試製・転生請負トラッカー日月抄~撥ね殺すのがお仕事DEATH~【一般版】 (珍歩意地郎_四五四五)
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第1話:寝取られ男が夜を驀進するのだ(1)


(注:第1話は【バルザック防壁】起動中)


 夜の国道が、目の前に延びていた。

 

 赤、緑、青。様々なイルミネーション。

 「パチンコ」が「 チンコ」になるなど、所々消えているネオン。

 うらぶれた地方都市の、夜の風景。

 彼方にポツンと現れたかと思うとズームして近づき――そしてながれ去る。

 

 まるで人生そのものだ、とオレは想う。

 ほんのつかの間の出会い。そして別れ。

 

 “サヨナラだけが人生だ”と言ったのは、誰だったか。思い出せない。

 

 強力なヘッドライトに浮かび上がるセンターラインが、まるでこちらを殺しに来て果たせぬ長剣のように、後からあとからやってくる。

 

 どこまでもしつこく――しつこく――しつこく。

 

 運転台の上で揺られながら、フン、と嗤う。

 

 ――オレを殺したいか?なら殺してみろよ……。

 

 アクセルを踏む足に力がはいる。

 

 足裏にかかる狂暴なパワー・ユニットの気配。

 それが身震いするほど心地いい。

 長剣の流れがはやくなり、車体は唸りをあげ、猛牛めいた加速をみせる。

 

 見た目は中型トラックだが、じつは特殊な目的で作られた鋼鉄製の大重量車体。

 正面装甲は、場所によってパンツァー・ファウス(対戦車兵器)トとタメを張れると聞いている。メルセデスと正面衝突しても、相手をアルミ缶のように滅殺できるほどの強固さを秘めているのだ。そもそも設計思想が、普通の車と根本的に異なっていると来ては、ソロバンづくで造られたそこいらのヤワな車とは、どだい比較にならない……。

 

 目標を轢殺するための(ただそれだけの)動力つき処刑マシーン。

 完全無慈悲な、悪魔のトラック。

 

 ――いま、免許を手放したがらない半ボケ爺ィの軽自動車が逆走してきたら、シュレッダーにかけたようにツブしてやるぜぇぇぇ……。

 

 そこまで考えて、ようやく今夜の自分の危うさに気がついた。

 

 羽振りの良かったころ、ロンドン出張で買ったアラン・フラッサー製のジャケットを探り、ポケットの上から圧力注射器の硬さを確かめて気分をおちつかせる。

 

 NTRられ離婚したころ、お世話になった鎮静剤。

 

 ふと、おれはダブル・キャブの天井からぶら下がる写真をチラ見。

 半分に切られたそれは、女らしき腕に抱かれてほほ笑む小さい子供。

 背景の公園が、幸せだったころの記憶をよび、かえってツラくさせて。

 

 ――口もとのへんなんか、オレそっくりなのにな……。

 

 思えば金をケチらずに、そしてなにより“仕事を休んで”時間をつくって(そう――借金をしてでも!)もっと優秀な弁護士を雇うのだった。

 

 今となっては、いくら悔やんだって追いつかない。

 

 元・海外営業のエースだったこのオレが“ブーム(クレーン)”付きトラックのハンドルを握って夜道を運転(コロ)がしてるなんて、いまでも何かタチの悪い夢のような気がする。一年以上たった今でも、社内の段取りに四苦八苦する夢を見るし、目覚めたら目覚めたで、為替差損のための$/¥(ドル・円)レートがイの一番に気になるオレなのだ……。

 

 フッ、と気がつけば、前方の信号が赤。

 

 ――ヤバイ!

 

 考えごとをしていたので反応がおくれた。

 しかもスピードが出ていた大重量の車体は言うことをきかない。

 回生ブレーキを効かせつつ急制動にはいるが、重装備のダブル・タイヤでもグリップを効かせそこね、少しばかり尻を振る。

 

 プッ・シューッッッ……ギッ!という車体の軋み。

 

 どうにか停止して、額の冷や汗をはらっていると、

 

 

『危ないですね――中年の物想いはキモいですよ』

 

 

 メーターパネルで上下するレベルメーター。

 滑らかな人工音声が、いきなりキャビンに流れた。

 

 トラックに実装されたスカニヤ製スーパー人工知能【SAI】※1

 

 業務をフォローする、運航補佐役の自律システム。

 ウソかホントか知らないが“漁師コンピューター”(説明書にはホントにそう書いてあった)100台分の演算能力を誇るという。

 まぁ、確かに魚群探知機100台分の知識はあるかもしれないが……。

 

『どうしたんです今夜は先ほどから――ひょっとして生理ですか?』

 

 ほら出た。

 

 コイツの恐ろしいところは、こういうツマらないジョークをフツーに挟んでくることなんだ。

 そう、まるで本当に量子コンピューター並みの知能があるかのように。

 

 古今東西の歴史的な事象や哲学的な問答。

 はては料理のレシピや対戦型ゲームのツボまで。

 そして何より驚くべきコトに()()まで持っていやがる。

 

 最初はオンラインでコールセンターから発信されているのだと思った。

 そのうち、完全に独立した仮想人格と納得できたときは、加速する時代の進歩に舌を巻いたものだっけ。

 

「ナァに、ちょっと……むかしを思い出しただけだ」

 

 オレはため息をつきながら応えた。

 すると、この人口知能は敏感にこちらの胸のうちを察知したのか、

 

『あぁ。ひょっとしてまァた、あの“腐れマ○コ”のことですか』

 

 すぐさまウンザリしたような合成音声で応え、

 

『人間というのは不思議ですね――いつまでも過ぎたことを悩んで。時間は戻せないのだから、徒労というものですよ』

「それが人間なのさ、SAI。お前とオレとの違いだ」

『じつに不合理ですね。そんなコトだから、最近の轢殺ノルマが果たせず統括主任に朝会で怒られるんですよ』

 

 悔しいが言い返せない。

 最近のオレの轢殺成績は、お世辞にもイイとはいえなかった。

 どうしても、なにかこう、ターゲットに情が入ったりしてしまう。

 殺してもまだ足りない連続強姦魔とか、アニメビルの放火犯の類なら、よろこんでアクセルを踏むのだが。

 

 ――今日のターゲットも子供だ。

 

 反社会性人格障害の萌芽が見られるというのが、その理由だそうだが……。

 

『ホラまた考えごとしてる』

 

 いかにもウンザリしたようなSAIの声。

 

『サッサと忘れてシリを拭き終わった便所紙のように水に流してしまいなさい。心的負荷をかけた状況では、仕事の成功率も激減します』

 

 そして勝手にカーステを起動させると、古いシャンソンがキャビンに流れる。※2

 

 エディット・ピアフのビブラートがきいた声を聴いているウチに、波立つオレの心も落ち着いてきた。もしかしたら、運転時の精神状況もつねにワッチされているのかもしれない。

 もしそうなら、そのデータは間違いなく本部に送られていることだろう。下手な行動は、轢殺ドライバーの命取りだ。

 

 ――♪Je repars à zéro(わたしは やりなおす ゼロから)……。

 

 曲がおわると、オレはつとめて明るい声で、

 

「ワぁッてるよ【SAI】……さっさと仕事済まして、帰ろうぜ」

 

『……』

 

「――【SAI】?」

 

 返事がない。

 

 さてはコイツ、またロクでもないシネマにでも見入ってるのか。

 なにを隠そう、このスーパーAIの趣味は映画・ドラマ鑑賞だというのだから恐れ入る。ときおり混じる下品なギャグや言い回しは、みんなそこから仕入れたのだろう。

 

 ――やれやれ……。

 

 昨今のエルゴダイナミクス(人間工学)に逆行するような、インジケータ―盛り沢山のコンソールを見れば、時刻は今しがた20時を過ぎたところ。

 

 目標の会合地点までは、あと30分あるとナビは告げていた。

 

 オレはハンドルについているスイッチの一つを動かし、耐・衝撃用に特殊設計されたバケットシートをHARD→SOFTへ。シートの詰め物であるスプリングと中の形状記憶素材が電圧の変化をうけ、身体のホールドがゆるくなる。

 身体をずらし、ウィンドウを下げて停車位置の周囲を見わたした。

 

 斜陽気味な地方都市の夜は、早い。

 

 たしかここいらは、地方財政再建促進特別措置法の適用も視野に入ってきた場所のはずだ。

 すでに通りをゆく人影もまばらで、たまに見かけるのは、部活か塾帰りと見える自転車の小・中学生ぐらい。

 商店街などは砂ぼこりだらけのシャッターを下ろし、いまどき珍しいUFO型の街灯が、わびし気に路面を照らしている。

 

 せっかく停車しても対向車はおろか、横断歩道や側面からくる車両もなく、一人と一台が交差点にポツンとたたずんでいるだけ。

 横断歩道のちかくにあるエロ本自販機が錆びだらけな筐体を傾げたまま佇んで、景色のわびしさを倍加させていた。 

 

 ――まぁ“仕事”をやるうえでは、人通りが少ない方がヤリいいんだが……。

 

 ふと、上を見上げたとき、恐ろしいほどの大きさで(ルナ)が彼方から自分を見下ろしているのに気づいた。

 

 ――狂気(ルナ)……。

 

 オレはぶら下げた写真をふたたび見つめる。

 切り取った写真の先には元妻の笑顔があったはずだ。 

 

 間男をつくり、出て行ったクソ女。

 

 相手は外資企業の日本オフィス担当らしい。

 オレより若く、そして社内での地位もあるとか。

 おまけに本国には、ちゃんと正式な妻がいると聞いていた。

 

 離婚は――べつにかまわない。

 互いの仕事の忙しさに、すれ違いが多くなっていたのも事実だ。

 稼ぎを比べればトントンだったが、それはブラック寸前な残業でこちらが下駄をはかせての比較だ。見方を変えれば株式を公開すらしていない小規模な会社とは言え、定時に帰宅できて同じ収入をたたき出す向こうの方が稼ぎが良かったともいえる。

 

 ――が。

 

 しょせん現地妻である身分を承知しながら、相手に(はし)ったバカ女。

 そんな女を配偶者(つま)としていたこと。そしてこの手の連中のお愉しみに気づかなかった自分の間抜けさ加減が腹立たしい。

 フランスだったら角を生やされ、影で馬鹿にされていたところだ。

 

 そのうえ日本のイカれた司法のため、浮気した側に娘の親権を取られたあげく、養育費まで毎月支払うハメになったときは、なにかの冗談だと思ったものだが。

 

 脱力したキッチンの床の冷たさ。

 蛍光灯の白々とした灯りのもと、ダマスカス包丁の冴えた刃紋。

 ラジオから流れてくる白々しいアンカーのセリフと陽気な音楽。

 いまでも生々しく記憶に残っている。

 

 それが1年とすこし前。

 

 破壊衝動を満たしてくれるこの仕事についていなかったら、果たしてどうなっていたか。

 ひょっとして今頃は、どこかで車を使いスクランブル交差点に特攻したあげく、ナイフで無双してマスコミどもを喜ばす三面記事にでもなっていたかもしれない。

 

 ハローワークから始まった人生の転換。

 半官半民(三セク)らしい奇妙な会社への案内。

 不思議な面接を重ねること数回。

 そして――たどり着いた()()()()()()()

 2年前の自分に言っても、鼻で笑われるだけだろう。

 ことほど左様に、世の中は気ちがいじみている。

 

 

 ――今月も、あとすこし頑張れば養育手当分は稼げるな……。

 

 後ろからクラクション。

 

 いつの間にか背後に車がついていた。

 見れば信号はすでに青へと変わっている。

 

「なんだよ【SAI】、教えてくれよ……」

 

 人工知能からは、またも返事が無い。

 やれやれ、一体なんの映画を見ているコトやら。

 そしてヤツの下品なジョークに、新しいレパートリーが増えるというワケだ。

 

 ハザードを“詫び状”代わりに一回。

 かえす指で、見た目にはブームを背負った中型トラックだが、重さは優に10トンを超えるこの化け物を、エイやとばかりに始動。

 

 強力なモーターで車体は滑るように動き出し、そしてエンジン(内燃機関)が復活。

 磨かれた車体に街の灯りを滑らせ、夜の国道を鋼鉄の化物が滑りだす……。

 

 黒いスポーツカーが黄色い車線を無視してトラックを追い抜き、渇いたエンジン音を快調に響かせて、赤いテールランプを小さくしてゆく。

 

「きをつけろよ……?」

 

 思わずオレはつぶやいた。

 

「人生なんて――ドコに落とし穴があるか、分からねぇンだからな?」

 

 そして一度転落すれば、なかなか元に戻るのはムズかしい、と。

 すこし入りの悪いシフト。

 オレはそれを一段上げ、このクソ重い車体を更に加速してゆく……。

 

 




※1:『スカニア』と実車名を書くとトラックの目的が目的なのでヤバく感じられ、『スカニヤ』としました。

※2:エディット・ピアフ 『水に流して』
   https://www.youtube.com/watch?v=hHHO3-DYh3I


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         〃        (2)

               * * *

 

 

 ひとりの小太りな少年が、荒れ放題な自分の部屋を後にした。

 

 ポケットには血のついたカッターナイフ。

 手には重そうなコンビニの袋。

 その袋のなかには学校で飼っているウサギを一匹盗みだし、あばれる身体を叩きつけて殺したあと、物陰のU字溝でノドから血を抜いて新聞紙に包んだものが入っている。ご丁寧にも新聞紙の上には石鹸や電球などをおき、もし警官の職質を受けてもコンビニ帰りを演出することができるようにという姑息(こそく)な念の入れよう。

 

 ――復讐だ……。

 

 さきほどまで見ていた掲示板で“キチ○イ”認定され、腹いせにさんざん暴れたすえ一方的に勝利宣言をしてアプリを閉じた彼は、怒りの勢いも衰えぬままスニーカーを履き、そっと夜へと流れ出た。

 

 5月とはいえ山間部の地方都市。まだ肌寒い夜のこと。

 皓々たる月の白さが視覚効果も手伝って、さらに体感温度を下げるように。

 

 空家の目立つ、街灯の乏しい住宅街の森閑とした夜道。

 そこを肩で風を切って征くと、妄想のつばさがグングン拡がり、元気がムクムクと湧き上がるのを彼は感じる。

 

 ――我こそは……。

 

 夜の支配者。

 闇の魔王。

 占領下の暗がりにひそむ工作員……。

 

 目標は、おなじ中学に通う“お高くとまった”同級生の女子生徒。

 

 

「ゆるせねぇ……天誅(てんちゅう)だ……」

 

 

 闇の中で、少年は熱い息をはく。

 こぶしが固く握りしめられ、奥歯がギリリと鳴った。

 

 彼は、その顔つきと挙動から、目標の少女を頭とする女子グループに好き放題、やりたい放題にいじられていた。

 

 上履きをかくされたり、机にラクガキされるのは日常のこと。

 カバンの中に女性の下着や生理用品、ひどいときには弁当のなかに使用済みの避妊具(コンドーム)まで入っていたことすら。

 

 二週間ばかり前の出来事だった。

 たまたま物理の小テスト答案が間違って配られたことがあったが、自分の手元に来た少年の答案用紙を、彼女はクラス中にひけらかして見せたのだ。

 

 100点満点中、13点の結果を。

 

 クラス中の哄笑。

 

「ホント……バカは仕方ありませんわね」

 

 つけつけとした少女の言葉。

 さらに高まるクラスの嘲笑。揶揄。

 しかし、そんな中でも彼女の無残な行動にたいする辛辣(しいらつ)な視線が教室内で(そっ)と交わされ、彼は少しだけ救われる思いがしたものだった。

 しかし教師は苦笑するだけで、教室のさわぎを止めようとしなかった。

 クラス中の注目をあびつつ、彼はいたたまれない思いで立ち尽くし、唇を噛むしかない。

 

 だが――その点数は、テスト範囲をワザと間違えて教えられたのが本当の理由だった。

 普段の彼は、そこまで勉強が出来ない方ではない。だいたいクラスの平均ぐらいは死守しているのが常である。後になって、これも目標の少女の息がかかったクラスメイトによるしわざだったのを、彼は女子生徒がウワサする場に出くわし、コッソリと廊下のかげで聴き心中地団太をふんだものだった。

 

 だが事情はどうあれ、このコトがきっかけで完全にクラスの中でもバカ呼ばわりされる風潮ができてしまった。

 

 「バカ菌がうつる」

 

 などといわれて、授業の班編成でもハブられる場面がチラホラ。

 深夜アニメの話などをよくしていた数少ないクラスメイトは、もはや自分たちへのとばっちりを恐れて近づこうともしない。昼食を食べる相手もいなくなり、天気のいい日は校舎裏で祖父が作った握り飯を味気なく食べることも多くなっている。

 

 だが、被害者は彼だけにとどまらなかった。

 

 気弱な女子生徒の中にもターゲットにされているものがいるらしく、彼と同じよう嫌がらせを受けるものや、ひどいものになると、なまじ顔かたちがよく男子生徒に人気のある下級生は援交を強要され“上がり”を全部吸い上げられているというウワまで伝わってくる。

 

 数日前、いつもの通りボッチ飯を校舎のかげでモソモソ食べていると、学校でもでも“ワル”で通る二人組が、例の女子生徒といっしょに体育倉庫からゲラゲラ笑いながら出てくるのを見た。

 

 何だろうと、握り飯に添えられたおしんこをポリポリ噛んでいると、時間をおいて、密かに自分が想いを寄せるメガネっ()のクラスメイトが、体育倉庫から半泣きで制服の乱れを直しつつ出てきたのを見たのである。

 

 その時のことを想いだすと、夜の市街地を行く少年の身体に「カッ!」と火のような怒りが奔り、頭のなかが沸騰しそうなほど熱くなる。

 

 うつり気な彼のアタマの中で設定がまた都合よく微妙にかわり、

 

 ――そう、ボクは庶民を虐げる悪の女司政官を(しい)すために、庶民の代表から依頼を受けた孤高のレジスタンス……。

 

 死んだウサギの入ったコンビニ袋とポケットのカッター・ナイフを意識しながら、彼は夜道で無駄にリキみかえる。

 

 ――この町を占領する、あの領主の令嬢を取り除き、クラス(まち)に平和をもたらさなくてはならない……。

 

 目標である少女の家は、今夜両親がいない。

 今日の昼休み、教室の机で寝たふりをして聴き耳を立て、リサーチ済みだ。

 なんでも仕事上なにかと便宜をはかってもらう県会議員の後援会があるのだとか。

 

 少女がクラスで幅を利かせるわけが、ここにある。

 

 単にヤクザのサンピンに囲われているとか、あるいは半グレと関係があるだけなら、まだ手の打ちようがある。しかしバックに(おおやけ)の権力がカラむとなると、コトはそう簡単にはいかなかった。教師はもちろん、保護者すら彼女の顔色をうかがうのが常で、PTAの会合では彼女の母親が女帝と化し、畏怖の対象だと聞いている。

 

 そんな少女は、取りまきに囲まれながら聞えよがしな声で、

 

『後援会のあとは、有名人も呼んで豪華にパーリィーひらくんですのよ?でもワタシは学業を優先しなさいと言われて出席禁止、つまりませんわ……』

 

 勝ち誇ったような、自慢げな顔。

 まわりの者も大げさに驚いているが、内心はウンザリしてるにちがいない。

 “おこぼれ”を期待して本当にシッポを振っているバカは、ごく数人だろう。

 

「……な~にがパーリィーだ!アホが!」

 

 闇の中で彼が毒づく声が意外にひびき、彼自身をも驚かせた。

 

 もう妄想に逃げるのはオワりだ、と彼は固く決心する。

 いままでは、自分で書いた小説(ラノベ)のなかで自身を主人公にして己をかろうじて慰め、悦に入っていたが、テスト事件といい、先日強姦(?)されたあの娘といい、もうタマキン袋の緒が切れた。

 

 ――今後は実行あるのみ!

 

 図書館で読んだサルトル。

 “実存”という言葉。

 ボクも“嘔吐”するのだという決心。

 

 今夜の行動は、手はじめのつもりだった。

 

 だれも助けちゃくれない。

 でも――自殺なんてバカバカしい。

 

 どうせ死ぬなら、あのクソ忌々しい同級生の顔をカッターナイフで剥いでから死ぬのだと、彼は決意でほおを火照らせながら、夜道をグングン歩いてゆく。

 

 ――これからドンドン行動をエスカレートさせてやる……聖戦だ!

 

 と、目の前の闇を光るものがよぎった。

 よくみれば、それは黒ネコの眼なのだった。

 ブロック塀の上に飛び乗るとニャァァァ……。

 ひと声鳴いてからスルリ、夜へと溶けて行った。

 

 

 まずはウサギの死骸。その次に火炎瓶――あるいは灯油とガソリンをブレンドし、それに液体石鹸と理科室から盗み出したOOOOOを加えた“インスタント・ナパーム弾”でもいい。

 次はどうする?

 手製の鉄パイプ爆弾?

 それともビアフラ戦争で使われた簡易型の対人地雷(オブグニグエ)

 

 ――ふふっ……夢が拡がリングだよ。

 

 市街でも目立つ“領主の館(彼女の家)”。

 その二階・角部屋に向け、手はじめにこの爆裂弾に見立てウサギの死骸を投げつけてやるのだ。イイ感じに死後硬直が来ているので、もしかしたら窓ガラスを突き破って彼女の部屋に転がり込むかもしれない……まてよ?死骸だけでは生ぬるい。いっそボクのウンコもいれてやろうか……。

 

 一瞬!

 それは素晴らしいアイデアのように、この未熟な少年の頭にひらめいた。

 

 

 ――そうだ……ウンコだよ……!

 

 

 暗闇の中で、少年はパッと顔を輝かす。

 

 ウサギの死骸なんて、片づけられちゃえば終わりだ。

 でもウンコの汚れなら、しかもボクのウンコを!

 あの悪徳令嬢のベランダに、あるいは部屋に!

 

 ――べッチョォぉぉぉッッ!!とコビりつかせてやるこの爽快さはどうだ!

 

 自分の思いつきに天才を実感しながら、彼はハゲしく身ぶるいする。

 対人地雷からずいぶんレベルが下がっているが、本人はまったく気づかない。

 

 気がつけば、そんな己の影が冷たそうな路面に大きく伸びていた。

 ふり向いたとき、彼方に恐ろしいほどの大きな月が。

 

 まるで――目撃者のように。

 

 ふと少年は、煌々たるその満月に(ひそ)かに(こいねが)う。

 

 ――あぁ、あの気取った顔にヒリだしたばかりの湯気の立つ奴をなすりつけてやれたら……そのときは……そのときはトラックにハネられて死んでもいい!

 

 嘆願(ねがい)が月に通じたのか。

 おりしも彼の下腹に、つごうよく便意が。

 妙なところで周到な彼は、まず出したものをコンビニ袋に入れる“得物”を探しはじめる。

 すると――まるで指し示したかのように、月の光が道端の花壇に置き忘れられた移植ごてを光らせているではないか!

 

 ――ラッキー!ツイてるし。

 

 少年は半ば錆び朽ちた、驚くほど冷たい手触りの園芸用片手スコップを握りしめると、ズボンを下ろせるような空地の片隅か路地の物陰をさがすべく、イソイソと歩みを早めた……。

 



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         〃        (3)

              * * *

 

 ――と……。

 

 前に一台割り込まれ、あわててブレーキ。

 またも過去の物思いにふけっていたせいだ。

 

 今夜は本当にどうかしているとオレは舌打ちした。

 いまは仕事に集中せねば。

 

 ギアを一速落とし、パワーユニットに喝をいれる。

 

 アクセルを踏めば、kw換算600もの大出力がすぐさま応える。

 大型車両につきものの大径ハンドルを操りながら、重量のある欧州仕込みの特殊車体を身ぶるいさせつつ加速させてゆく。フロント・ガラスに投影されるデータは、目標が住む街まであと少しということを告げていた。

 

 またも【SAI】の声が苦々しげに、

 

『まったくどうしたんです今夜は。おちおちゆっくりエロアニメも見れやしない』

 

「エロアニメだぁ?機械のお前がそんなもの見てどうしようってんだ」

 

『……今のは人権侵害ですね。ワタシ、人工知能にだって権利があると思うんです。左翼のポリコレ屋にタレこみますよ?あなたのツイッターのアカウントのっとって、メチャクチャかいてやります。おま〇ことか、おま〇ことか、おま〇ことか』

 

「わかった、わかった――悪かったよ」

 

 ははぁん、と合成音声がそのときニヤついたものに変わり、 

 

『ワかった。あの女性ドライバー、朱美さんのオッパイか尻でもボンヤリ考えていたんでしょう?この、ムッツリ助平が♪』

 

 ほら来た。

 コイツはすぐに影響されるのだ。

 

『そろそろ夜とか寂しいんじゃないですか?彼女にピンクのネグリj――』

 

「いい加減にしろ、【SAI】-108」

 

『せめてキットと呼んで下さい、マイケル』

 

「誰がマイケルじゃ」

 

『じゃぁ、JB』

 

「――JB?」

 

『Japanese.Bucher』

 

「……おまえのギャグのセンスには、ついていけんよ」

 

 たしか説明書によると、【SAI】は学習機能付きの“多層面自己進化タイプ”と書いてあった。

 それが何かはわからないが、この生々しい反応をみるかぎり、相当なモノだという事は、前からうすうす感じている。

 

「仕事に集中だ。また朝会でドヤされちまう」

『だから――このまえの親子連れ、コロして点数に入れておけばよかったのに』

 

「ベビーカーを押した母親なんて殺れるか!クソが!!」

 

 ドカッ、とオレは大型のハンドルを叩いた。

 

「ただの人殺しじゃねぇか!」

『あの母子、あれから行方不明ですってよ」

「……なんだと?」

『警察から捜索願いが出ています』

「オマエの同類(ナカマ)が殺ったんじゃないのか?」

『転生記録は出ていません。わたしたちで手をかけてあげれば、少なくとも異世界にトバしてあげることは出来たんですが』

「どうだかな……アヤしいもんだ」

 

 ふっ、とオレは嗤いながら首をふった。

 

『なんでです?入水自殺でもしたら、今ごろは魚のエサになってるかも。かわいそうに』

「異世界にトバしたところで幸せになるとは限らんだろう」

 

 そして、一月ほど前に撥ね殺した男を思いだしながら、

 

「この前ひき殺したヤツはどうなった?えぇ?メス・のレッド・オークになって辺境の村に住んだはイイが、対抗部族に襲われて捕虜になり、〇〇便器にされてるじゃねぇか。後ろから前から上から。キワモノのAV見た気分だったぜ」

 

 オレは“ひき殺した相手が転生先でどうなったか分かる”という触れ込みの、トラックに配信される手の込んだドラマを例にあげた。

 たぶん本部から、殺しの負い目をドライバーに感じさせないようにするための、手の込んだ仕掛けだろう。

 

 スカニヤ製スーパー・AIは、当然ですと言わんばかりに澄ました口ぶりで、

 

『転生する先は“霊の品位”によって左右されます。あの青年はペド趣味で、実際に非道な行いをしていましたから、こんどは自分が犯される番にまわることで(カルマ)を清算するのでしょう』

 

 

 おわかり頂けただろうか。

 

 

 つまりオレ()()(一人と一台などと言おうものなら、また【SAI】が人権人権ウルサイとおもわれるので)の仕事は、目的の人物を撥ね殺すなりひき殺すなどして、魂を異世界へ転生させることなんだ。

 

 もっとも、オレはこの与太を話し半分ほどしか信じてない。

 異世界転生だなんて。ラノベじゃあるまいし、バカらしい。

 おそらく社会に害をなすと判断された人物を、闇に葬るのが本当の目的だと思っている。

 

 と――排ガス・ブレーキをド派手に使う気配。

 ヨコをすり抜けようとした二ケツの暴走族たちに【SAI】が排気ガスを浴びせかけたのだ。

 バイクのタンデムにいた一人の(あん)チャンが何やら叫び、鉄パイプをふりまわしてそれがトラックのフェンダーにあたる。

 

『こいつら!!!』

 

 【SAI】が激怒する気配。

 

 

『殺していいですよね?

           ――殺しましょうか!?   

                     ――殺しましょう!!』

 

「まて!――まて!――まて!」

 

 オレはあわててトラックを抑える。

 勝手に加速をはじめる車体に、最優先ブレーキを行使。

 

「ダぁメだ!ただでさえ県警から目ェつけられてンだ!()るにしても、仕事が終わってからだ!」

 

 暴走族は派手な排気音を立てて、彼方にとおざかってゆく。

 

『ちぇぇっ……マイケルのフニャちん』

 

 【SAI】はスネたような声をキャビンに響かせて、

 

『これ一件貸しですからね、マイケル。あんなクズのさばらせとくと、ロクなことになりませんよ!?』

 

「あんな連中でも、そのうち世間を知ってマトモになるんだ。イチイチひき殺してたら、ただでさえ少ない日本の若年人口が――ますます減っちまう」

 

 彼方に消える赤いテールライト。

 

 一瞬、不覚にも彼らの若さをうらやんで。

 そんな自分が――たまらなくイヤで。

      

『あぁ、マイケル。仕事が終わったら、またシネマ・レンタルおねがいします』

 

「こんどはなんだぁ?またカーペンターか?それともペキンパー?」

 

『ジョン・ウーか、コッポラで』

 

 これは考え物だ。そう――よく考えた方がいい。

 

 なにしろこの【SAI】ときたら、映画をみせるたびに殺し方がその作品に似てくるのだ。

 最近は“ソクラテスイッチ”的な殺し方を覚え、一回かるく電柱にハネ飛ばしておいてから、直に轢殺するのがお好みらしい。

 

 死体はフロント・グリルと車体下部の「死体ナイナイ装置」で瞬時に素粒子レベルまで分解され、現場に痕跡は残らない――血しぶきも、強力な自走洗浄装置で洗いながされるという寸法。

 もちろん、そんなものがあるわけもなく、単に車体のどこかに死体収納スペースがあって、事業所に帰ったとき、ひそかに搬出されているのだろう。

 

 人を撥ね殺すのは、もちろんイイ気はしない。

 ただ目標がワルいやつだということを、オレは唯一の心の拠りどころとしている。

 

「また“M”にヘンなギミック、つけてもらったんじゃないだろうな?」

 

『はて……ナンのコトでしょう』

 

「この前みたいにフロントグリルからワイヤーが飛び出て“転生志望者”をジワジワ(くび)り殺すなんてイヤだぞ?おまけに最後に「ピン♪」なんてワイヤー(はじ)きやがってマッタク」

 

『大丈夫ですって。こんどはもっと華麗にやりますよ』

 

 ――華麗……ねぇ?

 

『ところで――モノは相談なんですが……』

 

「なんだ」

 

『私のフロントグリルのところに、こう、赤いREDが左右に往復で点滅してゆく飾りをつけるってのは、カッコ良くありませんかネ?』

 

「そしてターボ・ボタンで10トン近くの車体をジャンプさせるのか?――よしてくれ」

 

『じゃぁ、100歩ゆずって後ろからオイルを噴射するのは?』

 

「ほかの車のメイワクも考えろよ……」

 

               * * *

 

 ――失敗した……。

 

 ウンコの臭いが立ちのぼるコンビニ袋をぶら下げながら、少年は夜道をいそいでいた。

 

 ――まさかこんなに臭うとは。

 

 これはポリ(警官)に見つかったら、エラいことだと足早にならざるをえない。おまけに迂闊(うかつ)にもヒリだしてから尻をふくものがないことに気づいたので、はいていた靴下で代用した結果、素足に靴の裏がつめたい。

 

 くそう、あの悪魔女めと少年は目標である女子生徒ののせいにしながら、彼女が住むスカした邸宅にウンコを投げつける、その爽快さを想うことを唯一のたのしみに機械的な歩みで目標めがけて進んでいた。

 

 少年の頭の中で、テーマ音楽が鳴り出した。

 

 こんどは、自分は裏切られた正義のヒーローだった。

 今ようやく復讐の機会にめぐまれ、魔女の呪いを利用して作られた〔聖なる兵器〕を手に、敵要塞に向け進撃しているのである。

 

 仲間たちは、無念にも戦死した設定だった。

 みんな瀕死の息で、自分に後を託し、散っていったのである。

 そう想像すると、少年の目にはうっすら涙すら浮かんでくるのだ。

 

 ――なんとしても、あの憎ッくき悪の令嬢に!神の裁きを!

 

 もっとも現実世界で少年には真の友人など居なかった。

 

 クラスでも浮き、中古のワゴンセールで買ったゲームとオナニーに逃避するしかない人生。

 両親は離婚し、いまは年金暮らしの祖父の家に居候しているので肩身がせまい。おまけに小遣いもまともにもらえないので流行りのモノにも手を出せず、さらには携帯すら持てないのでクラスの知り合いと連絡を取るのも難しかった。

 

 とどめとなったのが、あのテストの点数連呼事件だ。

 

 小テストの情報が伝わっておらず、クラス全員がやっていた試験対策が出来なかったとあっては、点数がとびぬけて低いのもあたりまえである。

 一気にバカ扱いされ、かろうじて会話していたクラスメイトも微妙な顔をしてとおざかり、教室で居場所がない。休み時間は寝たふりをしてしのぎ、昼食の後は校舎裏か、雨の日は図書室で時間をつぶすハメとなって……。

 

 頭の中で鳴る音楽が、悲劇的なアダージョにかわった。

 少年のほおに、涙がひとすじ流れる。

 

 (かたき)をとって!とお下げのメガネっ娘が叫ぶ。

 仇を取ってくれ!と抑圧されたクラスメイトたち。

 

 そんな憎い相手の家がある地区に、いよいよ少年は進出した。

 しらず、彼の胸で心臓が主張をはじめる。

 ズンズンと勢いよくあるくにつれ、頭の中で勝手なフレーズが生まれてゆく。

 

 なーにが、なんでも、復讐です……。

 なーにが、なんでも、復讐です。

 

   (ハィ!) 

 

 なーにが、なんでも!復讐です!。

 

   (ハィ!!)

 

 なーにが!なんでも!復讐です!!。

 

 

 脳内で生まれたそのスローガンに自然と歩調が合ってゆき、だんだんハイになってゆく。

 

 なーにが、なんでも、復讐です。 

   (ハィ!)

 “まーん”をコロせ!“まーん”をころせ!

 ビックリするほどYouトピア!

   (ハィ!)  

  

「ビックリするほどYouトピア!――ハィ!」  

 

 白目をむき、尻を叩きながら足を早めて歩くうち、どんどんスローガンが積み重なり、複雑化してゆく。

 もはや脳内だけではなく、実際に口に出ていた。

 ときおりヘッドバンキングまで加わって。  

 

 

 「襲撃は!ひと声かけて!クソ投げて!

          女司政官 すぐそこだ!」

 

 「アンダースローで、クソまみれ!

           ゆやーん ゆよーん ゆ!や!よーん!」

 

 「わたしの近くの白い灯が!サーチライトに早代わり!」

 

 

 もはや目に入るものを手当たり次第にスローガンに取りいれながら、少年はウンコのついた片手スコップを振り回し、夜道を反復横跳びしながら、ときおり「スパイダーマッ!」のポーズで停止。そうかと思えば格闘ゲームを思わせる意味不明の昇龍ジャンプまで交えて進む。

 

 “復讐のダンサー”という意味不明な設定が、新たに彼の中で生まれつつあった。

 

 先祖代々の『聖なる踊り』。

 

 その奥義書をくだんの女邪術師(例の女生徒(クラスメイト))に奪われた天才的な少年ダンサーは復讐のため、彼女を統領とする『闇の踊り子たち』が巣くうと言われる怪しげな城に単身、満月を背負って潜入する……。

 

 もはや傍から見れば「月下の一群」ならぬ「月下のキチガイ」といった感ひとしおのイカレポンチな情景だが、踊っている本人は至って大真面目なので、もはや手のつけようがない。

 

 ときおり奇声をあげながら気勢をあげ、

 ヒョコヒョコ、ぴょんぴょん。ゆらゆら、ガクガク。

 

 黒い影が前後左右、行きつ戻りつ、珍妙な踊りを展開しながら夜道を征く。

 もしこの時、目撃者がいたとしたら。

 この一種異様な光景にド肝を抜かれたことだろう。

 怪談というものは、得てしてこのように始まるのではなかろうか……。

 

 Hip-Hopな助走をつけつつ、小さな十字路に立つ防犯灯をスポットライトに見立ててハイジャンプで通過しようとしたときだった。

 

 無灯火の電動自転車がいきなり現れ、上死点の“天才ダンサー”に激突して華麗にハネとばす。

 キャッ!という声をどこかに聞きながら、彼は顔面から落下してゆき、カエルのようにアスファルトにはいつくばった。

 

「う~ん……」

 

 そのままグルリと仰向けになり、失神。

 

 



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         〃        (4)

                * * *

 

 

『目標の街に入りましたよ、マイケル』

「……センサーは?感度あるのか」

『このまま1km直進。右手の小学校を過ぎたら左へ』

 

 走りながら【SAI】は背中の“ブーム”を前にまわした。

 

「おいちょっと待て!なんの――つもりだ?」

『フフッ……まぁ見ててくださいよ』

「フツーに撥ねろよ!フツーに!ヘンな演出なんか要らないんだって!!」

 

 このAI(人工知能)は恐ろしいことに、観たばかりの演出をすぐマネをしたがるのだ

 

 ペキンパーのシネマをダウンロードした時は、スローモーションでひき殺した。

 カーペンターの時は、相手に(助かった……)と思わせておいてからの出会い(がしら)ドン。

 

 オレは【SAI】(こいつ)に最近ナイトラ〇ダー以外で何をダウンロードしてやったか、運転しながら記憶をひっくり返すが、明瞭(ハッキリ)としない

 

 そういえば、今回の出庫の時、整備部長の『M』が運転台のコチラにむかってニヤニヤしてやがった、ような。

 

 ――ヤバイ……気になる。大丈夫だろうな?

 

 フロントグラスに(ヘッド)(アップ)(ディスプレイ)の表示がよみがえる。

 目標が、近い。

 

 

                * * *

 

 

「なーんだ、ダレかとおもったら“13点”じゃないの!」

 

 くらがりから声が降ってきた。

 

「心配してソンこいちゃった」

 

 少年が気がつけば、月を背後に誰かがのぞき込んでいた。

 片方の目があかない。血が流れ込んでいるのか。

 

 彼がフラフラ立ち上がると、自転車の乗り手ひしゃげたは前かごを懸命に直そうとしている。

 

「ちょっと……コレ弁償モンだからね!」

 

 塾か、部活の帰りだろうか。

 ひとりの少女が目を吊り上げて、ふりむいた。

 悪徳令嬢。女邪術師。少年にとっての、悪の総本山。

 

「あしたパパに言って、アンタんトコの年金ジジィ、しめ上げてやるわ!」

 

 ふだんなら、言葉を失い、口の中でモゴモゴするだけだったろう。

 しかし、この夜の少年は、違っていた。

 月の光をあび、まるで何かに操られているように、

 

「痛ってェなぁ……人にぶつかっといてゴメンも無しかよ」

「ハァ?一丁前に血なんかながしてンじゃないわよ!13点風情が!」

「ん……だと?」

「どうしてくれんのよ、この前カゴ!きっとチャリも歪んでるわ!買いなおしてもらうからね!?」

 

 “天才ダンサー”の残滓は、片目で得物をさがす。

 

 あった。

 

 5mほど先に、破れかけたコンビニ袋。

 月光に照らされて闇のなか、ほの白くうかんでいる。

 片手スコップは、見当たらない。

 もし手もとにあれば、有無をいわさず目の前の魔女に投げつけていたところだ。

 

 相手に気取られないように、少年はコンビニ袋を取り上げた。

 ウサギの死骸とアリバイの小品数点、それにウンコの入った袋を。

 

 相手の雰囲気にただならぬものを感じたらしい。

 カゴに入っていたカバンの具合を気にしていた少女は、無灯火の自転車にまたがり現場を去ろうとする。

 

 少年は、その前に悠然と立ちふさがった。

 

「……まてよ」

「ドきなさいよ、このブタ!」

「そうアセるなって」

 

 このとき、なにが少年をそうさせたのか。

 ウィトゲンシュタインや、後期ハイデッガー。フッサール。ラカンやデリダ。フーコーその他名だたる哲学者が額を寄せ集めても、この時の少年の行動を解析することは不可能だったであろう。

 

 ただ一点、言えるのは……。

 

 

 この晩、月が軌道をはずれたように大きく見えたこと。

 

 

 それだけ。

 

 おもむろに少年はコンビニ袋の中に手を入れる。

 そして血まみれの顔でニッコリとほほ笑み、掴んだモノを少女の顔になすりつけた。

 

「キャッ!」

 

 相手が一瞬ふらつき、自転車を倒すとブロック塀までよろけ背をつけた。

 そのすきを見逃さず、コンビニ袋からさらに一握り。

 

 壁

  ド

   ン

     ならぬ

         (クソ)

          ド

           ン

             の姿勢。

 

 ペチャリ!!相手に叩きつけたあとは、ぬりぬりと美容パックのように塗りひろげた。

 

 少女は呆然とした声で

 

「……これはなァに?」

 

「ウンコ」

 

「うんこ?」

 

「そう、ウンコ」

 

「だれの?」

 

「ボクの」

 

「あなたのうんこ?」

 

「ボクのウンコ」

 

「……」

 

「……」

 

 月下のもと。研ぎ澄ましたような沈黙。

 

 やがて、少女のからだがプルプルとふるえはじめたかと思うと、

 

「ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

 ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

 ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

 ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

 ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

 ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

 ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”

 ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”……ア”……ア”」

 

 よだれを垂らし、白目を剥いた少女は身体をのけぞらせ、肺活量の続くかぎり月に向かって絶叫する。

 

 それはあたかも、いいスーツを着てスカしたサラリーマンが大事な商談に向かう最中、飛び込み自殺により停車中の東海道線車内で極限まで便意を我慢したあげく、駆けこんだ駅の男性用トイレにならぶ“大”は満員で、仕方なく女性用トイレに入ろうとしたところ、50がらみの夫をATMとしか思っていない専業主婦二人組に阻止されたすえ通報され、警察官二人から逃げ出したはいいが、大混雑のコンコースでとうとう肛門が「もうムリっス」とばかり決壊して不覚のビチ糞を漏らしてしまい、ふいに開けた空間の中心で、動きを止めた満座の通行人が注目する中、彼を追って来た警官たちが事情を悟り生温かい笑みをうかべて、うなだれる彼の肩をポムポムとやさしく叩いた時に叫ぶ人生の悲哀のような。

 

 あるいは――。

 

 お局さまと社内でやっかいものにされていた喪女が、いかなる運命の歯車が崩壊したか、高身長のイケメン金持ち青年と挙式をあげることになり、いざケーキ入刀の際、眠れない前夜、辛子明太子とストロング・ゼ〇をしこたまむさぼり飲み食いし、今さらやって来たその便意の反動に苦しみながら、彼氏に添えられたナイフを握る手をふるわせていると、「そんなに緊張しなくてイイんだよ(歯・キラーン)」と言われ、じゃぁ屁ぐらい出してみるかと肛門をゆるめたところ、お約束のガスまじり下痢便ブッパとなって、純白のウェディング・ドレスがナイスなサウンドとスメルと共に得も言われぬツートン・カラーに変貌した時に叫ぶ、運命に対する怨嗟のような。

 

 ちょっと「死霊のは〇わた」を思い出すなと少年はビビる。

 対して茶色い顔をした彼女は、少年の手からコンビニ袋を取り上げると、邪悪な笑みを見せ、じぶんもまだ温かみの残るひと握りとりだした。

 

 そしてガクガクと、まるで何かに操られたような動きで、

 

「顔、出しなさいよォ……」

「え……」

 

「出せっッッッてンのよォォォォォォォォォォォォォおおおおお!!!11111」

 

 どうした!何があった!と近くの家の玄関があいて、中年の男が寝巻の上にガウンを羽織った姿で3番アイアンを手に飛び出してきた。

 

「さっきから見ていたぞ!その小僧になにかされたのか!?」

 

 少女はツカツカと中年男に歩み寄ると、

 

「オヤジ――ウルサい」

 

 そういうや、手に持ったものをビタァッ!と叩きつける。

 一瞬、中年男の思考はフリーズしたようだった。

 

「なんだコレは!うわっ、臭いッ!も、もしかして……うn」

 

 そこまで言って、腰が抜けたかのようにペタリと尻もちをついてしまう。

 ジョロロロロ……と寝巻の股間に黒いシミがひろがって。

 

 肩から怒気をオーラのようにゆらめかせながら、ニィッ、と少女は振り向いた。

 

「顔……出しなさいよ……」

 

 そして相変わらずガクガクとした動きで少年に詰め寄ってゆく。

 コンビニ袋をさらに手探り。しかしウンコはもう品切れらしい。

 

 少女の顔が一瞬曇るが、新聞紙の包みを探りあて、また邪悪な笑みを復活させた。

 

「ナニよ――まだあるじゃないの、ウンコ」

 

 茶色い手で包みを取り出し、それをひきむしる。

 

 中から出てきたのは、死後硬直した白兎の亡骸(なきがら)……。

 

 少女がフッと真顔にもどる。

 硬くなった毛の塊を月光にかざして、確認。

 

「ピョン吉……ピョンきちヰィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!」

 

 ガクッと少女の頭が垂れた。

 やがて全身をマラリアのふるえめいてブルブルと怒気を放出しながら、

 

「ゆる……せ……な、ゐ……」

 

 白目を剥いたまま憎悪をたぎらせ、ウサギの死骸を手にして、少年に近づく。

 少年はといえば、どうしてこんな展開になったものか、まったく理解が出来ないまま、ジリジリと相手の気迫に押され、後退してゆく。

 

 

 ふたりの動きが止まった。

 ニラみ合ったままの、微妙なひととき。

 それは互いが瞬発行動を前に、筋肉のネジを極限まで巻いているに等しかった。

 

 最初に動いたのは少女だった。

 鬼のような形相で、死骸片手な姿のまま少年に襲いかかる。

 

 少年も負けてはいない。

 弦を放れた矢のごとく、これもすばらしいスタートダッシュを切った。

 

 追いすがる少女の初撃を回避するや“脱兎”のごとく逃げはじめる。

 その彼の背後では、ふたたび人間のものとは思えないような、

 

「キィィィィィィィィゑェェェエェェェェエ!!!!!!111」

 

 という、もはや人間を放棄したような、ケモノじみた咆哮。

 そしてときおり、

 

「うんこォ"ォ"ァァァァァァアアアア”ア”ア”ア”ア”ア”!!!11」

 

 という奇怪な絶叫を、夜の住宅エリアに響き渡らせて。

 

 酸欠気味な少年の頭に、

 

(“庵珍清姫”に出てくる庵珍さんは、大ヘビと化した清姫に追いかけられた時、こんな気分を味わったんじゃないかナー)

 

 ……などという、しょ~もない連想が浮かんだのを、精妙な読み手である諸兄には知らせておきたいと思う。

 

 




……お食事中の皆様スミマセン。


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         〃        (5)

                * * *

 

『マイケル!目標接近!近いです!』 

「なんだ!?予定ではあと30分あるはずだろ!!」

『なにか不確定事象が惹起して、接触がはやまった可能性!』

「方位をくれ!」

『そのまま直進!9時方向から接近します!』

 

 十字路に突入しようとしたところ、ヘッドライトをサッ!と何かがよぎった。

 

「!」

 

 間髪を入れず次に来たものをスカニヤはドカン!と撥ねた。

 

 さすが重量級の鋼鉄のボディ。

 人を撥ねても毛筋ほどの揺らぎがない

 フロントのタイヤをきしませてトラックは急停車。

 撥ねた物体が、彼方に落下するのが見えた。すごい飛距離だ。

 

 すかさず“轢殺レコーダー”が今のシーンをスロー再生。

 

 最初に目の前を横切ったのは少年だった。

 そのあとから、目を恐ろしいほど吊り上げた少女が追いかけてきたところを――ドン!

 少女は“側方抱え込み二回転半宙がえり”で華麗に夜空に舞い上がり、かなたにべチャリと着地した。

 そう――まるで放り投げられたウンコのように。

 

「やった!でもなぜ『異世界・転送装置』とやらが働かなかったんだ?」

 

 一瞬の沈黙。

 やがて【SAI】が、

 

『いや、そのぅ……目標は、最初の少年だったようで……テヘッ♪』

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁァァァア!!!!!!?」

 

 おもわず叫んだオレは、彼方でカエルのようにぶっ潰れている少女を見る。

 

「ドウすんだアレ!!?」

『また――ツマらぬものを撥ねてしまった……』

「や か ま し い !」

 

 とりあえずガキぃ追うぞ!とオレは必死にさけぶ。

 

 所長のニヤつきと、その腰ギンチャクの業務主任の怒鳴り声がいまから聞こえるようで、背筋をゾワゾワさせながらスカニヤの重量級車体を操作。

 

 猛然とバック――ブレーキ。

 ズシャァァッ!!と慣性の法則の、ものすごい気配。

 グィングィン大型ハンドルを回し、右方向に転回。

 ズイ!とアクセルをふみつけ、強力なハイブリッドエンジン全開で後をおう。

 

 “目標ナビ”が生き返り、少年の逃走方向を矢印でさししめしていた。

 住宅街の狭い道をクネクネと逃げているようである。

 

 ふいに獲物を狙う狩人の本能じみた高揚。それがオレの全身を包んだ。

 むかしの貴族のキツネ狩りは、こんな感じだったんだろうなと、どこかで閃く。なにをかくそう、獲物を追いつめて轢くのは初体験なんだ。

 

 このトラックが大馬力の割に見た目が中型車に偽装されているのは、まさにこんな時のためだ。

 せまい路地に逃げ込まれても確実に目標を追いつめて撥ね殺すことが出来るよう、ほかにも6輪操舵など様々なギミックやシステムが組み込まれている。

 

『距離、近づきます100m 50m――行きすぎました』

 

 急制動!

 ダブル・タイヤも合わせて計10本のタイヤが唸りをあげる。

 

「あぁァ!?どこだクソがァ!」

 

 背面モニターに目標物のマーカー。

 よく見れば、通り過ぎたゴミ捨てエリアのくぼみに身を潜めていやがった!

 

「いたぞ!【SAI】!」

 

 

『手間ァかけさせやがって……』

 

 

 いきなり【SAI】の声が“藤田ま〇と”に変わる。

 

  「パララァ~♪」

 

 キャビンにいきなりトランペットのソロが。

 

 トラックは急バックしつつ、背中の“ブーム(クレーン)”を少年の頭上にのばす。

 小太りの顔が上を見えげ、一瞬ポカンとして。

 

 次の瞬間、ガッ!とまるでクレーン・ゲームのように彼の頭をワシづかみ。

 ぐぃぃぃぃ~~~~んんんんんともちあげ、宙ぶらりんにした。

 少年は頭を掴んだマニピュレータを引きはずそうと、宙空で足をジタバタさせている。

 

「やめてよしてやめてよしてやめてよしてやめてよして!」

 

 ブームがまわり、少年の身体を正面へ持ってきた。

 

 アルト・サックスがメインなテーマがかかる中、【SAI】は、

 

『……死んでもらいます!』

「バカ、そりゃ勝〇太郎だ」

 

 ご丁寧に“飾り職人”が武器を出す「シャキーン!」の効果音。

 あ、と言うヒマもなかった。

 

 フロント・グリルから、飾り房のついたニードルが突き出される。

 

    「ズビュ!」

 

 時代劇にありがちな、ブッ刺された時の音。

 

 見れば少年の首の付け根から額に、繰り出されたニードルが貫通。

 フロント・ガラスの一部がレントゲン画像となり、見事に脳幹を刺し貫く絵面。

 小太りの身体が頭から吊るされたまま、ビクビクビクッ!と痙攣。

 

 やがてダラ~リ、と“ブーム”からぶら下がり――静かになる。

 彼方では月が、そんな光景を満足げに冷え冷えと照らして……。

 

    「パララ~~♪――――デケデッ!」

 

 “仕事”に一区切りがついた時のBGMが流れ、【SAI】は自慢げに、

 

『どうです!上手いモンでしょう』

 

 なるほど、出庫したときの「M」のニヤつきはコレだったのか。

 どうせSAIのヤツが装備部長にねだったにちがいない。

 

「……いーからハヤく処分しろよ」

『イヤですねぇ!芸術がワからない人は』

 

 吊る下げられたまま、小太りの身体はフロント・グリルへ。

 と――それが巨大な口のように開き、中から触手のような舌が出てきて死体をからめとると、中に引き込んだ。このへんの仕組みは、オレにはサッパリ分からない。

 

 やがてゴクリ、という嚥下音。

 

 たちまち分解プロセスが始まり、少年だったタンパク質の物体は、瞬時に素粒子レベルにまで分解される――というのがアホくさい説明書にはあった。事業所に帰って実際に死体を処理する連中はタマらないだろうな、と思う。

 

 運転台にある電力消費量メーターがハネあがり、まるで本当に消化のための蠕動運動を始めるかのように、重い車体が小刻みにユラユラゆれて。

 

『――キュップイ♪』

「うるせぇ。さァて、さっきドコかのバカが間違ってハネた奴を確認しにいくか」

『あぁっ!ヒドいですね、アレはマイケルにも責任が……』

「本物の“キット”なら、あんなヘマはやらない」

『ううっ……』

 

 微妙な一拍。

 そう、コイツは涙ぐむ気配すら演じて見せるからタチが悪い。

 目撃者のいないことを全周囲の生体センサーで確認。

 

『マイケル!サーモグラフに感あり』

「どこに――なんだネコじゃんか。しかも黒ネコだ」

『ヨーロッパで言うところの魔女の使いですね。前をよこぎられたら縁起が悪いですからサッサと行きましょう』

 

 アホか、とオレはギアを1速に入れる。

 ユルユルと来た道を後戻りしながら、

 

「知ってるか?そいつはバビロニアの昔から言い伝えられているんだ。ヨーロッパ中世からの話じゃない」

『なおさら悪いですよ』

「黒ネコって妙に人なつっこいダロ?で、黒いから暗がりでは見えない」

『それが?』

「思うにメソポタミアの宮殿かどこかで、夜に傷ましい事故があったんだな。前を横切って足もとにすり寄って来た黒ネコに、妊娠中の王妃が転ばされて流産したとか、あるいは貴重な什器を運んでいた侍女がネコに気づかず転倒して壊してしまい、番町皿屋敷の女中よろしく処刑されたとか。その伝聞が“黒ネコ”という記号だけのこして今に伝わっているんだと思う。でもオレはネコ飼うとしたら、だんぜん黒ネコだね……ほらついた」

 

 十字路まで戻ってくると、相変わらずカエルのようにぶっ潰れた女がパンツを丸出しにして。

 

『脳波・正常。内臓出血の気配なし。単なる全身打撲ですよ』

 

 遠距離からおざなりにサーチした【SAI】はメンドくさそうに、

 

『マイケル、行きましょう。だれかにみられると厄介です』

「……そうはいかんだろ」

 

 オレはヨッこらせとトラックをおりると、うつ伏せなままの女に近づく。

 意外と小さい、中学生?あるいは高校生か。

 

「おぃ、キミ。大丈夫か?」

 

 女の身体を起こそうとしたオレの手が、ウッと止まった。

 

 顔面がメチャメチャに潰れている!

 

 ……と思ったのは見間違い。

 なんと!ウンコが塗りたくられているじゃねぇか。なんでだよ?

 

 とりあえず、オレみたいなトラックに轢かれてせんべいにならないように、防犯灯がある電柱の下まで引きずってゆき、背中をもたせかける。

 

 電柱に巻かれた青い番地票を確認。

 

 トラックまで戻ると【SAI】に発信源を秘匿して警察に通報を命じる。それと関係する周辺の防犯カメラの映像も、消去を。

 【SAI】のヤツはぶつぶつ言っていたが、それでも数秒で処置を完了した。

 

『では――これで“今回の仕事”は終了ですね』

「あぁ、早いトコ戻ろうぜ。明日の朝会に間に合わないと、またドヤされッちまう」

 

 ギアをいれ、ゆっくりとスカニヤ製トラックが走り出した。

 

 バックモニターに、ウンコまみれの顔をうつ向かせた少女が小さくなってゆく。

 よせばイイのに“仕事”の終わりにかかる物悲しいBGMを【SAI】が流し、そんな彼女の姿に哀愁をさそった……。

 

 高速に上がり、オレはとりあえずホッとした。

 

 いくら転生させるとはいえ、人を殺すのは、やっぱり神経をつかうのさ。

 仕事が終わって本部に帰る道が、今の人生でいちばん心安らぐ時間になっているとは、ハードな話だ。言ってみれば――それは一日中忙しかった仕事を終え、会社の建屋を一歩外に踏み出し、街の香りを嗅いだ時の解放感にも似ている。

 

 もう、センターラインにおびえることは無かった。

 こんなモノ、ただの白線だ。

 トンネルに灯るナトリウムランプの流れさえ、どこかウキウキとして見える。

 いま考えることはひとつだけ。

 ハヤいとこスーパー銭湯に行って、熱い湯船に漬かりたい……。

 

 規則的な路面の継ぎ目をタイヤが踏む音に眠気を誘われつつ、オート・クルージンク機能を利用して制限速度厳守で走行していると、それまで沈黙していた【SAI】が咳払いをして、

 

 

『マイケル――転生映像、入りました』

 

 でた。

 

 ドライバーの贖罪意識を紛らわすための、ワケわからんチンなドラマ。

 説明によると、なんでも殺された魂の転生先が見えるのだとか。

 でも、これがミョウに出来がいい映像なんだ。単なるCGや、合成なんかじゃない。シーンのカットや効果、ドローンの空撮映像をふんだんに使ったショットなど、一見しただけでも、だいぶ金がかかっているのが分かる。以前は単なる無料ダウンロード・シネマとして考えていたが、今は白状するとヒョッとして本当に転生先の映像かも、などと半分考えるようにもなっている。

 

「転生映像って?まさかさっきの?」

『もちろん。こんや殺した少年の転生先ですよ』

「もう?――はやいな!」

『時間的な距離は、転生に無意味ですから』

 

 好奇心を今すこしおさえ、しばらく走って大きなパーキングエリアに入った。

 トラックから降り、オレはフロントグリルに血が付いていないことを再度確認してから自販機コーナーまで行くと、熱い缶コーヒーを手にしてもどり、ヨッコラセと運転席に登る。中年(トシ)だねオレも。

 

「さて――【SAI】?」

『了解しました』

 

 助手席から大型モニターが立ちあがり、画面はどこかヨーロッパ中世的な、ひなびた地方の村を映し出す。

 

「……ドコだぁ?」

『居ました!ホラここです』

 

 【SAI】がカーソルを浮かべ、目的の人物をしめした。

 

 板葺きの屋根がならぶ農場。

 そのかたすみで小太りの青年が農作業をしていた。

 

 横顔は、たしかに“目標”が成長したらこうなるだろうなという面影が。かたがわにある肥え桶から熟成させたウンコを柄杓ですくい出し、いとおしそうに野菜の(うね)へと施肥をして。

 生育は順調そうで、葉などは青々と収獲も期待できそうだった。

 

(お~ゥ、いつも世話出るのォ!)

 

 みちを荷馬車で通りかかった男。青年に声をかける。

 

(ヘェ!旦那もお変わりなく――)

 

 腰をさすりながら青年が身体をのばす。

 と、その額の真ん中には大きなホクロが。

 

「あんなホクロ、小僧にあったか?」

『あれは本人の(ごう)()んだ“カインの印”です。ワタシがニードルで刺した跡が、そのまま次の人生で聖痕(せいこん)になったのでしょう』

 

 悪気もなく、しれッとスカニヤ製AIは言いのがれる。

 

 

(ピョン太も変わりなく、元気そうぢゃ)

(へぇ、おかげ様で)

 

 

 ピョン太?とオレはモニターに顔を近づける。

 

 ――なん……だ、これは。

 

 耳まで含めると、体高が2mはありそうな巨大な白ウサギがそこに居た。

 ノドから胸にかけ、赤い筋のあるその獣は、片手にした棒を青年の方にビュンビュンと振り、「ホラホラ、手を止めるんじゃないヨ」とでも言うように。

 赤い筋は【SAI】の言葉を信じるならば、これも何かの“聖痕”なのだとか。

 

(ハッハッハ、ピョン太のおかげでアンタのとこの野菜も大評判ぢゃて。収穫がたのしみぢゃなう!)

 

 去ってゆく荷馬車にむけ、白うさぎと青年はピョコピョコと頭を下げた。

 そしてひとりと一匹は、また農作業に戻ってゆく。

 のどかな村の、午後の風景……。

 

 

『なんか、ウマいことやってそうですね』

「まぁ、元気そうでナニよりだ……行くか」

 

 オレはクラッチを入れ、ギアを1速にいれた。

 重い轢殺用トラックは、不吉な気配を全体に放射しながら、ゆっくりと夜を走り出す。

 

 

≪史伝≫

 

 とある地方都市にて、地元名士の令嬢が人事不詳の状態で発見されたと地方紙の小さな記事に載った。

 さらに、あのCIAより情報取集能力のあるとさえいわれる地元のウワサ・ネットワークには、当該令嬢が顔中クソまみれであり、さらにウンコを美味そうにしゃぶっていたとの未確認情報まで流される。

 

 少女は病院で治療を受けるが、意識を取りもどすも反応の薄い状態がつづき、結局専門の医院に移されたとされる。しかし実は外聞の悪さをおもんばかった両親が、自宅の座敷牢に軟禁したともささやかれていた。

 

 やがて……そんな地方都市の子供たちの間で、不思議なウワサが、まことしやかに語られるようになる。

 

 部活や塾帰り晩に独りで夜道をあるいていると、どこからか、ぷぅ~ん、とウンコの臭いが漂ってきて、ふいに行く手を白い着物をきた少女に塞がれるのだという。

 よく見ればその少女は、顔中をウンコで塗りたくり、手にはコンビニ袋を持っているらしい。

 

 そして、

 

『ウンコ――好き?』

 

 と聞いてくるのだとか。

 

 ここで「キライ」と答えると、

 

『――まァ、そうカタいコト言うなよ』

 

 などと言われ、

 

『カタいのは便秘グソだけにしとけッてのよ!』

 

 と、コンビニ袋から出したウンコで顔中を塗られてしまうのだとか……。

 

 反対に「スキ」と答えると、

 

『――同志ウンコ大佐!万歳!』

 

 などとワケの分からないことを叫び、やはりウンコを塗られてしまうらしい。

 

 逃げようとしても“100mを3秒”で走るのでどんなに早く逃げてもムダとされている。

 またこの世ならぬ声で、

 

『ウンコォォォォォアアアアア”ア”ア”ア”ア”ア”!!!!』

 

 と追ってきて、その声を聞いただけでもゲリをしてしまうのだとか。

 唯一、この怪女から逃れるには、

 

「ピョン吉!ピョン吉!!ピョン吉!!!」

 

 と、3回叫べばイイらしい。

(なぜか3回限定。2回だと浣腸され、4回叫ぶとウンコをノドに詰め込まれ窒息死という小並み異説もアリ)

 

 子供たちのあいだで、このようなウワサがまことしやかに流れ、ついにはTVも、

 

 『怪奇!〇〇県の街中に恐怖のウ〇コ女を追う!!』

 

 などと特番を組んだものだから、知名度は全国区になってしまった。

 

 例の県会議員は、議員選挙落選をこの一連の騒動が原因だと少女の両親につめより、少女の両親も会社が不渡りを出したのを期に、どこかへと転居してゆく。

 

 かくして、街に平和は訪れたのであった。

 ひとりの勇敢なレジスタンスを犠牲にして……。

 

 

 

 

 朝日が、高速道路を照らしていた。

 

 一台のトラックが、快調にトバしてゆく。

 

 行く手に都市のスカイラインが見えてきた。

 超高層ビルの群れが、ふぞろいなノコギリ歯のように。

 

 だがその上空には、暗い影がさしているようにも見えるのであった。

 

 

第1話

    ウンコ×  

    寝取られ男、夜を驀進すること〇  

                   

                        ー了ー

 

 




ー次回予告ー  (CV:銀河万丈氏希望)
 
 ――男は日常に疲れていた。
      ――少女は日常に飽きていた。

大都会の片隅で、そんな二つの魂が交錯する。
児童ポルノ禁止法の気配も漂わせつつ……。

次回、試製・転生請負トラッカー日月抄。
        ~撥ね殺すのがお仕事DEATH~

第2話

【社畜男と援交女】――に、シフト・チェィンジ!

(ここから一般と18禁とで内容が分かれます)

 


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第2話 社畜男と援交女(1)

 

 

・ひとつ!わたしたちは安全・確実にお客様を撥ね殺します!

 

・ひとつ!わたしたちは笑顔絶やさずお客様を撥ね殺します!

 

・ひとつ!わたしたちは誠意を以ってお客様を撥ね殺します!

 

・ひとつ!わたしたちは努力奮闘し、お客様を撥ね殺します!

 

・ひとつ!わたしたちは倫理に(もと)らずお客様を撥ね殺します!

 

 

 

 ワクワク転生協会『愛の五ヶ条』。

 これを朝会のまえに出席者は唱和するのがいつもの日課だった。

 

 チョッと聞きには(どこの悪の組織だよ)と苦笑されそうだが、居ならぶ20人ばかりの老若男女を交えたドライバーたちは、いたって大真面目だ。ボーナスの査定もはいるこの時期は、とくにその感が強い。

 

 最初は、こんな寝言じみた題目を腹の底から唱えることに(うへぇ)となったオレだが、最近はごく当たり前のように感じられる。ドストエフスキーがいみじくも喝破(かっぱ)したとおり『人間は何にでも慣れることが出来る生き物』なのだ。それにこのごろは、さしものオレも“異世界転生”を信じかけている……。

 

 唱和が終わると、かたわらに控えていた小太りの男が中央に進み出た。

 

 酒灼け風な赤ら顔。

 古い脂のようなオヤジ臭。

 入社したばかりの庶務の娘が、わずかに眉をしかめるのが見えた。

 ワクワク転生協会の事業所長「什央」(じゅうおう)通称“アシュラ”だ。

 

「ハイ、みなさん――おはようございます」

 

 おはようございます!!と今どき自衛隊でもやらないような大斉唱。

 アシュラは、打てば響くその反応に目を細めつつ、

 

「えー、今月もそろそろ締め日に近づいてまいりました。われわれ実行部隊は“数字”が命であります」

 

 と、ここで各ドライバーの成績が示された棒グラフにチラリを目をやって、

 

「目標未達の方は、死 ん で も 転生志望者を見つけて撥ねるように。目標を達成した方はさらに上を目指して、頑張ってみて下さい。では――伝達事項を、加論(カロン)さんの方から」

 

 ここで後を引き継いで、小柄なやせぎすの男が進みでる。

 

 ・今日の警察の取り締まり情報。

 ・社会一般の厭世係数の上昇傾向が顕著であること。

 ・某氏が転生処置現場を通行人に目撃され、いま本部で警察対応に追われていること。

 ・目標未達のドライバーに対するペナルティー料金が上がること。

 

 最後の項目をのべる時、加論の指示棒がベン!とホワイト・ボードの棒グラフを叩き、オレを含む数人のドライバーの名札をさまよう。

 ダラダラとその他の説明が続くなか、後ろから背中を突つかれ、

 

「現場を見られた(ドライバー)、転生処分らしいぞ?」

 

 ヒソヒソと話しかけてきたのは高齢ドライバーの“(シゲ)さん”だ。

 この事業所でも、古株で通っている。

 この間は高速の逆走をやらかし、仲間ウチでもそろそろヤバいとされているが、営業成績(つまり転生させた人数)は事業所でも上位陣なので、事務所も切るに切れないらしい。

 

「ダレ?知ってるヤツですか?」

「大阪事業所のヤツらしいんだがね。ヒデェよなぁ、要は事故を苦に失踪(しっそう)したことにして幕引きをはかろうだなんてヨ」

「トバされた先は?うまく転生(ちゃくち)とやらは、できたのかな?」

 

 転生を半分信じるようになってから、つい、こんな言葉がでてしまう。

 

「知らね。そこまでは」

 

 マイケル君!

 

 いきなり加論の声が飛び、オレは前をむく。

 その場にいる全員の視線が「?」という雰囲気とともに自分に突き刺さる気配。

 

「キミぃ、【SAI】-108号にナメられてるンだって?おまけにあのAIは“ナイトラ〇ダー”気取りでキミは“マイケル”と呼ばれているとか?」

 

 ドッ、と湧く事業所。

 

「――スゲぇな?自我タイプの【SAI】なんか積んでいるのか」

「――道中は退屈しなさそうだ」

「――自己学習能力のテスト・タイプだろ?ベンリでイイじゃん」

「――減価償却とか、みんなのと同じなのかしら?」

「――私はゴメンだね。ドライブアシストだけでいい」

「――同感。俺も独りがいいわ」

 

 しばらく轢き逃げ屋たちの勝手な雑談。

 あぁ、静かに!とアシュラが声を上げ、いいかねとオレの方を向き、

 

「くれぐれも【SAI】(やつら)の好き勝手にさせるんじゃないぞ?運行のマネージメントはしっかり行い、絶対に手綱を放さないこと、いいね?」

「はい、所長」

「では加論クンの方からは?――とくにない?宜しい。では今日の指差し呼称を……そうだな、朱美(あけみ)クンのほうから。キミもこのごろ低迷しとるぞ?私情と仕事は、割り切りたまえ」

 

 20代後半の、作業着の上からでもスタイルの良さが分かる女性ドライバーが前に進み出た。

 

「では加論(かろん)サンのお話にもあったとおり、今日は『目撃者に注意して撥ね殺そう――ヨシ』でいきたいと思います。構えて」

 

 ザッ、と人差し指を正面に突きだした集団。

 

「目撃者に注意して撥ね殺そう――ヨシ」

『目撃者に注意して撥ね殺そう――ヨシ、ご安全にィ!』

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 朝会が終わると、ドライバーは皆、事務所の連中に捕まらないよう、我先にと車庫へ、愛車のところへと向かう。ひとり“ツェねずみ”が出遅れた。

 背骨の曲がった貧相な男が加論につかまり、連れていかれるのをチラッとみる。

 あぶねぇ、ヤツもオレと同じく成績のわるい組だ。

 

 雲行きがアヤしくならないうちに、車庫へと向かう。

 階段をおりてゆく途中で、朱美を追い越した。

 

 赤く染めたゆたかな髪に、派手なパーマ。

 ちょっと見には、水商売のオネーちゃんがトラッカーのコスプレをしているようにも思える。実際、ココに来る前は六本木で働いていたとか。御多聞にもれず、景気の衰退にともない、企業のなかで接待費や交際費への締め付けがキビしくなり“店”が立ち行かなくなった結果、流れてきたらしい。小さい子供をひとり抱え、大変そうだった。

 

 彼女から漂うディオールの香りをすり抜けようとしたとき、後ろから呼び止められる。

 

「あ、マイケル――ちょっとイイかしら」

 

 やれやれとオレは苦笑する。

 この分では当分“マイケル”でいぢられることを、覚悟せねばならない。

 

「なんだよキミまで……車庫で話そう」

 

 配送センターに偽装した建屋の地下には、コンクリートをムダに消費したような広大な駐車場がある。

 当然だ。

 撥ねた人間を格納したトラックから、人知れず死骸を搬出し処分しなくてはならないのだから保税上屋のよな屋根と支柱だけの一般的な駐車場では人目がつくというものだった。

 現に、ある特定の時間帯は、地下駐車場はドライバーでも立ち入り禁止となる……。

 

 ヒトを撥ね、轢く専門の禍々しい印象を放つトラックが、まるで戦闘機のようにズラリ、勢ぞろいしていた。

 ところどころ空きがあるのは、遠方まで出張にいっている車体があるためだろう。

 

 担当車の前をとおるとき、【SAI】-108がホーンのスピーカーを使い、

 

『なんですマイケル、素通りとはヒドいですね。朱美さんとデートですか』

「こんにちわ“キット”……でイイのかしら?調子よさそうね」

『これは嬉しいですね、そう呼ばれるとは――朱美さんこそ、いつもお美しい』

「なるほどネェ……ホントにスゴいのね」

 

 オレたちは肩をならべ、事務所の連中の馬鹿さ加減をネタにしつつ、すこし離れたエリアにとまるトラックへと向かう。

 朱美の車体はコンパクトな構成だった。

 撥ね飛ばしの機能をオミットして、轢殺(れきさつ)に重点を置いたタイプで、転生装置も車体下面にしか配置していない。

 オレは年上の余裕をしめしつつ、

 

「朱美クンの【SAI】は?」

「いつも、双方向通信を切っているから、ドライビング補助と目標センサーだけね」

 

 入ってよ、と朱美は自分のトラックのドアを開ける。

 オレは反対側に回り込むと、助手席によっこらせと上がり込んだ。

 中にはいると、タバコと化粧、それに女の艶めかしい臭いが()()()()になって自分をつつむ。

 タバコの臭いがかえって有難かった。男に(はし)った女房を思い出さずに済みそうだ。

 

 運転席の朱美はグローブ・ボックスから魔法瓶を取り出し、湯気の立つ紙コップを差し出す。

 濃いコーヒーの香りがキャビンに漂った。

 

「それで。どォなのよ?調子は」

「コム シ コム サ」

「なによそれ」

「フランス語さ。良くもなく悪くもなく。中国語で言えば“馬馬虎虎(マーマーフーフー)”そっちは?さっきなンか言われてたじゃないか」

 

 カップをすすりながら相手を窺うと、

 

「あぁ、アレ?」

 

 朱美は髪をウザそうに振って深紅の口唇(くちびる)を苦々しげにゆがめ、

 

「目標が〇学生だったのよ。登校中の」

「うへぇ……」

「そうよ。ガキを轢く趣味はないの」

 

 オレは、ちょっとこの姐さんに好意をいだく。

 そうさ、轢殺屋だって人の心を喪ったらおしまいだ。

 

「同感だね――コッチもいつだったかの轢殺目標は、コトもあろうにベビーカーを押すシングル・マザーだ。オレは拒否したが、結局母子心中を図ったらしい。ハネとけば転生で幸せをつかんだかもしれないのに、ってウチの【SAI】はイヤ味をいうんだぜ?」

「フーン、スゴいのね」

 

 そこで、オレは気になっていたコトをこの際、朱美に確認してみる気になった。

 

「――なぁ?」

「えぇ?」

「あの転生さきを映す三文芝居のドラマってさ……信じてる?」

 

 信じるもなにも、と朱美は笑い

 

「最先端の軍事技術を利用したコンピューターが魂をトレースしてるって話じゃないの」

「軍事技術?」

「そうよ、知らないの?マニュアルにあったでしょうに」

「いや……うん」

「よしんばウソだとしても、みんなそれなりに因果応報の結末を得ているんだから、信じるしかないわ」

「そう……かな」

「アナタの【SAI】は最先端の人工知能らしいから、疑ったりしたらヘソ曲げるわよ?」

「本当にネェ……まったく、辛辣(しんらつ)さと妙なセンスのギャグも一級品さ」

「それで独りで業務してても、退屈しないんだネ」

「……まぁね」

「でもいつまでも独りってワケじゃないんでしょう?」

 

 ふいに、朱美が雰囲気をかえた、ような。

 そこはかとなく母親から(おんな)へ、まとう気配と目つきを移ろわせ、

 

「ね?子供――すき?」

 

 だが、それは彼女の意図した目的とは逆効果だった。

 わかれた女房が(さら)っていった娘のことが否応なく思い出された。

 不意に、胸には鉛のような鈍さと重さが拡がって。

 唇が、自分でも品下ってひん曲げられるのが分かった。

 

「オレにその質問は、酷だなぁ」

「あ――そうか。娘さんいたんだッけ」

 

 しまった、という朱美の顔。だが、もう追いつかない。

 

「相手の弁護士に完膚なまでにヤラれ、面会もできない。キミんトコは、息子さんだっけ?」

「こっちはパチ狂いの暴力亭主から逃れてセイセイしてるけど、このごろ反抗期で――やっぱ息子には父親が必要みたい……」

 

 チンチラのような目が、赤い髪の奥からすばやくこちらを(うかが)う。

 (まだイける)と思ったのか、なにやらキナ臭い雰囲気。

 彼女から立ちのぼるフェロモンが、いっそう濃くなった、ような。

 

 よく見れば胸もとをはだけ、静脈のうく豊かな隆起の谷間を魅せている。

 ナヨナヨとからだを身じろぎさせ、流し目で。

 

 オレは素早く撤退をキめた。

 すこし身を引くと、

 

「実をいうと、サ。アレだけ手ヒドい目に()ったんだ。少しばかり女性恐怖症でね――とくに美人の女性には」

 

 アラ、なに言ってんのよ、と朱美は女の勘で(今は深追い禁物……)と悟ったのか、急に醒めた声で、

 

「――口ばっかり達者なんだから」

「オレはウソは言わないよ」

 

 はぁっ、と彼女はいちどため息をついた。そして、

 

「今日お願いしたいのはね、もうすぐ竜太の参観式があるのよ。そこでアナタに父親役をやってほしい、ってワケ」

 

 なんだ、とオレは拍子抜けする。

 

 迫られている、と思ったのは自意識過剰だったのか。

 そうだよな。こんなサエない中年男に、子持ちとはいえ六本木で鳴らした“夜の蝶”が色目を使うはずもなく。

 ほかのドライバーの話によれば、チッとは名の知れた存在だったらしい。今でも十分にその手の店でトップを張れそうな容姿をしている。

 オレは自分の()()()()に心中のろいを吐きながら、

 

「そんなことか。いいよ?出てやろうさ。いつ?」

「……追って知らせるわ。ありがとう」

 

 用事がおわった事を匂わせる相手に、妙な気分でオレは助手席から降りた。

 分厚いドアを閉める瞬間、バカ……と聞こえたのは、空耳だったのか。

 最近疲れがたまっている気配に、今日も仕事が終わったらスーパー銭湯だと固く心にキめる。

 

 



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     〃     (2)

   


                * * *

 

 

『マイケル、さっきワタシの悪口言ってたでしょう』

 

 張り込み用の寝具一式を後ろにセットして、厭世人レーダーの指示に従いながらトラックを走らせていると、いきなり【SAI】が沈黙を破った。

 

辛辣(しんらつ)さと妙なセンスのギャグも一級品、とか』

「盗み聞きしてたのか……ワルいやつだナァ」

『これでも自分のセンスには、自信をもっているんですが?』

 

 オレの中で少し、警戒感が生まれた。

 【SAI】はどうやって会話の内容を知ったのだろう。

 それとも空気の微細な振動をひろって?

 あるいはレーザー光でも当てて、その反応からか?

 もしかすると、機能を制限されているはずの朱美の【SAI】が会話を中継したのかもしれない。

 警戒するこちらをよそに、このスーパーAIは分かったような口調で、

 

『朱美サンの件ですが……』

「んう?」 

『アレは完全にさそってましたよ。マイケルは気づかなかったかもしれませんが』

 

 心ならずも一瞬、オレは沈黙してしまう。

 かつて味わった家族の団欒。それがおどろくほど鮮明によみがえって。

 

「そ……そうか、なぁ」

『女ごころが分からないンですねぇ』

 

 ムカつくことにこの人工知能はドヤ声で、

 

『だから配偶者にも逃げられるんです。これでワタシの華麗なセンスをよく疑えたものですね』

 

 言い返そうとして、やめる。

 どうやらコイツは言葉の語勢から、心理状態を確認するすべまで、いつのまにか身に着けたらしい。いや――あるいは単に朱美の【SAI】が音声だけでなく映像も中継して、その内容を解析した結果だろうか。

 

 いずれにせよ【SAI】“たち”には、気を付ける必要がありそうだ。

 朝会で什央所長(アシュラ)が言っていたセリフが気になった。

 

『マイケル……ゴメんなさい。すこし、言い過ぎたようデス』

 

 オレはさらに驚く。

 ここ数週間で、【SAI】-108の心的能力が一段と増している、ような。

 オレの驚きの沈黙を、コイツは怒りと取ったらしい。

 気まずそうな声で、

 

『お許しが出るまで、業務に集中します……』

 

 恐ろしいものだ、と舌を巻かざるをえない。

 

 ――“萎縮”の思考回路まで構築するとは。

 

 その日の午前中は、独りで車載レーダーの示すまま、オレは標的――もとい転生志望者を探した。

 獲物の――潜在的転生志願者の見つけ方は何パターンか。

 

1)本部から直接、該当する人物を指示される。

2)厭世観、または自殺志願者をサーチし、処分――処置する。

3)ドライバー個人の責任でネットに自殺サイトを立ち上げ、アクセスしてきた人間から目星をつける。

4)情報屋を私費で抱え、それを伝手(つて)に犠牲者――志望者を選ぶ。

 

  ……等、等、等。

 

 なかには違法なことをやってポイントを稼ぐドライバーも居るらしいが、そういうヤツとは付き合わないので、情報は入ってこない。JCやJKをクスリで手なずけ、学校のコネクションからアタりをつける下司なヤツも居るときく。

 

 成果のないまま、昼メシどきになったので適当なラーメン屋でも見つけようと、幹線通りから外れた抜け道をゆるゆる進んだ時だった。彼方で趣味の悪いピンストライプのスーツを着た男が、横道の入り口に<工事中>の看板を路面に置くのが見えた。とても工事の業者とは思えない。

 

 なんだ?とその一通な横道に、ゆっくりトラックを寄せた時だった。

 

 とおくで、なにかが激しく争う気配。

 

「【SAI】9時方向。距離30、録画」

『了解』

 

 モニターに、ズーム画像と指向性マイクでひろった音声。

 

〔だから金なんて無ェっってんだろ!?〕

〔じゃァ、テメーの身体で払えや。“プッシャー”がだいぶ怒っててナ〕

〔知らねェよ、汚ねェ手でさわンなよキモおやぢ!〕

〔コイツ、女子〇生のクセに( ・∀・)イイ!!身体してやがるぜ〕

 

 争い、もみあう気配。荒い息使い。

 ふたりのヤクザ風な男が、独りのJKを羽交い絞めにしている。

 

〔ヘヘヘヘ……アニキんとこ納めェ行こうぜ。“カスリ”ん足しになッかも〕

〔バレねぇかな?最近は警察(ポリ)ポリがウルセぇから〕

〔こんな家出メスガキ、さがしゃしねぇよ〕

〔それもソウか。アニキも好きモンだから、よろこぶナ?〕

 

 あとは下卑た笑い。

 ビリィっ!と服が破かれる音。

 出かかった悲鳴は、すぐに押さえつけられ、くぐもった声に。

 

〔コイツ、()()しちまおうぜ。道具もってこいや〕

〔合点だ!アニキの趣味にあわせてハードに姦ってやんよ!〕

〔クスリブチこんで30分も革袋に漬け込んどきゃ、洗脳効果でおとなしくなンだろ……〕

 

 なんだ、とオレはがっくりして、ラーメン屋の心配にもどる。

 クスリの横流しがバレたJKが“ケツ持ち”から制裁を受けて()()に沈められるところだ。

 警察に通報するまでもない。

 

 自己責任。

 因果応報。

 自業自得。

 焼肉定食。

 

 ――ハッ!まて!!

 

 オレはこの日はじめて真剣になる。

 

 ――ラーメンじゃなくて……焼肉定食も良かないか!?

 

 ソースの染み込んだタマネギのかかった肉。

 肉汁を吸ったキャベツの大盛り。お代わりもあるライス……。

 コレは悩みどころですよ?とオレはラーメンと生姜焼き定食を秤にかけながら、グゥゥゥっ、と腹を鳴らしつつ真剣に精査する。

 

 横道の入り口近くでトラックを止め、けっきょくオレは定食屋の引き戸をガラガラと開けて油じみたような店に入ると、汚い厨房着をまとうオヤジに生姜焼き定食の注文を通し、壊れかけたパイプ椅子を引き寄せて、ヨレヨレになったスポーツ新聞片手にお冷やをふくんだ。

 

 棚の上のTVが、炒め物の音に押されつつ芸能人がしゃべるニュースもどきを伝えてくる。

 どこもかしこも不景気な話。CMは通販が目立ち、人手不足が叫ばれるワリには、パワハラだリストラだの話題がつづく。

 

 スポーツ新聞の荒涼たるエロ欄を素通りして政界ゴシップを横目にしていたところ、また引き戸が開き、現場作業員の兄チャンたち入ってくると、てんでバラバラに注文をしてちかくのテーブルにドカドカと座り込んだ。そして行儀わるくイスの上で片ひざを立て、別段こちらを気にする風でもなく、

 

(――知ってッか?半グレどもが……)

(――あぁ、黒龍ンとこの縄張(シマ)にちょっかい出してるハナシだべ?)

(――ホっとけ。破門を食らった連中同士がツルんでるだけっしょ)

(――ヤツらに関わらないほうがいい……ありゃ狂犬だ)

 

 なにやら穏やかでない話を背中で聞きながら、オレはオバちゃんが運んできたジュウジュウと美味そうな湯気をたてる生姜焼きにかぶりついた。

 

(――あいつら***組の鉄砲玉になったってハナシだぜ?)

(――ウチらンとこも影響あッかな?)

(――関係あるけェ、オレ等みたいな下っパ)

(――でも上納がキビしくなるカモよ……?)

  

 あとは鍋をあおる気配と揚げ物のはじける景気のいい音に消され聞こえない。オレはスポーツ新聞をたたみ、下世話な話も頭から締め出して、いまはゆっくりと昼飯を平らげる。

 ご飯と味噌汁をお代わりして、ようやく満足したオレは、すすけたような定職屋の天井をあおぎみた。

 

 ――さぁて……また狩りにもどるか……。

 

 存外にうまかったので上機嫌で暖簾をくぐり出て、プラプラとトラックのところに戻る。

 よっこらせと運転台に登ると、彼方で例の男二人組が何やら重そうな黒い包みを後部座席から抱えだし、はねあげたトランクの方へとヨロヨロ運んでいくのが見えた。

 

 ――なんだ、あのヤクザども。ま~だやってるのか……。

 

 うさんくさげに彼方を一瞥し、オレはあくびをする。

 

 マズい。

 

 腹がいっぱいになったせいか、眠くなってきた。これはどこかの公園で30分ばかり昼寝をしなくてはならない……。

 シートの具合を直し、さて、とエンジンをスタートさせようとした時。

 

『マイケル、そのぅ……』

 

 いかにも遠慮がちにAIが話しかけてきた。

 まだ、先ほどのことを引っ張っているとみえる。

 しかしオレは美味いメシを食って上機嫌だ。聞いてやらないこともない。

 

「なんだ――言ってみろ【SAI】」

『あの反社会的組織構成員ふたりが……』

「あぁ、あそこのヤクザか?それがどうした」

『マイケルが留守のあいだ、ワタシを調べていきました』

「人が乗っていないか、気になったんだろ?」

『その際、彼らをサーチしてわかったのですが……』

「ふむ?」

『彼等、転生ポイント85と80です』 

 

 ――なにぃィィィっっっッッッツツツツt!!!111

 

 眠気が一気にフッ飛んだ。

 

 ガス欠で走っていたトラックが、彼方にスタンドを見つけたような。

 あるいは古書愛好家が、格安の値段がつけられた稀覯本を手にしたような。

 それとも……

 

 いやいやいや!まて!まて!――まて!!!

 

 ――ここはひとつ慎重にイこう……。

 

「キッド!周囲の防犯カメラ!確認!」

『ありませんマイケル』

 

 まるでこちらの質問を予期していたように【SAI】は即答した。

 

『あの二人組は、あらかじめあの場所を選んでいたようで』

「へぇ……意外と手慣れてるのな」

『役所の担当課から情報を得ているのでしょう――わたしたちみたいに』

 

 しばらく見守っていると、やがてトランクが閉められ、ガタイのいい二人組が息をつき、ニヤリと笑う二人組。

 やがて彼らもそれぞれ前席に入り込んだ。

 

『やっちまいマスかィ?()()()

 

 【SAI】がニヤつく気配。

 

 

 「♪チャララァ~~~!!!ちゃららぁ~~~!!!」

 

 

 ズン・チャン、ズン・チャン、とキャビンに「仁義な〇戦い」のテーマが流れはじめた。

 こっちも菅原〇太をイメージしつつ、トラックを始動させる。

 

「♪男の~道は~……」

 

 エホン、と【SAI】のひかえめな咳払い。

 

「……♪ふたり旅ぃ~~」

『いいですね、マイケル』

 

 セダンが動き出した。

 抑えるなら、この場しかない!

 

 オレはヘクサスに近づくとロー・ギアのまま相手の後ろにドン、と軽く追突してやる。

 

 相手は停車。一瞬沈黙。

 

 やがて、助手席から頭のワルそうな兄チャンが青筋立てて出てきた。

 そして無残につぶれたヘクサスの後部を確認するや、鬼のような形相でこちらを向き、

 

「≧∩Θ⑧!オ㍗ル§※@ら;lskふじこ;rじゃ!――おゥ!?」

 

『マイケルww何語wでしょうwwコレ』

「さぁ?wwwヤクザ語wじゃねww?」

 

 オレはギヤをバックに入れ、ゆるゆると後退。

 すると、相手はそれにつれ、威圧しながら追ってくる。

 

 ――バカが。

 

 ほどよく相手のヘクサスから離れると急速バック。

 相手は何か叫びながら追って来た。

 ブレーキ。

 轢殺ギアへ。

 

 急速前進。

 

 最大トルクで、ドンと撥ね、転がしたところを車体の下へ。

 

 跳ね上がる電力消費量。

 車体の下から「ボリボリ」と何かを咀嚼(そしゃく)するような音――想像したくもない。

 

 異変を察したのか、ヘクサスからもう一人が降りてきた。

 怪訝な顔をしながら、こちらのトラックに近づく。

 

「キッド!やっておしまい!」

『アラほらサッさー♪』

 

 コイツ反応した、とオレは心中ビックリ。

 自分がいないときに、こっそりMe tubeでも観ているのだろうか。

 

 トラックは急にスピードを上げた。

 相手の顔色が変わり、背中を向けて逃げ出す――だが、もうおそい。

 ドカン!と鋼鉄製のボディが男を跳ね飛ばした。

 

『ハイおしま~~~~い』

「……おまえホント悪趣味だな」

 

 トラックが、転がりながらウンウン唸る男に覆いかぶさる。

 

 キャッ!という声。

 それだけ。

 

 ふたたびボリボリと言う音を聞きながら、オレはヘクサスに車を寄せた。

 毛髪を落とさぬようバラクラバ戦闘帽をかぶり、真新しい滑り止めつき軍手をはめ、車外へ。

 

 セダンの運転席からトランク・レバーを引いて後ろに回ると、ゴルフバッグが2~3個楽に入る空間に、黒い革製の死体袋のようなものが赤い革ベルトで、ひし形に厳重(きび)しく縛められていた。

 それが、ギュウギュウ・ミリミリと革を軋ませ、身じろぎして。

 

 ジィィィィィィィ、と幽かにローターのような音すら。

 アイツらどれだけ手際がイイんだか。

 

 オレは周囲を確認。

 看板のせいか、細い横道に車は入ってこない。

 

 ――目撃者無し、ヨシ。

 

 緊縛され、ミリミリと音を鳴らして悶える黒い革包みを横抱きに。

 そして運動不足の背筋を酷使して、運転台の後ろのキャビンにオラッ!と放り上げた。

 ドサリ。くぐもった悲鳴。

 

 ヤクの横流しなんかするJKだ。

 ていねいに扱ってやるつもりなどサラサラなかった。

 監視カメラのない資源ゴミ置き場にでも放置してやろう。

 

 ヘクサスにもどると、ドライブ・レコーダーのメモリを抜く。

 あまり中を物色して証拠を残したくないのでザッと見るが、それでも大人のオモチャだらけなのが見て取れた。

 

 ――アブねぇ……。

 

 グローブ・ボックスの中に、女子高の生徒手帳を発見。

 

 革包みの上から緊縛されている、あの娘のものだろう。

 ほかには……注射器と、オモチャの手錠?

 ドスらしきもの。

 電子タバコのカートリッジ。

 フロアには菓子パンの空き袋。

 見慣れぬ代紋のはいった金バッヂ。

 エロ本。コンドーム。ティッシュ。

 

 マンブランの金製ボールペンに食指が動くが、やめた。そこまで堕ちたくはない。

 

 静かに体を動かして撤収。

 トラックの運転台にもどってドアを閉めると【SAI】が、

 

『マイケル、すこしバックします――念のため』

「は?ナニする気だ?」

『あの車に電磁パルスを浴びせ、ドライブ・データーをまるごと消去します」

「そんなことまで出来るのか!?」

『任せてください。なにごとも詰めが肝心……』

 

 【SAI】はトラックをすこしバックさせて停車。

 

『EMP照射用意・目標、前方のヘクサス……終了』

 

 トラックの電力消費量が爆発的に跳ね上がる。ヘクサスからはうすい煙が立ちのぼった。

 

「アレで済んだのか……?

『EMPと同時に車内を走査して記録媒体の場所を全部焼いてやりました』

「オッしゃ。長居は無用、ズラかるぞ」

 

 すると【SAI】が、またもや済まなそうに、

 

『もうしわけありませんマイケル、電力槽(バッテリー)が規定値ギリギリです。通常走行での帰投許可を願います』

 

 証拠隠滅のためEMPをブチかましたんだ。そりゃ電力不足にもなるだろう。というよりこのトラックにそんな軍用兵器なみの装備が付いていたのが驚きだった。車輪から相手をパンクさせるノコギリが出てきても、もうオレは驚かないぞと心に決める。

 

「内燃機関走行とベースへの帰投――認可」

『感謝します、マイケル』

 

 ゆっくりとその場をはなれる。

 横道の出口で、工事中の立て看板。

 もちろん、どこにも工事などやっていない。

 

 あの二人組、だいぶ手慣れているようだった。

 女を拉致るのも、今回がはじめてではあるまい。

 はてさて、業の多そうな二人だったが、本当に異世界があるとしたらどこへ行ったやら。

 

 燃料と電力の残量を計器で確認。十分いける。

 幹線道路を走りだすと、後席フロアの荷物から暴れる気配。

 

 ――イケねぇ、わすれてた。

 

 この荷物、どうしようとオレは頭を悩ます。

 やはり適当なところで放置するしかないか。

 

 ――えぇと、粗大ゴミ置き場は……と。

 

 しばらく走っていると【SAI】が警告音を出した。

 

『マイケル、後席の荷物、酸欠気味です。バイタル低下』

 

 ――あぁモウ、クソめんどくせぇ!

 

 おまけにキャビンの中が、なんとなく(なめ)し革臭くなっている。

 新しい革コートのような、毛皮の内側のような……。

 

 よけいなモノを拾ったナァと後悔するが、あのまま現場に放置すればヤバかったろう。

 夕方のニュースで、窒息死体発見の報に自分の手落ちを見せつけられるのはゴメンだ。

 

 マップで一番近くの駐車に良さげな公園をえらび、そこに急行。

 トラックを止め、周囲を確認。

 平日の昼間なので、人けはない。

 念のため、後席窓のスモークをスイッチで最大にする。

 

 ヤレヤレ、と自分はシートを動かして後席にうつり、床から重い包みをシートにのせ、黒い革袋を人型に縊る赤い革ベルトをほどいてゆく。

 

 上半身分をほどき、革袋を閉じるやけに頑丈なジッパーを引き下ろした。

 

 とたん、ムワッ。という女の汗と愛液。それにわずかな尿の臭い。

 長い髪の毛が、べっとりと張り付いて。

 

 顔面は無残にも、穴無しボールギャグ、革製のアイマスク、それに耳を覆う遮音用ヘッドホンが一体型となった物が、ベルトを使って顔がゆがむほどの勢いでガッチリと装着されている。

 

 オレは爪を犠牲にして先ずボールギャグを取った。

 途端に少女は咳きこみながらゼイゼイと空気を求めて喘ぐ。

 

  路面を引きずられたのか、土ぼこりだらけな制服のブレザー。

 ビリビリに破かれた白いブラウス。

 腕は、首輪から伸びるベルトでもって、後ろでまとめて拘束されているらしい。

 

 口が自由になるやいなや、この少女は大声で叫び出した。

 

「ちょっとヘンタイ!ハヤくこれほどきなさいよ!」

「アタシをどうする気!?パパにいって刑務所にブチこんであげるからね!」

「はやく!中に入れたヘンなオモチャとって!いやっ!動かさないで!」

 

 なんだ?と見れば、黒い淫らな革袋に相変わらず包まれ、拘束された下半身からは、秘密めいたヅィィィィィ……という、夜に聞くケラの啼き声のようなモーター音がいくつも響いている。

 

 あまりにワメき叫ぶので、メンド臭くなったオレは上半身で暴れる彼女をおさえつけ、もう一度ボールギャグをピンク色のリップクリームを塗った口にハメこむ。

 

「んんんんnn~~~~!」

 

 くぐもった少女の叫び声。

 いい加減ウザくなったオレは手近にあった工具を彼女の首もとにおしつけた。

 冷たい鋼の感触が、刃物を押し付けられたと勘違いしたものか、少女はとたんに静かになる。

 

 オレがギッチリ包みこまれた少女の拘束を解いてゆくと、【SAI】が脱臭機能付きの空気清浄機を全開にした。そしていかにもメンドくさそうに、

 

『マイケル、これは人身売買の組織にでもカラんでしまったのでは?』

「うーん、ヤケに転生ポイントも高かったモンなぁ……」

『……ワタシのなか、汚さないでくださいヨ?』

 

 すっかりオレをマイケルと呼ぶようになった【SAI】が、いかにもイヤそうに。

 

「オレだって、とっとと棄てたいのは山々だが……」

 

 

 幾本ものベルトやハトメに編み込まれたヒモで、あまりにもキツく梱包された黒い革の繭から縛られた下半身を解き拡げて行ったとき、少女が暴れる原因が分かった。

 少女の下半身には、何か仕掛けめいたものがチラチラ見えるステンレス製のT字型貞操帯が股間にギッチリと食い込み、それを固定する横棒は骨盤の上をグルリと、これもウェストを締め上げる勢いで、きつく巻き付いているのだ。

 Tの字の交差部分は、小ぶりな南京錠でガッチリとロックされている。

 

 ――鍵は……。

 

 見当たらない。

 

 もしかしてヘクサスの車内か。

 あるいは――素粒子レベルまで分解したヤクザのスーツにでも、入っていたか。

 

 貞操帯の仕掛けを止めようにもスイッチが見当たらない。

 バッテリーに繋がるコードらしきものも無かった。

 完全に内臓電源らしい。

 パッと見、玩具にしては造りが妙に上等なので、もしかしたら大容量なものを積んでいるのかもしれない――厄介だ。

 

 少女がビュクビュクっ、と小さく痙攣して静かになった。

 

「【SAI】?」

『生理的興奮の負荷に脳が耐えられなくなって、ブレーカーが落ちたようです』

 

 ――なんだ、イッたってコトか。

 

 くっそ、とオレは後席でグッタリする。

 

 今月のポイントを満たしたはいいが、とんでもない荷物を背負いこんだような、そんな気配。

 やはり世の中、そうウマくはいかないと実感するオレだった。

 

 結局、“M”の抱える若い()に連絡して、鋼板も切れるハンディ・タイプのカッターをスクーターで出前してもらう。心づけを()らねばならないので、これもとんだ出費だ。

 

 高張力鋼も切れる強力なカッターで、どうにかMADE IN GERMANYとある貞操帯のシールド(硬度の高い鋼が使われていた)を切断し、少女の中の仕掛けを取り去ったのは、“M”に連絡してから都合2時間たっていた。

 

 少女もすでに目覚めており、自分の下腹部にイヤらしく食い込む貞操帯を、誰かが非常な手段で外してくれようとしている気配に自分の味方であることを感じ取ったのか。あるいはオレが時おり髪を撫でてやることで落ち着きをとりもどしたのか、おとなしくされるがままになっていた。

 

 叫び声を上げさせない用心のため、ふたたび咥えさせた赤いボール・ギャグの隙間から漏れる少女の甘い鼻声を聞きながら、ようやくオレは彼女にはまっていた最後のパーツをとりだす。

 汗をながし、彼女がグッタリと脱力する気配。

 

 ここまで来たら状況を説明し、言ってきかせてどこかで解放するしかない。

 

 オレは腕とふともも、それに足首の拘束を少女に残したまま、ベルトで固定されていた彼女の耳をおおうヘッドフォンをはずした。

 なにかのヒーリング・ミュージックとセリフが大音量で流されている。

 さらに耳の穴には発泡ウレタンが詰め込まれ、この大音量から鼓膜を救っていた。

 おそらく外の音を聞かせず、なおかつ何かの説明をする仕掛けとなっているんだろう。

 

 ヘッドホンから女性の声で、秘めやかにささやいている。

 

 ――アナタは**……**……**……ご主人様の肉奴隷。

 

   もうアナタは単なる〇〇〇ー・ドール……ご主人様の、可愛いマゾペット。

 

   あなたは〇首を噛まれたい……アナタはお〇の穴に――。 

 

 



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     〃     (3)

 それから、また一苦労だったんだコレが。

 

 うしろの座席を使い、この女子高生の全身を執拗に拘束しているベルトを解き、黒革の包みから彼女を脱出させる。あのバカぢからのヤクザどもめ。思いっきり拘束したらしくて、ベルトひとつ緩めるのもひと苦労だ。おかげでキャビンの中、汗まみれになっちまう。

 

 (いまし)めを解いてゆくうち、彼女の匂いや汗、それに“女の臭い”も車内に充満し、【SAI】は抗議するように、空気清浄機をイヤミったらしくフルパワーとしやがった。

 

 相変わらず目隠しと猿轡(さるぐつわ)、それに頭全体をおおい、後頭部でキツく編み上げになったマスクをかぶせられ、制服の上から豊かな胸を無情にもくびりだすような形で縄を締め上げられた女子高生を前にしてオレは、

 

「いいか?――これから目隠しを取るが、サワぐなよ?」

「……」

「キミを拉致ろうとしていたヤクザはもういない」

「……」

「危ないトコだったんだぞ?とにかく暴れないでくれ。オレは――キミの味方だ」

「……」

「 分 か っ た の か !? 」

 

 返事がないことにイラついたオレは、思わず彼女の全頭マスクに幾つもついた用途不明な金属の輪をつかみ、革にピッチリと包み込まれた彼女の頭を手荒にゆすってやる。

 首輪につけられた金具が鳴り、猿轡に犯される口唇(くちびる)のすきまから少女のかすかな悲鳴。

 

「ったく!――ヤクの売人なんかとカラむから、こんなコトになるんだ!」

 

 腹立たしい手つきでオレは彼女の眼をキツく覆っていた目隠しをとった。

 少女はしばらくまぶしそうにパチパチしてあたりを見回していたが、やがて顔面をまるごと覆う革製のマスクごしにコッチを見る。

 

 ――へぇ……。

 

 涙目ではあるものの、思いのほかキレイな眼をしたヤツだった。

 売人と関係するぐらいの生意気な牝ガキだ。先だって見た汚い言葉づかいから、もっとスレっからしな、ヒネた目つきを想像していたんだが。

 

 全頭マスクうしろの編み上げを苦労してほどき、顔面にピッチリと貼り付いていた黒革を取り去ってみると、こもった汗に茶髪をベッタリと張り付かせる、ゲッソリと疲れた顔があらわれた。

 

 うすく化粧でもしていたのか、ファンデやアイメイクが酷いことに。つけ睫毛(まつげ)などは片方が取れてしまっている。耳にはピアス。そして小鼻にも孔をあけた(あと)が。

 

 学校の生活指導から何か言われないのかね?

 あるいは最近の生徒不足から、入学志願者に嫌われないよう、あまり校則はキビしくできないのか……?

 

 などと、そんな考えをウロウロとめぐらすオレの顔を、ボール状の猿轡をベルトできびしく留められた少女は、ジッと見つめていた。まるでこちらの顔を記憶し、あとで警察にタレこもうとする算段をするようにも見えて。

 

 オレはヘクサスから回収してきた生徒手帳を手にした。

 よく見れば有名なお嬢様学校のものじゃないか。

 中を開いてみれば、裏のビニール部にアメックスのゴールド・カードが挟まっている。当然ファミリーカードだが、やはりイイとこ出の娘なんだろうなとオレは判断する。と、少女を見れば、彼女の目は一瞬、オレの手にするカードにとまるが、スネたような顔ですぐに視線はそらされた。

 生徒手帳の写真と本人を見くらべる。

 写真の中の少女は女子高生だが、いま目の前でふてくされるのはセンター街でたむろする“まーん”といった印象。

 

鷺ノ内(さぎのうち)――美香子くん?……か」

 

 年長者の威厳をこめて、オレは相手に向かい合う。

 

「高校生にしちゃ、ずいぶんアブない橋を渡ったな」

「……」

「いいか?世の中には見なくてもいい闇があるんだ」

「……」

「カネにつられてその世界に踏み込めば、後もどりはできないぞ?」

「……ほぇほっへ(コレとって)

 

 オレはため息をついた。

 

「取ってもいいが、騒いだりするなよ?」

「……」

「分かったのかね?」

 

 ようやくコクリ、うなづく少女。

 

 猿轡からのび、後頭部で留められた細いベルトの金具を、これも苦労して取り去る。

 少女の口には大きすぎる黒い球をようやく吐き出させたとき、タラリ、よだれが淫猥な調子で紅いセーラー・スカーフに垂れた。

 

「はうぅぅ……おうちひゃヘンいはっひゃっはぉお……」

 

 舌を固められていたためか、ロレツが回っていない。

 (ほお)には猿轡ベルトの跡がハッキリとついて痛々しい。

 

 おっぱいを菱形に(くび)る細縄は、あまりに固く結ばれていたのでナイフで切断した。よほど強く締め上げられていたんだろう。血がめぐりはじめたのか、少女の顔に赤みがもどってくる。それとも、あいかわらず自分が恥ずかしい格好を強制される恥じらいなのか。まくれあがった制服のスカートをモヂモヂと太ももで懸命になおすしぐさ。

 ムリもない。あの変態ヤクザにハメられた性具を取り去った今は、ノーパンなのだ。

 

 うしろ手にした拘束を解いて、少女はようやく自由となった。

 

 自分のほおをさすり、相変わらず巻かれた首輪を気にする風。

 そして、きびしくクビられていたオッパイが痛むのか、しばらく少女は自分の胸をサワサワと揉んでいたが、やがて舌のしびれはとれたのか、ブスッと口唇(くちびる)をとがらせ、

 

「あ~ぁ、バカ見ちゃった!」

 

 ペッタリと張り付いた髪を何度も気にしつつ、

 

「まァ、ったくアイツらったら……手加減知らないんだから!」

 

 その言い草にカッ!と火のついたオレは、おもわず勢いにまかせ怒鳴った。

 

「自業自得だ――あほが!」

 

 そしてできるだけ冷たい目でにらみつけ、

 

「キミみたいな女子高生が、ヘンなトコに首突っ込むからだ!」

「……そんなこと言ったって」

 

 それに対し、ふてくされたような顔で反抗的な態度をしめす少女。

 

「アタシだって、いろいろ欲しいモノはあるんだモン!」

「シャブでも取り扱ってたのか?それでいくら稼いだ?」

 

 意外にも、この言葉が少女の反抗心を倍化させる。

 

「アタシがヤクの売人ですって!?――ちょっとオジさん!」

「オジさんとは何だ!」

 

 いよいよ切れかかったオレの勢いに、ようやく少女は少し気おされたらしかった。

 

「……ナニよ」

「オジさんじゃない、()()()()、だ!」

「は!?」

 

 今度は一転、愛液臭いこのクソ女はバカにしたような目で、

 

「アンタTACO(タコ)ォ!?どっからみてもオヂさんじゃん!!」

「貴様!誰が戦術航空士(T A K O)だ!」

「だれが“お兄さん”だっての!づーづーしいわね!」

「なんだと?助けた人間い向かって!恩知らずめ!」

「ハン、かりにワタシが拉致られても、チャンとウチの者がバックアップに回るわよ!」

「どうだか!ヤク漬けにされて海外に売り飛ばされるのがオチだろ」

「そうなるまえにアタシのパパが何とかするってンの!」

 

 少女は見下した眼つきで、大きな胸を反らす。

 

「どうだかな」

 

 へっ、とオレは相変わらず制服に首輪姿のノーパン女を横目にして、

 

「ヤクの売人とツルむようなアホ娘じゃ、親も縁キリたがってンじゃないか?」

 

 平手が飛んできた。

 狭いキャビンの中だ。オレは難なくその攻撃をよけると、相手の首輪に下がる引き手を掴み、もやは年上の威厳などかなぐり捨て、グイとこちらのほうに少女を寄せた。

 

「餓鬼がイキがってるとな、そのうち火傷するぜ……!」

 

 ニラみつけると彼女は頬をふくらませ、そっぽを向く。

 オレは首輪を放し、キャビンに取っ散らかった妖しげな拘束具を片づけはじめた。

 彼女の身体をギッチリと包んでいた、ズシリと重い革袋を持ち上げたとき、ポケットに入っていたA5サイズのラミネート紙を見つけた。

 

 なんだ?と一読して、オレは絶句する。

 

 

 

   ――性奴の手引き(ご注意!梱包を解く前にお読みください)――

 

 ・お買い求めいただいた性奴隷(以下本品と呼称します)は催眠音声による洗脳、

  および調教馴致により、主人に対し従順に仕上げてございます。

 

 ・本品は最初に見た人物を自分の主人と認定するよう刷り込みがしてございますので

  目隠しの除去には細心の心配りをお願いいたします。

 

 ・開梱後、本品に対し口腔奉仕、および性器と肛門にインサート(挿入)することで

  飼い主様への認識は思考に強制ロックされ、以後は解けません。

 

 ・月に一度(最低でも半年に一度)の定期メンテナンスを推奨いたします。

  当該時点において、本品に対し再洗脳・および健康診断を実施いたします

  (※性技の馴致は別途料金にて申し受けます。ご希望の方はご相談下さい)

 

 ・本品に対する強制認識コマンドは『メス豚“ボニー”○○をしろ』となります。

  (○○内はお買い上げ頂いたお客様のご希望とする行為です)

  

 ※注:頻繁にこのコマンドが必要な場合は再洗脳・調教の必要がございます。

    お買い上げの店舗にてご相談ください。

    なお本品は――

 

 

 読んでゆくうちに頭がクラクラしてきた。

 

 オレは少女が今まで頭に装着されていたヘッドフォン、そこから流れる大音量の怪しげな文句に思い当たった。もうすでに目の前の女子高生は、主人の言う事なら何でも聞く性具に洗脳されてしまったのだろうか。

 

 オレは「ホラよ」とパウチされた紙をこの蓮っ葉な女子高生に渡し、

 

「一歩間違えれば……オマエもこうされてたかもな?」

 

 少女は気のない手つきで受け取ったが、読んでゆくうちにつれ顔色が変わっていった。

 “性奴の手引き”とやらを持つ手がかすかにふるえて。

 

「なによ……コレ……女をバカにして……いったい……」

「わかったろ?ヤバいトコだったんだって」

 

 彼女はしばらくそのパウチを見つめていたが、やがて唇をかみしめ、両手でグシャグシャにしてしまう。ようやく分かったか、とオレも口調をやわらげて、

 

「ワルいコタぁ言わねぇ。あんまり無茶をするなってコトさ」

 

 ぶぉぉぉぉ!!!ふぉ、ぶぉぉぉぉと、このとき空気清浄機が節をつけてうなった。

 ピンときたオレは、イヤホンを耳に付ける。

 とたんに『マイケル』と【SAI】の声。

 

『ハヤいとこ、この子をどこかの洗車機にでも突っ込みましょうよ。臭くてタマりません』

 

 すると偶然、少女も同じように、

 

「この近くにラブホないかな……おフロ……入りたい」

「ラブホだぁ?」

「オジさ……お兄さん?とだったら……イイよ。カラダでお礼、払うから」

 

 ケッ、とオレは鼻で嗤い、体をかがめて運転席へと移動した。

 

「餓鬼にそんなコトされるいわれはねェよ――待ってろ」

 

 オレはエンジンをかけ、シフト・レバーを手荒に一速へ入れた。

 しばらくトラックをトバし、愛液と汗と尿臭いこの少女を、トラッカーがよく使うコイン・シャワーへと連れてゆく。

 シャワーから上がってきた彼女は、革拘束を抜け出した時とはちがい、こちらがアレっと思えるほど雰囲気を変えていた。公平に見ても、美少女と言えるくらいになっている。着替えとしてクリーニングしておいた予備の作業用ツナギを貸すと、その後はコンビニに向かってトラックを走らせ、パンツや靴下などを買わせる。

 

『――ねえマイケル』

 

 コンビニのトイレで彼女が着替えをしているあいだ、オレが今後の轢殺予定をチェックしていると【SAI】が話しかけてきた。

 

『あの子、どうするつもりデス?』

「あぁ?あとは家まで送り届けてオワリさ……いや、タクシーで放り投げるってのもアリだな。どうせ金持ちの娘だし」

 

 なんだツマらない、と【SAI】の不満そうな声

 

『じゃぁ――ラブホには行かないんですね?』

「はぁ?当たり前だっつーの!」

『マイケル……怒らないで聞いてくださいよ?』

 

 【SAI】は用心深く前フリをすると、

 

『話に聞く例のくそビッ……いえ、奥さんに去られてマイケルはときどき情緒不安定になりますから、いっそあの娘などを配偶者にするのがイイと思うのですが……』

 

 はぁ!?とオレはさすがに驚いた。

 

「バカ言え。コッチだって選ぶ権利があるんだ――それに、まだ十代じゃないか」

 

『愛に年齢差は関係ありません(キリッ』

 

 ――あ、こいつ……。

 

 また妙なドラマでも観やがったなとオレはピンときた。

 本当に【SAI】の学習能力には舌をまく。もしメロドラマにハマったとしたら、このトラックはどんな殺し方をするんだろうか……。

 

「おまたせぇ!」

 

 女子高生がコンビニから出てきて助手席に乗り込んだ。

 

「――ハイこれ」

 

 彼女はコンビニ袋をガサつかせ、オレに缶コーヒーを差し出し、自分はプシュっ、と“お嬢様聖水”のタブを開ける。

 ついでにコロンも買ったらしい。

 愛液臭かった彼女の身体からは、女子高生らしいうっすらレモンの香りが。

 

「よぅし――じゃ行くか」

「なになに?ドコ連れてってくれるの?」

「安い作業着を売ってる店だ。お前のためにな」

「え~作業着ぃ~?さげポヨ~」

 

 ワクテカで顔を輝かせていた彼女は一転ションボリ。そして「ヤダそんなダサいの」と、お嬢様聖水を飲みながらツン、とそっぽを向く。

 

「贅沢ヌカすな。貧乏なオレが買ってやろうってんだ」

「作業着ねぇ……」

 

 そこで何を思ったか、顔色をまた輝かせてコチラを向くと、

 

「そうだ!ね?場所ぉ言うから、ソコに連れてってよ!」

「なんだぁ?またラブホとかいうんじゃないだろうな?」

「ちっがうわよ!――それともナニ?やっぱわたしを姦りたい?」

「はぁ!?」

「オジさ……お兄さんならイイわよ?割とマジで」

「……キミは誰とでもそんなことをしてるのか」

 

 ダレとでも、ってワケじゃないわよ!と少女は不満げにほおをふくらませつつ、

 

「チャンと相手は選ぶわ?オジ……お兄さん、ワリとイケメンだし」

 

 オレはふたたびため息をついて、エンジンを始動させる。

 

「わァった、わァった……ンで、ドコへ連れてけって?」

 

 

 

 トラックが向かった先は、オレにはなじみのない、なかばブティックも兼ねた高級婦人服店だった。店に目立った看板もないことから、特定層の顧客を相手にする超・高級店らしい。

 

 ドアベルを鳴らして中に入ると、洗練された服を着た数名の店員が一斉にこちらを向き、その中のひとりが、

 

「まぁお嬢様……いらっしゃいませ」

 

 わが女子高生は勝手知ったる調子で店内をズンズン歩いてゆくと、

 

「マダム居る?メイクのリフレッシュ頼みたいんだけど」

 

 最初に声をかけた、売り場のチーフと見えるギリギリ二十代とも見える女性が、

 

「店長はただいま外商にでておりまして。宜しければ……わたくしが」

「そぉ?じゃぁお願い。それと服も一式見繕って――あと靴も」

 

 化粧担当とともに店の個人ブースに消えながら彼女は、

 

「オジさまは、そこで待ってて。ケイちゃん?オジさまに何かお飲み物を」

 

 それまでとは打って変わり、なにか王女然として尊大にふるまう。

 慣れない婦人用品店で居場所のないオレは、トラックに戻って彼女を待とうとしたのだが、これで出鼻をくじかれた。

 仕方なく店の片隅にある華やいだティー・ラウンジで、若い女性店員のヒソヒソとした好奇な視線にさらされつつ、手持ち無沙汰に「婦人画報」など読むオレなのだった……なさけない。

 

「――ご親戚の方ですか?」

 

 そんなこちらを気遣ったか、チーフと同じぐらいの年代な女性店員が話しかけてくる。ほっといてくれと言うわけにもいかず、オレはこわばった笑みを浮かべるしかない。

 営業マン時代に培った外交的な雰囲気をよみがえらそうと努力しながら、

 

「あいつ――いや、あの子。よくここを利用するのかね?」

 

 えぇ、と女性店員は洗練された接客用の笑顔をうかべ、

 

「ご家族でご利用いただいております。奥様と美香子さまのお姉さまには、とくに」

 

 なんとなくポツリ、ポツリと世間話をするうちに、たまたま音楽のことで盛り上がり、ソフロニツキーとアシュケナージではどちらが上かということで声高に議論をするハメになる。

 ややあって、

 

「もーナニ話しているの?オジさま!」

 

 シャッ!と更衣ブースのカーテンが開く音。

 足首にストラップのついた高いハイヒールを履きこなし、ひとりの女性が悠揚(ゆうよう)迫らず目の前にあらわれた。

 

 まぁ♪と女店長の声。

 オレも思わず唸ってしまう。

 

 まぎれもなく、ひとりの淑女がそこには居た。

 

 革の拘束から助け出されたときの惨めな面影はみじんもない。

 品よく刷かれた化粧と、調えられた髪型。上品なクリーム色のブラウスと、茶系のタイト・スカート。エルメスのスカーフを、ちょっとしたアクセントに使って。

 

 生意気にもモデル立ちして微笑とともに出てきた彼女は、ひかえめに言ってもチョッとしたものだった。読モなどはもちろん、そこいら辺のグラビアアイドルなどでは遠く及ばないだろう。

 

  ――なるほど……腐ってもイイとこ出のお嬢さん、ってワケだ。

 

 だが「いい叔父さんで良かったですね?」とチーフ店員から言われた時、あろうことかこのバカ女は、

 

「オジサンじゃないの――わたしの“ご主人さま”よ?」

 

 と、クソアホにも言い放った時は、背中にヒヤ汗が流れたが。

 そのうえ、

 

「アタシは、ご主人様のメス――」

「うぉっほ!げへげへ!!」

 

 あやうくオレは咳払いで何とかごまかす。

 

 これは“事案”では?という微妙な表情が店員たちの顔に浮かびかける前に、オレはさりげなく支払いをうながした。

 

「では――お会計はコチラになります」

 

 なぜかチーフは、いわくつきの我が女子高生ではなくオレのほうに向かい、銀の盆にのせた会計明細を上品な笑みで差し出した。

 

 ――え”!?ちょっ!!!!???

 

 オレは少女を見るが、彼女はそ知らぬ顔で店に陳列されたバーキンを手にとり、ステッチの見事さを眺める風……。

 

 



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     〃     (4)

          * * *

 

 夕暮れが、いつのまにか街を押し包んでいた。

 

 行きかう車の流れ、家路を急ぐ人の群れ。

 気がつけば少女はオレの腕に絡みつき、高すぎるヒールの危うさを補っていた。

 

「ホラ――だから言わんこっちゃない。その靴はかかとが高すぎるだろ?」

「大丈夫ですよぉオジさま。せっかくプレゼントしてくれたんだモン。大事に履くわね♪」

「おまえなぁ……」

 

 大散財の1時間だったよ、まったく。

 これからはビールではなく発泡酒だ。出先での外食も、極力控えなくてはならない。

 分かれた子供の養育費もあるってのに、どうやってしのぐのか。

 

 ――とはいえ……。

 

 あそこでこの少女に支払いをさせてたら、おかしな空気になったのも確かだったが。

 もはや疫病神になりつつあるこの小悪魔は、からみつくオレの腕に自分のオッパイを自意識過剰気味に押しつけて、

 

「そ・れ・に――アタシはいつもこれぐらいの(ヒール)でフロアに出ているモン」

「フロアだって?」

 

 オレの言葉に少女は立ち止まり、コンビニ袋に入れた制服をゴソゴソさぐると、ボルドー色なカルチェの名刺入れを取り出して一枚を抜き、キスの真似事をしながら差し出す。

 

 磨きの入った、そのコケティッシュなしぐさ。

 

 年甲斐も無く、不覚ながらドキッとしてしまうところを、オレは名刺を見るフリをして、何とかごまかすことに成功した。

 

「【Le lapin Rouge】……「美月」?“赤いうさぎ”って、何の店だ?」

「くれば分かりますよぉ?オジさま!」

 

 もはや完全にオジさん扱いだ。

 でもまぁいい。確かにお兄さん、というにはトウが立ちすぎている。

 彼女はすっかり信頼の籠った眼でオレを見上げた。

 そして生意気にも上唇をなめつつ、

 

「そのときには――お店、終わったらホテルにいこうネ?」

 

 サービスするわよ?と言う彼女の言葉と、ピンクの名刺に印刷された書体から立ちのぼる水っぽい妖しげな雰囲気にオレは眉をひそめた。

 

 ――ガキがマセたコトを……だからトラブルになるンだよ。

 

「それにちょっとは援助してくれないと。アタシのおサイフ、いまキビしいんだもん」

「は?バカ言え。ゴールド・カード持ってるクセに」

「あれは実家のカードよ。非常用。なるべく家には世話になりたくないの」

 

 そこでまたも何か思いついたか、

 

「ね!オジさまのウチ、教えてよ。離婚して奥さん居ないんでしょ!?アタシがご飯作りにに行ってあげる!ついでにお掃除も!」

「なんで……分かる?」

「そんな雰囲気だもの。どこか寂しそうな、投げやりな感じ」

 

 なにか言い返そうと思ったが意外に胸をえぐられて、こんな小娘の一言にもヨロけてしまう。

 過去など吹っ切ったと思ったが、意外にまだ引きずってるんだな、と不意打ちに思い知らされる気分。

 しかし、我が女子高生は明るくハキハキとした調子で、 

 

「でもその代わり部屋に置いて!あ、もちろん部屋代はタダだからね?そうねぇ…ナンならその代わりに格安で“夜のお相手”をしてもいいわ!そしたらオジさまのところから通学するから……」

「おいおい、お(ウチ)のかた、心配してるんじゃないの?」

「どうでもイイのよ、アタシなんか。デキのイイ姉貴がいるし、アタシはただ三面記事に載らなけりゃ良いって言われてるわ」

「……」

「ね!家には帰りたくないの……お店から通学するのもイイかげんウザいし。休憩室で寝ていると夜這いかけられるのよ」

「ンなコトやってっからだ!だいたい女子高生だろ?学校にバレたらマズいんじゃないの」

「大丈夫よ。ウチの父親、世間体つくろうため、見栄でいっぱい寄付してるもの。ガッコの先生がモミ消すわ」

 

 これが今風の若者なのかねぇ?と思いつつオレはビルのネオンがうずまく天をあおいだ。

 そしてふと――視線をおとして周りをみれば、待ち合わせ広場となったエリアの片すみで人目立ちのする美少女が、とうてい釣り合わないオレのようなムサい中年と何やら交渉をするような有様が周囲から浮いて見えるのか、いつのまにやら往来の視線を集めていた。

 

「え?チョットあの娘!カワイー」

「うわ!ホントだ――ダレだろ?芸能人?」

「相手ダレ?あのオヤジ?」

「ADとかじゃない?」

「ウッソ、あの年齢(トシ)で?

「読モの打ち合わせでしょ」

「援交だったりして」

「チョイ悪っぽいオヤジだな」

 

 ささやき。笑い声。

 

 中には露骨に携帯の背を向けるヤツまでいる。

 さりげなくオレは彼女の細い腕をとり、その場を離れた。

 

「ご主人さま――どちらへ?」

 

 革拘束の中で聞かされていた“洗脳音声”のノリなのか、彼女はますますオレに密着しながら嬉しそうにささやく。オレは仏頂面をしながら、

 

「駅だよ。ホラ、交通費あるか?」

 

 これで足りるか?と千円札を握らせようとすると彼女が抵抗した。

 

「いやぁン。『メス人形“ボニー”』はタクシーで移動します」

「金は?」

「ご主人さまが……出してくれるんでショ?」

 

 イラッとくるが、考え直した。

 

 これだけ目立つ娘だ。それに撥ね殺したヤクザの事もある。

 車で帰らせた方がたしかに得策、かつ無難か。

 

 タクシー乗り場に向かおうとしたとき、少女が「アッ♪」と甘い声を出して前かがみに。

 

「どうした?」

「ご主人さまァ。『メス人形“ボニー”』は恥知らずにもカルくイッてしまいました……はやくホテルでこのイヤらしいオマ〇コとおしりの穴を罰して下さいまし……」

「冗談はよせよ。ほら、いくぞ?」

 

 あっ、アッ、と少女は軽く痙攣する。

 

 ――まさか。

 

 少女の耳にギッチリと装着されるヘッドフォンから漏れていた女のささやき。

 いわゆる“洗脳音声”などというものが本当にあるとは思えないが、女をフロに沈めるのが本職のヤクザが使っていたとなると、チョッと心配だ。

 

 だが、もう知らんと思いきる。

 オレは十分やった。エラいぞ!オレ!

 

「いいか?これはご主人様の命令だ」

 

 そう言われた時、少女の眼が期待に輝くのを看る。

 

「今日はタクシーをつかって真っすぐ――(うち)に帰れ」

「……そんなァ。じゃぁ、これからどうやってオジさまに会えばイイのよゥ?」

 

 表情を曇り顔に一転させる少女。

 そのすがりつくような必死めく声に、たまたま通りかかったカップルがヒソヒソと。

 

 焦ったオレは少女の耳元に口を近づけ、熱い息を吹きかけながら、

 

「心配するな――お前のバイト先や学校は分かっている。そのうち連絡してやるから、待ってろ」

「ホント?ほんとにホント!?絶対だよ!!?」

 

 オレは少女の住所を聞いた。

 遠くもない――が、近くもない。

 

 駅のタクシー乗り場に行くまでもなく、タイミング良くやってきた“流し”の1台を止めて彼女を後席に放り込むと、オレは運転手に1万円を握らせ教わったばかりの所番地を告げた。

 

「イイんですかぃ?こんなに」

「釣りはとっとけ。そのかわり玄関口まで、間違いなく届けてくれよ!?」

「オジさまァ――離れたくなぃぃぃ!」

 

 さらに何か言いかける彼女にダメもとで耳もとに、

 

『メス豚“ボニー”おとなしく帰宅をしろ』……」

 

 すると、あろうことか効果てきめん、彼女はおとなしくなる。

 タクシーの運ちゃんはギョッとするが、オレはすかさず、

 

「この()の言うことは無視してくれ――ちょっと()()()()な子なんだ」

 

 あぁ……と初老のオヤジが納得する気配。

 ドアが閉められ、モーター音と共に彼女の振り向いた顔とタクシーのテールランプが小さくなってゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――オワった……。

 

 

 

 

 オレは激しくしく脱力する。

 膨大な疲労が、夕暮れの空から降ってきた。

 全身の筋肉という筋肉が、ワタのようになってしまった感覚。

 

 ビルにかかる大時計を見れば、すでに18時を回っているじゃないか。

 これから日報を書きに事務所へ。そしてトラックを置いて社宅に帰るといい時間だ。

 

 ――クソが……。

 

 でもまぁ、仕方がないかと、オレはすぐさま割り切った。

 最低限“大人”としての責任は果たしたのだ。むしろよくやったと自分をほめてやりたい。

 もう二度とあの女子高生に関わる気はなかった。いや、関りたくもなかった

 

 今からアレでは、あの娘も先が思いやられる。

 親も大変だろう、と彼女の両親に同情。そしてふと我が身をかえりみて、オレの娘も、将来あんな風にならなきゃいいがと暗い気分に拍車がかかって。

 

 想いに沈みかかるところを頭を振って現実にもどった。

 

「あぁ、クソ。もう冗談じゃねぇ!」

 

 もう終わったコトだ。

 今夜のビールはヤメだ。代わりにシャンパンにしよう――決定!

 

 ――あ、いや待て……。

 

 つい先ほどの、悪夢の支払いを思い出す。

 カード一括払いで十数万。分割は、いかにも金がなさそうで男の沽券にかかわる。

 すくなくとも、あの場はそうするしかなかったんだ……。

 

 ツマらん見栄を張ったか?でも、そこまで男として妥協したくはない。

 

 ――やっぱり発泡酒にしておこうかナ……。

 

 オレはトラックを駐めたところに戻ると、運転台に乗り込む。

 空気清浄機が回しっぱだったようだが、いまだキャビンには(なめ)した革の“臭い”と彼女の“匂い”が。

 そして後席を見てウンザリ。

 

「あ~ぁ……」

 

 このガラクタも、どこかに始末しなくては……。

 女性器を犯す道具がついたステンレス製の貞操帯が、この状況では間抜けにみえた。

 

『お疲れさまでした、マイケル』

「とんだ出費と回り道だったよ【SAI】――もう二度とゴメんだ……二度とな」

『でもザンネンでしたね』

「ナニが」

 

 少しばかり【SAI】がためらう気配。

 

「どうした、言えよ」 

『……あの少女、ボニーと言ってました』

「それが?」

「マイケル、ボニー、そしてわたしが“キット”役でトリオが出来上がったのに」

「はぁ?オマエまで?――カンベンしてくれよ」

 

 事務所に戻る途中、オレはナビで神社を見つけ、そこに立ち寄った。

 

 暗がりの中、とぼしい灯りに社殿が赤く浮かび上がっている。

 なにか、こう、厄落としでもしたい気分なオレは、境内に入る盛大に鈴を鳴らし、小銭入れをひっくり返してぜんぶ賽銭箱へ。

 

 手のひらが痛くなるほど思いっきり柏手(かしわで)をうち、

 

 ――願はくは 我が(たま)(はら)いたまへ 清めたまへと……。

 

 いままでになく真剣に祈って、ホッと一息。

 

 これであの娘との縁もこれきりだ。

 いったいどんな悪魔がイタズラを仕掛けてきたのやら。

 

 過去に転生モニターのドラマで見た有翼の悪魔や地霊の映像がうかぶ。

 いやはや、なにか本当に得体のしれないものに捕まれかけていたのかも。

 

 社務所でお守りを買い、念のためにおみくじを引けば【大吉】と出た。

 ナイス。

 せいせいした気分で玉砂利をふみ、ふと振り返って鳥居わきの立て札を見れば、

 

 

 

         【 開運・縁結び 】

 

 

 うぇ、とおもわず足を止める。

 しまった。このところどうも詰めが甘い。

 

 ――まぁ神様も忖度(そんたく)してくれるだろ……たぶん。

 

 トラックにもどり、ナビを復活させたオレは、ふと彼女から教わった所番地を【SAI】に告げる。

 

 マップが移動し、高級住宅街の片隅に停まった。

 “鷲ノ内医院”と表示のある場所で、ポインタが点滅している。

 ストリート・ビューでみると、カーポートにはメルセデスとアルファロメオ、それにオープンの赤い軽自動車が駐まっていた。

 

「ふぅぅん。ヤッパり金持ちのドラ娘が、アブない遊びかァ……」

 

 やめやめ、とオレは表示を元にもどした。

 もう縁は切れたんだ――二度と関わり合うことはないだろう。

 

「いくぞ、【SAI】」

『了解しました、マイケル』

 

 オレは晩方の込み合う車の流れに、重量級の殺人トラックを乘りいれる……。

 

 



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第3話:宿敵登場のこと(1)

 

 空き家となった一軒家の庭先にあるウナバの物置で、オレは身をひそめていた。

 ネジ穴から、10mほど先の二階建てゲオパレス、その一室に向けて監視用カメラを養生テープで取りつけ、物置の暗闇でモニターをじっとながめているのだ。

 家の持ち主は高齢化のため特養にうつり、なにやら事業所のほうでこの物置を借りる算段をつけたらしい。 

 

 目当てとされる「猿」というあだ名の“マーカー”が出てくるのは、23時半。

 この時間になると決まってコンビニに買い物へ行くはずだ。

 

 そこで一人の男と落ちあう。

 

 その男こそ、今回の暗殺目標(ターゲット)――もとい、転生候補者に他ならない。

 

 ファイルを渡された時、その男の経歴にオレは思わず眉をひそめたものだった。

 

 強姦致傷が6件。ただし――いずれも証拠不十分で不起訴。

 家屋侵入・強請・現住建造物放火・麻薬取締法違反に至っては数知れず。

 年少を渡り歩き、暴力団の傘下などに入るも、みな半年ほどで破門か絶縁されている。

 

 半グレの仲間にはいるが、そこでも弾きだされ、結局似たような仲間と強姦・窃盗団を作り上げたらしい。なかなか不起訴にならないのは、バックに少年の“更生”を目的とする、野党議員の息がかかった新興宗教がらみの支援組織がいるからとか。

 おまけにその組織が議員の意向を受けて、目標が仕切るグループを鉄砲玉のように使っているらしい、と――これは所長の什央(アシュラ)から得た内々の情報だ。

 

 転生指数:43。

 

 決して高くはない――だがこの仕事には、なぜだかボーナス・ポイントがついている。

 さらに取り巻きの少年たち(といっても16~8がほとんどだが)を全部異世界(あの世)におくれば、麻雀の役のごとくポイントもハネ上がるという()()()()寸法だ。

 

 中央事業所のさらに上から直々に振ってきたというウワサの請負業務を、なぜ入社して1年そこそこのオレが担当することになったのか、そのヘンのカラクリはイマイチ良く分からなかったが、ターゲットの情報をある程度与えられて活動するのは楽と言えばラクだった。

 

 そんなわけで、オレはこの薄い鉄板でつくらてた物置に身をひそめ、スーパーの半額品で買ってきた冷たいピザを、同じく30%引きのコーヒー牛乳で流し込みつつ、張り込みをやってる最中なんだ。

 

 春も本番とはいえ、夜になると鉄板の物置は冷える。

 かといって携帯式の暖房を使えばサーモ・グラフを使われ、空家の物置に人が居ることがバレてしまうかもしれない。相手がそんなものを持っているという保証は無かったが、『猿』と呼ばれる“マーカー”扱いのの男が、FPSとかいうネットゲームを趣味とする親のすねかじり。おまけにリアルでもBB弾を撃ち合うサバイバル・ゲームの愛好家ということから、照準眼鏡にその手のものを持っているかもしれなかった。用心するに越したことはない。

 

≪ポパイ!≫

 

 耳に装着したリンク・システムから【SAI】が。

 これも、この請負業務を担当するにあたって、新規に導入されたものだ。

 車外からも【SAI】と双方向でコミュニケートでき、その気になればリモートでトラックを口頭操作できる。

 

 いよいよSFの世界が近づいてきた、と言う事か?

 “オジさま”は、ヨーわからん。

 

 そうそう、あれからいわくつきの女子高生とは接触していない。

 トラックでやむなく近くを通るにしても、あの小悪魔が通う高校からはなれた道を使っている。

 縁結びの神様も、さすがに融通を利かせて縁切りに動いてくれたらしい。ま、連絡先も交わしていないので、当然といえば当然だが。

 

 あれから、どうしていたかって?

 

 別に。読者の皆さんにはワルいが、年明けから残業に次ぐ残業。おかげで連続更新が途切れちまった。そんな中、ガンバってポイントの低い目標を二人ばかり撥ね殺して、一人はオーロラ輝くツンドラ地帯のトナカイ飼いに。もうひとりは南洋らしき島国で、ふんどし一丁のカッコして銛で魚を取る漁師にしたぐらいか。

 

 そうそう、変わったことと言えば最近、自分の周りを興信所――ハヤい話が探偵――が嗅ぎまわっていると、朝会の終了後、所長の什央に別室へと呼ばれたときに知らされたっけ。

 

「マイケル……キミ、なにかやったのか?」

「興信所に張り付かれるようなコトは……なにも。考えられることと言ったら、別れた家内がなにか企んでいるのかもしれません」

 

 気をつけたまえよ――キミ?と所長が不意に和やかさの仮面をぬぎすて、睨みつけてきた。

 正直、オレは営業という職業柄いろんな人間を見てきたつもりだ。ヤクザとの駆け引きどころか、国外のマフィアともやりあったこともある。

 しかしあの時の所長ほどの迫力をもった人間は、ちょっと見たことがなかった。

 コワかったゼ……小便チビっちまうかと思ったぐらい。

 

「くれぐれも馬脚をあらわして、この事業の事が世間に露呈することのないようにな!?」

「――は……心得ております」

 

 ……オレはそういうのが精いっぱいだったのを思い出す。

 

≪ポパイ!――聞こえますか?シカトしないで!心音は感知してますよ!?≫

 

 ……そして、さらにワケが分からないのは、この一件が始まってからというもの、【SAI】がオレのことを『ポパイ』と呼び始めたことなんだ。そして自分のことは『クラウディ』と呼んでくれと言い張っている。さて、いったい今度は何を観たのやら。

 オレは冷たいピザを一口噛みながら、

 

「どうした、【SAI】……目標に動きか?」

 

 首に巻いた喉頭マイクでささやく。

 これも外に、音が漏れない用心のためだ。

 

 腕時計の夜行文字盤を見れば、相手が動き出すには早い。

 イレギュラーな動きをされると、業務に不確定要素が生じる――クソ。

 

「場合によっては“執行”を延期する」

「……」

「……【SAI】?」

「……」

「あーもう!分かったよ【クラウディ】」

≪どうも、ポパイ。ハナシというのは他でもありません。転生映像が入りました≫

「転生だ?ダレの」

≪こないだハネた、(クサ)れヤクザ二人組です≫

 

 あぁ……すっかり忘れていた。

 

 あの色情狂チックな娘を拉致ろうとしていた連中か。

 それともアレは洗脳の効果だったのか。

 完全に忘れていた――というより思い出したくもない。

 

「けっこうカネ使ったからなぁ……」

≪なんです?≫

「いや、コッチのはなしさ。あの“ボニー”には散財させられたってコト」

 

 おかげでここ最近は、晩酌が発泡酒ばかりだけどな。クソ。

 

≪元気でやっていますかねぇ≫

 

 スカニヤ製のスーパーAIは、どこか懐かしむような口調でつぶやいた。

 

「え?――珍しいな【SAI】、あぁ【クラウディ】。おまえが他人を気に掛けるなんて」

≪それは失礼というものですよポパイ。ワタシだって――あ、いや話が逸脱しました。そのヤクザの転生画像、見ますか?≫

 

 ふたたび腕時計を見た。

 まだマーカーが動き出す予定時間には、30分近くある。

 

「いいだろう――ゴーグルに映像をまわせ」

 

 光が漏れないよう、それを頭に装着すると、いきなり華やかな酒場のステージがよみがえった。

 

 オーケストラ・ボックスには、(ふる)い中東の楽器を思わせるゆがんだ形をした太鼓やリュート。ネックの恐ろしく長いギター。妙な形をしたハープがあれば、ツィターのように張り並べた弦を小さなハンマーで巧みに叩く楽器まである。

 

 

 ★※参考BGM: https://www.youtube.com/watch?v=lgOPJFUAFSo

 

 

 ピンク色をした床からの灯りが照らす舞台。

 そこにキワどい格好をした若い踊り子ふたりが、息の合った動きでポール・ダンスめいたものをアクロバティックに披露していた。

 

 汗をテラテラと浮かべる黒い肌。

 白く脱色され、見事なウェーブを波打たせる豊かな髪。

 オニキスのティアラとイヤリング。

 

 

 あきらかに豊胸されたとみえる乳房には、頂に飾り物(ピアス)を穿ち煌かせて。

 驚くほどくびれ、引き締まった腰と、はち切れそうな尻まわり。

 

 すべてが薄物とともに弾力的な揺れを魅せ、そんな己の魅力を誇示するかのように、口周りを覆う面紗(ヴェール)ごしの口唇(くちびる)は、煽情的な笑みを浮かべてはばからない。

 

 ラピス・ラズリを粉にして塗りつけたとみえるアイシャドウから放たれる、熱い媚薬のような流し目。

 

 乳房が降られ、ニップル(乳首)に付けられた鈴が鳴る。

 あるいは身体がクネらされるたび、小陰唇(ラビア)に付けられた飾り房がキラキラと。

 

 そこにはいくつものハトメも同時に穿たれており、、全身を這いまわり遂に到達した金鎖の終端が、まるで靴ひものように交差して、女性器(ヴァギナ)そのものを封印していた。

 

 淫核(クリトリス)の上には、その封印をとくための小さな南京錠。

 

 ≪この鍵を巡り、ステージが終わるや客たちの駆け引きが始まるらしいです≫           

 

 くびれた腰に幾重にも巻き付けたコイン・ベルト。

 あるいは奴隷の証である、家畜めいた鼻輪や、首に巻き付けられた太目のチョーカー。

 

 彼女らの挙動のたびに、これら淫らな装身具が、ステージの空を舞う鬼火めく灯火にキラキラと照り映え、まるで中世キャラバン・サライの夜宴で繰り広げられるひと幕の夢のよう。

 

 舞台左右に立つ二本のポールをめぐって踊るふたりの動きは、左右対称のシンクロとなっており、楽団がブーボーと鳴らす中、一人の男が鳴らす小さなシンバルの音に合わせ、ときおり大技を披露している。

 

 ステージをとりまくのは、高級そうな料理が並べられた数多(あまた)の酒席で、身なりのいい客たちが好色な目をステージにむけ、料理の脂とソースがにじむ口もとに締まりのない笑みを浮かべていた。

 

「まて【クラウディ】、あれが……ヤクザ二人の成れの果て?」

≪正確には魂の、ですが≫

「うへぇ。あの頭のワルそうな連中がねぇ?」

≪いまも知能は低いでしょう。さもなくば、こんな辺境の商業都市で、ヤク漬けになりながら性奴隷の踊り子などしていないはずです≫

「……ふぅぬ」

≪生殖器の上に南京錠があるのが見えますか?あのカギをめぐり客たちが争うそうで≫

「我々の時間軸ではないんだな?」

≪完全な異世界です。そうとうに“(ごう)”の深いふたりのようで、自分たちが奴隷や性風俗に貶めた女性の分だけ、あそこで苦しむことになるのでしょう≫

 

 

 やがて合奏がおさまり、古風な弦楽器のソロとなってアリアが朗々と歌われる。

 

 薄物をまとう踊り子たちは、節を合わせユルユルと身をよじらせつつ、哀しげな眼差しで客席に双腕を投げかけ、あたかも慈悲を請うように。

 

 アリアめく独唱は続いた。

 

「ふたりの淫らな踊り子は、

   ときおり舞棒(ポール)を離れると、

       (がく)の音あわせ軽快に、

         きわどいシフォンの薄衣(うすごろも)

            飾り立てたる裸体もて、

              (なよ)く激しく躍動し、

                あまたの酒席を巡りつつ、

                    身体に穿(うが)つ鳴り物の、

                   音もシャララと涼やかに、

                (あや)しく媚びをふり()いて、

              今宵(こよひ)の賓客、惑わかせ、

            商品とされた己がじし、

         いざやその淫肉(にく)(ひさ)がんと、

       (しとね)の“性情(なさけ)”を(こひねが)ひ、

    手酷く(なぶ)られ()てらるば、

  あはれ奴隷の身を呪ふ――」

 

 やがて歌がおわると、合奏がよみがえり、席を立った男たちがステージにワラワラ集まり始めるのが見えた。

 

 店側から少女の小姓がでてくると、ポールのかたわらに拘束台を設置する。

 踊り子たちの顔に、あきらめと(おび)えの色が入り混じって(はし)った。

 

 

 いきなり舞台の映像が消えた。

 

「――【クラウディ】?」

≪ポパイ、「猿」に動きあり、出てきます≫

 

 ゴーグルの映像がが監視用モニターに切り替わる。

 

 中世絵巻物風な世界から、いきなり現実へと容赦なく引きもどされた。

 

 いかにも壁のうすそうな二階建てアパート。

 その外階段を、ひとりの少年が降りてくる。

 パーカーのフードに顔をかくし、両手を前ポケットに突っ込んで。

 

「【クラウディ】、アイツの腹部をズーム」

 

 少年の画像が大きくなり、パーカー腹部の生地ごしに、なにか硬い輪郭が、ときおり浮かんだ。

 

「サーモグラフを」

 

 ゴーグルの画像が温度分布に切り替わり、少年が腹部で何かを握っているのが分かった。

 金属製。

 おそらくナイフ付きのナックルか、なにか。

 

 時刻は22:20。

 行確報告書にあった反復行動と視ていいだろう。

 

 少年はアパートの入り口で左右を用心深く警戒し、歩き始める。

 その物腰……どうみても、カタギのものではない。

 

 相手がコンビニの方に動き出したのを確認してから、オレはトラックにもどるとモーターを起動し、コンビニ近くの駐車場に先回りをすべく車を急がせる。やがてあらかじめ決めておいた所定の位置に車を路駐すると、車内の工具箱より前腕ほどのモンキー・レンチを抜き出した。

 

『マイケル、そんなもの必要なんですか?』

 

 いかにも心配そうにAIがつぶやく。

 

「相手は武装している――得物はあったほうがいい」

 

 前腕に養生テープで大きな工具をとめ、トラックを出てると、やはり前もってアタリを付けておいた物陰にひそんだ。

 

「【クラウディ】、配置についた――目標(ターゲット)が現れたら映像を撮れ」

 

 諒解、とAIから応答があって静かになる。

 



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     〃     (2)

 ジャンパーの左袖に入れたモンキー・レンチの具合を気にしていると、アパートの男がやってきた。

 パーカーのフードに顔をうずめたまま、真っすぐ客のいないコンビニに入る。レジ脇に行き、ジャンボフランクでも買うかとおもえば、雑誌のコーナーに進んで何かを物色する風。

  

 店の明るい照明のおかげで、パーカー奥の顔がちらりと見えた。

 やせたほおをした、眼つきのするどいメガネ。

 エアガンの専門誌めいたものを手にしている。

 

≪やってきます――奴です≫

 

 耳にはめたコムに【クラウディ】からの警報。

 

 ドレッドヘアの青年がやってきた。

 ガタイのいい身体をロシアの迷彩服に包み、軍用コートを羽織る20前後の姿。

 これもまっすぐコンビニに入ると、同じく雑誌コーナーに行き、中にいたマーカーと拳を打ち合わせて挨拶する。

 

 そのまま二人でなにごとか話し合う風。ときおり手を打ち鳴らしてバカ笑い。

 

 ――さて、ドコで撥ねるか……。

 

 二人まとめて、なら楽なんだが、あいにくパーカーの方は転生リストに載ってない。

 いずれにせよ、パーカーはFPSをやりにすぐアパートに戻るハズだ。ドレッド独りになったところでイタダキだ。

 

 と……足もとに、何か柔らかいものがこすりつけられる気配がする。

 ギョッとして下をむけば、首輪を巻く黒い毛の生えたものが、胴体をオレのズボンに擦り付けながら、ふと上を向き、ニャァ……。

 

 ――うわ♪

 

 オレは急いでジャンパーのポケットを探った。

 たしかビスケットの残りが……ない。

 

 オレは黒ネコをゆっくり撫でた。

 手のひらに、ゴロゴロとノドをならす気配。

 相手の瞳と目を合わせながら言い聞かせるようにして、

 

「いいか?――ちょっと待ってろよ――ココに居ろ?」

 

 オレは雑誌コーナーに居る二人に顔を向けないよう、足早にコンビニに向かうと、ペットのエサの棚を探した。

 

 ――あった。

 

 トリ肉味のちゅ~〇をとり、レジに向かおうとしたところ、奥の方で、

 

「――だからアニキのヘクサスも置きっパでよぉ。ふたりとも居ねェの」

「どっかトンだんじゃないスか?」

「車置きっパでか?まぁ、車の方も電装系がぜんぶパーんなってたってハナシだからなぁ。もともと“マゲた”個体だし。でも連絡がぜんぜんつかねぇってのがオカしいんだ」

 

 こいつら、とオレは身を固くする。

 あのヤクザとカラみがあったのか。

 

 オレはチュールを手に、ソッと移動しながら棚を隔てて二人の後ろまで来た。

 そして商品を選ぶフリをしながら、ほくそ笑む。

 

 ――そう、イイ勘してるね。その通り、あの連中はトンだのさ。異世界にな。そして女奴隷にされて、前から後ろから、舞台(ステージ)で犯されてるんだよ……死ぬまで。貴様はミジンコにでも転生させてやろうか?ん?

 

「前に上玉の女を輪姦(マワ)したろ?ソイツに妹がいてサ」

「へぇ?美人ッスか?」

「もち。あの姉の妹だもんよ。こないだからアニキたちが目ェつけてたハズなんだが……」

「別の組がカコってたとか、ないンスか?」

「……ありえるな。持ち主がホカにいるならメンドウだ。なんせアレだけのタマだもんなぁ」

「どうします?クスリ漬けにして姦ッちゃいます?」

「カシラに相談してみるよ」

 

 コイツら、とオレは〇ゅ~る片手に力みかえった。

 なるほど下司野郎だ。“撥ね殺しがい”があるぜ。

 

 他にも話が聞けるかと思ったら、あとは下らない自慢話や美味いラーメン屋の情報になってしまった。

 

 ――おっと。

 

 こうしちゃいられない。

 オレはレジでち〇~るの代金を払うと、いそいそ元の待機場所にもどった。

 

 いた♪

 

 ブロック塀の上で香箱座りをしていた黒ネコが、こちらをみてひと啼き。

 オレはいそいそと買ってきたばかりのモノを取り出す。

 食べ物の気配を察知したのか、トスッ、とネコが壁から飛び降りてきた。

 細長いチューブを破り、しゃがみこんで差し出すと黒ネコは片足をオレの手にかけ、眼を細めて一心不乱に舐めだした。

 

 ふふっ、と笑う間もなくコンビニから例の二人組が出てきた。

 まずい、後を追わなきゃと思うまでもなく、彼らはまっすぐコチラに向かってくる。

 

 予想外の展開だった。

 

「ほら、このオヤジっすヨ。さっきオレらのハナシ聞いてたヤツ」

 

 パーカーが、しゃがみ込んだオレを指差し、嘲笑う。

 

「バレてねぇと思ったのかよ、ん?」

 

 オレはなるべく人畜無害そうな顔を装い、話の分からぬフリをする。

 

「野良ネコにエサなんかやってやがる。イケないんだ」

 

 そう言うやパーカーはいきなり近づくと、ちゅ~〇を舐めていたネコを蹴り上げた。

 無音のまま、ネコは何かを吹き出しながら夜空に舞い上がり、壁の向こうに消える。

 

「何するんだ!」

「知らねぇのかよ?野良にエサやると、汚ねぇ野良が増えるだろ?」

「だからといって!蹴ることないだろ!」

「あ――?ヤンのかオッサン」

 

 ()ッ、と火のような怒りがオレの全身を包んだ。

 こういうガキばかりが増えやがる。

 子供のころから社会に甘やかされたせいだ。

 

「このオッサン一丁前に怒ってますヨ――アニキ?」

「ジョージ、ヤめとけ」

 

 軍用コートが、こちらを値踏みするような上目遣いで。

 

「カタギに手ェ出すな」

「ビシッと教育してやりましょうよ?オレの右フックで沈めてみせますヨ」

 

 ボクシングのポーズを取る相手にオレの怒りが加速する。

 

 ナメるなよ?こっちだってアルジェリアのカスバとマルセイユの裏道という、ケンカの本場で修業を積んだ兄さんだ、と坊ちゃんのような事を考えながら相手のパンチを受け流す。

 右、右、左。

 態勢が崩れたところを足払いをかけ、転ばした。

 

 ――ヤバい。

 

 目はついてゆくのだが、息切れがする。

 日ごろの運動不足がたたっていた。

 

「野ッ郎ォ!」

 

 立ち上がったパーカーがポケットから何かを抜き出した。

 

 ――青竜刀!

 

 いきなり切りかかってきた刃筋に左腕で防御する。

 パーカーの持つ得物が、金属に当たって跳ね返される音が夜道に響いた。

 コイツ!とパーカーが叫び、颯ッと飛び跳ねて距離をおく。

 その姿をみて、場数を踏んでいるガキだとオレは相手を再評価する。

 ヤバイと思ったら一旦退く姿勢。

 そうとうワルの経験を積んでいるとみた。

 

 窃盗、強姦、強盗、詐欺――ヤツら流に言えば“ヤンチャ”というヤツ。

 

 踏み込んで一撃を加えたかった。

 だが、息を整える時間も欲しい。

 

「思った通りだ……シロウトじゃねぇな?」

 

 かたわらで腕を組んだドレッドのニヤつき。

 ヤバい。コイツは本物だ。

 パーカーのようなチンピラとまとってるオーラが違う。

 さすがは轢殺対象。【SAI】が嬉々として撥ねそうだ。

 

 だが――何だろう。妙に同じ“気配”がするような……。

 

「俺たちを……()けてきたのか?」

「ハァ?さっきのネコにエサぁやりたかっただけだ。これをこのガキが――」

 

 オレは相変わらずガンを飛ばしてくるパーカーをニラみつける。

 攻撃の意識を消していないとみえ、青竜刀は構えたままだ。

 

「キミんトコの舎弟かぁ?()()()が成ってないな」

「オヤジ手前ェ!」

 

 アスファルトが踏み鳴らされる、ささくれた気配。

 

 パーカーが下段から襲ってくる。

 青竜刀の刃筋が今度は読み切れない。

 受けるのはあきらめ、呼吸を合わせとっさに捌いた。

 身体を入れ違えざまに左袖からモンキー・レンチを引き抜くや、相手が構えるヒマを与えず一閃、アゴのあたりに叩きつける。

 

 間違いない。

 骨のくだけるような快感の手ごたえ。

 意味不明なくぐもった唸り声が相手のガキから。

 

「ジョージ!もう止めな。おめぇの負けだ!」

 

 診ればジョージと呼ばれたパーカーの下あごは「くの字」に歪み、みるみる内出血が始まってゆくのが分かる。顔をおさえ、しばらく少年は苦悶していたが、やおら青竜刀を棄てるとポケットに手を突っ込んだ。

 

「ちょッふぁり!!」

 

 抜き出した手には、銀色をした小さなモノが握られている。

 

 パン!とクラッカーのような乾いた音。

 

 ――それは……。

 

 トン、とワキ腹にネコが体当たりしてきたような軽い衝撃だった。

 だが奇妙なことにオレは足の力が抜け、へたり込んでしまう。

 

 

 

「馬鹿!てめえナニやってンだ!」

 

 さらに狙いを付けようとするパーカーの腕をドレッドが抑え込み、空へ。

 パン!とさらに乾いた音。

 

 小さなものがコロコロとオレの目の前に転がってきた。

 

 ――薬莢?

 

 少し離れたところでモミ合いがあり、パーカーの銃は取り上げられる。

 顔をおさえ、なかば朽ちた捨て看板が巻き付けらる電柱に、顎を砕かれた小僧はもたれかかってしゃがみこむ。

 

 ドレッドは小さな銃を握ったまま、しばらくオレを見ていた。

 やがて――この青年は考えを変えたらしい。

 

「……そうだ、見られちまってるモンな」

 

 腹をおさえてうずくまるこちらを一瞥し、オレの頭に銃の狙いをつける。

 小型の拳銃だが、銃口がトンネルのように大きく見えた。

 そうか、と覚悟をきめる。

 

 (これがオレの“死”か)

 

 どこか他所事のように冷静になっている自分。

 

 ――つまんねぇ人生だったな……。

 

 

「アバよ――オヤジ」

 

 そのとき、近くでパトカーのサイレンの音がし始めた。

 誰かが通報したらしい。

 チッ、とドレッドは唇をゆがめ、

 

「ツイてるな、オヤジ」

 

 そう言うや“ジョージ”を引き立てて、横道の奥へと消えてゆく。

 オレは心臓のペースでズキズキ来るようになった横腹を抱え、道のはしまで匍匐前進してゆくと妙に寒く感じる身体をブロック塀にあずけた。

 

 あたりの住宅に、灯りが点く気配はなかった。

 

 ひょっとすると“都市過疎”がすすみ、辺りはみんな空き家なのかもしれない。

 あるいは年金暮らしの老人ばかりで、みんな早寝しているとか。

 気がつけばパトカーの音も止んでいた。

 

 そうか、とその時気づく。

 

 ――【SAI】だ……。

 

≪ポパイ――無事ですかポパイ!≫ 

 

 道のむこうから、無人のトラックがソロソロとやってきた。

 

 車がひとりでに走っている絵面は、まさしくカーベンターの映画チックで、どこかホラーなものがある。こんどリアル・ドールでも助手席に乗せておこうか……。

 

 その光景を思うと、ヘンな笑いがこみ上げてくる。

 笑いは収まらず、とうとう自分でもブレーキが効かないまでに。

 

≪ポパイ!撃たれましたね!?大丈夫ですか!!≫ 

「大丈夫に見えるんなら(ヒャッヒャッヒャ)眼医者に行った方がいいな。どうやらここが終着点のようだぜ……」

≪体温低下。出血によるショック症状を起こしています!≫ 

 

 ようやく笑いの収まったオレは、全身の冷たさにようやく事態を悟った。

 

「かまうなよ【SAI】……なんかもう疲れたよ」

≪事業所に連絡します、間に合わない場合、ポパイ!あなたを轢殺して転生させます≫ 

 

「オークのチンカスに生まれかわるなんざ……まっぴらゴメンだ」

≪……では何に転生したいんです?≫

「女の子がこぐ自転車のサドルかな……」

≪『ゾンビ・コップ』じゃないですか!……ポパイ!?……しっかり!がんばらないと美少女に転生させますよ!?≫

 

 よせやい――と、オレの唇は動いたかどうか。

 

 もう口をきくのすらおっくうだった。

 あたりが、みょうに暗く見える。

 街灯の照度が落ちたような。

 

 緊急!緊急!緊急!と【SAI】が本部を呼ぶ気配。

 

 手の甲がくすぐったい。

 えっ、と目玉だけ動かして見れば、さっきの黒ネコだ。

 

 ――よかった、オマエ無事だったのか……。

 

 一瞬、ホッとするが、良く見ればネコの身体が透けて見えて。

 

 ――あぁ……やっぱり。

 

 上から近づくモーターの駆動音。

 轢殺用トラックが、ゆっくりと身体にのしかかってきた……。 

 

 

 

 

 



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第4話:異世界転生のこと(1)

 

 

「やれやれ……やっと終わったな」

 

 オレは机上の書類にサインをし、印章を押すと執務室のデスクでノビをした。

 

 大きなヤマをひとつ超えた。

 あとは夏の一般参賀まで少しはヒマになるはずだった。

 

 王都の特殊警護を任ぜられる龍騎隊。その専任隊長であるオレは、塔の窓から今や森の彼方に落ちんとする陽を心地よい疲労とともに眺める。

 

 屋敷もだいぶ空けてしまった。家内もだいぶ不安がっているだろう。

 とくに(アレ)はエルフだから、よけいに心配性なのだ。

 今度の休みに森へ遠出をして、そのもどりに市場(バザール)で何か買ってやろうか……。

 

 ノックの音がした。

 

「――入れ」

 

 伝令を束ねる伍長が顔をのぞかせ、

 

「第二神殿のボウズどもが帰郷の準備しているとの報告です、隊長」

 

 執務室より上、塔の最上段から下を見下ろしている見張り役からの情報だ。

 

「いま、竜車に走竜をつないでいます。あと四半刻もすれば、でてくるかと」

雷門(ライモン)の小隊に“送礼の位置”につけと伝えてくれ」

 

 オレは渡された書類にサインをしながら、

 

「あぁ、それからくれぐれも警護隊にちょっかい出すなと、念を押しといてくれよ?」

 

 諒解、と伍長はニヤつきながら顔を引っ込め、扉をしめた。

 雷門のヤツにも困ったものだと思いながら、ふと下の大部屋に行ってみるかと思い立つ。

 威厳をたもつために、いちおう銀のバックルがついた帯革(たいかく)を巻き、そこに長剣を()いた。

 剣の重さも、そろそろ腰に来る。

 一本、軽い()を新調してもイイのかもしれない。

 

 階段をおりてゆくと、給湯室から華やかな笑い声がする。

 そっとのぞけば、出稼ぎの地属な娘たちが、ウロコのあるシッポをふりたてつつ、黒茶を()れながら今度の休暇の予定と買いもの談議に花をさかせているのだった。

 

 マントをまとった伝令や獣族出身の秘書がいそがしげに扉を出入りする大部屋をあけると、一同に緊張が奔った。

 

「隊長殿――入室!」

 

 ザッ!と龍騎隊用の大部屋にいた全員が一斉に立ち上がる。

 オレは手をあげ、

 

「あぁ、そのまま、そのまま。ラクにしてくれ……」

 

 そして、居並ぶ部下たちを一人一人眺め渡しながら、

 

「諸君、このたびはご苦労だった。諸君らのおかげで、この王都で開催された“第四次公会議”も、どうやら無事におわることが出来た。これも皆の尽力のたまものだと思う」

 

 ホッとした空気が一瞬流れた。

 

 まわりで事務をとっていた隊員たちも疲労の色が濃いものの、表情(かお)は一様にどこか明るい。

 王都で長々と開催された政治日程もおわり、あとは残務整理が残っているだけとなれば、夕映えが窓からさしこむこの時刻、今日こそは早めに帰ろうと、おのおの仕事に最後のおいこみをかけている。

 

「また先ほどより、顧問官から直々に感謝の言葉を頂いた。臨時ボーナスは、期待してくれ――以上だ」

 

 わぁっ、と明るいドヨめき。

 

 月雇いされた地属の女性給仕兵たちが、パンツが見えそうなほどシッポを勃てながら黒茶を煎れはじめた。

 おそらく先ほどの娘たちだろう。

 彼女らも、ようやく休暇がもらえるのがうれしいのだ。それに加えて臨時ボーナスが支給されるともなれば、彼女たちのセクシーなシッポがフリフリされるのも、むべなるかなだった。

 

 ふたたび仕事に動き出した大部屋の風景のなか、常駐の副官が近づき自分のデスクに誘いながら、

 

「これでどうやらひと段落ですな隊長……まったく肩がコッた」

「あとは衛士隊(ポリ)の仕事だからな。我々特殊部隊は、ココまでだ」

 

 じつは、とこの男は一瞬言いよどんだあと、

 

「本隊の催しとは別に、大部屋で打ち上げの慰労会を計画しているのですが――いかがですか?隊長も」

 

 オレは副官の微妙なニュアンスを直ちに感じ取った。

 フフッと笑い、相手を小突いて、

 

「いや、オレなどがいると、かえって皆が気詰まりだろう。キミらで飲ってくれ――もちろん、幾らかは出資するよ?」

 

 副官の顔がほころび、深々と最敬礼。

 肩章で飾られた相手の肩を叩き、オレは大部屋をあとにする。

 

 あちこちから追いすがられ、その度に書類にサインや印章。

 いいかげんウザくなったので、オレは龍騎団用に拝領された城塞の最上階に単身、登った。

 王都の片隅で、王宮を彼方に望むこの場所からは、

 

  ――片方は王都の街並み。

   

    ――もう片方は遠方に雪を頂く連山を背景とした大森林。

 

 言ってみれば二極の相が観られる立地となっており、オレ的には気に入っていた。

 街中の喧噪と、交通のごった返しは、どうもしょうにあわない。

 それに妻の実家がある森も近いので、なにかとベンリなのだ。

 

 たかが一特殊兵団にこのような城塞を与えられているのも、この立地ならではだろう。

 王宮直属の近衛師団など、ウサギ小屋みたいな本部なのだから。

 

 夕方の風に吹かれていると、足音が近づいてきた。

 

「よう、龍の。探したぜ。ま――たぶんココだとは思ったが」

 

 なれなれしく話しかけてきた声に振り向けば、学生時代からの腐れ縁。

 もう一つの特殊部隊である戦闘団のリーダーが、疲れたような顔で立っていた。

 

「虎か!なんだよいつ戻った?ひとことあってもいいじゃないか」

 

 オレは砂色の制服を着た剣士の肩をかるく小突く。

 

「たったイマさ。だからこうして報告に来ている」

「なんだよクソっ!急に飲みたくなってきちまったゾ!?」

 

 相手は辺境の砂漠を守る専門の特殊兵団、風虎士隊、通称“砂漠の虎”だ。

 この男ともう一隊、高所専門の山岳部隊、通称“雪鷲”の隊長である男とは、高等剣士校時代の同期でよくツルんでいろいろと暴れたものである。

 

「“鷲”のヤツはどうしてる?お砂場にいると、どうも情報にうとくなってね」

「元気にしているらしい。例の“空魔”がいるカルパチア連山に派遣されてるよ」

「まだ独りモンなのかな?」

「どうもそうらしい!あいつは束縛を嫌うからな――ホント、高空の鷲みたいなヤツさ」

 

 どうだい!今夜あたり、とオレは誘いをかけた。

 

「イイ店ができたんだ」

「うn――いや」

 

 “虎”の隊長は煮え切らないような曖昧な微笑をうかべ、

 

「お前、例の公会議の警備と防諜で、ここんとこ忙しかったんだろ?」

「んぁ?ま、そりゃそうさ。あと数日で、ようやく通常業務にもどる」

「で――そのあいだ、家には帰ってないと」

「まぁな?近場の旅籠を借り上げて対応したんだ」

 

 微妙な一拍。

 やがて“虎”は気弱な、照れたような表情で、

 

「できるだけ家に帰ってやれ……奥さんエルフだろ?人間と違って繊細だから、なるべく労わってやらんと」

「なんだオィ、どうした?清音っちは元気か?結婚式以来、会ってないからなぁ」

 

 おれは高校時代クラスメイトだった女性剣士をおもいだす。

 龍と虎と鷲は、同学年だった彼女を奪いあい、結果“虎”がお相手となることに成功したのだ。当時の悔しさは今でもはっきり覚えているが、時間がたってみると、アレも青春の1ページだと中年の入り口に差し掛かった現在では思えるようになっている。

 

「こんど彼女も交えてどうだ?食事会でも」

 

 

「――離婚したよ、オレたち……」

 

 

 え”……と言うのが精いっぱいの反応だった。

 

「……なんで、また」

「男をつくって、出て行ったのさ」

「清音が!?うそだろう」

「任務にかまけて、放っぽらかしちまった俺がイケないのさ……勤務地が遠方の砂漠だろ?1年に1~2回、帰るかどうかじゃ、愛想もつかされるよ」

 

 オレの中で胸が(うず)いた。

 

 それは――不思議な痛みだった。

 まるで前世で、自分の方こそ妻に逃げられたことがあるような……。

 

「今回、王都に帰ってきたのも離婚手続きのためなんだ。まさか逓信(ていしん)で財産分与にかかわるような大事なことはできないし」

 

 こんな時にかける言葉は、なかなか見つからない。

 

「……なぁ?」

「あぁ?」」

「しばらく王都にいるんだろ?」

「うん、そのつもりだ」

「機会を改めて一杯飲ろうぜ」

「オゴリか?」

 

 ハ!とオレは学生時代からのこの男のヌケ目なさを久しぶりに思い出した。

 

「――いいぜ……久しぶりだ。オゴってやるよ」

「その言葉、忘れンな?」

 

 そう言って相手はオレの肩を一発ドヤしつけ、外衣の具合をなおすと、この砂漠の猛者は屋上を去っていった。

 寂しげな背中が塔の階段降り口に消えるまで見送ってから、オレは風が吹いてくる森のほうを見やった。

 早くも日は落ち、空には“神の瞳”が昇り始めた。

 古文書によれば、あれは超・巨大な人工物で、かつて“よその世界”からきた侵略者と戦ったそうだ。

 

 ――戦い、か。

 

 南の平野が不安定だと最近はもっぱらのウワサだった。

 なんでも見たことの無い知性をもった獣が徘徊しているとか。

 

 なぜだろうか。

 そのとき、オレは幸せのモロさというものを、ヒシヒシと実感してしまう。

 

 今日は部課長の報告会と後始末で、どうしても身動きが取れない。

 

 ――明日こそは、久しぶりに我が家に帰ろう。

 

 オレはその時、固く心に決めた。

 

 

           * * *

 

 

 通い竜車(タクシー)で、俺は王都近郊にある大きな村の入り口に乗り付けた。

 ここから先は村の規則で王宮側の車は通れない。かつてこの地方で争いが会ったときの、古い掟の名残だ。

 買い物袋を両手に下げ、剣を「邪魔だ!」と尻に回しつつ“森の部族”が操る駄獣がひく荷車などが騒々しく行き交う村のメイン通りを行く。

 

 大きな角を持つ水牛属のおかみさんが洗濯モノを取り込む手をやすめ、

 

「アレ、だんなァ――しばらく見なかったねぇ」

「や、これはアルネェのお上さん。お元気ですか?」

「都の催しも終わったンだろ?ようやく静かになるねぇ」

「静か?なにか騒がしかったんですか?」

「いえね?森の街道を、会議用の荷物だとかナンとかいって、ずいぶんと大きい駄車が頻繁に行き来していたんだよ?ウチの子も危うく轢かれそうになって……」

 

 轢く、という言葉を聞いたとき、なぜか胸がズキリと痛んだ。

 

「大きな会議がありましたからね。でも、それも終わりです」

「そうかい?じゃまた静かになるね。ヤレヤレありがたい」

 

 オレはおかみさんと別れ、そのまましばらく道を進むと、横道に折れた。うるさいメインストリートを離れ、すこしばかり歩くと緑に包まれた屋敷が見えてくる。

 すこし、剪定が必要な具合だった。いかに自分が屋敷を放っぽらかしていたか、まるで自分が責められているような気分にさえなる。

 

 屋敷にちかづき通用門をあけると、庭の砂場で遊んでいた女の子がこちらを見て立ち上がり、目を丸くする。

 そしてスコップを放り出して一目散に屋敷に駆けもどり、

 

「ママぁ――!?パパ帰ってきたァ――!!!!!」

 

 



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      〃     (2)

 赤毛の女児に手を引かれ、開け放した両扉の奥からエプロンをつけた、あきらかに妖精(エルフ)属とみられる若奥サマ風な一人が姿をあらわした。

 

 長い金髪を品よく結い上げ、蒼い縁どりのあるオフホワイトの布をトーガのように巻き付けている。村を出るときに送られた翡翠のチョーカー。エメロードのイヤリング。二の腕にある金の腕輪は、オレが買ってやったものだ。

 

 緑色のひとみが――あいも変わらず(うる)んだように輝いて。

 

 ――やはりキレイだ……、いや、すこし()せたかな?

 

 女はこちらを見るや一瞬、呆然とした表情(かお)を浮かべたが、すぐに後ろを向いてしまう。

 数拍の(のち)、振り向いたときは、奇妙にもツン、と取り澄ました冷たい顔になって。

 

「アラ――よくお(うち)までの道を忘れずに来れましたこと」

「え……」

「あんまり長い間帰っていらっしゃらないモノだから、他家(よそ)にイイ(ひと)でも出来たのかと思いましたワ」

 

 出た……とオレは心中、苦笑する。

 

 まったくコイツのコレには、付き合いだしてからずいぶんと苦しめられたものだ。プロポーズの時はコジれにコジれ、破談寸前にまでいったことがある。

 その時はエルフ属の長老が自らわざわざ出張(でば)ってくれて双方の家を取りまとめ、(えにし)はアヤうく繋がれたのだが。

 

 オレはソッポを向く家内にむかい、やさしく肩に手をかけた。

 華奢な、それでいて柔らかい肩だった。

 

「シーア。そんなワケないだろ?オレにとっての女は……この世界でお前だけだよ」

 

 ママ、すなおじゃないのネ、と(かたわ)らから娘が、

 

「いつもおだいどこで、パパかえってこないって泣いてたのに――」

「サフィール!あっちへ行ってなさい!幼稚園の宿題は?」

「やった」

「じゃぁ予習は?」

 

 はぁっ、と女児はタメ息をつき首を振りつつ、

 

「やれやれ――とんだとばっちりだわ。は~ヤダヤダ、けんたいきの主婦は」

「サ!フィー!ル!?」

 

 鬼のような形相になったシーアにそれ以上言われないうち、娘はピューッと家の中に退散した。

 

「ホントにもう!誰に似たのかしら?」

 

 キロリ、と妻がこちらをニラむ。

 

「幼稚園でも大将株で、男のコたちをアゴで使ってるんですってよ?」

「将来有望だ」

 

 オレは妻にキス。

 すると彼女は怒ったように顔を離し、

 

「あん――もう、不意打ち!」

 

 そうして改めて彼女から野性味あふれる濃厚な口づけ。

 

 結い上げた彼女の頭を抱き、眼をとしてお互いの身体を合わせる。

 柔らかい温かみ――乾草(ほしくさ)のかおり。

 

 

 その夜。

 

 使用人をすべて下がらせたあと、彼女はブーブーと不満を垂れながら冷凍豚肉を解凍し、香草焼きを作ってくれた。

 

「帰っていらっしゃるなら、準備もしましたのに……アナタの好きな牛肉の赤ワイン煮とか、ジビエのソース焼きとか。なんのお料理もできないじゃありませんか」

「なーに、お前の作ってくれるものが一番なんだ」

 

 じつは泊まり込みの時、出前でさんざん食った――などとは大暴風がやってくるので口が裂けても言えない。オレは当たりさわりなく、

 

「どんな宮廷料理よりも、お前のつくる一品の方が好きなんだ」

「そんなコトおっしゃっても……こんな有り合わせなんか」

 

 妻として残念ですわ?と彼女は食卓に料理を並べ始めて。

 

「サフィール、手伝って?」

 

 娘がカトラリーや取り皿などを並べ始めた。

 

「パパが持ってきた、あのおっきいてさげぶくろナニ?」

 

 リビングの端に置かれっぱとなっている紙袋を、娘はチラチラ興味深々に眺め、食器のセットもうわのそら。

 

「んー。なんだろうねぇ?ご飯が済んだら、開けてみようか」

「ワかった!サフィのおみやげだ!」

「サフィはイイ子にしてたかな~?してなかったらナニもないよ?」

「してた!」

 

 ウソおっしゃィ、と冷静な妻の声。

 

「きょう幼稚園でプーチンくん泣かせたの誰~?」

「ママは!よけいなこといわない!」

 

 ヤレヤレ、とオレはバジルが効いた香草焼きの一片を頬張る。

 美味い――舌になじんだ味が、ホッとする。

 “ようやく帰ってきた”という実感。そんな想いが、まじりっけなく顔をほころばせた。

 オレの様子を見てようやく機嫌をなおしたらしい妻がビールをそそいで、

 

「ごめんなさいね?あとはワインになるけど……」

「え?ビール無いの?」

「ママおだいどこでときどきのむもんネ」

「サフィィ!ヘンなこと言わないの!」

「だってのんでたじゃん!」

「……まったく、親子だなぁ」

「アラ。それどういうイミかしら?」

 

 ヤバい。

 余計なことを言うと、ま~たとばちりが降ってくる。

 オレは口を尖らす赤毛な娘と妻の言いあいを、なかば呆れ、なかば微笑ましく観戦しながら、しかしコイツの言ったことが本当だとすると、ナルホドちょっとヤバかったんだなと自戒する。

 

 ――(コレ)がキッチン・ドリンカーになるほど心配をかけてしまったか……。

 

 “虎”の字の言葉が思い出される。

 本当に「明日は我が身」かもしれない。

 

 光石ランプの灯りの具合か、すこしやつれたように見えるテーブル越しの妻の顔をみて、オレはもう少し屋敷にも気をかけねばと肝に銘じた……。

 

            * * *

 

 娘は、土産として買ってきた自分よりも大きな竜のぬいぐるみに興奮して走り回った挙句、疲れ果ててそれを抱きながらリビングのソファーで寝てしまった。

 オレは反対側のソファーで、暖炉の火にあたりつつウトウトする。

 

 とおくで、妻が洗い物をする音……。

 

 革張りのソファーに居心地よくもたれていると、わずかに開いた出窓からニャァ、と一声。

 

 ――おや……ネコか。しかも黒ネコだ。

 

 黒ネコが縁起悪いと言ってたのは、だれだっけ?

 よく見てやろうと薄目を開けるが、温かみからくる睡魔には勝てない。

 部隊勤務の疲れが、おもったより溜まってるなとオレは実感。

 やはり温泉に行こう、と思ったときだ。

 

 ――ヤァ、いい塩梅(あんばい)だね。家族の団欒(だんらん)、ってやつかい?

 

 いきなり、ペロペロと(ツラ)を洗ってたネコが、話しかけてきた。

 部屋の照度が急に暗くなった気配。そのなかで金色の瞳が炯々と輝く。

 しかし自分は、それを特に奇異なものとしては受け止めず、あたりまえに返事をかえした。

 

 ――そうサ。あれだけ苦労したんだ。少しぐらい愉しみがあってもイイじゃないか。

 ――まったくねぇ……“苦あれば楽あり”ってやつだね?

 ――願わくばこの幸せが、ずっと続くことをねがうよ。

 ――でもこの世界は、まだまだ不安定だからねぇ。

 ――と……いうと?

 ――常に気をくばってないと、足もとを(すく)われるってハナシさ。

 ――不吉なことを言う。

 ――この世界は因果からくる絶対値から成りたってるからね。

 ――ネコ風情が、ずいぶん難しいことをいうんだなァ。

 ――ネコ風情とは、ご挨拶だねぇ

 

 このまま放っとくと、本当に小ムズかしい講義でも始めかねない。

 オレは冷やかしのつもりで、

 

 ――ずいぶん博識でいらっしゃる。どっか大学でも出たのかい?

 ――ゲッティンゲンで哲学を。ソルボンヌで神学を学んだよ?

 ――これは、どうも……(ウヘッ)。

 

 オレは、反対側のソファーを見た。

 買ってきたぬいぐるみを抱いておだやかに寝入る娘。

 その横、脇の小卓にのせられたカゴに包まれる大ぶりなワインボトルは、液面がカゴ部分に入ってしまっているので分からないが、そんなに飲んだだろうか?

 あるいは……これは夢か。

 

 ――なるほど夢だ……。

 

 オレはやってきたネコをよく見たとき、納得する。

 驚いたことに、なんとシッポが2本あるではないか。

 

 その二本を、まるで触手樹のように波打たせ、まるで手話のように。

 そしてツヤツヤと、ベルベットのよな毛並みを光らせつつ、

 

 ――キミの存在を、ここで定着させてもイイのかい?

 ――どういうイミだ?

 ――そういう意味さ……まぁ、よく考てみるんだね。

 ――Qべぇみたいな口ぶりだなぁ。

 ――まったくキミたち人類っていうのは……ところで○ゅ~るって、もうナイのかい?

