心中が喧しいパチュリーさんの小悪魔達観察記 (風緑.)
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一歩を繰り返せば千里になる
1P目 = イントロダクション


 パチュリー・ノーレッジの朝は規則的だ。

 朝四時、起床。

 四時十分、洗面。

 四時二十分、衣服を整え、

 四時四十分には机につく。

 そして五時半、眼精疲労。

 

 

 

 ……いやいやいや、早すぎ。五十分よ。一時間経ってないのよ。なのに目がもうゴロゴロの実よ。天空の島も支配できちゃうわよ。どういうことなの。

 

 さて、おはようございます。こちら紅き館の大図書館。紙と知識に包まれて、机に座するは館の主、パチュリー・ノーレッジでございます。最近喘息の他に眼精疲労という友達が増えました。なんてこったい。

 これが妖精とかなら目が回復するまで外で陽気に遊んでればいいけど、こちとら陰気の魔女である。魔導書を一日十五時間は読んでないと気が済まない程度には魔女である。そんな女がたかだか眼精疲労ごときに負けてたまるもんですか……

 あ、いや無理。文字が踊ってる。ピンボケてる。というかこれ文字? 挿絵じゃない? 全部がきらきらしゃらしゃらでもう何も見えないじゃない。やばい、止めよう、休もう三段活用。魔女だって人並みに休憩が必要なのだ。具体的には三週間に一時間くらい。

 

 そんなこんなで私はソファへ横たわった。

 

 …

 

 

 ……

 

 

 

 …………、

 

 

 

 

 暇じゃ。

 

 

 予想以上に暇である。

 しかし私は一度起きると寝れなくなってしまうタイプだ。二度寝は不可能。かといって今は早朝。魔導書読む以外にできることなんてオールモストナーン。

 レミィは寝てるし、咲夜は朝食の準備中、美鈴は今が一番忙しく、フランの寝起きに近づこうものなら転生コースである。私はそんなレールの上の人生は歩みたくない。いや、魔女だから人じゃないけど。

 

 …

 

 ……

 

 妖精メイド……は居ないか。早朝に出てくる妖精なんて居るまい。ぽかぽか暖かくなってからのんびり出勤が彼女らのポリシーらしい。それで良いのかと思うが、まあ咲夜が何も言わないからいいんでしょう。

 

 ホフゴブリン……も寝てるか。それに会ったところで何をするのか。割と真剣に彼らで実験ぐらいしか思いつかない。いくら魔法に身を捧げた私といえど勝手に人で実験しちゃいけないことくらい分かる。実家じゃあるまいに。

 

 小悪魔……は……

 

 

 

 

 

 ……小悪魔? 

 

 

 

 

「そうか! 小悪魔よ!」

 

 ソファから魔法を使ってガバッと起き上がり、いつもの机に飛びつく。情けない話ではあるが、腹筋だけでは起き上がれないのだ。……今度、試しに身体強化の魔法を全部解いてみましょう。たまにはそれをやらないと本当にまずい気がする。主に溜まりに溜まった贅肉が。女として。尊厳が。

 しかし今日だけは勘弁していただきたい。閃きというものは繊細で、早めに処理しないとすぐ立ち消えてしまう。寝てもいないのにみすみす夢散なんてさせるものですか。いや、それは霧散と書くのだっけ? 

 そんな思考と並列に、慌ただしく手が動き、机の上に次々と陣が描かれていく。ただの魔法使いならこんなことをしたら精密な魔法式がぐずぐずに崩れてしまうが、私なら問題ない。今更この程度の式なんて、五感もがれても作れるね。嘘ですごめんなさい。せめて触覚だけは残して。

 

 さて、あと数分もすれば式自体は完成する。なのでその合間に私が何を閃いたか──の前に、小悪魔について簡単に記しておこう。

 小悪魔。我が大図書館において、司書として召喚した二十数名のことを指す。

 適当にまとめて召喚したせいで本当に有能というやつは少ないが、それでもこの図書館にあるAからZまでの本棚を一人に一つずつ割り当てられるくらいには優秀だ。……一名、ろくでもないのがいるけど。

 そんな小悪魔たちにも共通の欠点が存在する。欠点というか、私がやろうとしなかったのだが。内情がほとんど分からないのだ。

 もちろん司書をさせているだけなのだし、わざわざ知る必要もないではないか、という意見もあるかもしれない。

 だが、ここは大図書館である。そして私は大図書館の主の魔女である。そいつが魔本を、言うなれば自らの魂を預けている者がどんな奴かも知らないだなんて、あまりに滑稽というものだろう。

 

 そう、私はここで閃いた。だから知らねばならないって今唐突に考えた。二十数名もいるからしばらくは暇をつぶす暇は無くなりそうね。ふふ、たのしみ。先にコーヒーを淹れておくべきだったかしら? 

 

 もちろん他にも理由はある。実はここの主、レミリア・スカーレットは妖精メイドの顔も名前も全て一致しているというのだ。このままだといずれ『おやパチェ、君は一人も覚えていないのかい?』とか言ってレミィにドヤ顔される気がする。それは私のプライドが許さん。

 一応一人二人は一致するけどさ。まあそんなんじゃ焼け石に水よ。せっかくだし私も全員覚えて見返してやるんだから。舐めるなよ私の器の小ささを。お猪口と紙一重のバトル繰り広げてやるからな。

 

「さて、こんなものかしら」

 

 途中で脱線しかけた思考を現実に戻すと、あら不思議、目の前には立派な魔法陣。角っこには成功のおまじないとしてこだわりの桜模様も入っております。ふふ、これは女子力ポイント高いわね。そんな呪いはないからなんの意味もないけど。いいわよ、気分だもの。

 で、これが何かというと。ずばり遠見の魔法陣だ。誰がどこにいようとこれを使えばもうあらゆる物が丸見えよ。父親はよくこれを愛用していたわね。なぜかって? それは知らなくていいことよ。ただ、共同浴場に行く時よく使ってたわ。何ででしょうね。

 目を閉じてそんな昔を思い出しつつ、魔法陣に手を当て魔力を流す。途端に、紅魔館の周辺の映像が私の頭の中に流れ込んだ。目を介するのではなく、イメージがそのまま頭に叩きこまれる。

 遠見の魔法は、その特徴ゆえ長く覗き続けなければならない。だから眼精疲労にも優しい、目を使わない仕様になっているのだ。なんて素晴らしい。ここの改良を施した人に敬意を払いたいわ。

 ……いや、やめよう。だってここ改良したの父親だし。しかも父親は用途が用途だし。敬意どころか軽視したいレベルだ。だから魔女らしく傲慢に当然のように使ってさし上げますわ、お父様。

 

「えーっと、こうしたらこうで、ああしたら……うきゃあ! 太陽!」

 

 これを発動したのは地底の異変以来なので、思い出すように軽くズームや視点移動を試してから、いざ出発。

 どこへ行くかだって? 決まってるじゃない。内情を知るのもまず小さな一歩から。

 

「ふう……。さーて、まずはZ……ゼンのところへレッツゴー!」

 

 とどのつまり、観察しに行くのだ。

 

 



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2P目 = Z_ゼンと公然

 これはよく勘違いされやすいのだが、大図書館の司書全員が、紅魔館で寝泊まりしているわけではない。

 

 比率的には紅魔館で寝泊まりしている者のほうが多いが、人里や森、果ては(初めて聞いた時は耳を疑ったが)妖怪の山で暮らしている者までいるそうだ。片道一時間。何が彼女を駆り立てるのだろう。

 いや、分かってるわよ。契約して呼び出したわりに、悪魔たちを野放しにしすぎじゃないか、そんなので職務は大丈夫なのかとか。

 でもしょうがないじゃない。大図書館のネームバリューを借りたとはいえ、あの頃の私が二十数名も同時に呼び出しただけでも十分でしょう。縛りなんて契約加えられなかったのよ。

 幸い本が別の棚に入ってたとか、ボロボロに破けてたなんてことはほとんどないから、図書館としては問題もなかったし。今まで紅魔館に小悪魔関係の苦情が入ったこともなかったし。だからきっかけがなくて小悪魔たちのことを知れなかったのかもしれないが。

 

 

 で、今回覗くのは紅魔館にいないほうの小悪魔である。

 名前はゼン。Zの書庫を任せている、小悪魔の中でもかなり小さい小悪魔だ。

 

 あとは知らない。

 

 やめて。物を投げないで。だって呼び出してすぐ魔力切れでぶっ倒れたのよ私。後で全員分の名前が書かれた紙をC担当から貰わなかったら、きっと名前すらわからなかったわ。だからこうして今知ろうとしてるから。私変わろうとしてるから。許して。大体何でもするから。

 

 そうこうしているうちに、森が見えてきた。

 もちろん住処も知らないので、その子が毎回帰っていく方向に向かっているだけである。もしかしたら通り過ぎたかもしれない。あるいは曲がり損ねたかもしれない。というかそもそも逆方向かも。

 

 ……。

 

 少し不安になりしばらくそこでウロウロしていると、がささ、と草の揺れる音が聞こえた。

 運がいい、ビンゴだ。すぐに聞き耳を立てて、木の後ろに隠れる。

 って隠れる必要はないわ。これは遠見の魔法なのだ。媒体を飛ばす必要が無いようにこの前改良したし、こちらを見られても絶対バレない。まったく、恥ずかしい真似しちゃったわね。そう思いながらお尻をはたいて……それする必要も無いわ。やば、恥ずっ。

 

 目を閉じたまま机の上でバタバタするのが一番恥ずかしいことに気がついた頃、その影は現れた。

 頭に小さな羽根。赤い綺麗な髪。

 一応制服として指定している黒いベストと白いシャツと黒いスラックス。

 で、妖精ぐらいの背丈。

 顔が一致してないから自信ないけど、多分ゼンだ。ちょうどいい、こうして顔をじっくり見る機会なんてなかなか無いし、今のうちに覚えておかねば。

 

 ……

 

 ……

 

 何この子。めっちゃ可愛い。

 女性的に魅力がある、という意味ではない。何と言うか、庇護欲を掻き立てられるというか、ベビーシェマというか。いやそれは失礼か。

 あれだ、ショタっ子というやつだ。いや、男か女かも知らないけど。薄っぺらな本で読んだ。内容も薄っぺらだったけど、こんなところで役に立つとは。まずいわ、今度会ったらつい抱きしめてしまいそう。やはりの……内情を知ってよかった。事前に知っておけば対策はいくらでも立てられるもの。知識最強。知恵最高。信じる神は頭の中。

 あー、これを見ただけでも遠見を発動させたかいがあるってものだわ。けれどまだ解除はしない。顔と名前、それに特徴も関連して覚えておけば忘れにくいからね。幸いゼンには身長という素晴らしい長所があるけど、それだけじゃまだ紅魔館では埋もれるレベルよ。もうひとつぐらいパンチが欲しいわね。

 

 ところで、この子は一体何をしてるのかしら。さっきからきょろきょろ周りを見回して。誰か探してるのかな? 

 あ、なんか来た。ん? メイド服の妖精? 珍しいわね、こんな朝早くにメイド妖精を見るなんて。

 あら、ゼンが笑顔を浮かべたわね。どうやら妖精を探してたみたい。もしかして妖精を紅魔館に連れてってくれるのかしら。だとしたら司書の仕事に加えて妖精を連れてくる甲斐性もあるショタっ子ということになるわね。

 

 ほう。よろしい、ならば賃上げだ。我が大図書館はこまめに成果を加算していく実力主義。課外だろうが業務外だろうが関係ないね。見つけた以上成果は成果。身に覚えのない給料に恐れおののくがいいわ。

 いやそもそも理由説明しろって言われても出来ないんだけど。のぞ……観察がバレるのはまずいし。

 おっ、ちゃんと手も繋ぐのね。いいわよー、はぐれないための工夫もしている。加点高いわよこれは。でも両手まで繋ぐ必要はないんじゃないかしら。歩けないわよそれ。

 あれ? 見つめ合い始めたんだけど、何この雰囲気? ちょっと、道案内じゃないの? なんか妖精のほう目を閉じてめっちゃ赤くなってるんだけど、え、これってまさかまさかまさかまさか──

 

 そのまま、唇が重なる。

 

「は?」

 

 十秒間は経っただろうか。繋いでいた手はいつの間にか互いの背中に回され、二人は抱きしめあいながら、愛を確かめていた。

 

「……は?」

 

 待て。何だ? 私は何を見ているんだ? ゼンを見つけて、メイド妖精も見つけて、そしたら二人がキ……キスを始めて……

 え、じゃあ、あの二人。

 付き合って……る? 

 

「え、え、えええぇぇぇぇえええ!!!??」

「わっ! ど、どうされましたかパチュリー様! あれ? 目を閉じてる? ……ああ、遠見ですか。びっくりした。お盆ひっくり返すとこでした」

 

 どういう、はぁ!? 館内恋愛!? 私も確かに知ろうとしなかったけど、こんな事まで起きてたなんて、いや信じられ、ええぇ!? 

 

「あれ? パチュリー様、私に気づいてますかー? パーチュリーさまー。んー、ダメみたいですね。そんなに面白いものを見たんでしょうか」

 

 ま、まあ恋愛禁止とか一言も言ってないし縛ったこともないから別に自由にやればいいとは思うけどいやいやメイドは盲点だったし別に今度からも平常心で接することぐらい多分出来るけどそれでもかなり衝撃的ねもう忘れられないわよこれ。『小さなゼン』から『恋愛のゼン』に超進化よ。クローバーが月下美人に変わるレベルよ。

 まじか、主より早く彼女作るのかお前。主より早くキス体験かお前。別に悔しくなんてないけどいやそれでも……

 

「なら私も見せてもらいましょうかねー。お盆を置いてー。魔法陣のここをこうしてっと。で、手を当ててー。目を閉じれば私にも見えてくるはずー。……え? え、え? うわぁ……」

 

 ……ぐっ! 遠見中止! これ以上見てたら、私の乙女が崩れる! 過去百年彼氏無しの私の尊厳が消える! その前に! 

 

「解除!」

 

 脳内のイメージを少しずつ消し、ゆっくりと目を開ける。こんなに動揺しても私の無意識はしっかり働いているようで、急に視点が変わることによる遠見酔いをしないためのマニュアルをきちんとこなしていく。

 そして帰ってくる、いつもの図書館の風景。

 

「……ふー。」

 

 そこで気を抜くと帰ってくる、さっきの光景。

 やばいやばい。酔ってないけどめまいが。軽く記憶処理すべきかしら。でも目的は達成したしなあ。

 

「わわ、っとと。お疲れ様です! はい、コーヒーをどうぞ!」

「ああ、ありがと、コア……」

 

『恋愛のゼン』だけ残して忘れようかと考えていると、いつの間にかそばにいた私の側近(自称)の小悪魔が、熱々のコーヒーを手渡してきた。ちょうどいいわね。水が飲みたかったところなの。……ん? 

