、この世の理を覆せる、ある意味ではもっとも重要な神器だった。

 

「あぁ……神よ……ブラギの神よ……」

 

 神々しいオーラを放つバルキリーの杖。

 クロードは、その神威を前にし。

 

「私は……私は……!」

 

 ただ、救いを求めるかのように、その場で跪いていた。

 

 

 

 

「ううん……初めて中に入りましたが、随分と散らかっていますね……」

 

 クロードの聖地巡礼に同行していた少年従者スルーフは、ブラギの塔下層にてクロードの帰りを待っていた。

 塔内は盗賊対策で複雑な迷路となっており、ブラギ直系でしか正しいルートは分からない。スルーフもクロードの誘導がなければとっくに遭難していただろう。

 必然、塔の内部は人の手が入っておらず荒れ放題である。

 スルーフは祭祀場には入れない為こうして手持ち無沙汰なままであったが、せめて清掃して待っているのがエッダ教徒の端くれとして正しい姿なのではと思った。

 よしと気合を入れ腕を捲ると、少年従者は清掃を始めた。

 

「……ん?」

 

 黙々と清掃を続けるスルーフ。

 しかし、ふと妙な気配を感じ動きを止める。

 

「誰かいるのですか?」

 

 そう問いかけるスルーフだったが、返事はない。

 塔の中に入ったのはクロードとスルーフのみで、護衛の者達は皆外で待機している。

 塔内は迷路であるが故、誰かが入ったとしてもここまで来れるはずもない。

 困惑するスルーフ。

 すると、ぼんやりと人の影が浮かび上がってきた。

 

「お前は誰だ」

「えっ?」

 

 突として声をかけられたスルーフ。

 硬直していると、徐々に人影が実体化していく。

 

「レ、レックス公子!? どうしてここに!?」

 

 どうみてもいい男です。本当にありがとうございました。

 などと言いたくなるほど、実体化した者はレックスに瓜二つだった。

 ちなみにスルーフはエバンスを経由した際、なにかと有名なレックスの姿を目撃している。

『これがあのドズルのいい男……!』と、スルーフは戦慄しながらその勇姿を目に焼き付けていたので、レックスの姿を見紛うはずもない。

 

「私はいい男ではない。エリートの神だ」

「いやどうみても……」

 

 しかしそれを否定し、あまつさえ神を自称するレックスもどき。

 スルーフは困惑し続けるのみであった。

 

「まあそれはいいとして私の問いに答えろ。お前は誰で、ここで何をしている?」

「よくはないんですけど……えっと、私はエッダ公爵家当主クロードの従者、スルーフと申します。神父様をお待ちしている間こちらの掃除をさせて頂いております」

「ウホッいい子供」

「は?」

「殊勝な心がけで実に天晴なる少年よ。エリート神である余が直々に褒美を取らせようぞ」

「なんでいきなり口調が変わったんですか?」

 

「情緒不安定なのかな?」というスルーフの呟きをスルー(スルーフだけに)しつつ、エリートの神はごそごそと股間を弄るとズルリと一振りの杖と一冊の書を取り出した。

 

「いやどこから」

「では少年従者よ。引き続きエリートを信奉するがよい。サラダバー」

 

 スルーフの言葉を遮りつつ生暖かい杖と書を押し付けたエリートの神は、そのまま霞がかかったように虚空へと姿を消した。

 静寂に包まれる中、「えぇ……」と困惑するスルーフ。とりあえず杖と書はすぐに捨てたくなったが、かろうじて思いとどまっていた。

 

「スルーフ、待たせましたね」

「神父様」

 

 そこへ、クロードが祈りを終え階下へ戻ってきた。杖と書を嫌そうに持っているスルーフに気付く。

 

「スルーフ、その杖と書は一体どうしたのですか?」

「えっと、これは……」

 

 スルーフは心底嫌そうに今起こった事をクロードへ説明した。

 ふむ、と一考し、クロードはスルーフへ応える。

 

「ブラギの塔は元々はマイラ派の隠れ里でしたが、それより以前は土着宗教の聖地でもあったそうです」

 

 ロプト教やエッダ教の信仰が布教される以前、ユグドラルは精霊を崇める土着宗教が信仰されていた。

 その精霊信仰の流れを組みつつ、新たに竜族信仰を加えた宗教体系を作り上げたのが、大司祭ブラギであり。

 故に、ブラギの塔では、それまで信仰されていた精霊の残滓、または精霊そのものが現界してもさほど不思議ではない。

 

「とはいえ、何故精霊がレックス公子の姿を借りたのかは分かりませんが……」

 

「まあ彼はいい男ですからね」というクロードの説明に、スルーフは「それもそうか」と、とりあえず納得するのであった。

 

「ですが神父様。この杖は私には扱えないようですし、書はほとんど欠落していて読めません。なぜ精霊(エリート神)はこんなものを私に授けたのでしょう?」

「精霊の御心を知る術は私にもありません。ただ、必ず意味はあると思います」

「はあ……」

 

 朽ちた枝にしかみえない古びた杖。そして、何も書かれていない表紙に歯抜けのように抜け落ちた書。

 しかし、杖はともかくとして、書はクロードにとって覚えのあるものであった。

 

