『旧題』 バイオハザード~インクリボンがゴミと化した世界~ (エネボル)
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00 『断片』 プロローグ

 ジョー・ナガトの手記 ???

 

 《速記文字による》

 

 ――――死ぬ前に酒の味を知っておきたい。

 そんな思い付きで、友人が店の棚に隠していたボトルの一本を拝借してみる事にした。

 これが試してみると、まるで世間が称賛するように『美味い』とは思えない。

 まぁ、“酔う”という感覚は悪くないと思うが……。

 とはいえ嗜みとして愛飲していくのならば、俺は先に試した紙巻の方が、素直に良いと感じた。

 

 微睡みながら時間を潰していると、ふいに忘れていた過去の古い情景が、思わず脳裏を過る事がある。――――例えば、この街に引っ越した日の出来事だ。

 俺はその日、初めて訪れた筈のこの街――『ラクーンシティ』に対して、不思議と強い忌避と不安を感じた。そして暴れるように激しく泣き叫んだ事があった。――――それはお袋の命日になると、親父が酒を片手に泣き語る一家の思い出の一つだ。

 そしてその話を思い出した時、俺は今更ながらにそれが、現状を示唆する『虫の知らせ』のようだとも思った。とはいえ本当にそれが『予兆』であったとして、それで一体、当時の俺に何が出来るのかって話になるのだが……。 

 知っての通り、このラクーンシティは現在、無数の亡者(ゾンビ)によって包囲がされた。

 冗談のような話だが、これが“真実”だ。

 そして腹を空かせて至る所で呻き声を上げる怪物――『歩く死体』(ウォーキングデッド)なんていうオカルトが文字通り跋扈するその地獄の中に、俺は置かれている……。

 

 ――――まったく、笑えるだろう?

 

 先の『予兆』云々について、もう一度感想を綴ってやる。

 俺に此処(・・)がそんな世界だと予感をさせておいて、それで一体どうしろと言うのか?

 これを意図した神の無能ぶりには、まったく失笑が込み上げるぜ。

 いや、この場合は『泣けるぜ……』って言った方がそれっぽいのか?

 まぁ、どうでもいい事か……。

 

 この街に蔓延る動く死体の事だが、気づけばそれを誰もが『感染者』と呼ぶようになった。

 そして奴らに昼と夜の区別はなく。ひたすらに餌を求めてグルグルと這い回り、白痴のように呻くばかり。故に、その姿はまさしく『不気味』だとしか、形容する事が出来なかった。

 ――――とはいえ今となっては、そんな奴らに対する怖さも薄くなった。

 今となっては寧ろ、目障りで、不愉快で、心底ウンザリ(・・・・)――、そんな気持ちの方が先んじる。

 正直言えば、『まともに相手してやる事、それ自体に飽いた――』それが本音だ。

 

 真面目な話、俺も他の連中に倣って、この辺での“ゲームセット”を本気で考えるようになった。

 確かに最初の頃はこのクソみたいな世界でも、生きてやろうと強く思っていた。しかし色々な事があって、正直この世界で生き続けても、その先であまり良い事がありそうな気がしない……そんな考えが頭に張り付くようになった。

 加えて俺の記憶(・・)が正しければ、遠からずこの街はソドムよろしく地図から消える……。天使の放った核の炎で文字通りの“滅菌”――『バイオ・ハザード』でおなじみのエンディングって奴がやってくる筈だ。

 そんな派手な結末が迫る予感を前にすると『此処で潔く終わりを迎えておくのが一番良いんじゃないか?』と思う自分が居る事を、正直強く否定する事が出来ない。

 

 ――――

 ―――

 ――

 

 もしも次の『生まれ変わり』なんてのがあるなら、その時はもう少し平和な世界であって欲しい……。

 最低でも“ゾンビ”なんて類の化け物が街を闊歩しない世界――。そんな平和な土地に生まれる事を強く希望したいぜ。

 とはいえこれまでに神の無力さをクソほど思い知った。そのおかげで今更、どんな理由でも『神頼み』なんてとてもしてやる気にはなれないが……。

 ――――あぁ、クソったれ。思い出したら腹が立ってきたぜ……。忌々しい……。

 

 

==========

 

 

 外の音がうるさ過ぎて、思わず目が覚めた。

 それにしてもこんな状況でうたた寝なんて、我ながら図太いぜ……。

 それとも、これがアルコールの魔力って奴か?

 まぁ、それより問題は、先程から派手に銃を使って暴れてやがる外の馬鹿野郎の事だ

 

 発砲音からして得物はハンドガン。ただしロングマガジンでも使ってやがるのか、随分と連射回数が多い気がする。

 まったく気張るのは結構だが、それでいざ自決するってタイミングで肝心の弾を切らすなよ?

 ――――最低でも一発は死ぬまで握っておけ。

 例え相手がよそ者(・・・)だろうと、俺はこの街に残る希少なラクーンの市民として、せめて一度くらいは、そんな忠告を送ってやろうと思った。

 まぁ、向こうはそんなの聞いちゃいないだろうが……。 

 

 それにしてもこの期に及んで未だに暴れようと考える馬鹿は、一体どこの誰だ?

 元気が有り余ってるのは結構だが、そのノリで騒ぎを此処まで牽引(トレイン)されると、流石に面倒だ。

 ――――ったく仕方ない……。

 鬱陶しいが死ぬ前に一度、その(つら)を拝んでやろう。

 

《ページが途切れている》



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01 『手記』 9月22日~25日

 ジョー・ナガトの手記 その1

 

 

 9月22日 午前

 

 最近はどうにも風邪が流行っているらしく、昨日はクラスメイトの内、5人が欠席をした。

 つまり今朝の調子の悪さも、別に俺の気の所為じゃないってわけだ。

 そういう理由(わけ)で本日は大事を取り、学校を休むことにした。とはいえ体調不良とは大げさに言ったが実際には少し気怠い程度、風邪という感じはあまりしていない。その為、見る者によってはこの欠席をただのサボりだとも謂うだろう。――――まぁ、実際その通りな訳だが……。

 この事が親父にバレると面倒だが、(たま)にはこういう日も悪くないだろう。

 

 

 

 9月23日 午前

 

 昨日に引き続いて今日も朝から気分が悪い。ただし、今日のは精神的な意味での気分の悪さだ。

 原因は本日発行された『ラクーンタイムス』の“コラム”だ。

 

 そして先ほどから同じアパートに住む階下の婆様がヒステリックな怒号を上げている。察するに彼女も俺が読んだコラムと同じモノに目を通して、奇しくも読後に俺と同じ感想を抱いた様子だ。

 まったく顔を合わせる度に何かと小うるさく言うババアだが、こうして(・・・・)同じ敵を見据えている時は頼りになるぜ。今日だけは応援してやろう。頑張れ、クソババア!

 

 まぁ、それはともかく――、(くだん)のコラムについて綴る。

 

 見出しには『近年アメリカで多発する多数の猟奇的な“事件について――』とあり、中身には近年の学会で話題になった犯罪心理学者の論文や、過去の凄惨な事件の概要などが掲載されていた。

 そんな記事の中でも特に俺達ラクーン市民の眼を惹いたのが、例の『アークレイ山地の猟奇事件』について語る有識者のコメントだ。

 

 今年7月、このラクーンシティの郊外にあるアークレイ山地で奇怪な事件が発生した。後の調査で同市の警察特殊部隊が複数投入されたが、未だ明確な犯人は挙がっていない凄惨な事件だ。

 俺も街の住人の一人として、この事件の事は未だに強く覚えている。

 ――――そしてまったく強かな事に、俺を含む街の人々は月日が経った頃、そんな事件からインスピレーションを得てある『オカルト』を作り出した。

 所謂(いわゆる)、『アークレイの食人鬼』という奴だ。

 

 記事にはそうして事件から『オカルト』を生み出して茶化している市民の事を、強く戒めるようなコメントが掲載されていた。読んでみるとこれが、まったく非の打ち所がない立派なお言葉だった。

 しかし得難い肩書を持つ専門家を使って『このラクーンシティには危険なサイコパスが潜んでいる……』なんて台詞を深刻そうに語らせるのはどうだろうか? ついでに言うと、フリーの物書き如きがコラムの終盤で一介の専門家ぶりながら、『まるで危機感が足りていない』だとかほざく様子には失笑を禁じ得ない。

 そもそも俺の記憶が正しければ、最初に『アークレイの食人鬼』なんて謂うオカルトネタで市民を煽り騒ぎ立てたのが、まさに“この”コラムを書いた雑誌社の人間だった筈――。

 その事実を思うと俺は読後に『一体何様のつもりだ?』という感想を強く抱いた。 

 

 ――――そして階下で抗議の怒号を上げている婆様も同じことを思ったのだろう。

 おかげで朝から気分が悪いぜ。

 まったく、ババアも雑誌社も本当に鬱陶しいな、クソったれ……。

 

 それにしても『犯罪大国アメリカ』とはよく使われる比喩だが、最近は特にそうした“事件”という単語を頻繁に耳にする。喧嘩や窃盗などに限らず、近頃ではラリッて人に噛みついたとかいう事件も聞いた覚えがある。おかげで街を巡回するパトカーの台数も増えたし、それを駆る警察職員の態度も剣呑になった。

 あぁ、そういえば昨日、路地の側溝から馬鹿デカい“ネズミ”が出たとかいう騒ぎもあったな。まぁ、そのドブネズミは別にしてもだ。

 なにかと妙な胸騒ぎを感じる今日この頃。平穏無事に日々が過ぎればと思うぜ。

 

 

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 追記 午後

 

 親父と学校からの連絡があった。

 親父の方は『忙しいのでしばらく帰れない』という知らせで、学校の方は『欠席者多数の為、明日からしばらく学校閉鎖する』という内容だ。

 またその二つの知らせを裏付ける様に、先程からラクーン市内全域に向けてなにやら『暴徒』に対する警報が流れている。

 緊急車両の音もまるで途切れる様子もないし、なにかヤバい事が起きたっぽい。

 

 

 

 9月24日 夕方

 

 親父の仕事は警察官で、その仕事柄、帰りが日を跨ぐ事もそう珍しくはない。

 そして母親の方は俺が幼い頃に既に死んでいる。

 つまり俺は物心つく前から、独りで夜を過ごす事に慣れる必要があったというわけだ。

 とはいえ独りで夜を過ごす事に慣れるまでには、相応の時間が掛った。毎晩の様に限界まで起きて『健気に親父の帰りを待つ――』なんて馬鹿も、よくやっていた覚えがある。

 まったく懐かしい話だ……。

 ――――そして現状を俯瞰してみると、まさにそんな子供時代に戻ったみたいだった。

 まったく情けなくて涙が出てくるぜ……。それもこれも街の様子がおかしく(・・・・)なった所為(せい)だ。

 

 今日は朝から警察や消防の特殊車両が街を走り回り、市内全域には繰り返し例の『暴徒』に対する警報が流れていた。

 まるで昨日までとは様子が違うと、俺も朝から不気味に思った。その時はそれだけ――。

 その後、友達のロバート・ケンドが構える『ケンドの銃砲店』に足を運んだ時に、俺はそこで今の『不穏』を確信する悍ましい光景を見た。

 

 こんな風に綴ると店長に申し訳ないが、『ケンドの銃砲店』には珍しく“活気”があった。

 あの店の客層が狭いのは周知の事実で、俺を含む訪れる客の殆どが『常連』といっても過言ではない。

 しかし今日はそんな『ケンドの銃砲店』にまったくの素人達が客として訪れ、「とにかく護身用の武器を売ってくれ――』と、緊張した様子で銃器を買い求める光景があった。

 

 俺は街に漂う『不穏』を察知したのが俺だけではなかったと少しばかり安堵したが、しかし直ぐにその光景が意味する所を察して、強くゾッとした。あからさま過ぎて一瞬、本気で気づかなかったが、しかし気づけば嫌でも理解できる……。

 ――――街全体で武器を欲しがるなんて状況は、それだけでおかしい(・・・・)

 店長も忙しさに身を捩りながら、そこで同じ台詞をぼやいていた。

 

 そして武器を求める客の足が落ち着いた頃。

 店長は忙しさを見かねて手伝いに入った俺に臨時報酬だと言って、手ずから改造を施した38口径カスタムベレッタ(サムライエッジ)と、専用の特製強装弾を渡してきた。

 ラクーンシティ警察の特殊部隊S.T.A.R.Sが正式に採用した自動拳銃と同等の改造品だそうだが、俺は渡されたその銃に対してより、店長がそんな(・・・)決断を下した事の方に対して強く驚きを感じた。

 

 俺に銃の扱いを教えてくれたのは他ならぬ店長ロバート・ケンドだった。教師役にはウチの親父や、店の常連のバリー・バートンの名も挙げられるけど、やはり一番は同じ日系人の店長だと思う。そして、そんな彼のおかげで俺は周囲に対し、『銃の扱いに関して自負がある』と素直に自慢ができるようになった。

 とはいえ、俺がどれだけ銃の扱いに長け、その知識を深く得ようとも、店長は決して俺が個人で銃を所持する事だけは許さなかった。

 まぁ、それは当然だろう。俺が『未成年』であるという事実がまずは横たわるし、常連や他ならぬ俺の身内に“警察官”が居る。

 そもそも安易に『法』を破るなんて真似は、するべきではない。それが『普通』って奴だ。

 

 ――――しかし今日、店長はそんな禁忌を破って俺に銃を渡してきた。

 

 こうして改めて事実を書き綴ってみたが、未だに店長の決断には驚きを禁じ得ないぜ。

 こんな状況でもなければ、素直に喜べたのに……。

 

 銃を渡され、それを実際に使用(つか)う可能性を示唆された時、俺は初めてそこに信頼の重さと、現状に対する恐怖を強く感じた。

 店長は「いよいよの時は躊躇わず使え――」と言ったが、出来るだろうか? 

 あの厳しい顔が今も頭から離れない……。

 

 

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 追記 深夜

 

 親父が負傷したという知らせを受けた。連絡をくれた職員によると幸いにして命に別状はないらしく、一先ずは安心したぜ。

 なんでもスタジアムで発生した大きな暴動に対応した際、そこで錯乱した暴徒の一人に腕の一部を噛み千切られた(・・・・・・・)とか――。まったく悍ましい話だぜ。

 そして聞いた時は質の悪い冗談かと思ったが、何故か今になって例の『アークレイの食人鬼』の事が脳裏を過る。その所為か、どうしても嫌な予感が拭えない……。

 ――――負傷の具合は軽いと言うが、やっぱり様子を見に行った方がいいだろうか?

 しかし電話越しでも署内の混雑が手に取る様に判るので、わざわざ見舞いに行っても他の職員の仕事を邪魔するだけだろう。――――まぁ、これは後で考える事にする。

 

 とりあえず応対してくれた職員から『早めに病院に行けよ』という伝言を頼んで、現状(いま)に至る。

 そして伝言と言えばだが、実はその時、親父の方からも俺に対して一つ言伝があると言われた。

 聞けばランダムな数字の羅列で、それは親父のベッドルームにある鍵付きトランクの解除番号だった。

 

 ケースを開けてみると中には大口径のリボルバー拳銃とそれ専用の銃弾一式が入っていた。

 察するに、どうやら親父も店長と同じ事を俺に言いたいようだ。

 

 

 

 9月25日 午後 

 

《速記文字による》

 

 ――――自分でも強く混乱を感じているのが判る。上手く言葉にして纏める事が出来ない。

 大雑把に言えば『精神的なショックを受ける出来事に“複数”、遭遇した――』と、なるが……。

 まぁ、いい。とりあえず気持ちを落ち着ける為にも、まずは思うままの順で書き殴る事にする。

 

 現在、街中で広がる“暴動”の騒ぎについて綴る。

 

 これまで人々が噂してきた『アークレイ山中の食人鬼』だが、ついにその正体が判明した。

 怪物の正体は『ウォーキングデッド』――つまりは“歩く死体”という奴だった。

 馬鹿馬鹿しいと思うが生憎とこれが真実だ。笑えよ、クソったれ。

 

 そして今後、奴らの事は『感染者(ゾンビ)』と呼称するらしい。理由は奴等に殺された人間も遠からず連中と同類の『人を食う化物』に成り下がる様子から取られたそうだ。

 誰かがその増え方を見て、「まるで感染していくようだ――」と比喩したからだそうだが、俺もこれは人伝手に聞いた話なので、その辺の詳しいルーツについては曖昧だ。

 それに重要なのはそんな連中の呼び名よりも、まさに現状――『死者が街を徘徊して人を襲う』なんて馬鹿話が実際に成立しているこの状況の方だ。

 

 窓の外には無数の呻き声が在り、また同時に至る所で多くの悲鳴と銃声が上がる――。こんな状況に遭って尚、まさか時が経てば平和が戻るなんて楽観を抱く奴は流石にいないだろう。当然、俺もそのように感じている。

 

 ――――何より()の俺には、それを断言出来る不思議な根拠があった。

 いや、この場合は知っていた(・・・・・)と綴る方が正しいか……。

 

 まったくこんな荒唐無稽な事実に気づいた時、俺は俺の正気を本気で疑った。いや、寧ろ未だに強い混乱と疑いを感じている。

 

 しかし落ち着いて考えてみると、確かに“予兆”は既にあった。例えば幼少期に感じた“この街”に対する例えようのない強い忌避感だ。

 幼少の頃、一家で『ラクーンシティ』に引っ越しをする事が決まった。その当日に俺は街に対する例えようのない忌避と不安を感じて、強く泣き叫んで抵抗をした事があった。

 それは今まで、お袋を偲ぶ際に酒に酔った親父が語りだす古い逸話の一つでしかなかったが、しかし今思えばこの逸話こそが紛れもない『予兆』であったと思わず考えてしまう。

 

 ――――まったく、どうして俺はもっと早くこの(・・)事実に気づかなかったのか? こんなギリギリになるまで『真実』に気づかなかった己の愚鈍さを、今日ほど呪いたいと思った日は無いぜ……。

  

 不思議な事に()は、今、この瞬間に起きた“出来事”の概要を知っていた(・・・・・)。理由は突如、頭の中に湧きやがった俺がまだ俺でなかった頃の『記憶』の所為だ。――――所謂、『前世』の記憶ってやつだ。

 そんな荒唐無稽な論法でしか成立しえない謎の『記憶』が俺の中に有って、その記憶が現状にすさまじい既視感を与えているのだ。

 まったく自分でも訳が分からない。傍から見ると遂に狂ったとしか見えないだろう。実際、こんな馬鹿をクソ真面目に綴り始めた俺自身が今、一番己の正気を疑っている……。しかし、俺は正気なんだろうな。

 ――――その証拠に一つ、出来るようになった事がある。

 

 《以下、日本語で綴られている》

 

 前世の俺は今よりもっと血の濃い日本人だったらしい。それを思い出したおかげか、その当時に使っていた言語が今になって使えるようになった。

 文法も漢字も以前に比べると遥かに上手く扱える気分だ。――――とはいえ身体が文字を書きなれていない所為か、字の形はちょっとぎこちないが……。

 まぁ、それより例の『記憶』の事だ。

 

 体感としては数十年くらい前のモノだろう。それ程の時が経過したセピア色の景色の中に、俺はこの『バイオハザード(レジデントイーヴィル)』っていう世界を見た。

 俺の知る限りで現在、そんなタイトルを冠するゲームはこの世に存在しない。

 そして彼のタイトルは前世では超有名だった事から、僅かながらでも耳にしたことがないって事は、こちらの世界には存在してないと考えても良いだろう。

 

 バイオハザード

 

 まったく、今となっては本当に口にするのも躊躇う“忌み名”だ。

 そしてまさにその作中で現在(いま)、俺が住んでるこの『ラクーンシティ』と、この街に根を下ろす巨大な製薬企業『アンブレラ』の存在は語られた。

 そして現状もまさに件のゲームの内で描かれたそれに、ひどく酷似している……。

 

 ――――と、ここまで書けば流石に馬鹿でも判るだろう?