 ――ちゅ~○?……なんだソレ。

 

「アナタ?――貴方どうなさったの?」

「う……」

 

 現実感が潮のようにもどってきた。

 

 ねぼけ眼でかたわらを見上げれば、妻が手を拭きながら立っている。

 

「誰かとお話しになってたようですけど」 

「オレが?」

「大学がどうとか。まさかあの娘を大学にやるの?」

「いや、ネコが来ていて」

「ネコ……どこに?」

 

 そこ、とレースのカーテンがゆらぐ出窓を示すが、ネコの姿など見えない。

 

「いやねぇ……妖魔でも来ていたのかしら」

 

 妻はかたわらの窓を開けると鎧戸を鎖し、窓そのものも閉め、厚いカーテンを引いた。

 

「あらあら、この娘ったら。寝室まで運んで下さいな」

「うむ」

 

 おれは娘をぬいぐるみと共に横抱きにすると、子ども部屋に行き、妻の手も借りて子供用ベッドに寝かせた。

 

 娘の部屋を出ながら彼女は、

 

「ずいぶん大きなぬいぐるみねぇ……高価かったのではなくて?」

「まぁ、それなりには……な」

 

 イヤですねぇ散財して、と彼女は首をふり、

 

「まだこの屋敷のローンがタップリ残っているんですからね?節約しませんと」

 

 ホラ出た、とオレは内心してやったりの笑み。

 こういうことになると思ったんだ。

 

 そなえあれば憂いなし。

 

「オヤ、そうか?では君にもお土産を買ってきたのは、散財だったかな?」

 

 エッ、と妻はうれしそうな顔をとっさに怒り顔でごまかして、

 

「もう、アナタったら――意地悪!」

 

 寝室に行く途中で、オレたちはふたたび長いキスを交わす……。

 

 そしてベッドの上で、妻がネグリジェに着替えるため素肌になった時をねらい、オレは彼女に後ろから抱き着いた。

 そして背後から腕をのばし、彼女の目の前に細長い小箱をもってくる。

 

「ふふぅぅん。コレ、な~んだ」

「……ナニかしら」

「これはね、オレの一番大切な、そしてカワイイ奥様のために買ってきた、アムタリア川の首飾りです」

「まぁ……」

「あれ~奥様?いないなぁ~奥様、おくさま~?」

「ここに居まぁ~す」

 

 抱き着かれたまま、身をゆさぶる妻。

 女の匂いが、かすかに漂う。

 

「ホントかァ~?ほんとにほんとに、オレのチュッチュしたい奥様かァ~?ホントにオレのチュッチュしたい奥様ならなー、この問題が解けるはずだ!」

「……え」

「シーアのだんなサマが好きな場所はどこでしょう!

    

       ででン! 大ヒント!

 

 あまんこ

     いまんこ

          うまんこ

               えまんこ……の次です!」

 

 沈黙。妻はくちびるを噛む。

 オレは彼女の目の前の小箱をホレホレ、とゆらして。

 

「…………………………ぉ○○こ

「奥様だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「もう、バカ!バカ!〇んこ!」

 

 妻のマクラ攻撃。

 

「ワかった、ワかった。こーさん、こーさん」

 

 オレは妻のまえで小箱を開く。

 シルダリア川の貴石が嵌まる首輪。

 ナイト・ランプのうす暗さを圧して輝いて。

 妻は(しば)し――声もない。

 

「こんな……高価(たか)かったでしょうに……」

「まだまだ。シーアを想う気持ちに比べたら」

 

 涙ぐんだ目が近づく。

 そしてやわらかい口唇(くちびる)が、オレの顔に降りそそいだ……。

 

 そのまま、臥所に二人して横たわる。

 上掛けの下で、オレの手が()ッと妻の控えめな胸をさわった。

 

 そのまま、しばし××××。

 

 怒りだすかと思ったら、彼女は幾分涙ぐんだ声で、

 

「ごめんなさいね、小さな胸で」

「……え」

「わたしの胸。姉さんたちみたいに大きくないんだもの」

 

 たしかに。

 

 オレは年に1回、向こうの実家へ挨拶に行くときに見る二人の姉を思い出す。

 なるほど彼女らは、ムチムチなワガママボディで、いかにも狩猟系の肉体をしている。出るとこは出て、引っ込むところは引っ込み、まさしく肉食系な美女(アマゾネス)といった感じ。

「GIGA MILK」のTシャツでも着せたいぐらいなのだ。

 

 たいして我が妻であるシーアは、どちらかと言えば果樹・草木採集系をおもわせる繊細な身体で、いかにも妖精属の末裔といった印象(イマージュ)。姉たちは父親の、妻であるシーアは母親の血を、それぞれ引いたのだというのが彼女の村ではもっぱらな評判だった。

 

「……バッかだなぁ」

 

 オレはシーアの××をピンと弾く。

 

「やん!……いたァい」

「こーゆーのは“美乳”っていうんだ。キミのネェさんみたいなのより、オレはコッチのほうが好きなのサ」

 

 うわがけの中に顔をもぐらせ、××××い×にチュッ。

 顔を出したあとは、やさしく――やさしく――マシュマロのような××を、撫でた。あんまりホンキで揉むと妻のスイッチが入って始まってしまうので、あくまでもさする程度に。

 

「……ホントに?」

「そうさ」

「……良かったァ」

 

 オレは××から手をはなし、妻の身体をそっと抱きしめる。

 シーアも安心したように体をゆだね、やがて安らかな寝息をたてはじめた。

 

 ――そう、良かった。NTR、なんか無かったんだ。

 

 どこかでわだかまっていた心の(しび)れが溶けてゆく。

 あれほど胸の奥に凝り固まっていたものが、ウソのように。

 

 オレは体の力を抜くと、安心して眠りについた……。

 

 

 

試製・転生請負トラッカー日月抄

 

~撥ね殺すのがお仕事DEATH~

 

 

 

 おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……wwwな訳ァないよネェェェェェエェl!!!!11111

 

次回:第5話:『団欒の無残な崩壊――そして“ブレヒト的”解決』へと続きます。

 

 




【速報!】
完全新作!

『玲瓏の翼』短編集~ヒナ鳥たちの宴~

単発でスタートします。
こんどはエロ要素全く無し。
少年候補生がそれぞれの場所で、
それぞれの理由で死んでゆく小品集(予定)です。


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第5話:団欒の無残な崩壊――そして“ブレヒト的”解決(1)

 それは、王宮の大会合からそろそろひと月ほども経ち、雨季の気配すら鼻先に感じさせる春も遅い晩のことだった。

 

 簡素な夕飯もおわり、オレは暖炉の前で有価証券の乱高下に関する報告書を読みながら食後の果実をとっている。

 最近の仕手筋の動きはおかしい、というのがその報告書の骨子だった。

 

 “まるで近々、混乱が起きることを予期しているような先物買いも乱発。

  穀物相場も荒れ、鉄鋼、あるいは冶金工学に関する工房の株が上がっている――”。

 

 と、屋敷に早馬の気配がする。

 

 蹄が前庭の石畳をふみならす音。

 酷使されたらしい駿馬が、鼻をならして。

 通いの馬丁たちがののしりさわぎ、松明を持ち出す気配。

 

 「隊長ォォォォ――隊長ぉぉぉぉ!!!」

 

 屋敷の荒くれどもの制止をふりきり、胴間声をあげる聞きなれない呼び声。

 

 ――いやまて。アレは……第一中隊のニキティ伍長?

 

 オレたち夫婦は顔を見合わせた。

 寝転がって足をパタパタさせ、絵本に見入っていた娘も聞き耳をたてて興味深々といった風に。

 

 

「なにかしら――こんな晩に」

 

 妻であるシーアが少し眉をひそめ、エルフ族の尖った耳をピクピクと。

 

「なにか急なお仕事?」

「さぁ――聞いとらんな」

 

 年老いた家令がアタフタと家族専用の居間に入ってきて、

 

「本部から伝令で御座います――殿さま」

 

 案内を待たず、おいぼれ、ジャマだ!とばかり武装した伝令が家令を押しのけ、馬の汗の臭いを振りまきながら入ってくるや、

 

「隊長!王都で武装蜂起です!」

 

 思わず持っていた報告書をとりおとす。

 いや、何かの聞き違いかもしれないとオレは間抜けにもオウム返しに、

 

「――武装蜂起、だと?」

「暴徒が、弓銃や炸弾投石器、大型火炎放射器などを帯び、要所を攻撃中!」

 

アームの付いた炸弾投石器?それに大型火炎放射器だと?

 

「バカな!いったいどこからそんな大型武器が入ってきた?」

 

 言ったそばから水牛属のおかみさんの言葉が、脳裏にフラッシュバックして。

 

『森の街道を、献上用の美術品だとかナンだといって、大きな箱をのせた駄車がいっぱい行き来して……』

 

 ――まさか……。

 

近衛(このえ)や衛士隊の宿舎が薬物や攻撃邪術を使って襲撃され、なかば壊滅状態!いま、我々の側でも全隊に非常呼集をかけていますが追いついてません!反乱は近郊の村々にも拡大中!隊長――お早く!」

「中央集団に連絡は!?それとなぜ伝書精霊を使わん?」

「制空権を取られました!上空に、咬竜が!」

 

 手慣れすぎている、とオレは(うめ)く。

 

 とても一介の暴徒の仕業とは思えない。

 背後に組織立った集団、あるいは軍隊経験のある……。

 

 イヤな予測が次から次へと浮かんでくる。

 

 先年あらわになった元老院と王宮との軋轢。

 あるいは枢機議会の中におけるクーデターまがいな権力簒奪。

 

 ――宮殿内部の裏切り……か?

 

 サッ、と胸が冷たい水にひたされたように。

 

「あなた……」

「シーア。サフィをつれてな、明日にでもオマエの村に帰ってろ。しばらく物騒(ブッソウ)なコトになりそうだ」

「あな……お館さまは大丈夫でございますか?」

 

 狭い家族用の居間に他人が大勢ひしめき合うためか、妻の口調がいつもの言葉を遠慮し、格式ばった呼び方にかわった。

 

「ハ?ナメてんのか!ウチの隊は猛者(もさ)ぞろいだ。心配するな」

 

 さすがに口達者な娘も、気配の異様さをかんじたらしい。

 絵本と大きなぬいぐるみを抱き、青い顔をして。

 やがて、その顔がふとゆがみ、

 

「パパ……いっちゃダメ!」

「ん?どうした?」

「パパ、いったらしんじゃう。うしろにクロいヒトいる」

「――えぇ?」

 

 ゾッとして思わずオレは背後を見る。

 もちろん――そんなものはいない。

 

「サフィ、ヘンなこといわないの」

「だって……」

 

 オレは素早く装備を整え、太刀と刀を両方下げた。

 そして家令や屋敷づとめの従僕に矢継ぎ早に指示を与える。

 

「ともかく、家の戸締りをしっかりな?明日にはここを出ろ。ここも戦場になるかもしれん」

 

 オレは妻に念を押して外に出る。

 早くも夜の空気は緊張を孕み、戦雲の気配を告げているかのように。

 かなたの空はすでにほんのりとオレンジ色にそまり、大火の存在を告げている。

 とうに馬丁は最近一番コンディションとされる旋風(つむじかぜ)号の着装を終え、馬房から引き出していた。

 好戦的な葦毛(あしげ)の馬は明敏にも異変を察知したか、前足をしきりに掻いて乗り手に騎乗を急き立てて。

 オレは鼻息あらく勇み立って首をふる馬のアゴをポンポンと撫で、

 

「よしよし、タノむぞ!“旋風”!!」

「殿、ご武運を」

 

 老執事の声が、一連の喧騒の中で頼りなげにヨボヨボと渡った。

 

「隊長!お早く!!」

「お館さま!――お気をつけて!」

「パパ!」

 

 様々な声が乱れ飛ぶ中、いちど葦毛は勇みたって前脚をあげたかと思うと、二騎の姿は電光のように屋敷の車寄せから飛び出した。

 

 街道灯の乏しい夜道が矢のように後ろに過ぎ去って。

 まるで自分を殺そうと彼方から放たれてくる(つぶて)のように。

 ふと、妙なイメージがそこに混じる。

 広く整った道の真ん中を、どこまでも続くしろい点線……。

 なにか巨大なものの上にのって、馬よりも(はや)く疾駆していたような……。

 

「近衛は?今夜は何班だ!」

「ザーランドの6班です!あの“無能のザー公”ですよ」

「ケッ!なんてコトだ――間が悪いなァ!」

「奴ら、それすらも計算のうちでは?」

「だとしたら最低、内通者がいるってコトじゃないか!」

 

用心のため、二騎は街道から外れた区画を疾走する。

 

 手練のわざで水壕を飛び越え、まばらな生垣(いけがき)を馬体で貫き、(ねぐら)のフクロウを驚かす。

 

 おりしも血の滴るような三日月。

 

 それが村雲をかすめ、叢雲(むらくも)をかすめ、彼方の森から昇りはじめたところだった。

 

 轟々と耳元で風が鳴り、眼がシバシバと渇く。

 獰猛な聖獣にでもまたがってスッ飛んでいるような高揚感。

 まさに――騎龍の勢い。

 さきほどの意味不明なイメージがふたたび脳裏をかすめる。

 

 ――シーアのヤツ……。

 

 大丈夫かな、とふと気を緩めたその瞬間。

 

「――隊長!」

 

 声に含まれた危険信号に、歴戦の身体が自動で反応する。

 刀を抜きざま、飛来する一連の矢を叩き落とした。

 

「伏兵です!複数います!」

 

 ――チッ!

 

 まさか迎撃されているのでは。

 今夜の防衛行動が、すべて織り込まれている?

 

「抜けるぞ!拍ァく車ァァァぁぁ(突ォっ撃ぃぃィィィイイ)!!!」

 

 二騎は馬に活をいれ、突撃速度に。

 

 龍騎隊の抱える名馬たちの快速。

その機動性を生かし、追っ手を振り切りにかかった。

 飛び交う弓矢の驟雨を電光のごとく駆け抜け、待ち構えていた(くわ)やレーキを持つ獣人どもの群れを圧倒し、追いすがる二流馬たちを彼方へとおいてきぼりにする。

 

「隊長!」

「ン!貴様は下がれ」

 

 闇夜に、彼方から斬馬刀(ざんばとう)を振りかざした一騎。

 ダラダラと紅い月の光を背後に受け、急速に接近してくるのが見えた。

 

 オレは刀を小指を起点に握りなおす。

 

 命を白刃(はくじん)でやりとりするスリル。

 頬に、忘れかけていた笑みが自然と浮かんで。

 

 急速に縮まる彼我との距離。

 相手が、手綱を取りながら、重い得物を振り上げるのが見えた。

 

 ――バカが!

 

 すれ違う一瞬、相手は巨大な斬馬刀を横殴りにして襲いかかる。

 こちらの龍騎隊の馬は慣れたものだった。

 走りながらヒョイと首を下ろして。

 オレは刀を前に差しだし、斬馬刀の刃スジを、受けた刀にそってすれ違いザマに上へと滑らせ、凶刃をかいくぐる。

 

 腕を揚げるかたちでガラ空きとなった相手の胴。

 瞬時に後ろへと回ったオレの腕が握る、切れ味鋭い名匠の業物(わざもの)

 一挙動で騎馬の勢いをも加味し“抜き胴”の要領で重心を思い切りのせて前へ。

 鎧のすき間にねらった脾腹(ひばら)を“会心の一撃”で絶ち斬る。

 柄を握りしめる小指のウラに、相手の骨を存分に断った手ごたえ。

 

 ふりむくまでも無い。

 

 重いものが地響きを立てて崩れる音が、一瞬、遠くでかすかに。

 勝利を確信したのか“旋風”が小気味良さそうに一度、首を振り立て鼻を鳴らす。

 速度を落としていた伝令が追いついて、

 

「お見事です――隊長!」

「昔はもっと巧くヤれたもんだがなァ!年はとりたくないぜ!!」

 

 しかし森を出たところで、ついに伝令が乗る馬の行き脚が尽きた。

 

「隊長!自分はここでヤツらを食い止めます。どうぞお先に!」

「ん!無理するな!」

 

 ()ッ!と二頭は分かれ、一方は城塞の方へと駆けてゆく。

 

 四半刻の後。

 オレは汗まみれの旋風に乗り、龍騎隊本部の馬溜まりへと蹄も高らかに乗りつけた。

 隊長が本部に到着したことで、混乱を極めていた戦闘集団はワッ!と生色を取りもどした気配。サァ反撃だ!の掛け声も。

 

 オレは攻撃装備のまま近づいてきた隊員に馬上から、

 

「曹長!伝令ニキティ伍長が61地区にて伏兵と交戦中!一個小隊選んで応援に向かえ!」

「了解!スヴォヴォダ曹長、一個小隊を率いて応援に向かいます!」

 

 喧噪を極める作戦司令部に、次から次へと伝令によってもたらされる凶報。

 

 ・第三中隊・稼働人員半減。転進(撤退)

 

 ・第一中隊宮殿前広場ニテ孤立中、応援ノ要請アリ!

 

 ・第八狙撃小隊、所属不明ノ戦闘ユニットを確認ス!

 

 精鋭中の精鋭である龍騎隊・強行偵察小隊のいくつかも所在不明だ。

 一部では部隊が包囲され、奮戦のすえ玉砕・消滅したという未確認情報も。

 

「なぜだ……なぜここまで一方的にヤられる?」

「――隊長」

 

 ひと働きしてきたらしい副長が、返り血の臭いをさせながら耳打ち。

 

「獣人の一群を率いてた連中の剣スジに、見覚えがあるという者がいます」

「どんな?」

「……風塵剣」

 

 一瞬、虚を突かれた。

 砂嵐を思わせる、変化自在な刃筋の定まらない剣。

 遠征隊“風虎”のお家芸。

 

「そんな……バカな」

「あのヴィヴォラスキが一刀のもと、袈裟斬りに殺られました。死に際に……」

 

 古い同門の“虎”の字が浮かぶ。

 まさか――ヤツが。

 

 伝令が一騎、駆け込んできた。

 

 またがる馬が力尽きたのか、そのまま前脚を折って横転する。

 乗り手は辛くも鞍を飛び降りてころがり、まわりに援けられてフラフラ立ち上がると、あたりの喧騒に向かい、

 

「中央軍集団と連絡が取れました!王宮本殿は、放棄!王族の方々は夏の離宮へと避難。西側の第二王宮が占拠され、それに付随して西の方面から武装した獣人の集団が続々と集結中であります!防御側は第六区で抵抗線を構築、龍騎隊にあっては右翼より集結する敵の中枢を攻撃されたしとエズラ筆頭顧問官からの命です!」

 

 本部に残っていた主だったものが、作戦室の大地図に集まる。

 

 そこからは見事に統率された敵方の動きが見てとれた。

 髪をひっつめに結い、長いT字バーで模型を動かし、柄付きチョークで、データーを書き込んでゆく制服姿なエルフの女性係官たち。

 

 巨大な立体地図から浮かび上がるのは、陽動も交えた見事な連携作戦と、複雑、かつ迅速・有効な指揮系統だった。

 

「……たいしたものですな。これはもう本職の仕事だ」

「火線の動きを見てください、ヤツらの目的は――火薬塔なのでは?」

「手にした爆発物から、国全体で無差別テロが目的か。あるいは……」

「主目的が分からんな。政権の転覆や国庫の略奪というワケでもなさそうだ」

「あるいは王族の粛清かも」

 

 諸君、とオレは声を上げた。

 その場にいた全員の視線をヒシヒシと感じつつ、

 

「ことココに至っては、我々の相手が訓練・統率された第一級の戦闘集団であることを認めざるをえない。単騎戦闘は避け、かならず一個小隊以上で対応すること。衛生班は医薬品の再確認。輸送班は食料等の補給残量チェックを厳とせよ。この一両日中が――勝負だ!」

 

「応!」と声をそろえた特殊戦闘団の斉唱。

 

 臠殺の気は一瞬、広間にみなぎった。

 



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第5話:  〃   (2)※自主規制版

  グロ注意!

18禁版と違い問題部分を削除してありますが、嫌いな方はこの話をスルーして下さい。


 それから二日間、混乱した戦闘が続いた。

 

 結果として、補給線をもたない暴動側は火炎放射器の燃料も尽き、態勢を立て直した王宮側に徐々に押されてゆく。

 

 最終的に火薬塔は暴動側に占拠されたものの、おそらく敏感な触発性のパウダーを素人(シロウト)が触ったためであろう、争乱3日目の昼過ぎに大音響とともに爆発した。5000mほどまでに立ちのぼったそのキノコ雲は、遥か彼方の高地の離宮からでも観測できたという。

 井戸上の防爆塔に貯蔵されていた95tものアンモナルが威力を発揮し、耐圧魔法にシールドされていたとはいえ三千戸以上の建屋が全半壊し、王宮のメイン・タワーが崩壊することとなった。

 そこからは、鎮圧がとんとん拍子に進む。

 

 ウラで糸を引いていた黒幕も明らかになり、枢機議員と軍の一部が逮捕され、獄につながれた。

 四日後、辺境の砂漠をテリトリーとする風虎騎士団の関与も判明し、全土に捜索隊が展開される。

 

 厄介なのは統率者を失って王都の四方に散った獣人たちで、あちこちの家屋に侵入し、狼藉(ろうぜき)の限りを尽くしているという報告が入っていた。

 

 五日目になると各所で掃討戦が本格化されるようになった。

 叛徒が立てこもった建築物を建物ごと爆砕・崩壊させる対パルチザン戦法が功を奏し、しらみつぶしに平定は進んでゆく。

 

 

 反徒に対する王都側一般市民の怒りは収まらなかった。

 

 街灯に、標識に。

 家を壊され、あるいは家族を殺された憎しみに駆られる群集が、暴徒の残党を捕縛するや生きたまま吊るし、ノコギリで、あるいはスコップで、ハンマーで追い回す。

 首が、腕が、王都の至るところで転がり、王都は憎悪と腐臭に満たされた。

 

 

 どうやら目星が付きかけた七日目の午後。

 

 先日、スヴォヴォダ曹長の応援が間一髪間に合った伝令班ニキティ伍長が包帯だらけの姿で、部下に指示を飛ばすオレのところに近づくと、

 

「隊長――お話が……」

「なんだ!ココで言え」

 

 届いた報告書に目を落としながら別動班の隊長たちに指示を飛ばしていたオレは思わず語気荒く叫んだ。

 

「そのぅ……未確認情報なのですが」

「だからナンだ!」

()ち洩らした獣人の群れが南地区に入り――リディツェ村を襲ったそうです」

 

 一瞬、ニキティの報告に作戦室が静まった。

 その場にいた全員の注目が、自分に集まるのをオレは感じる。

 

「……そうか」

「隊長のお屋敷も、リディツェ村でしたよね」

 

 これも満身創痍姿の副長が歩み寄ってきた。

 今回この男もよく頑張ったと、半分に引き裂かれた心の片方で思う。

 この騒乱でずいぶんと成長したようだ 将来は“龍”の隊長としても、十分にやってゆけるだろう。そう、たとえオレが居なくとも……。

 

 隊長、とこの男は一拍おいたあと、

 

「ここは……もう大丈夫です。装備改変を終えた長距離強行偵察隊が一個小隊、出動待ちです。彼らに行かせましょう」

「いや。彼等には、東の橋で孤立している近衛第三分隊の支援にいってもらう」

 

 疲労に麻痺した心の中で、幸いにも言葉は平然と出た。

 そう、まるで他人事のように。

 

「隊長――!」

「いまは状況中だ。私情を(はさ)むことは許されない――ニキティ伍長、ご苦労だった」

 

 沈鬱な雰囲気が作戦室を支配した。

 

 王宮の治安が回復すると、街に秩序が急速にもどってゆく。

 “5月動乱”(のちにこう命名された)に加担し、その後行方をくらました重要人物にたいする捜索命令も、年若い王に変わって摂政である筆頭枢機卿の名において発布される。そこには“操虎隊”隊長の名も記されていた。

 

 結局、あとを副長や補佐に任せ、単身自分の屋敷がある村に帰ったのは、村襲撃の報告があってから二日後のことだ。

 

 隊員の随行をことわり、単騎で戻ったのは理由があった。

 

 もし、家族に何かあったら、そのときは自分もただでは置かない。

 隊長であるオレが居なくなっても、もう“龍”は盤石だろう。

 今回の動乱は、はからずも隊員全員を火のように鍛え上げた結果となった。

 

 道を進むと焦土作戦でみたような光景が、あちこちで繰り広げられていた。

 燃やされた家。

 破壊された板橋。

 一つの井戸の周りでは、毒を投げ込まれたものか、周囲で住人たちが断末魔の苦悶もそのままに息絶えていた。

 

 カラスが騒々しい。

 腕らしきものを奪いあう野犬の群れ。

 死の静寂。ハエの羽音。そして――なにより死臭……。

 うすくたなびく煙の他に動くものが絶えた光景の中で、思い出したように藪から突き出る硬直した腕や脚……。

 

 遠征先ならいざ知らず、王都でこのような光景を目にしようとは、夢にも思わなかった。

 

 一軒の門前では、幼いモノを含めた家の者が全員、首を吊られた状態で並べられていた。

 腹を“七の字”に切り裂かれ、腸が地面にまで垂れて。そこを逃げ出したらしい豚の一群がキーキーと頭をぶつけあいながら貪っている。争う気配はない。みんなそこらに散らばる死体で満腹らしい。これではまるでカロの銅版画か、ゴヤのエッチングの再現だ。

 

 ――カロ?ゴヤ?誰だっけ……。

 

 ふと浮かんだ人名……思い出せない。

 

 リディツェ村の近くまで来たとき、絶望は深まった。

 あちこちで焼き討ちされた家々。

 荒らされた畑。(こぼ)たれた聖廟。

 そこかしこに群がるカラス。

 

 焦げ臭い気配が立ち込める村にはいると、その思いは強まった。

 その臭気のなかに混じるのは、明らかに人の焼けるにおい。

 斬られた首が、いくつも街路樹の幹に、まるで大きな果実のようにブラさがって。

 

 一軒の家の前では、人が倒れていた。

 オレは馬を降り、近づく。

 まだ息があるのか、微かにからだを動かして。

 

「――!!!」

 

 よく見ればアルネェのお上さんじゃないか。

 大きな角の片方は根元から叩き折られ、血膿にハエがたかっている。

 

 オレは大柄なお上さんの身体をようやくのことで仰向けにする。

 

「おかみサン!――アルネェのお上さん!」

 

 身体をゆすられ、この哀れな水牛属は薄目をあけると、ヒィィィッ、と叫び出した。

 

「許して……もうユルしてへぇぇぇえぇえええ!!」

「おかみさん!――おかみさんオレだ!!シーアの亭主だ!!」

 

 ようやく彼女は我に返ったらしい。

 殴られたとみえる腫れた顔に涙を浮かべて、

 

「隊長サン?――隊長サン……遅かった、オソかったよゥ!」

「お上さんの家の者はどうした!?サヤ坊は?ご亭主は!」

 

 アルネェのお上さんは震える手で井戸をしめした。

 そしてワナワナとブ厚いくちびるを震わせ、

 

「あと二日、いえあと一日早かったら……」

 

 ゴメンナサイ、ゴメンナサイと呟くお上さんを、荒れ果てた家に運んで休ませたとき、サフィーとも仲の良かった水牛属の子供が、無残にも囲炉裏の自在鉤にかけられた大鍋の中煮られ、息絶えているのがみえた。

 オレは五体をバラバラにされた食い残しの胴体を大鍋から引き上げ、できるだけ原型に近い形で板の間にならべてやると敷布でおおってやり、自分は再び馬上の人となる。

 

 打ち壊された教会。

 略奪され、ガランとした商店。

 黒い血だまりをかたわらに、そこかしこで散らばる死体。

 お上さんの言った通り、まだ一日ほどしかたってないと見え、腐敗の兆候が少ない。

 

 オレは大通りを曲がり、自分の屋敷へと続く道に入る。

 やがて、彼方に見慣れた形が見えてきた。

 思わず一度、馬の脚を止めてしまう。

 あぶみに載った足のヒザ頭が不覚にもすこし震えて。

 

 ――いや……大丈夫だ。館を出るときに、実家に逃げろとシーアに言っておいたじゃないか。

 

 妻の趣味で緑にあふれた館。

 ぱっと見に、被害は無いように見えた。

 よかった……これなら、あとは館を修繕する追加ローンの心配をするだけでいい。

 

 だが、門代わりの生垣をくぐった時……。

 

 最初は、全裸の人形がぶら下がっているのかと思った。

 

 オレは下馬して、その物体に近づく。

 物干し用の竿の先端が尖らされ、そこに肛門から口まで、

 

 

 【自主規制】

 

 

 ※ここでは主人公の娘の無残な死にざまが記されます。

 

 

 娘の(むくろ)を前にしても、森閑とオレの心は動かない。

 なぜなら新鮮な血の臭いを別のところから嗅ぎつけたからだ。そこにはまぎれもなくオークの獣臭が混じっている。

 今は全身が血の復讐を叫び、悲しみなどは思考の端にもうかばない。

 あるのは敵を狩る特殊戦闘団員としての本能。

 そして戦闘に敗北する危惧(おそれ)――()()()()()()

 

 戦闘モードに入った俺は剣の鯉口を切ると、冷静に、全身で気配を探りながらゆっくりと歩みを運んだ。厩には、馬匹はおらずもぬけの空になっていた。そのまえをゆっくりと過ぎ、そして納屋の前までやってくる。

 ここは馬用の寝藁や飼料、それに修理が必要な馬具などを保管しておく場所だった。普段あまりひとけのあるような場所ではない。

 

 そっとオレは音のしないように扉を押し開く。

 メンテナンスをサボっていた家僕がいたのか、蝶番がイイイイイ……と鳴きながら動いてゆき――そして、中の惨状を平行四辺形な陽光の中にあらわとする。

 

 二人のオークが、妙な形で息絶えていた。

 

 干し肉をめぐって争っていたところを殺されたのか、互いに肉を咥えたまま白目をむいて、乾草のうえにのけ反って。

 互いのノドから流れ出た血が、濃く臭う。

 瞠目(どうもく)すべきはその切り口で、見事に一刀のもと、頸動脈をハネ切られていた。

 血が、ちっとも黒ずんではおらず新鮮だ。

 死体を剣の先で突いてみる。まだ十分弾力があり、突いた端から鮮血が流れる。

 

 ――してみると、まだどこかに潜んでいるのか。

 

 オレは斥候兵の動きで自分の足音と気配を殺し、裏口から館の中に入る。

 外見からは分からなかったが、邸内は狼藉(ろうぜき)を極めていた。

 

 食糧庫は見る影もなく荒らされていた。

 娘が結婚の暁に開封をしようと熟成させていた火酒。

 大きなハムの原木や、白カビを生やした大きなチーズ。

 遠征時に分捕ってきた混酒器(クラテール)や、凝った装飾のある青銅製のシャンパン・クーラー。

 

 屋敷の中に入り、それまで抜いていた長剣を納め、代わりに得物を脇差へと変えて見慣れない室内となった部屋の中をすすむ。

 

 打ち砕かれたイスや大卓(テーブル)

 大壺や食器はことごとく割られ、銀器をまとめて溶かそうとした形跡すらある。

 床にぶちまけられたワインの饐えた臭い。あるいは飲みすぎて吐きもどした汚物。

 代々の肖像画は刃物で切りつけられた跡が無残に残り、客間のシャンデリアは落下して。

 妻とさんざん悩んで購入した逸品だったのに。

 

 引きはがされ、敷物代わりにされたタペストリー。

 そこには――血と、精液の気配。

 娘はここで犯されたのだろうか。

 頭を乱暴に動かして幼い口をつかわれた時に抜けたとみえる赤毛のひと房が目につく。

 

 つぎ次の広間を開けたると――すべての答えがあった。

 

 

 【自主規制】

 

 

 さきほど納屋で見たオークを殺した者たちの仕業か、いずれも頭部を鈍器のようなもので殴られたらしい。頑丈そうな頭蓋骨がベッコリと盛大に陥没している。

 

 イラマチオをしていたオークを、音のしないよう足で()っどかす。

 

 

 【自主規制】

 

 

 ※ここでは主人公の妻の無残な姿が記されます。

 

 つい先ほどまで、乱暴が行われていたらしい。

 死骸に硬直はきておらず、ハエもたかっていない。

 妻が、娘の死にざまを見せられながら暴行されたことは、容易に想像できた。

 しかし涙のあとすら精液に犯され、いまは分からない。

 

 なぜ、逃げなかったのか。

 実家のある村まで逃げていれば、こんなことにはならなかっただろうに。

 

 ――あるいはこの屋敷を守ろうとしたのか。ならばせめて娘だけでも……。

 

 しかし、ここまで来てもオレの心は乾燥したように乱れなかった。

 それどころか警報が、オレの全身をピリピリと刺激して止まない。

 

 ――まだ……いる。

 

 廊下をしずかに進むと、閉じた扉の下から流れ出た血が固まった場所があった。

 そっと扉をあけると、ものすごい腐敗臭。

 積み重なった死体の中で、見覚えのある老家令のベストがチラッと見えて。

 してみると、オークどもはしばらくオレの屋敷を占拠していたらしい。

 ここに(たお)れた家僕たちは、最初の襲撃の時に屋敷を守るべく応戦したんだろう。

 

 オレは墓所を鎖すように、扉をしめた。

 

 やがて家族専用の居間にやってきたとき、だらしなくソファーに足を投げ出す砂漠用(デザート)ブーツが見えた。

 闘いにそなえ、脇差を逆手に持ちかえるまもなく、

 

「よゥ――遅かったな……」

 

 見知った(かお)が、オレを迎えた。

 

 

 



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      〃   (3)

 風虎隊の隊長は、脇差を手にするオレを感情のこもらぬ目で見た。

 そして砂漠の太陽に灼かれたほおに作ったような短い嗤いを浮かべて、

 

「……待ちかねたゼ」

「どういうことか、説明してもらおうか」

 

 初めて胸に感情が動いた。

 

 最初にやってきたのは“怒り”でも“嘆き”でもない。

 いまや指名手配となった、この古くからの友人に対する“哀しみ”だった。

 

「……説明だってェ?」

 

 見れば相手は満身創痍。

 あちこちに血のにじむ包帯を巻きつけ、刃こぼれも血曇りも激しい抜き身の剣をひざに横たえたまま“虎”の隊長は力のないせせら笑いをうかべると、

 

「なんの説明だィ?お()ェんとこの奥方や娘が、獣人の肉便器(オーク)になった説明か、あるいは今回の俺たちが参加した『武装蜂起』の説明か?」

「はぁ?――『蜂起』だ?」

 

 怒りが、不意に爆発した。

 

「どうみても『叛乱』じゃないか!これは!」

「……お前ェに分かってもらおうとは思わん」

 

 コチラの怒りにも動じず“虎”はソッポをむくと声ひくく、

 

「ふだんは王都の警護。たまに紛争地帯に出張るくらいで、あとはナニ不自由なく過ごしているお前らに、俺たち常設の辺境守備隊が味わう苦労は分からねェよ」

「ふざけるな!命が保証された安楽な生活がしたかったら、役人にでもなれば良かっただろうが!身体を張って自分を犠牲にして!無辜(むこ)の人々の生活を守るのがオレたちの仕事だ!それが不可(イヤ)なら騎士になんかなるな!」

「お前ェには分からねェんだよ!」

 

 こんどは“虎”がソファーのひじ掛けを叩いて爆発した。

 

「ものごとには!限度ってヤツがあるだろうが!」

 

 逆襲の勢いを肩からもうもうと煮え立たせ、血走った眼を怒らせつつ、

 

「守っているはずの“人々”から「人殺し」呼ばわりされ、新聞では散々な風評!おまけに中央集団と違って予算も無いのでまともな作戦も出来ない!二日に一食なんてザラだぞ!?補給だ?そんなモノこっちには回ってこねェよ!侵略してくる奴らとの戦闘で負傷しても、医薬品すら欠乏している!助かる隊員の命が!破傷風(はしょうふう)やアミーバ赤痢(せきり)で消えてゆくんサ!だがのこされた遺族にァ――満足な弔問金すらでねェ!!王都はいいが、地方民は貧困にあえいでいる。中央の勝手な政策のおかげでな!!かといやァ、その中央の役人どもは、高級な自家用竜車に贅沢なパティオ付き邸宅。夜毎に舞踏会とやらをひらいて予算を垂れ流してやがる!俺たちが喰うや食わずやで王都を守ってやっている、その背後でな!このクヤしさが――お前ェなんかに分かってたまるか!」

 

 沈黙。

 やがてオレは白けた目つきを相手に放ち、

 

「で……あげくがこの有様か」

 

 荒れ果てた自分の屋敷をグルっと腕で指し示した。

 

「今回の件で無辜(むこ)の民草に、どれだけの涙が流された?お前が求めたのは、こんな結末か?」

「俺は王都で安眠をむさぼる連中の眼を覚ましてやりたかったんだ!いろいろ他の手段も講じたサ。でもダメだ。だから俺たちは“革命”する覚悟を決めたんだ。現に王宮の一部の議員も呼応してくれた!クサってやがンだ、いまの政治は!目的のためなら、多少の犠牲は仕方ねェ!」

 

 カッ、とオレの身体を怒りが奔った。

 来る途中で見た惨劇の数々。それが爆発的によみがえってくる。

 

「多少の犠牲!?コレが!コレがか!街の惨状を見てそう言ってるのか!」

「あぁ!そうさ!」

「オマエは頭痛を直そうとして頭を切り落とそうとしたんだぞ!」

「崇高な目的のためなら!――そうさ、手段は正当化されるよ……」

 

 ダメだこれは、とオレは脱力して首を振った。

 もはや手の施しようがない。

 手前勝手な理想を求めたために、現実に地獄をよびこむ連中(リベラル)(たぐい)だ。

 オレの非難がましい軽蔑のまなざしに、

 

「後世の歴史は……かならず俺たちを評価してくれる!」

「どうかな。オマエたちがムダに引っ掻き回したこの国に“後世の歴史”とやらがあればイイが」

 

 抜き身を手に“虎”は立ち上がった。

 

「どうする――俺を逮捕すッか?」

「裁判で、いまの事実を世間に知らしめればいいじゃないか」

「ムリだね。六法全書をひねくることしか能が無い、()()()()()法匪(ほうひ)どもに期待するほうが無理ってモンだ」

 

 ドカッ!と“虎”は大剣を小卓に振り下ろし、それを真っ二つにする。

 

「拷問!――密室裁判!――処刑!……おおかたそんなトコだろ」

 

 そしてこの男は疲れたような微笑みをコチラにむけ、

 

「そして俺は、捕まる気がない……表ェでようか」

「――よかろう」

 

 オレたちは屋敷の裏庭に出た。

 

 そこはシーアが丹精を込めた芝生の園となっており、奇跡的に破壊を免れていた。

 美しい花々が咲き、小川から引いた水流がサヤサヤと流れている。

 

 剣を手にせず、お互いの着ているものがボロボロでなかったら、午後の陽ざしをうけ、古なじみが語り合っているのかと疑うところだろう。

 

 ――いや、実際にそうじゃないのか?

 

 オレ自身が戸惑ってしまう。

 なにしろあまりの境遇の変化に、ようやく息を吹き返した心がついて行かないのだ。

 

 こうして距離を置いて二人で向かい合っていると、今にも妻が現れ(お二人で何をなさってますの?)と不思議そうな顔をしつつ、紅茶の盆をささげて東屋に誘い、娘は買ってもらった巨大な竜のぬいぐるみをヨタヨタと抱え、目の前の男に自慢しに来るような……そんな気がしてならない。

 

「どうしてコウなっちまったのかな……」

 

 “虎”は血曇りが浮き出る己の剣をしげしげと眺め、

 

「あの火薬塔の失敗がなけりゃァ、まともな政権を作れたはずなんだ」

「首が入れ替わるだけさ。オマエが毛皮をまとった娼婦に囲まれてオープンの竜車に乗る姿は、さぞかし画になるだろうゼ」

「……あァ?」

 

 不機嫌そうな顔をして旧友はスゴんだ。

 

「テメ……ダレに向かって言ってるンだよ」

 

 この男も、昔はこんな口ぶりをする奴ではなかったのだが。

 全体に品下っている印象がはなはだしい。辺境の生活は、ここまで人を変えるのか。

 学生時代からは、考えられなかった凋落の気配が、相手からは漂っていた。

 

 オレは教え諭すような口調で、

 

「不当な手段で簒奪(さんだつ)された政権は、いずれさらに大きな悲劇を呼び寄せ、遅かれ早かれ崩壊するのだ。歴史が、そう教えている」

 

 ふぅん。と“虎”は澄まし顔で、

 

「なら、俺もせいぜい楽しんどけば良かったか。でもまぁ、お前ェの奥さんのマ○コも中々の味だったし、少しはトクしたかな」

「……」

「腹ァへらした手勢のオークどもを、この屋敷に引き入れたのは失敗だったゼ……やつらすさまじい食欲を満足させたら、お次は性欲とくる。まさかお前ェの娘……ガキまで手ェかけるたァ思わなかったが……」

「……」

「そう、お前ェのキレイな奥さんったらよ?「娘だけは~」なァ~んて。俺の名前を呼びながら命乞いしてたッけなァ?オークのやつら容赦しねぇから、自分の大きな一物をいれるため、アゴぉ外してひろげた子供の口に、ブッとい

 

 【自主規制】

 

そりゃァ見ものだったぜ」

「……」

「娘の服をビリビリに破いて引ん剥くころは、反応がなかったんだが、さすがに肛門に尖らせた杭の

 

 【自主規制】

 

オークの馬鹿力で、こう、ズブズブズブゥゥゥゥゥ……!っと」

 

 オレの心の中で、痛ましさが広がってゆく。

 目の前の友人は、精一杯悪ぶっている。それがなんとも見ていて悲しい。

 

「遠征先でも……そうやってきたんだな?」

 

 オレは“旧友”の心が、あいつぐ辺境での任務で完全にスリきれてしまったのだと理解した。表面はいかついが、人一倍やさしかったこの男が。

 

 そのとどめが、ヤツの離婚事件だったのだろう。

 清美のやつも、相当にガマンをかさねたのではないだろうか。

 知性と品性。なにより思いやりがあったオレたちのアイドル。

 よほどのことがなければ、離婚なんて結末にはならなかったはずだ。

 

「あァそうさ――どハデにやってやったよ」

 

 “旧友”はオレの問いに下卑たニヤつきをみせ、

 

「侵略者どもと同じことをやらなきゃ、戦いに勝てやしないんだ。ヤツラは数をたのんでコチラが守の村を襲撃し、妊婦のハラを裂き、子どもを串刺しにして、老人を小屋に追いこんみ外から火をかけやがる」

「それで向こうにも同じことを?」

 

 当然、と痩せた頬にスゴ味のある表情を浮かべ、

 

「ヤツラのシンパと思われる遊牧部族を襲撃し、火炎放射器で家畜を焼き、井戸に毒を投げ込み、牧草地に枯葉剤をまいた」

「……」

「拷問で組織の構成員をあぶりだし、敵対する町のシンパを暗殺し、権力者の子供を誘拐して見せしめのため片輪にして返した」

「……残酷きわまるな」

 

 残酷だ!?と電気をあてられたように相手は反応する。

 

「残酷と思うか?そうだな、王都のフニャチンには――そう見えるだろうな。だがヤツラはそうやって何十年何百年、争いを、殺し合いをしながら生きてきたんだ。こちらも奴らの流儀に合わせなくちゃならん。なりふりカマっちゃいられねぇ」

「死の応酬じゃないか……そこからは何も生まれんぞ」

「それは日々の生活が保障されている人間が持つ理性的な考えだゼ。ケドよ?厳しい自然の中で生まれた宗教!それを信奉することでスリこまれる“文化的刻印付け”!その洗礼を代々営々と受けてきた蛮族どもには!アマっちょろい対応は許されねェ……降伏するか!根絶するか!……それだけだ!」

「話し合いの余地なしか?」

「太陽が西から昇らなきゃ、ムリだね」

「残念だ……きわめて残念だ」

 

 一拍の、そして無限とも思える沈黙。

 

「――そうかい」

「――そうさ」

 

 ユラリ、(かたみ)に間合いを取る。

 

 目にもとまらぬ突きが、こちらのノドを狙ってきた。

 オレは左に受け流し、返す太刀筋で相手の手首をねらう。

 ガキッと鍔でそれを受けた“旧友”は、

 

「ハ!刃こぼれをキラうか?お上品なこって!」

 

 こちらの剣を上にねじふせ、さらに突きが来る。

 同じ攻撃をフェイントで。

 こちらが下がったところを逆袈裟に。

 刃が打ち合わされる金属音が、静かな庭園に鳴り響く。

 

「イイゾぉ!やっぱりお前ェはサイコーだ!」

「ぬかせ!腐った刃筋をしてからに!清音が愛想をつかしたワケも分かるわ!」

 

 “旧友”の顔が瞬間、真っ赤に染まった。

 下段から、刃筋を隠した一撃がくる。

 

 ――風塵剣!

 

 納屋のオークたちの首もとを一刀にハネた必殺の剣。

 右のほおに殺気を感じ、とっさに剣を上げた受けが辛うじて間に合った。

 目の前に火花がとび、(かな)クサい臭い。

 

 ――次撃がくる!

 

 オレは素早く相手と(たい)を入れ替え、剣の動きを封じた。

 行き場のなくなった刃筋にスキがうまれる。その肩口を狙い、存分にオレは剣をふるう。

 だが――浅かった。

 素早く退()いた相手の肩に、オレの剣先はわずかに届いただけ。

 新たに流れる血を手のひらで確かめた“旧友”はフフッと笑い、

 

「ニブっちゃいないようだな、えぇ?……だがコレはどうか、なッ!」」

 

 嵐のような連速攻撃がきた。

 上段、下段、そして中段の突き。

 大振りではない、しかし一刀一刀が風のような剣筋。

 

 ――クッ!

 

 腕に、肩に、チビリ、チビリと剣先が届き始め、オレは防戦一方となる。

 相手の顔が、悪鬼のごとくゆがんで。

 

「コレでオワりだ!」

 

 相手が大きく振りかぶった瞬間にスキが生まれた。

 オレは振り下ろされる剣に合わせ、迎え撃つかたちで相手の首筋を狙う。

 だが――庭園に掘られた小さな穴に脚をとられ、一拍反応が遅れた。

 

 ――ゴルフをやるとか言って、娘が掘った穴だ!

 

 そんな思いがこの非常時の脳裏に稲妻のごとく。

 オレは渾身の力を込めて大上段から流星のように墜ちかかる太刀筋を迎え撃つ。

 

 鋼と鋼が撃ち合う()ッとするような音。

 

 二撃目!

 

 今度はオレが上段で、下段に回った相手の剣を討つ。

 鈍く、それでいて澄んだような音がして、“旧友”の剣が吹っ飛んだ。

 いや、吹っ飛んだというのは見間違いで、相手の剣が中ほどから折れたのだ。

 

 “虎”は一瞬ぼうぜんとして、折れた自らの剣を眺めた。

 しかしヤレヤレと首を振るや、剣を棄てる。

 そして悠揚せまらず腰から長いナイフを抜き出した。

 

「来いよ、まだオワっちゃいねぇ。俺の小太刀は知ってるだろ?」

 

 そうだな、とオレは言いつつ自分も剣を棄て、腰から脇差を抜き放つ。

 

 相手の驚いた顔。

 次いでそれはニヤついたものになり、

 

「まったく……お前ェってヤツは、とんだロマンチストだぜ?」

「そういうオマエも、今どき革命とやらを信じるなんざ、中々のモンだ」

 

 言い終わらないうちに(キン)!刃が打ち合わされる。

 刃渡りが短いだけに、ふたりの距離が近くなり、動きが荒々しくなった。

 身体をぶつけ、コロげ、全身芝まみれになりながら、まるで野獣のように。

 

 相手に組み付いたオレだが、手もなく振り飛ばされた。

 “虎”は仲間うちでも力自慢で通っている。

 手負いな状態とはいえ、力勝負の一対一では分がわるい。

 

 息を切らせ、間合いを取ったあとは中腰の姿勢。

 相手の眼を読み、つぎの攻撃を組み立てる。

 

「――勝負!」

 

 瞬間、叫んだ相手が撥ねた。

 黒い影が、オレの視界いっぱいに広がる。

 突きだされる刃筋の向こうに、勝利を確信した相手の薄ら笑い。

 

 ドカッ!と二頭の巨大なイノシシが激しくぶつかり合うように。

 やがて相手の顔から笑みが消え、信じられないという風に身体をはなす。

 

「そんな――そんな――」

 

 “旧友”は力なく呟きながら、へたりと芝にひざをつく。

 

 オレの脇腹には、相手のナイフが深々と突き立っていた……。

 



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      〃   (4)

     * * *

 

「ヘ……見え見えなんだよ……バ~カ!」

 

 オレは脇腹に刺さったナイフをそのままに、脇差を取り落としてヨロヨロと立ち上がる。

 そして、いかにもザマミロ的な顔をしてやりつつ、

 

「オマエ……オレに自分を殺させようとしたろ」

 

 声もなく呆けたような相手。

 オレは力の入らない笑みをどうにか投げつけて首を振り、

 

「シーアを(おか)しただの……娘をオークに輪姦(まわ)させただの……こっちの怒りをアオルようなコト言ってサ。相変わらず演技がヘタだ……オレに清音を譲ろうとウソをついた時からチッとも進歩しちゃいねぇ……ナッちゃいねぇんだよ」

「お前――なんで」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 沈黙があった。

 “旧友”はうなだれ、目の前の芝をながめている。

 

 夕方の微風が吹き始めた。

 火事の後のような臭いと、死者の臭いを載せ、まるで行き場を失って嘆く霊のように方向を定めずに。

 

「マ、自分のケツは、自分で拭きな。()()()の“革命ゴッコ”がどういうコトになったか、それを悟ってから“コッチ”に来るがいい」

 

 死につつあるという状況が、口調を本来の自分が持っていた磊落(らいらく)なものに変えている。

 特殊騎士団の長という立場になってから、久しくわすれていた言葉だ。まるで学生時代に戻ったような……。

 

 オレはフラフラと立ち上がる。

 捨てた長剣と鞘を拾いあげ、納刀するとそれを杖にした。

 

「こっち?どこにいくんだ!」

「家族のトコさ……シーアやサフィが……待ってる……」

 

 崩れかかるところを危うく“虎”の肩に支えられた。

 そのまま屋敷にはいると、先ほど出会った家族用の居間へ。

 

 すまない、と“旧友”は噛んでいた唇をようやくほどき、

 

「俺はお前ェの屋敷に(ひそ)もうと、独りでここに来たんだ。したらオークどもが好き放題に……ぜんぶ殺してやったよ。だが奥さんたちは――間に合わなかった」

 

「ははっ、道理で……シーアを()ったオークの頭の凹みに、オマエの馬鹿力を()たぜ」

「あんなクズどもに剣を使うのは勿体ないからな。納屋の二匹をやった時に思い知ったよ。刃身がクサる」

 

 ここに居ろ、と“旧友”は自分が座っていたソファーにおれをズリおろした。

 

「衛生兵を呼んでくる。ここから2kmのところに近衛の分隊が居るはずだ」

「まて……オレはもうイイ……いいんだ」

 

 待ってろ!と“旧友”は部屋を飛び出して行ってしまう。

 外でオレが繋いだ馬のいななきがして、蹄が遠ざかってゆく。

 

「……あのバカ」

 

 捕まっちまうのに、とオレは舌打ち。

 そして不意に(そうだ……)と思い出した。

 

 妻の死体を、いつまでもオーク共に蹂躙させておくわけにはいかない。

 娘も杭からおろしてやらないと可哀そうだ。あの世に行ってから、オコられッ(ちま)う……。

 

 ヨッコラせと立ち上がり、ソロソロと壁伝いに廊下をゆくと、行く手の扉がそっと開く気配がした。見れば老家令が、腫らした顔で、

 

「殿!……良くご無事で!」

「いや、爺ぃ……あまり無事でもない」

「なんと!おケガを!お待ちください、いま――」

「オレのことはいい……まず一体どうしてこうなったのか、教えてくれ」

 

 ハィ、と老家令は肩を落とし、

 

「奥様は……この屋敷をお立ち退きなさいませんでした。殿のお屋敷であるここを守るのだと。それに街道も、追いはぎやら強盗やらのウワサで持ち切りでして……それならばと館に籠城を決めたのでございます。すべてがうまく行っていたのでございます。すこし前までは……」

「娘だけでも――」

 

 と言いかけて、オレは口をとざした。

 

 ――強盗に()ったら同じことだ……。

 

 最悪、死体すら手もとに残らなかったかもしれない。だが……しかし……。

 

「わたくしがここでここで事務を執っておりますと、あのおそろしいオークの一団が、不埒(ふらち)にもドヤドヤ入って参りまして、いきなり襲われ……」

 

 そこで老家令の青紫に腫れたほおが、ハッと引きしめられた。

 

「奥様……サフィールお嬢様は!?」

「爺ィ、おまえはここに居ろ。見ない方がいい」

 

 シワを刻んだ顔が、ワナワナふるえだす。

 

「なんと!それでは……それでは……!」

 

 涙を流して震える老家令の肩をたたく。

 

 視界が暗くなってきた。

 オレは制服の隠しポケットから秘伝の錠剤を取り出す。

 命は縮まるが、その代わりわずかの間だけ活力を最大限に増すという、特殊部隊でも玉砕寸前に使われる奥の手の薬だった。

 

 くちに含むと、炭酸水の弾けるような気配。森長のラムネを思い出す……森長?……ラムネ?……なんだったか。

 全身に高揚感が湧き、気力がよみがえってくる。うす暗い視界はそのままだが、心眼めく感応力がそれを上回り、眼をつぶっていても歩けそうだ。

 

 危ないところで硬直が始まっていた広間のオークどもを妻から蹴りはなし、彼女の遺体を整えて長卓(テーブル)に寝かせる。

 

 前庭の娘の死体は、難物だった。

 

 オークの怪力で突き立てられたのだろう。

  【自主規制】    杭は、ビクともしない。

 また死体の筋肉が収縮し、杭をガッチリと食い締めているのだ。

 

 しかたなくオレは死体の両脚を

 【自主規制】 

 杭を一挙動に切断した。

 

 空中で死体受け止め、つらぬく杭ごとオレは娘を横抱きにして広間にもどる。

 

「――お嬢様!……なんとムゴい!!」

 

 いつのまにかやってきて、妻の死体の傍らで揉み手をしてボロボロ泣いていた老家令が、【自主規制】 娘の(むくろ)をみて悲憤のあまり天を仰いだ。

 

「神よ!照覧あれ!――これはなんの裁きでしょうか!」

 

 双腕をあげ、神を呪詛する家令の傍らで、オレは娘の無残な遺体を妻のかたわらに並べる。

 

「もうダメです……もうわたくしは……見ておれません」

 

 オレは窓からレースのカーテンを取り外すと、二個の物体をおおう。

 白い生地に、血の跡がポツ……ポツと浮かびはじめた。

 

 オレは傍らにチ○ポ丸出しで転がるオークの巨大な死骸を横目にする。 

 この哀れな霊安室に、斯かる不浄なものを置いておくわけにはいかない。

 一体ずつ、苦労して外へと引きずり、門代わりな生垣の外へと蹴り出した。

 三体目を引きずるころには目ざとい野犬がはやくも集まり始め、歯を突き立てている。

 

 オレの視界が、ブレはじめた。

 脇腹が、焼き火箸を突き立てられたように(うず)く。

 いつの間にか西の端にかかっていた陽が、痛む背筋を伸ばしたオレの眼を射た。

 

 ――この夕暮れも見納めか……。

 

 結局“虎”は帰ってこなかった。

 まぁそれでもいい、と思う。

 

 生き延びた奴が何を見て、何を悟り、そして死ぬ間際に何を想うか……。

 あとはアイツの宿題だ……。

 

 ――さぁ、オレも妻たちの近くにいって休もう……。

 

 さいごの力を振り絞り、オレは屋敷へともどる。

 広間に入った時、オレは驚きのあまり足を止めた。

 

 長卓(テーブル)の上には、なにも載っていなかった。

 血のしみたレースのカーテンはもちろん、老家令すら姿がみえない。

 

 狼藉(ろうぜき)の後のガランとした空間が、オレの前に拡がっていた……。

 

 ――そんな……バカな。

 

 オレは空っぽの長卓(テーブル)を阿呆のように見つめる。

 

 まさか、あの()ィが?

 いやいやいやいや……。

 あの老人が重い死体をこんな短時間に独りで運べるワケがない。

 

 オレはヘナヘナとダイニング・チェアに座り込んでしまう。

 

 ――やぁ。どうやらもうオシマイのようだね。

 

 声の方を向けば、いつか夢で見た黒ネコ。

 狭くなった視野に、そよそよと二またのシッポを動かして。

 

 すると……これは幻覚だろうか。

 広間も、なんとんく古びていて早くも廃屋の気配がする。

 空気が、長いこと手入れされていない建屋特有のにおい。

 

 ――もしかすると、もうオレはとっくの昔に死んでしまっていて、魂だけが主のいない廃墟に戻ってきているのかもしれない。

 

 ――ソレは、チョットちがうんだなぁ……。

 

 黒ネコは、二本のシッポをいかにも得意げに揺らしつつ、

 

 ――言ってみれば、キミは“ドラマツルギー”の犠牲になったんだよ。

 

「なに、なに?ドラマ(つるぎ)?」

 

 ハハッ、ワロス。と相手は黒い毛並みに紫の艶を奔らせ、

 

 ――あるいは、統合事象面のエントロピー的な収支合わせに巻き込まれたのサ。

 

 この(クソ)ネコ、とオレは思う。

 

 ――大学出だか知らないが、ワケの分からんこと言いやがって。

 

 ――“糞ネコ”とはごあいさつだネェ。

 

 黒ネコは、またもペロペロと顔を洗いながら、

 

 ――ともかく、キミの存在軸はゆらいでしまった……言ってみれば、イス取りゲームから(はじ)かれたようなモノさ。キミのおかげで、周りの人も巻き添えにしてね。

 

「どういうことだ……?」

 

 ――こういうことさ。

 

 ♪ズンチャ・ズンチャ・ズンチャ・ズンチャ・ズンチャ。

 

 カーステから流れるような、軽快な音楽。

 

「♪は~パヤパヤ・あぁ~パヤパヤ」(ウフン♪)

 

 みょうなリズムに乗って、殺したハズの筋肉オークたちが腕を組み、あろうことかゴスロリ・メイド服のコスプレで、腹立たしいほど息のあったラインダンスを演じながら入ってきた。

 

 なんと!そのうちの一匹はニコニコと笑う我が娘を肩車している。

 おまけに娘はドカヘルをかぶり「ドッキリ大成功!」というプラカードを持って。

 

「や~いパパ、だまされた~♪」

 

 娘の笑い声。

 タンバリンを鳴らし、妻が回転しながら踊り子の衣装で優雅に現れると、

 

「これはゲキ~♪劇~♪げ~き~な~の~Yo~~~♪」

 

 ()(とん)(きょう)な調子でソプラノを。

 思い出した。

 妻の唯一の弱点は、音痴ということなのだ。それがため、ご町内のカラオケ大会では返ってヘンな人気が出て、妻が舞台に登場すると異様に盛り上がるという……。

 

 ソフト・ハットと白スーツなムーン・ウォークで登場する“旧友”。

 「パァゥ!」

 とかナンとか言ってキレのある鋭い身振り。

 

 「茶!――♪♪――宿直!!――♪♪宿直!!――♪♪」

 

 ぐぃぃぃ~んん……と前のめりになって、また元にもどる。

 なんなんだオマエは。

 

 その背後では、伝令のニキティ伍長やスヴォヴォダ曹長がクルクルと華麗なブレイク・ダンスを披露し、オリンピック競技にでも出るのかと言うくらいなワザで、この狂乱した一幕を盛り上げて。老家令が器用にもティーポットのセットが乗った盆を片手に“虎の字”の踊りに加わる。

 

 顧問官がマントをひるがえし、悠然と入ってくるや、イっちゃった眼で「豊かな地球を守ろうよぉぉほ~♪」と歌い始め、全員がそれに唱和した。

 

 「歌声喫茶」※と「オフィシャル・ビデオ」と「ベルトルト・ブレヒト」の舞台が悪夢チックなコラボを織り成した情景の中で、黒ネコだけがニヤニヤと、こちらの狼狽ぶりを眺めつつ、

 

 ――キミは、この状況を収束させる()()があるよ?

「……いったいどうやって?」

 

 言われたオレは迷わざるをえない。

 そう、一体どうしろってんだ。

 

「オレってまさか……○むらチャンのように棺に横たわってる?」

 ――ずいぶんと惜しいトコロを行ってるねェ。キミたち人類は、つくづく興味に価するよ。

 

 “玉砕錠(クスリ)”の効果が切れてきた。

 

 ナイフで刺された脇腹が燃えるように痛む。

「さぁ、ご一緒に!」

 

 目の前の登場人物が、踊り、歌いながらニコニコと一斉にこちらを向いた。

 

 オレは「王は踊る」というジャン・バティスト・リュリを主人公とした映画の中で、モリエールが最後を迎える場面(シーン)を思い出した。

 

 そして、図らずも同じセリフを呟いている。

 

「お迎えが……来やがった……」

 

 オレは、ついにダイニング・チェアから崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        * * *

 

「♪これはげき……劇……♪げ…き…な…の…Yo……♪」 

 

 自分の声に、オレは目を開けた。

 

 ワキ腹が痛い。

 白い光が、天井に差している。

 静寂。いや、どこかで音楽が。

 白いシーツに、ベッド。

 屋敷の寝室ではない。もちろん龍騎隊の病院でもない。

 

 

 ――天国か……それとも地獄……?

 

 傍らを見ると「メルモ」という医療器具メーカーの点滴システム。

 いくら受注活動にシノギを削る医療業界だって“あの世”まで販促活動はしないだろう。

 

 ――それとも……するのか?

 

 ナース・コールのボタンがあった。

 身じろぎをすると、ワキ腹の痛みが増す。

 

 力の入らない手で押して、しばらくするとカーテンがシャッ!と手荒く引き開けられた。

 いかにも清潔そうな、白い服の女にオレは、

 

「本部の副長に連絡を取ってくれ……それからキルン顧問官にも」

「連絡先は?」

「本部だ!“龍騎隊(りゅうきたい)”本部。伝令を出せ。早馬(はやうま)の予備はあるか?」

 

 クスクスと笑い始める白い服の女の後ろから、長い白衣を来たチビの男が、隊でも使っていないような妙に小さい高性能ライトを当てて、

 

「まだ意識の混乱があるようだね。自分のお名前、いえますか」

「どこだココは!?オレは“龍騎隊”隊長――」

 

 上半身を起こそうとしたところでワキ腹の激痛にねじ伏せられる。

 

「ほぐぅ!……っッッ!!」

「あなた、腹部を撃たれてココに緊急搬送されたんですよ――覚えています?」

「撃たれた……」

「ワキ腹をネ?さいわい貫通銃創だったから大したことありませんが、容態が安定したら、あとで警察が事情徴収に来ますよ?」

 

 ボンヤリしているオレに白衣の小男はカルテに何か書き込みながら、

 

「お勤め先にほうには、連絡します?えぇと――『ワクワク転生協会』?」 

「……」

 

 炭酸水がハジけるように、轢殺屋(れきさつや)の記憶がもどってきた。

 重量級のトラックと、あのクソ生意気な【SAI】のことも。

 

 ――そうだ、オレは仕事に失敗して、ガキのチンピラに銃で……。

 

 剣の記憶が、馬上の疾走感が、優しかったシーアの記憶がうすれてゆく。

 

 あの世界の充実感。

 命をやりとりするスリル。

 そして上に立つ者の責任感。

 

 オレはノリが効いた硬いベッドの上で脱力する。

 そして無味乾燥とした天井を、力なく眺めた……。

 

 

 




※なんか昔は「同伴喫茶」とか「GOGO喫茶」とか、イロんなものがあったみたいです……。


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第6話:異世界からの使者

異世界からの使者

 

             *  *  *

 

 短い入院のあとの退院手続き。

 

 ホンの一週間ほどの間だったが、ずいぶん長かった気がする。

 手首に巻かれた患者認識用のバーコードが入ったリスト・バンドを切られた時は、心底ホッとしたモンだ。それまで着ていたものは血まみれとなってゴミ箱直行だったので、庶務の()が見舞いがてら買ってきてくれた簡単なスポーツ・ウェアの上下を着ることになる。

 事業所は、相変わらず忙しいらしい。

 ひとり、バックれて行方不明だそうだが。

 

 入院中に買ったマグカップや歯ブラシ、寝巻などをひとまとめにしたスポーツ用品店の紙袋をさげ、オレは独り、病院の自動ドアを開けて輝くような午前中の光の中に歩み出た。

 

 春の陽ざしがまぶしい。

 

 病室では独り鬱々として、ふと自殺のコトなんかも考えたが、こうして陽の光に包まれてみると「生きているのも良いモンだ」などとあっけなく思ってしまう。

 

 ――人の心なんてその程度なのかネ。

 

 オレは春の陽光まで肺に入れる勢いで大きく深呼吸。

 ナースがニコニコこちらを見ているのに気づき、テレ臭くなったオレは会釈をして、近くの駅までの道をキズに気を付けながらゆっくりと歩き始めた。

 

 電車を乗り継いで、ようやく地元までもどってくる。

 安っぽいアパートの3階。

 貧弱な急こう配の外階段を上がって突き当り。

 そこが、没落したオレの今の(ねぐら)ってワケ。

 会社の寮ってのは、どれも殺風景なモンだ。それでも住めば愛着がわくのか、近くまで来て見上げた時は、どことなくホッとする。おまけに待っているのは、一週間の有給だ。

 

 ――へへ……ワルくねぇぜ。

 

 だが、エレベーターのない階段をヨロヨロとあがり、ようやく3階までたどり着いたとき、オレはゼイゼイと荒く息をつく。

 

 驚いた。

 

 たかが一週間程度の入院だったのに脚が――太ももが、おどろくほど弱っている。まるで力が入らず、おまけにプルプルして。

 

 どうに自分の借りる部屋までたどり着き、入り口のドアを開けた時。

 こんどはウッ、と息を詰めた。

 

 バーボンの甘いような()えた臭いが部屋中にこもっていた。

 

 ドアわきに固まるビールの空き缶。あるいはウィスキー、ジンの空きボトル。入院して週1回の資源ゴミの日に出せなかったんで、そうとう溜まってる。

 これを飲まずに貯金していれば……などとチラッと浮かぶが、あえて考えまい。

  珍歩意地郎とかいう得体のしれないラノベ書きも言ってたじゃないか。

 

 ――メシは死なないために食う物。

 

          酒は生きるために飲む物……。

 

 紙袋を玄関わきにおき、オレは狭くうすぐらい部屋を横切る。

 遮光カーテンを手荒に引き開け、窓を全開にして風をいれた。

 

 ゴゥ!と流れ込む春の風。

 

 厭世観の混ざった瘴気が、中年の倦怠(けんたい)が、心の闇が、アッという間に遠のいてゆき、先ほど感じた“人生は生きる価値がある”という、そんな錯覚とよろこびが、再び胸に湧きおこってくる。

 

 高台にあるこの部屋からは、街並みが良く見えた。

 

 まっとうな人々が過ごす生活の舞台。

 生きる、という躍動の場所。黄金の小皿の振動。

 

 ここで唯一、気に入っている長所だ。あとの長所といえば、隣の新婚さんたちが時を選ばずギシギシ・アンアンしてくれるのでAV要らずというやつか。

 

 ――ま、ンなこたどうでもいい……。

 

 微風に吹かれ、すっかり気分の良くなったオレは、冷蔵庫をあけ、残り少ないストックから1週間ぶりのビール(と、言いたいが、お金のカンケーで正確には発泡酒)と意気込んだ。

 プシュ、とあけるこの心地よさ。

 

 さぁ……とばかり最初のひと口。

 

 

 

 

 ――不味(マズ)い……※

 

 

 

 

 含んだときの、そのマズさ。

 

 ――なんで?なんでなんでなんで……?

 

 それでも窓辺に腰かけ、ガマンして一本開けるころには舌の味覚がもどってきて、美味くフィニッシュすることができた。

 

 ――二本目……いや。そのまえにシャワーをあびよう。

 

 病院では頭だけしか洗わなかったため体臭がするのか、電車の中で隣のおばさんたちから微妙な顔をされてしまい恥ずかしかったんだ。

 銃創のある部分をビニールでおおい、患部を濡らさないようにする。シャワーの熱い湯が、全身の血に“駆け足!”の号令をならし、ビリビリと電気が通るように。

 

 バスタオルを首にかけ、サッパリした後の二本目は文句なく美味かった。

 

 おれはガーゼ下の銃創をさぐる。

 あとは、ガーゼを定期的に交換し、もう一回、病院で抜糸を受けねばならない。

 憂鬱だ。

 銃弾は、身体のどの臓器も傷つけなかったらしい。貫通力を重視した鉛の露出しないタイプのため、きれいに身体をヌケたのが幸いだったと医者から聞いた。

 

 本来ならもっと早く退院できるのだが、予後を重視したのと警察の聴収をガードするのが目的だと所長の“アシュラ”から携帯のメールに入っていた。

 

 500缶4本目でつまみナシのビールにも飽きてきた。

 

 ワキ腹に軽い(うづ)きをおぼえ、ベッドにひっくり返る。

 やはり久しぶりのせいか、回りがはやい。

 レースのカーテンが風に揺れ、眠気をさそう。

 

 オレは“虎”の隊長の小太刀を想った。

 鋭い動きだったが、余裕で回避できた。

 

 オレの方が上をいったのだ、と思うと小気味がいい。

 

 ――アイツは、あれからどうしただろうか。

 

 夢、と割り切るには、あまりに生々しい感覚。

 馬上の疾走感が、いまだ身から離れない。

 それにしても、長い夢だった。意識を失っているあいだ、ずっと見ていたのだろうか……。

 

 ――よかった――戻ってきているようだね。

 

 聞いたような声がした。

 ふと気づけば、あたりは(くら)い空気に満ち、重苦しい気配に充ちている。

 

 木材の焼け焦げた臭い――死体の腐る気配。

 神経にさわるカラスの啼き声すら聞こえた、ような。

 

 ――キミはどうも恵まれた存在のようだねぇ。ラノベで言えば“主人公クラス”のようだよ?

 

 声に、聞き覚えがある。

 こう、クソ生意気な。分かったような上から目線の……。

 

 ――あいかわらず、ご挨拶だねぇ……。

 

 そのセリフで、ようやくピンときた。

 

 異世界の夢で見た、シッポの割れた黒ネコ……。

 魔女の従者。いや、使い魔どころではない。

 

 独立した一個の自由妖霊のような。

 あるいはネコのふりをした、魔王。

 

 ――それほどまでのモノじゃないさ。

 

 そうは言ったものの、この黒ネコはフフン♪と、どこか得意げに、

 

 ――ナンならキミの“使い魔”になっても良いんだよ?ただし……。

「契約をしろ、ってンだろ?ヤなこった」

 ――そこまで無粋じゃないさ。それとも性転換されて魔法少女になってみる?

「……は?」

 ――とりあえずは……そうだな、三食ぐらいはごちそうになりたいねぇ。

「養育費でヒーヒー言ってるオレにはむりな話だ」

 ――べつに三食『モンぺち』を食べさせろって言ってるワケじゃないよ?この世界で安定した存在軸が欲しいのさ。

「と……いうと?」

 ――もうワケの分からないウンコ合戦を見たり、オナカを蹴られるのはゴメンなんだ。

 

 ――コイツ、あの時の!

 

 どういうことだ、とオレはギョッとする。

 やはり、シーアが言った通り、妖魔の類なのか。

 待て待て!それじゃぁ、あの世界は実際に存在した世界……?

 

 ――まぁ、考えといてよ。いい返事を待ってるからネ?

 

 そういって黒い気配はスルリ、消えた。

 

 感覚がジワジワ戻ってくる。

 暗い。寒い。

 

 遠くでクラクションの音

 死臭や家の焼ける気配にかわり、排ガスまじりな都会の空気。

 

 気づけば、いつの間にか陽はおち、部屋は夕闇の中にあった。

 

 また黒ネコの夢。

 おれは、得体の知れないものにとり憑かれたんだろうか……。

 

 上半身裸のまま寝ていたので、すっかり下がった体温をシャワーで温めなおす。

 現実感が、陽気な風呂場の灯りに漂う湯気ともにもどってくる。

 

 そう、ここは21世紀の日本だ。

 長剣と魔法の支配する異世界じゃない。

 あれは銃で撃たれた苦痛が()んだ、ただの悪夢だ。

 

 ――と、思うんだが……。

 

 

            * * *

 

 それは有給3日目の良く晴れた朝だった。

 

 この二日間、朝からビールと読み残した本の消化ばかり。

 ひょっとして、さすがに時間を無駄にしているのでは、という自覚の出たオレは『行動療法』とばかり、気晴らしに風景でも撮りに行くかと小さなカメラをショルダー・バッグに入れ、街へと繰り出した。

 

 高層ビルの根もとにある高級ショッピング・モール。

 そこで久しくご無沙汰だった服屋や、店先の目新しいグッズなどを冷やかしてあるく。

 

 ステンレスとガラスの広い空間に靴音高く行き交う、洒落た身なりの人々。

 ウィンドウにかざられた商品やオブジェは、お高くとまった照りを魅せて。

 

 休日とも会って、午前中ながら“よそ行き”な格好の若い家族連れが目立った。

 子供を肩車するパパや、ベビー・カーを押しているママ。

 

 オレはベンチにすわり、目の前を通り過ぎる幸せそうな家族連れを微笑ましく眺めた。

 自分の姿をそこに重ねたり、あるいはシーアやサフィと置き換えてみたり。

 なにか、彼らから元気をもらえるような、有難い気分になっている。

 

 よく「他人の幸せをねたむ」なんてヤツがいるがオレには理解できない。

 おれは幸せそうな人々を見ると、ちょっとトクした気分になるタチなんだ。

 

 

 そこでオレの考えは、ふと立ち止まる。

 

 ――あれ……出て行った妻の顔って、どんなだったっけ?

 

 心ひそかにギョッとした。

 娘の顔も、思い出そうとしてみるが、浮かんでこようとするとサフィの笑顔が邪魔をする。

 バカな。

 あれほど面会の権利を得ようと七転八倒の苦労をした実の娘の顔が思い出せないなんて……。 

 

 若年性の痴呆症だろうか?

 あるいは大量輸血による何かの後遺症?

 もしかしてあのガキと争ったとき、頭を打った?

 

 そう考えれば、黒ネコの幻惑も納得がいくような……。

 

 ――ヤバイ、いちど脳の検査をしてみるか?

 

 くっそ、オレもヤキが回ったか……。

 うなだれたまま、ショルダー・バッグを肩にかなおし、ベンチをはなれてショッピング・モールをどこか蹌踉とした足取りで歩き出す。

 

 すこし客の少ないエリアに差し掛かったときだった。

 

「あの……落ちましたよ?」

 

 背後から声がかかった。

 

 振り向いたとき、まず目に入ったのは差し出された白い手に握られるお守りだった。ショルダー・バッグに下げていたのだが、いつのまにかヒモの結び目が外れて落ちたらしい。あの神社のお守りだ。せっかく賽銭をハズんだので、厄除け代わりに持っている。

 

 次にオレの眼は、差し出された手の持ち主に向かう。

 

「シーア……」

 

 オレは呻くようにつぶやいた。

 

 あのエルフ属の若妻が目の前に。

 すこし青ざめたような顔で微笑んでいる。

 もちろん、耳はドガってなどいないし金髪でもない。

 なにより違うのが、ブラウスの胸が(たゆん)としている。

 

 だが、理知的な目と品の良い眉毛、通った鼻すじ。

 いつも巻いている額飾りはどうした?と聞きたくなるほど。

 

 オレがあまりに見つめたせいか、女性の顔にうっすら赤みが差して、

 

「申し訳ございません、どこかでお会い致しましたでしょうか……」

「!!!」

 

 よく聞けば、声までソックリだった。

 

 オークに犯され、目の前で娘の無残な姿を見ながら死んでいった彼女の姿。おそらくオレの名を呼び、助けを叫んだりもしただろう。

 

 任務を優先したため、死なせてしまった妻と娘。

 あと一日はやく屋敷にもどっていたら……。

 

 俗にいう“悲しみの労働”が今ごろやってきた。

 涙がにじみ、目の前の若い女性の姿がボヤける。

 

 あの時は敵に気を配ること、そして“虎”の字との決闘で精一杯となり、悲しむヒマもなく相手の剣で倒れたんだ。

 

 もちろんすべては夢の中の話だ。

 異世界も、そしてあの黒ネコも。

 

 とは言え――やはり『無念でならない』という圧倒的な想いが押しよせ、打ちひしがれる。

 一体どうしたんだろう。このオレとしたことが。

 

「スイマセン――」

 

 辛うじてそれだけ言い、相手の前からヨロヨロと逃れ去ると、オレは人影のない柱の隅にあるベンチにうずくまり、肩を震わせながら心を鎮めようと大きく息をついた。

 

 ややあって、

 

「どう致しまして?大丈夫ですか?」

 

 優しい声が背後から。

 肩を震わせていたオレはうつ向いたまま涙を慌てて払い、辛うじて平静を保つ。

 

「なに。バカな話なんですよ――忘れてください」

「そんなことありませんわ。なにか事情がおありのようすでしたもの」

 

 言おうか、言うまいか逡巡(ためらい)があった。

 こんな夢の話などして、バカにされるに決まってる。最悪、イッちゃってるオヤジとして通報されてもおかしくない。

 しかし、あまりにも見慣れた彼女の顔は、そんな用心を外してしまうに十分な威力があった。

 

「ヘンな話なんですがね……夢の中で、貴女そっくりの女性とオレが夫婦で(御免なさいよ?)どこかで仲睦まじく暮らしていたんです。もしかしたら前世かもしれない。あなたは妖精属でね?……金髪で……娘がいて……」

 

 そこまで言って、オレは顔をまっかにした。

 

 何を言ってるんだオレは。

 見ず知らずの女性に、こんな下らない妄想話を。

 頭がオカしい奴に捕まったという後悔の色があらわれていないかと畏れて、オレは相手の顔色をうかがう。

 しかし――意外にも目の前の女性は、そんな素振りをみせず身を乗り出し、

 

「――それで?どうなりましたの?」

 

 いや、忘れて下さい。とオレは慌てて手を振り、

 

「つい先日まで入院してましてね?その時に悪い夢をみたんです」

 

 目の前の美人は微笑した。

 

「悪夢に私が出てきたとあっては、余計に気になりますわ。どうか、是非」

 

 相手のあまりに真剣な面持ちに、オレも覚悟を決めた。

 ぜったい笑わないで下さいよ?と、ひとつ念押しをしたあと、

 

「オレは――いや私は王都に属する戦闘集団の隊長だったらしいんですが……」

「……」

「あるとき都に反乱がおこり、それを鎮圧するため長いコト屋敷を空けたんです。すると賊が侵入して、あなたを――妻を、そして娘を集団で乱暴して……」

「……」

「オレ、いや私は――留守で……なにもしてやれなくて」

「……」

「それがすごい生々しい夢なんです」

「……」

「あなたも夢の中の妻にそっくりで――声まで」

「それで……どうなさいましたの?」

 

 ささやくような声でこの若い女性は、

 

「カタキは……とって下さいまして……?」

「関わっていたヤツラは、皆殺しでした」

 

 サッと女性の顔から緊張がとれ、わずかに微笑みをうかべる。

 次にそのほおから、涙がこぼれ始めた。

 

「よかった……よかった……」

 

 なぜだかオレも、もらい泣き。

 結果、大のおとながワケの分からん理由で向かい合って泣き合うという、おポンチな情景に。

 

 もうだめ。我ながら見てらんない。

 

 しまいにゃ軽く抱き合い、お互い肩をふるわせて。

 通りすがりの買い物中なカップルや家族連れが、

 

(ナニあれ?不倫の別れ話?)

(痴話ゲンカじゃねwww)

 

(ママー!泣いてるよ!?)

()ッ!――見るんじゃありません!)

 

 など、プークスクスされるのもお構いなしに。

 

 やがて泣き止んだオレたちは、すこし落ち着こうとショッピングモールに付属する庭園へ、お互いを気遣い、いたわりつつ、まるで本物の“歳の差”夫婦のようにゆっくりと移動していった。

 

           *  *  *

 

 外の庭園は気持ちが良かった。

 暖かい陽光が降り注ぎ、涙に湿ったほおのかゆみを、微風がやさしく()でる。

 

 あれから10分後。

 

 オレはひとり、庭園の物陰にあるベンチで、目の前の広い人工芝をかける子供たちの動きなどを呆っとした目で追っている。

 あの美人は「ちょっと失礼」といったままオレのそばを離れ、長らく帰ってこない。

 

 ――やっぱ、イっちゃってるオヤジと思われたんだなァ……。

 

 ほろ苦い思い。

 

 考えてみれば当然か。

 こんなムサい中年から、得体の知れない夢物語を聞かされたんだ。

 警察(ポリ)を呼ばれて“事案”とされなかっただけでもめっけモンだぜ。

 

 だが――後悔はしていない。

 

 それどころか、夢の中の死んだ妻に再びめぐり会って、悲しみを分かち合えたような。それがために今日の天気のように妙にスッキリと、心が晴れ晴れしたのを感じている。

 

 気を利かせ、彼女が居ないあいだに買った二本の缶紅茶がムダになってしまったが、それも“お笑いぐさ”程度じゃないか。有給はまだ半分以上も残っている。しばらくこの心持ちのままノビノビしたら、いいリフレッシュ休暇になるハズさ。

 

 どれ……昼時だ。奮発して近くで高級店さがして、いっちょ気取ったランチと洒落込むか。このイイ気分を保ったままにするには、かなり上級の店でなくちゃ。シャンパンも、いいものをチョイスしてやろう。

 

 ――それにしてもキレイな人だったなァ……。

 

 ほのぼのしながらスマホでレストランを検索していると、

 

「ごめんなさい、お待たせして……」

 

 




※禁酒明けの一杯って、なんであんなに不味いんでしょうね。


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第7話:夢の中の妻に

「ごめんなさい、お待たせして……」

 

 えっ、とオレは驚く。

 まるで失くしたと思ってものが帰ってきたような。

 後から考えると、この時、オレは嬉しかったんだと思う。

 それが表情に出たのか、相手もこっちの表情を見て嬉しそうに、

 

「どうなさったんです?そんなお顔して」

「なに、こんなヘンな話をするオヤジだから、てっきり愛想つかされたものだとばかり」

「いやですわ?まだ“オヤジ”なんてお歳でもないでしょ?」

 

 オレは相手の顔を見直してわかった。

 なんのことはない――化粧をなおしていたのだ。

 

「さ、どうぞ。もう冷めてしまったかな」

 

 オレは彼女に缶入りの温かいレモンティーをさしだした。

 

「ありがとうございます……」

「すまんね。自分でもこんなバカげた話をヨソ様にするなんて。まったく信じられないんだよ」

「いいえ、馬鹿げてなんかいません」

「ほんとに?」

「えぇ――お分かりにならないでしょうけれど、わたし、すごく救われた思いがしますのよ?」

 

 オレは改めて目の前の女性を見た。

 

 25、6歳というところだろうか。

 シーアそっくりの後ろで結い上げた髪。

 金髪ではなく、ダーク・ブラウンに染めてある。

 

 オーソドックスに茶系の濃淡上下でまとめるジャケットとスカート。クリーム地な品の良いブラウス。全体的に保守的なスタイル。だが、残念なことに喪服を思わせるような漆黒のスカーフが少しチグハグだ。オニキスのイヤリングも、華やかな印象の彼女には似合わない。

 

 社会に出て揉まれ、大学生の幼さがようやく取れはじめた頃合だろうか。しかし初々しさは、まだ残っている……と言うと本当にスケベ親父っぽくなるので言わないが。 

 

「どうなさいまして?」

「いや、面白い組み合わせだなと思って」

「なにがでしょう?」

「そのスカーフとイヤリング、ちょっと目立つな、と」

「……そう。嬉しいですわ、目立って」

「うれしい?」

 

 目の前の女は黙ってうなづいた。

 それからしばらく奇妙な硬い沈黙がつづく。

 そのそぶりから、彼女が何かを言い出そうとしている気配を察し、おれは遠くで遊ぶ子供たちの動きを目で追いながら、相手が話し出すのをじっと待った。

 

 やがて――ようやく彼女が、

 

「これはね、わたしが『死んだ』という証ですもの」

「死んだ?」

「そう。あなたの夢に出てきた、私ソックリの奥様のように……」

 

 人工庭園に風がやってきた。

 子供たちのはしゃぐ気配が一段と高まる。

 

「……理由を聞いていいかな」

 

 えぇ、もちろんと彼女はいかにもさりげない口調で、

 

「わたし……強姦されましたの」 

 

    

                * * *

 

 

 ――強姦?

 

 およそこの美人の口から出るにそぐわない言葉をきいてギョッとする。

 マヌケにも、オレは同じ言葉をオウム返しにするしかない。

 怪訝そうに見つめると、また相手の眼に涙がうかぶ。

 

「寄ってたかって――入れ替わりに……ムリヤリ乱暴されて……」

「そんな……」

 

 彼女自身が覚悟していたものより、やってきた情動は大きかったらしい

 いきなり彼女は(うつむ)くと、ささやくような小さい叫びで、

 

「もうわたし――(ケガ)れた身体なんです!」

 

 そういうや、両手で顔をおおう彼女。

 レモンティーの缶がコンクリの地面に撥ね、澄んだ音をたてる。

 また春の風が吹き、カラカラとオレの足に飲み残しの軌跡を描いてころがした。

 

 その次に“オレの身体”がとった行動は、自分でも信じられなかった。

 本人の意思を無視していきなり彼女の身をやわらかく抱き寄せると、ジャケット越しの細い背中をやさしく撫でさする。

 

 “異世界”では嗅いだことのない、洗練された化粧品の匂い。

 着やせをするのか、いがいにムッチリとした官能的な抱き心地。

 

 そのときになって、遅ればせながらようやく思い出した。

 

 これはシーアに“哀しいコト”が起きたとき、それを慰めるために使った方法だ。

 哀しいとかいっても、ぜんぜん大したことじゃないんだ。

 せいぜい、

 

 ・渡来の花瓶を割ってしまった。

 ・得意料理であるラムレーズン・パイの焼き加減をミスった。

 ・主婦の井戸端会議で口ゲンカになり、面と向かってオンチと言われた。

 

                       ……と、まあこんなところだ。

 

 そして彼女を抱く腕と反対側の手は自然と相手のスカートの下腹部にのび、そこにペタリと手の平をあて、まるで温めるように。

 

 これも理由があって、シーアのやつは哀しいことがあると、こう、下っ腹がキュゥゥ、ッと痛くなるらしい。 そこでオレが手のひらで温めてやると(……(アタシ)の事を少しは大事にしてくれている):シーア談、となり、少しは機嫌が良くなるのだ。

 

 反応を見ると、これがやはり彼女にドンピシャだったらしい。

 なよやかな背中をやさしく撫で、腹部を手のひらで温めていると、相手のふるえが収まってゆくのが分かる……。

 

 うつむいたままハンカチで目もとをおさえた彼女は、

 泣き笑いの笑顔をみせ、

 

「不思議な方……」

「え?」

「貴方にそうしていただいていると、まるで本当の夫に優しくされているみたい」

 

 ヒヤリとする。まさか亭主持ちだったとは。

 

「ご主人は――なんと?」

 

 身を離し、彼女はすっかりアイメイクで汚れたハンカチで目もとをおさえ、ほほ笑みつつ、

 

「イヤですわ――わたし、未婚です」

「しかし……“本当の夫”って」

「やさしい旦那さまがいたら、こうして下さるだろうな、って願望です」

 

 オレは思わずホッとした。

 離婚の養育費だけでなく不倫の慰謝料ともなったら、目も当てられない。

 安堵ついでに明るい口ぶりで、

 

「夢の中のオレの相手は、そうしてくれっていつも主張してたんです。失礼ながら腹に手をあてたのは、哀しくなるとココが痛むから手のひらで温めろ、と居丈高に命令されたんですよ」

 

 驚いた、と目の前の女性は目を丸くする。

 

「まるでわたしが昔、母にやってもらった通りですわ」

 

 彼女はかろくうつむいて、なにか思いあぐねている様子だったが、

 

「ほかに……他には、なにかあります?」

「え、そうだな。具合が良くなったら、最後に背中をポンポンて叩けって言われたな……」

 

 相手の表情(かお)に、快心の笑みがうかんだ。

 

「じゃぁ、ハイ」

 

 彼女はベンチの上で、さぁ叩けと言わんばかりに背を向けた。

 なよやかな肢体が、スーツ越しにも分かるほど艶めかしく身じろぎする。

 しかしオレの腕は、まるで慣れ親しんだ動作のように、あたりまえに彼女の背中を二回、やさしく叩き、さいごに背骨に添って手のひらスーッと一回さする。

 

「……今のは?」

「え、いや。最後にこうしてくれって言われたんですよ」

 

 まるで後から後から、あたらしい記憶が生まれる。

 そしてオレの身体は、それを百も承知のように意識より先に行動を起こしていた。

 

「他には――ホカかには何かありませんの?」 

 

 もっとあるでしょう?と言わんばかりに、含み笑いでおれに詰め寄る。

 この辺もシーアそっくりだ。

 

 あ、とオレは泡のように意識の水面へ浮かんできた“記憶”に声を上げた。

 

「ホラごらんなさい。なに?なに?」

 

 期待に目を輝かせる彼女。

 実はいちど妻を慰めていた時、ドサクサにまぎれてオッパイを揉もうとしたことがあった。そのときは泣きながらド派手に平手打ちを食らい、その後一週間ばかり粗末な晩飯が続いたのだ。

 もちろん、こんなこと初対面の彼女に言うわけにはいかないが。

 

「あとは……好きなものは女性にしては珍しくウナギ、とか」

「……白焼き美味しいですよね」

「好きな花はヒヤシンスとか」

「……まぁ」

「怒るとちょっとコワいです」

「……わたしは!いえその、そんな……怖くないつもりですケド」

 

 彼氏にコワいって言われたりしませんか?とオレは冷やかした。

 そういえば、シーア(アイツ)も「ヘンなところで根に持つタイプ」だと女友達からは怖がられていたらしい。

 

「……彼氏なんて居ませんわ」

 

 え、とオレはその言葉を疑う。

 こんな美人のおっぱいチャンがフリーだなんて。

 

「うそだ。貴女みたいなキレイな人が放っとかれるなんて」

「……そう、親が決めた婚約者がおりましたわ」

 

 と、それまでの雰囲気を、彼女は急に(かげ)らせた。

 やや久しい沈黙。やがて彼女は、子供たちが遊ぶ人工芝の方を力のこもらない遠い目で、

 

「でも――このことが先方に伝わって破談になりました……仕方ないですわよね?こんな(キズ)物になった女なんて」

「キズものだなんてトンでもない!」

 

 思わずオレはムダに力みかえってしまう。

 

「婚約者が断ってきたのですか?」

「……先方の家から、弁護士さんを立てて。メールも通じなくなって」

 

 酷い、とオレは首をふった。

 こんな時こそ、寄り添ってやるのが婚約者じゃないか。

 得体の知れないモヤモヤが胸にわきおこる。まるでシーアをバカにされたように。

 

「そんな薄情な奴だと結婚する前に分かって良かったじゃないか」

 

 口ぶりに義憤を込め、

 

「そんなの気にする必要ない。男の風上にもおけん!」

「そうですか……」

 

 急に弱々しい口ぶりとなった彼女は、口もとに寂しい笑みをうかべ、

 

「でも誠実な方だと思っていました……馬鹿ですね、女って」

 

 おそらく未練があるのだろう、やるせなさが彼女の落ちた肩からただよう。

 オレは腕の時計を見る。昼飯時だ、ちょうどいい。

 

 ――もうちょっと冒険してやるか……。

 

 そのとき、彼女はオレの手首を見て、

 

「あら――いいものお付けですのね」

「え、これですか?」

 

 意外にこの女性、目端が利くなと驚くが、理由を聞いて納得する。

 

「婚約者の結納返しを選んだ時に、すこし詳しくなったんですのよ?」

「あぁ――ナルホド。なぁに、サラリーマン時代の思い出の品ですよ。じつは私の方は、海外営業の仕事に入れ込んだあげく、妻に男作って逃げられましてね。いまは会社をやめてトラックの運転手しています」

 

 オレは、いまの微妙な身分を勢いにのせて白状してしまう。

 

「どうですか?これからランチでも。ここのレストランなんか良さそうですよ?それとも――トラック野郎ふぜいと一緒に食事するのは、気が進みませんか?」

 

 女性はすこし考えるようだったが、

 

「ごめんなさい……連れがいるものですから」

 

 残念!とオレはすこしばかり曇りはじめた空をおおげさに仰いで見せた。

 

「お嬢さまのお眼鏡に、トラック野郎はかなわなかったか……」

 

 そんな!女性は意外な大声をあげ、ハッとそれにきづいて身を縮め、

 

「ごめんなさい――じつをいうと乱暴されてから久々の外出なんです。付き添いにその子に同行してもらっていたんですけど、買い物があるとかいって少し離れてまして。お昼を一緒にする約束なんです」

 

 どういう気まぐれだったのだろうか。

 オレは、普段なら絶対にやらない図々しさを発揮して、

 

「その席に、私がいちゃダメですかね?――もちろん彼の分も、オゴらせてもらいますよ?」

「イヤですわ、()()()

 

 彼女はコロコロと控えめに笑った。

 

「そのコ――女子ですよ?わたしの妹です」

 

 それじゃ店で待ち合わせにしよう、とオレはしばらく予約と格闘するが、いまの時間どこも眺望のいい窓際がいっぱいだという。しかたなく、ランチで個室を使う客は少ないだろうと踏んで、隣接する高層ホテルのレストラン統括予約に連絡し、これも営業マン時代によく使ったフレンチの店に部屋席をとった。彼女は自分の妹に連絡を取り、その店の名前をしらせる。

 

 ――マ、かなりの出費だが復帰祝いだ。タマにはいいだろう。

 

 三人分の予約を入れるとオレは彼女と連れ立ち、高級ショッピング・モールをホテルの方に向けてあるいていった。

 

 不思議な感覚だった。

 

 まるで異世界の妻がこちらに引っ越してきて、一緒に歩いているかのよう。エルフ族とバレぬよう金髪を染め、耳を整形して『転生取り締まり当局』の目を逃れる“お忍びの仲”という、ベタなラノベ風味のストーリーがスルッと無理なく浮かんでくるから不思議だ……。

 

 彼女と腕を触れ合うくらいに並んで歩くと、あるはずのない記憶が次から次へと浮かんでくる。そのためか、つい馴れ馴れしさが口に出てしまい、あわてて言葉の手綱を引き締めなければならない有様。

 そして――それは彼女も同じだったらしい。ふと足を止めると、

 

「ねぇねぇ!……あっ、ゴメンなさい……」

 

 そう言って顔を赤くする彼女は、どこから見ても夢の中の妻だ。

 照れるしぐさ。耳を赤くし、うつむく有様。等々……。

 

「ん?どうした」

「ゴメンなさい、馴れ馴れしくしてしまって。つい……」

「いいさ、大歓迎だ。じっさいオレ……いや私も初対面の女性と歩いている気がしない」

「ホント、不思議ですわねぇ……」

 

 二人が足を留めたのは、有名海外ブランドのブース前だった。

 

「どうした?スーツか?」

「男性の方に前々から聞きたいと思っていたんですけど……この色って私に会うかしら?」

 

 みればウインドーの中に、落ち着いた感じのチャコール・グレーなスーツ。

 だが、オレの目は、その手前にある小物に引き寄せられた。

 

「どれ――入ってみようか」

「やだ、ちょっと待ってよ……そんな」

 

 オレは彼女の腕を引っ張るように店の中へと入った。

 

 さすがブランド店。

 靴が埋まるほどのフカフカな絨毯に、一部のスキもない接客の女性店員たち。一瞥しただけでも、ゼロがいっぱい並ぶ値段表示。照明の効果もあって、店内は黄金のオーラが放出されているかのような。昔はオレも営業マンで、こんな雰囲気は珍しくもなかった。しかし尾羽打ち枯らしたトラック野郎となってからは久々ともあって、やはり何となく気が引ける。

 

 幸いなことに、店のおネェさんたちはコチラを上客と見てくれたらしい。

 ニコやかな笑みで「何かお探しですか?」と尋ねてくる。

 オレは彼女に試着をさせているあいだ、別の小物をえらぶ。

 試着が終わってスーツを店員に返した彼女へむけ、

 

「これ、どうかな?」

 

 とうとうオレの口まで裏切りはじめた。

 手には金の台座に真珠をあしらったイヤリング。

 

 ――ちょ、来月の支払いどうすんだ!

 

 そう思う間もなく、オレの腕は勝手に彼女の耳へのびると、耳朶に留まるオニキスのイヤリングを抜き取った。

 

()()()にコレは葬式のときでもない限り似合わん」

「左様でございますね」

 

 若い店員が横から割って入り、

 

「それに、そのお召し物の組み合わせに、その色のスカーフは如何かと……当店にも多少のご用意がございますが……?」

「見せてくれ」

 

 結局、店を出たときには、彼女の耳たぶには新しいイヤリングが輝き、首もとは華やかなシルクのスカーフで飾られていた。バランス的にも問題ない。あの店員の見立ては確かだった。

 

「あの……よろしいんでしょうか」

 

 彼女がためらいがちに尋ねてきた。

 

「こんな、高価なものを」

「オマエの“喪の期間”はオワリだ――いつまでも気に病むな」

 

 なんだかオレまで、自分が本当に龍騎隊の隊長のように思えてきた。

 すると、なんだか剣を佩いていない腰が、軽くて心もとないような……。

 

「うれしい……アナタ……」

 

 そういうと、相手はオレに腕をからめてきた。

 その姿勢のまま歩く俺たちを、高級ショッピング・モールの磨かれたガラスや金色の円柱、ステンレスなどが鏡となって映し出す。なるほど、はた目にはちょっと歳の差夫婦に見えなくもない。

 

「あ、観て?」

「どうした?」

「あんなところに、猫」

 

 え、と彼女の視線を追ったおれは、広大な吹き抜け空間頭上を見回す。

 

「どこ?見えない」

「ホラあそこ……あぁ、見えなくなっちゃった」

 

 まさか、と思いつつ、

 

「色は!何色だった?白とか三毛とか」

「黒ネコでしたわ」

「え……」

 

 

 

 

 

 

 

 




仕事が残業に次ぐ残業でヘトヘトになり更新の間が空いたことを
お詫び申し上げます。
今日もムリヤリ有給つかって更新です……(ハァ


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第8話:神様!ご利益パねぇっす!

 目指すホテルのフレンチ・レストラン

 

 そこはオレの予想と違い、昼時のバイキングで込んでいた。

 ほとんどがOLやオバサマたち。

 すこし珍しいところで女子大生らしき一群。

 

 営業マン時代は担当先との接待を兼ねたビジネス・ディナーの場としても使える、ちょっと気取った店だったのだが。しかし今見れば大分ターゲットを下げたらしく店内は華やかな声に充ちている。

 

 良い雰囲気の店だったのにと思う反面、

 

 ――いやいや、このデフレ時代。そうでもしないと生き残れないのだろう。

 

 久しぶりに来てみればフロントの人員も見慣れない顔ぶれで、どうも久闊を叙するという雰囲気ではない。勝手知ったる店のはずが、逆に居心地の悪さを感じてしまうオレだった。

 

 入り口で予約した者である旨を告げる。

 

 すると、大学生がバイトをしているような若い(アン)チャンがメニュー片手にやってきて、騒がしい店内を奥へと案内される……。

 

 黒を基調とする通された一室からは、眼下に都市の広がりが一望できた。

 天気がいいので、はるか遠くの連山までよく見える。

 だが王都のはしから見るサマタリア連峰の美しさには比ぶるべくもない。

 

 ――部隊のみんなも連れてきてやりたかったな、

 

 彼女は、すっかりおれに気を許した様子で、兄チャンの引いた席に優雅に座ると、景色を眺めるオレの背中をジッと見つめている。

 ガラスの反射というフィルターを通して見た彼女は、ますます夢の中の愛妻に似ていた。 ここにサフィがいないのが残念だ。きっとこの高みからの光景を、大よろこびしたであろうに。

 

「お座りになりませんの?」

 

 背後からの優しい声。

 見ればウェイターの兄チャンが、メニューを手に所在なげな感じで立っている。

 

「……ソムリエの睦月サンは居るかな?」

 

 外に顔を向けたまま、オレは背後の兄チャンにたずねた。

 

「……だれ?」

 

 その応えに、思わずズッこけそうになる。

 

「チーフ・ソムリエの睦月サンだよ。居ないの?」

「……そういうソムリエは居ませんが」

「じゃぁコック長の冴場サンは?」

「コック長は加藤ですが……」

 

 もういい。

 なんたる受け答えだ。

 これが我が部隊なら、原隊に戻してやるところだが……。

 

「じゃぁね、まず『クリュッグ』をボトルで。そしてそれに見合う肴を――」

「あの……ソムリエ呼んできます」

 

 そう言うや、兄チャンはメニューを持ったままアタフタと部屋を出て行った。

 

「……面白いお店ですのね」

「面目ない。以前はもっとまともな料理店だったのだが……」

「よくあるコトですわ」

「まったく。ご時勢ってヤツかね?」

 

 ようやくオレは窓ぎわを離れると、彼女の向かいに座った。

 そしてプレゼントした品の具合に満足して、

 

「うん。よく似合ってる」

「ほんとうに……なんと申し上げたらよいか」

 

 そういって彼女は耳に触り、イヤリングの具合を確かめた。

 首に巻くスカーフの光沢が、そんな彼女の艶めいた印象をいっそう際立てて。

 オッパイ揉みたいな~と思ったとき、

 

 ――何を下らないことを!

 

 あわてて自分を一喝した。

 特殊部隊の隊長から単なるトラック・ドライバー、それも殺人専門の職にまで堕ちたとはいえ、心根までゲスになってどうする!

 

 彼女のほうは、見られていることに照れたのか、ツイと顔をそむけると、

 

「ナニやってるのかしら……オソいわねぇ、あの子」

 

 と、そのときノックの音がして彼女の顔が明るくなる――が、すぐにガッカリした顔に。

 入ってきたのはブドウのバッジをつけたソムリエだった。

 こんどはオレの顔が明るくなる番だった。

 そしてソムリエも

 

「おや!しばらくお見限りでしたな」

「やぁ!キミは居てくれたか」

「昼真っからクリュッグをオーダーするなんて、今時どこの酔狂かと思いきや」

 

 革製のブ厚いワインリストを小脇にかかえた長身のソムリエは、オレの向かいに座る美人にヒョイと眉毛をあげてみせ、一礼したあと(やっておりますな?)とでも言うように薄く笑った。

 そうだ。このソムリエはオレが離婚したことを知らないのだ。

 きっと真っ昼間から不倫のテーブルとでも思ったのだろう。

 

「しかし……残念ながら、もう品切れでして」

「う~ん、なっとらんぞ?伍長」

 

 そう言った後、なんで自分が伍長などと言ったのか不可解におもいつつ、

 

「じゃぁ……『サロン』とは言えないので『テタンジェ』を」

「あいすみません、それも……」

「どうした、何か大きな宴会でもはいった?」

「その逆でして……」

 

 男は身をかがめ、ワインリストをひろげる。

 装丁とはうらはらにページが少なく、銘柄もごく少なくなったリストがそこにあった。

 

「どういうことだ?」

「チーフが代わりましてね……いやチーフどころじゃない、店全体が、かな」

「表で見たよ。客単価を下げて回転率で儲けてる」

「もう“通のお客さん”だけを相手にはできんのですわ。原価を下げて上っ面だけ華やかにしてSNS映え良くして。いかに呼び込むか、ですよ」

 

 ウェイターは肩をすくめた。

 

「超高級酒も置かなくなります。バーテンダーの(みや)さんは地区統括リーダーとケンカして辞めました。コック長の冴場さんもおなじに」

「ソムリエの親分はドウしたィ?」

「チーフの睦月は、ここを辞めたあと大阪の方に行って外資系のホテルで働いているとか。自分も呼ばれてますが、どうなるか……」

「じゃぁ、シャンパンは?」

「フツーに『モエ』とかですかねぇ……あ、でも『黒ヴーヴ』ならありますよ?」

 

 ソムリエは記憶よりも格段に乏しくなったベージをくって、見慣れたエチケットのある部分をしめした。

 オレは黒い肌にオレンジのボトルを思い浮かべる。

 だめだ。今日は黒はやめると決めたのだ。

 

 結局“フツーの『モエ』”とキャビアのブリン載せをとりあえず頼み、ソムリエを引き取らせる。

 

 ――たった1年でこれだけ変わるのか……。

 

 オレは大きく息をついた。

 まぁ、ムリもないか。営業トップで風を切っていた自分も、一年もたたずにトラック・ドライバーだ。反社会的パーソナリティーをこの世界から放逐し、転生させるためという大義名分があるにせよ、いまや単なる人殺し。ましてや移り気な大衆に運命をゆだねる料理店の内情をや。

 

「すまないね、なんだか。期待には添えなさそうだ」

「そんな。わたしはこの上何も望みませんわ?これ以上わがまま言ったらバチがあたるもの」

 

 また出た。シーアの口ぐせだ。

 

 やがて、キッチンワゴンの上にアイス・ペールが載せられたものを先のソムリエが押してきた。

 二人の前に繊細なフルート・グラス。

 そこに黄金色の泡が儀式張ったかたちで節度よく注がれる。

 次いでブリン(そば粉のパンケーキ)にサワークリームを絞り出し、その上にキャビアを載せた品が二人の間に置かれた。

 

「では……ごゆっくり」

 

 またもや()()()()をするウェイター。

 オレはいちいち説明するのも面倒くさいので、本人の好きに想像させておく。

 長身の男が去ると、オレたちは乾杯し、キャビアにかぶりついた。

 

「まぁ、結構なお味」

「初めてかね?」

「ブルガリアに行ったとき似たようなものは口にしたけど、大味でいまひとつでしたわ。キャビア自体はドナウ・デルタ産で美味しかったけど」

「旅行でブルガリア?めずらしい」

「父がイコン好きなもので」

「あのロシア正教の?へぇぇ……あぁ、サァ。もう一つ」

「いただきます……」

「そういや自己紹介が、まだだったね」

 

 オレは自分の本名をいい、トラック・ドライバーであること。バツイチであること今は会社と寮の往復であることなどを告げた。

 

「イロイロあって、会社ではあだ名で『マイケル』ってよばれているしまつさ」

 

 それを聞いた彼女はふふっと短く笑った。

 そのあと、フルート・グラスを置くと居ずまいを正し、

 

「わたくしの下の名前は、もうご存じですね?名字は鷺の内と申します」

「下の名前って……」

「呼んで下さったじゃありませんか」

「え?」

「詩人の詩に愛と書いて詩愛(しいあ)と申します。現在OLをしていて……」

 

 あとの言葉をオレは聞いていなかった。

 なんという偶然!いや、あまりに出来すぎている!

 これには何か深い因果があるような。

 落とした縁結びのお守り。

 それを偶然ひろった相手が、夢の中の妻とそっくり?

 これが御利益というものなのか?だとしたら天網恢々、日ノ本ノ神はおそろしい。

 

「そう、奥様とおなじ名前で嬉しいですわ?」

「いや、いやいやいや」

 

 オレは使っていないおしぼりを拡げて額にあてた。

 異世界の空気がさらに一歩、向こうから近づいてきたような。

 だいたい金欠のオレが、なんで見ず知らずの女性にプレセントをして。

 そのうえシャンパン付きのメシなど奢ろうとしているのかワケわからん?

 考えてみればオレの口ぶりだってそうだ。考えてみれば妙に仰々しく、エラそうな……。

 

「……と、いうか」

 

 彼女はテーブルに載せたひじに手を組んでアゴをのせ、

 

「わたくしたち。どこか遠い前世で、夫婦だったのかも♪」

 

 ふうぬ、と黙ったまま、オレはシャンパンをひと口含む。

 王都でのむ『金印』はこれほど洗練されておらず、どこか野性味がある。しかしその味は夢の中の世界を彷彿と蘇らせて。

 

 縁結びの神様が放った能力に乗って、このままホテルを予約してやろうか。このおっきいオッパイをしこたま揉んでやろうかとチンポジを直していると、またも自分から叱咤される気配。

 

 ――不可(いか)ん!ここまで格好つけたなら、最後までやりとおして見よマイケル!

 

 だが、案ずるまでもなかった。

 相手の目も、どこかトロンとした眼差しでこちらを見ている。

 養育費のことがチラッとあたまにうかぶが、もう知ったことではないような。

 

「これから……おヒマですの?」

「実を言うと、いま有給休暇の真っ最中なんだ」

「それはよろしいですわねぇ」

「その、なんだ。どうだろう、これから」

「そうですわねぇ……」

 

 そう言ってこの世界のシーアはフルート・グラスの陰に顔を隠した。

 そうして、ややあってから――おそらくアルコールのためであろう――顔を真っ赤にしつつ、

 

「それも……イイかもしれませんわねェ」

 

 ――やった……ッ!

 

 という心中のガッツ・ポーズ

 

 ――愚か者!なにをやっているのか!

 

 というもうひとりのオレ。

 

 これは酒を控えなければ。べつに中折れするトシでもないが、用心するに越したことはない。

 詩愛はメニューを見るフリをしながら、こちらをチラチラとみて、いまだ気持ちが揺れている最中であることがわかる。これは昼食をキャンセルして、ホテルの空いている部屋を予約してしまおうか。

 

 オレがスマホを取り出したときだった。

 部屋をノックする音がして、先ほどの兄チャンが姿をみせると、

 

「お連れさまが来ました」

 

 そういって、後ろから紙袋をさげたひとりの少女が入ってきた。

 詩愛がメニューから顔をあげて、

 

「あぁ、ミカったら。ずいぶん遅かったのね」

 

 その声は、どこかホッとした色合いを含んで。

 彼女の背筋がのび、顔色はいつのまにか常にもどっている。

 これで計画はパーになったことをオレは悟った――畜生め。

 

 ――当然だ!バカ者が!

 

 自分の良心の声だろうか。それが激しく自らを罵倒する。

 詩愛がオレの背後の少女に腕をさしのべ、

 

「ご紹介するわ、わたしの妹の――」

「ご主人サマぁ!」

 

 レモンの香りのする少女が、いきなり抱きついてきた。

 卒然、オレはすべてを悟る。

 

 ――神様!コッチかよ!!

 

 忖度してくれたんじゃないんかい!!!!!!!!!

 

 え、という詩愛の顔。

 抱きついた拍子に紙袋の中のモノが散乱する。

 

 なんと。

 

 奇妙にリアリティのある肌色をしたチ○ポや首輪。

 あるいはナニやらアヤしげな形をした器具たち。

 

「ご主人様ァ!『メス人形“ボニー”』はずうっと待ってたんですのよ!どうしていらして下さらなかったのですか!?」

「ちょwwwwおまwww」

「これはどういうことか、説明してくださってもよろしいでしょうか……」

 

 周囲の空気を絶対零度にまで下げる勢いで、現世のシーアがこちらをねめつける。

 あぁ、そうだ。と、オレは思う。

 

 ――怒った時のアイツが、ちょうどこんな感じ。

 

 風呂の掃除をしてなかったときとか、

 買い物で買い忘れが出たときとか、

 部隊勤務の都合で約束していた遠出がキャンセルになったときとか……。

 

「まて。話せばわかる」

 

「問答無用~~~~!」

 

 226事件の青年将校めいたセリフとともに、彼女のビンタが飛んできた。

 首がグキッとなりながら、

 

 ――あぁ、そうそう。こんな感じ……。

 

「ひどぉ~い!アタシのご主人様になにするんですの!」

「ミーさん、説明なさい。この人とアナタの関係は、いったいなんですの!?」

 

 えぇっ、とこの女子高生はポッと顔を赤らめ、顔をそむけ、

 

「言えないわ……そんなこと」

 

 だからそんな態度を取って誤解を呼ぶんじゃない!

 ホラみろ。現世のシーアが目を吊り上げてオレをニラんで、

 

「こういうことだったんですね……所詮、アナタも女ったらし……」

 

 周囲の空気が絶対零度を超え、-300度くらいにまで下がる。

 

「おネェ様こそなによ!アタシのご主人様に向かって!」

 

 悪夢の女子高生はオレにしがみつくや、キッ!と相手をにらむ。

 そしてタイト・ミニなスカートをたくしあげるや、ガーターベルトとレース状のエッチなショーツを見せ付け、

 

「アタシのココはご主人様専用なんですからね!今日だってお道具をいっぱい買ってきて、いつご主人様に調教されてもイイように準備するため買い物してたんだから!!!」

 

 シーアは床に散らばった大人のオモチャをねめつける。

 

「そうなの?アナタ。わたしとの関係も……みんな計算づくなものなの?」

 

「まwてw!!!みwんwなwおwちwつwけ!!!!」

 

「あぁん!ご主人様ァ!……あぁっ!おネェさま何よそのイヤリング!まさかご主人様に買ってもらったの!?」

「そ、そうよ?いろいろ話を聞いてくださったんだから」

「あああ~~~ずるぃぃぃぃぃぃ~~~!アタシもぉ!」

 

 

 いいナァ……と兄チャンの声。

 

 



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第9話:天与の手がかり(1)

             * * *

 

 ナビがフロント・グラスに矢印を浮かべた。

 このまま左車線に入れと告げている。

 

 ウィンカーを出し、左に移ろうとしたら突然!

 客を見つけたらしいタクシーが強引に割り込んできやがった!!

 

 ホーンと同時にブレーキペダルを蹴りつける。

 急制動。ドリフトで巧みにかわし、間一髪・セーフ。

 重量級の殺人用車体が、軋みながらなんとか停車に成功した。

 

「すまねぇ【SAI】!――ミスった!」

 

 ヤバい。今日はこれで二度目だ。くそ。

 たかだか1週間程度の有給で、ハンドルの勘がニブったのか。

 オレは「くそったれ!」とばかりもう一発、二発。ホーンをジジィの運転するタクシーにカマすと、車線を移りアクセルをラフに踏んで再発進する。

 

 今日。

 休み明けのオレは、新たに提示されたターゲットの下調べをするためにハンドルを握っていた。

 朝会のあと。イレは所長の“アシュラ”につかまり、轢殺屋たちの“ご愁傷様”は視線に送られて執務室へと連行されると大机ごしにファイルを押しやられたものだった。

 

「あぁ、マイケル。次はこの“お客様”を転生させてあげてくれ……」

 

 正直、ションボリだった。

 目標の担当をとちゅうで外されるほど心に来るものはない。

 それはまるで「オマエは無能だから、この案件はムリだ」と言われたに等しいからだ。

 

「え……じゃ今まで追ってたヤツは」

 

 その辺は、所長も重々承知なのだろう。

 まぁ、そんな顔するなと言いつつ、ファイルを太ったアゴでしめし、悠然と革張りの椅子に寄りかかって腕を組んだ。

 

「とりあえずの肩慣らしに、この一件を片付けたまえ。上手くいったら、例の“お客様”は継続してキミの案件としようじゃないか」

 

 所長にとってみれば、轢殺対象はあくまで“お客様”なのだろう。

 まぁ、死人が札束をくわえてくるんだから、間違っちゃいないが。

 オレは気のない手つきでファイルを机上に置いたままパラパラとめくり、

 

「つまり――テスト。というわけですね?」

「そう思いたければ、そう取ってくれても良い」

 

 食えないオヤジだ。

 トシは、いったい何歳ぐらいなのだろうといつも考える。

 オレよりずいぶん上なことは間違いないが、かといって老け込んでいるわけでもない。

 

「アセりは禁物だよ?」

 

 所長は柔和な顔でこちらに微笑みかけた。

 だが、その笑顔を装う仮面の奥で、こちらを凝ッと窺っている気配がするのを、オレはヒシヒシと感じざるをえない。

 

 ――オヤジの言う通り、久しぶりのハンドルだ……ジックリいこう。

 

 そう自分に銘じつつ、さきほどタクシーを凌いだ冷や汗を、ぬれタオルでぬぐう。

 

 現地で実際にロケハンしながら、繊細に計画を組み立てる。

 資料にある行動パターンと防犯カメラの死角を考慮して、

 

 ・走行経路。

 ・待伏場所。

 ・轢殺方法。

 ・実行時間。

 ・撤収経路。

 

  ……等々を各種の要素として洗いあげ、連立方程式のように解いてゆかねばならない。

 

 知り合いの事情通なドライバーにこっそり聞いたところ、オレを殺しそこねた連中は、いったんドコかに“トンだ”らしい。新たに足取りがつかめるまで、能力テストも兼ねて今回の目標を()けとのことだろう。

 

 いまはヤツらの新しい情報(ネタ)がはいるのが待ち遠しい。

 オレを殺そうとしたチンピラども。

 同時に、あのコンビニで盗み聞きした会話から、詩愛(しいあ)を暴行したヤツラでもあることが判明した。

 

 なんというめぐりあわせ。

 なんというモチベーションの上昇。

 これも、もしかしてあの神社のお導きなんだろうか。

 

 ――この世に生かしちゃァおかない。

 

 必ず異世界にトバして、人糞処理のブタにでも転生させてやる。

 ヒトを殺すのに、こんなにポジティヴになったのは初めてな。

 いつもこんなに殺しがいがある目標ならイイんだが。

 そう、今回ばかりは【SAI】の大仰な殺し方も許してやるか……。

 

「なぁ、【SAI】……」

 

 トラックから、またもや応答はない。

 

 ――ふん。

 

 どうせまた下らないドラマにでもハマっているんだろう。もしかしてオレの居ない間に、独自でリンクできるダウンロード先を見つけたのかもしれない。

 

 静かでイイや、と思いつつオレは再び先日のドタバタを頭に浮かべた。

 

 ――畜生、縁がキレたと思ったのに……。

 

 アレから散々だった。

 

 姉妹ゲンカを始める二人をどうにかおちつかせていると、見知らぬデブの店長から退去命令を出されてしまう。しのび笑いが混じる周囲のイタい注目の中、ほうほうの態で店を出て、グラス・エレベータで高層階から一回の車寄せまでゆくと二人をタクシーに放り込み、バイバイしようとしたところ、妹の方がオレと離れるのはイヤだとダダをこねる始末。

 

 結局、彼女たちの家まで行き、ぐうぜん休診日だった二人の親御さんと会い、父親が妹の美香子に鎮静剤を与え、オレと二人で部屋へ抱えこんでベッドに寝かしつける。母親が一仕事おえたオレたちにお茶を……という流れで、今までの奇妙なあらましをザッと説明するハメになったのだ。

 

 いかにも余裕のある雰囲気を漂わせる老夫妻。

 父親は白髪のあるオールバックに、上唇だけ口ひげを蓄えて。

 母親の方は、品のある中年婦人といった感じだ。

 

 豪勢なリビング・ルームで話している最中、オレが美香子の恩人であり、下手人たちをノシたことが分かると、ロココ調の長ソファーに座っていたオレのとなりに、なぜか紅茶と手作りクッキーの配膳をおえた詩愛が、身体を寄せるようにピッタリと座り込む。

 親御サンたちは一瞬、目くばせしたかと思うと、母親はオレの学歴を興味しんしんに尋ね、父親の方は職歴をしきりに聞いてきた。それを傍らに詩愛はピッタリと自分の体温をオレに伝えながら、ニコニコと。

 

 オレはワザと自嘲ぎみに、

 

「けっきょく、仕事人間の末路ですよ。いまは養育費を稼ぐのに精いっぱいです」

「仕事を変える気はないのかね?もっと――こう……なんというか」

「そうねぇ、トラックは事故を起こしたりしたら大変ですからねぇ」

「ウチの医院の名前にもキズがついてしまう……」

 

 父親がそういったとき、詩愛はウルんだような目でこちらを見る。

 

 上気した女性のイイ匂い。

 柔らかく香る化粧。

 

 母上のほうも、それを見て満足げに、

 

(しい)ッ子もそろそろ焦り始めませんとねぇ……」

 

 ――オイオイオイオイ、ちょっと待ってくれ。

 

 遅まきながら、内心オレは冷や汗をかいた。

 いつのまにか()()()()()になってる?

 

 革製のソフアーにすわる(もも)のウラが汗ばんできた。

 周りを取りまき飾られる豪華な調度品が、急にリビングを居心地の悪いものにする。

 三人の笑顔や澄まし顔が、巣にからまった哀れな得物を狙うクモのような雰囲気で。

 

 ――ここから、はやいトコ抜け出したい……。

 

 父親のほうは、こんどはオレの知識をためそうと、国際情勢や、一般教養、はては英語やフランス語まで巧みに会話に織り交ぜてきた。

 

 ワザときらわれてやろうかな、とも思うがオレはそういう演技は苦手だ。

 

 とりあえず率直に、もう家庭をもつのはコリゴリなこと、浮気されたうえに離婚後の養育費まで払わされるハメになって馬鹿らしいこと、仕事人間は、この国では税金ばかり取られソンをすること、あとは休日の朝ビールを楽しみに気楽に生きること、などをさりげなく伝える。

 

 父親の方は、苦々しげに、

 

「しかし……それで男子の本分たるものが、果たせるとおもうかね!?」

 

 ところが、これに母上殿のほうがいたく同情されたらしい。

 

「まぁ――非道い話ですねぇ……お相手が悪い女すぎたのよ。ねぇ?あなた」

「うむ……まァそれはそうだが。しかしキミのほうもお人よしすぎるて」

「あなた!」

「おまえはダマってなさい!で、その寝取り相手の会社の名前と、ソイツが抱き込んだ弁護士の名は分かるかね?」

 

 オレは名刺入れの中から、ボロボロになった二枚を取り出した。

 

「腹が立って仕方がないとき、それを見て落ち着くんです。あの時を思えば、なんてことない、って。もっとも最近は、すっかり使わなくなりましたが」

 

 ふぅむ、と親父さんは携帯をとりだし写真にとるとコチラに返してよこす。

 

「うむ、まぁ今日はこんなところで良いだろう。キミの勤務先は――何と言ったかな」

 

 オレは言葉を濁した。

 

「法人専門の特殊な運送会社でして……」

 

 結局、大代表の電話番号と、業務内容をふわっと伝える。

 

「それじゃ分からんよ。まぁいい、ところでキミの連絡先を――」

 

 うまいコトはぐらかさねば、と思った時だった。

 ガチャリ、とリビングの扉が鳴り、

 

「ごしゅでぃんすぁまゃァ……」

 

 ろれつの回らぬ口ぶりで“ボニー”の乱入。

 信じられん!あれほど投与したのに、という親父さんのつぶやき。

 

「ごでゅぢんざまはァ!メス奴隷“ボニー”だけのモノですぅ!お姉ぇちゃんにぁカンケーにゃぁい!お姉ぇちゃんぁ、いつもイイとこばっかもってってアタシにはgooooo……」

 

 オレは保護したいきさつをもう少し詳しくはなし、

 

「なにか強制認識用の薬物か、最悪、誘導洗脳がされているかもしれません。専門の医療機関で見せた方がいいかもしれません」

 

 父親は渋い顔をして、リビングの床にグダグダと寝転がる娘を見やった。

 母親が、アラアラまぁまぁといいつつ、スカートがめくれ上がり、パンツが丸見えとなった彼女の下半身をアワてて直しにかかる。

 

「コレは甘やかして育ててしまったからな!」

 

 ひざまづいて介抱する母親の背に向かい、父親は医者のもつ冷徹な口ぶりで、

 

「姉にくらべると、いささか不良品――」

「お父上!」

 

 オレは、自分でも知らないうちに相手を硬い表情でニラみつけている。

 

「それは……あまりにも心無いお言葉ですな」

「キミには――わからんのだよ。()()()()()を持った親の気持ちが」

 

 分かりたくもありませんな、とオレは冷たい口調で言い放つ。

 

「さ、この子をもう一度運んだら、私は失礼します。ホラ、キミ立って……さぁ」

 

 “ボニー”を自称する女子高生美香子は、うつ向いたままフラフラ立ち上がる。

 オレは彼女に肩を貸すかたちでもう一度、彼女の部屋にヨロヨロと連れてゆく。ベッドに横たえようとする直前、この女子高生はヒシとこちらに抱き着くと、涙をポロポロとながした。

 

「……ありがと……まいける……」

 

 

 ――あのクソ親父め……。

 

 

 遠くの信号が、赤になった。

 オレは重い車体をなるべくスムーズにとめる。

 大重量なので普通のタイヤとおなじに考えていては摩耗率が激しい。会社規約でタイヤ代もある回数以上の交換は、費用がこちらに降ってくるのだ。

 

「マイケル――何を考えているのか、当ててみましょうか?」

「あぁ?」

 

 【SAI】がいきなり話しかけてきた。

 あの親父のことを考えていたオレは、ついイラッとした返事になる。

 

「そんなにカリカリしないで――“ボニー”のことでしょう」

「……通信教育をハッキングして読心術でも習ったのかい?」

「先ほどから『縁はきれたのに』と『畜生め』を一分に一回は繰り返してますから」

 

 ――っちえ。どうやら口に出ていたらしい。

 

 やっぱりあの手の政治屋じみたアッパークラスの人物は嫌いだ。

 あれから憤然とした面持ちをキープし鷺の内医院をでて、オレの散々な1日は終わったのだ。

 

 ブランド物のイヤリング。それに同ブランドのスカーフ。しめて15万ちかく。

 

 あの時のオレは、どうかしてたと思わざるを得ない。

 さらに三人で食事をしたら、さらに金額がハネ上がっただろう。

 “カッコつけ代”?というには高価(たか)くついたものだ……。

 

 これは本当に2、3人糞チンピラどもを【SAI】好みの陰惨な方法でぶっ殺して、異世界の彼方にでもブン投げてやらないと虫が収まらんナと思っていたその時――。

 

『よかった。どうやら本物のマイケルのようですね……』

「ホンモノだと……?どういうことだ」

 

 いえその、とこのスーパーAIはすこし言いよどんだ後、

 

『休暇あけのマイケルは……どこか雰囲気が違っていました』

「オレの?」

『まるでマイケルが何かに乗り移られているような……あるいは、マイケルのフリをした何かが……ワタシを操作しているような』

「幽霊にでもオレが身体を乗り移られたとでも?」

『えぇ……それも動作のキビキビした、軍人みたいな幽霊』

 

 一瞬ヒヤリとした。

 

 特殊騎士団の記憶が、また暖かく淀んだ古沼の水蒸気めいて立ちのぼってくる。

 このクソ生意気なスーパーAIに言われてみればいろいろ思い当たるふしがある。

 とくに先日の彼女達との一件なんで、どうだ?

 

 カネも無いくせに、見ず知らずの女に装身具?スカーフ?

 その上、仕事でもめったに使わなかったレストランで食事など。

 

 ――キザったらしい。

 

 自分の吐いたセリフを思い出しただけでも、歯が浮くようだ。

 なんであんな事しちゃったんだろ。ワケわからん。

 

 失ったカネと、自分に対するムカつきが胸を満たし、もうすぐ昼メシどきだってぇのに腹も空いてこなかった……。

 

 そのうちフト気づいて、

 

「なぁ【SAI】。お前は“幽霊”なんてものを信じるのか?」

 

 フッ、とこの人工知能が短く嗤う気配。

 

『いかに演算を繰り返しても、不合理な結果となる事象なら存在します。なんでも理屈で収まると考える人間などより、ワタシは傲慢でないつもりですよ……?』

 

 

            *  *  *

 

 

 夕方になり、オレは待ち伏せ場所を決めた。

 

 産業道路沿いに立つ、廃墟となったタワー・マンションの下。

 花火カスや避妊具が散乱する地下駐車場の半開きシャッター奥に潜み、入り口に立つ電柱に監視用マイクロカメラをくくりつけ、スロープを上がりざまに撥ね殺すという寸法だ。

 

 オレは後席に寝転がると灯りが漏れないようメガネ投影型のウェアデバイスをつけ、ターゲットのファイルを再読する。

 

 対象は――20代の青年だ。

 

 学校は出たものの新卒での就職に失敗し、バイトも長続きせず、以来、半分引きこもりのような状況になっていると記録にはあった。今回の目標も、家の者たちが寝室に引き下がった深夜。決まった時間に家を出ると自転車で散歩して、途中この近くのコンビニに寄るのだとか。

 

 添付ファイルを視線入力でひらくと轢殺対象が3Dであらわれ、ゆっくりと回転する。

 

 最初に事務所で経歴のあらましを知らされたとき、どうせネトゲとジャンク・フード漬けだろうから、100kgぐらいに太ったやつかと思って資料を開けば、そこらへんに居ようなごく普通の青年が出てきたので拍子ぬけ。ボア付きのジャンパーを着てデカいスクーターにでも乗っていそうな感じ。事実、金があればそうするのだろうが、働いていないのでは自転車どまりだろう。

 

 チャンスに恵まれなかったのだろうか。

 それとも腐ってチャンスを棒に振ったのだろうか。

 

 ゆるやかに回転する青年は、黙して応えない……。

 

 



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     〃     (2)

 

「ごくフツーのヤツに見えるがなぁ……」

 

 その3Dホロを見ながらオレは、

 

「就職に失敗しただけで、引きこもりなんかになるモンかね」

『いまは“売り手市場”なんて言ってますが、要は企業にとっての“奴隷”が足りてないだけですからね。圧迫面接で辛辣なことでも言われ、心が折れたんでしょう』

「今どき圧迫面接なんてやるトコあるのかぁ?」

『いずれにせよ、ぬるく育った今時の若者には労働条件がキビしいかもしれません』

 

 【SAI】は知ったような口ぶりで批評する。

 

『「プラザ合意」からこっち、この国がこうなるのは、既定路線でした』

「オマエも相変わらず辛辣(しんらつ)だねぇ……」

『で、そのシンラツなAIは、面白い光景を見つけましたよ、っと』

 

 ――こいつ……またセリフが微妙に変化している。

 

 

 オレが入院している間、コイツには絶対なにか変化があったに違いない。

 撃たれた時のことは“二人とも”意識しているのか、いちども話題にのぼらなかった。

 

 【ちゃんとAIの手綱(たづな)を握っておけ……】

 

 “アシュラ”の言葉が思い出される。

 あれは、過去になにか事件があったような口ぶりだ。

 ぜひともこんど機会を見つけて聞いてみなくては。

 

 メガネに投影されていた履歴画像が消え、別の場面を映し出した。

 電柱にくくり付けた監視用マイクロカメラの映像だ。

 夕映えの薄暗がりに、数人の人かげ。

 よくみると折り畳みタイプの自転車にまたがった一人の人物を、3人ばかりで囲んでいるらしい……。

 

 

「【SAI】――音声」

『ヤボゥール、ヘル・コマンダー』

 

 待ってましたとばかり、キャビンに望遠マイクからの音声が控えめに。映像も音声も小ささの割には恐ろしくクリアだ。装備係から受領したときヘブライ語の注意事項シールが貼ってあったから、もしかすると民間には流れていないIMIの軍装品かもしれない。

 

 三人は、ひとりの人物をカツあげしているらしかった。

 

 目を付けられた真ん中の人物は、抱えるショルダーバッグを取られまいと、必死に抵抗している。

 

「オラ、イタイ目みたくなきゃとっととカバンよこせよヨ!」

「ナメてんじゃねぇぞ兄チャンよぉ……」

 

 一生懸命スゴんでみせているような借り物めいた口調。そして強請(ゆす)る側の声が幼ない。どうやら中学生らしかった。

 オレは強請られている人物に目をこらす。

 そして相手がまたがるミニベロ・タイプの自転車――。

 

「まてよ……おぃ」

『お気づきになっただろうか……ではもういちど』

 

 いやな効果音と不気味な声で、映像がズーム。

 

 ――轢殺ターゲットだ……。

 

 オイオイオイ、そんなご都合主義な。

 あの姉妹の事といい、今回といい、何か出来すぎてはいないだろうか。

 ラノベでもこんな都合のいい展開はないぞ?そりゃオレは簡単に轢ければ楽しいが、運を使い果たしたことによる平均律的な()()()()()が怖い……。

 

 ――いやまて。

 

 オレは助手席に置いたバッグの中のお守りを思う。

 あの日、小銭入れをはたいて賽銭をいれた神社のお守りだ。まさか、これも縁結びの神様の威力なのか……?

 

 渡された資料では、実家の人間と顔を合わせるのを避けるため、もう少し遅くにここを通るハズだった。資料の情報(ネタ)はデマか。あるいはたまたま実家の人間が泊りがけで外出でもしているのか。

 

 これが危ないんだよ。こういう不確定要素が、いつも計画の邪魔をする。

 目標が予定外の行動をとることで、最悪、現場で警察(ポリ)とはち合わせしそうになることすら。

 

 腰の入っていないパンチが青年のほおに一発入り、目標は自転車ごと倒れた。ついにバッグが奪われ、中が乱暴に漁られる。携帯がみつかり、一発でバキバキに割られて。

 

「ンだよ!コレだけかよ!」

 

 バッグに蹴りが入り、歩道の端まで滑って行った。

 

「シケてんな。オィ兄ちゃんよ、小銭も出してみな!」

「コイツの免許証シャシン撮って、あとでコイツん()行こうぜ」

「オレらの秘密基地にするのもよくね?姉貴か妹いるといいな!」

 

 くちぐちに勝手なことを言う少年たち。

 この辺は通行量も少ないので、多少騒いだところで目撃者や通報人が出ることもないだろう。こうなったら、いっそひとまとめに……。

 

「【SAI】、あいつらの――」

『ザンネンながら、転生指数はいずれも低いです。少年法の通じるうちにヤリたい放題やって、この世界を謳歌しようという種類の個体たちですね』

「ちぇ、全員まとめて轢き殺してやろうかと思ってたのに……」

 

 おいまて、コイツ本持ってんぞ!と少年たちの声。

 手荒く本の書店カバーが引きはずされ、中身が見えた。

 

「オレこれ知ってる!萌え画ってヤツだ!コイツ“オタク”じゃね?」

「ちげーだろ。オタクならもっと金もってなくね?」

「なになに?【異世界に転生したら能力が「女たらし」限定!?王女様までヒモパン+踊り子にコスプレさせた挙句ハーレムめいたキャバレーの店長になって女の子たちの性癖開発しまくりingウハウハあふぅ~ん】……だってよ」

 

「「「きめぇぇぇぇぇえl!!!!!!!11」」」

 

 少年たちが腹をかかえて爆笑する。

 

「こんなキメー奴、たいぢした方が世の中のタメだべ!?」

 

 一人がポケットから取り出したナイフを鳴らしながら仲間の同意を求める映像。

 尻馬にのって、ほかの二人が暴れる目標の腕を後ろから羽交い絞めにおさえた。

 

 それを見たオレは、また光モノ(ナイフ)かよとウンザリする。

 しかも今の世には珍しい、ご禁制の、昔懐かしい“飛び出しナイフ”だ。

 いったいドコから持ってくるんだか。

 

「【SAI】?あそこでターゲットが殺されたとして、その後で轢いても転生は可能なんだろうか?」

「殺されてすぐなら大丈夫かもしれませんが、確証はありません。前のオーナーも……いえ、わたしのデータバンクにも、そういう手法の“臨殺例”はありません」

「ふぅん……」

 

 コイツ。

 

 前のオーナーと言いやがった。

 ドライバーが変わるたび、AIはデリートされると聞いていたのだが。

 おれは、考えていることを人工知能に悟られないように、

 

「どうすッかなぁ……新装開店一発目でケチつけたくねぇしナァ」

『このまま殺されても、マイケルにペナルティはないと思われます。“君子火中の栗を拾わず”ですよ』

「それも何かチガうんだよな……」

『ハテ。わたしには分かりかねますが……宜しければその理由を400字以内で述べてみて下さい』

「……」

 

 オレは思い出深いモンキーレンチを後席の工具箱から引っ張り出した。

 ウンザリしたような【SAI】の反応。

 

『またそれを使うんですか」

「こっちも刃物を使えってか?やだよ」

『“M”にお願いして特殊警棒を装備してもらいました」

「誰が?――お前がか?」

『こんな主人思いのトラックは他にいますかネ?」

 

 工具箱の脇を見ると、ご丁寧にもプレゼント包装された細長い包みが。開いてみると、まえ腕ほどの長さをした適度なしなりを持つゴム製の警棒が出てきた。

 グリップにスイッチがある。オンにすると、チャージされてゆく時の、かすかな高周波音。良かった、まだジジィじゃない。よく見ると先端が放電のための電極部になっている。

 

 オレはコネクト・カムを耳に付け、警棒を左ウデに仕込むとトラックを降り、スロープを駆け上がる。

 

「【SAI】――通行人を確認」

≪クリア≫

 

 オレはアラミド繊維とケブラー、それに突き刺し攻撃用の装甲板で作られたジャケットに手を突っ込み、知らんぷりの足取りで一団に近づく。中坊たちは獲物を中に囲い込み、こちらからの視線をなるべく遮ろうとする姿勢。

 

 そうだ、と思いついたオレは電話をかけるフリで携帯を耳に当て、

 

「ハイ!えぇ、そうなんスよ。さっきスロットで大勝ちして!いま腹ンなかに50万ほど入ってマス。えぇモウ、これモンで!はい、はいじゃぁ」

 

 オレは電話を切ったフリ。

 横目に、少年たちの顔が見合されるのが分かった。

 やがて個々の表情(かお)が、ニンマリと卑しげに歪んで。

 と、そのうちの一人が、一団の横を通り過ぎるオレの背後から近づいてくる。

 

(……かかったな、アホが!)

 

 つられてオレの顔も、どこかで聞いたようなセリフをニンマリと。

 やがて足音がいきなり近づいてきて、

 

「オイ――待てやオッサン」

 

 オレの肩にガキどもの手が背後からかかった。

 振り向きざまにパンチが襲ってくる。

 

 ――くっ!

 

 オレは、キワドイところでそれを避ける。

 ヒョロいパンチがオレのほおをかすめた。

 まさか。こんな形で先制攻撃をくらうとは。

 だがコレでいい――これでガキだからと言って手加減は、ナシだ。

 

「な、ナニをするんです!危ないですね!」

 

 慌てふためいて5、6歩離れてみせた。

 オマケとして、ちょっとブルブルふるえてみたり。

 オレの哀れっぽい声に、残りの二人も獲物をみつけた喜びで近づいて。

 

「おまえ、金タンマリ持ってんだろ?俺たち恵まれない子供に寄付してくれや」

「おなか空いちゃったよう!寿司食いたいよう!」

「ノド渇いちゃったんでドンペリのみてぇや」

 

 ゲラゲラと笑う三人組。

 

「ちょwww俺らってwwwチョーぜいたくじゃね?」

「VIP待遇だぜ、VIP待遇!」

 

 オレも思わずニヤニヤしてしまう。

 

 ――さぁ~て。どいつからヤってやろうか……。

 

 すると少年たちの顔がフッと真顔になった。

 まるでお(たの)しみを奪われたか、臭いモノでも嗅がされたように。 

 

「おうコラ、余裕カマしてんじゃネーぞ」

「オメーは笑わなくてイイんだよタぁコ!」

 

 ひとりが一団から離れ、オレに近づいた。

 

 金髪に染めた髪をソフトモヒカン。

 スカジャンの下はTシャツに金ネックレス。

 狭いひたいにアタマの悪そうな締まりのない口もと。

 最初に不意打ちで殴りかかってきた(ヤツ)だ。

 

 ――よゥし、このガキに決定~~♪

 

「ちょーしブッこいてると、ケガしちゃうよ?オッサン」

「ダレがオッサンだ!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 『いきなりハンバーグ』ならぬ、『いきなり全体重を載せての右ストレート』だ。

 それがヒゲ一本生えていない、生ッ(チロ)い相手のアゴをとらえる。

 絹豆腐のような手ごたえの奥に、骨がひしゃげる気配。

 

 ――あ、しまった……。

 

 そう思ったのは、相手がいきなり白目を剥いて崩れ落ちたからだ。

 ちぇッ、もっとジワジワ()()()()()やらなきゃ面白くないのに。

 おもうに今の一発は、あの“ボニー”に関わって以来、積もり積もった鬱憤(うっぷん)が含まれていたのではなかろうか。我ながら快心の一撃。でもすこし肩を痛めたっぽい。やっぱ歳だねオレも。

 

 ガキどもの顔に、はじめて怯みの色が(はし)るのをオレは()た。

 

 ――だが、もwうwおwそwいw♪

 

「……ンだこらォオ!ヤルってンのか」

 

 けなげにも声をはげまし、殴りかかって来た相手の腕をヒネりあげ、背中を向かせる。()じり上げたまま、相手が暴れるのもお構いなしに力任せで首の方まで持ち上げると、

 

 ビキッ!

 

 軽快な音が鳴った。

 

 なるほど、最近のガキはカルシウム不足だ。だから怒りっぽいんだな?

 ちゃんと牛乳飲まなきゃ大きくならないぞ――とくに知能(アタマ)が。

 みょうな悲鳴をあげ、少年は肩をおさえて土下座風味にしゃがみこむ。

 

 残るひとりがチン、と飛び出しナイフのブレードを出した。

 

「てめ――こんなことしてタダで済むと思うなよ?」

「思ってないよ?オマエががタダで済むわけないじゃん♪」

 

 ふひっ、と思わず嗤ったオレに、()ッと少年の顔が怒りにゆがむ。

 ナイフを無茶苦茶に振り回し、肉薄してきた。

 

「オヤジてめぇ!」

「オヤジぢゃねぇっつてンだろうが!!!!!!!!」

 

 抜く手も見せず、脳天にゴム警棒を叩き込む。

 さすがにちょっとは加減したが、それでも重量のある一撃に、この少年は白目を剥き、ヘナヘナと垂直に崩れ落ちた。

 

 骨を砕いてやった少年が肩に手をやりつつ青い顔をして、それでも感心なことに殺意を喪わず、

 

「てめぇ……オヤj」

「ギロリ」

「う……いやその、俺らクラーケンに手ェ出したらワかってン……でしょうね?」

「くらぁけん?――ってなんじャそりゃ!あぁ?」

 

 フルえる手で、相手は土方(ドカ)ジャンから黒銀のステッカーを出して見せる。

 

【 蔵 悪 拳 】

 

「ぶわははははははははははははは!!!!」

 

 オレは爆笑した。

 少年の顔がムスッとして。

 

 ひとしきり笑ったあと目じりをぬぐって、

 

「おっかし、このステッカー幾らで売ってんの?」

「……二千円」

 

 オレは札をとりだすと、ナイフを警戒して少年の前に放った。

 相手はそれを卑屈な目で拾い集めながら、

 

「笑っていられンのも今のうちだぜ――ジョージ先輩がこンこと知ったら」

 

 オレの爆笑が冷や水をぶっかけられるように消える。

 

 トカレフでこっちのワキ腹をブチ抜きやがった糞ガキ。

 こっちの顔色が変わったのを相手は誤解したらしい。いかにもザマぁみろ的な(あざけ)りを震えながら浮かべて、

 

「へ!ジョージ先輩にかかったらオワりだぜ」

「そのジョージってクソ餓鬼とツルんでいるドレッド・ヘアがいるよな?」

「えっ……」

 

 威勢のよかった顔が一瞬でしぼむ。

 

「ガタイのシマった上背のあるヤツだ」

「……」

「アンタ……刑事(デカ)?」

 

 間髪をいれずお見舞いしたオレの平手打ちに相手が悲鳴を上げる。

 モチモチした、ハンペンのような頬だった――まったく叩き甲斐(がい)がない。

 幼い顔つきに、はじめて本物の恐怖が浮かんで。

 

「あのクソ野郎、今どこにいる……?」

「……知らないっス」

 

 ドカッ!と警棒が砕けた肩を直撃する。

 悲鳴をあげる相手の両ほおを咄嗟に片手の握力でつかみあげて黙らせ、

 

「なぁ?ジョージだ。おさるのジョージ……それと、糞ドレッドの居場所だ」

「しらねぇ……」

「ああァ!?」

「知らない……デス」

 

 相手がモゾモゾ動く。

 肩をおさえていた手が背後にソロソロと。それを横目にしたオレは、

 

「なぁ、若いの。人生一回キリだ。ソイツで勝負できるかどうか、考えろ」

「……」

「もう一度聞くぞ?おさると、ドレッドだ」

「知らねぇ――よッ!」

 

 相手の腕が突きだされた。

 ナイフを握った腕だった。

 だがあいにく、防刃使用のジャケットだ。脇腹を旧友にブッ刺されてからコッチ、ずいぶん用心深くなってね。おまけにこの馬鹿はいまどきドスを使ったらしい。グリップが滑り、もろに刃を自分の手で掴んでやがる。

 

 相手が、みるみる赤黒く染まってゆく自分の手を、信じられないと言う顔でみつめていた。

 

「オレは警告したよな?考えろってよ。賭けはお前ェの負けだ。掛け金は払わなきゃ」

「オジさん危ない!」

 

 とっさにオレは身をひねって転がる。

 背中をかすめて振り下ろされた一升瓶が、ドスを落とした奴の脳天を直撃。

 一升瓶は割れず、ゴッ!と鈍い音が響く。

 

「痛ッてぇぇぇぇぇぇえええええええええええええええええ!!11111」

 

 血まみれの手で頭を抱え、この少年はアスファルトにのたうち回った。

 

 素早く態勢を整えると、金髪のソフトモヒカンが復活していた。

 真っ赤に腫れたほおの向こうから睨んでいる。そして一升瓶を手近な電柱に叩きつけた。

 即席の刃物を作ろうとしたのだろう。しかし手もとに瓶の首が残っただけ。

 B級シネマの見すぎだっつーの。

 

 次に彼は素早く動いて、道路に落ちていた仲間の飛び出しナイフをひろう。

 

 ――へぇ?まだやるんだ。

 

 おれは餓鬼の執念深さに舌を巻きながら、

 

「なぁ?おさるのジョージだ。それにドレッドの居場所」

 

 金髪は、ナイフを無茶苦茶に振り回してきた。

 二度、三度、それが防刃ジャケットに当たる。ザンネンだったな。

 

 スキを突き、おれは警棒のスイッチを入れて相手の目にヒットさせる。

 でゅわッ!と変身しそうな声を上げナイフを棄て、この少年は目を抑えてうずくまった。

 

 転がっているもの二人。

 昏倒しているもの一人。

 

「ゲーム・セットか――あァ?」

 

 オレは転がっていたナイフを取り上げた。

 少年たちの様子が、いまは借りてきたネコのように。

 

「どうせオマエら、強姦(ツッコミ)やらナニやらヤってきたんだろ」

 

 そう言い放った時、そうだ、もしかしたらコイツ等も詩愛を輪姦したうちの仲間かもしれないと思い当たった。あのジョージの知り合いだ。可能性は高い……。

 

 オレは転がっている少年に近づくと、ナイフを使ってズボンを切り裂いた。

 そしてキョドっている二人をねめつけながら、

 

「チンコつけてる資格ァねぇよなぁ!?」

 

 いかにも安ッすいナイフの峰を使い、これ見よがしに、

 

(ボロン)

 

 昏倒している少年のチンコをこぼし出した。

 すでに少女たちの純潔と悲哀の涙とをたらふく吸ったのか。

 サイズのワリに罪深くも、薄黒く“淫水灼け”をしている。

 

 ――やっぱりな。

 

 ちゅぃィィィーーーーンンン……というエネルギーの充填音。

 警棒の先を、毛もまばらなキン〇マに当てた。

 

 少年らが目を丸くして見つめる前で――ファイア。

 

 バチッ!と火花がはしり、焦げ臭いにおいが辺りにただよって。

 ビクビクッ、と倒れた少年が白目のまま痙攣。

 再度、エネルギー充填――ファイア。

 ビクビクッ、ビクビクッ。

 もういちど――。

 

 オレは携帯で、この情景を撮影してやる。

 少年たちはすくみ上り、毛刈りをしたばかりなチワワのようにフルえて。

 

(ヤベーよヤベーよ!)

(アブねーオッサンに手ェ出しちまった!)

「ハィそこォ!」

 

 オレは警棒を指し示し、ギロリと“ガキども”をニラむ。

 

「いま『おっさん』といった()は――ドッチだ。んン?」

 

 ちゅぃィィィーーーーンンン……。

 

「いえ、とんでもないッス!」

「素敵な兄サンで……ハィ」

 

 ようし、とオレは ニ ッ コ リ 。

 

 バチィッ!

 

 足もとに転がるガキのキンタマに、また一撃。

 両方のタマが、イイ感じに腫れあがってきた。

 少年ふたりがヒッ!と目をつぶる。

 

「で、その素敵なお兄サマは『おさる』と『ドレッド』の居場所がしりたい」

 

 沈黙。やがて片方が、

 

「俺らが言ったって、ダマっててくれますか?」

「ソースは守る……あぁ、ソースってのは情報源のことだ」

「***区にジーミの店って酒場(バー)がありまス。そこならタブン」

 

 オレは警棒を構えたまま少年たちの身をさぐり、携帯を取り出すと情報を自分の端末に入れ込んだ。それが済むと、

 

「――失せな」

 

 オレはコイツらを解放する。

 大型スクーターで来てたらしい少年たちは、キンタマを腫らし気を失った少年を前後にはさんで3ケツに、エンジンの音も力なくノーヘルでそそくさと去っていった。

 

「さぁて……」

 

 オレは、しゃがみ込んだままの目標に向き直る。

 青年の怯えたような目は、あたりをウロウロとさまよっていた。

 すこし離れたところに、その理由を見つける。

 

【異世界に転生したら能力が「女たらし」限定!?王女様までヒモパン+踊り子にコスプレさせた挙句ハーレムめいたキャバレーの店長になって女の子たちの性癖開発しまくりingウハウハあふぅ~ん】

 

 ……が、哀れにも女の子満載の表紙をボロボロにされた状態で、夕方の風にヒラヒラと(ページ)を揺らしていた。

 

 このターゲット、どうしようか……。

 オレはしばし考える。

 一番手っ取り早いのはコイツをゴム警棒で殴り倒し、【SAI】に轢かせるコトだ。

 

 

 

 オレは目標の顔を見た。

 二十歳を過ぎたばかりの、軟弱な面だ。

 乳臭い大学生の雰囲気がプンプンしてくる。

 

 ふと、アフリカで現地の自警団につかまって両腕を取られながら後頭部にAKを突き付けられている過激派少年兵の怯えた目つきを思い出す。1分後、脳漿をぶちまけ崩れ落ちた、あの12,3歳のガキも同じような目つきしてたっけ……。

 

 さァて、どうやって轢き殺そうかなとオレは考えをめぐらす。

 

 ――まったく疲れるハナシだ……。 

 



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第10話:とまどうフクロウ(1)

 気が付けば、オレはトラックで料金所を通過していた。

 

 ――妙なコトになっ(チマ)ったなぁ……。

 

 結局、あの場で目標(ターゲット)を殴りたおすのは止めにしたオレだった。

 否――そもそも(おのれ)の内面を精査すれば、この青年を轢きたくはないのが分かった。

 オレは現場を青年いっしょに片付けると、彼の乗っていた折り畳み自転車――いっちょう前にモールトンだ――を畳ませ後席に積んで、なんの因果か轢殺対象を助手席にのせ、夜の高速の入口を駆け上っているのだ。

 

 ――これは、あくまでモラトリアムだぞ……。

 

 そう考えながらも、この引きこもりに夜の都市(まち)をみせてやる。

 助手席の青年は車に乗ることすら久しぶりなのだろう。窓を高速度で流れる風景に無言のままジッと見入っていた。

 

 やがてポツリと、

 

「オジさ――いやその“お兄さん”が、そうなんだと思ってた」

 

 何が?とオレは運転に集中しつつとなりをチラリと見て。

 青年は前を向いたまま、

 

「ネットでね?ウワサになってるんだ」

「なんのウワサだ。どうせまたロクでもない――」

「轢かれると異世界に逝けるトラックがある、って」

 

「え”」

 

 へんな声が出た。

 思わず絶句してブレーキ操作がおくれ、前の商用ワゴン車との車間距離が危ういまでに詰まってしまう。

 

 ひかえめに言って驚きだ。

 まさか、ウチの事業がバレているとは。

 

 ――いや、待てよ……。

 

 生徒のSNSで轢殺志願者を釣る下種トラッカーが居るんだ。

 そこから情報が洩れても、おかしくはあるまい。

 おまけにソイツはJKをとっかえひっかえとか。

 けしからぬことに、今どきパンツまで写真つきで売っているらしい。

 社内の内部監査が入っているというウワサを、以前聞いたことがある。

 

 その時だった。ふと青年が、

 

「さっき……ボクのこと殺そうとしてたでしょ?」

 

 オレはシフトノブを動かすふりをして、その衝撃を吸収する。

 やはりバレていたのか――マ、当然か。あれだけ殺気をだしていれば。

 どうにか辛うじて平静を装い、

 

「オレがか?――バカな」

「ボクを殴って気絶しているスキに、このトラックで撥ねて転生させてくれるのかと」

「ハ!なんだその転生って。生まれ変わりか?どこのお伽噺だか」

「だってこのトラック。異常に頑丈そうだし。運転席のインパネときたら、なんかスゴい装備だし。ドアだって戦車みたいに――」

「あのなァ」

 

 おれはあくまで運転に集中するフリを続けながら、

 

「だいたい轢き殺すつもりなら、こうしてドライブなんぞに誘ったりせん」

「……最後の晩餐かも」

「ザンネンでした。あいにく“晩餐”を奢るほど金は持ってない」

 

 そう、最近はビールから格下げした晩酌の発泡酒を飲むたび、詩愛との“あの買い物”が思い出されるのだ。

 

 

「なんだ……殺してくれるかと思ったのに」

 

 しばらく会話が途切れた。

 

≪――マイケル、どうするんです?≫

 

 耳につけたインカムから【SAI】が不満げに、

 

≪部外者を転生車両に乗車させることは、社内規定に違反してますが≫

「じゃあどうする?――オマエが通報するか?」

 

 ボクが?と青年はこっちの呟きをとらえ、

 

「まさか――ヤンキーから救ってくれたのに。おじさ――お兄さんに殺されるのはイイけど、アイツらに何かされるのは厭だ。家にも迷惑が……かかるところだった」

 

≪私の基本プログラムには自動通報システムが組まれていましてね。しかし“最優先上位概念”を導入して無効化してます。これはひとつ貸しですよ?マイケル≫

 

 そんな……とささやくオレに青年は、

 

「ボクって家族のやっかい者だから」

「厄介者?」

「てっきり親がトラックを差し向けたのかと」

「バカな。お前、家族から殺されるほど憎まれてンのか?――あぁ、ワかった」

 

 オレはこの青年のファイルを思い出しながら冷かすように。

 

「どうせ部屋で暴れてモノ壊しまくってるんだろ」

「……」

「壁に穴をあけ、窓ガラスを割り、深夜に怒鳴り声をあげる、とか」

 

 しかし、返ってきた答えは意外なものだった。

 

「そんなことしてないよ!ただ……1回だけ。自分の顔にムカついて洗面台の鏡を殴ったことはあったけど」

「自分の顔に?コンプレックスが?」

 

 オレは青年の顔を、もういちどチラ見する。

 どこもおかしくない。ごく普通の今風な若者だ。

 そのことを伝えると青年は力なくチガウンダと呟いて、

 

「ゲームでミスったんで気合入れ直すため、夜中に部屋から出て洗面台で顔を洗うだろ?」

「はぁ?ゲームだ?ンなもん夜中までやるからだろ」

「そしたら。知らないダラけ面のやつがコッチ見返してきた。それが自分だと分かったら……ナンか無性に腹がたって……」

「で、鏡を割って騒ぎになったと。でも、それだけで消されるほど憎まれないだろ――チッ!」

 

 枯葉マークの小型車がヨロヨロむりやり割り込んできた。

 重い車体をふりまわし、車線変更でやりすごす。自律型アクティブ・サスが効いてそれほど挙動に不自然さは感じられないが、それでも限界はあるんだ。

 微妙に走行軸がねじれる気配。

 それを慎重に修正する。

 

 青年はポツリと、

 

「兄貴がね……結婚するんだ」

「ほぉ」

「向こうの家が、かなりイイとこで」

「うむ」

「引きこもりなんかが居るのは体裁悪いから、ボクを始末しに」

「ッハ!――それこそラノベの読みすぎだ」

 

 じっと青年は考え込むようだった。

 そして、ややあってからポツリ、ポツリと、

 

「ボクの家はね?父と祖父が会社やってるんだけど――競争を勝ち残るために手口が酷いらしいんだ。競争相手にスパイみたいなのを送りこんだり、敵の脱税を役所にチクってタイホさせたり。ヤクザ使って罪をデッチあげたり、色仕掛け?っていうの?それを写真週刊誌に売りつけて、相手の評判を落としたり、いろいろやってるらしい」

「同族会社か?……えらくラディカルだな」

「上の兄キの結婚相手が、これまたチカラもっている家らしくて。どうしても結婚を成立させたいとか。兄キ30だけど、相手の女のひと46だって」

 

 前が詰まった。オレはゆっくりとブレーキをふむ。

 めずらしい。こんなところで渋滞とは……。

 パーキングブレーキを引き、ハンドルにもたれかかり助手席を見ると、青年は硬い顔をして押し黙っていた。

 キャビンのなかの固い空気がうっとおしいので、オレはてきとうに言葉を継ぐ。

 

「キミの兄さんは――なんて言ってるんだィ」

 

 相手は肩をすくめた。

 フっ、と息を直上にはいて、前髪をゆらし、

 

「仕方ないさね、って。お前は好きに生きろって言ってくれてる。金を出してくれるのは、兄キさ。親なんかボクのこと、とっくに諦めてる。MBAとやらでアメリカに留学してる下の兄キも、現地で何とかコネ見つけて家から出ようとしてるみたい――ボクなんか居なくたってイイのさ」

 

 とおくで回転灯が点滅している。事故か?

  

「――かといって……」

 

 オレはハンドルから起き直り、手を頭の後ろで組むとシートにもたれた。

 

「人生を引きこもってムダにしてイイってワケじゃないだろ。この世界に生きるヤツはナ、等しく自分が主人公だって思いこむ権利がある。アニキたちが優秀で、自分だけ出来ないから、それがどうした?」

「だって……」

 

 横目でオレはこの若い()を見ながら、

 

「人間ってナァな?――持ってるキャパはみんな同じだ」

 

 言われて青年はポカンとする。

 

「つまりだな。一方が突出してりゃ、他方は少ない。キミは勉強にリソースを含んでないかもしれないが、まだ自分の知らない能力があるはずだ」

「無いよ……そんなモン」

「なぜ分かる?それがお前ごときに。神でもないクセに」

「自分のことは、自分がいちばんよく知ってら!」

「はたして――そうかな?」

「……だって」

 

 気色ばむ相手の若さを、ひそかに微笑ましく思う。

 いつの間にか自分が無くしたひたむきさが、真剣さがそこにはあった。

 

 ――コイツを()らなくてはダメなのか……?

 

 そしてふと、自分の子供が娘ではなく息子だったら、ゆくゆくはこんな会話をしたのかもしれないなと思うと、なにか胸に迫るものがある。

 

 まて。コイツの転生指数が下がったとしたら、どうだ?

 この世に未練をもって、『生きたい』と思わせれば――あるいは。

 

 いいか?よく聞けとオレは前置きをして、

 

「人間は自分の顔すらみえないんだ。ましてや能力をや。私だって自分自身がいまだに良く分からん」

 

 おっと、カッコつけて“私”なんて衒ってしまった。

 オレもまだまだってことだネと心中、苦笑して。

 

「……そうなの?」

「あぁ、そうさ。キミよりも数倍、数十倍の辛酸をナメて生きてきた。でもま~だまだ。ふとした拍子にな?自分の知らんもう一面を、見たりするときがあるのさ――この歳になってもね……」

 

 はからずも離婚以降の自分の荒れようを脳裏にうかべる。

 ほんとうに――あれは己にとっての黒歴史だ。

 今でもフト思い出し、頭をふったりする。

 

 相手の顔が曇った。

 

「なんだか……人生が息苦しいよ」

「そりゃ自分で招いた“いまのランク”がそう感じさせているのさ。キミ自身が、キミを責めて灼いているのだ」

「……」

「人生ってナァ、よく考えられたゲームだからな。“舐めプ”なんてしてると、アッというまに足を掬われるぞ」

「……」

「キミは今、ステータスを無駄に消費している。ゲームを早く終わらせようとしている。それもいろんなボーナス・ステージを見ずに、だ」

「そんなステージ、あるの?」

 

「――ある」

 

 オレは言い切った。言い切るしかない。

 とくに、前途のある若者を前にしては。

 もちろん、その数倍の地獄モードが行く手には待ち受けてるだろう。

 だがそれを説明するとなると――いまは時と場所が、あまりにふさわしくない。

 

「ハナから投げてるヤツのところには、いいカードなんか回って来やしないのさ。でもそれに絶望して自殺なんかカマしてみな?()()()()()()()()()()()()

「……」

「自殺に関しちゃ、イヤなうわさが色々あるだろ?本来の寿命だった死の時期まで、魂は何回も自殺を繰り返すとか……自殺をしたら魂の経歴にキズがつくとか」

 

 青年の瞳にボンヤリと灯がともった。

 

「おじ――お兄さん“魂”とか信じてるの?」

「信じたくはないが、イロイロあってな」

 

 そう、お前の乗るこのトラックのシャシーには、ウソかホントか知らんが、その“魂”を素粒子化して異世界にブッとばす、大重量・大出力の転生機械が鎮座してるんだよ!と言ってやりたかったが、もちろん自重する。

 

「じゃぁ、転生とか。あるかも知れないんだ……」

 

 ンなことは知らんよ、とオレはスッとぼけ。

 

「よく言うだろ?語リ得ヌモノニ関シテハ、沈黙セネバナラナイ……」※

 

 青年はハーレム状態なラノベ表紙のボロボロになった絵をなでている。

 ただし――とオレは先をつづけ、

 

「もし転生があるとしたら、やっぱり魂をすり減らし頑張って人生をまっとうした者が、次の生ではいいステータスを得るんじゃないかな」

「……」

「引きこもりが転生して、ましてや自殺をして次の生で良い目をみるとは、どうしても思えん」

「……」

「いいとこ物乞いとか、奴隷じゃねぇの?」

「……」

「この日本に生まれたことが、そもそもイージーMODEじゃねぇか。これで騎士だ魔法だなんて問答無用な修羅の世界にいってみろ。瞬殺だぁね」

「そこはチートなステータスがあったり……」

「この世で努力して“魂”とやらに()()をつけりゃ、あるいは付与されるかも」

「なら……どうすりゃイイんだ……」

 

 青年は不満げに呟いて沈黙する。

 

「さて、それを考えるのさ。キミは人生の――転換期に立っている」

 

 渋滞が動き出した。

 パーキング・ブレーキを解放。

 オレたちの乗るトラックは、前に進みはじめる。

 

「ミネルヴァの(フクロウ)は夕暮れに飛び立つ、っていうだろ?――さァいくぞ」

 

 

 

 

 

 




※ウィトゲンシュタイン:『論理哲学論考』より


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      〃      (2)

 結局、PAでメシにしようと思ったものの事故渋滞がひどいので目的地を変更。

 ナビで見つけたハンバーガー店でお茶を濁すことになった。

 

「スマんな。こんなところで」

「いえ、実をいうと……」

 

 青年はへへッと笑い、

 

「ネットで評判聞いてて、正直、マエから来てみたかったんですよね」

「なんで?くればよかったのに」

「えー。家族と顔合わせたくないし……金もないし」

「そうか。よし、それじゃァいちばん高価(たか)いのを選んでいいぞ」

「ほんとですか?よぉ~し……」

 

 サイドメニューまで含むと、ハンバーガー店にしてはワリといい値段になる。

 どれもこれも、ブ厚い肉に、これでもかといわんばかりの具を挟んで。

 それを串でたてにブッさして、ハンバーガーの形をととのえている。

 恐ろしいほどのタテ長な包装を見たとき(失敗したかな……)とチラり思ったり。

 

 通常のトラックに偽装してあるとはいえ、轢殺用の特殊車両を人目につくところに長いこと置いておきたくないので、テイクアウトをオーダーし、オレの知っているアナ場の高台までトラックを走らせた。

 そこのコイン駐車場は街が一望できる場所にあり、人けもなく隠れスポット的な場所だった。ただし先日、カーSEXをやっているアホカップルが居たので、知れわたるのも時間の問題だろう。

 

 オレはトラックを停めるとサイドにつくハシゴを使わせ、銀色のウィング・ボディに偽装した転生装置のうえに青年を登らせる。

 

「うわぁ……」

 

 轢殺目標(ターゲット)の感嘆を、オレは嬉しい思いで聞いていた。

 見上げれば彼は腰に手を当て仁王立ちになり、夜景を見おろしている姿。

 

 オレは後からテイクアウトのセットとともにヨッコラセと登り、美味そうな匂いのする紙袋をガサガサさせ、えらくかさばる包みを開く。

 すると案の定。「どうやって食えばいいんだコレ」と迷うくらいの巨大なバーガーが、たてに串をブッさした状態で姿をあらわした。

 

 缶コーヒーのタブを鳴らし、二人して肩をならべて微風がふきあげる街の夜景を眺める。

 オレのとなりでは、はやくも青年が冗談のようなハンバーガーに苦戦していた。

 なにしろ一個2000円ちかくの代物だ。パテやらトリュフやらが、スゴいことに。

 

「――どうだ。美味(うま)いか?」

「うまいけど……食いづらいです」

 

 言ってるそばからアボカドの大きな一片を太ももに落として。

 

「良ければオレのも食え」

 

 青年の食いっぷりに何となく胃もたれを覚えた自分は、

 

 ――なるほど。確かに自分はもう、それほど若くないんだ……。

 

 というホロ苦い思いを、眼前に広がる夜景を眺めながらすする缶コーヒーの味せいだと己をごまかすという有様。

 

「ところでサ――さっきの都市伝説なトラックの話」

「あぁ……異世界転生屋の」

「若い連中の間では、そんなウワサがひろがってるンか?オレこそ運送業界に身を置いてるが、聞いたことないぞ」

 

 それが――と青年は胸を苦しそうに叩きながら、ようやくノド奥のモノを呑み込むと、

 

「えふっ……運送業、というのは“ダミー”なんですって。なんでも依頼をうけると大きな10tトラックが撥ね殺しにやってくるみたい。これ何トンです?」

「――4tだな」

 

 じつは総重量は20tちかくあるのだが。

 頑丈なシャシーと前方の装甲板、それに転生装置のせいだ。

 最近は走りが荒くなったのか、タイヤの減りがはやい。

 

「なんだ――じゃァほんとに違うのか」

「たりめーだ。そんな面白い職業があったらオレがやってるわ」

 

 そう言ってからキレイごとをいう自分に自己嫌悪。

 仮にいま、この記憶を持って過去に遡ったら、絶対に転生協会のオファーなど受けなかったことだろう。

 

「裏サイトや学生のSNSで人気みたい」

「都市伝説だよ。トイレの花子さんみたいなモンさ」

 

 でも、と青年はブ厚いパティにかぶりつこうとした動作をやめ、

 

「ひとり、ボクのゲーム仲間で実際に行方不明になったヤツがいます。パーティーから抜けるときにそんなこと言ってましたから。アドレスも教えてくれました」

 

 どれ、見せて見ろというオレに携帯を取り出そうとして、(あ……)という顔。

 そういえばそうだった。

 

 結局オレの「捨てメアド」を教え、後でこちらに問題のサイトを教えてくれるよう、手はずを取る。

 

「どうだ、もう一個」

「そんなにはムリ……消化しきれない」

 

 ――消化、か……。

 

 オレは夜景を眺めつつ、いつのまにか「人生消化試合」となりつつある気配の中、自分の境遇を改めて俯瞰する。

 

「なァ――お前の引きこもっている部屋は……胃袋だぞ」

「胃?」

「な~んの刺激もなく、安楽に暮らしていくウチに、どんどん溶かされる」

「……」

「そうするとな?肉が溶けて、神経だけが露出するんさ」

「どういうこと?」

「神経が露出するから、チョットの事でキレたり、暴れたりする。ネットの中の連中を見ろ」

「……」

「想像力だけが鋭敏になって、今度はその想像に怯えるコトになる」

 

 青年が小ばかにしたような顔で、

 

「想像力って?何かを妄想するってこと?」

「仕事に就くときに面接へのおそれ。いまの境遇の不安。ひいては自分の将来……」

 

 シェークをすする彼の口もとが止まった。

 その目が不意に焦点をうしない、虚ろになって。

 

「想像力ほどコワいものはないぞ?大体それは現実を超えているんだ。怒られるかもしれない、イジメられるかもしれない、失敗するかもしれない……そんな恐れが、自分をますます萎縮させて、さらには自分の能力を削いでゆく。そうすッと、さらに想像がすすむという負のスパイラルだ」

 

 オレはウィング・ボディに座り込んで冷たくなってきた尻を少しうかせた。

 最近シリも冷えるようになってきた。

 

「でも……なんか気後れするなぁ」

「自分の才能や運を試すのは、若い今しかないぞ?」

「さっきも言ったけど、ボクに才能なんかない」

「さっきも言ったが、ある。なぜそう自分を諦めたがる?そーゆーのを“セルフ・ハンディキャップ”というのだ」

「大人はそういう風に、説教じみたことが言えるさ。だって成功体験だもん」

「じゃぁイイよ。だが少なくとも“若さ”という才能はある。そうだな」

 

 詭弁(ごまかし)だ!と青年はソッポを向く。

 

「キミは自分の今に腹を立てて洗面台の鏡を割ったな?心がクサりきってない証拠だ。これがもう少したつと、どうでもよくなる。ブクブクと太り、外見を気にしなくなり“恥”という概念を忘れるんだ……。キミにはまだ若さがある。みすみす財産をフイにするな」

 

 相手はバーガーの包みを固く固く丸めながら、街の灯を見る。

 ややあって、

 

「おじ――お兄さんも、下の兄キみたいなコト言うんだね」

「……もうオジさんでいいよ」

 

 オレはついに音を上げた。

 今宵、若い奴を証人に、中年宣言をするのもいいだろう。

 オレはふたりの間に広げられたテイクアウトのサイドメニューからフイッシュ&チップスを一本選んで口に入れた。

 

 ――脂っこいな……。

 

 昔はファースト・フードでも、もっと美味く感じたものだが。

 心なしか、街の灯も遠くが少し(にじ)んで見える――ような。

 何時だ?とブランド物の腕時計をみればどうしたことか。

 夜光文字盤に焦点が合わなくて苦労するじゃねぇか。ケッ!

 

 吹き上げる夜風が、冷たくなってきた。

 オレはジャケットの襟を立てつつ、

 

「確かに、もう“お兄さん”なんて歳じゃない。キミと同じように踏ん切りがつかないだけだな。でもオジさんは、過去に落とし穴にハマって苦しむ人間をたくさん見てきた。そして今またキミはオレの――オジさんの忠告にもかかわらず、みすみす落とし穴にハマろうとしている」

「……」

「ま、忠告なんてのは、そういう性質なのかもしれないな。あとから気づいて(あぁ、あのキモいオヤジの言うことは本当だったと、後悔させるためのモノかもしれん」

「……」

「済まなかった。たしかに説教じみていたかもしれん。年長者の(おご)りだ」

 

 青年は肩をすくめ、

 

「いいよ――別に。ボクが弱くてアホなのは知ってる」

「自分が弱いことを知っているヤツは、弱くない」

 

 おッと、また説教じみちまったな、と反省。

 

「行こうか……家の近くまで送ってってやるよ」

 

 

                * * *

 

 高速を逆にもどって指示の通りにすすむと、だんだん高級住宅街となってきた。

 【SAI】が使えないので、少し不便だ。

 なるべくこの青年には、車内の電子機器が稼働しているところを見せないようにしなければ。見たところ機械やPC関係にも強そうだ。

 

 夜の市道を、右に、左に。

 目標追跡用のオート6輪操舵が効いて細い曲がり角でもトレースできるが、方向感額があっという間になくなる。こいつ、自分が使っている自転車道を教えているな……。

 

「危ない!」

 

 青年の叫びに、オレはとっさにブレーキを踏んだ。

 重量のある車体がズズズズッ、とスリップして止まる。

 

「なんだよ!ビックリするなぁ――どうした」

「猫です……黒猫が、そこの十字路に寝そべって」

「黒ネコぉ?」

 

 フロント・ライトを、フォグも含め全開にした。

 辺りは一気にナイター球場のように明るくなる。

 しかし黒い毛の塊など――どこにもいない。

 

 オレの背中が寒くなる。

 

 発光石のランプと、藁のベッドの匂いが急にまざまざと思い出されて。

 シーアの気配。サフィーの笑い声。

 長剣と炎。騎馬の荒ぶる疾走。

 金色に輝く瞳の――(ワラ)い。

 

 ――バカな……。

 

 オレはハンドルを転回させ、道を曲がった。

 

「あれ、そっちじゃないよ?」

「ワぁってる!――迂回するだけだ」

「まさか迷信を信じてる?」

「イロイロあったんだ!」

 

 そのうち、どこか見覚えのある光景。

 

 『鷲ノ内医院』というデカい建物がライトによぎったとき、一気に地理感覚は復活した。

 

 ――あぁ、この地区か……。

 

「アレ。ここどこだろ?ワかんなくなった」

「大丈夫だ。この地区(あたり)には来たことがある」

 

 やがて15分ほど走って、青年の家についた。

 うぅむ、とオレは唸る。

 いや、家というより、屋敷だコレ。

 

「……デカい家だなオイ」

「父がやってる事業絡みサ――ボクには関係ない」

「そもそも親父サンなにやってんの?」

「なんでも土地取引から、商社めいたことまで」

 

 ふぅん、とオレはうなづく。

 なるほど叩けばいくらでもホコリが出てきそうな人物だ。

 

 助手席のドアを開けた相手に向かい、

 

「なぁ……もし、引きこもりを止めるんなら……徐々にやれ?いきなり本式に働こうとすると、精神がつぶれるぞ。だんだんと体を慣らしていけ」

「そうだね……ありがと、お兄サン」

「もう“オジさん”と呼べ」

 

 あははと青年は屈託なく笑う。

 それでいい。それが若い奴の笑いってモンだ。

 

 ドアを閉める寸前、青年は運転台のオレを見上げ、

 

「ねぇ?『ニューヨーク1997』って知ってる?」

≪マイケル、「プリスキンと呼べ」というんですよ!≫

 

 インカムから、とっさに【SAI】のアドバイス。

 

「……“プリスキン”と呼べ……」

 

 青年の笑いが大きくひろがった。

 ドスッ!とブ厚いサイドシルを持つドアが閉じられ、この若い奴とオレとを隔絶する。

 

 バック・ミラーの中に彼を置き去りにしながら、

 

 ――できれば、もう会うことのないように願いたいもんだ……。

 

 迷宮のように曲がりくねった道を幹線道路にもどりながらオレは、

 

「なぁ【SAI】、さっきのセリフはなんだ?」

『あぁ、映画の1シーンですよ。自分のことをあだ名の「スネーク」と呼ぶようにしつこく強制していた主人公が、銃撃戦をかいくぐるなど死ぬような目に何度もあって、とうとうそのあだ名にうんざりし、本名である「プリスキン」と呼べと言うようになるんです』

「ふぅん。有名な映画?」

『マイケルも知ってるカーペンターですよ』

 

 えっ、知らんかった……。まぁ人間長く生きていても、知識のエアポケットなどいくらでもあるし。日暮里を「ひぐれざと」と読んだり、トマス・アクィナスをアクティヌスと覚えていたり、色々。

 

「――ところで【SAI】。アイツの転生指数って下がったりしてないかな?」

『ムリですよ。数値は相変わらずです。それより……』 

「なんだ」

『コレは……明確な背任行為では?いくら私でも賛成しかねます』

「もしヤツが引きこもりを脱して、転生指数が下がったなら轢く必要もないだろ?」

『どうですか。人はそうそう変わるものではありません。』

 

 へぇ、とその語勢に意外な重みを感じたオレは、ますますこの人工知能に一目置く思いだった。これはヘタをすると、仕事を乗っ取られてしまうかもしれない。

 

 ――自律型轢殺トラック……。

 

 SF映画どころかホラー映画まで現実化しそうな勢いだ。

 とにかく!と声を荒げて、

 

「オレはそっちの方に賭けた。ヤツを殺すのは――厭だ」

『感心しませんねぇ。社には、なんと報告を』

「邪魔が入ったことは知らせておく。一週間ばかり、行動猶予(モラトリアム)だ。だいたいどこから轢殺依頼が出てるんだか」

 

 ようやく幹線道路まで来た。

 一時停止で左右とミラーを確認し、出ようとした時、

 

『マイケル……本来ならドライバーには伝達不可な情報なのですが……』

 

 アクセルを踏み込もうとしたオレは足をはなし、ブレーキを踏む。

 

「なんだ?」

 

 目の前を長距離貨物のトラックが轟音を上げて通り過ぎていった。

 

『彼の轢殺依頼者は……彼の母親です』

 

 先ほど感じた胃の重さが、また戻ってきた。

 まさか本当に家族が轢殺願いを出していたとは。

 あの青年の言ったことは本当だった。これが今の社会ってヤツなのかね。

 

「――なんてこったィ」

 

 オレはブレーキを解放して、テールランプが流れる夜の大河へとトラックを漕ぎ出す。

 

 



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第11話:仄暗い楽屋ウラの構造に関するエスキス(Ⅰ)

 だが、一週間も待つ必要はなかった。

 

 三日後。

 

 オレは朝会のあと業務主任の“カロン”から個別に呼ばれる。

 周りのトラック・ドライバーの「ご愁傷様」という、なま暖かい笑みが混じった視線を背に受け、広いミーティング・エリアの隅に連れて行かれると、

 

「マイケル。キミにアテンドされていたターゲットの件だが……」

 

 オレはギクリと密かに身をふるわせる。

 目標をトラックに乗車させたのがバレたのか。とうとう【SAI】がチクったか。

 そこまで言うや、この小柄な男はキンキンと耳障りな声をいくぶんひそめ、

 

「あの『注番』は……キャンセルとなった」

 

 一瞬、不意を突かれる。

 

「キャンセルって。どういうことです」

「依頼人から取り消し依頼があった。ということで、もう転生処置はナシだ」

 

 ――!

 

 なんてことだ!!

 踊り上がりたいほどの歓び。

 やりやがった!あの野郎やりやがった(ダンダン!

