ぼくがビッチになったワケ (ピジョン(オウル))
しおりを挟む

prologue ビッチ、はじめました。
第1話


 彼女はつり目で目付きが悪く、何時も苛ついていた。

 身長185cm 。暴力的で喧嘩っ早い彼女は、クラスのみんなの鼻つまみ。

 成績はよくない方。態度が悪く、何処にでも唾を吐く。制服は少し着崩している感じで、ブラウスのボタンは胸元まで開いている。

 

 だから、放課後の教室で彼女と二人きりになったとき、

 

(ちょっと終わったかも)

 

 なんて考えた。

 

「2000円でヤらせろよ」

 

 それが、彼女のぼくに対する第一声。

 

「…………」

 

 驚きで言葉もなく。

 頭の中は疑問符で一杯だった。

 何故、ぼく? 2000円? よくわからないけど、2000円あれば助かる。照り焼きバーガーのセットを三回食べてお釣りが出る。

 

「で、どうなんだ?」

 

 身長150cm のぼくを見下ろし、彼女はイラつきを隠さない。ブレザーのポケットに手を突っ込み、小さく舌打ちした。

 ぼくは少し考えて、言った。

 

「いいよ」

 

 茜色の夕陽が射し込む二人きりの教室で、ぼくが童貞を投げ売りした瞬間だった。

 

「……」

 

 彼女は少し目を泳がせて、在らぬ方向を見詰めた。

 

「こんな気持ち、初めてでよくわかんない……合ってるか?」

 

「……? ごめんなさい。よく分かんない」

 

 彼女は険しい表情で首を振った。

 

「アタシも。まぁ、いいや。付いて来な」

 

 その後は顎をしゃくって歩き始めた彼女の背中を追った。

 普通に歩く彼女。

 てくてくと歩くぼく。

 身長差のせいか歩幅がぜんぜん違う。あっという間に引き離された。

 遅れたことを怒るかと思ったけど、彼女は苛ついた様子は見せず、通路の先で待っていてくれた。

 

「ありがと、新城さん」

「……」

 

 彼女は立ち止まり、何故か不服な表情だ。言った。

 

「呼び捨てでいいよ」

「……?」

「名前」

「ああ……」

 

 ぼくは頷いて、先を促す。

 

「わかった。行こ、新城」

「って、上の方か……」

 

 新城の何が気に入らないのか、唇を尖らせている。

 先に行ってくれないと、何処に行くのかわからない。ぼくも足を止めた。

 

「どうしたの、新城」

「呼び方」

「SHINJO?」

 

 ガクッと新城の肩が落ちた。

 

「ざけんな」

「SHINJOY?」

 

 新城は怒ったようだ。苦笑いしながら拳骨を振り上げ――

 

 ぼくは、その拳骨を見詰めている。

 

 新城は、ぎくりとして握り拳を引っ込めた。

 

「い、今のなし。無しの方向で……」

 

「……そう? 殴ったらすっきりするのに」

 

 新城は軽く唇を噛み締め、無言だった。

 

 暫く見つめ合った。

 

「行こ、新城」 

 

「呼び方……」

 

「そんな仲良く、ないよね」

 

 新城は、何て言うか不思議な表情。眉を八の字にして、大きい身体がいつもより小さく見えた。

 日中は何時も気分悪そうなしかめっ面の新城らしくなかった。

 

「オマエ、アタシが怖くないんかよ」

「……」

 

 ぼくはまた少し考えた。

 

「……ちょっぴり怖い。でも、ちょっぴり可愛い」

 

 新城は下唇を突き出して、それから満更でもなさそうに頬を緩めた。

 

(あ、笑った……)

 

 新城 馨(かおる)は目付きが悪く、態度も悪い。ところ構わず唾を吐く。クラスのみんなの鼻つまみ。

 時代遅れの長めのスカートを履いていて、髪は茶色に染めている。

 

「アタシは客だからな。そのつもりで優しくしろよな」

 

 その後の新城は、つんとすました表情で、振り返らずに歩いた。

 校舎を出て、グランドを横切り、フェンス裏の方に歩いていく。

 ぼくもその後に続いた。

 

 新城がやって来たのは、屋外にある運動部の部室だった。

 金属製のドアには『陸上部』と書かれたプレートが斜めになって張り付いている。

 

「ここ」

 

 言って、新城がドアを開くと、部室の中から、むわっと煙草臭い空気と柄の悪そうな笑声が漏れ出す。

 

 陸上部は3年前、過剰なしごきが原因で死人が出た。その後、組織ぐるみのイジメが発覚し、半年の活動停止の後、廃部になった。

 以降、部室はDQNの溜まり場になっている、らしい。ぼくが入学する前のことだから、それ以上のことは知らない。

 煙草の匂いに辟易する。

 

「行くぞ」

 

 新城に背中を押され、部室に入った。

 

 中には6人の生徒がたむろしている。

 女四人。男二人。煙草を吸いながら歓談していて、少し驚いたように此方を見たものの、反応はその程度だった。

 新城はここの常連のようだ。他の連中に変わった様子はない。

 新城が言った。

 

「奥、空いてる?」

 

「あー、使ってるわ」

 

 答えたのは女子生徒の一人だ。新城ともそれなりの関係なのか、口調は砕けた感じ。

 

「そ、じゃ待つわ」

 

 陸上部は小さいながらも二つの間取りがある。新城は奥の一室でいたすつもりでいるようだ。

 

「え、御影……?」

 

 ふと名前を呼ばれ、そちらに向き直る。

 

「あ、シュウ」

 

 そこにいたのは、剣道部の秋月(あきつき) 蛍(けい)。クラスでは真面目な方で、こんな場所では珍しい顔だった。

 

「シュウ?」

 

 ひくっと新城の眉が動いた。

 シュウは結構いいヤツで、ぼくにも気さくに話し掛けて来てくれる。因みに、『シュウ』はぼくが付けた渾名だ。秋月の『秋』の字の読みを替えただけ。

 シュウは露骨に目を泳がせた。

 

「え、御影、新城? 奥……?」

 

 持っている煙草に目を向けると、シュウは慌てて煙草を放り投げた。

 隠さなくてもいいのに。

 少し驚いたけど、人なんてそんなものだ。何処かに秘密がある。

 新城が眉を寄せてぼくの顔を覗き込んだ。

 

「仲、いいんだ」

「まぁまぁかな」

 

 答えて、ぼくが部屋の隅にある長椅子に腰掛けると、新城も隣に腰掛ける。

 新城は、ぴったりとくっついて座り、ぼくの肩に手を回してきた。

 

「な、な……なんで御影が!?」

 

 シュウは動揺して、ぼくと新城を見比べた。

 

「なに?」

 

 新城はぼくの頬を指でつつきながら、シュウを煽るように鼻で笑った。

 

「……!」

 

 シュウも新城に負けないくらい背が高い。すっ、と席を立ち上がり興奮して言った。

 

「御影、なんで新城なんかと一緒なの!」

 

 それは、少し悲鳴に近かったと思う。

 

「奥使うって、意味知ってんの!?」

「……知ってる、と思うけど……」

 

 新城がくつくつと笑いながら、ぼくの後ろ髪を指で擽るのでちょっと鬱陶しい。

 シュウの眉がつり上がった。

 

「ここは御影が来ていいところじゃない」

「……シュウならいいの?」

「……っ!」

 

 成り行きを見ていた五人が、プッと吹き出した。

 それを見た新城が言った。

 

「はい、論破」

 

「喧しいっ!」

 

 シュウは納得できないというように、何度も首を振った。

 

「何なの! 御影は新城とどういう関係なの!!」

 

 その瞬間、今度は新城が動揺し始めた。シュウから視線を逸らし、言葉を探すように口を噤んだ。

 訳がわからない。

 口数の減った新城の様子に勢い付いたシュウが益々いきり立つ。

 

「二人はろくに口を利いたこともないよね、どうなの!」

 

 なんでぼくがシュウに怒られなきゃならないんだ。

 だから、言った。

 

「新城とは、一回2000円の関係だよ」

 

 これを言ったときのシュウの顔を、ぼくは一生忘れないだろう。

 

【挿絵表示】

 

 シュウは口を半開きにして、虚ろな目付きになった。

 

「に、2、000円……?」

 

 これに反応したのは、シュウの連れの五人だ。手を打って大爆笑した。

 

「だっは! 新城鬼畜!!」

 

「2000て……」

 

「安!!」

 

「新城って御影みたいなちびっこが趣味なの」

 

「まぁオナニーに金使うと思えば」

 

 口々に感想を言って、五人は抱腹絶倒の勢いで笑った。

 笑ってないのは、ぼく以外にはシュウと新城だけだ。

 

「……るせえな」

 

 新城は苛ついたのか、ぺっと唾を吐き捨てた。

 シュウが、ぽつりと呟いた。

 

「……淫売」

 

「うん」

 

 ぼくを見詰めるシュウの瞳はつや消しの黒で、何の光も映していなかった。

 蔑みと、嫌悪。それだけ。

 

 奥の部屋の扉が開いた。

 中から真っ赤な顔の女の子と、やたらスッキリした感じの男子生徒が出てきた。

 

「いや、おまたせ~」

 

 自分のしていることは理解しているつもり。

 次はぼくの番だ。

 

「行くよ、新城」

 

「あ、うん。えへへ……」

 

 頭の悪い新城は、照れ臭そうな笑顔。

 奥の部屋から出てきたとき、ぼくはビッチになる。

 

 お金が、ほしいんだ。

 この日、ぼくはビッチになって、学校の帰りに照り焼きバーガーのセットを食べた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一章 ぼくとセックスとカオル
第2話


 新城に2000円で童貞を売ってから、一ヶ月が経った。

 

 あれから――

 

 新城は毎日ぼくを買うし、相変わらずぼくはビッチだ。

 この日の授業中、新城からの手紙が回ってきた。

 

 ――サービスとか真剣に考えてほしい。そろそろ財布がピンチなんだよ――

 

 ぼくはその手紙をビリビリに破り捨てた。

 最近の新城はこんなことばっかりだ。しょっちゅう手紙を回して来て、やれたまにはサービスしろ、割引しろと鬱陶しい。

 

 後ろの席の国崎君が、ぐりぐりとぼくの背中を指でつついた。

 ぽんと手紙が投げ込まれる。一応、開く。

 

 ――新城に、もう手紙回すなって言ってくれ――

 

 無理。

 だってバカだもん。

 

 終業のチャイムが鳴って、休憩時間になった。

 次の授業の準備をしていると、すかさず新城がやって来た。背中から抱き付いて、

 

「御影、本当に割引ないのかよ」

 

 本当に新城はしつこい。

 

「新城、教室ではその話はしないでって言ってあるよね」

 

「けど、アタシはお得意様だよね」

 

 もう新城はうるさいやらしい。

 仕方なく、妥協案を書いた手紙を押し付けた。

 

 ――手と口だけなら1.5K――

 

 ――キス無しなら1K ――

 

 因みに、新城はすごいキス魔だ。

 アレの最中は最低100回はキスする。もちろん、舌を入れてくるし、唾液だって飲ませてくる。

 

 この一ヶ月で、ぼくはキスが死ぬほどイヤになった。

 

 嫌がらせもあるけど、キス無しの方を安く見積もったのはそういう理由。

 

 どっちにしても安いけど、男の貞操価値なんて、そんなもんでいい。女の子みたく大事にすれば価値が上がるなんてもんじゃない。新城はそこら辺がおかしくて、ぼくに金を払っている。

 ぼくは貧乏だし、だからおかしい新城から金を巻き上げている。

 この一ヶ月で10万円くらい稼いだから、ぼくも新城もちょっとしたもんだと思う。

 

 新城は席に着いて、頭を抱えて唸っている。茶色の髪をもみくちゃにして、ぶつぶつ呟いていた。

 

 この一ヶ月で、新城はちょっぴり変わった。

 しかめっ面をしていることは少なくなり、変わりにちょっとだけ笑うようになった。口数も多くなり、愛嬌みたいなものも見せるようになった。クラスの評判も悪くない。

 

 まぁ、新城とは毎日のようにいたしている。一日で三回なんて日もあるから、ストレスなんてないだろう。

 

 放課後。

 ニヤニヤとイヤらしい笑顔を浮かべた新城が、ぼくの所へやって来た。

 

「これなんか分かるか?」

 

 そう言って新城が見せびらかして来たのは、素っ気ない白の便箋。

 ラブレターだ。

 今更、新城がぼくによこすとも思えないから、誰か他の男子が新城に渡したものだろう。

 これには、ぼくもビックリした。

 まぁ、新城は頭悪いし態度も素行もよくないけど、愛想よく笑っていればそれなりに見られる顔をしているぶん、可愛く見える。

 どや顔の新城が激しくウザい。

 

「これでもう、御影は用済みだな」

 

「おめでとう、新城」

 

「え……?」

 

 キョトンとする新城を置いて、席を立ち上がった。

 新城はやらしい汚ないウザいけど、お得意様だった。楽してそれなりに稼げるこれはいい商売だから、新しいお得意様が必要だ。

 新城は意外そうに言った。

 

「え、アタシが他のヤツと付き合っていいの?」

 

「もちろん。ああ、新城とのことは黙ってるから安心していいよ。お得意様だもんね。今までありがとう。お幸せに」

 

 しかし、どうやって顔を売ったものか。この可能性を全く考慮してなかったぼくの手落ちだ。

 新城は、何故かビックリしている。

 

「えっと……あれ? おかしいな……そ、それじゃ今までのことって、あれ?」

 

「さよなら、新城」

 

 新たな顧客を掴む為に、ぼくは営業しなきゃならない。新城と遊んでいる暇は微塵もなかった。

 幸い、新城の後輩の何人かにアプローチをかけられたことがある。と言っても目を合わせたら赤らんだとか、ジュースを奢ってくれたとかその程度だけど。

 とりあえず、コナかけてみても損はないだろう。

 そんなことを考えていると、下駄箱で新城に捕まった。

 

「ちょ、ちょっと待って、御影」

 

「……あ、そうだ。新城。変わりに買ってくれる女の子紹介してくれない?」

 

 そう言うと、新城の瞳孔が開いたような気がした。

 

「そ、それって……」

「うん、新しいお客さん」

「お客さん……」

 

 新城の目が光を失った。

 

「お客さん……って、アタシたち、いい感じだったじゃん……」

 

「感じてたのは新城だよね。まぁ、それがぼくの仕事だったし」

 

 どうせ新城は、彼氏彼女の関係になれば支払いをしなくて済むとでも思っているんだろう。

 最後だし、ぼくはハッキリ言った。

 

 

「新城みたいなクサマンの性格げろしゃぶ女と、ぼくが付き合うなんてあり得ないよ」

 

 

 新城が打たれたみたいに震え、固まった。

 

 この一ヶ月で分かったことがある。

 新城は、ぼくを絶対殴らない。キスは嫌だと言ったときも、あそこが臭いと言ったときも、怒りはしたものの、腕力に訴えたことはない。

 要するに、新城は丸くなった。

 

「あそこ、ちゃんと洗ってるし……」

 

「あぁ、そうだったね。ごめんごめん。ぼく、新城としか経験ないから分からなくて」

 

「謝れ」

 

 謝ったよね、今。本当、新城はやらしいしつこい。

 

「アタシも御影としか経験ないし」

 

「カマトトぶらないでよ」

 

「嘘じゃない!!」

 

 どうだっていい。デカイ声で注目を集めるのは止めてほしい。

 暴言を吐きまくるぼくだけど、いいときとヤバいときとの差には注意している。

 

 ――唐突に、新城の目がギラリとナイフみたいに尖った。

 ぼくは素直に頭を下げた。

 

「ごめんなさい。ぼくが悪かったです」

 

「……」

 

 新城は苛ついたように顎をしゃくって、それから唾を吐き捨てた。

 でも、ナイフの視線はぼくに向いてない。

 新城の視線を辿る。

 

「……?」

 

 そこには――

 袴姿にポニーテールのシュウが、三人ほどの後輩と連れ立ってやって来るところだった。

 シュウは鼻面に皺を寄せ、嫌悪を隠さずぼくを睨み付けてくる。

 後輩に何か言った。

 ぺこり、と頭を下げて後輩たちが駆け足で去って行った。

 

 この一ヶ月で、一番変わった事がこれ。

 ぼくとシュウの関係。

 

「淫売……!」

 

「うん」

 

 ぼくは軽蔑されて仕方のないことをしている。そこそこ仲の良かった彼女が怒りを感じるのは、なんとなく分かる。

 だから、ぼくは逃げずに受けとめる。

 

「お前には心底がっかりさ。多少はマシなヤツと思っていたのに……!」

 

 シュウの手が、ぼくの襟首に向かって伸びて来た。

 

 新城がその手の行く手を遮るようにぼくの前に立った。

 言った。

 

「消えろ、ブス」

 

「…………」

 

 ぼくをロックオンしたままだったシュウの黒目が、ぎろりと横にずれ、新城の方に向いた。

 因みにシュウはブスじゃない。

 切れ長で奥二重の瞳は冷たい印象があるけど、そのぶん凛としていて、とてつもない美人さんだ。

 

「何だって? 聞こえなかったよ、低能」

 

「……へぇ、じゃあ傍に来いよ」

 

 新城が、へらりと笑いながらポケットに手を突っ込む。

 ――ギクッとした。

 新城のヤツ、ポケットに何か隠し持っている。

 

「新城!!」

 

 ぼくは新城の腰に飛び付いた。抱き締める要領で新城の手を抱え込む。

 

「あ? あぁ?」

 

 『刺す』ような殺気を放っていた新城だったけど、ぼくが抱き着くと困ったように眦を下げ、肩の力を抜いた。

 

「新城、分かった。分かったから、やめるんだ」

「でもよ、コイツ……御影を侮辱しやがって……」

 

 言いながら、新城は腰を左右に揺する。端から見れば拘束を解こうとしているように見えるかもしれないが、全然、力を入れてない。

 すごく手加減している。

 本気になれば、ぼくの拘束なんか、あっという間に振りほどいてポケットの中の『それ』を使うことができる。

 新城が舌打ちした。

 

「御影は淫売じゃない。謝れ」

 

 新城、お前がそれを言うのか。

 シュウは、ふんと鼻を鳴らしただけだ。

 でも、その鼻が真っ赤だ。

 

「淫売……!」

 

「うん、ごめん」

 

「うらぎりもの……!」

 

「……?」

 

 それは意味が分からない。シュウがぼくを罵る声は震えていた。

 怒るというより、悲しそうで――

 

 ぼくは、シュウから目を背けることが出来なかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話

 シュウは、泣いていたように思った。

 肩を怒らせて仁王立ちのシュウを残し、ぼくと新城は『奥の部屋』に向かった。

 放課後になってまだ早いお陰か、今日は一番乗りだ。

 

 奥の部屋は三畳ほどの座敷がある。

 後はロッカーに座布団、ちゃぶ台。少人数で寛げるようになっている。

 ぼくは座布団を出し、そこに新城を座らせた。

 

 新城は少し頬を染めて、何だかご機嫌だった。

 

「御影って小さいけど、やっぱ男なのな」

「当たり前でしょ。それより、新城。ポケットの中のもの全部出して」

「ん、いいよ……」

 

 新城は座布団の上で胡座をかいた姿勢のまま、ポケットの中身をちゃぶ台に並べた。

 

 タバコ、ライター、ヴィトンの財布、それから――バタフライナイフ。

 

 やっぱり持ってた。

 

 ぼくはバタフライナイフを手に取った。

 刃渡り12cm というところか。人一人殺傷するには充分だ。尖った刃先を触りながら尋ねる。

 

「新城、これ、本気で使うつもりだったろ?」

 

「あ、あぶない……御影、返して……!」

 

 テンパる新城の様子に仕方なく、ナイフを返す。

 新城はそれを下に向け、やたら真面目な表情で柄を折るようにして刃先を閉じた。

 

「あのな、御影。このナイフって、すげえ危ないから、絶対自分に向けちゃ駄目だぞ?」

 

 何だか、ぼくは疲れてしまった。

 

「その危ないのを持ち歩いてる新城に言われたくない」

「アタシはいいんだよ」

「いい訳ないだろ、バカ」

 

 ぼくは新城の琥珀色の瞳を見詰める。

 

「そのナイフで刺すつもりだったのか?」

 

 これでも新城とはヤりまくった仲だ。本気か、そうじゃなかったかくらいは見れば分かる。

 新城は、ムッとして目を逸らした。

 

「だったら悪いんかよ」

 

「当たり前だろ。何考えてんだ」

 

 へっちを向く新城の頭を捕まえ、視線を合わせる。

 ややあって、ぽつぽつと話し出した。

 

「あいつ……秋月は、強いよ。たぶん、デタラメ……」

 

「だからナイフなの?」

 

「……」

 

 新城が視線を伏せた。

 

「アタシはさ、いいかげんなヤツさ。でも、譲れないものもある。負けたくないときだってあるんだ」

 

「でもナイフは駄目だ」

 

「だから、あいつにはそれくらいやんないと通用しないって……」

 

「通用しないでいい。新城は女なんだからケンカなんてするもんじゃない」

 

 新城は本物のバカだけど、ぼくの為にそうするというなら、ぼくは本気でこれを止めなきゃならない。

 

「あのね、新城。ぼくは、新城を犯罪者にしたくない」

 

 ぼくが原因の刃傷沙汰なんて冗談じゃない。売りが学校にバレたらどうするんだ。

 クサマン新城め。

 

「わ、分かった……御影がそこまで言うなら、ナイフは持たない」

「うん、ならいい」

 

 ぼくは新城の頭を抱き寄せ、茶髪を撫でた。

 

「約束だよ」

「分かった。絶対」

 

 新城は瞬きもせず、じっとしている。

 思い出したように、言った。

 

「アタシ、御影以外とは付き合わないから。今日は冷やかしてごめん」

「うん、分かった」

 

 まぁ、ぼちぼちで新規開拓と行きますか……。

 新城が泣きそうな顔で言う。

 

「あの……今日は300円しか……」

「いいよ、タダで。ぼくも少し意地悪し過ぎたし」

 

 本音を言えば、少し新城から巻き上げ過ぎた。犯罪に走る前に、ここらで躾する必要がある。

 そんな心配をしなきゃならないくらいには、新城はぼくにハマってる。

 

 バイトでもさせるか。

 

 そんなことを考えた。

 

 

◇◇◇◇

 

 

 新城が、ぼくの上でゆっくり腰を振っている。

 

「当たってる……御影のが、欲しいところに当たってるよう……!」

 

 今日はタダだし。ぼくは動かずにいて、天井の染みを数えたりなんかしてる。

 新城がいつものようにキスの雨を降らせて来る。だらだらと涎を溢すので、ぼくの顔はベトベトだ。

 生唾って、乾くとすごく臭い。

 

「御影、動いてよう……!」

 

 新城の褐色の肌をさする。おっぱいは釣鐘型の手のひらサイズ。カップはCくらい。

 新城が一番感じるのはGスポットの辺りで、ここを強く擦るように突き上げるのがポイント。

 尻たぶを揉みながら、ゆっくり腰をグラインドさせると、新城は込み上げる快感を噛み締めるように動きを止め、四つん這いの姿勢で深いキスを求めてくる。

 指と指を絡め、舌を吸い上げると、新城の腰が大きく震えた。

 だらっと陰嚢の裏を新城の分泌液が流れ落ちる感触。

 

 荒く、熱い吐息を漏らす新城の頬に涙が伝う。

 

 新城が、イった。

 

 

◇◇◇◇

 

 

 深いエクスタシーの後、新城は必ず泣く。

 胸がいっぱいになるんだと言っていた。

 一方、ぼくが射精に至るのは3、4回に一度くらい。これは、ぼくにとってビジネスで、快感を得るのが主目的じゃない。

 ぼくの上でさめざめと泣く新城の背中を擦る。後戯は超重要。頬に軽くキスして、それから耳を甘噛みする。

 新城は時折、思い出したようにピクリと震え、小さな喘ぎを漏らす。この時点で盛り上がれば、またする。

 新城が、またゆっくりと腰を振り始めた。

 

「御影、もう一回、もう一回……」

 

 ぼくは新城の緩やかな動きに合わせるように、腰を突き上げる。ねちゃっと大きな水音がして、独特の臭気が鼻を衝く。

 イカ臭い。

 新城以外の女の子は臭くないんだろうか。

 新城が強く抱き付いてくる。

 立て続けにイってるのか、腰が大波を打っている。

 

 ちゃぶ台の上に置いてある時計が5時半を指していた。

 

(父さん、もう仕事に行っちゃったな……)

 

「イぐ、イぐうううう……!」

 

 新城がゴリゴリと腰を押し付けて、大きな絶頂に達した。

 

 ぼくはまた後戯を開始する。

 

 だって、ビッチだもん。

 お客さんは大事にしないとね。

 

 ぼくの上でまた泣き始めた新城の熱い吐息を感じる。

 

「ううう……! 御影となら何度でもできる、怖いよ……!」

 

 因みに、二回目からは有料になります。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話

 ――新城がぼくに借金をするようになった。

 

「ユキ、ちょっといい?」

 

 その日の休み時間、新城がデレデレに弛んだ笑顔でやって来た。

 

 ――御影 悠希。ぼくのフルネーム。

 

 最近の新城は、ぼくを下の名前で呼ぶ。

 

「ユキじゃない。ゆ・う・き」

「うふふ、ゆうき」

 

 新城は益々ぼくにのめり込み、脳がお花畑になった。

 

「トイレ行こ? 一回ぱぱっと手で抜いてよ」

 

 頭の中はエロいことしかないらしく、廊下だろうが教室だろうが、ところ構わずぼくに抱き付いてくる。

 

「あのね、新城。ツケはいいけど、もう7万超えてるから」

 

「うん、えへへ」

 

 駄目だこりゃ。

 

 そんな新城がテストで赤点を取って補習を受けなくちゃならないのは当然のことで。

 

 新城はスポーツ推薦枠で入学したB特待だ。授業料は半分が免除されている。

 並外れた長身と運動神経で、元はバレー部の有望選手。膝を痛めなければ、ぼくにハマって脳内お花畑になるようなことはなかっただろう。

 しかし、現実は残酷で新城は膝を壊し、バレーを諦めた。残ったのはB級特待生の優待枠。

 やりづらいだろうと思う。

 元々、成績はよくなく、バレーをやっていた以外に取り柄はない。それでも学校にいる以上、優遇されている。これが他の連中にどう映るか。

 ぼくにハマってる原因の一つにそれがあるのかもしれない。無責任に考えながら、久々に一人の放課後を楽しむ。

 

「さて、営業しますか」

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

「と言ってはみたものの……」

 

 名案なんてあるわけがなく。

 ぼくは食堂でカップの安いコーヒー牛乳を飲んでいる。

 

「こんちわ」

 

 ぼくに声を掛けてきたのは、新城の後輩の女の子だ。陸上部の部室でも、何度か顔を見た気がする。

 ボーイッシュな短い髪に健康的に焼けた肌が印象的。

 身長は160cmくらい。相手の背丈が気になるのは、ぼくが身長にコンプレックスを感じているからだろう。

 

「今日は新城センパイと一緒じゃないんですね」

「うん、新城は補習」

 

 金の切れ目が縁の切れ目。新城とは程々に付き合って行かないといけない。

 

「また『よいこ』ですか?」

「よい子?」

 

 どちらかと言うとぼくは悪い子だ。

 彼女はくすりと笑いながら、ぼくの飲みかけのコーヒー牛乳を指差した。

 

「その砂糖とミルクたっぷりの乳飲料のことです」

「ああ、なるほど……」

 

 これを飲んでいるとやけに新城が笑うと思っていたけど、そういうことか。納得。

 彼女が笑う。

 

「御影さんって、新城センパイと付き合ってるんですか?」

 

「いいや、新城とは一回2000円の関係だよ。知ってるでしょ?」

 

「…………」

 

 なんだろう。すごく寒くなった気がする。

 

「いいえ、初めて聞きました……」

 

 新城は自分の後輩に、ぼくをなんと言って説明しているのだろう。彼女は言葉もなく、じっとぼくを見つめている。

 そのおとがいが、ゴクリと鳴った。

 

「自分、葛城 瞳子(とうこ)です。その……」

 

「…………」

 

 ぼくは黙ってよい子を啜る。

 葛城が言った。

 

「自分も、その……買うことって、できます、か……?」

 

 ――来た。

 

 お一人様、入ります。

 

「その……新城センパイには」

「もちろん、言わないよ」

 

 その後、葛城は堰が切れたように話し始めた。

 

「前から可愛い、いいなって思ってて……睫毛長くて、手も、すごくちみっちゃくて……」

 

 葛城の歪んだ性癖はどうだってよかった。

 

「あと、新城センパイから色々聞いてて……」

 

 そう言って葛城は、膝をもじもじと擦りあわせる。

 

 ……つまり、新城の盛りに盛ったエロ話に濡れてしまったと。

 

 新城、使えるじゃないか。

 

「自分は、新城センパイの後のちょっと空いた時間に幸せな気持ちにさせてくれれば……」

 

 そんなこと言っても、新城を裏切っていることには変わりがないよね。

 でもいいよ。都合のいい女の子大歓迎です。だってビッチだもん。

 

 葛城は照れくさそうに鼻の頭を擦っている。その仕草がすごくバカっぽい。やっぱり新城の後輩だけある。

 

「あの、これ自分の携帯番号です」

 

 葛城は準備よく、携帯番号とメールアドレスを書いた紙を差し出した。

 ……準備が良すぎる。

 前から考えてた。本当、新城はいい後輩に恵まれてる。

 

「夜、掛けていい?」

 

 葛城は、むふうっと荒い鼻息を吐き出した。

 

「ドンと来やがれ、です!!」

 

 チョロい。

 チョロすぎる。

 新城、葛城のパレスコンビはチョロすぎる。そんな風に思ってた時期が自分にもありました。

 

 放課後の食堂。人影はまばら。主に部活動開始前の生徒しかいない。

 ふと見れば、葛城が出入口の方に煙るような視線を向けていた。

 三人の後輩を引き連れ、ずかずかと食堂に入り込んで来たのは――

 

 袴姿も凛々しい、ポニーテールのシュウ。

 

 ぼくは俯き、なるべく気配を消すことに努める。

 でも、シュウは真っ直ぐぼくの前までやって来た。

 シュウは、ちらりと葛城を一瞥。

 

「淫売、精が出るじゃないか。いや、出すのは別のものか?」

 

 あれ以来、シュウの当たりは益々キツくなる一方だ。

 

「秋月先輩、知り合いですか?」

 

 と、シュウの子分Aが余計なことを尋ねる。

 シュウは威嚇する虎みたいに鼻の頭に険しい皺を寄せている。

 

「こんな屑、名前を知ってる程度さ」

 

 吹き出るあからさまな悪意に、三人の子分たちはびびったように頷き、それから好奇の視線をぼくに向ける。

 シュウが言った。

 

「なあ、コイツ、2000円で何でもするんだ。お前たちも気が向いたら使ってやるといいさ」

 

「…………」

 

 こんなときでも営業チャンス。ぼくは顔を上げ、にこっと微笑んで見せた。

 A、B はこっちを見ない。脈なし。Cは、ぼくと視線を合わせ、反射的に微笑もうとして、俯いた。

 Cは後で名前を調べよう。

 

「お前……!」

 

 シュウが、ギリギリと歯を食い縛る音が聞こえた。

 

「誰にでも色目を使う――」

 

 刹那。

 葛城が、カップのジュースをシュウの顔面にぶっかけた!

 

 ぼくは鼻からよい子を噴き出しそうになった。

 なんてことするんだ。そんなことは、あの新城ですらやらなかった。

 葛城は澄ました顔だ。

 

「帰れ。御影さんに関わるな」

 

「…………」

 

 シュウは表情を変えず、睫毛にかかったジュースを指で拭っている。

 

「自分、新城センパイに、アンタには手加減すんなって言われてんで」

 

 新城……! 居ても居なくても何て迷惑なやつなんだ。

 

 シュウが水滴で張り付いた前髪をかき上げた。

 

「新城の……ホント、邪魔くさい……」

 

 シュウの子分ABCの顔色は紙のように白かった。ビビりすぎて動けない、そんな感じ。

 異様な空気。

 シュウの身体から黒い炎が立ち上っているような気すらした。

 ぼくは言った。

 

「シュウ、これ以上邪魔するんなら、2000円で買ってよ」

 

「……!」

 

 シュウは驚いて、それから耳まで真っ赤になった。

 

「今ならサービスで、一回分半額にしてあげる」

 

 これには、葛城もシュウもその子分たちもびっくりして目を丸くしていた。

 シュウの唇が、ワナワナと震えている。

 

「なん、で――」

 

「お金無いんなら帰って」

 

 もう、シュウは本当に面倒臭い。いつも絡まれて、嫌な思いしてるこっちの身になってほしい。

 

「葛城、行こっか?」

 

「あ、はっ、はいっ!!」

 

 なべて世はこともなし。

 

 誰が泣こうが、怒ろうが、ぼくには全然関係なかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話

 シュウを振り切ったぼくは、葛城に連れられて『奥の部屋』に向かった。

 

 葛城とよろしくヤるのでなく、新城の頼みらしい。そもそも、食堂でぼくを捕まえたのも新城の指示なんだと。

 奥の部屋で待っててほしい。狙いが見え見えなのが腹が立つ。

 

 新城……金もないのに厄介な。

 ぼくにハマり切った新城が、そのうち犯罪を犯しても、ぼくは全然不思議とは思わない。なんとかする必要がある。

 

 元陸上部室に行くと、暇なヤンキーたちが5人ほどたむろして煙草を吸っていた。

 

「よぉ、ビッチ」

 

 部室に入るなり、ご挨拶。

 

「やぁ、お邪魔するよ」

 

 ヤンキーどもとは付かず離れず。無視するのも関わるのも、ろくな結果に繋がらない。

 

「奥、誰か使ってる?」

「いんや、まだ。新城か?」

「まぁね。先に入らせてもらうけど、他の人が来たら出るから」

 

 新城がやって来るまでの間は奥の部屋で待つ。ヤンキーどもも、ぼくが煙草を嫌っているのは知ってるので、特に何も言われなかった。

 

 一人でボンヤリと考えた。

 葛城……ちょっと癖がある。自分よりも上背がある相手……シュウにもびびらない。流石は新城の取り巻きというところか。

 そして。

 新城は厄介だけど顔は利く。ここにたむろするヤンキーも、新城には一目置いている。

 それなりにやるつもりなら、多少のハッタリは利いた方がいい。女が相手なら、同じ女の新城の方が抑止力があるだろう。

 

 金を巻き上げる以外の、新城の使い道。利用価値……。

 

 そんなことを考え込んでいるとノック音がして、扉の間から葛城が顔を出した。

 

「失礼していいですか?」

「いいよ」

 

 考え事も一段落したところだった。話し相手がいるのは素直に嬉しい。

 葛城は、ぼくの為に『よいこ』を買って来てくれた。

 

「ありがとう」

「どういたしまして」

 

 葛城はクスクス笑った。

 

「御影さんは、自分らの回りには居ないタイプの人ですね」

「そうなんだ」

「はい。新城センパイの相手なんて、どんなゴリラなんだろって思ってましたので」

 

 まあ、女子相手に売春する男子は珍しいだろうと思う。

 葛城がぼくの手を取った。

 

「ホント、ちみっちゃい手ですね。肌もきめ細かくて、赤ちゃんみたいです」

 

 好きでそうなった訳じゃない。そんな誉め言葉は嬉しくないけど、積極的なのは手間が省けて嬉しい。

 

「早速ですけど、今晩、会えますか?」

「……いいよ」

 

 葛城。やっぱり癖がある。新城に従順なようでいて、それでも自分のやりたいことはしっかりやる。

 危険か? 売りをやる以上、そこはキチンと見定めないと厄介なことになる。

 

 

◇◇◇◇

 

 

 その後、葛城は聞きもしないことをよく喋った。

 

 葛城の初体験は中学生の頃所属していたバスケ部の先輩だったらしい。

 初体験の感想は悲惨の一言に尽きた。

 葛城の処女喪失の場所は、なんと合宿所のトイレだそうだ。痛いだけで何の感慨もなく、おまけに膣に出された。その後の交渉も乱暴で、前戯なしの挿入が殆んど。

 飽きたとフラれたとき、心底ホッとしたらしい。

 それ以来、男は苦手。

 葛城は話している間に盛り上がってしまったのか、少し涙ぐんでいた。

 

「不思議です。御影さんには何でも話せます」

 

 お金の力は偉大だ。

 葛城が割り切れる理由は、金の介入で行為と感情を分けてしまえるからだ。それ以外には、ぼくの無害そうな見た目か。シュウにやったデモンストレーションがもたらした予想外の結果でもある。

 言った。

 

「大丈夫、ぼくは無理しないから。嫌になったら、すぐ止めるから言ってね?」

 

「は、はい……」

 

 瞬間、なんだか葛城の肩から力が抜けたような気がした。

 

「新城センパイ、遅いですね……」

「補習は6時までだから。後少しかかるよ」

「…………」

 

 葛城は頬を上気させてこちらを見ているが、まだぼくの『お客さん』じゃない。

 理想は、生かさず殺さず。

 ぼくはビッチだけど悪魔じゃない。資金力を見極め、そこそこに搾り取るのがベスト。

 これは新城で学んだことだ。負債がある程度を超えると、どうでもよくなってしまう。

 葛城がジリジリとにじり寄って来る。猫のようにパッチリした瞳は潤んでいて……

 

「御影、さん。キス、していいですか……?」

 

「ごめんなさい。それはNGでお願い」

 

 最初が肝心。きっぱりと断る。

 

「そんな! 新城センパイとはして――」

 

 ――そのとき。

 

 薄い木製の扉一枚を隔て、机をひっくり返したような物音が響き渡った。

 魔法が解けたように、ハッとした葛城と目が合った。

 

「見てきます!」

 

 素早く立ち上がり、葛城が扉を開いたのとほぼ同時に、一人の女子生徒が突っ込んで来た。

 女子生徒はぼくの前でつんのめるように膝を折った。

 茶髪。鼻血を垂らしているけど、この陸上部室で何度か見たことがある顔だ。

 

 続いて顔を現したのは――新城。

 顔を赤くして、激しく息を荒げている。

 激怒。それも何故かぼくを見て、更にヒートアップした。

 

「死ねや!!」

 

 新城は声を張り上げ、よろよろと立ち上がろうとした女子の尻を思い切り蹴飛ばした。

 

 ヤバい。

 これは事件になるレベルだ。新城は猛烈に興奮していて、矛を収めるつもりなんてない。女子生徒の茶髪を引っ掴み、無理矢理引き起こすと渾身の平手打ちを見舞った。

 

 元バレー部特待生のビンタ。威力は想像したくない。

 

 新城に殴打された女子がピンポン玉みたいに飛んで、ぱぱっと音を立てて血飛沫が散った。

 葛城はビビりまくり、壁に張り付いて固まっている。

 

「新城、やめるんだ!!」

 

 その制止の声に、一瞬新城は動きを停め、ぼくと視線を合わせた。

 

 くしゃくしゃ、と新城の顔が悲痛に歪んだ。それで悟った。――ぼくが関係している。

 だから止まらない。

 

「新城! もういい! もういい!!」

 

 決死の覚悟で新城に飛び付いた。

 

「うーーっ、うーーっ……!」

 

 新城はぼくを背中に張り付けたまま、獣のような呻きを上げた。

 首筋まで赤黒く染まり、全身がブルブルと緊張している。

 

「離せ! 離せええ!!」

 

 新城の中で破壊衝動とぼくの制止とが猛烈に綱引きしている。

 

「だからもういい! 葛城! ボーッとしないでその娘を何処かに連れてけ!!」

 

 ぼくが原因の暴力事件なんて冗談じゃない!

 必死で新城の頭を抱え込み、胸に押さえ付ける。殴られないと分かっていなければ出来ることじゃない。

 

「葛城!!」

 

「……!」

 

 そこで葛城の金縛りが解けた。殴り飛ばされ倒れ込んだ女子生徒に駆け寄る。

 

「早く! 早く!!」

「はいいっ! はいいいっ!!」

 

 ぼくも葛城も馬鹿みたいだけど、これ以上ないくらい大真面目だ。

 葛城が完全にのびた女子を引き摺るようにして奥の部屋から前面の部屋に移動する。

 

「扉閉めて、早く!!」

 

 それにしても葛城。お互い、このタイミングでヤグらないで本当に良かったね。

 チョロいチョロいと思ってた新城さんはこれもんだ。全力死寸前だったよ。

 

 我慢。超我慢の新城。理性と衝動がまだ綱引きを続けてるのか、ぼくにガッチリ抱き付いて嵐が過ぎるのを待ってる。

 

 そこで漸く、扉が閉じた。

 

 室内は一気に静まり返り、新城の荒い吐息だけになる。

 

 ぼくは新城を固く抱き締めて、暫く、そうしていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話

 奥の部屋の三畳のスペースで、ぼくはずっと新城のお腹の上に座り込み、その頭を抱えて抑え込んでいる。

 すっかり陽が落ちて、星が瞬くようになった頃、新城は漸く落ち着いた。

 ぽつりと呟いた。

 

「アイツ、ちゃんと死んだかな……」

「新城……」

 

 ドン引きのこの暴力性。

 良くも悪くも、新城には抑止力がある。――使える。

 女だということがなおいい。

 男は遠慮するだろう。客になる女は固く口を噤んで秘密を守るだろう。

 悪くない。

 ぼくは優しく新城の頭を撫でた。

 

「暴れてごめん、ユキ。怪我しなかった?」

「うん……」

 

 しっかりと落ち着いたのを確認して、ぼくは身体を起こすと、転がったままの新城の頭を膝の上に乗せる。

 

「ユキ、エッチしたい」

「いいよ……でも、ちょっと休ませて……」

 

 ぼくは小さく溜め息を吐く。長時間、無理な態勢でいたお陰で身体中が軋んでいる。

 新城が言った。

 

「ユキは、アタシには勿体ない男だと思う」

「どうしたの……藪から棒に……」

 

 ぼくの小さい身体で、新城の巨体を抑えるのは疲れる。

 

「お金、ちゃんと払うから」

「それはもういいよ……」

 

 どうせ新城には払えない。無理させれば、絶対によくない形で返って来る。だから、別の形で取り立てる。後は、エッチの練習台になってもらうくらいか。

 新城は頑なに首を振った。

 

「いや、払う。心配しないでも、カツアゲとかそんなんしないし」

「だからいいって」

 

 そんな殊勝なタマじゃないだろう新城。落ちてるものでも食べたのか?

 ぼくは、また深い溜め息を吐く。

 

「払うって。払わないとさ、ほら……」

「……?」

「ユキ、客取っちゃうだろ?」

 

 違和感。

 なんだろう。何かが、ちぐはぐな感じがする……。

 

「ユキの客はアタシ一人でいいんだ」

 

 つまり、新城にNTR属性はないと。

 ええ、分かってましたよ。

 

 でもね、新城。おまえ一人が払うお金じゃ、足らない。

 おまえがサイを投げたんだから、振り回すよ。最後まで、付いてこれたら、ちゃんと好きになってあげるから。

 

 ぼくは、それ以上、新城の意思に背くことはしなかった。くれるというのなら貰う。それだけ。

 

 ブラウスのボタンを外し、新城の薄い胸に触れると、尖端は固くなっていた。

 熱い吐息を洩らす唇に、大嫌いなキスをする。唾液を送り、舌を絡める。

 

 新城が跳ね起きて、あっという間に制服を脱ぎ捨てた。

 褐色の肌。薄い胸の尖りはセピア色。目元を潤ませて、下着まで脱ぎ去ると、生まれたままの姿になった。薄めの草むらは、銀の糸の雫を垂らして泣いている。

 

 髪をかき上げる仕草をする新城の草むらに顔を埋める。

 滑る陰裂を舌で舐め上げながら、膨れ上がったクリトリスに吸い付くと、新城は腰砕けになって膝を震わせた。

 

「あぁ……い、いいよユキ……」

 

 クリトリスを吸い上げながら、愛液をまぶした二本の指を膣口に侵入させる。抵抗は殆んどなく、目的地に到着すると円を描くように擦り付ける。

 

「カオル……今日はサービスするから、いっぱいイってね……」

 

「…………」

 

 陰裂から滲む液体が粘度を増した。

 カオルの口元から、だらっとだらしなく涎が垂れ下がった。イった。

 

「ユキ……ユキ……もっと、なまえ呼んで……」

 

 息も絶え絶えに呟くカオルの腰を引き付け、膣に舌を差し込む。もちろん、指での愛撫も忘れない。

 丹念に、淡々とカオルを追い詰める。より深いエクスタシーへと導く為の入念な作業。

 

 カオルはぼくの髪をまさぐり、膝を震わせて何度も小さい絶頂を迎える。

 

「カオル……綺麗だよ……もっと感じて……」

 

 そうしてカオルは腰を震わせて、ぽろぽろと涙を流す。

 

 もっと。

 もっと、もっと、深く堕ちてね。

 ぼくのカオル。

 

 

◇◇◇◇

 

 

 翌日、教室にカオルの姿はなかった。

 HRの時間、担任の坂本先生が黒板の隅に書き付けた。

 

 

 ――新城 馨 無期停学――

 

 

 やっちまった。

 

 黒板に書き込まれたそれを、じっとシュウが見つめていた。

 

 

◇◇◇◇

 

 

 ぼくの携帯は古臭いガラケーで、それにはカオルからのメールが頻繁に届く。

 

 

 ――無期停だって。ユキの名前は出てないから安心して。

 

 カオルのメールでは、向こう一ヶ月は登校できないようだ。それ以外は、

 

 ――逢いたい。

 ――キスしたい。

 ――エッチしたい。

 

 そんな感じ。

 ぼくは全部のメールに、一回2000円になります。って返信しといた。

 

 カオルは赤点の補習も含めれば、留年する危険すらある。それはさておき――

 

 ちょっと困ったことになった。

 前の座席のシュウが、再三振り返ってはキツい視線を浴びせて来る。

 何時もなら、ぼくにべったりなカオルがいない。言いたいことがあるようだ。

 さて、シュウはどうでるか。本当、面倒くさい。

 

 そして期待を裏切ることなく、HR終了直後に動きがあった。

 シュウは部活のとき以外は下ろしてある髪をポニーテールに纏めている。ぼくの座席の前で腕組みして言った。

 

「おはよう、淫売」

 

「おはようございます。御影さん!」

 

 シュウの横に、笑顔の葛城が立っている……。

 

「なんなのオマエは。ここは三年の教室なんだ。二年は出ていけ!」

「おはよ、葛城」

「御影さん、昨夜はずっと電話待ってたんですよ~?」

「こらっ、無視するな!」

 

 朝からうるさいめんどい。

 

 ぼくは、まずシュウからやっつけることにした。

 

「シュウ、オリモノ臭いからあっち行ってよ」

「なっ……」

 

 ついでに葛城にも釘を刺す。

 

「あのね、葛城。昨日のカオルの激おこを見なかったの?」

「昨日はお互い大変でしたね!」

 

 葛城もカオルのあれを見て、流石に引くだろうと思ってたけど、そうでもないようだ。シュウに楯突くだけのことはある。

 大物か。それとも、とんでもないバカか。

 

「カオル、無期停学だってさ。聞いてる?」

「……カオル、ですか」

 

 葛城の笑顔が曇る。

 

「御影さんは聞かなかったんですか?」

「聞くわけないでしょ」

 

 カオルは本気で怒っていた。その説明をさせることは、もう一度、その強い怒りを感じろと言うのと同じことだ。そんなことするわけがない。誰にだって聞かれたくないことがある。

 

「なんで新城センパイに直接聞かないで、自分に聞くんですか?」

 

 何故か葛城が食い下がって来て、ウザい。

 

「新城センパイ、御影さんが言えば何でも喜んでやると思いますよ」

 

 知ってる。

 

「御影さんにとって、新城センパイは特別っていうことですか?」

「…………」

 

 なにコイツ。すごくウザい。

 

「昨日、自分にはキスしてくれませんでしたよね?」

 

「……!」

 

 その問いに激しく反応したのはシュウだ。むきになって突っ掛かって来ると思ってたのに、黙ってぼくを睨み付けて来た。

 ムカつく……。

 

「キスありなら5K」

「はい、払います」

 

 こいつ……!

 葛城は澄ました表情だ。本当にそれがムカついた。

 

「昼休み、奥の部屋に来てください」

 

「……いいよ」

 

 葛城は、またニコッと笑った――けど目が笑ってない。

 

「絶対に来てくださいね」

 

 念を押してから、葛城は帰って行った。

 来たときと同じように勝手なやつ。カオルのことは答えずに帰った。

 後にはムカついたぼくとシュウが残った。

 

「御影、その……新城は――」

「オリモノくさいから、あっち行けよ」

 

 カオルが、ぼくの特別?

 

 誰に向かって言ってんだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話

 二時間目が終わり、休み時間。

 スッ、と席を立ったシュウがこちらに真っ直ぐ歩いて来た。

 やだなぁ、もう。シュウは本当にしつこい。

 

「御影、張り出しもの手伝ってくれないか?」

 

 救いの手は唐突に差しのべられた。

 声を掛けてきたのは、ぼくのすぐ後ろの座席にいる国崎君だった。

 うっ、とシュウが立ち止まる。

 

 全治一年の事故に遭ってダブった国崎君は、ぼくらの一つ歳上になる。無茶苦茶浮いていて、クラスではぼっちさんだ。

 

 曰く。

 ボクシング部の元、超エース。去年の選抜大会ダントツ一位。テストでは常に3位以内。噂じゃ、英語ペラペラだとか。

 そんな国崎君は、クラスの誰もが無視できない。

 

「悪い、御影借りる」

「あ、ああ……」

 

 シュウが悔しそうに引き下がった。

 

 日頃の行いの賜物だね。

 

 国崎君と二人で教室の壁に貼ってある掲示物を張り替えて行く。

 

「なあ、御影。お前って、秋月と付き合ってたんじゃなかったのか?」

「え、なんで?」

「一緒にメシ食ったりしてたろ?」

「ああ……そんなこともあったかも」

「後、新城のヤツに授業中は手紙回すの止めろって言っておいてくれ。あいつ、俺に思い切り投げ付けやがる。集中できねえよ」

 

 結局、こっちも因縁だった。

 

「っつーか、御影は新城と秋月、どっちと付き合ってるんだ?」

 

 うるさいなぁ、このダブりは。

 

「国崎君こそ、生物の折笠先生と付き合ってるの?」

 

 あくまでも噂だ。

 

 ぼくらは、ニッと笑い合って、それからは無言だった。

 

 そんな感じで休み時間の度に掲示物の張り替えをした。

 

 

◇◇◇◇

 

 

 昼休み。

 シュウが真っ直ぐやって来た。

 

「オリモノくさい」

 

 シュウは般若のような表情でぼくを睨み付けていたけど、ややあって、険しい表情を緩め、ついっと2000円を机の上に置いた。

 

「話がある」

「ぼくにはない。何、これ?」

 

 ぼくは机の上のお札を指で差した。

 シュウは鼻を鳴らす。

 

「何って、2000円だろ?」

 

 偉そうに。

 葛城といい、ムカつくなぁコイツ。

 

「全然足りない。一万円なら話くらいは聞くけど」

 

「なっ……」

 

 驚いて目を剥くシュウの前で、ぼくは席を立った。

 

「話したいなら10K。遊びたいなら20Kから」

「なんで……!? あの下級生だってそんなにしなかったろ?」

 

 そんなの決まってる。

 

「キライだから」

「…………」

 

 シュウは俯いて……それきり、口を噤んだ。

 ちょっとだけ、スッとした。

 

 

◇◇◇◇

 

 

 『奥の部屋』では、葛城が正座して待っていた。

 

「御影さん、遅いです」

 

 ぷうっと頬を膨らませる葛城は、紺のスパッツに上は体操服という格好だった。

 ぼくは答える。

 

「午後はサボるから、それでいいでしょ」

「やったあ!!」

 

 おまえをメチャクチャにしてあげる。

 

 そんなぼくの黒い腹のうちを知りもせず、葛城は嬉しそうに笑った。

 

「んじゃんじゃ……まず、ちゅーしていいですか?」

「いいよ」

 

 言って、ぼくは壁を背に腰を下ろした。

 

「……」

 

 部屋の中が、しんと静まり返り、葛城が息を飲む音がやけに大きく響いた。

 そっと肩に置かれた葛城の手は、少しだけ震えている。

 唇が重なる。

 カオル以外の女の子とキスするのは、これが始めて。

 

「ん……」

 

 葛城は触れ合うだけのキスをしたあと、唇を押さえて俯いた。

 うなじまで赤く染まっている。

 

「……しちゃいました」

「カオルにバレたら殺されるよ」

「バレなきゃいいんですよ」

 

 今度は、引き寄せられて深いキスを交わす。

 ぴちゃぴちゃと水音をさせて唇を舐めたあと、おずおずと小さな舌が口腔に侵入して来る。

 男が苦手。

 そう言っていたのを思い出し、ぼくは身体の力を抜いた。

 そのまま倒れ込むように横になったぼくに、葛城がのし掛かってきた。

 頬を真っ赤に染め、葛城は熱い息を吐き出した。ぼくに馬乗りになり、少し腰を揺らして股間を擦り付ける。

 

 葛城が体操服を脱ぎ捨て、躊躇わずブラも外して放り捨てた。

 ピンク色の乳首は固く尖っていて、痛みを感じるんじゃないかと不安になるくらいだった。

 

「胸、してください……」

 

 掠れる声の要望を聞き入れ、ぼくはピンク色の果実を啄む。

 

「あは……かわいい……」

 

 おそらくはAのカップを優しく包むように揉みながら、舌で乳首を転がす。

 

「んふっ、ンフッ……!」

 

 声にならない喘ぎを上げて、また葛城がキスを求めて来る。

 スパッツの上から薄いお尻を撫で回す。

 葛城はキスに夢中で、喉を鳴らしてぼくの唾液を飲み込んだ。

 膝立ちになり、スパッツごとパンティを引き下ろすと、ぴったり閉じた陰唇から、つうっと銀の糸を引く。

 

「……あの、ここは、優しく……」

 

 ぼくは黙って頷いた。

 不意に、カオルのときはどうだったろうと考える。

 最初の内こそ、あれやこれと注文に忙しかったカオルだけど、半月もした頃には、快感を貪るのに夢中で口を利かなくなったことを思い出した。

 集中する。

 葛城を横にして、カモシカのように伸びた脚を撫で上げる。太股を焦らすように擦り、なるべくそっと陰部に手を置いた。

 ぎくっ、と葛城が固まった。

 陰部に触れたまま、葛城と深いキスを交わす。口腔を舌で混ぜ込み、唾液を流し込んで嚥下させる。

 葛城の瞳が蕩け、くてりと脱力した。

 

 ぴったりと閉じた陰裂の内側は、灼熱の熔岩のように熱く燃えていた。

 指を差し込んで、内側をゆっくりと愛撫すると、たちまち滑る粘液で潤った。

 葛城の膣は久し振りの感触に濃い蜜液を流して応えていたが、それとは裏腹に内部は狭く閉じている。

 愛液をまぶした指で、クリトリスを押すように軽く揉む。

 

「ひぃ……ひぃんっ……!」

 

 鼻にかかった嬌声が耳を擽る。

 行為に慣れてない。或いは久し振りであるせいか、カオルに比べたら濡れ具合が悪い。潤滑をよくする愛液の出がよくない。

 おそらく、日頃の経験に比例するのだろう。カオルも最初の頃はあまり濡れなかった。

 濡れているけど、狭い膣道は挿入に痛みを感じるだろう。

 

「なめて、いい……?」

 

 熱に魘されるひとのように顔を紅潮させた葛城が、小さく頷いた。

 脚を割って、間に入り込んだ。

 視線を下げると、大きくなったクリトリスは包皮につつまれて窮屈そうだった。

 

「み、ないでぇ……」

 

 微かに上がる拒絶を無視して、クリトリスを包皮ごと口に含んだ。

 

「うっぐ……!」

 

 未知の感触に、葛城の腰が跳ねた。

 

「あ、あ、あ、あ……!」

 

 口の中で舌を動かして、狭苦しい包皮からクリトリスを解放してやった。

 つるりと剥けた包皮から、磯の匂いがする。恥垢が溜まっていたのだろう。

 

 軽い吐き気を感じた。それとは裏腹に――

 

「かはっ――――」

 

 葛城が腰を波打たせて、強めの絶頂を迎える。

 口中に癖のある粘液の味が広がった。

 

 絶頂の余韻に浸り、ぼんやりする葛城を見下ろし、ぼくはズボンを脱ぎ捨てた。

 

 固く勃起した陰茎を軽くしごく。

 ネットで調べたけど、サイズは並。カオルは185cmも上背があるし、サイズ負けするんじゃないかと思っていたけど、ちゃんとコレでイかせることができた。

 葛城は、とんでもない太平洋という訳でもないので、通用するだろう。

 

 ……アレのサイズにコンプレックスを感じるのは、男の宿命だろうか? 調べたところ、女性をエクスタシーに導く為に最低限必要なペニスの長さは、なんと5cmらしい。

 もう、目からウロコだった。

 

「挿れるよ」

 

 葛城は夢うつつでいるのか、視線をぼくのペニスに向けている。

 

「はぃ……どぅぞ……」

 

 滑舌の怪しい葛城の陰裂を押し広げ、膣口にペニスを宛がう。

 亀頭を愛液で濡らし、ゆっくりと挿入を開始した。

 

「ふんっ……んんん……あぁ……すごぉいいいィ……」

 

 葛城が間の抜けた喘ぎを洩らし、ぼくのペニスが根元まで膣に埋まった。

 亀頭の先に、こつんと行き止まる感触があった。

 

「うぐっ!」

 

 と呻いた葛城は、口を魚みたいにパクパクさせていた。

 抽挿を開始する。

 陰茎を先っぽまで引き抜き、根元まで挿し込むと、強い粘りを持った愛液が、ズチョッといやらしい音を立てた。

 後はこれを淡々と行うだけだ。

 

 五分ほどして――

 葛城は壊れた玩具になった。

 

 陰茎が膣奥を叩く度に、小さい悲鳴が上がる。

 

「ひぃ、ひぃ、ひぃ、ひぃ!」

 

 小さなぼくに制圧され、既に屈服した葛城を見下ろし、ぼくは不思議な感じだった。

 

(……そっか、正常位だから……)

 

 カオルとの行為では、騎乗位が多かったことを思い出した。

 

 ストロークを長めに伸ばし、変化を付ける。

 

「う~~~~っ、う~~~~っ!」

 

 葛城の喘ぎが壊れた玩具からサイレンに変化した。

 視線を下ろすと、陰裂から噴き出した愛液が畳に大きな染みを作っている。

 やがて――

 

「ひいんっ!!」

 

 がくんっ、と腰を突っ張るように跳ね上げて、葛城は最後のエクスタシーを迎えた。

 

 

◇◇◇◇

 

 

 ぼんやりと薄目のまま涎を垂らし、時折痙攣する葛城を尻目に、着衣を整える。

 焦点の定まらない視線を向け、葛城が言った。

 

「週末……会って、ください……」

 

「30K」

 

「はぃ……はらいましゅ……」

 

 財布からお代を頂いて、葛城の後始末はせずに、ぼくはその場を去った。

 射精はしてない。

 葛城は、あんまりよくなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話

 午後の授業はすっぽかし。

 『奥の部屋』を出たとき、時刻は2時半になろうとしていた。

 やっつけ仕事に一時間くらい費やしたことになる。

 部屋を出る時に見た葛城は、全裸で大股を開き、ぱっくり開いた膣口が丸見えで、口から涎を垂れ流していた。

 

 ぶっちゃけ、少し笑えた。

 

 携帯を確認して、カオルのメールには2Kとだけ返信しておく。

 来た道を逆に辿り、玄関口に向かう途中で――

 

 怒りに震えるシュウに遭遇した。

 

「…………」

 

 シュウは俯き、手を強く握り締め、ひたすらぼくを睨み付けて来た。

 どうせ屑だの淫売だの、酷いことを言われるのは分かりきっている。うんざりした。

 

「なんで、私だけ……!」

「あれだけ酷いことを言われれば、普通は嫌になるよね」

「それは御影が悪いだろ!」

 

 もうシュウは、本当にうるさいしつこい。

 

「だからって、こんなところで待ち伏せしなくてもいいよ」

「……少し、話がしたいんだ……」

「お話しは20Kからになります」

 

 シュウの口元が引きつった。

 

「なんでまた値上がりするの!!」

「キライだから」

 

 ぼくがはっきりそう言うと、シュウはビクッと肩を震わせた。でも、一瞬後には肩を怒らせ、圧し殺した声で言った。

 

「あの下級生と、したの……」

「……」

 

 お客さんの秘密は守らないとね。

 

「ぼくが何しようと勝手だろ?」

「……」

 

 くしゃっとシュウの端正な顔が悲痛に歪む。

 

「私、は――」

「サヨナラ」

 

 そこで立ち去ることにした。

 シュウは手を上げ、宙を掻くような仕草を見せたものの、その手がぼくに触れることはなかった。

 

 

◇◇◇◇

 

 

 無駄な時間を食った。

 帰宅してすぐ、ぼくはシャワーを浴びた。それから、歯を磨く。

 洗っても洗っても、身体の汚れは取れない気がした。

 

「悠くん、帰ったのか?」

 

 薄いドア一枚を隔て、父さんの声が聞こえた。

 シャワーを止める。

 それから脱衣室で身体を拭いていると、父さんが下着を持って来てくれた。

 

「ありがと」

「あ、うん。それより悠くん、どうした? 学校が終わるの、少し早くないか? もしかして、身体の具合が悪いのか?」

 

 父さんは矢継ぎ早に質問を重ね、それから軽くテンパり始めた。

 

「ん、サボった」

 

「そうかぁ……」

 

 父さんは、ホッとしたように胸を撫で下ろした。それから、腕捲りして。

 

「よおし、父さん、ご飯作るぞ!!」

 

 まだ4時にもなっていないけれど、施設で夜勤の仕事をしている父さんは、5時過ぎには出勤してしまう。

 

「いっぱい食べて、悠くん、おっきくならないとな!」

「もうすぐ18なんだから、身体の成長なんて止まってるよ」

 

 父さんが固まった。

 

「なる……! 悠くんは、絶対におっきくなる!!」

 

 ぽろぽろと流れる涙を拭うこともせず――

 

「おっきくなるんだ……」

 

 父さんは、早めの晩御飯を作り始める――。

 

 

◇◇◇◇

 

 

 父さんと二人で狭い食卓を囲む。

 母親はいない。この世でぼくと父さんだけが家族だ。

 ウチはすごく貧乏だけれど、ぼくは結構幸せを感じている。

 

「悠くん、このお肉も食べて」

「もういいよ。お腹パンパンだから……!」

「また悠くんはそんなこと言って!」

 

 それから、父さんは暫くゆっくりして、出勤する。このまま朝の9時くらいまで帰って来ない。

 

 父さんは、ぼくを引き取る為に、全財産を投げ出した。それでも足りない分は、勤めていた会社の退職金で賄った。

 その父さんも、今年で57歳になる。

 ぼくは少し泣いて、それから宿題を片付ける。

 

「悠くん、絶対に大学行こうな!」

 

 それが父さんの口癖。

 

 携帯電話に、カオルからの着信があったのは、午後9時を過ぎてからだ。

 

『あ、ユキ? 超逢いたい。今からダメ?』

 

 カオルの能天気な要求に、ぼくは吹き出しそうになった。

 

「……いいよ。逢おうか」

『やったね! ラッキーラッキーラッキー☆カオル!!』

 

 そこで。

 何かの違和感。何かがおかしい。何かが……

 

『じゃあさ、今××のとこの公園にいるんだけど、大丈夫?』

 

「…………」

 

『ユキ? …………おーい!』

 

「あ、ごめん。ちょっと考えごとしちゃった。××の公園なら近くだから5分もあったら行けるよ」

 

『おっしゃあ! 待ってる待ってる超待ってるから急いで!!』

 

 なんだろ……これは……何かが、ちょっとずつ、これは……。

 

 ぼくは正体不明の違和感を抱えたまま、近所の公園に向かった。

 途中、自動販売機でジュースを2本買った。ここでは、なんと『よいこ』の缶バージョンが購入できる。

 

 街灯の灯りが眩しい公園で、カオルは煙草を吸いながらブランコを漕いでいた。

 

「ユキ!」

 

 ぼくを見付けるなり、カオルはブランコから飛び降りて駆け寄って来る。

 

 カオルの顔を見ると、ぼくはなんだか安心してしまった。抱えた違和感も、夜の帳に覆い隠されて消える。

 

 猛ダッシュのカオルに抱きすくめられる。

 

「うわ」

 

 カオルは頻りにぼくに頬擦りして、髪の毛の匂いをくんくんと嗅いだ。

 

「な、なに?」

「補充だよ、補充。ユキ成分の。あー……癒される」

「煙草臭いし」

 

 ベンチに二人並んで腰を下ろし、ジュースを飲む。

 

「あ、サンキュ!」

「カオルのお金だけどね」

 

 それからカオルは、ぼくの耳を噛んだり、舐めたり。なんだか痴漢される女の子の気分がよく分かった気がした。

 カオルがご機嫌で言った。

 

「今日のユキは大人しくて可愛いな~」

「って、普段のぼくはどんななの」

「すぐ、ウザいとか臭いとか、グサッと来るよ」

 

 言ってから、カオルは失敗したと思ったのか、ばつが悪そうに頬を掻いた。

 

 

 ――御影さんにとって、新城センパイは特別っていうことですか?

 

 

 なんでこんなときに……

 上目使いにカオルを見やり、ぼくはぺろりと唇を舐めた。

 そこに何か嫌な予感を感じ取ったのか、カオルは目を逸らし、これからのことについて話始めた。

 

「アタシ、学校行けない間はバイトすっから……」

「大丈夫なの?」

「ああ、叔父さんが店長やってるところで、結構融通きくし、ちゃんとやってけそう」

「そうじゃなくて、学校。退学とか……」

「……」

 

 カオルは驚いたようにぼくを見つめ、それから、ぼんと頬を赤くした。

 

「心配してくれるんだ……」

 

 

 ――御影さんにとって、新城センパイは特別っていうことですか?

 

 

 カオルは感動したのか、目に涙すら溜めている。

 

「大丈夫。ほら、もうすぐ夏休みじゃん。停学はその期間中に解けるし、全然」

 

 

 ――バレなきゃいいんですよ。

 

 

 ぼくは言った。

 

「カオル、エッチしよう」

 

 上目使いに、ぺろりと舌舐めずりして見せる。

 カオルの喉が鳴った。

 

「あ、いや……今日はそういうつもりで来たんじゃないっつうか……でもでも! それはユキとしたくない訳じゃなくて……ああ、もう……エッチばっかが目的じゃない……」

 

 ……カオルは別に特別なんかじゃない。今日は、そう。あの女――葛城となんかヤったから、少しおかしいだけだ。

 

「ぼくのを舐めて」

 

「あ……」

 

 ぼくが要求するのは初めてのことだ。

 カオルは、みるみるうちに顔を紅潮させて俯き、視線を逸らした。

 

「してくれないの? ぼくの――」

 

 淫乱の癖に勿体ぶりやがって。

 

「ぼくの、カオル」

「……!!」

 

 ばっ、と音がするほどの勢いで顔を上げたカオルの眦は、困ったように下がっている。目元は少し潤んでいて、泣きそうなくらいの切実さを感じる。

 

「する……したい、させて……!」

 

 夜の公園に人影はない。

 ベンチの上で腰を下ろしたまま、下履きをずらし、半勃ちのぺニスを外気に晒す。

 カオルは躊躇わずぼくの股間に顔を埋め、ぺニスを口に含んだ。

 

「んぐっ……ちゅ……」

 

 夜の虫の鳴き声に、淫らな水音が混ざり込み、夜陰に流れて消えて行く。

 

「あぁ……」

 

 ぼくは深い溜め息を吐き出した。

 初めての感触。カオルの口中は生温く、少しヒンヤリしている。

 

「んぐっ! んぐっ……ちゅっ!」

 

 カオルが陰茎に強く吸い付き、舌で亀頭を舐め回す。熱い鼻息が陰毛を擽るように吐き掛けられる。酷く興奮しているみたいだ。でも――

 

(舐められるって、こんな感触なのか)

 

 ぼくの頭は、そんなことを考えるくらいには、冷えきっている。

 徐々に勃起を支える力が抜ける。カオルが必死になって奉仕するほど、反ってぼくのぺニスは力を失って行く。

 

 やがて完全に萎えきり――

 

 焦って尚も必死な奉仕をするカオルに、ねぎらいの――そして、今日は最後の言葉を掛ける。

 

「……へたくそ」

 

 カオルは肩を震わせ、ぼくのぺニスをくわえたまま、涙を流していた。

 

 ――葛城がなんて言ってたかなんて、もう思い出せそうになかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

葛城 瞳子1

 仕事中毒(ワーカーホリック)の父が体裁だけの結婚をして、家柄以外になんの取り柄もない女の腹から生まれ落ち、葛城 瞳子(とうこ)は家族愛を知らずに育った。

 

 瞳子が気付いたとき、母は既に若い男との関係に溺れていた。仕事漬けの父は、これをいいことに家に寄り付こうとはしない。

 

 瞳子に家庭の味を尋ねれば、ハウスキーパーのヨシコさんのレパートリーを答えたろう。

 ちなみに、ヨシコさんはヨシコさん。それ以外の何者でもない。

 

 中学生の時分、なんとなく憧れた先輩と、なんとなく関係を持ち、ろくに清掃もされてないトイレの中で処女を捨てた。

 

 地元の高校に入学し、中学のときと同じようにバスケ部に入部した。

 新城 馨(かおる)と出会ったのはこの頃。無愛想で柄が悪く、すぐ唾を吐く。膝にガチガチのテーピングを施し、厚いサポーターを着けている。

 この時はまだ、バレーボール部に所属していた。

 

 高校に上がり、明らかに上がった練習量に音を上げて瞳子が退部を決意した時と同じくして、馨もバレーボール部を去った。

 バレーボール部とバスケ部は、体育館を二分して活動している。既に顔見知りであったし、校舎の中で何度か顔を合わせるうち、口を利くようになった。

 極めつけは、運動部のドロップアウト組が溜まり場にしている陸上部部室で顔を合わせたことだ。

 そこでは傷を持つ者同士、時折、しんみりすることがあり、馨はクラスでハブられていると告白した。

 

 憔悴して、弱った瞳だった。

 

 これはもう、保たない。瞳子は、そう確信していた。

 一度だけ、馨が一人の少年のことを取り沙汰した。

 

「小さいけど、ガッツがあるんだ」

 

 馨はスマホ片手にボンヤリとすることが多くなった。

 ちらりと待ち受けを覗き込むと、酷く儚げな少年が、柔らかい笑みを浮かべていた。

 

「弟さんですか?」

 

 その問いに、馨は仏頂面で首を振るだけだった。

 退学も時間の問題と思われた馨だったが、なんとか持ちこたえ、最終学年に上がった。

 馨は何時も苛ついていて、少し焦っていた。部室で煙草をくわえたまま、考え込む時間が増えた。

 

 夏本番を控えた、梅雨時のある日のこと。

 馨が『奥の部屋』を利用したと聞いて吃驚した。

 

 馨といえば、何時も所在なく陸上部部室に留まり、煙草を吸って唾を吐く。詰まらない理由から運動部と揉め事を起こし、その時はもちろん力で解決する。そんな問題児。

 身長185cmの体躯から繰り出されるアタックは、男女の別に関わらず恐怖の対象だった。当然、男っ気などまるでなく、ヤったのは何処のゴリラだと思った。

 

 その翌日、瞳子は御影 悠希に会った。

 身長150cm程の小柄な体つき。肌は雪のように白く、睫毛は女より長かった。透明感があり、幸薄い印象。

 馨のスマホの待ち受けで見たあの少年だった。

 

 瞳子は、はっと息を飲む。

 

 ストライクゾーンど真ん中。

 

 馨は少年に夢中だった。

 すげなく扱われても気にもせず、ところ構わず少年を抱き締め、頬ずりし、歯の浮くような台詞でかき口説く。

 少年の目はいつも斜め向き。馨以外の何かを見つめていた。

 

「新城センパイ、男出来たんですね」

 

 その問いに、馨は何時も目を泳がせる。

 半月も経った頃。

 奥の部屋から、馨の悩ましすぎる嬌声が聞こえるようになった。

 瞳子には悪い癖がある。

 一度興味を覚えると、どうしてもそれを確認しなければ気がすまない。この性分が悲惨な初体験に繋がっているのだが、本人はまるで理解していない。

 梅雨の雨のある日、瞳子は『奥の部屋』の裏手に回り込んだ。

 ルール破りだが、こっそり裏の窓を開いた。

 馨がまだ来ていないことに、瞳子は小さく舌打ちした。

 

 瞳子にとって、セックスは一種の拷問だ。馨がどのような拷問を受けているのかどうしても知りたかった。

 

 部屋の中、少年は雨に濡れた衣服が気になるようで、頻りに身じろぎしている。時計を何度か確認して、それから――衣服を脱ぎ捨てた。

 

 それを見て、瞳子は思わず口元を押さえた。

 

 少年の背中には、数え切れないほどの傷痕が刻まれている。主に火傷だ。アイロン、煙草、恐らく火箸。よく分からないものもあるが、その数は軽く100を超えている。いずれも治癒した形跡がある。つまり古い傷痕ということになる。もちろん、馨の仕業ではない。すると……

 

「……誰かに喋ったら、ぶっ殺すぞ」

 

 瞳子の背後に、茶色の髪から雨を滴らせた馨が立っていた。

 

「御影を傷付けたヤツは殺す。他のヤツ等にも徹底させとけ」

 

 瞳子はひたすら頷いた。

 

「あいつは他の誰でもないアタシが幸せにするんだ」

 

 馨が呟く。

 

「……キスすると、すっげぇ甘いんだ。ちっさい舌で必死に応えて来るよ。そんだけで、頭おかしくなる」

 

 降り頻る雨の中、銀の刃が閃いて、瞳子の首筋にぴたりと当たる。

 

「抱き締めると、肌が吸い付くんだ」

 

 馨の声には何の抑揚もなかった。そこには動かし難い決意がある。

 

「挿れられると狂うよ。馬鹿みたいに腰振っちまう」

 

 瞳子の首筋から、一筋の鮮血が溢れ出てブラウスを染める。

 

「御影に手を出したら殺す」

 

 瞳子は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――まだ、誰のものでもないよね。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話

 翌日、教室にシュウの姿はなかった。

 実に平和。二時間目のチャイムが鳴るまでは。

 

 

 休み時間。頬を赤く紅潮させた葛城と一緒に校舎裏に向かった。

 先を行く葛城は早く二人きりになりたいようで、殆ど小走りで目的地に急ぐ。

 

「葛城、急がなくても、最悪放課後があるよ」

 

「ああっ! はい……はいっ! そうですね!」

 

 そして目的の校舎裏に着くと、今度はモジモジして葛城は黙り込んでしまった。

 

「……」

 

 葛城は気の毒なくらい赤面して、胸の前で両手の指先を合わせている。

 

「あ、あの……!」

「うん、なに?」

「…………」

 

 活発な印象を受ける葛城らしくない態度。

 意を決したように、顔を上げた葛城が言った。

 

「昨日の御影さん、素敵でした……!」

「どうも」

 

 これで緊張が取れたのか、葛城は堰が切れたように話し出した。

 

「すごかったです! エッチって、あんなに素敵なものだったなんて知りませんでした!」

 

 それはカオルに感謝しないといけない。

 今のところ、ぼくにはカオルと葛城の二人としか経験がない。こういう商売をする以上、それなりに経験を積む必要がある。

 葛城が、はふぅと艶かしい溜め息を吐き出した。

 

「……全然痛くなくて、天国にいるみたいでした……」

 

 大股開きで微睡んでいたあれか。

 

「最初は怖かったけど、すごく優しくしてくれて……」

「うふふ、いいよ」

 

 手放しの誉め言葉に、ぼくはちょっといい気分になった。

 

「今度の週末が楽しみです!」

 

 葛城は普通の恋愛っぽくしているけど、これは歴とした売春だよね。

 

「わっふるわっふる」

 

 等とやってる葛城には、正直、苦笑いしか出ない。そこでぼくは、一つ釘を刺しておくことにした。

 

「でも、お金は大丈夫?」

「…………」

 

 夢は覚めるもの。

 葛城は水を掛けられたみたいに素の表情になった。

 

「……自分、結構金持ちなんで」

 

 それは結構。

 

「足りなかったら言ってね。相談に乗るから」

「相談……?」

 

 理想は生かさず殺さず。

 カオルのようになられてもしょうがない。逃げ道を作っておいてやる。

 

「誰か紹介してくれたら、そのときはサービスするから」

「……!」

 

 眉を寄せ、葛城の表情が苦しそうに歪んだ。

 

 校舎間に予鈴のチャイムが鳴り響いた。

 

 

◇◇◇◇

 

 

 なべて世はこともなし。

 シュウのいない一日は何事もなく過ぎて行く。

 

 早くもカオルはバイトに行っている。コンビニのバイトで、就業時間は8時~17時のフルタイム。昼休みに届いたメールには、

 

 ――今日も逢いたいよ。

 

 とあった。

 

 ――やだワン!

 

 送信っと。

 放課後は貴重な営業時間でございますが。

 

 ――リベンジしたい。っていうかさせろ。

 

 ――また泣きながらしゃぶる羽目になっても知りませんよ。

 

 っと、送信!

 

 ――上等!

 

 むぅ……カオルのヤツ。あれを吹っ切ったみたいだ。

 

 その後、少しのやり取りを繰り返し、学校まで迎えに来てもらうという線で決着した。

 

 そして放課後。

 もちろん、ぼくは営業目的で食堂に行くことにする。

 放課から活動開始までの短い時間、食堂には運動部の連中が集まる。それらの女子に当たってみるつもりだ。

 自動販売機でもちろん『よいこ』を買った後、辺りを確認する――いた!

 

 シュウの子分Cだ。

 

 部活動開始までの時間、ここで寛いでいるのだろう。袴姿で椅子に腰掛け、文庫本を読んでいる。

 ぼくは二つ離れた席に腰掛け、Cに一枚の紙片を丸めて投げた。

 

 Cがぼくに気付き、一瞬、はっとして、それから思い出したように少しムッとした表情になった。

 ぼくは目礼して、Cのすぐ側に転がる紙片を指差した。

 

「……?」

 

 怪訝な表情のCが丸まった紙片を開くのを確認して、ぼくは食堂を後にした。

 

 紙片にはぼくのメールアドレスと秘密厳守の文言のみ。後はCが勝手に決めるだろう。

 ぼくがどんなヤツかは、シュウが既に説明してくれている。待つだけでいい。

 

 Cはカタギのお客さんになってくれるか。

 最初が一番肝心。

 葛城のように搾り取ったり、カオルのように馴れ合った関係にはしない。黒いのはなし。安全、信用が第一のビジネスライクの関係で行く。

 それを糸口に新たな顧客を開拓するのが狙い。

 

「ハマりますように、っと」

 

 校門に着いたとき、ちょうどカオルもやって来た。

 カオルは大きい単車の二人乗りで、後部座席に座っていた。

 少し離れた路地で停車して、ライダーがフルフェイスのヘルメットを脱いだ。

 ベリーショートの金髪。カオルに負けないくらい気の強そうな三角目の女の子。

 

 カオルは、そのライダーの女の子と少し会話した後、ぼくを見付けて大きく手を振った。

 

「ユキ~~~~!」

 

 でかい声で、あの馬鹿。

 

 ぼくは顔を覆った。

 

 

◇◇◇◇

 

 

 それから、ぼくとカオルは手を繋いで一緒に帰宅した。

 カオルは少しバイトの疲れがあるのか、ちょっとしんどそうだった。

 

「お疲れさまでした」

 

 ぼくが言うと、カオルは微笑んで、一つ頷いた。

 指と指を絡める恋人繋ぎ。

 クラスの女子たちの話では、これは『もうヤってます』って言うのと同じらしい。

 ぼくとカオルはその恋人繋ぎで歩いた。

 道中、カオルはバイト中のことを話した。あれをやった。これはやらなかった。そんな内容。

 30分も歩いた頃、ぼくと父さんが住んでいるアパートが見えて来たところで、カオルは急にソワソワと落ち着きを無くし始めた。

 

「あ、あの……アタシ……」

「ぼくの家、そこだよ。どうしたの?」

「え、あ、そうなんだ。どうしよう……」

「おいでよ」

 

 父さんはもう、仕事に行って居ない時間だ。カオルには外で待てという話はないだろう。

 

「ぼくしか居ないし、気を使わなくていいよ?」

「…………」

 

 少しの間があった。

 カオルは胸の前で小さく拳を握り込んだ。

 

「……っしゃあ」

「なにそれ」

 

 カオルはご機嫌で言った。

 

「ユキも大分ユルくなったな~って」

 

 ――なに言ってんだ。知ってる癖に。

 

◇◇

 

 古い木造のアパート。間取りは3DK。

 リビングで座蒲団に正座のカオルは、がちがちに緊張して、額に汗を浮かべていた。

 

「ぼくとカオルだけだから、足、崩しなよ」

「あ、はい」

 

 などと言ってるカオルは、なんだか挙動不審だった。

 

 その後、ぼくが軽くシャワーを浴びている間も、カオルは借りてきた猫みたいにお行儀よく、じっとしていた。

 楽な部屋着に着替える。

 

「カオル、シャワーは?」

 

「……! 後でいい」

 

「する?」

 

「…………ぅん」

 

 カオルは期待していたのか、目が既に潤んでいた。

 

 寝室に移動して、ぼくが布団を敷く間に、カオルは待ちきれないのか、ストレッチパンツと肩口が大きく開いたシャツを瞬く間に脱ぎ去り、全裸になった。

 目元まで赤くして、ぼくの下半身にすがり付いて来る。

 

「リベンジ、する?」

 

 カオルは黙って頷くと、ぼくの下履きをパンツごと引き下ろした。

 たちまち半勃起のぺニスが口に含まれると、昨夜とは違った感触があった。

 カオルは口内に滴るほどの唾液を蓄えていて、それが潤滑をスムーズにしている。

 

「う、く……」

 

 背骨を引き抜かれるような感じがして、ぼくは思わず呻いた。

 カオルはもう、最初からトップスピードだ。舌で亀頭を舐め上げ、空いた手で陰嚢を軽く揉む。素早く上下する唇の端からは、唾液が溢れ出していた。

 

 家に居るのが不味かった。鍵の掛かった部屋で、完全にプライバシーが守られる。安心して行為に集中できる。

 

「んムッ、ちゅ……」

 

 唇と手の両方で陰茎を強くしごかれると、ぼくは強い射精衝動に駆られた。

 

「カオル……飲んで……!」

 

 頬を真っ赤に上気させたカオルが、笑みを浮かべて頷いた瞬間、ぼくは強かに射精した。

 

 カオルは、ゆっくりとぺニスを唇で絞り上げ、一滴残らず精液を飲み下すと、ぼくを見上げて、にっこり笑った。

 

 

 それでいいよ、ぼくのカオル。

 もっと堕ちて。

 ぼくだけになって。

 

 

 ――めちゃめちゃに壊してあげるから――

 

 

 ぼくと目が合って、暫くして、カオルは俯き、少し気まずそうな表情になった。

 

「どうしたの?」

 

 昨夜のリベンジというなら、カオルはやり遂げただろう。でも、納得できないのか、弱々しく首を振った。

 

「昨夜、ゆっくり考えたんだ……」

 

 カオルは眦を下げ、大きな身体を小さくした。

 回復には時間が必要だ。ぼくは、カオルを押し倒して軽くキスした後、琥珀の瞳を覗き込んだ。

 

「ユキって、あんまりイかないよな……」

 

 セックスは、なんだか生々しくて、少し嫌悪を感じてしまう。

 

「アタシ一人でヨガってたんだと思うと、すげー悲しくなってさ……」

 

 カオルは、少し泣いているみたいだった。

 

「ユキに詰られるのも、無理ないって……」

「……」

 

 ぼくはカオルの首筋に抱き着き、囁いた。

 

「好きだよ、カオル……」

 

「~~~~~~~~!」

 

 その瞬間、ゾワッとカオルの身体が震え、その痺れまでぼくに伝わった。

 

 さあ、始めよう。

 

「お金は抜きだよ……」

 

 それがオマエを狂わせるから。

 

 

 回復したばかりの陰茎を、カオルの膣に押し込んだ。

 

「あぅッ、く―――――」

 

 遮二無二腰を振り立てる。

 粘性の水音が煩いくらい響き渡り、カオルの腰が大きく跳ね上がった。

 始めは浅く。徐々に深く。変化を付けて、カオルを激しく責め立てる。

 

「うぁ、あ! は、はげしい……! はげし、すぎる……!」

 

 膣口から噴き出した蜜液が、小さな飛沫になって散って行く。

 カオルは少し洩らしたみたいだった。それでもぼくは、攻め手を抑えることはせず、全力で腰を振りたくった。

 

「ひんッ! ひんッ! ひんッ! ひんッ!」

 

 腰を振るリズムに合わせ、カオルが息も絶え絶えな喘ぎを上げる。

 鍛え上げられたカオルの腹筋がきりきりと盛り上がり、膣全体が僅かに痙攣を始めた。

 Gスポットを擦り上げ、ポルチオを全力で連打する。

 

「ぎぃ! ぎぃ! ぎぃ! ぎぃ!」

 

 やがてカオルは、獣のような嬌声を発するようになった。

 だらだらと涎を垂れ流し、涙を流して悶え狂うカオルの耳元で、そっと囁いた。

 

「膣(なか)に出すから」

 

「……!」

 

 その瞬間、カオルは最後の力を振り絞り、長い脚をぼくの腰に巻き付け、精液を子宮で受け止めながら――

 

「あ" あ" あ" あ" あ" あ"ーーーッ!!!」

 

 全力で、絶頂した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

秋月 蛍

 子供だ。

 子供がいる。

 高校生の教室に、子供が紛れ込んでいる。

 

 それが御影悠希に対する第一印象だった――。

 

◇◇

 

 蛍には才能があった。

 こと、格闘技の分野に於いて、周囲の評価は――

 

 ――天才。

 

 蛍には必要のない才能だった。

 合気道、柔術、空手、高校生になって、偶々剣道をすることにしたというだけ。

 

 A級特待生。

 クラスの誰も知らないが、蛍は授業料の全額を免除されている。交通費、奨励金の名目で小遣いのようなものまで支給されているという事実を知るのは、教師でもほんの一握り。

 

 秋月蛍は特別製なのだ。

 

 『強い』ということは、それだけで世界を変える。

 嫌なことに首を振る自由。

 欲しいものをもぎ取る自由。

 蛍は自分の力をもて余していた。高校生になり、日々鍛練のつまらない日常が続く。

 灰色の世界。判で押したような毎日。

 

「ふぅぅぅぅん……!」

 

 子供の唸り声が聞こえ、蛍はそちらに視線を向ける。

 

「ふぅぅぅぅん……!」

 

 御影悠希が、高所のロッカーにある私物に手を伸ばしている。

 

(かわいい)

 

 いくら強かろうが、蛍は歴とした女子高校生だ。愛らしいものを嫌う訳がない。

 ふと見回せば、回りも蛍と同じように、暖かく見守る視線を送っている。

 

 やがて悠希は椅子を持ち出し、それを踏み台にして、もう一度高所のロッカーに手を伸ばす。

 

「ふぅぅぅぅん……!」

 

 精一杯に伸び上がる爪先が、ぷるぷると震えている。

 

(危ない!)

 

 咄嗟に蛍は飛び出した。

 視界に幾つもの稲妻が飛び交う。

 咄嗟の時は、何時もそう。机、椅子、他に幾人かの生徒の並みを縫うように、蛍の視界に稲妻が映る。

 最適解能力。

 蛍はそう呼んでいる。

 

 天才の言うことも、狂人の言うことも、『解らない』という一点では同義である。

 

 どう動き、どう通り、どうやって助けるか。最適解の稲妻が蛍に力を与えている。

 

 バランスを崩した悠希が倒れ込みそうになったときにはもう、稲妻がそこに蛍を立たせていた。

 ぽすっ、と羽根のように軽い身体が、蛍の胸に収まった。

 

「危ないよ?」

 

 言葉を発した蛍が自ら驚いてしまうくらいには、優しい声色だった。

 

「あんがとね」

 

 素っ気なく言って、悠希は身を捩り、蛍の胸から飛び出した。

 思った。

 

 ここはフラグが立つシーンだろう!!

 

 そんなものは立たなかった。

 しかし――

 蛍の世界に、鮮やかな色がついた瞬間だった。

 

 なんとなく。最初はそういうレベルのもの。

 愛らしく、好ましい。

 以来、蛍はなにくれとなく悠希の世話を焼くようになった。

 

「ん、瓶の蓋が開かないの? 貸してみて」

 

「あんがと」

 

「ん、彼処の本を取ればいいんだね?」

 

「あんがと」

 

「ん、どうしたの? 何か困ったことがあった?」

 

「何もないけど」

 

 見てくれだけで、可愛いげのない小動物。それが御影悠希の評判だった。

 しかし秋月蛍は特別製だ。入学から一年の月日を経て。

 

「おはよ、シュウ」

 

「シュウ?」

 

「じゃあ、秋の字」

 

「……シュウでいい」

 

 ここでもやっぱり、秋月蛍は特別製だった。可愛いげのない小動物の保育に成功した。

 恙無く第二学年に上り、卒業まで丸二年を残している。

 

「シュウ、今日は食堂で食べない?」

「うふふ、込み合うからね。いいよ、食券買って来てあげるよ」

 

 とことこと自分の後に続くこの愛らしい小動物が、蛍の最愛の崇拝者になるのは時間の問題のように思っていた。

 

 そんなある日の授業中、蛍の座席に一枚のメモ紙が回って来た。

 

 ――新城ハブしない?

 

 蛍にとって、新城馨は背が高いだけのウドの大木だ。見るものは何もない。排斥対象になり得ない。

 ああでも。

 悠希は違う。多勢の意志には逆らわない方がいい。

 視線を移すと、悠希が一枚のメモ用紙をビリビリに破き捨て、紙吹雪にして吹き散らしていた。

 

 ぷ、と蛍は笑ってしまった。

 悠希は、とてもプライドが高い。多勢の意志におもねることをよしとしなかったのだろう。武断的な性質を持つ蛍には好ましく映った。

 

 この陰湿な『イジメ』に参加しなかった者は二人。

 

 蛍と悠希だけだ。

 蛍はいい。この頃には剣道部でメキメキと頭角を現し、他の連中からも一目置かれている。そもそも教師連中はA級特待生の蛍の味方だ。何もないのは分かっている。

 

 しかし悠希は――

 

 見せしめに、腕を折られた。

 体育でサッカーの時間中、強烈なタックルを受け転倒。左腕を骨折した。

 当の本人はケロリとしていたが、蛍の心中は穏やかでない。

 稲妻が荒れ狂う。最適解が報復を示唆して荒れ狂うのだ。どうにかなりそうだった。

 それでも踏み留まったのは、新城馨の行動のせいだろう。

 授業中、突然立ち上がったかと思えば、バレーのスパイクの要領で、一人の男子生徒の頭を思い切りはたいた。

 凄まじい炸裂音がして、その生徒はピクリとも動かなかった。

 馨は停学三週間。

 このとき、蛍は最適解を逃したのだった。

 

 それから、何かが変わった。

 剣道部のマネージャーになるよう頼み込み、よい方向に向かっていると思っていたのだが、結局、断られた。

 体育祭では思い切り、二人三脚に出ないかと誘ってみたがこれも断られた。

 文化祭では、クラスの出し物に一緒に参加しようとして逃げられた。

 勇気を出して誘った初詣は、義理事があると嘘を吐かれた。

 

 何をしても空回り。

 

 馨が最適解を盗んだのだ。

 

 そう思うようになった。

 

 為す術もなく臨んだ最終学年。

 蛍と悠希には、ちょっと仲がいいというくらいの関係性しかない。

 馨は敵だ。敵だった。何をせずとも敵だった。

 敵を知らねばならない。蛍はそう考え、負け犬の溜まり場に足を向けるようになった。悪い癖の一つ二つ身に付く。

 煙草を吸うようになり、負け犬どもがする如何わしい内容の会話にも付いて行けるようになった。

 そして、夏本番を控えた梅雨のある日のこと。

 

 馨が、悠希を連れて、負け犬の巣窟にやって来た。

 最初は夢かと思った。ここでは絶対に会いたくない人物の一人。

 

 二人は壁際の長椅子に腰掛け、事もあろうに奥の部屋――ヤリ部屋の順番待ちをしている。

 

 悪夢だった。

 

 馨は悠希の肩に手を回し、耳元で何か呟いたり、髪の匂いを嗅いだりしている。

 嫌そうな顔の悠希に迫り、すり寄り――

 

 

 

 

 ――新城とは、一回2000円の関係だよ。

 

 

 

 

 蛍の世界は崩壊した。

 

 

 

 

 奥の部屋の裏手に回り、横引きの窓ガラスを僅かに開ける。

 

 薄暗い室内で、全裸の馨が悠希にのし掛かっていた。

 

 馨の陰部には、悠希の陰茎が根元まで突き刺さっている。

 

「う、う、ぅぅぅ……」

 

 長身の馨が、低い呻き声を上げながら、殆ど土下座するみたいに悠希に覆い被さっている。

 蛍の角度からは、馨の大きな尻に敷かれた悠希の下半身しか見えない。

 結合部分は白く泡立ち、馨の膣から僅かに血が流れ出している。

 

 蛍は、その光景を、じっと見つめていた。

 聞き取れない程の小さな声で呟いた。

 

 

 

 

 ――泥棒。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話

 薄目を開き、口元から涎を垂らすカオルの耳を甘噛みする。

 時折、思い出したように身体を震わせ、カオルは眠っている。

 膣から流れ出した精液が、肛門の窪みに溜まっていた。

 

 ぼくは、そんなカオルを背後から抱き締めて、やがて健やかな寝息が聞こえ始めるまで、ずっとそうしていた。

 

◇◇◇◇

 

 完全にカオルが寝入ったのを確認して、身体を起こした。

 ウェットティッシュの箱を手繰り寄せ、カオルの股を開いて膣の具合を確認する。

 陰唇を両手で押し開くと、愛液と混じった大量の白濁液が流れ出し、布団を汚した。

 

 我ながら、よく出したもんだと肝心してしまった。

 

 きっちりと膣を拭き浄めて行く。カオルは熟睡しているようで、目を覚ます気配はない。

 

 襞が開き、綻んだカオルの女性器を見ていると、なんだか不思議な感慨があった。

 一ヶ月前と比べ、少し形が変わったような気がする。

 クリトリスは肥大し、膨らんだ陰唇が陰裂からはみ出している。グロテスクになり、イヤらしくなった。

 

 カオルの膣内部に殺精子剤を挿入しておく。

 ちょっと値が張ったが、効果が高い代物だ。膣液で溶け、内部に残留して避妊効果を発揮する。行為後も効果を発揮する優れもの。なお、その避妊効果は一週間持続する。外陰部がかぶれるという副作用が報告されているが、深刻な健康被害は報告されていない。

 寝息を立てるカオルにパンツを履かせ、タオルケットを掛けておく。

 

 そうして、しっかりと後始末を終えた後、ぼくはもう一度シャワーを浴びた。

 

 愛液で滑る陰茎が、気持ち悪かった。

 

 陽が沈み、星が瞬き、空が藍色に染まり始めた頃、携帯に一件のメールの受信履歴があった。

 

 内容を確認する。

 文面は不安を隠せない内容のものだったが、料金の確認、その他諸々の問題に対する質問。

 場所、安全確認、もしもの時の逃走経路。それから――避妊方法。

 

 ぼくは問題の一つ一つをよく咀嚼し、ちゃんと対策を立てた後で、その内容を返信した。

 

 すぐに返信があり――

 

 一度、二人きりで会いたい。

 

 ぼくは勘違いしていた。彼女――深山楓は、『遊ぶ』タイプの女じゃないということを、知らずにいた。

 

 

◇◇◇◇

 

 

 先日欠席したシュウだったけれど、その翌日――今日はちゃんと出席していた。

 

 なべて世はこともなし。

 

 シュウは何も変わらず、ぼくに嫌悪と軽蔑の眼差しを向けて来る。心なしか少し窶れて見えるけど、瞳に映る怒りの炎は、些かも衰える気配がなかった。

 

 深山 楓には、昼休みの体育倉庫に呼び出された。

 眼鏡を掛け、知性的な雰囲気を漂わせる彼女は、長い髪を三つ編みにして一本に束ねている。

 

「あ、御影くん……」

 

 初めて聴く声は、なんだかぽややんとして、平和な印象を受けた。

 

「くん?」

 

「あ、わたし三年……」

 

 シュウの後ろに控えていた印象が強かったので、てっきり二年生と勘違いしていたが、深山は同い年のようだった。

 深山が、ととと、と小刻みに歩み寄って来て、いきなり抱き締められた。

 

「わ」

 

 それから、深山はぼくの頭を撫でたり、さすったりした。

 

「……?」

「そんなに不思議なの?」

 

 ぼくが頷くと、深山は少し首を傾げた。

 

「御影くんを見て、こうしたくない人なんていませんよ」

「ふうん……」

 

 よく分からないけれど、ぼくは頷いておいた。

 深山が首を傾げたまま言った。

 

「御影くんは、どうして売春するんですか?」

「……ッ!」

 

 ストレートに聞かれ、思わず言葉に詰まった。

 

「答えられませんか?」

 

「ぼ、ぼくは……」

 

 見つめ返す深山の目は澄んでいて、カオルとも葛城とも違っていた。おそらく、深山楓という存在は日向の存在なんだと思う。

 話してしまったのは、それだけが原因じゃない。ぼくは、心の何処かで聞いて欲しかったのかも。

 

「ぼくの家は、とても貧乏なんだ」

「はい」

 

 深山の打つ相づちは、それが? と聞こえる。でも、話はこれからだ。

 

「父さんは、夜間の介護施設で働いていて、給料は16万円くらい。父子手当てなんかもあるけど……家賃、光熱費、ぼくの学費、駐車場、食費……出費が多すぎて足りないくらいだよ」

 

「……」

 

「父さんは、絶対大学に行けって言うんだ。でも、そんなお金は、何処にもないよ」

 

「奨学金があるじゃないですか」

 

 ぼくは首を振った。

 

「駄目だ。それは絶対にしたくない。それは父さんの人生を決定的に終わらせてしまう」

 

 深山は悲しそうに首を振った。

 

「それは御影くんの勝手な思い込みです。お父さんは、それで人生に絶望したりしないと思います」

「そうだろうね。だから、したくないんだ」

「はあ……」

 

 聞き分けのない子供に呆れるように、深山は溜め息を吐き出した。

 ぼくは言った。

 

「ねえ、ぼく、父さんに迷惑掛けたことしかないんだよ。ぼくが居なければ、父さんは苦労する必要なんてなかったんだ」

「……」

 

 ぼくは――

 

「ぼくは、虐待されて育ったんだ」

 

「!」

 

「地獄みたいな生活だった。それを…………父さんが助けてくれたんだ」

 

 ぼくは、あの頃のことを思い出して、目から涙が溢れて来た。

 誰にだって秘密がある。

 誰にも答えたくないことがある。

 それを答えるということは、もう一度同じ思いをするということだ。

 

 ここで漸く、ぼくは深山の狙いを看破した。

 最初から、買うつもりはない。ぼくの事情を確かめ、止めさせようとしただけ。

 

 情けなくなって、ぼくは泣き出してしまった。

 

「ご、ごめんなさい……この話はなかったことにして下さい」

 

 涙が溢れて止まらない。込み上げた嗚咽が胸を突き上げる。

 

「失礼します!」

 

「あっ……!」

 

 ぼくは、深山から逃げ出そうと駆け出し――人気のない体育館の中ほどで、捕まった。

 

 父さんは、ぼくを助ける為に全力で戦って、勝利の代償に全てを失った。

 ぼくは泣きじゃくり、それ以上、喋ることはできなかった。

 

 お涙ちょうだいの人情話がしたかった訳じゃない。

 

「御影くん……大変でしたね」

 

 ぼくを抱き締める深山の手は暖かい。

 同情。

 ヘドが出そうな、上から目線の、ボランティア。

 

 ぼくは失敗した。失敗したんだ――。

 

 そして、後悔に打ちひしがれるぼくの目前で、体育館の扉が開いて。

 

 シュウが、現れた。

 

 言った。

 

「淫売が……!」

 

 シュウは、とてつもなく怒っていた。

 体育館の中ほどで、見せびらかすように深山に抱き締められ、慰められるぼくに、『剣道部』という彼女の聖域を汚されたと思ったのかもしれない。

 

 シュウは、手に竹刀を握っていた。

 ぼくに出来たのは、これ以上迷惑を掛けないように深山を突き飛ばして逃がすことだけだった。

 

 そこから先は、嵐のような展開だった。

 

「屑め……!」

 

 そう吐き捨てるや否や、激昂したシュウが、思い切り竹刀をぼくの頭に叩き付けた。

 

 がつん、と大きな音がして、目の前で火花が散ったように感じた。

 視界が赤く染まった。

 切れた額から溢れた血が目に入った。

 ぼくは立っていられずに、たまらずその場に倒れ伏した。

 

 シュウは何度もぼくを打ち据えた。

 頭の中は、いつかの母さんのこと。悪鬼のような表情でぼくを焼き、打ち据え、殴り……

 

「ごめんなさいごめんなさいお母さんもうしません二度とつまみ食いしません泣きません大きな声も出しません許してくださいこの通りです」

 

 ぼくはひれ伏し、必死で母さんに謝った。

 

「なんだ、その小芝居は!!」

 

 それでも、母さんは許さない。ぼくを許さない。激情の赴くまま、何度もぼくを打ち据え――――

 

 

「やめなさいッ!!」

 

 

 空を裂くように。

 烈迫の気合。

 全身に怒りの炎を燃えたぎらせて、修羅の深山楓が、確かに、いた。

 

「秋月さん……貴女という人は……!」

 

 陰と陽。唐突に、そんな言葉が思い浮かんだ。種類は違うけど、何処かでこの感情に触れている。

 シュウが困惑して言った。

 

「と、止めるな、深山。この淫売は、こうして分からせなくちゃいけないんだ!」

 

「黙りなさいッ!!」

 

 深山が駆け寄って、ぼくを柔らかい胸に押し付けるようにして抱き締める。

 

「ああ、なんて酷い……! なんでこんなに……」

 

 シュウは鼻で笑った。

 

「そいつはただの淫売だ。2000円でなんでもするような安っぽいヤツだ」

 

「……!」

 

 はっと息を飲み、深山の身体が震えた。

 眼鏡の奥の大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出て、ぼくの頬を濡らした。

 

「貴女はまだ分からないんですか……こんなに小さな彼が、そんな少ないお金で自分を売ることの意味が……」

 

 それだけ言って、深山は激しい嗚咽を吐き出した。

 

「御影くんは、自分にはその程度の価値しかないと思っているんですよ……」

 

「え……?」

 

 シュウが、仰け反るように一歩引き下がった。

 

「貴女は、一度でも真意を確かめようとしたんですか……?」

 

「そ、それは……」

 

 シュウは、また一歩引き下がろうとして、しかし踏み留まった。

 叫んだ。

 

「御影は何も言わなかった!!」

 

 深山は何度も首を振った。

 

「私には、素直に話してくれました。貴女が聞かなかったんじゃないんですか……?」

 

 深山の涙が零れ落ち、ぼくの頬に伝う……。それは、とても暖かくて。

 

「御影くんは、苦しんで苦しんで……貴女は、責めて責めて、あんなに打ち据えて……こんなに小さい!……こんなに小さい身体で頑張っているのに!」

 

 胸を衝く嗚咽に、深山は泣き崩れそうになりながらも、シュウを強く睨み付けた。

 言った。

 

「御影くんは私が買いました。もう貴女には存在の一筋すら渡しません」

 

「あ……」

 

 シュウは、何度もぼくと深山とを見比べた。

 困惑、羞恥、哀しみ、怒り、羨望、嫉妬。幾つもの感情が垣間見える『後悔』の表情。

 

 深山楓が激しく叫んだ。

 

「出ていきなさいッ!!」

 

 絶対に秋月蛍を許さない。確固たる意志があった。

 

「おまえには此処にいる資格がない! 資格がない者は出ていきなさいッ!!」

 

 何時もは凛々しく感じるシュウの奥二重の瞳が殆ど泣き出しそうに揺れ動き、ぼくを見つめ――それでもその場に踏み留まろうと、何度も逡巡を繰り返し――

 

 シュウは逃げ出した。

 

 こんなはずじゃなかった。そんな声が、聞こえたような気がした……。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

新城 馨(上)

 馨は苛々と言った。

 

「ありえねーよ。バレーボールやってた時はなんもなかったのに……」

 

「ふんふん」

 

「アタシがなんでハブられなきゃならねーんだ? センコーまで無視しやがって!」

 

「そりゃカオルがロクでもない生徒だからなんじゃねーの? ウチが思うに……」

 

 

 友人に愚痴っても、馨の置かれた状況が良くなることはなかった。

 

 

◇◇

 

 

 新城馨は身長185cm。恵まれた体格と優れた運動能力を評価されB級特待生として高校に入学した。

 B級特待生の優遇を受ける為には、バレーボール部に所属している必要があったが、問題になった膝の負傷が、部活動の最中のものであった為、優待は保留された。

 元々、成績はよくない。態度も素行もよろしくない。

 馨が通う高校は、馨には分不相応の学校だった。

 唯一拠り所だったバレーボールを辞めてしまえば、馨には居所などない。しかし、学校からは優遇されている。

 入学当初、うっかり自分がB級特待生――所謂B特待であると口を滑らせたことがあった為、馨はすぐに排斥の的になった。

 挨拶をしても返事がない。

 プリントの類いは回って来ないのが基本。

 連絡網は自分だけ外れていて、台風の日に登校してしまったことすらあった。

 

 地味だが、堪えた。

 

 馨の場合、この学校生活をほぼ二年残しており――限界が、近かった。

 

 陸上部の部室に集まる連中は、運動部のドロップアウト組が多く、馨と気が合った。

 ドロップアウト組の中には、馨と同じ境遇の者も珍しくなかった。そして、その殆どが耐えきれず、学校を辞めて行くと聞いた。

 

 授業を受けても分からない。クラスの皆とは馴染まない。学校は、馨にとって苦行の場所でしかなかった。

 教室の床に落ちている紙を拾った。

 

 

 ――新城ハブしない?

    yes  no  

 

 

 yesに丸がしてあった。

 じわっと視界が滲んだ。目元を拭っていると後ろからクスクスと笑う声が聞こえる。

 馨のその反応を面白がり、そういった陰湿な行為は授業中にも行われた。

 斜め前の座席の生徒に、メモ紙が回る。馨からはよく見える位置だ。

 ――御影悠希。発育不良の小動物。

 長身の馨には、ミクロの生き物にしか見えない。そんなヤツにも馬鹿にされないと行けないのか。

 泣きたくなった。

 

 

 御影悠希はメモ紙を一瞥し、その場でビリビリに破き捨て、あまつさえ吹き散らして見せた。

 

 

 ――フッ、と小さく笑う声がした。

 

 秋月蛍。

 

 特別だった馨には分かる。彼女も特別だ。

 数日後、授業中の事故を装って、悠希が腕を折られた。

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

 馨は席を立ち上がった。授業中だが構いやしない。

 悠希にタックルを仕掛けた男子生徒の後頭部に、渾身のスパイクをお見舞いした。

 

 久し振りの感触に、腕が痺れたが悪くない。胸がスッとした。

 

 三週間の停学が明け――

 

 馨の学校生活は、よい方向へ変わった。恐れられるようになり、大分、やり易くなった。

 プリントの類いはキチンと回って来るようになったし、連絡網はちゃんと情報を共有できるようになった。

 

 御影悠希の近くには、いつも秋月蛍が存在し、なにくれとなく世話を焼いている。

 蛍の奥二重の瞳は冷酷に見えていたが、悠希に構っているときは和らぎ、まるで別人のように見えた。

 

 秋月蛍は嫌な女だ。

 

 馨が手の届かないところで得点を稼ぐ。

 

「ん、瓶の蓋が開かないの? 貸してみて」

 

「あんがと」

 

 毎日プラス1点。馨との差は、どの程度だ?

 胸の奥がチリチリと妬ける。思った。

 

(そのチッコイの、アタシにくれよ)

 

 スマホを取り出し、蛍をフレームから外して、悠希だけを隠し撮りした。

 未だ、はっきりと形は持たないものの、悠希に対する好意のようなものがあった。

 

◇◇

 

◇◇

 

 ある日の日曜日。

 馨は気の知れた友人と、自室でのんびりしている。

 

 馨はこの日もスマホ片手にくわえ煙草。胸の思いは膨らむばかり。

 さして馨と体型の変わらない蛍が、後ろに悠希を連れているのを見ると、嫉妬の焔が胸を灼く。

 

(アタシの方が面倒見いいし。超尽くすし)

 

 だからもっと、側においでよ……。

 

 友人が画面を覗き込む。

 

「……あれ、ソイツって御影じゃん……死んだのか……」

 

 馨のとても小さな堪忍袋は瞬時に破裂した。

 

「あ"? テメー何言ってんだ!? ぶち殺すぞ!!」

 

「はぁ!? それって小学生くらいの時の写メだろ?」

 

「ちげーよバカ! 高校生だっつの!!」

 

「はん? マジかよ……」

 

 友人は分かったような顔をして、嫌悪に眉を寄せた。

 

「な、ナンだよ、それ。何か知ってんのかよ」

「知ってるも何も、ひでー虐待が原因で成長止まってんだろ?」

「はあ? ……はあ!?」

 

 目の前が、ぐるっと回ったような気がして、馨は混乱してしまう。

 

「いや、ウチも小学校同じだっただけだし」

「聞かせろ! はぁ!? 虐待だと!? そんなヤツ、人間じゃねえよ!!」

「うわっ、キレんなよ!」

 

 カオルの剣幕に、友人もたじたじで肩を竦める。

 

「……アイツのこと、気に入ってるみたいだけど、結構キツイ話しになるぞ……?」

 

「あ、ああ。頼むよ。知ってること、教えてくれよ」

 

「……よし。ちょっと長くなるぞ……」

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

◇◇

 

 

「――まぁ、冗談でも暴力は絶対NGだな。ウチならやらない」

 

「…………」

 

「でだな。御影の父ちゃんは、裁判やら離婚の慰謝料やら何やらですげー金使ってっからメチャ貧乏……聞いてっか?」

 

「ガンガン聞いてる」

 

「ふん……で、御影がすげー父ちゃん子なのは分かるな? 父ちゃん馬鹿にすんのもNG」

 

「おう……おう……けど詳しいな……?」

 

「それだよ」

 

 友人はやはり眉を寄せ、嫌悪の表情をして見せた。

 

「まあ、ウチも当時は小学生だったし? 担任のセンコーも若かったんだよ。授業の時間割いて、御影の過去、全部喋っちゃったんだ……」

 

「ああ……」

 

「御影、何も言わねーで学校来なくなったわ。分かるな? すげープライド高い。だから同情もNG」

 

「……」

 

「こういうヤツは手強いぞ。後はテメーで考えな」

 

 

◇◇

 

 

 考え込む時間が増える。

 気が付けば、蛍のことはそっちのけで悠希のことばかりを考えていた。そして馨は、あんまり賢くない。馬鹿の考え休むに似たりを地で行った。

 それでも悩みに悩み。

 考えに考えた期間が半年を超え、とうとう最終学年に上がる。

 馨は考える。

 来年の今頃は就職して働いているだろう。思いを告げるとしたら今しかない。

 悠希は大学に進むようだ。

 そうなってしまえば、接点は断たれる。噂ではあの秋月蛍と同じ大学に行くらしい。それがなんとも腹に据えかねる。

 

 馨はその日も仏頂面で腕を組み、眉間に険しい皺を寄せている。

 視線の先では、今日も蛍が得点稼ぎに精を出している。

 

「御影、一緒にお昼ご飯を食べないか?」

 

 プラス1点。

 馨との差がまた開く。本当に腹の煮えたぎる思いだ。

 蛍がああしている限り、馨は側に寄ることすら難しい。

 

「――食欲ない」

 

 答えた悠希は、浮かない表情だった。

 

「ん、昨日もそう言ったじゃないか。どこか――待て、御影!」

 

 悠希は逃げるようにして教室から飛び出して行った。

 対して蛍は、宙を掻くように手を差し伸べている。

 

 それが堪らなく滑稽で、馨は嘲笑った。

 

 

 

 ――でだな。御影の父ちゃんは、裁判やら離婚の慰謝料やら何やらですげー金使ってっからメチャ貧乏……聞いてっか?

 

 

 

 馨は、悠希が去った方を、じっと見つめていた。

 

◇◇

 

 考えに考える。悩みに悩む。上手く行っても、マイナスからのスタートだ。

 でもやるなら今しかない。

 

 

 夕暮れどきの教室で――

 

 

「2000円でヤらせろよ」

 

 

 対する悠希は困惑した表情だ。無理もない。言った馨ですら、最低の告白だと思っている。

 

 沈黙。

 

 腋の下にじっとりと湧き出した汗が横腹を流れる。緊張のあまり、大量に噴き出した汗が尻の割れ目を伝う。

 

「いいよ」

 

 恋が、ここから始まる。

 そう思うと、馨は泣きそうになった。

 

 

◇◇

 

 

 溜まり場には、秋月蛍の姿があった。

 最近、顔を出すとは聞いていたが、実際ここで会うのは始めてだ。

 無視。もうやったことは変えられない。どうせなら……

 

 見せつけてやった。

 

(アタシのもんだ)

 

 ぴったりとくっついて座り、細い肩に手を回す。悠希の髪は、少し日向の匂いがした。

 

 

 ――新城とは、一回2000円の関係だよ。

 

 

 胸に、大きな釘を刺されたような痛みが走った。

 マイナススタート。

 今、秋月蛍との差はどの程度だ?

 

「……淫売」

 

「うん」

 

 悠希が逃げなかった。それが一番大事なことだった。

 

「行くよ、新城」

 

「あ、うん。えへへ……」

 

 馨は笑った。

 

◇◇

 

 ぱたん、と音を立てて木製の扉が閉まり……

 鼻を衝いたのは、うっすら薫る情事の匂い。

 ドキン、と心臓が一つ跳ねた。

 馨の誕生日はとうに過ぎていて、もう18歳を回っている。経験はないが興味はある。

 悠希が言った。

 

「くさい……」

「窓、開けるか?」

 

 悠希は首を振って、小さな手のひらを向けて来る。

 

「お金……」

「あ、うん」

 

 高すぎれば、このプライドの高い少年は受け取らない。馨の財布も続かない。安すぎれば意味がない。

 そういう意味では、手頃な金額。

 本当は、この100倍積んでも惜しくない。だったら――

 

 ――いっぱいシよう。

 

 すりきれるまで。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

新城 馨(下)

 奥の部屋。

 戸惑ったように視線を伏せ、悠希が呟く。

 

「どうしたらいいか、分かんない……」

 

 馨はゴクリと息を飲む。

 

「……アタシが言う通りにしてればいいよ。自分でも考えて……そういうもんだから」

「分かった。やってみる……」

 

 肩に手をかけると、はっとした表情の悠希が見上げてきた。

 長い睫毛。大きな瞳は真っ直ぐに馨の琥珀の瞳を見詰め返して来る。

 馨が誘うように唇を舐めて見せると、悠希の頬にサッと朱の色が散った。

 恥ずかしがっている。

 瞬間的に理解して、肩から無駄な力が抜けた。

 人間相手にすることだ。悠希も緊張しないわけがなかった。

 身体を折って、悠希に一息に口付ける。

 ファーストキスは、小さく、柔らかい唇。そして口中に広がる、甘い味わい。それだけで目眩がした。

 舌を差し込むと、口中の甘さが強くなった。

 

(あ、これ癖になるわ……)

 

 離れる。

 糸を引く雫を切りながら、馨は壁を背に腰を下ろした。

 素知らぬ体を装うが、腰が震えて立っていられなかった。

 横を叩いて着座を促すと、悠希もそれに倣う。

 胸が張り裂けんばかりに鳴っている。身体中が火を噴くのではないかと思うくらいに熱い。誤魔化すように、馨は言った。

 

「甘い」

「食堂でコーヒー飲んだ……」

「ああ、よいこか。それで……」

「……?」

 

 不思議そうに首を傾げる悠希の姿に、馨は思わず噴き出した。

 

 腰の奥が、じんじんと痺れている。パンツの中は、グシャグシャに濡れていて、まるで洩らしたみたいだった。

 

「もう、しよっか。脱げよ。アタシも脱ぐからさ」

 

 こういうのは恥ずかしがったら負けだ。馨は、なるべく考えないようにして、ブラウスとスカートを脱ぎ捨てた。

 アダルトビデオの影響で、全裸になるのが当然だと思い込んでいた。スポーツタイプのブラを剥ぎ取り、最後の一枚に手をかけたとき、流石の馨も怖じ気付いた。

 躊躇いがちに視線を流すと、そこには既に全裸になった悠希が所在無さそうに立ち尽くしている。

 

「…………」

 

 悠希の身体中に走る無数の傷痕を前に、馨は愕然とした。

 友人から聞いて居なければ悲鳴を上げていただろう。

 逆三角形の火傷はアイロン。ポツポツと穴のように残る傷痕は煙草。切り傷に至っては無数に散見される。

 悠希と目が合った。

 

「やっぱり、やめる……?」

 

 酷く虚無的で透明感のある瞳だった。馨を見ているようで、実際は何も見ていない。それが手に取るように分かった。

 馨は自分の間抜けっぷりに臍を噛む思いだった。

 この可能性は充分予想できたことだ。己の不甲斐なさに喚き散らしたくなった。

 

 それでも、馨は何でもない事のように鼻を鳴らして見せた。

 

「傷くらい、アタシにもあるさ」

 

 そう言って、右膝にある二ヶ所の手術痕を指す。

 

「もう、治らないの?」

「ああ、永遠に治らないよ」

 

 ぶっきらぼうに言って見せたのは、涙が出そうになったからだ。

 悠希が手を着いた姿勢で近寄り、馨の右膝に舌を這わせた。

 

「な、何を……」

「自分でも考えろって……」

 

 馨の中で何かが弾ける。

 五体を駆け巡る熱く激しい何かだ。

 今すぐ、一つになりたかった。

 

◇◇

 

 結果から言って。

 馨にとって、初体験は素晴らしい体験だった。

 破爪の痛みは殆どなく、微量の出血を見た程度だ。

 悠希の小さな身体にのし掛かり、下から挿入した。

 最初は、軽く腰を揺すったり、回したり。始めは違和感があったが、慣れてきて、馨に合わせて悠希が動くようになると興が乗ってきた。

 それからはもう夢中だった。焦っていたこともあるが、胸に湧き出した愛しさが溢れ出しそうで。

 最後は、しっかりイけた。

 行為の後は胸がいっぱいで涙が止まらなかった。お互いの初めてを捧げあった。そう思うと何度でも出来る気がする。

 ことの終わりに、悠希が言った。

 

「新城は優しいね……」

 

 ――二回目も、した。

 

 その翌日も。

 その次の日も。

 馨は悠希を買った。

 頭の中は空っぽで、ひたすら悠希と交わることしか考えられなかった。

 

 最初、悠希は馨の言いなりだった。

 それをいいことに、馨は散々横着を言った。

 性器を舌で愛撫させ、事後は必ず後戯を要求した。馨は納得行くまで、離れることを許さなかった。

 悠希の性知識は皆無に近かったが、学習能力はかなりのものだ。観察力もあり、自主性も高い。そして何より、指導したのは馨自身だ。

 自爆めいた後押しの成果もあり、半月もした頃、馨に横着を言う余裕はなくなった。

 一ヶ月もした頃。

 『奥の部屋』での二人の立場は、完全に逆転していた。

 キスをせがんだところ。

 

「煙草臭いから嫌だ」

 

 これはまだマシな方だ。抱き締めるとウザがられ、話し掛けるとそっぽを向かれる。

 極めつけはクンニのときだ。

 

「臭いから、拭いていい?」

 

 これには馨も大きなショックを受けた。自身で何度も匂いを確認し、風呂場では赤く腫れ上がるまで洗い倒した。

 ネットでの下らない情報を真に受け、軽く香水を振りかけてみたところ、返ってきた答えは――

 

「腐った果実の匂いがする……」

 

 というものだった。

 馨は頭を抱えた。神は死んだとすら思った。

 悠希には少し潔癖性の嫌いがある。

 同時に、理解している。

 

 この関係はマイナスからのスタートなのだ。落とし穴は幾つも空いている。綱渡りの関係と言ってもいい。馨が己に課すルールは多く、制限は少なくない。

 

 絶対に暴力を振るってはいけない。父親を侮辱してはいけない。お金はちゃんと払わねばならない。同情してはいけない。呼ばれもしないのに家に訪ねてはいけない。

 

 一つ間違えただけで、その他大勢に成り下がることを、馨は誰よりも強く知っている。

 

 馨はずるをした。ゲームで言えば裏技だ。歪みは何処かで必ず現れる。攻略に必要なアイテムは不足し、プレイヤーである馨のレベルは低い。いいところまで行けても、到底、蛍には敵わない。――無理をする必要があった。

 

 馨が好きになった少年は、もう十分過ぎるほどに傷付いている。

 

 ――好きだよ、カオル……

 

 本当は、とても愛情深いことを知っている。馨の、羽根の折れた天使。

 

 慎重にならざるを得ない。

 

 秋月蛍が恐ろしい。

 

 その差は、今どの程度だ?

 

 近付いているのか、離れているのか。それとも、もう――突き放してしまったのか。

 

 馨には分からなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話

 200万円くらい稼ぎたい。これを少しづつ家計に還元して行く。そうしたら、父さんの貯金と合わせて、家は充分やって行ける。

 カオルから貰ったお金は、すごく役に立っている。

 公共料金の支払いは、ぼくが任されているから、貯金を下ろすふりをして払う。ガス、電気、水道……。

 カオルのお陰で、お昼ご飯を抜いたり、交通費を浮かすために歩いたりせずに済んでいる……。

 葛城からはまだまだ搾り取れそうだ。カオルからは……

 

◇◇

 

 目を覚ますと、保健室だった。

 時計の針は午後3時を過ぎようとしている。

 身体中が酷く痛んだ。頭も猛烈に痛む。どうやら、かなりやられたようだ。

 終業のチャイムが鳴って、ややもせず、深山楓がやってきた。

 身体を起こそうとするぼくを遮って言った。

 

「御影くん、大丈夫ですか?」

 

 実は、あまり大丈夫じゃないが、騒ぎにするわけには行かない。

 ぼくは軽く頷くだけに留めた。

 

「…………」

 

 深山が、ぼくの髪を指ですきながら、顔を覗き込んでくる。

 

「……」

 

 沈黙。

 深山は何かもの言いたげにぼくを見つめている。

 

 深山楓は、『遊ぶ』タイプの女じゃない。要するにお堅い女だ。ぼくは、この女に用はない。

 

「……ありがとう。もういいよ。後は何とかするから……」

 

「……」

 

 深山はもの言いたげに、ぼくを見つめるだけだ。

 カオルに会いたい。

 痛む頭でそんなことを考える。

 

「…………」

 

 お互い、口を噤んで見つめ合う。

 深山は目を逸らさなくて、下がった眦は酷く悲しそうだ。

 

「キスして、いいですか……?」

 

 ぼくは首を振った。

 

「キスはしないことにしてるんだ」

 

 シュウのせいで少し盛り上がってるだけだ。彼女はそういう女じゃない。熱が冷めれば考えも変わる。

 深山は残念そうに呟いた。

 

「それは、仕事では、という意味ですか?」

「うん、そう。ごめんなさい」

 

 ぼくは面倒になって頷く。そういうことにしておいた。

 

◇◇

 

 暫くして、保健の先生がやってきた。

 深山の説明でぼくは階段から落ちたということになっていて、軽い脳震盪という判断から救急車は呼ばなかったということだ。

 念のために病院に行くように告げられ、帰っていいと言われた。

 身体中が痛い。

 深山はぼくから離れなくて、彼女の付き添いで玄関口に向かった。

 シュウに打たれた箇所が熱を持ち、お陰で頭がぼんやりとする。

 

「――御影さん!?」

 

 呼び掛ける声に足を止め、ぼくは億劫な顔をそちらに向けた。

 

「ど、どうしたんですか? 身体の具合が悪いんですか!?」

 

 並んで歩くぼくと深山の間に割って入り、腰を抱えるようにして支えたのは――

 

「葛城……ごめん、週末無理かもしんない……」

「それは今度でいいです! ホントにどうしたんですか!?」

 

 葛城に腰を支えられ、ぼくは軽く息を吐く。

 

「ちょっとね……」

「って――おでこ! こんなにふらついてるじゃないですか!?」

 

 葛城は絆創膏を貼ったぼくの額を指し、耳元でウザいうるさい。

 ムッとしたように口を開いたのは深山だ。

 

「……下級生の子ですか。御影くんとはどういう関係でしょう」

「…………」

 

 葛城は、わざとらしく今、気付いたと言わんばかりに、深山に向き直った。

 

「あんたこそ、誰?」

 

 固く鋭い声。別人みたいだった。

 

 一拍の間が合った。

 

「自分、御影さんとキスしてますから」

 

 葛城、コイツ!!