 

 俺はかのゲームで描かれた地獄の中にいる。そして生きる為には文字通りこの『ゾンビだらけの壮絶な世界』を踏破する必要があり、しかもそれを諦めてアナグマを極めても遂には街ごと滅菌――、つまり『死ぬ』というクソみたいな状況に置かれているようだ。

 

 冗談みたいに聞こえるかもだが、これが『現実』だ……。クソったれ!

 

 

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《ページが毟り取られている》

 

 

 

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 追記 夕方

 

 相変わらず電話回線が込み合っている。

 親父の居る警察のオフィスに繋がる気配がまるで無い。

 電話を掛けてみたのはただの感傷で、なんとなく声を聴きたくなった。それだけだ。 

 それにしても暴徒を相手にして負傷したと聞いたが、この場合の暴徒とは、十中八九例の『感染者』と見て間違いない。――――つまり、そういう事になるんだろう。

 流石にその部分で楽観をしても仕方が無い。

 なんだか、妙に凪いだ気分だぜ……。

 

 ――――まぁ、いいさ。現状について少しだけ綴る。

 幸い武器は手元にあるし、水や食料を含むサバイバルに必要な道具も今日の内に調達した。

 その上で俺がやるべきは、やはり脱出に動くタイミングについて考える事だ。

 そしてこのタイミングについて俺は、『ジル・バレンタイン』が主役を務めた『バイオハザード3』を参考にしようと考えている。理由は、奴等『感染者』が持つ“設定”にある。

 

 ウォーキングデッド(歩く死者)と綴るとオカルト染みた存在に思えるが、実際の所、奴等は『歩く死者を生み出す“Tウィルス”』に感染した存在だ。つまり奴等は文字通り『ウィルス感染者』であり、同時に状況が相応の理屈の上に成立していると証明している。

 ならばその設定の中にこそ、活路があると思った。

 

 うろ覚えだが『感染者』の見た目が悍ましく腐敗するのは、感染後に尋常でない新陳代謝が起こるからだ。そしてその代謝活動に必要なエネルギーを補おうとするからこそ、奴等は目端に映る“肉”に食らいつくとされる。――――つまり逆説的に考えると、感染者は『時間が経過する程に自らのエネルギー消費に耐えられなくなる――』そういう存在だと考えられる。

 そこで俺は状況が推移するのを待ち、感染者が共食いや燃料切れでその数を減らした段階で動く事を考えた。それが『バイオ3』に倣う意味である。

 

 今となってはうろ覚えな部分の多いバイオ3だが、確か探索の後半に登場する感染者は、明らかに前半に登場した個体よりも酷く損傷を受けていた。そしてこれが、もしも俺の推察通りの設定による時間経過による感染者の表現ならば、まさしく終盤に賭ける価値はあると思う。故に俺はそこに勝ち筋があると読んだ。

 

 それとこれは希望的な観測だが、“あの”アークレイ山地の洋館を調査して全ての元凶である『Tウィルス』の存在を暴いた『ジル・バレンタイン』も、設定的にアンブレラの追っ手を撒く為とはいえ、あえて他より行動を遅らせていた。

 その事もあって、俺は現状で安易に動いても山火事に飛び込むようなものだと思い、行動を避ける事にした。

 ――――今は体力を温存して耐え忍ぶ。

 それが『最善』だと思いたい。

 

 

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 追記 深夜

 

 ついに電話が繋がり、久しぶりに親父と喋った。

 二日酔いで苦しんでいる時の方が快調に聞こえるような酷い声だった。

 電話を受けて早々、親父には『今すぐに街から逃げろ――』と言われたが、しかしこっちにもいろいろと考えってモノがある。

 そもそも街からの脱出が簡単に出来るなら言われる前にさっさと逃げてるぜ。

 思わず、馬鹿を言うなと返してやった。

 

 ――――それと、噛み千切られたという傷についても少し尋ねてみた。

 親父はそれに対し『大丈夫だ』と軽口で返したが、流石にそれは明らかに嘘だと判かった。

 チラホラと『身体が痒くて熱い』とか、『腹が減る』とか、そんな台詞を吐きやがった癖に、何が『大丈夫』だ、クソったれ。

 忌々しい事に、今の俺にはそれが典型的な“かゆうま”の症状だって手に取る様に判る。そして俺の勘が正しければ、既に親父は死に掛けだ。――――程なく街を徘徊する有象無象の感染者(ゾンビ)の一人となり下がるだろう。

 まったく、例の記憶のおかげで親父の辿る運命は悟れたが、同時にそれでも無力だと証明された気分だぜ。癪な事に今の俺に判るのは、精々親父が“T”に対する抗体を持たなかった事ぐらいだ。

 

 妙な記憶が有ろうが無かろうが、結局“かゆうま”から人を救う方法なんて無い。

 仮に存在するとしても、今の俺ではとてもそれに手が届くとは思えない。

 ――――あぁ、本当にふざけやがって、クソが! あの野郎、遂にくたばりやがる!

 しかもこんなくっだらねぇ電話が遺言になりやがった!

 それにあのクソ野郎、本気(マジ)で頭が沸いてやがるぜ……。

 この状況で『生きろ……!』とか、マジで無茶苦茶言いやがる。

 まったく、最期まで面倒な事を言いやがって、クソが!

 

 

 《文字が滲んでいる》

 



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02 『明暗』 流動する最善

「――――9月24日~26日に掛けての行動が、後の明暗を大きく分けた……」

 

 それはラクーンシティで発生した未曽有の生物災害(バイオハザード)から生還を果たした数少ない生き残りの一人が、ある雑誌社のインタビューで答えた有名な台詞だ。

 後に『Tウィルス感染者』と正式な呼称がされる“歩く死者”の存在は、当初市民達の間で『あまりにもオカルト的で前例が無い』という理由から、眉唾だと認識されていた。その為、今回の事態に際し、人々がその脅威を正しく認識して真剣に街からの脱出行動へと移るには、それなりの時間が必要となった。

 後に生き残りが語るその24日~26日までの数十時間とは、まさにラクーンの市民が状況を理解して各々の認識から“楽観”を捨て去るまでの最後の猶予期間だと云える。

 

 ――――そしてその期間中、街の至る所では多数の暴動が発生した。

 順に命の危機であると認識した人々の“うねり”によって、文字通り混乱が火種となって、各地に『暴動』という大火を点けたのである。

 

 

 9月26日 午前――

 

 窓の外にある混乱から身を隠すように独り息を潜めて動く時を待っていた“ジョー・ナガト”の元に、ある一本の電話が届いた。

 ベルの音に身を起こして(おもむろ)に受話器を持ち上げた瞬間(とき)、『――無事か!?』という強い緊張を伴った声が、ジョーの鼓膜を鋭く打った。

 

「――っ、マービンか? それとも人に噛みつく白痴のクソ(感染者)か?」

 

 ジョーはその声を聞いて直ぐに相手が父の同僚である警察官の“マービン・ブラナー”だと察した。幼少の頃から家族ぐるみで付き合ってきた為、もはや身内に等しい間柄だ。

 その為ジョーは態度を取り繕う必要も無いと、確認に付け加えるようにそんな皮肉を台詞に重ねた。

 

『生憎とまだ人間をやっているつもりだ』

 

 するとマービンはようやく声から緊張を解いた。また同時にあからさまな安堵を吐息に混ぜて吐く――

 

『その声を聴くにまだ無事なようだな?』

「あぁ。そっちも元気そうでなにより――――」

 

 その瞬間(とき)、耳に当てた受話器の奥でジョーは鋭い悲鳴が上がるのを聞く。

 

「――――とはいえ、あんまり悠長に話している暇はなさそうだな?」

『あぁ、まったくだ。近くの窓から周囲が見えるか?』

「あぁ」

 

 ジョーが思わず表情を硬くすると、同時に電話の戸口のマービンも先の緊張を伴う声色を取り戻した。

 

『俺達は現在、総力を挙げて感染者に対抗している。しかし見ての通り、状況は“焼け石に水”だ。もはや一刻の猶予も無い。速やかにこの街から脱出しろ』

「いや、それは――――」

『聞け。これはジョージ・ナガト(お前の父親)からも言付かった台詞だ。……その意味を察してくれ」

「……なに?」

『お前の父親……ジョージ・ナガトだが、奴は昨日の時点で殉職した。連絡が遅くなってすまない。――――そして、もう奴を待つ必要はない……』

「………………」

 

 押し切る様に言うマービンのその台詞に、ジョーは思わず沈黙した。

 

『――――それからこの件に関して俺は君にもう一つ謝る事がある……。実は『感染者』となったアイツを撃ったのは――――』

「いいや、それは(・・・)アンタの所為じゃないだろう」

 

 決定的な言葉を口走ろうとするマービンを遮るように、ジョーは思わず口を挟んだ。

 “かゆうま”から人を救う方法など、ある意味で一つしかない。それ故にマービンが語ろうとする顛末も容易に想像する事が出来た。

 

「――――そうか。くたばったのか……」

 

 ジョーは事の当事者であろうマービンの口からそれ以上を語らせる気になれなかった。しかしそれは気遣いではなく、寧ろ己の動揺を掻き消そうとする一種の悪あがきに近いモノだ。

 父の結末に対する心の備えは昨晩の内に用意した。しかし所詮は突貫の備えだ。

 全てを受けきって流すには流石に難しいモノがあった。

 

「クソが……っ」

 

 ジョーは認めたくない事実を突き放すように短く吐き捨てた。そして思わず喉の奥から込み上げる強い衝動を耐えるように、固く拳を握り込んだ。

 

『――――もう一度言うが、この街は現在非常に深刻な状況にある』

 

 ジョーの反応に対し、マービンは己の内に湧く強い無力感と自責の念を感じた。しかし再び口を開く際、マービンはその声に意図して事務的な冷淡さを強く込めた。

 

『例の感染者だが、既に我々の方でも正確な数を把握する事はできない。判るのは精々、半端な火力では対抗出来ず、迂闊に近寄れば圧殺される事くらいだ』

「――――だろうな」

 

 しかしそんな鉄の様な態度は今のジョーにとってありがたいモノだった。

 ジョーは悲痛に打ちひしがれる心に鞭打つように感情を殺し、マービンの続ける情け容赦無い状況の確認に意識を向ける。

 

『――――そこで我々は街の一部区画にバリケードを設置する事で際限なく増える感染者の進行を制限隔離し、また同時に奴等もろとも封鎖した区画を破壊する作戦を考えた。この計画は我々“生存者”が街から脱出する為に必要な経路の構築も兼ねている。故に現在、計画の完遂に多くの人員が割かれている為、どうしても市民一人の為に救援を回す事は出来ない。つまり、こちらからアクセス可能なポイントまでは、どうしても君一人の力で切り開いてもらう必要があるという事だ。――――その意味は判るな?』

「あぁ。ただ――――」

『なんだ?』

「――――それは、()から?」

『あぁ、そうだ。今からだ』

「……っ」

 

 その容赦のない返事を受けて、思わずジョーの中にある意志の天秤が揺らいだ。

 状況とは水物であり、最善は常に流動する――そして昨晩に打ち立てた『プラン』は、この先でも果たして『最善』であり続けるだろうか?

 ふと、そんな不安が脳裏を過った。

 

『――――厳しい事を強いている自覚はある。俺を恨んでくれても構わない。しかし脱出の当ては必ず用意する。だから生きて此処まで辿り着いて欲しい!』

 

 この時、マービンがジョーに提示した選択は今後を大きく左右する重要な分岐であった。

 そして、その事を直感したが為にジョーは思わずその決断の重さに押し黙った。

 

『――――聞いているのか! ジョー・ナガト!』

「――っ!」

 

 しかし状況はそんな悠長な思考の停滞を決して許さなかった。

 マービンはジョーに対し、鋭く叱責するような怒号を浴びせた。するとその声を受けた瞬間、ジョーは幼少の頃からの反射で思わず『了解(YES)』と口走ってしまった。

 

『よし、それで良い。銃の撃ち方は既に習ったと聞いてるが、武器はあるか?』

「あ、あぁ……」

 

 そして図らずもジョーの行く道は選ばれた。ジョーはこの先の過酷さを想像して無意識に噴き出す掌の汗を感じた。

 しかしそんなジョーの内心の一切を無視するように、マービンは容赦なく言葉を続ける。

 

『武器があるなら幸いだ。いいか? どういうレクチャーを受けたにせよ、今はすべて忘れろ。はっきり言っておく……決して奴等への発砲を躊躇うな! いいか? たとえ誰が感染者となって立ちはだかろうと、決して対話なんて馬鹿は考えるな!』

「あぁ、判ってるさ……!」

『いい返事だ。その吠える余裕で道中の要救助者にも手を貸してやれ」

「……っ! 本当に簡単に言ってくれるぜ、この野郎!」

 

 如何に鈍重な岩石とて、一瞬でも揺らげば忽ち濁流に浚われる――。

 人の決意もそれと同じで、ジョーは先の躊躇と迂闊な返答を皮切りに、どんどん状況が自分を置き去りに推移していく予感がした。そしてその恐怖から無意識に主導権を取り戻そうとして、声に精一杯の虚勢を張った。

 

「――――精々、祈れよ? 幸運なんざ、今はどれだけあっても足りないんだからな……!」

 

 ジョーはそんな風に皮肉と苦悶を吐息に混ぜて強く吐き捨てた。

 

『あぁ、もちろん祈っているとも。――――では、署で会おう!』

 

 するとやり取りの最後にマービンは心の底からの祈りを込めて、『幸運を!(Good luck)』とジョーに告げた。

 

 

 

 

 手記の断片1

 

 《速記文字による》

 

 ――――(くだん)の“記憶”を取り戻した時もそうだった。

 

 ケンドの銃砲店で見た不気味な活気のおかげで、俺はこの街に蔓延する『不安』を確信した。その危機感に突き動かされるように保存食やミネラルウォーターを買いに走った帰りの道で、俺は例の感染者(ゾンビ)と呼ばれる怪物に遭遇した。

 

 その時、俺は親父や店長の忠告に従いぶら下げていた護身用のベレッタを抜いて構えた。『遭遇』から『射殺』という結果に至るまでには当然、それなりの葛藤もあったが、しかし俺は結局そこで、奴の足に1発、心臓に2発、頭部に1発を撃ちこんだ。

 

 痛みに呻くでもなく白痴の様に涎を垂らし白濁の目で蠢き迫る“アレ”を、俺はとても同じ人間だとは思えなかった。――――とはいえそんなのは今更だから言える事。あの時俺は、理由はどうあれ人間を殺すつもりで引き金を引いた。それが事実だ。だがまぁ、それは別に良い――。

 重要なのはそこではなくて、どうであろうと『行動する』を選んだ事だ。 

 

 反射的に『撃つ』を選んだが、最もスマートに『逃げる』を選んでも良かったかもしれない。と、いうか『立ち止まる』でなければ何でも正解だ。

 だから大丈夫だ――。『人を撃つ』って大した事を選んだつもりだが、振り返ってみると少し手が震えた程度だった。確かにその後で奇妙な『記憶』に目覚めやがったけど、それでも別になんて事はなかっただろう? だから、大丈夫。『立ち止まる』を選んでないなら、きっと何とかなる。

 

 ――――そうだろう、ジョー・ナガト? お前は闘える。

 

 

 

 

 父親の部屋に足を踏み入れた瞬間、不意に部屋に染み付いた匂いが鼻腔を突いた。

 脳裏に父と過ごした幼き日の記憶が蘇る。

 その情景の中で、ジョーは『人の本質は、苦しみの中で問われる。――だから苦しい時こそ、笑え!』という父の言葉を思い出した。

 

 ジョーがその言葉を送られたのは、母親と死別を果たして間もなくの頃だ。

 母の死に涙する幼いジョーに対し、父はそれから『人生の困難に立ち向かう術』と称して、様々な教育をジョーに施すようになった。

 『苦しい時こそ、笑え―――』云々の台詞は、まさにその時に送られた言葉だ。

 

「――――『すべては“困難”に立ち向かう為』、ってか……?」

 

 視線を脇を移すと、キャビネットの上に古い一家の写真があった。

 それはまだジョーが赤子の頃に撮られたモノだ。

 写真の中に在る若く壮健な父と母の姿を見た時、ジョーは思わず喉の奥から込み上げる大きな衝動に震えた。

 

「クソったれ……」

 

 鍛えると言って父から教えられた事の多くは、その何れもが日常では役に立たない日陰の技能だった。おかげで当時は、道楽に振り回すなと幼くもウンザリした事も多かった。

 しかし今になって、その日々が役に立つと思えた。

 すると、不思議と感謝に似た感情が込み上げるのを感じた。

 

「それじゃ……、言われた通り“コイツ”死ぬまで借りてくぜ。後で返せ、なんて……言うんじゃねぇぞ?」

 

 44口径 コルト・アナコンダ

 護身用としては破格の火力を持つ怪物拳銃。遂に形見となったそのリボルバーを手に、ジョーは亡き家族の肖像に別れを告げた。

 感傷に浸るのはこれで最後だ。そんな意志を言葉に込めて、ジョーは亡き父の部屋を後、姿見の前に立った。

 

 ポケットの多い黒のワークパンツ。生地の厚い長袖の上着。肩から吊り下げるのはロバート・ケンド手製の38口径カスタムベレッタ。そして両足にはそれぞれ一振りのナイフと、父の遺品となったマグナムリボルバーを装備して、水と食料と銃弾と常備薬を詰め込んだナップザックを背負った17歳がそこには居た。

 

「……酷い顔だな」

 

 鏡に映った己の蒼白な顔に、ジョーは思わずそう吐き捨てる。

 状況は過酷で、且つしかも意図しないタイミングの出発――。

 不安は拭った端から湧いてくる。

 

 ――――しかし、いずれは迎える瞬間だ。

 

 

 

 

 

「きゃあぁああああ――――ッ!」

 

 

 

 

 その時、アパートの階下で鋭い悲鳴が上がった。

 その悲鳴をきっかけに、ジョーの中で腹が決まる。

 

「――――死んでたまるか、クソったれ!」

 

