けものフレンズR (ドラクオ)
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第1話「はるかな記憶」

暗い部屋の中、ほのかにきらめく明かりがあった。それはまるで、夜空に輝く星のような。

明かりの中で、少女は夢を見ていた。穏やかで、緩やかで、ぼんやりとした夢を。

 

『………おやすみ……え』

 

夢の中で誰かが語りかける。輪郭はぼやけて見えない。それはとても温かくて柔らかな声だった。

 

『………また……あえ……ら』

 

「………!?」

目を覚ました少女が最初に見たのは、横たわった自分の身体を包む虹色に輝く光の粒だった。

「………ここは?」

少女が目覚めると同時に、目の前を覆っていた機械の蓋が開いていった。周囲は暗闇で満ちている。ゆっくりと起き上がり、自分の足元に目をやると、少女は何かを見つけて手に取った。それは、虹色の光を放つペンと、古ぼけたスケッチブックだった。

「これ、私のなのかな。でも、思い出せない。自分の名前も、この場所も」

少女は暗闇の中で恐怖した。足がすくんで動けなかった。しかし、スケッチブックを身体に抱くと、何故か少しだけ心が落ち着くのを感じた。

スケッチブックを手に取り、少女は虹色のペンの光を頼りに暗闇の中を歩いていった。部屋のドアは開いていて、そこから通路をしばらく行くと昇りの階段が見えた。少女はとにかく建物の外、地上を目指して歩いて行こうと決心した。建物の内部は所々崩壊していて、瓦礫などが散乱しており、裸足の少女が歩くには少々危険であった。しばらく歩くと、建物の中に明かりが差してきた。地上が近いことを悟った少女は早足になり、目の前のドアに手をかけドアノブを回す。すると、少女の目に強い光が差し込んできた。

「………まぶしい」

暗くて不気味な無音の世界から一転して、建物の外は、見たことのない光で満ち溢れていた。鳥のさえずり、動物の鳴き声、そよぐ風の音、そして遠くに見える虹色の峰。その全てが、少女の不安と恐怖を、好奇心で塗り替えていった。

「でも、ここは一体どこなんだろう」

少女が疑問を口にした直後、近くの草場から物音が聞こえてきた。恐る恐る近づくと、見たことのない青色の生き物が顔を出した。

「ひっ、何これ」

少女は咄嗟に身構えたが、謎の生物はじりじりと少女の方に向かってきた。スケッチブックを両手に抱きしめ、後ずさりするも、ついに建物の壁際まで追い詰められる。得体の知れない生物が少女に飛びかかろうと動いた次の瞬間、別の影が勢いよくパッと飛び込んできた。

「危ない!」

 

パッカーーーーーーーーン

 

青色の生物は、背中の硬い石の部分を砕かれて、まるで花火のようにはじけて消えた。少女はほっとひと安心し、壁にもたれたままへたりこんだ。そして、ピンチに颯爽と現れた人物に向かってこう言った。

「ありがとうございます」

その人物は少女に手を差しのべながらこう返した。

「いえいえ、あなたが無事でよかったです」

その手を掴み、すっくと立ち上がった少女は、まじまじとその人物を見つめてこう言った。

「あなたは、ヒトですか?」

一瞬きょとんとした表情を覗かせたその人物は、少女にこう答えた。

「ぼくはイエイヌです。ヒトじゃないですけど、ず~っと前はヒトと一緒に暮らしてました」

流暢に言葉を喋り、容姿はまるで人間のようではあったが、犬の特徴である白とグレーを基調にした三角型の耳と、大きく揺れるもふもふ尻尾が、ヒトとは違う存在なのだということを少女に強く感じさせた。

「イエイヌさんって言うんですね。不思議な感じ。あ、さっきは助けてくれて本当に……」

「はっはっはっはっはっはっ」

「ん!?」

「はぁ~~~~~~~~~~!会いたかった!!」

突然の抱擁。少女はイエイヌに抱きつかれ、そのもふもふな耳を思い切りスリスリされてしまった。

「え、えー、どうしたのいきなり。あはは、くすぐったいよ」

我に返ったイエイヌは、少女を解放するとすぐさまこう返した。

「ご、ごめんなさい急に抱きついたりして、初対面のヒトに失礼なことを」

イエイヌは左右で色の異なる瞳を潤ませながら、少女に謝った。突然のことで最初はビックリした少女だったが、スリスリされて嫌な気持ちはしなかった。

「大丈夫、気にしてないです。それよりイエイヌさんに聞きたいことが……」

こしょこしょと、草場から物音がするのを敏感に察知したイエイヌは、少女に向かってこう言った。

「近くにまだセルリアンがいるかもしれません。ここは一旦、安全なところまで離れましょう」

少女は頷き、イエイヌに導かれながらその場所を後にした。

 

木々の合間から木漏れ日が差す閑静な林道を歩いていると、イエイヌが後ろの少女に声をかける。

「この道をしばらく行くと、ぼくのおうちがあります。おうちに着いたらゆっくりお話しましょう」

「うん、ありがとう」

目覚めたばかりの少女にとって、イエイヌは唯一の頼れる存在だった。身長は自分と同じくらいではあるが、その背中は大きくてたくましく感じた。ピョコピョコ揺れる尻尾とのギャップがそれを際立たせる。

「いてっ!」

突然空から降ってきた何かが、少女の頭にコツンとぶつかって地面に落ちる。何事かと見上げるも、そこには樹があるだけだった。

「あっ、大丈夫ですか?」

「平気だよ、全然痛くなかったし」

地面に落ちたものをイエイヌが拾い上げる。

「これは、じゃぱりまんですね。でも、どうしてこんなところに」

「ご~め~ん~ね~」

樹上から声が聞こえてきた。二人は声の方に振り返って見るも、樹の枝しか見えない。

「こ~こ~だ~よ~」

「あっ、見てイエイヌさん。あそこの樹の上に誰かいるみたい」

少女が指差した方向を注意深く見ると、樹の枝によく似た姿をした何者かが、枝にぶら下がりながら手を振っていた。

「なぁんだ、ナマケモノちゃんだったんですね。こんにちは」

「こ~ん~に~ち~は~」

じゃぱりまんを落とした者の正体は、樹上でぶら下がっていたナマケモノだった。1週間ぶりに食べようとしたところ、誤って落としてしまったという。イエイヌは樹に上って落としたじゃぱりまんをナマケモノに手渡した。

「あ~り~が~と~」

「なんていうか、すごいゆっくりな動きと喋り方なんですね、ナマケモノさんは」

「そ~だ~よ~………すぴー」

喋っている途中で、ナマケモノは眠ってしまった。

「ナマケモノちゃんは1日のうちほとんど樹の上で眠っているんですよ。たま~に地面に降りてくることもありますけど」

「そうなんだ。ちょっとめずらしい子なんだね」

二人はナマケモノを起こさないよう、静かにその場を後にした。

 

しばらく歩くと、家が建っているのが見えてきた。煙突がある、2階建てのレンガの家だった。その屋根には、太陽光パネルが設置されている。

「ここが、ぼくのおうちです。さあ中へ、どうぞどうぞ」

「お邪魔しまーす」

玄関で足についた泥を払った後、家の中へ入ると懐かしい匂いが少女を包み込んだ。リビングのソファーに腰掛け、家の中を見渡すと、とても綺麗に掃除が行き届いているのがわかる。

「お茶を淹れました、どうぞ」

「あ、いただきます」

カップに注がれたお茶を一口飲んだ後、少女は口を開いた。

「あの、さっきのセルリアン?とかいう生き物だったり、ナマケモノさんだったり、ヒトや動物とは違う生き物がいるこの場所は、どこなんですか?」

少し考えた後、イエイヌはこう言った。

「ここは、ジャパリパークです。ナマケモノちゃんやぼくは《フレンズ》といってヒトと動物が合わさったような存在だとか。サンドスターという光る結晶が動物に当たると、フレンズに変化するって言ってました。でも、さっき見たセルリアンは別です。ぼくたちフレンズを食べようと襲ってくるので気をつけてくださいね」

「ジャパリパークか。そうだ、他にヒトは?私以外のヒトはどこにいるの?」

少女の質問に対して、イエイヌは少し寂しげな表情でこう返した。

「あなた以外のヒトは……どこにいるのかわからないです」

少女はがっかりした様子で、ため息をついた。イエイヌは少女にこう投げかけた。

「もしかして、誰かヒトを探しているんですか?」

「うん、たぶん私にとって大切なヒトだと思う。私が眠っている間に、どこに行っちゃったんだろう。すごく会いたい……」

スケッチブックを抱きながら俯く少女に、イエイヌはこう言った。

「もしかしたら、港にいるのかもしれないです。ヒトが最後に目撃されたのが港だって、聞いたことがあります」

「え、そうなんだ。港に行けばヒトに……教えてくれてありがとうイエイヌさん」

少し安心したのか、少女はスケッチブックを膝元に置き、ほっとため息をついた。

「いえいえ、あ、そう言えば名前まだ聞いてませんでしたよね。あなたはなんて名前なんですか?」

少女は俯きながらこう答えた。

「わからない。私、自分の名前思い出せないみたい。記憶を失くしてしまったのかな」

イエイヌは少女の膝元のスケッチブックに、何かが書いてあるのを見つけた。

「今持っているそれ、あなたのなんですか?」

イエイヌがスケッチブックを指差す。

「えっと、このスケッチブックは私が眠っていた場所にあったから持ってきたんだけど、だからたぶん私のかな?」

「じゃあじゃあ、もしかしてそこに書いてあるのって、あなたの名前なんじゃないですか?」

そう言われて少女がスケッチブックをまじまじ見てみると、確かに文字が刻まれているのに気付いた。

「これは、漢字で“友”と“絵”って書いてあるみたい」

少女がその言葉を口にすると、イエイヌは続けてこう言った、!

「“とも”と“え”ですか。ということは、あなたの名前は“ともえ”ってことですね」

「そっか、そうなるね。“友絵”か、私の名前」

二人が顔を見合わせると、自然に笑みがこぼれてきた。イエイヌは、少女に笑顔が戻ってほっと胸を撫で下ろした。

「では改めて、ぼくはイエイヌです。よろしくお願いします、ともえちゃん」

「よろしくね、イエイヌさん」

「あの、できればイエイヌちゃんって呼んでもらえると嬉しいです」

イエイヌが尻尾を振りながら訴えかけてくる。少女はそれに応えた。

「うん、イエイヌちゃん」

 

しばらく二人で話していると、外はすっかり日が落ちてきた。友絵は名残惜しそうに、イエイヌにお別れを言おうとしたが、その言葉を遮るようにイエイヌはこう言った。

「外は暗くなってきましたし、今日はうちに泊まっていきませんか?」

友絵は申し訳なさそうにこう応えた。

「いいの?ありがとう、正直一人になるのちょっと怖かったんだ。今日はお泊まりさせてもらうね」

イエイヌはなんだかとっても嬉しそうだった。

「そう言えば、イエイヌちゃんってこの家に一人で住んでるの?」

遠い目をしながら、イエイヌはこう応えた。

「はい、今は一人で住んでます。ずっと前はご主人と一緒に住んでいたんですけど、中々帰ってこないみたいで」

「じゃあ、この家のご主人が帰ってくるのを、イエイヌちゃんはずっと待っているんだね」

イエイヌは初めて、友絵の前で自分の孤独な寂しさを露にした。二人はお互いのことを少しわかり合えた気がした。次の瞬間、友絵のお腹がぐぅ~っと音をたてて空腹を知らせる。

「あっ、そろそろご飯にしましょう。いまじゃぱりまんを用意しますからね」

台所に向かったイエイヌに、友絵が話しかける。

「じゃぱりまんって、ナマケモノさんが落とした、あれのこと?」

「そう、じゃぱりまんはフレンズ皆の大好物なんですよ。あぁ、でもともえちゃんはヒトですから、お口に合うかどうか」

友絵は最初に会ったときにも感じた疑問を口にした。

「なんでイエイヌちゃんは、私がヒトだってわかったの?」

じゃぱりまんを持ってきたイエイヌは、友絵の隣に座ってこう応えた。

「匂いでわかりました。ぼくはずっとご主人、あ、ヒトと暮らしていましたから、ヒトの匂いとフレンズの匂いを区別することができるんです」

「へぇ、フレンズさんってヒトみたいな姿だから、耳とか尻尾とか特徴がないと区別できないんだと思ってたよ」

「たぶんヒトとフレンズを匂いで区別できるのは、ぼくがフレンズになる前からヒトと一緒に暮らしていたからだと思います」

友絵はじゃぱりまんを食べつつ、イエイヌの話に耳を傾けた。

「はっきりと覚えてるわけではないですけど、ぼくはフレンズになる前からご主人とここで暮らしていたんです。ただ、何故ご主人がこの家に帰って来なくなったのか、その理由はわからないんです」

遥かな記憶の中に思いを馳せるイエイヌ、友絵も同じように自分の記憶を辿ってみた。

「……やっぱり、思い出せないや」

二人はじゃぱりまんを食べ終えると、お風呂に入り、寝床についた。

 

2階の寝室のドアを静かに開けて、イエイヌが友絵の様子を伺いにきた。すやすやとベッドで寝息をたてるのを確認し、イエイヌが寝室を後にしようとドアに手をかけたそのとき。

「………ないで」

微かな友絵の寝言が聞こえてきた。

「……行かないで」

その消え入りそうな儚い声を聞いたイエイヌは、そっと友絵の傍に寄り添った。不安と恐怖が入り交じった表情で、友絵の目から一粒の涙がこぼれ落ちる。イエイヌはそれを優しく舐めとると、友絵の身体をそっと抱き寄せた。

 

翌朝。

「いろいろありがとう、イエイヌちゃん」

「いえ、そんなこと。行ってしまうんですね」

友絵はゆっくりと頷いた。記憶の中の大切なヒトの面影、そのヒトを探しに行くため、港に行く決意をしたのであった。

「……じゃあ、またね」

友絵が別れの言葉を口にした瞬間、イエイヌはたまらずこう叫んだ。

「待ってください!ぼくも、ぼくも一緒に連れていって!」

突然の言葉に驚いた友絵は、こう返した。

「それはすごく嬉しいけど、でもイエイヌちゃんはこの家でご主人を待っているんじゃ」

「本当はわかっているんです。ご主人はもう……」

イエイヌの言葉を遮るように、友絵はこう言った。

「そんなことないよ!きっと忙しくて帰りが遅れてるだけだって。だから、そんな顔しないで、ね」

今にも泣き出しそうな顔をしていたイエイヌの頬を、友絵は優しく撫でた。イエイヌの決心は固かった。

「ご主人の帰りを待つのも大切ですけど、ともえちゃんのことがすごく心配なんです。だから、ぼくで何かお役にたてることがあれば、付いていきたいんです」

純粋な瞳で自分を見つめるイエイヌに対して、友絵も心を決めたのであった。

「うん、ありがとう、一緒に行こう」

イエイヌが旅に出る支度を整えてリビングに戻ってくると、友絵はある提案をした。

「そうだ、もし家を留守にしてるときにご主人が帰ってきたときのために、書き置きを残しておこうよ」

「カキオキ?ってなんですか」

友絵はスケッチブックの白紙のページに、すらすらと文字を書き始めた。

「この紙に、今家を留守にしてます、って文字を書いてテーブルに置いておけば、帰ってきたときご主人も心配しないでしょ。そうだ、せっかくだから……」

友絵は書き置きの文字の余白に、虹色のペンで絵を描き始めた。

「何を描いているんですか?」

「ちょっと見ててね。すぐにわかるから」

虹色のペンを使うのは初めてだったが、何故かその使い方が友絵の頭の中に浮かんできた。そのペンは、友絵が心の中で思い描いた色をスケッチブックに光る軌跡として写し出していく。完成した絵を見たイエイヌは、感動を露にしてこう言った。

「うわあ、すごいです。これ、ぼくとともえちゃんの絵だ!キレイだなぁ」

「初めて描いてみたんだけど、結構上手く描けてよかった」

スケッチブックの書き置きをテーブルの上に置いた後、イエイヌが友絵にあるものを手渡した。

「これ、もし良かったらどうぞ」

「え、でも、この家の物なのに、いいの?」

手渡されたのは、片側に青い飾り羽根が付いた水色のサファリハットと、青と黒の色がセパレートになったショルダーバッグだった。

「外に旅に出るなら、必要ですから。それに、ヒトに使ってもらった方がいいのかなぁと思って」

「そっか、じゃあお言葉に甘えて、大切に使わせてもらいます」

イエイヌは嬉しそうに尻尾を振りながら、ハッと何かに気づいて、玄関から黒いブーツを咥えてもどってきた。

「あはは、ありがとう」

旅立ちの支度を終えた二人は、玄関のドアを開き、家を後にした。イエイヌは一度だけ家の方を振り返り、そして友絵の方に向き直してこう言った。

「さあ、一緒に行きましょう。ともえちゃん」

小さな勇気を込めたその言葉に、友絵は笑顔で頷くのであった。

 

≫つづく。

 

次回「雪のあしあと」



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第2話「雪のあしあと」

しんしんと雪が降り積もる山道を、二人は並んで歩いていた。吐く息は白く、寒さが手足の先まで滲んでくる。空も少し曇っていて、時折吹きすさぶ風などを立ち止まってやり過ごす。堪らず身体を震わす友絵に、イエイヌが心配そうに声を掛ける。

「大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫。ちょっと寒いけど、なんとか」

友絵がそう言うと、イエイヌはおもむろに自分の着ていた衣服の上着を友絵の肩に掛けた。

「ありがとう、すごく温かいよ。でもイエイヌちゃんが寒くなっちゃわない?」

イエイヌはホッとした顔で友絵にこう返した。

「いえいえ、ぼくは寒いの結構得意なのでこれくらい平気です」

まっさらな雪の絨毯に刻まれていく、二つの足跡。右はイエイヌ、左は友絵。二人の歩く歩幅は違えど、同じ速さでそれは続いていく。

 

しばらく行くと、道端に木製の看板が建っているのをイエイヌが発見した。近づいて看板をよく見ると、文字が書いてあるのがわかる。どうやら何処かの場所を示す案内板のようだ。イエイヌにもわかるように、友絵が書いてある文字を読んだ。