「スルーフ、その書はもしかしてブラギの書ではないでしょうか?」

「えっ、これが?」

 

 十ニ聖戦士にまつわる書は、かつて大司祭ブラギが聖戦の最中に書き残したと言われている。聖戦士の力が込められし書は、持つ者に様々な加護が与えられるとも言われていた。

 しかし、聖戦後の混乱期で各聖戦士の書は散逸し、エッダの祖であるブラギの書ですら、エッダ公国に現存している書は一部分のみであった。

 

「間違いありません。これは失われたブラギの書の一部です」

「そんな……なんであんなのがブラギの書を……」

 

 スルーフから書を受け取り、まじまじと見やるクロード。

 直系でしか感じ取れぬ聖なる気配を受け、クロードは感慨深い表情を浮かべていた。

 

「ブラギ神の御力が込められたありがたい書ですよこれは。その証拠に、持つと妙に暖かい」

「でしょうね」

「?」

「あ、いえ、なんでも……」

 

 しかし書は人肌のようなぬるい温度を保っており、スルーフはうっへりと滅入った表情を浮かべていた。

 

「返しますよスルーフ。これは貴方が持っていなさい。ブラギの加護が貴方を守ってくれることでしょう」

「は、はい……うわっまだ温かい……やだなぁ……

 

 嫌々書を受け取るスルーフ。

 神々しいオーラと生々しい人肌温度により、スルーフの情緒は迷走の一途を辿っていた。

 

「神父様、この杖もブラギ神に由来するものなのでしょうか?」

 

 スルーフは何かに逃避するかのようにクロードへ杖を差し出した。

 受け取ったクロードは、同じようにまじまじと見つめる。

 しかし、僅かに首を振った。

 

「これはよく分かりませんね。魔力が込められているようですが、使えるわけではなさそうですし……ただ、先程も言いましたが、精霊が授けたからには何かしらの意味はあると思います。これも、しかるべき時まで貴方が持っていなさい」

「は、はい……もう捨ててもいいかなこれ……

 

 そう言って杖を返すクロード。

 これもほっこりとぬるい温度だったので、スルーフは嫌そうに受け取っていた。

 

「さあスルーフ、船へ戻りましょう。急いでエバンスへ戻らねば」

「はい、神父様」

 

 スルーフはそこで初めてクロードが何か焦燥している様子なのに気付いた。

 しかし、特に異を挟まず、クロードへ追従するスルーフ。

 二人は外で待機していた護衛と共に、船を係留している漁村へと向かっていった。

 

 そして。

 杖と書を嫌々抱えるスルーフに対し。

 クロードは、その手に何も持っていなかった。

 

 

 


 

 クロード達はオイフェが事前に手配していた船便によりブラギの塔を訪れていたが、その船、そして護衛は、オイフェの委託を受けたミレトス商人──エバンス商会会頭アンナが用意していた。

 そして、彼女は自らクロードの巡礼に同行していた。

 オイフェから託されていた、もう一つの依頼をこなす為である。

 

「お久しぶりですね、お頭」

 

 オーガヒル島東部。

 クロード達がブラギの塔へ巡礼している間、アンナは僅かな供回りだけを連れ、オーガヒル島東部にある砦へ向かっていた。

 事前に取り付けをしていたのか、彼女はすんなりと砦内へ通されると、そこの頭目と思われる老齢の女性と対面していた。

 

「久しいねえ、アンナの嬢ちゃん。相変わらず色っぽい女だ、お前さんは」

 

 アンナを出迎えた老女は、口角を引き攣らせながらそう言った。

 彼女はアグストリア近海を縄張りとする、オーガヒル海賊団の女頭目である。

 名は、エーヴェルと言った。

 

「エーヴェルのお頭もお変わりなく……」

 

 そう返したアンナ。

 しかし、上座に座るエーヴェルの顔色は些か生気が無く、見るからに体調が優れてなさそうだった。

 

「まあ、変わりないといえば変わりないねえ。もう長くはないだろうね、あたしゃ」

「またそんな」

「事実さ」

「いえ、お頭にはもっと長く生きて頂かないと困りますので」

「おためごかしはいいよ。で、今日は何の用だい?」

 

 海賊らしく、回りくどい挨拶を嫌い本題を促すエーヴェル。

 アンナは苦笑をひとつ浮かべていた。

 

 エーヴェル率いるオーガヒル海賊団とアンナのエバンス商会は、中々に複雑な関係を築いていた。

 元々、オーガヒル海賊団はオーガヒル島を根城とする海賊団の一つであり、若き時分のエーヴェルが頭目となってから、無数の海賊団を傘下に収める一大海賊団へと成長していた。

 そして、オーガヒル海賊団はただの無法者というわけではなく。

 

 オーガヒル島の西端にあるブラギの塔へ巡礼する者達は、通常アンフォニー王国領海を通行する。

 エーヴェルが海賊統一を果たす前は、この巡礼者の船を狙った海賊行為が横行していた。本来海上警備を担うアンフォニー軍は、海賊から賄賂を受け取り、この暴挙を見て見ぬ振りをしていた。