 滾々と湧く不安と恐怖の混合液の中に、ジョーは理不尽から沸く怒りを火として投げ入れた。

 爆発させた感情の勢いのまま、ジョーは二度と戻らぬという強い意志を込めて、自ら部屋の扉を蹴り破った。

 

 ――――すると部屋の外では、既に『感染者』による混乱が広がっていた。

 

「やりやがったな、チクショウ……!」

 

 豪快に外へと踊り出たジョーは、そこで日常が失われていく様子を目の当たりにした。

 アパート一階部分の封鎖が破られた事で、玄関ホールに大量の感染者が雪崩込んでいる様子が見て取れた。

 

 迫る圧倒的な物量を前に、心に反射的な強い恐怖が沸き上がる。

 しかしジョーはそれ以上の怒気で己の心を上書きし、蔓延を始める恐怖を祓うように鋭く声を張り上げた。

 

「――――全員、逃げろ!」

 

 ジョーは同じアパート住民に襲い掛かろうと迫る感染者に向けて、殆ど無意識にその頭を狙い撃った。

 耳を劈くけたたましい銃声が周囲に響いた。

 その一発を皮切りに自前の護身銃を持つ住人達も対抗を始めた。

 

「助け――――っ!」

「走れ!」

 

 銃声とは本来、人々に恐怖を与えるモノだ。

 しかしこの時に限り、銃声は恐怖に対抗する人々の希望だった。

 

「くたばれ、この野郎!」

 

 ロバート・ケンド手製のカスタムベレッタは、淀みなくその性能を発揮した。そして性能に遜色ないジョーの技量によって、それは次々と感染者の頭を撃ち抜いた。

 鼓膜を叩く銃声は迷いを払い、漂う硝煙は蔓延する死臭を掻き消して行く――――

 

「クソったれ……!」

 

 ――――しかし状況は多勢に無勢であった。

 激昂と共に闘いを始めたジョーだが、それでも残弾管理と戦闘効率を両立する冷静さは持っていた。事実、その発砲の殆どは“ヘッドショット”狙いである。そして至近距離での38口径は圧巻で、眉間に当たれば一撃で感染者を無力化する事も難しくはない。

 しかしその方法をもってしても、状況を押し切る事は出来なかった。

 破られた入り口からは常に一息に射殺出来る数を超えた量の脅威が、次々と沸き出でるのだ。

 

「クソ……っ!」

 

 既にアパートの一階部分は感染者によって埋め尽くされようとしていた。

 必然的にジョーも応戦する位置を大きく後退する事になった。

 一階部分を放棄した事で生存者は必然的にそれより上層の階へと追い立てられる。

 しかし同時に、それは追い詰められることを意味していた。

 

「助け……っ! 誰か、助け――――」

 

 途中、逃げ遅れた住人の一人がジョーを見て助けを求めた。

 しかしその声に反応してジョーが視線と銃口を向けた時、既にその姿は感染者の群れに飲み込まれていた。

 逃避行の最中、ジョーはそんな光景を幾度も目にした。

 喰われゆく住人はまるで救いを求めるように手を伸ばしてきた。しかし伸ばされたその手は直ぐに力無く落ち、――――程なくしてから蠢き始める(・・・・・)

 

「…………っ!」

 

 人が人を食らうが為に群がる様子は、まさに地獄と形容する他にない。

 そして現状から生き延びる為には、ひたすら逃げる他にない。

 

 階下から迫る感染者の脅威から逃れる為、ジョーは必死に退路を探した。そして一瞬の躊躇の後、ほとんど反射的に近くにあった部屋のドアを派手に蹴りつけた。

 

「――――おい! なんてことするんだ、この野郎!」

 

 ジョーが激しく蹴りつけた事で固く閉ざされた扉は蝶番ごと吹き飛んだ。

 蹴り破った扉の先では、その部屋の住人が蒼白な顔で狼狽する。

 

「なんで扉を壊したんだ、この馬鹿! 奴らが入ってくるじゃないか!」

「うるせぇ、籠城なんてもう無理だ! 行くぞ!」

「お前がダメにしたんだろ!?」

 

 部屋に居た男は扉を蹴り破ったジョーに対して悲鳴の様な声を上げる。――が、しかしジョーはその声を意図的に無視した。

 ジョーは部屋の主を置き去り勝手に部屋の中を縦断して、最奥にあったガラス窓と遮光カーテン開けた。

 

「おい、勝手に入るな! 此処は俺の部屋だぞ!」

「知ってるよ。だから直ぐに脱出するって言ってるだろ?」

「――――おい、何言ってるんだ、お前? 此処は三階だぞ!」

「知ってるって、言ってんだろ……!」

 

 ジョーの後を追いかけながら部屋の主が叫ぶ。

 その時、ジョーは既に開け放たれた三階の窓から大きく身を乗り出していた。

 

「お……おい、お前……正気か――――!?」

「………………あぁ!」

 

 既に感染者は一階を越えて、二階から三階部分にまで競り上がっていた。

 その圧倒的な軍勢を前に籠城は既に意味がなく――、図らずも状況は先ほどマービンが示唆した通りになった。

 

「――――生きたまま食い殺されるのに比べたら遥かにマシだッ!」

 

 意図したタイミングよりも早い行動を余儀なくされた。

 それは奇しくも幸運だった。

 ――――ならば、この道を進むしかない。

 

「おい、止せ――――」

 

 部屋の男が蒼白な顔で引き留めた瞬間(とき)、ジョーは既に自らの意志で三階の窓から裏路地へと身を投げていた。

 勢いをつけて中空に身を投げたジョーは、その目測通りに固い路面を避け、乗り捨てられた車のボンネットに叩きつけられた。

 

「――――正気じゃねぇ(ジーザス)……」

 

 着地の瞬間に合わせてゴロリと体を転がし衝撃を分散する“小ワザ”は、亡き父に教わった術。

 しかし強かに身体を打ち付けた事には違いなく、割れたフロントガラスの破片を被りながら、ジョーは着地後に大きく隙を晒した。

 しかし幸い、路地裏を闊歩する感染者はまだ遠くにあった。

 その結果、ジョーは五体満足のまま、アパートからの脱出に成功した。

 

「……ってぇ。おい、警察署に行けば脱出用の車両がある筈だ、行くぞ!」

 

 ジョーは息を整えながら、ベランダにしがみ付いて様子を見ていた男に、続くよう促した。

 

「馬鹿を言うな……、無理に決まってるだろう!」

 

 しかしそんなジョーに男は青い顔で言った。

 

「正気じゃねぇ!」

「上手く車の上に落ちれば死なねぇよ! いいから来い!」

「出来るか!」

「そんな御託はいいんだよ、クソったれ! 早くしろ!」

「~~~~っ!」

 

 ジョーは続くように男に怒鳴る。しかし部屋の男は頑なに飛び降りる事を拒む。

 男は完全に高所から落下する恐怖に対して、足を竦ませていた。

 

 

 ア゛アアァァァァ……

 

 

 ――――しかし悠長な時間はほとんど無く。

 ベランダにしがみ付く男の背後には、既に多くの呻き声が迫っていた。

 

「お……おいっ! 奴らが来たっ! お前、銃を持ってるんだろ?! 早く、助けろっ!」

「無理に決まってんだろ、いいから早く飛び降りろっ! それで助かるから――――」

「ふざけんな、クソっ! お前の所為(せい)だぞ! なんで、こんな事になるんだっ!」

「言ってる場合か! 早く飛べ、クソったれ! 喰われたいのかっ!」

「あ゛ぁー―――っ!!」

 

 男は遂に腹を決め、震える足を窓枠に掛ける。

 ――――が、しかしその決断は、余りにも遅かった。

 

「うああぁぁっ! 助けてくれぁああああっっ!!」

 

 背後から延ばされた無数の手が、男の背中を掴んだ。

 男は背を向けた筈の部屋に引きずり込まれ、直後に無数の呻き声の中心で一際大きな悲鳴を上げる。

 

「……っ! ――――クソったれ!」

 

 神に許しを乞い願う壮絶な言葉を幾つも口走りながら、男は遂に生きながら喰われて逝った。

 また、その余りに残酷な死に様を目の当たりにして、ジョーは思わず顔を顰めて毒づいた。

 

 

 

 ――――奇しくも、死した男とジョー・ナガトはよく似た立場である。

 最初に『籠城』を選ぼうとした点もそうだが、何よりも『最初の目論見が強引に挫かれた――』という意味で、二人の立場はよく似ていた。

 ジョーはマービンによって、そして死した男は他ならぬジョーによって、強引な行動を促された。

 

 ――――流動する状況に対応できるか。否か。

 

 明暗を分ける境界は、恐らくその部分にあったのかもしれない……。



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03 『切願』 迷える子羊達

 目下、最大の脅威は『感染者』である。しかし次点で警察職員の手を焼かせていたのは、他ならぬラクーンの市民であった。

 中でも恐怖と混乱によってひどく錯乱した市民の存在だ。彼らは生存者を喰らおうと動くだけ(・・)の感染者よりも、遥かにその動きが予測困難であり、また同時に危険な場合が殆ど。その為、暴動の現場に派遣された警察職員の多くは、まずはそうした混乱を増長させる市民の“処理”を強いられた。

 そしてまったく皮肉な事に、そんな汚れ仕事を買って出る者ほど、他と比べて『善良』だという評価を受ける人材だった。

 彼らは何れも、自らの意志で原罪を背負える程の善性を持ち合わせていた。しかしそれ故に彼らはその処刑の実施後、例外なく『救わねば――!』という強い脅迫概念に囚われた。

 その思いが結果的に自己の命を軽んじる行いへと自らを走らせ、また巡り巡って状況の悪化に拍車を掛ける要因となる。

 

「――――移送用の車両は残りは幾つだ?」

「4台――いいえ、さっき出発したから3台に減ったわ」

「クソっ、先発した車両はまだ戻ってこれないか……!」

 

 ――――しかしそうした人の善意が裏目に出る状況の中でも、賢明に活路を見出そうと足掻く者達は今も確かに存在した。

 ラクーン市警の警察官マービン・ブラナーもその内の一人である。

 

「リタ、悪いが引き続き無線での指示を頼む。繋がる範囲で構わない。使える車を所有している住人にも、手を貸してもらうよう頼んでくれ」

「――――使う車両は何でも良いのよね?」

「あぁ、この際だ。贅沢な事は言わない。ダンプカーでもスクールバスでも…‥なんでもいい。全員が脱出できるような派手な車を発注してくれ」

「OK、やってみるわ」

 

 傍らで副官のように動く職員に追加での指示を出した後、マービンは署内に逃げ込んだ市民達の様子を盗み見る。

 すると避難者の顔には例外なく、強い恐怖の色が貼り付けてあった。

 中でもとりわけ目に付くのが十字架を手にした敬虔な集団だ。彼らは年齢や性別に関係なく、まるで犯してもいない罪まで懺悔しようとする勢いで、必死に主に祈りを捧げていた。

 

「――――避難者の数に対して、使える車両の数が圧倒的に少ない……!」

 

 そんな余りにも悲痛な姿から目を逸らしてマービンは強く拳を握り込んだ。

 しかし怒気に震えた所で現状は変わらない。

 市民課、交通課、強行犯係、窃盗犯係、丸暴担当、鑑識――、普段は働く職場も内容も異なる職員が、偏に同じバッジの下で高度に連携しても、今回の状況に対してはあまりにも微力であった。

 

「とはいえ、時間が稼げるだけマシか……」

 

 マービンは強く歯噛みをしつつも現状を再確認する。

 そして“此処”を社屋に使い続けたブライアン・アイアンズ署長の成金の様な趣味を、皮肉交じりに褒めた。

 

「――――おい、避難者の中にジョージの息子は確認できたか?」

「いいえ、現状ではまだ確認できていません」

「――っ、そうか。すまん、邪魔をした。引き続き作業を続けてくれ」

「了解!」

「………………」

 

 元々は美術館という造りのラクーン警察署の社屋は、並みの施設よりも広大で堅牢。状況的に籠城は悪手だが、しかし一時的に身を匿う『城』として使うだけなら此処は非常に良い物件である。

 ――――そこへ、また新たな避難者がやってくる。

 

 新たに市民を受け入れたという報告を度、マービンはそこで『ジョー・ナガト』を探した。しかし結果は悉く外れ、そこにジョーの姿はいつまでも見えなかった。

 電話越しに脱出を促してから既に2時間余りが経とうとしている。

 仮に自宅から遠回りをしてこちらに向かって来ていると考えても、流石に時間が掛かりすぎているように思えた。

 

 (――っ、頼む……! 無事で居てくれ!)

 

 マービンはそこで強く己の無力を噛みしめた。

 相手は親友の息子。しかし、その成長を幼少の頃から見守ってきたという事実と自負がある。直接それを口にした事は無いが、もはや『家族』も同然の間柄だった。故に既に死したジョーの実父に変わりマービンはこの時、ラクーンシティに住まう市民の誰よりもジョーの安否を気遣い、その生存を強く望んでいた。――――しかし結局、それしか(・・・・)出来ないのだ。

 

「――――――っ」

 

 焦りの混ざる陰鬱な思考が、不意にマービンの内に有る強い後悔の記憶を呼び覚ました。

 ふと脳裏を過ぎったのは、数ヶ月前――アークレイ山地で発生した猟奇事件の概要である。

 

 今年7月、アークレイ山地で発生した複数の猟奇事件の調査にラクーン市警の特殊部隊S.T.A.R.Sが投入された。

 しかし先発したブラボーチームは出撃後にヘリコプターごとその消息を絶ち、結果調査を引き継いだアルファチームが山中に出動する事になった。

 アルファチームは山中で先発したブラボーチームのヘリの残骸を発見した。しかしその調査の途中で突如、怪物化した獰猛な犬に襲われ、その近くにあった謎の洋館へと避難する事を余儀なくされた。

 

 ――――その洋館の中で一同は驚愕の真実に直面した。

 

 その洋館は製薬企業アンブレラ社が所有する建物で、地下は同社が秘密裏に開発を行っていた“ウィルス兵器”の培養プラントになっていた。

 研究されていたウィルスのコードは『T』――まさに現在、このラクーンシティに無数の『感染者』を生み出し続けている元凶である。

 その洋館の中で隊員達は調査のきっかけとなった猟奇事件が流出したTウィルスによる二次災害である事を知り、同時にS.T.A.R.S.という部隊の結成そのものがアンブレラ社の企ての一つであった事を聞かされた。

 そして複数思惑が入り混じる死と隣り合わせの極限状況の中でS.T.A.R.S.は、壊滅に等しい十数名に上る犠牲者を出した。

 その悪夢の洋館から生きての脱出に成功した者は、僅か五名のみ――

 

 クリス・レッドフィールド

 ジル・バレンタイン

 レベッカ・チェンバース

 バリー・バートン

 ブラッド・ヴィッカーズ

 

 アークレイ山中の洋館は既に消失しており、現在に至っては事件の裏付け調査すら行われていない。とはいえ生き残った者達はその後、洋館で目の当たりにしたアンブレラ社の真実を声高に訴えようとした。――――しかし世間は、その『真実』を受け入れなかった。

 真実から目を逸らした理由は人によって様々だが、共通するのは『アンブレラ』という巨大企業への畏怖だ。

 ラクーンシティがアンブレラ社の利益によって成り立つ事を知るからこそ、人々は街の母体とも云えるその超巨大企業に、強く反抗する意志を抱けなかったのだ。

 

「………………」

 

 懺悔するべき罪とはまさに当時、アンブレラ社に対する勇気を抱けなかった事だ。それを痛感する度、マービンは生き残ったS.T.A.R.Sの活動を引き止めようとした過去の己を強く恥じた。

 まさに今、S.T.A.R.S.が洋館で見たという怪物が街を闊歩している。

 

「――っ」

 

 状況が好転する兆しは一向に見えず、そんな無為と思える時間ばかりが過ぎている中、マービンは何気なしにいつも仕事で手にする“紛失物管理帳簿”に目を留めた。

 デスクの上にはその帳簿の他にも、数日後に着任する予定の新人を歓迎する為に用意したパーティーグッズの類も在った。そのどれもが平和だった頃を強く思い起こさせた。

 

「…………主よ!」

 

 そんな日常の残骸を見ていると、ひどく込み上げるモノがあった。

 マービンは思わず懺悔するが如く天を仰いだ。

 ――――退屈な平和は既にどこにも存在しない。

 

 

 

 

「――――ったく! 邪魔だ、この野郎!」

 

 ジョーは舌打ちと同時、そこで徐に2度、発砲をした。

 すると鋭く飛翔する特製の9㎜弾が、路地の先で蠢く感染者の顔を派手に砕いた。

 ――――彼らにはまだ、人だった頃の反射が強く在るようだ。

 顔という感覚器官の塊に対する攻撃に、大きく怯んだ反応を見せる感染者に対して、ジョーの内には思わずそんな思考が湧いた。

 しかしそれを一先ず脇に置き、ジョーはその隙を晒した感染者に対し強引な肩口からの体当たりを仕掛けた。

 するとその一撃によって路地を埋める人垣が砕かれ、遂にジョーは裏路地からの突破を果たした。

 

「――――酷ぇ……」

 

 街の大通りへと至った瞬間。ジョーはそこで安堵するよりも早く、その場にある凄惨な光景を見て思わず呻いた。

 日常を感じさせる穏やかな日々の面影など、そこには欠片も見受けられず―――

 在るのは市民の乗り捨てた無数の事故車両と、衝突事故によって破壊された給水ポンプから流れ出る激しい水流。そして石造りの路面に広がる多数の流血と肉片だ。

 “動くモノ”はそれこそ無数の感染者か、或いはその死肉を啄む無数のカラスという程度。

 視界に入る生存者など、それらに比べたら、まるで一割にも届かない。

 

「……っ! 生きてる奴は警察署を目指せ! そこまで行けば脱出できる筈だ!」

 

 見知った街は既に変わり果てた。

 しかしそんな状況の中でも、まだ生きて抵抗を続ける市民の姿がある。

 それを見た時、ジョーはほとんど反射的にそんな声を上げていた。

 

「走れ!」

 

 ジョーは再度、ベレッタを構えた。

 迫る感染者を銃撃で牽制しながら、力強い声で逃げ遅れる生存者の脱出を促す――。

 

 それは正義感に端を発した行いというより、どちらかといえば現実逃避に近い反射だ。

 ――――とはいえ如何なる動機であれ、その行いで救えた者達は確かにあった。

 

「ねぇ! お願い、助けて!」

 

 ジョーの背中に鋭くそんな悲鳴がぶつけられた。

 振り返ると、そこには少女の手を引いて走るブロンドの女性を筆頭にした、数名の生存者の集団が在った。

 

「下がれ!」

 

 ジョーは彼らの怪我の有無を確認するより早く、その背後に迫る感染者と、赤い眼を爛々と光らせる大量のカラスの群れにその注意を向けた。

 

「お願い、助けを――――」

「うるせぇ、下がってろ!」

 

 集団がジョーの下に辿り着いた時、その先頭を走っていたブロンドの若い女性が助けを求めて口走る。しかしジョーは食い気味にその台詞を封殺した。

 とはいえ、ジョーは殆ど反射的にその場に集った生存者の全員をその背後に庇った。

 そして同時に、迫る感染者とカラスの群れにベレッタの銃口を向ける。

 

(――――どうする!?)