 

 ――瞬間、深山の形相が変わった。

 眉間に険しい皺を刻み、葛城を迎え撃つように背筋を張った。

 

「……それは、幾らでそうして貰ったんですか?」

 

「なんのことです?」

 

 にやにや笑って葛城は惚けて見せる。しかし、一瞬後には睨み付け――

 

「御影さんに乱暴したの、あんたじゃなさそうですね」

 

 葛城はぼくの状態を見て、気付いたようだ。

 

「ええ、もちろん」

 

 答えながら、ちらっと深山がこちらに向いた。――ぼくに超怒ってる。

 

「みか……ビッチさんは、自分が見ますんで」

 

 葛城もぼくに超怒ってる。腰を抱える腕に力を入れた。ちょっと痛い。

 

 沈黙。

 とっても気まずい沈黙。

 

 深山が少し視線を下げ、ぼくに向かって微笑み掛けた。

 

「また連絡しますね。……ビッチくん」

 

 そう言って、深山は踵を返した。

 去って行く背中から、黒いオーラが滲み出て空間が歪んでいるように見えた。

 

 明日には頭が冷えているように強く願った。

 

 葛城が冷たい声で言った。

 

「御影さんは、自分に好意を持った女にちょっかい掛けない方がいいと思います」

 

「なんで……?」

 

「そんなことだから、あんな厄介なのに目を付けられるんですよ」

 

 葛城が何のことを言ってるかなんて、この時のぼくには全然分からなかった。

 

 遊ばない女が遊ぶとき、それは『本気』って言うんだ。

 

◇◇

 

 葛城に陸上部の部室に連れて行かれた。

 壁際の長椅子に横にさせられ、ぼくの額に手を置く。

 

「すぐ新城センパイ呼び出しますんで」

 

 ぼくは頷いた。

 葛城は思ったより冷静みたいだ。だからこそ、カオルに連絡する。

 片手でぼくの熱を計りながら、スマホを取り出した。

 

「一応、確認しますけど、秋月で間違いないですね」

「……」

「沈黙は肯定ってことで」

 

 黙っていても、カオルには全部バレるだろう。ぼくは葛城の好きにさせた。

 

 葛城がスマホを耳に当てて黙り込む。暫くして――

 

「あ、葛城です。緊急ですみません。御影さん、やられました」

『……!…………!』

「今は部室ですね。はい……はい……分かりました」

 

 この連携。

 パレスシスターズの絆を舐めてた。

 そうだよね。棹姉妹だもんね。繋がってて当たり前だったね。

 

 駄目だ。ぼく、ちょっとおかしい。葛城の手が冷たくて気持ちいい。

 

「何か冷やすもの持って来ます」

 

 意識が、遠くなる。

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

 扉が乱暴に開け放たれる音で目を覚ました。

 

「お、新城と~ちゃ~く」

「まぁ、愛しのビッチ姫がボコられれば」

 

 回りにはヤンキーが何人かたむろしている。ぼくが少し眠った間に来たんだろう。

 そしてよく分からないけれども、彼らは傷付いた者には優しかったりする。誰も煙草を吸ってない。

 いつの間にか、ぼくも彼らの仲間になったということだろうか。

 

「ユキ!!」

 

 カオルの悲痛な声が響いた。

 すぐさま駆け寄って、横になったぼくの手を両手で握り締めた。

 膝を着き、心配そうにぼくを覗き込むカオルに興味を覚えたのか、ヤンキーたちも寄ってきてぼくを覗き込む。

 

「うお、起きてるわ」

「昔、家で飼ってたウサギ思い出した。モソモソ葉っぱ食うの」

「まぁ、みんな一度は通る道っしょ」

「あるある」

「ビッチ生きてるかあ」

 

 みんな口々に勝手なことを言っている。

 

「テメーら、っせえぞ!」

 

 カオルが激昂して吼えた。余程急いで来たのか、コンビニの制服を来たままだ。

 

「新城さん、マ〇ルドセ〇ン一つお願いします」

「俺、セ〇ンス〇ー」

「――お前らぁ! クソが! さっきビッチっつったの誰だ! 出て来い!!」

 

 そのカオルの言葉に、辺りがしん、と静まり返った。

 ヤンキーの一人がポツリと呟く。

 

「……誰だよ……2000円で買って来たの……」

 

 葛城を含めたみんなが、一斉にカオルを指さした。

 一瞬の静寂の後――

 

「新城、あり得ねえ!」

「ぎゃはは! ウケる!!」

 

 部室内は大爆笑の渦に包まれた。

 ぼくも笑った。身体中痛かったけど、おかしかった。

 

「お、ビッチ笑った」

「やべえ、可愛い。新城とシンクロした……」

「そして開かれる新たな官能の扉」

 

 少しだけ、カオルがここに留まる理由が分かった気がした。

 ここは、ちょっとだけ居心地がいい。カオルは顔を赤くして怒っているけど、まだそれだけで収まっているのは、この空気のお陰だろう。

 

 やがて、ヤンキーどもは三々五々に部室を後にする。

 

「おい、葛城。二人きりにしてやれや」

「…………」

 

 葛城は、ずっとぼくの手を握って離さないカオルの背中を見つめていたけれど、振り切るようにして背を向けた。

 

◇◇

 

 二人きりになった室内で、カオルはぼくの胸に顔を埋め、ひたすら泣いていた。

 

「なんでだよ……なんでこんなことするんだ……アタシにすりゃいいじゃねえか……」

 

 カオルの涙が暖かくて、ぼくは少し眠くなって来た。

 

「秋月……!」

 

 ぼくは、カオルの髪を撫で続けた。

 

「カオル……」

 

 泣き崩れていたカオルだけど、ぼくが呼び掛けると、ハッとして身を起こした。

 

「ぼくの側に、ずっと居てよ……」

「ああ、ああ……!」

 

 眠い……。

 

「シュウに手を出しちゃ駄目だ……」

「でも……ああ、畜生!」

 

 カオルは血を吐くように嗚咽して、また泣き崩れた。

 

「今度は退学になるよ……」

「構うかよ……! クソ! クソが! あいつ……絶対、許さない!!」

 

 ぼくは首を振る。

 

「側に居てくれないの……?」

 

 カオルは両手で目頭を押さえ付け、獣のような嗚咽を上げる。

 衝動と、理性の綱引き。

 

「カオルが居ないと、ぼくは一人きりになるよ……」

 

「……!」

 

「ぼくのカオル……」

 

「ぉ、ぉぉ……居る、居るよ……! 畜生! ちくしょう……! 何もできないなんて……」

 

 この綱引きも理性が――ぼくに対する気持ちが勝った。カオルは全身で嗚咽を繰り返し、ひたすら、目に見えない何かを罵っていた。

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

 途切れた意識の中、シュウの夢を見た。

 

「御影、一緒の大学に行かないか?」

 

 A特待のシュウは、幾つもの大学から声が掛かっている。

 

「ぼくは地元の大学に行くよ。シュウは東京都の大学に行かないの?」

 

 地方の優秀な人材は首都圏に流れる。社会現象。

 

「あ、いや、私は……」

 

 困ったように頬を掻くシュウは、いつになく歯切れが悪くて――

 

 

 最近、ぼくにも分かって来たことがある。

 

 誰かを、好きになるという気持ち。

 

 以前は、よく分からなかった。でも今は……

 

 シュウは、ぼくを好いていてくれたんだろうか。

 

 ――新城とは、一回2000円の関係だよ。

 

 あのときのシュウの顔が、今も頭から離れない。

 

 とても酷いことをした。

 

 霞む意識の中、ぼくは言った。

 

 

「シュウ……ごめんね……」

 

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………!!

 

 胸の上で、何かが、震えた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話

 結局、ぼくは三日ほど学校を休んだ。

 カオルはすごく心配して、バイトを休もうとしたけれど、昼間は父さんが居ることを告げたら渋々諦めた。

 

 葛城からは頻繁にメールが来る。

 シュウが学校に来ていないことは、そのメールで知った。

 それから葛城は、ぼくの電話番号を教えろってすごくしつこい。スマホにしろとも。ラインがやりたいそうだ。

 

 深山からは、一万文字を超える非難のメールをいただいた。

 保健室でキスしなかったことが、余程気に障ったようだ。

 葛城にはしてる癖に、自分には仕事でもキスできないとは、どういう意味だと激しく抗議された。

 ぼくはメールでの説明が面倒くさかったので、携帯番号を教えることにして、直接話をした。

 

 会話の中で、ぼくは思っていたことを全て正直に話した。

 遊ぶタイプの女に見えないこと。あの時はシュウとのことで気が立っていてそうしたくなっただけで、キスしたら必ず後で後悔すると思ったこと。

 ぼくとは違い過ぎて、眩しく見えて嫌だとも。

 

 最初のうち、声を尖らせていた深山だったけど、分かってくれたようだった。

 驚くほど上機嫌になって、

 

「分かっていればいいんです。そうです。私は軽い女じゃないんですよ」

 

 と同じ言葉を連発した。

 その後、何故か深山は自分の胸の大きさを語り出し、いかに自分のセックスアピールが優れているかを自慢し始めた。

 深山だけに限ったことじゃないけど、女の子ってすごくお喋り。ホントに疲れるしんどい。こんなことになったのは葛城のせいだ。ぼくは復讐を決意した。

 

 深山は、一言だけ葛城のことに言及した。

 

「あの下級生の子は、すごく悪い子です」

 

 深山の声は、おっとりとして強い母性を感じさせるものだけれど、その一言だけは別人のように低く、深刻な何かを感じた。

 

 話の最後に、ぼくも自分の要件を告げた。

 ぼくはビッチをやめるつもりはない。これからも目標額目指して進むつもりでいる。

 

「――だから、深山さんとはこれでおしまい。迷惑かけてすみませんでした。さようなら――」

 

 それで電話を切った。

 直後にまた着信があったので、着信拒否に設定しておいた。

 

◇◇

 

 当たり前だけど、父さんに本当のことは言ってない。

 目に見える傷は額のものだけで、それも小さいものだ。ぶつけたという説明で簡単に誤魔化されてくれた。

 

 父さんが夜勤の仕事に行く頃になると、入れ替わりでカオルがやって来る。

 熱があったのは最初の一日だけだ。その日だけは、完全にカオルの世話になった。と言っても、お粥を作って貰っただけだけど。

 熱が下がった二日目は完全休業。その日は父さんと二人で過ごした。

 

「なあ、悠くん。家に誰か呼んだかい?」

「うん」

 

 父さんは、くんくん鼻を鳴らしていた。

 

「……それって、ひょっとして女の子とか……?」

「うん、駄目だった?」

「駄目なもんかあ!」

 

 父さんは突然大声を出し、目をキラキラと輝かせた。

 

「なあ、悠くん。父さんと男同士の話をしないか?」

 

 ちょっと野太い感じのする男の笑顔……と言ったら聞こえはいいけど。父さんの笑顔は、なんだか鼻の下が伸びて見えた。

 

 念のために休んだ三日目になると、熱はすっかり下がり、身体の腫れも完全に引いた。

 

 そして、父さんと入れ替わりで夕暮れどきにカオルがやって来る。

 

 待ちきれなかったのか、玄関で抱きすくめられ、その場で深いキスをする。

 

「ん……! んん……」

 

 最近のぼくは、少しおかしい。カオルのキスに、あまり嫌悪を感じないようになって来た。

 

 シュウに打たれ、深山の前で泣いたせいだろうか。

 カウンセラーの話では、トラウマになった出来事を繰り返し話すことで、症状が快方に向かうケースがあると聞いたことがある。

 当時は冗談じゃない、と思っていたけど、今は分からない。

 

 すっかり身体の具合が良くなったことを告げると、カオルは何時にも況して積極的になった。

 もつれるように絡み合いながら寝室に移動する。

 あっという間に全裸になる。フリルの付いたパンティの横から粘液がこぼれだしていた。

 カオルが四つん這いの姿勢になり、大きなお尻を見せ付けるようにして突き出して来る。

 ぼくは尻たぶを両手で押し開き、濡れそぼり綻んだ唇とキスをする。

 舌を挿し込み、クリトリスを吸い上げながら、膣口に指を突き込んだ。

 ぼくの手が小さいということもあるけれど、行為に馴染んだカオルの陰裂は、指を三本も飲み込んだ。

 

「うぁ! あ……あ……ああ……!」

 

 クリトリスとGスポットを同時に刺激され、カオルは呆気なく最初の絶頂を迎える。

 膣から、どろりと大量の愛液が流れ出した。

 腰を波打たせるカオルの様子に構わず、愛撫を再開する。

 豊富な愛液を指に絡め、人差し指と中指の二本をアナルに挿入した。

 

「ひぃっ! ユキ、そこは……!!」

 

 お尻に指を挿れるのは初めてのことだ。しかも二本。違和感に困惑するカオルだけど、嫌がる様子はない。

 

「大丈夫だよ、カオル。優しくするから力抜いて……?」

 

 カオルは頬を赤くして、目元を潤ませている。快感より羞恥の方が大きいみたいだった。

 

「カオル……ぼくのカオル?」

 

「あぁ……もぅ……」

 

 ぼくの囁きにカオルは容易く身体を開く。力が抜け、指を締め上げるアナルの圧力が弛んだ。

 陽に焼けてない白く大きなお尻に噛みつきながら、愛撫を再開する。

 アナルと膣とクリトリス。その三方向から攻めいると、カオルは掠れた喘ぎを上げた。

 

「ひぃぃぃぃぃ……!」

 

 お尻に、真っ赤なキスマークを二つプレゼントしてあげた。

 四つん這いになったカオルは、突っ伏すように布団に顔を押し付けて、しかしお尻だけは上に突き出した姿勢のまま、何度も絶頂を迎える。

 

「あぁ、また……! くぅうぅ――――」

 

 泡立ち、白く濁った粘液でまみれた膣口から、新たな分泌液を吐き出してカオルは腰を震わせる。

 

 もう何度イったか分からない。顔は涙と涎でぐちゃぐちゃで、最初強かったアナルの締め付けも、殆どなくなってぼくの愛撫を無抵抗で受け入れている。

 

 半ばまで意識を飛ばしたカオルに後ろから挿入してとどめを刺す。

 

「ぁ――――」

 

 カオルの陰裂は、何の抵抗もせずにぼくを受け入れた。

 完全に脱力しきった秘部を激しく蹂躙する。行く手を阻むものは何もない。

 もはや姿勢を維持できず、うつ伏せになったカオルの上にのし掛かった。

 淫液が糸を引き、グチャッグチャッと大きな音が鳴り響いた。

 もう、カオルが返す反応は、弱々しく腰を痙攣させる程度になっている。

 

 最後は腰を引き付け、思い切り膣に出した。

 

 ぽろっ、とカオルの瞳から涙が流れ落ちた。そして――

 

「あぁ――――」

 

 静かに、果てる――。

 

◇◇

 

 晩御飯は、一緒に野菜炒めを作って食べた。

 と言っても、ぼくは食器を並べた程度だったけど。

 

 カオルは幸せそうに笑った。

 

 ぼくも、笑った。

 

 ご飯が終わると、ぼくたちは手を繋いで、近所の公園まで散歩した。

 

「もうすぐ、夏休みだな……」

 

 絡み合った指を擦り合わせながら、カオルが眩しそうに街灯の明かりを見上げた。

 

「そうだね」

 

 ふと足を留め、カオルが背後から抱き付いて来た。

 

「いっぱい。いっぱい思い出作ろうな……」

 

 頷きを返すぼくの耳元で――

 

「誰にも、負けないくらい――」

 

 カオルは、囁くように、呟いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話

 三日間学校を休んだぼくが登校したのは、週末を過ぎた月曜日からだった。

 

 そして――

 

 教室の前に、修羅の深山楓が、肩を怒らせて立ち尽くしていた。

 低く、押し出すように言った。

 

「……少し、お話があります……!」

 

 ぼくは逃げた。

 後ろを振り返らず、全力でひたすら走って逃げた。

 全ての景色が風のように背後に流れて行く――

 

「おお、ビッ――」

 

 ビッ、なんだこのやろう。

 

「おはよ――――」

 

 あっ、葛城。覚えてろよ。

 

 これくらい逃げれば大丈夫、というところでぼくは一息吐き――深山に捕まった。

 深山の細く長い指が首に食い込む。首を掴まれた。

 

「うわああああ!!」

 

 深山はぼくの後ろを走っていたようだった。

 

「顔を見るなり、一目散に逃げ出す人がありますか!」

「ひぃぃっ!」

 

 あのシュウですら逃げ出す深山の迫力だ。ぼくが逃げるのはむしろ自然の理だよね。

 なおも逃げ出そうと身を捩るぼくの顔を、深山が覗き込んでくる。

 

「だから、逃げないで」

 

 眼鏡の奥の瞳は、悲しそうにひそめられていて。

 

「これでおしまいなんて、悲しいこと言わないでくださいよ……」

 

「……」

 

 ぼくは、逃げるのをやめた。

 

◇◇

 

 始業まで、まだ少しだけ時間があったこともあり、ぼくたちは食堂に移動した。

 

 深山は、ぼくに『よいこ』を奢ってくれた。

 

「ぷぷ……これがいいんですね?」

 

 笑いを堪える深山と、隣り合って腰掛ける。辺りを見回すと、この朝の一時を食堂で寛ぐ生徒がちらほらと目についた。

 ぼくが一口よいこを啜り、落ち着いたのを見て、深山が言った。

 

「こうやって、時々、二人で会えませんか?」

「……」

「もちろん、お金は払います」

 

 ちょっと分からない事になって来た。

 

「会うだけでいいの?」

 

 深山は頷いた。

 

「はい。こうしてお話ししたり、少し寛いだりする時間が欲しいんです」

 

「それはいいけど……」

 

 お金が貰えるのなら、ぼくに嫌はない。ただ、なんというか……勝手が違う。

 ぼくが考え込んでいると、深山が軽く咳払いした。

 

「夏休み中も、会えます?」

「暇なときなら……」

「それで構いません」

 

 そこで深山は、なんだか落ち着いたようだった。ブラックの珈琲を一口飲み、ほうっと息を吐き出した。

 しかし、一瞬後には表情を引き締め――

 

「そう言えば、秋月さんと同じクラスでしたね」

「あ、うん……」

 

 いつも、ぼくのことを気に掛けてくれた優しいシュウと。

 

「あの女(ひと)、虎なんですよ……」

「……?」

「まあ、あそこまでとは思いませんでしたけど……」

 

 容赦なく何度もぼくを打ち据える鬼の形相のシュウと。

 

「あんなことがあった後です。絶対に、二人きりにはならないでください」

 

 どちらが本当のシュウなのだろうか。

 

「御影くん……?」

 

 深山が思わしげな表情でぼくの手を取った。

 

「震えています」

「え……?」

 

 ふと見ると、ぼくの両手は小刻みに震えていた。

 深山が鋭い呼気を吐き出した。

 

「わかりました」

 

 懐に落とし込むように。

 

「もう、わかりました」

 

 深山楓は、頷いた――。

 

◇◇

 

 昼休みになると、葛城がやって来た。

 手にコンビニの袋を下げていて、当たり前のように教室に入って来た。

 

「お昼、一緒にどうですか? 御影さんのもありますよ?」

 

 中身の詰まった袋を掲げる葛城に、ぼくは頷いて見せる。

 

「いいよ」

 

 実は一人でどうしようかと思っていたところだったから、葛城の誘いは渡りに船だった。しかも一食浮くのなら、付いて行かない手はない。

 

「早く早く」

 

 急かす葛城に手を引かれ、教室を出る。

 行くとしたら屋上か『奥の部屋』辺りだろうか。などと考えていたら、葛城はぼくの手を引いて、別棟の校舎に入って行く。

 こちらには何もない。音楽室や生物実験室、その他の特別教室があるくらいだ。

 

「ここです」

 

 葛城がぼくを連れてやって来たのは、資料室だった。

 ここには生徒の進路指導に必要な資料があるらしいけど、普段は使用しない。まあ未使用の空き教室になる。

 葛城が鍵を取りだし、何でもないことのように横引きの扉を開けた。

 

「鍵、どうしたの?」

 

「職員室から普通に取って来ましたよ?」

 

 葛城のこのクソ度胸は何処からやって来るのだろう。

 背中を押され、資料室に入った。

 

 資料室の中はところ狭しと棚が置かれていて、その棚には古臭いファイルや色褪せた紐綴じの資料が乱雑に突っ込まれている。

 

「第1資料室です」

「ふうん……」

 

 葛城の説明では、第1資料室は廃棄予定資料の保管場所らしい。

 室の奥まった場所には長机があり、ぼくたちはそこで昼食に取り掛かることにした。

 

「…………」

 

 用意されたサンドウィッチを食べたり、ペットボトルのお茶を飲んだりしている間、葛城は長机の上に肘を着き、何故か微笑みながら、ぼくをじっと見つめている。

 

「食べないの?」

「食べてます」

 

 などと言う葛城は、やっぱり肘を着いた姿勢で、ぼくを見つめ続けている。

 ご飯が用意されてなかったら視姦料を請求しているところだ。

 

「…………」

 

 第1資料室は、カビ臭いし埃っぽいけど、雰囲気は悪くない。

 窓側はよく日が射して暑いけどエアコンがあるので問題ない。床が絨毯敷きなのもいい。よく昼寝できそうだ。

 

 ぼくが食べ終わるのと同時に、葛城が丸めた『それ』を、長机の上に置いた。

 

「100Kあります」

 

 細長い円筒状のそれは輪ゴムで括られていて、卓上に垂直に立っていた。

 葛城が言った。

 

「一回一回払うの、面倒です。なくなったら、また言ってください」

 

 ぼくは円筒を手にとって、ポケットに押し込んだ。

 

「……いいけど、葛城。ぼく、おまえには手加減しないよ?」

 

 薄く笑って見せると、葛城は、ぴくんと震え、瞳に怯えの色が浮かんだ。それでも――

 

「は、はい。お願いします……」

 

「馬鹿な娘だね。おまえは」

 

 それじゃあ――

 

「おまえをメチャクチャにしてあげる」

 

◇◇

 

 絨毯敷きの床に座り、膝の間に葛城を座らせる。

 ブラウスの間から手を差し込んで胸を揉み、首筋をぺろりと舐めると、鼻に掛かる喘ぎが上がった。

 

「……ン、ふっ……」

 

 固く尖った乳首をつまみ、唇を吸い上げてやると、葛城の瞳は早くも蕩けた。

 葛城は万歳をするような体勢でぼくの頭を引き寄せ、舌を突き出してより深いキスをねだってくる。

 

「あ、む……ちゅ……」

 

 葛城は窮屈な姿勢でぼくの唇に吸い付いてくる。

 一頻りキスを楽しんだあと、葛城は唇の端から滴る唾液を拭おうともせず、蕩けた目差しでぼくを見つめた。

 

「し、新城センパイにしてるみたく、してください……」

「いいよ……じゃあ、全部脱いでくれる……?」

 

 こんな場所で全部脱いでしまえば、どんな言い訳も通用しなくなる。

 だから――

 躊躇う様子を見せている葛城の背中を押してやる。

 

「カオルはいつも全部脱ぐけど、できない?」

 

「……!」

 

 葛城は立ち上がると制服を脱ぎ、スポーツタイプのブラも、下のスパッツも全て脱ぎ捨てて見せた。

 水玉模様のパンティは、クロッチ部分が濡れて透けている。

 それすらも脱ぎ去る。

 

「脱ぎました……」

 

 葛城は、どうしてもカオルに負けたくないようだ。僅かに寄せた眉の間に、強い覚悟が見え隠れしている。

 ぼくも立ち上がり、細い腰を抱き寄せると、行儀よく勃ったままでいた乳首に舌を這わせる。

 

「は……あ……」

 

 艶のある溜め息を吐き出し、葛城がぼくの頭を抱き締める。

 空いた手で、小ぶりなお尻を撫で、後ろから秘裂に指を挿し込む。

 やっぱり葛城の中は熱い。

 カオルより体温が高いのだろうか。掠れる吐息を耳に感じながら、そんなことを考える。

 膣に挿し込んだ指を二本に増やし、そのまま揉むようにして、膣の奥深くまで侵入する。

 

「フ……んっ!」

 

 腰が僅かに震え、葛城が強く抱き着いてくる。粘る淫液が溢れ出し、太ももまで濡らした。

 

「ぼくの印、つけるよ……」

「……! はい、アハッ、はい……!」

 

 嬉しそうに笑みを浮かべる葛城の胸にキスマークの花を咲かせる。

 

「葛城、もう挿れていい?」

 

 葛城の陰裂は涎を垂らしてぼくを待ち受けている。そして、昼休みは『ご休憩』じゃない。ゆっくりしている時間はない。

 葛城が途切れ途切れ呟いた。

 

「御影さん……新城、センパイと同じように、したいです……」

 

 まただ。

 ……カオルと同じように、か……。

 

 葛城は、カオルになりたいのだろうか。

 

◇◇

 

◇◇

 

 要望通り、葛城とは騎乗位の体勢で繋がった。

 不慣れな葛城は何度も挿入に失敗した。

 何度も膣口に亀頭を擦り付け、狙いを定め、一息に座り込むようにして、漸く願望を達成した。

 前回より少し拡がり、滑りの増した葛城の陰裂に、ぼくのペニスが根元まで埋まる。

 

「くうぅ……!」

 

 挿入の瞬間、葛城は左右に頭を振って陰唇はキリキリとぼくのペニスを締め付けた。

 

「これ……深……」

 

 膣の最奥に亀頭が当たる。葛城の口元から、だらっと涎が垂れ下がり、その光景は、一瞬、カオルのそれを思い出させた。

 

 その後の葛城は夢中だった。

 ぼくにすがり付き、激しいキスを重ね、一心不乱に腰を振る。

 

 カオルが言うには、この体位だと自分のタイミングでイけるらしい。

 

 ペニスで子宮口を磨り潰すように押し付け、亀頭の先まで腰を上げ、一気に突き落とす。

 

「はんッ、はんッ、はぁんんッ!!」

 

 葛城は貧欲な獣のように嬌声を上げながら、ひたすら、ぼくを貪る。

 結合部分が白く泡立ち、粘る淫液が陰嚢を伝って滴り落ちる。時折、動きが鈍り、膣奥が大量の淫液を吐き出す。それでも葛城は夢中で腰を振り続ける。

 

「んんッ……!……んんッ!」

 

 髪を振り乱し、自ら乳首を捻り上げる葛城の動きに合わせ、ぼくも腰を叩き付ける。

 

 あまりの激しさに、腰の奥が痺れる感じがした。射精の衝動が徐々に競り上がる。

 

「葛城、まっ――」

 

 制止は間に合わず、ぼくは葛城の膣内に射精した。

 半ば意識を飛ばし、半目の葛城は嬉しそうに笑っていた。

 

◇◇

◇◇

 

 結局、午後の授業は間に合わなかった。

 

 カオルと同じように。

 

 事後、殆んど失神状態の葛城を抱き締め、緩やかな後戯を行う。

 首筋に舌を這わせ、優しく胸を揉み、軽くクリトリスを愛撫してやる。

 愛液と精液の混じった白濁が膣口から流れ出し、資料室の絨毯に染みを作った。

 

 夢うつつなのか、葛城が半目のままで呟いた。

 

「……言う、通りでした……」

 

 そして、その後はカオルと同じように、深く息を吐き、寝息を立て始めたのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話

 夏休みを目前に控えた一学期最後の登校日になっても、シュウは学校に来なかった。

 

 主将として剣道女子部の牽引車であり、選抜大会でも優勝経験のあるシュウは、学校の期待の星でもある。

 

 終業式が終わり、ぼくと食堂で一息入れる深山は、澄ました表情で珈琲を飲んでいる。

 

「自室に閉じ籠って出てこないようです」

「……ぼくのせいかな?」

「気に病む必要はありませんよ。放って置けばいいんです」

 

 ちなみに、剣道女子部の副主将は深山らしい。

 

「深山さん。インターハイ、頑張ってね」

 

「はい、もちろん」

 

 あれ以来、深山は、ぼくをちょっとした空き時間や休憩時間に呼び出して話し相手をさせるようになった。

 呼ばれる回数は、日によってまちまち。多い日で三回。でも、一日一回は絶対に呼び出される。

 会話の内容は色々。勉強のこと。学校の年間行事。私生活。ファッション。趣味。シュウと葛城の名前が出てくると不機嫌になる。

 ちなみに、女子剣道部でのシュウとの関係は、主将と副主将の関係にあたる。シュウが主将で、深山が副。

 少し話して分かったことだけど、深山はとにかくマイペースだ。どんな時も、焦らず騒がず。相手に振り回されない。

 そんなマイペースな彼女の特長は、絶対に無理をしないということ。ぼくとの関係にしてもそれは変わらず。ちょっと毛並みの違う珍獣くらいにしか思ってないのかもしれない。

 深山は、支払いの金額もまちまち。

 彼女の中で評価の基準があるようで、少額の時もある。

 ご機嫌にさせると高く、不機嫌にさせるとそのまま帰ってしまう。いつも小銭で支払うので、ぼくは、お小遣いを貰っているような妙な気持ちになる。

 

「まぁ、インターハイが始まる8月第一週には復帰すると思います。秋月さんの場合、結果が進路を露骨に左右しますし……」

 

 それだけ言って、深山は口を噤んだ。

 沈黙。

 シュウの話はこれでおしまいの合図。

 そして、ぼくたちは見つめ合う。これも毎日一回は必ずある。

 深山は表情を変えず、探るようにぼくの瞳を覗き込む。

 

「……えいやっ」

 

 と、深山がぼくの頬をつねった。

 

「……」

 

 ぼくは反応を返さず、じっと深山を見つめ返した。

 

「……1面クリアには、まだまだ時間が掛かりそうですね……」

 

 そんなことを言って、深山はぼくの手に100円握らせて去って行った。

 

◇◇

 

◇◇

 

 カオルのアルバイトは順調に続いている。

 コンビニのバイトがどんなものなのか、ぼくには想像もつかないけど、すぐ投げ出すと思っていたので、少し驚きだ。

 父さんが休みで家にいる時を除いて、カオルは毎日のようにやって来て、ぼくとご飯を食べ、おしゃべりしたり、テレビを見たり。それからセックスして、お風呂に入ってから帰る。

 

 ぼくがシュウにやられたあの日以来、カオルは少しぼんやりすることがある。

 一緒にテレビを見ている時で、ぶつぶつと小声で何かを呟いている。

 

 「秋月」「ルール」「破った」「ユキ」「絶対」。

 特によく口にする言葉が『ルール』。殆んど聞き取れないくらいの小さい声で呟きながら、本人はそれに気が付かないほど思考に没頭している。

 

「カオル、どうしたの? 悩みがあるなら聞くよ?」

 

 ぼくの問い掛けに、カオルは驚いて、それから困ったように眦を下げる。

 

「な、なんでもないよ……ちょっと、そう。もう終わったこと……」

「……?」

 

 でも暫くして、カオルは殆んど泣き出しそうな顔になった。

 

「なあ、ユキ……」

「うん」

「すっげー難しいゲームがあったとしてだな……」

「うん、あったとする」

「そのゲームには、たくさん『ルール』があって、超チートな魔王がいるんだ」

 

 ……また、『ルール』。

 

「ちなみに魔王は超手強い。んでもって……アタシは裏技使って、今のところはいいセン行ってる」

「裏技?」

「そう……ずるしたんだ」

「駄目なの?」

「駄目かもしれない……って、思うときもある」

 

 カオルは苦しそうに言った。

 

「グズグズしてたら勇者が来るよ……」

「あれ? カオルが勇者じゃないの?」

 

 血を吐くように。残酷な秘密を告白するように。

 

「……アタシは、勇者じゃない……!」

 

 カオルは俯き、強く首を振った。

 そのゲームは、一体どんなゲームだろう。あまりにもカオルが苦しそうにするもので、ぼくも首を捻って考える。

 

「じゃあ、勇者は何をやってるの?」

「あちこち壁にぶつかって、苦しんで、すっげー遠回りしてるとこ……」

「ふうん……」

「でも、『絶対』諦めないから勇者なんだ。傷だらけになっても、いつかきっと魔王を倒しちまう……」

 

 ますます分からない。カオルの言い様だと、勇者に魔王を倒されてしまったら困るように聞こえる。

 ぼくは少し考えて、それから言った。

 

「……じゃあ、カオルが先に魔王をやっつけたらいいんじゃないの?」

「それができたら苦労しない」

「じゃあ、勇者を殺す」

 

 カオルは、ぎょっとしたようにぼくを見て、ごくりと息を飲み込んだ。

 

「勇者を……殺す……」

「でも、カオルも大変だね」

「え、何が?」

 

 意外そうに振り向くカオルに言った。

 

「それって、オンラインゲームでしょ?」

「え……? あ、ああ……」

「カオルみたくずるする人もいるだろうし、勇者も一人じゃないんだから」

「ええッ! 嘘だろ!?」

 

 カオルが半泣きになって、そこで空気が緩んだ。

 

 ぼくは笑った。

 

 カオルは涙目だった。

 

 ぼくとカオルの、夏がはじまる――。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

そして、最後の夏が始まって――
第15話


 夏の暑い日のことだ。

 ぼくは、家の庭で土下座の姿勢で固まったまま。母さんの考案した奴隷のポーズを取っている。

 

 泣いて泣いて、また泣いて。それでも足りずにまた泣いて。

 

「ごめんなあ、ごめんなあ悠くん。父さん、間抜けでさぁ……馬鹿みたいに遅れちゃってさあ……」

 

 人は、他の誰かの為に、どれだけの量の涙を流せるのだろう。

 

「悠くんがこんなに苦労してたのに、父さん、会社のみんなとお酒飲みに行ったり、ご飯食べに行ったりしてたよ。間抜けだよなあ……間抜けだよなあ……」

 

 この人以上に、ぼくの為に涙を流した人を知らない。

 

「父さん、これからはもっと頑張るから……無茶苦茶、がむしゃらに頑張るから……それでも悠くんの百万分の一にもならないけど……! それでも頑張るから……!」

 

 流れた涙の価値に――

 

 

「悠くん、ごめんなあ……!」

 

 

 どの程度の恩で報いればいいのだろう――。

 

◇◇

 

◇◇

 

 その日のカオルは挙動不審だった。

 小脇に大きなスポーツバッグを抱え、視線を右に左に泳がせている。

 

 まぁ、いつか来るだろうと思っていたけど、『お泊まりしたい』の合図。ご飯を食べて、エッチして、お風呂に入ってそれでサヨナラっていうのの先に進みたいようだ。

 

 絶対にぼくに無理強いしないカオルは、ただ、こうしたいってサインを出すだけ。今まで待っていてくれたことを考えれば、無視する訳にいかない。いつかあると思っていたし、覚悟はもう出来ている。

 言った。

 

「お泊まり、する……?」

 

「……!」

 

 カオルは、ぐっと握った拳を後ろに引いた。

 

「――っしゃあッ! っしゃあッ!!」

「うふふ、カオルは大げさだね」

 

 夏休みの初日は、こんな感じで。

 

 ぼくの家に、カオルが初のお泊まりをすることになった。

 

 二人で相談して、今日はカレーに決めた。調理は主にカオル担当。ぼくはお米を洗って、炊飯器に仕掛けた。

 食事の準備中も、カオルはご機嫌で鼻歌混じりに野菜を切っている。

 

「最強! 最強!! 最強!!!」

 

 なんのおまじないだろう。とにかく、カオルは絶好調だ。

 ちなみに、カオルの家事の腕前はぼくと同じくらい。何でも二人で一緒にやる。

 食事中もカオルの上機嫌は続き、ニコニコとカレーを頬張っている。

 

「ユキは上品に食べるよな~。家の奴らはホンとに小汚なくてよう」

「カオルのお兄さん?」

「兄貴と弟の二人だな。無駄にうるさいし、臭いし、汚ないし、口悪いし。アイツら、ユキの爪の垢でも飲めばいいんだよ」

 

 そう言えば、ぼくはカオルのことを全然知らない。

 

「今度は、ぼくがカオルの家に行ってもいいかな?」

 

「――!」

 

 カオルの顔色が変わった。

 

「――ダメだッ! あの馬鹿二人はルールを破るからダメだッ!!」

 

 カオルは、とにかく『ルール』を大事にしている。

 具体的なことは分からないけど、それが、ぼくに関係するものであるということだけは分かる。

 

「そう……カオルは、優しいね……」

 

 そこまで言ったとき。

 

 古くさいブザーのインターホンが鳴って、来客の到来を告げた。

 ぼくとカオルは、お互い顔を見合わせた。

 

「珍しいね。誰だろ……」

 

「ウソ、マジ? ヤバそう? アタシ隠れた方がいい?」

 

 カオルは何故かテンパった。キョロキョロと忙しなく目を動かし、頻りに髪を撫で回した。

 ぼくは呆れて溜め息を吐く。

 

「カオルのその大きな身体で何処に隠れるのさ」

「で、でも、ユキの父さんだったら、アタシ……!」

「その時は父さんに紹介するから」

「ナンですと!?」

 

 カオルは、くわっと目を見開いて固まった。

 ちょっと面白い顔だった。

 

「待ってて。多分、父さんじゃないと思うし。行って来るね」

 

 面白い顔のカオルを居間に残して、玄関に向かう。

 またインターホンが鳴った。

 

「はーい、今出まーす」

 

 間延びした声で答えながら、玄関のドアを開けた。

 

 そこに、窶れた顔の、シュウが立っていた。

 

 

◇◇

 

◇◇

 

「シュウ……?」

 

 肩の開いたトップスに、デニムジーンズのシュウが、いた。

 顔色がやけに青白く、目元にびっしりと紫の隈が浮かび上がっている。

 

 ドクン! と心臓が跳ねて、ぼくは息を飲み込んだ。

 

「あ……」

 

 シュウは、一瞬、身を引いて、泣き出しそうな表情になった。

 ぼくは――

 

「うわああああああああああああああああああああ!!」

 

 力の限り、叫びを上げた。

 

「うわああああああああああああああああああああ!!」

 

「ちょ、待って――」

 

 シュウが何か言ってる。

 

「うわああああああああああああああああああああ!!」

 

 木の床を蹴る音がして、ほんの数瞬後にやって来たカオルが、背後からぼくを抱き締めた。

 

「ユキ!」

 

 心臓が激しく鼓動を鳴らす。ぼくは、何が何だか分からなくなって、必死でカオルに抱き着いた。

 シュウが、気の入らない声でポツリと言った。

 

「あ……新城もいたのか……」

「秋月、テメエ……!」

 

 カオルがぼくを抱き寄せながら、ぎりぎりと歯を鳴らす。

 

「なあ、どうなってるんだ? 何で、私は何も知らないんだ?」

 

 シュウが何か言ってる。

 

「どうしてこんなことになったんだ? なあ、御影」

 

「うわああああああああああああああああああああ!!」

 

「ユキ! ユキ! しっかりしろっ!!」

 

 カオルが叫んだ。

 

「なんなんだよ、テメエはよ!! 呼ばれてもねえのに来るんじゃねえ!!」

 

「ああ、新城。この際、お前でも構わない。どうしてこんなことになったのか、お前が教えてくれないか?」

 

「うわああああああああああああああああああああ!!」

 

「なあ、新城。お前は全部知っているんだろう? 卑怯じゃないか、私だけ何も知らないなんて」

 

「うるせえ! テメエは帰れ!! 無茶するんじゃねえよ!!」

 

 カオルがぼくを強く抱き締める。

 苦しそうに言った。

 

「帰れ、秋月……頼むから……!」

 

 そこに、怒りはなく。

 何処か憐憫の気配すら感じる声だった。

 

 沈黙。

 

 シュウが、疲れたように言った。

 

「そうか……私は、また間違えたんだな……」

 

 失意。絶望。諦観。そんなものが、漂う空気。

 

「ユキっ! ユキ――――

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

◇◇

 

◇◇

 

 目を覚ますと、ぼくは畳敷きの居間で横になっていた。

 額には濡れタオルが当てられていて、電源が入ったままのテレビは10時からのニュースを垂れ流しにしていた。

 

 視線を横に流すと、カオルが膝を抱えるようにして座り込んでいる。

 ぼくが目を覚ましたことに気付いていないようで、ブツブツと何か言っている。

 

「ルールを守らないからああなったんだアイツは終わったアタシもルールを破ればああなるそれは絶対イヤだ死んでもお断りだユキはアタシがユキはアタシがユキはアタシが」

 

「カオル……?」

 

「――ッ!!」

 

 カオルが、ハッとしてぼくに駆け寄って来る。

 たちまち琥珀の瞳から涙が溢れ出して頬を濡らす。

 ぼくを抱き締めて、カオルは、暫く震えていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話

 脱色で傷んだ茶髪に、とんがり目玉。薄いピンクのルージュを引いて、仏頂面の澄まし顔。

 暴力的で喧嘩っ早く、クラスの皆の鼻つまみ。

 

 ぼくのカオル。

 

◇◇

 

◇◇

 

 カオルは、ぼくに股がって腰を振っている。

 よく分からないけど、シュウの様子がショックだったようだ。快楽で振り切ろうとするかのように、一心不乱に腰を振っている。

 大きな身体を小さくたたみ、窮屈そうにキスをする。

 粘着質な水音がして、結合部分を見下ろすと、包皮から尖ったクリトリスが顔を出している。

 

「ぅんッ……ぅんッ……! あぁ、ユキ……いいよ……いいよう……!」

 

 カオルがクリトリスを押し潰すように、ぼくの腰に押し付ける。

 大きなお尻を上下に振って、カオルは徐々に昇り詰めて行く。

 肥大したクリトリスを捻り上げてやった。

 

「いぎぃッ!!」

 

 潰れたカエルみたいな鳴き声を上げて、カオルは堪らず腰を震わせ絶頂した。

 膣から、どろりと粘液が溢れ出て潤滑が増す。

 息も絶え絶えになりながら、カオルが耳元で呟いた。

 

「……ユキ……そういう、いたずら……だめ……」

 

 電池の切れかけた玩具のように、瀕死のカオルが再び腰を振り始める。

 

 最近のカオルはそう。

 ぼくをイかせることに固執して、無理をする。

 でも、だめなものはだめ。

 カオルの場合、一度絶頂するとすごく敏感になる。無理すると――

 

「う、そ……もう……?」

 

 寸前、腰を止めたけど無理だった。カオルは、ぼくに覆い被さって、激しく、深く絶頂した。

 腰が大波を打ち、痙攣の度に膣から愛液が吹き出る。また潤滑が増す。悪循環。

 

 必死のカオルはそれでももう一度腰を持ち上げ、そこで……力尽きた。最後にもう一度、ぺちゃんと音がして陰裂の奥にぼくを迎え入れ、身体をぷるぷると痙攣させた。

 

◇◇

 

 今夜のカオルはご機嫌ななめ。

 布団の上で横になり、お尻を向けて、ブツブツ文句を言っている。

 

「……もう最悪だよ。ホントにアタシ、女なんかよ……」

 

 だめなものはだめ。

 今日のカオルは後戯を拒否して反省会のようだった。

 

「あんときアレがなきゃ……もうちょっと、こう……」

 

 カオルはもう、ホントにしつこいやらしい。

 でも、シュウが来たときの悪い雰囲気はなくなった。セックスって、不思議な力があるのかも。そう思えば、カオルがこんなときに求めてきた理由も分かる。

 

「カオル。お薬入れるよ」

「あ、ぅん……お願い……」

 

 カオルは枕で顔を隠すように抱いてこっちに振り向くと、長い脚を大きく開いた。

 丸見えになった膣口は、小陰唇が開いていて、まだ物欲しそうに半透明の粘液を吐き出している。

 中指と人差し指の先にカプセルの錠剤を持ち、カオルの膣内に挿入する。

 

「んっ……」

 

 カオルが呻いた。

 子宮口の前にカプセルを留置して、これで終了。

 後は10分間ほど動かずにいれば、カプセルが溶け出して中の殺精子剤が効果を発揮する。

 射精はしてないけど、一応。

 

 それから暫く、カオルに膝枕をして時間を潰す。

 カオルは口でしたいって言ったけど、それは断った。

 

「カオル。夏休みは始まったばっかりだよ?」

「……そ、だな……」

 

 時計の針は午前2時を指していて、いつもならもう寝てる時間だけど、今日のぼくらは起きていて、キスをしたり、抱き合ったり。

 そのうち、カオルの鼻息が荒くなってきたので、そのつもりのないぼくは話のネタを振る。

 

「カオル、何かお話しして」

「何かって……」

「面白いお話しがいいかな」

 

 かわされたカオルは、少し不満げに唇を尖らせた。

 

◇◇

 

 さて、新城馨は、バリバリのどヤンキーだ。

 ぼくも、この『ヤンキー』という奴にそろそろ馴れてきた。

 

 ヤンキーは、社会を斜めから見ている。

 成人式で暴れてみたり、オヤジを狩ったりする彼らの思考は、常に斜め上だ。ぼくみたいな一般人が思いもつかないことを平然とやってのける。

 カオルの場合、友人宅に煙玉を投げ込んだり、居酒屋で爆竹を鳴らしたり。真夜中の学校に意味もなく忍び込んだり、深夜の神社で鐘を鳴らしたり。

 これを笑ってしまう時点で、ぼくも結構、毒されてきたのかもしれないけど。

 ぼくが聞きたいのは、そういうお話。ちょっとした『面白い』に身体を張る、ちょっとした彼らの武勇伝。

 

 カオルが思い出したように言った。

 

「ああ、去年の今くらいだったかな、あれ……」

 

 そして語られる禁断の過去とは。

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

 数分後、あまりの面白さとくだらなさに笑い転げるぼくがいた。

 

「あはは! ホントに葛城が!?」

 

 面白おかしく語るカオルは、調子が上がって来たようだ。ぼくを足の間に座らせて、得意そうに笑っている。

 

「ああ、アイツは無鉄砲なとこあっから」

 

 話の顛末はこう。

 

 去年の夏休みに入る一週間ほど前のこと。

 その日もカオルと葛城を含めた5人のヤンキーが部室にたむろしていたらしい。

 誰かが、「暇だ」と言ったことがことの始まり。

 ちょっとした話し合いがあり、ある罰ゲームを賭けたババ抜きが行われることになった。

 問題は、その罰ゲームの内容だ。

 

 

『学校の近くの公園に落ちているエロ本を拾って来る』

 

 

 ただし、普通にやっても面白くない。

 カオルか葛城が負けた場合はブラとパンツのみの格好で実行する。野郎どもは容赦なく全裸だ。

 この内容にカオルは少し引いたらしいけど、葛城のヤツは超乗り気だったらしい。

 

 まあ、クソ度胸の葛城なら深く考えないでこの勝負を受けてしまいそうだ。

 

 そして葛城は敗北し、一生の不覚を仕出かすことになる。

 

 部室から公園まではダッシュで行けば300m。フェンス裏を通れば人目にも付きにくい。クソ度胸の葛城は、大丈夫だと高を括っていたようだ。

 

 野郎どもは武士の情けと見に行かず、ブツを持って来ればそれでよしとした。カオルに至っては最初から乗り気でない。見に行かなかったらしい。

 

 そして下着姿の恥女葛城は、全力ダッシュで駆けて行った。

 まではいい。

 では、その葛城が戻らなかったら、どうなるか。

 5分後、ちょっと気になると気を揉んだカオルが様子を見に行った。

 

 

 パトカーに乗った下着姿の葛城が、涙目で連行されて行くところだった。

 

 

 ここまで聞いて、ぼくは大笑いしてしまった。

 

「葛城、ホントにエロ本持って下着姿で捕まったの?」

 

「ああ、一生もんの恥だよな」

 

 葛城……そうじゃないかと思っていたけど、アイツは本物の馬鹿だ。

 

 恥女葛城爆誕の瞬間だった。

 

 笑いすぎて、シュウのことは、もう思い出せなかった。

 そしてぼくらは、一頻り笑ったところで、抱き合って眠った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話

 深山からメールが入った。

 

 ――今日の午前中、一緒に図書館で勉強しませんか?

 

 受験生にとって、夏休みは遊んでいていい時間じゃない。OKの返信をしておいた。

 

 恥女葛城は相変わらず電話番号を教えろとしつこい。嫌だ、と返信しておいた。でも、週末の誘いは断ることができない。

 しかも泊まりでと来た。

 ぼくは少し考えて、yesと返信した。

 

 朝早くカオルを送り出して、それと入れ替わりで父さんが帰って来た。

 

「ただいま、悠くん」

「お帰りなさい、父さん」

 

 家に入るなり、父さんは訝しむように辺りを見回した。

 

「ねえ、悠くん。昨夜、誰か泊まった?」

「うん、駄目だった?」

 

 父さんは、ぼくの敵じゃない。だから正直に話す。駄目ならやめる。それだけ。

 父さんは、考え込むように無精髭の浮いた顎を擦っている。

 

「それって、女の子とか?」

「うん、そう。よくわかったね」

「そりゃ、父さんくらいの達人になれば若い娘の気配くらい分かるよ」

 

 ぼくは噴き出した。

 

「達人って……」

「いわゆる一つのプロ? ……それって、悠くんとそういう関係ってことでいいのかなあ」

 

 ぼくとカオル……。

 

 父さんは、にこにこ笑っている。

 ぼくは反抗的な息子じゃないし、父さんは父さんだ。叱られるときもあるけど、話して分からない人じゃない。

 

「悠くんも18だもんな。そうかあ……」

 

 感心したように。ちょっと嬉しそうに。そこら辺は男同士、通じるものがある。

 ぼくの返事を待たず、父さんが言った。

 

「まぁ細かく聞かないけど、避妊はしないと駄目だぞ?」

 

 親指を立て、父さんはサムズアップして頷いた。

 無駄に男前な仕草だった。

 

◇◇

 

◇◇

 

 深山とは図書館で待ち合わせた。

 彼女は白のブラウスに紺のシックなスカート。シンプルだけど、大人っぽい深山にはよく似合う。清楚系。

 開館時間に待ち合わせ。

 

「おはよう、深山さん」

 

「おはようございます」

 

 ぺこっ、と頭を下げ、深山はずれた眼鏡の位置を直した。

 開館直後の図書館に人影は少なく、ぼくらは連れ立って2階にある閲覧スペースに向かった。

 そこは長机や二人掛けの小さなテーブルがあり、調べものをしたり、読書をしたりするのに向いたスペースだ。

 

「ここにしましょう」

 

 深山が選んだのは、窓際にある、おむすび型の小さなテーブルで二人掛けのものだ。

 ぼくは頷いた。

 

「悪くないね」

 

 にこりと微笑む深山と向かい合って座り、先ずは個人的な情報を交換する。

 得意科目、苦手科目、お互いの志望大学……色々。

 確認の結果、ぼくらの学力は同じ程度で、深山がやや上ということがわかった。

 深山が言った。

 

「御影くんは、塾とかに行ってないんですよね?」

「そういう余裕はウチにないし、基本的に、ぼくは人の多いところが苦手なんだ」

「独力ですか……。実は、結構頭いいんじゃないですか?」

「比べたことないから、分からないよ」

「人が嫌いなんですね……」

「…………」

 

 探られるのは大嫌いだ。

 思えば、深山は初対面から……それ以前のメールの段階から探る気配があった。

 ぼくは言った。

 

「さて、勉強しようか」

「少し、お話ししませんか?」

「……」

 

 ……こいつ。

 

「夏なのに、長袖なんですね」

「……」

 

 ぼくは左腕の袖を捲り、ちょっとだけ見せてやった。

 瞬間、深山は目を剥いて固まった。

 

「ご、ごめんなさい……!」

 

 やっぱり深山は苦手だ。この女は、ぼくを哀れんでいる。

 

 

 

 ――先生、御影くんは可哀想です――

 

 

 

 ヘドが出る。

 上から目線の、ボランティア。

 

 冗談じゃない!

 

 言った。

 

「深山。不用意に探るんじゃない」

 

 もっとマシな女かと思っていたけど、こいつはそんなんじゃない。

 ただのおせっかいだ。

 シュウに向かって行ったときは、あんなに激しくて、あんなに――魅力的だったのに。

 

「…………」

 

 黙り込み、俯いた深山の目尻に、じわっと涙の粒が盛り上がった。

 ぼくは深山の反応を待たず、参考書や資料が並ぶブースに向かった。

 目当ての参考書を何冊かほじくり出した後は、個人の閲覧席で一人で勉強した。

 

◇◇

 

 最初のうちはカリカリして、なかなか捗らなかったけど、ほぼ無音でエアコンの効いた環境は悪くない。徐々に調子が上がって来た。

 気に入った。

 今度は一人で来よう。

 

 途中、席を立ち、エントランスホールの自販機でスポーツドリンクを買った。

 窓際の閲覧席に視線を飛ばすと、深山は悲しそうな表情で、ずっと俯いたままだった。

 

 ――つまらない女。

 

 かっきり12時で席を立ち、積み上がった参考書の山を元のブースに返却する。

 受験勉強は長くやればいいってもんじゃない。だらだらやるくらいなら、しっかり休んだ方がいい。

 何事もメリハリが大事。

 やるならヤる。やらないならヤらない。

 

 昼食は家で父さんと摂ろう。

 

 深山はインターハイを控え、午後練の予定。

 ぼくは荷物を抱え、飲みかけのスポーツドリンクを持って深山の元へ向かった。

 この関係もここが潮時。

 帰り支度を済ませ、やって来たぼくと目が合った。

 読み掛けの参考書を伏せ、深山が腰を浮かせる。

 

「御影くん、今日は――」

 

 ぼくは黙ったまま、飲みかけのスポーツドリンクを深山の頭にぶっかけた。

 

「…………」

 

 髪の毛から夥しい量の水滴を滴らせ、初めてぼくを見たように驚き、言葉もない深山に言った。

 

「おまえは退屈な女だね」

 

 シュウとやりあった時のように、もっと本気でおいでよ。そうしたら、今度は本気で遊んであげるから。

 

「遊び相手は他で探すんだ。この――」

 

 素の表情で固まる深山は、本当に滑稽で、ぼくは思わず笑ってしまう。

 

「――この、小銭女」

 

 ペットボトルを放り捨て、テーブルの上に、これまでに深山から貰った小銭を全てぶちまけた。

 

 じゃらん、じゃらんと音がして、大小様々な硬貨が散らばる。

 

 ボランティアはお断りだよ――。

 

「サヨウナラ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話

 図書館から出て、自転車に乗って帰る。

 真夏の太陽がジリジリと照り付けた路面から、ゆらゆらと熱気が上っているように見えた。

 家までは30分くらい。深山にぶっかけたスポーツドリンクは、ちょっと勿体ないことをした。

 携帯がブルブルと震え、メールの着信。確認すると、カオルからのものだった。

 

 ――今日、給料日だから、ちゃんと、お金払うよ!

 

「…………」

 

 ぼくは、自転車に乗ったまま、携帯片手に立ち止り、その場で返信した。

 

 ――いらない。

 

 真夏の太陽が照り付けている。路面からの照り返しもあって、暑苦しいことこの上ない。

 もう一度、自転車を漕ぎ出そうとしたとき、今度は携帯に着信があった。

 時刻は12時半。ちょうどお昼休みというところだろう。

 電話に出るなり、言った。

 

「いらない」

『……っ』

 

 出鼻を挫かれ、携帯の向こうで困惑するカオルの様子が目に浮かんだ。

 もう一度、言った。

 

「いらない」

 

『だから――』

 

「いらない」

 

『……』

 

 遠くに蝉の鳴き声が聞こえる。空には真夏の太陽が燦然と輝いていて、路面に燃えるような陽炎が立っている。

 ふと、考えた。

 

 この道は、何処に続いているのだろうか?

 

「いらないから」

『でも……!』

「しつこい」

 

 それだけ言って、通話を切った。

 何処に続いているか分からない道を辿ろうと、ペダルを踏み込もうとしたところで、またカオルから着信があった。

 ぼくはまた止まり、鳴り続ける携帯電話を見つめていた。

 

◇◇

 

 家に帰ると、父さんはまだ眠っていた。

 仕事場でも仮眠時間は設けられているけど、大抵の場合、父さんは昼過ぎまで眠り続ける。

 なるべく音を立てないよう、静かに台所に向かう。

 

 そうだ。冷やし中華を作ろう。

 

 マナーモードにした携帯はまだ震えていて、カオルからの着信は27回目だった。

 

 レトルトの冷やし中華の袋を二つ取り出して開封する。一袋二人前。ぼくはあまり食べないけど、父さんはそれなりに食べるから問題ない。四人前作って、それを父さんと二人で分けて食べる。

 最近のレトルトは便利で、ある程度の具が入っているから楽でいい。それに冷蔵庫にある有り合わせの野菜を加え、タレを掛けたら簡単出来上がり。

 

 結局、父さんは2時過ぎまで寝ていて、それから遅めの昼御飯になった。

 

「おーっ、悠くん大量に作ったなあ! ちょうどお腹減ったし、父さんメッチャ食べるぞお!!」

 

 ぼくらが呑気にご飯を食べている間も、ポケットの中の携帯はブルブル震えている。

 画面を見ると、メールが22件、不在着信は46件に増えていたので、携帯の電源をオフにしておいた。

 

◇◇

 

◇◇

 

 父さんが仕事に行って、入れ替わりでカオルがやって来る時間になった。

 

 そして、いつも通り、古くさいブザーのインターホンが鳴る。

 

 ドアを開けると、コンビニの制服を着たままのカオルが、スマホ片手に、ぐしゃぐしゃの泣き顔で立っていた。

 嗚咽を押さえ付け、何度もしゃくり上げながら、カオルが言った。

 

「だっ……だぎづいで、い、いい……!?」

「いいよ」

 

 頷いたカオルが遠慮がちに入って来て、ぼくらは玄関口で抱き合った。

 制服を着たままのカオルの身体は物凄く熱くて、大量の汗をかいていた。

 

「お仕事は?」

「……ばやびきじで……ユギのどうざんがいぐのまっでだ……」

「…………」

 

 カオルは早退して、ぼくの家の前で、父さんが出勤するのを待っていたようだ。

 ぼくは言った。

 

「カオル、ごめんなさい」

 

 カオルはしゃくり上げながらも強く頷いた。

 

「ゆ、ゆるず……」

 

 それから、ぼくはカオルの服を脱がせ、お風呂場で温めのシャワーを掛けて身体を洗った。

 

「熱くない?」

「気持ちいぃ……」

 

 その間もカオルは泣いていて、頻りに鼻を啜り上げていた。

 目は赤く腫れ上がり、付け睫毛は片方が取れて何処かに行っている。

 

「次、頭も行くよ? ついでに化粧も落としちゃおうか?」

「ぅん……」

 

 素直に頷くカオルの頭を温めのシャワーで濯ぎ、ついでに顔も洗い流した。

 お風呂から出た後で熱を計ると、少し発熱していた。この炎天下の中、泣きながら立ち尽くしていれば、誰だってこうなる。バレーボールで鍛えられたカオルだからこそ、この程度で済んだ。

 軽度の熱中症。

 その後は、冷やし中華の残りを食べさせた。食欲はあるようなので、問題ないだろう。

 カオルの汗まみれの衣服を洗濯した後、ぼくの持っている一番大きなTシャツを着させて(胸がパツパツで少しおかしかった)、パンティはドライヤーで乾かしたものを穿かせた。

 

 全てが一段落したとき、時計の針は午後7時になろうとしていた。

 

 カオルは、ぼくを一切、責めなかった。

 

 まいった。

 ぼくは、カオルのこと思い違いしていた。カオルがぼくにハマっているのは知っているけど、これほどまでとは思わなかった。

 その内、短気を起こしてぼくを殴り付けるくらいのことはすると思っていた。お金のことも、なし崩しに払わなくなるとも。

 

 身体にタオルケットを巻き付け、横になってこちらを見つめるカオルの目は、まだ潤んでいて、ぼくの言葉を待っている。

 

 重いから。

 あなた、そんな女じゃなかったよね。もっとヘラヘラして、適当な感じだったよね。

 

 本気で恋愛してるの?

 

 痛む眉間を揉んだ。

 

「カオル……お金は、いらないから」

 

 高校最後の夏休みにバイトの給料を巻き上げるほど、ぼくは腐ってない。確かにお金は欲しいけど、時と場合と相手を選ぶくらいの分別はある。

 カオルは強情に首を振った。

 

「駄目だって……そんなことしたら、ユキ、アタシ以外の客探すだろ……?」

 

 これだ。

 ぼくを独占したがる癖に、ぼくが新しく客を探すことは止めない。恐らく、これに関係しているのは『ルール』。

 

 ぼくは溜め息を吐き出した。

 

 もう遅いよ、カオル。

 葛城からはまだまだ搾り取るつもりだし、向こうだってぼくを離すつもりはない。くいものに出来そうな連中の目星も……少し危険だけど、ないことはない。小銭女は……どうでもいいか。

 

 もっともっと振り回すよ、カオル。これは、おまえが始めたんだから。最後まで、付いて来られる?

 

 ぼくは言った。

 

「カオル……。高校最後の夏休みだから、それは、カオルが使って」

 

「でも……!」

 

 尚も食い下がるカオルに向けて、ぼくは首を振って見せる。

 そして、とっておきの妥協案を口にする。

 

「だったら、そのお金で、ぼくを遊びに連れて行って」

 

「……!」

 

 カオルは仰け反るようにして口を噤んだ。

 

「いっぱい、誰にも負けないくらい、思い出作ろうって言ったよね……?」

 

「…………」

 

 俯き、視線を反らすカオルの頬が僅かに緩んだ。

 

「わかった……」

 

 ――ずきん、と胸が痛んだ。

 

 カオルは、にかっと笑った。それは朗らかな太陽の光を連想させて――

 

「カオルお姉さんに、任せなさい!!」

 

「うん」

 

 ぼくは笑って――なんだか少し、涙が出そうに、なった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話

「……うん、今晩は自分の家でちゃんと寝て。……何言ってんの、カオル、夏休みになってから、一日も家に帰ってないじゃん……大丈夫? そんな訳ないでしょ。……なら、ぼくがカオルの家に泊まる」

 

『ダメだッ! あんなバカ共のるつぼにユキを放り込める訳ないだろッ!!』

 

「でも、そろそろ一晩くらいは帰らないと……」

 

 ホンの少し、困ったように言うのがポイント。

 

『うがっ……! ぐぅぅぅ……』

 

 携帯電話の向こう。

 カオルは暫く唸り続けていたけれど。

 

『……わかった……ユキの言ってることも分かるし……今日は帰る……』

 

 がっくりとしなだれて、カオルは、まるでお葬式みたいに声のトーンを下げた。

 しょうがないな……。

 

「明日、コンビニまで迎えに行くし」

 

『…………』

 

 一泊の間があって――

 

『……しゃあッ! ヤバい、アタシら超ラブラブ……』

 

 状況終了。

 

◇◇

◇◇

 

 テーブルの上に携帯電話を投げ出して、ぼくは溜め息混じりに肩を撫で下ろす。

 

 今日は一日、泊まりありで葛城とフルコース。

 この前の資料室では失態だったことを思い出し、ぼくはもう一度溜め息を吐く。

 

(葛城の膣に出しちゃったもんな……)

 

 念のために薬を持ってなかったら大変なことになるところだった。

 そこまで考えたとき、携帯に着信があった。

 掛けて来たのは――

 

 ――深山楓――

 

 あれから5日ほど連絡がなかったから、終わったと思っていたけど、もう立ち直ったんだろうか。

 

 ぼくは一度携帯の電源を切り、深山を着信拒否に設定した。

 

「小銭稼ぎするほど暇じゃないんだ。残念だったね」

 

 今は葛城に集中したい。もう一日、後か先なら電話に出たかもしれない。

 これも運命。

 メールも、きっちりブロックする。未練がましいのは嫌いだ。これでもう深山のことを考えないで済むと思うと、清々しい気持ちすらする。

 

 ――バイバイ、小銭女。

 

◇◇

 

 寝ている父さんに、ご飯はいらないと書き置きをしたため、お昼前に家を出た。

 ぼくは少し考え、葛城に電話を掛けることにした。

 普通ならメールの一つも入れてから電話するところだけど、クソ度胸の葛城には必要ないだろう。

 登録だけしてあった番号に電話する。

 

『はい、葛城』

 

 ホントにすぐ出た!

 

「あ、葛城? 御影だけど……」

『…………』

「今、家出たんで、それだけ。30分くらいで着くから、じゃあね」

『ウソっ! みか――』

 

 携帯の電源を切った。

 これで葛城にも電話番号を知られてしまった訳だけど、特に問題ない。彼女の重要性を考えれば、むしろ遅すぎるくらいだ。

 

 葛城の家は、街の中央部にある大きな駅を挟んで向こうにある。

 取り合えず繁華街の方へ自転車を走らせる。商店街を抜け、大通りに出て、後はひたすら北に向かった。

 既に住所は分かっているので、携帯のナビを頼りに進む。

 

「あった……」

 

 閑静な住宅地の奥にある白い一軒家。『葛城』の標札が掛かっている。

 家格はミドルアッパーといったところ。これからは、ちょくちょく来ることになるだろう。

 そんなことを考えながら門戸を抜け、玄関のインターホンを鳴らした。

 ドアの奥から駆ける音がして、扉が開いたとき。

 

 ――あの下級生の子は、すごく悪い子です――

 

 何故か、深山の言葉を思い出した。

 

「御影さんっ、いらっしゃいませっ!」

 

 満面の笑みで飛び出して来た葛城が、ぼくの顔を見るなり抱き付いてくる。

 

「電話、ありがとうございましたっ!」

「いいよ」

 

 実は比較的簡単に教えていることは黙っておく。

 葛城はスパッツにタンクトップというラフな格好だ。猫のようにぱっちりとした瞳は黒曜石。ご機嫌で言った。

 

「ヨシコさんには、ご飯作ったあと上がってもらったんで、二人きりですよ!」

「ヨシコさん?」

「ヨシコさんはヨシコさんです!」

 

 よく分からない返事をする葛城に促され、家の奥に進む。

 

 システムキッチンと繋がった広いリビングに、二人分の食事が用意されてあった。

 

 葛城は……生意気だけど、ぼくに良くしてくれる。それは初対面の時から変わらない。

 

「葛城、ありがとう」

 

「……はい」

 

 後ろに手を組んだ姿勢で、葛城は照れ臭そうに笑った。

 言った。

 

「葛城は、ぼくのことが好きなの?」

「す、ストレートですね……」

「ごめんね。実はぼく、そういうの、よく分からないんだ」

「……はい」

 

 頷いた葛城は、何故か嬉しそうだった。

 

「御影さんは、綺麗なんですよ」

「ぼくが? とても汚れていると思うけど……」

 

 葛城は首を振った。

 

「……部室に来た頃の御影さん、全然、笑いませんでした。でも新城センパイは浮かれていて……」

「……」

「御影さんが好きで売ってるんじゃないって、みんな知ってます」

「……そう見えるんだ」

「はい。どうしようもない事情があるんじゃないかって……」

 

 ぼくは首を振った。

 

「自分を切り売りしてる馬鹿なだけだよ」

「……だから、あなたは綺麗なんですよ」

「ごめん、よく分かんない」

「キスしますよ」

 

 唐突に、葛城が唇を重ねて来る。

 このとき交わしたキスは、何故か、嫌な気分がしなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話

 このとき葛城と交わしたキスは、何だか優しいキスだった。

 カオルは吸い尽くすような激しいキスをするから、ちょっと新鮮な感じ。

 

 そのあと、ヨシコさんが用意してくれた昼食を一緒に食べた。

 ヨシコさんの作ったご飯は、はっきり言って美味しくなかった。不思議な不快感があって、それが少し興味深い。

 見た目は綺麗に盛り付けてある。彩りもいい。でもこれは……

 不思議な食事について考え込んでいると、葛城が言った。

 

「御影さん、今日はお願いがあります」

 

 見ると、葛城は食事を半分以上残している。謎が深まる。

 言いづらいお願いなのか、葛城は俯き、眉を寄せて深刻な表情になった。

 

「好きなこと言っていいよ。何でもしてあげる」

 

 葛城はお得意様だ。そういう意味で、大切な人間だ。

 小さく頷いて葛城は言った。

 

「き、今日は、恋人みたいに扱ってください……」

「……」

 

 それはやはり、カオルと同じように、という意味だろうか。

 

「カオルと同じようにすればいいの?」

 

 ぎゅっ、と葛城の眉が寄って険しい表情になった。

 

「新城センパイは、御影さんの恋人なんですか?」

 

 ツンケンした声。

 今日の葛城の趣旨は、この前とは違うようだった。

 ぼくは素直に謝った。

 

「ごめん、でも、恋人なんて居ないから、よく分からないんだ」

「……考えてくださいよ」

「分かった。やってみる」

 

 ぼくは少し考え込んで、その間、葛城はぶすくれた表情で待っていた。

 

 10分ほどして、考えが纏まった。言った。

 

「じゃあ、トウコ」

 

 その瞬間、葛城がビクッと震えた。

 

「ぼくのことは、悠希って名前で呼んで」

「うぇ……?」

 

 みるみるうちに葛城の顔は赤くなった。視線を左右に忙しなく泳がせ、コップや食器を意味もなく触りまくっている。

 

「ゆ、悠希さん、ですか?」

「呼び捨てでもいいし、何だったら渾名でもいいよ」

 

 さて、とぼくは手を打った。

 ぱちん、と大きな音がして、葛城が――トウコがまたビクッと震えた。

 

 ぼくは、結局半分以上残してしまった食器を持って立ち上がった。

 

「トウコ、片付けるよ」

「うぇ? それはヨシコさんがやってくれますよう!」

「……そのヨシコさんが何者かは知らないけど、今日はもういないんだよね?」

「は、はい」

 

 当たり前のように頷くトウコに、ぼくは首を振って見せた。

 

「じゃあ駄目。さ、一緒に片すよ。食器持って付いて来て」

 

 こうして、ぼくとトウコの恋人ごっこが始まった。

 

◇◇

 

◇◇

 

 キッチンの流しで、ぼくが食器を洗っている間、トウコは不思議なものを見るかのように、少しボーッとしていた。

 

「トウコもさっさと食器出す」

「はっ、はい!」

 

 トウコの食器も手早く洗う。

 

「トウコは、洗い物したことないの?」

「部活の合宿と、林間学校ぐらいでなら……」

 

 視線を反らすトウコの前で、ぼくは溜め息を一つ吐き出した。

 骨の折れそうな話だった。

 

 二人分の食器を洗い、最後に水の散った流しを布巾で拭き上げる間も、トウコはボーッと突っ立っていた。

 

 きゅっ、と布巾を縦に絞って流しの横に干しておく。

 トウコが感心したように言った。

 

「さ、様になってます……。家事が得意なんですか?」

 

 こいつ、お嬢だ。

 

「これくらいは」

 

 なるほど、と理解する側面もある。無鉄砲に見える判断や生意気な言動も、気儘なお嬢暮らしが原因だろう。

 とするとヨシコさんとやらの正体は、お手伝いさんだろうか。

 

 お嬢のトウコは無視して、ぼくは勝手にやらせてもらうことにした。

 大きな冷蔵庫の冷凍庫部分を開けてみると、中には冷凍野菜が馬鹿みたいに詰め込んであった。

 

「なるほど」

 

 不思議と不味い食事の正体はこれだ。

 取り合えず、冷凍庫の方から、カップのアイスクリームを二つ取り出した。

 

「食べようか」

「はっ、はい!」

 

 固さの残るトウコと一緒に、リビングでアイスを食べた。

 ぼくが頭の中でこれからの予定を組み立てる間、トウコはソファの上で正座でアイスを食べている。

 買い物には後で行くとして、このトウコを何とかする方が先決だった。

 

 トウコは少し男が苦手。自分のテリトリーに、ぼくという異物が入り込んだことで緊張している。

 

「おいで、トウコ」

「ひゃっ! はいっ!」

 

 ソファの隣を叩いてやって来るように促す。

 

 トウコは、ぼくの隣で膝を抱えるようにして座り込んだ。

 身を守っているような仕草。

 こういうときの不思議な魔法は、カオルとの経験で知っている。

 ぼくはトウコを抱き寄せ、膝枕の体勢になった。

 

「うひっ!」

「いちいち驚かない。トウコはじっとして」

 

 ガチガチに固まったトウコの頭を、優しく撫でる。

 髪を指で研いたり、耳に触ったり。

 トウコの髪は細く柔らかで、触っているとちょっと気持ちいい。首筋を擽ってやると、漸く笑みが出た。

 ぼくも笑みを返す。

 

「トウコは可愛いね」

 

「あ、はい……」

 

 徐々に固さが取れてきた。トウコは深く溜め息を吐き出して、それから身体の力を抜いた。

 

「トウコ。ぼくは、おまえの恥ずかしいところ、全部知ってるんだから、緊張しないで甘えていいよ」

 

「……! は、はい……」

 

 トウコは少し驚いて、それから完全に緊張を解いた。

 

 セックスって、ちょっと不思議。したことあるとないとで全然違う。お互いに一つになったって事実が、二人の距離を短くするんだと思う。

 

 膝の上でぼくを見上げるトウコの唇にキスをする。

 触れるだけじゃない。舌を絡め、唾液を交換する、ねっとりとした甘いキス。

 

「…………」

 

 離れると、トウコの顔は上気していて、黒曜石の瞳はしっとりと濡れていた。

 

「まだお昼だけど、しちゃおうか?」

 

 トウコは嬉しそうに笑ったあと、ぼくに馬乗りになってキスの続きを開始する。

 

 深く舌を挿し込み、音を立てて唾液を飲み込む。トウコの荒い鼻息が耳にかかって擽ったい。

 腰に手を回して、トウコの身体を引き寄せた。

 

「ん……んん……んッ!」

 

 キスが益々深くなる。

 お尻に手を触れると、トウコの吐息に喘ぎが混ざった。

 薄い胸に手を伸ばすと、熱を持った先端は固く尖っている。

 指先で乳首を弄っていると、トウコが焦れったそうにタンクトップを脱ぎ捨てた。

 ピンクの乳頭が露になる。

 トウコは、下着を着けていなかった。

 続けて、スパッツの付け根にある秘裂に手を伸ばす。

 ここも、下着の感触がない。じっとりと粘る液体で濡れていた。

 

「んフッ……フッ……!」

 

 キスしながら、トウコが腰を擦り付けて来る。

 耳元で、掠れる声が囁いた。

 

「悠希さん……自分、もう、我慢できませんから……」

 

 トウコが腰を浮かせてスパッツを脱ぐのに合わせ、ぼくもズボンをずり下ろす。

 

 濡れそぼった陰裂に、ぼくのペニスが触れた。

 温い淫液が亀頭に触れる。

 トウコが陰茎を指で支え、グッと腰を前に突き出した。

 

「くぅぅぅ…………!」

 

 ズブズブとペニスが陰裂に埋没する。

 やっぱり、トウコの膣内は燃えるように熱い。そこだけが別の意思を持っているみたいだ。

 

 トウコが強く抱き着いて来て、ぼくの頭を胸に押し当てる。

 前に資料室で付けたキスマークは、まだクッキリと痕を残していたけれど、ぼくはもう一度そこに吸い付く。

 噛みつくように。

 消えないように。

 ぼくの印を刻み込む。

 

 がくん、がくんとトウコの腰が波を打つ。

 ぼくは細い身体を抱き締めながら、滑る結合部分に触れてみた。

 強い粘性を持った愛液で、陰毛がぺったりとペニスに張り付いている。

 乳首を甘噛すると、トウコは鼻に掛かった喘ぎを上げた。

 

「はぁぁぁぁぁん……!」

 

 トウコが逃げるようにおとがいを反らして距離を取ると、ぬらぬらとてかる結合部分が露になった。

 固く尖ったクリトリスが、包皮にくるまって苦しそうだ。

 強いしこりを持つそれに手を回して、不意討ち気味に一気に皮を剥く。

 

「ぎひっ――」

 

 ――イった。

 トウコの瞳が、どろりと情欲に蕩ける。

 それを確認して、ぼくはゆっくりとした抽送を開始して肉壺の奥を刺激する。

 

「ぅ――――」

 

 トウコは全身を緊張させ、腰をふるふると震わせている。

 ぼくの動きに合わせ、愛液が粘着音を響かせる。剥き出しになったクリトリスを指で転がすと、トウコの喉が、ぐぅ、と鳴った。

 

 とろとろに蕩けたトウコの子宮口が降りて来て、ぼくも抑えがたい射精衝動が強くなってきた。

 

 薄い尻肉を引き寄せ、激しい抽送を繰り返す。トウコの中は熔岩のように熱く、快感に焼き付きそうだった。

 

「悠希さん! 悠希さん! あぁ!! もう……もう……!」

 

 トウコが赤く紅潮した顔で、押し付けるように唇を重ねてきた。腰が押し付けられ、亀頭が柔らかい壁に触れる。

 

「ぁぁっ……!!」

 

 トウコが絶頂すると同時に、ぼくも射精した。

 いつになく、長い射精だった。

 トウコの膣内は熱く、精液を吸いとられているような気がした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

カオル

「ありがとうございましたー!」

 

 カオルは口角を持ち上げ、にっこり笑った。

 

◇◇

 

 コンビニの仕事内容はレジ打ちだけではない。

 品だし。宅急便、メール便。荷物の受け取り。

 公共料金代行収納。携帯、スマホの料金代行収納。ATM 、コピー機等の取り扱い。

 切手や収入印紙の販売。

 おでん等の仕込みや焼鳥、中華まんの調理。

 

 他にも上げればきりがない。カオルが楽をしたのは、煙草の銘柄を覚えることだけだ。

 たかがコンビニとなめて掛かったカオルだが、アルバイトを始めて3週間、到底一人前とはいえない状況だ。

 

「カオルちゃん、レジ打ちいいから駐車場の掃除してきてよ」

「あ、はい」

 

 叔父が店長でなかったら、カオルは三回は辞めて帰ったという自信がある。

 それなりに面識のある関係だったからこそ、厳しい指導にも何とか我慢できた。

 思い出したように、店長が言った。

 

「あ、裏の勝手口もお願い」

「了解」

 

 カウンターから箒とチリトリを引っ張りだし、表の駐車場に向かう。

 山盛りになった灰皿を掃除しようとしたところで、長い影法師が差し、ん? とそちらに視線を向ける。

 

 オフショルダーのトップスに、ひらひらしたガウチョパンツ。踵の高いパンプスを履いて――秋月蛍(アキツキ ケイ)。

 

「へぇ……」

 

 カオルは、感心したように眉を釣り上げた。

 

「キメてるじゃん」

 

 蛍の格好は、何処から見ても『こっち側』。濃い目のファンデーションにきつめのアイライン。血のように紅いルージュを引いて。

 蛍は、眉間に険しい皺を寄せている。

 

「裏で待つ」

 

 短く言って、蛍は踵を返した。

 

 あの高身長で外連味(けれんみ)もなくヒールの高いパンプスを履いている。美人であるし、注目は集めるだろうが、男は尻込みして寄り付かないだろう。

 カオルには真似出来そうにない。

 鼻を鳴らして言った。

 

「カッコいいね」

 

◇◇

 

 勝手口のある細い路地裏で、蛍は煙草を燻らせて待っていた。

 

 カオルは腕時計をチラリ。

 仕事が終わるまであと一時間を切っている。早めに片付けないと、蛍と悠希が鉢合わせる危険があった。

 

 蛍が煙草を勧めて来る。

 今日はケンカしに来た訳じゃないという意思表示だ。

 カオルもそういうつもりはない。素直に受け取った。

 

「…………」

 

 紫煙を吐き出しながら、カオルは壁にもたれ掛かった。

 

「メンソールなかったの? 匂い、ユキが嫌がるから変えたんだ」

 

 蛍の眉間に寄った皺が深くなる。言った。

 

「口を慎め、この泥棒が」

 

 カオルは、くつくつと笑った。

 学校での蛍とは別人だ。でもこれがA特待の優等生の仮面を脱ぎ捨てた素顔。

 

 ――欲しいものは、力ずくでも。

 

 やっと視線が並んだ。そう思うと、こんなに愉快なことはない。だが、口に出してはこう言った。

 

「アタシはケンカしないんだ。そういうことしたいなら、バイト中だから帰ってくれない?」

 

「…………」

 

 蛍は舌打ちして黙り込む。

 対するカオルは満面の笑顔だ。

 

「アタシは女だから、ケンカしないでいいってユキが言ったんだ。そんなこと言われたの、始めてだった」

 

「……」

 

「オマエのことが心底キライだよ。でも、オマエだけがアタシの気持ちを理解できる」

 

 馨と蛍。二人の共通点は無視できないほど多すぎる。

 蛍の顔が苦しそうに歪んだ。

 

「……やめてくれないか。今日はそういう話に来たんじゃない」

 

 カオルは笑みを浮かべたまま腕組みして、もう一口煙草を吸った。

 蛍もそれに倣う。

 一息吐いて、それから言った。

 

「御影のことについて聞きたい」

 

 カオルは本当に可笑しそうに笑った。

 

「そうだよな。オマエはアタシに聞くしかないんだ。わかってたよ」

 

 修学旅行に始まり、幾つもの学校行事。昼食、休み時間。授業の間にも積み重なる思い出。

 カオルが指をくわえて見ているしかなかった二人の時間のなんと多いことか。

 

「ユキのことに関しては言えない。べらべら喋っていいことじゃないからな」

 

 攻守交代。今度は蛍が見ている時間だ。――最後まで。

 

「どんどんユルくなるよ。ほとんど毎日ヤってる。お金もいらないってさ」

 

「……!!」

 

 迸る悪意の奔流を受け、蛍の顔色は真っ青になった。唇は赫怒にぶるぶると震え、壮絶なまでの憎悪を表現している。

 だがそれでも――

 

「……頼む。御影のことを教えてほしい。何をどう間違えてしまったのか、私には分からないんだ……」

 

 カオルは残酷に言った。

 

「知るか、よくもユキを殴りやがったな。許せるかよ」

 

 許せない。

 秋月蛍が許せない。

 ルールを破っておきながら、尚も悠希が気にかける秋月蛍という女が許せない。

 

 

 シュウ……ごめんね……

 

 

 その親しげな呼称も許せない。

 カオルは思う。

 ルールを破ったのがカオルなら、あっさり捨てられたろう。

 妬ましい。

 カオルはどうしようもなく愛しているのに。

 自信がない。蛍との間の差が、それほどあると思えない。肌を重ねても、熱が冷めれば不安になる。

 

 最後に言った。

 

「オマエみたいな女は、地虫みたいに地べた這いずり回ってりゃいいんだ」

 

 




短いので12時にもう一話投稿します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話

 疲れた……。

 射精後の気だるさの中、ぼくとトウコは抱き合っていた。

 呂律の回らない口調で、トウコが言った。

 

「悠希ひゃん……ありがとぅござぃました……」

 

「どういたしまして……」

 

 深く繋がったまま、暫く黙っていた。

 カオル程ではないとは言え、ぼくよりトウコの方が背が高い。ちょうど顔の前にある胸に耳を付けると、心臓が張り裂けんばかりに鳴っている。

 その鼓動が落ち着くまで、ぼくはトウコの背中をさすり続けた。

 

◇◇

 

◇◇

 

 トウコの身体は、体温が少し高いのか、抱いていると温かい。微睡みがちでいると――

 

「悠希さん」

 

 はっきりと意思の籠った声。

 快感の余韻から抜け出したトウコが、厳しい面持ちでぼくの顔を覗き込んでいる。

 

「真面目な話なんですけど、いいですか?」

「……」

 

 返事をするのも億劫で、ぼくは黙って頷いた。

 

「自分も新城センパイと一緒で、悠希さんはもう、客取らない方がいいと思います」

 

「そう……」

 

 それはぼくの勝手だ。そこに議論の余地はない。

 

「新城センパイは……しょうがないです。悠希さん連れて来たの、あの人ですから」

 

 トウコとは、まだ繋がったままだ。エアコンの冷気に冷えた結合部分が冷たかった。

 

「あの眼鏡女……あれはなんですか? 新しい客ですか?」

「眼鏡女……ああ、小銭女のこと……?」

 

 ぼくは緩やかに腰を使い、トウコの奥をかき混ぜた。

 

「んんっ……っ、だ、大事な話なんですって……」

 

 トウコは鼻に掛かった声を上げながらも、ぼくの肩を押さえて動きを制止する。

 

「……小銭女って、なんですか……?」

 

 深山の話はしたくなかったけど、もう終わった話だ。

 ぼくは、深山との間にあったことをかいつまんで話した。

 

 なんとなく暇潰しの相手をすることになり、その際、小銭を貰っていたこと。

 うんざりしたので、深山の頭にジュースをぶっかけて、小銭を突き返して帰ったこと。

 

 トウコは笑うと思っていた。――思っていたんだ。

 

「なんですか、それ。あの女、悠希さんのこと馬鹿にしてるんですか?」

 

「……落ち着いて、トウコ」

 

 ぼくがゆっくりと腰を引くと、萎えたペニスと一緒に、トウコの膣から、ごぽっと精液と愛液の混ざった白濁が流れ出た。

 トウコはブルッと身震いして、慌てて膣口に手を当てた。

 

「後始末、するね」

 

 実のところ、ぼくは、この後始末という行為が割と気に入っている。

 愛液や精液の入り雑じったあの匂いは好きになれないけど、これで一つ仕事が終わったって気持ちになる。

 そんなことを考えながら、箱ティッシュを引き寄せると、トウコが慌ててぼくを制止した。

 

「だっ、大丈夫です! 自分でできますから!!」

 

「いいよ、気を遣わないで」

 

 カオルは、いつもぼくに後始末をさせる。曰く、避妊と後始末は男の責任というやつらしい。

 

 起き上がろうとするトウコの身体を押して、もう一度ソファに座らせる。

 

「あぁ、もう……」

 

 赤く頬を染めたトウコは、恥ずかしそうに両手で顔を覆った。

 

◇◇

 

 しっかり後始末を終え、服を着た後で、トウコを甘やかすことにした。

 恋人みたいに。

 ソファの上で、またトウコに膝枕をしてあげる。

 その後は一緒にテレビを見たり、適当なお話をしたり。

 これが恋人同士のすることなのかよくわからないけど、トウコは納得しているのか、文句は言わなかった。

 

 トウコはぼくの膝で寛ぎながら、頻りに深山のことを口にした。

 

「あの女、秋月の後ろで影が薄かったですけど、何か引っ掛かりますね」

 

 よく知らないけど、シュウを引かせるくらいだから、武勇伝の一つや二つ持ってそうだ。

 

「深山のことは、もういいよ。ぼくらの話をしよう?」

 

 ちょっとウザくなって来たので言ったところ、効果は覿面だった。

 

「あっ……すみません!」

 

 トウコは深く頷いて、それ以上、深山のことを言及するのをやめた。

 

 夕陽が射し始めた頃、ぼくはトウコと連れ立って近くのスーパーに向かった。

 

 道中、自分から『恋人繋ぎ』をやってみると、トウコは口元を緩め、むふぅっと鼻息を吐き出した。

 二人で晩御飯の買い出しをする。

 トウコは何故か興奮して、あれやこれと必要ない雑貨を買い漁ろうとしたので、それはやめさせた。

 晩御飯のメニューは、トウコのリクエストで、鳥の唐揚げにする。

 

 お嬢のトウコは、スーパーに行ったことはあるものの、お菓子やちょっとした雑貨以外のものは買ったことがないらしく、野菜を品定めするぼくの様子に興味津々だった。

 結局、買ったのはカットサラダとホウレン草。後はお菓子を少し。肉や卵などは冷蔵庫に入っていたので問題ない。

 

 無事に買い出しを終え、葛城邸に帰った後も、トウコは興奮してはしゃいでいた。

 

「次は何をするんですか!?」

「……晩御飯の準備だけど」

「ごはん!!」

 

 その後の流れは、まるでおままごとだった。

 ぼくらは二人でカットサラダを皿に盛り付け、ホウレン草をボイルしてお浸しを作った。

 トウコの手際は、カオルより随分悪かったけど、懸命な様子は素直に好感が持てた。

 唐揚げの味付けは塩コショウと醤油のシンプルなものにした。というより、家ではいつもこれだ。

 

 結局、一人でやるよりも倍近い時間が掛かったけど、トウコは楽しそうだったので良しとした。

 

 カット野菜の盛り合わせに、ホウレン草のお浸し。鳥の唐揚げに、とき玉子の中華スープ。

 出来上がったメニューを食卓で囲み、トウコは感動していた。

 

「すごい……できました……」

 

「すごくない。食べるよ」

 

 ぼくが手を合わせると、トウコも慌てて手を合わせた。

 

 食事が始まると、トウコはやけに静かになった。

 暫くすると、トウコの目尻に大粒の涙が溢れ、頬を伝って、テーブルの上に落ちた。

 

「……お、おいしいです……」

 

「そう」

 

 ぼくは、ヨシコさんをクビにするよう進言するかどうか悩み……結局は止めておいた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

シュウ1

「なあ、御影。修学旅行の班決めなんだが……」

 

 ……なんでだ、御影。なんで、私をそんな目で見るんだ……?

 

 あれか? 新城に最適解を取られたことを怒っているのか?

 

「ぼくのことは、ほっといて。一緒にいると、恥ずかしいんでしょ?」

 

「あれは違う!! 付き合っているのかと聞かれて……」

 

「いいよ、もう……」

 

「何がいいんだ!? この――」

 

 

 ――私がいないと、何もできない癖に!!

 

 

◇◇

◇◇

 

 

「なあ、御影。剣道部のマネージャーをやってみないか?」

 

 お前は私の世話を焼いていればいいんだ。難しく考える必要はない。私の為に使い走りをしたり、肩を揉んだり、機嫌を伺ったり。それ以外のときは、ずっと後ろに付いて居ればいい。

 そうしたら――

 

 

 ――私は、心安らかにいられる。

 

 

◇◇

◇◇

 

 なあ、御影。最近、私のことを避けてないか? ……気のせい? だったらいいんだ。

 

 なあ、最近、笑わないな……。

 私はお前の笑顔が好きなんだ。だから、ちょっと笑ってくれないか?

 

 なあ……御影……なんでそんなに悲しそうな顔をしているんだ……?

 

 あれ以来、答えがわからないんだ。でも、私は上手くやっている。そうだよな? 一緒の大学に行こう。そうすれば、煩わしい時間の制限は無くなる。

 

 ずっと一緒にいられるよ。

 

◇◇

◇◇

 

◇◇

◇◇

 

 

「ごめんなさいごめんなさいお母さんもうしません二度とつまみ食いしません泣きません大きな声も出しません許してくださいこの通りです」

 

 

◇◇

◇◇

 

 

「おまえには此処にいる資格がない! 資格がない者は出ていきなさいッ!!」

 

 

◇◇

◇◇

 

 なあ……御影……私は、いったい何処で、こんなにも間違ってしまったんだ……?

 

 

『知りたい? あれだけのことをしておいて、どの口がそんなことを言えるんですか。制御できない力は、ただの暴力でしかありません。御影くんは震えていましたよ』

 

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

◇◇

◇◇

 

「私が知りたいんだ! 深山、お前は関わるな!!」

 

 冷たい受話器の向こうに、蛍は叫んだ。

 

『そうやって、力で来る内は何も言いません』

 

 深山楓は冷静だ。あくまでも冷静に、蛍を拒絶する。

 

『彼に必要なのは、お金じゃなくて寄り添うひとです。話し合う相手なんですよ』

 

 深山楓は無理しない。

 おっとりとして、マイペース。しかし一本芯があり、言い出せば聞かない強情な側面がある。

 

『貴女は虎なんですよ』

 

 分かっている。

 

「だからどうした!!」

 

 楓は冷たく言った。

 

『戦国時代に生まれればよかったんです』

 

 強いのはどちらだ、と訪ねれば、百人が百人、秋月蛍の名前を挙げただろう。

 

「力ずくでも推し通るぞ……!」

 

『やってみなさい。全力で阻止しますよ。折れるのは貴女の剣です』

 

 だが、『こわい』のはどちらだ、と訪ねれば、百人が百人、深山楓の名前を挙げる。

 

 蛍の数少ない敗北の殆どが楓との試合によるものだ。世界は広く、選ばれなかった者の中にも、このような逸材を隠している。

 

『ちゃんと部活には来てください。引きこもりなんて柄でもないんですから』

 

「喧しい! お前は関わるな!! 御影は私が一番最初に目を着けたんだ! 私のものだ!! 私のものなんだよ!!」

 

『それが貴女の本性ですか』

 

◇◇

◇◇

 

 深山楓とは話にならない。

 

 新城馨は――

 

 

『オマエみたいな女は、地虫みたいに地べた這いずり回ってりゃいいんだ』

 

 

 新城馨は、不倶戴天の天敵だ。彼女に頼ろうとした自分が馬鹿だった。

 

 蛍には何も分からない。

 

 暴力は確かに悪かった。だが、悠希があそこまで激烈な拒絶を見せるとは思わなかった。

 好きだからこそ、本気で怒った。本気で止めようと思った。本気でぶつかった。それの何がいけないのか。

 

 ――馨にまで憐れみを向けられる始末になった。

 

 蛍には何も分からない。

 

 新城馨は、虎だ。

 蛍にはよく分かる。同種だからこそ、決して打ち解けない。馴れ合わない。

 

 蛍の知らない秘密がある。

 

 蛍だけ知らない秘密がある。

 

 頭がおかしくなりそうだった。

 

 深山楓とは話にならない。調子に乗っているが、いずれケリを着けてやる。身の程を思い知らせてやる。

 

 新城馨に関しては――

 

 同種だからこそ、よく分かる。

 馨はいずれ自滅する。放置で問題ない。

 

 それが――最適解。

 

◇◇

◇◇

 

 ある夏の日、蛍は答えを求めて飛び出した。

 最適解が囁く。

 今、無理をしてでも、どんな犠牲を払おうとも、絶対に答えを知らなければならない。――すべてが手遅れになる前に。

 

 決意を胸に、木造の古いアパートのインターホンを鳴らす。

 駐輪場に自転車がないから、悠希は留守にしている。ちゃんと勉強していればいいが、と蛍は少し心配してしまう。

 

 ドアの向こうから物音がして、初老の男性が顔を出した。

 男性は眠そうな顔をしていたが、蛍の顔を見ると、ハッとしたように目を見開いた。

 

「のわっ……こりゃ、たまげた……。とんでもない別嬪さん……」

 

 ぼん、と頬が熱くなった。

 女性として、手放しの賛辞を送られたことは数える程度くらいしかない。

 

「あ……お邪魔してすみません。秋月と申しますが……」

 

 答えを知る者は他にもいる。

 座って待つのも、悩み続けるのも、蛍の性分に合わない。

 虎で悪いか。

 障害は全て食い破る。

 それが蛍の選んだ道だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生まれつき強い蛍には、弱者の心は分からない。

 

 虎の秋月蛍には、人の心は分からない。

 

 最適解は遠い。

 あまりにも、遠い――。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話

 晩御飯が終わり、その後の洗い物はトウコと一緒にした。

 ぼくが洗う。トウコが拭く。

 

「……今日は、素晴らしい一日です」

 

「そう」

 

 シンクの水を流しっぱなしにしたまま、ぼくはトウコにキスをした。

 なんとなく、そうする方がいいような気がしたから。

 

 トウコは少し驚いて、でも嬉しそうにキスを受け入れた。

 

◇◇

◇◇

 

 洗い物が終わったあと、リビングでトウコが土下座した。

 

「……今度はなに?」

 

 トウコには、何をするか分からないところがある。

 シュウの顔にジュースをぶっかけたり、カオルが怖い癖に、ぼくに手を出したり。深山を挑発したり、下着姿で警察に捕まったり。

 そんなトウコが突然土下座したからといって、ぼくは特に驚かなかった。

 

「そろそろ、お風呂に入ろうか」

 

 土下座したままのトウコが、ビクッと震えた。

 

「悠希さん、その事でお話があります」

「うん……」

 

 やれやれ、とぼくは向き直る。

 トウコと居るのは、凄く疲れる。何をするか分からないし、はしゃぐし、エッチをするのもカオルの倍は疲れる。

 ……最後のは何故か分からないけど。

 

 トウコの土下座は、ぴしっとして、何だか胴に入っている。慣れてるのかもしれない。

 

(謝男(シャーマン)直伝……?)

 

 トウコが言った。

 

「悠希さん、自分とお風呂に入って下さい。お願いします」

「うん、いいよ」

「……へ? いいんですか?」

 

 トウコは顔を上げ、意外そうに言った。

 

「あの、お風呂って裸で入るんですよ?」

「それくらい知ってるよ。馬鹿だね、トウコは」

 

 今日は泊まりでフルコース。分かっていたことだ。

 

 でも、やっぱりセックスって不思議。繋がった後だと、あんまり怖くない。見せても大丈夫な気がする。

 トウコが、また深々と頭を下げた。

 

「自分、以前に覗きやらかしたんで、悠希さんの傷のことは知ってます」

「……あれ? そうだったんだ」

 

 まあ、トウコのやりそうなことだ。ぼくは驚かなかった。

 

「申し訳ありませんでした!」

 

 分かっていてぼくに手を出すんだから、トウコも本当に物好きだと思う。

 

 でも、本当にセックスって不思議。

 深山のときは、少し見られただけであんなに気分が悪くなったのに。

 ……やばい。ぼくって、好き者の素質があるのかも。

 

「いいよ、もう。早くお風呂に入ろう」

「…………」

 

 トウコは眉を寄せ、ちょっとムッとした表情になった。

 

「……悠希さん、ちょっとユルくないですか? 簡単に許さないで下さいよ」

 

「あ……そう、かも……」

 

 カオルもそうたけど、ぼくはエッチした相手に、無意識の内に気を許しているのかも。

 

 深山や……シュウとも、エッチしたら変わるんだろうか……。

 

 そんなことを考えた。

 

◇◇

◇◇

 

 葛城邸のお風呂は、間取りの広いシステムバスで、ジャグジーが付いていた。

 トウコが照明を少し落としてしまったので、浴室内は薄暗い。

 背後で、トウコが息を飲む音が聞こえた。

 

「こ、これって……」

 

 トウコは瞬きすら忘れ、裸のぼくに見入っている。

 

「こんなの……こんなのって……!」

 

 たちまち、トウコの黒曜石の瞳に涙が溢れる。

 ぼくは、ソッと指先でトウコの唇に触れた。それ以上はNGの合図。

 同情されたくもないし、詮索もされたくない。

 

「す、すみません! 取り乱しました……」

 

 トウコは、ぐしぐしと手で涙を拭って、それから鼻を啜った。

 ぼくの意思を汲んでくれたのか、それ以上に傷を気にする素振りを見せることはなかった。

 

 お風呂の中でトウコは、ぼくに触れることもなければ、求めて来ることもなかった。

 やらしいことされると思ってたから、ちょっと意外。

 トウコがおずおずと、機嫌を伺うようにぼくを覗き込んで来る。

 

「その、悠希さん。新城センパイとは……一緒に、お風呂入ったりしてるんですか……?」

「いいや。カオルは、ぼくとお風呂に入らないよ」

 

 誘えば一緒に入ってくれるだろうけど、まだやってない。おそらく、それは『ルール』に関係してる。

 

 誘ったら、カオルは喜んでくれるだろうか?

 

 ぎゅっ、とトウコの眉が寄った。

 

「自分が一番最初なのは嬉しいですけど……やっぱり、悠希さんはユルいとこあります。寝てる女だからって、油断しないで下さい」

 

「あ……うん、気を付ける……」

 

 トウコの言うことは正しい。ぼくは素直に頷いた。

 

「……新城センパイには、もっとユルいんですか?」

 

 トウコはちょっと怒っているみたいだった。

 

「気付かない内に、色々やらされてるかもしれません。しっかりして下さい」

 

 大変だ。トウコなんかに説教されてしまった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話

 夜になってからのぼくらは、トウコの部屋で一緒にゲームをしたり、ベッドに寝そべって二人で漫画を読んだり。

 時折、トウコは、不安そうにぼくを見たけど、笑みを返すと安心してるみたいだった。

 

 やがて、やることがなくなり、夜遅く。トウコがぼくの下履きをずり下ろして来た。

 何も言わず、ぼくのぺニスを口に含んで舐め回す。

 

「ん……ちゅ……」

 

 トウコの荒い息遣いと粘る水音だけが部屋に響く。

 明かりは消されていて、テレビをさっきまでプレイしていたゲームのタイトル画面を映していた。

 

「はぁ……んむっ……」

 

 トウコが頭を前後させ始めた。舌先がぺニスを舐め回し、裏筋や亀頭を這い回る。

 

 カオルの始めての時より、トウコの方が随分うまい。でも、時々、亀頭に当たる八重歯のせいで鋭い痛みを感じる時がある。

 トウコが荒い息を吐きながら、顔を上げた。

 

「……どう、ですか?」

「トウコは可愛いね。もっとして……」

 

 トウコは嬉しそうに笑った後、またぼくの股間に顔を埋める。

 ゲームのデモプレイが始まった。

 暗い室内の中、壁に浮かんだトウコの影が上下する。青白い光が、褐色の肌を照らしていた。

 

◇◇

 

 トウコの膣は、とても暖かい。

 青白い光が照す室内で、じっとりと汗をかいたトウコの裸身が淫靡に蠢いている。

 ぼくに股がり、指を絡めるトウコが薄い笑みを浮かべて、腰をグラインドさせる。

 ネチャッ、と淫液が跳ねる音がして、結合部分に温い湿り気を感じた。

 トウコが覆い被さって来て、唇を合わせて来る。

 

「き、きもちいいですか……? きもちいいですか……?」

 

 トウコが耳元で囁く。

 ぼくは、ゆっくりと腰を使って蜜壺の奥を掻き回すことで応える。

 頭の中は冷えていて、冷静にカオルとの違いを考えている。

 

 最近のカオルは一度目が一番激しい。二回目からは敏感になりすぎて早くなる。膣が濡れ過ぎて、ぺニスに感じる刺激も弱い。温いぬかるみは、ひたすらぼくを取り込もうと必死に愛液を吐き出す。締まりも弛くなって、後はひたすら快感に溺れるだけ。

 

 トウコは逆に、一度イってからが激しい。膣がどんどん熱くなって、腰使いも荒くなる。後は限界まで押しきる。だんだん弱くなるカオルと違って、トウコは後が強くなる。長くなると、ぼくも熱くなって来て、最後まで達してしまう。

 

 体の相性、ということだけをかいつまんで見てみれば、トウコの方が相性がいいのかも。

 

 トウコの尻肉を掴み、激しく腰を振り立てた。

 

「うぅぅん! あぁ!! 悠希さん! 悠希さん!!」

 

 ちょっぴり、カオルの緩いぬかるみが恋しかった。

 

 トウコが、がしがしと腰を使って来る。ぼくの頭を抱き締め、激しく髪を振り乱して嬌声を上げる。

 

「……ぃぎまずよっ! ゆうぎざん、いぎまずよっ!!」

 

 トウコが固くしこったクリトリスをぼくの腰に押し付けて来る。

 ブルッと身体を震わせ、トウコは脱力した。イった。ぼくは構わず、更に激しく腰を使ってトウコの奥を責め立てる。

 

「ひんっ! ひぃぃんッ! ゆうぎざん、まっで、まっ――」 

 

 トウコは底なしなのかもしれない。

 何度もイって、溢れた愛液が腿を伝ってシーツに大きな染みを作るようになっても、まだ足りないのか、激しく腰を押し付けて来る。

 

「ゆうぎざん、ゆうぎざん~~!」

 

 堪え性のないトウコがまたイった。

 瞬きほどのインターバルも許さず、ぼくは腰を突き上げる。

 

「いぃぃいぃ! ゆうぎざん、はげじい! はげじい!!」

 

 トウコが悲鳴じみた嬌声を上げた。

 膣肉がギリギリとぺニスを締め上げ、ぼくも同時に白濁を吐き出した。

 

 瞬間、白く染まった世界の中で、やっぱりカオルのことを思い出した。

 

 ……そういえば、カオルも激しい時期があった。

 何度ヤっても足りなさそうにしている時期があった。

 それを超えると、カオルの膣は柔らかくなった。弱くなった。

 

 やっぱりセックスって不思議。女の子って、こうして支配するのかも。それじゃ――

 

 もっと柔らかくなってね、トウコ。

 メチャクチャにしてあげるから。

 

◇◇

 

 室内に、トウコの匂いが揺れて漂っている。

 エアコンのお陰で、あまり気にならないけど、あれが混ざり合う匂いは好きになれない。

 事後、微睡んでいたトウコが、後戯の最中に目を覚ました。

 

「……悠希さん、自分のものになってくれませんか……?」

 

 ぼくは聞こえないふりをした。

 

「自分、金ならあります。考えといて下さい」

 

 そんなことを言うトウコの首筋に噛みつきながら、お腹の辺りを撫でる。

 

「気持ちよかったよ、トウコ」

「は、はい、ありがとうございます……」

 

 照れ臭そうにするトウコにキスをした。

 

 カオル曰く、後戯は超重要。優しい言葉をかけたり、キスしたりするべきらしい。

 もう一度しろとは言わないので、絶対に怠るなとも。

 

「トウコは……可愛いね……」

 

 そんなことを言いながら、カオルのことばかり考えるぼくが、いた。

 

 やがてトウコの寝息が聞こえて来る。

 ぼくは寝られずにいて、カオルの大きく白いお尻や、長く伸びた脚を思い出してしまう。

 

 無性に、カオルの声が聞きたくなって来た。

 

 携帯電話を取り出して時刻を確認すると、夜中の2時になろうとしていた。

 12時を少し回ったところで、カオルのおやすみメールが入っている。

 

 ぼくは頭を振って、カオルを追い払った。

 

 

 ――いっぱい。いっぱい思い出作ろうな……。

 

 ――カオルお姉さんに、任せなさい!!

 

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

 結局、ぼくは眠らず。

 トウコの横で、じっと夜が明けるのを待っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

深山 楓1

 御影悠希。

 ちっさい、ちっさい、マスコット。それが楓の印象。

 女子剣道部の主将、蛍のお気に入り。ご執心と言ってもよかった。

 その蛍が嫌そうな顔のマスコットを引っ張って連れてきた時のことは絶対に忘れない。

 

「御影、お前には私の手伝いをして欲しいんだ」

 

 マスコットは蛍に借りがあるらしく、渋々と言った様子で蛍の後ろに付いて回っている。

 ちっさいちっさい、マスコット。でも頑張って、防具や技の名称を覚えた。ちょっと微笑ましい。

 蛍の後ろに付いていて、時稽古の時間を測ったり、竹刀の組み立てを覚えたり。

 

 蛍と並んで素振りしているのを見た時、楓は噴き出して噎せてしまった。他の部員たちも同様なようで、温かい視線で見守っている。

 

 練習試合のとき、蛍が防具を着けるのを手伝っていた。

 剣道着や袴のたたみ方。防具の片付け方も覚えたようだ。やる気のあるなしに関わらず、真面目な姿勢は好感が持てた。

 

 ちっさいマスコットは、密かに女子剣道部の人気の的だった。

 身体も顔も造りが小さく、中性的な印象のお陰で他の女子部員の警戒を買うこともなかった。蛍だけでなく、他の部員の面倒も見る。一緒になって胴着をたたみ、防具を片付ける。献身的で健気な姿は見る者を和ませた。

 

 スコアの付け方やルールを覚えてからは大活躍だった。

 お茶くみに始まり、試合のスコア記録、ビデオ撮影、審判、備品の管理。これらの手間から解放されれば、必然的に練習の密度は濃くなる。

 

 インターハイ終了まで。

 期間限定で授かったスーパーサポーター。

 

「だ、だきしめたい……」

 

 部員たちの言葉。

 小さい身体で頑張る姿は、誰もが認めていた。

 学習能力と自主性が非常に高い。状況と必要性を読み、言われる前に動く。叱られる前にやる。怒らせる前にやめる。悠希のそれは徹底していて、楓は漠然とした不安を覚えるほどだった。

 

 この年、秋月蛍の強さは、まさに鬼神だった。

 稽古でも試合でも、隙というものがなくなった。以前から怪物じみた強さを誇っていたが、インターハイでは本格化し、更なる怪物ぶりを周囲に見せ付けた。

 

「ああ、御影。ちゃんと見ていたか? 今の打ち込みはよかったろ?」

「そうだね。残心まで決まってた」

 

 そんな二人は凹と凸。ぴったり填まって見えていた。

 

 更衣室にて。

 当時はまだ在籍中だった上級生が、皮肉混じりに言った。

 

「秋月さん、貴女……あの小さい子と付き合ってるの?」

 

 意地の悪い質問だった。

 仮にそうだったとして、どんな問題があるのか。活動中の二人の関係は、常識の範囲に収まっている。上級生の言いようには揶揄する響きがあった。

 

「いえ、私たちはそういう関係でなく……」

 

 僅かな苛立ちを込め、蛍は慇懃に否定する。

 

「そうよね。あんな小さい子と大きな貴女じゃ合わないわよね?」

 

 まるで鬼の首を獲ったかのように。

 上級生たちが囃し立てた。

 

「…………」

 

 蛍は、険しい表情で口を噤んでいた。

 

 本人は一言も言わないが、秋月蛍が特別待遇なのは誰の目にも明らかだ。顧問は何かと目をかけ、時には送迎までしていたし、悠希のマネージャー推薦にも意見一つ口にしない。

 事ある毎に上級生の槍玉に上がるのは何時ものことだった。

 

 

「私がいないと、何もできない癖に!!」

 

 

 インターハイ終了直後、蛍と悠希の関係は破綻した。

 

 かっとなって叫んだ蛍は慌てて口を押さえたが、もう遅い。

 

 言い争いの原因を作ったのは上級生だったが、決定打を放ったのは蛍だ。

 

 一部始終を見ていた楓は、僅かな苛立ちを覚えた。

 

 あの献身を認めないのか。

 何様のつもりだろう。

 

 悠希はその場を逃げるように去り、二度と剣道部に戻ることはなかった。

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

 秋月蛍が主将。深山楓が女子剣道部の副主将。

 納得するかしないかは別として、顧問の決定には従うべきだ。

 

 人は心の中に小箱を持っている。その小箱の中に秘密を隠す。

 

 秋月蛍に勝てるか? と聞かれれば、勝てるかもしれない、と楓は答える。やってみなければ分からないと答える。

 顧問に、負けろと言われなければ、試していたに違いない。でもそれで大学への推薦が貰える。試す意味がない。

 

 人は心の中に小箱を持っている。その小箱の中に、楓は秘密を隠している。

 

 時々は考える。

 

 誰かの小箱を覗き見て、そこに綺麗な宝石を見つけたら……

 

 楓は少しだけ、ちっさいマスコットの献身を思い出す。

 

 小箱の宝石は、未だ見つかっていない。

 

 ――このときは、まだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話

 朝になり、青白い朝陽が窓越しに射して来る。

 よく眠っているトウコの栗色の髪を陽光が透過して、金色に輝いていた。

 トウコの髪は、細く柔らか。ボーイッシュな短い髪の毛が少し乱れていて、昨夜の情事を連想させる。

 朝陽を受け、トウコの瞼がひくひくと動いた。

 ゆっくりと目が開く。

 

「…………」

 

「おはようさん」

 

 シーツにくるまったトウコの裸身を撫でる。

 

「……悠希さん、寝なかったんですか?」

「今、起きたとこだよ」

 

 ウソ。すぐ帰って家の布団で寝直したい。

 

 その後は、キッチンでシリアルとトーストの簡素な朝食を作った。少し寂しい感じがしたので、昨夜のサラダも小皿に盛って出しておく。

 

 トウコは、やっぱりはしゃいでいた。

 誰かが泊まるのは始めてらしい。

 

「お父さんとお母さんは?」

「えっと……」

 

 この質問に、トウコはあからさまに目を泳がせた。

 

「ごめん、答えなくていいよ」

「あ、いえ……ちょっと説明が面倒なだけで、隠すようなことでもないんです」

「でも、自分から言って回るようなことでもない。食べよう?」

 

 トウコは軽く息を吐いて、少し微笑んだあと、食事に戻った。

 淡々と食事が進む。

 時刻はまだ7時前。なんとなく手持ち無沙汰になり、テレビの電源を入れる。

 トウコが、ぽつりと言った。

 

「悠希さんは、こういうことしてていい人じゃないと思います」

 

 ぼくは聞こえないふりをした。

 

 ――お前に言われたくないんだよ。

 

 今日は快晴。

 雲一つない洗濯日和になるでしょう。

 

◇◇

 

 トウコの家を出て、目覚め始めた街の中を抜けて行く。

 人影はまばら。朝の喧騒までは、まだ少し時間がある。

 父さんより早く帰って、少しでいいから寝直したい。そんなことを考えながら、大通りに出る。

 開店準備前のスーパーや薬局、定食屋の並ぶ商店街を抜けて――

 

「あ、少年ビッチじゃん」

 

 ぼくは自転車を止め、声のした方に振り返った。

 

「おっす。少年ビッチ」

 

 どこかで見た顔だったけど、思い出せない。

 身長は165cmくらい。ショートパンツに、上はシンプルなトップス。何より目を引くのは、抜けるような白い髪の毛。――白髪。

 

「だれ?」

 

 その問いに、がくっと膝を折りながら、白髪の娘が答える。

 

「あたしだよ、皆川」

 

 皆川優樹菜。ヤンキーどもはパッパラパーのパー子って呼んでいる。陸上部の部室で何度か見た顔。たまに口を利くくらい。ぼくと同い年で、カオルとは――どうなんだろう、喋っているのを見たことない。

 

「ああ……パー子か。少し見ない間に、すっかり老けたね……」

 

 パー子は、へらへらと嬉しそうに笑った。

 

「パー子って言うんじゃねーよ。この頭も、夏休みだから気合い入れてるだけだっつの」

「そう」

 

 興味なかった。

 

「んで、少年ビッチは朝帰りなんだ?」

「そんなとこ」

「相変わらず売ってんの?」

「そっちは、ぼちぼち」

「新城以外に売っていいの?」

 

 ――ユキの客はアタシ一人でいいんだ。

 

「相変わらず、2000円?」

 

 ――自分も新城センパイと一緒で、悠希さんはもう、客取らない方がいいと思います。

 

 ぼくは、にっこり笑った。

 

「今から、する?」

 

 要するに。

 今日はそういう一日だってこと。

 ホント、そんだけ。

 

◇◇

◇◇

 

 父さんより先に家に帰った。

 真っ直ぐ浴室に向かう。

 熱いシャワーに身体を打たせながら、壁に背を凭れ掛けた。

 未だに残る。絡み付くような、女の匂い――。

 

 

 ――悠希さんは、こういうことしてていい人じゃないと思います 。

 

 

 皆川とは24時間営業のネットカフェで別れた。そのまま寝るんだと言っていた。

 プチ家出中らしい。

 

「――ったく」

 

 カオルのことは、なるべく考えないように、した。

 

 その後は、少しでもいいから眠ることにして布団に入った。

 夏休み中だし、父さんは起こさないだろう。

 昼過ぎまで寝て、それから図書館に行きたい。午後からなら深山と鉢合わせになることもない。

 ぼくの受験は、そんなに大変じゃないけど、今の水準を保たないといけない。それから……

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

 眠気に霞む意識の向こうに、父さんの顔があった。

 目尻に小皺が寄っていて、髪の毛にも白いものが目立つようになっている。

 

 この何年かで、すっかり老け込んでしまった。皆川とは違う、はったりじゃない白髪頭。

 もう、還暦が近い、ぼくのお父さん。

 

 もっと、もっともっと……ぼくが頑張らないと……この人は、きっと無理をしてしまうから……ぼくは……

 

◇◇

◇◇

 

 目を覚ますと、心配そうな父さんの顔があった。

 

「悠くん、大丈夫? 熱はないみたいだけど、酷い顔色だよ?」

「うん、平気。エアコンで少し寝冷えしたのかも」

 

 壁に掛けてある時計を見ると、もう15時になろうとしていた。

 寝過ごした。

 ぼくは軽く息を吐く。自分で思っていたより、ずっと疲れていたようだ。

 父さんが言った。

 

「なあ、悠くん。ちょっと父さんの方、見て」

「ん……」

 

 真剣な表情の父さんと見つめ合う。

 

「……ひょっとして、昔の夢とか、見た……?」

 

「夢は見ないよ」

 

「そっか、悠くん、夢は見ないか……」

 

 父さんは鼻を啜って、ぼくから目を反らしてしまった。

 

「そっか……そっかあ……」

 

「…………」

 

 カオルを、迎えに行く準備をしないといけない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話

 一気に稼ぐ必要はない。

 そんなことをすれば騒ぎの元になるし、家計に還元するのも時間が掛かる。

 父さんにバレないように、ゆっくり。この作業は数年掛かりになる。

 対象は、なるべく広く薄く。狭い人間関係から多く巻き上げれば、これも騒ぎになる可能性がある。

 トウコが幾ら持っていようが関係ない。個人から大金を引っ張るのは危険だ。上限は30万くらいだろうか。それだけ搾り取ったらおしまい。

 パー子には友人を紹介して貰う。

 新しい金づる。中にはガチで援交やってる娘もいるだろうから、そこが狙い目。

 カオルは……

 カオルは…………

 

◇◇

◇◇

 

 時刻は4時半。

 カオルがアルバイトしているコンビニにやって来た。

 来るのは始めてだったけど、住所は聞いていたので問題ない。

 外から中の様子を伺うと、カオルに目付きが似ているノッポのおじさんが棚の整理をやっていた。

 カオルの姿は見えない。

 店の裏手でサボっているか、奥のスタッフルームにでもいるのか。

 中に入り、ぼくはお気に入りのバニラアイスを買った。

 会計を済ませる間も、カオルが帰って来ることはなかった。

 仕方なく表のベンチに腰掛け、アイスを食べた。

 

「ユキ……?」

 

 ん? と声のした方を見ると、箒とチリトリを持ったカオルと目が合った。

 喜ぶかと思ったけど、カオルは鼻面に皺を寄せ、焦ったように辺りを見回した。

 その直後、カオルの後ろから、すらっとした長身の――

 

 ぼくは硬直した。

 

「し、シュウ……?」

 

 どっ、どっ、と心臓が鼓動を打った。手元からバニラアイスのカップが転がって、地面に落ち、湿った音を立てた。

 

 俯き加減のシュウは、何だか酷く落胆した表情でカオルとは逆に通りの方に行こうとして――ぼくと目が合った。

 シュウの奥二重の瞳が驚愕に見開かれる。

 

「あ……!」

 

「ごめんなさい!」

 

 その言葉が自然に口を衝いた。

 

「御影!」

「ごめんなさい!」

 

 ぼくは、これ以上ぶたれないように頭を庇った。

 

 ――瞬間、カオルが思い切りシュウを突き飛ばした。

 

「とっとと消えろ……!」

 

 よろめいたシュウはその場に倒れ込み、片方脱げたパンプスが転がった。

 それでもぼくと合わせた瞳を逸らさない。その瞳から、ぽろっと涙が零れた。

 

「御影……」

 

「…………」

 

 ぼくは、涙を流すシュウから視線を逸らすことができなくて。

 今日のシュウは、すごく綺麗。外人のモデルさんみたい。ぼくらは数瞬、見つめ合う。

 震えが止まった。

 

「シュウ――」

 

 大丈夫? と言おうとして――

 

「さっさと消えろッ!!」

 

 カオルが叫び、その声で、ぼくはハッとした。

 

「~~~~!」

 

 カオルは全身に怒りを漲らせ、ぼくの視界を塞ぐようにシュウの前に立った。

 

「早く行けよ! 二度と来るな!!」

 

 シュウは何か言いたそうにこちらを見ていたけど、カオルの剣幕を見て、諦めたようだった。

 涙に濡れた瞳を伏せ、脱げたパンプスを拾い上げる。

 

「…………」

 

 雨に濡れた仔犬のように、惨めで、憔悴した様子のシュウから目が離せない。

 

 シュウは立ち上がり、ぼくを見て、悲しそうな笑顔を浮かべて見せた。

 

 ――このまま、行かせられない。

 言った。

 

「シュウ。インターハイ、頑張って……」

 

「……」

 

 シュウは少し驚いて、濡れた睫毛を指で拭って、それから笑った。それは以前よく見たことのある、優しくて強い、ぼくの――

 

 唐突に、カオルに抱き寄せられた。

 

「見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな」

 

 何かの呪詛。或いは、祈るような囁き。

 ぼくはカオルの胸に顔を埋め、鼓動に耳を澄ました。頭の中は、くしゃくしゃだったけど、そうしていると落ち着く。

 

 ぼくのカオル。

 

 暫くして顔を上げたとき。シュウはもう、立ち去った後だった。

 

◇◇

◇◇

 

 カオルのアルバイトが終わって、ぼくらは自転車の二人乗りでぼくの家に向かう。

 

 帰りの道中、カオルは険しい表情で黙り込んでいた。

 でもぼくが、ペダルを漕ぐカオルの腰に腕を回すと、そっと手を重ねた。言った。

 

「……アタシはアイツが大嫌いなんだ。だから、あんまり見るな」

「わかった」

「…………」

 

 胸に溜まった澱を吐き出すように、カオルは細く長い息を吐き出した。

 ぼくの頭の中は、言い訳もせずに帰って行ったシュウのこと。

 

「シュウ、何しに来たの?」

「……」

 

 カオルは答えるつもりがないみたいだった。

 狭い路地に差し掛かり、ぼくは自転車から飛び降りた。

 

「危ない!」

 

 カオルは自転車を停めると、慌てて振り返った。

 

「なにやってんだよ! 怪我したらどうすんだ!!」

 

「そんなに鈍臭くない」

 

 街灯の灯りが点り始めた薄暗い小路で、ぼくとカオルは向かい合う。

 

「シュウは何をしに来たの?」

「それは……」

 

 改めて強く問うと、カオルは険しい表情でそっぽを向いた。

 

「ぼくのことを聞きに来たんだね……」

 

「えと……いや、それは……」

 

 カオルの表情に怒り以外の成分が濃く混じった。唇が震え出し、逃げ場を探すように視線がさ迷い始めた。

 ここらではっきりさせよう。

 

「カオルは、ぼくの過去を知ってるよね」

 

 

 ――先生、御影くんは可哀想です――

 ――御影くんは不幸です――

 

 

 ぼくは、上目遣いにカオルを睨み付けた。

 

「正直に答えるんだ、カオル。ぼくは……可哀想か?」

 

 

 ――だから、御影くんに親切にしてあげましょう――

 

 

「ぼくと居るのは、親切気取りの勘違い……ボランティアなのか?」

 

「……それは……それは……」

 

 カオルは俯き、額から大量の汗を流した。

 

 星が瞬き始める。

 周囲は煩いくらいに夏の虫が鳴いていて、ぼくらのやり取りを見つめている。

 

 ――汝に問う。

 ――汝は、我が過去を知りて尚、我のことを欲するか?