 

「いたの、コア」

「あー! やっぱり気づいてなかったんですね! 酷いです!」

「ごめんなさい。魔法を使うとやっぱり周りが気にならなくなるわ」

「それ本読む時も言ってましたよね!」

「じゃあいつも周りを気にしてないわ、私」

「パチュリー様の生活は読書と魔法の二択なんですか!?」

 

 わあわあと騒ぐコアを適当になだめていると、視界の端に遠見の魔法陣が入った。

 くそっ、やっぱり父親が関わる術にはろくな物がないわね。記憶処理で忘れるべきかしら、この魔法。

 いややめよう、記憶処理も父親の魔法だし。それによく考えたらこれを応用すれば眼精疲労なしで本が読めるのだし、もう少し使ってあげまし……

 あれ、なんか陣が増えてる? 第七円環と副第四円環の間にこんな陣あったっけ。えーと、ここは確かイメージの宛先を決める部分だから、弄られてるってことはつまり。

 

 つまり。

 

 いや、……いや、うん。ないって。ないない。誰かにさっきの覗きを覗かれてたとか、いやいやいや。ないわー。

 

「ふん。でもいいです、許しますよ。いいものも見れましたし」

 

 ないよなー。うんうん。なんかコアが不穏なこと言ってるけど、関係ないよなー。

 

「……良いものって何かしら?」

「はっはっはー、やだなあパチュリー様。ご想像のとおりですよー」

 

 ないよなー。本当にさー。凄い天真爛漫な笑顔向けられてんだけどなー。悪意0%っぽいのにさー。

 

「覗きだなんて、いい趣味してますよねパチュリー様!」

 

 ないわー……。

 

 



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3P目 = 共犯者

 後で知ったことだが、ゼンはいつも小悪魔たちの中で一番に仕事を始めるらしい。

 だから見つけるのは容易かった。

 

「あ、おはようございますパチュリー様! 珍しいですね、僕に話しかけてこられるなんて」

「ゼン……」

 

 よろめきつつも前に立ち。

 

「え? あの、どうしたんですか、大丈夫ですか? お顔が真っ青ですよ」

「ゼェェェン!」

 

 狙いを定めて胸に飛び込む。そのまま床にダイブ。衝撃はちゃんと魔法で軽減している。

 

「うわわ!? 何!? なんですか!?」

「ごめんなさいぃ……でもしばらくこうさせてぇぇ……」

 

 彼ら彼女らは契約を交わした小悪魔だ。だからこうして急に飛びついても許される。いや私が許す。知識? 知恵? 欲望の前には無価値なり。だから傷ついた私の心を癒やしてくれ。頼む。

 

「は、はぁ……まぁ、いいですけど」

「ありがとうゼン……」

 

 ……割と衝動的に飛び込んだけど、許してくれるのか。いかん。これは癖になりそうだ。妖精メイドが惚れるのもわかるわこれ。飛びついても男か女かわからないけど。

 でもあまりやり過ぎてはいけない。なにせ私はこの子と妖精メイドのことは知らない体なのだ。無知を盾にしてセクハラの限りとか最低の行為だからね。これ? これはまだスキンシップよ。

 

「はぁ……三十分くらいこうしたい」

 

 あ、しまった欲望が口を貫いた。しょうがない、ゼンの魔性のせいとかにしておこう。ゼンが悪いのだ。いや私はその百倍悪いのだが。後で謝っておかねば。

 

「それはちょっと……というか本気で変ですよ、パチュリー様。一度診てもらったほうがいいのでは?」

 

 やべえよ、天使がいるよ。悪魔だけど。私の発言をサラリと受け流してくれたよ。しかもめちゃめちゃ心配してくれるよ。なんか心配の方向性が違う気もするけど。

 

「ありがとう、大丈夫、大丈夫だから……」

「うーん、でも、精神汚染などでしたら僕の手に負えませんし……どうしたら」

 

「とうっ! その心配はありませーん!」

 

「げっ! あっち行け! ……むきゃー!」

 

 本棚の陰から待ってましたと言わんばかりに飛び出てきたコアが、私の首根っこを掴んでゼンから引き剥がした。

 

「あ、コア先輩! おはようございます! ちょうどよかった、パチュリー様がなんだかおかしくて」

「へいへーい、オーケーオーケー。みなまで言わなくていいよ、ゼンくん。パチュリー様は私がきっちり治しましょう!」

「どの面下げてそのセリフを……むぎゅ!」

 

 文句の一つも垂れようとしたら、手でそっと口をふさがれた。

 そしてこっそり鼻も塞がれた。おい、ちょっ、息、呼吸! 

 

「治せるんですか! あぁ、良かった〜。僕もなにか手伝いましょうか?」

「ふっふっふ。嬉しいわねえ。けど高度な魔法を使いますので、私にしか治せないんです。だからここは私に任せて、ゼンくんは自分の仕事を全うしてくださいね。そしたらきっとパチュリー様も喜びますよ!」

「は……はい! では、よろしくお願いします」

「イエス! 任せられた!」

 

 威勢の良い返事をして、コアは私の首根っこと顔をしっかりホールドしながら、私を机へと引きずっていった。このどう見ても主従以前の問題の絵を見ても、ゼンはただ笑顔で手を振るのみ。

 

「早く良くなってくださいね、パチュリー様!」

 

 いや、悪気はない。きっとゼンは、全部信じているのだ。さっきのコアの話を。私そんな子を押し倒したの? 今更になって半端ない罪悪感感じる。

 まあそれは後で土下座でも何でもするとして、まずいわね、ちょっといい子すぎるわ。今度謝りついでに教育もしなくちゃ。頭から羽生やした奴は信じてはいけませんって。

 

 薄れゆく酸素と意識の中ゼンに手を振り返していると、私の机に到着した。

 さっき遠見の魔法陣を描いた机だ。だが今は何も無い。他にバレたらまずいのでちゃんと消したのだ。

 

 

「さあ! それではパチュリー様、次の小悪魔を覗いてみましょうか!」

 

 

 ……消したんだ。もう、手遅れだったのだが。

 

 

 

 

 

 

 きっと知りたいことがあると思う。けどそれは、言葉にしてしまえば三行で終わるから終わらせるわ。

 

 ・覗きがバレて

 ・誰にも言うなと念を押し

 ・秘密にする代わりに覗きを私にも見せろと迫った

 

 ……うん。何この最低なマザーグース。三行の前にあいつに三行半突き付けたい。けどコアが監視下にいなかったらそれはそれで言いふらされないかと心配になるわけで。あぁ、面倒……。記憶処理もっと学ぼうかな。

 なんて考えていると、コアが私の顔から手を離した。反射的に息を思いっきり吸い込む。ってやば、埃が──

 

「けほ、けほっ」

 

 ……なんかそれほどでもないな。誰かこのへん掃除したのかしら。まあ、多分咲夜あたりだろう。今度お礼にクッキーを焼いてやろう。ハートでフェルトなやつを。

 

「大丈夫ですね? パチュリー様」

「心配じゃなくて確認なの?」

「あったりまえですよ! むしろ大魔導師パチュリー・ノーレッジ様に心配や遠慮は失礼だと思ってます!」

 

 コアがえへんと胸を張る。うん、こいつ忠誠心はあるんだよな。他のものが無いだけで。

 

 あぁ、この子の紹介をしておきましょう。C担当、コアである。

 私の側近を自称しており、書庫整理だけでなく、本を読んでる時にコーヒーを淹れてきたり、それに自作のお菓子をつけたり、座り心地のいい椅子を香霖堂から輸入したりと色々な仕事をしている。

 

 そう、実に色々な仕事をしている。

 

 善悪関係なく。

 

 だから今回のように、厄介事を持って来ることもまれにある。いや違うわね。性格が性格なだけに、厄介事はよくある。おかげで私の中で数少ない、名前と顔が一致しているロクでもない小悪魔だ。

 なので気軽に軽口も叩ける。

 

「親しき仲にも?」

「フォーリンラブ」

「そんな甘酸っぱい諺は無い」

 

 幼なじみから始まるストーリーかよ。そんな人生なんてないわよ、普通。そう思うのは私が幼少期を百年近く前に過ごしたからかしら。

 そう考えたら、小悪魔たちとも七十年程度の付き合いか。……逆に私、よくも知らずに生きてこれたわね。こいつを除いて。

 

「いいじゃなぃですかぁ、信じさせてくださいよぉ。幼なじみも、先輩後輩も、その破局も」

「あなたって本当模範的な悪魔ね。意外と上位なの?」

 

 上位で小悪魔というのもよくわからないが、うちの小悪魔の小は小間使いの小なのでおかしくない。それに本当の小悪魔でも上位であることはまれにある。魔界の神話にも小悪魔が神を討ち取って上位小悪魔になった話があるそうだし。そこまでやっても大悪魔にはならないのか、と思った。

 

「ほらほら、そんなことは後でいいんですよ! 他の小悪魔たちが来る前に、次始めちゃいましょ!」

「もうやってるわよ……不本意ながら」

 

 あからさまな話逸らしだなと思いつつ手を動かす。

 前にも言ったとおり、遠見の魔法式はよそ見してても作れる簡単なものだ。あくまで私にとって、だが。

 だから話しながら式を組み直している。ああ、もちろん桜のワンポイントは外した。今そんな気分じゃないのよ。代わりに彼岸花のワンポイントを付ける。よし。

 

「へえー、この魔法ってこんなふうに出来てるんですねぇ」

「あなた、式に式を割りこませたのに知らなかったのね」

「私あくまでエンドユーザーですので」

「……」

 

「知らずに使うだなんて、未知を探索する魔法使いとしてどうなのか」と言いかけてやめた。

 その言葉、私にも刺さるからね。知らずに小悪魔使ってきたからね。もうバットで打ち返されたら全部ホームランよ。スタンドに突き刺さる弾丸ライナーよ。その心を読んだのか知らないけどコアはずーっとにやにやしてるし。

 

 ようし決めたよ、全員分見終わったらこの子にお仕置きしてあげようじゃないか。その上で私はみんなに謝ろう。土下座土下寝土下スタンド何でも来いよ。いやその覚悟があるなら今やめろって話だけど。

 

 あれだ、そう、乗りかかったタイタニックみたいな。死なば諸共みたいな。ええいそうだよ知識欲だよ。一人知った以上もう止まらないわよ今更。いざ倒れ逝くその時まで欲望のまま生きてやる。

 

 その決意とともに組まれた魔法陣は、いつもより気高く見えた。その厳かな雰囲気のせいで、ついゆっくりと腕を置いてしまう。なお、使用用途。

 

「できましたか! それじゃあ早速始めましょう! 私、少々皆様のことには詳しいですからね! 名前を言って頂けたら指定もできます!」

 

 あとなんでコアはこんなにハイテンションなの。その百分の一でも吸い取ってやろうかと思ったけど、コアのテンションを取り込んだら体が持たなそうなのでやっぱり却下。喘息、眼精疲労に続いて筋肉痛が仲間入りとか笑えるわ。私友達は少なく深く派だから。君たちとはまたいつか会おう。

 

「あらそう……じゃあ、Y担当」

「インさんですね! かしこまりー!」

 

 居酒屋のような掛け声とともに、コアも魔法陣に手を入れた。そして陣が回転し、瞬き、浮き出て起動する。

 不謹慎ながらわくわくするわね。私のテンションは未だ低いままだけど、ま、楽しむときは楽しみましょうか。

 

 



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4P目 = Y_インと烙印

 視界を移動させていく間に、コアからいくつかインについて説明された。

 

 Y担当、イン。何故か赤い髪が多い小悪魔たちの中で、珍しく銀髪の小悪魔。

 といってもなにか特殊というわけでもなく、魔界名物銀の河に頭から突っ込んだだけとか。常温で流れる銀色……いや、まさかな。本物だったら賢者の石を使う私としてはさすがというところだが。

 というか魔界に銀の河なんて魔界神もなかなかいい趣味してるわね。宇宙なんてないのに。それより何故に日本語対応なのかが気になるけど。いつか会う機会があったら助言しよう。牛乳で作ったほうがグローバルよ。

 

 そして髪の色以外は至って普通らしい。

 そう、普通なのだ。私よりもインのことを知ってるだろう、小悪魔たちから見ても。

 なのでコアもインの私生活は気になるそうだ。あまりにも普通すぎるからなにか面白いところはないかと。要はいじりネタを探しているそうで。こいつほんと悪魔だな。私が言えたことじゃないけどさ。

 

 で、インの住んでるらしい場所に着いたわけだが。

 

「……本当にここなの?」

「ここですよー。私が嘘をつく理由がないじゃないですか」

 

 せやな。せやけど。せやかてコア。

 

 

 輝針城はないだろ。

 

 

 

 

 

 逆さ城、輝針城の内部はとても美しい。

 それはきらびやかでありながら、同時に教会のような厳かさを持つこの雰囲気による。金と赤を効果的に使って豪華さ、絢爛さを前に出しつつ、細やかな白と黒の装飾によりその印象を整える。一見相反しそうなその二つの要素を、日本様式の建築で上手くまとめることにより、けばけばしくなく静かで、例えるなら心地良い威圧感のようなものを見る者に与えるのだ。

 ちなみに、魔法的に見た場合このままではあまりよろしくない。五行的に青が畳の端っこくらいしかなく、均衡が取れないのだ。だから普通の城は池や堀などを掘ることで青を補うのだが、逆さ城ではそれは容易には実現できない。だからかわりに窓を大きく取り、()()が見えやすいようにしているのだろう。なるほど、面白い。

 

 そして現在私達はその城の一階……最上階? にいる。

 

 

「輝針城に居座る奴のどこが普通なのよ」

 

 開口一番、私は突っ込んだ。

 

「インさんは普通ですよ。一般家屋って屋根があって、壁があって、入り口がありますよね? ほら、普通じゃないですか」

 

 コアは何を言っているんだ、という顔でこちらを見てくる。違う、共通点を指摘しろと言ったわけではない。状況の問題だ。

 輝針城だぞ。高貴な姫様が呼び出した、れっきとした空中城なんだぞ。いくら今は妖精や陰陽玉や神に天人、小人くらいしかいないほぼ無人の城だからって、いや意外と居るな、そこに我が物顔で居座るとかどんだけ図太い根性してるのよ。レミィでもそんなこと……するか。あいつならやる。

 

「そうね、普通じゃないわね」

「そうでしょうそうでしょう。……あれ? ま、どっちにしろネタにはなりませんよ。それなら小悪魔司書って肩書のほうが面白いです」 

 

 まあ、それは否定できない。悪魔って本来そいつの能力を欲して呼ぶものであって、誰でもいいから仕事してとかそんな雑な召喚したのは私ぐらいだろうし。今にして思えばそんなんでよく二十数名も集まったなあ。大図書館ネーバリマジぱねぇ。

 

「さて、それなら小悪魔司書さん。インはどこにいるのかしら?」

「ふーむ……ここに住んでるってことしか知らないんですよねえ。いくら私生活気になっても覗きまでするつもりはなかったですし」

 

 悪かったな、覗きまでするような主で。あとお前も覗いてるから同罪だからな。私のお仕置きのあとで一緒に土下座させるからな。覚えとけよ。

 

「うーん、生命探知とかありませんか?」

「探知ねぇ……普通にやったら陰陽玉も引っかかるのよ。あれは生命エネルギーが入ってるから」

「なるほど。では、色別識別(カラーズエンカウンター)など」

「またずいぶんとマイナーな魔法知ってるわね」

「使えないんですか?」

「ふん、私を誰だと思ってるの」

 

 右手で魔法陣を維持しつつ、左手で魔法式を編む。

 

 透視や特殊な探知なら陰陽玉も妖精も弾いて目的の相手だけ探せる。でも、それらは遠見中に使えない。

 正確には使えるけれど、遠見という入り口には大きすぎて送れないといった感じだ。ボトルネックといえば分かりやすいか。媒体を間に挟めばまだマシになるけど……まあ、しょうがないわね。今後の改善点だわ。

 ちなみにボトルシップのように中──遠見のイメージの向こうで式を組み立てる手も無くはないけれど、時間とコスト的に却下。そういうのは人形遣いのやり方だもの。

 

 左手を右手に合わせ、遠見の魔法陣に識別の陣を加え入れる。これでよし。

 

「いつ見ても鮮やかなお手前で」

「ありがとう。あなたもやってみる?」

「遠慮しますよ、私はただの司書ですので」

 

 魔法陣が展開され、色別識別が発動する。

 といっても大した魔法じゃない。壁を貫通して狙った色だけを目に映すという、作ったやつの気を知りたい魔法。

 よくわからない? 特定の色だけしか見れない、透視の超小型バージョンだと思えばいいわ。あるいは旧型。

 今回はたまたま周りに銀色が無く、対象だけが銀色を持っている上で媒体無し遠見中という特殊な状況だから使った。普通は透視を使ったほうが早いので、これから魔法を学ぶ皆様は透視から始めるのがおすすめ。物の仕組みとかよく分かるようになるわよ。

 

 まあ、この魔法から学びたいと思っても、今や色別識別はほぼ絶滅しているのだけれど。地味だし派生しづらいし、なぜか赤色にだけはどうしても使えないというバグがあるせいだ。おかげで大図書館のどの魔導書にも載ってない。今でも載っているのは書きかけの研究書ぐらい。

 だから幻想郷らしいなと思って覚えていたのだけど、まさか役立つとは。そして知ってるとは。そうか、腐ってもC担当だものね。colourには敏感なのかしら。

 

「おっ、ありましたよ銀色反応。大体八階ってとこですね。いやぁ、バレないとわかっててもドキドキします」

「そうね、一体どんなことをしてるのかしら」

「またチューしてたらどうします?」

「あなたを殴るわ」

「それは流石に横暴じゃないですか!?」

「なら訂正するわ。祈りを捧げてから殴る」

「問題は過程じゃないんですけど!」

 

 そんな話をしつつ、視点を八階に移動させていく。

 もちろん悠長に階段を探すつもりはないので、一旦外に出て外壁から登っていく。二階、四階、七階。

 そして八階に移動させる。

 移動する。

 

 ……あれ? 