 

 しかし引き金を引く以前に、それが多勢に無勢の行いだと理解が出来た。

 ――――状況を打開する起死回生の一手。

 それを求めて思考を走らせる途中、ジョーの視界にふと乗り捨てられた一台の事故車両が映る。

 

「――――――――ッ!」

 

 車両の状態を見てから、使える(・・・)と判断するまでに掛けられた時間は、瞬きに等しい刹那。

 気づけば、ジョーはその左手に父の残したコルト・アナコンダを握っていた。そして間髪入れずにガソリンを零す事故車の給油口に向けて、その引き金を引いていた。

 44口径によって撃ち抜かれた燃料タンクが鮮やかな火花を散らし、それが零れたガソリンに引火して閃光が走る。――――直後、事故車両は無数のカラスと感染者の群れを巻き込んで、盛大に爆炎を上げた。

 

「はっ! やってみりゃ、意外に出来るもんだな」

 

 一先ずの危険を乗り越えたと察したジョーは、思わず笑う。

 そして同時に、秘かに痛む左手を軽く振った。

 

 匿った生存者の顔を見ると、一同の顔には目の前の爆発に対する強い驚きの色が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 ジョー・ナガトの手記 その2

 

 

 《速記文字による》

 

 状況に自ら身を投じてからの行動だが、これがまるで行き当たりばったり――。

 まったくそんな自分が本当に嫌になるぜ……。

 お前、本気で生き残る気があるのかよ?

 

 それにしても一晩掛けて練ったプランが早々に破綻をした。

 とはいえ、振り返ってみると破綻して然るべき杜撰な計画だったかもしれない。

 まったく、マービンの奴め……。

 俺なんて放っておけばいいのに、わざわざこんな時まで余計な気を回しやがって。

 ――――本当にありがとうよ、クソったれ。愛してる。

 

 状況に身を投じてから改めて分かった事がいくつかある。まずは現状が俺が想像する『最悪』ってのを、軽く二回りほど凌駕した感じになっている事だ。

 そしてこうなると真面目な話、現状を描いた『バイオハザード』のシリーズで遊んだ例の記憶が、文字通り起死回生の切り札になるだろう。

 しかしゲームとしての攻略情報を鵜呑みにして練った昨晩のプランは、既に破綻をきたした。

 その事実を踏まえると、あまり頼みを置き過ぎるのも考えモノだ。

 しかし感染者(ゾンビ)生物兵器(B.O.W.)を相手に無策で挑むのに比べたら、頼るほうが遥かにマシだろう。

 本当、忌々しい……。

 

 まったく我が事ながら本当に狂ってると思う。しかし現状を正しく認識する程、どうしても例の『記憶』に頼みを置く以外の手段が無い。

 その上で状況を確認すると、時系列的に『バイオ2』や『バイオ3』、そして外伝の『アウトブレイク』の周辺だと思う。

 朧気だが二作目の『バイオハザード2』は親父が勤めるラクーン警察署が舞台の中心で、三作目の『バイオハザード3』と外伝の『アウトブレイク』は、同時系列中のラクーンシティそのものが舞台となった筈。――――しかし判るのはその程度。

 作品それぞれが持つ全体の雰囲気は把握出来るが、流石に詳細全てとなると話は別。本編中に描かれた印象深い展開や特徴的なギミックを除けば、意外に思い出せる事は少ない。

 まるでテスト用紙に答案を書いてるみたいな感じだ。まったく中途半端な期待を持たせてこの始末とは、本当に忌々しいぜ。

 

 それにしても外伝の『アウトブレイク』に関する記憶が薄いのが、本当に痛い。

 確かウェイトレスのような、民間人を主役にしたオムニバスの作品だった気がする――、その程度の事しか今は思い出せない。

 

 状況的に考えると、俺に最も必要なのが『アウトブレイク』に関する知識だろう。

 何かしら、大きな“きっかけ”でもあれば思い出せそうな気がするんだが……。

 まぁ、こればっかりは祈るしかない。

 

 

 

 

 

「…………っ」

 

 何気なしに『祈る』という字を綴った時、ジョーの脳裏に疑問が過った。

 己の内に芽生えた『バイオの記憶』が、ある種『神の起こした奇跡の御業』だと考えた場合、そもそも現状を許してる神の意図は一体どこにあるのか? という哲学染みた疑問だ。

 

「神様、か……」

 

 感染者と言う怪物がこの世に『悪魔』が在る事を証明したならば、ある意味この状況を許している『神』は現在、その無能を自ら晒しているのと同じではないか? ふと、そんな考えが脳裏を過った。

 ジョーは神様と言う存在が、学校で教えられたような偉大な存在だと思えなくなっている自分に気づいた。

 しかし現在、ジョーを含む生存者達は、皮肉にも“神の家(教会)”にその身を匿って貰っていた。

 その手前、あからさまに主を貶める発言は避けたが、しかし偶像を前に熱心に許しを乞う他の生存者の姿を見ると、ジョーは己の内になんとも言えない怒りと苛立ちの念が強く湧くのを感じた。

 

「――――『お試しになった』と言えば、何でも許されると思うなよ?」

 

 ジョーは神の描かれたステンドグラスを睨み、思わずそう吐き捨てた。

 



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04 『教会』 神の家に集う

 ステンドグラスから差し込む光に反射して、室内の埃がキラキラと幻想的に輝いている。それは美しくもあるが、同時に終末を示唆するような寂寥感を感じさせた。

 外の喧騒とは裏腹に、生存者達が逃げ込んだ『神の家(教会)』の礼拝堂には静謐な空気が満ちていた。逃げ込んだ者達が皆、一様に険しい表情を浮かべて祈る様に口を閉ざしていたからだ。

 しかし唯一、その空間にパチパチという作業の音が在る。

 自宅から持ち出したナップザックに詰めた予備の銃弾。それを取り出して使い切った(から)のマガジンに再装填する作業の音だ。

 

「………………」

 

 それは《祈る》という行いに含まれるある種の“観念”に対しての、ジョー・ナガトなりの抗戦の意志表示にも聞こえた。

 

「ねぇ、さっきの脱出の当てがあるって言ってたけど、その話は信じていいのよね?」

 

 その時、そうしたジョーの作業を遠巻きに見つめていた一人の女性生存者が、意を決して尋ねた。

 その声に反応してジョーは視線を上げると、そこには先ほどの逃避行で少女の手を引きながら集団の先頭を駆けていたブロンド髪の女性が立っていた。

 先の印象が強く、ジョーは無意識にもその年齢を“世間の母親くらい”だと勝手に見積っていた。しかしよく見るとジョーより2,3程度年上の女子大学生だ。

 

「――――あぁ、一応。俺が受けた電話ではそう聞いてる」

 

 そんな内心を隠しつつ、ジョーは作業を続けながら、そう短く答えた。

 

「一応、だぁ?」

 

 すると、そのやり取りを脇で聞いたらしい肥満気味の男が、そこで絡むような口調で声を荒げた。――――見れば、男のジャケットには『ラクーンテレビ』の腕章がついている。

 

「おい、お前。まさか適当な事を言って引っ張ってきたんじゃないだろうな?」

「よしなさいよ、マックス。ったく、大人気ない……」

「なんだよ、テリ、俺は別に――――」

 

 “マックス”と呼ばれた肥満気味の男を諌めるような声を上げたのは、その傍らに立っていた“テリ”と呼ばれた細身の女性だ。

 よく見るとそのテリの顔にジョーは見覚えがあった。

 ラクーンテレビの天気予報のキャスター“テリ・モラレス”だ。

 ジョーはその意外な有名人の存在に、秘かに瞠目をした。

 

「ほら、見なさい」

「――――ぁん?」

 

 その際、テリはマックスに対して示すように、その場で最も年若い少女の事を顎で指した。

 

「………………」

 

 俯き、不安そうに立つそのブロンド髪の少女の年齢だが、恐らく高めに見積もってもジュニアハイに届くか、否か――。

 

「――――そう言えば、貴方の名前はなんて言うの? 私は“オリヴィア・パーセル”」

 

 と、そこで先ほどジョーに声をかけた生存者“オリヴィア”が、(くだん)の少女にそう声をかけた。

 ジョーの記憶だとオリヴィアこそが先の逃避行で少女の手を引いていた筈――、しかし実は、まだ彼女たちは互いの名前すら知らなかった。

 

「シェリー・バーキン……」

 

 すると少女は優しく問うたオリヴィアを見上げて、そう小さくも周囲に聞こえる程の声で短く名乗った。

 

 ――――そしてその名を聞いた瞬間(とき)、ジョーだけがそこで強く瞠目をした。

 

「そう、シェリーっていうのね? やっと名前が聞けて光栄だわ。それで……なんだけど、シェリーは私達と会うまで独りで逃げてきたの? お母さんは?」

「――――ママはアンブレラの研究所に居ると思う……。後で迎えに行くから、それまでは警察で保護してもらいなさいって電話で言ってたわ」

「っ、そう……。学者さんなのね?」

「うん……」

 

 シェリーは終始、不安な様子でその表情を強張らせていた。しかし優しく促すオリヴィアの態度に解されて、ようやくポツポツと身の上を語り始めた。

 するとどうやらシェリー()電話越しに指示を受けて、単身警察に保護されようと自宅から此処までの距離を必死に歩いてきた様子だった。

 

「――――ほら、見なさいよ?」

「………………」

 

 するとそんなシェリーとオリヴィアのやり取りを顎先で指しながら、テリが先ほどジョーに対して声を荒げた同僚のマックスに、皮肉る様に言った。

 

「あっちの子の方が、アンタより断然しっかりしてるとは思わない?」

「――っ、判ったよ……」

 

 シェリーの来歴を聞いた後では流石にテリの言う事にも一理あると、マックスは先の態度を恥じ入る様にそこで小さく舌打ちを打ち、改めてジョーに向き直った。

 

「あー、さっきは悪かった。それと助けてもらった事についての礼をまだ言ってなかったな。ありがとう、おかげで助かったぜ」

 

 するとジョーも、そこで一瞬シェリーの方に視線を向ける。

 そして、

 

「いや、気にするな。こんな状況だ、助け合うのも当然だ」

 

 と自分でも意外に思う程謙虚な台詞を吐いてマックスの謝罪に応えた。

 

 実はジョーも先のマックスと同様に、シェリーの来歴を聞いて己に深く恥じ入る気持ちを抱いたからだ。

 シェリーの辿ってきた道筋は、まるで鏡合わせのように己と酷似していた。しかも『記憶』によると『シェリー・バーキン』はこの後、武器も持たずにこの地獄からの生還を果たす――。

 そんな年下のか弱い少女が武器も持たずに成し遂げた事実を思うと、ジョーは武器と『バイオの記憶』を持った立場で状況に対し文句を言っている自分が、とても情けなく思えたのだ。

 

「俺は“マックス・コービィ”。見ての通り、ラクーンテレビでしがないカメラマンをやってる」

 

 マックスはジャケットの腕章を指しながら、握手を差し出した。

 

「俺はジョー・ナガト、だ。特に大した肩書も無く、学生をやってる」

「はっ、最近の学生はベレッタとマグナムで武装するのが普通なのかよ?」

「まぁ、な。きっと、これから流行るだろうぜ」

 

 ジョーも握手を握り返し、そんな風に名乗りを返した。

 

「――――折角だから私も自己紹介させてくれない?」

 と、そこへテリがやってくる。

 

「“テリ・モラレス”よ。一度ぐらいはテレビで見た事があるんじゃない?」

「あぁ、知ってるよ。こういう(・・・・)状況じゃなかったらサインの一つでも強請ってる所だ」

「ふふん。ありがと」

 

 そんなジョーの言葉にテリはそう自信にあふれた笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 ラクーン大学生の学生『オリヴィア・パーセル』、テレビカメラマン『マックス・コービィ』、同テレビ局のキャスター『テリ・モラレス』、アンブレラの研究員を親に持つ少女『シェリー・バーキン』、そして『ジョー・ナガト』。

 性別も年齢もバラバラの5人だが、唯一『生きたい』という意思だけは共通した。

 

 休息の傍ら、一同は親睦を深め合うように軽くお互いの来歴を打ち明け合った。するとその際に武器を所持して、それを実際に使用した経験があるのはジョーだけだという事実が判明した。そして自然に武力を唯一保持している事から、集団の音頭を取る役目がジョーに託された。

 とはいえ、ジョーはそこで一度『柄じゃない……』と役目を渋った。

 しかし唯一の『銃を持つ者』という事実と最もか弱き者(シェリー・バーキン)が在るという手前、結局はその役目を受け入れる事にした。

 

「――――とりあえず俺が知る限りでの現状を説明するから、それを聞いて各々判断してくれ」

 

 ジョーはそこでマービンから聞いた警察側で把握している状況を一同に説明する事から始めた。

 警察が既にその機能を失いつつある事、最後の反抗作戦に打って出ようとしている事、そして脱出の車両を用意しようと動いている事――、そうしたジョーが知る限りを大体を語り終えた時、マックスは苦虫を噛み潰したような顔で呻いた。

 

「どうやら、俺達が思ってる以上に状況は悪いみたいだな」

「えぇ……」

 

 見ればオリヴィア、シェリー、テリの女性陣も、先ほどより顔を青ざめさせている。

 しかしジョーはそれを無視して、勤めて冷静に事実を突きつけた。

 

「この機を逃したら、後は完全な自力で脱出するしかなくなる。警察が脱出の車両を用意してくれるって話を信じて同時に他の生存者との合流を考えつつ――、臨機応変に警察署を目指すっていうプランでどうだ?」

 

 ジョーはそう今後の指針を提示した。

 

「最終的な目標は脱出なんだろ? じゃあ、それを拒む理由はねぇよ」

「――――いいえ、ちょっと待って」

「ぁん? なんだよ、テリ?」

 

 するとジョーの提案に乗り気を見せたマックスを遮るように、テリが待ったを掛けた。

 

「出鼻を挫くようで悪いんだけど、その情報ってどこまで信用できるの?」

「――――と、言うと?」

「昨日の夜の事だけど、そこで新しく情報が入ったの。私の知る限りでは既に今回の事態の解決を州軍に依頼したみたい。それにアンブレラ社も私設部隊を展開して、この事態に動いてるみたいなのよ」

「――――その情報こそ信頼できるのかよ……?」

 

 ジョーは『アンブレラ社』という単語を瞬間、途端にその話が胡散臭いモノに感じられた。

 しかしジョーというある種の例外と、アークレイの洋館事件を生き残った者達を除き、現在のアンブレラ社に対する市民の信頼は厚いモノがある。

 故に当然、テリもそれを信頼できるとばかりに頷いてみせた。

 

「信憑性はそれなりにあると思うわ。だから危険を冒して外を歩くよりも、此処で大人しく救助を待つべきじゃないかしら?」

 

 と、テリは言った。

 

「幸いにして近所にドラッグストアなんかもあるし、保存の利く食料なんかをそこから調達して、窓や扉に釘を打って隙間を塞げば、それなりの期間『篭城』が出来ると思うわよ?」

「――――なるほど」

 

 そこでマックスが一理あるという風に唸った。

 しかし対照的にジョーはそこでその案に対し眉を顰めた。

 

「籠城、か……」

「――――籠城は、嫌?」

 

 オリヴィアが不安そうに尋ねてきた。目ざとくもジョーの内心に湧く“忌避”に気づいたオリヴィアに対して、ジョーは本心を隠すのを辞めてはっきりと言った。

 

「自宅に居た時、まさにそれをやろうとして失敗したんだ。生身でタワーディフェンスなんて、やるもんじゃねぇ。最終的に三階のベランダから飛び降りる羽目になった。――――正直、あまりおススメはしたくない」

「それは……」

 

 オリヴィアだけに留まらず、その『一度、失敗した』という台詞には、図らずも『籠城』をプレゼンをしたテリと、その案に揺らぎかけたマックスも絶句した。

 

 

 

 

 

 ――――――――ガタッ! 

 

 

 

 その時、不審な物音が周囲に響いた。

 

「――――今の……なんの音!?」

 

 一同の視線がその時、一斉に物音のあった礼拝堂の扉へと向かう。

 間取り的に考えると扉の先は聖職者の居住区画だ。

 

「………………」

「ちょっとぉ! 幾ら銃を持ってるからって危険よ!」

 

 ジョーは無言でベレッタをホルスターから抜いて立ち上がる。

 するとテリが悲鳴の様な声を上げた。

 

「――――籠城するんだろう? アレの正体も確かめずに、此処で寝るつもりか?」

「……っ! それは――――」

 

 進もうとするジョーにテリは思わず馬鹿を見るような視線を向けるが、そんなテリに現実を突きつけるようにジョーは言った。

 ジョーは警戒を伴う歩みを進め、ゆっくりと音のあった扉に寄る。

 

「………………」

 

 静かに扉を開き、僅かな隙間からその奥を覗き見ると、そこには長い木造の廊下があった。

 ――――どうやら物音は更にその先から響いたようだ。

 

「気を付けて……!」

 

 と、そこでオリヴィアが小声で叫ぶように警戒を促した。見ればその隣でシェリーも強い不安を顔に浮かべている。

 シェリーとオリヴィアは互いに強く手を握りしめていた。

 

「――――なぁ、テリ。お前、マジでこの場所で立てこもりを続けるつもりか?」

 

 その脇でマックスも男としての矜持から、女性陣を庇おうと動いていた。

 何かあれば己の身を盾にするつもりの構えを取りつつ、ふとその際、テリに対して先のジョーと同じ質問をぶつけた。

 

「このタイミングでそれを聞くのは、流石に狡いわよ……」

 

 するとテリはマックスの後ろに隠れながら、苦虫を噛み潰した顔でそう力なく言った。

 

「なぁ、ジョー。……行くのか?」

「あぁ」

「だったら、銃のどっちか1丁を貸してくれないか?」

 

 マックスは奥へと進もうとするジョーの背中に思わずそんな提案をした。

 

「撃った経験は無いんだろう?」

「あぁ。だけど、ダメか?」

「………………」

 

 ジョーは一瞬、マックスの提案に対してマグナムのグリップに指を掛けた。

 が、しかし少し考えて、マグナムの代わりに自宅から持ち出したコンバットナイフの方を抜き、そちらをマックスに渡した。

 

「……ナイフ?」

「あぁ、パニックで変な所を撃つ方が危ない。それにその体格なら殴って頭を踏みつぶしてやった方が、効果あると思う」

「――――ははっ、冗談きついぜ……」

 

 ジョーの判断とその台詞に対し、マックスは力なく笑った。

 

 

 

「――――この先、か……」

 

 礼拝堂を出て直ぐの木造の廊下。その途中には二階へ続く階段と、二つの扉があった。

 扉の一つは階段裏に位置しており、感覚的に開けずとも物置であると判る。

 ――――そうなると、必然的に物音はもう一つの扉の先からだ。

 

 ホラー映画を鑑賞する際、ジョーも一人の視聴者として、物語の人物の“単独行動”に強く苦言を呈した事がある。しかし、『いざ自分がその場所に立ってみると解らない――』と、そんな独り言と自嘲が漏れた。

 確かに単独行動は危険な事かもしれない。しかし背後に複数の非戦闘員を引き連れ歩く事が、果たして安全とイコールだろうか? 