「南に500メートル先温泉ありって書いてあるね」

友絵はイエイヌの家から持ってきた地図をショルダーバッグから取り出し、現在の位置を確認した。

「たぶん今私たちがここらへんだから、温泉は……このあたりだね。いいなぁ、温泉」

友絵は温泉に興味しんしんだった。

「おんせんって何ですか?」

イエイヌの問いかけに、友絵はこう応えた。

「温泉っていうのは、ん~っと大きいお風呂みたいなものかな。入ると疲れがとれるし、お肌がつるつるになるんだよ」

イエイヌは友絵の説明を聞いて、温泉に興味が湧いてきた。

「行きましょう、温泉に」

そうして歩き出そうとした次の瞬間、猛烈な吹雪が二人に襲いかかってきた。

「あっ!」

体勢を崩した友絵は、手に持っていた地図を離してしまった。それでも止まない烈風が、あっという間に地図を彼方まで吹き飛ばしていく。

「どうしよう、地図が飛ばされちゃった」

「とにかく、追いかけましょう」

二人は地図が飛ばされた方向へ歩き出した。

1時間くらい、地図を探して歩き回ってみたものの、見つけることはできなかった。すっかり身体が冷えきってしまった友絵は、膝が笑ってしまうほどガクガク身震いした。

「うぅ~、寒い」

寒さには強いイエイヌも、雪道を歩き回ったせいか、ブルブルと身体を震わせていた。

「さ、さすがに冷えてきました。あっ、ちょっとあそこで休憩しませんか?」

イエイヌは近くにあった洞穴を指差して友絵にそう促した。二人は一時洞穴へと避難するのだった。

その洞穴は、ヒトが5~6人入れるくらいの大きさであり、奥の方は暗くて見えないが、暖をとるくらいのスペースは余裕であった。

「とりあえず、服を乾かさないとね。イエイヌちゃんそこにある樹の枝をとってくれる?」

イエイヌは洞穴にあった樹の枝を友絵に拾って友絵に渡した。ショルダーバッグからマッチを取り出した友絵は、スケッチブックの白紙のページを一枚破り、細かく刻んでそれに火を付けた。やがてその火は樹の枝に点火し、焚き火となった。

「ふぅ~、温かいねイエイヌちゃん」

「ですね~、生き返ります」

しばらくまったりした後、二人は今後について話始めた。

「地図見付からなかったね……これからどうやって進もうか」

「そうですね、闇雲に歩き回ってもしょうがないですし、とりあえず近くにある温泉に行ってみるしか」

二人が暖をとっていると、洞穴の奥の方から突然悲鳴が聞こえてきた。

 

きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

 

二人が声のする方に振り返ってみると、雪のように真っ白な細長い耳をピンと立て、赤い眼をしたフレンズが、怯えきった表情でこちらを見ていた。

「あ、あなたは……」

友絵が言葉を発するより先に、そのフレンズは洞穴からピョンっと逃げ出していった。

「あ、待ってください」

二人は焚き火を雪で消火すると、逃げ出したフレンズに温泉の場所を聞き出すため、その足跡を追いかけていった。

 

足跡を追いかけていた二人は、それが急に途絶えているのに気づいて歩みを止めた。

「あれ、おかしいな。さっきの子の足跡が、ここで止まってるみたい」

辺りを見回してみるも、さっきのフレンズの姿は見えなかった。イエイヌが匂いで探索してみるも、雪が降りしきる状況では、上手く匂いをかぎわけることができなかった。足跡を遡って探して見たものの、やはりその姿は何処にも見当たらない。

「さっきの子、たぶん白いウサギのフレンズだと思うんだけど、こんなに雪が降り積もっているんじゃ、見つけるのはすごく難しいかも」

「そうですか、なら洞穴に戻って雪が止むのを待ちましょうか」

二人がさっきの洞穴に戻ろうと歩き出すと、遠くからシャンシャンと鈴の音が響き渡ってきた。その音はだんだんと、二人に近づいてくる。イエイヌが警戒し、友絵の傍に寄る。すると木々の向こうから、イエイヌと同じように左右で瞳の色が違う、頭に大きな黒い角を携えたがっしりとした体格のフレンズが現れ、二人に向かってこう言った。

「やあやあ、わたしはトナカイ。君たちはこんなところで何をしてるんだい?」

友絵はトナカイに挨拶した。

「初めましてトナカイさん。私の名前は友絵って言います」

警戒を解くとイエイヌも挨拶をした。

「ぼくはイエイヌです。わけあって友絵ちゃんと二人で旅をしているんですけど……」

これまでのいきさつを聞いたトナカイは、うんうんと頷きながら、二人にこう言った。

「よおしわかった!温泉に行きたいのだな。では、わたしが案内しよう」

胸につけた黄色い鈴を鳴り響かせながら、トナカイは雪道をずんずん進んでいく。二人はその後に付いていった。

 

 

 

トナカイの大きな背中を追いつつ、二人は雪道を歩いていた。雪深い道のりではあったが、トナカイの足跡はまるでかんじきを履いているかのように雪に沈まず平らだった。しばらく歩いていると、イエイヌの鼻がピクッと反応した。

「クンクン……何か匂います。なにやら刺激的な匂いが」

前方から煙がたっているのが見える。近づいて行くと、友絵にもその独特の匂いがするのを感じられた。煙が立ち上る木造の建物の前で止まったトナカイは、二人の方を振り返ってこう言った。

「さあ着いたぞ。お目当てのものはこの中にあるんだ」

トナカイは建物の門をくぐって中に入っていき、二人にこっちこっちと手を振り促した。二人はそれに従い、中に入っていく。建物の中は少し薄暗かったが、トナカイは早足でどんどん前進していき、ある場所でまた立ち止まるとこう言った。

「この先にあるのが温泉だ!」

赤い暖簾に大きく「湯」と書かれた入り口をくぐり、衣服の脱衣場を通り抜けて木製のドアを開くと、そこには独特の硫黄の匂いが立ち込める、乳白色の温泉が広がっていた。

「うわあ!この匂い、温泉って感じだね。それに、お風呂からの景色も最高だね」

久しぶりに見る温泉に、友絵は目をキラキラと輝かせる。中は雪がパラパラとちらつく露天風呂になっていて、さっきまで自分達が歩いていた雪山が、湯船の仕切りの上からちょっこりと覗いていた。

「これがおんせん……なんだか色が濁ってるし、変な匂いもするし、本当に入って大丈夫なんですか?」

初めて見る温泉を、訝しげに見ていたイエイヌに向かって、待ちきれない様子の友絵はこう言った。

「大丈夫だよ、ほら早く一緒に入ろう」

トナカイにお礼を言った二人は、脱衣場でさっさと衣服を脱ぐと「ケロリン」という文字が底に書かれた黄色い風呂桶で掛け湯をした後、足先からゆっくりと湯船に浸かった。先に友絵が入り、まだ躊躇していたイエイヌも、早く早くと友絵に手招きされて、恐る恐る湯船に浸かった。全身を包み込むじんわりとした虚脱感と、濁り湯が誇るつるつるの感触がなんとも心地よく、思わずため息がこぼれ落ちた。

「ふぅ~~~気持ちいいです」

「ごくらくだね~」

雪道を歩き回り冷えきっていた身体に、芯まで伝わってくるポカポカとした幸福感。二人はしばらくの間、その温もりに酔いしれていた。その様子を、浴槽の近くで伺っていたトナカイに友絵は声を掛ける。

「そう言えば、トナカイさんは入らないんですか?」

トナカイはこう応えた。

「わたしはそんなに寒くないから大丈夫だ。それにこの温泉は……」

「ふ、ふにゅ~」

友絵の隣から、突然気の抜けたようや声が聞こえてきた。どうやら声の主はイエイヌのようだ。

「どうしたの、イエイヌちゃん?」

友絵が声を掛けるも、イエイヌはのぼせたかのように目がトロンとして、ほっぺたも赤くなっている。

「え、イエイヌちゃん大丈夫?もしかしてのぼせちゃったの!」

「ひょんなことないれす、えへへへへ、とっても気持ちいいれすよ、ともえひゃん」

そう言うと、イエイヌは友絵に思い切り抱きついてきた。そして、友絵の顔をペロペロとなめ回し、尚も甘えてくるのだった。

「ちょっと待ってイエイヌちゃん、落ち着いて!」

終始二人の様子を眺めていたトナカイがこう言った。

「ここはフレンズが入ると身も心もグダグダになってしまうグダグダ温泉、と呼ばれている。それにしても、君たち本当に仲が良いんだな、わっはっはっ」

「トナカイさん!そう言うのは先に言ってくれなきゃ、もう~」

友絵が堪らず温泉から逃げ出した。

「あ!まっひぇ、ひかないれ」

顔がふやけてグダグダになったイエイヌが友絵を追いかけていく。トナカイはそんな二人の仲睦まじい様子を見て、高らかに笑うのだった。

 

「なるほど、ヒトを探しに港へ行く途中だったわけか。しかし途中で港への地図を失くしてしまったと、ふむふむ」

建物のロビーに移動した友絵たちは、来客用のソファーに座りながら、トナカイに旅の経緯を説明していた。トナカイと友絵が話している間、イエイヌはソファーにぐで~っと横になっている。まだ頭がのぼせている様子のイエイヌに、友絵は持っていたスケッチブックで扇ぎ、そよ風を送った。

「行く当てもないし、これからどうしようかと思って……」

浴場を出た後、友絵は建物内に地図をがないか探して見たが、温泉地のパンフレッ以外は見当たらなかった。途方にくれていた友絵に、トナカイはこう言った。

「港の場所を知っているフレンズの住み処なら、わたしは知っているぞ」

「え、どこにいるんですか?」

友絵が聞き返すと、トナカイはこう答えた。

「この山を下って麓の森をしばらく行った先に“植物園”という場所がある。そこに住んでいる“博士”なら港の場所を知っているはずだ」

「植物園に住む博士か……教えてくれてありがとうございます」

「これも何かの縁だ、わたしが植物園の近くまで案内しよう」

「いいんですか!本当に、トナカイさんにはお世話になりっぱなしで」

頼もしくて器の大きいトナカイに頼りっぱなしの友絵は、少し申し訳なさを感じていた。そんな中、トナカイが友絵にこう投げ掛けてきた。

「その代わりと言ってはなんだが君に一つ頼みたいことがあるんだ」

「はい、私にできることならぜひ」

「おおそうか、引き受けてくれるのか、ありがたい。これは君にしか頼めない事だからな」

「私にしかできない事?」

「うむ、詳しい話はここを移動して目的地についてから説明するぞ。イエイヌもまだ調子が戻っていないし、雪が止んでから出発するとしよう」

トナカイに頼られて、友絵は嬉しさを感じていた。自分も誰かの役に立ちたい、そんな気持ちが心に芽生え始めたからだ。しばらくして、イエイヌの体調が回復し、雪も止んだのを確認した友絵たちは、温泉を後にして、次の目的地へと向かった。

 

雲間から陽光がさして、キラキラと輝く雪道を進む友絵たち。しばらく行くと、広大な雪原の中に三角屋根の建物が見えた。その隣には半月型の屋根がついた建物がある。

「お、見えてきた。あそこが目的地だ」

トナカイが建物の方向を指差してそう言った。近くまで行くと、石の台の上にろうそく型の看板が立っていた。友絵が近づいて文字を読む。

「……ホロホロ牧場」

トナカイの案内で来た場所は、観光用の牧場だった。友絵たちはトナカイに導かれて半月屋根の建物の中に入った。そこには牧草や農耕器具などが収納されていて、奥の方には小さい船の形をした木製のソリが見える。トナカイはソリの前で立ち止まると、友絵たちに振り返ってこう言った。

「頼みと言うのはだな、この壊れたソリを直すのを手伝ってもらいたいんだ」

ソリを見てみると、どうやら雪の上を滑るための板の部分が割れてしまっているようだった。イエイヌが興味深くソリを見ながらこう言った。

「これって、何をするためのものなんですか?」

トナカイはこう答えた。

「ヒトを乗せて運ぶためのものさ」

遠い記憶に思いを馳せながら、トナカイは話を続けた。

「かつてわたしは、このソリにヒトを乗せて運んでいたんだ。みんな喜んでくれて、それが自分でも嬉しくて。だからもう一度、このソリにヒトを乗せて運べたら楽しいだろうなあと、思ったんだ」

トナカイの話をしみじみ聞いていた友絵は、トナカイにこう言った。

「わかりました、このソリを私たちで直しましょう!イエイヌちゃんも協力してくれる?」

イエイヌは笑顔でこう答えた。

「はい、もちろんです」

 

三人はソリを直すため、まず雪板の代わりとなる木材を探した。ガサゴソと漁っていると、イエイヌが声を上げた。

「あっ、これなんてどうですか。真っ直ぐで割れてないやつです」

イエイヌが見つけたのは細長いベニヤ板だった。

「うん、バッチリだね」

次に、真っ直ぐな板の先に「反り」の部分を作るため、先端が曲がっているものを探した。トナカイが何やら発見し、友絵の元にやって来る。

「これなんてどうだろうか。結構曲がっていて固そうだぞ」

トナカイが持ってきたのは熊手だった。

「え~っと先端をこうして、さっきの板とくっつければ……うん、大丈夫そうだね」

かくして材料が集まり、後は木材を加工する作業が残っていた。これは道具を使えて手先の器用なヒトでなければできない作業。イエイヌとトナカイは友絵が木材を加工するのをじっと見守っていた。

「すまないな、こればっかりは君に頼るしかないんだ」

「友絵ちゃん、手伝えることがあったら言ってくださいね」

心配そうに見守る二人に、友絵はこう応えた。

「大丈夫だよ、任せて。私頑張っちゃうから」

慣れない手付きながらも、ベニヤ板とソリの箱の部分を釘で打ち付けていく。熊手の先端をノコギリで切り取り、ベニヤ板の先に同じように釘打ちしてくっつけると、ようやくソリの修復が完了した。完成したソリを見たトナカイは、嬉しそうに目を輝かせてこう言った。

「なんと素晴らしいソリだ!ありがとう友絵、そしてイエイヌも。ああ、わたしは感動している。これでまた、ソリでヒトを乗せて運ぶことができるのだなぁ……」

友絵はホッとため息をつき、イエイヌと顔を合わせて安堵の表情を浮かべるのだった。

 

三角屋根の建物に移動した友絵たちは、そこにある仮眠室で一晩を過ごした。翌朝、トナカイが待ちきれない様子で友絵たちを起こしにきた。

「おはよう!今日は良い天気だぞ。これは絶好の滑り日和だな」

友絵とイエイヌは眠い目をこすりながら身支度を整えると、トナカイと共に建物の外に移動した。

「ちょっと待っててくれ」

トナカイはそう言うと、昨日修理したソリが置いてある建物の中に入っていった。二人が雪玉を投げ合って遊んでいると、トナカイが戻ってきた。右手にはソリを、左手にはトナカイの身長と同じくらいの、両端に角型のヘラが付いた棒を携えていた。

「待たせたな、さあ準備万端さっそく滑るとしようか」

そう言うとトナカイは牧場にある小高い丘まで二人を連れていった。友絵はトナカイが持っている物が気になって質問を投げ掛けた。

「トナカイさんが持っているそれって、何ですか?」

「これはわたしの武器でもあり、ソリを操作するためのオールさ」

丘の上に到着した友絵たちは、ソリに乗り込んだ。友絵とイエイヌはソリの前方の座席に、そしてトナカイはソリの後ろに立ち、ゆっくりとソリを押していった。

「ちょっとドキドキするね、イエイヌちゃん」

「お、落とされないように気をつけましょう」

「さあ行くぞ!」

トナカイのかけ声で、ソリは勢いよく走り出した。ぐんぐんスピードを上げながら雪の斜面を真っ直ぐに滑っていく。友絵は向かい風に煽られて帽子が飛ばされないよう、バッグの中にしまった。

「すごいスピードだね、ソリってこんなに早く滑れるんだ」

圧倒的なスピード感に、友絵はワクワクが止まらなかった。

「ぼくたちは動いてないのに、どんどん景色が流れてく。なんだか不思議な気持ちです」

初めて体験する乗り物に、イエイヌは興奮していた。

「どうだい二人とも、このスピード感、最高に気持ちいいと思わないか?」

ソリの後ろの席に座っていたトナカイが、声を掛ける。

「最高です!」

「はい、ちょっと怖いけど楽しいです」

二人の楽しそうな顔を見て、トナカイはとても満足そうな表情を浮かべた。

「ねぇねぇあれ見て、すごいキレイだよ」

友絵がイエイヌに指し示した方向には、真っ白な雪が被さった樹氷が立ち並んでいた。それはまるで樹から雪の葉っぱが生えているかのようだった。澄みきった青い空の色と、白くて透明な樹氷とのコントラスト。その中を、ソリが滑り抜けていく。友絵は思わずスケッチブックを開き、虹色のペンを取り出してその光景を描き出した。

「友絵ちゃん、また何か描いているんですね」

「うん、この光景はどうしてもスケッチしておきたくて」

友絵が絵を描くのに夢中になっていると、イエイヌはソリの前方の進路に樹が立ち塞がっているのに気づいた。

「あっ!目の前に樹が、ぶつかる!」

慌てるイエイヌだったが、トナカイは余裕の表情でこう言った。

「なあに、心配ご無用。たあ!」

トナカイが持っていた角型のオールを右手側の地面にパーンと突き刺すと、その反動でソリは進路方向を左に転換した。今度は左手に樹が見えてくると、右方向に舵を取った。トナカイのオールは、本来なら真っ直ぐにしか進めないソリの舵を取るためのものだった。

「トナカイちゃん、カッコいいです」

その姿に、イエイヌは思わず感嘆の言葉を表した。

「ふっふーん、さあ麓までいっきに行くぞ!」

トナカイは誇らしげにオールで舵を取りながら、滑らかな斜面を下っていった。

 