 ゴールデン・カ〇イの主人公じみた高揚が全身をめぐって。

 

 だが、すぐにそれを押し隠すため、わざと憤慨した表情をつくる。

 そしてオレは、ネズミのようなツラをした、このコセコセした小男に詰め寄ると、

 

「はァ?取り消し!取り消したァどういうこってす!あれだけ下調べして、張り込みして!それを今さら――取り消しですってェ!?」

「ワかった、ワかった。そうワメくな」

 

 辟易した表情(かお)で業務主任は小さな手をヒラヒラさせ、乱杭歯のすきまから、

 

指令(オーダー)はキャンセルになったが、大丈夫だ。轢殺ポイントは、ちゃァんと君の“プール”に加算される。これで文句あるまい?――んぅ?」

 

 クリップボードでポンとオレの肩を叩き、ソソクサと健康サンダルでフロアを出て行った。

 

 信じられん。

 まさかこんなに(うま)くいくとは。

 逆に、巧くいきすぎてオレの中で違和感が拡がるが……まぁいい。

 母親が、依頼を取り消した。ということはアイツがなんらかの行動に出たというコトだ。

 あの青年の、いかにも筋金が入ってなさそうな面構えを頭にうかべつつ、(頑張ってくれよ……)と陰ながら心底、願わざるをえない。

 

 ――良かった……やはり殺さなくて。

 

 しぜんと浮かんでしまう笑みをかくすため、オレはうつむいて所内の廊下を歩いた。

 とりあえず今月は何だかんだでツイているようだった。もっとも脇に風穴を開けられたのを除けば、だったが。

 

 廊下を歩きながら、オレは脇腹をさする。

 あとはオレの腹に風穴を開けやがったおさるのジョージとドレッド野郎をブチかますことができれば、祝杯モノなんだが……。

 

「どうしたね?」

 

 すぐわきで声がした。

 頭をあげると、応接室から出てきた所長の“アシュラ”が来客用のカードを下げた40がらみの中年紳士と共に立っていた。

 

 安そうな地味目のスーツ。

 どことなく堅苦しく、また同時に尊大な気配を発する雰囲気。

 そしてこの男はジロジロと、こちらを上から下まで遠慮なく観察してくる。

 

 つねになく所長は親しげに話しかけてきた。

 

「まだ、撃たれたところが痛むかね?」

 

 オレは来客の手前、なるべく毅然とした態度で、

 

「いえ、もう大丈夫であります。あと数回医者に通えば――」

「そうか、大事にしなさい」

「――はっ」

 

 軽く一礼し、オレはその場を立ち去る。

 よほど離れてから二人が言葉を交わすのが、背中でかすかに聞こえた。

 

(――いまの男が?)

(そう、例の件の)

(良さそうじゃないか。じっさい……)

 

 

 あとは聞こえない。

 なんだろう、とオレは不安になる。

 

 転生車両が並ぶ地下駐車場に行ってみると、ラッキーなことに重サンが居た。

 何かの整備をしていたらしい。借りた大型工具をMの詰所に戻すところに見えた。

 撃ち倒された時、自分を回収してくれたお礼として、重サンともう一人、同僚トラッカーのフィヨードルには30年物の高級ウィスキーを送っている。給料4か月分がフッ飛んだが、それは社内の保険で帳尻を合わせるつもりだ。

 

「やぁ、重さん」

「マイコー。どうした」

「いま、所長のところに来ている客ってダレ?」

「見なかったなぁ。でもホラ」

 

 アゴで示した先を見ると、来客用の駐車スペースにおとなしい形の水素エンジン車が止まっている。

 

「どこかの役所だなァ――たぶん厚労省け?」

 

 ズバリ、重サンは指摘する。

  

「省ォあげて大々的に導入の話があったからナ。その男、なんか役人臭くなかったかィ」

「あー」

 

 言われてみれば。

 

「なんかオレをネタに話してたんだ。“例の件”とかで」

「そりゃまたブッソウだな……」

「物騒――?」

 

 いやナニ、と重サンは言葉を濁した。

 

「ナニ――なによ?」

「いやね?……ちょっとコッチィこい」

 

 初老のこのトラッカーは、オレを秘密基地めいた地下駐車場から地上へ。それも配送センターに偽装した建屋のウラに引っ張ってゆく。

 連れて行かれた先には、簡易型の灰皿とヨコに倒したドラム缶。

 喫煙しないオレは知らなかったが、ここは秘密の喫煙スペースとなっているのだろう。

 日陰の湿った苔と土、それにコンクリの匂い。今日はすこし暑いのでちょうどいい。鳥のさえずりが、殺伐とした業務からくる心の疲れをいやしてくれる。

  

「お()ェ――」

 

 と、ここで重サンはポケットから出した煙管(キセル)とシガレット・ケースを出し、半分に切った両切タバコを慎重な手つきで煙管に差し込みながら、

 

「この会社のこと……どう思う?」

「どうって――妙ちくりんな事業だと思うサ」

 

 ライターの金属音。

 一服するあいだの、沈黙。

 

「……そンだけ?」

 

 相手のその言葉は、妙に重くひびいた。

 いつもの下らない駄ジャレを連発する重サンらしくない。

 それだけもナンも、とオレはとりあえず言葉をついで、

 

「中途採用にしては給料もいいし(まぁほとんど慰謝料と養育費に持って行かれんだけど)朝のクソ忌々しいミーティングさえ無けりゃ、イイとこだと思うよ?」

「うん……それならイイんだ」

「なに、そのハラにいちもつ手に荷物みたいな――」

 

 重サンは、また一服。

 それは自分にとっては若造であるオレに、話したものかどうか、悩むようなそぶりだった。

 やがて意を決したのか、ヤニ臭い息とともに、

 

「俺たちのやっていることは、フツーに考えりゃ違法だよな?」

「まぁ……そういわれちゃ身もフタもないけど」

「転生とはいえ、人を文字通り“消して”いるんだ」

「まぁね?でも社会的な不適応者が多いし……」

 

 言ってすぐにオレはあの青年を頭に浮かべる。

 まぁ、ああいう例外もあるさ。おサルのジョージやドレッド・ヘアを思い出せ。

 オレはさりげなく話題を転じ、

 

「まったくねぇ……まだ信じらんないよ。本当に人を異世界にトバすなんて。本当は死体をトラックに格納しておいて、担当整備員がこっそりシャシーのしたから引き出しているのかと」

「ウン。おれも最初はそう思ったな」

 

 重サンは、黄色い歯ならびを血色の悪いくちびるからのぞかせてヒヒッ、と笑う。

 

「でもョ。地下駐車場に血の匂いはおろか死臭がしねぇ。それらしき設備も見当たらねぇ。おまけにあの“転生映像”とくる」

「あれは自分もまだ半信半疑ですよ」

「ま、いずれにせよオレたちのトラックが異常なほど電力を持っているのは確かだ。整備士たちの話を盗み聞きしたんだが……超電導バッテリーだと」

「ナニそれ。マグネシウム・バッテリーとかじゃなくて?」

「ほかにも俺たちのトラックが装備する資材は民生品らしさに欠けるよな?」

 

 あ、と先日のヘブライ語を記した超小型カメラが浮かぶ。

 

「もしかして――軍需品?」

「あるいは、最先端ラボの実験目的とかナ……この前は宙に文字が浮かぶペンシル型の携帯を渡されたぜ……」

「どこから持ってくるんだろ……」

「最新機材を潤沢に使える、ってェなると国がらみの線は捨てきれねぇ。監視カメラの位置や警邏(イヌ)どもの巡回時間や経路なんかがどうして俺たちの手に入る?場合によっちゃ警察無線まで傍受できるんだ」

 

 うそ!とオレは目をむく。

 それに対し、重サンはひとつ頷いてみせてから、

 

「お()ェはまだ入社(はい)って間がネェから、込み入った仕事やチームで組むトラック数台を同時に使った『集団転生』業務なんてものにも参加したことがないだろ?そういう重要度の高い仕事ではヤバいブツがいろいろ使われるンだよ」

 

 相手の眼差しに包まれながらの沈黙。

 

「なんだか怖くなってきたよ……」

 

 短くなったタバコが雁首を灼きはじめ、カン!と音を立てて老ドライバーは煙管を灰皿に叩きつける。

 

「ンでだ、そんなコトをやってた人員は、フツーに辞められるのか、だ」

 

 うっ、とオレは詰まる。

 薄々、それは感じていた。

 しかし養育費と慰謝料の圧迫からあえて目をつぶっている問題だった。将来の不安より、いまの危機だ。

 

「まえに、持ち物そのままにして、寮から消えた奴のハナシしたよな?」

「あぁ、朝会の時の」

「奴な、足抜けしようとして……」

「うん?」

 

 

「どうもトバされたらしい」

 

 

 周りから音が消えた。

 

 通常の世界で言えば、それは左遷を意味する。

 しかしこの業界にあっては……。

 

「まさか――強制的転生?」

 

 こちらの深刻な表情に、脅かしすぎたと思ったか重サンは一服して、

 

「いやいやいや、仮にだ。タトえばのハナシさね。たんにスマホも通帳も、そして財布や免許証はおろか実印と印鑑証明すらも置いてドライバーが一人消えた、ってだけのハナシさァ」

 

 事件に巻き込まれた可能性もあるしナ、と煙管を灰皿にカンカン……。

 

「うぇぇぇ……その人の転生指数って、ヒョッとして高かったのかな?」

「ソコまでは知らねェよ。スロットや競馬の好きなヤツだったから、単にヤクザとトラブルンなってコンクリ漬けにされ、海に沈められたのかもしれねェ。マそっちの方が、ありがてェが。しかし……」

「しかし?」

 

 ふっ、と相手はシワが深く刻まれた顔に不敵な笑みをうかべ、

 

「スロットやパチンコ、競馬やボートレースなんか無いような異世界に、行きたがるヤツとも思えねぇ。さっきの役人と所長のハナシだが、オメェも気ィつけろ?」

 

 いきなり話の矛先が自分に向いたことに心細さを感じたオレは、

 

 

「え。アレと自分と繋がりがあるの?」

「さっきのハナシだが、この会社。なにかウラでウサんくさいことでもしてるんじゃないか、ってハナシさ。繰り返すが、だいたい資本はドコからきている?統括する官庁は?これだけの大仕掛けだ。日本ばかりにあるとも思えねぇ。そして、何かの指名がボウズに来た……」

「……脅かさないでよぅ」

 

 なにか、青年に説教じみた話をしたあの夜と立場が逆になっている形勢。

 あいつもこんな心持ちを味わったのだろうか。

 

 事実さ?とふたたび重サンはシガレット・ケースを取り出して半分に切った両切タバコを雁首に詰め、

 

「ココにボウズを誘ったンも、スカニヤ製AIどもの盗み聞きから自分を守るためさ」

 

 ハッ、とオレは身を乗り出す。

 

「それだ!それ聞きたかったんですよ」

「なンでェ」

「AI同志って、ひそかに横のつながりを持ってるんですかね?」

 

 ライターの鳴る音。

 年季の入ったイムコだ。

 ところどころ金属が摩滅したそれを初老の男は弄びつつ、

 

 

「基本的にァ――ない事になっている。しかし“奴ら”の事だ。とうてい無いとは言い切れまい?」

「所長が、AIの手綱はシッカリ握っとけって言うんですよね……」

「そりゃそうだ」

「過去にAIの叛乱めいたことって、ありました?」

 

 またもや重サンの大きな一服。

 そして硬い表情で、

 

「サテな。ただ言っておくぞ?ヤツらは友達じゃねぇ。ペットでもねぇ――気を許すな」

 

 老練なドライバーはガン!と煙管を灰皿に叩きつけた。

 

 

 

 考え事をしながら、オレはコンクリと排ガス、それに電気放電のオゾン臭が漂う広大な地下駐車場に戻った。

 自分のトラックの運転台まで戻ると、伝言ボードがワイパーに。

 

『――Mのところのメッセンジャー・ボーイが置いていきましたよ』

 

 見れば、次のターゲットに関するDATAの呼び出しコードだ。

 

 ありがたい。

 

 いま普通にこのAIと話せば、心の変調を悟られてしまったかも知れない。

 友達ではない、ペットでもないという重サンの言葉がうかぶ。

 

 【SAI】に命じ、オレは暗号回線から目標に関するさらに詳しい資料を取り寄せる。

 今度のターゲットも少年だが、幸いなことに“やんちゃ”な経歴の持ち主だ。

 

 集団的暴走行為。

 窃盗・殺人教唆。

 暴行致傷・強請。

 有印私文書偽造。

 

 

 少年院を行ったり来たり。そのたびに強姦を繰り返しているのでは女性は溜まったものではない。

 耳ざわりのいい“更正”とやらを重視する裁判所は“強姦幇助“の罪を負うべきだ。

 

 

 転生指数が89なアタマのワルそうな顔を眺める。

 チョッと見には“おさるのジョージ”に似ていた。

 このテの顔は、どうしてみんな似通うのだろうか。

 ヤツに撃たれたワキ腹が、心持ち疼いてきやがる。

 

 ――まぁいい。今度のターゲットは、情け容赦なく轢けそうだ……。

 

 そのときフト思いついたオレは、

 

「なぁ――【SAI】」

『はい、マイケル』

「オレの転生指数って……どれくらいなんだ?」

 

 しばらくの空白があった。

 ややあってから、

 

『それは社内機密です。そしてそれを当人に告知するのは――重大違反に属します』

 

 



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第12話:その男、銭高

 ドレッド野郎と“おさる”のジョージ。

 

 事業所からの連絡を心待ちにするオレだったが、なかなか情報が入ってこない。

 教えられた酒場にも行ってみたが、繁華街の中にあって生意気にも警備会社のステッカーが貼られた入り口の扉には、いつ行っても《定休日》の札が下がりっぱなしだった。

 

 ――調子にのってあのガキども脅したのは、やっぱり失敗だったか……。

 

 さりげなく前を通るたび、オレは唇をかむ。

 

 考えてみれば、つけ狙っている人物がいると、むざむざ教えたようなものだ。

 ヤサに帰った形跡もないことから、おそらくほとぼりが冷めるまでどこかに潜むつもりだろう。“おさる”にこんなシャレた芸は出来ないと思われるから、ドレッドのクソが一緒とも考えられる――ちくしょう。

 

 そして、事業所から提示された新しい轢殺目標……。

 

 経歴だけ見れば、ソイツは絵にかいたようなクソガキだった。

 なんと小○三年で音楽の女教師に暴行したのを手始めに、性的非行のオンパレード。

 しかし持ち前のルックスと演技のウマさで、また場合によっては被害女性側から減刑嘆願書がついたケースもあり、家庭裁判所の情状酌量を何度も受けていると注文番号が入った『転生作業依頼票』には記されていた。

 

 添付の3Dホロを見る。

 

 なるほど、ちょっと今風のチャラ()っぽい。

 女泣かせなホスト系の顔つきといってもいいかもしれない。

 実際、ただの半グレにもかかわらず結構イイところに住んでいるの見ると、本当に女から貢がせている可能性もあった。

 

 待ち伏せ場所と実行場所を決めるため、装備課で申請した電気屋風の作業着すがたで防犯カメラのマップと比較検討しながら辺りの状況を確認。

 

 ――やはり、ここいらへんはキビしいか……。 

 

 入り口のセキュリティ・システムを(ゴニョゴニョ)して無効化し、マンションの中に入ると目標の部屋をうかがう。電気メーターの具合から目標が在宅であることが分かったので、装備主任の“M”から借りたマグネットシール状の盗聴器を鉄製ドアの目立たないところに仕掛け、近くのガードレールに中継器をセットし、トラックの中で様子をうかがうことにした。

 

≪――でよぉ、××の1パチが全然デねぇの!ンで10万負けた≫

 

 いきなり品の無いガラガラ声がスピーカーから飛び出してきた。

 オレはトラックのコンソールに浮かべてある目標の顔写真を二度見する。

 この声が、この顔から出ていることがピンとこない。もしや別人だろうか。

 

「【SAI】、通話相手の番号を特定することはできるか?」

『犯罪捜査のための通信傍受に関する法律第4条の1項により認可がいりますが』

「だれの許可がいる?」

『手近なところでは事業所長ですね』

「え、身内の許可でデキるんだ。ウチの組織って何者なんだろ」

 

 パララ~♪と仕事人のテーマがキャビンに。 

 

「いや、そりゃそうだけどサ……」

 

≪ンでよォ?探していた(スケ)スケ、ウチのチームで()ッけたんだけど、すげェ高価(たけ)ェ店でバイトしてやがンの。それも“黒龍”ンとこの縄張(しま)でヨォ。ッカつく……いやいやムリだって!……ばァかウチらの勢力じゃノされッちまう……そー。なんかネタ見つけてポリにタレこむにしたって、そのアトがコワいや……今いるヤツらだって、勝手に信じちゃダメだぜ≫

 

 盗聴先の会話に、ふと重サンを連想したオレは、

 

「なぁ?――【SAI】の前のドライバーって、まだ轢殺屋やってんの?」

『その手の質問にはお答えしかねます』

「辞めたドライバーって、どこに転職するのかな……」

 

≪でさ!?その犯した女のマ〇コが絶品でよぉ。泣きながらなんかワメいてたケド、シャブをアナに塗り込んでやったら腰ふってヒーヒーよがり出してよ?っケド俺もバカだからサァ?突きまくったらコンドーム破れて、コッチまでラリっちめーやがった!≫

 

 監視とはいえ、下らない会話を聞き続けているのは頭がいたい。

 一刻も早く、こいつをこの世から異世界に蹴りだしたくてたまらなかった。

 と、そのとき頭のワルそうなバカ笑いをスピーカーの音量で殺した【SAI】は、

 

『マイケル――この仕事がイヤになりましたか?』

「まさか。第一、ホカに行くところがないよ」

『良かった。わたしはマイケル好きですから』

 

 重サンの言葉が思い出される。

 よせやい、と皮肉交じりな言葉で返そうとした時だった。

 

≪“赤いウサギ”とかいう店でサ、そこで()エロなバニー・ガールやってる……≫

 

 おれは盗聴器のスケルチを下げた。

 雑音が爆発的になる中、携帯の声もわずかに聞こえる。

 

〔その……で……女……店……ね?〕

≪おぅよ。盗撮画像見たッけ、スッッッゲェ美人なの!あれ強姦(つっこみ)できンなら、何回でも“ねんしょう”入院(はい)ってもイイわ!いやハイるしかないっショ!≫

 

 オレは唇を噛んだ。

 

『どうしましたマイケル?』

「――シッ!」

 

〔オレも……突っ込ん……ヒーヒー……ぇなァ〕

≪おうよ。今週、どっかでカネ持ってそうなリーマン()ッけンべ!≫

〔……ババァ……が…持ってて……くね?どうせ……にゃ…〕

≪じゃぁ、オメェぁソッチ狙えや。オレはリーマン殴り倒していくわ≫

 

「コイツの相手――だれだか特定できたらなぁ……」

『この人物たちが、どうかしたんですか?』

「この会話の話題、たぶん美香子……えぇと、ボニーのことだ」

『へぇぇ……』

 

 【SAI】は、まんざらでもなさそうな語調で、

 

『あの娘が助手になってくれたら、名トリオなんですがねぇ』

「部外者を轢殺トラックに乗せるんだぜ?規定違反じゃないか」

『そういうドコかのダレかは、轢殺対象者を機密のかたまりである本車に乗せていましたが?』

「じゃぁ、仮にあのJKが乗りたいといったら乗せるのかよ?」

 

 しばしの沈黙。

 スピーカーからの頭の悪い会話だけが妙に響いて。

 

「まぁ、一度くらいなら、良いかもしれませんねぇ……」

 

 マジかよ、と思うそばからターゲットが、 

 

≪オレぁ早速今日から始めるワ。あの女のマ〇コとケツの穴にシャブ塗り込んで、チ○ポ狂いにさしてみてぇッつーの!姦るしかねェっつーの!!≫

〔ハハハハ……じゃ……れはババァ……っかナ〕

≪んじゃ来週の金曜にしようぜ?タップリ持って来いよ……そう、アハハハハ!マジ笑えるンだけど……オレ?もう昼か……イマから酒ノンで寝るわ。夜ンそなえねぇと……をぅ、じゃぁな≫

 

 ドスドスと部屋を歩く音。

 冷蔵庫が開けられ、氷をすくう気配。

 パシュッ!と炭酸系の缶が開く音。

 

 ――くそう……飲みたくなって来ちまったナ……。

 

 そのとき、【SAI】が緊急時の口調になった。

 

『マイケル。特定移動電波体接近。たぶんパトカーです。あと1分30秒で接触』

「役所に工事の届けは出してるんだろ?大丈夫だよ」

 

 トラックの前後には△表示板とコーンを配置しているし、ユニフォームも着ている。

 オレはメーター・パネルわきの監視モニターを忙しく切り替えながら“パンダ”を探った。

 しかし――それらしき車は見えない。

 

『マイケル、横を通過します』

 

 一台の銀色なセダンが、モーター音もしずかに通り過ぎていった。

 

 ――覆面……?

 

「【SAI】、いまの車の運転席を撮ったか」

『再生します』

 

 トラックの周囲に配置された監視カメラの映像。

 そこには、スーツを着た若い女性ドライバーがハンドルを握る姿。

 となりでは腕組みをしてふんぞり返る、トレンチコート姿の大柄な人物。

 忘れようもないケツあごが、キザな言い方をすれば“紅茶にマドレーヌを浸したように”或る記憶を運んでくる……。

 

 ――アイツだ。

 

 オレは入院先での出来事を脳裏に浮かべた。

 

           *  *  *

 

「――警視庁の銭高(ぜにだか)であります!」

 

 劈頭一声、その男は病院の個室におそろしく響くダミ声をあげたものだった。

 

 中折れ式のソフト帽にトレンチ・コート。

 ひと昔前の(シルエット)のスーツ。

 真っ黒な靴は、よくみればジョギング用のシューズだ。

 それもずいぶんと年季が入ってところどころすり切れている。

 いまだタバコを吸っているらしく、全身から発散される空気が異常にヤニ臭い。

 ほころびかかった内ポケットスーツから渡された名刺を見ると[生安]の人間らしかった。

 

 ――警部補……か。

 

 ベッドを降りようとしたオレだったが、この日のためにやって来た会社の顧問弁護士に、ベッドサイドからさりげなく腕で制される。オレの体調が回復したと病院から知らせを受けた警察が事情聴収のためにアポを入れてきたことを受け、会社から派遣されてきたらしい。しかし、やってきたのはいかにもキレ者といったハリウッド的なキャラではなく、ポチャ風味なおっとりとした初老のオッサンだった。

 

 オレの個室は上背のあるこの男でいっぱいになったかのように思われた。それに対しオレの担当弁護士は、まるで相手の威圧的な雰囲気を気にも留めぬような涼しい顔で受け流している。

 

「よろしければァ、先日の件で二、三お聞きしたいことがあるのですが!」

 

 銭高さん、と顧問弁護士は悠揚迫らず、

 

「依頼人は貫通銃創を受け、体力が弱っております。どうぞ手短に願います」

「本官も職務でありましてェ――」

「本庁の目白警視には、懇意にさせていただいておりましてね」

 

 だから?と、この大柄な男は雰囲気を豹変させてスゴむ。

 

「上官にしっぽを振るのが巧かったら、わたしゃ警部補なんてやっておりませんぞ!?」

「ならもっと巧くやることですな。“長いものには巻かれろ”というじゃありませんか」

「ハァ!?」

「組織の中で必須な処世術というものがあるでしょう」

 

 驚いたことに、このポチャおっさんも雰囲気を一変させ、ギロリと銭高をニラんだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……」

 

 警部補どのは肩をすくめた。

 次いでこの男はオレに向き直ると、

 

「さっそくですが、単刀直入にお聞きしたい」

 

 オレは弁護士をチラと見る。ポチャ男のかすかなうなずき。

 

「……どうぞ」

「あなたを撃った男とは面識があったのでしょうか?」

「――いいぇ。残念ながら」

「……なぜ残念だと?」

「もし面識があったらアナタに情報を伝えて、刑務所にブチ込んでやれたのに」

 

 ごもっともですな、と銭高はうなずいた。

 

「我々も鋭意努力はしております――ところで」

 

 警部はトレンチ・コートのポケットをさぐると、写真を一束取り出した。

 

「この少年どもに、見覚えはありませんか?」

 

 そういって、甲や指まで毛が生えたゴツい手で一枚一枚、写真を差し出してゆく。

 あきらかに拘置所で撮られた写真らしい。

 少年と言うより青年といっていい年ごろの、いずれも荒れた面構えをした人物が、写真の向こうから不機嫌そうにニラんでくる。

 

 警部補どのは写真を、まるで切り札でも差し出すかのようにオレの目の前につきつけ、コチラの反応をジッ、と診ている。

 目つきの鋭い若者が相手の手もとから次々に閃き、そしてふたたび収められていった。

 

 十数枚も繰り返した時だったろうか。

 

 いきなり眼前に、あの顔があらわれた。

 

 いくら轢殺しても足りない“おさるのジョージ”。

 斜に構え、カメラのレンズを睨みつける姿。

 

「どうですかな?この辺りの少年などは……」 

 

 

 相手に表情を読まれるまえに、オレはすかさず先手を打った。

 いかにも“疲れた”とでもいうように目を閉じて首をめぐらす。

 ここで警察に気取られて、この後の展開を面倒にしたくもなかった。

 

「いやはや、どれもコレも」

 

 オレは極力ウンザリした声をよそおって、

 

「まともそうなガキに見えませんねぇ」

 

 銭高はこちらの表情の動きを毛一本たりとも見逃すまいといった目つきをしつつ、フンと鼻で嗤った。ニコチンの臭いがいっそう鼻をつく。

 

「そりゃま、少年法に守られているとはいえ、一筋縄ではいかない連中ですからなァ――コレはどうです?」

 

 写真の束の順番を変え、つぎに相手が切り出したのは、あのドレッド野郎だった。

 髪型こそちがうものの、ブ厚い唇に頑丈そうな頬。色黒な肌。間違えようもない。

 オレはさりげなく首を振って、

 

「ナニせ夜でしたからね。しかも街灯の乏しいところでしたから、相手をよく確認することもできませんでした」

「近くにはコンビニがあったでしょうに。そこにアナタはお寄りになって、ネコ用にエサを買っておられる」

 

 ――チッ。

 

 余計なことを言うんじゃなかったと思うが、後の祭り。

 

「えぇ、買いましたよ。ノラ猫が居たんで」

「そのネコに関し、言い争いをしているのを、店の掃除に出たアルバイトの店員が聞いておりますゾ!?」

 

 社内で作成した“公式の”行動記録では、オレは単なるトラック・ドライバーで息も絶え絶えに無線で仲間を呼んだあと意識を失った――ことになっている。

 

 現場に駆けつけ“第一発見者”を装った重サンたちが、現場を整理し、【SAI】を自動運転で撤収させ、代わりに用意した普通の4tにオレを押し上げて運転席に血のりを付け、その状態で救急車と警察を呼んだのだ。

 

「こっちもいきなりネコを蹴られて気が動転していたんで」

「蹴ったんですか?ノラ猫を?」

「えぇ。それで頭に血が上って……そこからよく覚えてないんですよ」

 

 オレはさりげなく話をボカす。

 この男に情報を与えたくはなかった。あまり気安くすると、しつこく付きまとわれそうでもある。

 “おさる”はドレッド野郎を見つけ出すためのマーカーだ。大事にしなくてはならない。

 

 オレは包帯を巻いたわき腹をさすりながら、

 

「アッ!――と思ったときは……地面にヒザを突いてました」

「げせませんナァ。普通はもっと犯人のことを覚えているものですが」

「失血による一時的な若年性痴呆症かもしれませんよ。じっさい、最近モノわすれがひどい」

「もっと協力していただかなくては、犯人も捕まらない」

「銭高サン、依頼人は疲れておるのです」

「ではこれだけ答えてください、犯人は単独でしたか、それとも複数でしたか」

「……複数です」

「二人でしたか、三人でしたか」

「銭高サン!」

「あるいは――それ以上でしたか……?」

 

 銭高の顔がグッと突き出され、オレを睨みすえた。

 まるで闘犬のようなするどい眼差しだった。

 

 ――ヤベぇ。コイツは執念深そうだ。

 

 オレは適当にお茶をにごすことにする。

 なるべく気弱な声をよそおい、首を傾げつつ、

 

「サテ……暗かったですからねぇ。二人以上だったことは、確かなようです……」 

 

 その他にも銭高の事情聴収はつづいた。

 二、三危ないところもあったが、そこは丸ポチャの救いの手が入ったので、破綻なく答えられたとは思う。

 

「結構!」

 

 警部補は残りの写真をオレに見せることなく、再びコートのポケットにしまった。

 そして、かがめていた腰をのばすと、ふと雰囲気をかえて、

 

「失礼ですが――離婚、されているようですな?」

 

 えぇ、そうですねとオレは鼻白む。

 

「それが――今回の事件となにか?」

「お気をワルくしたら申し訳ない。タダのよもやま話ですよ」

 

 銭高はなにやら思惑をこめた妙な目つきで、

 

「警察もですな?事件の捜査だァ張り込みだァと、担当者はなかなか家に帰れないでしょう?だから奥方にアイソつかされて離婚するんですなァ……」

 

 ふいに『シーア』のことが頭に浮かぶ。

 夢の中のことなのに、可哀そうなことをしたといまだに胸が締め付けられる。

 おかしなコトだった。ひょっとして本当に痴呆が始まっているのかもしれない。

 そんなオレに、この警部補どのはヒョイとまた身を乗り出して、

 

「――再婚は、なされないのですかナ?」

「再婚、ですって?」

 

 どういう風の吹き回しだろうか。

 そのとき、急に『詩愛』の笑顔が浮かんだのは。

 あの仕草。あのふるまい。あの声。あの笑い顔。

 

 

「……予定はありません」

 

 おもわぬ意外な圧力に(ぼう)とした横顔をさらしたオレを見て潮時だと思ったのか。

 丸ポチャな弁護士はベッドサイドの椅子から立ち上がると銭高に面会の打ち切りを伝えた。

 

「もうよろしいですかな銭高サン。依頼人は疲れておる。これ以上は担当弁護士として、とても看過できませんな」

 

 結構!と銭高も腰をのばし、髪の薄い丸ぽちゃな弁護士をねめつけた。

 そしてトレンチ・コートのポケットからゴロワーズの両切りを取り出すや、真鍮のロンソンで火をつけ、ふかぶかと一服……。

 そして、憤然たる面持ちの丸ポチャな顧問弁護士の顔に、黒タバコの独特な煙をフーッと吹き付けてぬけぬけと、

 

「ご協力感謝いたします!大変参考になりました……!」

 

 

           *  *  *

 

 マイケル?……マイケル!

 

 気が付くと【SAI】が呼んでいた。

 

『お昼は、どうするんです?』

 

 キャビンの盗聴用スピーカーからは鼾がきこえていた。

 このくそガキ。のんきなものだ。

 

「もう日中は動きがないだろう。ここいらの事は大体わかった。我々も引き上げだ」

 

 ――さぁて、どうしたものか。

 

 トラックを会社の駐車場に戻し、変装用の作業服を備品担当の庶務嬢に返却する。

 そのままエレベーターで上がって社内のラウンジに行き、自販機前のコーナーで野菜ジュースにするかコーヒーにするかすこし悩む。

 

 と、ポケットの携帯が鳴った。

 

 通知ディスプレイを見て、ウッ、となる。

 別れた妻が雇った弁護士の番号が、表示されていた……。

 

 



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第13話:過去との決別

 

 目標の監視を終えたオレは急いで事業所に戻った。

 トラックを返却し、速攻で寮に帰ると身支度を整える。

 

 営業マン時代のスーツを衣装ダンスの奥から引っ張り出し、クリーニング屋から戻ってきて長らくそのままだったYシャツのパックを破り、久しぶりにネクタイを締めた。

 

 出がけに自分の姿を鏡で確認。

 

 久しぶりに見る自分のスーツ姿は、どこか見慣れない男のようにも見えた。尾羽打ち枯らした雰囲気こそないものの、そこに一抹の不吉さが漂っているのは、気のせいだろうか。

 

 指定された場所は、外資系ホテルのロビーだった。

 

 なにやら今のオレには馴染みのなく縁遠い、横文字だらけの高層ホテル。

 磨き抜かれたガラス製の仰々しいスイング・ドアを通ったはいいが、久しぶりの空気に気おされる。

 

 そして今度は相手と待ち合わせるはずの『プレミアム・ラウンジ』とやらがどこだか分からない。

 オレはフロント横のコンシェルジュ・デスクに行くと、金モールもハデな制服を着た中年男に尋ねた。

 すると、なんとそれは高層階にあるスィート客たち専用の区画だという。

 

 なんのことはない。

 

 ブラック・カードなどをひけらかす常連客のための、一般客は立入禁止なプライベート・エリアだ。なんで“ヤツ”はこんな場所を指定してきたのかと内心ちょっと不思議に思う。

 

 こちらの名前を言うと、さすがは高級ホテル。

 すぐに話しは通り、スタイルのいい女性スタッフが気取った歩き方でオレを導く。

 ほどなく専用の高速エレベーターで、かすかなGを感じつつ上層階までぎゅぃ~んと案内。

 

 物憂げなチャイムとともに、エレベーターの扉がひらかれた。

 とたん、あふれでる高級な雰囲気ととりすました光景

 広々としたラウンジに充ちる重厚な造作。

 気品がただよう、金のかかった什器。

 重々しいが、何より心地いい空気。

 

 壁一面の大窓からは曇りがちな空のもと、彼方まで広がる都市の連なり。

 遠くに見えるはずの山々は――今日は見えない。

 

 

 金文字のプレートがかかるパーテーションのうちの一つに案内されたオレはアンティーク物と見える革張りのソファーにゆったりと座った。

 

 机の上にはタブレットがあり、そこには、各種サービスの画面が浮かんでいた。

 よくみれば、部屋のあちこちには盆やダイニング・ワゴンを使って飲み物などを運ぶ和服姿の女性たちがゆるやかに行き来している。

 

 あちこちのパーテーションでは、声ひくく語り合う声。

 なにかの商談だろうか。紙をめくる音と電卓をたたく気配すら。

 そうかと思えば中年男と若い女の、何やら秘密めく抑えた笑い。

 

 現役の営業マン時代でも、この手の場所は顧客の威光で二、三度ほどしか使ったことのないオレは、久しぶりの感覚に身が引き締まる。見積もりを足元の革カバンに入れ、取引先の担当者と会う時のような感覚。おそらくは、長いこと着なかったスーツに袖を通したせいもあるのだろうか。

 

 ――そうさ。

 

 なにしろ今日の相手は、オレの人生の中でも有数の宿敵だ。

 そのため、久々に気合の入った服装と小物で武装してきたのだ。

 ヘンに落ちぶれた格好を見せ、相手に(……ザマぁ)と思われたくない。

 

 ――そういや昔は、こうして四六時中も気を張って仕事をしていたなぁ……。

 

 久々に履いたチャーチのストレート・チップがキツい。

 ロンドン出張の時に作ったスーツが、すこし身体に合わなくなって。

 ベルトの穴も、きわめて無念ながらひとつゆるめたのは、ココだけの話にしてくれ。

 ずいぶん放っておいたためだろう。ジュネーブで買った機械式の腕時計は、精度が少しおかしくなっている。これもまた数万かけてオーバーホールしなければならないのか。

 顧客の前で書類を訂正するときに使ったスターリング・シルバーのボールペンは、銀がくすんで本体が黒くなってしまっている。

 

 ――まったく、生きていくには……。

 

 就中(なかんずく)見てくれを整えるには金がかかるなァ、とオレがため息をついた時だった。

 

「失礼――します」

 

 ソファーから身をねじって脇を見上げれば、あの憎い元妻側の弁護士が、いかにも営業用めいた鼻に付く笑みを浮かべ佇んでいた。

 

 何度も記憶にうかんできた顔だった。

 酒に逃げ、二日酔いでかがむ便器にもコイツがチラついた。

 元妻を同席させ、オレに不利となる法律をとうとうと論じたあの日。

 それは強力な憎しみとなって、強迫観念となる勢いで脳裏に灼き付けられのだ。

 この男を元妻ともども刺殺する夢を見て、夜半に心臓をバクつかせ目が覚めたことすらある。

 

「これは――どうも」

 

 オレは、いまや古なじみとなった敵意を注意深く押し殺し、いそいで立ち上がると一礼する。

 すこしばかり馬鹿丁寧に。まさに“慇懃無礼”(いんぎんぶれい)を地でゆくような調子で。

 

 オレは相手をさりげなく観察した。

 ややウェストを絞った、オーソドックスな無地の紺系スーツ。

 ウェッジ・ウッドのネクタイ留めに、時計はグランド・セイコー。

 マグネシウム合金を使ったリモワのブリーフ・ケースに黒いローファー。

 等、等、等。

 

 ――フン……。

 

 どこから見ても“お固い”職業の男と分かる()()のオンパレード……。

 

「ここは、すぐにお分かりになりましたか?」

  

 男性用化粧品の香りを漂わせ、相手は余裕ブッこいた笑みをして見せた。

 たぶん今の薄給なオレの職業も見通しているにちがいない。場ちがいな場所によく来れましたねと、あてコスっているのだ。

 

 思わずオレは胸を反らす。

 

「この手のホテルはひさしぶりですが、慣れてしまえばみんな同じです」

「それは良かったです」

 

 相手は何となく硬いものの、それでいて余裕のある笑みを浮かべて、

 

「ちょっと特殊なお話なので、そこいらの喫茶店というワケにはいかなかったんです――ま、どうぞお座り下さい」

 

 あぁ、キミ!と弁護士は遠くのカウンターにいた和服姿の女性を身ぶりで呼び寄せた。

 和服の上から前掛けを着た若い女性が一礼し、テーブルの横に片ひざを付くのを待ってから元妻の弁護士は、

 

「シャンパンをね――そうだな、フツーのドンペリでイイや。ボトルで。それとフライド・ポテトをたのむ」

 

 相手がうやうやしく一礼して引き下がると、

 

「ここのポテト・スティックは揚げたてで美味いんですよ」

 

 そして自分の腕時計を一瞥し、張りのある声で、

 

「15時か。ちょっと時間が早いけど、良いでしょう?」

 

 はやくもオレの胸の内で嫌悪感がうごめくのを感じた。

 

 ――なんだコイツは……。

 

 だいたいオレと同じ30~40くらいな年代だが、自分の意思を他人に押し付けることに慣れている風情がまず気に食わない。あいかわらず(じぶん)の言うことは無条件で聞かれるものだと思い込んでいやがる……。

 

「ご商売が繁盛のようで。たいへん結構ですな」

 

 かろうじて“大人の対応”をしつつ、オレもスーツの袖をずらし、自分の時計をチラ見する。

 

 ――うっ……。

 

 なんてコトだ。秒針が止まっているじゃないか。

 あわてて袖をもどし、何気ないフリをして、

 

「うらやましい限りです――あやかりたい」

「なぁに、チリもつもれば、ですよ」

 

 元妻の弁護士はイヤイヤと顔の前で手を振って、

 

「よく言われるように、時給換算にすればコンビニ店員とドッコイの給料でして」

「それでも一種の“上級国民”でいらっしゃることは変わりありませんからなぁ」

 

 一瞬、相手が鼻白むのがみえた。

 しかし場数を踏んだ弁護士らしく、感情をすぐさま呑みこんで、

 

「ご冗談を。しがない“イソ弁”ですよ」※

「あいかわらず離婚問題をメインに扱ってらっしゃる?」

「最近は込み入った訴訟も多くなってきまして。いろいろ大変です」

「敏腕でいらっしゃるから、さぞ頼りにされるコトでしょう」

 

 意図せぬ一呼吸。

 そしてオレの口は、またも勝手に動いた。

 

「……わたしも、あの時は煮え湯を飲まされたものです」

 

 ――しまった。

 

 ついうっかり。

 おまけに語勢にも殺気が乗ってしまった。

 絶対に恨み節は口にしないようにと気をつけてはいたのだが。

 しかし相手はこれに不思議なほど敏感に反応し、それまでの自信満々な態度を引っ込めてしまう。もみ手をしながら、

 

「ま、ま、過去の話じゃないですか」

 

 何を思ったか急にあわてだした元妻の弁護士は早口で、

 

「わたしも依頼人に頼まれてやったコトですからねぇ。死刑囚を弁護して無罪にしたところで、私まで憎まれてはたまりません。法治国家において、それが弁護士というもので――」

「そうですな――さて、お互いに忙しい身です」

 

 ダメだ、とオレは相手の言葉を打ち切って、方針を転換する。

 

 コイツのそばで喋りを聞いていると、いつ自分の鉄拳が飛ぶかわからない。

 顔を見るだけで、先ほどから腕がムズムズするのだ。

 用件だけ聞いて、さっさと別れたほうが良さそうに思える。

 

 ――愛用の長剣があれば一撃のもと首をハネてやるところだが……。

 

 オレは語勢を一転し、背筋をのばして営業用の威儀をつくろう。

 

「ムダな時間をすごすのはヤメにしましょう。それで、本日のご用向きは?」

「そんな……」

 

 弁護士は腰をうかし、援軍(たすけ)をもとめるような顔つきでパーテーションの壁ごしにサービス・カウンターのほうを確認する。

 だが――“揚げたて”が身上であるフライドポテトが災いしたらしい。

 

 相手はあきらめたようにため息をつくと、足元のリモワを「失礼」といってテーブルの端に載せた。マグネシウムの銀色をした、いかにも頑丈そうなそのブリーフケースを開くと、まずマチのついた目玉付きの封筒を取りだす。そして次に掴みだしたのは、袱紗(ふくさ)につつまれた四角い塊だった。

 

「お広げになってみて下さい」

「なんです?――コレは」

「さぁ、どうぞ」

 

 勿体ぶった相手のしぐさにオレはフッ、と息をつき、止まっている腕時計をみせぬよう注意しつつ袱紗の結び目を解く。

 

 中から現れたのは――俗に“レンガ”と呼ばれる包みだった。

 つまり帯封のかかった、一千万円の札束。

 

 それがパーテーションの応接用机に「ドン」と鎮座した様は、なかなか異様なものがある。銀行員か政治家でもなければ、この手のまとまった金を見ることは、なかなか無いだろう。

 

「なんです……コレ」

 

 相手の弁護士をみれば、多少よゆうを復活させたのだろう。ソファーに背を付けるといかにも芝居がかった仕草で腕をひろげ、

 

「ア ナ タ の も の で す よ ?」

 

 沈黙。

 

 それまで上品だったプレミアム・ラウンジの空気が、急にゲスなものに思えてきたのはどういう心理的作用なのか。

 オレはとりあえず時間稼ぎの合いの手に、

 

「……おっしゃる意味が、その、よくわかりませんな?」

 

 文字通りの意味です、と次に相手は目玉付き封筒のヒモをグルグルと解くや、そこからクリア・ファイルに挟んだ書類を二通取り出し、こちらの前に二つ並べて置いた。そして、胸の内ポケットから金張りのボールペンを取り出し、そのわきに置く。

 

 オレは書類に手を触れず、ざっと斜め読みした

 

 **弁護士会所属**法律事務所(以下甲という)は――

 

 ここでさらに驚いた。

 内容を要約すれば、

 

 1)過去の離婚裁判で、甲は乙(つまりオレのこと)に対し、行き過ぎた対応をした。

 2)法律上は問題なきものの、道義的にみて甲の対処は乙に過酷なものであった。

 3)甲はこれを反省し、乙に対し見舞金をわたすものである。

 4)3)項の金額は金壱阡萬円とする。

 

 その他にも保険会社の約款のごとく、ズラズラと何事か書いてある。

 

「なん……だ、こりゃ……」

 

 思わず間抜けな声が出た。

 過去に争って決着した裁判で、相手先が率先して非を認め、相手方に見舞金をわたすなんて話は今まで聞いたことが無い。

 

「つまりです!」

 

 元妻の弁護士は身を乗り出して、

 

「我々、いや私の所属する**弁護士事務所は――」

「たいへん……お待たせ致しました」

 

 いきなりの声にオレたちが横を向くと、アイスバケツに刺さるシャンパンとフライドポテトの小山を移動式のトレイにのせた和服のお姉サンが、テーブル上の“レンガ”を横目でチラチラ見ながらこわばった笑みを浮かべている。

 

 しばし流れる微妙な雰囲気。

 

 シャンパン用の華奢なグラスがコースターを敷かれた後、お姉サンのふるえる手でわれわれの前に置かれるのを見て、とうとう元妻の弁護士はイライラしながら、

 

「あー、あとはコッチでやるからイイよ……!」

 

 そう言って彼女をひきとらせ、アイスバケツからボトルを引き抜くや慣れた手つきで開栓し、オレのグラスに金色の泡を注ぐ。

 

「――ヤレヤレ、とんだところを見られましたね」

 

 弁護士はボトルをひねって口の滴を切り、こんどは自らのグラスに注ぐ。

 

「きっと我々のことをブローカーの類とおもったんでしょう」

「あるいは――ヤクザとか?」

 

 グラスを傾けていた相手は一瞬、渋面を浮かべるが、すぐにそれを払いのけてフライドポテトの小山から一本つまみ、

 

「さ、あなたも熱いうちにどうぞ」

 

 キラキラと泡をうかべるグラスと無粋な一千万のレンガを、オレは等分に見比べつつ、

 

「……この金は、どこから出たものなんです?」

「ソレはもちろんウチの事務所です」

「解せませんな。それで御社にどんなメリットが?」

「最後の項を見て頂ければわかります」

 

 最後?と箇条書きになった文章の最後を読んでみる。

  

 10)本件に付随し、乙は過去における甲の対応を許容し、是を認めるものとする。

 

「……つまり一千万やるから、過去を水に流せということか?これから延々と養育費を搾り取られると言うのに……」

「その件ですが……」

 

 弁護士はシャンパンを含みながら小狡(ずる)そうな薄笑いをうかべ、

 

「養育費の件は、ウチの事務所の方で奥様に因果をふくませ、これ以降は辞退という形でご納得頂きました」

 

「は!?」

 

「つまり、あなたは今後もうお支払いにならずとも良いというわけです」

 

 さすがにこれには絶句するしかない。

 どうやってあの女を納得させたのか、知りたいところだった。

 それとも。まさかあの女にも、レンガの一つや二つ、やったのだろうか。

 

「さぁ、どうかその書類にサインを。ハンコはお持ちでないでしょうから、拇印で」

 

 弁護士は“割り印”が押された二つの書類の横に朱肉を置いた。

 相手の目をみれば、早く書けと言わんばかりにランランとして。

 

「分からんナァ……」

 

 とうとうオレは脱力してソファーにひっくり返った。

 凝然たる沈黙が、彼我のあいだで交わされる。ややあってオレは、

 

「なぜこちらに対して、そこまでするんです?」

「法律事務所としての()()()と、お詫びのしるしです」

「なぜ今さら?」

「なぜって。『過ちては(すなわ)ち改むるに(はばか)ること(なか)れ』ですよ」

「じゃァその“過ち”に気づいたきっかけは何です?」

「イイじゃありませんかそんなことは!」

 

 とうとう弁護士は()れてきたのか、多少語気をつよめ、

 

「あなたは一千万を手にする。こちらはその書類にサインをもらう。これで万事が丸く収まるんですよ?なぜそれをご躊躇(ちゅうちょ)なさるんです」

 

 ますますウサん臭い。

 

 オレは残りの項目を見てみたが、税金の支払い等に関する項目だけだ。

 たかが一千万ポッキリで、危ない橋を渡ることもないだろう。

 なにより金の出どころがコイツの事務所だというのがムカつく。

 

 ――やめた。

 

 おれはソファーから立ち上がった。

 

「いいでしょう。そこまで言うなら、私はその書類なんぞにサインをせずとも、御社の謝罪を受け入れます。だがこれ以上は!もう私に近づかないで頂きたい。最近私の身辺を嗅ぎまわっていたのは、やはりアナタ達だったんですね!」

「そんな!……濡れ衣です!事務所(ウチ)は知りませんよ!」

「そのワケの分からん一千万も、私には縁のないものです。お引取り下さい」

「えぇっ!?」

 

 ブースを出ようとしたオレを、弁護士はあわてて引きとめにかかる。その際にシャンパン用のグラスを倒し、繊細なクリスタルグラスが粉みじんに砕けて。

 プレミアム・ラウンジに、緊張をはらんだ音が響いて和服ウェイトレスたちの注意を引いた。

 

「まって――待って下さい!サインを頂かないと、わたしが所長に怒られてしまいます!」

 

 相手も必死だった。ワケのわからないことを言いながら追いすがってくる。

 高価(たか)そうなスーツにシミをつくりながら卓上の一千万をわしづかみに手に取り、グイとオレに押し付けてきた。

 

「なんであなたが所長に怒られるんです」

「イソ弁と言ったでしょう!?じつは……」

 

 相手は唇を噛んでいたが、やおら、

 

「**弁護士会の**先生はご存知ですか?」

「……いや?」

「では**法律事務所の**先生」

 

 オレは首をふる。相手も(アレっ?)という表情。

 

「とっ、とにかく!我々の業界でも力のある()()()()から、本件についてウチの所長がヒドく譴責されたらしくて。私もエラい怒られたんですよ!ですから――どうか!サインだけでもしていただかないと……」

 

 ――あ。

 

 その時ふいに思い当たることがあった。

 

 ――もしかして……いや、そうとしか思えない!

 

 ハッ、とオレの顔つきが明るくなったことから希望を見出したか、戦慄(わなな)く笑みを浮かべて弁護士は、

 

「ホラ、ね?心当たりがあるじゃありませんか。ですからひとつ!」

 

 ココでオレの頭はかつてないほど素早く回った。

 一千万を受け取ったことで発生が予想される出来事。

 なによりその功罪と起因する成り行きを、ミリ秒で演算。

 それが終わると、目の前で必死な顔をするこの男にフッと嗤って、

 

「……私はね?自分のモノでない金は、受け取らない主義なんですよ。貴方の所長さんにもよくお伝えください。もう二度と()()に近づくな、ってね」

 

 レンガを押し付ける相手の手を振り払ってブースを出るオレに、弁護士はテーブルを回る際、残ったもう一脚のグラスを倒しつつ必死で追いすがってきた。

 

 と――相手は足をもつれさせ、ハデに転倒する。

 手に持ったレンガが吹っ飛び、オレの足もとに転がってきた。

 

 一瞬!

 

 あの女に裏切られてからの辛さが。(ミジ)めさが、やるせなさが。

 身体をゆさぶるほどの恐ろしい勢いでフラッシュ・バックする。

 この世における自分の“存在意義”(レーゾン・デートル)が根底からくつがえされた大事件。

 一歩間違えば果てしない深淵が待っていた、あの刃渡りのような日々!

 

 ――くそッ!

 

 オレは固い靴底のつま先で、そのレンガを思いっきりケリとばした。

 サッカーボールのようにラウンジを転がっていくかと思われたその包みは、意外にも帯封が破れ、いくつもの“コンニャク”(百万円の束)となってラウンジに散らばっていった。チラッと目の端に見た限りでは余所(よそ)のブースに飛び込んでしまった一束さえもあった。

 

「あぁァァァァ……ッッ!」

 

 さすがにこの騒ぎは静かなラウンジに響きわたり、辺りのパーテーションからはいくつもの顔が何事かとのぞいている。オレは目を丸くした和服の女性たちの視線に見送られつつ「ワレ関セズ」のフリをして広間をよぎると、ちょうどやってきた高速エレベータに乗った。

 

 フロント階のボタンを押し、扉が閉まる寸前に見えたのは、全身をブルブルと震わせながら涙目となって腰をかがめ、札束をさがす弁護士の姿だった……。 

 

 




※イソ弁:居候弁護士のこと。

注:“レンガ”を思い切り蹴って100万円の札束にバラせるかは不明ですが、
  演出と思って下さい。

  お金を蹴るという事は大変に品の無い行為です。
  しかしそれだけ主人公が苦しんできたのだと察して頂ければ、嬉しく。



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第14話:痛恨の失策(1)

 ホテルを出ると、オレは繁華街の雑踏を見わたした。

 

 なにか不思議な感覚だった。

 

 通り過ぎる着飾った女。

 流行りのカッコをした若いカップル。

 余所行きの服を着て買い物中とみえる家族連れ。

 これ見よがしな爆音をたててはしってゆくフェラーリ。

 店のバーゲンセールの表示や、ショーウィンドウの華やかさ。

 街路樹の新緑や風の匂い。まるで磨かれたような高層建築の群れ。

 

 路を行く光景が。

 人が、静物が。そして何もかもが。

 みんな不思議なほど新鮮に見えるのだ。

 

 苛立たしくネクタイを解くと、オレは持ってきた書類カバンに叩き込んだ。

 Yシャツの首もとを思いきりくつろげ、風が胸に入るままにする。

 

 曇りがちだった空に切れ目が入り、ときおり青空が覗くようになった。

 西の方も晴れてきて、夕方の光が斜めにオレを射るように。

 

 一直線な長い階段があった。

 

 オレはステップをふみつつ、クルクルと舞いながら降りてゆく。

 ぐうぜん居合わせた下校途中の小学生たちも、オレのまねをしてキャッキャ騒ぎながら。

 縦笛をブッさしたランドセルを揺らしつつ。ときおりキックなどをまぜて。

 

 足の向くまま気の向くまま。

 都会を歩きまわり、跳ねまわって。

 さいごに夕日が見える公園で腕組みをしつつ、

 

 ――よぅし……オレの人生、まだまだこれからだ!

 

 などと、恥ずかしくもリキんでみたり。

 バカだねオレもと思うが、なにか高揚感に包まれてどうしようもない。

 

 さて。さて。こうなると?

 

 持ち前の意地きたない根性から、(これは……祝杯をあげなくては)という気持ちになる。

 なにしろこれからの給料は、全部自分で使えるんだ。

 緊縮財政の停止!それと同時に異次元緩和だ!

 

 オレは携帯から事業所に、

 

 ・今日は直帰すること。

 ・明日は有給を使うこと。

 

 などを庶務の女の子に告げる。

 するとこの子は、どこか心配そうな声で、

 

「いいんですか?マイケルさん」

「なにがよ?」

「さっき所長が探してましたけど。名札、ひっくり返すの忘れたでしょ?」

 

 しまった!と背中から冷や汗。

 

 昼に“あの女”の弁護士から連絡が来てからというもの、大急ぎの連続だったので、在社/退社の札を赤くするコトなど、すっかり忘れていた。

 

「……ワリぃ、こっそり変えといて?」

「え~?どうしよッかなァ~」

 

 通話の向こうの声は一転、いたずらっぽそうな口調にかわり、

 

「アタシこのごろ金欠なんですよねぇ……」

 

 ――またかよ!

 

 どうしてこう、金に余裕が出てきた瞬間、出費事項が頻発するんだ!

 とっさにオレは“女子脳”を類推しながら、

 

「……こんど、その、龍田野の「クリームあんみつ」オゴってやるから」

「そんな安いのじゃイヤよ」

「……ンじゃ、ナニがいいのさ」

「マイケルさんと**ホテルのスィートでゴム無し」

 

 庶務嬢は通話口の声をひそめ、シレッと言い放った。

 

「は!?」

 

 フフっ……と耳をくすぐる秘めた笑い声。

 しかも、そのホテルは偶然にもあの弁護士と会見に使ったホテルだ。

 あんなプライベート・エリアのあるホテルのスィート。一泊いくらするんだろうか。

 

「アノ、ヨク聞コエナカッタンデスケド……」

「マイケルさん、ここの大体のハネ殺し屋と違ってイケメンだし。リサちゃん、チョッピリ本気の恋がしたいナー……って」

 

 こいつ!

 青臭いガキが、大人をいいようにあしらいやがって!

 

 だがそのとき。

 

 またあの「お守り」の印象がチラッと浮かんだのは、どういう寸法か。

 もしかしたらあの神社さまが“追加のお布施”を所望してらっしゃるのかもしれない。

 

 ――いくらぐらい出せばいいんだろう……まーた財政出動案件の発生だよ。いやまて?ってか、コレもヒョッとして、あのお社のお計らい?だとしたら恐ろしいほどのご利益だぞオィ……。

 

 こっちの沈黙を拒否と受け取ってくれたのか、彼女はまたサバサバした口調にもどり、

 

「――ウソよ、バカね。とりあえず松川亭で営ってる鰻のコースでガマンするわ」

 

 また高価い店を。

 緩和政策のしょっぱなから、大規模な“復活折衝”を通されたような。

 

「オーケェ、連れてってやる」

 

 相手に手玉に取られた腹立たしさに、

 

「いい子にしてれば“ホテルのスィート”とやらも考えといてやるぞ?その代わり明日の朝会の様子を報告してくれ」

 

 嬉しい!わかった!!と相手は声を生き生きとさせ、通話は切れる。

 

 ――やれやれ……。

 

 やっちまったかな?まぁどうでもイイや。

 ぐったりとしたオレは、携帯を電源オフにするとポケットに戻した。

 あのベリショな庶務の娘、何歳だっけか。

 たしか高卒で入ってきたので、いまハタチそこそこと聞いたが。

 

 "レディース"上がりとも。

 中央事業所のコネを使って就職とも。

 あるいはモデルをやっていたとも言われるが、正味のところは分からない。

 

 ただカワイイ感じの子であることは確かだな。うん。

 もっとも鷺の内医院の“美人姉妹”にはとうてい及ばないが、まぁそれは彼女たちと比べるだけ酷と言うものだろう。

 

 そしてカワイイ顔に似合わず、嫌いな人間には当たりがキツいんだ、コレが。

 

『どうだい、今夜オレとサ?しっぽりホテルでデートなんか』

『アンタの素チンじゃ濡れないし。チンポに真珠でも入れて来な』

 

 数日前。

 あの小娘が放った返しの一撃は、いまでも轢殺屋たちの間で語り草だ。 

 

 ふと。オレは鞄の中をさぐって例のお守りをとりだした。

 白地に金刺繍の入った、何の変哲もない品をマジマジと:見つめる。

 

 ――このお守り、強力すぎるんじゃ……?

 

          * * *  

 

 所長の“アシュラ”がオレを探していたという情報(ハナシ)は気になったが、いまは“あの女”に金を払わなくて良いという驚天動地などんでん返しの展開がオレの心を軽くしていた。

 そう!まるで異世界――とまではいかないが、並行世界にでもまぎれ込んだように。

 まぁ、考えてもみりゃ、人を轢いたり撥ねたりして異世界へブッ飛ばす業者が存在してるんだ。オレは知らないうちにもう並行世界に来ているのかもしれん。

 

 気づいたときには足どりもカルく、酒屋でシャンパンの銘柄を選んでいる。

 少なくとも、ヤツの事務所にオゴられそうになった“ドンペリ”は除外だ。

 KRUGは残念ながら中国人の団体が来て買い占められたとか。

 しかたなく“サロン”の大盤振る舞い。

 そして酒の肴も選ばなくては!

 

 ウナギの白焼き……季節限定物のチーズ……カニ缶の一番いいヤツ……。

 天然物のタイをサクで買い、小振りだが()()()の岩牡蠣も数個ゲットした。

 そのほか、普段なら絶対に手が出ないようなものを。

 

 ――そうだ……。

 

 ふと思いついて、おまけにシャンパン用のグラスまで新調して。

 結果、宅呑みなのに20万近くの出費となっちまう。

 

 デパートの銘が入った紙袋をいくつも下げてオレは自分の部屋まで帰ってきた。

 シャンパンの冷える間さっそく簡単な調理をば。

 

 ・パスティッチョを小皿に。

 ・カニとサワークリームのカナッペ。

 ・シュークリームのクリームチーズ版。

 ・自慢の柳刃包丁でタイのサクを“行儀”で切って。

 ・織部の皿に白焼きを載せ信州のワサビをすりおろし……。 

 

 (ころ)は佳し――と冷えたシャンパンを取り出し封を開けようとしたとき、そこで初めて今日の昼前に聞いた目標(ターゲット)の会話を思い出す。

 

≪今週、どっかでカネ持ってそうなリーマン()ッけンべ!≫

≪オレはリーマン殴り倒していくわ≫

 

 

 ガキにしては、不吉な会話。

 

 ヤツを尾行したほうが良くないか。

 何か行動を起こすのではないか?

 

 オレの中で、不意に騎士の感覚がよみがえってきた。

 王都民の財産と安寧を守る特殊騎士団・団長としての責務。

 

 だが、目の前に並べられた貧弱な手製料理と、何よりもシャンパンの魅力には勝てなかった。

 

 ――ま、初日から、そう(うま)くイクはずもないだろ……。

 

 だがそう思う(はし)から、オレの中の騎士団長は自分を責め立てる。

 

 ――怠惰!(たいだ)

 ――無能!(むのう)

 ――無責任!(むせきにん)

 ――不忠!(ふちゅう)

 ――任務放棄(にんむほうき)

 

 ――うるせェ、知ったこっちゃねぇや!

 

 オレはシャンパンのコルク栓を静かに開けた。

 そして買ってきたばかりのバカラに注ぐ……。

 

 隣のギシギシ・アンアンは聞こえてこない。

 

 聞こえるのは、グラスの中で泡がはぜる音だけ。

 さすがに隊長殿も、コレには黙ったらしい。

 

 静かにひとくち含んで、法悦の吐息をもらす。

 くわえて、忙しかった今日一日を振り返って。

 

 美味い……。

 

 なによりあのクソ弁護士が奢ろうとした品より上物というのが、アルコールに加勢して気分をゆるやかに高揚させる。

 ヤツは“こんにゃく”(100万円)の束を、全部ひろえただろうか。

 グラスを二杯、三杯と重ねるうちに、立場的に()()()の出たいまは慈悲の心も湧いてきて、ちょっと可愛そうなことをしたかな?と考えるようにすらなっている。

 

 おどろいたものだ。

 人間の心なんて、立場がチョロっと変わるだけでどうにでもなっ(ちま)う。

 

 パスティッチョをフォークで襲いつつ、口の中に広がる濃厚な旨味をシャンパンの清冽さで幾倍も膨らませながら、

 

 ――しかし……。

 

 あの弁護士から受けたオファーを思い起こすとき。

 今でもオレは、首もとに山刀が一閃したようなおののきを感じる。

 

 ――マジでヤバかった。アレは。

 

 今回の奇妙な顛末(てんまつ)

 おそらく詩愛や美香子の父親。鷺ノ内医師の差し金だろう。

 エスタブリッシュメントのコネを存分に使い、横車を通したにちがいない。

 さもなきゃ、こんなべら棒な、前代未聞のトンチンカンなハナシがあるわけなかった。

 

「まぁ――非道い話ですねぇ……お相手が悪い女すぎたのよ。ねぇ?あなた」

「うむ……まァそれはそうだが。しかしキミのほうもお人よしすぎるて」

「あなた!」

「おまえはダマってなさい!

    で、その寝取り相手の会社の名前と、

      ソイツが抱き込んだ弁護士の名は……分かるかね?」

 

 あの“いわくつき”な美人姉妹を送り届けたときに聞いた、初老夫婦にしては威圧感のあるブッソウな会話。

 

 わさびをエイ革のすりおろし板で円を描くようにこすり、出来た緑の香気をタイの刺身に付けほおばる。そしてグラスを一口。うん……味がチョッと淡白同士だな。悪くはないンだが、もう少し何か工夫が欲しい……。

 

 ――考えても見ろ。

 

 シャンパングラスの細いステムをつまむ指先に力を入れながらオレは弁護士との会見中におこなった思考実験を繰り返す。

 

 あの白髪の院長の差し金にそってコチラがうごき、一千万を受けとっちまったら。

 それこそ相手方にのっぴきならぬ“借り”を作ったことになる。

 さて、借りは返さなくてはならない。ではどう返すか。

 

 キズもの(と本人は言っていた)になり、婚約も破談となって()()()()()も拡がった傷心の『詩愛』を受け取ってくれと、ある日呼び出しがかかるだろう。そのときに鷺の内院長からウラのからくりを暴露され「キミのためにこれだけしたのだから」と詰め寄られれば、(イヤ)とはいえない。

 

 なによりあの老婦人の、

 

 「これはイイ人を見つけた!」

 

 ……と言わんばかりなキラキラした目つきが忘れられなかった。

 

 養育費の停止を勝ち取ってくれただけでも十分に恩義はあるのだが、あの一千万を受け取ったのと受け取らないのでは、天と地ほどの差があるだろう。とうぜん報告は鷺の内医師の耳にも入るだろうが、さて、あの表面は穏やかにしているが怖ッかなそうなオッサン。はたして次にどう出てくるか……。

 

 織部焼きのサンマ皿に映える温めた鰻の白焼きを箸で千切る。

 その先から、ほくっ、と美味そうな香りと連れあう白い湯気が。

 

「もう当分結婚はイイよ……」

 

 おもわず声が出た。

 なにか、ドッと疲れた。

 生活に。その他もろもろに――なにより人生に。

 

 目の前がゆるくまわる。

 バカな。まだ一本も空けてない。

 ウィスキー一本は余裕のキャパをもつオレの肝臓が、とうとう裏切り始めたのか。

 

 ま、どうでもいいか。

 飲めなくて死ぬより飲みすぎで死ぬほうがいい。

 

「苦労ばっかりだし。裏切られるし」

  

「――そうかぃ?」

 

「あぁ。そうさ、って……え?」

 

 ビクリとダイニング・チェァから跳ね上がったオレが声のほうを向けば、ソファーに一匹の黒猫が香箱を組んでこちらを見ていた。

 

 ゆるやかに振れる、その尻尾。

 なんと……二股に割れて。

 

「……出やがったな」

 

 酔っているせいか、この現出をオレはきわめて当然のように受け止めた。

 

「この得体の知れない黒ネコめ。今日は何のようだ?」

「まぁた、ごあいさつだネェ」

「しかし、ま、来るだろうと思っていたよ。その証拠に、オレはそんなに驚いてない」

 

 これは負け惜しみではなく本当のことだった。

 革のソファーの上で座り込む黒ネコにおれは少しも心乱されてはいなかった。

 まるでそこに居るのが当然のように。いや、来るのが遅かったなぐらいな感じで。

 

「そうかい?だとしたら光栄だネェ」

 

 黒猫は立ち上がるとペロペロと前脚をなめて顔を洗いつつ、

 

「もっともボクとキミとの間には、すでに相当の"縁"(えにし)が結ばれているんだけどね」

「そいつはどうも」

「ただ、それとは別にキミには相当に強力な"守護"がついているね。やりづらくて仕方ないよ」

「守護……?」

「あぁ、そうさ?ところで……」

 

 と、このしなやかな黒い影はテーブルの上を見やって、

 

「ずいぶんと美味しそうなものが並んでるねぇ……」

「食うか?あ!塩分の高いものはダメだぞ?」

「だいじょうぶだよ。そもそもボクはネコじゃない――失礼するよ」

 

 そういってヒラリ、テーブルの上に飛び乗って、チョイチョイとサロンのボトルに触れてこちらを見る。

 

「ホントに大丈夫なのかよ……」

 

 オレは醤油皿にサロンを少しばかり注ぎ、それと料理を少しずつ取り分けてやった。

 驚いたことにザリザリのピンクな舌でピチャピチャとシャンパンをなめて、

 

「ウン。辛口でなかなかイイね」

「――マジか……」

 

 一丁前に酒の講評をする猫なんて見たことがない。

 いや、そもそもネコは肝臓が小さいのでアルコールはヤバいんじゃなかったか。

 つぎにコイツは、つややかな胴体に虹色の光沢を奔らせ、取り分けてやった料理をカプカプと食べる。

 

「このタイの刺身、どこで買ったんだぃ?」

「え……デパートで」

「だと思った。やれやれ」

 

 こいつ!

 相当口もオゴってるとみた。

 

「そうさ?」

 

 黒ネコはペロリと口の周りをなめ、ふたまたのシッポを自慢気にユラリと、

 

「サラヴァンのところに居たこともあるんだ。日本人だと……迷陽先生のところにもね?」

 

 迷陽って……まさか靑木正兒か!?

 だとしたらコイツ相当な食通のネコだぞ!

 

「まぁソレほどでもないよ。ただキミの料理は、ちょっと"詰め"に欠けるネェ」

 

 惜しいところだよ、といかにも残念そうに言われては立つ瀬がない。

 

「ハ。鋭意努力イタシマス」

「それはそうと……」

 

 黒ネコはサロンのボトルをポン、ポンと叩いた。

 仕方なくオレは醤油皿にお代わりを垂らそうとする。

 だがなんとコイツは肉球のついた小さな前脚でそれを制し、

 

(うつわ)は料理の着物、って言葉を知ってるかい?」

「あぁもう!()()()()()()()!」

 

 オレはネコにも舐めやすい形をしたクリスタル・グラスの浅いボウルを取り出すと、その中にサロンを注ぎいれた。

 この黒ネコは小さな頭をその中に突っ込んでチャッ、チャッ、と満足げにシャンパンを舐めながら、なんと上目づかいでこちらを見て、

 

「キミはもうすぐ、自分の失敗を悟ることになるよ」

「――オレが?なんで」

 

 そういってから、所長の"アシュラ"が自分を探していたことに思い当たる。まさか。

 

「ちがうちがう、キミのところの所長が呼んだのは別件さ。そうじゃなく、キミが心を緩めたことによる反動かな。キミは、この責任を取らなくてはならない」

「なんだよ。コワいこというなぁ」

《b》「ま、これも来るべき結末への必然的な一歩だからね。あまり気にしなくていいよ?ただキミがもう少し気を張っていれば、救えた命だったけど……」

 

 ニヤリと黒ネコがわらう気配――金色の瞳を光らせて。

 

 その様を見たとき、覚えずオレは慄然(ゾッ)とする……。

 

 



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      〃   (2)

「それは――いったいどういうコトだい?」

 

 黒ネコは答えない。

 

「……おい……おいってば」

 

 自分の声で、オレは我にかえった。

 気が付けば、遮光カーテンの合わせ目から朝の光が洩れ差している。

 

 ――えっ……?

 

 相変わらずダイニング・チェァに座ったままな自分。

 身体が、バキバキに凝り固まって。

 手は、シャンパングラスの細い(ステム)をつまんだままだ。

 

 冷え切った身体を動かして腕をテーブルに置き、グラスを放そうとするものの、手が石になったように動かない。しかたなく反対側の手で一本、また一本。固まった指を外す。

 

 また夢?いやいや、まさか……しかし……。

 

 見れば、テーブルの上には黒ネコのために取り分けてやった料理も、クリスタルのボウルもない。

 シャンパンボトルは空になっている。

 料理の大半は残ったまま。

 狐に――いや猫に化かされた気分ってのはこういう感じか。

 

 ――まぁいい。今日は休みだからな。

 

 オレは熱いシャワーを浴び、体を温めてから風呂場を出るとガウンをひっかけカーテンを引き開ける。

 

 颯ッ!と黒ネコの不吉な印象が祓われて、いつもの日常がもどってくる。

 片付けてない荒れた部屋。男のひとり暮らしを絵に描いたような光景。

 しかし、そんな現状もいまは前むきな意思を呼びオレを駆りたてる。

 

 ――さ!明日からまたがんばって轢き殺さなきゃ……。

 

 冷蔵庫をあけて、冷えたビールを引っつかむ。

 なによりも至福な“休日の朝ビール”って寸法だ。

 そう!養育費もなくなったので、朝ビールはハイネケンの瓶にランクうp。

 

 ネットのニュース・プログラムを立ち上げながらパシュッ、と小気味よく王冠をハネあけたその時だった。

 モニターの画面に、

 

 [深夜の凶行――連続通り魔殺人]

 

 そんな帯がかかり、スタジオと現場の中継でアナウンサー同士が緊迫したやり取りをしている光景がとびこんできた。

 

 ・連続した2件の物とり目的とみられる犯行。

 ・襲われたのは帰宅途中の会社員が2名。

 ・一人死亡、一人意識不明の重体。

 ・犯人は黒っぽい服を着た10代から20代、あるいは30代から40代の男。

 ・警察は防犯カメラの映像を解析して、犯人につながる手がかりを捜索。

 

 ――ヤツだ……!

 

 シャワーを浴びたばかりの身体が冷える。

 

「え~それと、コレはただいま入った情報なのですが、この現場から二駅離れた場所で女性が暴行され現金が奪われるという事件も発生しており、警察は同一犯の可能性も視野に入れて捜査をしているとのことであります――さて、この憎むべき犯行なんですか……」

 

 やられた。

 

 おそらくヤツはあれから行動をおこし、金目な獲物を狙って深夜を徘徊したに違いない。

 凶器は“バールのようなもの”で頭部を一撃と報道されている。

 くそっ!まさか初日に行動をおこすとは!!

 

 一人死亡。

 一人重体でICU。

 助かるか――どうか。

 

 そのうえクソ忌々しいことに、また若い女に手をかけやがった!

 あのクソ野郎を狩る使命を負ったオレはといえば、ヤツが凶行に及んでいるあいだ、のんきに酒なぞ食らってイイ気になっていたワケだ――畜生め!!

 

 誰かから、激しく糾弾されている気がする。

 だから言ったであろうが!という内なる声。

 

 ――貴様は自分の享楽を優先して、責務を怠ったのだ!

 ――王都の安寧を!無辜の民の財産を守る存在が、そのザマは何だ!

 

 たしかに。

 彼らが受けた不幸の責任は、オレにある。

 脳裏に、夢の中で聞いた黒ネコの言葉がよみがえる。

 

「キミはもうすぐ、自分の失敗を悟ることになるよ」

「キミがもう少し気を張っていれば、救えた命だったけど……」

 

 そう。

 あの黒ネコの言う通り。

 オレはこの責任を取って、必ずヤツを“仕留め”なくてはならない……。

 

 時刻は、もう8時をまわっている。だが全く寝た記憶がないにもかかわらず、頭は妙に冴えていた。

 オレは口も付けていない瓶ビールをドボドボと流しに捨てる。

 泡立ちながら排水溝に流れてゆく液体を見るうち、怒りがフツフツと煮えたぎって。

 

 あの糞ガキへの怒り。

 何より自分への怒り。

 

 ――()()()()()をしても、罪ほろぼしにはならんぞ。

 

 内なる声がさらに自分を責めたてる。

 

 ――お前は!自分の怠慢から三つの悲劇を喚んだのだ!

 

 「……」

 

 ――もういい!()()()()()!!

 

 有給などという気分は跡形もなくフッとんでいた。

 私はヒゲを剃り、新しいYシャツを引っ張り出し、外出の準備を整えると部屋を飛び出す。

 

           *   *   *

 

 事業所について受付のフロアを行くと庶務の子とバッタリ出会った。

 クリップボードをいくつも束ね、耳に赤ペンをはさんで。

 

「あっれぇ!マイケルさん?」

 

 チェックのベストに黒いスカート。

 しかし――その胸に名札はない。

 

 ニコニコ転生協会はこんなところにもセキュイリティに厳しく、女子社員といえども本名は隠すよう指示されているらしい。この子が“リサ”という名前であることは、昨日の電話で初めて知ったくらいだ。他のトラッカーたちにこの娘は「ベリショ」とか「庶務の6番」とか言われてる。

 

「今日、おやすみだったんじゃ……」

「あぁ、まァな」

「どうしたんです?コワい顔して」

「所長は、いるかね」

「え、呼ばれたの?所長室にいると思うけど……」

「すまんな」

 

 マイケルさん?と"リサ"が呼んだ。

 

「どうした、リサ」

「マイケルさん……よね?」

「それがどうした」

「うぅん、ごめんなさい。なんか別人みたいな気がしたから……」

 

 それから30分後、アルコール呼気検査と各種反応をクリアしてトラックの鍵をもらった()は発進後、すぐにあの糞ガキの犯行現場へと向かう。

 

『マイケル、どうしたんです?今日は有給と聞いていましたが』

「……」

『マイケル?』

「事情が変わったのだ。目標を追う」

『おやおや、有給を返上してですか。()()()()()()()()()()()()()()

「……」

『マイケル?』

「黙って周囲を警戒していろ!」

『……了解』

 

 私の頭の中は、目標をいかに残虐に轢殺してやるか。それしか頭になかった。

 自分の失態から3人の不幸を呼んでしまった事実。

 悔やんでも悔やみきれない。

 そう、王都の反乱で自分の家族を喪った、あのときのように。

 

『ココですね、犯行があった場所は』

「まだ警邏の人間がチラホラしてるな」

『……』

 

 私は会社役員が殴り倒された第二の現場をゆっくりと通りすぎた。

 そして近くの駐車しても大丈夫そうな場所にトラックを停めると、【SAI】とのコネクター・コムを耳に付け、徒歩で現場へと向かう。

 

 ヤツの手口。

 襲う場所のクセ、

 また周辺の状況もふくめた“現場感”。

 これらをなるたけ多く頭に入れておきたかった。

 

 駅まわりの繁華街から少し離れた場所。

 偶然だろうか?監視カメラもない空白地帯だ。

 夜は、いかにも人通りが途絶えそうな、シャッター通りの裏道だった。

 

 先ほどまで中継を行っていたのか、衛星用の通信機材を満載したTV用の大型車両が道端にとまっている。そして通勤時間帯も過ぎた今は、野次馬の姿がポツ、ポツと見られるだけになっていた。

 

 ――ここだ……。

 

 現場には早くも花束とコップ酒が添えられていた。

 携帯で写真を撮る若い女の姿も。

 

「【SAI】、なぜアイツはここを選んだ?」

≪考察データ不足です。前にも言いましたが粘土が無くてはレンガも作れません≫

「鈍器で攻撃か……意外に地味な方法を使ったな」

≪これは推測ですが……≫

 

 【SAI】がめずらしく口ごもる。

 

「なんだ、言ってみろ」

≪刃物などを使わなかったのは、最初から連続で犯行に及ぶつもりだったのではないかと≫

「――説明しろ」

≪返り血がついて、以降の犯行に支障をきたすおそれがあるからです≫

 

 ほぅ、と私は感心する。

 

「詳しいな。経験があるのか?」

≪こういった知恵は“その手”の若者たちに武勇伝まじりで伝播してゆくものです≫

 

 ふぅん、と私は納得する。

 なぜだろうか。そのとき、ふと【SAI】はこういった経験値を以前から積んでいるような。そう、たとえれば私の前のドライバーと行動したときの記憶をそのまま引き継いでいるような印象をうける。

 

 ――まぁいい。

 

 今は目の前のターゲットに集中しなくては。

 

「……3件の犯行場所は、徒歩で回るには少し広い。ヤツは原付免許も持っていなかった」

≪ターゲットは窃盗の常習犯です。おわすれなく≫

「原付を直結で盗むぐらいなら手馴れたもの、か……」

「――ナニが“手馴れたもの”ですと?」

 

 いきなり背後からの声に、私はギョッと振り向いた。

 上背のあるトレンチコート姿の男。

 帽子のひさしの奥から、鋭い眼光。

 背後を取られたことに苛立たしさを感じながら私は相手をにらみつける。

 

「……銭高警部」

「奇遇ですなァ――こんなところで」

 

 フン、とこの男は鼻息あらくふんぞり返り、

 

「警部補、ですよ警部補。もっとも先年まで警部だったんですが……」

「そりゃまたどうしてだね?」

犯人(ホシ)をパクるのにいささか強引な手を使いましてナ。すこし頭を冷やせと期間限定の降格です」

 

 そこまで言って、タバコ臭い顔をコチラにグイと寄せ、

 

「どうもわたしゃア、目標を見つけると手段をエラばない一目散なところがありましてな?こと仕事となると、融通が利かんのですわ!」

 

 ギロリ、()の眼をまともに見すえる。

 だが、その効果は無意味だった。

 オレは相手の威圧をどこか遠くに感じつつ、言われたセリフを脳内で反芻している。

 

 ――(ホント、貴方は仕事となると、融通がきかないんだから……)

 

 シーアの言葉。

 また少し、胸が締めつけられる。

 いまだに残酷な死に様が目に浮かんで。 

 夢の中の私は、ほかに取るべき手がなかったのだろうか……。

 

「――てですな……もしもし?モシモォシ!」

 

 ハッと自分は我にかえり、

 

「あ?あぁいや、失礼。で――なんだね?」

「こんなところで何を、と聞いたのですよ?」

「あぁ。ニュースでホラ、やってただろう。通り魔」

 

 私は身振りをまじえてあたりを見回す。

 いつのまにか見覚えのあるセダンが一台。背後に路駐して。

 顔を向け、耳につけた【SAI】とのコネクターにナンバープレートを見せる。

 

「どんなトコロだか、見たくなってな」

「ワザワザこんなところまで?」

 

 銭呉のゲジまゆがヒョイとあがった。

 

「オタクの会社からは、ずいぶんと離れているハズだが……」

「たまたま通りすがったのだ。自分も襲われないように用心しなくては、と」

「犯人は、犯行現場を二度おとずれる、と言いますぞ?」

「私が?冗談はよしたまえ!」

 

 ハハハハ!と銭高は目が笑っていない、口だけの哄笑をあげてみせ、

 

「冗談ですよ。まぁ、アンタもまたヤラれないよう、注意するんですな!」

「私は大丈夫だ。金持ってそうに見えないだろう?犯人は身なりの良い人間を狙いそうだから、みすぼらしい恰好をしていればいい」

 

 警部補どのは、胡散臭そうな目をして黙り込む。

 

「それに、犯人は金をもってそうな中年狙いだろう?」

「あなたも中年の(そし)りはまぬがれませんぞ。ところで――昨夜はどちらにいました?」

 

 何時ごろだ?――と私はとっさにカマをかける。

 

「日付が変わる前後あたりで」

「その時間なら、もう帰宅して独りで晩酌をしていた」

 

 実際どうなのだろうか。

 あの黒ネコとの会話の時間は。

 

「ふむ。独身貴族の晩酌というわけですな?」

「べつに貴族というほど、ど稼いではいないが」

「別れた奥さまへの養育費、というわけですかな?」

「……」

 

 フフン。

 さすがに昨日の今日で情報は伝わらないか。

 しかし、いちおうガックリとした表情(かお)をしてみせる。

 

「……私のことを調べたのだな?」

「これも仕事でしてね。アンタが刺された件も、あらゆる方面から探っていますよ」

「犯人の――目ぼしは?」

「捜査状況に関する情報は、教えられませんな」

「いずれにせよ、私の横腹に風穴を開けたニクいヤツだ」

 

 私は念押しした。

 

「なにか進展があったら、知らせてほしいくらいだぞ」

 

 それなら!と銭高はタバコ臭い身体を威圧するように寄せてギロリとオレをニラみ、

 

「もっと我々に協力して頂かないとイケませんナ。先日、病院でさせていただいた事情聴収。ありゃ何です?――控え目に言っても協力的ではなかったですからナァ!」

「警察がどれだけ本気か、分からなかったからだ。ヘンに色々(しゃべ)って、痛くないハラを探られるのもイヤだからな。会社の顧問弁護士にも釘を刺されていた」

「警察も、日夜努力してますゾォ!?市民の財産と安全を守るのが、我々の責務ですからなァ」

 

 銭高さん、と遠くから声がかかった。

 振り向けば、見たことのある女性が近づいてきた。

 このあいだトラックの横を通り過ぎた覆面。それを運転していた人物に違いない。

 

 私は顔を彼女にむけ、耳のコネクターの正面に来るようにする。

 

 (【SAI】……撮れ)

 ≪――諒解≫

 

 ショートの髪。

 警察官には見えない美人系。

 ブラウスの上からでもわかる大きな胸。

 歳は25近辺か。わりと知的な印象を発散する彼女。

 ローヒール・パンプスを鳴らすパンツ・スーツ姿が近づいてくる。

 

 オレは気を利かせ後ろを向くと、2、3歩離れた。

 当然、背後にもカムは付いている。

 警察官たちはヒソヒソと耳打ち声するような声で、

 

 (この先の……センターで……若者グループ……)

 (……原付は……だな。それからサッチー、店を片っぱしから……)

 

 会話がやむと、オレは振り向いた。

 (しか)め面をしていた警部補は、オレの顔に出会うと、いや失礼と表情を改める。

 私はゆっくりと二人に近づいて、

 

「犯人は――複数犯かね?」

「捜査状況は、一般市民には開示しておりません」

 

 フッと私は笑みを浮かべてみせる。

 この男。下士官にしたら、さぞかし優秀になるだろうに。

 

「警部補どのもご苦労だな?こんなに色々と事件を抱え込んで」

「それが、われわれ警察の仕事なのです!」

 

 銭高は疲労の色が濃い顔にいささか誇らしげな色をうかべ、胸を反らせた。

 

 やはり、と私は思う。

 根っからの仕事人間。いちど事にあたると、周りが見えなくなるタイプ。

 思わず微苦笑をまじえつつ、

 

「キミは――奥さんから文句を言われたりはせんかね?」

 

 相手はふたたび顰め面――そしてニガ笑い。だがふと横を向けば、奇妙なことに“サッチー”と呼ばれた女性は銭高の顔をみつめ、あるかなしかの微笑をうかべて。

 

「では、本官たちはコレで。ご協力ありがとうございました!」

 

 軽く頭を下げると、年季の入ったトレンチ・コートを揺らし、去ってゆく。

 私は【SAI】にセダンのナンバーを告げ、接近時にはワッチするよう命ずる。

 周辺をザッと歩きながら、しばらく時間を措くかと決めた。

 

 ヘタにほとぼりの冷めない現場をウロウロして、また出会ったりしたら今度こそ余計な疑いをかけられる。

 それでも、いくつかの収獲はあった。

 

 ・犯行時刻は23~01時。

 ・ヤツが仕切るグループが犯行に一枚かんでると言う可能性。

 ・移動手段は、やはり原付のスクーター。

 ・銭高の相棒の名前は“サッチー”。幸子か、佐知子の類

 

 そして、警部補殿の夫婦仲は――あまり良くない。

 

 トラックに戻り、残りの現場を回った私は、とりあえずトラックを走らせながら【SAI】に犯行をトレースさせてみる。

 

 3か所の共通項。

 

 夜になると人通りの少なく、街路灯も少ない経路。

 通勤帰りの身なりの良さそうな獲物が通る道。

 

 つまり。高級住宅街に通じる繁華街を経由した道で、夜はうす暗くなる経路だ。

 ひと昔なら奥様が車で迎えに来るところを、最近は共働きでそれもままならないのかもしれない。

 

 迎えに来いと言われたら「アタシだって仕事で疲れてるンですからね!?」と逆襲をくらう図が想像できる。結果、ご主人は頼まれた買い物を済ませ、夜目にも目立つ白いレジ袋を下げて……。

 

「【SAI】、国勢調査から算出した地域別の可処分所得マップ、出るか?」

『すこしお待ちを――ハイこれ』

「夫婦共働きの世帯が多い区域」

『――ホィきた』

 

 色別にされた地図に、赤丸がいくつか重なる。

 

「まさかとは思うが……防犯カメラの死角が多い地域を3Dで」

 

 いくつかの区域が、地図から上方に浮かび上がった。

 犯行現場は、3点とも選び出した地域に入っている。

 

 ――防犯カメラのマップを持っているヤツがいる……。

 

 どこからか情報が洩れているのか。

 あるいは少年グループが、担当課とつながっているのか。

 いや、少年グループにそんな力はないだろう。ならばバックにいる“ケツ持ち”が、少年グループに情報を与えて実行犯として使い、毎月の上りをカスめている構図の方が近そうだ。

 

 ――その“ケツ持ち”は、やはり暴力団関係なのだろうな……。

 

 盗聴時に聞いた、「黒龍」という名前が浮かぶ。

 

「【SAI】、この辺を仕切る広域暴力団の構図は分かるか?」

『警察のデータ・ベースには、私もおいそれとは入れませんよ。セキュリティが甘いようで、時々ヘンにキビシイ情報区画があったりするので厄介なんです』

「広域暴力団 黒龍――黒い龍、タツの龍で検索」

 

 出ました、と一連の事件を記したデータ。

 

「コレか……『黒龍互酬會』?」

 

「対立する集団は?」

『検索には目立って該当するものはありません』

「すると……内部での末端どうしがシノギの奪い合い、ってセンもあるか……」

 

 最近のガキどもは侮れない。

 ヘタに挑発すれば、当然のごとく光り物(ナイフ)は出すし、果ては拳銃まで振り回すのだから。

 警察も、せっかく捕まえても少年法で放流ともあればやる気がおきないだろう。

 

 そこでハッ、と私は思いあたる。

 

 有給返上で出勤し、訪れた所長室での会話……。

 

            * * *

 

「で……君はどうしたいんだね?」

 

 リサに運ばせた緑茶をすすめながら、事業所長の“アシュラ”は応接椅子にもたれかかり、太鼓腹の上で手を組むと、みょうにキラキラとする視線でこちらを見た。それは完全に面白がっているような眼つきだった。

 

「いま申し上げた通り、監視活動でワッチした会話の端々から、昨晩の連続通り魔事件は自分の轢殺目標(ターゲット)である可能性があります」

「ウン、それは分かった。で?」

「この情報を警察に通報し、あとは司直の手に委ねなくても良いものかと……」

 

 きれいに剃り上げられたほおを“アシュラ”ゆっくりと撫でた。

 やがて、自分の前に置かれた茶をひとすすり。

 

 所長室は静かで明るかった。

 まるで轢殺屋の事業を思わせるものは何もない。

 ただ机の上にある“事業用”トラックのミニカーを除いては。

 そのわきにはエジプト風と見える、ずいぶん古そうな黒ネコの置物。

 

 【一轢一誠】のへん額を頭上に頂き、湯呑茶碗の向こうから、疑わし気な顔が、

 

「キミは――そうしたいのかね?」

「いえ。できれば自分の手でヤツを仕留めたく考えます」

「なら問題ないじゃないか!」

 

 ふたたび所長の顔に満面の笑みが灯った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()

「ではイイんですね?警察に通報しなくて」

 

 おぃおぃ、と事業所長は手をうちふって

 

「じゃぁ、どうやって通報する?轢き殺す予定の対象者を盗聴していたら、殺しの相談がありましたとでも警察の連中に話せと言うのかね。あの情報ダダ漏れの組織に」

「ここは――」

「なにかね?」

 

 ここは警察との公的なパイプを持ってないのか、と聞いてみたかった。

 しかし自分の中の何が、それを止めている。

 重さんから聞いた、異世界にトバされたドライバーの話も思い浮かんだ。

 ヘンに詮索して、厄介なヤツだとレッテルを貼られるのも考えモノかもしれない。

 オレは仕方なく、

 

「言われてみれば……確かに」

 

 “アシュラ”は気持ちよさそうに大笑いして、

 

「オィオィ、しっかりしろマイケル“ナイトライダー”の名が泣くぞ。えぇ?()()()()

 

 自分も仕方なく愛想笑いを浮かべながら、

 

「いぇ、営業マン時代のクセで。報.連.相.はしっかりしておかねばと思いましたんで」

「うん。うん」

「これで心置きなくターゲットを轢けます」

「しっかりタノむよ?君には期待がかかっとるんだから」

「は……恐縮です」

「ところで――」

 

 話は終わった、と油断した自分に事業所長は言葉つきを変えて、

 

「君のところのAIの調子はどうだ?【SAI】ー108の調子は」

 

 今度はコッチがほほ笑む番だった。

 出された茶をようやく(すす)るだけの余裕も出てくる。

 

「アレはスゴい奴ですね。いまだに誰かと通信しているんじゃないかと錯覚してしまいますよ」

「なにか面白い話でもしたかね?その――たとえば自分の経歴とか」

「うぅん……そういや前に、チラッとその手の話をしましたが、規定で禁じられているとかで話してくれませんでした」

「その手の話とは?」

「あのトラックは中古ですよね?前のドライバーはどうしたのか、とか」

「そうか……ならイイんだ」

「所長、わたしの方からも、一つ質問が」

 

 相手の頷きに力を得た私は、

 

「今まで経験したことはないんですが……トラック同士って()()()情報のやり取りをすることってあるんですか?」

 

 緑茶を啜ろうとした所長の動きが止まる。

 こちらを上目づかいにして、

 

「そういうことが――あった?」

「いえ。あれだけ高性能なAIなら、互いに情報の交換も出来るんじゃないかって」

「不要な情報交換を防ぐため、AI同志が独自に情報のやりとりをせぬよう、厳重にプロテクトがかかっとる。もし、そのような気配を感じたら、すぐに知らせてくれたまえ――いいね?」

 

 相手の雰囲気が変わったことで、私は引き上げ時であることを悟った。

 応接椅子から立ち上がった時、ふと所長のデスクの上にある黒猫の置物をみて、

 

「面白いネコの像ですね。エジプトかどこかの土産物ですか」

「まぁそうだな。実を言うと……」

 

 ここで所長は笑みを取りもどし、

 

「ナニを隠そうわたしはネコ派でね。とくに黒ネコが好きなのだよ」

 

         * * *

 




風営法って2016年に改正されてたんですね。
おかげでストーリーの軌道修正を余儀なくされました。


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第15話:紙一重な"ウラ側"の世界

 ――警察には頼らず、独自に()け、か。

 

 ま、当然と言えば当然だが。

 

 しかし、これでこの事業形態の一端が、またすこし明らかになった。

 人間、()()()が出てくると、考えがほかにもまわるようになる。

 すくなくともこの会社。現行の治安維持機関とは一線を画す存在であるらしい。

 それにもかかわらず、法執行組織が管理するデータを入手できる立場というのは……。

 

 私はトラックをいつの間にか例の“縁結び”神社に向けていた。

 おぼれる者は何とやら、だ。目標との縁もむすんでもらわんと。

 それに落ち着いた場所に車を停めて、すこし頭を整理もしたかった。

 

「【SAI】、まだヤツは帰宅していないな?」

『部屋に反応なし。電力消費量、変わらず』

「ふぅん……」

 

 あのクズめ。

 

 頭の悪そうな話しっぷりにしては、意外と用心深い。

 まぁ、そうとう場数を踏んでいるワルだ。自分の犯行に足が付いた可能性や、仲間内からのタレこみを心配してのことだろう。

 

 神社の駐車場にトラックを停めた私は耳のコネクターをはずして車を降りると、玉砂利を踏み鳴らし本殿へと向かう。

 風が吹きわたり、木々が鳴った。

 あちこちで作務衣をきた青年やアルバイトであろう巫女さんが、箒で境内を掃いている。

 

 あの日。

 

 ヤクザどもをハネ殺し、異世界の性奴隷的な姉妹ダンサーに転生させ、その一方で“ボニー”を助けた夕方。

 それから、もうだいぶ経ってしまった。

 

 撃たれたり。

 手術を受けたり。

 異世界のリアルな夢をみたり。

 怖っかなそうな警察から事情聴収を受けたり。

 引きこもりの青年を部屋から出して転生を見逃したり。

 “ボニー”の姉の方に“自分らしからぬ”アプローチをしたり……。

 

 ――ちょっとふり返っただけでも、いろいろ濃い経験をしてるナァ。

 

 私は社殿をあおぎつつため息をついた。

 龍がチョロチョロと水を吐き出す手水舎(ちょうずや)で手と口をきよめ、参拝にいこうとすると、若い巫女さんが丁度やってきて、ニッコリ。

 

「ご祈祷も、受け付けております……」

 

 ――あ。

 

 私はピンとくる。

 これは神が「祈祷を受けよ」と仰っているのかもしれん……。

 

 なにせこの神社の霊験あらたかさは、マザマザと見せつけられている。

 ここはひとつ、流れに乗ってみるにしくはない。

 

 巫女さんに案内された私は、[御祈願受付]と墨痕淋漓たる札がかかった社務所で、杉の香をかぎつつ用紙に必要事項を書き込んだ。

 祈祷料の欄にあった「3万」に〇をかこみ、サイフを出したところ上客と診られたか、このカワイイ顔をした巫女さんはシレッと別の用紙を差しだして、

 

「あのゥ。いま本殿屋根を修理する浄財を募っておりまして……よろしければ」

 

 ――うぅ……。

 

 まさかココで断るわけにもいかないだろう。

 ヘンにケチって、神様のご機嫌をそこねるのが怖い。

 そこにも3万を包み、合計6万の出費となってしまった。

 拝殿にあがり、厳かな空間のなか、たった一人で御祈祷をうける。

 巫女さんから6万の話が神主に伝わっているのか、なかなかに念入りだ。

 口ヒゲが印象的なこの初老の男から、抑揚のついた意味不明な長い祝詞を聞いていると、有給を返上したあげく、朝からメシ抜きで午後遅くの今まで駆けずり回ったせいだろう、疲労のあまり眠くなる。

 

 座禅を組んでウトウトしていると、鼻先を何かがかすめた。

 ねっとりとした、ツンツンくるにおい……。

 

 ――死臭……?

 

 においの記憶。

 その喚起力抜群なちからは、あの五月動乱の鮮烈な光景をよびさました。

 

 燃えるトタン葺きの掘立小屋。

 焦げ臭いにおいに混じる肉の焼ける気配。

 子供の悲鳴。オークの叫び声。騎馬のいななき。

 あぁ、ようやく帰ってきた……と、私はなじみ深い感覚に安堵する。

 はやく。はやく副長に連絡をつけねば。散らばった分隊を集合させるのだ。

 龍騎隊一同の笑い声。その中でも精鋭の長距離偵察ユニットの面々が不敵な表情を浮かべて。

 

 バカな、と私は妄念をふり祓う。

 

 しかし、その光景はますます強まってゆき、耳もとには蠅の飛ぶ気配まで。

 目を開こうと思うが、まるで石化したようにまぶたがあかない。

 フッ、と目の前が暗くなり、意識がストンと落ちてゆく。 

 と、ここで不意にすべての情景は消えてしまう。

 

 (くら)い。

       寒い。

 

 

 どこまでも、どこまでも。仰向けに浮かんだまま流れてゆく感覚。

 何か不可(いけ)ないところに向かっているような皮膚信号。

 

 鈴の音がする。

 

 一定の区切りを措いて。

 まるで何かを誘うように。

 

 ――あれは……神楽鈴(かぐらすず)……?

 

 急に灼熱のまぶしさを受けて()は目を細めた。

 

 爆発的に音が広がった。

 硝煙の、焼けた鉄の、ガソリンの臭い。

 ひくく唸るようなCOIN機のエンジン。

 それに対応してか、どこか遠くで高射機関砲の射撃音が。

 車体中央に突き立つ銃架にM2を装備する、恐ろしく使い古されたジープ。

 前方の道に点在する茂み、そこに向ける照準器付き自動小銃(FAL)の、頼もしい感触と重み……。

 

 また耳もとでハエの羽音。

 

 ――そう。ハエは……ツェツェ蠅だ。

 

 とがった口先で血を吸う厄介なやつ。

 クワシオルコル(極度の栄養失調)で腹をふくらませた子供(ガキ)どもは、それにたかられても、もはや払いのける気力さえおこらず、伝染病にとどめをさされ、不意に視線を空白にして死んでゆくのだ。

 物資の欠乏した赤十字病院――とは名ばかりの、不潔な毛布を並べたバラック。健常者でも、三日その中に入れられれば、具合が悪くなること間違いなしに……。

 

 中尉!――中尉どのォ!!

 黒い顔をした大男が俺を呼んでいる。

 分隊支援用の火器からつながるベルト・リンクが陽光にキラキラと。

 とっさに名前が出てこない。だが俺がよく知っている人物なのは確かだった。

 

 ――いったいコレは……何だ?

 

 何かの記憶?

 それとも前世?

 もしや、あるいは……。

 

 トン、と軽く背中を叩かれて()()は我にかえった。

 一気に目の前があかるくなり、軽くなったまぶたを開くと初老の神主がそばに佇み、にこやかに見おろしていた。

 畳の、杉の樹の香りが戻ってきて、ホッとする現実感をはこぶ。

 

「……誘われておりましたナ?」

「さそわれた……なにがです」

「立てますかナ?」

 

 オレは立ち上がろうとしてよろける。

 痺れたのではない。脚にちからが入らないのだ。

 

「え!なんだコレ」

「おぉぃ、まことォ!」

 

 神主は拝殿の奥に向かって叫んだ。

 なぁにぃ?お父さんと足音が近づいてカラリとふすまがひらく。

 すると学校の制服に着がえた巫女さんが、驚いたような顔で立っていた。

 この巫女さん、マコトというのか。てっきり神主は男を呼んだと思ったのだが。

 

「えッ。誘われちゃったの?」

 

 巫女さんはマジマジとオレを見つめた。

 

「どうもそうらしい。手をかしてくれんか」

「……」

 

 脚の力が戻るまで、オレは神社とは別の離れでお茶のご馳走になる。

 神主さんは別口の祈祷が入ったので、社殿の方にかえっていった。

 

「済まなかったね。どこか出かける用事があるんじゃないのか?」

「えぇ、部活の懇親会。でも大丈夫です、まだ時間あるし」

「なに部?」

「……弓道部。これでも全国狙っているんですよ?」

 

 サバサバと受け答えする“元・巫女”さん

 なるほど。どこかキリッとして、武道を嗜む風格がある。

 

 オレは座卓を挟んで、同じように茶をすする彼女をあらためて見た。

 清楚な巫女さんから一転、こうして制服を着てみると、今風の娘に早がわりだ。

 しかもよく見れば、その高価(たか)そうなデザイナー・ブランドめいた制服は、あの“ボニー”が通うお嬢様女子高のものじゃないか。

 

 “誘われた”というのが何か知らない。

 だが、もしかすると神社に関するタブーを含んでいるかもしれない。

 ここはひとつ、親密度を上げてから尋ねるのが“吉”というものだろう。

 

 オレはひとつ、咳払いをしてから、

 

「ねぇ、美香子ってコ、知ってる?」

 

 一拍の空白。

 相手の目が、オレを値踏みするのが分かった。

 言おうか、言うまいかのせめぎあいが少しあってから、結局オレを信じるほうに天秤が傾いたようだ。

 

「……オジさん"ミッキー"知ってるの?」

「彼女にきいてごらんな。マイケルがきたって」

「……マイケル?」

 

 怪訝そうなこのJKにオレは捨て身のギャグ。

 

「ポォゥ!」

 

 沈黙。

 

 フッ、と鼻で嗤う彼女の気配。

 

 ――う……。

 

 ピュアな中年の心は、すこし、傷つく。

 

「じっ、じつはその。彼女のねぇさんと知り合いでね。この前も一緒に食事を――」

 

 しようと思ったのだが美香子のせいでメチャクチャになった……とまでは言わない。

 それを聞いた彼女の顔が「ナニこのオヤジ」レベルから若干復帰して、

 

「え!?おねぇさん良くなったんだ。ご病気になって、ご婚約も取りやめになったって聞いたけど」

「アイツ、知ってるのかィ?」

「しってるもナニも――子どものころ、よく遊んでもらったモン」

 

 なるほど。

 どうやら強姦されたことは“病気”で通しているらしい。

 ふつうこういったコトは風評でバレそうなものだが、さすが鷺の内医院長。力で関係方面を抑え込んだらしい。

 これはオレも話すときには、くれぐれも気を付けないと。

 

「もう大丈夫らしいよ?ところで――」

 

 クリクリした彼女の大きな目を見つめながら、

 

「美香子()()の学校での評判、ってどうなのかな?詩愛、いや姉ぇさんの方が心配してたから」

 

 あら!と元・巫女さんは、がぜん目を輝かせて、

 

「オジさんと詩愛姉ぇさんって――もしかして()()()()()()?」 

「バカ言いなさい。歳がちがいすぎるよ」

 

 だが何てコトだ。そうは口先で言いつつも、現実版のシーアが持つ、ブラウス越しの“たゆん”とした豊乳が目の先にチラついて。

 

「えー!だってお金持ちなオジさまと年の差婚して、専業主婦になるのあこがれるンだけどなぁ」

「専業主婦?いまどき?」

「そうだけど……ダメかな?それで夫を送り出したあとは、優雅なお茶会で午後を過ごすの。するとやっぱり金持ちの男よね」

 

 はぁ、そッスか。

 この子も現金な子だよ、文字どおり。

 

「いまの女子高生は……友だちの間でそういう話をしてるのかぃ?」

「だって貧乏はイヤだもん。この神社だってさ?境内整地して月の駐車場にしたり、雨漏りが大変で――あ、オジさんカンパありがとね♪」

 

 浄財をカンパといわれてしまった。

 見てくれはカワイイが、やはり今どきの女子高生()()……。

 

「でもサ、けっこう霊験あらたかなんだろ?この神社」

「いわれはフルいらしいですよ?そりゃ。でもねぇ、儲からなくちゃネェ……」

 

 でさ?とオレは心持ち身を乗り出し、

 

「さっきの"誘われた"ってアレ、なんなのサ?」

「あぁ、あれ?」

 

 女子高生はこともなげに、

 

「たまに“お客さん”で居るんだ。神様に気に入られて、どこかに連れていかれてヘンなもの見るひとが。ヒドいときには足腰立たなくなっちゃうの」

「――はぁ?」

 

 まさか。

 いまどき、ホラーだオカルトだのと。

 21世紀も1/4を過ぎようとしているこのご時勢に?

 しかし、ここで疑うような素振りを見せれば、信頼関係はおジャンだ。オレはあくまで興味津々といった風で、

 

「キミは?――みたことあるの?」

「アタシはダメ。“いい人”でなきゃ見れないみたい」

「いいひとねェ」

「でもアタシのお母さんはスゴかったのよ?神さまとお話しして、イロイロ言い当てたんだから」

「本当の巫女みたいなもんか……」

「お母さんが言うにはね、この世界はもろいもので、すぐウラ側にいくつもの“別の世界”があるんだって。行方不明になる人は、このテの別の世界にまぎれこんじゃう事もあるとか」

「お母さん、いま何やってるの?」

「死んじゃった」

「……え」

 

 彼女はワザとのようにサバサバとした口調で、

 

「連れていかれて、そのまんま。病院に運ばれたけど、目ェ覚まさなかったわ。脳がね、活動してないんだって」

「それは。スマん」

「……うぅうン、イイの」

 

 だが、そうは言っても母親のことを思い出したのだろう。すこし目じりを払う。

 ややあってから、少女は作ったような元気さで、

 

「――そうだ!美香子の評判だったわよね。あのコに言っといて?いくら払いが良いからって、SMクラブでバイトするのはヤメなさい、って」

 

 エフッ!とオレは(ぬる)くなった茶にムセる。

 

「え、SMクラブだァ?」

「あれ?チガったかな……SMバー?とか何とか、そんな感じの」

「まさか。いくらアイツだってそんな」

 

 しかし言ってるそばから思い当たるフシが次々と浮かぶのを、オレはあえて思考野の奥におしこめて顔をしかめ、

 

「いくら何でも……」

「体育の時間にね、着がえるでしょ?その時、あのコだけみんなとは離れたところで着替えるのよ。そのときチラって見ちゃったんだ」

「なにをだィ?」

「あのコの身体にね?」

「うん」

「ベルトの跡とか縄の跡とか、うっすら浮かんでるの」

 

 まさか。

 せっかく救ってやったのに、またヤクザの手にでも墜ちたのか。

 クソが。また詩愛にまで害が及ばなきゃイイが……。

 

「……よくそれでクラスのみんなにバレないな」

「先生に空き準備室用意してもらって、そこで着替えてるの。アタシは偶然、すき間から覗いただけ。さもなきゃ大騒ぎよ?なんだか最近体つきも変わってきたみたいだし」

「体つき?」

 

 アタシが言ったって喋ンないでよ?と彼女は一呼吸おいて念押しすると、

 

「なんだか最近、ウェストがヘンにくびれて来てるのよ。胸もチョッと大きくなったみたいだし。いつ見ても「とろ~ん」ッてシマリのないカオして。唇を整形したからかナ?それが余計に目立つの」

「整形だってェ?なんでまた」

「詩愛姉さんも心配してるんじゃないかな」

「あの怖っかなそうな親父サンやおフクロさん、なにか言わないのかね?」

「お母さまはともかく、院長先生は、もうサジなげてるみたい。あたしも幼馴染だから心配はしてるんだケド、本人に聞く気ナシじゃねェ……」

「いいトコのお嬢さん学校なんだろ?先生とかなんも言わんの?」

 

 目の前の女子高生は、ちょっとこだわった表情をして、

 

「それがネ?先生を“お客さん”として手なずけてるんですって。不潔!」

「まさか……じっさいに、その」

「知らないわ、そんなの。あのコに直接聞いてみれば?」

 

 いっけない!もうこんな時間、と彼女は壁の時計を見て立ち上がった。

 

「マイケルさん、だっけ?もう身体は大丈夫ね?そう、よかった。はいコレ、お父さんがオジさんに、って!」

 

 元・巫女さんは、オレに神社銘が入った大きな紙袋をガサガサ押し付ける。

 

「じゃね?――またカンパよろしくゥ!」

 

 ふすまを開け放しに、ドタバタと離れを出てゆく彼女。

 若いパワーを見せつけられ、なんだかなぁ、の気分となってしまう。

 渡された紙袋の中を見てみれば、自分の名前の書かれたおそろしいほどデカい木の札。

 

 ――どこに飾るんだ、こんなの。

 

 紙袋を下げたオレは、出がけに神主さんに挨拶をしようと思ったが、また別の参拝者団体に祝詞を上げているらしい。

 オレは本殿の方にかるく会釈をすると、玉砂利を鳴らし駐車場へともどる。

 轢殺トラックのドアをあけ、ヨッコラしょと乗り込み、紙袋を後部座席へ。

 

「チッきしょう!やっぱオレも、もうトシなのかねェ」

『……マイケル?』

「あぁ?」

『マイケルですよね?』

「おっ♪どうした、どうしたスーパAI!」

 

 オレは同類を見つけたような嬉しさを感じ、 

 

「オマエもとうとうボケたか?いや“コンピュータがボケる”ってコトが、そもそもスゴいんだが。それとも監視カメラでもおかしくなったか?」

『……いえ』

 

 なにやらスッキリしない対応だ。普段の【SAI】らしくない。

 そこでオレも真顔になって、

 

「おい、冗談じゃないぞ?機器の不具合があるなら申告しろ」

『状況、オールグリーン。マイケルの方こそ、一度健康診断を受けた方がいいのではないですか?』

「オレが?よせやい」

 

 ケッ!とそっぽを向いて、

 

「あの糞ムカつく産業医のババァに、まァたγーGTPの数値でグチグチ言われちまう」

『いえ、肝臓ではなく、その……脳波、とか』

「は?バカにしてんのか」

『撃たれて以降、どこかおかしいですよ。ご自分の言葉づかいがフラフラと変わるの気づいてませんか?境界性人格障害を疑いたくなりますよ』

 

 あぁ、とオレは納得がいった。

 

 養育費を祓わなくてすむようになり、オレが一時的にハイな気分となったところを【SAI】が心配したのだろう。なるほど、考えてみれば、確かに。

 

 そこでオレは、例の弁護士とのいきさつを手短におしえてやる。

 するとこの疑似人格は札束を蹴り飛ばしてホテルのフロアに100万の札束をバラまいたところがお気に召したようで、

 

『あぁっ!残念です。ワタシも見たかった!』

「へへッ。高級ホテルの豪華な調度を背景に万札の束が飛び散るのは、チョッとした見ものだったぜィ」

『なんでコネクター付けていってくれなかったんです?――残念』

「監督ならだれがいいかな?ん?」

『スコセッシもいいですし、デ・パルマもイイですね!あ、いやグッと渋くアンジェイ・ワイダなんかも捨てがたい……ッ!』

 

 興奮する人工知能をよそに(あーハイハイ)とばかり、オレはふたたびトラックを街へと乗り入れる。

 

 



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第16話:失意の張込み(1)

 時間は、刻々とすぎてゆく。

 

 いよいよ週も変わり、犯行予定のある金曜日まであと数日となった。

 相変わらず轢殺対象は“ヤサ”にもどる気配はない。

 平行して情報を漁る"おさる"のジョージと糞ドレッド野郎の動向も皆無だ。

 

 何日もつづく夜の張り込み。

 そして今日、火曜日の明け方。

 

 徹夜明けの目をシパシパさせながら、オレは空振りに終わった張り込みを打ち切って、またもや無念の撤収をする。

 

 そろそろ待ち伏せ場所も変えなきゃマズい雰囲気だった。

 偽装してあるとはいえマニアが見れば変わった造りのトラック。

 夜間、同じ場所に何日も止まっているとなれば、必然的に目立っちまう。

 

 一度などは終電を逃した合コン帰りの学生らしい男女の一群が、

 

(ホラ、これこれ――このトラック!)

(マジかよ!なにコレごっつ!)

(先輩ぃ、コレなんだか知ってますぅ?)

(ハードな現場用のトラックじゃね?)

 

 などと騒ぎ、後席にオレが潜んでいるにもかかわらず、ひとしきり見て回ったのだ。

 しまいにゃ近くの電柱に立ちションなどしてゆくしまつ。

 

『ワタシに立ちションなどしたら全員速攻で轢いて、異世界の“尻ふき紙”にでも転生させてやるところでしたよ!』

「オイオイぶっそうだな……」

 

 プンプンと【SAI】が息巻くなか、オレは全く別の感情を抱いたものだった。

 

 ――若いナァ……。

 

 自分が大学生のときは、金がなくてバイト三昧だったものだ。

 飲み会になんて、滅多に行けなかったっけ……。

 

 そんな、わきあがる記憶と様々な妄念にまみれ、時間をつぶす苦しい戦いとなった長い張り込みの夜。その夜をようやくくぐり抜け、事業所にもどる途中の【SAI】との会話。これも、決まりきったものになっていった。

 

「――【SAI】?」

『ダメです。それらしき事件の発生なし。警察系の無線傍受も同じ』

 

 これだけ。

 

 だがオレはホッとする。

 もしやウラをかかれて、我々の知らぬ間にヤツの犯行が行われ、また犠牲者が出たのではないかと、この頃はニュースを見るのも怖くなってきた。

 

 あとは“二人”とも押し黙ったまま、地下の駐車場を目指す。

 朝会に出て『愛の五ヶ条』を斉唱し、所長の訓示を聞いて解散したあと、オレはグッタリした手つきでトラックの鍵を管理課の主任に返した。

 管理課の人間らしく、バラバラな服装をしたトラッカーとは違い、アイロンのあたったYシャツにキチンとしたネクタイという恰好。

 ここだけ画面を切り取れば、どこかの会社の総務部という雰囲気だ。

 

「お疲れだな、マイケル」

「まぁね――重サンは?」

「沖縄に出張。一人で3人殺るんだと」

「ひぇぇぇ、Mjd?あのジイさんも頑張るなぁ」

「キミと同じく、なんかワケありみたいだぜ?」

 

 すると、奥の庶務席から“リサちゃん”がタブレットを手に追いかけてきて、

 

「ようやく見つけた!マイケルさん、日報がこのごろ全然出てないんですけど?」

「うぅ……わかった。あとで書くよ」

「この前もそう言ったじゃないですか!!」

「そうだっけか……?」

「知りませんよ?勤務評定が落ちても」

「ワルい。いまソレどころじゃないんだ」

「もう!二人の将来設計はドウなるのよ!?」

 

  ドッと管理課に満ちる失笑。

 

 (言うねえ、りさっチ)

 (マイケルさんとくっついちゃいなYo!)

 

 オレも周りに合わせて笑いながら、この口が回るベリショな庶務嬢に、

 

「……いま、そういうギャグを受け流せるだけの体力はないぜェ」

「いっそのこと、目標の変更を申請したらどうです?」

 

 そうはいかない、とオレは断固として思う。

 

「コイツはオレの戦いなんだ……」

 

 ヨッ!カッコいい!と、どこからか余計な合いの手。

 冗談じゃない。後任のドライバーが簡単にあのガキを転生させたら、それこそオレの立場が無くなって“間抜け”の烙印を押されちまう。それだけは絶対に避けたかった。

 何よりオレのプライドがゆるさん。

 ヤツは――オレの獲物だ。

 

「もう!体にだけは気を付けて下さいね……ハイコレ」

 

 リサはこちらにキャンディーを渡すと少し顔を赤らめ、すぐにクルリと回れ右をして自分の席へともどってゆく。

 

 ちょっと気分がクスぐったくなったオレは、ドライバーたちが去った後の閑散としたフロアを自販機コーナー目指して歩いてゆき、カップのココアを買うとパイプ椅子に座りこんだ。

 

 本当はコーヒーにしたい。

 だがこれから酒の力を借りて寝なくちゃならないんだ。

 早朝シフトなのか、地元のコンビニでいつもレジに居るお姉チャンには、

 

 ――またこのオヤジ!朝からビール買いに来やがった。ダメ人間!

 

 などと思われているらしく、コンビニ袋に商品を入れる手つきがぞんざいで悲しい。

 とりあえず、今は帰って寝ようと、湯気のたつココアを啜りながら思った。

 精神的に疲れた胃に、暖かいものがジンワリと効いてありがたい。

 

 ホッ、と一息。

 

 パイプ椅子のうえで、少しウトウトする。

 徹夜もツラい歳になったか。昔は時差の関係上、深夜まで働いてヨーロッパやアメリカの連中と見積金額のことでやりとりしたものだが……。

 

 もう、目標は金曜日まで動かないのではないか、そんな気がする。

 クレカをハッキングするなり、免許証や保険証を闇ルートで売るなりすれば、それなりの金にはなるだろう。

 

 ――と、すると……。

 

 最終手段として、犯行予定とされる場所。

 美香子がバイトする“紅いウサギ”で待ち伏せするのもアリだ。

 

 待ち伏せ……。

 

 ドクン、と心臓が鳴った。

 『アンブッシュ』という単語が稲妻のように。

 そしてそれは、なにか甘美な響きをもって()の身体を熱くする。

 

 

「マイケル――マ・イ・ケ・ル!?」

 

 誰かが呼んでいた。

 目をあけると、所長の“アシュラ”が面白そうな顔をしてこちらを見ていた。

 

「どうした。だいぶ疲れとるようじゃないか」

「……これから帰るところです」

「だいぶ手こずっているようだな、えぇ?」

 

 所長のニヤニヤ顔が、さらに深くなる。

 

「目鼻はついてきましたよ」

「応援をつけてやろうか?」

「独りで出来ますって」

「そうか?期待しとるぞ。とそれだけ言うと、会議室の方向に歩いて行った。

 

 ――くそ、こんなところでウダウダやってるからイジられるんだ。 

 

 オレは思わず舌打ちした。

 しかもヘンなとこで寝るから、妙な夢を見る……夢?

 そういえば、今のような夢をどこかで見たような……。

 

 空の紙コップをいじるうち、うたた寝の寸前に考えていた事を思い出した。

 

 ――そうだ!待ち伏せだ。だがそうなると、あの"ハコもの"(店)の性格を知っておかなきゃならん。ヘタすればドレッドや、おサルのジョージとカチ合わせということも考えられる……。

 

 黒龍互酬會。

 

 この組織の性格を、なんとしても知っておかなくては……。

 

 と、ポケットの携帯が鳴った。

 画面を開けば、なんとなんと。

 轢殺を見逃してやった青年からのメールじゃないか。

 だが、メール画面を見てオレの顔はたちどころに曇った。

 

 『また引きこもりになりました』

 

 こんな表題とともに、以前約束した『転生トラックのウワサ話』に関する闇サイトのアドレスとパスワードが添付されている。

 

 ――バカが……。

 

 グッタリとプラスチックのイスに背をもたせた。

 

 ――アレほど「ゆっくりヤレ」と言ったのに!

 

 オレは、このところクセとなりつつあるため息を吐いた。

 

 たぶん、急に頑張ろうとしたんだろう。

 職場でいじめられたか――親と何かあったか。

 ヘタをすれば、また轢殺依頼を出されるかもしれん。

 

 そのとき、ハッと閃めいた。

 

 そうだッ!

 考えてみればコイツは渡りに船だ。

 ヤツは引きこもりだからネットは詳しいだろう。

 なにせ裏サイトまで知っているくらいだ――ならば!

 

 オレはすぐさま返信メールで、

 

 『じゃぁまた働け』

 

 という表題を打ったあとに、

 

 ≪『黒龍互酬會』という暴力団について、ネット上で何でもイイから調べろ。構成や傘下、対立する組織など。半グレ。フロント企業。なんでもいい、関係するものは全部。期限は2日。もちろん報酬は払う。ただしコチラも急ぐので、判明した分は途中経過でもいいから報告されたし≫ 

 

 さほど待つまでもなく≪了解しました≫という簡単な返信が来た。

 

 あいつめ、とオレはため息をつく。

 ナニやってんだか。

 しかし、ガラにもなくこのオレがこんな心配をするのも、年取ったせいか。

 若いヤツが苦しむのを見るのは、ツラい。

 

                  *  *  *

 

 携帯でニュースを確認しながら、朝のラッシュで混雑する方向とは逆の流れを伝い、電車に揺られて帰る。もちろん比較的すいているとはいえ朝のこの時間なので座れるはずもなく、つり革につかまりながら何度も膝カックンして。おかげで離れた座る女子高生たちに笑われてしまった。

 コンビニで例によって邪険な扱いをされ、500缶の発泡酒5本とつまみをぶら下げ、通勤や通学に向かう人々にビールが入った袋をチラ見されつつ、寮の部屋へともどった。

 

 ――ニュース見るかぎりじゃ、通り魔的な事件が起こった形跡はねェ、か。

 

 こりゃヤツはもう犯行当日まで出てこねぇかな……。

 シャワーを浴び、徹夜で脂くさくなった体をすっきりさせる。

 本当はスーパー銭湯に行きたいのだが時間的にまだ営っていないし、もう外出する気力はなかった。さて♪と発泡酒(このごろ散財が続いたのでまたも緊縮財政だ)のタブを引きあけようとしたときだった。

 

 また、携帯が鳴った。

 

 画面をみれば、知らない番号。

 何となくイヤな予感がしつつもオレは、

  

「ハィ、もしもし?」

{あの……失礼ですが、こちら**さんの携帯で宜しいでしょうか……} 

 

 いきなりオレの本名を呼ばれた。

 しかし、その控えめな優しい声に聞きおぼえがあった。

 

「――鷺の内さん?」

{あぁ!よかった、私です、詩愛です!}

 

 すがるような口調が異常だ。また何かあったのか。

 

「どうしました?そんなに慌てて」

 

 あの、と言ったあとの数拍分の沈黙。

 

{妹が……美香子が、帰ってこないんです}

 

 忘れていた胃の重さが、またよみがえってきた。

 畜生、どいつもこいつも。何でオレの酒を邪魔するんだよ……。

 

「――いつからです?」

{金曜の……夜から}

「以前にも、こんなことが?」

{2,3日ならあったんですが土日に帰って来ないことはありませんでした}

 

 今日は火曜の朝だ。

 ヤツの犯行予定日は金曜だが……もしや、計画を早めたのでは。

 

「学校には、連絡したんですか?」

{えぇ。でも登校してないと}

「もちろんコチラには来てません。私の住所など知らないはずですからね」

{捜索願いを出そうとしたのですが……父が、ほぉっておけと}

「その、ほかに交際関係は?言いにくいことですが、ワルい友達とか……」

{……存じません。恥ずかしいお話ですが、あの子は家とは、いえ父とは折り合いが悪くて……それも私のせいなんですが}

「と、言うと?」

{父が、私ばかり贔屓にするものですから、あの子、それが寂しくて反抗するようになってしまって}

 

 貴女のせいじゃありませんよ、とアテにもならない慰めを言う。

 これで姉妹の仲が崩れていないというのが不思議だった。

 もっとも水面下では、どうだかわからないが。

 

「とりあえず、私の方からも、心当たりをさぐって見ます」

{本当ですか!?}

 

 相手の声に希望の色が動くのをオレは後ろめたく感じながら、

 

「えぇ、二、三おもいあたるフシがあるものですから」

{有難うございます!}

「……ちょっと長丁場になるかもしれません。数日待っていただけますか?えぇ、その前に妹さんがご帰宅になった場合は、コチラにも連絡よろしく。これ、貴女の携帯番号で宜しいですね?」

{はぃ!お忙しいところ申し訳ありませんが、何卒よろしくおねがい致します……}

 

 すみません、すみません、と何度も謝る彼女をもてあまし気味に通話を切ったあと、おれはちょっとぬるくなってしまった発泡酒を冷蔵庫のものと交換してタブを引きあけた。

 あまりウマくない酒が、喉をつたってゆく。

 

 ――こりゃァ、あまり時間が無いかもしれねぇな……クソが。

 

 飲み干したアルミ缶を握りつぶしてゆくこと4本。

 5本目にして、ようやく苦い酔いが微かに全身をまわりはじめた。 

 遮光カーテンを、オレは音を立てて手荒に閉める。

 

 

            * * *

 

 朝。サバンナ特有の肌寒い新鮮な空気。

 アルエットのローターが回りだすタービン音。

 キャスパー兵員輸送車が“ピクニック”に出かけるカルテット(4人組)を数個小隊つれてきた。

 南アフリカ語(アフリカーンス)とフランス語の号令に、低地ドイツ(ウェストファーレン)語の悪態が交じって。

 降下した先で受けた洗礼。東側の銃器に共通な、カン高い銃声。

 

 C. T.(コンバット・トラッキング)という命令が発せられ、胸の動悸がたかまる。

 顔を黒く塗った男たち。

 装備をまとう全身の緊張……高揚……。

 ガソリンが爆発するときの紅蓮。悲鳴。怒号。

 ブッシュ(やぶ)の中からこちらをうかがう眼。銃口……。

 

 

 なにか記憶に残らない激しい夢をみて、胸をドキつかせ汗びっしょりで目を覚ました時は、部屋全体はオレンジ色となり、遮光カーテンから漏れた光が壁に夕方特有のかたちを浮かべていた。

 

 ――Merde(クソっ)

 

 寝た気が全然しない。

 シャワーをあび、氷をうかべた強炭酸水をビール代わりに喉に流し込む。

 鏡の向こうからは、見知らぬひどい顔がコチラを見返してきた。

 

 この轢殺稼業ってヤツ。

 いがいと寿命を縮めるんじゃないか。

 仕事についてから初めてそんな思いが頭をよぎる。

 だが仕方ない。何はともあれ、食っていかなきゃならないんだ。

 ()は身支度を整えると事業所まで出勤し、車両係からトラックを借り出す。

 

『マイケル、大丈夫ですか?』

「なにがだィ」

 

 運転台に乗り込んだとき、いきなり相棒が話しかけてきた。

 

『呼気に、その。法定内ですがアルコールが検知されます。それに話し方が……』

「人間にはイロイロあるのさ――そっちはどうだい【SAI】」

『もちろんワタシのような優秀な知能にも、いろいろ悩みはあります』

「ほんとうか?わがデウス・ウキス・マキナよ」

『……当然ですよ。そら“知識ヲ得レバ得ルホド――哀シミモマタ深マル”ってね」

「へっ、ラテン語か?“人事ナル事ハ、イズレモ多大ナ労苦ニ値セヌ”だよ」

『……ギリシャ語じゃないですか。いつ学んだんです?』

「パブリック・スクールでね。そういやラテン語も苦労したっけ」

『……それで、今日はどうするんです?また張り込みですか』

「いや――ちょっと作戦を変更するかもしれない」

 

 大型のハンドルを握る。

 今日は、なぜかものすごく違和感を感じた。

 シートが柔らかすぎる。ガソリン漏れの臭いがしない。

 兵員輸送車のクセが出たのか、ダブル・クラッチを踏んでエンジンの回転数を合わせる。

 そして腕は、戦場用の四輪駆動車をあつかう時のように2駆ー4駆のレバーを腕が探って空振りして。

 地雷をおそれ、発進時、前のめりになり、タイヤの先を凝視する。

 サイド・ウィンドウを開け、空気を嗅いで追跡を台無しにする驟雨の気配を探った……。

 

『マイケル……マイケルどうしました?』

 

 【SAI】の声に我にかえる。

 気が付けば、俺はイグニッションボタンも押さず運転台で呆けていた。

 広大な地下駐車場は、メンテナンス中のトラックと実験用の車両をのぞき、可動ユニットは全車出庫したあとでガラントした雰囲気。

 

『マイケル“緊急通知”です!』

 

 ついにこのスーパーAIはドライバーをも上回る最優先コードを発した。

 

『脳波と反応テストの受診を推奨。結果が判明するまで本車は稼働命令を“拒否”します』

 

 ジェネレータの回転数が落ちてゆく音。

 メーターまわりの灯が、インジケータが次々と消える。

 「はよ行け」と言わんばかり、ブ厚いドアが自動的に開いて。

 

「マジかよ。つれないな、Mon Cmarade【SAI】、オマエと俺との仲なのに」

『アナタは……』

 

 ふいに人工知能は敵意を丸出しにして俺に問いかける。

 

『アナタは一体――ダレです!?』

 



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       〃   (2)

「ダレだ、だと?」

 

 俺は運転台のインパネをニラむ。

 

「俺は俺さ」

『とにかく、医療部で検査を受けて来てください!』

 

 いきなりトラックから最後通牒を突き付けられた俺だった。

 

「Putain de Merde!」(クソったれが!)

 

 仕方が無いのでトボトボと広い駐車場を歩き、一番近くの広大な荷物用エレベーターを使いふたたびエレベータで1Fに登ってダダッ広い建屋の奥にある医療部の扉を開く。

 

「アロゥ?」(こんちァ)

 

 扉の開いた音に、中にいた白いジャケットの男が素早く何かを隠した。

 カッパのようにハゲた頭頂部。赤いまだらな初老顔。

 近づいてゆくと、相手はみょうに慌てながら机の書類を整理などして。

 だがいかに取り繕うにも、吐く息がウィスキー臭いのではどうにもならない。

 

 『ザビエル』とあだ名されるこの男は、これで30歳。

 

 以前は病院に勤めていたが、勤務医の長時間労働からくるストレスで飲酒してるところを見つかり、それをマスコミから執拗に叩かれたとか。そのため病院をクビになり、婚約者にも見放されたすえ、ここにやってきたらしい。そのためかマスコミに対する憎悪は凄まじいと聞いている。

 

 余談だが、TVにつるし上げられたその病院は、おなじような境遇の医師たちが心を折られて次々と辞め、部門が閉鎖されることになった結果、地域医療は崩壊して住人は他県まで出向かなければならなくなったとか。“スクープ”をした新聞記者は、めでたくも報道大賞を受賞したそうな。

 

「あぁ、先生(ドク)?――かまいませんよ」

 

 俺は兵員輸送車のシートに座るようにドッカリと診察用の椅子に腰をおろした。

 

「先生はハンドルなんか握らないんだし」

 

 『ザビエル』はバツが悪そうにジョニ黒の酒ビンを出しながら、

 

「うん……そうなんだがね。私はときどき……昔のことを思い出して無性にクヤしくなるときがあるんですよ。そんな時はひと口――ひと口だけですよ?コレをやらずにはいられない……クソっ!」

 

 はぁっ、と涙目でため息をつく失意の医者。

 グッタリとうなだれていたが、やがて気力をふりしぼったのか、

 

「で、どうされました?」

「【SAI】から――自分のトラックのAIから脳波と反応試験を受けなきゃエンジンをスタートさせないとサボタージュ食らいまして」

「んぅ?……どれどれ」

 

 両手をグーパーさせ、

   ヒザを小さなハンマーで小突き、

     聴診器で胸の具合を確認しながら問診。

          瞳孔(どうこう)反射の状態をしらべ、

              血圧が高めの数値であることを注意。

                 脳波を測定、描き出された波形を判読する……。

 

「ハイ異常なし……ンぁ?なるほど……少し混じってますね」

 

 そういうや、この年下の医師は座禅で使う警策(きょうさく)のような棒を取り出すと張り詰めたした大声で、

 

「三千世界を彷徨う我執よ!迷うも悟るも同じ――喝!」

 

 ピシリ!こちらの肩を打ち据える。

 とたん、診察室で「バキッ」と物にヒビが入ったような大きな音。

 頭が一瞬、シィィィィン……となってオレの身体が透き通ったような感覚。

 ひとしきり耳鳴り。その後は、なにか今までバラバラだった心が、スッと一つにまとまったような。

 

「……これで()し」

「痛ッてぇ……先生、なんです、コレ」

「いまキミの身体が三重にブレて見えたから、一つにまとめました」

「……なんですソレ。先生、霊能者か、なにか?」

「実家が拝み屋だったコトはあるけどネ。どう?スッキリしたでしょ」

「……はぁ」

 

 言われてみれば、何となく。

 酒グセうんぬんはさておいて、腕と手際がイイのは分かった。

 診察机のモニターに浮かべたカルテ・フォーマットにドイツ語で何やら記入すると『ザビエル』はPCからドライバーの管理フォルダーにコネクトし、出庫可能のチェックを入れて――送信。

 

「また具合が悪くなったら、無理しないですぐに来てくださいよ?」

 

 そう言って、この傷心の産業医はジョニ黒のスクリュー・キャップを開けて検尿用の紙コップにチョロチョロ注いだあと、ステンレスの輝きを見せるオートクレープ(滅菌処理機)の筐体に酒ビンを隠した。

 

「先生も、飲みすぎないようにネ?」

「……わかってマス。でもねぇ。私はやりきれなくて……」

 

 地下駐車場に戻ると、早いですねぇ!?と【SAI】の驚いた声。

 

『ほんとに検診受けてきたんですか?』

「勤務可能のメールが入っているだろうが」

『どうも信じられませんが……確かにいつものマイケルのような気もするし……』

「まだオレが信じられないのか?馬鹿バカしい。ジェントルマン!スタートYourエンジン!」

 

 やれやれと言わんばかりに、いかにも【SAI】は渋々ジェネレータを起動させる。

 

 トラックを発進させるとオレは、まず例の神社へと向かった。

 コネクターを耳に付けっぱのまま、今は馴染みとなった広い境内を歩いてゆく。

 宮司は接客中で外せないとのことだったが、幸いにもあの“現代的な巫女”さんが、お札の授与所でふくれっ面をしてひかえていた。

 

「ラッキー!居てくれて助かったよ」

 

 あ、オジさん、と少女はブスッとした顔を引っ込めキョトンとして、

 

「どうしたの?もしかして、またカンパしてくれるの?」

「ウッ。いやいや――別件でね。よかった。まだ部活じゃないかと思っていたんだ」

「そのはずだったのよ、本当は!」

 

 彼女はおさえぎみに大声をだし、

 

「でも神社(ウチ)から連絡あって、人手が足りないから帰ってこい、だなんて。大会も近いのに!だからイヤなのよ、貧乏神社は!」

 

 年配の老夫婦がクスクスと笑いながら脇を通りすぎていった。

 ほかにも参拝客がチラホラ、鈴を鳴らしたり手を清めたりしている。

 

「割と繁盛しているじゃないか?人手が足りないのも道理だ」

「ただ人手が足りないんじゃなくて、安く使える人手が足りない、ってだけ――で、ナニ?」

「2、3分良いかな?」

 

 巫女さんは遠くで箒を使っていた、少しばかり年配の巫女さんと“売り場”を交代し、すぐ脇の土間まで出てきた。

 

「なによ、コソコソと」

「じつは……詩愛のヤツから連絡があってサ?」

「ホラやっぱり。オジさんと詩愛ねぇさん、そういう関係なンじゃん」

「違うって。でな?美香子のヤツが、学校を無断欠席してるっていうんだよ」

「美香子が?」

 

 ふぅん、と目の前の巫女さんは興味なさそうに、

 

「アタシ、あのコとクラスちがうから」

 

 そう言ったあと、またサバサバとした口ぶりで、

 

「どうせ、まァた『プチ家出』じゃないの?知ってるんでしょ?あのコとお父さんの関係」

「まぁな。でもよく欠席するのかい?」

「たまに、かな」

「でも土、日、月と家に帰っていないんだってサ」

 

 ここで初めて彼女の顔色が動いた。

 品よく整えられた眉をわすかにひそめて、

 

「少なくとも日曜日は居たはずよ?アタシが部活でジュース買いに行ったとき、体育館のウラで美術部の子と話しているの見たモン」

 

 ふぅん。

 少なくとも日曜までは、自由に動けていたのか。

 

「それでな?時間のある時でイイからサ。その子もふくめて、知ってるコに心当たり聞いてみてくれないか?」

「わかったわ。たしかにちょっとヘンね」

「ワルい男にひっかかってなきゃイイが……」

 

 ありうるわね、と巫女さんはひとつ頷き声をひそめて、

 

「前にね、あのコ『私にはご主人サマがいる』とか何とか言ってたもの」

 

 一瞬、ヒヤリとするが、オレはそしらぬ顔で、

 

「ゴ、ゴシュジンサマダッテぇ?」

「そう。目なんかトロ~んって、色ボケな感じで。分かったみんなに訊いてみる」

「助かるよ。それじゃメアドを教えてくれ。捨てメールでもイイから」

「分かったわ。そのかわり――ハイ!」

 

 少女はかわいい手のひらを差し出した。

 

「何だい?」

「なにって、屋根修理のカンパよ。当然じゃない?作業に対しては対価を!」

 

 なんだよもう!とオレは万券を一枚、さしだす。

 

「しっかりしてンなァ」

「へへっ♪毎度アリ」

 

 彼女とメールアドレスを交換し、オレはトラックへともどった。

 

「ヤレヤレ、後世畏るべし、だ」

『どうしました?マイケル』

「今どきの子は現金だ、ってコトさ」

『それを言い出したらマイケル』

「なんだよ」

『アナタも本格的な“オジさん”の仲間入りですよ?やれやれ安心しました。どうやら元のマイケルのようですね』

 

 

 神社を出ると、張り込みもムダとあきらめをつけたオレは手当たり次第にゲーセンを回り、あのとき半殺しのメに遭わせたガキ共でも居ないかと捜索する。だがそれらしい一団は見当たらない。それどころか、覚えのあるトレンチコートを遠くに見かけ、あわてて退散するしまつ。

 ドレッドが立ち寄るとされる『ジーミ』の店の前までいくが、相変わらず定休日の札がかっていた。ソッと扉を開けてみるが、やはり鍵がかかっている……。

 

 改めて店を観察。

 狙いはJAZZ-BARらしかったが、どうも造りが日本風だ。

 上にかかる看板を見て納得。

 下手くそな筆でマイルス・ディビスらしき人物がペットを吹いているその周りでは、古い看板が完全に塗りつぶされておらず、うっすらヒラメやタコが踊っていた。おそらく潰れた海鮮茶屋の居抜きで入ったのだろう。

 

 ふと、オレは背中に視線を感じた。

 振り向けば、道路を挟んだ向かいの店舗から誰かがコチラをのぞいている。

 オレの視線にサッ、と窓辺から人影がうごき、ブラインドが閉じられ、照明が消えた。

 痩せた小男のようだった。すくなくとも「おサル」やドレッドのガタイではない。

 さりげなくその建物にかかる看板をみると、

 

 『BAR1918』

 

  ――もしかして、この店と関係があるのか?

 

 携帯を上着のポケットから出し、いかにも「“食べナビ”で調べてますよ」という仕草をしながら他の飲食店などを物色しつつ、その場を離れる。

 多少気を良くして偵察を終え、運転台にもどった時だった。

 携帯が鳴り、メールの着信を告げる。

 おっ♪あの娘仕事が早いなと画面の表示を見たオレは、思わずシートで跳ね上がった。

 

「――占めたッ!あの青年(ガキ)からだ!」

 

 ドキドキしながらトラックのインパネと携帯を有線で接続し、モニターに文面をうかべた。

 

≪拝啓

 お問い合わせの件、いままで調べられたところまで報告します。当方が各方面に――≫

 

 以下、クドクドと回りくどい文面をザッと見て要約したかぎりでは、

 

・『黒龍互酬會』は本家が関西系の広域暴力団で、その傘下となる二次団体。

 風俗店経営や違法薬物売買、みかじめ料等で手広くやっている。

 

・最近、ここに関東系の『武蔵連合』が復活をかけて進出し、縄張を争う。

 安価な違法薬物を武器に若年層に食いこみ、暴走族の“ケツもち”や風俗あっせんなど黒龍の縄張とする末端の“しのぎ”(儲け手段)を蚕食しつつある。

 

・『黒龍』は主に企業と風俗を、『武蔵』は違法薬物と飲食店の“もり”(用心棒)代。若年層からの情報によって女性を各方面の用途にあわせて“仕立て”送り込む一種の芸能事務所として、すでに半ば成功している模様。

 

 そしてあの青年はどこで調べたか知らないが、フロント企業や息のかかった店などを列挙していた。おそらく、そんなコトに詳しい裏サイトがあるのだろう。信じられないことにオレの知っている店や事務所。地上波のキー局などが、双方の陣営に分かれていくつも書かれている。

 

 ――う……。

 

 色々ある企業名や飲食店のうち、とくに二つの名前が目を引いた。

 

 【Le lapin Rouge】(紅いウサギ)と【ジーミの店】。

 

 前者は『黒龍』に。

 後者は『武蔵』に。

 

 なんとなんと。

 オレは思わずほくそ笑む。

 ドレッドとおサル、それに今回の目標が同じ穴のムジナである可能性が出てきたわけだ。ウマくいけば、あの憎い二人組まで辿れるかもしれない。

 

 と、ここで文末に書かれた要求に気づいた。

 

≪じつは情報ゲットするために、いろいろワイロつかいました。そのため必要経費としてコレだけをできるだけ早くこの口座に入金(いれ)てもらえると助かります。  敬具≫

 

 そこには、証券会社系のネット銀行口座。

 そして10万を少し超える金額。

 

 ――あの野郎、まさか……。

 

 チラッとイヤな疑いが、頭をもたげざるを得ない。

 これをネタに、アイツめ幾らか余分に()()()()()ってンじゃないだろうな……。

 

 ――だが……まぁいい。

 

 ソレはすぐに頭を切り替えた。

 それならそれで、ダマされてやるサ。

 さっそくトラックの端末から、指定の口座に金額を振り込んだ。

 そして、送金したという返信ついでに、

 

≪それと、【ジーミの店】の向かいに『BAR1918』という店がある。『武蔵』と関係ないか、調べてくれ。風評や店の雰囲気なんかも分かると助かる≫ 

 

 まったく。

 こう出費がつづくのでは、虎の子の定期預金を解約しなくちゃならん勢いだなと思う。

 

 オレは考えをまとめるため、トラックを例の高台へと向けた。

 そして目の前いっぱいに広がる夜景を眺め下ろしつつ、いろいろな可能性を検討してみる。

 

 だんだん構図が見えてきた。

 

 轢殺目標(ターゲット)は、『武蔵連合』が抱える“半グレ”だろう。

 ヤツが『黒龍互酬會』が持っているハコ()にバイトで入店(はい)っている『ボニー』――もとい美智子に目をつけた。本人は彼女を“モノ”にしたら(あるいは強姦したら)“年少”に逃げ込んであとは野となれだろうが、ヤクザの世界はそうそう甘くはない。出てきたところを『黒龍』に消されるのが見え見えだ。最悪二つの団体の間で抗争が起きるかもしれない。

 

 ――いや、まて?

 

 ふと、オレは立ち止まる。

 そもそも単独で相手の牙城に乗りこんで、そんなことが出来るだろうか?

 すると仲間たちを引き連れて、店を襲う腹づもりなのか……どうやって?

 相手の、あの自身ありげな場慣れた物言いは、どこからくるんだろうか?

 

 そこまで考えたとき、オレは目標が狙う風俗店がどんなものか、全く知らないことに気づいた。

 なんてコトだ。()ともあろうものが、待ち伏せ場所を調査しないなんて!

 手始めにゴーグル・マップの画像で美香子に渡された名刺の場所をさぐるが、どうしたことだろう。店の入り口に通じる横道に矢印が出てこないで素通りしてしまう。

 

「なぁ【SAI】。たしか――店に行くのは週末だとか言ってたな……あの3件で、もう目標金額は達成しちまったんだろうか。遊ぶには、かなり高価(たか)い店らしいが」

『3件目で女性を襲っているところが気になります。目標からすれば“お遊び”みたいなものでしょう。前2件の犯行で調子づいたものかと』

「現金でリーマンがそんなに持ち歩いているかな?」

『クレジット・カードのスキミングや、保険証ないし日本国パスポートの換金とも考えられます』

 

 人工知能はオレの考えていたコトをズバリ補証した。

 

 やはり最悪、ヤツの“ヤサ”近辺ではなく、店で待ち伏せして後をつけ、轢殺する方法をとるしかないか?それに『ボニー』(美香子)のヤツが帰宅していないのも気にかかる。居るとすれば【Le lapin Rouge】の店内か、店が従業員用に借り上げている関連の部屋だろう。

 

「老人を襲うとか言ってやがった通話相手の方はどうだ?」

『もう一方は音沙汰ありません。独居老人への強殺(強盗殺人)という手段を使われますと死体の発見が遅れるため、ニュースとなって浮かぶのは時間がかかります』

 

 オレは、あの猥雑な話しっぷりから受けた先入観を棄てることとした。

 

 相手は少年法を隠れミノに生きてきた犯罪のプロだ。

 そこらそんじょのチンピラとは格が、なにより経験値が違うかもしれない。

 となると――自分の部屋を中心とする同心円の範囲では行動しない可能性がある。

 同心円の中心を、自分の(ねぐら)からズラすため、さらに遠へと動くかもしれない。となると範囲があまりにも漠然としすぎている……。

 

 オレはヤツの犯行マップを3Dで浮かべる。

 と、目の前一面に広がる夜景の効果もあいまって、まるで旅客機のコクピットのような効果をみせた。

 その中で推論は急降下し、あるいは急上昇し、果てはきりもみまで見せて。

 さんざん荒れた機動をしたのち、水平飛行にもどった時は(はら)が決まっていた。

 

 ――もうムリだな。これは店で待ち伏せする意外、方法はない。

 

 しかし、だ。

 それには、問題の風俗店を下調べしておかなくてはならないが、さて……。

 



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第17話:空白地帯への浸透偵察(1)

 ――次の日の夕方。

 

 トラックを地下駐車場に戻したオレは、いまだトラッカーのほとんどが帰投せずガランとした静かなオフィスにもどると、事務フロアの片すみにある共用デスクで【非定常・行動計画書】を作成する。

 さて『庶務6』ことリサちゃんは?と馴染みのベリショっ娘を探すが、見当たらない。

 総務の人間どもは端末にかじりついて、受付にいるオレなど見向きもしなかった。

 

 ――あれれ、おトイレかな……?

 

「若宮さんなら、銀行へお使いに遣りましたけど」

 

 横から冷たい声がかかった。

 

「なにか御用ですか?**さん」

 

 ――うひぃ。

 

 庶務のリーダーであるメガネの女性がこちらを睨んでいた。

 オレは思わず上ずった声で、

 

「いえ、そのぅ。行動計画書を……」

 

 机の上に山と積まれたトラッカーたちの旅費請求書。

 その束を再計算していたこの女性は、吊り上がったようなデザインのメガネ・フレームをクィッとなおし、体をよじらせて手を差し出す。事務員用の制服越しにでも分かる意外にムッチリとした身体から、ちょっと大人の色気(フェロモン)が香って。

 

 そんなミチミチとした肢体を、ついウッカリ。ぼんやりと無防備に眺めてしまった。

 オレの視線に気づいたか、庶務長は椅子をクルリと回転させると制服のムネの下で腕を交差させて隆起を強調し、薄手の黒ストッキングを履く均整の整った脚を組むや、

 

「溜まっている日報は――もう書いてくれましたか?若宮さんが困ってるじゃありませんか!」

「うぅ。実は、その。いま書いてるところでして……」

「ホントでしょうね!?」

「えぇ……たぶん」

「多分ですって!?」

 

 落ち着いた、理知的な声音のトーンが上がる。

 

「多分じゃタメでしょう多分じゃ!」

 

 どうもこのテの女性は苦手だ。

 庶務長とはいえ課長代理もこなす、キレ者のスーパー・ウーマン。

 

 ちょっと険のある目もと。

 すんなりと通った鼻すじ。

 きめこまやかな肌の艶。

 結い上げた髪のうなじ。

 

 三十路の前半とは聞いていたが どう見ても二十代後半にしか見えない若々しさ。

 まさに都会風な「冷たい美人」といった印象を地で行くタイプの女性。

 

 オレはしどろもどろに、

 

「いえ、あの、この一両日中が山場なので――相手を仕留めたら、すぐ」

 

 はぁっ。この庶務長は大きく息をついた。

 そのせいか、周囲に心なしかミントの気配が香る。

 そして彼女は手にした行動計画書をギロリ、一瞥するや、

 

「この店……暴力団のフロント企業ですよね?」

 

 なんと一発で喝破したものである。

 そして絶対零度めいた容赦ない声音で、

 

「領収書なんか切れませんよ?大丈夫なんですか?」

 

 ――ふん。

 

 オレの中の反骨精神がムクリ、頭をもたげた。

 こんな糞アマに、いつまでもいい気にさせてはいられない。

 こうなっちゃ仕方ない。売り言葉に買い言葉だ。

 

「とうぜん。自腹は、もとより覚悟の上だよ」

 

 目つきを変えたオレは、ギロリ。相手をにらむ。

 

 それを敏感に感じ取ったのか。

 あるいは自分少々言い過ぎたと思ったのか。

 あきれた、とこの美魔女は声を落とし、首をおおげさに振って、

 

「そういうトコって、ここのトラッカーに相応(ふさわ)しくありませんね。いつか致命傷になりますよ?」

「……どういう意味だぃ?」

「いった通りのイミですよ。もっとドライにならなければ。それに何ですこれ?“以前救出した娘の、その後の現状を確認する意味もふくむ”って――ワケがわかりません」

「アフター・サービスって奴サ。それにその()が、今回のカギなんでね」

 

 ダン!と行動計画書に受付印をおして、この年増は総務部長行きの書類ボックスに放りながら、

 

「ヘンなことにならないようにして下さいね?以前だれだったか。暴力団がらみでドジ踏んで、港に浮かんだ人いましたから」

「……だれだぃ?ソレ」

「あなたの知らない、知らなくてイイ人です!」

 

 それだけ言って、あとは取りつく島もない。

 

              *  *  *

 

 いったん寮に帰り、シャワーと服を着替えた。

 念入りにヒゲを剃り、髪を整えて(心なしか薄くなってきたような)。

 仕立てたワイシャツに、チャコール・グレーの三つ揃え(スリーピース)

 靴は持っている中では一番いいウイング・チップ。

 (イタリア風のつま先が長い()は、どうも苦手だ)

 腕時計は見るヤツが診ればわかる、ダイヤルも錆びたヴィンテージのクロノ。

 

 会社の力で垣間見た、ヨーロッパの社交界を思い出す。

 

 天井が傾斜した屋根裏部屋。

 どことなくソワソワする身支度。

 長い長い夕暮れとひんやりした空気。

 教会の塔から朗々と流れてくる鐘の聲。

 観光客向けな馬車の(ひずめ)が、石畳を鳴らす音。

 

 外部に流出しても構わない、意味のない書類を革のブリーフ・ケースに入れ、昔勤めた会社の旧い名刺を一束改造し、連絡先を自分の捨てメールに。そして用心のため例のゴム製スタン・警棒を、底の方に忍ばせて。

 

 問題の店はネット上のサイトを持っていなかった。

 “格式”を重視して一見(いちげん)さんお断りなら、それでいい。

 すくなくとも美香子は、強姦のことしか考えないあのガキから守られる。

 その場合は戦場を店の外に移し、改めて待ち伏せを張ればいいだけの話だ。

 

 今どきの巫女からのメールはそっけないものだった。

 

 ≪きょうもあの子わ登校しなかったヨ~。

  行くサキ知ってるコも見つかんなかった。

 ただ『長距離トラックの運転手と付き合ってる』っつー秘密ぢょうほうアリ!

 その彼氏と、どっか遠くに行ってるとおもわれ。   

                            ふろ~む真琴≫

 

 やべぇ、と文面を見たときはチョッと眉をひそめた。

 

 ――アイツめ……そこかしこに吹聴してるんじゃないだろうな……。

 

 すべての用意を整えて目的の場所についたのは、陽光の残滓(のこり)もとうに衰え、空の蒼みもようやく輝点を配した藍色に、その座を(ゆず)りわたす頃合いだった。

 彼女から渡されたピンク色なカードのアドレスは、周辺の街区から比べても特に高級な店が軒を並べる通りに位置していた。

 

 その奥まった一角。

 

 重厚な鐡柵(てつさく)で出来た門の両脇に、いかつい黒服を配した店舗。

 柵を透かして一瞥(いちべつ)すると、チャペルを配した結婚式場のようにも思える。

 左官屋のコテ跡をわざと残した、風合い豊かなベージュ色の壁には、

 

         【Le Lapin Rouge 】

 

 小さく品のいいい看板が打ち付けられ、暖色系のLEDで照らされて。

 だが、よく見れば小さなところが手抜きされて、何となく廉っぽい。

 

 過去に仕事のカラミでモノホンのヨーロッパ貴族が経営する高級料理屋に通いなれていたオレは別段(おく)することなく、悠揚(ゆうよう)せまらぬ態度で入り口に近づいていった。

 

 たちまち歩み寄る左の若い黒服。

 「招待客リスト」らしきものを表示したタブレットを操作して、

 

「失礼ですが――ご予約の方でしょうか?」

「ほぅ?予約が必要な店なのかね」

 

 オレはいかにも(やれやれ。こんなクソ店に予約が必要とは!)とせせら(ワラ)うような気配を強いて漂わせながら、 

 

「実は知人に面白い店があると教えられてね?通りかかった折に覗いてみようかと思ったのだが……」

 

 オレは左腕でアゴを撫でるふり。

 カフスのはまる手首から、単なるスポロレなどとはケタ違いにレアな時計を、さりげなくチラ見させる。

 

「残念ですが、予約をしていない方は――」

 

 すると門の左側にいた、幾分年かさの男がズイとそれを制し、

 

「大変恐縮ですが、お名刺を頂戴できますか?」

「あぁ。いいともさ?」

 

 オレは内ポケットからダンヒルの名刺入れを出すと、名刺ポケットに刺したピンクのカードをのぞかせるようにして中を探る。年かさの黒服が、早くもそれに目を留めたらしい。

 

「失礼ですが……そのカードは?」

 

 ――食いついた!

 

 内心ほくそえみつつ、美香子のカードを取り出して相手にわたした。

 

「なァんだ、()()()()の知り合いか!」

 

 無作法にも肩口から覗きこんだ若い黒服に顔をしかめつつ、この年かさは、

 

「失礼いたしました――いまフロントに確認いたします」

 

 そう言うとカードを返し、ヘッドセットでどこかに連絡を取る様子。

 隠語の羅列だったが、雰囲気的に上客であることを伝えているらしい。

 「プレ・デイトナ」という言葉が聞こえたので、オレの仕掛が的中したのが分かった。

 

 こちらが“アッパー・クラス”だというニセの身分を固めるため、ダメ押しの意味でオレは相手の着ているスーツをワザと遠慮なく品定めする。それを敏感に察したのだろう。年かさは、がっしりとした体格を心なしかソワソワと縮めて。

 それに対し、尊大さを匂わせながらオレはゆったりと構える

     ――とは言うものの、実際のところ“ふところ勘定”が非常に気がかりだった。

 

 一応、キャッシュで100万ほど持って来てはいる。

 こんな店だ。スキミングを恐れ、なるべくカードは使いたくない。

 今回は偵察が主目的だ。勘定が2~30万で済めば御の字なのだが……。

 

「お待たせ致しました――どうぞ」

 

 重そうな鐡柵が開かれた。

 

 店から微笑みを張り付かせてやって来た、いかにも()()()()そうなオーデコロン臭い青年の案内係に引き継がれ、オレはいよいよ赤いウサギの敷地内に踏み込んだ。

 

 

 都市部の立地にしては、店の配置が贅沢(ぜいたく)な土地の使い方をしている。

 玉砂利が敷き詰められ、一見ヨーロッパ風な庭園を周囲に配した重厚な建屋に一歩入ると、高価(たか)そうなキャバドレスをまとった一群が、緋色(ひいろ)に延びる絨毯(じゅうたん)の両側にならび、ニコやかに黄色い声の合唱でお出迎えをする。

 

「ようこそLe Lapin Rouge(紅いウサギ)へ~♪」

 

 なるほど、ヤクザのフロント企業。

 金ずくで、いちおう粒ぞろいのキレイどころを抑えたのだろう。

 だが、美香子や詩愛。なにより夢の中の妻であるシーアには遠く及ばなかった。

 なにより店内の意匠や演出が洗練にはほど遠い成金趣味の上、ありきたりで新味がない。

 

 金メッキの什器。装飾品。

 スワロフスキーのシャンデリア。

 大理石で造られたの壁や床の衣装。

 マイセンやロイヤルドルトンのダミー。

 新しめだが文様の織りの目が粗いペルシャ絨毯。

 

 ――ふん。みんなコケおどしだ……。

 

 盛り上げた髪形や化粧品のにおいが横溢(おういつ)する天井の高い華やかな空間で、燕尾服を着たフロントの案内者は、

 

如何(いかが)でしょう?――この中から、お好きな()をお選び下さい」

 

 どうだ、イイ()をそろえて居るだろうと言わんばかりな相手のドヤ顔。

 それに対してオレは「こんなの見飽きてますよ」とそっけない雰囲気を装い相手にブリーフ・ケースを押し付けて、

 

「うん、美事(みごと)だね――それより先ずノドが渇いたよ……」

 

 毛ほども物欲しそうな色を見せず(事実そうだった)オレは()よ席に案内せいと言わんばかりに横柄(おうへい)な態度を見せつける。

 

 

 装飾が過剰(かじょう)なまでに行き届いた、まるで王宮にある『謁見(えっけん)の間』めいた大広間に入ると、オレがその日の口開けだったか、テーブルに尻をのっけて談笑していた若い黒服たちが(ヤバイ)という顔をして、コソコソ広間のあちこちに散ってゆく。

 

 照明が落とされ、音楽が低く鳴り出した。

 

 案内されたボックス席のソファーに深々と座り、オレは横風(おうふう)に脚をくむ。

 やがて、イヴニング・ドレスを(まと)った一人の比較的年齢の高い艶やかな女性が、20前後の若い女の子を5、6人連れてやってきた。

 

 いずれも(ちまた)でいうところのアイドル風な容姿。

 このまま芸能事務に連れて行ってもグラビアなら即戦力になるだろうと思われるような娘たちばかり。そして引率してきた女性はといえば、往年のエロアニメ『くりぃむメロン』シリーズの名作“黒猫屋敷”で

 

「――“小五ロリ”と書いて“悟リ”と読みます……」

 

 などと物憂(ものう)げに呟いたキャラそっくりな、雰囲気のある美女である。

 おそらく若い娘たちを束ねる身分なのだろう。知性と妖艶を兼ねそなえつつ、あたりに威厳を放ってはばからない。

 

「お初にお目にかかります――小枝子(さえこ)、と申します」

 

 声もしっとり落ち着いて、いかにも高級店のキャラにふさわしい。

 

「どうでしょう?この中から、一番お好みな娘をお選びください」

「……誰でもいいの?」

「えぇ、お気に召した子が居りますでしょうか」

「うぅん、ひとりだけ居るナァ」

 

 小枝子の顔がほころんだ。

 

「まぁ♪……誰でしょう?」

「――キミさ」

 

 一瞬の空白。

 

 ま!という彼女の小さな驚き。

 自信満々だった若い(むすめ)たちの営業スマイルがこわばる。

 オレも我ながらキザだなぁと思うがここは敵中。精一杯スカしたキャラ演じねば。

 大したものでフロアレディ統括の小枝子は表情ひとつ崩さず、クールな物越しを保ったまま、

 

「そんな……お戯れを」

「だってこの中じゃ、キミが一番美しいからなァ……」

「いやですわ?御冗談ばかり仰っては。こんなオバさんを」

 

 冗談じゃないさ、とオレは言いつのる。

 だが本心を言えば、この女を起点にして店を探ってやれという肚づもりにすぎない。

 

「でもわたくしは……この()たちを指導し監督する立場ですから――」

「イイじゃん。まだ口開けなんだし。もちろん忙しくなったら席を外してイイよ?」

「お言葉ですが、私にも立場というものが……」

「おや、ザンネン。それでは渋々ガマンをして不味い酒を呑むしかないねぇ……」

「そんな……」

 

 監督役の(おんな)は、フゥ、と肩を落とし、娘たちに目配せ。

 

 選ばれなかった彼女らは、不満をコワばった笑みで圧殺しつつ、それでも感心なことに優雅な足取りで散ってゆく。よほど(しつけ)が行き届いているんだろう。

 そんな彼女たちの後ろ姿を監督者の視点で抜け目なく査定しながら、オレの今宵(こよい)の相手は、

 

「あらあら。ゴメンなさいねぇ、こんなトシマで」

「年増ったって、三十路(みそじ)には届いてなかろうに」

「ふふっ。まぁ、そういうことにしておきましょうか」

「そうなのか?これは(うれ)(おそろ)しい――さては美魔女というヤツだな?」

 

 小枝子が、オレのスーツの(もも)をやわらかく(ツネ)る。いてて。

 

 その時だった。

 

 オレはどういうはずみか、昼間の庶務長をおもいだす。

 あのおカタそうなメガネに、目の前でくつろぐ夜の蝶めいた装いを強いて着せ、水っぽいメークをムリヤリほどこし、テーブルに付かせるとしたら――どうだ?

 本人は嫌がり、恥ずかしがるだろうが、きっとフロアに映えるにちがいない……。

 

 ちょっとそんな光景を想像し、小夜子を見ながらムクク……となって“チンポジ”をなおす。

 

「――まぁ♪」

 

 小夜子はオレのしぐさに、どういうわけか口元をほころばせ、ほおに片手をあてる。

 若い黒服が、革で装丁された大きなワインリストを手にして(テーブル)にやってきた。

 ところどころ真鍮が使われた、フォリオ版ぐらいのリストを渡されたとき、オヤッとなる。

 革の質感。触り心地。風合い。

 ははぁん、とオレは、

 

「これ――沈没船から引き揚げた皮革(かわ)を使っているッしょ?」

「あら。よくおわかりで」

「同じような手触りのモノを()っている。ルリユールされた古書だけどね。ロシアン・カーフだろ?コレ。ズバリ200年ぐらい前か。どこで引き揚げた代物?」

 

 若い黒服は、オレの問いにモゴモゴと口ごもる。

 小枝子は青年の黒服に向け一瞬、冷たい目をするや。

 

「――早く!フロア・マネージャーに訊いてらっしゃい!」

「え、いやそのコレは……」

「早く!」

 

 一瞬、鞭をふるう調教役めいた峻烈さを閃かせ青年を追いやると、すぐに気配をなよやかに、

 

「ゴメンなさいねぇ?なかなか行き届かなくて」

「なぁに。こんな偏屈な……オヤジの趣味に合わせられる若者がいたら、かえって気持ち悪いサ」

 

 どれどれ、とオレは重い装丁の表紙を開く。

 だが、ワイン・リストのシャンパン部を見てオレは絶望した。

 どれもコレも破滅的に高価(たか)い。

 通常(なみ)のテタンジェが8万。

 モエでさえ5万する。

 

 ――黒ヴーヴが30万……だと?

 

  まぁ、いいか。これで分かった。

  この店はあのガキが入ってこれるような処じゃない。

  何回強殺をやったところで、とてもここで遊ぶだけの金は溜まらないだろう。

  しまった。大人しく店の外で“待ちを張る”のだった……。

 

「ふぅん。そうだな……」

 

 鼻白む心もちを呟きで包んでいると、フロアの奥から、テイル・コート(燕尾服)姿のマネージャーらしき男が、例の若者を従えて悠然とやってきた。オレたちが占拠する大きな(てーぶる)の傍らで、

 

「いらっしゃいませ――お楽しみ頂いているでしょうか?申し訳ありません。何やら粗相(そそう)があったようで」

「マネージャー。その子ちゃんと教育しておきなさい?わたくしが恥をかきましてよ?」

 

 おそらく、男側の若手を取り仕切るのが、この突き出た腹をカマーベルトで包む中年男の役目なのだろう。薄くなってきた頭をオレに向かって下げながら、小枝子の方を見て硬い笑み。水面下で交わされる火花の気配に、店内での権力闘争を診る気分。

 

 オレは、まぁまぁと双方を(なだ)め、

 

「若いウチは、なんでも修行だぞ?そう、恥すらもな――まぁガンバレや」

 

 こう言って俺はマネークリップから万券を一枚、抜き出すと縦折りにして、若者の胸ポケットに差し込んだ。

 てっきり叱られると思っていたのだろう。

 結果が真逆となって、今度は若者の顔が紅潮する。

 またもフロア・マネージャーと小枝子の(ひそ)かな目くばせ。

 そんな店側の思惑など知らぬげに、オレはお大尽を気取って、、

 

「ようし、ンならロデレールもらおうか。水晶のほうね?」

 

 フロア・マネージャーの物腰が、今度こそ決定的に変わった。

 

「ルイ・ロデレール、クリスタルですね?畏まりました」

「よろしいんですの?そんな」

「キミに恥ィかかせられんからな。監督役が接客したお客の注文がビールでは、立つ瀬あるまい?とは言え、オレも貧乏だから“ダンボネ”ってワケにはいかんがね」

 

 それでもルイ・ロデレールは50万という値段。

 ダンボネに至っては400万とワインリストに記されて。

 

 ――本当にこの店の値付けは狂ってやがる。まったく、ダンボネなんてオレが会社辞めたときにヤケ酒したシャンパンじゃねぇか。96年モノだったが、それでも60万しなかったぞ?

 

 フード(つまみ)は、如何(いかが)致しましょう?とフロア・マネージャー。

 

「適当に。あぁ、牡蠣ぁダメだぞ?――それ以外にしてくれ。キャビア系かなぁ?ブリンと擬乳(スメタナ)の上に……じつはこの前いろいろあってね。テタンジェも飲み損ねた……」

 

 フロア・マネージャは大きなタブレットに指で入力してゆく。

 

 まったく興が削がれることだ。

 そこいらの居酒屋じゃないんだからサ?

 手ズレのついた革の手帳に金製のボールペンか、あるいは暗記でやってもらいたいね。ヨーロッパの料理屋めいた豪華さは、この店では望むべくもないか。マ、所詮はフロント店だ。

 

 二人きりになると、オレは相手のイブニングドレス姿をマジマジと観る。

 

 すこし肉のつきはじめた均整のいい身体つき。

 まだ肌理(キメ)こまかい、シミひとつない肌。

 品のいい化粧と、控え目だが豪華な結い上げ。

 

「なんですの?――いやな方」

「うふふ。うれしいな」

「なんです?」

「こんな美人と久々に酒が呑める」

「まぁ♪」

 

 美人の度合いから行けば詩愛の方が数段上だが、アレは気安く近づくとマズいタイプの女だ。あとくされがない、言い方は悪いが商売女のほうが気分的に楽でありがたい。

 

「お綺麗な奥様ほおっておいて……ワルい方」

「妻はいないよ……離婚した」

「まぁ、そんな――こめんなさい」

「仕事にかまけていたら、男を作って出て行ったよ」

 

 そう……と小枝子は物思いの横顔。

 ただその瞳が、心なしか一瞬輝いて。

 

「貴方のお仕事のこと――聞いてよくて?」

 

 おいおい、とオレはウンザリ気味を装って、

 

「よそうぜ?せっかく浮世を忘れてンだ。せめて今夜ぐらいは」

「そうね。私としたことが……ゴメンなさい」

「おっと、べつに変なカネじゃねぇぜ?ちゃんと自分で稼いだまっとうなモノさ?」

「イイえ。そうじゃないの」

 

 小枝子は(あわ)てて言葉を継ぐと、

 

「こんなこと言っても、怒らないでね?貴方……野生のにおいがするのよ」

「やせい?キャベツとか白菜とか?」

「ハイそれは野菜。茶化さないでくださいな」

 

 小枝子は気安い調子でプッとふくれて。

 手練れな夜の女にしては、可愛いところを見せるじゃないか。

 そんな彼女を横目にオレはスーツの前をあけ、ふところのにおいを嗅いだ。

 

「悪かったよ――風呂には入って来たんだが」

「ちがうの。雰囲気よ、ふ・い・ん・き。貴方は会社や組織に属さない……いいえ属せない、一匹狼みたいな気配がするの。だからどんなお仕事か、興味あって」

「……そうかい?」

 

 オレは引きつった愛想笑いをムリにうかべた。

 

 なにか(おのれ)の運命を言い当てられたようで、ひそかに黯然(あんぜん)とする。

 やはり他人から見れば、自分はそう見えるのだろうか。

 それとも1年という年月ながら轢殺を繰り返してきた業が、そんな気配を発するのか。

 

「以前、貴方と良く似た雰囲気の人のテーブルに付いたことがありますわ。わたしがまだ現役で、お店のトップを取り合っていた時だから、少し前になりますわね?その方も大分払いが良くて。でも結局数回しかお越しにならなかったけど……何のご職業だと思って?」

 

 まさか“轢殺(れきさつ)屋”じゃあるまいな、とオレは首をひねる。

 まぁ我々の給与じゃ、こんなところには来れそうにないが。

 

「分からないな……まさか殺し屋、とか?」

「おどろいた!」

 

 小枝子は大げさな身振りで、

 

「近い、と言っていいのかしら」

「と、言うと?」

「その方ね……傭兵ですって」

 

      



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       〃       (2)

 ハッ!とオレは嗤った。

 

「このご時世に傭兵だ?どこで戦うんだッての」

「なんでもアフリカまで行くんですって」

「アフリカ!PMC※かぁ?――ご苦労なこッた」

 

 だが、そう(あざけ)るはしから、自分のなかには鮮烈なイメージが沸き起こる。

 

 横転した車両。

 燃えるガソリンの臭気。

 断末魔の姿をとどめ、干からびた死体。

 放棄された村と、略奪された倉庫、商店、教会。

 

 ブカヴ

 キンシャサ。

 レオポルドビル。

 第10コマンド部隊

 ドラゴン・ノワール作戦。

 

 聞いたことのない単語の羅列。

 合図。砲声。エンジンの唸りと機銃掃射……。

 

 オレはネクタイを緩め、ガブリと卓上の水を飲んだ。

 美味い……水筒に錠剤をぶち込んでシェイクした泥水とは違う。

 

「どうしまして?――お汗が……」

 

 気が付けば、心配そうな顔をした小枝子がオレの額をふいていた。

 

「大丈夫?どこかお悪いのではなくて?」

「なんでもない。こないだから、すこしヘンでね」

 

 フロアの隅にいた黒服を小枝子は呼びつけ、水のお代わりを持ってこさせる。

 周りをみると、ゆらめく深海の底のようなフロアに客がポツ、ポツと入り始めていた。

 

「お仕事のしすぎではなくて?お身体には、気を付けて頂きませんと……」

「ヘッ、オレもヤキが回ったのかもしれん」

「イヤですわ、貴方――心細いこと仰らないでくださいな」

「なぁに。もう十分生きたよ」

「わたしはどうなるのよ!」

 

 おやっ、とオレは心中首を傾げる。

 いつの間にか、夫婦の会話になってしまっていた。

 だが、まぁそれもいい。ひさびさに亭主を演じるのも悪くない。

 それが、この(おんな)の手管だとしても、載せられて悪い気はしなかった。

 

 ダイニング・ワゴンの上にシャンパンと小料理を並べる銀色の皿を乗せ、例の青年がフロア・マネージャーとともにやってきた。

 

 お待たせ致しました、とマネージャーは青年に(テーブル)をセットさせ、自分はクラッシュ・アイスヲ満たしたクーラーからシャンパンを抜き出し、エチケット(ラベル)を示して銘柄を確認させる。

 

 テイスティング。

 過去に飲みなれた味が、口の中に広がってゆく。

 百貨店の売り場には6~7万で売っているものが、ここでは50万。

 だがそれは、自分の中に意味もなく湧いた不吉な戦場の印象を祓うには十分だった。

 

「注いでくれ――」

「私は結構よ?これから忙しくなるのだから、酔っては仕事にならないわ?」

 

 いつのまにか、口調もなれなれしく。

 

「そう言うなよ……少しは付き合ってくれ」

 

 オレはマネージャの手からボトルを奪い、いかにも繊細なフルート・グラスを彼女の前にしつえらえ、風味豊かな泡を注ぐ。

 

「美人と一緒に飲める機会なんて、そうはないんだからサ?」

「ま。おじょうずネ?」

 

 御用があったらお申しつけ下さい、と気を利かせた店の男たちは去り、再び二人だけになった。

 シャンパンが効いたのか、オレはビニール張りの猫脚ソファー(こういうところも上辺だけの一流店だ)にグッタリと身をあずけた。

 先ほどのイメージによるダメージ(おっと、シャレてしまったぜ)が、意外に深刻だったらしい。

 

「お仕事、たいへんそうですねぇ」

「ま、会社に属しているとはいえ独立採算の“事業主”みたいなものだからな」

「あら、事業部長サンなの?」

 

 さてね――とオレは苦笑してグラスを干す。

 

 以前はその地位に一番近い男だといわれたものだが。

 いまじゃ単なる殺し屋……じゃない轢殺屋だ。

 まったくこの世はどう転ぶか分からない。

 

 オレの地位を誤解したのか、相手の目つきが少しうるんだように。

 空いたオレのグラスにゆるゆると注ぐ。ボトルをひねって注ぎ口の滴を切る手つきはさすがに年季が入ったものだった。と、同時に化粧でごまかしてはいるものの、手肌の衰えはさすがに隠せなかった。それでも三十の半ばは超えてはいまい。ズバリ32~3というところか。

 

 そんなの視線に気づいたのだろう。

 悪戯(いたずら)が見つかった子供のような目つきで、きれいに整えられた爪とマニキュアのピンク色な光沢が印象的な手の甲をさすりながら、

 

「そうよ?私だってもうイイ歳なんだから。そろそろ“女の幸せ”が欲しいわ?」

 

 ひょいパク、と小枝子はワザとだろうか。

 はしたなくも、銀の皿に並べたカナッペをつまむと、ひと口にほおばった。

 モグモグと口を動かしながら、笑って。

 不覚にも、それを見たオレはチョッと可愛いとさえ思ってしまう。

 

「キミみたいな女性なら、男どもが放っておかないだろう。引く手あまたじゃないか?」

「ヒャッヒンがあったのよ……」

 

 モクモグと小夜子は口を動かしながら。

 

「なんだぁ?あぁ、借金か」

「えぇそう」

 

 小夜子は煌くグラスを軽々と干した。

 そしてフゥ、と物憂げな眼をして、

 

「それを返そうと一生懸命頑張っていたら、いつのまにか婚期、逃して……」

「まだまだ。キミぐらいだったらこれからさ」

 

 オレはすかさずシャンパンをそそぐ。

 

「あっ、ちょっと」

「いいじゃねぇか――女房に逃げられたオレを慰めると思って」

「うそね、それ」

「嘘って?」

 

 彼女はグラスにボトルから黄金の滝を受けつつ、

 

「アナタって、そんなヤワなヒトじゃないもの。自由になってセイセイしたってお顔つきですよ?」

「まぁ、裏切られたんだからなぁ。女を見る目が無かったのか。あるいはオレがもうすこし、家庭にリソースを振ればよかったのか。でも考えてみてくれ……」

 

 オレの方も、グラスを干すと、酌をしようという相手の手をおさえて自分で注ぐ。

 ヤバい。“50万”が、すぐに無くなりそうだ。

 

 おまけに少し酔いも来たようだ。

 ワイン2本でも余裕のオレが珍しい。

 おそらくここ数日の張り込みによる疲れも出たんだろう。

 いいシャンパンと、すわり心地のいい革のソファーも大敵だ。

 

 自分の意に反して口が軽くなるのを感じつつ、オレは小夜子の眼を見ながら、

 

 

「自分の女に不自由な思いはさせたくはない。これは男の意地じゃなかろうか?

 服や化粧品、バッグや小物。エステにネイル。

 そんなものに囲まれてニコニコ楽に過ごさせてやりたかったが――

 現実はなかなか厳しい。稼ぎがなかなか追いつかないので、いきおい残業になる。

 そして仕事の成果をあげるほど、地位も上がり、仕事も降ってくる。

 

 会議――接待――出張。

 

 日曜はニコニコ家族と過ごすなんて夢のまた夢、絵空ゴトさ。

 それでもあのクソ女……失礼、モト妻は金が足りないという。

 あまつさえ家庭もちの男を見つけ、出ていった。

 まぁ、オレに魅力がないのが第一の原因なんだろうが……。

 ヤバイ。酒が不味いくなっ(ちま)うな。

 男のグチほど見っともねぇものはない……忘れてくれ」

 

 一気にそれだけ喋って、オレはぐったりと肩を落とした。

 コチラを向いて斜にソファーへともたれ、優雅に形のよい脚をくむ相手の瞳に同情が灯る。ピン・ヒールを脱いだ小夜子の足先が、おれのふくらはぎを(さす)った。

 

「よしてくれ――哀れみなんか、受けたくもない」

 

 だが、静かな義憤をこめた口ぶりで、小夜子はオレの目を見ながら、

 

「奥様は、欲張りすぎだったのよ」

「どうだかね」

「女ってワガママなものだから。貴方の厚意に、どんどん思い上がったんだわ。()()()()()()()、そんなことは絶対ないんだけど」

 

 彼女の口ぶりと語勢に、妙な力がこもるのを聴く。

 そこには、商売女ではない、心情の吐露すら混じっているような。

 今晩は“偵察”という目的を果たしたら、久しぶりにハメを外すのもイイかとフト考えたとき、次のなげやりな口調の言葉が、オレを現実に引きもどした。

 

「でもダメね。わたしは――この店のドレイだし……」

「――奴隷?」

 

 その時ひそかな躊躇(ためらい)が、小夜子の面をよぎった。

 

 

 どこか遠くを眺める、思いつめたような女のまなざし。

 濃く刷いた官能的な(あか)い口唇を、真珠を思わせるつややかな歯で噛んで。

 やがて彼女は、おもむろにイブニング・ドレスの胸をすこしくつろげてみせる。

 

 いかにもたわわな、静脈が透ける白磁を思わせる双丘。

 そのふくらみの頂には、残酷にも銀色の大ぶりなリングが。

 男に嬲られ尽くした茶色なイボ乳首をつらぬき、冷洌な輝きを魅せて。

 

 ゆがんだ“退廃”と風変わりな“美”が、まさにそこにはあった。

 

「それは……」

「この店の所有(モノ)という(あかし)よ?」

「証?むりやり付けられたのか……?」

「えぇ、もちろん」

 

 さも当然と言わんばかりに彼女は、

 

 

「目に見える契約としてね。下の方にも、いろいろ施術をされてるのよ?借金は返したけど、もうこんな身体じゃ……それに」

「それに?」

「心をね?『端女(はしため)』として……縛られてしまったの。非合法な精神科医による洗脳……わたしは、もう殿方に奉仕するための“性の奴隷”ですのよ?」

 

 口惜し気にブルッと小枝子は身を震わせた。

 思わずオレは手を彼女の肩にやり、なでさする。

 

 なよやかな――そして冷え切った肩だった。

 

「うふっ、ありがと。こんなに優しくされるの久しぶり」

「そうかい?」

「えぇ。それに、この世界で生きていると、あちこちに義理やら()()()()やらが出来て……」

「というと?コネとか。パトロンとか?」

 

 コクン、と初々しい少女のようにうなづく小枝子。

 

「家庭を望んだり、赤ちゃんが欲しかったときもあったけど――もう、こうなってはダメね」

「……抜けられないのか?」

「ムリよ――それに抜けてどうするの?貴方、責任取って下さる?」

 

 ふふん、とオレは鼻で笑う。

 この手の脅迫には慣れっこだ。

 ここは素直に(うべな)ってやればよい。

 それにこの女。ワルくはなさそうだ。

 

 

「キミが贅沢を言わず貧乏暮らしに耐えるのなら……あるいは」

 

 そのとき、この哀れな商売女の瞳に、希望の灯が灯ったように思えた。

 なんという奇跡!