 

 ――では汝、悪であれかし――

 

 薄っぺらい同情なら、お前なんていらないよ――。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話

「……だから、新城は身長(タッパ)あるじゃん。あいつが本気出したら野郎も嫌がるし……」

 

 24時間営業のネットカフェ。

 薄い板で区切られた三畳ほどのスペースで、ぼくと皆川は抱き合うようにして転がっている。

 床には大きなマットが引いてある。

 パッパラパー子は、ぼくの髪の匂いを嗅いだり、頬擦りしたり。

 

「……新城、すっげー変わったじゃん? 以前は仏頂面でさ……んっ、そこ……それが今は、ほんと、よく笑って……」

 

 ぼくの右手はパー子のパンティの中にあって、縦に割れたスリットを上下に擦っている。

 最初はへらへらしてた皆川の息が荒くなる。

 

「……だから、少年ビッチに興味あるやつは、結構……」

 

 固くなったクリトリスを親指で捏ねながら、中指を膣に挿入する。

 皆川の膣(なか)は粘っていて、するりとぼくの指を根元までくわえ込む。

 

「……指、ほっそ……もう、一本……」

 

 横になって足を開く皆川の膣に薬指も挿れる。

 

「……なるほど、新城が……こりゃ、ハマる……」

 

 ぼくは薄い仕切りが気になって仕方がない。皆川の股間は物凄い音を立てていて、煩い位だ。

 皆川が息を荒くして囁く。

 

「キス、なしだった、ね……」

「ごめんね……」

 

 皆川が足をぼくの腰に回して抱き着いて来る。

 

「あは……指だけでイかされるの、はじ、めて……っん……ッッ!」

 

 そんなことを言うパッパラパーの皆川は頑張ったほう。

 指が疲れちゃった。

 皆川の膣に三本目の指を挿れて、Gスポットとクリトリスを刺激する。

 

「……こりゃ、一人占め、したくなる……」

 

 仕切りの狭いスペースで、足を絡ませた皆川が、ぶるっと腰を震わせた。

 

「んふっ……!」

 

 甘酸っぱい匂いが広がって、お喋りパー子は静かになった。

 

「おつかれ、パー子。可愛かったよ」

 

 ゆっくりと皆川の膣から指を引き抜くと、粘りの強い愛液が糸を引く。

 今回は、お試し。

 危なそうだったら口も使うつもりだったけど、手だけで済んだ。

 ぼくは濡れた指先をティッシュで拭いて、脱力して大の字の皆川の股間も拭いてやる。

 

「…………」

 

 皆川は、ぽけっと、ぼくのすることを見つめていた。

 

「……優しいんだ……」

「そう?」

 

 ちゃんとパンティを履かせてから、皆川と抱き合って横になる。

 皆川の匂いが気になって仕方がない。女の子特有の甘い匂いがだだ漏れになっている。

 ……よくこんなとこでする気になったもんだ。

 ぼくは内心、呆れている。

 後は皆川の背中を擦ったり、軽く胸を揉んでみたり。

 皆川は眠たいのか、とろんと眦が下がって来た。

 

「……新城に、気をつけて……」

 

「おやすみ……」

 

 パッパラパー子にメアドを書いた紙を渡して、その場で別れた。

 

 貰った千円は、帰り道のコンビニで、ジュースとお菓子代に消えた。

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 星の瞬く帰り道。

 ぼくと向き合ったカオルは、だらだらと異常な量の汗を流した。

 

 通り過ぎて行く車のヘッドライトの流星が、カオルの琥珀の瞳を照らす。

 吹き出た汗が、頬を伝い落ちた。

 

「…………」

 

 ぼくは空を見上げた。

 

「……思えば、カオルは、すごく優しかったね……」

 

 ずっと解答を避けていたこと。

 

「絶対、ぼくに手を上げなかったし、何かを無理強いしたこともなかった」

 

 本当は独占欲が強い癖に、ぼくを縛り付けることもしなかった。酷いことをしても、一言も責めなかった。呼ばれるまで、家に来なかった。

 

「全部、嘘だったの……?」

 

「――違うッ!!」

 

 それまで黙っていたカオルが、突然叫んだ。

 

「するかッ! アタシはそんなに酔狂じゃない! ただ――」

 

 カオルの顔が悲痛に歪んだ。

 

「ただ、好きで……好きで……どうしようもなくて……」

 

 琥珀の瞳から涙が流れる。それはとても……

 

「アタシのせいで、腕折られたろ……? 誰も助けてくれなくて……皆、yesで……」

 

 カオルがしゃくり上げた。

 

「気になりだしたら、止まらなくて……」

 

 それはとても深刻な――

 

「でも――」

 

 涙に濡れながらも、琥珀の瞳に憎悪の影。

 

「あの女が……道端に落ちてるガムみたいに引っ付いてて……!」

 

 シュウ……。

 

「アタシは、毎日毎日、指くわえて見てるだけで……!」

 

 琥珀の瞳は、憎悪の焔に燃えていて――

 それはとても深刻な。

 

 新城馨の、恋。

 

「――利用した。ものに出来るなら、何でもよかった」

 

「…………」

 

 カオルは、言った。

 

「ボランティアなんかじゃない」

 

 つまり、過去、気性、状況、状態、全て知り尽くした上で、カオルは――

 

「思い出もない。何の積み重ねもないアタシが……」

 

 カオルとぼくとは違う。違いすぎるから。まともに来れば、ぼくは一顧だにしなかったろう。

 カオルが歩み寄って来る。

 

「アタシがユキを手に入れたんだ」

 

 綺麗も汚いもない。あまりにも深刻な、カオルの恋。

 

「もうアイツのものじゃない。アタシが――」

 

 ぼくは、魅いられたみたいに動けなくて。

 

「捕まえた……!」

 

 カオルがぼくを抱き締める。

 

「もう離さない」

 

 ――捕まった。

 ぼくは、カオルに捕まった。

 善悪美醜、全て備えたカオルの恋に、ぼくは捕まった。

 

 最初から、ボランティアなんかじゃなかった。カオルは汚くて、何でもありで、ぼくを毟りとっただけ。

 

「…………」

 

 見上げた空は綺麗だった。

 不思議なことに、悪い気持ちはしない。

 だってこんなにも強く、求められたことなんてなかったから――。

 

 この日、ぼくはカオルに捕まった。

 もう逃げられそうにない。

 

 まいった。

 

 本当にまいった。

 

 もう終わりにしようと思っていたのに。

 

 

 とてつもない、裏切り者の、ぼく――。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27話

「もう離さない」

 

 カオルは言って、ぼくを固く抱き締める。

 ぼくもカオルの腰に手を回す。

 世界中に、ぼくら二人だけになった気がした。

 

 夏の虫が煩いくらいに鳴いていて、抱き合うぼくらを冷やかしている。

 

 暫く、そうしていた。

 

 そんなぼくらの前を、何台かの車が通り過ぎて行った。

 やがて、カオルがもじもじしながら膝を擦り合わせ――

 

「……ユキ、すごくしたい。早く帰ろうか?」

「…………」

 

 嫌な気分はしない。でも、こんなときでも変わらないカオルの様子に、ぼくは少し恥ずかしくなった。

 カオルの琥珀の瞳が、ぼくを覗き込んで来る。

 

「……うわ、ユキ……今、すげーエロい顔してる……」

「……エロいのはカオルでしょ」

「赤い顔で目、潤ませて言っても説得力ないって……こっち向け」

 

 たぶん、ぼくらの関係は、大きく変わる。

 

 全てを告白したカオルは、もう遠慮する必要がないし、捕まったぼくには逃げる術がない。

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 それから、ぼくら二人は、自然な形で寄り添うようになった。

 カオルはぼくを抱いているのが当たり前で、ぼくはカオルに抱かれて安心してしまう。

 家に帰ってからは、とにかく引っ付いていた。

 お風呂も一緒に入った。そうするのが自然なことだった。

 カオルは酷く興奮して、ぼくの全身を舐め回した。

 おでこ、唇、傷だらけの肩や背中、ペニスは特に念入りに。お尻を舐められたのはちょっと嫌だった。湯船の中では、足の指まで舐められた。

 ぼくは、全身がカオル臭くなったような気がした。

 

 お風呂から出た後は、身体を拭く間も惜しんで絡み合った。

 カオルの股間はドロドロに蕩けていて、ぼくを待ち焦がれている。

 膣に指を挿れると、何の抵抗もなく三本の指を飲み込んだ。

 カオルが切なそうに息を吐き出した。

 

「……ユキ、いつでもいいよ……」

 

 要するに、もう挿れろということみたいだけど、ぼくは無視して四本目の指を膣に挿入した。

 

「ぅ……!」

 

 流石に少しきつい。

 ぼくは四本の指を動かして、カオルの中を擽るように愛撫する。つぶつぶがある上の壁や、堪えきれず降りて来た子宮をそれぞれに引っ掻き回した。

 

「あ、あ、あ、あ……!」

 

 あっという間に登り詰め、カオルは膣から濃い蜜液を吐き出した。

 がくがくと膝を震わせるカオルの耳元で囁いた。

 

「……手、全部入りそう……」

 

 カオルは泣き出しそうな顔で首を振った。

 

「やだ……やだやだ……! それだけは……」

 

 ぼくは意地悪く笑って見せた。

 

「そうだね。じゃなくても最近のカオルは緩いのに、がばがばになっちゃうもんね」

 

「そんな、ひどいよ……!」

 

 涙ぐむカオルだけど、一度イッちゃうと緩くなるのは本当。身体が大きい分、許容量も大きいのかも。

 ぼくも最近はユルいって言われるし、お互い様だよね。って、違うか。

 

 カオルが泣くと、ぼくはちょっぴり残酷な気分になる。苛めて見たくなる。

 

「カオルは、本当に可愛いね……」

「……!」

 

 ぴくりと震え、疑り深く見つめ返すカオルの唇にキスをする。

 

「あむ……ん、ちゅ……」

 

 互いに舌を絡ませ、唾液を交換しては飲み下す。

 

 キスは嫌いだったはずなのに――

 

「カオル、好きだよ……」

 

 ――今は、キスばかりしている。

 

 ぼくは……

 

◇◇

◇◇

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

 夏の蒸し暑い日。

 虫けらのように、パンツ一枚で転がるぼく。

 この三日間というもの、水しか飲んでないからか、あばらが浮いてお腹だけは膨れているという奇妙な体型。

 

「おとうさん……おとうさん……」

 

 記憶は何時も朧気。

 

「お、おお……」

 

 父さんが、声を殺して哭いている。

 両目を強く押さえ付けているけれど、それでも涙は止まらない。

 

 

 ――お前、なんてことをするんだ!!

 

 ――俺の息子だ!

 

 ――俺の息子なんだぞ!!

 

 

 記憶は何時も朧気。

 夢の中の母さんに顔はなく、のっぺらぼう。ぼくを虐め抜くためにだけ、知恵を捻る。

 左手の親指の付け根が痒い。視線を落とすと膿んでいた。

 この手はもう、駄目かもしれない。

 

 奴隷のポーズで惨めに這いつくばるぼくに、母さんが言った。

 

 ――淫売が……!

 

 ――お前はあの淫売の息子だよ! あたしの子じゃない!!

 

 

 ――さっさと死んじまえ!――

 

 

◇◇

◇◇

 

 夜遅く、目を覚ます。

 カオルはよく眠っている。

 

 ……シュウに打たれてから、また昔の夢を見るようになっている……。

 

 ぼくは落ち着かなくなって、部屋の隅で丸くなる。

 

 父さんに、ちゃんと言った方がいいのかもしれない。

 

 

 

 ――先生、御影くんは可哀想です。

 

 

 

 ……そうしたら、また病院に行かなきゃならないのかな……嫌だな……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話

 朝早く、カオルより先に起き出して朝食の準備を開始する。

 

 鮭の切り身を三つ焼いて、小松菜のお浸しを作った。

 後は買い置きしてある漬物を出して、それからお味噌汁。

 お味噌汁の美味しそうな匂いが漂い始めたところで、背後から抱き締められた。

 

「おはよう」

「はい、カオル。おはようさん」

 

 カオルが言った。

 

「……昨夜、変な夢を見たんだ」

「……うん」

 

 ぼくは、お味噌汁が沸くのを待っている。

 

「ユキ、部屋の隅っこで寝てなかったか……?」

「……」

 

 火を止める。

 少し考えて、言った。

 

「昔の夢を見たんだ。そういう時は、あそこが落ち着く。ごめんね……」

「……っ。そうかよ」

 

 ぶっきらぼうに言って、カオルは鼻を啜った。

 

「今度はアタシも一緒に寝るから……」

「……そう」

 

 同情はいらない。

 

「一緒に耐えるから……」

「……可哀想?」

「アタシ、欲張りなんだ。何でも半分ほしい」

「…………そう」

 

 カオルは少し泣いているみたいだった。

 涙が、ぽたっと床に落ちる。

 流れた涙の価値に、どの程度の恩で報いればいいのか。

 負債がまた増える。

 

◇◇

◇◇

 

 カオルがアルバイトに行ってしまうと、入れ替わりになって父さんが帰って来た。

 

「おはよう、父さん。ご飯できてるから」

「おーっ、悠くん乙!」

 

 父さんはいつも賑やか。

 笑う門には福来る。そういうことらしい。

 その後は、父さんの朝ごはんの準備をして。

 洗濯、掃除を済ませてから図書館に向かうことにした。

 父さんは朝のニュースを見ながら、ちょっとだけ心配そうに言う。

 

「悠くん、受験勉強やってるか?」

「ん……今日はこれから図書館に行くつもり」

「おーっ、そうかぁ。今日、父さん休みだからさ、夜はお寿司食べに行こうよ」

「……いいね!」

 

 生きて行く為には、ゆとりも必要。節約は当然するけど、たまには贅沢もする。

 

 父さんに見送られ、家を後にしたところで携帯を確認する。

 トウコから、おはようメールと早速次の予定。また泊まりがいいらしい。

 パッパラパーの皆川優樹菜からもご機嫌伺いのメールが一件。

 

 ――すっげー、よかった! またしようネ☆

 

 それはいいけど、ネカフェは少し嫌だ。監視カメラが気になる。

 

 ――OK、いつでも。

 

 素っ気ない返信をしておいて携帯を閉じる。

 お昼は勉強。今夜は父さんと過ごす。

 カオルは、まだ父さんに会う度胸がないらしい。今夜はお休み。

 

 予定を確認してから、ぼくは図書館に向かうことにする。深山と鉢合わせる可能性もあるけど、逃げるのは馬鹿らしい。

 そして――

 

◇◇

◇◇

 

 いた。

 ――深山楓。

 白いワンピースに麦わら帽子。今日もやっぱり清楚系。正面玄関で開館まで待っているようだ。

 ぼくは物陰に隠れて少し観察してみる。

 

 深山は、あっちキョロキョロ。こっちキョロキョロ。ちょっぴり不審。眼鏡を直したり、時計を見たりと忙しない。

 何時からそうしているのか知らないけど、避けて通るのも面倒。

 開館時間になった。

 駐輪場に自転車を停めて、ぼくは正面玄関に向かう。

 取り合えず無視。黙って通り過ぎようとして――

 

「おはようございます。御影くん。ちょっといいですか?」

 

 ぼくは言った。

 

「おはよう、深山。今日も上から目線のボランティア? ちゃんと小銭持ってる?」

 

「――つっ」

 

 麦わら帽子に手をやった姿勢で、深山は固まった。

 

「お話もいいけど、おまえの眠気を覚ます冷たい飲み物が必要だね」

「……っ!」

 

 深山の顔が赤く染まった。ぷるぷると肩を震わせ、俯く。

 

「……で……」

 

 麦わら帽子のつばで隠れた深山の表情は分からない。

 

「聞こえないね、小銭女。はっきり喋りなよ」

 

「なんで……」

 

 深山が麦わら帽子を脱ぎ捨てた。

 

「……なんでそんなに悪ぶるんですか?」

 

 うっすら眦に涙を浮かべる深山と目が合った。

 

「そういうおまえは、いい子ぶるんだね」

 

 ずいぶん分厚い面の皮だ。

 

「募金箱ならエントランスの受付にあるから行きなよ。それから――」

 

 コイツはぼくを見下している。そう思うとイライラした。

 

「二度と話し掛けるな」

「なっ……」

 

 深山の下がった眦が、みるみるうちにつり上がった。いい貌(かお)になって来た。

 でも、シュウに立ち向かったあの時の修羅じゃない。あの時の深山楓じゃない。

 

「ぼくは勉強しに来ただけだから、おまえと遊んでいる暇はないんだ」

 

 これ以上つきまとうなら、薄っぺらい化けの皮ひっぺがしてやる!

 

◇◇

◇◇

 

 怒りに震える深山を置き去りにして、2階の閲覧スペースに向かった。

 もちろん、小銭女用に冷たいスポーツドリンクを購入しておく。

 

 個人の閲覧席に着いて幾らも経たないうちに、深山がずんずんと足音を立ててやって来た。

 まるで落ち着かない。

 ぼくは舌打ちして、向き直った。

 

「なに……?」

 

「……!」

 

 バン! と大きな音を立てて、深山が卓上に2000円を叩き付けた。

 

「これでいいんですか! これで!!」

「……」

 

 ぼくは呆れて首を振った。

 予想していた行動の中で、一番詰まらないものがこれだった。

 深山は肩を震わせて、大きく息を荒げている。

 

「……しょうがないね、おまえは……」

「なにが、しょうがないんですか! なにが!!」

 

 早朝ということもあり、ぼくたち以外の人影はまだない。大声を出しても注意されることはないけど――

 

 エキサイトした深山の手を掴み、長い廊下を進む。

 

「何処に行くんですか! 自分で歩けますから!!」

 

 怒りに我を忘れてる。

 激しい怒りすら完璧に制御したあの深山じゃない。がっかりだった。

 

 小規模のゼミなんかに使用されるラボラトリーに深山を押し込むと、後ろ手に鍵を下ろした。

 深山が喚き散らした。

 

「なんで貴方は私を拒絶するんですか!」

 

 耳の奥がツーンとした。超音波かと思う程の金切り声。

 

「また着信拒否しましたよね!? 二回目です! 二回目!!」

 

 完璧にヒステリーを起こした深山に歩み寄った。

 

「な、なんですか?」

 

 僅かに戸惑いの色。

 目前に迫ったぼくに、警戒するだけの理性はあるようだ。言った。

 

「キスしようか」

「……えっ?」

 

 瞬間、深山の表情が素に戻った。

 

「逃げたらおしまい。抵抗してもおしまい。次に大声を出してもおしまい」

「なんでそうなるんですか……!?」

 

 ごくっ、と深山が息を飲む。怒りにまた眉が逆立つ。

 でも逃げない。

 

 ぼくは一歩近付いた。

 

 あんまりはあげないけど、考える時間はある。

 深山はやっぱり逃げない。

 

「ちょっと、待っ……」

 

「大サービスだよ」

 

 噛みつかれたり、突き飛ばされたりしたくない。ぼくはもう一度立ち止まって、上目遣いに深山の顔を覗き込んだ。

 

「近いよ」

「……っ」

 

 深山の頬が赤く染まった。

 今度は怒りじゃない。羞恥と期待。お金を出す以上、少しはこの可能性も考えたはずの深山は逃げない。逃げられない。

 伸ばしたぼくの手が、紅潮した頬に触れた。

 

 ぺろりと唇を一度舐め、情感たっぷりに笑って見せる。

 

 深山は腰が抜けたのか、背後の椅子に、すとんと腰掛けた。

 表情を強張らせ、酷く困惑しながらも、それでも逃げない。その唇は戦慄いて――

 

「待っ……!」

 

 ――キスした。

 

 唇は、柔らかい蕾のよう。

 

 さてここから。

 

 おまえをメチャクチャにしてあげる。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第29話

 柔らかい蕾を唇で軽くついばむ。

 深山は固く目を閉じていて、身体はがちがちに固まっていた。

 ぼくは何度も唇を押し付けて、心の奥をノックする。

 

 ぴちゃぴちゃと音を響かせて、深山楓とキスをする。

 僅かに距離を取ると、はあっと呻くように呼吸する。瞬間開いた隙間に、ぼくは舌を割り込ませた。

 

「んむっ! む……うンっ!」

 

 逃がさないよう、腰に手を回し、深山の舌を吸い上げた。

 僅かに漏れる吐息すら飲み込み、情熱的なキスを交わす。

 鼻に掛かった喘ぎが上がる。

 

「ふぅう、ぅうぅ……ん……」

 

 舌を深く絡め唾液を流し込むと、深山は喉を鳴らして飲み下した。

 おっとりと垂れた眦は益々垂れ下がり、熱に蕩けた唇は唾液にまみれている。

 そっと胸に手を当てても、深山は抵抗の素振りを見せなかった。

 

「あむ……ちゅ……んん……」

 

 ワンピース越しに感じる大きい胸の尖りは、固く勃起していた。

 それを指先で優しく摘まみ上げると同時に、口付けを更に深くすると、ひくっと腰が跳ね、深山はもぞもぞと膝を擦り合わせる。

 

 ゆっくりと離れると、唇と唇の間に銀の雫が糸を引く。

 頬を両手で支えるようにして、深山の蕩けた瞳を覗き込んだ。

 

「……キスは……はじめて?」

 

 不治の熱病に犯されたひとのように――深山楓は、うっとりとして頷いた。

 

「そう……もっとしていい?」

「…………」

 

 瞳の端にうっすら涙を溜めて深山はまた頷く。紅潮した頬は燃えて熱を持ち、細い腰に回した腕にじっとりとした湿りを感じる。

 

 無人のラボラトリーで唾液の跳ねる音を響かせて、理性をとろかすキスを続ける。

 

「ふ……ぅん……ン……」

 

 ぼくの腰に手を回し、深山が舌を絡めて来た。胸を揉み、お尻に触っても、夢中のキスは止まらない。むしろその先をせがむように、漏れる吐息は、荒く熱い。

 

 おっとりとした気性の裏に、制御不能な激情。

 深山楓という、女。

 ワンピースの裾を持ち上げて、その先に進んでも、深山はキスをやめない。

 完全に火が入った状態。

 パンティの上から、熱を持った割れ目に触れると、そこはもうしっとりと濡れていた。

 一度、離れる。

 

「……?」

 

 深山は唇の端から唾液を滴らせ、とろんと情欲に溶けた瞳で覗き返して来るだけ。

 五本の指先で、縦に割れたスリットを擦り、固く尖ったクリトリスを撫で上げる。

 

「んふっ……!」

 

 強い喘ぎを上げて、深山は腰を震わせた。

 小さな絶頂。

 ぼくの首に抱き着くようにして手を回し、肩に頭を乗せ、深山は熱い溜め息を吐く。

 円を描くようにクリトリスを撫でながら、膣の入口を強く押し込むと、パンティのクロッチ部分から粘る体液が滲み出る。

 

 もう一度、深く口付けを交わす。

 舌を絡め、唾液を流し込んでも、深山は何の躊躇いも見せずそれを飲み下す。

 レースの縁取りを捲り、指先を進める。

 清楚な容姿に反した意外に濃い濡れた草むらを掻き分け、温い液体を分泌する肉の裂目に触れた。

 深山はもう死に体。

 身体を犯した熱病は全身に回っていて、抵抗の素振りは微塵もない。

 ぼくの耳元で、呻くように小さな喘ぎを上げるだけ。

 

 なんて快楽に弱い女だろう。

 ぼくは内心で嘲笑いながら、指先を擽るように蠢かせて深山を追い詰める。

 

「……ンっ、ふ……!」

 

 深山は瞬く間に登り詰め――大きく腰を震わせた。

 イった。

 それに構わず、ぼくは指の動きを早める。

 

「……! ぅくっ……ぅぅぅっ!」

 

 深山は身体を震わせて、未だ閉じた割れ目から分泌液を吐き出すだけ。

 

 二度、三度、深山は絶頂を繰り返す。

 ぼくは嘲笑った。

 

「深山、少し早すぎるよ」

 

 これだけ虐めればカオルでも参る。特に深山が、ということはないのだけど。

 

 ぼくは嘲笑い、深山の絶頂は止まらない。

 

 深山はうなじまで赤く染めて、ぼくの肩に身体を預けたまま。

 全身をぶるぶると震わせて、愛液を吐き出し続ける。

 眦から大粒の涙を流し――

 

「ぃっ――――」

 

 ひきつるような喘ぎのあと、静かに、果てる――。

 

「あは! 早い早い!!」

 

 ぼくの嘲笑い声が、無人のラボラトリーに響き渡って行く。

 

◇◇

◇◇

 

 長机に突き伏し、虚ろな瞳から涙を流す深山を見下す。

 清楚な白のワンピースは、椅子に腰掛けた部分が洩らしたように濡れている。

 くるぶしの辺りまで、粘る体液が垂れ下がっていた。

 ぼくは濡れた指先をペロリと舐める。

 僅かな塩気に嫌悪を感じながら、吐き捨てた。

 

「つまらない」

 

 そして――

 

「また、こうなったね」

 

 未だ虚ろな表情で夢と現を行き来する深山の頭にスポーツドリンクを振り掛けた。

 

「…………ぅぅ」

 

 呻き、小さく声を上げる深山の口に千円札を一枚突っ込んだ。

 

「おさわりだけなら千円でいいからね」

 

 優しく嘲笑う。

 

「これはクリーニング代にして」

 

 もう一枚の千円札を綺麗に畳み、やはり深山の口に突っ込んだ。

 完全に脱力して動けない深山は、ただ涙を流すだけ。

 最後に言った。

 

「さよなら、小銭女」

 

 親切気取りの勘違い。

 哀れな、哀れなボランティア。

 これだけやれば、小銭女も目を覚ますだろう。

 夥しい量のスポーツドリンクにまみれ、千円札を二枚くわえて愛液を垂れ流す深山を置き去りにして、ぼくは去る。

 

 ぶっちゃけ、笑える結末だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30話

 ラボラトリーで深山をやっつけたあと、ぼくは個人の閲覧スペースに戻った。

 

 エアコンが利いていて、静かなこの環境は悪くない。参考書や問題集の類いも揃っている。

 12時まで受験勉強をしたあと、携帯をチェックすると、皆川からメールが入っている。

 昼過ぎからカラオケボックスで会えないか、という誘いのメールだった。

 カオルからはラブメール。

 トウコからは昼食の誘い。

 

 ぼくは少し考えて、皆川の誘いに乗ることにした。

 トウコの誘いには明日ならOKと返信。

 カオルには……

 カオルには…………

 

 カオルには、なんて返信したらいいんだろう?

 

 ――ユキ、愛してるよ!

 

 ぼくも同じように返すべきなのだろうか……。

 どうしたらいいんだろう。

 

「…………」

 

 考え込んでいると、突然、マナーモードの携帯が震え、ぼくは携帯を落としてしまいそうになった。

 カオルからの着信。出る。

 

『あ、ユキ? 今どこ?』

 

 ぼくは小さく溜め息を吐く。

 

「今、図書館。受験勉強してたとこ」

『そっか。あのさ、明日のことなんだけど……』

「ああ、うん。泊まりに来るでしょ?」

『いや、うん、そうなんだけどさ……外泊ダメかな~~っと思ってさ』

「いいよ? それだけ?」

 

 今更、何を改まって……ぼくが呆れていると、カオルは少し怒り出した。

 

『……んだよ! そうだよ! 緊張してたアタシの時間を返せ!!』

 

「あはは、はいはい」

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

 通話を切り、ぼくは一つ息を吐く。

 視線を流した先にあるガラスに映った、笑顔のぼくと目が合った。

 

◇◇

◇◇

 

 皆川のいるカラオケボックスは、商店街の外れにある。

 この皆川をどうにかして、友人を紹介してもらう。……というより、紹介させる。

 そして搾り取れるヤツからは容赦なく搾り取る。

 

 

 このときのぼくは、何一つ分かっちゃいなかった。

 皆川優樹菜が、何で『パッパラパー』って呼ばれているか、てんで理解していなかった。

 

 

 通りから少し逸れた大きな駐車場に、キャンピングカーが何台も並んでいる。

 

 一本メールを入れてから、皆川がいる8号車に向かった。

 

 扉を開けてすぐ、そのカラオケボックスは、ぼくの目に新鮮に映った。

 キャンピングカーは防音設備がなされ、車中にカラオケ機材が置かれている。

 いい環境だと思った。

 受付は別の場所にあるので、相手に任せれば余計な人に会うこともないし、車中は外から窺えないよう窓にスモークが貼ってある。

 

 そして――

 ぼくはとんでもない失敗をしでかしたことを悟った。

 

 ハードロックのメロディが鳴り響く奥の座席で、皆川がゲタゲタ笑いながら手拍子を打っている。

 一昨日と同じ格好なのも不潔で苛ついたけど、それより更に不快だったのは、皆川の横にいる金髪の女だ。

 知り合いがいること自体はいい。それだけなら、ぼくはチャンスと考える。

 しかし――

 その女は、ぼくの目に、やけにハイになっているように見えた。

 一発で分かった。

 

 ――躁状態。

 

 ドラッグだ!!

 

 皆川が陽気に笑いながら、ぼくに手招きしている。

 

「おー、少年ビッチ! こっちこっち!!」

 

 ぼくは目をすがめ、金髪の女を観察する。

 

 髪の毛を振り乱し、大声で歌い、踊り狂うさまは異様だった。はしゃぐにしても少し――かなり度が過ぎている。デカイだけの歌声は、音程が殆ど外れている。

 一番、気になるのは、目付きだ。薄暗い車中で、瞳孔が開いているように見えた。

 

 皆川が、ぼくの側までやって来た。

 

「どったの? 少年ビッチ。早くおいでよ」

 

「――嫌だ」

 

 ぼくは皆川の手を掴んで車外に引っ張り出した。

 

「なになに!?」

 

 皆川が後ろ手に扉を閉め、メロディが遠くなる。

 ぼくは、皆川の耳元で囁いた。

 

「あの女の子、誰?」

 

 皆川は笑いながら言った。

 

「名前? 知らねっつの。ゲーセンで会っただけ。すっげえノリよくてさぁ」

 

 昔、病院であれと同じ症状の患者を見たことがある。でも、パッパラパーの皆川は、そうは見えない。ドラッグはやってない。

 警告を発する。

 

「あの子、ドラッグやってる」

「――え?」

 

 ヘラヘラ笑っていた皆川の表情が素に戻った。やっぱり気付いてなかった。

 

「ぼくは帰るから。パー子も早く逃げな」

「……って、マジ?」

「マジ。それじゃ」

 

 ぼくは小走りで逃げ出した。

 パッパラパーの皆川がその後を尾けてくる。

 

「――じゃあさ、今夜パーティーに誘われてんだけど行かない方がいい!?」

 

 走りながら答えた。

 

「それって乱交パーティーとか!? 好きにしなよ! バイバイ、パー子!」

 

 ぼくはスピードを上げて、そのまま皆川を振り切った。

 敷地外に停めてあった自転車に飛び乗ってそのまま走り去る。後ろは見なかった。

 

 馬鹿やってりゃ、こんなこともある。そう思った。逃げ切ったとも。関係ないとも。

 このときは、パッパラパーの皆川が、あんな事件に巻き込まれるなんて思いもしなかった。

 

◇◇

 

◇◇

 

◇◇

 

 夜。

 家の近所の回転寿司屋でのことだ。

 テーブルの座席に向かい合って座り、久し振りのお寿司に舌鼓を打つぼくらだけど、父さんの様子がなんだかおかしい。

 考え込むように顎を擦り、ぼくを訝しむように見ている。言った。

 

「なあ、悠くん。ちょっと、聞いていいかな……?」

「いいけど、なに?」

 

 悪いことってのは続く。ぼくは嫌な胸騒ぎがした。

 

「……悠くんって、二人彼女いるの?」

「え?」

 

 稲妻に撃たれたみたいにカオルの顔が頭に浮かんだぼくだけど、父さんのその言葉にハッとなった。

 

「二人? なんで?」

 

 心臓が嫌な鼓動を打つ。

 じわっと額に汗が吹き出る。

 普段、賑やかで明るい父さんだけど、決して馬鹿じゃないし、鈍感でもない。

 

「いや……そうじゃないと辻褄が合わない気がしてさ……んん……」

 

「…………」

 

 カラオケボックスで別れた皆川のことは頭から吹き飛んで消えた。

 

「……あ、そういうことなのか? でも……」

 

 父さんは頻りに首を捻って考え込んでいる。

 思った。

 

 誰だ……。

 ぼくの留守中に父さんに会ったバカ女は、誰だ……!!

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31話

「……どうしたの、悠くん。もっと食べなよ」

 

 父さんは機嫌良さそうに笑っている。

 

 ……何を尋ねた? 狙いは? ――分からない。

 

 カオルはアルバイトをしていたから違う。そもそも、カオルは父さんを怖がっている。違うと断言できる。

 トウコなら父さんより先にぼくに会いに来るだろう。

 パッパラパーの皆川はジャンキーと遊んでいた頃だ。

 つまり――シュウか、深山。

 ぼくは、父さんに言った。

 

「……父さん、誰か来たの?」

 

 既に父さんは20カンは平らげている。食べる手を止めて、難しい表情で唸った。

 

「う~ん……」

 

 口止めされている。

 でも話題に出す以上、押せば口を開く可能性がある。

 父さんは言った。

 

「ええい、言っちゃえ! 背の高い子だったよ。秋月さん」

 

 ――シュウ!!

 

「わっ! 悠くん、今すごい顔だぞ!?」

 

 ぼくは、にっこり笑って見せた。

 

「……何しに来たの?」

「……」

 

 父さんは眉を寄せ、思慮深く思い悩む様子になった。

 手元に視線を落とし、俯いた。

 

「……本人もよく分かってないみたいだったけど、多分、悠くんの……過去のこと知りたいみたい」

「……」

 

 父さんは悲しそうに言った。

 

「ごめんね、悠くん。父さんには、そんなに昔の話じゃないんだ。帰ってくれって言っちゃった」

 

「そう……」

 

「秋月さんは納得できないみたいだったよ」

 

 シュウ……父さんに食い下がったのか……。

 

「あの子は、多分、怖い子なんだろ?」

 

 父さんは、何て言うかとても難しい表情。感じたことをなるべく詳しくぼくに教えたい、そんな感じ。その辺りが、シュウのことに言及した理由なんだと思う。

 やっぱり、父さんはぼくの敵じゃない。言った。

 

「父さん、その子を見てどう思った?」

「うん……そうだね……」

 

 父さんは一口お茶を飲んだ。

 言葉を選ぶように間を置く。

 

「強い子。……多分、強すぎる……」

 

 合ってる。

 

「……この子の物差しは、父さんや悠くんとは違うと思う……」

 

 でも、と父さんは付け加えた。

 

「あの子が悠くんと付き合うなら、父さん安心かな」

 

 その言葉は少し意外に聞こえ、ぼくは尋ねた。

 

「怖いんだよね。なんで?」

 

 父さんは笑った。

 

「だって、誰にも負けないから」

 

◇◇

◇◇

 

 この夜に食べたお寿司の味は、よく分からなかった。

 父さんとの話し合いを経て、気持ちは複雑。ただ、ぼくはシュウと一度、話し合うべきなんだと思う。

 もう終わりにしたい。

 蟠(わだかま)りがあるなら解き、疑問があるなら答えよう。その上で、もうぼくに関わらないで欲しいと伝える。

 

 カオルが嫌がるから。

 

 その日の晩は、父さんと家でゆっくりした。

 父さんは久し振りにビールを一本飲み、ぼくはお摘みにサンマを焼いた。

 

「悠くん、今付き合ってる子と、父さんが会いたいって言ったらダメかなあ」

 

「ぼくはいいけど、あっちは父さんが怖いみたいなんだ。もう少し時間が掛かりそう」

 

 父さんは、感じ入ったように言った。

 

「へえ……その子、本当に悠くんが好きなんだ」

「そうなの?」

「……って、悠くん、自分のことだよね?」

 

 困ったように、父さんはぼくに説明してくれた。

 

「その子は、絶対に悠くんに嫌われたくないんだよ。だから父さんに気を使うの。分かる?」

「ふうん……プロは違うね」

「そりゃそうさぁ、じゃなきゃ父さんみたいなナイスなガイが怖がられる訳ないよ!」

 

 父さんは少しほろ酔いといったところ。

 

「じゃなきゃ、悠くんのことがものすごく怖いかだよ」

「…………」

「なんてね。てへぺろ」

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………プロは違うね。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第32話

 早朝、皆川からメールが一件入っていた。

 着信時間は午前4時。今は6時だから、既に2時間経っていることになる。

 

 ――昨日はマジ助かった。ありがと! 今から会える?

 

 しかし、パッパラパーの皆川は常識がない。朝の4時に誘って、ぼくがのこのこ行くとでも思っているのだろうか。

 後でフォローのメールをすることにして、無視することにした。皆川の方でも期待してないだろう。

 

 今朝はカオルに、行ってらっしゃいのメールをして、それから父さんと朝食を摂った。

 

「悠くん、今日も図書館?」

「そのつもり」

 

 あれだけ惨めな思いをさせてやれば、お節介の深山も、ぼくを見離すだろう。嫌悪されるくらいで丁度いい。

 ぼくと彼女は違いすぎる。

 だから、お互い別の道に行く。それだけ。

 

◇◇

◇◇

 

 リュックサックに荷物をまとめ、自転車に乗って図書館に向かう。

 そして――

 図書館の正面玄関に、今朝も深山楓が立っていた。

 

 今日の深山は学生服。半袖のブラウスに、学校指定の紺のスカートを履いている。

 そしてやっぱり、あっちキョロキョロ、こっちキョロキョロ。時計を見たり、眼鏡を直したりと忙しない。

 

 深山は布に包んだ竹刀を肩に掛けている。

 図書館で勉強した後、そのまま午後の練習に行くつもりだろう。でなければ、ぼくを叩きのめすつもりか。

 後者なら逃げる訳には行かない。

 ぼくは駐輪場に自転車を放り込み、堂々と正面玄関に向かって歩いた。

 

 キョロキョロとしていた深山と目が合った。

 

「おはよう、小銭女」

 

 深山は、にこっと笑って肩の竹刀を手に取った。

 

「やりなよ」

「はい」

 

 深山が頷いて布の袋から取り出したのは――

 棒状に丸めた新聞紙だった。

 

 ぼくは頭を抱えた。

 

 やられた……。

 

◇◇

 

 棒状に丸めた新聞紙を、ペコペコと指で折り曲げながら、深山は得意そうに笑みを浮かべている。

 

「あなたのことが、ちょっとだけ分かって来ました」

「…………」

「とても誇り高いんですね」

「…………」

 

 深山に思考を読まれるなんて、ぼくもまだまだだ。

 気を取り直して言った。

 

「それで、なに? また気持ちよくして欲しいの?」

「またそんな憎まれ口を……」

 

 深山は新聞紙の棒を捨て去ると、ぼくの方に歩み寄って来た。

 

「あの程度で私をどうにかしたつもりになるなんて、まだ早いんじゃないですか?」

 

 

 ――そんなことだから、あんな厄介なのに目を付けられるんですよ。

 

 

 一瞬、何故かトウコの顔を思い出した。きっと分かっていたんだと思う。

 

 目の前で、深山が身体を折ってぼくに口付けた。

 

「……!」

 

 驚き、固まるぼくの唇を割って、深山が舌を挿し込んで来る。

 この前やったのと同じやり方でぼくの口腔内を凌辱する。場所なんて関係ない。舌を絡め、大量の唾液を流し込んで侵食する。

 

 ぼくの喉が、ごくりと鳴ったのを確認してから、深山は漸く距離を取った。

 満足げに笑みすら浮かべ、口の回りを舐め取る。言った。

 

「なめないで下さいよ、御影悠希」

 

 あの深山。修羅の女。虎も逃げ出す――覚悟の女。

 

 最初から、深山に覚悟があったとすれば、あれに何の痛痒も感じないだろう。その覚悟を瞬時に固められるから、深山楓は怖い女。シュウだって逃げ出すはずだ。

 ぼくは理解した。

 

 遊ばない女が遊ぶとき、それは『本気』って言うんだ。

 

 頬を上気させた深山が、財布から千円取り出してぼくのポケットに押し込んだ。

 

「これは、あなたのです」

 

 おさわり千円。確かに言った。

 

「…………」

 

 ぼくは言葉もなく、深山の顔を見上げた。

 深山は、頬を染めながらも不思議そうに見つめ返す。

 

「意外そうにしています」

「なんで……?」

「あなたは売ると言って、私は買うと言いましたよね」

 

 確かに言った。あのシュウにすら、存在の一筋もやらないとも。

 ぽつりと呟いた。

 

「……小箱の宝石……」

「……え?」

「あなたは綺麗なんですよ」

 

 深山はトウコと同じことを言った。

 ぼくは、とてつもなく不吉な予感を覚えた。二人はまるで違うようでいて――

 

 修羅、二人。

 

 底なしの泥沼に、片足を突っ込んだ気がした。

 

「今日はこれから練習なので、もう帰ります」

「うん……」

 

 それは良かった。

 

「携帯のブロックは解除しておいて下さいね」

「……わかった」

 

 深山は眼鏡を押し上げて、おっとりとした眼差しでぼくを見つめる。

 

「明日は、2000円の方でよろしくお願いします」

「……」

 

 やっぱり、深山は苦手だ。トウコもそうだけど、この二人は、ぼくの思う通りには動かない。

 

 ぺこりと頭を下げ、踵を返す深山の背中を見送りながら、もう一人の方と昼食の約束をしていたのを思い出し、ぼくは――

 

 頭が、割れそうに痛んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第33話

 ボーイッシュな短い髪と、日に焼けた肌。黒曜石のどんぐり眼(まなこ)。ちょっとおしゃまな、葛城瞳子(カツラギトウコ)。

 

◇◇

 

 お昼の12時を回り、トウコは図書館まで原付でやって来た。

 トウコはショートパンツに袖のないシャツ。半キャップのヘルメット。原付はマフラーに細工してあるのか、パタパタとうるさい。

 

「悠希さん! お待たせしましたっ!!」

 

 図書館からトウコの家は、結構近い。ぼくが行くと言ったんだけど、トウコは迎えに行くと聞かず、ここまで来てしまった。

 ぼくは溜め息を吐き出した。

 

「あーあ……移動、どうすんのさ。自転車と原付じゃ大変でしょ……」

 

 トウコは笑った。

 

「あはは! じゃあ、チャリはここに置いといて、二ケツで行きましょうよ!」

「二ケツ?」

「二人乗りのことですよ!」

「警察に捕まってもしらないよ?」

「ここら、自分の縄張りなんで大丈夫ですよ!」

 

 そう言って、笑顔のトウコが座席を前に詰めて後部座席を勧めて来る。

 ぼくは、もう一度溜め息を吐き出した。

 

「……もう、本当にしらないからね」

 

 やむを得ず後部座席に座って、トウコの細い腰に手を回した。

 トウコは、むふうっと鼻息を吐き出した。

 

「さあ、行きますよ!!」

 

 やたら張り切るトウコが、ぼくを連れて何処に向かうのかは分からないけど、こういうのはノリなので聞かないでおいた。

 

 風を切って行く。

 トウコは大通りを避け、狭い路地を選んで走った。クソ度胸のトウコでも、やはり警察に捕まるのは嫌なようだ。

 

 暫く走り、トウコはコンビニの前で停車した。

 

「ここで適当に買って行きましょう。今から行くとこ、持ち込み自由なんで」

「……?」

 

 いったい、トウコは何処に行くつもりだろう。昼食と聞いてファミレスみたいな所を想像していたんだけど、違うみたいだ。

 

 コンビニの中で、トウコは軽食の類いとお菓子やジュースを買い込んだ。

 清算する間、ぼくは駐車場で甘いコーヒーを飲みながら待っていた。

 

「あ、そうか」

 

 ピンと閃いた。

 昼食の誘いは名目で、トウコは最初からこれが狙いだった。

 素直に遊びに行こうと言われたら、多分、断っていたと思う。トウコも色々考えているようだ。

 

 また二人乗りでの移動。

 トウコは商店街を抜け、やはり小路を選んで走る。大通りを跨いだときはちょっと緊張したけど、パトカーに出会(でくわ)すなんてこともなく。

 目的地に到着した。

 

「ここです!」

「……」

 

 ぼくを連れてトウコがやって来たのは、皆川が使っていたあのカラオケボックスだった。

 

「ここ、ルームサービスみたいなのないんで不便なんですけど、部屋代安いし、色々ユルいんでいいんですよ」

「……」

 

 この辺りのヤンキー御用達といったところか。

 カラオケ出来るし、持ち込みも自由。プライバシーは守られているので、ラブホテルの替わりにもなる。

 ぼくもそう思ったし、多分ここは便利な場所なんだと思う。

 トウコが言った。

 

「悠希さん、一応、言っておきますけど、ここは自分か新城センパイと一緒のとき以外は利用しないで下さいね」

「なんで?」

「ここ、ユルいのはいいんですけど、よく事件が起こります。傷害とか恐喝、レイプ、シンナー……まぁ、ここら辺でなんかあったときは、現場は大体ここですね」

「ふうん……」

 

 中に入ってしまえば、何をやっているかは分からない。犯罪の温床という訳だ。

 ぼくもここまで堕ちたか、と少し感慨深いものがある。

 

「受付して来ます」

 

 そう言って、トウコは受付があるプレハブの方へ歩いて行った。

 

 行き来の多い通りからは少し外れている。元は大きいだけが取り柄の駐車場。受付がプレハブで客室はキャンピングカーだから、撤収も簡単。

 営利至上。受付が最大の難所。そこを抜けたらやりたい放題。

 

 受付を済ませたトウコと合流して、6号車に入った。

 車内は蒸し暑く、エアコンが効くまでの間、最悪の環境だった。本当に営利至上主義。

 ぼくが、くってりしているとトウコが謝ってきた。

 

「あはは……すみません……」

「いいって。トウコが悪い訳じゃないでしょ……」

 

 車内は結構広い。皆川のときは、ゆっくり見ている暇はなかったけど、ソファやテーブル等の調度品も綺麗。2~4人で使用する場合は適している。

 エアコンが効くまでの間、ぼくとトウコは食事を摂りながら、お喋りする。

 

「トウコはよく来るの?」

「明るい内には来ますね。夜は新城センパイのクラスじゃないと危ないです」

「……カオルは大丈夫なんだ」

「まぁ、あのガタイですから。バレーで鍛えてもいますし。少しでも勘が働くヤツならちょっかい掛けませんね」

 

 車内が冷えて来ると、トウコはぼくに膝枕してくれた。

 また、恋人みたいに。そういうことだろう。

 トウコは嬉しそうだった。

 

「えへへ……やってみたかったんです……」

「歌わないの?」

「しばらくは、このままで……」

 

 ぼくの頭を撫で、髪を指でときながら、トウコは微笑みを浮かべている。

 

「エッチする?」

 

 ぼくが問うと、トウコは困ったように眉を下げた。

 

「いえ、今日はそういうこと無しの方向で……」

「そう」

 

 ぼくは言った。

 

「じゃあ、トウコ。こういうのは今回限りでやめて」

 

 ぼくとトウコは、お金が繋ぐ関係。それ以外のものを持ち込みたくない。

 

「…………」

 

 トウコは項垂れ、しかし、みるみる内に眦がつり上がった。

 

「なんで、ですか……?」

「……」

 

 膝枕の姿勢から見上げたトウコの顔は、酷く奇妙な表情だった。

 それはまるで、怒っているような。泣いているような。いくつもの感情が入り乱れる、複雑な表情。

 

「……新城センパイとは、色々してる癖に……!」

「……」

「一緒にご飯作ったり、膝枕もしたりされたり、エッチだって、たくさんたくさん、してますよね……!」

 

 それは、今にも溢れだしそうな怒り。

 

「……自分といるときは、何処かつまらなそうで……笑わなくて……」

 

 それは、今にも零れ落ちそうな涙。悲しみ。

 トウコは表情を消して言った。

 

「悠希さんは、自分らの回りには居ないタイプの人です」

「……」

「本当なら今頃は受検勉強に忙しくて……あの眼鏡みたいな女と付き合って……一緒に勉強したり、交換日記とかしたりして……」

 

 憎しみ。

 

「分かってますか? そういうの、全部、新城センパイが壊したんですよ?」

「……そう」

「……!」

 

 気のないぼくの返事に、トウコの表情が険しくなった。

 

「今、何人くらい客いますか……?」

 

「……四人」

 

 トウコもその一人。特別な関係じゃない。

 

「…………」

 

 ぶるぶるとトウコの唇が震えている。

 

「……悠希さんはおかしいです……おかしくなってます……」

 

 ぼくは冷静に答えた。

 

「否定できないね……」

 

 瞬間、トウコが叫んだ。

 

「だったらなんで新城センパイなんですか!! 自分でもいいじゃないですか!! 自分の方が女らしい! 小さい! 可愛い! 優しい! お金だって持ってます!」

 

 ぼくは、そっとトウコの唇に手を当てた。

 

「ごめんね、トウコ。ぼくは、最初にカオルに出会ったんだ」

 

 これ以上はNG。お断り。

 

「~~~~!」

 

 トウコは目に涙を溜め、ぎりぎりと歯を食い縛った。ぼくの肩を掴んでいる手に強い力が籠っている。

 激しい怒りを圧し殺し、低い声で言った。

 

「待ちます……!」

「……」

「あの女、どうせ失敗しますから。そのときは――」

 

 おそらくトウコだけじゃなくて、女の子の中には、きっと修羅が棲んでいる。

 

「そのときは、新城センパイの場所は自分ってことで……!」

「わかった……」

 

 この日、トウコは一曲も歌わなかった。

 ぼくを抱き締めたまま、ずっと唇を噛み締めていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第34話

 図書館まで送ってもらって、トウコと別れた。

 別れ際、キスをせがまれたので応えた。図書館の前でキスをするのは今日、二回目。しかも二人目だった。

 

 トウコは、かなり怒っていて、キスのときは唇に噛みつかれた。

 さよならの挨拶はなし。

 原付で走り去るトウコを見送ってから携帯をチェックするとカオルからメールが入っていたので、今から家に帰ると返信しておいた。

 

 皆川にはフォローのメールで、謝罪と都合のいい時間を伝えておく。今度は携帯番号を交換しようとも。

 深山の着信拒否は解除して、その旨をメールで伝えておいた。

 

 ぼくも忙しいヤツになってきた。

 

◇◇

 

 家に帰ってすぐに――

 深山からメールが入って、シュウが部活にやって来たと報告があった。

 インターハイは8月の第一週。三日間の予定。

 練習不足の感は否めないけど、選抜優勝の経験があるシュウに不安はない。

 

 大会の最終日には、ぼくも会場に行って、そこで話し合うつもり。

 ぼくと同じ大学に行くなんていう馬鹿なことはさせたくない。全て終わらせる。

 

 カオルはいつもより、少し遅い時間にやって来た。

 玄関口で抱き合ってキスをしてから、カオルが言った。

 

「ユキ、ドライブに行こう」

「それはいいけど……」

 

 アパートの前に、黒色の乗用車が停めてあった。それを指差して、カオルは快活に笑って見せた。

 

「兄貴が車買い換えたから、貰った。行こう!」

「……」

 

 遊びに連れて行って、とお願いしたのはぼくだけど、いきなりのことでちょっと言葉がない。

 

「カオル、免許持ってるの?」

「もちろん!」

 

 カオルが車に乗ってきたことも驚きだけど、免許を取れたのも少し驚きだった。

 

 今晩のぼくたちは、外泊の予定。

 

◇◇

 

 カオルはとても張り切っていて、ニコニコと笑みが絶えない。ぼくを助手席に座らせ、高速道路にのった。

 

「サービスエリアでご飯にしようか。そこでちょっと休んで、近くにホテルがあるから……」

 

 サービスエリアにあるお土産屋には隣県の名物があるらしい。

 ぼくは、あまり遠出の経験がないのでとても新鮮な気持ちだった。カオルは意外にも安全運転。お喋りしながらも、きっちり制限速度を守っている。

 

 車窓を少し開き、風を浴びる。山間に覗く星空が綺麗だった。

 子供みたいに窓に張り付いたぼくを見て、カオルは何故かご機嫌の様子。

 

「……なに?」

 

「すっげー笑ってる」

 

「楽しければ笑うけど……」

 

 カオルは泣き笑いの表情で何度も頷いて、大きく鼻を啜った。

 

「そうかよ。へへ……来てよかった。本当によかった……」

 

 それきりカオルは黙り込み、前を向いて運転に集中し出した。

 

「カオル、泣いてるの?」

「大丈夫。今日は変な茶目っ気起こさないし。絶対、何もないから」

 

 ぼくはまた窓に張り付いて、遠くの山間に視線を戻した。

 

「あの山には何があるんだろうね」

 

 カオルは目元を指で拭った。

 

「……牧場があるよ」

「ウソ。生牛、見たことない」

「生って……」

 

 カオルは吹き出した。

 

「明日、連れてってやるよ。結構、すげーぞ? だだっ広くて、日本じゃないみたいに見える。風車もある」

「風車……!」

 

 ぼくとカオルを乗せた車は、緩やかに波打った道を快適に進んだ。

 

 見上げた空は本当に綺麗で、雲一つない星空。

 

「あれ……」

「天の川だよ」

 

 優しく言ったカオルの頬は、大量の涙に濡れている。

 

「大丈夫、カオル? ちょっと休んだ方がいいんじゃない?」

 

 カオルは無理矢理笑って、それから激しい嗚咽を漏らした。

 

「ごめん……ちょっと、休ませて……」

 

 なんとか路肩に停車して、カオルは激しく泣き崩れてしまった。

 

「大丈夫?」

 

 カオルがあんまり泣くもので、ぼくは少し慌ててしまう。

 

「カオル? カオル?」

 

 頭を撫でたり、背中をさすったりしてみるけど、効果はない。エッチの後とかは、これで上手く行くはずなのに。

 

 ハンドルに突っ伏して咽び泣くカオルは、全身を強く震わせている。

 

「……アタシ、馬鹿でさ……でも、これからいっぱい、笑わせるから……なんだってするから……!」

 

「…………」

 

「こんなに簡単なこと……」

 

 よく分からないけれど、カオルは泣きたい気分のようだった。

 非常点灯のランプを点けっ放しの車内で、ぼくはカオルを抱き寄せた。

 カオルは何度も謝って、ぼくは、ずっと咽び泣くカオルの背中をさすり続けていた。

 

◇◇

 

 サービスエリアでは、地元の名産や地域のキャラクターのキーホルダーなんかが売られていて、ぼくは激しく目移りした。

 カオルは少し腫れぼったい目を擦っている。

 

「帰りも寄るから、お土産は明日にしろよな」

 

 サービスエリアにあるレストランのメニューもちょっと珍しい。

 カオルは、やっぱり泣きそうになりながらぼくにお勧めのメニューを教えてくれた。

 

 食事を取った後は、目移りが止まらないぼくの為に、お土産屋さんを見て回った。

 

「カオル、アイスも美味しそうだったよ」

 

 カオルは泣きながら吹き出すという器用な真似をしながら、ぼくにアイスを買ってくれた。

 

「三段重ねに挑戦したい」

「よしきた」

 

 結局、ぼくは食べきれず、最後の一段はカオルが食べた。

 その後は少し休んで。

 まるでおのぼりさんのぼくは、あっちこっちと歩き回った。

 よく分からない不味そうなジュースを買ったり、地域の観光名所を紹介しているパンフレットを読み漁ったり。

 

 この頃にはすっかり落ち着いたカオルは、適当な座席に着いて煙草を燻らせていた。

 

「迷子になるなよな」

「ならないよ。失礼だね、カオルは」

 

 それからぼくたちは、また車に乗って、暫く進んだ。

 長い道のりも何故か楽しくて、ぼくとカオルは色んなお話をした。

 明日行く場所のことや、見所。生牛の糞はとても臭いこと。本当に色々。

 高速道路を下りてホテルに着いたとき、時刻はもう12時になろうとしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第35話

 カオルとやって来たのは、悪趣味な電飾で光輝くピカピカのお城だった。

 

「……ここ?」

 

 カオルは半泣きで頭を抱えた。

 

「ラブホテルだよね?」

「ごめん……超ごめん!!」

「いや、いいけどさ。カオルが部屋取ったんじゃないの?」

「……!」

 

 カオルは、ぎょっとして目を逸らした。

 運転に集中する振りをして、車をお城の中に乗り入れて行く。

 

「へえ……こうなってるのか」

「おー、アタシも来るの初めてだけど、こんな風になってたんだな」

 

 部屋は一つ一つが別々になっていて、駐車場も部屋の目の前にある。通常のホテルと違って受付でチェックインの手間はないらしい。

 思わず、ぼくは唸った。

 

「すごい……」

 

 なんというか、ここは『専用』の場所だ。客同士の接触を極力避けた造りは雰囲気からして、インモラル。

 男と女の秘密の空間。

 狭い車庫に車を入れると、勝手にシャッターが降りて来て、ぼくとカオルを世界から切り離した。

 

 カオルは、車のギアをパーキングに入れて、暫く無言だった。

 するすると手が伸びて来て、そっとぼくの手を掴んだ。

 

「チェックアウトは10時だから……」

 

 囁くように言って。

 スイッチが入ったのか、カオルの瞳は潤んでいた。

 

 エンジン音の響く車内で唇を合わせる。

 ぺろりと唇を舐めると、カオルは肩を震わせて反応した。

 

「は……あ……つっ……!」

 

 少しの間そうしていて離れると、照れくさそうに頬を染めるカオルと目が合った。

 

「……部屋、入ろうか」

「……うん」

 

◇◇

 

 扉を開けると、カチリと音がして、室内の電灯が点灯した。

 部屋の中は案外さっぱりしている。

 毒々しい色の電灯や妖しげな仕掛けを想像したのだけどそんなことはなく、寧ろ清潔な印象を受けた。

 広い室内を跨ぐようにしてカウンターがあって、ダブルベッドのある空間とリビングを分けている。

 

 部屋の隅に、見たこともない小箱があった。

 

「これは……!」

 

 そこにあるのは、バイブやローター等の大人の玩具の販売機。

 カオルが悲鳴を上げた。

 

「うわっ、エロ……」

 

 ぼくは驚愕して息を飲んだ。

 

「これが聖……性剣(バイブ)……」

 

 生身は限界がある。ぼくもそろそろ攻撃力を上げなければならないと思っていた。

 何せ、ぼくは小さいなりをしている。おおっぴらに武器や防具を購入することは難しい。

 この宝箱を開けるべきだった。

 

「ダメだッ! ダメだダメだッ!! なに考えてるか分かるからな! 絶対ダメだぞッ!!」

 

「むう……」

 

 カオルは本気で嫌がっている。

 性剣、その他のアイテムの使用は不可。……まあ、冗談は抜きにして、ぼくが購入するには少し高過ぎるのだけど。

 ああ、でもあの穴あきパンティやローションはお手頃価格かも……。

 

「くっ……」

 

 カオルが苦しそうに言った。

 

「ろ、ローションならいい……。穴あきは、エロ過ぎる。アタシは嫌だ……」

 

 ぼくはローションを手に入れた。

 

◇◇

 

 お風呂の中には、プラネタリウムがあった。電灯を落とすと、なんだか神秘的な雰囲気。

 青白く染まる浴室内で、カオルと抱き合う。

 

「なんか、意外と悪くないね」

 

 ラブホテル、というそれ専用の空間に不明な偏見があったのだけど、ムードは悪くない。

 

「あ、うん……」

 

 なんだかカオルは、そわそわして落ち着きがない。その手にローションを持っていた。

 

「使いたいの?」

「……」

 

 カオルは、顔を真っ赤にして頷いた。

 

 ……このラブホテルといい、ローションといい……カオルに余計な知識を与えた誰かがいるみたい。

 

 カオルは浴槽内のお湯を洗面器に掬って、そこにローションを混ぜ込んだ。

 

「ふうん……そうやって使うんだ……」

 

 ぼくが言うと、カオルはあからさまにギクッとした。

 

「せっ、せせせ、説明書! 説明書があって……」

 

「うふふ、そういうことにしといてあげる」

 

 カオルの友人は悪友だ。

 

 お湯で伸ばしたローションを、カオルが自分の胸に塗り広げた。

 粘りのある液体に濡れ光る形のいいおっぱいがすごくいやらしい。

 カオルは蹲った姿勢でローションを全身に塗り広げて行く。お腹、逆三角形の陰毛が広がる股間、太もも。

 顔を上げたときは、酷く興奮していて、吐息が震えていた。

 

 全身ローションにまみれたカオルと抱き合うと、凄まじい密着感に、ぼくは震えてしまった。

 

「あっ……」

 

 思わず女の子みたいな声を上げてしまう。

 ぬるぬるのカオルがぼくの全身をまさぐるように撫で回す。

 

「ユキ……これ、すごくない……?」

 

 固く勃起したぺニスをしごき上げられると、ローションの異様な滑りの感触のせいか、背筋まで痺れるような感じがした。

 カオルが嬉しそうに笑った。

 

「……いつもより固い。いい……?」

「う……カオル、駄目……」

 

 ぼくは全身が性感体になって、カオルの大きな身体で包まれているような気がした。

 カオルの手が、にゅるにゅると亀頭を擦ると腰が抜けそうになる。

 

「……本当、駄目だって、カオル……」

 

 苦しげなぼくを見ても、カオルは逆に嬉しそうな表情で、益々、躍起になってぼくのぺニスをしごき上げる。

 

「……あは、ユキ、すげーエロい……」

「やめて、出る……」

 

 止めようと手を伸ばしたら、カオルに振り払われた。

 うるさいくらいの粘着音が浴室内に響き、快感のボルテージが上がって行く。

 ぼくは立っていられなくなって、カオルの腰に抱き着いた。

 カオルは鼻息を荒くして、ぼくのぺニスをしごくのをやめない。

 

「あっ……!」

 

 最後に呻いた。

 飛び出た精子が、ぱたぱたと音を立てて、タイル張りの壁に張り付いて、流れ落ちて行った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第36話

 タイル張りの壁を、ぼくの体液が滴り落ちて行く。

 ローションで滑るカオルの腰に掴まって、ぼくは生まれたての子牛みたいに、プルプルと膝を震わせている。

 カオルの身体は火みたいに熱くなって、長い脚をぼくの身体に巻き付けて来る。

 ローションは危険なアイテムだ。滑り、吸い付く肌が溶けているような感じがした。

 カオルが掠れた声で囁いた。

 

「……ユキ、エロいよ。エロ過ぎるよ……!」

 

 そう言って、カオルは射精後の敏感になったぺニスを、また擦り上げて来る。

 

「やめて……カオル、降参……降参……」

「アタシがそう言っても、ユキだって、やめないだろ?」

 

 意地悪く言って、カオルはぼくのぺニスをしごき、亀頭を手のひらで揉み込むようにして愛撫する。

 粘着質の水音に混じり、ぼくの情けない喘ぎが浴室内に響く。

 ぬめぬめと妖しくてかり、滑るカオルの肌がぼくの全身を隅々まで撫で回して瞬く間に登り詰め、射精した。

 

「あぅっ……」

 

 こんなに短時間で二回目の射精に至るのは始めてだった。

 ぼくは堪らず座り込み、快楽に霞む視線でカオルを見上げた。

 

「……ストップ。これ以上したら、カオルの分がなくなるよ……」

 

 男は女と違って、そう何度もイけない。なんて理不尽だろう。

 ぼくのぺニスは未だ律動していて、糸を引く精液を床に垂れ流していた。

 

「…………」

 

 躊躇い混じりの沈黙があって、その中で、カオルの喉が鳴る音がやけに大きく聞こえた。

 思った。

 

(ぼく……レイプされてるよね……)

 

 くってりと脱力してしまった身体を床に押し付けるようにして、カオルがのし掛かってきた。

 ぼくは抵抗する気も起きず、成り行きに任せる。

 精液と愛液とで粘着を増したローションまみれの股間をぼくに擦り付け、カオルは全身を赤くして興奮していた。

 

 カオルの頭を抱え込むようにして引き寄せ、深いキスを交わす。

 その耳元で、囁いた。

 

「カオル……今のうちにぼくをやっつけないと、後悔するよ……」

 

 レイパーカオルは強敵だ。不埒に笑って言い放った。

 

「トロ顔で言っても迫力ないっつうの」

 

 膝の上でカオルが腰をくねらせると、縮れた陰毛と固く尖ったクリトリスの感触が心地いい。

 のろのろと身体を起こし、カオルの胸に吸い付く。勃起したセピア色の乳首は唇の中で弾けるような弾性を感じた。

 馬乗りになったカオルが指を絡め、ぼくに覆い被さってきた。

 よくやる体位。カオルも充分に濡れていて、欲しくて堪らないのだろう。琥珀の瞳は情欲に蕩け、もう泣き出しそうなほど潤んでいる。ぼくの上でひたすら腰をくねらせて、綻んだ陰唇でぺニスを刺激する。

 

 ぼくとカオルの吐き出す荒い息が耳に衝く。

 

 ローションは未だ凶悪な粘性を保ったまま、激しい水音を撒き散らしている。

 硬度を失ったぺニスが、徐々に固さを取り戻してきた。

 カオルが鼻に掛かった声を上げた。

 

「ふ、……ぅんっ……」

 

 僅かに腰を浮かせ、カオルがぺニスの上に腰掛けると、ぺちゃんと音がして、柔らかな膣肉がぼくを咀嚼する。

 カオルは眉間に苦しそうな皺を寄せ、強く頭を振った。

 

「ああっ、もう……! くぅっ!!」

 

 膣(なか)は、どろどろに蕩けていて、肉襞が蠢いてぼくを熱烈に歓迎している。

 軽く腰を動かしただけで、淫らな秘裂がグチャッと大きな音を立てた。

 

 そこで四つん這いの姿勢になって、カオルが激しくキスをしながらぼくの舌を吸い上げる。

 腰を叩きつけると、ぐちゃんと鳴って、飛沫が散った。

 

 べたん、べたん、と音を立ててカオルが腰を叩きつけて来る。

 完全に蕩けた口元は涎が垂れ下がっていて、僅かに微笑んでいた。

 陰唇がぶるぶると震え、大量の分泌液を吐き出しても、カオルは止まらない。

 

 まだイかないのか。今日のカオルは手強いと思っていたけど、よく見ればちょっと違う。

 白く泡立った結合部分から流れ出した水分は尿だった。

 失禁しながら快楽を貪っている。

 緩やかに蠕動する膣肉は既に白旗を上げていて、抵抗は殆どない。

 いつものカオル。ひたすら、ぼくを受け入れる淫らな肉穴。ちょっと壊れてしまって、止まれなくなっただけ。

 カオルの口が、何か呟いている。

 

 ――殺して。

 

 殺さないよ、ぼくのカオル。全力で、めちゃめちゃにしてあげる。

 

 腰の奥が熱くなって、三度目の射精欲求がやって来た。

 失禁しながら腰を振るカオルを迎え撃つ。ぼくも遮二無二腰を打ち付けながら、我慢せずにそのまま膣に流し込んだ。

 カオルは漸く止まり――いつものように、静かに、涙を流した。

 

◇◇

 

 カオルは完全に失神していた。

 薄目を開き、口からは少し泡を噴いて、ぼくの上に覆い被さった姿勢のまま動かない。

 

「カオル……?」

 

 短時間で三回も搾り取られたぼくも、体力の限界だった。

 ゆっくり身体をずらすと、カオルは真横に倒れた。

 身体中ローションまみれのどろどろで、床に転がって覚醒の気配はない。

 

 やむを得ず、温かいシャワーで、気絶したままのカオルを洗い流した。

 ローションは、なかなか流れ落ちてくれない。カオルは膣に指を突っ込んで精液を掻き出しても半覚醒のままだ。時々、痙攣して膣からどろりと半透明の液体を吐き出したり、呻くような唸り声を上げたりしていた。

 

 結局、お風呂から上がった時、時計の針は午前3時になろうとしていた。

 カオルは腰が抜けてしまったようで、バスローブを羽織っただけの格好でベッドに倒れ込んでしまった。

 ぼくも、ちんちんの先っぽが痛かった。そんなに強い方じゃないし、精液を出しすぎたのかもしれない。

 

「カオルはやり過ぎだよね」

 

 カオルは夢見心地でいるのか、口元に笑みを浮かべて頷いた。

 

「おしっこ洩らして大変だったんだよ?」

「……ぅん、また来ようね……」

 

 そんなカオルとキスをして、口移しで冷たい飲み物を注ぎ込んでやると、琥珀の瞳に光が戻った。

 

「……何、この天国」

 

 ぼくは部屋の照明を落として、それからカオルの隣で横になる。

 

「ユキ、お腹空かない?」

「元気だね、カオルは……」

 

 ぼくは少し疲れた。

 カオルの胸に顔を埋めると、睡魔はたちまちやって来た。

 

「……生牛、見たい……」

「うん、行こうな……」

 

 眠るまでの間、カオルはずっと、ぼくの背中を擦り続けてくれていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第37話

 朝、目が覚めると時計の針は午前9時になろうとしていた。

 カオルは長い手足をぼくの身体に絡ませ、抱き枕にして、すうすうと寝息を立てて眠っている。

 

「カオル……」

 

 呼び掛けても返事はない。

 茶色の長い前髪が目を隠すように下がっていたので、そっと手櫛でかき上げた。

 

「カオル?」

 

 おっぱいをふよふよと揉んで見るが、やはりカオルは無反応だった。

 室内は寒いくらいエアコンが効いていて、カオルに抱き枕にされているのが気持ちいい。

 ガウンを捲って、直にカオルのお尻に触れる。

 大きくて柔らかいお肉をさすっていると、カオルは鼻に掛かった声を上げた。

 

「……んっ……」

 

 反応あり。

 長い脚の間に前から手を差し込み、さらさらとした草むらを掻き分けてあそこに触れる。

 流石に濡れてない。

 でも、膣に指を一本挿し込んでみると、内部はぬめっていて、簡単にぼくの指を飲み込んだ。

 

「は、あぁ……ん……」

 

 悩ましいカオルの吐息を感じながら、ゆっくりと膣の粘膜を刺激する。

 昨夜のローションが膣(なか)に入っていたのか、少量だけどとても粘りの強い液体が滲み出して来た。

 挿入した指を二本に増やし、親指でクリトリスを転がしながら、Gスポットの壁を撫でる。

 

「……んっふ……」

 

 いやらしいカオルは眠ったまま笑みを浮かべて、ぐっと腰をぼくに突き出して来た。

 とても触りやすくなった。

 粘りの強い愛液を潤滑油替わりにして、スローペースで指を抜き差ししていると、徐々にカオルの体温が上がり始めた。

 

「ふぅ……ッんっ……ユキぃ……」

 

 吐き出す息も熱く、だんだんと湿りを帯びて来た。

 カオルはまだ眠っている。

 ぼくは愉快になってきて、最後までしてもカオルが起きないかどうか試したくなった。

 ゆっくり、しかしカオルを起こさないように膣の愛撫を続ける。

 

「ぁ……ぁ……ん……」

 

 喘ぐカオルの表情が、徐々に苦しげなものになってきた。シーツ越しに粘着質の水音が聞こえ、体臭が濃くなる。

 これまでの経験からして、カオルはそろそろイきそうだ。

 調子に乗ったぼくは、大きく指をグラインドさせて強めの刺激を送り込んだ。それでもカオルは足りないのか、少し腰を揺すっている。

 カオルが、ぎゅっと眉間に皺を寄せた。

 ぎりっと膣が締まり、とろっと粘性のある濃い液体が溢れ――

 

「ふッ……ん!」

 

 カオルは、ふぅっと大きな息を吐き出した。

 すっきりした……そんな心の声を聞いたような気がした。

 そして、カオルは何事もなかったかのように、またすうすうと寝息を立て始めた。

 

 本当、いい根性してる。

 

◇◇

 

 ぼくはベッドから抜け出して、ルームサービスのモーニングセットを二つ注文した。

 こういう場所の食事と言えば、割高なイメージがあったのだけど、ここは泊まりの客には無料で提供している。場所によって違うのだろうか。

 

 携帯をチェックすると、深山からメールが入っていた。

 

 ――電話していいですか?

 

 ぼくは携帯を持ったまま、トイレに入り、そこでOKと返信した。

 

 送信から少しして、深山からの着信。出る。

 

「……もしもし」

 

『深山ですけど……なんで小声なんですか? ……というより、今何処にいます? 音が響いていますね。トイレですか? なんでそんな場所から。誰と一緒に――

 

 ぼくは通話を切った。

 詮索好きの深山にはペナルティとして三回目の着信拒否設定。

 深山に代わって黙り込む携帯に言っておく。

 

「学ばないね、おまえは」

 

◇◇

 

 深山との不毛なやり取りの後、5分ほどして、カオルが目を覚ました。

 

「おはようさん」

 

「……ぅん」

 

 カオルは起きた瞬間から挙動不審だった。

 シーツにくるまり、ゴソゴソと股間の辺りを探っている。

 

「どうしたの、カオル?」

「あ、いや……」

 

 カオルは頬を少し染めて、恥ずかしそうに言った。

 

「夢の中でもユキとヤってて……あそこがぬるぬる……」

 

 ぼくは吹き出しそうになった。

 

「すっげーよかったんだけど……シーツまで垂れてる。洩らしたみたい……」

 

 それから、ぼくら二人はカウンターに隣り合わせに座って朝食を食べた。

 

「カオル、椅子の上で膝立てないで。見えてるから、パンツくらい履きなよ」

 

 ちなみに、昨夜からカオルは履いてない。

 

「それと、このコーヒー苦いから飲んで」

 

 カオルが寝過ごしたせいで、今朝はバタバタ。チェックアウトまで後、15分もない。それでもカオルは、殆ど全裸でニコニコと嬉しそうに笑ってる。

 

「何、笑ってんのさ。だから、あそこ見えてるって」

「へへ……見せてんの」

「変態っ!」

 

 結局、部屋を出たときは午前10時を少し過ぎてしまった。

 ぼくは知らなかったけど、こういうのって、5分くらいなら超過しても問題ないみたい。大目に見てもらえた。

 

 それから、またぼくたちは車に乗って。

 見知らぬ街を通り過ぎ、緩やかに曲がりくねった道を、尾根伝いに進んだ。

 

 峠を超え、暫く行くと突然視界が開け、ぼくはその光景に絶句した。

 

「……」

 

 尾根に沿って波うつようにうねる緑の草原が広がる。目に映るものは全て巨大で、360℃の自然のパノラマ。

 カオルが笑ってる。

 

「すげーだろ?」

「……うん」

 

 草原は所々、白い岩が生えていて、遠目に見える黒い点は……

 

「生牛……!」

 

 ついにこの目におさめたり。

 カオルが稜線を指した。

 

「風車」

「おお……」

 

 感心しきりのぼくに、カオルは、あの風車が発電装置であると蘊蓄を語った。

 

「ふええ……」

 

 ここは、確かに日本に見えなかった。

 少し寂しい感じはしたけれど、全てが雄大で、自然の息吹きを感じる。

 カオルは、ずっと笑顔。

 

「もう少し登ったとこにゲレンデがあるんだ。お昼はそこでバーベキューにしよう」

 

「B B Q!!」

 

 前以て予約が必要だけど、ゲレンデでバーベキューが食べられるらしい。

 小さなトンネルを抜けると、大きな高原に出た。

 キャンプ場の近くの駐車場に車を停め、ぼくらは遊歩道を歩いてゲレンデにあるバーベキュー会場に向かった。

 

「生牛、食いたい」

 

「ぶぷっ、これから食えるよ」

 

 真夏の盛りに関わらず、とても涼しい。

 遊歩道では森林浴を楽しんだ。爽やかに吹き抜ける風が心地いい。

 

「……ありがとう、カオル」

 

 感謝の言葉が、素直に口を衝いた。

 カオルはニコニコと上機嫌だ。

 

「いいよ。喜んでくれて、計画した甲斐があった」

 

「ぼく、一生忘れないから」

 

「……」

 

 カオルは立ち止まり、ぐっと唇を噛み締めて、空を見上げた。

 

「……また来ような」

 

「いいね」

 

「今度はゲレンデにあるホテル取るよ。冬場はスキーが出来るんだ」

 

「スキー、したことない」

 

「アタシが教えるよ。一緒に遊んで、いっぱい滑ろう」

 

「ぼくみたいな小さなヤツで、恥ずかしくない?」

 

「笑ったヤツは、片っ端から山の中に埋めてやる」

 

 カオルはまた泣いている。

 

「アタシが幸せにするから」

 

「あんがとね」

 

 ぼくは笑った。

 カオルは力強く頷いて。

 

「ユキは笑うんだ。それだけでいいよ」

 

 肩を震わせて、言う。

 

「それだけでいいんだ……それだけで……」

 

 ぼくとカオルの、夏の一ページ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

深山 楓2

「あり得るか、2000円だぞ?」

 

 眉間に嫌悪の皺を寄せ、秋月蛍が苛立ちを吐き捨てた。

 

◇◇

 

 御影悠希が、2000円で売春をやっている。蛍のその話に、女子剣道部は俄に沸き返った。

 

「うそ……! 御影マネが!?」

 

 一際大きい身体を怒りに震わせ、蛍は口汚く罵った。

 

「あんなヤツとは思わなかったよ……!」

 

 秋月蛍が、どれだけ御影悠希に期待していたかが伺い知れる言葉だった。活動を終え、この更衣室に至るまでの間に、この愚痴が蛍の話題に上るのは、これが七度目になる。

 

「あの、御影マネって誰のことですか?」

 

 現在の一年生部員に御影悠希を知る者はいない。騒ぎ、囃し立てるのは主に2、3年生の部員たちだ。

 

「マネ? 超小さい男の子で、去年のインターハイはマネージャーとして手伝ってくれたんよ」

 

 3年生の部員が答え、それに2年生の部員が相槌を打つ。

 

「そ、面倒一手に引き受けてくれて。もう、お茶汲み、審判、テーピング、ビデオ撮影、なんでもやってくれたの」

 

 現2年生部員の悠希に対する信頼は厚い。

 当時は一年生だった彼女らは、面倒な役割の殆どを悠希に任せていた。本来、実力差のある先輩部員たちに揉まれ、怪我やメンタル面で大きな負担を強いられるこの時期を楽に乗り切ることができたという自覚がある。

 

「けど、マネが……2000円ですか……」

「そういうことするように見えんし、理由あると思うんが自然かもね……」

 

 2、3年生の会話に聞き耳を立てながら、内心で楓も同意する。

 新城馨に付きまとわれて、悠希はとても迷惑そうにしているのを実際にその目で見た。

 

 更衣室は、その一件で持ちきりだった。

 

「マネが、2000円……」

「…………」

 

 蛍のような軽蔑や嫌悪の言葉はなく。皆、深刻な表情で考え込む様子だった。

 誰かが言った。

 

「理由によっては……」

 

 ――買うかも。

 その言葉を飲み込む。

 

「マネ……」

 

 誰かが溜め息混じりに呟く。

 2000円は破格と言ってよい。心が動かないと言えば嘘になる。

 誰も、はっきりとは明言せずにいるが理解している。そして周囲もそれを咎めない。

 問題は深刻だった。

 女子剣道部の副主将として、楓は大きな溜め息を吐き出した。

 楓自身、これを大きな問題と捉えてしまうのは、ある意味この問題に迎合する風潮の部員たちと、考え方を同じにしているという認識があるからだ。

 その程度には彼は可愛らしかったし、献身的だった。

 

 

「……あいつは淫売の屑さ」

 

 

 蛍が言って、金属製のロッカーの扉を叩き付けるようにして閉じた。

 

 派手な音がして、下級生の部員たちは肩をすくませる。

 

 楓は眉間に皺を寄せた。

 蛍だけが、この問題の深刻さを理解していないように見えた。

 

 怒りに震える蛍を慮って、皆、何も言わないが、一度、箍(たが)が外れれば大変なことになるかもしれない。その程度には、悠希の献身は魅力的に思える。少なくとも、2000円で投げ売りにしていいものじゃない。

 女の貞操観念は、男の軽いそれとは違う。今はそれが歯止めを掛けている状態だ。

 新城馨は、それを踏み越える何かを持っていた。或いは、悠希が女の貞操観念を狂わせる何かを持っている。

 

 秘密の小箱……。

 興味がないと言えば嘘になる。

 

 ずかずかと物音を立て、蛍が立ち去るのを待って、楓は口を開いた。

 

「……御影くんの件は私も気掛かりです。一度、事情を確かめた方がいいかもしれませんね」

 

 ここ一番で粘り強く、勝負強さに定評がある楓が言うと、周囲は、ほっと安堵の息を吐いた。

 

「そうやね。マネが困っとるんやったら、話くらいは聞いてあげんと……」

 

 楓は頷く。

 

「この件は私が預かるんで、皆は手出し無用でお願いします」

 

 内心、楓は腹立たしい思いだった。

 蛍が悠希に並みならぬ好意を抱いていることは一目瞭然で、それ故に怒りが大きいことは理解できる。しかし、主将の蛍が何度もその問題を取り沙汰することで部内に波紋を起こしたのは事実だ。

 黙っていればいいのに。

 楓なら、その事情を確かめ、ゆっくりと吟味する。気になる小箱の中身によっては……

 

「まぁ、副が動くんやったらそれでええよ」

 

 団体戦では中堅を努めることの多い3年の黒岩がまとめ、この日はお開きになった。

 

 楓は少し考える。

 1年生はいい。悠希を知らないから影響は少ない。3年も主将の蛍の手前、慎むだろう。

 問題は2年の部員だ。

 蛍と楓を含む3年はインターハイが終われば引退してしまう。現役である今は抑えが利くが、それ以降はどうなるか分からない。

 

「…………」

 

 思考に沈む楓が気付いたとき、更衣室には自分の他に黒岩しか居なかった。

 黒岩 智(クロイワ トモ)。楓と同じ3年の女子部員。

 

「2年は危ないな……主将が怒りながら話しとん見て、嬉しそうに笑とるヤツもおった」

 

 楓は酷く嫌な気分になった。

 

「まぁ、主将があの調子やったら遠慮はいらん思ったんやろう」

 

 実際、蛍は気が向いたら使ってやれとまで言ったことを思い出し、楓は、益々、気分が悪くなった。

 

 黙っていればいいのに。

 

 智が言った。

 

「私な、マネと中学校同じなんよ」

 

 黒岩智は父親が転勤族で、関西、九州、四国地方を転々とした経歴を持っている。その為か、言葉使いは独特な訛りがある。高校に上がる一年前、中学3年の時に父親が出世して、漸くこの地域に腰が座った。

 その智が悠希と同じ中学校だったとは初耳だ。何より彼女が悠希と話しているところも見たことがない。

 智が苦笑した。

 

「中学のとき、告ってフられたんよね……あはは……」

「……」

 

 それは御愁傷様だ。なんと言っていいか分からず、楓はへの字に口を曲げて黙り込む。

 

「それから気まずくなって、口利いとらん」

「……」

「どうせ主将は東京の大学行くやろうし、マネとはそれからやと思っとったんやけど……」

 

 訛りのある独特な口調と、ざっくばらんな性格から誤解されがちだが、智は頭を使うタイプだ。団体戦では主に中堅を努めることが多い。

 この中堅というポジションは、団体戦では非常に戦略的な立場に位置する。確実に勝ち星を拾う、場合によっては引き分けを狙って後に勝敗を委ねる。団体戦ではこのポジションに一番強い者を置くとするのが正しいと言われることもあるほどだ。

 智は、がしがしと短い髪をかき回した。

 

「新城か……まぁ、コイツは死んでも許さんとして、頭つこたなぁ……」

 

 言った。

 

「余計なことしよって……! アホが……アホがっ……! 何が2000じゃ……!!」

 

 圧し殺すように言って、智は激情のままロッカーを殴り付けた。

 

「人の初恋、ワヤにしよって……!」

「……」

「アイツは絶対に許さん!」

 

 何時も冷静で、斜に構えた智が感情を剥き出しにしている。

 

 へこんだロッカーは、扉の部分が内部に押し込まれる形になった。

 智は深呼吸して、それから首を振った。

 

「……まあ、私のことはええやろ……」

 

「……」

 

「蛍は意外に使えん。虫除けにもならん……!」

 

 智が激怒している。楓はその事に強い興味を覚えた。

 

「一応、副のメンツは立てたる。インタ終わるまでは、まぁ――」

 

 そこで抑えきれない感情がまた爆発したのか、智は思い切りロッカーを蹴り飛ばした。

 

 大きな衝撃音の後、更衣室は静寂に包まれた。

 

 楓は言った。

 

「……買うんですか」

 

 智は鼻を鳴らした。

 

「たったの2000なら、行かなウソやん……」

 

 それに、と智は付け加える。

 

「……御影、泣いとるかもしれん。めちゃ強がりやん。ほっとけん……」

 

 激情を押さえ付け、鼻声で智が呟く。

 

「ほっとけん。ほっとけんよ……」

 

◇◇

◇◇

 

 黒岩智は頭を使うタイプだ。冷静で、考えることを第一に置く楓とは気が合う。

 その智が感情を爆発させて思いやる少年。

 

 小箱の中身は、何が詰まっているのだろう。

 

 楓は漠然と思う。

 秋月蛍にしても、新城馨にしても、黒岩智にしても、やり方は違えど、皆本気なのだ。

 羨ましい。

 楓にはそこまでの激情がない。四十からの情熱もない。魂を震わせるものが何もない。

 秋月蛍に勝利を譲り渡したとき、大事な何かも一緒に譲り渡したのだ。

 

 小箱の中身に対する期待が大きくなる。

 

 こうして、楓は体育館の倉庫へ向かうことになる。

 小箱の中身を確かめるのだ。どんなに素晴らしいお宝が眠っているのか、その目で見てみたい。

 お宝が本物なら、それは楓を解き放つ素晴らしい何かを秘めている。狂おしい何かを秘めている。

 

 見たい見たい見せろ見せろ。

 小箱の中身は、いったいなんだ!?

 そして――

 

◇◇

◇◇

 

 楓は、涙に濡れる悠希を抱き締めることになった。

 

 やはり、御影悠希は献身的で、我が身を削ってでも父に報いたいのだと言う。

 

 ああ……。

 

 楓は内心の落胆を隠せない。

 確かにこれは綺麗なものだ。でも、楓の為に用意されたものではない。他の誰かを狂わせても、楓の老いた心は震えない。

 だがそこに。

 秋月蛍が現れた。

 言った。

 

「淫売が……!」

 

 その瞬間、ざわっ、と楓の心は震えた。

 

 秋月蛍――お前に何が分かっている!!

 

 悠希に突き飛ばされ、楓は思ってもいない方向からの衝撃によろめき、倒れ込む。庇われた。

 

「屑め……!」

 

 そう吐き捨て、蛍は何度も悠希を打擲した。

 楓の目の前で、何度も何度も打擲した。

 

 

「ごめんなさいごめんなさいお母さんもうしません二度とつまみ食いしません泣きません大きな声も出しません許してくださいこの通りです」

 

 

 楓の感情は爆発した。

 

 絶対に許せないと言った黒岩智の激情を完全に理解した。

 何処かおかしい新城馨の貞操観念も、手に取るように理解した。

 

 

 ――たったの2000なら、行かなウソやん……。

 

 

 それも完全に理解した。

 

「御影くんは私が買いました。もう貴女には存在の一筋すら渡しません」

 

 秋月蛍には渡さない。

 この場にいない黒岩智も同じことだ。

 

 後悔は微塵もなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Joy to the World(もろびとこぞりて)

 長い睫毛は少女のよう。桜色の唇は舌を挿れて吸うと甘露の味がする。

 透明感のある大きな瞳は、恥じらうと目尻が下がる。

 笑うと頬にえくぼが浮かび、思わずこっちも笑ってしまう。

 きっちりと爪が切り整えられた清潔な指は細長く、愛撫されると天国までは一直線。

 御影悠希。

 カオルの、傷付いた天使。

 

◇◇

 

 最近のカオルにとって、悠希は異性を計る基準になりつつある。

 他の男連中のゴツい指や汚ない爪を見ると嫌悪の気持ちが湧く。

 その指で女に触れるのか? と問い質したくなる。

 少なくとも、カオルの身体はそんなに雑に出来てない。

 

 自分を見る男連中の無神経な言葉が大嫌いだ。

 

 

 ――なんだ、女か――

 

 

 悠希は、絶対にそんなことは言わなかった。

 関係開始後の悠希はとてつもなく冷たかった。

 しかし――

 固い蕾が花開くように、徐々に笑顔を見せるようになって来ると、着実に信頼を得ているという確信があった。心が折れずに頑張れたのは、その確信あってこそだ。

 家に招かれ、食事を共にし、閨を共にし、お風呂にも一緒に入る。

 『ルール』が一つ解かれる度に胸が熱くなる。身長差は40cm近かったけれど、そこでのカオルは普通の女だった。

 全てを打ち明け、受け入れられた……。

 

 幸せなだけの、普通の女。

 

 将来のことは漠然と考える。

 もし、悠希と逢わなかったらどうなっただろう。

 カオルは、きっとつまらない好奇心からつまらない男と関係を結び、大して良くもない行為に溺れていただろう。

 仕事のない日はジャージを来て煙草を吸って、パチンコに行く。いつの間にか結婚して激安レシピに詳しくなり、好きな言葉は『絆』。

 

 カオルは、その想像の後、必ずといっていいほど吐いた。友人にその話をすると、友人も吐いた。

 それくらいリアリティーのある未来像だった。

 

 友人と話をするのは好きだ。

 高校にも行ってない友人だが、真剣に自分のことを考えてくれる。外泊デートの予定も、嫌な顔一つせず、一緒に考えてくれた。

 

「……素朴なのがいいんじゃねーの?」

「あー、うん、そんな感じがするな……」

 

 効果的なフェラチオのやり方も彼女から教わった。カオルにとっては性の伝道師でもある。バージンフェラ魔王と呼ぶと殴られた。

 

「よし、ホテルはウチが取っといてやるよ」

 

 そのとき浮かべた意地の悪そうな笑顔が気になったが、カオルの恋はその友人無しに語れない。信用した。

 

◇◇

◇◇

 

「――そっか。御影の左手は大丈夫そうだったか」

 

「おう、ちゃんと動いてた。不自由そうには見えなかった」

 

「ウチは親友として、お前が御影の『歌』を聞かないことを祈るよ」

 

◇◇

◇◇

 

「――父ちゃんには気を付けろよ。血が繋がってないからな。似てないとか、年寄りとか、絶対に口滑らすんじゃねーぞ」

 

「……それ、すげー頭痛いんだわ。ユキは紹介したいって言ってくれるんだけど……」

 

「……幸せな悩みだな」

 

 カオルは屈託なく笑った。

 

「まあな!」

 

「ちっ……のろけかよ。でも、忘れんじゃねーぞ。テメーは無茶苦茶やってるからな」

 

「……わ、わかってるよ」

 

 暫くの沈黙を挟み、友人が口を開いた。

 

「……本当は、ほっといた方がよかったんじゃねーか? 色々あるだろうけど、その秋月ってのがなんとかしただろうし……」

 

「……!」

 

「男と女のことなんて、自然が一番いいんだよ。縁のないとこに繋いでも駄目」

 

「うるせえな……アタシとユキは、メチャ上手く行ってんだよ。テメーがほっとけや」

 

「……これだけは言っとくぞ。『歌』止められるのは、父ちゃんだけだからな」

 

「歌わねーよ。歌わせないし」

 

「御影の為に煙草もやめられないようなテメーだから、不安なんじゃねーか」

 

「ゆ、ユキは気にしてねーよ」

 

「ふん、とにかく……『歌』が始まったら、全部終わりだ。後は御影の父ちゃんに委ねる。いいな……?」

 

「……アタシが止めて見せる」

 

「ああ、そうだな。それが出来りゃ、御影は文句なくテメーのもんだろうよ。御影の方で離さないよ」

 

 カオルの目の前にいる友人は、おそらく生涯で最高の友人だろう。

 ベリーショートの金髪をかき回し、友人が言った。

 

「……でもやっぱり、ウチは、お前が御影の『歌』を聞かないことを祈るよ」

 

「……大丈夫だよ。左手だって平気そうだったし、ユキだって成長してんだ」

 

 全ての『ルール』は、『歌』を回避するためのものだ。カオルの傷付いた天使がマイナーなクリスマスキャロルを歌うとき、全てが終わる。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒岩 智1

 四国、九州、大阪、主に関西圏を中心にあちこち飛び回った転勤族の父が、ついに出世した。

 飛ばされる側から、飛ばす側になったのだ。

 

「黒岩智です。ヨロシクお願いします!!」

 

 中学校3年の新学期。

 智は満面の笑みを浮かべて、頭を下げる。

 これが最後の転入の挨拶。とびきり愛想よく、にっこり笑って媚を売る。

 教室のクラスメイトを見回す。

 長い付き合いになるだろう。ひょっとしたら、ここに終生の友人がいるかも。或いは、生涯を共にする伴侶すらいるかもしれない。

 各地を転々として、別れを宿命付けられた出会いは終わったのだ。

 

◇◇

 

 独特な口調と、ざっくばらんな性格が受け入れられ、智がクラスメイトに馴染むのに、さほど時間はかからなかった。

 

 御影悠希を気にかけるようになったのは、5月半ばも過ぎた頃のこと。

 

 その日は、お弁当。なんでも季節外れの台風が原因で、食材を運ぶトラックが交通事故を起こしたのだとか。

 智は適当にコンビニでパンでも買って。

 御影悠希は、教室の隅っこにある自分の席で弁当を食べていた。

 中身を覗いたのはなんとなく。

 

 悠希のお弁当は、見るからに不細工な出来具合だった。

 おかずは何やら、ごちゃごちゃとしてとりとめがなく、形は不揃い。彩りは悪く、やぼったい印象。

 

「…………」

 

 思わず、智は足を止めた。

 

 黒岩智は父子家庭だ。

 母親は、幼い智を置いて若い男と逃げた。以降、父と二人三脚でやって来た。

 その父が作った弁当に、そっくりだった。それが智の足を止めた。

 

「……」

 

 当時の智は幼く、母が突然居なくなった現状を理解出来なかった。

 それでも父は苦心して、遠足を控えた智の為に手作り弁当を持たせてくれた。

 よくある話。

 智は不細工な弁当で大恥をかき、父を散々なじった後、一口も食べなかった弁当を投げ捨てた。

 

 そのときの父の、涙を浮かべて俯いた表情が、ずっと忘れられずにいる。

 その涙の意味が分かるくらいには、成長しているのがこの頃の智。

 素直に謝ることすら出来ない、15歳の黒岩智。

 

 クラスメイトがクスクスと笑い、小声で悠希の弁当を馬鹿にしている。

 沸々と怒りが込み上げた。

 

 ――なんがおかしいんじゃ……!

 

 しかし、口に出しては何も言わない。

 多数に阿(おもね)り、少数を切り捨てる。各地を転々とするうちに身に付いた処世術。黒岩智の冴えたやり方。

 

 悠希は平然として、ご飯粒一つ残さず平らげた。

 

 涙が出そうだった。

 

 いつかの智も、こうあるべきだったのに。

 智の父は料理を作らない。

 家ではいつも店屋物。家庭の味など無縁の代物。

 

 それ以来、なんとなく。

 智は、悠希を気にかけるようになった。

 

 いつも教室の隅にいて、あまり動かず、黙って自分のことをやっている生徒。

 それが、御影悠希という少年の印象。

 時折、女子生徒に呼び出されて告白される。

 好意を持つのは、決まって胸の大きい、母性本能の強そうなタイプ。

 悠希の小さい身体とあどけない風貌がそういう女の子の恋心を擽るのだろう。

 

「よく分からない」

 

 もしくは。

 

「興味ない」

 

 それが悠希の返答。

 

 智が見る限り、悠希に好意的な女子生徒の殆どは特殊な属性持ち――所謂ショタコンとおぼしい。見た目に強い拘りを持つ彼女らの告白は、断るのが吉。

 安心する智がいた。

 

 見てくれだけで、可愛いげのない小動物。そういう評判があった。

 何しろ、この小動物はハッキリとものを言う。告白を断っても付きまとう女子には極めて厳しかった。

 

「ウザい」

 

 ときには、

 

「キモい」

 

 平然といい放つ。

 ざっくばらんな性格で、明け透けにものを言う智と通じるものがある。痛快だった。

 

「御影、父子家庭なん? 私もそうなんよ」

 

 この一言で悠希は、いとも簡単に胸襟を開いた。

 悠希は、ぱっと笑む。

 

「そうなんだ。黒岩さん、よろしくね」

 

 あどけない子供の笑顔。

 可愛らしく、無垢。無条件の親愛がそこにあった。

 この魔法の効果は一度きり。同じ境遇の智だからこそ知っていた。

 

 御影悠希は父親が大事。智にはそれがよく分かる。

 父の日のプレゼントにそれとなくアドバイスしたところ、食い付きは抜群だった。

 料理の話題にも興味津々。

 悠希が必要なものは予め知っている。智がもう持っているそれを小出しにすればいいだけのチョロい相手。

 

「黒岩さん、菜の花の白和え、作ったよ!」

「トモでええよ。お父、喜んだ?」

「うん、ありがとう!!」

 

 悠希の世話を焼くのは、以前の自分を見るようで楽しかった。信頼されるのも悪くない。

 

「トモ、トモ……!」

「聞いとるよ。落ち着きや?」

 

 この可愛いげのない小動物が、自分にだけ笑いかけるのだと思うと、不思議な優越感があった。

 

 回りばかりを見ているトモは気付かなかった。どうすれば、この少年を喜ばせることが出来るか。そればかりを考えている自分に気付かなかった。

 

 智の言葉使いには訛りがある。足して、ざっくばらんな性格が受けて、女子だけでなく男子とも仲がいい。

 

「御影、体育の時も一人だけジャージやん。何でなん?」

「ああ、それなぁ……」

 

 それは悠希と同じ小学校を卒業した男子生徒の話。

 この日、智を含めた複数名の生徒たちの間で、悠希の想像を絶する過去が取り沙汰された。

 

「そんなん、ウソやん……」

 

 その言葉は、願望だった。

 語られた過去が事実なら、悠希と智は、似ているようでいて、まるで違う世界の生き物ということになる。

 

「信じん……そんなことは、あったらいかん……」

 

 打ちのめされたような思いで、智はその場を後にした。

 

 黒岩智は人気者。

 

 この日までは。

 

 その日、智は廊下で雑談中のところを複数の生徒たちに呼び止められ、自らの教室に帰ることになった。

 

 横引きの扉を開け放ち、智が見たもの――

 

 全裸に衣服を剥かれ、うずくまり、傷だらけの身体を抱えるようにして震える一人の少年。

 

「おー、黒岩。来たか」

 

「……?」

 

 全ての音が遠くなる。

 唐突に起こった出来事は、一瞬で智の思考力を破壊した。

 ぽかんと大口を開け放つ智の口元に、つっと涎が伝う。

 誰かが言った。

 

 

 ――本当だったろ?

 

 

 智は――

 頭の奥で、ぶんぶんと虫が飛ぶような音を聞いた。目の前が赤くなる。何も考えられない。ぶんぶんと飛び回る虫が煩い。何も聞こえない。

 

 

 ――すげー、ケン〇ロウみてーだ。

 

 

 嘲笑。

 

 

 悠希は歌いはじめた。

 

「Joy to the world, the Lord is come……」

 

 

 ――なんか歌ってるぞ?

 

 

 智は呆然と立ち尽くし――

 

 

「And heaven and nature sing, 」

 

 ――季節外れのクリスマスキャロル。

 

「And heaven and nature sing, 」

 

 ――神を賛美する歌声は。

 

「And heaven, and heaven, and nature sing.」

 

 ――永遠に続く呪詛のはじまり。

 

 悠希は歌い続ける。

 

 智は悟った。

 傷つけられ、踏みにじられて漸く悟った。

 

「オマエら……!」

 

 目の前が赤くなる。何もかもを赫怒の炎が焼き尽くす。

 

 

「オマエら、みんな死ねやあっ!!」

 

 

 黒岩智は人気者。

 

 この日までは。

 

 智は、恋だったと気付いたのだ。

 ただ、ほんのちょっと、気付くのが遅れただけ。ただ、ほんのちょっと、ほんのちょっと永遠に、遅れただけ。

 

 多数に阿(おもね)り、少数を切り捨てる。各地を転々とするうちに身に付いた処世術。

 そんなものは、形振り構わず投げ捨てた。

 

「死ね! 死ねや!! クソがっ! クソがっ!!」

 

 このとき既に剣道初段。掃除用具を突っ込んだロッカーからモップを引っ張り出し、我を忘れて暴れ狂った。

 

「御影、しっかりせえ! しっかりせんか!!」

 

 冴えた黒岩智の、ちょっと遅れた初恋は――

 

「オマエら、絶対に許さん! 寄って集って何やっとんじゃ!!」

 

 ――ほんのちょっとだけ、神様に嫌われて。

 

「歌うんやめ! やめやぁ……!

なぁ……頼むけん……」

 

 何処まで行っても終わらない、クリスマスキャロルに流されて消えて行く。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒岩 智2

「人は自分以外の誰かに、何処までも残酷になれるものなんだよ」

 

 そう言って、初老の男性は泣いた。

 

「黒岩さんは、うちの息子を庇ってくれたんでしょう? あなたは悪くないよ」

 

「……」

 

「……酷いもんだったよ、実際。

 私が駆け付けたとき、息子は素っ裸で庭に転がってたよ……ごみくずみたいにさぁ……」

 

 そう言って、悠希の父は激しい嗚咽を洩らした。

 

「身体中、傷だらけで……縫合した痕も出鱈目でさぁ……自分で縫ったんだろって、医者も泣いてたよ……」

 

「……」

 

「8才の子供がさぁ……私はやりきれないよ……」

 

 黒岩智は、クラスの人気者。

 今日、この瞬間まで。

 

「脳が萎縮してしまってねぇ……長期に及んだ強いストレスが原因だって……」

 

 血を吐くように。

 

「……でも成長期だったから奇跡的に回復して……してくれて……」

 

 絞り出すように。

 

「うちの息子、小さいだろ? あれ以上、成長する可能性は低いってさ……」

 

 言って、父親は咽び泣く。

 

 泣いて泣いて、また泣いて。

 それでも足らずにまた泣いて。

 

「……うちの息子は、もう一生分の不幸味わったあとなんだよ。なんで、そっとしておいてくれないんだ……!」

 

「……」

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

◇◇

◇◇

 

 黒岩智は、中学校最後の夏休みの殆どを郊外の病院で過ごした。

 17人の男女をモップで滅多打ちにして、その殆どを病院送りにした智だったが、事件は公にならなかった。

 受験前の子供を抱えた保護者が、この一件を大事にすることを嫌ったというのが一つ。悠希の父が和解の条件の一つとして、智の寛恕を要求したことも大きかった。

 ことなかれ主義の教師連中も右に倣えで落ち着き、この事件は収束した。

 

 病院での悠希は、いつもぼんやりとしている。それ以外には時折、歌ったり、とりとめのないお話をしたり。

 

「とも、なにかおはなしして……」

 

「ええよ。なんのお話ししようかぁ……」

 

「どこかいたいの……?」

 

「目にゴミが入っただけやん。なんもない、なんもないんよ……」

 

 そう言って、胸を突き上げる嗚咽に耐えきれず、喋れなくなることが何度もあった。

 智の15年の人生で、こんなにも他者を思いやったことはない。

 

「リンゴ剥いたろうか? なぁ、なんかいいや? 頼むけん、黙っとらんと、なんか言うてや、なぁ……?」

 

 それでも、悠希は歌う。

 夏の病院で季節外れのクリスマスキャロルが響くとき。

 

「Joy to the world, the Lord is come!」

 

「やめぇや、なぁ……頼むけん……!」

 

「Let earth receive her King;

Let every heart prepare Him room, 」

 

 少年の未成熟なソプラノが、無慈悲に終わりなく響く。

 

「もうええ……それはもうええけん……」

 

 悠希の歌は、智には止められない。

 

「And heaven and nature sing, 」

 

 智は泣いた。

 

「And heaven and nature sing, 」

 

 悠希の父は、歌っている期間が段々と長くなっていると言っていた。

 今は自分が止めることができるが、そのうち止められなくなるかもしれないとも。

 

「And heaven, and heaven, and nature sing.」

 

 歌が止まらなくなったとき、御影悠希という少年の自我は永遠に損なわれる。

 いつの日か、見も知らぬ神とかいうやつが、あまりにも報われないこの少年を連れて行ってしまう。

 

「いかん、それだけはいかん。そんなんは私が許さん。絶対に許さん……!」

 

 いつ頃からか、智は抑えきれない激情の存在を自覚するようになった。

 胸に咲いた、儚い一輪の花を守りたい。それだけ。それだけで、なんでもできる気がした。

 

 夏も終わりに近付き、悠希は漸く復調した。

 

「あんがとね、トモ。一緒に居てくれて」

「ええよ。そんなんは、なんでもない」

 

 悠希が復調に至る様子は、固く閉じた蕾が花開く様を想起させ、一見、奇跡的な光景に映る。だが、人の心はモノではない。いつか取り返しの付かないことになるのではないか。

 智はそれを強く恐れた。

 

「……薬、飲みたくない……」

「そうやな、私もあれは好かん。ボーっとしとる御影は心臓に悪いし……捨てよか……?」

 

 二人、示し合わせたように笑った。

 

「……でも、本当に悪いときは……」

「そのときは飲む」

「なら、ええよ」

 

 智の保護欲は溺愛に通じるものがあった。そして、悠希に殆ど無制限に甘い自分を自覚しながらも、智自身それを由とした。

 

 報われないなら、他ならぬ己が報いればよい。

 

 好意が決意に変わる。ちょっと行き過ぎていたけれど。それが智の愛のかたち。

 

「昨夜、ちょっと冷えたな? 風邪引いとらんか? 夏やけんて油断したらいかんよ?」

 

「うん」

 

「売店まで? ちょっと車椅子持って来るけん待ちや?」

 

「……うん」

 

「外はいかん。陽射しが強すぎる。日焼けはなめたらいかんよ? 火照って夜寝られんようになる」

 

「…………うん」

 

 保護欲をそそる見た目とは裏腹に、独立心旺盛な少年には向かないかたち。

 

「トモは優しいね。学校では一番大事なお友だち」

 

 プロの入れ知恵。

 

「……そうかぁ? へへ、なんか照れる……」

 

 勘違い。

 

◇◇

◇◇

 

 剣道を嗜むため、髪型は短めに揃えることが多い。眉は濃い目で、堂々とした意思の存在を感じさせる。

 ぱっちりと開いた瞳は母方の遺伝で色素が薄く、日光に弱いため、日中の屋外ではいつも眉間に皺を寄せている。

 黒岩智という少女。

 

 新学期が始まり、人気者の黒岩智はもういない。

 保護対象から片時も離れず、鋭い眼差しで周囲を牽制する。鞄の中に二本の特殊警棒を所持しており、人気者が打って変わってクラスメイトの恐怖の対象。クラスの凡そ半数をぶちのめしたことを鑑みれば当然のことだった。

 そして智の方でも、数に任せて体格の劣る悠希を虐げたクラスメイトに対しての不信感と侮蔑の念を隠さない。屋内にもかかわらず、眉間には険しい皺が寄っている。

 

 多数に阿(おもね)り、少数を切り捨てる冴えた黒岩智は、とうの昔に死んでいた。

 

 新しく生まれ変わった智は、悠希を溺愛した。

 時折、鬱陶しそうにしたものの、悠希にとって智の印象は悪くない。父子家庭の境遇は相容れるものがあり、寧ろとても良い。プロの入れ知恵も良い方向に働き、過剰な拒否反応を見せることはなかった。

 

「御影、今日も家まで送るけん。一緒に帰ろな?」

「ん、あんがと」

 

 二人は上手く行っていた。

 

◇◇

 

 ある日のこと。

 授業の合間、束の間の休み時間の出来事。

 

 神の到来を祝福するボーイソプラノの歌声が、智の耳を衝いた。

 僅かに聞こえる歌声に耳を澄ませ、瞳の動きだけで周囲を索敵する。

 悠希はまだ気が付いていない。

 少し離れた場所に集まった複数人が、ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべて悠希の方にチラチラと視線を送っている。

 聞こえた。

 

 ――おい、もうちょっとボリューム上げろ。聞こえてないぞ。

 

 人は自分以外の誰かに、何処までも残酷になれる。

 

 抑えきれない激情が智の胸を灼く。

 『動画』の存在を知った最初の瞬間だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒岩 智3

 悠希は歌っているときのことは殆ど覚えていない。その悠希に、自分の歌っている姿を見せればどうなるか。歌声を聞かせればどうなるか。

 

「考えたねや」

 

 放課後の体育館裏で、智は二本の特殊警棒を持ち、仁王立ち。

 悠希は保健室に預けた。

 さんざんごね倒し、帰る帰ると苦辞を繰ったが拝み倒して待って貰っている。

 

「携帯、出しや?」

 

 智が冷たい視線を送る先に、四人の男子生徒が正座の姿勢で座り込んでいる。

 皆一様に顔の形が変わり、夥しい量の鼻血と涙を垂れ流していた。

 

 智は四人から携帯を受け取って、眉間に険しい皺を寄せたまま、フォトと動画のファイルをチェックする。

 

「……ぎょうさんあるの。なんや、オマエら、御影が好きなんか?」

 

 四人は恐怖に震えながら、首を横に振った。

 

「御影はまともやから、男は好かん。別ので我慢しや?」

 

 智は全てのファイルを削除した上で、念のため四人の携帯電話を警棒で打ち据えて破壊した。

 

「こんなん、楽しいか?」

 

 智は自分の携帯を取り出して、動画を録り始める。

 

「あんたら、ちょっとそこでオカマしいや」

 

「「「「……えっ?」」」」

 

 四人は異口同音に言って、困惑したようにお互いを見合わせた。

 

「誰でもええ、チンコ出してしゃぶらせえや。私が録ったるから」

 

 目には目。歯には歯。それが新しい黒岩智の流儀。

 

「二人一組。射精(だ)すまでやれや」

 

 智は唾を吐き捨てた。

 

「これが、あんたらのやり方なんやろう? 合わせたるよ」

 

 智は――

 悠希以外の誰かに、幾らでも残酷になれた。

 

◇◇

◇◇

 

 保健室では、心配そうな表情の悠希が待っていた。

 智は朗らかに笑った。

 

「ごめんごめん、いやぁ、アイツら中々でな。まぁ、キッチリ最後までイったんやけど…………なんかあったん?」

 

「トモ、何をしてきたの?」

 

 ほんの数分前の残酷な所業を尾首にも出さず、智は溌剌とした笑みを浮かべて見せる。

 

「ん、誰か来たん?」

 

「トモの言った通り、話があるって何人か……」

 

「そっか。ちゃんと名前とクラス聞いてくれたか?」

 

「……うん」

 

 うっすら嘲笑う。

 留守にすれば、すぐに食い付くと思っていた。

 

「男? 女? ちょっと教えてや」

「……」

 

 心を鬼にして事の収拾に当たる智だが、元々嗜虐の性行がある訳ではない。殺伐とした日常は健全な心身を削る。しかし――

 

「トモ……もう、いいから……」

 

 悠希は決して愚鈍ではなく、寧ろ鋭い洞察力を持っていて、智を驚かせることがあった。

 

「ん、なんのこと?」

 

 優しい気持ちになる。

 何かを失いつつある智だったが、同時に大切な何かを受け取っている。

 

「……」

 

 長い睫毛を悲しそうに伏せ、憂いを含む悠希の瞳と、智の色素の薄い瞳が合わさる。

 

「帰ろうや?」

「……うん」

 

 失うものも多いが、同時に得るものも多い。孤立しているが、決して一人ではない。

 

 暴力にまみれ殺伐とした日常と、互いに気遣いを絶やさぬ優しさに満ちた日常が続く。

 本当におかしなことだけれど、智は満ち足りていた。

 

◇◇

 

 動画の収集は進み、行われる報復も過剰の一途を辿る。

 

「脱処女やん、悦びや?」

 

 この時は十名以上の女子生徒の間で動画が拡散し、面白半分で持て囃された。

 リーダー格の女生徒に対する智の加虐は悪辣を極めた。

 全身を殴打したあと、膣にジュースの空き缶を捩じ込み、思い切り蹴り込んだ。

 

「おらっ、イけ。イかんか」

 

 股間に空き缶をくわえ込み、悶絶する様は勿論、動画に収める。

 

「おもろいか。私はおもろない。今度、御影が狂うたら、一人残らず殺すぞ……」

 

 はったりでない恫喝。

 

 本気の、黒岩智が、いた。

 

 時折、反撃を受けることもあったが、そこは覚悟が出来ていたため問題はなかった。正面からキッチリ返り討ちの後、更なる報復でケジメを取った。

 的に掛けた生徒の数が20を超えた頃。

 智は妙な雰囲気を身に纏うようになった。

 端的に言うと凄みが出た。生徒は無論、教師に至るまで、真っ直ぐ目を合わせることはなくなった。

 やがて動画の噂を聞くこともなくなり――

 事は終息した。

 

◇◇

 

 悠希との安らぐ毎日が始まった。

 時は受験シーズン。二人は同じ高校に進むことを知っていたし、受験勉強も一緒にする。

 特に無理な進学先でもなかった為、その期間は智にとって甘い日々の到来だった。

 

 毎日のようにどちらかの家で待ち合わせ、一つのテーブルを囲んで勉強する。

 お喋りに夢中になって捗らない時もあった。息抜きで散歩に出掛けたり、一緒にご飯を作ったり。

 

 本体のない悪意との闘争は心身を削ったが、こういう平和の為に全力を尽くしたのであれば報われる。少なくとも、智にはそう思える毎日だった。

 

 クリスマスには一緒にケーキを食べて。初詣には一緒に行って。

 波風の立たない毎日。

 男女としての関係は、全く進展しない。何処まで行っても二人は――

 

 ――お友だち。

 

 智に焦りはなかった。

 残念ではあったけれど、この関係を長期的なものと捉えたとき、現状は必ずしも悪いものではないと考えた。

 

 悠希の精神は脆く、未だ幼い。

 だから今は無理しない。いい思い出になって、機会を待つ。恋を知らない少年が恋を知ったとき。その恋が破れたときが、智の出番。

 見守るのは苦しいことではあるけれど。

 それが智の判断。

 だが、その判断とは別にして、何処かで楔を打つ必要はあった。御影悠希という少年の心に、黒岩智という『女』の楔を打って刻み込む必要はあった。

 

 そして卒業式。

 

 この日の智は人気者。靴箱は報復を決意したリベンジャー達の熱いラブレターで一杯だった。

 

「あちゃあ……」

 

 このいさかいに悠希を巻き込む訳には行かない。

 智は頭を抱え、それでも不敵に笑って見せた。

 

「トモ、どうしたの?」

 

 不思議顔で見つめる悠希に、智は告げた。

 

「御影、めっちゃ好きや」

「え……」

「あんたは?」

「えっと、それは……」

 

 悠希は、突然の告白に目を白黒させて困惑した様子だった。

 智は肩を竦めた。

 

「ええよ、無理せんで。よう分からんのやろ?」

「……うん」

 

 にじり寄り、悠希の耳元で囁いた。

 

「……ちなみにな、私の好きは……」

 

 父親思いの性分は通じるものがあって好ましい。保護欲をそそる容姿を売りにして媚びない気質も評価できる。凄惨な過去に負けず、縮こまらない強気な物言いは見ていて小気味いい。

 誇り高く、同情されることを嫌う気性もよい。身体は小さくとも男なのだ。いつか、己の人生を掴み取る。

 

「あんたを押し倒して、思い切りキスしたい。舐め合って、絡み合って、どろどろに溶け合って一つになりたい」

 

 悠希は――

 驚いたように目を見開き、始めて黒岩智という『女』を見ていた。

 

「あんたは、まだガキやから、そこまで思わんやろ」

 

 智は、自分がどうしようもない女で、このまま側に居続ければ、悠希を駄目にしてしまうことを知っている。

 

 だから今は――

 

「フられといたるわ」

 

 思い出に、なる。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第38話

 楽しかったドライブが終わり、家に帰って来た。

 父さんは、もう仕事に行っている。外泊のことも、帰りが遅くなることも説明しているので全然問題ない。

 ぼくくらいの歳の男が、女の子との間に武勇伝の一つ二つなくてどうする。というのが父さんの持論なので、むしろ頑張れとすら言われた。

 カオルは近所の公園に車を停めて。

 

「……今日も泊まって、いいよな……?」

 

 ぼくはカオルに侵食されている。

 

「いいよ……今日も泊まって行って……」

 

 カオルのは、あくまでも『お願い』だ。でも、断れない。その事実にぼくは困惑している。

 すっかり陽の落ちた公園の駐車場で、ぼくとカオルはキスをした。

 舌を絡め、唾液を交換して、カオルが荒い息を吐きながら、ぼくの身体をまさぐって来る。

 

 お昼は遠くのゲレンデでバーベキューを食べた。

 美味しかった。

 帰りは高速道路のサービスエリアで買い物もした。

 

 今は、真っ暗な車中で、カオルにアレを舐められている。

 

「カオル……家に帰ってからにして……」

 

 カオルは答えず、ぼくの股間に顔を埋めて、ぴちゃぴちゃと音を立てて口淫に夢中になっている。

 茶色の髪を撫でる。

 カオルは袋の部分に舌を這わせながら、唾液にねとつくペニスを扱き、うっとりした表情で笑っていた。

 

 携帯が鳴った。

 ぼくのは電源を落としてあるから、必然的にカオルのものということになる。

 カオルは着信をガン無視で、フェラに没頭している。

 

「カオル、鳴ってるよ?」

 

「んん……ちゅ……っ」

 

 向かいの通りを、車が走り抜けて行く。

 ヘッドライトの光が照らすカオルの顔は頬が紅潮していて、琥珀の瞳は目尻が下がっていた。

 やれやれ、と身を起こし、ダッシュボードの上に置いてあるカオルのスマホを手に取った。発信者は――

 

 ――葛城瞳子――

 

 その着信音は、ぼくを責めているように聞こえた。

 

「…………葛城からだ」

 

 カオルは後れ毛をかき上げながら、

 

「ごめん……ちょっと出て……」

 

 ついでみたいに言って、またぼくの股間に顔を埋める。

 トウコからの着信は、益々怒り狂って聞こえる。出る。

 

「はい、カオルの携帯だけど……」

 

『……!!』

 

 沈黙。

 

『……なんで、悠希さんが出るんですか……?』

 

 無視。

 トウコにも聞こえるように、フェラに夢中のカオルに言った。

 

「葛城が代わりたいって」

 

「出らんなぃよぉ……」

 

 ペニスを頬張ったままのカオルの声は情欲に蕩け切っている。これは確かに出れそうにない。

 

「カオルは出られないから、ぼくで良ければ聞くけど……」

 

『……』

 

 また沈黙。

 携帯の向こうから、とてつもない怒りの波動を感じた。

 トウコが、言った。

 

『……見つけた。新城センパイにそう伝えて下さい。それで全部分かりますから』

 

 見つけた? 何を?

 余計なことは尋ねず、情報を咀嚼しながらカオルの頭を撫でる。

 

「カオル? 葛城が見つけたってさ」

 

「……!」

 

 カオルは真っ赤になった顔を上げ、涎まみれの口元を拭うと、ぼくからスマホを受け取った。

 

「トウコ? アタシだ」

 

 凄い変化。

 さっきまで色ボケてたはずなのに、もう素面に戻ってる。

 

「うん……うん……そうか。ソイツはアタシが――」

 

 そこまで言ってカオルは止まり、ハッとしてぼくを見つめ、素早く抱き寄せて額にキスしてから車の外に出て行った。

 ぼくに聞かれたくない内容。

 車はエンジンが掛かったままになっていて、エアコンも動いているため、カオルの声は聞こえない。

 

 こちらに背を向け、カオルは腰に手を当てた姿勢で話を続けている。

 

 暫くして、通話を切った。

 

 振り返ったカオルの表情は、唇の端が残忍につり上がっていて――

 

 ぼくは、ゾッとした。

 

 カオルは車の外で煙草を一本吸った。

 ここでワンクッション置くのは、今の心理状況を多少なりとも落ち着けるためだろう。

 ぼくを近付けたくない、ささくれ立った状況。

 

 最近は、すっかり丸くなったカオルだけど、少し前までは荒れていて、運動部の連中とよくやり合っていた。

 暴力的で、喧嘩っ早く、ところ構わず唾を吐く。何時だって苛々としていたカオルを思い出した。

 怖い新城馨を思い出した。

 

◇◇

 

 家に帰ってからのカオルは、冗談ばかり言っていた。

 

「……実はアタシってさ、24時間以上エッチしないと処女に戻っちゃう病気なんだ。だからこれから……」

 

 少し呆れて、ぼくは言った。

 

「何を企んでいるのかしらないけど、その理屈じゃあ、今のカオルは処女じゃないから安心だね」

 

「ああ!」

 

 カオルは驚いて、指折りして何やら計算している。ああ! じゃないよ。本当に馬鹿なんだから。

 

 それから、ゆっくりして。

 ぼくたちは一緒にご飯を食べて、お風呂に入る。

 カオルは働いているし、外泊で疲れが溜まったのか、少し眠たそうだった。

 

「大丈夫、カオル? しんどそうだよ?」

 

 カオルは、にっこり笑ってご機嫌。

 

「……へへ、これから一晩中でも出来るっての」

「だからさ、すぐそっちの方向に行くのやめようよ……」

 

 バスタブの中で、カオルは長い足を組み、その間にぼくを座らせた。

 こうすると一緒に入れるから、カオルのお気に入りのポーズ。

 カオルは言った。

 

「……ユキ、ちょっと聞いていい?」

 

「なに、改まって」

 

「クロイワ トモって、知ってるか?」

 

 黒岩智。ぼくにとっては懐かしい名前。

 

「ああ、うん。同じ中学校だったけど……」

「ソイツのこと、全部教えて」

「……うん、いいよ」

 

 トモのことは別に隠すようなことじゃない。だから、ぼくは全部、喋った。

 同じ中学校。父子家庭。告白されて断ったこと。それから口を利いてないこと。そして、今はもう何も思っていないこと。

 ぼくにとって、黒岩智は昔のクラスメイトだった人。それだけ。

 

 全てを話し終えたとき、カオルは意外そうな表情だった。

 

「……ありがと、ユキ」

「何が?」

「……いや、アタシはてっきり、嘘吐かれるって……」

「おかしなこと言うね」

 

 都合が悪いことならともかく、無意味な嘘は言いたくない。

 嘘は真実に混ぜて使う。

 それが効果的な嘘の使い方。

 しかし何故、今、トモの名前が……

 

「ああ、なるほど……葛城にそれを探らせていたのか」

 

「……」

 

 カオルは湯船のお湯を掬って、ぼくの肩に掛ける。身体を冷やさないように、そういう気遣い。

 少し考えて、それから言った。

 

「カオル……ぼくを試したの?」

 

 これに、カオルは反応した。ビクッと震えた。

 

「ちがっ、違う! あぅ……ちょっと、うぅ……そうかも……ごめん……」

 

 なるほど、大体分かった。

 つまらない嫉妬だけじゃない。

 

 カオルは、トモについて重大な何かを隠している。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

葛城 瞳子2

 窓越しに朝焼けのオレンジの陽光を受け、ベッドで寝転んだままの瞳子は、僅かに目を細める。

 

 瞳子は一晩中、眠ることもせず、どうやってこの現状を打破するか、そのことばかりを考えている。

 

 自分と馨の差があるように思えない。

 いやむしろ、『女の子』としては自分の方が上だという自負がある。

 馨のように大き過ぎず、身長はそこそこ。顔立ちも愛らしい。気立ても……まぁ悪くない。少なくとも、馨のように暴力的ではない。

 仕事中毒の父は不足する愛情を金銭で埋めるため、お金は使い切れないほどある。

 それなのに、瞳子と馨では、扱いは天と地ほども差が開いている。

 

 ……本当は、お金の問題じゃない。

 

 本物は何時だってそう。お金では手に入らない。でも、自分に足らないピースが分からない。

 

 中性的な印象は、男嫌いの瞳子には、どストライク。

 小さく、繊細で儚げ。既に傷付いていて、全力で守ってやりたくなる。

 内面は、天使と悪魔。

 悪魔のときは快楽で翻弄し、冷たい言葉で突き放す。

 手加減しないと言われたが、正にそれを実践されている。瞳子には全く遠慮というものがない。

 本当は身体を売って喜ぶタイプじゃない。お金で買い求めたことを軽蔑している。

 

 瞳子の知り合いには、援交なんていう馬鹿なことをやっているヤツが何人かいるが、そういうのとは全然違う。

 大事なものは、何一つ売り渡してない。売り渡さない。

 

 ――そのための、悪魔の仮面――

 

 天使のときは――

 長い時間、膝枕をしても文句を言わない。素朴な味のするおいしいごはんを作る。

 真面目で家庭的。

 布巾の絞りかたが縦で、お母さんを連想させる。三角巾を被り、エプロンをしている姿はハマりすぎていて押し倒したくなった。

 無駄遣いすると怒る。エコな天使。

 

 ……瞳子と居ると辛そうにしている。浮かべた笑顔はハリボテで、中身はがらんどう。

 自分より大切なものがあって、そのために自分を切り売りしている。

 だから綺麗なままでいられる。美しく映る。

 

 心の貧しい瞳子には、絶対に手が届かない、羽根の折れた天使。

 

 深山楓は大嫌い。

 一目見た瞬間、悠希とお似合いだと思った。思ってしまった。

 三つ編み眼鏡の容貌は、瞳子にはダサく映る。

 でも、地味な三つ編みは清潔感がある。眼鏡の奥の垂れた瞳からは包容力が滲み出していて、日向の暖かさがある。

 瞳子のように求めるだけじゃなく、当たり前に与えることも知っている。

 ――敵わない。

 深山楓が本気になれば、瞳子だけじゃなく、馨も、あの秋月蛍も敵わない。

 脳みそまで筋肉で出来ている馬鹿二人は理解せず、同種で歪み合っている。

 ――勝手に潰し合え。

 悠希はいつか去る。そのときになって、二人は愕然とするだろう。ぴったりと隙間なく繋がった悠希と楓の姿に呆然とするだろう。

 そこから先は出来レース。

 どんな困難にも、悠希と楓の二人は負けない。馨と蛍が足掻けば足掻くほど、二人の繋がりは強くなる。恋に狂えば狂うほど、悠希は離れる。そして楓は強くなる。手が付けられないほど強くなる。

 

 ――直感。

 閃きにも似た、確信を伴う予感。

 

 瞳子は成長しなければならない。

 新城馨も秋月蛍も、瞳子の手には負えないほどの怪物だ。

 悪魔になれ。

 鬼になれ。

 それが出来なければ、取り柄のない瞳子は真っ先に捨てられる。

 

 でも、悠希にはよく見られたい……。

 

 その辺りは馨を見習うべきだ。本当に上手くやっている。羽根の折れた天使は偏屈で気難しいことをよく理解している。

 

 瞳子は固く目を閉じ、勝利のイメージを思い浮かべる。

 

 悪い想像は悪い結果にしか繋がらない。良い結果をイメージし、自らの行動をそこに結び付ける。

 

 ……馨も蛍も楓も全員、沈めてやる。集っている虫けらも見付け次第、処分する。

 そして瞳子は優しい膝枕と美味しいご飯を手に入れる。

 心が満たされ、お腹いっぱいになったあと、三角巾にエプロン姿の悠希を押し倒す。

 

 瞳子は、にひっと笑った。

 

 必ず、現実のものにして見せる。

 

 差し当たっての急務は――

 

 黒岩智。

 コイツだけは確実に処分しなければならない。

 今は馨と歩調を合わせる。それ以外にも手を打って、二度と立ち上がれないように打ちのめす。

 悠希のため。

 それが一番大事。

 それを忘れたとき、瞳子はこの恋を唄う資格を永遠に失う。

 

 葛城瞳子は本気で恋愛をやっている。

 

◇◇

◇◇

 

 8月1日。

 瞳子は制服を着て、学校に向かった。

 半キャップのヘルメットを斜めに被り、原付に股がってアクセルを捻りながら、最近はオナニーしてないなぁ、なんていうことを考える。

 

 悠希の指は細長く、つるりと瞳子の中に入って来る。あれを知ってしまえば、一人でするのは馬鹿馬鹿しい。

 胸を揉むにしろ、あそこを愛撫するにしろ、力加減が絶妙で痛みは全くない。自分でするより、ずっといい。

 終わった後も暫く抱いていてくれるので虚しい気分にならずに済む。

 翌日、子宮の辺りが痛んだり、オリモノが多くなることもない。

 入浴中、膣に残っていた精液が溢れたときも惨めな気持ちにならない。むしろ、目に映る情事の残滓に胸が熱くなる。

 決めた。

 

 今日は呼び出そう。

 

 にひひっ、と瞳子は笑みを浮かべた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第39話

 遠くで蝉が鳴いている。

 パンツ一枚だけのボクは、今朝も庭で水だけの朝食を済ませ、ジクジクと痛むお腹の傷を見つめる。

 

 三日前、母さんに切りつけられたお腹の傷は、ぱっくりと裂けていて、ピンク色の肉を覗かせている。

 一向に塞がる気配がない。

 このままじゃまずいことだけは分かるから、ボクは西部劇で見た格好いい俳優の真似をして、傷口を縫い付けることにした。

 

 遠くで蝉が鳴いている。

 

 ボクの家は、斜向かいが教会になっている。

 この日もあの歌が聞こえて、酷く嫌な気持ちになった。

 馬鹿なボクに教えてやると母さんが言っていたけど、何でも、神様がやって来てそれを誉め称える歌らしい。

 

 でも、本当は、神様なんていないんだ。ボクだけは騙されない。

 

 針と糸を勝手に使ったので、母さんは怒るだろうと思っていたけど、あまり怒らなかった。

 不格好に縫い付けたボクのお腹の傷を指差して笑った。

 ボクも一緒に笑ったら、気持ち悪いと殴られた。

 

 やっぱり、神様はいない。

 ボクを助けてはくれない。

 

 ボクは、ぼく、は……

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 ぼくの生活には、妙な空隙がある。

 カオルが出勤してしまい、父さんが帰って来るまでの一時間、ぼくにはやることがない。

 

 遠くで蝉が鳴いている。

 

 ぼくは台所で突っ立って、ずっと蝉の声を聞いていた。

 

 頭の奥がじんじんと痛い。昔の夢を見た後は鬱な気分になる。

 

 カオルを呼び出そうかと思ったけど、昨夜のちょっと怖い馨が来たら困るのでやめた。

 携帯が震え、画面に目を落とすとメール。

 皆川からだった。

 

 ――今から少し会えない?