 複雑且つ臨機応変な対応が要求される場合、実は単独の方が都合が良い事は、先の自宅アパートの一件でジョーが図らずも経験し、学んだ事である。

 

「あぁ、怖ぇな、クソったれ……」 

 

 ――――とはいえ防衛本能から来る反射の様な愚痴が零れた。

 それが起こる程度には、ジョーもそこに強い恐怖を感じていた。

 

 強い恐怖と不安に汚染された現実味を感じない状況の中で、ジョーはそこで思わず、己の意志に反して顔が嗤うように歪むのを感じた。

 所謂、ホラーのジャンルにおける『活路』だが、それは残酷で醜い最悪の道に進む事とイコールで結ばれている。それが一種の“お約束”というモノだ。つまり『活路を目指す――』という事は、英雄さながらに自らの意志で『危険に立ち向かう――』と同義である。

 そして、この世界の原点となった作品が『ホラー』にジャンル分けされる以上、その活路も当然、危険の中に有ると考える事が出来た。

 

「まったく、我ながら狂ってるぜ……」

 

 ジョーはそんな風に己の心を叱咤しながら、意を決して遂に廊下の一番奥の扉を開いた。

 閉ざされた扉の先には施設の聖職者達が使う食堂があった。

 ジョーは食器や椅子の数から、この建物でそれなりに人数が共同生活していた事を察すると同時、部屋にある強い“異臭”に思わず顔をしかめた。

 

 ア”アァァァァ……

 

 異臭の原因が、床に横たわる老人の死骸にある事は直ぐに判った。

 そして案の定、その死体の中心には教会のシスターであろう感染者が三体――、死肉を貪っていた。

 

「やっぱり、居やがったな……!」

 

 そこには既に生前の聖職者としての面影など、欠片も存在しない。

 汚らしい咀嚼音を撒き散らしながら、司祭と思われる老人の死肉を一心不乱に貪っている。

 その感染者の内、一体がジョーの存在に気づいた。

 

「――っ!」

 

 ジョーは怖気を憤りで上塗りし、手にしたベレッタの銃口をその眉間に向けて、躊躇なくその引き金を引いた。すると直後、放たれた銃弾がその眉間に風穴を穿ち、また余力を持ってその後頭部を柘榴のように弾き飛ばした。

 感染者の脳漿が白い部屋の壁面に飛び散った瞬間、一気に部屋の中に血の匂いが充満した。

 その中でジョーは続けざまに2度引き金を引き、残る二体の感染者を瞬く間に無力化する。

 

「まったく、世も末だぜ……」

 

 生前の罪に関係なく、死後には等しく彷徨い歩く――――。

 そんな現実を改めて目の当たりにしたジョーは、思わずそんな風にぼやいた。 



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05 『試練』 沈黙の脅威

 このラクーン災害だが、発生の原因には複数の説がある。主流なのは“Tウィルス”がアークレイ山中の“洋館”から流出して、この麓にあるラクーンシティにまで広がった説。或いはラクーンシティの地下に作られた秘密の研究区画から漏れ出した説だ。

 その人気からシリーズ内で幾度も設定の後付けやスピンオフが複数生まれた為、ジョーにしても正確な原因を特定する事は既に不可能。

 そしてこの所謂(いわゆる)『バイオハザード』という作品群だが、これには『映画版』も存在する。してその内容だが、仮にラクーンシティから生還に成功しても最終的に『世界の滅びに巻き込まれる――』という代物だ。

 

「本当、クソみたいな世界だぜ……。我ながら、この場所にいると気づいた時点で“自決”を選んでた方が賢かったかもな」

 

 映画の要素を思い出した時、ジョーは思わずそこで、現状に対し足掻く己の有様を嘲笑った。

 

 食堂の部分の探索を一通り終えたが、特にめぼしいモノは見つからなかった。

 唯一、目を惹かれたモノがあるとすれば、それこそキャビネット棚の上に無造作に置かれた『タイプライター』と『インクリボン』の束だ。

 それはゲーム内では状況のセーブが出来るアイテムで、その道具一式を見た時にジョーは改めて、己が厳しい現実の中に在る事を再度自覚させられたような気がした。

 

「――――セーブ、か」

 

 状況が『ゲーム』なら、それは文字通り探索者に安堵をもたらす代物だ。設置された部屋に流れる専用のBGMさえ、未だに思い出す事が出来る。

 しかしそれ故、今の己が立つ場所が“現実”である事を思い知った。

 

 ――――“セーブ”が出来るような甘い架空の世界ではない。

 

 そんな憂鬱さに舌打ちを打つと、ジョーはその探索の最後に先ほど射殺したばかりの感染者の遺骸に意識を向ける。

 目の前の3体と、彼らに喰われていた司祭の死体を除き、他に人の気配は無かった。

 その場に在る食器と椅子の数に比べたらあまりに少ない。

 

(――――皆、逃げ出した後か?)

 

 ふと、そんな事を思った時、ジョーは既に事切れた司祭の手の中に“銀の鍵束”があるのを見つけた。

 

「嘘だろ……」

 

 ジョーは思わず目を瞬いて再度、それを注視した。

 そして次に取るべき行動を予感して、それにひどくウンザリと溜息を吐いた。

 

 ゲーム中の探索としては普通の行動だが、実際に行うとなると流石に強い抵抗があった。

 しかしそれと同じくらい、『鍵』という要素を見ないままこの場を去る事にも強い抵抗がある。

 

「う、ぁ……、クソ……っ!」

 

 結局、ジョーは食い荒らされて冷えきった老司祭の死体に、渋々と手を伸ばす事にした。

 冷え切った死体に触れた瞬間、忌避から全身に鳥肌が立つのを感じた。

 

「……っ」

 

 死後硬直した指を剥がすのは大変な労力が必要だった。

 ジョーは込み上げる吐き気を耐えながら、ようやく『銀の鍵束』の入手に成功した。

 

 

 

 

「ジョー、大丈夫か!? 銃声が聞こえたから、もしかしてと思ったんだが――――」 

「あぁ。食堂の方で司祭とシスターが感染者になってやがったぜ?」

「っ!? なんてこった、マジかよ……!」

 

 探索を終えてジョーが礼拝堂に戻った瞬間、マックスが我が事のように安堵した声を上げた。

 

「なんか顔色が悪いけど、本当に大丈夫か?」

「気にするな。ちょっと嫌なモンに触っちまっただけさ。まぁ、それより一階部分の確認だけはしておいたぜ? ただ此処に籠城をするつもりなら、後で二階の方も確認した方が良いだろうな」

「……ご丁寧な忠告、どうもありがとう」

 

 ジョーはマックスに応えつつ、同時にテリに対しても説明するように言った。

 するとテリはジョーの台詞に顔をしかめて皮肉気に言った。

 

「それから階段下の倉庫でコレ(・・)を見つけた」

「おいおい『ショットガン』じゃないか!?」

「あぁ。レミントンのM1100だ、ついでに(シェル)もあるぜ?」

 

 そこでジョーは先程、偶然にも入手した銃器を、箱に詰まった弾ごとマックスに手渡した。

 レミントンM1100は、セミオートショットガンの一種。その見た目から『散弾銃』といえばまさにコレという外観の狩猟銃だ。

 

「こんな武器をどこで見つけたんだ?」

「食堂で鍵の束を見つけてな。それを使って廊下の途中の物置を調べてみたら、そこで偶然発見したんだ」

「物置に――って、お前……。教会にショットガンなんて、聞いたことねぇよ……」

「こんな状況だ。ま、自衛のために買ったんだろうな」

 

 訝しがるマックスに対し、ジョーはいつぞや『ケンドの銃砲店』で見た活気を思い出しながら、そんな予想を返した。

 

 

 

 

 ジョーは早速、手に入れたショットガンの使い方をマックスにレクチャーする。

 その際、その教導のやり取りを興味深そうに眺めていたオリヴィアが、ふと尋ねた。

 

「――――それにしても、随分と銃に詳しいのね?」

「まぁ、な。モノ好きな父親と趣味人な友人達に恵まれたおかげさ」

 

 ジョーはそこで父親と、ラクーン市警の友人達の事を軽く説明した。

 そしてふと思いついたように尋ねた。

 

「折角だし、使い方を覚えてみるか?」

「え、いいの?」

 

 その提案に対し、オリヴィアは瞠目した。

 

「あぁ、こんな状況だしな。武器の扱いを覚えておくに越した事は無いだろう。――――マックスに何かあった時に備えて」

「おい、縁起でも無い事、言うんじゃねぇ!」

 

 ジョーの提案にオリヴィアが瞠目すると同時、その提案の動機を聞いたマックスが呻くように言った。

 するとそのやり取りを見て、オリヴィアはふっと笑った。

 

「じゃあ、折角だしお願いしようかしら」

「了解。それじゃ、とりあえず構えてみてくれ」

「……っ、こんな感じ?」

「あぁ」

 

 オリヴィアはそこでマックスからショットガンを受け取り、それを少しふらつきながら構えた。

 

「――――ねぇ、さっきの物音って、やっぱり“アレ”が原因だったの?」

 

 と、そこへ意を決した様子でテリがやってきた。

 テリはまるで確認をするようなそぶりで、先の探索の結果をジョーに改めて尋ねた。

 

「……何って、そんなの感染者に決まってるだろう?」

「――っ、それは、そうだけど……。随分とはっきり言うのね?」

「あぁ。こんな事、ぼやかして言っても仕方ないだろう? ついでに言っとくが俺の経験上、連中は下手な封鎖程度なら強引に突破してくるぞ? 本気(マジ)で此処での立てこもりを考えるなら、本気で入り口含め、隙間の全てを塞いだ方が良いぜ」

「――っ、そう」

 

 不安がらせるつもりは毛頭無いが、しかし命に関わる問題だ。

 故に、ジョーはその場でテリだけに留まらず、この場の一同全て対して、改めて思いつく限りの『籠城』の危険性を説いた。

 

「ねぇ、仮にだけど……もしも私達が此処に籠城をするって言った時、貴方はどうするの?」

 

 その時、ショットガンを持ったままの姿勢でオリヴィアが尋ねた。

 

「……どうする、とは?」

「幾ら武器と、その使い方を教えてもらっても結局は付け焼刃。貴方みたいに戦えない事くらいは自分でも理解出来るわ」

「………………」

 

 するとオリヴィアは、手にしているショットガンに視線を落としながら、まるで苦笑するように言った。――――見ると、その手は震えていた。

 その様子にジョーはふと、相手が己よりも遥かに幼く、弱い存在に思えた。

 しかし、 

 

「悪いけど俺は独りでも警察署に行くつもりだ。勝手に待ってるなんて約束をしやがったクソ野郎だけど、……その人を裏切りたくない」

 

 ジョーはそう全員に聞こえるような声で、己の意志を告げた。

 今度こそ、流されるつもりはなかった。

 

「――――私も警察署に行く!」

 

 するとその時、シェリーが強く声を張り上げた。

 

「シェリー、貴女……」

「だって私も、ママが警察署で待ってるって――――」

 

 大人しいマスコットだと内心で秘かにシェリーを侮っていた者ほど、そのはっきりとした意志の発露に強い驚きを感じ、瞠目する。

 

「――――そうね。シェリーのお母さんも警察署を目指しているみたいだし、それに警察にはS.T.A.R.Sっていう優秀な特殊部隊があるって聞いたわ。危険かもしれないけど、きっと辿り着いてしまえば此処に籠るより安全の筈よ。脱出の当てだってあるんでしょう?」

 

 オリヴィアが言った。

 シェリーの態度に叱咤されたのか、不思議とそこには先ほどまでの怯えの色はなかった。

 

「――――そうは言うけど、その警察が『例の作戦』の為に路地を封鎖していってるんでしょう? そう簡単にたどり着けるもんなのかしら?」

 

 そんな中、テリが最期の足掻きと言わんばかりに虚無的(ニヒル)な態度でそんな悲観的な言葉を挟む。

 

「じゃあ、テリは此処に残るの? 独りで?」

「――っ、そうは言ってないじゃない!」

 

 しかし続けて重ねられたオリヴィアの問いに、テリは思わずそこでヒステリックに声を荒げた。

 テリは思わず同僚のマックスを見る。

 するとマックスは無言のまま、肩を竦めるようなジェスチャーで応えた。

 

「――――ったく……」

 

 テリは遂に観念した様子で、強く舌打ちをした。

 

 

 

 

 先のやり取りで不貞腐れた様子を見せる相棒(テリ)を見かねて、マックスは宥めすかすように『大丈夫だ』という言葉を送る。

 しかしテリはそれに唇を尖らせ、「何が大丈夫なのよ?」と痛烈に尋ねた。

 そのとげとげしい様子を見にマックスは、思わず肩を竦めて言う。

 

「年下の小娘に、少し言いくるめられただけだろう? そうカリカリするなって。大体、救助が何日後に来るかもまだ判らないんだぜ? 此処を出て当てもなく彷徨うっていうわけでもないんだ。こうして武器も手に入ったんだし、目的もハッキリしてる。そろそろ機嫌を直せよ」

「………………」

「それに何かあった時は俺が護るからさ――――」

「はっ、素人の癖に何が『護る』よ。撃つ前からコンバットハイとか、勘弁して」

 

 テリはマックスの言葉を鼻で笑い、そそくさと距離を取る。

 

「まったく……」

 

 その様子を見て少しだけ機嫌が直った事を察し、マックスは徐に一息吐いた。

 

「さて、次は残りの部屋の探索だな。何か使えるモノがあるかも知れないし、脱出の前にチラッと見に行くか兄弟(ジョー)?」

 

 テリのガス抜きも終えた所でマックスはそうジョーの方を振り返る。

 するとジョーは「あぁ」と短く頷き、食堂で手に入れた銀の鍵束を取り出しながら立ち上がった。

 

 一階の食堂には死体が4つ転がっている。

 ジョーの中でそれらは既に動かない死体だが、しかし他の者にとっては、そう(・・)ではない。

 死んだ後でも動いたという『事実』がある手前――、ましてやこの場所は『神の家』だ。ならばどうして『三度目』の復活が無いと云えるのか? そんな懸念を当たり前の様に抱いた。

 

 するとそこで、ジョーも初めて強く納得を感じた。

 確かに三度目が無いという保証はないし、しかも考えてみれば“三度目”を立ち上がってくる設定を持った脅威も確かに在るのだ。

 

「――――用意は良いか?」

「OK」

 

 万が一に備え、二階部分の調査には女性陣も同行する事が決まった。

 一同は隊列を組んだ。フロント部分をジョーが担当し、その間にオリヴィア、シェリー、テリが順で並び、殿をマックスが務める形だ

 音頭を取るジョーの号令に頷き、一同は一塊になり、ゆっくりと二階への階段を上る。

 

「――――で、どの扉から行く?」

「………………」

 

 ジョーは早速、背後の仲間たちに尋ねた。

 二階部分はジョーが予想した通り、教会に勤める者達の生活空間だった。

 通路の左右に、それぞれ3つの扉がある。そして最奥に位置する観音開きの扉を加えると、合計して7つの部屋があった。

 

「気分的に一番奥のは最後にしたいわ……」

 

 オリヴィアが即座に提案をした。

 その後ろでテリとシェリーも同意をするように頷いた。

 

「了解」

 

 ジョーは銃と鍵のを両方を手に、その提案に従って最寄りの扉から開ける事にした。

 

 ――――しかし、結果から云うとその時の警戒は取り越し苦労に終わった。

 最奥を除く、左右にある6つの部屋は、そのどれもが“もぬけの殻”であった。

 

 

 

 

「――――このハーブ……たぶん、役に立つかもしれない」

 

 部屋には主の姿こそなかったが、しかし寸前までの平和な営みの痕跡だけは、そこに強く残っていた。例えば部屋の主が栽培していたと思われる鉢植えの植物だ。

 部屋の一つにある赤、青、緑の三色ハーブ。

 その大きく葉を広げた存在に気づいたのは、オリヴィアだった。

 

「そうなの?」

「えぇ。緑の葉を煎じて飲めば、疲労回復やリラックスしたい時に使えるわよ。それに市販の救急スプレーなんかの原料にも使われているから、原始的な方法だけど採取してペーストを作っておくと便利かも」

「へぇ」

 

 アークレイ山地に自生する為、ラクーンシティ出身の園芸家の間では、割りとポピュラーな種類である。

 オリヴィアが披露したその知識に、テリとシェリーは素直に感嘆とした。

 

「詳しいのね。……大学で教わったの?」

 

 テリが赤のハーブをしげしげと眺めながら、ふと尋ねた。

 

「ある意味ではそうね。薬学科の男子生徒が“ナンパ”する時に使う雑学だから、騙されないように気を付けろって、先輩から忠告されたの」

「ナンパ?」

「えぇ」

 

 オリヴィアはどこか懐かしむようなウンザリした調子で言った。

 

「アンブレラの医療や薬品関係の“知り合い”が居るって仄めかしながら使うと、実際はともかく、本物っぽく聞こえるでしょう? よその土地から入学してきた娘が相手だと猶更。――――ま、そう言う事だからシェリーも気を付けなさい?」

「あはは……」

 

 オリヴィアに水を向けられたシェリーは思わず反応に困り、そこで苦笑を返した。

 

「――――人生、何が役に立つか判らないものね」

 

 テリはしみじみ言った。

 

「まぁ、いいわ。それより使えるっていうのなら、このハーブ三種類とも採取しておく?」

「そうね。万一に備えてそうしておきましょう。シェリーもお願いできる?」

「うん」

「じゃ、テリはそっちの赤いのを集めて。シェリーは緑のをお願いね」

 

 女性陣はハーブの葉の採取を始めた。

 不安と恐怖に殺伐とした状況の中で、それは丁度いい気晴らしとなった。

 

 

 

 ――――その部屋の隣でジョーもオリヴィア達と同様、部屋の主が育てていた三色のハーブにその意識を向けていた。

 

「流石に食って回復するのは、現実的じゃないよな……?」

 

 ジョーは思わずそこで、ゲーム本編でのハーブの扱いを思い出した。

 三色のハーブはゲーム内で重要な回復アイテムだが、しかしその使い方に関しては不明な部分も多かった。

 一部ではその粉末状にされたアイコンの形態から、『鼻から吸引している』、或いは『葉をそのまま食べている』という意見も存在した程。

 ふとその事を思い出して、ジョーは思わず笑みが込み上げた。

 