 しかし、エーヴェルが海賊団の統一をしてから、それは一変する。

 通行する船から通行税を徴収し、場合によってははぐれの海賊、そして海賊を装ったアンフォニー軍の襲撃から、船舶の護衛をするようになった。

 とはいえ、税を拒む船は容赦なく襲いかかっていたので、彼女らは完全に義賊というわけではない。もっとも、税を拒むのは大抵悪徳商人の船か同業の海賊船であったのだが。

 

 そして、収奪した戦利品を売り捌くルートが、アンナの商会であった。

 若くして大商人となったアンナも、清廉潔白な商いだけでのし上がったわけではないのだ。

 

 このような関係を築いていたエーヴェルとアンナ。

 クロード一行が安全且つ迅速にブラギの塔へ到れるのも、アンナでなければ成し得ぬ事であり、それを理解していたオイフェがアンナへ船便の依頼をするのも当然である。

 

 そして、オイフェがアンナへ託していたもうひとつの依頼。

 それは、アンナにとっても興味深く、そして野心をそそられるものでもあった。

 

「ではお頭。おひとつ伺いますが、この先海賊団をどうするおつもりですか?」

 

 アンナは苦笑をひっこめると、ひどく真面目な表情でそう言った。

 エーヴェルは予想だにしていないこの言葉に虚を突かれるも、やがて同じように真顔で応えた。

 

「どうもこうもないよ。ブリギッドに跡を継がせて、今まで通り海賊稼業に精を出すだけさ」

 

 この場にはいない跡継ぎの名が出ると、エーヴェルの後ろに控える数人の海賊達は、眉間に僅かな皺を寄せた。

 それを目ざとく見とどめたアンナ。

 ずいと身を乗り出すと、エーヴェルへ囁いた。

 

「お頭、お人払いを。今日のお話は、そのブリギッド様に関わるお話でもあります」

「……お前たち、ちょっと外しな」

 

 エーヴェルはまたも虚を突かれるような表情を浮かべたが、アンナのただならぬ様子を受け控える海賊達へそう言った。

 幾人かは逡巡したが、やがて不承不承といった体で部屋を後にする。

 残ったのは、エーヴェルとアンナだけであった。

 

「これでいいかい? にしても、密談するならもう少し上手にやりたいんだけどねぇ」

「ごめんなさい、あまり時間が無いものですから……」

「いいよ。で、話はなんだい?」

 

 変わらず回りくどい事を嫌うエーヴェルに、アンナは早々に本題を語り始めた。

 

「一言で言えば、オーガヒル海賊団を丸ごとグランベル属州領で抱えたいというお話ですね」

「なにっ!?」

 

 三度目の虚。

 予想だにしなかったアンナの言葉に、エーヴェルは今度こそ呆気に取られていた。

 ややあって落ち着いたエーヴェルは、怪訝な表情を隠そうともせずアンナへ応えた。

 

「アンナ。冗談も程々にしな。どこの世界に海賊団を丸ごと手下にするお貴族様がいるっていうんだい」

「エバンスにいますけど……」

「そういう話じゃないよ! あんたは信用できるが、グランベルの貴族なんて信用できないよ」

 

 かつての聖戦に於いて、海賊や盗賊が聖戦士の旗に集う事はあった。しかし、海賊団が丸ごと国家に登用される事例は、ユグドラル大陸史に於いてひとつもない。

 戦闘のみならず、時には略奪行為を行う傭兵団であっても、彼らは国家や貴族と一時的な雇用関係を結び、平時は法に従う存在である。海賊団や山賊団は純粋な犯罪集団であり、有事平時に関わらず、国家がそれを討伐する事はあれ雇用する事は無い。

 故に、エーヴェルの疑念はもっともだった。

 

「では逆にお尋ねしますが、お頭はこのままオーガヒル海賊団が義賊として存続すると思いますか?」

「ブリギッドがうまくやるだろうさ。そこは心配していないよ」

「本当にそう思っています?」

 

 じっとエーヴェルを見据えるアンナ。

 言わんとしている事を察したエーヴェルは、口重たそうに言葉を発した。

 

「……時間はかかるだろうが、ドバールやピサールも……手下共も、いずれはブリギッドに従うと思うよ」

 

 数多の海賊団を傘下に収めるオーガヒル海賊団であったが、その内情は一枚岩とは言い難い状況だった。

 元々エーヴェルの元で働いていた生え抜きはともかく、エーヴェルの軍門に下った一部の者達は、エーヴェルの不調と比例するかのように徐々にその本性を露わにしていった。

 義賊として慣らしたオーガヒル海賊団であるが、一皮向けば平然と犯罪に手を染める悪党がいるのは変わらない。

 

「それはどうでしょう? 私が思うに、ドバール様やピサール様は、義賊としてのオーガヒル海賊に不満を持っているようですけど?」

「……」

 

 アンナの不穏な言葉に、エーヴェルは怪訝な表情を強めていた。

 互いによく知る間柄。当然、アンナはオーガヒル海賊団の内情もよく知っていた。

 続けるアンナは、口角を妖艶に引き攣らせた。

 