 

「視界が、動かなっ、何これ」

「えっ? パチュリー様、どうかされましたか」

「遠見の魔法が応答しない」

「私何もしてませんよ」

「いや、疑ってるわけじゃないけど……んん?」

 

 疑問のままに、遠見の魔法陣に更に陣を追加する。

 状態検査。いわゆる物体のステータスがわかる、外の世界で今大人気(らしい。鈴奈庵で外来本を借りるとよく出てくる)の魔法である。これを使えば、魔法陣の状態から原因がわかるはず。

 しかし出てくるステータスのどこにも、エラーの原因らしいものがない。伝送情報も異常に多くはないし、視点が床にめり込んだりもしてない。全て正常値だ。

 

「おかしいわね。どこもおかしくない」

「となると、こっちは悪くないみたいですね。まさか、魔法がバレて向こうから……」

「いや、そんなはずはないわ。たとえ色別識別に気づいたとしても、媒体のない遠見の魔法にまで干渉するのはかなりの高等技術よ。小悪魔にできるものかしら」

「むむむぅ」

 

 コアが珍しくうんうんと考え込み始める。本当に、本当に珍しく。というかよく考えたら一度も見たことなかったわ。小悪魔たちのことをよくわかってない私でも、この子だけは特別だと思ってたけど。まだまだ何も知らないのね、私。

 

 それにしてもエラーねぇ。ここで実はインが普通じゃない努力などをこっそりしていて、干渉できるほどに実力をつけていた、とかいうオチだったらいいのに。それなら私も合法的に昇給できるというものだ。ずっと放ったらかしてた分ここでぐっと上げとくべきだと思う。そう、このステータスのように……

 ん? なんでこの値上がってるの? ってことは。

 

「あれ? 絶対距離のパラメータが変えられますよ?」

「コアも気づいたのね。変ね、映像は止まったままなのに」

 

 絶対距離とは、魔法陣とイメージを送ってくる場所の間の距離である。Shinkidiaより。

 ただそれだけだ。だがそれだけであるがゆえに、何か他のパラメータのせいで変わる値じゃない。つまり私達側からは止まっているように見えるが、向こうではちゃんとイメージを送る場所が動いているということ。一体どういうことなの? 

 

「あれー……? あ、映像動いた。なっ!? だ、誰もいません! 八階どころか、輝針城内部に銀色無し! 逃げられました!」

「陣に異常なし……なら、魔力の流れが途中で阻害を……いや、私達そのものが……」

「パチュリー様!? だめだ、聞いちゃいないよこの人! とりあえず遠見は中止しますからね! いいですか!」

 

 思考を思考の渦にまた沈め、理由を探る。

 魔法使いは魔法を使うことは本業ではない。魔法を使って起きる現象を研究すること、それこそが至上の喜びにして本業だ。だからこうして未知の出来事が起きたら、研究せずにはいられない。

 

 考えろ。考えろ。

 遠見が止まった理由、それでも陣が動いていた謎。

 すぐそこに答えはあるはず。

 

「……」

「……無言はイエスにしときますね! はい中止!」

 

 コアに気付かれないよう、机の下にまわした左手で小さな魔法式を編む。しかし機能はそのままに、高速に。

 そして出来た魔法陣を叩きこむ。

 

 自分に。

 

「ふっ!」

「へ!? 何やって、ふわっ!」

 

 間髪入れず、遠見を中止し終わったコアにも。

 

「な、ななな! 私じゃないですって! そりゃ最近の事件ログを見ても私が怪しいのは確かですけど! パチュリー様に新しいお菓子として生わさびクッキー出したのはちゃんと謝ったじゃないですか! まさか次のお菓子のことバレたんですか!? 違いますよ次のはれっきとしたハバ」

「静かにしてなさい。別に攻撃魔法じゃないから」

「え!? あ、本当だ」

 

 床にしりもちをついたコアの横に、パラメータが表示される。そして私の分も。

 そう、さっきと同じ状態検査の魔法だ。陣のどこにも異常がないなら、異常は私達にあるのではないか。そう思ったまでである。事前相談? 本当に私達が異常だったら、そんな悠長にしている暇はないから。だからこれは必要経費というやつだ。

 

「ごめんなさいね。私達が魔法にかかってるんじゃないかと思って。驚いたでしょ、大丈夫?」

 

 まあ、ちゃんと謝るけど。いくら使役する小悪魔といっても、いきなり魔法当てるのは褒められたことじゃないからね。ほんとに悪かった。ところでハバって何だ。後で問い詰めよ。

 差し出した手を、コアはちゃんと取ってくれた。ああ、良かった。許してくれたようだ。

 

「は、はい問題ないです、ありがとうございます」

「そう、良かった。……うん、パラメータも問題ないみたいね」

 

 会話を交わしつつ、パラメータを読んでみる。

 ……ここも異常無し。もちろん私の方も無しだ。となるといよいよ迷宮入りか? 

 いやいや、そう決めつけるのは早計だ。魔法使いの、いや魔女の意地にかけて、この謎を解いてみせる。まだ手がかりは残っているし。

 

「えー……と、私達も陣も異常なしですか。なら、やはり向こうで何かがあったということですかね」

「そういうことになるわね。コア、仕事を頼みたいんだけど」

「!! 何でしょうか!」

 

 コアが輝いた目で、鼻息荒くこちらを見てくる。近い近い。当たってる、胸板当たってるから。

 

「いやそんなに食いつかなくても。輝針城を見てきて頂戴、奇妙な魔力とかあったらすぐに報告すること。できればサンプルも取ってきて。いい?」

 

 私が用件を言い終わると、震えながら口を閉じ、何かに耐えるかのように下を向いて、そこから天高く右手を突き上げ破顔する。何やってんだこいつは。

 

「がってんしょうちぃぃ! で、その間パチュリー様は何やるんですか?」

「無いとは思うけど……インに接触してみるわ。もしも、もしもだけど原因かもしれないし。一応用心として、ディゾルブスペルでも纏って会ってみる」

「わかりました! ……えぇ!? 危険ですよ!」

 

 コアはかつてないほど動揺している。あれ、あなたインは普通の子って言わなかったっけ。普通なら別に接触しても問題ないわよね? 

 

「どうしたのよそんな慌てて」

「い、いやディゾルブスペルですよ!? それを自分にかけるんですか!?」

「? そうだけど……あ、久しぶりに発動するからって勝手を忘れてると思ってるの? そんなわけないじゃない。私は大魔導師なんでしょ?」

「そうですけど、そうじゃなくて!」

 

 焦るコアの後ろで、きい、とドアを開く音がした。

 

 ──おはようございまーす……

 

 一緒に、小さく聞こえる朝の挨拶。あれ、もしかして? 

 

「ねえコア、この声って」

「まずっ、インさんです! 遠見の魔法陣消さないと!」

 

 コアが机に飛びつき、隠匿魔法を唱える。普段の様子からは予想もつかない、正確で高速の詠唱だ。やっぱりこの子、優秀ではあるのよね。

 っとと、見ている場合じゃない。インが来てしまったのだ。早いとこディゾルブスペルを発動しておかないと。怪しまれる前に準備は済ませておきたい。

 

 それにしても、コアもディゾルブスペルであんなに慌てなくても。

 まあ、私のディゾルブスペルは幻想郷で流通してるレッドカードじゃなくて、あらゆる魔法に対応する本物のアンチマジックだからね。それを纏うって前例が無いし、そもそも失敗したらちょっと命が危ない上級魔法だけど、今更私が失敗するわけないじゃない。

 ほら、出来た。あとはこれの効果先を私に指定するだけよ。はい、これでおっけー。

 

 あ、もしかしてディゾルブスペルで私の魔法の素質とかも

 消えると心配してたのかしら? だとしたらちゃんと言っておかないとね。

 ディゾルブスペルはあくまで魔法を打ち消すものだって。まったく、コアもおっちょこちょいなと

 

 

 

 ころがある

 

 

 のね

 

 

 

 あれ

 

 

 

 体が、力が

 

 

 

 

 

 

 入らな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──アスタリシュ! よし! 

 

 ってパチュリー様!? あああ! ディゾルブスペル使ったんですね! だから止めたのに! 普段の運動不足を補ってる魔法、全部打ち消したらそりゃそうなりますよ! 

 

 ああ〜もう、ごめんゼン君! やっぱ手伝って! あ、インちゃん……は図書館の留守番をお願い! ああもう、発作も起きちゃってますし! ほんと、パチュリー様は変なとこだけおっちょこちょいなんですから!」

 

 




胸板というか、板胸


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5P目 = Y_再び二度

 目が覚めたら、目の前に目が覚めるような美女がいました。

 おいおい、勘弁してくれよジェニファー。二度も起こすだなんて君は本当に悪い女だな。どうしたんだい、私と一緒に夜の向こうまでランデブーしたいのかい…… 

 

 

 いや違う。吸血鬼特有のテンプテーションだこれ。いい加減発動しない方法を覚えてほしい。親友に毎回発情しかける私の事情を察してくれないか。いつもギリギリで耐えてるんだよ、ジェミリア。

 

「お早う。久しぶりの二度寝の味はどうかしら?」

「ふふ……面目ないや……」

 

 はい、こんにちは。大図書館の虚弱体質、パチュリー・ノーレッジでございます。今はこちら、昼の太陽も拝める巨大窓と豪華天蓋付き客用寝室のベッドの上で療養中。動かせる筋肉オールモストナーン。そのうえ倒れた時の喘息の発作がまだ軽く尾を引いてる。うーん、この感覚久しぶりだわ。控えめに言って死にそう。

 

「話はコアだったか、あいつから聞いたよ。精神汚染を治すための解除魔法で全部解除してしまったのだろう? あなた、たまーに軽率よね」

 

 あ、そういうことになってるのね。コアのやつ、約束は守ったんだ。そりゃそうか、悪魔だもの。契約には逆らえないわよね。

 ん? でも契約で召喚したわりにたまに反逆されてるような……

 

 つい思考の渦に入り込みかける頭を、羽でつつかれた。ついでに頬を羽でぷにぷにされる。やめろ、こしょばい。でも振り払えない。全く力が入らないぞ。しかも魔法も使えないぞ。悔しい。

 

 

 

 ……使えない?

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 ……あ、ああディゾルブスペルか。まだ残ってるのね。私の魔力を消しても消去力が有り余ってるんだな。さすが私の魔法だ。強いぞすごいぞ、うん。

 

「……まあ、そのうち体鍛えなきゃって思ってたし……あなた風に言うなら、これも運命なのよ、レミィ」

「そう、なら治ったらすぐ運動を始めましょうか。案ずるな、ランニングウェアならもう用意しているわよ、パチェ」

 

 部屋の隅に置かれた紙袋が羽でぴっ、と差される。はっはっは。さすが親友だなあ。その外堀から埋めていくところほんと大好きだぜちくしょうめ。

 

 さて、さっきからベッドそばの木椅子に座り、ふてぶてしい態度をとっているこの蝙蝠羽の少女。名前をレミリア・スカーレットという。この紅魔館の現当主であり、私の無二の親友である。

 これ以上の説明はいるまい。だって掘り返せば必ず一緒に私の黒歴史が出てくるからね。これは隠蔽工作ではなく、ただ必要がないだけだ。そこを間違えないでほしい。

 

「残念だったわね、そのランニングウェアが私に合うサイズとは限らないわ」

「問題ないさ。フリーサイズを用意した。第一あなたは八十年前から全く変わらない体型でしょうに」

「変わってないわけじゃないわよ。最近お腹の肉が気になる」

「それぐらい、魔法を使う時のエネルギーにでも転化したら?」

「……お前永琳かよ」

「いやそれどういう意味よ」

 

 おいおいレミィ、お前はまだ幻想郷語を習得していないのかい。永琳は天才って意味の形容詞だぞ。ちなみにレミリアという形容詞もあり、そちらは目的に対して手段が壮大すぎるという意味である。『金が欲しいから異変起こすとかお前レミリアかよ!』って感じ。

 

 両方あの泥棒から教えてもらったものだ。……言っといてなんだけど、これ本当に使われてる言葉なんだろうか。後でちょっと人里に行ってみましょう。最近団子屋が新しい団子を開発したらしいし、そのついでにでも。

 

「まあいい、ともかく今しばらくは大人しくしな。変に無理して動いたら十年単位の筋肉痛が襲いかかるって医者が言ってたから」

「それは脅しとして受け取るべきかしら」

「素直に忠告として受け取りなさい。紅魔館の頭脳がそんな理由で倒れるのは許さないわよ」

 

 素直に気遣う言葉が出せない吸血鬼に言われたくないのだが。といっても、そんなストレートな返しは期待してないのでしょうね。まったく、困った友人を持ったものだわ。

 

「そうねぇ、レミィがそんなに私を心配するならそうしよう」

 

 そんな言い方されたら、つい意地悪したくなるじゃないか。

 その言葉を聞いたレミィはみるみるうちに顔を耳まで赤く染め、「う、うるさいわね! そんな減らず口叩いてないで、さっさと良くなって図書館に戻って来なさい、この馬鹿!」と手をぶんぶん振り回しながら叫ぶ……なんてことは起きなかった。