「おい、どうしたジョー?」

「いや、なんでもない。そっちこそどうした?」

「あぁ、いや。実は――――」

 

 その時、向かいの部屋の探索に向かっていたマックスが突如、顔を覗かせる。

 ジョーが訝しむと、マックスはそこで一枚の布切れを投げ渡してきた。

 

「――っ、なんだこれ?」

「見れば判るだろ? おすそ分けだ」

「は?」

 

 見ると、投げて渡されたのは女性物のショーツだった。しかもレース生地の紫。

 

「衣装棚を開けたら“偶然”見つけたんだけど……まったく、びっくりしたぜ。貞淑な顔してすげぇ趣味だと思わないか?」

 

 マックスはニヤリとした笑みを浮かべながら言った。

 

「確か止血帯代わりに使える“布”を探すとかって言ってなかったか? 普通にハンカチとかタオルを探して来いよ」

 

 そんなマックスに対し、ジョーは徐に溜息を吐いた。

 しかしそれはそれとしてショーツの方はポケットに仕舞った。

 

「――――ったく、真面目にやれよ馬鹿」

「それはアンタも同じよ、馬鹿!」

 

 やり取りを見ていたテリが、そこで軽蔑するように言った。

 

 

 

 

 ジョーが単独で一階部分を探索した時に比べ、全員で行った二階部分の探索は意外なほど順調に進んでいった。

 

 これまでの探索で発見した道具類は、図らずも今後の活動を手助けする便利品ばかりだ。

 リュックサック、マッチ、止血帯代わりの布、救急スプレー、各種のハーブ――――

 特にその三色のハーブは素人が適当に磨り潰すだけでも、高い治療効果を期待できる代物だ。緑は止血と治癒、青は解毒と殺菌、赤は他二色のハーブの薬効を高める効果を持つ。

 その三種の葉を調合する事で、オリヴィアは早速そこで原始的な傷薬を作り上げた。そして完成したハーブペーストを小瓶に詰めて、オリヴィアはそれを一同に分配した。

 

「――――意外なところに衛生兵(メディック)が居たんだな?」

「オリヴィアが衛生兵(メディック)なら、私とマックスは通信兵(ラジオマン)かしら? 生憎、機材はもう無いけど……」

 

 オリヴィアの手腕に対してマックスは思わずそんな軽口で感嘆を表現する。

 またその軽口にテリも便乗をした。

 

「いつも持ち歩いてる小型のカメラはどうしたんだよ?」

「そんなのこんな所で、なんの役に立つっていうのよ?」

「――――二人ともその辺にしておけよ。気持ちはわかるが、あんまり気を緩めるな」

 

 当初の警戒も取り越し苦労に終わり、結果的に身の危険を感じる事無く探索を進められた。その所為でメンバーの間には、どこか弛緩した空気がある。

 油断を引き締めるようにジョーは思わず忠告の声を上げた。

 

「さて、お待ちかねの最後の扉だ……」

 

 左右6つの部屋を調べた結果、残るは廊下の最奥の部屋だ。

 その探索をもって二階の探索は終了する。

 

「準備はいいか?」

 

 ジョーは後方のメンバーに確認するように一度振り返り、最奥にある部屋の取っ手に手を伸ばした。

 この手の状況でゲーム脳も甚だしいが、ジョーはそこで、何か“イベント”が起きるような嫌な予感をヒシヒシと感じた。

 

「………………」

「ん? どうした? さっさと調べようぜ」

 

 扉を開く直前で躊躇を見せるジョーに、マックスはそう怪訝な様子で尋ねた。

 

「いや……、何でもない。開くぞ――――」

 

 ジョーは意を決して、施錠された扉の鍵を開けた。

 そしてゆっくりとその扉を開いた。

 

 ――――すると部屋には一人の生存者が居た。

 

 修道服を纏った老婆だ。

 その老修道女と目が合った瞬間、ジョーは己に向けられた22口径の銃口に気づいた。

 

「撃つなっ! 俺は人間だ」

「――っ!?」

 

 拳銃を突きつけて震えるその様子を見た瞬間(とき)、ジョーは思わず発砲の予感に強い焦りを感じて床に身を投げた。

 直後、その予感が当たり、脇を掠めるようにパンッと鋭く、銃弾が飛ぶ。

 その銃声に女性陣が鋭く悲鳴を上げた。

 しかしその悲鳴を聞いた事で、老修道女はようやく相手を『生存者』だと認識した。

 

「あぁ、あぁ……ごめんなさい! ……よかった! もう此処には私しか残ってないと――――」

 

 老修道女はそう安堵から泣き崩れ、ゆっくりと銃口を下げた。

 

「――ったく、ビビったぜ。それより、この教会で生き残ってるのはアンタだけか?」

 

 ジョーは驚きで乱れた呼吸を整えながら、身を起こして老修道女に尋ねた。

 

「えぇ。既に他の者達は皆、天に……。いえ、死ぬことも許されずに彷徨うあの姿を見て、本当に天に召されたかは分かりませんが――――」

「あぁ、いや……、そういう宗教的な考えはともかく、他に生存者が居ないのなら此処での探索は終わりだ。とりあえず脱出しよう……動けるか?」

「えぇ……」

 

 オリヴィアとテリが早速、その老修道女の肩を両側から支えようと動いた。

 ――――その瞬間、老修道女の背後にあった窓が、派手な音を立てて砕け散った。

 

「か、はぁ――――っ」

 

 外から触手の様な“槍”が飛来した、その先端が突如、老修道女の胸を深々と穿った。

 その様子に一同は思わず瞠目した。

 特に最も近くにいたオリヴィアは、その老修道女が突然噴き出した大量の血に、鋭く悲鳴を上げた。

 

「なに、よ……コレ!? 何なのよ!」

 

 突然、老修道女の胸を貫いた槍のような触手を見て、テリは理解できないと強く声を荒げた。

 その触手はイカの持つ“触腕”によく似ていた。

 とはいえ、似ているだけでイカのそれとはまるで異なるのは、云うまでもない――。

 尋常でない膂力を秘めたその“触手”に串刺しにされたまま、老修道女は断末魔と共に窓の外へと連れ去られた。

 

「うぁああああー―――っ!」

 

 ――――程なく、窓の外で絶叫が響いた。

 

「なんだよ……なんなんだよ、アレは! おい!?」

 

 状況を見ていたマックスだが、テリと同様に理解ができないと思わず叫ぶ。

 

「――――まさか……」

 

 そしてジョーは、そんなマックス達に一歩先んじて『襲撃者』の正体を看破した。

 

「おい、アレが何だか知ってるのか!?」

「うるせぇ、声を下げろ……! 奴は()に反応する」

「――――っ!?」

 

 老修道女の断末魔の後。不意に訪れた不気味な静寂の中で、マックスは思わずジョーに尋ねる。

 するとジョーはマックスのみに留まらず、その場にいる全員に対して、素早く“沈黙”をするように促した。

 

 ヒタッ…… ヒタッ…… ヒタッ……

 

 

 静寂の中、シュルシュルとした不吉な音を立てながら、老修道女を貫いた『触手』が窓の外で揺れた。また同時にヒタヒタという裸足で床を歩くような怪音が、一同の鼓膜を打った。

 

 一秒、二秒、三秒――――

 

 緊張と沈黙の中、それは遂に姿を現した。

 

「………………っ!」

 

 カエルのように這った姿勢で蠢く"赤い怪物”だった。

 それは、ゆっくりと窓から顔を覗かせて、一同に対しニタリとした笑みを浮かべた。

 

「ひっ!」

 

 その瞬間、シェリーが息を詰まらせたような声を上げる。

 赤い怪物はそれ程に醜悪な姿をしていた。

 

「――――リッカー(舐める者)

 

 ジョーは思わず、吐息に混ぜるようにその醜悪な怪物の名を呟いた。

 

 “赤い”理由は全身の皮を剥ぎ取られているからだ。その面貌に“目”の類は無く、代わりに鮫のような巨大な顎と、その奥に触手のような長大な“舌”を持つ。

 そして、その舌こそが先の老修道女を貫いた奴の得物だ。

 

 ジョーはその正体をバイオに登場したクリーチャーの一体として、良く知っていた。知っていたからこそ、外で蠢く『感染者』以上に強く警戒をした。

 

「うあぁああああっっ!!」

 

 静寂を打ち壊したのはマックスの恐慌だった。

 マックスは恐怖から手にしたショットガンの銃口をリッカーに向けて引き金を引いた。

 その一撃を皮切りに、ジョーもベレッタを抜いて鋭く発砲する。

 が、直後リッカーはするりと身を翻して窓の外へ姿を消した。

 

「に、逃げたの?」

「――っ、馬鹿言え……!」

 

 テリの恐る恐るの問いに対し、ジョーは小声で怒鳴るように返した。

 事実、外壁と天井越しにヒタヒタと高速で何かが駆ける音がした。また同時に上から埃がパラパラと床に零れ落ちた。

 

「とにかく窓から離れて、絶対に物音を立てるな! 奴は音に反応して――――」

 

 直後、階段の方にある窓が派手に音を立てて割れた。

 ジョーは言葉を切り、反射的にベレッタを握る手とは逆の手にマグナムを握りしめた。

 

 

「――――絶対に音を立てるなよ……」

「………………」

 

 廊下の方を振り返る――――。

 すると唯一の出入り口である階段を塞ぐような形で、リッカーがその舌を垂らしていた。

 変質者さながらの不気味な呼吸と、嫌悪感を煽るゆったりとした歩み。

 一歩ずつ迫る怪異を前に、ショットガンを構えたマックスも縋るような視線をジョーに向ける。

 

(――――恨むぜ……神様!)

 

 テリも、オリヴィアも、シェリーもそこで、青ざめた顔でジョーに視線を向けた。

 そんな仲間達の視線を強く自覚しつつ、ジョーはこの瞬間、盛大に“神”を呪った。

 

「クソったれ……」

 

 現状で唯一対抗できる戦力として、ジョーは仲間達を護る様に一歩前に踏み出した。




次回 未定


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06 『不穏』 紙一重の予感

 ロバート・ケンドの手記

 

 9月23日

 

 皮肉な事に街に漂う『不穏』な空気のおかげで朝から大忙しだ。弾も、火薬も、端から飛ぶように売れていきやがる。――――とはいえ、この景気を俺は“ありがたい”とは思わない。

 武器を求める顧客の多くに共通する『素人』という要素。こいつのおかげでどうしても喜びよりも先に『不穏』を感じるからだ。

 ――――まったく、何事も無ければいいのだが……。

 

 

 9月24日

 

 アライグマ(ラクーン)の手も借りたい程の忙しさに見舞われる中、今日は『ジョー・ナガト』の奴が久しぶりに顔を覗かせてくれた。

 ジョーの奴は話もそこそこに、店の活気を見て殊勝にも手伝いを申し出てくれた。

 まったくありがたい話だが、同時に一つ気になった事がある。

 ジョーの奴も俺と同様、街に漂う『不穏』って奴に気づいて、俺に同調してくれた事だ。

 アイツは昔からやけに勘のいい所を見せやがる。

 そんなアイツも不安を感じたって事は、つまり今回の状況は、相応にヤバいと見て間違いないだろう……。

 

《以下、乱雑な書き損じ》 

 

 この調子だと店は明日も大忙しの筈だ。経営する側としては歓迎するべき事だが、不安の渦中に家族を置き去りにする理由にはならない。

 家内にはエマを連れて兄貴の居る実家の方に避難してもらう事にした。

 その際、エマには「パパは一緒に来ないの?」なんて不安を抱かせてしまったが、仕方が無い。――――ただし、この埋め合わせをどこかでしてやらないとな。

 

 そしてこの苦渋の決断に踏み切らせた元凶――ジョーの奴には、礼を兼ねて手製の拳銃を一丁渡してやる事にした。

 バリー用にカスタムしたサムライエッジ(ベレッタ92F)の余剰パーツから組んだ代物だ。

 少しばかり軽率だったかと反省する気持ちもあるが、しかし“万が一”を考えると護身用の武器は渡しておくべきだという直感があった。

 それもこれも取り越し苦労で終わればいいのだが……。

 

 

 9月25日

 

 《速記文字による》

 

 胸騒ぎを感じた時点で、妻と娘を街から離しておいて正解だった。

 決断するのが後少しでも遅かったら……と、考えるだけでもゾッとする。

 ――――そして同時に、胸に去来する深い後悔の念がある。

 今更ながら思い出した。バリーや他の釣り仲間と共に、近所のJ's BARで飲んだ時の事だ。

 あの日、バリーが俺達に「アークレイ山地の猟奇事件はアンブレラ社の作った“化物”の仕業だ」と、言っていた。

 今、窓の外に広がる光景を見て、俺はつくづく思い知らされた。バリーの言った事は『真実』だった、と……。

 

 あの日、俺達はバリーの話した恐怖体験を与太だと笑い飛ばしてしまった。

 故に真実だと知った今、内に込み上げるのは謝りたいという後悔の念だ……。

 今更だが、笑ってすまなかった、友よ……。許してくれ。

 

 ======

 

 追記 深夜

 

 現在、警察や同業の知り合い達と協力して、例の『感染者』に対抗する為の武器や装備をかき集めている。とはいえ市中に出回る程度の火器で、どこまで奴等の進行を防げるかは判らない……。

 普通の人間を相手にするのとは、明らかに常識が異なる存在だ。

 普通の人間が相手ならば、それこそ痛みや出血を強いる事で、その動きに制限を掛ける事が出来るだろう。しかし奴等『感染者』には、その“常識”がまるで当てはまらない。

 まぁ、当然だ。既に奴等は死んでいるんだから……。

 そして奴等は死人故に、どれだけの銃弾を受けようとも、その歩みをまるで止めない。

 ――――例外なのは、綺麗に頭を撃ち抜いた時ぐらいか?

 まぁ、その事を含めて、俺達は『感染者』の脅威を嫌と言う程に思い知らされた。

 

 こんな強靭な『怪物』を相手にどのくらいの時間を稼げるだろう? ふと零された仲間の問いに対し、思わず脳裏を過ったのは、『遠からず押し切られるだろう――』という月並みの予感だった。――――クソったれ……!

 

 

 9月26日 明朝

 

 一夜明けても状況は相変わらずな所か、寧ろ、昨日よりも深刻なくらいだ。既に街の至る所で感染者の姿は見受けられるだろう……。

 しかし今、そんな状況にもめげずに自主的に銃を手にして、奴等と戦おうと考える大勢の馬鹿の姿もある。――――ウチの常連達だ。

 

 退役軍人、元警察官、警備職員、消防官――、中にはベトナム帰りで今は失業保険で暮しているという輩も居る。

 まったく共通してどいつも“若い”とは言い難いが、しかし行動力と正義感には無駄に溢れている。事実、彼らは先ほど聞かされた警察の反抗作戦に対しても、『派手に尽力してやろうぜ!』と強く息巻いている。

 ――――そして俺は、そんな馬鹿の一人に混ざる事にした。

 

 俺に関して言えば、此処で安易なダンディズムに浸り、馬鹿共と一緒に戦っている場合ではない。一刻も早く街から脱出をするべきだ。愛する妻と子供が待っているのだから……。

 しかしそんな事は全て百も承知の上で、俺は我が友『ジョー・ナガト』の事を置き去りには出来なかった。

 

 最後に会った時、アイツは父親からの連絡を待つと言っていた。しかし先ほど聞いたマービンの話によると、既にアイツの親父は殉職したそうだ。

 これは今更悔いても仕方のない話だが、しかし俺はその事実を知らされた際、あの日ジョーの背中を見送るのではなくて、その背を強引に引き留めてやるべきだったと強く後悔をした。

 それにあの時、ジョーは俺の内に秘かにあった『不安』に共感をしてくれた。そしてあの時の共感がなければ、俺は今もこの街に妻と娘を置いたままにしていた筈だ。――――その意味で奴には大きな借りがある。

 マービンの話によるとジョーは既に警察署――つまりこの場所を目指して動き始めたらしい。

 ならばそれを待たずして去る、なんて真似は流石に出来ない。

 だから、ジョー。俺の為にも途中で野垂れ死ぬなんて真似だけは止めてくれ……。 

 頼むから生きて……、生きて此処までたどり着いてくれ……!

 

《ページが破れている》

 

 

 

 

「………………」

 

 熱を帯びたマグナムの銃口からゆらりと硝煙が立ち上った。

 激しい銃声の残響音も静まった頃、テリは恐々と息を潜めながら尋ねた。

 

「――――死んだの、それ(・・)?」

 

 そんなテリの質問に対してジョーも不安を強く滲ませたまま短く、「恐らく……」と答えた。

 

 その脅威の名をジョーは反射的に“リッカー”と呼んだ。『バイオの知識』から来る反射だが、しかし図らずもその姿が“舐める者(リッカー)”と形容するに他ならぬ異形であった事で、傍で聞いた一同がその呼称について、深く疑問を抱く事はなかった。

 肥大化した脳みそにより、目と鼻の大部分が潰れた面貌。その顔の中央には鋭利な牙が並ぶ巨大な顎が存在し、またその顎の奥には人間の胴体を易々と貫いた凶悪な舌がだらりと在る。しかもその舌の全長は、本体を優に越すほどに長い――。

 そんな怪物“リッカー”との戦いは、まさに強い偶然によって支えられた薄氷の上の勝利であった。

 マックスが半ば狂乱しながら撃った散弾の一発が運良くリッカーの身体を跳ね上げた事で、死角にあった急所――剥き出しの心臓が露わになった。それをジョーが狙い撃つ事で、勝利を掴んだ。――――口頭で説明するとそんな顛末となる。

 しかしそうした瞬きが如き一瞬の攻防にせよ、感じた疲労は壮絶であり、またジョーは戦いを省みた後で、改めて己の背筋に強い寒気が走るのを感じた。

 

「……さ、流石に、もう死んだだろう?」

 

 時間にして数秒が経つ。そこでようやく動き出す気配は無いと見たマックスが、祈るような声色で一同に尋ねた。

 剥き出しの心臓を派手に撃ち抜かれた直後、リッカーは床の上に仰向けの状態で沈黙した。しかし呼気の音が消えた後も、その四肢は未だに痙攣を続けていたのだ。その所為で一同は未だに“それ”が動き出しそうな予感を感じた。

 

「あぁ」

 

 しかし遂にジョーも銃口を下げ、深く息を吐いた。

 すると、

 

「それじゃ、もう行こうぜ! もうこんな場所に長居したくないだろ!?」

 

 ジョーの吐息を合図に、マックスが先の戦いの恐怖を祓うような強い声色で、早速二階からの撤退を促した。そして直後、その提案に女性陣は深く頷き、すぐさま機敏な動きを見せた。

 隊列は来た時とは逆に、今度はショットガンを持つマックスが先頭となった。その後ろをテリ、シェリー、オリヴィアの順で続いた。

 

「ジョー、行くわよ!」

「……あぁ」

 