 

 素っ気ない内容が気にかかり、ぼくは皆川の誘いに乗ることにした。

 台所の椅子に、カオルの大きなシャツが掛かったままになっていたので、それに袖を通した。

 

 自転車に乗って、朝の街を行く。

 皆川は商店街の入り口にあるコンビニの駐車場で、膝を抱えるようにして座り込み、ぼくを待っていた。

 

「あ……」

 

 今朝の皆川は、何だかおかしな表情。ぼくを見て、ちょっと苦しそうに眉を下げた。

 

「……大丈夫?」

「何が?」

「ごめん、あたしも分かんない」

 

 ちょっとおかしな皆川は、コーヒーを奢ってくれたので、ぼくも一緒に駐車場に座り込んだ。

 皆川はぼくのシャツを引っ張った。

 

「このシャツ、新城の?」

「あ、分かる?」

「だぼだぼじゃん。分かるって」

「変かな?」

「よく分かんないけど、何だか優しい気持ちになるね」

「ふうん……」

 

 コーヒーを啜るぼくに寄り添うように、皆川がぴったりとくっついて来た。

 

「なに?」

「なんとなく」

 

 皆川は、えへへと照れ臭そうに笑った。

 

「この前は、マジで助かった」

 

 コーヒーを啜る。

 

「あいつに付いてったあたしのツレ、連絡が取れないんだ」

「……」

 

 ぼくは言った。

 

「皆川、くさい。ちゃんとお風呂に入ってる?」

 

 皆川は、ちょっと疲れた笑顔。

 

「あはは、夏休みになって帰ってない。新記録更新してる」

「ちゃんと帰りなよ」

「親父がうるさくてヤなんだ。すぐ殴るし……」

「……」

 

 なんと言っていいか分からなかったので、ぼくは皆川の腰を抱いた。

 皆川は、ちょっと嬉しそうに、えへへと笑った。

 

「おっ、少年……御影、積極的じゃん……」

 

 小さいぼくより、やっぱり大きい皆川は165㎝くらい。ぼくが腰を抱いても、なんか締まらない。

 

「……お金とか、大丈夫? 幾らか貸そうか?」

 

 ぼくが言うと、皆川は、ぱっと笑った。

 

「マジで? 助かるわ~」

 

 取り合えず、ぼくはポケットの中のお金を全部、皆川に渡した。

 少し使ったから減ってるけど、それでも一万円くらいはあると思う。

 

「……」

 

 皆川は、お金を手にとって黙り込んでしまった。

 

「……どうしたの?」

「くしゃくしゃじゃん……」

「ごめん」

 

 皆川は、また苦しそうな顔になった。

 

「ねえ、あんた、これどうやって稼いだ? どんな気持ちで稼いだんだよ……ねえ……!」

 

 それが分からない皆川じゃない。詳しい説明はいらないだろう。

 ぼくは笑ってごまかした。

 

「……大したことじゃないよ」

 

 結局、皆川はお金を受け取らなかった。

 

 それから、皆川は家に帰ると言って、カオルの文句をさんざん言った。

 

「新城のやつは何やってんだよ……」

「……今はアルバイトしてるけど……」

「そんな話じゃない!」

「カオルは良くしてくれるよ」

 

 その後はパッパラパーの皆川に説教されてしまった。騙されてる、とか、ちゃんと相手を見ろ、とか。ノリでジャンキーを連れ回していたやつに言われたくない。

 

「あんたは、いい子だよ」

 

 皆川が偉そうに大人ぶって頭を撫でたので、ぼくは、ちょっとイラっとした。

 

「また会える?」

「それはいいけど……」

 

 皆川には期待している。

 ぼくは都合のいい時間帯を告げ、その後は、携帯の番号を交換して別れた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第40話

 家で父さんに朝食を出したあと、図書館に向かった。

 受験勉強は日頃の積み重ねが大事。

 昨日は、カオルと遊んでいい気分転換になった。

 何事もメリハリが大事。今日は、しっかり勉強する。

 そしてやはり――

 

 図書館の正面玄関に、深山楓が立っている。

 少しウンザリして、ぼくは溜め息を吐き出した。

 深山は今日も制服姿。大きなスポーツバッグを持って、肩に竹刀の入った袋を掛けている。

 この日はすぐ見つかった。

 深山は眉間に皺を寄せた険しい表情で、駐輪場にいるぼくの元へ歩み寄って来る。

 

「おはようございます」

「おはようさん」

 

 深山はずれた眼鏡を直し、じっとぼくの瞳を覗き込んだ。

 

「……何かありました?」

 

 また詮索が始まった。

 

「ちょっと気分が優れないだけだよ。大丈夫」

 

 深山が手を伸ばして、甲の部分をぼくの首筋に当てた。

 

「……熱はないですね」

「……」

 

 いつもこうだと疲れてしまう。このお節介な女を振り切るには、どうしたらいいんだろう。

 ぼくは少し考え、言った。

 

「……少しお話ししようか」

「はい、喜んで」

 

 深山は、にっこり笑った。

 

◇◇

 

 開館してすぐ、ぼくらは連れ立ってカフェテリアに移動した。

 開館直後ということもあり、売店はまだ閉まっている。他にも人影はない。

 日光を避けた窓際の席に着き、ぼくは、ほうと溜め息を吐く。

 

「疲れてるんですか?」

 

 と言う深山は無視。

 エントランスで買ったコーヒーを二つ挟み、ぼくと深山は向かい合う。

 

「また着信拒否しましたね」

 

 ぼくは言った。

 

「うるさい、黙れ」

「……」

 

 深山は穏やかに笑みを浮かべているけれど、口元が少し引きつっている。

 

「よく聞きなよ、小銭女。おまえの詮索にはウンザリなんだ。ぼくには構うな」

 

 一息に言って、ぼくは千円札を一枚、深山に押しやった。

 

「……何ですか、これ」

「ヒデヨさんだよ。受験生の癖に、そんなことも知らないの?」

「そういうことを言っているんじゃありません」

「ちっ……」

 

 舌打ちして、ぼくは首を振った。喧嘩することは何の解決にもならない。

 

「……ごめん。今のは、ぼくが悪かった」

 

 深山は少し驚いて、それから微笑んだ。

 

「いえ、分かるならいいです」

 

 ぼくは、ゆっくりコーヒーを飲みながら気分を落ち着ける。

 

 深山に感情的な言い分は通用しない。しかし、それは裏を返してしまえば道理に弱いという事実に繋がる。

 つまり説得可能。

 更に少し考えて、言った。

 

「ぼくは、深山と遊ぶつもりはないんだ」

 

 深山は少し呆然として、首を傾げた。

 

「……えっ、と……」

「始めに言ったと思うけど……深山は、そういう女じゃないでしょ?」

「す、すみません。よく分かりません」

 

 戸惑う深山に、ぼくは首を振って見せる。

 

「……深山楓は、ぼくみたいなヤツが傷付けていい女じゃない」

 

 これは本音。

 最初のコンタクトを違えた時点で、ぼくらに接点はない。

 深山は、ぼーっとぼくの顔をみつめている。

 

「えっ、と……それは……」

「本気だよ? どうしても、ぼくを嫌ってくれないみたいだから……」

 

 ヤるつもりなら、この前出来た。

 

「ぼくのことを気に掛けてくれるのはいいけど、それの延長線上で関係を持つのはよくないよ」

 

「…………」

 

 深山は……なんだろう。微笑んでいる。

 

「……なに? ぼくに何か付いてる?」

「いえ、続きをして下さい」

 

 深山は笑みを浮かべたままでテーブルに肘を着き、手の上に顎を乗せた。

 

「……とにかく、お金はいらない。受け取れないよ」

「はい」

 

 深山は元々下がった眦を更に下げ、目の動きだけでぼくを追っている。

 

「な、なに? なんで……」

 

 何だかよく分からないけど、ぼくは頬が熱くなった。

 深山が言った。

 

「……私を口説いているんですよね?」

「……え?」

「とても気分がいいです。こんなのは初めて……」

「……」

 

 深山の頬も、うっすらと赤く染まっている。

 

「……あなたの言い分だと、私という女は特別で傷付けたくない。お金で関係を持ちたくない、そういうことですよね?」

 

「あ、う……ん」

 

 どうしよう……。

 深山の言ってる通りなんだけど、それは……

 

 ぼくと深山は見つめ合う。

 

「……」

 

 相変わらず深山は微笑んだままで、首を傾げて目の動きだけでぼくを追っている。

 

 その瞳は少し潤んでいて。

 

 ぼくは何も言えなくなる。

 

「……あなたは自分が嫌われてでも、私を遠ざけようとした。合ってますか……?」

「……」

 

 どうしよう……。

 

「小箱が開いたままになってますよ……?」

「なにそれ……分かんないよ……」

「今、自分がどんな顔をしているか、分かっていますか……?」

 

 どうしよう……すごく、逃げたい……。

 

 深山は、なんというか、いやらしい表情。瞳を濡らして、唇を舐めている。

 

「あなたの言う通り、お金は引っ込めます。もう一円も払いません。いいですね?」

 

「う、うん……」

 

 どうしようどうしよう――

 

「逃げたら、今度は私がラボに引っ張り込みますよ」

 

「……」

 

「着信拒否は解いて下さい」

 

 ぼくは必死で首を振った。

 

 深山はやっぱり微笑っていて、その笑顔で、ぼくを追い詰める。

 

「なんでダメなんですか?」

 

「ぼ、ぼくは、お金が欲しいんだ……だから、続けて行くつもりで……」

 

 どうしよう……泣きそう……。

 

 深山は足を深く組み、ぐっと伸びをするようにテーブルの上に身を乗り出した。

 

「言ってることと、やってることが矛盾していますよ。気付いていますか……?」

 

 ぼくは言った。

 

「カオルに電話したい……」

 

 ――ひくっ、と深山の眉が動いた。

 

「その人があなたをダメにしてるんです」

「家に帰りたい……」

 

 瞬間――

 

「ダメですッ!!」

 

 深山が叫んだ。

 

「逃げないで下さいよ! あなたは、なんで私から逃げるんですか!! 新城馨とは別れなさい!!」

 

「……」

 

 ぽろっと涙が溢れた。

 

「ご、ごめんなさい……ゆるしてください……」

 

「……!!」

 

 深山は仰け反るようにして、ぼくから距離を取った。

 みるみるうちに青ざめ――

 

「す、すみません……怒鳴ってしまって……」

 

 ぼくは必死で涙を拭った。

 

「ごめんなさい、すぐなくのやめますから……ゆるしてください……」

 

「ああ、嘘です嘘です……私は何もしません、しませんから……!」

 

 どうやら、この女の人は、ぼくを殴らないみたいだ。慌てていて、忙しなく辺りを見回している。

 ぼくは言った。

 

「おなかがいたい……」

 

「ああ、どうしましょうどうしましょう……何処ですか、何処が痛いんですか……?」

 

 ぼくは服を捲り上げ、その部分を見せた。

 

 女の人は、はっと息を飲み、両手で口元を覆った。

 

「嘘です……! ああ、神さま……!」

 

 眼鏡の奥の垂れた優しそうな瞳から、ぼろぼろと涙が溢れだす。

 

 ぼくは、ものすごく気分が悪くなって、その場に座り込んでしまう。

 

「ああ、ああ! 嘘嘘、ごめんなさい……! どうしようどうしよう……近付いてもいいですか!? 触ってもいいですか!?」

 

 ぼくは横に首を振った。

 

「おとうさん……おとうさん……」

 

 気分が悪い……

 

 女の人は、ものすごく慌てている。

 

 もうちょっと、休んでいても大丈夫そうだ。

 

 ぼくは奴隷のポーズになった。

 

 お母さんとの約束。

 

 休むときは奴隷。

 

「ああああああああああ!!」

 

 女の人が悲鳴を上げた。

 

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

 

◇◇

 

◇◇

 

◇◇

 

 

 昔の夢を見た後は、いつも具合が悪くなる。

 そういうとき、父さんは病院に行こうと言う。

 病院は大嫌いだ。

 薬を飲むと、ぼくは駄目な人間になる。日付の感覚が曖昧になって、何もかもどうでもよくなってしまう。

 

◇◇

 

 目が覚めると、ぼくは深山の膝枕で横になっていた。

 意識は、はっきりしていて、場所はカフェテリア。

 広間の端にある長椅子。

 

「……どれくらい寝てた?」

 

 深山は、ぼろぼろに泣いていたけど、ぼくが呼び掛けるとすぐに返事を返した。

 

「15分ほどです……。もう、落ち着きましたか?」

 

 ぼくは頷いた。

 

 深山が、震える声で言った。

 

「……新城さんは、優しいんですか……?」

 

 ぼくは頷いた。

 

「私より……」

 

 ぼくは頷いた。

 

 深山は一頻り泣いて、それでも足りないのか、肩を嗚咽に震わせている。

 

 疲れた。

 

 なんでこんなことになってしまったのか、それが分からない。

 

 一つだけ分かったのは、ぼくは、深山が苦手だということ。

 

 それだけはよく分かった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

シュウ2

 剣道は、日本の剣術を競技化した『武道』である。

 

 剣道部が活動している体育館の道場では、袴姿に面タオルを被った蛍が、正座の姿勢で固く目を閉じ、微動だにしない。

 瞑想中の蛍の心境は――

 

 

『どんどんユルくなるよ。ほとんど毎日ヤってる。お金もいらないってさ』

 

 

 1、2年生の女子部員たちは、瞑想して集中を高める蛍に、おどおどと恐怖の視線を送っている。

 蛍が、スッと立ち上がった。言った。

 

「……立ち切りをやる。1、2年は付き合え……」

 

 ひいっ、と1、2年の部員たちから悲鳴の声が上がった。

 

 『立ち切り』とは特殊稽古のことで、一人の選手に対して数十人が交代で掛かり、休む暇を与えず、体力の限界まで追い込む訓練だ。

 この稽古に限っては、足払いや体当たり、突き技などの通常では禁止されている荒業の使用が許可されている。

 

 蛍の夏休みに入ってからの稽古内容は尋常でない。

 殆ど休憩を取らず、『立ち切り』を行う。計18名の部員がへばれば、瞑想してその回復を待つ。この繰り返しだ。

 8月に入り、ここまでの稽古で計四人の部員を潰したが、未だ蛍の体力の底は見えない。

 

 

『御影くんは私が買いました。もう貴女には存在の一筋すら渡しません』

 

 

 深山楓の姿は見えない。

 マイペースな彼女は、蛍がやっているような無茶な稽古はやらない。

 蛍は面を被り、その下の瞳にちろちろと憎悪の焔を燃やす。

 

「ぐずぐずするな。さっさと防具を着けろ」

 

 1、2年の部員たちは、皆、表情を青くして、副主将に次いで信頼の厚い一人の部員に視線を送る。

 

「――主将、もうやめや?」

 

 3年の黒岩智が、困ったように言った。

 蛍、楓に次いで段持ちの実力者である智が制止の言葉を投げ掛けると、部員たちは、ホッとしたように胸を撫で下ろした。

 

「1、2年は怯えとる。これ以上は逆効果やん。強くはならん。インタも近いんやし、流すくらいでええやろ」

 

「……ふん」

 

 その言葉に、蛍は鼻を鳴らした。

 

 

 ――シュウ。インターハイ、頑張って……

 

 

 その言葉が、蛍をこの場所に縛り付けている。

 

 暴力は……確かに良くなかったとは思う。だが、何故悪いのかが未だによく分からない。

 誰も答えをくれない。

 楓の反発は強く、稽古の時間ですら目を合わせない。口も利かない。新城馨は問題外。悠希の父には門前払いを食った。

 

 蛍は踵を返し、この日の稽古を終える。

 勘を取り戻すには充分。1、2年を打ちのめして、それなりに気も紛れた。

 

 一人シャワーを浴びて汗を流した後は、更衣室で制服に着替えてさっさと帰る。

 楓には少し苦手意識がある。会いたくなかった。

 校門を出たところで、原付に乗った一人の女子生徒と目が合って、蛍は目を細める。

 

 エンジン音のうるさい原付に跨がったその女子生徒には見覚えがある。ショートカットの頭に半キャップのヘルメットを斜めに被り、半目で睨み付けて来る。

 名前は確か、葛城とか言ったか。下の名前は知らない。スカートが捲れて、その下のスパッツが丸見えになっているが気にしていないようだった。

 葛城が言った。

 

「よう、クソ女」

 

 蛍は、ニッと口元に笑みを浮かべた。

 

「誰かと思えば、新城の太鼓持ちじゃないか。私と遊びたいのか?」

 

 蛍の恫喝と取れる言葉にも、葛城の半目の視線に籠もる軽蔑は些かも弱まる気配がない。

 

「こっちは来てやったんだよ、秋月」

 

 上級生に向かってこの言い様。敵意を隠さぬ物言いは、いっそ清々しくすらある。

 蛍は嘲笑う。

 

「なんだ、オマエは。口の利き方も知らないのか」

 

 剣道女子部の主将として期待と注目を集める蛍を前に、後込みする気配は一切ない。

 葛城はつまらなそうに言った。

 

「悠希さんのことで話がある」

「――!」

「おまえ、頭悪いから何も分かってないんだろ?」

 

 ひくっ、と蛍の頬が引きつった。

 

「一時間後に駅前の喫茶店に来い。少しだけ教えてやるから」

 

 それだけ言って、葛城がアクセルを回す。

 

「ま、待て――」

 

 エンジンからけたたましい破裂音が鳴り響き、蛍の反論を許さない。

 

「……」

 

 葛城は行ってしまった。

 

 蛍は、きりきりと歯を噛み締めた。

 ――『悠希さん』。

 そこには、一線を超えた男女の親近感があった。それがどうにも腹に据えかねる。

 

 遠くで蝉の鳴く音が聞こえる。

 葛城が行ってしまえば、それがやけに耳障りに感じた。

 

 夏の太陽がじりじりと肌を焼き、額から汗が噴き出す。

 

「……」

 

 苛立ちも過ぎる。

 ぽつん、と独り立ち尽くす蛍を襲ったのは寂寥に似た感覚だった。

 新城馨も、深山楓も、そしてあの葛城も知っている。知らない蛍だけが、ずっと同じ場所に留まり、為す術もなく立ち尽くしている。

 

 涙が出そうだった。

 

 悠希に拒絶され、馨には蔑まれ、楓には呆れられ、葛城には馬鹿にされている。

 それが蛍の現状だった。

 

◇◇

◇◇

 

 待ち合わせ場所の喫茶店に蛍が訪れたとき、葛城は既に奥の座席に座っていて、スマホの画面を見ながらニコニコと笑っていた。

 

 蛍は、本格的にムッと来た。

 

 葛城が私服に着替えていたのも腹が立ったが、完全に無視された状況は全く面白くない。

 ソッと後ろに回り込み、葛城の手元を覗き込んだ。

 

「……!」

 

 スマホの画面にいるのは、三角巾を被ったエプロン姿の悠希だった。

 小さな台の上に立ち、包丁で野菜を切っている。

 

 こつん、こつん、と包丁の刃がまな板を叩く音がする。

 悠希は背伸びして、棚の上にある調味料に手を伸ばすが僅かに届かない。

 

『ふぅぅぅぅん……!』

 

 悠希が唸って、蛍は僅かに微笑んだ。

 

 ――シュウ、笑ってないで取ってよ……。

 

 ――うふふ、いいよ。

 

 その光景は、蛍の目に少し滲んで映った。

 

 不意に画面が伏せられて、鼻面に皺を寄せた葛城が振り返った。

 

「何、見てんだ! 座れよ、でかいだけのグズ女が!」

 

 ここまで面と向かって罵倒されるのも初めてのことだ。

 蛍のささやかな意趣返しは、予想外に葛城を怒らせたようだった。

 顔を真っ赤にして、睨み付けて来る。

 

「あんた、マジでデリカシーないね。脳みそまで筋肉で出来てるんだろ?」

 

「す、すまない……」

 

 久し振りに見た悠希の変わらない姿が、蛍の理性を落ち着かせている。素直に謝罪した。

 

 その後、蛍が席に着き、アイスティーを注文した後も、葛城の怒りは治まらないようで、腕組して警戒を絶やさず、むっつりとして沈黙を守り続けた。

 

 蛍は、ひたすら待った。

 

 葛城は険しい表情で何やら考え込む様子だったが、言った。

 

「……悠希さんのことは、あたしもそんなに詳しくない。あの人、詮索されるの嫌う節があるし。怒らせたくない」

 

「……」

 

「なんで、あたしが助言するんだろ。ま、いいや……どうせ、あんたはまた失敗するんだろうし……」

 

 そんなことを言って、葛城は、ついっとスマホを蛍に押しやった。

 

「……?」

 

 卓上に置かれたスマホに視線を落とし、蛍は少し首を傾げた。

 

「黙って見なよ」

「分かった」

 

 勘はとにかく働く方だ。

 最適解が強く囁く。

 

 ――今は、見ろ!

 

 これが出たときの蛍は百発百中。狙いは外したことがない。

 

 まず、目に映ったのは学校の教室。

 周囲の面々は一様に幼く映る。中学生。

 

 それらの情報を素早く咀嚼して、蛍はスマホの画面に映し出された動画に視線を注ぐ。

 

 教室内は酷く騒がしい。

 どうやら休み時間のようだった。

 画面は忙しなく動き、やがて一人の少年を捕らえて止まった。

 

『これから、御影きゅんの秘密に迫りま~す』

 

 この動画を撮ったと思われる撮影者の声がして、蛍は得体の知れない恐怖に襲われた。

 

 教室の半ばほどにある座席に腰掛けて、悠希は文庫本を読んでいる。

 

『は~い、御影きゅ~ん』

 

 おどけた調子の声が、蛍の胸を落ち着かない気持ちにさせる。

 

 今と殆ど変わらない悠希が、面倒臭そうに振り返った。

 

『なに?』

 

『御影きゅんは、ちっちゃいとき、虐待されてたって本当でちゅか~?』

 

 どきん、と蛍の胸が鳴った。

 

◇◇

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

 動画が終わり、葛城が言った。

 

「色々分かったと思う。あんたの携帯出して。一応、動画送っとくから」

 

「……」

 

 蛍は言葉もなく、ごぞごぞと鞄を漁り、言われるまま携帯を取り出した。

 

 葛城が動画を送信する間、蛍の内心は吹きすさぶ嵐だった。

 

「…………」

 

 動画の中、悠希は抵抗も虚しく小突き回され、侮辱され、髪を捕まれて引き摺り回された挙げ句、全裸に衣服を剥ぎ取られた。

 呆然とする蛍の前で、葛城がパチンと指を鳴らした。

 

「あんた、自分がどういう人間に暴力振るったか分かった?」

 

 蛍は黙って頷いた。

 

「この動画撮ったクズとあんたって、大して変わりないよね」

 

 蛍は黙って頷いた。

 

「新城センパイが無期停食らったの、これが原因だから」

 

「……」

 

「で、この動画の最後に映ったヤツ」

 

 

 ――本当だったろ?

 

 

「剣道部の――」

 

 その後は蛍が言った。

 

「黒岩 智」

 

 葛城は厳しい口調で言った。

 

「あたしと新城センパイは、コイツが動画録らせたって睨んでる。少なくとも――」

 

 蛍は頷いた。言った。

 

「マスターの動画を所持している可能性がある。或いはその所有者を知っている」

 

 動画は黒岩智が教室に入って来た時点で止まっている。編集されている。

 意図的なものかどうかは分からない。

 

「言っとくけど、極秘ミッションだから」

 

 蛍は黙って頷いた。

 この一件を表に出すわけには行かない。悠希にも知られることなく動画を回収する必要がある。

 

 そして、黒岩智に事情を説明させたあと、制裁を加える。

 

 黒岩智はこの動画の存在を知っている可能性が非常に高い。

 こうして他者の目に入る状況を知っていて野放しにしているのなら許せない。少なくとも、蛍は許さない。

 知らずに放置しているのなら、絶対に許さない。関係がある以上、許さない。許してはならない。

 蛍にとって、黒岩智の制裁は確定事項だった。

 

 最後に、葛城が言った。

 

「成功させても、何の得にもならないけど、あんたはやるでしょ?」

 

 蛍は、黙って頷いた――。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夜に、舞う
第41話


 深山楓に膝枕されている。

 胸の内は落ち着いたけど、身体は鉛のように重たかった。

 横になったまま、言った。

 

「深山、この事は秘密にして欲しいんだ……」

 

「……」

 

 深山は応えず、返事替わりに大粒の涙を流した。

 

「もう、病院には帰りたくない。あそこに行くと、暫く帰れなくなるから……」

 

 長い沈黙のあと、深山は小さく頷いた。

 

 ポケットの携帯がブルブルと震え、間の悪い着信を告げた。

 画面には――

 

 ――葛城 瞳子――

 

 ぼくは、溜め息を吐き出した。

 深山の膝の上だけど、構わず出る。

 

「……はい、御影です」

 

『……』

 

 不思議なことに、トウコは無言だった。

 

「トウコ……?」

 

 問い掛けるぼくの声は、疲れに掠れていて、酷く弱々しい。

 

『……悠希さん、大丈夫ですか?』

 

 そう言えば、今日はもう、皆川と深山に同じことを言われている。

 明らかな失調を意識して、ぼくはまた溜め息を吐き出した。

 

「トウコ……ぼく、ちょっとダメみたい。休ませて……」

『あっ、と……はい、それはいいですけど……』

「……ごめん、暫く休むかもしれない……いい……?」

『そんなに酷いんですか……?』

 

 ぼくはまた息を吐く。

 深山には既に二回も取り乱すところを見られている。

 なんでこうなるんだ?

 トウコにもある程度の過去のことは話してあるし、理解できるだろう。その思惑から、ぼくは口を開いた。

 

 最近、昔の夢をよく見てしまうこと。その後は調子を落としてしまうこと。今日、図書館で取り乱してしまったこと。理由がはっきりしないこと。

 酷く疲れてしまったこと。

 話は長かったけれど、トウコは黙って話を聞いていてくれた。

 

「ごめんね、弱いやつで……」

 

 ぼくが言うと、携帯の向こうでトウコは鼻を啜った。

 

『そんなことない! ないですから……!』

 

 深山も黙って話を聞きながら、指でぼくの髪をといている。

 

「優しいね……トウコは……」

 

『はい……はい……! 幾らでも、はい……!」

 

 トウコは何故か泣いているみたいで、途切れがちな声は震えていた。

 

『あの、新城センパイには……』

 

 トウコが遠慮がちに尋ねて来る。

 

「カオルには、まだ言ってないけど、説明しなきゃいけないね……」

 

『……』

 

 沈黙。

 

『……そっちも、休むつもりですか?』

「そうしようかと思ってる」

『……わかり、ました……』

 

 納得はしていないけど、しょうがない。

 トウコの声色には、そんな思惑が滲み出している。

 

「本当にごめんね、トウコ。治ったら、埋め合わせするからね……」

 

 ぼくは弱気だった。

 このままじゃビッチを続けて行くことは難しいかもしれない。

 通話を切った。

 

◇◇

 

 深山とは図書館で別れた。

 何か言いたそうにしていたけれど、結局、深山は何も言わなかった。

 着信拒否は解かない。

 もう、図書館にも来ないつもり。長い別れになる。

 そう思うと、何故か後ろ髪を引かれる思いがしたのが、ぼくは自分でも不思議だった。

 

 ぼくは真っ直ぐ家に帰ることはせず、ジャンクフードのお店で時間を潰した。

 皆川にも深山にも、そしてあのトウコにすら不調を見抜かれている。父さんが分からないはずがない。

 

 父さんにメールを送り、図書館での受験勉強を続行するので心配はいらない。ご飯は食べるので冷蔵庫に入れて置いて欲しい、と送信した。

 

 ――受験勉強、頑張れ!

 

 父さんから了解のメールを受け取り、ぼくはホッと胸を撫で下ろした。

 父さんは優しいけど、すぐ病院に連れて行こうとする。それだけは回避したかった。

 

 お昼ご飯はジャンクフードを食べた。

 食事中も参考書を開いて勉強する。

 カオルからは、いつものラブメール。

 

 ――愛してるよ!

 

 この時のぼくは、何も分かってなかったんだ。

 

 カオルからのメールに返信する。

 

 ――カオルへ。今日は、大事なお話があります。

 

 この不用意な内容のメールが、あまりにも長い夜の序曲だなんて、この時のぼくは何一つ分かってなかった。

 

 カオルから、即座に着信があった。

 それが戦闘開始のゴング。

 通話に出ると、開口一番、カオルが怒鳴った。

 

 

「……んだよ! なんなんだよ! アタシは何もやってない! ルールは一つも破ってない!! クソが! クソがぁ!! 秋月だな!? 今からソッコー行くから、逃げんなよテメー!!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第42話

 カオルは初っぱなから、かんかんに怒っていた。

 

『アタシがなんかしたんかよ! ああ!?』

 

 うるさい。

 

『クッソ! クッソ!! なんなんだよ! なんなんだよ!!』

 

「カオル?」

 

 カオルがあんまり大きな声で怒鳴るので、ぼくは目眩がしてしまう。

 

『アタシは話なんて聞かねー! 聞かねーかんな!!』

「……カオル、怒鳴らないで……なんでそんなに怒ってるの?」

『――畜生! アタシと別れたいんだろ!?』

『何、言ってるの。ぼくとカオルは付き合ってなんかないでしょ……』

 

 そこまで言って、ぼくは疲れに息を吐く。

 その直後――

 

『お〇×□ぁ▽△▲*!!』

 

 カオルが切羽詰まった怒声を張り上げた。

 何を言ってるのか分からない。携帯の通話口からは理解不能の雑音が飛び出るばかり。

 

『×〇*▽▽~!!』

 

 ……どうやら、ぼくはへまをやらかした。それくらいしか分からない。

 でも言い訳するのも面倒なので黙っていると、暫くして通話口から危険な文言が飛び出した。

 

「ユキを殺してアタシも死んでやる!」

 

 ぼくは適当に答えた。

 

「いいよ、カオルとなら」

『…………』

 

 何故かカオルは黙り込んでしまった。

 

「今日はハンバーグが食べたい」

『あ、ああ……』

「ところで、何の話だっけ?」

『ふざけんな!!』

 

 失敗した。

 

「どうでもいいけど5時までは帰らないから、それ以降に来てよね」

『あ? お、おう……』

「家に置いてったシャツ、気に入ったから欲しい」

『え? うん、いいよ』

「待ってるから」

『……あれ? 何の話だっけ?』

 

 ぼくは通話を切った。

 でもその直後にまたカオルからの着信があった。出る。

 苛々して言った。

 

「カオル、遊ばないでよ」

『えあ? うん、ごめん。その、アタシのシャツ欲しいの?』

「うん、カオルの匂いがして落ち着くんだ」

『あれっ?』

「切るから、ちゃんと仕事に戻ってよね」

『ま、待った! 最後に一つだけ答えて!』

「もう、しょうがないね。何?」

『アタシのこと、どう思ってる?』

 

 とびきり悪そうに言っておいた。

 

「うふふ、ぼくのカオル。逃がさないよ」

 

 通話を切った。

 

 ――多分、カオルを完膚なきまでやっつけることができれば、ぼくは元に戻れる。

 強くて冷たいぼくに戻れる。

 

 今度は、掛かって来なかった。

 

◇◇

 

 勉強する間は色々なことを考える。

 これまでのこと、これからのこと。父さんとぼく。カオル、シュウ、トウコ、深山、皆川……女の子たちのこと。

 

 他人から見た自分が、どう見えているか。

 

 我儘を言えば、カオルはどう振る舞ったか。

 冷たくあしらえば、シュウはどう行動したか。

 優しくすれば、トウコはどう反応したか。

 

 深山のことはイレギュラーだ。考えない。けど、性感体は知ってる。

 

 皆川はデータが足りない。けど性感体は知ってる。

 

 幸い、こんなぼくにも値段がついた。ちょっとは、お金になるみたい。

 

 深山にばらされたピースを、一つ一つ集める。足元から自分の身体を構成するイメージ。

 

 参考書を読み、問題集を解きながら、雑多な出来事を考える。

 例えば今、窓を叩く通り雨のこと。さっき食べたジャンクフード。

 

 カオルに侵食され、弱くなったぼくのこと。

 

◇◇

 

 5時過ぎ、家の玄関口でカオルと抱き合った。

 お腹の部分に顔を埋め、大きなお尻の上の辺りを押すと、もどかしそうに腰を震わせる。

 ストレッチパンツの前はしっとりと湿っていて、カオルが少し期待していることが伝わって来る。

 

「……先に、する……?」

 

 ごくっ、とカオルの喉が鳴った。

 

「……キス、しないの?」

 

 上目遣いに見上げると、カオルは、はっとして目を見開いた。

 

「顔色、真っ青だ……」

 

 ぼくは笑った。

 

「知ってる」

 

 天使のような――

 

「とりあえず、キスしようか」

 

 ――悪魔の笑顔。

 

 カオルの首を引き寄せ、背伸びしてキスをする。

 舌で唇を割り、唾液を口中に流し込む。くの字に身体を折って、玄関の扉にお尻を押し付けた姿勢のカオルが、喉を鳴らしてぼくの唾液を飲み込んでいく。

 ストレッチパンツの中に手を差し込み、さらさらとした液体で濡れた陰毛を掻き分けて進むと、ぐっしょりと濡れた陰唇に行き当たる。

 

「ダメ……ダメだって……!」

 

 カオルは、イヤイヤと腰を振って引き下がった。

 

「……なんで? ひらいてるよ……?」

 

 甘えるように言って、唾液にまみれた唇を舐め上げる。

 カオルのそこは襞が開いていて、簡単に指を飲み込んだ。

 ぐちゃっぐちゃっと淫らな水音をさせて、それでもカオルは腰を引く。それは、大きなお尻を扉に擦り付けているように見えた。

 カオルは苦しそうに、掠れ声で呻いた。

 

「流すな……お願い……!」

 

 膣に挿し込んだ指を2本に増やした。

 滴る液体が腿を滑り落ち、雫になって玄関口を汚して行く。

 

「あは、ここでイってみる?」

 

 カオルは歯を食い縛って堪えている。全身を震わせ、膣を引き締めてぼくの愛撫に堪えている。

 

「なんで我慢するの?」

 

「……ちょっと、違う……んふっ!」

 

 指を蠢かせて、震える花弁を擦り続ける。

 

「我慢し過ぎると、身体に悪いよ……?」

 

 寄せては返す快楽の波に翻弄されながら、それでもカオルは首を振って絶頂を拒絶する。

 

「いいじゃん、流されようよ。すごく気持ちいいよ?」

 

「今は、イヤだ……」

 

 息も絶え絶えに言うカオルにとどめを刺すのは容易い。

 指先の一捻りで絶頂に押し上げることができる。でも、そうしてしまうとカオルの中にある大切な何かを傷付ける気がして――

 

 ……しょうがないね。

 

 ぼくは、カオルの中から指を引き抜いた。

 

「はあっ……はぁっ……」

 

 荒い息を吐き出しながら、額に大汗をかいたカオルが蹲る。

 ぼくは指先に着いた淫液をぺろりと舐め上げ、口中に広がるカオルの味を確かめる。

 

 深山より、ちょっと濃いかな……。

 

 そんなことを考えた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第43話

 玄関口で蹲ったカオルが、荒い息を吐いている。

 

 カオルを屈伏させなければ意味がない。泣きながら、イかせてくださいと言わせなければ意味がない。

 そうすれば、カオルをただの淫乱として処理できる。侵食を止めることができる。

 

 強くて冷たいぼくに戻りたい。カオルは特別じゃない。そんなものは必要ない。

 

 カオルが、ぷるぷると震える膝に手を着いて立ち上がった。

 ぼくは笑った。

 

「生まれたての子鹿のようだね」

「……った?」

「聞こえないよ」

 

 ぼくはまたカオルの股間に手を伸ばすと、ほどよく蕩けている蜜穴を指でくじるようにして愛液を掻き出してやる。

 

「やめっ……っん!」

 

 カオルは堪らず膝を折り、ぼくにすがり付いて来る。

 耳元で囁いた。

 

「カオル、イきたい?」

 

 ひくひくと痙攣する膣口が、健気にぼくの指を締め付けている。

 でもイかせない。

 

「ちゃんとおねだりできたら――」

 

「な"に"が、あ"っだ……?」

 

 快楽に身を捩り、カオルが苦しそうにしながら、強く抱き締めて来る。

 

「づらぞうだ……」

 

「……」

 

 真っ赤に上気したカオルの頬に、涙が伝う。

 また負債が増える。

 

 ぼくは、今、どんな表情をしているのだろう。

 

 ――わからない。

 

◇◇

◇◇

 

 リビングに移動して、カオルを責め続ける。

 畳の上でカオルは膝立ちの姿勢になり、びしょ濡れの陰裂はぼくの指を3本もくわえ込んでいる。

 

 混乱しているだろう。意味がわからないだろう。それでもカオルは、ぼくの行為を受け入れ、されるがままにされている。

 

 ぼくは、快楽に歪んだカオルの顔を覗き込む。

 

「そろそろ降参する?」

 

「イ"ヤ"だっ"……!」

 

 苦しそうに髪を振り乱し、首を振るカオルは全身にびっしりと汗をかいている。

 固く尖った乳首を捻り、勃起したクリトリスを刺激する。

 カオルは獣のように呻き声を上げた。

 

「う"~~っ……!」

 

 快楽を使った拷問。

 なにもかも、どうでもいいからイかせてくださいと言うまで、決してイかせない。

 

「カオルは、ぼくのことよく知ってるよね。どこまで知ってるの?」

 

 カオルは快楽に咽び泣きながら、全てを話した。

 虐待のこと。止まった成長のこと。『歌』のことまで。

 

「情報提供者の名前は?」

 

 これにも、あっさり口を割った。

 小学生のときのぼくのクラスメイトらしいが、どうしてもその名前の持ち主の顔を思い出せなかった。……まあ、そんなことを訊くことに意味はないのだけど。

 

「そろそろイっとく?」

 

 無意味に追い詰め、無意味に解放することを繰り返す。

 

 カオルは涙と鼻水を垂れ流し、秘密を吐き出して尚、イきたくないと首を振る。

 

「葛城に何を調べさせた?」

「じら"な"い"、じら"な"い"……!」

 

 手強い。

 

「トモになにするつもり?」

「ぞんなやづ、じら"な"い"……!」

 

 カオルは頑なだ。

 友人を売り、秘密を暴露して尚、屈伏しない。

 

「……ばかだね、カオルは……」

 

 唇の端から泡を噴きながら、それでもカオルはイきたくないと首を振る。

 

 陰唇は腫れ上がり、勃起したクリトリスは普段の倍近い大きさになって包皮から剥き出しになっている。

 それでも快楽に身を委ねないのは、そうしてしまえば、大切な何かを失うことを直感で理解しているからだろう。

 

 責め苦は二時間を超え、食らった寸止めが28回になったとき。

 カオルは気絶した。

 最後は四つん這いになり、お尻を突き上げるような姿勢だった。

 

 ぼくは手を振って、軽く雫を切る。最後に――

 

「もういいや……疲れちゃった……」

 

 思い切り、カオルの白く大きなお尻をひっ叩く。

 

 盛大な破裂音がして、その瞬間、カオルの強くて弱い防波堤は決壊した。

 

「~~~~!!!」

 

 潮を吹き出し、声にならない悲鳴を上げてカオルが絶頂する。

 腰が大波を打ち、尻たぶに真っ赤な紅葉が咲く。

 

「ぼくの負け。カオル、イっちゃいなよ……」

 

「……ユギ……」

 

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃのカオルに微笑み掛ける。

 

「ごめんね、苛めて……」

 

 

 ――じゃなきゃ、悠くんのことがものすごく怖いかだよ――

 

 

 カオルが、安心したように微笑んだ瞬間、ぐずぐずに綻んだ花びらをひっかき回し、溜め込んでいただろう悦楽を全て解放してやる。

 こうしないと、カオルは本当に壊れてしまう。

 

「あぁあぁあぁあぁ、イグイグイグ……!!!」

 

 クリトリスを扱き、肉汁を噴き出す膣穴を蹂躙する。

 

 部屋中を発情臭でいっぱいにして、カオルの絶頂は長く続いた。

 

「ひぃいぃい……! ひぃいぃい……!!」

 

 何度も潮を噴き、失禁して大量の尿を撒き散らす。

 

 ぼくは敗北した。

 一方的に攻め、蹂躙して尚、カオルを屈伏させることが出来なかった。

 

 カオルは白目を剥き、自らが分泌した様々な液体の中で僅かに微笑んでいた。 

 

◇◇

◇◇

 

 気絶したカオルを布団に押し込み、滅茶苦茶になった部屋の後始末をして家を飛び出す。

 ――強く冷たいぼくに戻らなければならない。

 誰でもいい。

 傷つけたい気分だった。

 

 時刻は午後8時。自転車に乗り、夜の街に飛び出す。

 この時間なら、トウコか皆川か。憐れな犠牲者は誰だろう。呼び出して滅茶苦茶にしないと気がすまない。

 

 トウコは駄目だ。

 あの娘はぼくに固執している。やり過ぎると面倒なことになる。

 駅を過ぎた路地で自転車を停め、携帯電話を取り出した。

 皆川を呼び出そう。

 あの馬鹿をぐしゃぐしゃにして、ぼくはボクに――

 

 

「御影……?」

 

 

 不意に、背後から戸惑った声色。

 振り返る。

 

 すらりと高い長身。

 指定の制服。大きなスポーツバッグを肩に引っかけ。

 

 ポニーテールのシュウ。

 

 ぼくは、うっすら笑った。

 

「こんばんは……」

 

 憐れな犠牲者。

 

「み、御影……? もう遅い、帰った方が……いや、待って――」

 

 遮って、ぼくは言った。

 

「2Kでいいよ」

 

「あ……!」

 

 シュウは動揺して引き下がる。

 ぼくを怖がっているみたい。

 

「シュウ、どうする?」

 

 奥二重の瞳を見開き、ぼくを見つめたまま、金縛りになったシュウのおとがいが、ゆっくりと上下する。

 

 赤と青のネオンが交錯する夜の街。

 ぼくとシュウは見つめ合った。

 

 ぽろっ、とシュウの頬に涙が伝わって落ちる。

 頷いた。

 

「買った……!」

 

 それじゃあ――

 

 おまえを、メチャクチャにしてあげる。

 

 明けない夜が始まる……。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第44話

 今日の朝は悪夢を見るところから始まって。

 皆川と少しお話をして、図書館では深山に追い詰められた。

 午後はファーストフードを食べて、そのままそこで勉強して。

 家では、カオルをやっつけようとして失敗した。

 

 今は――

 夜の街角で、シュウと見つめ合うようにして、向かい合っている。

 シュウは奥二重の瞳から、ぽろぽろと大粒の涙を流した。

 

「……なぁ、御影……」

「なに?」

「私を許してくれるのか……?」

 

 ちょっと考えて、ぼくは正直なところを言った。

 

「わからない、かな……」

 

 シュウは涙を流しながら、悔しそうに俯いた。

 

「……そうだな。とても酷いことをしたな……私が怖いだろ……?」

 

 それには首を横に振った。

 思い出したのは、コンビニでカオルに突き倒されたシュウのこと。悲しそうに伏せられた瞳に滲んだ涙のこと。

 

「今はもう、怖くないよ」

 

「……充分だ」

 

 シュウは、泣き笑いの表情で頷いて見せた。

 

◇◇

 

 邪魔になった自転車を駅の駐輪場に放り込み、その後はシュウと手を繋いで歩いた。

 

「ゆっくりできるとこって、ないかな?」

「……あるよ」

 

 シュウに手を引かれ、商店街を徒歩で抜けて行く。

 

「何処に行くの?」

「私が住んでるマンションだよ。何もないけど、そこでなら邪魔は入らない」

 

 細い路地を通り、住宅街に入ったところで、シュウは目の前にある綺麗なマンションを指差した。

 

「ここだよ」

 

 目の前にある新築のマンションの三階に、シュウの住んでる部屋があるらしい。

 マンションの入り口はカードキーと暗証番号によるロックが掛かっていて、セキュリティのレベルが高い。

 見上げると、天井に二つカメラが付いていた。

 

「いつから住んでるの?」

「高校に入って、すぐ」

 

 シュウは短く答え、マンションに入ってからは無言だった。

 人気のない廊下を進む。

 大理石の壁は鏡みたいにぴかぴかに磨き上げられていて、うっすらとぼくたちが映っていた。

 その大理石の鏡の中、ぼくたちは進んで行く。

 シュウは少し焦っているみたいで、ぼくの手を掴んだまま早足で歩いた。

 手首が、ぎりっと鳴って鋭い痛みが走った。

 

「痛っ……」

 

「……!」

 

 すぐさま足を止めたシュウの表情が、くしゃくしゃと泣き出しそうに歪んだ。

 ぼくは言った。

 

「シュウ、慌てないで……」

「ごめん……」

 

 エレベーターの中でも、シュウは酷く落ち着かない様子だった。深刻な表情で親指の爪を噛み、考え込んでいたけれど、ハッとしたように言った。

 

「御影、携帯の電源を切ってくれないか……?」

「……うん、いいよ」

 

 先ず、ぼくが電源を切り、シュウもそれに倣った。

 そこでシュウは漸く落ち着いたのか、深く長い息を吐き出した。

 

「……余計なことばかりだ。これでいい」

 

 またぼくたちは手を繋いで。

 マンションの三階廊下からは、繁華街が近くに見下ろせた。

 赤や青の電飾が交錯して煌めいている。

 

「綺麗だね……」

「うん? ああ、私は見慣れているからな……」

 

 シュウの住居は角部屋の1R。

 部屋の中には大きなバランスボールが転がっていて、窓際にタブルサイズのベッドが置かれている。

 机はなく、替わりに小さなテーブルが置かれていた。

 

 何もないと言っていたけど、本当にない。なんというか、生活臭のようなものが感じられない。

 クローゼットは壁に収納するタイプなので、余計にそう感じる。

 

「何か飲むだろ?」

 

 答えを待たず、シュウは冷蔵庫の方へ歩いて行く。

 冷蔵庫を開ける。

 チラリと覗き見た中身には、ペットボトルの水と缶ビールがギッシリ入っていた。

 

「……シュウ、ぼくと居る時は、お酒は飲まないでね」

 

 ギクッとしたように、シュウの背中が固まった。

 

「わ、分かった」

 

 ぼくは、ちょっと手持ち無沙汰になり、壁に掛かってあるテレビをつけようと思ったけど、リモコンが見当たらない。

 辺りを見回すと、リモコンはベッドの枕元に投げ出してあった。

 シュウが水のペットボトルを二つ持って、やって来た。

 

「ごめん、これしかないんだ……」

「あんがとね」

 

 ぼくが貰った水を床に置くと、シュウは困ったように眉を下げた。

 

「と、とりあえず座らないか?」

「どこに?」

 

 この部屋には生活感が無さすぎる。座布団すらない。家具も最低限あるかどうかもあやしい。

 あたふたとするシュウを無視して、ぼくはベッドに腰掛けた。

 

「しよっか?」

「……!」

 

 ぼん、とシュウの顔が赤く染まった。

 これは少し意外だった。

 固そうな深山がそうだと言うなら分かる。でも、シュウは少し秘密が多いように見えていたし、経験が皆無ということもないだろうと勝手に考えていた。

 

「……もしかして?」

「……うん、多分、御影が考えてることで合ってる……」

 

 消え入りそうな声で呟いて、シュウは俯いた。

 

「うそ、シュウはすごくモテるでしょ?」

「……モテないよ」

「なんで? すごい美人さんだよ?」

 

 シュウは耳まで真っ赤にして、困ったように頬を掻いた。

 

「まいったな……」

 

 呟いてシュウは隣に腰掛け、思い直したようにぼくの腰に手を回して身を寄せて来る。

 

「なんでだろうね」

「わかんない」

「不思議だね」

「まったく」

 

 そこにいるのは、以前の優しいシュウ。少し微笑んで、楽しそうにぼくの顔を覗き込んでいる。

 シュウが言った。

 

「キスしよう」

「うん」

 

 よく分からないけれど、ぼくたちは、自然な流れで始めてのキスをした。

 

 こうするのが自然なこと。

 カオルやトウコのような歪さはなく。深山にしたような駆け引きもない。

 小鳥が啄むように、シュウがぼくの唇を求めて来る。僅かに掛かる鼻息が擽ったかった。

 離れると、銀の雫が糸を引いて流れる。

 

「私のファーストキスだよ」

 

 ぼくの腰に手を回したまま、シュウがこつりと額を合わせる。

 

 セカンドキスは、ぼくの方から。

 半開きになった唇を合わせ、舌を割り込ませる。

 

「ん……!」

 

 小さく喘ぎ、シュウが舌を絡めて来る。躊躇いのようなものはない。

 お互いの体液を交換しながら、シュウの大きい胸に手を置いた。

 

「ふぅ……ん……」

 

 驚くと思ったけど、シュウは寧ろ嬉しそうに鼻を鳴らして応える。ブラの上からでも分かるくらい、乳首が固くなっていた。

 

 括れた腰を撫で、お尻に触れても、シュウは口付けをやめない。

 

 ボタンを外し、ブラウスを脱がせる。

 ブラジャーを剥ぎ取ると、形の良い大きな胸が露になった。思わず――

 

「綺麗だ……」

 

 そんな陳腐な誉め言葉が、口を衝く。

 肌は抜けるように白く、染み一つない。釣り鐘型。カップは……Dくらいだろうか。

 唇を外し、苦しそうに立ったピンクの乳首に吸い付く。

 

「んふっ……!」

 

 右の胸を揉みながら左の乳房を舐め回すと、ぼくの頭を抱き締め、シュウはピクリと身体を震わせた。

 

 顔を上げると、とろりと下がった奥二重の瞳と視線が合った。ぼくのぺニスは痛いくらいに勃起して、シュウを欲しがっている。

 

 スカートを捲り、ショーツの上から縦に割れたスリットに触れると、期待から溢れ出した粘液がベッドのシーツまで濡らしていた。

 

「……シュウ……すごく濡れてるよ……」

「……御影が、そうさせ――」

 

 擽るようにして、陰唇の部分をなぞると、シュウはお喋りをやめて唇を噛み締めた。

 

「んんっ……!」

 

 これから、ぼくはシュウを手に入れる。そう思うと、異常に興奮した。

 シュウはもう、充分に濡れている。これ以上の前置きは必要ない。

 今すぐ繋がりたい。シュウが欲しい。メチャクチャにして、支配したい。

 

 飾り気のない無地のショーツをスカートごと剥ぎ取って、シュウを無防備にしてしまう。

 

「シュウ……見せて……」

「いいよ……」

 

 ベッドの上で、ぼくを誘うように、シュウが長い脚を開いて秘密の部分を見せてくれる。

 

 陰唇が熱っぽく腫れ上がり、膣口がねっとりと濡れて妖しくてかっている。

 そのいやらしさに、ぼくは思わず息を飲み込む。

 

「……」

 

 透き通った愛液が垂れ下がり、会陰まで濡らしている。その全てを見せ付けるように、シュウが潤んだ瞳で見つめて来る。照れみたいなものがまったくないのが、らしいと言えばらしいのだけど……

 

「……恥ずかしくないの?」

 

「別に……こうしているのが自然な気がするだけで……」

 

 答えを返したシュウの瞳は、素直に欲情して目尻が垂れ下がっている。

 

「……御影は違うのか……?」

「いや、ぼくは……」

 

 シュウが言う自然な成り行きを、ぼくも感じている。

 それが一番の問題。

 カオルやトウコに感じた嫌悪もなければ、深山に対して覚えたような遠慮も感じない。

 シュウが言った。

 

「……ずいぶん遠回りしたような気がするよ……」

「うん……」

「これもやり方は違う」

 

 でも、元あった道に繋がっている――。

 そこで、ぼくはシュウに覆い被さった。

 

「あっ……!」

 

 言いたいことも伝えたいことも、山ほどあった。それは多分、シュウも同じ。

 長い脚を割って、その間に入り込むとズボンを下ろしていきり立ったぺニスを取り出す。

 濡れそぼった陰裂に亀頭を擦り付けると、腰に痺れるような快感が突き抜けた。

 

 花びらを捲り、陰口に亀頭を宛がったところで、一度顔を上げた。

 

「行くよ……」

「うん、いつでも……」

 

 シュウが脚を巻き付けるようにして、ぼくの腰を引き寄せる。

 僅かな抵抗。

 めり、と肉を裂くような感触がして、ぼくはシュウに飲み込まれた。

 

「~~~~!」

 

 情けないことに、ぼくは一瞬で果てそうになった。

 陰茎は滑る蜜壺に根元まで吸い込まれ、蠢く膣襞にがりがりと耐久力を削り取られる。

 

「っ……っ……ん!」

 

 シュウは更に腰を突き出して、ぼくを取り込む。

 押し付けるだけの稚拙な動作。やがて――

 先端が、こつりと行き詰まった。

 

「んぐっ……!」

 

 と呻いて、シュウの動きが止まった。

 

「……これが……」

 

 シュウは、だらしなく口元を緩め、微笑っていた。

 ぼくの腰に脚を絡め、全身で抱き着いて来る。やわやわと蠢く肉襞は、膣全体でぺニスの感触を楽しんでいるかのようだった。

 

「あぁ……すごいね……御影だ……御影がいるよ……」

 

 目の前に宛がった乳首に吸い付きながら、ぼくも身体の力を抜いて感触を楽しむ。

 自ら子宮に押し付けるようにして、シュウが腰を揺する。

 

「ぁ……あ……!」

 

 その動きに合わせ、ぼくも緩やかに腰を使って奥をかき混ぜる。

 それだけで、ずちゃっ、ずちゃっと淫液の跳ねる音が聞こえた。

 

 荒い息を吐き出し、何度もキスを交わす。舌を絡め、体液を交換し、お互いを貪る。

 

「シュウ……足……」

 

 ぼくは、腰に絡んだままのシュウの脚を軽く叩いた。

 

「だめ……っっ!」

 

 結合部分に、ぬるりと新しく粘液の湧き出す感覚があって、シュウの笑みから余裕がなくなった。

 

「御影、動くな……動くな……!」

 

 切なそうに喘いで、シュウがすがり付いて来る。それが返って陰茎を刺激して、最奥をごんごんと叩く。

 膣壁が凶悪に蠢き、陰茎を包み込み快感に腰が抜けそうになった。

 ぬるぬると愛液が溢れ、辺りに発情臭が充満する。

 

「くぅぅ――!」

 

 膣壁がぺニスを食い縛り、きりきりと締め上げた。

 噴き上がる悦楽に、ぼくも理性が蕩ける。遮二無二腰を突き立てながら激しく子宮を打ち据える。

 そして、ぼくが最奥に精子をぶちまけるのと同時に――

 

「ぅんッ!!」

 

 シュウは、何度も腰を震わせて絶頂した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第45話

 激しい吐息とともに全身を朱に色付かせ、漸くシュウは脱力した。

 

「すごかったよ……御影……」

 

 完全に気の抜けた掠れ声で囁いて、シュウは深い息を吐き出した。

 

「ん……ぼくも……」

 

 シュウの胸に抱かれながら、ぼんやりと考えたのは、これまでのこと。

 高校に入って、ぼくの青春のようなものがあったとして、その全てのページに秋月蛍という女性がいたということ。

 彼女は、ぼくみたいなやつに気さくに声を掛けてくれたし、友人としても良くしてくれた。時には言い争いをしたこともあったし、いがみ合ったこともある。

 いつだってシュウは、ぼくに全力でぶつかってきた。身売りなんていう馬鹿なことをしなくても、彼女とは必ずこうなっただろう。

 だからこそ、違和感なくいられる。傷付けることを躊躇せずにいられる。

 シュウは膣にぼくを収めたまま、言った。

 

「御影……いや、悠希」

「……うん」

「どうして、売春なんてことをするんだ?」

「……お金が欲しい」

 

 ぎゅっと眉を寄せ、シュウは険しい表情になった。

 

「なんでそうなんだ?」

 

 こんなことになっていても、それとこれとは違う。納得できないという表情。

 

「…………」

 

 ぼくは一つ溜め息を吐く。

 話そうと思っていたことだ。これがいい機会だった。

 

◇◇

 

 そこでぼくは、色々と家庭の事情を話した。

 

 血の繋がらない母に、長い間、虐待されて育ったこと。

 3年に及んだ長期の入院。

 絶望視されていたけれど、父さんの献身的な介護で奇跡的に回復したこと。

 身体が成長する見込みは薄いこと。

 

 その間も、ぼくとシュウは繋がったまま。

 シュウは黙って話を聞いている。

 

 続いて、ぼくはウチの経済事情を話した。

 

 父さんは頑張っているけれど、経済的には、ぼくが大学に進む余裕はないこと。

 いずれ父さんは無理をして、破滅する可能性が高いこと。

 

 ……その時も、父さんはきっと笑っている。笑って、ぼくの為に破滅する。

 

 ぼくは気が付くと泣いていて、シュウは優しく背中を撫で続けていてくれた。

 

「……ぼくは、このお話の最後を書き換える……これだけは……これだけは……」

 

 でも、どうしようもなかった。

 父さんに黙ってアルバイトしようとしたけど、身体が小さすぎて雇って貰えなかった。

 家出中学生だろう、と言われたこともあった。

 時間ばかりが無為に過ぎて行く。お昼ご飯を抜いたり、交通費を節約する為に歩いたりしていたけれど、全然、足らない。

 焦っていたところに――

 

「――新城から、話があった」

 

 シュウは言って、ぐりぐりと腰を擦り付けて来る。

 すっかり萎えてしまって、抜け落ちそうなぼくが気に入らないみたいだった。

 言った。

 

「助けないよ」

「……うん」

「切っ掛けがどうでも、悠希が自分から始めたことだからね。責任は取るんだ」

 

 

 ――怖い子なんだろ?

 

 

 何故か、父さんの言葉を思い出した。

 

「……終わりはあるの?」

 

「目標はあるよ。そのときは、スッパリ終わるつもり」

 

 ぼくが頷くと、シュウは少しホッとしたように頷き返した。でも――

 

「新城はよくない。あれには、ちゃんとケリを着けるんだ。出来るね?」

「…………」

 

 さっきからシュウが腰を揺するので、ぼくは少し妙な気分になってしまう。

 元気付けているつもりなんだろうか?

 

 ――この子の物差しは、父さんや悠くんとは違うと思う……

 

 父さんは、本当にプロなのかもしれない……。

 シュウが言った。

 

「好きだよ」

「……うん、あんがとね」

「厳しいことも言ったけど、いつでも好きだよ。だからね?」

「……?」

「もう駄目だって思った時は、私に言うんだ。私が全部――」

 

 ぼくの耳元で、こう囁いた。

 

「私が全部、リセットしてあげるから」

 

 そのとき、ぼくはどうなるんだろう。怖いシュウがタダで都合のいいことを言うと思えない。

 分かるのは、そのとき、シュウが全てを消してしまうということ。良いものも悪いものも、全て力で揉み消してしまうということ。

 

 ――強い子。……多分、強すぎる……。

 

 父さんは、教えてくれていた。

 ぼくは、一時の気紛れでとんでもない間違いをやらかしたのかもしれない。

 

 初めての体験で膣に思い切り流し込まれても、シュウは堪えてないみたいだった。

 

 ちょっぴり、寒気がした。

 

「最低、週に一度は来るんだ。お風呂に入っているときでも、トイレにいるときでもいい。いつでも買ってあげるよ?」

 

「わかった」

 

◇◇

 

 話が一段落したところで、さて、とシュウが立ち上がった。

 膣から萎えたぺニスが抜け、精液と愛液のカクテルが腿を伝い落ちる。

 なんだか、ぼくは恥ずかしくなって視線を落とすと、シーツには破瓜の『おしるし』があって、頬が熱くなった。

 シュウは眦を下げ、残念そうに言った。

 

「二回目、と行きたいところだけど、インターハイが近いから止めとくよ」

 

「あ、ごめん……」

 

「念のためだよ。あそこが痛くて本気が出せませんでした、じゃ締まらないからね」

 

 腿を伝う体液に構う素振りを見せず、シュウは踵を返した。

 

「どこに行くの?」

「ん、お風呂」

 

 深山が、シュウのことを『虎』と言った訳が分かった気がした。

 シュウ――秋月蛍は、おそらく豪傑と呼ばれるタイプの女性なんだと思う。

 八頭身の均整の取れた抜群のプロポーション。股間から精液を垂れ流していても、シュウはやっぱり凛々しく見えて。

 それがなんだか可笑しかった。

 でも、そういうことなら――

 シュウには特別メニューを用意してあげる。

 ぼくは笑った。

 骨の髄まで、めちゃめちゃにしてあげるから。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第46話

 ベッドから立ち上がり、ぼくは浴室に向かったシュウの後を追った。

 

 扉を開くと、シュウはお尻をこちらに向けて、浴槽にお湯を張っているところだった。

 

「どうしたの?」

「ぼくも入りたい」

 

 そう言うと、シュウは動揺したようだった。

 

「えっと……それは、私と一緒に入りたいということ?」

「うん、ダメだった?」

 

 処女を失って、膣から精液を垂れ流していても平然としているシュウが、視線をあちこちにさ迷わせて困惑している。

 焦ったように言った。

 

「ダメじゃない! でも……」

 

 ぼくは、浴室の扉の前でシャツを脱ぎ捨てた。

 

「……!」

 

 ぼくの傷を見た女の子たちの反応は色々。

 カオルは悔しそうにした。

 トウコは泣いた。

 深山は悲鳴を上げた。

 シュウは瞬きもせず、じっとぼくを見つめている。

 

「……」

 

 静かな浴室内に、お湯を張る音だけが響いている。

 やがて浴槽からお湯が溢れだしても、シュウは腰に片手を置いた姿勢でぼくを見つめたまま、動かなかった。

 

「……シュウ?」

「……」

 

 思わしげに奥二重の瞳を伏せ、首を振って。

 シュウは思い直したように言った。

 

「おいで、悠希。身体を洗ってあげるよ」

 

 改めて全ての衣服を脱ぎ捨て、ぼくも浴室内に入った。

 

「椅子に座って」

 

 シュウは、ぼくを椅子に座らせ、自分は床に膝を着いた姿勢になった。垢擦りは使わず、ボディソープを泡立てると、素手でぼくを洗い始める。

 ぽつり、と呟いた。

 

「……怪我をしている」

 

「治ってるけど……」

 

「怪我をしている」

 

 きっぱりと断言して、シュウは黙り込んだ。

 労るように、柔らかい手つきでぼくを洗い清めて行く。時折、動きを止め、考え込む。

 背中から始めて、首、肩、腕、脇の下、足も撫でるように洗って、胸、お腹の順に洗う。

 ペニスにはやはり興味があるみたいで、その部分はやたら念入りに洗われた。

 

「……悠希は女の子みたいな顔をしているのに、ここは男の子だったから、ちょっと吃驚したよ」

「そう……」

 

 なんと答えていいか分からず、ぼくは曖昧に頷いておいた。

 ほんのりと頬を染め、シュウが言った。

 

「……舐めてもいい?」

 

 これには、ちょっと面食らった。

 ついさっきまで処女だった女の子の言葉とは思えない。

 

「……今日が始めてだよね?」

 

 シュウは笑った。

 

「それは全然、関係ないよ。こうなる前から色々考えてたし……」

 

 そういうものなんだろうか……。

 

「いいよね?」

 

 いけない。ずっとシュウのペースのような気がする。

 返事を待たず、お湯でぼくの身体を流してしまうと、シュウが腰に抱き着くようにして股間に顔を埋めて来る。

 

「う……」

 

 ぬるっ、と生暖かい口中に含まれる。

 

「……ちゅ……ん、む……」

 

 喉の奥まで、一気に飲み込まれると、すぐに劣情が込み上げ、ぼくのペニスは痛いくらい固くなった。

 

 静かな浴室内に、シュウが吐き出す荒い鼻息とぴちゃぴちゃと唾液の跳ねる音が響く。

 

「は、ぁ……ちゅっ、ふぅ……ん……」

 

 シュウは始めてのフェラに夢中。ぼくを楽しんでいる。身体中を桜色に染め、とにかくぼくを貪る。

 気が付いた。

 ぼくがシュウとしたんじゃない。シュウが、ぼくをヤったんだ。

 今まさに、食べられている、ぼく――。

 

◇◇

 

 たっぷり10分はしゃぶられていただろうか。

 ぼくは、そろそろ限界。シュウの口に出してしまいそうだった。

 

「シュウ……降参、降参……」

「んん……!」

 

 とろりと眦を下げたシュウが、ぼくのペニスを頬張ったまま。イヤイヤと首を振る。

 陰茎に強く吸い付き、唇と手で扱きあげるだけの拙い行為だけど、あのシュウにしゃぶられているのだと思うと、それだけで酷く興奮してしまう。

 

「くっ……」

 

 背筋が甘く痺れる。ぼくの限界を看取ったシュウの頭が高速で前後して、舌先が亀頭を這い回る。

 

「んふっ……! ちゅ……ちゅっ! んんっ」

 

 逃れようのない波がやって来て、ぼくはシュウの口内に強かに射精した。

 

「んふふ……」

 

 凄絶な艶かしい笑みを浮かべ、シュウは放出された精液を音を立てて飲み下す。

 竿を上下に扱き、一滴残らず飲み干したあと、漸く納得したのか離れる。

 

「……次は、私に、してくれるよね……?」

 

 ぼくは快楽に痺れる荒い息を吐き出しながら、一つ頷いた。

 

◇◇

 

 汗まみれのシュウの陰部に触れてみると、そこはもうドロドロに蕩けて、花弁が開いていた。

 バスタブを掴み、もたれ掛かるようにしてお尻を突き出して来る。

 腿に伝う愛液に、うっすら血が混じっている。

 丸見えのアナルは、色素の沈着が全然なく、薄いピンク色だった。

 膣口を、ゆっくりと指でなぞりながら、固く勃起して包皮から顔を覗かせるクリトリスに触れてみる。

 

「んっ!」

 

 桜色の身体を震わせ、シュウは鼻に掛かった喘ぎを上げた。

 

「痛くない……?」

「……膣は、少し、ヒリヒリするけど、大丈夫……」

 

 息を切らせ、肩で途切れ途切れ呟くシュウは酷く興奮している為か、とても敏感になっている。

 

「優しくするから、いっぱい感じてね……?」

 

 こくりと頷くシュウの陰唇に口付け、舌で破瓜の痕跡を抉る。

 

「ひぐっ……んん! ……はっ……ぁ……」

 

 痛みの中に艶を混ぜ込んだ声が洩れる。

 人指し指に愛液を付けて、開いた花弁に塗り込む。空いた方の手で腰を撫で、お尻をさすることも忘れない。

 

 指を一本、つぷりと膣に挿し込み、クリトリスの裏側を刺激すると、シュウは益々全身を赤く染め、激しい吐息を洩らした。

 痛みを感じさせないよう、反応を見ながら、指の動きを早くして行く。

 シュウは痛みに強いタイプ。

 破瓜のときもそうだったけど、自分から腰を寄せて来た。多少のことは我慢してしまうから、それだけに気を遣う。

 

「んん! あっあっぁ……!!」

 

 慎重に追い詰め、緩やかな蠕動を繰り返す膣肉をほじくり返す。

 クリトリスは敏感な部位。慣れない内は直に触れず、包皮の上から転がすだけの愛撫に留める。

 シュウが獣のように呻いた。

 

「うぅう……うぅっ、っ、っうぅ……!」

 

「イく?」

 

 ぼくが尋ねると、シュウは真っ赤な顔で、がくんがくんと強く頷いた。

 

 女の子特有の甘酸っぱい匂いが強くなる。

 膣が、ぎゅっと指を締め付け、どろっと溢れた愛液が幾筋かに別れて腿を伝う。

 

「イくときは言ってね?」

 

「もう、イって……ひぃっ!」

 

 挿入した指を二本に増やし、Gスポットを擦りながら、荒っぽくクリトリスを左右に弾くと、シュウを長い髪の毛を振り乱して、激しく腰を震わせた。

 

「ぁぐっ! んん……!!」

 

 続けざまに絶頂し、シュウはタイルの床に這いつくばるように倒れ込んだ。

 突き出したお尻の割れ目から覗く膣口とクリトリスが、激しく収縮している。

 

「ぁ……おぉ…………」

 

 シュウは、だらしない呻きを上げ、開いたままの口から涎を垂れ流している。

 

 それでもぼくは愛撫を止めず、今度は長いストロークで快感に戦慄く膣肉を擦り続ける。

 掠れる声で、シュウが呟く。

 

「……だめ……おしっこ、でる……」

「いいよ。見ててあげるから、全部、出して」

 

 完全に脱力したのを見計らって、ヒクヒクと蠢くアナルにも指を一本沈める。

 

「シュウ、こっちも覚えて。そのうち、挿れるから」

 

「あ……うぅ……」

 

 ぐったりとしたシュウが健気にアナルを締め付けるけど、抵抗は弱い。

 流れっぱなしの愛液に、また血が混じっている。今は痛みすら気持ちいいだろう。

 

 ぷしゃ、と音を立て、シュウがお漏らしした。

 尿がタイルの床を伝い、倒れたままのシュウの白い肌を汚して行く。

 その耳元で、囁いた。

 

「ぼくの傷、知ってたね?」

 

 努めて無表情のシュウだったけど、それが返って不自然過ぎる。

 

「誰から聞いたの?」

「ぅ、ぁぁ……」

 

 シュウは快楽に蕩けた表情で、首を横に振った。

 

「言えない? OK」

 

 カオルもシュウも、何かを隠している。そう思うと、強い苛立ちが込み上げた。

 無様に這いつくばるシュウを見ていると、ぼくの中のボクが囁く。

 

 ――ぼくは、誰にも媚びたくない。誰のモノにもなりたくない。

 

 血液の混じる愛液をペロリと舐めると、秋月蛍の破瓜の味がした。

 

「何も反省してないだろ? ぼくを見くびるな……!」

 

 タイルに流れる尿に、シュウの顔面を押し付けてやった。

 

「偉そうに指図するな。勝手に家に来るな。こそこそ嗅ぎ回るな。おまえの世話にはならないよ」

 

「…………」

 

 ――シュウは泣き出した。

 愛液と精液と破瓜の血と尿にまみれ、いつもは凛々しい表情を歪めて泣いていた。

 

「いい様だね。暴力女」

 

 それを尻目に、ぼくは蛇口を捻って熱目のシャワーを浴びて汚れを落とした。

 最後に、言った。

 

「大人しくしてたら、また遊んであげるから」

 

 ――シュウを踏みつけて。

 冷たくて強いぼくが帰って来た。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

皆川 優樹菜1

 ――人の考えていることが、なんとなく分かった。

 ユキナのそれは、超能力みたいに大したものではなく。

 

 ――あたしって嫌われてる。

 

 とか、

 

 ――この人、今、悲しいんだ。

 

 とか、そういう顔色を伺う能力みたいなものを、ちょっとだけ強くしたような、そんな程度のもの。超能力と呼んでしまうには余りにもお粗末な代物。

 

 良く言えば、思いやり。

 悪く言えば、勘違い。

 

 そんなあやふやな感性のようなものに従って生きる内に――

 

 人の群れから、はぐれてしまった。

 

◇◇

 

 ユキナは、ほんのちょっとだけ危険を察知する能力が劣っている。

 初対面のナンパ男に電話番号を教えてしまったり、宗教の勧誘やセールスマンを自宅に簡単に上げてしまったりは序の口。

 厳しくて、ちょっと頭に血が昇りやすい父が、なんとか守って来たけれど――

 

 高校に入って間もなくの頃、幼馴染みに頼まれてやらかした万引きで、呆気なく警察に捕まった。

 

 霧島 沙織。

 ユキナの幼馴染み。たった一人のお友達。ちょっと怒りやすい父親辺りに言わせれば、居ない方がいい、お友達。

 

「大丈夫だって。ユキナ、頭悪いから、頼んだら、何でもやってくれるって……」

 

 沙織が笑いながら他の友人と話し合っているのが聞こえたけれど、ユキナは聞かなかったことにした。

 たった一人のお友達。

 同じ中学校出身の新城馨辺りに言わせれば、死んだ方がいいロクデナシ。

 新城馨は大嫌い。

 いつも沙織をボロクソに貶したし、何かと構って来て鬱陶しい。

 

「オメーは頭悪いんだから、アタシの側に居ろっての」

 

 バレーボールをやっている頃の馨は、ちょっとヤンチャで口が悪いけれど、姉御肌で面倒見が良く、年下の後輩たちには慕われている。

 

 学校の勉強だけは、ユキナの方が出来たから。

 付き合う相手を間違えた。

 

 12万円。

 皆川優樹菜の最初の値段。

 

 沙織によって、ユキナの処女は出会い系サイトで知り合ったサラリーマンに売り飛ばされることになった。

 中年男の舌が無遠慮に身体を舐め回し、這いずるおぞましい感触を、ユキナが生涯忘れることはないだろう。

 

 俗に言う援助交際。

 沙織はとっくの昔に手を着けていたから、仲間外れじゃない。行動を共にするのは、友達なら当然のこと。

 

 以降、懐が寒くなると、沙織と組んで援交した。

 始めのうちはショックで泣いたり、吐いたりしていたけれど、そのうち何も感じなくなった。ユキナの人間性は消しゴムみたいに摩耗して無くなって行った。

 

 そういった荒れた日常を送っていたある日のこと。

 ユキナは、鏡に映る自分の変化に気付いた。

 肌は荒れ、脱色と染色を繰り返した髪は傷んでパサパサ、目付きは何処か虚ろで、濁って見える。何だか、ユキナは悲しくなって泣いた。

 幾ら泣いても涙は止まらず、その日、ユキナは自分が大切な何かを喪ったことに気付き、途方に暮れた。

 

 同じ頃、バレーボールを辞めた馨の様相も変化した。

 ヤンチャな性格は暴力性に取って替わり、快活な一面は、がさつなだけに見えるようになった。何時も苛ついていて、男女の別なく突っ掛かる。年下の後輩に慕われていて、悩み相談なんかやっていた姉御肌の新城馨は、何処にも居なくなっていた。

 

 人は変わる。

 良くも悪くも、変わらずに居られない。ユキナはそう思うようになった。

 

◇◇

 

 御影悠希が現れた。

 ユキナにとって、別の世界の生き物。

 小さく可愛らしい見てくれ。女の子みたいな長い睫毛。未成熟なソプラノボイス。透明感があって、何処か儚い印象。女子剣道部の主将、秋月蛍が猫っ可愛がりしていた深窓のお姫さま。

 それが、どヤンキーの馨に付きまとわれている。

 沙織が言った。

 

「うおお、NTR ……!」

 

 それから――

 馨はものすごい勢いで変わって行った。

 まず第一に険が取れ、よく笑うようになった。がさつでサボりがちだった眉や肌の手入れなんかもキチンとやっている。荒っぽい言動も控えるようになり、誰彼構わず喧嘩を売って回るようなことはなくなった。

 ――再生。

 以前の馨を知っているユキナには、そう見えた。

 

「2000円……? はぁ!? マジで!?」

 

 元陸上部の部室に溜まるDQNなら誰でも知っていること。

 

「あれが……あれを……」

 

 ユキナは驚きで言葉もなかった。

 

 ただ、漠然とこう思う。

 悠希に馨は似合わない。悠希には……そう、ユキナのクラスの副委員長をやっている深山楓あたりがよく似合う。二人なら図書館で並んで勉強したり、陽当たりのよいカフェなんかでまったりお茶を飲んだりしていそうだ。

 擦れっ枯らしのユキナは笑ってしまうけれど。

 

 でも、興味はあった。

 悠希には不思議な力があって、それが馨を再生させているのだとしたら、ユキナもそれにあやかりたい。

 たったの2000円で無くしたものを買い戻せるのなら、ユキナは今すぐそうしたい。

 だから夏休みに入ってすぐ。商店街の出入り口近くで悠希に会ったとき。

 

「あ、少年ビッチじゃん」

 

 ユキナは迷わず、呼び止めた。

 ファーストコンタクトは上々。

 悠希の指遣いは巧みで、ユキナは触られただけで呆気なく終わってしまった。最後までヤっても問題はなかったけれど、お試しの後、それでよければとワンクッション置かれた。

 何故か、ユキナは安心出来た。これなら酷いことにはならないと確信を持って言えた。

 実際、顔に精液をぶっかけられ、「良かったろ?」とドヤ顔で言われることはなかったし、膣に異物を挿れられることもなかった。

 後始末をして貰ったのも、特定の相手を持たないユキナには新鮮だった。その後は優しく胸を揉まれ、お腹をさすられる内に、ユキナの意識は、ゆっくり微睡んで行く。

 

 おそらく、それは深山楓みたいな清潔感のある女の子のために用意されたもの。擦れっ枯らしのユキナには勿体ない、行き過ぎた代物。本当の男女の交わり。

 新城馨が戻らざるを得ないわけだ。こんな優しさの内に、棘が抜けない訳がなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

皆川 優樹菜2

 その日、ふらりと立ち寄ったゲームセンターで出会った『ソイツ』は、妙にノリのいい女だった。

 やたらハイテンションで喚き散らすように喋り、男女の別に関係なく、意味のないハイタッチを交わす。

 

 連れて来たのは、沙織の友人たち。

 ユキナは、ほんのちょっとだけ危険を察知する能力が劣っているから、周囲の面々が、『ソイツ』を持て余していることに気が付かなかった。

 

「お、皆川。いいとこに来たな。コイツ、沙織の友だちだから頼むわ」

 

「あ、沙織の? しょーがねえか……」

 

 答えながら、ユキナは白く脱色した頭髪を掻き回す。

 やたらはしゃぐ『ソイツ』を見たとき、少し胸騒ぎがしたことは言わないで置く。

 

 とりあえず、カラオケにでも行って時間を潰すことにして、外れのカラオケボックスに向かう。

 そのとき、ケチで何かとユキナを馬鹿にする沙織の友だち連中が、気前よくタクシー代を払ってくれたのが少し引っ掛かった。

 まあとにかく――

 ガンガン騒ぐのは嫌いじゃない。

 ソイツのハイテンションは、二人きりになっても変わらず。ゲラゲラと他愛ないことで笑いながら、調子外れのハードロックを歌う。

 

 なんとなく不安になって来たユキナだったけど、沙織は捕まらない。

 ヤらせてやると言えば集まる男は何人かいたけれど、その時、ユキナが思い浮かべたのは悠希の顔だった。

 ユキナの友人は、沙織を含めて何かの代償を要求するタイプが多かったけれど、最初から要求がハッキリしているのは悠希だけだった。

 だから呼び出した。

 悠希なら、ユキナを気分よくしてくれる。馬鹿にしない。少しお金を払うだけでいいと分かっているから安心出来た。

 『ソイツ』が言った。

 

「今晩さァ、パーティやるんだけど、アンタも来る?」

 

「パーティ? う~ん……」

 

 ちょっと分からない。嫌な予感がする。でも、沙織か悠希が一緒なら、行っても構わない。

 

 やって来た悠希は、まるで警戒する猫のようだった。

 ぱっちりとした瞳を細め、眉間に皺を寄せた表情でソイツを睨むように見つめている。

 

「どったの? 少年ビッチ。早くおいでよ」

 

 突然、悠希に手を引かれた。

 そういった強引さは予想してなかった。ユキナの胸は、ドキンと鳴った。鳴ってしまった。

 

「あの子、ドラッグやってる」

「――え?」

 

 馬鹿なユキナも漸く理解した。

 援交、家出、煙草、万引き、悪いことはそれなりにやったが、薬物だけは本気で不味い。

 

 ……知り合いにシンナーをやっているヤツがいる。

 前歯がドロドロに溶け、何時もぼんやりとしているが、そうなる前は、ナイフのように鋭い感性を持ったヤツだった。

 薬物は、人間性を破壊するのだ。

 

 悠希は逃げるように去り……いや、実際に逃げた。

 

 キャンピングカーの室内で、大声で歌い、金髪を振り乱して踊り狂う『ソイツ』を見て、ユキナは生唾を飲み込んだ。

 

「ちょ、ちょっとトイレ……」

 

 口の中でモゴモゴ言って、ユキナはその場から逃げ出した。

 電話を掛けると、折よく沙織が捕まった。ユキナは適当な用事をでっち上げ、『ソイツ』を押し付けた。

 

 幼馴染みの沙織より、胸の高鳴りを信じたのだ。

 そして――

 

 沙織は連絡が取れないようになった。

 

◇◇

 

 ユキナは、ひとりぼっちになった。

 身体を開けば泊めてくれる男はいるけれど、困ったときに助けてくれる知り合いは居ない。

 方々、手を尽くして沙織を探したが見つからない。良くない友人たちが言うには、『ソイツ』と一緒に行ってしまったということだけ。

 

 ひとりぼっちになってしまえば、ユキナはただの意気地無し。

 援交の手引きは沙織がやっていたし、他の友人はユキナのことを都合のいい玩具程度にしか思ってない。万引きで捕まってからは信用しないことにしている。

 

 懐が寒くなったユキナが思い浮かべたのは、居なくなった沙織のこと。

 とてつもなく嫌な予感がする。

 悠希の警告がなければ……そう思うと、ユキナは、ゾッとした。

 

 夏休みは長過ぎる。

 ひとりぼっちになったユキナは、ネカフェで漫画を読み耽ったり、ネットで見付けたエロ動画を見ながらオナニーしたりして時間を潰した。

 安心できる友人は居ない。だから、悠希を呼び出したのは成り行き上、時間の問題だった。

 

 悠希を暫く振りに見て、ユキナは、よく分からないけれど、落ち着かない気持ちになった。

 傷付いている。でも、それが何だか分からない。

 悠希は、ユキナに優しかった。

 

「……お金とか、大丈夫? 幾らか貸そうか?」

 

「マジで? 助かるわ~」

 

 こういう時の貸し借りは、返さないことが前提だ。借りたもん勝ち。ユキナのルールでは、そう決まっている。

 馬鹿なヤツ。そう思った。差し出された皺くちゃのお金を見るまでは。

 

「ねえ、あんた、これどうやって稼いだ? どんな気持ちで稼いだんだよ……ねえ……!」

 

 ユキナは、めちゃめちゃに胸を切り裂かれたような感じがして、泣きたい気分になった。

 

 そこにいたのは、いつかのユキナだった。大事な何かを失ないそうな、いつかのユキナ。

 

 何故か胸が奮い立った。

 しっかりしなければ行けない。

 どうして?

 ――分からない。

 でも、しっかりしなければ、いつかの自分に申し訳なく思う。悠希を……自分を抱いてあげたい。

 

「やってらんない。あたし、ウチに帰るわ」

「そう……」

 

 ぐりぐりと悠希の頭を撫でておいた。

 今はこれだけ。

 帰宅すれば、短気な父親にいいのを2、3発頂くだろうが心が決まれば怖くない。

 

「また会える?」

「それはいいけど……」

 

 今度は、しっかり抱き締めてあげるから。

 

◇◇

 

 夜も更けて。

 ユキナは左の頬っぺたに、綺麗な紅葉を張り付けて。

 でも、しっかり母親の作った晩御飯を食べ、温かいお風呂に浸かって人心地。

 久し振りの自室。

 ベッドの上で寝転んで考えたのは悠希のこと。

 

「……新城のヤツ、あんな不安定な状態で一人にすんなっての……」

 

 そんなことなら、自分が――

 そこまで考えた所で、携帯が鳴った。

 

 ――霧島 沙織――

 

 スクリーンに浮かんだ発信者の名前を確認して、ユキナは慌てて携帯を手に取った。

 

「もしもし、沙織? 今、何処にいるの!?」

 

『…………』

 

 電話の向こうで、沙織は無言だった。

 

「沙織? ……沙織!?」

 

『…………』

 

 沙織の身に決定的な何かが起こった。ユキナに分かるのはそれだけだ。

 

 ――パー子も早く逃げな。

 

 悠希の警告が聞こえたような気がした。

 

 夏の盛りの夜のこと。

 ユキナの額に、冷たい汗が伝って落ちる。

 

「沙織……」

 

 携帯の向こうで、小さくメロディが聞こえた。

 耳を澄ます。

 沙織がよく歌うポップスの伴奏。場所はカラオケボックス。

 ユキナは、ほんのちょっとだけ危険を察知する能力が劣っている。洗い立てのブラウスに袖を通すと、通話状態の携帯を手にしたまま、こっそり窓から脱け出した。

 

 屋根伝いに自室を脱け出し、外から玄関に回って靴を持ち出す。

 耳に当てた携帯から、派手なロックの伴奏が聞こえた。

 歌ってるのは――『ソイツ』。

 ユキナは走った。

 夜更けのあそこは危ないが、沙織が居そうなカラオケボックスと言えばそこしかない。

 国道の少し離れにあるカラオケボックス。ユキナは走った。

 派手なロックが終わり、沙織の大きな笑い声が聞こえた。どうやら無事でいるようだが、嫌な予感が胸から離れない。

 沙織の笑い声は、『ソイツ』にそっくりで――

 

◇◇

 

 夜更けのそこは、危険が大きい。

 恐喝、傷害、レイプ、売春、大小様々な犯罪の温床になっていて、夜更けのそこにユキナは近寄らないようにしている。

 注意深く辺りを見回しながら、キャンピングカーが並んでいる敷地に侵入する。

 

 駐車場に並ぶキャンピングカーは合計で12台。

 使用中で、窓から灯りが漏れ出しているのは5台。

 ユキナは携帯の通話口から流れ出すメロディに耳を澄ませながら、使用中のキャンピングカーの様子を窺って回る。

 見つからなければ、その時はしょうがない。諦めよう。そんなことを考えるが――

 

 11号車。

 僅かに開いた扉から、ユキナが耳に当てた携帯から漏れ出しているメロディと同じものが聞こえる。

 忍び寄り、そっと扉を開いた。

 

 そ こ に は ――――

 




さ あ 、 狂 っ て ま い り ま し た !


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

皆川 優樹菜3

 ハードロックの鳴り響く室内は、正に狂気の渦だった。

 

 ユキナは言葉もなく。

 その惨状を目の当たりにして、俄に口中に湧き出した唾液を飲み込んだ。

 

「……」

 

 室内は酷く生臭い。そこらに散乱しているジュースの空缶や弁当の空箱が原因の不快臭もあるが、それ以上に鼻を衝く据えたような性臭。

 

 沙織は全裸で片足をテーブルの上に乗せ、『ソイツ』に見せ付けるように股間を拡げて見せている。

 

「ギャハハハハ!」

 

 ソイツが沙織を指差して、狂ったようにゲタゲタと笑った。

 沙織が身体をくの字に折って、喘いだ。

 

「おまんこ、気持ちいい!」

 

「…………」

 

 ユキナは言葉もなく。額から、だらだらと脂汗を流した。

 ソイツが言った。

 

「おっ、ユッキーナが来た!」

 

 ――パー子も早く逃げな。

 

「……!」

 

 ユキナは肩を震わせることで応えた。

 

「ユキナ……?」

 

 沙織がゆっくりと振り返り、扉の前で立ち尽くすユキナにもその部分が丸見えになる。

 

 沙織の股間に、大きな歌唱用マイクが突き刺さっていた。

 

「……」

 

 沙織の表情は快楽に蕩け、口元には涎が垂れ下がっている。左手で下腹部をさすりながら、右手でマイクを上下させると、ぐちょぐちょと粘ついた音が室内に響き渡った。マイクがONになっているようだ。

 沙織が叫んだ。

 

「気持ちいい! 気持ちいいおまんこ!!」

 

「…………」

 

 そこにいるのは、霧島沙織の形をした『ナニカ』だった。

 

 例えば、友情であるとか。長い年月で培った幼馴染みとしての親近感。ユキナの場合、家族以上に抱いた沙織への親愛の念のようなものが、この場に足を縫い止めている。

 

 ――パー子も早く逃げな。

 

 悠希の警告が強くなる。

 それでも、ユキナはなんとか言葉を絞り出した。

 

「さっ、ささささ沙織? もっ、もう帰ろ……う……?」

 

 『ナニカ』が、ぶんぶんと横に首を振った。

 

「なんで!? おまんこ、超キモチイイ!!」

 

 沙織が膣にくわえこんだマイクを上下させている。滴る愛液がふくらはぎまで伝わっていて、固く尖ったクリトリスは包皮から剥き出しになっていた。

 

 沙織は俗に言う『ヤリマン』で、貞操観念はユルい方。男は取っ替え引っ替え。でも、今、やっていることはそういうこととは一切、関係がない。

 

 ――ドラッグ。

 

 頭の悪いユキナだが、そればっかりは避けて来た。

 幼少時に見たドキュメンタリー番組の影響が大きかった。馬鹿だからこそ、正直に恐れた。手を出したが最後、自分は絶対にやめられなくなる。その恐怖があった。

 ユキナの認識は全く正しい。その恐怖の具体的な形が目の前に存在している。

 

「おっ、おまえ、沙織に何したんだよ……!」

 

 問い掛けるユキナの声は震えていた。――びびっていた。

 ソイツが元気良く手を上げて答えた。

 

「さおちゃんは、気持ちよくなれるお薬にハマってしまいました!」

 

「おまんこ、気持ちいい!」

 

「20発以上、中出しキメられてますけど、足りないみたいでずっとオナニーしています!!」

 

「気持ちいいおまんこ!!」

 

 霧島沙織の人間性は破壊されていた。

 

「……」

 

 ユキナの頭の中は、真っ白になった。

 

 ――それって乱交パーティーとか!?

 

(御影の……)

 

 真っ白になった頭に浮かんだのは、悠希の捨て台詞。

 ソイツが笑った。

 

「さおちゃんは、キメセクにドハマりしてしまいましたとさ」

 

「…………」

 

 最早、言葉もなく。

 ユキナは、今もまだ股間に突っ込んだマイクを上下させている沙織に視線を送った。

 沙織が叫んだ。

 

「おまんこ、気持ちいい!」

 

「さっ、沙織……」

 

 沙織の膣から粘着質な水音が響き、そこから漂う生臭い性臭がユキナの鼻粘膜を刺激する。

 

「沙織……」

 

「ユキナ! 超気持ちいいよ!!」

 

「……」

 

 あのとき、悠希が来なければ、沙織とユキナの状態は逆転していた可能性が高い。

 思った。

 

 沙織は、もう駄目だ。

 

 ここまで破綻してしまった人間性が元通りになるとは思えない。超えてはならないラインを超えてしまった。

 沙織が叫ぶ。

 

「おまんこ、超キモチイイ!!」

 

「……っ」

 

 逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ……

 とにかく――

 

 逃げろ!!

 

「気持ちいいおまんこ!! ユキナもおまんこしようよ!!」

 

 恐怖に駆られ、ユキナも叫んだ。

 

「黙れよ! 黙れ!!」

 

 ユキナは涙目で頭をかきむしった。どうにかなりそうだ。

 とにかく逃げろと警報を鳴らす五感と、沙織に対する友情が猛烈に綱引きを開始する。

 

「おまんこ!」

 

 沙織が両手で、ぐしょ濡れの陰裂を左右に開いて見せた。

 

「ユキナ! 舐めて!!」

 

「~~~~!!」

 

 金髪の『ソイツ』は、沙織のその狂態を横目に見ながら、バッグの中身を漁っている。

 

「さおちゃん、壊れちゃった。さっきからそればっか言っててツマンナイ」

 

 目の前のテーブルに、じゃらっと何かの錠剤をぶちまけた。

 

「もう帰るね」

 

 混乱したユキナには、とんでもない爆弾発言に聞こえた。

 

「はあ!?」

 

 ユキナは更に混乱した。

 ソイツは、このトチ狂った沙織を押し付けようと言うのだ。

 

「お薬! いっぱい!」

 

 沙織がテーブルに飛び付き、目の前の錠剤をかき集めて全て飲み下した。

 

「あ~あ……知らないよ?」

 

 これだからトウシロは。そんなことを呟きながら、ソイツは立ち上がり、出入口の辺りに立ち尽くすユキナの方へ歩いてやって来た。

 

「……!」

 

 ユキナは警戒して一歩引き下がる。

 

「では、アスタラビスタ!」

 

 すれ違い様、軽く言って――

 

「あ! ちょっ、待っ……」

 

 『ソイツ』は室内から出て行った。

 出て行ってしまった。

 沙織が叫ぶ。

 

「おまんこ、キモチイイ!!」

 

 キャンピングカーの室内は、狂った沙織と混乱したユキナの二人だけになった。

 

◇◇

 

◇◇

 

 ユキナは滅茶苦茶に混乱した。

 どうしよう。どうしたらいいか分からない。

 取り合えず、『ソイツ』は居なくなった。最悪の事態は過ぎ去ったような気がする。

 

「さっ、沙織、帰ろう。とにかく、もう帰ろう」

 

 ユキナの危険を察知する能力は、人より少し劣っている。

 

「――そうだ! 服、取り合えず服着よう。沙織、服――」

 

 服が見当たらない。

 

「気持ちいいおまんこ!!」

 

 沙織は夢中で股間のマイクを上下させている。

 

 とにかく帰ろう。沙織に服を着せて、この場所からさっさと逃げよう。それから……

 

 それから、どうすればいいのだろう。それも大事だが、室内に沙織の服がない。全裸で連れて来られたのだろうか。

 混乱した頭でユキナは考えながら、這いつくばってテーブルの下や並んだソファの隙間を覗き込む。

 

 沙織の服は見付からない。

 

 とにかく服だ。沙織を全裸のままにして置けない。このままじゃ何処にも行けない。

 ユキナは必死で沙織の衣服を探す。

 沙織は必死で股間のマイクを上下させる。

 

 そして――

 

 10分後、沙織が泡を噴いて卒倒した。

 

 沙織は激しく痙攣し、白目を向いて倒れ込んだ。

 

「沙織っ!?」

 

 びくん、びくん、と沙織の胸が大きく波を打った。泡を噴く口元は笑みの形に歪んでいる。

 

 服は見当たらない。

 

 ガタガタと震える沙織が、全身を緊張させたかと思った次の瞬間、脱糞した。

 

「ひっ!!」

 

 ユキナは悲鳴を上げた。

 

「ぅわ! わっ、わっ、わっ……」

 

 沙織は続いて、猛烈な勢いで嘔吐した。

 

「うわっ! わあああああ!! わあああああ!! わあああああ!!」

 

 未知に対する恐怖のあまり、ユキナの悲鳴は止まらない。

 

 沙織の服が見当たらない。

 沙織の脱糞が止まらない。

 沙織の嘔吐が止まらない。

 沙織の痙攣が止まらない。

 

 過剰摂取(オーバードーズ)。

 

 狂気の時間が始まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第47話

 シュウを踏みつけて――

 冷たくて強いぼくが帰って来た。

 壁に掛かったバスタオルで身体を拭きながら、未だ浴室で倒れ伏し、涙を流すシュウを一瞥する。

 

 そこに転がっているのは、憧れ。踏みつけた、憧れ。今は、もう色褪せてしまっている。

 

 ぼくはまだまだ強くなる。

 いつか――ミカゲ ユウキという名の怪物になる。

 瞬間、脳裏に浮かんだのはカオルのこと。

 ぼくは鼻を鳴らした。

 

「……ふん」

 

 OK、何も感じない。カオルの侵食は止まった。

 

「シュウ、お金は次に会ったときでいいから。それじゃあね」

 

「悠希……待って……」

 

 漸く立ち上がったシュウが壁に手を付いて、ふらつく足取りでやって来る。

 

「嫌だね」

 

 待たなかった。

 

◇◇

 

 マンションを後にして、携帯の電源をONにした。

 時刻は深夜の12時を回ったところ。

 自転車を置いてある駅前に向かって歩く傍ら、少し起こったことを整理する。

 

 カオルはトモに関する事を隠していて、それは訊問されても、ぼくには言えない。この秘密に関しては、トウコを締め上げれば分かるだろう。

 

 シュウは、何故かぼくの身体の傷に見覚えがある。その理由は言えない。

 黙って家に来たり、勝手に父さんに会ったりして、ぼくの過去を探っていた。

 でも、分からなかった。

 嫌ってるカオルに聞きに来るくらいには切迫していたはずのシュウが、ぼくの『傷』を見ても驚かなかった。

 

 見せた覚えはない。でも知っているだけじゃなく、見覚えがあった。

 ――分からない。何処で見たのか、分からない。

 

「……どいつもこいつも……」

 

 悪意のようなものは感じない。でも、いい気はしない。

 早速、携帯が鳴った。

 

――新城 馨――

 

 勿論、出る。絶対、逃げてやらない。

 

「はい、カオル。おはようさん」

『あ……ユキ……っと、今、何処?』

 

 ぼくは言った。

 

「教えない。探してみなよ」

 

 秘密には秘密。不信には警戒が答え。

 

『えっ? ……その……分かった……』

 

 携帯の向こうから、カオルの困惑が伝わって来る。

 

『ユキ、身体の具合、大丈夫か……?』

「ぼちぼちかな……」

 

 ぼくは一つ息を吐く。

 心を決めてから、取って置きの爆弾を投下した。

 

「今、シュウと寝た」

 

『なっ……!』

 

 絶対に逃げない! ここからだ!!

 即座にカオルは沸騰した。

 

『テメエ……この……っ!』

 

 遮って、ぼくは言った。

 

「――おまえが始まりなんだから、とやかく言うんじゃない。おまえだけは文句を言う筋合いはないんだよ……!」

 

『……!』

 

 沈黙。

 通話口から炎が噴き出るのではないかというくらいの、激しい何かを押し込めたような、沈黙。

 

「おまえは、ぼくの特別じゃない」

『……っ』

「鏡、見なよ。鬼が映ってるから」

 

 カオルが、言った。

 

『……アタシのこと、嫌いになったんかよ……?』

 

「――つっ!」

 

 息が詰まった。

 答えたカオルは悲しそうで、とても辛そうで――

 

 意外。

 

 瞬間、カオルが崩れた。

 絶対に、ぼくを赦さないだろうと思っていたカオルが壊れる。怖い新城馨が壊れる。

 またカオルの侵食が始まった。

 

『……アタシのこと、嫌いか……?』

 

 ――アタシが幸せにするから。

 

「……つっ、怒れよ!!」

 

 ――ユキは笑うんだ。それだけでいいよ。

 

「よくも裏切ったなって、責めろよ!!」

 

 ぼくの知っている新城馨なら、この裏切りを赦さない。

 

『……迎えに行くから……』

 

「うるさいうるさい! おまえ誰だ! おまえ誰だ!!」

 

『――あいしてるよ』

 

 そこに感じたのは、確固たる決意。

 

「なっ……」

 

『すぐ行く――』

 

 通話を切られた。

 まだまだ夜は終わらない。

 ぼくとカオルの鬼ごっこが始まった。

 

◇◇

 

◇◇

 

 ぼくは混乱した。

 思えば、女の子たちは誰一人としてぼくの思い通りにはなってない。

 

 頭が痛い……。

 

 トウコとは、お金だけの繋がりなのに、何故かぼくに執着するようになった。

 深山は最初から理解不能。独特の価値観があって、それでぼくを測っている。

 シュウは変わらない。良くも悪くも、真っ直ぐぶつかって来る。

 

 そして、カオルは何でも受け入れる。思っていたより、ずっと懐が深い。今、一番危険なのが彼女。暫く前から、ぼくを捕まえて離さない。

 

 頭が痛い……。

 

 今、カオルに捕まったら、ぼくは完全に駄目になってしまうような気がする。

 

 ぼくは自分の頬を強く張った。

 これじゃあ、何のためにシュウを踏みつけたか分からない。

 強くて冷たいぼくの仮面は、あっという間にカオルに剥ぎ取られてしまった。オマエなんて大嫌いだ、と言えていたら、全部終わったはずなのに……。

 

 続けて、ぼくは深呼吸した。

 

 どうすればいいか分からない。何処に逃げても、カオルに捕まってしまう気がする。

 また携帯が鳴った。

 

――皆川 優樹菜――

 

 こんなときに。

 がなり立てる携帯を睨み付け、ぼくは痛む眉間を揉んだ。

 少し考える。

 

 ……この着信は、おかしい。

 基本的に、夜はカオルと一緒だと伝えてある。

 パッパラパーの皆川でも、カオルの暴力は怖いだろう。抑止力が働くはずだと思っていたのに。

 思った以上の馬鹿か。それとも、ぼくに電話せざるを得ない理由があるか。

 後者は考えづらいが、出る。

 

「……はい、御影」

 

 皆川からの返事はなく、代わりに通話口から呻きに近い嗚咽が溢れだした。

 

『ひぐっ……みかげ……?』

 

「皆川? どうしたの?」

 

 相変わらず酷い頭痛がしているけれど、すぐ分かった。

 考えづらい後者の理由。

 

『みかげぇ……助けてぇ……』

 

「……」

 

 これは、多分、ヤバい電話。

 

「皆川、落ち着いて。今の状態を説明して」

 

『……っく、ヤだぁ……』

 

 OK、説明すると逃げられる案件。ぼくにお鉢が回ったのは、たらい回しにされた結果……ということなのだろう。

 

「そう……」

 

 少し考える。

 ぼくのこれから先を占う上で、皆川は大切な相手だ。だからこそ――

 

「ごめん、パス。なんか、危なそう……」

 

 申し訳なさそうに断って見せると、皆川は激しく泣きじゃくった。

 

『――ヤだぁ、もう! なんでぇ……お願いぃ……』

 

「ごめん、切るね」

 

 ……最悪のピンチか。それとも……

 携帯の向こう。皆川が嗚咽混じりに言った。

 

『っく……いくらでも、好きなときに、ヤらせてあげるからぁ……!』

 

 ぼくは言った。

 

 

「え? それはいいよ。皆川、臭いし……病気持ってそうだから……」

 

 

『……』

 

 

 沈黙。

 居たたまれないほどの、悲痛が漂う沈黙。

 鬼が出るか、蛇が出るか。

 最悪のピンチか。それとも――皆川を支配する絶好のチャンスか。

 

 カチリ、カチリ、とボクを構成するピースが填まる。

 ぼくがボクになる。

 

「ボクのために、何でもする?」

 

 ミカゲ ユウキという名の怪物になる。

 言った。

 

「ボクの奴隷になれ……!」

 

『うぇ……っく……』

 

 携帯の向こうで、皆川が激しく泣き崩れたのが、はっきり伝わって来る。

 

 オマエは頼る相手を間違えてるよ。

 薄く笑う。

 

「返事は?」

 

 皆川は――

 

 

 

『はいぃ、なりますぅ……だからたずげでぇ……!』

 

 

 

 堕ちた――。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

カオル2

「……んで、大魔王はどうなってんの?」

 

 友人の問いに、カオルは少し視線を伏せ、問題無さそうに答える。

 

「詰めろが掛かってる。ユキはアタシのもんだ」

 

 

 ――一生、忘れないから。

 

 

 想像していた以上に、いい子だ。

 気がなさそうにしていても。

 冷たくあしらわれても。

 想いは確実に伝わっていて、悠希はしっかりした答えを返して来る。強く叩けば、強く返して来る。そういうタイプなのだろう。

 強く抱き締めれば、強く抱き返してくれる。

 うっとりとして、カオルは熱い吐息を吐き出した。

 

「はぁ……」

 

 最悪以下の状況から始まった関係だったが、現状は既に引っくり返っている。

 もう一度、溜め息。

 

「ふぅぅ……」

 

 お金はいらないと拒絶された。二人の関係は、そういうことから抜け出た。いい意味でカオル自身が戸惑ってしまうほど、悠希の抵抗は強く、頑なだった。

 それがカオルを狂わせる。

 

「あぁ……もう……」

 

 何でもしてやりたい。

 そうすれば、更に強く返して来るだろう。

 

 ――カオルの匂いがして落ち着くんだ。

 

 あまりにもいとおしい健気さを思い出して、てへっとカオルは笑った。

 

 ――ぼくのカオル。逃がさないよ。

 

 にひっ、とカオルは笑う。

 骨抜きだった。

 

 あと、一手。一手、指しきることが出来れば大魔王は陥落する。その手応えがある。

 カオルの友人……アオイはベッドの上で寝転んでいて、漫画を読んでいる。

 鼻を鳴らして言った。

 

「……いい気になるのは早いんじゃねーの?」

 

 テレテレと鼻の下を伸ばしていたカオルだったけれど、水を差されたような感じがして、ムッとして向き直った。

 

「この後も大イベント用意してあるっつの。それで――」

 

 アオイは手を上げて遮って、呆れたように身体を起こした。

 

「御影、すげー不安定なんだろ?」

 

「……!」

 

 一瞬、カオルの脳裏を過ったのは、部屋の片隅で小さく丸まって眠る悠希のこと。

 アオイが言った。

 

「聞く耳あるうちに言っとく」

「お、おう……」

 

 アオイは短気だが、カオルと違って頭はいい。現実的で、冷めている所がある。頼りになる。

 

「カオル。テメーは無茶苦茶やってる。それは絶対に忘れんな」

「あ、ああ……」

「無茶苦茶なもんには、やっぱり無茶苦茶な答えが返って来る。それを受け止め切れなくなったとき――」

 

 カオルは、ごくりと息を飲み込んだ。

 

「テメーはおしまいだ」

 

「……」

 

◇◇

 

◇◇

 

 アオイは言った。

 

「ウチが思うに、御影はテメーがいることで傷付いてんじゃねえか?」

 

「……ああ?」

 

 カオルは眉間に皺を寄せ、ゆらりと立ち上がった。

 

「アタシは優しくしてやってる! ユキには良くしてやってるよ!!」

「……してやってる、か」

 

 呆れたようにアオイは言って、首を振った。

 

「御影は、すげー真面目だぞ?」

「知ってるよ!」

「黙って聞けっての」

 

 アオイは続ける。

 

「御影がテメーとヨロシクしてたのは、ひたすら『金』のためだ」

「それはもうどうでもよくなったって言っただろ!」

 

 カオルはいきり立った。

 粗方制限は解かれたが、『ルール』は今も生きていて、カオルはそれを固く遵守している。

 『ルール』は絶対だ。

 間違っても悠希を傷付けない為に、カオルが自ら課した制限だ。

 傷付けない為に作ったのだ。カオルは鉄の自制心で遵守している。それを――

 

「……アオイ。テメーに何が分かるんだ?」

 

 アオイは疲れたように首を振った。

 

「カオル……オマエは優し過ぎるんだよ」

 

「いけないかよ」

 

 悠希が望むなら、何でもしてやりたい。

 

「御影にしてみたら、テメーは甘々だ。メチャメチャ優しい。金の為に始めた関係のはずが、何処かで変わっちまう。変わっちまった。どうなるんだ?」

 

「……?」

 

「テメーは頭ワルいな」

 

 そこが憎めない、と言ってアオイは笑った。

 

「御影はどうしようもなく好かれてる自分に気付いた。根が真面目だからな。そのテメーから金は受け取れない。受け取れなくなった。どうなるんだ?」

 

「あ……」

 

「御影はすげー父ちゃん子だぞ? 父ちゃん想いだ。父ちゃんの為に身体を売るくらいにはな。どうなるんだ?」

 

「…………」

 

 カオルはみるみるうちに萎れ、泣き出しそうな顔になった。

 

「ど、どうなる?」

 

 アオイは口をへの字に曲げた。

 

「テメーは、本当に頭ワルいな……」

「わ、分かってるよ」

 

 アオイは、また呆れたように首を振って言った。

 

「オメーがそんなだからこそ、御影は傷付いてるかもしれねーんじゃねえか?」

 

「……」

 

「優しく『してやってる』なんて、上から目線でふんぞり返ってるテメーは、いつか取り返しのつかない失敗するんじゃないかとウチは不安だね」

 

 カオルは床の上に正座の姿勢になった。

 

「……ごめん……」

 

 アオイは噴き出した。

 

「ウチに謝ってどうすんだ」

 

「……じゃあ、ありがとう。バージンフェラ魔王」

 

 アオイは処女の分際で、口の中でさくらんぼの茎を三つ結ぶことが出来る。カオルには一つが限界だ。そこは素直に尊敬している。

 びしっ、とアオイの額に青筋が浮かび上がった。

 カオルを指差して言った。

 

「テメーには、相当貸してるからな。いつか返してもらうから、そのつもりでいろよ……!」

 

「……ああ、いいよ」

 

 カオルは真剣な表情で頷いた。

 

「ああ、もう! テメーはよ!!」

 

 アオイは、くしゃくしゃと頭をかき回した。

 

「カオル!」

 

「……?」

 

「ウチが思うに、御影はこれから無茶苦茶すんぞ!」

 

「分かった。アタシは受け止める」

 

 カオルは頷いた。

 

「……オマエは、何が一番ツラい?」

 

「……」

 

 カオルは少し考えて、それから言った。

 

「ユキと一緒に居られなくなること……」

 

 アオイは頷いて、最後に言った。

 

「よし、オメーはそれだけ考えろ。わき見すんなよ!?」

 

「分かった」

 

 そして――

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 悠希が言った。

 

『今、シュウと寝た』

 

 その事実を受け止めるのに、カオルは数瞬の時間を必要とした。

 

「テメエ……この……っ!」

 

 優しくしてやったのに。

 愛してやったのに。

 何でもしてやりたいくらいには、愛しているのに。

 

 

 ――裏切者が!!

 

 

 ぶち殺してやる。

 秋月蛍とだけは許せない。あの女に取られるのだけは、絶対に許せない。

 

 

『鏡、見なよ。鬼が映ってるから』

 

 

 壁に掛かっている姿見に視線を向ける。

 

「……!」

 

 そこには眉間に険しい縦皺を刻み、目を血走らせ、歯を剥き出しにした新城馨がいた。

 

 

 ――優しく『してやってる』なんて、上から目線でふんぞり返ってるテメーは、いつか取り返しのつかない失敗するんじゃないかとウチは不安だね――

 

 

 ともすれば、自制心を失いかねないほどの怒りだった。

 

 ……オマエは、何が一番ツラい?

 

 カオルは、震える手で顔を拭った。

 この貌(かお)で悠希に会うことはできない。取り返しのつかない失敗をすることになる。

 

「……アタシのこと、嫌いか……?」

 

『……つっ、怒れよ!! よくも裏切ったなって、責めろよ!!』

 

 電話の向こうから、激しい動揺が伝わって来て、カオルは思わず携帯を取り落としそうになった。

 強く叩けば、強く返る。

 

「迎えに行くから」

 

『うるさいうるさい! おまえ誰だ! おまえ誰だ!!』

 

 もう一度姿見を見る。

 そこにいるのは、カオル。

 純粋な、新城馨。真剣に、ただ一人を――

 

「あいしてるよ」

 

 ――詰めろが掛かったままだ。

 

 涙が出そうになった。

 カオルは友人に恵まれた。

 秋月蛍のことは、最早どうでもいい。今すぐ――

 

 詰めろ!

 

 電話を切って、カオルはアパートを飛び出した。

 しこたまヤられて腰がふらつくが、それが返ってカオルに余裕を与える。

 駐車場までは猛ダッシュ。

 大魔王は虫の息。詰めろが掛かったままでいる。

 何処に隠れようと、必ず見つけ出す。必ず捕まえる。必ず抱き締める。

 車に飛び込む。

 エンジンをかけるのと同時に、携帯を取り出す。

 

「あ、アオイ? アタシだ。ユキがやらかした。……うん……うん……分かってる。アタシは冷静だ。手伝って……うん……悪い、恩に着る」

 

 アクセルを踏み込むカオルは、持てる力の全てを使って、たった一人を見付けることに尽力する。

 また電話を掛ける。

 

「アタシだ。ユキ……御影が迷子になった。探すの手伝え。見付け次第、速攻アタシに連絡しろ。これ他のヤツにも回して――」

 

 後輩たちにも声を掛ける。

 姉御肌のカオルを慕う後輩は多い。力の全てを使って大魔王を詰める。ここに至って、カオルは現実的だ。己の力を過信しない。

 思い出したように、付け加えた。

 

「葛城には連絡すんな。アイツはユダの匂いがする」

 

 油断なし。

 ここに至り、思考はスッキリと冴えている。葛城瞳子は最初から怪しかった。確証はないが、恐らく大丈夫という楽観的な考えはしない。万全で総力戦に臨む。羽虫は後で追えばいい。

 

「自転車(チャリ)だから、そんなに行動範囲は広くねえよ。近場はアタシが探すから、街の辺り頼むわ。……ああ、うん……あそこのカラオケボックスは――」

 

 カオルと悠希の鬼ごっこが始まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第48話

 ぼくがボクになる。

 ミカゲ ユウキという名の、怪物になる。

 強くてかっこいいシュウへの憧れも、優しいカオルへの甘えも全て踏みつける。

 

 携帯電話の向こうから、皆川の嗚咽に震える声が聞こえて来る。

 

『奴隷でも何でもする……! するからぁ、だずげでぇ……』

 

 皆川の『よくない』知り合い全員が避けて通った案件。

 ぼくは、ボクになる。

 これから、少しだけ危険を犯して皆川を助けに行く。

 

「皆川、今、何処にいるの?」

 

 少しだけ、立場を不味くして、皆川を助けに行く。

 

『前に会ったカラオケボックス! 早く、早く……!』

 

「慌てないで」

 

 ここで焦って飛び出すほど、ボクは馬鹿じゃない。幾つか確認しておくことがある。

 

「言っとくけど、ボク、弱いよ?」

 

 ボクの身長は正確に言えば147cm 。体重は41kg 。左手は痛めてしまっていて、握力は12キロほどしかない。運動能力で言えば、皆川の方が随分上だと思う。実力行使の状態では殆ど役に立たない。居ない方がいいくらいだ。

 

『そんなんじゃない! 違うからぁ!!』

 

 焦る皆川は無視。

 

「そこに何人いるの?」

 

『あたし入れて二人だけ! 早く早く、もう……!』

 

 皆川の返答に淀みはなかった。嘘は吐かれていないように思う。

 場所は前のカラオケボックス。皆川の他に、あと一人。暴力沙汰じゃない……。

 

「OK、今から行く」

 

◇◇

 

 

 結局、ぼくはぼくの中のボクのことを勘違いしていた。

 ぼくの中の『ボク』を、強くて残酷な怪物だと買い被っていた。ソイツが厄介な問題を片付けてくれると思い違いしていた。

 このときのぼくは酷く混乱していて、皆川を何とかしてしまうことで、他の何かに生まれ変われるように、勘違いしていた。

 

 

 ……皆川は本物のパッパラパーで、ぼくは行くべきじゃなかったんだ。

 

 

◇◇

 

 早足で歩く。

 時刻は深夜の12時を回っている。幼い見てくれのボクは補導される危険がある。

 駅の駐輪場で自転車に乗ってからは大通りを避け、この前、トウコが使った狭い路地を行く。

 

 赤や青のネオンが煌めく街を抜けて行く。

 夜の街は、昼とは別の顔をしていて、何だか蠱惑的。けばけばしく飾り立てた女の人や、一癖も二癖もありそうな陰のある男たち。それらの視線を躱して目的地に急ぐ。

 

 国道から少し離れたカラオケボックスに着いた。

 トウコ曰く、危険な場所。

 悪たれどもの吹き溜まり。

 辺りは閑散としていて、稼働しているキャンピングカーは5台だけ。

 

 何故か、背筋がビリビリした。

 よくない予感がする。

 でも、ぼくはカオルに追われていて、何処かに進まなきゃならない。

 敷地外の路地に自転車を乗り捨て、皆川が居る筈の11号車に急いだ。

 

 扉が僅かに開いていて、室内から蛍光灯の明かりが洩れ出している。

 耳を澄ます。

 

「さ……! しっかり……」

 

 皆川の声。

 さっき携帯で話したときのまま、逼迫した様子。歌ってはいない。呼吸が荒れていて、泣いているのか、鼻を啜る音も聞こえる。

 扉を開けた。

 

「皆川……?」

 

 暗い夜道を来たせいか、蛍光灯の光が目に滲みた。同時に鼻を衝いた異臭に、うっと退けぞる。

 

(この匂いは……)

 

「――御影!?」

 

 気配を敏感に察知した皆川が狭い室内を駆けて来て、ぼくに抱き付いた。

 

「御影、御影、御影、御影!」

 

 皆川はボロボロに泣いていて、抱き締めたぼくの額に沢山のキスの雨を降らせた。

 石鹸の匂い。

 皆川は、ちゃんと家に帰ったのだろう。腰に手を回しながら、そんなことを考える。

 

「皆川……」

 

 顔を上げて、キスを降らせて来る皆川と唇を合わせた。

 理由はなかった。

 キスは相変わらず嫌いだけど、今はこうした方がいいと思っただけ。

 舌を絡めると、皆川は何かから逃避するかのように、夢中でキスに応えた。

 離れる。

 

「ほら、涙拭いて」

 

 親指の腹で擦るようにして、皆川の涙を拭ってやる。

 今は泣き顔だけど、蓮っ葉な化粧で飾らなければ、元がいいだけに美人。瞳は大きくて、形のいい唇は色っぽく見える。

 

 ぼくが少し笑みを浮かべて見せると、皆川もぎこちなく笑みを浮かべて見せた。

 

「みかげぇ……」

 

 皆川の大きめの瞳から、ポロっと涙が伝う。キスで落ち着いたのか、深い溜め息を吐き出した。

 

 そして、一拍の間を置いて――泣き腫らした目を『それ』に向けた。

 

「……?」

 

 ゆっくりと皆川の視線を追うと、ソファの陰に女の子の脚が覗いているのが見えた。

 ぼくの位置からは角度が悪く、床に寝そべるように投げ出された脚しか見えない。倒れているということだけしか確認できない。

 

 瞬間、ギクッとした。

 

 ヤバい。緊急事態。

 

「皆川、退いて!」

 

 パッパラパーの皆川優樹菜を押し退けて、室内に駆け込んだ。

 そして――

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 ぼくは、開いた口が塞がらず、額から大量の汗を流した。

 

「……霧島」

 

 霧島沙織。

 援交をやってる女の子。皆川とセットの『危険なルート』。ぼくは彼女と知り合いになる予定だった。

 皆川が泣きながら、ぼくのシャツを引っ張った。

 

「気絶してるだけだよね? そうだよね!?」

 

「……」

 

 霧島沙織は、うっすらと瞳を開けた表情で僅かに微笑んでいる。顔色は青白く、口元から噴き出した泡に血液が混じりピンク色になっていた。

 

 辺りは吐瀉物と糞尿が散乱していて、酷い有り様だ。

 霧島沙織はその中で全裸で膣に歌唱マイクを突き立て、大の字になって倒れ込んでいる。

 

「……」

 

 ぼくは息を飲む。

 見る限り、霧島は眠っているようにも休んでいるようにも見えない。青白い顔色から、凡そ生気というものが感じられないのが気にかかる。

 

 死んでいるように見えた。

 

 ソファの上に登り、飛び散った吐瀉物や糞尿を避けて霧島の側に歩み寄る。

 胸が上下してない。つまり呼吸していない。やはり投げ出された腕を取って、脈拍を調べる。

 

「…………」

 

 ぼくは医者じゃない。でも、はっきりと理解した。

 

 霧島沙織は――

 

 疑いの余地なく、死んでいた。

 

 

◇◇

◇◇

 

 霧島沙織が死んでいる。

 

 白目を剥き、自ら垂れ流したであろう様々な汚液の中に倒れ伏し、膣に歌唱マイクを突っ込んで、これ以上ないくらい無様に死んでいる。

 

「……」

 

 畜生だってこんなに無様な死に様は晒さない。本人にとってはさぞ不本意な死であることは間違いない。

 

 僅かに笑み、うっすら開いた霧島の白目が堪らなく不気味だった。

 

 漫画や映画で、主人公が死者の瞳を閉じさせるシーンがあったのを思い出し、ぼくは霧島の瞼に触れる。

 

「……!」

 

 手のひらに、未だ残る霧島の温もりが伝わって来て、腰が抜けそうになった。

 

 霧島の身体は硬直が始まっているようで、漫画の主人公みたいに上手く行かなかった。

 霧島は、頑なに白目で微笑んだままでいる。

 

「…………」

 

 冷たい汗が止まらない。

 

 そこにあるのは、紛れもない『死』だった。

 

 喉元まで胃液が込み上げ、ぼくは吐きそうになった。

 瞬間、思い出したのは父さんのこと。

 

 

 ――俺の息子だ!

 

 ――俺の息子なんだぞ!!

 

 

 父さんを悲しませたくない。失望させたくない。そんなことになるくらいなら、舌を噛んで死んだ方がましだ。

 この件を騒ぎにする訳にはいかない。吐いてる場合じゃない。

 込み上げた吐瀉物を飲み下し、額に浮かんだ粘つく汗を袖で拭った。

 深呼吸して、それから言った。

 

「皆川、逃げるよ」

 

「……え?」

 

 皆川は泣き腫らした目で、ぼくを見詰め、それから悲惨な死に様を晒し続ける霧島に視線を向けた。

 納得できない、そんな表情。

 ぼくは言った。

 

「霧島なら、死んでる」

「……ぇ?」

 

 皆川は絶句して、半目で笑う霧島を見詰めた。

 

「瞳孔は開いたままだし、脈も止まってる。もう死後硬直が始まってるよ」

「……」

 

 ぼくは霧島の口元を指した。

 

「心臓マッサージしたでしょ? 肋骨が折れて内臓を傷付けてるみたい」

 

 霧島の口元に付着した泡に血液が混じり、ピンク色になっている。そして僅かに陥没して見える左胸。必死で処置に当たったのだろうけど……

 

 ぼくは首を振った。

 

 お手軽な救命方法のように思われがちな『心臓マッサージ』だが、熟練の救急員でも対象の肋骨を折ることがあるくらいには、心臓マッサージは『難しい』。

 『心臓マッサージ』という救命法には結果責任が伴う。この国の法律では、特定の資格を取得した者にしか許可されてない。保健体育の授業では、なるべくやらない方がいいと指導された。

 ぼくは医者じゃないから、霧島の死因のはっきりしたことは分からない。目に見える状況から推測しているだけだ。

 

「……!」

 

 ぼくの言葉に、皆川の肩がブルッと震えた。

 

「それじゃ沙織は……あたしが……」

「……」

 

 ぼくは答えなかった。

 霧島の身に緊急性を伴う事態が起こった。そして皆川の取った処置が決定打になった可能性はある。

 

 皆川の手首を掴んだ。

 

「逃げるよ」

「……」

 

 皆川は黙って霧島の方を見詰め続ける。見開かれたままの瞳から流れる涙が止まり、徐々に光が消えて行く。やがて――

 皆川は、小さく頷いた。

 

◇◇

◇◇

 

 呆然自失の状態に陥った皆川を車外に連れ出す。

 

 ぼくは犯罪を犯していない。皆川にしても善意の行動であり、最悪の事態になったとしても大きな罪に問われることはない……と思う。

 警察に通報するという選択肢もあるが、それはやらない。

 騒ぎになれば、ぼくも確実に事情聴取を受ける。そうなれば、罪に問われることはなくても、大学受験に大きな影響を与える可能性がある。

 それに、こんなことを父さんに知られたくない。警察に通報するという判断は論外だ。

 

 皆川は酷い様子だ。

 衣服は霧島の排泄物で汚れ、何一つ喋ろうとせず、視線はあらぬ方に向いている。

 

 これからどうする?

 

 どうやって、皆川を助ける?