 

「……ええ、そうしなさい。さて、後もつかえてることだし、私はそろそろ戻るわ」

 

 レミィが木椅子から立ち上がり、軽く伸びをする。

 この程度では、レミィのカリスマは崩れない。うーん、なんか今日はずいぶんカリカリ(カリスマカリスマの略)してるな。私の見舞いの時くらい、もっと肩の力抜いていいのに。まあ私のシナリオ通りに行ったら抜き過ぎだと思うが。それともこれが素なのか? いや、まさかな。

 

「今日も事務仕事かしら?」

「そうだな。それとフランの依頼業の手伝いね。なんでも麒麟が来るとか」

「へえ、麒麟が。面白そうね、その話後で聞かせて頂戴」

「もちろんよ。それじゃ」

「ええ、また」

 

 レミィが寝室のドアを開く。そして閉じるまで、私とレミィは互いに手を振り続けた。ところでレミィの別れ間際に怪しい笑みを残していく癖は治らないんだろうか。何か謎のしでかした感出るからやめてほしいのだが。もう慣れたけどさ。

 

 にしても麒麟か。たしか大陸の瑞獣だったわね。長年生きてるけど実物は見たことないな。動けるようになるまで暇だし、遠見で覗いてみようかな……そうだ、魔法使えないんだった。うぐぅ。

 

 ううむ、こうなるとレミィをそのまま帰したのは誤算だったわね。ついでに誰か話し相手を呼びに行ってもらえば良かった。

 たぶんコアは今頼みごとという契約を守って輝針城のほうに行ってるだろうから、あっ、後で呼び戻しとかないと、そうね、太陽の位置的にそろそろ休憩に入る美鈴とか。最近部下が優秀になってきて暇な時間が増えた咲夜とか。なんなら贅沢言わないわ、本を読んでもらえるなら誰でもいい。退屈で死ぬ前に誰かヘルプミー。

 

「……ぉぉぉおおお!!」

 

 その祈りが通じたのか、ドアの向こう側がやにわに騒がしくなったかと思いきや、勢い良く開いた。

 

「型やってる場合じゃない! 生きてますかパチュリー様!」

「おはようございますパチュリー様。手も足も出なくても食べられる昼食をお持ちしました」

「……また死にかけてる。本当、心配かけないでよ。パチュリーの馬鹿」

「起きられたんですね! もう大丈夫ですか? 胸は貸さなくてもよろしいですか?」

「黄泉に至る街道の上へ、智は確かに傾いでいた。それでも貴女がここに存在しうる、その奇跡を私は祝福する。パチュリー・ノーレッジ卿」

「パチュリーはん! 無事か! ……なんや、問題なさそうやな。ともかく元気でよかったわ」

 

 いや祈り通じすぎよ。多い多い。美鈴と咲夜はともかく、フランドールやコア以外の小悪魔数名まで来なくても。あとゼンはほんとごめん。後でなんか奢るわ。

 まあ兎にも角にも、彼女たちはみんな私を心配していたのね。何か言っておかねば。

 

「……心配かけたわね。しばらく動けないけど、このとおり私は元気に」

「うわぁあああん! 良かったパチュリー様あああぁ!」

 

 私が言い終わらないうちに、美鈴が私の手をぐっと握った。強く感じる触覚。遅れて伝わる痛覚。その時理解する正確。手の骨砕けたって確信。

 

 

 あっやば、二度意識がフライアウェーイ。

 

 



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6P目 = Y_急転

 その後、ショックで喘息まで誘発した私に美鈴が泣きながら気を使って痛覚を一旦遮断したり、お構いなしに咲夜が喘息の薬入りの昼食を口に突っ込んできたり、それを見たフランが喉につまらないようにと昼食をすかさずペースト状にしたりしてくれたそうだ。

 

「つまりね、おかげで私は皆と一緒に居る有り難みがわかったのよ」

「良かったわね」

 

 ほかにも小悪魔たちが隣の部屋で緑茶飲んでた医者を連れてきたり、医者と一緒に見舞い順待ちだった小悪魔たちやメイド妖精やホフゴブリンまでもが寝室に入ってきては、瀕死の私を診察する医者を二十人ほどが取り囲むという何かを想起してしまいそうなシチュエーションになっていたらしい。

 

「それにね、心配してくれる相手が沢山いるのって、幸せなんだなって思えたし」

「そうね」

 

 ちなみに、左手は粉砕骨折ではなかった。

 

「何より、カルシウムの大事さが理解できたわ。朝食の牛乳は無駄じゃなかったのね」

「その通りだわ」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……ええっと、そうよ。要はね、これだけの利点があったのだから、初めから難点ばかりに目を向けるのは気が早いと思うのよ」

「そうよね。特に、誰かを従えるような誇り高き吸血鬼は、そんな些事に囚われるようじゃ困るもの」

 

 ……さて。

 起きてすぐの美鈴の謝罪により、事態を理解した。

 その上に座っていたレミィの説明で、状況は把握した。

 その後に来たフランドールが青筋を立てて、美鈴を引きずっていくのを見て全てを悟った。ついでに死も悟った。

 

 だから、なぜ窓の向こうがあんなにも色とりどりに輝いているのか、なぜ時々高笑いが聞こえるのか、なぜそれに謝罪の声が時折交じるのか、私は大体知っている。というか、ベッドから普通に向こうが見える。

 でも一応聞いておこう。

 

 

 

「つまり、私はフランと美鈴が戦う理由が知りたいのよね」

「当ててみなさい」

 

 

 

 

 ────────

 

 

 

 こんばんは。大図書館のライングデッド、パチュリーです。正しくは十歩ぐらい手前で踏みとどまったが、首と口以外動かないっていう今の状況を見るなら多分どっこいどっこい。

 まあ動かそうとすれば動くけれど。ただ、今動かしたら十年分の筋肉痛 + 医者の説教五時間フリーパスが貰えるらしい。うん。流石にそんな状況は願い下げのお断りなので、今日の大図書館は休業しよう。今の私は動かないベッド。誰かの今日を笑顔で終わらせられる人。魔女だけど。

 

 だからとりあえず、門番と主の妹の今日を笑顔で終わらせてやりたい。時折感じる振動が激戦を知らせている。夕暮れに飛び交う弾幕の色が部屋に映って、さながら星無しプラネタリウムとか若干悠長に考えている暇はなさそうだ。なんとか二人を止めなければ。

 そのためにも、まずは笑顔にしなければならない相手がすぐそこにいるのだけども。

 

「きっと私はこうだと思うわ。美鈴が私の手を砕いたことに対して、フランは立腹している。罰の名目で二人の戦いは始まった。美鈴も甘んじて罰を受け入れる覚悟だ。だからレミィも止めずに見ている」

「九十点」

「本当はレミィも止めたいけれど、二人の意思を尊重している」

「九十一点」

 

 配点低っ。

 まあ、ここまでは聞いた話とレミィの様子から推定できる程度だ。ここから推測に入る。レミィの性格からして、恐らく。

 

「実はフランの背中を押してしまったから、今更止むに止まれず」

「……九十四点」

「ちょっぴり美鈴に痛い目見せようと思った」

「……」

「……」

「………………」

 

 目を逸らすな。

 気持ちは分かるけども。私もレミィが同じような状況に陥ってたら美鈴シメるかってなるけども。けれど私の場合は半分以上運動不足という自己責任が関わっているのだ。いいじゃないか、もう十分だろう。不問にしてあげましょうよ。

 

「……戦い続ける理由としては九十五点」

「えぇ」

 

 軽い咳払いとともに、レミィはそう告げた。うん、ちょっとだけ緊張がほぐれたかな。

 

「そこはわかるくせに……」

 

 本当はレミィに頼らずとも、魔法でここから二人を止められれば一番なのだが。一応さっき試したけど、やっぱりディゾルブスペルは健在だった。さすが私の魔法。効力効果時間精神ダメージ、全てにおいてとても優秀ね。今度から誇るよこんちきしょう。

 

「なにさ、なんなら意地でも当ててやるわよ」

「……まあいいわ、答え合わせね。あの子は罰の名目じゃやってないわ」

「へぇ?」

「『美鈴、あなた鈍ってるわね。力を鍛えるばっかりで、制御の方を疎かにしてたんでしょ。私が修行に付き合ってあげるから、きっちり制御を覚えなさい』」

「……立派になったわね、あの子も」

「ええ。しかも修行の終え時はあの子が決めるときた。随分と理知的に育ってくれて、私は嬉しいよ」

 

 フランドール・スカーレット。自分の力の制御が効かず、軟禁されたレミィの妹。その制御不能ぶりは、暇を持て余して友達と一緒に依頼業を始めた今もあまり変わっていない。彼女が外に出るのは、隣に自分を止められる存在がいるときだけだ。

 

 つまりは彼女、他人に教えられるほど力の制御を知っているわけではなく。しかるに今回、『美鈴との修行の付き合い』とは単なる口実。その本質は一つ、美鈴へのお仕置きだろう。

 言い訳が上手くなったら大人だと、誰かが言っていた。実感するわ。あの子ならただの癇癪として美鈴に当たっても誰も怒りはしないのに。叱るけど。

 

「でもさ、私は生きて起きてて、しかもこの左手だって元通りくっつくって話じゃない。本当に止められないの?」

「誰もが結果だけ見てるわけじゃないわ。それに、怒りを抑えるのだって立派な従者の仕事よ」

 

 うむぅ。いよいよ言い返せなくなってきた。美鈴は修行として、フランもお仕置きとして、レミィも美鈴が十分痛い目見てることで納得している。ここからは見えないが、咲夜は監督官として門の影にいるらしいし、そう美鈴が死ぬこともない、はずだ。あとは私が納得いかないだけか……。

 

「んー……」

「まあ、どうしても止めたいなら言ってくれ。そのための小悪魔もいることだし」

「わかっ……そのため?」

「え?」

 

 きょとんとした表情で、部屋の入口を指すレミィ。

 そこには制服をきっちり着こなした"銀"髪ベリーショートの伏し目がちな小悪魔がどことなく儚げにここは魔界だと言わんばかりに当たり前のようにひっそり佇んで私を虚ろな瞳で射抜いておりましたと。さ? 

 

「彼女が連絡係を申し出てきたの。こういう非常事態に備えて用意してたんでしょ?」

「…………ええ、まあ、うん、そうね。忘れてたわ」

「忘れてたって……。大丈夫? 病み上がりに無理してない?」

「してないしてない」

「無理っていうのは客観的に無理って意味だからな?」

「……しないしない」

「だといいけど。それじゃ、私は咲夜と監督役を交代してくるわね。お大事に」

「そっちもねー」

 

 振れない手の代わりに、二、三度頷いて彼女を見送る。シャンデリアの火が揺らぐ。はためくカーテンの影が薄っすらと床に映る。小さく微笑む悪魔が、ドアの向こうに消えるまで、無限の時間が経ったかのように思えた。ドアの閉まる音が暗い洞窟に石を投げ入れたときのように凛と頭に響いた。

 

 それでようやく、正気を取り戻して。

 ようやくちゃんと状況を理解して。

 うん。

 

「……」

 

 どうしよう、彼女(イン)

 

 

 



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7P目 = Y_接触

 人は動揺したとき、拠所を無意識に求めようとするという。仲間を探して同意を求めたり、何が何でも否定しようとしたり。というわけで、魔女の私が取る行動はこれだ。

 

 やったわ。全て私の計画通りね。皆上手くやってくれてとても助かったわ。私、みんなと一緒で幸せだった。これで明日死んでも構わないわ。代わりの身体があるならの話だけど。

 

 よし、現実逃避終わり。

 

「えーっと。イン、もう少しこっちに来てちょうだい」

「……? はい」

「その椅子、座っていいわよ」

「分かりました」

 

 小さく会釈をし、椅子に腰を下ろす。背筋をピンと伸ばし、膝の上で軽く手を組む。沼のように濁った青い眼が私を射抜く。

 馬鹿にしてるわけじゃなくて。苦し紛れにそれを考えるぐらいには特筆するところがない、ということである。

 

 コアの言ったとおりだ。彼女こそY担当、イン。確かに普通、あまりに普通。銀髪を除いてしまえば、立ち居振る舞い外見中身、まるで特徴を感じない。服装は制服、身長は平均、声は落ち着いており、表情も私を心配している困り顔。例えば彼女が凶悪殺人犯になったら、私は『どこにでもいる真面目なあの子がどうして』と答えるだろう。

 ……悪魔とは一体。

 

 まあいいや。今、形はアレだが『ディゾルブスペルを纏って会う』という当初の目標が達成されている。たとえ彼女が主の弱っているところを突いて契約内容を緩めさせる系悪魔だったとしても、今の私に対して何かしらの魔法をかけることはできない。とりあえず尋問するなら、絶好のチャンスよね。

 

「固い話じゃないわ。ちょっと話し相手になってくれるだけでいいの。ここは本が無くて退屈だから」

「ああ、なるほど。そういうことでしたら、何なりと」

「助かるわ」

 

 まずはリラックスさせて。あとは適当に話を振りながらのんびり尋問。何がいいかな、やっぱりY担当だし、酵母菌の歴史とかから始めようか。そも酵母菌と人類の出会いは7417年前におけるセレンディピティ……

 

 ──いや、そんなに詳しくないからやめとくか。それより目的を尋ねよう。わざわざ連絡係なんて覚えのない役職を作り上げてまでここに来たんだし、何かしら火急の深い理由があるかもしれない。言ってみたまえ。

 

「で、何の用なの?」

「え」

「言いたいことがあるんでしょう、連絡係さん」

「……怒ってます?」

「いや全く」

 

 むしろ感心してる。私が倒れたのをチャンスととらえて話し合う機会を作ろうなど、普通は思わない。良くも悪くも目の付け所は必要十分の給料アップ案件ね。上げ幅どれくらいにしようかな。最初は控えめにニ倍からか。

 

「怒ってないから、言いたいこと自由に言ってみなさい。多少の失礼ぐらい大目に見るわ」

 

 いつものことだけど。そうじゃなきゃコアはとっくの昔に解雇してるし。そういや、もう一人極度に失礼なやつがいたような。最近あっち見ないわね。

 

「では、まず一つ。この後、他の小悪魔たちとの面会は可能ですか。お疲れであれば面会謝絶の札を掛けますが」

「問題ないわ」

「では、面会歓迎で」

 

 首と口しか動かないが、別に気疲れしてる訳でもないので受け入れる。というか受け入れないと退屈に殺される。何でもいいから新しい情報が欲しい。本も魔法も無いのがこんなに心細いと思わなかったよ、ヴワル。

 

「今後もお食事はペースト状にした方がよろしいでしょうか。お医者様は食べられるなら少しずつ固形物を食べたほうがいいと仰っておりました」

「しばらくはペーストでお願い」

「了解です」

 

 固形物とか噛める気がしない。今の噛む力はおそらく握力以下だ。噛めたとして飲み込む力が足りずに吐き出す可能性まである。つくづくよくさっき死ななかったな。ありがとう、咲夜、フラン、そしてたぶんレミィ。未だに運命を操る程度の能力の底を知らないからいつ感謝すればいいかわからない。使ったときにどっかに書いといてくれたらいいのに。顔とか。

 

「……魔法が使えるようになったら、ディゾルブスペルを私にかけてくれますか」

「いいわよ」

 

 ふむ、ディゾルブスペルねぇ。唐突だな。となると何か裏があるかもしれない。ずっと見てるから感覚が麻痺してるけど、これってちょっと命が危ない程度の魔法だし。それを願うんだからつい勘繰ってしまうのは自然な流れだろう。安請け合いは禁物禁物。

 

「……即断、ですね」

「ん? ……」

 

 

 

 ……………………

 

 …………

 

 …

 

 

 ……禁物だけど、まあ今回ばかりはいいんじゃないかな。ほら、心なしかインの表情も明るくなったし。これを見られただけでも私は引き受けてよかったなって思えるからきっと正解なのよ、ええ。私は過去を否定しない。受け入れて先に進もう。

 

「……」

「大丈夫ですか、パチュリー様。気温をお下げしましょうか」

「いや、いや。必要ないわ、必要ないとも」

「ですが、そんなに滝のように汗をかかれて」

「気のせいよ。それよりそうね、それで全部かしら?」

「はい。私の方からは以上です」

「ふふ、分かったわ。私に相談したのは正解よイン。一撃必中必殺奥義、神とも見紛う魔法を見せてあげる」

「大丈夫なんですか?」

 

 大丈夫だよ、これは冷や汗だから。別に陽気とか暑気のせいにしようってんじゃないんだ。いいんだよそんなに冷却魔法を練らなくたって。

 うん、口が滑った。そりゃ確かに初めての小悪魔からの頼みごとだしちょっと、ちょっとだけ舞い上がったけど。これが頭より先に身体が動くってやつなのね。それってつまり馬鹿(思い上がったん)じゃねえの? 