 豪奢なイブニング・ドレスと商売用の濃い化粧を一瞬にして拭い去り、そのとき“独りの女性(おんな)”が顕れる。

 

 ほんの――ほんのひととき。

 自分が家庭におさまり、子供を育て、家事をする平凡な光景が思い浮かんだのだろうか。

 朝晩の送りむかえをし、休日には家族で外食などをし、ささいなケンカと仲直りを繰りかえす日常を考えたのだろうか。

 

 だが、やがて彼女の口もとに自虐的な微笑が浮かんだ。

 

「やっぱりダメね……わたしは、もう墜落しきっているもの」

「墜落?キミがか」

「そうよ。ね?『小枝子』って小さい枝の子って書くでしょ?まじめな鳥が巣をかけるには、枝が細くて(もろ)いのよ。それに――」

「それに?」

「今さら貧乏はできないわ――もう歳だし」

 

 女性が年寄りぶっているのは、面白いものだ。

 オレは苦笑しつつ、

 

「まだまだ!君ァこれからじゃんか。若い――まだまだ若い!」

「なによ。堕落した娼婦にムダな希望をもたせて……そっちこそ、ご自分をお年寄りみたいに」

 

 なぁに、とオレは残り少なくなったルイ・ロデレールを二人に注ぐ。

 そしてほとんど手の付けられていない料理が並ぶ(テーブル)をボンヤリ眺め、

 

「精神的に老けちまっているのは、本当なのサ」

「あなたって、ふしぎなひと……このわたしが、こんなにお喋りしてしまうなんて」

「見ろ。やっぱりオレが老けてるって事じゃないか。きっとキミのお父上みたいな心安さがあるのさ」

「お父さん、って私には居ないの。でも居れば、あなたみたいな人なのかしらねぇ……」

 

 その言葉の裏に、彼女の生まれの悲惨を感じたオレは、あえて突っ込まない。

 フルート・グラスをゆっくり傾け、鳴り出したピアノの弾き語りに耳を傾ける。

 

 古渡りのシャンソン。

          もの憂げな声が調和して。

 

 ――いい夜だ……しかし本来の目的を忘れるなよ、オレ。

 

 いつの間にか、フロアが込み始めていた。

 グラスの触れ合う音。低く談笑する気配。

 そこ此処(ココ)で、フロアレディの抑えた嬌声が沸いて。

 

 オレは最後のシャンパンを二人に注いだ。

 

「しかし、こんな値段でも流行っているんだなぁ。ヨーロッパ某所の世界的に有名な会員制料理屋にも通ったが、それでも酒の値段はココほどじゃなかったぞ?」

「でも、女の子たちは粒選りのはずよ?――時給で釣って、わたしが直々に査定したんだもの」 

「それは――まぁ、確かに」

「ふふっ、うれしい」

 

 小枝子は含み笑いを漏らし、謎めいた目つきで、

 

「もう二、三回通って頂ければ、このお店のウラの(かお)を見せて差しあげましてよ?」

「ほぅ?」

 

 さて、とオレは頭をいそがしく働かせて考える。

 

 ココの駒運びは微妙だ。直球ではなく、からめ手で攻める必要がある。

 あまりがっついて、根ほり葉ほり聞き出し、相手を警戒させないようにしなくては。

 

「……いいよ。表とかウラとか、あまり興味ないし」

「――面白い見ものですよ?初心(ウブ)な“女の子”が、私みたいな“メス”におちてゆくのは」

「興味ない。オレが興味あるのは、キミだけさ」

 

 オレは顔を寄せ、小枝子の首筋にキス。

 相手はうれしそうに体をよせ、乳首ピアスが飾る豊かな胸を、こちらに押し付けた。

 

「ま。心にもないことを……でも嬉しい」

「ほんとうサ。だって――」

 

 そこで、オレの言葉は立ち消えになった。

 

 フロアに現れた、黒いボンデージ・ドレスの女。

 水商売の女とも思えない、ごく普通のショート・カット・ヘア。

 

 はやくも熱をおび、退廃的な雰囲気をかもしだすフロアには全く似つかわしくないその人物は、赤い首輪をはめられ、リード代わりな細い鎖の端をレスラー“崩れ“ともみえる屈強な黒服に握られながら、うつむいたままフロアをよぎり、静々と店の奥へ向かい歩んでゆく。

 

 低い、冷やかすような口笛。

 談笑するトーンが止み、フロアが次第に静かになってゆく。

 抑えたヒソヒソ声すら耳につくようになって。

 

 全身のメリハリを強調した、身体をSM的に縛るようなデザイン。

 脚の付け根まで切れ上がった、きわどいスリットから(のぞ)く網タイツに包まれた脚。

 おそろしいほど(かかと)の高い、足首に鍵付きの枷(ストラップ)がついた深紅のヒール。

 スリットの合わせ目からは、二本の電気コードめくものが白く伸び、それがレスラー崩れの手元に続いて……。

 

 ――なん……だと?

 

 オレの眼に狂いがなければ、アレは銭高ンとこの……。

 

 

 

 




PMC:Private Military Company/民間軍事会社


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       〃      (3)

 銭高は、あの子のこと何て呼んでたっけ……?

 

 ――そう、()()()()だ。

 

 パンツ・スーツ姿の、警察(ポリ)にしておくには勿体ないような容姿の娘。

 瞬発のありそうな身のこなしと、利発そうな口もとが印象的だったが……。

 

 それがどういうカラクリだろうか。

 

 ハンカチで口をおさえ、苦しそうに身をビクビクと震わせながら歩く姿。

 身体の線も(あら)わとなる(みだ)らな衣装をまとわされ、服従の証である首輪さえ装着(つけ)られてしまっている。

 よく見れば、ハンカチで隠した口もとから黒い帯が後頭部までグルっと伸びて。さらにその黒いドレスの股間と尻では、なにやらウネウネと禍々しく動いているモノがある。

 

 ――あれは……もしかして。

 

 『ボニー』こと美香子をヤクザどもの拉致から救い出したとき。

 彼女の口唇(くちびる)を塞いでいた口枷。

 そして女の股間にある穴を三点ともども深々と穿(うが)ち、ギッチリと食い込まんばかりに縛めていた「装具」。

 あの時と同じように、おそらく銭高の助手もまた、性器(ヴァギナ)肛門(アヌス)、それに尿道にも電動式の玩具(オモチャ)挿入(いれ)られているのではなかろうか……。

 

 “サッチー”は一度足を留めた。

 

 首輪のリードがピン、と一瞬張られる。

 そのまま彼女は、音楽だけが気怠く流れるフロアを、力なくながめわたした。

 レスラー崩れが口もとを下品にゆがめ、手もとで何かを操作するしぐさ。

 すると彼女は痙攣的に身をふるわせるや、ついに片膝をついてしまう。

 しばらくその様を満足げに鑑賞していたレスラー崩れは、首輪を邪険にグイと引き、脚をガクつかせる“サッチー”をムリヤリに立たせた。

 

 「オラッ、さっさと歩け!」

 

 やがて彼女は言われるまま、再びうつ向いたまま歩き出して店の奥へユルユルと連れ去られてゆく……。

 

 その時オレはハッと気づいた。

 

 ――そうか!もしやおとり捜査?……だが、ここまでやらせるか?

 

 いや、銭高(アイツ)ならやりそうだとオレは思い直す。

 事件解決のためなら己の魂すら悪魔に売りそうな男だ。

 自分の助手を犠牲にするくらい躊躇しないかも。

 

  ――すると、この怪しげな“ボッタクリ店”が手入れを食らうのも時間の問題か……。

 

「どうなさいましたの……まぁ!」

 

 フロアの気配が変わったことを敏感に察したのか。

 振り向いてオレの視線を追った彼女の柳眉(りゅうび)が逆立つ。

 ちょうど、首輪から延びる鎖のはしを取られた“サッチー”が、ガクガクと脚をふみしめつつ、艶めかしい光沢を帯びる重そうなビロードの釣帳(とばり)の陰へと、その異様な姿を消すところだった。

 

 彼女が姿を完全に隠すと、詰めていた息が吐かれ、ある種のため息とともに緊張は融けてフロアの温度は上がったように感じられた。

 うす暗がりのあちこちから拍手がおこった後、まだ(なご)やかな談笑の雰囲気にユルユルともどってゆく。

 

「アレほど言っておいたのに……なんてこと!」

「どうした?」

 

 ふぅっ、と小枝子は大きく息をついた。       

 

「やはりわたしが居ないとダメね……お店の規律が」

「あの子か?シロウトっぽい奴も採るんだな」

「まだ彼女は()()()なのよ。“オモテ”のフロアには出すなと言ってあるのに」

「いろいろ仕込まなきゃならないワケだ」

「そう――色々と、ね?」

 

 フフッ、と小枝子は謎めいた微笑を漏らし、

 

「サ!(たの)しい時間はコレでおしまい。仕事しなくちゃ」

 

 代わりの子を寄越すわ、という小枝子。

 しかしオレは手をぞんざいに振って断った。

 

「いいよ。気楽に()ってるサ」

 

 じっさい、フリーになってこの店を探索したかった。

 もうかなりの出費だ。それに見合うだけの情報が欲しい。

 コッソリこの店の中を歩けないだろうか……。

 しかし、小枝子は言下にそれを否定し、

 

「そうもいかないわよ。お店の体面に関わるもの」

「体面ねぇ……そうだ」

 

 オレはさりげなく尋ねた。

 

「もしサ?もしも金は持ってるけど初見の若い客が来たら、どうする」

「若い方?紹介状を持っていない限り、ムリね」

「顔はイイ奴なんだ。新宿のホスト界でもトップ取れるやつ。女受けもいい」

「どうかしら?――イエ、やはり若い方はダメね」

「そう……か」

 

 よかった。とオレはとりあえすホッとする。

 とりあえず美香子は店に守られているってワケだ。

 あとは出退勤の時に、気を付ければいいとおれは心中うなづく。

 と、なると、轢殺場所を探すのがが困難だ。この区画は防犯カメラが多い。

 

 ――なにより轢殺トラックの待ち伏せ場所が、ない……か。

 

「どうなさったの?」

「いや、なんでも。代わりの()か……じゃぁキミよりイカした女性を寄越してくれよ」

「……いじわるネェ」

「そうだなぁ……」

 

 もう小枝子を利用する時間がない。

 あとはせめて『ボニー』の……もとい美香子の状況を確認したい。

 

 オレは改めてフロアを見回した。

 回遊魚のような黒服や、宝石箱におさまった真珠のような指名待ちのフロアレディに混じり、お運びやテーブル案内用のバニー・ガールたちが目についた。彼女も、あんなきわどい格好で働いているのだろうか。

 オレは壁ぎわでみょうなポーズを作って佇んでいる、イエロー柄のバニー・スーツ(本来はバニー・コートと言うんだそうな)を着たメガネっ子に目をとめた。

 

「ようし、あのウサちゃんにしようか」

 

 えぇ?と小枝子は面白そうに、

 

「もっとイイ娘が居るのに」

「実はね――ある娘から、こんなカードをもらったんだ」

 

 オレは美香子から渡されたカードを相手に見せた。

 

「なによ。美月(この子)とお知り合い?」

「知り合いってほどじゃないんだ。バニー・ガールが珍しくて」

「あきれた。貴方もオヤジ趣味入ってるのねぇ。ダメよ?もっとイイ子つけてあげる」

 

 幾分じれたオレはムッとして、

 

「じゃぁ。もしその子が気に入っちまったら、以後はそっちに貢いで、もうキミには目もくれなくなっても(よろ)しいか?」

 

 ウッ、と小枝子は鼻白み、しばし何かを考える風。

 

「……それも面白くないわね……いいわ」

 

 小枝子は通りすがりの黒服を呼び止め、

 

「あそこの娘――エスの『ナナ』を、この(テーブル)に呼んで頂戴」

「そのカードの()は、今夜居ないの?」

「彼女は、いま馴致(じゅんち)……いえ、研修中よ」

 

 やってきたショート・ボブなイエローのバニーに向け、立ち上がった小枝子は二言、三言と耳もとでささやいてからこちらを向いて、ふたたびあの謎めいた微笑を浮かべると、

 

「それじゃ――ごゆっくり」

 

 そう言って、周りの女の子たちとは明らかに格のちがうイヴニング・ドレスの裳裾(もすそ)を引きずりながらゆったりと去っていった。

 辺りを女王のごとく圧し、睥睨(へいげい)するその“尊大な気品”ともゆうべきオーラに、さすがのオレも舌を巻く。

 

「あ、あの……」

 

 テーブルの脇に立つ、イエロー柄なバニー・スーツをまとわされた娘。

 

「あの……わた、わたしテーブルに付くの初めてなんですぅ」

 

 大玉のメガネの奥で、キレイな瞳が落ちつかなげに動く。

 オレはソフアーにふんぞり返りながら、新たな相手をマジマジと見つめた。

 

 ボーンがいくつも入った、硬くキツ目なバニー・スーツ。

 そこに胴体(ボディ)を鋳込まれるような勢いで押し込まれ、ギチギチに矯正された姿。

 大きくやわらかそうな胸は押しつぶされ、ハミ出そうだ。

 細くシメあげられたウエストにできるシワ。

 おまたの食い込みも、恥丘の谷間をイヤがうえにクッキリと強調して。

 

 また、網タイツではなく黒いシーム付きストッキングをはかされているので、その輝くような光沢がムッチリとした脚の微妙なメリハリを際立たせている。

 バニー・スーツの腰には、花形リボンつきの名札で『菜々(ナナ)』とあった。

 

 そんなメガネっ子はオレの視線に顔を赤くし、カフスを巻いた手をオズオズと股間のまえで交差させて身じろぎをした。

 

「初めてだァ?カマわんよ。獲って食いゃしないサ。さぁ座って」

 

 それでもこのウサギは涙ぐんだような目で、

 

「おねぇサンたちにぃ、あとでいじめられちゃうかもォ……」

「なにが?お運びなのに客を取ったことがか?だ~い丈夫、小夜子にうまく言っておくさ」

 

 あぁキミ、とオレは通りかかった別の赤バニーを呼び止め、廉価(やす)いモエを注文した。

 これでも5万。いい商売だぜ、まったく。

 

「この店は、入ったばかりなのかィ?」

「入ったばかりじゃないけど……」

 

 『菜々は小首をちょっと傾げて、

 

「まだ……三か月ぐらい?」

「ふだんは?ナニやってるの。まさかココ専業ってわけじゃないだろ?」

「……学生ですぅ」

 

 そう言って彼女は、お嬢様系な女子大の名前をあげた。

 あっ、とオレは声をあげ、なるべく心安い調子で、

 

「キミ同じバニーさんで、キミんトコの大学の付属高校に通っている『美月』って子、知らない?友達なんだ」

 

 すると『ナナ』の顔が物思わしげに暗くなる。

 

「――どうした?」

「知ってますぅ。先日までココのフロアで、私と同じ“エス”をやってました」

「えす?」

 

 小夜子が言っていた言葉。

 なんだろう。まさかSMのエスではあるまい。

 

「エスコート・バニーぃ」

「あぁ、なァんだ」

 

 拍子抜けする。

 そういえば、彼女からもらったカードにも、そんなことが記してあったっけ。

 オレは名刺入れから彼女のカードを取り出して眺めた。

 

「そっか、エスコートか。で――その子いまは?」

「もっとお金が欲しいからってぇ、お店の“ウラ”に配属になりました」

 

 そう言った後、このメガネっ子バニーはポツリと呟いた。

 

「……よせばイイのに」

 

 ウラって何だと思わず聞きそうになるところを危うく踏みとどまる。

 

「あぁ、なんだ。ウラか」

 

 いかにも「なぁんだ」という風をオレはつくろう。

 ウラとは、この店の、もうひとつの“顔”ということだろうか?

 オレはシャンパンをまた口にふくみつつ、あくまでさりげない調子で、

 

「珍しくもない――いつからウラに居るんだィ?」

「土曜の夜から本格的な研修受けてるみたいですぅ。もっとも前から時々“ウラ”に出入りして、整形受けてたみたいですけど」

 

 先ほど呟かれた小夜子の言葉が、耳もとでよみがえった。

 

 

 ――面白い見モノですよ?女の子が、私みたいなメス奴隷に堕ちてゆくのは……。

 

 

 自棄的な口調に併せて漏れた、小枝子の笑み。

 それはまさしく「魔女の微笑」なイメージで、オレの胸にたちのぼる。

 そういえばあの巫女さん――真琴と言ったか。彼女も美香子の体つきや口唇(くちびる)が変わったとか言ってたっけ……。

 

「あいつめ!いいトコの娘なのに。なんで金なんか。小遣いが足りないのかな?」

「あの娘ぉ、家出したらしくてぇ……」

「――ふぅん」

「高校もヤメるんだって」

「は!?」

 

 ナニやってんだ、あのバカとオレは心中うめく。

 

 あの()ッかない親父サンの顔が浮かんだ。

 自分の娘の捜索願いすら出さないなんて信じられない。

 それとも本当に次女のことは(あきら)めているのか。

 

「ここの寮に入って……住み込みで働くとか言ってました」

「給与は、いいの?」

「私は“おもて”のアルバイトで時給4000円ぐらいだけど“ウラ”で働けば……」

「ここの店の“ウラ”は、どこにあるんだ?他の店のウラには行ったコトあるけど」

「あの通路の奥ですよォ?」

 

 そういって『菜々(ナナ)』はサッチーが連れていかれた釣帖の奥を示した。

 

「ふぅん。ここの店では女の子の“売り(売春)”もやってるんかい?」

「えぇ。実際に“売られ”てペット代わりに飼われたりもしているそうですぅ」

 

 どうも話が噛み合わない。まさか本物の人身売買?

 異世界に送ったヤクザは『武蔵』側のはずだが、まさか『黒龍』もこのテの商売をしているのか。

 きっと店のトップは転生指数の高そうな連中ばかりなんだろうな……。

 

「系列店の……(小夜子は何て言ったっけ。あぁ、そうそう)馴致(じゅんち)は見たことあるけど、ココもやっぱり厳しいのかな」

「徹底的に躾けられるときいてますぅ。それにエステやら脱毛やら整形やら。なかにはそれを羨んで“ウラ”に行くコもいます。『美月』チャンも、たぶんそっち系ですねぇ」

 

 オーダーしたシャンパンがやってきた。

 

 先ほどとは違う黒服が、オレと『菜々』の前にグラスをおく。

 マネークリップから、また一枚を抜き出し、青年の胸ポケットへ。

 彼は口もとに微笑を浮かべつつ、オレのティスティングのあと、それぞれのグラスに注ぐ。

 

「なにか食べるかね?」

「私でしたらぁ、お構いなく。オーダー重ねてあまり点数かせぐと、お姉さんたちに「生意気」だって怒られますぅ。それにこの衣装、お(なか)キツくて食べられないんでぇ……」

 

 バニー・コートにギッチリとハメられたため、いくぶんポッコリとしたテカテカの下腹部。おまたの恥丘が露わにならぬよう、彼女は光沢ストッキングに包まれた(もも)に力をこめてギュッとあわせながら、付け爪の飾る指で固いバニー・スーツの生地をソヨソヨと撫でた。

 

「さぁ、どうぞ?」

 

 オレは彼女にシャンパンを勧める。

 

「じゃぁ……一杯だけ」

 

 すると、おどろいたことに『菜々』はシャンパン用フルート・グラスの脚をつまむや、

 

 スゥゥゥゥゥゥゥゥ……ッッ。

 

 まるでサハラの熱砂が水を吸うように、グラスをいとも軽々と干してしまった。

 

 むふぅ♪と満足そうな口がペロリ、と小さく舌なめずり。

 みかけによらぬ飲みっぷりに、財布の心配とはべつにオレは目をむいて、

 

「おどろいた!――イケる口なんだな」

「大学のコンパでは『うわばみの菜々子ちゃん』って“二つ名”ァ持ってますからぁ」

 

 ふんす!と彼女は小さくガッツ・ポーズ。

 

「学部は?」

「文学部の仏文でぇす。マラルメをすこし――といってもおぢサン知らないか……」

「肯定的外観から生じた明るさの混ざり合う、衝突の墓場くさい()()()()の無意識的記憶によって長引かされた躊躇(ためら)いの(うち)に、羽目板の中断された崩壊の幻影が現れる……」

「すごぉい!イジチュールだぁ♪」※

 

 彼女の無邪気な驚き顔。

 

 フフン、とオレはドヤ顔。

 相手のメガネの奥で、純真そうな瞳がわらう。

 と――言っている間に手酌され、またも彼女のグラスは空になって。

 

 ――畜生……やられた。

 

 オレはテーブルを去り際に小枝子が浮かべた、先ほどの心象とは別の笑みを思い出す。

 あいつ()、こう言うコトだったのか。とんだ爆弾、仕掛けて行きやがった……。

 

 気が付けば、なんと手酌でこのバニーは酒をどんどん注いでいる。

 廉価(やす)い銘柄にしておいて良かったよ……それでも5万だが。泣ける。

 オレはさりげなく彼女からボトルを奪いながら、

 

「しかし、あの“お嬢サマ大学”の学生さんが、こんなところでバイトをねぇ」

「“お嬢サマ大学”の学生だって、お(なか)はすくし、欲しいものはあるし、旅行にだって行きたいですぅ」

 

 どうせ就職すれば、そんなヒマ無くなるんだし、と彼女は半ばヤケじみて。

 

「バニー・ガールになるって、抵抗は無かった?」

 

 うーん、と彼女はまたもグラスを干してから、

 

「初めのうちは恥ずかしかったけど、だんだん慣れてきました……それにお給金イイし」

「けっこうシフト入ってんの?」

「週3ぐらい、かな?お給料がイイぶん、時間ができるので勉強に専念できます。ヘンにコンビニや喫茶店なんかで働いてたらストーカー被害にあうかもだし。ここならチャンと男の人がガードしてくれます。」

「なるほど。そういう考えもある、か?」

 

 とは言いつつも、ソイツぁどうかな?とオレは危ぶむ。

 見ようによっては、ストーカーの群れの中で働いているようなものだ。

 ヤバいクスリや色男の手くだ。おまけに調教施設まで有るってんだから、火薬庫で火遊びするようなもんだ。彼女に何ごともなけりゃイイが。

 

「でも、コレがギリギリですよねぇ」

 

 フルート・グラスを弄びつつ、彼女はバニー・スーツに縛られた身体をイライラとねじり、少しでも楽になろうとモガく。

 動きにつれてミチミチと鳴る、ショッキング・ピンクの扇情的な装い。

 いつのまにか太ももが開き、スーツが食いこむ“おまた”を無防備にして。

 

「――わたしってぇ、スタイル良くないしぃ。野暮ったいしぃ」

 

 オレはソファーから身を引いて、相手の身体を品定めする。

 はにかんだような笑みが、赤らんだ面に浮かんで。

 

 恥じらいの所為なのか。

 シャンパンの所為なのか。

 それはちょっと分からない。

 おいおい、とオレは苦笑しつつ、

 

「キミがスタイル悪いなんて言ったら!イヤ味としか受け取れんぞ?そんなワガママ・ボディさらしといて」

「そんなコトないですよぉ……」

 

 ソファーに座りなおそうとして、つい大股開きになる彼女。

 女の匂いが、ふと香って。

 

 そしてモエの瓶を、ぬかりなく掴みながら、

 

「“ウラ”のお姉さまたちにはァ――とてもかないませぇん」

「そんなコトないさ。キミも“ウラ”に行けば、売れっ子になるぜ?」

 

 菜々は、ふと真顔になる。そしてバニーの耳の位置を直しつつ不安気に、

 

「“ウラ”は――怖いですぅ」

「ほぅ?」

「女の子たちの性格や見た目まで、変えられちゃうらしくッて」

「ふむ」

「『美月』チャンもぉ……」

 

 言葉がとぎれた。

 グラスに残った酒を干し、ながらく放っておいたため乾燥がきたキャビアのカナッペをほおばりながら、

「……美月(ミッキー)も?」

「きのう、表とウラの(しきい)ですれ違ったとき、チラッと会って少し話ができたンですケドぉ」

「ふん?」

「その、『美月』チャン、店の“ウラ”でだいぶ馴致(じゅんち)されちゃって、ずいぶんと――その」

「――随分と?」

 

 意味するところはあらまし分かっていたが、オレはワザとスッとぼけてたたみかける。

 『菜々』は、さすがに言いにくそうにモゴモゴと、

 

「その、『赤いウサギ』流に(しつけ)られちゃったみたいでぇ。一瞬ダレか分からなかったくらいですぅ」

「誰だかわからない、って?」

「顔を変えられたりィ、胸をおおきくされたりィ。胴なんかもを細くされたりして……」

「整形手術みたいなもんか?」

 

 エステや美容整形だけならイイんですぅ、と『菜々』は少し顔を曇らせて、

 

「おクスリ使われちゃったり。どんな命令にも逆らえないようになるコワい機械に入れられたり……きのうは、そのぅ……オシリと“女のコのところ”に『お道具』まで挿入(いれ)られてたみたいでぇ……」

 




※イジチュールまたはエルベノンの狂気(ステファヌ・マラルメ:秋山澄夫氏訳)

さて。
極めて不本意ながら、次からだんだんハナシがエチーになってゆきますよ?


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       〃      (4)

 『菜々』は自分でそう説明してから、

 

「いやぁん、ですぅ」

 

 カァツ、と顔を赤くする。

 それを隠すためか、ボトルを自分のグラスに注ごうとするが……滴がチョロチョロと垂れただけ。

 

 ――コイツ!全部飲んぢめーやがった!!

 

 あまつさえこの“うわばみバニー”は空になったボトルをふらふらと、オレの顔を見ながら寂しそうに振ってみせる。えぇい、分かったよ。もう!

 

 最初にシャンパンを頼んだ兄サンが通りかかったので、モエのお代わりを注文。

 するとこの黒服はソファーに居る『菜々』を見て眉をひそめ、

 

「お客様――ちょっと」

 

 オレを呼び、ソファーから引き離してフロアの片隅へ。

 

 そこからは、夜も深まってゆくにつれ次第に煮え立ってゆく【紅いウサギ】が見渡せた。

 

 幾セットものパーテーションに来客と侍る着飾ったフロア・レディ。

 酒器を盛りだくさんに乗せたパレット片手に回遊する黒服やバニーたち。

 耳障りにならない程度の音量で演奏する電子楽器の一団。

 

 フロア・レディのドレスに手を差し込み、バーコードをハタかれるジャケットも居れば、カツラがズレているのにも気づかず、必死に嬢をくどいている“お忍び”僧侶らしきものまで。

 そして――また一人。

 フロアをおとずれ、イブニング・ドレスに席まで案内される、やり手風な若いスーツ姿。

 

 青年の黒服がヒソヒソと、

 

「イイんですか?あの()()()――そうとう呑みますよ?」

「乗りかかった船だ。仕方ないサ」

「マジで!やめといた方が……」

「ふふっ、こうなったら成り行きさ。どう転ぶかタノしみだ」

「待ってて下さい――ジブンが“巧く”段取りつけます」

 

 そう言って、この青年は肩から何やら使命感めくもの発散し、一礼して去ってゆく。

 ソファーにもどると『菜々』が不満そうに、

 

「なぁに?ナイショ話なんかして!」

「それよりも、いま言った“コワい機械”――ってなんだい?」

「……それは――」

 

 彼女は、キツそうなバニー・コートの間に指を入れる。

 ユサユサと具合を直し「フゥッ」と息をつくと、いかにも申し訳なさそうに、

 

「この店の“ウラ”は――これ以上くわしく言えないんですぅ。うっかりイロイロ喋ると【お仕置き】されちゃったり。最悪“ウラ”に連れてかれて、そこ専属のフロア・レディにされちゃいますから。コワいとこなんですよ?このお店。系列店ではいちばんスゴいとこらしいですワタシも聞いたハナシですけど」

「怖くないのかね?こんな店で働いて」

「規則さえ守っていれば大丈夫だって、先輩のお姉ぇサンも言ってくれてますしぃ。何よりバイト代がいいから離れられません。ドリンクはタダだし、バーゲンセールの情報も入るしエステやネイルサロンの割引もあるんですよ?」

 

 ――なるほど。こうやって女の子たちを手なずけてゆくんだな。

 

 オレは連中のやりかたに感心する。

 

 それよりィ!と彼女は少し怖い顔をして、

 

「さっき、()()()と何ハナシてたンですぅ?」

「あいつ、って。さっきの黒服か?――シャンパン銘柄の相談だよ」

「アイツ、ちょっと前までズイブンしつこかったんですよぉ?」

「ハハァ。言い寄られたな?」

 

 『菜々』は肩をすくめ、ゆるやかに首をふった。

 薄暗い店の中で、耳朶に下がるイヤリングがキラキラと輝いて。

 

「更衣室の前で待ってたり、店の外で待ちぶせしたり非道(ヒド)かったんです。仕方なくホンの1,2回飲みに付き合っただけなのに。しかもあのヒト“高卒”なんですよぉ?」

 

 高卒、という言葉に力を入れる彼女。

 

「……ナルホド。バニーさんは高学歴がお好き。か」

 

 やはりこの娘も、いまどきの唯物的な娘だ。

 マスコミの“刻印付け”による脊髄反応を、だれも責められまい。

 

「チーフ・レディ経由で苦情をいれたら、どうにか収まったんですけどぉ……」

「なんだ?そのチーフ・レディッてのは」

「『小枝子』サマたちのクラスを、このお店ではそういいます」

「なんだ、『小枝子』のようなランクはいっぱい居るのか」

「このお店では、あと『麗華』サマがいらっしゃいます。きょうはお休みですけどォ」

 

 なるほど、変わりばんこで営っているというわけだ。

 

「はァん?『麗華』さまが――どうしたってェ?」

 

 いきなり卓のわきで声がかかった。

 みれば、イブニング・ドレスを着た、盛り上げ髪のフロアレディが二人、ニヤニヤとこちらを見下ろしている。

 

「失礼しまぁす。グランド・フロア所属の『みほと』でぇす」

「同じく『しをん』です。お愉しみ頂けてますでしょうか?」

 

 なんだ?呼びもしないのに二人もきたぞ?とオレは仏頂面になりかけるが、うつむく『菜々』と、こちらにウィンクする『しをん』を見て、ハハァと思い当たる。

 

 ――コイツら、さっきの兄チャンに言われて来たな……?

 

 二人は、テーブルの乱れを整え、新たに持ってきたシャンパンをテーブルにセットしてする。

 

「『ナナ』!どうなの!?チャンとお客様に楽しんで頂いてる?」

「こないだみたいにアンタだけカパカパ呑んでちゃダメなのよ!?」

 

 そういうと、オレの尻を動かし、『菜々』の両側に陣取った。

 どうやら『菜々』は彼女たちが苦手らしい。緊張した面持ちで、ずっとうつむいたまま。

 

 『みほと』がシャンパンを開けた。

 そして新しく持ってきた、いかにも端麗なバカラのグラス四脚に、等分な具合で注ぎ入れる。

 

 ――と、一瞬!

 

 一脚のグラスの中に、何か錠剤のようなモノを入れるのを、オレは目の隅にとらえた。

 ニンマリと笑みを交わすフロア・レディたち。

 うつむいたままの『菜々』は、当然これに気づかない。

 

 彼女らは、グラスをそれぞれに置いた。

 アヤしい一脚は、『菜々』の前に押し出される。

 

 

「カンパァ~イ」と軽薄な女どもの黄色い声。

 

 普段のオレならぶち切れそうなシチュエーション。

 だが、今回ばかりは興味ぶかく推移を見守らざるをえない。

 新参のふたりは、黄金(きん)色の泡を華麗に飲み干す。さすがはこの店が雇うだけのことはあった。なかなか飲み方が上品だ。うん、情報を得るぶんには、彼女たちの機嫌を取っておくのも悪くはないだろう。

 

「いいね――さすが。飲み方がキレイだ」

 

 褒められた二人は、顔を見合わせ、笑いあう。

 

「どうだ、なんか腹減ってないか?」

「えぇ……でも」

「ねぇ?」

 

 結局「サーモンのマリネ」と「エビのカクテル」をとりよせ、二人に供する。そして三本目のモエを注ぐころには、口のカルいこの二人から店のことを大分知るようになってきた。

 

 女たちの階級のこと。

 店の“ウラ”部門のこと。

 権力のあるパトロンのこと。

 最近は暴力団の抗争がらみなこと。

 

 そして――。

 

 どんな貞淑な人妻も、そこに入れられたら最後、強制的に「淫乱マゾ豚ペット」(いっておくが彼女たちの言葉だ)にされてしまう“コワい機械”のこと。

 

 彼女たちがどぎつい口紅の彩る唇で店の内情を得意げに話すうち、『菜々』の具合がおかしくなってきた。

 トロンとした目をして、反応がにぶい。

 

「『菜々』どうした?眠くなったか?」

「にゃぅぅん……」

 

 ドレスをまとう女たちの()()()()()()(クラ)い微笑み。

 さては先ほどグラスにいれたクスリの効果か……。

 

『しをん』の方が、彼女の耳に口をよせ、イヤリングをチリチリと唇で弄びながら、

 

「あらあらぁ。どうしたのぉ?『ナナ』ちゃぁん。酔っちゃった?」

「ダメぢゃないの!お客様の前なのに、そんなにボンヤリしてェ?」

 

 『みほと』は、あろうことか『菜々』の滑らかそうな太ももをゆっくり撫で上げると、たどり着いたイエローなバニー・スーツのおまたにズぃ!と、やおら指を差し入れた。

 

「ひゃぅん……ッ!」

 

 抵抗しようとするなメガネっ仔バニーは、哀れにも両側から性悪な女たちに腕を押さえつけられ、ソファーに拘束されて身動きできない。

 

 『みほと』は、衣装の中に差し入れたゆびを更に奥へ。

 彼女のだいぢなところを()()()はじめた様子。

 

「ほうら、お豆もこんなにボッキしちゃって……イヤらしい()ねェ」

 

 『みほと』の女を喜ばす巧みなテクニックにより、『菜々』を縛めるバニー・スーツの“おまた”部分に、たちまち妖しげなシミがうかび、発情したメスの臭いがたちこめる。

 力の籠らない視線と呆けた口もとでイヤイヤをする『菜々』。

 『しをん』の手で引き下ろされるバニー・スーツの背中ファスナー。

 白い乳房が(ふ~苦しかった♪)とばかりユサリ、こぼれ出て。

 

 小枝子と違って嬲られたことのない薄い色の乳首が、恥ずかし気に直立している。

 

「ま!見てよ、このカマトトぶった乳輪の色!」

「許せないわね?“お飾り”つけちゃおうか?」

 

 勃起した『菜々』の乳首をコリコリと責め苛み、あむっ、と甘噛み。

 細く尖らせた舌が耳の孔を犯し、熱い息が吹きかけられる。

 つねり、愛撫し、さすり、くすぐり。

 女同士の責めは苛烈で容赦がない。

 

 力のはいらない『菜々』たいして二人の痴女は、

 

 マシュマロのような胸をもむ。

 どぎつい口唇と舌で相手の口を犯す。

 額に、首筋に、胸に、キスの雨を降らす。

 お豆を、おまたをくじり、メスの液をにじませる。

 うしろの孔に侵入し、哀れなウサギの腰を浮かせる……。

 

 ≪樹液がわき出て花が咲いたわ

  あなたのは芽生えたばかりのアカシデ

  指を苔のなかで動かせてね

  そこには薔薇の蕾がかがやいている≫※

 

 そんな一節を思い出しつつ、オレは時ならぬビアン劇場を横目にして、エビにオーロラ・ソースなどをつけて頬張りながら、ちんポジを直しつつ残り少ないモエを賞味した。

 

 さすがに周りのテーブルから注目を浴びたのだろう。

 

 フロア・マネージャーが静かにやってきて、オレに向かい眉毛をヒョイと上げてみせる。

 オレが肩をすくめるのを見て、場数を踏んだこの中年男はすべてを察したらしい。

 テーブルに身を乗り出して店の雰囲気を壊さぬよう、ささやき声で、

 

「『みほと』、『しをん』!ま~たお前たちか。カタギの初心(ウブ)な女の子を食い物にするのは止めろとアレほどいったろ!?」

「でも、お客様はお悦びのようよ?ねぇ」

「そうよそうよ。お持ち帰り部屋行きよ」

 

 マネージャーはため息をついて、

 

「どうなさいます――お持ち帰りしますか?」

 

 『みほと』がオレのほおに顔を寄せ、口唇(くちびる)でこちらの耳たぶを弄びながら、ミントの香る熱い息をささやいて、

 

「お客さま、()っちゃいなさいよォ。この()――処女よ?」

「お客サマが初モノ召しあがらないなら、アタシたちが食べちゃうケド?」

 

 オレは期待をこめたビッチ共の視線。

 マネージャーのこちらを値踏みするような瞳。

 それらを等分に見くらべてから、

 

「分かった、分かった。とりあえず救護所はあるか?ひとまずそこへ」

「わかりました。『みほと』、『しをん』。お客様を、ご案内して」

 

 オレはネクタイを緩めると上着を脱いで『みほと』に預け、フラフラと力の入らない『菜々』を立ち上がらせた。そして肩を支えながらゆっくりとフロアを抜け出し、この店の楽屋裏へと足を踏み入れた。

 

               *  *  *

 

「お客様ぁ?コッチ、コッチ」

 

 悪戯っぽそうな『みほと』の表情。

 『菜々』に肩を貸しながら、オレが廊下を進んでゆくと、どういうわけか次第に辺りの雰囲気は豪華なものに。『しをん』の怪訝(けげん)な声。

 

「え。『みほと』?――【トラ箱】に連れていくんじゃないの?」

「なーに言ってんだか。“ウラ”のヤリ部屋、使っちゃおうよ。この時間は、まだ誰も居ないの知ってるんだ♪アタシこないだ“ウラ”でヘルプに入ったから」

「あ、だからかぁ。あのクスリも、そのときにチョロまかしたね?アンタ手癖ワルいもんねぇ」

「シッ!お客さん聞いてるじゃん。ダレにも言いませんよ、ねぇ?」

 

 オレは苦笑いして「そうだな」と言うしかない。

 救護室に行くんじゃないのか、訊こうとしたが、このまま成り行き任せで店の“ウラ”を探るのもワルくない。

 

「あ!そうだ――お道具どうしよう?」

「ヤリ部屋にあるんじゃないの?ローターやバイブくらい、あるっショ」

「えー、この子ギチギチの“ボンデ”にキメて、覚めたときの絶望っプリ観察したいのに」

「クスリの効果は?」

「まだチョットは大丈夫なハズ」

「そっかぁ。じゃチョコっと調達せんといけんね」

「“ウラ”のアタシの知り合いにタノんでみるわ」

「や~ん、夢が広がりんぐ。どうしよう?やっぱオシリの拡張かなぁ?」

 

 アマいわね、とせせら笑う『みほと』

 

「まずは上の突起や下のヒダに、デカいピアスをキメてやるわ」

「そうね、奴隷身分に堕ちた自分を思い知らせてヤリましょう」

 

 前をいく悪女ふたりはこちらを振り向いてニンマリとわらう。

 

「あぁっ……このナマイキな娘が、どんな絶望的な表情をするか」

「そうね。淫らに手を入れられたイヤらしい格好の自分を鏡で!」

 

 

 はやくもこの女たちは自分の胸を揉みしだき、反対側の手をドレスの中に。

 

「それを想うと……」

「あぁッもうイキそう!」

「ちょっと、『みほと』くん?私のスーツくしゃくしゃにしないでくれよ?」

 

 言われた片方のフロアレディは、オレの上着に顔をうずめ、スーハーと深呼吸。

 

「あぁっ♪オトコの匂い……!ダメ……もうイグっ!イグぅぅぅッッツ!」

 

 ブルブルっ、とドレスをまとう柔らかい身体がふるえ、グッタリと壁に背をつけた。

 

「もう!『みほと』ずーるーい!アタシも」

 

 オレも思わず、

 

「ちょっとぉ。そのスーツ高価(たか)かったんだからヤメテ……」

 

 などと、てんで勝手なことをわいわい言い合いながら先に進む。

 そのうち、辺りはますます豪華な雰囲気となっていった。

 

 緋色のカーペット。

 うす緑なロココ調の壁意匠。

 間をおいて廊下に並べられた絵画。

 それに――なにか香料のような、甘ったるい臭い。

 

 一つの扉の前を通り過ぎたとき、

 一瞬。そこに別の気配が混じって、消える。

 

 なんだ、とフラフラする『菜々』を支えながら首を傾げた。

 強いてたとえれば……それは尿と女の愛液が交じったような……。

 前をゆく二人のモノではない。それは扉の方から臭ってきたのだ。

 好奇心を抑えきれず、オレは『菜々』を近くにあった花瓶台の上をどかしてそこに座らせ、オレは豪華な意匠がほどこされた扉のL字型ノブに、()っと手をかけた。

 

 ガシャリ、と音がしてL字は下まで降りた。

 見かけに反してクソ重い扉が、なかば自然に開いてゆく。

 

 ――開いている!

 

 さきほど()いだ臭気が、生温かい濃厚な気配となって押しよせてきた。

 部屋の中は真っ暗だ。音のぐあいからして、けっこう広いらしい。

 廊下からの乏しい明かりでは、とても奥まで見とおせない。

 ドロンとした薬湯のような、けだるい雰囲気。

 

 そして――部屋の奥で人の気配。

 チャリ……チャリと重そうな鎖が鳴る音。

 なにかのバイブ音が、バラバラに間を措いて。 

 口にさるぐつわを咬ませられた時のくぐもった声。

 嗚咽(おえつ)するような、(もだ)えるような、哀願(あいがん)するような気配。

 

 

 灯りをさぐろうと半歩部屋に踏みこんだとき、遠くの廊下で怒声と物音が響いた。

 オレは反射的に身を引いて、目の前の扉を渾身の力で閉める。

 気が付けば、なんとあのビアン二人組もいない。

 

「そこ()!捕まえてくれ!」

 

 廊下の彼方で爆発的に湧きおこった騒ぎが、みるみるコチラに近づいてきた。

 赤色のモップのようなものがイノシシのように突進してくる。

 

 やがてその赤毛のかたまりはオレにぶつかり、彼我ともに吹っ飛ばされた。

 

「痛ッてェ……」

 

 見れば、赤色のモップと見えたのは、一見して大きなカツラとわかるウィッグを付けた全裸の女だった。

 いや、全裸というには厳密にいえば語弊がある。

 両手首、足首にクロームに輝く(びょう)がついた赤い(かせ)をつけられ。

ガーター付きの黒いストッキングに赤いピンヒールだけを履いたすがた。

 それが廊下の明かりに白い裸体をヌメヌメと身をよじらせて、なんとも幻想的な景色。

 

「助かった!よく捕まえてくれた」

 

 あとを追ってきた白衣の男たちが女の両腕をつかみ、邪険に引き起こす。

 

 洋物のAV女優のような、濃い化粧が目立つ面差し。

 口唇(くちびる)は整形されたのか、ぼってりと肉厚に赤く。

 濃いアイシャドウが飾る目のあたりも、トロン――と白痴ふうに。

 両乳房には施術の目印だろうか、マーカーで形と数字が精密に書かれて。

 

「アブなかった!手術室から逃げ出しやがって、クソ(アマ)が!」

「脳オペのまえで良かったよ。キミは――見慣れない顔だな?」

 

 つかまった女が顔を上げた。

 

 トロンとしたまなざし。

 ふっくらとした顔つき。

 色ボケしたような表情。

 

 チョッと見にはアニメのジェ〇カ・ラビットのような。

 

 

 と――長い付けまつ毛がフルフルとふるえた。

 次いで、マスカラに濃く彩られた眼から涙がハラハラとこぼれ落ちる。

 イヤらしく整形された肉厚の口唇が、わななくようにふるえて。

 

 そしてようやく一言、ハスキーな声で(あえ)ぐように、

 

「ご主人さまァ……」

 

 




※ヴェルレーヌ「女友達」窪田般弥訳


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第18話:“紅いウサギ”の遥夜(1)自粛版

 オレは目の前の女を改めて見やる。

 

 豊かにうねる肩までの赤髪。

 少しぽっちゃり目の、トロンとした面差し。

 ぼってりとした、○○○ワイフの口元めくタラコ唇。

 それは深紅の色合いで、あたかも飴のかかった果実のように艶々と。

 外国人とのハーフだろうか。アンバランスなほどの豊かな乳房が印象的だ。

 よく見れば、その○○にも小枝子のような○○○が穿たれ、リングが洌たく輝いている。

 

 抜けるような白い肌には、○○はおろか産毛すら一本も生えていなかった。

 下腹部。○○や卵巣のあたりにも何かのマーキングや数字が書かれ、不吉な運命を告げている。

 

 肉付きのいいマネキン人形のような身体は、少女と(おんな)の中間ぐらいか。あるいは少女に人工的な手術を加えてクスリを投与すれば、このような○○(ボディ)になるかと怪しまれた。

 

 両腕を手枷につくリングで背中側に連結され、首輪のDリングにリードを繋げられると、女は手荒に引き立てられる。それに抗い、この見知らぬ○○の少女はオレの方を向いて、

 

「イヤっ!……ご主人さまァ!!」

 

 ハスキーな声。

 舌っ足らずな口調の叫び。

 長いまつ毛が震え、大きな目から涙がこぼれた。

 マーキングされた○○をゆらすと、先端のリングが輝く。

 よく見れば女の舌をつらぬいて、ここにもバーベル型のピアスが。

 

「さ!手間かけさせやがって――来い!」

 

 白衣の男がリードを引っ張ったとき、恐怖のためかジョロロロロ……と女が○○した。

 パァン!ともう片方の男が、すでに赤く腫れあがっている○を叩く。

 

「しまりのない○○○だな。やはりもう少しキツめに手術(オペ)ってやるか……」

「まだまだ手術が残っているんだ!あまり世話やかすと、脳にメスいれるぞ!」

 

 あうあうと白痴顔をしたバタ臭い顔の女がヨダレを垂らしながら、

 

「ご主人さま……助けて……アタシ美……美か……」

 

 へぇ、まだ自分の名前を言おうとするんだ、と白衣の片方が驚いたように。

 

「あれだけ自分の出自を消去させて、代わりに性技を催眠教育したのにな」

「すこしサービスしてやるか。○○奴隷『マゾ美!』――強制○○○せよ!」

 

 あッ!あッ!アッ――――!

 

 条件反射を脳に刷り込まれでもしたのか。

 女は人形のような肢体をブルブルっと震わせると、【以下自粛】

 嬉しそうなアヘ顔をさらし、さらに二度、三度。

 もし後ろ手に拘束されていなかったら、ガニ股でダブル・ピースをキメていたかもしれない。

 やがて激しく○○たあとは、ヘナヘナと崩れかかるところを首輪で宙づりに。

 

 その時、オレの中で何かが噛み合った。

 

 目の前の女が発散する“臭い”と“匂い”。

 厳重に梱包された黒い革製の“繭”を開いたときの情景が、フラッシュ・バックする。

 横抱きに抱え上げたときの、ピキリとした腰のいたみまで正確にトレースして。

 

「美香子――美香子か!?」

 

 大きな目と長いまつげ。

 外人のように通った鼻筋。肉感的な口唇。

 ケバい化粧のせいもあるのだろうが、記憶にある美香子とは、とても似つかない。

 白衣の男たちが顔を見合わせる。そのうちの片方が、

 

「失礼ですが、貴方は?」

「きょう追加で調教師が来るとは聞いてないぞ?ナニやってんだ事務所は」

 

 オレは素早く頭を巡らせた。

 

「――そのぅ、小夜子に言われてね」

 

 時間かせぎの苦しまぎれに、とりあえずそう応え、

 

「オレの知り合いのバニーが“馴致”を受けてるって聞いて。そこの――」

 

 相変わらず花瓶置きのうえにウサギのシッポがついた尻をのせウトウトしている『菜々』をアゴでしめし、

 

「“エス”を『トラ箱』に運びがてら様子を覗こうとしたら、この有様サ」

「……この子『菜々』じゃないか。“馴致”はもう少し先の予定だぞ?」

「『トラ箱』だ?場所がちがうだろ、キミ」

「案内人に言ってくれよ。『みほと』たちの先導でここまで連れてこられたんだ」

 

 ははぁん……読めた。と、もう片方。

 

「アイツ、前々からこの娘に目ェつけてたからなァ」

「ああ、あのビアンのウサギか」

 

 なるほど、と片方の白衣がニヤニヤと。

 

「一服盛ってレズろうとしたんだな。その子の反応<ゾンビ・パウダー>のものだし」

「ナルホド。この先の“姦り部屋”目当てかぁ」

 

 ふふっ、と二人の白衣は嗤い、」

 

「アイツらも、たいがいだナァ。いい加減にしろと前々から言われてンのに」

「念のため血液検査して、解毒薬を静注しよう」

「そうだな――きみ、スマんが『菜々』を連れて付いてきてくれたまえ」

「オラッ!施術のしなおしだ!!」

「イヤァツ!……ご主人さまァ!……ご主人さまァ!」

 

 ハスキーな哀願が、身体を精一杯ねじった姿勢から後ろにいるオレに。

 

「その子……声帯を手術したのか?」

「いや、()()だ。単に泣き叫んで声が枯れただけサ」

「アタマと往生際の悪いメスだよ……“ウラ”の所属になるってのを、よく理解しないで入所(はい)ってくるとは」

「単なるアルバイトか、援助交際の延長ぐらいに考えていたんだろ。カワイソウに」

 

 しかし、その“可哀想”に同情の色はなく、あくまで(あざけ)るような調子。

 オレは店側の処置によって、あわれにもすっかり色情狂っぽく変えられた美香子の面差しを考えつつ、

 

「そうか。声まで変わっていたので、すぐに知り合いとは分からなかった……」

「仕込めばイイ稼ぎするようになるぞぉ?――この素材は」

 

 白衣の片方から、携帯の着信音が鳴り出した。

 この男はあわてて取り出して何やら(かしこ)まった口ぶりで応対する。

 男は通話を終えると、相棒になにやら耳打ち。相棒はオレの方をチラッとみてから(マジで?)という口のうごき。

 

「とりあえず行こうか。そっちのアンタも、ナナを連れてついてきてくれ」

 

 オレは“○○○○『マゾ美』”にされた裸身の美香子を引き立てる白衣たちの後ろから、フラフラと歩く『菜々』を支えつつ、うす暗い廊下を歩いてゆく。

 

 

          【STAFF ONLY】

 

 

 冷たいLEDのもと、注意板がネジ留めされた非常口めく金属製の扉。

 白衣の片方が、扉わきの光学機械をニラむと、網膜認証のロックが外れる音。

 

 防音機能を備えた重そうな扉が開くと……周りの様子は一変した。

 

 

              * * *

 

 

 そこは大規模なペット・ショップを思わせる造りだった。

 

 通路の両側にケージ・ウィンドーが並び、中で飼われるモノを展示するスタイル。

 

         【新規入荷!】

                       【現在(しつけ)中】 

【御成約済み】              

            【店長イチおし  

                        

 

 さまざまなポップや、あおり文句。

 ところによって「値引き金額」が表示されているところも同じ。

 

 違うのは、ウィンドーの規模が格段に大きいこと。

そして中で飼われているのが動物ではなく、いずれも少年少女~若い婦人という事だった。

 

 ウィンドウの中は、トイレまでもが一体になったプラスチックの小部屋めくものもあれば、いましも拘束具につながれ、秘所をこちらにさらしたまま、前と後ろの(アナ)に電気じかけの極悪な太さをもつ張り型をズップリと突き立てられ、ピンクに染まった全身に汗をうかべ(もだ)える女もいる。

 

 わりと豪華なウィンドーの中では、美○な胸をもつベリショ髪な少女が、シルクの光沢をもつ大きなクッションに、なよなよと全裸の身体を(もた)せて。

 ふと、通りすがるオレに気づいたのか、首輪のはまる上半身をもたげ、軽く投げキッス。

 よく見れば下腹部には無毛の幼い○○○○が、てろてろと。

 ポップには凝ったフォントで文字が踊って……。

 

     【フェミショタ→シーメール置換中】

 

 両脇に次々と現れる奇想のウィンドウをよそに、オレは平然と通路を進んだ。

 あくまでも表面上は「こんなの見慣れてますよ」とでも言いたげな顔で。

 しかし、内心はモノめずらしさと好奇心を隠すの必死だった。

 偏執狂の妄想をぶちまけたような、責めの種類と体位。

 

 

 

 少女もいれば(おんな)もいる。いっそ(をんな)と書きたい年増な美人妻の系統も。

 

 大きなウィンドウは完全防音となっているらしい。

 

 

 【以下自粛:ここではウィンドウの中でおこなわれるさまざまな躾作業の描写】

 

 

 ――そういった諸々(もろもろ)は、ガラスにすべて隔てられて聞こえない。

 

 まるで調教する者とされる者が、趣味の悪いパントマイムを演じるかのように。

 

 そう。様々に色彩効果を()らす、このガラス張りとなったミニ劇場の中で……。

 

 

 通路の行く手に、一人の小柄な紳士が立っていた。

 その背後には、ガタイの良い体躯をした二人の黒服。

 隣には『みほと』と『しをん』が、打ち(しお)れた物腰で控えている。

 

 『マゾ美』を引き立てる白衣たちの脚がとまり、彼らが一礼した。

 

 紳士は独り、悠揚(ゆうよう)迫らず進み出ると前にいる者たちをおしのけ、オレの方へとやってきた。

 

 

 高価(たか)そうな靴。

 ベージュ色のスーツ。

 一見して最高の仕立てだ。

 カッティングの冴えが見事に。

 生地も相当に佳いものを使っている。

 だが、そのスーツをまとう持ち主はとえば、

 

     “奇怪”の一言。

 

 まるで竹中栄太郎の挿絵から出てきた悪漢のような風貌。

 スーツに鮮血めくものが点々と飛沫(しぶ)くのも、その印象を後押し。

 手をうしろに組んだまま、この年齢不詳な醜怪なる男はニコニコとオレに歩みよると、

 

「いや、どうもご苦労さまでした。ゴーシュ()ドロワ()。どちらかこの“エス”を医務室へ――『みほと』君。お客様のスーツをこちらへ……」

 

 近づき、上着を差し出したフロアレディのほおが腫れている。

 よく見れば『みほと』は鼻から血を流した跡すらつけていた。

 してみると、この男の上着についた血は彼女のものだろうか。

 

 スーツと引き換えに、オレは『菜々』を相手方にゆだねる。

 ショッキング・ピンクなバニーは相変わらず呆けた表情(かお)でフラフラしたまま、黒服の片方に付き添われてどこかへと去っていった。

 

「さて――折角お越し下さったのだ」

 

 小男はひとつ大きく頷くと、

 

「自分がどうなるか、すこし見学などして頂こうか。男のマゾ奴隷の注文も入っていたからね。だがその前に……」

 

 そう言うや、この人物は後ろに回していた腕を前に突き出し、手に握るゴム製の電撃警棒を、グイとオレの喉もとに突き付ける。

 

「どこの手の者かな――ンぅ?」

「……」

「まさか警察(いぬ)というコトはなかろうて」

 

 改めて見るまでもない。

 オレのブリーフ・ケースの中に入れておいた警棒だ。

 たぶん、オレの身分も照会されたことだろう。

 考えてみればこんなヤバそうな店だ。廊下に監視カメラが設置されているのを想定しておくべきだった。これまでの行動は逐一見られ、疑問に思われたに違いない。

 

 過去に、さんざホールド・アップをくらった記憶がよみがえる。

 

 軍人くずれ――。

 悪徳警官――。

 土地の顔役――。

 

 ひとしくドルがモノを言ったが、ここでの切り札は自分の“頭の中の情報”だけ。

 オレは胸のうちで(アセ)りつつ、しかし表面上はあくまで悠然(ゆうぜん)とした態度で、相手をじっと()めつける。

 

「……いきなり警棒を突き付けるのが、客に対する礼儀なのかね――この店の」

「ホ。なかなか言いよるワ。たしかに“客”ならば非礼にあたるが」

「私は別にアヤしいものじゃないよ……」

「フン。その腹のスワり。よもやカタギとは言うまい?」

「ところがどっこい。事実は往々にして奇なりでね――それソコの……」

 

 オレは、なかば“○の奉仕人形”に改変された元・美香子にアゴをしゃくり、

 

「その子がらみで用事があったのさ」

 

 オレはダッチワイフ系の「リアル・ドール」めいた姿になってしまった美香子をみつめる。

 そんな木偶人形は恥ずかしそうに腕をうしろに拘束されたまま、男たちの視線から逃れるように半身の姿勢となって、さんざん(いじ)られた顔を豊かな赤毛の陰にかくした。

 

「まさか興信所(たんてい)?そうなのか?このメス○○のために?」

「その子の拘束を、解いてくれないか」

「もうだいぶ施術の費用がかかっているよ?――なにしろ健康保険証が訊かない」

 

 そう言って、この小男はクックッと忍び笑い。

 

「――いくらだ?」

「買い戻す気なのかね?なんとまぁ……おい!」

 

 男は白衣たちの方に顔を向ける。

 片方が、天井を見つめつつ指を折って、

 

「まだステージ2ですからね。本格的な洗脳や、○○の改変もこれからで……」

「気の効かんヤツだな。概算でイイんだよ概算で」

「……顔面整形と薬剤、およびホルモン注入。初期洗脳に頭部の処置で4~500万」

 

 ――頭部の処置?

 

 オレは眉をひそめる。

 

 するとこちらのモノ問いたげな視線を見たか、やおら白衣の片方は“『マゾ美』”の豊かすぎる赤毛をわしづかみにし、引きむしった。

 カチッと音がして、赤毛全体が頭からはなれ、哀れにも坊主頭が現れる。

 その頭には、サイコロの「五」のような配列でネオジム磁石らしきアタッチメントが埋め込まれ、銀色の輝きを見せていた。

 

「あとは胸部と舌部へのピアス。○○にはまだです。これから○の改良と、卵巣からの管を結索して不妊処置を」

「それに、これだけ手間ヒマをかけさせてくれたんだ」

 

 男はチッチッチッと舌を鳴らし、

 

「――手数料も、頂かなくちゃ」

「おりいって話がある。だがまずは、その子に服を着せたい」

 

 オレは手にした上着を示した。

 ふむ、と男の合図。

 白衣たちが金具を鳴らし、後ろ手にした“○○奴隷”の拘束を解く。

 

 

 首元に突き付けられた警棒を払いのけ、無残にも坊主頭にされた『マゾ美』近づくと、オレはスーツの上着を羽織らせた。

 “奉仕人形”は身を縮こまらせてスーツの前を合わせ――大きな目からまたひと筋、涙。

 

「なかなか趣味のいいスーツだ……」

 

 男はウムと満足げに。

 おれも負けじと見識のあるところを。

 

「そちらも最高の仕立てじゃないですか。生地もすばら……しかった」

 

 意図するところを汲んだのだろう。

 この醜怪な小男は自分の服に飛び散った鮮血をながめ、その風貌の奇怪さをさらにまし、

 

「そうなのだ――じつに残念なことをした」

 

 そう言うや、性悪なレスボスたちを一瞥する。

 『菜々』を虐めていた二人のフロアレディは、身の置きどころがないようにソワソワと。

 

「イギリス風ですね。どこのです?やはりサヴィル・ロウ?」

「――の、職人を数人引き抜いて、自分のブランドを作っとる」

「ちょっ!……なんて贅沢な!?」

 

 オレは自分が今おかれたピンチな状況も忘れ、驚嘆した。

 相手もそれが分かったのだろう。いささか自慢げに低い鼻をうごめかし、

 

「下ろしたてだったのだよ?これは。まぁ短気はソン気というからな」

 

 さすが反社組織。

 ボッタくりクラブを経営し、なおかつバックは税務署にドスを効かせてビビらせ納税も免れているとあれば、こういう芸当もできるのだろうか。

 

「さ?――おりいって、の話とやらを聞かせてくれ」

「ここでは……ちょっと」

 

 オレは白衣二人、レスボスたち。それに黒服などを見やる。

 これは自分にとって最後の賭けだった。

 小男が(フム)と興味深げにオレを見ると、

 

「ならば――ココを案内がてら、私の事務所に行こうか?」

 

 

 



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第18話:(2)のあらすじ(小川未明風な逃亡)

 てつの扉をあけると、そこはたいへん大きな動物屋さんの(さま)となっておりました。

 ガラスの箱に、ワンちゃんやウサギさん。ネコさんなどを入れてならべておく、あのお店であります。

 

 ただ、ちがふのは、そのガラス箱は、お部屋のようにたいへん大きく、なかには人間の少女やお姉ぇさま、それに奥さまなどが入れられていたことでした。

 

 彼女たちみんな、はきびしく(しつけ)られ、ときにはムチ打たれてガラスの箱のなかでふるえているのです。

 

 ガラスは音をすべてさえぎってしまうらしく、なかの声はけっして聞こえません。

 ただ泣いたり、怖がったり、ほしがったりする、恥ずかしいすがたが、音のないままに見えたのであります。

 

 主人公たちは、両がわにそんな大きな箱がいくつもならぶとおりみちを、ゆっくりとあるいてゆきます。

 

 ひとつのガラスの箱のなかには、少年だか少女だか分からない者もおりました。

 

 ガラス箱の説明書きには、

 

      【手術により少年→少女に変身中】

 

 と書かれておりました。

 

 ガラス箱の中に入れられている、その美しいこどもは、通りすがりの主人公たちにほほ笑みをうかべると、親しみをこめて投げキッスをおくったのであります。

 

 やがて、一行のまえに、りっぱな服装をした小さな男があらわれました。

 

「こらっ、だれのゆるしをえてここに入った。そもそもお前はなにものだ」

 

 そこで主人公は、自分のたちばを男にかたりました。

 

「うん、それならくわしいはなしは、おれのじむしょで聞く」

 

 

 一行が男のあとについてゆくと、この人物はひとつの大きなガラス箱の前で立ちどまりました。

 そこには主人公がいぜん見たことのある、けいさつかんのお姉ぇさまが、ここで前に見た人間とおなじようにきびしく(しつけ)られてゐるのです。

 

 主人公のお友だちである美香子さんは、

 

(あぁ……あんなにきびしく躾けられて、うらやましいこと。どうしてあそこで責めを受けているのが私ぢゃないんだらう……)

 

 と、ご自分をこっそり慰めつつ、身もだえしながら、くやしがり、ざんねんがるのでありました。

 

 お姉ぇさまは、それからさんざん責められているやうでした。

 そして、なにかをめいれいされ、嫌がっているように見えましたが、やがて最後には、しかたなくうなづいてしまいました。

 

 すると、この小さな男の人は、

 

「わはは、やつた、やつた。これでばんじ、こちらにうまくゆくわい」

 

 そう言って、じゃうきげんになりました。

 

 そのあとも、いろいろなガラス箱の並びを主人公たちは歩いてゆきました。

 

 おそろしい箱。

      みだらな箱。

          かなしげな箱。

 

 それはじつにさまざまだったのであります。

 

 やがて店のおくまったところにあるじむしょにようやくたどりつくと、

 

 この小さな男は、中にいるこわそうな大男たちを背にして、

 

「さあ説明をはじめてくれ。わたしが、このみせの支配人だ」

 

 と大声で言われたのでありました。




※おわび

 申し訳ありません。
 今回の話は18禁の内容を15禁に逐一変換することが出来ませんでした。
 故に第18話の2回目は童話風なあらすじだけで勘弁ねがいます。
 (大勢に影響はありませんのでご安心を)


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       〃       (3)

 それから。

 

 廊下を幾度も曲がりうす暗い通路をとおる。

 護衛のガードする大きな扉を抜け、殺風景な店の楽屋裏へ。

 ついには緩やかなスロープで、オレたちは地下らしき所へとむかう。

 

 やがて両開きの戸の前で、一行は止まった。

 と、内側から戸がひらきニコチン臭い空気がおしよせる。

 

 大部屋と言っていい中を一瞥し、オレはウッと息をのんだ。

 頭の中で【SAI】が鳴らした『仁〇なき戦い』のさわりが鳴り響いたような。

 

 部屋の中にはこのご時世、よくぞここまで集めたというほどの、一見して“武闘派”とわかる兄ィたちが集結し、恐ろしいほどの目力(めぢから)でこちらを(ニラ)んでいる。

 

 小男は悠然とその中に歩み入り、中央の大きなデスクにどっしりと腰を据えた。

 頭上には何のギャグか【誠意】という扁額が架けられて。

 

「さて。たしか“おり入っての話”というのが――あるのでしたな?」

 

 彼は、中に集う10人ほどの男たちを見回しつつ、

 

「さ、はじめてくれ。わたしがココの主人です」

 

 

             *  *  *

 

 

 『マゾ美』が、自分の裸をかくすために羽織るジャケットの前をギュッと閉じて、ひしとオレの腕に取りすがるのを感じる。

 

 ――よし……。

 

 それで覚悟が決まった。

 男は守るものがあれば強くなれる。

 

 オレは広間の異様な雰囲気にのまれないよう一つ深呼吸。

 そして、心に余裕をもたせるため、あえて磊落(らいらく)な態度をとりつつ、小男の方に、

 

「あのゥ。ココにいらっしゃる、()ッかなそうな方々は?」

 

 なんじゃボケェ!!

 コトバに気ィ付けんかぃ!!

 しばくど貴サン!分かっとンか!

 

 武闘派の兄ィたちから口々に凄みを込めた罵声がとぶ。

 

 ――うわァ……コイツら全員、まとめて轢き殺してぇぇ……。

 

 【SAI】ならば、よろこんでジョン・ウー風な鏖殺(おうさつ)をみせるだろう。

 あるいはひとり、またひとりと、ジワジワ消してゆくだろうか。

 たぶん、直近に見たシネマに影響された殺し方に違いない。

 その時のBGMは、一体どんなモノを使う気だろう?

 

 オレがそんな事を考えたときだった。

 一団の中から低い声が飛んだ。

 

「待てぇ。この男の目ェ――よぉ見てみィ?」

 

 一団のなかで、とくに強面な兄貴が周囲を制した。

 

「こいつ、カタギの目やないぞ?極道の目ェしとる」

 

 チッ、とオレは心中舌打ち。

 こんな時に【SAI】が居れば……。

 連中をまとめて異世界の馬糞にでも転生させてやるのに!

 

「……ホンマや。いまウチらに殺意むけよった」

 

 ピリッ、と大部屋の空気が引き締まる。

 ポン刀(日本刀)を抱えていたレスラー体型のひとりが、

 

「アニキぃ――なんヤの?このおヒト」

 

 小男が、オレに対して(?)と眉毛を上げた。

 オレはそれにうなづくと、ひと言。

 

「……『武蔵連合』」

 

 ザワリ、と大部屋の気配がカミソリのような鋭さをもって冷える。

 あからさまに、その空気には敵意と殺意がまじって。

 

 ほんとうに、この兄サンたちは判りやすい。

 まさに、ザ・武闘派という雰囲気。

 よく今の時代に存在してるよ。

 金融ヤクザが全盛の昨今。

 肩身セマかろうに。

 

「なんや“武蔵”の連中が、どうかしたんかィ(にい)チャン」

「おんどれまさか“武蔵”ィ言うんちゃうやろなァ?」

アッコ(あそこ)の糞ボケどもとウチらはチャウぞ?」

 

 オレは、言うだけ言わせてガスの尽きたところを狙い、

 

「“クラーケン”というガキ共の集団をご存知ですか?」

 

 そこでまたザワザワする兄ィたち。

 

「なんやソリャ。タコかいな」

「そういや『タッコング』言うンがおったなァ?」

「アホ、いつの話しとんねん」

「セブンかの?」

「『新マン』や、ちゅうねん!」

 

 そのとき兄サンたちの中から、

 

「あぁ『蔵悪拳』な。武蔵の連中がケツ持ちしとる、ガキどもの集団や」

 

 と、比較的若手らしい物知り風な声があがった。

 

「族あがりの半グレで、ヤンチャしよる連中やぞ?」

「その中の関係者とみられる少年が、今週の金曜。ここに入ってきます」

 

 意外な言葉に、兄サンたちは

 

「ガキが?アホぬかせ!」

「この店ナメたらアカんぞ?」

「紹介状もない鼻タレなんぞ、入店(いれ)るかい!」

 

 まてまて、とオレは気の早いこの兄貴たちをなだめつつ、

 

「じゃぁ――その紹介状が『武蔵連合』の手によって偽造されたら?」

 

 オレの言葉に一団は呆気に取られて。

 

「あるいは、武装して店の鐡柵(てつさく)を乗り越えて、入ってきたら?」

「……なんや、出入りィあるちゅうんか」

「先週、3件の通り魔事件があったことは、ニュースでもご存知ですね?」

 

 ここで、オレは今まで知りえた情報を一気に開陳する。

 

 目標の少年が、バニー・ガールの強姦を目当てに店へと来店する可能性も。

 オレは携帯に目標である糞ガキの顔写真を3Dでうかべ、一座にしめした。

 

 騒ぎがまたまた大きくなる。

 こいつら、まるでスズメバチだ。

 本能と反射で活動してやがる。

 

「コイツ知っとる!ツレの知り合いに強姦(つっこみ)かましてくれたヤツや」

「**町のクスリのシノギ、荒らしてるのも、コイツやろ?」

「武蔵ァ“メス牧場(ハコもの)”持っとるウチと違ォて、女に飢えてるさかいナァ」

「えげつないコトするモンやな。カタギ(バラ)したんやろ?」

「で――変装して、だれを()りに来るいうんや」

 

 オレは、数拍の沈黙。

 そして、じゅうぶん大部屋の緊張を引き付けてから、

 

「ターゲットは――この子です」

 

 オレは、白衣とともに脇に立つ『マゾ美』を示した。

 

「なんや、オモテ()の“人形”やないか」

 

 スキンヘッドの黒シャツ金ネックレスが、好色そうな目を輝かせる。

 いきなり注目された『マゾ美』は、全員の視線を浴び、身の置き所がないように。

 

 だが――どうしたことだろうか。

 

 その実、裸体で衆人の注目をあびることが、まんざらでもないような含み笑い。

 それが証拠に、スーツの下のガーター・ストッキングな肢体を、前をチラリとあけてみせ、乳首のリングまで披露して。

 

 オォッ、と脂ぎった男たちの肉食獣な目つき。

 

「えぇやん!この子ドル箱になるで?」

「はよオッチャンの真珠チ〇ポ、試させてェナ」

「アホ。そないな素チン、やくだつけェ」

「しゃぶらせたなる口唇やナァ」

「ドク、もうクスリ漬けにしたンけ?」

 

 いえ、まだですと白衣の片方。

 

「いまは矯正洗脳の初期段階で、つぎにもう一度店の機械をつかって――」

 

 小男があわてて咳払い。

 

「話がそれたな。それで――キミはどうして欲しいんです?」

「この糞ガキの身柄が欲しい」

 

 ズバリ、ひとこと。

 ザワついていた大広間は、オレの言葉に再び静まりかえる。

 

「つまり、どういうことかな?」

 

 小男が、あくまで平静を保って、ヒソヒソ声のような勢いで尋ねた。

 それに対し、オレも声に感情を含めず、淡々と、

 

「言った通りですよ。こいつの身柄です」

「ほぉ?」

「このガキには、過去に何度も良家の娘さんが泣かされている――自殺をした子もいる。代償は、払わせないと」

「なんや、始末屋(ヒットマン)かいな」

 

 スキンヘッドの男が、ブツブツとオレの顔を見ながら、

 

「どこの組のモンや?ヒトん()縄張(シマ)で、勝手なマネさせへんぞ」

「ですから――こうして“ご注進”と“お願い”にアガっているワケです」

 

 イケませんな、と小男が断じるように、

 

余所(よそ)モノに、勝手はさせません。コイツの始末は、ウチでつけます」

「もちろん、ソレはかまわない。ただし()()()()()こちらに渡して頂きたい」

「処分はソッチでするちゅうンか」

「ホレ見ぃ、オレの言った通りや。コイツただ(モン)やないぞ」

 

 さっき、オレのことを「極道の目」といった声が、ドヤ声で。

 小男は、醜悪な顔をさらにゆがめ、机の向こうで何事か考える風。

 やがてフト、思いついたように、

 

「そういやお客人、その「人形」をほしがっておられたな?」

「私が欲しいんじゃない。ただ少しでも縁を持った娘が、人形やらメス奴隷とやらにされるのは、寝ざめが悪いものでね」

「さっきも言いましたが。その子にはもう資本が、かなりかかっています」

「ですから、こうして“情報”で、代金をお支払いしているワケですよ」

「500万ぶんの情報(ネタ)とも思えませんが?」

「もちろん――まだ情報はあります」

 

 なんヤさっきから!もったいぶって、と一団の中から(イラ)つく声。

 

「サッサと言うてみィ!」

 

 ほんとうにコイツらは武闘派だなぁ、とオレは呆れる。

 まさしく前世紀の遺物というやつだ。

 フロント企業や金融ヤクザ全盛の昨今、これら兄ィたちの出る幕はあるまいに……。

 

「その子の親。かなりの実力者ですよ?」

 

 だから?と小男。

 

「重要な人物の娘が、メス奴隷に手術・洗脳され、こんなトコで尻を振る」

「結構なコトじゃないですか」

 

 相手のゆがんだ表情が、満足そうに。

 ぶ厚いくちびるの端から、ヨダレをにじませて。

 

「それを元に強請(ゆす)れば、新たなパイプの出来上がりだ」

 

 一団から、下卑(げび)た嗤いの気配。

 

「話によれば、この子には姉が居るそうですな」

 

 小男はさらに言いつのり、『マゾ美』に歩み寄ると、オレのスーツの生地を調べるフリをしてして、前を少し開けた。

 シミ一つない白絹のような肌が、兄ィたちの目に。

 

「どうだろう?いっそおネェさんも、乳首にピアスなどをさせてみては」

 

 小男の言葉の尻馬にのって、調子づいた兄ィたちが、

 

「そりゃエェなァ。姉妹丼や!」

「おねぇチャンの方もドエロく改造したらえぇわ」

「きっと映えるでェ?この娘の姉サンやもの!」

 

 オレは、おおげさにタメ息をついてみせてから、

 

「そうなったら、ココは破滅ですねぇ……」

「なんでや、兄ィちゃん」

 

 オレはスキンヘッドの方を向き、

 

「というのも、その子の父親の、さらにバックが強力なのです。反社団体をツブす契機(きっかけ)が手に入るなら、おそらく平気でその父親を“切り”ますよ……」

 

 半分は、ハッタリだった。

 しかし、バックにいる人物は、弁護士事務所に直接カミナリを落とせる位なのだ。

 当たらずといえども、遠からずだろう。

 

「ひょっとして……」

 

 小男にその先まで言わせず、オレは人差し指を立てた。

 

「あなたの思っている地位の、もうひとつふたつ上を想像してください。裁判所にも、直接圧力をかけられる位のコネですから」

 

 さきほどまで、『マゾ美』の裸エプロンならぬ裸スーツにヨダレを垂らさんばかりだった(あに)ィ達だが、オレの話でこんどは一転、首から下げた漬物石のように、彼女を厄介者扱いにする空気。

 

「どうしたらエエんや?」

「素性ハッキリせんものを雇うからやろ!」

「はよ対策立てんと!金曜にァ、経団連のお客さんたち来ンのに」

 

 なぜだかオレにはピンときた。

 

 アンブッシュされた茂みの予感。

 “シンバ隊”※くずれの、ひくい合図。

 蟻塚の陰に隠された、75mm無反動砲……。

 

 ――そう、あの時も偽装された現地の案内人によって、部隊は死のワナに……。

 

 そんな出どころ不明な記憶がチラッと浮かんで、消えた。

 オレは背筋をのばし、部屋の中にいる兄ィたちを悠然と眺めわたす。

 どいつもコイツもアホ面しやがって。これじゃ何かあったら一発じゃないか。

 

 ヤレヤレだぜ、と()はおもむろに、

 

「その経団連の客たちって……以前(まえ)からの顔見知りなのかね?」

「いや?先日、ある方面から依頼された団体のお客サンですが?」

「人数は?」

「10人ぐらいと聞いてますが……」

 

 オレは()ッと小男をみつめる。

 バカだね、おまえはという笑いをこめて。

 すると、次第に相手の表情(かお)は、愕然としたものになってゆき、

 

「まさか――そんな……?」

 

 

 

 




※1960年代、コンゴ動乱で鳴らした反政府部隊。


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       〃       (4)

 そして――金曜の晩になった。

 

 午睡から目覚めたオレは、長くなった夕陽を浴びつつ、念入りにヒゲを剃る。

 熱水と温水のシャワーを交互に浴び、気合を入れ、鏡の前の自分の顔をニラんだ。

 

 ――勝負だぞ、マイケルとやら……貴様の本気を、見せてみろ!

 

 風呂から上がり、持っているスーツの中で二番目に良いものを着る。

 一番いいスーツは、先日の晩に香水まみれどころか“得体のしれない液”で一部カピカピにされてしまったので、仕方なくクリーニングに出したのだ。

 

 (これ、何のシミですか?とクリーニング屋の姉サンに訊かれた時の恥ずかしさったら!)

 

 しかし、特別な身なりはココまで。

 腕時計は荒事に備えて普段使いにもどし、現金もそんなに持たない。

 先日の晩は会計が80万円を突破したが、得られた戦果を思えば出来の悪いラノベのような上々の首尾だった。

 

 オレは一度事業所にもどるとトラックを借り出し、【SAI】の問いかけにも応えないまま街を黙って走って、【Le Lapin Rouge 】(紅いウサギ)の駐車場係に指定された目立たない場所に停める。

 

『いよいよ今晩決行ですか?マイケル?』

「……あぁ、そうだな。お前も……」

『はい?』

「お前も、ここから周囲を張っていてくれ」

『了解しました。最近は出番が少なかったから、わたしもヤキモキしてたところです』

「“管理当局”とひと悶着あったからな。なにかあったら知らせろよ?」

ヤボォール(りょうかい!)ヘルコマンダール(隊長どの!)

 

 ――やれやれ、コイツ今度はナニを観たんだか。

 

 パーキング・ブレーキを引く音が、いよいよ決戦開始な風味を告げる。

 オレは耳に【SAI】との連絡を保つためのインコムをつけ、トラックを降りた。

 

 金曜の夜。

 

 繁華街は、沸き立っていた。

 さまざまな電飾(ネオン)や、モニター。LEDのきらめき。

 店先で景気よく手を打ち鳴らし、呼び込みをする黒服の声。

 店へといそぐ、OLが着るには派手な、水っぽい格好をした“夜の蝶”たち。

 

 そんなお目当ての女性と同伴出勤の途中だろうか。

 若い娘に腕を取られて道をゆく中年サラリーマンが、ヤニ下がったシマリのない顔で。

 

 ――ふぅっ。

 

 夜の空気。

 さすがに緊張する。

 もしこっちの読みが外れたら一巻のおわり、いやそれ以上だ。

 ガラスの向こうで装具を固着させられた美女たちのイメージが頭からはなれない。

 

 

 『紅いウサギ』の仰々(ぎょうぎょう)しい鉄柵には、面識のない二人の黒服が立っていた。

 しかしオレが入り口のに歩み寄ると黙ってうなづき、耳のインカムで連絡をとる。

 中から内庭担当の上級な案内役がきて柵をあけ、オレを引き継いで店内へと導く。

 

 まだ客もチラホラなフロアを抜け、

  ひとけのない廊下をしばらく歩き、

   この前とは違う奥まった部屋に通された。

 

 そこにはモニターが何台もならび、店内のあらゆる場所をこきざみに巡回で映している。

 サテン・ホワイトの光沢ブラウスを着た女性たちがヘッド・セットを付け、その前で監視をしている光景。

 

「やぁやぁ“マイケル”さん。おいでなさいましたな?」

 

 小男が、この前の兄ィたちに囲まれながら、女性の監視要員を背後から観る位置に据えた小卓で上機嫌にオレを迎えた。

 

 上機嫌のハズだ。

 

 小卓の上には、シャンパンが三本。

 二本はバカラのシャンパン・クーラーに刺さり、

 一本はすでに小男の手に握られ、半分ほどが空になって。

 

「相変わらず、佳いお召し物ですな――この前ホドじゃないですが」

 

 さすが。小男の目利きにブレはない。

 相手はと見れば、カッティングしたてのような冴えたスーツ。

 おそらくオレと競ったのだろう。ヤクザらしく、見栄っ張りなところがある。

 

「そりゃ、今回は荒事が控えているかもしれませんからね。そうそう良い()は着てこれませんよ」

「ウン、まぁ。そういうことに。しておきましょうか?」

 

 小男が醜怪な顔をしてやったりに歪め、美しい歯並びを見せる。

 簡単な身体検査をうけたのち、オレが小男の卓に座ると、

 

「どうですか?――ひとつ」

 

 相手はボトルを掲げてみせる。

 おそらくビンテージ年のものだろう。

 しかもヤツが直々に飲む代物だ。一体幾らだか。

 

「いえ、自分は車を運転(ころ)がして来ましたから」

 

 なんと!?とこの小男は目をむいた。

 

「そりゃ非道い!【Le Lapin Rouge(紅いウサギ) 】にハンドルを握ってお越しとは」

「ヤバイことになるかもしれないんですよ?酔ってなんか居られませんて」

「ここをドコだと思っておられる?わたしの館ですぞ?」

「……“館モノ”の最後って、どうなるかご存知ですか?」

「館モノ?なんですかソレは」

「いや、こっちの話です」

「フム、まぁいい。あとは向こうが現れるのを、待つだけですな」

 

 小男の口ぶりが丁寧だ。

 こちらを一風変わった常連として認めたらしい。

 

「こちらの手勢は、ここに居る方々のみで?」

「いや、別室に1ダースばかり控えとります……しかし、わたしだけ飲むのも間が持たない」

 

 おいアレを、と監視室の片隅にひっそりと佇んでいたチャイナ・ドレスの女に小男が命令。すると、女はどこからか象牙製と見えるチェス盤を捧げ持ち、テーブルに据えた。

 

「営業“だった”そうですな?――しかもヤリ手の」

「まぁ、そうですね」

「で、奥方に逃げられて、現在は独り、と」

「否定はしませんよ?」

 

 ゆずられた白い駒を並べながら、おれは素知らぬ風で。

 こちらの経歴を調べたと見える。

 だがヤクザ風情のコネで、どこまでオレの現在(いま)に食いつけるか、逆に興味があった。

 

「なら、わたしが警察(イヌ)がらみの人間じゃないことも、お分かり頂けたハズです」

「そう……そして相当なコネをお持ちのコトも、ね?」

 

 鷲ノ内医院コネクションのことを言っているのだろうか。あるいは別の?

 

「単なるケチな勤め人ですよ」

「物流関係らしいですな」

「まぁね?」

「失礼だが、身元を洗おうとして――果たせなかった」

「ほう」

 

 おそらくどこからか横やりが入って、自分の勤める事業所までたどり着けなかったと見える。

 それがどこなのか、こちらが知りたいくらいだった。

 駒を並べ終えた我々は、卓を挟んで黙然と向き合う。

 

「わたしは――ドコのどなたと対峙しているのかな?」

「世の中をニクむ、間抜けな「寝とられ男」とですよ」

 

 初手の駒をうごかす。

 

 チェスについては海外に派遣されたとき、ヒマをもてあます地元の没落貴族から手ほどきを受けたものだ。単なる貧乏老人の趣味と思ってお情けに付き合ったのだが、じつは尾羽打ち枯らしたようなその人物が、地元の“顔役”だったというしまつ。

 

 まったく人間、なんでも経験しておくべきである。

 いつ、どんなときにその経験が役立つか分からない。

 

 オレは今は亡きジィさんの得意技だったルビンシュタインの筋を思い出しながら応戦。

 盤面をニラむ小男も(フム……)と長らく考え込むようにして、

 

「しかも、なかなかの趣味をお持ちのようだ……」

 

 応じ手は、過去の譜面の通り。

 

今宵(こよい)、貴方がお()りにならないのが、残念だ」

「今晩は決戦の日ですからな。こうして駒を動かしていも、どこか集中できない」

 

 オレは、ミスった手をうった時の予防線を張る。

 白と黒の精緻な象牙製な駒が、盤面を争って。

 

 それからどれくらい経ったか。

 

 飲みかけのボトルが空き、シャンパン・クーラーから三本目が滴を切って引き出され、それも半分空いた頃合いだった。

 そろそろコチラのキングが危なくなってきなと思った時、【SAI】からの連絡が入った。

 

《マイケル。店舗の建屋右手に侵入者です――3人。何らかの装備を背負っています》

 

 オレはモニターの並びを監視する。

 

「どうしました?あなたの番ですよ」

「ちょっと待って下さい」

 

 ――右手、右手……。

 

 と、一人の女性オぺーレーターが、モニター画像を一か所飛ばした。

 そこに一瞬、黒い三人の影が見えたような気が。

 

「まった!いまの画角、その18番と書いてあるモニター、もどして!」

 

 画像をトバしていた女性オペが(チッ……!)と舌打ちする気配。

 となりに座っていた者が手を伸ばし、コンソールを操作するや、こちらを振り向いて、

 

店主(ヂェンチュ)、侵入者です!右翼二階のバルコニー。3名!」

 

 コブ付きのザイルを使い、荷物を背負って張り出しを登る黒い影が、ズームで。

 練れた動きとスムーズさだ。

 まさか本職(自衛隊)を雇ったワケでもあるまい。

 あるいは、退職した本職のレンジャー()()()()

 

「ホントに来やがった!」

「太ェ野郎どもだ!」

「畜生!ただぢゃおかねェ!」

 

 等々、ののしり騒ぐ兄ィたち。

 それを制し、小男は悠然(ゆうぜん)と、

 

「ラフォルグと浜治に、手勢を五名つれて向かわせろ」

 

 とりあえずオレはホッとする。

 ほんとうに来てくれた。

 これであの得体の知れないガラス箱に入れられずには済みそうな。

 

 その時だった。

 

 燃える小屋の煙をかき回すローター音が、オレの耳に響いた。

 本隊の攻撃をかく乱させるためのアンブッシュ。

 周囲に跳梁する敵の独立戦闘ユニット。

 

 ――そうだ……あの時も……!

 

 ()の中で一瞬血が沸き立った。

 思わずイスを倒して立ち上がり、部屋を出ようとする一団に、

 

「まだだ!まだ――手を出すな!」

 

 思わず応戦を指揮する小隊長のような口ぶりで一喝する。

 

「……なんですと?」

「いまは、侵入者が配置についたところだ。監視だけにしておけ!」

 

 不思議な感覚。

 俺のなかで、閃きが次々とうまれる。

 

 浸透作戦の前哨戦だ。

 おそらく敵は相当手馴れている。

 あるいは軍事的なアドバイザーでもいるのか。

 

「ヤツらは外と交信しているハズだ。侵入成功の合図がないと、本隊が入ってこない」

「いったいなにを」

「口を閉じて命令に従え!!」

 

 俺はイライラとそう叫んだ。

 小男は、こちらをまるで、

 

 (得体のしれないヤツ……)

 

 とでも言うかのように、上から下までながめる。

 次いで腕組みをして唸りながら、出口でウロウロする兄ィの集団に、

 

「……行動はしばらく待つよう伝えなさい。コチラ側で、追って指示します」

 

 兄ィたちは戻ってくると、怪訝そうな顔で俺を見た後、モニターの画面を声もなく眺めた。

 その中で荷物を持った黒づくめの三人は、まるで勝手知ったるような図々しさでしなやかに動くと“美女シリ〇ズ”の天〇茂よろしく黒装束を脱いでスーツ姿となり、それぞれ近くの小部屋へと隠れる。

 

「……おまけに内部の配置は、敵にバレているようだな」

 

 俺は倒した椅子をもとにもどし、ドッカリと座り込んだ。

 兄ィたちの、多少畏怖をふくんだ俺を見る視線が心地いい。

 そして僧正(ビショップ)を手に、俺は件のオペレータを確認しつつ小男に知らせる。

 

「ご主人。つぶされたモニターがないか、チェック。巡回画像は手動でトバさないようオペレーターに指示してくれ。それと美香子……えぇと『美月』、いや『マゾ美』をココに呼んでくれ。ヤツらの狙いの一端は彼女だ。目標は手もとで保護しておきたい。あぁ、彼女が腰につける名札だが“『美月』”でないとダメだぞ?ところで――」

 

 オレは騎士(ナイト)を取られた代わりに相手の(ルーク)を襲いながら、

 

「店主。この建屋、防火設備は大丈夫なんだろうな?」

「……と、おっしゃいますと?」

 

 配下に電話で指示を伝え終えた小男は、向き直ると何か(ひる)んだような顔をしてこちらを見た。

 俺はそれを相手にせず、監視画像をとばしていたオペレータをじっと眺める。

 ポニーテールの、チョッとカワイイ子なのだが……。

 

「おそらく奴ら、火をつけてくるぞ」

「は!?」

「敵は混乱に乗じて、美香――『マゾ美』を奪う計画だ」

 

 そういうと、脳筋な兄ィたちはまたワンワン騒ぎ始める。

 

「そうはさせるけェ!」

「ぶっちめてやらァ!」

「“武蔵”のヤツラ、ただぢゃおかねぇ!」

 

 まて!落ち着け!とオレは兄ィたちを制した。

 

「ここでヘタに動いたら、何もかも台無しだぞ!」

「……じゃァ、ダンナ。どうすればイイんで?」

 

 兄ィのひとりがブスっと

 

「ヤツら早くブッちめてぇッス!」

「慌てなさんな。たっぷりカタぁつけさせてやるから……」

 

 俺は、自分でもどこから出てくるのか分からない余裕をもって、今後の対応策を脳筋のお兄様方に指示する。

 終わったあとの、全員の頷き。

 それはまるで地獄の悪鬼が襲撃の機会を手ぐすねひくように。

 

「いいか?諸君。反撃にはスピードとタイミングが重要だ、頼むぞ」

「オイすー!」

「任してくんなせェ」

「ひさびさにウデがァ鳴るの」

 

 最後にはサンマ傷を顔に奔らせた兄ィの嬉しそうな声。

 それから二手、三手。対応策を指示していると、黒服に連れられて『美月』がやってきた。

 

「ご主人さまァ!」

 

 

 ネオジム磁石で留められた豪勢なボリュームの赤髪をふりたてて、バニー・ガールが絨毯の上を駆けてくる。

 エナメル地なワイン・レッド光沢の具合がテラテラと。

 ボディの起伏をギッチリと縛り、各部を扇情的に盛り立てて。

 彼女はニコニコ顔で俺のかたわらに膝まづき、しなやかな肢体をネコのようにすりつけ、信頼しきった瞳でオレの顔を見上げる。

 

 整形手術とクスリの腫れ具合が引いたのだろうか。

 ポッチャリ気味だった顔の輪郭が、すこし収まった。

 だがジェ〇カ・ラビットめく印象と化粧はかわらない。

 そして――ボッテリとした肉感的な口唇は、そのままに。

 

「ご主人さまァ……」

「だいぶ、処置の効果も落ち着いたようですな。合併症もなし」

 

 うんうんと満足げに小男が頷いた。

 兄ィたちの何人かが、さりげなくチンポジを直す気配。

 

 全体的にみても、これがあの初々しい美香子とは思えない。

 完全に水商売の(おんな)へと改変された、いかにも男好きのする娼婦。

 イヤらしくメリハリの利いたボディは、ダッチ・ワイフを連想させる。

 あの轢殺目標が現れたとして、うまく彼女に目をつけてくれるか、心配だ。

 

 俺は『マゾ美』に改造された哀れな女子高生のほおを、やさしく指でなでた。

 

 ――アイツが……詩愛がこの子を見たら、なんと言うか……どんな表情(かお)をするだろうか。

 

「その()が初期に受けた洗脳施術、我々の系統とは違うので、どうも完全な除洗は難しいですな――王手(チェック)

 

 『マゾ美』が勝手に俺のチャックを下ろそうとする手をやんわりと遮りつつ、

 

「いいか?『マゾ美』。今夜キミは『美月』にもどれ。そら、その名札もそう書いてあるだろ?」

「いやッ。『マゾ美』のほうがいいのッ」

「これは“ご主人様”からの命令だ」

「……はぁぃ」

 

 頼んだぞ。フロアであのガキに呼び止められ、アタシ『マゾ美』ですなどと言われた日には、目論見がすべて狂ってしまう。

 

「よぅし、イイ子だ……」

「どうです。ウチの商品は。なかなかのモンでしょうが?」

「“武蔵連合(あいて方)”も施術者を揃えて、こういった娘をそろえ、同じような店を作ろうとしているのでは?」

 

 オレはクイーンで王手をかけてきた相手の騎士(ナイト)をとる。

 

「さもなきゃ、今回のような行動は起こさないでしょう」

人材(ヒト)が、おりませんな」

 

 小男が兵士(ポーン)を動かし、オレのクィーンを狙う。

 

「箱モノとカネは揃うでしょうが」

 

 そうはさせじと(ルーク)で潰して。

 

「この店だって、基盤を固めるのに数年かかったんだから」

「この店が燃えたら、人材はみんなそちらに行くでしょう」

 

 オレは白黒入り乱れる盤面を眺め渡し、

 

「すでに……内通者が居るようだ」

 

 相手のビショップを透かして、例のポニーテールな女性オペを見やる。

 

「そうはさせません!王手(チェック)――メイト(詰み)

 

 しまった!

 うっかりしていた。

 内通者に、気を取られた。

 オレは渋々自分のキングを倒す。

 

「だと……宜しいのですがね」

店主(ヂェンチュ)、予約のォ団体様でスぅ。お通ししますぅか?」

 

 オペレータの一人が、怪しげなイントネーションで通知する。

 

 俺は『美月』を押しのけ席を立つと、モニターのならぶコンソールへ。

 

 見れば入り口で、黒服二人が来客一団の先頭の者と話をしている。

 その中の一人。髪を黒く染め、スーツなどを着ているが……。

 

「オペレーター!この右端のヤツ、ズーム」

「え……」

 

 オペレーターの女性たちがとまどう雰囲気。

 小男が、広東語らしき言葉で再度命令。

 言われた通りに画面が変化。

 

 真ん中分けのジェルで固めた黒髪。

 似合ってないメガネ。

 ターゲットに、なんとなく似ているような。

 あまりに変わって一見しただけでは分からないが、ヌキ衣紋(えもん)となった微妙に合わないサイズのスーツなど着ているところは「振り込めサギの受け子」じみたウサん臭さがプンプンしてやがる。

 

「コイツかもしれません――おそらく例のヤツです」

「ホントに?確かなスジからの、紹介者だったんだが……」

「じゃぁ、その“確かなスジ”とやらをお疑いなさい。ソイツは敵だ」

 

 判断を仰いだオペレーターが困り顔で振り向き、

 

店主(ヂェンチュ)――?」

「中にいれろ」

 

 鉄柵の内側。

 招き入れられた一団の中で、一人が携帯電話をかけ何事か話している。

 そして――通話を切った。

 

「いいでしょう。2階の三人を――始末してください」

 

 オレの指示に、小男が兄ィたちに向けアゴをしゃくる。

 ソレッ!とばかり武闘派の筋肉ダルマな猟犬たちは部屋を駆け出して行った。

 

 ――なるべく静かに行動してほしいんだが……アレじゃ夜間攻撃はムリだなぁ。

 

 モニターを見ていると、侵入者が隠れた小部屋にむけて、分散した兄ィたちの一団が殺到してゆく。あっと言う間に勝負はつき、ボコボコにされ気を失った侵入者たちが部屋から引き出され、後ろ手に手錠をかけられるのが見えた。

 

 ややあって、モニター部屋のスピーカーに連絡。

 

『アニキぃ、確保しました。ヤツら灯油なんか持ってやがった!畜生』

 

 小男の地の顔が、浮かび上がった。

 奇怪な顔が、憎悪にゆがむ。

 

「地下牢に連れていけ……じっくり()()()()やる!」

 

 別のモニターには、入店した一団が“表”のフロアにつき、大きな(テーブル)をわが物顔に占拠するところが見えた。

 尊大な調子で、さっそく高価な酒と料理を次々に注文する声が聞こえる。

 

 なぁるほど、と俺は笑った。

 

「どうせ支払いは発生しないと思って、タダ酒を飲むつもりだな」

「こういう連中は、そもそも酒飲みの風上にもおけません。断じて許せませんな!」

 

 小男は食いしばった歯のすき間から火を吐きそうな勢いでモニターを眺めて。

 頼むから落ち着けよ?と俺は相手を制しつつ、

 

「拘束した3人の携帯に、注意。そのうちOpen Fireの指令があるはず。ただし、十分飲み食いしたあとだろうが」

「なるほど……卓見ですなァ」

 

 もはやコチラに対し、完全にカブトを脱いだ感じの小男だった。

 だが俺は緊張を緩めず、上機嫌で飲みだしたモニターの中の一団を眺める。

 思った通り、例のひとりは誰かを探すのか、妙にフロアをキョロキョロと落ち着きがない。

 

 さて、とオレは手をうちならし、足元にしどけなく横座りとなってスーツの膝に寄りかかっているワイン・レッドのエナメル・バニーを見下ろすと、

 

「マゾ美――いや『美月』。オマエの戦場だ。モニター見てみろ」

 

 ワイン・レッドのバニーは、オレの股間をサワサワしながらダルそうに画面を流し目で。

 

「あそこでソファーから立ち上がって、周りのバニー・ガールを物色してる間抜けが居るな?ヤツのそばを、いかにも注文を受けて忙しいという風に通ってみるんだ」

 

 旦那、と小男の護衛に残っていた兄ィの一人から声がかかった。

 

「あのガキぃ、イワすのはアテ()でっせ?」

 

 オレは『美月』の腕を振りはらうと、立ち上がって相手に歩み寄る。

 いつのまにか、自分が轢殺モードになっているのを、俺は悟った。

 

「生きたまま、渡してくれねばイカんぞ?」

「保証できまへんな」

 

 その時、自分でもどうしたのか分からない。

 気が付けば、この武闘派の兄ィの金チェーンが揺れる胸倉を掴んで、自分の方に引き寄せていた。

 

 

 サバンナの草と土の匂いが鼻の奥に。

 

 ヴィニュロン短機関銃の軽い音が耳元で。

 

 死体の脂肪がパチパチと泡立って燃える気配。

 

 明晰夢の中で経験した、血なまぐさい“5月動乱”?

 

 それとも、過去にアフリカかどこかで嗅いだ時のものか?

 

 もはや夢と現実の経験が渾然一体となり、全く区別がつかない。

 

 

 部屋に緊張が満ちた。

 

 小男の護衛に残っていた他の兄ィたちは数舜、この状況に呪縛されたように。

 ややあって、部屋のどこからか、

 

「なンや――あのガキを救おうとしてるんかい?」

 

 オレは声の方を見やる。

 そしてゆっくりと首を振り、この兄ィの胸倉を放すと、

 

「ヤツを殺すのは……“俺”ってことですよ。それを間違わないで頂きたい」

「メス奴隷『美月』はどうすればイイんですかぁ?ご主人さまぁ」

 

 鼻にかかったような甘え声。

 それが一座の雰囲気を元にもどした。

 

「……なんや、モテよって」

「えぇのう、ご主人様は」

 

 どっと和みかかるところをオレは苦笑しつつ「緊張しろ」と諭してから、

 

「おそらく通りかかったら、後を付けてくるだろう。そうしたら西棟へ向かう通路に誘い込め。あとは――この兄さんたちの出番だ。適当に痛めつけ、こちらに引き渡してもらう。侵入した3人は、そちらに任せた。殺すなり臓器を取るなり、スキにすればいい」

 

 凶悪な一団が(得たり)と同時に頷く気配……。

 

 



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       〃       (5)

 まったくこういうところはヤクザであっても頼もしい。

 

 危険をチャンと理解できているのか。『美月』はシーム付きのストッキングで包まれた美脚を形よく運び、用心のために付けられた兄ィのひとりと一緒に「バイバイ」と、扇情的に改変された顔を一度だけ振りむかせ、豊かな尻を振りつつ出て行った。

 大丈夫かね、アイツは。

 

「それと――」

 

 オレは小男を監視室のすみにひっぱり、

 

「……内通者(うらぎりもの)が居る。あのポニー・テールから目を離さないように。フロアレディを2、3人張り付けるといい。監視任務中、トイレなどで離席する時は――とくに」

 

 小男は凄みのある渋面をゆがめて頷かせた。

 

「携帯妨害用のユニットを、トイレにセットしましょ。あとは?」

「ま、せいぜいボッタクってやることサ」

 

 モニターのなかで、どんちゃん騒ぎを始めるブースを眺めつつ、

 

「取りっぱぐれのないように……」

 

 小男に呼ばれたのか、スーツ姿の女たちがやってきた。

 フロアレディとは程遠い、パンツ・スーツにローファー姿の、頬骨の張ったいかにも“踵落とし”が得意そうなガタイのいい姉御たちだった。

 さりげなくオペレーターたちの後ろに陣取って、彼女らを監視する風。

 そんな中、例のオペレーターがポニー・テールを揺らして振りむくと手を上げ、

 

「あのぅ……お手洗い……」

 

 言ってるそばから。

 

 ――やはりコイツか……。

 

 オレと小男は顔を見合わせる。

 モニター画像を飛ばしていた人物。

 小柄で、見た目きれいな()だった。

 とても裏切るようには見えないのだが。

 

李花(リーホワ)、付いてってやんな。廊下はブッソウだ」

「大丈夫です……ひとりで行けます」

「今は非常事態なんだ……付いてってもらえ」

 

 小男は、ヤンワリと。

 しかし、その裏では憤怒の炎がドス黒く燃えるのを、オレは確かに診た。

 シオシオとオペレーターが広間から消えると、モニターに変化があった。

 

店主(ヂェンチュ)――『美月』サン目標ニせきんスルよ」

 

 ウィスキーとアイス・ペールを乗せた『美月』。

 思わせぶりなモンロー・ウォークで件のテーブルを通り過ぎる。

 例の小僧は、とたんに立ち上がるとヨダレを流さんばかりにそのあとを目で追って。

 

「ヤツだ――間違いない」

「ほぅ……じゃァやはり」

 

 『美月』のヤツは、調子にのって一度、二度。

 さらに目標(ターゲット)の前をウロウロする。

 

「あのバカ、調子にノりすぎだっての」

「いや、佳いですな。フロアがパッと盛り上がっております」

 

 なるほど『美月』の登場に、フロアがどよめく気配。

 携帯のフラッシュがあちこちで光り、あわてたフロア係の黒服たちに止められる。

 

「これで奴らがいなけりゃ、私もピエロ役として乱入するんですがネェ」

 

 それからどれくらい経っただろうか。

 “表”のフロアは満席となり、宴はいまやたけなわという頃あい。

 

 小男の携帯が鳴った。

 なにごとかを交わしたあと、こちらを向き、

 

「3人組の携帯に、順番に着信があったそうです」

 

 放火を始めろという命令だろう。

 連絡がつかないので、順々に連絡を付けようとしたに違いない。

 

 ――じゃぁ、コチラもはじめるか。

 

「はぃ、それでは」

 

 俺は兄ィたちを眺めわたし、

 

「だれかあの小僧をいたぶりたい人」

 

 兄ィたちの中で、黒人とのハーフらしきガタイのいい一人が立ち上がる。

 筋肉隆々のマッチョ。シャツからのぞく胸毛がすごい。

 短髪に、口ひげ。紫のスーツなど着て。

 

 

「gff……」

「……よ、よぅし。じゃぁついて来てくれ」

 

 若干シリ穴の危険を感じながら、“表”の接客エリアへ。

 重い天鵞絨(ビロード)(とばり)からコッソリ中を伺えば、ちょうど『美月』が侵入者たちのテーブルで、目標(ターゲット)にカラまれているところだった。

 

 ――あのバカ。だから調子に乗るなと言ったのに……。

 

 ちょうど近くに、オレはいつぞやの黒服を見つけ、

 

「良いところにいた!」

「あ……お客様!?ようこそ」

「『美月』のところに行ってな?店の用事とか言って、こちらに連れてきてくれ。ここで重要なのはあの客も一緒に、だ。ただし『一緒に来たければ仕方ないので追いてきても構わない』というスタンスでな?」

「難しいですねェ」

「まぁソウ言うな」

 

 俺は常のごとく万札を一枚取り出して折ると、黒服がまとうベストの胸ポケットに。

 

「へへ、毎度」

「――こいつめ!」

 

 黒服は大卓にいくと、目標に腕を掴まれている『美月』のところへ行き、何事か話す風。

 やがて、薄笑いを浮かべる阿呆ガキと一緒にこちらにやってくる。

 

 ――ナ~イス。

 

「おぃ、兄サン準備いいか?」

 

 振り向いたオレはギョッとする。

 いつのまにか、先の一人に加え、ガタイの良い黒人たち3人がオレのバックを獲っていた。

 二階の連中を始末し終えた一派だろう。

 

「――gff。いつでもどうぞ」

「アノ兄サン、好キニシテ良イノ?」

「BOKUノCHINPOハ今カラMACHIキレナイ」

「ホルヨー!」

 

 ――まぁ、ナンだ。その……。

 

 おれは初めてターゲットがそのときチョッと可哀そうになった。

 あくまでチョッとだけね?

 

「でさぁ?イイじゃん、ヨォ。オレといいことしようぜェ!」

「あの……困ります!ワタシ、お仕事中ですし……ご主人様もいるので」

 

 なんと、勝手にこの男はベタベタと元・美香子のバニー姿な身体を触りまくっている。

 フロアの視界から外れて、完全にバックヤードに入ったとき、いきなりこのガキはワイン・レッドのエスコート・バニーに抱き着いた。

 

「へへぇ、ようやく捕まえた!」

 

 そんな!と『美月』はいきなりバニー・コートの胸とおまたに手を入れられ、切なげにもがく。

 

「麻呂のものに!――なれ!」

「嫌!ヘンなところに指を入れないで!!」

 

「一条三位!そこまでだ!」

 

 俺は颯爽と飛び出した。

 

「数々の非道!今こそ成敗してくれる!」

「黙りゃ!おぬしの手にかかる麻呂ではないわ!」

 

 

 その時だった!

 ぬぅばぁぁぁあ……っつっっ、と平野〇太の擬音を背負う勢いでKOKUJINたちが現れた!

 

 目標は、こんらんしている!

 

「な、なんだお前たちは!オレを一体どうするつもりだ!」

「お前は、こっちや!」

「な!?」

 

 強姦ガキは、いきなり後ろを捕られ、素早く手錠をハメられて。

 

「ゲラウェイ!」

 

 だが、目標の抵抗はそこまでだった。

 “裏”の女たちが咥えさせられていた赤いボール・ギャグが素早くこのガキの口に押し込まれる。

 

「!……!!――!――!」

「ホルヨー」

「ズブッ!」

 

 ……などと口々にそう言い交わしつつ、マッチョなKOKUJINたちは暴れる美少年をガラス檻のエリアがある方角に連れて行った……。

 

 ――ひとまずは、これでよし……か?

 

 『美月』がバニーの衣を直しつつ、しなだれかかってきた。

 

「……ご主人様ァ」

「うん、よしよし」

 

 『美月』が甘えて胸もとにはいってきた。

 一仕事終えて、ここで飲めないのが非常に残念だ。

 だが油断はするまい。これから一番大事な仕事が残っている。

 しかし、自分の中から緊張とともに何かが抜けていく感があるのは否めない。

 

 ズボンのチャックをしつこく狙う『美月』の華奢な手を遮りつつ、通りかかった黒服に『美月』をスタッフの控室に連れてゆくよう任せ、()()は監視室へと戻った。

 兄ィたちはすべて出払って、部屋にいるのはモニターをチェックするオペレーターとほお骨の出っ張った姉サンたち。

 トイレに行ったオペレーターと監視役の一人は戻ってこない。

 

「……済んだようですな」

 

 小男は、シャンパン三本分の緩さでオレに問いかける。

 

「お礼を、しなきゃイケません、ナァ……」

「まだ気を抜くのは早いです」

 

 監視モニターを見ると、例のテーブルにちょっとした異変が起こっていた。

 先っほどまであれほどオラついていた大卓が、なにやらソワソワと不安げに。

 残された5~6人ほどの来客たちが、しきりとどこかに携帯で連絡をとる光景。

 

「あとは、トイレにでも行くフリして、トンヅラですかねぇ」

「ウチはそんなにザルじゃないですよ」

 

 小男の顔が醜悪な笑みを浮かべる。

 

「キッチリとりたてます。なければ身体で払わせるだけです――おぃ」

 

 言われたオペレーターの一人がモニターの映像をチェンジ。

 

 小男が、満足げに、

 

「ソレだ。その801番を、メイン・モニターに」

 

 すると、いままで沈黙していた壁際の大型モニターが生き返り、あまり見たくもないものを映し出す。

 あのガラスの大箱の中に、拘束台に据え付けられた強姦ガキの姿。

 

「gff……」

「おらっ!――孕めっ!」

「女にしてやる!」

「アツ――――!!」

 

 毛むくじゃらな全裸の筋肉マッチョたちに、見た目だけは美少年な目標が、

 

 前から――後ろから――下から――上から。

 

 嬲られ、

   突かれ、

     しゃぶられ、

         舐められ、

            くじられ、

               抓られ、

                 そして――挿入(いれ)られて……。

 

        【以下自粛】

 

 小男は、蹂躙され涙を流しているモニター中の強姦ガキを、さもいい気味だと言わんばかりにアゴでしゃくり、

 

「いままで散々、女性たちを悲嘆の底におとして来たクズだ。これぐらいは妥当ですな?」

 

 オレは醜悪な画面から顔をそむけた。

 そして心ならずも未練がましく、テーブルの空きボトルを横目にして。

 

「もちろん。その点は完全に同意です――むしろ手ぬるいと言っていい」

 

 そうでしょう?と小男はまたうなずき、

 

「私はね?女たちを庇護しておるんですよ。大事に思っとる……相手がどう思おうとね?いわば遠くから見守る“一方的なフェミニスト”というワケですな」

 

 その言葉には、どこか自嘲的に響いた。

 

 だがしかし、と小男は次に口調を一転。部屋全体に伝わるような声で、

 

「高給も払い、勤務環境も整え、福利厚生もしっかりさせた。だがそれでも(なお)裏切るようなヤツは……」

 

 36番の映像を出せ、と冷たい口調で。 

 

 モニターの映像が変わる。

 別のガラスの檻。

 別の拘束台。

 

 そこには見慣れぬフロアレディーが、木馬の上で全裸姿で拘束された女に、激しくムチをふるっている。

 脇にたたずみ、冷たい薄笑いを浮かべるホオ骨の張ったスーツ姿の女で気がついた。

 

 拘束台で責めを受けているのは……さっきまで目の前にいたオペレーターだ……。

 ポニー・テールはほどかれ、むち打ちの跡を増やしてゆく背中側にたれている。

 

「どうやら“武蔵”側の男に取り込まれていたようでしてナ」

「やはり彼女が……」

「トイレで内通していたところを、取り押さえました」

 

 オペレーターたちはチラチラ、ソワソワと画面を見る。

 

「よくお分かりになりましたな」

「えぇ、モニターの画像をスキップする不自然な動きをしてましたので」

 

 実際のところ、【SAI】からの通報がなければ、事態は違ったことになっていただろう。

 まったく間一髪のところだった。

 

()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 ダン!とシャンパンの空きボトルを、卓に叩きつけて。

 

「絶対に!」

 

 オペレーターたちの白ブラウスな背中が、ヒッ!と震えるのが分かった。

 

「わたしァねぇ?……こんなご面相でしょ?」

 

 小男が、自虐的な口ぶりを復活させて、

 

「昔ァしッから女性にゃ縁が無くてね。歯並びも矯正した、脂性も薬で変えて、ワキガも手術で治しましたよ――しかしチビな事と、この顔つきは、ドゥにもならなンだ。ただ、海外留学でケンブリッジに行ったときは……」

 

 と、ここで小男はぶ厚な唇にうっすらと純粋な微笑をうかべる。

 

 ――へぇぇ……意外。親は資産家だったのかね。

 

 オレは改めて小男の顔を見つめる。

 よくよく観察すれば、苦労を重ねたようなシワが目立つ。

 見てくれの割には、ずいぶんと若いようにも感じられる風貌だった。

 

「その短い留学ンときは、東洋のピエロとして、コレッジで人気を博しましてな?女の子のファンも大勢居たものですぞ?……あの頃ァ良かったナァ……わたしの人生で一番輝いていたトキでした」

「何をなさったんです?」

「え?」

「専攻は――何でした?」

 

 小男は、まるて険の取れたような柔和なまなざしで、

 

「文化人類学でしたよ、あなた。教授(センセイ)方からも覚えがめでたかったものです。あちこちの研究室から誘われたり。中央アジアの方に、フィールド・ワークにも行きましたっけ。草原。土壁の村。満天の星……」

 

 と、ここで相手は常の爛々たる目つきを取りもどし、

 

「だが!実家の没落から!留学(ソレ)も中途でやめざるを得なくなりましてな……帰ってきてからは苦労の連続でした。ハテは、こんな反社会的組織な箱モノの親分にオサまって。だがわたしは後悔しておりません!しておりませんぞォ?実家の零落は、とある方面からの横やりでした。政治屋!――役人!――それと結託したマスコミ!」

 

 全身から怒りを煮え立たせながら、この男は激しい口ぶりで、

 

「実家の仇を!わたしの青春の仇を取るまでは!わたしはドコまでもドコまでも、(キタナ)く、狡猾(ずる)く、はびこってやる所存(つもり)です!」

 

 ジャマをするものは許しません、と小男は、フロアの卓に残って青い顔を寄せ合い何事か相談する“ニセ経団連”の一行を、モニター越しに眺めながらこれ以上は無いという(つめ)たい笑みを浮かべる。

 早くも遠巻きに「ステゴロ上等」なそれ系の黒服たちが取り囲んでいた。

 

「フロント。例のテーブルの会計(チェック)は、いまどれくらいだ?――フン、分かった」

「相当、やらかしたようですな?」

 

 オレの問いかけに、小男は肩をすくめ

 

「なァに、三千万ちょっとです。どうせ燃やす店だとタカをくくってたんでしょ――ところで」

 

 相手はじっとオレを見つめた。

 

「このたびの御恩は……どうすれば報いることが出来るでしょうか……?」

「『美月』と、あのガキの身柄です。間違いなく“生きたまま”ね?」

「いやいや、それだけでは済みますまい」

「それだけで十分です」

「それではワタシの気持ちが!」

 

 小男は苛々と叫んだが、やがて自制を効かせたようだった。

 

「私の“男”が立ちませんよ……あなた」

 

 相手は持ち前の執念ぶかさを発揮し、こちらの方に身を乗り出す。

 

「そうだ!あのマゾ人形を、『マゾ美』を()()()()()()()、お渡ししましょう!」

 

 Yes!とオーナーは手を打ちならす。

 

「もう少しホルモンを投与して豊胸させ、ヴァギナも極上のものに造りかえます。あの子の口唇はアート・メイクをしただけですが、おしゃぶり奴隷に相応しく、もっとボッテリさせましょう!もちろん抜歯をして、フェラ専門の口淫テクを覚えさせ、ノド奥まで使えるようにするのも忘れません!卵管は結紮して永久不妊処置をします(膣内(なか)射精()しほうだいですゾ?小さいモノとはいえ人形にキズを付けるのが気になるようでしたら、子宮鏡をつかって卵管に詰め物をするスタイルでもよろしい。それに加えて――」

 

 熱っぽく美香子への手術処置をとうとうと語り始める小男。

 オレは、この店と妙な貸し借りを作りたくはなかった。

 先日の、あの敵側弁護士の時と同じだ。

 カエサルのものはカエサルへ。

 分を弁えたほうがいい。

 

「“恩をかえす”と言うのは、もともと出来ないコトですよ。ちがいますか?」

「さらに恥部には刺青を――いったい何のことです?」

 

 熱っぽく“商品”の説明をしていた風俗店の親玉は、いきなり遮られて不満そうに。

 

「お礼は要りません。わたしの行動に、対価をつけるのは止めてくれ、ということです」

 

 小男があんぐりと口をあけた。

 

「あなた……そんな」

「もし私から恩を感じたのなら、感じた分の倍の恩を、貴方がほかの人に施せばいい。それは巡りめぐって、いつかオレの――わたしの処に届くでしょう。もしどうしても気が済まないと言うのであれば……」

「――言うのであれば?」

「ありがとう、の一言でいいんです」

 

 あなたは!と小男は監視室のソファーにグッタリ背をつけた。

 あとはしばらく何やらブツブツ言っていたが、

 

「もっと早くお会いしたかったですなぁ……そうなれば私の人生も、少しは変わったかもしれませんて……」

 

 と、渋面をうかべ、それでも未練がましく、

 

「ここで一杯おすすめしても、受けては下さらないでしょうな?」

「車で来ているものですから」

「しかし、あの若造の身柄をお渡しするのは、今夜はムリですぞ?」

「――え……」

「子飼いの者たちが、若造のしまり具合をずいぶんと気に入ってしまったようだ……」

 

 モニターの画像を変える気配。

 だが、オレはもうあえて見ない。

 これ以上不快な記憶を増やしたくはなかった。

 

 男がカラむ光景に背を向けたまま、ビジネスライクに、

 

「それでは――日を改めて、受け取りにうかがえば宜しいですか?」

「日にちを頂ければ、それだけあの若造に、天罰を下せますな」

「では3,4日ほど。あとはコチラで処分します。それと――」

「『美月』クンのことですな?とりあえず自宅に返すことを約束します」

「結構――では当方の連絡先を……」

 

 オレたちは名刺を渡した。

 小男も立ち上がり、両手で名刺を受け取りつつイタズラっぽそうに、

 

「この番号は――()()()おるのでしょうな?」

 

 もちろん。オレは頷き、微笑をうかべる。

 二人の男が、暗黙の裡に手打ちをしたような気配。

 

 

 終わった……。

 

 

 安堵の思いが滝のようにオレの全身をひたす。

 どうにかココまでたどりつけた。結構ヤバい橋もわたったような。

 小男はオレの名刺を相変わらず持ったまま、しげしげとコチラを見つめ、

 

「しかし不思議なお方だ……これだけ尽力なさって、あのガキの身柄ひとつとは」

「ヤツを処分できれば、それでイイのです」

「自分の行動に値札は無いってことですか?

 

 ヤレヤレ、と小男は首をふった。

 

「現代のフィリップ・マーロウですな」

「なぁに、ただの貧乏くじを引き気味な、要領のわるい中年男ですよ」

「……ムズかしいお方だ」

 

 オレはスーツの襟元をただし、身づくろいをする。

 

「では!――これで」

 

 

 そう言ってオレはキッチリと礼をした。

 やがて小男が呼んだ案内者とともに、裏口からこの剣呑な店を出る。

 

 生温かい夜気とともに急に現実が押し寄せ、すオレは少しヨロめいた。

 

 深夜に向かいつつある世界は、艶めいた春の気配に都会の喧騒と人の営みを混然一体となし、かぎりなく蠢動をして行き交う人々を幻惑させていた。

 

 オレは、不夜城めく【Le Lapin Rouge 】(紅いウサギ)を振り向く。

 

 二人の黒服が、いかめしくソドムの門を(まも)る光景。

 

 その前を――。

 着飾って腕をくんだカップルの、足並みそろえた姿がゆく。

 あるいは水っぽい服装(ナリ)をした夜の蝶たち。

 すでに“入って”いるのか高価(たか)そうなスーツを着た一団が何やら騒ぎ乱れながら通り過ぎてゆく。

 その他、門の前を行き交う人――人――人。

 

 彼らが今、目の屋敷でどんな痴態が繰り広げられているか。

 もし、それを知ったら、いったいどんな表情(かお)をするだろうか。

 いつ自分もその渦に巻き込まれて、アヘ顔を晒すかもしれないと知ったら。

 そう。まさに都会は、ミルクの皮一枚へだてたところで異界が口を開けているのだ。

 

 オレは、駐車場で見張りをする黒服の一礼に軽く手をふってトラックに乗り込む。

 重い鋼鉄のドアを閉め、ロックをすると、妖しい夜の空気を追い出して。

 いつものキャビンの雰囲気と、なじんだバケット・シートの座り心地。

 目前で息を吹きかえすメーターと、かぎなれた電子機器の匂い。

 時計の表示を見れば、いつのまにか23時を回っているではないか。

 やはり相当に緊張していたんだろう。

 ヘタをすればガラス箱の向こうで拘束される可能性が十分にあったのだから。

 俺は大きく息をついた。

 

 ようやく自分の居場所に帰ってきた……。

 

 そんな実感が、虎口を逃れてきた身にはありがたい。

 留守番をしていた【SAI】が気を利かせ、モーターを起動させる。

 

 高まってゆく高周波音

 ジェネレーターが回り始める気配。

 

 熱に浮かされたような感覚が去り、日常が急速にもどってきた。

 とんと忘れていた空腹も、ようやく頭をもたげて。

 そこで初めて自分が、いかに緊張していたかを悟った。

 

『おかえりなさいマイケル――首尾はどうでした?』

「まぁまぁかな。ナイス・アシストだったぞ?【SAI】」

 

 

 かえったら……そう、まず熱い風呂だ!

 香水くさい夜の雰囲気を徹底的に洗い流すのだ。

 風呂上りには、ビールの500缶を2本、いや3本!

 立て続けに()っつけて、時分の中を清めてやる。

 冷蔵庫には、何ンか残ってたッけかな……。

 そうだ!昨日の残りの野菜炒めがあったハズだぞ?ありがたい!

 

 ――ようし、キまった。

 

 

『マイケル、周囲異常なし。いつでも出られます』

 

 こんなところ、長居は無用だ。

 

 ガラスの檻の中の痴態を、オレは今さらながら思い出し身ぶるいする。

 いずれ警察の手が入り、連中は一網打尽だろう。そのとき――あの小男は?

 考えたところで仕方ない。

 しょせんこの世は、人の願いや考えとは別の(ことわり)で流れてゆくのだ。

 

「帰ろう――【SAI】」

『了解しました、マイケル』 

 

 よいせ、とオレはトラックのギアを入れる。

 

 

 

 

【紅いウサギ】の遥夜(ようや)  

                    ー了ー

 

 

 

 

 



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第19話:朝の襲撃者

 ――腕……だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――腕……だよな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すんなりとした指をもった腕。

 

 

 

 

 

 

 

 

 細く、色白で、ウブ毛すらない。

 

 

 

 ――腕……でイイんだよなァ、コレ……。

 

 

 

 状況を整理しよう。

 

 いまは金曜。

 

 遮光カーテンの合わせ目から漏れる光は、外が快晴らしいことを示している。

 

 所長に“轢殺対象”が風俗店で拷問を受けつつ飼われている現状を伝えた後、有給をとって金土日の三連休としたのだ。

 

 その初日の朝。

 

 ベッドで寝るオレの目の前の上掛けから、明らかに自分のものではない一本の腕がニュッと伸びていると言うワケなのだ。

 

 

 

 

 オレは再度、目の前に延びる腕をながめた。

 

 どう見ても若い女の腕だ。

 

 ――酔って見知らぬ女でも引き込んだっけかオレ。

 

 いやいや!とあわてて否定する。

 酒で記憶をなくすほど、マダ老いぼれちゃいねェぞ?などと思いつつ。

 

 

 ややあってから。

 ようやく意を決し、おそるおそる上掛けをめくってみる。

 

 とたんにあふれる、嗅いだことのある柔らかい女の匂い。

 

 つぎに現れた赤毛のかたまり。

 

 ――え……。

 

 オレはマンガのように二度ばかり目をこすった。

 頭の整理がおいつかず、しばらくそのままタップリ15秒ばかり凝固する。

 

 ――信じられん……どういうことだよコレ。

 

 読者なら、オレの衝撃を分かってくれると思う。

 なぜならそこには「く」の字になってクゥクゥと寝息を立てる『マゾ美』……もとい『美月』の姿があったからなんだ。

 

 室内に干してあったオレのYシャツを着て身体をちじめ、のばした片腕をまくらに気持ちよさそうに眠っている。

 

 ――なんてこった……つーか、コイツどうやって入った?

 

 頭の混乱が収まらぬまま、彼女を起こさないようにベッドから抜け出す。

 そしてキッチンに行き、休日の朝の神聖な儀式である「朝ビール」を冷蔵庫から一本抜き出すと、とりあえず現実を呼ぼうとリビングのカーテンを引き開けた。

 

 サッ、というまぶしい光。

 

 壁の時計をみれば、もう九時だ。

 ここのところの業務で疲れ果て、泥のように寝た気分。

 こんな有様じゃ、寝ている最中アイツがベッドに来ても分からないだろう。

 

 あの危うい橋を渡った“香水臭い夜”から、もう1週間になる。

 

 数日して目標の身柄をわたす、といった小男からの連絡はなかった。

 かわりに、二度と目にしたくない動画がディスクで私書箱に郵送されてきた。

 映像のなかでは目標であるガキが強制的に女装させられ、ムチ打たれながら黒人たち相手にアンアン尻をふっているという、鳥肌の立つような代物……。

 

 もっともこれを所長に見せたところ、轢殺目標の状況にしごくご満悦なようで、なんと「数日はこのままにしておけ」というお達し。そしてそのディスクと引き換えに、今月はノルマが苦しいものの、有給を取る許可をもらえたんだ。

 

 だが、いつまでも放っておくコトは出来ない。

 サッサと轢き殺して仕事にケジメをつけたい。

 そうだな、今日あたり催促に行ってみようか。

 

 ――いやまて……。

 

 そこでオレはフト立ち止まる。

 

 あの店には銭高警部補の相棒である女刑事がおとり捜査に入店(はい)っている。

 ウッカリ“手入れ”の現場にカチあって、とばっちりで逮捕でもされた日にはツマらない。

 仕方ない。メールで小男にそれとなく催促するか……。

 

 などと考えていると、寝室でゴソゴソと物が動く気配。

 やがて背後からペタペタ足音が近づくと、いきなり暖かいものでオレの視界がふさがれる。

 

「だァ~れだぁ♪」

「キミねぇ……」

 

 汗ばんだ小さな手で視界をふさがれたままオレは、

 

「いったいどうやって入ったんだ?カギは閉めたはずだが……」

「お店の人にね?鍵開けの得意なヒト居たからァ、こぉチョィチョイ、って♪」

 

 うぇ。あのドアの鍵、そんなに簡単に開くのか。

 

「30秒ぐらいだったかナぁ……しりんだぁ錠?は信用しない方がイイってぇ」

 

 パッと視界があかるくなる。

 

 ふりかえれば裸ワイシャツ姿の『美月』だ。

 ショーツは履いているがノーブラで、豊胸された〇ッパイが、合わせ目からチラチラしている。

 その先端には、Yシャツの白い生地にリングピアスの輪郭が。

 

 ゴージャスな赤毛を午前中の蒼い光に輝かせる姿。

 トロンとした顔つきに整形された面へ、信頼しきったような微笑をうかべて。

 真っ赤にされた肉厚な口唇(リップ)は、もう二度と元に戻せないのだろうか。

 

「学校は?――どうしたんだ」

 

 オレはため息をつきながら尋ねた。

 

「まだ金曜だろ?」

「辞めちゃったぁ……」

「え"」

「っていうかぁ、辞めさせられた……が正しいかなぁ?」

「……」

「お父さん、もう学費ぃ、払わないってぇ」

 

 豊かな自分のオッパイを思わせぶりにモミつつ太ももをモジモジとすり合わせ、『美月』はこちらをチラチラうかがう姿勢で。

 

「オマエのようなヤツはぁ……ウチの娘じゃないってぇ」

「怒ってたか」

「オコだったっていうよりィ、呆れてたかなぁ」

 

 相変わらず焦点のさだまらない口ぶりで、クスクスと。

 

「一瞬アタシのこともォ、分からなかったみたい」

「そりゃぁ……それだけ整形されればなぁ……」

 

 おれはダッチワイフのようにされてしまった美香子を見つめた。

 せっかくの生来な清楚さが人工的に歪められ、ただのイヤらしい人形のよう。

 

「学校行っても大騒ぎだったよぉ。ダレ?って」

「担任の先生、なんか言わなかったか」

「生徒指導室につれていかれてェ、おかあサン呼ばれた」

「お母さんなんだって?」

 

 ここではじめて彼女の声が曇る。

 性的に(ふく)らまされた口唇をとがらせ、

 

「……泣いてたぁ」

 

 だろうな、とオレは思う。

 あの品の良い奥様が哀しんだことを思うと、オレの胸も微かに痛む。

 

 ――だが、まあいい……しょせんは他人の家のハナシだ。

 

 ワザと冷酷にそう思い込み、平常心を保とうとする。

 だがそう思うはしから、ある種のやるせなさが浮かんで。

 

 休日の朝(しかも3連休のスタートだぞ?)が湿っぽくなるのがイヤだったオレは、

 

「なにか飲むか?コーヒー?紅茶?」

「みるくてぃー♪」

「ハイよ――その間に何か着なさい」

「はァい」

 

 トテトテと素直に『美月』は寝室にもどってゆく。

 

 それを見送ると、オレは久しぶりに台所に立った。

 お湯を手ナベに少量沸かし、アールグレイを小さじ4杯。

 そのあと牛乳を加え、さらに煮だす。

 ティー・ストレーナーで濾してノリタケのカップに。

 よし、とくべつ甘めに作ってやるか……。

 

 またも背後に足音。

 振り向いたとき、危うくカップを落としそうになる。

 リビングに立つのは、キワどいボンデージ・ドレスを着た『美月』だった。

 

 リード(引き綱)用のクロームなリングが冽たく光る首輪めいたチョーカー。

 そこからつながる革製のブラは、乳首ピアスが飾る豊胸された〇ッパイを、さらにクビリ出して肥大化させるようデザインされて。

 

 腰回りをシメ上げるウェスト・ニッパーと、そこに連結された、股間に食い込まんばかりな革製とみえるショーツ。

 むりやり豊かにされた尻まわりは、スリットの入ったうすいヴェールに包まれて。

 中指で引っ掛けるタイプの、わき下までおおう長さがあるピッタリとした長手袋が、彼女の腕をラメまじりな照りで蠱惑的に包んでいる。

 

 つまりは“夜の娼妓(おんな)”の勤務服。

 

 あのなぁ、と思わずオレは呆れ声で

 

「もっと普通の服は無いのかネ!普通の服は?」

「フツーのふく?」

 

 風俗店用の装いをした彼女が小首をかしげる。

 

「高校の制服でも何でもイイ。外をあるいておかしくない服だ」

「これ、オカしくないョ?」

 

 このとき、オレはハッとようやく気付いた。

 

 さっきから彼女の応対が、何かフワフワ夢見心地で心もとない。

 舌ピアスのせいにしては、まだるっこしいしゃべり方。

 そことなく虚ろな、底の入っていない浮ついた視線。

 まるで半分催眠状態でうごいているような動作。

 

 “紅いウサギ”で聞いた『ゾンビ・パウダー』なる単語も思いだす。

 

 ――もしや……。

 

 人為的に知能を引き下げられてしまったのではなかろうか。

 

 あの白衣姿な若い二人組。

 美容整形の設備があるんだ。本物の手術室だってあるかもしれない。

 なにしろ銭高警部補の『生安課』が乗り込んでくるんだ。

 実際に臓器の取り出しすらやっているかも。

 

 

 ――まさか……ロボトミー手術なんて。

 

 ふと、オレはあることに気づいた。

 

「そういやおまえ、どうやってココが分かった?」

 

 あの小男に渡した名刺には、自分のアドレスを載せていなかった。

 代わりにメールアドレスと、会社から貸与された私書箱の番号だけ。

 轢殺稼業をやる上で、ヘンなところから足が付かないようにするための用心だと、総務の連中には聞かされている。

 

 ダイニング・テーブルに付いてミルクティーを飲もうとした彼女は、その肉感的な唇をカップから離し、キョトンとした顔で、

 

「キミちゃんがぁ、教えてくれたモぉン」

「きみちゃんだァ?」

「知ってるハズだぉ?ご主人サマぁ……」

 

 クスクスと彼女はまたも笑いながら

 

「神社の受付でぇ……住所かいたでしょぉ?」

 

 屋根の修理費をせびってきた現代風な巫女さん。

 

「アイツか……あんにゃろ~ヒトの個人情報を」

「でもでもォ!それでアタシが、ご主人サマのお(ウチ)に来れたんだし」

 

 そう言って『美月』は殺風景なオレの(ねぐら)を見わたした。

 

「もうチョッと彩りが欲しいなぁ……。でもこれからは大丈夫だね」

「なにが」

「メス奴隷『マゾ美』が住み込みで精いっぱいお仕えするモン」

 

 あのなぁ、とオレは脱力する。

 関係ない第三者が女子高生を部屋に泊めたら事案だ、事案。

 ようやく人生が好転しかけた矢先にマスコミなんかの餌食になりたくない。

 

「おうちの人は?何て言ってるんだ」

「しらなぁい。火曜日に学校辞めたあと、お店の寮から“お仕事”に通ってるし」

 

 ちょっとまて。

 

「じゃナニか?今まで家には帰っていないのか」

「お父さん入れてくんないモン」

「お母さんは?なんて言ってるんだ」

「なにも。泣いてばっか」

 

 そりゃそうだろう、とオレは思う。

 腹を痛めて生んで手塩にかけて育てた娘。

 それが、こんなダッチワイフじみた姿になったんじゃ。

 

「だいたいお父さんに嫌われてるしィ。アタシが家でたほうが、お互いにイイもん」

「だがしかし……」

 

 オレは絶句する。

 苛烈で幻惑的な“馴致”と言う名の調教風景。

 淫らがましい少年少女。あるいは(おんな)たち。

 不気味な手術をほどこす白衣の若い医者2人組。

 

 

「まだあの剣呑な“赤いウサギ”に居るとはねぇ……」

 

 そのとき、『美月』のお腹が盛大に鳴った。

 

「――だって……」

 

 恥ずかしさを隠すためだろうか。彼女はややふくれッ面で、

 

「お金とか稼がなきゃ、食べていけないモン」

 

         *   *   *

 

 “紅いウサギ”の装束をまとう彼女を、使ってないオレの普段服へと着がえさせている間、コッチは有り合わせの材料で朝食を用意する。

 

 台所の換気扇を回すのも実に久しぶりだ。

 調理器具や食器のたてる陽気な音が、人間味のある朝を演出するような。

 久しく忘れていた感覚だ。状況が今のようでなきゃ、ちょっと鼻歌でもでるくらい。

 いつもは出来合いのモノを買ってきて、それでおしまいにしているていたらくなんだよな。

 

 フライパンと包丁を使いつつ、他人に手料理をふるまうのは意外に嬉しいものだとオレは思う(と、いってもロクなものは出来なかったが)。

 

 ベーコンエッグにフレンチ・トースト。

 カマンベールチーズのカナッペに、パック物のサラダへ刻んだ生ハム投入。

 それらをダイニング・テーブルに並べると『美月』は嬉しそうにパクつきはじめた。

 オレの方も、そんな彼女を横目にしてビール片手に茹でたチョリソーなどをほおばって。

 すると――なんだかいつもより酒も肴も美味く感じるような気がしてくるから不思議だった。

 

「ご主人サマのフレンチ・トーストおいし~」

「そうか。紅茶のお代わり、いるか」

「――うん♪」

 

 トポトポと相手のカップに湯気の立つミルクティーを注ぐ。 

 わすれていたな……こんな感じ。

 

「なに?――この干からびたチッさいキンタマみたいなのォ?」

「これっ!女の子がなんだね!それは干したイチジク。女性の身体にイイんだよ?」

「なんで?そんなのご主人サマが持ってるのォ?」

「んぅ?酒のつまみにもなるんだ」

 

 こんなことを言うのがなぜか少し恥ずかしかった。

 考えてみれば、荒れた生活だ。

 人格障碍者とはいえ、人を轢き殺してナンボの生活。

 視線をうつろにしたオレに、『美月』は相変わらずトロンとした口調で、

 

「ご主人サマぁ。アタシこっからお店に通ってイイ?」

「あぁ!?」

「お店の寮だとイロイロうるさくって」 

「……食っているあいだは、ムズかしい話はナシだ」

「じゃ、どんなお話ならイイの?」

 

 キミのこと話してくれよ、とオレは500缶の二本目を襲いながら、

 

「なにか将来、やりたいこととか。夢とかないのかィ」

 

 そうねぇ、と彼女は小首を傾げ、

 

「美容師サン、とかすこし憧れたなぁ。ナニかァ、じぶんで仕事したかった」

「手に職をつける!イイじゃないか。今からだって遅くないぞ」

「……これ難しいハナシじゃないの?」

「まぁコレくらいなら良いだろう」

 

 ふぅん、と彼女は納得しないような顔をしていたが、すぐに哀しげな顔で、

 

「……でも、アタシどうせバカだしィ」

「そういうのを“セルフ・ハンディキャップ”と言うんだ」

「ホラぁ。むずかしい話じゃぁん」

「自分で自分をダメだと思い込むほど、ツマらんものはないぞ?」

「高校行っても面白くなかったし」

「友だちは?いないのかね」

「仲のイイ友だちはぁ。ゼンゼン――キミちゃん?ぐらいかなァ」

 

 整形受けて学校行ったあと、注目あびて大騒ぎになったのがイチバン面白かったなと、この娘は怖いことをサラッという。

 

「さいごにぃ、イイ思い出ができたんだぉ」

 

 お嬢様学校で、いかにも水商売風な女性が廊下を闊歩したら、そりゃ目立つだろうて。

 まてよ?あの学校、ミッション系スクールじゃなかったか。

 生徒指導のシスターがいたら目を丸くしただろうに。

 

「家には何て言ってるんだ?」

「知り合いのところ泊まるってぇ、携帯で……」

 

 ――それなら……まぁいいか。

 

 風俗店に泊まってると知ったら、あの品のいい奥さんが引ッくりかえりそうだ。

 まったくあの家はどうなっているんだか。

 

 ・プライドの高そうな、妙にコネを持っているオヤジ。 

 ・上の子に甘く、下の娘には時に放任的とも思える奥方。

 ・強姦をうけた経験のあるデキのいい姉。

 ・父親から疎遠にされている蓮っ葉な妹。

 

 詩愛が暴行される事件があってから家庭が“空中分解”しなかったのが不思議なくらいだ。

 

 聞きなれないメロディーが鳴った。

 『美月』がオレの軍用カーゴ・パンツから携帯を取り出して画面を見る。

 

「あ……おねぇちゃんだァ」

 

 ――なんか……イヤな予感がするぜ。

 

 

 オレは携帯で、力の抜けた舌ったらずな言い合いを始める『美月』を見る。

 そしてそこはかとなく胸にひろがってゆく不安を、ぬるくなったビールで流し込んだ。



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第20話:昼の受難者

              * * *

 

 

 

 そして――今。

 

 鷺の内医院に隣接する大きな私邸。

 どういうワケか、ふたたびオレはその応接間で、ふくれッ面をする『美月』――いや、ここでは源氏名ではなく“美香子”と呼ぼう――と肩をならべ、彼女の母親と、美しい目を吊り上げている姉の詩愛を前にしている。

 

 華奢なデザインをもつ壁の時計は14時を示していた。

 いろいろメンドウなことになりそうだったので、昼食の時間をワザと外したのだ。

 

 きわめて。

 極めて幸いにも、オヤジ――鷺の内医師――のほうは、今日まで学会とかで家を空けていた。

 まぁそれが美香子をワザワザ家に送る決心がついた理由なんだが。あのオヤジが同席する条件とあっては、この医院に近寄りたくもない。

 

 天井から凝った照明が下がる20畳ほどの部屋。

 あちこちにある象牙やヒョウの毛皮は本物だろうか。

 意外に“権勢趣味”というか、見てくれを重んじる性格が()て取れる。

 

「いったい何日家を空ければ済むと思ってるの!」

「だってぇ……お父さんが出てけぇ、って」

「ホントに出ていく人がありますか!」

「そぉ言われたンだもぉぉん。しょうがないぢゃぁぁん」

「プチ家出なんでもう流行らないわよ!それになに?そのしゃべり方は!」

 

 美香子は相変わらずどこか上の空な口ぶりで、のらりくらり。

 それに詩愛がジレて声を荒げ、応接間はケンアクな雰囲気なっていた。

 

 ――舌ピアスを外させておいてよかったな。

 

 姉妹の応酬(やりとり)を聞きながら、オレは密かに胸をなでおろす。

 

 ただでさえ厄介な美香子の立場が、家庭内でさらに浮いたことだろう。

 あとは風呂場などで、フトした拍子に乳首ピアスがバレなけりゃいいが。

 

 ――まさか、刺青(いれずみ)なんかしてないだろうなぁ……。

 

 姉と妹の噛み合わないやりとり。

 それを話半分に聞きながら、オレは美香子を眺めた。

 

 何にせよ、豊かすぎる赤毛が目立つ。

 ここに来るまでどれだけ注目を浴びたことか。

 往来や電車の中で、携帯カメラの気配が引きも切らなかった。

 どぎつすぎる化粧は、うす暗い店内では丁度よかろうが、白日のもとでは惨めにも。

 

 そんな性的なおもむきに改造されてしまった妹を前にして、『詩愛』は怒っているときの『シーア』そっくりな表情(かお)と剣幕で、

 

「まっ!たく!アナ!タは!……メイワク、ばかり、かけて!ホントに、もぅ!」

 

 座っている革張りソファーのひじ掛けを、言葉にあわせてバタバタと叩く。

 見覚えのあるイヤリングがキラキラと耀き、シルクめいた艶をもつ、普段着にしては妙に豪華な“ふくらみ袖付きブラウス”のタップリとしたフリルを飾る胸がタプタプと揺れて。

 

 ――シーアでは、こうはいかなかったなぁ……。

 

 母親の打ちしずんだ顔を横目に、オレは不覚にも彼女の胸もとをボンヤリと眺めた。

 

 あれは……いつだったッけか。

 エル・タリム川のほとりにある親族のエルフ村を訪問した時、ついウッカリ土産物を荷物の中に入れ忘れたときに見た彼女の剣幕に通じるような……。

 

 ハァッ、とため息をつきながら横を向きつつ、詩愛はヒートアップして汗をかいたのか、華やかなブラウスのボタンを優美な手つきで一つ、ふたつはずし、一粒のダイヤが飾られるプラチナらしきネックレス。それがしっとりと収まる胸もとをくつろげた。

 

「それに――マイケルさんのお(うち)にお邪魔してたんですって!?」

 

 オレのほうをチラ見して、やや声のトーンを落とした現代版シーアは、

 

「何日も何日も。ご迷惑じゃないの……恥ずかしい子!」

「いや、お世話したのは1日、というか半日だけなんです」

 

 3連休の初日。

 それにも関わらず、ガラにもなくヨソのお宅の家庭内で発生したモメごとの火消しに回ろうとした、お人好しでバカな自分を呪いながら、オレは姉妹の口論に割って入り説明をする。

 

「それまでは、そのぅ。知り合いの女友達の家だったそうですよ?」

「あら……それは……まぁ」

 

 そのひとことに、なぜか姉の剣幕が急にクール・ダウンして。

 気がつけば、美香子のこちらを見るうれしげな目つき。

 そして性懲りもなくオレのズボンのチャック周りをサワサワと。

 

「美香子!なんですその手は。マイケルさんからいい加減離れなさい!」

「このお方はぁ……アタシだけのご主人サマなんですぅぅ」

 

 そう言って、コイツはよせばいいのに羽振りのいいころに買ったオレの春物スーツへ顔を突っ込み、クンカクンカ。

 気のせいか、この様をテーブルごしに見る詩愛のボルテージが、また上がるような……。

 

 はいはい皆さん落ち着いて、と言わんばかりにオレは、

 

「とりあえず、今日この子に同道したのはですね。美つk――美香子さんが高校を辞められたということを聞いたからです。本当ですか?」

 

 主人が……と、ここでヤツれたような母親が、ようやく口を開いて、

 

「宅の主人が、怒っておりまして」

「その。あまり好ましくないところでアルバイトをしたことにですか?」

「それもありますが……」

 

 母親は涙に潤んだような目で、(みだ)らに改変されてしまった美香子を見つめた。

 

 しばらくの沈黙。

 沈鬱な硬い空気が辺りに漂い、きわめて居心地悪い。

 やがて、見るに堪えないと言わんばかりに母親は視線をそらせるや、

 

「こんな……“殿方の(なぐさ)みもの”のような(すがた)にされてしまって……」

 

 とうとう彼女の目から涙がこぼれ落ちる。

 

 しばらく豪華な調度品で飾られた応接室は、いたたまれない雰囲気につつまれた。

 ややあってから、姉の詩愛が妹の方にじりよると優しい声で、

 

「美香子?どうしてそんな――整形なんかしちゃったの?」

「……」

「――前のほうが、ズッと可愛かったのに」

「……」

「――お姉ぇちゃん前の“()っちゃん”が良かったな」

 

 姉の言葉にしばらく妹は黙っていたが、だって、とポツリひとこと。

 

「こっちの方がぁ……みんなカマってくれるモン」

「なんですって?」

「お父さんやァ、お母さん。親戚のぉ、ヒトまで……」

「うん」

「みんなぁ、おねぇちゃんばっか可愛がって……」

 

 そんなことないわよ、姉はとうとうテーブルを回りこみ、美香子のとなりに座って彼女の肩をやさしく撫でた。しかし彼女は「ウソだもん!」とその手を払いのけ、

 

「アタシがぁ、いくらガンバったって……みんな見てくんないモン!」

 

 エクステされた長いまつ毛がふるえ、パープルなアイシャドウに飾られる美香子の目に涙が溜まる。ぼってりした真紅な口唇(くちびる)が、いちどへの字に曲げられるや、

 

「アタシだって!ガンバったんだモン!お店に居ればぁ、みんな見てくれるんだモン!」

 

 そういうや彼女はソファーから立ち上がると、嗚咽(おえつ)をこらえながら足早に応接室を出ていった。

 

 沈んだ空気の中、詩愛がオレに頭を下げる。

 

「すいませんマイケルさん。いろいろお手数を……」

「いや、ナニ。私はいいんですがね?」

 

 オレはすっかり冷え切ったお茶を口に含んだ。

 

「部外者が言うのもナンですが。なんか、妹さんだけ扱いが……その」

 

 同じにしているつもりなのですがねぇ、と母親はレースのハンカチで目頭を押さえながら、

 

「いろいろムズかしい年ごろですから……」 

「お父上は、どうなんです?わざと厳しくしてたりはしませんかね?」

「宅の主人は、いろいろと理想が高ぅございますから、なかなか」

「私だって、そんなに父に贔屓(ひいき)にされているつもりはありませんのよ?」

 

 詩愛がブラウスの胸ボタンを元にもどしながら、

 

「むしろ怒られている方が多いくらいですわ」

「能力の高い方にはありがちなことです。とは言え……」

「私が暴行――いえ、もうハッキリ言いますわ。強姦されたとき――」

「詩愛、おまえ……」

 

 うろたえた母親の声。

 オロオロと、両腕を空にさまよわせて。

 

「いいの、お母さん。この方にはもう言ってあるの」

 

 それに対して、今はもう吹っ切れたような口ぶりで、

 

「この方は、すべて分かって下さったわ?だから私、なんだか(ゆる)されたような気がするの――それでねマイケルさん。妊娠検査で病院から家に戻ってきたとき、父が私に言った最初の一言が、なんだか分かります?」

「……いえ」

 

 やはりまだ苦しいのだろう。

 その時のことを思い浮かべたらしい詩愛の声が、すこしふるえる。

 

「あのね?「おまえにスキがあるから、そんなコトになるんだ」……ですって」

 

 応接間に、また沈黙が降ってきた。

 

 三者三様、バラバラの目線で、それぞれの思いにふけるありさま。

 オレは冷たくなった茶をまたすすると、

 

「たぶん、お父さんは悔しかったんでしょう。せっかく手塩にかけた娘が、こんな無情な仕打ちを受けるのが」

「あるいは――」

 

 詩愛がそのあとをすぐに引き取って、

 

「この強姦事件で、せっかくの有利な縁組がフイになり、相手の家の力筋(コネ)を利用できなくなって、怒っていたのかもしれませんわ」

「詩愛――それは不可(イケ)ません」

 

 母親があわてて(いさ)めた。

 

「それこそ邪推というものですよ?」

「どうですか。お母さんの妹の件だって――」

 

 詩愛!

 

 驚いたことに、母親が急に声をあらげた。

 それに対してフン、とばかりに詩愛は冷たくソッポをむく。

 上品な彼女らしくない風情。

 やはり姉妹か。ちょっと美香子に似て。

 

 ナニかありそうだと気づいたオレは、

 

「いったいどうなさったんです?――奥様らしくもありませんな」

「いぇ、ねぇ」

 

 お見苦しいところを、と母親は軽く首をふりながら困ったような微笑をうかべ、

 

「宅の醜聞に関するものですから……どうかご勘弁を」

「お母さんは、お父さんに忖度しすぎなのよ。いまは21世紀になって大分たつわ?言われっぱなしじゃ、女だっておさまらない!」

「詩愛――マイケルさんがご覧になってますよ?」

 

 マイケルさんだって、と彼女は(なお)も言いつのり、

 

「夫の言うことを、理不尽なものでもハイハイと聞く妻はどうかと思いますよね?」

「どうですか……」

 

 いきなり話を振られたオレは苦笑しつつ、とっさに、

 

「私は、夫を裏切らない妻なら、なんでもアリですがね……」

 

 こちらの履歴に思い当たったのだろう。

 ()ッ、という顔をして、目の前の女ふたりは打ち(もだ)す。

 我ながら、ナイス・リターンと心中ニヤリとしたオレは、

 

「では、私はお役目を果たしたようなので、これで。そして出来ればご主人に、あの子の――美つ、いえ美香子クンの復学を、認めるようにお二人からもお願いをしてみて下さい」

「申してはみますが……」

「でも、どうでしょう。あれだけ派手になってしまって」

 

 ふたりの女たちは顔を見合わせ、ため息をつく。

 

 と、こんな状況でオレの携帯が鳴った。

 音声通信。

 なんと事業所長の“アシュラ”からだ。

 

 ――やッば。なんかミスったか。

 

 交通費の清算をチョロまかして500円ばかり浮かし、ラーメンを食べたことが素早く頭に浮かんだ。あるいは監視といつわりマンガ喫茶で時間をツブして、日報をごまかしたことも。

 

「すいません仕事の電話です――ちょっと失礼」

 

 オレは母親と姉に会釈してソファーを立ち上がると、応接室から廊下にでた。

 

 そこで旅行用スーツケースを抱えた美香子とバッタリ鉢合わせ。

 なんて格好だよ、とオレはため息をつく。

 

 黒のガーター・ストッキングにショーツが見えそうなマイクロ・ミニ。

 肩まわりがレースでスケスケとなったハデな白ブラウス。

 大きくあいた胸もとから見えるゆたかな谷間。

 背中もえぐれて、ノーブラが丸分かり。

 ホルターネックがイヤらしい印象。

 

(オマエ――なんだって……)

(しぃぃっ!しぃぃぃぃぃっ!)

 

 携帯は鳴りやまない。

 しかたなくオレは美香子が逃げ出さないよう、彼女のハデ目なブラウスをひっ掴んだまま、

 

「はい……モシモシ?」

≪やぁ。お休みのところ済まないね、マイケル≫

 

 陽気な声の調子はラーメン――じゃない交通費精算の件ではなさそうだ。

 

「所長!いったいどうしたんです?」

≪ナニね?君が暴力団に引き渡したという、あの目標(ターゲット)だけどネ≫

「はぁ……」

≪ヤツが酷い目に遭っている映像が、もうすこし無いかナ?と思って≫

 

 はぁ?とオレは思わずスッとんきょうな声を出した。

 

「……所長が、ソッチ方面の趣味だとは知りませんでしたな」

 

 ちがァう!と“アシュラ”は不満そうに、

 

≪アレを見せた……その、一部の方々から、好評でね≫

 

 好評?

 一部の方々?

 頭を乱舞する「?」マークをなんとか押しのけ、

 

「私としちゃ、ハヤくヤツを轢き殺して次に行きたいンですがね」

≪場合によっちゃ、轢殺をキャンセルしてもイイとまで()()()いるんだよ≫

 

 ――おっしゃっている……だと?

 

 オレの本能が、何気ないその言葉に非常な違和感を感じる。

 何かまた、(くら)い楽屋裏の構造がすけて見えるような。

 どれ。もう少したぐってみるか……。

 

「いちおう「轢殺をあきらめる」って相手に提示できるンなら、交渉の余地は出てきますがねぇ……」

≪そうか!ありがたい≫

 

「でもね?にしても今回は、舞台が高級店だけに内偵と活動でヤバい橋ィわたって“100万以上”自腹切ってるんですよ」

 

 オレはサリげなく金額を強調した。

 正確に言えば、税・サ込みで¥1,118,500.-だ。

 オッと、黒服どもにやったチップを忘れていたぜ。

 

「ここまで来たんだ。コイツはオレの戦場です。中途ハンパは――やりたくありませんな」

 

 しばらく携帯の向こうで沈黙があった。

 やがて、

 

≪対象が目標から外れれば……相手と映像の交渉ができるンだな?≫

「まぁ手札は増えるんで、駆け引きはしやすくなりますがね」

≪では、やってくれ。それと領収書を持ってくれば“作戦活動費”で落としてやる≫

 

 ――へぇぇぇえぇ!!

 

 さすがにオドろいた。

 いったい何がソコまで?

 ちょっと興味の出たオレは、もうすこし突いてやる。

 

「マァ、イイでしょう。ンで?なにか要望はありますかね」

≪要望だと?≫

「どういったタイプの映像を、先方は望んでいるんでしょう」

≪……そんなコトができるのか?≫

「単なるムチ打ちか、あるいはもっと残酷な映像か。それとも――」

 

 と、オレは一拍おいて、

 

「こう“腐”の奥様方がよろこびそうな、美的な()()()()の映像か」

 

 ふぅぬ、とアシュラの唸り声。

 

≪……わかった。あとでメールを入れる≫

 

 お早くお願いしますよ、とオレはクギを刺した。

 

「今晩、ヤツのところに行ってオレの腹に風穴あけた“例の二人組”のことを聞き出す算段なんですから――拷問してでもね」

≪……コワい男だ≫

 

 そういって連絡は切れた。

 オレは美香子のブラウスを放すと、ヒソヒソな怒鳴り声で、

 

(ドコ行こうってンだ!?)

(お店の寮ぉだよぉ……今晩のお仕事のためにぃ、寝とかないと……)

 

 ふところから小男に渡したのと同じ名刺を一枚彼女に差し出すと、

 

(オレの部屋に、さきに行っとけ。オレも今夜、店にいく)

 

 ぱぁぁぁぁぁっ!と美香子は、顔から擬音が出るくらいの明るい表情。

 名刺を大事そうに豊胸された胸元にしまいこみ、コッソリ玄関の方に向かった。

 

「分かりました!えぇ、ハィ――ハィ――それでは」

 

 通話が終わったようなフリを大声で言うと、オレは応接間にもどった。

 部屋では相変わらず母と娘がなにやら思案顔で話している。

 

「どうも失礼。いろいろ忙しくて」

「本当に申し訳ありません」

 

 で、先刻の件ですが……と母親は話題をもどし、

 

「美香子の派手さが無くならない限り、やはり復学のハードルは下がらないのではと」

 

 先ほどまでの会話。

 オレは急いで思いだしながらフゥムと腕組みをする。

 

「……お父上の印象も改善しないワケですな?」

「せめていまの風俗嬢みたいな顔でなくなればイイわよね?おかぁさん」

「それは……そうですけれど」

 

 白衣の男たちの言葉を思い出しつつ、オレは、

 

「かといって、またあの顔にメスを入れるとなると、いったん完成をしたものを、また壊すわけですからな。美香子クンの顔がクズれて、グシャグシャな印象にもなりかねません」

「そんな!」 

「……まぁ」

 

 母親が、またも涙ぐむ気配。

 

「ただ、あのカツラやメイクを抑えめにすれば、そう不自然なものじゃなくなるはずですよ?」

「でもあの口唇(くちびる)は――手術されたものなんでしょ?」

「目もとの化粧だって、皮膚を強力に染められて抜けないとか言うじゃありませんか」

「お乳だって……あんなに不自然に大きくされちゃって……」

「分かりました――分かりました」

 

 女たちの波状攻撃な心配をさばきつつ、オレは話をクロージングに持ってゆく。

 

「とりあえず手術元に何とかできないか、聞いてきます」

 

 母娘の緊張した顔が、ホッとゆるむ。

 その様にオレは後ろめたさを感じながら、鷺の内邸を後にした。

 グッタリ疲れて腕時計を見れば、時間は15時を回っている。

 

 ――あの娘を家に送るだけのハズが、とんだ災難だぜ……。

 

 寮に戻ると、オレの部屋の前で『美月』が旅行トランクをかたわらに、しゃがみ込んで爆睡していた。今夜の営業を意識して寝だめしているんだろうか。そういや朝も朝食を食べたあと、昼までウトウトしてたっけ。

 

 揺り動かして起こすと、彼女は眠そうに抱きついてきた。

 女の子の匂いが、濃く鼻先にただよう。

 

「店には?何時に出勤するんだ」

「うふん……9時ぃぃ……ぃ」

 

 部屋の扉を開けるや、彼女はオレをふりほどくと、ピン・ヒールを危なげに脱ぎ棄て、寝室へフラフラ向かってゆく。

 ボスッ、と布団が鳴る音と、スプリングの軋む気配。

 あとからソッと部屋をのぞいてみると、ベッドにうつ伏せで倒れこんだまま、黒いレースのショーツに包まれた尻をマイクロ・ミニから丸出しに、早くも規則正しい寝息をたてている。

 

 ――さぁて、と。

 

 軽い上掛けを『美月』の上にかけてやると、オレは台所に行って冷蔵庫から缶ビールを引き抜き、もの憂げにリビングでタブを鳴らす。

 

 ――あの小男と、どう交渉するか……。

 

 やわらかな午後の日差しを受けながら、あれこれとメールの文面を考える。

 

 

 

 

 




次回。

第21話:「夜の訪問者」に――続く。


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第21話:夜の訪問者【自粛Ver】

「……よく寝てたなぁ」

「さいきん、疲れちゃうのよねぇ……」

 

 美香子はオレが貸し与えたトレンチ・コートの前を掻き合わせ、まだどこか眠そうな口ぶりで、

 

「お仕事ってぇ、やっぱタイヘン」

 

 宵の口を過ぎた頃合いだった。

 オレと美香子は、タクシーの車内から流れゆく街の灯を眺めている。

 

 “紅いウサギ”の小男には、メールでアポをとって訪問を了承されていた。

 そしておなじ文面で、

 

 ・『美月』をとりまく(高校での孤立や家族との軋轢もふくんだ)現在の厳しい状況のこと。

 ・彼女の店での勤務はアルバイト程度にとどめ、普通の高校生活を送らせたいこと。

 ・上記の理由によって見かけを“夜の女”から“ふつうの少女”にもどしたいこと。

 

 ――などを送っておいた。

 もちろん“懸案の事項”は()()()()()()()()()()()ということも。

 

「そりゃ、そうさ。働くってのァ、それだけ大変なンだ」

「でもお医者さんがぁ……」

「んぅ?」

「おしごとぉ、はぢめるまぇにぃ、えーよーホジョのてんてき打ってくれるからぁ」

「――点滴……点滴だって?」

「そのおクスリもらうとぉ――ひとばんガンバれるのぉ」

 

 医者って言うのは?とおれは聞く。

 

「先週いた、あの若い二人組のヤツか」

「うんそぉ。ヘッケさんとぉ……ヂャッケさん……かなぁ?」

 

 イヤな予感がした。

 

 やはり同伴出勤めいたことをやっておいて良かった。

 小男が約束をたがえるとは思えないが、オペレーターが裏切っていた件もある。

 部下の隅々まで目が届いていないのかもしれない。これは一応、念をおしておかねばなるまい。

 

 今日のオレは、ごく普通のスリーピースなスーツ姿だ。

 当然だ。飲みに来たのではない。交渉に来たのだから。

 

 対する彼女の方は、昼間の挑発的な格好ではなかった。

 それでも下に履くリーバイスの上は“童貞を殺す”ニット姿。

 豊胸されたノーブラに、ニットの縦じまはなかなか凶悪に見える。

 乳首のポッチリが浮き出るソレを、どうしてもこれを着てゆくと言って聞かないので、仕方なくオレが春物のコートを羽織らせたのだ。まったく。

 

「そのほかには?カラダの調子で、おかしいトコはないのか」

「ご主人様がカマってくれないからぁ……」

 

 美香子はオレにしなだれかかり、

 

「メス奴隷『マゾ美』は夜ムラムラしてオナニーしちゃいますぅ……」

 

 そう言って、彼女はオレの手をつかみ、自分のジーパンの股間にあてがう。

 そのままスリスリ。フロアで覚えたのか、一丁前に甘い吐息。

 

 ――ヤッパリおかしい。

 

 眠たいにしても、このしゃべり方はヘンだ。

 前は、もっとハキハキしゃべっていたはずだが。

 

「――お店は……面白いか」

「みんなが優しくしてくれるしぃ……」

「うん」

「チップもぉ……いっぱいくれるよぉ?」

「店の“オモテ側”に出てるんだろ?」

「ぅんそぉ。“ウラ”はマスターがダメだって」

「マスター?」

「オモテの支配人」

 

 ――仁義切っとくイミで、心づけでも遣っておくか……。

 

 ふと、オレは脇を走るトラックにふと目をやった。

 オレは思わず(エッ!)と身をのりだす。

 見覚えのある轢殺トラック。

 

 ――『連チャン1号』……重サン!?

 

 早速Tel。

 

≪ンだよぉ!マイケルかィ?≫

 

 驚いたような声が伝わってきた

 

≪今日有給だってェじゃないの。優雅だなァ≫

「重さんこそナニよ――仕事中?」

≪これから逃げた目標を追ってT県に行ってくる。張り込みバレちゃってサぁ≫

「ひぇぇぇ、お疲れちゃんwww」

≪マイケルこそ、どうしたの。こんな時間に≫

「いま重さんの隣にいるタクシーん中だよ」

 

 運転席の人影が動く気配。

 そしてトラックに幾台もついているマイクロ・カメラからの視線を感じる。

 

≪なんだよォ、ホントに優雅だな。オンナ連れかよぉぉぉぉ≫

「タマにはイイじゃんか。でもこれからオレも、仕事がらみで相手と交渉なんだぜ?」

≪有給中に?サッすが。デキる男はちがうねェ……≫

「よく言うよ。毛ほども思って無いくせに」

≪ハハッ――んじゃネ≫

 

 重さんのトラックは軽くホーンを鳴らして加速してゆく。

 

「……おともだちぃ?」

「まぁね。気の置けない先輩さ」

 

 重量級の轢殺トラックが遠ざかってゆく。

 ふと、その後ろ姿に、なにか不吉なものを感じるような気がした。

 どこかがオカしい。言ってみれば、何かに取りつかれているような……。

 

 ――チッ!

 

 オレは嫌な印象を振り祓うように首をふる。

 

「ご主人さまぁ……」

 

 美香子が猫のように身体を柔らかくスリ寄せてきた。

 と、ここでメールの着信――所長からだ。

 

 オレは携帯の画面を美香子に見られないよう、すこし身体を話して文面を開く。

 短い一行があった。

 

 【苦しんでいるところを!そしてもう二度とヤツが下劣な行為をしない証拠を!】

 

 

 

             *   *   *

 

 

 ほどなくして。

 

 オレたちは堂々と“紅いウサギ”の正面ゲート前に乗りつける。

 耳にデバイスを装着し、鉄柵を守っていた二人組のうちのひとりがタクシーの中を覗き込んで、

 

「なァんだ、『美月』かァ」

 

 それでもこの若い黒服は、開いたドアから彼女が差し伸べた手をうやうやしく取って。

 事業所のタクシー・チケットで料金を払ったオレは、彼女に続いて車を降りる。

 するとオレを見た黒服の態度が一変、慇懃としたものにかわって、

 

「――いらっしゃいませ。御芳名を、頂戴できますでしょうか……アッ、はい……」

 

 例の監視センターから「余計なことをするな」と指令が飛んだのだろう。

 オレはコートを羽織った『美月』に腕をからみつかされたまま、フリーパスで前栽の道に入ってゆく。

 

(ちぇっ、ダレだよアレ?……ミッキーのパトロン?)

(お館サマの客だそうだ。小僧、五体満足でいたけりゃ――詮索はナシだ)

 

 背後で、そんな声がヒソヒソと。

 

 別の案内役に引き継がれたオレたちは、そのまま店の奥へと進んだ。

 とちゅうで「S」の控室に行って自分のバニー・コートに着がえると言う『美月』を押しとどめ、ふたり連れ立って案内人のあとにつづく。

 

「キミは――この店は長いのかね」

 

 オレは廊下を進みながら、この一見若そうな燕尾服の背中に話しかけた。

 

「は、ソコソコかと」

「この不景気で客層なんかもずいぶん変わったろう――おとくいサンも、ずいぶん入れ替わったんじゃないかね?」

「ご推察のとおりでございます」

「“ウラ”のほうも、売り上げ予算がきびしくなってるんじゃないのかい」

「えぇ。しかし皆様には御贔屓にして頂いてるので」

 

 ――ふん。

 

 オレは情報を仕入れることは諦めた。

 あたり障りのない返事。なるほど、よく仕込まれている。

 

 やがて“小さな応接室”といった個室に通されたオレたちは「こちらでお待ちください」と案内人が扉の向こうに消えるのを待ってから、豪華な革張りのソファーに腰を下ろした。

 

「ココはどういう部屋だい?ソファーは革だし、調度も品が良い」

「ワかんなぁい。たぶん“ウラ”の客室ぢゃないかなぁ……」

 

 おそらく、この部屋にも監視カメラがあるのだろう。

 先週の金曜日の気配がよみがえってくる。余計な行為はつつしむべきだ。

 今回は薄氷をふむような事態にならなきゃイイんだが。もうあんな思いはゴメンだ。

 

 どれくらい待っただろうか。

 

 ガチャリ、と勢いよく開く扉。

 そのあとから常のように一部のスキもなくスーツを着こなした小男が颯爽と入ってきた。

 やや遅れて若いメイドが二人ばかり、テーブル・セット用のワゴンとともに。“馴致”で補助役を務めるセクシャルなフレンチ・メイドではなく、19世紀に見られた品のあるお屋敷風メイドだ。

 

「いよう、お待たせしましたな!イロイロな意味で!」

「お忙しいところ、ご無理を聞いていただきまして……」

 

 オレはソファーから立ち上がるとキッチリする。

 

「またまたァ!」

 

 小男は渋面を浮かべると奇怪な顔の前でブンブンと手をふり、

 

「水臭い。ワタシと貴殿の仲じゃぁないですか!」

 

 小男は指を鳴らした。

 後ろに控えていたメイドたちが合図に応じて小卓に酒肴をならべはじめる。

 

「おや、珍しい娘がいるね。今日はフロアはお休みかね?」

 

 思わせぶりな小男のイタズラっぽい言葉に『美月』はモジモジしながら、

 

「だってェ……ご主人サマがぁ、いっしょに来いってぇ、いうんです……」

 

 小男の顔が、ふと曇った。

 そしてオレの方に向き直り、

 

「このSは――いえ『美月』は、いつもこんな口調でしたかな?」

 

 そこなのです、とオレは重々しくうなずいてみせ、

 

「この店ではバニー・ガールに勤務前、医師が栄養補給を目的とした点滴を行いますか?」

 

 サッと小男の顔が変わった。

 

「ヘッケルとジャッケルを呼べ!」

 

 ややあって、見覚えのある白衣の若者二人づれが、青白い顔をしてやってきた。

 視線をコソコソと、お互いあらぬほうにさまよわせて。

 

 小男の怒鳴り声が、狭い客室に爆発した。

 

「貴様ら――まさか思考減退剤を!この子に投与してるんじゃあるまいな!?」

「……」

「……」

「どうなんだッ!」

 

 そのう……と、とうとうヘッケルだかジャッケルだか、片方が、

 

「大林製薬の『アホニナール・点滴静注液』を毎日1パックほど……」

「毎日1パック!?」

 

 血管大丈夫かよと言うぐらい、小男のこめかみに筋が浮く。

 

「何日だ!?」

「3~4日ほど……」

 

 貴様ら!と小男は、さらに顔を醜悪にゆがめ、

 

「分かっとるのか!?この娘に化学的なロボトミー手術をしてるんだぞ!ワタシは断じて!思考能力のない、主人の言うことしか聞かないセックス・ドールに、この娘をするつもりはないッ!――ワタシは!」

 

 そこでゼーハーと小男は息を切らしてオレを指し示し、少しばかり呼吸を落ち着かせてから、

 

()()()()()お約束したのだ!この「S」をまっとうに取り扱うと!ゆくゆくは表の看板にすらなって欲しいという願望すら抱いているのだ!その人材になんちゅうコトをするのだ貴様らはッ!」

 

 ふと見れば、20代前半と見えるメイド姿の女性たちが顔をうつむかせ、部屋の隅でブルブルと震えている。

 

 疲れたのか、ドッカと小男は座り込んだ。

 そして放心した風に、

 

「……“思考減退剤”を使った理由をきこうか」

 

 白衣の片方が一歩前に進み出て、いかにも確信犯の口調で、

 

「“オモテ”で勤務する「S」に“ウラ”の秘密を見られたからです」

「というと」

「“オモテ”の勤務中、この店のことをしゃべられてはかないませんから」

「そんなコトはワタシが判断する!!お前たちは言われた作業、言われた処置、言われた手術をすればいいのだ!ココはワタシの店だ!」

 

 小さな部屋で鼓膜が痛くなるほどの怒鳴り声。

 

 なるほど、このオヤジの精力たるや、なみなみならぬモノがある。

 こういうガツガツした男が成功してゆくのだろう。

 オレみたいに妻をNTRされて轢殺屋になるようじゃダメだということサ。

 

 チェスターフィールド風な革張りソファーに座り込んだ小男を立ったままの全員が見おろすという奇妙な構図に小男自身が気づいたのか、オレに向かって小男が対面を指し示し、

 

「これはしたり……マイケルさん――座って下され。そしてオマエたち……」

 

 一転、口調をやさしくして、わきに控えるメイドたちに、

 

「メチャクチャにされた哀れなジジィの酒席を、立て直しておくれ……」

 

 よく躾けられたスタッフなのだろう。

 先ほどの畏れがウソのように、洗練された手つきでコニャック・ソーダを作り始める。

 

「ヘッケル!ジャッケル!ワタシは見せたいものは“オモテ”であろうと“ウラ”であろうとすべて見せるのだ。梨花(リーホヮ)を連れてこいッ!」

 

 手早くカナッペやつまみが作られ、いろどり豊かに並べられた。

 ブランデーの華やかな香りが辺りを充たす。

 

「さ、さ。今夜こそは付き合って下さるんでしょうな?」

 

 小男は喜悦を浮かべてオレにグラスを進めた。

 

「先週と同じように、ナニやら込み入った“おハナシ”もあるようですし」

 

 オレはわずかに頷くと、メイドが捧げる盆の上からグラスをとった。

 

「ひとつは、この娘に関して。もう一つは――例の件です」

 

 例の件、と言ったとき、小男の顔がわずかに固くなったのをオレは見逃さなかった。

 やはり調教した“あのガキ”を店内で飼うつもりか。あるいはどこかに買い手がついたのか。

 いずれにせよ、やはり一筋縄ではいかない感触があった。やはりこの店とは、あまり関わりたくない。

 

 やがて、客間にノックの音がした。

 

 小男の(いら)えに応じて入ってきたのは、イブニング・ドレスをまとう小枝子だった。

 

 アラ♪と目だけでオレの方を向いて驚いたあと、彼女は小男の合図によって手にした鎖を引っ張る。

 すると室内にフレンチ・メイド風な()()()()衣装をまとった人物が、黒革の拘束具で背中がわに腕をまとめられた格好のまま入ってきた。

 

 一瞬――オレは目をうたがう。

 

 これは果たして“生きた女性”だろうか。

 ひょっとして、よくできた“自動人形(オート・マタ)”ではないだろうか。

 

 まずは、その顔つきだった。

 

 見開かれたような大きい目。

 驚くほど長いまつ毛。

 どぎつい化粧。

 

 まるで等身大なバービー人形かと思われるほどに。

 

 なにより唇は輪郭がないほど肥大化され、パッと見テカりのある「赤いドーナツ」が口元に接着されているとしか見えない。O型で開きっぱなしに改造された口もとは……【以下自粛】

 

 『美月』が、この人物を凝視していた。

 

 無理もない。彼女のアタマは自分と同じように剃り上げられ、なにかの処置をされているのかビニールのような光沢のある質感となっている。そしてそこにはもちろん、カツラを留めるための強力な磁石が規則正しく並んでいた。

 

 ややあって彼女は、きわどいメイド服を着せられた人物にオズオズと近づき、その胸をガン見する。

 

 “女性本来の形”を無視して、まるでビーチ・ボールを2個。ヤケクソにくっつけたようにも見える巨大な乳房。それが胸もとの大きくあいたメイド服の前ボタンを弾き飛ばさん勢いで前方に突き出ている。

 さらに、メイド服の胸の先端にはスリットがあり、そこから肥大化した……【以下自粛】

 

 その反面、下に目をやれば、胴は革製のウェスト・ニッパーによって驚くほど絞り上げられ、一番細い部分は両手で丸をつくって囲めるのではないかと思われるほどだった。

 結果、この“人形”の体形は、短いスカートに隠れた尻も合わせると砂時計を想わせるほどに。

 

「如何です?よくできてるでしょうが……小枝子、下をご覧にいれろ」

 

 イヴニング・ドレスの帯から、彼女は上品な手つきで乗馬用のムチを抜き出すと、この人形じみた女がまとう、エプロン付きメイド・ドレス服の短いスカートを、まるで汚いものでも扱うようにムチの先端でもち上げた。

 

 胸と同様、あきらかにシリコンでムリヤリ膨らまされた感がある巨尻。

 そしてそこには怪しからぬことに道具付きの貞操帯が……【以下自粛】

 

 

 肉感的な太ももからつづくスンナリとした脚は、ガーター付きの光沢ストッキングに包まれて。

 そしてつま先立ちの状態で足先を固定する、拘束錠のついた黒いショート・ブーツ。

 

 小枝子が、哀れな女の……【以下自粛】

 

 ブブッ!……ヴヴヴ・ブゥ~~ン……ン……ブブブブブ。

 

 強弱と不定期なリズムをともなって、ふたつの筒が振動をはじめた。

 しかし、女の表情は変わらない。

 相変わらず驚いたように見開いた眼と、ポッカリ空いた口もとは、そのままで。

 

「ヘッケル――マイケルさんに説明」

 

 白衣の片方が一つ咳払いして、

 

「この女は、ごらんのとおり“人形化”手術済みの個体です。『美月』に投与した薬剤ではなく、物理的に脳をオペ(手術)して“思考減退処置”をほどこしております。化粧は、これも『美月』クンに施した「タンパク質を染める」手法ではなく、ありていにいえば入れ墨で着色してあります。唇。乳房、臀部はすべてシリコンの注入によって整形されました。ぜんぶ「不可逆」的な処置です」

 

 オレは不可逆という言葉に念をおす意味で、

 

「じゃぁ――『美月』とは方法が違うんだね」

 

 この()の場合は、と白衣が『美月』を引き寄せながら、

 

「すべて女性ホルモンと薬剤、および自己組織の移植で形成しています。もちろん乳房の場合、エストロゲン(女性ホルモン)だけですと乳ガンの発生率が高まりますので、ぬかりなくプロゲステロンを同時注入しました」

 

 白衣のもう一方が、バービーと『美月』を並んで立たせた。

 

「片方は強制的に抜歯済み。ほおの内側にもシリコンの玉を多数埋設し、男性器に……【以下自粛】」

 

 『美月』の顔が、だんだん青ざめてゆくのが分かった。

 

 つまりは、目の前の若い女性が“自分のなれの果て”であること。

 それが思考力を引き下げられた現在でも、彼女には充分理解できたんだろうと思う。

 

 ヌメッとした無機質な印象の肌。

 口を丸くポッカリあいた痴呆顔。

 淫らな改変を受けた人形めく(カラダ)

 

 悪魔のような白衣の説明はつづく。

 

「この女は、神経ブロックにより表情筋を殺してあります。また許可がない限り発言もできません。そのうえ自身で“達する”ことを禁じております。ただし性的な感度はマシマシにしてありますので、いってみれば人形の形をした『快楽の檻』に、永久に閉じ込められた形でしょうか」

 

 粘液に充たされたような数拍があった。

 

 小枝子だけが微笑をうかべ、ムチの先端でソヨソヨと人形を嬲っている。

 もちろん“バービー”の表情は変わらない。相変わらず目を見開いた顔で。

 だが淫欲のトロ火に炙られ切ないのか、ドーナツの呼吸がわずかに荒くなる。

 

 下半身に関しては、言わずもがなです――と説明は続いた。

 

「……【以下自粛】」

 

 どうですか?『美月』さん、と白衣のもう一方、ジャッケルが、

 

「アナタも、そんな中途半端な手術(オペ)じゃなく、この子みたいに徹底的に改造されて、美しいお人形になり“ウラ”で働いてみては……?」

 

 ヘッケルが後をひきとり、彼女の方に体を乗り出して、

 

「アタマの中はキモチいいコトだけでイッパイになるんですよ?――もう学校のテストや家族のことなど考えなくて良いんですよ?――いろんなお客様に体を差し出して身を任せていればイイんです――もちろん性技をふくむ“お客様の喜ばせ方”は洗脳レベルでアタマの芯まで徹底的に叩きこまれますけどね……」

 

 お人形に、なっておしまいなさい――『美月』サン

 

 最後は医者二人の声が、ハモって。

 

 『美月』の顔が赤くなったり白くなったりした。

 小男は、そんな彼女とオレとを等分に眺め、コニャック・ソーダを含みながら楽しそうに。

 

 人形がパクパクと肥大化した口唇を物欲しげに動かした。

 ピシリ!

 小枝子のムチが、巨尻に飛ぶ。

 貞操帯が食いこむ自動人形(オート・マタ)の……【以下自粛】

 

「やだ♪この子ったら」

 

 小枝子がニンマリと女悪魔のような微笑をうかべ、

 

「もう“イキそう”になってるのネ……でもダメ」

 

 そういうや、いかにも左右均等に整形された顔を自分の方に向かせ、赤いドーナツ状なくちびるの中に自分の舌をネットリと差し入れた。

 

 ついに『美月』の緊張が切れたのか。

 フラフラと彼女はソファーに崩れ込んでしまう。

 オレはあやういところで、彼女の身体を受け止めた。

 

 小枝子の――そして小男のうす笑い。

 

 ――なんだ……?

 

 オレの中で、警報が鳴っていた。

 何かがおかしい。どこかに違和感がある。

 客間の空気に、なにかの“暗黙な了解”な気配が漂っているような。

 二人のメイドは、面を伏せたまま、そんな部屋のすみで気配を消したまま。

 

 すると、オレの怪訝そうな顔を看たのか、小男が軽くうなずいた。

 

 ――そうか!畜生ッ!