 

 自問自答を繰り返しながら、深呼吸する。

 

 落ち着け。

 ぼくは悪いことは何もしていない。ここから去るだけだ。

 

 何処かで落ち着いて、皆川から前後の事情を聞く必要がある。汚れた格好もなんとかしなければならない。

 

「皆川、移動するよ。落ち着ける場所ない?」

「……」

 

 皆川は俯いて、さっきから瞬き一つしない。

 知り合いを手に掛けたかも知れない。その心境は伺い知れない。

 ぼくは、なるべく優しく言った。

 

「皆川、大丈夫だよ。ぼくが助けるからね」

「……」

 

 俯き、下がったままだった皆川の虚ろな視線が、ぼくの方に向いた。

 

「……みかげぇ……」

 

 表情が、くしゃくしゃと引き歪み、皆川は大粒の涙を流した。

 ぼくは力強く頷いて見せた。

 

「さ、行くよ」

 

 この件に巻き込まれた以上、ぼくと皆川は一蓮托生の関係になった。なってしまった。

 

 OK、やることは何も変わらない。

 

 皆川を掌握して、完全に支配する。この一件を完璧に封殺してしまうには必要なことだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第49話

 泣きじゃくる皆川の手を引いて車道に出た。

 

 ぼくは、霧島と仲が良かった訳じゃない。生温い夏の夜気に触れると、気分だけはいやに落ち着いた。

 

 ぼくはカオルに追われている。物陰に隠れて、自転車を乗り捨てた路地に視線を飛ばす――

 

「あたしが、やっちゃったのかなぁ……」

 

 嫌な予感がする。

 ぼくとカオルの鬼ごっこは、始まった瞬間から既にぼくが負けている。いずれ捕まることは避けられない。

 カオルは馬鹿だけど、意外と鼻が利く。霧島の件は、早晩知れ渡ることになるだろうし、ぼくと皆川が一緒にいる現場を見れば、何か感付くかもしれない。今、カオルに捕まると厄介なことになりそうだ。

 

「御影は、あたしと一緒に居てくれるんだよね……?」

 

 不安に眉を下げ、ぼくと合わせた手の力を強くする皆川には頷いておく。

 頭が、ずきずきと熱を持って痛んだ。

 

「皆川は、カオルと仲がいいの?」

 

「――!」

 

 ぼくはカオルに追われている。だから、カオルと皆川の接点を知りたかったのだけど――

 瞬間、皆川は眦をつり上げて豹変した。

 

「……なんで、今、新城なんだよ……!」

 

「……っ」

 

 その変化に驚いて、ぼくは一瞬、怯んでしまう。

 皆川が叫ぶように言った。

 

「御影は、あたしのためにここに居るんだろ!? それがなんで新城の話になるんだよ!!」

 

 ついさっきまで呆然自失だった皆川と、今の皆川が同じ女の子とは思えない。

 ぼくの肩を掴み、怒りに満ちた目でぼくの瞳を覗き込んで来る。

 

「奴隷になれって言ったよな!」

 

 頭が、ずきずきと痛んだ。何かが、ぼくの思惑とは違う方向へ進んでいるような気がする。

 皆川の頬に、新しい涙が伝う。

 

「あたし、ちゃんとなるって、言ったじゃん……!」

「……」

 

 なんだそれ……。

 まるで、皆川は、進んでぼくの奴隷になろうとしているような……。

 

「落ち着ける場所……ラブホでもいいよね」

 

 皆川は勝手なことを言って、ぼくの手を引っ張って先を歩き出した。

 

 ぼくの中のボクは意気消沈。

 頭の中では、霧島が白目で笑っている。げんなりした。

 都合のいい怪物は、ぼくの中に存在せず、皆川に手を引かれて暗がりの路地を進むぼくがいる。

 

 自転車……父さんが買ってくれた、ぼくのマウンテンバイク……一応、鍵は掛けてあるけど……。

 

 そこから少し歩いた。

 皆川は土地勘があるのか、その足取りに淀みはなかった。

 大きな国道は避け、狭い路地を行くと、暗がりの中にポツンと白く光る看板があった。

 皆川が怒ったように言った。

 

「チェックインする、よね……?」

「あ、うん……」

 

 ぼくに逃げる場所なんてない。観念して頷いた。

 

 ラブホテルに入るのは、これが二度目。まさか、皆川と来ることになるとは思わなかったけれど。

 入口近くのエントランスにタッチパネルがあって、それで部屋を選ぶ方式。

 皆川はここでも淀みなく、一番安い部屋を選んだ。

 時刻は深夜の2時。通路に人影はない。階段は屋外に付いていて、見通しがいい。

 裏手は山になっていて、雑木林の向こうから小川のせせらぎなんか聞こえて来る。ここは、隠れ家的なものを売りにするラブホテルなんだろう。

 早足で進む。

 ぼくは少しビビっているのに、何故か堂々とした様子の皆川がちょっとムカついた。

 

◇◇

◇◇

 

 金属の重苦しい扉を閉める。

 皆川は緊張していたのか、大きな溜め息を吐き出した。

 

「…………」

 

 沈黙。

 

 ゆっくり部屋を見たいところだったけど、この時はそんな気分になれなかった。

 室内は薄いオレンジの明かりが照らしていて、肌寒いくらい。入室前からエアコンが効いている。

 皆川が、疲れたように言った。

 

「これからどうすんの……?」

 

 ちょっと、ボーッとしていた。ハッとして、ぼくは頷いた。

 

「服、脱いで」

「ぇ、マジで?」

 

 一瞬、皆川は目を見開き、それからカッと赤面した。

 

「あ、いや、うん! そうだね! 先ずは誓いのアレだよね! 分かってる分かってる!!」

 

 ぼくは、全ぼくを代表して、耳に手を当てて言った。

 

「は?」

 

 皆川がパッパラパーと呼ばれる訳がよく分かった気がした。減点5万点。

 

「ねえ、皆川。今、自分がどんな格好か分かってる?」

「え?」

 

 そこで皆川は、霧島の垂れ流した汚液にまみれた衣服のことに気が付いたようだった。

 それだけ張り詰めていたということなんだろうけど、抜けていたみたいだった。

 

「……」

 

 皆川の顔色は青くなり、それから真っ赤になった。

 

「……んなの、コレ。きったねー……!」

 

 眉間に嫌悪の皺を刻み、皆川は吐き捨てた。

 

「くそ……! 畜生!!」

 

 白髪を掻き回し、剥ぎ取るように衣服を脱ぎ捨てた皆川はパンティ一枚の姿になった。

 ブラは着けてない。

 

「なんであたしがこんな目に……!」

 

 眦に涙を溜めた皆川は、頻りに呪詛の言葉を吐き出して、恐らくは霧島のことを罵っていた。

 

 混乱、それから強い怒り。

 ぼくは、霧島と皆川の詳しい関係は知らないけれど、皆川には親友が死んだことで哀しんでいる様子はなかった。

 

 ……仮に、友情というものをポイント化できたとして。

 霧島は、今回のことでそのポイントを使いきってしまったんだと思った。

 

 ぼくは怒りに震える皆川にバスローブを羽織らせ、ベッドに座らせた。

 

「少し落ち着こう。服、洗って来るから皆川は休んでて」

「ちくしょう……ちくしょう……!」

 

◇◇

 

 浴室で、汚れた皆川の衣服を洗う。

 最悪の気分。

 恐らく皆川はこの服を捨ててしまうだろうけど、今はこうしなきゃならない。

 吐瀉物の粘り。糞便の臭い、色。霧島が皆川に残した最期の生の証。

 そんなものを全て洗い流した頃、バスローブ一枚の皆川がやって来た。

 

「ありがと。大分、落ち着いた……」

 

 ぼくは頷いておいて、固く絞った皆川の衣服を持ってリビングに移動した。

 皆川は所在なさそうに、ぼくの後に付いて来る。

 

「御影、その……シャワー浴びたい……」

「うん、浴びなよ」

 

 エアコンの風が当たる場所に椅子を置き、皆川が着ていた薄手のブラウスと短パンを干しておく。

 皆川は浴室に行かず、ぼくの肩にソッと手を置いた。

 

「その……御影も汚れたんじゃね?」

「そうだね。汚れたね」

 

 ぼくは、お人好しの善人じゃない。霧島が死んだのはショックだけど、それだけだ。悲しんだり、悔やんだりするほどの思い入れはない。

 皆川に軽く答えた後、冷蔵庫からペットボトルのジュースを取り出して中身を煽る。

 

「あっ、あたしも飲みたい……」

 

 ペットボトルを渡すと、皆川は飲み口にチラリと視線をやった後、同じように中身を煽った。

 それを横目に、ぼくはソファに腰掛けた。

 目の前のテーブルに置いてあったインフォメーションの冊子を手に取って目を通す。

 

「あの、その……」

 

 皆川は何か言いたいみたい。ペットボトルを片手に、何か考え込む様子だった。

 皆川に視線を向ける。

 

「御影も一緒にシャワー浴びない? あ、ホラ、あたし綺麗に洗ったげるし……」

 

 皆川は眦を下げ、困った表情でぼくを見つめている。

 

「ん……」

 

 目の端に、ソファに投げ出された皆川のパンティが映った。クロッチの部分は少し濡れていて――

 

「いいけど、先に舐めてくれる?」

 

 試しにぼくが言うと、皆川はホッとしたように笑みを浮かべた。

 

「うん、分かった」

 

 漸く慣れたペースに戻った。そんな考えが透けて見えそうな媚びた笑みを浮かべ、皆川がすり寄って来る。

 

 ……多分、皆川は身体目当ての男としか関係を持ったことがない。だから、こんなやり方しか分からない。

 ぼくは呆れて言った。

 

「皆川、エッチしたいの?」

 

「あ、うん。分かる? エヘヘ……」

 

「…………」

 

 ぼくは、なんだか少し疲れてしまった。

 言った。

 

 

「ねえ、霧島、超死んでたよね? ついさっきの話だよ。それなのに、もう盛ってるの? 皆川は頭おかしい」

 

 

 この夜は少し長すぎる。

 

 ホント、疲れる。そんだけ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第50話

 頭の芯が、ずきずきと痛んだ。

 

「皆川と霧島は、いつも一緒に行動していたよね。仲が良かったんじゃなかったの?」

 

「……」

 

 皆川は唇を尖らせ、そっぽを向いた。

 その表情には、あからさまな不満の色が浮かんでいる。

 そっぽに視線を向けたまま、呟いた。

 

「……沙織は、あれでよかったんだよ」

 

「なんだって?」

 

 ぼくは霧島のことはよく知らないし、大して仲が良かった訳でもない。

 でも、人が一人死んだ。死んでしまった。その事に関しては強い衝撃を受けた。

 父さんは言っていた。

 命は、誰のものも尊い。蔑ろにしてはならないものだと。人として生きる以上、それが普遍的な価値観の一つだとも。

 ぼくは、本格的にムカついた。

 

「よかっただって? 皆川、もう一遍、言ってみな!!」

 

 命に最低限度の敬意を払えない者を、ぼくは認めない。

 

「あっ……」

 

 ぼくの剣幕に、皆川は一瞬驚き、少し怯えたように一歩引き下がった。でも、過ちを認め、謝る言葉もなければ、霧島の死を悼む様子もない。

 

 ぼくは思い切り鼻を鳴らした。

 

 皆川は泣き出しそうな顔で俯き、ぽつぽつと前後の事情を話し出した。

 

◇◇

◇◇

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

 その後の皆川の話で、詳しい前後の状況が見えてきた。

 

「……あの金髪の娘か」

「うん……」

 

 ドラッグ、キメセク、乱交……。皆川の口を衝くのは、ぼくにとって聞き慣れない単語ばかり。

 

「あたしが行ったとき……沙織は、何て言うか……もう、終わっちゃってた……」

 

「……」

 

「おまんこ、おまんこ叫んで……マイク、あそこに突っ込んで、気持ちいいって……」

 

 聞いているだけで、耳が腐りそうな話だった。

 居たたまれなくなって、ぼくは首を振った。

 

「あの娘に関わるなって言ったよね……」

 

 皆川は俯いたまま、小さく頷いた。

 

「……関わらなかったから、今こうしていられるんだ……」

 

「……?」

 

 それは、ちょっと分からない。皆川の内面的な部分での述懐だろうか。

 

「あたし、馬鹿じゃん? 御影の言ったこと無視してたら、きっとアソコでマイク突っ込んで死んでたの、あたしだったと思うんだよね……」

 

 皆川が顔を上げた。

 

「ここに沙織がいても、おかしくなかったんだ」

 

「……」

 

「沙織は終わっちゃってて、もうどうしようもなかった。立場が逆だったら、あたしはアソコでの死を受け入れる」

 

 ハッキリとした口調。

 霧島の死に対する責任や、後悔なんかは感じていないようだった。

 

「……」

 

 沈黙。

 ぼくと皆川は、暫し見つめ合う。

 

「沙織は、あたしのこと売ったり、盗みやらせたり、とんでもないヤツだった。清々すると迄は言わないけど、あたしはやれることをやったし、悪いことをしたとは思わない」

 

 つまり……皆川は、霧島に色々と貸していた。そういうことが言いたいみたい。

 

 ぶっちゃけ、皆川の苦労話には興味ない。

 

 バスローブ一枚の皆川は、その場に正座して、ぼくを見上げた。

 言った。

 

「あたし、すごく馬鹿で、引っ張ってくれるちゃんとした人が必要なんだ」

 

「……」

 

 皆川は手を着き、頭を床に押し付けた。

 

「あたしからもお願いします。奴隷にして下さい」

 

 これは、好都合なんだろうか……。

 自分で奴隷になれって言っておいて何だけど、ちょっぴり、というか、かなりどん引いている。

 皆川は、ぼくに期待しているみたいだけど、なんでそうなのか分からない。

 ちゃんとしているから?

 売りをやってるぼくが?

 少し考えてみるけど駄目だ、やっぱり分からない。

 女の子たちは、いつもぼくの想像の斜め上に行っている。

 皆川は言った。

 

「あたし、これまでは流されて生きて来て、納得できないことばっかりで……」

 

 それは、独白の響きを帯びていて――

 

「でも、これは納得できる。沙織のヤツが居なくなって、御影があたしを助けに来たのは、きっと運命みたいなものなんだと思った」

 

「そう……」

 

 皆川優樹菜は歪んでいる。

 

 行動の指針がない。意思が弱く、考えも足らない。一人じゃ何もできない。毒にも薬にもならないタイプ。

 だから先導する誰かの存在を必要としている。その役割を、これまでは霧島がやっていて、これからはぼくになるというお話。

 

 この娘と秘密を共有することはリスキーだ。大きな弱みを抱えることになる。

 ぼくの中の何かが強い危険警報を打ち鳴らすけど――

 

 ――ぼくに選択の余地なんてない。

 

 今は、このおかしな流れに乗って、皆川を掌握する他に道はない。この娘を『ぼく』で塗り潰し、『ぼく』という絶対の価値観を植え付ける。

 

 ――支配して、利用する。

 

 ダブルサイズの大きなベッドに腰掛けたぼくの目の前で、バスローブ一枚の皆川がひれ伏して、ぼくの返事を待っているという狂った状況。

 霧島を失った皆川は、新しい指針を必要としている。

 ぼくは、ひれ伏した皆川の後頭部を踏む形で、軽く足を置いた。

 

「……ユキナ、ぼくがご主人さまになってあげる」

 

「……!」

 

 不意に――

 城下の盟(めい)という言葉が頭に浮かんだ。

 相手に屈辱的な内容の降伏条件を受け入れさせるという意味。

 でも皆川は、皆川優樹菜は――

 ユキナは少し震え、顔を上げた。

 その表情は嬉しそうに口元が緩んでいて――

 

 ぼくは軽い吐き気を催した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第51話

 ぼくの足にすがり付くユキナが、うっとりとして呟いた。

 

「あたし、なんだってするから……」

 

 ぼくは恍惚とするユキナの髪を撫でながら、小さく頷いた。

 ユキナが囁く。

 

「とりあえず、これからどうしたらいい……?」

「そうだね……」

 

 それに関しては、幾つかの危険に対する方策、指針を定めなければならない。

 まず、一番大事な指針を定める。

 

「ユキナは、ぼくを守って。ぼくはユキナを守るから」

 

「……!」

 

 ぼくの言葉に、ユキナはビクンと震え、目を見開いた。

 

「それから、二人の間に嘘や誤魔化しはナシ。お互い、最初は難しいだろうけど努力して」

 

「……」

 

 瞬きすらせず、ユキナは、じっとぼくを見つめたままで頷いた。

 

「先ずはそこからだね」

 

 もう少し、皆川優樹菜という人間を知りたい。そして、ぼくという『人間』を理解させなければならない。その為に――

 

「ユキナ、一緒にお風呂に入ろうか」

 

「……」

 

 ここでユキナは、漸く瞬きをした。

 なんでそうなるのか、まるで分かってないみたいだけど、そんなに難しい話じゃなくて。

 

「ユキナ、行くよ」

 

 先ずは、裸の付き合い。

 お互いを理解する上で、そんなに珍しい話でもないように思う。

 

◇◇

 

 脱衣場でシャツのボタンを外し、脱ぎ捨てる。

 ぼくという人間を教えるのには、これが一番手っ取り早い。

 

「なっ……!!」

 

 ユキナは驚いたのか絶句して、一度、目を擦ってから、ぼくの傷だらけの身体を見つめた。

 見られるのは、はっきり言って嫌だったけど、嘘や誤魔化しはナシと決めたのはぼくだ。その約定を自ら違えるのはよくない。

 

「これ、って……」

 

 ユキナは緊張からか喉を鳴らし、眉根を寄せた険しい表情でぼくを見つめ続ける。

 

「小さい頃、お母さんに虐待されてたんだ」

「……」

 

 ユキナは、やたら真剣な表情で頷いた。

 その表情はパッパラパー子らしくない。口を噤み、ぼくの話の続きを待っている。

 

 お互いの為に必要なことと割り切って話を続けた。

 

 それからぼくは、幾つかの事情をかいつまんで話した。

 

 虐待に遭い、半死半生の状況でいるところを父さんに助けられたこと。今は進学の為に、お金が必要なこと。

 取り乱さずに冷静で居られるのは、深山やシュウとの経緯が原因だろう。話すのは、今日はこれが二回目。

 

「……」

 

 ユキナは雨に打たれた子犬みたいに項垂れて、それでも上目使いの視線の中にぼくを捉えている。

 

「……それじゃ、御影は、お父さんのために……?」

 

 それは、意外な人物からの意外な質問だった。

 

「……あ、いや。それはどうだろうね……」

 

 ぼくは少し考え込むことになった。

 

「……?」

 

「父さんは、ぼくのやり方は好まないだろうし、知られたら傷付けることになると思う。これは、ぼくの独善なのかも……」

 

 ユキナに問題提起されるとは思わなかった。改めて考えると心が波打つ。

 それでも――

 

「ぼくはやるんだ」

 

「……!」

 

 ユキナの表情が、くしゃりと苦しそうに歪んだ。

 

「……そんなんで、幸せになれるワケないじゃん……!」

 

「……? 幸せ? ごめん、それはよくわからない」

 

 ぼくが首を傾げて見せると、見る見るうちにユキナの瞳に涙が浮かんだ。

 

「……ばかっ」

 

 ユキナの震える手が伸びて来て、優しくぼくを引き寄せる。

 女の子たちは、不思議。

 

「あんた、馬鹿だよ……」

 

 ぼくを抱き締め、耳元で掠れた声で囁くユキナの声を聞いている。

 

「そんなんじゃ、誰も幸せになんかなりゃしない……」

 

 ユキナの頬に、大粒の涙が伝う。

 

「守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る……」

 

 女の子たちは不思議な力を持っていて、本気になったとき豹変する。

 

 カオルは優しくて、シュウは怖くて、トウコは健気で、深山は激しくて。

 皆川優樹菜が変わる。

 ぼくの為に、流れた涙の価値は……

 負債がまた増える。

 

◇◇

◇◇

 

 安いラブホテルの一室。

 こじんまりとした浴室で、ユキナに身体を洗われている。

 

「ごめんね……無理させちゃったね……」

 

 労るように呟いたユキナの手つきは、シュウよりもやわらか。

 でも、元が馬鹿だから――

 

「腋毛、生えないんだ……」

 

 とか、

 

「ちんちんはフツーだね」

 

 とか、余計なことを言って来る。

 そんなユキナのおっぱいは、形のいいお椀型。ちっぱい。サイズはBとみた。

 ちょっぴり濃い目の陰毛は、キチンと整えられていて逆三角形。粘りのある透明な液体が腿の辺りまで垂れ下がっている。

 

「次、ちんちん洗うね? ごめんね? ごめんね?」

「……」

 

 ぼくはもう、シュウに二回も搾り取られてる。ユキナの思惑通り、こうして一緒に入浴しているからといっても、その後も思い通りという訳にはならない。

 絶賛、賢者タイム中。

 ボディソープで泡立ったユキナの手が、ぼくのぺニスを優しく執拗に撫で回し、カリ首を擽るように洗い流す。

 

「あ……」

 

 がっかりしたように、ユキナは溜め息を吐き出した。

 

「……ユキナ、そんなにしたいの?」

「うん。御影だから、すごくシたい」

 

 ユキナの中で、ぼくはどういう位置付けなんだろう。性欲の対象にはなっているようだけど、ご主人さまではない。

 

「……頑張れば、一回くらいは出来るかも……」

 

 ユキナは繋がりを欲している。一蓮托生の関係になった以上、当然のことで、ぼくはそれに応える義務がある。

 そんな思いから出た言葉に、

 

「頑張ればって……」

 

 ユキナは絶句して、怒ったような険しい表情になった。

 

「今日は、あたしが始めてじゃないんだ」

 

 日付は替わり、今日はまだ誰ともしていないんだけど、ユキナが気にしているのはそういう屁理屈じゃないくらいは、ぼくにも分かる。揚げ足をとるのは止めておく。

 

「新城……?」

 

 心底嫌そうに、ユキナは鼻面に皺を寄せた。

 ぼくは首を振った。

 

「いや、カオルじゃないよ」

「は……? じゃ、誰と……」

「シュウだけど……」

 

 嘘は吐かない約束。

 ユキナは半分口を開いて、少しぼんやりした表情になった。

 

「……シュウって、誰?」

「ああ、そっか……」

 

 彼女……秋月蛍を『シュウ』なんて愛称で呼ぶのはぼくだけだったことを思い出した。

 

「秋月(あきつき) 蛍(けい)」

「……ああ、剣道部の……そういやアイツって、御影にハマってたね。そっか……意外、でもないか……」

 

 ぼんやりした表情で独り言のように呟くユキナを見て、ぼくは何だかとんでもないヘマをやらかした気分になった。

 ユキナが言った。

 

「売ったの? クンニした? ナマ? まさかとは思うけど膣で出した?」

 

 その声は尖っていて、ぼくは胸の辺りがハタハタした。

 嘘は吐かない。

 秘密が多い方が損する約束だ。ぼくは少し泣きたくなった。

 ユキナは顔を背け、押し留めるように手のひらを突き出した。

 

「やっぱ答えないで。御影はしっかりしてるし、そういうのは抜かりないよね」

 

 よかった。

 よくわかったね、と言わずに済む。嘘を吐かないで済んだ。

 そして、もう一度こちらに振り向いたユキナは、真剣な表情。

 

「あたしの方が、ダンゼンいいよ」

 

 張り合うように言った。

 

「シよう」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第52話

 ユキナの身体を洗う。

 すっきりとした首、なめらかな背筋。控えめなおっぱいの順に洗い流して行く。

 乳首はツンと尖っていて、膝立ちの姿勢になっているぼくの方に向いている。

 ユキナの視線は、しっとりと濡れていて、ボディソープで泡立ったぼくの手先を追っていた。

 細い肩を撫でるように洗い、続いて脇の下に進むと、ユキナは身じろぎした。

 

「ごめんね、擽ったかったね」

 

 皆川優樹菜は、ぼくの所持品になった。大事に扱うのは当然のこと。

 

「……」

 

 ユキナの眦が下がった。

 何も言わないけど、ぼくのやり方が何かの琴線に触れたようだ。悩ましげに溜め息を吐き出し、少し嬉しそうに見えた。

 

「脚、開いてくれる?」

「……ん」

 

 ユキナは熱っぽい視線をぼくに向けたまま、羞(は)じらう様子は見せず、素直に脚を開いた。

 ちょっと濃い目の陰毛は、ねっとりとした体液に濡れていて陰唇が膨れ上がっている。

 敏感な部位。

 洗剤が膣(なか)に入ってしまわないよう、ここは素手で洗い浄める。大切なこと。

 指先で襞を捲り、お湯で流しながら愛液の滑りを落とす。

 

「は……ぁ、ん」

 

 ユキナが鼻に掛かった声を上げた。

 膣に中指を挿入すると、何の抵抗もなく、するりと根元まで呑み込まれた。

 粘りの強い愛液。

 ユキナの吐き出した息は震えていて、眦の下がった大きな瞳は、今にも泣き出しそうに潤んでいた。

 この滑りは取れそうにない。

 膣から指を抜き、熱めのシャワーでユキナの身体を洗い流す。

 

「ベッドに行こうよ」

「……ぅん」

 

 どうせもう一度入ることになる。湯船のお湯は抜かなかった。

 

◇◇

 

 身体を拭くのもそこそこに、ぼくらはベッドに向かった。

 ユキナは酷く興奮していて、すぐさまぼくの股間に顔を埋め、フェラを始めた。

 

「んくっ……ん、ん……」

 

 喉の奥深くまで呑み込まれ、思わずぼくは呻きそうになった。

 言うだけあって、確かに巧い。

 ぼくのは、そんなに大きい方じゃないけど、皆、根元までは呑み込めなかった。

 ビッチをやるようになって、色々あったけど、これは初めて。ディープスロートってやつ。

 

「んんっ……ちゅ……」

 

 慣れてる。どうすれば男が歓ぶか分かっている。右手で袋を揉みながら、深くまで咥え込み、喉と舌でぺニスを扱いて来る。快感に背筋まで痺れるような感じがした。

 

「ぅ……ありがと、ユキナ……」

 

 呆気なく、ぼくは臨戦態勢になり、長いストロークのフェラを続けるユキナの白髪を撫でた。

 

 ユキナはえづきながら、それでも嬉しそうにフェラを続ける。

 カリ首に舌を絡め、竿を唾液まみれにして、ぐちゃぐちゃと音を立てて扱き上げながらも空いた方の手で自分の股間を弄っている。

 

「ユキナ、もういいよ……」

 

 ぼくは、一つ溜め息を吐き出した。

 

「んふ……」

 

 笑みを浮かべて頷き、ユキナが顔を上げると、厚めの唇とぺニスとの間に銀の糸が伝って落ちる。

 指先で口元を拭うユキナを引き寄せ、キスしようとする――

 

「……んっ」

 

 ユキナは、ちょっと悲しそうな表情で身を捩った。

 

「フェラの後だから――」

 

 構わず口付ける。

 身体を洗った直後だし、ぼくのだ。気にならない訳じゃないけど、汚いとまでは思わない。

 

「んっ――!」

 

 舌を絡め、唾液を送り込んで、驚きに目を見張るユキナと体液を交換する。

 エッチには不思議な魔力があって、二人の距離を近くする。今は必要なこと。

 

「んんっ!」

 

 呆気なく――ユキナが魔法に掛かった。

 とろりと視線が蕩け、鼻に掛かる息には熱が籠る。繰り返し喉が鳴って、ぼくの唾液を飲み下し、うなじまで真っ赤になった。

 離れる。

 ユキナは少し震えていて、期待と情欲に濡れた瞳でぼくを見つめて来る。

 

「……」

 

 ぼくらは数瞬の間、見つめ合う。

 不思議な感覚が伝わった。

 何と言うか、ユキナは、慣れているけど、慣れてない。ぼくとのことは初めて。

 ユキナが、ハッとしたように視線を逸らした。

 

「……」

 

 恥ずかしそうに俯き、唇に一瞬触れてから、火傷したみたいに慌てて手を離した。

 

「なに、これ……うひっ、あたし超濡れ濡れじゃん……覚えたてのガキじゃあるまいし……」

 

 ユキナは確かめるように陰唇の滑りを指で掬い取り、糸を引く体液をぬるぬると弄んだ。

 それが彼女なりの照れ隠しであることは、すぐ分かった。ぼくは――

 少し微笑んで、両手を広げて見せた。

 

「ユキナ、おいで……」

 

「……!」

 

 照れ臭そうに笑っていたユキナの顔が、くしゃりと泣き出しそうに歪んだ。

 触れた。

 皆川優樹菜の、一番、痛い部分に触れた。

 

「御影……!」

 

 ユキナが、ぼくの胸に飛び込んで来る。

 

 愛されなかった子供。

 

 愛されたかった子供。

 

 皆川優樹菜、という少女。

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 それからのぼくらは、ベッドの上で、たっぷり一時間は抱き合っていた。

 ユキナは訳も分からず泣いていて、それでも身体の熱は一向に冷めず、むしろじっとりと汗ばんで火照っている。

 

 ぼくは黙ってユキナにのし掛かり、過度の期待に濡れそぼる陰唇にぺニスを宛がった。

 キスする。

 舌を深く挿し込み、同時にベッドに押し付けるようにして膣に押し入った。

 

「~~~~~~!!」

 

 瞬間、ユキナのぐずぐずに蕩けていた中身が戦慄くように震え、激しく絶頂したのが分かった。

 声にならない悲鳴を上げ、口をぱくぱくと動かしながらおとがいを反らしてユキナが絶頂する。

 

「んぐぐっ……!」

 

 ぼくに貫かれ、ユキナが呻く。

 粘りの強い愛液がドロリと湧き出した。

 

「あぁ……うそ、これ……」

 

 ユキナは苦しそうだった。

 膣内がぞろぞろと蠕動している。中の感触は他の誰とも違っていて、酷く粘っていた。

 粘りが強く、濃い愛液がユキナの特徴。

 ぼくは腰をグラインドさせ、その濃い愛液をユキナの膣から掻き出してやる。

 

「んぎぃっ、んぎぃっ!」

 

 色気のない喘ぎ。

 ユキナは異常に昂っていて、ぼくが一突きする度に結合部分から体液を吐き出して何度もイっている。

 ぼくは少し不安になった。

 ぼくという男は、ユキナの過剰な期待にちゃんと応えることが出来ているんだろうか。

 よく分からない。

 分からないから、ぼくは思いっきり腰を振った。

 

「あぁ!! んはっ!」

 

 ぼくの腰に、脚をがっちり巻き付けてユキナは髪を振り乱して喘いでいる。

 甘酸っぱい匂いが強くなる。結合部は白く泡立ち、幾つもの濃い粘りの糸を引いてシーツに垂れ下がっている。

 

 ねえ、ユキナ。気持ちいい?

 

 ぼくの方は、こんな状況でイけるように出来てないんだ。

 

 なんだか、すごく、疲れたよ……。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鬼ごっこ
鬼ごっこ 1


 むかつく……

 バレーボールを辞めてからはいつも。

 身体の奥にどろどろとした熔岩が燻っていて、それが今にも溢れ出しそうだった。

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 午後は雨降り。

 この日のカオルは授業をさぼり、『奥の部屋』で雨の唄を聞いている。

 頭の中は霞が掛かったようになっていて、いつもは陰気に聞こえる雨の音ですら心地いい。

 

「……」

 

 悠希はパンツ一枚で正座して、カオルの傷だらけの膝をさすっている。

 

 御影悠希と関係を持ってから、二週間が経過しようとしている。

 最初は落ち着かなかったこの関係にも慣れてきた。情事のあとの心地いい気だるさに身を任せ、ゆっくりと雨の唄を聞いている。

 悠希はカオルの膝に興味があるようで、後戯の後は決まって膝の傷を撫でる。

 

「……」

 

 癒される。

 悠希は何も言わないし、カオルも何も言わない。

 ひたすら優しい沈黙が続いていて、その中に心地いい雨の唄が流れ続ける。

 悠希とのセックスは気持ちいい。

 カオルはもう、どっぷりと首までハマっていて抜けられそうにない。抜けるつもりもない。

 

 僅かに残る情事の匂いが鼻腔を擽る。

 カオルは未だに全裸のままでいて、あまりにも心地いい午後のひとときに微睡みはじめる。

 雨の唄が続いている。

 悠希は飽きないのか、まだ膝をさすっている。

 身体の奥深くで流れる熔岩は、今はもう微熱を残すだけになっている。

 終わったのだ。

 バレーボール選手としての自分は、確かに終わったのだ。

 この午後の一幕には、納得出来ず未だ燻り続けるカオルに、それをはっきりと認識させるだけのゆとりと残酷さと優しさが、確かにあった。

 

「……」

 

 涙は出ない。悲しんだり悔やんだりするより、先ず怒りが胸を衝くタイプだ。

 でも今は――

 激しかった怒りは優しい時の流れの中、悠希に慰撫されて埋没して行く。

 消える、というのとは違う。バレーボールはカオルの青春そのもので、カオルはそれに費やした時間や努力を否定したくない。

 カオルは納得していた。

 それは、もう過ぎ去ったことと、落ち着いて理解していた。

 悠希がカオルの膝を、ぽん、と軽く叩いて言った。

 

「もう、痛くないみたいだね……」

「……ああ」

 

 事後はナーバスになっている場合があるから、優しくしろと言ってある。それを抜きにして、御影悠希という少年は、元来優しく出来ている。

 『痛み』に敏感なのだ。

 カオルは一つ大きな欠伸をして、それから煙草に火を点けた。

 

「……」

 

 悠希は黙っていて、カオルのすることを見つめている。

 その口元に、僅かな微笑みが浮いていることを確認し、カオルも口元を緩ませる。

 

 死ぬほど落ち着く。

 最早、安寧とすら呼んでいいほどだった。

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 夏の盛り。

 真夜中の午前3時を過ぎても、悠希は見つからない。

 街中を車で流しながら、カオルは12本目の煙草に火を点けた。

 

 むかつく……

 

 悠希を見失って、胸中の焦りと苛立ちはいや増すばかりだ。

 携帯の着信ががなり立てるように車中に鳴り響き、カオルは激しく舌打ちした。

 発信者は一々確認しない。

 この鬼ごっこを手伝って貰っている後輩か友達だろう。

 だが――

 

『…………』

 

 始め、そいつは無言だった。

 

「もしもし?」

 

 カオルは強い苛立ちから来る皺を眉間に刻み、紫煙を一気に吐き出した。

 そいつが、言った。

 

 

『 べ ろ べ ろ ば あ ! ! 』

 

 

 カオルは、ぎょっとして携帯のスクリーンを覗き込んだ。

 スクリーンには番号だけが表示されていて、発信者の名前は表示されていない。

 

『だ~れだ!?』

 

 少し嗄れているが、特徴的なハスキーボイス。

 決して忘れやしない。

 

「秋月……!」

 

 血を吐くように呻いたカオルの眉が一瞬でつり上がる。

 

「何の用だ、このズベ公が……! ぶち殺すぞ!!」

 

『あはははははははは!!』

 

 携帯電話の向こう。

 秋月蛍は、狂ったように笑いに噎せる。嬉しそうに言った。

 

『焦ってるな』

 

「……!!」

 

 口を噤むカオルの脳裡に、様々な思惑が錯綜する。

 

 悠希は、秋月蛍と一緒にいる。一緒にはいない。どっちだ!?

 

 

『悠希と寝たよ~?』

 

 

 馬鹿にするような間延びした声に、カオルは脳みそまで沸騰しそうになった。

 

「それがどうした! 一度ヤったくらいで調子に乗ってんじゃねーよ!!」

 

『……驚かないんだな?』

 

 狂喜と狂気の中に、冷血の洞察力。秋月蛍は油断ならない。

 

『悠希が言ったのか!? ああ、うん、隠さないのは素直に嬉しい!!』

 

「……」

 

 悠希は何処だ? こちらからは聞けない。それがカオルの口を重くしている。

 蛍が言った。

 

『すまない、悠希に代わってくれないか?』

 

「死ね」

 

 短く言って、カオルは通話を切った。

 

 ――悠希は、秋月蛍と一緒にはいない!

 

 それが分かっただけで、カオルは目の前が明るくなったような気がした。

 しかし、そうすれば何処に……

 そんなことを考えながら、秋月蛍の番号を着信拒否に設定する。二度と聞きたくない声だ。蛍との決着は近いうちに必ず着けるとして、今は悠希だ。

 

 カオルは路肩に停車して、暫く考える。

 

 悠希に居場所を尋ねることはしたくない。必ず見つけ出して、必ず抱き締める。全て受け止める。

 大魔王は陥落寸前。

 カオルは王手を掛けている。その自覚があった。

 見付け出せず、悠希の家で落ち合うとしたら、それはカオルの負けだ。意地になっているのではない。試された以上、応えるのは当然のことだ。

 

 また携帯が鳴った。

 

 ――如月 葵――

 

 今度は発信者を確認してから出る。

 

『カオル? ウチだ。お前が言ってたのとそっくりなチャリ見付けたから写メって送る。御影のか確認してくれ』

「分かった」

 

 ややあって、携帯に送信されて来た画像を見てカオルは片方の眉を上げる。

 

 ――見つけた。

 

 そう確信したのも束の間。再びアオイから着信があった。

 

 カオルは、何故か嫌な予感がして唇を軽く舐めた。出る。

 

『……御影のチャリか?』

「ああ、間違いない。今、何処だ? 急行すっから」

『…………』

「アオイ? どした?」

 

 一拍の間を置いて、アオイは苦々しい口調で言った。

 

『……あそこのカラオケボックスの近くだけど、ヤバそうな感じだ……』

「え?」

『今、救急車とパトが来てるわ……』

「…………」

 

 カオルは、底無しの暗闇に転がり落ちる自らを連想して、口が利けなくなった。

 

 悠希が居なくなる。

 

 そんなことは、考えたこともなかったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鬼ごっこ 2

 唇は蜜の味。

 悠希のキスはよかった。甘ったるく絡んで来て、吸い付けば幾らでも蜜を吐き出して、ユキナを潤わせた。

 

 他の誰とも違う深すぎる口付け。自分を求めてやって来たと思えば、格別の思いだった。

 

 通り過ぎて行った男たちの、情事の後の蔑むような目付きを思い出す。

 その目が言っている。

 

 ――汚ない。

 

 誰も本気でユキナを見ない。顧みない。精液を吐き捨てるための体のいいオモチャ。

 でもユキナは人間で、男たちの都合のいい玩具じゃない。意地がある。

 沙織が言っていた。

 

 ――男なんて、ヤらせてやるって言ったら楽勝っしょ。

 

 ユキナも同感だった。

 男は皆、女を快楽を得るための道具としか思ってない。犯すことしか考えてない。突っ込めば気持ちいい穴ぽこが開いているくらいにしか思ってない。

 思ってないから。

 利用して、何が悪い?

 

 

「っく……いくらでも、好きなときに、ヤらせてあげるからぁ……!」

 

『え? それはいいよ。皆川、臭いし……病気持ってそうだから……』

 

 

 皆川優樹菜の全ては、御影悠希に全否定された。

 

 

「ねえ、霧島、超死んでたよね? ついさっきの話だよ。それなのに、もう盛ってるの? 皆川は頭おかしい」

 

 

 言い訳のしようのない、完全無欠の拒絶。

 

 ――楽勝なんかじゃ、なかった……。

 

 悠希は、ユキナがただの汚物であることを突き付けた。他の誰もが口にすることを憚った事実をハッキリと告げた。

 ――優しくない。

 御影悠希は、小さくて可愛い顔立ちをしているが、これっぽちも優しくない。ユキナの手管は通用しない。でも――

 

 ――この世界でたった一人だけ、ユキナを助けに来てくれた――

 

 汚ないと思っているのに。

 臭いと思っているのに。

 心の底から、軽蔑しているのに。たった一人、悠希だけは、ユキナを人間として見つめている。

 

 きっと恵まれているのだろう。愛されて生きて来たのだろう。

 たった一人の友人には売り飛ばされ、短気な父親には気軽に張り飛ばされる。そんな自分の何が分かる?

 

 でも、悠希の小さな身体には無惨な傷跡が刻まれていて――

 ユキナは、完膚なきまで打ちのめされた。

 ぽつぽつと自らの過去を告白する悠希の顔を正面から見ることができない。霧島沙織とは違いすぎる、尊敬できる同年代の誰か。

 自分に負けてねじ曲がったユキナには、凄惨な過去に負けず小さな身体で懸命に生きる悠希は眩しすぎる。

 

 ――ぼくの奴隷になれ!

 

 そうなることで傍に居ていいのなら、その立場は自分に相応しい。

 奴隷で全然構わない。

 思い返せば沙織との関係も似たようなものだった。ならば、比較の対象は霧島沙織だけでよい。

 沙織と悠希の人間性なら、秤に掛けるまでもない。

 最初、悠希に感じていたよい予感が身を纏い確信に変わる。皆川優樹菜が生まれ変わる。はっきりとした実感がある。

 

「ユキナ、おいで……」

 

 悠希が微笑み、両手を開いて開いて誘っている。

 

「……!」

 

 ユキナは、そこに迷わず飛び込んだ。

 

 

◇◇

 

◇◇

 

◇◇

 

 

 霧島沙織の亡骸が早くも周囲に波紋を投げ掛けた頃――。

 

 ユキナの意識は桃源郷をさ迷っていた。

 瞼の奥でキラキラと星が舞い、頭の中は幾つも発生した電極がシナプスに快楽の電波を送り込む。

 セックスに不自由したことはない。性の快楽は知っているつもり。――つもりだけだった。

 つらつらと思考する間も意識は寸断され、膣口がだらだらと粘りの強い淫液を吐き出している。

 ユキナの意思と関係なく膣肉が悠希のぺニスに絡み付いて快感を貪っている。

 何処までも墜落して行く感覚があった。その恐怖に腰が抜け、だらしなく失禁しても粘る肉は悠希にすがり付く。

 ぐちゃっ、ぐちゃっと重みのある水音が跳ね、ユキナの膣が粘液を撒き散らす。

 

「うあっ! あっあっあっあっ……!」

 

 瞬く間に登り詰め、子宮で意識が弾ける。悠希は容赦なくて、それでもユキナに対する侵略を止めない。むしろ責めは激しくなり、過度の快感に膣が痙攣して腿まで震えた。

 

「もっと、もっと……!!」

 

 無意識に滑り出た嬌声が口を衝いて溢れる。

 気持ちいい。スゴく気持ちいい。

 

 

 ――気持ちいい! 気持ちいいおまんこ!!

 

 

 そう叫んでいた沙織の悦楽に弛む表情を思い出し、ユキナは微かに笑った。

 沙織の死によって、ユキナと悠希は交わったと言っても過言ではない。

 今も尚、身体を駆け巡る悦楽に翻弄されながら、嬉しくて堪らず――ユキナは嘲笑った。

 

 ――沙織が死んでくれて、本当によかった――

 

 この夜、皆川優樹菜が親友に向けた最後の感情は侮蔑。

 それきり、霧島沙織のことは考えるのを、やめた。

 

 

 

◇◇

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

 悠希とのセックスは最高だった。

 快楽で飽和状態にあるユキナの半開きの口元に、つっと涎が伝う。

 

 ――二人の間に嘘や誤魔化しはナシ。

 

 ユキナは朦朧とする意識の中、小さく頷いた。

 

(……もっとしたい……)

 

 嘘や誤魔化しの必要がないのなら、正直に言ってもいいのだろうか……。

 

「――!」

 

 胸の先に湿りを帯びた冷たい感触を覚え、ユキナは覚醒した。

 

「……」

 

 視線を落とすと、同じように微睡んだ悠希が、ユキナの薄い胸に抱き着いて、赤子がするように乳首に吸い付いている。

 ユキナは溜め息を吐き出して、僅かに口元を緩ませる。

 

(今はこのままで……)

 

 男と女の間には、肉欲だけでない繋がりもあるのだ。

 悠希の小さな身体を抱き寄せながら、ぼんやりと考える。

 

 ――幸せ? ごめん、それはよくわからない。

 

 傷付いた天使。

 カオルが比喩でそう表現するのとは違い、ユキナは大真面目にそう思うようになっていた。

 

 見た目は発育不良の中学生くらいにしか見えない。胸に湧き上がる気持ちは、恋愛感情とは違う。だが、いとおしく感じる。ユキナはこれを守らねばならない。守り続けなければならない。

 ――幸せの意味を知るその日まで。

 ユキナは呟いた。

 

「あたし、いっぱい稼ぐから……」

 

「……」

 

 悠希が、うっすらと瞳を開いた。

 

「……なんのこと?」

 

 ユキナは意外そうに答えた。

 

「え、いや……あたしも売って、御影のこと助け――」

 

「……」

 

 当然のことのように言おうとしたユキナの目前に、険しい縦皺を眉間に刻み、静かに睨み付ける悠希がいた。

 

「……お金に困っているのはぼくだ。そんなことはしないで」

 

 雰囲気が変わった。

 そこにいるのは、霧島沙織とは真逆の人間、御影悠希。

 だからこそ守りたい。

 

「で、でも……!」

 

 食い下がるユキナに、悠希は眠そうに目を擦りながら言った。

 

「……いい、ユキナ。よく聞くんだ。確かに、お金は大切なものだよ。何をするにも、最後はお金が背中を押す。でもそれが全部じゃない。例え、全ての物事にお金が掛かるとしてもね」

 

「な、何、説教……?」

 

「違う。ぼくの信念みたいなもの。黙って聞いて」

 

 ユキナは肩を竦めた。

 悠希は小さく可愛らしい欠伸をして、それから言った。

 

「金で何でもするヤツは、ただのゲスだ」

「……」

 

 ユキナは複雑な気分になった。

 悠希は自分を売って稼いだ金をユキナに貸そうとした。そして悠希は馬鹿じゃない。ユキナに返すつもりがないことはお見通しだったろう。

 

「ぼくは、ぼくを売っても、他の誰かは売らない。ユキナは売らない。いいね」

「……」

 

 ユキナの瞳に、じわっと涙が浮かんだ。

 御影悠希は、皆川優樹菜を売り物にしない。守る。体感した。でも――

 

「……じゃ、何であたしを奴隷にしたの? 売らせるつもりじゃなかったの?」

「……」

 

 悠希はユキナの胸に顔を埋め、ぐりぐりと擦り付けた。

 暫くの沈黙の後、言った。

 

「よく分かんない」

「……」

 

 その言葉に呆れてしまい、ユキナは困ったように苦笑いを浮かべた。

 悠希には不安定なところがある。それらしい答えだった。

 

◇◇

◇◇

 

 その後の悠希は、浴室でこの後の展望を語った。

 

 悠希は、金髪のあいつを酷く警戒していた。

 ユキナは名前も知らないが、沙織の友人の誰かは知っているだろう。

 

「あの金髪の娘、何か言ってなかった……?」

 

 湯舟に浸かる悠希は、酷く疲れている様子だった。

 

「……そう言えば、アスタラビスタって。……どういう意味だろ……」

 

 ユキナは悠希を抱き寄せ、湯冷めしないようにスポンジで肩にお湯を掛けている。

 

「アスタ・ラ・ビスタ……スペイン語だね。さよならとか、また会おうって、そういう意味」

「ウソ……!」

 

 くってりとして、ユキナの肩に頭を凭れ掛けていた悠希が呟いた。

 

「目を着けられている。根が深いと思うべきかもしれないよ……」

「……」

「ユキナは相手のことを全然知らないけど、向こうは名前を知ってたんなら――他にも……霧島が色々と喋ったと思う……」

 

 そして――

 必ずあるだろう警察の追及、その対応策。

 

「嘘は真実の中に……」

 

 ユキナは、力強く頷いた。

 

「……この危機を逆用して、あのジャンキーを処分する」

 

 ユキナは、力強く頷いた。

 

 悠希は楽観視するということを知らない。話の内容は深刻だったが、共通の秘密を持ち、裸になって全てを見せ合うという状況に、ユキナは何故か胸が躍ってしまう。

 二人、情交の後、お風呂で悪巧みをするのは刺激的で、ちょっと愉快だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鬼ごっこ 3

 真夜中過ぎ、葛城 瞳子(トウコ)の携帯がけたたましく鳴り響いた。

 

 寝ぼけ眼を擦り、携帯に手を伸ばす瞳子の耳に、その着信音は悲鳴のように聞こえた。

 出る。

 

『ゴラッ! トウコ!! おめー、そこにユキがいるだろ! いるって言え!!』

 

 寝起きに大音量の一喝を受け、瞳子は、一瞬頭が爆発したかと思った。

 

『テメー、ボコボコにしてやるからよ!! 今すぐアタシんとこツラ出せ!』

 

「……」

 

 瞳子は携帯を暫し突き放し、ずきずきと痛む眉間を揉みほぐした。

 

『……! …………!!』

 

 携帯の向こうで、新城 馨(カオル)が怒鳴り散らしている。

 だが、怒っているというより何だか焦って聞こえる。声は泣き出しそうに悲痛の色合いを帯びている。

 

「……」

 

 どうやら、悠希との関係がバレたようだ。

 それはいい。

 いずれケリを着けるつもりだったし、いつまでも隠し通せるものでもない。悠希を手に入れるつもりなら、絶対に避けて通れない道だ。

 やれやれ、と瞳子は頭を振った。携帯を引き寄せる。

 

「それでなんか用ですか?」

 

『テメ、この……!』

 

 圧し殺した声。

 立場が逆なら、瞳子も同じように激昂しただろう。だから気持ちは分かる。

 馨が言った。

 

『……幾つか質問する。正直に答えろ……!』

 

「はい」

 

 瞳子は悠希が好きだ。でも、この恋が横恋慕であることは理解している。

 馨から悠希を奪ってやりたい。そういう意味では馨を憎んでいるが、それ以外の部分では何もない。素直に頷いた。

 

『ユキとヤったか?』

 

 悠希さえ絡まなければ、仲のいい先輩と後輩の間柄でいられたのだろう。

 

「はい、ヤってます」

 

 瞳子は迷わず肯定した。

 馨は恐いが、その暴力に怯える段階はとうの昔に過ぎている。むしろ、これでこそこそしないで済むと思えば、清々するくらいだった。

 

 ――沈黙。

 

 通話口から、痛いくらいの沈黙が漏れ出している。

 

『……テメー、ユキに手ぇ出したら、殺すって言ったよな……』

 

「はい、自分が先に手を出しました。だから、悠希さんは悪くありません」

 

 やれるものならやってみろ。多少のことでこの想いが消せるものか。

 だが、こうなったことで、度胸の固まりのような瞳子に大きな懸念が生じている。

 

「自分はどうでもいいです。でも、悠希さんだけは殴らないで下さい。お願いします」

 

『……っ!!』

 

 この瞳子の寛恕の要求に、馨は何故か驚き、絶句した。

 

「あの人は、たくさん、たくさん傷付いてます。お願いします……」

 

『……って……』

 

 馨の声色に弱気が覗いている。そして悠希のことに関する限り、瞳子も弱気だ。

 沈黙。

 今度の沈黙は、激しい怒りを感じさせるものではなく、困惑の気配が漂っている。

 先に沈黙を破ったのは馨だ。言った。

 

『……アタシがユキをどうかしちまうように見えるんかよ』

 

「はい」

 

 秋月蛍にやったように挑発するでもなく、瞳子は冷静に請け合った。

 

「新城センパイはそういう人です」

 

『……』

 

 馨は否定しなかった。

 自分が傷付くことより、瞳子はそれが恐ろしい。自ら否定できない狂暴性を持つ新城馨が恐ろしい。

 

「どうしようもなくなったら、悠希さんからは離れて下さい」

 

『……』

 

 瞳子も馨も弱味は同じ。万が一にも傷付けたくないものがある。その一点に於いて、二人の利害はこれ以上ないくらい一致している。

 

『……ユキがいなくなった。今、一緒に居るか?』

「いえ、自分ならウチで寝てましたけど……何かあったんですか?」

『……』

 

 馨は再び沈黙を選び、考え込む様子だった。

 言った。

 

『テメーは許せねぇ……。でも、今は見逃してやる。黒岩のことが終わってからだ』

 

「はい」

 

 瞳子は馨の弱腰を正確に読み取った。

 意外に思うと同時に、少し悲しくなった。馨は悠希との関係を壊してしまう可能性を承知の上で瞳子を認めた。その程度には悠希を大事に想っている。それがよく理解できた。

 

(あぁ……本気なんだな)

 

 分かっていたことだが、馨との衝突は避けようがない。

 悠希を取られる可能性を残してまで瞳子を見逃すことができる新城馨という『女』を、瞳子は許すことができない。

 馨の評価をプラス修正して、瞳子は覚悟を新たにする。

 そのうち、絶対――

 

 ――潰してやる――

 

◇◇

◇◇

 

 暫くして、夜の街を原付で疾走する瞳子の姿があった。

 

 成り行きの説明は受けた。

 馨の焦りと怒りはよく分かった。

 悠希の様子がおかしかったことは知っている。

 秋月蛍のことに関しては、腹が立たないと言えば嘘になるが、これは瞳子にも責任の一端がある。

 

 秋月蛍は狭量な女だ。

 悠希を絶対に許せなかったから罰するしかなかった。

 短絡的な行動に走り、結果に困惑するしかなくなった馬鹿女。

 それが瞳子の評価。

 蛍に答えを与えたのは瞳子だ。自身の正しさを信じて疑わない秋月蛍に仕出かした罪の大きさを突き付けて嘲笑ってやった。

 黒岩智を処分する上で、その引け目が役に立つだろうと思ってのことだったが、こんな形で返って来るとは思わなかった。

 

 悠希の過去を知る前の蛍なら、この成り行きはあり得なかっただろう。狭量な蛍に悠希は許せない。

 しかし、知ってしまったからこそ、蛍に罪悪感が生じ、その成り行きに至った。

 

 肌を撫でる夜気を切りながら、瞳子は絡み合う因果を感じている。

 

 ……あのカラオケボックスで事件があった。

 馨は悠希が巻き込まれたのではないかと頻りに気を揉んでいたが、そうじゃない。

 瞳子は考える。

 悠希はトラブル体質だが鈍感じゃない。何かの事件に巻き込まれた可能性は否定できないが、危険を避ける能力は持っている。

 仮に――この事件に巻き込まれたとしたら、今頃は安全な場所に隠れ、危険をやり過ごしている可能性が高い。自転車は近くに放置されていたらしいから、まだ近くに留まっている可能性がある。――と、馨もここまでは考えているだろう。

 瞳子はここにもう一つ、忌々しい可能性を加味して考える。

 第三者。

 馨も瞳子も知らない第三者が存在していた可能性だ。

 幸い、瞳子はあのカラオケボックスの周辺に土地勘がある。

 自分ならどうするか。

 葛城瞳子が『第三者』であるなら、御影悠希を何処へ連れて行くか。何をしたいか。

 そして――

 

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 

 明け方ごろ。

 

「はい。悠希さん、見つけました。

 白い髪の女ですね。

 ここからは少し距離があるんで、知ってるヤツかどうかはちょっと分かりません。

 ――分かりました。引き留めます。

 一緒の女、ヤっちゃっていいですか?」

 

 通話を切って、瞳子は吐き捨てた。

 

「誰が待つか。あんたなら待つのかよ……!」

 

 考え得る限り、最低の展開だった。

 悠希を事件に巻き込み、あまつさえ一晩中引き回した。その上、事もあろうにラブホテルから出て来る。

 

「新城センパイ。アンタ、何も分かってないよ」

 

 白い髪の女は馴れ馴れしく悠希の肩を抱いている。それが本当に――

 

 むかつく……。

 

 視線は悠希に釘付けで、風にも当てぬほどの労りようだ。

 御影悠希は、瞳子の回りにはいないタイプだ。本来は『誰とでも』そういうことはしない。断言できる。

 

 遠目に見ても分かるくらい、悠希の表情は青ざめていて疲労の色が濃い。

 思った。

 

(その人は、そこらのカス女が振り回していい人じゃない!)

 

 今は身柄を確保して馨に引き渡すつもりだったが、気が変わった。

 

 我慢できない。誰もいない場所に連れて行こう。

 

 悠希には休む場所とゆっくり考える時間が必要で、幸い瞳子にはそれを与えることが可能だ。

 せっかく馨を出し抜いたのだ。この機会に、あの深山楓も来れないような場所に連れて行けばいい。

 瞳子の胸の中に、どろどろとした黒い炎が渦を巻く。

 なりふり構うな。

 

 鬼になれ!

 悪魔になれ!

 

 瞳子は嗤った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鬼ごっこ 4

 長い睫毛を伏せ、悠希は眠気に霞む目を擦っている。

 

「……いい、ユキナ。ナメられることと仲良くすることは、全然、意味が違う。彼らはユキナの友達じゃない」

 

「で、でも……」

 

「……独りが怖いんだね……ぼくがいるじゃない……」

 

「そんなこと言って、これが終わっても、御影は、ずっとあたしと居てくれるの?」

 

「……そうだね……」

 

 今にも眠りの谷底に墜ちて行きそうな悠希を現(うつつ)に引き留め、ユキナは必死だった。

 

 ここから出てしまえば、ユキナは警察に出頭する段取りになっている。

 逃げても、近い内に必ず警察の手が回る。なら、こちらから向かった方がいい。逃げるより立ち向かう、という考え方が悠希の根底にあるようだ。

 

「あたし、御影のことは喋らないよ? だからさ……」

 

 ――ずっと、そばにおいてよ……。

 

 悠希は首を振った。

 

「……神さまが嫌いなんだ……」

 

「何それ……そんな話なんてしてないじゃん……!」

 

 さきほどから、悠希はこの調子だ。

 疲労が酷く意識はそぞろ。話の内容は抽象的で、ユキナには難解な表現や言葉を使う。それらは繋がっているようにも聞こえるし、煙に撒こうとしているようにも聞こえる。

 ユキナは不安だった。

 悠希は頼りになる。嘘は吐かない。でも――ユキナのことは信用していない。

 

「……どうしようもないときは、ぼくのことも話してかまわないから……」

 

「そんなこと言わないでよ、もう……」

 

 悠希は楽観視するということを知らない。ユキナのことは信用していない。

 

「口が裂けても喋らないっつの!」

 

「……いいよ、そのときは、ぼくの方でなんとかするし……」

 

 逃げるよりも、立ち向かう。その性分がユキナにとっては大問題だった。

 悠希は身体こそ小さいが賢く、決断力もある。頼りになるが冷徹な部分があり、今はその部分がユキナを上手く操作しようとしているような気がしてならない。投げ遣りとも取れる言動には、ユキナの助力なくとも現状を乗り切る算段がついたのではないか。

 

「……最後までやり遂げることが出来たなら……」

 

「うん、うん! 御影のこと以外は警察に全部正直に話す! 友達も全員売る! それでアイツも処分出来るんだよね!?」

 

「……そのときは……」

 

 悠希は今にも眠ってしまいそうだ。小さな身体を丸め、お腹の前で指を組んでいる。

 

「――そのときは、ずっとそばに居てもいいよね!?」

 

 悠希は深い溜め息を吐き出した。

 眠りにつく前に、呟いた。

 

「……そのときは、神さまと仲直りできるかも……」

 

「……」

 

 ユキナは半泣きで、眠りに落ちる悠希を見守った。

 

「だから、そんな話なんてしてないっての……」

 

◇◇

 

◇◇

 

 疲労に青ざめた表情で、傷だらけの天使が眠っている。

 

 ユキナは、悠希の手を祈るように両手で掴み、その様子を見つめていた。

 

 ――期待されてない。

 

 馬鹿なユキナにも、その程度は理解できた。

 ユキナがやり遂げるかどうかは、神のみぞ知る。そう思わせてしまうくらいには期待されてない。

 当然だ。

 ユキナの天使は正しくて、厳しくて、賢くて、優しくない。そして、純粋で直向きな心を持っている。だからこそ、ユキナを信用しない。汚れたユキナを信用しない。

 嫌になるほどよく分かる話だった。

 

 かち、こち、と秒針が時を刻む音が聞こえる。

 

 眠っている悠希の姿は、ユキナにマッチ売りの少女を連想させた。

 

 冬の寒い夜に凍えながら、マッチを売る悠希……。

 

「ぶふっ!」

 

 ユキナは噴き出した。

 

「ヤバい。ハマりすぎだっつの……」

 

 悠希が起きていれば減点十万点は行っただろう。不謹慎な笑いに噎せながら、ユキナはちょっと出てきた涙を指で拭った。

 睫毛の雫を指で掬いながら、尚も笑い続けるユキナの視界が霞んで行く。

 

 お金がいっぱいあれば、自分がマッチを買い占めてしまえるのに。

 馬鹿なユキナはそう思う。

 けど現実問題、今のユキナは素寒貧だ。だから、寒さに震えるマッチ売りの少女を見つめているだけしかできない。

 

 そのうち、死んでしまうのに。

 

「ちくしょう……!」

 

 回りは何をやっている。

 

 新城馨も、秋月蛍も、いったい何をやっている。

 

 そのうち、死んでしまうのに。

 

 殆ど寝息すら立てず眠る悠希は、まるで死んでいるようだ。ユキナが笑いながら泣いていて、それなりに騒がしくしていても身動ぎ一つしない。

 額に、そっと手を当ててみる。

 熱はないが、驚くほど体温が低い。

 よほど張り詰めていたのだろう。小さな身体の悠希には負担が大き過ぎたのだ。暫くこのままでいて回復を待ちたいがユキナには時間がない。

 

 警察に行く。

 悠希の存在を除いた全てを正直に話す。

 その際、しょうもない友人の全てを警察に売る。

 過酷な取り調べが始まる。

 ドラッグ絡みでユキナの友人の何人か、或いは全員かも知れないが、捕まる。関係のない誰かも捕まる。芋づる式に金髪のアイツも捕まる。無論、警察の手はその背後にも伸びる。

 沙織の死因次第でユキナも裁かれる。悠希の見立てでは、最悪の場合でも罪に問われる可能性は低い。

 

「御影……」

 

 時間が経てば経つほど、ユキナの立場はまずくなる。この場に留まっていられる時間は少ない。

 なるべく早く全てを終わらせ、悠希の元へ帰らなければならない。

 

 他の誰にも、悠希を任せられない。任せたくない。

 

「守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る守る……」

 

 イレギュラーが発生する可能性は少なくない。場合によっては、ユキナはもう帰って来られないかも知れない。だが、やり遂げて無事帰ることが出来れば、悠希の信頼を得られる。

 そのとき、皆川優樹菜は再生する。以前より、ずっと強くなって再生する。

 そうしたら――

 

 今度は膣に出してもらえるかも。

 

◇◇

◇◇

 

「ごめんね、本当にごめんね? 疲れたね? しんどいよね? 起こして本当にごめんね?」

 

「…………うん」

 

 悠希は疲労の極にあるためか、ぼんやりとして頷いた。

 ユキナは手早く悠希に衣服を着せたあと、自らも着替える。衣服は未だ湿っていて、肌に纏わりつく感触に眉をしかめた。

 清算を済ませ部屋から出ると、空は白みがかっていた。

 

「……」

 

 悠希は足を止め、遠い目で空の向こうを見つめた。

 ユキナの見る横顔は色白で何処か少女めいた儚い面影。

 悠希が、ポツリと呟いた。

 

「……疲れた。もう、帰っていい……?」

 

「あ……」

 

 ユキナは絶句した。

 今の悠希にどれだけ判断力が残っているかは分からないが、ホテルから出てすぐ別れて行動することは正しいように思う。

 

「出口まで送る……」

「……」

 

 悠希は黙って頷いた。

 

「ねえ、最後にもう一度キスしたいんだけど……ダメ?」

 

「……いいよ」

 

 悠希は小さく息を吐き、口元に笑みを浮かべて頷いた。

 ユキナも笑みを返し、軽く唇を舐める。

 

「暫く会えないから、濃いのするけど、いいよね?」

 

「……」

 

 長い睫毛を伏せ、やはり小さく頷く悠希を引き寄せ、ユキナは唇を合わせる。

 

「んっ……」

 

 舌を絡め、音を立てて唾液を吸い上げて飲み下す。

 それだけで、ユキナは下腹部が痺れたような感じがして、その場に座り込みそうになった。

 自分からキスしたいと思った異性は、悠希が初めてだ。

 名残惜しいが、離れる。

 

「……そう言えば、キスはNGだったね……」

 

「お仕事抜き……」

 

 悪戯っぽく言って、悠希は笑った。

 あどけない笑顔。

 ちょっと馬鹿なところがあって、ユキナに金を貸そうとしたり、危険を承知で助けに来たり。冷たいけど決して残酷じゃない、ユキナの大切な――

 

「今日は無理させて、ごめんね」

 

「……うん」

 

 ここで、はっきりと頷くのが悠希だ。だからこそ、余計な気遣いをせずにいられる。

 ユキナも笑った。

 

「疲れた顔してる。おぶってあげよっか?」

「いらない」

「じゃあ、肩貸してあげるし」

「ユキナの手つき、やらしい」

「そう? いいじゃん」

 

 帰って来たら、いっぱいシよう。

 お互い抱き合って舐め合って、それから一つになって……

 ユキナは悠希の肩を抱いて、ホテルの裏口に向かう。そして――

 

◇◇

◇◇

 

 裏手の路地に出たところで、50㏄のスクーターに乗った少女と目が合った。

 

「……」

 

 ユキナは目を逸らそうとして、ふとした既視感を覚え、立ち止まる。

 

「……」

 

 半キャップのヘルメットを被った少女は、スクーターのハンドルに身体を凭れ掛けた姿勢。半目で睨み付けて来る。

 見覚えがある。だが、それが何処だったか思い出せない。

 少女が言った。

 

「……アホの皆川?」

「あ"?」

 

 そう呼ぶのは学校の陸上部部室に溜まるDQN連中だ。ユキナはアホ呼ばわりは好きじゃない。眉間にキツい皺を寄せ、睨み返した。

 

「誰だ、おまえ?」

「葛城だよ。葛城瞳子。アホの皆川は覚えてない?」

 

 ユキナは少し考え、それから片方の眉をつり上げた。

 

「ああ、どっかで見たことあると思ったら、新城の回りにいるザコじゃんか……」

 

 まるで野良犬でも追い払うように手を振って、ユキナは嘲笑った。

 

「呼んでない。消えていいし」

 

 ひくっ、と葛城の頬が引きつった。

 

「トウコ……?」

「あれっ? 御影も知ってんの? んん? どうなってんの?」

 

 葛城は激しく舌打ちした。

 

「悠希さん、ソイツは無茶苦茶ゲスな女です。こっち来てください」

「……」

 

 ぽーっとした表情の悠希は、葛城とユキナの顔を見比べたあと、首を横に振った。

 

「……今のトウコは怖いから、やめとくね……」

「なっ……」

 

 その拒絶は意外だったようで、葛城は驚いたように目を見開いた。

 ユキナは、ぷっと噴き出した。

 

「拒否られちゃった!」

 

 悠希は視線でユキナを嗜め、呆れたように溜め息を吐いた。

 

「カオル、近くにいるの?」

「……!」

 

 反応したのはユキナだ。

 

「マジ? 新城のヤツ来てんの? ああ、くそっ! そこのスライムが呼んじゃった?」

 

「……」

 

 葛城は肩を震わせ、瞬きもせずに悠希だけを見つめている。

 

「マジかよ、スラりん~。何してくれちゃってんの?」

 

「……」

 

 黙り込む葛城に、悠希は目を合わせようとしなかった。

 

「スラりん、新城呼んだかって聞いてるだろ?」

 

 ユキナはつかつかと歩み寄り、葛城の乗ったスクーターの前輪を軽く蹴飛ばした。

 

「……」

 

 悠希を睨むように見つめていた葛城の黒目が、ぎょろりと動いてユキナの方に向いた。

 

「おまえ、さっきからムカつくなあ……!」

 

 ユキナはニヤニヤ笑って言った。

 

「ムカつけよ」

 

 葛城は舌打ちした。

 熱の篭らない視線でユキナを見つめ返す。

 言った。

 

「黙ってろ。この、××××が」

 

 人によって言ってはならない言葉がある。このとき、葛城瞳子の口から放たれた言葉はそれだ。

 皆川優樹菜の顔から、馬鹿にしたような笑みが消え、雰囲気が変わった。

 

「……今、なんつった?」

 

 例えば――

 皆川優樹菜という少女には援助交際の経験がある。それは高校のDQNたちも知るところだ。男嫌いの葛城瞳子には嫌悪と軽蔑の対象にしかならない。

 

「黙れよ、この汚物入れ。不潔な手で悠希さんに触れるな」

 

「…………」

 

 ユキナは俯き、押し黙った。

 

 

 ――皆川、臭いし……病気持ってそうだから――

 

 

 ユキナの脳裏に悠希の言葉がちらついて消える。

 自ら進んで援助交際をしたことはない。ただ、霧島沙織と組んでやらかした乱行の数々は皆の知るところだ。そして、そんなユキナなら『すぐヤらせてくれそうだ』と思って近付く男は少なくない。

 

 ユキナは『そういうこと』を考えて近付く男に媚を売った覚えはない。

 

 葛城が、面白くも無さそうに吐き捨てた。

 

 

「この、病気持ちが」

 

 

 ユキナは『そういう病気』に掛かったことはない。男たちが腹いせで流したただの噂だ。

 

「悠希さんに、おかしな病気移したら――」

 

 最後まで言わせない。ユキナは、固めた右の拳を葛城の鼻面目掛けて振り抜いた。

 

 昨夜までの変わってしまう前のユキナなら、ヘラヘラ笑って済ませていただろう。

 

 頭が熱くなり、耳の奥で地鳴りが聞こえた。

 ユキナを襲ったのは、現状把握を不可能にする激しすぎる怒りだ。ここに悠希が居なければ、違った展開になったかもしれない。

 打たれた鼻面を押さえる葛城に、静かに言った。

 

「あたしは病気持ちじゃない」

 

 ユキナは悠希を見ることが出来ない。――怖かった。

 軽蔑されている。

 信用されてない。

 誰よりも理解している。だからこそ、許せない。実際以上に侮辱されたことが許せない。

 葛城瞳子は、ユキナが許してはならないことを言ったのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鬼ごっこ 5

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

 四時間目の授業はすっぽかし、校舎の屋上でサンドウィッチにかじりつきながら、瞳子は言った。

 

「……新城センパイって、御影さんが初めての相手なんですか?」

 

 こちらも授業をすっぽかし、屋上のフェンスに凭れ掛かって煙草を燻らせていた新城馨が、ムッと眉間に皺を寄せた。

 その顔に書いてある。

 

 ――おまえの知ったことか。

 

 瞳子は気にせず、続けた。

 

「声、『奥の部屋』の外まで聞こえてますよ?」

 

 馨は激しく咳き込んで、慌てたように視線を泳がせた。

 

「――マジ?」

 

 瞳子が頷いて見せると、馨は天を仰いで頭を抱えた。

 でもまあ、大丈夫。

 『奥の部屋』のことは秘密。誰にも話してはいけないという暗黙のルールがある。

 ……影では色々と言われるだろうけど。

 以前、瞳子が覗きをやらかしたのもそのルールを知っての上のこと。誰にも喋るつもりはなかった。ここで会話に上げたのは、瞳子と馨の密接な間柄だったからこそだ。

 馨が忌々しげに唾を吐き捨てた。

 

「ああ、クソ! 最高だよ! 文句あっか!?」

「いえ、でも大丈夫ですか?」

「何が!?」

 

 顔を赤くして煙草を踏み消す馨に、瞳子は問い掛ける。

 

「……まあ、サイズは小さそうなんで多少はいいかもしれませんけど、激しくしてるみたいだし……」

「……なんのこと言ってんだよ」

「いえ、だから……痛くないんですか?」

「はん? なんで痛いんだよ」

 

 首を傾げる馨の前で、瞳子も首を傾げる。

 

「オリモノに血が混じったり、膿が混じったりしませんか?」

「……は?」

 

 全然、話が通じない。

 瞳子は首を振って、気を取り直して次の質問に移った。

 

「ちゃんと避妊してますか?」

「……ああ、それなら御影に任せてる」

「え!?」

「アタシはゴム嫌いなんだ。ナマでしかしねーよ」

「って……」

 

 馨の無関心な様子に、瞳子は仰天した。

 

「妊娠したらどうすんすか!?」

「避妊は男の義務だろ? 女の方が不利に出来てんだから。御影も納得してたぞ?」

「は? ……はぁ!?」

「あいつは手際いいからな。3日はゴムだったけど、それからは何とかしたわ」

「……全部、膣出しですか?」

 

 いつもは鋭い目付きを細め、馨は口元を弛ませた。

 

「基本だろ?」

「……それ、大丈夫ですか?」

「……ああ、そういや薬の成分がどうとか言ってた。副作用が少ないの選んだから、効くのに少しかかる。その間は動けねーから膝枕だな」

「……」

「痒みが出たりするかもしれないけど、心配ないとかどうとか……」

「不安なしですか」

「……さっきからなんの話してんだよ」

 

 馨はガシガシと茶髪をかき回し、口をへの字に曲げた。

 

「……トウコ、男で外すと女は大変だぞ?」

 

「……わかってます」

 

◇◇

◇◇

 

 悠希との体験は衝撃的だった。

 ちょっとした男性不信から身構える瞳子に、先ずは受身から始めて安心させてくれた。

 ――気遣いはよし。

 その後は、ばっちり感じさせてくれた。

 気になっていたアレのサイズも問題ない。激しくされても下腹を突き上げるような痛みはない。でも何故か、瞳子がイきそうになると奥の部分にガンガン来る。それが堪らなく気持ちいい。自慰とは比較にならない快感だった。

 

 避妊は事後、微睡んでいる間に終わる。

 瞳子が問うと、殺精子剤を用いているらしく、効果を発揮するのに時間が掛かるのが難点らしいが、コンドーム並の信用度があり、深刻な健康被害の報告はないということだった。

 

 ――御影悠希は当たりだ。

 

 瞳子は安心して快楽に溺れることができた。

 

◇◇

 

「トウコ、コンドーム使っていい?」

 

「すみません、自分、ナマじゃないとイけないんで」

 

◇◇

 

「……トウコの身体、あったかい……」

 

「……自分、あったかいですか」

 

◇◇

 

「トウコ、ほっぺにご飯粒付いてる」

 

「えへへ……」

 

◇◇

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

 アスファルトに赤い血痕の華が咲いた。打たれた鼻面が、つんとして涙が溢れる。

 皆川優樹菜が平淡な声で言った。

 

「あたしは病気持ちじゃない」

 

 女だてらになんの自慢にもならないが、それなりに荒事の経験はある。だが、瞳子は優樹菜に殴られたという事実を把握するのに多少の時間を要した。

 

「……っ」

 

 鼻血が出たが折れてはいない。

 

「ザコの癖に」

 

 やはり静かに言う優樹菜は、瞳子を打った右の拳を僅かに震わせている。

 

「……」

 

 瞳子はゴクリと息を飲み込んだ。

 目の前にいるのは、男を食い物にしているつもりで、実は己の人間性を切り売りしているだけのカスじゃない。

 強すぎる怒り。

 触れてはならない逆鱗に触れたのだ。

 

「黙って新城の腰巾着やってりゃいいんだよ」

 

「……あ"?」

 

 優樹菜は返事をせず、鼻を鳴らして、スクーターごと瞳子を蹴り倒した。

 

「あっ!」

 

 左足をスクーターの下に巻き込む形で派手に転倒した瞳子は、痛みに顔をしかめながらも視線を上げた。

 

(コイツ、なんかやってる?)

 

 暴力に抵抗が無さすぎる。瞳子のような多少慣れただけの素人じゃない。

 

「この……っ!」

 

 ――じわっ、と視界が霞んだ。

 その霞む視界の中、優樹菜がするりと動いて、瞳子の肩を蹴飛ばした。

 

「あたしは病気持ちじゃない。取り消せ」

 

 パッパラパー子。

 アホの皆川。

 ヤリマン。

 汚ギャル。

 呼び方は色々あったけれど、そのどれもが今の皆川優樹菜には当てはまらない。

 涙と鼻血で汚れた顔を向け、それでも瞳子は言った。

 

 

「汚物入れの性病女が」

 

 

「……」

 

 

 優樹菜の眉間に険しい縦皺が寄った。

 白く脱色した髪が僅かに舞い上がる様は、瞳子に鬼女を連想させる。

 怒髪天。

 瞳子は嘲笑った。

 

 

「悠希さんに病気移したら、オマエのくっさいマンコにバットぶちこんで、殺してやる……!」

 

 

 

◆◆

◇◇

◆◆

 

 

 

「うっは! 白い方が馬乗りでタコ殴りにしてるわ」

 

「……」

 

 揉み合う葛城瞳子と皆川優樹菜から少し離れた路地に、33ナンバーの黒い乗用車が停車している。

 右の運転席に座った馨は煙草を燻らせながら、遠目に揉み合う二人の光景をつまらなそうに横目で見つめている。

 助手席に座る友人の如月葵が、こちらは面白そうに言った。

 

「あの白いの、知ってるヤツか?」

 

 馨は頷いた。

 

「……皆川優樹菜」

 

「アイツ、なんか格闘技やってるだろ? 素人の動きじゃない」

 

「ん……」

 

 人に歴史あり。

 皆川優樹菜は柔道の経験者で茶帯の腕前だ。辞めた理由は、護身の目標を充分満たし、これ以上強くなってもしょうがないと思ったから。

 

 優樹菜がただの出来損ないなら、霧島沙織が友人面して付きまとうことはない。お人好しの部分をいいように利用されることもなかっただろう。

 そんなことを考えながら、馨は不機嫌そうに煙草を揉み消した。

 

「雑魚の争いにキョーミない」

 

 護身程度の格闘技術なら問題にしない。

 新城馨は特別製だ。

 

「そんなことより、ユキは? 見当たんねー」

 

 葵はキャットファイトの方が気になっているようだ。ハッとしたように辺りを見回した。

 

「居ないな……マジか? まさかの放置プレイ?」

 

「……帰っちまったんだな」

 

 馨の知っている悠希なら、間違いなくそうする。止めることも見守ることもしない。関心がないから。

 

 ――馬鹿なんじゃないの?

 

 悠希の声が聞こえたような気がして、馨は口元に微笑を浮かべた。

 

「アオイ、ここまででいいわ。アタシはユキ拾って帰るから」

 

「……アイツら、シメなくていいのか?」

 

「だから、雑魚にキョーミないって」

 

 皆川優樹菜の姿を確認したのは意外だったが、馨の思いはそれだけだ。

 

「……だな。でもカラオケボックスのことはどうする?」

 

「ユキが無事ならいい。後は何とかなるよ」

 

「お、裸締め。白が詰めに行った。一方的だったな」

 

 そこまで言って、葵は助手席側のドアを開いた。

 

「後はウチに任せな。一応、止めとくわ」

 

「……ああ」

 

 優樹菜がやり過ぎてしまって最悪の事態になっても、特に問題ない。むしろ面倒なゴミ掃除をする手間が省ける、というのが馨の思惑だったが、この時はそれを口にしなかった。

 

 やれやれ、とダルそうにする葵の背中を見送ったあと、サイドブレーキを解除して、馨はポツリと呟いた。

 

「……皆川が、ねぇ……」

 

 遠目に見た感想に過ぎないが、以前の彼女とは違うような気がする。

 馨は思う。

 悠希と関わった誰もが、変わらずにはいられない。

 秋月蛍、葛城瞳子、皆川優樹菜、そして自分、新城馨。

 誰もが変わる。

 本性が剥き出しになる。そうせずにいられない。皆川優樹菜に、どのような科学反応が起こったのだろう。

 ――問題ない。

 優樹菜の変化がどのようなものであれ、馨は問題視しない。

 

 ――わき見すんなよ?

 

 頭の中は冴えている。

 友人の忠告と、醒めきった悠希の態度で見えてきたものがある。

 

 誰かと争って、殴り合いしているような馬鹿はどうだっていい。

 

 今の馨は、秋月蛍を意識していない。追い付かれたと焦る思いもない。むしろ不思議なことに、今夜のことで安心すらしている。

 

 このレースは、わき見したヤツから脱落する。

 

 ゆっくりとアクセルを踏み込みながら、馨はフラフラと指先を漂わせて思考する。

 

「ユキはアタシに惹かれてる。それは絶対、間違いない」

 

 なら、今の悠希がどうするか?

 散々、裏切りを重ねて逃げ出した悠希がどこに行くか。

 

 馨は自転車がある方向とは逆の路地に車を走らせた。

 そして――朝日に染まる小さな背中を視界に捉える。

 

(アタシが怖いんだな……)

 

 自身も怖れる馨の狂暴性ではなく、裏切りの謗りを受け、嫌悪されることを怖れている。

 

 

 ――おまえが始まりなんだから、とやかく言うんじゃない。おまえだけは文句を言う筋合いはないんだよ……!

 

 

 馨はそれを受け入れる。起こった全てを受け入れる。

 

 クラクションを鳴らして合図すると、悠希は肩を震わせて、驚いたように振り向いた。

 

 馨を怖がって、父から買い与えて貰った大切な自転車まで乗り捨てた。

 何のためにそうしているのか。

 それを考えれば、有り得ない行為だった。

 

 悠希は目を見開いて見つめていたが、馨がにやりと笑って見せると、ふいっと顔を反らしてまた歩き始めた。

 

 このおかしなゲームを始めたのが馨なら、終わらせる責任があるのは馨ということになるだろう。

 

 ふて腐れたように歩く悠希に車を横付けして徐行しながら、馨は窓を開いて身を乗り出した。

 

「腹減っちゃった。何か食いに行かない?」

 

「……」

 

 悠希は困ったように眦を下げ、それでも振り向かずに歩き続ける。

 

「車、乗ってくんない?」

 

「……」

 

 悠希は毒気を抜かれたように小さく息を吐き出した。

 

「……怒ってないの?」

 

 腹が立たないと言えば嘘になる。

 これから先の展開を思えば、馨は大声で喚き散らしたくもなる。

 でも、滅茶滅茶に引き裂いてしまえば、全てが終わりになる。側にいられなくなるくらいなら――

 

「2000円でヤらせてよ」

 

 馨は、何度だってここからやり直す。

 

 眩しいくらいの朝焼けの中、悠希は顔をくしゃくしゃにして笑った。

 

「……馬鹿だね、カオルは……」

 

「あいしてるよ」

 

「…………」

 

 悠希は苦しそうな笑顔だった。

 他の誰でもない。馨の愛で、何よりも深く傷付いたのだ。

 

 それでも離れたくない。

 

 ――願わくば、この想いの行き着く果てが、幸福であらんことを。

 

 馨は、痛切に、そう願った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間
閑話 井戸の中のサダコ


 最初、その娘を見たとき、なんでこんな娘が剣道部なんかに所属してるんだろうって思った。

 伸びた髪は全然手入れされてなくて、ちょっとパサついた感じ。前髪で完全に両目の視界が塞がっていて、先輩に注意されても改善しようとしない。本当なら、クラスの一番後ろの席で大人しくラノベとか読んでそうな地味な女の子。やる気なんて全然なくて、稽古中は元気なく、しょんぼりと肩を縮めて視線は下に固定されている。

 そんな彼女が気になって、最初に声を掛けたのはぼくの方。

 

「こんにちは、サダコ」

 

 ぼくは人の名前を覚えるのが苦手だし、それに彼女は後輩でぼくの一つ年下だったから、思い切って彼女に渾名を付けてみることにした。

 

「………………サダコじゃない」

 

 サダコが口を開いたのは、たっぷり十秒ほど経ってから。

 

「名字は確か、山村だったよね?」

 

 山村と言えばサダコだ。彼女は誰か呪ってそうだったし、ビジュアル的にもぴったりの渾名だと思った。

 

「……山村じゃない。川村……」

 

 そんなサダコは胴着の着付けが出鱈目。袴を縛る紐の結びも適当だったし、自然に着れば左が上になるはずの襟は右が上になっている。

 

「サダコは蝶結び知らないの?」

「…………知ってる……」

「死装束は左前って聞いたことない?」

「…………」

 

 まあ、サダコだから胴着の着付けが死装束と同じ左前でも問題ないんだけど。

 でもシュウ曰く、

 

『着装の悪いヤツで強いヤツはいない』

 

 らしいから、如何にやる気のないサダコでも、せっかく剣道部に所属して鍛える以上、形だけでもちゃんとした方がいい。

 

「サダコは死人なの? それ、普通に着れば衿は左が上になるはずだよね」

 

「……る……さ、い……」

 

「ボソボソ言っても聞こえないよ。ぼくを呪ってるなら止めてよね」

 

 このやり取りを聞いた他の下級生や先輩たちが、クスクスと声を殺して笑っていた。

 

◇◇

 

 その日、ランニング中のサダコが嘔吐した。

 他の娘が言うには珍しいことじゃないらしい。ぼくはゲロゲロやるサダコの背中を擦りながら、周囲に漂う酸っぱい臭いに酷く居たたまれない気持ちになった。

 そんなサダコは運動音痴。

 打ち込み稽古では代わる代わる打たれ役をするのだけど、胴着と同じように防具の着装も手を抜いたサダコは、頭頂部を強打され気絶した。

 

 気絶したサダコは艶のない黒髪を道場の床にばら蒔くようにしてぶっ倒れ、前髪の間から露になった目は焦点がずれていて写輪眼ぽくなっていた。

 ぼくはちょっとワクワクした。

 

 サダコって、凄く面白い。

 

 その後の練習でも、サダコは捨て身のギャグで笑いを取りに来た。

 筋トレ中は鉄アレイ(1kg)を足の甲に落としたし、地稽古では必ず滅多打ちになった。

 

「サダコ! 大丈夫!?」

 

 ぼくはサダコの芸に夢中だった。

 

「サダコ! 今のはすごく面白かったよ!!」

 

 最初のうち、ぼくに構われると嫌そうにしていたサダコだったけど、三日もすれば様子が変わった。そもそもサダコは孤立していたし、心身ともに疲れきっていた。例え、ぼくが面白がっているだけだったとしても、その手を振り払う余裕なんて微塵もなかった。

 

「こんちは、サダコ」

 

「……うん」

 

 ぼくらは、はぐれ者同士。運動神経もやる気もなくて必然的に部内で浮いてるサダコと、シュウに無理矢理連れて来られてやる気がないマネージャーのぼく。打ち解けるのはすぐだった。

 

 後から思ったことだけど……シュウ以外に馴れた人のいない女子剣道部の中で、サダコは、ぼくにとっても一等親しみ易い存在だった。

 

 運動音痴のサダコは先輩たちに見捨てられているようで、剣道に関する全てが出鱈目だった。竹刀の持ち方は何故か逆だったし、防具の付け方は手を抜いているんじゃなくて、本当は知らなかった。ぼくも剣道のことは何も知らなかったから、強くなる云々以前にこのサダコをまともな剣道部部員として機能させるために、まずは知識を身に付ける必要があった。

 

「ねえ、シュウ。聞きたいことがあるんだけどいいかな?」

 

「ん、胴着の着方? それじゃ私の着るの手伝って」

 

 シュウは、ぼくが剣道に興味を持ったことが嬉しかったみたいで、細かいことまで丁寧に教えてくれた。

 

「ほら、サダコはちゃんと胴着着る。袴は腰紐を腰板の部分に……そう、そこに滑り止めあるから……」

 

 まずは、ぼくがシュウに教わり、それをぼくがサダコに指導する。そんな風にして、ぼくとサダコの剣道が始まった。

 

「……よく分からない。お手本見せて……」

 

「あのねえ、サダコ。この前パンツ見えてたから、袴くらいちゃんと履けるようになった方がいいと思う」

 

 サダコは少し頬を染めて、それでも口元に緩い笑みを浮かべている。

 

「しょうがないね、サダコは……」

 

 ぼくはサダコの腰に抱き着くようにして、袴の腰紐をしっかりと結んで行く。

 

「……で、一周して前で二回固結びにする。余った紐は折り曲げて横の部分に入れ――」

 

 稽古が始まる五分前。着装チェックのために人目を避けた道場裏で、その日、ぼくはサダコに抱き締められた。

 

「どうしたの……?」

 

「……好き」

 

 女の子に好意を告げられることは度々あったし、ぼくに焦りみたいなものはない。サダコは、お腹の辺りに押し付けるようにしてぼくの頭を抱き締めて、頬擦りしたり髪の匂いを嗅いでみたり。

 うっとりしたように言った。

 

「……私のこと、好き……?」

 

 ぼくは頷いた。

 

「うん、サダコは面白いしね。ピン芸人としてはレベルが高い方だと思う」

 

「…………げ、ゲイ人?」

 

 ぼくが噴き出して、サダコも笑った。

 

「さ、馬鹿言ってないでサダコは面タオル付ける」

 

 実際に胴着を着てみる訳に行かないぼくは、サダコの着装を手伝うことで正しい胴着の着方を学んだ。

 サダコを座らせ、パサついた黒髪に櫛を入れて均して行く。

 

「ここ絡んでるよ? サダコは髪の手入れくらいしな。せっかくの長い髪が勿体ないよ」

 

「……うん、頑張る」

 

 サダコは機嫌よさそうに頷いて、胸の前で拳を握り込む。ぼくが髪をとかす間、大人しくしていた。

 

「……よし、できた。立ってみて」

 

 サダコの身長は160cmくらい。ぼくが来るまで胴着の着方とか出鱈目で、見るからに落ちこぼれ部員だったけど、この一週間くらいで見た目だけはシャンとした。

 

「OK。カッコよくなった」

 

「……」

 

 面タオルで目を覆う前髪を上げてしまうと、想像以上に鋭く尖った眼差しのサダコと目が合う。

 

「……へえ」

 

 そこにいたのは、きりりと目元が引き締まった純和風美人。

 

「サダコは一応美少女の部類に入るのに、勿体ないね。人間性がルックスを駄目にしている感じ?」

 

 ぼくが素直な感想を述べると、サダコは思うところがあったのか、口元を引きつらせてニチャリと笑った。

 

「……うわあ、気持ち悪い……」

 

「……くふふ」

 

 サダコは、ニタニタと嬉しそうに笑っていた。

 

◇◇

 

 お茶くみ、ビデオ撮影、審判、備品の管理……マネージャーとして雑務に励む傍ら、サダコ以外の一年生の面倒も公平に見なきゃならない。

 一年生たちが、ぼくとサダコの関係をどう思っているのか分からないけど、掛け離れた実力を持った先輩たちに囲まれて、ぼくらに構っている暇なんて微塵もない。ランニングで嘔吐するのはサダコだけじゃない。いつも他の誰かが具合を悪くしたし、反吐を撒き散らした。

 そんな一年生たちを介抱して、励ましの言葉を掛けて行く内に、よく分からないけれど、不思議な空気が一年生の間で生まれた。

 連帯感。

 一言で言うとそう。この苦行を力を合わせて乗り切る。そこには、なんとなくやる気を見せ出したサダコの姿も含まれていて。

 

「川村、防具付けるの手伝ってよ~」

 

「……わかった」

 

 最初、サダコは戸惑っていたけれど、ぼくが笑って頷いて見せると安心したみたいで、おっかなびっくり同級生たちの輪に入っていった。

 

(よかったね、サダコ……)

 

 その背中を見送って、ぼくは自分の仕事に戻る。

 サダコが巣立った瞬間だった。

 それからのぼくは、何故か一年生の間で引っ張りだこになった。

 

「マネージャー、あたしも防具付けるの手伝って下さい!」

 

「いいよ」

 

「マネ、マネ……喉が渇いて死にそうです……」

 

「10kmくらいのランニングじゃ死なない」

 

「マネ……転んでお尻を打ったんです……少し擦って――」

 

「馬鹿」

 

 一年生たちは、見た目が幼いぼくをからかって遊んでいるみたいだったけど、それで部内の雰囲気が良くなるなら悪い話じゃない。黙って受け入れた。

 

「御影のお陰で、一年生は大分元気になったよ」

 

 シュウはご機嫌。

 男子のぼくが女子剣道部のマネージャーを務めることには反対意見もあったみたい。この成果に満足そうだった。

 

「御影が来る前の一年生は、毎日がお通夜みたいな雰囲気だったけど、今は笑ってる。全体的に雰囲気も良くなった。でも……」

 

 一応の成果を出したぼくのマネージャー業にシュウはご満悦。でも、事の終わりに厳しい表情でこう言った。

 

「御影、連帯感には良いものと悪いものがある。こんなことを言うと、心配し過ぎだって笑うかもしれないけど、少し不安なんだ」

「うん、なに?」

「一年生『だけ』しか居ない場所に、一人で行かないでほしい」

「…………」

 

 真剣に諭す様子のシュウに、ぼくもちょっぴり不安になった。

 ……連帯感には幾つか種類がある。協力的で前向きなものと、全体で調子に乗って他者を疎外したり迫害する後ろ向きなもの。シュウが後者のものを警戒するように言っていることはすぐ分かった。

 

「…………」

 

 ぼくは二年生で、一応彼女たちの先輩にあたる。けど、ぼくに向けられる視線は上級生に対するそれじゃない。親しむのはいいけど、面白がっている感じ。ナメられてるみたいで、そういうのは、ぼくも好きじゃない。

 考え込んでいると、シュウがぼくの肩に手を置いた。

 

「御影が分かってくれてるようで良かった。でも、不安に思わなくていいんだ」

 

 シュウは優しく笑って、ぼくの肩を引き寄せる。

 

「いつも私の目が届く範囲に居てほしい。何かあれば必ず駆け付けるから」

「……」

「いつだって私を呼んでほしい。私は、いつだって御影の味方なんだ」

 

 ぼくは頷いた。

 

「あんがとね、シュウ。分かった。頼りにするね」

 

「うふふ、いいんだ」

 

 ちょっぴり照れ臭そうに頬を掻いて、シュウは笑った。

 

◇◇

 

 それからのぼくとシュウは、仲良しの二人組になった。

 部活中、ぼくはなるべくシュウから離れないようにして、シュウの方でもぼくを気に掛けてくれている。着替えや防具の着装に始まって、一緒に柔軟体操もする。竹刀を持って素振をしたり、効率的な練習メニューを考えたり。ぼくらは何でも二人でやった。

 インターハイを控え、シュウは自ら万全の仕上がりだと言った。

 

「……御影、今年の私は絶対にトップを取る。見ていてくれ」

 

「うん、シュウならできると思う」

 

 シュウは深い溜め息を吐き出し、静かにぼくを見つめた。

 

「……私は、今、完璧になった……」

 

 シュウには不思議な力がある。

 最も正しい答を導き出す力。直感を限界まで突き詰めたような……説明は難しいのだけど、絶対的中の閃きのようなもの。そのシュウが自信たっぷりで言うんだから、それはきっと確実なことなんだと思う。

 そして――

 この夏、シュウは自ら宣言した通り、ぶっちぎりの実力でインターハイを制することになるんだけど、それはもう少し後のこと。

 

◇◇

 

 インターハイを間近に控えたある日、ぼくはサダコに呼び出された。

 教室まで一年生の娘たちが10人ほど大挙してやって来て、道場横にある体育館の倉庫でサダコがぼくを待っているという。

 シュウからは、気を付けろって注意された後だったけど、サダコがぼくを好きなことはもう知っていたし、特に危機感を覚えることはなく、この呼び出しに応じた。

 

 少し埃っぽい体育倉庫では、電灯も点けずにサダコが待っていた。

 

「うわ……」

 

 薄暗い倉庫で、息を潜めて佇むサダコには凄く雰囲気があった。

 

「サダコ、まるで幽霊みたいだ。新しいネタ?」

 

 サダコは口元を歪めて不気味に笑い、するすると音もなくすり寄って来て、ぴったりとぼくに抱き着いた。

 

「好き……」

 

 サダコに抱き締められることは始めてじゃなかったし、ぼくは黙って受け入れた。はね除けるほどの不快感はない。サダコの吐瀉物の始末をすることも度々だったし、気絶しているときに髪の間から見えた写輪眼ほどの不気味さはない。

 

「サダコ、石鹸変えた?」

 

 サダコの身体からは、妙に甘ったるい匂いがした。

 

「トリートメント……いいのに変えた……」

 

 掠れた声で言うサダコはとても興奮しているみたいで、呼吸を荒くしてぼくの首筋に鼻面を突っ込んでくる。これには堪らず言った。

 

「うわ……凄く気持ち悪い」

 

「うん……ごめん……ごめん……ちょっとだけ……」

 

 拒絶の言葉にもお構い無しに、サダコは犬みたいに鼻を鳴らしてぼくの匂いを嗅いでいる。

 

「……もう、サダコは悪い娘だね……」

 

 この程度で済ませたのは、サダコが下級生で、部活中はぼくを当てにしてくれたから。よく笑わせてくれたし、ちょっと間抜けな彼女を身近な存在に思っていたから。

 

「こんなことがしたくて、ぼくを呼び出したの……?」

 

 サダコに身体をまさぐられながら、ぼくは、ぼくを呼び出した一年生たちのことを考える。

 あの娘たちは、サダコがこんなことをするって知ってたんだろうか? 知ってたとしたら、これはちょっと根深い問題のような気がする。

 

「……文武両道」

 

 サダコが、ぼくの耳元でポツリと呟いた。

 

「うちの父さんと母さん、この学校の卒業生なんです。剣道部に入ったのは、私の意思じゃないです」

 

「……そう」

 

 つまり、サダコは文武両道を信奉する両親に、無理矢理剣道部に入部させられたということだろうか。

 サダコはぼくをマットの上に押し倒した。

 

「御影マネが悪い。私は嫌がったのに、優しくて、小さくて、可愛くて。マネがいなかったら、今頃は、今頃は……!」

 

 息遣いも荒く、内心を吐露するサダコは、いつになくよく回る舌で囁き続ける。

 

「三日で好きになりました見捨てなかったのも美少女とか言ったのもマネだけ口はキツいのに隙だらけおかしい絶対おかしい秋月先輩はマネ独り占めズルい超ズルいマネは皆のマネージャー」

 

 ここまで来れば、鈍いぼくでも流石に気が付く。

 

 サダコは、頭おかしい。

 

 映画みたいに井戸からやって来たのかもしれない。だとしたら、ぼくの命は一週間ということになる。

 サダコが言った。

 

「マネがいなかったら、今頃は自殺してました」

 

 ぐい、とぼくの両肩をマットに押し付け、サダコが顔を上げた。顔に吹き掛けられる吐息は生臭く、散らばった髪の間から覗く瞳は赤く充血していて瞬き一つしない。

 狂おしく、乱暴に言った。

 

「責任とれ」

 

 サダコ相手に怖じ気付くほど、ぼくは弱くない。

 

「すごい、迫真のネタだ」

 

「Hしたい。Hしよう」

 

「サダコ、キモいし。息臭いから遠慮しとくね」

 

 サダコは口元を歪めてニチャリと笑った。それと殆ど同時に体育倉庫の横引きの扉が開いて――

 

「何をしている」

 

 低いハスキーボイスで呼び掛けてきた女の子の正体は――

 身長181cm。剣道、薙刀、柔術、空手、合気、弓道。修めた武道の段を全部足したら20段を超える『武人』。豪傑と呼ばれる類の女の子。優しくて強い、ぼくのクラスメイト。

 A級特待生、秋月蛍。

 僅かに開いた横引きの扉の向こうに、必殺の黒いオーラを漂わせ、シュウが立っている。

 

「御影に、何を、していると、言ったんだ」

 

 マットに押し倒されたぼくからは見えないけれど、シュウが現れた方を見つめるサダコの顔色が青ざめて行く。

 ぼくは呆れて溜め息を吐く。

 

(しょうがないね、サダコは……)

 

 体育館の方から光が射して来て、その表情は分からないけれど、シュウがとてつもなく怒っていることは理解できた。途切れ途切れ呟く一言一言に怒りが滲み出している。流れに任せ、シュウにこの問題を解決させたら、とんでもないことになる。

 ぼくは、今ものし掛かるサダコの腰に手を回した。その次の瞬間――

 

「――ヒギャアアッ!!」

 

 サダコは火が点いたみたいに叫び、跳ね上がった。

 

「…………」

 

 シュウは驚いて、それからキョトンとした表情で、もんどり打って転がり回るサダコを見つめた。

 

「あ、あれ? 御影? えっと、その、大丈夫?」

 

「うん、平気……」

 

 乱れた衣服を直しながら、ぼくは脂汗を浮かべて苦痛に悶えるサダコを見下ろして宣告した。

 

「減点5億点」

 

 何が起こったか。正確には、ぼくが何をしたか知っているのは、ぼく以外ではサダコだけだ。

 サダコは苦しそうに、それでも口元を歪めて笑う。

 

「ご、ごほうび……?」

 

「変態」

 

 お尻の穴に、思いっきり人差し指を突っ込んで捻ってやった。スカート越しに根元まで行ったから、サダコは凄く痛かったと思う。

 人差し指が汚れた気分。

 やれやれ、と肩を竦めるぼくの目の前でシュウは首を傾げ、険しい表情で考え込む様子。ぼくを気遣いながらも、この状況を持て余している。

 鬼門。

 そんなことを考えながら、困惑しているシュウの手を取った。

 

「シュウ、ボーッとしてないで行くよ」

 

「あ、うん……」

 

 シュウは口をへの字に曲げて、納得できないという表情。ぼくに手を引かれ、一瞬鋭い視線をサダコに向けて小さく舌打ちした後、ぼくに続いてその場を後にした。

 

◇◇

 

 その日のシュウはおかんむり。体育倉庫で何が起こったか、大体のことを察しているようだ。放課後、ホームルーム終了直後の教室で、ぼくはお説教を食う羽目になった。

 

「私は、気を付けろって言ったよね」

 

「うん、言った……」

 

 駄目な子ほど可愛い。そもそも、最初にちょっかいを掛けたのはぼくの方だ。それを勘案すると、間抜けでちょっぴりおかしいサダコは、ぼくの弱点だったりする。

 シュウは眉を寄せて、いつになく厳しい表情だ。

 

「……前から思っていたけど、御影には少し隙がある」

 

「ごめん……」

 

 一年生の女の子たちは鬼門。神妙にシュウの小言を受け止めながら、そんなことを考える。

 

「あの一年生……川村とか言ったか? その、御影は、気になってるの?」

 

「……カワムラ?」

 

 ぼくは人の名前を覚えるのが苦手だ。困った顔をして見せると、シュウは頭が痛いのか、眉間に寄った皺を揉みながら首を振った。

 

「……サダコだ」

 

「ああ……今日はとびきり気持ち悪かったけど、それがどうかした?」

 

「なんなんだ、それは……」

 

 シュウは複雑な表情。怒るのと呆れるのを同時にしてる感じ。机の上に頬杖を付き、困ったものを見るようにぼくを見つめた。

 弱みそサダコはぼくの弱点。

 

「あの娘、弱いから……消えちゃいそうだったから……」

 

「…………」

 

 シュウは大きな溜め息を吐き出した。

 

「……分かった。今回は不問にするけど、次は気を付けるんだ。川村だけじゃない。一年生は全員」

 

 この場合、不問にすると言ったのは、ぼくじゃなくて、サダコやぼくを呼び出した一年生に向けてのことだ。

 

「今日のことで、よく分かったと思う。女の子だからって、油断しちゃ駄目だ。そもそも御影は――」

 

 頬杖を付き、足を深く組んだ姿勢で、何故か口元に微笑みを湛えるシュウのお説教が続く。

 

「――いいね。女の子に呼び出されたら、先ずは私に相談するんだ」

 

「分かった」

 

 こうなったシュウのお説教は長い。逆らうと余計にお説教が伸びるので、ぼくは神妙な態度で反省するフリをしておいた。

 

 ◇◇

 

 ――エピローグ――

 

 ◇◇

 

 体育倉庫での一件以来、部活中のサダコは、ぼくにセクハラを仕掛けて来るようになった。

 すれ違い様、身体を触られたり、耳に息を吹き掛けられたりは序の口で、

 

「お尻に稲妻が走りました」

 

 とか、

 

「次のごほうびは?」

 

 とか、いやらしいことを耳打ちしてくる。シュウが気付くギリギリ限界を狙ってくるので、ちょっと質が悪い。

 

 サダコはよく笑うようになった。友達もできたみたいで、今はもう孤立してない。好んで独り、深い場所にいたサダコはもういない。

 

 剣道部を去ってしまう前に、サダコと最後に口をきいたのは、道場近くのお手洗い前。

 

「サダコ、剣道部は楽しい?」

 

 いつものサダコなら、ぼくを見付けると嫌らしい笑みを浮かべてすり寄って来るんだけど、このときは何か感付いたのか、ちょっと浮かない表情。

 

「文武両道、頑張れる?」

 

「どういう……」

 

「ぼくが居なくても、一人でやっていける?」

 

「……!」

 

 インターハイが終われば、ぼくは居なくなる。シュウとはそういう約束。

 

「これからいっぱい、いっぱい、いいことあるよ」

 

「…………」

 

 明確に別れを感じ取ったのか、くしゃくしゃと顔を歪ませて、弱みそサダコは泣きっ面になった。

 湿っぽいのは苦手。ぼくは慌てて言った。

 

「サダコは、ちっぱいね」

 

 泣きそうになりながらサダコは胸元を隠し、口元を不気味に歪めて笑った。

 

「……形と感度に自信あり」

 

「……サイズに不満あり」

 

 そこで、ぼくは噴き出した。サダコは泣いていたけど、それでも飛びっきりの笑顔で応えてくれた。

 

 ――10億点の加点。

 

 これなら、終われる。

 振り返らずに行ける。

 

「BYE-BYE、サダコ。やらしいことされないうちに、逃げるね」

 

 笑ってぼくは踵を返す。

 

 サダコが、殆ど聞き取れないくらいの小声で呟いた。

 

「今度、二人きりになったら、マルカジリにしてやる……」

 

 やれやれ、とぼくは肩を竦める。

 

 シュウが怖い癖に、懲りないというか、学ばないというか……。

 

 間抜けでやらしくて。暗がりにぼくを引きずり込もうと狙ってる甘えん坊。ちょっぴり怖くて気持ち悪い。

 

 井戸の中のサダコ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章 ヒーローは間に合わない。
黒岩 智4


 智の父親は、家事の殆どをこなすけれど、唯一料理だけは作ることがない。

 

「今さらやし、な……」

 

 苦く笑う智に、悠希は首を振って見せる。

 

「怖がるのは、トモらしくない」

「う……」

 

 ただの一言、謝ればよい。

 父は、きっと許す……いや、そうじゃなく、父は智のことを恨んではいない。むしろ罪悪感すら持っているだろう。

 何でも積極的にこなす智の父が、唯一料理を苦手にしているのはそのためだ。

 

「……どう言うたらええか、分からん」

「ん……」

 

 悠希は少し考えて、それから言った。

 

「ちゃんと目を合わせて、一緒にご飯作ろうって言ったら、あとは何とかなると思う」

「……なん、それ。よう分からん」

 

◇◇

◇◇

 

 ある日の夕方。

 なんとなく思い立ち、智は父の前に立った。

 

「あんな、お父……」

 

 仕事を終え、少し疲れた表情の父の前に立つ。

 

「おう、なんぞ?」

 

 微笑を浮かべた父が優しく見つめ返して来る。二人は、確かに家族なのだ。

 智はギクリとして、

 

 ――ちゃんと目を合わせて――

 

 思った。

 

(くそっ、あいつ分かっとったな……!) 

 

 目を逸らそうとして、グッと唇を噛んで堪え忍ぶ。

 

「なぁ、お父……」

 

 鼻の奥が熱くなり、目が何だか潤んだ。

 

「一緒に、ご飯、作ろうや……」

 

 声が掠れる。よく分からないが涙が溢れて来て止まらない。

 智はもう15歳。春からは高校生になる。人前で泣くような年齢じゃない。

 父の前で涙を見せるのはいつ以来だ?

 衣服の袖で目元を拭いながら見つめ返すと、父は男臭い笑みを口元に浮かべ、鼻の頭を真っ赤にしていた。

 言った。

 

「おう、ええよ……」

「……!」

 

 瞬間、智の涙腺は決壊した。

 

「……お父、ごめん、堪忍なぁ……」

「なんのことや……」

 

 突然のことで伝わらないだろう、などと思い込んでいたが、そんなことはなかった。

 智の思いは伝わったし、父は思いを汲んでくれた。

 緊張から解放され、安堵して智が笑うと、父もまた笑った。

 

(分かっとったんやな……)

 

 智は泣きながら、ぷっと噴き出した。

 父もつられて噴き出した。

 

「なんなんや、今、おまえのお父がやな……」

 

「あはは、ええんよ……ええんよ……」

 

「そやな、もうええな……」

 

 父が、しんみりと言って場を締めた。

 

 そのあとは快活に笑った。

 

 二人は確かに家族だった。

 

 以降の親子関係は円満だ。二人は上手くやっている。

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 春休みになった。

 卒業式の告白以来、悠希とは会ってない。それが、智には何とも落ち着かない。

 あれで良かった。ああでもしないと、二人の関係は前に進まない。

 智はどうしようもなく女で、悠希は男だ。それを突き付けなければ行けなかった。

 

 でも、暇になるとこう思う。

 

 面倒なケジメなど忘れてしまって、繋いだこの手を離さずいたら……。

 仲のいい二人は笑い合って、春休みも退屈せずに居られただろう。

 一緒に買い物に行って、ご飯を作って、映画館に行ったり、カラオケに行ったりなんかもいい。

 想像するだけで、だらしなく頬が弛む。

 智はにやにや笑って考える。

 カラオケボックスでも、悠希の家でも何処でもいい。二人きりになってしまえばこっちのものだ。

 悠希には負い目がある。

 はっきりとではないだろうが、智がやっていたことを分かっていた節がある。きっと、何をしても抵抗しないだろう。身体に触れられても、困った顔をするだけで逃げ出すようなことはしない。

 もし、抵抗されても問題ない。智にはあの動画がある。あられもない姿を収めたフォトも膨大な量所持している。悠希は手も足も出せない。言いなりに出来――

 

「ああ、もう……!」

 

 そこまで考えて、智は頭を抱えて唸った。

 

 智は、自分がどうしようもない女だということを知っている。

 繋いだこの手を離さず居れば、いつまでも進展しない関係に嫌気が差した智は、いつか禁忌を犯してしまう。必ず悠希を壊してしまう。

 

「……そんなん、私は認めん……」

 

 呟いた決意の言葉は、いつかの智より、ずっと弱々しい響きだった。

 

 黒岩智は、自分がどうしようもない女だということを知っていた。だから悠希から離れる必要があった。卒業式の告白はあれで良かった。自ら身を引いて間違ってない。

 智は力なく呟いた。

 

「硝子の器……」

 

 今の悠希は余りに脆い。智を容れれば壊れてしまう。

 別に悠希を壊したい訳じゃない。ただ、智は受け入れられたい。愛したいし、愛されたい。――思いっきり。

 きっちり過去を乗り越え、しっかりとした強さを身に付けたとき。

 

「私は、それからや……」

 

 今は、悠希の成長を待つ。

 

◇◇

 

 ダラダラと長い春休みが続く。

 人気者の黒岩智は消え、今の智に春休みを一緒に過ごす友人は居ない。

 自室のベッドに寝転がり、この日も智は溜め息一つ。

 

「……御影、何やっとんやろう……」

 

 2月、3月の受験期間はいつも二人でいた。受験する高校にも、バスで一緒に行った。

 何をするにも二人は一緒。

 智には居心地の良すぎる時間だった。

 

「……」

 

 時折見せる、屈託のない笑顔が好きだ。物怖じせず、ハキハキとした物言いもよい。

 可愛らしい外見とは裏腹に、意外とブラックユーモアがあるところも気に入っている。

 多少、潔癖のきらいがあり、身だしなみに気を使うところも清潔感があってよい。

 

(電話、してみようかぁ……)

 

 今なら、まだ悠希は受け入れるだろう。そしてまた、お互いに気遣いを絶やさぬ優しい日常に戻る。

 一緒に高校に通い、休みは一緒に勉強したり、遊んだり。

 高校に入ったら、また剣道部に入ろう。

 自分が頼み込めば、悠希は必ず断らない。剣道部のマネージャーになって貰おう。勿論、智の専属として。そうすればつまらない虫を弾くことも容易い。稽古にも身が入る。

 切っ掛けはもう作ったのだから、関係は時間を掛けてゆっくり進めて行けばいい。

 きっと自然な形で二人の関係は進展するだろう。

 

「……なんや、ええことばっかりやん……」

 

 にやっと笑い、智は携帯電話を手に取った。そこで――

 

「ああ、もう、アカンて……!」

 

 ここに至り、智は自分のどうしようもない性分を理解している。

 智には、溺愛の困った性分がある。きっと悠希を溺愛するだろう。何もかも見えなくなり、必要以上に構い、庇い、助け……必ず、悠希の成長の妨げになる。

 それも、いかがわしいことをしないで、というキツい制限付きでのことだ。

 

 智は携帯電話を手に取ったまま、途方に暮れた。

 ブラックアウトした画面をじっと見つめる。

 

「今は、待つんよ……」

 

 それがベストの判断。

 少なくともそう思ったから判断を下した。行動もした。

 それでもどうしようもない女の智は、悠希の存在を求めてしまう。

 気付くと携帯を操作して、フォルダを開いていた。

 

「…………」

 

 小さな画面の中で、制服姿の悠希が笑っている。

 

 智は俄に湧き出した生唾を飲み下し、唇を軽く舐めて湿らせた。

 フリック。

 次の画像は勉強中のものだ。

 悠希は難しい表情でシャープペンシルを口元に当てて考え込んでいる。

 智しか知らない普段の御影悠希を収めたもの。

 フリック。

 次の画像は、智が悠希の肩を抱き、二人揃って撮ったもの。

 これを撮るのは度胸がいった。

 半分ふざけた振りをして、内心、心臓が張り裂けるほど緊張しながら撮った渾身の一枚。

 智は、にやにやと笑った。

 フリック。

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

◇◇

 

 …………………………

 ……………………

 ………………

 …………

 ……

 

 智は上半身の肉付きがいいタイプだ。

 小さい頃から剣道をやっていたお陰で肩回りの筋肉が発達している。……そのせいで怒り肩に見えてしまうのが悩みのタネだ。

 身長は172㎝。女性としては恵まれた部類に入る。胸のサイズもそれなりに恵まれていて、それはちょっぴり自慢に思っている。

 全体的に、スタイルはいい方だと思う。

 智は漠然と考えながら、寝巻き替わりにしているトレーナーの下履きに右手を差し入れ、忙しなく指先を動かしている。

 頭の中は霞掛かったようにボヤけていて夢心地。粘着質な水音を遠くに聞きながら、鼻に掛かった声を上げた。

 

「……う、ん……ふ……」

 

 男勝りの自分でも、こんな女らしい声が出るのだな。智はぼんやりと考えながらやはり指先の動きを早める。

 包皮の上からクリトリスを擦り、膣口をなぞる。

 ぴちゃっ、と水の跳ねる音がして、智は肩を震わせた。

 

「……んっっ!」

 

 頬を紅くして、未だ興奮冷めやらぬ智は粘つく液体を指先で弄びながら、震える息を吐き出した。

 スマホはあの動画を垂れ流しにしていて、音声が耳に入って来る。

 

 ――Joy to the world, the Lord is come――

 

 粘る液体を弄ぶ智の色素の薄い瞳に、じわっと涙の粒が盛り上がった。

 

 ――Let earth receive her King; ――

 

 今はもう聞き慣れてしまったソプラノボイスが神の到来を祝福し、智の意識はこの日も天に押し上げられる。

 

 ――Let every heart prepare Him room, ――

 

「……最低……」

 

 でも歌を聞くとどうしようもなく腰の奥がむずむずしてしまう。

 

 ――And heaven and nature sing, ――

 

 ――And heaven and nature sing, ――

 

 行為が終わると、智は死にたくなるほどの自己嫌悪に襲われる。

 

「……私、変態やん……」

 

 でもこれが一番強く悠希を思い出させる。

 

 ――And heaven, and heaven, and nature sing.――

 

 悠希と会わないようにしたのは、失敗だった。

 顔を見ない日が一日、また一日と重なる度に心の中の醜い怪物が成長する。

 最初は自死したくなるほどの自己嫌悪にも慣れ、動画を見ながらの自慰にも抵抗がなくなって来た。

 

 悠希の為に会わない。それは間違ってない。でも、自分の為には離れるべきじゃなかった。

 

 ――失敗した。

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 春休みは馬鹿みたいに長かった。悠希に逢えない二週間は気が遠くなるほど長かった。

 結局、電話は掛けてない。

 春休み中はオナニーばかりして暮らした。回数は70を超えた辺りで数えるのを止めた。

 それでも死にたくなるほどの自己嫌悪は一分子も減らない。始めるときはいいが、行為が終わると死にたくなる。

 

 たった二週間ほどで、智は4kg体重が減って、意図せぬダイエットに成功した。

 

 頑張った。

 それはもう、耐えた。

 

 電話は掛けなかった。

 

(……もう、ええやんな……)

 

 これ以上は、頭がおかしくなる。

 思い違いしていた。

 智は、どうにかなってしまうほど、悠希のことが好きだったのだ。

 

 でも、こうも思う。

 失敗したけれど、考えは間違ってない。今の悠希にとって、どうしようもない女の黒岩智は邪魔にしかならない。

 賭けをしよう。

 同じクラスに編入されたなら、それはもう運命だ。待たない。待てない。

 違うクラスに振り分けられてしまったなら――

 

 桜の花びら舞い散る新学期。

 ほんのちょっぴりツいてない智の初恋は、やっぱり神さまに嫌われていて。

 

 クラスの振り分けを発表する大きな模造紙。以前いた四国地方では、とりのこ用紙と呼んでいたそれに、智と悠希の名前は別々に記載されている。

 

 同じクラスになれなかった。

 

「…………」

 

 クラス分けは余程の理由がない限りは入学時の一回だけ。これも運命。

 周囲は新しく始まった学校生活に胸を躍らせた生徒たちが、ちょっとはにかんだ様子で挨拶を交わしたり、早くも遊ぶ約束を取り付けたりしている。

 

「……」

 

 智は、呆然としてその場に立ち尽くした。

 

 取り合えず剣道部に入ろう。思い切り竹刀を振り回して、気に入らない上級生を滅多打ちにして、インターハイに出よう。優勝して目立てば、嫌でも悠希の目に入る。それから――

 

「……?」

 

 剣呑な妄想に浸る智だったが、制服の袖を引く微かな感触に違和感を覚え、背後に振り返った。

 

「ぁ……」

 

 そこにいたのは、目元を赤くして、今にも泣き出しそうな悠希だった。

 

「……!」

 

 仰天して目を剥いた智は固まった。

 心臓が、ばくんと大きく一つ鳴った。

 この二週間は智も堪えたが、それは悠希も同じだったのだろう。それが手に取るように解った。

 

 悠希は目に涙を溜めていて、何か言って欲しそうに見つめて来る。

 

「あ……!」

 

 今、声を掛けたら悠希は駄目になる。自分も益々おかしくなる。分かっていた。だから離れた。

 でも、もうそれはいい。

 二人とも駄目でいい。何処までも一緒なら、他に何もいらない。

 

(でも……!)

 

 目に涙を溜め、こちらの反応を伺う悠希は、らしくない。

 強気で横着で、それでいて真っ直ぐな悠希らしくない。

 ――いいじゃん。

 今なら、何の苦労もなく悠希は手に入る。

 でも――

 智の頭に過ったのは、長過ぎる春休みで飽きるほど繰り返した行為のこと。

 

 死にたくなるほどの、自己嫌悪。

 

「……」

 

 見て、いられなかった。

 智は悠希から目を逸らし、言葉もなく俯いた。

 

(こんなときに……!)

 

 悠希の、ぱっちりとした瞳が瞬きして、頬に一筋の涙が伝った。

 黙り込む智の様子は拒絶にしか見えないだろう。

 

 ぐい、と袖で目元を拭って、悠希は一目散に駆け出した。

 

「ははっ……」

 

 智は笑った。

 どうしようもなく焦がれていたはずなのに、自ら遠ざけた。そのことが可笑しくて堪らず、声を上げて笑った。

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 予定通り、剣道部に入った智に、印象的な出会いが二度あった。

 

 一人目は、眼鏡に三つ編み。少し野暮ったい印象的の深山楓。

 楓は、とにかくマイペース。絶対に無理をしない。彼女の中で、練習に取り組む時間は決まっていて、時計の針が午後6時半を指すと帰ってしまう。

 勿論、即行で上級生に目を付けられた。

 しかし、地稽古で反目していた上級生三人を汗一つかかずに打ち倒した。

 四人目と打ち合った際、相手は禁じ手とされている突き技を使ったが、楓は即座に反応し、これを逆に突き技で仕留めた。

 顔色一つ変わらなかった。

 

 後の先を取る腕前も恐ろしいが、相手方の反則に即座に反応して迷いなく禁じ手で返す性根も恐ろしい。悶絶する相手を見ても顔色一つ変えない。

 智も人のことはとやかく言えないが、それでもゾッとした。

 

(なんや、こいつ。メチャクチャ怖い女やな……)

 

 以降、深山楓は上級生たちに空気扱いされている。

 

 二人目は秋月蛍。

 身長は180㎝を超えている。無口、無表情。

 顧問はとにかく彼女を特別扱いしている。何かと目をかけ、稽古中は絶対に目を離さない。そのお陰で楓のように上級生に絡まれずにいる。

 A級特待生。

 智が真偽を尋ねると笑って首を振ったが嘘だ。

 いつも自然体。

 自分のことは喋らない。秘密主義。

 そして――怪物。

 何気なく見せる身のこなしや歩方。剣道だけじゃなく、他の武道にも精通している。

 何より『雰囲気』がある。

 言葉にするのは難しいが、身に纏うもの。黒岩智と共通するもの。

 蛍は、こっそりと智に話し掛けて来た。

 

「深山がいなかったら、三分くらいで全員殺せるな?」

 

「……」

 

「なんだ、驚いた顔して。黒岩だってそれくらい出来るだろ?」

 

「……知らん。そんなん考えたこともない」

 

 智は思い切り渋面になった。個人の性分として、暴力を好んだことは一度もない。

 ――合わない。

 何処まで本気で言っているかは解らないが、相手を殺せるかどうかで測ったことは一度もない。――殺してやりたいと思ったことはあるにしても。

 その価値観は共有できない。

 智にとって、秋月蛍は得体の知れない怪物だった。

 蛍が言った。

 

「私と深山と黒岩と、三人いれば団体も行けるな。これからの三年間、よろしくな」

 

「…………わかった。ええよ」

 

 智は用心深く答えた。

 秋月蛍のことは理解できないが、進んで敵に回すこともない。このときはそう思った。

 ――そう思ったのだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒岩 智5

 高校入学から一ヶ月ほどが経過して、智の高校生活は平凡そのものだ。

 朝の6時には起きて父と自分の弁当を作る。その合間に朝食の準備をする。

 朝食を摂る。登校する。授業が終われば剣道部で稽古に励む。汗を流している間は悠希のことを考えずに済んだ。

 晩御飯は店屋物が多い。

 智は部活動、父は仕事で疲れている。自然にそうなった。入浴した後は、なるべく早く眠ってしまう。

 

 悠希とは廊下ですれ違うことがあるが、それだけだ。

 全く納得してないが、予定通りだ。こうなった以上、はっきりした成長の姿を見たい。それからまた繋がりを持てれば。

 そのときはもう、繋いだその手を離さない。

 ――永遠に。

 そんなことを考える智の高校生活に、事案が発生したのはGWが終わって間もなくしてのことだ。

 

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 

 何の目的もなく、勉学に部活動に勤しむ。かつての頃のように敵はなく、守るものもない。

 単調な毎日が続いているが、秋月蛍や深山楓のような好敵手に恵まれているため、退屈とまでは言わない。

 ただ、何の為に強くなるのか。何故、鍛えているのか。それを考えると、どうしても稽古に身が入らない。

 時折は廊下ですれ違う悠希も、智の姿に足を止めていたのもホンの一ヶ月くらいのこと。

 日々重なる平淡は刺激すら風化させて行くらしい。

 時間は何者にも等しく流れる。優しく、そして残酷に。

 その日の昼休み。食堂でのこと。

 

「え、超能力……?」

 

 ぼんやりと単調な毎日を送る智の耳に、その二人の話し声が入って来た。

 視線を向けると、秋月蛍が直角にお辞儀したスプーンを持ち、ヒラヒラと目の前で振っている。

 

(スプーン曲げ……?)

 

 蛍が上機嫌で言った。

 

「うふふ、御影もやってみるか?」

「トリックがあるんでしょ?」

 

 悠希は受け取ったスプーンを不思議そうに調べている。

 揺すったり、穴が開くほど見つめたり。やがて小首を傾げ、不思議そうに言った。

 

「どうやったの?」

 

 秋月蛍は、白い歯を見せて破顔した。

 

「ちょっとしたコツがあるんだ。御影にもできるよ」

「教えて」

「いいよ。でも、先ずは自分でやってみようか」

 

 ――秋月蛍が、笑っている。

 智にとっての蛍は、理解不能の怪物。

 強いか弱いか。或いは、殺せるかそうでないか。そこにしか興味のない別世界の生き物。

 

(笑えるんやな……)

 

 その笑顔を見せる相手が悠希であることは問題ではない。蛍が同じクラスであることは知っていた。むしろ――

 

(頑張りや、蛍)

 

 そう思ったくらいだ。

 二人は長机に向かい合って座っている。

 

「先ず、スプーンを持って目線に合わせて。……そう、肩の力は抜いて……」

 

 説明する蛍の右手が、じりじりと近付き、今にも悠希の左手に触れそうだ。

 

(あ、あかん)

 

 ――と、智が思ったのと同時に、蛍の指先が悠希の左手に触れた。

 その瞬間、悠希は右手で左手を庇いながら席を立ち、瞬きもせずに蛍を睨み付けた。

 

(これやん……)

 

 元々、悠希は人間嫌いの性向があり、身体に触れられることを嫌がる。

 特に『左手』はまずい。

 智が察するに、この辺りは過酷な幼児期の体験が深く影響していると思われる。

 

(はい、終了)

 

「……」

 

 悠希は黙って蛍を睨み続ける。

 そこには無言の抗議と激しい拒絶があった。

 

「あ……」

 

 対する蛍は、先程の笑顔も何処へやら。泣きそうに顔を歪ませて俯いた。

 

 普段の悠希は、殆ど人と目を合わせるということをしないが、怒った時は話は別だ。

 黙って睨み付ける。

 悠希のそれは、滅多にやらないぶん迫力がある。中学時代のクラスメイト、教師、看護師。智の知る限り、これに怖じ気付かされた女性は数知れない。

 

(おさわり厳禁やん……)

 

 近付く女の実に八割がこれで振り落とされる。

 簡単な道なら、智がこの道を譲ることはしなかっただろう。その智にしても、同じ父子家庭という共感とあの成り行きがあったからこそ、この地雷を踏まずに済んでいるだけのことだ。

 悠希の不信は特に女性に向けられている。間違いなく、虐待を行った母親のせいだろう。

 

「……」

 

 悠希は、蛍をじっと睨み続ける。

 

「あ、あうう……」

 

 蛍は呻きながら大きな身体を小さく畳み、みるみるうちに萎んで行くように見えた。

 

(おうおう……怯えとる怯えとる……あれ、むっちゃ怖いんや)

 

 長く一緒に居れば、智も何処かで地雷を踏んだに違いない。

 誰かが慣らさねばならない。

 そういうものだと教える女が必要なのだ。そして智は、その役割はやりたくない。嫌われ役はやりたくない。

 悠希が言った。

 

「ベタベタ触るな……!」

 

 睨み付ける眼差しに籠る炎は、一向に治まる気配がない。

 

 蛍の人間らしい一面を見られたのは良かったが、これは智にもあり得た可能性の話だ。そう思うと、とてもではないが、見ていられない。

 居たたまれなくなって、智は視線を逸らした。

 智には自信がない。

 自分が、他の誰とも違う『特別』であると思うことができない。

 もう一度、蛍に視線を向ける。

 

 こんなとき、どうする?