 

「問題ないわ。だからちょっと着替えとタオル取ってきて頂戴。身体が拭きたくなったわ」

「分かりました」

 

 落ち着け私。一旦、一人になって思考を整理しよう。聞こうと思ってたことは何だっけ。給料の上げ幅? より先に、そう、覗きは伏せて、『輝針城の魔力サンプルを取りたくて偵察出したら映像止まったんだけど輝針城住みのあなたは何か知らない?』

 

「それでは、失礼いたします」

「ええ。お願いね」

 

 軽く頭を下げ、インが部屋を出る。それをやっぱり頷いて見送った。心なしか小首を傾げられた気がした。多分、心なしてなくてもそう見えた。

 うーん、せめて敬礼の一つぐらいできたら格好も付いたのだけれどな。両手足は木偶の坊同然、体はウドの大木同然。これ、本当に治るんだろうか。何か不安になってきた。

 まあそのへんは医者と私の魔法でなんとかしよう。それより帰ってくるのに備えて自然な会話を想定した文章でも考えたほうが建設的だ。何を言うかはさっきので纏まったとして、もっと自然化するなら

 

『他に何か困ったことはないかしら。魔法関係ならだいたい何でも解決できるわよ。ああ、でも解決できてないことが一つあるのよね。これはもしかしたら貴女が助けになるかもしれないわ。聞いてくれるかしら? 

 ありがとう。実は最近、場所による魔力の質の違いについて研究を始めてね。魔力の濃いところからサンプルを取ろうと思って、まずは輝針城に使い魔を放ったの。そうしたら不思議なことにその魔法が止まっちゃってね。でも数値は普通に動くし、何事かと思って少し待ったらまた動き出したのよ。魔法の不具合かと思ったけど、どうもサッと調べた感じでは問題は見つからなかったし。初めは小人族が気づいて警戒して落としたのかと思ったけれど、それにしてはまた動いたっていうのが妙な話なのよね。それに穏便に済まそうと思ってちょっと強めに隠匿魔法かけてたから、まあ小人を侮るわけじゃないけど、見つけられるとは思えないし。ただ……

 

 

 



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8P目 = Y_無事

 ……それで、あなたに聞きたいのはここからなの。あとからコアに聞いた話じゃ、貴女って輝針城に住んでるらしいじゃない。それなら普段の輝針城も知ってるわよね。だからその目線で聞きたいのだけれど、輝針城になにか普段と変わった様子はあったかしら? 魔法に関してなくてもいいわよ。些細なことでも構わないから、教えてちょうだい』

 

 よし。落ち着いた。

 

 

「……たわ。……の、ラストス……」

「ええ……きる、明日も……」

「……い……何やって……」

「うげっ! なん……ああ、門番は……」

 

 一段落した脳内で、外の声が処理される。心に余裕ができた証拠ね。最初の満足げな声がフランで、次の力強さを感じるほうが美鈴かな。まだ生きてるみたいで良かった良かった。六割くらい竹林医者行きだと思ってたわ。

 ……じゃあ、残り誰。聞き耳。

 

「……で、それ何だ」

「なあんで泥棒に教えなきゃなんないんですか」

「主に言いつけるぞ」

「ふふふ。言ってみてくださいよ魔理沙さん。私と貴方、どっちが信頼されているか分かるでしょう」

「おお、そうだな。じゃあ無い事多めで報告してくるよ」

 

 なんだ、泥棒とコアか。何してるのかしら。っていうか帰ってるなら言いなさいよ、コア。わりとわくわくしながら検査結果待ってるのよ、私。暇だもん。

 

「パチュリー様があんなに弱ってるのなんてレアなんで、記録映像を撮っておりまして」

 

 そら言えないわ。

 じゃないが。止めろよ、始末に困るだろう。自分で持ってたらナルシストみたいだし、他人に持たせても関係性を疑われる。盗撮なんて誰も得しないぞ。あ、でも外から見たディゾルブスペルがどんなものなのかちょっと気になるな。一回見て永遠に破棄したい。

 

「なんだ? 急に素直になるじゃないか」

「自己分析はしっかりしてますので。とにかく、これであなたも共犯者です。仲良くしましょ」

「強弁だな」

 

 がさがさ、と草をかき分ける音が二つになる。おい、泥棒。ナチュラルに加わるな泥棒。今度から強盗って呼ぶぞ泥棒。

 

「よっと」

「うわわっ!? ちょっ、何するんですか!」

「共犯者なら好都合だ。気兼ねなくお見舞いできるぜ」

「一人で行けばいいでしょ! 私を箒に引っ掛ける必要がどこにあるんですか!」

「残念だが、見舞いの品は持ち歩かないタイプでな。犯人一人差し出せば手打ちにはなるだろう」

「裏切り者!」

「冤罪だぜ、まだ騙し終わってない。パチュリーに会うまで静かにしてくれ」

「鬼! 悪魔! 地底がお似合い!」

 

 あ、違うな捕まえてくれたんだな。やるじゃないか魔泥棒。もう二つ功績上げてくれたら魔理沙泥棒まで昇格するわよ。本を返さない限り泥棒はつけ続ける。

 

「そんなに騒ぐなら飛んで逃げればいいだろ? 捕まえなおすけどさ」

「今は飛べないんですよ! だって……」

 

 ぎゃあぎゃあと喚く一人の声が、紅魔館の中へと消えていく。伊達に毎回大騒ぎが起きてるわけではないのだ。いくつかの部屋の防音対策はばっちりである。大騒ぎは抑制しつつ、けれど危機的状況は察することができる程度の防音魔法。さすが過去の私。

 

「……だって、ついさっきまでパチュリー様を運んでたんですから」

 

 あ、うん。それはごめん。てっきり咲夜が運んだと思ってた。コア、おまいだったのか。クッキーの焼成予定を二人分に上方修正。

 

 ……防音対策は……? 

 

「ほー、なるほど。だんだん読めてきたぜ。面白くなってきた」

「ふん、余裕ですね。私が箒にかかってるってことは、逃げる手が一つ潰れてるってことですよ」

「一つ潰れたが、一つ出来たからトントンだ。いざってときは頼むぜ、盾」

 

 あ……いや、もしかして? 

 

「犯人なのか人質なのか」

「供犯者だな」

「どっちにしろ供え物扱いですか」

「お前達にとっちゃ主は神みたいなもんだろう。つまりいつもと変わらん」

 

 ああ、やっぱり。これ、ただ聞き耳立ててたんじゃない。癖で無意識に聞き耳魔法を発動してた。そりゃ壁も防音も関係ないわ。

 そして魔法が使えるということは、ディゾルブスペルが解けているということで。意外と早かったわね。三日くらいは余裕で保ってしまうと思ってたんだけどな。私も勘が鈍ったか。

 

「急に丘を登ってる気分になってきました」

「十字架に掛ける手間が省けたな。神話も省エネの時代か」

『お前も省エネにしてやろうか』

「そいつは困る。私はいつでも全力でいたい……って」

「パチュリー様!?」

 

 というわけで、媒体飛ばして相互通信魔法。さっき汗をかいてたのは事実なので、汗臭いままに応対するのはちょっと不味い。先に話をつけよう。

 

「ど、どうされたんですか!? お体の方はご無事で、それにどうして使い魔が、もしかして魔法が!?」

『私は無事よ。だからちょっと落ち着きなさい』

「よっ、パチュリー。元気か?」

『それが本を盗りにきた人間の態度?』

「うーん、こりゃ相当活きが良いみたいだな。安心したぜ」

『否定しなさいよ』

 

 欠片も自分の所業を悪びれないブロンドの少女。今更だが彼女の名前は霧雨魔理沙。人間のまま魔法を弄り続けている変人だ。自分一人では限界があるからと、うちの図書館からよく勝手に本を借りていく。ちなみに、基本返ってこない。本だけに

 

「……落ち着きました。ええと、パチュリー様の魔法はもう復活なされたということでよろしいですか?」

『そうみたいね。こんなに早く戻るのは予想外だったけど』

「なんだ。弱った姿が見れなくて残念だぜ」

『お生憎様。……どうしてもって言うなら、そこの小悪魔に頼めば見せてくれるんじゃないかしら。ねえ、コア』

「パチュリー様復活万歳! お祝いは何がよろしいでしょうか、快眠のお香とかどうでしょう!」

 

 そのはしゃぎ様は本物なのか誤魔化しなのか分からない。ただ、貰えるなら不眠のお香のほうがいいわね。そうすれば魔法の研究時間が伸びるから。作ったほうが安上がりだけど、こういうのは貰うのが嬉しいのだ。

 

「不眠がいいわ。あなたにも使えるし」

 

 それはそうとお仕置き準備。

 

「発想が悪魔!」

「ありゃ、バレてるのか。説明が省けて丁度いい」

『……まあ、私としても都合がいいわ。今から身体拭くから、その後にそれは引き取るわね。それまで悪いけど待っててちょうだい』

「どこで?」

『今私が居るのは……』

 

 使い魔二体目召喚。

 窓から外へ突貫。

 私の部屋を大きく俯瞰。

 

『…………西階段を上がって三階左手の部屋ね。で、その近くにバルコニー付きのラウンジがあるから。そこで待ってて』

「ラウンジって何だ?」

『休憩室よ。談話室って言ったほうがいいかしら』

「ああ、あれか。助かるぜ。よーし、小悪魔! 西階段まで案内してくれ!」

「およよ……まさか泥棒に道を教える羽目になるなんて……」

『逃しちゃ駄目よ、コア』

「わかってるって。それより、分かってるよな」

『ええ。見舞いの品だから、別に返礼なんていらないわよね』

「……二冊」

「零冊」コンコン

「冷徹!」

 

 当たり前だろ。むしろマイナス一冊とか言って魔導書を押収しないだけ良心的だ。例えそれでも一冊で済ませるのだから、十八冊借りられてる私の心は慈悲と慈愛の御神体。ご利益は恋愛成就以外のだいたい全部。

 

『っと。イン、少し待ちなさい」

 

 危うくノックの音を聞きそびれるところだった。心配しつつもタオルを取りに行ってたのに、戻ってみたら主は泥棒とずっと仲良く喋ってました、では印象が悪いだろうし。とりあえず迎え入れなきゃ。

 

「タオルが届いたわね。じゃあ、また後で」

『ちぇ。またな』

『体にお気をつけて……あ、魔理沙さん、そこを引き返して右です』

『そっちは出口なんだが』

 

 通信を切り、起動中の魔法を全て終了する。隠匿もかけようかと思ったが、あんまり隠しすぎても逆に怪しいのでこのままで。そしてドアに向けて一言。どうぞ。

 

「お待たせしました」

「悪いわね、助かったわ」

「いえ、これくらいはさせ

 

 やって来たのは、四、五枚のタオル、一枚のバスタオル、一式の私の着替えを持ったイン。そしてお湯の入った桶を抱える妖精メイドがニ人。

 うん、妖精メイドの正しい使い方だ。物を運ぶといった単純作業では、彼女たちの数が無類の強さを誇る。手が足りないならどんどん頼るのが良い。いや、そもそも倒れた客人の看病ってメイドの仕事だけど。

 

 …………っ。今回だけですよ」

「もちろんそのつもりよ。拭いてもらうのは咲夜に頼む……頼もうと思ってたんだけど」

 

 三人が持ってきた清拭セットを使い魔の上に載せ、ベッドサイドテーブルの上に並べる。身体強化で取りに行く手もあったけれど、説教フリーパスは勘弁。

 

「ああー、わたしの仕事がとんでくー」

「追いかけないの。あれで良いのよ」

 

 ところで、あの妖精メイド二人の掛け合いいいな。上下関係を保ちつつも気軽に感じる。ちょっと理想かもしれない。頭にメモメモ。

 

「まあ、この通り魔法が使えるようになったから。もう大丈夫、下がっていいわよ」

「……わかりました。おめでとうございます」

「おめでとーございます!」

「えっ、あ、おめでとうございます」

「ありがとう」

 

 いや、本当に良かった。三日くらい魔法が無くてもいけると思ってた過去の私と反省会。その過去の私は七分ほどしか居なかったけれども。やはり私には研究と実験が呼吸より大事な気がする。言い過ぎね。栄養補給より大事だわ。

 ところで、魔法といえば何か忘──

 

 

 ……それにしても、何故ディゾルブスペルは消えたんだろう。確かに幻視で覗いたときには三日か四日は残る気がしたんだけど。ただの技術である幻視がディゾルブスペルのせいで何かしら不具合が出るわけもないし。もしかして状態検査に頼り過ぎて錆び付いたか? 