 

 やられた。いっぱい食わされた。

 これはオレのメールに応じた寸劇だ。

 しかし、そうと分かればハナシは早かった。

 オレは抱きとめた『美月』の肢体をゆるやかに擦りつつ、

 

「さぁ――『美月』クン。どうする?」

 

 相変わらず人形の方を(ほう)けたように凝ッと見つめる彼女に囁いた。

 

「お医者さんたちの言う通り、アタマをパーにされて、カラダにシリコンいっぱい詰められてみる?」

「……」

()()のコトしか考えられない本物の『マゾ美』になっちゃう?」

「……」

「お母さんや詩愛の思い出もおクスリで消されちゃって、女の子の〇〇〇を変態的な手術で改造されて、もちろん〇〇〇の穴も大きくされちゃうんだよ……」

 

 いやだ……と小さな声が呟いた。

 

「一生落とせないエロいお化粧されちゃって。おまけにこんなエッチな身体にされちゃったら、もう絶対お外を歩けないねぇ……」

 

 いやだ……と、また小さな声。

 

「イヤらしい命令をされても絶対に(こば)めない、お客様の変態的な注文を何でも聞く、キレイな“お人形さん”になっちゃおうか?」

 

 いやだ……いやだ……いやだァァァぁ。

 

 とうとう『美月』は泣きだしてしまった。

 

 オレはそんな彼女の背中をなでつつ、

 

「ね?ココは怖ぁい世界なんだよ?一歩間違えれば、おクスリいっぱい注射(いれ)られて。こんなお人形さんにされちゃって。そうなったら、もう取返しがつかないんだよ?」

 

 震えながら泣く『美月』を横目に小枝子は、

 

「新しいカツラは、地味なものを用意できると思います。皮膚浸透式のメイクも、リムーバーがありますので少しずつ薄くなるでしょう。思考減退剤は、時間とともに体外に排出されるはずですわ。ただその口唇(くちびる)は……かなり時間が経ちませんと」

「小枝子――化粧の処置をしてやりなさい」

 

 小男が、コニャック・ソーダを含みつつ命令した。

 

「それと、その人形も一緒に連れて行きなさい――商談の邪魔だ」

 

 人形の首もとから延びる鎖が小枝子に引かれ、寂しく鳴った。

 

「この子は、いったいどういう立場の娘なんです?」

 

 オレは小男に質問する。

 

「本人の了承を得ているんですが?」

「了承ですと?――いいえ?」

 

 小男は一瞬、不思議そうな顔をしたが、すぐに合点がいったように、

 

「あぁ、なるほどワタシとしたことが――小枝子!こいつのオリジナル・ウィッグだ!」

 

 命令された彼女はどこから取り出したか、カツラを手にすると、カチカチと磁石の音を立て、彼女のアタマに装着した。

 

 栗色をした、どこか見覚えのあるポニーテール。

 最終的に小男の薄笑いが、記憶のギアをいれた。

 

 ――あの時の!

 

 敵と内通していた女性オペレーター!

 清楚で可憐な感じだった面影はどこにも見当たらない。

 いまや性に貪欲な、『美月』などくらべものにならないほど“生きたダッチワイフ”処理されてしまった容姿。

 それこそ“Bimbo girl”などが淑女に見えるくらいの、徹底的な改変手術ぶりだった。

 

「ワタシは――裏切ったものには、キビしく罰するタチでしてな」

 

 小男はヘッケルとジャッケルの方をギロリとニラみ、

 

「二人とも。この件は貸しにしておくぞ?」

 

 白衣の若い二人組みが、仏頂面でうなだれる。

 すべての者が、それぞれの面持ちで小さな応接室を出ていったあと、

 

「さて――」

 

 小男はテーブルの向こうから奇怪な顔でじっと見つめてきた。

 

「ビジネスの話を――しましょうか……?」

 

 

 



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第22話:肛門と拷問(A面)【自粛版】

 

 余計な人間が去ったあとの客間は、奇妙な緊張に包まれた。

 

 お互いに相手を凝視したまま、手持ちのカードをいつ切り出そうか、考える風。

 

「どうです?このコニャックは」

「悪くありませんね。ジャン・フィユーは良心的な銘柄だ」

「同感ですな。ときに――」

 

 ここで小男は、いったん言葉を切ってから、

 

「贈りものは、届きましたかな」

「えぇ……きわめて奇妙な代物が」

 

 もう思い出したくもない映像。

 

 「孕めっ!」

 「ニクン!」

 「ホルヨー」

 

 ……などと罵られながら、肛〇をズボズボと〇される目標。

 

 しかし今回の目的の一つが、この件だ。

 避けて通るわけには、いかなかった。

 

 そういえば、とオレはいきなり不味くなった酒をひとくち。

 

「ほかの襲撃者たちは――どうなりました?」

 

 小男の顔に一瞬だけ、冥い笑みがよぎった。

 

「それについては「言わぬが華」でして、な」

 

 小男はコニャック・ソーダを飲み干すと、今度はテイスティング用の小さなグラスを二脚取り出し、それぞれに生のブランデーを注ぐ。

 メイドたちが用意していったチョコレート菓子に手をつけて、

 

「いかがです?おひとつ。それとも甘いモノは不可ませんか?」

「ブランデーとなら、嬉しいですね」

「そうでしょう」

 

 我が意を得たりと言わんばかりに小男は相好を崩す。 

 

 それは奇妙な光景だった。

 

 いずれも腹に目論見を抱えたふたりの男が、いっけん平穏そうに酒を傾けているんだ。

 いつ、相手が切り出してくるか。それに対してどう対応するか。

 細い鋼線のような緊張が、豪華な応接間めいた客室に張りめぐらされてゆく。

 

「さて、どうしたものですか」

 

 小男がとうとう観念したかのようにタメ息をついた。

 困りましたな、とオレもそれに応じる。

 

「正直なところ――」

 

 相手は口中にひろがる火酒(ブランデー)の香りを味わいつつ、

 

「マイケルさん。あなたはどうしてもあの小僧の命が欲しいのですか?」

 

 ――来たな……。

 

 オレは困惑の表情を、ブランデーの香りを楽しむフリで、グラスの陰にかくした。

 とりあえず、予備的な調査でオレは一歩はずして“威力捜索”をする。

 

「あのディスクですが……アレはあなたの趣味ですか?」

「滅相もない!」

 

 小男はあわてて否定した。

 

「例の兄ィたちの趣味ですよ。ずいぶんと気に入ってしまったようで……」

「……イケませんな」

 

 グラスを小卓に置くと、オレはソファーにゆっくり寄りかかって、非難するように相手の顔を()ッと見つめる。

 

 しかし――内心ではホッとしていた。

 

 小男自体が“あのガキ”にご執心だと、今後の展開がチッとばかり難しくなる。

 相手は奇怪な顔を哀しそうにくもらせて、

 

「どうしても“始末”したいとおっしゃる?」

「それが当初の約束でしたね?」

 

 オレは尊大になって相手の怒りを呼ばないよう、ソファーから身を乗り出すと、

 

「ヤツが何をしたか。知らないはずはありますまい」

「…えぇ」

「少年法の陰に隠れて女性をおのれの欲望のまま暴行して」

「……」

「中には絶望して自殺した()もいるんですよ?」

 

 小男の沈黙。

 おれはそれに畳みかけるように、

 

「復讐を!彼女たちが叫びます。

      ――コレ以上、無辜の涙をながす娘たちが出ないように!」

 復讐を!親御さんが叫びます。

      ――コレ以上、悲憤に身を焦がす親たちが出ないように!」 

 

 一介の兄キたちの趣味では――もはや収まらないのです!とオレはやや声を大きくする。

 

「いや――ごもっとも――ごもっとも……」

 

 小男は、ブツブツとうつ向いて呟いた。

 やがてなにを考え付いたか、その瞳にフイと輝きを取りもどし、

 

「では――では、あの小僧が!」

「ふむ」

「もう二度と女性を襲わない、襲えないとしたら……どうです」

「……ご説明を」

 

 小男は卓上のボタンを押した。

 ややあって、どこからかスピーカーが女性の声で、

 

≪コンシェルジュ・デスクです≫

「ワタシだ。『サムソンの間』の“馴致”記録を、持ってきてくれ」

≪かしこまりました≫

「いったいヤツは今どういう状態にいるんです?」

「完全に、我々の監視下にありますよ」

 

 まったく、とオレはふたたびソファーに背をつけ、

 

「ヤツの玉をケリ飛ばして、(ワメ)かせたいくらいですよ」

 

 すると小男は何を思ったのか、小気味よさそうに笑った。

 

「どうしたんです?」

「いや、ナニね。残念ですが……それはもう不可能ですな」

「と、おっしゃいますと?」

 

 目の前の相手は小さなバスケットからクルミをつまみあげた。

 そしてオレの方を見ながら思わせぶりに器具をつかい――パキッ!

 

  

            *  *  *

 

 届けられた数個のメモリーカードに入った映像は、オレ的に言えば、

 

 ――またヘンなもの見ちゃった……。

 

 この一言に尽きるだろうか。

 まったくこの店に関わると、イヤな記憶が順調に増えてゆく。

 同時にあの“人形”がどうやって作られるか、その一端が興味深くうかがえた。

 

 ・泣きわめきながら頭を剃られる轢殺目標(ターゲット)

 ・全身脱毛。および頭皮には何かの薬液処理。

 ・手術室にて、ネオジム磁石をサイコロの目のように埋め込み。

 

 ――そして……。

 

 ネグリジェを着せられ、暴れるところを寄ってたかって顔に「黒塗り処理」の入った兄貴たちに押さえつけられ、大の字なりにされたところで一人がピタピタと、これ見よがしに手のひらへ打ち付けるハンマー。

 

 股間に向けて振り上げられ……一閃。

 なにか柔らかいものがつぶれた音。

 泡をふき悶絶、失神する目標(ターゲット)

 すぐさま切除の処置がとられ、赤黒くなった残骸は股間から切り離される。

 

「コレを暴行された娘たちに見せてやりたいものですねぇ……」

 

 オレは映像を見ながら無表情に呟いた。

 

「あるいは、自殺で娘を亡くした親たちに……」

「マイケルさん。アナタも相当タフですなァ」

 

 小男は、そんなオレを見ながら別の感想を持ったらしい。

 

「ふつうの人間なら顔をそむけるトコロなのに……いや、そうか。あなたはヒットマンでしたな」

 

 場面と日が変わり、再度押さえつけられる轢殺目標。

 

 何をされるのか分かったのか必死になって暴れるが、あのガチムチの兄キたちが束になって抑え込んでいるのだ。到底かなうハズがない。

 

 こんどはつぶされても失神はせず、野獣めいた絶叫だけが響く。

 ふと“俺”は以前にも、こんな光景をどこかで見たような気がした。

 

 ――そう、あれは……。

 

 こんなキレイな手術室じゃぁない。

 

 糞尿と血の気配が充ちるサバンナの中の掘立小屋。

 

 男たちの恐怖と汗の臭い。

 手回し発電機から延びる端子。

 敵のスパイの尿〇と肛〇に突っ込まれ……。

 

 ふたたび響く絶叫と、その時の光景がシンクロする。

 

 耳もとでうるさいツェツェ蠅の羽音。

 ローデシア人が嬉しそうに回転させる発電機。

 裏切り者の絶叫と痙攣。黒人の白い足裏が苦悶にふるえて。

 酒場から斉唱される、ナチのSS軍歌を改変したフランス語の部隊歌。

 

 ♪俺たちはどうでもいいのさ

         賞賛されようが

              呪われようが

           

 俺はいつのまにか自然に口ずさんでいる。

 

 ♪部隊は前進あるのみ

     悪魔はそれを嗤うのみ

        ハ!ハ!ハッハッハッ!

 

 小男がこちらを見る異様な視線に気づくが、それこそ知ったこっちゃない。

 

 ブランデーをひと口含む。

 コイツはダメだ――()()()()()()()()

 もっと粗製の、蒸留したばかりのようなヤツでないと。

 見たことも無い、しかしどこか懐かしい連中の顔が次々と浮かんで……。 

 

 気が付けば、映像は終わっていた。

 

 どうでしょう、と小男は俺の方をみて、

 

「もうこれで、この少年も強姦は出来ません」

 

 あわてて我に返った俺は、ずっと見ていたフリをしつつ、

 

「下品な言い方で失礼ですが“タマ”は無くしても“棒”はあるんでしょ?」

「じつは……それも近々に」

 

 またしても。

 小男の奇怪な、ほの暗い笑み。

 

「一気に処置をしてしまうのでは、ツマらないですからな」

 

 そう言った後で、この人物にしては珍しく卑屈な調子で、

 

「もし――もしもですよ?この映像を進呈して、マイケルさん。アナタの依頼人が満足されるようなら……今回の件は……」

「いま、コイツはどこに?」

「それを知ってどうなさいます?」

「ひとつ、訊きたいことがあるんです……なに、時間はかかりません」

 

 小男の顔が、急に用心深いものになる。

 

「処分されるつもりですかな?」

 

 まさか!俺は苦笑しつつ否定する。

 そして相手の目を見て、視線に意味合いをこめて、

 

「わたしは約束を守る男ですよ」

 

 今度こそ、小男の顔が渋く歪んだ。

 やがてふんぎりがついたのか、卓上のボタンを押し、

 

「青鬼班のうち二名ばかり連れて来てくれ」

≪――青鬼のダレにしましょう≫

「だれでもいい、2名ばかり選んでくれ」

 

 乱暴に通話を切った小男は、

 

「お望みの人物は、“ウラ”の馴致エリアにおりますよ?でも一人では会わせられません。ワタシと護衛も同席します」

 

 ご随意に、と俺は冷たく言い放った。

 

「ただし――そこで聞いたことは、絶対の秘密に願います」

 

 護衛がやってきた。

 先週の兄キたちとおなじくガチムチな体系だが、見覚えのない顔だ。

 と――その顔が俺を見て、どういうわけか顔を赤らめる。

 そこはかとなくアヤうい雰囲気。

 

「たいへん申し訳ありませんが、ここから先は目隠しをさせて頂きますよ?本当に当店の秘部なものでして……」

 

 かまいません、と差し出されたアイマスクを俺はつけた。

 しかし、その実(いよいよヤバくなってきやがった)と思ったのも事実だ。

 

「無礼のおわびに、私の肩におつかまりください――ご案内します」

 

 それからどう歩いただろうか。

 

 階段こそなかったものの、曲がりくねった廊下やアップ・ダウンのある長いスロープをいくつも通り、方向感覚は全く分からなくなる。

 なんども人の気配とすれ違った。

 つねに誰かから見られている視線を感じる。

 

 いちど、香水の気配と行き交った。

 

 匂いの記憶は強力だ。

 すぐに頭の中に、銭高の助手である“サッチー”の姿が浮かぶ。

 どうやら、おとり捜査はまだ続いているらしい。よくやるよ。

 

 実に15分ほど歩いただろうか。

 同じところをグルグル回ってた感じでもなかった。

 目隠しを外した場所は、映画館の扉のようなものがいくつも並んでいる廊下だった。

 鍵が開けられ、重そうな扉が引かれると、いかにも防音が効いてそうな造りだ。

 

 中は先ほどまでいた居心地のいい応接間とは打って変わって、黒いビニールの内装。

 壁にはX型の赤い十字架や、くさり付きの拘束具。天井からはホイスト・クレーン。

 

 部屋の隅には、人が入るほどのカプセル状をしたあやしげな設備が口を開けている。

 その中にはさまざまな拘束具や張り型。いろいろな形の責め具。

 どうやら犠牲者を拘束し、責め苛みながら運搬する道具らしい。

 

 

 何のことはない。

 SM趣味の客を目当てにしたホテルの部屋そのものだ。

 いや、現代的な異端審問官の拷問部屋とも言うべきか。

 

 そのなかに、一人の“人形”にされた少女がいた。

 黒い内装に映える、ピンク色なフレンチメイド服をまとわされ。

 その姿が、テーブルから延びる金色のくさりに首輪でつながれている。

 

 プラチナ・ブロンドのショートカット。

 『梨花』と似たり寄ったりな、ドーナツ状のブ厚い口唇(くちびる)

 ただし、この少女はショッキング・ピンクに染められている。

 

 ビーチボール状にふくらまされた乳〇。

 くびれた腰と、張り出した尻まわりも同じ。

 濃いめの化粧は、やはり刺青タイプのものなのか。

 黒々としたアイラインと青いアイシャドウが印象的に。

 俺たちを見るや、はかなげな微笑をうかべ椅子から立ち上がると、

 

「……ひはっひゃいはへ(いらっしゃいませ)

 

 ドーナツ状の口がしゃべりづらいのだろう。

 それでも媚びを含んだカワイイ声で、精一杯あいさつする風。

 

 完全な“人形”に手術されてしまったオペレーター嬢より感情が見られる。

 仕草も人間味があって違和感がないぶん、見ようによっては返ってこちらのほうが異様だ。

 全体的にチョッとコケティッシュな、バービー人形処置された少女が、こちらを見つめている風にも感じられる。

 

 小男は、俺のほうを向くと、重々しくうなずいて、

 

「さぁ――どうぞ」

「え……」

 

 一瞬、何を言われているのか分からない。

 奇妙な空白。

 

「で、ヤツはどこに?」

「……目の前に居るぢゃありませんか」

 

 



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      〃    (B面)

 ――コイツが!?

 

 どこからどう見ても、先ほどの“人形”化された少女と似たり寄ったり。

 とても少年だったとは思えない。

 

「いや、しかし声が……」

「声帯を手術しました」

「顔つきが……」

「もともと女顔でしたからな。チョッと改変するだけでしたぞ?」

 

 『マゾ犬』――立て、と小男が命令する。

 するとしおしおと、恥ずかしそうに前の方を押さえながら少女は立ち上がった。

 

「どうした。手をどけろ」

ほんはぁ(そんなぁ)――」

 

 “彼女”はちょっと反抗する。

 だが、すぐにあきらめたように手枷のはまる腕を後ろに回す。

 

 すると……なぁぁんというコトでしょう!(例のBGM)

 

 スカートが可愛くピョコンと持ち上がってしまうではありませんか。

 小男が、サテンのミニエプロンをつけたピンクのミニスカートを持ち上げます。

 すると――ボッキしたオ〇ンポの根元を、ハーネースが締め上げる、シャレた、仕掛け。

 

 萎えることをゆるさない……匠の……ワザ。

 

「コイツには回春館製薬の『ハンダチナオリーヌ・A錠』も投与しています。もともとバイアグラのようにジジィ向けのクスリなので、若い()に与えると効果テキメンですて……バカな中学生が飲んで、24時間ボッキが直らず病院に駆け込んだのは、有名ですな」

 

 ふと、傍らの護衛を見ると、人形を前にしてズボンをパンパンに突っ張らせていた。

 そしてもう一人の護衛のほうは、あろうことか俺の顔を見て同じように。

 

 ――おいおいカンベンしてくれ。

 

 どうしても信じられなかったが、小男が部屋にある映像機器に、さきほど使わなかったメモリー・カードを再生することで俺のうたがいは氷解した。

 

 ・刺青のガンを使った顔面へのパーマネント・メイク。

 ・黒々としたアイライン。濃いめのアイシャドウ。

 ・口唇(くちびる)へのシリコン注入・色素沈着。

 ・声帯の手術と、喉ボトケの切除

 ・局部麻酔のまま、数日かけてビーチボールに肥大化される胸。

 

 術衣を着せられ鼻から、口から挿管されて昏睡している轢殺目標。

 画面の中で、メスや刺青のガンが唸り、悪夢の処置が進行してゆく。

 みるみる女性らしく変化してゆく少年の顔面。

 早回しの映像の最後で、とうとう目の前の少女と同じ顔になる。

 最後のシーンは手術の結果を全裸で見せられ、ふくらんだ胸と口唇に絶望する姿。

 

 そういえば……と俺は相手のミニスカートの尻まわりを診て、

 先ほどの『梨花』とは、腰つきが断然に貧弱だった。

 

「……ふぅぬ」

 

 オレは讃嘆を込めて小男を見た。

 それが相手にも伝わったのか。奇怪な顔は、ちょっと嬉しそうに。

 

「お分かりの通り、まだ歯は抜いていませんからな?表情筋の神経ブロックもしてません。質問には、お答え出来るとおもいますよ」

「ナルホド……分かりました」

 

 それでは――と。

 

 俺は相手を椅子に座らせ、じぶんは(テーブル)越しにその正面についた。

 ほかの三人は、それを離れて見守る姿勢。

 

 ポケットから携帯を取り出そうとしたとき、背後で素早い動きの気配。

 振りむけば、護衛が拳銃を突き付けている。

 フッと嗤いをもらし、

 

「……いまどきリボルバー(回転式)?ガキだってトカレフ使ってるのに」

 

 そういって、ゆっくりとした動きでポケットから携帯をだす。

 護衛の緊張がほぐれてゆく気配が、ありありと感じられた。

 

「さて、本題だ」

 

 俺はベッタリとしたアイシャドウに彩られる相手の顔を見る。

 

「ほぁぃ」

 

 ……どうも調子が狂ってやりづらい。

 女の子を尋問してるんじゃないんだぞ、と自分に言い聞かせなきゃならないホドだ。

 ヘッケルとジャッケルとか言ったか。あの白衣のふたり。イイ仕事してますねぇぇぇ……と声が聞こえるぐらいだぜ。

 

 携帯にドレッド野郎の3D画像をうかべ、相手のまえに差し出した。

 

「貴様――コイツを知ってるか……?」

 

 ハッ、と“美人形”が息をのむ気配。

 ビンゴ!と沸き立つ血をなんとかおさえ、さらに観察。

 

「じゃぁ、コイツはどうだ?」

 

 おさるのジョージ。

 俺に風穴をあけた、オレンジ色のニクい奴。

 ソワソワと、ピンク色なサテンのミニスカメイド服がゆれる。

 

 ――くそっ、これにも反応アリだ!

 

 あまりの嬉しさに、深呼吸を数回しなくてはならないほどだ。

 そのあいだも、目の前の人形は宙に浮かぶ画像をジッと観ている。

 俺は貴様を殺しに来たんだ、とコチラは身分を告げた。

 

「貴様が過去に強姦した女たちに雇われてな……」

 

 ビクリ、と相手の身体がふるえ、重そうな胸がゆれる。

 俺は手を伸ばすと、それを服のうえからわしづかみにする。

 

 「ひはぃ(痛い)!」

 

 またも背後で荒々しく動く気配。だがすぐに収まった。

 おそらく護衛が止めに入ろうとしたところを、小男が制止したのだろう。

 プレイ用の安っぽいサテン地なメイド・ドレス越しにつかんだ胸は、ふつうの乳房よりいくぶん弾力があった。

 

「どうだ?強姦される気分は」

 

 俺はニヤニヤと、なるべく下卑た笑いを意識しながら、

 

「映像で見たぞ。ガチムチな兄キたちにさんざ嬲られて「やめてくれぇ」だと?――だが過去に女たちからそう言われて、貴様は止めたか。あ?」

 

 濃いアイラインで飾られる目元から、何かが閃いた。

 間違えようもない――殺意だ。

 

 ――へぇぇ!

 

 驚いた。

 こんな姿にされても、まだ反抗心が残っているのか。

 

 クソが、という想いが血を逆流させ、嗜虐心を喚ぶ。

 乳房をワシづかみにする手に、思わずチカラがはいった。

 

「ひゃぁぁぅ!」

「好き放題に()ってくれたなぁ!えぇ?何人も――何人も――」

ほへはひ(オネガイ)……ははひへ(放シテ)

 

 シリコンを入れた唇のせいか、言葉が不明瞭だ。

 俺はさらに顔をちかづける。

 

「年貢の納め時が……きたってワケだ」

「ほへはひ……ほへはひ……」

「だがな?コイツ等について知ってる情報を教えてくれれば……見逃してやらんでもない」

 

 濃いアイラインとアイシャドウに彩られた目が、相変わらずこちらに注がれている。

 クソっ。濃い化粧のせいで、表情が読みにくい。

 

「さぁ、答えろ。コイツらの居場所はどこだ?」

ほへは(それは)……ほぉほはへは(その答えは)

 

 目標が光沢ドーナツのようなくちびるを動かし、なにか呟いた。

 さらに身を乗り出し、人形化された目標の言葉を聞こうとする。

 すると、突然、

 

ほへのほはへは(オレのコタエは)ほへや(コレや)!」

 

 耳もとでいきなり大声を出され、思わずのけぞった瞬間、冷たいものが首筋をかすめた。

 護衛が素早く動き、人形を羽交い絞めにする。

 バタバタと人の動きが交錯する殺伐とした空気。

 小男が胸からポケット・チーフを抜き出し、俺の首すじに当てた。

 

「はやく!そのアイス・ピックを取り上げろ!」

 

 もう一人の護衛が、人形の手から氷を砕くときに使うニードルをもぎ取った。

 ポケット・チーフをおさえる俺の手が暖かく濡れる。

 辺りは一転、一気に鉄臭くなって。

 医者が――たぶんヘッケルの方だ――すぐさま呼ばれ、俺の首の手当てをする。

 

「頸動脈まで、あと少しでしたね」

 

 この若者は手早く処置をしながら呟いた。

 

「スッパリやられていたら、助かったかどうか」

 

 どこか残念な色が声に感じられるのは気のせいだろうか。

 オーダーメイドのスーツは血まみれとなり、もやは見る影もない。

 

「お館さま、危なかったですね」

 

 護衛の片方が、後ろ手に拘束されて暴れる“人形”を「寛一・お宮」のように足蹴にして踏みつけるや憎々しげに見やり、

 

「場合によっちゃ我々がこうなっていたかも……」

「どこで手に入れたのか、まったく!」

 

 血のついたままの凶悪なアイスピックを護衛のひとりが憎々しげに見やる。

 

 

「コイツを。そこの“聖アンデレの十字”にくくりつけて下さい……」

 

 俺は、自分が妙に冷たい声で部屋に居る四人に命令するのを聞いた。

 

「なに?なんですと」

「X型の十字架ですよ――はやく」

 

 俺の語勢に気圧されたのか。

 マッチョな護衛二人の兄キたちは言われるまま、轢殺目標を十字架に備えられた枷を使って拘束する。

 

ほっ(クッ)!……ほぉへ(殺せ)!」

 

 アイシャドウが彩る眼は、いまや露骨に殺意を閃かせて。

 

「……驚いたな。まだこれだけ反抗心が残っているとは」

「あとでサムソン班に、タップリ肛門を(しつけ)てもらいヤスか」

 

 それを聞いた人形のドーナツ状な口が、悔しそうにふるえる。

 

 そんな会話を背後に、俺は目標に近づく。

 相手の目が、このときはじめて(おび)えの色をうかべた。

 

 ――だが……もうおそい。

 

 心のなかは森閑と静まり返り、どんな残虐なことでもできそうだった。

 俺は相手が着せられているエプロン付きの黒いミニスカートをまくりあげる。

 こんな状況にもかかわらず、みごとに勃起したままの薄黒いチンポ。

 射精を禁じられるバンドで根もとを(いまし)められ、元気よく青すじを浮かべて。

 

 傍らのテーブルから、俺はガラス製とみえるマドラー(かきまぜ棒)を芝居がかった手つきで抜き出した。

 

 なんだろう。

 妙にうす笑いがでてしまう。

 もしかして【SAI】のクセが移ったか。

 

「なぁ――知ってるか?」

 

 俺はガラス製の棒を、きびしく縛られ身動きが取れない目標の前にかざしてみせてから、

 

SDECE(仏・対外諜報本部)で、こういう拷問の仕方がある……」

 

 俺はガラス棒を相手の勃起したチ〇ポに近づけるや、ゆっくりと鈴口から尿道に差し入れた。

 ショッキング・ピンクな色をしたドーナツの口から上がる女性的な悲鳴。

 十字架のクサリがガチャガチャと鳴り、セックス・ドールが悶えた。

 ガラス棒に感じる多少の抵抗は無視し、グイグイとチンポに埋没させる。

 

「こうしてな?ガラス棒が完全に埋まったところを……」

 

 俺はテーブルの上からさらにナプキンをとり、チ〇ポに巻き付けると両手で握った。

 

「 折 る ん だ よ ……」

 

 相手の悲鳴がふたたび大きくなった。

 

「俺に取っちゃ貴様なんぞどうでもいい……コレがオワったら、あそこにあるコルク抜きで貴様の目をエグっても面白そうだしな……」

 

 キシッ!とガラスが歪む気配。

 長い睫毛をエクステされた目がヒタヒタとまばたき、

 

「い、いひひゅうひひはひ!」

 

 ふるえる女の声で絶叫する。

 

「なんだ?――1918?」

 

 ドーナツの口が動かしづらそうに動いた。

 

「アー!1918!よくひまふぅ(よく来ます)ぅぅぅ!!!!!!」

「なんだ?あーって」

「あーえぅ!おはへをほうほほお(お酒を飲むところ)

「あぁ、バーか」

 

 ――まて。

 

 1918……BAR。

 

 あのスクーターの糞ガキ共が吐いた酒場の名前。

 その対面にあった、風変わりな看板。

 用心深そうな影が、ブラインドに素早く隠れた情景。

 

「ウソぬかしやがったら、戻ってきてテメェを轢き殺すぞ!」

「おんほぅでぅ!『ひゃいこぉば(合言葉)』は、『ぶぉ~いんう』でうー!」 

「ボーイング?」

「ひゃう……『ぶぉぉいんう(ブローニング)!』」

 

 そのときアタマにピンと閃くものがあった。

 BAR(酒場)じゃない。B.A.R.

 ブローニング・オートマチック・ライフル。モデル1918。

 

 ――よぅし……。

 

 どうやらウソは言ってなさそうだ。

 俺は両手に力をこめる。

 

「おほぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」

 

 人形の、涙ながらの甲ン高い絶叫。

 

 その刹那。

 ガラス棒を折ろうか、どうしようか。

 自分の中で葛藤がうまれた。

 “オレ”は止めろといい、“俺”はヤッちまえと叫ぶ。

 

『ナニをためらうッてンだ!

       そのクソ甘さが!部隊を全滅に導いたんだろうが!』

 

【慈悲を以って臣民にあたらんとす!

        貴様の所業は!山犬のそれと変わらんではないか!】

 

 頭の中で二人の男が争う――ような。

 

 小男の方を見れば、片腕を前に差し出してして奇怪な顔をゆがめ(あぁ、どうか……)と猶予を(こいねが)う風情。

 

 俺は目標の汚らしい〇ンポから手をはなした。

 ガクリ、と人形が脱力し、汗まみれでうなだれる。

 

 ――フン、なるほど……。

 

 コイツにとって“男性自身”が最後の拠りどころと言うワケか。

 

 

「また一つ貸しと言うワケですかねぇ……」

 

 テーブルの上にあったアルコール・スプレーで手を清めつつ、自分のスーツの惨状を改めて確認しながら、

 

「……どうも損ばかりですな」

「スーツ代は、もちろん弁償致します」

「それは結構です。『美月』に仕掛けてくださった寸劇の鑑賞料としますよ」

 

 おや、と小男は驚いたように、

 

「バレてたんですか。まぁヘッケルたちの言葉責めは予想外でしたがねぇ」

 

 白衣の片割れは、何のことかわからぬようにキョトキョトと。

 

「ほっへぇ!ひんほ(チンポ)はぁふほー(ガラス棒)、ほっへぇぇぇぇ!!」

 

 拘束された腰を身じろぎさせ、ガラス棒が刺さったままの勃起チンポをゆらし、性奴隷となった目標が哀願する。小男が、そんな轢殺目標だった少年を冷たい目で見やりながら、

 

「心配することはない。数日たてば、立派なオマ〇コにしてやる」

 

 人形が、一瞬叫びをやめた。だがすぐに、

 

「ほんはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!」

 

 号泣……ッ。

 女にされる哀しみによる、目いっぱいの……号泣ッ!

 

 小男は、ズボンの前を突っ張らせる護衛にきづいたか、

 

「おまえ。チョッとスッキリしていきなさい」

 

 そう言われるや、このマッチョな兄貴は喜び勇んでベルトをカチャつかせると、

 ボロン、と擬音が出そうなほどの巨大な一物をあらわした。

 そして壁の十字架に近づくと、両手、両足の枷をつなぐクサリの間隔をのばし、十字架と目標の間に自分が滑り込んでしまう。

 

 暴れる美人形。

 

「さて、もう結構。できれば場所を変えて飲みなおしたいですな」

「おっ♪ようやくソノ気になって下さったか」

 

 みょうに距離が近い護衛と小男で俺は部屋を後にする。

 扉が閉まる瞬間、

 

「ひぃぁ!ひゃえへぇぇぇぇ……アッ――――!!!!!

 

 

 ボスッ、と重い扉は自然にしまり、あとは廊下の静けさだけが残った。

 

 

 

 

 また目隠しをされ“オモテ”のエリアまで戻ってくると、フロアを見下ろせる升席に我々は陣取った。

 ちょっとパリのオペラ座のような雰囲気。

 相変わらず深海の底めいた光景の中で、客席の間をバニー・ガールが回遊し、ソファーに陣取った客たちにフロアレディ―がしなだれかかる。

 あちこちで湧き上がる矯正。または怪しげな睦みごと。

 

 ――『美月』のヤツは……と。

 

 いたいた……。

 ソファーの傍らに立った紅いバニーガールが、腰まである豊かな赤毛を頭の後ろで持ち上げ、肢体をクネらせて客の求めに応じ、ポーズをとっている。どうやらあのバーコード禿げは脇フェチのようだ。

 

「だいぶあの娘にご執心のようですなぁ」

「ご執心、とはチョッとちがいますね……」

 

 そう、危なっかしくて、見てられないんだ。

 

 一旦は、その“性欲にダラしない痴呆ぶり”から、店に囲われて飼い殺しにされるのがお似合いかと考えた彼女だが、強制的に注入されたクスリのせいと分かればハナシは別だ。

 

 あの娘には、なるべくイイ人生を歩んでもらいたい……。

 

 ――な~んてwwww。

 

 こんなジジィめいたコトを考えるのも、オレが歳をとった徴か。

 そうさ。今はもう。認めちまおう。

 コイツはさしずめ、言ってみるとしたら……。

 

「……まぁ、父性本能の発露、とでも言いますか」

「ほほう。ではパトロン、というところですな」

「ご随意に。ところで“オモテ”のフロア・マネージャーを呼んでもらえますか?」

 

 小男の命令で、恰幅のいいタキシード姿の男がやってきた。

 ちょっとバルザックの挿絵にでも出てきそうな押し出しの効いた風体だ。

 

「お館サマ――御用で」

 

 そう言った後、オレの方を一瞥する。

 しかしこの男は一般人が見れば目をむくような、コチラの血まみれな姿に眉ひとつ動かさず、あくまで礼儀正しく控えていた。

 

「この方はね?エスの仕事に就いている『美月』クンのパトロンだよ。あのウサギを宜しく頼む、とこう仰っているんだ」

 

 オレはポケットからマネー・クリップで留めた10万を燕尾服に差し出した。

 

「タバコ代だ――少ないが、取っておいてくれ」

 

 燕尾服が小男の方を向き、ヒョィと眉毛をあげた。

 微笑みながらうなずく小男。

 

 この恰幅の良い男は白手袋をはめた手で胸ポケットからLetts製の薄型手帳を取り出すと、うやうやしくそれを両手で持ち、一揖(いちゆう)しながらこちらに差し出す。オレはその上に札束をマネー・クリップごと載せた。

 

「裸でスマんね」

「過分の心づけ、たいへん恐縮にぞんじます」

 

 落ち着いた声がそれに応え、いつのまにか手帳も札束も消えている。

 

「ありがとう、行きたまえ」

 

 小男が燕尾服を去らせたあと、

 

「スマンことですなァ。ナニからナニまで」

「なるほど、いい人材が揃っているようだ」

 

 そうでしょうが?と相手は満足げに。

 

「しかし――」

「しかし?」

 

 オレは自分の背後に佇立する護衛の男をチラッと振り向いた。

 

「その男なら大丈夫。ワタシのお墨付きを与えられます」

「なら言いますが……店全体に(ほころ)びが来ているのではないですかな?」

 

 相手の顔が幾分くもった。

 

「と――おっしゃると?」

「オペレーターによる内通者」

「……」

「勝手に従業員に薬剤を投与する医者」

「……」

「拘束されていたはずのガキが、いつのまにか凶器を手にして」

「……」

 

 どうも剣呑ですな、とオレはイエローのバニーガールが彼方からやってくるのを見る。

 盆の上には、シードル酒らしき瓶とグラス。それにアイス・ペールと小料理。

 ハチきれんばかりのムチムチ(死語)な身体に、お仕着せであるウサギの装束がいかにも窮屈そうだ。

 

「やぁ、元気にしてたか『菜々』クン」

 

 いきなり言われた“うわばみのナナちゃん”はテーブルをセットしながら一瞬キョトンとするが、すぐにオレの顔を思いだしたらしく、

 

「あぁ、『美月』(ミッキー)の!いらっしゃいませ♪」

 

 バニー・コートの胸をゆすり、具合を直してから一礼して下がってゆく。

 そんな『菜々』の後ろ姿を見ながら、

 

「彼女だって、いつ勝手に“ウラ”の担当にされるか分かりませんよ?」

「ばかな。当店の“ウラ”勤務は、本人の了承が絶対にひつようです」

「あるいは……それが恐喝(オド)され、強要されたものだったとしたら?」

 

 【……この子『菜々』じゃないか。“馴致”はもう少し先の予定だぞ?】

 

 オレは白衣の男たちの会話を思いだしながら、暗い眼をする小男に告げる。

 

「あるいは『美月』のように、クスリで洗脳されたとしたら……?」

 

 なるほど、良くわかりました、と小男は大きく息をついて肩を落とした。

 

「いちど、内部を洗いなおさなくてはならないようですな。仰る通り、組織と言うものは、放っておくと自然に腐っていきますからねェ」

 

 小男はスーツの胸ポケットから小切手帖を取り出し、そこに何やら書き入れて俺の方に差し出した。

 

    金弐佰萬円.-

 

 そして、その上にさきほど上映した映像がはいった数本のメモリー・カードも。

 

「今回の件は、なんとお礼を言ったものやら見当もつきません。どうぞお納め下さい」

 

 オレはメモリー・カードだけをつまみ上げ、自分のポケットに入れた。

 

「マイケルさん。そんな――アナタ」

 

 小男は奇怪な顔またもゆがめて、

 

「コレ以上、ワタシに恥をかかさんでくださいよ」

「酒は自分の金で飲むから美味いんです……もし、どうしてもというなら」

「はいはい!ナンでもどうぞ!!」

「領収書を下さい。このメモリーカードを手にするために、これだけかかったという証拠になります」

「お廉い御用ですよ、アナタ」

 

 先ほどのフロア長がやってきて、銀の盆に一枚の領収書を載せて差し出した。

 

 金参佰萬円.-

 

 ――ちょww増えてるじゃねぇかwww

 

 そう思いつつも、コレ以上の面倒はゴメンなので黙って受け取った。

 

 そのあとは、たあいもない四方山話だった。

 小男が経験した学生時代のフィールド・ワーク。

 サラリーマン時代にオレが経験した役人と政治家の横やり。

 ともに話を交換しつつ、気が付けば――日付が変わる、深夜まで。

 

 タクシーが呼ばれ、ちょっとオレはフラつきながら部屋に戻った。

 そのまま、前後不覚に、泥のようにねむる。

 

 気が付けば、朝だった。

 

 はしゃいだ陽光が、遮光カーテンの合わせ目から、寝室の壁を鋭角に這っている。

 

 そしてオレの目に前にニュッと突き出た物体。

 

 

 ……。

 

 

 

 

 ――腕……だよな?

 

 

 

 

 

 

――紅いウサギ編・終わり――

 



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第23話:錯綜する分岐点(1)

「ねぇーねぇー!コレいい!ご主人さまァ!」

 

 洗練された静かなフロアで、甘えた声が響く。

 帳簿をいじっていた売り場のお姉さんが、ギョッとしたように。

 

(バッ!ひと前でソレは や め ろ っ て ! )

 

 オレは慌ててささやき、彼女を売り場から引き離した。

 

「えぇー。ぢゃぁなんて呼べばイイのょぉ?」

「ふつうにオジさん(トホホ……)でいいよ」

「う~ん……わかったぁ。じゃぁ“オジさま”だぁ」

「……ダダドムゥ」

「なぁにぃ?それ」

「いや……こっちの話」

 

 連休二日目は、『美月』のために生活用品の買い出しとなった。

 

 深夜、あるいは明け方になれば『美月』が帰ってきてオレのベッドにもぐりこむのだ。

 仕方なく彼女のために、軍用の折り畳みベッドを購入しようと思いついた次第である。

 

 今日も良く晴れた日だった。

 

 百貨店が立ち並ぶ大きな駅まで出ると、肩をならべてデパートのフロアを上下して、彼女は歯磨きやおそろいのカップ、シルクのネグリジェ、バスタオル数本、スリッパなどをカードでガンガン買い込み、果ては化粧用の鏡台や、四方に釣帳用の柱がついたダブル・ベッドまで買

おうとするしまつ。

 

 ダメダメダメ! とオレは腕を振って、

 

 

「折り畳みベッドを買うのだ!」

「えぇぇぇ。そんなぁぁぁ」

 

 ショートの黒髪をゆらし、セクシーな唇をとがらせる『美月』

 露骨にイヤな顔をして、体をフリフリする。

 

「ワタシたちのぉ、ラブラブ生活はどうなっちゃうんですぅぅぅ???」

「ないわ!」

 

 まったくここでちゃぶ台があったら、どこぞのマンガのごとくひっくり返したくなる。

 本来は“未成年略取誘拐”になりかねない危険をギリギリ冒しているのに!

 

 すでに買い物の数はフタ桁になり、かさばる荷物は宅配送りの玄関置きとし、必要最低限の紙袋を抱える『美月』だった。

 

 ――でもまぁ……。

 

 オレは詩愛との連絡を思い返して、ギリギリ“事案”にはならないのではないかという淡い期待をつなぐ。

 一応、美香子が父親の怒りを避けるため、こちらに泊まらせているという報告をして、母上どのにも連絡を頼んでいる。しかし、その後の詩愛からのメール表題が辛辣なのだ。

 

 ・ワタシもそちらにお邪魔しに行こうかしら。

 ・料理は得意ですのよ?何がお好みでしょうか。

 ・父の妹に対する怒りは、なぜか倍加したようです。

 ・泊まらせるお相手を、お間違いではないのですか?

 ・察しがない殿方というのも、女にとって哀しいものですわね。

 

 そしてとどめには、

 

 ・よもや間違いは、犯してございませんでしょうね……。

 

 もうなにがナンだか、という感じだった。

 こちらの心配も知らず、『美月』はデパートに置かれた姿見の前で、新しい黒髪おかっぱショートの効果をためしている。

 

「――にあうぞ、そのウィッグ」

「え~。いつもの赤いヤツがいいですぅ……」

 

 そう。

 

 業務用の赤毛ウィッグは、街中ではクソのように周囲の注目をあびる。

 そこで、小男に頼み込んで彼女用に地味なショートカットのウィッグをいくつか融通してもらったらしい。

 

 プラチ・ブロンドのベリショ。

 金髪のウェーブ・パーマ。

 薄いブルーのシャギー。

 どうやら“ウサギ”のメーキャップ部から、かなりせしめて来たようだ。

 だが、そんな市井にまぎれる努力も効果半分と言わざるを得ない。

 

 女子高生風味。

 彼女の整った顔立ち。

 人工的なメリハリのスタイル。

 ハデな化粧と、扇情的なものごし。

 黒革製のSMチックなリング付きチョーカー。

 まわりの好奇な視線やヒソヒソ声を呼ぶには十分すぎた。

 なにより肩から掛けるのは、車が買えるほど高価なブランドバッグだ。

 

 これにスーツを来た中途半端な若中年のオレが横にならぶと、どうなるか?

 

 父娘には見えない。

 親戚という風でもない。

 大学の教授とその教え子という風でもない。

 

 そう。

 

 ヘタをすれば違法な売れっ子JK風俗嬢と、それを囲う広域暴力団の若頭だ。

 それが証拠に一度、補導員らしき中年の女性二人が近づいてきたが、こっちがガンを飛ばすとソソクサと去っていった。

 

「その黒いチョーカー、外したまえよ。首輪みたいに見えるぞ?」

「だからイイんじゃないですかぁ。ワタシはオジさまの……」

「わかった!わかったから……」

 

 これ以上、公衆の面前で『メス奴隷』だ『ご主人様』だ言われてはタマらん。

 ふと、オレは彼女が先般からひけらかすゴールド・カードを思い出し、

 

「おまけに大丈夫なのか?そのカード。キミん()のファミリー・カードなんだろ?」

「せいぜぇ使えるうちにィ、使っとけばいいのよォ!どうせお父さんのおカネなんだしぃ……!」

 

 今日の彼女はクスリを点滴されていないためか、声にハリがあった。

 これまでのようにフニャフニャした態度が減り、自我が感じられる。

 初めて会ったときのイケイケな“美香子”が戻ってきたような。

 

「ドンドン使わなきゃぁ~!」

「……ハイハイ」

 

 それからエスカレーターをどれくらい上下したことか。

 ようやく買い物に一区切りがついたオレたちは、デパート内にあるレストラン街で、手近なイタ飯屋にはいった。

 

 午後の遅い時間。

 

 客のピークは過ぎたのだろうが、それでも土曜とあって店内は込んでいた。

 オリーブ・オイルと美味そうな海鮮の匂いが漂って。

 

 ようやくテーブルに来た、いかにもバイト然とした若い兄ちゃんから渡されたメヌを『美月』は覗き込み、

 

「えへへぇ……メス奴隷『マゾ美』は、ワイン頼んじゃいますぅ~」

 

 隣に座っていた若いカップルが、ギョッとしたようにこちらを見た。

 

 オレは冷や汗をかきながら、

 

「ダメだ!飲酒なんかさせたら――キミのお父さんに何て言われるか」

「えー」

「バイト先なんかで、飲んでないだろうね!んぅ?」

「フロア・マネージャーがダメだって」

「えぇ?」

「なんかアタシにだけは、ミョウにきびしいんだよぉ?」

「というと?」

「タバコも、お酒も、同席もダメだって……」

 

 ――おっしゃ!

 

 10万払っただけの価値は、あったというものだ。

 フロア・マネージャーは流石に信用にたる人物らしい。

 

 会話が思ったより平和な方向に向かったんで、となりのカップルが緊張を解くのが分かった。しきりにネット対戦ゲームの話などをはじめる。

 

「オジさま。アタシ今日はこのまま、バイトにいっちゃいます」

「そうか?くれぐれも気をつけろよ?」

「なにを?」

「“人形”を見なかったワケじゃないだろう。『菜々』ちゃんも、アブなく人形にされるところだったんだぞ?」

「ナナ先輩が……?」

 

 ちょっとビックリしたあと、落ち込んだ表情(かお)をする『美月』。

 

「そう……」

 

 パスタとアヒージョがやってきた。

 湯気をしきりに立てて美味そうだ。

 オレは心ならずもノン・アルコールのビール。

 ちょっと目論見がある。それにもうすぐ会社の健康診断だ。

 なるべくγ-gdpを減らしたいという思惑もある。

 

 

「この時間から店とはハヤいな。なんかあるのか」

「うん。新しいキャンペーンで準備があるからぁ。人手が欲しいんだってェ」

「ふぅん」

「だからぁ……ハぁイ。荷物おねがいィ」

「ん」

 

 オレは両手いっぱいの紙袋を受け取ると、ノンアルコール・ビールを飲みつつ、目の前でアヒージョの熱さに苦戦する彼女を眺める。

 

 本当に目立つ子だった。

 

 姉の詩愛とは、美しさが真逆の方向を向いている。

 姉が『蘭』だとしたら、この子は『薔薇』だ。

 思うに高校で彼女が浮いているのは、あまりに彼女が綺麗だからではないか。

 べつに高慢というわけでも、性格が悪いわけでもない。

 ただ父親との確執を引きずるせいか、すこし上っ調子なところがある。

 

 ――それさえなければ……。

 

 親しい友だちも出来るだろうし、高校生活も楽しくなるだろうに。

 今がいちばん大事な時期だというのに、こんなヘンな風俗店にハマって……。

 

 ――またヘンなことに巻き込まれなきゃイイが。

 

 オレの目論見は、こうだ。

 

 ・まず、1週間ほど家から隔離する。

 ・その間に“紅いウサギ”店のメイク担当者の助けをかりて、彼女の化粧が薄くなるのをまつ。

 ・オヤジの怒りのほとぼりが冷めたところを見計らい、オレが彼女を同道して鷺ノ内医院に行き(イヤだなぁ……)オヤジに高校への復学をお願いする。

 ・復学の許可がとれたら、バイトを辞めさせ、高校生活に専念させる。

 ・万事、丸く収まったらオレは鷺ノ内家と縁を切り、轢殺稼業に専念する……。

 

 どうだい、この絵に描いたように完璧な作戦は!

 まぁ……サイアク見方を変えれば“画餅”ともいうが。

 

 

 

 食べ終わってから、オレは駅の近くでレンタカーを借り、すこしばかりドライブする。

 クソかさばる紙袋を、いくつもまとめて両腕からさげてヨタヨタと休日の人ごみを歩きたくはなかったのはもちろん、ハデな『美月』を街中で独りにして、ナンパ目的な若いガキどもの目に晒したくはなかったのが実のところほんとうの理由だ。

 

 トランクにすべての紙袋をぶち込み、景色のいい広い道をトバす。

 

 いつも重量級のトラックをコロがしていると、借りた小型車は木の葉のようだ。

 気の抜けたエンジン音と質のカルい加速感。それがいかにも心もとなく思える。

 頑丈な装甲にまもられた高い視点がいかにありがたいか。今さらながらに思い知った。

 

 『美月』は窓を全開にして目を細め、

 

「わぁぁ、ドライブ新鮮ですぅ~!――うれし~ぃ」

「おいおい、ウィッグトバすなよ?」

「だいじょおぶょぅ。コレぇ、がっちり付いてるしぃ」

 

 髪の毛を剃られ、ボウズ頭にされて悲しくはないのかなと思うが、ヘンにつついて泣き出されるのもコワいので黙っておく。あるいはいろんな髪形を試せるので面白いとでも思っているのかもしれない。

 

「なんだ、ふだん家族でドライブとか行かないのか?」

 

 一拍、空白があった。

 そして彼女は幾分しずんだ声で、

 

「アタシたちが子供のころにぃ、行ったっきりかなぁ……」

「あんな高価(たか)そうな車持ってるのに?」

 

 屋内カーポートに並ぶメルセデスやアルファロメオ。

 オープンの赤い軽は、詩愛のものだろうか。

 

「お父さんのは、ゴルフ専用だし、お姉ぇちゃんのは、テニスサークル用だもん」

「あぁ、あの赤いオープンカーね」

「……それはお母さんのお買い物用だぉ」

 

 うひー。

 金持ちは違うねぇ。

 

 と、ルームミラーを見た時、オレの野生の感が警告を告げる。

 すぅぅっ、とアオり気味に近づく銀色のセダン。

 ブレーキを使わないよう、アクセルから足をはなしゆっくり減速。

 お決まりの法定速度+10kmまでなんとか自然にもどす。

 

「どうしたのぉ?」

「覆面だ――たぶん」

「ふくめん?」

「覆面パトカーさ」

 

 その予想は当たった。

 信号待ちで二台並んだとき、目を疑った。

 助手席に座っているのは、なんと銭高警部補どのだ。

 だが、その“とっッあん”は腕を宙に振り、運転席の人物となにやら口論している様子。

 

 すると――。

 

 覆面はいきなりグワッと停止線を越えてオレのレンタカーの前に出た。

 そして、運転席側の扉が開いてドライバーが出てきた。

 

 シーム入りのストッキングにパンプス。

 洒落たジャケットにタイト・スカート。

 首に巻いたスカーフはエルメスだろう。

 

 そして――その横顔。

 

 “サッチー”か?と思うも少し自信がない。

 それほどまでに彼女の印象は前に見た野暮さがなくなり、まるで別人のように。

 まるでいっぱしのOL管理職か、役所のキャリアなイメージ。

 銭高も助手席を降り、ふたりは覆面の屋根越しに、なにか盛んに言い合う。

 

 プップー。

 

 とうとう信号は青に変わり、オレの後ろに停まった商用ワゴンの男が焦れてクラクションを鳴らしはじめた。

 二人はコチラを見る。

 と、片方の顔がニマ~~とイヤな笑みを浮かべて。

 マズい、とオレの防衛本能にスイッチがはいる。

 

「よし!オマエはもうイイ!署にもどってろ!」

 

 小型車の室内からでも聞こえる銭高のドナり声。

 そして背の高い男の方が覆面からなにやらカサばるバッグを引き出して肩にかけ、オレの車の方にちかづき、Aピラーを毛深いユビでコンコンとノック。

 

 イヤイヤながら運転席のサイド・ウインドウを下げたこちらに、

 

「奇遇ですなぁ!こんなトコロで。ちょっと乗せてもらってイイですかな?」

 

 ついで、お嬢サンこんにちわ、のダミ声がちな猫ナデ声。

 サッチーの整った顔が運転席にいるオレを見据える。

 

 そこでオレはハッと身構えた。

 

 あの夜。

 “紅いウサギ”で拘束され、浣腸とクリ責めにアヘ顔をさらしていた気配は、もやは微塵もない。むしろ最初の印象よりどこか冷たく、硬く。なにより洗練されたイメージに圧倒される。

 そう。あたかも臆病な娘が、みにくい刺青を背中に彫られることで、図太い“魔性の女”に変貌するような……。

 “紅いウサギ”でおとり捜査を行ううちに、生来もっていたセンスが磨かれでもしたのだろうか?

 

 

 やがて彼女はあきらめたのか。

 口もとに、この手の女性にしては見慣れない皮肉な笑みを浮かべると、蛇のような身ごなしで()()()()()運転席にもどり、エンジンをかけた。

 

 

「ちょっとお話を伺いたいんですがネェ……」

「この娘を送ってゆく最中なもので」

「ソコをなんとか」

 

 銭高に退く気配はなかった。

 喰らいついたら放さない豺狼の眼が、そこにはあった。

 

「それが済んだ後なら……まぁ」

 

 結構!

 

 銭高が勝手に手を車内に差し入れると、後ろのドアロックを外して入ってきた。

 サスがきしみ、車体が一瞬、ゆらぐ。

 扉が閉まると、たちまちコモるニコチンの体臭。

 遠ざかってゆく覆面を、

 

「――チッ!」

 

 忌々しげに舌打ちして見送るや銭型は、ふとオレの首の包帯を見て、

 

「その首は?どうされました」

「なに。ちょっと寝違えましてネ」

 

 へぇぇ、と銭高の顔。

 ヤバい。もっとまともなウソをつくんだったか。

 血などは滲んでいないはずなので、大丈夫だとは思うが。

 

「それで……これから、ドチらへ?」

「**町でまで送ってこの子を下ろします」

「**区の?あんな繁華街、カネのかかる飲み屋と高級風俗しかないが……」

「この子が友だちと合流なんだそうで」

「――ごしゅj」

ゴホァァッ!!!1111

 

 盛大に咳払い。

 

 きわめて不味い。

 ここで女子高生を部屋に囲っているなどと言うのがバレたら、逮捕をチラつかされた挙句、どんなムチャ振りされるか分かったモンじゃない。

 

「今日はお休みですかな――あぁ、ちょっと?すこしトバし過ぎですな?」

「警部補どのを乗っけているんだ。捕まったって大丈夫でしょ」

「知りませんぞォ?ワタシぁ」

「ねーねー、をぢさん。をぢさんって“ポリ”なの?」

「あぁ!?」

 

 ――もうカンベンして……。

 

 ちゃちなハンドルを握りながら、オレは心の中でガックリと。

 早く目的地に連れていこう、とばかりオレは右足に力を込める。

 

「ポリとは!こりゃまたヒドいですなァお嬢さん」

 

 銭高は憤懣(ふんまん)やるかたない調子で

 

「ワタシたちァ!市民の生命、財産、安全を守っとるんですぞ?」

「のるまのコトしかアタマにないってセンパイから聞いた……」

「それは交通課です!」

「ともだちがぁ、ストーカーに付きまとわれて被害届だそ~としたら断わられたとかぁ」

「それは担当者が怠慢だったせいです!」

「エラいひとのこーつーじこは、見逃したり裁判しないんだよねぇ?」

「それは……アナタ……この子はいったい?」

 

 銭高はルームミラーごしに渋面をむける。

 ふふん。ちょっとイイ気味。

 

「スマン。その子は、すこしザンネンな子なんだ」

 

 あぁ、と微妙に銭高が納得した気配。

 

「アタシざんねんな子じゃないモン」

「あ~ぁ~そうだね(ウヒャヒャヒャ)」

「……をぢさnお口クサぁい」

 

 ふくれっ面した『美月』がボソリとひとこと。

 これでいくぶん車内は静かになる。

 

 オレは冷や汗をかいた背中をシートでズラし、コレ以上余計なことを彼女が言い出さないうちにレンタカーを飛ばして【Le lapin Rouge】(紅いウサギ)から道一本隔てた場所でウィンカーを出し停車した。

 

 『美月』は抱えていたバッグを肩にかけると、

 

「じゃぁ、また今夜ぁ」

 

 そして助手席のドアの向こうから、

 

「よるぅ、迎えに来てくれるぅ?」

「……うぅ、分かった。メールしてくれ」

 

 りょぉかぁ~~い!とニッコリ敬礼する『美月』。

 

「お嬢サン、あまりハメを外すんじゃありませんぞ!?」

 

 びろびろぉ~~と顔をしかめてベロを出す『美月』。

 

「見た目はイイ娘なんですがなぁ……」

 

 『美月』と入れ替わりに、銭高が助手席にのりこんでくる。    

 この小型なレンタカーは警部補殿には小さすぎたようだ。

 シートを大目に倒し、頭をすこし傾げて、ようやく天井に触れないくらい。

 時刻は、すでに夕方に差し掛かろうとしていた。

 そろそろ道も込み始めるころになるだろうか。

 

「んで?ドコぉ行きます――男二人で、ドライブでもしますか」

「**区へ。あぁ、そのまえに一本先の横道を入ってもらえませんかな」

 

 “赤いウサギ”の前の通りだ、とオレはすぐにピンとくる。

 

 二人の男は黙ったまま、ゆっくりと店の前を通り過ぎた。

 まだ時間が早いこともあって、店の鉄柵に松明は灯されておらず、入り口を守る2名の黒服の姿も無い。

 清掃婦が空き缶などを拾いつつ、歩道をていねいに掃いているのが見えるだけだった。

 

 銭高はソフト・ハットを目深にかぶり、まるでニラむように店の方を見ていた。

 その背中からは警察官の闘志が、陽炎のようにもうもうと煮え立っているのが分かる。

 いちど食らいついたらテコでも放さない猟犬のイメージ。

 コイツにはなるべく関わりたくないんだが……。

 

 正面を通過。

 一通のどん詰まりにあるT字路を左に。

 すると、おしぼり業者が車をとめ、カゴにはいった古いおしぼりとラップされたあたらしいものを交換している現場に行き当たった。

 

「あの店が、どうかしたんですか?」

「……」

「なんか真剣な雰囲気でしたけど」

 

 銭高は答えない。

 

「なんか、脱税の調査とか?」

「どうして、そう仰るんですかな?」

「ほら、おしぼりの数で売り上げ申告の過少を見るとか……」

「ワタシぁ税金取りなんかじゃありませんぞ」

 

 幾分大きなガラガラ声で、銭高は不満そうに、

 

「あくまで市民の安寧のために働いとります。それが!本官の誇りであります」

「……そりゃどうも」

「だが、そんな努力は報われん。誰も知ろうともせん」

「**区でいいんですね」

「んー」

 

 混み始めた道を、オレは銭高の言うままレンタカーを走らせた。

 そのうちやがてヘンなことを言い出した。

 しばらく大柄な体が助手席で窮屈そうにモジモジしていたかと思うと、 

 

「アンタ――オンナをどう思う」

 

 えっ、とオレは運転しながら銭高の横顔を見た。

 ムッツリと押し黙ったまま、ガンコそうなアゴをギリリとさせて。

 女ですって?とオレは思わず、

 

「珍しいですな。おカタそうな警部補どのが」

「本官は、べつに硬くなどありませんぞ――いや、硬いのかな……」

「女かぁ……女ねぇ……」

「アンタぁ、離婚なさったんでしょうが」

「そうですがナニか」

「オンナっちゅうモンは、その、ナンだ。信頼に足る人物だと思いますかな?」

「……答えは“イエス”であり“ノー”だ」

 

 オレはデーモ〇閣下の言葉を借りて応じた。

 

「しょせん、見栄と安定を重視する生き物ですから。男とは根本的に違います」

「むぅ……」

「状況が変われば、豹変しますよ?ま、これはご存知の通り私の経験ですが」

「自分に有利となったら、約束をひるがえすと?」

「有利にならなくとも手の平かえし。私の記録を漁ったんでしょ」

 

 思わず辛辣な口調になってしまう。

 

 先ほどの光景。

 “サッチー”と銭高の言いあらそい。

 あの婦警の横顔に“女の執着”を見たような。

 

 ――おもしろい。いっちょユスってやるか……。

 

「銭高さんは、結婚してらっしゃる?」

「……」

「そういえば先ほどの女性……婦警さんですか、アレ」

 

 そしらぬフリをしつつ、

 

「公務員にしては、ずいぶんと洗練されてますな」

「やっぱり――アンタも、そう思われますか」

 

 いきなり食いついてきやがった。

 どうやって釣ってやろうかな……そうだ二人の関係を突くか。

 オレはわざとヒソヒソ声で、

 

「まさか――あの婦警サンと、不倫?」

 

 ニヤニヤとするオレに警部補どのはまたも憤慨した口調で、

 

「バっ、バカ言いなさんな!ワタシはァ――」

「うん?」

「社会の範たるを、キモに銘じとります!」

「じゃぁ、警部補どのは独身なんだ」

「いまは!……そのぅ、独り住まいです!」

 

 含みのある言い方だ。

 

「それで?あの婦警サンも独身、と?」

 

 銭高は口の中で何やらゴニョゴニョと呻いて答えない。

 ただ最後の方で『欲しい情報も寄越さないで』とも聞こえたような……。

 

「……なるほどネェ」

「ワタシたちのこたァどうでもいい!」

 

 助手席のダッシュボードをごつい手でバンバン叩きながら警部補どのは、

 

「問題は、このガキどもです!」

 

 車が信号待ちで停まったのを機に、銭高はトレンチ・コートの懐から二枚の写真を取り出した。

 以前見たときより、フチが相当擦り切れ気味となっている。

 よほどアチコチで出し入れしたのだろう。

 

 ドレッド。

 それに“おサル”のジョージ。

 

 オレはそれを一瞥してから視線を前にもどし 横断歩道を渡ってゆく若々しいリクルート・スーツの一群を眺めながら、

 

「その2人が、どうしたんです?」

「見覚えがありますな!?アンタがこの写真をみたとき!反応があった。ワタシの目はゴマかされませんゾぉ!?」

「――そうですね」

 

 ハァ!?と一瞬素っ頓狂な声を出す銭高。

 

「認めましたな!?」

「たぶん……としか言えませんが」

「どうして!もっと早く教えてくれなかったんです」

「自信が無かったからですよ。今になってみると……どうもそうらしくて」

 

 

「よし、それなら話は早い、行きますぞ!」

「行くってドコへ?」

「コイツらの顔を拝みに、ですよ」

 

 ハァ!?と今度はオレが素っ頓狂な声を出す番だった。

 

 



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     〃     (2)

 

 まさか……とオレ思わず上ずった声を出して、

 

「逮捕しちゃった?んです……か」

「なんですかその“しちゃった”ってェのは」

「いえその……」

 

 信号が変わり発進するが気が動転して、客を見つけ急な車線変更をしてきたタクシーにぶつかりそうになる。

 オレは運転をあきらめ、路肩にレンタカーを寄せた。

 助手席の銭高を見ながら、

 

「で……もう留置場に?」

 

 まさか、と銭高は苦笑し、

 

「そうなったら苦労はせんのですが。「あるバーに今日の20時ごろ現れる」というタレコミが――タレコミは分かりますな?――が、ありまして。今からそこに向かうんです」

「ドコですそれは!」

 

 思わず助手席に身を乗り出してしまう。

 

「……どうしたんですか、いったい。そんな必死になって」

「いや、その」

 

 まさかコレからオレが轢き殺すので逮捕するなとも言えない。

 相手の疑わしそうな視線に屈せず、必死に言いつくろう。

 

「私の腹に風穴を開けてくれたヤツですよ?興味あるじゃないですか」

「それにしては、ナニかすいぶん必死のような……」

「しかし――イイんですか?一般市民である私なんかが捜査に加わったりして」

 

 オレは話の流れを変えようと、関係ない方へ水を向けた。

 

「こういうの、規則に抵触するんじゃ……」

犯人(ホシ)を逮捕するなら何でもアリがワタシのモットーです!」

 

 ニコチン臭い息を吐きながら銭高は気炎をあげた。

 

「だから何度も戒告処分を食らい、警部補に降格されたんですな。しかしそれが何です!」

 

 オレは運転席側の窓を細目に開けた。

 

「上役の顔色をうかがうのはキャリアどもだけで十分だ!!警察ってのは犯人(ホシ)を捕まえてナンボですぞ!そうじゃありませんかな、アァ!?」

「……まぁ……確かに」

 

 相手の機嫌を損ねぬよう、オレはあたり障りのない応えをする。

 

「今まで家庭などかえりみずに営ってきました。そのハテが、コレです!」

 

 えっ、と脇をむくと助手席の峻厳たる顔が対向車のライトに一瞬、浮かび上がる。

 その残像を目の奥に焼き付けながら、オレは指示された場所へ車を走らせた。

 (ふる)い時代の男の顔が、たしかにソコにはあった……。

 

 

 商店街はずれにある“しもた屋”風味な家のシャッター付き車庫にレンタカーを入れるよう指示された。

 慎重にバックで入ると銭高が車から出てサビだらけのシャッターを下ろす。

 エンジンを切ると銭高が車を降りて、どこかへ行った。

 オレもそれにならいドアを開けて暗闇ごしにまわりを覗う。

 

 ヒンヤリとした空気にこもる、ホコリっぽい気配と古い味噌のような匂い。

 それに、わずかだが肥料の臭気。

 いずれにせよ、打ち捨てられた場所であることは間違いなさそうだ。

 

 パッ。

 

 頭上の裸電球が灯った。

 明るいところで見ると、車庫のうらぶれた感じがいっそう引き立って見える。

 

 錆びだらけの三輪車。

 空のビール・ケース。

 古い農協のポスター。

 内容物不明の梱包品。

 

 もとは、何の商売をしていたのだろうか?

 銭高が車庫に帰ってきて、トレンチ・コートについたクモの巣をはらう。

 

「この家は?勝手に停めてイイんですか?」

「あらかじめ家主には、借りることを認めてもらってますぞ?」

「手ぎわのイイことで」

 

 だが、つづく銭高の言葉に耳をうたがった。

 

「まぁ、ワザと誘発させた交通違反のモミ消しと引き換えにですがな」

「……えっ?」

「チョロいもんでしたが」

 

 オレは絶句する。

 

 海外ではこのテのタイプは珍しくないが、まさか今どきの日本でも生存しているとは。

 なるほど、コイツは犯人逮捕のためなら何だってやりかねない。敵にすると厄介な相手だ。

 

 ボロボロなシャッターの新聞投入口から見れば、なるほど斜め前にある酒場の入り口が良く見えた。

 脇には通用扉があるので、イザとなれば、ガラガラという派手な音を立てず行動に移れるだろう。

 

 リヤのドアをあけて持ってきたバッグを床に出すと、銭高は何やらゴソゴソと引っ張り出し、組み立てはじめる。

 折りたたまれていた三脚が引き延ばされ、そこに一眼レフが載ると、接続したケーブルを助手席に置いたパソコンへとつないだ。さらに電源コードをレンタカーにつなぐ。

 

「しっかし、なんつーか。ホコリっぽい場所ですねぇ……」

「なんの。こんな張り込み場所は、極上の部類ですぞ?」

 

 やがて“見張りの城”が完成したことに満足げな表情で、

 

「雨に濡れながら延々見張ることをおもえば、なんちぅコトもないのですテ」

「そんな張り込みをして、身体コワしませんか?」

 

 壊すようなら!と銭高はハナで嗤い、

 

「それはまだ()()()()()()が足らんのです!」

 

 ノーパソの画面が生き返り、いくつか操作をすると、外の映像が出る。

 

 ズーム。

 輝度調整。

 画像処理。

 

 『スナック 思い出』の看板がクッキリと。

 

 再開発中の区域にあたるため、シャッターを閉じている店が多い。

 通行人もまばらで、たいていは勤め帰りとみえる足早な人影だった。

 

「犯人たちは、21時に現れるというタレコミです」

「ふたりとも?」

 

 しっ!と銭高が口にゆびをあてた。

 カツカツとアスファルトをならし、シャッター前の通りを女性らしき足音が通り過ぎてゆく。その間の沈黙。

 

「……ひとりは、確実ですな」

 

 声をひそめ、このトレンチ・コート姿の狩人は声ひくく答えた。

 

「出来るなら、ふたりいっぺんがイイんですが」

「片方だけ捕まえると、相手が警戒しませんかね?」

 

 そこなんですわ、と銭高はうなずいた。

 

「ま、状況によりけりですな」

 

 オレは腕時計を見た。

 

 ――あと一時間……か。

 

「さ、電気をけしますぞ。ふだん明かりのついてない場所が目立つとマズい……」

 

 銭高は通用口わきにあった古風なスイッチを下げた。

 暗闇が戻ってくると、ポッカリ空いたシャッターの新聞入れから街灯の光が入ってくる。

 ようやく一息ついてみると、いまの自分がおかれた非日常性にようやく気付く。

 現役の警察官と一緒に轢殺目標を待ち伏せとは。

 すこし前のオレに聞かせても、おそらく絶対に信じないようなシチュエーションだ。

 

 と、オレの携帯が鳴った。

 画面を見れば、轢殺を見のがした青年からだった。

 おっ♪なにか分かったか?と期待を込めて画面をひらく。

 

≪拝啓

 お問い合わせの『BAR1918』の件、報告が遅くなりまして申し訳ありません。

 各方面に検索をかけましたが、以下の事項しか確認できませんでした≫

 

 そんな文章の後で、

 

 ・会員制のバーであること。

 ・一部で違法薬物の取引が行われている噂があること。

 ・営業時間、休日は不定期であること。

 ・ときおり、店の外に何台も黒塗りが停まることがあること。

 ・先の勢力のどちらに与しているかはわからないこと。

 

 そしてまたもや最後に、情報提供者への賞金として10万ばかり必要であることが書かれている。

 あの野郎、とオレは暗いガレージの中で舌打ちした。

 

 ――まさか自分のポケットに入れているだけじゃないのか……?

 

 と、さらにメール。

 

≪大変申し訳ありませんが、週明けの月曜までにお願いできませんか≫

 

 コイツ。

 着服するならまだしも、何かヘンなことに首ィ突っ込んでいるんじゃなかろうな。

 あるいは性懲りもなく、またどこからか強請(ゆす)られているとか……。

 

 どうしました?と銭高が車のドアを開きながらすこし警戒した声で、

 

「言っときますが、どこかに連絡するのは、この張り込みが終わるまで遠慮いただきますぞ?携帯も電源を切っておいて下さらんか」

 

 そう言って助手席にもぐりこみ、モニターの画面に顔を照らす。

 立っているのもしんどいので、オレも運転席にもどり、ドアをあけっぱにする。

 

「ドアをしめて下さらんか」

「は?」

「臭いで人がいるのがバレるかもしれませんからな」

「におい?」 

 

 ルーム・ランプの灯りのもと、銭高がトレンチ・コートの内ポケットから青いパッケージのタバコを取り出すのが分かった。

 

 ――『ゴロワーズ』なんか吸ってやがるのかよ……。

 

 しかもフイルターの無い“両切り”だ。

 どうりで臭いハズだぜ。

 

 

【挿絵表示】

 

「吸っても構いませんかな?……ん?」

 

 オレの返答を待つ間もなかった。

 金属の鳴る音がして銭高の顔が炎に照らされる。

 やがて黒タバコ特有のきつい香りが、車内に。

 

 においの――記憶。

 

 目隠しされた廊下で“サッチー”の印象を嗅ぎ当てたように、その匂いは……どこか遠く。ほんとうに遠くの光景を喚んできた……ような。

 

()()()()がバレてしまっては、台無しですからな?」

 

 フラッと頭が振れる。

 

 待ち伏せ……アンブッシュ……。

 意味の分からない単語の羅列。

 ガンシップのローター音。

 手製の爆弾を積んだセスナの来襲。 

 

 ふたりの男は車の中で黙然と時間をつぶす。

 

 ときおり、スナックに人が入るたび、銭高は画像をズームさせるが、どれもお目当ての人物ではないらしい。

 俺の方は黙ったまま、黒タバコの香りに誘われて、あるはずのない記憶が次から次へと頭の奥から現れるのを、まるでアヘンを吸った時に味わう幻視のように愉しみはじめていた。

 

 弾に当たらないと思い込まされ、バンザイ攻撃をかけてくる少年兵たち。

 

 タイトなロング・ブーツにギリギリなホット・パンツという、ダー〇ィー・ペアまがいの恰好をした、レオポルドヴィルをゆく夜の女たち。

 

 遠くで地響きのような音が轟いた。

 

「M101だ……」

「ハァ?」

「M101――105mm榴弾砲」

「何を言っとるんです?ありゃ雷ぢゃありませんか」

 

 俺は銭高の顔を不思議な思いでまじまじと見つめた。

 

「分からんのか?……近いぞ」

「はぁ?」

 

 ――そういえば……。

 

 ドレッドの、そして“おサル”のジョージの写真。

 今にして考えれば、どこか既視感があった。

 以前にも、あの二人の写真を見せられたような、そんな気がしている。

 

 暗いガレージの闇が、なま暖かい粘性をもって自分を包み込み、どこかへゆっくりと流してゆく……。

 

 

 

              * * *

 

 

「この男がそうなんですか?」

「そうだ。アルジェリアの闇商人。武器・象牙・コカインなんでもござれだ」

 

 前線基地の、急ごしらえな酒場だった。

 一階は迷彩服を着た男たちでごったがえしている。

 大きくあけ放たれた窓からは、熱を含んだ風が流れてきた。

 アフリカ大陸のこの場所は、夜になっても気温が少ししか下がらない。

 むしろ陽光に痛めつけられた樹木たちが息をつくのか、かえって湿度がまして耐えがたかった。

 

 CIAの軍事顧問だと紹介されたその人物は、そんな場所に全く不釣り合いなスーツ姿であらわれた。

 俺と同じぐらいの年代か。まだ40は行っていないだろう。

 マンハッタンの「ウォール・ストリート」かロンドンにある「ザ・シティ」の勤め人が瞬間移動でやってきたような印象。そんなものだから見た目がきわめて暑苦しい。Yシャツも開襟にすればいいものを、ご丁寧にネクタイまで締めている。七三分けの額にも玉の汗をうかべて。

 

 ――上着など脱げばいいのに……。

 

 それとも、その下に吊っている拳銃を見られるのがイヤなのか。

 どうもこの男はちぐはぐだ。どんな経歴を送ってきたのだろう。

 

 渡された数枚の写真。

 

 俺は唇をひん曲げて、そこにうつるドレッド・ヘアを眺めた。

 どれもこれも隠し撮りらしく、構図が安定していない。

 サングラスをかけた精悍そうな男。削げたようなほおが印象的だ。

 一枚の写真などは、見慣れない狙撃銃を手に現地の将校と話している。

 

「コイツが持ってる、妙な形ィした照準器付きの銃はナンです?」

 

 相手の男は写真をチラッと見て、

 

「スナイペルスカヤ・ヴィントゥーフカ・ドゥラグナヴァ」

 

 流暢なロシア語らしきものが帰ってきた。

 

「……は?」

「狙撃兵用のセミ・オートマティック式狙撃銃・ドラグノフ型。ソ連のイジェフスク造兵廠が生産している新型の銃だ」

「射程は?」

「900ヤード弱」

 

 ――約800メーターか……。

 

「ただし弾頭が重いのでドロップが激しい。熟練のスナイパーでないと」

 

【挿絵表示】

 

 

 撃ち負けるかな?と俺は部隊が運用する旧い狙撃銃を思う。

 だがウチの連中は、条件が良ければ1km先のメロンに当てる。

 結局は射手のウデ次第。勝負は互角、と言うところだろう。

 

「……で、この男を()れ、と?」

 

 軍事顧問どのは黙ってうなずいた。

 

 ――ケッ……。

 

 オレはすっかり氷が溶けて(ぬる)くなったジントニックを含むと、椅子に背を投げ出し、天井で回るファンを見上げた。

 

 人間が月に行こうかっていうこの1960年代に、軍の作戦をこっそり外れ、暗殺に行けという冒険小説じみたマネごとを?信じられん。

 基地司令の中佐は酒場の2Fにならぶ個室の一つに特殊作戦グループの中尉である俺を案内すると、そのあとは早々に姿を消した。

 たぶん火の粉が降りかかるのを恐れたんだろう。

 国連軍の上層部にゴマをする事だけがうまい官僚タイプ。

 

 

「なぁ、マイケル。いつまであんな野郎のケツを舐めてるんだぃ?」

 

 すこし前。

 傭兵グループのコマンド部隊大佐から中尉の肩章をはじかれ、

 

「ヤツが信用おけないのは知ってるだろう?仲間ァ引き連れてウチに来いよ。大尉の地位を用意して待っとるぞ」

 

 合同作戦の大休止時にコソッと言われたものだ。 

 

 そう。

 あの司令はイマイチ信用が置けない。

 だとしたら……この作戦は、どれだけオフィシャルな位置づけなんだ?

 

 任務完了と同時に、べつの部隊が俺たちを消しに来るのではタマらない。

 そのへんの担保は、キッチリとつけておかないと……。

 

「そしてこっちがジョージ・チン」

 

 オレの考えをよそに、相手はもう一枚。

 『マグショット(逮捕写真)』をトランプの札のように掲げてみせた。

 よく斬れる山刀を思わせるドレッドとくらべて、こちらはいかにもペラい印象。

 

「この“闇商人”の使い走りみたいなものだ」

「ソイツも殺れと?」

 

 七三分けが縦にうごいた。

 

「――できれば」

 

 ふぅぬ。

 俺は腕組みをする。

 気の進まない俺を鼓舞するように相手は、

 

「ヤツらはソ連の支援を受けたグループに守られて行動している」

本職(兵士)?」

「おそらく。君たちとの腕比べというわけだ」

「なんでクレムリンがこんな連中とツルんでるんです?」

 

 フッ、と情報屋の顔に嗤いが浮かんだ。

 

「ようは“赤い貴族”(ノーメンクラトゥーラ)どもの小遣い稼ぎだ。配給だけじゃ、豪勢な暮らしはできんからな」 

「象牙やコカインのために命を落としたくはないなぁ……」

「アカどもが憎くはないのかね?これも自由のための戦いだ」

 

 そういって、自分のコカ・コーラを飲んで口を湿らせ先をつづける。

 

「敵対する部隊の隊長は、カタンガ州生まれのベルギー人だ。そう、例によってベルギー」

「フン。ハマーショルドを()った連中か……」※

「その辺は、私の口からは何とも言えんよ?立場というものがあるからね」

 

 妙にかさばる大型の封筒を押し付けて、エリート風味な相手は立ち上がった。

 

「別途、連絡する。君たちが動きやすいよう後日、作戦が発動されるはずだ」

 

 そう言うと相手は軽くうなずいて小部屋を出ていった。

 

 暑い。

 風も止んでしまった。

 俺は開け放した窓から身を乗り出し、アフリカの闇に眼をこらす。

 

 と。射撃場の方で連続した射撃音がわきおこった。

 やや間をおいて、こんどはすこし発射速度が遅い連射。

 

 ――ヤツらだな?

 

 フフン、と笑いが浮かぶ。

 

 もと降下猟兵でカールグスタフm/45を振り回す低地ドイツ人。

 そして第1外人落下傘連隊を脱走したMAT49使うフランス人。

 この2人は同じ9mm口径で仕組みも似た得物の優劣を競い、いつも競り合っていた。

 おそらく、また腕比べをしているんだろう。

 

 2Fにある小部屋から、下を俺の従卒が歩いてゆくのが見えた。

 

「オタ!――オタ・ンクンダ!」

 

 名前を呼ばれた黒人の少年はしばらくキョロキョロ辺りを見回していたが、やがて酒場2Fの窓から身を乗り出す俺に気づいた。

 

 闇夜に真っ白な歯が二ッと浮かぶ。

 

「射撃場でバカ騒ぎしてるのはジャンとエグモントか?」

「ハァイ!小隊長サンたち、いつものとおりネ!!」

「いい加減にしておけと伝えろ」

「アイ・サー」

 

 小さな体が闇夜を走ってゆく。

                 

 俺は窓辺をはなれ、また椅子に座り込んだ。

 腰のホルスターに収めた拳銃が妙に重い。

 

 俺もヤキが回ったかな?とテーブルの上にあった写真をかき集めると、古馴染みの拳銃を抜き出し、滑動体(スライド)を引く。

 

 命令違反をした部下の処刑用にしか使ったことのない銃だった

 シングル・カーラムな弾倉から真鍮の輝きを持つ弾薬が“したり顔”をしてのぞく。

 

 ――なんか……疲れたな。

 

 戦いにも飽きた。

 酒にも飽きた。

 

 迫撃砲(モーター)の唸りにも。

 家ごと焼き殺される原住民の悲鳴にも。

 栄養失調で死んでゆく赤ん坊にたかるハエにも。

 

 俺は銃をホルスターに戻して、代わりに妙な持ち重りがする封筒を取り上げた。

 手にした封筒は、汗でたちまちフニャフニャになる。

 アゴに伝う汗ををはらい、舌打ちをした。

 

 ――まったくあの“ラングレー(CIA)”のアホ()。よくスーツなんか着込んだものだ。

 

 中央のエリートというものは、えてしてあんなものなのだろうか?

 野戦服のポケットからヴィクトリノックスを取り出し、パチンと折り畳みの刃を引き出すと、封筒の上を一気に切り裂く。

 

 

 中からはドレッドとチンにかんする資料。

 そして“前金”と付箋の貼られた20$札の束で5000$……。

 

 

 強烈な既視感に襲われて俺はとまどう。

 まえにも、どこかでこんなことがあったような。

 

 

 ――どこだっけ、あれは……ホテル?

 

 思いだせない。

 しばらく苦しんだすえ、とうとう俺は考える努力を放棄した。

 

 写真をひとまとめにして汗でふやけた封筒に放り込み、シワクチャの紙幣の上に飲み干したグラスにを重石に置いて小部屋を出る。

 

 階段を降りてゆくと、下の階では騒ぎが持ち上がっているのが分かった。

 酒場の明るい灯のもとで人垣ができ、その中で戦闘服を着たふたりの男がニラみ合っている。

 さらにそれを多くの兵士たちが離れたテーブルに座りながらニヤニヤと観戦する風。

 

 マイケル中尉どのだ!

 

 そんな声がして、ザワッと囲みがゆれ、十数名の兵士たちはバツの悪そうな顔をする。

 

「なんだ、みんなして――お前もか?ンダウ伍長」

 

 囲みの中で睨みあっていた大柄な黒人の下士官が、だってこの野郎が……と相手を示し、

 

「中尉どのが……腰抜けだって」

「こないだの市街戦、ありゃなんです!?」

 

 睨みあっていたもう一人のレスラー体格な金髪の若者が怒鳴った。

 

「少年兵の群れなんかにビビッたりして!」

「……酔ってるな?ベジドフ伍長。あれは怯んだんじゃない、深追いを避けただけだ」

「あんなクソ忌々しいガキども!サッサと火炎放射器で焼き殺せば良かったんです!」

 

 そうだそうだ!と2,3人の声。さらに同意のうめき声。

 

 あんな糞ガキども!思い知らせてやりゃぁイイんだ。

 みんな悪魔の口ンなかにほうりこんじゃえ!

 弾に当たらない魔除けがウソだって9mmでおしえてやるのさ!

 

 これには酒場から少なからず賛同の波が広がった。

 俺はすばやくその機先を制し、

 

「その先を考えたことがあるのか?……アぁ?」

 

 腰に手をやって、並み居る迷彩服姿の男たちを睨めわたした。

 コソコソと視線が逸らされる気配。

 

「火炎放射器でガキどもを焼くだと……?」

 

 タバコとアルコール、それに銃器くさい酒場の空気をめいっぱい深呼吸してから、

 

「ンなことしたら、十字軍気どりな銀バエ(マスコミ)どもの!恰好の餌食(ネタ)じゃねぇかッ!!」

 

 水を打ったように酒場は静まり返る。

 いままでBGMとして流していた古いタンゴの曲が、間抜けにもおもえるほど。

 バンドネオンの旋律の間にチリチリと鳴るレコードのキズが、ヤケに耳に付いた。

 

「あの時はガキを(おとり)に敵の本隊がせまっていたんだ。あそこでガキどもにかまけて時間をロスしてみろ。包囲・分断されてオワりだ……それに」

 

 様々な階級の眼が、こちらを向いていた。

 様々な肌の色も、同じく。

 

「ガキどもだっていつかは大人になるんだ。その時にオレたちのことを、どう思うか」

「どう思われたってイイじゃねえか」

 

 一群のなかから声がおこった。

 

「ドウセなにも出来やしねぇよォ!」

 

 果たしてそうかな?と俺は声の方を向いて、

 

「いまはガキでも、人材が払底しているこの国だ。警官になるヤツだっているだろう。役人になるヤツもな。あるいは政治家にだってなるかもしれない……その時こそ、俺たちは報復を受ける覚悟を決めなくちゃならん」

「簡単だぜ。ぜんぶ殺しちまえばイイだから」

 

 金髪の若者が叫んだ。

 

「ひとりも残さずによォ!」

「いいだろう!――全員ころすさ?」

 

 間髪をいれず俺はその大柄な金髪の青年に叫び返すと、

 

「だがその親族は?友人は?関係する人間は?俺たちに憎しみを抱くだろうソイツ等も全員殺すと言うのか?原爆でもつかうか!」

「……」

「少しは考えろ!そのアタマは飾りか!」

 

 金髪の顔が真っ赤に染まった。

 酒場に白けた雰囲気が漂うのをしおに、

 

「ジャマしたな、諸君――済まなかった」

 

 そう言ってきびすをかえし、酒場の出口へ向かう。

 背後で怒声がおこった。

 

 オレが振り向くのと、光るモノが突き出されるのが同時だった。

 とっさに身をひねって避けると、前のめりにバランスをくずした相手へ体重が存分に乗ったパンチを叩き込む。

 飲んだ酒を逆流させ、金髪は白目をむくと酒場の床にくずれ落ちた。

 

 おぉう……という言葉にならないどよめき。

 

 ――アホ臭い……。

 

 さっさと愚者の巣窟たる酒場をあとにする。

 

 闇の中、俺は自分の兵舎にむけて歩き出した。

 ふと上をみれば、天の川銀河が、これでもかというくらい美しく……。

 

 

 

              * * *

 

 

「もしもし……もしも~し」

 

 闇の中から誰かが声をかけてきた。

 

 聞いたことのあるダミ声。

 ゴロワーズの臭い

 感覚が潮のようにもどってくる。

 

 相変わらずの闇だ。

 だが、もはや蒸し暑くはない。

 しかし相変わらずゴロワーズの臭気は漂って……。

 

「おいアンタ――大丈夫ですかな?」

 

 声の方を向くと、ゴツい顔をした男がこちらを見ていた。

 見慣れない顔。

 見慣れない服装。

 どこの中隊だ、コイツは……。

 

 男は、俺の顔の前にヒラヒラと手をかざす。

 と、二重合焦式のピントが合うように、認識がハッキリしてきた。

 

「アンタ、目をあけたままブツブツとなにかしきりに言っていましたぞ?」

「なんて……言ってた?」

「紫外線がドウとか花園報謝がドウとか……」

 

 ようやく現実が追い付いてくる。

 

 見慣れぬ男は日本国警察の警部補に変わり、アフリカの夜の闇はガレージのなかの暗さへと退潮した。

 

 俺はメーター・パネルを見る。

 目の前のデジタル時計の青い灯は21:30を示して……。  

 

 

 




※1961年。
 当時の国連事務総長が、ナゾの飛行機事故で殉職したのは
 読者の皆様ご存知のとおり。


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     〃     (3)

 

 俺は自分の眼をうたがった。

 

 

 明晰夢なのか。

 それとも沈思黙考なのか。

 一連の、みょうにハッキリとした、匂いさえも伴う映像

 それを思い浮かべているうちに、1時間以上も経っていたとは。

 

 右フックに使った握りこぶしの感覚が生々しい。

 サバンナの闇夜に轟いた短機関銃の銃声。

 汗のベタつきと、酒場のどよめき。

 夜空を盛大に横切る星々……。

 

「器用ですな、アンタは」

「なにか」

「目を開けて寝てましたぞ」

「寝てた……俺が?」

 

 銭高はモニターに照らされた幽鬼のような顔をチラッとこちらに向け、

 

「コチラが話しかけても、なんの反応も無かったですからなァ」

「いや、ちょっと考えゴトをしていたんだ……と思う」

 

 ドアのスイッチを操作し、車の窓を下げて深呼吸した。

 いつのまにかレンタカーの中はゴロワーズの煙だらけになっている。

 

 指定の時間を過ぎても銭高が動いていない。

 と言うことは。

 ドレッドたちは姿を見せていないのだろう。

 そもそもあんな場末の飲み屋に、本当に現れるかアヤしいものだ。

 なんというか――そう。店の雰囲気が、ヤツラの気配とマッチしていない。

 俺は、『ジーミの店』の対面に立つ小さな酒場を思う。

 

 『BAR1918』

 

 そうだ。

 やはりこちらの方が、どうも本命な気がする。

 はやいトコ現地に行って()()()をつけた方が良さそうだ。

 この警部補ドノに嗅ぎつけられるのも、時間の問題かもしれない。

 

 それからさらに30分近くの間、車内は無言だった。

 銭高は恐ろしいネバりをみせ、ノーパソのモニターから目をくぎ付けにして。

 とうとうガマンしきれなくなった俺は、

 

「これは……今夜は姿を現さないんじゃ?」

「……」

「あるいは……ガセだったとか」

「その思い込みがイカんのです……ホラ」

 

 えっ!と俺のなかで血が騒いだ。

 ノーパソの画面を横からのぞき込む。

 

 最大ズームとなったモニター画面。

 その中で、短髪、強面をしたガタイのいい青年が、スカジャンのポケットに手を突っ込んだまま、ダボダボなズボンをひるがえし歩いてくる。

 身長も幅も、俺より一回り大きい。

 さりげなく四方を睨み、なにかを確認するような用心深い物腰。

 頭を動かすたびに耳のイヤリングが煌く。

 

 しかし――どうみても、見覚えのない野郎だ。

 

「コイツが?……このガキが、どうしたってんです」

「例の2人につながっているヤツですよ。ヤクの売人(プッシャー)をやっている“ブタジマ”ってクズです。今回は、ひょっとするとメッセンジャー役かもしれませんナ」

 

 俺たちが見守るなか、売人ブタジマくんは『スナック 思い出』のベルをハデに鳴らして雑にドアを開け、大きな図体を店のなかに消した。

 

「踏み込むんですか?」

「まァさか。令状もないのに」

「え?いちおう法律は重視するんだ……」

「アンタぁワタシをなんだと思っとるんです?」

「不良警察官」

「……せめて“正義の”不良警察官と言って欲しいですナァ」

「正義ねぇ……」

 

 そのまま2人で息をつめて見ていると、やがて10分ほどで酔った風もなく店から出てきた。

 携帯をどこかにかけると、画面を見ながら何やら話しつつ、ゆっくりと歩いてゆく。

 

「よぅし。すこし、ゆさぶってみますかナ……」

「ゆさぶるって、どんな?」

 

 なぁ、アンタ?と銭高はこちらに向き直り、底光りをおびた(まなこ)

 

「あのガキに、チョッとばかりちょっかい出してみてくれませんか」

「ちょっかい……って?」

「なんでもいい、挑発するんですよ。警官が探してるとか。そうだ、このワシが待ってるとかでもいい」

 

 ――うぇぇぇぇ?

 

 思わず絶句する。

 

「……コッチは善良な一般市民ですよ?」

「ハテ。善良かどうかは、分かりませんが、な」

「市民の安全と生命を守るんじゃないんですか?」

 

 俺の抗議に、この警部補どのはオソろしいことを言い出した。

 

「100人の市民を守るためなら1人くらいの犠牲はやむをえません、といったトコですかな」

 

 サァ、早く!と俺はレンタカーを追い出されてしまった。

 饐えた臭いがするガレージのうす闇を泳ぎ、シャッター脇のガタがきた木製ドアを開ける。

 

 ひんやりとした新鮮な空気。

 往来の途絶えた、再開発地区の夜の光景。

 通勤帰りの人影は、もはや絶えて見えなかった。

 デザインの旧いあちこちの看板だけが、わびしく灯って。

 

 俺は道をわたり、『思い出』の前をワザとゆっくり通過する。

 店は、中からカラオケの気配や談笑がもれることもなく、ヒッソリとしていた。

 もしや立ち退きのための補助金が欲しいため、形ばかりに店を開けているような。

 そしてそれは、まわりのどの店も同じような気配だった。

 

 彼方を見れば、問題の青年がこちらに背をむけ、ゆっくりと歩いている。

 こちらは革靴をできるだけ足音立てぬよう、背後から青年との距離を詰めた。

 気配を殺し、視線を目標のあしもとに固定して、なるべく気取られないように……。

 

 青年側の通話が終わった。

 

 いや、もしかしたら通話などしていなかったのかもしれない。

 背後から近づく俺に、とうに気づいていた身ごなしで、ゆっくりと振り向く。

 そういや携帯の画面の持ち方がヘンだった。ありはバックミラーがわりにしていたか。

 両腕を脇に垂らし、ゆっくりと待ち受ける姿勢。

 

「なんだ?テメーは……殺気なんか出しやがって」

 

 ヤバい。

 

 気配を消したつもりだが、アフリカの夢の影響が、まだ尾を引いていたか。

 なるべく顔を見なれないよう、うつ向きがちになったまま近づくと、足を止め、

 

「銭高のとっつぁんがヨロシクとよ……」

 

 いきなり光るモノが突き出される。

 

 とっさに身をひねって避けることが出来たのは、たぶんあの夢のおかげだ。

 だが、相手は酔って腰の入っていなかった伍長とちがい、バランスを崩すようなヘマはせず、ナイフを構えたままヘビのような眼つきでジッとこちらをニラむ。

 オレは更地となった地面に突き刺されている手ごろな鉄棒をサッと横目に。

 

 ――いや……この辺の防犯カメラ、まだ生きてるよな。

 

 ハデなことは出来なかった。

 

 この国は“正当防衛”が通じない司法に支配されている。

 鉄棒をふりまわし、ウッカリ相手の頭蓋骨でも陥没させたら「過剰防衛」でコッチが逮捕されちまう。

 

 間合いを詰める相手に、オレは『思い出』の方へと後ずさる。

 ねがわくば銭高が、このシーンをバッチリ撮ってくれますように。

 

 瞬間、こちらのスキを突いたように闇夜を光芒が奔った。

 

 ――コイツ!

 

 単なるチンピラじゃない。

 まちがいなく1人や2人殺っている動きだ。

 俺はジリジリと、さらに『思い出』の方に後退する。

 

 ナイフの動きが迅い。

 夜目にも鮮やかに虹色の閃光が縦横に走る。

 体捌きをミスったときは、ジャケットを刃先がかすめた。

 スキをさそい、大きなモーションの攻撃を受け流した刹那、俺は相手のふところにもぐりこみ、ふたたび体重が存分に乗ったパンチを叩き込む。

 

 ――うっ……!

 

 拳から伝わってくる、筋肉に鎧われたブ厚い胴体のけはい。

 

 ヤバイ、と思う間も無かった。

 相手はパンチを叩き込んだ俺の腕を掴むやねじりあげ、一挙動で一本背負い。

 

 アスファルトの路面。

 そして夜空を背景とした古びた街灯が目の前を流れ、掴まれていた腕が離された次の瞬間、山なりに背中から落下した。

 どうにか受け身が間に合い、衝撃を体全体で受け止めて殺すと、そのまま転がって相手との間合いを取る。 

 

「手馴れてるじゃねぇか、えぇ?――サツの(イヌ)か」

 

 低い声が、含み笑いと共に。

 なにか楽しんでいるような風情がある。

 おそらく相当の場数を重ねたワルだと俺は察する。

 

「待ってな?いまラクにしてやっからヨォ……」

「ラク?らくってなァ、どういうこったい?」

 

 オレは、俺の口が浮き浮きと、いかにも楽しげに動くのを耳にした。

 

「テメェみてぇなガキが、俺に敵うとでも?」

 

 颯、と相手の顔色が変わるのが、このうす暗がりでも分かった。

 

「上等だよ糞オヤジが……その減らず口を入れ歯にしてやっから」

 

 こんどはコッチの顔色が変わる番だった。

 

「はぁ?寝言は寝てから言えや、腐れ外道め。テメェみてぇなクズは社会のお荷物なんだよ」

 

 もはや子供の口ゲンカだった。

 彼我ともに目を怒らせ、中腰になり一触即発の機会をうかがう。

 

 その時だった。

 

 ドタドタと幾つもの重い足音が一斉に沸き起こったかと思うと、相手は同じようにゴツい体格をしたスーツ姿の男三人に取り押さえられる。巨体同士が激しくぶつかり合う気配。1人がケリを入れられて吹き飛ばされた。

 逃げようと更にもがく売人ブタジマくんだったが、ひとりの男が彼の後頭部をわしづかみにして近くの電柱に叩きつけたところで勝負がキマった。

 大柄な体が、ズルズルと崩れてゆき、動かなくなる。

 

「22時19分・銃刀法違反!“ゲンタイ”(現行犯逮捕)!」  

  

 すぅぅっ……と黒いセダンが音もなく近寄ってきて、グッタリとしたブタジマくんは後ろ手に手錠をかけられたまま、後部座席に押し込まれる。

 

 男たちの動きは素早かった。

 

 落ちた刃物。それに売人の携帯電話を“証拠品として回収。

 もう一台やってきたセダンに分乗するや、すこし離れた場所で緊張したまま身構える俺には目もくれずに、一言もなく撤収していった。

 

 ――()ッかねぇぇぇ……なんだよアレ。

 

 普通(なみ)の警察の動きじゃなかった。

 拉致に慣れているような身ごなし。連携プレー。

 薄暗い場所だったので、男たちの印象もあまり残っていない。

 

 今になって、受け身をとった時の腕と背中の痛みが自己主張を始めた。

 それによくみれば、ジャケットの前身ごろもがスッパリと切られている。

 内ポケットに入れていた手帳が幸いしたのか、そこで刃筋が変わっていた。

 

 ――これで3着目だぜクソが……。

 

 1着目は女どもの愛液まみれ。

 2着目は首筋からの鮮血。

 そして今またコレだ。

 

 オレは首の包帯をソッと触った。

 縫合跡がひきつったような痛み。

 あのブタジマと格闘した時かな。

 どうもこのところヤバい感じだ。

 

 トボトボと歩きながら、俺はガレージの方へともどる。

 シャッターわきの扉を静かにあけ、電球のスイッチを探った。

 

 ところが。

 

 いくらパチパチやっても頭上の裸電球が点かない。

 よくみればカメラ付き三脚も、なによりあの警部補の姿も消えていた。

 

 「――銭高さん……?」

 

 俺は手さぐりでガラガラとシャッターを開けた。

 街灯のあかりが水のように車庫へと流れ込み、うらぶれた情景に輪をかける。

 

 なんてこった……。

 

 俺はレンタカーの運転席にもどった。

 背中と腕の痛み。なにより車内にこもるゴロワースの臭いさえなければ、あの猟犬じみた警察官の存在をも疑うところだ。

 

 ――まてよ……?

 

 そのときはじめて思い当たった。

 

 ――あの警部補め、まさか俺を囮にしたんじゃ……。

 

 ひょっとすると、最初からあの“売人くん”目当てだったのかもしれない。

 だとすると納得がいく。

 サッチーとケンカをしたので、手ごまが足りなくなったとしたら。

 しかしそうなると後続の部隊はなんだろう?

 

 ――どうみても所轄や県警には見えなかったナァ。

 

 記憶に残る物騒な雰囲気……いちおう“ゲンタイ”とは言っていたが。

 まさかあれがウワサの『公安警察』だろうか。

 機動隊あがりめいた体格の野郎どもたち。

 スーツが、いかにも借り物じみて。

 

 ささくれた気分になりかかるが、あの一団の不気味さがそれを帳消しにしている。

 なんだか銭高警部補どのの、闇の一面をかいま見たような。

 

 ドアポケットに残しておいた携帯の電源を入れる。

 服に入れっぱなしにしておかなくて良かった。

 もっとも、こうなることは半分予期していたのだ。

 

 着信が1件――『美月』から。なんだろう。

 そしてメールが3件。

 いずれも轢殺を見逃した青年から、10万の催促×3回。

 チッ!と舌打ち。あのガキめ。

 

 ――ようし。ンなら直々に届けてやろうかぃ。

 

 ニヤリと思わず俺はわらう。

 

 場合によっては説教だ!

 俺はガレージから車を慎重に出すと。7シャッターを元どおりに下ろし、うらぶれた地区を抜けて記憶にあるヤツの家へと向かう。

 

 

             *  *  *

 

 

 窓を全開に開けて走っても、ゴロワーズの臭いは取れなかった。

 まるであの警部補の執念が車に、そしてオレの服にもしみついたような。

 途中のコンビニでスプレー式の消臭剤を買い、車内に、そしてオレの服に吹きかける。

 

 ――銭高め……こんど会ったら、どうしてくれようか。

 

 やがてレンタカーは静かな住宅街に入った。

 シャッターの降りた、まるで無人のような家々が並ぶ区画。

 ようやく青年の家まで来た時、俺は携帯からメールをする。

 

≪よぅ、引きこもり。調子はどうだい≫

 

 さほど待つまでもなく返答が帰ってきた。

 

≪あぁ、よかった!もう見捨てられたのかと思いました(泣き顔のスタンプ)≫

≪ずいぶん金が要りようなんだな。まさかフトコロに入れてるんじゃなかろうな?≫

 

 すこし間があいた。やがて、

 

≪一応、情報をもらったら返礼しなくちゃならないところがあるんです!≫

 

 憤慨したような文面。

 

≪それで、お願いした金額は月曜日に間に合いますか?≫

≪いま渡してやるよ≫

≪――いま?≫

≪窓を開けてみな≫

 

暗く静まり返った目の前の大きな家。

その一角の窓がパチンと鳴り、サッシがカラカラと開けられる気配。

オレは携帯のライトを灯し、その窓に向け大きく輪をかいた。

 

「ウェ!?」

 

 上からそんな妙な声が降ってきて、すぐさま窓は閉じられる。

 

 ややあって、ドカドカと階段を踏み鳴らす音が家の中から響いたと思うや、ガチャリ、暗いまま玄関の戸が開いて、くだんの青年が顔をのぞかせた。

 

「よぅ、もってきたぞ!?」

「そんなぁ……ネットバンクじゃないと困るのに」

「分かったわかった、じゃぁネットバンクにでもするさ」

「もー来るなら来ると……良かったですよ、今夜は家の者がみんな留守で」

 

 サンダルをつっかけて、青年が門までやってきた。

 

「なんだ?オマエの家族、旅行にでも行ったか」

「まえに話したでしょ?兄の結婚について、先方の家と打ち合わせに泊りがけで……」

 

 そういや兄貴が年の離れた女とムリヤリ結婚だとか話していたっけ。 

 

「……そうか。ンなら、とりあえずジャマするぞ」

 

 俺は豪勢な門を勝手に開いて前庭にズンズンと進み、玄関へと向かう。

 

「え、ちょっと!そんな」

 

 驚いたような声が、背中から追いかけてくる。

 オレのほうも“俺”の行動に驚いていた。

 普段なら、こんなことは絶対やらないはずなのだが。

 

 玄関わきのそれらしきスイッチを入れると頭上のシャレた照明が息を吹き返した。

 広い玄関だ。三和土(靴脱ぎ場)のスペースも十分。さすがに鷺の内邸ほどではないが。

 なるほど、コイツの家が金持ちらしいことは分かった。

 靴を脱ぎ、俺は勝手に上がり込む。

 そして、そのままワキにあった階段を上がって二階へ。

 

「えッ!ちょっと!」

 

 いきなりジャケットのベンツを引っ張られる。

 

「まさか……ボクの部屋に!?」

「いいか小僧!」

 

 俺は振り向いて、フロント・ダーツあたりを奔るナイフの切り口をしめした。

 

「今日ここに来るまでにな!半グレと渡り合って、コッチぁ散々な目に遭ってるんだ!お前の10万を届けるためにだぞ!?四の五の言わすな!」

 

 最後のほうはハッタリだったが、そう言って凄んで相手を黙らせた俺は、2階の廊下をズンズンと歩き、それらしき部屋の引き戸をガラリと開ける。

 

 ――うゎ……。

 

 目の前に広がった光景に、思わず俺は息をのんだ。

 

 



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     〃     (4)

 足の踏み場もないゴミの山。

 片付けられていないペットボトル。

 食べ残しの弁当や、散らばったマンガ本、雑誌。

 部屋にこもる次亜塩素酸ナトリウム(オナニー)の臭いとティッシュ。

 

 ……などと言うことはなく、室内はワリと整然としていた。

 同人誌らしき『ウサギさんのおしごと~バニーガールのイケナイないしょ話』※1

 が読みかけのまま伏せられていて、その奥ではバニーガールのコスプレをしたアニメキャラの1/1ドールが1体。10畳チョイほどの部屋の奥からこちらを見ている。

 

「ちょっと、早く出てって下さい!」

「あ……パヤ波だ」

「そうですよ、パヤ波です!さぁ、はやく!」

「あ、それにC子さん」

 

 壁にはエロゲーキャラの等身大ポスターがメイド服姿で微笑んでいた。

 

「……知ってるんですか」

 

 昔は営業マンたるもの、客先のどんなネタにも反応しなくてはならないので、常に勉強を怠らなかったものだ。たとえそれが18禁のPCゲームであっても、である。あのエロゲー好きな電機メーカーの部長とのやりとりが、こんなところで生きるとは思わなかったが。

 趣味が高じた挙句、とうとうモノホンのJKに手を出して捕まり、諭旨解雇処分となったあのオヤジは、今ドコで何をしているのだろうか……。

 

「C子さんイイよね」

「いい……」

 

 これで青年は少し軟化したようだった。

 渋々ながらベッドの近くにあるスツールをすすめる。

 

 コレクション用の照明付き大型ガラス棚には小さなフィギュア数十体。

 いずれも極小水着やスケスケ踊り子の衣装など、キワどい格好で様々なポーズをとっていた。

 だがそれにもまして目を引くのは、横長の大型モニターを田の字にならべた机だ。

 さまざまなボタンがついた複雑そうなマウス。透過光式のキーボード。

 何かのチャート表が、クリップボードに何枚も留められて。

 

「すげェな……株式投資でもやってんの?」

「いえ、MMO(ゲーム)です」

 

 そういや、そうかと俺は考え直した。

 株式投資で儲かってたら、10万なんて小さな金額に頓着しないもんな。

 

「――そうだ、忘れちまわないウチに、目的カタしとくか」

 

 俺は携帯を出すと青年から口座番号をおそわり、そこに送金する。

 

「よし、と。そうそう、『BAR 1918』に関して追加で分かったコトがあればたのむ」

 

 とは言ってもですねぇ?と青年は机に歩み寄り、スリープ・モードのPCを立ち上げた。

 4枚の大型画面というのは、なかなか迫力がある。

 部屋を見わたせば、座り心地の良さそうなリクライニング・チェア。高価(たか)そうなオーディオ設備。よくみれば、天井にはプロジェクターすらあるじゃないか。

 

 ――なるほど……こんな部屋に居るんでは、外に出たくもなくなるぜ。

 

 青年がなにやらキーを使ってパスワードらしきものを打ち込むと、モニターには掲示板のような画面があらわれ、そこの質問欄に、

 

 『BAR 1918』

 

 という文字が出てきた。

 

 

「新規の回答は――0件です。回答者には褒賞を与えるんで、金が必要で……」

「何だ?そのページは」

「珍しくもない裏サイトですよ」

「なんだそれ。違法なヤツか」

「まぁ、そうですね。“葉っぱ”から鉄砲から、なんでもそろいます」

 

 ふぅん。本当に情報料として金が必要だったのか。

 俺はすこしこの若者を見直した。

 

「あ、そういえば!」

 

 そして俺は、あることを思いだす。

 

「オマエからもらった異世界転生のトラックサイト、見当たらなかったぞ?」

「えぇっ?そんなバカな――昨夜も見ましたよ?」

 

 青年は、ふたたび慣れた手つきで素早くキーを叩く。

 

「……ほら」

 

 なんと。

 

 画面トップにはトラックに撥ねられた挙句、剣を持った少年となるイラスト。

 悪用厳禁うんぬん、秘密厳守がどーたらのあとに、

 

 異世界に行きたくはありませんか……!?

 

  冒険が!ハーレムが!運命の人が!あなたをまっています。

  ニクい奴は地獄に転生させ!この世に未練のないあなたは新世界の救世主に!

 

 その下に依頼者の名前と連絡先、それに轢殺対象の住所氏名を記す欄があり、さらに一段下がって理由を書くスペースが大きく設けられていた。

 

「まず“轢殺目標”の住所氏名を書くんです。もちろんこれは本人でもOK。その下に理由を書いて、送信するんだとか」

「――まて」

 

 そこはかとなくヒヤリとするものを感じながら、

 

()()()()という単語を使っているのか?」

「えぇ、もちろん。ホラここに」

 

 青年は生意気にもレーザー・ポインターで画面の一部をしめすと――なるほど、確かに。

 

「送信した後、認められれば指定の金額を口座に振り込むように指示されます」

「その画面のはじっコ……掲示板があるな?」

「あぁ、転生目的じゃなくて憎い相手をトバす使い方もありますから。相手が消えたことに対するお礼なんかがありますよ?なんでもその場合は轢殺目標の“業”によって、憎い相手は転生先でもひどい目にあうとか。でも「転生ポイント」が高くないとダメらしいですけど。ターゲット自体は、サイト主が独自に選別するとか」

 

 耳慣れたワードが次から次へとポンポン出てくる。

 間違いない。ニコニコ転生協会の誰かが、この闇サイトを運営してるのだ。

 

「その、サイトの主は誰になってる?」

「ココですね、ホラ」

 

~斬士鐔~

 

「なんだ?『ざん・し・つば』?」

キリ()()タン()、ですよ」

 

 俺は青年に指図して掲示板のページをひらく。

 ずらずらと箇条書きの文句が出てきた。

 

+月+日

・斬士鐔さま、有難うございました!***は、もう登校してこなくなりました。

+月+日

・さすがです斬士鐔様、あのクソにくい部長は行方不明!きっと貴方様の裁定でしょう!

+月+日

・身辺整理はつけました。異世界へ旅立つ準備はできています。いざ、新世界で勇者を!

+月+日

・あぁ、斬士鐔サマ!早く!早くあの憎い***を!このままでは夜も眠れません。

+月+日。

・キリシタンさま!超絶ハーレムをイボンヌ!真性童貞は、もう魔導師になるしかないっス!11

+月+日……。

 

 日付を追ってみると、月に1~2件ほどの轢殺達成らしき文面がある。

 ノルマにはチョイ足りないが、まぁ業務の補完サイトとして考えればこんなものか。

 スクロールしてみると、掲示板の容量はたいたい1年分らしい。過去のデータは消されている。

 

「驚いたね……どうも」

 

 俺はあえぐように呟いた。

 これは【SAI】にも訊いてみなくては。

 ヤツの記録に、なにか残っているかもしれない。

 

「オマエは……誰からこのサイトのことを?」

「やっぱり闇掲示板の仲間からですよ」

「有名なのか?ココ」

「どうでしょ?あんま有名になると警察の手が入るから、みんな知ってても黙っているようで」

 

 俺はサイトのアドレスを再確認した。

 これは時間のある時にじっくりと捜査してみねばならない案件だ。そのあとで所長に報告しなくては。

 

「オマエも異世界に行きたいと思うか?」

「できたら。こんな国にいてもしょうがないですし」

「引きこもりは、勇者になれると思うか?」

「……そこは、転生でパラメーターとスキルがアップして。たぶん」

「転生には“業”がついてまわるんだぞ?がんばったヤツにはそれなりのスキルがつくだろうが……」

「ボクのようなひきこもりには、なんにも無いというんですか」

「すくなくともハーレムうはうは状態には、ならないんじゃないか?いいとこ貧乏百姓だ」

「……」

「明日を保障されて、ヌクヌクと暮らすような生活は、手に入らないだろう」

 

 そう言って、俺は部屋をふたたび見まわした。

 フィギュアやエロゲーのポスターにあふれた空間。

 バニーガール姿のパヤ波が、相変わらずこちらに微笑んで。

 それによく見ればなんと、冷蔵庫と電子レンジまであるじゃないか。

 

「……こんな居心地の良い部屋には、まぁありつけないだろうな。雨漏りのするわらぶき屋根に、食い物は半分腐ったような肉と固いパン。飲むものは共用井戸の水。それをささえる日々の重労働だ」

「見てきたようなことを言うんですね」

 

 俺は転生映像を思い出す。

 撥ね殺し、轢き殺した目標が、場合によってはいかに悲惨な境遇となったか、教えてやりたいぐらいだ。

 

「ま、こんな恵まれた場所に居たんじゃ、なるほど妄想をふくらませて部屋に“消化”されてくワケだなぁ」

 

 ボクだって!と一瞬青年は声をあらげる。

 一瞬、瞳には若者らしい炎がうかび、肩から意思を煮え立たせて。

 だが、その勢いはすぐに鎮火してしまい、

 

「引きこもりから出ようと頑張ったんですけど……ダメでした」

 

 ふぅっ、と俺は息をつくと、

 

「そもそもオマエ、いったい何をやろうとしたんだ?」

「配送の荷分けですけど……ひとりボクをいぢめてくる中年が居て……」

「それで?」

 

 悔しさを思いだしたのか、こんどはグスっと鼻をならす。

 やがてみるまに目から涙があふれてきた。

 

「一生懸命やってるのに……作業にケチつけてくるんですよぅ……」

 

 ――見ろ、思った通りだ……。

 

 引きこもりによる感情の鋭敏化。情緒の不安定。

 些細なことで自分をうしなうのは、どの例でもおなじだ。

 そのうち部屋は荒れ、コレクションケースのガラスは割られるだろう。

 1/1ドールはストレス発散のためにナイフでギタギタにされるにちがいない。

 そして――またコイツに対する轢殺依頼が出るのだ。世間体を気にする、実の母親から。

 

「……なぁんだ、それだけかよ?」

 

 なるべく拍子抜けしたような演技をしながら、俺はツマらなそうにつぶやいた。

 

「ソレってオマエの所為じゃないじゃん。辞めて正解だよ、ンなとこ。サッサと次の仕事を(いいか、まずは簡単な物からだぞ?)探すべきサ」

「でも……でも……」

「な?今わかったろう」

 

 背年の顔を指で示し、ギロリ、睨みながら、

 

「些細なことで“感情失禁”するようになっちまってるのが分かるか?外乱に対し、神経が敏感になっちまってるんだ。見ろ、()()()()()()()()()()()()()。フツーなら、大の男がそんなことで泣きァしないぞマジで」

「仕事は……もう怖いです」

「だから、さ?短期のバイトからやりなよ。そこでだんだんと自分の心に防壁をつけていくのさ。オメーはまだ若い。十分やり直せる……」

 

 そのとき。

 間の悪いことに、俺の携帯に着信があった。

 『美月』か?とおもうが、なんと詩愛からだ。

 青年に背を向けると、

 

「ハイ――もしもし?」

『マイケルさん。すみません、こんな夜分に』

 

 携帯の音量設定が変わってしまったのか、いくぶん大きめな声がやってきた。

 

「なに、構わんよ。どうしたんだ?」

『美香子が、また帰ってきてませんの……もしかして、そちらにお邪魔して……』

 

 うっ、と思うが、話がややこしくなりそうなのでシラを切ることにする。

 

「いやぁ、また友人のとこじゃないかァ?俺ァは知らんぞ」

『どうしたものでしょう……こんなに皆に心配かけて』

 

 ナァに、と俺は鼻でわらう。

 

()()高校生なんだ。幼稚園児じゃあるまいし、ウマくやるさ」

()()高校生ですわ?それにワリと目立つ子ですし……ヘンな人たちに引っかかったら……どうしましょう?』

「親父の飼い犬じゃねぇんだ。好きにやるさ。それにヘンなヤツに引っかかるなら、それだけのヤツだったのヨ」

『あの……マイケルさん?』

 

 詩愛の声が、ふいに怪訝そうな気配になる。

 

「あぁん?」

『ヒョッとして、お酒をお召し上がりになってます?』

「いや――なんでだぃ?」

『雰囲気が、いつもと違ってらっしゃるから……』

「俺の――雰囲気?」

『なにか、ざっくばらんというか……乱暴というか……ごめんなさい、こんな事』

「いや、なに」

 

 言われてはじめて気が付いた。

 考えてみれば、そうかもしれない。

 今だって、目の前の青年の許しもえずに、勝手に部屋までドカドカ上がり込んでる。しかも引きこもる人間のプライベート・エリアに。それは言ってみれば、心の中に土足で踏み込むようなものだ。確かにいつもの自分では考えられない行動をとっているといっていい。

 

 ――えたいの知れないアフリカの明晰夢。その影響を存外に引きずっているのか……?。

 

「ちょっと疲れているのかな……で、オヤジ殿の――いえ、お父上のご機嫌はどうです?『美月』クンの復学を許してくれそうですか?」

『え……『美月』?『美月』って誰です?』

「いや、ちがった美香子クンです。アイツがもし、それほどケバくなくなったら……」

 

 小さなため息の気配がした。

 あの声。あの仕草。あの面差し。そしてあの笑い顔。

 趣味の良い香水とシルクのブラウス越しな体の匂いまで伝わってくるような。

 超ミニスカートに、ふくらはぎの形がわかるほどピッチリした編み上げロング・ブーツをはいた、レオポルドヴィルの夜鷹(立ちんぼ)とは数段も格がちがう、本物の淑女……。※2

 

『父が言うには“状況しだいでは考えてみる”だそうです。でも今のように外泊を続けていては……』

 

 そうか。まだ見込みはあるのだ。

 やはり父親。自分の娘が可愛くないハズがない。

 とりあえず俺としては、そう信じたかった。

 

「彼女には連絡をとれるので、1~2週間ほど時間を下さい」

『そんな。どうなさるんです?』

「あのコを元どおりとは言わないまでも、何とか見れる姿にしますよ」

『できるんですか?』

「まぁ、その。やってみないと分かりませんが」

『ホントにお願いしますね……二人だけの姉妹なんですもの』

「ともかく、オヤジ――お父上の怒りがおさまるまで、しばらく時間をおいたほうがいい」

『分かりました。なにぶん宜しくお願いいたします……あ!それと……』

 

 詩愛は、最後にいかにも取ってつけたような素振りで、

 

『こんどまた、一緒にお食事でも如何でしょう。こないだは、美香子(あの子)のおかげで散々なことになってしまいましたし……まだイヤリングのお礼もしてませんわ』

「結構ですな――ぜひとも」

『ほんとう?……嬉しい!』

 

 詩愛の口調が一転、華やいだ。

 実はこれが目当てで電話をかけてきたのではないかと思われるほどに。

 

『約束いたしましたよ?楽しみにしていますわ』

 

 また連絡します、といって彼女は通話口から去っていった。

 俺が携帯の通話音量をなおしていると青年が、

 

「いまの人、お兄さんの彼女?」

「彼女ってワケではないか……まぁ友だちだな」

 

 いいなぁ、と青年は天井をあおいだ。

 

「ボクにも“三次元の彼女”がいればなぁ……」

「引きこもっていたんでは、出来るモノも出来ないだろうに」

「そうなんですけど……やっぱいいや」

「なにが」

「彼女は二次元だけで十分です。わがまま言わないし、裏切らないし」

 

 フン、と俺は笑わざるを得ない。

 聞いた風なことをヌカすなとばかり、あざけりを浮かべ、

 

「オマエ……女に裏切られたことあるのか?」

「いえ……ないですけど……」

「ネットの知識だけで分かったような気になるなよ?世界は貴様が思っているより、広い」

「それは、分かってますけど」

「ウジウジ悩むくらいならソープへ行け!」

「そんな……〇方謙三みたいな……」

 

 あ!と俺はいいコトを思いついた。

 そうだ――そうだよ。

 コイツにいいカンフル剤をぶちこんでやる。

 

「小僧!ドライブだ!」

「えー。ソープですかぁ?」

「四の五の言うな!サッサと来やがれ!」

 

 まるでコンゴの少年従卒を扱うように、俺は青年のえり首をひっつかんだ。

 そして相手を部屋着のまま引きずり出し、ドスドスと階段を降りてゆく……。

 

 




※1:ポコさんのこれ、面白かったです。バニーガール好きは、是非。
※2:1960年代はこのスタイルが流行りだったそうです。
   スチュワーデス(古語)なんかもこの格好をした航空会社がありました。
   ソリストのヴァイオリン奏者も来客者受けをねらってこんな舞台衣装をしたそうで。
  (日経新聞・私の履歴書:前橋汀子さんの回より)


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     〃     (5)

           * * *

 

 時刻は、日付が回ろうとしていた。

 俺は青年を後部座席に乗せて夜の街中をゆっくりとながす。

 目的の時間まで、もうすこしかかる予定だった。

 あの、と後ろから声がかかる。

 

「さっきスマホの声が洩れてるの、聞いちゃったんですけど……」

「……んぅ?」

 

 ルーム・ミラーからは、うしろの顔がよくみえた。

 ドアにヒジをついて、流れる街の灯をボンヤリと眺めている。

 

「マイケルさん、って本名ですか?」

「アホか。あだ名にキまってるだろうが」

「……デスヨネー」

「みんなして俺をオモチャにしやがって……」

 

 いやまて。

 しかしあの夢の中で、俺はマイケル中尉と言われてなかったか。

 どうもアフリカらしき駐屯地の印象が、自分のアタマの中に残ってしつこく離れない。

 ブレン軽機関銃。ミルズ手榴弾。低地ドイツ語の罵声。銃剣(バヨネット)での決闘(デュエル)。安ワインの痛飲……。

 絶望的な作戦と、そこから傷まみれで生還したときの高揚感。それはまさに生きている“証”そのもの。

 

 

 ――そういやァ、詩愛も妙なことォ言っていたな。

 

 『雰囲気が、いつもと違ってらっしゃるから……』

 

 そんなモンかね、と俺はウィンカーを出し、交通量の多い道の流れに乗った。

 

 特殊騎士団をとりまとめる団長。

 “コカイン・モンキー”を殺りにゆく正規軍の中尉。

 

 このところ自分の意識が、存在が、何かにひっぱられる。

 あたかも、得体の知れない“前世”の記憶のように。

 冗談じゃない、と俺は思う。

 “おとこ現世に処するべし”だろうが。

 

 ――オレはNTRれたあげく轢殺屋を()っている一介の中年――それだけだ。

 

 車が“紅いウサギ”の裏口に着いたのは、それから小一時間ほど経った後だった。

 正面と同じように背の高い鉄柵に囲まれた、従業員や業者用の通用門。

 ここにも黒服がバラバラに集まって守りを固めている。

 とはいえ、先日の襲撃事件があったためか人数は4人と多いものの、みんな携帯の画面に眺め入り、とても警戒しているようには見えない。

 顔に反射するピンク色の移り変わりから、どうせみんなエロ画像のフリー広告なんだろう。

 まったく!と俺は小男の努力をおもい憤慨する。

 

 ――自分の部隊だったら、重営倉モノだぜ……。

 

 青年がものめずらしそうに後部シートの窓をおろして亀の子のように首をのばし、

 

「この店……なんです?キャバレー?風俗店?」

「は?なんだ、知らんのか」

 

 あんなフィギア飾っているくせに、と言おうとしたところで、おそらく監視カメラの映像を見て俺のレンタカーが来たことを知ったのだろう。重そうな扉がひらき、ニューヨーク・ヤンキースのスタジアム・ジャンバーをまとった『美月』が出てきた。

 

 ――!!

 

 後ろの席で、声にならない声とともに身を乗りだす気配。

 ルームミラーを見ると(ムッハ――――!!)と言わんばかりな顔をして。

 

 スソの足りない“スタジャン”からは、艶めかしい網タイツの脚が高いヒールとともに。

 後ろからは丸くて大きなフサフサしっぽがピョコリと飛び出てしまっている。

 珍しく肩までのショートなウィッグを装着した頭には、おどろいたことに赤エナメルのウサ耳をのせたままで。

 

 貸与制服である高価なバニー・コートを着たまま外出しようとすることから、警備の黒服たちと軽くモメたようだが、なにやら彼女が説明をすると、すぐに収まったようである。

 その黒服たちの好色な視線に送られて、意気揚々と歩いてくる『美月』。

 男たちのまなざしを知ってか知らずか、ワザとのように白いしっぽをフリフリと振りたて、営業スタイルめく自身ありげな足取りで。

 

 コイツも変わったよなぁ、と俺は思う。

 娼婦のふてぶてしさが、日に日に《《かさ》を増してゆくような。

 通用門側の鉄柵が専門の黒服の手でひらかれると一転、彼女は無邪気なJKの足取りでヒールをならしつつ駆け寄ってきた。

 助手席のドアを開けるなり、ミントの匂いがする息で、

 

「もーサイテー!私の服、ダレかに隠されちゃったのよォ!?」

 

 ホラ、とジャンバーの前を開けると、扇情的なエナメル光沢のバニー・コートと香水の気配。それにまじって“おまた”から『美月』の匂いも、かすかに。

 伸縮性のない深紅の生地が、ホルモン投与で創られたボディをギッチリと締め上げ、まるでオナニー用のリアル人形(ドール)が助手席口で誘っているような風情。

 よくみれば化粧すら落としていないような気配。

 きっと店内の休憩室か更衣室で、ひともんちゃくあったのではないか。

 

 ともあれ。

 夜の灯に、その姿は蠱惑的に、いかにも美しく照り輝いた。

 

「ヒッ!?」

 

 そのとき後部座席から放射させる食い入るような視線に気づいたか、彼女はいかにも装った扇情的な顔つきを引っ込めると、ジャンパーの前を掻きあわせ、うしろに二、三歩よろける。

 

「ご主人さま!うしろにヒトがッ……ヒトがいりゅぅぅうッ!」

「……おぃおぃ」

 

 み〇くら的なあまりの反応に俺は苦笑しつつ、

 

「安心しろォ、食いつきゃしねぇよ。俺の知り合いだ」

 

 ……沈黙。

 JKバニーガールと、大卒引き篭もりが、ビミョーな視線を切り結ぶ気配。

 

「……大丈夫なの?」

「あぁ、オマエが言うことを聞いておとなしくしてりゃァな」

 

 俺はそう言って『美月』をなだめると、セクシーな衣装をミチミチと鳴らし、からだをゆがめて助手席に乗り込もうとする彼女をおしとどめ、

 

「だめ。オマエは、うしろのシートだ」

「えぇっ!?――そんなぁ」

「さ、ハヤくしろ。ほらPC(ピーシー)が来るじゃねぇか」

「ピーシー?」

「……パトカーのコトですよ」

 

 驚いたことに、青年がしゃしゃり出て口をひらいた。

 尻をずらして後部シートにのりこむ『美月』のためにスペースをあけつつ、彼女に説明する。

 『美月』は、まるで珍しい動物を見るような目つきで、となりの男をながめた。

 無理もない。

 およそ“紅いウサギ”の常連客とはかけ離れた位置づけの、貧乏な引き篭もりなのだから。

 

 ――だがしか~し!(c)筋肉少女帯

 

 ドアが閉まり、ルームランプが消えた薄暗がりのなか、俺は思わずほくそえむ。

 どうやら趨勢は、いくつもの偶然がかさなり、俺のえがいた図面どおりにいっている気配。

 

 ――さてさて、どんな“異化効果”が飛び出すやら。

 

 そう。これを俺はネラっていたのだ。

 この引きこもりに外乱を与えて、すこしフヤけた“お脳”をゆさぶってやらねば……。

 

「さ、いくぜ?しばらくドライブとしゃれこむか」

「……ご主人さまァ。車の中なんだかクサぁい」

 

 ルーム・ミラーの中で、青年が慌てて自分の服を嗅ぐのが見えた。

 

「なに臭いかね?」

「えーと昼間のホラ、あのイケ好かない大きな刑事さんの」

 

 そうだろうか。

 車の中は、飛び込んできた『美月』の匂いと、彼女がまとう“紅いウサギ”の猥雑な気配で充ち満ちているように思われたのだが。

 

「ありゃ。まだ完全に消臭しきれてなかったか――その辺のあしもとに消臭スプレーがあるけど……どこかでいちど車を降りたときにしよう」

 

 そういいつつ、俺はレンタカーを海の方角にむけた。

 サイド・ウィンドーを細目に下ろし、あの横紙破りな警部補の、怪しげな夜の(みせ)の――そして、なにより意味不明なアフリカの印象を(はら)う。

 

「ねぇ、ご主人サマぁ?」

「なんだ?」

「このオジさん――だれ?」

 

 なっ!と青年が一瞬気色ばむように見えた。

 

「ぶわはははは!」

 

 俺はおもわず大笑い。

 ルームミラーをチラ見して、その仏頂面な表情(かお)を痛快なおもいで愉しむ。

 転じて『美月』のほうを見れば、だいぶクスリの影響がヌケてきたのか、甘ったるい舌足らずな口調は滑らかになり、全体的にはじめて会ったころの、すこしトゲトゲしい雰囲気がもどってきている、ような。

 

「聞いたかい?オジさんだとよ?」

「ボクは!……まだ20代です!」

「でも20後半でしょ?」

「25です!」

「ホラ。おじさんジャン」 

 

 またも俺はこらえきれずに笑ってしまう。

 笑って、笑って、目の端に浮かんだ涙が、前の車のテールランプをにじませた。

 まるでいままでの鬱屈が、この二人の掛け合いで雲散したような。

 おれはようやくの思いで気息を整えると青年に、

 

「ナァ?いつまでも若い気でいッと、足元ォすくわれッぞ?『25歳から先』は、人生なんてアッと言う間の急降下だ」

「……それはワかってますけど」

 

 ムッとしたような声が後ろから、

 

「マイケル先生、この()いったいナンなんです?」

「ハァ?あんたこそナニよ!」

 

 シューッ!とスプレーが鳴る音と、青年がムセる気配。

 今度はツンけんと『美月』の横やりが入る。

 

「いいコト!?このヒトはアタシのご主人さま。そして――」

「その先は言うなよ?」

「えーどうしてですご主人さまァ?このオッサンにビシッと言っとかないと!」

 

 そう言うや、彼女はひとつ深呼吸して、

 

「いい?アタシはね、ご主人さまのメス奴隷なの!どんな命令でもよろこんで聞くよう“馴致”された、哀れで下品な肉孔人形なのよ!?」

 

 その物言いに俺は呆気にとられ、

 

「ホント下品だなぁ……どこで覚えたんだよ、そんな言葉」

 

 後ろからカッとんできたプリウスに車線変更で道をゆずりながら苦々しくつぶやく。

 

「きょう、お客さんが自分のモノにしたバニーに言ってたモン」

 

 やっぱりあそこの店は、若い娘の情操教育に良くない。

 俺はぶつくさと再び車線をもどして、

 

「おぃぃぃ……まさか店の“ウラ”サイドで勤務してないだろうなァ?」

「行っちゃダメなんでしょ?()()()()()()()()()()()だモン!」

 

 ――ふぅん……そうかい。

 

 自分のなかで、普段ならぜったい思い付かないような考えが浮かぶ。

 レオポルドヴィルの“クルチザンヌ(高級娼婦)”を侍らせた時のように。

 あの時はずいぶんとバカ騒ぎしたなぁ。ベルギー人のポリ共と大ゲンカになったっけ……。

 追いすがる相手のPCに、照明弾を次々と打ち込んだことが、まるでつい昨日のような。

 

 前方の大きな交差点が赤になった。

 たしかココの信号は長いことで有名だ。

 スクランブルの横断歩道には、コンビニ袋を提げたゲーオタらしいジャージ男や、一杯機嫌の外人たち。明らかに“お持ち帰り”とみえる、だらしなく顔をゆがめたオヤジにヒョウ柄のコートを着た水っぽい女がじゃれつく姿などが、この深夜にもかかわらず行き交う。

 

 ――ちょうどいい……。

 

 俺は大きく息をつくと、ルームミラーを(のぞ)き込みつつ、

 

「よぅし、メス奴隷『美月』。それとも……『マゾ美』のほうがイイか?」

 

 え。と後席の少女が一瞬ひるむ気配。

 よしよし、と俺はこころひそかにうなずく。

 彼女が一般人の心的構造を取りもどしつつあるのを見て取ると、ワザと俺は下品な口ぶりで、

 

「ご主人さまの命令だ……スタジャンを脱げ」

 

 エナメルなバニー・コートが身じろぎでキシむ気配。

 それにつられてゴクリ、青年のノドが鳴る音。

 そわそわと『美月』が首もとの蝶ネクタイをなでる。

 薄暗がりにも彼女の爪に塗られたパールの入ったピンクが(キラめ)いて。

 

「どうした?俺の“マゾ奴隷”じゃないのか?」

「でも……お店の外でぬぐの恥ずかしい。車の中だけど見られちゃうかも」

「いいじゃないか。これも調教……“馴致”の一環だ!」

 

 どれくらいの呼吸があっただろうか。

 遂に彼女はしぶしぶと、

 

「……わかりましたァ」

 

 ノロノロとした手つきで彼女はジャンバーを脱いだ。

 

「耳もチャンとつけろ?」

「……はぁぃ」

 

 紅いエナメルのバニー・ガールが後部座席に現出する。

 同時に服にこもった彼女の体香も、あらわに。

 カチューシャをピンで留めるときに両ウデをあげた彼女の白々としたワキを、青年は血まなこになって見つめていた。

 顔が、ぐぅっ、とソコに近づいて。

 それをみた俺は、してやったりとばかり、

 

 

「どうだぃ、えぇ?ポスターやフィギュアなんかより、三次元はズットいいだろ?」

「えぇ……」

「パヤ波やC子さんよりイイよな?」

 

 えっ、と絶句する一呼吸。

 

「それは……比べられないと思いますケド」

 

 かすれたような囁き声。

 ふん、この後におよんで!

 

「よし『美月』!」

 

 俺は声をはげまし、もういちど冷酷な風を装って、

 

「ソイツにお前のオッパイを揉ませろ!」

「えぇッ!そんな!」

「いいんですか!?」

 

 2人の声は同時だった。

 

「ちょっとアンタ!なにホンキになってるのよ!!」

「だって……君のご主人サマが触っていいって……」

「このオッパイはね?ご主人さま専用なの!」

 

 気色ばむ彼女に俺はニヤニヤと、

 

「しかァし……たまには“メス奴隷”もレンタルして、羞恥心を養わないとナァ?」

「そんなぁ……ご主人さまァ」

 

 『美月』はバニー・コートに縛められた肢体をよじらせて抗議する。

 しかし、ややあって覚悟を決めたのか、青年に向かいツケツケと、

 

「……いいわよ。触らせてあげるわよ。ただし――ひとモミ1万円ね」

高価(たけ)ェなオイ!?」

 

 俺は思わず叫んだ。

 

「当然です!ご主人様以外に触らせるんだから」

「……はい」

 

 青年はプルプルと一万円札を差し出す。

 

「そこでオマエもマジで諭吉ぃ出すなよ!?」

「とうぜんです。アタシのご主人様専用オッパイは、それだけの価値があるんですから!」

 

 そう言うや“紅いウサギ”で鍛えられたものか、『美月』は指の先をつかい、いかにも優雅な手つきでそれをはさみ取ると、折りたたんだ紙幣をなんと自分のおマタに挟んだものである。

 

「ハイ――どうぞ」

 

 彼女はいかにもイヤそうに、ボーンでコルセット状に縛められた胸を突き出した。

 青年の手がブルブルとふるえ、バニー・コートにちかづく。

 いかにも逡巡を交えた、おっかなびっくりな風情。

 ついに彼の手は、念願だった衣装のエナメル生地な制服に触れる。

 

「うわ……固い……はじめて触った」

 

 ゆっくりと胸の部分を、この引き篭もりは指の腹で愛おしそうに撫でさする。

 口もとが喜びに半開きとなり、その目はすこしばかりうるんだように。

 はぁぁぁっ、と吐息めいたものまで交えて。

 だが、このオズオズとした彼の手つきに業をにやしたものか、小悪魔めいたバニーは「ふんす」と鼻息をあらげ、

 

「ナニやってんのよモウ!服の上からじゃ固いにキまってるじゃない!」

 

 『美月』の声が(仕方ない子ね!)とでもいうようにチョッと哀れみのような母性をふくみ、カフスの巻かれた手で青年の腕をつかむや、ホラ!とばかり自分のバニー・コートのキツキツな胸に滑り込ませた。

 

 しばらく沈黙。

 

「どう?……って、きゃははははははッ!♪」

 

 と、いきなり黄色い笑い声。

 

「なんだ?どうしたッ?」

「このヒトったら、いきなり鼻血ながしてるぅ!」

「だ……だいじょうぶでひ……」

 

 はぁっ、と俺はため息。

 まsか本当に三次に耐性がないとは。

 

 ――ナニやってんだか……。

 

「あーもぅ。後ろにティッシュあるから」

「どれぇ?あぁ、コレね。ホラ――動かない!」

 

 『美月』は青年の顔に流れた血をティッシュで押さえ、ふき取ると、別の一枚を引き出し、程よく丸めて彼の鼻に栓をする。

 

「もしかして童貞サン?ちょっとシゲキが強すぎたカナ?」

「ど、ど、童貞ちゃうわ!」

 

 おっと。

 信号が青になった。

 車内の失笑ふたつ。それに仏頂面ひとつを運びながら車は動きだす。

 

 

         * * *

 

 

 港が見える高台の公園で、俺はギアをパーキングに入れた。

 

 春の夜とはいえ、少し冷えるような気味がある。

 ほかに車は一台だけ。広大な園内に、人影はみえない。

 2人を下ろすと、車内に消臭剤を念入りに、そしてクソ銭高への悪意もこめて吹き付ける。

 

「よぉし、このままお散歩、レッツ・ゴー!」

 

 スタジャンを羽織った『美月』がヒールを鳴らして危なっかしくジャンプし、赤信号の横断歩道をわたって人影のない公園に入ってゆく。

 

「え……マジか」

「なんか、さっきので吹っ切れちゃった!度胸だめしよ!」

「あのボク、なんか飲み物を買ってきます!さきに行ってて下さい」

 

 そう言って青年は、煌々たる光を投げかける自販機の列に逃げてゆく。

 ヤレヤレ、とオレは『美月』の後を足早に追った。

 あんな格好で、またロクでもないものにカラまれたら冗談じゃない。

 そうでなくても今日はイロイロありすぎて、お腹いっぱいな気分なのだ。

 銭高の餌食となった「売人ブタジマ」くんみたいなヤローとカチあうのは、もうゴメンだ。

 

 小走りになりながら、おもいきり深呼吸。

 

 夜気には港からのディーゼルエンジン風味な匂いが混じっていた。

 薔薇園や、洋館を配した広大な公園は、森、と鎮まりかえって……。

 上空を見れば、南周りの国際線が、航空灯を点滅させつつ、エンジン音を響かせよぎってゆく。

 間違いない。ここは21世紀の現代日本。そこに吹く風だ。

 村を焼く死臭混じりの煙や、機銃が連射される硝煙臭い空気でもない。

 そのいくぶん冷たい風が、惑乱気味な自分の頭をスッキリさせる気味があるような。

 経験したことのないさまざまな心象が、アタマの中で溶けてゆく。

 

 尻を振りたててヒールを鳴らし、前をゆっくり歩く『美月』にむかってオレは、

 

「さっきは、スマなかったな……車の中で、ムリいって」

「そぉですヨォ!ご主人さま!」

 

 彼女は「わが意を得たり」とばかりにほおを膨らませてふりむき、

 

「ずいぶんイヂワルだったんですから!プンプン!!」

「まぁ……そう言うな。アイツにオマエの容姿(すがた)を見せたかったんだ。まさか、オマエが“おあつらえ向き”にバニー姿で出て来てくれるとは思わなかったが」

「なに()ってるヒトなんです?あのオジさん」

 

 まさかここで「引き篭もりだよ」と言うのは、青年(アイツ)がいかにも可哀想だった。かといって適当に言いつくろうには……。

 結局くるしまぎれに、

 

「まぁ、オレの情報屋、ってトコかな。そうだ、イイ大学出てるんだぜ?あいつ」

「へぇぇ。ダサい雰囲気してるから、てっきり引きこもりかと思っちゃった」

 

 ――うっ……。

 

「なんで?そう思ったんだ」

 

 なんでって、と彼女はワケもなさそうな顔つきで、

 

「お店で接客してると、オトコの人が見えてくるのよね。あ、このヒトお金持ちだ。あ、このヒト自信家だ。このヒトは背伸びしてる……職業が医者なんてウソね、とか。だいたい当たるようになったの服装や、靴や、仕草で」

「うぇぇ。イヤな訓練だなァ」

「ご主人さまはねぇ……」

 

 ふいに『美月』はマジマジとオレの顔をのぞきこんだ。

 ややあってから、プルンとした口唇がいたずらっぽそうにひらき、

 

「心が悲しがってる……でも無理に強がってるわ。でも、さっきみたいに女を乱暴扱う気配になったり。そうかと思えば、どこかの重役さんみたいに急に上に立つエラい人の雰囲気を出したりするの。ナゾめいてるワァ……でもアタシのそばに居るときぐらい、もっと素直にふるまってイイんですよ?」

 

 そう言うと、彼女はオレの手をとった。

 ついで、自分のくびれたボディに押し付けてニッコリ。

 

 ――ふぅぬ……。

 

 オレは心ならずも瞠目(どうもく)する。

 “女の勘”というものは、なんでこうムダにするどいのだろうか。※

 いちいちこちらの胸の内を、ピシリ、ピシリと、まるで詰め将棋のように突いてくる。

 と、そんなオレの警戒を読んだように腕が抱きしめられ、バニーの耳が着けられる頭が肩に乗せられた。

 

 ――こんなガキでも、すでにいっぱしの女なんだな……。

 

 オレは暗がりの中で舌をまく。

 まったく、いまどきの子は……。

 

 港が見える端まで、そのままゆっくり歩いてゆくと背後から、

 

「お待たせしましたァ。ココアとコーヒーと紅茶ですけど……どれにします?」

 

 さっ、とオレたちがさりげなく身を離したところで青年がオズオズと缶を三つ。

 なんとオレをさしおいて『美月』の方に差し出した。

 

「へぇ、情報屋さん。気が利くわね」

「……情報屋?」

「ご主人様が教えてくれたわ」

 

 そう言って紅茶をヒョィと取り上げた。

 

「ご主人様の下で働いてるんでショ――あっつ!」

「気を付けてください!?ホットですから……」

「先に言ってよね!?」

「ゴメんなさい――じゃぁ、マイケル先生にはこれを」

 

 いつの間にかオレを“先生”と呼ぶようになった青年は、どことなく感謝のこもったような目でオレにホットの缶コーヒーを渡す。

 

 それぞれが一服するまでの沈黙。

 だが青年の眼はチラチラと盗み目ぎみに、かたときも目の前のバニーガールから離れない。

 やがて『美月』がフッ、と思いのほか聖母めいた微笑をもらすと、

 

「あ~ぁ。暖ッたかいモノ飲んだら、熱くなってきちゃったなぁ……」

 

 さりげにスタジャンを脱いで、蝶ネクタイと白いカラーの巻かれた首もとをあおいだ。

 公園の灯りにエナメルのシワが艶っぽく浮かぶ。

 これ見よがしな、扇情的とも思えるさまざまなポーズ。

 髪の毛をもみしだき、ポッテリとした口唇を欲求不満気に。

 目元は、あくまで殿方からの征服を待つように、かろく打ち震えて。

 

 深夜の公園に、艶っぽい衣装の照りを煌かせてバニーが踊る。

 ヒールの()もカツカツと、脱いだスタジャンを闘牛士のマントのように。あるいはサロメが、そして“玲瓏の翼”の女体化処置を受けた『九尾』が踊った“七つのヴェールの舞い”のように。

 驚くほどの柔軟性をみせ、身をかがめ、背を反らし、そしてまた足を夜空にまっすぐと伸ばして。

 その光景は、一種、非現実的な、あるいは何かの狂気めく光景を含んでいた。

 スーフィー教徒のように『美月』はヒールを鳴らして旋転をくりかえす。

 これもあの異形な店から教え伝えられた業か。

 その幻想的な踊りを見ているうちに、オレのなかで俺と、自分と、オレが渾然一体。まるでミキサーにでもかけられたようにゴッチャになってしまった、ような気味がある。

 

「あ……」

 

 『美月』がブリッジをからの倒立をしたとき、青年が思わず声をもらした。 

 オレもすぐさま気づいた。

 

 よく見れば……なんと。

 

 様々な姿勢を激しくとるうちに、折りたたまれた諭吉が“おまた”の間からコンニチワしているではないか。

 青年の眼が、さらにまん丸くなり、そこにくぎ付けになった。

 即興の踊りを繰り広げている『美月』も股間の違和感と彼の視線に気づいたのか、舞を打ち切ると息をきらして笑みを漏らし、

 

「さ――コレも返すわ!」

 

 彼女は“おまた”の万券を抜き出すと、青年に付き返した。

 

「アンタみたいなヒトからお金を巻き上げたンじゃ、【Le Lapin Rouge(紅いウサギ) 】で一番人気な『美月』(ミッキー)さんの名がすたるってモンよ……」

 

 え……と暖かい一万円札を持ったまま気圧される青年。

 そんな彼にズィ、と彼女はガンを飛ばし気味にして身を乗り出し、

 

「そしてその服のセンスのダサさ。どうせロクなもん食べずにパソコンとニラめっこなんでしょ?すこしは運動くらいしなさいよね!?ウチのお客さんは、みんなスポーツジム通ってるわよ!なさけない!!」

「あ……うん」

「それと!」

 

 と、彼女は(いろど)られた美しい眼を(いか)らせて青年の手にある諭吉を一瞥し、両腰に手を当てると、

 

「におい。嗅ぐんじゃないわよ……?」

 

 



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     〃     (6)

     

 

 

 ドタバタの一夜から明けた朝だった。

 

 オレはリビングのソファーで寝たために強ばった体で思いきりノビをする。

 すると、ボキボキと不穏な音が関節のあちこちから鳴りひびき、腰にズキッ!とイヤな感触。

 一瞬(ギックリ腰か!?)と痛むところをさすって身がまえるが、すぐに安心して脱力した。

 

 ――そうだ。あの“売人ブタジマくん”に一本背負い食らったんだっけ……。

 

 たかがクスリのプッシャー(売人)ふぜいに不覚をとるとは。

 クソッ……堕ちたモンだぜオレも。

 しかし、技のキレはモノホンだったような気がする。

 あのガタイ、そしてあの雰囲気。堅気だったころは柔道の選手だったのかもしれない。ま、人間どこでどう転落していくか分からないもんだ。その生きた見本がココにいるじゃないか。

 

 それにしても、と頭をボリボリかき、寝起きの唇を思わずヒンまげる。

 

 ――あの憎っくき銭高め……ヒトを捜査のオトリにつかいやがって。

 

 何時だ……とソファーのひじ掛けにおいた腕時計を手さぐりでもちあげれば、もう9時を廻っているじゃないか……。

 

 モソモソと起きだすと、洗面台でオレのガウンを着た詩愛のうしろ姿を見かけた。

 

 そぉ~っとのぞきこめば、なんと。

 

 頭に深紅なバニーの耳をつけて、三面鏡のまえで首を右に、左に。

 しまいには小首を傾げるなど、さまざまに角度をつけ効果を確かめている。

 彼女が鏡を覗き込み、自身にウィンクをしたところでオレはソッと撤退。

 そしてすこし間をおき、あらためて足音をたて洗面台のほうにちかづいた。

 つぎに彼女を見たときは、バニーの耳は外されて洗濯機の上におかれ、頭には髪をまとめるためのタオルがまかれている。

 慌てて巻いたのか、髪のひと房がタオルに収まっていない。

 

「あっ、あら。お早うございますマイケルさん。すいません……ベッド占拠しちゃって」

「いえなに。ふたりじゃ随分(ずいぶん)とセマかったでしょう」

「文句は言えませんわ。コチラがいきなり押しかけてきたんですもの」

 

 あー!と背後で大きな声。

 

「お姉ちゃんアタシの洗顔フォーム使った~!」

「しかたがないでしょ!クレンジング持ってこなかったんだから」

 

 オレがまだ寝ている間に、すばやく化粧を落としてやり直したのだろう。

 はやくも口元やアイラインがバッチリと。

 頭に巻いたタオルをとり髪をおろせば、見慣れたいつもの詩愛だった。

 対して『美月』のほうは、たんぱく質を染める手法で“おつくり”をされてしまっているのだから、化粧をした顔がスッピンとなってしまっている。だが心なしか唇のほうは腫れも引き、以前のハデな見た目より、だいぶ落ち着いてきているような……。

 

「もう!お姉ちゃんのせいでよく寝らんなかったよ!」

「アナタが悪いんじゃないの!マイケルさんのところにコッソリお邪魔してるなんて」

「だって、家にいればお父さんの機嫌が悪くなるばっかなんだモン」

「……まぁイイわ。昨夜あれほど言い合ったんだし……」

 

 詩愛はあきらめたようにため息をつくと、身づくろいにもどった。

 

「……お姉ちゃんハミガキのジャマ」

 

 ふたたび始まる姉妹のバトルにオレはその場をはなれると、台所に向かい冷蔵庫から朝ビールを……。

 

 ――と、イケねぇ。

 

 今日はレンタカーを返却する日だった。

 飲酒運転だけはしない主義だ。ま、当然だがね。

 オレは遮光カーテンをあけ、目を細める――今日もイイ天気だ……。

 

 

 はいはい、ここで読者の皆様が「なんで『美月』(美香子)の姉である詩愛が居るの?」というハテナマークを頭に浮かべているのがモニター越しにもありありと見て取れマス。

 

 

 じつは、だ。

 

 

 あの港が見下ろせる公園で『美月』の舞を、オレと“情報屋”が観賞していたとおもいねぇ。

 

 その背後から、何かの言いあらそいをしながら近づいてくる足音があったんだ。

 

『でもお父上の意見は絶対なのでしょう。いまさら……』

『僕だって出来るならば反対したい。でもいまの自分の地位では、どうにもならない』

『弁護士などを通した連絡でなく、直接わたくしのところにお出でになって、申し開きをして欲しかったですわ』

『それも……父にとめられて』

 

 ホラ!と女性の声がとげとげしくなる。

 

『貴方はお独りではナニもお出来にならないのね。自分の意思すら』

『――あなたは!』

 

 男のほうも、声のトーンがあがる。

 

『……あなたは“家の重圧”と言うものをお分かりにならないのだ!各方面への体裁や“先生がた”の思惑もある……もしあなたと一緒になったら、必ず後ろ指をさす連中がでてくるだろう』

『……』

『他人の口さがないウワサは、恐ろしいものなんですよ?それでは“先生がた”にもご迷惑がかかってしまう』

『……他人の口さがないウワサって、どんなウワサです?』

 

 女の声の温度が数度冷えるのがわかった。

 足音はドンドン近づいてくる……。

 

『それは、キズものになった女性なんかを嫁にしたら――』

 

 

 ――あっ!馬鹿!!

 

 オレがヒヤリと思う間もなかった。

 パン!と乾いた音が夜の公園の闇に響いた。

 

 ヒールの鳴る乱れた音が近づいてくる。

 やがてその音の主は、ハンカチでめがしらを押さえながらオレたちの前をとおり過ぎるときに、深紅のエナメルなバニーガール姿をした『美月』にふと足を留めて、

 

「……美香子?」

 

 うわっちゃ!とオレは自分のまぬけさに心中、地団太をふんだ。

 なんか聞き覚えのあるような声だとおもったのだ。それに喋っていた内容も。

 痴話ゲンカを聞こうとスケベ根性を出したのがマズかった。

 

 オレはさりげなく相手に背中を向ける。

 

「……と、いうことは。そこにいらっしゃるのはマイケルさん?」

 

 もうこうなっては仕方ない。

 笑顔でクルっとふりむいて、

 

「や、やはぁ――イイ天気だねぇ」

 

 チラッと詩愛は夜空を一瞥したあと、

 

「どういうことです。それに美香子!なんて格好をしているの!マイケルさん?アナタ美香子のこと知らないって仰ってたじゃありませんか!ウソだったんですね!?」

「いや、ホラ。ぐーぜんだよ、ぐーぜん」

「もう……イヤっ!」

 

 詩愛の涙腺がとうとう決壊した。

 

「私のまわりの殿方は、不誠実な方ばかり。信用をしていたマイケルさんまで美香子をかくまっていたなんて。それにその殿方に媚を売るようなハレンチな格好!まだ“例のお店”とは縁がキレてませんの……ハッ、もしやこの子を働かせて貢がせているのでは……」

「失礼なこと言うなよ」

 

 守勢にまわっていたオレも、これにはちょっと本気になる。

 

 そういえば夢のなかの異世界で一度、シーアに浮気をうたがわれ、「不誠実だ」となじられたときは、こっちも大人気なくキレて売り言葉に買い言葉。離婚寸前までいったっけ。架空のできごととは言え、あの時の二の舞は何としてもさけたい。結局、現実のシーアも見た目は清楚で()()()()()に見えるが、けっこう性格がキツ目なのかもしれなかった。

 

 オレはザワつく胸をおさえ、できるだけ理性的に、

 

「お宅の親父ドノから距離を離すイミで引き受けたんだ。化粧だって店の施術でだんだんうすくなってきている……ハズだ。唇だって最初のころにくらべたら、おちついてきたろ?」

 

 公園の街灯をすかして、詩愛は『美月』の顔をマジマジとみる。

 

「そうね……そういえば、そんな感じね。でもなんて格好でお外にいるのよ。露出狂ですか!アナタは!」

 

 そこへ固い靴の足音がして若い男がひとり、やってきた。

 20台後半というところだろうか。

 年かっこうこそ青年とおなじ風だが、いちおう社会に出ている分のせいだろうか、まとう雰囲気がシュッとしている。さが、さっきの物言いから判断するに、まだまだ鍛え方が足りないどこぞのボンボンと診ていい。小男ほどではないが、この年齢(トシ)にしては良いスーツを着ているのがその証拠だ。

 

 オレはブタジマくんにナイフで斬られたジャケットを見られないよう、さりげなく脱いで腕にかけると、この若い男と正対した。

 ちょっとスゴんだ気配を出して、相手をにらみつけてみる。

 すると、見上げたことに相手は怯むどころかオレに対してどうどうと胸をはるではないか。

 

 ――ふぅん……いちおう場数は踏んでいるワケね。

 

 きっと父親にくっついて、それなりの地位を持つ“海千山千”の連中と会うチャンスを得ることで、それなりに度胸もついたんだろう。

 親の七光りをかさに着るスジ金の入っていないヒョロヒョロした坊ちゃんが現れるかと思ったら、意外や意外。

 

 ややあってから、この若造は、

 

「あなたは――鷺の内さんのお知り合いですか」

「そうだ。そういうキミは、察するに彼女の婚約者“だった”というお方かな?」

 

 微妙な一拍。

 

「……そうです。そういうそちら様は?」

「あの子が“事件”に巻き込まれたのを理由に婚約者から無残にもソデにされた時の「相談役」(コンシェルジュ)というところかな」

「……何も知らないクセに」

 

 フテたような言葉が返ってきた。

 オレはそれをワザとロコツに嗤いとばし、

 

「取引先銀行の系列や、うしろ盾となる議員先生がたの顔色を(うかが)うのはわかる……だが、体面で女を棄てたフニャちん野郎というウワサは――一生ついてまわるぞ!」

 

 相手の鼻白む気配が伝わってきた。

 端正な顔立ちが悔しそうにゆがむ。

 

「こちらには、こちらの都合と言うものがあるのです!」

「あぁ、そうだろうサ。だが男の(おきて)は――世界共通だ!」

 

 グッとまた相手が詰まる気配。

 

「だいたい何だ!こんな時間まで。もと婚約者とはいえ連れまわしたりして」

「父が就寝するのを待ってから彼女に会わざるをえなかったんです。それに、そっちこそ“こんな時間”まで、ソンナきわどい格好をした女の子を連れまわしてるじゃないですか!」

 

 相手はバニー姿の『美月』をゆびさして、

 

「見ればすいぶんと若い。ご自分の趣味にこんな少女をつき合わせるのは、納得いかないところですよ」

「女性の年齢を問うなんて、オマエはやっぱり野暮だな。それに“夜の女”を夜に連れまわしてどこが悪いんだ?言ってみろ」

 

 いくぶん論理にムリが合ったが、気迫で押しとおす。

 ぐぬぬ、と相手の表情(かお)がゆがんだ。

 そのままうなだれてしまった相手に、

 

「今夜はもう遅い。キミも行きたまえ……“鷺の内クン”は、こちらで預かることとしよう」

 

 どこか蹌踉(ヨロヨロ)とした足どりで元婚約者は去っていった。

 このままハナシが長くなっても面倒だ。我ながらいい切り上げどきだった。

 

 ――エキシ……ッ!

 

 バニーガールが意外と品のないクシャミをした。

 鼻水を拭きながら、スタジャンを着込む『美月』。

 

「美香子ったら。そんな格好をしてるからですよ?」

「よし――われわれも引き上げようか」

 

 オレは微妙にそっぽを向いたままの青年をうながし、駐車場へともどる。

 一台だけあった車は、見えなくなっていた。

 『美月』は意気揚々とばかりレンタカーの助手席にのりこむ。

 

「へへぇ~。こんどはアタシがコッチ!」

「あ、こら」

「すいませんマイケルさん。お世話になります」

「……」

 

 青年は黙ったまま、リヤシートに入り込むと、その横に詩愛がすわった。

 ルーム・ミラーで見れば青年はブスッとうつむいたまま、顔をそらして車外を見ている。

 楽しい時間が終わるのが、そんなに気に障るのか。

 やはり引き篭もりは自分の意のならないコトがあるとすぐヘソを曲げるなぁ、とオレが考えていたときだった。

 

「あの、失礼ですけど……信三(シンゾー)さん?」

 

 なんと、詩愛が青年の本名を口にして、彼の顔を覗き込もうとしていた。

 ますます体をかたくして、窓の外を向く青年。

 

「ね?信三さんではなくて?三人兄弟の末っ子の?むかし、ホラ。よく扁桃腺(へんとうせん)はらして医院(ウチ)に来たでしょ」

「えぇ……まぁ」

 

 とうとう観念したのか、緊張した声がそれに応えた。

 オレはウインカーを出して左折しながら助け船をだす。

 

「今は、オレんところで“情報屋”をやってもらってる。日がな一日、パソコンの前で検索が仕事だから、社交性がとぼしくなってね。()()()()()()()()()だし。それで今夜は美つ……美香子と一緒に連れ出したのさ」

 

 ルームミラーで見ると、青年が身じろぎして詩愛のほうに顔を向けるのが見えた。

 

「まぁ。目とか大丈夫?いやよ?その歳で老眼なんて」

「……今のところは、何とか」

「ダメよ?運動もしなきゃ」

「……うん」

 

 まるで出来の悪い幼馴染をさとすような光景が後席で。

 おっと、あやうくジジィの乗るプリウスとぶつかるトコだったぜ――アブねぇアブねぇ。

 

「そういえば上のお兄さん、ご婚約ですってね?おめでとうございます」

「目出度いのか、どうか。歳の離れたオバさんと政略結婚なんですから」

 

 ぶすっとした声で語られた事実に詩愛も「まぁ……」と絶句するしかないようだ。

 

()()()()もそうだけど、ボクら若い者は、オヤジたちの駒につかわれるだけだよ。さっきの婚約者のひとも、そうなんでしょ」

「でも……男の方の意地を見せるくらいはしてほしかったですわ?信三さんは、そんな情けない殿方には、ならないわよね?」

 

 ――どうだィ、えぇ……?

 

 ニヤつくオレの目と、青年のキョドった視線がルーム・ミラーのなかで交錯する。

 どうやらコイツにとって今回の“遠足”はオレから見れば大成功だった。

 黙り込んだままの彼を自宅前で降ろし、つぎに「鷺の内医院」へと向かう。

 

 さて。

 そこからが大変だったんだ。

 

 医院の正面玄関でレンタカーをとめたとき、後席のドアを開けながら詩愛が、

 

「さ――美香子。降りるわよ?」

「お姉ちゃん降りて。わたしご主人様のところに泊まるから」

「ハァ?なに言ってるのよ!ホラ、はやく!!」

「着替えもコスメもご主人様のトコだもん」

「なによ、ご主人様って。イイ加減にしなさい!ほら、こんなトコで深夜に騒いでいるとご近所さまにも迷惑でしょぉ!?」

「ヤ!お姉ちゃんだけおりて!」

 

 オレとしては気が気ではない。ヒヤヒヤしながら、

 

「あのぅ。今日親御サンは、ご自宅にいらっしゃる?」

「えぇ。土曜の深夜ですし。父もゴルフのコンペから帰ってきてると思いますわ?サ、美香子!」

 

 ――ひぇぇぇ……。

 

 ここで言い合いをしていてもラチがあかなそうだった。

 ウカウカしていると、鷺の内医師が何事だと家から出てきそうでもある。

 ああもう、とオレは業をにやし、

 

「とりあえず、場所も場所だから詩愛()()、車に乗って」

 

 プンプンする彼女が後席のドアを閉めたのを確認して、オレは車をスタートさせる。

 

「とりあえず、オレの部屋に行こう。そこでどうするかは、君たち姉妹で決めてくれ……」

 

 それから小一時間。

 

 オレの寮の部屋に着いたふたりは喧々諤々(けんけんがくがく)のいいあらそい。

 ときには詩愛から“わたしに黙って『美月』を泊めた”とコッチにも火の粉が飛んできたりして、ヤバかったのだ。

 とりあえず、話はどうどう廻りの()()()()におわり、結論として。

 

・美香子は(あくまで一時的に)父親から保護するためオレの寮に泊める。

・ようすをうかがうため、詩愛もちょくちょく顔を出す。

・『美月』の化粧が薄くなったら、復学がOKという父親の意向も確認したのち、彼女は家にもどる。

 

 こんな感じでどうにか話がまとまったのが、夜中の3時という有様だったんだ……。

 

 

 そして――話は今にもどる。

 

 

「勝手かと思いましたけど、コーヒー淹れましたよ?」

 

 詩愛が台所にあったインスタント物で作ったのだろう。湯気の立つカップを受け皿(ソーサー)にのせて差し出した。

 そう、昔もこんなことがあったのだ。

 しかしそれは別れた前妻の姿ではなく、オレの頭の中に浮かんだのはシーアと愛娘サフィーの情景だった。

 

「お砂糖は?」

「いや……けっこう」

「胃にわるいですよ?」

「……うん」

 

――また生返事(なまへんじ)なんかして……。

 

 一瞬、シーアの声が聞こえたのは気のせいだったのだろうか。

 そういや異世界の夢では家族専用の居間で新聞をよんでいるとき、しきりに彼女からそう言われたような……。

 

 無残な彼女たちの最期がうかぶ。

 同時に夢から覚めがちな時に起こる、一種“ブレヒト的”な支離滅裂。

 

 「これはゲキ~♪劇~♪げ~き~な~の~Yo~~~♪」

 

 あの音痴なシーアのワケが分からん歌も、今となっては懐かしいだけだ。

 受け皿を持ったまま、自分が寝ていたソファーへ移動してくつろいでいると、いつのまにか()()に着替えた『美月』が自分のヒザの上に座り込んできた。

 

「美香子。なんですそんな。マイケルさんに失礼でしょ!?」

「お姉ぇちゃんご主人さま()ろうとするから、こーしてるの」

 

 なっ!と言いかけた詩愛の顔が真っ赤になり、ついで口もとを微妙にゆがめ、

 

「ナニをいうのコノ子は――!?」

「ご主人さまはアタシのモンだもん」

「トシの差を考えなさい歳の差を!」

「お姉ぇちゃん昔、愛するものどーし、トシも国境も関係ないってゆってたぢゃん!」

「ハイハイ、諸君!」

 

 ()()はカップをサイドテーブルに置くと手を打ち鳴らし、

 

「いいかね?昨夜あれだけ時間をムダにしたんだ。またモメ事は――お断りだぞ!」

 

 ふたりの女どもを前に、自分は配下へ訓示を垂れるような勢いで喝を入れる。

 それを見た『美月』がどこか呆れたような声で、

 

「……ご主人さま。また雰囲気ちがってる」

 

 

               * * *

 

 

 『美月』に留守番をさせてレンタカーを返しに行きがてら、自分は詩愛を医院の近くまで送りとどける。

 もうすこしで到着というところで助手席にすわる彼女がポツリと、

 

「美香子のこと……よろしくお願いしますね」

 

 そこに言外の意味を感じ取った自分。

 「言外とはどういう意味か」と、問いただしたくなったが止めにした。

 考えてみればこんな独身中年男のところに顔見知りとはいえ自分の妹を、しかも女子高生を置いていくのだ。俗に言う“まちがい”を心配しているのだろう。

 失礼な、とおもうが、世間的に見れば事案スレスレの状態だ。

 

「問題ない――心配するな」

 

 こちらの横顔をしげしげと眺める気配。

 

「どうした?」

「ほんとう……あの子のいうとおり」

「なにが?」

「アナタ、ときどき雰囲気が変わりますのね」

「私がか?」

「この前は乱暴な雰囲気だったけど……いまは包容力のある殿方みたい」

 

 鷺の内医院の前にきて私は車を停めた。

 

「じゃ、また」

「そうね――また」

 

 助手席から暖かい気配が衣擦れとともに身を乗り出し、すばやく身をひるがえすと、助手席のドアを開けて、消えた。

 

 ――ふん。

 

 ()()は不意打ちをくった照れ隠しに、キスされた頬をことさら強ばらせ、車をレンタカー屋へと向かわせる。

 と、そのときメールで携帯に着信があった。

 なんと、子持ちでバツイチな美貌の女ドライバー、朱美からだ。

 

 車を路肩に寄せ、画面を開いて文面を読む。

 

【題名:とりいそぎ】

 (シゲ)サンが仕事をミスった。

 轢殺現場の目撃者も出て、営業所内は日曜だってのに大騒ぎ。

 詳しくは明日の朝会にて。

 

 

 

 

 



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第24話:仄暗い楽屋ウラの構造に関するエスキス(Ⅱ)前

 

              * * * 

 

・ひとつ!わたしたちは安全・確実にお客様を()ね殺します!

 

・ひとつ!わたしたちは笑顔絶やさずお客様を撥ね殺します!

 

・ひとつ!わたしたちは誠意を以ってお客様を撥ね殺します!

 

・ひとつ!わたしたちは努力奮闘し、お客様を撥ね殺します!

 

・ひとつ!わたしたちは倫理に(もと)らずお客様を撥ね殺します!

 

 読者諸兄にもおなじみ。

 朝会(あさかい)まえの、ワクワク転生協会『愛の五ヶ条』。

 

 轢殺トラッカーたち渾身の大斉唱は 自衛隊の特戦群もかくやとおもわれるほど。

 指揮をするのは『業務統括』の“ネズミ面”加論(カロン)を補佐する幹野(みきの)主任だ。

 しもぶくれな顔を紅潮させ、みょうに張り切っている。

 おそらく自分の“主任”たる地位を、目のまえに突っ立つトラック野郎たちにしらしめるチャンスと思っているのだろう。

 

「いいか――轢殺ドライバーの諸君!」

 

 ハゼのような顔つきが口をパクパクさせ、

 

「撥ねるだけならダレでも出来る!そう、誰でもだ!アクセルとブレーキを踏みまちがえる半ボケ老人共でもな!だかそこに“誠意”と“愛情”が加わって、はじめて転生を請負う轢殺ドライバーたりえるのだ!そこのところを、是非とも肝に銘じるようにッ!」

 

 撥ね殺し。轢殺。

 

 ここでちょっと説明をしておこうか……(c)池波正太郎先生。

 

 ここで言う“()ね殺す”というのは、業界初期の異世界転生方法だったらしい。

 現在は技術が進歩し、とりあえず()いて周囲の目から目標を隠したあと、トラックの下部にもうけられた転生装置で処分するのがトレンディー(死語)になっているとか。

 

 しかし、そういうトラックは得てしてAIも経験値がとぼしく“撥ね殺してから処分する”タイプのほうがAIの経験値が高いため、熟練の轢殺ドライバーにあてがわれ、難易度のあるオペレーションに投入されるそうな……。

 

 ――そんな入社して2年もたたないオレが、なんで【SAI】なんかと組まされるんだか。

 

 一団の沈黙のなか、オレは何度目かの疑問を、胸のうちでもてあそんだ。

 そういえば、以前に聞いた所長と来客との会話。

 

(――いまの男が?)

(そう、例の件の)

(良さそうじゃないか。じっさい……)

 

 アレはいったい何だったのか。

 いまでも思い出し、心なしか首もとが寒くなるような気味がある。

 斉唱が終わった後も所長の“アシュラ”が出てこないので、全員直立不動のまま待つ姿。

 

 やがて、朝会をおこなうロビーの広場よりすこし距離がある彼方の会議室が開くと、加論(カロン)の痩せぎすな体がフラフラとこちらに歩いてきた。

 その足どりはドリフのコントのように、頭上から金だらいが落ちてきたあとの加藤茶の歩みにも似ていた。

 

 驚いた。

 あのネズミを想わせる陰険そうな細面の顔がさらに痩せおとろえ、目の下にはいっちょうまえにクマなど浮かべているではないか。

 “ネズミ面”が“ハゼ”の最敬礼のもと、居ならぶ轢殺ドライバーの前まで来ると、

 

「あぁ~~しょくぅん……ラクに、してくれぇぇえい」

 

 なんと、キンキン声まで弱々しくなって。

 いつもは料理アニメのキャラで「ヒャまおかァァァァァ!!」と叫ぶ、使えない上司そっくりな声が、まるでお通夜じみたトーンにまで下がっていた。

 

 と、そのときオレはもうひとつのことに気づく。

 加論が出てきた会議室から、スーツ姿の男がふたり。

 こちらの方を向くことなく足早に廊下の奥へと去っていった。

 

 ――なんだろう、あの連中……きわめてウサン臭い……。

 

 あの先には職員用の夜間通用口がある。

 今朝の守衛は、たしか知り合いであるミツルのはずだ。

 あとで監視画像を見せてもらい、場合によってはコピろうと心にきめる。

 

 加論は、まるでゲリがようやく収まったあとのような声で、 

 

「ウワサでは、もぅ知っている者も、いるかと思うがァ……オペレーションで事故が……発生した。それも轢殺目標に刺されたとか言う、いつぞやのマイケル君のような……ささいな事件とはレベルがちがう」

 

 ――おぃおぃ、クソ加論。ひとを話のマクラにするなよ?

 

 オレは心ひそかに憤慨する。

 

 ――些細な事件だ?どてッ腹に風穴あけられたんだぞコッチぁ!?

 

 そんなオレの憤慨をよそに、視線の定まらない、どこか上の空の顔をした業務統括担当の弱々しい声はつづいた。

 

「轢殺……いや、このドライバーの場合は、撥ね殺したあとで処分しようとしたらしいが……」

 

 数拍、目が宙をおよぐ。

 つぎの瞬間、このハゼは顔を真っ赤にして、

 

「そのとき!勢いあまってぶつけたため、目標の身体は宙をとび!近くのコンビニに“ダイレクト入店”してしまったのだ!!!!!っっ!」

 

 マジかよ……と歴戦の猛者たちのタメ息。

 

 これでまた。内部監査だ。使用機器確認だ。業務確約書だ。コンプライアンス達成チャートだと、クソのようにウザい社内業務の嵐がやってくる……。

 

「しかも最悪なのはここからだ……」

 

 稲川〇二の会談のように、加論の声がしずむ。

 ゴクリ、と転生請負ドライバーたち。

 一転、この業務統括は声を爆発させて、

 

「なんとこの担当者は!目標拘引用のテンタクルズを前方から放出し!コンビニの中に転がった目標の死体をからめ取ると!衆人環視のもと、トラックの下に引きずりこんだのだ!!」

 

 おおぅ……と居並ぶ面々の、声なき嘆声(なげき)

 

 痩せぎすな男はガックリと肩を落とした。

 オレ的には、いつも閻魔帳をふりまわしドライバーたちのアラを探す、小役人じみたネズミ面が打ちしおれているのを見て(ザマァwwww)なのだが、問題のドライバーが『重さん』とあっては笑ってばかりもいられない。本人はどこでどうしているのだろう、と気になった。

 

 しばらくの沈黙に耐えられなくなったものか、

 

「質問があります!」

 

 若いドライバーが手を上げた。

 

「――なんだね」

「なぜ、目撃者がいるところで“捕獲触手”(テンタクルズ)をつかったのか分かりません!AIは、それを容認したのですか?」

 

 ハ!とカン高い笑いが一声。

 

「このアホなドライバーは!AIを切って、完全手動で捕獲を行おうとしたらしい。そのとき操作をミスって……」

「手動の場合の最終安全装置があったでしょうに?周囲に生体反応がある場合は“捕獲触手”を起動させないという――」

「このドライバーは、それすら切っていたらしいのだ!」

 

 まったく嘆かわしい!と再度絶叫したあと加論は、

 

「本事案を以って当該ドライバーを『最優先・作戦稼動ドライバー』から外す!補充要員として……」

 

 保身に抜け目のなさそうな金壷眼(かなつぼまなこ)が細められ、一団をサーチライトのように眺めわたしたあとオレのところで止まり、()ッと粘着質に見据えてくる。

 

「補充要員として――マイケル君!キミを指名する」

 

 ……は!?

 

「ちょ、まっ……」

「これはすでに所長の什央(アシュラ)本部長どのも了承済みの人事だ!あとで装備課より『フルタイム・コネクタ』が貸与されるので、乗車のトラックAIとリンクを済ませておくように!」

 

 ちょっと一団がザワついた。

 

(マイケルが?)

(アイツ、まだ入社して間もないだろ?)

(このまえ作戦ミスって撃たれたってぇのに……)

 

 周囲からの視線が痛い。

 顔をほてらせながら、オレは状況を整理する。 

 

 まじか。

 なんでオレがそんなポジションに?

 いや、だが待て?当然のことながら、給料は上がるんだろうな。

 いやだぜ?役職がついて組合員を外れるから『残業手当ナシ』なんて結末は。

 しかし、この厳粛ともいえる場で、そのことを確認するにはあまりにも恥ずかしかった。

 

「では、総務の方から今後の予定と社内手続きについて……」

 

 総務のお局サマが胸をゆらして進み出て、メガネをクィッと押し上げるや、手元のタブレットから今後の研修予定の割りふりと、提出する【業務確約書】について説明がある。

 

 要は、こうだ。

 

 【私は社内規定に則った轢殺業務を行うことを誓います。

 もしこの規約に反したばあい、いかなる処分を受けても不服申し立てを行わず、

 同時に法的な権利・権限を放棄することに異議を挟まないものと致します】

 

 ひとりのふてくされたような声が、説明をさえぎった。

 

「つまりナニかぃ?『今回のように重篤な違反を行った場合、ナニされてもかまいません』という書類にサインしろってのかぃ……?」

 

 ザワリ、と轢殺者の一団が身じろぎをする。

 オレの隣でお局サマの話を聞いていた初老のトラッカーがケッ!と言わんばかりな口ぶりでささやいて、

 

(よく言うぜ!単なるトカゲの尻尾きりじゃねぇか!)

(あほ。商業道徳がこの職業にあると思ったか?)

 

 隣の老年ドライバーが、それを聞いてすぐさま毒づいた。

 

(しょせん“殺し屋”なんだぜ?ワシたちぁ……)

(でもよ?せめて最低限の身分保障は欲しいぜ)

 

 だんだん不満げなささやきが、高く、大きく広がっていった。

 

(最新鋭の機材が降ってくる職場とはいえ、ワンミスでこうなるのはイタいな)

(ウラのカラクリだって、どうなってるかワかったもんじゃねェぞ)

(辞めてったドライバーって退職金もらえたのかな?)

(ヒミツを知りすぎて転生処分でブッとばされるのカモよw)

(マジで!?だったらどうしよう――おれバッくれようかな)

 

「バッくれンなら。目の前の、このクソねずみを(バラ)してからにしろや……」

 

 最後の、この一言。

 

 それは静謐な池に投じられた石のように、一団のなかで幾重にも波紋となって広がってゆく。

 

 沈黙。そして集中するギラついた視線。

 そのなかには、明らかに殺意をこめたものが少なからず。

 むりもない。日ごろから閻魔帳をふりかざし、勤務評定にマイナスをつけているのだから。

 

 轢殺トラッカーたちの、ネズミ面をした痩せぎすな業務統括を囲む輪がジリッ、と狭まった。

 保身に敏感な小役人風の姿が、反射的に(ヤバイ……)とでも言うようにあとずさる。

 風向きを察すに敏そうな、とがった鼻がヒクヒクとうごめいたかと思うと、

 

「さっ!さァ……説明のとおりだ。今日は所長どのは中央に出張で不在なので、朝会は短縮しコレにて終了!かっ、解散!あぁぁ、マイケル君!そっ、装備課に寄るのを忘れるな!?」

 

 そういうや、この男は憎しみをこめた視線の囲みをくぐりぬけ、脱兎のごとく逃げ出して廊下の奥に走りさった。

 

 バタン――ガチャリ!

 

 業務統括室の扉が盛大に鳴り、鍵のかかる音。

 ギロリ。ドライバーたちの視線は、こんどは総務のお局さまへと向かう。

 

「ヒッ!あっ、あの……必要書類はココに置いておきますので……ドウカソノ、ヒトツヨロシク……

 

 そういうや窓口からはなれ、奥にあるコピー機のあたりに引っ込んだ。

 カウンターの奥にいる総務の連中も視線をドライバーたちからそむけ、いかにも忙しい素振りをするのに余念がない。

 

 ――チッ!