「ですから、本来の海賊に戻ってはどうです?」

「なんだって?」

 

 不穏を通り越して物騒な発言をするアンナ。

 エーヴェルは何度目か分からぬ驚愕を露わにした。

 

「上手く行けば大儲けできますよ。諸々仔細を詰める必要がありますので、一度どなたか……そうですね、ブリギッド様にエバンスへいらして頂く必要がありますが」

「アンナ。あんた、あたしらに何をさせるつもりだい? どうしてブリギッドを──」

「お頭」

 

 疑念を呈すエーヴェルを遮り、アンナは続けた。

 

「ブリギッド様の素性、薄々気付いているのでしょう?」

「っ!」

 

 養女として迎えた跡継ぎ──ブリギッドの素性。

 エーヴェルは動揺を露わにするも、何か達観したような表情を浮かべた。

 

「……そうかい。あんたには何もかもお見通しってことだ」

「私だけの知見ではないですよ」

「じゃあ、あんたにこの話を持ってこさせた奴が大したタマだってことだね」

 

 そう言ったエーヴェルは、変わらず薄い笑みを浮かべるアンナを見やる。

 その表情は、少し疲れてはいるも、何かを決意した表情でもあった。

 

「まあブリギッドをそっちへやるのはいいよ。あの子にとってもその方が良いだろうしね。でも、海賊をするって言っても、そこらの船を襲うわけにはいかないよ。ここらに住んでる連中を今更裏切るわけにはいかないしね」

「それは心配なさらず。もっと稼ぎ甲斐のある獲物を紹介しますから」

 

 そして、アンナは今日一番の、悪辣な笑みを浮かべた。

 

「オーガヒル海賊にはアグストリア諸侯連合の軍船、及び輸送船を狙っていただきます。もちろん、我々エバンス商会、そしてグランベル属州領の全面的な支援を約束致しますわ」

 

 アンナの言葉に、エーヴェルは今度こそ言葉を失っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※オーガヒル海賊の前頭目は男ですし序章が始まった時には既に死亡してたっぽいですが、記憶喪失で自分の名前も分かんないけどかすかに記憶に残るお世話になった人の名前をとりあえず名乗るのいいよね!ってアトモスフィアが好きなので捏造しました。


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第62話『評定オイフェ』

 

(わたしはなんでここにいるんだろう)

 

 天馬乙女フュリーは、困惑げな表情の元、そのような現実逃避めいた思考を巡らせていた。

 思考のどこかで、彼女は主君であるシレジア女王ラーナより下された命を思い起こしていた。

 

 出奔した王子レヴィンを見つけ出し、あらゆる手段を用いてでもシレジアへ連れ帰る。

 そのような使命を帯びたフュリーは、レヴィンが海路にてアグストリアへ向かった事を突き止め、少数の部下を伴い捜索行に赴く。しかし、アグスティにてレヴィンの足取りが途絶えているのを受け、アグスティ王家に捜索の協力を要請していた。が、先のイムカ王逝去による諸々の混乱もあり、フュリーの要請は後回しにされており。

 仕方なしに情報収集を続けると、グランベル属州領となったエバンスが、短期間にて大幅な経済成長を果たしているという事実に気付く。

 人口の流入も増大している事を鑑み、ペガサスの機動力を活かしてエバンスへと捜索の足を伸ばしたという次第だった。

 

 これらをほぼ一人で決断していたフュリーは、実のところ優秀な能力を持っているのは疑うべくもない。そもそも、そうでなければ、若輩の身でありながらシレジア四天馬騎士に叙されたりはしないだろう。

 戦闘力では姉のマーニャらには及ばないものの、それ以外の長所を見出されていた、将来を渇望された身の上なのだ。

 

 しかし、エバンスへ来てみれば、各国の貴人が出迎えるという予想だにしなかった事態がフュリーを襲っていた。

 あまつさえ、大陸全土を覆う陰謀を聞かされる始末。

 己を失う程の衝撃が立て続けに起こってしまえば、年相応のポンコツめいたところを見せるのも致し方なしであった。

 

「……」

 

 もっとも、衝撃を受けていたのはフュリーだけでは無い。

 シグルドを始め、この場にいる全員──アウグストを除き、全員がオイフェの言に衝撃を受けていた。幾人かは真偽を疑う素振りも見せるも、大半は事実であると受け入れていた。

 オイフェが発した陰謀の全容。これはバイロン達へ伝えたのと同じ内容であり、証拠であるロダン司祭の書簡も添えての事だ。

 もっとも、クルト王子が単身エバンスへ逃れて来た事実が、シグルド達がオイフェの言を疑う余地を与えなかったのもあるが。

 

「どうやら情勢は思っていた以上に芳しくないようだな。で、どうする。シグルド」

 

 いち早く己を取り戻し、せっつくようにそう発言をしたのは、レンスター王子キュアンだ。

 ユグドラルでは騎兵は命令下達前に外へ飛び出し、魔道士や弓兵は命令下達を行儀よく聞き、歩兵は命令下達後に文句を垂れる。

 キュアンの拙速さは兵種由来の習性ともいえた。

 