 そして今度は隊の殿(しんがり)をジョーが勤めた。

 ジョーはテリの呼びかける声に短く応答すると同時、去り際に最終確認と云わんばかりにもう一度、リッカーの頭をマグナムで撃ち抜いた。 

 銃撃によってリッカーの頭部は再度、跳ね上がった。

 確認の為に使ったマグナム弾だが、ジョーはこの時、その消費を“安い”と見た。そして結果として、その後も二度とリッカーが起き上がる事は、決して無かった。

 

「……っ」

 

 ――――とはいえ、その後もジョーの顔に明確な安堵の色が戻る事は無かった。

 袖の上から僅かに掠ったリッカーの舌先が、ジョーの左腕に小さな赤い擦り傷を確かに創っていたからだ。

 

 

 

 

 

「――――皆、怪我は無い?」

 

 礼拝堂に戻って早々、テリが一同に確認するように尋ねた。

 テリの表情には未だにリッカーに対する強い恐怖の色があり、声も未だに震えていた。

 しかし大人として周囲を気遣おうとする意地の様なモノは、確かに垣間見えた。

 

「私は無事……シェリーは?」

「うん、私も平気」

「――――アンタ(マックス)は?」

「あぁ。俺も大丈夫だ……」

 

 オリヴィアが呼吸を整えながら答えると、シェリーもそれに続いた。

 そしてマックスも己の健全を伝えた。

 

「………………」

 

 しかし唯一、ジョーだけがその場で少し答えあぐねた。

 ジョーは一瞬、悩む素振りを見せたが、ややあって結局は左の袖を捲り、薄く擦りむいた腕の擦り傷を周囲に掲げて見せた。

 

「――――なによ。だったら早く言いなさいよ、まったく……」

 

 ジョーが最前面に立って戦っていた事を知っている為、テリは思わずその傷の程度を深いモノだと身構えた。しかし実際のそれは余りにも小さかった。

 その事実にテリは思わず強い呆れの吐息を吐く――。

 

「ほら、オリヴィア。アンタの出番よ」

 

 とはいえそんなテリの取り越し苦労の様子が、先の一件で強い緊張状態にあった一同の精神を適度に解した。

 一時的にその場に笑いを誘った。

 

「少し痛むかもしれないけど、そこは我慢してね?」

 

 と、オリヴィアはジョーの腕を取った。そして先程作った三色のハーブペーストを使い、傷の手当を始めた。

 

「――――なにか、気になる事でもあったの?」

「……ん?」

 

 その際、オリヴィアはジョーの顔を覗き込むように尋ねた。

 

「少し不安そうに見えたから、聞いてみただけ。力になれるかは判らないけど、何かあったら直ぐに言ってね? それに言い方はアレだけど、貴方が倒れたら私達も危険だし――――」

 

 と、オリヴィアは年上として嗜めると同時、苦笑交じりに言った。

 

「あぁ。判ってる……」

 

 その時、ジョーは思わず懸念(・・)を口にするべきかと悩んだが、結局は何も言わなかった。

 安易に弱音を吐きたくないというプライドも理由の一つだが、何より内に湧いた『懸念』を口にしてしまう事で、それが『事実』へと変わってしまう気がしたからだ。

 

(――――中途半端な察しの良さが忌々しい……)

 

 故に、ジョーは思わず内心で吐き捨てた。

 気づかないままなら取るに足らない『掠り傷』という認識のままに終わった事。そして仮に『感染』したとしても、その不安に気づくのはいよいよ最期が差し迫った時だった筈だ。

 しかし父の死と同様、『バイオハザード』というゲームについての知識を得てしまった事で、ジョーは意図せず、取るに足らない小さな傷にも『感染』の不安を感じてしまった。

 

「――――クソったれ……」

 

 ジョーはステンドグラスに描かれた神の姿を、思わず仰ぎ見た。



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07 『意地』 蝕みと虚勢

 掃討作戦指令書

 

 内容:中央通り及び下水道へのC4爆弾の設置、バリケードの敷設

 時間:本日午後6時

 作戦人員:20名

 補足1:基本的には人命救助を優先するが、対象が呼びかけに呼応しない場合は殺傷を目的とした発砲を許可する。

 補足2:爆薬敷設後は作戦区画から直ちに撤退し、本部からの指令を待て。

 

 

 

 

「――――手を貸してくれ! こっちだ!」

 

 R.P.D.のバッジを身につけた制服警官が声高に応援を求めた。

 すると即座にその声に反応して、武装した市民の男衆が一斉に集合した。

 市内各所にバリケードを設置する作業――。それが意味するラクーン市警察の意図は既に民間の方にも通達がされており、『ケンドの銃砲店』店主ロバート・ケンドもその内の一人として、迫りくる感染者の集団を相手にショットガンを構えて対峙する。

 

「そのまま援護を頼む! 奴らを近づけるな!」

 

 街を覆う感染者の脅威に対抗して自主的に武器を手にした市民の集団は、一見すると烏合の衆にも見える。しかし彼らの心には、この『ラクーンシティ』に対する強い愛郷心があった。

 ――――故に、彼らは懸命だ。

 

「良し、押せ!」

 

 路地の奥から迫る感染者の群れ。それに対する牽制を完全に武装市民に任せた警察官達は、その一際大柄な体躯を駆使して、二人掛りでパトカーを路地に押し込んだ。そして仕上げとばかりに、その後輪をパンクさせた。

 すると道いっぱいに広がった車幅がそのまま壁となり、路地の一つが封鎖される。

 

「これで一先ず封鎖完了だな?」

「あぁ」

 

 作業に尽力した一同は、そこで一先ず安堵の吐息を漏らした。

 幸いにして感染者にはバリケードを迂回するような“知能”が無い。その事が既に判明したからだ。

 しかし、安心は出来ない。数が増えれば遠からず先の封鎖も押し砕かれるという予感があったからだ。

 

「――――ジリ貧だな……」

 

 束の間の安堵から一変、直ぐに顔には強い緊張感が戻る。そうした状況の中、手にしたショットガンに弾を込めながら、ロバートが思わずぼやいた。

 すると、その呟きに一人の男が吐息交じりに応じてみせた。

 

「まったくだ」

 

 振り返るとそこには、ロバートもよく知る店の常連の警察官“ケビン・ライマン”の姿が在った。

 顔立ちの整った31歳の男で、普段はどことなく軽薄な雰囲気を漂わせる市警の不良警官だ。 

 

「――っ、ケビンか?」

「俺が他の誰に見えるんだ、ロバート?」

 

 しかしこの時、ケビンの顔には普段の軽薄さは感じられなかった。寧ろ勤労による強い疲れの色が酷く見て取れた事で、ロバートは一瞬、本当にそれが己が知る同一人物(不良警官)かと思わず訝しんだ。

 

「いや……。それより少し休んだらどうだ? いつもと違って少し真面目過ぎるんじゃないか?」

 

 ロバートは思わずケビンの様子を嗤った。

 するとケビンは「俺はこう見えて、空気を読んでサボる男なんだ。休むタイミングは()じゃない――」と不敵な笑みで返した。

 

 街の状況は“この”不良警官をして、真面目にならざるを得ない程に深刻――。

 それを再度確認したロバートは思わずケビンの普段の勤務態度を揶揄するように、

「慣れない事はするもんじゃない」と、心配交じりの忠告を口にした。

 するとケビンは軽く自嘲を浮かべて、

「それとまったく同じ台詞をリタに言われたぜ……」と返した。

 

 その時のケビンの態度には、まるで『勤務態度に難有り』という理由で、S.T.A.R.S.の選抜試験に二度も落ちたとは思えない頼もしさがあった。

 ロバートは此処へ来て初めてケビン・ライマンという男の“本質”を覗いたような気がして、思わず苦笑を漏らした。

 

「まったく普段からその態度で仕事をしてりゃあ、今頃その背にS.T.A.R.S.の看板を背負ってただろうにな?」

「あぁ、それも言われたな」

 

 ――――という台詞と同時にケビンは次の瞬間、鋭い視線と共に45口径のカスタムオートを両手で構えて、その引き金を引いた。

 独特な構えから放たれる拳銃狙撃は直後、およそ50ヤードも先に在った感染者の頭部を一撃で砕いた。

 

「どんなもんだい?」

 

 ケビンは不敵に笑い、気遣うロバートに余裕を見せつけるかの如くウィンクした。

 毎年開かれる市警の射撃大会では、S.T.A.R.S.隊員のクリス・レッドフィールドと一位、二位を争う程の腕前の持ち主。そして拳銃狙撃に限れば、ケビンは同部隊の隊長を勤める“アルバート・ウェスカー”さえも凌ぐ程だ。

 

「いいぞ! ライマン! もっとやれ!」

 

 するとそんなケビンの神懸かり染みた拳銃狙撃を目の当たりにした市民の集団が、そこで称賛するように口笛と喝采の声を上げた。

 ケビンはそんな周囲からの喝采の声に対して応えるように高く拳を掲げた後、再び要救助者に手を貸す為に雑踏の中に消えていった。

 

「――――まったく……」

 

 ケビンを含めて、既に警察官の多くは昨夜から引き続いて現状に対応をしている。そんな彼らが頑なに疲れを認めないのは、ひとえに市民に対して不安を感じさせまいとする、プロの意識からくるやせ我慢だ。

 それが判るからこそ、まるでどうにもならない現状に対して、ロバートは沸き上がる苛立ちを吐き捨てるように溜息を吐いた。

 

 

 

 

 オリヴィア・パーセルの手記

 

 9月26日

 

 教会へと逃げ込み、長い舌のバケモノと遭遇した。それはつい先ほどの事のように思えるけど、実はあれから数時間の時が経過している。――――既に気づけば、夕方に差し掛かる頃だ。

 

 道中では例の如く『感染者』や、赤い目の『オバケ鴉』といった怪物に遭遇した。

 現実はテーマパークのお化け屋敷とは違う。明確な終わり――なんていうモノは無い……。だからこそ、もしも皆と出会っていなかったら今頃どうなっていただろう? 難所を突破する度に私の脳裏には、どうしてもそんな怖い想像が過った。

 

 強がってはいるけどテリとマックスもきっと私と同じだ。そして、シェリーもそうだ。

 しかし幸いな事にそんな私達を引っ張ってくれる存在に出会う事が出来た。

 “ジョー・ナガト”という日系人の男の子。

 恥ずかしながらその年齢は私よりも下だ……。

 そんな彼が最前線で武器を構えてくれるからこそ、私達はまだ希望を捨てずに居られる。

 しかし少し前から、そのジョーの様子が少しおかしい……。

 こんな状況だから不安や緊張を感じての事だと思ったのだけど、恐らくそういう(・・・・)のとは違う気がする。

 ――――『傷』、だろうか……?

 そう言えば、ジョーは教会で手当てした左腕の事を、やけに気にしてるような気がする。

 骨が折れたわけでもないし、傷自体も大掛かりなモノではなかった筈だ。

 しかしよくよく観察してみると、ジョーはどうにも“あの”傷の事を気にしているようだ。

 ――――気のせいだと良いのだけど……。

 

 ジョーは相変わらず最前線に立ち、私達の為に道を切り開こうとしている。その借りを少しでも返す意味でも何か力になれたらいいのだけど……。

 せめて代わりに祈ろうと思う。

 

 ――――主よ、この声が届きますでしょうか?

 もしも届くのでしたら、お願いします。

 ジョーと私達を……いいえ、このラクーンシティの全ての命を御救い下さい。 Amen

 

 

 

 

 ジョーが自宅から持ち出した僅かばかりの携帯食で栄養補給を行った後、一同は遂に潜伏した教会を脱した。

 目的地は明白で、しかも普段なら取るにたらない道のり――。しかしこの時、一同が目的とする『ラクーン市警察署』への道中は、一同が想像した以上に荒れ果てていた。

 

「………………」

 

 とはいえ最短ルートから迂回した道のりで遭遇した感染者の数は、出発の間際に想定した数よりも少なかった。

 

(――――恐らく、教会で遭遇したリッカーが大半を捕食したのだろうな……)

 

 道中の様子を訝しがりつつも、これを幸運だと喜ぶ仲間達とは別に、ジョーの意識は『バイオの知識』に根差した仮説を組み上げ、そんな結論に至る。

 しかしそんな中途半端な『知識』と、それを利用出来る程度の中途半端な『賢しさ』は、この時はマイナスに働いた。

 

(――――リッカーは確か、潤沢な食料に恵まれた感染者の成れの果てだった筈……。つまり道中から姿を消した多くの感染者は、そのまま先に遭遇したリッカーの餌になったって事か……)

 

 と、何気なしに思考の枝葉を伸ばしていくと、ジョーはまたしても脳裏に『攻撃には“T-ウィルス”も含まれている』という可能性が過るのを感じた。

 

「――――危ない!」

 

 その時、テリが叫んだ。

 路地の暗がりに潜んでいた市民の感染個体が、飛びつくようにジョーにその顎を向けたのだ。

 元は少女の形をしていたらしく、見れば恐らくジョーと同じ年頃。生前は多くの男子の注目を集めたであろう肉感的な肢体の持ち主だった。

 しかし今は、その生前の美貌が、余計に変異後の醜悪さを際立たせていた。

 

「クソ……っ!」

 

 ジョーは掴みかかる勢いに逆らう事なく、咄嗟に素早く身を捻って噛み付き(・・・・)を回避した。

 そして間髪入れずに足払いを仕掛けて、飛び掛かったその感染個体を路上へと引き倒し、すぐさまその頭をブーツの靴底で叩き割るように踏みつけた。

 直後、ゴキャリ――、という乾いた音が一帯に響いた。

 踏みつけられた少女の頭部が、アスファルトの上で石榴のように弾け割れた音だ。

 

「大丈夫か!?」

「あぁ。すまん……、悪い」

 

 間一髪で危険を回避したジョーを気遣い、マックスは不安げに尋ねた。

 ジョーはそこで呼吸を整えながら短く返事を返したが、

 

(いっそのこと、何もかも開き直れる馬鹿になりたいぜ……!)

 

 同時に内から沸く自分への不甲斐なさから、ジョーは思わず舌打ちを零した。

 

 『感染』の可能性という曖昧な不安ばかりがジクジクと心を蝕み、そのなんとも言えない精神的な不快感が注意力を散漫にさせる。故にジョーは、何よりもまず自分自身に強い苛立ちを感じた。

 ――――下手を打てば、即座に後ろに続く他4人も同時に危険に晒す事になる……!

 しかしそうした強い意識で己を律しようとする程、どうしても左腕を掠めた一撃の事が脳裏を過った。

 リッカーとの戦闘の最中に受けた傷は、一見すると本当に小さなモノ。振り回された長大な舌先が僅かに服の上から肉を抉った程度。普段ならば、まともな治療すら検討に値しない傷だ。

 しかし今は真相の一端を知るジョーには、それが文字通り今後の生死を左右する凶悪な呪いに等しく思えた。

 

「………………」

 

 前進を続ける途中、ジョーは思わず自問をした。

 ――――『感染』の可能性を引きずった状態のまま、本当に脱出していいのか?

 

「……っ!?」

 

 元ネタの『ゲーム』では大丈夫だった。だから『大丈夫』だ。

 そんな楽観を抱くよりも早くに、ジョーはふと、今の己がラクーンシティから脱出する行為そのものが、ウィルス汚染を外部に持ち出す危険行為に等しいという予感がした。

 

「――――ジョー! お前本当に大丈夫か? なんかさっきから顔色悪いぞ?」

 

 最悪の可能性に気づいて思わず吐き気が込み上げた。

 同時、眩暈のように視界が明滅するのを感じた。

 マックスの呼びかける声もあって、眩暈の様な感覚は一瞬の内に通り過ぎ、浸りかけた陰鬱な思考の海からもガバリと顔を上げたが、しかし流石に既に『不調』を誤魔化す事は出来なかった。

 

「――――また『大丈夫』とか言って、下手な嘘を吐くつもり?」

 

 尋問するような厳しい視線と共に、テリがピシャリと言った、

 

「いい加減、鬱陶しいから止めてくれない? はっきり言わせてもらうけど、アンタの不調は私達全員のピンチに直結するの。だから思ってる事があるなら、せめて溜めずに吐き出しなさい」

「――――さっきの舌の怪物との戦闘で、何かあったの?」

「………………」

 

 テリは尋問する様な言葉に続き、オリヴィアも促すように尋ねた。

 ジョーは図星を突かれて一瞬、沈黙をした。

 しかしその様子が寧ろ『何か、あった』という明確な答えとなり、またそれが一同の間に伝搬した事で、ジョーは遂に心の内を打ち明ける事にした。

 

「――――アークレイ山地で起きた猟奇事件の事は知ってるか?」

「えぇ。知ってるわよ。『アークレイの食人鬼』とかいうオカルトの元ネタでしょ?」

 

 その唐突な問いにテリは怪訝に眉をひそめて尋ねた。

 

「それが何だっていうのよ?」

「そのアークレイ山地の食人鬼事件が、まさに今起こっている騒ぎの発端だって知ってるか?」

「……は?」

 

 その時、ジョーはまたしても視界の端で起き上がった新たな感染者を察知した。

 

「――――とりあえず場所を変えよう。そこで俺の知る限りの事を話す……」

 

 ジョーは一度、場所を変える事を提案した。

 そして手頃な休憩地点を見つけた後、内に秘めた“毒”を吐き出すように、事の『発端』を切り出した。




次回 未定


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08 『憂悶』 アウトブレイク

「――――S.T.A.R.S.って、警察の特殊部隊の事よね?」

「あぁ。そのS.T.A.R.S.だ」

 

そんな確認の言葉にジョーは短く頷きで返した。

 

「最終的に生き残ったのは5人だった。その生き残り曰く、『アンブレラ社が例の動く死体――感染者を産み出すウィルスを作った』だ、そうだ……」

「悪いけど、流石に陰謀論も甚だしいわ。その話だと、アンブレラ社が街をこんな風にしたって事になるじゃない? どこの世界に自宅の庭に枯葉剤を散布する馬鹿が居るのよ。この街はアンブレラで潤ってる箱庭みたいな土地よ? それを自分から滅茶苦茶にするなんて――――」

「無論、連中にしてもこの惨状は不本意に決まってる。これは一種の『バイオハザード(生物災害)』なんだ」

「――っ」

 

 常識的な見地からジョーの話を否定に掛るテリ。

 そんな意見にジョーは皮肉を交えながら現実を突き付けるように言った。

 

「ねぇ、“ウィルス”兵器って言ってたけど、それってもしかして――――」

「あぁ。恐らく、その懸念は正解だと思う。例のウィルス兵器が『感染者』を生み出していると、俺はそう(・・)聞かされた」

「……っ! それじゃ、まさか――――!」

 

 オリヴィアが抱いた懸念に対し、ジョーはそれを肯定するように諦観の混ざった声色で心情を遂に吐露する。

 

「さっきの“傷”が原因で、俺も他の連中と同じように『感染者』になるかもしれない……」

「……っ、考えすぎだろ!」

「ありがとよ、マックス。まぁ、確かに杞憂のままに終わるかもしれない可能性だ。だけど、どうしても“悪い”予感って奴が頭にチラつくんだ。……それで色々と不安になった。そういうわけさ」