 そんな筈もない。だってほら、今でもインの周りにびっしり張り付いた魔術の痕跡が見える。こんなに気づきにくいものがまだ普通に見えるなら、私の目に狂いはない。うーん? 違和感。

 

「それでは、皆様に快復をお伝えしてまいります。……さようなら、パチュリー様」

「ええ、行ってらっしゃい」

「お伝え! 私もやります!」

「ちょっ、先々行かないで! 失礼しました、パチュリー様!」

 

 考え込む私を余所目に、インが踵を返す。それについて行く二人の妖精メイド。これを期に、インと妖精メイドたちが仲良くなってくれるのではないかと少し期待しておく。あの子に関しては、どうも真面目ばかりで本心を明かさないところがあるし。こういうきっかけから変わってくれたらいいのだが。まあ、私が言うことではないけどもさ。色んな意味で。

 

 やがてインがドアノブに手をかける。

 

 その姿は、今日も変わらず普通だった。

 

 



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9P目 = Y_収束

 こんなもんか。服の乱れを整えてっと。

 

「良いわよ、入って」

 

 そう伝えると、ドアがゆっくり優しく開いた。普段からそうしてくれないかな。喘息+埃だって辛いんだぞ。魔法でどうにでもなるとても。

 

「霧雨便の到着だぜー。……全快ってわけじゃないんだな」

「あら、……まあ、ほとんど全快よ。魔法には支障がないわ」

 

 一瞬、さっき感じた違和感のことを言っているのかと、鋭いなと感心しかけたが視線で気づいた。治癒魔法で治そうかと思ったが、コストが釣り合わなかった左手だ。一箇所のために魔石一個は躊躇ったって仕方がない。参考までに言うと霧の湖をただの湖に変えるのに必要なのは魔石三個。

 

「本当か? それじゃあ左手で本が読めないんだぞ」

「思いついたことがあるのよ。手も、眼も、本を読むのに必要ないんじゃないかって」

「おーい小悪魔、これは通常運転かー?」

「う、うーん。どっちでしょうかね?」

 

 曖昧な笑みを浮かべた小悪魔が、泥棒の箒の先で揺れている。あっ、あれは分かってるくせに言わないときの顔ね。何をだ。言ってみろ、おら。

 

「あっ、ちょっ、止めてくださいそんな揺らされたら絞まる゛っ」

「私は何もしてないが。いいか、ほれ。お見舞いだぜ」

「絞まぁっ!?」

 

 箒が弧を描き、コアを私の方に投げ出した。それをふわりと優しく捕縛魔法で受け止める。内からは出られない水球に閉じ込める単純なものだが実績は折り紙付きだ。何せレミィを一回止めたからな。

 ちなみにフランはその十二倍くらい止めている。コアに対してはフランの五倍。あれ、こっちが十二倍だっけ。

 

「手荒いわね」

「こういう引き渡しのときが一番危ないからな。二人とも気が緩んでる」

「そうね。本当に」

 

 意図せず声が低くなった。さすが目の付け所が違うわね経験者。私も十三冊目の盗難でさんざん学んだわ。私達、気が合うわね。

 

「けほ、けほっ……おお……初めて入りましたけど、この中って意外と快適なんですね。空気が澄んでる感じがしま」

「あんまりはしゃぐとまるごと凍らすわよ」

「死相が相席!」

 

 言うまでもなく、空気が澄んでるのはレミィのためである。

 正確に言うならレミィのせいだ。大人しく捕まって余裕が出るやいなや『空気が悪い』とか抜かした素晴らしい親友のせいである。修正する理由がないからそのままにしていただけで小悪魔のためではない。ない。

 

「ま、無事に渡せて何よりだぜ。折角だ、他に困ってることとかあるか?」

 

 そう言って箒を構え直す泥棒。彼女の瞳に、心配の色は微塵もなく。ついでに何かやろうかなという軽い気持ちが顔に浮かんでいた。端的に言うといつもと変わらない。

 そりゃそうだ、私は魔法があったらだいたい何でもできるからな。心配する箇所がないわな。でも折角ならこいつの心配顔を見てやりたかったな。そう思ったけれど、よく考えたらこいつと思考回路が同じなことに気が付いてしまう。親友でもないのに似通い始めるとか腐れ縁も極めに極めたりね。忘れよ。

 

「十八冊足りない、怨めしや」

「……他で」

「高温高圧環境下における日属性魔法『ロイヤルフレア』の特異性から見る第八魔法体系化可能性」

「もっと簡単なの!」

 

 えっ。……うーん。日頃の困りごとは魔法でなんとかなっちゃうし。日頃じゃなくて任せられるものをチョイスしたのに否決された。他に何かあったかしら。

 

「そうね。例えば、思い出せないことを思い出したいときって、貴女はどうしてる?」

「つまり無いのか?」

「ああいや、そうじゃなくって」

 

 純粋な質問である。正直、こんなふうに話し相手になるのが一番助かるっていうのもあるけど、純粋に質問だ。本気の本気なら記憶処理を使えばいいんだけど、病み上がりで使う勇気は無いし。

 ……何でこんな質問してるんだっけ。

 

「不思議な気分なのよね。何か足りないけれど、それが何か分からない。思い出さなきゃいけないって焦りだけがある感じ」

「寝過ぎたんじゃないですか?」

「研究し足りないんじゃないか」

「魔理棒、採用」

「魔理棒!?」

 

 そうか──筋は通った。歯車は噛み合った。立ち込めていた霧が晴れた気分だ。差し込んだ一筋の光に全身の細胞がYesと答える。というかそもそもこの問いにYes以外の答えなんて全く思い付かないし間違いないわね。

 そうと決まればやることも決まる。指をコキリと鳴らし、捕縛魔法を解除する、前に、だ。あっぶな、忘れるところだった。

 

「コア。今記録を差し出すか、後でお仕置きの果てにその場所を吐くか選びなさい」

「お納めくださいませ」

 

 流れるような土下座から機械が掲げられる。ああ、河童の技術じゃないか。だから魔法が復活した私でも感知できなかったんだな。てっきり私に感知されないように高度な魔法をかけてるのかと思った。だからコアも脳内小悪魔賃上げリストに入れるか迷ってたんだけど、なるほど合点がいったわ。リスト上位に編入っと。

 

「いいわ」

 

 水球に手を突っ込んで機械を受け取り、今度こそ指を鳴らす。昔必死に取った杵柄は今でも現役バリバリだ。床にへたり込むコアがこちらを見て……何かやたら力入ってるな。もう何もしないって。今は。

 

「あ、あれっ? いいんですか、パチュリー様?」

「いいのよ。方針は決まったわ。コア、『Considered Magical』を取ってきて頂戴。忙しくなりそうだから、お仕置きはまた今度ね」

「無くなったわけじゃないんですね!?」

「お、そうそう。そんなんだったよ、平常のお前」

「そうかしら? そう見えるなら、貴女は私にとって助けになったってことよ。あがっ」

「あが?」

 

 ………………。

 

「……ありがとう」

「おう! どういたしまして、だぜ!」

 

 そう言って花が咲いたように明るく笑う彼女を見て、そういや咲と笑って同じ漢字だったなと思考を回してさっきの失敗を意識の彼方へ追いやる。さよなら痴態、おかえり平穏。

 

 違う違う。そんな事はどうでもいい。足りないものは分かったし、一刻も早く研究に戻らねば。でも大図書館に帰るのはいろいろ怖いので遠慮する。医者に相談せずに移動したら流石に説教じゃ済まない。

 代わりにこの部屋で研究を始めます。日が照ってないと干し草は作れないし。もうすっかり夜だけど。許せよレミィ、別にフラスコぐつぐつしたり大窯ごぽごぽするもんでもないから。でも万が一に備えて研究レポートは誰かに代筆を頼んで極力安静にしよう。あっ、それをコアに頼めばちょうどいいかしらね。

 

「忙しくなるわよ、コア。……コア?」

「……はい! それではパチュリー様、私コアが行ってまいります!」

 

 バネが戻るように急に立ち上がり、コアはドアの方へと飛び跳ねて、一歩、二歩、三歩。何だあいつ。

 

「まっ、元気になったなら何よりだ。それじゃ私も通常業務に戻るかな」

「盗難じゃないわよね?」

 

 四歩、五歩、半周ヨーイングして六歩。

 

「まっさか。お前が居ない図書館から本を取っていったらただの空き巣じゃないか」

「それじゃあ普段は強盗ね」

 

 もう半周して七歩。ドアを開けて踏み出す。

 

「死ぬまで借りてるだけだぜ」

「返す保証が無いから言って──」

 

 八歩。

 

 

 

 ──途端、轟音が響く。

 

 

「……っ!」

「わっ、何だ!?」

 

 部屋が白煙に包まれる。ベッドの脇にいた泥棒すらも煙に塗りつぶされて見えなくなる。一瞬、体が硬直する。これ魔法が無かったら筋肉痛再発してたな。

 いやまあ、麻酔みたいに痛みを誤魔化しただけだし、どうせ再発してる予感しかしないけど。説教フリーパス授与の可能性が脳裏を掠める。

 

「くっ……無事か、パチュリー! 小悪魔!」

「問題ないわ。自分の心配だけしなさい」

 

 とりあえずまず魔力を練る。そのうえで使い魔を一体飛ばす。通信の魔法式を載せて、目指すはコアのもとへ。周りは煙に包まれたままだが大した問題じゃない。方向を合わせてまっすぐ飛ばせばいい。到着。

 

「……どういうつもりかしら」

『あらら。やっぱりバレました?』

 

 通信の向こうからあっけらかんとした声が届く。何も変わらないその言い方に確信する。こいつ、今自分がやったこと欠片も悪だと思ってないな。煙も轟音も後処理するのは咲夜だぞ。燃やさなかったのは評価するけど。

 

「音と煙だけがあなたの足下から。それでいてあなたが全く動じずに同じ場所に立ってる。それにこの煙、よほど体が弱くても吸い込んで害が無いように何重にも魔法がかかってるじゃない。バレない理由がないわ」

 

 木と水を加えて自浄作用を、火と水で煙を広げつつ煙全体に仕込んだアロマの薬効を染み渡らせる。ダメ押しに日で殺菌。ここまで来るとむしろ吸い込んだほうが健康になるまである。

 泥棒にそれを伝えるべきか迷ったがやめた。自分で気づいてもらおう。そのほうが好きだろうし。

 

「目的は何? そんなにお仕置きが嫌なのかしら。こんな偽物の記録を渡してまで」

『えっ、ちょっ、それは今気づかれると困るんですが。……ちゃんとお仕置きは受けますから、見なかったことにできませんか?』

 

 いや、気づいたというか、カマ掛けだったんだけど。大図書館で一番私を知ってるやつだし、私を騙すなら徹底的にやるのかな、と思って。だからそこまで動揺されると、その、何だ、困る。

 

「……ま、良いわよ。やりたいことがあるならやってみなさい。ちゃんと見ててあげるから」

『わーい。これだから貴女の下は辞められません』

 

 けして叫ばず、しかし確かに上ずるような声。その意味を考える前に、コアの後ろからいくつもの風切り音が迫ることに気がつく。

 ……聞き耳。

 

『……配置についたか!』

『1~10隊良し! 小悪魔隊は15まで準備良しです!』

『よし! 総員、突撃ぃぃぃいいい!!!」

 

 廊下に流れ込んだ煙が渦巻き、揺れ動く。その向こうから一匹の妖精メイドが飛び出してくる。それを確認した瞬間、通信の視界が急にブレた。

 どうやら、コアに私の使い魔を掴まれたらしい。そのまま見つからないようにか物陰に飛び込んでいく。一体何をする気なのかしら、あいつ。

 

「ご無事ですかパチュリー様! 妖精メイド010小隊隊長ワンドットです!」

「ああ、うん、大丈夫よ」

 

 聞いたことないぞその肩書。レミィは一体何に備えているんだ。

 

「……よし! 手は思いついた、巻き込まれるなよ!」

「大丈夫だからみんな離れて」

「進軍停止!」

 

 自信満々な泥棒の声と、煙に紛れて集まり始める火属性の魔素に嫌な予感しかない。急募、水属性。バブルだと自分しか守れないし、ウンディネは派手すぎる。じゃあこれだ。いつもより多めに曲げて。

 

「『マスタースパーク──のような吸引装置』ぃっ!」

「土水符『ノエキアンデリュージュ』……!?」

 

 えっ、何そのフェイント。何その機能。煙がどんどん吸い込まれてる。パイ生地を均一に伸ばせる機能がついたと自慢されたときから薄々思っていたが、あの八卦炉何でも出来るのね。ならノエキも一緒に吸い込めるか……? 

 

 いやいや、待て私。八卦炉は火属性を操るアイテムだ。その内部に相剋の水と相生の土を合わせたものなんて入れたら、火で勝手に土が増幅、土により水が消え世は全て事も無し……問題無い、行け。

 

「うわっぷ!? なん、パチュ、おまっ!」

「あっやべ」

 

 強すぎて泥棒にもかかった。まあ、いいか。マスタースパークを止めるためだけの調整しかしてないし、人体に直ちに害はない。でも後で魔石を切ろう。

 

「この水は……パチュリー様! 敵が居られるのですね! 分かりました! 者共、出会え、出会えー! 敵の逃げ道を塞ぐのだーっ!」

 

 ワンドットだったか、彼女の叫ぶ声に一斉に妖精メイドが動く。やにわに部屋が薄暗くなったのはきっと窓が確保されたからだろう。つまり今窓を見たら、ずらっと妖精ないし小悪魔が張りこんでいるということか。

 

 ……。

 

『ふふふ、良いですねぇ魔理沙さん……! 最高の動きです……!』

「楽しそうね、あんた」

『そうですとも! 煙が晴れたらフィナーレです。パチュリー様、さっき私がいた場所に注目を集めてください!』

 

 さっき。ちょうど部屋と廊下の境目くらいか。まだ煙が残っているから考える時間がある。うーん、何を使って集めようかな。聴覚、視覚、嗅覚。

 よし、ちょっとやってみましょう。丁度いいものがあるわね。ノエキを止めて。開発中スペル。

 

「日火符『サンライトヒマワリ』」

 

 その瞬間、世界は一変した。

 騒ぎがそれを上回る大音響にかき消される。

 消えていく煙に向いていた視線が閃光に奪われる。

 幽かに香っていた霍香が硝煙に塗り潰される。

 

 それはまるで、戦場にいるように。

 

「!? なっ、何事だ! おのれ、囲めっ!」

 よし、全部満たせた。軽い花火を打ち上げる魔法、サンライトヒマワリ(仮名)。夏場の隠し芸として用意していたこれがここで役立つとは。塞翁の馬もきっとどこかで微笑んでいる事だろう。

 私そんなに馬好きじゃないけど。レミィと一緒に乗馬体験したとき私だけ振り落としたの許してないからな。バランスボールからやり直せみたいな目で見つめられたのも。買ったわボール。仕舞ったわ実家に。

 

 やがて煙は全て消え。

 びしょ濡れでのびている少女が姿を現し。

 妖精メイドと小悪魔の大軍が次に見えて。

 

 そして私が視線を集めた場所では──

 

 

 

 

 

『で、何の用なの?』

『え』

『言いたいことがあるんでしょう、連絡係さん』

『……怒ってます?』

『いや全く』

 

 

 

 

 ──私の記録映像が上映されてた。

 

 



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10P目 = Y_射撃

『怒ってないから、言いたいこと自由に言ってみなさい。多少の失礼ぐらい大目に見るわ』

 

 天井に取り付けられた機械から、光が注がれる。その光が空中のある点にぶつかると、観測者の目へと一直線に屈折する。結果、何処からでも光を、正しい映像を見ることができる。

 

 日魔法『レイレフラクション』かな。難度以上に面倒だから使われない魔法だ。本来の用途は主に直接間接問わずあらゆる光を曲げて、物体の位置を誤認させること。

 問題は光に直接干渉するために工数が多く、戦闘中や移動中にはほぼ使用不可なこと。だから単純に水魔法で適当なレンズを作るほうがよっぽど楽なこと。それでも使う利点といえば単純すぎてつけ入る隙がない、つまり干渉されにくい……くらい。

 

 要するに、上映されているのは嘘偽りなくさっきの私である。弱々しすぎるとか、デコピンで死にそうとか、春風と共に意識持ってかれそうだと感じても私である。日暮れの朱に負けないほど肌が青白い。

 

『では、まず一つ。この後、他の小悪魔たちとの面会は可能ですか。お疲れであれば面会謝絶の札を掛けますが』

『問題ないわ』

『では、面会歓迎で』

 

 ただ、まあ、予想の範囲内ではあった。本物の記録をまだ持っていて、それに気づかれたら困る。加えて注目を集めろと言われたらそりゃ察するわよ。

 

 だからここは怒らない。そもそも私は盗撮自体は怒ってない。コアがそれを持っている、という事実が誤解されそうだと思ってただけだ。この形の公開ならコアが持ってたとは思われないだろうし、さして問題ない。

 それはそれでいいんだけど。

 

『今後もお食事はペースト状にした方がよろしいでしょうか。お医者様は食べられるなら少しずつ固形物を食べたほうがいいと仰っておりました』

 

 …………。

 

 い、いやいやいやいや。流石にほら、ここまでしといて私の盗撮映像上映会に招待したかっただけとかいくら何でもそれはないない。

 

 コアは意外とたくさん考えてるいい子だからそんな快楽全振りなこと確かにしそうだけれどもしそうなだけで実際にはしないだろいやでも忘れがちだけど皆れっきとした悪魔だから主を騙して陥れるぐらいのことはするとしてもこのような行為にどのようなメリットが有りますか? 