山の斜面を下り、平地まで降りてくると、ソリは徐々にスピードを落とし、ゆっくりと止まった。友絵たちはソリから降りると、トナカイに向かってお礼の言葉を告げた。

「トナカイさん、ありがとうございます。ソリすっごく楽しかった」

「ありがとうトナカイちゃん。オールを振り回す姿が、かっこよかったです」

トナカイは満面の笑みでこう応えた。

「こちらこそ、ありがとう。ずっと夢だったソリを引くことができて、わたしは満足だ」

雪道をしばらく歩くと、しだいに雪のない地面が顔を出し、森の入り口が見えた。

「この森をしばらく行くと、植物園が見えてくるはずだ。二人とも、気をつけてな」

ここまで案内してくれたトナカイに、友絵は感謝の気持ちを込めて、スケッチブックのページを一つ取り外してトナカイに渡した。

「これ、さっきソリに乗っている時に描いた絵です。お世話になったお礼に、どうぞ」

その絵には、青い空と樹氷を背景に、トナカイが友絵とイエイヌの乗るソリの舵を取る姿が描かれていた。

「なんと!これは素晴らしい。友絵はこんなことも出来たのだな。ありがとう、大切にするよ」

手を振り、トナカイとお別れした友絵たちは、港の場所を知っているフレンズがいるという植物園を目指し、森の中へ歩いて行くのだった。

 

≫つづく。

 

次回「森のぬけみち」



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第3話「森のぬけみち」

友絵とイエイヌは、トナカイから聞いた情報を頼りに、植物園を目指して森の中を歩いていた。そこは、二人の身長の何倍もあろう高木が立ち並び、地面には紅葉した大量の落ち葉が敷き詰められていて、二人がそれを踏みしめながら歩く度に、シャリンシャリンという音が森の中に響き渡る。時折吹き抜ける風は、凍えるような寒さを感じた雪山の時とは違い、やんわりとした生温さを感じさせるものだった。何かに気付いた友絵が、地面を指差してこう言った。

「ねえこれ、どんぐりじゃない?」

イエイヌは地面に落ちていた焦げ茶色の木の実を拾い上げてこう答えた。

「本当だ。そこら中に落ちてますね」

二人がどんぐり探しに夢中になっていると、突然ガサガサと地面の落ち葉が震え始め、バサァっと落ち葉を空中に巻き上げながら赤い色をしたセルリアンが姿を現した。

「きゃっ!びっくりした」

「こんなところにセルリアンが……ともえちゃん!」

イエイヌは友絵を背にして、セルリアンと正面から向き合ったまま攻撃する機を窺った。バスケットボールより少し大きめなサイズの赤いセルリアンはじりじりとイエイヌとの距離を詰めていく。イエイヌはタイミングを見計らい、バッっとセルリアンに飛びかかった。がしかし、セルリアンは突然2体に分裂して左右に飛び退け、その真ん中に振りかざしたイエイヌの爪は空を切った。

「え?そんな、まさか」

分裂したセルリアンはイエイヌには目もくれず、その脇を通り抜け、バウンドしながら友絵に向かって一直線に前進していった。

「いや……こっち来ないで」

「逃げて!ともえちゃん!!」

友絵はセルリアンを背にして必死に逃げ出した。イエイヌは四足歩行の体勢を取り、全速力でセルリアンを追いかけていく。2体に分裂したセルリアンの片方の石に、イエイヌの爪がヒットする。しかしまだ、もう1体のセルリアンが残っていた。友絵が樹の根につまずいて、地面に倒れ込む。振り返ると、背中からガバアッと襲い来るセルリアン。

「ひっ!」

 

パッカァーン

 

間一髪。セルリアンに飛びかかったイエイヌの爪が、その弱点である石を砕いた。そのまま、地面を転がるようにして着地したイエイヌは、身体に付着した落ち葉を払うと、起き上がり友絵の元へ駆け寄った。

「はぁはぁ……良かった、無事で」

キラキラと光輝くその目には涙が滲んでいた。

「ありがとう、助かったよイエイヌちゃん」

イエイヌが差し伸べた手を掴み、友絵は立ち上がりお礼の言葉を口にした。イエイヌの目の輝きは、次第に消えていった。

「それにしても、まさかセルリアンが分裂するなんて、びっくりだよ」

森を歩きながら友絵がそう口にする。イエイヌは周囲を注意深く警戒しつつ、こう応えた。

「ぼくも二つに別れるセルリアンなんて、初めて見ました。でもそのせいでともえちゃんを危険な目に……」

イエイヌの表情に陰りが見えたのを察知した友絵は、笑顔でこう言った。

「イエイヌちゃんが居てくれたから助かったんだよ。だから、一緒に来てくれて本当にありがとう」

「……ともえちゃん」

 

しばらく森の中を歩いて行くと、植物園らしき建物の前へとたどり着いた。外観は黄緑色を基調とした洋風の作りで、玄関ドアの上に星形の紋章がついている。その大きさは一般家庭の住居より一回り大きい2階建ての建物といったところだ。

「ここが、植物園なんでしょうか?」

「わからないけど、とにかく中に入って聞いてみよう」

二人がドアを開けて建物の中へと入って行く。その様子を、樹の上からじ~っと窺う何者かの姿があった。

「……あの子たちはいったい」

樹上の者は、二人に気付かれないよう建物の裏側に回り込んでいった。

 

「きゃっ!」

建物の中心部にあったものを見て、友絵は思わず悲鳴を上げた。

「お、大きい……けど、来るなら迎え撃ってやります!」

イエイヌがそれに向かって威嚇するが、全く動く様子はなかった。冷静になって意味を理解した友絵は、それの近くまで寄って表示されている看板の文字を読んだ。

「ヒグマの……はく製」

「ともえちゃん!動かないからって近づいたら危険ですよ」

「大丈夫だよイエイヌちゃん。これはたぶん、動物の置物だから」

イエイヌは大きなヒグマのはく製が入っている透明なケースを触りながらこう言った。

「もしかしてこの動物、死んでしまっているんですか?」

友絵は少し考えた後こう答えた。

「詳しくはわからないけど、これってヒグマそっくりに作られた偽物なんじゃないかな」

通路を行くと、二人は他にもガラスケースに入った動物のはく製をいくつか見つけた。

「これは、エゾオオカミだって……でこっちはトド、アザラシ……フクロウにリスとか、いっぱいあるね」

友絵は興味深げにガラスケース内の動物を観察している。イエイヌは未だに半信半疑なのか、動物たちがケースの中から飛び出して来るんじゃないかと気が気ではなかった。

「……ふむぅ、帽子を被ったあの子、さっきからケース内のはく製を観察してる、それにおそらく文字も読めるみたい。隣の子はよく意味が解ってないのかな、かなり警戒してる……なるほど、少しづつ解りかけてきたみたいなの」

建物の外にある樹上から、窓ガラス越しに二人の様子を観察していた何者かは、二人が階段を上がっていくのを確認した後、止まっていた樹の枝から2階の屋根へと移動した。

 

2階に上がると、そこには考古学の研究などで使われていそうな古代生物のレプリカや化石、骨格標本などが展示されていた。

「わあ、すごいよイエイヌちゃん!恐竜の化石がある」

一際目立つ恐竜の骨格標本は、今にも動き出しそうな迫力があった。始めて見る恐竜の標本に圧倒されたイエイヌはこう呟いた。

「死んでるようでもあるし生きてるようでもあって、なんだか頭が混乱しそうです」

展示を見つつ、薄暗い通路を歩いて行くと、行き止まりの壁の窓ガラスが開いていて、そこから心地良いそよ風が流れ込んできていた。風と共に運ばれてきた葉っぱが、ヒラリと床に舞い落ちる。友絵がそれを拾おうとして屈むと、葉っぱの近くに紙切れを発見した。その紙には文字が書かれていて、友絵はそれを心の中で読んだ。

「(上を見ろ)」

「ともえちゃん!何かいます……」

イエイヌが何者かの匂いを察知し、警戒して友絵に呼び掛ける。友絵が咄嗟に上を見ると、天井の柱の陰から何者かが姿を現しこう呟いた。

「やはり、思った通りなの」

頭についた羽を羽ばたかせて、天井からフワリと床に着地した何者かが、友絵に向かってこう言った。

「あなた、ヒトですね?」

友絵はキョトンとした表情でこう答えた。

「……はい、そうです」

 

 

 

頭の両端に羽を持ち、茶色と白の縞模様の服を身に纏ったその者は、金色の瞳をキラリと光らせてこう言った。

「まさか実際にお目にかかれるなんて、思っても見なかったの……初めまして、モリコキンメフクロウの“リコ”です」

そう言うと、リコは友絵に向かって右手を差し出して握手を求めた。友絵は自分より一回り小さな身体をしたリコの手を握り、自己紹介した。

「初めまして、友絵って言います。あっちにいるのが……」

しばらく二人のやりとりを見守っていたイエイヌが、友絵の元へ駆け寄ってこう言った。

「ぼくはイエイヌです」

戸惑いながらも、リコと握手を交わしたイエイヌ。挨拶を終えた三人は、落ち着いて話をするためリコの案内で2階の応接室へと移動した。部屋の中央にはテーブルを挟んで二人掛けのソファーが2つあり、友絵とイエイヌは左に、リコは右のソファーに腰掛けた。その他にも、部屋の両端にはガラスケースに入った小さな化石や本棚などが見える。向かい側のリコが口を開いて、友絵たちにこう質問してきた。

「それで、あなたたちはどうして博物館に来たの?」

リコの質問に友絵はこう答えた。

「そっかあ、ここ博物館だったんですね。実は私たち、植物園に住む“博士”と呼ばれる方を訪ねて来たんですけど……」

友絵がこれまでの経緯を話し始めると、リコはうんうんと頷きながら最後まで話を聞いた後、こう言った。

「ふむぅ、つまり博士に会って港の場所を聞きたいというわけなのですね。解りました、そういうことならリコが植物園まで案内しましょう」

「本当ですか、ありがとうございます」

「良かったですね、ともえちゃん」

友絵たちは再びリコの案内で植物園へと移動することになった。博物館を出てしばらく外を歩いていると、ひと際目立つ扇形をした1本の樹が友絵たちの目に写った。友絵が急に立ち止まり、その樹に見入っていると、リコが口を開いてこう言った。

「その樹が気になるの?」

「はい、ちょっと……」

何の変哲もない樹ではあったが、友絵は不思議と目を奪われてしまった。近くで樹の根元をよく見ると、隣同士に伸びている2つの樹が寄り添って枝葉を伸ばし、1本の大きな樹の形を成しているのが解った。尚もその樹を見つめ続ける友絵に対して、リコはこう説明した。

「これはハルニレの樹って言って、ここら辺一帯の落葉樹林に分布している落葉高木の一種なの。植物園の本によると、あの樹はず~っと前からあの場所にあって、ヒトがいた頃は観光スポットとして有名だったみたい」

友絵の脳裏に大切なヒトの面影がフラッシュバックする。大きな手で友絵の頭を撫でるそのヒトを見上げている小さな自分。そのヒトに背負われて、落ち葉が敷き詰められた森の中を歩く光景。ふと、そこで記憶の映像は途切れ、友絵の意識は現実へと戻された。イエイヌは心配そうに友絵のことを見つめている。友絵は胸の内にフラッシュバックした記憶をそっとしまうと、二人の方に向き直ってこう言った。

「ごめんなさい、ちょっと気をとられていたみたい。行きましょう」

三人はハルニレの樹を後にして、植物園へと向かった。

 

木々の生い茂る林道を抜けると、丸いスイレンの葉が浮かぶ大きな池があり、葉の間から小さな薄ピンク色の花が咲いていた。池に掛けられた橋を渡ると、今度はアーチ状に蔦が張り巡らされたバラのトンネルが三人を迎えた。赤やピンクのバラが、緑色のアーチの所々に咲き誇るトンネルを抜けた先に、大きな透明の屋根の建物と、それに隣接する青い屋根の建物が見えてきた。

「せっかくだから、温室にある植物さんたちも見ていって欲しいの」

そう言うと、リコは透明な屋根の建物の中に二人を案内した。

「なんだか暖かいね」

「そうですね、まるで別のちほーに来たみたいです」

温室の中は外より気温が暖かく、熱帯地域にいるかのような気候だった。温室の植物を眺めていた二人に、リコはこう解説する。

「温室というのは、植物を育てやすい温度を一定に保つことで、本来冬場なんかに育てられない植物を育成できるようにしている場所なの」

温室の中ではバナナの木やサボテンなども栽培されていた。他にも、熱帯でしか咲かないスイレンの花が咲いていたり、シダ植物などが青々と生い茂っている。リコの解説を聞きながら温室内を散策していると、イエイヌの鼻がクンッと反応した。

「なんでしょう、これ?結構強い匂いがします」

イエイヌの質問にリコはこう答えた。

「それはウツボカズラって言って、食虫植物の一種なの。甘い匂いで虫をおびき寄せて、袋型の葉の中に溜まった消化液で溶かして補食するの」

「あの中に入ったら溶かされちゃうなんて、なんだかちょっと怖いですね」

甘い罠の香りに肝を冷やしつつ、イエイヌたちは温室を後にした。

温室を出てしばらく通路を歩いて行くと、さっきの青い屋根の建物と繋がっていた。ぼんやりと明かりが灯る通路の途中にある“第一ラボ”と書かれた部屋の中に案内した後、リコは二人に向かってこう言った。

「ここが植物園のラボ、リコの研究室なの」

友絵は部屋の中をぐるりと見回しながらこう言った。

「えっと、博士はどこにいるんですか?」

リコはコホンと咳払いすると、近くに置いてあった白衣を身に纏い、こう言った。

「実はね、植物園の博士と言うのはリコのことなの。ここにある植物さんやお花さんたちは、みーんなリコが育てたんだよ」

「えー、そうだったの!」

「リコちゃんがぼくたちの探していた博士だったんですね」

二人は顔を見合わせて驚いた。リコはサプライズが成功して満足そうな表情を浮かべながら二人にこう言った。

「というわけで、改めまして、植物園の博士ことリコです。よろしくなの」

リコは二人をイスに座るよう促した後、本題へと入っていった。

「そうそう、港の場所が知りたいんだったっけ。ちょっと待っててね、今地図を持ってくるから」

そう言うと、リコはラボの中にある資料棚を探し始めた。待っている間、友絵はさっき見たハルニレの樹のことを思い起こしていた。一瞬フラッシュバックした記憶を辿ると、ある思いが浮かんでくる。友絵の様子を気に掛けたイエイヌが、話しかける。

「どうかしましたか?」

友絵は小さくこう呟いた。

「……私、来たことがあるのかも」

イエイヌは耳をピクッとさせて、友絵に聞き返した。

「もしかして、何か思い出したんですか?」

頷きながら、友絵はこう答えた。

「はっきりと思い出したわけじゃないけど、でも幼い頃、私の大切なヒトと一緒に、この植物園に来たことがあるような気がする」

友絵の言葉に、イエイヌは憂いを帯びた表情でこう応えた。

「それは、良いことです。もしかしたら、旅をするうちに少しずつ記憶が戻ってきているのかもしれないですね」

友絵はイエイヌの顔を見ながらこう言った。

「うん、そうだね」

二人の間に、暫しの沈黙が流れる。

「お待たせ~、地図見つかったの」

しばらくすると、地図を持ったリコが二人の元へ戻ってきた。それは友絵たちが元々持っていた地図より距離や地形などが詳細に書かれてあり、それによれば、植物園から真っ直ぐ南に進むと、目的地である港に最短で着くようだ。しかし、それには1つ問題があった。

「真っ直ぐ歩いて森を抜けるルートなら、半日くらい歩けば港に着くはずだけど、森の中にはセルリアンがうじゃうじゃいるし、あまりお薦めできないかな。かと言って、森を迂回するとなると、何日もかかるし、ヒトが歩いて行くにはかなり険しい道で危ないの」

リコの説明を聞いた後、友絵はイエイヌにこう言った。

「やっぱり森の中を最短で行った方が」

「ダメです!ともえちゃんを危険な目に合わせるわけにはいきません。もしセルリアンの大群に囲まれでもしたらぼくでも守りきれるか」

普段は友絵の意見に素直に従うイエイヌだったが、今回ばかりは猛反対した。

「じゃあやっぱり森を迂回するしかないのかな……何日もかかっちゃうけど」

ため息を吐く友絵とイエイヌ。しばらく考えていたリコは頭の上にピコンと電球を光らせた後、二人にこう提案した。

「リコは森を抜けるルートの方に賛成かな」

すかさずイエイヌが反論する。

「そんなの危険過ぎます」

「確かに森の“下道”にはセルリアンが大量に潜んでいて危ないの。でもね、あの森にはセルリアンを回避できる“抜け道”が存在するの」

「森の抜け道……リコ博士、それってどこを通って行くんですか?」

友絵の質問に対して、リコはこう答えた。

「それは森の樹の上に設置してある“空中アスレチック”を通って行くルートなの」

頭にはてなマークを浮かべた二人は、リコにこう聞き返した。

「空中アスレチックって何ですか?」

「私も始めて聞いた。詳しく教えてください、博士」

リコは「その前に」と一言告げた後、再び資料棚のところへ何かを探しに行く。しばらくすると、地図のようなものを持って戻ってきた。

「リコが説明するより、友絵ならこのパンフレットを見た方が早いの」

リコが友絵にパンフレットを手渡すと、友絵はその内容を読んだ。

「森の空中アスレチックへようこそ。このアトラクションは、地上10m以上ある樹の上に設置されたワイヤーやロープ、木のはしごなどを伝い、樹上で暮らすフレンズや鳥のフレンズと同じ目線を体験できるアクティビティだよ……だって」

イエイヌは目をぱちくりさせてこう言った。

「ち、地上10mってそんな高いところにあるんですか?落ちたら大変なことに」

友絵はパンフレットの続きを読んだ。

「安全第一のためにお客様には安全ベルトとヘルメットをしっかり装着してもらいます。高いところを移動する際は、安全ベルトから伸びる命綱をきちんとワイヤーに連結し、スタッフの指示をちゃんと聞いてね……だって」

イエイヌは不安そうな表情で友絵にこう言った。

「ともえちゃん、もしかして……」

満面の笑みで友絵が応える。

「うん、私空中アスレチックやってみたい!」

「ああ、やっぱり……」

イエイヌはもはや諦めたのか、それ以上何も言わず、ただうなだれるだけだった。

「決まりね、アスレチックの場所まではリコが一緒について行くから安心して。もうすぐ日も暮れるし、今日はここに泊まっていくといいの」

「やったあ!ありがとう博士」

「……ありがとう、です」

明日へのワクワクを胸に笑う友絵と、若干ひきつった笑顔のイエイヌ。ため息混じりにイエイヌのお腹がぐぅ~っと鳴ったのを合図に、三人は仲良く植物園のラッキービーストが運んできたじゃぱりまんを頬張るのだった。

 

 