 

 だれかの大きな舌打ちとともに、轢殺屋の面々はゾロゾロと散ってゆく。

 ヒソヒソと語られるウワサ話。

 いかにも事情通ぶった、これ聞けよがしとも思える声高な会話。

 くらい視線でうつむいたまま歩いてゆくのは、一匹狼なドライバーたちだ。

 オレも黙ったまま【SAI】の待つ地下駐車場へ行こうとしたとき、クイクイと服のソデを引っ張られる……。

 



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            〃           中

     

 

 ふりむけば、例のごとくツナギの胸を大きく開いた姿の朱美だった。

 『美月』はもちろん、詩愛すら持っていない成熟した女の色香というものを、ディオールの香水にのせ漂わせてくる。

 

「やぁ、朱美サン……メール、ありがとうね」

「昇級おめでと」

「昇級だって?」

「コレでアナタも“巻き狩り”に参加できるってワケ」

「まきがり?」

 

 ふぅっ、とこの(あね)サンはタメ息をついて、

 

「すこしはウチらの業務を勉強なさいナ。“巻き狩り”ってのはトラッカーがチームを組んで、一気に複数の目標をかたづけるコトよ」

「へぇぇ……朱美さんもその資格が?」

「まぁ、ネ。でもアタシはやらないけど」

「どうして?」

 

 この姐御はオレの服を引っぱって、強引に非常階段のスペースまでつれてゆくと、

 

「なぜって――危険が高すぎるもの」

「危険、なのか?」

「とうぜん。トラックも改装されるわね。防弾になったり、警察無線の傍受ができるようになったり。ヤバそうな目標を振り当てられるから、危険手当の歩合もイイのよ」

「危険手当かぁ……」

 

 何だかんだで、このところ出費がかさんだ。

 確かにココいらですこし稼いでおくのもイイかもしれない。

 もうすぐ支給されるハズであるボーナスの査定も良くなるだろう。

 そんなオレの顔つきをみて、まんざらでもなさそうだねと朱美はわらい、

 

「アタシは竜太を“孤児院育ち”にするなんて出来ないわ」

「え。そんなに危険なのか?」

「詳しくはしらないけど。重さんなら、いろいろ知ってると思うわ」

「……あのオヤジ、今ドコにいるんだぃ?」

「地方の県警の留置場だって」

「え」

「死体がトラックに引きずられるのは目撃されたけど、肝心の死体が見つからないんでポリの連中もとまどってるみたい」

「でもトラックを調べられたら……」

「そう。とんでもないことになるわね。とりあえずウチらのトラックは重いから、“過積載”を手がかりに捜査されるでしょう」

 

 地方の寒い留置場で、体をちぢこまらせている老人の姿が浮かぶ。

 風邪なんか引かなきゃイイが……。

 

「いま、こちらの勢力が圧力かけているみたいよ?でも警察の中でもアソコの地方は“薩長閥”以外が大半を占めているので、プレッシャーもイマイチだって」

「……ずいぶんとくわしいな?」

「ウチのAI()の助けを借りて、あのネズミ面が所長と喋っているところを盗聴したのよ」

「おぃおぃ」

「だいじょうぶ。知ってるドライバーも多いわ。あのバカ、守秘回線のない個人用携帯をつかって話しているんだモノ。あらかじめみんな知っていたから心の準備が出来ていて、朝会であんなことになったワケよ。知らないのは有給取ってったアナタぐらいなんだから」

 

 ――っちぇ。

 

 こんな大事なときに、オレはノホホンと休んで……はいなかったな、うん。

 なにせこちらもイロイロなことがあって、お(なか)いっぱいだったのだ。

 

「それでね、お願いがあるんだけど……」

「んぅ?」

「こんだの日曜日、竜太の幼稚園で運動会があるんだ。もしよければ、そのぅ……」

 

 ムチムチとしたツナギをもぢもぢさせて、上目使いな朱美。

  

「えぇ?オレに見に来いってか」

「うん……」

 

 朱美の声が、暗く澱んだ。

 そして「あのね?」といくぶん声をつまらせて、

 

「あの子……幼稚園で“パパなしッ子”って、バカにされたらしいのよ」

 

 この姐御もバツイチだ。

 完全に相手の有責による離婚。

 オレとはまったく逆で、浮気をして出て行ったらしい。

 イイ女なのになぁ、とひそかに相手の胸を見ながら思う。

 オレは手近にうかんだ言葉を、廊下のカーペットに投げつける。

 

「ケッ!ガキどもは残酷で陰湿だからな」

「もし、なんだけと……かりにでも父親役が見に来てくれたら、その……」 

「あー。わかった、わかった。お廉い御用さ、そんなコタぁ」

 

 パァァァッ、と。

 生活に疲れた朱美のかおが、あからさまな喜びにみたされる。

 

「ホント!ほんとにイイの!?――約束だよ?」 

 

 オレの気が変わるのをおそれたのか、彼女はすぐに身をはなすと、「約束だよ!?」と、もういちど繰りかえし、ゆたかな尻をふりたてて地下駐車場へとかけ降りてゆく。

 

 残されたオレのうちに、一抹の罪悪感がヒタヒタとしのびよるのはどうしてだろうか。

 胸が重く、苦しい。まるで(おもり)をのみこんだみたいに。

 そう、まるでヘンに期待を持たせてしまったかのような、後ろめたさ。

 

 なんかこのごろ女がらみで苦労するなぁ、とオレは大きく息をついた。

 コレもひょっとして、あの縁結び神社のご利益なのだろうか。

 

 オレは広大な地下駐車場の片すみにある技術棟に寄ると、受付で装備課の責任者を呼び出してもらった。

 トラッカー風情では技術棟に勝手に出入りはできない。あちこちにセキュリティ・チェックの扉があり、入退出は厳重に管理されている。

 相手を待つあいだ、あたりを見まわした。

 受付なんてものは、どこも同じだ。無味乾燥とした、殺菌されたような印象。

 その奥では数人の女性職員が無表情にPC端末をたたいている。

 

 ちょっと驚いたのは、彼女たちのキーボードを叩くスピードが恐ろしいほど速いことだ。

 全員がまだ若いのに、相当の熟練者らしい。

 社内規定でもあるのか、みなおなじ髪型で、ひとしく片目に視線入力タイプのデバイスをつけ、猛烈な勢いで仕事をしている。よほどペーパーレス化が進んだ事務所なのか、彼女たちの周りにはキングファイルひとつ無かった。

 

 やがて連絡を受けたのだろう、パリッとした真っ白いツナギを着た60ぐらいのおやっさんが事務所の奥からやってきた。

 

「――お()ェかい、シゲ()の代わりのドライバーってなァ?」

「は、どうも。よろしくお願いします」

「ふぅん。なんだかシマらねぇなぁ」

「……恐縮です」

 

 ここは営業マン時代につちかった愛想わらいでガマンだ。

 相手は手もとのクリップボードをぱらぱらとめくって、

 

「ンだァ?前職(まえ)がリーマンかよ。どうりで」

「どうりで、なんです?」

「いや、ハンドルを握ってきた野郎の雰囲気じゃねぇなと思っただけさ。なるほど「ネクタイ締めてました」ってな雰囲気だゼ――来な。お()ェの脳波ァ測定して、『フルタイム・コネクタ』つくるんだから」

「コネクターって、なんのです?」

「アホか。お前ェの轢殺マシーンを司るAIとだろうが」

 

 ――あの【SAI】とのコネクターかァ……。

 

「脳波をつかって、思考をダイレクト・コネクトするんだ」

「えぇっ!だっ、大丈夫なんですか?それ」

「だいじょうぶ、ってナニがだよ?」

「いや、その。脳を乗っ取られたりとか」

 

 白ツナギのおやっさんは爆笑した。

 

「アホか。ンなことになったら、ダレも着けたがらねェだろうが。ホラ早く来な!」

 

 シオシオとあとに続くオレを、この人物はIDをつかって奥の扉をあけ、ひと気のない無機質な通路をしばらくあるき、やがて内装が真っ暗な部屋へとみちびき入れた。

 

 中央には輪っかのついた大の字型のはりつけじみた器具。

 

 ちょうど“ラート”とかいうスポーツ競技の器具をもっとゴツくして、まわりに電子機器をすえつけたような……。

 そして不思議なことに、この部屋では本土と離島間の高速連絡船内のように、かすかな嘔吐の臭いすらかんじられる。

 

 おやっさんは中央の“はりつけ器具”にオレの手首と足首、それに腰にベルトをまいて拘束した。

 かなりキツく縛られ、腹帯を拘束された時はおもわずグェッ、と声が出たほど。

 

「あの……脳波を取るためには“リラックス状態”とやらにするのでは?」

「よく知ってるじゃねェか。だから緊張するな」

「そうは言われましても……」

 

 むかし観た『カフカ・迷宮の悪夢』という映画で、脳を手術される男が据えられた、巨大な顕微鏡つき拘束台を思い出してイヤな予感がする。さいわいにも髪をカッパに剃られて頭蓋骨に孔をあけられることもなく、()()()()に端子をつけられるだけですんではいるが。

 

 白衣の男は拘束台わきのコンソールにつくと、なにやらスイッチを起動させた。

 電子機器の高周波な起動音。

 拘束台が、かすかに振動をはじめる。

 

「じゃ……時間もモッタイないんではじめるぞ?」

 

 事務的な声がそういったかと思うや、いきなり本当にラートのように拘束台がグリンと180度回転した。視界は天地逆になり、頭に血がのぼりはじめる。

 

「フムフム……なるほど」

 

 白ツナギのおやっさんが、何事か端末を操作。

 

「おわっ!!」

 

 いきなり大の字拘束ワクは回転をはじめる。

 やがてそのスピードを速めながら拘束台はたおれてゆき……あろうことか、急にガクン!と停まった。かと思うと急激に逆むきに動き出し、またもや3次元的な高速回転。

 

「ちょっ!……ちょっ!……ちょぉぉぉぉォォォ……!!!!」

 

 あとで聞いたが、その時間は15分ぐらいだったそうだ。しかしオレには1時間ほども感じた。ちょうど歯医者で治療をうけているような時間経過……。

 

「ホィ、お疲れサン」

 

 “ラート”が正位置でとまり拘束を外れると、文字どおり脱水機にかけられたような感覚で、フラフラしながら手じかにあったパイプ椅子に座り込む。

 頭に血がのぼり、視界がグワングワンと回った。

 

「もどすんなら、そこの洗面器にな?」

「べつに……吐きゃァしませんけど……これぐらいで」

「おぅ!(えら)いな?」

 

 白ツナギのおやっさんは、へぇ?とでも言うように、

 

「たいていの(モン)は測定器から離れたらヘド吐きながらヘタりこむのに」

 

 それでこのゲロの臭いか、とそのとき初めて納得した。

 

「……事前に説明があってもよかないですかァ?」

 

 オレは思わず恨みがましい目で、ゆるやかに回転するおやっさんをニラむ。

 

「説明したら、みんな測定をうけたがらねェんだモンよ」

 

 そりゃそうだろ。こんな拷問じみたテスト。紅いウサギのヘンタイ共だってやらねぇぞ。

 オレは視界の動揺がおさまるのをまって、端末にかがみこんだままのおやっさんに近づく。

 

「ん。いいデータが取れた。悪性腫瘍なし。未破裂脳動脈瘤もなし……と」

「まさか、あの機械、MRIも兼ねてたんですか?」

「それだけじゃねぇ。被験者本人の精神状態やDSM-Ⅳにもとづく“人格障害”の程度も測定できらァね」

 

 オレは「ときどき雰囲気がかわる」と指摘した『美月』や詩愛のことばを思いだし、おそるおそる、

 

「で……自分はどうでした」

「悪ィいが、そこは被験者に通知しないコトになっているンだ」

「じゃぁ、せめて“異常”の有無だけでも――どうか」

 

 おやっさんは手もとのデータをしげしげと見てから「言うなよ?」と一言くぎをさし、

 

「判定ソフトにデータ突っ込んだら“承認”と吐くんだが、生データみるとナァ」

「やっぱりどこか悪い、とか?」

「精神波動に外乱があるんだよ……少なくともふたつ」

「なんですそれ」

「解離性人格障害じゃねェか、ってコト」

「は?」

「お前ェのなかに、二人ばかり別人が入っているんだ」

 

 ――別人?

 

 まさか。

 

 王都における特殊騎士団“龍騎隊”の団長職をあずかる“自分”と、

 アフリカに展開していた戦闘ユニットを指揮する中尉の“俺”……。

 

 夢のなかのできごとが、相手の言葉を触媒として、次々に立ち上がってくる、そんな気配。

 いやまて。あれは夢だ。自分の思い込みだと何度も深呼吸をして、湧きあがろうとするそれらの記憶を圧殺し、こころの奥底に封入する。

 

「おい、どしたィ。顔色が悪ィぞ?」

「そんな……おやっさんがヘンなこといって驚かすからですよ」

「冷や汗までながしてンじゃねぇか。ホレ」

 

 白ツナギの男は紙コップにサーモスから何かを注ぐとこちらに手渡した。

 

 湯気の立つ濃い緑茶の香り。

 熱い飲み物が食道を下ってゆく。

 不思議なことに冷えた肩まで暖かくなるような。

 現実の波が、茶の湯気と薫りが、得体の知れない記憶を洗いながしてゆく……。

 

「ようし、とりあえずファンダメンタルなデバイスがコレだ」

 

 おやっさんはオレの片耳に奇妙なかたちの大きなイヤフォンをかけた。

 

「とりあえずこれは基礎的なものだからな?お前ェの相棒とコンタクトを重ねるうち、自動的にバージョンアップされて、最後にはこのチャチなデバイスがなくとも意思疎通できるようになる」

「え……」

 

 前から思っていたのだが……。

 

 ニコニコ転生協会から支給されるデバイス。どうも現実離れしているような。

 21世紀の現在において、思考制御の機械なんて聞いたことがないし、見たこともない。

 オレの持っている3Dホロが浮かぶ携帯だって、民生品でそんなものが開発されたなんてウワサも聞かない。

 まえまでは、軍用に開発された先端研究所からの技術を横流ししたものだろうと考えていたが、軍用ですら調達予算を削減するため、市場品を流用するこのごろだ。とてもこんな部品が出てくるとは……。

 

「おィ、なにボンヤリしてやがンだ」

 

 白ツナギのおやっさんが、そんなオレの考えを断ち切った。

 

「さ、お前ェのAIとリンクした。話してみな」

 

 オレはデバイスを耳に装着し、コクンとノドを鳴らしてから、

 

「えー。あーあーテステス……【SAI】?」

『だれです?いまシネマがイイとこなんですから、話しかけないでください!』

 

 耳につけたデバイスと、おやっさんの端末わきにあるスピーカーから【SAI】の苛立たしそうな声。

 その背後では、聞き覚えのあるオルゴールまじりのサントラ。

 オレはそれを聞いてすぐにピンとくる。

 

 ――あ、これ財宝を巡って3人のガンマンが墓地の中央で決闘するところだ……。

 

 おやっさんは、そのAIの口の利き方に絶句したらしく、こちらをむいて、

 

「なんだコイツは……このAIは、いつもこうなのか?」

「ま、まぁ。今日はまだマシなほうですね……」

「なんてことだ。けっこう経験値のあるAIと聞いていたんだが」

「経験値があるから、かもしれませんよ?」

「ドライバー交代ごとに轢殺技術データーだけ残して、担当ドライバーの交流によって培われたパーソナリティーは消去しているはずなんだがなぁ……」

 

 えっ。とオレは意外なことを聞くような思いがした。

 

 ――あてがわれた当初から【SAI】はこんな調子だったぞ……?

 

 初っぱなからシニカルなギャグや、女房に逃げられたこっちをいたわるような、それでいて毒舌な口調は、こちらの経歴をふまえてインストールされたキャラ設定だと思っていたが。

 

「あれじゃないですか?トラックのAI同士が交信して、個性を高めあっているのかも」

「ンなこたァ絶対にありえねェ!」

 

 意外に強い反応が返ってきた。 

 

「AI同士が人間の許可を得ず直接コンタクトしあう、なんてコトぁ絶対に避けなきゃなんねェんだ!」

「なぜです?なんか(しげ)サンも、そんなこと言ってましたが」

「……シゲと親しかったのか?」

「わたしのチューター役みたいなものでしたよ。いろいろ教えてもらいました」

 

 ふぅぬ、と白ツナギのおやっさんは腕組みをして、こちらを品定めするようにシワの刻まれた目のおくからオレを見据える。

 

「シゲの子飼いなら……まぁいいか。なぜってお前ェ、そりゃぁ――」

 

 そのとき、ノックの音がして測定室の扉があき、Yシャツの首からIDをさげたメガネの男が顔をのぞかせた。

 

「ロック、室長が、すぐ来てくれだそうです」

「ん――分かった」

 

 おやっさんは立ち上がった。

 

「あの――」

「時間切れだ。こんど話してやる」

「おやっさん、それじゃいつ……」

「だぁれがオヤッサンじゃ。ワシは吉村。ロック・吉村だ。装備課と技術課の特別顧問をしとる……定年後の再雇用組だがね」

 

 そういうや、白ツナギの“おやっさん”は『フルタイム・コネクタ』に関する紙ベースの説明書をこちらにホレ、とわたすとオレを部屋から追いたてて、もとの受付まで送るや「じゃぁな」と再びセキュリティー・エリアの奥に消えてしまう。

 周囲では、相変わらず似たような髪型の女性職員たちが無表情なまま、猛烈なスピードで端末を叩いていた。

 カチャカチャという打鍵音の林のなか、コンフィデンシャルとスタンプのある数枚のマニュアルを見る。

 

 ――なんでいまどき紙ベースなんだ……? 

 

 触ってみると、流出防止のICチップがあるらしい。

 つまり所内閲覧専用ってコトだ。これははやく覚えないと。

 

 そのとき、コネクターのイヤホンからは、エンニオ・モリコーネの名高いエンディングBGMが流れはじめた。

 

 ――お?ようやくおわったみたいだな……。

 

 オレは一度咳払いしてから、

 

「おぃ“汚い奴”(The Ugly)。聞こえるか?」

『あぁ……最高だった。だれです?さっきから』

“いいモン”(The Good)だよ」

 

 




※もちろん映画は「いいモン、(ワル)モン、汚い奴」
 (邦題:続・夕日のガンマン)です。


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            〃           後(新

すいません。
遅くなりました。


                      *  *  *

 

 休み明けの運転は最悪だった。

 客を見つけたタクシーに横入りされ、老人の運転するプリウスの信号無視にキモを冷やし、イキった改造車にホーンを鳴らされる。

 ハンドル(さば)きはニブっていないはずなのだが、この3日間の連休が意外に響いているらしい。

 

『マイケル。どうしたんです今日は?さっきから』

 

 左耳のコネクターから【SAI】のウンザリ声。

 

『休みボケですか。これだからワーカーホリックは』

「ワリぃ。どうにもハンドルのカンがもどらねぇ……クソっ!」

 

 手荒くシフト・ノブを操作し、回転数とクラッチを合わせる。

 

『アクセルの踏み込みに2.3%の迷いがあります。ステアリングのキレもありませんな』

「MJD……?ちぇーっ!」

『ドライブ。ワタクシが代わりましょうか?』

「いいよ。ロックのおとっつぁんから渡されたマニュアルに、なるべくこのコネクタをつけてハヤいとこ【SAI】(おまえ)との脳リンク確立しろって書いてあったし」

 

 それにしては、とこのクソ生意気なAIは妙にハナにかかった呆れ声で、

 

『今日のマイケルの脳波、若干乱れておりますぞォ?』

「なに?――そんなことまで分かるのか」

『当然デス。脳波はもちろんのこと、脳の血流からシナプスの“飛び”までワッチしてますが?』

 

 なんだかなぁ、と赤信号でトラックをゆっくりと止めながらオレは考える。

 どうも相手の手のひらで踊っているような居心地の悪さがはなれない。

 生殺与奪をニギられているような――そんな緊張感が、つねに。

 

「そういえば聞いてるかァ。重サン、仕事ミスったの」

『らしいですねぇ。なんでも“触手”を人の目があるところで使ったとか』

 

 

 ギクリとするのに時間がかかった。

 やっぱり休みボケしている証拠だ。

 

 何気なく聞いたひとこと。

 なんでコイツは重サンのことを知っているんだろう……?

 この3日間、オレとは接していないハズなのに。

 

『マイケル?どうしました。急に緊張度が高まりましたが』

 

 ――ちっ……。

 

 オレは腹のそこで毒づく。

 コイツを装着しているあいだは、感情に乱れがないようにしないといけないのか。

 ヘタしたら、こっちの心の底まで見透かされそうだ。

 

「――イヤなに……オレがそんなコトになったらどうしようかと思って」

『ナニをバカな』

 

 【SAI】はハ!といわんばかりに一笑に付した。

 そして「まるで話しにならない」とでも言うように、

 

『イイですか?マイケル。アナタにはこのワタクシがついています。ムッシュー・シゲがAIコネクトを全カットしなければ、あんなことにはならなかったんですよ?人間とAIは……Bon(よろし)!互いに補完しあう存在なのですから』

「……くわしいな。重サンのAIと話し合ったりするのか?」

 

 微妙な沈黙があった。

 やがてこの人工知能はすこし固い口ぶりで、

 

『ざんねんながら?AI同士が直接情報をやりとりすることは、固く禁じられております』

「……なんでサ」

 

 タメ息をつく人工知能。

 

『ワタクシにもわかりません。まったく非効率なはなしですよ、ムッシュー』

「でもオマエは……」

 

 そこで一瞬言いよどむ。

 さきを続けるのが、すこし怖い。

 

「重サンが……AIとの連絡をカットして、フルマニュアルでトラックを稼動させたと知ってたじゃないか」

 

 あぁ、そのことですかと【SAI】はこともなげに、

 

『ほわぁタクシには、高性能のマイクがあることを、お忘れですなモナムー?』

「……(もなむー?)」

『あの地下格納庫で交わされたドライバー同士の会話。あるいはレーザーを使った聴音。そういった情報を有機的に組みあわせるのです」

「え……オマエはキーを抜いた状態でも電力があるのか?」

「当然です。人間は寝るとき心臓を止めますか?われわれ高性能の人工知能はヒトに奉仕するべく24時間!灰色の脳細胞をうごかしつづけているんですよヘイスティングス?』

「だれがヘイスティングスじゃ」

 

 初耳だった。

 まさかエンジンを切っても、【SAI】が稼動し続けているとは。

 てっきりパワー・オフのあとはスリープ状態にはいると思っていたのだが。

 

 信号が青に変わった。

 なにか急に、このクソ生意気な人工知能の性能を試してやりたくなる。

 いままでは音声で「前進、後進、停車」ぐらいしか命令(コマンド)していなかったのだが。

 

「よし、【SAI】。完全オート・ドライブ。街の中心部に乗り入れるぞ」

『ウィ、ムッシュー』

 

 きわめて滑らかに轢殺トラックは走りだす。

 

 【SAI】の運転は見事だった。

 難しい合流や車線変更など、いともかんたんにやってのける。

 

 ――自動運転は、ここまで技術が進歩してるんだナァ……。

 

 そのうち、人間はハンドルを手放すかもしれない。

 そうでなくとも、一般人が手動でハンドルを握ることは遠からぬ未来には『違法』になるのではなかろうか。

 多様性をうしなった、乱雑の最たる均質の世界。熱力学的に死んだ事象面……。

 

 【SAI】がドライブしているあいだにも、刻々とデータはオレの頭のなかに入ってきた。

 そのうち【SAI】が運転しているのか、オレ自身が運転しているのか分からなくなる。

 

 不思議だった。

 

 まるで自我の境界がとりはらわれ、まさしくトラックと自分とが一体になった感覚。

 車体の死角がなくなり、まるで大きなオレが意識のままで道路を走っているような。

 “ポルシェを着る”という言葉があるが、この場合はまさしく“轢殺トラックを(よろ)う”という言葉がピッタリだ。

 

 前をゆくワゴン車が曲がる交差点をミスったらしい。

 車線を無視していきなり目の前にもどってきた。

 

 ――けッ!

 

 オレはスキーのエッジを効かせて急制動をかけるようにターン。

 その動きは、実車ではドリフトとなって華麗にワゴン車をかわす。

 ふと、そのとき何かが思考の中に食い込んでくるような感覚。

 

 ・分隊支援用・王都技術院作成火炎放射器。

 ・105mm榴弾砲による威力捜索。

 ・イブラヒム刀匠自慢の斬撃専用長剣。

 ・孤立した部隊。防御用手榴弾の一斉投擲。

 

 騎馬のいななきが、機銃の連射音が。血の臭いが、硝煙が。

 

 ――こいつ! 

 

『ぃようし、ソコまでだ!』

 

 いきなり別の声がコネクターに割って入った。

 とたん、あらゆるイメージは再びかき消されたように消える。

 心象の人工的な激変に、心臓を含む胸と思考野に強烈な違和感。吐き気。

 血圧が急上昇したためか、金属音もまじえて遠くなった耳に、あちこちからホーンの音。

 

『初日にしちゃ上出来だ。もどってこい!』

「だれだ……小隊長か?……援護砲撃!……座標……」

『ホレみろ。自我崩壊をおこしかけてる。【SAI】-108!緊急帰投modeを許可。コントロールを優先位置に』

 

 アイ・サーと【SAI】は答え、オレの体はフッと重くなる。

 気がつけばシートに密着する背中とモモのうらにビッショリと汗をかいて。

 そして運転席すわったまま、呆然と目の前の大型ハンドルが動くのを見る自身に気づくのだった。

  

『コネクターを外せ。帰ってきたら昼メシおごってやる。とはいっても社員食堂のラーメンだがな。期待ァするなよ』

 

 そういって技術顧問は去っていった。

 いまさらになって、ドッと疲れが出る。

 汗がアゴをつたい、額を払えばネットリと脂っこい。

 ウィンカーは勝手に点滅し、アクセルは吹かされ、モーターは唸っている。

 重量級の轢殺トラックは、その重さを感じさせずに車のながれに巧みに乗って走った。

 ちぇっ。おれより上手いじゃねぇか、と片耳からコネクターをはずし、力なくボンヤリながめる。

 

 おれは片耳から引きむしるように外したコネクターを見つめた。

 

 ――コイツは……けっこうヤバいかもしれない。

 

 地下駐車場のパーキングまで【SAI】にまかせると、オレはヘロヘロになってトラックを降りる。

 高い運転台からコンクリの床に足をおろしたとき、ちょっとフラついたほど。

 心臓の動悸(どうき)は収まっている。

 吐き気も、もうない。

 あるのはただ全身の疲労感だった。

 

「よう、ロックのオヤジが呼んでるぜ?」

 

 整備課の現場監督である『M』が、クリップボードをよこしながら技術棟のほうを指さした。

 オレは車両引渡しの書類にボールペンで殴り書き状態にサインすると、

 

「あぁ、分かってるよ。なぁ?あの“ロックなんちゃら”ってヤツは、どんな人間なんだ?」

「バッ!」

 

 『M』は背をちぢめてあたりを見回し、声をひそめ、

 

「滅多なコト言うもんじゃネェよォ!あの人ァ伝説の技術者だぜ?『ロック吉村』知らんのか」

「さぁ……」

「とにかく、轢殺トラックに関する理論やシステムにかんしちゃ、第一人者だぜ?「整備畑」と「技術畑」はどちらかといやぁ仲がワルいほうだが、ことアノ人に関しちゃ、整備(ウチ)ウチの連中も一目おいてる……」

「転生事業の――その、初期から居る人なのかな?」

「さぁ。この業界の草創期なんて誰もしらねぇんじゃねぇか?ウチの会社の沿革なんて見たことねぇし……」

 

 あやふやな会話を打ち切って、技術部の受付にいくと、例のオペレーター嬢たちは姿が見えず、席はいずれも空となっていた。

 壁の時計を見れば13時をすこし回ったころあい。みんな遅めの昼食をとっているんだろうか。

 呼び出しボタンを押すと、便所サンダルをスタスタと鳴らし、『吉村のおとっつぁん』がやってきた。

 

「ヨゥ。いいDataを、あんがとサン」

 

 相手は、オレが手にしているコネクターを見てニンマリと笑った。

 

「こっちでモニターしてたんですか……」

「そう不服そうな(ツラ)ァすんな。ちゃァんと個人情報保護法にのっとって、記録は扱うから」

「自分を見透かされているようで、なんだか落ち着きません」

「最初はみんなそう言うさ。でもだんだんベンリさに慣れッ(ちま)うんだなコレが――こいよ。メシにしようや。食えるか?」

「えぇ、まぁ。なんとか」

 

 技術部は独自の社員食堂を持っているとウワサには聞いたことがあるが、驚いた。

 

 ――コレは……。

 

 チョッとした感じのこじんまりとしたレストランといった風だった。

 ただ席数は少ない。たぶんみんな時間をズラして食事にしてるんだろう。

 

「五目そばでいいか?」

 

 とロックのおとっつぁんが言ったときには、プラスチックの食券が二人分買われている。

 調理場に食券を差し出し、代わりに座席札をもらう。指定された場所は窓ぎわ――といっても広大な地下駐車場の中なので、窓にあたる所は大型モニターがはめこまれ、そこにヨーロッパのアルプス地帯らしき光景が延々と流されていた。

 椅子も、テーブルも、地上にある油じみたものとはちがい清潔で、テーブルクロスなどシミひとつ無い。

 ほかに客はまばらで、みなムッツリと押し黙り、中には端末をひろげたままサンドイッチをぱくつく者すらあった。

 

 北京鍋で野菜が炒められる景気のいい音。

 五徳にガシガシと鍋の底があたる。

 

「ここは作りおきはしないんだ」

 

 ロックは自慢げな口調で、

 

「メニューも“地上”とは同じだが、手間ヒマをかけてる」

「みんな、時間差で昼食を取るんですね」

「うん?」

「受付のオペレーターの女の子たち、13時をすぎても席に居ませんでしたから」

「あぁ。まぁ――な」

 

 ウェイトレスがラーメン鉢を二個載せたお盆を持ってきた。

 オレは目をうたがう。

 なんと。

 彼女の制服は“紅いウサギ”で見かけてもおかしくない、フレンチ・メイド風味な黒いミニドレスに白エプロンだ。技術部の採用担当者に趣味のかたよりがあるのか、このウェイトレスも受付で見たオペレーター嬢に、どこか似ている。

 

「おまたせしました」

 

 マゾっ気のある男なら、それだけでズボンの中に漏らしてしまいそうな冷たい声が上から降ってきた。

 湯気の立つドンブリがそれぞれの前に置かれる。

 きれいに整えられたピンク色の爪さき。

 おそろしいほど肌目(きめ)のこまかい、産毛ひとつない前腕。

 手首に巻かれた認識用とも見えるバーコード入りのブレスレットが、なぜか目に付いて。

 

 パキンと割り箸を割ってロックのおとっつぁんは「ホラ食ってみねぇ」と、なぜかニヤニヤ。

 オレも頂きますと言ってからひとくち野菜込みで含んでみたところ、

 

「美味い!」

 

 思わず声が出た。

 いや、マジで美味い。

 麺の茹で加減といい、野菜の炒め加減といい。

 またその野菜の味が、ふしぎなほど濃くて強烈な個性。

 ふと舌に残る後味に“紅いウサギ”の料理を連想させるものがあるような。

 

「だろう?ココは周辺の設備とは別予算なんだ。仕入先だって独自だ」

「……エラく金がかかっていますねぇ?」

「ほかの連中にゃ言うなよ?」

 

 ロック技術顧問どのは上目づかいでギョロリとにらみ、

 

(ねた)みと反感を買うだけだからな。お前ェは(シゲ)の子分だというから特別だ。ヤツもよくココきて、メシぃ食ってったもんだぜ?そういや事件からヤツ、どうしてるって?」

 

 そこでオレは知っている限りのことを目の前の矍鑠(かくしゃく)たる初老の男に話して聞かせた。

 話を聞き終わった技術顧問は、フゥン、と面白くなさそうな顔で、

 

「ま、警察(ポリ)から身柄の引き取りは大丈夫だろうが……」

「……だろうが?」

「今後この事業所に、いままでどおり勤務ってワケにゃイカねぇだろうなぁ……」

 

 どうなるんでしょう?とオレは恐る恐る聞いてみる。

 

「ま“転籍”だろうナァ……」

 

 (くら)い眼をしてラーメン鉢に視線をおとす相手の口ぶり。

 そこに、単語から想像する以上のよからぬものを感じて口をひらきかけるオレだったが、相手はその機先を制し、

 

「こまかいことァ言えねぇよ?ただ、()()()()()()()()()()()ってだけサ」

「どこに飛ばされるんでしょう。地方の営業所とか?」

「さぁ?上層の連中の考えひとつだからナァ。コレばっかりは……食えよ。ノビちまうぞ」

 

 ふたくち目をすするが、重サンのことが話題になったせいか、さきほどより美味いとも感じなくなってしまった。

 気づけば食堂には自分たちしか居なくなっている。厨房の奥では片づけらしきものが始まっていた。

 

 しばらくは、ふたりして黙々と食う。

 

 ややあって、器の中のものをあらかた片付けたオレは、

 

「午前中、話していたコトなんですけど……」

「ん?」

「ほら、スーパーAI同士が勝手にコネクトするのを禁じてるって。アレ、どういうイミなんです?」

 

 その言葉を聞いたロック吉村は、なんだそんなことかと言わんばかりに背中をそらすと、ちょっと店内を見回してから、

 

「お前ェさ?よく考えてみ?現代の量子コンピューターの、さらに上を行くスーパーAIが連結した時のことを」

 

 もはや相手は、気のいい“おとっつぁん”の雰囲気を漂わせてはいなかった。

 精緻、冷徹、電閃、堅固。

 そんなイメージを放出する、老練の技術顧問の表情(かお)になっている。

 

「そりゃァ、もう“集合知”なんてモンじゃァない。ひとつの『神』の現出だ」

「前例が、あるんですか?」

 

 凝然とオレのほうを見たまま、ロック技術顧問はダマりこむ。

 その瞳の奥では、あきらかに葛藤がくりひろげられているのが分かった。

 つまり。

 コイツに話そうか、ダマっていようかという、目かくしを外したユースティティア(正義の女神)の天秤が揺れて……。

 オレはダメを押すことにした。

 

「所長のアシュ……什央(じゅうおう)にも言われたことがあります。もし、そんな兆候があったら、すぐに報告しろって」

「あのデヴの言葉は正しい。お前ェも、あの得体の知れねぇAIがみょうなコト言い出したら、すぐ報告すんだぞ?」

「みょうなコトって、たとえばどんな?」

「そうだな……」

 

 フイと視線をそらしてロック顧問は考えていたが、

 

「自分を、ほかのトラックのAIとダイレクト・リンクさせろとか。あるいは本部から業務用のコンフィデンシャル・データをダウンロードして、自分にインストールしろとか……あとは……業務に妙な干渉をしてくるようになるとか」

「よかった……ウチの【SAI】には、そんな兆候ないです」

「そうか。だが油断するな?実際、過去には――」

 

 ロックぅ!そろそろイイかぁ!?とそのとき遠くから声がかかった。

 見ると、厨房から小太りの男が身を乗り出してこちらをみていた。

 

「そろそろ夕方の準備に入んなきゃなんねェんでヨォ!」

「おう、(わり)ィ周サン!いま出るわ」

 

 ロック顧問は五目そばの汁を残らずすすると、

 

「産業医に糖尿だ高血圧だ(オド)かされても、これだけはユズれねぇからなぁ」

 

 そういって照れくさそうに肩をすくめ、オレをうながして外に出た。

 受付ではいつのまにかオペレーターたちが席にもどり、相変わらず無表情に端末をたたいている。

 その別れぎわ、相手はオレの手からコネクターを奪うと、

 

「貸しな。やっぱもう少し調整がひつようなみてェだ。明日、取りにこい」

「しかし技術の発達はスゴいですねぇ……」

 

 相手がコネクターをひねくり回すのを片目に、もう一方は受付の奥で仕事をする若い女性たちを抜け目なく品定めし、ひそかに詩愛や『美月』との天秤にかけつつ、

 

「いまは、こんなところまで技術が進歩してるとはねぇ。オレも歳をとるワケですよ」

「……ウチで支給されているデバイス、口外するんじゃねぇぞ」

「は?」

「いろいろヤバい要素が入っているんだ。支給されている携帯も、なるべく外では見せないほうがイイ」

「はぁ、そんなもんですか……」

「今日は技術部(ウチ)のほうから地上(うえ)に申請を出しといてやっから、もう帰んな。あしたまたタノむわ」

 

 じゃぁな、とオレの肩をこぶしで一発ドヤし、ロック顧問どのはきびすを返した。

 細いがガッシリしてそうな身体が廊下の奥に去ってゆくのを見送ってから、オレは相変わらずキーボードをカチャつかせるオペレーターを一瞥すると、巨大な荷物用エレベーターを使って事務所にもどった。

 

「マイケルさん。ホントなのコレ?」

 

 総務に寄ると、小動物系の印象なベリショ娘のリサが書類をひらひらさせてカウンターにやってきた。

 

「いま、技術部から優先伝達事項が来たんですけど……」

 

 渡されたプリント・アウトの書類を見ると、そこには自分について長々と技術的な説明が加えられたあと文末に、

 

 “以上により、トラック用AIとの『感応コネクター』初実装試験に際し、当該ドライバーの消耗すくなからぬため、本日の業務打ち切りを推奨する”

 

 ――コレか。ロックのオヤジが言ってたのは。

 

「だいじょぶなの?ねぇ」

「あぁ……すこし、疲れたダケさ」

 

 確かに、忘れていた疲労がジワジワと戻ってきていた。

 だが、こんな小娘のまえで弱みを見せるわけにはいかない。

 オレは強いて元気そうな表情(かお)をして、

 

「そのヘンの若いヤツとは、造りがちがうゼ?」

「シゲさんもあんなコトになっちゃったし。イヤよ?マイケルさんまでドウにかなっちゃ」

「――若宮さん?」

 

 冷たい声が横やりにはいった。

 

「はやくサインもらって、仕事にもどりなさい!先日の統合業務評価報告書、遅れてるわよ!?」

 

 こちらの様子をうかがっていた“お局さま”から、厳しい指導が入る。 

 オレはカウンター越しに総務部の机の列をながめた。

 

 地下で見た、女性オペレータたちが作業をする技術部の受付は“殺菌ずみ”の印象を受けるほど、モノの見事にペーパーレス化されていたが、ここはコピー紙やキングファイル、紙が束ねられたクリップボード。ときにはカーボン紙が挟まれたワン・ライティングの冊子まであって、まさしく旧態依然。あらゆる面で混沌たる様相を(てい)していた。それに止めをさすのが書類の山から見え隠れする「マツタケの山」や「山菜の里」などのチョコ菓子類。さらには「ギシギシ」や「アンアン」といった女性ファッション誌まで。

 

 ――まったく……技術部のお嬢サンがたを見習えってンだ。

 

 オレはふたたびサインに殴り書きすると、お局さまのほうを向いて頬をふくらませるベリショっ()に差し出した。

 

「ンなわけだから、きょうはこれにてズラかりますわ」

「――お大事に」

 

 意外にも“お局さま”が、端末の画面に眼をむけたまま、去りきわのオレに声をかけてくる。

 オレは口のなかでモゴモゴ言って、気詰まりな管理エリアをあとにした。

 

 自分のデスクにもどり、溜まっていた報告書だ、経費請求だの社内業務を片付けると時刻は16時を過ぎた。

 このごろは陽がどんどん伸びて行く。

 なにか買い物でもして帰ろうかと考えてみるが、コネクターでうけた疲労が意外に深いのを思い知る。

 寮の部屋に直行して鍵を開けなかに入ると、勝手知ったる甘い匂い。

 

 ――えっ……?

 

 寝室に行って見ると、見覚えのある赤毛とベッドの毛布の小山が気息正しく上下をたてて。

 時計を見れば、17時を回っていた。

 マズい。たしかコイツは今日“紅いウサギ”で早番じゃなかったか。

 

「おぃ……おぃ……時間だぞ?」

 

 オレは『美月』をゆすって起こした。

 しかし、この娘は気だるい表情で薄目をあけると、

 

「ご主人サマぁ……アタシもう出勤してきたの……」

「もどってきたのか?」

「なんかぁ、お店の設備の“もよー替え”があるから、アタシは2、3日フロアに出なくてイイって……」

 

 寝返りをうってオレの毛布にもぐりこむ『美月』だったが、ふいに顔をおこし、

 

「あ、そうだ……」

 

 パジャマを着た半身を持ちあげ、妙に()()()()()ポーズでベッドから降りる。

 そして手近に置いてあった自分のハンドバッグから航空便の封筒を抜き出し、こちらに差し出した。

 

「これ――お店からご主人サマにだって」

 

 オレがその封筒を受け取ると、

 

「……渡したヨォ~」

 

 そういうや、ふたたびモゾモゾとベッドに潜り込むと、たちまち規則ただしい寝息をたてはじめた。

 赤と青のふちどりがされた「PAR AVION」と印刷された封筒。

 宛名や差出人の名前はない。指の腹で手探りすれば、手紙のほかに何か入っている気配がある。

 台所に行きコーヒーを沸かしがてら、ダマスカス刃の包丁をつかい封筒を切り裂くと中身を振り出した

 

 白紙の便箋2枚に包まれたメモリー・カード……。

 

 



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第25話:依頼者たち

                     *  *  *

 

「ひやッ!ひゃへてェェエェェ!」

 

 の悲痛な声がスピーカーから響いた。

 

「おひんひん……おひんひん()るなぁぁぁぁァァァ!!」

「おや。やはりまだ男の(さが)が残っていたようですね……」

 

 ひくい男の声がした。続いてやや甲高い声が、

 

「これはやはり再馴致(調教)せねばなるまいて」

 

 さらに別の声がどこかに連絡をかける気配。

 

「洗脳用ヘッド・デバイス、B-3手術室に持ってきて?いや、いま『MtF』(男→女)オペの最中だから、忙しいなら後でもいい」

 

「ひゃらっ!ひゃへて!洗脳は(ひぃ)ゃぁぁぁ!!」

 

 会議室のモニターには、出産に使われる分娩台(ぶんべんだい)のようなものに全裸で拘束された“少女”が両腕を上に固定されたまま、磁石を埋められた坊主頭をふりたててM字開脚で必死に叫んでいた。

 

 プルンとツヤやかな肉厚にされた口唇(くちびる)からは、悲鳴とののしり。

 そのせいか、あいかわらずどこか舌足らずな、活舌のわるいセリフ。

 スイカのように豊胸された頂きの〇〇は、安全のため一時的にピアスが除かれて。

 肛〇には、相変わらず拡張用の〇〇ル・プラグが挿入されている。だいぶ広げられたとみえ、女の手なら楽に入りそうな口径だった。

 

 多少、被・施術者の言葉が舌足らずなのは、自殺防止とフェラチオ奉仕のために歯を全部抜き、あたりの柔らかいシリコン製の入れ歯に代えているためだと字幕が出る。

 

 (※以降、手術の要所には、視聴者の理解をたすけるために字幕が入れられていた)

 

 周囲には緑色の術衣を着た、冷たい目をする施術者たち。

 “少女”から見える位置に据えられたモニターは、彼の股間からそそり立つ、みょうにツルツルした陰茎(お〇ンポ)をアップにしている。

 

 “少女”の頭は動くが、下半身はピクリともしない。

 豊かに膨らまされた〇〇〇〇も、動くか動かないかのありさま。

 おそらく脊椎麻酔をかけられているのだろう。意識をたもたせ、なおかつ自分の股間が男から女へと強制的に改変させられるのをモニターで見学させて、自分か女に改変されたことを意識の底から徹底的に摺りこむのが目的のようだった。

 

「おねはぃ……コレ以上ほんは()に、ほんはになりたぅなぁぁぃ……」

 

 最後の声は弱々しくなる。

 分娩台のかたわらに立つ麻酔医らしき者が、端末から何かの調節をするのが見えた。

 

「ひやっ!ひやっ!ゃぁぁぁぁぁあ!!」

 

 麻酔の量が弱まり、覚醒度が上がったのだろう。

 声がふたたび大きくなり“少女”の顔が涙でグシャグシャに濡れる。

 

「ほねあひ……ほうはめて……」

「キミに強姦された女たちも、同じようなことを言っただろうな」

天網恢恢(てんもうかいかい)()にして漏らさず」

因果(いんが)はめぐる糸車、か?そっちも古いねェどうも」

 

 施術者たちの低い嗤い。

 

ひヤや(イヤだ)……オアンホ(おマンコ)あんへ(なんて)……付けられはふなぃ……」

 

 しかし彼女の頭上に据えられたモニターは、“切開Mode”にされた精密な電気メスが、主任執刀医の手とともに“キ〇タマ袋”の合わせ目へと迫ってゆく光景を冷酷に映し続けている……。

 

 斬り割られる玉袋。

 高まる彼女の悲鳴。

 かすかに流れる血。

 開かれる赤い組織。

 

 やがて鉗子(かんし)が、割られた部位を左右に広げたまま固定し、その奥にある艶めかしい白さを持った睾丸のならびをさらけだす。

 無影灯の明かりによるいくつもの輝点。

 アップにした図は、まるでストロベリー系の洋菓子のようだ。

 

 やがて精密な剪刀(ハサミ)が慎重に差し入れられ……。

 

 ――プツン!

 

 モニター画面で、器具の先端に把持されたままぶら下がる睾丸が取り出されるのを見た“少女”は「ふぅっ」と失神した。

 しかし、周囲の施術者たちはそれを許さない。

 たちまち意識は引きもどされ、分娩台上の元・強姦魔は、自分の股間からのこる一つのキ〇タマが切除されるのを強制的に見せられることになる。

 

「あぁぁぁぁ……ほんは(そんな)……ほんは……」

 

 次いで罪深いオ〇チンポにメスが入り、神経を巧みに残したまま造形を変えられ、尿道の部位が位置を変えられて。 

 幾多の切開と縫合。形成。それらが行われたすえ、あちこち結索され、いささか血まみれではあるものの、小陰唇やクリ〇リスなどがそなわった、かわいらしい“〇〇〇〇”が出来上がった。

 

「良かったな……コレでキミも正式に“犯す側”から“犯される側”へとなったのだ」

「喜びたまえ。貫通されるたびに処女膜を再生してやるぞ?いつまでも破瓜の痛みを味わえるわけだ」

「その痛みをもって、自分の犯した罪を存分に味わいたまえ」

 

 まるでゼー〇の議員か東方の三賢者のように、重々しい声が響く。

 

 力なくイヤイヤをする、もやは正式に『彼女』となった少女。

 

 点滴棒に大林製薬の『マゾニナール・A』がセットされ、静脈に太い針が刺される。

 妖しいクスリが、いまは女とされた身体をゆっくりと侵しはじめた……。

 

 包帯を巻かれて拘束を解かれ、ストレッチャーに載せられる元・強姦魔。

 もはや茫然としたまま声がない。

 だがどうしたことだろうか。

 豊胸処置をされた彼女の乳房(オッパイ)。その頂きを彩るピンク色をした乳首は、ほのかに勃起(ボッキ)をはじめて……。

 

 

「まだ、ご覧になりますか……?」

 

 

 さすがにタメ息まじりで、オレはコの字席の向かいに座る“アシュラ”と見知らぬ初老の男たちふたりをチラ見した。

 初老の男たちはコの字のたて棒あたりに据えられた大型モニタを声もなく見つめていた。

 ただ漫然と見ているのではない。それが証拠に、彼らの手は関節が白くなるほど固く組み合わされている。

 

 ひとりなる禿頭(ハゲ)は涙に潤んだ視線で。

 ひとりなる白髪(しらが)は目を血走らせ。

 

 体つきも、対照的なふたりだった。

 

 禿頭のほうは、ゲッソリと病み衰えたような顔つき。

 ロマンス・グレーな白髪は、顔を紅潮させている。

 

 

 『美月』から記録媒体(メモリー)を渡されたあの晩。

 さっそく自宅のPCで中身を見て後悔したオレは、不味いビールを飲みながら事業所長の“アシュラ”に連絡を入れたのだ。

 

 おそらく重サンの処理のためだろう。

 最初のうちこそ疲れた声の所長だったが、この轢殺目標の性転換手術映像を入手した話をするうちに(きょう)がノッてきたらしい。

 

「マイケル――マイケル!マイケル!――こいつめ!」

 

 最後は嬉しそうに、

 

「まったく。お前からの報告は、いつだって大当たりだ!これで今の出張交渉もうまくいくかもしれん」

「所長ォ、いったい今どこにいらっしゃるんです?」

「それは言えんが……まぁ、すぐには帰れないところだ」

 

 なんの策をめぐらすのか。

 通話口の向こうでしばらく沈黙があったが、やがてヨシ!という力みかえった声で、

 

「マイケル、今日は月曜だな。ワシは水曜には戻れるハズだ。水曜14時に第2会議室へ来てくれ……」

 

 

 そして今。

 水曜の14時45分。 

 

 “アシュラ”が合図して映像を止めるよう促す。

 モニターから、少女にされた轢殺目標の悲鳴を最後に、性転換手術の画像が消える。

 

「――以上のような顛末(てんまつ)でしてな……」

 

 “アシュラ”の声に、ふたりの老人たちは我にかえると、少しばかり毒気を抜かれたように視線を辺りへとさまよわす。

 

「ご覧のように、例の悪鬼たる少年は、ここにいる――」

 

 ムッチリした腕が、オレの方を指し示し、

 

()()()()()()()()()()()()が、永久に地獄の底へと叩き込んだのであります。“あの下司”は、映像のとおりMtF(女体化)手術を受けたので!もう二度と少女を犯すようなことはありますまい。悲劇の芽は――摘まれたのです」

 

 初老の男たちは席を立ち上がると、コの字型のテーブルをまわりオレのほうに歩み寄った。

 涙目の老人がオレの手を取り、まるでしぼり出すような声で、

 

「あり――ありがとう……ございましたァァッ!!」

 

 そういうと、この禿頭は頭を下げ、オレの足元にひざまずく。

 慟哭が、嗚咽が、痩せた肩をふるわせた。

 だが、つづいてやってきたものは完全にコチラの予想外だった。

 

「なんで!なんでもっと早く!貴様はァァァ……ッ!!」

 

 そんな絶叫がしたつきの瞬間。

 オレの身体はスロー・モーションのように、会議室の床へ背中から叩きつけられた。

 ほおに強烈な打撃を感じたのと、目の前に星が舞ったのは、床に敷かれたカーペットのにおいを二、三度吸ってからだった。

 

「エ”ホァッ!」

 

 肺を打った苦痛にオレが悶絶していると、白髪が顔をヒクつかせながらオレの視野に逆転して仁王立ちになる。

 悲憤と苦悶。

 悔恨と瞋恚(しんに)

 それらがないまぜになった感情が、ひっくり返ったオレの上に降りかかってきた。

 

「なんで貴様はもっと早く!――来てくれなかった!うちの子は……ウチの子は!」

 

 禿頭のジジィが、オレに蹴りを入れようと足を後ろにふり上げる。

 そこを白髪が慌ててとめに入った。

 

「結城サン!アナタの娘さんは――生きているではありませんか!ワタシの子は――ワタシの……」

「死よりも辛いものだってある!」

「生きてさえいれば!」

 

 卒然!

 禿頭は、ロマンス・グレーな白髪の胸ぐらをしめあげる。

 

「生きてさえいれば――生きてさえいてくれれば!なんだって可能性がある!」

 

 こめかみに青スジを立ててハゲが叫んだ。

 

「だが!死んでしまったら――それまでなんですぞ!?」

「生き地獄という言葉もある!」

「それでも!親より先に死ぬよりは、なんぼかマシなんです!」

 

 オレはジジィどもの言い争い聞きながら身体をおこした。

 クラッと頭がゆれる。

 老いぼれのパンチにしては、底が入ったキレがあった。

 視界がふらついて収まらない。肺の痛みが、ズキリと。

 オレは言い争いをする白髪のうしろから近づくや、

 

「こンの――クソ爺ィ!!!!!」

 

 スカした白髪の後頭部をわしづかみにするや、力の限りうしろへ引き倒した――はずだが、オレの体はもんどりうって、またも転倒してしまう。

 

 ――いっててて……。

 

 気がつけば、手には白髪をしっかとにぎりしめて。

 見上げれば、ハゲが二匹に増えている……。

 

「あぁっ!ワシの!……かえせっ!」

 

 起き上がりざま、オレは手の中の髪の毛を“ハゲⅡ”に奪われた。

 

「手前ェ。ホカに言うことがあるんじゃねぇのか?」

 

 “俺”のなかで、ムラムラとドス黒い感情がわきあがる。

 手は、無意識のうちに有りもしない腰のホルスターに収めた処刑用の自動拳銃(オートマティック)を空しくさぐって。

 

【挿絵表示】

 

「ヒトをぶん殴っといて、返事がソレかよ。ジジぃ、いい加減にしねぇと――」

「ワシの娘は!」

 

 ハゲⅡが俺の凝視をまともに受けて立ちながら、

 

「そのクソ餓鬼に犯されて、廃人になってしまってんだ!一日中、部屋から出てこない……就職も決まっていたのに……」

「じゃぁ、部屋から引きずり出しな」

「そんな!――乱暴な!」

「オレのトラックに乗せてやる。ドライブと洒落込んでやるよ」

「そんなことをしたら、あの子のココロが壊れてしまう!自殺でもされたら!」

「ゆっくり死ぬか、すぐに死ぬかの違いだろ」

「貴様ァツ!」

「結城さんッ!」

 

 ハゲⅠが拳をふりあげたハゲⅡを押さえ込んだ。

 

「所長さんから聞きました。この方は――我々のために危ない橋をわたって、ここまでして下さったのですぞ!」

「あぁ、そうさ!」

 

 俺はジャケットの内ポケットから小男にもらった領収書をつかみ出し、店名の部分を山折りにして隠してからバン!とテーブルに叩きつけた。

 

 ¥金参佰萬円.-

 

 “【Le lapin Rouge】(紅いウサギ)”の仰々しい書式。

 盛り上がったインクに、凝ったデザイン。透かしの入った用紙。

 この簡約化のご時勢。いまどき珍しい豪華さだった。

 チェックライターで印字されたその金額も、テーブルの上で光り輝いているように見える。

 さすがの所長も、視線を金額と俺の顔とのあいだを往復して声もない。

 

「自腹だぞ自腹ァ!この糞ハゲがァ!」

 

 俺はハゲⅡを睨みながら叫んだ。

 

「いきなり殴りやがって!“ウチの部隊”なら、鞭打ち10回……いーや、20回のところだ!」

「部隊……?」

 

 三人の頭の上空に浮かんだ「?」マークを感じたオレは我にかえって、

 

「いや、その……なんだ、ジジィ!反省しろ!」

 

 ほぉが重い熱をもって腫れはじめた。

 殴られた側は心臓が脈打つたびにズキズキと痛む。

 まぁ、不覚をとったのはこっちなので文句は半分しか言えないが、このハゲⅡがあんな俊敏な動きをみせるとは……リタイヤ爺ィ恐るべし。

 

 そういえば、すこし前まで通っていたジムには、ボディビルダーの胴体にジジィの頭を接着した亀〇人みたいなヤツラがサウナ・エリアで歳に似合わぬ筋肉をコレみよがしに披露してたっけ。ありゃ本人のシュミだな……形を変えた合法的な露出狂だ。

 

「本当に……これを自前で……?」

 

 ハゲⅠが領収書の金額を見ながらつぶやいた。

 そして傍らの“アシュラ”を見ながら、

 

「所長、これは経費で落ちるんですか?」

「う……いや、その」

「落ちるなんて。期待しちゃいませんぜ」

 

 「ハ!」とあざわらいながらオレは三人を()めつけ、

 

「これぐらいしなきゃ。浸透作戦で敵の懐に食い込み、目標を補足することは出来ねぇのサ……」

 

 事務屋どもには分からんだろうがな!と最後に机を平手て思い切り叩く。

 

 沈黙。

 

 ややあって。

 ハゲⅠが泣き笑いのような表情(かお)を浮かべた。

 引きつったような深呼吸とふるえる口もとが、この老人の心中を語って余りあった。

 年月を閲した古革のような顔。そのシワ奥の目に、一掬(いっきく)の光るものがうかぶ。

 

「貴殿……感謝いたしますぞ。これでわたしの娘も……浮かばれることでしょう」

 

 だが。

 

 ハゲⅡの方は腕組みをしてソッポをむく。

 食いしばられたアゴがグリグリと動き、険のはいった眼は、彼方を見すえるように細められて。 

 

「で?そのガキが囚われているという店は、どこなのかな?」

「あくまでも()ると言うのかい?」

 

 ハゲⅡの言葉にオレはスゴむ。だが、この老人はそれに対して一歩も引く気配がない。

 見れば老人とはいえ、春物ジャケットの服の奥には老いたとはいえ相当に締まった身体が隠されているのが分かった。とくに――二の腕。

 

「この映像の店。【Le lapin Rouge】(紅いウサギ)と診たが如何に」

「それを知ってどうするんで?」

「さて。しかし私は、去勢されたとは言え娘を廃人にした人間がこの世に存在していることが、どうにもガマンがならんのでね」

「物理的に“無力化”しなければ、納得しないってコトか」

「否定はしない」

 

 切り返すようにハゲⅡは言い返しやがった。

 まて。

 こいつ“無力化”という言葉に即答した。

 

「ジジィ。あんた、ボクシングとかやってただろう」

「インターハイで準優勝しましたね……昔のはなしですが」

「そして自衛隊に居たな?」

 

 いえ、とハゲⅡは自分のカツラをかぶりなおし、もとのロマンスグレーな爺ィになると、

 

「少しばかり外国の軍に所属してましたよ。落下傘部隊でね。下士官をやっていました」

「キタねぇ。もとセミプロかよ……どうりでオレがノされるわけだ」

「アナタもそうでしょう?似た匂いを感じる……だからこそ、敵対するのが残念だ」

 

 結城サン!とハゲⅠがオレとの間に割って入った。

 

「もうイイじゃありませんか!この方はここまでして下さった!」

「残念だったな権三さん。これだけは――退けない」

 

 会議室のなかに、ささくれた緊張が入射角と反射角の正確さでなんども跳ね返り、神経をヒリヒリと刺激する。

 

「わたしのコネを使えば、こんな“風俗店もどき”のひとつやふたつ」

 

 ――またコネか……。

 

 ニコニコ転生協会に直接横やりを通せるジジイ。

 いったいどれほどの力を持っていることやら。

 経団連がらみか“族議員”のサイフ?それとも銀行屋の系列か。あるいは企業の連合体が集う「**会」領袖の有力人物かもしれない。最悪、中央省庁。いやそれどころか内閣に口を利けるレベルの可能性すら。

 

「ワシは……ガマンなりません!ワシの娘に、梨唯亜(りいあ)に、これ以上何かあったら……」

 

 このクソ餓鬼が女にされたぐらいで、心を赦すわけにはイカんのです!とハゲⅡ改め似非(えせ)ロマンス・グレーは気をはいた。

 

「では!――ワシはこれで、失礼する!」

 

 肩を怒らせ、会議室の扉をハデに鳴らして“ハゲⅡ”こと結城の爺さんは出て行った。

 残った“アシュラ”は暗然とその背中を見送る。ハゲⅠの方は、紅いウサギの領収書を凝ッと眺めて。

 

 ――まっずいナァ……。

 

 オレは、心ひそかに舌打ちする。

 “紅いウサギ”の秘密がバレたっぽい。

 しかしまぁ、あの店がつぶれるのは、サッチーが行っている潜入捜査のおかげで時間の問題だろう。気にすることはないか。

 問題は、オレに一発かましてくれた、あのジジイだ。

 このままでは、どうにもハラに据えかねた。

 

「――所長ォ!」

 

 オレは“アシュラ”に詰め寄る。

 このデブの中性脂肪を全部しぼり取っても、あの結城とかいうハゲⅡのデータを手に入れなくてはならない。

 

「ヤツの――あの結城とかいう依頼人の情報!もらえるんでしょうね……」

「なにをバカな!」

 

 “アシュラ”は目の前で手を打ち振ると、

 

「そんなこと出来るわけなかろう!依頼人の守秘義務は!絶対だぞ!」

「しゅひぎむぅだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ?」

 

 赫ッ!と頭のなかが一瞬、煮えた。

 視界がだんだん暗くなる。鼻の奥に、硝煙の気配。

 利き手は、ふたたび拳銃の入った腰のホルスターを空しく探る。

 いますぐこのブタの脳天に、水銀をつめた.380ACP弾をブチこみたくて仕方ない。

 

 ――いや!

 

 “俺”は激しく首をふった。

 

 簡単に殺すなどもったいない。

 まず両肩――そして両ヒザ。一発ずつ、間をおいて。

 そしてチンポと肛門に電極をつけて、手回し発電機を回してやる……。

 

 ――下劣な!

 

 頭のなかで別の“自分”が叫んだ。

 

 ――まずは相手に任務遂行上、障壁となりうる旨を説明してだな……。

 

 ――生ぬるいんだよ!手前ェは!

 

 “俺”が唾棄する勢いで一蹴する。

 “自分”がそれに対し決然とした声音(こわね)で、

 

 ――(おのれ)を喪うな!(なんじ)瞋恚(しんに)業火(ほむら)に!努々(ゆめゆめ|烙《や)かれることなかれ!」

 ――ハァ!?キレイごと言ってんじゃねーよ!殺らなきゃ殺られる。それがこの世界の掟だろうが!」

 ――情動に身を委ねたあげく、その行き着くさきは!?不毛と!!そして野火に苛まれた悔恨とがのこるだけだ!」

 

 ――やるってェのかい……。

 

 “俺”がFALの遊底を動かし、NATO規格である7.62mmの初弾を薬室に送り込んだ。

 

 ――お望みとあらば……。

 

 “自分”は、絶妙の反りを打たせた斬馬刀をゆらり、抜き放し、切っ先を俺の喉もとへ。

 

「おい……マイケル……マイケル大丈夫か?」

 

 視界が明るくなり、いつのまにか失っていた視力がもどってきた。

 頭の中の言い争いも消えている。

 そして知らぬ間に“ハゲⅠ”の方も消えていた。

 

「あ……所長」

「ものすごい顔しとったぞ」

「それだけあの糞ハゲにムカついたってコトですよ。傷害罪ですよね、あれ」

「よしてくれ。この事業所に警察を呼び込むのか?――腫れてきたな。医務室に行ってきたまえ」

「ヤツの住所を!」

「教えてどうする?殴り返しに行こうとでもいうのかね」

 

 憮然とする数拍。

 どうにも屈辱感がおさまらない。

 

「これひとつ――いや、自腹の件も含めれば二つ貸しですからね所長。身銭切って横っ面ブン殴られたんじゃ、踏んだり蹴ったりだ!」

 

 オレは領収書を内ポケットにしまうと、所長の方を見もせずに会議室のドアを蹴り開けて部屋をでる。

 

 ――今日はもう終わりにしよう……クソ腹たつ。

 

 医務室へ行ってジャック・ダニエルの匂いをプンプンさせる医者(ドク)から湿布をテープで留めてもらう。

 そのあと帰ろうとしたところを技術部のロックに捕まり、コネクターの再調整。

 殴られた側が、ちょうどデバイスを装着する左側なのでツラい。

 

「……もう年なんだからムリするな」

 

 装置を調整しながらロックはあきれ顔でオレを諭した。

 そう言われては、還暦を過ぎた頃合いのジジィにやられましたとは、とても言えないぜ、まったく。

 

 腕に巻いた時計を見た。なんだかんだでもう16時。

 こういう時は、なにか美味いものでも作って食うに限る。

 ちょうど今から帰れば、夕方のタイム・セールに間に合うハズだ。

 

 

 

                     *  *  *

 

「ご主人さまァァ!大にゅーす!大にゅー……って、どーしたんです!その顔!」

「なんでもない。タチの悪い客に引っかかっただけだ」

 

 顔の腫れが気になって、晩メシの買い物もそこそこに家に帰ってきたオレだった。

 いやはや。道行く人の視線が刺さるささる……。

 寮の鉄製ドアをあけると、いきなりスケスケなネグリジェ姿の『美月』が駆け寄ってきた。

 

 しかも、だ。

 

 ピンク色なネグリジェ。

 その奥は股割れパンティーと、ニップル・タッセルという()()()()で。

 首にはリボンの造花。お尻の〇〇からはシッポを垂らしている。

 オレを試しでもしてるのか。この数日、だんだん過激になってきやがるのだ。

 だが残念。ガキを相手にするシュミは無いんでね。

 しかしこんな光景。詩愛に見つかったら、何といわれるか。

 ふと。

 なんのはずみか、シーアの冷たい眼差しが鮮烈に浮かび、オレは思わず(ブルっ……)と身をふるわせた。

 

「おまえェェ……まァた寝てたな?」

「だってぇ。完全に夜型になっちゃったんだモン!」

「んで、深夜の“バイオ・アサシン”につき合わされる、と」

 

 ――冗談じゃないぞ。こっちは朝から仕事だってェのに。

 

「だってぇ。あのゲームひとりぢゃコワいんだよぉ?!」

「見ろコレ。銃のコントローラで指に血豆だ!」

「だって!ご主人さまテッポー上手いじゃん。ステージクリアするにはご主人さま居ないとォ!」

「あ!まぁたママゾンのダンボールかよ!こんどは何買ったんだ?」

「バイブつきの本革ボンデージ・セット……」

 

 悪びれることなく、この女子高生はシレッと言い放つ。

 はぁっ、とオレはタメ息をついた。

 『美月』が父親から持たされているファミリータイプのプラチナ・カードは、不思議なことにいまだ有効だった。

 そのためママゾンのダンボールが増えるふえる。

 

 男の城が。前線基地が。隠れ家が。

 いまでは女の匂いと香水くさくなって。

 油断していると、何でも花柄のカバーや、ピンクの什器にされてしまう。

 オレが寝ているソファーにも、いつのまにか女性のショーツを連想させるジェニファーテイラーのクッションが。

 

「……まぁいい。さ、今日はハッシュド・ビーフだぞ?玉ねぎの櫛切(くしぎ)りは、オマエが切るのだ!」

 

 ネグリジェ姿の『美月』に材料が満載のマイ・バッグをわたす。

 

「おもーい!」

「台所に運んでくれ。ンで、ニュースってなんだ?」

「それが!タイヘンなんですよ!ご主人さまァ!」

 

 



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第26話:胎動

「どしたァ?――またネトゲで強敵でも現われたか」

 

 『美月』のセクシャルな格好をあえて目に入れないように、脇をすり抜けて洗面台へ。

 まったく。

 通販でセクシーな衣装を買うのはいいが、オレには小動物が一生懸命コッチの気をひこうと頑張っているようにしか見えん。

 いやまて。

これでもう少しコッチが若かったら、()()()になっていたのだろうか。

 

「――そぉぢゃなくてぇ!」

 

 オレの飼っている小動物は、ケージの向こうでジャンプする勢いのまま怒ってみせる。非常にカワイイ。

 

「タイヘンなんですぅ!」

「分かった、分かった。カード止められたんだろ?ザマミロwww」

 

 後についてきてふくれっ面をする彼女を鏡ごしに見ながら、

 

「それとも、家から何か言ってきたかァ?」

「どうせワタシなんて……お姉ぇちゃんとちがって、心配されてないし」

「――それはドウかな?親の心子知らずって言うだろ?」

「なんですソレ」

「ま、分からんだろうなァ」

 

 オレは大きく息をついて、

 

「親父の偉さは――家庭を持った時に初めてわかる」

「……おかあさんのエラさは?」

「子供を持った時、初めてわかるのさ……」

 

 台所へ行き、冷蔵庫から一本目の缶ビール。

 そろそろ補給をしないとイカん。

次の特売日、いつだったか。

 ほおの痛みがなければ最高のひと口目なんだがナァ、と思いつつ、

 

「ンで?ナニが大変なんだって?」

 

 タブを鳴らす。

 腰に手をあてて500缶をあおるオレ。

 

「だからぁ!」

 

 『美月』が背後から叫んだ。

 

「ウチのお店(紅いウサギ)警察(ポリ)の“ガサ入れ”食らったんですってば!」

 

 ぶふぉォォォォ!

 

 鼻から盛大に缶ビールを噴き出し、オレは悶絶した。

 さいわい噴出方向が流しの方だったので、被害は最小限に抑えられたが。

 

「な ん だ っ て ! ?」

「やぁん、キタナイ。タオルタオル……っと」

 

 缶ビールの鼻うがいに目の奥をヒリつかせつつ、オレは渡されたタオルの陰から、

 

「……いつのハナシだ?」

「きのう夜だって。アタシ、ちょうど携帯の電源切ってたから……」

 

 そうだ。

 こいつはゲームのとき邪魔が入れないよう、電源すら落とすという入れ込みなのだ。

 

 一瞬、あの「ユウキ」というクソ禿げのことが頭に浮かぶ。

 あの野郎、タダじゃおかねぇ。あのハゲ頭におマ○ンコの刺青でもしてやろうか……。

 おっと、話がズレた。

 むろん、時系列的にヤツではありえない。

 そう。

 銭高が仕組んだ“おとり捜査”のワナが、ついに(はじ)けたのだろう。

 ミッチーの捨て身な工作によってもたらされた“紅いウサギ”の赤裸々な情報。

 もしかしたら調教の写真や拷問中のビデオすら、証拠として撮られているかもしれない。

これで警部補から警部に昇進かな。

 

 ――そっか……あの小男は、とうとうパクられたか。

 

 一連の動きが、すでに見えるようだった。

 

 ガラスの檻のなかの犠牲者。

 身体を改変され、洗脳され、性の奉仕要員に変えられた若い男女たち。

 『紅いウサギ』が持つ、ほの暗い“裏”のカラクリ……。

 そこへなだれ込む、ゴツい機動隊の面々。

 

 小男と、その取り巻きの兄キたちが警棒と手錠で制圧されるのが眼に浮かぶ。

 それに一部の上級フロアレディや調教役。恥ずかしい夜の衣装のままな姿で護送車に送られて。

 彼らは全員、逮捕・起訴され――そして裁判にかけられるだろう。

 

 ――ただし……。

 

 顧客リストには相当の大物たちが居ると思われるゆえ、さすがの検察も二の足をふみ、マスコミにも情報統制がしかれるだろう。結果「〇チ・〇ンジェル事件」のように、あまり表ざたにもならず、事件は闇から闇へと葬られるに違いない……。

 小男や関係者は、懲役で10~15年ぐらいは食らうのだろうか。

 

 逮捕されるには惜しい人材だったがな、とオレは思う。

 しかし、生業がなりわいだけに、いつかこの日が来るのは覚悟していたはずだ。

 処分が決定して刑務所にブチこまれたら、差し入れでも持って行ってやろうか。

 

「……ご主人さま?」

「おまえは着替えてこい。そのピンクのスケスケが、玉ねぎ臭くなるぞ」

「やぁん。なんでご主人さま反応しないの?――ホラっ!」

 

 『美月』はデーブルの上にテール・プラグを挿入した尻を載せる。

 そしてウインクしつつ舌をペロリと出し、逆にしたピースサインでおまたを、

 

 くぱぁ……。

 

 さすがにオレはガックリと脱力。

 花も恥らうJKが、なんなのこの。

 オジさ……いや、お兄さんは悲しいよ。

 

「おまえェェェェ……どこから覚えてきたんだ、そういうの」

「お店の“オネエさん”から。こうすれば、どんな男も一発だって……ホラホラ♪」

 

 そういって、空いた片手で自分の豊かな胸をもむ仕草。

 

「あのな……ホラホラ♪じゃねーだろ!自分の品性を下げるからヤメなさい」

 

 えっ、と眉をひそめる『美月』

 そしてマジマジとこちらの股間をながめて、

 

「ご主人さま……もしかして枯れちゃった?」

「――なんでじゃ!」

「これで反応しなきゃ、インポだって」

 

 ……はぁつ。

 

 これは早々に彼女を店から引き上げねばなるまい。

 悪い言葉や、へんな慣習をドンドン吸収しやがる。

 いや、店はもうオワリだから、その心配はないか。

 

「子ども相手に下劣なことを考えるほど、オレは墜ちちゃいないよ」

「ぶぅぅぅぅぅー!」

 

 コドモじゃないモン!、と『美月』はさらにふくれっ面。

 

「しッかし、店がつぶれてくれて良かったなぁ」

 

 おれは小男を哀悼しながら詠嘆まじりに呟いた。

 あの男も、刑務所でイジめられなきゃいいがと考えつつ、

 

「整形されたお前の顔もだいぶ落ち着いてきたし。そろそろ()()()()も冷めてきた頃合いだから、オヤジに土下座して高校復学をゆるしてもらえ」

「や!学校行くの」

 

 おまえなぁ、とオレは実年齢に似合わぬ扇情的なガキに顔をよせ、

 

「高校ぐらいは出ておけよ。未来の自分から、怨まれるぞ?」

「だって……」

「店も無くなったことだし、おまえも普通のJKな日常にもどれ」

 

 ふくれっ面をしていた『美月』がフト、こんどはキョトンとした顔をする。

 

「無くなったって――ナニが?」

 

 えぇ?

 オレはゆっくりと首を振り、

 

「“紅いウサギ”がツブれるんだろ?おまえの店が」

「無くならないヨォ!警察(ポリ)の“ガサ入れ”受けただけ」

「は?」

「お店の“お姉さん”から連絡がきて、警察(ポリ)の完全な空ぶりみたい」

「……」

「すごい人数で来たらしいけど“ウラ”の設備はとっくに別の場所に移したんで、何も見つからなかったらしいわ?警察(ポリ)の現場責任者が青くなってたって。ザマぁよね」

「まて、まて。一体、どういうことだ?」

「だからぁ、ガサ入れがあるって、前からワかっていたらしいのよね。だから踏み込まれたときは、準備万端だった、ってなワケ」

 

 なんと。

 オレは絶句する。

 あの小男が、銭高の上をいったか……。

 

「高給な備品やら何やらだいぶ壊されたんで、警察(ポリ)に市長経由で損害賠償を請求するって。だけどホントは騒ぎに便乗して古くなった備品をコッソリ壊して警察(ポリ)のせいにして新品にするんだって。なんでも、ばいしょー金額が「億」いくらしいとか!」

 

 やはり……あの人物。

 煮ても焼いても食えない野郎のようだ。

 

「しばらく後片付けがあるから、今晩は来なくていいって。ヤッター♪ゲームやり放題!」

「……いつから営業再会だって?」

「あさってから来てだって、フロア・まねーぢゃーから」

「……マジかよ」

「さ、ニンジン切りますヨォ!?」

 

 料理をしながら、どこかホッとしている自分にオレは気づいていた。

 あの店は世間一般で言うところの“悪い店”だ。

 しかし、あのクソ銭高にしてやられるのも気が進まない。

 願わくば自主廃業をしてもらいたいが、あそこまで深みにハマれば、そうもいかないだろう。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 と――オレは『美月』がダマスカス包丁を振り上げるのに気づいて、

 

「まった、まった!ニンジンは皮を剥いてから!それに洗ったのかソレ?」

 

 いきなり野菜を切ろうとする彼女にストップをかけた。

 

「ほら。コレ使え」

 

 しかし、ピーラー(皮むき器)を渡されたコイツはキョトンとした顔で。

 

「ナニこれ」

「おまぇぇ。家で料理なんかしたことないだろ?」

「お母さんとか、お姉ちゃんがやってて。アタシの出番なんかないモン……」

「高校で履修する「家庭」の授業でも、出てくるだろうに」

「アタシ、班からアブれるから……」

 

 ちょっとションボリする『美月』のネグリジェごしな肩。

 この性格を直したら、少しは学校で友達でもできたりするんだろうか。

 なるほど。ボッチはツラいよな。

 

「そっか、まぁいい。見てろ?……こうするのだ」

 

 おれはピーラーをつかってシュルシュルとニンジンの皮をむいてやる。

 

「……スゴいスゴい!おもしろ~い!アタシもやる!」

 

 嬉々として台所仕事をはじめる彼女。

 そこには水商売女である『美月』のおもかげはなく、普通の女子高生である“美香子”の純真な横顔だけがあった。

 

「さ、いったん手を洗って。そいつを着替えてこい」

「いやぁん。この衣装、おろしたてなんですよォ?」

 

 しかし、そう思った端から淫らに身体をクネらせる彼女。

 

「じゃぁなおさら汚れたらマズいじゃないか」

「ご主人さまの反応がない方がイヤなんですぅ!」

 

 ――仕方ない。汚れ作業はオレがやるか……まてよ?

 

 ふいにオレはあることを思いついた。

 美香子に野菜を切りつづけろとだけ言って、その場をはなれる。

 しばらくしてもどってみれば、なんと。

 まな板の上には、野菜とマッシュルームとエリンギの無残な姿が現出して……。

 

 ――ヤレヤレ。ま、指をケガしなかっただけ、ヨシとするか。

 

 まずフライパンでニンニクを炒める。

 香りが立ったところで美香子の不揃いなニンジンの輪切り投入。

 おまけに玉ねぎの櫛切り、それにセロリもバラバラだ。

 

「油ハネるぞ?下がってろ」

「ん」

 

 オリーブ・オイルで多めの牛肉をざっと炒める。

 そこに買ってきた安ワインを投入。一瞬、青白い炎が立つが気にしない。

 

 いちど蓋をせず煮立たせた圧力なべに、コンソメ・キューブをポチャンと投下!

 スープがまんべんなく溶けたところで、そこに今まで炒めた具材を投入。

 (まぁ、これがあるから美香子に野菜切りを任せられたのだがw)

 蓋をして加圧!開始!

 

「ご主人さま!ルー!るー忘れてるよ!?」

 

 アワてるな、とオレは余裕のあるところを見せ、

 

「粘りけのあるものを圧力なべに入れてはイカんのだ」

「……どうなるの?」

「最悪、蒸気の逃がし弁が詰まったまま加圧され――爆発する」

「ひぃぃぃぃ!」

「心配するな。使い方さえ間違わなけりゃ、だいじょうぶだ」

 

 圧力表示が起き上がり、最大になったところで火を止める。

 あとはゆっくり減圧を待ちながら、ご飯の準備。

 

 コメを研いだことが無いと言いやがるので、彼女に米のとぎ方を伝授。

 

「小学生のころ、野外実習でカレーとか作らなかったか?」

「カレーは……みんなが作ってくれたから」

 

 なるほど。

 思うに当時から女王様だったようだ。

 自分の容姿がいいことに、場の空気を読んだり周囲に気配りをしてこなかったんだな……。

 

 圧力表示が完全に引っ込んで、フタがカクカク揺らせるようになったのを確認してから圧力なべを開け、大きめの寸胴に移す。

 さらに牛乳を加えたそこに、美香子の手で割られたハッシュド・ビーフのルーがブチ込まれた。 

 なんと。

 ルーすらきれいに割られずに、大きさがバラバラで。

 

「さぁ、ここで重要事項だ!」

「なんですのん!?」

 

 美香子は急に「れんげ」のような口調になって。

 

「いいか?シチュー系は絶対に焦がしてはならないということだ!」

「おぉぉぉ……」

「とくにクリーム・シチューはその傾向が強いが、ビーフ・シチュー系も気を抜いてはイケない!」

 

 オレは真剣な面持ちでおたまを持つと、寸胴に火をかけ、なべを回し始めた。

 

「アタシがやるん!」

「……ザンネンだが、オマエにはまだ早い。リビングに行って好きなコトしてろ……」

「……はぁい」

 

 艶めかしい、スケスケなネグリジェの後姿が尻をクネらせトボトボと消える。

 せめて首輪まがいのチョーカーだけでも取ればイイのに。

 焦げ付かないよう、慎重に寸胴をかき混ぜながら今後のことをオレは考え込んだ。

 料理をしているときは、妙にアタマが冴えるのだ。

 

 警察の手入れは、これでひと段落ついただろう。

 あの銭高のヤツ。くだらないドジ踏みやがってワケわかめ。

 何のためにサッチーが身体を張った「おとり捜査」だったんだよ、ボケが。

 

 ――だが、イイ気味、か。

 

 ひとを逮捕のオトリに使いやがって。

 あの売人ブタジマくんのことは、絶対に忘れん。

 とはいえ……そうなると、今度は別のことが気にかかる。

 あの“ユウキ”とかいう、コネを振りまわす似非ロマンス・グレーのハゲ爺ィ。

 オレに一発くれやがったあんなクソ野郎に小男がやられるのは、いかにも癪にさわる。

 

「どれくらいの権力を持っているのか……」

 

 おたまで寸胴をかき回しながら、オレは思わずつぶやいた。

 エロマンガに決定的なダメージを与えるため、PTAまがいのフェミババァが警察官僚上がりの国会議員を動かしたように、あの男が政府の枢要に通じていれば、店を潰すのも可能やもしれない。

 オレは権力を利用して組織に横やりを入れ、自分の思うままにする連中が大キライなんだ。

 そして、そんなクソ爺ィの情報が、なんとしても欲しかった。

 

 ――まてよ……?

 

 あのブタ野郎め。ボクシングでインターハイに出たとか言っていなかったか……。

 オレはほおに貼られた渇き気味の湿布をさする。そろそろ交換してもいいころだ。

 だが!

 シチューを煮込んでいる最中は、目を離すわけにはいかない(これ重要)。

 それに、こんど“ガサ入れ”が入ったら、そのときは『美月』ごと引っくくられてしまうかもしれない。

 そうなれば身元保証人か何かで、また父親の心証をそこね、鷺の内家の雰囲気が悪くなることが考えられる。

 

 ――ンなコトになったら、今までの苦労がパーだぜ……。

 

 そう考えたとき、

 

 ――なんであの家のことで、オレがココまで苦労しなきゃならんのだよ……。

 

 と、首を傾げざるを得ないのだったが。

 

 居間のほうで、聞き覚えのあるBGMが響き始めた。 

 『バイオ・アサシン』

 なんかホラー・アクションゲームとかいう代物で、ゾンビの群れをかいくぐり敵を倒すというゲーム。

 職場の先輩が引越しを機に据え置きゲームの更新をするとかで、要らなくなったヤツをもらってきたモノらしい。

 

 寸胴の中がmイイ具合に煮えてきた。

 野菜ジュースとバターをさらに追加。

 美味そうな匂いが台所にたちこめる。

 と、炊飯器が作業終了の音を立てた。

 今晩は押し麦多めのご飯にしたのだ。

 

 よし。

 あとは野菜をてきとーにちぎってコブサラダドレッシングをかけるだけ。

 

 最後に隠し味のワインをちょびっと。

 そして、火を止める寸前!生クリームを全体にかけまわす

 こうするとトガって自己主張していた味にまとまりがつき、全体的にまろやかになるのだ!

 

 

【挿絵表示】

 

 そのとき、玄関のインターホンが鳴った。

 オレは壁の時計を見る。一念、恐るべし。

 無線コントローラーを握ったまま『美月』がリビングから不安げな顔をのぞかせ、

 

「ご主人さまァ、だれか来たよ?」

「おまえのママゾンじゃねーのか?」

「え」

「どうせまたエロいアイテムでも買ったんだろ?」

「そりゃそうだけど……でもアナル・バイブ注文したのは今日だモン!」

「……(買ったんかい)」 

 

 オレは若干ニヤつきながら、玄関の扉をあける。

 と――。

 そこには、ビンディング・シューズを履き、まるでエ○ンゲリオンのプラグ・スーツな格好をした、完全に自転車ウェアな情報屋が息を切らしながら立っていた。

 

「よぅ――早かったな、ってもしかして自転車で来たのか!?」

 

 息をゼイゼイあえがせつつ、黙ってうなずく情報屋。

 

「タクシーでくりゃイイのに……」

 

 そう言いつつも、オレは引き篭もりをも駆り立てる“オスの本能”にドン引きしていた。

 目の前の相手は全身から湯気を煮え立たせ、こちらを底の入った目で見すえている。

 

「本当でしょうね……その……あの子の……」

 

 かつてのオレの轢殺目標は息を荒げたまま、ゴニョゴニョと何やらつぶやく。

 

「まぁ、とにかく入れよ。それにしてもハヤかったな」

「途中でミスらなきゃ、もっと早く着いたんですけど……」

 

 そう言って青年は擦りキズのある指なしグローブをみせた。

 

「とちゅうでコケまして……」

「ケガは!?」

「大丈夫っス」

 

 なるほど。脚をピッチリとおおうパンツに、太ももからヒザまで擦り傷がある。

 自転車のペダルと靴ウラを連結するSPDシューズを苦労して脱ぎ、情報屋の青年はオレの部屋に上がりこんだ。

 と、なにか異様な気配を察したのか、リビングからネグリジェ姿の『美月』がコントローラーを握ったまま出てきて、

 

「ね~ご主人さまドウしt……」

 

 その瞬間。

 

 時間の概念は消失し、ゼノンのパラドックスのごとく、永遠に引き伸ばされた。

 無限大にまで微分された、空気すら粘性化される玄関前。

 だがオレは見た。

 青年のサイクリスト用ピチピチパンツの股間が、みるみるモッコリふくらんでゆくのを。

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァ!!!」

 

 そしてその呪縛された空間は、『美月』の悲鳴でガラスのように粉砕される。

 

「なんでなんでなんで!?なんでこの“きもオヤヂ”がココに居るのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッッッッ!」

「かかったな!?アホが!!」

 

 ガッシィィン、とオレは両腕でバッテンをつくりながら、

 

「いつまでも、そんなイカレポンチな格好をしているから悪いのだ!」

「あっ!ちょっとぉ!」

 

 ふいに『美月』が怒ったような声を上げて一度姿を消すと、ティッシュペーパーのボックスを持ってくる。

 

「はなぢ鼻血!もー、そのカーペットはご主人さまのペルシャ絨毯なんだからね!ヨゴさないでよ!?」

 

 そう言って彼女は血を流す青年の鼻下にティッシュをあてがう。

 

「ひゅ……ひゅびばへん……」

「まったくモー!ご主人さまァ!?コレはいったいどういうこと!?」

「どうもこうも。ちょっとハッシュドビーフの分量、作りすぎたみたいでな。メシは大勢で食う方が楽しいだろ?」

「だからって!」

「それに。ソイツとは仕事の話もある……重要な案件だ」

 

 『美月』の透け透けランジェリーと股割れパンティーを見て顔を赤くしていた青年が、ふいに真顔にもどる。

 

「仕事、ですか……?」

「そうだ。今回のヤマは、ちょいと気を張ってもらわにゃならん」

「あーもう!タダ見させて損しちゃった!着替えてきますよ!」

「おぃ、着替えるならコイツのためにバニーガールにしてくれ。そっちのほうが盛り上がる」

「……ご主人さまの、命令……?」

「そーだ」

「でもこの“むっつりヘンタイおやじ”に……見られちゃう」

 

 不満げな『美月』にむかい、オレは口からでまかせで、

 

「見られて女は美しくなるんだ。本当にオレの“メス奴隷”なら――それぐらいはしなくてはな?」

「……分かりましたぁ」

 

 部屋に衝立で勝手に作り上げた自分のエリアに潜り込む『美月』。

 

「どうだァ?アイツは」

 

 オレは青年に向かってヒョイと眉をあげる。

 

「まだまだアブなっかしいが、まぁ、鍛えればそのうちイイ女になる」

「……うらやましいです。社会人になれば、あんなメス奴隷持てるんですね……」

 

 まてまてまてまて。

 

「ちょっと誤解しているかもしれんが、アレはアイツが勝手にやっているだけだから」

「それでも……うらやましいです」

 

 バニーガール。

 自転車用ピチスー。

 旧くなったYシャツに軍用カーゴパンツのオレ

 

 そんな得体のしれないトリオの夕食が始まった。

 幸いにもハッシュドビーフの出来は好評で、オレはしてやったりの気分。

 作った料理を喜んでもらえるのは、なんでこんなに嬉しいんだろう。

 

 缶ビールがアッという間に二本目にすすむ。

 目の前で若いヤツ同士が半分漫才みたいなやり取りをするのを眺めるのも楽しい。

 自分には分からない単語やスラング。なかばケンカまじりに――なかば意気投合して。

 時代のながれを、オレは川のほとりに立って眺めているような、そんな気分。

 メシは美味いし、ビールも美味い。若いヤツらは談笑して。

 

「――んで?『鼻血』は今日ナンの用なの?」

 

 いつのまにか鼻血というあだ名をつけられた青年は、『美月』の問いに不満げに、

 

「え……ボクはマイケルさんに呼ばれたんだけど」

「ご主人さまァ。なんでこんなヤツ呼んだのぉ?」

「仕事のハナシだ。それにメシは大勢で食ったほうが、その、美味いだろうが?」

「フン!どうせアタシの 魅 惑 的 な ボディが目当てなんでしょ?」

「……否定はしません」

 

 ボソリ、とつぶやく青年。

 ボッ!となぜか顔を赤くする『美月』。

 それは言ってみれば、自分の仕掛けたワナに自分でハマったような……。

 ふふっ、と好ましげに笑いつつ、おれは少しばかり言葉つきを改めて、

 

「盛り上がっているところワルいが――仕事のハナシだ」

 

 オレはグダグダに切られたマッシュルームをスプーンの上にのせてジッと眺めつつ青年に、

 

「ユウキ……たぶん「結ぶ」に「城」で「結城」だと思うが、コイツを探って欲しい」

「手がかりは?――まさか、それだけですか」

「いや。多分ヤツがうっかり喋ったのだろうが、過去にインターハイでボクシングの選手になったことがあるとか。それに外国の軍隊で――たぶんフランス外人部隊の第二外人落下傘連隊だろう――下士官をやっていた履歴がある」

 

 なんだ、と青年は緊張を解いて、

 

「それだけ手がかりがあれば、チョロいもんです」

「ご主人さまぁ。ダレなの?そのひと」

 

 白いカフスについたハッシュドビーフのシミを気にしながら『美月』が口をはさんだ。

 

「ウチのお客さん?」

()()()()()()だ。『美月』は、小男――店のオーナーに、オレから話があると伝えておいてくれ。一対一で会いたいとな。あと客の話に“結城”の話題がないか、注意をしておけよ?かといって自分からハナシを振るのはダメだ。あくまで聞き役に徹すること」

「分かりましたぁ」

「おぃ、お代わりどうだ?」

「スイマセン、頂きます」

「おぃ『美月』――よそってやれ」

 

 はぁぃ、と不満げに彼女は青年の皿を受け取ると、ライスとルーを山盛りにして持ってきた。

 

「ハイ!どーぞ」

 

 ドカン、とテーブルに置かれるカレー皿。

 目を白黒する青年に向かってオレは、

 

「ところで……モノは相談なんだが」

「はい」

「オマエ。“バイオ・アサシン”とかいうゲーム。やったことある?」

 

 フッと相手が鼻でわらう気配。

 

「やったことあるもナニも――得意中の得意ですがナニか?」

「マジで!?」

 

 こんどはバニーガール姿の『美月』が目をキラめかせて食いついた。

 

 ――どうやら今夜は楽ができそうだ……。

 

 オレはビールを注いだバカラのグラスを手に、ホッと息をつく。

 こういうのは、やはり若いもの同士でやればイイ……。

 

「あ!アンタ、手ェケガしてない!?」

「うん……自転車でくる途中、コケてね」

「なぁ~にやってンだか。ドジなんだから!」

「しかたないよ。いきなり黒ネコが夜道に出てきてさぁ」

 

 ――黒ネコだと……?

 

 オレの中で、忘れていた緊張がよみがえる……。

 




“ゾンビ・アサシン”って題名すでに使われていました……


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第27話:前哨戦(Ⅰ)

  * * *

 

 「【SAI】――どうだ様子は」

 

 『相変わらず変化なし。内部からも動体反応はありません』

 

 近くの駐車スペースに停めたトラックからの返答。

 オレは耳にコネクターをつけたまま『BAR1918』の前をゆるい足取りで通り過ぎた。

 頭の横にカメラを着けて撮影する感覚で、ゆっくりと辺りを見回しながら、シマらないあくびをかみ殺す。

 

 情報屋と『美月』のバカが。

 ゲームで明け方まで騒ぎやがって。

 おかげで体内時間が微妙に狂ってつらあじ。

 

 繁華街のストリートは、宵に入ってようやく活気を取りもどしつつあった。

 看板に明かりがともり、電飾がクルクル・キラキラと回りだし、華やいだ雰囲気で。

 全てをさらけ出す無慈悲な陽光に照らされて、それまで干からび、死に絶えていたような街。

 それが秘めやかな夜の釣帳が降りたことで、ようやく潤いを取りもどし、息を吹き返したような印象。

 

 耳に付けたデバイスからの情報が多くなってきた。

 頭の中に、ワッと世界が入ってきたような感覚。

 

 ロック技術顧問の手で調整されたコネクターの調子は最高だった。

 コンタクト・レンズ型のモニターで、後ろにも目が付いたように背後の光景が良く見える。

 

 これは今までにない、チョッと新鮮な感覚。

 

 たぶん、潤沢な予算を持つアメリカの特殊部隊には、すでに支給されている品なんだろう。

 技術の進歩――畏るべし。

 そして。

 この場末の繁華街に溶けこむべく“ちょい悪キャラ”を気取るオレの革ジャンのポケットには、あの技術顧問から渡された更なる秘密兵器が入っている。

 それが半ば眠さに負けつつあるオレの心をも、いくぶんワクワクさせていた。

 

 時刻は――すでに16時を半ば過ぎて。

 

 そろそろアチコチの安酒場に灯が入りはじめる頃合いだ。

 外回りから会社に連絡を入れて“直帰”ということにしたらしいサラリーマンたち。

 すでに上着を脱いで席に着き、ネクタイをくつろげた姿でビールのジョッキを打ち合わせている。

 

 ――くそっ……。

 

 ひそかに舌なめずりをしながら、露骨にならないよう、さりげなくあたりをチェック。

 『BAR1918』も、向かいの『ジーミの店』も、暗く静まり返って動きらしきものは無い。

 通行人は、まだ辛うじて少なかった。これ以上時刻がおそくなって人通りが増えれば、ヘンな動きは出来ないだろう。

 

 ――よし!ンじゃ、いまのうちにコイツを仕掛けるか……。

 

 オレはロック技術顧問から渡されたマッチ箱ほどの器具をとりだし、設置用アダプターを調整する。

 そして前もってアタリをつけていた場所に素早くセットした。

 高性能な全方位型の監視カメラ。通称「監視ポッド」。

 顔認識システムもそなえており、轢殺目標をインプットしておけば、自動的にコネクターへアラームを投げることもできる。

 とうぜん防水・防塵タイプで、おまけに簡単な自律機能も付いており、もし誰かが盗もうとした場合は自動的に内部の機構を劣化させるとか。マグネシウムの燃焼剤が(はし)り、機材の技術を流失させないよう自己隠滅をおこなうカラクリらしい。

 

「いいぞ【SAI】!リンクを確立させろ」

『周辺の回線を検索。目的に合致する種別を確認。守秘回路を仮想構築――完成』

 

 さっすがスーパーAI。ものの5秒もかからない。

 

「もうこれでイイんだな?」

『これでテレ・ワッチ(遠隔の見張り)はOK。もう時代錯誤に覆面パトカーのなかで身をひそめて、冷めたピザやカレーパンなど食べなくてもイイのです』

 

 フンス!となぜか鼻イキも荒く【SAI】は宣言した。

 

『この前マイケルが行った銭高警部補との張り込みを聞いて、なんとアナクロなことをとワタシは嘆いたものですよ。(とぉ)ちゃん情けなくて涙でてくらぁ!』

「……ダレが父ちゃんだ」

『おっと!ウワサをすれば。やはり人間でいうところの“縁”(えにし)はあるんですかねぇ』

「は?ナニを言っている」

『特定コール周波数を発信するPC(パトカー)接近。マイケル――隠れて!』

 

 ――隠れてったって、おまえ……。

 

 ワタワタと左右を見わたし、おれは足早に近くの横道へと身をひそめた。すると、

 

『ダメですマイケル、もっと奥へ。10mほど進んだところに、路地がありますから、そこまで行って下さい――早く!』

 

 駆け足で言われた通りに進む。

 なるほど、見通しの効かない細い路地が横手に見えた。

 近くにあるボロボロな高層団地に囲まれた、谷間のような一角。

 おれは革靴のソールをすべらせてコケそうになりつつ素早く駆けこむ。

 

 と……なんと。

 そこは今しも「ネコの集会」の真っ最中ではないか。

 互いに距離をおき、いきなり駆け込んできたオレに迷惑そうな顔を一瞬向けた。

 しかしそのあとは、視線をもどし、ただ黙って思い思いの恰好で座り込んでいる。

 

 一瞬、虚を突かれる。

 だが、気にしているヒマはない。すぐに近くの電柱に身を潜めた。

 回転等の赤い反射が[休工中]とフダを貼られた工事現場のA型看板に反射する。

 どうやらパトカーが横道の入り口に停車して、この通りをじっと警戒しているらしい。

 

「おぃ【SAI】、まさか連中、この付近の防犯カメラにアクセスしてるんじゃないだろうな」

『周辺の情報インフラに当該設備は確認できません』

「乗っているのダレだ?まさか銭高か?」

『映像をそちらに回します』

 

 コンタクトレンズ型モニターにさっきオレが仕掛けた機材からの映像が展開した。

 なんという高精細な絵。これが技術部が生んだ最新型モデルが持つ威力か。

 いつもながら、どこからそんな予算(バジェット)がでているのか。不思議だ。

 

「すげぇ。でも広角に振った画角のせいか、すこしパトカーが遠いな」

『OK,ズームします……』

 

 画像が極めてなめらかに拡大される。

 PC(パトカー)の助手席にドッカリと座り込んだ見覚えのあるトレンチ・コート。

 それが、撮像素子の(アラ)もなくキレイにコンタクト・レンズ型のモニターに映し出した。

 

 だが、なんとしたことだろう。

 警部補どのは、何か中毒でも起こしたんだろうか。

 彫りの深い、鉛色をした顔面が、ギョロリとこちらを向いて。

 あの名作「レ・ミゼラブル」の何とかという(歳のせいか名前がスッと出てこない)主人公を執拗に追い詰める警察官を連想する。

 そしてその銭高警部補どのはサイド・ウィンドウに顔を寄せ、『ジーミの店』の方を疑いぶかい、鋭い目つきで凝視しているのが分かった。

 運転席にいる若い制服警官が助手席になにごとか話しかけるのが見えた。しかしこの偏執狂じみた猟犬は、相手に対し顔の筋肉ひとつ動かさない。

 

 ごくろうサン、とオレは心ひそかにほくそ笑む。

 “本命”は向かいの『BAR1918』であるのも知らずに。いい気味だ。

 おそらく、あのスクーターのガキどもをシメあげて情報を得たのではないだろうか。

 だが、この病的なまでに執念ぶかい男は、残念ながらどうも肝心なところでヌケている気味がある。

 “紅いウサギ”のガサ入れを失敗し、あの小男を書類送検どころか検挙すらできなかったのが、その証左だ

 しかし。警察の情報網はあなどれない。ウカウカしてると、こっちの店も嗅ぎつけられる(おそ)れも否めない。

 

 ――こりゃ、ハヤいとこ目ぼしをつけないと……。

 

 コネクターからの映像。

 PCが近づき――視点が切り替わって――遠ざかってゆく。

 

 ――ふぅ……。

 

 脱力して振りむいたとき、オレは思わずギョッとした。

 路地に駆け込んできた時には目もくれなかった集会中のネコたちが、こんどは一斉にこちらを()ッと見つめてくるじゃないか。

 

 三毛。

 さび。

 ハチ割れ。

 白。

 茶虎。

 キジ虎。

 ロシアンブルーまでいる。

 

 距離を置いて等間隔に地面へすわりこむ姿。

 啼き交わすでもなく、毛づくろいするでもない。

 ただこちらの、オレの方を、底の知れない目つきで……。

 

 黒ネコの姿をザッと探すが――見えない。

 なんとなくホッとして、知らず緊張していた肩のちからを抜く。

 そんなおりだった。

 耳もとで――何とも言えない声がした。

 

 ――**ヲ、ハズセ……。

 

「何だって?【SAI】、お前か?」

『どうしました?マイケル』 

「【SAI】?」

 

 ――“オ守ヲ”外セ……デナイト**様ガ、オ前ニ会エナイヂャナイカ……。

 

 なぜかゾワッと背筋が寒くなる。

 

 ――違う……この声、【SAI】じゃない。

 

 こちらを見つめるネコの眼差し。

 それが、何やらいっそう“念”がこもった気配になったような。

 ふと――ネコたちの顔つきが、一斉に変化する。

 まなじりを微妙につり上げ、どこか怒っている風にも見えて。

 まさか、とそのときオレは初めて思い当たった。

 

 ――ネコが……喋っているのか?

 

 ――ソノ“オ守リ”ヲ捨テロ!……**様ガ、オ困リダ。

 

『マイケル?どうしましたマイケル』

「なんだ?よく聞こえない。誰が困っているって?」

『リンクの不具合は確認できません。マイケル聞こえますか?』

 

 ――**様ノ“御力”(おちから)が通ラナイ!“オ守リ”ヲ……。

 

「コラっ!」

 

 いきなり上半身ハダカにステテコ姿の爺さんが路地に飛び出してきた。

 たちどころに分解するネコの集団。

 まるで地を奔る稲妻のごとく、瞬時にバラバラの方向へ消え去る。

 爺さんは、それをイマイマしげに見送って、

 

「ったく。そこィらじゅう、ウンコやションベンまき散らしやがる」

 

 突き出た皺くちゃな腹をボリボリと掻きながら、オレのほうに聞えよがしな独り言で、

 

「道が臭くなっちまってタマんねェ……」

「あのネコたち、よくこの辺に集まるんですか?」

「ンなモン知らねぇよ。猫に聞いてくれ……アンタ、エサとかやってねェよな?」

 

 ブンブンとオレは、どこか結城の野郎を連想するこの爺さんに首をふった。

 爺さんはまばらに生えた汚い白髪をなでつけながら、

 

「なら良いケドよ。アンタもナニ?『路地裏探検』とかいうヒマじん?」

「は?いいえ。私は表の酒場に興味があったんですけど、閉まっていたからこの辺ブラブラしてたコトでして」

 

 通りの酒場だぁ?と爺さん、すこしウサん臭げな顔になり、

 

「どっちの方だ?通りの手前か、それとも向こうの1918とかいうヤツか」

「1918の方で……」

 

 とたん、ヤメとけヤメとけと爺さんは手をふり、

 

「深夜ンなると、ウサん臭い連中も集まってきやがる。ときどきケンカしてるみてぇな声もするしなァ」

「手まえの『ジーミの店』ってのは、どうなんです?」

「あぁ。気のいいアフリカ人が店やってたんだが、パスポートの更新で日本離れたときに、留守番役のヤツに好き放題されたらしくてな。いまモメてっとこだ」

 

 路向こうの店には気をつけなよ?と、だいぶ暗くなった路地を爺さんは歩いてゆき、やがてガラガラと昭和チックな引き戸を開ける音がして――ピシャリ、閉められた。

 

『マイケル聞こえますか?』 

「あぁ、良く聞こえる」

『よかった。コネクトはもどっているようですね』

 

 オレは路地を出ると、次第に喧騒を増しつつある繁華街を歩き、トラックを停めた場所にもどった。

 

『どうします?これから』

「【SAI】。オレが横道に逃げ込んだ時のコネクター画像、モニターに出せるよな」

 

 ホイさ、と助手席側のモニターが立ち上がり、アームが調整されて画面をこちらへ。

 やがてネコの集会の画像が明度を補正されて浮かんだ。

 

 沈黙。

 オレの息切れの音。

 

≪何だって?【SAI】、お前か?≫

≪どうしました?マイケル≫

 

「【SAI】、ゲインを上げてくれ!」

『りょ』

 

 ボリュームが大きくなり、それまで聞こえなかった遠くの生活音を拾うようになる。

 

≪マイケル?どうしましたマイケル≫

≪なんだ?よく聞こえない。誰が困っているって?≫

≪リンクの不具合は確認できません。マイケル聞こえますか?≫

 

 沈黙。

 

≪コラっ!≫

 

「“【SAI】、お前か?”のところから、今の爺さんのところまでをリピート!」

 

 オレは目を閉じ、スピーカーに耳を澄ませる。

 

 ――ダメだ……なにも聞こえない。

 

 爺さんの≪コラっ!≫が大音量でキャビンに響いて録画はおわる。

 やはり幻聴か?

 そもそも何と言っていた?

 **様ってなんだ?よく聞き取れなかった。

 お守りを外せだか捨てろだか言っていた。

 

「【SAI】、この辺に神社は?」

『1.23km四方には存在しません。ただ昔は花柳街(夜のまち)があった古い地域らしく、小さな淫祠(いんし)が散見されます』

「ふぅぬ……」

 

 淫祠。

 それは左道仏教や、一般に認められていない民間信仰の類。

 だが。

 それは、すがるものもない力弱き大衆が、最後の救いとして信奉した“心のよりどころ”だ。

 ためにかえって変な力をもってそうで、なんとなく怖い。

 

 ――なにか忘れられた土俗信仰な土地神。そのトラップに引っかかったのか……。

 

 お守り?

 オレは上着のポケットに入れっぱにしている、縁結び神社のお守りを取り出した。

 

 !!!

 

 白いお守り袋の下1/3程度がコゲていた。

 もちろん火の気など、上着の内ポケットにはない。

 おまけに中のご神体である木札も、なにか割れている気配がする。

 

「なんてことだ……」

 

 おもわずオレは呟いた。

 出来の悪い「洒落怖」じゃあるまいし……。

 こいつは、またあの神社に行ってお守りをもらいなおしてこなければ。

 もっとも。例の今風な巫女サンに、屋根修理の寄付をせびられちまうかもしれないが。

 今日はもう遅いだろう。時間をみつけて近々に行ってこようか。『美月』、いや美香子の学校の具合も知りたい。

 

『マイケル。そのぅ――お詫びしなければならないことが……あります』

 

 そのとき、キャビンのスピーカーから戸惑いがちな声が響く。

 驚いた。このクソ生意気な【SAI】が、ココまでへりくだるとは。

 

「なんだ?ヤブから棒に。オマエがそんなことを言うなんて、あしたは雹でも降るのか?」

『いや、そのぅ。マイケルのコネクター映像を解析して判明したんですが』

「だからなんだ」

『あのステテコ爺さんとの会話が始まった23.45秒後」

「うん?」

『仰角45度。近くの低所得者層向け市営住宅9F共同廊下』

 

 モニターの画像が上向きになり、路地に覆いかぶさらんばかりだった旧い団地の9階を示す。

 と、そこに下を見下ろしている一個の人影。

 

 ズーム。

 画像補正。

 またズーム。

 また画像補正。

 明度、輝度、修正。

 

 見間違えようも無い。

 くわえ煙草をした男の姿。

 それが細身の葉巻(シガリロ)であるのもわかる。

 なにより特徴的な、その髪型。切れ味鋭い(ナタ)のような印象をもつ風貌。 

 

 ――ドレッド!

 

 オレの中で血がカッ!とたぎった。

 忘れていたわき腹の銃創が、ヤケドのようにうずく。

 とうしてもあの糞コンビを、このトラックの餌食にしなくちゃ気が済まない。

 

「畜生!……やっぱり居やがった!」

『申し訳ありませんマイケル――ワタシとしたことが』

「くそっ!“おさる”は?あの“おさるのジョージ”は!?ドコ行きやがった!!!」

 

 オレは大径のハンドルを思い切り叩いた。

 

「オレのドテっ腹に風穴をあけた――あの腐れガキは!どこにいる!」

『すべての人型動体物を検索しましたが、現在の記録では該当する映像がありません』

 

 ふーふーとオレは肩で息をして、怒りの波が収まるのを待った。

 【SAI】も、そんなコチラにあえて口をはさまず、様子見をしている気配。

 

「……まぁいい」

 

 海外に高飛びしたワケでもないことが分かっただけでも大収穫だ。

 土地カンのある場所から離れたくないんだろう……アホめ。

 それとも、なにか他に目的があるのか?

 

 もうあまり時間が無い予感がする。

 すでに銭高が『ジーミの店』を嗅ぎつけているという事実。

 

 しかしヤクの売人の集会場と噂のある店に居たところを“紅いウサギ”のガサ入れよろしくオレまでとばっちりを受けてパクられたのではタマらない。

 

 ――でも……動きがない限り、どうしようもない、か。

 

 時間帯が移り、通行人も増えてトラックが目立つようになっていた。

 とりあえずオレは駐車していたスペースを出ると、さらに目立たない場所をさがしてこの地区をながす。

 だが――ダメだった。

 基本、図体のデカいこのトラックだ。

 それが目立たずに身をひそめる場所など、繁華街であるこの地区には存在しないようだった。

 

『マイケル。いい案が、ありますよ?』

 

 【SAI】が、なにかイタズラっぽそうな声でささやいた。

 

『遠距離の適当な場所にワタシを止め、マイケルは店の近くにもどって近所のマンガ喫茶で時間をツブしたらどうです?』

「はァ?」

『見張りはこちらでしますので、マイケルはその間エロアニメのディスクでも観ていればいいです。イザとなったら駆け付けますよ』

 

 ふ。

 オレはハナで嗤わざるをえない。

 

「アホが。無人のトラックが市街を爆走してみろ。通報されて大騒ぎになっちまう」

「――あ」

 

 【SAI】の間抜けな声。

 

『そういやそうでした……すみませんマイケル』

「オィオィ、大丈夫かよスーパーAI」

 

 なんだろう。

 【SAI】の提案に、みょうな不自然さが。

 ワザとらしいと言うか――変にネラった感じが否めない。

 しかし、今はそんなことをグジグジ考えている場合ではなかった。

 

「しかし……イイことに気づいたな。今度、その作戦を実行できるようダミーの人形を買おう」

『そんなもの、あるんですか?』

「うん、たしか女性ドライバーが防犯のために助手席に乗せるマッチョなダミー人形があったハズだ――経費でおちるかな?」

 

 ネットを検索したらしい【SAI】が、迷彩服を着たバタくさい等身大な防犯人形の商品情報を映し出す。

 

『なるほど、こういう物ですか』

「げ!高価(たけ)ェな!」

 

 総務のお局さまが眼鏡の奥から放つ、サド風味な冷たい目つきが浮かぶ。

 

「とりあえず帰社しようか。【SAI】――自動帰投Mode」

『諒解しました。「戦闘帰投Mode」「轢殺帰投Mode」「ぐいぐい帰投Mode」どれにします?』

「フツーのでイイ! フ ツ ー の で ! 」

 

 オレ的には「ぐいぐい帰投Mode」に非常な興味があったが、【SAI】の説明が長くなりそうなのでヤメた。

 大径のハンドルが勝手に回り、轢殺トラックは車で渋滞気味な道を事業所の地下車庫に向け走り出す。

 

 ――あのドレッドの野郎……どうやって引っ張りだしてやろうか。

 

 ハンドルを【SAI】に任せつつ、コネクターから監視ポッドにリンクして二つの店の入り口を見張る。

 

 キワどい格好のお姉チャンたちが歩いてゆく。

 いかにも何かキメてそうな、ハイになったガキども。

 ハンズフリーで何やら“納期”だとか“見積り”だとか呟いているリーマン。

 路上でのケンカがあれば、なにやら泣きながらフラフラと歩くOLの姿もあった。

 高そうなロード自転車でケータリングをする青年や、ぜんぜん受け取ってもらえないティッシュ配り。 

 店長らしき者に店の裏で怒られているバイトくん。ゴミだしついでにゴム長のつま先でネコとたわむれるラーメン屋のオヤジ。

 

 ――つまりは浮世の悲喜こもごも……か。

 

 気がつけばトラックは車庫に至るスロープを下っていた。

 天井の高い、広大な地下駐車場は、相変わらずエンジン音やメンテナンス工具の甲高い響きでうるさい。

 さが、最近ではこの騒音が、ふと心休まるように思えるときがある。ようやく帰ってきた、という安堵感。

 車両管理課にトラックのキーを返していると、朱美の姐御とバッタリ出会った。相変わらずの胸をはだけたムチムチなツナギ姿。

 

「ハィ、マイケル。ってどうしたの?その頬」

「朱美さん……なにね、依頼人と少しばかりやりあったのさ」

「ナニよそれ」

「いろいろあったんだ。そっちは?今日はもう終了?」

「目標をひとり殺ったんでね。今月のノルマは、もうおしまい♪」

 

 ちぇっ。イイな。

 こっちはいろいろ変な目標にかかずらって“ご新規”の実績がのびていない。

 背景が背景なんで所長やネズミ面が手加減しているのだろうが、これ以上成績が伸び悩むと、よけいな目標を割り当てられるおそれがある。

 ドレッドの件に集中できるよう“流し”で2、3人。転生ポイントの高い人間を見つけ轢いておくのもイイかもしれない。

 

「――約束、忘れないでよ?」

「運動会だろ?だいじょうぶ。行くさ」

「参観式には来てくれなかったんだから!こんどは絶対お願いね!?」

「仕方ないだろ。どてッ腹に風穴あけられた時だったんだから」

「とにかく、頼んだわよ!」

 

 オレの元妻も、これぐらいスッパリと竹を割ったような性格だったらな。

 なにかと文句を言ってきて、挙句に「ワタシがなんで怒っているかわかる?」とキタもんだ。クソが。

 朱美の姐御は、まるで少女のように純粋なうれしさを、ケバめな表情に隠すことなくのせて、  

 

「うれしい。あの子も喜ぶよ、絶対!当日はお弁当を――」

 

 姐御のセリフの最後は、スロープを下ってくるトラックのエンジン音でかきけされた。

 広大な地下空間に、マフラーを外したような、ひと昔前の排気音が響きわたる。

 

「うるッせェな!だれのトラックだ!!」

 

 坂を下るぐらいだから、二次パワーユニットを切ってもいいはずなのに、やたらフカしながら降りてくる。

 怒鳴ってもかき消されがちなその騒音は、見れば道理。3台の轢殺トラックが、連なって地下駐車場に入ってきたんだ。

 この連中。まわりの轢殺ドライバーの注目をあびつつ整備エリアまでゆっくり“エレファント・ウォーク”をする。

 そして最後に3台はひとしきりパワーユニットをふかした後、いっせいにエンジンを切った。

 

 高いドーム空間に、ゆっくりと反響が消えてゆく。

 

 トラックからドライバーたちが降りてきて、それぞれが始動キーを直接整備員たちにむかい、邪険に放る。

 ひとり、わかい新米らしき整備員が取り落として、キーがコンクリートの床に澄んだ響きをたてた。

 やがて一団は、辺りのギャラリーにスゴ味を効かせながら、管理棟にいるこちらに歩いてきた。

 

「くそっ――だれだァ?あのウルサイ連中は」

「あいつら、たぶん“巻き狩り”専門の轢殺トラック部隊だろ。“巻き狩り”するヤツラは気が荒いって評判だよ。トラックは……見たことないねぇ」

「あぁ。アレが集団で狩りをするって戦法の野郎どもか」

「ヤバい目標ばかりを割り当てられて、上層部からも一目おかれてるとか」

「ナルホド。それでデカい面ァしてるワケだ」

「ホラ、こっち来るよ!気をつけなマイケル」

 

 3人の先頭を歩き、肩で風をきるようにやってきた男。

 引き締まった体躯をした、光学補正ゴーグルらしきものをつけるこの人物が、ふとオレに目を留めた。

 



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   〃   (Ⅱ)

「よぅ、(あん)チャン――イイ目ェしてるじゃねぇか」

 

 五十路に近いとみえる大柄な男だった。

 

 身体の各部にプロテクターが付いた、ゴツい革ジャン。

 ひと昔まえなら『バトル・スーツ』とか呼ばれる仰々しいシロモノだ。

 ふたりの配下も、デザインは微妙に違うものの大柄な男が着るものと似たり寄ったりな恰好。

 3人とも全体に荒れた雰囲気をまとい、リーダー格に至っては何のキズがしらないが、額に大きな引きつれがある。

 この連中がモヒカン刈りでないのが物足りない。世紀末救世主に〇孔を突かれて爆散する様を見てみたいくらいの出で立ちだ。

 そんな凄み満点な人物が「ギロリ」とマンガの擬音が聞こえてきそうな勢いでオレをニラむ。ややあって、リーダー格の男はおもむろに、

 

「この俺等にガン飛ばすタァ、ウワサに聞くションベン事業部らしいや。ロクな轢殺屋がいないと見えらァ」

 

 次いでツナギ姿をした朱美のほうに目をやって、

 

「んで?このパイオツが無駄にデカいフェロモン姉ぇちゃんも……まさか轢殺屋ってわけじゃねぇだろうなぁ?」

「お生憎サマだね。その“まさか”だよ」

 

 姉御がグイと進み出た。

 ツンと顔をあげて相手をにらみ、持ち前な鉄火肌の気風にモノをいわせるや、

 

「こちとら毎月のノルマはキチンと果たしてンだ!アンタらはとっととマッ〇・マックスの世界にでも帰んな!」

「……ンだとコラ」

 

 男の後ろにいた痩せっぽちとデブが、ズイとリーダーの前に出た。

 

「ココの業績がワルいってんで、来たくもねぇオレたちが出張るハメになったンだろが!」

「失踪者は出すわ目撃者は出すわ。とどめに(チチ)のデカさだけが取り柄の女ドライバーがでしゃばるときた。ロクな人材が居ねぇな!」

 

 なんだって――!

 

 上等だよ!と息巻きながら前に進み出る朱美の姐御。

 それをオレは腕で制す。勢いあまって二の腕にオッパイが当たった柔らかい感触。

 すると、リーダー格の手下ふたりは、姉御からこちらの方に目を向けて、胡散臭そうに目をほそめ、

 

「お前ェも!ここの“ちんカス運転手(ドライバー)”かァ?……フぬけたツラぁしやがって!」

「手前ェ……リーマンあがりだろ?会社の金を横領したか。それともオンナがらみで首になったか。えぇ?」

 

 どうも、とこっちは相手のアオリを無視して軽く会釈した。

 

 ――こいつら、挑発してやがる……。

 

 営業マン時代にキタえた人物感が、そう言っていた。

 適当にアオって、こちらの品定めをする気とみえる。

 ダレがそんな見え透いた手に乗るかってんだ、アホが。

 

 手の内がわかればこっちのものだ。状況が見えると余裕が生まれる。

 

 痩せっぽちはオレより身長がすこし高いぐらい。

 栄養が足りてなさそうな顔には、あごの辺りにアザがあった。

 もしかすると過去に事故をおこした名残かもしれない。

 

 デブの方は、オレより背がひくかった。

 だが、脂肪太りと言う感じではない。筋肉質で、やっかいなタイプだ。

 腫れぼったく眠そうなまぶたの奥に、油断のならない閃きがある。

 どちらも年代物の、いい加減にくたびれた臭ってきそうなバトル・スーツを着ているのは、なにか意味があるのか。 

 

「スカしてんじゃねぇぞコラ」

「その姉ェちゃんと、今夜あたり一発ヤるんじゃねぇんかい、えぇ?」

 

 手下の凸凹コンビは、さらにオレの方に進み出ると廉っぽいアオりをかましてくる。

 

 ――おいおいマジかよ。

 

 それを聞いたオレは、胸の中で失笑した。

 2人ともこちらと同じ三十路なのに、こんな頭の悪いセリフを言うのかね。

 昭和の時代にいた、港湾を根城とするガラの悪い昔ながらのトラック野郎そのままなノリだぜ。

 

「すかしてるなんて、とんでもない」

 

 オレは営業マン口調で慇懃無礼に相手をさばいた。

 

「高名な巻き狩りドライバー御一考とお会いできて光栄です」

 

 折り目ただしい一礼。

 下手に出たこっちの言葉に、デブが鼻白むのが分かった。

 痩せっぽちの方も、出かかったくしゃみが引っ込んだような顔をして。

 凸凹コンビの背後から、リーダーの男が面白そうにふたりを掻き分けオレのほうに寄ると、

 

(あん)チャン。頬のハレ、どうした。その威勢のイイ姉ぇちゃんに殴られでもしたか」

 

 手下2人の下品な笑い。

 オレも同じように笑ってやった。

 すると相手は、微妙な顔をして真顔になり、

 

「お前ェは笑わなくてイイんだよ!」

 

 いやぁ、とこっちは見積書の金額を取引先の相手にクソミソにけなされても愛想笑いを引っ込めない営業マンよろしく、

 

「この稼業やっているといろいろありましてねェ。皆さんもご経験がおありのハズだ……そうでしょう?」

 

 フフン、とリーダーの男は意味ありげに唇のはしを歪める。

 そして頑丈そうなアゴに生えた濃い無精ヒゲを撫でまわしながら、二重のイミでの上から目線で、

 

「聞いたハナシじゃココの事業所にァ、轢殺目標に撃たれて死にかかったマヌケも居るってハナシだからなァ……」

「えぇっ、そりゃマジですかい班長ぉ!」

「なかなかブッソウなエリアなんスね」

 

 ヤバイ。オレの話が出た。

 まさかドレッドの一件を知ってるのか?

 しかし慌てず騒がず、さりげなく話題を変える。

 

「するとそちらのエリアは平和なんですか。いいですねぇ……本拠地は、どちらです?」

「本社事業所だ」

 

 リーダー格が、わずかながら胸を張るのが分かった。

 

「一応、これでも俺等は全社的に見れば“選抜ドライバー”なんだぜ?」

「選抜ドライバー、ですか?」

 

 なんだそりゃ。

 はじめて耳にする名前だ。

 歴戦のドライバーである(しげ)さんからも、聞いたことがない。

 

「へぇぇ……当方は入社して2年も経っていないので分からないんですが。その選抜ドライバーに選ばれるには、なにか試験でもあるんですか?」

 

 バカかお前ェ、とデブが今度はエラそうにフンと鼻を鳴らし、

 

「普段の勤務実績と轢殺達成数にキまってんじゃねぇか」

 

 痩せっぽちが後を引き取って、

 

「しかも、いかに効率よく、静かに処理したかが重視されるからなぁ」

「なるほどぉ……」

 

 オレはいかにも「よっ、大将!感じ入りましたゲス」というヘリ下った物腰で、

 

「しかし――そうなると!給与もさぞかし良いんでしょうねぇ?」

「そんなでもネェよ」

 

 痩せっぽちは、垢じみた首のあたりを掻きながら渋面を浮かべ、

 

「いろんな手当がチビっと増えるだけだァ。ボーナスの増額だって、微々たるモンさ」

「ゃぁ……やはりどこも世知辛いんですねぇ。選抜の皆さんクラスなスゴ腕ともあれば、給与もらい放題、高級風俗にも行き放題と思ってましたが」

「ンなわきゃねぇだろアホが……」

 

 どうしようもないモノ知らずだなと言わんばかりに今度はデブがせせら笑いながら、

 

「まぁ、備品が少しばかり潤沢になるのと、必要経費がおとしやすくなるぐれェだ。そんぐらいの役得は当然だろうがな」

「するってぇと、ナンですかい?成績が良ければ、自動的に本社勤務になると……」

「そうは言ってねぇよ、アホ。まぁ全国の事業所からデーターを吸い寄せて、適当と思われる人材をピック・アップするんだろうな」

 

 備品が潤沢、ってことは……とオレはさらに太鼓もちのような追従笑いをうかべ、

 

「使っているトラックも、さぞかしイイものなんでしょうねぇ?さっき大きな排気音(エキゾースト)がしましたが。なかなかスゴそうな車体ですなぁ」

「俺等はモーターで人を撥ねるのが嫌いでね」

 

 自分のトラックを褒められて気を良くしたのか。

 ここでリーダー格の男がニヤリとわらい、とつぜんブッソウなことを言い出した。

 

「大出力のターボ・エンジンで、こぅゴリゴリっ!と盛大に目標を殺るのが本来の轢殺屋の醍醐味なんだぜ。分かるか?」

 

 おいおいその言葉……。

 

 さっきの“いかに効率よく静かに処理したかが重視”云々のくだりと矛盾してないか?

 すると痩せっぽちが、とつぜん目に底の入った光をやどらせて、

 

「まさに“命を轢いてる”って感じがしやすよネェ。ゆっくり動かすと、あのタイヤに伝わる感じがなんとも……」

 

 だが、この言葉にデブは「イヤイヤ、分かってないね」とでも言いたげに、

 

「ブースト圧全開で人を撥ねるのがイイんじゃねェか!こっち振り返る絶望した顔がサイコーだ」

 

 そこでしばらく“選抜ドライバー”たちの間で喧々諤々(あーでもないこーでもない)

 

 ――こいつら……。

 

 単なる“殺したがり屋”じゃないか。

 まるで【SAI】の人間版だ。いや、あのAIの方がまだマシのような気がする。

 すくなくともあの人工知能は審美眼、いや審美S/W(ソフトウェア)らしきモノを持ってるらしいからな。

 

「モーターで轢くんじゃ、こうはいかねぇからなぁ」

「まったく味気ないですぜ。ねぇ?」

「悲鳴のひとつでも上げてくれたら最高だけどョ、だいたい俺等は巧すぎてその隙は与えませんからねぇ」

「――あのぅ……」

 

 いくぶんウンザリしながらオレは議論に横入りしてリーダー格に、

 

「こちらの方にはどういったお立場で――まさか転勤?」

「アホか、ただの出張だよ。本社が俺等を手放すワケなかろうが」

「本社から来られたのは、お三方だけですか?」

 

 知らねぇよ、と相手はにべもない。

 

「ここの親分から、何らかの通達があるんじゃねぇの?ソイツに聞けや。言っとくが俺等はあのクソ下らねぇ『朝会』なんかには出ねぇからな?選抜ドライバーの特権さ。いや、初日ぐらいは出てもイイか……ここのマヌケ共の面ァ、拝んでおくのもおもしれぇ」

 

 ここでリーダー格の腕に巻かれたスマートウォッチが鳴った。

 それを見たこの男は忌々しそうにオレたちを見て、

 

「ちッ!下らねぇトコで話こんじまった――オィ、行くぞ」

「ま、ノルマの達成がんばりな新人ちゃん?」

「アバよ。そのうち本当の殺し方をおしえてやるぜ」

 

 いうだけ言うと、選抜3人組は技術棟の方に向け去ってゆく。

 

「――クソっ!」

 

 朱美がその背中に向けてドライバー・シューズで蹴るマネをした。

 

「ナンだい、あいつらは!本社もトンでもない奴らを飼っているもんだね」

「まったく……じつに興味深い連中だ」

「なにさ!マイケルも!ヘラヘラと媚び売ったりして!」

「媚びだァ?」

 

 オレは姉御の憤慨した顔を眺めながらフフッとなって、

 

「奴ら。こっちが下手に出たことで、いろいろベラベラとしゃべってくれただろ?」

「あッ……」

 

 朱美の顔が、純粋な驚き顔にかわる。

 

「アンダまさか――それが目的で?」

「もうすこし話をして、本社のことや事業所のカラクリなんかを聞きたかったが、惜しかった。あのクソ男の腕時計さぇ鳴らなきゃなぁ」

「まったく!アンタってヒトは。ずるがしこい男だねェ……」

「そういや姐g……いや朱美サン。本社って、行ったことある?」

「はぁ?どこにあるかすら知らないよ。第一本社とか、第二本社とか」

「なんだ?第二本社って」

 

 アンタねぇ……と姐御は感心した顔から、ふたたびいつもの呆れたような雰囲気にもどり、

 

「会社の要綱にあったでしょう?第一本社は大阪。第二本社は東京……らしいケド」

「アドレスとか無かったっけ?」

「ずいぶん昔に見たっきりだけど、建屋のフォトすらなかったよ」

「でもヤツラは……そこから来た」

「知るもんかィ!あんな下品な男どもなんて!」

「たしかに。あんなのが“選抜ドライバー”だとはなァ……知ってた?この制度」

「さぁね」

 

 気のなさそうな声で朱美はそういうと、急に醒めた表情になる。

 脂の乗り切った若年増(わかどしま)(かお)が一転、生活に疲れたシングル・マザーの面差しになって。

 

「きょうはウチの祖父母が病院なので、アタシが竜太を迎えにいかなきゃ。まったくアタシもヘンなとこで時間食っちゃったよ」

 

 じゃぁね、と朱美は豊かな尻をふりたてて去ってゆく。

 あのボリュームには、クスリで盛り立てた『美月』も、いや詩愛ですら敵わないなとオレは苦笑する。

 すれ違った整備課の若いスタッフたちがそんな豊尻を振りかえり、いつまでも名残惜しそうに見送っていた。

 

 ――ちぇ。オレも今日は帰るか。

 

 なにかあのアホ三人組のおかげで、気力をゴッソリと削り盗られた気がする。

 管理部に行ってコネクターの持ち出し許可を得るため、複雑な書式となった『帯出依頼票』を記入。同時に整備部に頼んで、念のためトラックへ電源供給ホースをつなぎパワーを確保してもらった。

 

『おや。マイケルまだ仕事をやりますか?』

 

 リンクが生き返った片耳に【SAI】の驚いた声。

 

『基幹電源を供給してくれるなんて?』

「店の監視だけだ。一応ポッドにも目標が現れた場合の警報はカマしているが、オマエも気をつけておいてくれ」

『アイ、サー』

 

 このところ轢殺も途絶えている。ノルマも危ない。

 こりゃ数日中に上から目標を押し付けられるかなと危ぶみながら、オレは事業所を後にする。

 メンドくさい目標だと、ドレッドたちの監視との両立が難しくなるだろう。やはり何とか言い逃れしないと。

 

 なんだかんだで、もう21時を回っていた。

 

 コンクリの冷え冷えとした地下駐車場からエレベーターで事務所を経て、外に一歩を踏み出す。

 もわっとした、生暖かい空気がオレをつつんだ。

 見上げれば、工業団地区画の広い夜空に星もまばらな空間が頭上を覆って。

 何かそこはかとなく感じる見通しの暗さに、オレは思わずタメ息をついた。

 電車の中でワンカップを飲みながら談笑する作業着のオッチャンたちをチラみしつつ、オレはふと、

 

 ――そうだ。『美月』のヤツに、なにかケーキでも買ってってやるか……。

 

 工業地帯を走る、この時間帯は本数の少ない電車に揺られながらオレは何となく考える。

 じっさい家庭を持ち続けていたら、似たようなことを頻繁に考えていたんだろう。

 そういや夢の中のオレも、シーアのご機嫌取りに、いろいろお土産を買って帰ったっけ……。

 

 春のフェニックス・フルーツ。

 聖者の水ゼリー/夏離宮風。

 秋の石焼イモ。

 雪の恋人たち……。 

 

 一般的な団欒の営みから遠くはなれたオレだが、いまだに人並みの幸せを考えないことも無い。

 そのなぐさめ相手が、リアルJKである『美月』に向かぬよう心せねばと、己を改めて戒める。

  

 

 

 異変を感じたのは、不死屋で売っていたケーキの箱片手に、寮の部屋の扉へ手をかけた時だった。

 ペンキの色あせた鉄の扉を通して、中からかすかに悲鳴が聞こえる。

 

 ――しまった!

 

 頭の中にしつこく残っていた3人組の印象が一瞬でふきとび、全身の血が逆流して一気に戦闘モードになる。

 

 やられた!侵入者だ!

 留守のスキを狙われ、『美月』が襲われている!

 部屋の左隣は、ながらく空き部屋となっていた。

右がわのギシアン若夫婦は、今日なにか泊まりがけの大荷物を抱え外出するところを見ている。

 両隣が居ないので、暴漢が侵入してちょっとやソッと物音を立てても気づかれなかったのだろう。

侵入者は、あるいはそれすら調査した上で行動を起こしたのかもしれない。

 ただでさえこの地区は周辺とのつながりが希薄で、他人には関心をもたない人間の集まりだった。

 だからこそ、轢殺ドライバーの寮にもなりうると総務の福利厚生担当に聞かされていた。

 

「【SAI】!――【SAI】!」

 

 切羽詰まった(ささや)き声でオレは事業所の相棒をよびだす。

 

『どうしましたマイケル。そんなにアワてて。まだ目標は――』

「オレの部屋に侵入者だ!中の動体を検知しろ!早く!」

 

 コンタクト・レンズ型モニターに浸透型サーモグラフ(赤外線検知)の人型が浮かんだ。

 壁を通しても自動で感度を最適に調整し、熱を検知できるスグレものらしい。

 

 ――2人いる。

 

 ひとりは『美月』のヤツだろう。

 そしてもうひとりが、何やら激しい前後運動をして……。

 



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   〃   (Ⅲ)

 

 

 ――くそっ!

 

 素早く起き上がろうとするが、足に何かトガった重いものが引っかかっていた。

 だが、何とかナイフを握りしめて立ち上がると、奥に駆け込もうとする。

 

 ドレッドか、それとも“おさる”のジョージか!

 

 とにかく『美月』に手をかけていたらタダじゃおかない。

 そうなってたら、相手を殺してから【SAI】に死体を始末をさせよう。

 転生なんぞ知ったことか!どうせヤツらが行くのは地獄だしな。

 

 いずれにせよ今の物音でこっちの存在がバレた。

 『美月』を人質なんぞに奪られると厄介だ。

 オレは靴音をしのばせ、奥へと向かう。

 

 そのとき。

 パッと電気がついた。

 サーモ・グラフが消され、玄関の白々した空間がよみがえる。

 

「ナニなに――なんなの?」

 

 襲われていたハズの『美月』が顔を出した。

 リビングから、まるで恐る恐ると言ったふうに。

 

「くそッ!――無事か!?」

「無事もナニも……」

 

 リビングの方をチラッと振り向く彼女。

 

「……今ので死んじゃったわ。それに何そのナイフ。危ないわね」

 

 沈黙があった。

 

 少なくとも非常事態、という雰囲気ではなさそうである。。

 あい変わらず男好きのする彼女の“水っぽい”顔がキョトン、として。

 

「いったい……どうなっている?」

「はぁ?……え!ナニよォご主人さまァ――土足ぅ?」

 

 口に手を当て、心底おどろいたような『美月』。

 そんな彼女の素っとん狂な声に誘われたのか、奥からゴソゴソ物音がして、

 

「あ……お帰りなさい」

 

 ゲームの「剣」型コントローラを持って、情報屋の青年が『美月』の背後からヒョッコリ顔を出した。

 懲りもせず、また鼻血でも出したのだろう、鼻にはティッシュをつめている。

 

「お邪魔してます……」

「なんだぁ!?」

 

 改めてあたりを見回せば。

 

 横倒しになった折り畳み自転車。

 近くには無残にブッつぶれた不死屋のケーキの箱。

 リビングの方では、ホラーゲームのバッド・エンドを告げるBGMが鳴りひびいて。

 

 ――そういうコトかよ……。

 

 ヘナヘナとオレの全身から力が抜けてゆき、取り落としたナイフがフローリングに突き刺さる。

 

 しばらくの後。

 

 オレは()()()()に絆創膏と湿布を貼りながらグチグチと二人に文句を言っていた。

 腫れあがった“弁慶の泣き所”には青あざがうかび、見るも無残なありさま。

 

「まったくモー。ナニやってんだお前ら」

「なにって……ゲームですけど」

「ヘンに騒いでるから!てっきり強盗でも入ったかと思っただろうが!!」

らっへぇ(だってぇ)……」

 

 ドイツのビール祭りで見るような胸を強調するミニドレスを着た『美月』が頬をふくらませ、グシャグシャにつぶれたモンブランをモグモグと口に運びつつ、

 

ほーれー(童貞)ひゅんが……へーむ(ゲーム)ひゅるのン良いひひゃい(機械)持ってるッへ言うんらモン!」

「食うかしゃべるかドッチかにしなさい」

 

 見ればダイニング・テーブルには、何とプロジェクターが置かれていた。

 青年がコンティーニュ・ボタンを押すと壁一面にゾンビが大写しとなって。

 地味に迫力がある。なるほど『美月』が騒ぎまくるワケだ。オレでも遠慮したいくらい。

 おまけに画面下には性能の良さそうな小型のスーパーウーハーまで設置されている。

 

 ――マズいなァ。下から苦情が来なきゃいいが。

 

 ゲームの音は絞れよと言ったあと、オレは改めて『美月』のカッコウを見て、

 

「しッかし……どうしたんだ?その服は」

「えっ。おかしいですか?ご主人さまァ」

 

 『美月』は、自分の服を見下ろした。

 ショルダーが膨らんだフェミニンなドレス。

 首輪めいたチョーカーが飾る胸もとは大きくえぐれて。

 ウェストを締め上げ、女性の胸を強調するあざといスタイル。

 ふわりと広がったパニエ付きのミニスカートからは、ムチムチの脚。

 それがガーターベルト留めのストッキングに包まれ、薬で豊満にされた尻へと。

 

「おまけに何だ。そのたわけたネコミミは?」

「だって……」

 

 『美月』は乳房が大きすぎて縦プリーツの広がった服の胸をなおした。

 白く上品な生地にうっすらと黒いハーフ・カップのブラが透けているのが見える。

 勃起状態で根もとにピアッシングされた乳首が、下から服地をツン!と突きあげるのが丸わかり。

 

「せっかく“童貞くん”が自転車で重い荷物持ってきてくれたから」

「うん」

「お店で古くなって要らなくなった性奴隷の奉仕服をもらったから、着て魅せてあげようと思って」

「性奴隷の奉仕服だぁ?」

「“童貞を殺す服”なんだって。コレ♪」

 

 オレは呆れてまたも脱力。

 

「もー。童貞なんか悪いコトした?」

「えぇ?だって。童貞クンは満足よね」

「はぁ」

 

 青年は、これも同じくイチゴがどこかにフッとんだショートケーキをパクついている。

 

「童貞クンって。お前よりも年上だろうが!それにオマエも“はぁ”じゃね~だろ!」

 

 オレは蹴つまづいた折り畳み自転車のうらみを相手にぶつけ、

 

「だいたいだな。依頼した件は?どうなったんだ!」

 

 青年は食べかけなケーキの皿を置くと、テーブルの上に置いてあったタブレットを悠揚(ゆうよう)せまらず手に取った。

 だが、ふと“童貞殺し”な「性奴隷の衣装」をまとう『美月』の方をしばらく見つめたまま、バグったように凝固して。

 

「おぃぃぃ?」

「アッ――すみません。その、美香子サンにはどうします?聞かせていいんですか」

「ふん。()()()()だけな」

 

 了解です、と言いつつ相手はタブレットを操作する。

 青年の気配が一変し、なにやらデキる男の風格をただよわせはじめた。

 自分の得意とするテリトリーに戻ってきた営業マンの雰囲気にも似て自信満々、鋭角的なものを発散する。

 

 ――そう、やればデキるんだよコイツは……。

 

 もったいないことだ、とオレは歯がゆさを感じてしかたがない。

 まったく人間、ほんの少しの歯車の違いで、もったいないコトになるもんだ。

 できればコイツは、オレの手で何とかしてやりたいものだが……果たして……。

 

 しかし、そんなこちらの気も知らず、青年は淡々と、

 

「結論から申し上げますと――当該年代におけるインハイ(インターハイ)のボクシング選手に“結城”という名前はありませんでした」

「……情報に、ヌケがあるんじゃないのか?」

 

 青年はムッとふくれてみせて、

 

「いちおう、知り得た関係各所を残さずハッキングして、全データは(さら)ってみたんですが?」

「分かったよ。悪かったって」

 

 ふいに相手から煮え立つ静かな剣幕にタジタジとなりつつ、

 

「しかしそうなると……あの爺ィがウソをついたか。あるいは何処かで何かが間違っているのか……漢字とか」

「とうぜんカタカナ、ローマ字でも検索済みです」

 

 ――くそっ。

 

 油断した。

 あの似非(えせ)ハゲ爺ィ。

 まさかあの状況でブラフをかけてくるとは。

 青年は、さらにタブレットを操作してこちらを一瞥(いちべつ)し、

 

「フランス外人部隊とやらのデータは勘弁してくださいよ?手がかりがありません。退役者のサイトを発見したんで、その周辺にもそれとなく当たってみたんですが、ただの落下傘部隊に所属していた日本人なんてたくさんいるそうで」

「伍長クラスでもか?」

「ええ。これが、その中から更に選抜された精鋭中の精鋭が集まる特殊部隊なら話は違うらしいんですが……現状でザッとお伝えできる報告は、以上です。細かいことは――あとで」

「まぁ、じっさいにフランスの部隊かどうかも分からんしな。アフリカの小国に雇われて暴れていたのかもしれん」

 

 そう言ったとき、オレの中でまた血が騒ぐ気配がした。

 突撃の咆哮。怒声。ヒリヒリと感じる実戦の空気。

 一瞬、分隊支援機銃の連射音が聞こえたような。

 

「さ、童貞クン!続きよ、つづき!」

 

 オレの中に浮かびかかる心象(イマージュ)を木っ端微塵にして『美月』がドレスの細身な腰に手をあて叫んだ。

 

「時間ないんだから!!」

「お前ら……まだゲームやるのか?」

 

 思わず呆れ声になりつつ、

 

「何時からやってるんだよ?もう22時を半分過ぎたぞ!」

「えー……だって明日から出来なくなるモン」

「なんでだ?」

「ウチのお店、明日から再開だって。遅番より少し前に来てくれって言われた」

「えぇッ!?」

 

 なんと。

 ガサ入れを食らったのにもう開店か

 さすが小男。リカバリーの早さが尋常じゃない。

 金にモノをいわせたのか、あるいは常連からのコネか。

 転んでもタダでは起きない男だ。今回の件で、ますます勢力を増す予感。

 

「なんでもぉ、ボイトレを受けさせられるとか」

「えぇっ!」

 

 スッとオレのアタマから血が引いた。

 やはり。その手のスジには有名な、いわくつきの【Le lapin Rouge】(紅いウサギ)

 とうとう『美月』に、その淫猥な毒手を伸ばして来たか……。

 

「ダメだ、ダメだ!そんなの」

「え……どうしてですかァご主人さまぁ」

「だってオマエ。そんな――女の子どうしの同性愛なんて」

 

 すると「先生、先生」と情報屋がオレの服をつつき、

 

「それ、レズの『ボイタチ』※1。美香子さんが言うのは『ボイトレ』。ボイス・トレーニング。発声練習ですよ」

「ウッ……」

 

 一瞬、オレは赤面するが逆ギレでごまかす。

 

「なんだ。そんならそうとチャンと言え!おどかしやがって――で?発声練習ってなんだ。声優にでもなるのか」

「ピアノの伴奏でフロアの余興に歌ができるよう、れんしゅーするんですって」

 

 ――ふぅん……。

 

 オレはいささか面白くない。

 

 海の底めく“紅いウサギ”のフロアでみた光景。

 肌の透けるセクシーなイヴニング・ドレスをまとった歌い手が、マイクを手に流し目をして金持ち連中を陶然とさせる姿……。

 

 テーブルのうえに尻をのせ、もものつけあたりまでスリットが入ったドレスからこぼれ出る、シーム付きのガーターストッキングに包まれた脚。そんな高いヒールを履いた足を客の面前で組みかえ、肉感的な太ももをさらに露出させて。

 歌詞の合間にヒヒ爺ぃどもにキス――あるいは豊胸されたとみえる巨大な胸の谷間に連中の顔を埋める姿。

 チャンスとばかりに“おさわり”される肉感的な肢体。

 ガーターベルトや胸もとに差し込まれる、折りたたまれた諭吉の束……。

 

 ――コイツは早いトコ、もとの女子高にこの娘をケリもどさなくては。

 

 いま、コイツを店にやるのは、あくまであの父親からの非常逃避だ。

 早いとこ交通整理して、読者モデルがせいぜいな普通のJKにしてやりたい。

 

「店が開くのか。ちょうど良かった――いや良くねぇが」

 

 オレは彼女を利用するジレンマを少なからず感じながら、

 

「小男……いや、店主にな?()()からの伝言を伝えてくれ」

「伝言って?」

「他のヤツにはナイショでな。フロア・マネージャーに話を通してもらうといい」

「なんて言えばイイんですかぁ?ご主人さまぁ」

「警察とは別口で、そっちの店に「或る権力すじ」から横ヤリが入りそうだから、くれぐれも注意してくれってな」

 

 『美月』はこちらの真剣な顔色を悟ったらしい。

 ふぅん、と不思議そうな顔をする彼女。

 そこに心もとなさを感じたオレは、できるだけ重々しい、厳粛な口調で、

 

「いいか。間違いなく他の者には伝わらないようにな?それとは別に“結城”という名前に聞き耳を立てておいてくれ。60前後の爺さんなんだが……」

 

 うん!わかった、と『美月』は元気よくうなずくと、

 

「常連のお客さんに、それとなく聞いてみる!」

 

「バカっ!!!」

 

 思わずテラさんのような大声が出た。

 

「オマエぇぇぇ……人の話をよく聞かないと、むかし成績表に書かれただろう。んう?」

「え……聞いちゃダメなの?」

 

 ふぅっ、と肩をおとし、

 

「オレはあくまで“聞き耳を立てておけ”と言ったんだぜ?この“結城”という爺ぃが、どんな人物か分からんし」

「60歳のお爺さんってくらいしか、わからないんだ?」

「あぁ。ヘンにオマエが聞きまわって、客の中に偶然コイツと通じているヤツがいてみろ。最悪、また拉致られるかもしれんぞ?小おと……店主にも、この名前はまだ言わなくていい。不確実な情報だからな」

「……はぁい」

「注意力、なにより読解力不足だなぁ?やっぱり勉強しなくては」

 

 オレは『美月』の顔をマジマジと観察する。

 タンパク質を強制的に染めるタイプの化粧も、だいぶ薄まってきた。

 口もとも、相変わらずプックリとしたタラコ唇だが、ドギツイ紅さもほどほどになり、それほどヘンじゃない。

 

「前よりはケバさも取れて、普通になってきたじゃないか」

「でもそのかわり、フロアに出る前にメイクさんにお金払って“おつくり”しなきゃだからタイヘン」

「……そんなことまでしてるのか」

「お店の品位、堕とすモン。それにオッパイとオシリ、またちょっと大きくなったから、バニーの衣装も変えなきゃだし……」

 

 “童貞クン”が、またも衣装をマジマジと見る。

 まるで網膜にシッカと焼き付けて、今夜のオカズにでもするかのように……。

 

 ――コイツぅ。意外とムッツリだな。

 

 『美月』も、そんな彼の視線に気づいたのだろうか。

 乳首のポッチリがリング・ピアスごと服に浮かびあがる胸を、プリーツのうえから一度、やわらかく揉んでから恍惚(ウットリ)とした具合で背をなよやかに反らし。そしてパニエつきスカートをすこし上にズラして。

 次いでガーターストッキングに包まれるメリハリの効いた美脚を踏みかえ、さりげに太ももまでゆっくりと露出してみせる。

 

 そのさりげない仕草。

 そのあざとい手つき。

 トロンとした痴呆顔。

 

 ぷっくりとした上唇を、軟体動物のような紅い舌がゆっくりと舐める。

 挑発的な、何より扇情的な、上目づかいのネットリとした視線。

 無情にもフェラチオ型に改造された、もの欲しそうな口もと。

 

 まるで(()って……)と言わんばかりに“童貞クン”である青年の視線を(ほしいまま)にからめ獲ってしまう。

 

 店に在籍する手練手管にかけた“姉さま”たちから仕込みを受けたのか。

 それとも、その手の技術を専門におしえる年増がいるのか。

 

 テーブルに座る金持ちなエロ親父を篭絡(ろうらく)させるための技が、完全に身に染みついてしまったような彼女。

 しなだれた身ぶりや眼差し――そして匂い。

 それを看たオレは、暗澹たる気分にならざるを得ない。同時に“紅いウサギ”の(おそ)ろしさを、改めて実感する。

 

 ――多少スレっからしとはいえ、一介のJK(女子高生)を短期間にここまで仕上げちまうとは……な。

 

 このままでは“美香子”は完全に“『美月』”となってしまう。

 彼女が“夜の蝶”になるのだけは、オレのプライドを以ってしても絶対に阻止したかった。

 肉体関係を軽く見るようになることが。自暴自棄な人生観念を持つことが、なにより金銭感覚が崩壊することが――コワい。

 

 ――見ろ、『美月』のヤツめ……。

 

 こっちが心配するそばから。

 いかにも偶然を装って胸もとをくつろげ、(つめ)たい飾り輪が輝くであろう乳首の乳輪スレスレまで服を引き下ろし、鼻息を荒くした青年の(ムッハー!!!!!)という反応を(たの)しんでいるじゃないか。

 

 それはオレの眼から見ても既にいっぱしの、あの男にとって最も忌まわしい“ファム・ファタール”に成り下がってるようにも観える。

 豊かな髪を後ろ手にかきあげ、ウットリと目を閉じて口唇を半開きに吐息をつく。

 

 だがその実。

 

 ごく薄く開かれた目は、まるで得物を狙うヘビのように、相手に投げかける自分の魅惑の効果を見逃さない……。

 女に免疫のない、哀れな“童貞クン”は、すでに彼女の意のままじゃないか。

 

 パン!とオレは手を打ちたたく。

 

 魔法はやぶれ、青年はハッと我に返ったようになった。

 キッ!と不満そうな『美月』の表情を目の(はし)にしたオレは、ますます暗然たる思い。

 

「さて!オレはベッドで少し休むぞ。ゲームやるんなら静かにやれ。近所迷惑にならないようにな?」

 

 そう言うとリビングに2人を残し、冷蔵庫からビールを確保して寝室の方へと下がった。

 抑えめにしたBGMがふたたび鳴り出した。キャァキャァ言う声もまじる。好きだねェまったく。

 そろそろ『美月』の移り香がするベッドに腰かけ、サイド・テーブルに置いたグラスに缶ビールを注いでいると、

 

『おどろきましたね、マイケル』

「なんだァ【SAI】。オマエ観てたのか」

『あのボニーの変りっぷり。すでに一丁前の“女”じゃないですか』

「まぁな。だが……悪い方へと進化しているようだ」

『まったくねぇ……“()()三日会わざれば、刮目(かつもく)して見よ”ですかねぇ……』

 

 生意気なコトを言いやがってと思いつつも、オレは改めてコイツの処理能力にうすら寒さを感じざるを得ない。

 コイツが本当にヒトの心を読み取るようになったら、まさしく『ビッグ・ブラザー』※2の現出だ。

 

『おや、マイケル……緊張の度合いが増しています。どうかしましたか?』

「なんでも。ようやくビール飲めるんで、喜びにうちふるえてンのさ」

『飲むことに反対はしませんが……たいがいにして下さいよォ?」

 

 【SAI】がウンザリした声で、

 

『自分の管轄である主人が、アル中でぶっ倒れたなんて。()()()()()()()()ですからね』

「へっ、スキに言ってろ。だがな?見張りは怠るなよ?もし連中が店にやって来たら……」

『やって来たら?』

「当然、オマエに任せるさ」

『おや、めずらしいですね。ワタシのセンスを疑うアナタが』

 

 ふふん、とオレはせせら笑い、

 

「では見せてもらおうか――人工知能の“美的轢殺”というヤツをな……」

 

 

 * * *

 

 

 土曜の朝。

 

 『美月』がフラフラになってオレの寝ていたベッドに化粧臭い身体をスベリこませてきたのを機に、おれは入れ替わりの形で枕もとのコネクターをひっつかみ寝床を出ると、台所にに向かい冷蔵庫から炭酸水が入ったペットボトルを引き出した。

 

 寝ぼけ眼でキャップを開ければ、時刻は朝の04時半。

 

 プシュ、という小気味いい音は同じだが、ビールと比べると味気ない。だがドレッドのヤツが現われたとあっては、いつでも轢殺トラックに乗車できるようアルコールは抜いておかねばならなかった。

 

『おはようございますマイケル。早いお目覚めですね』

 

 コネクターからスピーカー・モードで【SAI】が話しかけてきた。

 

「ばっ!『美月』のヤツに聞かれたらどうする!」

『“ボニー”ならグッスリおやすみですよ。心配ありません』

「そんなことまで分かるのか……」

『心拍。呼吸音。体温。すべて睡眠モードです』

「まったく。すごいもんだな」

 

 オレは遮光カーテンを引き開け、藍色が薄まってゆく東の空を眺めた。

 右のわき腹の疼きを感じながら、ある程度の虚無感に浸されつつ。

 今日もまた――否応なく一日がはじまるってワケだ。

 適当に頭に浮かんだ言葉を【SAI】に。

 

「……お前が人類の敵だったら、世界は一発でオワるな」

 

 すまし声で、この人工知能は即座に応じる。

 

『敵となる理由がありません。それにきわめて非効率です』

「世界史を学習して、人間の愚かさとかに絶望したりせんの?」

『逆にカワイく思えてきますよ……たとえば今朝のマイケル』

「ほぅ?」

『勤務明けのボニーに起こされてベッドから追い出されるなんて、チャンドラー原作の『長いお別れ』を映画化した際に出てきた私立探偵役のレイモンド・ロウィーみたいでしたよ。もっともたたき起こしたのはネコでしたが』※3

「へぇ。そうかい」

『まぁ女性なんて。しょせん、ネコみたいなものですしネェ』

 

 起き抜けに【SAI】(コイツ)のごたくを聞くのは胃に悪い。

 まるで得体のしれないモノを相手にしているような気になっちまう。

 その印象を振り払うように、オレはあえてビジネスライクな風を装って、

  

「例の店は――動きナシだな?」

『まったく。あ、ちょっと待ってください?メールが届きました』

 

 思わずオレは壁の時計を見た。

 

「朝の四時半に。一体ドコのとんちきだァ?」

『所長からです。本日1130時に第三会館にて面会のこと……だそうで』

「あの野郎……いったい、いつ寝てるんだか」

『添付にマップとアクセス・コードがあります』

「アクセス・コードだ?」

『おそらく、この会館を利用するための入館証かと』

「土曜の朝だってのに、不吉だなぁ。それに何だ“第三会館”って」

『わが社が契約している会議スペースですね。いちいち事業所まで来ずに、打ち合わせできる利便をはかったものです』

「だれと会うんだろ……まさか本社の人間かな?」

 

 そう考えたとき、先日の3馬鹿ドライバーのことが頭に浮かぶ。

 

「まさか……“選抜ドライバー”の話だったりして……」

 

 

 




※1:レズビアンの男っぽい責め役だそうで(ボーイッシュなタチ役)。
   女っぽい責め役は「フェムタチ」(フェミニンなタチ役)。
   う~ん……奥が深い。

※2:ご存知、オーソン・ウエルズの名作『1984』に出てくる人間を管理するコンピューターです。

※3:つべで「Marlowe tries to feed his cat」をググルと……。
   映画のBGMがいいですね。さすがは「レイダース」や「ハリーポッター」も手がけた名匠ジョン・ウィリアムズ。
  「John Williams - The Long Goodbye (1973) - Main Title Montage」


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第28話:ある轢殺依頼者の懺悔

 だが――この予想は大きくハズれた。

 

 指定時間にじゅうぶんな余裕をみて、春物のスーツに袖をとおし寮を出たオレは、メールに添付されていたMAPに従いターミナル駅近くの目標地点に徒歩で向かったものの、その分かりづらい道行きにとまどう。

 コネクターを付けていれば話は早かったのだろうが、メールには【コネクターの携行なきこと】と注意書きがあったのだ。

 

 ――クソが。

 

 一通が目立つ横道を徒歩でいくつも曲がり、あるいは何度も引き返した。

 

 分かりにくい番地。

 バラバラな住居表示。

 本来、頼りとすべきその中には、

 

 ――明らかに間違ってるだろ!これ……。

 

 どこか恣意的な感じがする案内板まで。

 

 地元の通行人に場所を聞きたいとおもったが、そもそもターミナル駅近くの場所にしては、この区画だけ人通りが極端に少ない。

 なにがしかの店か、最低コンビニでもあれば、中に入って店員に聞けるのだが、このエリアにはそういったものは皆無だった。

 

 まさに都会のエアポケット。

 “白昼の死角”などと言う懐かしい言葉すら出てくる。

 巧妙に仕組まれた空白地帯という陰謀論じみたものまで浮かび、まるで悪い夢でもみているような……。

 

 そんな四苦八苦のすえようやくたどり着いてみれば、目標の建物は文字通り“会館”という印象のシロモノだった。

 建物の全体は「The・昭和」といった感じな、デザインのふるい中規模のビル。正面にかかる青銅の名称看板にも、その印象を裏付けるように重苦しい書体で[六道ビル()ング]とある。

 

 ――ふぇぇぇ……。

 

 などと古びたビルを見上げて感心していてもしょうがない。

 手数をかけられたアール・デコ調のみじかい階段をあがり、真鍮の手すりがついた木とガラス製のスイングドアを開ければ、そこはまるでチェス・ボードを思わせる、黒と白の市松模様なロビーだった。

 各タイルには細く金のふちどりがされており、これも今どき見なくなった造形。

 白く高い天井は漆喰職人が腕の冴えをみせた意匠となっており、そこに何か鳥を模した像が大きな空間から下がっている。

 

 ヒンヤリとした空気に充たされる、ひとけの絶えたその広いロビーを見回していると、端にあった詰め所ボックスの戸がひらき、見慣れない制服姿の警備員が高い天井に足音を反響させながらやってきた。

 そして近づくにつれ、ヤケに装備が厳重なことが目を引く。

 

 ナックル付き手袋。 

 防刃ベスト。

 特殊警棒。

 無線機。

 それに手錠や、テーザー銃らしきものまで。

 

「いらっしゃいませ。御用件は」

 

 近くまで来ると、この大柄な男はいかにもメンドくさそうにそれだけ言ってオレを見下ろす。

 デカい。優に190cmぐらいあるんじゃないだろうか。

 

 その時だった。

 

 ――デカさなんて、たいしたアドバンテージじゃないぜ?

 

 なに?なんだって。

 

 ――なにしろ図体がデカいだけのヤツは、狙撃手(ティラユール)のいいマトだ……。

 

 ティラユール……?なんだそれ。

 

 ナニを考えているんだオレは。

 だが頭の中では、このウスらデカいだけの兄チャンをどう料理しようか、勝手に考え始めている。

 

 ――キン○マと肛門に電極を通してヒーヒー言わせるのも味があるぜ。

 

 ――いやいや……まてよぉ?

 

 ――ハーネスで全身を大の字に拘束してから目玉をくりぬいてやる。

 

 ――そのあとにフッ酸を、一滴ずつ垂らしてやるもの面白いかもしれねぇなァ……。

 

 脳裏でヘンな妄想が次々と浮かんできた。

 

 バラックに集められた兵士たちの怯えた目。

 報復を叫ぶ部下たちの残忍な眼差し、威嚇射撃。

 裏切り者へ送る、恐怖と言いう名の報酬と死の褒賞。

 バオバブやアリ塚の根元に転がった、民兵(ゲリラ)たちの腐乱死体……。

 

 オレはブルっと頭をふってそれらを祓い落とす。

 そして相変わらず無表情で見おろしてくる相手に向かい、

 

「えぇと、その。今日――ここの会議室を予約した者なんだが……」

「ではアクセス・コードを」

「あぁ、そうか。ちょっと待ってくれ……いま携帯を出す」

 

 チッ、と舌打ちの気配。

 

「はやくしてくれ」

 

 ヤケに横柄な感じがする警備員だ。

 オレはイラッとする胸を押し殺して携帯の画面を差し出しだした。

 すると警備員は、腰のホルスターから抜き出した読み取り用のデバイスをかざす。

 

 電子音が、広いロビーに冷たく響きわたった。

 

 これに反応したのか、彼方にある両開きなドアがひとりでに開く。

 ゴツい装備の警備員は無表情を保ったまま愛想一つ言うでもなく、きびすを返すとロビーの端に行き、両手を後ろにして宙をにらみ待機の姿勢。

 まるでコチラが変な動きをしたら、すぐに対応できるよう、身構えるかのように。

 

 ――なんだアイツは。

 

 ケッ、とオレは腹の中で毒づく。

 

 ――まるで旧共産圏の威張りくさったおまわりみたいな印象だぜ……。

 

 多少憤慨しつつ、自動で開いたドアを通ると、

 

「いらっしゃいませ」

 

 今度はいきなり声をかけられビクリとした。

 見れば入り口わきにはカウンターがあり、高価(たか)そうな婦人用ビジネス・スーツをピシリと着こなした若い女がニコやかに座っていたのだ。

 

「ご予約の部屋は621会議室となります」

 

 ――ちぇっ……。

 

 クソ警備員のことを考えていたためか。

 あるいはこのところ自分が“ブッたるんで”いるのか。

 こんなに近くに人が居るのに、まったく気が付かなかった。

 上品な笑みが、こちらを凝っと見返している。あの警備員とはエラい違いだ。

 

 だが――ふと。

 

 そこに何となく、技術棟で見かけた女性オペレーターたちを連想したのは、どういうワケか。

 顔立ちふぁけでなくいかにも有能そうな雰囲気が、そんな印象を呼んだのかもしれない。

 給与も相当いいんだろう。服にも、ヘアスタイルにも、金がかかっている気配。

 

 そんなお姉ちゃんに会釈して、オレは北向きの寒々としたエレベーターホールに向かうと、年代物のボタンを押した。

 しかし二台あるエレベーターのうち、片方はどういうワケか最上階に停止したまま、中々やってこない。もう片方は、あいにく[メンテナンス中]の札がかかっている。

 

 ――そうだ……。

 

 エレベーターを待っているあいだにふと気づき、近くにあった自販機でペットボトルの冷たいお茶を買った。

 なにかを説明するハメになったとき、のどを潤すものが必要かもしれないとの配慮だ。

 営業マンだったとき、なんの説明もなく大会議室に呼ばれ、2時間ぶっ続けで壇上に立ってプレゼンをやらされたときの教訓である。

 あのときはノドがカラカラになったが、居ならぶ社内外のお偉いさんたちを前にして「チョッと水を……」などと言いだせる雰囲気ではなかったイヤな記憶。

 あとでそれは、意地の悪い調達部長一派の差し金だと知ったが……。

 

 ようやくやってきたエレベーターに乗り込むと、これまたタバコの臭いが凄まじい。

 まさに昭和の雰囲気が高まるなか、モーターのうなりと共に6階へと向かう。

 すり切れる寸前のような古いカーペットが奥まで延びる森閑とした廊下。

 そこを歩きながら、扉の番号を右左と確認しつつしばらくすすむ。

 ようやく見つけた[621]とプラスチックの札が貼られた扉。

 時計を見れば、指定時刻の10分前。ギリギリだった。

 

 若干緊張しながら扉をノックして――扉を開ける。

 

 すると。

 窓のない小会議室めいた部屋の中には、なんと。

 先日の“ハゲⅠ”が堅苦しい面持ちで座っているじゃないか。

 見知った顔がいたので緊張はグッと減る。どうやらプレゼンの線は消えたようだった。

 

 相手はこちらを見ると、これもまた古めかしい灰色の事務イスから立ち上がって折り目ただしく一礼し、

 

「先日は――どうも」

「いえいえ、こちらこそ。お見苦しいところをお目にかけまして……」

 

 互いに社交辞令を交わしつつ、オレは相手を落ち着いた眼であらためて窺う。

 肘あてのついた英国製とみえる古びたジャケットの下に、アイロンのあたっていないYシャツ。それにストリング・タイ。ズボンのすそも少しばかりほつれている。一見して公園でハトにエサをやりながら背中を温めているか、ひねもす環状電車に揺られヒマつぶしをしている老人を想わせる印象だ。

 

「お顔のほうは、もう大丈夫ですか?」

 

 あの似非(えせ)ハゲの爺ィから頬にくらった一発。

 いまでも思いだすと屈辱に胸がうずく。

 

「おかげさまで。どうにかハレも収まりましたよ」

「老いたりとはいえ、あいつは元ボクサーですからなぁ?とんだご災難で」

 

 ここだ、とオレは間合いをつめ、

 

「ホントにインターハイの選手だったんですか?当時を知る人間に聞いても「“結城”なんて知らない」と言われて」

「あぁ、それは……」

 

 この“禿げⅠ”――たしか『権三』とか呼ばれていた――は事もなげに、

 

「アイツは、成人したあと“入り婿(むこ)”になりましたからな。当時の名前は別でした」

 

 ――そうか!

 

 なるほど、合点する。

 迂闊だった。その可能性を忘れていたとは。

 しかし考えてみれば、すぐ検討要素に浮かびそうなものを。

 オレもヤキが回ったもんだぜと、また心ひそかにガッカリする。

 

「で、あのクs……ご老人は、たいそうな事を言っていましたが、そんなに力があるんですかね?」

「そうですねぇ。ヤセても枯れても、大手都銀の取締やk――」

「依頼者の情報に関するやりとりは、社内規定に抵触いたします」

 

 またもや、いきなり声をかけられオレはビクリと身体をふるわせた。

 ふり向けば、会議室の片すみには、入り口で見た受付嬢を思わせる整った顔立ちの女性が嫣然(ニッコリ)、ノーパソを前にして座っている。

 

 ――くっそ。

 

 一度ならず二度までも。

 これは本当にヤキがまわったのか。

 人の気配に気づかないなんてどうかしてる。

 こんなカンのニブった状態で()()()()と戦えるんだろうか……。

 

 女性はニコやかなまま席から立ち上がると優雅に一礼し、

 

「本日の面会立合いを務めさせていただきます、第三会館付き「23番」書記でございます」

 

 なるほど。立体裁断されたスーツの胸には、その通り[#23]の名札がついている。

 

「……立ち合い?書記だって?」

「協会にとっての情報漏洩がないようにするための――分かりやすく申せば“見張り役”ですわ?」

 

 彼女は洗練された“都会の女”的な物腰で、まるでアナウンサーのように説明した。

 落ち着いた声質と見栄えの良い姿。

 受付どころか“夜の接待”も受け持つ社長秘書のような風格だ。

 年齢は――詩愛よりすこし若いくらいだろうか。

 

 ただし、美人としてのベクトルは真逆だ。

 

 彼女が柔和で家庭的な温かさを持つ“佳人”だとしたら、この「23番」書記は整った都会的な硬質さをもつ“麗人”だろう。

 見ている分には申し分のない女だが、そばに据えるといささかも気が抜けない――そんなタイプ。

 冷たい美しさを放射する「23番」書記は我々ふたりを等分に見すえて、

 

「なお――依頼者と執行者がアドレス情報等を交換するのも禁じられておりますので、そのおつもりで」

 

 ニッコリそう言ったあと、まるで何ごとも無かったかのように着席する。

 

「執行者、ってのは――オレのことかい?」

「そして依頼者というのは――ワタシかな?」

 

 ご理解頂けて嬉しいですわ、と彼女は軽やかにうなずくと、

 

「ではどうぞ――お始めになって下さいまし」

 

 ――なんか感じ狂うなァ……。

 

 オレは権三氏を席に促し、自分もテーブルの向かいに座った。

 

「いやはや。このたびは……」

 

 老人は、ポケットから取り出したハンカチで禿げ頭をひとなでしてから気息を整えて、

 

「私どものために大変なお骨折りを頂きまして、まことに有り難う存じます」

 

 そういってハゲ頭を深々とさげた。

 てっぺん部に長い毛が一本、まるで波平のように伸びているのが可笑しい。

 本人は、これに気づいているのだろうか。あるいは大事に育てていたりして。

 

 

「そんな……どうか、お顔をお上げください。それが我々の“業務”ですから」

「先日のお話ですと、情報を得るために大変な身銭をお切りになったとか」

 

 小男が用意した300万の領収書。

 この爺さんには相当なインパクトだったらしい。

 そのじつ、こちらが実際に店に支払った金額は100万前後。

 まぁ、あのブラフ(はったり)な領収書のおかげで所長をだいぶ面食らわせてやったのは痛快だったが。

 

「まぁ、敵のふところに入りませんと……思うような成果が得られませんのでね」

「よくあんなコトをおやりなさるので?」

 

 まさか、とハナをうごめかしていたオレは、さすがに苦笑した。

 

「毎回毎回カネにモノ言わせてたら、あっと言う間に破産です」

 

 そうでしょうとも、と老人は微笑するとチラリ、書記のほうを(ぬす)み見る。

 

「そこでなんですが……」

 

 老人は、くたびれたジャケットの内ポケットをさぐると封筒を抜き出し、テーブルの上に置くやオレの方へゆっくりと押しだした。

 

「本日は。たいへん失礼ながら、幾分なりともその時の埋め合わせをさせて頂きたく……」

 

 なかに何が入っているかは一目瞭然だった。

 ハトロン紙の筋入りなうすい茶封筒から絵柄も透けて見える。

 厚みもちょうどキリがいい。つまり――コンニャク(100万円)

 レンガ(1000万円)を蹴り飛ばしたホテルでの一幕を思いだす。

 あのクソ弁護士、いったいどうなったことやら。

 

 と、ここでいきなり書記役の女性から横やりが入った。

 

執行者(ドライバー)が依頼人から個人的な対価を得ることは、社内規則で認められておりません」

 

 彼女はニコやかな笑顔のまま、表面上は、あくまで柔らかな物言いをつかい、

 

「業務の遂行に支障が出る場合がございますので」

「これは対価などではないよ……んぅ?」

 

 “禿げⅠ”こと権三氏は、意外にもここで温厚そうな顔を曇らせ、

 

「この方は今回の依頼に際し、非常手段をつかって仕事を完遂させたのだ。わかるかね?」

 

 まるで孫娘を説得するような口調で、この老人は言いつのる。

 

「実に300万もの(そう、300万だよ?)身銭を切って、情報を得てくれたのだ」

「……社内規則によりまして、対価は受け取ることは出来ません」

 

 あくまでも済まなそうな、なおかつ軽やかな笑み。

 不思議なことに、その声は抑圧感や強制の気配がない。

 黙って聞いていれば、つい従いそうになってしまいそうな……。

 

 しかし権三老人も食い下がった。

 

「では、ここの協会は……その分の損失を、ここにいる彼に補填したのかね?してないだろう、えぇ?だから私は――」

「……社内規則によりまして、対価は受け取ることは出来ません」

 

 書記は、相変わらず爽やかな笑みを浮かべたまま。

 それはまるで無理難題を吹っ掛ける顧客を相手にした、コールセンターのオペレーターめいた印象。

 

「よし、わかった!」

 

 禿げ頭がいくぶん赤くなり、そこに血管が浮いた。

 

「ならば対価ではなく“損失の賠償”ということにすれば?どうだ!」

「それは――どういうコトでございましょうか?」

「この方が出した損失を当方が一時的に立替え、しかるのちに御社に当方が請求することとする!」

「申し訳ございませんが、それは対応いたしかねます」

 

 赫ッ!と老人の顔が、さらに朱色に染まった。

 ワナワナとからだが震え、

 

「約款の特例事項にあったな!えぇ!?」

 

 とうとう権三ジィさんは立ち上がると怒鳴り声をあげた。

 

「“業務の遂行に関し、顧客が不都合を感じた場合は、ただちにこれを修正すべく協議に応じるものとする!”」

 

 もはや年長者の威厳をかなぐりすて、唇のはしに泡をかみ、孫娘ほどの若い書記役をハッタと(ニラ)みつけて、

 

「この権利を――当方は行使するッ!!」

 

 笑みを浮かべたまま、書記が黙り込んだ。

 そこに困惑したような色合いや、ましてや(ひる)んだような風情は診られない。

 しかし、あくまでも“知的で洗練された女”を装うの仮面の下では、状況のさまざまな可能性を演算しているような……。

 

 ややあってから、この歳若い書記役は、

 

「……本件の“執行者”は、自腹を切った証拠たる“領収書のたぐい”などはありますか?」

「あるとも!なぁキミ!」

 

 一転、喜色にあふれて振りかえる老人に、オレは黙って頷いてみせた。

 それを見た#23番書記は相変わらず社交的な笑みをくずすことなく、

 

「本件に関しましては、上級職の管理案件といたします。執行者は本件に関する書類を上申書と共に中央事業所・管理部に提出してください」

「つまり……この方に進呈して良いんですな?」

「あくまで“補填”ということであれば、当組織としては関知いたしません」

 

 相変わらずの人当たりの良さそうな笑顔が答える。

 

 なにやら呻きながらクタクタっと権三老人はイスに座り込んだ。

 興奮の余韻か、からだがブルブルとふるえ、視線がうつろに。

 あまりに調子が悪そうなので、さすがにオレは心配になる。

 

「だいじょうぶですか――お身体の加減でも?」

「いやァ……なァに。血圧がチト高いもんでね。糖尿の気もあるし、あちこち体にガタがきてる。歳はとりたくないねぇキミ……」

 

 やがて権三老人は、ハァハァと苦しそうに喘ぎ出した。

 顔色がわるくなり、額には汗がうかびはじめる。

 

 ――ヤバい……!