「……オイフェ、殿下は」

 

 親友の言葉に元気づけられたのか、シグルドはようやく口を開くことができた。

 オイフェはよどみなく主に応える。

 

「殿下は全てご承知です。叛逆諸侯の影で暗黒教団が世界を混沌に陥れようとしている事も。その上で、私の献策を受け入れていただきました。これからそれを」

 

 それから、オイフェは向後の策を開陳する。

 クルトがエバンスへ無事に逃れる事が、オイフェの策の第一歩。これは、様々な困難に苛まれながらも、なんとか達成した。

 それから始まるのは、叛逆諸侯への政治的封殺だ。

 クルトによる直筆の檄文を各地へと飛ばし、こちらの政治的正当性を改めて確立する。陰謀を画策しているヴェルトマー公爵アルヴィスは無論、協力している宰相レプトールも何らかの工作を以て対抗してくるだろうが、それについてオイフェは特に警戒はしていない。

 エッダのクロード神父が陰謀が真実であると保証するからだ。予定では、既にクロードはこちらへ帰還している最中のはず。

 暗黒教団という巨悪が背後にいると証明されれば、もはや叛逆諸侯に追従する者はおらず、むしろ彼らの中からこちらへ離反する者も現れるだろう。

 利心に従う者は多けれど、暗黒の世を望む者は少ないのだ。

 

 ともあれ、当面の行動指針はそれだけではない。

 兵理による直接的な行動も必要だった。

 

「ドズル領、フリージ領へ兵を出します」

「オイフェ、それは」

 

 平然とそう言い放つオイフェに、シグルドは思わず鼻白む様子を見せる。

 オイフェに代わり、アウグストがそれに応えた。

 

「シグルド殿、お忘れなく。現時点でリボーで叛逆諸侯の軍勢を誘引し続けているのは、クルト殿下を第一に支える貴殿のお父上なのですぞ」

 

 アウグストの言葉に、シグルドはうむむ、と唸るように押し黙る。

 リボー城にて籠城戦を続けるバイロンとユングヴィ公爵リング。

 だが、いかに歴戦の両公爵が率いているとはいえ、激戦に疲れ果てた兵士達ではこれ以上の継戦は望むべくもなく、限界は近い。

 

 しかし救援を差し向けるにはイザークは遠い地である。ワープ等の遠距離転送魔術も、大軍を送り込むには絶対数が足りないし、仮にシグルド軍全軍を送り込めたとしても、叛逆諸侯の軍勢を相手取るには数が足りない。

 ドズルのグラオリッターやフリージのゲルプリッターをそれぞれ単独で相手にするならともかく、真正面から両騎士団を相手取るには多勢に無勢は否めなかった。

 故に、両騎士団の本拠地へ軍事的圧力をかけることで、間接的にリボー攻囲を解くという策をオイフェは献策していた。

 

「しかし、殿下の文で諸侯も考え直すのではないだろうか。わざわざこちらが兵を出さなくても、例えばアズムール陛下に仲裁をして頂ければ、これ以上血は流す必要は無いのでは」

「そうなるように仕向けるのが最善ですが、彼らが開き直った場合も考えなければなりますまい。それに、兵を出すのはこちらの覚悟を示す為でもありますぞ」

 

 尚も平和的解決を求めるシグルドにそう返すアウグスト。オイフェはその精神を好ましく想うも、平和的解決の可能性は限りなく低いだろうとも思っていた。

 間違いなく軍事的衝突は避けられないだろう。

 特にアルヴィスは暗黒教団との関係性を指摘された時点で、もはや逃げ道は封じられているようなものだ。教団とは無関係であると釈明するかもしれないが、それこそクロードの神託が容赦なくその虚偽を証明するだろう。

 問題はクロードが“どこまで”知ってしまったかだが、場合によっては──

 

「ぼ、僕には!」

 

 ふと、それまで黙していたヴェルトマー公子アゼルが、堰を切ったように声を発した。

 

「僕には信じられません! 兄上が陰謀を企んでいたなんて、信じることができません!」

 

 若き公子の悲痛なる叫び。それに同調するように、フリージのお転婆姫も声を荒げる。

 

「そうよ! お父様やお兄様が殿下やバイロン様を陥れようだなんて、とても信じられないわ!」

 

 フリージ公女ティルテュもまた、家族が陰謀に加担している事実を受け入れることが出来なかった。

 ティルテュのその様子を、オイフェは少々意外な面持ちで見ていた。

 前世では、レプトールらの叛逆を知った段階で、ひどく打ちのめされ、一時的な自閉状態にまで陥っていたティルテュ。

 シレジアに落ち延びてからもそれは続いたが、シグルド達──特にアゼルの、愛情が込められた支えにより、徐々に回復していった。

 最終的には『あたしがお父様に直接会って落とし前つけてやるわ!』と言い放つほど彼女らしい活性を取り戻していたのだが、此度は初めから強烈無比な意気地を見せており、とても精神的に参っている様子はなかった。

 