 

 蛍は俯いて目を閉じている。耐え難い何かを堪えているように見える。

 智は自信がない。

 こんなとき、自分が『あれ』を使わずにいられる自信がない。だから、今もまだ、動画を消去出来ずにいる。

 

 蛍を――蛍の終わりを見つめ続ける。

 

 成長が必要なのは、智も同じことだ。

 蛍がこれから迎える一つの『終わり』は、智にとってもあり得た『終わり』。

 落胆。その裏に安堵。だが、これでいいとも考える。

 何事にも反復学習は効果がある。これを繰り返すうちに、きっと悠希は慣れて行く。

 こういうものだと理解する。

 そう思うと、蛍に対する怒りも嫉妬も湧かない。むしろ、得難い経験をさせてくれた彼女に感謝の思いすらある。

 だがそこで――

 

「待った」

 

 秋月蛍が顔を上げ、言った。

 

「なあ、御影。何で怒ってるんだ? 私はそんなに酷いことをしたのか?」

 

 それは、意外だった。

 ざらりと得体の知れない不快感を覚え、智は眉をひそめる。

 

 蛍は背筋を張って、悠希の警戒の視線を受け止めた。

 稽古の時に見せる真剣な表情。相手を正眼に捉え、視線を切らない。

 秋月蛍が、変わった。

 

「今、少し左手に触れてしまったな。その事で怒っているのか?」

 

「……」

 

「私が悪いのか?」

 

 その問い掛けに、悠希は思わしげに視線を伏せることで応えた。

 

「…………」

 

 悠希は沈黙し、考え込む様子だった。ややあって、

 

「ごめん、言い過ぎた」

 

 思い直したように、蛍に謝罪した。

 

「うん、過剰反応だな」

 

 蛍は軽く頷いて、何でもないことのように謝罪を受け入れた。

 

(……なんや、それ)

 

 智は指先が白ばむほど強く拳を握り締め、警戒を解いた悠希と、やんわりと微笑を浮かべる蛍を見つめていた。

 目眩を感じた。

 自分では回答不能だと思っていた難問に、適切な答えを突き付けられたような気がした。

 

 秋月蛍。

 

(なんや、コイツ……気にいらん……真っ直ぐ行きよって……)

 

 自分に言い訳して、悠希から逃げた智には、絶対に辿り着けない『最適解』だった。

 

◇◇

 

「……うん、御影のことか。信じられるか? あれでも私たちと同い年なんだ……って、こんなこと言ってたら、また怒らせるな」

 

 稽古中は無駄口を叩かない蛍だったが、悠希のことに関して話題を振ると堰が切れたように喋り始めた。

 

 ……気にいらない。

 

「また? なんや、よう怒らせるん」

 

 その問いに、蛍は肩を竦めた。

 

「ああ、御影ならよく怒るよ。小さいけど、すごく気が強いんだ」

 

 ……よく怒る。つまり、それだけの回数ケンカして仲直りしたことになる。

 智の知らないところで。

 

「……いかんのん?」

 

 蛍は笑って首を振った。

 

「まさか」

 

 その誇り高さがいい。

 智は思う。

 プライドのない者は信用できない。平気で嘘を吐き、恥知らずな裏切りにも何の痛痒も覚えない。

 高すぎるプライドは慢心に繋がることもあるが、律することが出来れば、それは何処かで強さに替わる。

 蛍は、その辺りをちゃんと理解している。――だから、腹が立つ。

 

「好きなん?」

 

 A級特待生。

 その事のみを求められ、この場にいる秋月蛍の頭にあるのは、強いかそうでないかだけだ。ある意味、特待生としては完成している。

 

 日本人離れした長身に白皙の肌。奥二重の瞳は冷淡な印象を受けるものの、凛々しく美しい。男が引け目を感じるタイプの『美人』。

 根っからの『武人』。

 恐らく、特殊な環境で育ったのだろう。彼女の進む道には唯一恋の花が咲くことはなく、艶やかさに欠けている。『女』としては魅力に欠ける。

 そう思っていた。

 このときまでは。

 

「え? あ、うん。そうだな、気にならないと言えば嘘になるな、うん」

 

 何やら焦ったように、もごもごと口を動かす蛍の頬に、鮮やかな朱が散った。

 それは見事な――

 

「明徹だな、あれは、うん。はっきりとしていて賢い!」

 

 智が目にしたのは、それは見事な、恋する乙女。

 剣に懸ける青春。それならば敵ではないと思っていた。

 智の場合、剣道をやるのはただの暇潰しだ。確たる『強さ』にも特に拘りはない。都合が悪くなれば辞めてしまっても構わない。もし、悠希が告白して来たら3秒で辞められる。

 

(よくどいの、コイツ……)

 

 照れ隠しに意味もなく頷きながら、稽古に戻る蛍の後ろ姿を半目で睨む。

 

(竹刀でも突っ込んどれや)

 

 秋月蛍が、敵になった瞬間だった。

 

◇◇

◇◇

 

 それから――そこかしこで悠希と蛍の姿を見掛けるようになった。

 在るときは廊下で。

 また在るときは食堂。

 蛍は何時も前を歩いていて、悠希が後を付いて回っているように見えたが、何のことはない。蛍が後を付いて回っている。ただ、悠希の前にいるだけだ。

 

「御影、今日も一緒に食堂に行かないか?」

「今日はお弁当だから、教室で食べる」

「食堂で食べればいいじゃないか」

「いやだ」

 

 肩に置かれた蛍の手をぴしゃりと叩き、悠希はテクテクと歩いていく。その小さな背中を――

 

「待った」

 

 秋月蛍が呼び止める。

 そしてまた、智は得体の知れない不快感を覚える。

 

(またや……この感覚……)

 

 稽古中には殆ど見せない笑みを浮かべ、蛍が諭すように言う。

 

「なあ、御影。私たちが面識を得て、まだ二ヶ月というところだな。でも、私たちはそれなりに口を利いているし、そこそこ行動を一緒にしている」

「うん……」

 

 足を止め、振り向いた悠希は、少し興味深そうに蛍の顔を見上げている。

 

「御影は人の集まりを避ける節があるな。欠点とまでは言わないが、度が過ぎれば集団で孤立するようになるぞ?」

 

「困らないよ」

 

 蛍は一つ頷いて、言った。

 

「私が思うに、人間という生き物は社会的な生き物だ。誰もが他人と無関係でいられない。御影のその感性は嫌いじゃないけれど、自ら不利を抱えることはない。そうは思わないか?」

 

「困らないよ」

 

 悠希は繰り返し、今度はつまらなそうに答えた。

 蛍はこれにも應揚に頷き返した。

 

「じゃあ、御影は社会から孤立して生きて行くつもりか?」

「それは……」

 

 悠希は明徹。

 蛍はその性分を見越して理屈を捏ね回している。

 集団を嫌い、他者との繋がりを避ける悠希の性分は、ある意味、欠点と言ってよい。

 

「……」

 

 理に聡く明るい性分故に、悠希はこの指摘に辟易して黙り込む。

 蛍が手を差し出した。

 

「行こうよ」

「……うん」

 

 悠希の表情は、到底、納得しているとは言い難いものがある。

 嗜好と必要性は違うのだ。それを理解して、悠希は成長を望んでいる。だからこそ。

 

「行こっか?」

 

 悠希は、差し出された蛍の手を取った。

 

「♪」

 

 蛍は悠希に見えない角度で、しかし智にはばっちり見える角度で小さく拳を握り込んだ。

 

(コイツ……!)

 

 一部始終を見守った智の頭に、カッと血が昇った。

 秋月蛍は表現できない『何か』を持っている。それが解らないのも腹が立つが、なにより忌々しく思うのは、

 

(アイツ、楽しんどるな……)

 

 蛍が悠希との関係を楽しんでいることだ。

 智にとって恋愛は、楽しいばかりのものではない。いとおしく、掛け替えのないもので、何よりも狂おしい。時に激しい苦痛すら伴うものだ。

 大切な何かを踏みつけにされているような気がしてならない。

 

(蛍、お前は……!)

 

 気が付くと、いつの間にか食い縛っていた唇から血が流れていた。

 

「……」

 

 智は口中に湧き出した錆び臭い唾を吐き出して、それから強く頭を振った。

 悠希が傷つけられた訳じゃない。怒り狂う状況じゃない。

 予定通り、悠希は成長している。少なくとも、いい方向に向かっている。

 ただちょっと、見ていて胸が軋むだけ。

 

「……」

 

 ただちょっと、手放したものの尊さに、涙が出そうになっただけだ。

 

◇◇

 

 日々、投げ出したものの大きさに智が後悔の念を大きくする間も、時間は流れる。

 

「黒岩さんは、何で本気を出さないんですか?」

 

 その日の稽古中、深山楓が投げ掛けた言葉に智は険しい表情になった。

 

 顧問の明らかな贔屓で煙たがられている蛍とも、段違いの実力と傍若無人な振舞いで腫れ物のように扱われる楓とも違い、智の場合、上級生との関係は悪くない。

 力を見せびらかすことに意味を感じない。威張り散らしたい訳でもない。いざというとき、望んだ分だけの実力を発揮できればいいのだ。

 蛍と楓のような実力者がいなければ、智がこの女子剣道部の牽引車として頑張ってもよかったかもしれない。

 

「本気やよ?」

 

 朗らかに言って笑みを浮かべる智に、楓は、がっかりしたように首を振った。

 

 ……遠くに、蛍の視線を感じる。

 

 周囲は皆、思い思い打ち合い、稽古に励んでいる。

 竹刀が防具を打ち、気合いを入れた掛け声が飛沫のように辺りを飛び交っているが、面頬の奥に、蛍の視線を感じる。

 

 ムカムカした。

 

 部活に恋に、積極的に臨む秋月蛍が羨ましい。

 悠希と蛍は、日々、その距離を近くしているように見える。

 頭の奥が熱くなる。どいつもこいつも……

 

(無茶苦茶にしたろうか)

 

 楓は一つ溜め息を吐き出して、肩の力を抜いて見せた。

 口には出さないが、明らかな手抜き。

 智は言った。

 

「何の為に強うなりたい?」

 

 興味なさそうに楓が答える。

 

「さあ? 実力の証明でしょうか」

「……ええやろ」

 

 軽く流すつもりだったが、気が変わった。

 

「小、持って来るけん、ちいと待ちいや」

 

 大刀は114cm以下 、小刀は62cm以下 が二刀流の規定であるが、昨今の剣道に於いて、『二刀流』は珍しい部類に入る。

 

「宮本武蔵の真似ですか?」

 

 大小構えた智の姿を、楓は鼻で笑って見せた。

 二刀流は、防御は良いが攻勢は弱いとされる。そのため引き分け狙いの戦術として用いられることはあっても、純粋な『使い手』はあまりいない。

 

「やかまし、早う来い」

 

 どうにも今日はムシャクシャする。

 余りにも珍しい二刀流の剣士と、上級生相手にも敵なしの楓との打ち合いが、蛍のみならず部全員の注目を集めていることに智は気付かない。

 

 確たる強さに興味のない智だが、時々は考える。

 

「強さの証明か……つまらん……」

「では」

 

 楓が浮かべた笑みを崩さないまま鋭い打ち込みを仕掛けて来る。

 

 ――本当の『強さ』とは?

 

 衝突は刹那。

 鋭い打ち込みを二刀で受け、鍔迫り合いの形から、思い切り押し返した。

 

 単純な力比べに負けた楓は弾け飛び、背後の壁に強かに背を打ち付けた。

 

「軽い」

 

 対する楓は激しく咳き込み、その表情からは余裕の笑みが消えている。

 

「もう一辺じゃ、来い」

「……!」

 

 二刀流は実戦に不向きであるとする見方もあるが、それは単に二刀を扱う膂力が足らないからだ。完璧に大小を扱うことが出来れば、二刀流こそ最強の剣であるとする有段者もいる。

 黒岩智は身長172cm。鍛え込まれた身体は上半身が発達し、怒り肩に見えるほどだ。

 

 左の脇差しで楓の打ち込みを払い除け、即座に右の大刀を小手先に叩き付ける。

 すれ違うようにして駆け抜けた楓の手から竹刀が転がり落ちる。

 

「拾え。もう一本じゃ」

 

 剣道のルールでは竹刀を二度落とすと負けとされるが、竹刀を狙った戦術は実力差のある相手にしか通用せず、かつ必要以上の屈辱を与えるとされるため、用いられることは少ない。

 

 剣士としての黒岩智は、掛け値なしに強い。

 ――深山楓より。

 智は言った。

 

「つまらん。お前の言葉も態度も、弱いヤツのすることじゃ」

「……!」

 

 面頬の奥で、楓の表情が紅潮する。素早い動作で竹刀を拾い上げると同時に、低い立ち位置から『突き』を繰り出した。――禁じ手。

 

 殺意すら込めて向かい来る竹刀の先を視界に捉え、智は少しだけ考える。

 

 世界は無常だ。

 

 深山楓が渾身の力で放つこの『突き』は読んでいた。対処は難しくない。

 踏み込みながら身を躱し、引っ掛けるようにして足元を蹴り上げた。

 

 世界は無常だ。

 

 楓は無様に転がって、その光景を面白そうに嘲笑う上級生たちがいる。

 

 この胸に咲いた、小さく儚い花を守りたい。智は、それだけの強さがあればよい。

 

 ポツリと呟く。

 

「世の中っちゅうんは無常なんよ……」

 

 ただひたすら稽古を積むことが強さの秘訣なのか?

 そんなことはない。

 努力が必ずしも実を結ぶとは限らない。世界は理不尽の法則が支配する。

 黒岩智の場合――

 

 

 ――信じん……そんなことは、あったらいかん……

 

 

 ――ホントウダッタロ?

 

 

 世界は無常だ。

 そのつもりがなくとも、傷付けてしまうことがある。

 意思があり、その為の力も持ち合わせがある。それでも、指先をすり抜けて行くものがある。

 

(御影……!)

 

 再び転がる楓の竹刀を踏みつけ、智は宣言する。

 

「合わせて一本。これまで」

「……!!」

 

 膝を着いた姿勢で睨み上げて来る楓は、おっとりと下がった眦に大粒の涙を湛えている。

 その敗北を慰める者はなく、屈辱を癒す言葉もない。

 

「……これだけの力が有りながら、何で隠すんですか……?」

 

「勝手に想像せえや」

 

 突っ慳貪に言い放ち、智は色素の薄い瞳を『そちら』に向ける。

 

「次は、あんたか?」

 

 言葉の先にいた蛍が、びくりと肩を震わせた。

 

「腕自慢なんやろう? 遠慮せんでええよ」

 

 黒岩智は、自分が強すぎるということを知っている。

 

 僅かに俯き、色の籠らぬ視線を躱す蛍の頬に、冷や汗らしきものが伝って落ちる。

 

「い、いや、やめておく……」

 

「そか……残念……」

 

 二天一縷は戦場の鬼の剣である。

 うっすら、嗤って見せる智の胸の裡は――

 

(本気出したら、皆、殺してしまうやん……♪)

 

 強すぎる、その力ゆえに病んでいる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒岩 智6

 剣道部での智の評判は悪くない。

 稽古が始まる前に、キチンと体育館に集合して他の部員と共に活動開始の準備をする。

 先輩にはちゃんと頭を下げる。ジュースを買いに行けと言われれば黙ってその通りにする。蛍と楓の印象が強すぎた為か、それだけやっていれば智が目を付けられることはなかった。

 しかし、この日。

 膝を着き、敗北のショックに項垂れる楓を静かに見下ろす黒岩智には、誰にも無視できない雰囲気が――『凄味』がある。お飾りでない真剣の凄味があった。

 

 辺りは水を打ったように静かで、屋外で活動している運動部の連中が上げる掛け声だけが遠くに聞こえる。

 

「……ちっ」

 

 面頬の中で、智は小さく舌打ちした。

 

(他愛もない……皆、もう別人やん……)

 

 周囲を軽く見回してみるが、誰も視線を合わせない。年上の上級生、蛍以外に興味がなさそうな顧問、一緒に稽古の準備をした他の同級生までもが、怯えたように下を向いている。

 

(あちゃあ……)

 

 明らかに面倒臭そうな上級生とのいさかいは蛍と楓に任せ、大人しくしているつもりだったのに。敵になるとまでは思わないが、もう『普通』ではいられない。

 

 智は疲れたように溜め息を吐き出して、少し弛んだ胴着の帯を持ち上げた。

 

「めーん」

 

 この雰囲気を解きほぐそうと、お茶目に楓の面を軽く打ってみる。

 

「……参りました」

 

 楓が涙ながらに呟き、余計に雰囲気が悪くなった。

 

(うわ、私、めっちゃKYやんか……)

 

 頭に昇った血が下りてしまうと、智は急に居たたまれない気分になってきた。

 楓の鼻っ柱をへし折ったのは単なる憂さ晴らしだったが、代償は高いものになった。

 

「く、黒岩。ちょっといいか……?」

 

 おずおずと声を掛けて来たのは、蛍にへばりついて存在感のない顧問だった。

 顧問をやっているその男性教員は、普段は全校生徒の風紀の取り締まりなんかもやっていて、校内では結構な強面の部類に入るのだが、このときは表情が引きつっていた。

 

◇◇

 

 智は顧問に連れられて、人気のない体育教官指導室で二人になった。

 

「先生、最後の面は余計だったと思う……」

 

「うわ、堪忍な……」

 

 そんなやり取りの後、座席を勧められ、智はそこに腰を下ろした。

 顧問は暫く考え込むように唇を舐めていたが、言った。

 

「黒岩が強いのはケイから聞いてたけど、本当に強かったんだな。でも実績みたいのはない……」

「……お父が転勤族やったから、そんなんとは無縁やってんけど……」

「ああ、それで……」

 

 顧問は納得したように頷いて、それからまた黙り込んだ。

 

 沈黙の時間が続く。

 

(なんや? むっちゃ居心地悪い……)

 

 智としては、特別悪いことをした覚えはない。楓にしても少し打ち身くらいは負ったかもしれないが、ほぼ無傷と言っていい。謝るのは違う。

 やがて、顧問は考えが纏まったのか、単刀直入に言った。

 

「黒岩。ケイ……秋月とは練習でもやり合うな」

「……」

 

 秋月蛍を潰すな、という訳だ。このあからさまな贔屓には智も不快な気分になった。

 

「私より、深山に言いや」

 

「深山?」

 

 先は智が圧倒したが、実際の実力差は余りない、というのが智の見立てだ。楓が慢心せず、冷静に臨んでいたらいい勝負になっただろう。

 まあ、絶対に負けはしないけれども。

 楓は見た目こそ大人しいが、内面はとてつもなく激しい気性の持ち主だ。いざとなれば禁じ手の使用も躊躇しない性分がそれを物語っている。

 

「最後の『突き』は見とったやろ? あれ、殺意あったで」

 

 あの突きは以前見たことがあるから対処できただけで、初見ならどうなったか分からない。少なくとも、反撃の余地はなかっただろう。

 

「……」

 

 智は黙り込み、少し考える。

 確たる強さに拘りのない智だからこそ、深山楓の危険性がよく見える。この際――

 

(潰しとこか……)

 

「どうした、黒岩? 急に黙り込んで……」

「……あんな、先生。深山は相当危ないで?」

「深山が? あれくらい強かったら、多少調子に乗るのはよくあることだし、それはもう黒岩が――」

「なん言いよんや」

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

◇◇

 

 智は、口を酸っぱくして楓の危険性を説いた。

 

「――アイツはそれができるんよ」

 

 その間、顧問教員は腕組みして難しい表情だった。

 

「……確かにそうかも。今はまだ……」

 

(そんなに蛍が可愛いか? あのデカブツが。惚れとんちゃうか、コイツ……)

 

 ふと、顧問が言った。

 

「なあ、ケイって剣道始めてまだ2ヶ月くらいなんだけど、いつくらいまで深山は危ないと思う?」

 

 ――時間が止まった。

 

「は?」

 

 顧問がニヤリと笑って頷いた。

 

「まあ、そうなるよな。驚くよな。でもそういうことなんだよ。A特って、そんな化け物しかいないんだぜ?」

 

「……2ヶ月?」

 

 稽古では何度か手を合わせたが、身のこなしや打ち込みの強さは有段者の智から見ても申し分ない実力者のものだった。

 

「ウソやろ……?」

 

「本当。そんなことでもなきゃ、たかが15の小娘に大の男が――っと、失言……」

 

「……」

 

「ケイはいいよ。アイツは頭も悪くない」

 

 ……それは分かる。

 考えるより先に感情が先走るタイプなら、今頃は楓と二人仲良く転がっていただろう。

 

 ――天才。

 

 これまでの人生で、そういったものを見たことはないが、認めるべきなのだろう。

 世界は無常である。必ずしも努力が認められるとは限らない理不尽の法則が支配している。

 それを知っている智だからこそ、この現状を冷静に飲み込んだ。

 

「A特って、本当やったんやな……」

 

 今更取り繕っても仕方ない。顧問は頷いた。

 

「あぁ、そうだ。要するに、ケイは期待されてる。今は大事に行きたいんだよ」

 

「……」

 

 智は内心、鼻を鳴らした。

 楓のように強さを自己顕示欲に発展させるタイプなら、激昂していただろう。

 

「先生、今はまだケイを潰す訳にいかないんだよ。だから、その……アレだよ! 分かるだろ!?」

 

(……うるさいの。ちっと黙っとれ……)

 

 目の前で何か語っている顧問は、智の目にはただのサラリーマンに映る。見るべきものは何もない。

 

「勿論、タダとは言わん。先生、黒岩の為に色々便宜を量るつもりでいるよ!」

 

「……分かった。けど、この話は深山にもしや」

 

 楓の気勢を殺ぐのに、この話は有効だろう……。

 

 そこまで考え、智は自分を訝しく思った。

 

(なんや、私……深山のこと意識しとんのか……?)

 

 智にとって、剣道はただの暇潰しに過ぎない。強さにも拘りはない。

 だが、何故か楓を潰さねばならないと思ってしまう。蛍よりも、先に潰さねばならないと思ってしまう。

 智にとっての最終的な勝利は、悠希の隣に立つことだ。そういう意味では、楓は競争相手ですらない。……胸の大きさは気になるけれど……。

 

 智は小さく息を吐く。

 

 楓は気性の激しいタイプだ。この手のタイプはムラがある。ダメな時はとことんダメだが、そのぶん爆発力は恐ろしい。

 ――策(て)は打った。

 蛍に関しては、目の前のサラリーマンが上手く使えそうだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒岩 智7

 その日の悠希は、廊下の壁にスプーンを押し付けて何やら唸っていた。

 

「ふんっ! ぬぬぅぅぅぅ!」

 

 その悠希を、蛍が柱の壁から覗き見ているという構図。

 

「ぶぷっ!」

 

 口に手を当てて噴き出した蛍だったが、この時は智の存在に気付いていた。

 

「黒岩、隠れろ! こっちこっち!!」

 

 囁くように言う蛍に倣って、智も物陰に身を隠す。

 

「うぉりゃぁぁぁぁ!」

 

 隠れて見守る二人に気付かず、悠希は渾身の力でスプーンの壁に押し付けている。

 

「何やっとん、あれ……」

「スプーン曲げだよ! ぶぷっ!」

 

(そのネタ、まだやっとったんかい)

 

「アレ、そんな難しないやろ」

「不器用だから出来ないんだよ!」

 

 可笑しくて堪らないという様子で、蛍は声を殺して笑い続けている。

 

「……」

 

 智は笑えなかった。

 以前、悠希の家でアルバムを見たことがある。

 今の悠希の姿は、三年ほど前から殆ど変わらない。

 何者にも平等に時は流れる。

 誰が決めた?

 この現実が、どうしようもなく胸を灼く。

 

(A特か……)

 

 いつも自然体。先の一件が智に対しての印象を変えるかと思ったがそうでもない。

 卑屈になることもなければ、斜に構えることもない。

 泰然自若とした様子。

 相変わらず秋月蛍の存在は不快だが、悠希との関係は健全そのものだ。中学生のような二人の関係には、苦笑いしか浮かばない。

 今のところは好きにさせる。

 それが、智の方針。

 

◇◇

 

 この年のインターハイはそれなり。

 今年、一年生の智は団体戦は三年生に譲り、個人戦では準決勝で負けた。

 『一本』しか持たなかった割りによく行った。

 驚きなのは深山だ。

 団体戦の席を三年に譲り、個人戦ではあっさり二回戦で負けた。

 やはりムラがある。

 顧問から話があり、それが大幅に気勢を殺いだのは間違いない。三年生が引退してからは内面に変化があったのか、周囲に合わせる素振りを見せるようになった。

 

「黒岩さんは、何で本気を出さないんですか?」

 

「……そやな……」

 

 ――力を振るっている自分の姿を悠希に見られたくない。そういう意味では力を忌避している。だがその反面で、理不尽を跳ね返すのにこれ以上適した方法があるか? という自問の思いもある。

 

「……必要ないんやろうな」

「他人事みたいに言うんですね」

 

 答えたのは、すっかり変わってしまった楓の様子に罪悪感を覚えたからだ。

 智は、ムッと眉間に皺を寄せた。

 

「私が欲しいもんに、強さは全然関係ないんよ」

 

 それが問題を複雑にしている。

 

「思いが強かったら、人は放っといても強うなる」

「……」

 

 その『強さ』は既に手に入れた。悠希を害するものは何人たりとも赦さない。鬼の剣。

 

「でも、それだけじゃいかん。足りん」

 

 自分に足らないものが分からない。それが何か分からない限り、黒岩智は『特別』にはなれない。

 

「足らんのよ……」

 

「……」

 

 楓は力なく項垂れて、独白の趣がある智の言葉を聞いている。

 呟くように、ポツリと言った。

 

「……敵わない訳です……」

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 時は流れる。

 あるものには優しく。

 あるものには残酷に。

 季節が巡り、また春がやって来た頃、悠希はよく笑うようになっていた。

 

 それは中学生時代の智が、決して与えることの出来なかったものの一つだ。

 智は、それがどうしようもなく嬉しい。

 同時に――

 それを与えることが出来た秋月蛍が妬ましい。

 

 

「おはよ、シュウ」

「ああ、御影。おはよう。今度、食堂のメニューが一新されるって知ってるか?」

「ウソ!?」

「本当だよ。早速、試しに行こう」

「いいね!」

 

 

 憎い。

 叩き殺してやりたいくらいには。

 

 A級特待生。

 剣道部の顧問の話では、今後の活躍次第で東京の大学に進学する可能性がある。

 必ず活躍してもらう。智がそうさせる。そして悠希とは離れてもらう。――必ず。

 

(……今の私、思い出やんな……)

 

 自分で選んだ道だ。

 でも、上手く行き過ぎると不安になる。腹が立つ。蛍の場所に、智が居ても何の不思議もなかったのだ。

 悠希とは同じ学年である以上、すれ違うことくらいはあるが、今はもう、チラリと視線を向ける程度だ。そして隣には、いつも――秋月蛍。

 

 この一年で、秋月蛍は強くなった。他の武道をやっていた下地もあるためか、成長著しい。着実に王者の階段を上っている。

 

(天辺まで行って、そのまま消えてなくなれや)

 

 智の望みはそれだけだ。

 高校生活も二年目に入ったが、蛍との関係は良好だ。いずれ居なくなる強敵ならば、敢えて対峙する必要はない。

 

 個人的な思惑は別にして、悠希と秋月蛍の関係は理想的と言ってよい。一年間、不自然に見えない程度に観察を続けた智の感想はそれだった。

 

 見た目のか弱さに反し、はっきりと物を言い過ぎる悠希はトラブル体質だが、蛍の存在が他者の悪意の介入を許さない。そういう意味では、安心して見ていられた。

 陰になり、日向になり、蛍の存在は上手く悠希を支えている。――いい『お友だち』。

 

(さて、ここからやん)

 

 意地悪く智は考える。

 ここまでも決して容易くないが、ここからは更に茨(いばら)の道が予想される。

 着実に友人としての地盤を固めた蛍がここから先、どうやって『恋人』の位置に駆け上がるのか。

 

 大失敗をやらかすのは、分かりきっていた。

 

◇◇

◇◇

 

 そして、その日がやって来る。

 この日、蛍が悠希を伴って剣道部の稽古にやって来た。

 

「……」

 

 蛍はニコニコと上機嫌で、悠希は嫌そうな仏頂面で、顧問に先導される形でやって来た。

 

 思い切り頭をぶん殴られたような衝撃が走り、智は目眩すら覚え、その場に倒れ込みそうになった。

 

(――嘘や!)

 

「え~っと……秋月さんの推薦で、この剣女のマネージャーをやることになるかも知れないこともない御影くんです。皆、仲良くするように……」

 

 奥歯に物が挟まったような物言いの顧問を強く睨み付け、智はギリギリと歯を噛み鳴らした。

 

(何やっとんじゃ! ぼんくらサラリーマンが!!)

 

 A特の蛍にとって男女関係の問題は、ありがちでそれでいて危険な問題であり、それだけにこの展開を顧問が許す訳がないと思っていた智には驚愕の出来事だった。

 悠希が言った。

 

「二年の御影悠希です……。暫く皆さんの活動をサポートすることになりそうです……?」

 

 言いながら、悠希は隣に立つ蛍の顔色を窺っている。

 

 ニコニコと上機嫌の蛍は、やはり笑みを絶やさない表情で頷いていた。

 

 かーっと頭が灼熱する。

 蛍のやっていることは、元々、自分がやりたかったことだ。そう思うと、この怒りは生半可なことでは収まりそうにない。

 

(この役立たずが!!)

 

「……!?」

 

 灼けつくような智の視線を受け、ぎょっとした表情になった顧問は、口の中でモゴモゴと何やら言って、足早にその場を去った。

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 この夏、秋月蛍の強さは正に鬼神だった。

 稽古でも打ち合うことを禁止されている智には確かめる術はないが、隙というものが窺えない。

 楓はこう述懐した。

 

「今の秋月さんは、ちょっと手に負えませんね……」

 

「……」

 

 

 

 

 ――なあ、黒岩。秋月和修って知ってる?

 

 

 アキツキ ワシュウ。

 78才。現財務大臣。20年以上も昔の話になるが、総理大臣をやったこともある。

 

 

 ――A特ってさ。全部持ってるヤツのことなの。分かる? 運動が出来るだけなら、B特で止まってるの。

 

 

 秋月家自体は、旧くは東北地方の大名の旗本出身。実家は鉱山を所持していて、戦時中の徴用工の問題で取り沙汰されたこともある。

 

 

 ――ケイはさ、そのワシュウさんの娘。全部持ってんのね。

 

 

 戦後は度々総理大臣を輩出する名家で、婚姻で意図的に当主の名前を変えることもある為、表に出ることは少ないが、知る人ぞ知るフィクサーの一人。

 

 

 ――問題? ならないよ。ケイが本気で欲しがれば、何でも手に入る。何があっても些細なことなんだよ。

 

 

(クソがッ!)

 

 

 ――まあ、今は自分の力で手に入れたいみたいだね。

 

 

(クソクソクソクソクソクソクソクソ――クソがッ!)

 

 

 ――ホント、何でこんなヤツがこの学校にいるのか、先生もよく分かんないんだよ。

 

 

(何なんじゃ、オマエみたいなヤツが何で……!!)

 

 

 ――嫌になるよな――

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒岩 智8

 悠希は人間関係に壁を作るタイプだ。可愛らしい印象とは真逆の突っ慳貪な態度を取ることも珍しくない。

 でも、固い険を取ってしまうと――

 少し微笑んで、こちらの目を見つめて、ゆっくりと話す。その時は決して遮らず、話を最後まで聞いてから自分の意見を言う。絶対に相手の考えを真っ向から切り捨てたり、ダメ出ししたりしない。

 悩み事には親身に対応する。無責任に答えを返すのではなく、分からない時は、黙って一緒に考える。

 ちょっとした失敗で落ち込んでいるときは笑わせて元気付けてくれる。そういう時、可愛らしい口からは想像も出来ないブラックユーモアが飛び出す。

 笑ってしまうと、その後はいつもの黒岩智でいられる。飾らない自分でいられる。

 

 ビビッと来た。

 これは、真面目に考えなければならないと思った。

 これから共に歩みたい異性として、大切に取り扱わねばならないと思った。

 

 智が考えるに、黒岩智という女は、とことんツいてない。もう少し運が良ければ、この若さで運命を感じることはなかっただろうし、対象に悠希を選んでしまうこともなかっただろう。あまりにも強力なライバル――秋月蛍が出現することもなかっただろう。

 

 その悠希は、今や蛍の後に付いて回り、剣道部のあれこれに説明を受けている。

 自分より随分上背のある蛍を見上げ、悠希が言った。

 

「防具はだいたい分かる。えっと……面に小手、それから胴当て……?」

「胴だね」

 

 答える蛍は、口元に上機嫌の笑みを絶やさない。

 

「……この、ふんどしの出来損ないみたいなのは?」

 

 力が抜けたのか、かくっ、と膝を折り、蛍は笑う。

 

「ふんどしじゃないよ。『垂』っていうんだ」

「ふうん……」

 

 蛍は頬を染め、一度咳払いしてから言った。

 

「御影は男子だからね。慣れないうちは、皆に迷惑をかけてしまうかもしれないから、なるべく私と一緒にいてほしい」

 

「わかった」

 

 この光景に目眩を覚え、智は額に手を当てたまま、動けなかった。

 

(なんや、これ……おかしいやろ……)

 

◇◇

 

 

 ――秋月蛍は、全てを持っていた。

 

 

◇◇

 

 日々を重ねるうち、自ら手離したものの貴さが、手に負えないほど大きくなって行く。

 智は、悠希のことに関して語る口を持たないようになっていた。

 

(私は……)

 

 思い出は追憶の彼方。

 

 智の恋は、人知れず散り行こうとしている。

 ……心の何処かで声がする。

 

 ――使え。

 

 切り札を使うのは、ここしかない。

 『アレ』は、スマホにも家のパソコンにも取ってある。データを吸出してDVDにも焼いてある。

 アレを使えば、今の状況を一瞬で引っくり返すことができる。悠希の心が絶対に手に入ることがなくなるだけ。

 心の何処かで声がする。

 

 ――それでも、使え。

 

 悪魔に生まれ変わるのだ。

 

(やかましい!!)

 

 人知れず初恋を終らせようとしている智には、それはあまりにも魅力的な悪魔の囁き。

 

 ――もう、使うしかないんだよ!

 

 視界の向こうでは、悠希が蛍の柔軟体操を手伝っている。

 蛍はいつになく真剣な表情。その心に一分子の乱れもないことが一目で理解出来る。

 でも、本来はその場所にいてもおかしくなかった智の存在には気付かずにいる。

 

 心の底で悪魔が囁く。

 

 ――そうでもしなきゃ、思い出にだって残れやしない。

 

(やかましい……)

 

 内心で力なく呻き、智は唇を噛み締める。

 

 限界が、近かった。

 

 

◇◇

◇◇

 

 

 やられた分は、キッチリやり返す。

 それが、黒岩智のたった一つの冴えたやり方。

 

 裏を返せば、自分からは手を出さない。

 

 ここで短慮に走れば、大切な何かを失った後、蛍に徹底的に敗れ去ることになる。

 稽古中の悠希は節度を守り、蛍との接近も程々だったことが、なんとか正気を繋ぎ止めたこともあるが、元来、智は冷静で頭を使うタイプだ。

 今の蛍に唯一欠けているものは、『仇役』だ。『アレ』を持っている智ほど、間抜けな道化に適した存在はない。それを理解していた。

 

 何もしない。それが現在の良策だった。

 

 この年の夏。

 秋月蛍は正しく鬼神の仕上がりだった。

 インターハイ個人戦優勝。団体戦優勝。選抜へ向けて大きな弾みをつけた。

 

 視線を背けると発見もある。

 

「……?」

 

 女子剣道部を支える悠希は大活躍。

 中性的な容姿もあり、部内の反発は殆どない。お茶くみに始まり、審判、ビデオ撮影、試合記録、防具や胴着等の備品管理。雑事という雑事の全てを不平一つ言わずこなす。

 特に下級生――一年生部員の悠希に対する好感と評価は高い。新たに高校に入り、実力も経験も違う上級生に揉まれて大変な時期だが、一人の脱落者も出すことがなく、夏を乗り切った。

 智から見た下級生は、どれも小粒の印象。全員、生き残ったのは悠希の存在に依るところが大きい。平時は後ろに控えていて、大変な状況になると現れて手を貸す。決して恩着せがましいことはせず、嫌がりそうなことはしない。

 

 深山楓が、ポツリと述懐した。

 

「私たちの時は、半分はいなくなったんですけどね。今年の一年生は恵まれてます」

 

 蛍の本格化に隠れて目立たないが、楓も成長著しい。

 智への敗北を経て、心境に大きな変化があったのか、周囲に気配りを見せるようになった。

 ここでもやはり、深山楓はマイペース。ゆっくり、しかし着実に。彼女の場合、主に人間性に磨きが掛かった。入学当初の傍若無人振りは鳴りを潜め、実力が一段落ちる他の部員たちとの稽古も程々にこなしている。最後まで練習にも付き合うようになった。

 そうなると、おっとりとした緩めの容姿の影響もあり、性根が入れ換わったと上級生の評判も悪くない。

 顧問も、楓の変化を評価した。

 

「深山、変わったなあ。黒岩に負けて、何か得るものがあったのかな……」

「……」

 

 その楓は、時折、悠希に半目の煙るような視線を向けている時がある。

 

「どした? マネになんか付いとんか?」

 

「……いえ、ちょっと……」

 

 楓は考え込むように視線を伏せ、言葉を濁した。

 

「……歪んでます」

「え、何が?」

 

 それは、一足飛びに懐に入りこまれたような。

 

 ずっと遠くにいると思っていた深山楓が、本当は直ぐ真後ろにいるような。

 

 ――智は、不快だった。

 

 智以外に誰も知らない悠希の素顔に気付きかけている楓のことが、この上なく不愉快だった。

 

 

◇◇

◇◇

 

 

「私がいないと、何もできない癖に!!」

 

 インターハイ終了直後、蛍と悠希の関係は破綻した。

 

 大失敗をやらかすことは、分かりきっていた。

 思った通り、それ見たことか。口元を覆う智は、大爆笑を抑えるのに必死の思いだった。

 

 智の好きな、御影悠希は人気者。

 インターハイが終了する頃には、剣女の愛らしいマスコットとしての地位を確立させていた。

 その悠希を連れて来たのは蛍だが、何かと構う様子は上級生のみならず、剣女全員に不評だった。その事をやっかむ声が大きくなり、爆発した形になる。

 

 何もせず、事の成り行きを見つめるだけの智だったが、この結末には清々した。

 これで、狂わずにいられる。

 同時に、落ち着いてこの一件を鑑みる智は、漸く『答え』の片鱗を垣間見たような気がしている。

 

 ――近付き過ぎても駄目。

 

 悠希は本当に厄介な性質をしている。

 自分は間違ってない。智は、ほっと安堵の思いだった。

 こうも思う。

 

(やっぱり、私やないといかんな! ええよ、ええよええよ! もうちょっとやん!!)

 

 ここから蛍の転落が始まる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒岩 智9

 言ってはいけない言葉がある。

 

 

 ――私がいないと、何にも出来ない癖に!

 

 

 蛍が本気でそう考えていたなら、悠希との距離がこんなに近くなることはなかっただろう。

 この言葉が弾みで出たものだということは分かる。

 

 ――悠希は、傷付いた表情だった――

 

 最初から最後まで、ただ成り行きを見守るだけだった智の口元に、緩い微笑みが浮かんで消える。思った。

 

 傷付いた表情も、堪らなく可愛い。

 滅茶苦茶にしたい程度には。

 

 稽古中だったが、蛍は全てを放り出し、駆け出した悠希を追って行った。

 

(青春やなぁ……)

 

 のんびりと受け止める智は、他人事のようにそう思った。

 

 蛍は謝るのだろう。そして悠希は謝罪を容れる。これまでに築き上げて来たものがそうさせる。

 だが奥深く入り込んだ澱(おり)は消えず、時間を掛けて全身に回る。

 

 悠希と蛍の関係は、智にとって理想的な関係だった。

 

 この年の夏が終わり、緩やかに何かが変わって行く。緩慢に、しかし確実に終わりに向かっている。

 

 智は、苛立ちを感じることもなければ、焦ることもないようになっていた。

 

「……御影くんのことは、残念でしたね」

 

 寂しげな秋風が吹き付ける頃、ポツリと深山楓が述懐した。

 

「……そやな」

 

 剣道部の顧問から、副主将任命の打診があったのはこの頃だ。

 

「やっぱり、黒岩はそういうの興味ないか……」

 

 既に主将に任命されている秋月蛍の下に着く気は微塵もない。

 

「副は深山でええやろ」

「うん……でも、黒岩より一枚劣るかな……」

 

 興味の湧かない話だった。

 

 顧問には時々、呼び出され、指導室で意見を聞かれることがある。

 真面目で強いが何処かで一線を引いており、部内の力関係や立場に執着しない智には、色々と話しやすいようだった。

 

「わかった。深山に言ってみるわ」

 

 それから、智はお茶を勧められ、改まって顧問に言われた。

 

「――御影、県内の大学希望してるみたい。第二志望は何処だったっけ……ええと……」

 

 言いながら顧問は鞄をごそごそ漁り、ファイルに纏めた資料を智に突き出した。

 

「お、サンキュな。先生」

 

 渡されたファイルには、現在の悠希の偏差値や進路志望、直近の実力考査の結果が書かれている。

 

「……御影の学力なら、第一志望楽勝だと思う」

 

「……そか」

 

 教員だけが閲覧可能の秘密資料に当たり前のように視線を落としながら、智はフムフムと頷いた。

 

「県内の大学なら、先生色々パイプ持ってるから、何処でも推薦できるよ」

「うん……」

 

 悠希の個人的な秘密資料に一通り目を通し、深く考え込む様子の智に、顧問は続ける。

 

「黒岩が大人で、先生、助かったよ」

「うん……」

 

 余りにも癖が強すぎる部員を纏める為に、顧問が持ち掛けた『大人の関係』。

 

「御影と上手く行くこと、祈ってるから」

 

 智は眉間に皺を寄せ、ファイルを軽く叩いた。

 

「第三志望から後が書いとらん。分からんのん?」

「ああ、それなら……金銭的な問題みたい。公立の大学で、自宅から通えるとこ狙ってる。来年になれば、その辺りもハッキリすると思う」

「そか……」

「御影の進学は、本人の意志っていうより、お父さんの強い希望みたいだ」

 

 思考に耽るあまり俯きがちだった視線を上げ、智は顧問と向き合った。

 

「本人の実際の希望は?」

「就職」

 

 智は落ち着きなく視線をさ迷わせ、足を組むと腕組みの姿勢になった。

 

「そ、そんなに苦しいんか?」

 

 智の言葉に、今度は顧問が思わしげに黙り込む。

 暫くの沈黙を挟んで、言った。

 

「……この前、進路相談あったろ? ほら、三者面談のやつ」

「うんうん。学校であったやつやな」

 

 ぐっと身を乗り出し、智は続きを促す。

 

「あんとき、御影と親父さんが言い合いになって……」

「やりおうたんか?」

 

 頭を抱える智に、顧問は頷いて見せた。

 

「御影、ボロボロに泣きながら就職するって叫んで、それでも親父さん、頑として聞かねえのな。絶対、進学しろって譲らないの」

 

「……」

 

 訥々と語る顧問の前で、智は頻りに足を組み替えて唸った。

 悠希が就職するとなると、智の計画にも大きな変更が出る。

 ほんのちょっぴりだけ、就職してしまえば後は自由だから、適当な言葉でたぶらかして連れ出してしまえたら、などと考える。

 

「……先生さ、仕事柄、色んな親子見るよ」

 

「うん? なんやいきなり」

 

 神妙な面持ちで言う顧問の変化を感じ取り、智も、こちらはやや面倒臭そうに向き直る。

 

「生徒指導なんてやってるとさ、ホント、色んな親子見るんだ。うんざりするようなのもあったし、苦笑いしか出ないような親子関係もあった」

 

「……」

 

「あそこの親子ってさ。お互いのことが大事で、だからやり合うんだぜ? 矛盾してるよな」

 

「……」

 

「まだ小さいけど、先生も息子がいるよ」

 

「……」

 

「やりきれなくてさぁ……」

 

 天上を見上げ、少し掠れた声で言う顧問は、鼻の頭を赤くしている。

 言った。

 

「御影のことに関する限り、黒岩はイカれてるよ」

 

「ちっ……」

 

 その言い様に、智は軽く舌打ちすることで応えた。

 それでも悪びれず、顧問は続ける。

 

「色々と便宜するって言った先生に頼んだの、御影のことに関して知りうる情報だもんな。オカシイよ。普通の女子高生がすることじゃない」

 

(今日は、やけに噛みつくの……)

 

 ただのサラリーマンだとばかり思っていた顧問は何か言いたいことがあるようだ。

 

「……」

 

 智は反論せず、黙って顧問の肩から上の辺りを見つめる。

 自らも小さい息子を持つと言った男が言った。

 

「あの親子は、幸せになっていい。まともに恋愛やってるケイじゃ駄目だ。いくらワシュウさんの力があっても、あの親子を救うことは出来ないよ」

 

「……」

 

「でも――イカれてる黒岩なら、きっとおかしな力でなんとかする。きっとあの親子を幸せにする」

 

 断言。

 

「……」

 

 智は微笑っている。

 

「ケイが御影連れて来てさ。先生、黒岩は絶対暴発すると思ったけど、そうはならなかった。でもそれは――」

 

 智は、自分がとうにイカれていることを知っている。だからこそ、このおかしな力を真っ直ぐ道に乗せる必要がある。

 悠希から距離を取っているのはその為だ。決して蛍の邪魔をしなかったのもその為だ。

 

「先生、黒岩のこと応援してるから……」

 

 ここまで何もせずにいた智だからこそ、この道が開けた。

 

 正々堂々の横恋慕。

 

 智は静かに笑みを返すだけだ。

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 主将に秋月蛍。副主将に深山楓を据えて、女子剣道部は新たに発足することになった。

 楓が言う。

 

「あと一年、よろしくお願いします」

「ええよ」

 

 深山楓は、良い方向に変化した。決して無理せず、個々の実力を見て指導する先輩としての姿が下級生の強い信頼に繋がっている。顧問は何も言わないが、A特の蛍がいなければ剣女の主将を務めたのは楓だったかもしれない。

 

 秋月蛍は何も変わらず。泰然自若とした様子。

 

「来年は選抜を取るぞ、黒岩」

「了解」

 

 経験、実力、共に整う来年になればそれも夢じゃない。有段者三人が牽引する剣道女子部は期待されている。

 

「蛍、マネはもう戻らんのん?」

 

 この智の言葉に、蛍は苦虫を噛み潰したような表情になった。

 三年生が引退し、女子剣道部は総勢21名。その内、15名を一年が締めている。

 

「なあ、分かっとると思うけど、あんたも主将やん。強いだけじゃいかん」

「わ、分かっている!」

「ホントか? あれ、先輩もイカンけど、あんたもイカンで。ちゃんと謝ったんか?」

「……」

 

 蛍は端整な顔をくしゃりと歪め、複雑な表情になった。

 

「……勿論、謝った」

「ならええ」

 

 でも、悠希は戻らなかった。

 それで良し。

 それが好し。

 瑕(キズ)が入ったなら、なおよし。

 

◇◇

 

 日常で見かける悠希は、憂鬱な表情を見せるようになっていた。

 秋月蛍は空回り。

 体育祭では誘いを突っぱねられ、その後の修学旅行では行動こそ同じくしたものの、悠希は何処かつまらなそうにしていて、酷く退屈そうだった。

 

 文化祭を終えた辺りから、蛍は素行に粗を見せるようになった。

 相変わらず強いが、時折、稽古をサボるようになり、ふんわりと煙草の匂いをさせる時もある。

 蛍の様子は、致命傷を受け、徐々に死に行く猛獣を連想させた。

 

 強いだけでは駄目。

 

 その蛍だが、時折、剣呑な視線を一方に向けることがある。その先には――

 

 新城 馨。

 

 身長185㎝。蛍より僅かに高い身長のせいで、恐ろしく目立って見える。

 こちらも蛍と同じく目付きが悪く、獰猛な視線を辺りに振り撒いている。元はバレーボール部のホープだったようだが、膝の怪我が原因で退部せざるを得なくなったらしい。

 今は素行が荒れている。

 着崩した制服。脱色して傷んだ茶色い髪の毛。時代遅れの長めのスカートを引きずって。そして、ところ構わず唾を吐く。

 

(ヤンキーか……)

 

 智には、一分子も興味を持てない相手だった。

 

(つまらん)

 

 時は巡り、冬が終わり、春がやって来て。

 その春。

 秋月蛍は、自ら宣言した通り、選抜大会を制した。

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 高校三年生の春になっても、蛍はしぶとく悠希との関係を持続させている。

 この頃になると悠希は何時も上の空で、まともに蛍の相手をしなくなっていた。

 

「な、なあ、御影、少し待ってくれ。昼食くらい一緒に――」

 

 悠希は蛍をチラリと一瞥して、この時は余程、鬱陶しかったのかこう言った。

 

「ウザい。今は話し掛けないで」

 

 蛍は、ちょっと涙目になっていた。

 

 もう少し。

 もう少しで、時が満ちる。

 

 色の薄い智の瞳には、蛍の焦りの色が強く映る。

 よく分からない『力』を持っている蛍だが、悠希をもて余しているのがよく分かる。

 いっそ、卑怯な真似でもしてみたらどうだ? 強すぎる秋月家の力を使えばいい。

 その時は全てが逆転する。

 真正面から、悠希と二人で叩き潰してやる。

 

 

 ――インターハイ? 好きにしていいよ。もう選抜取ったし。先生、本気の黒岩と今のケイ、どっちが強いか気になる。

 

 ――深山? ああ、真面目だね。ちゃんと副主将してるけど、それがどうかした?

 

 

 そして――

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 時は梅雨時に差し掛かり、この日も智は、剣道部の顧問に呼び出しを受け、体育教官指導室にいる。

 

 顧問との関係は有益で、いつも智の知らない情報を得られることができる。

 智は手元の資料に目を落とし、ゆっくりと首を左右に振った。

 

「……」

 

 顧問も険しい表情で口を噤み、視線を逸らしている。

 

 黙って俯く智の瞳に、じわっと涙の粒が浮かんだ。

 

 御影父子の間に、血縁関係はない。

 

 世界は無常なのだ。

 

 墓場まで持って行かねばならない秘密が出来る。だが、こうして知っておくことで、悠希の大切な欠片を一つ拾うことが出来たような気がする。

 しみじみと顧問が言った。

 

「ちゃんと血が通ってても、親子らしくないヤツらだっているってのにな……」

 

 『大人』は、いつだって子供の先を行く。この情報も、大人だからこそ知ることが出来た情報の一つ。

 

「黒岩。先生が思ってること、言っていいか?」

 

 智は黙って頷いた。

 顧問も真剣な面持ちで頷き返す。

 

「御影、多分だけど……お父さんとのこと知らない……」

 

「……」

 

 智は黙って頷いた。

 

「黒岩のやり方に意見する訳じゃないけど、ちょっと不安なんだ」

「……」

「御影って、エキセントリックなとこあるじゃん」

 

 それは知っている。

 悠希は、少し他人とはズレたところがある。幼い頃の過酷な環境が原因だろうが、人見知りする癖に他人の顔色を伺うのが上手い。観察眼があるともいえるが、深山楓辺りに言わせれば『歪んでいる』。本人は普通にしているつもりなのだろうが、『歪んでいる』。

 

「先生、上手く言えないんだけどさ……このままだと、大変なことになるんじゃないかって……」

 

「……」

 

 高校三年生、また一つ年齢を重ね、18歳になった智はこの意見を受け入れる。

 軽視してはならない大人の最大の長所は『経験』だ。こればかりは、逆立ちしても引っくり返ることはない。

 

「今の御影から目を放さない方がいい」

 

 この意見を無視するのは危険と思われた。

 ただ、一つ欲をいうならば、何かの『証』を見せて欲しい。蛍との訣別、精神的な成長、何でもいいが行動に足る理由が欲しい。

 どうして、未だ見守るだけに留めているのか。それを思えば、悩ましい。

 もう少しなのだ。

 蛍は死に体。彼女の恋は、緩やかに『終わり』に向けて進んでいる。これに関しては、悠希と蛍による当人同士の決着が望ましい。

 

(早うフられたらええのに……)

 

 蛍は中々しぶとい。

 悠希の暴言にも、突っ慳貪な態度にも挫けず、踏ん張っている。諦めてない。

 智は俯き、時間をかけて考える。これから、どう動くべきか。

 

 ――本当は、悩んでいる暇なんてないのだけれど。

 

 すでに『大変なこと』が起こっていて、やっぱりツいてない智の恋は、とことん神さまに嫌われている。

 

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 

 何の前触れもなく、秋月蛍が学校を休んだ。

 ちなみに休む前日は稽古をサボった。常ならば、遅れることはあっても、完全に姿を見せないということはない。

 稽古中の楓が言った。

 

「鬼の霍乱。あの人、人間だったんですね」

 

 正しく。

 秋月蛍という女は鋼鉄製だ。

 剣道を含めた数種類の武道を修め、幼い頃からの鍛練で培った身体は正に鋼鉄製。風邪一つひかない。

 見事な八頭身。

 均整の取れた身体は、シャワー室で間近に見たことがあるが、日焼けどころか染み一つない純白の肌。もう少し身長が低く、武断的な性格をしていなければ男子が放っておかなかっただろう。

 

 悠希との間に何かあったのだろうか……。

 漠然と考える智だったが、釈然としない。

 例え悠希にこっぴどくフラれたところで、鋼鉄製の秋月蛍が学校を休むだろうか。

 

(そんな可愛らしいタマやったか……?)

 

 とてもそうは思えない。

 それはまあ落ち込むだろうが、傷心が理由で学校を休むようなか弱い素振りは見せまい。そんな女らしい女なら、とうに悠希は諦めている。だとすれば、蛍に何があった――

 

 いや、悠希に何があったのか。

 

 その悠希は……

 

◇◇

◇◇

 

(なんやの、あれ……)

 

 様子を確かめに教室まで行った智が見たものは、窓際の座席でヤンキーの新城馨にまとわりつかれる悠希の姿だった。

 

 剣道部の用事に託(かこ)つけてよく様子を見に来るが、普段なら座席に着いた悠希の側には蛍が居て、何かと構っている。

 だが、蛍のそのポジションにヤンキーの新城馨が居る。

 耳を澄ますと、ぶっきらぼうに言う馨の声が聞こえた。

 

「……今日、一緒に昼メシ食わねぇ?」

 

「……」

 

 悠希は物憂げな表情で、ぼんやりと馨の顔を見上げた。

 

「……そういう関係じゃない、よね……」

 

 悠希はボソボソと小さい声で話すため、集中しないと聞き取れない。

 

(なんや!? ワケが分からん!!)

 

 ブレザーのポケットに手を突っ込んだ馨が舌打ちする。

 

「……だから、その後……分かるだろ……?」

 

「ああ、そういうこと」

 

 悠希は納得したように頷いた。

 

「放課後じゃダメなの?」

 

 対する馨は、ぽっと頬を染めて目を逸らした。

 

「……その、放課後もだけど……昼休みも……」

 

「分かったから――」

 

 悠希は頷き、それから半目で馨を睨み付けた。

 

「教室でその話はしないで」

 

 ガツン、とぶん殴られたような衝撃を覚え、智はふらつく足取りでその場を後にした。

 

 目が回る。

 

 全然、意味が分からない。分かりたくない。しかし『そういうこと』なら、蛍の失調に納得が行く。

 

 ――新城馨。

 

 青天の霹靂。意外。秋月蛍よりも。何もかもが違う。想像の外。無警戒。

 意味不明。だが……

 

(そういうことなんか、蛍)

 

 馨と悠希の間に、決定的な何かがあった。『そういうこと』だ。

 

◇◇

◇◇

 

 学校を休んでいた蛍が登校したのは、それから二日経ってからのことだった。

 

 色白の肌は病的な迄に青白く、目元には、うっすらと隈が浮いている。奥二重の瞳は険しくひそめられていて、下ろした髪は少し乱れていた。

 

「蛍、どしたん? メチャ顔色悪いで。そんなに具合悪いんか?」

 

 なるべく平静を装い、探りを入れる智に、蛍は歪んだ笑みを浮かべて見せた。

 

「……そうか。私は、そんなに具合が悪そうに見えるか?」

 

 その様は、いつも泰然自若として、堂々としている蛍らしくない。

 

「……あの淫売のせいさ」

 

 ここにいない相手を口汚く罵るその様は、武断的な蛍らしくない。

 

「いんばい? は?」

 

 意味が分からず問い直す智に、蛍は、むっつりと首を振って見せた。

 

 その蛍の異常な状態は稽古中も続いた。

 

 胴着に着替えた後、防具を着ける訳でもなく、竹刀を持つ訳でもなく、面タオルを着けたその後は体育館の隅に正座して、じっと此処ではない何処かを見つめている。

 楓が訝しむように言った。

 

「あれは……」

 

 その蛍は、大抵はぼんやりとしていたが、時折、ハッとしたように震えたり、鼻を鳴らして自嘲めいた笑みを浮かべたりしている。

 

 ――ヤバい。

 

 この鋼鉄の女をして、どうにもならない重大な何かがあったのだ。

 

「なあ、副。主将があれじゃイカンやろう……」

 

 智の言葉に、楓は呆れたように息を吐く。

 

「しょうがありませんね……」

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 今後の事は色々と考える。

 例えば、秋月蛍と悠希のこと。

 二人の関係は放っておいても破綻する。しぶとく関係を維持させている蛍だが、首都圏の大学に進学するのは間違いない。どう転んでも、高校卒業を期に二人の関係は終わる。

 同じ大学のキャンパスで、新しい関係を構築する。

 偶然を装って近付くのもいいが、真っ直ぐ想いを告げるのもいい。きっかけは中学時代に作っておいたから、どうとでもなる。どうとでもする。

 だが――

 

 

「御影……一回2000円だそうだ……」

 

「は?」

 

 と、間抜けな調子で聞き直したのは深山楓だ。

 稽古が終わり、帰り支度に慌ただしいロッカールームで、蛍は悔しそうに唇を噛み締め、呟いた。

 

「……旧陸上部の部室……『奥の部屋』……」

 

 その場に居合わせた二年生の一人が、ハッとして言った。

 

「奥の部屋って、ヤリ……」

 

 誰も口にしないが、廃部になった陸上部の部室の奥の部屋がヤリ部屋と呼ばれていることは、この学校の生徒なら大半が知っている。

 

 ――智は、全ての事情を一瞬で理解した。

 

 腰から下の力が抜け、智は、ヘナヘナとその場にへたり込んだ。

 

 新城馨の『やったこと』は出鱈目だが、それが上手く行くということを、智だけが理解した。

 悠希に詳しいのは、自分一人だけだと思っていた。

 全ての事情を知り、且つ悠希の性格を理解していなければできないことだ。長い時間をかけ、考えたのだろう。

 

 ――新城 馨。

 

 智は呻いた。

 

「嘘やろ……」

 

 その方法は智も考えた。

 だができない。できる訳がない。ドン底まで軽蔑される覚悟がなければ、その方法は選択できない。

 へたり込み、ショックに項垂れる智だが、頭の冷静部分がこの『敵』に大きな警鐘を鳴らすのを自覚している。

 

 ――新城馨は、手強い。

 

 形振り構わず奪りに来た。

 

 蛍が忌々しそうに言った。

 

「あんなヤツとは思わなかったよ……!」

 

 ざわめく周囲の反応を余所に、智は内心で鼻を鳴らした。

 

(この二年、ずっと側に居った癖に、何も知らんのか……何も見とらんのか……)

 

 スケールの大きさに目が眩んでいただけで、蛍は敵じゃない。元からそんな大したタマじゃなかった。だからこそ、黙って見ていられたのだ。

 本当の敵を見誤った。それがどうにも悔やまれる。

 

(蛍、お前は馬鹿やけん、先越されただけじゃ!!)

 

 手段を問わない新城馨の方が余程手強い。賢い。覚悟がある。それだけに質が悪い。そして恐ろしい。

 

(ヤンキー、か……)

 

 通り一辺の屑と見損なっていた結果がこれだった。

 堪え難い怒りが胸を灼く。

 

 『最初の女』を獲られた。

 

(クソが……クソがッ……!!)

 

 そして智は、見ているだけでいるのを、やめた。

 

 

 ――こんなことになると知っていたら、迷わず『アレ』を使っていたのに――

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第53話

 カオルは、ずっとぼくのことを抱いていた。

 自転車を捨ててでも、逃げてやろうとした鬼ごっこは、ぼくの惨敗。

 

 カオルは、ぼくを抱いていて、耳を舐めたり髪の匂いを嗅いだりしている。ちょっと嫌だけど、敗者に文句を言う権利なんてない。

 

「……エッチしたいの?」

 

 ぼくが問うと、カオルは熱っぽい息を吐き出して、

 

「……違う。ちょっと愛でてるだけ……」

 

 そんなことを言う。

 カオル曰く、ストレッチパンツは無敵でどんな服とでもコーディネート可能らしい。そのストレッチパンツの前が、少し湿っているのは指摘しないでおく。

 

「……好きなだけしていいけど、父さんが帰る前に帰りたい……」

 

「わかってる」

 

 夏の盛りにあるにも関わらず、車の窓が曇っていて、カオルの身体はストーブみたいに熱かった。

 

 ……おそらく、トウコとのことも、ユキナとのことも全部バレてる。

 ぼくは言った。

 

「霧島、死んだよ」

 

 遅かれ早かれ、カオルにはバレる。そのとき大騒ぎするくらいなら前以て言ってしまう。

 

「……!」

 

 カオルは一瞬だけ固まって、それでもぼくに対する愛撫は止めないみたい。

 ぼくの首筋に顔を埋め、静かに頷いた。

 

「……そう、分かった」

 

 凄く嫌な予感がしたけど、もうどうにもならない。負けたぼくにカオルを止める権利なんてない。

 散々、好き勝手やらかして、裏切って、それでもカオルの忍耐の枠を出なかったぼくの記録的大敗。

 カオルが言った。

 

「ユキ、もうやめよう? 後はアタシが何とかするから」

 

 勝者の権利。

 ぼくは敗者の義務を受け入れなきゃならない。その程度には、カオルの勝利は意味がある。

 

「……」

 

 でも卑怯者のぼくは口を噤んでいる。

 始まりがどうであれ、もう後戻りできない所まで来てしまっている。

 ユキナは、ぼくを庇って警察に嘘をつき、トウコはぼくに執着している。きっとシュウもそうなる。深山は……どうなるだろう。ちょっと分からない。

 

「……」

 

 カオルは黙っていた。

 怒っているというより、少し悲しそうな横顔から、ぼくは目を離すことができなかった。

 

◇◇

 

 それからカオルは、2回電話を掛けた。

 一人目はアオイ。

 ぼくが小学生の時のクラスメイトらしいけど、全然、思い出せない。

 

「……皆川が捕まった?」

 

 カオルは、チラリとぼくを見て、考え込むように視線を伏せた。

 

「ソイツのツレで霧島ってのがいて――よくわかんないけど、死んだみたいだ」

 

『……!!』

 

 少し距離があるのに、携帯からアオイっていう娘の悲鳴が聞こえたような気がした。

 

「うわっ、うるせえな。急に大声出すんじゃねー」

 

 それが当然の反応だと思う。平然としているカオルの方がおかしい。

 

「アオイ、サンキュな。……ああ、分かってるっての……うん……うん……それはC作に任せてるから」

 

 C作……カオルの後輩で二年生の女の子。

 栄作もB作もいるからC作になった佐藤って娘。下の名前は、なんだっけ……。とにかく、何人かいるカオルの取り巻きの一人。

 カオルはトウコを可愛がっていて、今回、当てにしてないっていうことは、『そういうこと』なんだと思う。

 

 ……トウコが危ない。

 

 ユキナに関しては警察に出頭して正解だった。一時的にだけど、これでカオルの追求から逃れることができる。

 

 シュウは……心配ない。彼女にぼくの心配はいらない。

 

 深山は……よかった。

 この問題には関係ない。巻き込まずに済んだ……。

 

 トモは――

 

 続いて、カオルはもう一度電話を掛けた。

 

「あ、C作? アタシ、カオル……うん……あぁ、そうだな、任せるわ……」

 

「……」

 

 ぼくと目を合わせ、カオルが言った。

 

「黒岩のことは予定通りだ」

 

 ――ギクリとした。

 ぼくにあれだけいたぶられて、それでも喋らなかったトモのことに言及した。

 

 ぼくに――遠慮する必要を感じなくなった。

 

 やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい――トモが危ない!!

 

 疲れてるけど、今のぼくに休んでる暇なんてない。すぐにでもトモに警告して――

 

 カオルが顔を寄せて来て、囁いた。

 

「……キスしたい」

「……」

 

 するりと伸びて来た手が、ぼくのポケットから携帯電話を抜き出した。

 

「預かる」

 

 ぼくの裏切りを咎めることもしなければ、怒ることもしない。でもその声色に、これに関しては譲らないという強い意思が滲んでいる。

 

「……ん、……んん」

 

 舌を絡め、ぼくの唾液を吸い上げる。

 いつになく、カオルは優しいキスをして――でも、ぼく以外のものは赦さないという意思が、はっきりと感じ取れた。

 長いキス。

 カオルは何度も喉を鳴らして、ぼくの唾液を飲み込んで、離れる。

 ぺろりと唇の回りを舐め、言った。

 

「……なんかおかしい。ちょっといつもと違う……」

 

 去り際に交わしたユキナとのキスを思い出した。

 

 カオルはスマホで時間を確認して、それから車の窓を全開にした。

 

「……」

 

 ぼくは喋らずにいた。

 何とかカオルを止める方法を考えるけど、何も思い付かない。

 カオルは煙草を咥え、けど思い直したのか、それを窓の外に投げ捨てた。

 

「トウコをどうするの?」

「……」

 

 カオルは答えなかった。

 

「トモに何をするつもり?」

「……」

 

 フロントガラスに映るカオルは何だか複雑な表情。チラチラとぼくに視線を向けながら、考え込む様子。

 

「……まだ少し時間あるから、何か食べない?」

 

 カオルは海の方向へ車を走らせた。

 ドライブは好き。

 車窓を少し開くと、潮の匂いと一緒に朝の新鮮な空気が入って来て、絶え間ない眠気が和らぐ。

 

 暫く走り、カオルは漁港近くの屋台で、たこ焼きを二人前買ってきて、一つぼくにくれた。

 

「これ、すげぇ、うまいんだ。試してみて」

「……うん」

 

 美味しそうなソースの匂いが鼻に衝く。

 

 ……そういえば、昨夜から何も食べてない。父さんが作ってくれた晩ご飯は冷蔵庫に入れたままになっている。

 

 くぅ、とお腹が不平を鳴らして、カオルが可笑しそうに笑った。

 少し誤魔化されてる気がしないでもなかったけど、取り合えず目の前のたこ焼きを一つ口に運んだ。

 

「……むっ!」

 

 一口噛んだ瞬間、旨味を含んだ汁がたこ焼きから溢れ出し、あまりの美味しさに、ほっぺたが落ちるかと思った。

 

「……」

 

 後はもう、夢中で食べた。

 

「あは、アタシのも半分食べる?」

「うん」

「うふふ、ほっぺにソース着いてる」

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

◇◇

 

 これまでにも、ピンチを迎えたことは何度もあった。

 例えば、今、ぼくが通っている高校受験のときのこと。

 この時は、引っ越しをしたり車を乗り換えたり。テレビの故障なんてこともあって、お金のかかることが山ほどあった。当時、中学三年生だったぼくが入院して、そのときの費用も響いている。

 父さんは優しいけど、ちょっと適当なとこがある。お金の管理は男のどんぶり勘定で、結構いいかげん。

 その年の冬、父さんが山ほど宝くじを買ってきた。

 総額三万円。

 慢性的に貧乏なウチにとって、結構な負担だった。

 ついに父さんが自棄になった。

 この時はそう思った。まさかそれが百万円になるなんて、ぼくはこれっぽっちも思わなかった。

 就職も覚悟していたぼくにとって、それは青天の霹靂。

 

「うぉい、悠くん! 百万円当たっちゃったぞ!!」

 

「……」

 

 ぼくは信じないけれど、神さまというヤツが実際に存在したとして――

 

「どうした、悠くん! 驚きで言葉もないか!?」

 

 ――そいつはきっと、父さんみたいな人が大好きなんだと思った。

 

「悠くん、今の父さん、超イケてるだろ!? イケメンって呼んでいいよ!!」

 

「イケメン!!」

 

「おうっ! オウよオウよ!」

 

 お父さん……

 

 出来ることなら――

 

 ――あなたのように、生きたかった――

 

 

◇◇

 

 …………………………

 ……………………

 ………………

 …………

 ……

 

 たこ焼きがおいしい。

 ぼくは、何だか無性に泣きたくなってきた。

 

 父さんの支えになりたい。

 

 カオルを裏切りたくない。

 

 たこ焼きがおいしい。

 

 カオルは笑いながら、親指の腹でぼくの口元に着いたソースを拭ってくれた。

 

 負債がまた増える。

 

 空になったたこ焼きのパックを見つめていた。

 空いたままの車窓から心地よい潮の匂いが漂って来る。

 

「……カオル、大事なお話があります」

 

 ぼくが改まって言うと、カオルは一瞬、焦ったように視線を泳がせた。

 

「な、なに?」

 

「これから、幾つか我儘を言おうと思います。聞いてくれますか?」

 

 カオルの顔から笑みが消え、ゴクリと息を飲む音が聞こえた。

 

「な、何で敬語なの? ちょっと怖いんだけど……」

 

 敬語なのは、ぼくがお願いする立場だから。

 そもそも、ヤンキーの新城馨と、一般人であるぼくとの間に接点なんてない。

 

「……トウコをいじめないで下さい」

「……」

 

 それを聞いて、カオルは何故か少しホッとしたように溜め息を吐いた。

 

「ああ、それくらいなら、ゼンゼン」

 

 カオルは、何でもないことのように言って笑う。

 ……多分、カオルにとって、トウコとのことはその程度のことなのだと思った。

 気分次第。

 トウコのことはいつでも解決できる。ぼくが嫌がるなら、そこまで気にすることもない。その程度の問題。

 だから怖い、新城馨。

 

「トモ……黒岩さんと何があったのか分からないけど、彼女に手を出さないで下さい」

 

「……何で?」

 

 問い直すカオルの表情に苛立ちはなかった。単純に疑問に思ったことを口にしただけに見えた。

 

「黒岩さんには恩があります。中学生のとき、色々とよくしてくれました。もし、カオルが彼女に何かするというのなら――」

 

 ハッキリ言った。

 

「ぼくは、全力で黒岩さんを守ります。カオルにも全力で抵抗します」

 

「恩」

 

 カオルは意外そうに言った。

 

「恩、なんだ。好きとか、そういうんじゃなくて……」

「……? 黒岩さんとは疎遠です。高校生になって、一度も口を利いたことがありません」

「そっか……」

 

 カオルは納得したように頷いた。

 

「そういうことか……なら……アレはやっぱり……」

「……?」

 

 なんだかよく分からないけど、カオルの中で何かが繋がったみたいだった。

 カオルは頷いた。

 

「わかった。アタシからは何もしない。それでいい?」

「……」

 

 意外。

 カオルは軽く答えたけど、嘘は言ってないと思う。

 これはまずい。

 カオルにとって、トモのことはもう終わったことのように見える。つまり、何もする必要がない。もう何かした後……?

 

「そんだけ?」

「え、あ、うん……」

 

 カオルは笑う。

 

「ユキがそう言うなら、『アタシは』何もしない」

 

「……」

 

「なんだってしてあげるよ」

 

 カオルは、いつだって優しい。

 でも其処に、ぼくは底なしの泥濘を連想して――

 少し、寒気がした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第54話

 身体中の全細胞が悲鳴を上げて、暫くの休養を要求している。

 カオルに、お姫さま抱っこで寝室まで送られるという屈辱を受けたけど、とても疲れていたので抵抗する気にはなれなかった。

 家に帰ると、倒れ込むようにして眠った。意識を失うまで、カオルと手を繋いだまま。

 夢は見なかった。

 

 そしてこの日の晩、カオルがらしくないヘマをやらかした。

 

 

◇◇

◇◇

 

 

 …………………………

 ……………………

 ………………

 …………

 ……

 

「……! …………!」

 

 遠くから、叱りつけるような厳しい声が聞こえる。

 

「……くん! ……きなさい!!」

 

 ……父さん?

 

「悠くん、起きなさい!!」

 

 珍しい父さんの怒鳴り声に、ぼくはハッとして飛び起きた。

 

 瞬間、頭をハンマーで殴られたような衝撃が走り、ぼくはその痛みに顔を歪める。

 当然だけど、父さんに殴られた訳じゃない。寝起きに飛び起きるなんて無茶を実際にやらかせば頭痛の一つはする。

 

 視界に飛び込んできたのは、真っ白い蛍光灯の光り。時刻は夜。それから、いつになく厳しい表情の父さん。

 

「……」

 

 父さんは下唇を突き出すようにして怒りを表現しているけど、ぶっちゃけ全然恐くない。むしろ面白い表情。

 時計を見ると午後七時半。最後の記憶は朝七時半だったから……ぼくは十二時間も眠ったことになる。

 

「おはよう、父さん」

 

「……もう夜だよ。調子悪そうだったから寝かせたままにしといたけど、その様子じゃなんともなさそうだね」

 

 その父さんの言葉には頷いておく。

 

「あれ、父さん、今日も仕事だったよね?」

 

「……ちょっとね。そんなことより、悠くん。説明して欲しいことがあるんだけど」

 

「いいよ」

 

 頷くぼくの手を引いて、父さんはぼくと一緒に居間の方へ移動する。狭い家なので目的地まではすぐ。

 

 居間のテーブルには、昨日、ぼくがカオルにリクエストしたハンバーグが二人分。付け合わせには人参の甘煮とフライドポテト。素揚げしたピーマンに軽く塩胡椒を振って。

 

「おいしそう……」

 

 思わず呟いて、それからぼくはギクリとした。

 カオルがこれを作ったのだとしたら、そのカオルはいったい何処に――

 父さんが部屋の隅を指差した。

 

「……」

 

 窓際の床に、カオルが正座の姿勢で座り込み、俯いていた。

 

 カオルはタンクトップに下はジーンズというラフな格好。顔を下げ、固く口を閉ざした様子は、世界の終末を控え絶望しているように見えた。

 父さんが言った。

 

「あの娘、誰?」

「誰って……?」

 

 ぼくと父さんは、お互いに顔に疑問符を浮かべて見詰め合う。

 

「悠くん、あの娘のこと知らないの……?」

「いや、知ってるけど……」

 

 カオルは気の毒なくらい青ざめていて、垂れ下がった長い前髪が目を覆い隠している。寒さに震える人のように、右手で左腕の二の腕辺りを摩っている。

 ちょっと驚いた。

 こんなにへこたれたカオルは初めて見る。30発くらい殴られて顔面にサッカーボールキックを喰らったって笑いそうなカオルが完全失意の状態で項垂れている。

 

「あの娘、父さんが何を尋ねても答えないんだよ。ずっとあの調子なんだ」

 

「……そう」

 

 まぁ、流石のカオルでも、お宅の息子さんと2000円でやってます、とは言えないよね。

 カオルはひたすら黙り込んでいる。大きな身体は小さく見え、今にも消えてしまいそうだ。

 そのカオルを見詰め、父さんは真剣な表情。言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開く。

 

「……悠くんの、ガールフレンドってことでいいんだよね……?」

 

「うん、そう」

 

「……あの娘の名前は?」

 

「カオル。新城 馨さん」

 

 ぼくが正直に答えると、カオルはビクッと震えた。

 

「……そう」

 

 父さんは難しい表情でいつになく真剣に考え込んでいるみたいだった。

 

 よく寝たお陰で、頭は大分スッキリしている。

 

「カオル? ぼくのお父さんだよ? 挨拶くらいはした方がいいよ?」

 

 カオルは長い前髪で目元を隠したまま、ペコッと頭を下げた。

 

「……新城さんは……」

 

 父さんは何か言いかけて、それからまた口を噤んだ。

 

「……」

 

 少し考え、今度はぼくの方に向き直る。

 

「職場に父さんの実家から連絡があって、お爺さんが危篤だって」

 

「お爺さん? 父さんのお父さん?」

 

 父さんは頷いた。

 

「そう。もう80才超えてるし、色々悪いとこあったし、寿命だよ。多分駄目だと思う」

 

「……」

 

 何故かぼくは、お爺さんに嫌われている。いい思い出はない。面識も余りないからか、そう聞いても悲しいとは思わなかった。

 

「……それは、ぼくも行った方がいいよね」

 

 父さんは眉を下げ、少し悲しそうな顔になった。

 

「悠くん、お爺さんのこと苦手だろ? 意識ないらしいから、無理しないでいいよ」

 

「……」

 

「父さん一人で帰ろうと思うから、悠くんに留守任せていいかい?」

 

 神さまは……

 

「お通夜とか、お葬式とかしても……一週間くらいで戻れると思う」

 

 神さまは、時々、こういう気紛れを起こして、ぼくを困惑させる。

 

 父さんが言った。

 

「爺さん、無駄にデカイ土地とか家とか持ってるから、ちょっと時間が掛かるかもしれないけど、その時は連絡するから」

 

 ぼくは、にっこり笑った。

 

「分かった」

 

 そう、分かってた。

 

 ぼくは信じないけれど、神さまというヤツが存在したとして――

 

 ――ソイツはきっと、父さんみたいな人が大好きなんだ。

 

 神さまなんて大嫌いだ。信じてなんてやらない。

 

「いってらっしゃい、父さん」

 

 こうしている今日、学校で何があったかなんて全然知らないぼくは、笑みを浮かべて父さんを見詰め返す。

 

 神さまは意地悪で残酷。

 

 そんなことは分かりきっているから――

 

 ぼくは、にっこり笑った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

虎退治(前半戦)
虎退治1


すみません。ここより書籍準拠の内容に変化するため、深山楓は一人称に変化致します。


 御影くんは、小さな身体を震わせて怯えていた。

 

「ごめんなさい、すぐなくのやめますから……ゆるしてください……」

 

「ああ、嘘です嘘です……私は何もしません、しませんから……!」

 

 

 ――逃げないで下さいよ! あなたは、なんで私から逃げるんですか!! 新城馨とは別れなさい!!

 

 

『出ていきなさいッ!!』

 

 叫んでいるのは、いつかの私だった。

 

『御影くんは、苦しんで苦しんで……貴女は、責めて責めて、あんなに打ち据えて……こんなに小さい!……こんなに小さい身体で頑張っているのに!』

 

 困惑、羞恥、哀しみ、怒り、羨望、嫉妬。幾つもの複雑な感情が入り乱れる『後悔』の表情を浮かべ、口元を震わせているのは私。蛍じゃない。

 

 御影くんは這いつくばるようにして蹲っている。

 

 私には分からないけれど、その行為には意味があるようだった。

 

 出鱈目に縫い付けた痕のあるお腹は肉が凹凸に歪んでいてピンク色の筋が入っていた。まともな治療を受けたとは思えない。御影くんは母親に虐待されたと言っていたけど、これは母親のすることじゃない。正に悪鬼の所業だ。

 人間が人間らしく居られない状況ほど腹立たしいことなんてない。

 治らぬ瑕疵。消えない烙印。

 おそらく、黒岩さんはこれを知っていて、だからこそ見守ることに努めた。不用意に近付くことを避けた。

 賢い。痛切に、そう思う。

 

『おまえには此処にいる資格がない! 資格がない者は出ていきなさいッ!!』

 

 目の前で小箱は閉じられ、幾重にも厳重な封が為された。

 

 御影くんは弱々しく首を振って拒絶する。

 

 深山楓は触れない約束。

 

◇◇

 

 その翌日、学校で稽古中の黒岩さんを呼び出した。

 

「ご苦労様です」

 

 夏休み中、体育館は開放されている為、剣道部の活動は部員に一任されている。

 奔放な蛍とマイペースな私に代わって、この日は黒岩さんが稽古を仕切っていた。

 

「ああ、副か。蛍ならまだ来とらん。昨日まではヤケクソやったけど、今日になって落ち着いたみたいやな」

 

「……そうですか」

 

 気のない返事をして、私は力なく笑った。

 なんのことはない。私も秋月さんと何ら変わるところがない。暴力に訴えることこそなかったけれど、それは秋月さんの犯した失敗を見ていたからに過ぎない。

 黒岩さんは下級生部員に自主トレを言い渡した後、改めて私に向き直った。

 

「で、どしたん? なんか言いたいことありそうやけど……」

 

「……はい。ちょっと、二人きりになれませんか……?」

 

「……」

 

 黒岩さんは応えず、眉根を寄せて訝しむように私を見詰めた。その顔に書いてある。

 ――用件はここで言え。

 黒岩さんは相手が誰であろうとも、訳の分からない呼び出しには決して応じない。

 

「……御影くんのことで、ちょっと……」

 

「――!」

 

 黒岩さんは険しい表情で頷いた。

 

◇◇

 

 黒岩さんに促されてやって来たのは、剣道部の顧問がよく使う体育教官指導室だった。

 ここでは主に運動部の部員に対する指導や相談が行われる。黒岩さんが鍵を持っている理由は不明けど、邪魔を入れずに二人きりになるには適しているし、内密な相談をする場所としても優れている。

 

 狭い室内には教員用の机が幾つかと応接用のソファとテーブルがあった。

 黒岩さんは慣れた様子で窓を閉めきってしまうと、エアコンのスイッチを入れてからソファに腰掛けた。

 

「……なんかあったん?」

 

「はい……」

 

 私はテーブルを挟んで黒岩さんの正面に腰掛け、深い溜め息を吐き出した。

 遠くで蝉の鳴いている。

 室内に冷房が行き届くのを待って、私はここまでの経緯を説明した。

 

 先ず、御影くんが売春をやっているのは間違いないということ。

 御影くんは恐ろしく真面目に売春をやっていて、逢い引きの場所や避妊方法を確立させていること。

 私自身、色々と問い質したが粗が見当たらないのが恐ろしかった。料金の設定は良心的であるし、校内でするなら、もしもの場合の逃走経路も確保してある。御影くんのあの容姿と用心深い性質なら、時間を追ってこれを利用しようとする生徒は増えるだろう。

 

 話を聞いていた黒岩さんは途中何度も舌打ちを繰り返し、苦虫を噛み潰したように顰めっ面で頻りに髪を掻き回していた。

 

「そこまで? ……なんもそこまで真面目にやらんでええやろ……」

 

 黒岩さんは半泣きだった。

 

「ホント……大概にせえや……」

 

 このままでは悲惨な未来しか思い浮かばない。さしあたっての利用者は、剣道部の二年生女子と言ったところだろうか。

 黒岩さんは嘆息した。

 

「……そやな。アイツらはヤバい。揃って御影のこと食いもんにしよるやろう」

 

 何せ主将の秋月さんが『利用』を推奨している。今のところ御影くんは剣道部を避けているから何も起こっていないけど、これからもそうとは限らない。

 

 私は自身の知りうる情報の全てを話した。

 経済的な事情が理由の行動であること。

 

「そっか……そんなことやろ思たけど、やっぱり……」

 

 既に新城馨以外にも関係している生徒がいるらしいこと。

 黒岩さんは頭を抱えた。

 

「やろなぁ。まぁ、あの手のタマが売るんやったら、ほっとかんヤツもおるやろな……」

 

 そこは少し諦めている様子に、私は意外に思った。

 

「怒らないんですか?」

 

「……誰に? 御影にか? やり方考えてからせな、無茶苦茶んなるで」

 

 御影くんは身体こそ小さいけれどプライドが高い。それは私も身に滲みている。生半可なやり方では反発させるだけだ。

 

「夏休み中で良かった。とりあえず、二年には蛍に釘指させるとして……後は私が話してみよか……」

 

 不意に、私は妙な胸騒ぎを覚えた。

 黒岩さんが未だ御影くんに一方ならぬ想いを寄せているとして、ここに至るまで、何故、口を閉ざしていたのか。少し引っ掛かる。

 

「電話は……ヤバそうやな。警戒しとるやろうし、直接会うてから……お父の方から攻めて……いかん……網張るか……」

 

 何やら黒岩さんは呟いて思考を張り巡らせている。

 その様子を見ながら、私は細く長い息を吐き出した。

 覚悟を決めた。

 

「秋月さんが、御影くんを竹刀で叩きました」

 

「…………なんやと?」

 

 刹那、空気が変わった。

 

「あの愚図、最近、おかしい思いよったら、御影のことどつきよったんか……!」

 

 お遊びでない本物の殺意を身に纏い、本気の黒岩智が、いた。

 色の薄い瞳に、めらめらと激しい怒りの焔が燃え上がる。

 

「つっ……!」

 

 はっと息を飲む私の前で、黒岩さんが、ゆらっと立ち上がった。

 低く、押し出すように言った。

 

「楓……オマエ、それ黙って見とったんか……!」

 

 

 私は――

 

 こくり、と頷いた。

 

「御影くんは泣きながら赦しを乞うていました。

『ごめんなさいごめんなさいお母さんもうしません二度とつまみ食いしません泣きません大きな声も出しません許してくださいこの通りです』

 そう言って、無心に謝っていました」

 

 目頭が熱くなり、自然と涙が溢れる。

 

 

「――私は止めませんでした」

 

 

 胸の奥で、いつかの御影くんが言った。

 

 

『……深山楓は、ぼくみたいなヤツが傷付けていい女じゃない』

 

 

 私は胸の内で答える。

 

(そんなにいい女じゃないんですよぅ……)

 

 これが私なりのけじめ。

 

 御影くんが笑う。

 

 

 ――さよなら、小銭女。

 

 

 次から次に、熱い涙が溢れ出して頬を濡らした。

 御影くんは泣きながら赦しを乞うていた。私に赦しを乞うていた。私と秋月さんとの間には差なんてない。

 深山楓は虎だ。虎なんだ。

 

「――私は止めませんでした」

 

 そう言った瞬間、黒岩さんの顔色が変わった。

 

「なんやと……!?」

 

「……」

 

 虚偽の報告だが、これでいい。黒岩さんは絶対に私を赦さない。それでいい。

 黒岩さんが叫んだ。

 

「なんで! 楓、お前はなんで止めん!!」

 

 黒岩さんの色の薄い瞳から溢れ出した涙が頬を伝う。

 

「御影、また狂うたんか……。そこまでして謝っとんのに、お前も蛍も何も思わんのか……?」

 

「……」

 

 言い訳は全て卑劣だ。私に反論するつもりはない。それは赦されない。

 

「楓、お前は御影が憎いんか……?」

 

 黒岩さんは口元を抑え、込み上げる嗚咽に耐えている。

 

「なぁ、何か言えやぁ……」

 

 黒岩さんはこの期に及んで私の言い分を聞くつもりのようだ。そんな彼女だからこそ、裁かれたい。私を罰する権利がある。

 

「……」

 

 私は黙っていた。

 

「何で……御影、もう傷だらけやん……あれ、治らんのんよ……」

 

 黒岩さんは肩を丸め、込み上げる嗚咽を飲み込んで涙を流し続ける。彼女は個人の性分として暴力を好まない。必要なときに必要な分だけ。

 

「申し訳ありません……」

 

 自然とその言葉が口を衝いた。胸に有ったのは落胆と失意。黒岩さんにとって、私は罰するに値しない存在なのだ。そう思うと、殴られるより余程堪えた。

 黒岩さんが言った。

 

「お前と蛍のことは絶対に赦さん……!」

 

「はい……」

 

「楽しかったか? 人間が本気でおかしなるん見て、面白かったか?」

 

「…………」

 

 断罪の言葉はナイフのように私の胸に突き刺さる。でも血は流れない。それなら涙を流すよりない。私は虎だ。虎は御影くんの傍にいるべきではない。それがどうしようもなく、悲しかった。

 黒岩さんは何度も深呼吸を繰り返し、努めて冷静でいようとしているけど、口元が少し震えている。

 

「……御影、祈ったか?」

 

「祈る……?」

 

 私が首を傾げて見せると、黒岩さんは大きく鼻を鳴らして首を振った。

 

「分からんのならええ。お前に教えるようなことなんかあるかい」

 

「……はい」

 

「もう御影には近付くな。ええな?」

 

「…………はい」

 

 俯き、視線を下げた先のテーブルをじっと見つめて考えたのは御影くんのことだ。

 

 ――そういえば私、御影くんが笑ったところを見たことない。

 

 虎の私に相応しい自業自得の結末だ。自嘲の笑みが込み上げる。

 ――終わった。終わったんだ。

 そう思うと、急速に視界が滲み、木製のテーブルに新しい涙の花が咲いた。

 

「あんたに期待した私が間違っとった」

 

 冷たく言って、黒岩さんは席を立った。私を見下す眼から涙は消えていて、そこにはもう何の感情も窺えない。少し乱れた胴着の襟を直し、居住まいを正すと軽蔑したように言った。

 

「それで、お前は御影にどうしたん? 買うたんか?」

 

「……」

 

 この質問に驚きはない。私が彼女の立場なら同じことを聞くし、やはり私を赦さない。

 もう終わったことだ。私は首を振って答える。

 

「いえ、私には売ってくれませんでした」

 

 ――深山楓は、ぼくみたいなヤツが傷付けていい女じゃない。

 

 さようなら、可愛いひと。これ以上は卑怯未練。ここが引き際。これ以上は汚いだけ。私は顔を上げる。そこには――

 

「…………」

 

 眦を釣り上げ、瞋恚の炎に燃えた瞳で私を睨み付ける黒岩智が居た。

 空気が変わる。

 激しい怒りの炎に魂まで焼き尽くされそうな気がして、私はごくりと息を飲み込んだ。

 

「どういうことや。説明せえ」

 

 静かに。しかし奥底に激情の発露。何が彼女の気に障ったのか分からない。

 

「あ、う……何度も、その……お金を渡したんですけど……御影くんは、受け取ってくれなくて――」

 

 困惑しながら、何とかそこまで言ったところで、黒岩さんが黙って腕を振り上げた。

 そして――

 

「どつき回すより、余計悪いわッ!!」

 

 振り落とした勢いそのままに、私の頭を引っ掴み、思い切りテーブルに叩き付けた。

 

 激しい衝撃音と同時に、一瞬意識が途切れた。

 

「ボケがッ! お前、御影に何したんじゃ!!」

 

 分からない。黒岩さんが先の問答より余程怒っていることは分かるけれど、御影くんが『売らなかった』という事実に怒る理由が分からない。

 

「う……」

 

 ぐねぐねと視界が歪む。脳震盪を起こした。テーブルに頭を押し付けられたままでいる私の三つ編みの髪を持ち上げ、黒岩さんが私と視線を揃えて言った。

 

「ええやろう。ボロボロにしたるわ」

 

 揺れた意識の中で、私は薄く笑って見せた。

 

「なに笑とんじゃ、気色悪い!」

 

 ここにも『虎』がいる。『虎』の黒岩智がいる。

 

 同じ『虎』が相手なら、私が御影くんを諦めなければならない道理なんてない。それが嬉しくて、私は笑っていた。

 

◇◇

 

 黒岩さんに髪を引っ張られ、体育教官室を出た。女子剣道部が活動する柔剣道場は体育館と隣接している。

 視界が揺れ、足が縺れる。私は何度もその場に踞ろうとするけれど、黒岩さんは容赦なくて、へたり込みそうになる私の脇腹に膝をぶつけて先を催促する。引っ張られた髪が、湿った音を立てて千切れた。

 黒岩さんが平淡な声で呟いた。

 

「だらしないの、さっさと歩けや」

 

 私の想像が確かなら、黒岩さんはこういった状況に慣れている。怒っているが、顔色一つ変えず周囲の人影の有無を確認し、速やかに無駄なく、道場の方に向かっている。

 好むと好まざるに関わらず、荒事を嗜む。彼女の性質上、その必要があったのだろう。本質がどうであれ、その生きざまは正しく虎の生きざまだ。

 物陰を歩み、人目を避けて道場に向かう。

 

「気に入らん。あんた、御影にいったい何やらかしたん?」

「……ひ、みつです……」

 

 私と彼との間に何があったかなんて、恥ずかしくてちょっと言えない。

 

「……やっぱりあんた、一筋縄じゃいかんタマやな」

 

 減らず口を叩かれたと思ったのだろう。黒岩さんは口角を釣り上げて笑った。

 

「ええやろう、ええやろう。最初は皆、そうなんよ。笑いよる」

 

 やはり慣れている。

 

「あんた、気が付いとるか? さっきからずっと笑とるで?」

 

 御影くんに逢いたい。そのことばかりを考えているからだろう。私は笑っているみたいだった。

 唐突に背中を突き飛ばされ、つんのめりながら私が道場に転がり込むと同時に、黒岩さんが大喝した。

 

「全員集まれッ!!」

 

 その言葉に、筋トレや素振り等の練習に取り組んでいた女子剣道部部員たちの手が止まり、何事かとこちらに視線を向け――固まった。

 

「聞こえんのか! 集まれッ!!」

 

「は、はいっ!」

 

 一年生が八人。二年生が一八人。三年生が三人。総勢二九名の大所帯。一年生の数は顧問曰く平年並み。三年生は淘汰され、私と秋月さん、黒岩さんの三人になった。そんな中、二年生の数だけが群を抜いているのは御影くんの影響が大きい。

 くらくらして気分が悪い。世界は未だ歪んでいて足元が覚束ない。黒岩さんに突き倒される格好でその場に座り込んだ私に視線を走らせながら、剣女の全員が何事かと駆け寄って来た。何人か見えない顔もあるが、それでも二十人以上は出席している。その部員たちを見渡し、黒岩さんが如何にも機嫌悪そうに言った。

 

「とりあえず一年は校庭五十周してこいや。二年は残れ」

 

 その言葉に一年生は顔色を青くし、二年生は戸惑って表情を見合わせたが不満の言葉は出ない。

 実績、人数、期待値を勘案した結果、男子剣道部の連中は学校外の施設に練習場所を間借りしている。つまり助けは来ない。

 

「川村!」

 

 川村 美里。両目を覆うように伸びた髪が特徴的で無口な彼女は、陰で『サダコ』なんて呼ばれている。

 一年生たちが出て行き、周囲に二年生の部員だけを残すようになってから、川村さんが前に進み出た。

 

「……黒岩先輩、何でしょう」

 

 川村さんは手を後ろに組み、僅かに足を開いた『休め』の姿勢。数だけは多い二年生の中で、何故か黒岩さんは彼女を贔屓している。

 

「副……コイツのことや」

 

 冷たい目で私を見下ろす黒岩さんの視線を辿り、こちらに一瞬視線を滑らせた川村さんと目が合った。

 

「……副主将が、何か……」

 

「マネのことや。御影マネ。コイツが事情聞きに行くことになっとったんは、お前も知っとろうが」

 

「……! はい」

 

 黒岩さんが御影くんの名前を出した途端に、川村さんの雰囲気が変わった。彼女だけじゃない。二年生は全員表情を引き締め、黒岩さんに向き直った。

 

「主将……蛍のヤツ、御影のこと竹刀でどつき回したそうや」

 

「……!」

 

 川村さんと視線が合う。長く伸びた前髪の間から垣間見えた瞳には力があって、詰問の強い気配を帯びている。

 

「それでコイツは、その場におったらしいんやけどな……」

 

 黒岩さんが私の背中を蹴った。

 

「止めんかったそうや」

 

「……」

 

 川村さんは黒岩さんと向かい合いながらも、私と合わせた視線を逸らさない。

 

「マネ、泣きながら謝ったらしい。お前、許せるか?」

 

「…………」

 

 川村さんは応えない。逸らされることのない瞳は、瞬きすら忘れたように私を凝視したままだ。

 

 気が付くと、この場の二年生部員全員が、私に冷たく厳しい視線を向けていた。

 

◇◇

 

 道場にある二ヶ所の出入口に各二名づつが見張りに付き、残りの部員が円を描くようにして対峙する私と黒岩さんを取り囲んでいるという状況。

 川村さんが私の前に竹刀を放り出し、それを見届けた黒岩さんが頷く。

 

「準備はええか? 防具はいらんやろう。それじゃ――立ち切り、始めるで」

 

「……いえ」

 

 川村さんが首を振り、私を指差した。

 

「深山が防具を着けたままです」

 

「え……?」

 

 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。私が着ているのは半袖のブラウスに制服のスカートだけだ。防具なんて着けてない。

 黒岩さんが噴き出し、手を打って大笑いした。

 

「本当やん! うっかりしとったで……!」

 

 川村さんが表情を変えないまま歩み寄り、私のブラウスに手を掛け、引き寄せながら耳元で囁いた。

 

「……買いましたか? マネ、すごくいいって噂です」

 

 どうやら、御影くんの回りには虎しか居ない。自嘲の思いと共に、少し可笑しくなって笑ってしまう。私は川村さんにだけ聞こえるように、そっと囁き返した。

 

「ええ、最高でしたよ……」

 

「……!!」

 

 刹那、表情を引きつらせた川村さんの手で私のブラウスは引き裂かれた。ボタンが弾け飛び、床を打つ軽い音が静かな道場内でやけに大きく響いた。

 川村さんが金切り声で叫んだ。

 

「この、雌豚っ!!」

 

 瞬く間にブラウスを剥ぎ取られた後、激昂した彼女の手でスカートまで破り捨てられ、私は床に蹴り倒された。

 

 パンティとブラだけになり、その場に踞った私の耳に、他の部員たちの嘲笑が遠く聞こえた。

 視界の揺れが治まり、幾分ましな状態になってきたけれど、まだ早い。打ち合えるような状態じゃない。噴き出した汗が頬を伝って落ちた。私が竹刀を取るのと同時に、黒岩さんが小さく頷いた。

 

「やれ」

 

 怒りに震える声で短く言って、川村さんが踵を返すのと同時に、強い衝撃が背中に走った。

 

「――うぐっ!?」

 

 背後から打たれた。

 休む間もなく、二度、三度と背後から竹刀が飛んで来る。稽古と呼ぶのも烏滸がましい私刑(リンチ)が始まった。

 

 黒岩さんは壁際に置いてある椅子に腰掛け、その前で休めの姿勢になった川村さんと何か話し込む様子だった。

 

 頭を抱えるようにして踞り、その場で丸くなって全身を緊張させる私を見て、黒岩さんが舌打ちした。

 

「手加減するな。ソイツ、回復するん待っとるだけや。反省の欠片もないで」

 

 私が取った防御の形は、あのときの御影くんと似たような姿勢だ。そして、二年生たちは上級生である私に対して容赦ない。背中を打ち据える打撃の強さは、その威力が御影くんに対する信頼や好意に比例しているのだと思うと奇妙な感じだった。

 あと少し。痛撃を受けながらも、私は順調に回復している。二二回目の衝撃が走ったとき、じわりと暖かい感触が背中に広がった。皮が破れ、出血があったのだろう。一方的な攻勢がやや収まる。

 

 ……もう、いいだろうか? そろそろ私の禊は終わっただろうか? 御影くんは、私を赦してくれるだろうか?

 

 私は目の前に転がったままの竹刀を手に取った。

 む、と眉間に皺を寄せ、警戒も露に腰を浮かせる黒岩さんの姿が視界の端に映る。

 殆ど同時に――

 

「なんだ、お前たち。そこを退け。今の私は少し苛ついているんだ。……そこを退けと言ったんだ!!」

 

 苛立った秋月さんの怒鳴り声が、はっきりと私の耳に聞こえた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

虎退治2

 夏の空にかかる太陽が中空に差し掛かった頃、私は漸く目を覚ました。

 テーブルの上には倒れ込んだ墓石のようにビールの空缶が転がっている。

 何もない部屋だが、そればかりはしこたま買い込んである。昨夜は悠希との経緯を思い、それに喜び、それに憤り、それに悲しみ、痛飲したのを記憶の端に覚えている。

 

「……」

 

 身体を起こし、ぼんやりと時計に視線を向けると、時計の針は午前11時を差そうとしていた。

 

(昨夜は……)

 

 ああ――。

 と、私は悩ましく溜め息を吐く。

 昨夜は、悠希と一緒にいたのだ。想像していた形とは随分違ったが、それでも二人の関係は袋小路から出たように思う。

 

 間違ってない。

 

 私は、己の中の『最適解』を信じる。

 今はこれでいい。己に言い聞かせるように念じ、さてと立ち上がったところで軽い目眩を感じ、私は二、三歩たたらを踏む。

 昨夜は少し飲み過ぎた。嬉しいのが半分、悲しいのと苛立たしいのが半分。面倒なことは酒で流した。

 週末にはインターハイが始まる。チャンバラごっこは、それでおしまいだ。あまり時間がないが、大学からは柔道でオリンピックを目指してみようかと思っている。

 

 悠希は……

 

 私は一つ頷いた。

 

「連れて行こう。うん、それ以外には考えられない」

 

 東京の大学に行くつもりだが、べつに地元の大学に入っても構わない。どちらにしても二十歳までいられない。その後はアメリカかイギリスの大学に行くことになる。それなりに大変な道筋だが、悠希の支えがあれば問題は見当たらない。父は高齢だが、あと10年くらいは保つだろう。

 ちろりと下げた視線の先にはスマホが転がっている。さしあたって――

 

「婿殿の機嫌でもとっておくかな」

 

 悠希に電話するのは『奥の部屋』での一件以来のことになる。

 発信履歴から悠希の番号を検索する私だったが、不意にその視線がスクリーンを凝視して止まる。

 

「……誰の電話番号だ?」

 

 かけたのは夜遅く。悠希が帰って暫くして、その頃は飲み過ぎて正体がなくなっていた時間帯だ。

 ベッドの下の収納が開いたままになっていて、高校に入学してすぐ書いたクラスメイトの自己紹介の寄せ書きや緊急連絡先のプリントが丸めて転がしてある。

 嫌な予感がした。

 身に覚えはないが、昨夜の私は、確かに電話をかけたのだ。

 

 ――誰に?

 

 わからない……。

 

 己の酒量は弁えているつもりだが、昨夜は色々ありすぎた。

 悠希の過去を知り、結ばれた。その後、秘密の匂いを嗅ぎ付けた悠希は怒り、私の部屋を去った。

 いつもそうだ。上手く行きそうになると、何処からか邪魔が入る。

 昨夜の悠希とはとてもいい雰囲気だった。自分の上で必死に腰を振っているのは健気に思ったし、アレを舐めるとすぐ降参したのも可愛らしかった。

 葛城のことは、即座に売ってしまえば良かった。そうすれば、悠希は帰らずに泊まって行ったかもしれない。

 私は存外、口の固い己のことを疎んだ。

 

(まあいい)

 

 もう終わったことだ。考えても仕方ない。酔っ払った自分が何処の誰に電話をかけたかも同じこと。調べればすぐ分かるだろうが、それを知っても仕方ない。もう終わったことだ。

 そう開き直った私は、迷わず悠希の番号をタップした。

 呼び出しを告げるメロディを聞いている間、私は意外な程の胸の高まりと緊張に、何度も息を飲み込んだ。

 

 ――悠希が出た!

 

 一瞬で頭が白くなり、ちょっとしたパニックに陥った。

 とにかく、喋れ!

 

「おっ、おおお、おはよう! 昨夜は、昨夜は……素晴らしかった!」

 

 電話の向こうの、ソイツが、ブッと噴き出した後で言った。

 

 

『な~にが、素晴らしかった、だ。このメスブタが』

 

 

「…………」

 

 

『テメーの腐った肉穴の具合なんてどうだっていいんだよ。二度と電話すんな』

 

 

「…………」

 

 

 そして――

 無惨に通話が切られた。

 何が何だかわからない。私は軽く唇を舐め、世界の真理について真剣に考えた。

 もう一度、悠希に電話を掛ける。

 

『なんだ、しつこいぞ。肉穴』

 

「私は、そんな名前じゃない」

 

『そうかよ、肉穴』

 

「……新城、なんでオマエが悠希の電話に出るんだ」

 

 携帯電話の向こう。新城馨は、くつくつと喉の奥で嘲笑っていた。

 

『秋月、今のテメーは全然怖くねえよ』

 

「何の話だ……?」

 

 悠希に掛けた電話に新城が出たことには驚いたが、それを上回る粘るような不安を感じ、私は思わず息を飲む。

 

「そんなことより、悠希に代わってくれないか?」

 

『ユキは寝てるから駄目だ。すげー疲れてるから明日にしろ。言っとくけど、無茶すんなよ。ヤってもいいけど、また殴ったら今度は絶対に――』

 

 一瞬の間を置いて、言った。

 

『殺してやる』

 

「……」

 

『今のテメーは怖くない。アタシの真似して、アタシの後を追ってくるテメーは全然怖くない』

 

「――つっ! 私、は……」

 

『ホントは分かってんだろ?』

 

「何のことを……」

 

 冷たい携帯電話の向こうに問い直す私の唇は震えていた。

 

『……今だから言うけどさ。アタシ、オマエのことがすげー怖かったよ』

 

「……」

 

『えっ、と……入学してすぐ位だから、二年間と少しか? どんだけ積み重ねた?』

 

「いったい、何の……」

 

 秋月蛍(わたし)は、この二年間で、いったいどれだけの『好き』を積み重ねたのか。

 

『アタシはいいんだ。そんなん、何もなかったから』

 

「だから、何の……」

 

 酷く喉が渇いた気がして、私は掻き毟るように首に手をやった。

 

『色々あるよな。体育祭、文化祭、修学旅行、アタシはよく知らないけど、剣道部でマネージャーしてたこともあったよな』

 

「……新城、思い出話は他のヤツとやってくれないか?」

 

 新城は嘲笑った。

 

『オマエは、それを全部捨てて、ユキを金で買ったんだ』

 

「――違う!!」

 

『いいや、違わないね。オマエは掛け換えのない全部を捨てて金で買ったんだ』

 

「違う違う! 私は何も捨ててない!! 私は、私は――」

 

 新城は、真面目腐って言った。

 

 

『ようこそ、コッチの世界へ』

 

 

 私の中の尤も鋭い部分が囁く。

 新城の言うことは――最適解――尤もで、至極正しい。

 

『アタシの後から、オマエはゆっくり付いて来な』

 

 何も言い返せない私がいた。

 

◇◇

 

 私は、『初恋』を金で買った。

 結局のところ、秋月蛍も新城馨も同じ穴のムジナ。何も違わない。己の中にある最も切実で、最も醜く浅ましい部分を突き付けられたような気がして――

 足元に、スクリーン部分が割れ砕けたスマートフォンが転がっている。

 

 一趣、神憑り的な予見能力を持つ『最適解』だが、万能の神通力ではない。

 新城は必ず何処かでミスをするだろうが、私がそれ以上のミスを犯せば今度こそ本当に悠希を失うことになる。

 

 悠希に逢いたい。

 

 秋月蛍という乱暴な女は、嫌われていないだろうか?

 

 最適解が示唆したのは、御影悠希という人間を知ることであって、寝ることではない。

 

 壁に収納するタイプのクローゼットを開け放ち、手早く学校の制服に着替えるといつものスポーツバッグと竹刀を背負って部屋を後にした。

 

 時折見せるあどけない表情や仕草が好きだ。

 態度も口振りも冷たいが、本当は心優しくできていることを知っている。

 怒っていても、決して理性を失わない冷静な所は利用させてもらった。感情に訴えず、道理を諭せば、どんな失態も許してもらえた。――割とチョロいのが堪らなくいい。

 

 悠希に逢いたい。

 

 悠希の為に、今、何をするべきか。何ができるのか。

 できることは何だってする。だから――

 

 新城(アイツ)とは違うと言って欲しい。

 

 私は、ポツリと呟いた。

 

「新城……あんなヤツ、死んだらいいのに……」

 

 この日は快晴だったが、私の心の中は吹き荒ぶ嵐だった。

 

『オマエは掛け換えのない全部を捨てて金で買ったんだ』

 

 新城の言葉が、棘のように突き刺さっている。

 

「私は、違う! 違うんだ……!!」

 

 そうだ。違うとも。私と御影の間には積み重ねがある。私は御影が好きで、御影は……御影は…………

 苛立ちのまま外に飛び出すと、むんと夏の熱気が身体中にへばりつくような感じがした。それは、新城のあの言葉のように私の心に張り付いて離れない。

 

 ――ようこそ、コッチの世界へ。

 

 蒸し返すような夏の熱気に晒されて、額から噴き出した汗が頬を伝って地面に落ちる。じっとりと噴き出た汗に下着まで濡れているような気がして、最悪の気分だった。

 

「なんでこんなことになったんだ……」

 

 苛立ちを吐き捨てながら、駆け足で階段を駆け降り、その足でマンションの地下駐車場に向かう。

 私の中の『最適解』は、この状況に対する答をくれない。

 やや薄暗い地下駐車場にやって来ると、奥まったスペースに停車してある一台の車がライトを点滅させたあと、音もなく前に進み出た。

 秋月家に所属するハイブリッドカー。エンジン音は殆どなく、滑るように進み出たその車の後部座席に乗り込みながら、運転手に向かって言った。

 

「武田、携帯電話を壊してしまった。一台都合してほしい」

 

「分かった」

 

 武田が短く応える。車中はエアコンが効いていて、汗が引くのと一緒に苛立ちも引いて行くような気がして、私は小さく息を吐いた。

 

「学校だ。チャンバラごっこをやる」

 

 行き先を告げると、バックミラーで私の顔色を確認する武田と目が合った。

 

「なんだ。ジロジロ見るんじゃない」

 

 武田 節子。24歳。秋月家の遠縁にあたる血筋らしいが、私にとってはただの使用人だ。一応、大学は出ているし、護身術も修めているからそれなりの人材ではある。

 バックミラーの中の切れ長の瞳が、訝しむように私を窺っている。

 

「昨夜、すごく可愛い男の子と一緒だったよね。御影くんだった? 寝たとか?」

 

 私は小さく舌打ちした。

 

「ああ、寝た。父に報告するか?」

「しないよ。聞いただけ」

 

 御影のことは、暇潰しでやっているチャンバラごっことは違う。ミラー越しに睨み付けると、武田は小さく肩を竦めた。

 

「なんだ、上手くやったんじゃないか。ご執心なのは知ってたけど、その様子だと喧嘩でもしたの?」

 

「……ちょっとした行き違いがあっただけだ。大したことじゃない」

 

 そう、明日には仲直り。いつものことだ。御影はチョロいし、何とかなる。話せばきっと分かってくれる。シートに背中を預け、視線を躱すのと同時に車が走り出した。

 

◇◇

 

 学校に向かう。

 緩やかに流れる景色を横目に考えるのはこれからのこと。少し考えて、武田に言った。

 

「武田、仕事用の端末があっただろう。私にくれないか?」

「……くれって、貸すんじゃなく?」

「ああ、壊される可能性がある」

「穏やかじゃないね」

 

 端末を受け取り、私の壊してしまった携帯から取り出したメモリの中身を端末にコピーして、メモリは武田に保管させる。

 

「バックアップを頼む」

「……へえ、秘密の匂いがするね。御影くん絡み?」

「そう。中身は見るな」

 

 黒岩を問い詰める為には確たる証拠が必要だ。

 

『成功させても、何の得にもならないけど、あんたはやるでしょ?』

 

 忌々しい葛城の言葉を思い出し、私は頷いた。

 

 ……でも少し、ちょっとでいいから見返りのようなものが欲しい。そもそも人というものはタダでは動かない。黒岩は厄介な相手だし、これから冒す危険や労力を考えればタダ働きは詰まらない。この事を説明すれば、御影は何か私に差し出すんじゃないだろうか。勿論、御影は大切な存在だ。必ずしも見返りが必要なんて言わない。しかし……

 そこまで考えたところで信号待ちに差し掛かり、武田が言った。

 

「彼、すごく可愛い。少し痩せたね。前から人形みたいだって思ってたけど、一段と愛らしくなったというか……」

 

「御影は人形じゃない」

 

 叩けば傷付くし、痕が残る。笑うこともあれば、泣くこともある。快楽を与えれば射精だってする。そっと下腹部に触れると、まだ御影の感触が残っているような気がして笑みが浮かんだ。

 

「分かってるよ。でも、こう……色気がある。幼さの中にエロティックを感じる」

 

「……確かに」

 

 父、曰く。武田は私に似ているそうだ。冗談じゃないと思っていたけど、饒舌に御影の事を喋る彼女を見ていると、その評価は間違ってない。

 

「確かに御影はエロいな。女みたいな顔をしている癖に、脱がせると案外引き締まっていて――」

 

 ――年若い牡鹿。未熟だが、強かさも感じる。抱き締めると吸い付くような柔らかさの中に、固く骨張った男らしさもあって……。

 

「そ、そうなんだ……」

 

 赤信号を見上げたままの武田の喉が物欲しそうにゴクリと鳴った。羨ましがられて悪い気はしない。新城の自慢したい気持ちがよく分かる。

 

「凄かった」

 

 昨夜のことを思い出し、正直に言ってしまうと、腰の奥が、じんと暖かくなった。

 

「へ、へえ……それは、その、ハハ……そうなんだ。御影くんは、そ、そうか……」

 

 信号が青に変わり、それでも武田は反応しない。アクセルを踏むのも忘れて停車したままでいる。バックミラー越しに見えた視線は揺れていて――思わず私は嘲笑ってしまう。

 言った。

 

「御影、一回五万円だそうだ」

 

「……………………は?」

 

 見ずとも分かる。今の武田の表情は、三ヶ月くらい前に私が浮かべた表情と同じものだろう。

 

「家庭の事情ってやつさ。今の御影……悠希にはお金が必要なんだ」

 

 後続車が二度クラクションを鳴らし、武田が慌てて車を発進させた。

 

「昨夜はその事で揉めたんだ。今朝の仏頂面はそういう事だと理解してくれ」

 

「あ? え?」

 

 不明瞭な返事をする武田は混乱して挙動不審だった。

 

 沈黙。

 

 正直、悠希が私以外の女を抱くのは不愉快だ。あの新城や生意気な葛城と寝ていると思うと虫酸が走る。

 武田が平静さを取り戻したのは5分ほど経ってからだ。私の反応を窺って、やはりミラー越しにチラチラと視線を送ってくる。

 

「それで、武田はどうする?」

 

「どうするって?」

 

 武田は笑って見せるが、その声は僅かに上擦って聞こえる。

 

「買わないか?」

 

「ケイは……いいの?」

 

 いつものように車を走らせる武田は笑っている。本当に嬉しそうな笑顔だ。

 

「構わない。もう何人か買ってる」

 

「……へえ」

 

 新城や葛城に任せるくらいなら、武田に任せた方が余程いい。それに一回五万円ならすぐ終わる。

 

「それで、どうする?」

 

「――買った」

 

 武田は私に似ている。

 父の言葉を思い出し、私は窓の外に視線を映した。

 御影悠希は女嫌い。自ら課した試練に耐えられるようならそれでよし。耐えられず、リセットするならそれでよし。どっちに転がっても、私には損のない話だ。

 

「んふ、んふふふふっ」

 

 学校に向けて車を走らせる武田は、いつになく上機嫌だった。

 

「お金で話がつくのは手っ取り早くていいね。どういう段取り?」

 

「知るか。放っておいても、その内やって来る。私の後に交渉しろ。私の後だ。それと――」

 

 一回二千円。その事を思えばかなりの割高だがそれでいい。二十五倍早く終わる。悠希が目標を達成したとき、武田をクビにすれば、すっきり終われる。

 私は鼻を鳴らした。

 

「それと、無理なことはするな。暴力を振るったり、嫌がることを強制したりするのも駄目だ。金もちゃんと払え」

 

「勿論、そんなことするもんか」

 

 ミラー越しに見る武田は、ニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべて私を見つめている。

 

「……まだ何かあるのか?」

 

「いやね。まさか、ケイがこんな話をしてくるなんて思わないだろ?」

 

 ハンドルを切る手も軽やかに、武田は続ける。

 

「……で、ケイも買ってるの?」

 

 武田の口から何気なく放たれたその問い掛けは、鋭く私の胸に突き刺さった。

 

『どんどんユルくなるよ。ほとんど毎日ヤってる。お金もいらないってさ』

 

 一瞬、脳裏に過ったのは新城のあのセリフ。

 

「……私と悠希は、そういう関係じゃない……」

 

 私の口から漏れたのは、自信のなさそうなか細い声だった。

 気を取り直すように、私は強く首を振る。そうだ。

 

「私たちの間に、金銭のやり取りはない。そんな関係じゃないんだ」

 

 武田は視線を前に戻し、ぴゅうと唇を尖らせた。

 

「難しそうな男の子に見えたけどね。さすがケイ」

 

「……」

 

 もう一度鼻を鳴らし、私はこの不毛な会話を打ち切った。

 

 ――ムカつく。

 

 私は……秋月蛍という女は特別製だ。何が嬉しくてあの女――新城の真似をしなきゃならない。

 

『アタシの後から、オマエはゆっくり付いて来な』

 

 ムカつく。

 理由はなんでもいい。目に映る全てを叩き壊したい気分だった。

 

◇◇

 

 校門の前まで送ってもらって、武田と別れた。

 僅かに陽炎が立ち上る校庭まで歩いたところで、裸足で走り込みをやっている女子剣道部部員の姿が目に入った。おそらく、黒岩か深山辺りの指示だろう。剣道をやっていると足の裏の皮がごつくなるのは、この裸足での走り込みが原因だ。僅かな間合いを取り合う競技の性質上、『摺り足』での足運びが求められるため、この手の地味な練習は決してなくならない。

 

「……?」

 

 走り込みをしている部員たちを遠目に見つめ、私はふとした違和感に足を止めた。

 一年生しかいない。一年と二年とで練習メニューが違うという可能性もあるが、基本に忠実な黒岩や深山がこの手の基礎訓練を欠かすとは思えない。

 うなじに、ピリピリと痺れるような感じがある。私の中の『最適解』が警報を鳴らしている。

 何かある。一瞬、引き返すことを考えたが、この身に危険は感じない。私は特別製だ。

 

 ――このまま進め。

 

 無人の野を往くが如くだ。そして、黒岩を叩き潰して全てを告白させる。その後、動画(アレ)の始末は武田にやらせればいい。あいつ一人で無理なら、父に頼んでプロを呼べばいい。悠希には……

 

「……悠希に、逢いたいな……」

 

 悠希のことを思えば、胸が暖かくなる。そうだ。私は悠希を大事に思っているし、昨夜のことは全て私が悪かったと謝罪する。葛城のことは動画の件も含めて全て言ってしまおう。

 

「主将っ! 秋月先輩!!」

 

 私の姿を認めるや否や、一年生の部員がすっ飛んで来る。

 

「ああ、分かっている。その前に着替えさせてくれ」

 

 面倒臭い。皆、どうして私と悠希だけにしてくれないんだ。余計なことが多すぎる。黒岩も深山も葛城も新城も――皆、死ねばいいのに。

 

◇◇

 

 体育館にある控室で着替えを済ませ、隣接された剣道部の道場へ向かう。

 道場の入口には、竹刀を持った二年生部員が二人立っていて、私を見ると眉を寄せ、表情を曇らせた。その表情に一瞬だけ垣間見たのは嫌悪。怒りと怯え。構わず歩み寄る。

 

「退け。踏み潰すぞ」

 

「……っ」

 

 黒岩と深山以外の部員は全員雑魚だ。束になって掛かってきても、三分くらいで全員殺せる。そして今の私は頗(すこぶ)る気分が悪い。二人も言いたいことがあるようだが、私の剣幕を見て既に腰が引けている。

 だが、逃げない。

 

「なんだ、私に何か言いたいことでもあるのか?」

 

「……!」

 

 雑魚は雑魚らしく隅の方で震えていればいいのに。それでも強い視線で私を睨み返す二人の雑魚は、全く雑魚らしくない。

 

「言ってみろ。話くらいは聞いてやる」

 

 二人の二年生部員は怖じ気付き、身を竦ませながらも上目遣いの強い視線を逸らさない。

 

「黒岩先輩から聞きました。マネ……御影マネのこと、竹刀で叩いたんですよね……!」

 

「…………ああ」

 

「マネ、泣いて謝ったって……!」

 

「………………あぁ」

 

 目の前で怒りに震える二人が凄んだところで全然怖くない。この程度のことで、私と二人の実力差は変わらない。ただ少し、重たい気持ちになっただけだ。目の前の二人が煩わしく思うだけだ。

 

「だから、なんだ?」

 

 私が謝らなければならないのは悠希であって、目の前の二人じゃない。その思いから見下してやると、きり、と二人が歯を食い縛る音が聞こえた。

 

「……アンタ、最低だよ」

 

 こんなことはなんでもない。ただ少し重苦しいだけで。ただ少し――ただ少し、私の話も聞いてほしかっただけで。

 

「憧れてたのに、アンタみたいになりたいって思っていたのに、幻滅したよ……!」

 

 ただ少し、虚しくなっただけだ。

 

「……言いたいことはそれだけか? あぁ、それと私からもお前たちに言っておかなきゃならないことがある」

 

 そして――この一方的な断罪に、腹が立っただけだ。

 

「悠希は、お前たちのマネージャーをやってたんじゃない。私の、私だけの為にマネージャーをやっていたんだ。私たちのことを、お前たちがとやかく言う必要はない」

 

「……!!」

 

 刹那、私と向かって左に立つ二年部員が激発した。一歩退き、僅かに腰を落とすと竹刀の先を上げ、『突き』を放った。狙いは喉。構えも出来てる。ただ、行動を起こす前に一歩下がる動作が致命的なまでに無駄だ。接近しているのだから、竹刀での打突を試みるより素手での組打ちを挑む方がいい。

 すかさず竹刀の先を払い除け、私は、ぐいっと一歩詰め寄った。

 

「甘い!!」

 

 右手に持っていた竹刀の柄を顔面に叩き込み、同時に足を払って蹴り倒す。

 

「百年早い」

 

 少し離れた場所からこちらを窺う一年生部員にチラリと視線を走らせる。先に手を出したのは向こうだ。

 青ざめた表情の一年が頷くのを確認して、残ったもう一人に視線を向ける。

 

「秋月、お前っ!」

 

「秋月さん、だ。身の程を弁えろ」

 

 ゴチャゴチャと煩い雑魚の襟首を引っ掴み、昏倒した二年を乗り越え、黒岩と深山がいるだろう道場に入ったところで更に三人の二年生部員が立ち塞がった。

 背筋がヒリつくような感覚がした。

 雑魚は雑魚らしく引っ込んでいればいいのに、新たに駆け付けた三人の眼にはらしくない力がある。それが、どうしようもなくムカついた。

 

「なんだ、お前たち。そこを退け。今の私は少し苛ついているんだ。……そこを退けと言ったんだ!!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

虎退治3

 夏が来る度に思い出す。きっと、生涯忘れることはないだろう。蝉が鳴く夏の日のことだ。

 ベッドの上で、ちょこんと正座した悠希が胸の前で手を組んでいる。

 言った。

 

「天にまします我らの父よ。

 願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。

 御国(みくに)を来たらせたまえ。

 御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。

 我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

 我らに罪をおかすものを我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。

 我らを試みにあわせず、悪より救いいだしたまえ。

 国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

 アーメン」

 

 そして智は、この日も苦々しい気持ちで『主の祈り』を耳にする。

 

 『神』という存在の事について、時折は真剣に考える。それはきっと超自然の存在であり、その行いに人の意思が介在する余地はない。

 さしあたっての智の結論。

 

 人は、神とかいう存在に身を委ねるべきではない。

 

 少なくとも、生きている内は……。

 

◇◇

 

 深山楓からもたらされた情報は、智にとって衝撃的なものばかりだった。

 これだけは顧問に調べさせる訳に行かなかった売春の実態は頭の痛い問題だ。慎重で用意周到であることは如何にも悠希らしく、呆れるよりない。泣きたくはなったものの、怒りは少なかった。ifの話になるが、困り果てた悠希に売春を迫られた場合、智がその誘惑を振り切ることは難しい。……はっきりいって不可能だ。そう思うと、積極的な怒りは沸かない。

 秋月蛍が悠希に暴力を振るったことに関しては、絶対に許せないが理解はできる。本気で止めるつもりなら、その選択も有り得る。凄惨な過去を持つ悠希には忌避すべき選択だが、事情を知らない蛍が腕力で事態を治めようとしても不思議ではない。

 その短慮に怒りを露にしながらも、智は複雑な気分だった。少し間違っていれば、同じ手段を使って売春を辞めさせようとしたのは蛍ではなく、自分だったかもしれない。近く罪科を問うつもりだが、蛍の行為には生き写しの自身を見るような嫌悪があった。

 

「――私は、止めませんでした」

 

 楓のその告白には激発しかけたが、涙を流し項垂れる姿を見ると、これを積極的に暴力で制するのはどうしても躊躇いがあった。智に暴力を嗜好する性分はない。許すことはできないが、反省する姿を見れば、それでもう充分だった。

 

 ――深山楓は、嘘を吐いている。

 

 そう思ったが確信はない。だが、冷静に考えれば楓の告白には不明な点があった。

 先ず、楓は蛍相手に怖じ気付くような性格ではない。理不尽な行いを見れば必ず制止するだろう。見逃したり、許容したりするのは彼女の資質足り得ない。その点を追及しなかったのは、楓が懺悔を望んでいることを理解したからだ。恐らく、彼女の中で内省を促す出来事があったのだ。

 ――興味ない。

 それが智の感想だった。楓が嘘を吐いていることは分かっても、その嘘がどのようなものかは分からない。

 ――どうでもいい。

 智には、楓の事情なんてどうでもよかった。ただ、悠希には二度と近付かないでほしいとは思う。

 

「もう御影には近付くな。ええな?」

 

 己に対する批判を受け止めた楓はこの言葉も受け入れた。釈然としない部分もあるが、智にとって楓の存在は不安材料の一つでしかない。自ら納得して手を引くというのなら、それが一番いい。

 

「そんで、お前は御影にどうしたん? 買うたんか?」

 

 この問いは単純な好奇心から放たれたものだ。買ったと言えば躊躇いなく楓を軽蔑することができるし、そうでないなら、それはそれで問題ない。だが――

 

「いえ、私には売ってくれませんでした」

 

 だが、返ってきた答えは、智が想像していたものを遥かに超え、最悪のものだった。

 漠然とした不安がはっきりとした形を持ち、眼前に立ち塞がる。悠希にとって、深山楓はその他大勢ではなく、特別な存在なのだ。

 

「あ、う……何度も、その……お金を渡したんですけど……御影くんは、受け取ってくれなくて――」

 

 しかも、当の本人である楓は全く理解していない。それがどうしようもなく腹に据えかねる。

 

 黒岩智は、御影悠希にとって特別な存在であるか?