 

その日の夜。

仮眠室のベッドですやすや眠る友絵の元を離れ、イエイヌは一人、夜空を見上げていた。遠い夜の海に浮かぶレモン色の満月が、イエイヌをじっと見つめている。すると、イエイヌの背後から、音もなく誰かが近づいてきた。

「今日の満月は、一段と綺麗に輝いているの。眠れない夜には最適ね」

「……リコ博士。話し掛けられるまで全く気づきませんでした」

イエイヌに声を掛けてきたのはリコだった。二人は植物園の中庭にあるベンチに座り、月明かりの中で言葉を交わした。

「ほら、あそこを見てイエイヌ」

「どこですか……あ、ホントだ綺麗な白い花が咲いてますね」

「あれは月見草って言って、月明かりの夜に花が咲いて、朝になって陽が昇ると萎んでしまう花なの」

「どうして夜にしか咲かないんですか?」

イエイヌの質問に対して、リコは少し考えた後こう答えた。

「リコも詳しい理由は解らないの。でもね、暗い夜に咲く花があるってことは、この世界には他にも不思議なことや解らないことがたくさん溢れてるんだと思うの。それってすごく素敵なことだと思わない?」

リコは金色の瞳をキラキラ輝かせてイエイヌを見つめている。そんなリコのことを、イエイヌは心の中で少し羨ましく思った。ふと、イエイヌはリコにこんな質問を投げ掛けた。

「あの、リコ博士はともえちゃんのようなヒトに会うのは初めてだって言ってましたけど、実際に会ってどんな印象でした?」

リコはイエイヌの質問にこう答えた。

「優しくて温かくて、素直な良い子だと思う。ヒトってどんな動物なのか、本でしか見たことがなかったからずっと観察したいって思ってたんだけど、あの子を見てるとこう、何て言うか、ほっとけないって気持ちになるの」

イエイヌはうんうんと頷きながら、リコの話を聞いていた。するとリコはイエイヌにこんな質問を返してきた。

「イエイヌは、友絵のことどう思ってるの?」

イエイヌは少し照れくさそうに、こう答えた。

「ともえちゃんのことは、大好きです。ぼくがお役にたてることなら、何だってしてあげたいし、危険なことから絶対に守らなきゃって思います。だから、ともえちゃんの大切なヒトが見つかるまでは、一緒に……」

そこまで言うと、イエイヌは言葉に詰まってしまった。リコはそんなイエイヌを気遣うようにこう言った。

「友絵とイエイヌは良いコンビだと思うの。太陽と月みたいに、お互いの心が通じ合ってるって感じで。それに友絵の大切なヒトが見つかったとしても、あなたたち二人の気持ちは何も変わらないでしょ?」

イエイヌは俯いたまま「はい」とだけ答えた。しばらくした後、リコは先にラボに戻っていった。一人ベンチに座るイエイヌは思った。誰かを愛しく思うということが、これほど切ないものなのかと。

心の内にしまいきれない思いを、イエイヌは満月に向かって高く放り投げた。

 

 

 

翌朝。

ラボで朝食を済ませた三人は、植物園を後にし、空中アスレチックのある場所まで移動していた。リコは空から地上を偵察し、安全なルートに二人を誘導しながら道案内する。しばらく歩くと、森の中に大きなログハウスの建物が見えてきた。リコは地上に降りてきて二人にこう言った。

「あそこがアスレチックの始まりの場所なの。後は、中に入れば解ると思う」

「博士、ここまで案内してくれて、本当にありがとうございました」

「ぼくからも、ありがとうございます」

友絵とイエイヌはリコに対して感謝の言葉を告げた。

「ふふ、二人とも元気でね。また植物園に寄った時は、旅の話を聞かせて欲しいの」

名残惜しそうに手を振りながら、友絵たちはログハウスの建物の中へと入っていった。リコはその様子を見送ると、一息ついてこう言った。

「……さてと、行きますか」

 

建物の中に入ると、アスレチックで使用するための様々な器具が置いてあった。その中にはパンフレットで見た安全ベルトとヘルメットも置いてあり、友絵たちはそれらを試行錯誤しながらなんとか装着する。

「よし装着完了っと。良かったね、ちょうどいいサイズのがあって」

「はい、ぼくの耳もちゃんとつぶれずに隠れてます」

イエイヌが被っているヘルメットは、イヌ耳をカバーできるようにてっぺんの部分がぴょこっと三角型に2本立っている。準備を終えてアトラクションに向かおうとした友絵は、あるものに気付いて手に取った。

「このホイッスルは、アトラクション中にトラブルが起こった時に係員に知らせるためのもの、だって。一応持っていこうかな」

友絵はホイッスルを首に提げると、イエイヌと共にアトラクションへと向かった。

第1のアトラクションはログハウスの建物と繋がっていて、そこは中身をくり貫かれた大きな樹の内部にあった。樹の内部の壁には、ロッククライミング用の足場や取っ掛かりが設置されていて、どうやらそれらを利用しながら樹の頂上を登っていくアトラクションのようだ。

「この壁のでこぼこを掴みながら登っていくみたいだね。よーし、頑張ろ、イエイヌちゃん」

「は、はい頑張ります」

やる気まんまんの友絵に対して、イエイヌは少し面食らったような表情で返した。二人は慎重に取っ掛かりを掴みながら樹の壁を登っていく。そうして、樹の頂上まで登りきり、外へと繋がる出入口をくぐり抜けると、そこには樹の周囲をドーナツ状に覆うように設置された広いスペースがあった。

「うわあ、イエイヌちゃん見て」

そのスペースからは地上10mの樹の上から俯瞰して森を見渡すことができる絶景の眺めが広がっていた。景色に興奮する友絵をよそに、イエイヌはさっきから頻りに尻尾を震わせている。

「どうしたのイエイヌちゃん?」

「え、あ、なんでもないです」

強張った笑顔で返すイエイヌに、友絵はイタズラっぽくこう言った。

「もしかして、高い所が怖いの?」

イエイヌはドキッとしつつこう答えた。

「だ、だだ大丈夫です!ちょっと慣れてないだけで、問題ありません」

友絵はクスッと笑ってこう言った。

「わかった。でも無理しないでね。ダメな時は、ほら、そこの滑り台から下に降りれるみたいだし」

友絵の言葉で少し気が楽になったイエイヌ。二人は次のアトラクションへと向かった。

「次は、ロープで吊られた木の橋を渡るアトラクション“ウッドブリッジ”だって」

案内板の文字を読み終えた友絵は、安全ベルトから伸びるカラビナをロープに引っ掛け、木の橋を一歩ずつ渡り始めた。イエイヌもその背中を追うように、慎重に渡り始める。橋の板と板の間隔は少し空いていて、その隙間から下を見ると、紅葉した地面が覗いている。

「下見ると、やっぱり結構高いんだね。ちょっと怖くなってきたかも。ね、イエイヌちゃん」

友絵が後ろを振り返ると、イエイヌは必死の形相で友絵を見つめ返してきた。

「無理です!下なんて見たら進めません」

改めて高さを実感した二人が、橋を進もうとした次の瞬間。

 

ビュウウウウウウウウウ

 

「きゃっ!」

「うわあああああ!」

強い風が後方から吹き付けてきた。

思わずたじろぐ友絵とイエイヌ。そして風と共に、陽気な声が二人の後ろから飛び込んできた。

「やっほーーーい」

風に乗って勢いよく滑空してきた声の主は、二人の前に着地するとこう言った。

「君たち見慣れない顔だねぇ。どっから来たの」

呆気にとられた友絵とイエイヌ。なんとか声を振り絞った友絵がこう返した。

「あ、あなたはフレンズさんですか?」

フレンズらしきその人物はこう答えた。

「そ、あたしはタイリクモモンガの“モモ”だよ、よろしくぅ」

 

 

 

茶褐色の髪の毛に黒くて大きいつぶらな瞳、丸くて小さい耳と身長の半分くらいある長い栗毛の尻尾が特徴的なタイリクモモンガのモモは、興味津々な表情で友絵たちに話し掛けてきた。木の橋を渡りきり、休憩地点まで来ると、友絵とイエイヌは自己紹介した。

「初めまして、友絵って言います」

「ぼくはイエイヌです。よろしく」

モモは友絵に近づき、じっくりとその姿を見回した後こう言った。

「きみって何のフレンズ?」

「あ、私はフレンズじゃなくてヒトです」

「ヒトって……あっ前に博士が本で見せてくれたやつか!へぇ~、ずいぶん変わった毛皮をしてるねぇ」

「モモさんこそ、大きくてもふもふな尻尾がとっても可愛いですね」

友絵にそう言われると、モモは誇らしげに尻尾を揺らしながらこう言った。

「ふっふーん、いいでしょ。この尻尾があれば、どんな高い樹に登っても落っこちたりしないんだよ」

イエイヌはモモの尻尾を見つめてこう呟いた。

「そうなんですか……羨ましいです、その尻尾」

言葉を交わす中で、友絵はこれまでの旅の経緯と、空中アスレチックに来た理由をモモに話した。するとモモは、目をキラキラさせて二人にこう言った。

「じゃあさじゃあさ、誰が一番早くゴールまで行けるか競争しよっ!」

「え、でも私たちそんなに早く行けないかも」

「急いで行ったら危ないですし」

「よーいどん!ひゃっほーーい」

二人の言葉を待たずして、モモは大きな飛膜を開いてジャンプすると、風に乗って先に行ってしまった。呆気にとられた友絵とイエイヌは、どんどん遠くなっていくモモの背中を追うように、次のアトラクションへと向かった。

「次は、滑車のついたロープの上をスライドしながら滑っていく“スカイグライダー”か。ついに来たね、私パンフレット見たときからずっとこれやりたかったんだ」

興奮する友絵の隣で、イエイヌはひたすら深呼吸を繰り返していた。待ちきれない友絵は、先に自分のカラビナを滑車に繋ぎ、イエイヌにこう言った。

「じゃあ先に行くね。せーのっ!」

 

シュウウウウウウウウウウウ

 

勢いをつけて滑車を滑ると、心地よい浮遊感と向かい風の感触が友絵をくすぐってきた。

「すっごーい!空を飛んでるみたい」

友絵は最初にモモが滑空してきた時のことを思い出していた。そして自分も今、あの時のモモと同じ感覚を味わっているんだと感じ、自然と笑顔が溢れてきた。

傾斜のあるロープをどんどん下っていくと、滑車は徐々にスピードを落としていき、友絵は無事に足場へと着地した。その様子を、向こうの足場から眺めていたイエイヌが、大きな声でこう叫んだ。

「大丈夫ですか!ともえちゃん」

友絵は心地よい脱力感の中、こう返した。

「大丈夫だよ!すっごく楽しかった」

ほっと胸を撫で下ろしたイエイヌは、滑車とカラビナを繋ぎ、深呼吸をした後勢いよくロープを滑っていった。

 

シュイイイイイイイイイイン

 

「うわあああああああああ」

勢いが良すぎたのか、イエイヌの滑車は想像を超えるような速さで滑り出していく。森の中にイエイヌの絶叫がこだました。

「はぁはぁはぁ……す、すみません」

友絵の手を借りて、なんとか足場に着地したイエイヌは、青ざめた表情でお礼の言葉を口にした。フラフラとした足取りで休憩地点に入ると、友絵はイエイヌにこんな言葉を投げ掛ける。

「あ~楽しかった。またやりたいねイエイヌちゃん!」

半泣きの表情でイエイヌはこう返した。

「……そ、そうですね」

 

少し休憩した後、二人は次のアトラクション“ログステップ”に挑戦していた。地面から突き出した丸太の足場の上を、ジャンプして飛び移りながら渡るアトラクションであり、隣の丸太に飛び移る際には安全ベルトのカラビナを別のロープに引っ掛け直す必要があった。

苦戦しながらも、友絵とイエイヌは丸太を飛び移っていく。そして、友絵が隣の丸太に移動するため、ロープからカラビナを外した瞬間。

「……あっ」

急に足下の丸太がぐらつき、体勢を崩した友絵は、足を滑らせて真っ逆さまに落っこちていった。

「ともえちゃああああああん!」

イエイヌが必死に手を伸ばすも、友絵の手を掴むことは出来なかった。絶望がイエイヌの心を支配していく。友絵の身体がゆっくりと遠くなっていった次の瞬間、突然現れた影が友絵の身体をキャッチし、フワリと浮かび上がって足場に友絵を下ろした。放心状態になっていたイエイヌは、心を落ち着かせた後、友絵を助けた人物に向かってこう言った。

「……ありがとうございます、リコ博士」

リコはやれやれという表情でこう応えた。

「やっぱり、こっそり付いていって正解だったの」

意識を取り戻した友絵も、リコにお礼の言葉を告げた。

「博士、助けてくれて本当にありがとうございます」

涙目になっている友絵に対して、リコはこう言った。

「無事で良かったの。何事もなければ隠れて観察するつもりだったけど、ゴールまでもう少しだから、リコが連れていってあげるね」

友絵の心を落ち着かせるため、休憩地点で休んでいた三人の元に、大慌てでモモが飛び込んできた。

「あ、モモ。久しぶりね、どうかしたの?」

リコがそう声をかけると、モモはこう返した。

「ひっさしぶり~、博士。あ、そうだ、みんな聞いて聞いて」

モモの話によると、ゴール地点の手前に大型のセルリアンがいるらしく、そいつが邪魔で最後のアトラクションを通ることができないという。事情を聞いたリコとイエイヌは、友絵を休憩地点に残し、セルリアンの偵察に向かった。

「これは……かなり大きいですね」

それはイエイヌが今まで見た中で最大の大きさだった。クモの巣状に張り巡らされたロープネットの中心に、緑色の大型セルリアンは触手を伸ばして貼り付いていた。ゴールはセルリアンのすぐ後ろ側にあるが、通ろうとすれば間違いなく攻撃されるだろう。

「ね、やばいでしょ。あたしもあんな大きいの初めて見るよ」

モモが大きな目を丸くさせながらそう言った。充分距離は取っているためセルリアンが襲ってくる様子はないが、時おり吹く風や近くを舞う木の葉の方向に、無機質で黒い目玉をギョロっと動かしている。

「どうにかして石を狙いたいところだけど、たぶん背中にあるからセルリアンの背後を取らないと難しいの」

「どうしよう、あんなのがいるんじゃもうここで遊べなくなっちゃうよ」

「なんとかしないと……」

考え込む三人の元に、友絵が姿を現してこう言った。

「あのセルリアン、皆で協力して倒せないかな?」

イエイヌは声を荒げてこう言った。

「どうしてここに来たんですか!」

その瞬間、風に舞っていた木の葉を追っていた大型セルリアンの目玉は、イエイヌの方向をキッと見据えだした。その様子を観察していた友絵は、少し考えた後三人にこう言った。

「あの、ちょっと作戦を思いつきました」

 

風に乗りながら、モモはセルリアンの周囲をぐるりと旋回し、大声でこう叫んだ。

「おーい!こっちこっち」

セルリアンは大きな目玉でモモのことを捕捉すると、触手を伸ばして攻撃してきた。モモは軽々とした身のこなしでそれを回避しながら、樹の影に隠れる。そしてまた、風にのって次の樹の影へと飛び移っていく。セルリアンがモモに気をとられている隙を見計らって、イエイヌを連れたリコがゆっくりとその背後へと忍び寄っていく。その様子を、アトラクションのネットの上から友絵が見守っていた。

 

「よーどー作戦?」

モモが頭にはてなマークを浮かべながら友絵に聞き返す。

「はい、できるだけ離れたところからモモさんは大きな声でセルリアンの気を引きつけてください。その隙に、博士がイエイヌちゃんをセルリアンの石が見える位置まで運んでやっつける、っていう作戦なんですけど」

リコは説明を聞いた後、友絵にこう質問した。

「モモが陽動役だとしても、セルリアンが近づいてきたリコやイエイヌの方を狙ってきたらどうするの?」

質問に対して友絵はこう答えた。

「あのセルリアン、自分の近くにある木の葉を目で追っていたのに、イエイヌちゃんが大きい声を出した途端、そっちの方を向いたんです。だから、近くの物より大きい音の方を優先して追いかけてくるんじゃないかな、と思って」

「なるほど、セルリアンの生態をそこまで観察できるなんて……わかった、リコもその作戦に協力するの」

納得したリコに対して、説明されてもいまいちピンとこないモモはこう言った。

「つまり、あたしがやっほーいってセルリアンの周りを飛んでる間にイエイヌが石をパッカアンってことね。うん、オッケー!」

友絵は少し心配そうな表情でこう言った。

「ま、まあそんな感じかな。でも、あまりセルリアンに近付きすぎないようにしてくださいね」

作戦が決まった後、イエイヌは念を押すように友絵にこう訊いた。

「ともえちゃんは、危険なことしませんよね?」

友絵は一言、こう答えた。

「……うん、わかってる」

 

「ほらほらっ、こっちだよ」

モモはセルリアンの気を引ける距離を保ちながら、周囲を飛び回っていく。機を窺っていたリコたちは、ついにその石を捉えることができる位置に到達した。意を決してリコがイエイヌを投下しようとしたその時。

 

ビュウウウウウウウウウウウ

 

突風が吹きすさび、リコの身体は石から逸れた位置に押し流されてしまった。しかも、突風の影響でバランスを崩したモモが、セルリアンの近くに着地してしまう。セルリアンに捕捉されたモモ、絶対絶命のピンチの中、森に大きな音が響き渡った。

 

ピィィィィィィィィィィィィィ

 

それは、友絵がスタート地点から持ってきていたホイッスルの音だった。その音に反応したセルリアンは、ターゲットを切り替え、友絵めがけて緑色の触手を伸ばして攻撃してきた。

 

パッカアアアアアアアアアン

 

間一髪。イエイヌの爪がセルリアンの石を砕き、大きな花火を上げながらその破片がバラバラに砕け散って消滅した。

セルリアンを倒したイエイヌは、すぐさま友絵の元に駆けつけ、勢いよく抱きついてこう言った。

「どうして、どうしてあんなことを」

友絵はイエイヌの耳にそっと口を近付けてこう言った。

「……信じてたから」

 