 

『しばらくはペーストでお願い』

『了解です』

 

 カ、カームダウン。パチュリー・ノーレッジ。コアを信じたのは私、だったら信じ抜くのも私だ。これがやりたいことだったと言うなら私はその背中を押すもんだしさっきやってみろって言ったじゃないか、今更違うとは言わせないぞ。たとえそれが前例というスコップでセキュリティホール掘るような真似でも私は受け入れて先に進んだ後ろに広がる不自然豊かな断崖絶壁……

 

 ……何だか、最近、同じこと、考えたような。

 

『……魔法が使えるようになったら』

 

 

 あの時、私が、受け入れたのは。

 

 そうだ。私が忘れてたのは。

 

 

『ディ』

「コア、インを捕らえなさい」

「あいあいさーっ!」

 

 片手に使い魔を持ったコアが、戸棚の影から飛び出し小悪魔隊に突撃する。最前列にいた四枚羽の小悪魔が左手で右手を握り、前に突き出す。

 

 コアがその手を踏むと同時に、最前列の悪魔はコアを上に思い切り放り投げた。高さを得た彼女はそのまま小悪魔隊の中ほど、インに目掛けて落ちていく。

 

 ()()()()()()()()()()。ナイフをコアの首に突き付けたまま。ひとつの助けも借りずに同じ軌道を空に描く。二人がかりにはさすがにインも捕まるかって何してんのちょっと。

 

「ぐっ……!」

「悪いわね、イン。……ところで、咲夜は」

「紅魔館を守りに来ました」

「あっ、うん」

 

 そうだね。煙と轟音だけといっても、騒ぎを起こしたのはコアだ。だからナイフを向けるならコア。それは正しいけどさ。

 

「合図があるまではやりません」

「いや、ないわよ合図。下がっていいわ」

「聞いてくださいよパチュリー様! 私、使い魔が飛んできた時からずーっとナイフを向けられてるんです! 怖くて怖くて声も震えんば」

「かりでもなかったわよ」

 

 むしろ終始楽しんでたわよね。ああ、でも声が上擦ってたときがあったな。あながち怖かったのも嘘じゃないのかしら。

 というか飛んできたときって、通信してるとき全然咲夜に気づかなかったんだけど。一体どこに隠れてたんだ。まさかコアの後ろに……? あんなに小さい体の……? 

 

「……はっ! パチュリー様、これは一体!?」

「インってあんな一面あるんだ……」

「どうなっとん、これ。あっ、こっから光出とんか。ほぁー」

「乱暴はいけませんよ!」

 

 ちらほらと、混乱から復帰する者が出始める。そして好きに動き始める。いつもの紅魔館の様相を取り戻しつつある中でも、まだ私は気を抜けない。まだ約束を果たしていない。右手にさらに魔素を集める。

 

「いいえ、これは必要な措置よ。皆、下がりなさい。記憶が消し飛ぶわよ」

 

 残念ながら冗談じゃない。なにせ、それは私を騙し切りかけた相手。遠見のボトルネックでも止めきれない相手。三日分のディゾルブスペルを全て消費させるような相手だ。

 

 うん、だんだん点が繋がってきた。ディゾルブスペルを練れば練るほど、記憶が少しずつ元に戻る。本当に幸運だったな。今気づかなかったら、後でディゾルブスペルで解除してもわからなかった。きっとその頃には、ただの常識になってたんでしょうね。

 

 こんな些細な認識歪曲。

 

「何言ってやが……むっ!」

「さっ、ささ退がりましょ! 本気です、あれ!」

「押さないでー! 横二列高さ二列ずつを守ってお通り下さーい!」

 

 あら、察しがいいわね。えーっと……ひときわ小さい身長に、内側が黄色の赤髪で山高帽の子。と、ゼン。よしよし、一人確実に覚えてる。進歩したわね私。二歩目で躓きまくってたからちょっと自信取り戻したわ。やはりゼンは癒し。そこに居るだけでヒーリング……

 

 ……あれ? 目が霞んできた。おいおい頼むわよ私。ここで倒れたらゼンの癒やし効果が大したことないみたいじゃないか。確かに大魔法ディゾルブスペルを失敗してからっ欠になるまで魔力を消され続けて、そこからまた魔力貯め直してる起き抜けの状況下で一度目以上の威力の二度目の大魔法を撃とうとしてるよ。

 

 でもいま夜よ? 魔女として最高の時間じゃない。そりゃ状況はアレかもしれないけど、昼の太陽も拝めるこの部屋なら月光だってふんだんに差し込む。特性上陰気が強いこのスペルを編むには悪くない場所……

 

 待てよ。今日って、たしか。

 

 …………

 ……

 …

 

 ……曜日のことばかり考えていて、すっかり抜け落ちてた。

 

 

 今日、新月じゃん。

 

 

「……」

 

 満月に比べ、新月の魔力は格段に扱いが難しい。量もさることながら、お前別の魔力だろってくらいに性質が違う。当たり前だ。太陽を反射して光る月ってだけで陰気が強いのに、新月はその光すらも無い最上級の陰気だもの。

 その違いは凄まじく、例えば30m離れたところに魔界の門を立てる場合、満月なら魔法陣で適切に流れを作って細工するだけで立派な門が立つ。

 しかし新月だと、自分自身が新月の魔力に触れないくらい遠くに離れて、細心の注意を払って細工する必要が出てくる。そうしないと意図せず現れた超巨大な門に何とは言わないが裁断されたりするから。

 

「……っく」

 

 ところで、今の状況を整理してみましょう。

 

 ・回復しきってないときに編んだ不安定なスペル

 ・それを補強しようとした月の魔力

 ・それが不安定な新月の魔力だったりしたらどうなるのかって答えが如実に実現しかかってるってこれ制御制圧制限制止。

 

「……ふ……うっ……!?」

 

 だが例示で上げたとおり、新月の魔力は特別な力を持っている。上手く制御できるなら満月以上の結果を出せる可能性があるから、全くの無駄じゃない。問題は不安定の二乗によって制御しきれなかったスペルが漏れていること。

 そして先だって、私は擬似的な麻酔魔法で筋肉痛を誤魔化したばかりであること。これらが意味することくらい考えればわかるからわざわざ経験なんてする必要皆無なんだっからほんとやめてそっちからこっち流れて来んなああああああっ!!! 

 

「はっ……あ……む……ぐぐ」

「……! パチュリー様!」

「何かしら……? 私は平気よ、コア。そのままインを抑えてなさい」

「ぐっ……! ……わかり、ました」

 

 ……

 

「何なのだ、一体何が起きている! 誰か知らないのか、あの煙は何だったのだ!?」

「うわっ、何、ちょっ、チシャ! 引っ張らなくても大丈夫だって! 僕も最後にちゃんと出るから」

「あわわわ! マズイですマズイです! 早く早く!」

「ギャー!! 押すんじゃねー! 潰れる! 潰れ死ぬぅ!」

「……このためか……」

 

 ……制御、完了。

 麻酔も魔力も消えた。

 でも、間に合った。

 

 大丈夫。皆の避難も終わった。

 あとは撃つだけ。

 

 というか、それしかない。

 魔力消えたからこれ以上スペルの強化はできない。

 これが駄目なら、認識歪曲でまた忘れる。二度と助けられなくなる。

 

 チャンスは一度。

 このディゾルブスペル、一発だけだ。

 

「……よし。咲夜。私がこれを撃ったら、コアを抱えて部屋の外に逃げなさい」

「承知しました」

「えっ、最後まで抑えてなくていいんですか!? てっきりディゾルブスペルの対象は私達だけ外してるから大丈夫だ一緒に受けろとか」

「……死ぬわよ」

「咲夜さん! 頼みます!」

「一文字につきナイフ一本」

「なんで!」

「四本ね。承知しました」

「記号までも!?」

 

 ……肩越しに窓を覗く。空は一面真っ黒で、どこにも光は見当たらない。私の紫の髪がはっきりと窓に映るほどだ。遠くに見える輝針城も今日は光が消えている。

 

 ……。

 

 ……人里の明かりがぼんやり見える。蝋燭もガス灯も電灯もまぜこぜにした、統一性のない明かり。ただそこに居るのだと、それだけを伝える微かな明かりだ。

 あとは、森の光茸くらいか。窓から見える灯はそれだけだ。前へと向き直る。

 

 こんな日でも──私達は、互いにはっきり姿がわかる。紅魔館の灯は、煌々と私達を照らしている。

 たとえ吸血鬼だろうが、人間だろうが、魔女だろうが、妖精だろうが、妖怪だろうが、悪魔だろうが。

 誰だって、分け隔てなく。

 

「いくわよ。3」

「相応の罰ですわ。悪魔は人間より頑丈ですから」

「咲夜さんの悪魔基準はレミリアさんじゃないですか! 死んじゃいます!」

 

 それは、紅魔館にいる身として当然の義務だ。

 照らされない者など、居てはならない。

 居るはずがないと、思い込んでいた。

 

 居るじゃないか、ここに。

 助けを求め続けている小悪魔が、ここにいる。

 だったら、私は一体何をする? 

 

「2」

「首には刺さないわよ。出血多量でカーペットが汚れるし」

「ああそれなら、ってなるわけ無いでしょう! 目線をもっと刺される側に寄せてください!」

 

 

「……パチュリー、さま。わたし、助かるのですか」

 

 

 二人の下敷きになっている少女が、そう呟いた。

 愚問ね。

 

「1。……イン。私はただの魔女じゃない」

 

「傷跡を残さないようにしたいなら、刺す場所はかなり限られてくる。覚悟は良いか?」

「刺すことが確定事項じゃないですかーっ!」

 

 その言葉のために、息を大きく吸い込む。

 体に巡る血が、脳を活性化する。

 そして活性化したせいで気づいた。

 

 

「ゼロ。──あなたの主にして七曜の魔女。パチュリー・ノーレッジよ」

 

 

 紅魔館じゃなく、図書館の灯で例えたほうがよかったな、って。

 

 

 




ホブゴブリン隊はノリで動いた妖精たちの後始末をしています
チュパカブラ隊は天狗のビーフジャーキーを食べているようです


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11P目 = Y_意地

空行圧縮非推奨です


「『バニシングエブリシング』」

「っ」

 

 トランプが宙を舞い、二人の姿が消える。ついでに泥棒も消えたところに咲夜の幽かな優しさを見た。

 ディゾルブスペルが突き刺さる。

 

「あ、ああぁぁぁぁぁぁあああああ!!!!」

 

 インの絶叫が、紅魔館を震わせる。

 

 それはつまり私も震えているということになり気合で抑え込んだ筋肉痛が再発してててしかもさっき埃吸い込んじゃったから呼吸器官までででで更には頭に巡った血がそのまま血管圧迫して頭痛ががががが

 

「あああああ…………ぐっ、が、ぐぅぅうっ!!」

「……もうひと踏ん張りよ、イン! 負けるな!!」

 

 でも。ここで弱さは見せられない。信じて頑張ってる小悪魔の前で、血反吐吐いてる頼りない主。そんなのはもう、たくさんだ。それにまだ見栄を張ってから十秒も経ってないし。せめて一分はカッコつけたい。

 ところで、唇って噛めば噛むほど血の味ね。血はレミィに薦められたとき以来だけど、やっぱり美味しくないや。珈琲の方が好き。

 

「う、ああ、アアアァァァァァ!!!!」

「……!?」

 

 突如、ディゾルブスペルの消費量が跳ね上がる。それが私の右腕に幻想の重みとして降りかかる。重みは右肩まで伝播し、遅れて差し込むような鋭い痛みが襲う。肩の力が抜け、支えを失った腕が力無く落ちた。

 

 ――そこへ、無理矢理立てた右膝をつっかえる。

 

「……っ! ……っっ!」

『わ……れ……願いを、叶える……モノ』

 

 二の腕に膝蹴りをかますようなものだ。当然、腕に激痛が走る。だが、これで関節的に腕は真っ直ぐなまま落ちない。震えるギプスで右手を引っ掛け、再び掌をインに向ける。そして緊急的に割いた身体強化分の魔力をディゾルブスペルに戻す。

 

 ……あれ? なんか、インから出てる?

 

『この者の……願いし、普遍。たとえ、誰が相手になろうと……我、叶えることを、誓う』

「……お前は」

 

 具体的に言うと、倒れてるインの背中から魔力が溢れてる。

 溢れた魔力が塊になって、しきりに振動してる。

 

 あー、うん。あの、えっと。

 あれも魔法に関することだし、知らないわけじゃないんだけども。

 何なのかは分かるんだけどさ。

 

 

 一体何をやったのさ、イン。

 

 

『紫の魔女。この者の願う普遍において、最大の脅威。排除する』

「えっ、おまっ」

 

 魔力の塊からめき、めきと音がする。瞬間、鞭のように魔力が私へと伸びてくる。咄嗟にディゾルブスペルを変形させ、伸びた部分を全て覆い消す。

 そんなことをすれば当然薄いところだってできるわけで。今度はそちらから塊が伸びる。それを消す。横からまた伸びる。消す。陰からもう一本。

 消す。貫くように真っ直ぐ。

 消す。薙ぎ払うように死角から。

 

 

 ――自立魔力。今や伝説となった現象。

 超高密度にした魔力が意思を持ったように振る舞い、与えられた魔法を使って、可能な範囲で願いを叶える。

 たとえば自立魔力に日魔法を与えると、叶えられるのは日光浴から核融合まで。

 

 

 消す。地面を伝って。

 消す。

 

 不規則に曲がって。

 消す。

 直前で一度躱して。

 

 

 伝説になった理由は、もう対処法ができてるから。

 この現象にはフランドー……紅霧異変のときのレミィの紅霧でイギリスを覆う程度の魔力が要る。

 それほどのコストを自分で使わずに「暴走」させるのはあまりに勿体無いし。

 伝説になるのは、当然だった。

 

 

 消す。

 消す。

 消 す。

 

 三叉が 一つ。

 

 

 そんな、自立魔力のコストは。

 たとえば、私の「賢者の石」であっても。

 一つ、二つじゃ、到底足りない。

 

 つまり――

 

 

 

 す

 

 

 

 

 

 天井から急降下扇状に左右網目で分散薄く広がり面制圧見えないほど細く鋭く内外で濃度に差をつけて偽装直前でパターンを変え僅かに曲射取られた部分を切り離し枝状に分化初めから当てない攻撃を織り交ぜ執拗に頸を狙いただ落ちてくるだけの塊が交ざり壁で跳ね返り背中を撃ち高出力で前方から一撃細かく視界全体を覆い大量に絶え間なくそれに紛れて空中を伝い

 

  

 

 

 

 

 消

 

 

 

 

 ベッドの繊維の隙間。

 

 

 

 

『人の身に限界あり。敗北を認めよ』

「……」

 

 光が、消える。

 

『敗北を認めよ』

「…」

 

 

 喧騒が、遠ざかる。

 

 

『敗北を……』

 

 

 

 鉄の味は、もう、しない。

 

 

 

『……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……?』

 

 

 三十二。

 

 

 

『……なぜ、認めぬ?』

 

 

 三十八。

 

 

 

 

『なぜ、まだ、抵抗を続ける』

 

 

 四十三。

 

 

 

 

 

 

 

 

『なぜ――死なぬ』

 

 

 五十一……。

 

「決まってるでしょ」

『何?』

 

 一旦ストップ。えっ、お前に時間は止められない? ちょっと考えてみてほしいわ。周りに何も動くものがないなら、それは時間が止まったって言えるんじゃないかしら。

 だから鞭を全部一気に消し飛ばした今は、停止してるも同然だから見栄カウンターを進めなくていい。オイラーも驚きの完璧な理論よ。完璧だから後で咲夜に調整してもらって完璧さを増していきましょう。「あんたが、本物の――」やっぱり真に完璧なものって完璧じゃないからこそ完璧だと思うのよね。凹。成長し続けるからこそ後から来た化物みたいな才能にも負けない積み重ねになるの。年齢とともに重ねるべきは強さじゃなくてこういう牽強付会も自分の力に変えられるような強かさって書いたら文字変わらなあっやばもう流石に限界――っ!