 それもそうか、と、オイフェは一人納得していた。

 前世では、クルトの殺害という陰謀の過半が成った後に、ティルテュは事実を知った。であるが故に、深い衝撃を受けていたのだ。

 しかし、今生では叛逆に加担したとはいえ、クルトは無事。バイロンもリングも未だ生存している状況である。

 言ってしまえば、レプトール父子の罪は、まだそこまで重くはないのだ。此度のティルテュが受けた衝撃は大なれど、心神を喪失せしめるほどではなかった。

 

「そ、それに、兄上……に、兄さんが……」

 

 だが、前世とは違い、今生ではティルテュの代わりにアゼルが精神的な衝撃を受けていた。

 

「兄さんが、ロプトと繋がってるなんて……そんな……そんなの……!」

「アゼル……」

 

 震えた声でそう言ったアゼルに、ティルテュは心配げにその身へ寄り添う。

 これも致し方なし。許されよ、アゼル公子。オイフェは沈痛な想いで俯くアゼルを見ていた。

 

 前世でアゼルが自己を保っていられたのは、兄であるアルヴィスが陰謀の首謀者である事実を知らなかったから。

 アゼルがそれを知ったのは、シグルド軍がグランベル領に至った時、交渉役として単身ヴェルトマーへ向かってからであった。

 そして、アルヴィスがロプトと共謀していた事実を知ったのは、アゼルがティルテュとシレジアへ落ち延びた後の事。

 

 陰謀を首謀していたと知った時は、ティルテュという愛しい人を守る為に、兄と戦う道を選んでいたアゼル。

 ロプトと共謀していたと知った時は、妻と子供たちを守る為に、兄と決別する道を選んでいたアゼル。

 愛する人がいたからこそ、アゼルは強く己を保ち、己の信念を貫き、戦うことが出来たのだ。

 しかし、此度はそのような覚悟が無い状態。加え、身内が暗黒教団と共謀しているという大禁忌を突き付けられたとあっては、今のアゼルでは取り乱すなという方が無理であった。

 

「そんなの信じられないよ!」

「ア、アゼル!」

 

 耐えきれなくなったのか、アゼルはティルテュの手を振り払い、その場から駆け出した。

 周囲が戸惑う中、野獣の如く眼光を煌めかせる男が一人。

 

「おいィ? ティルテュ、おめえはアゼルを追いかけんだよ」

「え、でも」

「あくしろよ。ケアして差し上げろ」

 

 いい男にそう言われたティルテュ。

 尚も戸惑っていたが、やがて何かを決心するように頷くと、そのままアゼルを追いかけていった。

 

「なあオイフェよ」

 

 残されたドズルのレックスこといい男は、憮然とした表情で口を開いた。

 

「アルヴィス卿やレプトールのオジキは何考えてんだかよく分かんねえけど、ウチの親父や兄貴はアホだからよ……叛乱を企んでたのはまあ分かるんよ。でもなあ、流石に俺の地元を攻める話は黙って聞いていられねえんだよなあ?」

 

 いい男の言葉は、この期に及んでは的外れな意見であるのかもしれない。

 しかし、ドズルやフリージは、敵でもあるが味方でもあり、守るべき対象でもある。

 

「オイフェ、なんでドズルやフリージを攻める必要があんだよ。道義はどうなってんだ道義は。お前禁じられた身内争いを平気で唆してんじゃねえか。分かってんのか!?」

 

 暗黒教団の陰謀は大陸全土を巻き込むものであったが、公爵家同士の争いだけに焦点を当てれば、それは現時点ではグランベル貴族階級の争いに留まっていた。いかにドズルやフリージが先に手を出したとはいえ、その事実は変わらない。

 だが、これを民衆を直接戦火に巻き込むような争いにまで発展させてしまえば。

 

 故郷を脅かされるのと、故郷を焼かれるのはわけが違う。

 確かにドズルやフリージへ兵を進めたら、叛逆諸侯の軍勢はリボーの攻囲を解き、一目散に撤退するだろう。しかし、帰って来た彼らが灰燼の憂き目にあった故郷を目にしたら。

 復讐心に支配された叛逆諸侯は、それこそ一兵卒に至るまで、死にものぐるいでシグルド軍へ襲いかかることになるだろう。ドズルやフリージの民も、進んでそれに協力し、シアルフィだけではなく、最悪バーバラ王家にまで憎悪を滾らせるかもしれない。

 その後は熾烈な絶滅戦争が起こるだけだ。そうなれば、いかに仁徳溢れるアズムール王ですら、この憎悪の連鎖は止められないだろう。

 

 大規模な内戦により、グランベルが疲弊してしまえば。

 野心を隠さなくなったアグストリアを始め、復讐に燃えるイザークも喜々としてグランベルへ攻め込むだろう。

 北トラキア諸国も、絶対的な味方といえるのはレンスターだけ。それ以外の国がどう動くか。もっとも、彼らはグランベルの内戦に干渉する暇は無いと言えた。

 南トラキアがこれ幸いと北トラキアへ侵攻を開始するからだ。グランベルの安全保障が無くなってしまえば、彼らにも勝機は十分にあり、大規模な侵攻を決意せしめる契機でもある。必然、トラキア半島はグランベルに比する程、苛烈な戦火に包まれるだろう。