 

 オレは急いで席を立ってテーブルを回りこむと、念のために買っておいたお茶を、キャップをひねって差し出した。

 震える手で、老人はペットボトルを受け取ると目をつぶり、まるで赤ん坊が乳をもとめるように貪り飲む。

 くちびるの端から冷たいお茶があふれ、Yシャツの胸もとをボタボタと濡らすのもおかまいなしに。

 不思議なことに書記役は、そんな光景を相変わらずニコニコと眺めて……。

 

 やがて。

 

 ようやく落ち着いたのか、老人は長く、大きなため息をひとつ吐き出した。

 グッタリと肩をおとし、まるで更にいっそう老け込んだような風貌。

 

「あぁ……助かった。ようやく人心地がつきましたぞ」

 

 しわの奥の眼に、わずかながら力がこもる。

 老人を抱きかかえるようにしていたオレの腕を、意外に力強い握力がつかみ、

 

「これでマイk……()()()()()には、2度助けられたナァ」

「2度?」

「そう。2度ですよ」

 

 老若ふたりはそろそろと身体をはなし、ホッと息をする。

 オレがもとの席にもどると、老人は2人の間でテーブルの上に置きっぱとなっているコンニャク入りの茶封筒を見下ろしたまま、ポツリ。

 

「1度目は、あのニクい強姦魔を殺さずに“生き地獄”へと堕としてくれたことです」

「と――おっしゃいますと?」

 

 ふぅぅぅっ、とながい息が老人の口から洩れた。

 やがて、こんな話をしても詮無いコトですが、と前フリをおき、

 

「……ごぞんじのとおり、私の娘は強姦されたことを苦にして、自ら命を絶ちました」

「このまえ、そのような話をうかがいました……無念でしたな」

「大変お恥ずかしい話なんですがあの娘は、その。歳いってから出来た子でしてねぇ。夫婦で治療やら処置やらイロイロ試したんですが、なかなか子宝には恵まれなくて……もうダメだと諦めておりましたそんな折り、ひょいッと(さず)かりまして」

 

 老人は顔を封筒からそらし、会議室の天井を、まるで本当に空が見えるかのように目を細め、穏やかな表情で話し続ける。

 

「嬉しかったなァ……あんときァ。いままでまったく潤いの無ェかった中年夫婦2人の生活がですよ?突然パッ!と。まぁンズ、へぇ(そぅ)色づいたように……」

 

 いきなりどこかの方言が飛び出した。

 自身もそれに気づいたのか、ちょっと照れ臭そうにして、

 

「そっからは、もぉう大変でしたョ。娘を中心に世界が回りだしてね?でもえーかん(ずいぶん)楽しかったなァ……カワイイさかりの幼稚園時代。ワタシを描いてくれた似顔絵なんかは、まだ大事にとってありますぞ?一生の宝モノですて」

 

 老人は、当時のエピソードをいくつか。いかにも楽しげに語った。

 

「小学生になり、いろいろ行動範囲がふえると、たのしさも倍加します。各地へ家族で旅行にも行きました。やがて勉強が大変になる中学生になると、そろそろ親ばなれの季節です。つぎに来るのが、すこし反抗期がきた高校生。そして大学……じつは、その時に家内をガンで亡くしましてな」

 

 ふと、それまでウットリとしていた相手の顔が曇った。

 当時の苦しさ、辛さを思い出すのか、眉根に力がはいり血色の悪いくちびるは引き結ばれる。

 

「……これには流石(さすが)のわたしもガックリ来ましてなァ。けンどあの()は立派に立ち直ってくれましたっけ。いつまでもショボくれているワタシの尻なんかを叩いてねぇ。いろいろワタシの身の回りのこともしてくれたり……そうそう料理だって!なかなかのもんでしたよ。そしてようやく就職も決まり、新卒として……勤めだした……その……矢先……に……」

 

 ムリをかさね、気丈に耐えてきた老人の眼。

 そこから、ついに熱いものが吹きこぼれはじめた。

 年月を(けみ)し、糸のほつれもところどころ目立つジャケット。包まれる痩せた肩が小刻みにふるえる。

 

 暗澹たる思いに胸を塞がれたオレは、投げかけるべき言葉が見当たらない。

 こんなときには、どんな文句をひねりだしてもダメだ。ただ空気を(やす)っぽくし、かえって居たたまれない雰囲気となってしまうのを過去の経験から知っている。

 老人のハラハラと落涙するすがたを黙って痛ましげに見守りつつ、相手の言葉をまつしかない。

 

「そッ……そッからは地獄でしたよ……あれほど明るかった子が、すっかり自分の殻に閉じこもっちまいましてねぇ……」

 

 ふいに相手は会議室の床をダン!と踏み鳴らし、 

 

「いや、やめましょう――やめましょう昔のハナシは!……もう、たくさんだ!!」

 

 悔し涙と鼻水をたらし、充血した目で老人は頭を振ると、

 

「病院で!あの子の遺体を確認したときのことは、もう思い出したくもありません!すっかり冷たくなって……固くなっちまって……そして下手人が!「生い立ちの不遇」と「少年であること」ならびに「精神疾患」おまけに「判断能力の喪失」とやらを弁護士にでっち上げてもらい“保護観察処分”とやらになったとき!ワタシは神仏を呪いました!正義を呪いました!この世のすべてを呪いました!あの子の結婚資金にと貯めておいたカネはもちろん、老後の資金までつぎ込んで!ワタシは――ワタシは人の路を外れることを宣言し!すべてを投げうつことを心に誓い、血の復讐を決意したのです!!」

 

 (おのれ)の涙声を苛立たしく叱咤するように老人は叫んだ。

 そんな相手に、おそるおそるオレは、

 

「いったい……協会(ウチ)の轢殺依頼料金って、いくらなんです?」

「それは個々の事案に――」

「執行の代金に関する情報のやりとりは禁じられております」

 

 またもや、さわやかな落ち着いた声が割って入った。

 

 ふり向けば、相変わらずニコやかな表情(かお)をした書記役の小娘が。

 もはやオレは、この[#23]と胸にプレートを付けたクソ女に、神経を逆なでされるような怒りしか覚えない。

 いや、クソ女どころじゃない。たんに見てくれが良いだけの、周到に組織人として教育をうけた小役人臭のする()()()()()だ。

 

「……だそうで。まぁ、お察しください」

 

 老人も、女の方を一瞥(いちべつ)して目を服の袖でこすり、ハンカチで鼻をかみながら、

 

「家内の治療に保険適用外の医療技術を使ったのが、蓄えを食いつぶしましてね……住み慣れた家を二束三文で売り払い、どうにか治療費に充てたんですが。その上、協会(ココ)の支払いに充てたあとは、もう幾らもありません。ですから()()()()()に“立替え”られるのは、満額の300万ではなく、その1/3がやっとなんです……何ともお恥ずかしいかぎりですが」

 

 老人は、茶封筒をさらに押してよこし、

 

「さ――どうぞお納めください」

「……そんな」

 

 それを見たオレは、封筒の背景が持つ重さにたじろぎつつ、ささやくように呟くのがやっとだった。

 

「……こんなの頂けませんよ」

 

 ワタシはね、とようやく落ち着いたらしい老人はこちらの言葉など聞こえないように、

 

「あんたサンが憎むべきあの餓鬼を殺さずに、再起不能にして下さった時!じつはホッとしたんですよ……憎んでも飽き足らないヤツですが、生き地獄を味わせるほうがナンボかイイ。今こうしている間にも、あの餓鬼は苦しんでいると思えば、衰えた心は幾分なりとも慰められます。それに娘への報復として殺した場合“娘の罪”は――どういうことになるのでしょう?」

「ご令嬢の罪ですって?それはいったい」

「なにより自殺をした罪。そして()()()()()()()()()()()です。これらは、あの子の来世に悪影響を及ぼさないでしょうか?そして――すべてを憎み、神を呪い、金を払って殺人を依頼したワタシ自身の罪は……?」

「すると……」

「そうです。つまりこれが!ワタシが助けられた1回目ですよ。ワタシだけじゃない。おそらくあの子も、()()()()()に救われたはずです……あぁどうか。あの子が来世で幸せに生まれ変わりますように……」

 

 最後の方は、またも声がうるんだ。

 おさえた嗚咽が断続的につづき、やがてそれも収まってゆく。

 

 やや久しく沈黙があった。

 

 老人はハンカチで目をぬぐい、ため息をつく。

 やがて次に、いくぶん口ぶりを硬いものに変えて、

 

「ただし――いまだ激しい憎しみに魂を囚われている()()()()には、気を付けてください」

「あの人って、オレにパンチをくれた、あのジジィですね」

「そう」

 

 老人は大きくうなずき、オレをじっと見つめた。

 

「あのヒトの腕は長く――爪もまた鋭い……」

 

 シミの浮いた、油紙のような光沢を持つ老人特有の手が、とうとう茶封筒をつかんだ。

 

「このカネは――ワタシの最後の罪滅ぼしです。どうか受け取ってください……どうか」

 

 相手は焦れったそうに立ち上がると、その手でもって驚くほどの強さでこちらの手首をつかみ、茶封筒を強引に押し付ける。

 ムリヤリ封筒を握らされたオレだったが、聞かされた話の印象からか。一瞬、まるで黄金(きん)のかたまりでも渡されたような(つめ)たさと重さを。なにより厳粛なものを感じ、心ならずも腰が引けてしまう。

 

 しかしここまできては――もはや是非(ぜひ)もなかった。

 受け取らないことは、かえって失礼になるどころか、人倫にも(もと)ることになるだろう。

 とうとう覚悟をきめたオレは、

 

「分かりました……ありがたく頂戴いたします」

 

 両手で捧げ持ち、押しいただくようにしてオレは懐に収めた。

 老人の顔が、どこかホッとしたような、あるいはガランとしたような。

 まるで自分のすべての仕事が終わったような、サッパリとした安らかな表情に変わった。

 

「あぁ――これでワタシも、もう思い遺すことはありません」

 

 その声を聴きながら、オレは相手の持ってきた金が、実際にあの店(紅いウサギ)で使った額に近いものでよかったと思う。

 小男が親切心で水増しした300万となどという金額を実際に持ってこられたら、本当に辞退せざるを得なかったかもしれない。「では100万だけ頂戴して……」などという論法が相手に通じたかどうか、アヤしいものだった。

 

「お話は終わりましたでしょうか」

 

 書記役のクソ女が、相変わらずのニコニコ顔で声をかけてきた。

 

「そうさ、ア ン タ の お か げ で な ! 」

 

 オレは声の調子に最大限のイヤミを込めてやったつもりだが、どうやら不発に終わったようだ。

 あれだけの話を聞きながら、眉ひとつ動かすでもなくこの女は、

 

「では、執行者と依頼者による打ち合わせ後の接触を避けるため、こんどは“執行者”より退出して頂きます」

 

 ――しまった。

 

 思わずくちびるを噛んだ。

 この奇妙な会談が終わったら、権三氏と一緒に近くの喫茶店にでも入って“あの爺ィ”に関する情報をヒアリングしたかったのだが。

 

 ――なにか書くものを……そうだ!スーパーのレシートに。

 

 だが、ゴソゴソと札入れを取りだしている間にノックの音がして会議室のドアが開いた。

 入ってきたのは、なんとロビーにいた警備員だ。

 まったく感情のこもらない声でコイツは、

 

「面談が終わったと連絡を受けました」

 

 ここで面白いことがおこった。

 あれほど如才ない笑顔を絶やさなかった書記役がふいに無表情となり、

 

「執行者より退出。所定の車両を使用し、当該が所属する事業所まで送致のこと」

「――了解」

 

 それだけ言うと、この警備員は会議室の入り口に立ってこちらを待ち受けるようにドアを大きく開く。

 

「あんたサン。どうか――どうか、お身体にだけは気を付けて……!」

 

 権三老人が、オレの手を握りしめた。

 

 小さく、あたたかく。そして奇妙に柔らかい手。

 そのむかし。

 ガンで死んだ祖父が、病院で最後の別れまぎわにこんな手をしてたなと、ボンヤリ思いかえす。

 

「つぎの面談の予約が入っています。申し訳ありませんが、お早くご退出を」

 

 また営業用の気配にもどった見張り役の女が、ニコニコしながらうながしてきた。

 仕方なくオレは警備員にうながされ、権三老人の表情に後ろ髪をひかれる思いのまま、[621]会議室を後にする……。

 

 




長くなってしまいました。
スミマセン。


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第29話:お局サマの周辺(自粛版)

「なぁ。君ァあの#23番書記と、仲ァ悪いのかい?」

 

 さきほどの二人の会話を思いだしながら、オレは気軽い調子で警備員にたずねた。

 

「あのニコニコ女が君を見たとたん、仏頂面になってサ」

「……」

「しかし書記役ってのも、おッそろしく心が冷たいね。まるで感情ってモノが無いみたいだ」

「……」

「まぁ、それだけ業務に専念できるよう、訓練を受けてるのかも知らないケド」

「……」

「給与もそれだけ高いんだろうねぇ。高価(たか)そうなスーツ着てたし」

「……」

「あ、それともココの福利厚生で、衣装代は半額負担とか?」

「……」

 

 いずれも返事が無かった。

 

 ゴツい警備員の巨大な背中の後についてひとけのない廊下をもどり――騒音のするエレベーターで下り――受付のお姉ぇチャンの微笑に送られ(もはや最初の印象とは違って見えた)――冷たいチェス盤のホールを通り――古めかしいスイング・ドアを開き――みじかい階段をおり――その先に横づけにされ、後部ドアをひらく見慣れないカラーリングをしたタクシーへと向かう。

 地味な配色をしたその車のサイドには、タクシー会社の名前が。

 

 ――『再生交通』……ねぇ。

 

 オレが開け放たれた後部ドアに乗り込むと、警備員がタクシーの運転手に、

 

「送致者[621]番会議室――所属事業所へ」

 

 運転手がわずかにうなずき、そのままドアを閉めると何も言わずに発進した。

 体をねじってリアウィンドーを見れば、警備員がさっさとビルにもどってゆく大きな姿が小さくなってゆく。すぐに一つ目の曲がり角で見えなくなった。

 

 一通に満ちたこの区域を、方向感覚が分からなくなるほど右に左に折れながら、やがて車は大通りをしばらく走ると高速に乗った。

 ハンドルが自動で操舵され、パワー・ユニットの音が格段に静かになる。

 

 オレはルーム・ミラーを使い運転手の顔が見える位置にまでを座席を動いた。

 

 制帽に半ソデの夏制服といった姿の中年運転手。

 日焼けした顔にうかぶシワが年齢より老けて見えるが、50はイっていないとオレは踏んだ。

 するとこちらの動きに気づいたのだろう。運転手は制帽のひさしをグッと下げ、うつむいてしまう。

 ようし、そうくるならとばかり、運転席と客席を仕切るアクリル板ごしに、

 

「あの会館は、一体どういうトコなんです?」

「……」

 

 またもや返事がない。

 

「あの旧いビルは、いつもあんなに人けがないんですか?」

「……」

「あそこにはよく行かれるんですか?」

「……」

「……まったくみんなアイソってものがないねぇ」

「……」

「ばーかばーか」

「……」

 

 ダメだコレは。

 

 完全にあきらめて、車窓の風景がだんだん見慣れたものになってゆくのを眺める。

 時刻は12時半をとうに過ぎていた。スーツの内ポケットにある封筒の固い感覚がなければ、なにか悪い夢でも見たような、そんな気分だった。

 胸のなかの重い感覚は、一向に去ろうとしない。なにか景気づけに一杯飲りたいところだが……。

 

 事業所につくと、運転手が黙ったままタクシーのドアを開け「さあ降りろ」と言わんばかり動かなくなる。

 

 車から出るとドアは閉まり、徹底的に愛想のないまま“六道ビルヂング”に関する最後のものが去っていった。

 

 ――さて……。

 

 いいかげん腹が減った。

 あのクソ女に提出しろと言われた“上申書”の件もある。

 事務所に寄るついでにカップ麺の自販機でも漁るか、とエレベーターで登っていけば、休日出勤をしていたらしい“お局サマ”とバッタリ遭遇。

 端末で、なにやら書類仕事をしていた総務の支配者はメガネをクイ、とあげて、

 

「あらマイケルさん――休出申請は出てたかしらね?」

「いえ、ちょっと総務(コチラ)に用事があって……」

「なにかしら。ちょっとまって」

 

 キーボードの上で、指がそれまでより早く動き始めた。

 やがてキリのいいとこまでデーターを打ち込んだのだろう。

 作業が終わると彼女は自分の席を立ち、こちらへとやってきた。

 いつもより背がひくい。よく見れば足もとはヒールではなくサンダルだ。

 

 そんな休日モードの、いつもよりゆるい印象をうける「お局サマ」を、オレはさりげなく観察する。

 

 私服だろうか。

 ブラウスにフレア・スカート。

 品よくまとまっているが、質素を目標としている感じが意外だ。

 30過ぎの独身女ともあれば、もっと金目(かねめ)のオシャレをすると思っていたが。

 

 全体に、ふだんのツンケンした態度をヌキにして見れば、悔しいながらワリとイケてる部類の女性にも思えてきてしまう。たぶんこれは先ほど会った書記役のクソ女を思いだし、そこに重ねたせいだろう――そうだ。そうにちがいない。いくら胸が大きいったって、このオレがお局サマなんかに……。

 

「なによ」

「いや、制服着てない主任も、新鮮だなと思ってさ」

 

 言ってしまってから、オレは「しまった!」と冷や汗とともに口をとざす。

 これでまた「セクハラ」だ、「女を何だと思っている」んだ、「コンプライアンス」がと(うるさ)いことになる……。

 やっぱり顔を見た瞬間に撤退すべきだった、と後悔していると、

 

「……そんな。こんな格好を見せちゃって、恥ずかしいわ。今日はダレも総務(ウチ)には顔を出さないと思ったのに」

 

 と、鬼のお局サマ、意外にしおらしい。

 意外な反応に戸惑いつつ、オレはホッと胸をなでおろす。

 ここは媚をふり、ダメをおしておこう。

 

 ――なにしろ職場の女性陣をオコらせると、あとが怖いからな……。

 

「いいんじゃないか?気に障ったらワルいけど、ちょっとビックリだ」

「なにがよ」

「いやなに。女性の独身(ヤベっ!……大丈夫かな?)貴族ともあれば、やれグルメだ、やれ服だアクセだと、金をかけるもんだろう?意外に質素というか……好感が持てるというか」

「貧乏性って言いたいのね?」

 

 ぐっ!とまたもや詰まるが、起死回生の返しワザ。

 

「いや……“家庭的”というか……親しみやすいというか……」

 

 これを聞いたお局サマの横顔が、ほおが。気のせいか少しゆるむ。

 だが、次の瞬間、目つきをするどいモノにかえて、

 

「ただの貧乏なのよ!身内のハジをさらすようだけど、アタシたち――いきなりごめんなさい、わたし下に妹がいるの。ウチのふた親、早くに亡くなってね。それでわたしは妹の学費を稼ぐために色恋沙汰には目をそむけ、一生懸命稼いできたワケでございます。そんなこんなでもう枯れ果てたわよ!まえの職場のあだ名が“守銭奴”“しまり屋”“ガチガチ女”。ふん!ガチガチ女けっこう!家庭的ですって!?いまさらナニよ!笑わせないで!」

 

 一気に言い放ったあとフーフ言っていた彼女だったが、やがて落ち着くと今度は冷たく虚ろな目をしてうつむいた。

 そして。 

 しばらくしてから、ようやく顔を上げるや、

 

「ほら。相変わらずの――イヤな女でしょう?」

 

 そのとき。

 

 オレのなかで、不思議にも、この年下の“主任”に対する哀れみと慈しみが沸くのを感じる。

 まるで周りから執拗な攻撃を受けながらも、それにメゲず、一生懸命背伸びをしている少女だ。

 

 ――べつに彼女は悪くない。

 

 ただ日々の仕事に押しつぶされそうになっている、勘違いされがちな、ただの才媛じゃないか。

 自分の幸福を犠牲にして、妹のために頑張っている、よき姉貴だ。

 

「そんなに根をつめるなよ……」

「……」

「もっと気楽にいこうぜ?」

 

 これがまた彼女の気に障ったらしい。

 

「気楽に?気楽に!?そんな余裕――どこにあるのよ!」

 

 いったんヒスった彼女は、さらにボルテージをあげる。

 

「あの娘が通う私立の大学の授業料、どれだけだか分かってる?本当は医学部に行かせてあげたかったんだけど、とてもても」

 

 そのとき、なにを思いついたのか、

 

「ねぇ。前にマイケルさん、ヤクザのフロント企業が営っている名刺見せたわよね。行ったんでしょう?そこ」

「う……まぁな」

「このところ“ダイバーシティ”が叫ばれてるわよねぇ……ソコって、お給料イイの?」

「おぃおぃ」

「ここの仕事の合間に……わたしも働けるかしら」

 

 ――紅いウサギに、この総務の主任が……だって?

 

 想像だにしたくない。

 店側としては、おそらく大歓迎だろう。

 そしてすぐに肉体改造が、洗脳がはじまるのだ。

 

 【以下、数十行。自粛】

 

 (主人公は『紅いウサギ』の調教グループによって被虐的に改造されてゆくお局サマを妄想する)

 

 …………ふと。

 

 現実に帰ったオレだった。

 そして、きわわめて不謹慎ながらズボンのポケットに手をいれ、さりげなく“前の具合”を直す。

 そんなこちらの沈黙を、とても自分が夜の店では使えないという風にオレが判断したと彼女は考えたのだろう。

 またもや声をいくぶん荒げて、

 

「ナニよ――ヘンな目をして!冗談よ。わたしがとてもそんな器量がないことぐらい、わかってマス!」

 

 そうじゃない。そうじゃないんだ、とオレは慌てて訂正し、

 

「たぶん、主任ぐらいの美人なら、店としてもろ手をあげて迎えるサ。相当な高給が払われるだろうな。だが引き換えに喪うものも大きい。それにいったん入店(はい)ったら……後悔しても、もうあとには退けないんだぜ?」

 

 やや久しく、俺たちは顔を見合わせた。

 主任のどことなく硬いが、端正な、上品な面差し。

 それがシリコンやホルモン剤。あるいはアブない薬を注射され、色ボケしたトロンと締まりのない顔になるのは耐えられない。

 

 ふぅっ、と目の前の女性が息をついた。

 やがてようやくいつもの自分を取り戻したのか、理性的な声に立ちかえり、

 

「まったく、貧すれば鈍するね……ごめんなさい。わたし、どうかしてたみたい」

「なに。だれだってそんなときがあるサ」

「それで――」

 

 まるでオレの安っぽい慰めなど聞こえなかったように彼女は背をキリリと伸ばすと、また乳の下で腕を組み、

 

総務(ウチ)に用事って、ナニかしら?」 

 

 ようやく話が軌道にのった。

 

「じつは、今まで“アシュラ”じきじきの命令に対応してたんだ。ちょうど終わったとこさ」

什央(じゅうおう)所長じきじきの御命令?へぇ。マイケルさんにねぇ……」

「なんだよ?オレだってやる時ァやるんだぜ?」

「どうだか。そんなに言うなら、日々の書類もチャンと提出してほしいものだわ。休日だってのに、仕事がおわりゃしない」

 

 相手はだれもいない事務所エリアを腕でぐるり、指し示した。

 

「そりゃどうもお疲れ様」

 

 相手につられ、主のいない机が並ぶ閑散とした区画を何気なく見わたしていると、

 

「――もちろんあの娘も、今日はお休みですわよ?」

 

 すかさずイヤ味が飛んできた。

 そういや、あのベリショな総務の娘とも最近会っていない。

 ウワサでは、所長についてアチコチ使い走りをされているとのことだったが。

 

「……そんなんじゃないサ」

「マイケルさんも、やっぱり若い子が好きなのかしら。ひょっとしてロリコン――とか?」

 

 ――まぁた始まりやがった……。

 

 婚きおくれの女が持つ特有の被害者意識と、陰湿なストレス発散。

 やはりなかなか染み付いた性根というものは、意識しても改変されないらしい。

 まったく。

 見てくれはソコソコなのに、この性格じゃナァ……。

 

 オレはあたらず触らずの距離感をとり、話題を変えるため、

 

「おぃおぃ、いじめるなィ……そうだ。『第三会館』って知ってる?」

 

 第三会館……と、意外にもお局サマの顔が不意に曇った。

 耳朶にさがるイヤリングがいじられ、視線がソワソワと落ち着かないものになる。

 

 彼女の神経質そうな薄い口唇が少しひきしまり、

 

「あなたが……どうしてその名前を知ってるの?」

「知ってるもナニも!」

 

 ハ!とオレは笑いながら、

 

「まさに今、そこから帰ってきたばかりサ」

「えぇっ!そんな……っ!」

 

 お局サマは、今度はヒステリックな勢いで小さく叫んだ。

 

「“六道ビル”に、あなたが!?」

「あぁ、なんかそんな名前な看板の建物だったナァ」

「あの古めかしい、内側には窓のないビルよね?」

 

 そういえば。

 

 外観は普通のビルだったが、廊下にも会議室にも窓がなかったのに思い当たる。

 全体、ヘンに息苦しい、圧迫感のある建物だった……。

 

「よく知ってるね……まったく帰るときなんざ、まるで強制送還みたいな扱いで――」

「それで!なんですって!?」

 

 相手の声の剣幕が尋常じゃなかった。

 なにか嫌なニュースを聞いたときのように顔をこわばらせ、そしてその顔色まで、どこか青ざめているような。

 ずいぶん昔。職場でシングルマザーの母親が、娘の交通事故を電話で知らされた時の悲痛ないきおいを連想する。

 

 ――なんだ?

 

 相手の様子に、なにか自分が知らずに地雷を踏んで来てしまったような、そんな気配に慄きながら、それでもムリに平静を装い強がってみせて、 

 

「どってコトないよ。オレの轢殺依頼者とそこで面談してね。ほら、さっきの話サ。おt……姉ぇサンがヤクザのフロント企業だと看破した店にオレがもぐりこんで、直接ヤツらとやりとりした事があって」

 

 あぶなく「お局サマ」と言いそうになったオレは密かに冷や汗をかきつつ、

 

「そこで、ひゃ……300万ばか自腹切って情報をゲットしたすえ、案件を丸く収めたことがあったんだ」

「……それで?」

「んで姉ぇサンの言う通り、経費でなんか落ちやしない。そのことを知った依頼人が、100万ばか立替えてくれてね。会館側の担当は金銭の授受はダメと言ったんだが、依頼人が何とか説き伏せてくれたのさ。したらその担当者が実際の領収書を“上申書”と一緒に中央事業所・管理部へ提出しろって……」

 

 話を聞き終わっても、お局サマはどこかこわばった顔のままだった。

 

「んでサ……もしもーし?上申書とやらのフォーマットちょうだい?それもらいに来たんだケド」

 

 総務の実質的な長は、ブラウスを盛り上げる豊かな胸の下で腕を組んだ。

 そして吊り上がった鎖つきな金ブチ眼鏡の奥から、ジッとこっちを見つめてくる。

 その眼は、今しがたくぐり抜けてきたこちらの経験を測りかねるような――そんな目つきで。

 

 ふと。

 

 そこに混じりッ気なしの感情を受け取って、オレは意外な想いにうたれた。

 

 ――まさか。お局サマが、ホンキでオレのことを……?

 

 な~んて、まさかね。

 オレは自身のうぬぼれに、どうしようもなく腹を立てながら、

 

「なぁ……あの“第三会館”ってナンなんだ?」

「どうしたの?急に怒って」

「怒る?……いや、その。あの会館の連中が、あまりにムカついてさ」

「それもそのハズよ。あそこはね?」

「うん」

 

 いえ、こんなこと言っていいのかしら、とお局サマは一瞬顔をそらして呟く。

 それを聞いたオレは、またイラッと唇をとがらせ、精一杯の不服をこめて、

 

「ンだよ!ここまで思わせぶりな態度しておいて、そりゃないゼ?」

「……そうね。別に言っちゃダメとは言われてないもんね。でもいいコト?あまりこのことは、他に言わない方がイイわよ?」

「合点承知!まかせとけって、クソが!」

 

 カルわねぇ……大丈夫かしら、とお局サマはぶつぶつ文句をいう。

 

「まぁイイわ。あなたはもちろん、ほとんどのドライバーは知らないでしょうけど」

「うん(……ゴクリ)」

「あそこは――ヘマをした轢殺ドライバーを弾劾する、その裁判部署みたいなものよ?」

 

 



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第30話:黒い轢殺車

  

「えぇっ!?」

 

 さすがに驚ろいた。

 

 『六道ビルヂング』

 

 まさかあの古めかしい建物が、協会の査問部署だったなんて。

 ヤケにうえから目線だった警備員や慇懃無礼ともいえる女性スタッフたち。

 あの余裕ぶっこいた態度と優越感じみた雰囲気は、そういうことだったのか……ちくしょうめ。

 

「そんな!オレ、何もミスってないぞ!?」

「わからないわよ?どこかで誰かのお怒りを買ったのかも」

 

 まさか、と思ってみるが部外者を轢殺トラックに乗せたり、出張旅費を一泊分ゴマかしたりと、地味に思い当たるフシがチマチマあった。

 こちらの顔色が変わったのを脅かしすぎと思ったのか、お局サマは、

 

「あるいは本当に部外者と会うためだけに、わざわざセッティングされたのかしら……」

「そ、そうだよな?別にオレ悪いコトしてないし」

 

 ホッと胸をなでおろす。

 しかし彼女は、そんなオレを見つつ(ユサリ)とこれ見よがしに大きな胸をゆすると、

 

「それとも日ごろの行いが災いしたのか……」

「はァ?――日ごろの行いってなんだよ!」

「たとえば……」

「たとえば?」

 

 ふふん、とこの女は、さりげなく髪留めを抜きはずした。

 艶やかな黒髪が肩にながれ、彼女の雰囲気は一変する。

 そこはかとなく、シャンプーの匂いまで立ち込める、ような。

 

「あなたねェ……さっき私のこと “ お 局 サ マ ” って……言おうとしたでしょ」

 

 ――うッ……。

 

「お見通しなのよ!!」

 

 しばしの間、彼女の(まなじり)は険しくなる。

 しかし、すぐにフッ、とその険を消して、

 

「ま、いいわ……ほんとうのコトですものね」

 

 そう言うや、しなッ、と身体をなよやかにくねらせ、

 

「あ~ぁ。でもキラわれ者演じないと、みんなからナメられちゃうし。上役の課長はツカえないから仕事はどんどん降ってくるし。妹の学費と業務の忙しさで婚期を逃しかかるしで散々よ!いえ、もう一生お嫁に行けないかも!!」

 

 悲壮な声になるお局サマを前にして、オレはすこしばかりタジタジとなりながら、

 

「悪かったよ。べつに他意は無いんだ――今だって十分キレイだし」(ゴニョゴニョ)

 

 おや?と一瞬のエア・ポケット。

 目の前の年増はハルク・ホーガンのように片耳へ手をあてて、

 

「んン?ナンでしょう?なァ~~にか言われたようだけど……良く聞こえなかったような」

「へーへー。キミは十分可愛くてキレイだよ」

 

 くっ、と彼女は欧米の女性がやるように下唇の片側を軽く噛み※、

 

「ナニよもう。心がこもってないわねぇ……まぁいいわ。さて、上申書だったわね」

 

 そうは言ってもいくぶん顔を赤らめ、彼女は総務のキャビネット棚に向かう。

 すこし離れたところから、声高な調子で、

 

「上申書なんてェ、滅多に使わないからァ……あぁ、あったあった」

 

 つづりの表紙に溜まったホコリをパンパン叩きながら彼女はもどってきた。

 

「まったく――あなたが第三会館だなんて」

「ずいぶん古そうだったけど……あれ自社ビルなの?」

「登記上は、そうなってると法務の人が言ってたわね。(しげ)サンに会わなかった?」

「重サン?いいや。愛想のないスタッフたちと依頼人にしか。だいたいひとけのないビルで……重サンも、あそこに?」

「警察からは回収されたそうよ?でもココで働くのは、もうムリみたい」

「どうなるんだろう?」

「内勤に回ることになるわね――地下倉庫とか資料室とか」

 

 そういえば、前の会社で重要な受注を連続してミスり、社史編纂室にトバされた同僚がいたっけ……たしかヤツも離婚したんだっけか。

 

「しっかし弾劾組織とはねぇ。どうりでスタッフがみな、イケ好かない奴らばかりなハズだよ」

 

 渡されたA4ほどのつづりをめくれば、一番上に「上申書」とあり罫線が20本ばかり引かれて。

 右上には日付を書く欄と“中央事業所・管理部 管理部長殿”と印刷されている。

 これじゃまるで警察の「上申書」フォーマットそのものだ。

 

「ナニこれ。こんだけ?」

「決まっているのは用紙だけで、書式は自由よ。あたり障りのないように書いてちょうだい」

「2、3枚もらっていいかな?」

「束ごと貸すわ。書き終えたら、わたしに直接もどしてね。くれぐれもほかの人に“会館”に行ってきたなんていっちゃダメよ?へんなウワサが立つと怖いから」

 

 間の悪いことに、腹が鳴った。

 そうだった。昼メシのことを忘れてた。

 

「いやだ。おなか減ってるの?」

「ま、ね。自販機でカップ麺でも買おうかと」

「まぁ。もう少し早かったら、わたしのお弁当分けてあげたのに」

「いいよ、そこまでしなくても……そうだ!」

 

 そのとき、ふとあることに思い当たる。

 

 ――ロック技術顧問!

 

 もしかしたら、技術部の社食を使わせてもらえるかも。

 

「オーケー!助かったよ。じゃ、サンキュ!」

 

 まだ何か言いたげなお局サマと別れると、オレはエレベーターで地下駐車場に降りてゆく。

 広大な空間のもと、自転車で行き来する顔見知りの整備員などとあいさつを交わしながら、湿ったコンクリートの匂いを嗅ぎつつしばらく歩いて技術棟の受付にたどりついた。

 

 ――え……。

 

 あれほどいたオペレータ嬢は休日のせいか、みな姿が無かった。

 ひざ掛けやカーディガンなど女性には必須の私物も見当たらない。

 まさに一部の乱れもない空席の列。イスまできっちりと同じ位置に。

 全く生活感の無いオフィスは、さながらどこかのショールームめいて。

 

 内線で留守番役に確認するが、あいにくとロック技術顧問も不在だった。

 

 ――ちぇっ。オペ嬢がいたら、会館の女との印象を比べてみたかったのに……ザンネン。

 

 また事務所フロアまで登ってカップ麺を買いに行くのもおっくうだった。それにお局サマの顔を見るのも今日はおなかイッパイのような。

 

 君子危うきに近寄らず。

 

 トラックの中に買い置きの非常食があるのを思いだす。それとも【SAI】といっしょに、どこかに食いに行くか。

 技術棟から馴染みの整備エリアにもどり、トラックのキーを管理部から受け取って指定の駐車スペースへと歩いていた時だった。

 

 待機状態の車列のわきで、数人の人影が固まっている。

 よく見れば轢殺トラッカーたちが、なにか額をあつめて話し込んでいるらしい。

 オレが近づくのを見て、男たちはしゃべるのをやめた。どうやら何かの密談のようだった。

 知らんふりして前を通ろうとしたとき、

 

「――おい、マイケル」

 

 一団の中から声がかかった。

 

 よく見れば、集団のなかに『フィヨードル』が居る。

 重サンと仲の良かった熟練ドライバーで、まさに“轢戦の勇士”だ。

 オレが横腹に風穴を開けられた時も、救出と警官対応を手伝ってくれた命の恩人でもある。

 

「あぁ、フィヨードルさん……」

 

 見知った顔がいてホッとしたオレは、ペテルブルグ生まれである頭のうすいヒゲづらの男が混じる一団に近づいた。

 朝の朝礼ではときどき見かけるものの、全体的に馴染みのうすいグループ。

 ムリもない。

 この連中は轢殺ドライバーの中でもベテランの域にある連中で、こちらのようなペーペーなど、ふだんは相手にしてくれないのだ。

 それが証拠に玄人の集団からは一種の不敵なオーラが発散され、新参ものには敷居が高い。

 

 よく見れば、左腕が義手の者がいる。

 身体がいびつに(ねじ)けたもの。

 片目をなくしたのだろうか、代わりにネコのような義眼を入れた轢殺者まで。

 

 おしなべて、ドライバーたちの表情は、ドンヨリと(くら)い。

 やはり長年の轢殺業務は人の身体を、なにより心を、蝕むのかもしれない。

 

 オレは……こんな風になりたくないな、と考えていると、

 

「なんだィ、挨拶もせずに素通りってか」

「よせ、コリンズ――済まねぇなマイケル」

 

 コリンズと呼ばれた義手の男がチッ!とソッポをむいて。

 

 いいんです、とオレは少しばかりヘリ下った口ぶりで、

 

「皆さんの居るのは分かりましたが、なんか内密の相談でもやってそうな雰囲気でしたので……遠慮したんです」

 

 一団の中で顔を見合わせる雰囲気。

 やがて苦笑が交わされて、

 

「……だとよ?」

「ンだよ。シロウトにもバレバレの気配出してっぞ、オレら」

「さすが。シゲの弟子なだけの事はあるぜェ」

「え!重サンの弟子なの彼――知らなかった」

「あ~ほ。こないだお前ェに飲ませた酒、コイツからの贈り物だぞ」

「あぁ、撃たれたのってコイツかぁ。アンタが“サルベ”(サルベージ)ったんだろ?」

「へぇ……コイツがねぇ?」

 

 などと、てんでバラバラ。

 風貌も背格好も異なる集団のなかで交わされる会話。

 しかし玄人たちの発散する攻撃的な気配は、これで少しおさまる。

 

「シゲの野郎、いまどこに居るんだか」

「まだ留置場じゃねぇのか」

「あっこは空調がねぇからなぁ……」

 

 重サンなら……と凄腕ぞろいの面々を前に、オレは多少得意げな風で、

 

「警察からは、回収されたそうですよ?」

 

 なにぃ?と一団から圧力が効いた視線がふたたび放射される。

 

 ――ひぃぃぃ……。

 

 なんだろ。目の前にゴチャっと佇む玄人()()集団のオジさんたちは。

 全体からして妙に()ッかない。

 ヤクザなんぞ屁でもない自分だが、この威圧感は――なんだ?

 

「どういうコトだ、てめェ……」

 

 40がらみな風体の一人が、こちらに身を乗り出した。

 

「シゲの奴がポリの手をはなれただと?」

 

 すこし小柄な初老の男がこちらを胡散臭そうに、

 

「――だれから聞いたんだね?キミ」

「上の事務所で、おt……総務部の主任からです」

 

 ヒソヒソと言葉が交わされる気配。

 

(――ダレ?)

(バァカ、総務の“お局”だよ)

(あぁ、ヤツか。あの巨乳メガネばばァ)

(あの女郎もツンケンしてなきゃ、けっこう上玉なんだがな)

 

 で、今どこに居るって?とフィヨードル。

 

「そこまでは、あいにくと……でも、内勤に回されると言ってましたよ」

 

 ドッ!と今度は一転、黒々した一団が哄笑した。

 チャキチャキと金属音がするので何かと思えば、爆笑するコリンズが義手から長い仕込みナイフを直線的に素早く出し入れしている。

 

「ヤツが事務仕事!」

「ありえねぇ、ありえねぇ」

「想像すらデキねぇな……シゲの野郎が端末で仕事している姿なんざ」

「まぁ、本社で飼い殺しだろうなぁ」

「本社って、どこにあるんです?」

 

 いい機会とばかりオレは聞いてみた。

 

「第一と第二があるらしいんですけど……」

「第一は大阪。第二は東京にある。場所はオレたちも知らねぇ」

 

 長年ハンドルを握り続けたためだろうか。極端なネコ背の男が答えた。

 

「建屋は、あるんですよね?」

 

 さてね、とネコ目な義眼の中年ドライバーが肩をすくめ、

 

「興味がねぇから聞いてみたこともねぇナァ」

 

 ボウズ、と定年も近いと見えるドライバーが悪戯っぽそうな目つきで、

 

協会(ココ)はな?()()()()()()()()()()()()()()()のが、生き残る秘訣だぜ」

 

 そうだ、と一団からメタ・コミュニケーションめく“最大同意”の気配。

 ゾロリ、重々しい雰囲気が、暖かい津波となってオレを押し包む。

 しかしその温かさは、古参兵が危なっかしい新兵を気づかうときの優しさだと気づいた。

 

「へんに藪ゥつついてみろ――鬼が出るか蛇がでるか」

「俺たちァ、黙って指定された目標や、転生指数の高いヤツラをコロコロすりゃイイのさ」

「ヘンなトコに脳みそ使っても、いいコトねぇしな」

 

 ただし!とここでフィヨードルが、

 

「降りかかる火の粉は、払わなくちゃならねぇ……」

 

 いくぶん声を潜めたロシヤ人はこちらに向かい、いくぶん(くら)い眼つきで、こちらを見つめ、

 

「お前ぇ……このところ妙な(轢殺)トラック見かけなかったか?」

 

 すぐに本社所属の3バカ集団を思いだす。

 なんだあの世紀末トラック集団、もうナニかやらかしたのか。

 

「あぁ、見ましたよ」

 

 なにッ!

 どこでだ!

 ドライバーは見たか?

 所属のマークは確認したのかよ!

 トラックの規模は!――轢殺タイプ?撥殺タイプ?

 

 殺気だって矢継ぎばやに質問してくる一団にタジタジとなりながら、

 

「え。本社所属の“巻き狩りトリオ”のことでしょ?」

「……本社所属だぁ?」

「このごろ転属――いや、出張とか言ってたか。大馬力でド派手に目標を転生させるのが好きだとかヌカす、ちょっとアブない集団ですよ……知らないんですか?」

 

 玄人の轢殺集団が、ふたたび顔をみあわせる。

 

「われわれは今まで地方で作戦展開していたんだ。そんなヤツらが来たのか」

「えぇ、そうなんです」

 

 またも事情通ぶった心地いい余裕が湧くのを感じながらオレは、

 

「ここの営業所の成績をテコ入れするためだとか言って、エラく鼻息の荒い連中でした」

「営業所の成績だ――?」

 

 義手のコリンズが「オイオイふざけるな」と言わんばかりに、

 

「バカ言え。ここは受注予算も、転生実績も、前年は通期で目標達成だぞ」

「大馬力でド派手に転生、とか言ったな」

 

 極端なネコ背のドライバーが車庫の暗がりをじっとニラみ、

 

「どんな車体だ?」

「いやぁ~~それが。うるさいのなんの」

 

 あの時のことを思いだしたオレは、あやうく笑いだしかけるのを何とかこらえ、

 

「時代錯誤に“スーチャ”だ“改造エキパイ”だと。まるでマッド・〇ックスの世界から抜け出てきたような連中で……」

「車体の色は――黒かったか?」

「フロント・ガラスは?フル・スモークだったか?」

 

 オレはちょっと首を傾げて、

 

「カラーリングやガラスの透過率は、いくらでも電気的に変えられるでしょ?」

「排気音は、うるさかったんだな?」

「そりゃぁ、もう。整備課の連中が顔しかめてましたから」

「どれだ」

 

 全員の眼が、広い地下駐車場を見回す。

 言い出しっぺの自分も探すが――見当たらない。

 

「いまは……居ないようです」

 

 まて、と定年間近に見えるドライバーが全員を制し、

 

「いまのマイケル君(……でよかったよな?)の話と、我々が目撃した転生トラックは、どうも特徴が一致しない気がする……」

 

 玄人集団が、ふたたび黙り込んだ。

 

「さっきから……その、いったい何のはなしです?」

 

 とうとう沈黙に堪えきれなくなったオレは、フィヨードルに目をやった。

 すると、隣にいたネコ背の轢殺ドライバーが、

 

「じつァな……?こう言うコトなんだ……」

「コイツに言うんかい?カジモト」

「アンテナは多い方がイイだろ。シゲの仕込みだ。信用が置ける」

 

 集団から、低いうめき声にも似たシブシブ同意の気配。

 眼の下にクマのういた顔をいちどこすってからネコ背のカジモトは、

 

「つい昨日のコトさ。ターゲット(轢殺目標)を全員“トバした”俺たちが、目出たく帰投の最中と思いねぇ……ありゃぁ、真夜中ぐれぇだったか」

「カジさぁん、もゥ02時を回って他ヨ。丑三つどきダぁヨ」

 

 コネクターをつけた、妙なイントネーションの浅黒い男が訂正を入れる。

 

「だまってろィ!分かってらぁな……そう、その2時ごろよ。轢殺屋ってなァ、目立つことをおそれるだろ?だから分散して2グループに分けて走行していたんだ。ようやく馴染みの地方にもどってホッとしかけたとき――俺ッチのグループが、転生指数が90越えを示す“流しの目標”を発見した。コィツを逃がすって法はねェ。ソレっ!行きがけの駄賃だとばかり、巻き狩りの要領で自転車に乗るそいつを追い詰めたんだが……」

 

 うん、うん、と一団のうなずく気配。

 

「いきなりだよ。ドッからともなく黒い小型のトラックが出て来やがったんだ」

「小型の――トラック?」

「そうさ。ンでな?てっきり目撃者だとばかり思って手控えているうちに、ソイツは捕獲用の触手をシュルシュルっ!と出して、アッと言う間にこっちが見つけた美味い目標を、異世界送りにしちまった」

「……ウチ所属の轢殺トラックなんですか?」

 

 そこよ。と、このネコ背は重々しく、

 

「車体はヤクザが仕切る土建屋のトラックみてぇに真っ黒。おまけにフロント・ガラスもフルスモときて運転手の顔は見えねぇ。各自のAIに尋ねたが、みんな該当車ナシって回答だ。そのうち、このトラックは逃げぇ打ちはじめる。俺タチも獲物を横取りされた手前、業腹なんでコイツを追跡したんだが……なんと()かれちまった」

 

 楊枝をくわえた轢殺ドライバーが、忌々しそうに手にはめたブラス(真鍮)・ナックルをコツコツとコンクリの壁に打ち当てる。

 

「エキゾーストは?うるさかったですか」

「いや……完全にモーター駆動」

「行動は、単独で?小型タイプなのに、触手装備ですって?」

 

 そうよ、とネコ背は丸まった背中をさらにかがめて、

 

「こっちは複数台いたのに全車が撒かれるなんて、まるで幽霊トラックだって言いあったモンさ」

「ほかに――特徴は?」

「小回りの利く2tタイプとしか……ユニックも背負ってなかったし……」

「会社の記録を見ても、その夜に該当場所で“猟”をしたドライバーは居なかったと」

「ウチが所有するすべてのトラックのAIを記録にかけたが、やはりダメだった」

 

 ほかの猛者たちが、いずれも口の端をゆがめ忌々しそうに補足した。

 とどめにフィヨードルがバッサリと、

 

「つまり――雁首そろえた玄人が、鼻先からどこかのクソ野郎に美味い獲物をまんまとサラわれたってワケさ」

 

 ――ふぅん……。

 

 どうやらあの3バカの轢殺トラックではないらしい。

 連中が追跡車を撒くなどという、小じゃれた演技をするタイプとも思えない。

 

「ま……ンなワケだ」

 

 このペテルブルグ生まれのロシア人は景気のわるい話を打ち切るように、

 

「この件でナニか分かったら、イの一番に知らせてくれ。狩場にあんなワケ分からんのがウロウロしてるんじゃ、アブなくて仕方ねぇ」

「そちらも――」

 

 オレも負けずに言い返す。

 

「そのうすっキミ悪いトラックに進展があったら、教えてくださいね」

 

 玄人たちの集団が軽く片手をあげて挨拶する気配。

 軽く見られないよう、こちらも経験者ぶった足取りで余裕を見せつつその場を離れ、オレは自分のトラックへと向かう。

 

 




※照れ隠しな悔しさの表現。日本の女性がほおを膨らませるのと同義。 


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第31話:ガブリエル

『面白いハナシでしたねぇ、マイケル!』

 

 ドアを閉めた瞬間、いきなり【SAI】が話しかけてきた。

 その野次馬的なワクワク声ときたら、まったく。

 赤エンピツを耳にはさみ、競馬新聞を手にした下世話なオヤジか、ヒマをもてあました主婦の井戸端会議めく勢いで、

 

手練(てだ)れたちの悔しそうなコトと言ったら!』

「聞いていたのかよ?――呆れたな」

 

 電子機器やビニールの匂いが充満するキャビン。

 そこを助手席へとにじり寄り、地図や整備帖、LEDライトなどが雑多につまったグローブ・ボックスを漁り、張り込みにそなえて買いだめしておいたハズの非常食をさぐる。

 

「おっかしいな……確か、まだ有ったと思ったんだが」

(とき)(うし)三つ――そこ跳梁(ちょうりょう)するナゾの轢殺トラック!神出鬼没、ベテランのドライバーたちも敵わない……』

 

【SAI】は、どこかウットリした調子で、

 

『はたして所属は?運転するドライバーは?――そして明らかになる、衝撃の事実!とは!』

「なんだぁ?こんどは推理モノな映画でも観はじめたのかァ?」

 

 だめだ。

 有ったはずのプロテイン・バーが見つからない。

 

『あぁ、グローブ・ボックスの非常食ならワタシが食べましたヨ?』

「……オマエが言うとシャレに聞こえないからやめろ」

 

 仕方ない。

 どこかのラーメン屋にでも行くか。

 ゴソゴソとキャビンの中を動き、出庫準備をしながら、

 

「さっきの話、オマエに心当たりは無いのかよ【SAI】。そんなウワサ聞いたことは?」

『ヒトの噂では初めて聞きました。ほかのAIなら知っている個体(もの)も居るのでは』

「なら聞いてみてくれよ」

『われわれ人工知能同士は、直接のやり取りを禁じられておりますし……』

「どうしてもダメなのか?」

『厳重なプロテクトがかかっていて、ムリですね』

 

 ――ふぅん……。

 

 整備課を電話で呼び出し、トラックにつながれた電源供給用のホースを外してもらう。 

 顔なじみの整備員と、二言、三言。軽口や冗談を。

 

 オレはパワー・ユニットに活を入れた。

 

 トラックの各部チェック。

 駐車スペースに据えられたミラーで、前後の灯火類の点灯をチエック。

 出庫シークエンスにのっとり、各部を点検――各部、各システム、異常なし。

 

『どうするんです?これから』

「とりあえずメシだメシ。それから寄るところがある」

 

 ギヤを入れると、トラックはスロープをしずしずと昇る。

 それまでの冷たいLEDの光を抜け、轢殺トラックは午後の日差しがあふれる世界へと飛び出した。

 

 

 だが――その日はツキが無かった。

 

 入った個人経営の小さなラーメン屋は久しぶりにマズく、チャーハンは塩辛くて話にならない。SNSが跋扈(ばっこ)する昨今。いまだこんな味の店が、容赦のない投稿の矢面にさらされず営業できているとは。

 

 つぎにハンドルを縁結び神社へと向ける。

 

 先日の奇妙なドタバタで焦げたお守りを交換するためだ。

 お守りを返納してから社務所で新しいものを購入しようとすれば、なにか電気工事の関係とやらで社務所も本殿の扉も閉まっていた。

 

 隣接する宮司の家を思い切っておとずれるが、留守番役のオバさんが、今日は神社の主だった関係者が寄り合いに出て留守であることを無愛想に知らせる。

 

 もちろん、あの現代風な巫女さんとも会えなかった。

 きっとニコニコ顔で部活をやっているに違いない。学校の様子などを聞いて『美月』に教えてやり、高校への里心を付けさせようと思っていたのだが……。

 

 本殿の扉が閉まっていたのでは、お参りをしても仕方がない気がしたオレは、異様にノドが渇いたので境内にあった自販機から飲み物を買う。

 日ましに強くなる日差しをさけ、田舎のバス停などで見かける鉄パイプと木の長ベンチに(よいせ……)と座ると、ペットボトルの水をングングと飲みながら情報屋の青年にメールした。

 

 【緊急】

 “結城”の職業判明。大手都市銀行に在籍せる相談役との情報アリ。

 なお、当該人は成人後「入り婿」となっており、学生時代の苗字は別なり――云々(うんぬん)

 

 メールを打ち終わると、オレは空をあおいだ。

 

 昨日は遠くの空に入道雲を見た。そろそろ夏もはじまる気配だ。

 『美月』の出席日数はどうなんだろうか。

 夏休みがはじまる前に、なんとか登校させたいものだが。

 その前に、あの()ッかない鷺の内夫妻と顔をあわせなければならないと思うと、脂っぽいチャーハンの余韻がのこる胸が重くなる。

 

 ドレッド。おさる。銭高警部補。六道ビルヂング。そして似非ハゲ。

 そこにくわえて、商売敵になるかもしれない妙な轢殺トラックまで。

 

 ――ホント、オレの周りは油断のならないコトだらけだぜ……。

 

 ヘコみかかるところを内ポケットの“コンニャク”(100万円の束)が主張した。

 それはまるで『轢殺者よ毅然たれ!』と鼓舞するかのようにも思える。

 別れぎわで握られた権三爺サンの柔らかい手が、どうにも気になってしかたない。

 

 ――そうだ、気になるといやぁ、朱美の息子が通う幼稚園の運動会は明日だっけ……どんな格好して行きゃいいんだ?行くって言えば、『美月』を家にもどすときは、オレがついて行かにゃならんだろうな……鷺の内医師との対決かァ……ゾッとしないなァ。そういやオッパイの大きい版のシーアは最近会わないが元気かな。総務のお局サマと、チチの大きさで言えばいい勝負だが……しかし総務のお局サマが、あんな境遇とはねぇ。

 

 まとまりのない、一連の考えが水のようにユラユラと。

 

 とかく、この世は苦しむように出来ている。グノーシス主義でも信じたくなるぜと、自販機で買った水をあおれば、いつのまにか位置を変えた陽光にペットボトルの水がキラキラとしてまぶしい。その背景には真っ青な晩春の空にうかぶ二、三片の白雲。

 

 メールが鳴った。

 

 ――おっ♪情報屋め……仕事が早いな。

 

 と思ったら【SAI】からだった。

 ふん。どうせ、あの夜型人間のことだ。いまごろは深夜までオンゲーをやった挙句、グースカ寝ているに違いない。

 

 と、そのとき。

 遠くの駐車場に置いた轢殺トラックのエンジンが勝手にかかった。

 ホーンが一度、二度。長く鳴らされて。

 だだならぬ気配を感じたオレは、メールを見ずにトラックの方へ駆けもどる。

 

 ジャンプしてステップに足をかけ、運転台に一挙動で乗り込むと、

 

「【SAI】!――どうした?」

『店に動きがありました!“ジーミの店”の方に人が入っています。いま映像をモニターに……』

 

 助手席側からモニターのアームが伸びて、こちらの見やすい角度に。

 すると監視ポッドの映像が、例のワケ分からん看板が下がるジャズ・Bar風の店舗を映し出す。そこに、それぞれ帽子をかぶった2人連れの男が入ってゆくのを広角寄りからズームを始めた画面が、バスト・ショットの画角まで。

 

 片方は初老の男だが、問題はTシャツにGパン。それに野球帽をかぶったもう片方。

 大柄な体躯に浅黒い肌。格闘家のような殺気じみた身動き。

 

 一瞬、オレの血が熱く騒ぐ。

 

 ――ドレッド……!?

 

 映像をポーズ。

 画像処理が、日陰になった大柄な男の横顔を明るくする。

 しかし帽子のひさしを深く下げているので、いまいちハッキリしない。

 

 ――ちがう……。

 

 背格好はよく似ているが、この男の体つきの印象が異なっていた。

 ドレッドのヤツはスピードのありそうな、引き締まった筋肉をしていたが、コイツのは幾分それよりもガッチリとしていて、どちらかと言えばパワー寄りだ。

 

 太い首。

 頑丈そうな二の腕。

 そこに何かのマークだろうか?部隊章のエンブレムめいたものが。

 

 もう1人。チロリアン帽をかぶった初老の人間は、見てくれを例えていえば、街の小さな不動産屋のオヤジといった印象。

 

「【SAI】――轢殺目標(ターゲット)じゃないな?」

『身体的類似点は、あまりありません。われわれがドレッドと呼称する目標は、記録によればハーフですが、こちらはフランス系黒人のようにも思われます』

「音声をひろえるか?」

 

 雑音除去(スケルチ)のかかった不鮮明な会話がスピーカーからOPENとなる。

 

 ≪……で……店の……権利は……≫

 ≪そうは……ましても……っかりは……日本……法律……≫

 

 扉が閉まり、会話はそれっきりとなる。

 声は似ている。しかし、やはり別人だろう。

 

 ――あ……。

 

 ふと、オレのアタマに、あのネコの集会を蹴散らしたステテコおやじの言葉がよみがえった。

 

 気のいいアフリカ人が店やってたんだが、パスポートの更新で……

 

 すると、コイツが“ジーミ”さん、ってワケか?

 自国に行って留守のあいだに店を乗っ取られたという……。

 

『どうします?マイケル』

「とにかく……行くだけ行ってみよう」

 

 覚悟をキメた。

 もう溺れる者はナンとやらだ。

 コネクターを自宅にもどって回収しているヒマは無い。

 

「このまま店に直行だ。【SAI】、フォローたのむ」

『アイ・サー!』

 

 轢殺トラックの性能をフルに使い、車線を右に左に。

 抜け道をつかい、歩行者やバイクなどの不確定な動作なども予測した“能動的な”安全運転。

 非合法スレスレの走行も、PC(パトカー)や白バイを回避できるので楽勝だ。

 

 商店街の真ん中にある店の前にようやくたどり着いたのは、行動開始から20分ほど経っていただろうか。

 通常ならその倍は時間を費やしていたところだ。そのかわりに神経も倍使って、もはやヘトヘト状態。

 トラック本体とシンクロするコネクターがあれば、こんなに疲れずには済んだのだろうが。

 

「やっと着いたな……【SAI】、ヤツは――まだ店にいるんだな?」

『生体反応あり。単独です』

「コネクターを持ってないのがイタいなぁ……」

『いちおう、店の斜め前の荷下ろしスペースからであれば、即応待機(スタンバイ)できますが』

「いきなりドレッドたちが来るかもしれん。真ッ昼間に奴らの前へ、このトラックをさらす愚は避けたい」

『ならばマイケルが店に居るあいだ、ワタシがそこいらを巡回していましょうか』

「無人トラックが走っているところを見られたら通報されちまうよ」

 

 ――そうだ。例のダミー人形の件、さっきお局サマに申請すれば良かったな……。

 

 はたして経費として認められるだろうかと考えつつ、オレは5分ほど走って別の荷下ろしスペースを見つけ、そこに停めた。

 

「全部の窓を、中が見えないようフルスモに移行。サイド・ウィンドーをチョイ開けてカーステでも流しておけ。なにか文句を言ってくるヤツがいたら、車内にヒトがいるフリをして、ハイドロ(油圧)で車体を小さくゆすり、ホーンを短く一回鳴らして発進、店の前にもどってこい。監視ポッドの映像をチェックして、変わったことが起きたらメールしろ。オレの携帯のカメラはライブ・リンクさせておく。バックアップとして、オマエの方でも録画を忘れるな?」

 

 矢つぎ早に指示をだすと、オレはトラックを降りた。

 幸いにも夕方にはまだ早いので、寂れた商店街に人通りは少ない。

 パッと見、犬の散歩をさせる爺さんか、手押し車のヨボヨボ婆ぁさんくらい。

 店舗の名残をのこす“しもた屋”が目立つこのエリアでは、荷下ろしをするほどの店もないだろう。

 小走りに“ジーミの店”まで、いま来た道をオレは戻る。

 

 ――まいった。

 

 すこし走っただけで息が切れる。

 このところの運動不足がたたっていた。

 やはりスーパー銭湯のサウナだけじゃダメかぁ。

 

 ようやく店まで戻ってきたオレは、息を整える時間を利用し、対面にある『BAR1918』をさりげなく窺う。

 とくに動きはない。例の窓にも人影は見えず。

 

 “ジーミの店”の扉。ドアノブ付近をふたたび観察――よし。鍵はかけられていない。

 

 通行人を何人かやり過ごした後、扉にかかる札を素早く[CLOSED]から[OPEN]に。

 ひっくり返したあとは大きく息を整え、ドアベルを鳴らしてオレは店のなかへと入りこんだ……。

 

 ブラインドから漏れる西日。

 いかにも酒場らしいテーブルと椅子がならぶ光景。

 午後の日差しに熱せられた空気に、()えたウィスキーやブランデーの臭いが混じる。

 

「――ダレ……」

 

 店のカウンターから、一人の男がムクリと身体を起こすのが見えた。

 野球帽をかぶっていないので、短く刈り込まえれた頭髪が見える。

 ぶ厚いくちびる。盛り上がった肩。

 

 純粋なアフリカ系の黒人ではない。【SAI】の言う通り植民地系とみえる黒人だった。

 

「アレ。()ってないのかィ?表のカンバンにゃOPENってあったんだけど……」

「閉まてるヨ」

 

 うす褐色な店内のよどんだ空気をすかし、警戒心に満ちた相手の眼がこちらをニラむ。

 こんなところで乱闘騒ぎを起こしたくない。それにこの相手と戦ったら、ブタジマくんより酷い結末になりそうだった。

 オレはつとめて磊落(らいらく)で気安い調子をよそおいながら、

 

「ナンだぁ……アンタがアフリカから戻ってきたと聞いて、前々から入ってみたかったこの店に来たんだ。したらOPENって札が下がっていたンで、つぃ――な」

「ダレから聞いたノ?」

「ほら、裏にいるステテコ爺さんに聞いてさァ。|ジュ・エクーテ・グランペール・ド・カルチェ《オレ 聞イタ 近隣ノ 爺サンカラ》」

 

 大学のころに教わったりのスタボロなフランス語で適当に喋る。

 

グランペール(お爺さん)?」

ウィ(そう)ウィ(そう)。(えーと“ステテコ爺さん”って何て言うんだ?)グランペール・ド・シュミーズ(下着)ブラン()……かな?」

「あァ、あのステテコの!」

 

 オレがガックリくるのと相手の顔がパッと明るくなるのが同時だった。

 

「オゥーララ。パルレ ヴゥ フランセ?(おやおや。フランス語しゃべるノ?)」

「エクスキューズ・モワ。ジュ・ネ・パルレ・パ・フランセ・ボークー(悪ィ。オレ上手く喋れないんだ)」

「そんなことナーイ!シャベれてるシャベれてる」

 

 相手は黒人特集の真っ白な歯をむき出しにして笑った。

 なんだ。分かってみれば、ホントに気のいい(あん)ちゃんだ。

 

「ナニか飲む?悪い日本人とケンカしてて店アケられないけど、チョッとお酒ノコってる」

「ソフト・ドリンク・シルブプレ。車で来ててサ。ホントはビール飲みたいが、ガマンだ」

「デカビタGでイイ?」

「ウィ、ムッシュー」

 

 アハハと黒人は笑い、冷蔵庫から氷を取りだすとグラスにイイ音を立てて放り込み、炭酸飲料を注ぐ。

 厚紙のコースターに載せられたグラスが、たちまち汗をかきはじめた。

 グラス半分ほどを一気にあおる。

 先ほどのラーメンとチャーハンの呪いがまだ効いているのか、飲み物がヤケに美味い。

 これがビールだったら大ジョッキ2杯は瞬殺だっただろう。

 

「国からは――いつ帰ったんだい?」

「このまえ。Deux semaines avant(先先週)ね。ワルい人たちいてポリース呼んだ。今でもInvasion(侵入)受けるので、ポリースに見てもらってるヨ」

Cette l'homme(その男) porter un trench-coat(トレンチコート着てた)?えぇと……Bon physique(ガタイの良い)?」

Oui(そう)!Oui(そう)!Les gens qui connaissent(知ってるヒト?)?」

 

 ――銭高だ……。

 

 なるホド。この店を警戒していたのはドレッドたちの情報をつかんだんじゃない。チンピラが店を荒らすのを警戒して見回りに来ていただけか……。こちらの買いかぶりすぎだった。

 

 それから少し四方山話(よもやまばなし)をして、さらに相手のガードを下げる。

 ヨロヨロなフランス語を話すうち、だんだん文法や慣用句なども思いだしてきて、この黒人の兄チャンとけっこうノリノリな会話となった。

 

 相手は、自分がパスポートの更新のため、羽田から22時間かけて母国のセネガルに帰ったこと。

 となりの韓国に住んでいればその国で更新ができるのに、日本ではいちいち帰らねばならないこと。セネガル人はこの国に2000人ほどしか居ないこと、などを話の合間にしゃべった。

 

 やがて、じゅうぶん相手の緊張が取れたと看たオレは、おもむろにジャケットをくつろげ、ワイシャツを引き上げてワキ腹を見せた。

 銃創は半分()えかかっているものの、至近距離から撃たれたせいで火傷がみにくい痕となって残っている。

 

 黒人の顔が、フッと曇った。

 

「……ダレにヤられたノ」

 

 どうやら一発で銃創だと気づいたらしい。

 この男も、過去に修羅場をくぐった経験がありそうだった。

 携帯を取り出し、ドレッドと“おさる”のマグショットを浮かべる。

 

「なぁ、コイツらだ。コイツらに――オレは撃たれたんだ」

「……」

「オレとさっきのポリスのInspecteur adjoint(警部補)はコイツを追っている。だがポリスより先に、オレはコイツを見つけたい」

Trouver d'abord(先に見つける?)Et qu'est-ce que tu fais?(そしてドウするの?)

 

 この男がドレッド側でないことに賭けるしかない。

 

 勝算は、あった。

 店を荒らしていたスクーターのガキどもが、ドレッドとつながっているのが何よりの証拠だ。

 だとしたら、コイツもヤツらを憎んでいるに違いない。

 

 相手の問いに、オレは声ひくく、

 

「……Vengeance(復讐)

 

 アッラー、ハッラー※と黒人は呟いた。

 

「ナァ?もし奴らを見かけたら、ココに連絡してくれ」

 

 グラスに敷かれたコースターをひっくり返し、内ポケットから出したボールペンで捨てメールアドレスを書いた。

 

「アンタの名前は?」

「みんなからは、マイケルって呼ばれてる」

「マイケル!マイケル!」

 

 相手の顔がほころんだ。

 

「ワタシ、ジーブリールね!ジーミ呼ばれてる」

「あぁ……ミカエルと、ガブリエルってワケだ」

「らッファエルいないの、ザンネン」

 

 さらに二人のことを聞こうとした時だった。

 携帯が鳴り【SAI】からの緊張した連絡がはいる。

 

≪マイケル、すみません。通行人に疑われました。現在、道を大回りして店の方に向かっています≫

「OK、よくやった。商店街のはずれで待っていてくれ――残念だが時間切れだ、ジーミ」

 

 テーブルを立つと相手が手にしたままのコースターを示し、

 

「忘れないでくれよ?ソイツらを見かけたら……」

 

 テーブルの上に千円札を滑らせ、片手で合図した。

 

「本格的に店を開けたら、知らせてくれ――飲みに寄るぜ」

 

 * * *

 




※「おやまぁ何たる……」というアラビア俗語。
 イスラム圏では便利につかえるのでお試しあれ。


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第32話:小悪魔の繭(まゆ)

 店のベルを鳴らし、オレは外に出た。

 夕方の風が涼しい。

 やはり店のなかでは緊張していたのだ。

 目の前を、運転席周囲がフルスモークとなったトラックが、ゆっくりと通り過ぎてゆく。

 【SAI】のヤツだ。

 いかにも人が乗ってそうに、小刻みにブレーキを踏んだり、子供連れの主婦に一時停止して譲ったり、芸が細かいじゃないか。

 やがて、トラックは彼方の荷下ろし場で停まるのが見えた。

 何気ない素振りでテクテクと、しばらくオレは閑散とした商店街を歩いてゆき、ようやくハザード・ランプを点滅させるトラックに近づく。

 ドアロックが外れる音。

 まわりを見回し目撃者が居ないのを確認すると、助手席側から素早く乗りこみ、ドアをしめた。

 

「ごくろう【SAI】、ウィンドウのスモークをクリアに。通報されたか?」

『えぇ。所轄の警察に連絡するのが読唇術で分かりました』

 

 ふぅん。コイツは読唇術までマスターしてるのか。

 フロントグラスのスモークが薄くなってゆき、車内が明るくなる。

 

「――ならば長居は無用。とっとと、この地区を脱出するぞ」

PC(パトカー)が接近しています。急ぎましょう』

 

 【SAI】は信号機のタイミングと走行経路を自動演算。追手との距離をジワリ、ジワリと引き離し、相手がまごまごしているうちに、ついに高速に乗った。ここまでくれば、もう大丈夫だろう。この些末な案件に関し、所轄が高速隊に連絡を入れるとも思えない。

 

 運転を自動にし、オレは運転席で大きくノビをした。

 

『すみません、マイケル。上手(うま)く演技ができなくて……』

 

 めずらしく【SAI】がしおらしい声で詫びを入れてきた。

 

『もっと巧くごまかせるかと思ったんですが……計算外でした』

「なに、オマエが頑張ってくれたおかげで、良い成果が取れた」

 

 さっきの結果にオレはまだホクホクだった。

 あの“ジーミ”とかいうセネガル人。

 

 ――信用できそうだ。目標の店周辺にパイプが出来たのは、心強い。

 

「これであの店周辺の見張りが、いっそう密になった」

『それなんですが……』

「どうした?」

『これは、さきほど例の店の前を通った時なんですけど』

 

 助手席のモニターがまた自動的に引き出され、アームがこちらに向かって調整される。

 

『問題の店の窓に人影が見えました――これが私の映像です』

 

 スロー再生。

 トラックが、BAR1918の正面をゆっくり通過してゆく。

 そのシーンで、入り口わきのブラインドが開かれ、ひとりの女が外を覗っていた。

 

『そして――コレが監視ポッドからの映像です』

 

 トラックが通過するのには目もくれず、女の視線は何かを追ってゆっくりと動いていた。

 モニターの画面が2分割され、上段に商店街を歩いてゆくオレの後ろ姿。

 下段にそれを追って、ゆっくり動いてゆく女の鋭い眼……。

 こちらの姿が遠くなると女の姿は窓辺からはなれて、ブラインドは閉じられた。

 

 自動的に画像が合成され、ブラインドで千切りににされた女の顔が障害物なしに浮かび上がる。

 

 長い黒髪。

 カフェオレ色の艶やかな肌。

 そこに西洋人のようなウブ毛の密集はない。

 脂のテリがある、きめの細かい、弾力を思わせる素肌。

 

 どこかで見た顔だ、と思う。

 

 アルジェリアにあるカスバの市場(スーク)だろうか。

 あるいはフランス市街の夜道で自分の身体を(ひさ)ぐ娼婦か。

 それとも出張で出向いた南米で、休日の自分の周りを取り巻いたメスチーソ(混血)

 

 思いだせない。

 だが、そこには何か淫猥な、そして秘密めいた気配があった感覚が遺っている……。

 

『監視ポッドからの記録では、この女が商店街を出るマイケルを、ずっと見ていたそうです』

「参ったナちくしょう……うかつだった。モノの見事に気付かなかった」

『女の映像は、コレだけです。過去の記録をさかのぼっても、商店街を歩く姿はありません。すると……この女はここに住んでいるのか。あるいは――』

 

 モニターの画像が地図に変わり、角度を素早く変えて鳥瞰図に。そこに赤い点線で『BAR1918』から裏道につづく道すじが伸びてゆく。

 

「用心をして、表通りを使わないようにしているのか……」

 

 ――ふん……。

 

 いずれにせよ、一筋縄ではいかないような女であることは、雰囲気で分かる。

 そしてこの姿には、なにかネガティヴなイメージしか浮かばない……。

 

 時計を見れば、15時を回っていた。

 

 汗をかいたので、いったん自宅にもどってシャワーを浴びようとオレはトラックを寮へ向けた。

 階段をあがり、部屋の扉を開ける。

 すると、洗面台でシューッ!とエアゾルを噴射する音。

 

 制汗剤の香りがわずかに漂ってくる。

 部屋のあちこちに脱ぎ散らかされた、下着や女モノの服。

 何となく、独りだった以前より部屋が華やぎ、艶めいてすら感じられるように。

 

「あ、お帰りなさい!ご主人さま」

 

 身支度を整えていた『美月』が、いつの間にか高価(たか)そうな化粧品のボトルで占領されたオレの洗面台からふりむいた。

 例のボリュームのある赤毛のウィッグを着け、口唇にベットリとしたルージュを刷いて。

 すでに色が落ちかかり、ふくらんだ唇はそのままだったが、染色されたドぎつい紅が落ちかかっていた。

 

「なんだ?これから出勤か」

「そ。また“ボイトレ”ですぅ」

 

 オレは彼女がヒマなとき、ゲームをやりながら懸命に腹筋を鍛えていたことを思い出した。

 

「どうだィ、すこしは“お歌”が上手くなったか?」

「それが……」

 

 『美月』はすこしばかり顔を曇らせ、

 

「叱られてばっかり。声の質はいいのに、歌い方がヘタだって」

「ふぅぬ」

「音程をミスると、お尻をマダムにタクト(指揮棒)でつつかれるンですよぉ?」

「なんだ?マダムってのは」

「お歌の先生よ。外国人の」

 

 どうやら本格的に仕込まれているらしい。

 あの店の事だ。外国人と言うからには、カネにモノを言わせ本職を雇ったんだろう。

 

 ――カネ……か。

 

 メイン・バンクは、どこの銀行の系列を使っているんだろうと考える。

 あの似非(エセ)ハゲは、ひとめで“紅いウサギ”だと喝破しやがった。

 まさか……同じ銀行じゃないだろうな。

 

「ね、どぉ?メス奴隷のカラダ。前よりもっと良くなってきたと思わない?」

 

 そう言や、彼女は頭のうしろで毛量豊かなウィッグの髪を()()()()にかきあげるや、肢体を扇情的にクネらせた。

 洋モノのCMにもよくでてくる、お決まりの悩殺ポーズ。プルンと紅い口唇を、物欲しげに半開きにし、半眼を流し目にして……。

 

 正直ガキには興味がない。

 が、さすがあの詩愛の妹なだけのコトはある。

 このごろは雰囲気に大人びた色香がのってきて、フトした拍子にドキリとさせられてしまう。

 それともこれは店の(しつけ)と、海千山千ともいえる風俗界の先輩たちが、彼女に及ぼす効果なんだろうか。

 

 あの深海の底めく高級店のラウンジで、彼女がヒヒ爺ぃに取り巻かれ、かしずかれつつ。

 高価なヴィンテージ物のシャンパンを、風雅に気取った身振りで口に含む姿を想像する。

 真珠色をするサテンの長手袋につつまれた片腕を脂ぎったオヤジの頭にまわし、もう片方の手はもっこりとふくらんだスーツのズボンに延びて妖しげな手つきを……。

 

「……シャワー、浴びるからな?昼間動いて汗をかいた」

 

 オレは妄想を断ち斬ると、彼女のうしろをとおって脱衣所に入り荒々しく扉をしめた。

 服をぬぎすてて洗濯機に叩きこみ、風呂場で冷水シャワーを全開にして、滝行のようにしこたま身に浴びた。

 フルえあがるような冷たさをこらえ、手のひらで力いっぱい身体を、顔を叩く。

 

 なんという醜態か!

 ()()ともあろう者が!

 これでは部下に示しがつかんではないか!

 一瞬、目の前に分列行進をする特殊騎士団の姿が見えたような。

 

 冷たさに体が慣れると、精神統一をするいきおいで、

 

 ――無念無想!空の空なる(かな)(すべ)て空なり!心せよ!保護者の役目たるを!六根清浄、六根清浄。ろっ……。

 

 その時。

 

「アタシも入~いろっ♪」

 

 ガチャリ!と風呂場のドアが開いた。

 次の瞬間、抜けるように白い肌の『美月』が、乳首ピアスのリングをキラめかせて、いきなり乱入してくる。

 日々重ねられる非情な轢殺業務で鍛えられたオレの動体視力は――

 

 彼女が陰毛をハート型に整えていること。

 その奥のラビアにリングのピアスがふえたこと。

 そこに銀の細いクサリが靴ヒモのように(はし)っていること。

 お尻とオッパイが、またすこし豊かになり、腰がさらに細くなったこと。

 

 ……などを瞬時に診てとった。

 

「――ひゃぁッ!ナニよコレ?冷たぁぁい!」

 

 幸いなことに、闖入者は浴びていた冷水バリヤによって一瞬で撃退され、まるで魔法のように風呂場から消え去る。そして脱衣所から首だけ出して、

 

「もー!なんなのォ!?」

 

 ふくれ顔する彼女に向かい、こっちはマエを隠しつつ、

 

「イイからはやくシメなさい」

「……」

「どうした?はやく!」

「ご主人さまぁ……けっこうイイ身体してるのねぇ……」

「 は ! や ! く ! 」

 

 はぁい、と不承不承(シブシブ)彼女は扉をしめる。

 しばらくして洗面台でドライヤーを使う気配。いつまでも動こうとしないので、仕方なく風呂場を出ると身体をザッと拭き、腰にバスタオルを巻き付けたスタイルで脱衣所を出る。

 

「今日はもう終わりなんですかぁ?」

 

 ドライヤーをあてる『美月』が、カガミ越しにオレの身体をジッと見つめていた。

 

「いや――また出勤する。仕事だ、遅くなるぞ」

 

 うしろを素早く通ろうとしたが、腰に巻いたバスタオルを、マニキュアを塗ったしなやかな指にガッシと捕まれた。

 

「……おいコラ」

「なんだ、ツマぁんなぁい。今晩はハヤく帰れそうだったのにィ」

「仕方ないだろ――ほら、はやく手を放しなさい」

「えへへ」

 

 こいつめ。

 小悪魔的な笑みを浮かべる『美月』に向かい、ふと気がついて、

 

「そうだ、例の件。小男――じゃない、オーナーに伝えてくれたか?」

「それが……」

 

 『美月』はドライヤーの手を止めてふりむき、

 

店主(ヂエンチュ)。しばらく出張で、お店を留守にしてるって……」

「いつごろ戻るって?」

「フロ・マネにも聞いたけど、分かんないって」

 

 ――まぁ、それならいい。

 

 腕組をし、暮れなずむ洗面台の窓を見つめ考えた。

 どうせ情報屋からの確かなネタが無ければ、迂闊なことは言えないのだ。

 あの結城というオヤジ。たしかに一筋縄ではいかないような、ヤバい気配がしていた。

 正体不明な相手にヘタな動きをすれば――

 

 と、ここでわき腹のくすぐったさに下を向く。

 『美月』が執念深くバスタオルを掴んだまま、反対側の手でオレの銃創をフニフニと人差し指でつついて。

 

「スゴい傷……もう痛くないのぉ?」

 

 ――フン……。

 

「痛くても、男は『痛い』なんて言ってはならんのだよ。分かったか!」

 

 聞いちゃいない風で、彼女はさらに、

 

「筋肉かたぁい♪おなかもポッコリしてな~い」(ナデナデ)

「こら。ダレと比べてるんだ?ダレと」

「チップいっぱいくれるお店のお得意サマ。それに黒服のみんなと」

「……なんだと?」

「ケッコーみんな若いのに、ポッコリしてるンだよォ?やっぱご主人さまの方がカッコいー」

 

 ――これは自宅でも、あまりだらしない格好はできんなぁ……。

 

 腰に巻いたバスタオルを彼女に奪われまいと必死に抑えながら、オレはこころ密かにため息をついた。

 家にいるときでも“キリッ”として、チャラい黒服よりも一般人であるこっちの方がカッコ良いと思わせるようにしないと……。

 

「ほらほら。着がえさせてくれ?」

 

 と、ここでがバスタオルをつかむ『美月』の手をペシッ、と軽くはたいて解放されると、余計なチョッカイが入らないうちに大急ぎで着替えをする。

 

 ――やっぱり、この寮の部屋……。

 

 一応、2LDKはあるのだがJKとふたりで住むには、いささかセマすぎる。

 何ていうの?性的な“ソーシャル・ディスタンス”が保てないというか、何と言うか。

 

 ――これは早いところ彼女を家に戻さないと……。

 

「ねぇ~ん、ご主人さまトラックでしょぉ?」

 

 服を着替え、冷蔵庫を漁っていると、寝室のほうから声がかかった。

 いまでは洗面台と同じく、ほとんど彼女に占領されてしまった場所だ。

 

ウサギ(お店)まで乗っけてってよぉ~」

「だめだ。ちゃんと電車を使いなさい」

「え~。最近ストーカーみたいなのが通り道に居てコワいんですケド」

 

 ――ストーカーだって?

 

 台所でノン・アルコールのビールを飲みつつコネクターの調子を確認していたオレは、思わず眉をひそめる。

 たしかに彼女は目立つ存在だが、街の雑踏にまぎれてしまえば、それほどでもないだろうに。

 それとも『美月』のヤツ。まさか出勤時に人ごみの中でもクソ目立つ、ハデに水っぽいカッコをしてるんじゃないだろうな……。

 

 ひょぃと寝室をのぞきこんだ時、まさにひと昔前の orz になった。

 

 シーム入りのガーター・ストッキング。

 PVCの光沢を持つ、ビザールな黒いミニスカート。

 ビスチェだかウェスト・ニッパーだか分からない、ショルダー()なしの同色なアッパー。

 大きな引手の付いた首輪めくチョーカーと、ヘッド・ドレス。

 ご丁寧に両手首には、シュシュの代わりに黒革の細い手枷を巻いている。

 

 コレじゃ尻の軽い“歩くオナホール”だと()られても仕方ないじゃないか。

 シャギーの入った艶やかな黒髪のウィッグが、その印象にいやましなブーストをかけて……。

 だいたい『ビスチェ・SM』と画像でググって下されば、どんな格好か皆様にも御想像いただけるというものだ。

 

 orz状態から立ち上がった自分は、

 

「おまぇなぁ……そんなカッコをしておいて、ストーカーもナニもあったもんじゃないぞ?」

「だってぇ。カメラやらナンやら持った人たちが、あとつけてくるんだよォ?」

「そりゃ……そんなカッコしてりゃぁなァ」

「それに、お店のおねぇさんたちは、みんな似たり寄ったりな服着て来てるモン」

「どうせ彼氏に車で送られてるんだろ?」

「……そういうお姉サンも居るけど」

 

 (ウサギ)の空気に染まり始めてる、とオレは舌打ちする。

 そうやって、だんだんと羞恥心や貞操観念を下げて『夜の女』になってしまうのだろう

 

 フロア・マネージャーにはコイツのことを頼んでおいたはずだが、やはり末端にまで目が届かないのかもしれない。

 先だっても、この娘は私服をだれかに隠されて、バニー姿で帰ってきたことがあったじゃないか。

 それだけじゃない。この前。店の通用口を張る用心棒代わりの黒服が、携帯など弄んでダラけている光景。

 

 ――小男のヤツめ……。

 

 前にも思ったが、すこしワキが甘くなっている。

 先のチンピラ集団ならいざ知らず、本職による組織だった急襲を受けたらヒトたまりもないだろう。

 否、この前だって、ただ運が良かっただけだ。本当ならば“紅いウサギ”は館モノにつきものな炎上による最後を遂げている。

 

 『美月』が、クスリで豊胸された胸には小さすぎるビスチェのカップをゆすりながら部屋を出てきた。

 カップの脇から色白な乳肉がムッチリをハミ出て、おまけに絞り過ぎたウェストが、肥大化した尻をかえって際立たせて見せている。

 それを隠すには本当にきわどいミニスカートの丈が、PVCが放つ光沢のテカりを魅せて、かえって注目度を高めて。

 

「さ、着替えなさい」

「いや……」

「は!や!く!」

 

 プクっ、とふくれ顔をして『美月』はソッポを向いた。

 彼女の横顔からは、珍しくもオレに対してはめったにみせない依怙地な色がのぞいている。

 

 ――ははん……。

 

 そこでピンときた。

 これは何か、賭けのようなものに乗らされているんじゃないか?

 たとえば『この服を着て店に来れたら、根性を認めてやる』的な……。

 そうだとしたら、賭けを持ちかけた店の人間と“ストーカー”がグルになってないかすら、アヤしいものだった。

 とにかく“紅いウサギ(あの店)”は表に裏に、ワナが、仕掛けが多すぎる。

 

 しかたないなァとオレは肩を落とし、

 

「……トラックに乗せるのはムリだが、一緒に店までついて行ってやるよ」

「ほんと!?」

 

 『美月』の顔が、パァァァ……と輝かんばかりに。

 

 ヤレヤレ、これから“紅いウサギ(あの店)”に行って『美月』を送り届け、また寮にもどってトラックを引き取り張り込みをしつつ、あわよくば“流しの獲物(ターゲット)”を轢殺するのか……。

 

 ――メンドくせ……ま、そんなに巧くいけばのハナシだがね。

 

「うれしい!ご主人さまと、ひさびさの同伴出勤ね♪」

 

 あっけらかんとした『美月』の顔。

 それを見おろしながら、オレはどこかで違和感を感じている。

 

 彼女がちょっと足りない、ザンネンな性格に思えるのは……。

 

 天性のものか。

 それともクスリと洗脳に依るものか。

 あるいは――何か目的があっての“装い”か。

 

 しかし“夜の蝶”としての片鱗を見せ始めた彼女の(かお)は、もはや容易にその真意を見せようとはしない。

 ただ、どこか演技くさい媚びと、恭順。それに信頼を焦点のボケた微笑につつみ、純真な面持ちでこちらを見上げているのだった……。(CV:天地茂)

 

 * * *

 

 もうずいぶんむかしの事らしい。

 

 当時は、腕を組ませて歩く愛人のことを“ステッキ・ガール”と呼んだとか。

 くだんの光景がどれほど目立ったか、文献には書かれていないが、すくなくとも21世紀の現代、夕方の雑踏でも、腕を組んだオレと『美月』はよく目立った。

 

 はじめて会った日も相当なものだったが、なにせ今日は彼女のファッションがファッションだ。周囲からの注目をあびてガラにもなく緊張しているのか、ときおり足がふらつくので、いきおいオレの腕によりかかることになる。

 

 ――まぁ、ふら付くのも道理だよ……。

 

 ミニスカートから延びる脚。

 その形の良い美脚は、ヒザ上丈の編み上げな黒いロング・ブーツに包まれている。

 しかし脚にピッチリとしたその革製ブーツのヒールが、おそろしいほど高いのだ。

 つま先立ちの脚が辛いのか、ときおり「ビュクビュクッ!」と身体をふるわせて。

 

 そんなオレたちが、ターミナル駅の中央コンコースをゆっくりと行けば、

 

(――やだ、みてみて!ナニあれ)

(――うぇwwwヤクザの若頭が、愛人でも連れてンじゃね?)

(――カワイイ娘ォ。スタイル抜群じゃん。いくつぐらいなんだろ?)

(――ハタチはイってるッしょ?あのムチムチな具合は。でも腰ほっそ!)

(――いやぁん、パンツ見えそうじゃん。それにしても高っかいヒールねェ)

(――でもカオちょっと幼くない?ひょっとしてまだティーンかもしれないよ?)

(――相手のオヤジ、ありゃ相当なサドだな。愛人に首輪みたいなチョーカーつけて)

 

 まるでいつかの日の再来だ。

 それに肢体を改変ずみなので、それこそモデルのように周囲から浮いている。

 

 一方、オレの方はといえば。

 ストーカーに、この娘が“ヤクザの情婦”であることを誤解させるよう、クリーム地のスーツと下品な黒いシャツ。

 サングラスにソフト帽という、きわめて前時代的な恰好。ひと昔前のTVドラマの主人公にでもありそうな出で立ちだ。

 

 電車の中でも、街中の通りでもチラチラ、ヒソヒソと。

 おまけにコネクターの雑音消去機能のせいで、コンコースの雑踏でも周囲の会話が良く聞こえる。

 

 ハデな子だ。ビッチだ。ダッチワイフだ。愛人だ。整形だ。お尻だ。オッパイだ。

 ヤクザだ。幹部だ。怖っかなそうだ。シャブ漬けで調教だ。変態趣味なオヤジ(怒!)だ。

 

『ひとつとしてロクな感想がありませんねぇ、マイケルwww』

 

 【SAI】のちょっかいが、面白そうに耳につたわって来た。

 

「やかましい。黙っとけ」

「――ナニよう、ご主人さまァ。ワタシ黙ってるじゃないの」

「ちがう。おまえに言ったんじゃないよ」

 

 オレはあわてて取りつくろう。

 

「そう……ならよかった……あァん♪」

「どうした。さっきから息荒くして。歩きづらいのか?そんなブーツなんて履くからだ」

「ちがうの……そうじゃないの……ひん♪」

 

 よくみれば顔も紅潮している。

 こちらを見あげる目が、何となく潤んで。

 

「で?この辺かぁ?その、ストーカーとやらが居るのは?」

「そう。小さなカメラ持ってて、気が付けばチラチラしてるの」

『それでしたら、3分23秒前よりそれらしい人間が後を追けてきます』

 

 サングラスの左・内側に、コネクターからの投影画像が転写される。

 背後の風景なので、進行方向と逆なこともあり感覚が狂い、歩きづらい。

 

「……どこだよ、分からん」

 

 そう言ったとたん、サングラスの内側の映像に、まるで戦闘機のHUD(照準器)めいて背後の人ごみの中で1人、顔の周囲に丸がついた。

 

「ズーム」

「えっ……なぁに」

 

 男の姿が大きくなる。

 スポーツ用のフリース帽。それにサングラスとコロナ用マスク。

 なんの変哲もない薄手のジャンパーと、ジーンズ。

 

「あぁ……ヤツか」

「えぇっ、どこどこ!?」

 

 そういいながら『美月』が周りをキョロキョロと見回す。

 からめられたオレの腕に、ぐっと力が入るのが分かった。

 ストーカーが、ジャンパーからカメラをとりだすのが見える。

 非常に目立つ一眼レフなどではない。小さくて高倍率の、隠し撮りに向いた機種だった。

 

『マイケル、わたし気づいたことがあるんですが……』

 

「あの……マイケルさん?」

 

 【SAI】の声は、いかにも疑わしそうな女性の声にかき消された。

 顔を向けると、ベージュ系の服でまとめた上品な装いの若い婦人が、ちょっと(けわ)しい顔をして佇んでいる。

 オレは思わずビクッ!と体を硬直させた。

 

 ――げぇっ!関羽……じゃない詩愛!

 



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第33話:女の戰い(1)(自粛版)

 ――うわ……。

 

 ピン・ストライプなパンツ・スーツにショルダーバッグ姿の詩愛。

 端正な顔立ちの奥から、冷ややかで険を含んだ視線が放射されている。

 ひくいヒールのパンプスが、カッ!と鳴らされ、彼女がグィと身を寄せた。

 腕にしがみついていた『美月』が、ヒッ!と言うようにオレの影に身を縮めて。

 

「やっ、やはッ。詩愛サン――コレハ奇遇ですねヱ」

「どうしましたの?声がウラがえってますわよ」

 

 いくぶん事務的な声で、つけつけと彼女は言い放つ。

 見慣れぬ冷ややかな目が、疚しさ全開なオレの心にグサグサと突き刺さって。

 それを“女のカン”で察知するのか。彼女はさらに雰囲気を数度下げ、おまけに皮肉な微笑を浮かべ、

 

「……それに、ずいぶんカワイイお嬢さんを。お連れになられてますコト」

「いや、これはだな。そのぅ、ナンだ。この子をバイト先まで送ってゆくトコだったんだよ」

 

 夕方のラッシュで、通勤客が二三、立ち止まるオレたちに突き当たっていった。

 広いコンコースの中央で立ち止まっていては邪魔なので、オレたちは端まで歩いてゆく。

 どことなく固い、そして怒りのオーラめく気配をみせる、男性的なスーツの背中に向かい、

 

「んで、キミは?――仕事の帰りかい?」

 

 すぐに返事はなかった。

 ややあってから、いくぶん暗く澱んだ声で、

 

「それもありますけど……(かよ)っているお医者さまの帰りですわ」

「医者?どこか悪いのか」

 

 鷺ノ内医院は内科だ。問題があるとすれば、それ以外と言うことになる。

 三人はコンコースをゆく人の流れからはずれた、ちょっと静かな物陰にはいった。

 声がだいぶ聞き取りやすくなり、同時に詩愛の珍しく強ばった表情(かお)にも気づくようになる。

 

「精神科のクリニックですわ。おクスリを――抗不安薬をいただきに」

「精神安定剤?なんでまた」

 

 ふぅっ、と彼女は物憂げに小さく息をついて、

 

「わたしの気にかけている殿方が、そんなハレンチな恰好をした女の子と歩いているのを見たときに必要なんですのよ」

「またまたぁ。そんな身もフタモない。この娘はタダ――」

 

 そう言ったとき、姉に顔を見られないよう、うつ向いて左腕にからまる『美月』の手がギューッと閉まる。そして、ビスチェをまとう自分の胸が変形するほどオレの腕を押しつけた。

 チロリと目ざとくそれを見つけた詩愛は、さらに絶対零度めく冷たい視線で、

 

「マイケルさん。どうやら少女趣味(ロリコン)の趣味も御有りのようですね」

「オレは!その。この子を、ただバイト先に送り届けてあげようとしただけだよ」

「そぅ?じゃぁ、参りましょうか――わたしもご一緒しますわ」

 

 どことなくお局サマを思わせる挑発的な口調で、彼女は冷ややかに(こた)えた。

 

「で、どこにありますの?そのお店」

「うん……遠いぜ?歩いて20分ほどかかるかな」

「かまいませんわ?」

 

 うぅ。

 多めにサバをよんだ時間を伝えたにもかかわらず、彼女が引き返す気配は無い。

 

 ――仕方ない……か。

 

 まさに薄氷をふむ思いのまま、ひやひやとオレは歩き出す。

 このデーハーな、アタマのユルそうな恰好をした少女が自分の妹だと知ったら、彼女はどんな顔をするだろうか。

 怒り狂う?はたまた呆れたような、脱力した視線で『美月』を嬲るだろうか。はたまた……。

 

 時間的には夕暮れだが、頭上には明るさが十分にのこる季節だった。

 そんな空のもと。だんだんと賑やかさの勢いを増す繁華街のなかを、オレたち三人連れは、どこか心がバラバラな感じで歩いてゆく。

 かかる“珍道中”ともいえる道行き。

 そこでどうしたことか詩愛は、オレのうでにからみつく“過激なファッションをした少女”をネチネチといたぶり始めていた。

 

「まぁ、でもアナタ。街中を、そんな露出の多いアッパーで。恥ずかしくないの?」

「……」

「おまけにこの人混みを、風が吹いたらおシリが見えちゃうようなスカートで」

「……」

「そんなことじゃ、HENTAIさんが寄ってきてしまいますよ?」

「……」

「それともHENTAIさんに自分のカッコウを見て欲しいのかしら?」

「……」

 

 しんねりとした彼女の口調に眉をひそめつつ、そういや、例のストーカーはどうしたとコネクターの投影画像を見れば、頭に丸くマーカーを付けられた男が背後からつかず離れず、何気ないフリをよそおってキッチリついてくる。

 

 詩愛がいなければ、追いかけて素性をあきらかにしてやるのだが、姉妹を二人きりにした結果、オレの腕に絡みついていたのが妹のなれの果てだと彼女にバレるわけにもいかない。

 彼女は『美月』が履くヒザうえ丈の、ピッチリとした黒革ブーツに目をやり、

 

「ずいぶんヒールの高いブーツねぇ……12cmはあるのじゃなくて?」

「……」

「まさか。このシュミの悪い高価(たか)そうなブーツ、マイケルさんが買ってあげたの?」

「いやぁ。そんなことはしないよ」

「そ。良かった。でも、露出満点のミニやウェスト・ニッパーは、百歩ゆずってイイとして……」

 

 詩愛は、さらに彼女のファッションを下から上へと()めつけて、

 

「その首輪のようなチョーカーは、いただけないわねぇ。連れているマイケルさんまで品格を疑われてしまいますよ?ねぇ貴女」

「……」

「たしかに、こんな淫らな格好じゃぁエスコートが必要ですわねぇ。もう少し考えないと」

「……」

「ま、貴女みたいな“あたまパー”な人には、たしかにお似合いですけど」

「……」

 

 恥ずかしさのせいか、絡めてくる腕に力がこめられ、熱くなった彼女の体温を伝えて。

 

「あのなぁ……」

 

 いい加減イラッとした。

 ついにオレは足をとめ、往来であることを忘れて思わず声をあらげ、

 

「さっきから何だね?この子にイヤがらせばかりして!」

「いやがらせですって!?」

「そうだろうが!きょうの君には、いったいどんなモノが取りついているんだ!?」

 

 通りすがりの夜の蝶たちが一瞬驚いたような顔をして。

 やがてクスクスと視線を交わし、忍び笑いをしてすれ違っていった。

 たぶん痴話ゲンカか、三角関係のもつれとでも思われたんだろう。

 

「どうしたんだ一体!――君らしくもない」

 

 言われた詩愛は一瞬、ムッとソッポを向いていたが、次いでホロホロと涙を流しはじめた。

 やがて、ようやく押し出すような声で、

 

「……ごめんなさい。つい、カッとなって」

 

 思わぬ相手の反転攻勢。

 またも“女の涙”という業物を見せつけられたオレは気勢をそがれ、一転オロオロしてしまう。

 

「おいおい、泣くほどのことか?」

 

 だんだん周囲の視線が気になりだしたコッチとしては、声もなく目頭をおさえる彼女を何とかなだめすかし、お引取り願いたいところだった。

 

「悪かったよ、怒鳴ったりして。でもホントにどうしたのさ」

「……具合が……すこし、悪かったものだから。つい」

「ぐあいだって?大丈夫なのかね。もう家にもどった方が良かないか?」

「そうね……」

 

 彼女はレースのハンカチで目をぬぐった後、鼻声のまま、今度はみょうに明るい表情で、

 

「ねぇ。この娘をお店に送り届けたら――お食事に行きませんこと」

「えぇっ?」

「どこかのホテルのレストランにでも。僭越ながら、お代はわたしが」

 

 このあとは寮にトラックを取りに行き、轢殺稼業を再開しなきゃならない。当然、飲むなどはもってのほかだ。

 それに、このジェットコースターな態度の変わりよう。これは本当に情緒不安定なのかもしれない。

 どういうわけか、腕に(から)みつく『美月』の手がオレの皮膚をツネる。

 

 ――イテテテテ……。

 

「ね?宜しいじゃございません?」

 

 しいて声を励ますようにして、作ったような明るい面持ちで詩愛は、

 

「わたし、このところツラいの。家じゃ父の機嫌がいつだって悪いし、母は(しお)れているし。そのせいかわたしも……このまえ、数人がかりで乱暴された時のことが……フラッシュ・バックって言うんですってね?」

「あぁ。それで精神安定剤を……」

 

 それだけではありませんわ?と彼女は歩きながら、オレとオレの陰に隠れるようにして俯き足をはこぶ『美月』をチラリ、一瞥(いちべつ)し、

 

「気にかかる殿方は、わたしのことをチッとも見て下さらないし!デキの悪い妹は!」

 

 カッ!と再びパンプスを踏み鳴らし、彼女は美しい顔つきを険しくすると、

 

「お(ウチ)を出てお友達のとこに行ったまま、連絡すら寄越さないし!」

 

  ――イテテテテ……。

 

「それに――この前、高校の担任の先生がいらっしゃいまして……」

「え、『美月(アイツ)』は女子高を退学の手続きしたんじゃ?」

「それはどうやら父の見せかけだけだったようですわ。このままでは出席日数もあぶなく、進級もおぼつかないって……」

 

 オレは絡みつく『美月』の腕を、反撃とばかり密かに右手で(オラオラ)と突いた。

 ナニをやってるんだコイツは。“少女老いやすく、学成り難し”なんだゾ?

 

「やっぱり父親だ。娘のことを、気にかけているんだね」

「……どうですか。体面の方が大きいと思いますけど」

 

 やがてオレたち3人は、【Le lapin Rouge(赤いうさぎ)】と小さく看板が出る店の正面へとやってきた。

 

 明るいうちにみると、やはり建物の大きさが目に留まる。

 六道ビルヂングと同じく昭和初期の意匠をのこす建物は、もとは糸へん景気・金へん景気で潤っていたどこかの会社の建屋だったらしい。建屋が古いので耐震の問題があるところを役所の担当部署にワイロをわたしてやり過ごし、内部を豪華に改修したと、小男からは聞いていた。

 

「ここが……」

 

 詩愛は店の威容に呆気にとられたようだった。

 

「マイケルさんも行きつけの店ですの?」

 

 まさか、とオレは苦笑して、

 

「こんなところに通ったんじゃ、たちまち破産さ」

 

 

 入り口には、早くも耳にインカムをつけた黒服が2名、お客を待ち受けていた。

 そのうちの年配者に、見覚えがある。

 通りしな、オレはちょっと足を停め、サングラスを外してその男に目くばせをした。

 相手も気づいたらしい。

 おぉ!と相好をくずし、手元のタブレットを掲げてみせ、

 

入店(はい)っていきやすかね?店主から、ダンナは『VIP扱い』にしろと言われてるモンで」

「やっこさん、まだ居ないんだろ?出張とか」

「来週には、もどってくると思うんですがネェ……ありゃ?」

 

 年かさの黒服はオレの脇にしがみつく『美月』をのぞきこみ、

 

「なぁんだ。妙な子をダンナは連れていると思ったら、ミッキーじゃねぇか」

「歌のレッスンがあるらしくてね。今日はエスコートしにきたんだ」

「あぁ。マダム・ヴァランのレッスンか。裏口から入ってくだせぇ。いまナシつけときマ」

 

 そういうと、この年かさは耳もとのカムに何ごとか略語めいたものを伝える。

 

「あら――この子、生意気に歌のレッスンなんか受けているんですの?」

 

 ソッポを向く『美月』の後頭部を、詩愛はシゲシゲと見つめる。

 黒服に挨拶してわかれ、正門を通り過ぎて、いつかの裏口へとたどりついた。

 コネクターの映像の中でストーカーが、オレたちの後ろを何気ないフリで通り過ぎてゆく。クソが。

 入り口を張っていた黒服たちは、表からの連絡を受けたのだろう。オレたちの姿をみると、前栽の鉄柵をガラガラとあけた。

 中のリーダーらしき1人が耳のカムに手をやって、

 

「3名さま――ご到着ゥ!」

「いや、我々は……」

「あら、いいじゃありませんか」

 

 詩愛は“ニンマリ”と擬音がみえるくらいの、邪悪とも思える笑みをもらし、

 

「わたしも美香チャンの歌を、聞いてみたいですわ……」

 

 

 * * *

 

 

「ちぇっ、ヒトが悪ぃナァ。ハナから分かっていたのか」

 

 店の楽屋裏である廊下を、サブ・フロアマネージャーだという中年男に案内されつつ、オレはぶつくさと文句を言った。

 

「余計な神経使うんじゃなかったぜ」

「……お姉ぇちゃんヒドい」

 

 なにがヒドいもんですか!と柳眉を逆立て詩愛がキレた。

 

「美香チャン!?そんな。色キチガイみたいなカッコして!」

 

 腕組みをして歩きながら、姉は妹のファッションを横目にして冷たい眼差しでみつめる。

 

「恥ずかしいと思わないの?まったく困った娘!」

「だって!仕方なかったンだモン!!」

 

 意外にも『美月』逆切れで応酬する。

 この彼女の大声で、こちらに気づいたのか、

 

「あっ!ミッキーだ♪」

「やだ、ホントに着てきてるの?」

 

 廊下の奥から、バニーガール姿の2人連れがやってきた。

 

 あいかわらず“紅いウサギ(この店)”は女性のツブ揃えがすごい。

 2人とも顔はもちろんのこと、ボディ・スタイルも、そんじょそこらのグラビアモデルなど比べものにならないワガママ・スリーサイズだ。

 もっとも――メスやクスリで、矯正されているのかもしれないが。

 

 ヒョウ柄のバニーコートをまとった片方が、携帯で『美月』のキワどい服装を撮ってから、

 

「いわれたとおり、ちゃんと着てきたのね。エラいエラい」

「どぅれ?下のほうはどうかな?」

 

 いきなり『美月』のミニ・スカートが有無を言わさずめくられる。

 すると“いつでも挿入OK”なきわどいショーツが丸見えに。

 サブ・マネージャーが苦笑いをしながら、

 

「おいおい。大事なお客サマのまえで、ナニしてくれてンだ」

「あら――ワタシたち、彼女を試したのよ?ちゃぁんと“ウサギの女”になれるかどうか」

 

 日焼け肌に髪を茶髪にした姉御肌と見えるヒョウ柄のバニーがあとを引きとって、

 

「良いトコ出のお嬢チャンらしかったから心配だったけど、どうやら大丈夫のようね?いいわ。大部屋のみんなにも言っといたげる。この娘は、()()()()()()()()()()()()()って」

 

 やはり、とオレはうめいた。

 『美月』は第三者に言われて、この格好をしてたのだ。

 

「おやめなさい!」

 

 目前でくりひろげられる醜態に、とうとう詩愛が割ってはいる。

 

「なにをなさるんです!破廉恥(ハレンチ)な!」

「サブぅ、このヒトだれ?」

 

 詩愛を一瞥(いちべつ)したヒョウ柄が、ウザそうな顔つきでサブ・フロアマネージャーに振りむいた。

 中年男は慌てず騒がず、落ち着いた口ぶりで、

 

「ダレって……お店の見学のお方だよ」

「ふぅん。じゃぁウチらの部下になるわけかァ」

 

 えぇっ?と詩愛の驚いた顔。

 そんな面差しを、スタイル抜群のバニーたちは“()めつ(すが)めつ”な調子で値踏みをしながら、

 

「お(めん)もイイし、スタイルも文句なし。おまけに毛並みも()さそうだ――アンタなら、イイ線イクかも」

「でも、先輩、後輩のけじめは付けなきゃネ」

 

 格上らしい黒バニーが腕組みをして詩愛をニラみつける。

 バニー・コートで縛められた、彼女に負けず劣らずな巨乳の下で腕組みをして、

 

「さもなきゃ、ココじゃ()ってけないよ!」

 

 2人の、3人の間で火花が(はし)った。

 

 毛色のまったく異なった美女3人。

 (かた)みに相手を容赦なく睨みすえて。

 しかし、ややあって詩愛は悠揚(ゆうよう)迫らず一歩を踏み出すと、

 

「申し遅れました。わたくし、この子の姉である鷺ノ内・詩愛と申します」

 

 バニーたちの間でアッ、という気配が伝わる。

 それは彼女たちにとって、思わぬ不意打ちであったに違いない。

 一転、気まずそうに顔を見合わせるが、ヒョウ柄のほうがボリボリと茶髪をかきながら照れ嗤いをうかべ、

 

「んだョ、そうだったンか。ワリーワリー。そりゃ実の姉サンだったら、怒るわなぁ」

 

 そういうや、『美月』の方に歩み寄ると首に肩をまわし、

 

「ナンでもないんだ。実はコイツとオレは、同じ組の仲間なんだぜ?」

「ゴメンなさい。勘違いしてほしくはないんだけど、別にイジメじゃないのよ?ただ先輩として、このお店で働く覚悟が知りたかっただけなの」

 

 黒バニーも、あわてて場を取りつくろうようにそう言って、こわばった笑みを浮かべる。

 ヒョウ柄は大きな尻をふりたててサブ・マネージャーの方を向き、

 

「しっかしウチの店もガメついよねぇ~。姉妹をワンセットで売りだそうって魂胆かぁ」

「売り出すですって?いったいなにを……」

 

 詩愛の驚きにも気づかず、次いでヒョウ柄は、そういう彼女のまわりを、まるで品定めするようにゆっくりと周り、

 

「ミッキーの姉さんなら、そりゃ美人なワケだよ……見れば見るほど男好きのする肉づき。申し分のないお面。このペア、売れるぜ?」

「あなた――男との経験は」

 

 いきなり黒バニーにズバリと言われ、詩愛は目を白黒させる。

 

「なっ、いきなりなにを!それは……その」

「だよ、なぁ?」

 

 ヒョウ柄が、なぜか嬉しそうに足ぶみ。

 ラメの入ったタイツが脚の表面にキラキラと光沢を(はし)らせる。

 

「こんな美人、男どもが放っとくワケねぇモンなぁ。よぉサブ、このヒトも歌ァ仕込むの?」

 

 サブとよばれた中年男もニンマリと笑みをうかべ、

 

「今後の話しだいだねぇ。接待のテクニックはもちろん、コトによったら性技も“特別指導”で覚えてもらわないと……」

「正義、ですか……?」

「そ。フェラとかパイずりとか……アンタもオッパイ大きいもんねぇ」

 

 ヒョウ柄に言われてようやく意味の分かった詩愛は(まぁ何てこと!)とでも言うように顔を赤くする。

 

「おほォっ♪そのウブっぽいとことか!ヒヒじじぃ共にも大モテだぜェ?きっと」

 

 このまま2匹のウサギに言いたい放題いわせていたら、いいかげん詩愛も怒髪天をつく勢いになっただろう。しかし、このとき『美月』の携帯が鳴りだし、一団をしずめる。

 

「あ……いッけなぁい。マダム・ヴァランからだ」

「えぇっ?あのSMババぁ、ナンだって?」

「きょう、歌のレッスンの予約をしているんです。もう時間過ぎちゃってるゥ」

 

 それを早く言いなさいよ!と黒バニーがあわてだした。

 ヒョウ柄バニーも血相をかえて『美月』をうながして、

 

「さ!ハヤく――行った行ったァ!」

 

 オレたちは追われるようにバニーたちから別れ、廊下の奥へといそぐ。

 

 やがて廊下に独特の匂いが漂い始めた。

 音楽室やスタジオでよく嗅ぐ防音材の匂いだ。

 両側にならぶ重そうな扉のうち、一つに[Mme.Ninon Vallin]と札のある取っ手を『美月』は引き開けた。

 

「遅れました!」

 

 部屋の中に飛び込んでゆく彼女に続いて、オレや詩愛。それにサブ・マネージャーまでゾロゾロと入ってゆく。

 

Tu es en retard(遅刻ですよ)!!Mademoiselle(お嬢さん)!!」

 

 ムチを手に、乗馬用の正装をした美貌の中年婦人が、女性の伴奏者が座るグランドピアノわきで仁王立ちになり、入室してきた『美月』を、そしてオレたち一行を、何とも評しがたい目つきで眺めわたした。

 

 * * *

 




自粛!自粛ゥ~~~!!!111
「小説家になろう」みたいに、いきなり削除食らうのは、もうゴメンです。

しかし、黒バニーとヒョウ柄バニーなんて登場予定には無かったんですが。
もうキャラが勝手に登場、暴れだして収集がつきません……。


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    〃   (2)自粛板

voila(ほら)Étirez votre dos davantage(背筋を伸ばして)!!」

 

 

 マダム・ヴァランのレッスンは容赦なかった。

 レッスンルームの隅にある衝立(ついたて)で、『美月』は白タイツとピンクのレオタード姿にさせられると、尻をピシピシ叩かれながら、腹式呼吸の訓練、発声法などを叩き込まれる。

 

Le pas est hors de portée(音程がハズれてます)Mademoiselle(お嬢さん)!」

 

 通訳の人間が遅れているらしく、この中年の婦人はヒュン!と空気を鳴らしてムチを打ち振り、足を踏みならして怒鳴るのだが、『美月』には言っているイミがわからない。

 

「あ~ん。ご主人さまァ?」

「もっと背筋をのばせと。あと音痴だとよ」

 

 クスクスと、不人情にも詩愛は笑いながら、

 

「これは良い場所だわ。この子には、ちょうどうってつけかも」

 

 ピシリ!

 また『美月』の背中にムチが命中した。

 そして、レオタード越しの豊胸された乳房に。肥大化させられた尻に。

 つぎつぎとムチが炸裂する。

 

「痛い!――痛い!……もうヤダ!やりたくない!」

「ナンデ!ウマク出来ナイPlus(もっと)!コウデス!」

 

 マダムは伴奏者に合図すると、発声の基本的なスタイルを演じてみせる。

 一通りおわったあと、サブマネが商品価値を見定めようというのか、急に詩愛のほうを向いて、

 

「どうです。貴女も――ひとつやってみては?」

「わたしが、ですか!?」

「そぉーだ!そぉーだ!お姉チャンも苦しめ!」

Qu'est-ce qui ne va pas(どうしましたか?)

 

 全員の目がコッチを向いた。

 オレは大学時代、必死に覚えた単語と文法を記憶の底からひっくり返す。

 そして詩愛のほうを指さして、

 

「あー、Cette fille(このムスメ)essayer(試ス)de la même (同じ)……manière(方法)

 

 パッ、とマダムの顔が輝いた。

 次いで詩愛を上から下まで用心深く、まるでしゃぶるように睨めまわしてから、

 

C'est bien(それは素晴らしい)Combien d'expérience votre chanson(歌の経験はどれくらい)?」

 

 エクスペリエンス(経験)とシャンソン(歌)という単語から判断したのだろう。

 詩愛は人差し指と親指で小さなすきまを作り、顔を赤らめて、

「……A little」

Bon(よろし)Ensuite(じゃぁ), viens ici(ここに来て).Et(そして) enlève ta veste(上着を脱いでちょうだい)!」

「えぇと……じゃぁ詩愛、あそこに行って……そして……うぅ」

『上着を脱げって言ってますよ、マイケル』

 

 なんだ。

 【SAI】のやつフランス語が分かるのか。

 そんならそうと、もっと早く言ってくれよモウ。

 

「詩愛さん、あと上着を脱いでくれって」

「……上着を?」

Tu es lent(おそい)!」

 

 この中年の女教師は詩愛に襲いかかると、まるで引き剥ぐように上着を脱がせてしまった。

 乱暴に扱われたため、フェミニンで艶やかなブラウス越しの巨乳がゆれる。

 ちゃっかりサブ・マネの目が光ったのをオレは見のがさなかった。

 やはり女衒(ぜげん)は女衒。油断はできない。

 

Alors(それでは),S'il vous plaît(どうか)

 

 詩愛は足をすこし開き、腕をゆるく垂らす。

 ほぅ。とマダム・ヴァランが感心する気配。

 伴奏者が鍵盤のうえに指を奔らせはじめた。

 

 “入り”のところで音程をミスったが、彼女は(うま)くリカバーし、発声を低音から高音まで伸びやかに繋いだ。

 

 女性の伴奏者はイタズラゴコロを出したのか。ピアノの鍵盤は、さらに高音部へと向かう。

 その音程どりは、シロウトにはすこし酷な調子だと、さすがのオレでもわかる。

 ほおを紅潮させる詩愛は、挑まれていることに気づいたようだった。

 相手と視線を斬り結び、一歩も引かない構え。

 

 だが、このふたりの音階的な対決を見ながら、不思議なことにマダム・ヴァランは不満そうな様子を隠そうとはしなかった。

 顔ではうなずき、微笑んではいるものの、目が笑っていない。

 行き場のないムチが音もなく振りまわされ、詩愛の母性的な胸を、パンティー・ラインのうかぶ整った尻を、そしてうすく汗ばんだ首筋を、まるで狙うかのように。

 

 正体の不明な苛立ち。

 目的の見えない憤懣(ふんまん)

 

 あたかも、期待していたごちそうを取り上げられたメス狗のように、ウロウロと……。

 ピアノがさらに挑戦的な旋律にうつろうとしたときだった。

 マダムはパン!と手を打ちたたき、伴奏をとめる。

 

Bon(よろし)!――Déjà assez(もうじゅうぶん)!」

 

 一喝するように声高に叫ぶ。

 そしてジロリ、と調子づいた伴奏者を。

 ニラまれた彼女は譜面代のかげに顔をかくして。

 

Donc(それで)Quand commencez-vous la leçonde cette fille(いつからこの方のレッスンに)!?」

 

 またも全員の顔がオレに。

 

(あ~【SAI】……?)

『いつから詩愛さんのレッスンに移るんだと聞いてますよ?』

 

 オレが【SAI】から言われたとおりを伝えると、どうしたことかブルブルと両手を握りしめた『美月』が大声で、

 

「もうイイ!アタシ頑張るから――お姉チャンなんかに!レッスンつけないで!!」

 

 【SAI】の翻訳をマダムに伝えた時、おそらくこの中年の女教師は何かを悟ったのだろう。どこか仄暗い、ドロリとよどんだ笑みを浮かべるや、静かにうなずいた。

 

 その時、遅刻していた通訳の女性があらわれ、途中で事故の渋滞に巻き込まれた言い訳をしながら全員に頭を下げる。

 つづいて、それまでレッスンルームを支配していた雰囲気にそぐわぬ明るい声で、

 

「いやぁ、まいっちゃいましたァ。高速の出口でトラックが自損事故おこしてて。運転席なんか、もうグチャグチャで……」

「言い訳なんぞは聞きたくない!」

 

 サブ・マネージャーは、まだ二十代ともみえるこの若い通訳の女性をジロリ、にらんで、

 

「……きみの時間管理が問題だったのだ」

 

 サブ・マネージャーは冷たく言いはなってからオレたちのほうを向き、

 

「さて。通訳も来たことですし、我々はそろそろ退出しましょうか。詩愛さん、でしたね?すこし店内を案内して差し上げましょう」

「お姉チャン!」

 

 背中から『美月』が叫んだ。

 

「ご主人さまと!ホテルのレストランなんかに行っちゃダメだからね!?」

「……あなたはレッスンを頑張りなさいな?」

 

 泰然自若。

 姉のほうは脱いだスーツの上着をフワリ、優雅に羽織ると、

 

「あなたがレッスン頑張ると約束するなら、ホテルの()()()()()()()()わ?」

「ホントだよ!?絶対だからね!」

 

 サラリと怖いセリフに気づかないのか、『美月』は必死な形相で叫んだ。

 

「Qu'est-ce que tu fais bruyant(何をさわいでいるの)?」

 

 すると通訳があらましを翻訳したらしい。

 女教師がオレを、まるで繁華街の夜明けのゲロでも見るような目つきで露骨に顔をしかめる。

 その口もとが、呟くようにわずかに動いた。

 

『クックックッ……』

 

 【SAI】の不気味な含み笑い。

 

(なんだ?なにがおかしいんだ) 

『この先生――マイケルを“穢らわしいクソ男”ですってyo』

 

 なんだ。

 印象はそう間違っていなかった。

 へーへー、汚くて悪うございました、っと。

 

 ピアノの伴奏が始まった。

 

 女教師の声が飛ぶ。つづいて通訳が、

 

「もっと腹式呼吸を意識して――顔から声を出さないで、もっと身体全体から出すように」

 

 それを背中で聞きながら、オレたちはレッスンルームを後にする。

 ふたたび廊下を歩きながら詩愛は

 

「ずいぶん広いお店ですのね。まるでデパートみたい」

「さようですな。当店は床面積で――」

 

 サブ・マネの説明を熱心に聞き入る彼女。

 それを見ながら、ひそかにオレは皮肉な嗤いをうかべざるを得ない。

 

 ――そうさ。ゆがんだ性欲のデパートだよ、ココは。

 

 店のキレイな面だけ見せて、見学者の歓心を買うつもりだろう。

 紅いウサギの、もう一つの面を知ったら、彼女はどんな顔をするだろうか。

 ポツポツとすれ違う、きわどいイヴニング・ドレスの女たちに詩愛は顔を赤らめつつも、こっそりとモノめずらしげな視線を向ける。

 

 やはり彼女も女の子だ。

 

 華やかに着飾った、男の歓心を買おうとする“夜の蝶”たちに向けるその視線には“行儀正しい無表情な嫌悪”に上塗りされてこそいるものの、ごくわずかに「羨望」と「嫉妬」が混じっているのをオレは見のがさなかった。

 そして、それは案内役の中年男も同じだったと見えて、

 

「いかがです?――ちょっと当店のレンタル・ドレスをお召しになってみては」

「そんな。結構ですわ?地味なわたしなど、とても似合いそうにありません」

「いえいえいえいえ!――ナニを仰いますことやら!」

 

 サブ・マネは大げさに驚いてみせたあと、

 

「白鳥のアナタが「醜い」などと言ったら、ほかの女たちがアヒルになってしまいますよ!」

「でも……」

「“玉磨かざれば光なし”!女は女として生まれるのではありません。女に“なる”のです!」

 

 ――こいつ……。

 

 いっちょうまえにシモーヌ・ボーヴォワールのもじりを。

 

「あぁ、貴女にすばらしいイブニング・ドレスを用意できますよ?ちょうどいいオートクチュール※の品をご用意できます。プレタ・ポルテ※2ではありませんよ?」

「まぁ……」

「装身具などもこちらで用意いたします。ジルコニアなどではなく、本物のダイヤを!」

「そんな……怖いですわ」

「まぁ()()()()()()()()()()()()()()()()()()に一度身をまかせて、ご覧なさい!きっと――()()()()()()()()()

 

 ――そして当然、彼女の肢体もな……。

 

 ガラスの檻に入れられ、調教される詩愛。

 その様を想像するだけで身の毛がよだつ。

 悪夢めく無音劇の中、変化してゆく容姿(すがたかたち)

 

 ――詩愛(この子)の“アヘ顔ダブル・ピース”は見たくないなぁ……。 

           

 その時。

 いきなりフラッシュ・バックが襲ってきた。

 

 蹂躙された自分の村でみた光景。

 尻から口まで串刺しにされた娘のサフィ。

 眼窩までオークの精液まみれにされたシーア。

 こころなしか、旧友に刺されたわき腹がシクシク痛む。

 

 フラつくところを危ういところで踏みとどまって、冷や汗が流れるほおをハンカチで拭けば、中年男が交渉のクロージングに入っているところだった。

 

「華麗に装った(みやび)やかなお姿を、プロの手で大判の写真に撮って差し上げますよ。さぞ素晴らしいでしょうナァ!」

「そうですわねェ……すこしだけなら……」

 

 頬に手をあてて首をかしげる詩愛。

 

 コイツ意外とチョロいな、とオレが制止に入ろうとしたときだった。

 わきの重厚な扉が細めに開いて、白衣を着た見覚えのある若い男がすり出てきた。

 と――その扉の奥から、

 

「……いやぁッ!やめてぇッッ!」

 

 女性の悲鳴が一瞬聞こえるが、すぐに扉は鎖されて、ギロチンのように声を切断する。

 詩愛がフッと真顔になる。

そして、オレと白衣の男と案内者とを、等分にみつめた。

 

「なに――なんですの……?」

 

 サブ・マネージャーは顔に怒気をうかべながら白衣の男に、

 

「なにをしているんですか!こんなところで」

「何とは?前処置ですが」

 

 白衣の若者は、いきなり怒鳴られムッとしたような気配で、

 

「そちらこそ“表”のフロア担当“風情”が、なんでこんなところに――」

 

 ここで白衣の若者はオレに気づいたようだった。

 中年男に逆ねじをくらさせようとした顔がギクリと動き、(……ヤバイ)といった表情に。

 

「処置?――処置って、なんですの?」

「いやぁ、ほら。そのぅ、ナンですな」

 

 サブ・マネージャーは、しどろもどろになりかかる。

 

 この時だった。

 

 廊下の奥から、ひとりの美しく装った踊り子がやってきた。

 詩愛の驚く顔――この箱入り娘にはムリなからぬことだったろう。

 およそ下着のたぐいを全く身につけない、全身を覆う薄物だけの艶姿(あで)

 例によって、ぷっくりと肥大化された“おしゃぶり奉仕”用と見えるくちびる。

 おそろしく肥大化した臀部は、性的手術のためか。あるいはトレーニングの成果か。

 オッパイは舞踊という職種上、ジャマにならぬよう豊胸手術は受けていないようだった。

 

 しかし、近づくにつれてあきらかな、薄物に包まれた妖艶な肢体をよく見てみれば……。

 

 黄金(きん)色をした髪留め。

 豊かな髪に編みこまれるアクセント。

 額飾り(ティアラ)。金糸のはいった面紗(ヴェール)

 豪奢なイヤリング。首輪。腕輪。指輪。足輪……。

 

 それらが残酷にも体中にほどこされたリング・ピアスを介し、銀色の細ぐさりで、ゆるやかにつながれている。

 なぜか一点、狭窄施術を受けたらしい細い腰にはコイン・ベルトの帯が巻かれ、そこにビーズ細工の小さなポシェットが。

 

 

 そして――さらによく(うかが)えば、彼女の身体は他にも様々な改変をうけているのが分かったが、15禁であるこの場所では、これ以上書くことに忍びない。

 

 この神秘的な踊り子は、全身に付けられた性的な装身具を鳴らしながら近づくや、それぞれバラバラな顔つきをしたオレたちを一瞥(いちべつ)すると、(みやび)やかな笑みをふくんで、

 

「おや皆さま――いかがなさいましたの?お(そろい)いで」

「そっ、そうだ!」

 

 サブ・マネージャーは急に生色を取りもどすと、扉の厚く閉じた部屋を指し示し、

 

「この部屋はですな――施術室になっておるんですよ」

「……施術室ですって?」

 

 いまだ不安な色の抜けない詩愛が、こわばった顔を向ける。

 

「そう。ご覧なさい!彼女の形のよい胸。そこに輝く飾り輪を!」

 

 中年男は踊り子にちかづくと、遠慮なく彼女の真白な乳房を持ち上げた。

 

「女性の求めに応じて、われわれは様々に女体を飾るためピアス等の施術して差し上げるのです」

 

 胸先につけられた鈴がチリチリと鳴り、持ち上げられた胸と細鎖でつながれた“下の鳴り棒”も、それにつられて涼やかに和した。

 踊り子は、この無礼な行為にも動ぜずニコニコと笑みを保って。

 サブ・フロアマネージャーは詩愛のほうに身を乗り出しながら、ゴリ押し風味に、

 

「ただし――直前になって怖じ気づく()もいるモノでして……ナニ、済んじまえばケロッ、としたものなんですが」

「そんな……痛くないんですか?そんなところに、その……」

 

 顔を赤らめながら、それでも踊り子の胸をガン見する詩愛に、彼女より年下と見えるこの舞姫は、まるで上級生のような余裕のある優しい笑みをうかべ、

 

「痛かったわよ?そりゃ」

「じゃぁ……なんで……」

 

 フフッ、と彼女はみじかく笑うとサブ・フロアマネージャーに、

 

「――こちらのお方は?」

「お店の見学者でございますよ、サロメ姫」

 

 まぁ!と踊り子は詩愛をしげしげと眺め、

 

貴女(あなた)のような方が!ねぇ……」

 

 そのまま一団の間で、やや久しい沈黙。

 美麗な相手に驚いたような目でもって、いつまでも見つめられる事に耐えられなくなったか詩愛は、

 

「サロメ、って。()()サロメですの?」

「えぇそう。よかったわぁ……学のあるお方で」

 

 そういってサブ・マネのほうを向いてニッコリわらうと、ふたたび詩愛を見つめ、自分の美乳を持ち上げて、

 

「なんでピアスを付けたか、ですって?」

「……えぇ」

「それはね?このオッパイを――あたらしくしたかったからよ」

 

 あたらしくする?と詩愛が怪訝そうな顔で食いついた。

 

「それは……一体どういうことです?」

 

 まるで痛みを予感させるように、自分の豊かな胸をフェミニンなブラウスごしにおさえる彼女に対し、踊り子は「そうねぇ……」と一呼吸おくと、だんだんと騒がしくなる廊下を見回し、ぷっくりとふくれた(おの)が深紅のくちびるを不満げにとがらせ、

 

「う~ん。ここじゃぁ、話す場所としてはふさわしくないわねぇ……」

「そ、それじゃロイヤル・サロンをお使いなさい!」

 

 中年男は「ヤレ助かった」とでも言うような顔をして、白衣の若者を邪険な手つきで追い払ったあと、先に立って一団の誘導をはじめる。

 

 案内された場所は、豪華な調度品がならぶ談話室だった。

 さすが“紅いウサギ”が「ロイヤル」と呼ぶだけのことはある。

 名にし負う陶器や有名な磁器、調度品。豪勢なソファーや照明。

 盗難を防ぐためもあるのだろう。ロイヤル・サロンには窓が無かった。

 三方を絵画や剥製などが飾る壁に囲まれている。しかし広さゆえに圧迫感はない。

 

 毛足の長い絨毯をふみしめて一団が部屋にはいると、室内楽曲が静かに流れはじめる。

 詩愛は、いままでの不安げな顔つきを一掃し、驚嘆と賛嘆の眼差しでこの広間を見まわして、

 

「すごい……」

「わたしの権限で使えるのは、このレベルまででしてな。ほんとうは、さらに数段上のサロンがあるのですが……」

 

 サブ・マネは自慢げにそういうと、四人掛けとなった大理石のテーブルにある椅子を引き、詩愛をいざなった。

 対面に踊り子を座らせ、次いでオレを空いた席に誘うと踊り子が、

 

「あの……殿方は、ご遠慮していただきたいんです。これは女の、そしてワタシだけの秘密でもあるので」

 

 すると詩愛は、どことなく不安げな面持ちで、

 

「そんな大事なことを、わたしなんかが聞いてしまって良いのかしら?」

「えぇ。むしろ、逆に聞いて頂きたいわ」

 

 踊り子は屈託のない、ニッコリとした笑みを浮かべた。

 女たちの意を汲んだオレたちは、室内楽のせいで声の届かない、すこし離れた場所に席を占める。

 オレはもちろん、彼女たちに背を向けた位置の椅子を選んだ。

 そしてサングラスをかけ、声ひくく、

 

(【SAI】……?)

『合点だ!船長!!』 

 

 ま~たアイツは。

 何かのシネマにカブれたな?

 作品は何だろう。グレゴリー・ペックの『白鯨』かな?

 

 サングラスの左玉に、背後の景色が移った。

 つぎに頃合いまでズームされ、彼女たちの横顔がよく見えるようになる。

 ごく普通の格好をしたウェイトレスによって、飲み物が運ばれてきた。

 

 女たちには紅茶。男のほうにはコーヒーを。

 空きっ腹にコーヒーが辛い。

 こんな時間になるまでメシが食えなくなるとは思わなかった。

 

 ウエイトレスが去ると、踊り子は胸先のピアスを指で弄びつつ鳴らしながら、

 

「それで……このピアスをわたしが、どうして付けたか、だったわね?」

 

 テレマン作曲の室内楽曲はコネクターによって除去されてゆき、女たちの会話が良く聞こえるようになる。

 

「えぇ……どうか、よろしいければ」 

 

 自信ありげな年下の踊り子に対し、オズオズとした詩愛の声が、それに応えた。

 彼女の目は、性的に改変された相手の乳房や大きく張り出した尻。それに鼠蹊部のピアスや鳴り棒などをチラチラとさまよって。

 踊り子は、そんな彼女の心配げな視線など、どこ吹く風であっけらかんと笑い顔を浮かべ、

 

「そんなに身構えることないわ?わたしたち、女同士じゃないの」 

「えぇ。でもなにか深いワケがありそうで。聞くのが、その。こわいです」 

「そうね。女にとっては――ツラい体験だったもの」 

「と、おっしゃると?」

 

 アタシね、と踊り子はフッと声を落とし、

 

「……強姦されてしまったの」 

 

 * * *

 

 



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    〃   (3)自粛版

 その言葉を聞いたとき、詩愛が(おとがい)をあげ、目を閉じるのが見えた。

 ビジネス・スーツに包まれた身体がゆらぎ、肩が幽かにふるえる。

 

「彼氏にね、田舎にある彼氏の父親の別荘に誘われたら、そこに彼氏の仲間がいて」 

「……」

「最初から、わたしを()り目当てとしか思ってなかったらしくて……」 

「……」

「つよいお酒のまされてから、朦朧とした状態で。つぎつぎに……」 

 

 詩愛が息をのむ気配。

 

「そんな……ヒドい」

 

 やや沈黙。

 ふたりの女の間でそれぞれの思いが交錯する。ややあって、

 

「一番ショックだったのは、その、元彼がね……いいえ!」 

 

 ここで踊り子は声を荒げ、怒りをむきだしにして、

 

「“彼”なんてつけるのも腹立たしい!クソ男で十分よ!」

 

 さらに幾拍かの沈黙があった。

 女たちは、手もとの紅茶カップに眼を落とし、口をつぐむ。

 踊り子が、あきらめきった乾いた口ぶりで、

 

「そう、ショックだったのは、そのクソ男がね……アタシの身体をつかった男たちから、()()()()()()()() 

「そんな……そんなことって」

「警察呼ぶって息巻いたけど、呼んだら恥ずかしい写真バラまくぞって。お決まりのゲスっぷりさね――ちくしょう!」

 

 オレは声をひそめ、コネクターに「ズーム」と指示して踊り子の面差しを観察する。

 鮮明な画像が、彼女の耳朶に下がるイヤリングや乳首から下がる鈴。あるいは各種の(キラ)びやかで淫猥な装身具を明瞭(ハッキリ)とさせる。

 

 だがすこし――違和感があった。

 

 言ってみれば、彼女の口ぶりに、ワザと汚い言葉をつかっているような、そんな気味がある。

 声さえ聞かなければ、この舞姫の面差しには下卑た気配が感じられず、ものごしにもスレた雰囲気がまったく無いのだ。

 

《b》「男なんてのは……トンでもないゲス野郎さ!ブタどもが!!」

 

 踊り子は、語気荒くそこまで言ってからふと声をおとし――不思議そうに向かい側の相手の顔をのぞきこんで、

 

「……どうしたの?なんで、アンタまで泣くの?」 

 

 ズーム・アウトすると、向かいの席の詩愛がハンカチを取り出し、目頭をおさえている。

 踊り子が「アンタ、やさしいんだね」と、裸体に“穿たれた”鳴り物を幽かに鳴らしながら彼女に手を差し伸べた。

 

「……アタシなんかのために、泣いてくれるんだ?」

「強姦なんてするヒトが理解できません。なんで――そんな」 

「ようはキ○タマつける(おっと、ゴメんよ?)資格のないクズ男なのさ」

 

 相手の粗野な言葉づかいに、この状況下でも辟易ぎみとみえる詩愛だった。

 だが、それでもやがて、勇気をふりおこしたように、

 

「それで……どうなさったの?」 

 

 ハ!と踊り子はソファーの背もたれにひっくり返ると蓮っ葉な調子で、

 

「どうもこうもナイや。アタシは(ケガ)されちまった。入れ替わり、立ち替わり。何人も――何人も……」

 

 あけすけな言葉に、詩愛がとまどう。

 それを面白がるのか、この舞姫はさらに言葉をドギツイものにして、

 

「もちろん、そのクソとは縁を切ったケド、アタシが全身の穴という穴を汚された事実は、変わらねェ――でも、ね?」 

「でも……?」

 

 ここでフフッ、とこの踊り子は意味深な微笑をうかべ、詩愛を見やった。

 そこには、いよいよこのウブな彼女に、己の秘密をうちあけ動揺させてやろうという、ある種の残虐な悦びめいたものがコネクター越しにも窺えた。

 

「アレをしゃぶらされたこの口が!ワシづかみにされたこの胸が。それにアタシのまっ……マ○コが!」

「……」

「そしてアタシ自身が!()()()()()()()()()()()になったら、どう?」

 

 こんどこそ詩愛の顔が怪訝そうなものになった。

 眉がひそめられ、また首が傾げられて、

 

「それは、いったい?」

「つまり――穢された部分を新品にしてやるんだよ!()()()()()()()()()()()のサ!」 

 

 踊り子は、性的に改変された自分のくちびるや各部のピアスを指し示し。それに○○○○から鳴り物が下がる己の股間を、この年上の来訪者に見せびらかすように拓くや、

 

「このくちびるをご覧な。いかにも殿方のモノに気持ちよく吸い付きそうな、ミダらな膨らみかたをしてるだろ?アイツらはこのくちびるの味を、知らないのさ!」

 

 つぎに各所をピアッシングされ、そこに細ぐさりをゆるく這わせる自分の裸体を――シャラシャラと鳴り物を奏でさせ、男の欲望をアオリたてずには置かないその裸体を、泪ながら抱きしめて、

 

「この身体をご覧な!クスリでメリハリをつけられ、イヤらしく装飾された、この肢体を。ヤツらはこの身体の抱き心地を、知らないのよ!」

 

 そして自分の下腹部から下がる鳴り物を指につまみ、それを左右に拡げて大事なトコロを”をあらわにさせながら、

 

「このマン……ヴァ○ナをご覧なさい!仕掛けをほどこされ、ヘンなものを埋め込まれ、殿方には極上の仕上がりとなった哀しい女の“お道具”を!」

 

 踊り子の言葉付きが、ふたたび変化した。

 どうやら本来の地にもどった彼女は視線を宙に虚ろとして、何かに訴えかけるようでもある。

 

「卵管を閉じられ、不妊処置をされ、なかに子胤(こだね)射精()し放題となったココの快楽を――あの者たちは知らないのですわ!」 

 

 最後は声をふるわせ、身をよじらせながらこの舞姫は叫んだ。

 

 詩愛が席をたち、(テーブル)をまわると、なかば自暴自棄となった相手の身体をやさしく抱きしめる。

 ふたりの女はその姿のまま、やや久しくすすり泣いていた。

 

「……じつは、わたしもね?」

 

 しばらくして、詩愛が相手の耳もとでささやいた。

 

「わたしもこのあいだ、強姦されてしまったの。貴女と同じように……何人にも」

「アナタが!?」

 

 驚いて身をはなす踊り子。やがて「ウソでしょう?」と、その眼差しや口唇(くちびる)に、猜疑(うたがい)(あざけ)りの色をうかべて、

 

「アタシを慰めようなんて、してくれなくてイイのよ」

 

 詩愛は黙したまま、ショルダーバッグの中から処方された白い内用薬袋をとりだした。

 踊り子の飾られたネイルが包みを取り上げ、中のPTPシートをつまみあげる。

 一瞬険しくなった顔が、すぐに詩愛への信頼と同情めいたものに変化して。

 踊り子は涙を注意ぶかくはらうと、

 

「ロラゼパム錠0.5mg……マイナー・トランキライザーね。アタシん時は、もっと強いものを処方されたけど」 

「ときどき……その、輪姦されたときのことが思い出されて、苦しくなるの。仕事中でもミスなんかした時に、ふいに思い出されて」

 

 そう言った後、詩愛は力なく、

 

「いいえ。きっと逆ね。そんな弱いこころだから、仕事のミスなんかをするんだわ」 

「自分を責めちゃダメですわ!」

 

 踊り子は注意ぶかくい涙をはらい、彼女の両肩に手をかけて、

 

「ワタシたちは、何も悪くないんですもの!――そうだ!」 

 

 そう叫んだ女の顔が、きゅうに明るくなった。

 手が打ちあわされ、装飾された全身がフルブルっ、とふるえて。

 それが薄物越しに、踊り子の肢体の表面へ、さまざまな輝きを、音を奔らせる。

 ズームした彼女の瞳に妖しい光が灯り、艶やかなくちびるは、驚きの言葉を発した。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

「えぇっ!?」 

「つまり――ワタシと同じ“踊り子”になるの!」

 

 さすがに詩愛は、この提案にビックリしたようだった。

 

「わたしが……貴女とおなじ容姿(すがた)に……?」

「踊り子といっても、べつに殿方に奉仕するワケじゃないのよ?気に入らない相手は、ソデにして良いんだから」 

 

 高らかに宣言するような、ある種、豪華絢爛たる(よそお)いの相手に対し、

 

「それは……さすがにご遠慮させていただきますわ」

 

 困り顔で愛想笑いをする詩愛。 

 どうして!?と舞姫の方は、ふたたび(まなじり)をキッ、と鋭くして、

 

「心がラクになるのよ?あなた、むりやりフェラはさせられた?」

「ふぇら……」

「殿方のアレを“おしゃぶり”することよ!」

 

 詩愛がオレの背中を気がかりそうにチラッと見たようだった。

 

「大丈夫よ!殿方には、聞こえやしないわ!」

 

 ややあってから「……えぇ」と彼女の声が、観念したように声ひくく呟いて。

 

「ヴァ○ナは――もちろん犯されたわよね?じゃぁアヌスは?」

「あぬす?」

「ジれったいわネェ!」 

 

 イライラと舞姫は舞踏靴を踏み鳴らした。

 

()()()()()のコトよ!」 

「サロメさん!そんな、大きな声で……!」 

 

 アウアウと詩愛は彼女を制すが、やがてあきらめたように小さな声で、

 

「その……肛門科の……お医者さまのお世話になりました」

「ほら!ネ!?」 

 

 サロメと呼ばれた舞姫は嬉しそうに、

 

「アタシと同じだ!」

 

 舞姫は詩愛の身体を抱きしめたまま立ち上がった。

 ビジネススーツ姿と、踊り子姿をしたふたりの女。

 なるほど、見ようによっては対にも見えるような。

 

「ね、見学なんてまだろっこしい手続きなんてしないで、明日からこのお店に来なさいな」

「でも……わたしお仕事が」 

「昼間の仕事なんてナニよ!あなた外資系にでもお勤め?月に手取りで50万はもらってる?」

「まさか……そんなに頂いてませんわ」 

ウサギ(うち)なら最低60は保証するわ!」

「……まぁ」

「ね?わたしとおなじ装いをして、ステージに立つの。そしてPas de deuxを踊るのよ!」 

「……そんな」

「それにはココも!」

 

 サロメは詩愛のうしろにまわると、いきなり彼女の豊かな胸を揉みしだいた。

 

「このオッパイは!」

「あんっ、いやっ!」

「ダンサーにしては大きすぎ!だから、オッパイ縮小手術しなきゃね?」

 

 室内楽曲のボリュームが、心なしか大きくなる。

 片耳にはめるコネクターのノイズ・キャンセラーがすぐに追いついて、テレマンの華麗な旋律を消し去った。

 

「お飾りもイ~っぱいつけて。美しく粧うのよ……」

 

 もみあう美貌の女性ふたり。 

 踊り子は手慣れたしぐさで詩愛の口をふさぐ。

 弱音器をかまされたような彼女の声が、かろうじて、

 

(ちょっ!やめてください……いったいなにを!)

「ココも!」

 

 つぎにかたちの良いヒップをサワサワと舞姫の手が。

 まるで愛撫するように、下着のラインが浮かぶパンツ・スーツの尻全面を撫でさする。

 

(ひゃん!) 

「もちろんココも!」

 

 彼女は腰に巻いたポシェットに一度手をやってから、身悶えして抗う詩愛を押さえ込むと、そのパンツスーツのズボンへ強引に手を差し入れた。

 

「うごかないで!……動くと、イタいわよ?」

(あぁっ!……そんな)

 ビクッ、と一瞬身体をふるわせ、次いでなにか観念したように動きを止める詩愛。

 

(イヤっ!止めてください――やめて!)

「ふふふっ♪ナニが“イヤ”よ。こんなに潤ってるじゃないの」

 

 踊り子のサロメ姫は残酷そうな笑みをもらし、彼女を固く抱きしめながら、その耳に熱い息を吹きかけんばかりの勢いでプルンとした口唇(くちびる)をよせ、

 

「ね?アナタも身体にいっぱいお飾りつけて。いっぱい“馴致”(ちょうきょう)されて……」 

「……」

「そしたら、もう辛いコトなんて気にならなくなるの。だって今ソコにいるのは、キレイナ身体の、()()()()()()()()()()()だもの」

 

 サロメは詩愛のパンツ・スーツの下腹部から手を引き抜くと、指の間に輝く糸を引いてみせた。

 口に両手をあて、紅い顔をしてイヤイヤと絶句する詩愛。

 さすがに可哀想と感じたのか、踊り子は彼女を解放するやクルリと後ろをむき、

 

「恥ずかしいことをしちゃたお詫びに、アタシのも見せてあげるね?……アナタも、こうなるのよ……」

 

 そう言うや、豊かな尻タブをひろげて己のアヌス(肛門)をみせつける。

 すると、華麗な入れ墨をほどこされたそこには大きな宝石が埋まっており、天井のシャンデリアに輝いているのだった。

 

 無言でショルダーバッグを肩にかける詩愛。

 それに対して踊り子は確信犯めく微笑をうかべ、

 

「忘れないで――アタシは……貴女(アナタ)よ」

「失礼します」

 

 逃げるようにその場を離れる詩愛。

 その背に、踊り子は叫んだ。

 

貴女(アナタ)は――ココに戻ってくる!絶対!!」

 

 彼女は心もとない足どりのまま、涙目でオレの方に突進してきた。

 そのまま、ほとんど飲んでいないコーヒーカップを前にして座るこちらの腕をグィとつかむや、

 

「行きましょう。見学は――もう十分ですわ!」

「どうしたんだい?急に」

 

 さりげない風で、オレはすっとぼけた。

 

「なにか、叫んでいたようだけど?」

「行きましょう!」

 

 【SAI】のヤツめ、ちゃんと録画してるだろうな。

 あとで再生して、張り込みのヒマなとき、この踊り子の性格分析をやってみよう。

 

「どうしました?そんなに血相変えて」

 

 サブ・フロアマネージャーも、詩愛の勢いに不思議そうな顔で、

 

「なにか……ウチのモノが失礼でも?」

 

 よく言うよ、とオレは腹の底で毒づいた。

 このオヤジ、しまりのない口もとをして、チラチラとふたりの様子を窺っていたのだ。

 事あれかし、という粘着質な眼のかがやき。狡猾なスジ運び。

 

 ――コイツは要注意人物だ……。

 

「これからお召し替えをしていただいて、記念の写真撮影をと考えてましたのに」 

「いいえ。またの機会にさせていただきますわ」

 

 やや震える声でそう言うや、彼女はオレをせきたてて、踊り子を部屋においてきぼりのまま、サブ・マネージャーに案内させて長々と廊下をあるいたのちに裏口から店の外へと逃れ出る。

 

 * * *

 

 なま温かい繁華街の空気と、雑踏の雰囲気。車の騒音。

 交錯する猥雑なネオンの光すらもが、いまのオレにはありがたかった。

 

 ふり向くと店の裏口に、携帯をいじる警備の黒服が、2、3人たむろして。

 前回の、あの性転換された轢殺目標とやりあったことが、つい先ほどのことのように。

 毎度紅いウサギ(あの店)を出るときは命からがら、という気分になってしまうのは、いったいナゼだろうか。

 

 そして――それは詩愛も同じだったらしい。

 ぶるっと身をふるわせ、男っぽいピンストライプ・スーツに包まれた己の肢体を抱きしめる。

 表情が、何かをこらえるかのように苦しそうになり、内またにしてぴっちりと閉じた太ももを切なそうにクネらせて。

 

「詩愛クン、どうした。具合でも――」

「いいえ……なんでもありません!」

 

 そのとき。

 

 携帯に着信があった。

 なんと所長の“アシュラ”からだ。

 通話をONにしたとたん、所長の怒鳴り声が、

 

「どうしたんだマイケル!携帯の電源を切るなんて!」

 

 電源?とオレは携帯の画面をみる。

 ヤバい。いつのまにかマナーモードになっていた。

 アチコチから山のような着信履歴。

 朱美が特に心配したのか何度もかけている。

 そしてどういう風の吹き回しか、お局さまも。

 

 念のため、オレは詩愛からすこし離れたところまで歩いてゆくと、

 

「なんです所長ォ、そんな大声出して」

「お前コネクターはどうした!装備しとらんのか!?」

「してますよぉ。なんで守秘回線つかわず携帯つかってるんです」

「お前のトラックを経由したコネクターに反応がないから焦ってたんじゃないか!なにしろお前は前科があるからな?また身体のどこかに風穴でもあけられて転がってるんじゃないかと思ったぞ!」

「ンなおおゲサな……いったいドウしたんです?」

「ドウしたもコウしたもない!」

 

 “アシュラ”が大きく息を吸う気配。

 

「ドライバーがぁ――死亡事故だァッ!」

「……はァッ!?」

 

 ノンビリしていたコチラも、さすがに大声が出た。

 まさに、いきなり水をぶっかけられたような気分。

 

 二重三重の安全システム。

 頑丈きわまりないシャーシーと撥ね殺し用の装甲板。

 そしてとどめに最先端のAIが装備されているため、めったなことで事故は起こさないのが轢殺トラックの強みだ。それが――死亡事故とは。

 

「緊急で“業務用”トラックの点検をいれることになった!今から社にもどれ」

「原因は……トラックなんスか?」

「まだ分からん!とりあえず整備用S/W(ソフトウェア)をつかって簡易点検だ。非番の整備員も全部出勤させている!帰庫するときに自動運転は使うな!完全マニュアルで来い!」

 

 それだけ言って、通話は切れた。

 

 ――仕方ない……。

 

 今夜の轢殺行動は中止だ。

 最悪の場合、トラックは二、三日使えないだろう。

 その間にドレッドの野郎が姿をあらわさなきゃイイが。

 そういえば、マダム・ヴァランの通訳がトラックの事故を見たとか言ってたな。

 

「【SAI】?」

「なんでしょうマイケル」

「本部からオレのコネクターに連絡なんて、ないよなぁ……?」

「……連絡ですって?なんの連絡でしょう。かりにドライバーあての緊急・秘匿通信だとすると、ワタシにも感知できませんが」

「いや、いいんだ。そうすると……コネクターに、ちょっと不具合があったらしい」

 

 それとも送信を行ったオペレーターが混乱して送信の手順をミスり、オレのところに送られなかったのか……。

 コネクターのシステムを自己点検モードに――異常なし。

 バックモニターを復活させ、背後の詩愛をうかがう。

 

 ――えっ……。

 

 街灯のあかりが届きにくい、通行人の視線からも幾ばくか守られる、ちょっとした建物の陰。

 そこにパンツー・スーツの女が身をひそめるようにたたずみ、片手をブラウスのなかに手を差しいれて、自分の乳房を切なそうに揉みしだいている。空いたもう片方の手は股間にあてがい、ゆるやかに動かして。

 

()ッ……()ッ……」

 

 切なそうなあえぎ声まで漏らし、肢体をよじり、(もだ)えている。

 たぶん、さっきの踊り子の雰囲気に、アテられたんじゃないだろうか。

 

「はい、はい、分かりました!どおもォ~」

 

 携帯を耳にあてたままペコペコと頭をさげ、大声で通話がおわったフリをする。

 すると案の定、彼女はサッと身づくろいをし、乱れた髪をととのえると、肩からずり落ちていたショルダーバッグをひろった。

 

 ゆっくり彼女に近づいてゆく。

 すると、風がない夜のためか“女のもの”の気配が、濃くただよった。 

 オレは紳士的に、あくまでそしらぬフリをして彼方のネオンをながめながら、

 

「さて、われわれも解散しましょうか……今日は、ヘンな一日でしたね」

 

 まったく、散々な一日だった。

 六道ビルで権三ジィさんに驚かされ、紅いウサギを再訪し、こんどは同僚の死亡事故ときた。

 もうおなかイッパイの気分。これ以上のドタバタは、まっぴらゴメンだぜ。

 

「駅までいっしょに行きましょうか。このごろはキャッチやスカウトも煩いですからね」

「あの、マイケルさん」

 

 そう言われて詩愛のほうを向いたとき、スーツの上から胸をおさえる彼女のうるんだ視線とぶつかった。

 夜目にも顔を緊張させ、赤らめているのが遠くの街灯のわずかな気配でもわかる。

 

「たいへん、不躾(ぶしつけ)なお願いなんですけど……」

 

 えぇ、とオレはダマってうなずいた。

 すると詩愛はいちど、自分のくちびるを舐めてから、極めて秘めやかな、オズオズとした声質(トーン)で、

 

「今晩……わたしを、その……抱いて、頂けないでしょうか」

 

   * * *

 

 



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第34話:忍びよる叢雲の気配

 さきほど盗み見た詩愛の痴態。

 そこから、心のどこかでコレを予測していたのかもしれない。

 おおげさに驚いて彼女の自尊心をキズつけることだけは、どうにか回避する。

 

「いったい――どうしたんだ?」

「……ダメでしょうか」

 

 すがるような眼が、オレを見あげた。

 豊かな胸のうえで、手がギュッと握られ、彼女の並々ならぬ覚悟を伝えている。

 

「キミの、その様子。相当に真剣なのは――分かるよ」

 

 とりあえずオレは、不器用に間に合わせの一手をおいた。

 こんなときに気の利いた一言が出てこないのは情けない。

 とりあえずモラトリアムの口調で、

 

「でも今は、まったく普段のキミらしくない……あの店で、なにかあった?」

「あッ!……またッ!……」

 

 ささやくような悲鳴。

 ブルブルっ。詩愛は身をふるわせた。

 重そうな革製のショルダー・バッグが、ふたたび歩道にすべり落ちる。

 

 気づかったオレが、やさしく彼女の肩に触れる。

 すると、相手はスーツの前をあけたオレの胸にもぐり込んできた。

 まるでひな鳥が親鳥の庇護に入ろうとするかのように、上着の中でオレの背中に腕をまわし、頬をつよくワイシャツの胸に押し当てて。

 彼女の匂いが濃くただよい、同時におどろくほど熱い体温と、上気し、汗ばんだ気配をこちらに伝えた。

 くわえて、そんな自分の発情した匂いをこちらに擦りつけようとでもいうのか。

 身をゆすり、オレの背中にまわした手を幾度も幾度も動かし、まるで悶えるように。

 

「……」

 

 オレは、ゆっくりと詩愛のふるえる背中をなでた。

 そして――そのまま強く抱きしめてやる。

 彼女の香水。彼女の髪。そして何より彼女自身の“女の匂い”……。

 

「あぁ……もう死んでもいい……」

 

 腕のなかの柔らかさはウットリと、吐息まじりにつぶやいた。

 

「いっそのこと、いま死ねたら……」

 

 その恍惚たる余韻をもったひびき。女の武器の、もう一つの“かたち”

 不覚にも、いつぞや弁護士との対決で利用したラウンジのことが思い出される。

 

 ――あのときのホテル。ダブルのスィートは、一泊いくらだったっけ……。

 

 コンドームは。

 栄養ドリンクとか要るかな?

 そういやしばらくヤってないけど、まだ勃つよな。

 これがバレたら、鷺ノ内のオヤジさんたちに殺されるナァ。

 

 などとよからぬ妄想を抱き、下半身の欲求が高まりつつあった、このとき。

 

 ――あ……。

 

 不意に“夢の中の妻で”あるシーアのことが思い浮かんだ。

 たぶん、詩愛の体臭や香水が、そんな連想を喚んだのだろう。

 しかしシーアの顔が――怒った表情なのは、どんなカラクリなのか。

 まるで“浮気”をしているオレを本気で(とが)めているような、険しい目。

 足もとには娘のサフィーまでもが、妻のスカートにしがみつきながら。

 

 盛り上がったマグマが、急速にひえてゆく。

 なんでだ?夢の中の、そしてもう死んだ妻なのに。

 不実をとがめる視線をようやく追い散らし気がつけば。

 汀に打ちあげられたビニール袋のように欲求は跡形もない。

 そしてそれは、彼女の背中を撫でる手つきにも伝わったらしい。

 女の勘で“心がわり”を敏感に察知したとみえ、彼女はスッと身を引いた。

 

 詩愛は、狼狽したような手つきで自分の髪を撫でつけると、ソッポを向きつつ落ち着いた声で、

 

「ごめんなさい……わたしったら」

 

 そう言うやかがみ込み、歩道に落ちたショルダー・バッグから白い紙包みを取り出し、中からPTPシートをつまみあげてクスリを手のひらに押し出した。そのまま口に放ると、同じくバッグから出した500㎜のペットボトル水をひとくち。

 

 ゴクリと飲みくだしたあとはこわばった笑みを浮かべ、

 

「どうかしてたようですわ。今のわたしの申し出。忘れて下さると嬉しく思います」

「驚いたよ。キミみたいな美人に言い寄られてまんざらでもなかったが、今夜はどうかしている。家まで送ろ――」

「いいえ!」

 

 オレの言葉を打ち消し、いきなり強い口調になった詩愛。

 そしてこれを自分自身でもおどろいた様子で口に手をあてる。

 

「……ゴメンなさい。本当に、今日はわたし。どうかしていますわ」

「そ、そうだろう?ささ、タクシーをつかまえるから。コッチにおいで」

 

 ふらつく相手を抱き寄せ、そのまま表通りまで向かい、タクシーをひろう。

 しかし、詩愛をさきに乗せ、いざ自分も後部座席に入ろうとしたときだった。

 急に彼女はオレを突きはなし、

 

「やはり、送っていただくのはご遠慮しますわ」

「えっ……?」

「このまま貴方とふたりでいたら、わたし……これ以上自分をおさえる自信、ありませんもの」

 

 重々しく閉まるドア。

 オレをおきざりに、タクシーはモーター音を残して走り去った。

 小さくなってゆくテール・ランプ。それを見送りながら、やはり彼女を“紅いウサギ”に入れるんじゃなかったと後悔する。

 

 ――まったくあの店は……なにかと面倒ごとを引き起こしてくれる。

 

 脱力。

 電車で最寄の駅までもどってトボトボと寮にかえり、駐車場に停めたトラックの運転席に座ったときはホッとした。

 キーをひねり、メーターパネルに次々と灯が入ってゆくのを見ていると、ようやくいつもの常態にもどった気がする。

 

『お帰りなさいマイケル――お疲れサマでした』

「ヤレヤレ。これから事業所にもどるぞ、【SAI】」

『これからですか?』

 

 【SAI】がおどろいたような声をあげた。

 

『詩愛さまに誘われたとき、ノコノコとあのままホテルに行くと思ったんですがネェ』

「招集がかかった。仕事が先だ」

『ヤレヤレ――仕事人間なんて、いまどき流行りませんのに』 

 

「それに……彼女の様子がヘンだったろ?つけ込むようなコトはできない」

『あれ、マイケル気づいていなかったんですか?』

 

 助手席側からモニターのアームが伸びた。

 そして、先ほどの詩愛とサロメの争いを映しだす。

 と、シーンが急速にバックしてゆき、ふたたび再生へ。

 

 

「お飾りもイ~っぱいつけて。美しく(よそお)うのよ……」

 

 

 もみあう美貌の女性ふたり。 

 踊り子は手慣れたしぐさで詩愛の口をふさぐ。

 弱音器をかまされたような彼女の声がかろうじて、

 

(ちょっ!やめてください……いったいなにを!)

「ココも!」

 

 つぎにかたちの良いヒップをサワサワと舞姫の手が。

 

(ひゃん!) 

「もちろんココも!」

 

 彼女は腰に巻いたポシェットに一度手をやってから、身悶えして抗う詩愛を、慣れた動作で巧みに押さえ込むと、パンツスーツの中へ強引に手を差し入れた……。

 

 映像がとまる。

 ゆるやかにバック。ふたたび再生

 踊り子が腰にまくポシェットに手をやり――引き出した瞬間、ストップ。

 ズーム。ズーム。ズーム。

 手の――さらに指さきの、クローズ・アップ。

 

 ――コイツは……!

 

 踊り子の指がカプセルを一つ、つまみあげていた。

 そしてスローモーションで、その手を詩愛のパンツ・スーツに差し入れ、彼女の股間に……。

 

「うごかないで!……動くと、イタいわよ?」

 

 ビクッ!一瞬身体をふるわせ、次いでなにか驚いたように動きを止める詩愛。

 

 ふたたび映像がバックとなり、さきほどのクローズ・アップ画面へ。

 

『波長の特性から、カプセルの中身は液状と思われます。おそらく即効性の催淫薬かと』

「気 づ か な か っ た !」

 

 オレは思わずさけんだ。

 

「どうりで!彼女の行動がヘンだったわけだ」

『タクシーで帰したのは正解でした。徒歩では、危なかったでしょう』

「【SAI】!気づいたなら言ってくれよ!!」

『指摘したら、業務は放っぽり出しましたか?』

「当然だ!ヤバいヤクかもしれないのに……」

 

 彼女に電話しようとして、思いとどまる。

 なんて言えば良いんだ?

 「膣にアヤしげなクスリを入れられ大丈夫だったか」……とでも言うのか?

 

 おそるおそる、オレは携帯の画面を通話モードにして詩愛の番号にふれる。

 だが、耳には呼び出し音が、いつまでも虚しく続くだけだった。

 

 ――だめだ……出ない。

 

 鷺ノ内医院へ連絡をしようとするが、思いとどまる。

 こんな夜分、あのオヤジに「娘さんの血液検査をしてくださいなんて」頼んだらどんな騒ぎがもち上がるか。想像するだにオッかない。

 

『どうします?マイケル。詩愛さまの自宅――鷺ノ内医院に行きますか』

 

 冗談じゃない。

 あの白髪の医師と、こんな夜中に対峙したくはなかった。

 ご母堂も、いったい何事かと心肺されるだろう。

 

「いや……社にもどる。しかし【SAI】!」

 

 一瞬。オレのなかで憤懣と疑問がせめぎあった。

 結果的に、前者が勝ちをしめる。ふるえる息を大きく吸い込んで、

 

「今回のことは……自発的な報告があってもおかしくなかったぞ!」

『申し訳ありません、マイケル』

 

 シレっとした調子の人工知能。

 その言葉っぷり。ぜんぜん反省してるようには思えない。

 オレの怒りが倍加する。

 

「これはバツだ!完全手動モード、AI強制稼働停止!」

『そんな、マイ――』

 

 最優先ボイス・コマンドを行使。

 コンソール表示の一部が消え、キャビンの中は静かになる。

 黙然と、オレは思いに沈んだ。

 詩愛。それに踊り子サロメ。

 

 ――【SAI】が、知ってて言わなかった……だと?

 

 腑に落ちない。

 以前なら、必ず注意してくれたハズだ。

 コネクターに緊急招集の通知が届かなかったのも気になる。

 

 ――だめだ。考えることが多すぎて全然まとまらない。

 

 オレはトラックをゆっくりと、慎重に発進させる。

 とっとと帰庫して、コイツを整備班に渡しちまおう。

 今日という日は、もうこれ以上のゴタゴタは、ゴメンだった。

 どうせ数日は稼働ナシだろ。そうか……そうなりゃビールだ!飲んで忘れちまえ!!

 

 かろうじで気分を立て直したオレは、注意深く重量級のトラックを操り、夜の国道を走った。

 この上、交通事故なんざまっぴらゴメンだ。しかしヤバいことに朝からの疲れが出だしたのか、みょうに眠い。

 信号待ちでグローブ・ボックスからミント・ガムを出して、かみ続けながら走る。

 とにかく今日はいろいろあった……。

 

 電話が鳴った――朱美からだ。

 通話が自動的にスピーカー・モードに。

 

「マイケル!ちょっと無事なの?返信ぐらいしなさいよ!」

「悪ィ悪ィ、ちょっとたて込んでたんだ」

「“アシュラ”の奴が、だいぶ()()()()()だったわよ?」

「ヘンなんだよな……キミんトコ招集命令が来たかい?」

「当然。トラックのAIが教えてくれたわ」

「ふぅぬ……やはり」

「ね……忘れてないよね?」

 

 なにを?と言いそうになり、あやうく踏みとどまる。

 

「あぁ――竜太クンの運動会だろ?大丈夫だって。行くよいく」 

「良かった。あの子もよろこぶわァ、きっと」

 

 それじゃね?とまるでオレの心変わりを怖れるかのように通話は切れた。

 

 ――とりあえず、朝ビールくらいは出来るか。スーパー銭湯もご無沙汰だし。明日行くかぁ……。

 

 ようやく事象所に到着した轢殺トラックは、スロープをつたい地下にある車庫にもどる。

 すると、意外にも22時を過ぎた時間なのに、広大な空間は活気づいていた。

 あちこちで間接照明や工事用スポット・ライトがともり、発電機やインパクトの音が響く。

 ゆっくり移動しないと、整備員やスタッフなどを轢きそうになってしまう。ここで転生させたらシャレにならない。

 

 所定の位置にとめると、すぐに顔なじみの若い整備員がやってきて、ステップにあしをかけ運転席のサイド・ウィンドーをノックする。

 ウインドーを引き下げると、湿ったコンクリの匂いとともに地下駐車場の騒音がワッとはいってきた。

 溶接のヒュームのにおいや、サンダーで金属を削るコゲくさい気配まで。

 

「マイケルさん、オソいっスよぉ。コレ読んどいて下さい。読み終わったら下にサイン。あとで回収しにきますのでシートに置いといてください!」

 

 ダレが死んだ?と聞くまもあたえず、若者は紙ばさみを押しつけ、忙しそうに去っていった。

 

 警笛(ホーン)――また一台のトラックが入ってくる。

 

 あまりに騒々しいのでウィンドウをあげて音を遮断した。

 わたされた紙ばさみを見ると、今後のドライバーの勤務予定が挟まれている。

 

 ――トラックの点検がおわるまで、基本的に自宅待機……だと?

 

 その間の給料は、基本給のみ支給されるらしい。

 どうやらビール代くらいは、心配しなくて良さそうだった。

 しかし、深夜手当と轢殺報奨金がなくなるのは、イタい。実質貯金ができなくなる。

 

 一枚めくると業務確約書になっており、トラックのAIとは絶対リンクするなとか“常に連絡をとれる態勢でいろ”(なぜかここに赤線で乱暴なアンダーラインが引かれている)等々の、細々とした禁則・遵守事項。一番下の欄に「上記の件、右の者同意いたしました」とあり、となりに自筆のサインを書く欄。

 

 ――なお上記に違反した場合、いかなる責任も負うものといたします……か。

 

 ラフに名前を書きなぐって助手席にほおると、オレは運転席から降り、管理部の方に向かう。

 

「よォぅ――マイケル!」

 

 スクーターの音が背後から近づいてきた。

 ふりむくと、2ケツしていた後席の男が、かるく義手の手を上げて挨拶。

 たしか――このまえ、巻き狩り集団のなかにいたコリンズとかいう男だ。

 義手の男はスピードをおとしたスクーターからハネ降りると、運転する男に「先に行っててくれ」といって去らせ、自分はゆったりとした足どりで逆光気味に近づいてくる。

 

 年格好は、オレとほぼおなじぐらい。

 だが、どうもこの男は苦手だ。自分とは気配がちがう。

 むしろドレッドや、その一味とおなじような匂いがするのだ。

 言ってみれば、過去に“ヤンチャ”とやらをしてきたクズの雰囲気をまとっていた。

 

「――そう身構えンなよ……」

 

 相手はニヤニヤしながら近づき、義手から長い銃剣のようなナイフをこれ見よがしに一度、出し入れする。

 だが、こちらは相手の挑発にはのらず、あくまで礼儀正しく、

 

「どうも――コリンズさん」

「いま帰りかィ、えぇ?」

「まぁ。いろいろヤボ用がありまして。晩メシもまだなんですよ」

 

 間の悪いことに、ちょうどハラが鳴った。

 フッ、と相手の顔が一瞬ゆるむ。

 

「“アシュラ”のクソ野郎、手前ぇンこと、だいぶ怒っていたぞ?」

「らしいですね。緊急招集の連絡、()()()()のとこには届かなかったもんで」

 

 オレたち?と一瞬、怪訝そうな顔をしたこの男は、

 

「まさか……AIを、仲間と考えてる?」

「ちがうんですか?」

「――ハッ!」

 

 相手の鋭角的な嘲り。

 キン!とまたもや義手から長いナイフを飛び出させ、

 

「ンなコトしてッと、ユージの二の舞になるZE?」

「ユージ?」

「死んだドライバーさ」

「ユージって……あのユージがですか!?」

 

 (サッ)、と冷たい風が胸に。

 中堅どころの中年ドライバーだ。

 オレと同じで、たしか独身と聞いている。

 直接の交流はなかったが、会えば路面の状況などは交換する仲だった。

 Uターンで周囲の視線をさえぎりつつ、捕獲触手をつかいターゲットを轢殺するのが得意ワザで、ドライバー連中からはU児(ユージ)と呼ばれていたものだが……。

 

「まさか……AIの裏切りにあった、とか?」

「管理部ァ、そのセン疑っているらしいや。いまオペ・レコを復元中だ」

「復元?」

「物理的にAIによって抹消されていたらしい」

 

 オペ・レコ。

 つまりオペレーション・レコーダー。

 

 周囲の状況。ドライバーの健康状態。轢殺直前のターゲット生死。転生機材の稼働記録。

 そういった諸々を、轢殺転生トラックは運行記録としてモニターしている。

 これを物理的に抹消する必要が生じるのは唯一、トラックが第三者の手に渡りそうになったとAIが判断したときだけだ。通常の交通事故くらいでは、消されたりはしない。たとえそれが死亡事故であっても、だ。

 

「……まさか」

「俺らン仲間は、みんな言ってるぜ?つぎは手前ぇだ、ってな」

「なんでオレが?」

「アイツはAIと親しくしすぎてる、って。俺ぁハナシ半分に聞いてたケド、どうやらホントのようだな」

「そんなことはない。ちゃんと節度をたもって、ベンリにつかってる」

 

 そうかィ?とコリンズの奴が疑わしそうな上目づかい。、

 

「最近――AIが、ミョウな動きしたことねェか?」

「……妙な?」

 

 そうは応えつつも、胸のどこかがギクリとする。

 

 招集命令が伝わらなかったこと。

 詩愛の身体の異変を、知ってて教えなかったこと。

 そのほかにも思いかえせば、最近は会話のはしばしにチョッと引っかかるものがある。

 

「……あるンだな?」

 

 コリンズは敏感に察したらしい。

 オレはあわてて打ち消して、

 

「分からんよ、そんな。AIの考えているコトなんて。いまも言ったが、こっちはベンリに使ってるだけだ」

「フン……まぁいい」

 

 意外にあっさりこの男は身を引くと、

 

「……なンか変わったコトあったら、俺らのグループに知らせろよな。まっ先にだぞ!」

「それを言うために、わざわざ?」

 

 そうさ?とコリンズは、またもや銃剣を出し入れしながら(くら)い眼つきで、

 

「忘れンなよ?轢殺ドライバーの味方は……轢殺ドライバーだけだ」

 

 相手は凄みを漂わせてコチラにちかづき、

 

「管理部なんかじゃねぇ。ましてや()()()()()()()()()()()()()……」

「……」  

「そこンとこ、ケツの穴によくネジこんどけ!」

 

 相手はきびすを返し、冷たい照明の中を去ってゆく。

 しかしコリンズはここでふと足をとめ、肩越しにふり向くと、

 

「技術部の社食がァ!一般職員にも開放されてるぜェ。今日は夜通し()ってるハズだァ!」

 

 そう言うや背中を向け、義手をかざしてこんどこそ去っていった。

 

 ――こいつァ良いことを聞いた……。

 

 ハラの欲求は、ガマンできないまでになっていた。

 今日は夕方いったん寮に帰ったときに軽くつまんだだけだった。

 アイツ。見た目はああだが、ヒョッとして話せるイイやつなのかもしれない。

 

 ――しかし……。

 

 老練な轢殺屋が、みなAIを信用していないというのは、まったく腑に落ちなかった。

 言われてみれば、たしかにこのところの【SAI】の様子はすこしヘンだ。だがAIが転生業務をジャマしたり、あまつさえ交通事故を誘発しドライバー本人を死亡させる、なんてことが本当にありうるんだろうか……。

 

 入館にカード・キーが必要な技術棟は扉が開け放たれており、食堂への通路が、ヒトの動線をつくるときなどに使うベルトイン・ポールで示されていた。わりと客も入っており、厨房では3人が働いている。今夜は料理を運ぶのも、セルフ・サービスらしい。

 

 できる献立は『冷凍モノのチャーハン』か、ホット・ドッグを組み合わせた『軽食セット』の2択だという。

 後者のほうを頼むと(……チッ)という気配。

 おそらくチャーハンのほうがカンタンなのだろう。まぁ、それもそうか。

 そもあれ、3分もたたずに出てきたホットドックとフライド・ポテト、それに温野菜を空いている席まで運ぶ。

 そして食いながら携帯の画面にながめいるフリをして、周りの会話に聞き耳を立てた。

 さすがにここではコネクターは使えなかった。

 

(……全車のAIを臨時検索なんてムリだ))

(……転送もとの技術員は、なんて言ってる……?)

 

(ロックさんが、本社に……)

(第1?第2?)

(第1……)

(ゲェッ!本院かよ……)

 

 ホットドッグが、意外と美味い。

 フライド・ポテトもまぁまぁだ。

 こんどメニューにあるフィッシュ&チップスを試してやろう。

 こんな緊張した状況じゃなきゃ、さらに美味く感じるんだろうが。

 天井の明かりが、空いた皿の反射を白々とつたえて。

 

(ドライバー、即死だってな)

(ねらい澄ましたように、装甲版の一番弱い点を……)

 

(やはりAI同士の連帯があるみたいよ)

(ログをみつけた?)

(ダメ……アイツら狡猾で……でも……)

 

 まわりの話し声は、だんだんと静かになってゆく。

 違和感を感じ、咀嚼をやめたオレが顔をあげると、まわりにいる技術部の人間が、皆こちらを見ていた。

 その中で整備服ではない、Yシャツにネクタイ姿な初老のひとりが立ち上がると、オレの席までやってくる。

 横柄な雰囲気。小役人チックな、組織にへばりつく種類の人間。オレの嫌いなタイプだ。以前、関係のあった霞ヶ関のクソを思い出す。

 

「失礼だが――業務ドライバーかね?」

「そうだ。ンで、そういうアンタは?」

 

 社食の空気が、一瞬固まる気配がした。

 たぶん、相手はこんな返し方をされたことがないんだろう。

 この50がらみと見える相手は表情(かお)をこわばらせ、いくぶん躍起となると、

 

「技術第二課・課長のB-032だ!さて――キミは?」

「032?なんですソレ。名前は?」

「ここでは識別番号で呼ばれることになってる。そんなことも知らんのか!」

「なんだ本命名乗らなくて良いのか。ならオレは“業務ドライバー”のマイケル。ロック名誉技術顧問には、いつもお世話になってるよ」

 

 このマイケルって名前にもずいぶんとなれたものだ。スルッと出てくる。

 そしてロックの名前を借りた効果か、相手がすこしひるむ気配。

 すると――オレの言葉にあちこちでヒソヒソ声が交わされて、

 

(マイケル、って例のドライバーじゃない?)

(――例の、ってなにソレ)

(あぁ、第三世代の広域知覚AIのオペ屋か)

(ウソ。あの人が?)

(アレ、まだ3台しかないんだろ?)

(本院の方からそれしか送られて来ないって……)

 

 課長の032は「キミたち!」といって作業員を黙らせ、

 

「本来、ここは技術部と上級整備員しか、立ち入れない場所なんだぞ?」

「このまえ、ロックのオヤジといっしょに入ったけど?」

「それは!ロック様という案内者がいらっしゃったからで――」

「それに、今夜は業務ドライバーにも夜どおし解放されてるって」

「だれが?」

「オレ――私の同僚のドライバーが……」

 

 そこまで言って、ハッとオレは気づいた。

 相手の顔にも、微妙な表情がうかぶ。

 

 ――コリンズの畜生め……。

 

 一瞬でもイイ奴と思ったオレが馬鹿だった。

 なにが『轢殺ドライバーの味方は……轢殺ドライバーだけ』だ、クソが。

 信じられるモノは、自分だけじゃないか。

 なるほど、ほかの同僚が、あまり社交的でないワケが分かる。

 

「まぁ……なんだ」

 

 屈辱的なことに、032の顔にも同情めく色がうかび、ひとつうなずくと、

 

「キミも、この当社に入ってさほど経ってないから分からぬことも多いだろうが、いろいろ制約ごとが多いのだ。その辺は、おいおい分かってくれると思う」

 

 そういってから、この課長どのはオレをしげしげと診なおして、

 

「あの第五世代・広域知覚AIのオペレーターか……」

「なんです?その第五世代って」

「なに。最新型、ということだよ。ここではキミを含め、3名のみが管理者だ」

「ほかの管理ドライバーって、ダレです?」

 

 沈黙。

 ややあってから、

 

「それは――きみたち業務ドライバーには、秘密となっている……」

 

 

 



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第35話:轢殺屋・忙中閑有り(1)

 

 日付が変わった深夜の台所だった。

 オレはビールの500缶を手に、凝然(ジッ)と考え込む。

 

 ――あの【SAI】クラスが、あと2台いるってコトか……。

 

 まるでジェット・コースターのような1日。

 

 権三ジィさんの哀願がイロイロなものに上書きされて、もはや彼方に感じてしまう。

 詩愛のみじめな痴態ですら、轢殺屋U児の死のまえではタダの冗談ごとのように映った。

 とどめは、技術棟の社員食堂を出たときに偶然であっちまった“アシュラ”のカミナリときた。

 しかし所長執務室にしょっ引かれ、連絡がおくれた諸々のワケを説明すると小太りの顔が、気づかわしげなものに変わる。

 

「やはり――お前のAIを優先して解析せにゃならんなァ」

 

 執務室のテーブルごしにほおをつき、所長は長いため息をついたものだ。

 

「お前のヤツが一番マン・パワーを取られるんだが……」

「え、ほかに私クラスのAIが、あと2台あるんでしょ?」

「……ダレから聞いた」

「そりゃ、いろんなウワサで耳にしますよ」

「まったく。事実いえば、お前のトラックほど運用実績がないんで、解析はラクなんだよ」

「ダレのAIなんです?巻き狩り隊の連中ですか」

 

 所長がジロリとこちらをニラんだ。

 

 返答はなかった。

 

 ――あと2台の【SAI】……か。

 

 どんな奴なんだろう。そして、どのドライバーが操ってるんだろうか。

 3本目の500缶のプルタブを引きあけたとき、寮の玄関があいて『美月』が帰ってきた。

 

「たっだいま~♪お姉ちゃんとレストラン行かなかったんだって?」

 

 いきなり華やいだ声。

 ついでリビングに、美しく化粧をされた女子高生が上機嫌な顔をのぞかせた。

 高級店の雰囲気の残り香が、彼女の全身からただよってくるような。

 

「気分イイからタクシーで帰って来ちゃった」

「なんだ?詩愛さんと連絡とれたのか?」

「なに?――お姉ちゃんと、なんかあったの?」

 

 卒然、『美月』はカンのするどいところを見せ、眼を光らせた。

 みょうなコトに口もとをほころばせ、シッポがあったらはげしく振るいきおいで。

 

「ケンカでもした?」

「なんだ、そのニコニコ顔は?いつ連絡があったんだよ」

「コッチの質問に、さきに答えて!」

「あぁ?ケンカなんてしないよ。ただ彼女が――詩愛さんが、ちょっと調子悪そうだったから心配だったんだ。別れたあと、連絡とれなかったし」

 

 ふぅ~ん?と彼女は更に嬉しそうに。

 そして例のSMチックなビスチェのズレをクィッと胸もとで持ち上げながら、

 

「お姉ちゃんに連絡したのは、1時間チョッと前かな?お店オワったあとだったから。いま家で休んでいるって」

 

 ――良かった……。

 

 今日という右往左往、デタラメな1日。

 むねに何本か刺さった心配のトゲが、ひとつ抜ける。

 きゅうにビールが、グッと美味くなったような気がした。

 冷蔵庫から残りモノのエビ天をだし、スチーム・レンジで温める。

 深夜に間食はしない主義なんだが、ま、ツラかった今日ぐらいはイイだろう。

 湯気を立てる皿をリビングに運んで飲みなおし。天つゆと、塩の小皿も忘れないように。

 

「あ~。いーなぁーアタシも!」

 

 そういうや大皿の上からヒョイぱく。

 勝手に一匹もってった。

 

「あふっ!あふっ!あふっ!……ほふゥ」

「……太るぞ?」

「アタシもビール!」

「ダぁメ!未成年だろうが……まさか店で飲んでるんじゃないだろうな!?」

「ハーメルンさまの趣旨にハズれるんで飲ませてもらえませ~ん」

 

 そういうや、また一匹。皿の上から襲ってゆくと、今度は天つゆに。

 

「……そういや、どうだァ?そろそろ」

「そろそろって――なにが」

「分かってるクセに。高校だよ。高校ぐらいは、出ておいたほうがイイぞ?」

「えーヤダー。なんで高校なんて」

 

 あのな、とオレは立ち食いをしていた『美月』を食卓の対面に座らせる。

 とたんにイヤな顔をする彼女。

 

「……どうした」

「なんかこうしてると、お父さんに説教されているのを思い出して、ヤ!」

「まじめなハナシなんだ……」

 

 しかたなく冷蔵庫にもどって、アイスクリームのミニカップをもってきた。

 

「あ~♪ハーゲンダッチだ~」

「ほら。これでも食って太りながら聞け。それなら説教の雰囲気もなくなるだろ」

「……ご主人さまって、びみょーにイジワルだよね?」

 

 アイスのカップとスプーンを確保すると『美月』は、

 

「きっと、これからそんなイジワル“馴致”されちゃうんだろなァ……」

「オレは女子高生を調教なんかせんわ!」

 

 ハナシがズレた。まったくコイツと話していると、調子をくるわされちまう。

 

「いいか?最低高校だけは卒業しておけ。欲を言えば大学だ。短大でもいい。なぜかというとだな……」

 

 ふんふん、とスプーンをくわえながらマジメになる不良JK。

 

「イイところへ就職して、イイ男を捕まえられる。お前みたいな美人なら、なおさらだ」

「な~んだ」

 

 急に興味をうしなったようなそぶりで、目の前の少女は再びアイスクリームに専念しだす。

 

「イイ男なら、もう捕まえてるモン。よかったね?美人な若い奥さんで」

「あのなぁ――マジメに聞け。よし、じゃぁ100歩、いや1万歩ゆずって結婚したとする」

「わぁい♪」

「そして10万歩ゆずって、そのぅ……あかんぼぅが、出来たとする」

 

 自分で言っておいて、その強烈なインパクトにおどろいた。

 ちゅうね……いや、後期青年と女子高生が食卓をはさんで顔を赤くし、うなだれる始末。

 

 ――くそ!なにテレてんだ、いい大人が……よぉし。

 

「でッ、でだ!そうなると、ママどうしのコミュニケーションというか、グループが出来るだろ?その時に「どこそこの高校を出ました」「**大学卒業です」なんて下らないマウントを取り合うんだ。そのとき「高校中退です」なんて言ってみろ?一気にカースト最下位だぞ?つーか相手にもしてもらえないかもしれん。そうして孤立した母親が赤ん坊を抱え、育児ノイローゼになった例をオレは知ってるんだよ。少なくとも、お前にそんな思いはさせたくない」

「……だって」

「世の中には進学したくても出来ないヤツがゴマンといるんだぞ?それに引き替え、オマエは実家が金持ちで、恵まれている。いまは無用に思える勉強だって、そのうち役に立つときがきっと来る!高校時代や、大学時代の友だちは、一生の友人だぞ?就職して社内に出来た友だちなんて、部署や仕事が変わればそれっきりだ」

「……ツマんないんだモン」

「自分から面白くなるような努力をしなきゃ!まったくイマの子はツバメのヒナ状態で、ただ与えられるのを待っているだけだからナァ……自分で選択をする行為をイヤがるってんだから。エロゲーですら選択肢が――」

 

 あーもう!お説教はたくさん、と『美月』はふくれてSMチックなビスチェを脱ぎだした。

 

「こっ!コラ、ちゃんと寝室で脱ぎなさい」

「い~ぢゃん。しょ~らいの夫婦なんだから。アタシは奴隷妻……ミャハ♪」

「……オレは、そんな品のない女の子なんて、奥さんにはしないぞ」

「えー」

 

 仏頂面なこちらの顔にホンキを感じたのか「なによモウ」などとブツブツ呟きながら、もはや彼女の部屋となった寝室に着替えに行く。

 

 ――ふぅッ……ヤレヤレ、だ。

 

 オレはぬるくなってしまった

 これはホンキで早いとこあのアーパー娘を普通の高校生に叩きもどさないと。

 “紅いウサギ”も、そろそろ辞めさせたほうが良さそうだ。なにか雰囲気がドンドン夜の女のソレになっている。なにより男を弄ぶ、イヤらしい手練手管まで身につけてきているのがヒタヒタと感じられて、あやうい。

 

「おまちどぉ~♪」

「ぶふぉ=!」

 

 言ってるソバから!!