 

 三年前ならともかく、今はもう自信がない。自惚れてしまっていいほどの絆があると思えない。この三年の間、何のために時を重ねたのか。全ては無駄なのか。そう思うと楓の存在は質が悪い。

 

 楓がそうであるように、悠希の方でも『そうである』とは気付いていない。手に取るような実感があった。

 

「どつき回すより、余計悪いわッ!!」

 

 楓の頭部をテーブルに叩き付け、同時に智は決意した。

 

 最早、一刻の猶予もならない。今すぐ悠希の元へ駆け付ける。今なら、まだ――

 

 深山楓は、笑っていた。

 

 焦る智の内心を見透かすように、緩い笑みを浮かべていた。

 

◇◇

 

 深山楓の三つ編みの髪を引き、道場へ向かう間に様々な状況に思案を巡らせる智は眉間に険しい皺を寄せている。

 隠し球は幾つかある。

 吉河瑞希と連絡が取れなくなったのは不安だが、使えるカードは一枚じゃない。

 道場では先ず一年生部員を追い払った。

 

「とりあえず一年は校庭五十周してこいや。二年は残れ」

 

 五十周。多いが多すぎはしない。自分が一年生のときは百周させられたことを思えば、随分優しい数字だ。

 

「川村!」

 

 隠し球は幾つかある。川村美里の存在もその一つだ。

 体力も才能もなく、入部当初はすぐ辞めるだろうと高を括っていた。実際、部の活動には付いてこれず、ランニングしては吐き、打ち込み稽古では村八分にされて同級生に滅多打ちされる。センスのなさに上級生からも見捨てられていた。献身的なマネージャーがいなければ、とてもでないがやっていけなかっただろう。御影悠希が居たから、川村美里はなんとかなったのだ。

 悠希が殊更に世話を焼いたからというのもあるが、智が彼女を贔屓する理由は――

 

 気持ち悪かったから。

 

 視線を隠すように伸びた前髪の間から、川村美里はいつだって悠希を見つめていた。他の部員の窺うような視線にも構わず、瞬きすら忘れ、網膜に悠希の姿を焼き付けていた。

 

 とても、気持ち悪かった。

 

 川村に対してはゴキブリを見るような嫌悪がある。それでも目を掛け、手の内に置く理由は『使える』と思ったからだ。他者の視線も気にならないほど焦がれていながら、川村は自信がない。端から秋月蛍には敵わないと卑下している癖に、諦めきれない。指をくわえて見ているだけ。賭けてもいいが、この手のタイプの女に悠希は目もくれないだろう。

 川村美里は卑屈な女だ。智は、彼女のそういうところが気に入っている。

 

「深山が防具を着けたままです」

 

 川村のこの言葉に大笑いして見せた智だったが、内心はドン引きだった。

 

「この、雌豚っ!!」

 

 詰まらない煽りにヒステリーを起こし、楓の衣服を剥ぎ取る様は異様だった。弱者と見れば容赦ない。そんな性分の女を誰が好むのか。

 

「やれ」

 

 川村のこの言葉を皮切りに、楓に対する壮絶な私刑(リンチ)が始まった。

 

 川村美里に限らず、二年生の部員には総じて卑屈な風潮がある。秋月蛍。深山楓。黒岩智。自分たちとは掛け離れた実力の先輩がそうさせるのだ。三年生の引退を間近に控えたこの時期、顧問が未だ次代の主将を選ばぬのにはそういう事由もあるのだが、本人たちは気付く気配もない。

 

 憧れ。諦感。その裏に叛意。

 

 そんなことをつらつらと考えながら、智は欠伸を噛み殺す。目の前の川村美里は休めの姿勢。飼い主に忠実な番犬のようだ。

 

「……黒岩先輩は、やらないんですか……?」

 

 汚れ仕事は雑魚の仕事と相場が決まっている。

 

「……そやなぁ」

 

 『ハンデ』が必要なのは川村たち二年生だ。いつかの蛍じゃないが、智なら三分ほどで全員叩き殺せる。今は滅多打ちにされ、踞る楓も同じことができるだろう。そのことを指摘しようかどうか迷い……結局のところ、智は首を振った。

 たとえ卑怯の謗りを受けようと、負けられない戦いがある。

 智は大きな溜め息を吐き出して、物憂い表情で天井を見上げた。

 

(御影には、死んでも言えんなぁ、これ……)

 

 下着姿で頭を抱え、踞って全身を緊張させる楓は徐々に回復する兆しを見せている。

 智は激しく舌打ちした。

 

「手加減するな。ソイツ、回復するん待っとるだけや。反省の欠片もないで」

 

 深山楓は美しい肌をしていた。その肌も竹刀で打たれ出血し、痛々しい無数の痣が浮いている。だが、ゆっくりと伸ばした手が、目の前に転がる竹刀を掴んだ。細く長い指も頭を庇う内に打たれたのだろう。甲の部分が傷だらけになっている。

 智は険しい面持ちで言った。

 

「川村。小持ってこい」

 

 滅多に使わないが、本来の智は二刀流だ。大刀は114cm以下 、小刀は62cm以下 が二刀流の規定であるが、昨今の剣道に於いて、『二刀流』は珍しい部類に入る。特に小刀は使用状況が限られる為、この場にない。

 傷付いてなお、惨めに這いつくばってなお、深山楓は虎である。智もそれを理解している。

 小刀を慌てて取りに行った川村の背を見送り、楓の方に視線を戻す。同時に――

 

「なんだ、お前たち。そこを退け。今の私は少し苛ついているんだ。……そこを退けと言ったんだ!!」

 

 ――秋月蛍。

 徹底的に楓を叩いた後が望ましかったが、是非もなし。

 

 秋月蛍は胴着に着替えていて、右手に竹刀を持ち、左手には見張りをさせていた二年生部員の襟首を捕まえている。楓を見て、堪えきれぬ様子で、ぷっと噴き出した。

 

「ははは、どうした深山。いい様だな」

 

 蛍は一頻り楓を嘲笑ったあと、奥二重の冷たい視線を智に向けた。

 

「ああ、黒岩。お前にすごく会いたかった。会いたかったんだ」

 

 この言葉を受け、智も不敵に笑って見せる。

 

「そうか。奇遇やな。私も会いたかったんよ」

 

 二人は、異口同音に言った。

 

「「クズが」」

 

 役者が揃った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

虎退治4

 悠希に逢いたい。

 私は特別だが、完全な存在という訳ではない。それは昨年の夏の経験で熟知している。

 例えば一つの試練を成し遂げたとき、それに見合った達成感が得られなかったとする。私は特別なのだから、それで当然と成果自体をなかったもののように扱われる。

 

 悠希が私を見る目には、強い憧憬の念があった。一つ勝利を重ねる度に、大袈裟なくらいの拍手と喝采で私を迎え入れ、賛美の言葉で誉めちぎる。

 何気なく伸ばした手の先にはタオルが用意されている。

 

 ――御影、見ていたか?

 

 ――うん、カッコよかった。

 

 たったこれだけのことで、私はニヤニヤとだらしない笑みが止まらない。戦果に見合った大きな報酬が得られたと、他愛なく胸が小躍りする。

 

 例えば――

 今、眉を逆立て、怒りに震える黒岩智は文句なしの強敵だ。深山もそれなりにやるが、本気になった黒岩の危険度は群を抜いている。

 

「よう来たな、蛍。楓から聞いたで。御影のこと、どついたんやろ?」

 

「……お前には関係ない」

 

 私は黒岩の本気を見たことがない。恐らく、彼女は最悪最強の敵だろう。二年前は無理だと思った。だが今は――

 

「お前に聞きたいことがある」

 

 黒岩は首を振った。

 

「話し合うんも、もう面倒やと思わんか?」

 

「あぁ、全くだ。その方が随分と話が早そうだ」

 

 私は『完全』な自分を知っている。完全な私なら、この黒岩にだって危なげなく勝利を収めるだろう。だが今は――

 だが、今の私は、たった一つ悠希の存在を欠いている。完全じゃない。

 

「……蛍、お前は許さん。この私が許さん……!」

 

 黒岩が竹刀を構え、僅かに腰を落とした姿勢で改めて私に向き直る。激情を秘めているはずの視線は静かで――

 言った。

 

「天にまします我らの父よ。

 願わくは御名をあがめさせたまえ。

 御国を来たらせたまえ」

 

「な、なんだ?」

 

 黒岩が口ずさんでいるのが『主の祈り』であることは分かる。だが、黒岩がキリスト教徒だとは聞いたことがないし、神を信奉する敬虔な信徒とも思えない。

 

「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」

 

 黒岩の発する祈りの言葉から嫌な予感がする。

 最後通告。言葉にするならそれだ。黒岩の背負う『何か』から、強い圧迫を感じて私は息を飲む。

 

「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」

 

「…………」

 

 目を凝らすが、何処にも解(こたえ)が見えない。

 こんなことは初めてだ。今、正にこの瞬間、黒岩智という存在には隙がない。身体を半身に開いて腰を落とし、両手に竹刀を持った構えは剣道のものではない。正道からは大きく外れた構えだが、何故か隙というものが存在しない。

 

「なんだ、お前?」

 

 人間か、こいつ? 邪道の構えは隙だらけだ。だが打ち込めない。竹刀の先に真剣と対するような圧力を感じる。

 

「我らに罪を犯すものを我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ」

 

 ――不吉。

 びりびりとうなじまで痺れるような圧力に、最適解はこの場からの逃走を全力で示唆している。黒岩が私を見つめている瞳は、何故か泣いているように見え――

 

「我らを試みにあわせず、悪より救いいだしたまえ」

 

「――!」

 

 ハッとして私も構えた。

 見入っていた。今の黒岩からは大きな力を感じる。それは悲壮で、痛ましくて、美しくて、何より心を打つ。抗いようのない不思議な力。

 

 やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい。

 

 竹刀じゃ駄目だ。これは『試合』じゃない。今の黒岩はこんな棒切れで止まってくれない。

 

「…………!」

 

 慌てて周囲を見回すと、浮き足立っていたはずの二年生たちは落ち着きを取り戻し、手に手に持った竹刀を下ろし、冷たい視線でこちらを見守っている。

 そこにあるのは信頼だ。

 

「……っ、何で」

 

 全員、黒岩が勝つと信じて疑っていない。

 

「……国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

 アーメン」

 

「あ……!!」

 

 祈りの終わりに、見えた。

 黒岩の背後には悠希がいた。頭を抱え、叩かないで下さいと懇願している悠希がいた。邪道な訳だ。形振り構わず守る黒岩は構えないんじゃない。構える余裕がない。

 嫌な予感がする訳だ。不吉な思いがする訳だ。押し潰されそうな圧力を感じてやまない訳だ。解が見当たらない訳だ。最初から、勝てる訳なんてなかった。

 

 そう悟ったとき、最適解は私に一つの答を与えた。

 

 悠希を竹刀で何度も叩き、今は動画(アレ)を持っている私の存在は、いったいどういうものだろう。ひょっとしなくても、憎むべき敵と呼べるものではないだろうか?

 

 おかしい。

 

 今のこの状況、私はてんで間抜けな敵役そのものだ。

 そこで気付いた。

 動画(アレ)を持ってきたのは葛城だ。元々の所持者は新城馨。つまり――

 

 これは罠だ!

 

 新城新城新城! よくもやったな! アイツだけは何を差し置いても殺しておくべきだった! お陰でこの有り様だ!! 本当なら、黒岩から断罪を受けるのはアイツだったはずなのに……

 

 薄いスープのように間延びした時間の中、黒岩が動いた。撃ち落としの斬撃が、真っ直ぐ私の頭を狙っている。

 

「あっ……」

 

 私の口から漏れたのは、そんな呻き声。咄嗟に竹刀を持ち上げ、受けに回ろうとするが、身体は縛り付けられたかのように動かない。黒岩が守る悠希の姿がそうさせる。

 

 ――違うんだ!!

 

 動画の出所は黒岩だ。それは恐らく間違いない。様々な意思と因果が絡まり合っていて、それが問題を複雑にしているだけだ。

 負けられない!

 ここで退けば、これまでの全てが嘘になる。

 悠希に逢いたい。

 この困難を乗り越えた暁には、何かの報酬が得られるのだろうか。

 

 スローモーションの世界の中、黒岩の斬撃が迫り来る。

 

 刹那、訪れるだろう衝撃に耐えるため、唇を食い縛る。

 私は特別な存在だ。

 

 ――貴女は虎なんですよ。

 

 いつかの深山の言葉が脳裏に過った。

 ああ、そうだ。私は虎だ。障害は全て食い破る。だから今は――解を見せろ、最適解!!

 

◇◇

 

 黒岩は背後に悠希の姿を守っていた。培った技を捨て、形振り構わず守るその姿は胸に迫るものがある。

 刹那、黒岩が動いた。

 視界の端で、深山が痛ましいものを見るように首を振る。

 打ち込まれる瞬間、私は構えを取ることさえできず、僅かに身動ぎしただけだ。切っ先が鋒を変え、左の首筋を打ち据えた。場の空気が撓んだと錯覚する程の衝撃音がして――

 

◇◇

 

 ――ごめんなさいごめんなさいお母さんもうしません二度とつまみ食いしません泣きません大きな声も出しません許してくださいこの通りです。

 

◇◇

 

 ――おまえには此処にいる資格がない! 資格がない者は出ていきなさいッ!!

 

◇◇

 

 全身を駆け巡る衝撃に意識が揺蕩う。身体を幾つもの欠片に打ち砕かれたようにすら感じる程の痛撃。

 

「ぁ――」

 

 堪らず膝を折る私を見届けた黒岩は中段に竹刀を構えつつ動かない。残心。決した後も気を緩めず、反撃に備える。

 

「――去(い)ね」

 

 酷く冷淡に、黒岩が言った。

 

「お前はもう、御影に近寄るな」

 

 私は今、負けている。現在進行形で負けている。一対一の対決なら、為す術もなかっただろう。

 腰紐で挟んで所持していた武田の携帯電話に手を伸ばす。

 

「なんや……?」

 

 怪訝な表情で覗き込む黒岩の目の前で、素早く携帯を操作して手で弾いた。

 武田から借り受けた携帯は道場の床を滑り、正座の姿勢でこちらを見詰める深山の膝に当たって停止した。

 

「……?」

 

 深山が携帯を拾い上げる。

 

 そして――

 

◇◇

 

 最初、深山は笑った。

 携帯から漏れ出したのは僅かな喧騒。ありふれた放課後の教室。悠希がいて、そこにありふれた情景を想像したのだろう。深山は微笑っていた。

 

『これから、御影きゅんの秘密に迫りま~す』

 

 だが、嘲るような男子生徒の声が聞こえると、眉間に皺を寄せ、露骨な嫌悪の表情を浮かべた。

 

 一番強いのは誰だ? と問えば、ここにいる全員が私の名を上げるだろう。だが、一番『怖い』のは誰だ? と問えば、私を含めた全員がこの女の名を上げる。

 

 ――深山楓。

 

 あぁ、黒岩。お前は強い。お前は確かに別格だ。剣道という一つのジャンルでは私の上を行くかもしれない。素晴らしい気迫と覚悟だった。

 

『御影きゅんは、ちっちゃいとき、虐待されてたって本当でちゅか~?』

 

 瞬き一つせず、食い入るように携帯のスクリーンを見つめる深山の眦がつり上がり、ヒクヒクと震える。その背後から何事かと携帯を覗き込む二年生部員が顔色を変え、恐ろしいものを見たかのように口元に手を当てた。

 

 あぁ、黒岩。

 この場の虎は私だけじゃない。お前が勝たなきゃならない相手は私一人じゃないんだよ……!

 

 怪訝な表情で私と深山とを見比べていた黒岩が、ここで漸く状況を察したのか、ハッとしたように目を見開いた。

 

「なんで……それが……!」

 

 遅い。遅いよ黒岩。

 

 流れが変わるぞ――!

 

 スクリーンを凝視して動かない深山の肩は、ぶるぶると全身の力みに震えていた。

 

 

『――すげー、ケン〇ロウみてーだ』

 

 

 その瞬間、深山は立ち上がり、床に置いた携帯を思い切り踏みつけた。竹刀を固く握った右手を震わせ、何度も何度も携帯を踏み躙る。踵が割れ、血飛沫を撒き散らしながら尚、深山は携帯を踏みつけるのを止めない。

 静けさ漂う道場に、深山が携帯を踏みつける音だけが響く。その光景を、皆が息を殺して見守っている。

 

 道場の固い床の上に、スクリーン部分が割れ砕けた携帯が血塗れになって転がった。

 

 深山は満身創痍。背中に幾つもの痣と血痕を張り付け、三つ編みの髪は解け、纏まりをなくしている。せいせいと肩で荒い息を吐き、解れた髪の間から見える瞳は激情の炎に燃えている。

 

「…………」

 

 誰も何も言わない。皆が皆、豹変した深山の迫力に息を飲み込み視線を逸らす。下着姿だろうが、傷だらけだろうが、怖いものは『怖い』。

 深山が歯を剥き出して唸るように言った。

 

「誰が……!」

 

 可笑しくなって私は嗤う。

 

「あぁ、深山。許せないよな? 絶対に許してはならないよな? なぁ、黒岩」

 

「……っ」

 

 深山の視線がぎろりと動き、その形相に怯んだ黒岩が一歩引き下がった。

 

「黒岩智! アレが何か答えなさいッ!!」

 

 僅かにたじろぎ、しかし黒岩は鼻で嘲笑った。

 

「なんや、乳牛。急にいきりよって。あんたみたいな乳だけ女、御影に山ほどフられよったで?」

 

「ふざけるなッ!」

 

 叫ぶと同時に深山楓は飛び出した。一足飛びに距離を詰め、躊躇うことなく突き入れた竹刀は真っ直ぐ喉を狙っている。

 

「――っと!」

 

 殺意すら感じる程の勢いで繰り出された『禁じ手』だったが、黒岩は僅かに首をずらすことで矛先を躱した。

 

「……っぶな! あんたなぁ、私やなかったら死んどるで!?」

 

「……」

 

 深山は油断なく竹刀を構え、顔色一つ変えない。問答無用の殺意をぶつけて尚、眦はつり上がったまま、その怒りが一分子たりとも損なわれていないことを物語っている。

 

 黒岩の弾劾は私がするべきではない。適解。負い目のある私の言葉には誰も耳を貸さない。

 このタイミングで私は立ち上がった。打たれた左の首筋が猛烈に痛んだが、今は泣き言を言っていられない。黒岩を追い詰めるタイミングは、深山が動いた今を於いて有り得ない。

 呼吸を整え、言った。

 

「……黒岩、動画(アレ)について全て説明してもらうぞ」

 

 黒岩は舌打ちした。

 

「アレってなんや。訳が分からん」

 

 始終黒岩に傾いていた流れが変わる。深山と動画を見た一部の二年部員は困惑の色を隠せず、黒岩は額にうっすらと汗を浮かべている。

 

「お前が何を考えているか興味はない。だがアレが新城の手に渡るように仕向けたな」

 

 黒岩が叫んだ。

 

「川村、早う小渡せ!」

 

「――させるか! 深山、合わせろッ!!」

 

 隙なく私が打ち掛かり、殆ど同時に深山も打ち掛かる。私だけでは無理。深山だけでも駄目。二人掛け。

 これが最適解。

 小刀を持ち、黙って様子を窺っていた川村が一瞬でも迷えば間に合わなかっただろう。だが川村は迷わず小刀を黒岩に投げ渡し――

 

◇◇

 

 黒岩が新城に動画(アレ)を渡した正確な理由は分からない。だが、想像はつく。

 

 ……新城馨。

 

 あいつの行動が全てを変えた。あいつさえ居なければ、私たちは仲のいい友人でいられたのだろうか?

 

 右の大刀で深山の打ち込みを、左の小刀で私の打ち込みを受け止めた黒岩の頬に汗が伝って落ちる。色の薄い瞳に浮かぶのは焦り。焦燥。

 ――私がいる。

 今の黒岩には、鏡に映った醜い自分自身を見るような不快感がある。

 

「……黒岩、一つ聞かせろ」

 

 鍔迫り合いの形で竹刀を押し込みながら、黒岩に問い掛ける。

 

「悠希とは、どういう関係だ……?」

 

 同じ中学校に通っていたことは分かる。そして今、黒岩が悠希に並みならぬ執着を持っていることも。だが、それがどういう種類のものなのかが分からない。

 

「……」

 

 私の横で同じように鍔迫り合いの形で黒岩に迫る深山も、この問いに興味を示したのか、若干勢いが弱まる。

 二刀を扱う黒岩は単純な膂力では私たちの上を行くだろうが、二対一のこの状況。私たちが負傷しているとはいえ、劣勢は覆し難い。

 

「はん、どうでもええやろ……」

 

 額に汗を浮かべる黒岩は、追い詰められながらも不敵に笑んで見せた。

 私も鼻で嘲笑った。

 

「……片思いだろ? 自慢できるようなものは何もない。惨めなヤツだ」

 

「……ぐっ」

 

 遂に膝をつき、押し込まれた形になった黒岩の顔が、くしゃりと歪んだ。

 ……ムカつく。

 焦りから短慮に走った黒岩には怒りと嫌悪しか感じない。尚も竹刀を押し込みながら、言った。

 

「昨夜、悠希と寝たよ」

 

「……え?」

 

 この言葉に困惑した表情を浮かべたのは深山だ。眼鏡の奥の瞳は傷つけられたように揺れていて――

 

「なんだ、深山。まだ悠希と寝てなかったのか?」

 

 私は思わず噴き出した。

 悄然とした深山の竹刀から力が抜け、持ち直した黒岩が顔を上げた。

 

「……あんた、醜いなぁ。御影のことも、モノみたいに思うとんのやろ……?」

 

 深山は強さにムラがある。

 ――だらしないヤツだ!

 だが構わない。黒岩は私一人で叩き潰す。そもそもそのつもりだった。

 

「……深山、引っ込んでろ。口先だけの負け犬め。指を咥えて見ているがいい……!」

 

 黒岩は笑っている。片膝をつき、額にびっしりと脂汗を浮かべながらも、不敵な笑みを絶やさない。

 

「何がおかしい!!」

 

「必死やな。あんた、無茶苦茶やん……」

 

 世界中の何処を探しても、悠希ほど私に馴染む存在はない。身体も心も、あいつだけが満たしてくれる。本気になって何が悪い。

 黒岩が私を見つめている。

 心の底まで見透かすような、色の薄い瞳で私を見つめている。

 

 

「御影な、楓からは金取らんかったそうや」

 

 

「…………あ?」

 

 

 その言葉の意味を理解するのに、私は幾ばくかの時間を必要とした。

 

 ……ぼくは、このお話の最後を書き換える……これだけは……これだけは……

 

 悠希は、あの人の良さそうな初老の父親の為に――

 よく、分からない。

 御影悠希は女嫌い。以前からそうじゃないかと思っていたが、動画(アレ)を見て確信した。悠希は女性そのものに、忌避すべき母親の影を見ている。例外はない。ない、はずだ……。

 

 瞬間、黒岩は両手に持った二刀を投げ出し、背中を向けて駆け出した。

 

「…………」

 

 この場の劣勢を認めたのだろう。二年生部員を押し退け、黒岩は脱兎のごとく逃げ出した。その後を竹刀を担いだ川村が追い掛けて行く。

 

「……」

 

 言葉もなく、駆け去った黒岩の背中を見送った。

 例外はないはずだ。

『何故そうするのか』を考えたとき、その例外は許されない。許してはならない。

 

 黒岩が深山を私刑(リンチ)にした理由が痛いほど理解できた。

 

「…………」

 

 下着姿の惨めったらしい深山に視線を向けると、気まずそうに目を逸らされた。

 

 嵐のように黒岩が去り、静けさ漂う道場で、深山がポツリと呟いた。

 

「動画(アレ)は、黒岩さんが……?」

 

 動画のことは、もうどうだっていい。

 新城も葛城も黒岩も、他の女も、もうどうだっていい。全てを打ち砕いてしまいたい。

 

 特別じゃ、なかった私。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

虎退治5

 胴着のまま道場を駆け抜け、全速力で撤退した黒岩智と川村美里が辿り着いたのは、学校を裏門から出た先にある小さな公園だった。

 

 真夏の太陽が照り付ける炎天下、智は手洗い場の蛇口から勢いよく流れる水で頭を冷やし、一息付くのを美里が待つという状況。

 

「お疲れさまです」

 

 ペコリと頭を下げ、美里が休めの姿勢になった。

 肩から上を水浸しにして、智はギラギラと天上で灼け付く太陽を仰ぎ、眉を寄せた。

 

「川村、助かったわ」

 

 腕には自信がある智だが、流石に秋月蛍と深山楓を同時に相手にして立ち回るのは難しい。迷わず小刀を差し出した美里に感謝の言葉を口にした。

 

「いえ、黒岩先輩にはお世話になってますし、当然のことをしたまでです」

 

「そか……」

 

 頭を振って水気を飛ばす智に、美里はペットボトルのミネラルウォーターを差し出した。

 

「サンキュ」

 

「深山は残念なことをしましたね。あと少しで仕留められたんですが……」

 

「……そやな。蛍のヤツが来なんだら、クソミソにしたったんやけど……」

 

 智はペットボトルの中身を煽り、疲れたように溜め息を吐き出した。

 

「あー……しんど。ちょっと座らんか?」

 

 その後、智は陽射しを避けたベンチに腰掛け、美里は立ったままでやはり『休め』の姿勢になったが、体育会系に於いての先輩後輩の上下関係を守っているに過ぎない。

 

「……それで、どうしますか?」

 

「何がや?」

 

 智はベンチに深く腰を下ろし、足を投げ出した姿勢。

 

「秋月と深山です。弱っていますし、黒岩先輩なら仕留められるんじゃないですか?」

 

 その言葉に、智は肩を竦めた。

 

「仕留めるて、殺す訳にもいかんやろう。それなりに気も済んだし、これ以上は何もせんよ」

 

「じゃあ、次の行動は?」

 

「何も。御影迎えに行くけど、そこから先は考えとらん。なるようになるやろう」

 

 なるようになる。そう言った彼女はいつもの黒岩智だ。飄々としていて捉え処がない。

 

「……深山、最後にキレましたけど、あれは――」

「知らんでよし」

 

 ペットボトルを屑籠に投げ入れ、立ち上がった智は吹っ切れた表情で言った。

 

「もう剣道はええわ。汗臭い。あんたも好きにし」

 

「はい、黒岩先輩に付いて行きます」

 

 立ち去ろうとして、智は怪訝な表情で美里に向き直った。

 

「マネ取りに行くんですよね。付いて行きます」

 

「……あんた、何を狙とん?」

 

 美里は休めの姿勢。長い前髪に隠れ、その視線の行き先は分からないが、表情に変化はない。

 

「マネに暴力振るった秋月と乳牛の深山は許せません。付いていくなら黒岩先輩です。それに、あの二人相手なら黒岩先輩が必ず勝ちます。乗るなら勝馬に乗ります」

 

「……まあええけど、こき使うで? 裏切りも許さん」

 

「はい。覚悟はできてます」

 

 智は胡散臭そうに美里を見つめ、言った。

 

「ほな、あんたは道場に帰りや。何か動きあったら電話して」

 

「はい。他にもあれば、いつでも言って下さい」

 

 川村美里は休めの姿勢。表情も態度も一切変化がない。智は少し考え言った。

 

「……確保したら、電話の一本くらいは入れたるわ」

 

「……ありがとうございます!」

 

 美里の考えは読めないが、気にすることはない。利用できる内は使わせてもらう。それだけのことだった。

 

◇◇

 

 時間は掛かったが、受け入れ準備は終わっている。新しい住まいは少し不便だがセキュリティレベルも高く、人目に付きづらい。……まあ、問題はどうやって連れ込むかなのだけど。

 夜になり、雑居ビルの六階に構えた新たな居室。ダブルサイズのベッドに転がり、智はぼんやりと呟いた。

 

「まあ、当たって砕けるよりないか……」

 

 真っ直ぐ行って駄目なら他の手を考える。この辺りは蛍のやり方を見習う。

 

「喧嘩は、もう嫌やな……」

 

 悠希は『そういうこと』を嫌がる。智も見られたくない。新しい住まいで旧交を暖められればそれでいい。

 

「金も払いたないし……」

 

 深山楓の存在が考えを変えた。それに関しては、こちらからは持ち出さない。『買わない』というのが智の方針だ。

 それにしても――

 秋月蛍の、あの表情。

 

「阿呆が買いよったか」

 

 笑い飛ばしてやりたいが、笑えない。智は、あの瞬間の蛍を笑えなかった。

 

「……何もなかったらええけどな……」

 

 あの瞬間まで、秋月蛍は御影悠希にとっての特別な存在だと自分を信じていたのだ。

 

「蛍、どんな気分なんやろな……」

 

 そう呟いたところで、携帯電話が鳴った。スクリーンに浮かんだ名前は川村美里。

 智は小さく舌打ちした。

 

「……今は用ないんやけどなぁ……」

 

 悠希を迎えに行くのはいい。住所は変わってないから、その内会える。だがそれがどんなタイミングになるか分からない。

 新城馨が居たらどうする? 頭が痛いのはそこだ。

 

「ヤンキー、か……」

 

 やれば勝つ。新城馨は元バレー部のホープで運動能力は折り紙つきだが、こと『格闘』の分野に関しては敵じゃない。

 黒岩智は、もう十年以上も人を叩く練習をやっている。勝った所で何の自慢にもならない。悠希も喜ばない。

 

「どうしようかな……一丁、土下座でもかますか?」

 

 別れて下さい、そう頼んで済む問題なら幾ら頭を下げても構わない。その方が禍根を残さない。新城馨は憎いが、悠希が殴られた訳でもなければ、智を威圧して来た訳でもない。こちらから『行く』のは100%違う。無茶苦茶だが、悠希も承知でやっていることだ。

 

「頭が痛いな……誰か代わりにやってくれんかな……」

 

 そう呟いたところで、智は一つの可能性に行き着いた。

 新城馨の方でも、そう思ったのではないか。だから動画(アレ)を蛍に押し付けた。そう考えると辻褄が合う。

 

「……案外、頭も悪うないか……面倒臭っ、たまらんわ……」

 

 だが、それなら話し合いの余地がある。根気強く説得して……まぁ退かないだろうけど……それしかない。

 携帯電話が鳴り続ける。

 着信を無視して思考に没頭する智だったが、けたたましく鳴り続けるそれが段々と煩わしくなってきた。

 スクリーンを叩き付けるようにタップして出る。携帯を一度壊したことがあるのは乙女の秘密だ。

 

「何? もう寝ようか思うんやけど……」

 

『…………』

 

 しつこく着信を続けた川村美里との通話は無言から始まった。そこに不穏なものを感じ取り、智は表情を険しくした。

 しばしの沈黙を挟み、美里が漸く口を開いた。

 

『……マネの動画、見ました』

 

「……どこで? 誰が見せた?」

 

『秋月から送られて来ました……今、部内で拡散されて……恐らくもう、全員が見たかと……』

 

 智は激しく舌打ちした。

 

「分かった。それで、何か用あるん? ないんやったら切るで」

 

『あれは、黒岩先輩がやらせ――』

 

 瞬間、智は激昂して叫んだ。

 

「そんな訳があるかッ! 出回ったアレ回収するんにどんだけ手間が掛かった思とんじゃ!! 言葉選ばんとブチ回すぞコラッ!」

 

『――つっ、すみません!』

 

「蛍は? 他にも何かしたやろう?」

 

『は、はい。マネは家庭の事情でお金が必要だから、買ってやれって――』

 

 その内容に目眩すら感じ、智は首を振った。

 

『それと……動画(アレ)を秋月に渡した葛城ってヤツのことですけど……』

 

「……知っとんか? 同じクラス?」

 

『はい……騒がしいだけのヤツです。新城とかいうヤンキーの腰巾着で、取り柄はそれぐらいです』

 

 ……秋月蛍は、この二年間、ずっと悠希の隣にいたのだ。自分が特別でないと知った時の心境は、その失意は如何程のものだろう。

 

 積み重ねたものが全て嘘になったとき、人はどうすればよいのか。

 

 その反動は大きい。

 恐らく、取り返しがつかない程度には……。

 

 携帯電話の向こう。美里が絞り出すように言った。

 

『……秋月のヤツ……マネのこと売りやがって……!』

 

 川村美里にとって、御影悠希は今も親愛を寄せるマネージャーのままなのだろう。許せないと思う気持ちは痛いほど理解できる。

 だからこそ、智は言った。

 

「なぁ……蛍、もう終わっとるで……放っとこうや……」

 

『でも……!』

 

「私、もう御影のとこに行きたい。もう充分待ったけん、そんな終わっとるヤツ、関わりとうない……」

 

 智は痛切に願った。

 この三年間が無駄ではないように。二人の絆が嘘にならないように。

 拒絶されれば全て終わりだ。反動は智の心を灼き尽くす。取り返しがつかない程度には。

 だが、受け入れられれば。受け入れられてしまったら。

 全て裏返る。

 想いが愛になる。愛が全てになる。何もかもが輝いて、目も眩むような愛になる。

 智は、そんな愛が欲しいのだ。

 

「情報、あんがとさん。あんたは勝手にしや……」

 

 そう言って、智は一方的に通話を打ち切り、携帯電話の電源を落としてしまった。

 

「……御影、今ごろ何しよんやろ……逢いたいなぁ……」

 

 愛、というもののためにどこまでできるか、と問われれば黒岩智はこう答える。

 

 ――何処までも。

 

 明日はいつも恐ろしくもあり、待ち遠しくもある。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

遅れがちな、ぼくのヒーロー
第55話


 下着の上下を多目に詰め、父さんの帰省の準備を手早く進めて行く。

 

「スーツも詰めとくね」

「あ、うん。ところで悠くん、父さんってネクタイ何処に置いたっけ」

 

 カオルは居間で瞑想中。

 ぼくと父さんは隣の寝室で押入れをガサガサやっている。

 父さんは、一瞬カオルの方に視線を向けて、距離があることを確認して、ぼくの耳元で囁くように言った。

 

「……悠くん、新城さんって、ちょっとヤンチャな感じだね」

 

 傷んだ茶髪のせいだけじゃない。カオルに染み込んだ『ヤンキー』の気配は、しおらしい態度くらいじゃ全然、誤魔化せてない。

 

「あ……うん、そうだね……」

 

 ぼくは曖昧に頷いておいた。

 

「会うとしたら秋月さんの方だと思ったから、父さんちょっと吃驚しちゃった」

 

 今、その話はしたくない。ぼくは黙って父さんの旅行鞄に荷物を詰めこむ。

 

「悠くん、あの娘のことすごく苛めてるだろ?」

 

「……!!」

 

 忙しく動いていた手が止まり、ぼくは思わずギョッとした。

 

「黙ってても分かるよ。新城さん、とても怯えてたもん」

 

 父さんは困ったものを見るように眦を下げた。

 

「女の子を苛めるのは良くないよ」

 

「……うん」

 

 父さんは敵じゃない。ぼくは素直に頷いた。

 

「悠くんの場合、殴ったり叩いたりはしないだろうけど、そういうのって、やり方は一つじゃないからね」

 

「……」

 

 いつになく真剣なお説教。でも、やっぱりぼくに甘い父さんは直後に心配そうに言った。

 

「父さんさ、悠くんにはもう少し普通の娘と付き合って欲しかったよ」

「……?」

「あの娘も、秋月さんに負けないくらい怖い子なんだろ? 雰囲気あるもんね」

 

 亀の甲より年の功。まったく。

 父さんは、シュウの時と同じで難しい表情。何か言いたいことがあるみたい。

 

「新城さん、全然、父さんと話してくれなかったから性格とか分からないけど……」

 

「うん」

 

「あの娘、見た目はちょっとアレだけど、元は違うタイプに見える。頭も悪くない」

 

「……」

 

 当たってる。

 『ヤンキー』の新城馨は、一見短気で粗暴だけど、ぼくを赦すくらいには懐が深い。決して分からず屋じゃないし、理解力もそんなに悪くない。論理的に物事を進める節がある。だから、今、ここにいる。

 

「少しでいいから、話して欲しかったかな」

 

 父さんは鋭い。生かすことは出来なかったけど、シュウの評価は適切だった。だから、ぼくは真面目に話を聞く。

 父さんは心配そうに、ぼくの目を覗き込む。

 

「……」

 

 暫く悩む素振りを見せ、父さんが言った。

 

「……あの娘、悠くんに本気だから、扱い方間違えると、酷いよ?」

「……」

「あれだけ父さんを恐がるのは、それだけ悠くんに対して真摯だって証拠なんだよ」

「……」

 

 ぼくは少し、新城馨という人間について客観的に考える。じゃないと、シュウにやったのと同じ失敗をすることになる。

 

 ……新城 馨。

 

 この人は、何でもありでシュウからぼくをもぎ取った。

 ぼくが好きだから、『ルール』を一杯作って、その『ルール』を遵守している。

 何故?

 ぼくが好きだから、ぼくを守りたい。その守りたい一心で自らに制限を課すカオルは、いったい何からぼくを守っているのだろう。

 

 おそらく……カオル自身。

 

 カオルは色々と手加減している。

 シュウのこと。瞳子のこと。智のこと。優樹菜のこと。

 そして……ぼく。

 

 ふいに思った。

 

 ここまでやって、それでもぼくが手に入らなかったとき、この人はどうするんだ?

 

 父さんが言った。

 

「悠くん、本気の『好き』って、凄く恐いよ」

 

 …………………………

 ……………………

 ………………

 …………

 ……

 

 知ってる。

 

 

◇◇

◇◇

 

 

 荷物をまとめた父さんが出て行って、家はぼくとカオルの二人だけになった。

 去り際、父さんが、

 

「それじゃ、新城さん。息子のことお願いします」

 

 と言ったときも、カオルは小さく頷いただけで、やはり返事をすることはなかった。

 

 しん、と静まり返る居間にエアコンの稼働音だけが響いている。

 カオルは俯いたまま。

 室内は冷房がよく効いていて、少し肌寒いくらい。

 

「カオル? 父さん、もう行っちゃったから」

 

 カオルは小さく頷いた。

 

「ハンバーグ、冷めちゃったね」

 

 カオルは小さく頷いた。

 今のカオルは、ご機嫌斜め。話す気分じゃないみたい。タンクトップ一枚の身体は寒気を感じるのか、ちょっと鳥肌が立っている。

 ぼくはカオルの胸を指さした。

 

「乳首立ってる」

「……」

 

 カオルは、そっと左手で胸を隠した。

 冗談で笑う気分でもないみたい。無言。それがちょっぴり面白い。

 

「さて、と……ごはんにしようか?」

 

 カオルは俯いたまま、やはり小さく頷いた。

 

 

◇◇

◇◇

 

 

 食事が終わり、ぼくはカオルに携帯を返して貰った。

 父さんが一人で帰省してしまい、連絡手段が限られる以上当然のことだった。

 

 唐突に、カオルが言った。

 

「ユキ、ここはもう駄目だ。一緒に逃げよう」

 

 漸く口を開いたと思ったら、新城さんはこれもんだ。

 

「……これはまた飛躍したね」

 

 父さんとのバッティングは有り得る話だ。いつかあると思っていたし、ぼくに動揺はない。

 

「逃げるって、何処に逃げるのさ。馬鹿言ってないで、カオルはさっさとご飯食べなよ」

 

 テーブルの上にあるカオルの皿は半分以上ハンバーグが残っている。

 それを一瞥して、ぼくは携帯を確認する。

 

 ――シュウから着信あり。

 

 ぼくは内心で悲鳴を上げた。当然、出たのはカオルだろう。シュウの今後の反応が思いやられる。

 救いはダイヤルロックが健在だったこと。

 着信履歴やメールBOXは、爆薬満載の火薬庫だ。瞳子や優樹菜といつから関係していたかすぐ分かる。それに……

 

 カオルは、深山を絶対に許さないような気がする。

 

 深山には、あちこち揉んだり吸ったりしたけど、最後までやってない。貰ったお金も全部返している。

 カオルだけじゃない。

 シュウも瞳子も優樹菜も、皆、深山を絶対に許さないような気がした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第56話

 今夜のカオルは挙動不審。ぼくの家は落ち着かないらしく、行く宛もなく車を走らせている。

 電飾のネオンサインが交錯する街を行く。

 夜の街は不思議。

 色とりどりの電飾が星のように煌めき、いつもの街並みが妖しく輝いて見える。

 カオルは忙しなく視線を動かしながら、何故か前のめりの姿勢で車を運転している。

 

「カオル、何処に行くの?」

 

「……ああ、いや……何処か落ち着ける場所がいいけど……」

 

 そう言って、カオルはアクセルを踏み込んでスピードを上げる。

 その様子に、ぼくは溜め息を吐きながら、カオルの膝に手を置いた。

 

「ジュース飲みたい」

 

 落ち着けと言っても今は無駄そうなので、我儘を言うことにした。

 カオルがいったい何から逃げようとしているかは分からないけれど、もう少し冷静になった方がいい。このままじゃ事故を起こしても不思議じゃない。

 

 真夜中に帰らずにいるのは困窮と悪徳だけだ。用もないのに夜中に彷徨(うろつ)いているヤツにろくなヤツはいない。ぼくもカオルもろくなもんじゃない。皆川や死んでしまった霧島なんかもそう。

 

 カオルは少し困った表情をしながらも、ぼくの為にコーヒーを買って来てくれた。

 

「あんがとね」

 

 コーヒーを啜るぼくの横で、カオルはやっぱり落ち着かない様子。

 沈んだ表情で言った。

 

「……ユキ、アタシやっちゃった……」

「何を?」

 

 カオルは額に手を当てて俯いた。

 

「父さんのこと? どうかした?」

 

 カオルはコクコクと頷いて、それから疲れたように首を振る。

 

「アタシ、心の準備とか全然できてなくて……こうなるって知ってたら、もっとこう……髪染め直したり、口の利き方直したりとかあったのに……」

 

 カオルは準備が必要なタイプ。

 ぼくとのこともそう。周到に準備して仕留めた。

 

「別にいいじゃない。これで誤魔化さずにいられるよ?」

 

「……」

 

 カオルは黙って、分かってない、というように首を振る。

 今夜、父さんに会ってしまったことはイレギュラーでそれだけにショックだったようだ。

 ぼくは、また溜め息を吐き出した。

 もう起こったこと。父さんはぼくの敵じゃない。この議論に意味はない。

 

「……それで、これからカオルはどうしたいの?」

 

 ぼくがそう言うと、カオルは、くしゃりと顔を歪めた。

 

「……ユキの方こそ、これからどうすんだ?」

 

「……?」

 

「お爺さん、駄目っぽいって、おやっさん言ってたじゃん」

 

「……」

 

 それだ。

 

 お爺さんが死んで、父さんが遺産を受け継ぐ。おそらく、これは間違いない。

 

 神さまは時折こういう悪戯をして、ぼくの努力を台無しにする。

 めらめらと怒りが込み上げる。

 言った。

 

「ぼくは何も変わらないよ」

 

 父さんは居なくなり、落ち着かない家から逃げ出したにも関わらず、カオルは少し怯えているように見えた。

 コンビニの駐車場。

 カオルは車のエンジンを点けたまま、真剣な表情で何かを思い悩む様子。

 

 ……お金の問題が解決すれば、ぼくがビッチでいる必要はない。そうすれば、カオルとの関係は必然的に変わる。

 以前の日常を取り戻せば、そこに変化が生まれる。今まで女の子にかまけていた時間を受験勉強に充て、以前のぼくに戻ってしまえば……

 

 カオルとは終わるような気がする。

 

 父さんの言った通り、カオルの地頭は確かに悪くない。でもそれは、興味がある方にしか向かない。

 例えばカオルに『リアス式海岸』と言えば、彼女は「それって何処の海岸?」と応えた。

 サラエボ事件のことも知らないし、たった二発の銃弾が世界大戦を引き起こしたと言ったら、「カッコいいね」等と訳の分からない返事をした。

 

 ニュースや新聞等の情報を正確に理解する為には、それなりに勉強しなくてはならない。本を読む為には漢字を知らなくてはならないのと同じことだ。

 

 新城馨は対岸のひと。

 

 でも――

 

(カオルはよくしてくれる)

 

 ――不意にあの時は流してしまった優樹菜の言葉。

 

「ちゃんと相手を見なよ」

 

 頭の中、いつかの瞳子が言った。

 

「分かってますか? そういうの、全部、新城センパイが壊したんですよ?」

 

「新城はよくない。あれには、ちゃんとケリを着けるんだ」

 

 昨夜のシュウ。

 

 ふと横に視線を向けると、カオルが今にも泣き出しそうな表情で、ぼくの顔を覗き込んでいた。

 

 

 ――その人があなたをダメにしてるんです。

 

 

 ぼくは、カオルに向けて微笑って見せる。

 

「……ぼくの顔に何か付いてる?」

 

「あ、いや……」

 

 カオルは怯えていた。

 ぼくに掛けた魔法が解け、夢から醒めてしまうことを怖れている。

 

 ぼくは大きく息を吐き出して、ここまでの思考を追い払う。

 

 状況は刻一刻変化する。何をどう受け止めるかは考え方一つ。唯一変わらないのは――

 

 神さまなんて大嫌い。まだ信じてやらない。

 

 父さんが帰って来るまで、一週間。その間に全てを見極める。それだけ。

 

 このまま神さまとの喧嘩を続行するのか。

 

 それとも――

 

 情けなく負けを認めて、神さまと仲直りしてしまうのか。

 

 ぼくは……

 

◇◇

 

 折よく。

 或いはタイミングが悪く。

 カオルの携帯電話が鳴り響いた。

 

「……」

 

 うるさく喚き散らすスマホはそっちのけで、カオルはぼくを見つめている。

 

「出ないの?」

 

「あ、うん……」

 

 カオルは、ぼくを気にしながらもスマホを取り出してスクリーンに視線を移した。

 む、と眉根を寄せて、それから電話に出る。

 

「……アタシだ。なんか用かよ……」

 

 カオルは、酷く不機嫌な様子だった。

 キサラギならもう少し態度が柔らかいから、電話の相手は後輩の誰かだろう。

 

 カオルから視線を切って、窓の外を眺める。

 夜の街は好き。いつもと違う風景が、ぼくの中にある何かを刺激する。

 停車したままの車の中から、向かいの通りを走り抜けて行くヘッドライトを眺める間は色々なことを考える。

 死んでしまった霧島のこと。今ごろは警察に出頭して、ぼくのことを除いた状況全てを説明しているだろう優樹菜のこと。

 

 ……父さんが留守にしているのは幸い。仮に優樹菜が口を割ったとしても、何とかなる……

 

 ぼくは罪を犯した訳じゃないし、切り抜ける自信はある。

 

 ……ツキが回って来てるのだろうか……

 

 

「……るっせぇな。アタシだってまだ聞いてねえよ」

 

 

 苛々したようにカオルが呟く。

 

「知るかよ。アタシが聞いたのは霧島のゲスがくたばって、少し世の中がキレイになったってことくらいだよ。それ以外はパッパラパーの…………」

 

 最後まで言いかけて、カオルは、ぎゅっと眉を寄せた。

 

「……誰?」

 

「あ、いや……」

 

 へどもどしながら、カオルは言いづらそうに首を振った。

 それから面倒臭そうに、今度は携帯の向こうにいるだろう相手に言った。

 

「だから知るかよ。……皆川は捕まってんだろ? どうしようもあるかよ」

 

 これは……。

 

 続けて、カオルは小さく舌打ちした。

 低い声で言った。

 

「……テメー、本気か?」

 

 凄んでいるけど、ぼくの様子が気になるのか、カオルの言葉は迫力に欠けている。

 

「アオイは……?」

 

 黙って話を聞いていたカオルだったけど、ややあって、疲れたように言った。

 

「……まぁ、色々メーワクかけたからな。そろそろ気分悪くする頃だと思ってたよ」

 

 どうやらキサラギは一回お休み。死人が出たんだから無理もないと思う。

 

 ……OK。

 大体、事情は分かって来た。

 

「カオル、ぼくが代わるよ」

 

「……!」

 

 瞬時に否定して、カオルは首がもげるんじゃないかと思うくらい強く頭を振った。

 イヤイヤ、と身体を捩って逃げるカオルだけど、狭い車中で追い詰めるのは簡単。

 

「あっ……」

 

 抱き着くようにして、カオルからスマホを奪った。

 

「はい、御影です」

 

『……!!』

 

 最初、電話の向こうは無言だった。でも、ぼくが通話に出たことによる驚きだけは伝わって来る。向こうから――

 

『――出た出た!』

 

 とか、

 

『マジ!? スピーカーにしてよ!!』

 

 とかいうデカイ声で話し合う音が聞こえる。

 ――結構集まってる。

 何だか、ぼくの知らない所で何かが進行しているみたい。

 暫くして――

 

『ワタシが話すよ』

 

 周囲と違う異質な声がして、それから応答があった。

 

『御影くん?』

 

「うん……えっと……誰?」

 

 電話の向こうから苦笑する声が聞こえた。

 

『酷いね。……葉桐ですよ』

 

「ハギリ」

 

 反芻して、ぼくは頷いた。

 

 ぼくは、あまり人の名前を覚えるのは得意じゃない。だから渾名や特徴、ニックネームなんかで覚えるのだけど、この子のことは覚えている。

 

 葉桐(ハギリ) 要(カナメ)。

 

 ぼくの一つ下になる高校二年生。

 カオルは手下みたいな後輩が大勢いるけど、この子はちょっと違う。他の子たちと違って、取り巻き化してない。

 学校にいる時の彼女は、いつも一年生の女の子二人といる。まだ小さいけど、自分のグループを持ってる。カオルとはタイプが違うけど、特別な子。勿論、いい意味じゃない。でも、カオルの後輩の女の子たちとは交流が有って、ぼくも面識くらいはある。

 

 チラリとカオルに視線を向ける。

 

「……ユキ、いい子だから携帯返して」

 

 ぼくは空いた方の手で、カオルの頬を引っ張っておいた。

 通話に戻る。

 

「なんでハギリがいるのさ」

 

『……って、昨夜の鬼ごっこワタシもいたんだけど……』

 

「……そう」

 

 応えながら、ぼくはカオルの太股をつねった。

 

「痛っ」

 

「ええっと、それは、ハギリだけじゃないよね」

 

『ワタシ入れて八人。キサラギさんも入れたら九人がいたね』

 

 昨夜のことは、ぼくが一方的に悪いのだけど、カオルがそんなに大勢を巻き込んでぼくを探していたことは知らなかった。

 ぼくはカオルの首に噛みついた。

 

「ひいっ……」

 

『御影くん?』

 

 左の耳からカオルの喘ぎ。右の携帯からはハギリの声が聞こえる。

 

『今、カオルさんの悲鳴が聞こえたような気がするんですけど、何してんです?』

 

「……別に」

 

 昨夜のカオルが最大戦力でぼくに当たったということは理解した。まあ、瞳子に会った時点で大体の成り行きみたいなものは想像がつくのだけど。

 しかし九人は腹が立つ。ぼくは一人しかいないのに。

 

『……まぁ、御影くん無事みたいで良かったけど、コッチも九人から行ってますからね。経緯くらい説明してほしいですけど、カオルさんは、霧島さん死んだとか言うし、皆川さん逮捕されるし――』

 

「ユキナは逮捕されたんじゃない。出頭しただけだ」

 

 訂正すると、ハギリは何故か沈黙した。

 

『……』

 

「昨夜のことが聞きたいの?」

 

 カオルは耳まで赤くして、ぼくに噛まれた首筋を擦っていたけど、その辺りはハギリと同意見らしく、ぼくと目を合わせて頷いた。

 暫くの沈黙を挟んで、ハギリが言った。

 

『……ですね。知りたいです』

「ふうん、そう……」

 

 カオルはとにかく、迷惑でしかなかったハギリたちには知る権利があるのかも。

 ぼくは少し考えた。

 ハギリは知りたがっていて、それは他の連中も一緒。ここで秘密を作れば、彼女たちは優樹菜に問い質すかもしれない。

 無論、優樹菜は口を閉ざすだろう。そうすれば質問が訊問に変わることは想像に易い。カオルは、ぼくが言うまで待つだろうけど、ハギリたちにそんな義務はない。

 言った。

 

「OK」

『っと、マジですか』

 

 ぼくが状況の説明に応じたことは意外だったようだ。携帯越しにでも、ハギリが本気で驚いたことが伝わって来る。

 

「自分で言ったくせに、何を驚いてるの。

 ……まぁいいけど、ちょっと今、何処にいるの? 結構集まってるんだったらソッチに行くから」

 

『……御影くん? 本物ですか?』

 

「失礼だね、ハギリは。カオルにも言ってなかったし、時間掛かりそうだから一緒に説明するだけだよ」

 

『……そうですか。でも、夏休みになってから会ってなかったし、御影くんに会うのも久し振りだね』

 

「それで寂しい関係でもない」

 

『ワタシは寂しいよ』

 

「……」

 

 ――違和感。

 カオルの取り巻きでもないハギリが関係していることもそうだけど、この会話。

 冷たく言った。

 

「C作に代わって」

 

『……つれないなあ……』

 

 くくく、とハギリは喉の奥で笑って、向こうで衣擦れのような音がして、それからC作が出た。

 

『……御影さん?』

「うん、C作。そっちに何人いる?」

『っと……昨夜のメンバーなら、キサラギさんと瞳子以外はいます』

「……そう。場所は?」

『駅前のボーリング場です』

 

 カオルのグループ内でC作はまともな部類に入る。格好も乱れてないし、成績もそんなに悪くない。その辺りが瞳子の後釜に座った理由だろう。ぼんやりとそんなことを考える。

 

「OK、カオルと行く」

 

『あ、はい。迎えに人出しますんで。……あと、瞳子のこと、ありがとうございました』

 

 後半は囁くように言った。ぼくがカオルに瞳子の寛恕を要求したことを言っているのだろう。

 それには返答せず、カオルに携帯を押し付けた。

 

 C作はハギリみたく会話をずらさないので話しやすかった。

 

 その後、二、三のやり取りのあと、通話を切った。カオルは面白くないのか、眉間に皺を寄せている。

 ぼくがかじった首筋に手を当てて、鋭い目付きで睨んで来る。

 

 ――沈黙。

 

「なぁ、ユキ」

「なに?」

「秋月や瞳子のことは泣いとくけどさぁ、アタシは何処まで我慢すりゃいいんだ?」

「……」

 

 怖い馨がいる。

 後輩に流される形で時間を使わなければならないことが酷く気に障ったようだ。

 

 ぼくは助手席で、その怖い馨を上目遣いに見詰め返した。

 言った。

 

「死ぬまで」

 

「……」

 

 ぼくの目を見詰め返し、カオルは呆気に取られたように瞬きを繰り返している。

 ぼくは首を振った。

 

「減点一万点」

 

 冷房の効いた車中をヘッドライトの明かりが突き抜けて行く。

 

「カオル、大人になりなよ」

 

 仮に、ぼくとカオルの『未来』のようなものがあったとして。

 

「これからも、我慢できないことを力で解決して行くつもり? 何処までそれを貫ける? ぼくはそういうのとは無縁の人間だよ」

 

 気分次第で力に訴える人間は嫌い。それは子供のすることで大人のすることじゃない。

 

「来年、再来年とぼくたちが続くとして、ぼくはカオルの暴力に怯えて機嫌を取らなきゃいけないの? そういうことをさせたくて、ぼくといるの?」

 

「あっ、いや……」

 

 カオルは、ハッとして震えた。

 

「そんな低レベルな関係でいたいの?」

 

 子供の関係でいたいなら他所に行け。ぼくはそんな風に考える。

 

「減点一万点ね」

 

「……」

 

 ずん、とでかい重りを肩に載せたように項垂れ、カオルは押し黙った。

 ぼくは言った。

 

「優しいカオルが好きだよ」

 

「……!」

 

 カオルは顔を上げた。

 

「つまらないこと言ってないで、カッコいいとこ見せて」

 

 カオルは深く頷いた。

 

「もっともっと、好きにさせてよ。じゃなきゃ――」

 

 ずっと、このまま。

 

「カオルのものにはならないよ」

 

 恐ろしく真剣な表情で、カオルは深く頷いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第57話

 思い切り駄目だしされても、カオルは吹っ切れたように前を向いていて、何だか堂々としていた。

 

 駅前のロータリーに、赤いトップスに水色のワイドパンツを履いたC作と、くわえ煙草のハギリが突っ立っている。ハギリは黒のダメージパンツに紫のオフショル。男の子みたいで、一瞬誰かと思った。

 ハギリのセンスは独創的で似合ってるけど、男みたい。イマイチ。ちょっとヤンキー臭いけどC作はいい感じ。ちなみに、ぼくが女の子のファッションに詳しいのは、無駄にその手の雑誌を買い込んで見せびらかす深山の影響。

 カオルがクラクションを鳴らし、ロータリー中央の縁石を回り込むようにハンドルを切る。ハンドサインでハギリたちを誘導して拾ったあと、短い距離を駐車場に向けて走った。

 

「御影くん、こんばんは」

 

 深山は結構おしゃべり。

 大人しい見た目に反して自己顕示欲が旺盛で、学校では下らないことをよく喋った。

 

「少し痩せました?」

 

 後部座席に乗り込んだばかりのハギリが何か言ってる。

 

「それ、カオルさんのシャツですか? サイズ合ってない。部屋着みたいで変――」

 

「ハギリはうるさい」

 

 カオルは口元に笑みを浮かべているだけで何も言わなかった。

 ハギリは長い前髪で表情を隠すようにして俯き、空気の読めるC作は口を噤んでいる。

 ぼくは通りを挟んで駅の向こうにある大きなビルに視線を向けた。

 一階はゲームセンター。二階がボーリング場。三階ではカラオケ。四階はレストランや居酒屋なんかもある。地下にも何かの施設があるらしいけど、そこまでは知らない。

 

 車から降りると、排気ガスに混じって、むんと夏の熱気がする。

 昼とは違う。真夏の匂い。僅かに不快感が混じるそれに眉を寄せるぼくの肩をカオルが抱き寄せ、ビルを指した。

 

「中、涼しいから。何か食べる?」

 

 ぼくは首を振る。

 早くも滲み出した汗が頬を伝った。

 C作が慌てて言う。

 

「三階に部屋取ってます。急ぎましょう」

 

 心配そうなC作と目が合って、ぼくは小さく頷いて見せた。

 

◇◇

 

 夏休み。時刻は午後9時を指したくらいで、一階のゲームセンターには人が沢山いた。屋内は空調が効きすぎていて、寒いくらい。

 カオルは、ずっとぼくの肩を抱いたまま。後輩といるときはいつもそう。人だかりを躱してエレベーターで三階まで。

 

「ハギリ、双子はどうしたの?」

 

 ハギリはいつも1年生の二人組を連れていて、面倒な雑用はその二人に押し付ける。C作は兎も角、この暑苦しい夜にハギリが自分でぼくを出迎えに来たのは意外。

 ハギリはクスッと笑った。

 

「あの二人は双子じゃないよ」

 

「没個性で見分けがつかないだけだよ。それで分かるハギリも大概だね」

 

「御影くん、少し見ない間に悪くなりましたね……」

 

 そんなことを言うハギリには、べっと舌を突き出しておいた。

 

 ハギリが来たから、「迎えを出す」と言ったC作もここに来たんだと思う。

 つまりC作はハギリを警戒していて。

 

「ああ……アイツらにはちょっとやることがあるだけだよ」

 

 勿論、ぼくもハギリを警戒している。

 

「やること?」

 

 口を挟んだのはカオルだ。

 こっちはハギリに対して警戒が薄い。基本的に、カオルは年下には寛容。

 

「ええ、ちょっと」

 

 ハギリが曖昧に応えて、カオルは興味無さそうに頷いた。

 

 三階にあるカラオケ施設。その奥にある大部屋には、いつものカオルの取り巻き4人が待機していて、ぼくは何だか安心してしまった。

 

「みんな、久しぶりだね」

 

 しょっちゅう『よいこ』を奢ってくれる赤瀬が、ほわっと笑って手を振った。

 田舎でナマズを釣り上げた話が面白かった神木もいる。

 他の子の名前は、ちょっと分からない。夏休み中でイメチェンしているのか、みんな大人っぽい格好。学校にいる時とは全然違う。

 

 女の子たちは不思議。

 

 ぼくなんかより、ずっと早熟で大人。本気になると変身して、ぼくを吃驚させる。

 

「……みんな、今日は綺麗だね……」

 

 溜め息と共に思わず言葉を漏らすと、妙な沈黙があった。

 

「……」

 

 ここにいる女の子たちは、全員少し怖い子なんだけど、この時は何故か、みんな優しい笑顔だった。

 

 

◇◇

◇◇

 

 

 …………………………

 ……………………

 ………………

 …………

 ……

 

 昨夜の状況を説明する。

 カオルを快楽で痛めつけたことやシュウと寝たことは、大変なことになるような気がするので言わない。

 

 話は優樹菜に助けを求められたことから始まって。

 

 その後、国道近くのあのカラオケBOXに駆け付けた時、霧島は既に心肺停止の状態で死後硬直が始まっていたこと。

 留まるのは不味い気がして、そこから立ち去ったこと。

 優樹菜の説明から察するに、霧島の死因は薬物の過剰摂取――オーバードーズが原因と見られること。……無論、ぼくの推測でしかないのだけど。

 

「……皆さんにはご迷惑をおかけしました。本当にごめんなさい」

 

 言って、ぼくは頭を下げた。

 カオルもハギリも真剣に聞いていて、ひたすら考え込む様子だった。

 ショートボブの赤瀬が、ぼくを睨むように見ながら言った。

 

「……御影さんと皆川さん、どんな関係?」

 

「それは……」

 

 ぼくが言葉に詰まると、隣に座っているカオルもギロリと鋭い視線を向けて来る。

 

 ここは、ちょっぴり怖い場所。

 ここにいる子たちは、それぞれ癖があって問題のある子たち。気分次第で、ぼくのことを無茶苦茶にしたってなんの不思議もない。

 ハギリも神木も、胡散臭いものを見るかのように、半目でぼくを見詰めている。

 

 ――狼の群に放り込まれた、ぼく。

 

 すごく興味深い。

 

 ぼくは、にっこり笑った。

 

 

◇◇

◇◇

 

 

 笑って言った。

 

 

「ユキナ? ぼくの奴隷。可愛いよ」

 

 

 時間が止まる。

 

「ど、れい……?」

 

 誰かが呻くように言った。

 

 斜め上の答えに、カオルもハギリも二の句を継げずにいる。

 

 ここに至るまで色々あった。

 ぼくに関わった娘は、全員一人残らず泣いている。途中で死人だって出た。

 シュウもカオルも泣かしたぼくが、ここに至って怖いなんて、地球が爆発したって有り得ない。

 

 昨夜の修羅場は、ちょっぴりぼくを強くして。

 

 さて、狼の群に放り込まれたモノはなんだろう?

 

 ぼくは唇を軽く舐め、とびきりいやらしい邪悪な笑みを浮かべておいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第58話

「どれい……」

 

 カオルは、ぼくの中の何かを見極めようとするように、難しい表情でぼくの瞳を覗き込んで。

 

「皆川が……ユキの、どれい……?」

 

「うん、そう」

 

 悪い笑みを浮かべ、ぼくは請け合った。

 

 赤瀬と神木はポーッとしてぼくを見詰めていて、少し驚いていたハギリは、今はもう面白そうにニヤついている。

 

 カオルは深く足を組み、考え込む様子。車でのやり取りが効いているのか激発することはない。

 

「ごめん、ユキ。よくわかんねぇ。理由あんの?」

「成り行きが半分。もう半分は、どうでもよかったんだ」

 

 カオルは鍛えられて来たのか、ぼくの煽りには慣れた対応。

 落ち着いて、ぼくが言った言葉を反芻する。

 

「どうでも……?」

 

「だってそうでしょ」

 

 そこで、ぼくは、その時の状況を詳しく話した。

 皆川から、切羽詰まった様子で救助要請があったこと。恐らくたらい回しにされていて、危険な内容と思われたこと。断っても、しつこく食い下がるので、どうしても助けて欲しければ奴隷になれと言ってみたこと。

 

「ああ、そういうことか」

 

 カオルは納得したように頷いた。

 

「皆川のヤツ……」

 

 『奴隷になれ』なんて、とんでもない要求をしたのは、当然拒絶されることを見越してのこと。

 まぁ、皆川は受けてしまった訳だけど。

 で、ノコノコ行ったところ、霧島が死んでいた。この展開はちょっと読めなかった。

 

「……」

 

 カオルは唇に手を当てて、また考え込み、ハギリたちはその様子を見詰めている。

 ややあって。

 

「アイツ、口軽いけど……大丈夫?」

「ラッキーなことに、今は父さんがいない。口を割るのなら早い方がいいね」

 

 ちなみに、ぼくの見込みでは優樹菜は八割方口を割ると見ている。

 

「今なら父さんに知られず取り調べに応じることができる。霧島を殺ったのはぼくじゃないし、どうとでも」

 

「……」

 

 カオルは深く息を吐き出した。

 

「……ここにいる連中に、ワビ入れさせるってできるか?」

 

 それは、このグループのリーダーとしての要求。求心力を保つ為に必要なこと。

 二人きりのときならともかく、今カオルの顔を潰すのはマズイ。

 

「……わかった」

 

「皆川飼うのは分かった。けどアタシが上だ。これは絶対に守ってもらう」

 

 『女』としての要求。

 これを違えれば、カオルは何をするか分からない。

 

「……わかった」

 

 鬼ごっこに勝ったのはカオル。負けたのはぼくで。

 カオルは最大限譲歩している。ここで強気に出るほど、恥知らずになれない。

 

 ぼくは優樹菜に頭を下げさせて、それからカオルの目に付く場所に優樹菜を置かない。不都合は全て優樹菜の方に背負わせる。

 

 結構、辛辣。

 

 ぼくは何かの言い訳に優樹菜を使うことは出来ないし、全てのことに於いて優樹菜よりカオルを優先させなければならない。

 

 カオルは、優樹菜を『空気』にするつもりだ。

 

「あと、一つ」

「……?」

 

 少し間があって顔を上げると、困ったように眉を下げるカオルと目があった。

 

「ちゃんと大人になるから、試すような真似は、もうやめてほしい」

 

「……!」

 

「車の中で、初めて『これから』のことを言われたときは嬉しかった」

 

「……」

 

 ぼくは……

 

「もう、悪ぶらないでいい。傷付けないって誓うから」

 

「……」

 

「あいしてる」

 

「…………」

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………あい、ってなんだ?

 

 

◇◇

◇◇

 

 最近、カオルが口にするようになった『あい』ってなんだろう。

 『好き』がなんとなく分かるようになったばかりのぼくには、それはちょっとレベルが高い問題。

 でも横を見ると、感動して涙すら浮かべて頷くC作がいるから、きっと都合のいい言葉なんだと思う。

 神木や赤瀬なんかも、納得できないけど、カオルの様子を見て、これはしょうがないって感じになってる。それは、何かを諦めたようにも見えて。

 

 ぶつかって来ればいいのに。

 

 そうしなきゃ、何も分からない。

 『あい』という名の、アンノウン。

 

 幾つかの感情の欠落について、ぼくはキチンと理解しているつもり。父さんは、身体と一緒で心も少し成長が遅れているだけだって言っていた。その事は、あまり人に言わない方がいいとも。

 でも近い内に分かりそうな気がして――

 場の雰囲気を振り払うように、ハギリが溜め息を吐き出した。

 

「……」

 

 こっちは下らない三文芝居を見た後みたいに飽き飽きした表情。カオルが居なければ欠伸の一つもしたかもしれない。

 ……実はぼくも同じ気分。

 ちょっと掻き回してやろうと思ったけど、上手くカオルに纏められた感じ。

 ハギリと目が合った。

 何となく逸らさないでいると、ハギリは不思議そうにぼくを見詰め返して、それから――

 ニヤッと笑った。

 

 

 ――分からないんだろ?

 

 

 瞬間、背筋にゾワッと来た。

 心の中を覗き見られたような気がした。

 不快。

 誰にも『ぼく』を理解されたくない。思い切り目を逸らした。

 そこで、カオルがパチンと手を打った。

 

「昨夜のことは、そういうことだから。

 キメ過ぎでくたばった霧島は自業自得。皆川にもワビ入れさせるし、それで納得しろ。

 クスリさばいてる金髪は気になるけど、警察(おまわり)が動いてるから、こっちからは手をだすな」

 

「はい」

 

 返事をしたのはC作。

 ぎろりとカオルが辺りを見回してリーダーシップを発揮すると、赤瀬や神木なんかも頷く。

 これが落としどころ、とハギリも追従して頷いた。

 

「さてと……」

 

 深く腰を下ろしていたソファから立ち上がって、カオルはぼくの手を取った。

 ふと思い付いたように、C作に言った。

 

「オマエらは暫くここにいるんだろ?」

「あ、はい。元々そういうつもりでしたし」

「アタシとユキは行くけど、誰か安いトコ知らねぇ?」

 

 ぼくは呆れて息を吐く。

 そういえば、昨夜は最後までしてない。今夜のカオルがぼくを逃がすなんて、ない話だった。

 

「あー……すみません。自分、ちょっとそういうの詳しくなくて……」

 

 C作は申し訳なさそうにしている。

 

「そっか、残念。ユキ、ドライブでもしながらいいとこ探そっか?」

 

「……はいはい」

 

 ぼくだけじゃなくてハギリたちも、ちょっと呆れた様子。

 今のカオルはヤル気だけで色気もへったくれもない。

 

「♪」

 

 ぼくはカオルに肩を抱かれ、その場を後にした。

 

◇◇

 

「ユキ、今日はやりたいことあるんだけどいい?」

 

 車で走り出してすぐ、カオルが言い出した。

 

「リクエスト? いいけど……」

 

 ふん、とカオルは鼻息を吐き出した。

 

「えと、さ。まずホテル入るじゃん」

「ホテルに入った」

 

 ぼくは頷いた。

 

「値段も手頃でオーシャンビューがあるトコな」

「むっ……続けて」

 

 ちょっと興味を持ったぼくに、カオルはご機嫌になった。

 

「んで、まずアタシがシャワーを浴びる」

「カオルがシャワーを浴びる」

「それからユキがシャワーを浴びる」

「浴びました」

 

 カオルは嬉しそうに言った。

 

「ユキが部屋に帰って来たら、アタシは目隠しして寝てるから」

「ぼくがオーシャンビューを独り占めできる!」

 

 カオルは噴き出した。

 

「違うっての」

「むう……」

 

 どうやらカオルは余計な知恵を付けてきたようだ。

 

「アタシは寝てるから、ユキは、うんとアタシを気持ちよくするんだ」

「カオルはエロ本の読みすぎだね」

 

 ククッ、とカオルは喉を鳴らして笑った。

 

「……アタシらが出てく時のハギリの顔、メチャウケた」

 

「……」

 

「アイツ、何か企んでたけど手も足も出ねえの」

 

「……」

 

「神木も赤瀬も、犬がお預け喰ったみてえで笑えた」

 

「……」

 

 車の中が、一気に寒くなったような気がした。

 

「アタシと目が合うと、決まり悪そうに目ぇ逸らすの」

 

 カオルが後輩に寛容?

 

「……ど汚ないクソマンコなら、一人でほじくってろっつの」

 

 琥珀の瞳は月明かりを受けてなお、暗闇に交じって見えた。

 憎悪。

 滴るようなそれに、ぼくは思わず目を背ける。

 

 

 ……あの娘、悠くんに本気だから、扱い方間違えると、酷いよ?

 

 

 父さんの言葉を思い出した。

 

 ――悠くん、本気の『好き』って、凄く恐いよ。

 

 

 じゃあ、『あい』はどうなるんだろう。本気の『あい』はどれくらい怖いんだろう。

 

 輝きの消えた目でカオルが言う。

 

「ユキが、アタシを気持ちよくするんだ」

 

 今日、本当に危ない橋を渡ったということに気付き――

 ぼくは、恐怖に震えた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第59話

 海の見えるホテルにやって来た。

 部屋に入るなり、窓際までまっしぐらに走ったぼくは、カーテンを開いて呆然とした。

 

「……暗くてよく見えないよ……」

 

 カオルがクスッと笑った。

 

「まぁ、一泊辺りそこそこだし。口コミで評判いいトコだけど、オーシャンビューが売りのホテルじゃないから」

 

「ふぅん……」

 

 がっかりして、ぼくは唇を尖らせる。

 カーテンの向こうは夜のしじまに包まれていて、月明かりだけが僅かに波打つ海上を照らしている。

 それ以外には湾内にある灯台。遠くに見える赤い光は漁船だろうか。近くに漁港があるからそうかもしれない。

 つまらなそうにするぼくを見ても、カオルはご機嫌。

 

「朝を待つべし」

 

「待つべし」

 

 カーテンを閉めた後は、お部屋チェック。

 テーブルの上にあるインフォメーションの冊子に目を通し、チェックアウトの時間を確認する。

 その後はアイテムBOXを確認。

 聖水(ローション)にエグい形をした性剣(エクスカリバー)。そして暗器(ローター)。これらのお宝は、以前お城で見たことがあるものと似たり寄ったりで特に刮目すべきところはない。

 

「買わないからなっ」

 

 その言葉には素直に頷いておく。

 カオルはこれらの玩具(バイブやローター)に忌避感があるみたい。繊細な部位への使用が前提になるので、ぼくも強要するつもりはない。

 

 部屋の内装はシック。よく言えば落ち着いていて、悪く言えばつまらない。

 お風呂は照明を調整出来るけど、ジャグジーは付いてない。ぼくとカオルを受け入れる容量はあるけどそれだけ。ラブホテルも色々あるようだ。

 

「ユキは拘るよな。アタシは落ち着いてできるならそれだけでいいけど」

 

「……」

 

 不意に言い忘れていたことを思い出し、ぼくはカオルを見上げる。

 

「え、な、なに?」

 

 改まったぼくの様子に身構えるカオルの指を掴んだ。

 

「カオルにお願いがあるんだ」

 

「えっ? あ、ああ、うん。何でも言って」

 

 警察で優樹菜が口を割って、全ての事実が白日の下に曝されてしまった時のこと。

 ぼくは罪を犯したワケじゃないし、具体的にどうこうなる訳じゃないけど、警察の対応が予想を超えれば失うものは大きい。

 

「もし、父さんに全部バレてしまったら……」

 

 他の誰にそうされるとしても、父さんが失望する顔だけは見たくない。

 

「その時は、ぼくを連れて行ってほしいんだ」

「え……ごめん、ちょっと分かんない。何処に……」

「何処へでも。カオルに付いて行くよ」

「……」

「すごく遠くがいいんだ」

「……」

 

 カオルは黙り込み、瞬きすら忘れてぼくを見詰めている。

 

「……」

 

「ごめんね、無責任なこと言って。でも、こんなことはカオルにしか頼めないんだ」

 

 それから、カオルは蕩けるような笑顔を浮かべて。

 

「いいよ。その時は、二人で、ずっと遠くに行こうか」

 

「あんがとね、カオル」

 

 カオルは震える息を吐き出してぼくを抱き寄せると、唇を合わせるだけの優しいキスをした。

 

◇◇

◇◇

 

 カオルは、ぼくを抱き締めて髪の匂いを嗅いだり、頭に頬擦りしたりしている。

 身長差、約40cm。

 抱き返すと、ぼくの手はカオルの腰辺りになる。内股を撫で、お尻の割れ目を擦ると、ジーンズの生地越しにじっとりと蒸すような熱を感じた。

 

「お風呂、一緒に入る?」

「んん……」

 

 ぼくの身体をあちこち撫で回しながら呻くカオルは、かなり迷っている様子だった。

 カオルは洗いっこが大好き。ぼくを洗うのも、自分が洗われるのもすごく好き。

 

「どうする? 今夜は、何でも言うこときくよ……」

「うん……」

 

 困ったように笑うカオルの頬は上気して、琥珀の瞳は熱っぽい情欲に潤んでいる。

 ベルトを引き抜き、ファスナーを下ろしてジーンズを脱がせてしまっても、カオルの決意はあっちこっちと揺れているのか、答えはない。

 

「このまましちゃう?」

「あ……えっと……」

 

 パンティのクロッチ部分は濡れていて、脇の部分から透明の液体が滲み出している。

 カオルは、ぼくの為すがまま、濡れたパンティを剥ぎ取られる間も葛藤して、唇を舐めたり視線を泳がせたりと忙しない。車中で言っていた変態行為に多大な入れ込みがあるみたい。よくわからないけど、夜這いプレイっていうらしい。目隠しに拘る必要はないけど、相手の寝込みを襲うのがミソのようだ。

 

 迷うカオルの手を引いて、ベッドの上に座らせた。

 

「先にお薬入れるね?」

 

「え? あ、うん……もうそんな時期だっけ」

 

 カオルはちょっと上の空。適当に返事して、開いた長い足の間に座ってそこを覗き込むぼくを潤んだ目付きで見詰めている。

 

 両手で、ソッと下腹部の秘裂を押し開くと、膣口が、くちっと音を立てて開いた。

 昨夜、さんざん苛めたから腫れていないか心配だったけど、それは杞憂だったことに内心、ほっとする。

 あまり刺激を与えないよう注意して、薬剤のカプセルを膣に押し込み、子宮口の前に留置して指を引き抜くと半透明の粘液が糸を引いて落ちる。

 

「う、ん……ふぅ……」

 

 快感に喘ぎを洩らすカオルの唇にキスをした。

 

「んっ……」

 

 寸前、カオルは息を飲み込み、力を抜いて受け入れた。

 口腔内を舌で混ぜ込み、唾液を送り込むと喉を鳴らして飲み下す。

 

「んんっ……はあっ、ユキ、待って、待って……」

 

 カオルが呻く。吐息まで震え、乱れている。

 

「……どうする? 先にする?」

 

 カオルはまだ決められないのか、しっとりと濡れた視線を泣き出しそうに下げた。

 

「……うふふ、両方すればいいんじゃない?」

 

「え……?」

 

 悪魔の誘惑に、カオルは物欲しそうに唾を飲み込むことで答える。

 

「夜は長いんだから、焦らないで楽しめばいいよ」

 

 昨夜は酷く扱ったから。それだけの理由。単なる埋め合わせ。

 

「いいの? 両成敗しちゃっても」

 

 ぼくは悦楽で女の子を虐げることに抵抗がない。カオルも瞳子もシュウも深山もユキナも、乱れ狂う様はそれぞれに他愛なく、可愛らしく思える。

 誘惑にあっさり負けて照れ臭そうに笑うカオルに、頷き返した。

 

 ぼくが服を脱ぎ捨てると、カオルがすがり付くようにして股間に顔を埋めて来る。

 ――生暖かいような。ひんやりと滑るような独特の感覚に身を任せ、ぼくはカオルの頭を撫でる。

 ユキナは巧かった。瞳子は八重歯が当たって痛いだけ。シュウは勢いだけで拙い感じがしたけど、あれが初めてだって言うんだから驚き。

 頭を振って、散らばる思考を追い払う。

 

「ん……カオル、すごくいいよ……」

 

 嬉しそうに微笑んで、カオルはひたすらぼくへの奉仕に熱中する。

 おへそに当たる鼻息が擽ったい。

 カオルは口にたっぷり唾液を溜め、舌先でぺニスの鈴口を擽り、カリ首を舐め上げる。じゅっ、じゅっ、と陰茎を吸い上げられ、『ぼく』は少し昂って来た。固くなる。

 その感覚に興奮したのか、カオルの上下する首のスピードが早くなった。亀頭に舌の感触を直に感じる。

 奥深くまで飲み込まれると、背骨を引き抜かれるような錯覚に陥る。

 

 膣に入れた薬が完全に溶けるまでの間、ぼくはカオルの好きなようにさせた。

 

◇◇

◇◇

 

 ぼくのを舐めたり、しごいたりを続けるカオルは、すっかりスイッチが入ってしまったようで、琥珀の瞳は情欲に蕩けている。

 

「んふ……あむ、ちゅ……」

 

 両足の間に大きな身体を丸めて入り込み、フェラに夢中のカオルは頻りに腿を擦り合わせている。

 ぴりぴりと背筋が痺れて来た。

 ぺニスをくわえたまま、ゆっくりとしたストロークで右手を上下させ、竿の部分にねっとりと舌を絡ませる。照明を落とした室内で、うっすらと汗をかいた裸身が妖しくうねっていた。

 

 このまま射精してしまってもよかったけど、カオルの肩を軽く叩いて動きを止めた。

 

「攻守交代」

 

「……ぅん」

 

 震える声は情欲に掠れている。

 ぼくは、カオルを押し倒すようにしてベッドの上で抱き合った。

 すぐさま長い足を絡ませて、ぼくを取り込むように抱き締めるカオルの胸に顔を埋める。

 新城馨は『アスリート』だ。

 引き締まった身体に無駄はなく、全体的にはほっそりとした印象がある。鞭のような身体。

 しかし、より高く跳ぶ為に鍛えられた大腿四頭筋は他の部位に比して発達している。

 そのせいで着られる服が限られると本人は言っていたけれど。

 

「……カオルはカッコいいね……」

 

 感心したように言うと、カオルは目を潤ませたまま、耳まで真っ赤になった。

 

「モデルさんになりたいとか、考えたことないの?」

 

 『アスリート』新城馨の身体には機能美がある。『武芸者』秋月蛍のそれとは違う『美』がある。これに価値を見出だす人は多いと思う。

 でも――

 カオルは鼻の頭に皺を寄せ、舌打ちした。

 

「……なんだそれ……テキトーなこと言って……お世辞か?」

 

 カオルは驚くほど自身の『女』に対しての評価が低い。ぼくの言うことは信じられないようだ。唇を尖らせてそっぽを向いた。

 そんなカオルの両頬を引っ張って、琥珀の瞳を覗き込む。

 

「ぼくがお世辞? カオルも面白い冗談言うね」

 

「…………」

 

 ぼくは何時も思ったことを考えもなくハッキリと言って来た。それは目の前のカオルが一番知っているはずで。

 

「……ぁ……」

 

 カオルは小さく呻き、露骨に視線を逸らした。

 

「カオルは綺麗だよ。分からないヤツが馬鹿なんだ」

 

「……」

 

 カオルは頑なに目を逸らしているけど、徐々に首筋まで赤くなって来た。ものすごく照れているみたい。

 

「……チートだ。ずるいよ……」

 

 うっすら浮かんだ涙には気付かないふりをして、拗ねたように顔を背けるカオルの首筋にキスをする。

 続いて肩。

 胸。

 お腹。

 

「ひゃっ!」

 

 おへそは少し擽ったかったのか悲鳴が上がる。

 ぼくらは暫くはしゃいで。

 裸のまま、お互いに笑って、抱き合って、それから舌を絡ませて、うんといやらしいキスをした。

 

◇◇

 

「んん……」

 

 耳元で、カオルが悩ましい吐息を洩らした。

 ぼくはカオルの大きな身体を背もたれにして寛いでいる。はしゃいでいる内に自然とこうなった。

 背中に押し付けられたカオルのそこはぬるぬるに濡れていて、時おり擦り付けるものだから、部屋の中は生乾きのアレの匂いで大変なことになっている。

 

 きっと今のぼくはマーキングされていて、誰にでも分かるように、カオルの匂いを付けられているんだと思う。

 

 カオルが腰を揺らすと、擦れ合ったその部分が、ぐちゅっと湿った音を立てた。

 

「ユキ……だいすき……」

 

 ぼくの首を甘噛みしながら、カオルが掠れた声で囁く。

 

「……うん、わかってる」

 

 カオルは少し甘えたい気持ちみたい。

 適当に頷くぼくの頭の中は色々。下らないことを考えている。

 例えば――

 ネットの噂だと、アスリートの性欲は通常人の3倍あるらしい。ホルモンがどうとかそれっぽいことを書いてあったけど、実証されている訳じゃないし、根拠のないデマだ。でも、カオルの底無しの性欲を前にすると、ひょっとしたら、という気にならないでもないから不思議。ぼくはいつだって少ない弾薬でどう戦うか頭を悩ませているのに、すごく理不尽。

 つまらないことを考えるぼくの耳元で、カオルが言う。

 

「……好きがとまらないんだ……」

 

 それは、ちょっと分からない。

 客観的に見て、ぼくは酷いヤツだ。誰とでもエッチするし、カオルとしている時ですら別の女の子のことを考えたり、下らないネット上のゴシップについての真偽を考えたりしている。

 特別、媚びた覚えはない。ぼくはいつだって自分勝手に振る舞っている。

 

「……」

 

 カオルの中で、いったい何が起こっているんだろう。

 

「ユキの前で、アタシは女の子なんだ」

 

 何を当たり前のことを……

 

「……」

 

 それきり、カオルは黙り込んだ。

 全身でぼくに絡み付いて、噛み付くみたいにぼくの首筋に顔を埋めているので表情は分からない。

 とても重い沈黙。

 こういう時、言葉はとても安くなってしまうから、ぼくも沈黙を選ぶ。

 

「――信用されてる」

 

 最近のカオルは、暴力的なものを感じさせなくても、ちょっと恐いときがある。

 

「それはきっと、とてつもないお宝で、アタシなんかには勿体ない代物で――」

 

 おそろしく真剣な独白。

 

「誰にも渡したくない」

 

 カオルの身体は熱くなって、ぼくと触れ合った場所がじっとりと汗ばんでいる。

 言った。

 

「殺すから」

 

「……」

 

「奪られるくらいなら、みんな殺すから」

 

 出た。

 多分、『あい』。

 真剣で、重たくて、悲しいくらい深刻な、新城馨の『愛』。

 それは狂的な信仰に似ていて、ぼくは重苦しい気持ちになる。

 

「アタシ、もう我慢できない」

 

 でも、答えに近付いたような気もする。

 

「挿れて……」

 

 耳元でそう囁く声に、ぼくは小さく頷いた。

 

 カオルを開いて調べよう。

 

 愛という名のunknown。

 

 

◇◇

◇◇

 

 

 身を捩り、カオルと向かい合う。

 視線を下腹部に落とすと、陰唇はだらしなく涎を垂らして半開きになってぼくを待ち望んでいた。

 半勃ちに萎えたぺニスを扱きながら、亀頭を陰唇に擦り付け、潤滑の愛液をまぶしていく。

 しゃりしゃりとした陰毛の感触に、滑る粘膜。クリトリスは固く勃起していて、ぼくのぺニスと触れる度に、ヒクヒクと小さな収縮を繰り返している。

 

 荒い息を吐くカオルのお腹を軽く撫で、膣口に指を這わせると、そこはなんの抵抗もなく2本の指を飲み込んだ。

 

 カオルとセックスするようになって、3ヶ月近くが経過した今、『アスリート』新城馨の身体の解析は殆ど終了している。膣内にあるクリトリスの裏側に当たる位置に、ちょっとざらざらした場所があって、そこはカオルの大きな弱点の一つ。

 そこを円を描くようにして優しく撫で回すと、カオルは猫が鳴くみたいな嬌声を上げる。

 

「んんんっ……! あぁ、あ……!」

 

 あくまでも優しくするのがコツ。そうするとカオルはすぐ降参する。

 

「待って! 待ってユキ! んぐぐぐっ……!」

 

 カオルの腹筋が引き締まり、膣肉が弱点を攻め立てる指を制止しようと締め付ける。いつもなら無慈悲にトドメを刺すところだけど、今日はカオルに合わせることに決めている。

 収縮を繰り返すカオルの下腹に手を当て、グッと押し込んで指の動きを止めた。

 

「んぐぐぐ……っ!」

 

 全身を硬直させ、なんとか堤防の決壊を防いだカオルに耳打ちする。

 

「……わかってると思うけど、我慢し過ぎると最後は特大のが来るよ……?」

 

「ふっ、ふっ、……うぅ、しってる……」

 

 昨夜のことを思い出したのか、カオルは息も絶え絶えの様子で、何処か諦めたように小さく頷いた。

 女の子の身体って不思議。

 快楽を溜め込むように出来ていて、最後はそれを爆発させるようになっている。

 

「挿れるね」

 

 ぼくの死の宣告に、カオルは泣き笑いの表情になって懇願した。

 

「ゆっくり、ゆっくり……!」

 

 カオルが云うに、深すぎるエクスタシーには大きな恐怖が伴うらしい。吹き付ける強風に耐えられず、意識が端の方から飛び散って行く感じだと言っていた。

 

 ――自己の崩壊に似ている。

 

 ぼくは濡れそぼり、正体をなくしたカオルの中に、ゆっくりと侵入して行く。さらさらと落ちる砂時計を連想させるスピード。

 

「ふぅうううううぅ……!」

 

 カオルは深く息を吐き出し、何度も何度も頷いた。

 このスピードでいいみたい。でもそれが、最終的にカオルを地獄のような天国に突き落とす。

 柔やわとまとわりつく膣肉を掻き分けて進む。溢れだした粘液がぺニスに絡み付く。

 苦悶の表情でカオルが喘いだ。

 

「あぁ! あうううううぅ……!!」

 

 容赦なく蹂躙して、何時ものように主導権を奪うのは猫の手を振り払うより簡単だけど、カオルに任せる。

 

 地獄には自分で行くんだ。

 

 コツっと先端が子宮に触れた。

 

「…………」

 

 だらっ、とカオルの唇の端に涎が伝わり全身が脱力した。

 小波のような絶頂。膣内部がざわめいて、一度ぼくを押し出そうと無駄な努力をしたあと、諦めたように陰茎を包み込む。

 

「……ふふっ」

 

 カオルは笑っていた。

 制御不能の快楽に身を浸し、子宮の奥底まで質に取られ、笑っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第60話

 緩やかにカオルの中をかき混ぜる。

 

「んふ……っ、ふっ……」

 

 限界寸前の喘ぎを上げるカオルの反応を見ながら、ぼくは抽挿のスピードを調節する。

 いつもなら、だらしなく緩みきった膣穴を責め立てて耐久を削り取ってやるんだけど、この夜は長丁場の設定。

 

「……もう少し早く?」

 

 カオルは青息吐息。苦しそうに首を振った。

 

「……っと、ゆっくり……ゆっくり……!」

 

 いつも思うことだけど、最近のカオルは興奮し過ぎる。回数を追う毎にその傾向は強くなっていて、今日なんて、すぐ挿れてしまってもいいくらい濡れている。絶頂に至るまでの間隔も短くなって来ている。

 

「カオル……落ち着いて……ほら、深く息を吸って……」

「……くぅうぅ……!」

 

 切なそうな喘ぎと共に、カオルがまた小さな絶頂を迎えた。膣壁が、きゅっと収縮して陰茎を締め上げる。

 ぼくはまた抽挿のスピードを下げて様子を見る。

 

「はっ、はっ、はっ……!」

 

 全身を紅潮させて、カオルは快楽に震える子宮を押し止めるように下腹部を擦っている。

 極力抽挿スピードを落として、カオルの意思に沿ったつもりだったけど、それでも駄目みたい。視線を落とすと、膣口から分泌した愛液が泡立って白く濁っている。

 

「カオルが上になる?」

 

 騎乗位なら、カオルのタイミングでできる。そう思っての勧めだったけど、カオルは泣き出しそうな顔で首を振った。

 

「おしっこしたい……」

 

 びくびくと膣が痙攣している。これは駄目なやつだ。挿入してまだ5分くらいしか経ってないけど、カオルはもう限界だ。

 一方のぼくは、まだまだ余裕がある。あと20分は行ける。膣から、ゆっくりとぺニスを抜くと、白濁した粘液が糸を引いて滴り落ちた。

 

「大丈夫?」

 

「……」

 

 カオルは自分の頭を抱くみたいにして顔を覆い隠して、小さく頷いた。

 

「……ごめん、ちょっと休ませて……」

「それはいいけど……」

 

 カオルは、また少し泣いているみたいだった。

 

「どうしたの?」

「時間……」

「……?」

 

 よく分からない。ぼくが首を傾げると、カオルは顔を隠したまま、枕元のデジタル時計を指さした。

 

「……挿れてから10分も経ってない……」

 

 正確には5分弱。それを指摘すると、なんだか酷くカオルを傷付ける気がしたので言わないでおく。

 

「……調子が出ないときもあるよ」

 

 そんな慰めの言葉にも、カオルは暫く黙っていたけど、思い出すように述懐を始める。

 

「……挿入った時はいいんだ。余計な力が抜けて、すげえ落ち着く。でも、動き出したら何も考えらんなくなる。突かれてるのはアソコなのに、脳みそまで混ぜられてるような気がする……」

 

 一説では、女性がセックスで得られる快感は、男性の10倍といわれるけど、真偽のほどはどうだろう。

 

「……そしたら、次はすげえパニックになって……でも、全然嫌じゃなくて……我慢できなくて……」

 

 残弾を気にせず、何度も達することができるのは、ぼく的にはちょっと羨ましい。

 カオルは忌々しそうに舌打ちした。

 

「聞いてたのと違う……」

「何が?」

「……最初は痛いだけって聞いてた。気持ちよくなるまで1ヶ月くらいかかるとか言われてたけど、そんなことなかった」

「個人差もあると思うけど……」

 

 やっぱり顔を隠したまま、カオルは首を振った。

 

「だんだん早くなるし、これも聞いてたのと全然違う」

「……」

 

 よく分からないけど、カオルはショックを受けてるみたいだった。

 

「コントロールできない。最初は違ったのに」

 

 ……カオルは、ぼくに対する気持ちが強すぎる。信仰にも似たぼくへの好意が快楽を後押ししている。

 

「トイレ行ってくる」

 

 そう言って立ち上がったカオルは、少し腰にキているみたいで、その足取りは危なっかしい。

 まだ身体の奥に残ってる。

 ぼくは大きなお尻を抱くようにして支え、よろめくカオルをトイレに送り届けた。

 

◇◇

 

 小さな個室の洋式トイレに腰掛けるまで手伝って、ぼくはカオルの頭を撫でた。

 

「お風呂の準備するね」

 

 昨夜は本当に悪いことをした。父さんにも、あまり苛めるなって言われている。

 カオルの頭を抱えるようにして、深いキスをした。

 

「ん……っ」

 

 舌を絡め、唾液を交換する。カオルがいつもぼくにするような激しい口付けをして、ソッと離れ――

 

「……?」

 

 素っ裸で便座に腰掛けるカオルは、出て行こうとしたぼくの手を強く掴んで離してくれなかった。

 ぼくらは暫し見つめ合う。

 

「何……?」

 

 羞恥に顔を赤くしながらも、カオルはぼくの手を離してくれない。俯いて、それから、シャアッと水音をさせて排尿した。

 ――呆れて言った。

 

「変態」

 

 カオルが漏らす所を見たのは一度や二度ではないけれど、それでも意図的に見せ付けるのはどうかと思う。

 カオルは長い足を少し開いていて、その付け根から滴り落ちる黄金色の液体は粘りけが強く、長く糸を引いて途切れることがなかった。

 ぼくは、カオルの口に2本指を突っ込んだ。

 

「舐めて」

 

 本当、カオルはしつこいやらしい。

 腰が抜けるくらいになっても、優しくされたんじゃ物足りない。カオルは首筋まで真っ赤にして、俯くように表情を逸らして、ぴちゃぴちゃと音を立ててぼくの指を舐めている。

 

「あむ……ちゅ……」

 

 股間から垂れた愛液は、まだ糸を引いて便器を汚している。

 

「カオル、苛めてほしいの?」

「……」

 

 すごく恥ずかしそうに身体を縮め、カオルは小さく、でもハッキリと頷いた。

 

「よく見えない。もっと足開いて」

「……ぅん」

 

 鼻声で頷いたカオルが言われるがまま、足を大きく開くと、既にぷっくりと陰唇が腫れ上がっていて、尖った陰核が包皮から顔を出している。

 

「おしっこ、終わった?」

 

 カオルは頬を赤くして、子供みたいに頷く間もぼくの指を舐めている。

 

「……大きい方もする?」

 

 一度大きく、びくんと震え、カオルは……

 

「……ぅ、ん……」

 

 羞恥に塗れ、気の毒になるくらい赤面して、それでも頷くカオルは潤んだ瞳でぼくを見上げながらも、何処か恍惚として見え、何だか気持ち良さそうだった。

 

 ……父さんには苛めるなって注意されたけど、もう手遅れみたい。殺す殺すって息巻いてたけど、この分だと、ぼくがカオルを壊す方が早い。

 

 カオルの口から引き抜いた唾液塗れの指先で、恥丘に張り付いた草むらを掻き分けて開きっぱなしの襞に触れると、そこは何の抵抗もなく指を呑み込んで行く。

 

「あ――」

 

 少し腰を震わせ、カオルは湿った息を吐き出した。

 ぼくは左手でカオルのお腹を擦りながら、右手で膣肉を揉みほぐした。

 

「うぅ……ぁ、ぁ、あぁ……」

 

 快楽に緩んだカオルの口元に涎が伝い落ちた。

 おしっこの水気を含んだ淫液を指先に存分に絡ませたあと、するりと手を伸ばして後ろのすぼまりに触れても、特に緊張した様子はない。

 アナルの方は何度か指を入れたことはあるけど、それだけ。ぬるぬるとした粘液で、かき混ぜるようにして、ゆっくりと中指を沈めて行く。

 カオルは唇を震わせ、緩みきった表情で頷いた。

 

「ぅん……そう……そんな感じ……」

 

 親指でクリトリスを転がしながら、中指を動かしてアナルを刺激して行く。

 窮屈な姿勢だったけど、背筋を伸ばしてカオルの乳首に吸い付いた。

 

「ぅん……ぅん……」

 

 カオルは微笑みながら、何故か納得したように頷いている。

 『の』の字を書き、中指を根本まで押し込み、刺激を強くすると、カオルのお腹が、ごろっと鳴った。

 

「どう、出そう?」

 

 カオルは、へらっと笑った。

 

「……お腹痛いのと、あそこ気持ちいいの両方で変な感じ……」

 

「そう」

 

 素っ気なく答えておいて、カオルへの愛撫を続ける。

 乳首に吸い付いたり、軽く噛み付いたり。お腹を揉んで便意を促しながら、陰部とアナルの両方に刺激を送り込むのも止めない。

 肝心なのは継続することと、飽きられないように変化を付けること。

 洋式便器一つの狭い空間に座り込むカオルを、時間を掛けて追い詰めて行く。

 淫液と唾液の跳ねる音に混じり、時折、カオルのお腹が苦しそうに鳴る音がする。

 

「ぁ……ああ、ぁ……ん」

 

 全身の力を抜いて便器に腰掛けるカオルは虫の息。目付きは虚ろで、額にしっとりと汗を浮かべている。クリトリスは固く尖り、アナルが三本の指を呑み込んだとき。

 

「――あぅっ」

 

 カオルが苦しそうに呻いて、

 

 ――ぐるるるるるっ

 

 と一際大きく、お腹が鳴った。

 

「……息んで……」

 

 耳元で囁くように言うと、カオルは虚ろな微笑みを浮かべて頷く。

 

「出る……うんち、でる……」

 

 ぷすっ、と小さく音がしておならの匂いが漂う。

 ぼくはそれを見て、カオルのアナルから指を引き抜いて、お腹を擦ることに集中する。

 

「う、うぅぅ……」

 

 カオルはやはり恥ずかしくなって来たのか、顔を赤くして、泣きそうな表情でぼくを見つめ返して来る。

 便意が高まり、性的な快感を上回ったことで正気付いた。やはり見られたくない。気が変わったことはすぐ分かった。

 その耳元で囁いた。

 

 

「早く汚いの出せよ」

 

 

「うぁ……」

 

 

 琥珀の瞳を絶望の色に染めて、カオルは泣き笑いの表情になった。

 ――やがて。

 狭いトイレの個室で、破滅的な音が響き渡り、カオルは忌むべき全てを解放した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第61話

 カオルは無言だった。顔を真っ赤にして、肩を震わせて泣いていた。

 ――やり過ぎた。

 父さんには苛めるなと言われていたのに、いざとなったら怖じ気付いたカオルを見て、ついむきになった。

 

「ごめんね」

 

 啜り泣くカオルは快感より羞恥が大きかったみたい。

 まぁ、常識的に考えて、排泄の瞬間を他人に見られるのは恥ずかしいし屈辱的だ。

 

「いっぱい出たね。溜まってた?」

 

 ぼくがそう言うと、カオルの肩がビクッと震えた。

 手のひらで瞼の辺りを押さえ付けるみたいにして泣きじゃくっていたのに、顔を上げて、キッとぼくを睨み付けて来た。

 

「……!」

 

 怒ってる怒ってる。

 自分から見せようとした癖に。

 本当、いい性格してる。

 

「すごく可愛かったよ?」

 

 これは本音。

 いつも斜に構えていて、何処かしら人を食った態度のカオルが泣きじゃくるのを見ていると、やっぱり『女の子』なんだな、という気持ちになる。

 

「……」

 

 ぼくの言葉に反論せず、カオルは少し複雑そうな表情で俯いた。

 

 瞬間、ぼくは閃いた。

 

 そうだ。

 シュウにも同じことをしてあげよう。彼女の場合、スペシャルで派手なヤツがいい。それくらいしないと堪えないから。

 

「カオルの全てが見たいんだ。それは、いけないこと……?」

 

 例えば、あい。これでお腹の中に隠してないのはよく分かった。

 

「……」

 

 カオルは俯いたまま、ぼくを上目使いに見詰めているけど、その視線からは怒気が抜けている。

 ぼくは頷いた。

 

「すぐイっちゃうカオルも、恥ずかしがって泣いてるカオルも、すごく可愛いよ?」

 

「……」

 

 カオルはまだ無言。でも、ぼくを見詰めていた琥珀の瞳は、恥ずかしそうに足元に伏せられてしまった。

 

 ぼくはカオルを馬鹿にしているワケじゃないし、見下しているワケでもない。だから、カオルが怒る理由なんて一つもない。

 少しカオルの頭を撫でたあと、ぼくは黙ってウォシュレットのスイッチを押した。

 

◇◇

 

 トイレから出て、やっぱり腰に来て足取りの怪しいカオルを連れてお風呂に入った。

 

 ラブホテルの浴室にある椅子って不思議。真ん中の部分に大きな溝があって、家庭用の物とは少し形が違う。

 その不思議な椅子にカオルを座らせた。

 トイレで馬鹿なことをしていたせいで、浴槽にお湯は張ってない。手っ取り早くシャワーを浴びることにする。

 ぬるめのお湯で身体を洗い流す間に色々な情景が頭に浮かんでは消えていく。

 シュウの大きくて形のいいおっぱいや、小振りだけど、やっぱり形のいいちっぱいのユキナ。お碗型で、ツンと上を向いていて元気よく感じるトウコの胸。

 女の子たちのおっぱいのことを考えながら、カオルの身体を洗い清めて行く。

 不思議な形の椅子は便利で、中央部分にある溝のお蔭でカオルのお尻とあそこを同時に流すことができる。恐らく、こうするためにある溝なんだと思う。

 くってりしてしまったカオルは、大人しくされるがままにされていたけど、伸びをするようにして背筋を反らすと、ぼくを抱き寄せてキスして来る。

 

「んっ……」

 

 ぬるめのシャワーに打たれながら、吐息まで飲み込んでキスを交わす。

 その間もぼくの指先は忙しなく動き続ける。

 親指で普段の倍近くまで腫れ上がったクリトリスを擦りながら、中指でGスポットを抉るように愛撫して行く。

 

「ひんっ……ん……!」

 

 呻くように喘ぐカオルは泣きながら全身を紅潮させているけど、ぼくの愛撫を受け入れて緩く脚を開いたまま。

 

「あぅあぅあぅ……!」

 

 意味を為さない言葉を吐き出すと同時に、カオルの膣肉が痙攣してぼくの中指を締め上げる。

 紅潮した身体は火が点いたように熱くなっていて、子宮口は指先で触れるくらい降りて来てる。

 これ以上、焦らすのはよくない。溜めすぎ。身体が絶頂を求めて戦慄いていた。

 

「軽くイこうか?」

 

「うん、うんっ!!」

 

 ぼくの言葉に無心で頷くカオルの膣に挿入した指を2本にして、愛液を掻き出すようにして最後のラッシュを掛ける。

 

「あ、ぎぎ……っ」

 

 絞り上げるような嬌声。或いは、断末魔の悲鳴を上げてカオルが激しく絶頂した。

 勢いよく飛び出した潮が、ぶしゃっと音を立てて掌で弾ける。サラサラしていて、尿とは違う濁った熱い体液。

 

「…………」

 

 カオルは沈黙した。

 バスタブを背もたれに脚を伸ばして座り込み、半開きになった瞳は涙を流しながら虚空を見詰めている。

 前半戦終了のお知らせ。

 

「おつかれさん」

 

 言って、シャワーで軽くカオルの身体を洗い流す。

 ダメージを与えすぎないように配慮したつもりの膣口は、半開きのまま、白く濁った体液を垂れ流していた。

 

◇◇

 

 口元から涎を垂らし、座り込んだまま、ぼんやりと佇むカオルはそのままにシャワーを浴びる。

 少し汗をかいた。髪を指で梳かしながら、打ち付けるお湯を口に含んで吐き捨てる。

 絶頂の余韻に浸っていたカオルが、よろよろと身を起こし、すがり付くようにしてぼくのペニスを舐め始めたけど、それはやりたいようにさせておく。

 

(そろそろ、ぼくも射精(だ)そうかな……)

 

 頭の中は冴えていて、思い出すのは昨夜の霧島の死に様。

 無様で、これ以上ないくらい惨めな最期だった。皆川は……ユキナは、今ごろどうしてるだろうか。

 

 カオルは半覚醒。蕩けた眼差しで、ぼくの腰にしがみついて夢中でフェラチオしている。手がお留守。でもシュウより巧い。

 少し腰を進めると、カオルの方でも頭を寄せてきた。

 

「う……」

 

 奥まで飲み込まれ、背筋に走る快感に身震いする。

 

 ……霧島の事は大きなニュースになるだろう。未成年者の事件だけに、下手に大きな騒ぎにならない事を祈る。もし、テレビが嗅ぎ付けるようなら長くない。その時は――

 

 不思議な椅子に座り込み、カオルにしゃぶられながら考える。

 

(ぼくの、カオル……)

 

 その時は、カオルの『あい』に全てを委ね、行くのだろう。

 腰の奥から、じんわりと暖かい何かが込み上げて来て、逆らうことはせず、ぼくは思いの丈を吐き出した。

 

「……っ」

 

 背筋が甘く痺れる。いつになく長い射精だったけど、カオルは何の躊躇いもなくぼくの精液を飲み下す。

 さらに強く吸い付いて一滴残さず飲み下す。

 

「あぁ……」

 

「……」

 

 快楽に呻くぼくを見上げるカオルは、口元に酷く嫌らしい感じの笑みを浮かべていて――

 緩やかに甘く深く――しっとりと絡み付いて離れない新城馨の愛に、一滴残さず飲み干されそうな、ぼく。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第62話

 その日の昼休み、シュウが言った。

 

「御影、目の前に指で小さい輪っか作ってみて」

「うん?」

 

 言われた通り、目の前に小さい輪っかを作って見せると、笑顔のシュウと目が合った。

 

「それじゃ、その輪っかを片目で覗き込んでみて」

「ほいっとな」

 

 ぼくは右目で輪っかの向こうにいるシュウを見詰めた。

 

「御影の利き目は右だね」

「利き目?」

「そう。つまり、御影は主に右目で物を捉え、左の目でそれを補助している訳だ」

「ふうん、初めて聞いた」

「……今日の体育、ソフトボールだったろ?」

 

 三打席三振。かすりもしなかった。だから、その話はしたくない。

 ぼくがおもむろに目を逸らすと、シュウは面白そうに笑った。

 

「騙されたと思って、今度は左の打席に立ってみて。少しは違うと思うよ」

「……うん」

 

 右の打席では左目でボールを追ってしまうから、逆の打席に立って『利き目』でボールを追えということ。

 

「それでね、御影」

「……まだあるの?」

「左手、見せて」

 

 正面からシュウを見詰め返す。

 

「バット……二回も、すっぽ抜けたよね……?」

 

 シュウは、もう笑ってなかった。

 

 …………………………

 ……………………

 ………………

 …………

 ……

 

◇◇

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

 ぼくの上で、カオルが激しく腰を振っている。

 

「フッ、フッ、ぅぅぅぅううううう……!」

 

 獣のような呻き。

 お風呂から出て、ぼくらはすぐに交わった。

 夜這いプレイのことは言わない。それは不意打ちですることで、予告してすることじゃない。無論、その願望は既に受理しているから、早晩カオルは悶え狂うことになる。もしくは別の誰かが割を食う嵌めになるのかも。

 

 そんなことを考えながら、腰の上で喘ぐカオルに視線をやる。

 

「ぐぅっ! ううううう……!」

 

 激しく腰を振りたくって、それから苦しそうに動きを止めるカオルはもう死に体。

 

「くひっ! ふぅぅぅぅぅぅっ!!」

 

 馬乗りになり、ぼくを抱き締めるカオルは、ぐしゃぐしゃに泣いていて、鼻水やら涎やら垂れ流して必死だ。何度も口付けを交わし、舌を絡めてぼくの唾液を吸い上げる。

 カオルは少し焦っているように思えた。でも、腰を振っている時間は段々短くなっている。イき過ぎて緩くなってるし、濡れ過ぎてペニスに伝わる刺激も鈍い。

 

「んん……フッ、フッ、……ツッ!」

 

 キスに夢中だったカオルの腰が大波を打ち、膣が痙攣した。――駄目なヤツだ。

 

「ストップ」

 

 身体を起こしながら、カオルの腰を抱き寄せ、引き付けるようにして動きを止めた。

 

「ぐうぅっ!!」

 

 瞬間、亀頭がコツリと膣奥に当たって、やっぱり苦しそうに呻いたカオルは、両手で宥めるように下腹を擦っている。

 なんのおまじないだろう。ちょっと、ぼくには分からない。

 

「ふぅぅぅううううう!」

 

 鋭い呼気と共にカオルの腹筋が盛り上がって、膣肉がギリギリとぼくを締め上げた。

 

(うわ……すごい、耐えてる耐えてる!)

 

 一動作。ほんの少しのアクションで、カオルを奈落に突き落とせるという確信がある。一突きくれてやってもいいし、乳首やクリトリスを弾くだけでもいい。それだけで、カオルの我慢の全てを台無しに出来るけど、ヤらない。

 ぼくは首を振って、それから長い溜め息を吐き出した。

 

「カオル、何をそんなに焦ってるの。もう少し、ゆっくり――」

 

「……いやだ」

 

 鼻水と涎でぐしゃぐしゃになったカオルは、目を合わせるなり、ボロッと大粒の涙を流した。

 

「な、なに……?」

「ユキと……」

 

 琥珀の瞳から涙が伝う。吐き出す息は熱く濡れていて。

 

「……一緒にイきたい……」

「あ……そうなんだ……」

 

 さっき、お風呂場で射精したばかりのぼくは絶賛賢者タイム中。でも、一緒に果てたいというカオルの想いは健気で好ましく感じる。

 

(まいったな……)

 

 ぼく自身、早くイく練習をした方がいいのかもしれない。でも、それはそれでとても失礼なことなのかも……

 

 そこまで考えて、ぼくは不思議な気持ちになった。

 一ヶ月くらい前のぼくなら、カオルの気持ちなんて無視して思うまま蹂躙しただろう。けど、今は――

 

(まいった……)

 

◇◇

 

 

 あと一時間は余裕なんて、口が裂けても言えない。

 

 

◇◇

 

「何を焦ってるの?」

 

 優しく問いながら、カオルを引き寄せて額に軽くキスをする。

 

「……ちくしょう……畜生……なんで……」

 

 琥珀の瞳が流した涙を舌で舐め取る。

 頬、首筋、肩。口付けを落とす度にビクンと震えるカオルと繋がったまま見詰め合う。

 

「大丈夫」

 

 ぼくはそう言って、未だ大きく上下する胸に耳を当てた。

 カオルの心臓は早めの鼓動を刻み、膣内は未だ冷めやらぬ快楽に戦慄いている。

 

「ぼくはここにいるよ」

 

 琥珀の瞳を見詰めて言う。

 

「カオル、落ち着くんだ」

 

「……!」

 

 カオルは、一瞬、ぴくりと震え、それから細く長い息を吐き出した。

 言った。

 

「アタシとユキって……どんな関係なんだ……?」

 

 最近のカオルは、暴力的じゃなかっても怖いときがある。今はそのとき。受け答えを誤ると、明確な何かが終わる。

 刹那の熟考、そして。

 

「深い関係」

 

 ぼくは答える。

 

「上手く言えないけど、ぼくは、カオル以上に深く女の人と交わることはないような気がする」

 

「……」

 

 涙に濡れた琥珀の瞳が、ぼくを見詰めていた。

 

 何処までも続く山の稜線を抜けてある大きな石の風車、なだらかな道、金ぴかのお城。

 お金では買えないもの。

 この関係が終わり、十年、二十年後になっても思い出すことが出来る。それはきっと――

 

「……」

 

 ぼくはカオルに謝ろうと思ったけど、それはやめて沈黙を選ぶ。

 

「……つっ」

 

 くしゃりと表情を潰し、カオルは長い足を絡めるようにしてぼくを引き寄せると、膣(なか)がまた苦しそうに震えだす。

 苦しそうに言った。

 

「……ほとんどアタシのもんだ。でも――」

 

「……」

 

「まだ早い。違う……違う……!」

 

 トウコのこともそうだけど、ぼくがシュウやユキナと関係を持ったことは、はっきりとした傷になってカオルの心に残っているみたい。だから、いつも以上に深い繋がりが欲しい。あれこれ掻き回して煙に撒いたつもりでいたけど、カオルが少しも納得出来ていないのが分かった。

 

「……」

 

 カオルと目を合わせたまま、ぼくは内心で息を吐く。

 

 要するに――今夜のカオルには特別なサービスが必要。

 

 

◇◇

◇◇

 

 

 繋がったまま指先で涙を脱ぐってあげて、その後は頭を撫でたり背中を擦ったりして様子を見る。

 カオルは大きな身体を小さく丸め、だんごむしになった。

 時間の流れはいつだって残酷。ふと壁に埋め込まれたデジタルの時計を見ると、時刻は夜更け過ぎになっていた。

 

「カオル、お仕事は……?」

 

「……」

 

 カオルは答えず、ぼくの胸に顔を埋めたままイヤイヤと首を振って今度は甘えんぼさんになった。

 やれやれ、とぼくは内心で呆れながら丸まったカオルの大きなお尻を撫でる。

 カオルは益々小さくなって、触って欲しそうに身体をすり寄せて来た。

 

「……今日……いや、もう昨日になるね。お仕事、休んじゃった?」

「……」

 

 カオルは小さく頷いて、ぼくは少し申し訳ない気持ちになった。

 

「ごめんね。今度、バカをやるときは、カオルの休み前にするね」

 

 そこで、カオルが噴き出した。顔を上げて。

 

「それ、なんかオカシイからな!」

「うん、冗談」

「……」

 

 カオルはキョトンとして、それからムッと険しい表情になった。

 

「バイトは今週いっぱいで終わりにする」

「そうなんだ」

「……高校生活最後の夏休みだしな……」

 

 就職組のカオルが夏休みを満喫するのはこれが最後。おそらく、これが人生で最後の夏休みになるだろう。

 カオルは感傷的になったのか、少し寂しそうに笑った。

 

「……だから、そこから後は、うんと遊ぶ。その、……ユキと……」

 

「……」

 

 ぼくは黙って頷いた。

 

◇◇

 

 ゆっくりとした抽挿を再開する。

 

「う……っっ」

 

 その刺激に少し呻いたカオルの膣は無駄な力が抜けて緩くなっていて。

 膣肉がぼくの形になって、ぺったりと張り付いているのが解る。白く濁った淫液が太い筋になって糸を引いている。

 

「……っく」

 

 子宮まで震えている。カオルはコントロールできないようで、不随意の運動を繰り返す膣肉が、時折、引きつるように痙攣していた。

 ぼくは寝そべって動かないまま、さっきカオルがやってたみたいに優しく下腹部を撫でてみる。

 

「頑張って……」

 

「ん……んん、ッ」

 

 カオルの下腹に『の』の字を書きながら、耳元で囁くように言う。

 

「……今度、お薬なしでしてみる……?」

 

「……え?」

 

 ぼくに馬乗りになって、必死で腰を上下させていたカオルの動きが止まった。

 膣は微弱な震えに痺れていて、びくん、びくん、と心臓のように鼓動を続けるカオルの『そこ』に言ってみる。

 

「ワンチャンス」

 

「……!」

 

 その瞬間、カオルの『そこ』が勢いよく弾けるように震えた。

 カオルは泣き笑いの表情。

 

「……だから、冗談でもそんなこと言っちゃ駄目だっての……ッ……」

 

 ビクッ、と下腹が大波を打った。

 カオルは衝撃に耐えるように、ぼくの上でまただんごむしになった。途端に膣が熱くなり、ジワッと新しい粘液を分泌する。

 

(重症だね……)

 

 こんな勘違い野郎のリップサービスにも反応してしまうほど、カオルはぼくに参ってる。でも――

 

「本気だよ。カオルなら」

 

 もしくは、深山楓。

 ぼくはその言葉を飲み込んだ。

 

「あああ……ウソウソ、ツッ……くぅぅぅう!」

 

 動いてない。それでも、カオルの子宮は弾けるようにして絶頂を繰り返した。

 

 世界で一番、ぼくのことが好きな女の子。

 

 ――おそらく。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

永遠のはじまり1

 この年の春。

 桜の舞い散る庭先で、要(カナメ)の叔父は首を吊った。

 叔父にとっては兄に当たる要の父と祖父とが発見した時、叔父の身体は既に死後硬直が始まっていて、庭から運び出される様は、棒杭か梯子のような縦長な何かが持ち出される様子に似ていた。

 

 叔父は46才。男盛りと言っていい年齢だが、結婚はしていなかった。

 

「叔父さん、いい人はいないの?」

 

 要がそう問うと、少し困ったように笑う。

 

 叔父の突然の自殺の原因は分からない。

 

 生前の叔父は少し痩せていて優男の風貌。獣医をやっていて、結婚の引く手はあまたあった。最期まで独り身を通した理由は要には永遠に分からず終いになる。

 要の母がポツリと呟いた。

 

「……やっぱり、あれが傷だったんだねぇ……」

 

 粛々と行われる葬儀の中、胡座をかいた姿勢で、ぼんやりと叔父の遺影を見詰める祖父は、何だか一気に百歳も老け込んだように見えた。

 その祖父を横目に、要は母に問い掛ける。

 

「……傷ってなに?」

 

「……」

 

 母は険しい表情で首を振るだけで、その問いに答えることはなかった。

 

 と、そのとき。

 玄関の辺りで大きな物音がして、一人の女が部屋に突っ込んで来た。

 

「――!」

 

 その仰々しさに要は慄き、母はギョッとして目を剥き、僅かな間に百歳も老け込んだように見える祖父は大口を開けてポカンとして――

 

 女は化粧の途中だったのか、マスカラを瞼に片方だけ引いていて、その表情は歪んで見える。

 全体的に派手めの化粧。おそらく水商売をやっている夜の女。要の感性では『醜い』。電線が走りまくったストッキングを履いた足は素足で親指の爪は割れていた。着の身着のまま、報せを聞いてすぐに飛び出して来た、というような有り様だった。

 

 とてつもなく嫌な予感がして、要は叫び出しそうになった。

 

 ――沈黙。

 

 震える声で、女が言った。

 

「人殺し」

 

 その言葉に答える者はなく。

 耳に痛いほどの静寂の中、祖父が畳に額を擦り付けるようにして土下座した。

 

◇◇

 

 要が生まれる前の話になるから、それは20年以上昔の話になる。

 若い頃の叔父とその女は深い関係だったそうだ。

 叔父は真剣に結婚を考えていたが、女の素性の悪さと水商売勤めを理由に、当時の祖父は頑強に反対したようだった。

 女は潔く身を引き、姿を消した。

 

 後には寂しそうに笑う叔父が残った。

 

 何処かで聞いたような、そんな昔話。

 

◇◇

 

 女はそれきり喋らなかった。

 叔父が自殺した原因は分からない。

 女が騒いだところでそれは変わらないし、時間は戻らない。死んだ人間も生き返らない。

 

 要がこの一件をクソだと思う理由は、この場に自分が居合わせたということだ。現実という名のクソゲーは決定的な出来事が起こった後も続くのだ。

 

 土下座の姿勢で動かない祖父。

 

 女は立ち尽くしたまま瞬き一つせず、困ったように笑う遺影の叔父を見詰め続ける。

 

 皆、黒一色の喪服で身を固める中、着崩した派手な衣装の女はとてつもない違和感を放っていた。

 それでも葬儀は続く。

 酷い冗談だった。現実というクソゲーにスキップモードは存在しない。

 女は口元を歪めた表情で笑っていた。目元には僅かな皺があり、もうあまり若くないことを物語っている。マスカラの混じった黒い涙を流す様は異様の一言に尽きた。

 

 だが、この女が、この場の誰よりも叔父の死を悼んでいることは疑いようのない真実だった。

 そして誰もがこの女から目を離せない。女の流す切実な涙から目を離せない。深刻な『愛』に視線を奪われる。

 詳しい経緯は分からない。要はそれに興味はないし、無理をして知りたいとも思わない。彼女には彼女なりの事情があったのだろうと考える。

 その上で思った。

 

 

 ――馬鹿な女。

 

 

 この女は傷ついたのだ。

 たった今、永遠に治ることのない傷を負ったのだ。

 叔父のことは知らない。女の要に分かるのは女のことだけだ。

 

◇◇

 

 

 ――本気だったら、全部捨てて行かなきゃ嘘なんだよ。

 

 

◇◇

 

 七月某日。

 

◇◇

 

 それらは、最初の内、ごちゃ混ぜになっていて気付かない。年を経るごとに選別されていく。そして気付いた時はもう遅い。何もかもが手遅れになってしまっている。

 新城馨は言った。

 

「ダイヤもサファイアも真珠もある。ただの石ころも……」

 

 かつての彼女は、それらのごちゃ混ぜになった原石の一つだったのだ。

 

「だから、わっかんねーんだな。これが……」

 

 葛城瞳子はいつになく真剣な表情で話を聞いている。

 その瞳子の耳元で、佐藤夕子が囁くように言う。

 

「何、カオルさん、語っちゃってさ。ちょっと鬱入ってんの?」

 

 馨といえば、クラスメイトの小さい少年に夢中で、最近は上機嫌でいることが多かったから、夕子としてはそれがちょっと恐ろしい。

 

 くわえ煙草の馨は、立ち上る紫煙をぼんやりと見詰めていたが、気紛れを起こしたのかフラフラと手を振って、付いて来るなの合図をして――校舎の屋上から出て行った。

 ガチャンと金属の扉が閉まるのを待って、夕子は口を開いた。

 

「行っちゃった」

「新城センパイ、これから補習なんだよ」

「ああ、それで。御影さんとできないから……」

 

 瞳子は片方の眉を上げ、思い出したように言った。

 

「そ、あたしは御影さん捕まえるように言われてるからそろそろ行く」

「あたしも行く。――瞳子、ガム食べる?」

「……」

 

 いつもなら、「いらない」と連れなく言って去るのが二人の定番のやり取りだったのだけれど、今日の瞳子は気分が違うのか、ピタリと足を止めた。

 

「C作……一枚……いや、二枚ちょうだい」

「オッケー」

 

 佐藤夕子と葛城瞳子は同級生。知り合ったのは馨を通してだが、それなりに仲はいい。

 

「御影さんてさ、あたしのことCCサトウとか言うの」

「新城センパイもSHINJOYとか呼ばれてたし。あたしたちのことが――」

 

 ――嫌いなんだよ――

 

 瞳子はその言葉を飲み込んだ。

 二人は肩を並べて歩いた。

 夕子が言った。

 

「カオルさん、御影さんと居るようになって落ち着いて良かったよ。以前は――」

 

 そこで、瞳子が遮るように口を挟んだ。

 

「今回、新城センパイの赤点二つだけだってさ」

「へえ! ホンとに!?」

 

 よほど驚いたのか、夕子は鼻息を荒くして捲し立てた。

 

「カオルさんが進級できたのは、この学校の七不思議の一つだよな!!」

 

 活発そうに見えるショートカットの髪をかき上げ、瞳子はクスッと笑った。

 

「まったく。春休み前はホンと酷かったよ。山ほど補習のプリント抱えてさ、八人がかりで必死にやって……」

 

「ホンとホンと!」

 

 二人は一頻り笑い、その後で夕子が溜め息混じりに呟く。

 

「けど、今日は久々の鬱モードで語っちゃって。かといって荒れてるワケでもなかったし。いったいなんだったんだろ……?」

 

「う~ん……」

 

 瞳子は唇を撫でながら、考え込むというより、少し迷う素振りを見せていたが、ややあって答えた。

 

「……多分だけど、新城センパイ、自分の可能性みたいなの見ちゃったんだよ」

 

「……?」

 

 どうやら難しい話のようだ。夕子は、そばかすの浮いた頬を軽く掻いた。

 足を止め、瞳子は首を振った。

 

「……あたしらの回りって、皆、似たり寄ったりじゃん? 会話は誰それセンパイがどうとか、暴走族の誰がどうとか……中身スッカラカンで、いつも似たような話ばっかして……馬鹿やって……」

 

「……何、それ? カオルさん、そんなこと一言も言ってないじゃん」

 

「はぁ……」

 

 と瞳子は大きな溜め息を吐き出して、呆れたように首を振って見せた。

 

「C作は……今の自分に満足……変わりたいって、思わない……?」

 

 ――小学生、中学生の内は、皆一緒くたになっていて気付かない。

 頭のいいヤツ、馬鹿なヤツ、スゴいヤツ、つまらないヤツ、悪いヤツ、真面目なヤツ。全員、一緒だから勘違いしてしまう。――これからも、ずっと一緒なのだと。

 本当は違う。

 選別はもう、とうに始まっている。そして、一度振り分けられてしまえば、道は別れる。これがどういう意味を持っているか。

 漠然とだが、未来のことは考える。その瞳子にとって、馨の言葉はあまりにも苦く聞こえた。

 

 ――御影悠希は、馨や瞳子の回りにいる誰ともタイプが違う。

 

 皆が煙草を吸い、馬鹿話に明け暮れる旧陸上部の部室で、単語帳を捲ったり教科書に何やら書き込んだりしている悠希が、ヤンキーの馨と一緒にいる。

 本来は住む世界が違う二人。

 その二人が一緒にいて、その事実がどれだけ貴重なのか。稀少なのか。馨は、そういうことを言っていたのだ。

 ――当然なんかじゃない。

 馨がある種の事実をねじ曲げ、悠希をそこに縛り付けているということに、葛城瞳子だけが気付いていた。

 

◇◇

◇◇

 

 放課後の空き教室。

 馨はクチャクチャとガムを噛み鳴らしながら物憂げに窓の外を見つめている。

 

 ――新城さん、今回のテストは頑張りましたね――

 

 担任の坂本敏江の言葉だが、嬉しくも何ともない。

 新城馨の18年の短い人生経験の中で、『教師の言うことは聞かない』というこだわりがある。

 

 同じように補習にやって来た生徒が周囲に数人居るが、馨は構わずその場に唾を吐き捨てた。

 隣の席に掛けていた女子生徒が嫌悪の混じる非難の視線を向けて来るが、馨がぎろりと鋭い視線を向けると、慌てて目を逸らした。

 

 ――最近、御影くんと仲がいいみたいですね――

 

 坂本敏江のことが大嫌いだ。

 顔は笑っていたが、内心はニコリともしていない。馨がそこに、悠希と一緒に居るのはおかしいと言っている。

 

(クソババアが)

 

 ムシャクシャする。

 

 ――御影くんのお陰ですか――

 

 期末試験の山を張ったのは悠希だ。

 勉強を教われば、悠希はきっと小馬鹿にしてくると思っていたが、そんなことはなかった。やらない、考えないということは軽蔑しているが、分からない、知らない、ということを馬鹿にしなかった。

 いい子だ。

 つくづくそう思う。

 

 親しげに振る舞って、実際は探りを入れている坂本敏江が、大嫌いだった。

 

 ――ユキ、卒業しても会える?