最後のアトラクションを渡りきり、ゴール地点に到着した友絵たちは、ログハウスの建物の中にある休憩所でさっきのセルリアン討伐を振り返っていた。

「いやぁ、あの時は本当にダメかと思ったけど、助かったよ。ありがとね、ともえ」

「うん、私の作戦で犠牲者を出さなくて本当に良かった。モモさん、博士、協力してくれて本当にありがとうございました」

「まったく、友絵は本当に危なっかしいんだから。でも、セルリアンを倒せたのは友絵のお陰なの」

「そうそう、それにあたしのことはモモって呼んでよ。もう友達同士なんだから、ね」

照れくさそうに友絵はこう応えた。

「うんそうだね、モモ」

三人の会話をじっと黙って聞いていたイエイヌの方を向いて、友絵はこう言った。

「いつも心配かけてごめんね」

イエイヌは穏やかな表情でこう応えた。

「あんまり心配させるようなことすると、もう絶対傍から離れてあげませんから」

二人は顔を見合わせて笑った。

 

「これ、良かったらどうぞ」

森の外れまで見送りに来てくれたリコとモモに対して、友絵は一枚の絵を手渡した。そこには、紅葉した森の木々を背景に、アスレチックのスライダーを滑る友絵とイエイヌ、そして風に乗って滑空するモモと空を飛ぶリコが描かれていた。

「わぁ、なにこれスッゴい!ともえってこんなものまで作れちゃうの?」

自分が描かれた絵を見てはしゃぐモモ。

「友絵の描いた絵……これが、ヒトの力というものね。ふふ、やっぱりヒトって面白いの」

しみじみと、絵を鑑賞するリコ。

「二人に出会えた思い出と、アスレチックで遊んだ体験を描いてみたんだ。だから二人に受け取って欲しくて」

「もっちろん、受けとる受けとるぅ。あ、でも博士と半分こだからこの絵も半分に……」

「ちょっとモモ、破いたらダメなの!この絵は大切な思い出なんだから」

スケッチブックの絵を破こうとするモモを慌ててリコが制止する。二人で話し合った結果、その絵は植物園に飾っておくことに決まった。

「それじゃあ私たち行きますね」

「お世話になりました。ではまた」

名残惜しそうに、二人に別れの言葉を告げる友絵とイエイヌ。

「ばいばーいともえ、イエイヌ。また遊ぼうね」

「気を付けてね。いつでも植物園で待ってるの」

森を抜けて遠ざかる二人の姿を見送るリコとモモ。

木の葉の舞う静かな森に、風の音だけがこだましていくのだった。

 

≫つづく。

 

次回「やくそくの港」



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第4話「やくそくの港」

柔らかな音を奏でる潮騒と、海を飛び交うカモメの鳴き声が交差する港町。ここは、ヒトの手がかりを求めて旅をしてきた二人の終着点である。

友絵はリコに借りた地図を確認すると、イエイヌにこう言った。

「間違いないみたい」

イエイヌは頷き、こう呟いた。

「ここが“みなと”なんですね」

二人は古ぼけたアーチ状の看板をくぐり抜け、港町の中心部へと進んでいく。その看板にはかすれた文字でこう書かれている。

「ようこそ “まほろ港”へ」

 

両端に街路樹が立ち並ぶ石畳の道路を歩く友絵とイエイヌ。道端には所々に少量の雪が積もっていたので、ゆっくりと、手を繋ぎながら、二人は海の見える方向を目指して歩いていく。通りすぎていく街灯や赤いレンガの建物は、かつてヒトで賑わっていた頃の名残である。目を閉じて耳を澄ませば、当時の喧騒が聴こえてきそうな雰囲気さえ漂っている。そして今はただ、二つの足音だけが、乾いた音を響かせている。

人の気配のない空っぽの町を歩いていく中で、友絵は独り言のようにこう呟いた。

「……誰もいない」

イエイヌは何か言葉をかけようと思案するが、喉元まできて口には出さなかった。しかし次の瞬間、別の言葉がイエイヌから飛び出した。

「ねえともえちゃん、何か声が聞こえてきませんか……ほら、あっちの方から」

二人は声がする方へ早足で歩いていった。どうやらその声は、港で船が停泊する波止場の方から聞こえてきているようだ。近くまで来ると、その声はより鮮明に二人の耳に届いてきた。

「ラーラララーラララーラララー♪」

波止場の桟橋の上で、誰かが歌うその旋律は、楽しくて、切なくて、どこか懐かしさを感じさせるメロディだった。

「ラララ ラン ラン ラン ラン ラン ラン ラン ラン ラー♪」

その歌声に聞き惚れた友絵とイエイヌは、声も出さずに、じっと耳を傾けていた。寄せては返す波の音も、カモメの鳴き声も、まるでその歌声を引き立てるためにあるかのようにさえ思えてくる。

しばらくして、歌を聞いていた二人の存在に気付いたその人物は、友絵たちに向かってこう言った。

「あなたたち、わたくしの歌を聞いていましたの?」

友絵は自己紹介ついでにこう答えた。

「はい、私は友絵って言います。さっきの歌、とっても素敵でした」

イエイヌも続けてこう言った。

「ぼくはイエイヌです。さっきは歌を歌っていたんですね、すごく良かったです」

二人に歌を褒められたその人物は、少し照れくさそうにしながらこう言った。

「そ、そんな……でも、嬉しいですわ。あ、わたくしホッキョククジラの“クク”と申します」

黒いメイド服のようなドレスに身を包み、グラデーションのある黒い髪と大きな尾ビレが特徴的なホッキョククジラのククに、友絵はこれまでの旅の経緯について話した。

「そう、二人で旅を……今までいろんなことがあったのね」

そしてとうとう、友絵は旅の目的でもある、ヒトの居所について訊ねた。

「ククさん、この港でヒトに会ったことはありませんか?」

「ヒト、ですか。わたくしは会ったことありませんね」

友絵はその言葉に落胆を隠せなかった。どんな些細な情報でもいい、僅かな可能性でもいいから、そんな希望を抱いてここまでやって来たというのに。そしてククはこう続けた。

「あ、でも、ヒトに会ったことがあるフレンズなら、知ってますわ」

「本当ですか!あの、どこにいるんでしょうか」

友絵は舞い上がりそうな表情でそう言った。探し求めていた手がかりが、ようやく姿を現したとなれば無理もない。ククは逸る気持ちを抑えきれない友絵に対してこう伝えた。

「この海を隔てた向こう側に白い灯台があって、その子はいつもそこをナワバリにしているんですのよ」

波止場から北の方向に、白い灯台が建っているのがわかる。友絵は早速お礼を告げて灯台へ急ごうとしたが、ククはそれを制止してこう言った。

「待って、ここから歩いていくには結構な距離がありますわ。もし急いでいるのでしたら、この海を真っ直ぐ泳いで行った方が早くてよ」

友絵は踵を返しながら、こう言った。

「泳いで行くのはちょっと……」

「あら、もしかしてあなたたち泳げないのかしら?」

イエイヌはしょんぼりした様子でこう答えた。

「泳ぐことはできるんですけど、さすがにこんなに長い距離は……」

ククは少し考え込んだ後、何かを閃き、船着き場の方に向かっていった。そして何処からかゴムボートを持ってきて二人にこう言った。

「それでしたら、お二人はこのボートに乗って渡れば大丈夫よ。歌を褒めて頂いたお礼も兼ねて、わたくしがボートを押していきますわ」

「ありがとうございます、ククさん」

「良かったですね、ともえちゃん。では、ククちゃんの言葉に甘えさせてもらいます」

二人を乗せたゴムボートはゆっくりと波止場を離れていく。潮風に吹かれて押し戻されそうになるのを、海中にいるククが泳いで押し返す。波が立つ度に、上下に揺らぐボート。波止場から大分離れ、港湾の中間くらいまで到達すると、波も穏やかになり、景色を見る余裕もでてきた。

「綺麗な海……今日は天気もいいし、最高のロケーションだね、イエイヌちゃん」

「はい、空も海もご機嫌で、なんだかぼくも楽しくなってきました」

二人の他愛ないやりとりを海面から見ていたククはこう呟く。

「うふふ、仲良しなのはわたくしたちと同じですわね」

そして、ボートを押しながらククはこんな歌を口ずさんだ。

「ラララララン ララ ララララン ララララララン ララ ララララ♪」

優しい歌声が響くボートの上で、二人は肩を寄り添い、そっと目を閉じて耳を傾けた。

「ララ ラーラーラー ララララララララ ラララララララ♪」

その歌には確かな温もりがあった。誰かを思うことへの憂い、切なさ、愛や希望、そのすべてに灯をともすような。

歌い終わったククに対して、二人は賛辞の拍手を送りながらこう言った。

「ククさんの素敵な歌声、本当に聞き惚れちゃいます」

「なんだか心が温かくなりました。ククちゃんはいろんな歌を知っているんですね」

ククは誇らしげにこう言った。

「今の歌はね、遠く離れてしまった大切な友だちのことを歌っているそうよ。他にも昔作られたいろんな歌があって、わたくしはそんな歌をもっとたくさんのフレンズたちに伝えていきたいと思っているの」

二人にそう話すククの表情は、キラキラと輝いて見えた。

「ククさんの歌を聞いていたら、私も歌ってみたくなりました」

友絵の言葉に、ククは笑みを浮かべてこう言った。

「せっかくですし、みんなで一緒に歌いましょうか?」

ククに教わりながら、嬉しそうな表情で歌う友絵。二人に合わせようと、ぎこちなく歌うイエイヌ。三人の歌声が、澄み渡る空と海の間に、響いていった。

 

 

 

灯台に到着すると、先に友絵とイエイヌがボートから上がり、続けてククもボートを岸に引っ張りながら上陸した。岬にポツンとそびえ建つ白い灯台は、遠く水平線のかなたを見据えている。

灯台の入り口までやってきた友絵たち。ククがコンコンと二回ドアをノックしてみるも、反応はない。鍵は掛かっていなかったので、ドアを開けて中に入ると、ククがこう呼び掛けた。

「シロちゃーん、いませんの?」

やはり返事は返ってこない。

「外出中なんじゃないですか?」

友絵がそう言うと、ククはこう返した。

「ええ、きっとそうね。とりあえず、戻ってくるまで見晴らしのいい所で待ちましょうか」

三人は灯台の頂上で帰りを待つことにした。頂上から見渡す水平線と青空のコントラストは、ずっと見ていても飽きがこない程美しい眺望だった。

しばらくして、海の方から誰かが灯台に向かって来るのが見えた。ククは頂上の窓辺から入り口近くまで来たその誰かに向かって声を掛ける。

「シロちゃーん、お帰りなさい」

声を掛けられた人物は驚いた表情でこう返した。

「クク姉、なんで灯台に……というか、隣の子たちは誰?」

 

灯台の一階に降りた後、友絵たちは自己紹介した。

「初めまして、私は友絵って言います」

「ぼくはイエイヌです。よろしく」

髪の毛も耳も尻尾も真っ白で、端っこにもふもふなフードがあしらわれた白いコートに身を包んだその人物は、こう言った。

「僕はホッキョクグマ。よろしくね」

その言葉を聞いて、友絵は咄嗟にこう聞き返した。

「あの、ホッキョクグマさんって、もしかして“シロクマ”って呼ばれたりしませんか?」

ホッキョクグマは友絵にこう答えた。

「ああ、確かに僕はヒトからそう呼ばれることもあるみたいだね。でも、何でそんなこと知ってるの?」

友絵は嬉々とした表情でシロクマにこう答えた。

「私、動物図鑑で見たときからシロクマが好きで、実際に会ってみたいってずっと思ってたから」

友絵に好意の視線を向けられて、思わずはにかむシロクマ。その様子を見ていたククが、シロクマの頭をなでなでしながらこう言った。

「良かったわねシロちゃん、こんな可愛い子に好きだなんて言われちゃって」

すっかり頬を赤らめてしまったシロクマが、ククにこう言い返した。

「や、やめてよクク姉。他の人が見てる前で……」

「ふふ、じゃあ見てない時ならしても構わないってことかしら?」

「別にそういう意味じゃ……ないけど」

二人の微笑ましい掛け合いを見て、友絵とイエイヌは顔を見合わせてクスリと笑い合った。

灯台の一階には白いソファーや木製のテーブル、食器棚に本棚などが置いてあり、まるでヒトが暮らしているかのような生活感が漂っていた。ソファーに腰をおろした友絵たちの元に、シロクマはお茶を淹れたカップを運んできてこう言った。

「お茶を淹れたんだけど、良かったらどうぞ」

イエイヌは嬉しそうにこう応えた。

「ふわぁ、いい匂い。いただきます」

友絵とククも、それに続いてシロクマの淹れたお茶を飲んだ。

 

これまでの旅の経緯を一通り話し終えた友絵は、本題であるヒトの居所についてシロクマに訊ねた。

「シロクマさんはこの港でヒトに会ったことがあるって聞いたんですけど、本当ですか?」

期待と不安を込めた視線を向けられたシロクマは、遠い記憶を辿るように、こう答えた。

「ヒトか……うん、会ったことあるよ。大分前のことになるけど」

友絵はその言葉に胸をなでおろした。そしてイエイヌも、これまでの旅が報われた気がしてほっとした表情を見せた。シロクマは続けてこう話す。

「ともえの探しているヒトかどうかは分からないけど、僕が出会ったそのヒトは確か……“とおさか”って名乗っていたと思う」

シロクマの言葉に、一瞬胸がざわつく友絵とイエイヌ。過去の記憶のイメージが、再び友絵の頭の中に駆け巡る。

 

『………約束だよ…絵』

 

ハッとした友絵は、シロクマにこう訊いた。

「そのヒトは、今どこにいるんですか?」

シロクマは少し考えた後、こう答えた。

「どこにいるかは分からないんだけど、そのヒトは僕と別れる前に“展望台に行く”って言ってた気がする」

友絵はイエイヌの方を見ると、何も言わずに頷いた。イエイヌもそれに合わせて、コクりと頷き返した。友絵が口を開く。

「ククさん、シロクマさん、色々教えてくれてありがとうございました。それで、私たちこれから展望台に行ってみようと思います」

友絵の言葉に、シロクマはこう返した。

「実は今、展望台へと続いているロープウェイが動かない状態なんだ。どうも風車の調子が悪くて、町全体の電気が止まってるみたいでさ」

友絵が言うより先に、ククがシロクマにこう質問した。

「風車って、あの風でクルクル回るやつよね。あれとロープウェイが何か関係あるのかしら?」

シロクマは少し自慢げな顔でこう答えた。

「この港では風車を利用した“風力発電”で電気をまかなっているんだよ。だから、風車が故障したり動かないと、町中の電気が通らなくなって、ロープウェイも止まってしまうんだ」

「あら……難しいことはよく分からないけど、つまり風車が止まるとロープウェイは動かせない、ということなのね」

「そういうこと。まぁ、風力発電や風車の仕組みについてなんかも、前に僕が出会ったそのヒトに教えてもらったんだけどね」

友絵は心から安堵していた。なぜなら、シロクマが話す内容には、確かにヒトの痕跡が感じられたからである。展望台に行けばきっと手がかりがある。そんな期待感で胸を膨らませるのだった。

「すごいわねシロちゃん!難しいことまで知ってるなんて……もふもふ」

「ちょ、だから恥ずかしいってば」

ククに頭をもふられて赤面するシロクマ。その様子を見ていて堪らなくなった友絵は、久しぶりにイエイヌのしっぽをもふり始めた。

「イエイヌちゃんも、ふわふわ~」

「ひゃあっ!もう、いきなりはずるいですよ、ともえちゃん」

突然のもふりに目を丸くするイエイヌ。何だかんだ言いつつ、二人ともとても気持ち良さそうなのであった。

 

「風車の修理が終わるまで、二人は町の中でも見てくるといいよ」

シロクマが友絵たちにそう告げる。

「解りました、シロクマさんとククさんは?」

友絵の質問に対して、二人はこう答えた。

「僕はラッキービーストと協力して海中にある風車のケーブルを直してくるよ」

「わたくしも、シロちゃんをお手伝い致しますわ。海の中の作業なら、少しはお役にたてると思いますし」

友絵たちをゴムボートに乗せると、シロクマとククは二人分の力でボートを押して、波止場へと向かった。グングンスピードを上げるボート。行きの時とは違い、かなり荒々しくボートは揺らいでいる。

「うわあ、すごい速さ!水しぶきが顔にかかって冷たいね、イエイヌちゃん」

「は、速すぎじゃないですか」

友絵は元気にはしゃいでいるが、イエイヌは振り落とされないか心配になった。二人の息がピッタリ合わさった泳ぎにより、さらにボートは加速していく。

「さあ、まだまだスピードを上げるよ」

「しっかり捕まっていますのよ、ふふ」

行きの時間の半分もかからずに、ボートは波止場へと到着した。波止場で二人と一旦別れた友絵とイエイヌは、ククに教えてもらった赤レンガ館という建物を目指して、市街地の方へと歩いて行くのだった。

 

 

 

波止場の東の方に続く石畳の通りを抜けると、大きな赤いレンガの建物が見えてきた。レンガの壁の表面には、所々に緑色の蔦が生えていて、年季を感じさせる。

二人はドアを開けて建物の中へと入り、辺りを見回した。ご当地フレンズの人形、アロマキャンドル、ワインボトルなど様々な土産物が並んでいる中でひと際二人の目を惹いたのは、キラキラと宝石のように輝くガラス細工のコーナーだった。

「イエイヌちゃん見て、すごい綺麗……」

色鮮やかに装飾されたガラス細工、その美しさに思わず感嘆の言葉を口にする友絵。

「本当に、綺麗ですね。これが全部ガラスで作られたなんて、信じられないです」

精巧な装飾を施された小さなガラスのピアノを見て、イエイヌもため息をこぼした。

二人がガラス細工を堪能していると、あるガラス製品に目を奪われた。近くに寄り、友絵がその説明書きを読む。

「これは、ガラスのオルゴールだって」

「おるごーるって何ですか?」

「えっとね……あ、口で説明するより聞いた方が早いか」

そう言うと友絵は小さなガラスのオルゴールを手に取り、底の部分についていたネジを回して、台の上に戻した。

 

『シャランランラン ランランラン ランランラン~♪』

 