 シレジアも国内の権力闘争を考えたら中立を保ち続ける保証はない。ラーナが失脚すれば、王弟らが何らかの干渉をしてくるのは目に見えていた。

 ヴェルダンもジャムカが配下の豪族を抑えきれるか。サンディマの謀略によりユングヴィに侵攻したのも、元から彼らがグランベルに悪感情を持っていたから、という側面もある。蛮族と蔑まれていた屈辱は、未だに彼らの中で燻り続けていた。

 これらを鑑み、このままシグルド軍が叛逆諸侯の領地へ侵攻すれば、芋づる式に大陸全土で大戦争が発生するのは想像に難くなかった。

 

 暗黒教団の第一の目的は、暗黒神ロプトウスを復活せしめる事。

 この事は、オイフェの傲慢ともいえる復讐心もあって、まだシグルド達へ伝えていない。

 しかし、暗黒教団の野望──世界を混沌に陥れるという企みは、はっきりと伝えていた。

 教団が崇める暗黒神が望む世界。それは、人々の死と怨念に満ち溢れた地獄の世界だ。

 それは、百年前の聖戦を戦った聖戦士の系譜を継ぐ者達であれば、教えられなくても分かる、魂に刻みつけられた事実であった。

 

 いい男は言外にそれらを指摘していた。

 もっとも、彼はそれ以上に、精神的にも肉体的にも愛すべきドズルの民を守るという意思が強かったのもあるが。

 

「実の父や兄の愚行を知りつつ傍観する事が、ドズルのいい男が重んじる道義なのでしょうか?」

 

 そのようないい男へ、オイフェは毅然と言葉を返した。

 言うまでもなく、この場にいる全員が無関係とはいえない状況となっている。

 それぞれが責任を果たす義務があるのだ。それは、暗黒教団の野望を阻止するという意味でも。

 そう言ったオイフェ。しかし、オイフェは知らない。

 これは、前世に於いて、ランゴバルドと雌雄を決する前に、シグルドがいい男へ言い放った内容と同じだった。

 

「言うじゃないの」

 

 前世でシグルドからそう言われたいい男は逆ギレするしかなかったのだが、此度のオイフェではまだ貫目が足りないか。余裕を持ちつつ、未だに釈然としない様子だ。

 それを見て、アウグストが助け舟を出すように言葉を発した。

 

「レックス公子。オイフェ殿はドズルへ進軍しろと言いましたが、ドズルを攻撃しろとは言っておりませぬ」

「とんちかな?」

 

 要はこちらの正当性を喧伝し、叛逆諸侯の非道を糾弾できれば良いのだ。

 色々な意味で絶大な人気を誇るいい男がそれを行えば、より効果的に情宣活動が行える。軍隊を出す理由はそれを更に効果的にする為だけにすぎない。

 しかし、それでも尚納得しないいい男。

 すると。

 

「私はシグルド総督に従います」

 

 突として響く淑女の凜声。

 ユングヴィ公女エーディンは、毅然とした態度で己の立場を明確にした。

 傍に控える騎士ミデェールは言うまでもない。主と運命を共にする覚悟が、彼の表情に表れていた。

 

「私は……我々は、シグルド総督に救われました。その恩は、まだ返せていません。殿下の為でもありますが、私はシグルド総督の為、力を尽くしたいと思います」

「エーディン様……」

 

 流石、シグルド様の人徳。そしてエーディン様もこのタイミングでそう発言してくれるとは、変わらず如才ない方だ。助かる。

 オイフェは前世から世話になっていたエーディンへ、そう感謝の念を抱いていた。

 ユングヴィはアンドレイ公子が叛逆諸侯側についているが、土壇場で旗色を不鮮明にしている。上手くやれば、このままユングヴィの戦力は全てこちら側に引き込めるやも。

 それに、アンナが予定通りオーガヒルとの交渉に成功していれば、ユングヴィの正統後継者もこちらに加わる。神器継承者が味方に加わるのは、この状況に於いて万金を積んでも得難いものだった。

 

「はぁ~~~……しょうがねえなプライベートでヤッてた時に……。わかったよ。俺もひと肌脱ぐゾ」

 

 クソでかいため息の後、レックスは観念したようにそう言った。

 このような決意を聞かされた後で何もしないのでは、ドズルのいい男の立つ瀬がない。「今までプライベート感覚だったの……?」というエーディンの戦慄めいた呟きはさておき、レックスも己の立場を明快にしていた。

 

「しかし、ドズルやフリージでいつまでも遊んでいるわけにはいかないだろう。俺がアルヴィス卿ならロートリッターを動かしてでも諸侯の背後を固めると思うが。その間にイザークの軍勢が戻ってきたらどうする? バイロン卿らはもう戦力として当てにはできんだろう」

 

 当面の方針に対し、そのような問題点を上げるキュアン。

 それについては複数の策は用意していたが、どの策が有効かはその時になってみないと分からない。とはいえ、様々な局面は言われずとも想定はしている。

 

「そこは出たとこ勝負なのは否めませぬな」

「御坊……」

 