 

「――け、こほ、うぇ、げほっげほげほぐげおえぅ!!!」

 

 防御用と見せかけて、濃くしたディゾルブスペルの一部を内側に変形。そのまま自立魔力を刺し貫く。

 

『……!?』

 

 次いで、空いた穴にディゾルブスペルを流し込む。これで内外両方から自立魔力は消されていく。

 

 ……目論見は、上手くいった。こいつは……保って、15秒。

 

『あ……ぁ……? 紫……魔女……何を』

「ぜ……教えて、あげ……ひっ、げほっ、えほっ!」

 

 だから、15秒。

 たったそれだけ、耐えれば、それでいい。

 

『消える……消えていく……!? 何だ、これは、我……我、は……っ!!』

 

 

 ――たったそれだけ、なのに!

 

 

「ぅ――statically, durably, fir、ぁ、がふっ、う、Permanen、ぁぐっ!!」

『止めろ……止めろ! 紫の魔女!! 我は消えず、消えるわけに行かず!! この者の願い、我が、我の代わりなど、どこにも――!!!』

 

 随分、暴れてくれたじゃないの! いくら咲夜が綺麗にしてても、そんな動いたら埃が立つでしょうが! 私が喘息でグロッキーなの分かってるのか! そうでなくても限界ギリギリだっていうのに! 耳鳴りは酷いし、上がどっちか分かんないし、表情筋まで含めて全身筋肉痛なんだよ! そりゃ分かるか! さぞ見るも無惨な生きてる死体(リビングデッド)なんでしょうね!

 でもね! 今更引かないわよ! ここまでやって、駄目でしたって言って諦められるなら、魔女なんて名乗っちゃいないわ! 主なんてもってのほか! ノーレッジ家からも蹴り出される……かどうかは怪しいけど! とにかく! お願いだから早く沈んで! はよっっっ!!

 

 

 

「uuuuUUUUUUUUUUUuuuuuuP!!!!!!」

 

 

『む、らさきィィィィィ!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……パチュリー様?」

 

 

 

 

 

 

 



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12P目 = 種明かし

忘れてないよ




 思い返す。

 遠見を組んだ日。

 

 思い返す。

 小悪魔に抱きついた日。

 

 思い返す。

 自立魔力を消した日。

 

 うん、消えてる。良し、うまく行ってた。躱して撃ってで精一杯で、ちゃんと倒したか微妙に自信なかったのよね。走馬灯は優秀だな。今度魔法で作ってみようかな。

 

 さて、これが見えてるという事はだ。いよいよ私は死んでしまったのだろうか? 覚悟してなかったわけじゃないけど、いざそう考えると胸の奥が冷たくなるような感じがしたので火魔法。

 でも、死ぬにしては相応の理由がないのよね。あの時の痛みは頭痛と筋肉痛くらいしかなかったし、あとはちょっと程度に差があるだけであくまで気分が悪かっただけだし。流石にこれで死ぬほど病弱になってたら本棚の角で小指ぶつけただけで死にそうじゃん。私はそんな奴知らないぞ。

 つまりは、単に気絶してるだけだろう。それだけなのに走馬灯が見えるという事実が弱さと呼ばれる気もしたが、裏を返せばこの先何百年もしないとできない体験を今できたわけだからこれは幸運であり、それに伴って事実は強さとなるから私の勝利だ。知ってる知ってる。そんな魔女なら私知ってるわ。

 

 そうなると、これで三度目の気絶になるのね。筋肉痛で一つ、手が砕けて二つ、自立魔力と撃ち合って三つ。その合間に覗きとか見舞いとか上映会とか挟んでたわけで。そう思えば今日は凄まじく濃い一日だったらしい。実感は湧かないけど。

 だって私、気絶してたし。私が考えて動いた実時間は十時間も無いだろうから、むしろ短い気すらする。せめて気絶の度にこうやって何か考えていたならより実感も湧いて魔法の研究も進んだだろうにどうしてそうなってないのかしら。この世に全能の神がいるならちゃんとこういう魔女のフォローもできるようにきちんと他にも仕事を割り振ってほしいわね。貴方は一人じゃないのよ、八百万的に。

 

 ……もしかして、忘れてるだけ? 

 気絶から起きるたびに、全部忘れてるだけで。

 本当は色々考えてたのかしら? 

 

 あれ、それってつまり。

 この暗闇が気絶のせいだとするなら。

 今考えてることって、このあと全部忘れるってこと?

 

 ……

 

 ……

 

 ……まあ、前もそうだからって、今回もそうとは限らないし。これはあくまで推量。推測の三レベルは下にある『起きたら良いな』程度のことだ。

 それに仮に忘れるとて、どうせ起きるまで暇だもの。何せここには何もない。気絶なら気絶らしく、夢でもあれば現実で出来ない実験ができるのにな。どうも、私は夢を見るのが苦手らしい。研究対象か。

 まあ、本が無ければ研究も何もないのだ。だったら出来ることは考えることだけ。とりあえず火を床に置いて。議題は、そうだな。インの情報の整理でもしましょうか。

 

 

 

 Y担当、イン。銀の河に落ちて以来銀髪になった、普通の小悪魔。魔術の「痕跡」をびっしり纏っても気付かれなかった、「認識歪曲」と「自立魔力」憑きの図書館司書。

 

 疑問点はこの三つ。痕跡、歪曲、自立魔力ね。焦らずゆっくり一つずつ見ていくか。

 

 まずは痕跡。これは簡単に説明がつく。銀の河とはすなわち、『水銀』の河だったのだろう。水銀そのものの魔法的価値もそこそこあるけど、河ともなれば別の問題が起きる。極稀だけど、同じく水銀が主成分の赤い石、『賢者の石』が流れてる可能性があるのよね。人為的に純度を上げた賢者の石には敵わないけど、天然のこの石だって十分魔法の触媒になる。

 そこへ落ちてくる、魔法が使える生命体。慣れない状況によるパニック、側には優秀な触媒。意図しない魔法の暴発が起きても何もおかしくない。

 

仮説.暴発の後遺症が残りました。

 

 まあ、ありえない話じゃないわね。死ななかっただけ運がいいくらいだわ。

 

 

 そして度重なる暴発により、淀む魔力。これが固まったとすれば、自立魔力にも理論が付く。だが三つ、ひっかかる点がある。

 

 

 一点目。変換効率が足りない。

 自立魔力は特級レベルの大魔法の失敗、略して大失敗だ。一歩間違えば大魔法が発動するほど、魔力が精製されていたという意味である。水銀の河に入ってる一個二個の石じゃ、魔力への変換効率が全然足りない。まさか三日三晩溺れてたり、石が数万個沈んでたりしたわけないだろうし。

 

 ただ、これは説明可能だ。『私物』である。魔界とは魔界神の作った、いうなれば大きな部屋であるため、時々魔界神の私物がそのへんに置かれていることがある。

 その私物が「掃除」に巻き込まれて河へ。齟齬は無いわね。そんな実例を何冊か保有している以上、納得行かざるを得ないし。魔界神側からも「無くしちゃったならしょうがないわ。また作ればいいもの」っていう神託が降りた記録があるし。

 

仮説.インが出会ったのは魔界の天然賢者の石ではない。

神工賢者の石、神工石だった。

 

 まあ、魔界も魔界神が作ったんだから、厳密には両方天然だけれど。

 

 

 二点目。魔力の絶対量が足りない。

 触媒が良かった、という話ではない。どれだけ優秀な触媒といえど、それ単体で何が起こせるわけではない。触媒は魔力生産工場ではなく、変換促進装置。つまり、魔力自体は全てインの物なのである。インがどれほど隠れた秀才であっても、あれを作れるほどの魔力量を持つなら、私の耳に入らないわけがないじゃ……

 

 ……いや、入らない理由はあるな。歪曲だ。日頃張ってる防御魔法は一切合切貫通。ちょっと上級なディゾルブスペルを体全体に纏って、ようやく数分受け止め切ったあの魔法なら、噂にならなくとも不思議じゃない。というかそうか、何かすぐディゾルブスペル消えたなって思ったらそのせいか。そんな予想も立てさせないなんて本当にとんでもない威力だったのね。本当、勝てて良かったな。

 

仮説.インは隠れた秀才だった。

 

 

 三点目。パニックの中で作ったにしては、威力が高すぎる。

 私が小悪魔を雇い始めて七十年程度。その最初から居るコアが、インは最初から銀髪だった体で話していた。つまり、自立魔力も七十年間使い古していたということになる。

 自立魔力は所詮魔力。七十年はおろか、五年も経てば周囲の魔素に分解されて土に帰るのが通例である。そんな奴が私のディゾルブスペルを一つ使い潰し、二つ目とは真っ向から撃ち合ったというのだ。なんかおかしい。

 おまけに、あれにセットされていたのは攻撃魔法ではない。歪曲魔法だ。本来変化などさせられない魔法を、直接魔力に絡めて塊にし撃ってきていた。これまた魔力消費が恐ろしくかかる方法である。直接では効かないと見るや方法を変える柔軟さ。かと思えば、消費を気にせず全力を出す大胆さ。正直、インが困っていなければもっと育ててやりたかったほどだ。ちょっとインに育成のコツを聞いてみましょう。

 

仮説.インはブリーダーの才があった。

 

 

 

──隠れた秀才かつ、ブリーダーの才を眠らせていたイン。ある日彼女は河に落ち、神工石との邂逅を果たす。

 パニックの彼女。不完全な魔法。彼女の魔力は石を通して次々精製されるも、それが形を持つことはなく。やがて辺りに満ちた魔力は淀み、自立魔力を生み出す。

 生まれた自立魔力に対し、彼女は藁にもすがる思いで()()()()を与え……

 

 

 ……? 

 

 いや、おかしい。普通ここは河から上がる浮遊魔法とかじゃないの? いくら現実を捻じ曲げたところで、河に沈んだ自分は変わりないぞ。

 けれど、ここで歪曲魔法を与えなければ成立しない。自立魔力は魔法を与えた相手に服従する。魔法を与えなければ、それは主ではないとして何処かへ離れていく。そして離れるまでの時間は、確か昔試したときは長くて十秒弱。インの自立魔力は確かにインに服従していたから、魔法を与えたのはインのはずなのだけれど。

 それに自立魔力ができたということは、幾ら才があろうと本人の魔力はもうカラッ欠のはず。唯一その自分を助けられる自立魔力に対し、歪曲なんて与えてしまえばいよいよ助かる見込みは消え去る。自立魔力は後から与えた魔法を変更する事はできないのだから。変更できるんなら研究者も増えただろうに。

 

 ……何か、大きく見落としているような? 見落とし自体はたくさんあるだろうけどさ。ブリーダーの才も、隠れた秀才も、神工石も暴発も全部仮説なんだし。嘘に立脚するなら全ては真実だ、っていうのは誰が言ってたっけ。ああ、アリスか。

 

 

 ……待てよ。神工石は仮説か? 私が気絶で済んだのは、自立魔力との撃ち合いに勝ったからだけど。勝った理由として、()()()()()()()()()()()()()()()()()()っていうのが大きい。

 見た事があったから余裕があったし、不意打ちすらも完璧に防げた。もしもあの自立魔力が賢者の石から生まれた魔法であったなら、既視感に説明がついてしまう。私は賢者の石を良く使ってるし、それより、何段階か上であっても、賢者の石、魔界神の石、私の遥か上を行く最上級の石なら……

 

 

 ……

 

 ……

 

 ……

 

 ……ふぅ。ちょっと納得しちゃったし、この件はこの辺にしときましょう。

 それより、あと一つを考えよう。歪曲魔法についてだ。異常な強制力と、明らかな「普通になりたい」という意思が入っている謎。訊けば分かることかもだけど、まだ起きないみたいだし。暇つぶしに自分の答えを用意してみるか。

 

 まず、自立魔力の証言ね。「この者の願いし普遍、叶えることを誓う」だったか。

 うん、溺れたやつの願望じゃないわ。最初から普遍を叶えるつもりで落ちたんだ。よし、おしまい。

 

 ……

 

 ……

 

 ……いけないいけない。気を抜くと石のことを考えてしまう。続けないと。えっと、インは落ちたときはパニック状態じゃなく、普遍を願う為に落ちて冷静だったと。

 じゃあ魔術の痕跡って何だ。パニックじゃないなら暴発はなく、したがって痕跡は残らない。こんな時こそ状態検査だが、あれは魔法メインでデータが揃っているから魔術に効くかは怪しい。私自身の知識でも、魔法じゃなくて魔術、しかも痕跡だけじゃ元々の効果は分からない。魔術ってまだ文書に残ってないような魔法の総称なのよ。動かない大図書館に聞くのは酷ってもんよ。

 じゃあ、やっぱり訊くのが一番ね……

 

 ……

 

 ……

 

 …3.(three point)

141592653589793238462643383279502884197169399375105820974944592307816406286208998628034825342117

 

 

 


 

 

 

 願望は混ざり合う。

 自分の上を見たことに恍惚とする心。

 それで蕩けた顔を見せたくない一抹の乙女。

 思考を数字で上書きする口。

 

 

「067982148086513282306647093844609550582231725359408128481117450284102701938521105559644622948954930381964428810975665933」

「……むにゃ……ん、っ!? パチュリーが壊れてる! 何もしてないのに!」

「これはいけません! フランドール様、もう一度! 魔力を私に!」

「良いですとも!」

「何かしてるじゃないの。じゃなくて、落ち着きなさい。起きただけ……よね? 凄い顔だけど」

「72458700660631558817488ォ……520920962829 25409171536ゥゥ……!」

 

 

 願望は混ざり合う。

 どう転んでも、乙女は死んでいた。

 



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