たちまち、オルゴールは透き通った美しい音を奏で始めた。

「綺麗な音……これって、音を出すためのものだったんですね」

初めて聞くオルゴールの音色に聞き入るイエイヌ。二人でその音に耳を傾けていると、何かに気付いたイエイヌが友絵にこう言った。

「この音、あの時ククちゃんが歌っていたのと同じじゃないですか?」

友絵は頷いてこう言った。

「うん、きっとそうだね」

オルゴールを覆っているガラスの筒の中には、色のついたガラスで作られたサーバルキャットとカラカルのミニチュア細工があり、音に合わせてそれはクルクルと回り出す。そのオルゴールの説明文にはかすれた文字でこう書かれている。

 

『ジャパリパーク メモリアル

~過去と未来をつなぐ音~』

 

赤レンガ館を後にして、しばらく町の中を探索していると、日が落ちて夕暮れ時になり、辺りは大分暗くなってきた。

二人は探索を切り上げて、待ち合わせ場所であるロープウェイ乗り場の待合所に向かうことにした。

その道中、突然の轟音と共に、地面がグラグラと揺れだした。

 

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ

 

「大丈夫ですか?」

イエイヌはふらつく友絵の手を握り、声を掛ける。

「うん、大丈夫だよ」

友絵は帽子を抑えながら、イエイヌにそう言った。

しばらくすると揺れは収まり、二人は手を繋ぎながら待合所へと向かった。

 

待合所で二人を待つ友絵とイエイヌ。

すっかり日が沈んで夜になり、周囲は真っ暗になってきた。冷たい風が吹き、寒さが滲むベンチで、友絵はイエイヌの肩にもたれかかる。イエイヌはそんな友絵の手をギュッと握り、寄り添った。

無言の時が過ぎる中で、二人は同じことを考えていた。

 

『ずっと一緒に、居られたらいいのに』

 

ふと、真っ暗だった待合所に明かりがパッと灯った。待合所の外を見回してみると、街灯など町の電気が復旧し、明かりがついているのがわかる。しばらくして、待合所にククとシロクマがやって来て二人に合流した。

「遅くなってごめんね。やっと復旧したみたいで、良かったよ」

「町に明かりがつくなんて久しぶりですわね。そうそう、二人とも、町の中は楽しめました?」

ククの質問に、二人はこう答えた。

「はい、とっても」

 

四人はまほろ山の展望台へと続くロープウェイ乗り場のゴンドラに乗り込んだ。

全員乗り込んだのを確認すると、シロクマが機械のスイッチを押し、ゆっくりとゴンドラは動き出した。

「うわあ、高いね。でもすごく良い眺め」

上昇するゴンドラの中で、友絵はうっすらと見える町の夜景を見ながらそう言った。

「結構上まで行くんですね」

少し緊張気味なイエイヌが、シロクマに声を掛ける。

「まほろ山はそんなに標高は高くないけど、展望台は山の頂上付近にあるからね。それだけに、展望台からの景色は一度見たら忘れられないと思うよ」

「確か、展望台からの眺めはジャパリパーク三大夜景の一つにもなっているらしいですわ」

「そうなんだ……夜景、楽しみだなぁ」

友絵はワクワクとドキドキで胸を高鳴らせていた。すべての点と点を繋ぎ、最後にたどり着いた場所、展望台に思いを馳せて。

 

展望台に到着したゴンドラが停止し、四人は外に出て展望台の広場へと向かった。広場の中央には記念碑のようなものがあり、他には屋根の付いたベンチなどが設置されていた。友絵は広場の柵の手前まで来ると、そこから町を見下ろした。

「……はぁ、すごい」

目の前に広がる、想像していた以上の壮大な景色に、思わずため息をこぼす友絵。暗い夜を彩るキラキラとした町の明かりは、光を閉じ込めた宝石箱のように輝きを放っていた。

「なんて素敵な景色……言葉が上手く出てこないです」

イエイヌも、その絶景に酔いしれるかのように感動していた。

「久しぶりに来たけど、何度見ても綺麗だよね」

友絵たちとは少し離れた所で夜景を見ていたシロクマの言葉に、ククはこう返した。

「わたくしは今日の夜景が、今までで一番輝いて見えますわ」

「え、どうして?」

ククは少し照れながら、こう答えた。

「ふふ、隣にシロちゃんが居るから……かしら」

「僕が隣に居ると、夜景の見え方に違いがあるの?」

その言葉で、何故かそっぽを向いてしまったククに、シロクマは頭を掻いてたじろぐのであった。

 

友絵はショルダーバッグからスケッチブックと虹色のペンを取り出すと、一心不乱に目の前の夜景を描き始めた。その様子を黙って見守っているイエイヌ。広場には明かりが灯っていたため、絵を描くことは出来たが、自分の影で見辛くならないよう、イエイヌは少し友絵から離れた位置に移動した。

「出来た!」

ペンが止まり、絵が完成したことを三人に告げた友絵は、スケッチブックのページを開いて見せた。

「今日みんなで見た夜景を、絵に描いておこうと思って」

その絵には、隣同士に描かれた友絵とイエイヌ、ククとシロクマが、展望台の柵の内側から麓の夜景を見下ろしている構図が描かれている。

完成した絵を見た三人は、思い思いの感想を口にした。

「すごい、本当に目の前の景色を切り取ったみたいですね。やっぱりぼく、ともえちゃんの絵が大好きです」

「なんて素敵な……ともえさんの描いた絵、とてもお上手ですし、心から感動致しました」

「これがともえの描いた絵か……話で聞くより、実際に見る方が何倍も良いね」

みんなに誉められて、友絵は少し照れくさくなった。そして夜景の絵が描かれたスケッチブックのページを切り取り、二人にこう言った。

「ククさん、シロクマさん、今日は本当にお世話になりました。私の感謝の気持ちです、受け取ってください」

絵を渡されたククとシロクマは、友絵にこう伝えた。

「ありがとう、ともえさん。今日のことは、絶対に忘れませんわ」

「素敵な絵をありがとう。僕の宝物が、また1つ増えたよ」

友絵は心底嬉しかった。自分の描いた絵が、誰かを笑顔にできることが。そうやって、大切な繋がりが増えていくことが。

 

「それでは、わたくしたちは先にふもとに下りますわね」

「僕たちが下りたら、またゴンドラを上に送っておくから。あと、今夜は二人とも灯台に泊まっていくといいよ」

「ありがとうございます。私たち、もう少し調べたら下りますね」

友絵たちと別れ、ククとシロクマはゴンドラに乗って麓に下りていった。それを見送った後、二人はヒトの手がかりを求めて展望台を探索し始めた。屋根つきベンチの裏、記念碑のある場所など、あらかた探してみるも、それらしいものは見付からなかった。

「今日はもう遅いですし、明日の昼間にもう一度探しに来ましょうか?」

イエイヌが友絵にそう提案する。

「……そう、だね。シロクマさんたちも待ってるし、そろそろ戻ろっか」

二人はゴンドラが戻って来るまでの間、ベンチに座って待つことにした。

再び二人の元へ訪れる、無言の時間。それは、気まずさや恥ずかしさなどではなく、ただ隣に居てくれるだけで特別なものは必要ない、そんな心地を感じさせる時間だった。

ふと、友絵が口を開く。

「そういえば、イエイヌちゃんと初めて出会った時、思いっきり抱きつかれたんだっけ。結構びっくりしたな、あれ」

イエイヌは申し訳なさそうにこう言った。

「あの時は、すみませんでした……でも、なんであんな気持ちになったのか、はっきり覚えてないんです」

「ううん、全然嫌な気持ちはしなかったよ。むしろ、何か嬉しかった」

「……ともえちゃん」

二人は夜景を見ながら、今までの旅を振り返った。

「で、雪山の温泉に入ったイエイヌちゃんがグダグダになっちゃってさ」

「くぅん……実はぼく、あの時のこともあんまり覚えてないんです」

「ふふ、そうなんだ……あと、トナカイさんとソリに乗ったり、楽しかったね」

「はい!トナカイちゃんの勇敢なソリさばき、今でも目に焼き付いてます」

二人の話は尽きない。

「博物館で恐竜の化石みたり、植物園でリコ博士が育てた色んな花を見たり、そして空中アスレチック!あのスライダー、もう一回やってみたいなぁ」

「そうですね……スライダー、ぼくは向いてなかったですけど、ともえちゃんがやりたいんだったら、また行きましょうね」

旅の中で出会ったフレンズたちとの、たくさんの思い出。

「みんな元気にしてるかなぁ、また会いに行きたいね」

「そうですね、ぼくもまた、ともえちゃんが描いた絵を見てみたくなりました」

そのどれもが、二人にとってかけがえのない大切な思い出になっていた。

「……ここまで来れたのも、イエイヌちゃんが一緒に居たからだよ」

「ぼくだって、ともえちゃんと出会えて、たくさんのフレンズと友だちになれて、本当に嬉しかったです」

二人はお互いに顔を見合って、こう言った。

「イエイヌちゃん……私たち、ずっと友だちでいようね」

「はい、もちろん。どんなことがあっても、ずっと友だちです」

友絵は右手を握り、小指だけを立ててイエイヌにこう言った。

「約束しよう。お互いの右手の小指と小指を繋いで、指切りするの。絶対に忘れないためのおまじない」

イエイヌも同じように右手の小指を差しだし、友絵の小指と繋いだ。伝わってくる、確かな思い。そしてイエイヌは、静かにこう呟いた。

「……やくそく」

ロープウェイ乗り場の方から、ゴンドラが到着する音が聞こえてきた。麓に下りるため、ゴンドラに向かおうとしたその時、友絵は虹色のペンをバッグから落としてしまった。暗がりでも光るそのペンを拾おうとした瞬間、展望台の壁の一部が、ペンの放つ輝きに呼応するかのように淡く虹色に光っているのが見えた。

「ちょっと見てきていい?」

友絵の提案に、イエイヌは即座にこう応えた。

「はい、行きましょう」

壁の近くまでやってくると、虹色のペンはさらに輝きを増して光を放ち、壁から文字のようなものが浮かび上がってきた。友絵は声に出してその文字を読んだ。

 

『 友と萌絵へ

約束を果たせず、一人でここに来てしまって、本当にごめんね。いつか必ず、家族三人でこの夜景を見に来よう

遠坂 紡』

 

二人は頭の整理が追い付かず呆然としていた。何者かが、おそらくシロクマが出会ったであろうヒトが記したメッセージ。それは、虹色のペンを持つ者にしかわからないように書かれていて、それを持っているのが友絵であるということに。

「……これって、まさか」

言葉を発した次の瞬間、友絵の手は無意識の内に壁のメッセージに触れていた。

キラリと閃光がほとばしり、虹色の光が友絵の全身を駆け巡る。光が収まった後、友絵は目に涙を浮かべながら、イエイヌに向かってこう告げた。

「……全部、思い出したよ」

イエイヌは涙を流す友絵を見ながら、こう言った。

「ともえちゃん、ぼくは……」

 

ドドドドドドドドドドドドドドド

 

イエイヌの言葉を遮り、地鳴りのような音を立てて何かが二人の頭上に接近してきた。イエイヌは咄嗟に友絵の前に立ち、接近するものと対峙する。そのあまりの異形さに、イエイヌは思わず声を漏らす。

「こ、これは……こんなの、見たことない……けど、もしかして」

展望台の上空に現れたのは、漂う雲のように不定形でぼやけた霧のようなものが集まり、その中心部で大きな一つ目をギョロつかせ、無機質で真っ黒な姿をした……

 

 

 

 

 

 

 

「……セルリアン?」

 

 

 

 

 

グギギ ギギギギギ ギギギギギ

 

空に浮かぶ異形なセルリアンは、機械的な音をたてながら、眼前の友絵とイエイヌを大きな目玉で凝視している。

恐怖で震えが止まらない友絵は、絞り出したような声でこう言った。

「い、イエイヌちゃん……私」

イエイヌは振り返らず、こう言った。

「大丈夫です。ぼくが絶対に守りますから」

上空に漂うセルリアンをキッと見据えたまま、イエイヌは覚悟を決めて叫んだ。

 

「野生……解放!」

 

イエイヌの目は、暗い闇の中で淡い光を放ち、サンドスターの粒子が身体の周囲にこぼれだす。

「グルルルルルルルルルルルル」

鋭い牙を剥き出しにして、セルリアンに向かって威嚇したイエイヌは、野生の本能で悟った。

 

グギギギギ ギギギギ ギギギギ

 

自分たちの目の前に立ちはだかる敵は、まともに戦っても勝ち目はない、ということを。その刹那、セルリアンは黒い霧のようなもやもやしたエネルギー体を発射する。イエイヌは反射的に後ろにいた友絵を抱き抱え、大きくジャンプしてそれを回避した。黒い霧は壁のメッセージが書かれていた場所に命中し、炎で燃やされたようにメッセージの文字は消滅してしまった。

「逃げましょう!」

そう言うと、イエイヌは友絵の手を取り、ロープウェイ乗り場のゴンドラに向かって走り出した。セルリアンは二人を目で追うものの、追跡はしてこなかった。ゴンドラに乗り込み機械を操作しようとした友絵は、イエイヌにこう言った。

「……どうしよう、動かなくなっちゃった」

ロープウェイ乗り場にはさっきまで電灯が点いていたが、今は全て消えてしまっている。セルリアンが広場の電灯に向かってさっきの黒い霧を発射すると、その霧が触れた場所にある明かりは、一瞬の内に消えてしまった。

「……あれに触れると、光を奪われちゃうんだ」

友絵がそう声を漏らすと、イエイヌはこう言い放った。

「ぼくがセルリアンを足止めしている間に、友絵ちゃんはあそこの裏口から逃げてください」

イエイヌはロープウェイ乗り場にある緊急用の出入り口を指差して友絵に示唆した。

「そんなの嫌だよ!一緒に逃げよう?」

友絵の必死の反論に、イエイヌは静かに首を横に振ってこう言った。

「二人で逃げたら直ぐに追い付かれます。夜の山道は足場も悪いし危険ですけど、あいつの近くにいるよりはましです。山を下りたら、ククちゃんとシロクマちゃんにこの事を伝えてください。その後は……」

イエイヌは一瞬言葉を詰まらせながら、友絵にこう告げた。

「ぼくも必ず、友絵ちゃんに追い付きますから」

「……絶対だよ」

涙をこらえて決意した友絵に対して、イエイヌは笑顔を見せると、セルリアンに向かって駆けていった。友絵は一人、裏口から山を下ることにした。

 

「くっ!……やっぱり、石がない」

セルリアンの攻撃を避けつつ、反撃の機会を窺っていたイエイヌだったが、黒いセルリアンには弱点である石が見当たらなかった。見えない位置にあるのか、それとも元々弱点がないのか、思案している内に、やがて展望台の明かりは全て黒い霧に呑まれて消えてしまった。

「……え、何で?」

突然、上空にいたセルリアンは眼下に居るイエイヌを無視してロープウェイ乗り場の方に移動し始めた。イエイヌは戦慄した、あの方向の先には……

 

「ともえちゃん!」

 

友絵は慣れない足取りで山を下っていた。イエイヌが言っていた通り、山道はかなり足元が悪く、歩くのは困難を窮めた。ふと、友絵はあることを思い付いた。

「あ、そうだ。これを使って……」

ショルダーバッグから虹色のペンを取り出した友絵は、研究所の時と同じように、その明かりで足元を照らしながら進むことにした。さっきより、大分足元が明るくなり、歩くスピードも上がってきた。

「……どうして、気づけなかったんだろう。こんなに大切なことに」

独り言を呟く友絵。虹色のメッセージに触れて記憶を取り戻した今、思うのは……

 

グギギギギ ギギギギ ギギギギ

 

「えっ!」

上空に姿を現したセルリアンの軋んだような音が、友絵の心を絶望で染める。もはや為す術がないことを理解した心と身体は、一歩も動けずその場で石のように固まってしまった。

黒い霧が友絵に向かって発射される。目を瞑った友絵の頭の中に、今までの旅の記憶が走馬灯のように流れてきて、最後にこう呟いた。

 

「……ありがとう……ユウ」

 

目を開くと、セルリアンが放った黒い霧は友絵の身体に命中することなく、目の前でゆらゆらと煙っていた。イエイヌの身体を、覆いつくすように。

「……そんな、嘘でしょ……イエイヌちゃん」

友絵は膝から地面に崩れ落ちて、黒い霧に覆われたイエイヌを呆然と見つめていた。

そんなことなどお構い無しに、セルリアンは再び黒い霧を友絵に向かって放った。考える間もなく、それは友絵の身体に命中……するはずだった。

 

キュイーーーーーーーーン

 

間一髪。友絵の身体から虹色の光が溢れ出し、目の前に六角形の虹色の宝石のような防御壁が現れ、黒い霧の攻撃を防いだ。何が起こったのか解らない友絵の頭の中に、声が響いてくる。

 

『大丈夫だよ萌絵』

 

「……この声は」

セルリアンは黒い霧を頻りに発射するも、虹色の壁によって全て弾かれていく。その声は友絵に語りかける。

 

『思いを繋げるんだ』

 

それきり、声は聞こえなくなった。しかしもう迷いはない。友絵は虹色のペンを強く握りしめ、天に向かって願った。

「……みんな、力を貸して」

 

 

 

 

 

 

 

 

牧場でソリの手入れをしていたトナカイは、友絵から貰った絵が突然輝き出したのを見ると、絵を手に取ってこう言った。

「これは、ともえの……よぉし、わたしも力を貸すぞ!」

 

 

 

 

 

植物園で研究をしていたリコは、友絵の絵が強く光輝くのを見て、こう呟いた。

「この輝きは、サンドスターの……もしかして、呼応しているということなの?」

泊まりに来ていたモモが慌ててリコの元にやって来る。

「ねえねえ博士、これどうやって……えっ!何それ、スッゴい光ってる」

二人は絵の輝きに触れるとこう言った。

「友絵……リコの思い、今届けるの」

「あたしもっ、ともえに協力するよ。だって、友だちだもん!」

 

 

 

 

 

山の麓で二人が戻るのを待っていたククとシロクマ。展望台の明かりが消えていることに気付いたククは、心配になってこう呟いた。

「二人とも、大丈夫かしら」

次の瞬間、シロクマが持っていた絵が突然輝き出し、シロクマはククにこう促した。

「……クク姉、この絵に触ってみて」

絵に触れるとククは全てを理解し、二人はこう言った。

「ともえさん、わたくしの思い、届いてますか?」

「負けるなともえ!君は、独りじゃないから」

 

 

 

 

 

 

 

 