「………………」

 

 まるで我が事のように苦しみながら気遣いの言葉を投げるマックスに対して、ジョーはそんな感謝の意を返した。

 

「今更言うのもなんだけど、マジで怪我だけはしない方が良い……。これだけは確かだ」

 

 不安を含めて思う所の全てを吐露した時、胸に溜まった膿が全て流れ出たような奇妙な清々しさを感じた。

 それが一過性に次ぎない事だと理解しつつ、ジョーは自嘲の混ざった忠告を一同に送り、再び立ち上がる――。

 

 

 

 

 感染者の侵入を恐れた市民の手により、人が入りこめる程度の狭い路地には、大抵が鎖や縄を駆使した封鎖が施されていた。コレが扉と鍵だけの封鎖なら破壊も容易なのだが、流石に鎖で開け閉めを頑丈に封印されている箇所となると、遠回りな迂回を選択せざるを得ない。

 

「こうした状況に陥った場合の備えとして、一家に一つは“チェーンカッター”の購入を義務付けるべきだな?」

「あぁ。それと“バール”と“クランク”と“チェーンソー”も、そのリストに加えてくれ」

 

 そうした迂回を迫られる機会の多さには、流石にジョーも辟易とした溜息を吐いた。

 するとマックスもその呟きに同調をした。

 

「ついでにそれを購入する為の資金の給付を『法律で義務付ける――』って輩が次の選挙で候補に挙がるなら、俺はそいつがたとえ前科持ちの性犯罪者であっても、支持してやるぜ……」

「馬鹿な事言ってないで前を見なさい、マックス! 前!」

「――やっべ!」

 

 その時、テリが鋭くマックスに危険を促した。

 その後ろでシェリーが危険に息を呑んだ。

 マックスは突然の叱責に驚きながら、この数時間の間にすっかり扱いに慣れたショットガンを駆使して、新たに立ち上がった感染者を吹き飛ばした。

 

「――っ!? 銃声……?」

 

 その時、マックスの撃ち放ったショットガンの銃声に重なるようにして、ジョー達とは違う別の誰かの放った“発砲音”が僅かに聞こえた。

 その音に耳聡く気付いたジョーは、思わず周囲を見渡した。

 

「どうしたの、ジョー?」

「いや……。今、銃声が聞こえなかったか?」

「え……?」

 

 するとその時、

 

「おい! ジョー・ナガトか!」

 

 路地に面した建物の二階部分から、一人の男が顔を覗かせて叫んだ。

 その問いからして相手はジョーの事を知っている様子だ。しかしジョーの方は別であった。

 少なくとも二階の窓からチラリと見えた程度では、流石にその人物を特定するには至らず――、

 

「誰だ!?」

 

 ジョーは思わず声の主に問いを返した。

 すると返答のように見上げた建物から複数の銃声がこだました。

 そして逼迫した様子で、もう一度件の男は声を荒げた。

 

「俺だ! ケビン・ライマン!」

「……っ、ケビンだって!?」

 

 そこでジョーは遂に相手の正体を理解した。

 名指しで呼ばれるのも当然だ。相手は『ケンドの銃砲店』の常連であると同時に、ジョーにとっては父親の友人の一人。ラクーン警察に勤める警察官だ。

 

「無事なのか!」

「まぁな! だけど助けならいつでも大歓迎だ……いや、悪い! 手を貸してくれ!」

 

 危険の渦中にある様子だが、それでもその出会いにジョーは思わず声を弾ませた。

 先ほどまでの思考の陰鬱さが思わず晴れるような気分を感じた。

 

「知り合いなの?」

「あぁ、優秀な不良警官だ」

 

 疑問を浮かべたオリヴィアにジョーは短くそう返事を返した後、早速ケビンの撃ち鳴らす発砲音のある建物の入り口へと走る。

 

「く……っ、此処も封鎖されてやがるのか!」

 

 しかし突入しようにも、例の如くその建物入り口部分には、内側から頑丈な当て木の補強がされてあった。

 蹴り破るにしてもジョーの体格では破壊が難しく、思わず迂回する道を探そうと思案に耽る。

 その時――、

 

「おい、どいてろ!」

「マックス?」

「こういう時こそ俺の出番だろう?」

 

 マックスがジョーを押しのけて己を指さした。

 任せろと言ってのけるマックスの体格は、日系人のジョーに比べると、非常にアメリカ人らしい肥満気味の巨躯。故にそんなマックスの提案に、ジョーはすぐさま場所を譲った。

 するとマックスは隙間にショットガンを銃口を向けて、続けざまに二発撃ち放った。外から補強用の当て木に皹を入れたのだ。

 そしてショットガンを一度テリに預けた直後、

 

「うぉらぁ――っ!」

 

 そんな裂ぱくの掛け声と共に豪快な体当たりを扉にぶちかました。

 

「すげェな……!」

「大学時代にとった杵柄って奴さ。フットボール部で……まぁ、レギュラーは取れなかったけど」

 

 頑丈な扉が目の前で派手に吹き飛ぶ様子には、思わず感嘆の吐息が漏れた。

 そして一同のそうしたリアクションを前に。マックスは思わず照れくさそうに言った。

 

「それでも凄いわよ!」

「うん!」

 

 しかしそんな謙遜をよそに、オリビアとシェリーは称賛と笑みを浮かべた。

 

「と、とにかく! これで先に進めるぜ。……助けに行くんだろ?」

 

 マックスはジョーに視線を向けて促した。

 するとジョーは短く「あぁ」と頷いた。

 

「行ってくる。――――此処は任せる!」

「おう、任せな!」

 

 そしてその場をマックスに任せて、ジョーは単独、建物内部へと突入した。

 

 

 

 

 距離を詰める程に階上での銃撃戦の音が激しくなる。そして同時に戦闘の騒音に呼応して、室内で沈黙を保っていた死体が、次々と新たな『感染者』として起き上がる光景を、ジョーは目の当たりにした。

 

「――――寝てろ、クソったれ!」

 

 階段を塞ぐ様に立ちはだかる白髪の感染者。その膝を撃ち抜き、再び床の上に転倒させた後、ジョーは倒れこんだその頭を段差の角に叩きつけるように蹴り潰した。

 足元で首の骨が折れる音がしたが、それすらも無視してジョーは階段を駆け上がる。

 

「ケビン!」

 

 そして遂にジョーは三階部分の最奥で闘うケビン達の姿を視認した。

 ジョーはそこでケビンの他、更に3人の生存者が居る事に気づいた。

 

「見ての通りだ! 援護してくれ!」

 

 援護を求めるその声に応じるが如く、ジョーは早速、ケビンらに迫る感染者の一体に向けてベレッタの引き金を引いた。

 これまでの逃避行から得た経験によって、ジョーはほとんど反射的に、ケビンに迫る感染者の膝の皿を狙い撃った。それは先頭が転倒した事で、後続の群れも躓き転ぶ事を狙っての一撃だ。

 ――――すると図らずも、そこで高度な連携が成立した。

 ジョーの一撃から生まれた『隙』という波紋を、ケビンはその意図を含めて、そこで的確に知覚したのだ。

 ジョーは撃ち放った一撃を発端に崩れた感染者の群れに対して、ケビンは寸分違わずそこで連続したヘッドショットを放った。

 

「――――大丈夫か!?」

「あぁ、何とか……! だけど――――」

 

 喫緊の脅威の無力化に成功した隙を狙い、ジョーは一気にケビン達との距離を詰める。

 そしてケビンと彼の庇う3人の生存者の下へと駆けると、ジョーはそこでJ's Barのウェイトレスの衣装に身を包んだ“シンディー”の名札を付けた女性と、同じ警備会社のジャケットを纏う二人の老人の姿を確認した。

 するとその二人の老人の内、白人の方が胸を押さえて顔に強い苦悶を浮かべている事を察した。

 

「怪我か?」

「いいえ、怪我じゃないわ! 恐らく発作の類……!」

「発作……! ……この状況で――――」

 

 ジョーが容体を問うと、そこで“シンディー”の名札を付けたウェイトレスがそう説明をした。

 

「おい、若いの! 今は脱出が先だ! すまんが出口までの案内を頼む!」

 

 すると発作を抱える相棒の肩を支えていた恰幅の良い黒人の初老が、鋭い声で言った。

 

「マーク……俺を此処で……!」

「もういい、ボブ! 喋るな!」

 

 胸を押さえて苦しそうな白人の男は“ボブ”。その支える恰幅の良い初老の黒人は“マーク”と呼ばれていた。

 そんな老人2人とシンディを庇うように、ジョーは再び銃を構えて、同じく銃を手にするケビンと並び立った。

 

「こっちだ」

 

 ジョーは元来た道を顎で指した。

 

「すまんな。若いの。それとシンディ。悪いが、ボブの事を頼む!」

「えぇ、判った。だけどマークも無理だけはしないで……!」

「あぁ、判っている」

 

 そこでマークはボブの身をシンディに預け、代わりに懐から大口径の拳銃を取り出した。

 そしてケビンとジョーの戦列に並ぶように、そこで銃を構えてみせた。

 

「この身を容易く喰らえると思うなよ、クソったれ!」

 

 背後から迫る感染者の群れに対して、マークは激しく罵った。

 

 

 

 

「――――ジョー! 早くしてくれ! もう限界だ!」

「もう少し頑張れマックス! 今行く!」

 

 シンディーがボブを支えながらも、遂に出口へと至る。

 それを死守する数分の間、ケビン、マーク、ジョーの3人掛で迫る感染者の圧力に対抗した。

 一階の入り口付近では、マックスが懸命にショットガンを振り回して、一同の退路の確保に勤しんでいた。

 しかし遂に限界が訪れる。

 マックスの悲鳴染みた声が響いた。

 

「早くいけ、爺さん!」

「くっ、すまん! 若いの、任せる!」

 

 歩みの遅いボブを先に下がらせつつ、ジョーとケビンは殿として立った。

 肩、首、側頭部――、その順番で連続で撃ち抜かれた目の前の一体が、派手に吹き飛んだと同時、ジョーの手にしたベレッタのスライドが固定される。――――残弾が尽きたのだ。

 

「くっ! ケビン、先に行くぞ!」

「OK!」

 

 ジョーはケビンに叫ぶなりベレッタをホルスターに戻して、目の前で足を引き摺るようにして撤退するマークの肩を引っ張り、マークと共に一足先に外へと躍り出た。

 そしてもう一度建物の内部に戻った後、今度はケビンの脱出を援護する為に虎の子のマグナムリボルバー(コルトアナコンダ)を抜いた。

 

「助かる!」

 

 その際のジョーの援護によって、追いすがる感染者の群れから大きく距離を取る事に成功したケビンは、その去り際に室内の廊下に備え付けられていた消火器を撃ち抜いた。

 ――――バンッ! という派手な破裂音が響いた。

 そして直後に建物の一階部分が消化剤の白煙によって包まれた。

 その隙を見てケビンも遂に建物からの脱出に成功した。

 

「怪我は?」

「あぁ、なんて事ねェよ」

 

 ジョーの問いに対しケビンはこれ見よがしな態度で、硝煙を吹き消すような仕草をした。

 

「――――ねぇ、とりあえず此処から離れない? なんか、すっごくヤバイ感じがするわ」

「……っ!?」

 

 マグナムを戻して残弾の尽きたベレッタに最後のマガジンを装填した矢先、テリが顔を引きつかせながら一同の視線を路地の奥へと誘導する。

 するとシンディがボブの肩を支えながら言った。

 

「ジーザス……」

 

 戦闘音を聞きつけた感染者の群れが、一同の背後から更に津波のように迫っていた。

 

「とりあえず、お互い自己紹介は進みながらで良いよな?」

「そいつはいい提案だ……!」

 

 ケビンが冷や汗混じりに提案すると、マックスが一同を代表するように泣きそうな顔で応じた。

 そして直後、その場に会した一同は、各々に出来る事を独自に判断して動いた。

 テリとシンディーは発作で胸を押さえるボブの肩を引き、オリヴィアとシェリーが足に障害を持つマークの歩みを支えた。そしてケビンとジョーとマックスの三人は、そんな生存者の集団の外周を囲むような隊列を取り、銃を構えた。

 警察官として市民の救助に動いていたというケビンの案内で、一同は最短のルートで警察の敷いた防衛陣地へと急ぐ――、

 

「っ、うぅ……ぁ……ぐ……」

「ボブ! しっかりしろ! もう少しだ!」

 

 しかし路地の向こうに多くの生存者の気配を感じ取った頃。遂に予期された“結末”が訪れた。

 持病の発作に耐え切れず、ボブが遂に膝をついたのだ。

 

「ボブ!」

 

 同じ警備会社に勤めるマークは、思わず叱咤するようにボブの肩を掴む。

 しかし既にボブの容態は、知り合って間もないジョー達にも容易に把握できる程であった。

 

「お、おい! 大丈夫なのか!? ――っ……テリ?」

 

 マックスが思わず不安に声を荒げて駆け寄ろうとした。するとテリがマックスの肩を引き留める様に引いた。

 

「………………」

 

 テリは悲痛を押し殺した顔で、察しろとばかりに首を横に振った。

 

「ボブ……」

「――――ほら、見せもんじゃねぇよ」

「……そうね」

 

 長く逃避行を共にしたシンディーもそこで悲痛に顔を伏せた。

 ケビンはそんなシンディーの肩を思わず抱いて支えた。そして同時に様子を伺っているオリヴィアとシェリーも遠ざけるべく、そう言葉を投げる。

 

「下がりましょう」

「……うん」

 

 ケビンの行動は図らずも、ボブの最期を強く二人に確信させた。

 とはいえ二人ともそんなケビンの誘導に抗う事はせず、シンディーと同様に粛々と従った。

 

「………………っ」

 

 そしてジョーはこの時、不意に左腕に刻まれた擦り傷から、ジクジクとした痒みの様な疼きを感じていた。そしてその不快感を掻き消すように思わず、傷の上から握りつぶすように左腕を押さえた。

 

「――――ボブ、しっかりしろ! もう直ぐ助かるんだ、こんなところで諦めるな!」

 

 一同の悲痛な視線がボブとマークの二人に注がれる中、唯一マークの必死な声とボブの力無い小さな声だけがその場に響いた。

 

「いや、ダメなんだ……マーク……。もうこれ以上、俺は……足手纏いになりたくない……」

「何を言ってるんだ、立て! 立て、行くぞ! ほら、立つんだ!」

「違う……違うんだ、マーク……! 奴らと同じなんだ……。現に今、俺は……お前の肉を食いちぎりたい……!」

「ボブ……!」

 

 その時、ボブはマークの懐から拳銃を掠め取った。

 

「っ!? 何を――――!?」

「すまん、マーク! もう、俺の事は放っておいてくれ……」

「ダメだ、ボブ!」

 

 ボブは銃を取り上げようとするマークに向けて、一度だけその銃口を向けた。

 その顔には、ポロポロと零れる涙があった。

 

「ダメだ――――!」

 

 マークがそう声を荒げた直後、その制止をかき消すような銃声が響いた。

 やけに澄んだ跳音と共に、硝煙を放つ空薬莢が地面に転がった。

 そして程なく、ボブの身体が崩れ落ちた。

 

「――――ボブ!」

 

 自決を選んだ掛け替えの無い相棒の死に、マークは激しく慟哭した。

 その声が一帯にこだますると程なく、小さな嗚咽が上がった。

 

「……行くぞ」

 

 ボブの死に対して悲痛な声を上げて涙を流すマーク。その肩を容赦なくケビンとマックスが引き上げた。

 二人ともそれが極限に無粋極まりない行いだという自覚は当然持ち合わせていた。しかし背後に迫る感染者の脅威から逃げ延びる為には、どうしてもそんな無礼が必要だった。

 ――――そして、そんな意図をマークも理解していた。

 従軍経験もあるからこそ、マークもそこで無理やり腕を引く二人の意図を察して、癇癪をぶつけるような真似はしなかった。

 しかし、

 

「――――馬鹿野郎……!」

 

 内から滾々と込み上げる『理不尽』に対する怒りは尽きなかった。 

 

 

 そんな理不尽で残酷なこの世界の現実を目の当たりにした一同が、再び歩みを始めた頃――。殿(しんがり)の位置に立ったジョーは、ふと置き去りにしたボブの屍に目を移した。

 埋葬の機会など永遠に訪れる事無く――。ただそこに置き去りにされた遺骸は、もはや街のどこにでも見受けられる『感染者』の沈黙する姿と対して変わりなかった。

 そしてその寂しい姿を見ていると、思わず振り払ったはずの『感染』と『死』への予感が、再び脳裏を過るのを感じた。

 

「――――ジョー?」

「……っ」

 

 その時、立ち止まったジョーにシェリーが気付いた。

 シェリーはおずおずとジョーに歩み寄り、不安を押し殺した顔をジョーに向けた。

 

「あぁ、悪い……。どうした、シェリー?」

「あのね。昔、ママが教えてくれた事なんだけど……人間の自然治癒の力は凄いんだって! それに応用とか自然環境への適応とか……とにかく凄いんだって! だから、その……大丈夫だよ!」

 

 この時、ジョーは内心に込み上げた不安がシェリーに筒抜けだった事に気づいた。

 すると恥ずかしさと同時に、思わず苦笑が込み上げるのを感じた。

 

「………………そうか。ありがとよ」

 

 拙くとも気遣おうとしてくれたシェリーに、ジョーは思わず礼を言った。

 そして歩みを促すように、シェリーの背を叩いた。

 

 ――――暗い路地を抜けてバリケードが組まれた警察の防衛陣地に辿り着いたのは、それから間も無くの事であった。

 

 

 

 

「――――生存者だ! 手を貸してくれ!」

 

 赤と青のパトランプが点いた車両と制服姿の警察官。この未曽有の生物災害(バイオハザード)に対して繰り返し微力だと伝えられてきた存在を象徴する要素だが、それでも今は、そんなありふれた警察のイメージに、一同は強い安堵を覚えた。

 陣地に展開する警察職員は路地を抜けてきたジョー達に気づくと同時、撤退を援護するように、その背後に迫る感染者の群れに武器を向けた。

 見れば、その中には武器を持った民間人の姿もある。

 

「ジョー・ナガト!」

 

 その時、ジョーの名が叫ばれた。

 驚き、視線を向けると、警察と武装した市民の顔触れの中に友人の『ロバート・ケンド』の姿もあった。

 

「――っ!? まさか、店長!? なんで、まだ此処に――――」

「お前を待ってたんだ、馬鹿野郎っ! 無事でよかった! 本当によかった、クソったれ!」

 

 ロバートは遂にジョーの姿を見つけたと、そこで怒鳴るように安堵を見せると同時、強くその肩を抱きしめた。

 

「………………っ!」

 

 心の底から叫ばれたであろうロバートの安堵の言葉を前に、とても『感染した可能性がある』なんて台詞を吐く事は出来なかった。

 ジョーはなんとも言えない憂悶した感情を堪えながら、その抱擁に応えた。




次回 未定


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