 キュアンの指摘に、アウグストは不敵な面構えでそう言った。

 煽るような態度のアウグストに、キュアンはもちろん、オイフェもため息をつきそうになるが、オイフェはどこかこの鬼謀を頼りにしているのも自覚しており。

 目まぐるしく変わる情勢で、的確な軍略を駆使せしめるのは、己よりアウグストの方が遥かに上手であるのは、前世で共に轡を並べ帝国を打倒した事を鑑みるに明らかである。

 

「……それに、相手は叛逆諸侯だけではないだろう」

 

 内憂だけが相手ではないのだ。言葉尻に、親友の姿を視線の端に捉えることで、外患の存在も言外に指摘する。

 獅子王エルトシャン。今まで黙して成り行きを見守り続けていたが、彼はこの場に於いて非常に難しい立場であった。

 堂々とシグルドに付くと言えればどれだけ楽か。しかし、己はノディオン国王であると同時に、アグスティ王家に忠誠を誓う騎士の身。そして、主はグランベル征服の野望に燃えている。シャガール陛下にとって、この状況は奇貨であることは疑いようもない。

 獅子王の胸中は概ねそのような様であるのは、オイフェも十分に理解していた。

 だからこそ、獅子王の心を絡め取る様々な策を打ってきた。それがどのような結果となるか……。

 

「シグルド」

 

 獅子王は何かを決断したようだ。

 ヘズルの瞳を真っ直ぐにシグルドへ向ける。

 

「俺はこれからクロスナイツへ合流し、アグスティへ向かう」

「エルトシャン、まさか」

「事を荒立てるつもりはない。シャガール陛下へ俺の考えを進言するだけだ」

 

 もし、暗黒教団の名が出ていなかったら、エルトシャンはここまで己の去就を明快にしなかっただろう。

 結局、自分は黒騎士ヘズルの直系なのだ。それだけが、今のエルトシャンの行動指針だった。

 

「ただ……」

 

 しかし、エルトシャンは表情に苦悶を覗かせる。

 

「グラーニェとアレス……それから、ラケシスの事だ」

 

 エルトシャンは続けた。

 

「ノディオンに残している兵は少ない。俺がアグスティへ赴いている間、ハイラインが何をするか分からん。そこで……」

「エルトシャン。理解っている。ノディオンは私が守ろう」

「すまない……それと、ラケシスの事なのだが」

 

 更に苦悶の表情を強めるエルトシャン。

 大義と忠誠、恋慕と愛情に挟まれた獅子の苦悩が表れていた。

 

「ラケシスはこのままエバンスへ置いていく。彼女を守って欲しい」

「それは構わないが……ラケシスが納得するのだろうか」

 

 ラケシスは現在、別室にてクルトとディアドラに付いている。

 兄を敬愛……それ以上の感情を持つラケシスは、エルトシャンのこの判断を到底受け入れられないだろう。

 

「だから、エスリン」

「えっ、あたし?」

 

 エルトシャンはそのままエスリンの方を向いた。急に振られるとは思ってもみなかったエスリンは、目を白黒させており。

 彼女は彼女で、とうとうアレを夫へ渡す時が来たかと、人知れず懊悩してはいたのだが。

 

「貴女からもラケシスを説得してほしい」

「それは良いけど……理解ったわ。なんとか説得してみます。でも、無茶はしないでくださいね」

「ああ……ありがとう、エスリン」

 

 シグルドとディアドラの婚姻以降、エスリンがラケシスと懇意にしている事実はエルトシャンも承知していた。

 故にこのような願いを託したのだが、エスリンは確りとそれを受諾していた。

 共に聖戦の系譜を抱く者であるのは変わらない。どうしてその願いを無下にする事ができるのか。

 エスリンの言葉に、エルトシャンは憑き物が落ちたかのような表情を見せていた。

 

 獅子王は、国家の元首でもなく、家族を守る夫でもなく。

 そして、妹に禁断の感情を持つ兄でもなく。

 ただ、聖戦士としての義務を果たすべく、行動を開始していた。

 

 

「では、喫緊でやるべき事がありますな」

「ええ、そうですね」

 

 それから、少年と中年の軍師は息を合わせそう言った。

 これまであらゆる手段を用い、陰謀に立ち向かってきたオイフェ。そして、その手助けをせんべく鬼謀を働かせるアウグスト。

 二人は同時に、それまで蚊帳の外だった天馬乙女の方を向いた。

 

「フュリー殿。よろしいか」

「貴女にしか頼めない事があります」

 

 両軍師に声をかけられたフュリー。しかし、とっくに彼女はキャパオーバーを起こしていた。

「……フュリーさ~ん? 呼ばれてますよ~?」と、明後日の方向に声を発するフュリー。「お前じゃい!」と、いい男が突っ込む段に至って、ようやく彼女は己を取り戻していた。

 

「ナンデセウカ?」

「……オイフェ殿。本当に彼女は大丈夫なのですかな?」

「……大丈夫だと思います。多分」

 

 暗雲立ち込めるユグドラル大陸。

 聖戦の系譜を継ぐ者達による暗黒との戦いは、新たな局面に突入していた。

 

 

 

 

 

 

 

 




感想ここすきオナシャス!


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