けものたちは天に向かって祈った

大切な『友だち』のために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フレンズたちの祈りが、一筋の光の束となり、夜空を駆け巡る。空に向かって放たれた5つの光の束は、やがて虹色のペンを持つ友絵の元に集約した。今までにないほど強烈な光を身体に纏った友絵は、イメージした。全ての光を呑み込み、思い出や記憶を消してしまう黒い霧に対抗するものを。大切な思いを繋ぐ、道標となるものを。そして、空中に向かってペンを走らせながら、思い切りこう叫んだ。

 

 

 

 

 

 

「虹の架け橋!!」

 

 

 

 

 

 

ピッカァァァァァァァァァァァン

 

友絵が空に描いた虹の架け橋は、まばゆい輝きを放ちながら、光の柱となり空高く昇っていった。その輝きに触れた黒いセルリアンは一瞬の内に消滅し、跡形もなく消え去った。虹の橋は尚も空に向かって伸びてゆく。その軌跡は消えることなく、夜の空に刻まれていった。

 

≫つづく。

 

 

次回「夢の中のきみ」



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第5話「夢の中のきみ」

夜空にそびえ立つ塔のような虹の架け橋から、キラキラと虹色の粒子が降り注ぐ。夜風に乗って、それは麓の町まで飛散していった。

「……ありがとう、みんな」

友絵は感謝の言葉を呟くと、倒れ伏すイエイヌの方を見る。さっきまで身体を覆っていた黒い霧は消滅しているようだった。友絵はイエイヌに呼び掛ける。

「イエイヌちゃん……イエイヌちゃん、起きて……」

しかし、返事は返ってこない。

身体を軽く揺さぶっても、何度も声を掛けてみても、イエイヌは眠っているかのように目を閉じたままであった。

「そんな……とにかく運ばないと」

友絵はイエイヌを担いで、展望台に戻ることにした。

虹色のペンが放つ明かりを頼りに、展望台のロープウェイ乗り場まで戻ってきた友絵たち。展望台には明かりが点いていて、電気も復旧していた。どうやらゴンドラが下に降りてしまっているようで、とりあえず友絵は担いでいたイエイヌを待合所のベンチに横たわらせる。しばらくして、ゴンドラが展望台に到着し、中からククとシロクマが出て来てこう言った。

「ともえさん!無事でしたか?」

「どうやら、セルリアンを倒せたみたいだね、良かった」

友絵は二人に向かって感謝の言葉を告げた。

「二人とも、力を貸してくれて本当にありがとうございました」

ククとシロクマはホッと胸をなでおろしたが、友絵は浮かない表情を滲ませている。ベンチに横たわっているイエイヌに気付いたシロクマが声を掛ける。

「イエイヌは、もしかしてセルリアンに?」

友絵は口を開いてこう言った。

「私を守るためにセルリアンの攻撃を受けてしまって、まだ意識が戻らなくて……」

「そうか……でもセルリアンは倒せたわけだし、フレンズ化も解けてないから、しばらくしたら目を覚ますよ」

「……そう、だといいんだけど」

辛そうな表情でそう答える友絵の肩にポンと手を置き、優しい声でククはこう言った。

「あなたは本当に勇敢な子よ。イエイヌさんも、立派にあなたのことを守ったんですもの、起きたらいっぱい褒めてあげなきゃね」

「……うん」

ゴンドラに乗り込んだ友絵たちは、イエイヌを安全な場所に運ぶため灯台へと向かうことにした。

 

 

 

 

 

「………ん……ここは?」

 

イエイヌはぼんやりとした意識の中で、まるで深い海の底に沈んでいるかのような感覚の中にいた。温かくもなく、冷たくもない。ただ意識だけがそこにあって、周りの景色はぼやけて見える。

フッと、景色が鮮明になり、動物の鳴き声が聞こえてくる。

『キュウ……キュウ……』

弱々しくて儚い鳴き声。それは、小さな雑種犬が産まれてきたばかりの時の景色だった。

 

「もしかして、ぼくがフレンズになる前の……」

 

景色は移り変わり、今度はイエイヌがよく見知った家の中の光景が広がる。ベビーベッドの中には人間の赤ちゃん、それを見守る大人の男性がいて、その人は小さな犬の子を赤ちゃんの前に連れてきて、こう言った。

『ほら、解るかい萌絵。この子が、今日から僕らの家族になるユウだよ』

赤ちゃんは目の前に犬の子を見つけると、嬉しそうに笑った。犬の子も、尻尾を振ってそれに応える。

 

その光景を俯瞰して見ていたイエイヌは、男性に抱き抱えられた犬を見て、ようやく理解した。

「……間違いない、これはぼくが初めてご主人の所に来たときの……こんなところでまた会えるなんて……ぐすっ」

 

イエイヌは泣き出しそうになるのをこらえて、次の景色へと意識を移していく。さっきと同じく家の中の光景で、少し成長して大きくなった娘は父親にこう質問する。

『ねえおとうさん、なんでユウは“友”ってかくの?』

パソコンを操作していた父親は手を止め、娘にこう答えた。

『それはね、どんな時も萌絵と仲良しでいて欲しくて、友だちという意味の漢字から取って“友”って名付けたんだよ』

娘は納得したのか、犬のユウの元に駆け寄って、顔中をもふもふし出した。それを見て笑う父親。イエイヌはその光景を見て、涙が止まらなくなった。

 

「……会いたい……会いたいよ」

 

メリーゴーランドのように、景色はまた移り変わっていく。

 

 

 

 

 

「まだ起きていたんだね」

灯台のベッドで横たわるイエイヌの傍で、イスに座りながらじっと見守っていた友絵にシロクマが声を掛ける。眠ったままのイエイヌの頬に手を当てながら、友絵はこう答えた。

「イエイヌちゃんが目を覚ますまで、傍にいるって決めたから」

シロクマは友絵の目を見て、喉元まで来ていた言葉を飲み込むと、代わりにこう言った。

「わかったよ、じゃあおやすみ」

自分のベッドに戻るシロクマ。友絵はイエイヌの顔の近くにパタンと身体を倒し、こう呟いた。

「……ずっと、傍にいるから」

 

 

 

 

 

今度の景色は研究所の建物の中。白衣を来て忙しそうに研究に勤しむ父親の元に、かなり成長して大きくなった娘と、犬のユウが訪ねてきた。

『萌絵、それにユウ。どうしたんだい、研究室に来るなんて』

娘は寂しげな表情でこう答えた。

『だって、今日は誕生日なのにお父さん仕事で一緒に居られないから……ね、ユウ』

『ワンワン!』

父親は娘の頭を軽く撫でると、こう言った。

『ごめんね。でも、これからちょっと実験をしなきゃならないんだ。終わったらプレゼントを持って早く帰るから、先におうちで待っててくれるかい?』

娘は父親の手を握り、こう答えた。

『うん、わかった。待ってるから、早く帰って来てね』

娘はユウを連れて研究室を後にする。

 

「ご主人……お仕事が忙しくて、なかなか一緒に居られなかったんだっけ……でも、いつもぼくたちを気にかけてくれていたんだ」

 

場面は移り、おうちに帰って来た父親を、娘と犬のユウが出迎えている光景が見える。父親は買ってきたケーキをテーブルに並べて、10本のロウソクに火を灯し、ハッピーバースデイの歌を歌った。

 

「誕生日……ようやく家族一緒にお祝いできて、すごく嬉しかったな」

 

娘がロウソクの火を勢いよく吹き消すと、父親は近くにあった自分の鞄の中からプレゼントを取り出してこう言った。

『ハッピーバースデイ萌絵、ユウ。はい、誕生日プレゼント』

父親が渡したプレゼントは、新品のスケッチブックと、虹色に輝くペンだった。娘は喜びの声を上げる。

『ありがとうお父さん!良かったね、ユウ』

娘は犬のユウの頭を撫でながらそう言うと、プレゼントのペンを手に取り父親にこう訊ねた。

『お父さん、このペンすごく綺麗だけど、どこで売ってたの?』

父親は少し自慢げな表情で、娘にこう答えた。

『実はね、このペンはサンドスターの結晶から作った僕の発明品なんだ。だから、今のところ世界に1つしかないんだよ萌絵』

『世界に1つだけのペン……やったあ、お父さん大好き』

娘は思い切り父親に抱きついた。

 

「そうだ、ご主人は色々な発明品を作るのが仕事なんだっけ」

 

夕食を済ませ、食器を片付けていた父親に娘はこう訊ねる。

『このペン、どうやって使うの?』

父親は優しい声でこう答えた。

『サンドスターのペンは手にしたものがイメージした色を記憶し、忠実に再現することができるんだ。だから、萌絵がイメージする限り、どんな色でも描くことができるんだよ』

そう言われた後、娘はペンを手に取り、近くにあった冷蔵庫のドアに黄色い☆のマークを描いた。

『すごい!本当にイメージした通りの色になった』

父親は娘を諭すようにこう言った。

『こらこら、冷蔵庫に描かない。実はね、そのペンで描いたものは、どんなに時が経っても消えないんだ。サンドスターの粒子を供給すれば、半永久的に描いたものを保存し、記憶できるよう開発段階から……』

『ワンワン!』

娘は父親の説明に飽きたのか、犬のユウと一緒にリビングに戻っていった。そして、スケッチブックの裏面に、虹色のペンで名前を書いていく。

『よし、書けた。このスケッチブックは私とユウの二人で使うものだからね、ちゃんと名前を書いておかなきゃ』

名前の欄にはこう書かれている。

 

『遠坂 友 & 萌絵』

 

リビングに戻ってきた父親が、娘にこう訊ねる。

『スケッチブックの名前、ユウが先になってるね。どうしてなんだい?』

娘はこう答えた。

『私とユウは同じ日に産まれたけど、犬の方が成長が早いって動物図鑑で見たんだ。だから、ユウの方を先に書いたの』

父親は納得すると、娘が座っていたソファの隣に座り、こう言った。

『来週の日曜日は久々に休みが取れたから、家族三人でまほろ港に夜景を見に行こう』

娘はキラキラと目を輝かせてこう言った。

『うん、行く!展望台の夜景ずっと見てみたかったから。他にもショッピングモールとか、灯台にも行きたいし、あと遊覧船にも乗ってみたい……絶対、約束だからね』

『あぁ、約束だよ萌絵』

 

「家族三人で……やくそく。ぼくは、大切なことをずっと忘れたままだったんだ。でも何故だろう、これ以上……思い出したくない気がするのは」

 

イエイヌは自分の忘れていた記憶が思い起こされる度に、胸がざわつくのを感じていた。そして直感する。この先にある記憶、それは、あの日二人に起こった、全ての始まりの出来事……

 

 

 

灯台の近くにある岬のベンチに腰を下ろして、夕陽が沈む水平線のかなたを眺めていた友絵は、後ろから近づいてくる誰かの存在に気付き、振り返った。

「ごきげんよう、ともえさん。今日もここに居るって聞きまして……隣、いいかしら?」

友絵の隣に座ったククは、カモメが飛び交うオレンジ色の海を眺めながら、ぽつぽつと話を始めた。

「ねぇともえさん。わたくしと最初に会った時のこと、覚えてます?」

友絵はコクりと頷き、あの時のククの歌を思い起こした。透き通るような、それでいて魅力的な歌声に、惹き付けられたのをよく覚えている。

「あの時、二人がわたくしの歌を素敵だって言ってくれて、今までそんな風に言われたことがありませんでしたから、すごく嬉しくて……友だちになれたらいいな、なんて思って」

「そうそう、わたくしがフレンズになった時、最初に出会ったのがシロちゃんですの。右も左も分からないわたくしに、色々なことを教えてくれましたわ」

「カモメさんとも、実はよくお話しますわ。海や陸地や色んな場所に行った時のことを聞かせてくれますのよ」

ククは話の途中で、隣に座る友絵の横顔をチラリと見た。真っ直ぐ前を見つめる友絵の表情は、穏やかで、濁りのない澄んだ表情をしているようだった。ただ、大切なものが一つ、抜け落ちてしまっているようにも感じられた。ククの話に相づちを返してはくれるものの、彼女の目線は、ずっと遠くを見据えたままであった。

しばらく話をした後、ククはベンチから立ち上がり、去り際にこう言った。

「お二人に聞いて頂きたい歌がまだいっぱいありますの。今度また、三人で一緒に歌いましょう」

友絵はニコッとした笑顔でありがとう、と返事をした。

 

 

 

 

 

イエイヌの夢の中に広がる光景。そこには、晴れた日のジャパリパークが映し出されている。おうちの外の草むらで、スケッチブックを手に持った少女と、雑種の犬が仲良くおいかけっこをしている。

『ねえユウ。お父さんから貰ったスケッチブック、最初はどんな絵を描いてみようかな』

少女の言葉に、ブンブンと尻尾を振って応える雑種犬。そんなやり取りが続くかと思われた矢先に、突然鳴り響く轟音。地面が激しく揺れ、空に暗雲が立ち込め、野鳥が一斉に木々の間から逃げるように飛び立っていく。少女はなんとか踏ん張り、スケッチブックを抱き締めながら揺れが収まるのを待っていた。その時……

 

「……これって、まさか!」

 

空から大量の黒い物体が降り注ぐ。あられのように、周囲に降りしきる黒い物体が、踏ん張っていた少女の身体にぶつかると、そのまま少女は意識を失い、地面に倒れてしまった。裏返しになったスケッチブックに黒い物体が当たると、名前の欄から次々と文字が消えていく。残されたのは『友』と『絵』という文字だけになった。

揺れが収まると同時に、降り注いでいた黒い物体は止んだ。

『ワンワンワンワン』

少女の傍らで、必死に吠える雑種犬。その悲痛な呼び声も空しく、少女が目を覚ますことはなかった。

 

「あぁ……そんな……」

 

イエイヌは頭の中がズキズキと痛むのを感じていた。そして全てを思い出した。あの日の出来事。自分の無力感にうちひしがれたあの瞬間を。

 

視界がまたぼやけていく。

現れた次の光景は、研究室の中、卵のような形をした機械の前で、白衣を着た男と雑種犬が佇んでいる場面だった。

その光景を、上から俯瞰して見ていたイエイヌは、卵形の機械に誰かが入っているのを確認する。その人物は、さっきの光景で黒い物体に当たって意識を失ってしまった少女であった。

 

「……ごめんなさい。ぼくが、守ってあげられなかったから」

 

白衣の男は機械を操作すると、卵形の機械の中で眠る少女に向かってこう呟いた。

『ゆっくりおやすみ、萌絵』

名残惜しそうに、機械の中にスケッチブックと虹色のペンを置いた白衣の男は、最後にこう言った。

『いつかまた、会えるから』

機械の蓋が閉まり、少女は虹色に輝く揺りかごの中で、長い眠りにつくことになった。

 

「……あの時、だから……なんでこんなに大切なことを」

 

次の光景は、おうちの中。そこには一匹の雑種犬がいて、誰かの帰りを待つように、そわそわと家の中を駆け回っていた。何日も、何日も同じ光景が繰り返されていく中で、それでも雑種犬は帰りを待ち続けている。

 

「………………………………」

 

季節は廻り、何年もの時間が経過した頃。おうちの庭で、雑種犬は地面に横たわりながら、鳴き声を上げる。

『ワオーン……』

最後の力を振り絞るような鳴き声を上げた後、雑種犬は目を閉じて深い眠りについた。

 

そしてまた、季節は流れて……

 

空から虹色に輝く物体が降り注ぎ、キラキラとした光が溢れると、そこからヒトの姿をしたフレンズが現れた。地面に横たわるそのフレンズは、起き上がり周囲を見渡すと、こう呟いた。

『ここは、どこ?ぼくは一体……』

目の前には赤いレンガの建物があり、そのフレンズは中に入って直感する。

『なんだろう。わからないけど……すごく懐かしい匂いがする』

そのフレンズがおうちの中に入って歩き回っていると、冷蔵庫のドアに黄色い☆のマークを見つけて、何気なくそれに手を触れた。

『あっ……そうだ、思い出した。ぼくはここで、大切なヒトを待っていたんだ』

自分が生まれた意味を理解したそのフレンズは、大切なヒトが帰ってくる日を夢見ながら、いくつもの月日を過ごしていく。

 

「……そうか……ぼくは」

 

イエイヌは大粒の涙を流しながら、強い光に導かれて夢の果てへとたどり着いた。最後に映し出された光景は、あの日、あの時、二人が初めて出会った瞬間だった。

 

「……ぼくはもう一度、きみに会うために……生まれてきたんだ」

 

眩い光に吸い込まれた後、夢の中をさまよっていたイエイヌの意識は、魂が天に昇っていくように、空高く吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

朝の光が差し込む灯台のベッドで、イエイヌは目を覚ました。ゆっくり身体を起こし、周囲を見渡してみるが、誰もいないようだった。

「……ここは」

まだぼやけている目を擦り、ベッドから立ち上がると、入り口のドアが開き、友絵とシロクマが中に入ってきた。

「…………え!」

一瞬固まるシロクマ。その隣で、友絵は深呼吸をしながら逸る心を落ち着かせた後、思いっきり大きな声で名前を呼んだ。

 

「イエイヌちゃん!!!」

 

猛ダッシュしてイエイヌに飛び付いた友絵は、その胸の中でわんわん泣き出した。慌てふためくイエイヌ。シロクマはその様子を見て、ほっと胸をなでおろした。

「はぁ……良かった。やっと目を覚ましたんだね」

「……は、はい」

二人の元に歩み寄ってきたシロクマが、状況を理解できていないイエイヌに、こう伝えた。

「心配したよ、なんせ君は3日間もずっと眠ってたんだから」

「そう、だったんですね」

イエイヌの胸で泣いていた友絵は、涙を拭った後イエイヌに向かってこう言った。

「本当に、心配したんだから」

涙でくしゃくしゃになった笑顔を見せる友絵に向かって、イエイヌは訝しげな表情でこう訊ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あなたは、誰ですか?」

 

≫つづく。

 

次回……

 

 

 

 

 

 

最終回「星をつなげて」



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最終話「星をつなげて」

イエイヌの放った一言に、行き場を失った友絵の感情はちぎれた雲のように霧散し、絶句した。

「………………………………」

青ざめた表情を見せる友絵に対して、イエイヌは少し困惑した様子でこう言った。

「あの、あなたはぼくのこと知ってるんですか?」

沈黙が流れる。シロクマは心配そうに友絵に視線を送ると、なんとか絞り出すように言葉をかけた。

「ともえ……その、イエイヌは……」

「イヤ……こんなの……嘘だ」

シロクマの言葉を遮るように呟いた友絵の悲痛な言葉。泣き出したり、笑顔を見せたりしていたそれまでと一転して、友絵の感情は冷たく凍りつき、青ざめた顔をより浮かび上がらせた。