 

 悠希は、なに言ってんだコイツ、という顔をしている。

 言った。

 

「卒業したら、新城とはもう会わないよ」

 

 …………………………

 ……………………

 ………………

 …………

 ……

 

 ここまではバレーボールが助けてくれたが、別れてしまえば、それきりだ。

 

 選別はもう始まっている。

 

 バレーボールのない新城馨は、ただのガラクタだということを、他でもない馨自身が誰よりも理解していた。

 

◇◇

◇◇

 

 この高校は文武両道を校是としており、補習は一般生徒と運動部に所属する生徒に向けた二クラスに分けて行われる。馨は一般生徒対象の補習に振り分けられた。

 この学校の『一般生徒』は、基本的には短大や専門学校、大学に進学する。補習を受けるのは馨のような就職組が殆どだ。

 周囲は見慣れた顔ばかりだが、去年と比べて随分減ったように思う。その中には馨のような元『B特』も一人いたのだが、姿は見えなかった。

 机に座ってやる『お勉強』は得意じゃない。今はもう姿が見えないその生徒も、馨と似たような感じの生徒だった。

 頑張らなかったワケじゃない。授業料半額とはいえ、その他の優遇は取り払われる。運動部向けの補習を受けていたとしたら、そうはならなかっただろう。

 学校側としては、自然な流れで不用品を処理できるシステム。

 

 ――この学校が、大嫌いだ。

 

 例えば、すました顔の坂本敏江の尻を思い切り蹴飛ばしてやれば、どれだけ胸がスッとするだろう?

 つらつらと考える馨の頬に不吉な笑みが浮かんだ所で、横開きの扉が開いた。

 

 現れたのは、白い手袋がトレードマークの生物教師――折笠忍。

 今日は折笠が補習の担当のようだ。ツいてない。

 二十半ばのこの女はボクシング部の顧問をやっているが、いい噂は一つも聞かない。

 気性が荒く、言葉づかいは強面の男性教師より遥かに悪い。潔癖性のこの女が生徒を見る目は側溝の汚泥を見るそれだ。堪らなく不潔なものを見るようなそれだ。

 折笠は集まった生徒を見渡し、詰まらなそうに鼻を鳴らした。

 

「ふん、また減ったな。落ちこぼれ共」

 

 この口汚さにも慣れた。

 無遠慮な視線で面々を見回す折笠と目が合いそうになったが、馨は俯いてやり過ごした。

 

 悠希がいるから、この豚箱生活を我慢してやっている。

 

◇◇

 

 数分後、馨の目前に二十枚の分厚いプリントの束があった。

 馨の場合、英語と数学の2教科。1教科につき10枚ということになる。

 補習は午後6時までの予定だが、到底規定の時間内には終わりそうにない。また適当にやればいいというものでもない。正解率が六割を下回った場合、やり直しになる。

 諦める者も少なくない。

 唯一救いがあるとするなら、自宅に持ち帰ることが許可されていることだ。

 

「――新城、どんな手を使った。カンニングか?」

 

 顔を上げると瞬き一つせず覗き込んで来る折笠忍と目が合って、馨は鼻面に嫌悪の皺を寄せた。

 この安い挑発が曲者だ。

 反応して減らず口を叩こうものなら面倒なことになるのだが……

 勿論、馨は面倒に首を突っ込む。

 

「先生、メッチャ毛穴詰まってる」

「……」

 

 びきりと額に青筋を走らせる折笠が睨み付けて来るが、馨は、ついっと視線を躱し、廊下の方を見やって呟いた。

 

「……あ、国崎……」

「にょっ……」

 

 と、折笠はおかしな呻き声を出しながら狼狽して廊下の方へ視線を送る。

 その様子に、周囲の面々が失笑で応え。

 

「分かりやす……」

 

 馨は、ゆらっと席を立ち上がった。

 身長185cm。ブレザーのポケットに手を突っ込んだまま、見下してこう言った。

 

「……あんま茶々入れてっと、マジでイジメるぞ?」

 

 冷たく嘲笑う。

 

「~~~~!」

 

 生物教師の折笠忍と、馨のクラスメイトである国崎竜也は、付き合って『いた』。

 あくまでも噂だが、馨は真実だと踏んでいる。

 折笠忍は憤慨して眦をつり上げたが、負け惜しみのように鼻を鳴らしてから、白衣の裾を翻した。

 

◇◇

 

 補習は午後4時から6時までの予定。

 補習開始後、間もなくして折笠忍は姿を消した。

 各自、それぞれの課題は決まっており、教員がここに留まる意味は余りない。折笠の場合、やらなくていいことはやらない。その辺りは徹底している。

 折笠が去り、教室から妙な緊張が消えてしまうと、周囲の面々はおもむろに席を立ち始めた。

 見張るものが居なくなってしまえば留まることに意味はない。どこでやっても同じことだった。

 

 手先でシャーペンを回しながら、馨がぼんやりと考えるのは、やはり悠希のことだ。

 関係が始まり、二ヶ月経ったが、悠希の冷たい態度に変化はない。

 

 

『新城みたいなクサマンの性格げろしゃぶ女と、ぼくが付き合うなんてあり得ないよ』

 

 

 自分がどう思われているか知っているつもりだったが、ここまで言われるとショックだ。

 時間を掛けて懐柔するつもりだったが、見込みが甘かった。いや寧ろ、拒絶の傾向は強くなったような気がする。

 このままでは駄目だ。

 しかし、以後の手が思い付かない。手持ちの金も底を尽いて来た。

 金の切れ目が縁の切れ目。

 このままではそうなる日も遠くない。

 力ずくでこの関係を維持する、という考えはない。悠希の過去を鑑みれば最悪の選択だ。そんなことをすれば、秋月蛍の介入を招くことになる。なんだかんだ怒りを露にしながらも、未だ悠希に構い続けているのを見れば当然の成り行きと思われる。

 

 『好き』というだけでは駄目。この関係の維持にはそれ以外のものも必要になるのだ。

 ――変化が必要だった。

 

 周囲の面々が課題のプリントを手に次々と席を立ち、教室を去って行くのだが、思考に没頭する余り、馨は気付かないでいる。

 

「新城」

 

 課題に手を付ける訳でもなく、その場に佇む馨の肩が、ぽんと叩かれた。

 

「うん?」

 

 馨はそちらへ向き直るのと同時に周囲に視線を走らせる、続いて腕時計を睨み付けた。

 規定の時間まではまだあるが、馨とその女子生徒を除き、全員が姿を消している。

 

「なんだ、吉河かよ」

 

 肩を叩いたのは、いつもの溜まり場……旧陸上部部室でよく見る女子生徒だ。

 馨と同じように脱色の繰返しでパサついた茶髪が目に入り、この時はそれが堪らなく不快に思えた。

 

「なんか用か?」

 

 突っ慳貪に問い掛ける馨の眉間に険しい縦皺が寄る。

 吉河が言った。

 

 

「御影ってさ、そんなにいいの?」

 

 

「……あぁ?」

 

 

 馨の受け答えには若干の間があった。

 新城馨の目の届く範囲に於いて、御影悠希に手を出してはならないというのが『部室内』での不文律だ。その辺りは周知させるように葛城瞳子や佐藤夕子(C作)に言ってある。

 瞳子は悠希が気にかかるようで周囲に目を光らせているし、C作に至っては馨に怯えているため従順だ。役割をサボっているとは思えない。

 吉河はヘラヘラ笑っている。

 

「ナリは小さくても、アッチは――」

 

 最後まで言わせない。瞬間、馨は吉河の茶髪を引っ掴み、机に叩き付けるようにして押し付けた。

 

「テメーの汚い口で御影のこと言うんじゃねぇよ」

 

 ごく自然に思った。

 

 ――殺そう――

 

 いつからか制服の内ポケットに忍ばせるようになったそれに手を伸ばすが、指先にその感触がない。

 

 ――新城は女なんだからケンカなんてするもんじゃない。

 

 人気のない教室で、机の上に吉河の顔面を押し付けた格好で馨は固まった。

 

 

『ぼくは、新城を犯罪者にしたくない』

 

 

 悠希に抱き締められ、その小さな胸の中で、『それ』は決して持ち歩かないことを誓ったのだ。

 頭から冷水を浴びたように思った。

 あのときの馨は、なるべく可愛い女でいたい――可愛い女になりたいと、真剣にそう思ったのだ。

 

「…………」

 

 馨は吉河を解放し、散らばった補習のプリントをかき集めて鞄に捩じ込む。その間は無言だった。

 

 吉河は大量の汗を流しながら、引きつった笑みを浮かべている。

 

 早く悠希に逢いたい。

 馨はその事だけを考える。

 命あるものが空気や水を必要とするよりも切実に、馨は悠希を欲している。他のことはどうでもいい。

 

「……今回は勘弁してやるよ」

 

 馨がそう言うと、吉河は泣き出しそうな顔で中途半端な笑みを返した。

 間違いなくビビっている。

 秋月蛍のような一部の例外を除き、誰もがビビる。『ヤンキー』の新城馨には、それだけのポテンシャルがある。

 ふざけてばかりだが、時々は笑えないこともする『ヤンキー』の新城馨という女。

 だが――

 

「み、御影って、スゴくイイんだろ?」

 

「……」

 

 馨は黒目だけをギョロリと動かし、未だ口を動かすそれを見つめる。

 

 馨の脳裡を占めるのは悠希のことだ。怒りの感情ではない。だからこそ、この異常に気付く。

 

 吉河は内股になっていて、膝を少し震わせている。ビビっている。この会話の内容が不吉であることを理解している。

 それでも続ける。

 

「あ、ああああたしさ、すっげえいいネタ持ってんだ」

 

(見逃してやる、つったのに、しつこいな……)

 

 馨は、イラっと来た。

 そもそも素行はよろしくない。素質は充分あった。バレーボールを辞めてしまってからは、打ち込む時間も充分あった。

 その期間のことは間違っても悠希に知られたくない『ヤンキー』の新城馨という女。

 馨は動きを止め、首を傾げた姿勢で吉河に向き直った。

 

「……下らねぇことだったら殺すぞ……?」

 

 悠希のことを考えているせいか、苛立ちよりも違和感の方が強い。結果としてそれが馨の足をこの場に引き留めている。

 

「こっ、ここここれ見てよ」

 

 吃りがちに言う吉河が、胸ポケットからスマホを取り出す。

 

 『動画』が始まった。

 

 

◇◇

◇◇

 

 

「新城、こっち向いて」

 

 何時も冷たく連れない少年だが、時々は気紛れを起こしたように真逆に振る舞うことがある。

 

「……元はいいのに」

「元は、ってなんだよ」

 

 ムッとして眉間に皺を寄せる馨に、悠希は言う。

 

「……ちょっぴり怖い。でも、ちょっぴり可愛い」

 

「……」

 

 可愛い女になりたい。

 

 例えば、もっと小さくなりたい。できるなら、悠希より小さくなりたい。がさつな性格も直したいし、おしゃれにも気を遣いたい。もっと色白になりたい。本当は髪も伸ばしたい。

 けど、実際の馨は自身の体格に合う服を見つけるだけでも難儀していて、中学生の弟には女形の巨人と呼ばれている。男勝りと言ってしまえば聞こえはいいが、実際は、がさつで態度が悪いだけだ。肌は陽に焼けて褐色で、脱いでしまえば胸と尻だけが妙に白い。髪もあんまり長くない。伸ばそうにも、毛先が修復不能なほど傷んでいて、理容師には切ったほうがいいとまで言われた。

 

◇◇

 

 ……秋月蛍は色白の肌をしていて、伸ばした黒髪は艶やかで、下ろせば背中の中ほどまである。

 快活そのものの性格をしていて男勝りだが、女を忘れている訳じゃない。立ち振舞いには何処かしら気品のようなものを感じる。笑うと頬に笑窪ができる。

 

◇◇

 

 負けたくない。

 

◇◇

 

 男は他にもいっぱいいる。だから――

 

 悠希以外の所に行って欲しい。

 

 秋月蛍だけじゃない。女は全員何処かに行って欲しい。

 

◇◇

 

 右手に掴んだ吉河の傷んだ髪の毛が、メシメシと嫌な音を立てた。

 

 動画の中の悠希は衣服を全て剥ぎ取られ、傷だらけの身体を抱き締めて震えていた。

 

 長い廊下を、髪が千切れる音を立てる吉河と行く馨の胸の内は、激情の熔岩を流し込まれたかのようだ。

 

 吉河は動画を使って悠希を脅すように言って来た。

 

 進学予定の悠希には効果的かもしれない。そう思った自分が堪らなく嫌だった。

 気分が悪い。

 吐きそうになりながら、馨は懐を探って自分のスマホを取り出す。

 

「……C作、5分以内に『部室』まで来い」

 

 押し出すようにそれだけ言って、通話を切った。

 今すぐ何かを壊したい。

 馨は制御不能な破壊衝動に駈られ、手に持った吉河を無茶苦茶に引っ張り回した。

 

 吉河が短い悲鳴を上げる。

 

 頭が痛い。

 

 悠希には嫌われている。蔑まれている。卑しい女だと思われている。

 

 違う!!

 

 全身でそう叫びたい。でも、今の馨がそうしたところで、悠希は毛先ほども感じ入ることはないだろう。

 

 世の中、そんなに甘くない。

 

 馨の恋は、とうの昔に行き詰まっている。

 

 何度身体を重ねようと、想いを募らせようとも、この関係が変わるなんてことはあり得ない。

 吉河が半泣きで呻いた。

 

 

「なんでそんなに怒るんだよ……御影が2000円て決めたのオマエだろ? ……金なら払う……払うから……」

 

「――つっ! 黙れよ! 黙れ!!」

 

 

 狂ったように馨は叫び、右手に掴んだ吉河を遮二無二振り回した。

 耳障りな呻き声を上げる吉河と、ヤンキーの新城馨は、何も代わり映えしないゴミクズだ。吉河は知らず知らず、その真実を馨に突き付けたのだった。

 

 

◇◇

◇◇

 

 

 葛城瞳子とは別校舎で別れた。

 夕暮れ時の校舎は、陽に焼けたコンクリートの匂いがする。

 夕子たちが通うこの高校は、近隣では有名な部類に入る進学校の一つ。馨のような落ちこぼれ組にとって、その敷居の高さが問題になる。進学校卒であるという事実が足枷になり、就職事情はよくない。

 夕子も馨と似たようなものだ。未来はそんなに明るくない。なるべく考えないようにしている。来年一年間は馬鹿をやって、それから……

 

 それから……

 

 

 ――C作は……今の自分に満足……変わりたいって、思わない……?

 

 

 何も思わない訳じゃない。ちょっと考えたくないだけ。

 

 夕子は眩しげに夏の日射しを睨み付け、それから仏頂面になった。

 

 葛城瞳子は、馨や夕子のことを気にするより前に、自分のことを考えた方がいい。

 瞳子の場合、馨や夕子より家庭が裕福で進路には幅がある。専門学校、大学、望んだ道に進むことができる。

 しかし、それは両親の敷いたレールを進むなら、という話だ。その場合、瞳子は自分で結婚相手を見付けることはできない。進路どころではなく、人生まるごと敷かれたレールを進むことになる。

 

 

「そんな人生ならいらない」

 

 

 そう吐き捨てた瞳子だったが、具体的な指標を持つ訳ではなく、視線は頼りなく揺れていた。

 葛城瞳子はまだ若く、自分の人生を見出だすのに今少しの時間を必要としている。

 誰もが揺れる。

 身体は大きくなっても、自らの人生の決断をするにはまだ早い。それは恐らく、馨なんかもそうだろう。

 夕子はそんなふうに考える。

 未来のことは、誰にも分からない。

 そんな夕子が将来、何者になるかなんて分かりっこない。進路をどうすればいいのかなんて分からない。

 

 夢は? と聞かれれば『アパレル店員』と答える佐藤夕子という少女。

 

 茜色に染まった校舎は、夕子の目には少し滲んで映った。

 

 今の馨は上手くやっている。

 黙り込み、鬱屈した表情で苛ついていた去年とは大違いだ。よく笑うようになったし、優しくなった。以前ほど怖くなくなった。

 

(……御影悠希……)

 

 この少年に何かあるということは分かる。瞳子なんかは、

 

「あたしらの回りにはいないタイプの人だね」

 

 などと言っていたが、夕子から見た悠希は、なんというか、陰がある。

 ……秘密がある。

 夕子は特別男女関係が豊富という訳ではないけれど、この手のタイプは不味いと思っている。対象を闇雲に魅きつける何かがある。狂おしい何かを感じる。

 だから――

 馨に任せるのがいい。

 もう『本気』になっている馨に任せるのが一番いい。全てを捨てる覚悟のある馨だからいい。

 

 

 

「……で、よいこ持って行ったのね。食い付き抜群だった」

「あの人、ミルクの匂いしそうだよね」

 

 

 

 馨の『本気』が状況を引っくり返すのは時間の問題だ。

 

 

「……なんか知らねーけど、すっげー素朴な話聞きたがるのね。あたしの婆ちゃんとこのド田舎の話とか。花が咲いたみたいに笑っちゃってさ……」

「あ~、見た見た。あれ見て新城先輩がハマるのも分かった気がしたし」

「そうだよ。あの人、笑えるんだよね……中々笑わねぇから気になってたけど」

 

 

 何時もの校舎裏。上級生が集まる旧陸上部部室を避けた1、2年のヤンキーは大抵がそこに集まる。

 夕子がボンヤリと考え事に沈む中、馨の取り巻きを含めた複数人が思い思いの会話を交わしている。そのこと自体は特別変わったことではない。

 

 

「そういえば、アホの皆川とゲス霧島が言ってたアレって……」

「それなら瞳子が調べるって言ってたし」

「あー、瞳子なら正面切って御影さんに聞けるし任せていいっしょ?」

「そうそう、御影さんに『ウリやってますか?』って」

 

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

「はぁ!?」

 

 その言葉を聞き咎め、夕子は目を剥いた。

 

「ウリ? はぁ!? 御影さんが売春!? マジで言ってんの!?」

「佐藤はボーッとしてたと思ったら、突然ウルサイね」

 

 応えたのは葉桐 要(カナメ)。

 奥まった場所で二人の1年生を連れて、遠巻きに話を聞いていた女子生徒。2年の中では一番顔が利く。馨が卒業してしまえば、自然な形で彼女がそのポジションを占めることになる、というのが夕子の見立てだ。

 透き通った鼻筋。視線にはナイフの冷たさが宿る。頭も回れば荒事も得意。しかし馨とは違う種類のワルさがある。

 例えば馨なら、薬物はご法度だし、揉め事に男を連れ出すのも禁止している。曰く、クズにはクズのルールがある。しかし、要にはそういう古臭いルールはない。

 つまり、葉桐要はなんでもありだ。

 その要が口を開くと、周囲も口を噤んで成り行きを見守る。

 馨の取り巻きは気分悪そうに、要の取り巻きの二人は眉間に皺を寄せて周囲を牽制するように睨み付ける。

 

「ワタシは御影くんがウってんのガチだと思うな」

 

 マズイヤツに聞かれた、と夕子も煙るような視線を向ける。

 

「……なんで?」

 

 要は肩口辺りで不揃いに切り揃えた襟足を気にしながら、何でもなさそうに答えた。

 

「ちょっと考えたらわかるさ。新城さんと御影くん釣り合ってないだろ? そんな裏でもなきゃ相手しないって」

 

「……!」

 

 要の言葉で場の雰囲気は一気に険悪になった。夕子を含めた馨と仲のいい四人が立ち上がる。

 気にした風もなく、要は言った。

 

「ワタシは興味ないと言えば嘘になるけど、その件に関してアンタらは口固そうだし、葛城みたく空気読めない――」

 

 

 夕子の携帯が鳴った。

 

 

 一触即発の空気の中、夕子は舌打ちしてポケットのスマホを取り出した。

 

「……カオルさんだ」

 

 要が笑った。

 

「いいタイミングじゃん。アンタ、聞いてみな。御影くん、幾らですかって」

「……」

 

 言いたいことは山ほどあったが、今は馨からの着信が優先だ。夕子は一際強い視線を飛ばして、それから電話に出る。

 

「カオルさん?」

 

 沈黙は一瞬。

 すぐ通話を終わらせたかと思うと、夕子は困惑した表情になった。

 

「ヤバい。なんかあった。すぐ部室に来いって……」

「って、瞳子いるじゃん」

「知らねーけど、声が、ちょっと前までのカオルさんだった……」

「……」

 

 夕子の言葉に、要たち3人を除いた4人の顔色が急に悪くなった。

 

「スクランブル(緊急)……?」

 

 夕子は半泣きで首を振る。

 

「分かんないけど、多分。取り合えず、あたしは行くけど皆は暫く待機で心の準備だけしといて……」

 

「……」

 

 馨の取り巻き4人は無言で皆それぞれ苦い表情で頷き。

 

「……?」

 

 事情を知らない要たちは不可思議な表情だった。

 

◇◇

 

 他の4人と別れた夕子は部室へ向けて急いだ。

 校舎裏から旧陸上部の部室まではそんなに遠くない。歩いても3分といったところだ。目的地が見えて来て――

 遠目に、馨が一人の女生徒の髪を引っ掴んだまま、部室内に蹴り込む姿が見えた。

 

 特に後輩の面倒見がよい馨だが、元は短気で非常に怒りっぽい。事が荒事に及ぶとその本性が剥き出しになる。

 単純に腕力だけが売りの落ちこぼれなら、新城馨の周辺はもっと騒がしいはずだ。短所がそれだけなら、見られる顔をしている以上、放っておかない男なんかもいただろう。

 

「新城先輩を女扱い出来るの、ラグビー部のゴリラ野郎くらいなんじゃない?」

 

 というのが瞳子の意見だが、実際連れて来たのはアレだ。

 御影悠希。

 思えば、先の夕子たちの会話の中心はあの少年だった。昨日も一昨日もそうだった気がする。あの葉桐要も『気にならないと言えば嘘になる』と言っていた。

 

 逃れられない大きなうねりのようなものを感じ、夕子はその場に立ち尽くした。

 

 『部室』の中から大きな物音がして、馨の怒号に混じり悲鳴のようなものまで聞こえて来る。

 

「うう……」

 

 夕子は呻いた。

 馨や仲間たちから、どんな目に遭わされるか分からないが、逃げるならここが最後の機会になる。

 夕子は強く首を振る。

 御影悠希は不吉だが、新城馨はそれ以上に恐ろしい。

 腹を括ったのと同時に扉が開いた。

 

「――瞳子!!」

 

 出て来たのは葛城瞳子だ。羽交い締めするようにして茶髪の女生徒を抱え、転がるようにして部室から飛び出して来る。

 叫ぶように言った。

 

「C作、手伝え!」

「手伝うって何を!? 何があったんだよ!!」

「見たら分かるだろ!? 新城先輩は御影さんが抑えてるから今のうちに――」

 

 そこで、瞳子は途方に暮れたように黙り込んだ。

 力の抜けた腕から離れた女子生徒が地面に倒れ込む。

 

「……」

 

 夕子も黙り込んだ。

 馨の『いつもの』やり口なら、この茶髪は拉致って全裸に剥いて私刑といったところだ。

 

 新城馨は元『B級特待生』だ。バレーボールをやっていた頃なら、この程度のヤンチャは学校が何とかしただろう。実際、去年までは何とかしていた。だからこそ、新城馨は未だに高校生をやっていられるのだ。

 特別待遇の者が甘やかされ、それ故に増長して問題児になるケースは珍しくない。馨はその典型だった。

 

 姉御肌で確かに頼り甲斐はある。しかしその反面で怒り出すと止まる所を知らない。バレーボールのない新城馨はゴミクズだ。簡単に捨てられない分、本物のゴミより余計にたちが悪い。葛城瞳子も、佐藤夕子も、本当にそれをよく知っていた。

 

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 

 ――校舎裏――

 

 夕子と瞳子を含めた馨の取り巻き4人。計6人は途方に暮れていた。

 誰かが言った。

 

「……こいつ、どうすんの?」

 

 目の前に、馨に張り倒された茶髪の女子生徒が転がっている。吉河瑞希という名前があったのだけれど、この場の誰もそれを知らない。顔は知っているという程度。

 

「……『いつもの』やんのかな……」

 

 瞳子は力なく首を振った。

 

「それはヤバい。さっきからコイツ、目ぇ覚まさないし、このままじゃまずい」

 

 誰かが言った。

 

「……御影さんに入ってもらおうよ。あの人の言うことなら……」

 

 夕子は尤もそうに頷いて、それから大きな溜め息を吐き出した。

 

「御影さんなら、カオルさんとヤッてる。声が聞こえて来たから、コイツここまで連れて来たんだよ」

 

 その言葉に、周囲の面々は泣き出しそうな顔になった。

 疲れたように瞳子が言った。

 

「……新城先輩抑えてもらってるだけ御の字だし。御影さん巻き込むの、あたしは反対……」

 

 御影悠希は一般生徒だ。しかもどちらかというと優等生の部類に入る彼のことを前面に押し出すのは躊躇われる。

 

「じゃ、どうすんの? コイツ、このままだったらマズイんじゃね?」

 

 気絶したままの吉河は、この短時間の間に顔が倍近くまで腫れ上がっており、左耳の孔から出血している。

 

 ――死ぬかもしれない。

 

 ピンポン玉のように弾け飛ぶ吉河の姿を直に見た瞳子は、険しい表情でその言葉を飲み込んだ。

 

 

「先公に突き出す」

 

 

 口を開いたのは葉桐要だ。

 

 良くも悪くも瞳子たちは強力なリーダーである馨の存在を欠き、纏まりに欠けている。

 要は続ける。

 

「新城さん、やり過ぎたね」

 

 身長185cmを超える馨は、女子とはいえその腕力は超高校級だ。

 シャギーの入った前髪をかき上げ、要は眉をひそめる。

 

「リスクの問題さ。コイツが万が一にも死んじまったり、障害が残るような怪我ならまずい。新城さんを怒らせるよりよっぽどね」

 

 瞳子は激しく舌打ちした。

 

「葉桐、なんでオマエがいるんだよ。すっこんでろ。それとも、オマエは責任取れるのか? あぁ?」

 

 要は鼻を鳴らした。

 

「ああ、ワタシが責任取るよ。新城さんには葉桐がやったって言いな」

 

「……!」

 

 堂々とした宣言に、周囲はグッと引き下がる。

 ――皆、ホッとしてしまったのだ。

 それが原因で馨が退学になってしまっても、葉桐要が責任を取るから大丈夫だと。

 その心理を見越して、要は嘲笑った。

 内心で呟いた。

 

(そんなことだから、お前ら全員ザコなんだよ)

 

 要は顎で吉河を指し、背後で顔色を青くしていた1年生二人に命令した。

 

「ソイツの持ち物、浚(さら)え」

 

「……」

 

 瞳子は苦虫を噛み潰したような表情だった。

 

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 

 青ざめた表情の下級生二人が、吉河瑞希の所持品を浚っている。要は煙草をくわえ、その様子を横目に見つめる。

 

「財布に名前が分かるモノあるだろ?」

 

 下級生の一人が財布を抜き出し、そこから学生証らしきカードを取り出す。

 

「……吉河瑞希」

 

 要は頷いた。

 

「それ押さえといて」

 

 続いて出てきたのは携帯電話だ。手酷く扱われたのか、画面部分が割れ砕け、油っぽい液体が滲み出している。

 

「貸して」

 

 要はくわえ煙草のまま、吉河の壊れたスマホを受け取ると、手早くSDカードを抜き出して自分のスマホに差し込む。

 

「なんかあるかね……」

 

 『動画』が始まる。

 

◇◇

 

 誰にも知られたくない秘密というものがある。

 要は、がりがりと額部分をかき毟りながら、『秘密』を食い入るように見つめる。

 

 

 ――すげー、ケン〇ロウみてーだ――

 

 

 全く面白くなかったが、要は声を上げて笑った。

 

 本格的にムカついた。

 

 この瞬間まで、御影悠希は可愛い小動物。愛想なし。幸薄い感じがちょっぴり気にかかる少年。年上と知ったときは驚きに言葉もなかった。

 

「おい、葉桐。どうした?」

 

 葛城瞳子が何か言っているが、言葉が遠い。

 要はガリガリと額をかき毟りながら、瞳子にスマホを押し付けた。

 

 ここより、永遠のはじまり。

 

 訝しむような表情をした瞳子が、再び『動画』を再生する。

 

「……ぅ」

 

 と瞳子が呻く。

 黒曜石のどんくりまなこが見る見るうちに涙で潤み、眦に筋が伝う。

 

 ここより、永遠のはじまり。

 

 皆、驚いてスマホのスクリーンを覗き込む。

 

 誰かが苛立ちに唾を吐き捨てる。

 誰かが苛立ちに激しく舌打ちする。

 誰も笑わない。

 

 ここより――

 

 永遠のはじまり。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

永遠のはじまり2

 ――とんでもないヘマをやらかした。

 

 神経を灼熱させた怒りが冷めきってしまうと、馨は激しい後悔に襲われた。

 膝枕の感触は柔らか。髪をすく指先は細く、傷んだ毛先まで癒されているような気がする。

 ――やってしまった。

 悠希の前で実力行使することだけは避けたかった。でも、同じことがあれば、馨はやはり同じように実力行使するだろう。

 ――終わりかもしれない。

 そう思うと馨は泣きたい気分になった。

 すがり付いて泣きを入れたら、一度くらいは許してもらえるだろうか?

 悠希が言った。

 

「カオル?」

 

 いつも通り、セックスは目茶苦茶よかった。あれほどの怒りを押し流し、精神状態をフラットにしてしまう魔法を馨は知らない。

 膝枕の感触を楽しみながら、固く目を閉じて馨は夢想する。

 初めて名前を呼んで貰えた。

 

「カオル、寝たの?」

 

「ぁ、いや……そうじゃないけど……」

 

 ばつが悪そうに応えを返す馨は、心配そうに見つめる悠希の中に小さな違和感を覚えた。

 

「今日は、いったいどうしたのさ」

 

 舌打ちして、馨は目を逸らした。

 

「ちょっとムカついただけ」

 

 ぶっきらぼうに言って、馨は内心で頭を抱える。

 吉河が『動画』を使って悠希を脅すように言って来たことを話せば、分かりやすい事情の説明になるだろう。でもそうすれば。

 

「……そう」

 

 思わしげに視線を伏せる悠希を見つめる。

 事情を説明すれば必ず悠希は許すだろう。でもそれはどうしようもなく躊躇われた。

 頭の中は、白と黒の馨が激しくやり取りしている。

 

 黒のデビルカオルが言う。

 

 ――言っちまえ。むしろ感謝してくれるぜ!

 

 白のエンジェルカオルが言う。

 

 ――口が裂けても言うな! これは『コッチ』で始末するんだ!!

 

 馨の心は白と黒の間で揺れていて中途半端。そもそも、吉河をここに連れて来たのは過ちでしかない。それでも連れて来てしまったのは、きっと認められたかったから。

 変わらない『何か』を変えたくて、カオルはこの愚挙に出たのだ。

 

 ――言っちまえ。むしろ感謝してくれるぜ!

 

 その考えの方がしっくり来る。でも――それでも――

 馨は口を噤んだ。

 

 ――馬鹿じゃねえの?

 

 その内心の思いを、馨は鼻で笑って捩じ伏せた。

 一方の悠希は……

 

「ぁ……」

 

「……?」

 

 何故か、すごくやりづらそうに見える。

 

「……ぼくが、関係ある?」

 

「いや……?」

 

 鋭い。口では平然と流したが、その勘のよさに馨の心臓が一つ跳ねる。

 

「……」

 

 悠希は黙っていて、それでも指先は優しく馨の髪を梳きすかしている。長い睫毛は憂いに揺れていて――

 

 ――バレてる。

 

 勿論、明確な理由までは分かってないだろう。しかし、馨が悠希の為にそうしたということだけは――バレているような気がする。

 

 明確な何かが変わったことを理解して、馨はゴクリと息を飲む。同時に内心では冷たい汗を流した。

 たまたまだ。今回は、偶然上手く行ってくれた。この場から悠希が逃げ出したとしても、何の不思議もなかった。何より――

 危険すぎるカオルのこの激情が、悠希に向かっても何の不思議もない。

 結果こそ良かったものの、カオルは慢心せず、更に覚悟を重くする。『ルール』が重くなる。

 万が一にも悠希を傷付ける訳には行かない。

 万が一にも悠希を傷付けてしまったら、カオルの恋は嘘になる。

 最強、最悪の敵は、他ならぬ『新城馨』である。カオルがそれを痛切に思い知った出来事だった。

 

 

◇◇

◇◇

 

 

 山あり谷あり。平淡な道ではないが、そこから先は順調だった。

 学校以外でも会ってくれたし、家に来てもいいと許可も出た(!)。この恋に馨は山ほどのルールや条件を設定している。初フェラの最中、詰られるというトラウマものの艱難もあった。泣きが入ることも度々あったが、それでも順調と言えた。

 

 馨はこの恋に忙しい。『動画』の方は、葛城瞳子と葉桐要に任せてある。

 

 ……瞳子は『男』に嫌な思い出がある。本人はなるべく意識しないようにしているようだが、抱いた嫌悪感は根深いものがある。清潔感があり、何処か少女めいた容姿の悠希に対しては安心できるのか好感を持っているようで、『動画』の存在には強い怒りを露にしていた。

 馨は複雑だった。

 瞳子には覗きの前科があり、悠希に並々ならぬ興味を持っていることも分かっている。油断ならない存在ではあったが、一方で信用できる。本当におかしなことで、馨自身にも説明は難しいのだが、瞳子の存在が悠希に深刻な害を及ぼすと考えられない。理屈ではない部分が囁きかけるのだ。

 『悠希を傷付けない』という一点に於いて、馨と瞳子とは認識を共通している。

 

 葉桐要に関しては今のところ判断を保留している。

 吉河瑞季を学校に引き渡したまではいい。馨は吉河の死を痛切に願ってはいるが、実際に死なれては困る。流石に殺人は気が引けた。判断は適切だった。『動画』を見たのでなければ礼の一つでもしたかもしれない。

 

 『動画』が馨のグループに投げ掛けた影響は少なくない。

 吉河の惨状にビビっていたのが、皆憤慨して状況の説明を求めて馨に詰め寄って来る始末だ。

 特に過疎が原因で田舎から出て来た神木栞の怒りは激しい。彼女の場合、田舎から出て来て高校に進んだのはいいが、入学当初は中々新生活に馴染めず、それが原因でクラスの女子グループからいじめを受けていた過去がある。その境遇から思うことがあるのだろう。涙すら浮かべて憤慨していた。

 

 しかし、馨にとって悠希の過去は簡単に話してしまってよいものではない。

 

「べらべら喋っていいことじゃねーんだ。察してくれると助かる」

 

 皆、納得したとは到底言い難い表情を浮かべたが、その返答は道理であった為、渋々とではあるが引き下がった。

 

 『動画』を見てしまったのが葉桐要だけなら、馨は手っ取り早く暴力でカタを着けただろう。

 援交の斡旋、窃盗、恐喝の示唆……要には色々と良くない噂がある。此方に絡む様子を見せないので放置しているが、それだけだ。クズにはクズのやり方がある。要に遠慮はいらない。やろうと思えばいつだってやれる。だが――

 馨はこの恋に忙しい。

 おそらく自分という女は、今以上に誰かを好きになることはない。悠希を逃してしまえば、これ以上に誰かを焦がれることもない。『動画』の出所を探り、ケリを着けるのは重要なことだったが、誰のために、どうしてそうするのかを思えば、必然的に動画の件は後回しになる。

 暴力を背景に事の真相を探るより、この恋の成就こそが馨にとっての至上だ。『動画』の件にケリを着けるのは他の誰かでも構わないが、悠希と上手く行くのは馨自身でなければならない。

 『動画』の件は瞳子と要に任せる。それで全然問題なかった。

 

 

◇◇

◇◇

 

 

「金だろ」

 

 新城馨が無期停学の処分を受けたその翌日。体育館裏の人目を避けた暗がりで、何でもないことのように葉桐要は呟いた。

 その日は何時もと違う集まり。

 要を中心に二人の一年生。それから神木栞と赤瀬岬の計五人。

 

「……金?」

 

 訝しむように神木が呟いて、その隣で煙草を燻らせていた赤瀬も同調するように頷いた。

 要は続ける。

 

「きっと、どうしようもない事情があるんだよ。そうじゃなきゃ説明付かないだろ?」

「……カオルさんは、その辺の事情知って、それで逆援交してるってこと?」

 

 言って、神木は首を傾げる。

 煙草をもみ消しながら、続いて赤瀬が口を開いた。

 

「理屈としちゃ分かるけど無茶苦茶じゃん、それ」

 

 要は大きな溜め息を吐き出した。

 

「……御影くんって、あれで結構な優等生だろ。仮に、お前らが振り向いて欲しければどうする?」

「そ、それは……」

 

 と赤面して口ごもる神木に変わって赤瀬が自信満々で言った。

 

「好きだって告白すりゃいいじゃん。楽勝」

 

 要は、とんでもない馬鹿を見るような目で赤瀬を見詰めた。

 

「御影くんに? 赤瀬は本気で言ってんの?」

「はん? 御影さんなら甘いモノで釣れるじゃん」

 

 要は再び大きな溜め息を吐き出した。

 

「アレがそんなに簡単そうに見えるの?」

「え、違うの? そりゃ確かに取っ付きにくそうだけど。『よいこ』とか好きだし、餌付けの手間は掛かるかもしれないけど……そうは見えないっつか……」

 

 疲れたように、要は小さく息を吐く。

 

「そんなんじゃ絶対ダメだと思ったから、カオルさんは無茶してんじゃないかって、そういう話だったんだけどな」

「……そうなの?」

 

 と首を傾げる赤瀬の横で、神木は苦虫を噛み潰したような表情。

 

「御影さん、あたしらの名前知ってるかどうかすら怪しい……」

「え、マジ? 結構貢いでんだけど」

「少なくとも、あたしは名前呼ばれたことなんかない。岬のこともジュースくれる女くらいにしか思ってないと思う……」

「んなっ……」

 

 絶句する赤瀬に、にやにやと要は笑いかけた。

 

「そういうことさ。御影くんはワタシらみたいなヤンキーは目に入らない」

 

 そもそも、と要は言葉を継ぐ。

 

「赤瀬と神木は、御影くんをどうしたいの?」

 

「……!」

 

 その言葉に激しく反応して、二人は舌打ちしながらそっぽを向いた。

 その二人に要は言った。

 

「ワタシは――」

 

 自他共に認めるロクデナシの要だが、ちょっとした『こだわり』がある。

 

「ワタシは、御影くんには静かにいて欲しいんだ。あの動画を見て、そう思った」

 

 既に取り返しが付かないほど傷付いている。余計なことはせず、そっとしておいてやりたい。

 この手の相手の信頼を得るには時間だ。とにかく時間を掛けること。それ以外にない。今は見つめるだけでいて、困っているようなら、さりげなく手を差し伸べる。

 

「御影くんのことは、そっとしておいてやりたいんだ。カオルさんのやり方は――」

 

 要のそれとは真逆のやり方だ。相手の内情につけこんで、良心を押し売りしているように見えて気に入らない。いや――

 要はそこで思慮深く考え込むように視線を伏せる。

 

(カオルさん、焦ってんのか……?)

 

 だとすれば、この無茶なやり方に説明が付く。

 現在、馨には強力なライバルがいて旗色はよくない。それは恐らく、一方的と言ってしまってもいい程度には。

 

 要は喋っている途中で、つい熟考してしまったことに気付き、ふと視線を上げた。

 

「……?」

 

 神木栞と赤瀬岬は、要が思ったよりずっと神妙な面持ちで話を聞いている。

 俯き加減で赤瀬が言った。

 

「……確かに、御影さん少ししんどそうだよな……あんま笑わないし……」

 

 神木栞が頷いた。

 

「葉桐に賛成。御影さんにはそういうの似合わない。あの人は、もうちょっとこう……田舎の、静かなトコにいて、暑苦しい夏の夜は浴衣なんか着て、縁側に座って、蚊取り線香焚いて……」

 

 後半は独白の趣がある言葉に、赤瀬が噴き出した。

 

「妄想成分多すぎだろ!」

 

 しかし一瞬後には真顔になって。

 

「でも……脳内再生率100%なんですけど……」

 

 神木栞と赤瀬岬にとって、御影悠希はそういう存在だった。

 色白で幸薄いイメージ。幼く見えるものの容姿は整っていて、何処かしら儚げ。強気な物言いは壮絶な過去を知った今なら、痛々しく映る。

 美人薄命を地で行くタイプ。

 野に咲く花だが、人の手入れが無ければ枯れてしまう。

 

 ハッとした神木がその場を誤魔化すように咳払いした。

 

「と、とにかく! 今の状況は御影さんによくない! よくないんだよ!!」

 

 要は笑った。

 ちょっと気になる相手がいる。この時の彼女らは、その程度の気持ちしかなかったのだ。

 

◇◇

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

 それから三人の話し合いは二時間ほど続き、その内容を要が総括した。

 

「ん……じゃ、結論だすよ。

 先ず――御影くんに手は出さない。……赤瀬は間違っても『買う』んじゃないよ」

「しねーっての。何であたしだけ……」

 

 『買う』ことは最終的に悠希の助けにならない。今は、そっとしておく。――抜け駆けはしない。それは新城馨を敵に回さないということに繋がる。栞と岬には受け入れやすい結論。

 

 ――今は、まだ。

 

「ヤバそうになったら、何気に助け船出す」

 

 栞が言って、それに岬と要が頷く。

 要の予想通り、悠希が金目当てに馨と関係を持っていたとしたら、相手は馨だけに限らない。それは必ずトラブルの原因になる。その時は助ける。ついでに足を洗わせるのが交換条件になる。

 馨とタイプは違うものの、要にはリーダーとしての資質があった。栞と岬の二人は、要に導かれるようにしてその結論に達した。

 そして――

 少し斜め下に視線を向けた要の瞳から光が消える。

 

「『動画』の件はカオルさんに許可されたから、今二人に調べさせてる。……カオルさん、何も教えてくれないから、出身中学から洗ってる。あの『女』も面割れてるし、この学校に居るようなら、その内見付かると思う。こっちは葛城がやる気見せてっから任せてる」

 

「トウコが何か掴んだら、情報回すわ。替わりに御影さんの情報あったら、お願い」

 

 過去、御影悠希は虐待を受けていた。その詳細を知る……知りたい。それは三人の共通した思惑だった。

 話し合いは続く。

 

「……ワタシは別のアプローチしてみる」

 

 先ほどのような朗らかさは一切ない。ごくごく当然のように、要は言った。

 

 

「夏休みになったら、吉河っての拐うから」

 

 

 要の言っていることは、『こっち』の世界では当然のことだ。特に驚いた様子もなく、栞と岬の二人も薄く笑って頷く。

 

 

「その時は、あたしらも行くから」

 

 

◇◇

 

 

 葉桐要には、ちょっとした『こだわり』がある。

 

 既に傷付いている者を攻撃するのは違う。持たない者から奪うのは違う。

 だが――

 馬鹿なヤツは騙しても構わない。奪っても構わない。生意気なら叩き潰しても構わないと思っている。

 

 気分でないこの『こだわり』こそ、要が周囲に一目置かれる所以。二人の下級生が従う理由。要は歳の割に悪徳にまみれているけれど、それなりに『公正(フェア)』なのだ。

 

「……カナメさん、御影くんのこと気に入ってたからね」

「あの人、我慢するタイプが好きだから」

 

 要に従う二人の下級生は、いつもと変わらない様子。

 

「多少ヒネてるけど、あれもカナメさんの好みだ」

「そういう子、笑わせる感じ?」

「そうそう。ああいう子って、本当いい顔して笑うの」

「……悪くない」

 

 いくら装ってみたところで『普通』からはズれている。ズれてしまうから。だから、御影悠希は好ましい。

 

「私たちともシェアしてくれるかな?」

 

 二人は示し合わせたように笑って。

 

「多分ね」

「だよね? 私たち――」

 

 

 ――運命共同体だもん。

 

 

◇◇

◇◇

 

 

 学校内に於いて、一年生と二年生、三年生の関係は隔絶したものがある。

 例えば、御影悠希が売春をやっているということは、三年生のヤンキーの間では公然とした秘密だった。年齢が違う。校舎が違う。受験や就職を控え、考え方が違う。ごく単純な上下関係。違いは色々あるけれど、『三年生』と他の学年とでは、様々な物事が隔絶した関係にある。

 だからという訳じゃないけれど、その一報を受けたときの要の驚きは並のものではなかった。

 

「……御影くんが、やられた?」

 

 何故? いや、それは少し分かる気がする。ハッキリ物を言い過ぎる御影悠希は間違いなくトラブル体質だ。しかし――

 

 

 あんなに傷だらけなのに、何で、どうして、痛め付けることが出来たんだ?

 

 

 ちょっとだけ気に入っている。でも感じた苛立ちは『ちょっとだけ』じゃない。冷酷だが決して残忍じゃない葉桐要の心境は――

 

「こいつは、胸糞だね……」

 

 でも、馨と違って我を忘れるほどじゃない。

 この時は、まだ。

 

◇◇

◇◇

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

「ダメだ。ガード固くなってる。休み時間は深山っていう三年の女といるか、瞳子が張り付いてる」

 

「瞳子はカオルさんの差し金だよね。深山? 誰、ソイツ」

 

「剣女の副主将。地味で大人しそうだけど、時々すっげぇ目で回り見てるわ」

 

 忌々しそうに言って、岬は床を踏み鳴らす。

 

「秋月のことやらないの?」

「御影さんが止めてるから、カオルさんはダメだ」

「そう……」

 

 栞は空を見上げて嘆息する。

 これが岬と栞の問題なら話は簡単だ。やるかやらないかの二択なら、二人は必ず『やる』方を選ぶ。結果は二の次のこと。

 

「……葉桐は?」

「御影さんに任せるって……」

 

 人気を避けたいつもの校舎裏で、二人はやるせない面持ちで口を閉ざす。

 

 

 ――御影さんは、あたしらの回りにはいないタイプの人だね――

 

 

 葛城瞳子の言葉。

 

 やって、やられて、やり返したからやり返されて。悠希はそういった負の連鎖とは無縁の世界の住人だ。

 

(カオルさん、しんどいだろうな……)

 

 御影悠希と新城馨は違いすぎる。だが、いつか。いつの日にか、その連鎖を抜け出して大人になったとき、その時は――

 

「放課後は……」

 

 弱々しい栞の言葉に、岬は胸の前で大きくバッテンを書いて見せた。

 

「無理。カオルさん、学校まで迎えに来た。如月さんも一緒だったし……」

 

「なにそれ……ちょっとくらい……」

 

 

 ――分けてくれてもいいのに。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

永遠のはじまり3

 24時間営業が取り柄なだけの冴えない夜のファミレスでのこと。

 葉桐要が言った。

 

「おさわり1000円、エッチ2000円」

 

「あん?」

 

 よく分からない、というように首を傾げ、赤瀬岬は怪訝な表情になった。

 

「マジ……?」

 

 こちらは驚いたように目を見張り、神木栞は飲みかけたオレンジジュースのコップを静かにテーブルに置いた。

 要は疲れたように首を振った。

 

「本当(ガチ)」

 

「……」

 

 その応えに、栞は忙しなく視線を左右に泳がせ、軽く唇を噛み締めた。

 要が続ける。

 

「3年は、ちょっと口固い」

「……なんで?」

「御影くんと居るようになって、カオルさん、大分丸くなったろ? 以前は野郎相手でも見境なしなとこあったし。関わりたくないってのがあるのが一つ」

 

 要はプラスチックのマドラーでアイスコーヒーをかき混ぜながら。

 

「カオルさんが御影くんに本気なのは見てたらすぐ分かることだし、単純にあの二人を見守りたいってのもあるみたいだね」

 

 そこまでは黙って話を聞いていた岬が、手の甲でテーブルを叩いた。

 

「……2000ってのは?」

「決めたカオルさんに聞きなよ」

 

 突き放すような要の言い様に、岬は両手でテーブルを叩いて席を立った。

 

「……!」

 

 口に出しては何も言わないが、新城馨の価格設定は岬にはすこぶる気に障ったようだ。眦がつり上がり、口元がワナワナと震えている。

 気持ちはよく分かる。

 しかし、要は席を指して煙るような半目で岬を嗜める。

 

「ワタシからも二人に聞きたいことがあるんだけど」

 

「……何」

 

 激しく舌打ちして再び椅子に腰掛けた岬ではなく、こちらは動揺冷めやらぬ様子の栞が応える。

 

「葛城」

 

 要は言った。

 

「アイツ、『買って』んだろ?」

 

 その言葉に、岬と栞は互いに顔を見合わせ、異口同音に答えた。

 

「はぁ!?」

 

 要は口を閉ざして考える。

 葛城瞳子が御影悠希を『買って』いる。二人の様子からして、それは青天の霹靂のようだ。そういうやり方に方向転換した、というのであれば、それはそれで構わない、というのが要の考えだったのだが宛が外れた。

 岬がキリキリと歯を食い縛っている。

 

「瞳子……!」

 

 憤慨する岬だが、栞は口を噤んでいる。

 気持ちはよく分かる。

 要は考える。

 御影悠希の破格。葛城瞳子の行動で均衡が崩れた。神木栞は『買いたい』のだ。だから、赤瀬岬のように怒れない。

 要は深い溜め息を吐き出した。

 

「赤瀬は落ち着きな」

「……!」

 

 大きく鼻を鳴らした岬は、忌々しそうに髪の毛をかき回す。

 

「……それは、あたしらも知らなかったわ。カオルさんに相談してカタ着けさせ――」

 

「……そうじゃなくて」

 

 やはり、要は疲れたように首を振る。

 何度も何度も首を振る。

 

「……二人……っていうか、あんたたちが『そういう方針』なら、ワタシはそれでも良かったんだ。ただ、乗り遅れるのは嫌だし……」

「……どういうつもりで言ってんだ?」

 

 葉桐要は何時にも況して冷静だった。

 一拍の間を置いて。

 

「……御影くんのこと、調べたんだ。ちょっと、ね……」

 

 そして要は語り出す。

 

「御影くん、元はここらのモンじゃない。転校して来たんだよ。

 それ以前のことは分からない。だから、分かったことだけだけど……」

 

「……」

 

 その辺りは、おそらく馨が詳しい。曰く、『べらべら喋っていいことじゃない』。

 栞と岬はそこが知りたい。話の腰を折ることはせず、黙って頷くことで話の続きを促す。

 要は元気が無さそうに頷く。

 

「二人も動画(アレ)は見たろ? 酷い虐待受けてたみたいだ。んで……中学生くらいの時から、殆ど見た目変わってない……」

 

 そこまで言って、いや、と要は首を振る。

 何度も何度も首を振る。

 

「……小学生の頃の卒アル見たんだけど、全然変わってない……」

 

「……」

 

「御影くん、ずっとあのままなんだよ。変わんないんだ」

 

 要の目は潤んでいた。そこには血の通う『人間』の葉桐要がいた。

 言った。

 

「多分、取り返しがつかないような、凄く残酷なことがあったんだ」

「……」

「ワタシは、そういう人間にちょっかい掛けるのは違うと思うんだよ」

 

 気紛れでない葉桐要の『こだわり』が強く警告するのだ。

 御影悠希はまだ子供だ。

 そう思うと理解できる。つまらなそうにしていたと思ったら他愛のないことで笑ったり。無害かと思ったら、とんでもない暴言を吐いてみたり。相手が子供なら、その辺りが出鱈目でも無理はない。

 だがそこが問題なのだ。

 

「……御影くん、必死なんじゃないか?」

 

 善悪の観念に疎い子供のすることだ。保護欲をそそる風貌と悲劇体質がそれに拍車を掛けている。一度でも魅力を感じてしまえば、『売り込み』に抗うのは難しい。

 

「仮に……御影くんが『買ってください』って言って来たら、二人はどうする?」

 

「「……つっ!!」」

 

 栞と岬は露骨に動揺して、視線を左右に泳がせた。

 要は呆れたように首を振る。

 

「それ。そこなんだ。その『仮定』が葛城に実際、起こったとして……」

 

 悠希からでなくともよい。例えば二人きりになる機会に恵まれたとして、『お願い』せずにいられるか。

 

「……二人なら断れる?」

 

 その言葉に神木栞は愕然として真っ青に。赤瀬岬は怒りから頬を紅潮させる。

 対照的な二人組だ。ある意味、面白くもある。岬は思ったより純情で、栞はそうでない。

 栞は俯いて沈黙を選んだが、岬の方はそうでない。憤慨して言った。

 

「そういうハギリはどうなんだ? 断れんのか?」

 

「ワタシ……?」

 

 頭の悪いヤツはこれだから困る。話の流れから理解できないのだろうか。そんなことを考えながら、要ははっきり応える。

 

「ワタシは断れない。今、御影くんと二人きりになれたら、モーションかけないとも言えない」

 

「なっ……」

 

 岬は驚き絶句して、しかし一瞬後には眉間に皺を寄せ、険しい表情になった。

 

「ハッ、なんだよそれ。ハギリは溜まってんのか?」

 

「ああ、溜まってるね」

 

 要は冷静に請け合った。

 

「ワタシが求める条件、全部満たしそうな男子は御影くんしかいない」

 

 一つ、馬鹿は駄目。

 二つ、ヤンキーも駄目。

 三つ、普通も駄目。

 四つ、真面目。

 五つ、根本的には『善』。

 六つ、見た目がよい。

 七つ、『秘密』がある。

 

 その明け透けな答えに、栞と岬の目は点になった。

 異口同音に言う。

 

「「あんた、レズじゃなかったんだ……」」

 

 何時も連れている二人の下級生のことを指して言っている。要はガクンと項垂れた。

 

「……ワタシ、そんな風に見られてたんだね……」

 

 やれやれ、と息を吐いたあと、要は少し自分の『女』について考える。

 

 到底、自分に普通の恋愛が可能だと思えない。葛城瞳子じゃないが、マッチョな考え方をする男は死ねばいいと思っているし、陰のない普通の男には魅力を感じない。レズビアンでもバイセクシャルでもないから、男相手にしか『そういう気持ち』になれない。

 

 ……最初は、ちょっと可愛いと思う程度だった。儚そうな容貌と生意気な態度、馬鹿じゃない所がいいと思っていた。ひねくれていて一筋縄じゃ行かなそうな所もいい。

 

 悠希のことを考えると胸がざわめく。

 誘惑されたら断れるか。今はもう自信がない。誘われたら断るべきだと思っているが、一方で好きにさせてやりたいと思う自分もいる。

 

 思い出すのは、ちょっと寂しそうに笑う叔父のことだ。

 

 ――一人にするべきではなかった――

 

 今では、そんな風に考える。そしてあの、少し老い始めた醜い女の流した黒い涙を、今も忘れられずにいる。

 

 

◇◇

 

 

 この夏、要は忙しい。

 赤瀬岬と神木栞の取り込みは進んでいる。悠希を巡る利害の関係だが、夏休みに入ってからの二人は要たちとつるむことが多くなっている。

 

 夏が終われば就職活動も本番。馨は卒業を控え自然な形で消える。その後、強力なリーダーシップを発揮するのは葉桐要をおいてない。これには暗黙の了解のようなものもあり、このまま進めば、岬と栞の二人は自然な成り行きで要の側に属するようになるだろう。

 ……これで数の上ではほぼ五分。

 新城馨と本気で『やりあう』なら、数だけでも上を行った方がいい。というのが要の本音だ。

 

 そこまで考えて、要は否定するように首を振る。

 

 いつの間にか馨と『構える』事が前提になっているが、それは避けて通りたい。

 

 馨が消えれば、その後は大なり小なりトラブルは起こる。要とは馬の合わない葛城瞳子、それと仲のいい佐藤夕子。この辺りとはその後の影響力を巡ってぶつかる。残り一年を気分よく過ごせるかどうかに於いて、要にとって重要な問題だが、おそらく馨はそういうことに興味がない。だから、これまでの要は馨と敵対しない今のポジションを選んだ。

 

(御影、悠希……)

 

 悠希はどうするだろう。

 もし、助けを求められれば葉桐要はどう動くべきか。

 要には自信がない。

 あの生意気でプライドの高い悠希が自分を頼ってくるとは思えないが、だからこそ、その『もし』が怖い。

 その『もし』が起こったとき、葉桐要は『本気』にならずにいられるか。そのとき、葉桐要は新城馨に対抗しうるか。

 

 

 ――そうなったとき、全て捨てていかないのは、ウソだ――

 

 

◇◇

 

 

 7月も終わりに近付き、夜遅く。

 場所は郊外の公園。

 上流ではダムに繋がる大きな河川。その土手を下り、路面電車が通る橋の下でコンクリートの地べたに、吉河瑞希が全裸になって這いつくばっているという光景を横目に、要は煙草をくわえる。

 

「葛城サンたち、マジでイっちゃってますけど大丈夫ですか?」

 

 吉河瑞希は全身に煙草の火を押し付けられ(俗に言う根性焼き)、打撲痕に至っては無数に見られる。殴打を繰り返された顔面は最早目も開かないほどで、額を地べたに擦り付け、謝罪の言葉を繰り返している。

 それを遠目に。

 

「あぁ、問題ない」

 

 後輩の差し出してくるライターの火に煙草を近付けながら、要は何でもなさそうに言う。

 

「でも、あれって、絶対痕に残りますよ? 事件にならないですか?」

 

「やってるのは葛城たちさ。ワタシは全然問題ない」

 

 紫の煙を吐き出して、要は遠い視線を向ける。

 

「ごぇんなしゃいっ! ごぇんなしゃいぃ!!」

 

 土下座の姿勢の吉河瑞希が泣きながら謝罪している。

 

「あの動画、誰が撮ったァ! ああ!? もう一度言ってみろ!!」

 

 這いつくばった姿勢の吉河の後頭部を踏みにじり、瞳子が喚き散らした。

 

「あっ、あれは中学のとき、御影さんと同じクラスのヤツらが悪のりして撮りましたぁ!」

 

「――んの、クソが!」

 

 叫んで、赤瀬岬が吉河の顔面を思い切り蹴り飛ばした。

 夜の闇にパッと血の飛沫が舞い悲鳴が響き渡るが、折よく通り掛かった電車の通過音に掻き消される。

 

 要はそこから少し距離を取った場所で、二人の後輩に指示する。

 

「あんたらは手を出すんじゃない。全部、葛城たちにやらせるんだ」

「「はい」」

「神木は?」

「……コンビニに行ったみたいです」

 

 答える後輩二人の顔色は良くない。瞳子が主導して行う壮絶なリンチにかなり引いているみたいだった。

 

「そ、あんたらはビビってるフリしてな。後は勝手にしてくれるから」

 

 要はちょっと、だるそうにする。

 この状況を悠希が喜ぶとは思えない。そんな悠希だからこそ、馨は何でもありで恋愛をやっているのだから。

 

「んで……あの動画の最後に映ってたの……」

「黒岩智っていう3年らしいですけど、あれ撮ったんじゃないみたいです」

「……じゃ、どういう関係?」

 

 動画の最後に、これ見よがしに映した素顔。しかもそこで切ってある為、その黒岩智が動画を撮らせたように思える。

 

 ――ホントウダッタロ?

 

 あれを見れば、黒岩智が無関係であるとは思いづらい。

 

「カオルさんは?」

「もう葛城さんが報告しましたけど、動きなしです」

「見えないね……」

 

 激情家で考えなしのカオルだが、ここ最近はそうでない。具体的には、御影悠希と一緒に居る新城馨はそうでない。簡単に秋月蛍に手を出さないし、吉河瑞希に追い込みを掛けることもしない。思慮深く、慎重。要にはそう見える。

 

(何か掴んだ。或いは何かが引っ掛かっている)

 

 要は今も吉河に壮絶な暴行を加える瞳子たちに視線を向けた。

 

「無抵抗なヤツ相手によくやるね……」

 

 要は漠然と考える。

 瞳子は馨になりたいのだろう。しかし、残虐性、思慮深さ、愛情の強さ。全てに於いて瞳子(コピー)が馨(オリジナル)を超えることなどあるわけがない。

 

 葛城瞳子は新城馨の劣悪な模造品だ。

 

(雑魚は雑魚か……)

 

 御影悠希を手に入れたなら、或いは――

 まぁ、有り得ないが。

 要がそこまで考えた所で神木栞が帰って来た。

 

「葉桐、あんたはやらないんだ?」

 

 要は鼻を鳴らした。

 

「……何買って来た?」

「花火とか、あと爆竹」

「っ……」

 

 少しだけ、ほんの少しだけ、要は鼻白んだ。

 栞は薄く嘲笑う。

 

「あいつのクソまんこ、消毒してやるんだよ」

 

「……」

 

「あんたも見たいだろ? 汚い花火」

 

 その言葉に要は唇を軽く舐め、その背後の後輩二人は恐怖して息を飲む。

 栞が吐き捨てるように言った。

 

「葉桐、そこで指くわえて見てな」

 

 何かが、崩れようとしている。

 

 7月の夜のこと。

 何かが、終わりを告げようとしていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

カオル3

 夏の終わりに、悠希が言った。

 

「カオル、ぼくたち、ここでサヨナラしようか」

 

「え……」

 

 あと一手。最後の詰めを欠いたカオルの夏の終わりは――

 

 高校生活最後の夏。

 場所は小さな波が打ち寄せる夜の海。

 

「ちょ、ちょっと待って! ないっての! アタシはルール破ってないし、ワケ分かんないっつうの!!」

 

 悠希は笑って。

 

「色々、あんがとね。ぼく、カオルに会えて――」

 

「――言うなッ!」

 

 唇まで震える。

 この夢を見るときはいつも。

 

 潮風の匂い。打ち寄せる白い波。どこまでもリアルに再現された夢。

 

「言うんじゃねえよ! 言ったらぶっ殺すぞ!!」

 

「……」

 

 七分丈のズボンを履いた悠希は、悲しそうに此方を見詰めている。

 飽きるほど見た夢。

 この後は土下座して這いつくばっても、靴を舐めて絶対服従を誓っても、悠希の答えは変わらない。

 

「アタシのこと、嫌いになったのかよ……」

 

「ううん、そうじゃないよ。でも――」

 

「でもとか聞きたくねえよ」

 

 何か上手い手は……そう考えるカオルだが、考えは一向に纏まらない。

 

 

 ――御影の為に煙草もやめられないようなテメーだから、不安なんじゃねーか。

 

 

「わ、分かった。今すぐ煙草やめるから……!」

 

「……」

 

 悠希は優しく微笑んだまま首を振る。

 

「夏も、終わっちゃうね……」

「……」

 

 カオルには今回フラれる理由が分からない。口を噤んで考える。

 この前は『動画(アレ)』を持っていたことが原因だった。少し考えれば分かる。アレは持っていては駄目な代物だ。アレを持っている女は悠希の側に居続けることは出来ない。

 

 アレは黒岩智が送った最悪のジョーカーだ。

 

 葛城瞳子がカオルの予想通り動いたなら、アレは今頃、秋月蛍が持っている。……はずだ。

 

 黒岩智という女は昔から悠希を好いている。それでも彼女が現在の悠希との間に距離を作ったのは、おそらく内面的な事情に依るものだろう。

 きっと黒岩智にも、破ってはならない『ルール』が存在するのだ。同じように『ルール』を遵守するカオルだからこそ、理解できる。

 黒岩智は御影悠希を『狂的なまでに』好いていて、故にこのジョーカーを最悪なものと知りつつも捨てきれずにいた。それがいずれ、決定的な破滅をもたらすことを熟知しながらもだ。今回、このジョーカーを切った理由は、最悪の敵としてカオルを認識したからだ。そして何も考えずにこのジョーカーを所持していたら、最後は取り返しのつかないことになる、というのがカオルの結論だ。

 だから――

 瞳子に押し付けて、カオルは自分の携帯から『アレ』を消去した。

 

 どんな経緯があったのか分からないが、悠希は今でも黒岩智に一定の信頼と好意を寄せている。

 

 黒岩智は、その存在自体がジョーカーと言ってよい。

 

 だから、秋月蛍をぶつける。

 黒岩智には蛍が全力で敵対することになるだろう。『動画』の一件にケリを着けるのは誰でもいいが、悠希と上手く行くのは絶対にカオルでなくてはならない。消極的で趣味じゃないが、上手く行けば二人とも始末できる。

 

「秋月か……?」

 

「……ううん、違う」

 

 悠希はやはり悲しそうに微笑んだまま首を振る。

 

「父さんと行こうと思うんだ」

 

 このパターンは始めてだ。

 つまり――

 今のカオルがフラれる理由に、大したものは見当たらないということになる。

 カオルは激しく動揺した。

 

「おっ、おやっさんと行くって……何処に……」

 

 悠希が答える。

 

「&%$@=>\」

 

 悠希の言葉が判然としないのは、この質問に対する答えがカオルの中にないからだ。

 

 夢。ただし、リアル過ぎる。

 

 示唆される可能性は千差万別だが、この夏の終わりに別れを告げられる、ということだけは変わらない。

 今日の夢の場合。

 

 単純に、ここまでに稼いだ好感度が足りない。

 

「……」

 

 悠希の髪は潮風に揺れていて、物憂げな視線は遠くの海岸線を見詰めている。

 好感度が足りない。

 恋愛はゲームではないが、カオルにはそうとしか認識できない。夏を終え、二人を結び付ける絆が足りない場合、こうなる、という『夢』。

 

 白い波が打ち寄せて、砂浜に描いた相合傘を浚って消える。

 カオルは――

 

「あ、アタシも一緒に行く。もう社会人だし、なんの問題も……だから……」

 

 この日もカオルは食い下がる。

 悠希の父の故郷が何処であるかは分からない。だが、そんなことは何の問題にもならない。

 

「ずっと一緒にいよう……?」

 

 遠くの海岸線を見詰めたまま、悠希は首を振った。

 

「この街であったことは、忘れたいんだ」

 

 緩やかに吹き付ける潮風が、終わりを告げている。

 カオルは何度も首を振る。

 

「忘れたいって……」

 

 求められるまま身体を売ったことや、秋月蛍に殴られたこと、霧島沙織の死。カオルに関わることがなければ、これ等のことに関わることはなかっただろう。

 

 充分、カオルを捨てる理由になる。

 

 じわっ、と視界が滲んだ。

 

 弱くて強い大魔王。

 この夢の中で、常に悠希は納得できる理由をカオルに突き付ける。

 

 秋月蛍が好きだから。

 お金で買ったから。

 動画を持っていたから。

 

 今回は、『そんなに好きじゃない』から。

 

 唇まで震える。

 この夢を見るときはいつも。

 ボロボロと涙が溢れ、カオルは袖で強く擦り付けるようにしてそれを拭った。

 叫んだ。

 

 

「……わかんねぇよ! おやっさんとユキ、血が繋がってないだろ!!」

 

 

 弱くて強い大魔王。

 悠希は大きく目を見開き、瞬きすら忘れてカオルを凝視する。

 

「…………」

 

 意外なことに、悠希はなんの衝撃も受けていないように見えた。

 そして――

 表情から笑みが、優しさが抜けていく。眉間に険しい皺が寄り、視線が鋭くなる。知らない誰かを見る目になる。そこに、はっきりとした『憎悪』が溢れ――

 

 

◇◇

 

 ――新城みたいなクサマンの性格げろしゃぶ女と、ぼくが付き合うなんてあり得ないよ――

 

◇◇

 

 その瞬間、カオルは激しく絶頂した。

 

「――ぎゃあぁっ!!」

 

 子宮が爆発した。

 世界で核兵器を用いた最終戦争が起こったのだ。爆心地の中央にいたため、下半身を吹き飛ばされた。

 

「ひぃぃいぃいぃ!!」

 

 唐突な快感に腹筋がひきつる。感電したようなショックに毛先まで震えるようだ。

 ぐちゃっ、ずちゃっ、と粘る水音がして続けざまに起こった爆発が身体のあちこちを引きちぎる。

 

「かはっ……!」

 

 呼吸できない。

 カオルは這って、なんとか爆心地から逃げ出そうとするが――

 その尻を引き寄せられ、がつんと杭を撃ち込まれる。

 

「うあぁっ!」

 

 絶叫して逃げ出そうともがくカオルの耳元で、悠希が囁いた。

 

「――どう? イきながら戻って来るとスゴく気持ちいいって聞いたけど」

 

 カオルは涙を流し、鼻水を垂らしながら必死の形相でベッドのシーツを掻いた。下腹部には、腰を持ち上げるように枕が二つ重ねて置いてある。

 

「――!?」

 

 何が起こっているか理解できない。

 激しく下腹を突き上げられるその感覚は猛烈に吹き付ける嵐のようだ。

 

 ――ワンチャンス――

 

 そうだ。

 悠希はそんな冗談を言った。

 その瞬間、カオルの身体は反応し、子宮が痙攣した。

 ――気持ちよかった――

 気絶するように、いや、実際カオルは気絶した。そして目覚めたとき。

 ぶしゃ、と失禁して大量の尿が溢れた。

 悠希が嘲笑った。

 

「あは! スゴいスゴい!」

 

 太股まで痺れる。腰に麻酔を射たれたことがあるが、その時と同じように全く力が入らない。

 弛緩した無防備な膣を貫かれ、飛沫のように潮が飛び散り、その衝撃に子宮が慄(ふる)えている。

 

 ――気持ちいい。ずっとこうしていたい。

 

 最低最悪。しかし最高潮の絶頂に浸りながら、カオルはそんなことを考える。

 息遣いも荒く、悠希が言った。

 

「カオル、このまま射精(だ)すよ……!」

 

「う"んっ! 膣に出じでっ!! 膣に来でっ!!」

 

 膣の奥で白濁が弾ける感覚に、カオルは深く絶頂した。

 途切れがちな意識の中、再び眠りに落ちる前に思った。

 

 この恋を手に入れるのだ。そうすれば、絶対に素晴らしいことになる。例えば、そう……

 

◇◇

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

 カオルにとって、ソイツは、とてつもなく奇妙な存在に見えた。

 

 カオルにそっくりだ。しかし色白で睫毛が長く、よく見ると悠希に似ているようにも思える。

 ――融合。

 完璧な一体感。絶妙なバランスを持って、個人として成り立っている。こんな奇跡のような人間がいていいのだろうか。

 小さい子供。

 年の頃は、二、三歳くらいだろうか。

 少し考えるが、カオルには分からない。子供のことは分からない。自分が『母親』になるということが想像できない。

 男の子のようにも見えるし、女の子のようにも見える奇妙で奇跡的な子供。

 目の前に白い襖があって、その襖の僅かな隙間から、奇妙な子供がこちらを覗き見ているという構図。

 

 ゆっくりとカオルが身体を起こすと、その子は少し微笑んで――それはアルバムで見る幼いカオルの笑顔に似ていて――

 逃げるように、立ち去ってしまった。

 

「あ……!」

 

 無意識の内に差し伸べた手が空しく宙を掻く。

 よく分からないが、その子はそうされるべき存在であったし、心の底からいとおしむべき存在であることだけは分かる。

 

「……」

 

 カオルは小さく息を吐く。

 右足に分厚いサポーターが巻いてあって、それが目に留まる。

 膝の靭帯は今も切れたままだが、日常生活では特に不自由はない。痛みはなく、軽い運動なら問題はない。靭帯の負傷というのはそういうものだ。

 だが、アスリートとしては致命的……

 

 夢の跡。

 

「……」

 

 カオルは少し訝しむ。

 何かがおかしい。いや、色々おかしい。ここは何処だ? あの子供は一体なんだ? 足を――何故、古傷を庇っている?

 

 その思考を遮るように、音を立てて襖が開いた。

 

「おはようさん」

 

 そこには悠希がいた。

 

「……」

 

 カオルは、ボーっとして襖の向こうに立つ悠希を見詰める。

 

 悠希の腰に、小さい子供が抱き着いている。

 

「さ、起きたら片すよ」

 

 悠希は言って、隣に敷いてある布団を畳みだした。

 

「おかたづけ♪ おかたづけ♪」

 

 悠希は歌を唄う不思議な子供を腰にまとわりつかせたまま、首を傾げるようにしてカオルの方へ向き直った。

 

「何? さっきからボンヤリして。まさか足痛いとか?」

「いや……」

「そ。再建手術、上手く行ってよかったね」

「……」

「こっちは試合中、心配で仕方がないけど」

 

 …………………………

 ……………………

 ………………

 …………

 ……

 

 意図せず、溢れた涙がカオルの頬を伝って落ちる。

 

 そこには確かに、『アスリート』新城馨の失われた未来があった。

 

◇◇

 

 開け放たれた窓から、青白い光が射し込んでいる。

 あまりにも優しい微睡みから脱け出し、僅かに笑みを浮かべたカオルはその日の夢見に満足した。

 少し泣いてしまったようだ。枕が濡れている。

 身体を起こして周囲を見回すと、窓際に立ち尽くす悠希の小さな背中が見えた。

 

「……」

 

 見果てぬ夢だ。

 カオルが見る夢は、いつも嫌になるくらいリアリティがあるが、先程見た夢にはまるで現実味がない。

 右膝の古傷を擦りながら考える。

 カオルの場合、練習中の怪我で靭帯を断裂させ、膝の半月板を損傷した。二度の手術。その後、再び靭帯を断裂させた処でバレーボールを断念した……監督から見切りを付けられた。

 

 ――教師(監督)の言うことは絶対に聞かない――

 

 だがこうも思う。

 怪我を治したところで、以前のパフォーマンスを回復させることは難しい。忌々しいが、選手としての自分を諦めた監督は正しい。

 

 カオルは、ほう、と溜め息を吐き出した。

 もう終わったことだ。

 今はもう、冷静に受け止めることができる。先程見た夢は最高に良かったが、有り得ない夢に価値はない。

 悠希は窓から見えるだろう海を見詰めたまま動かない。

 カオルはふと思い立ち、足音を消して立ち上がった。

 股間から、とろりと夜の名残が滴り落ちるのを指で掬い取り唇に運ぶ。それでも溢れるものは勿体ないから指で膣内に塗り込める。

 

「ん……んっ……」

 

 思わず洩れた喘ぎを飲み込み、カオルは悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 ……またしたくなった。

 腰が少しふらつく。

 ――夜這いプレイ。

 アオイの入知恵とエロ本での胡乱(うろん)な知識を元にイイと聞いてヤってみたが酷い目にあった。

 覚醒と同時の絶頂は確かにスゴかったが、直前まで見ていた悪夢のせいでパニックに陥った。……まあ、その後は素晴らしい夢を見られたのだけれど。

 

 忍び足で悠希の背後に忍び寄ると、優しく背中から抱き締める。

 

「……おはよ」

 

 例えば、この恋を手に入れたとする。

 上手く言葉にすることは出来ないが、バレーボールに変わる素晴らしい何かを手に入れる。其処には奇跡的な融合を遂げたあの子供がいて、新城馨はごくごく普遍的な女の幸せを手に入れている。

 

「ユキ……?」

 

 バレーボールを失ったカオルの胸には大きな穴が空いているが、その穴は抱き締めた小さい悠希で、ぴったりと隙間なく埋まってしまう。

 

「……」

 

 その悠希は、黙ったまま、じっと窓の向こうを見詰めていた。

 

 オーシャンビュー、と言っても、それを売りにしているような大したホテルじゃない。近くに砂浜もあるが、漁港も近くて景観は今一つ。

 しかし、この朝は晴れ渡っていて――

 蒼い海の向こうまで、本当によく見えた。

 

「……カモメ」

 

 悠希は呟いて、何処までも凪いだ海を飛ぶ一羽の鳥を指した。

 緩やかな潮風が吹いて来て、悠希の少し伸びた髪を揺らしている。

 

(ま、こんなもんだよな……)

 

 漁港を出入りする漁船が警笛を鳴らしていて、牧歌的にも映るこの景色は、少し郷愁の念を呼び起こさせるが、美しいと言ってしまうにはちょっと違う内海の景観。

 でも――

 

 悠希は心地よさそうに潮風に髪を靡かせ、目を閉じている。

 

「あんがとね、カオル」

 

「……あぁ」

 

 これが何ポイントだ? どれだけポイントを稼げば、大魔王とのエンディングに辿り着けるのだろう。

 

 悠希は軽く握った手を胸に当て、遠い目で海を見詰めている。

 これも、いつか思い出になる。

 カオルは胸が軋む思いがして、食い入るように悠希の横顔を見詰めた。

 

「ぼく……」

 

 悠希が、目を閉じたままで言った。

 

「ぼく、ちょっとカオルから貰いすぎちゃったみたい……」

 

「そんなこと――」

 

 ない、と言いかけて、カオルは息を飲み込んだ。

 

 悠希の頬に、涙の筋が伝っている。

 

 強くて弱い大魔王。

 カオルはこの日、積み上げたポイントが限界に達したことを悟った。

 悠希が泣いている。

 

「ぼく、どうしよう……」

 

 その声は弱々しく震えていて、カオルはどうしていいか分からなくなる。

 

「どうしよう、どうしよう、ぼく……何か返さないと……」

 

「あっ、えと、ユキ? えっと……あの……」

 

 カオルはどうしようもなくこの状況を持て余し、途方に暮れた。

 泣かせたくない。傷付けたくない。全ての我儘を受け入れてやりたい。いつもそう思っているし、実際そうして来た。これからも変わらないつもりでもいる。

 何より大切に思っている。

 その事を世界に誓ったっていい。だが悠希は泣いていて、洩れる吐息はしゃくり上げ嗚咽に震えている。

 

「カオル、いつも振り回してごめんなさい……」

 

 頬を伝った涙が手の甲に落ち、その熱さにカオルは悲鳴を上げそうになった。

 

「カオル、いっぱいいっぱい、ありがとう……」

 

 悠希が泣いている。

 他ならぬカオルの愛でそうなったのだ。

 カオルはその場に跪(ひざまず)き、悠希の手を取った。

 

「違う……」

 

 カオルは苦しそうに首を振った。

 愛情というものは貸し借りで語るべきものではない。無論、ポイント化されるべきものでもない。酷い間違いを犯している気がしてならない。

 

 流れる涙を拭うことはせず、悠希は海辺の一角を指差した。

 

「海へ――」

 

 カオルはゴクリと息を飲む。

 大魔王は虫の息。涙を流し、しかし睨み付けるような視線をカオルに向ける。

 

「カオル、海に行こう。ぼくらは海に行くんだ……」

 

 悠希の指差した先の浜辺には大きなバルーンの『のぼり』が上がっている。

 

 それを見て、カオルは魂まで震える思いがした。

 

 8月中旬に開催されるビーチバレーの告知。自由参加。この地域では結構大きな大会で、そこでプロにスカウトされる者もいる。

 

 悠希は強く叩けばその分強く返すタイプだ。いつもカオルが思う以上のものを返して来る。これは――

 夢が現実に近付く。

 目眩すら感じ、カオルは唇まで震えた。

 

 ビーチバレー。

 

 引退したバレーボール選手が新たな活躍の場を求め参加する場合がある。そこには故障引退した選手のケースも含まれる。

 甘い世界ではない。

 昨日までのカオルなら一笑に付しただろう。それは別の誰かの物語だと。だがあの夢を見た今は戦慄せずにいられない。

 ブランクがあり鈍っている。基礎的な筋トレすらやってない。鍛え直す時間はない。そもそも故障している。

 だが言い訳は許されない。

 

 弱くて強い大魔王。

 最後の無茶振りは、『運命』。

 

 大魔王が言った。

 

「右がダメなら、左で跳べよ……!」

 

 欲するなら、高く翔べ。

 この運命を掴んで見せろ。

 そういうことだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第63話

 この日、ぼくが抱えていた負債が限界に達した。

 突き抜けるような青い空。群青色の海にはカモメが一羽きり飛んでいて、遠くから漁船の鳴らす警笛が聞こえる。

 

 昔、父さんと歩いた海までの道を思い出した。

 

 何処までも続く長い道。

 

 アスファルトの上には靄のように陽炎が立ち上っている。

 

 ぼくは父さんを追って、這うようにして必死にその長い道を進んだ。

 

 優しいだけが愛じゃない。

 

 そういう昔話。

 

◇◇

 

 海の見えるホテルを出て、車中のぼくらはお互いに口を噤んでいる。

 ドライブ中のいつものカオルなら、ぼくを退屈させないように近くのB級グルメや意外なレジャースポットについてお喋りするんだけど、今朝は前を向いて無言。

 カオルは真剣な表情で何か考えを巡らしているように見える。

 きっと……ある程度の自信があるんだと思う。

 少しでも弱気な態度を覗かせれば言葉を引っ込めるつもりでいたけど、その心配はなさそうだ。

 

「カオルの、一番カッコいいとこが見たい」

 

「……あぁ」

 

 カオルはクスッと笑って頷いた。

 それから後は自然だった。海岸線沿いに車を走らせるカオルは、やっぱり黙ったままだったけど、そこに感じるのは優しい沈黙だった。

 

 『アスリート』新城馨の身体の解析は終わっている。ビーチバレーを選んだのは偶々目に入ったからで、本当は何でもいい。彼女にはまだ活躍の余地がある。腐らせるには勿体ない素材。

 

 無神経で残酷なことを言っているのかも知れない。でも、カオルの中にまだ燃やすものがあるのなら、これが何かの道標になる。

 

 この夏の終わりに、ぼくは何か残したい。

 

 何年も経って、カオルがこの夏を振り返ったとき、ぼくと出逢えて本当によかった、そう思える関係にしたい。

 

 ぼくの夏の、けじめのようなもの。

 

 

◇◇

◇◇

 

 ドライブが終わり、ぼくと父さんが住んでいるアパートが見えてきた。

 カオルはミラー越しにチラチラとぼくの顔色を伺っている。頻りに唇を舐め、何か言いたいことがあるみたい。

 

「なに?」

 

「あ、うん。その……」

 

 車を路肩に停め、サイドブレーキを引いて、カオルは眉を下げ苦しそうな表情になった。

 

「ユキ、その……何考えてる?」

「……?」

 

 その質問の意味は、ちょっと抽象的で分からない。ぼくは首を傾げて見せる。

 カオルは苦しそうな表情のままで言った。

 

「ユキが無茶振りすんのはいつもだけどさ……少し不安なんだ……」

「……うん」

 

 この夏の終わりが、ぼくとカオルの大きな分岐点になる。

 

「夏が終わっても、ずっと一緒にいよう、な?」

「……」

 

 全ての物事には終わりがある。

 カオルはもう『お客さん』じゃないし、ぼくはビッチをやめるかもしれない。

 

 ぼくは、そっと目を閉じて頷いた。

 

 今は、それだけ。

 

 カオルに引き寄せられ、唇を合わせるだけの優しいキスをした。

 

 この夏が燃え尽きるみたいに終わりに向かっていることを、カオルは分かってるみたいだった。

 

「……離さない。離さないから……」

「うん……」

 

 途切れ途切れ掠れる声で言葉を交わしたあと、またキスする。

 今度のキスは激しくて、カオルは舌を挿し込んできてぼくの舌を強く吸い上げる。

 

「あいしてる」

 

 囁きながらカオルは時計をチラリと見て、それからぼくの手を引いてジーンズの前に誘導した。

 ……すぐソッチに行くのは、本当に悪い癖だと思う。

 懇願するようにカオルが喘いだ。

 

「……ちょっとだけ、仕事前に、ちょっと、ちょっとでいいから……」

 

 ……意訳すると、挿れろとまでは言わないから、ちょっと触って欲しい。

 いつものカオル。

 仕事前、授業前、カオルはそういう時間がないときの『ちょっと』が大好きだ。

 何でも短時間でイければ得した気になるし、その後嫌なことがあっても、この『ちょっと』を思い出せば頑張れるらしい。

 

「もう……」

 

 やれやれ、と溜め息混じりに視線を落とすと、ジーンズのファスナーは既に全開になっていて準備万端だった。

 

 下着に手を差し込んで陰部に触れると、そこからしっかりとした熱を感じる。

 陰核は固くしこり、僅かに開いた陰唇は何の抵抗もなくぼくの指を飲み込んで行く。

 優しく擽るように膣中を探りながら、親指で陰核を押す。

 

「うぅ、ん……ホント、コレ……」

 

 口元に弛んだ笑みを浮かべ、カオルは悩ましく息を吐く。

 

「痛くない?」

 

 ぼくの手はカオルより小さいけど、もう三本も膣口に指を突っ込んでいる。女性の『そこ』はデリケートに出来ているから心配。

 何故か、カオルは嬉しそうに笑った。

 

「……大丈夫……優し……あ――」

 

 Gスポットの壁を軽く引っ掻いた所で、膣壁が弱々しくぼくの指を締め上げる。

 『ちょっと』のとき、カオルは我慢しない。軽く一回目の絶頂。ヒクヒクと律動する膣口がトロリと粘液を吐く。

 無茶な愛撫は後の行動に影響が出るので慎む。

 お仕事終了。

 ぬるぬるとした愛液を指先で弄びながら陰唇を擦る。

 

「…………」

 

 カオルは少しボンヤリとして、唇の端に涎の筋が出来ていた。

 

「まだする?」

「……ぅん」

 

 頷くカオルの首筋に強く吸い付き、同時に包皮の上から陰核を小刻みにしごく。

 

「……う……うぅ……ッ……!」

 

 またイった。

 まるで射精したみたいにクリトリスが痙攣して、膣口が今度は少し多目の粘液を吐き出した。

 

 すごい。

 ここまでで、まだ2分くらいしか経ってない。

 

 カオルは見ると、目元を赤くして呼吸を荒くしている。

 その顔に書いてある。

 

 ――挿れて。

 

 なんだってこんな道端でセックスしなきゃならないんだ。

 言った。

 

「おあずけ」

 

「……」

 

 カオルは一瞬、泣きそうに唇を震わせて、それから大きく鼻を啜った。

 

◇◇

 

 今朝は、こんな感じでカオルと別れた。

 このときのぼくは間抜けで、これからどんな目に遭うかなんて、これっぽっちも理解してなかった。

 結局のところ、ぼくがしてきたことのつけが回ったんだと思う。

 

◇◇

 

 カオルと別れてすぐ。

 木造の安普請の階段の一段目に足をかけたとき。

 

「――!」

 

 瞬間、背筋にビリッと走ったその衝撃のことを例えるなら、電気ショック。

 虫の知らせっていう言葉がある。

 悪い予感がして――

 唐突に、シュウの顔が思い浮かんだ。

 ヒトには本来、危機を察知する能力がある。それだけに直感のようなものは大切にした方がいいと言っていた。

 空は晴れているけれど、見慣れているはずのぼくのアパートは、いつもより暗く澱んで見えた。

 

 階段を登って行く。

 

 ぼくはシュウじゃないから、天才的な閃きも直感もない。根拠のないものは信じない。

 悪い予感を捩じ伏せて進む。

 木製の古いドアのノブに手を掛け、静かに回す。いつものことを、いつものようにするだけ。

 でも――

 ドアに、掛けたはずの鍵(ロック)が掛かってなかった。

 

「…………」

 

 遠くで蝉が鳴く声が聞こえる。

 まだ涼しいはずなのに、噴き出した汗が顎を伝って滴り落ちる。

 

 ――家の中に誰かいる。

 

 それは勿論、父さんじゃない。カオルでもない。招かれざる客。

 

 ごくりと唾を飲み込み、そっとドアノブを元の位置に戻すと、一歩退いて距離を取った。

 

 脳裏に浮かんだのは、ラブホテルの前で出会(でくわ)した瞳子のこと。

 

 ……あの時の瞳子の貌(かお)。

 

 嫉妬や怨み、怒りを連想させる鬼面。凶相。あの娘はもう駄目だ。二人きりになるべきじゃない。そんなことを考えるぼくの前で、音もなくドアが開いて――

 

「……!!」

 

 悲鳴を上げる暇もなく、向こうの暗闇から、するりと伸びた手が、ぼくの腕を捕まえる。

 そ こ に は 

 

「おかえりなさい」

 

 ユキナに何度も殴られ、腫れ上がった左の瞼を閉じた瞳子が、微笑みを浮かべて佇んでいた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

葛城 瞳子3

 優樹菜が吐き捨てるように言った。

 

「雑魚のクセに……!!」

 

 優樹菜の表情は憤怒。振り上げた拳を躊躇なく瞳子の顔に叩き付ける。

 

(ヤバい……)

 

 瞳子はあまり痛みを感じなかった。衝撃による視界の揺れがあるだけだ。

 眉間に険しい縦皺を刻み、白髪を振り乱す皆川優樹菜は正しく鬼女の形相。対する瞳子は地べたに仰向けで転がり、馬乗りになった優樹菜の打撃に無抵抗でいる。

 身体から力が抜けていく。

 顔の左側ばかりを執拗に殴られた瞳子の視界は左側だけが潰れている。時間は薄いスープのように間延びして、やたら鈍く感じたが、その鋭敏な意識に身体が反応することはなかった。

 

「雑魚が……! 雑魚が……っ!!」

 

 ――分かっている。

 

 ぼんやりと遠くなる意識の中、瞳子は薄く笑った。

 

「御影、呆れて帰っちゃっただろうが!!」

 

 御影悠希。

 瞳子の残酷な天使。

 好きで、好きで、大好きで。それでも瞳子は見向きもされないで。

 思った。

 

(お金ですかぁ……?)

 

 それなら瞳子は沢山持っている。

 父はあまり家に帰って来ないが、娘のことはそれなりに大事に思っているようで、不足しがちな愛情を金銭で穴埋めする。その為、周囲と比較しても瞳子は使いきれない位のお金を持っている。

 

 また優樹菜に殴られ、瞳子の視界が揺れた。

 惨めだ。

 人の愛し方なんて知らない。誰にも教わってない。お金で買えない物のことなんて分からない。

 

 優樹菜が背後から抱き着くようにして首に腕を回し、伸び上がるようにして締め付けた。

 頸の奥が、みしっと嫌な音を立てて軋んだ。

 それでも瞳子は笑う。

 

「……性病女……クッセーんだよ……」

 

 ここで退いたら、負けてしまったら、諦めてしまったら、葛城瞳子は本物の雑魚になる。

 優樹菜の腕は、がっちり首に食い込んでいて、捕縛を緩めない。瞳子の挑発にむきになったのか、益々締め上げる力を増していく。

 意識が遠くなる。

 一瞬たりとも油断せず、全力で首を締め上げる優樹菜からは本気の殺意が感じられた。

 

「――そこまで」

 

 何者かの制止があり、唐突に解放された瞳子は激しく咳き込む。

 せいせいと荒い呼吸を繰り返す瞳子が視線を上げた先には、金髪のベリーショートに鋭い眼差しの如月葵の姿があった。

 

 優樹菜は立ち上がると同時に、パッと飛び退いて素早く距離を取り、鼻面に皺を寄せた。

 

「……誰だオマエ?」

 

 激しく舌打ちして、葵の方へ瞳子の背中を蹴飛ばした。

 小さく呻き、足元にすがり付く形になった瞳子を見下ろし、葵は面倒臭そうに首を振って言った。

 

「キサラギ」

 

 『こちら側』では、如月葵の名前はそれなりに有名だ。優樹菜も名前ぐらいは聞き覚えがあるのか口を噤み、煙るような半目の視線を向ける。

 

「……」

 

 一拍の緊張、沈黙。値踏みするように葵を睨む優樹菜は、少し考え事をしているようにも見える。ややあって。

 

「……あたしもやることあるし、今回は顔立てといてやるよ」

 

 そう言って、最後に優樹菜は瞳子の頭を蹴った。

 

「手間取らせるんじゃねーよ。経験値1取得しちゃっただろ」

 

 敗者を嬲るのは勝者の特権。葵は黙ったままでいた。

 

「…………」

 

 踞り、未だに荒い呼吸を繰り返す瞳子は酷い有り様だ。

 スクーターの下敷きになった足は青白く鬱血し、激しく殴打された顔は左の眦が裂け出血している。土足で蹴りつけられた頭髪は乱れ、砂埃が付着して見る影もない。瞳子は雨に打たれて震える猿よりも惨めな気持ちだった。

 優樹菜が去るのを待って、葵がポツリと言った。

 

「まぁ、似合いの結末だな」

 

 皮肉を言って葵も去る。

 国道から少し逸れ、小さいがちょっと小洒落たラブホテルに近い細い路地に置き去りにされた瞳子は、踞ったまま静かに涙を流した。

 

◇◇

◇◇

 

 動けずにいる瞳子の元へ、暫くして駆け付けたのは佐藤夕子だった。

 余程慌てているのか、自身のスクーターが横倒れになるのも構わずに瞳子に駆け寄る。

 

「瞳子、大丈夫!?」

 

 惨めだ。

 軽蔑していた皆川優樹菜には手も足も出ず叩きのめされ、葵には相手にされない。一番ショックだったのは、悠希が瞳子の内心を読み、優樹菜を選んだことだ。

 

「瞳子、立てる? すぐ移動しないと……」

 

 夕子は慌てている。スマホを取り出してすぐに何処かと連絡を取り出した。

 

「タクシー呼ぶから、それですぐ帰って」

 

 新城馨を敵に回す。その庇護から外れるということの意味を夕子が語り出す。

 

「岬と栞は危ないよ。呼ばれても行ったらダメだから。カオルさん、アンタを的にするようには言ってないけど、手を出しちゃダメとも言ってない」

 

 夕子は知らないが、先日、吉河瑞希がどうなったかを思い出し、瞳子は鼻を啜って立ち上がる。

 涙を拭う。

 数日間に渡り暴行を受け、最終的には全裸で街角に放り出された吉河の轍を踏む訳には行かない。

 崩れ落ちそうになる瞳子の腰を支え、夕子は軽く唇を噛み締める。

 

「葉桐は……アイツが一番信用できない。絶対つるむんじゃないよ。あたしは御影さんに頼んで見るから」

 

 瞳子は小さく頷いた。

 夕子は意外と鋭い。確かに、悠希が呼び掛ければ赤瀬岬も神木栞も止まる可能性が高い。あの葉桐要も、悠希の言葉なら無視できないだろう。

 夕子は難しい表情で首を振る。

 

「アンタの家、セ〇ム付いてたよね。暫く出るんじゃないよ」

「……」

「誰かから、アンタに連絡あるかもしれないけど、信用しちゃダメだ」

 

 瞳子は鼻を啜った。涙は次から次に湧いて来る。掠れ声で言った。

 

「……C作、ありがとね……」

 

 夕子は照れ臭そうに頬を掻き、それから思い出したように急に真顔になった。

 

「……瞳子。アンタ、本当に御影さんとしてるの……?」

「うん……」

 

 もう悠希との関係を隠す必要はない。瞳子は頷いた。

 夕子は空を仰いで嘆息した。

 

「本当……? ああ、そう言えばアンタ、御影さんのこと随分気に入ってたよね」

 

 御影悠希は瞳子にないものの全てを持っている。

 三角巾を被り、前掛けで身を固めキッチンに立つ悠希は、瞳子なんかより余程優秀な戦士だ。それはとても家庭的に見えて――。

 お手伝いさんをやっているヨシコさんは調理師の免許持っている。単純な調理の技能ならヨシコさんが上を行くだろう。瞳子に手伝いをさせたり食器を拭かせたりもしない。

 

 ――トウコ、そこのカット野菜、水にさらしといて。

 

 ――晒す?

 

 ――ザルに移して、そう。水に浸けておくとシャキッとして歯応えがよくなるからね。

 

 ――なるほど。

 

 ヨシコさんは両親から半ば放置気味にされている瞳子を不憫に思っていても、仕事で決まっている以上のことはしてくれない。よし子さんとは『家族』になれない。そもそも、ヨシコさんは自分の家庭を持っている。

 

 悠希は、ヨシコさんみたいに甘くない。自分のことは自分でやれと言ってくるし、無駄遣いや無責任な行動には意見してくる。

 ちゃんと瞳子を見ている。心配しているのがよく分かる。そんな異性を好きになるのは、瞳子からすれば自然なことだった。

 

◇◇

◇◇

 

 この日、帰宅してからの瞳子は一歩も部屋から出ず、左頬に氷嚢を宛がって動かずにいる。

 顔をやられたのは不味かった。顔は女の命。少なくとも瞳子はそう思っているし、自分のルックスにも自信を持っている。

 

「あの性病女……」

 

 口汚く吐き捨て、優樹菜への憎悪を募らせる瞳子は唇を噛み締める。

 鏡を取り寄せ、腫れ上がった顔を確認する。

 

「……」

 

 ずっと冷していたのが功を奏したのか、夜半過ぎて腫れは随分治まった。しかし、氷嚢を外すとジンジンと熱を持つ痛みが振り返す。スマホに夕子からの着信があったのは、深夜の1時を回った頃だ。

 

『瞳子?』

「あ、うん。あたし」

 

 瞳子の携帯なのだから、瞳子が出るのは当たり前のことなのだけれど、そんなお決まりの挨拶を交わしながら、意外に友達甲斐のある夕子のことを思い、何故か瞳子は幸せな気持ちになった。

 見せかけの友人は姿を消し、残ったのは本当の友人。信用していい誰か。そう思うと、今回の件は悪くないような気がする。

 

『顔はどう?』

「……あれから寝てないし、ずっと冷してるからか思ったより腫れてない」

 

 何故か、携帯の向こうで頷く夕子の姿が思い浮かんだ。

 

『今夜も寝ちゃダメだよ。ダルマみたいになっちゃうからね』

 

 女は顔が命。そう信じるのは瞳子だけに限ったことじゃないようだ。続ける。

 

『今日……ってか、もう昨夜になるのかな……御影さんに会ったよ』

 

「え!?」

 

 その時までベッドにだらしなく寝そべっていた瞳子だったが、飛び起きて姿勢を正した。

 

「ウソ! あの人、呼ばれたからってホイホイ来る人じゃない。まさか……!!」

 

 御影悠希は、瞳子の回りにいる男連中とは違う。女子からの呼び出しにいい気になって簡単に応じるタイプなら、瞳子はこんなに苦労しない。悩まない。

 

「……C作、アンタ――」

『あ~、そんなんじゃない。葉桐が一昨日の件説明してくれって言ったら、来てくれたんだよ』

「あ……そう……」

 

 ホッとして瞳子は胸を撫で下ろした。これ以上、悠希に女の影はいらない。では、何故? その質問をぶつける前に、夕子が言葉を被せた。

 

『――霧島さん、死んだって』

「……は?」

『まあ、そうなるよね。あたしらもドン引きだったし。まだ騒ぎになってないけど、これ、デカイ問題になると思う』

「霧島って、ゲスの?」

 

 携帯の向こうで、夕子は小さく溜め息を吐き出した。

 

『そう。あの人、デタラメだったし、その内バチみたいなもん当たると思ってたけど、クスリキメ過ぎたみたいで――』

 

「はぁ? はあっ!? ちょ、待ってC作。もっかい初めからよく分かるように説明して――」

 

 突然飛び込んできた衝撃的な情報に瞳子は動揺を隠せない。

 だが、皆川優樹菜と霧島沙織は二人一組だったことを思い出せば無理のない話ではある。そして――

 

◇◇

 

 …………………………

 ……………………

 ………………

 …………

 ……

 

 霧島沙織の死について説明を受けたあと、瞳子は眉間に皺を刻んで、むっつりと言った。

 

「……ナニソレ、あの性病女、悠希さん巻き込んだのかよ……!」

 

 夕子は呆れたような溜め息を吐き出した。

 

『性病女ってさぁ……。でもまぁ、うん、そうなる……かな?』

 

 怒りのあまり呻く瞳子の目に涙の粒が浮かんだ。それは程度を超えている。シャレになってない。

 

『で、当然だけど警察(おまわり)動いてっから、この一件から皆引いとけってカオルさんが締めた』

「……」

『あと皆川さん出頭したって言ってたかな』

 

 この国の警察は甘くない。霧島沙織の死に事件性があり、皆川優樹菜が関わっているのなら、その内必ず警察の手が及ぶ。これは悠希の差し金だろう。瞳子の知る皆川優樹菜なら逃げている。

 

『……御影さん、カオルさんがあんたに手を出さないように釘刺してくれたみたいだから』

「……え?」

 

 夕子は本当に落ち着いたのだろう。気が抜けた声で言う。

 

『あたしが頼むまでもなく、御影さんから制止入ったみたいでさ。早いうちに連絡あったのね』

 

「そう、なんだ……」

 

 スマホを握り締めたまま、瞳子は項垂れた。

 ――悠希を連れ去るつもりだった。

 その際は力づくになってもやむを得ないと思っていた。

 

 ――今の瞳子は怖いから――

 

 あの拒絶は当然のものだ。瞳子は避けられて当然の存在だったのだ。だが、悠希は瞳子を最低限気にかけていてくれて。

 

「そう、なんだ……」

 

 まだ、手遅れではない。名誉挽回の機会が残されている。その思いに瞳子は胸を撫で下ろす。

 

『でも、御影さん大丈夫かなぁ……』

「……?」

『ちょっと歩いただけで、すごく汗かいて。顔色もあんま良くなくて、葉桐なんかも心配してた』

 

 確かに、悠希は少し痩せたように感じた。やはり無理がある。思った以上に無理をしている。瞳子はその思いを強くする。

 夕子が言った。

 

『でもまあ、その辺はカオルさんがなんとかするかな……』

「……」

『カオルさん、愛してるって言ったんだ。なんか、あたしすっげぇと思って――』

 

 瞬間、瞳子は激昂した。

 

「あの女に悠希さん任せられるかよ!!」

 

 叫んだ。

 

「全部、あの女のせいじゃないか!」

 

 御影悠希は優等生の部類に入る。馨の存在がなければ、今回のような事件に巻き込まれることはなかっただろう。あの皆川優樹菜とも無縁でいられたはずだ。

 

「あの女は悠希さんにメチャクチャしてんだよ!! 本当なら今頃は――」

 

 唐突に深山楓の顔が浮かんで、消える。

 ――同族嫌悪。

 人は己に似通ったものに嫌悪と反発を覚える。瞳子自身説明は難しいが、深山楓には何かしら通じるものを感じている。姿形はまるで違う。だが、人となりを為す根幹に共通するものがある。

 何故か深山楓の考えていることが分かる。おそらく深山楓も葛城瞳子の本質を理解しているだろう。

 目の前が赤く染まる。瞳子は制御できない激情の存在を知覚した。

 

『……! …………!!』

 

 携帯の向こうで夕子が何やら叫んでいるが、瞳子の耳には聞こえない。

 言った。

 

「愛? そんなの豚の餌にでもしたらいいんだよ」

 

 そして瞳子は、夜の闇へと飛び出した。

 とりあえず、悠希に会う。

 逢いたい、話したい。甘えたい、ご飯も食べたい。それからちょっとエッチもしたい。

 乱暴なことはしない。

 ――多分。

 バイクに股がり、半キャップのヘルメットを斜めに引っ掛けて。

 例えば、もうちょっと瞳子が冷静で、佐藤夕子の警告に耳を貸していれば。

 例えば、もうちょっと瞳子が煩悩を抑えて注意していれば。

 瞳子の家を見張っていた二人の存在に気付いたかもしれない。悠希が『双子』と呼んだ存在に気付いたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――カナメさん。葛城、でてきました。

 

『あぁ、そう』

 

 ――どうしますか?

 

『……そうだね。なんかヤな予感するから、御影くんの家で張ってみようか』

 

 ――追わないんですか?

 

『うん、それ以外のトコ行くんだったら、どうでもいいよ』

 

 ――じゃあ、御影さんの家で張ります。葛城が来たらどうしますか?

 

『そうだね……』

 

 葉桐要はなんでもアリがモットーだ。

 嘲笑って言った。

 

 

 

『葛城、拐っちゃおうか』

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

葛城 瞳子4

 景気良くアクセルを吹かし、50CCのバイクで疾走する瞳子は、蒸すような夏の夜風の中を突っ切って行く。

 頭の中は色々。

 例えば、御影悠希と新城馨のセックス。回数も内容も、自分としているものよりずっと濃いのだろうな、とか。

 秋月蛍ともしたみたいだが、デリカシーのない彼女のこと。独りよがりな内容で、退屈なだけでなく苦痛だっただろうな、とか。

 あの皆川優樹菜とはどうだろう。ラブホテルから出てきたのだから、することはしたに違いない。少なくとも、瞳子ならそうする。

 その全てが妬ましく、憎たらしい。

 悠希の家は、学校を挟んで瞳子の家とは真逆の方向にある。幾つもの狭い路地を抜け、目的地に近付いたところで、瞳子はエンジンを止めて停車した。その後はバイクを押して進む。

 悠希の家の住所や電話番号等の個人情報は葉桐要が調べ上げた。それは黒岩智の情報と引き換えに瞳子も知っている。

 やがて古い木造のアパートが瞳子の目に入った。

 ……良く言えば歴史を感じるが、身も蓋もない言い方をしてしまえば、貧乏臭い。

 葉桐要の情報では、この古くさいアパートで悠希は父親と二人暮らしなのだそうだ。

 瞳子はスマホを取り出し、悠希の携帯でなくそのアパートに電話を掛けた。

 ややあって――

 誰も電話に出ない。階下から部屋を観察するが、明かりが点ることもない。電話を玄関口に設置しているのだろう。響く着信音が瞳子の耳に僅かに聞こえる。

(留守にしてる……)

 この夜更けに、馨が悠希を連れ回していると思えば、瞳子は腸の煮えくり返る気分だった。

(テメーの夜遊びに悠希さん巻き込むんじゃねーよ!)

 悠希がこの着信に出るなら良し、馨が出るようなら、朝になり離れるのを待つつもりだったが、留守というなら宛が外れた。

 瞳子は暫し思い悩み……。

(入っちゃおうかな)

 という考えなしな、いかにも瞳子らしい結論に至った。

 

 この期に及んで怖じ気づき、二の足を踏むような性格なら、瞳子が下着のみの格好で警察に厄介になることはない。好奇心旺盛で不注意。行動力過多、判断力過小。度胸だけならヘビー級というのが葛城瞳子の売りだ。

 

 軋んだ音を立てる階段を上り、細い通路を真っ直ぐ突き当たりまで進む。角部屋の位置。隣室に入居者はいないのか、ドアノブに電力会社の手紙が吊り下げられている。

 部屋の前まで行ってドアノブを回してみるが、やはり鍵が掛かっていた。

 こういう時のお約束。

 瞳子はしゃがみ込み、玄関前のマットを捲った。

(ビンゴ!)

 月明かりを受け、鈍く光る部屋鍵を拾い上げ、瞳子はクスリと笑った。

 

◇◇◇

 

 ――カナメさん! 葛城のヤツ、御影さんの家に入っちゃいました!!

 

『……マジ? いや、葛城らしいけど……マジ?』

 

 ――本当ですって! 繰り返さないで下さいよ! どうしますか!?

 

『葛城も突き抜けたね……。メンツ集めるから、一時待機。そのまま見張ってて』

 

◇◇◇

 

 真っ暗な玄関口に立ち、瞳子は後ろ手に鍵をかけ直そうとして――止めた。鍵を掛けたら悠希が入れなくなるかもしれない。

 視界を埋め尽くすのは闇だ。しかし、懐かしい匂いが鼻を衝く。生活臭と呼べるもの。そこに不快な感じはせず、何故か胸が暖まるような気がする。

 瞳子はぼんやりと呟いた。

「ここに、悠希さんが……」

 玄関口から射し込む月明かりを頼りに、壁のスイッチを入れると、パッと視界が明るくなった。

 階段は頼りなかったが、室内の造りはしっかりしているように見える。

 右手の方に下駄箱があり、目の前はダイニング兼キッチン。広さだけは確保されているが、それだけだ。電子レンジ、オーブン、炊飯釜……ここにあるもので、瞳子の家にないものは何もない。はずなのだが……

 瞳子は、ぽつりと呟いた。

「あったかい……?」

 そこにあったのは『安心』だ。この『家』には瞳子を――住人を受け入れているという気安さと安心がある。

 

 瞳子の家には何でもある。ただ、気安さと安心がないだけで。

 

 続いて、瞳子は冷蔵庫を見つめる。

 とても小さい冷蔵庫だ。

 扉を開け放つと、カット野菜を詰め込んだタッパーの他に、玉子やレトルトのパック、牛乳、麦茶、調味料等が目に入った。冷凍庫部分には小分けされた肉が整頓して置いてある。

 それらからは、暖かい『家庭』の匂いがした。

 キチンと整頓されたこの冷蔵庫は、馨がしたことだろうか……。

 瞳子は低い声で呟いた。

「ふざけやがって……」

 この暖かい場所で、馨が悠希と『家族ごっこ』をしているのかと思うと、胸の中でどろどろとした熔岩が煮えたぎる。

「こんなもの……」

 激昂した瞳子はカット野菜が入ったタッパーの中身を辺りにぶちまけた。

「こんなもの……!」

 牛乳や麦茶、液体の調味料は全て流しに捨てる。冷凍庫の中の氷を床にばらまき、小分けされた肉の塊を壁に叩き付け、予想以上に大きな物音を立てたところで――

 瞳子は、はっと我に返った。

「あたし、なにやってんだろ……」

 我を忘れたのは一瞬のことだ。しかし、その一瞬でダイニングは大変なことになった。

「これ、どうしよう……」

 辺りは台風が通り過ぎたような有り様だ。玉子は割れ砕け、粘った中身は壁に飛び散り糸を引いている。床一面にカット野菜が散らばり、そこに歪んだ冷凍肉をトッピングしてあった。

 頭を冷やすために喉を潤したいところだが、冷蔵庫の中の飲料は全て流しに棄ててしまった。氷に至っては床に散らばっている。

 生温い水道水は飲む気になれず、瞳子は大きな溜め息を吐き出した。

 蒸し暑い夏の暑気にあてられて、顎に汗が伝う。

 少し頭を冷やしたい。

 瞳子は畳敷きの居間に出た。

 廊下のない家は、瞳子にとって、とても新鮮に映る。扉一枚を隔て移動できるのは楽でいい。居間の中を真っ直ぐ進み、エアコンのスイッチを入れてから、やはり家庭の匂いがする居間を見回す。

 小さなテーブルの上には、醤油や塩の小瓶が置かれてあり、壁にはごみ捨ての曜日が記された自治体のカレンダーが貼ってある。

 不意に――テレビを置いてあるローボードに目が留まった。

 小さな写真立てがあり、白髪混じりの男性と笑顔の悠希が写っている。

 白髪混じりの男性は、おそらく悠希の父親だろうが全然似てない。

 親指を立て、サムズアップしている仕草は良く言って三枚目半。男前には程遠いが、なんだか優しそうに見える。

「……?」

 瞳子は写真の片隅に記された日時を一瞬見やり、その違和感に気付いた。

 写真を撮ったのは四年前のようだが、悠希の容姿は一切変化がない。

 どんなカラクリだ?

 続けて瞳子はローボードの棚を開き、アルバムと思しき冊子を引っ張り出した。

 ページを捲って、一枚一枚確かめる。日付ばかりが変わり、悠希は変わらない。しかし、アルバムの中の父親はどんどん白髪が増えて行く。老いて行く。どのページを開いても笑っている二人だが、瞳子の目には、とても悲しい物語を綴っているようにしか見えない。

 

 瞳子は胸の中の怒気が急速に萎むのを感じた。

 

 不変の時の中で、成長できない少年は、笑いながら老いる父をどんな心境で見守るのだろうか。

 何かに気付きそうだ。

 何かが零れ落ちそうだ。

 瞳子は独り、アルバムを抱えたまま、まんじりともせずに夜を明かした。

 

 空が白む頃になり、瞳子は一つの結論に至る。

 

 家族を増やそう。

 

 幸い、瞳子にはその為の能力が備わっている。

 このアルバムに、いっぱいの幸せを綴ろう。輝く未来を綴ろう。『家族』のアルバムを綴ろう。

 

 陽が昇る。

 瞳子は立ち上がり、その足でキッチンに向かった。

 覚悟を決めて、相変わらずの惨状を呈したキッチンを片づけに掛かる。

 

 今日は、きっといい日だ。

 

 根拠もなくそう考える瞳子の目前で、音もなく、静かに、玄関のドアノブが回った。

 繊細で慎重な行動だった。

「悠希、さん……?」

 ドアの向こうにいるのは悠希だ。馨であるという危険は考えない。

 僅かに開いた扉は、考え直したように元の位置に戻り、カチリと小さな音を立てた。

「……?」

 いったい何事だろう。自分の家で、悠希は何故、遠慮しているのか。

 瞳子は無造作に扉を開け放ち――

 細い悠希の手を捕まえて室内に引き寄せた。

 

「おかえりなさい」

 

◇◇

 

 悠希は、無言だった。

 瞬きすらせず、瞳子を見つめている。その目に瞳子は覚えがある。

 

 理解不能の怪物(モンスター)を見る目だった。

 

 瞬間的に、瞳子は取り返しのつかないミスを犯したことを悟った。

 脳裏に閃いたのは笑顔の新城馨。

 

 ――昨日、ユキのOKが出て、初めて家に行ったんだ!

 

 そんなに昔の話じゃない。

 セックスしているのに、キスしているのに、それはおかしい。順序が逆だと思った。思っただけだった。

 

 馨は、そうせざるを得なかったのだ。

 

 ここに至り、間抜けな瞳子は漸く理解した。

 

 ルールその一。

 呼ばれてもいないのに、家に訪ねてはいけない。

 

 悠希が瞳子を見つめる目付きは、やはり理解不能な怪物を見るそれで――

 くしゃりと端正な表情が歪む。僅かに瞳孔が開いている。みるみるうちに恐怖で染まり――

 完全無欠の超拒絶。

 思った。

 

(あ、終わった……)

 

 絶体絶命。

 そのとき――

 頭の奥でパチンと小さな音が鳴り、瞳子は『あの日』のことを思い出した。

 

 父も母も涙に濡れ、理解不能な怪物を見る目で瞳子を見た『あの日』。

 

 欲しいものがあれば何でも言いなさい、が口癖の祖父が「腹を切れ」と瞳子に勧めた『あの日』。

 

 過度のスパルタ教育で時折死者を出すことで有名なヨットスクールに瞳子を編入させると家族全員が荒ぶった『あの日』。

 

 中年男の警察官が、にやけ面で「忘れ物ですよ」と、風雨でヨレヨレになったエロ本を家に届けた『あの日』。

 

 瞬きほどの猶予も許されぬ刹那の中、瞳子の身体は『あの日』をトレースするように動いた。

 

 その場に跪いて背筋を伸ばし、指は視線の先に揃える。

 頭(こうべ)を垂れて、完全無欠の超謝罪。

 『あの日』と同じように、言った。

 

 

「生まれてきて、ごめんなさい……」

 

 

 好奇心旺盛で不注意。行動力過多。判断力過少。度胸だけならヘビー級。

 瞳子の恋は――

 

 to be continued……

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第64話

 居間のテレビをつけ、朝のニュースを見ながらスナック菓子を食べる。

 

 今日の降水確率は10%。曇りのち晴れ。いつもの洗濯日和みたいだ。

 部屋の隅に一メートル四方にビニールテープが貼ってあって、そこがトウコに与えられたスペース。

 トウコは、ずっと土下座の姿勢。

 いいと言うまで、隅っこのテープから出ないように言ったのは、ぼくだけど、土下座したままでいるようにまでは言ってない。

「…………」

 トウコはずっと無言。反省の意思を示す為、ぼくが許すまでそのままでいるようだ。

 指先を揃え、額を床に着けた猛虎落地星の姿勢。トウコの土下座は凄く堂に入っていて、かっこよさまで感じてしまう。

 家に帰って、トウコがいたことには凄く驚いたし、一瞬パニックに陥りそうになったけど、すかさず土下座した姿を見たら笑ってしまった。

 で、今ここ。

 

「台所、無茶苦茶にしたのはトウコがやったの?」

 

 トウコの肩がビクッと震えたけど、額はずっと床に着けたまま。

 

「はい、自分がやりました。申し訳ありません」

 

 ぼくは呆れて、盛大な溜め息を吐き出した。

 

「なんでそんなことしたのさ」

「……すみません、ついカッとなりました……」

「その説明は訳が分からないよ。トウコは、ぼくの家の冷蔵庫が憎かったの?」

「いえ、いや……そんな感じかもしれません……」

 

 トウコは少し自信がなさそうに言って、やっぱり土下座のままでいる。

 

「駄目になったものは弁償してよね」

「はい、お金で済むことでしたら、幾らでも」

「そう……」

 

 掃除はそれなりに面倒そうだけど、時間にすれば30分もあれば終わる。

 

「もう頭上げていいよ」

「いえ、もう少しこのままでいます。お気遣いなく」

「そう……」

 

 ぼくの悪い予感は外れた。

 トウコは全然怖くなくて、無鉄砲で考えが足りないだけなんだと思う。

 

「後で掃除するの、手伝ってよね」

「それはもう、はい」

「その後は買い出しに行くから、財布兼荷物持ちで着いてきて」

 

 ぼくがそう言うと、トウコは突然押し黙った。

 

「……」

 

「なに、文句あるの?」

 

「いえ、ありません」

 

 やっぱり土下座のままでいるトウコの表情は分からないけど、声の調子は納得していないように聞こえる。

 

「文句あるなら言いなよ。らしくないね」

 

 ぼくはテレビに視線を戻し、スナック菓子を一口かじる。トウコが馬鹿をやったお陰で、今朝はこれが朝食。カオルに何かねだっておけば良かったと思っていると――

 

「悠希さんは、やっぱりユルくなってます。簡単に自分を許さないで下さい」

 

「……」

 

 ぼくはムッとして、またトウコに視線を向けた。

 

「……トウコはおかしなこと言うね。許してほしいんじゃないの……?」

「はい。けど、もうちょっと、こう……色々あると思います」

「ふうん……例えば?」

 

 頭を下げたまま、トウコがごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。

 

「……自分が悠希さんの立場なら、相手をボコボコにして警察に突き出します」

 

「へえ……」

 

 そこまで言えるトウコに、ぼくは少し感心した。本気で反省しているみたいに思える。

 

「トウコは、ぼくに苛めてほしいの?」

「いや、そういう訳じゃ……いえ、そうです。ガツンとやって下さい」

 

 トウコは罰されたい気持ちみたい。

 

「寝てる女だからって、手加減しないで下さい。そういうのは、悠希さんの為にならないと思います」

 

「…………」

 

 ボコボコにするかどうかは別にして、警察に通報することは特におかしなことじゃないような気がした。でも、今も頭を下げているトウコを見ていると、それはやり過ぎのような気もする。

 Hしてることが大きい。

 トウコに言われて、ぼくは少し考え込む。

 でも、肌を重ねた女の子に、ちょっとオマケしてあげることは駄目なことなんだろうか……。

 ぼくは強く頭を振った。

 ビッチをやっている内に、考え方が毒されてきたような気がした。

 心を鬼にして、言った。

 

「分かった、それじゃあ……」

 

 ものすごく気が進まないけれど。

 

「メチャクチャにしてあげる」

 

◇◇◇

 

 ――5分後。

 全裸になったトウコが、テーブルの上で大股を開いて自分の胸を揉んでいる。

 

 テレビは点けっ放しになっていて、女子アナのトークに混じってトウコの甘ったるい喘ぎが聞こえる。

 

「ふぅ、う、うぅ……あっ……」

 

 テーブルの上でオナニーしろと言ったのはぼくだけど、トウコは胸ばかり揉んでいてつまらない。

 

「トウコは、一人でもするときあるの……?」

「は、はい……」

 

 乳房を掌で揉みながら、トウコは固く尖った乳首を指先で弄んでいる。

 

「爪を切ってある女の子って、一人Hのとき膣に指を入れるタイプだって聞いたけど、本当?」

 

 この際なので、ぼくはネットで読んだ胡散臭い噂の真相をトウコに尋ねてみた。

 

「わ、わかんないです」

 

 答えるトウコの頬が羞恥で赤く染まり、吐息も熱く震えだす。いつもは悪戯っぽく動く黒曜石の瞳は潤み、眦が垂れ下がっていた。

 視線を下げると、閉じた陰唇の中心部分から透明の粘液が滲み出て、ぽつりと粒になっている。

 

「トウコは、指を挿れるタイプ?」

 

「……じ、自分は、挿れません……こ、怖いんで……ツッ!」

 

 腰を小さく震わせるトウコの陰唇から垂れ下がった粘液が、長い糸を引いてテーブルの上に落ちる。

 トウコは少し男が苦手。

 ぼくを受け入れているといっても、膣に指を挿入するのは抵抗があるみたいだった。

 

「あそこ、開いて見せて?」

「は、はい。分かりました……」

 

 眦の下がった瞳を潤め、トウコは小さく頷く。大きく開いた脚の間にある肉の裂け目を両手でゆっくりと開くと、くちゃっと水の跳ねる音がして、サーモンピンクの肉壁が露になった。

 

「一人でするときは、どうしてるの?」

「……じ、自分は、その、クリトリスを、その……」

 

 トウコはクリ派。

 流石に自分の自慰を説明するのは恥ずかしいみたいで、腰をモゾモゾさせて背けようとする。

 

「あ、み、見ないで……」

 

 情欲に掠れた声は、まるで泣いているみたいにも聞こえる。

 

「駄目。罰なんだから、ちゃんと見せて。ほら、こっち向く」

 

 トウコは顔をくしゃくしゃと歪め、今にも泣きだしそうな表情になった。

 

「変態」

 

「…………」

 

 その一言がとどめになったのか、トウコの眦に涙が浮かんだ。

 

「……やれって言ったの、悠希さんじゃないですかぁ……」

「濡らせとも感じろとも言ってないよね」

 

 トウコは鼻を啜って、それでも開いた陰唇から手を離さない。

 ぼくは、また感心した。

 

「トウコは偉いね。少しだけ手伝ってあげる」

 

 言って、ぼくは包皮から顔を出すクリトリスに触れた。

 

「あっ……!」

 

 大きく呻き、トウコの腰がビクンと跳ねる。

 粘る愛液を弄びながら、指先で擽るようにトウコのクリトリスを刺激する。

 

「あっあっあっあっ……!」

 

 二速、三速と快楽のギアが上がり、トウコの喘ぎが上擦って行く。

 

「ここ、皮が被ってるね」

「あぅあぅあぅあぅ……!」

 

 トウコは全身を赤く染め、反射的に閉じようとする脚を無理矢理開いて、腰を浮かせたブリッジの姿勢になった。

 室内の温度が高くなる。

 包皮にくるまり、息苦しそうなトウコのクリトリスの皮をつるりと剥いてあげる。

 

「ひぐっ……!」

 

 がくん、と腰を上下させ、開いた陰唇から粘る愛液が新たに流れ落ちる。

 

「今度からは、勝手に家に入っちゃ駄目だよ」

 

 健気に陰唇を押し開く手はそのまま。トウコは、ぼくに性器を押し付けるような格好で腰を震わせている。

 

「……ごめんなさいぃ……きらいに、ならないでくださいぃ……」

 

 泣きながら喘ぐトウコのクリトリスは、先程から激しい収縮を繰り返している。膣口から溢れた愛液がお尻まで伝っている。限界が近いのは明らかだった。

 

「それと――」

 

 不意打ち気味に、トウコの膣に指を捩じ込んだ。

 

「ひぎぃぃっ!!」

 

 絶叫したトウコの膣肉が、ぼくの指をぎりぎりと締め上げる。

 

「ちゃんと皮剥いて洗えよ」

 

 冷たく言って、トウコを抉る指を二本に増やす。

 

「ああああああああ……!」

 

 愛液の飛沫を飛ばし、一足飛びに快楽の階段を駆け上がるトウコの耳元で、最後に囁いた。

 

「トウコのアソコ、カスが溜まってて臭いから」

 

「ごぇんしゃいごぇんしゃい……イきましゅ、イきましゅうううう!!」

 

 次の瞬間、トウコは泣きながら全身を仰け反らせて激しく絶頂した。

 

 ぴん、と脚を伸ばしてブリッジの姿勢のトウコの腰が、ゴトンッと大きな音を立ててテーブルに落ちた。

 

 ぼくの指を噛み締め、ヒクヒクと痙攣する陰部から大量の尿が溢れだしてテーブルの上に拡がって行く。

 そこで――

 

「……」

 

 また、家を汚してしまったことに気付き、ぼくは頭を抱えた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。