「……あっ、ともえ!」

シロクマが呼び止める間もなく、友絵は灯台から走り去っていった。

突然のことで動揺していたシロクマは、どうしたものか悩んだ末、イエイヌにこう告げた。

「悪いけど、ともえが心配だからちょっと探してくるよ。君はここで待っててくれるかい」

「はい、わかりました」

直ぐに戻ると言い残し、灯台を出ていくシロクマ。残されたイエイヌは、去っていった少女の残り香から懐かしい匂いを感じ取ると、何か大切なことを忘れているような感覚に苛まれ、こう呟いた。

「あの子は、ヒト?」

 

灯台を飛び出した友絵は、逃げるように港町を駆けていった。氷解し、溢れだした感情により、止めどなく涙がこぼれては、その雫が風で置き去りになっていく。波止場で歌を歌っていたククは、近くを横切る友絵の姿を見付けると、声をかける。

「おはようともえさん。そんなに急いでどちらへ……」

友絵はククの言葉に反応せず、そのまま町のゲートの方に去っていった。その様子に違和感を覚えたククは、友絵の後を追いかけていく。ゲートまで着いた友絵は、呼吸を整えるため、膝に手をつき、足を止めてその場に立ちすくんだ。しばらくして追い付いたククが、友絵に問い質す。

「何か、ありましたの?」

シンプルなその質問に対して、友絵はククの方を振り向いた後、こう答えた。

「……消えちゃった。イエイヌちゃんの記憶が……私のことも、一緒に旅したことも、全部……」

そう言って泣きじゃくる友絵の姿を見て、ククは言葉を失い、代わりに震える友絵の身体をギュッと抱き締めた。

 

「おーい、ともえー」

町中で友絵を探していたシロクマの元に、ククがやって来てこう言った。

「ともえさんでしたら、さっきこの町を出て行きましたわ」

「えっ?な、なんで」

困惑するシロクマに対して、ククは事情を説明した。納得したシロクマは、ククと共にイエイヌの待つ灯台へと向かった。

 

シロクマとククが灯台に帰って来ると、そわそわした素振りで待っていたイエイヌはこう言った。

「あっ、おかえりなさい」

ソファに腰を下ろした三人は、イエイヌに状況を説明するため、まずどの程度記憶を失っているのかを確認することにした。

「自分の名前はわかる?」

「はい、ぼくはイエイヌです」

「わたくしたちのことは覚えてますか?」

「えっと、ごめんなさい……わからないです」

顔を見合わせた後、ククとシロクマは改めてイエイヌに自己紹介した。続けてシロクマが質問する。

「どうして自分が眠っていたかは、覚えてる?」

イエイヌは少し考えた後、こう答えた。

「わからないです、でも長い間夢を見ていたような気がします。どんな夢だったかは、覚えてないんですけど」

シロクマはあの日起こった出来事を簡潔にイエイヌに伝えた。最後まで聴いて、イエイヌはようやく、自分が記憶を失ってしまったということを認識した。

「そっか、ぼくは記憶を失っているんですね。記憶を失う前は、あの子……ともえちゃんと一緒に旅を。それなのにぼくは、傷付けるようなことを……」

暗い表情で俯いてしまったイエイヌに対して、ククは励ますように言葉を添えた。

「そう落ち込まないで。記憶は、そのうち思い出すかもしれないですし、それに、今は二人とも少し時間を置いた方がいいのかもしれないわ」

様子を見守っていたシロクマも、イエイヌにこう言った。

「君はまだ目覚めたばかりだし、落ち着くまで、しばらくここに居るといいよ」

そんな二人の優しさを噛みしめながら、イエイヌは感謝の言葉を口にした。

「……お二人とも、本当にありがとうございます」

イエイヌは窓の外に見える海を眺めながら記憶の中を探ってみた。しかし、自分がイエイヌのフレンズであること、ここがジャパリパークと呼ばれる場所であること、それ以外のことは思い出すことが出来なかった。

 

数日後。

晴れた日の昼間、灯台の屋上で潮風に吹かれながら何気なく海を眺めていたイエイヌの背後から、何者かが声を掛けてきた。

「こんにちはー!あなた、イエイヌさんですか?」

声のする方に振り向いたイエイヌは、こう答えた。

「はい、そうですけど……あなたは?」

頭に白と灰色が混ざった羽を持ち、青みがかった白いセーラー服と、黄色いブーツを身に纏ったその人物は、元気良くこう答えた。

「ハーイ、よくぞ聴いてくれました。わたしは、カモメと言います。普段はこのエリアでお手紙などを配達する“ゆうびん屋さん”をしていまーす。ということで、あなた宛にお届けものでーす」

そう言うと、カモメは腰に提げていたショルダーバッグから紙のようなものを取り出し、イエイヌに手渡した。

「ありがとうございます、カモメちゃん」

イエイヌがお礼を言うと、カモメは誇らしそうにこう言った。

「いえいえ、みなさんの喜ぶ顔を見るのが好きでゆうびん屋さんをやっているので、わたしも嬉しいでーす。今日はポカポカ暖かくて空も晴れていて、絶好の配達日和ですしねー」

快晴の空のように明るいカモメを見ていると、イエイヌは自分の気持ちまでポカポカしてくるのを感じていた。イエイヌはふと気になり、カモメにこう訊ねた。

「そう言えばこれって、一体誰からのお届けものなんですか?」

「そのお届けものの送り主は、ともえちゃんでーす。あなたのことはともえちゃんからよーく教えてもらいました」

「……そうでしたか」

イエイヌが手に持っていた紙を広げてみると、どうやらそれは地図のようであった。その地図の所々には、星のマークが描かれている。

「それでは次の配達がありますので、わたしはこれで失礼しまーす」

そう言うとカモメは灯台から羽ばたき、海の彼方に向かって飛んでいった。手を振り、それを見送ったイエイヌは、地図の方に目をやると、虹色に淡く輝く星のマークに手を触れた。

「はっ!」

イエイヌの脳裏に流れ込んでくる、記憶の奔流。イメージが直接自分の記憶に上書きされるかのように定着したその言葉を、イエイヌは復唱する。

「地図に描いてある、星のマークの場所を辿ってきて……」

突然の出来事に心がざわつくイエイヌだったが、何をすべきかだけは、はっきりと認識する事ができた。灯台の一階に降りてきたイエイヌは身支度を整えると、星のマークが描かれている最初の場所へと向かって行った。

 

シロクマとククは二人で並んで展望台の柵越しに町を眺めていた。ゴンドラ乗り場の方から、イエイヌが二人の元へやってきて、こう言った。

「二人ともこんにちは。今日は良い天気ですね」

振り返り、イエイヌに向かって挨拶する。

「こんにちは、そうだね良い天気。空が澄みきっていて眺めもすごく良いよ」

「こんにちは、イエイヌさん。昨日来たばかりですのに、この場所を気に入ってくれたのかしら?」

「実は、ぼく宛にともえちゃんから地図が届いたんです。その地図には星のマークが描かれている場所があって、そこに行けば記憶を取り戻す手掛かりがあるんじゃないかと」

イエイヌの言葉に、シロクマは少し考え込んでこう言った。

「そうなんだ、記憶を取り戻す手がかりか……う~ん、何か重要なものがここにあるってことなのかな」

ククは友絵の絵を見ながら、あの日の夜を懐かしむようにこう言った。

「確かに、ここは特別な場所かも知れないですわね。こんな素敵な絵を贈ってもらった、思い出の場所……」

その瞬間、ククが手にしていた絵と、イエイヌの持つ地図の星のマークが共鳴するように光を放ち始めた。イエイヌは光に吸い寄せられるように、友絵の描いた絵に手を触れた。

 

『私たち、ずっと友だちでいようね』

 

「これは、この記憶は……」

イエイヌの頭の中に、あの夜の展望台の景色が流れ込んできた。キラキラとした宝石のような夜景と、二人で約束を交わす場面。まるで昨日のことのように、はっきりと鮮明に思い出すことができた。

立ちすくむイエイヌに、ククが声をかける。

「もしかして、何か思い出しましたの?」

イエイヌはコクりと頷き、二人にこう言った。

「ククちゃん、シロクマちゃん。ぼく、星のマークの場所を辿る旅に出ます。さっきみたいに、忘れてしまった記憶を、取り戻せるかもしれないし、だから……」

イエイヌの背中を押すように、シロクマはこう応えた。

「うん、行ってらっしゃい。気をつけて」

ククは寄り添うようにこう応えた。

「全て思い出せたら、またここでお会いしましょう。今度は四人で」

イエイヌは別れ際、二人に感謝の言葉を告げた。

「今までお世話になりました。このご恩は絶対忘れません。必ずまた、会いに来ますから」

ゴンドラに乗り込み、イエイヌは展望台を後にした。ククとシロクマは手を振りながら、旅立つイエイヌを見送るのだった。

 

地図に描かれた星のマークの場所を目指し、イエイヌは森の中を歩いていた。日が沈んで辺りは暗くなり、生ぬるい風がイエイヌの頬をかすめてすり抜けていく。じわじわと、孤独な不安感が心に染み渡り、イエイヌの足取りは重くなってしまう。それでも、決して前へ進むことは止めない。その先にある記憶へと、たどり着くまでは。

しばらく歩いていると、森の中にログハウスの建物が見えてきた。イエイヌは恐る恐る建物の中に入り、周囲を見回す。すると、奥の方から誰かが近づいてきてこう言った。

「あっ!イエイヌ。ひっさしぶりぃ」

突然名前を呼ばれて驚いた表情のイエイヌは、その人物にこう訊ねた。

「こんばんは、あの、あなたは何のフレンズさんですか?」

「あたしはタイリクモモンガのモモだよ。そっかぁ、本当に忘れちゃったんだ。ともえから聞いてたけど、やっぱりちょっとショックかも」

「……ごめんなさい」

イエイヌが申しわけなさそうにそう答えると、モモは大丈夫だよ、と言ってイエイヌを星のマークの場所まで案内した。

 

モモの案内で植物園の研究室へやってきたイエイヌは、自己紹介を済ませた後、リコにこう質問された。

「あなたはどうしてこの場所に来ようと思ったの?」

イエイヌは地図を取り出してこう言った。

「この地図に描かれた星のマークの場所に行けば、記憶を取り戻せるんじゃないかと思って」

リコは地図の星のマークに手を触れると、イエイヌにこう言った。

「うん、なるほどね。この星が示しているものは、きっとこれのことなの」

リコは友絵の描いた絵を持ってきて、イエイヌに手渡した。絵に触れた瞬間、イエイヌの頭の中に過去の記憶がフラッシュバックしていく。

 

『あ~楽しかった。またやりたいね、イエイヌちゃん』

 

「うっ!この記憶は……」

様子を窺っていたリコがイエイヌに声をかける。

「どう?記憶は思い出せた?」

イエイヌは若干ひきつった表情でこう答えた。

「は、はい。アスレチックで遊んだり、みなさんとセルリアンを倒した記憶が、絵に触れた瞬間によみがえってきました」

「やったね、イエイヌ!これでまた、みんなで遊べるぞ~」

三人は喜び合い、仲良くじゃぱりまんを食べると、その日は植物園の仮眠室で就寝した。

 

次の日。

「ばいばーい!今度はともえと一緒にね~」

「気をつけてね、イエイヌ。セルリアンに会ったら、無理しないで逃げるといいの」

「ありがとうございます、リコ博士、モモちゃん。また来ますね」

植物園を出発するイエイヌを、リコとモモは手を振り見送った。イエイヌの足取りは軽く、孤独な不安はもう感じなくなっていた。今まで歩んできた道のりが、築いてきた繋がりが、消えずにそこにあることを、心で理解できたからだ。

 

森道を抜けると、そこには真っ白な雪原が広がっていた。吐く息も白く、冷たい風がイエイヌの身体を包む。星の場所を目指して山道を登っていくと、途中から雪道の真ん中に何かの重みで凹んだ跡のようなものが山頂に向かって続いているのに気づいた。

「これは、もしかして物凄く大きな生き物のあしあと?」

ちょっぴり怖い想像を抱きながら、イエイヌはその跡を追うように、山頂へと歩を進めていった。その跡は雪原の丘の上まで続いていて、そこで跡は途切れていた。地図を見て、近くに星のマークの場所があることを確認したイエイヌは、足跡の疑問を残しつつ、その場所へと向かっていった。

近くまで来ると、三角の屋根の建物が見えてきた。イエイヌは中に入ると、地図の星のマークに反応するものがないか、辺りを見回してみる。すると、建物の中から力強い声が聞こえてきた。

「きみは、イエイヌじゃないか!久しぶりだな」

イエイヌは目の前に現れた大きな角を持つその人物に向かって、こう言った。

「久しぶり、ということは、あなたも以前ぼくと会ったことがあるんですね」

「うんうん、わたしはトナカイだ。実はきみが来る前にともえから色々話しは聞いているんだが……とりあえず、落ち着いて話せる場所へ移動しよう」

トナカイはそう言うと、イエイヌを建物の奥にある部屋に案内した。ソファに座り、イエイヌは旅の経緯をトナカイに話した。

「……というわけで、記憶を取り戻すために手がかりとなる絵を探しているんですけど、知りませんか?」

「おお、絵を探しているんだな。わかった、ちょっと待っててくれ」

しばらくして、トナカイは友絵が描いた絵を持って戻ってきた。イエイヌがその絵に触れると、一瞬にして、あの時の光景が頭の中に広がっていった。

 

『すごいスピードだね、ソリってこんなに早く滑れるんだ』

 

「そっか、あの足跡はソリで滑った時にできたものだったんだ」

イエイヌは記憶を取り戻す度に、隣でいつも笑う友絵のことを、少しずつ身近に感じていた。

「トナカイちゃんありがとう、また会いましょうね」

イエイヌはトナカイに感謝と別れの言葉を告げる。

「気をつけてな!今度来たときは、三人でまたソリに乗ろう」

大きく手を振り、トナカイは離れていくイエイヌを見送った。

 

しばらく歩いていると、日が沈み、猛吹雪がイエイヌの身体を襲ってきた。堪らず、近くにあった洞穴に避難したイエイヌは、先客の存在に気付き、声をかける。

「ごめんください、雪が止むまでここで休んでもいいですか?」

すると、中から真っ白な姿をした耳の長いフレンズが現れ、イエイヌにこう言った。

「あ、あなたは……あの時の」

「あの時……もしかしてぼくたち会ったことがあるんですか?」

「わたしはユキウサギ……あなた、前にここで休んでた子でしょ」

「ぼくはイエイヌです、実は……」

最初は少し怯えた様子だったが、イエイヌの話を聞いているうちにユキウサギは警戒を解き、二人は雪が止むまでの間、語り合った。

「あの時は……その、びっくりして逃げちゃって……ごめんね」

「いいんですよ、急に現れたら誰だってびっくりしちゃいます」

「……その地図、あなたのものだったのね」

「ユキウサギちゃん、この地図のこと知ってるんですか?」

「うん、前に山に落ちてたのを見つけて拾ったの。それで、何日か前にともえちゃんって子がこの洞穴に来たとき、その地図が必要みたいだったから、返してあげたんだよ」

「そうだったんですか。ありがとうございます。とても助かりました」

二人はいつしか打ち解け、話してる間、自然と笑顔がこぼれるようになった。

外を見ると、吹雪いていた雪は止んでいて、空には晴れ間が差していた。

「それでは、ぼくはもう行きますね。また会いに来てもいいですか?」

イエイヌの言葉に、ユキウサギは笑顔でこう答えた。

「もちろんよ、また会いましょう」

ユキウサギと別れ、イエイヌは次の場所へと向かっていった。地図が示す、最後の星が描かれている場所へ。

 

木漏れ日が差す森の中を歩いていたイエイヌの頭上から、声が聞こえてくる。

「ひ~さ~し~ぶ~り~」

振り返るとそこには、樹にぶら下がったフレンズがイエイヌに向かって手を振っていた。

そのフレンズの近くまで来たイエイヌは、こう訊ねた。

「あなたは、何のフレンズさんですか?」

「ナ~マ~ケ~モ~ノ~」

これまでの旅の経緯を話し終えた後、イエイヌはナマケモノに質問する。

「こんな風な帽子を被った子が、ここを通ったりしませんでしたか?」

ナマケモノはしばらく考え込み、途中で少し眠りこけつつこう答えた。

「み~た~よ~」

その言葉を聞いて安心したイエイヌは、ナマケモノに別れを告げ、目指す場所へと向かっていった。

 

長い旅路の果て、イエイヌはとうとう辿り着く。見覚えはないが、懐かしい匂いがする場所へ。

夕暮れオレンジ色の光が照らす道を、一歩一歩、踏みしめながら歩いて行く。その瞬間を待ちわびるイエイヌの心は、次第に高鳴り、高揚していく。

玄関の前、ガチャリとドアを開いて中に入ると、イエイヌは一瞬で理解した。

「ここは……ぼくのおうちだ」

イエイヌは逸る気持ちを必死で抑えて、家の中を見回した。すると、持っていた地図の星のマークが、テーブルに置いてある絵に反応し輝きだす。

イエイヌは深呼吸し、おもむろにその絵に触れた。

 

『もし家を留守にしてるときにご主人が帰ってきたときのために、書き置きを残しておこうよ』

 

二人が出会った時の記憶が、イエイヌの頭の中にスッと染み込んでいく。全てのピースがはめ込まれたパズルのように、イエイヌの心は鮮やかな光で満ち溢れていた。

ガチャリと、玄関の方から音が聴こえてくる。イエイヌは書き置きの絵をテーブルに戻すと、玄関に向かって走り出す。そこには、ずっと待ちわびていた、温かくて、懐かしくて、大好きな匂いが佇んでいた。

尻尾を揺らし、とびきりの笑顔でイエイヌはこう言った。

 

 

 

「おかえりなさい」

 

 

 

今にも溢れそうな涙をこらえながら、すべてを包み込んだ笑顔で友絵はこう応えた。

 

 

 

 

「……ただいま」

 

 

 

 

≫おわり。



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