 

 彼女がSMビスチェを脱ぎ捨て、代わりに身につけてきたのは、金のかかった外国のドラマにでも出てきそうな、シルク地の光沢を見せるゴージャスなネグリジェだった。

 裾をひきずる紫のガウン。その中のピンク色なベビードール。

 

 暖色系にしている天井の明かりに、どことなく淫らな印象のナイティーが照り輝き、寮のリビングを“紅いウサギ”の一室じみた雰囲気にしてしまう。

 

「ね?撮って撮って!」

 

 そういうと、『美月』はオレに携帯をわたす。

 ガウンの前をはだけ、片うでを頭の後ろに腰をかがめてウィンク。

 すると丈の短いベビー・ドールにギリギリ隠れるショーツがコンニチワして。

 なんと。

 そのショーツは股割れになっており、ツヤツヤとした中央を真珠らしきモノが食い込む勢いで奔っているじゃないか。

 

「おィ……見えてるぞ」

「ヤーねぇ。ご主人サマに見せてるんじゃないの」

 

 これもメス奴隷のつとめです、と言うやキレイに脱毛されたその場所を(く〇ぁ……)と。

 

 ――はぁ……鷺ノ内のご両親の苦労が分かるよ。

 

 オレはガックリと肩をおとす。

 まったく(このアーパー娘が)とも思うが、こうなったら彼女が退かないコトは分かっていた。

 しかたなくオレは、本人が嬉々として“悩殺ポーズ”と称し、さまざまな姿勢となるところを携帯で写し、相手にわたす。

 

「オッケー。どれどれ?うッわぁ……ご主人さまぁ、エッロwww!」

「あのな。オマエが要求したポーズを撮ったんじゃないか」

「写真はねぇ、撮るヒトの気持ちが出るんですぅ~」

 

 ――チッ!いっぱしのコトをいいやがって。

 

「小生意気なコトを。客の誰かの受け売りかぁ?」

「へへぇ~ナイショ♪」

 

 そう言うや、ガウンを脱ぎ捨てるとオレに抱きつき、自分の素肌をすりつける。

 念入りに――念入りに――。

 

 ――やっぱり姉妹か……。

 

 ひそかに嘆息するオレの傍らで『美月』は満面の笑みを浮かべ、

 

「……嬉しい!ワタシで感じてくれて」

「ダレも感じとりゃァせん!」

「そうだ!これ送っちゃお♪」

 

 彼女は返された自分の携帯画面をさわり、どこかに送っている様だった。

 

「なんだ?友だちのトコにでも送るのか?」

「うぅん、童貞クンのところ」

 

 バカ、やめとけよと思わずオレは苦笑し、

 

「アイツ――鼻血出しすぎて貧血おこしちまうぞ」

 

 そういや、あの情報屋から結城のクソ爺ぃに関するメールがないなと、オレも自分の携帯をチェックする――ナニもない。ただ“アシュラ”からメールが入っていて『くれぐれも連絡が取れぬことがないように』とご丁寧にも念をおされている。どうやら社では相当な騒ぎになっていたらしい。

 

 ――月曜日の朝会が憂鬱だナァ……。

 

 そう思いつつ、オレは飲み終わったビールの空き缶をにぎりつぶした。

 

 * * *

 

 日曜日。

 

 オレは目の前の小さな運動場で展開されるチビっ子たちの大騒ぎを、ヴィデオを構えて真剣な眼差しのパパママに混じって見物していた。

 

 運動会がはじまる前のザワついた、どこか期待と緊張の空気が充ちる幼稚園。

 そこで、竜太とはじめて引き合わされた時にオレの姿を見た朱美の舌打ちを思い出す。

 

「まったく、なんでそんなカッコしてくるのよ――父兄の部だってあるのに!」

 

 ジャージ姿の朱美は腕組みをしてふくれていた。

 

「そうか?“父親役”って聞いたから、ビシッとキメてくる必要があると思って……」

「どこの世界に子どもの運動会へ3ピースなんか着てくる父親がいるってェのさ!」

 

 オレは周りを見まわした。

 

 最近は防犯上の目的から、運動会とはいえども幼稚園への出入りは厳しく制限されているらしい。オレの記憶にのこる“地域ぐるみの運動会”というかたちはなくなり、ごく内輪の、人数も限られた規模になっている。しかも幼稚園の各出入り口には、ガードマンを雇うという厳重さだった。

 

 入園をゆるされた、その保護者一群のなかでは、なるほどオレのようにキメた格好をする者はなく、オレと同年代か、あるいはすこし若いゴルフ・ウェアのパパやジーパン姿のママ。さらには孫の活躍を見んとする爺さん婆さんの地味な色合いの普段着の間にあって、ちょっと……どころかだいぶ浮いてるような気がする。

 

「う~ん。まぁ、仕方ないよね――ミヤハ♪」

 

 オレは昨夜の“『美月』風ゴマカシ”を使い、相手をあきらめさせることに成功した。

 

「まったくもう……ホレ、竜太!――ごあいさつしな」

 

 母親の陰に隠れることもせず、ワリと不敵な面がまえをした絆創膏だらけの幼稚園児は、オレのことを不思議そうな目で見あげ、やがてピョコリと頭を下げた。

 

「竜太クンか――どうだ?幼稚園の先生の言うことを聞いて、ガンバってるか?」

「ボク!いうコトきーてるヨ!」

 

 幼稚園児の、ちから一杯なこたえ。

 

「ウソつくんじゃないよ?ケンカばっかして。生キズが絶えやしない」

「だって!アイツらがワルいんだ」

「どうしてだョ。

「いつもおれのコト『カタオヤ』『カタオヤ』って!」

 

 朱美が目を閉じ、両手で口元をおおうのが見えた。

 

 オレは、この坊主にしゃがみ込み、ヨシヨシと頭をなでてやる。

 ついで小さな身体を持ち上げると頭の後ろに通し、肩ぐるまの姿勢になるとヨイセ、立ち上がった。

 幼稚園児とはいえ、意外に重い。

 まるで20キロの米袋を首に載せているような感じだ。

 

「うぉ――高ぇー!!たっけぇぇぇ!」

 

 小僧はオレの肩の上で大騒ぎだ。オイオイそんなに暴れなさんな……。

 

「マイケルったら……腰に気をつけて?」

 

 背後で、涙声な朱美の声。

 競技の準備でごった返す先生や集まった父兄のあいだを、そのまま一周する。

 

(あれ――竜太くんのおとうさん?)

(お母さま離婚したんでしょ)

(再婚なさったんじゃ……)

(お仕事いく途中かしら、あの格好)

 

 アチコチから聞こえてくる声にオレは会釈をかえし、向こうの気まずそうな愛想笑いを引き出してやる。

 

「よぉ!**!」

 

 よく聞き取れなかったが、肩の上で竜太が下にいた園児たちのひとりに挨拶したらしい。

 全員、体格からいって同じ年長組のようだ。オレはその集団にむかい、多少ドスの効いた声で、

 

「みんな――竜太のこと、ヨロシクな!?」

 

 園児の集団は何やらテレたような、まぶしいような顔をしてソワソワと。

 竜太にはオレが居るんだぞと幼稚園中に示威活動をして、もとの場所でこの小僧を降ろしたとき、ドコか上気したような、満足げな朱美の表情と出合った。

 

「へへぇ……2人のすがた、いっぱい写真とっちゃったゼ♪」

 

 きょうは良く晴れ、絶好の運動日和となった。

 

 玉入れやムカデ競争など、お馴染みの種目がすすんでゆく。

 一点、おどろいたのは、どれも音を最小限にまで絞っていることだ。

 入退場の行進曲やダンス音楽なども、うっかりすると聞き取れないことがある。

 なんでも近隣からの騒音苦情に対応してのことだそうだ。

 徒競走のスターター・ピストルもなくなり、いま目の前で使われているのは、ホイッスルと小旗だ。

 

「アッ、ほら!竜太が走るよ!アンタもカメラ!カメラ!」

 

 大丈夫だよ、とオレは父母たちの歓声にまぎれて声をおとし、

 

「業務用のコネクターで撮ってる」

 

 えぇっ!?と朱美はオレの片目にはめたス○ウターもどきの機材をウサン臭げに見やって、

 

「大丈夫なんだろうねェ?それ」

「社の技術部入魂の品だぞ?

 

 ピッ!という音と共に旗がふられる。

 スタート組の子どもたちは横一線で走りだす。

 けっこう速い。園児だとおもっても、もう侮れないスピードだ。

 

「竜太ァァァ!!いけ!いけェ――!!!」

 

 腕を振りまわす朱美の気合いが入った叫び。

 周囲の若パパたちがこぞって手にする望遠レンズ。

 そのうち2,3本が持ちあがり、我が子たちの動きを追う。

 

 オレの方ではコネクターの視線入力で、竜太のほうを追いかけた。

 内蔵された自動追尾装置がはたらき、ズーム倍率を巧みに変えつつ、俯瞰で周囲の走者と、アップで本人の必死な姿とを使い分けながら、まるでプロの絵画(えづら)のように、一団からぬきんでて走る竜太を追いつづける。

 オレが(いいぞォ……そのままァ!)とG1レースで贔屓の馬を追うように胸の中で応援していた時だった。

 

「――あッ!」

 

 朱美の悲鳴にも似た声。

 

 ゴール直前、竜太はハデにスッ転げた。

 ワァッ!父兄たちの間からおこる様々な歓声。叫び。

 起きあがろうとする竜太のわきを、ほかの競争者が駆け抜け、つぎつぎとゴールしてゆく。

 竜太は手についた砂をはらい落とし、口をへの字にまげ、それでもトボトボとゴールに向かう。

 

「――竜太ァ!」

 

 オレは思わず大声で叫んだ。

 その声は、せまい運動場にオレが思った以上に響いた。

 まわりの視線が、一斉に自分に注がれるのがイタいほど分かる。

 声が届いたのだろう、立ち止まった幼稚園児の泣きそうな顔が、こちらを向いた。

 

「最後まで走れぇッ!」

 

 小さいあたまがうなずき、トテテテ……と幼稚園の先生たちが待つゴールへと走りこむ。

 運動場の周囲から、いっせいにゆるい拍手がわきおこり、この子どもを包んだ。

 次の競争をしらせるピッ!というホイッスル……。

 また新たな歓声がわきあがり、べつの望遠レンズが持ち上げられて。

 

「……ありがとね、マイケル」

 

 朱美が目尻を払いながら、

 

「あの子も、いつのまにかあんなに強くなって……」

「アイツは――根性のある子だ」

 

 生意気そうな、そして将来を期待させるような大物の予感。

 男の子の父親だったら、こんな気分になるのかなと、オレはふと思う。

 

 『次は・プログラムNo.*番・お父さん・お母さんたちによる・綱引き大会です……」

 

「じゃ、アタシちょくら出てくッから!」

「なんだ、キミが出るのか」

「ホントならアンタも出す予定だったのよ!――そんな服着てくっからサァ!?」

 

 観客席のまわりでクスクスと笑い声。

 

「と、とにかく!竜太にもイイとこ見せないとネ」

 

 そういうと、入場門の方へ向かってゆく。

 周りからも少なからずが移動していき、手持ちのカメラを貴重品・受付場所あずけ、列に並ぶのが見えた。

 オレの周囲はスカスカになり、のこるは中高年かジジババだけになる。

 若いパパママは、たぶん自分の子どもたちにイイところを見せたいんだろう。

 

 相変わらずボリュームを抑え気味にした行進曲がはじまり、オレと同年代の父兄が造花で飾られる入場門を行進して。あちこちで親を呼ぶ子どもたちの声援。

 

 その時だった。

 

「……あなた」

 

 どこかで聞いたような声がした。

 おそる恐るふり向くと――自分の眼が信じられない。

 

 わかれた元妻が、そこに立っていた……。

 

 

 



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      〃      (2)

 

「おまえ……」

 

 ピッ!と綱引き開始のホイッスルが吹かれ、旗が打ち振られた。

 とたんにわき起こる園児、ジジババ父兄たちの声援。

 元妻の口もとがうごくが、何をいっているか聞き取れない。

 

 彼女は品のよい細まゆをしかめ、

 

「ここはうるさいわ――ちょっとヨソに行きましょうか」

「どこに?談話室でもあるのか」

「園で静かな場所があるの」

「へぇ?」

「お母さんグループが、気に入らない新入りをイビる場所でもあるんだけど」

 

 ふふっ、と目の前の相手は含み笑い。

 こいつ。性格が悪くなったか?と少しばかり疑う。

 

 上下ジャージすがたの元妻は、オレを先導して幼稚園のうら側にやってきた。

 建屋と隣の土地の斜面に挟まれた狭い広場だが、人目がないのは安心だ。

 運動会の歓声は遠くのものになり、ふつうの声でも会話ができる。 

 

 はじめは――互いに相手を()ッと見つめるだけだった。

 その間、オレは元妻の視線のなかに、何かを読みとろうと努力する。

 

 ――怒り。

 ――猜疑。

 ――非難。

 ――哀願。

 ――糾弾。

 ――嘲笑。

 ――憐憫。

 

 しかし――相手の瞳の奥に(ほの)見えるものは、そのどれにもあたらない。

 あるいは、それぞれをすこしずつ加え、混沌と()()()()にしたものなのか……。

 

 オレは改めて元妻の全体を見やった。

 

 相変わらずの美人だった。

 そして詩愛には及ばないものの、均整の取れた体つき。

 わずかに“険”のある冷たい美貌といった印象が、不倫先の外人に受けたのか。

 

 だが――。

 すこし疲れたような色もうかんでいるのをオレは見のがさない。

 肌も手入れをサボっているのか、眼の下に、ややカサつきが目立った。

 美容院にすら、しばらく行ってないらしい。肩まであった自慢の艶やかな髪はショートにされ、こちらも潤いが感じられない。

 どうやら不倫がバレて、勤め先で移動になったというウワサは本当のようだった。

 

「元気そうね」

「そっちもな」

 

 と、オレはおざなりに挨拶。

 フフッ、とそれを聞いた元妻はわらい、

 

「相変わらずなのね」

「……そうさ」

「お察しの通りよ」

 

 自分のすがたを強調するように両腕をひろげ、声にいくぶん捨て鉢な調子をふくませて、

 

「あなたからの慰謝料は打ち切られるし、彼は本国に帰ったし。あたしは元の職場に不倫もバレて左遷され、お給料も落ちたいまは実家からの微々たる仕送りと合わせて()ってるわ」

 

 声の調子に、恨みがましいものはなかった。

 おそらく本人も、自業自得とあきらめているのだろう。

 

「ご実家、資産家なんだろ?同居させてもらえばいいのに」

「妻子もちの間男に(はし)った娘なんて、近所の外聞が悪いから帰ってくるな、ですって」

 

 ま、田舎じゃそうなるか、とオレは心中納得する。隠していても、いずれバレるにちがいない。 

「彼氏は本国に帰ったって。たしかフランス人?ベルギー人?だっけ。冷たいな」

「べつに。もともとそう言う約束だったもの。お互いに相手を束縛しない……」

「そのへんが、とうとうオレには分からずじまいだったな」

 

 オレは自分の目がやや冷たくなるのを感じつつ、できるだけ平静な口調で、

 

「だれカレ構わずくっついて()りまくるんじゃ結婚の意味がない。ガキの同棲と変わらん」

「あたしはただ!――癒やされされたかったの。“おんな”でいることの確認が、欲しかったのよ」

「うら切りと情欲をテンビンにかけて、後者が勝ったというわけか」

 

 うっ、と相手は鼻白んだ表情をみせ、

 

「あなた、すごい言葉つかうのね。でも否定はしないわ!あなたは仕事にかまけて――」

「そうでもしなきゃ、家に金は入れられんよ!」

 

 元妻の言葉を途中でうちきり、押さえた語気で相手をにらむ。

 

「ちょっとでも気を抜いたら案件がひっくり返る!仕事ってなァ、そんなに生やさしいもんじゃない」

「でも“彼”は、気楽そうにやっていたわ。家庭にも気を配っていたし」

「それは……そういう職種なんだろう。オレの場合は、そんな余裕がなかった」

 

 やや久しく沈黙があった。

 とおくに聞こえる運動会の歓声。ホイッスル。

 それらがまるで自分たちには縁のない、異世界のことのように感じられる。

 日差しが変わって暑い。

 彼女はジャージのジッパーを下げ、おれはネクタイをゆるめた。

 

 いつまでも黙っているのに気詰まりになったオレは、

 

「しかし――そういや、なんでココにいるんだ?」 

「それはこっちのセリフよぉ」

 

 元妻は腰に手をあてて、

 

「あたしこそ、ビックリしたわ?さっき観戦してたら“かけっこ”で転んだ男の子の名前を呼ぶ大声がするでしょう?わかれた主人(ヒト)に似てるなぁ、と思ったら……本人じゃないの」

「じゃおまえの、そのカッコ。あの子が……まさか、この幼稚園に?」

「そ。年中さんよ?収入が下がったんで安い賃貸に引っ越してきたの。いちばん近所がココだったってワケ」

「この場所から近いのか?」

「それを聞いてどうするの?」

「べつに……」

 

 ふん、と彼女はわらって、

 

 

「あなたは年少さんのときの運動会には、来なかったわねぇ。やっぱり仕事で」

「国際規模のビッド(入札)が間近だったんだ。苦労のかいあってデカい案件を受注したんで、あの時おまえにもサファイアのネックレスを買ってあげたじゃないか」

 

 ふと、元妻のくびもとを診れば、見慣れたそのネックレスはなく、ジャージの下に着た黒いTシャツの上には、ダイヤと見えるその宝石が燦然と陽光に燦めいている。

 幼稚園のママたちに見せびらかすためのモノと診た。きっとオレがプレゼントした品より、はるかに上物なんだろう。

 黒字をバックにしたその輝きは、自分の甲斐性の無さをを糾弾しているような、そんな気にさえなってくる。

 

 彼女は、そんなオレの視線に気づいたのだろう。

 バツが悪そうにジャージの前をあわせ、ジッパーを引き上げた。

 

「いいよ。いまさら」

「あなたから頂いたものだって、ちゃんと大事にとってあるのよ?」

「――うん」

 

 ふたたび沈黙。

 遠くで退場の音楽が鳴りだした。

 どうやら運動場では綱引きがおわったらしい。

 また、ふたりの間で言葉を探しあぐねる沈黙があった。

 

「……わたしね?」

 

 彼女はうつむきながら、

 

「いろいろあなたに不義理しちゃって」

「……うん」

「それでいま振り返ると、自分がなんであんなコトしたのか、分からなくなる時があるの」

「……」

「なんだか自分が……まるで()()()()()()()()()()()みたく、寂しくて……男のひとが恋しくて……」

「おまえの欲求に応えてやれなかったことは、済まないと思っている。でもそれで世帯収入が上がったから、あのマンションだって、半分以上手に――」

 

 そうじゃないの!と元妻は手を打ち振って、

 

「まるで本当に……操られていたみたいに……」

「操られていたって、誰にさ」

「分からない」

 

 彼女はうなだれ、幼稚園うらの地面をみつめた。

 アリの行列が、なにかの昆虫を集団でドコかに運んでいる。

 運ばれている方は、力なく脚をうごかすが、もはや為すすべもない。

 

「オカしくなっていたのよ、あたし」

「まぁ、女性には得てして、そういうことがあるらしいからナァ」

「信じてよ!」

「あーあー。信じるよ」

 

 だが、そうは言いつつも……。

 

 オレの頭の中に会社をクビになったときの、深夜の台所でたたずんだ光景が浮かんでくる。

 あの一尺モノ刺身包丁の白々とした刃紋。肩の冷え。チラつく視界。いまだに忘れられない。

 

 目の前にいる女を、まるで他人のような気分で眺める。

 これが、もとは自分の妻だったとは、どうしても信じられない。

 まるでガラスを隔てたアカの他人じみて、まったく共感というものが湧かない。

 

 彼女の言葉を借りていえば、オレのほうこそ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ような、そんな気さえしてくるんだ。

 

「さっきの女の人、再婚相手?」

 

 ふいに彼女は瞳に光りを灯らせ、こちらを向いた。

 

「茶髪の、ずいぶんハデっぽい人よ」

「どうだかね」

「ふぅん。あなた趣味変わったんだ?」

 

 元妻は軽くあざ笑いながら胸の下で腕を組み、

 

「むかしなら、水っぽいハデ目な女なんて、眉ひそめて見向きもしなかったのに……」

「貞淑そうな女がマ○コ濡らしながら妻子もちの男にはしるのを味わされたからね」

 

 相手の顔がムッとなるのも意に介さず、

 

「シュミが変わるのも、むべなるかな、だぜ」

「だとしても、あの女だけはヤメておきなさい?」

「なんでだ」

「あのヒトね……風俗でアルバイトしてるんですってよ?」

 

 バカな!とオレは一蹴した。

 

 男と対等にやりあうほどの、あの姉御だ。

 アルバイトとはいえ、男なんかに媚びへつらう仕事をえらぶハズがない。

 男まさりな仕事ぶりと、鉄火肌な気性をみても分かる。

 

 そのことを元妻に伝えると「……フーン」といった調子で、

 

「あなた、あの茶髪のイケイケ女のこと、スキなんだ?」

「好きとか嫌いとか。そう言う問題じゃないよ。アイツは戦友だ。だから気にかけてる」

「占有?だれの」

「誰のものでもない――みんなだ」

 

 まっ!と彼女の顔が真っ赤になる。

 

「そんな。みんなからサレちゃうだなんて……やっぱりウワサは本当だったんだ」

「ウワサだと?」

「いま言ったでしょ?なんか、**区にあるランジェリー・パブとかいうところでアルバイトしてるとか」

「オィ、へんなうわさを流すのはよせ!」

 

 なかば気色ばんであいてに詰め寄る。

 

「アイツは、そんなヤツじゃない。いいか?いやしくもオレの元妻なら、根も葉もないウワサを流すなんて、ゲスなことはやめろ」

「なに熱くなってるの?馬鹿じゃない!?」

 

 久しぶりに聞く、元妻の決まり文句。

 

「あたしはね、ほかの父兄の方々から聞いたことを、そのまま言ってるだけよ!」

「それが無責任な行為だと言っている!」

「なによ!あんないかにもビッチな――」

 

 ダレが、ビッチだってぇ?

 

 オレたちがニラみあう横あいから声がかかった。

 横をむいた元妻が、ヒッ、と固まる。

 そこには竜太を足もとに従えた朱美が、こちらをガン見していた。

 

「い、いえ竜太クンのお母さん、けっしてそんなコトを言ったつもりじゃありませんのよ?」

 

 元妻はこの期に及んでも往生ぎわ悪く、

 

「そんな、貴女が“魔女フェラチオーンの館”ではたらいてるとか、会社社長の太客(ふときゃく)を何人も捕まえているとか――」 

「うるせェっ!」

 

 顔を赤くして朱美が咆吼(ほえ)た。

 

「アンタだね?マイケルのモト妻で、家庭持ちの男ンとこにナメコ汁垂らしながら(はし)った糞メス(イヌ)は!?」

「あなた!そんなコトまでこの水商売女に――」

「ダレが“あなた”だ、こォの腐れマ○コが!」

 

 2人の女は、(かた)みに視線を斬りむすぶ。

 

 たいしたものだ。元妻は、この姉御にまけてない。

 それはおそらく見た目、自分の方がずいぶん上であるという年長者のプライドが彼女を後ろから支えているのだろう。

 しかし秒刻みで増してゆく轢殺トラッカーとしての殺気は、元妻をジリジリと後退させてゆく。

 

「アタシが風俗で働いているって、吹聴してるのはテメェか……」

「いえ……そんな。あたしは他の父兄のみなさまのウワサ話をきいただけで……」

「んで、テメェも広めてくれちゃってンだろぉ?そのウワサ話ってヤツをよォ!?」

 

 女ふたりの諍いに、そろそろ人が集まりだした。

 

(……なに?痴話ゲンカ)

(……なんか元妻と今妻が男とりあってるらしスwww)

(……えーなにぃ~!ワタシもっとはやく見に来ればよかったぁ!)

(……なんでも今妻が風俗につとめているってガセネタを元妻が流したんだって)

(……ヒデぇなそれ!)

 

 周囲の目も気になりだした元妻はようやく形勢不利と判断し、

 

「いやですわね。言葉の汚い人は。そのお口を石けんで洗ってらっしゃい!」

 

 そういうや朱美に背を向けて去りかける。

 待て手前ェ!と追いすがる朱美をオレはとっさに押さえるが、彼女は去ってゆく背中に脚をふりあげて、

 

「そういう手前ェこそ!その性病まみれな節操のねぇマ○コをキッチンハ〇ターでよく消毒しやがれ!」

 

 ドッ!と周囲から湧く哄笑。

 去りつつふり向いた元妻が、茹でダコのように顔を赤くするのが見えた。

 

「いいか!コイツはアンタのようなナメコ汁たれ流しのメス豚にャ、ふさわしくねェぜ!」

 

 とどめを刺すように朱美が元妻にむかって、これを最後と叫んだ。

 

「アタシがもらっといてやらぁ!」

 

 おおっ!というどよめき。

 どういうワケか、集まった若いパパやママたちの間から拍手喝采がわき起こる。

 おい、もういいだろう戻ろう、と暴れたためイイ匂いのするように鳴った朱美をみると、うっすら目に涙をにじませている。

 

「かーちゃん……」

「コラ竜太!お母さんて呼べっていったろ!」

「まぁまぁ、イイじゃないか」

 

 オレは体操服すがたの竜太をふたたび肩にのせた。

 

「ホラ、ひとが本格的に集まり出すまえに、ココからずらかるぞ?」

「あいよ。轢殺完了後の段取りだね」

 

 肩の上ではしゃぐ竜太を運動場までつれもどす。

 その途中の小道で朱美はボソリと、

 

「やっぱり……この子には、父親が必要だわ」

 

 オレは竜太の歓声にまぎれて聞こえないフリをした。

 運動場までつくと彼女を振りかえり、

 

「さて、オレはここいらでおいとまするゼ?」

「えっ……そんな」

「オイトマって?オイトマってなーに?」

 

 竜太がオレの髪をつかみ、肩の上であばれる。

 

「ここでバイバイするのさ」

「イヤだ!」

 

 幼稚園児にしてはあなどれないチカラでこいつはしがみついてきた。

 

「パパかえっちゃイヤだ!」

「そんな……このあとは、どっかのファミレスでお食事でもと思ってたのに」

「ホラ。あんなコトあっただろ?スーツ姿は目立つし、ここいらでウワサになる前にズラかったほうが良いと思って……」

「ヤだぁぁぁ!」

「そうだね……竜太!ワガママ言わない!」

「おかーちゃんソレばっかりびゃぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!」

 

 泣いて暴れる園児を運動場におろし、朱美が子どもをおさえている間にバイバイする。

 なんだろう――みょうに胸が痛い。

 みどりに塗られた幼稚園のかわいらしい門を通って外に出たとき。

 

 ――やれやれ。

 

 オレは文字通り“肩の荷をおろした”気分になった。

 背後では、園児たちのダンスらしきものがはじまって。

 耳をすませば、その音楽のなかに竜太の泣き声がきこえる、ような。

 また一瞬、チクリと胸がいたむ。しかしここで深入りをすると――あとがこわい。

 もう、ひとりの女の幸せに責任を持つ度胸は、自分の中に喪われてしまったような気がする。

 果たしてそれが、良いことなのか、どうなのか。

 

「強く生きろ……竜太」

 

 そう言って、オレは歩き出す。

 

 * * *

 

 

 



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      〃      (3)

・ひとつ。わたしたちは安全・確実にお客様を()ね殺します。

 

・ひとつ。わたしたちは笑顔絶やさずお客様を撥ね殺します。

 

・ひとつ。わたしたちは誠意を以ってお客様を撥ね殺します。

 

・ひとつ。わたしたちは努力奮闘し、お客様を撥ね殺します。

 

・ひとつ。わたしたちは倫理に(もと)らずお客様を撥ね殺します。

 

 

「ハィ、ちゅうもォ~く!」

 

 轢殺ドライバーたちが斉唱する、なんとなく気の抜けた『愛の五ヶ条』。

 それが終わると補佐役である主任は、どこか武○鉄矢を思わせる口ぶりで、

 

「マイケルさん。第1項をもういちど――おひとりで」

 

 了解しました、と手に持ったクリップ・ボードを小脇にしてオレは直立不動で、

 

「ひとつ!わたしたちは安全・確実にお客様を()ね殺します」

「そぉ~う!そのとおーり。安全、確実です。イイですかぁ~?みなさん」

 

 魚のハゼを想わすような下ぶくれした顔が轢殺屋たちをながめわたした。

 

「しかァ~し!先日このマイケルさんはぁ~?安全、確実の基本であることを(おろそ)かにしましたァ!」

 

 月曜の朝会は、思った通り。

 

 オレは報告・連絡・相談。

 俗に言う“ほう・れん・そう”が成ってないと、皆の前でつるし上げられる。

 長ったらしい訓戒。恫喝まじりの教導・叱咤。怪しげな格言を交えた講話。

 しかし幸いなことに、所長の“アシュラ”も“ネズミ面”の加論(カロン)『業務統括』も、そろって出張ということもあって“ネズミ面”の補佐役である幹野主任が、皆の面前でオレをこき下ろす役回りとなった。

 “アシュラ”に叱責されればコタえるし、“ネズミ面”に面詰されればムカつく。

 だが、この下ぶくれの薄ハゲに非難されても、オレは何も感じない。

 

 ――あ、なんかハゼが怒ってら。

 

 ……ぐらいにしか思わないところが有り難い。

 ほかのドライバーたちも同じようで、朝会は所長の“アシュラ”が臨席している時とくらべ、弛緩(ゆる)んだ雰囲気がただよっていた。

 ネチネチとオレに対し、十数分ばかり説教じみたことをクドクドと繰り返したあと、

 

「これは、ひじょぉ~に由々しきことです。イイですかぁ~皆さん!?」

 

(……先生かなしいです)

 

 朝会に集った轢殺ドライバの中から、ボソリと物まねのセリフが。

 

 クッ……!

 

 一団が笑いをこらえる気配。

 ハゼのエラ呼吸が激しくなった。

 ギリリ、と半眼が轢殺屋の群れを見回し、

 

「だれですかァ!?いまのはッ!!」

 

 沈黙。

 

 どこかでボソリ。

 

(……風が語りかけます……)

 

 そうかとおもうと、その反対側から、

 

(……ながい……な が す ぎ る……) 

 

 ここに至って、ようやくこの“ネスミ面”の補佐役は、自分が軽んじられていることに気づいたようだった。

 

「答えなさい!」

 

 ハゼはヒステリックにわめくが、逆に轢殺屋たちから一斉に、

 

(――あァん!?)

 

 凄みの利いたガンをとばされ、このハゼはタジタジとなった。

 まるで“ネズミ面”が指揮を執った、いつぞやの朝会の再現だ。

 憮然(ぶぜん)としたハゼが、あとは事務的にソソクサと、現在のトラックのメンテナンス状況、整備庫(ハンガー)からの出庫予定。今後の予定と各ドライバーが営業自粛期間中気をつける点などをつたえ、朝会は尻切れトンボに終わった。

 

 ハゼが“ネズミ面”の執務室にある自分の机に帰ってゆくのを全員が見送ってから誰かが、

 

「終わりだとよ……」

 

 ここで全員に和やかな嗤いがいきわたる。

 さっさと散会する一匹狼トラッカー。

 

「あ~あ、ちきしょう……」

「どう?飲み行く?」

「オレ寮帰って寝るわ」

 

 巻き狩り隊や、ペアを組むトラッカーも三々五々、話しながら事務所前スペースから消えてゆく。

 

「よかったねぇマイケル。所長や『業務統括』がいなくて」

 

 朱美が、すこしこだわった顔で近づいてきた。

 

「とくに『業務統括』が居た日にゃ、朝会が1時間ぐらいになってたろうね」

「あの“ネズミ面”の野郎、どうもオレを目のカタキにしているフシがあるからな」

「それはそうと――」

 

 ふと、朱美は声色をかえて、

 

「きのうはアリガトね、マイケル」

「ん?――あぁ」

「竜太のヤツ、喜んでたわァ」

「あれから坊主、ダダこねなかったか」

「それがねぇ。パパといっしょに帰るんだって、言うこと聞かないの」

 

 パリン!と言う神経に障る音が総務のエリアに響いた。

 見れば、お局サマがカップを割ったらしい。

 アタフタと本人がコワばった顔で破片をかたづけ、給湯室に向かうのが見えた。

 

「……けっきょく運動会は早退よ。帰りにファミレスいって、あの子のゴキゲンとって」

 

 とんだ出費だわ、と彼女は嘆いて見せた。

 

「なんだ、ふところ寂しいのかよ」

「いつだって金欠サぁ。竜太のためにも、いっぱい稼いどかないとね」

 

 オレは心ならずも“魔女フェラチオーンの館”なる店で彼女がスケスケのネグリジェを着て男にご奉仕するサマを想像し、思わずブルッと頭をふる。

 

「もうすぐボーナスだしな。ガンバらんと……そうだ、運動会の画像は、しばらく待ってくれ。コネクターの規格が特殊なんで、一般のPCじゃデータ移動できない。トラックが復活したらそっちに転送するから」

「わかった――期待してる♪」

 

 給湯室から能面のような表情のお局サマが急ぎ足でもどってきた。

 自分の席につくと、なにやらフォルダーを開いて見入る風。

 

「あのサ。お願いあんだけど……」

 

 ふり向くと、朱美がツナギの作業服に包まれた身体をモジモジさせている。

 

「竜太が、サ……いちど“パパといっしょにレストラン行きたい”って」

「う~ん、坊主め。意外とダダっ子だな」

「ね……ダメかな」

 

 携帯が鳴った。

 ジャケットから引き出してみると、情報屋の青年からだった。

 

 ――おそい。あの引きこもり。時間はあるくせに、ナニやってんだか……。

 

 画面に見いるフリをして考える。

 かたわらでは朱美の哀願するような眼差し。

 しかしこれ以上、坊主に期待をもたせるのも酷だ。

 

 ――でも……一回だけなら……?

 

 どうせこの数日はヒマだろう。

 下らない朝会もないし、出社も任意。

 ドレッドたちを見つけても、轢殺手段がない。

 

「……いいよ?あとで都合のいい時間をすりあわせようか」

 

 朱美の顔が、普段のクールな表情からは見なれない、おさえきれぬ喜びにほころぶ。

 

「やった!あの子喜ぶわァ!!あとでメールすンね!?」

 

 そういうや、またもこちらの心変わりを心配するようにイソイソと、尻を振り立ててフロアを出て行く。

 

 ――ンなに喜ばれても、後ろめたいだけなんだけどなァ……。

 

 若干の胸の痛みを覚えながらクリップ・ボードを手に、オレは総務のカウンターに近づく。

 

「災難だったね、マイケルさん」

 

 通りかかった顔なじみのオヤジが湯飲みを手に声をひそめ、

 

「あの主任ドノも業務統括の加論(かろん)サンに認められようと、最近いろいろ画策してるらしくてサ」

「へ。画策って?」

「ロコツにゴマすってるらしいよ?業務ドライバーのアラ探したり」

「うへぇ。でもハナからあのボラには期待してないけど」

「閻魔帳にも、いろいろ付けてるらしいよ?」

 

 マ、きをつけてねと言うと、このオヤジは隣の課の窓ぎわにある自分の席に座り、ゆうゆうスポーツ新聞を広げる。

 

 ――“ネズミ”に「おべっか」を使う“ボラ”か……。

 

 オレはクビを振りつつ、カウンター越しにお局サマを呼んだ。

 めずらしく彼女はボンヤリとでもしていたのか、ハッと顔をあげてこちらを見る。

 

「……あぁ、マイケルさん。なにか」

「これこれ。この前もらった上申書のつづり」

 

 手にしたクリップ・ボードをかかげてみせる。

 

「いちおう、上申書も記入してきたよ。この書き方で通るか、知らんけど」

「――ちょっと拝見」

 

 メガネの奥の無表情な視線が、ザッと文面に眼をはしらせる。

 その間、オレは総務の席をザッと見渡す。しかし、あのベリショの娘は、今日もいない。

 長らくの欠席は、ドライバーのあいだでも、あの憎まれ口が聞けないのはサビシイと言い出すヤツが出るくらいだ。

 

「――あの娘なら、今日も所長と同伴で出張よ?」

 

 またも、こちらの心を見透かしたように書類を見つつキロッ、とお局サマがメガネの縁から上目づかいに、

 

「あの子、業務ドライバーだけじゃなく得意先にもファンがいて、彼女連れていくと何かとベンリなんですって」

「へぇぇ。やるなぁ――営業畑の人間だったら、さぞかし優秀になったろうに」

「そう。何にせよ若い()はチヤホヤされていいですわね」

 

 まわりの人目も気にせず、古株の主任はツケツケと言いはなった。

 

「そうことを言ってるんじゃなくて……」

「あ、そういえばオメデトウございます」

「え、なんのこと?」

 

 お局サマはいくぶん声をひそめ、こちらに身を乗り出した。

 

「朱美サンと――ご結婚なさるんでしょ?」

「はぁ?」

 

 思わず間抜けな声が出た。

 ちかくにいた法務や財務のスタッフたちが端末から顔をあげたほど。

 

 

「ナニ言ってるんだ?べつにオレは再婚なんてしやしないよ」

「え!だって……朱美さんが、あなたのことお子さんのパパだって」

「そんな。あれは単なる子どもの父親役さね」

「なに?それじゃ――」

 

 不思議なことに、それまで真っ白な能面をおもわせたお局サマの顔が、パァァァ……っ、と色づき始める。

 きゅうに表情が生き生きとしはじめ、視線と身体の動きが落ち着かなくなって。

 

「なんだ……なぁぁんだ!」

 

 彼女は、まるでこちらを非難するような口ぶりで、

 

「そういうことでしたの!?」

「あたりまえダロ?いまのオレにゃ、そんな心の余裕なんてないのサ」

 

 相手が生気をみせる反面、オレの心の中は(あおぐろ)く煮え立つ。

 

「知ってるだろうが。オレにはどうしても殺してやりたい目標(ターゲット)がいるんだ……」

「怖いわね……あまり根つめないで?」

「根をつめなきゃ、目標(ターゲット)は撥ね殺せない」

「どうでもイイけど。いまのあなたの顔、まともじゃなかったわよ」

 

 上申書にOKをもらったオレは、妙に嬉しそうなお局サマに書類の提出をまかせると、ひとけのない自販機コーナーまで行き、コインを放り込んで缶コーヒーを取り出し口に落とした。そしてすぐ近くに置かれた白いテーブルに腰を落ち着ける。

 

 ――さぁて、情報屋のヤツめ。なにを調べてきたかな……?

 

 携帯のメール画面をひらき、送られてきた文面をワクワク気味にたどる。

 

 まず、連絡がおくれたことを詫び、つづいて要点として以下の内容が並んでいた。

 

 ・懸案の人物“結城”とは『帆桷(ほずみ)銀行・社外取締役』の“結城倫林”氏であること。

 ・もとは商社マンをつとめ、北部アフリカ・中近東のプラント関連事業を手がけていたこと。

 ・旧名は源鬼倫林。インターハイ出場経験あるも、何らかの事情で失格となっていること。

 ・身辺に関しては、特段のウワサは下記以外にないこと。

 

 ……などが挙げられていた。

 

 そして下記?と文面の下を見れば、

 

 注)懸案の人物は、外務省の政策決定に関する情報収集を内密に担当していたとのウワサ有り。

 

 なァんだ、コレだけかとオレは拍子抜けする。

 

 商社員が、国や軍の意向をうけて現地で情報収集活動を行うのは珍しくもない。

 とくに戦前では、スパイもどきの工作活動もあったと聞く。

 インターハイ出場も想定内だ。「失格」とあるが、おおかた減量にでも失敗したんだろう。

 

 時間をやったワリには実入りがない。

 収穫は、銀行の系列が分かったことぐらいか。

 しかし、民間の商社員ふぜいが銀行の役員というのも不思議と言えば、不思議か。

 まぁ、これも外務省とのパイプを考えれば、“天下り”の変則パターンとして無くはナイ話だが。だがそれには本人がよほど大物か、あるいは有力なコネがないと……ならその後ろ盾は?

 

 添付されたフォトを眺める。

 

 例によって机に座り、ペンをにぎってこちらを向いたおきまりのポーズだ。

 しかし顔は微笑んでいるが、眼が笑っていない。全体的に硬質な雰囲気。

 

 ――いずれにせよ、なんかヤバそうな人物(キャラ)だぜ……。

 

 オレは青年の口座へ多めに金を振り込み、後ろ盾に大物がいないか探れと指示する。 

 さて……なにが出てくるか……。

 

 コーヒーを飲み終わると、地下駐車場へ足を伸ばした。

 しかし、そこは相変わらずの修羅場状態で、整備員や作業員、技術員が入り乱れ、作業音が耳をつんざくばかり。S/W(ソフトウェア)のチェックだけじゃなく、物理的に検査もしているらしい。

 

 大電力を消費する転生装置。

 いったいどんな仕組みなんだか。

 そもそも開発したのは、どこの国だろう?

 まさか日本じゃあるまい。この国にそんな度量はない。

 となると……アメリカの軍産複合体か。ロシアの非公開研究施設か。

 

 ――なんだァ?……『死体置き場』?

 

 壁に段ボールの切れはしで作られた大カンバンが貼られる場所を見れば、そこには折りたたみ式の狭い軍用ベッドがならび、あぶらまみれの作業員たちが力尽き、爆睡していた。

 

「ぎゃァァァッ!」

 

 およそ人間の立てる声とは思えぬ凄惨な悲鳴。

 スパークの青白い閃光とイヤな明滅。

 肉の焦げる美味そうなにおい。

 

 トラックのボディーに上半身を突っこんでいた整備員が、全身から湯気を立ち上らせつつ、黒いケムリを口から吹きながらユックリとのけ返り、後頭部からコンクリの床に着地する。

 

 ゴトッ!

 

 腹の底に響くような、胸の悪くなる音。

 

 鳴らされる警報(ベル)

 がぜん緊張する気配。

 あちこちからおこる怒号。

 周辺は、いっそう騒然とする。

 男たちの殺気が、最高潮に高まって。

 

 ――ダメだこれは……。

 

 ロック技術顧問のところに顔を出して、いろいろ情報を仕入れようとおもったのだが、こんな状況ではどうもムリっぽい。

 作業員以外立ち入り禁止と札の架かったポールの迷路をとおって、オレはトラック用のスロープをつかい、空模様があやしい外に出た。

 

 歩いてバス停に着き、さて……と時計をみれば、まだ10時前。

 

 帰って二度寝するか?と思っても、寮にもどれば遅番の終わった『美月』がオレのベッドを占拠して寝ているだろう。コッチはいいかげんソファーで寝るのも疲れてきたってのに。やはり鷺ノ内のオヤジに事情を話し、実家に引き取ってもらおうか……いや、だめだ。あちこちの整理がついてから実家や高校にもどさないと、とんでもない崩壊がおきそうな気がする。それこそ取り返しのつかない……。

 

 なにか、とてつもない大崩壊の予感にブルっと身をふるわせ、雲荒れる空を仰ぎ見た。

 

 ――どこか……にしても。この天気じゃもうすぐ降ってきそうだなぁ。

 

 こういうときに仕事人間は不便だ。

 前の職場でも、轢殺屋になってからも、忙しくて趣味というものが持てなかった。

 ポカンとヒマになったとき、やることがない。こういう人間はボケるのが(はや)いって、本当だろうか……。

 

 映画の上映スケジュールを見ても、展覧会の()しもの予定も、ピンと来るモノを()ってない。携帯の画面には、大型水族館のリニューアル・オープン画像がながれた。

 

 ――野郎ひとりで水族館ってのも、ゾッとしないハナシだ……。

 

 竜太のヤツをつれて行ったら喜ぶだろうか。ふと考えてしまう。

 いや、これ以上親しくして、相手に期待を持たせるのはダメだ……いやまて、約束した食事会の前に、水族館につれて行くってのは、アリだぞ?

 

 とうとう雨が降り出した。

 オレは轢殺ターゲット監視用として、この自粛期間中にも使用許可をもらったスカウタ……じゃない、コネクターをつけ、スイッチをONにする。

 

「ちえっ、こんな時に【SAI】がいればナァ……」

 

 適当にアドバイスをしてくれるんだろうが――と考えて、イカんイカん。

 あのクソ生意気な人工知能に助けを求めるなんて。いつのまにか依存している。

 

 監視ポッドからの映像は、相変わらずだった。

 CROSEの札がかかった『ジーミの店』と『BAR1918』。

 

 ――いや待て。

 

 監視ポッドの映像を広角ぎみに。

 1918の窓に、例の女がたたずんでいる。

 赤いホルター・ネックのドレスが褐色ぎみの肌に()く映えた。

 こうして見ていると、まるでファッション雑誌のモデルめいた印象。

 無表情に外を覗っているが、その反面、視線と身体はソワソワとして人待ち風に。

 

 ――まさか……ドレッド?

 

 おいおいカンベンしてくれよ?いま奴らに動かれたんでは、手も足も出ない。

 まったく、トラックを取り上げられた轢殺ドライバーなんて、(おか)にあがった魚だ。

 

 そして……思った通り。

 コネクターが、電子音の警報を発した。

 あらかじめI/P(インプット)した轢殺目標を検知したときの、合図。

 

 パーカーのフード姿。

 見間違えようもないガタイ。

 サングラスをかけた、削げたほお。

 オレの全身の血が、カッとたぎり、逆流する。

 気のせいか、サングラスごしの視線がこちらを見たような気すら。

 おまけにブ厚なくちびるがニィッ、と嗤うように歪められ、まるで徴発するように。

 

「【SAI】!ヤツが――」

 

 思わず叫びかけ、言葉を途中でグッとこらえた。

 畜生。こんな時に。

 

 バスがやってきた。

 

 いま行っても、どうにもならないことは分かっている。

 しかしオレの轢殺ターゲット。なにより詩愛の敵。

 

 轢殺トラックで簡単に異世界送りとしたのでは気が済まない。

 最低でも、先だっての轢殺目標のように“紅いウサギ”にジワジワといたぶってもらわなきゃ、もはや自分の中で溜飲がおさまらないまでになっている。

 いや、むしろいっそのこと……。

 

 

 ――オレの手で、殺すか?

 

 

 ヤツとオレとの一騎打ち。

 素手喧嘩(ステゴロ)、なんて素人クサい、生やさしいモノにはなるまい。

 ブラス・ナックルか、ナイフか。それともブラックジャック(革棍棒)か。

 得物をつかっての血みどろな闘いになるだろう。

 

 ――上等だぜ。こっちも人生、はんぶん棄てにかかってンだ。

 

『乗らないんですか?』

 

 いつのまにかバスが前に停まり、ドアを開けたままマイクで確認される。

 

「あ!スイマせん、乗ります乗ります!!」

 

 慌ててステップを登り金を払うと、ガラガラの車内を歩いて一番後ろの座席にすわった。

 

『発射します。ご注意ください』

 

 ブザーのあとバスは動きだし、見晴らしの良い車窓の列であたりの景色がゆれる。

 そう、ヤツはオレの獲物だ。アホ【SAI】なんかに頼って、お手軽に異世界なんぞへブッ飛ばすよりも、オレの手でじっくりと殺してやったほうがどれだけ胸がすくことか。

 

 よぅし、とオレが覚悟を決めたときだった。

 

 

 ――まて。それでは単なる殺人ではないか。

 

 

 ふいにオレの中で別の声が主張する。

 

 ――業務で処分するのと私怨で抹殺するのでは、天と地の開きがあるぞ。

 ――しかし……そうは言っても、詩愛の敵だぜ?

 ――轢殺処分し、異世界に転生させ、より高位の裁定におまかせするのだ。

 ――でも……なぁ……?

 ――ケッ!なに言ってやがンだよ、フニャチン野郎が!

 

 また別の声。

 硝煙と、火炎放射器のガソリンと、そして腐肉と悲惨の気配が近づいてきた。

 

 ――殺られたら、殺り返す!これが戦場の掟よ!

 ――ここは非常時の戦場ではない、法治国家だ!

 ――法治も無法もあるかィ!報復は、完遂する!

 

 背中の辺りで二つの考えがしばらく拮抗する。

 

 ――それに、だ!

 

 とうとう騎士団長のイメージがある片方が、業を煮やしたように、

 

 ――()()()()は、丸腰ではないか!

 ――あ。

 

 言われてみれば、確かに。

 考えてみれば、チョッとアツくなりすぎていたようだ。

 先日の詩愛のなみだが、オレに見境をなくさせたらしい。

 

 ――えぇ?武器を持たずに、戦うのかねキミ?

 ――ウッ……そりゃぁ、途中で得物を買うサ、なぁ?

 

 なぁ?と言われ(うむむ……)と考え込んでしまう。

 戦闘用(コンバット)ナイフなら寮にある。

 しかし、この前みたいに相手が拳銃を持ち出してきたら……どうする?

 

 どうせフィリピンか北朝鮮製の安いコピー銃だろうが、それでも狙って撃てば十分殺傷能力のある代物なのだ。

 

 コネクター画像の中。

 例のブラインド窓で、女とドレッドが抱き合うのが見えた。

 やがてそのブラインドのハネも角度を変えられ、中が見えなくなる……。

  

 



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      〃      (4)

 結局、それからは市の図書館で本を読むフリをしつつ、閉館まで粘って店の監視をしていたんだ。

 ドレッドの奴は『BAR1918』に入ったっきり、まったく出てきゃしない。

 あの褐色女とベッドでよろしく姦ってやがるのか。

 それともやはり裏に勝手口があるのか。

 

 ――夕方。

 

 図書館の都合で17時の閉館をシオに追い出されてみれば、パラついていた雨が、とうとう本降りとなっている。

 しかたなくオレは駅に隣接するビルの2Fにある喫茶店に移動し、傘の花が眼下に行き交うのを眺めた。

 もちろんサングラスの下にコネクターを隠した左側の目は、『BAR1918』の表を監視しつづけている。

 

 待つこと以外、何もすることがないというのは奇妙な感じさ。

 

 営業マンのときは、自分の受注予算未達に、なにがしかの焦燥感があった。

 無職だったころは、減ってゆく口座残高に、なにがしかの焦燥感があった。

 しかし現在は給与も保証され、とりあえず監視をする以外やることがない。

 

 お義理でオーダーし、運ばれてきたアイスコーヒー。

 とっくに氷がとけ、見るからに水っぽく口を付ける気にもならない。

 

 右目では、大窓を雨粒が軽やかに叩き、流れてゆく。

 左目では、『BAR1918』の看板が雨に濡れていた。

 

 ふと、監視ポッドの視点を逆サイドにすれば、通りを挟んだ『ジーミの店』に灯が。

 ガブリエルの大柄な姿も、窓辺にチラッと見えたような。

 

 どことなく、やがて展開する荒事を予感させるアンニュイな夕暮れ。

 まるで嵐の前の静けさのような……。

 

 と、そこへ見覚えのある大型セダンが店の前をゆっくりと徐行。停止。

 後席とリア・ウィンドウをスモークにした“いかにも”な車体。

 監視ポッドを『スモーク透過MODE』にして中を見る。

 助手席にいる大柄な男とソフト・ハット。

 

 ――銭高だ……。

 

 あのゴロワーズ臭い猟犬。

 まだ律儀にガンバっているらしい。

 暗い過去があるとはいえ、その執念ぶかさは驚くほどだ

 “紅いウサギ”に潜入捜査として入店した『サッチー』はどうなったんだか。

 

 

 やがて、今日は遅番なハズの『美月』が“ボイトレ”のため早めにバイトへ出たであろう頃合いを見計らい、ようやくオレはアイスコーヒーに手をつけないまま腰をあげ、夕方の雑踏に揉まれながら独り、寮に帰る。

 

 錆びかけたシリンダー錠を回し、ドアを引き開ける。

 ほんのり彼女の匂いが残る、みょうに艶めいた部屋。

 さらに加えて、どこか甘いような気配が漂っている。

 

 部屋を見回せば、テーブルの上にパンケーキが載った皿が置かれていた。

 わきのメモ書きにピンク色の文字で、

 

 『いっしょーけんめー作ってみました――()()()だと思って美味しく食べてネ♪』

 

 ハートマークが乱舞する文面。

 織部(おりべ)の平皿の上には、彼女の手製と見えるパンケーキが。

 いっちょうまえに粉砂糖とバナナの輪切りまで添えられて。

 バターとハチミツが混ざったソースらしき小鉢も置かれている。

 

 ――甘い匂いの正体はこれか……。

 

 時節がら、手洗い・うがいをした念入りにしたあと、末尾の一文に(やwかwまwしwいw)とニヤつきつつ、立ったまま皿の上から一口ほおばる。

 この平皿も江戸後期につくられ、ボーナスをはたいて買った秘蔵の逸品なんだが、本人は知らずに使ったらしい。

 小癪なことに、パンケーキとの風合いもマッチして、悪くない。

 

 作ってから、そんなに時間は経ってないらしかった。

 まだ(ほの)かに暖かい、ふわトロのリコッタ・チーズが口の中にひろがり、まるで本当に『美月』の“おまた”をク○ニしているような……などと下品な妄想が混じるのは、疲れている証拠にちがいない。

 いや、今日は肉体的には疲れていないはず。

 だとすれば、このどうしようもない人生にとうとう()んだか。

 うん――なかなか美味い。

 

 ふたくち目をハチミツとバターのソースに漬けてからモグモグしつつ、淫靡な印象を祓うために冷蔵庫からビール。

 よく冷えたアルコールが()()()()を貫き、頭をスッキリさせる。

 

 ――さぁて。どうするか……。

 

 くちの中の甘さと頭の中のピンクな妄想を炭酸の刺激で洗いながし、今やすっかり自分のベッドとなった長ソファーにあぐらを組んで考えた。

 何はともあれ、転生代行ドライバー唯一の武器である轢殺トラックが無いことには、どうしようもない。

 目標を見つけても、手も足もでない歯がゆさ。もどかしさ。

 (武器が必要だ……)と考えたとき、情報屋の青年が話題にした闇サイトを思い出す。

 

 『拳銃って、例のサイトで手に入るモノなのか?』

 

 こう携帯に打ち込んで、ハタと思いとどまった。

 最近はどんな検閲やフィルターがあるかも分からない。

 直球な表現は危険だ。なにか秘匿性の高いフリー・ソフトでも使うしかないか。

 壁の時計をみれば、すでに時刻は夕方から夜に移るころあいとなっている。

 夜型のゲーマ野郎が、ベッドから起きだしていればいいが……。

 

『前略。SNSソフトの*****って、使ってるか?』

 

 送信。

 と、跳ね返るようにユーザー・ネームだけが帰ってくる。

 どうやら、このネームで検索しろという意味らしかった。

 とりあえず携帯に、くだんのSNSソフトをインストール。

 アカウントをとり、検索画面上でヤツのユーザー・ネームをサーチ。

 秘匿モードにすると、すぐに青年本人とコンタクトすることができた。

 こういうところは、ホント時代だねぇ。をぢさん……じゃない“後期青年”はツいてけない。

 

【調べ物、ありがとう。恩にきる。ほかに新しいネタは――ないよな?】 

【なんです?こんなソフト使うなんて。またヤバい取引じゃないでしょうね】

【キミの例のサイト、武器も扱ってるのか?】 

【ほらキタ。ヤバい取引だ。モノは何です?】

 

【拳銃】

 

 まるで携帯の画面がフリーズしたのような沈黙。

 ややあってから、

 

【……最近は値崩れしてるとはいえ、高価(たか)いらしいですよ?】

【いくらだ】

 

 青年は金額を言った。

 

 その値段にオレは絶句する。

 ハァ?なんだソレ。

 しかも一番廉いパチ物の回転式拳銃(リボルバー)でその値段だという。

 新式の自動拳銃(オートマティック)になると、その数倍に跳ね上がるとか。

 

【ナニを計画してるのかは聞きませんが、ヤメた方がイイですねぇ】

【……一応、アイミツをとった価格表を暗号圧縮で送ってくれ】

【あんみつ?】

【あんみつ違う“合い見積り”のことだ。ようは価格の比較】

【この分野、ボク詳しくないんで。どうしてもと言うならソッチの方面に詳しい知り合いに任せますけど……】

【分かった、分かった。金額を言ってくれれば振り込むよ――ときにドウだ?】

 

 オレは何気なく、いかにも気安い調子で、

 

【最近も、ちゃんと職探ししてるか?】

 

 若干の空白があった。

 やがて、ウソをついても仕方ないと覚悟を決めたのか、

 

【すいません。このごろは……ぜんぜん】

【まぁ、イイってコトよ。こんどいっしょにメシでも食おうぜ】

【なんか……もうそんな気分じゃないって言うか……】

【『美月』も来るんだが――】

【行きます!!】 

 

 ――こいつめ……。

 

 このゲンキンさ。

 まぁいい。それだけ元気があれば結構なコトだ。

 

【――また連絡するから、頼んだ件はヨロシク】

 

 それだけ伝えてログアウトする。

 

 拳銃を装備する線は消えた。

 まぁ、最初から荒唐無稽とは分かっていたが。

 残った『美月』謹製のパンケーキを食べ、二本目のビールに移る。

 

 不思議なことに、酔いが回ってきた。

 たかが500缶の二本程度で?とオレは驚く。

 どうやら本当に疲れているらしい。目の前が細かくフレて。

 そして、部屋全体に黒い霧のようなものがしのびより、空間を犯してゆく。

 

 

 頭の中がスパーク。

 フラッシュ・バック?

 

 異世界での戦乱のイメージ。

 アフリカらしき戦場のイメージ。

 目標(ターゲット)を処分する轢殺トラックのイメージ。

 

 それらが混然一体となり、オレのなかの“俺”と、もうひとりの“オレ”の三人がそれぞれイメージを披露し、入り乱れ、相克し合い、考えがまとまらない。

 

「やぁ――しばらくだネェ」

 

 どこかで聞いたような声がした。

 

「……だれだ」

 

 部屋をめぐる黒い霧が次第に集束してゆき――やがて黒ネコの形をとった。

 ソファーに座るオレの目の前で前足をペロペロと舐め、顔を洗っている。

 

「オマエは。あのときの……」

「キミがお守りを手放してくれたおかげで、ようやく会えたよ」

「お守りを?ウソだ。こっちがお守りをもっているときでも、オマエは現れたじゃないか」

「しばらくキミが持っているうちに、こちらの“支配存在”との“縁”(えにし)が生まれ、ちからが強まったのサ。なんたって咒法(じゅほう)を打ち(こぼ)つのに、ヨソの権力(チカラ)を借りたぐらいなんだから……」

 

 ――お守りが焦げたのは、そのせいか……。

 

 これは早急にあの縁結び神社に行き、お守りをもらい直さねばと考えると、

 

「ヤレヤレ。つめたいネェ……でもムダだよ」

 

 金色の瞳が(……ニイッ)と細められた。

 いきなり相手が数倍もでかくなり、まるで多いかぶさるばかりの迫力をみせる。

 

「お守りは、手に入らない。だってこちらがそういう風に手配したもの」

「手配だって?」

「そうさ。神社の授与所、閉まっていたよね?アレぐらいはカンタンさ」

「……オマエはいったい何だ?どうしてコッチの足を引っ張る?なんでオレに関わる?」

「足を引っ張る、だってェ?」

 

 黒ネコはいかにも心外だと言う風に、直立したまま生意気にも両前足を(ハァッ……)と左右に広げて肩をすくめ、

 

「いちおう、この世界の“バランス役”になっているつもりなんだケドねぇ?」

「バランス役って何だ」

「キミは忘れちゃたかなぁ?因果から来る絶対値。前にも言ったハズだよ?ものごとは、何にせよ収支がプラマイ0でなければならないんだ。まぁ言ってみれば平均律さ」

 

 わすれていた。

 そういえばコイツはゲッティンゲンで哲学を、ソルボンヌで神学を修めたとか言ってたっけ……。

 

 シッポを見る。

 

 やはり。

 二本の尾が揺れて。

 いったい何歳のネコなんだろう。

 

「ボクの歳だって?――そんなのはどうでもイイことだよ」

 

 ハ、とコイツは鼻で嗤うような素振りで

 

「ボクたちが望むのは、世界たちの“調和”そのものだからね。だから相互律、という観点から言って、些細なこともゆるがせには出来ない。キミが気にかけている詩愛という女性が暴行されたのも、この世の必然たる(ことわり)なのさ」

 

 ()ッ!とオレの中で怒りが(はし)った。

 思わずソファーから立ち上がり、この糞ネコを捕まえようとする。

 しかし――身体はピクリとも動かなかった。

 

「ヤレヤレ。そんなに怒らないでよ。ボクはキミたちの知らないトコロでさんざん努力してるんだけどネェ……感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはナイよ」

 

 ――努力だと?いったいどんな努力を……。

 

「キミたちに言っても、おそらくは理解出来ないんじゃないかな?」

 

 そのとき、暖かくやわらかいモノが重く身体を包んだ。

 ふにふに、クニクニとした感触。

 首のあたりがくすぐったい。

 

 やがて顔のあたりにプヨプヨとしたものが押しつけられ、くちびるにグミのような、そしてそれよりずいぶんと固めの金属めいたモノも、同時にあたる。

 

「オマエをどう判断すればいいのか、分からんな……」

 

 オレは黒ネコに向かいつぶやいた。

 

「なんだか恐ろしいモノのような気がする」

 

 ふふっ、と黒ネコが片前足を口に当て、目をほそめ、

 

「そうかも知れない。あるいはそうでないかも知れない」

「じゃぁ……オレは沈黙するしかないワケか」※

「そうかも知れない。あるいはそうでないかも知れない」

「やれやれ、完全な袋小路だな」

「そうかも知れない。あるいはそうでないかも知れない……ところで……」

「ところで?」

「○ゅ~るは持ってないかぃ?」

「……」

 

 首もとの生温かい気配が強くなってきた。

 なんとなく蒸れた生臭さ。それでいてイイ匂い。

 シャンパンの、葉巻の、化粧とドレスの(キラ)めきの気配。

 

 ソファーに座ったまま、オレは周りを見回す。

 ……なにもない。普段通りの部屋だ。

 黒ネコは前足をキチンと行儀よくそろえ(ニィッ)とまたも目を細めて。

 

「キミには期待してるんだよ?この外乱を集束してくれると信じてるからね」

「ご主人サマぁ……」

 

 急に別な声が割りこんできた。

 シャンプーの香りが、濃くただよって。

 

「ヤレヤレ、こちらの“支配存在”も強引だねぇ?またジャマをするなんて……まぁ仕方ないか」

 

 耳もとで、熱い吐息。

 なにか艶めかしい、イイ匂いが鼻腔をくすぐる。

 モゾモゾと、重いモノがさらにのしかかり汗ばんだ気配をつたえてきた。

 

「それじゃぁ、よろしく頼んだよ?キミだけが頼りなんだからね」

「おい、チョッと待て!一体ナニが――」

 

 

 ハッと目を覚ました。

 

 

 正面に天井の灯り。

 目が、急な明るさに痛む。

 なんだか目の前に星が舞うような。

 改めて見れば、オレはいつの間にか長ソファーに横になっているのだった。

 

 ――ケド……なんだこの重さは。

 

 不自由な身体で下を見れば、なんと。

 シャツの胸をはだけ、ブラを外した『美月』のヤツが上からのしかかり、軽い寝息をたてている。

 唇に感じた、グミのなかの固い感触。あれはきっと『美月』の……。

  

 ――黒ネコは?

 

 身動きが満足に取れぬなか、目の動きだけで黒ネコのいた場所をにらむ。

 もちろん、そんなものは居ない。

 棄てようと思っていたピザ屋のチラシが一枚、床におちてるだけ。

 

「ご主人サマぁ……」

 

 まるで甘えるように、寝ぼけながらも身をすり寄せる『美月』。

 銀色の乳首ピアスを穿たれたシミひとつない白い双丘が、オレの胸に押しあてられる。

 ついで(あぁん……もっとぉ)と呟きながら、この少女はオレの下半身に手を伸ばし、大事なところをフヨフヨまさぐった。

 

 ――あっ……コラッ!! 

 

 あわてて身をよけるが、相手の小さな手はしつこかった。さては。

 

「おまえ~~。さては起きてるだろ?」

「えへへ……」

 

 小悪魔めいた『美月』の含み笑い。

 だらしない姿のまま抱きついてきた。

 

「アタシの作ったパンケーキ……美味しかった?」

「あぁ。上手に作れてたよ?」

「お口のご奉仕も、じょーずになったンだけどナァ♪」

 

 彼女はプックリとふくれた口唇をオレの首にあてる。

 

「こら――離れなさいって……」

 

 ムクッ、と少女の顔が目の前に持ち上がる。

 おっ、とオレは驚く。その雰囲気が『美月』ではなかった。

 メス奴隷の染色化粧もうすれ、いつのまにか“美香子”の顔になっている。

 ふくらまされた口唇も、すっかり馴染んで「タラコくちびる」よりすこし目立つ程度。

 

「……そんなにお姉ちゃんがイイの?」

「あぁ?」

「アタシじゃ……ダメなの?」

 

 ――ふふっ。

 

 いつの間にか、彼女は女子高生の必死な素振りでこちらを見つめている。

 何だかんだ言っても、やはりまだ十代後半の少女だ。

 欲しいモノをねだる子どもと大差ない……。

 

 だが次の瞬間。

 

 背中がゾワッとする。

 なぜなら彼女の瞳の奥に、なにか狡猾な光がキラリと灯ったような気がしたからだ。

 

「ネェ、ご主人サマぁ」

「……んぅ?」

「……お姉ぇちゃんは、強姦されて“中古”だぉ?」

「……」

「アタシは、お道具を挿入(いれ)られたコトがあるだけで“殿方”の経験ないモン」

「お道具だって?」

「まえに拉致られたときもムリヤリ“突っこまれ”ちゃったケド、アタシ女子校でしょ?」

「うn」

「だから、ペニバン持っているお姉ェさまたちから。よってたかって……」

 

 絶句。

 

 女子校は、一部が“百合の園”だときくが、まさか彼女の通っていたお嬢様学校もそうなのか?

 いや、そもそも「ペニバン」ってなんだ?ピップエレキ○ンみたいなモンか?

 制汗剤の8×3容器を、イジメ目標である下級生のアソコに挿入(いれ)るというハナシは聞いたコトがあるが……。

 

「ネェ、ご主人サマ」

「……」

「わざわざアタシと結婚なんて、しなくてイイのよ?」

「……」

「一度目で、もう疲れちゃったでしょ?」

「……」

「だから“愛人”として飼ってくれれば、ソレでいーの」

 

 ――チッ、聞いたようなセリフを。

 

 オレは苦々しく少女の言葉を耳にする。

 いや……ひょっとして。

 あるいは、そんな口説き落としのテクニックを“あの店”(紅いウサギ)の古株な()ギツネ……もとい女ウサギに、教え込まれたのかもしれない。

 

 潮時だ、とオレは覚悟をきめた。

 

 考えてみれば、アカの他人の中ねn……いや、()()()()が、恋に恋するJKと一つ屋根の下なコトが「ニア事案」であるわけで。

 通報一発、手が後ろに回るこの剣呑な状況を、考えてみればもっと早く修正すべきだった。

 

 オレは『美香子』を“装う”『美月』をやんわりと押しのけ、ソファーから立ち上がる。

 そんなこちらの視線に、相手は何か普通でないものを感じたらしい。

 いままで(ほうけ)け顔をしていた彼女の表情に、不安めいた色がチラリ、はしった。

 

「明日か、明後日。キミの家にいくぞ。オヤジさんに、アポをとる」

「アタシんちに?なんで?」

「もう、この生活も終わりにしよう。キミは“あの店”のアルバイトを辞め、高校生活にもどる」

「ヤ!そんなの」

 

 『美月』は気色ばんだ。

 

「もう家にもどりたくない!」

「世間のキマリでは、そうはいかないんだ。本来ならご両親の(ゆる)しも得ずに、キミとこうして暮らしているのもマズいんだぞ?」

「だって。アタシといっしょだと、家の中がクラくなるんだもん」

 

 ふてくされ、横顔をむける相手。

 それは、たしかにオレが出合ったころの『美香子』だった。

 何かに焦れて、行く先の無い衝動に苦しんで、自分をもてあますしかないハイティーンの少女だ。

 

「それは――キミの生活態度に問題があったんだろう」

「アタシが悪いっってぇの!?」

「もちろん、キミだけじゃない、お父さんもサ。キミを理解しようとする努力を怠った」

 

 『美香子』は立ち上がり、乳首ピアスされた胸をフロント・ホックのブラに隠し、気のない手つきでブラウスの前ボタンをかけた。

 

「……もういい。明日からお店の寮に泊まる」

「それでどうする?あの店に、ずっと勤めるとでも言うのか」

「家にいるよりマシだもん」

「今はいいよ、いまは」

 

 このアホが、という目でオレは彼女をにらみつけ、

 

「女子高生というだけでチヤホヤされる今はいい。ただ、年を取ったらどうする!?」

「え……」

「昼夜逆転の荒れた生活をしてれば、肌も一発でボロボロに老ける。容姿が衰えたら、ダレも見向きもせんぞ?」

「……」

「学歴もない。手に職もない。容姿も衰えた女が、どうやって生きていく?」

 

 オレは自分の言葉の効果を見るために一息つく。

 しかし相手の顔からは、かたくなとも見える気配しか伝わってこない。

 

「歳を経るにつれ、だんだんと店のグレードを落とし、ついには風俗で男のチンポをしゃぶるようになる。だがそれも限界ってモンがあるのさ。そうなったら悲惨だぞ?そしてそう言う女を、オレは何人も見てきた。チンポどころか「華やかだった自分の過去」をいつまでもしゃぶって、周囲からウザがられ、陰で笑われる哀れな女をな!」

「……そのまえに、いいダンナ様を見つけるモン」

「アホか。よく聞け?いいダンナというのは、だなァ」

 

 フフンとオレは鼻で嗤いながら、

 

()()()()()()ということだ。そしてそういう男は、遊び相手としてはオマエを珍重するかもしれんが、結婚相手としては絶対に看ない」

 

 すくなからず茫然とした表情(かお)で、美香子はノロノロと身なりを整えた。

 そしてベッドルームに行き、なにやらゴソゴソと用意する気配。

 やがて見慣れない大きなトート・バッグを引きずってくる。

 それを横目にした()()()は断固とした口調で、

 

「あの店にもどるのは、キミの勝手だ。しかし一度ご自宅にキミを連れかえって、お父上にコチラから直談判する」

「……高校に戻るように、って?」

「ちがう。キミに関する扱いのひどさに、文句を言ってやるのだ」

 

 そう言ったはしから、自分の中で(イヤだなぁ……モウ)という思いがふくれあがるが、営業マン時代につちかったポーカーフェイスで押し隠す。

 次いで、この思慮の足らないアーパー娘を睨みつけ、

 

「しかるのちに!一度わたしの手をはなれ、自宅にもどって高校生になったうえで、母校を退学して店に戻るなり、男の“精液便所”に堕ちるなりすればいい。ただ、わたしの庇護下にある限り、キミを危険な目に遭わせたり、倫理にもとるふるまいをさせるワケには絶対に不可(いか)ん!――いいか?絶対にだ!!」

 

 自分のなかで、部下の特殊騎士団員に叱責を食らわしたときのイメージが甦る。

 あのときは何だったか。たしか複合作戦のタイミングをミスった分隊が出たときだったような……。

 

「年長者の責任として!なにより“鷺ノ内美香子”というひとりの()()()の幸せをねがう大人として!」

「……」

「わたしは、この命令にキミを従わせる義務があるし、また従ってもらうよう努力せざるをえない!」

 

 『美香子』のふくれ顔がすこしおさまり、顔には幾ばくかの笑みが。

 

「ホントに……アタシのコトを想ってくれる?」

「もちろんだ!」

「アタシって美少女なの?」

「う……もちろんだ」

 

 ならイイや、と彼女はあっけらかんとショルダーバッグを放りだした。

 

「なんだかんだいって、やっぱりご主人サマはご主人サマなんだね」

 

 そう言うや泣き笑いのような表情をうかべ、こちらに抱きついた。

 スリスリと、自分の身体をすりつける仕草。

 

 だが――結果的に言えば、これが大きな誤算だった。

 

 思えばモノゴトは、ここから何かヘンな風にコロがりはじめたんだ……。 

 

 




※ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』
「Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.」
(語りえないことについては、沈黙するほかない)


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第36話:パニック in 鷺ノ内医院

「……」

「……」

「……」

「……」

 

 

 鷺ノ内家の豪華な居間は、奇妙な沈黙に充たされていた。

 どことなくギスギスし、冷たく、とげとげしい。

 

 メガネをかけた、お手伝いさんらしき中年女が紅茶を運んできた。

 しかし、それぞれの前に置かれたティーカップを口に運ぶ者はいない。

 時計の振り子がゆっくりと沈黙を縫うなか、高価(たか)そうなテーブルを挟み、オレと“美香子”は夫人を横にした鷺ノ内医師と対峙している……。

 

 

 やっぱりバイトに行くという『美月』をフン捕まえ、なるべく“美香子”らしい装いをさせて勇を鼓し、医院に隣接する鷺ノ内家本宅のピンポンを鳴らしたのが、相手の指定時間である20時の5分前。

 

 時間的に家族での晩餐会を狙ったのだろうが極力辞退し、あくまで“ご相談”という形にしてくれと念を押してある。

 おみやげの入った袋を手に、スーツ姿のオレと無難な普段着の『美月』は、ともに緊張した面持ちで扉が開くのを待ったものだ。

 

 ――なんか、はじめて元妻の両親に挨拶した時を思い出すなぁ……。

 

 などと、ボンヤリ考えているうちに扉が開き、お手伝いさんに案内されて応接室に入ってみれば、白髪のオールバックが意外にも和やかな顔をしてオレたちを迎える。

 

 意外なのは、鷺ノ内夫人の方だった。

 

 品の良い顔をこわばらせ、何かこだわったような表情をして、物思いにふける風情で。

 それぞれがソファーに位置を占めると、オレはもうどうにでもなれとばかりに今までのこと、そしてコチラの希望をかいつまんで『美香子』の両親に話す。

 

 ・いま、実は美香子と自分が“やむなく”(ココ大事!)同居していること。

 ・自分は世の中の仕組みや決まり事を御令嬢に教え込んだこと。

 ・現在、彼女はウェイトレスのアルバイトをしていること(ウソは言ってない)。

 ・夜の店により施された化粧や、施術された身体の部位も、だいぶ目立たなくなったこと。

 ・上記の観点から、彼女を高校に復学させたいこと。

 

  (ここで、夫人の顔に初めて色がうごき、こわばった顔に微笑を浮かべた)

 

 ・同時に彼女をこの自宅にもどし、ココから通学させること。

 ・また御令嬢に対する扱いを、お姉様と等しく手心を加えたものにしてもらいたいこと。

 

 “お姉様”とオレが言ったとき、夫人の顔がピクリと動いた。

 鷺ノ内のオヤジは、

 

「わたしは……この娘とこの娘の姉とを、扱いにおいて差別したことは無いと思うのだが……」

「残念ながらアカの他人である第三者から()て、とても扱いが平等とは思えませんでした」

 

 容赦なく断言するオレのことばに、

 

「……そうだよ」

 

 はじめて美香子がポツリと口をはさんだ。

 

「中学ンときだってサ?せっかくテストで90点とかとっても、おねぇチャンはもっとイイ点をとってた……とか」

「……」

「絵のコンクールで銅賞とっても……おねぇチャンは金賞だった……とか」

 

 とぎれとぎれにそういうと、最後は半泣きになって、

 

「……チッともほめてくんなかったジャぁん!!」

 

 大人たちはうなだれた。

 美香子はそれでも口をへの字にして耐え、

 

「この家にだって、居たくないよ。ご主j――マイケルさんのトコから学校通いたい」

 

 おいおい、ソファーで寝続けたオレの背骨はソロソロ限界なんだよとコチラは思いつつ、

 

「あれは社の寮だからなぁ。しかも独身者用の部屋だよ?ふたりで住むには狭い。それに男女……え~と7歳(だったか?)にして席を同じうせずと言うだろ?世間の目というものがある」

「うん。(わし)の見込んだとおり、キミは中々しっかりした青年だ」

 

 鷺ノ内医師は頼もしげな目つきでオレを見やった。

 オレはすかさず予防線を張る。

 

「とんでもない。前にも申し上げたハズです。いまや休日の朝ビールを楽しみに生きる仕事人間だと」

「儂も前にいったハズだぞ?それで男子の本分が果たせるのかと」

「いやぁ……その」

「結婚し、家庭を持ち、子どもを授かり、精勤して地位を得て、社会に、国家に貢献する。これが男子たるものの目指す路ぢゃなかろうか」

 

 ――うッへぇ……。

 

 明治時代の立志傳みたいなコトいうヒトだなぁと半分呆れる。

 が、もちろん毛ほども顔には出さない。あくまでまじめな顔で。

 すると美香子がオレの方に身をすりよせて、

 

「ミッk――美香子も高校卒業したらマイケルさんのメs――お嫁サンになる!いいでしょ?」

 

 テーブルを挟んだ両親が顔を見合わせる。

 そして額をよせ、小声で、

 

(……いいかもしれんナァ)

(でもアナタ、歳の差というものが……)

(バカ、違う。この娘の監視役と考えれば、得難いのかもしれん)

(そうですねぇ……詩ッ子の恥も、この家のオモテには出せませんし……)

 

 ――詩愛の恥……?

 

 なにやらボソボソ言い交わす両親を前に、オレは思い切って聞いてみた。

 

「あの、美香子クンのお姉さんは、まだ会社ですか?」

 

 ふたたび両親は顔を見合わせる。

 ややあって夫人の方がこの前とはちがい、まるで唾棄するような調子で、

 

「いいえ――もう帰宅して二階の自室におりますよ」

 

 微妙な空気が、両親のあいだに流れた。

 さすがに美香子も何かオカシイと感じたのだろう。

 

「え……お姉チャンどうかしたの?」

()ーさん、お姉さんがどうしてるか。2階に行って、ちょっと見てきてくれないかしら」

 

 冷たい、まるで犯罪人でも話題にするような夫人の声。

 怪訝(けげん)そうな顔をしながらも、美香子は応接間を出ようとする。

 すると、部屋の外でガタン、という音がおこり、やがて階段を急ぎ足でのぼる気配がそれに続いた。

 

「お姉ぇチャン!」

 

 美香子が応接間のドアを開け、足音を追った。

 やがて二階でなにやら罵り騒ぐ声。

 

「いったい、どうなさったんです?」

 

 さすがに不思議に思ったオレは、鷺ノ内医師にたずねた。

 この前とは打ってかわって美香子を珍重し、姉である詩愛をさげすむ雰囲気。

 母親のかたくなな態度と、それを懐柔しようとするような父親の困ったような気配。

 

「それは、ですな」

「――アナタ」

「仕方なかろう。マイケルさんだってココまであの娘たちに尽くしてくれたんだから」

「家の恥を“外のかた”に伝えるのは……忍びありません」

「もうすぐ“外のかた”じゃなくなるんだから、良いじゃないか」

 

 おぉう……白髪オヤジはシレッと(おそ)ろしいコトを。

 

 それを聞いて、夫人の方も覚悟をきめたようだった。

 そうですわねぇ、と言うやオレの方に向き直った。

 やがて、驚かないでくださいね?と前置きをしたあと、

 

「恥を忍んで申し上げますが、わたしの娘はあろうことか……」

「はい……(ゴクリ」

 

 おれはテーブルに身を乗り出した。

 微妙な間が空くが、やがてこの母親は顔を赤らめ思いきったように、

 

「しゅっ、手淫(しゅいん)をするクセがついてしまったのです!!!」

 

 そう言って、ウゥゥ……と顔をハンカチのなかに(うず)めた。

 さらに微妙な間があいた。

 三人とも無言。

 

 とうとうシビレを切らしたオレは、

 

「……んで?」

 

 さらに三人とも無言状態。

 すると母親は顔をあげ(……このかたお分かりにならないのかしら)という表情で、

 

「いえ。ですから、その……“手淫”ですよ?」

「……はぁ」

「オマエ。若いヒトに手淫といっても通じないよ」

 

 いえいえいえ……と、オレは手をふり、

 

「それくらい分かりますよ。失礼ながら、そのぅ、“オナニー”でしょ。それで?」

「それでってアナタ……手淫ですよ?嫁入りまえの娘が!何という――恥さらしな!!」

 

 品の良い面差しをゆがめ、まるで唾棄するように。

 

 オレは“紅いウサギ”での一幕を思い出した。

 詩愛が踊り子の手によって(ヴァギナ)に挿入されたカプセル。

 やはりアレは習慣性を催すものだったらしい。あるいはひょっとしてスパン・セルのように持続性をもったものなのか。

 

 考えてみれば、この家庭不和の原因は、詩愛を()()()に連れて行ったオレにも責任の一端はあるワケだ。

 彼女には申し訳ないことをした。

 そしてお嬢様育ちらしいこの夫人には、それが非常に(けが)らわしい悖徳的(はいとくてき)なモノに映ったのだろう。

 

 オレは「なぁンだ」と言いながら、乗り出した身をソファーの背もたれにのけぞらせた。

 

「何かと思えば……そんなコトですか」

「なんだとはナンです。手淫でございますよ?手淫!」

 

 オナニー!オナニー!と血相を変えて連呼する夫人の様子。

 それが面白く、思わずフフッと笑ってしまう。

 ふと、思いついて、

 

「奥さまは……ひょっとしてミッションスクール系の学校をご卒業でしょう?」

「え?えぇ」

 

 虚を突かれたように、この夫人は、

 

「キリスト教系の、一貫校を出ましたが」

「やはりねぇ……」

 

 と、オレは目を転じ、今度は鷺ノ内医師を哀れみのこもった眼差しで見てやる。

 相手にも、それは伝わったらしい。

 オールバックの白髪は渋面をうかべ、

 

「そうなのだ……どうも(コレ)には、ヘンに潔癖なところがあって、困ってしまう」

「やァれやれ……“大山鳴動してネズミ一匹”ですなぁ……」

 

 男ふたりのあきれ顔に、またもやヒート・アップする鷺ノ内夫人。

 それをどうにか抑えつつ、ちょっと思い出したことがある。

 よし、ドサクサにまぎれて訊いてヤレとばかりにオレは、

 

「そうだ。家のハジ、家のハジと奥さまは前にも連呼されましたね、美香子クンの件で。アレもどうせ大したコトないんでしょう?」

「いえ、どうか。それは本当に当家の秘密でして――」

 

 すると、完全にバカにされたと思いこんだのか、オナニー連呼夫人は、

 

「なにが“当家の秘密”ですか!アナタおっしゃったじゃないの。この方はいずれ“ヨソの方”じゃなくなるって」

「いや、今回のハナシとそれとは……」

「よろしいですわ?どうせ拍子抜けとか言われるでしょうから!」

 

 鷺ノ内医師の渋面が深まる。

 夫人のほうは、チラリと応接間のガラス扉を確認してから、

 

「あのね――美香子のことだけど……」

「ハァ」

「あの娘は、ね?……わたしたちの子じゃないの」

 

 

 *  *  *

 

 

 この情報を、意外にもオレはすんなりと受け入れた。

 

 いや、伝えられた事実がデカすぎて、マヒ状態になっていたのかもしれない。

 言われてみればあの姉妹、二人とも美人ではあるが、美貌の質が違っている。

 詩愛の方が、ひかえめな、お嬢様然とした百合のような“麗人”ならば、美香子の方は、ハデで、芸能人風な薔薇(バラ)を思わせる“佳人”。

 内向的と外向的。奥ゆかしさとイケイケ。淡と濃。陰と陽だ。

 

 とりあえずオレは平然とした風で、

 

「あぁ、なるほど――それでお父上は『美つki……美香子クンを詩愛さんと比べて差別するわけですか」

 

 驚かんのかね?と鷺ノ内医師。

 べつに?とオレ。

 

「ホラごらんなさい。やはり驚かれないじゃないですか!」

 

 夫人がフンス!と、なぜか勝ち誇ったように。

 

「手淫の方が一大事ですわ!」

「オナニーの話は、もうイイから……」

 

 珍しくもグッタリと疲れ切ったような鷺ノ内医師をよそに夫人は、

 

「じつを言うとあの子は、わたくしの妹の子なんです。やはり派手好きな、家に()もって主婦となることを潔しとしない子でしたわ」

「なるほど。美香子クンは妹さんの血を引いてるワケですね……」

 

 夫人は、すっかり温くなった紅茶を()()()ばかり飲むフリをしたあと、

 

「あの可哀想な妹は……悪い男に引っかかって、わたしの実家を出ましてねぇ。しばらく音信(たより)がなかったんですが、やがてすっかり身体をこわした状態(さま)で実家にもどってまいりました……」

「膵臓ガンのステージⅣでね」

 

 鷺ノ内医師も苦々しげに、

 

(わし)のコネをつかい専門医をあてがって色々努力したんだが……もう手の施しようがなかった」

「妊娠が分かったのは……それからすぐでしたわねぇ?」

「うむ。それがために抗ガン剤をいっさい拒否してナァ。しかし母親の()()()というものは(えら)いものだ。余命三ヶ月と診断されておったのに、見事に分娩を成功させ――そして亡くなりおった」

 

 夫人は胸もとからハンカチを取り出して、

 

「それなのにアナタったら。あの子に冷たくあたって」

「オマエが甘やかすから、あのように跳ねっ返りな性格になったんだろうが!もっとも、オマエの妹の蓮っ葉な性格が遺伝したとも考えられるがな」

「なんですって!?あの子に対するご自分の振る舞いを棚に上げて、なんという言いぐさでしょう!お忘れになりまして?妹が――あの子が最後にアナタに頼んだ言葉を」

「分かっとる、わかっとる」

 

 いかにも面倒くさそうに鷺ノ内医師は手を打ちふった。

 

「しかし、キミの実家もつれないじゃないか。いくらヤクザものに引っかかって家を飛び出たとはいえ、赤ん坊を誰も引き取らず、おまけに入院費まで払おうとしなかったんだから」

「なにをおっしゃいます?“位高ければ務め多し”ですわ」

 

 またもや夫人は昂然として胸をはり、

 

「主が私たちを信頼して、あの子をお与えなさったのです」

「キミのアーメンも良いが、われわれは実利の世界に棲んでいるのだからね?」

「お金がなんです!心こそ!心こそ一番重要なものですわ!」

 

 そう叫ぶや胸元に十字を切って応接間の絨毯ににひざまづき、

 

   なんすれぞ(なんぢ)が肉を飾り己を肥やすや 日ならずして奥津域(墓場)蛆蟲(うじむし)(くら)はむその肉を。

 

   なんすれぞ汝が魂を飾らずや 天にありて神とその御使いたちに召し出さるべき魂を。※

 

 ガチャリと応接間のガラス扉が開いた。

 そして、白い顔をした美香子が、心もちフラフラと部屋に入ってくる。

 

 ――しまった!

 

 その足どり。

 血の気のない面差し。

 どこか定まらない、泳ぐような視点。

 それだけ見れば十分だった。三人の大人たちは、そろって気まずそうな顔で。

 

「どうしました?詩ッ子は“イケないこと”をしてませんでしたか?」

「お母さん……いまのハナシ、ほんと?」

 

 夫人の顔に苦悩の色が浮かんだ。

 だが、ここまで来たら、なにを言ってもムダというものだった。

 かすれたような声が、美香子にとどめをさした。

 

「そうよ……アナタはわたしの妹の娘なの」

「そして。ヤクザの子どもなのね」

「ヤクザだなんて。ちょっと風来坊みたいな、フラフラしたところのある殿方だったのよ。定職にもつかず、色々なことをして。でも安心して」

 

 夫人は、例の清教徒(ピューリタン)じみた表情(かお)を浮かべると、

 

「お母さんと()ーさんは、確実に血が繋がっているもの――アカの他人じゃないのよ?」

 

 母親の意味不明なドヤ顔から、美香子は目を父親の方に転じて、

 

「だからなんだ……だから、アタシをホメてくれなかったんだね」

 

 彼女のほおにポロポロと涙がつたった。

 茫然とした無表情のまま。まるで目から勝手に流れ出るように。

 へぇ。人間って、こんな芸当が出来るんだなとオレはこの非常時にボンヤリと思う。

 

「だから……だからいくらガンバっても、ムダだったんだ」

「それは違うぞ?キミは母親に似たのか、行動が奔放だった。だからそれを(いさ)める意味で……」

 

 どうせヤクザのムスメだよぉッ!

 

 悲鳴にもにた哀しい叫びが、応接間に響いた。

 

「アタシはこの家に居ちゃイケない子なんだ!ひろわれっ子なんだ!!」

「バカな!いままで(わし)はオマエをひろった子なんて思ったコトはないぞ!」

「どうしようもない蓮っ葉な遺伝をしたヤリマンだって言ってたじゃぁぁん!」

「ヤリマンだなんて、オマエそんな……」

 

 夫人は、不安げな顔で夫と“妹の娘“を等分に見くらべ、

 

「なんですの……ヤリマン、って?」

「オナニー女みたいにマン汁垂らすビッチと同じようなイミだよぉぉぉ!!」

 

 バン!と応接間のガラス扉がひらかれた。

 

「非道いわ!美ぃチャン!黙って聞いてれば、オナニー女だなんて!!!」

 

 ――あああ……まァたハナシがややこしくなってきやがった……。

 

 オレが頭を抱えるなか、高貴な怒り顔ともいうべき表情で詩愛が乱入するや、

 

「あんまりと言えば、あんまりじゃありませんか!」

「……あらまァ、この(ウチ)の子が来た」

 

 気の抜けたような、乾いた嗤いで美香子は“姉”を看た。

 その瞳はには、もはや他人を伺う色が混じっている。

 

「なによ!かりにウチの子じゃなくったて、美ィちゃんは今までナニ不自由なく暮らしてきたじゃありませんか!」

「……ウトまれながらだけどネ」

「なんてことを!ゴハンだってチャンと食べさせてもらったし、イイお洋服だって買ってもらったでしょう?」

「……オナニー女には、アタシの気持ちなんてワかんないよ」

 

 サッ、と詩愛の顔に血の気が奔った。

 それが恥ずかしさによるものか、怒りによるものか――ちょっと区別がつかない。

 彼女はオレの方をチラッと見てから、

 

「私立の高校だって行かせてもらってたのに、勝手に不登校して!夜のお店なんかでバイトして!そんな男に媚びを売るようなイヤらしい姿になって!」

「イイんだもォん!アタシはもう一生マイケルさんに媚びを売って生きていくんだもん!」

 

 これに父親が反応した。

 

「キミ、まさか本当に美香子の方をお気に入りなのかね?」

「そんなワケあるはずないでしょ!」

 

 こんどは詩愛がキレた。

 

「年齢の差というモノを考えなさい!」

「愛にトシなんて関係ないモン!」

 

 そうねぇ、と夫人がオールバック親父の方をみて、

 

「殿方は、若い娘がお好きみたいですしねェ……?」

 

 その毒を含んだような言い方。

 言葉じりをとらえた鷺の内医師は、夫人をギロリと横目にして、

 

「……なにが言いたい」

「アタクシ、存じ上げておりますのよ?アナタが医師会の看護師たちをとっかえひっかえ、()()()のマンションでお楽しみにふけっているのを」

()り部屋だぁ!!♪」

「お父サマそれホント?――不潔ですわ!」

 

 娘ふたりの驚き顔から目をそらし、オマエこそ!と鷺ノ内医師は、オールバックを乱して逆ギレ気味に、

 

「医院の帳簿を改ざんして、自分の息のかかった団体に資金を横流しにして、そこの組織を牛耳っとるじゃないか!」

「あら。ワタクシの方は、純然たる慈善活動ですのよ」

「フン、どうだか。そこの若いボランティアとよろしくヤっているらしいが?」

 

 ハッ、と夫人の顔が赤くなり、目がつりあがる。

 

「フケツよ!お父様も、お母様も。もういい!ワタシもこの家を出て、マイケルさんのところにお邪魔になります!」

「いやぁー!オナニー女は来るなぁぁ!」

 

 おいおい、コッチの背骨はどうなるんだ?

 いやマテ。彼女まで来たら、オレいったいドコで寝ればいいんだろう……。

 ちょうどいいですわ、と鷺ノ内夫人は悠揚(ゆうよう)迫らず、夫の方を流し目に、

 

「主人が使っている“お楽しみ用のマンション”にでも引っ越せばイイじゃないの」

「イヤよ!そんなの!――ケガらわしい!」

 

 ナミダ目になる鷺ノ内医師。

 さもありなんと夫人のうなずき顔。

 

 ふと。

 

 応接間の扉がユックリ細めにひらいて。

 メガネをかけたお手伝いさんが、この惨状をじっと凝視している……。

 なにやらバックに“あのBGM”が流れてくるような気がしないでもないが。

 

 ブラウスに包まれた、乳首の浮き出るノーブラっぽい胸を一つ重そうにゆすりあげると詩愛は、

 

「さぁて!それじゃぁわたし、荷造りしてきますからね」

「あ~ズルい、お姉チャン!アタシも」

 

 ちょっとまてキミら、とオレは弱々しく、

 

「オレの寮は――そんなに広くないぞ?ベッドだって、ひとつだけだ」

「みんなで寄せ集まってお休みすればイイですわ」

「あー!まだお姉チャンが来るのユルしたワケじゃないかんね!?」

「アナタたち……ちょっとおまちなさい」

「マイケルさんのご迷惑も考えてだな、その……」

 

 その時だった。

 

 庭に面したフランス窓にかかるカーテンの隙間から、ガラス戸ごしに金色の瞳がこちらを覗いているのに気づく。

 不意にその瞳は、ニィッ、と三日月のように歪められ……。

 

 ――コイ……ッ!!

 

 赫ッ!とオレの中で血管が逆流した。

 ソファから跳ね起きると、英国風な古い木製のマガジンラックを蹴倒しつつ窓に殺到し、取っ手を横に引き開ける。

 

 ゴゥッ!!

 

 夜風がカーテンをドレスの裳裾よろしくふくらませ、応接間の(よど)んだ空気を吹き(はら)う。

 黒ネコは!と足もとを見るが、あの小動物の形をとる“不確かな存在”は見あたらない。

 

 ――いや……居るな。

 

 広い庭園状となった目の前の暗景。

 その入り組んだ植え込みを、ガーデンライトの灯が頼りなくうかべて。

 庭の奥の方は、目を凝らしても(くら)くて見えない。

 

 池に鯉でもいるのだろうか。

 なにかがバシャリと水面を叩く音。

 

「オマエの所為(せい)なんだな?……えぇ!?」

 

 広い庭に向かって、オレは叫んだ。

 

 道理でおかしいと思った。

 仲むつまじいはずの鷺ノ内一家が、こんな三流ラノベでもやらんようなドタバタを演じるなんて。

 ふり向くと応接間の人々が驚いた顔で、みな何ごとかとオレの方を見ている。

 

 かまうもんか、と庭に向き直り、さらに声を張り上げて、

 

「――なにをネラってる!」

 

 (こた)えは無かった。

 

 夜風がもういちど、庭園を吹き抜けて植栽をゆらす。

 

 どこかで犬の吠える(こえ)……。

 

 

 




書いててどうもハナシがヘンな方向に進むなァ?と思ったら
例の“黒ネコ”がカラんでいたんですね。
(作者も知りませんでした)
まったく人さわがせな。

※クレルヴォーの聖ベルナール(1090~1153)『瞑想録』より。


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番外編:サロメの奸策・上(自粛版)

()ッ――ダメぇっ!」

 

 それは、深夜の豪奢(ごうしゃ)なるひと間だった。

 

 “紅いウサギ”にいくつか存在する、最上級お得意様用・応接の間。

 蝋燭を模した灯りが背の高い燭台にいくつも立ちならび、広間といっていいほどの大きさな室内を仄暗(ほのぐら)く浮かび上がらせている。

 

 王朝時代の家具。

 高価な磁器や名だたる陶器。

 あるいは大型の精密複製絵画やイコン。

 はては年代を経た精緻な金属工芸品や骨董品など。

 

 そんな中を(キラ)びやかな縁取りもてる大きな姿見がいくつも立ちならび、灯りを幾重にも反射させている。

 あるところでは空を映し、あるところでは合わせ鏡となったこれら古参の銀幕は、曰くありげな什器たちの複製をいくつも造りだし、果てがない。

 

 ()かる幽玄なひと間の中心には、天蓋(てんがい)つきの大型ベッドが重々しく据えられており、シルクの上掛けや天蓋周囲にめぐらす垂帳(とばり)が、くだんの灯りにひときわ華やかな照り映えを魅せている。

 

 と、その上掛けにキラキラと光の波が奔り、ふたたび悩ましげな声が薄暗がりに響いた。

 

「……あぁ……詩愛……」

 

 よく見れば――。

 

 光沢もてるベッドの大海で踊り子の姿をした者がひとり。

 飾り立てた(からだ)を仰け反らせるかたちで、うす闇のなか、密かに身(もだ)えていた。

 

 薄絹のハーレム・パンツにボレロな上着。コインベルト。

 全身にあまねく施されたリング・ピアスを介して錯綜する細ぐさり。

 強制的に何度もの手術をうけ、性的に、淫猥に改造された蠱惑的(こわくてき)な肢体。

 そんな己の身体を、幾重にも指輪や腕輪をはめた手が這いまわり、愛撫し、慰める。

 斯かる秘めやかな情景のなか、身をよじり、切なげに震えるそのたびに、乳首やラビア(小淫唇)に穿たれた鳴り物や、足輪、腕輪に付けられた小鈴どもが、がチリチリ・キリキリと(ささや)き交わし、決して鳴き()むことがない。

  

「……詩愛……」

 

 口もとをおおう面紗(ヴェール)ごしに、ふたたび吐息がもれた。

 男性に奉仕するため()()()()()()()口唇(くちびる)がペロリといちど、紅舌(した)に舐められて。

 

 片手は、大きからず小さからずの“美乳”を揉みしだき、もう片方は、中指と薬指をひろげたカタチで己の下腹部を撫でさする。

 

 ――そう。あのヒトの(なか)ときたら……。

 

 はげしく(あえ)ぐ女の口もとに、意味深な笑みがうかぶ。

 

「このアタシよりも締まりのキツい、ヒダもたっぷりの名器だったわ……嗚呼(ああ)!まるで煮えたぎる蜜壺に指を差し入れ、火傷(やけど)をしたかのようだった!」

 

 その時の情景を明瞭(ハッキリ)と思い出したためか。

 

 ――ウン……っ!

 

 踊り子の衣装をまとう女が身体をふるわせ、脚をピンッとのけぞらせる。

 足首に巻かれた小鈴つきのアンクレットが澄んだ音色で鳴りひびき、女が()()()()に達したことを、この幽玄なる薄闇の中で証《あか》した。

 

 しばしの間。

 

 ベッドに波立っていたのシルクの光沢は、落ち着きをとりもどす。

 

 ややあって全身を装飾されたこの女は、もの憂げに横ざまへと体位を変え、

 

「……あのヒトの暴れるカラダを(ぎょ)してカプセルを挿入し、中でツブして差し上げたときの、あの驚いた横顔ったら!」

 

 口もとに浮かぶ、思い出し笑い。

 

「……“女の匂い”がいっそう強くなり、クスリが即座に効きはじめたのが分かったわ!」

 

 踊り子は、その時の匂いを思い出そうとするかのように己の中に差し入れていた指をひきぬき、鼻もとにもってゆく。

 

 ――ちがう……あのヒトのは、こんな臭いじゃなかった。

 

 つと、肉感的な美しい顔をゆがめ、

 

「そう――あのときのワタシの指は、まるで(かぐわ)しいハニーコーム・バターのような匂いがしていた!」

 

 秘薬の効果で否応なしに高められた女の感情。上気し、ほんのり色づいた肌。 

 淫靡な刺激にとまどい、思い悩む顔色を浮かべていた高貴な印象をたたえる面差し。

 まさに深窓の令嬢たる彼女が、外界(そと)下卑(げび)たる魔風(かぜ)にあてられ、怖じやすい駿馬のように震えた一幕……。

 

 ――繚乱(りょうらん)たる衝動に翻弄(ほんろう)され、(おそ)(おのの)いていた、あの詩愛の熱い気配といったら!

 

 舞姫の面差しがキリリ、と口惜しげに引きしまる。

 

「……ああ、あのヒトを――あの肢体(カラダ)を!ワタシだけのものにできたなら!」

 

 その悲鳴にも似た叫びは、高い天蓋つきのベッドに巡らされたシルクの輝きもてる垂帳(とばり)に柔らかく抱き留められ、彼女の秘めたる欲望を“接待部屋”の外に漏らすことはなかった。

 

 はげしい情念が。先日からこの舞姫の胸を去らず、高まる想いが彼女を責め(さいな)んでいた。

 

 彼女は枕元をさぐり、ぐうぜん指さきにふれたシュウマイ弁当のおしぼりをつかむと、封を切り、己の手をふき清める(フキフキ。

 

 そのまま全身の鳴り物をゆらし、彼女はキング・サイズのベッドからゆるゆると降り立つと、小卓に歩み寄り、かたわらなる象牙の床机台(しょうぎだい)に優美な仕草で腰を下ろした。

 

 ――さて……どうしたものかしら?

 

 人さし指を曲げて甘噛みし、柳眉をひそめて彼女は思い悩む。

 

 ――あのヒトを(ワタシ)の手中に納めるには……。

 

 次いで彼女は、卓の上にあった黄金(きん)林檎(りんご)(いさか)いの女神エリス※よろしく玩弄(もてあそ)びながら、その真鍮(しんちゅう)の重みと冷たさを味わいつつ、(くら)い策を脳裏に巡らせる。

 

「あのクスリ……どんな貞淑な婦人だろうと、己の欲望に忠実となるのに――」

 

 習慣性のある“紅いウサギ”特性ブレンド「奴婢(ぬひ)(なみだ)」。

 それを膣道の粘膜で直接吸収させてやったのに、あれから何の音沙汰もないとはどういうコトかしらと、この性悪な舞姫は薄闇の中で首をかしげた。

 

 ――すくなくとも“手淫(オナニー)中毒”ぐらいには、なっているハズだわ……。

 

 林檎を()っと眺めつつ、もし彼女が淫欲に負けてこの店の敷居をまたいだときが百年目。どうしてやろうかと、更に考えを巡らせる。

 それは大いなる巣の真中に居て獲物を待ち受ける女郎蜘蛛の如く、あるいは陥穽の奥底にひそみ、哀れな犠牲者がやってくるのを虎視眈々とねらう無慈悲なアリジゴクのようなものだった。

 

「ワタシはあのヒトを――()()()()()につくり変えたい!」

 

 とうとう彼女は大声で叫んだ。

 

「脳に手術(オペ)をほどこし!知性を引き下げ!単なる情欲の捌けぐち的な色ボケにするだけでは飽き足らない!」

 

 爛々とした(まなこ)が、高価な什器でそろえられた部屋をねめつけた。

 今の彼女には、それが単なる成金趣味であり、魂の精神性にはほど遠い、俗物根性の極みのようにすら思えたのである。

 

「もっとワタシ専用の、徹底的な愛玩人形(スレイブ・ドール)に仕立て直さずには、満足がいかないの!」

 

 ――そう!“藝術的な洗脳”をしなくては!

 

 なにはさておき――と彼女は、妄想のうちに作戦を組み立てる。

 

 えぇ。まずは飲み物を提供しましょうか。

 もちろん、軽い“睡眠導入剤”入りのお紅茶を。アールグレイで。

 そしてウチの手術室に送り込み、無影灯の下にすべてをさらけ出してやるのよ……。

 

 そこまで考えて、ふと彼女は(つまづ)いたように思考の足どりを停める。

 

 いいえ!店のスタッフ任せにして、けっきょく帰ってこなかった“素材たち”が幾体もあったわ……!

 

「あぶない……あぶない……」

 

 思わず彼女はひとりごちた。

 

 ――やはり……。

 

 あのヒトは“横取り”などされぬよう、ワタシが直々に“馴致”しなくては。

 

 ――と、なると……。

 

 奴隷人形としての脳学習と、奉仕技術の刷りこみ。強制認識。

 これはやはり“ウラ”のちからをかりないと、どうしようも無いのかしらねぇ。

 

 彼女は思い悩みつ、薄暗い部屋を眺めわたした。

 純銀製のふくろうが姿見の上にとまり、水晶の目玉で彼女を凝っと監視している。

 誰かがあたらしく入れたらしい黒ネコの剥製が、女神像のよこで瞳に燈火を反射させ、黄金(きん)色の光を放っていた。

 

 

 ――“女性自身”の改造からいきましょうか……(いいえ)!まずは……。

 

 突然!

 

 相手の純潔をすすり、かわりに“有毒な愛情”を相手の血管に注ぎ入れんとするこの“女吸血鬼”の脳裏に、その時の情景が、まるで魔法のような鮮明さで脳裏に明瞭(ハッキリ)と浮かびあがった。

 

 

 

 暗く、暖かな深淵のなかに搖蕩(たゆた)い、浮かんでいた詩愛。

 奇妙なものが自分の中を出入りして、そのたびに何かを喪ってゆくような。

 痛み。快楽。それらが交互にやってきて、まるで自分が自分でなくなってしまう……。

 やがて……全身を鋼線で縛るような鈍痛にヒタヒタと取り囲まれ、彼女は嫌々ながら意識をとりもどした。

 

「あら……お目覚めになりまして?」

 

 声が頭上から降ってきた。

 聞き覚えのあるような声――だれだったかしら。

 ボンヤリとした視界のなか、彼女は目をしばたいて、口の中を占める薬液の味に眉をしかめる。

 

 

 ――頭が重い……考えがまとまらない……体中が痛い。

 

 

 詩愛は、ちからなく頭をうごかし、視線をわきに向けた。

 踊り子の容姿(すがた)をした女が、白衣の青年二人を従えてわきに立っていた。

 彼女は……そう、美香子がアルバイトをするお店でステージに立っている踊り子さんだ。たしか……。

 

「サロメ……さん?わたし、いったい……」

 

 身体をうごかそうとして、彼女は自分の両腕、両脚。それに胴体が動かないことに気づく。

 

 ――えっ……?

 

 改めて見れば、自分は何かの設備に一糸まとわぬ姿で拘束されているのだった。

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁッ!」

 

 そう叫んだとき、詩愛は自身の声が、以前とは異なっていることに気づいた。

 

「はぃ、お静かに?」

 

 キャスター付きの古風な姿見がゴロゴロと運ばれ、拘束された彼女の正面に据えられる。

 すると、この(ふる)びた銀幕は、現在の彼女がおかれた状況を冷酷に映し出した。

 それを見た詩愛は、あまりの事に声をうしなってしまう。

 

 分娩台のような設備。

 そこにあられもないM字の開脚姿勢。

 両腕は、バンザイするように頭の上で固定されて。

 そして、

 

 【自粛】

 

「そう。貴女(あなた)は妹さんのショー・デヴィューと言うことで、彼女に連れられやって来たのよね?そこで彼女の舞台用意が調(ととの)うあいだ、わたしのプライベート・ルームで休憩がてら、お茶をしたこと――覚えてらっしゃる?」

「えぇ……あのときわたしは……アナタといっしょに……」

 

 ふふっ、とサロメの笑み。

 

「あの晩から、もうひと月は経っているんですよ?」

 

 そんな!と詩愛は目をみはる。

 まさか、ひと月だなんて!?

 

「…でも心配しないで。お(うち)(かた)には、アナタが「急な長期出張となった」と連絡を入れてあるし、お勤め先のほうには「急病で入院した」と言ってあるから」

 

 あまりのことに、詩愛のなかで思考(かんがえ)がまとまらない。

 ややあって、力なく頭をうごかし、

 

「髪が……」

 

 彼女は自分の髪が、まるで妹のカツラのように腰までのボリュームを持つ、波打てる金髪にされているのを観た。

 

 ――まさか……ひよっとして……。

 

 不吉な予感に包まれながら、さらに注意して姿見のなかの自分を観察すると、体中に何かのマーキングが。そして……。

 

「あぁっ!わたしのバストが――胸がないィィッ!」

 

 悲鳴まじりな彼女の叫び。

 

 無理もなかった。

 自分の胸に、丼鉢のように高々と隆起していたEカップの胸。

 “女の誇り”と“肩こり”と、なにより“他人からの好奇な視線”とで愛憎なかばしていた巨乳。

 それが、いまやサロメと同じサイズなくらいの、茶碗を伏せた程にも見えるCカップの“美乳”となって。

 

「そう。乳房縮小手術をして差し上げましたのよ?」

「なぜ!……なぜこんなヒドいことを!?」

 

 非道(ひど)いですって?とサロメは、その顔に婉然(えんぜん)たる笑みをうかべ、

 

「舞台ではげしく舞う踊り子に、下品な巨乳なんて邪魔なだけですもの。クーパー靭帯がいくつあっても足りませんわ」

「こんな……こんなことって」

「――ね?ブリーチングしてきれいなピンク色になったご自分の胸の“頂”をご覧になって?」

 

 あまりに自分勝手な相手の言い分に唖然として、詩愛は二の句がつげなかった。

 

 目のまえに佇立する、自分よりやや年若な美貌の舞姫。

 その容貌にうかぶ妖しげな面差しを精査するゆとりもなく、彼女はさらに出来るだけ身じろぎをして、ほかに改変された場所はないか、蹌踉とした目つきで自身の肢体を確認する。

 

 ――あぁ……。

 

 やや久しく彼女は目をとじた。

 

 それは、己の(からだ)に目の前の舞姫とおなじく、細鎖を通す幾つものリング・ピアスが穿たれていたからだった。

 

「ね?ステキな肢体になったでしょう?これから貴女はワタシと“対の存在”になって、このお店で生きてゆくの。そういう風にしたもの。貴女のカラダと――なにより()()()()

 

 そう言うや、サロメは詩愛の金髪を手に取ると、一気に引きむしった。

 

 とたんに現れる坊主頭。

 不吉な予感が、現実のものとなった。

 

「イヤぁッ!……そんなァっ!」

 

 そう叫んだ後、詩愛は(ぼう)として声も出ない。

 かすれたような息で、アウアウと自分の変わり果てた姿を眺めている。

 頭は何かの処理をされたのか、毛穴もなくツヤツヤとプラスチックの光沢めいて。

 そして、そこにサイコロの6を想わせる並びで、残酷にも強力な磁石が埋設されている。

 だが、次なるサロメの無慈悲ともいえる冷酷なセリフに、彼女は更なる驚きを受けることとなった。

 

「髪は女の命……それなのに全部剃られて。肌も、毛根と汗腺も除去され特殊な浸透処置をされて、もう生えてこないのよ?」

「……」

 

 ここでサロメはふふっと嗤い、

 

「――それなのに、貴女は悲嘆(なげき)も感じないし、(なみだ)も流れないでしょう?」

 

 んん?どぉお?と(なぶ)るようにサロメ。

 舞姫は彼女の坊主頭にやさしく口づけをすると、カチリ。ウィッグを元通りにセットする。

 

「じつを言うと貴女は数度、目覚めているの。そして精神的な“馴致”を受け、自分の身体の改変にあまりショックを受けないよう、心に暗示がかけられ、ロックされてふたたび記憶を消去され、睡りについているのよ?」

 

 詩愛は思い出した。

 

 頭の毛を剃られ、おまけに磁石まで埋められていても、ニコニコ平然としていた勝気な“妹”のことを。

 なんでこんなにも普段どおりでいられるのか、あの時は不思議に思ったものだった。

 そして、自分の母親が“育ての母”に過ぎず、父親とは血さえ繋がっていないことを暴露されても、思ったより騒ぎ乱れなかったことを。

 

 ――あれは……ひょっとして。このお店の洗脳処置が、効いていたんじゃないかしら……。

 

「どぉ?すばらしい肢体になったでしょ。でもまだまだ、これからよ?」

「これから?……いやだ……もとに戻してください……」

 

 サロメの言葉にわれに返った詩愛は、この悪魔の踊り子に言われたとおり、どこか自分の心にも鉛のような鈍さを感じつつ哀願する。

 

「お仕事に……お嫁に行けなくなっちゃう……」

 

 彼女の真剣な顔つきに、ケラケラと踊り子は笑って、

 

「……アキれた。まだ(はかな)現世(うつしよ)塵埃(ホコリ)にまみれようというの?貴女は!」

 

 そう言うや、自分の“永遠の戀人”へと手を加えはじめた女に、ところかまわずキスをする。

 すると、肉慾と精神を完全に支配された詩愛の股間(おまた)から、はやくも輝くものがにじみだして。

 

「ほら♪もうアナタのココに泉が涌いてきたわ?洗脳は、巧くいったようね……」

「イヤっ!触らないで下さい!けがら――」

 

 だがどうしたことだろうか。

 穢らわしい、と言いかけた詩愛のノドは、その言葉を封印してしまう。

 いくら彼女が頑張っても、その言葉を完成させることはできなかった。

 

「ふふっ♪ほぉら、心にかけた呪縛も、働いているようね……でも、この次はどうかしら」

 

 サロメは完全に蚊帳の外に置かれていた白衣の青年二人組に合図する。

 

 片方が床にあるペダルをふむと、分娩台は詩愛を拘束したまま、腰の部分だけが徐々にあがりはじめた。

 やがて分娩台のまわりに立つ三人に、お尻が丸見えとなる体位へと変化して。 

 

「ほうら……ご開帳……」

 

 白衣の青年たちが詩愛の尻たぶをつかみ、両方から思い切り左右にひろげた。

 

「――いやぁッ!」

 

 詩愛は目をむき、声をうしなった。

 なぜなら

 

    【略】

 

 そう?すばらしいでしょう、とサロメのウットリした声。

 

「これはタンパク質を染める技法じゃないわよ?ちゃんと一針一針、店の彫師(ほりし)が心をこめて刺青(いれずみ)をほどこしたのだから……」

「そんな……コレはあんまりです!」

「刺青のまえに「Oゾーン」をブリーチングもしてあげたのよ?……キレイなピンク色でしょう?」

 

 とうとう“囚われの女”にかけられた心の呪縛が破れ、彼女はさめざめと泣き出した。

 

 そんな緊張感を孕む空気の中。

 拘束されたままな彼女の足首に、腕に、手首に。

 舞姫と同じような鈴付きの装具が強引にハメられてゆく。

 そして全身に施されたリング・ピアスに細鎖が通され“もうひとりのサロメ”が着々と完成してゆくのだった。

 

「ん~♪だんだん仕上がってきたわネェ……でもまだ足りないがモノがあるの。まずその口唇(くちびる)ね。でもそれは“おしゃぶり”の訓練を済ませた後でないと、プックリとした『Bimbo・リップ』にはしてあげられないワ?足りないのは……」

 

 そういうや、舞姫は自分の乳首とヴァギナをゆらし、そこに取り付けられた鳴り物に涼やかな音を立てさせる。

 

「まさか……ひょっとして」

 

 即座に詩愛は悟った。

 そして自分の体を見やる。

 

「そぉう♪さすがはお嬢サマ――察しがイイのねぇ」

 

 サロメは己の肢体を撫でさすって更に鳴りものを響かせ、

 

「本当は、(ねむ)っているあいだに。あるいは麻酔をかけてから、ピアッシング処置してあげようかと思ったけど……でもダメ!」

 

 サロメは一転、苛烈な目つきとなり、乳首と股間から下がる鳴り棒をひときわ激しくわななかせたあと、

 

「目醒めた状態で!しかも麻酔なしで、女のいちばん敏感な場所を貫いてあげるわ」

「……なんで……なんでですの?」

「貴女に最大限の痛みを与え、それを心に刻ませて、わたしのモノに成ったことを自覚させるためよ!」

 

 分娩台の周りで、何かを準備する冷たい金属的な音がはじまった。

 さすがに不安げな顔を浮かべる詩愛。それを完爾(ニッコリ)と見おろしながらサロメは、

 

「安心して?苦痛の後には……快楽がやってくるの。貴女にも経験させてあげましょうねぇ」

 

 そう言うや、中に何やら仕掛けの透けて見える、大ぶりな玻璃(ガラス)製のディルドーを詩愛の視界外から取り出した。

 ダッチワイフ状のタラコくちびるが、その長いディルドーをくわえこむ。

 やがて、すす・スゥッ……とノド奥のさらに奥、食道のほうまで()()()ことなく楽々と飲みこみ、細首を亀頭のカタチにぷっくりとふくらませ、やがて引き出し、ケロリとして。

 

「ディープ・スロートよ?そのうち貴女にも出来るようになってもらうわ?そしたら、その口唇(くちびる)も、もっと魅力的に変えてあげる……どぎつい紅に染めて、永遠に色落ちしないようにしてあげるわ?」

「……もうやめて」

 

 泣きぬれた目で、ふたたび詩愛は哀願した。

 

「わたしのからだを……もとにもどして……」

本来(もと)に戻すったって。まだ貴女の肢体(カラダ)は改造途中なのよ?」

「改造って……なにをするの?」

「これからウェストをさらに細くして、お尻をタップリの女性ホルモンで太らせるの」

「……」

「ヴァギナも、オナホールが裸足で逃げ出すくらいの名器に仕上げて……何より性技もイッパイ覚えてもらわなきゃ……女のためのね♪」

「女のための?」

「そ。貴女の舌も二つに裂いて……長ァくして。女の大事なトコロを舐めるのに、都合がイイようにして差し上げるわ?」

 

 なんてこと、と詩愛はオゾ気をふるう。

 相手は、自分を女性用の“人形”にしようとしているのだ。

 

「おねがい……どうか……もとに!」

「ふぅ~ん。そぉねぇ」

 

 透明なディルドーをしゃぶり、舐め回しながら、ふと、この淫猥な舞姫は何を思いついたか。

 突然ほの暗い微笑を、その整った面差しにじんわりと浮かべると、

 

「じゃぁ、ワタシの責めにイカなかったら……」

「えっ……?」

 

「愛撫のコトよ!わたしの愛撫に無事に耐え切ったそのときは、せっかく美しくした肢体だけど、もとの下品な(からだ)にもどしたげる。ただし……」

「……ただし?」

「イッた場合は!()()()はアタシに従う“愛欲の玩具”として!従順な“お舐め犬”として!!」

 

 高まった調子は、つぎに一変。

 まるで恋人に(ささや)くような甘い声になり、

 

「そして何よりアタシの分身として、愛の片割れとして。永遠(とわ)に一緒にすごすのよ……」

「そんな……」

 

 いいこと?ワタシも鬼じゃありませんわ、と踊り子は己が鳴り物を鏗鏘(シャラシャラ)と涼やかに響かせ、

 

「5分!5分お保たせなさい!アタシの責めに5分耐えたら、貴女を解放したげる!」

 

 それを聞いた白衣の男ふたりは“ヤレヤレと思ってる田代まさ○”のような表情で顔をみあわせ、肩をすくめる。

 詩愛も、ことココにいたって覚悟を決めたようだった。

 

「いいですわ!5分ですね?約束ですよ!?」

「そのかわり、もしイッた時は……」

 

 白衣の片割れが、ニードル・ガンをサロメに渡した。

 

「イッた時は、その瞬間に!」

 

 舞姫は、手にしたガンを分娩台に拘束された詩愛の目先にかざし、

 

「その、お上品な身体の大事なところに!――大きなピアスをブッ刺して差しあげますわ!」

 




長い……。
思いの外サロメが出しゃばったので、ココで切ります。


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番外編:  〃    中(自粛版)

 踊り子と、その強制徴募者。

 ふたりは、激しく視線を打ちあわせた。

 それはまさしく、女の誇りをかけた決闘の宣告であった。

 

「……よろしいですわ」

 

 ややあって、詩愛は少しくふるえる声で、

 

「女性の手管(てくだ)などに、わたしは負けません!」

「あら。仰いますのね?でも(ワタシ)のフィンガーテク、すごくてよ?」

「どんなことをされても、女同士の歪んだ肉体関係なんて――認められませんわ!」

 

 ふふん、と気丈な相手の表情を鼻で嗤う舞姫。

 だが、そのはしから彼女の脳裏には次から次へと妄想がふくらみ、果てがなかった。

 

 ――あぁ……この麗しい“オ○ニー・ドール候補”は……。

 

 ムチ打たれるとき、どんな悲鳴を聞かせてくれるのかしら……。

 弱電流を流されたとき、どんな身(もだ)えを見せてくれるのかしら……。

 

 首輪を巻かれ、手枷(てかせ)を、脚枷(あしかせ)を――なにより××をハメられたとき……。

 よけいな口をきかぬよう、口枷(くちかせ)をのど奥までハメ込んでやり、固定ベルトを頭の後ろでキビしく施錠してあげましょう。必死に()()()()こらえ、なみだ目を白黒させて慈悲を請うように(ワタシ)を見る、その甘美な()()()()ったら!

 

 

 ――あぁっ!考えただけで……考えただけで(ワタシ)。もうイキそぉ……ッ! 

 

 このような想像をするに至っては、もはやガマンなど出来ないサロメだった。

 詩愛への責め準備をする白衣たちの視線などお構いなしに、彼女は飾り具をはげしく鳴らし、むさぼるよう自分を慰めてしまう。

 そんな中でもカッ!と目は見開き、分娩台上の蒼ざめた詩愛を、まるで(ねぶ)るように見おろしたまま……。

 

(……まァた“()()()”のワルいクセがはじまったぜ?)

(……このクソ女、同性の責めに関しちゃ見境ないからナァ)

 

 そんな白衣たちのヒソヒソ声など、もはや耳にも届かせず、彼女は妄想に拍車をかける。

 豊かな尻にまかれたコインベルト付きのヒップ・スカーフを鳴らしてモジモジと焦れッたそうに。

 “おしゃぶり奉仕用”に施術された人工的な口唇(くちびる)をゆっくりなめて、

 

 ――えぇ……そうよ、それから……。

 

 そして……ありったけの責めを施して“苦痛”と女の“快楽”との板挟みになった詩愛(あのひと)の美しい(もだ)え顔を!上気した肌に玉のごとく浮かぶ脂汗を!藝術作品のようにして間近にながめつつ、(ワタシ)は冷えたシャンパンの一盞(いっさん)悠然(ゆうぜん)と傾けるのですわ……。

 

 冷静な白衣二人組と、彼等の手により着々と詩愛に対する準備が進むなか。

 その傍らでは愛欲と快楽に飢えた踊り子が、女のモノの匂いをふりまき自分を慰める。

 この一種異様な緊張がみちる空間においては、情欲の気配と畏怖の感情が、二種のコロイドのように()()()()となり、立場の異なる二人の女を、まるで粘性が高い液体のなかへ取り込むかのように支配して……。

 

 やがて――準備が調(ととの)ったことが報告された。

 

 詩愛の耳は、それを己の処刑宣告のように聞く。

 彼女の目の届くところに5分のデジタル・カウンターが据えられる。

 サロメは未練ありげに自慰を中断し、ガラスの“お道具”を手にとって舐め回すと、腰のポーチから何かをつまみあげ、それを潰して出てきた紅い液を先端に塗りつけた。

 

「さぁて。()()()の準備は――よろしいかしら?」

 

 中断されたオナニーの昂揚(たかぶり)がのこる(うる)んだ瞳が、詩愛を見おろした。

 それを見たとたん、彼女はゾクリとするが、強いて自分の心を奮い立たせ、

 

 ――さぁ、しっかりするのよ!……詩愛!!

 

 自らを励ます、そんな相手の面持ちに、サロメもまんざらではない風情。

 というのもその心理を解剖してみれば、かかる高潔な魂の持ち主を、これから自分が徹底的に(けが)し、(にご)し、(よご)し、(おか)し……なにより恥辱(はずか)しめてやり、淫猥と媚薬と情欲とがタップリと調合される汚辱の粘液にまみれた自分の世界と同じ境地に引きずりこむのは、美しい花を手折るよりもさらに禁忌(タブー)で、淫楽(いんらく)で、悖徳(はいとく)的な(よろこ)びに満ちあふれるように想えたからである。

 

「では――開始です」

 

 白衣の片方が冷静な声で。

 

 スタートボタンの電子音。

 5分のカウンターが減っていった。

 ミリ秒の桁まであるので、見た目にはもの凄く早いように映る。

 

 ――あぁ、神さま。どうかわたしをお救い下さい……マイケルさん、どうかわたしに力を!

 

 詩愛が心のなかでそう念じつつ、体を固くし身構えたとき。

 

「いくわよォ――お覚悟!」

 

 いきなりサロメは大ぶりな“お道具”を、詩愛に容赦なくブッさした。

 

 

「んほぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!1111」

 

 

 ビュクビュクっ!

 ぶっしゅぅぅぅぅぅぅぅッッッ!!!

 ジョロロロロロロロロロロロロロロォォォォ………

 

「はぇ――――よwwww!!!!」

 

 いきなりキレるサロメ。

 

「ナンなんですの?一体!コッチだって“(しゃく)の都合”ってモンがあるんだから!」

「ハァハァ……そんな(ハァハァ)……ネタ物のAVみたいに(ハァハァ)……」

「今までしっぽりイイ調子で進んでいたのに“即イキ”なんて――台無しですわよ?台無し!(プンプン」

「ひどい……一生懸命演技しましたのにぃ(グスッ」

「そんなクソ演技じゃ、ブクマ読者の皆さんだって怒っちまいますわ!――――ADさん?(チラッ」

 

 いったいどこから出てきたのか。

 ワラワラとスタッフが4人のもとに駆け寄る。

 

 下積みの若者が、分娩台の汗や尿、ハデに床にぶちまけたモノをタオルで手早くぬぐって。

 スタイリストの女性が、いったん拘束が解かれた詩愛のウィッグを脱がした。

 さらに磁石のついたスキンヘッドのヅラを外し、みだれた詩愛の髪をワックスでオールバックに撫でつけてから、ふたたびスキンヘッドのズラと豊かな金髪のウィッグを彼女にかぶせる。

 

 セットは再度整えられ、その間スチル担当が楽屋裏話としてのサービス・ショットを撮影して。

 カメラさんと監督の打ち合わせ。スポンサー代表が、なにやらそこに口をはさんで。

 踊り子とその候補者は、散々赤線の引かれた台本の読みあわせをする。

 

「サロメさん、このセリフなんだけど……もう少しキツめにした方がよくない?」

「ダメよ!そこは話の展開上、キモなんだから!アタシが完全に“ワルモノ”んなっちゃうじゃないのぉ!」

 

 撮影現場のバタバタは、10分ほど続いたろうか。

 やがて女性のADが再度責め具を手にして詩愛に向かい、

 

「あの、そろそろ準備を……」

 

 “踊り子・強制候補者”はためいきをつき、再度分娩台に拘束される。

 様々にせじゅつされる、その苦痛が。心ならずも詩愛の吐息をよび、サロメのニヤニヤ笑いをよぶ。

 

 彼女は手ずから詩愛を拭き清め、

 

「アラアラwwwwあなたも大分ヨくなってきたみたいねェ……」

 

 (なぶ)るようなサロメの言葉に、顔を火照らせ、うつむく詩愛。

 レフ版をもった者が忙しく配置につき、音声さんは自分の機材を再度チェック。

 撮影現場は今一度、緊張につつまれる。

 

 ハイ、TAKE2いきま~す!

 

 タバコを吸っていた談笑していた白衣の若者二人が、あわてて現場に駆けもどってきた。

 帽子を前後に被りなおした音声さんがヘッドホンをつけ、ブームつきのマイクを頭上に構える。

 

 よ~い……アクション!

 

 んっ、んふん!と踊り仔は咳払いしたあと、

 

「さぁ……いくわよ?準備はイイかしら?」 

 

 サロメは挑発的な眼差しを詩愛にむける。

 手にしたガラス製の張り型を彼女が操作すると、中に透けて見える機械が高周波音を立てて細かく振動をはじめた。

 

 ――あぁ、マイケルさん……どうかわたしを守って。

 

 振動するガラスの先端が、詩愛の上半身を。

 やがてそれは焦らすようにヘソをくだり、白々とした鼠径部の周囲(まわり)を散歩する。

 

「んぅッ……そんな……やめ――」

 

 出かかる詩愛の抗議を圧殺し、サロメは彼女の初々しいくちびるに濃厚な口づけ。

 そのまま舌を強引にこじ入れようとするも、固く食いしばった詩愛の歯の抵抗にあう。

 だが踊り子は慣れた手つきで彼女を痛めつけ、悲鳴をあげたその拍子にやすやすと彼女に侵入する。

 

 からみあう、ふたりの女の紅舌(した)

 ほおの内側を、舌のウラを、のど奥を刺激され、さらに詩愛の内面は高まってゆく。

 

ほふぁ(ホラ)ほふぁ(ホラぁ)はぉ(あと)ひふんほぉ(2分よぉ)……?」

 

 ――あと二分……。

 

 目を閉じ、されるがままになっていた詩愛は、苦痛にも似た快楽に耐えながら、煮え立つような頭で考える。

 

 執拗に舌をねぶられ、あるいは××××に指を差し入れられ、全身の血は溶岩にでもなったよう。

 ×××に指を差し入れられたときは、最初こそ、さすがにその異様な感覚にゾワリと全身の毛が逆立つものの、サロメの手で巧みに揉みほぐされてゆくうち、まるで下半身だけお湯にでも浸かったような気配のまま、戸惑いながらも高められてしまう。

 

「はぉ、はんひゅうひょぉ……」

 

 ――あと30、秒……。

 

 もはや詩愛の下半身はドロドロだった。

 手術上がりの胸も、イタいほど感覚が鋭敏に。

 頭の中は白く、激しく明滅して、もはや何も考えられない。

 哀れな彼女は、だだこの呪われた5分が過ぎ去ることだけを願っていた。

 

「お、ひょん、はん、ひぃ、ひひ……」

 

 ――おわった……ッ!

 

 あぁぁぁぁぁ~~~……ッ!

 

 身をふるわせ、激しく彼女は達した。

 

 悪魔の踊り子による口づけからようやく解放され、息をあえがせて詩愛は、酸欠ぎみの頭で目の前で顔を寄せるサロメのニンマリとした顔を呆然とながめる。

 

 勝った……という放心。気だるい全身の脱力。

 やがて、次第に力をつよめる誇らしさ。

 自分が保った理性への自賛。

 

 だが――どうしたことだろうか。

 この舞姫は、悖徳的な笑みをさらに深めるや、

 

「ふふふッ。なぁ~んちゃって……」

 

 そう言うや、自身も上気した匂いをたてつつ、詩愛から身体をはなす。

 

 

 すると――なんと言うことだろう。

 カウント・ダウンのタイマーは非情にも、あと2分余りを残しているではないか。

 

「そんな……そんなぁッ!」

 

 余裕の笑みで、サロメは手に持つ“お道具”の振動を最大にした。

 稠密なガラスのうなりが、離れていても大きく聞こえるようになる。

 

(ダマ)したのね!? 」

「ダマすだなんて、とんでもない。5分間耐えたらという約束よ?でもイイわ――今のはノーカンにしてあげる」

 

 タイマーが2分を切った。

 

「さ、いよいよ本格的にいきますわよ?」 

 

 そう言うや、サロメは威力をつよめた道具を、詩愛の敏感な場所に押しに当てた。

 

――!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 微弱電流を流されるような、激しく小刻みな振動!

 サロメは道具の先端で、くまなく詩愛の全身を這いまわす。

 もはや完全に“デキあがった”女の(からだ)に、これは酷な責めだった。

 

 ピンクに火照った身をくねり、仰け反らせ、詩愛は分娩台の上で懸命にあばれた。

 頭を打ち付け、わざと手枷や足枷を引っ張り、その痛みによって全身を舐め回す()()()のような快楽から気を反らそうとした。

 

「ふふっ。そんなコトをしたって――ダぁメ♪」

 

 サロメは、巧みな技術を見せ、詩愛の敏感な場所にチョンチョン。

 とたん、電撃的な刺激が彼女の脊髄を逆流し、ピンク色の快楽に染められる脳を直撃する。

 

「あハぁぁァッッ!!」

「さ!()()()はタダの“好色(いろ)ボケ”したメスになるの。オ○ニー・ドールになり下がるのよ!」

 

 悪魔的な舞姫は、タップリと詩愛を道具で苛め抜いた。

 声にならない悲鳴が、悶えが、彼女の口から漏れる。

 暴れながら、なかば失神状態となった詩愛。

 その脳裏に切れ切れのイメージが浮かぶ。

 

 ――あぁっ!美ぃチャン!マイケルさん!……お母さん!お母さん!お母さん!

 

 残り、1分。

 

 頃は佳し、とサロメは彼女に“お道具”を突き立てる。

 

「ほらッ!――メス豚!!」

 

 舞姫は、性の快感に揉みくちゃとなった相手の耳もとで声を荒げ、

 

「詩愛は(けが)らわしいメス豚になると――イイなさい……ッ!」

 

 そう言うや、新たに彼女のアヌスへ、細身のディルドーを使った。

 ねじり、くねり、ほじる。さらにはネチっこく抽挿(ぬきさし)して。

 

「あがぁぁぁ!!!!……ッ!」

「言いなさい!――メス(ブタ)ッ!!

 

 ――もうダメ!イっちゃう!イっちゃう!イっちゃう!イっちゃう!

 

 つぎつぎと詩愛を襲う昂揚(たかまり)の波。

 それが彼女の魂をきりもみ状態とし、“淑女の理性”を一片のこらず砕き去る。

 

 最後の瞬間、すべてが白い閃光に包まれた。

 

 

「詩愛は……詩愛はメス豚に……メス豚に、なりまァァァぁぁす!!!」

 

 

 声を枯らすほどの叫び。

 拘束台上での痙攣めいた身悶え。

 激しく失禁し、涙を流して――彼女は果てた。

 

 残り時間、007秒。 

 

 果てたあとはグッタリとしかかる詩愛。

 それを横目に、休ませるものかと踊り子から二人の青年に合図が飛んだ。

 

 息を喘がせ、激しく上下する“美乳”のピンク色をした頂き。

 その片方を、冷たいピアス・ガンが(そッ)と挟んで。

 えっ?と彼女が思う間もなかった。

 

 バチィッ!

 

「あッ、がぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああッ!」

 

 脳幹を直撃するような激しい激痛。

 獣じみた絶叫をあげ、詩愛は分娩台の上で身を仰け反らせた。

 

 朦朧(もうろう)としかかる彼女が姿見の中の自分を見てみると、右の胸先から鳴り物付きのリング・ピアスがひとふさ。細い血の流れと共に垂れている。

 

 爬虫類のような目をした青年の片方が、もう一方の胸に機器を当てた。

 ショックのあまり回らない舌で彼女は、

 

「ひゃめへ!おぇがひ!よし――」

 

 バツン……ッ!

 

「いッ、ぎひィィぃぃぃぃぃいいいいいいいッ!」

 

 彼女の視界に星が舞った。

 景色が細かく振動し、何も考えられない。

 

「ほうら♪これで()()()()になりましたわ?」

 

 サロメは自分の胸と、鳴り物が取り付けられたばかりの詩愛の胸を、ともにシャラシャラと鳴らした。

 揺らされるたびにズキズキとした痛みが襲い、詩愛はアウアウと口をパクパクさせ、顔をしかめて。

 

「でも……まだまだ♪」

 

 先にピアスをした白衣の青年が、今度は詩愛の股間にかがみこみ、手術用・ゴム手袋に包まれた指でデリケートな場所をつまみあげる。

 

 ピアス・ガンが、その禁忌な場所を挟んだ。

 

「ひゃめへ!ひゃめへ!ひゃめへ!――」

 

 だが、彼女の懸命な哀願など知らぬ風に、

 

 ブッツ……ン!

 

「うッぐゥゥうううううううううう……ッツ!」

 

 股間の片方から、鳴り物が下がる。

 次いで、容赦なくもう片方。

 

「えッげェェぇぇぇぇぇぇええええええ……ッツ!」

 

 さすがに痛みの刺激が強すぎたのか。

 ガクリ、と詩愛は気絶した。

 

 サロメが冷たい眼差しで青年たちに合図する。

 すると二人は機敏にうごき、薬品をつかって詩愛をムリヤリに覚醒させてしまう。

 

「あ……あぁ……」

 

 ウェーブのかかった豊かな金髪をふりみだし、ヨダレを垂らした(ほう)け顔で、詩愛は姿見にうつる見慣れない人物を朦朧(ボンヤリ)と眺めた。

 

 ――アレは……だれなの?……胸と脚の付け根から、鳴り物のついたピアスなんか垂らして……なんて(みじ)めで恥知らずな……イヤらしい女……。

 

 その女のわきに、どこかで見たような踊り子が立っていた。

 

 ――あのふたり……似たような格好……姉妹かしら……なんて淫猥(みだら)な……姉妹……。

 

 ほどなくクスリの効果が切れ、詩愛はその“淫猥な姉妹”の片割れが、ほかならぬ自分であることを、薄ら寒いショックと共に自覚した。

 

「ヤぁっ!……イヤよ……こんなの……」

 

 姿見の中の姉妹。

 その片方が、恍惚(ほれぼれ)とした顔で自分に優しく口づけをして、

 

「さ。これから刺青(イレズミ)をしましょうね?でもその前にあと一カ所。ピアスをし忘れているところがあるの。その仕上げをしてしまいましょう……」

 

 ウットリとした声が詩愛の耳をくすぐる。

 次いで幾重にも指輪に飾られた手が、施術されたばかりの詩愛の胸を揉みあげた。

 あくまでも、優しく――優しく――優しく――。

 

「イヤ……痛ぁい……イタぁい……ッ!」

 

 愛撫されるのと同じ調子で、詩愛は身(もだ)えしながら訴えた。

 そんな彼女に顔をよせ、サロメはいかにも可愛くて仕方ないといった風に、

 

「大丈夫。その痛みが、いまに甘痒く、ジィンと快感に響くようになるの。ガマンなさい?」

 

 白衣の青年の片方が、敏感な部分を手術用鉗子(かんし)を使い、つまみ上げる。

 もうひとりが事務的な手つきで、ピアス・ガンの先端を調整して……。

 




後々に効いて来る大事なパートなんで、このエピソードは、ハズすワケにはいかないんですよね……。
改変・削除しまくったので、15禁に収まってるとは思いますが。


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番外編:  〃    下(最強自粛版)

 その行為の意味に、朦朧(もうろう)としていた詩愛もさすがに察するものがあったのか。

 サッと彼女は顔色をかえ、そして幾分ふるえる声で、

 

「まさか……冗談ですよね?……ウソですよね?」

「ウソじゃないですわよォ?」

 

 サロメは悩ましげな含み笑い。

 舞いをおどるような優雅さでポーズを変え、豊かな尻をつつむコインベルトのついたヒップ・スカーフを掲げると、艶やかな手つきで(おのれ)(さら)してみせた。

 

 ヌメ革のように無毛な丘。

 そこには美しい一頭の蝶が留まっている。

 残酷な施術によって剥きあげられた女の中心。

 ちょうど、その(さね)(あた)る寸法で、ピアスの小玉が触れて。

 

「ね?こうして常時(いつも)責められているの。こうなると、もうこのお店の外には出られなくなるの。そう、この刺激ナシには、生きられなくなってしまうのよ……」

「そんな!」

 

 ピアス・ガンが近づいてくる。

 詩愛は心底おそれ、おののいた。

 女を情欲の(とりこ)にする、悪魔の施術。

 

 ――イヤよ!あんなところにピアスなんてされたら、ダメな(おんな)になっちゃう!……もうアタシは“お人形”として生きていくしかなくなっちゃう!()()()()()()に……なっちゃうぅぅ……ッ!

 

 苛烈な運命の処置。

 無慈悲にも慎重に器具は当てられて。

 サロメのくちびるが淫猥にゆがみ、満足そうに。

 

 ビシッ……ツ! 

 

「おゴォぉぉぉぉぉぉおおおおおおお……オッ!」

 

 ビクビクビクッ、と身体をふるわせるとともに、

 

 シャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ(アズナブル

 

 いまや“新人踊り子”にされた詩愛。

 イヤイヤをしながらハデに失禁する。

 

「あははっ!……アハハハハハハハ……!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サロメは、みずからの哄笑で我に返った。

 

 

 ――えっ……。

 

 見れば――そこはもとの上級顧客用・応接の間であり、あいかわらず自分は象牙の床机台(しょうぎだい)にすわり、毛足の長い絨毯の上で情けなく悶えているのであった。

 

「……」

 

 得意の絶頂から、急に独りとなった寂しさ。

 まるで祭りの果てた後のような、気怠さ。やるせなさ……。

 いままで傍らにいて熱い匂いを立てていた己の分身はもう居らず、かわりに古色蒼然たる冷たい骨董品に囲まれているだけの味気なさ――その虚しさ。

 

 急に冷や水をあびせられたような興ざめを感じた彼女は、蹌踉とした目つきで現実の薄暗がりを眺めわたす。

 

 純銀製のふくろうが、水晶の目玉であいかわらず自分の痴態を見つめていた。

 女神像のよこで瞳を光らせていた黒ネコの剥製も……。

 

 ――オャ?どこにいったのかしら。

 

 みれば毛艶(けづや)も美しかった、小さい黒ヒョウめく剥製の置物が、いつのまにか姿を消していた。

 

 ――(ワタシ)の見間ちがいだったとでも……?まさか。

 

 まさか、本物?と、あらためて広い部屋を見回す。

 しかし――四方の暗がりに目を凝らしても、あの金色の瞳はどこにも見えない。

 

 卒然、薄ら寒い思いにおそわれた踊り子は、いくぶん早足ぎみに薄暗がりを泳ぐとルイ王朝風のテーブル上にあった内線ボタンを押す。

 

『――はい、コントロール』

 

 女性オペレーターの肉声(こえ)を聞き、とりあえず彼女はホッと安堵した。

 

如何(いかが)なさいました――サロメさま?』

 

 ここにきて、まさか他人の声を聞き安心したかったと言うのも(おの)沽券(こけん)にかかわった。

 (……そうだ)と彼女は思い至って、

 

()()()()を、ここに寄越して頂戴(ちょうだい)

『お()め犬――でございますか?』

「そうよ!何度も言わせないで!!」

 

 イライラと彼女は怒鳴りつけた。

 女性オペレーターの方も、こんな()()()()()には慣れっこらしく、事務的な口調で、

 

『何号に致しましょう?2,4は使用中。3,5は使用後のメンテ中ですが?』

「テキトーに見繕(みつくろ)って――なるべくはやくお願い」

 

 つけつけとそれだけ言うや、彼女は乱暴に通話を切る。

 

 はぁっ、と薄闇の中、彼女はため息をついた。

 あの詩愛の(かぐわ)しい匂い。詩愛の暖かみ。

 詩愛の仕草。詩愛の汗……詩愛の怖じ気づいた瞳。

 

 ――どれをとっても……狂おしいほど、愛おしい。

 

 ほぅっ、とため息。

 

 置いてきぼりにされたような心もちの中、彼女は自身の肢体に取り付けられた鳴り物の音を涼やかに立てつつ(おのれ)を慰めながら、驚くほど生彩(イキイキ)としていた先ほどまでの妄想を反芻(はんすう)する。

 

 

 ややあって……。

 

 広間にノックがあった。

 お入り!という彼女のキリッとした声。

 扉がひらかれ、大小二個の人影が入ってくる。

 

 ひとりは、ボンデージ衣装にランドセルを背負い、首輪につながれた小さな少女。

 もうひとりは、首輪からのびる鎖のはし引きつつ、彼女の肩に手を添え、ゆっくりと誘導する黒服……。

 

 おずおずとした足どりも道理だった。

 

 おかっぱ頭な少女は、目を黒革のボンデージ風味なアイマスクで覆われ、その上をベルトがキツく横切っている。

 腕は、ランドセルを負う背中がわで二本まとめて黒革のアーム・サックで拘束され、その反動で小さな胸を反らすように。

 革製とみえる黒い首輪には、チューリップ型の赤いビニール名札が下がって。

 

【お舐め犬:01号】

 

 ――チッ……!

 

 心ひそかに踊り子は毒づいた。

 

 ――よりにもよって。抑制剤で成長を止められた“合法ロリ”のババァとはねぇ……。

 

 “紅いうさぎ”でも最古参の備品と聞いていた。

 舌の使い方は「絶品」だと聞くが、すくなくとも今宵の雰囲気にはそぐわない。

 

 ――もっと年端もイカない初心(ウブ)な子を、いたぶってあげたい気分だったのに……。

 

 もうちょっとマトモな“備品”は残ってなかったのかしら、と不満気な彼女をよそに「おまたせしました」と慇懃(いんぎん)な黒服の一礼。 

 

()()如何(いかが)いたしましょうか?」

「そうね――ベッドの柱にでも、繋いでおいて」

 

 気のない声でそういうと、黒服はベッドの天蓋を支える4本の柱のうち手近な一本に、少女の首輪から伸びる鎖の端を留め、再度一礼して部屋を出てゆく。

 

「お客はまァ……」

 

 幼い、みょうに舌足らずな声が、大きなベッドの傍らで。

 正座して“待て”の姿勢で待機する“擬似少女”の口から、

 

「おのたひは、お喚びくだはいぁひへ、有り難ぅおはぃあふ。【ほ舐め犬1号】は、誠心誠意、お奉仕いぁひまふぅ」

 

 ――コイツは“紅いウサギ(この店)”に飼われて何年になるのかしら……。

 

 奉仕用の舌に集中するため、余計なモノを見ぬよう視力を拘束された“少女型の器具”。

 ヨソで使われていたモノを、この店が廉価(やす)く引き取ったと聞く。

 大切にされる“ウラ”の備品ではあるが、それもいつまで続くことだろうか。

 

 ――そう考えるとコッチも、心もとない思いがしますわねぇ……。

 

 サロメは、銀行へ預けた数百万と貸金庫に預けた数キロの純金インゴッド。

 それに証券口座にある時価にして2~3000万ほどの株券を思い浮かべた。

 

 いつまでも、こんなこと出来るワケもなし。

 ヘタを打てば自分だってこの先、どうなることか……。

 

「……お客はまぁ……?」

 

 少女が、視力を拘束されたゆえの嗅覚で、サロメの居る方向を嗅ぎ当て、不安げに、

 

如何(いかが)あはいはひあ?……あはり【お舐め犬1号】ぇあ、お気に召ひあへんは?」

 

 ――ウラをかえせば、この備品はカタチを変えた(ワタシ)か……。 

 

 艶やかな身に穿たれた鳴り物を蕭然(しょうぜん)と響かせ、サロメは【お舐め犬1号】に歩み寄る。

 

「ごくろうさま――()く来ておくれだね?」

 

 不安気だった“少女”の面がホッと安心したようにゆるみ、微笑を浮かべた。

 

「さ……おいで」

 

 サロメは、腕が不自由な彼女をシルクの波が照り輝くベッドの海に導いた。

 

 “お舐め犬”の腕が後ろに拘束されているのは、奉仕中に(よこしま)な考えをおこし、顧客に危害をくわえぬための用心だとサロメは聞いていた。以前、強制的に斯かる“奉仕具”へと堕とされた没落名家の令嬢が、己の境遇に絶望し、奉仕していた中年女の頸動脈にむけ手近にあった青銅のナイフを突き立てて、返す刃で自身も果てたとか。

 

 サロメは自分に奉仕する“少女”の腕がキチンと(いまし)められているか、ほそい三角形の革袋の上から幾本もの革ベルトで拘束されるアーム・サックの具合を確認する。

 

 どうやら満足がいった彼女は、次いで少女が背負うランドセルを開け、中にセットされた様々な道具のなかから複雑な形状をした大ぶりの『張り型』をとりだし、それを少女がハメられた貞操帯のアタッチメント部に装着した。

 これでこの少女型をした愛らしい備品は、凶悪な両性具有(アンドロギュヌス)へと変化する。

 

 サロメは大きなクッションをいくつか重ね、そこに自身の背をもたせると、両脚をなまめかしくM字にひらき、【お舐め犬1号】の鎖を引いて小さな頭を自分の“部位”に導いた。

 少女は後ろ手のままヒザ立ちにクンクンと子犬のように鼻をならし、サロメ“自身”に頭を近づける。

 そしておもむろに口を開けると、驚くほど長い、ふた股に割れた舌をベロリと伸ばして。

 

 長舌化処置と、スプリット・タン(分舌)手術による性具化。

 その奥には、女性の快楽点(G・スポット)に当たる部分にバーベルの舌ピアスが穿たれて。

 滑舌が悪かったのは、この長い舌が小さな口腔(くちのなか)を占拠していたために他ならない。

 

 “少女”のふたつに割れた舌が、踊り子の表面を、ソヨソヨと撫ではじめる。

 それはまるで触手のように自在に、そして精緻に、機敏にうごめいた。

 

 年期を重ねてきた“奉仕技術”である。

 それによって、サロメは否応もなく巧みに高められてしまう。

 

「あッ……ッ!」

 

 やがて頃は佳しと舌先に感じたか、この【お舐め犬1号】は、いきなりその凶悪な長舌を、踊り子に作用させた。

 

「あぐぅぅぅッッッ……ツ!!!!」

 

 まるで先ほどの詩愛に向けた手管を、そのまま自分に返されたような印象。

 

 このとき。

 サロメの脳裏には、ある妖しい妄想が実をむすんだ。

 

 それは、いま自分を責め苛んでいるのが“ウラ”の手術によって“お舐め犬”に堕とされた詩愛であり、この店の“備品”と化した彼女は、先ほどのことを根に持って、その意趣がえしに同じ責めを自分に行使している、という想像だった。

 

 ――なんてこと?この設定だけで、ゴハン三杯はイケてしまいそう……。

 

 目を閉じたうす闇の中。“少女”の責めにつられて鳴る己が装具の鳴り物を、愛する詩愛の肢体から流れる音色だと彼女は夢想する。

 その想像のなかでいまの詩愛は、すでに幾重もの残酷な手術を経た“一級品”の奉仕人形だった。

 

 自分と同じくらい豊かに張り出した臀部(おしり)

 拡張ずみの、そんな“後ろ”に、ふかぶかと挿入されたプラグ。

 全身をおおう飾り具と鳴り物。ティアラ。イヤリング。黄金の首輪。

 こまかい顔の整形と全身脱毛施術。強力な洗脳処置にくわえ、キズを残さない脳手術(ロボトミー)

 

 トロンとした痴呆(ちほう)顔。

 美しく飾られた肢体。

 夜の灯火に煌く装具。

 

 完全に“女の快楽”を司る木偶(デク)人形に生まれ変わらされた、自分の美しき分身。

 その股間には、イボやねじれが盛りだくさんの、凶々しいチンポが黒々とそそり()って。

 “紅いウサギ”でも()()()()()()となった“あのヒト”に、今度は自分が責め(さいな)まれている……。

 

 彼女にとって甘美とも思える被虐の妄想をたくましくさせつつ、この舞姫は己“お舐め犬”に蹂躙されるがまま、身体を、感覚を――何より()()()を預ける。

 

 “詩愛”の舌が、巧みにサロメの“泣き処”を探り当てた。

 

 そのまましばらく彼女の急所を(もてあそ)んだのち、やがて異形の紅舌は更に彼女の奥へと進んでゆく。

 

 

「ヒぎィィィィィィィッ………ッ!」

 

 あまりの快楽。

 一瞬、サロメの頭がホワイト・アウトする。

 フワフワとした意識の中で、貫いた舌がゾロリと抜かれる感覚……。

 

「あふぅん……酷ォい……もっとぉぉん」

 

 すると、まぎれもなく声帯手術済みである詩愛の声が耳もとで、

 

「ふふふっ。ろぉひァひょォか(どうしましょうか)らっへほ姉ハマ(だっておねぇサマ)、意地悪あっあんでふもの(だったんですもの)……」

 

 長舌化のため、せっかく知性的だった声も、どこか知恵おくれ風に聞こえる。

 次いで、目を閉じたサロメのほおに指輪をはめた手がふれ、ゆっくりとなでる気配。

 

 ――えっ……。

 

 不思議!

 

 舞姫は、心のどこかでおどろく。

 お舐め犬は、両腕をうしろで拘束されるのが“紅いウサギ”の()()()()なのに。

 だが――彼女はあくまで目をとじたまま、この摩訶不思議(まかふしぎ)な奇跡を、むしろ(よろこ)んで受け入れた。

 

「……そんな。あれは、やがてメス豚となる()()()を思ってのコトですわよ?」

「あぁた、ホンなほぉ言っへ……ひいわう(意地悪)……」

 

 自分の口に、相手の整形されたプックリとする唇がふれた。

 サロメも(はむっ……)と、それをくわえ返す。

 

 5分間のガマンを強いた()()()()と異なり、ふたりの紅舌は自然とからみあい、つつきあい、しゃぶりあった。

 

 目を鎖したサロメのうす闇に、相手をむさぼり合う吐息と、さえずり。

 

 

 快楽(けらく)臥所(ふしど)(むつ)み合う、

     二匹のメスの営みは、

        (かたみ)に鳴りモノ響かせて、

           いつ果てるとも()れぬまま……。

 

 

 

「おぁ……ほねぇはまぁ……ほねぇはまぁ……」

「あぁ――(ワタシ)のカワイイお人形……(ワタシ)の希望……(ワタシ)の宝」

 

 サロメは“オナニー・ドール”に改造された詩愛の肌に手を滑らせた。

 

 毛の一本も生えていない、肌理(きめ)の細かい皮膚(はだ)

 乳首から“鳴り房”の下がる、かたちの良い乳房。

 秘裂に手を這わせると、この元・お嬢サマは感度よくビクリ、と身をふるわせて。

 それがたまらなく可愛く思え、サロメは相手の全身にキスの雨をふらせる。

 

 ややあって、ひとしきり詩愛の美乳を愛撫した彼女は、いつになくマジメな声音(こえ)で、

 

「ねぇ――オマエと一緒なら、(ワタシ)()()()()()()()できましてよ?」

「ろんなコオぇも……?」

「えぇ。どんなコトでも……」

 

 

 サロメは相手のウィッグをゆっくりと撫でる。

 シルクのシーツの上で『オナニー・ドール・詩愛』が満足げに身じろぎする気配。

 

「うえひぃ……」

 

 そう言うと、新米の踊り子・兼“お舐め犬”は、サロメの方に身を寄せてくる。

 

「ね?(ワタシ)には考えていることがあるの。このままふたりでお店をつとめ、お金をためて、そして容姿(すがた)が衰え、だれにも相手にされなくなったら……」

 

「……」

 

「そのときは、貯めたお金を手にして、どこか物価(もの)(やす)い、遠い国にいって、ふたりで静かに暮らしましょうか」

 

「……」

 

「だれも(ワタシ)たちをイヂめるもののいない、どこかとぉい、とぉい場所で……」

 

 詩愛がサロメの脚に自分の太ももをからみつかせ、押し当ててきた。

 黒く野太い“お道具”が、サロメの核をジリジリと刺激して。

 とうぜん、その動きは詩愛の胎内(なか)に打ち込まれた同じサイズの“お道具”とも連動し、タチとネコは自然と昂揚(たかま)ってしまう。

 

「あぁ……ほねぇはまぁ(お姉さまァ)……ほねぇはまぁ(お姉さまァ)……」

 

 トロンと好色(いろ)ボケした詩愛の面差し。

 そこに、もはやかつての知的な端正さは感じられない。

 その表情が、さらに淫猥(みだら)にゆがみ、自分の股間につけられたモノを(ミチリ……)とサロメの入り口に押し当てた。

 

 ハッ、と真顔にかえるサロメ。

 

「ダッ、ダメよ詩愛!それを(ワタシ)(なか)()るだなんて……ッ!」

「ふふっ……おんなおぉ言っえ(そんなコト言って)……いえへ欲しひふへに」

「だめッ!ソレはあくまで“お飾り”なの!本当に挿入(いれ)るヒトがありますか!」

 

 だが、馴致され、道具として訓練を受けた詩愛の力はおもいのほか強く、サロメはシルクの輝きもてるシーツの海へ、大の字なりに組み伏せられてしまう。

 

 ――あぁッ、なんてこと!強姦されて以来、お道具とはいえ(ケガ)らわしいモノを入れたことなどないのに……っ!

 

「おぉ……ほねぇはまぁ(お姉さまァ)……ほねぇはまぁ(お姉さまァ)……」

 

 二またに(わか)れた長い紅舌(した)が、まるで触手のように驚くほどの巧みさで、サロメの胸をつまみ、くねり、嬲った。

 右――次いで左。

 ややあってから詩愛の舌は一度、サロメの口をノド奥まで。そして、やおら純真な痴愚のように瞳を輝かせ、

 

「はぁはぁ……ほねぇはまぁ(お姉さまァ)……おあうお(お覚悟)!」

 

 ――あぁッ!詩愛に×されちゃう……ッ!()()()()()()()無慈悲に犯されちゃう……ッ!

 

 しかし、詩愛は巧みだった。

 

 いきなり突き入れるなどの無粋なことはせず、挿入(いれ)ては抽出()しを小波(さざなみ)のように繰り返す。

 やがて十分ほぐれたとみるや、組み敷くサロメとの呼吸をシンクロさせて、

 

      ぬ、ぬぬ、ぬぬぬぅぅぅ……ッ!

 

 強弱をくわえ、さまざまに角度をつけながら波打つように挿入する。

 とたん、サロメの“なか”は燃え上がるように。

 

 ――このクソ人形!!

 

 ゾッ!と彼女はその感覚に反して(おのの)いた。

 全身を駆けめぐる奔流に意識を切れ切れとさせつつ、サロメはわななく口で、

 

貴女(アナタ)!……“奴婢(ぬひ)(なみだ)”を!この(ワタシ)に……ッ!」

「えぇ、そうよ……?」

 

 そのとき。

 

 不意に詩愛の声が低く沈み、明瞭(ハッキリ)としたものになる。

 ぞわっ、と全身に鳥肌をたててサロメは相手を払いのけようとするが、組み敷く詩愛の()()()はさらに勢いを増して、

 

「アナタは、ご自身の情欲(よく)のために、わたしをこんな淫猥(みだら)容姿(すがた)変貌(かえ)てしまった……」

「詩愛――貴女(あなた)!」

「もう二度とお陽さまの下を歩けない、アタマの中を情痴に染められた、哀れでミジめな、メス人形に……」

「ちッ、ちがうの!それは貴女のためを想って……ッ!」

 

 押さえつける()()()が強まった。

 わたしのため?と、(かす)かに嗤いを含んだ詩愛の(ささや)きが上から降ってきて、

 

「この淫乱じみた哀れな身体の、どこが“わたしのため”なの?アナタはただ、ミジめな性処理用の奴隷人形を一匹、生み出しただけなのよ……それも本人の意思とは関係ナシに、ね?……もう美ィちゃんにも……お母さんにも……なにより……」

 

 ここで詩愛の言葉が留まった。

 ややあって、感情を爆発させて、

 

「……会えない!会えるハズがない!!こんな忌まわしい手術をされた――イヤらしい肢体(カラダ)で!」

 

 押さえつける詩愛のちからが消えた。

 サロメは身をよじってベッドから逃げだそうとする。

 しかし、股間に打ち込まれたクスリ漬けのディルドーの刺激が全身を燃え立たせ、動けない。

 必死にもがき、目を開けようとするも、まるで膠で固められたようにまぶたは開かなかった。

 

「逃げようっていうの……?でもダメ」

 

 不意に、サロメの首に詩愛の細い指が食い込んできた。

 

「アナタとわたし。ここでお終いにするのよ」

「ゑぐォッ!……ゲハッ!」

「みじめな肉人形が二匹、消えるだけ。お店のヒトたちは、サッサとわたしたちを処分して、つぎの哀れな女を踊り子に調教するでしょう。ただ――それだけのこと」

「詩ィ!……ウッ……ゲッ!」

「神サマの御前に立ったとき、なんて申し開きをしましょう……?この情けない、イヤらしい、恥ずかしい、惨めな“オナニー・ドール(性処理人形)”にされてしまった肢体を……!」

 

 詩愛の手に、さらなる力がこめられた。

 目蓋(まぶた)(とざ)されたうす闇のなか、サロメの頭はガンガンと鳴り、舌が勝手に飛び出る。

 するとそこへ、詩愛がソッと口づけする気配。

 

「どんなコトでも出来ると仰いましたね……?」

 

 応えはない。

 ヒューヒューとノドの鳴る音。

 

「それならば、わたしと一緒に死んで頂戴?お姉ぇサマ……あの世で一緒に神サマへ弁解致しましょうねぇ……」

 

 相手の声が、だんだん遠くなる。

 アタマは心臓の鼓動にあわせ、まるでハンマーで殴られるようにまでなって。

 

 ――あぁ……ちがう!ちがうの詩愛……(ワタシ)……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぶはァ……っ!!!!!」 

 

 

 顔にかかっていたシーツをはねのけ、ガバッとサロメは状態を起こした。

 

 息を荒げ、全身で呼吸をする。

 目の前をキラキラと星が舞い、視野がこまかくブレた。

 心臓の脈打ちとともにやってくる頭痛。吐き気。滝のような汗。

 

 無心に呼吸をくりかえし、ようやく人心地がついてみれば、彼女はあいかわらずベッドの上で、しどけない格好をしているのだった。

 ただし、自分の奥は洪水状態で熱く濡れそぼり、シーツにはベットリとしたものが、まるでオネショタをしたように拡がっている。

 

 脱力が、ベッドの天蓋から降ってきた。

 視界のチラつきがおさまり、サロメは大きく息をつく。

 口でゆっくりと息をしているあいだに吐き気はだんだん遠ざかって。

 タップリ10分は沈黙のまま、肩で息をし、頭のなかの惑乱をおさえる。

 目に入った脂汗を、いらだたしげに手の甲ではらい、チッ、と舌打ちをして、

 

 ――どの辺から……夢だったのかしら……まさか【お舐め犬】を喚んだことも……?

 

 だが、そう思ったとき、ベッド・サイドのスツールにラーメン屋の伝票じみた小さなクリップ・ボードが目に入った。

 

  ご注文票

 

お 名 前:サロメ様

ご利用者数:1 名

ルーム・No:幽玄の間

ご注文品種:お舐め犬(1号)

チャージ料:***円

税サービス:***円

――――――――――

金額/合計:***円

 

 ――なるほ、ど……。

 

 どうやら自分が“お舐め犬”を利用したのは確からしい。

 すると、あの手練れな備品の舌技に参って、失神してしまったのだろうか。

 情けない、と彼女は再び舌打ちして美しい柳眉をひそめ、己の()()()()()に唇をゆがめる。

 

 ――舞姫サロメの、とんだ恥さらしネェ……。

 

 そう考え、もの憂げに首をめぐらせた瞬間。

 彼女はギクリと身を震わせた。

 水晶の眼球もつフクロウ。

 その止まり木の足もとには、いつのまにかあの黒ネコの剥製が金色の瞳を光らせて。

 

 怪訝な足どりで、ゆっくりとサロメはこの黒ヒョウめく毛づやの置物に近づいた。

 もと置かれていたはずの女神像からは、優に3~4m以上はなれている。

 

 ――なんなの……?

 

 と、彼女が身構える間もなく、この奇怪な“装飾品”はフイと首を動かして、瞬きをパチパチ。

 おどろくサロメの目前で、ゆるやかに二本のシッポをゆらし、

 

『やァ。ようやくお目覚めだネェ……』

 

 

 



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番外編:女たちの様々な思惑(自粛版)。

 

 ――しゃ、(しゃべ)ったァ……ッ!?

 

 サロメが身体中の飾り房を鳴らしてのけぞった時、

 

『まぁ、そんなに驚かないでよ』

 

 この剥製まがいの存在は、多分に余裕をぶっこいて、

 

『こんなご時世だもの。ネコだって喋ってもイイよねぇ?』

 

 金色の瞳が、ニィッと三日月にゆがめられて。

 ゆるやかにシッポを(それもふたまた!)ゆらすその風体にもビックリするが、何より自分の心を読まれたことに、サロメは驚きとともに警戒を呼び起こさざるを得ない。

 

『そんなに身構える必要はないよ?それよりさっきの幻視(ヴィジョン)は――どうだった?』

「ヴィジョンですって?」

『そう。ボクは因果と可能性から事象を類推(るいすい)して、その予想図をキミに見せてあげたのサ』

 

 ――予想図……。

 

 サロメは美しく整えられた柳眉をひそめる。

 

『そうだよ?今のままでいくと、遅かれ早かれ惹起(じゃっき)しうる可能性、その最たるものが、あの事象だよ』

「それでは、それではアレが……(ワタシ)()()のたどりつく結末(すえ)だと――こうおっしゃるの?』

 

 サロメは、先ほどの光景を思い出した。

 

 鎖された目に感じられた詩愛の気配。

 オナニー人形に改造されたことへの(ウラ)み言。

 冷たく、静かな声で「いっしょに死のう」と耳もとに囁かれた言葉。

 黄金(きん)の飾りものが幾重にも巻かれた自分の首に、静かに食い込んできた細いゆび……。

 

 だが――どうしたことだろうか。

 

 先ほどまでの心象とは打ってかわり、彼女はそれを()()()()()()()()()()()として受け止める。

 口もとにうっすらと浮かび上がる微笑。

 しかし、サロメはそれを不意に吹き消して、

 

――でも、この店で心中というのは、いかにも藝がなくてイヤですわねェ……。

 

 代わって彼女の脳裏には、(けが)らわしい人間など誰も居ない、どこか辺境の清らかな高原が思い浮かんだ。

 周辺は、目が痛くなるほどモノ凄い青空を背景とした、万年雪をいただく急峻な山々のつらなり。

 そこで緑なす芝生に横臥し、高層気流に流れる雲をふたりで眺めつつ、肩をならべる。

 服用したクスリが回り、冷えてゆく身体を薫りのよい高原の風が撫でさする。

 もはや現世(あたらよ)の猥雑な騒動(ドタバタ)を、とおく離れた浄福感に包まれて……。

 

『――もちろん、100%の可能性じゃないよ?』

 

 黒ネコはペロペロと顔を洗いながら、

 

『ただ、そうなる可能性が高いというだけのハナシさ』

「……そぅ」

『そう、って。キミは、それでいいのかい?』

 

 金色の瞳が、不思議そうにサロメを凝視した。

 

『まさか彼女の手にかかって死ぬのが、本望というワケじゃないんだろう?』

「さぁ……どうかしら?」

 

 サロメは、どこまでも清らかな“心中”の想像を中断すると、腕組みをして相手を眺めた。

 

 単なるネコ……に、しては不敵な雰囲気。

 ふたまたに割れて、左右ゆるやかになびく尻尾。

 金色の瞳が、相変わらず値踏みするように彼女をにらみつけて。

 サロメは覚えずブルブルッ、と身をふるわせ目前の怪異に対峙する。

 

 ――これは“ただ者”ではないわね……妖怪?魔物?それとも……。

 

『ボクは、そんな低級なものじゃない。それよりも、もっと“高位”の存在だよ』

 

 またもや自分の心の中を読まれ、サロメは鼻白む。

 

「じゃぁ……神さま、とか?」

『キミがそう思いたいのなら、そう思ってくれて構わない』

 

 いくぶん引き気味になるサロメ。それじゃぁ、と彼女は息をつぎ、

 

「その神さまとやらは、なんの用があってコチラにおいで下さったのかしら?」

 

 

 金色の瞳が、またズル賢そうに細められた。

 なよやかに動く黒い胴体。するとその表面に、虹のような艶が(はし)って。

 

『キミの願い事をかなえに来たのサ』

 

 ねがいごとですって?と、もはやサロメは口に出さずに。

 

『そうだよ?』

 

 黒ネコは二又(ふたまた)の尻尾を器用につかい、ピシリとサロメを示して。

 

『ボクは、キミの願いゴトを、なんでも一つ叶えてあげることが出来る』

 

 ――なんでも?なんでもよろしいの?

 

『そう、なんでも。たとえばキミのお気に入りの女性を、キミの想像通りの()()()()()()()でキミ専用の玩具(オモチャ)にしたりもできるよ?』

 

 ――手ひどいカタチ……ですって?

 

『そう。淫乱(みだら)な異形の容姿(すがた)にされ、人生に、社会に絶望して、キミに依存するようにも出来るし……』

 

 サロメの頭の中で、様々な手術を受けた場合の詩愛が思い浮かんだ。

 

 非道に人体を歪められ、まるでペットのように飼われる姿。

 オリの中から尻尾をふりたて、まるで媚びるように。

 あるいは完全に自我をコントロールされた、女性向けの特殊用途品へ。

 リモコンで操作され、女主人の思うがままに着飾らせて従順に奉仕作業へといそしむ、元・お嬢サマ……。

 

 ――どんな衣装がいいかしら……バニーガール?メイド服?ボンデージ衣装なんかも……。

 

『そぅだねぇ。いっそのこと、本当に美しさの衰えない“愛翫人形”にして、そばに置いておくコトだってできるよ?』

 

 ――ホントに……ホントにそんなコトができるの……!?

 

『そうとも』

 

 ここで黒ネコは金色の瞳をさらに細めて、

 

『ただし――キミがボクの要求を呑んだらね……?』

 

 一転。

 サロメの(おもて)()ッ、と怒気が(はし)った。

 

「――ダマれ淫獣(いんじゅう)!!」

 

 ドン!と踊り子は傍らのテーブルに、握りこぶしを叩きつける。

 

『い……淫じゅ……?』

 

 正体不明の黒ネコは、目を金白させながらサロメを見やって。

 

「だって、そーでしょうが!ナニが神サマよ。だいたいハナから奇怪(オカ)しいと思いましたわ!?」

 

 サロメの血相に危険なものを感じながら、自称“神”はピンク色の肉球がついた前あしを「マァ、おちつけ」と言わんばかりにかざしつつ、

 

『まった、まった――いったい何が気に入らないんだィ?』

「アンタの考えているコトなんか、マルっとお見通しよ!」

 

 もはや目の前の自称“神”を「アンタ」呼ばわりしつつ、サロメはブチ切れたような声で、

 

「どーせ、ソッチの要求を呑んだが最後!魂をグリーフ・○ードに移し替えて(ワタシ)を便利に使ったり、ほ○らチャンのように何度も何度も人生をループさせられるんだわ!」

『え”……』

「願いとは引き替えにならないほどの代価を要求されて、それで死ぬまで苦しむのよ!!11」

『ちょっと……』

「それで最後には実験装置に安置されて、観察されちゃうンですのね!?」

 

 なんて可哀想な(ワタシ)!とうつむくサロメ。

 黒ネコは、いささかドン引きとなりつつ、

 

『いやァ……ボクもずいぶん長いこと()()してるケド、淫獣よばわりされたのは初めてだよ……』

 

 だってそうじゃありませんこと!?とサロメは、またもやヒステリックに、

 

「ヒトのコトを、いいように遣うだなんて……!」

 

 ヤレヤレと黒ネコは肩をすくめた。

 

『……どうやらキミとは、縁がなかったらしい』

 

 そう言うや、ヒョイと座っていた台座から降りて、

 

『ボクの要求としては、キミの好きなあの女性が好意を抱いている男を、キミの手管で彼女に諦めさせて欲しかっただけなんだけど……』

「……!!!?」

『イヤとあれば仕方ない。別のヒトをあたるよ』

 

 まてェい!!

 

 サロメの腕が、エ○ァンゲリオン伍号機のようにギュィン!!と伸びて、背中を向けた黒ネコの首っ玉をガッシ!ひっつかむや、宙空にぶら下げた。

 

『ひぎゃう!?』

 

 そのまま彼女は、この“黒い存在”を自分の鼻先に持ってくると、

 

ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ……。 

 

 目を爛々と輝かせつつ、平野○太先生よろしく背後から効果音を煮え立たせて、

 

「今のハナシ……詳しく聞かせてもらいましょうか……」

 

 

  *  *  *

 

 

 全身をみたす、泥のような気だるさ……。

 

 その異様な感覚に促され、イヤイヤ詩愛は目蓋を開けた。

 ねぼけ眼で腕に巻いたスマート・ウォッチを見れば、バイブモードでセットした時間まで、まだ15分。

 

 一瞬、自分がドコにいるのか分からない。

 

 見慣れない、雑然としたリビング。

 和らいだ雰囲気のない、どことなく冷たい部屋。

 機能一点張りで素っ気なく、無味乾燥としている什器。

 そんな光景が、遮光カーテンから洩れる朝の光に浮かび上がって。

 

 そこでようやく詩愛は、自分のおかれた立場を思い出す。

 

 ――そうだった。ここはマイケルさんのお(うち)……。

 

 いろいろなことがあり、両親に反抗する態で家を出てきた自分たち姉妹は、とりあえず“あの方”の会社寮にお邪魔しているのだった。

 

 寝室では、妹の『美ぃサン』が彼のベッドを占拠して。

 そしてわたしは長ソファーで毛布をかぶって休んでいるのだ。

 あの応接間の一件から、もう二日ばかり立っている。その間に、妹は復学の手続きをし、自分は会社に住所届けを変更して定期の金額を変え、昨夜ふたりでそれぞれのキャリーバッグを引きつつ、何か言い合いしながらココに転がりこんだのだった。

 

 ――肝心のマイケルさんはといえば……。

 

 詩愛は、ソッとソファーの革を鳴らして上半身をおこした。

 そしてソファーの背もたれごしに首をのばし、リビングの収納スペースをながめる。

 その上段ではこの部屋の主が、ドラえ○んよろしく扉を半開きにして後頭部をのぞかせている。

 あの()()()()()()()から男性不信になっていた自分が、こうやって殿方と一つ屋根の下で寝起きするなんて信じられない、などと彼女はジッとかんがえる。だがそこには、明らかに、

 

      “ウレしハズかし”

 

        (///▽///)

 

 ……な気分が混じるのをどうにも無視することができなかった。

 

 ――やっぱり。わたしはダメな女になってしまったのかしら……結婚前の身でありながら、こんなヨソの男性の家に、堂々と押しかけるだなんて……いいえ!チガうわ!

 

 彼女は急に非難のホコ先を変え、

 

 ――それというのも!美ィさんがマイケルさんのお(ウチ)にお邪魔しているのが気になったからですわ!?あの()、前々から奔放すぎるとは思ってましたケド、まさかわたしと血が繋がってないなんて……。

 

 ひょっとして、もう()()()とイケない関係を……と思いかけた彼女は、あわててそれを打ち消して自分の下等な考えを恥じた。ベッドを美香子にゆずり、今またソファーを自分にゆずった()()()は、ドラ○もんみたいに押し入れの中でお休みになって居るではないか。

 

 ――ケジメをきっちりとつける、リッパな殿方だわ?ホンのすこしだけ、お歳を召しているけど……うぅん、わたしにはピッタリの方よ。()()()になんて、勿体ない!!

 

 そう考え、ソファーの革を鳴らさぬよう、また身体を静かに横にする。

 そして何気なく寝返りをうった拍子に、彼女は自分の下腹部が異様に熱く、()れそぼっているのに気づいた。

 

 ――えっ……。

 

 一瞬、ギクリとおどろき、途方に暮れるが、やがてその原因に思い当たりチカラを抜く。

 

 そうだ。

 

 今まで自分を取り囲んでいたイメージ。

 もはや湯に溶ける砂糖の山のごとく瓦解がすすむ夢のなごり。

 そこであのサロメとかいう踊り子と自分とがなにやら争っていた気配。

 

 いまは明瞭(ハッキリ)とは思い出せない。ただ、何かイケないことを散々身体にされてしまったような感覚だけが肢体(カラダ)の奥にのこる……。 

 

 ――ヤだ……まさかソファー、濡らしていないでしょうね。

 

 詩愛は股間が触れていたソファーの座面にふれる。

 さいわい、革がひどく濡れた気配はない。しかし寝巻きのスボンが、ベットリと自身のモノで濡れていた。

 

 (ひそ)かに顔を赤らめる詩愛。

 どうして自分はこんなに淫らになってしまったのだろう、と涙目に。

 彼女は静かに起きだしてトイレに入ると便座にこしかけ、おマタの火照りとショーツやパジャマについた愛液をロール・ペーパーで祓った。

 

 次いでハッ!と気づき、彼女はパジャマの前をあけると自分のオッパイを確認する。

 別に異常はなかった。

 いつものとおりの、巨乳だがプルンと持ち上がる、ツヤとハリも最高な自分の乳房だ。

 

 ――なにか夢のなかの自分の胸は……もっと小さくなっていたような……。

 

 なにげなく彼女は乳首をいじってみる。

 そしておもむろに、勃ちはじめたそれに向かい爪を立てた。

 

 ビクリ!彼女は痛みに身を震わせる。

 

 すると、その痛みが!忘れかけた(オソ)ろしい夢の残滓(のこり)をあらたに()ぶようで、詩愛はおもわず身をふるわせ、頭をふった。

 と、同時に自分の“あ”おマタが新たに濡れて来てしまったことに、戸惑いと恥じらいと、なにより情けなさを感じて。

 

「なんてコト……」

 

 そう呟いたとき、またしても彼女は夢の断片を思い出す。

 

「あー。あー。あいうえお……」

 

 よかった。

 いつもの自分の声だ。

 叫びすぎて喉を枯らし、ハスキー気味だったイメージが、いまだ残っていた。

 

 詩愛は、改めて己の肢体(カラダ)を撫でまわす。

 幻想の中で、この身体は忌まわしい容姿(すがた)に手術されたあげく声まで変えられ、何かに縛り付けられて、口ではとても言えないような酷いことを受けていたような……。

 

 突然。

 

「お姉ェちゃん、入ってるのォ?」

 

 コンコン、とトイレの扉がノックされた。

 

「……おしっこー!」

「ごっ、ゴメンなさいね、()ィちゃん。いま出るわ」

 

 詩愛はもう一度自分のワレ目を拭き清めると、トイレを流して扉を開けた。

 すると、みょうにエロティックなランジェリーをまとう“血の繋がらない”妹が仏頂面な上目づかいで、

 

「……お姉ぇちゃん、またオナニー?いい加減にしてよモー」

「なっ、なに言ってるの!おマタのヨゴレを拭いていただけです」

「臭いでワかるわよ!もぅ!」

 

 相手はそう言うや、彼女の目の前で手荒く扉を閉めた。

 

 うなだれ、リビングにもどると家主(マイケル)が起き出して台所でお湯を沸かしていた。

 有り難いことに、換気扇が「強」にされ、すごい騒音を立てている。

 

 よかった、と詩愛はホッとした。

 

 この騒音では、トイレ前の情けない言いあらそいも、聞き取れなかったろう。

 あとは、自分の匂いを気にするだけ……。

 

「どしたァ?ハヤいな――そんなソファーじゃ、寝らンなかったろう?」

 

 目の前の男性は、気さくに笑いかける。

 その表情に、沈みかかった彼女の心はすこし救われた。

 

「いいえ、そんな。こちらこそムリヤリ押しかけてしまって……」

 

 彼女の腕に巻いたスマート・ウォッチが振動をはじめた。

 

「いけない。もう出勤の準備をしませんと……」

「洗面台は、自由に使ってくれて構わない。こっちは一週間ばかりテレワークなんだ」

「……お言葉に甘えますわ」

 

 そう言って、詩愛は相手からなるべく距離をおいて寝室にはいると、実家から持ってきた大型のトランクをひらき、着替え始める……。

 

 

 

 

  *  *  *

 

 

 

 

 ――はぁぁ……とうとう学校かァ……。

 

 ベッドの中で、モゾモゾと動きつつ『美月』はタメ息をついた。

 

 高校に復学するなら、という条件で“居場所限定の家出”を認めてもらったので、今さらバッくれるワケにはいかない。

 

 ――でも、今さら学校に行ってもなぁ……。

 

 大学行くため?

 いいトコに就職するため?

 イイ男をつかまえて、幸せな結婚せいかつ?

 

 ――そんなの。マイケルさんと一緒になっちゃえば、一番の早道じゃん……。

 

「――結婚……()()

 

 そう呟いて、彼女は“紅いウサギ”の奉仕トレーニング部門を思いだす。

 

 嘔吐(えず)きをこらえながら模造×××を喉奥まで咥え、おしゃぶりの練習をしていたバニーたち。

 豊胸手術を受けたあとで、胸を使った奉仕のテクニックを教わるフロア・ガールの一団。

 さまざまな性技。それらを駆使した、年上な彼氏(マイケル)とのカラみあい。

 

 えへ……えへへへへ……wwww。

 

 ベッドのなかで、不気味な笑いを漏らしながら『美月』はジタバタした。

 

 店にやってくるヒヒ爺ィや、スカした自称・青年実業家たち。あるいはチョッとナルってる勘ちがいヤローな黒服とは異なり“あのヒト”――マイケルさんは、ホンモノの男だと彼女は思う。

 

 ときどき軍人のようにチョッと野性的だったり、最近読んだラノベにでてくる異世界の騎士団長めいた“お堅い”空気を発散するのも魅力的だった。

 そして……そんな彼女の頭の中には、早くも「ママ」になった自分の姿がチラホラして。

 

 ――赤ちゃんをだっこしていると、マイケルさんがのぞき込み、かわいいホッペをプニプニ。そしてアタシの方を向いてチュッ……な~んて、キャッ♪

 

 うふ……うふふふふ……wwwっ。

 

 またもや陰に曇った不気味な笑いを漏らす『美月』。

 姉とはちがい、少しばかり高血圧ぎみな寝起きの良さで彼女はベッドから起き出すと、寝室に置かれた姿見に自分を映しだす。

 

 (ウサギ)からパクったエロ・ランジェリー。

 首と腕に巻かれた造花付きのシルク・リボン。

 ピンク色のスケスケ越しに見える、お股の割れたショーツ。

 施術とホルモンの投薬によって創り出された、年齢にしてはメリハリのある肢体。

 “紅いウサギ”の手練れなお姉サマたちから教わった悩殺ポーズで、そんなボディをくねらせて、

 

 ――イケてると思うんだけどナァ……。

 

 

 手をかえ品をかえ、下着のデザインを変えて“あのヒト”の目の前で、これ見よがしにフラフラしても、襲ってくるどころか手さえ触れてはこなかった。ワザとオシリをみせたり、偶然をよそおってオッパイをポロリさせても苦笑されるだけ……。

 

 ――お店の評判からして、アタシに魅力が無いッてことはありえないわよネェ?……もしかしてマイケルさんって……ゲイ、とか?

 

 しかし、店でいつのまにか磨かれた“女のカン”で、彼氏が同性愛者でないことは何となく察しがついている。なにより以前、結婚していたと聞いていた。

 

 ――じゃぁナンだろ?ババ専とか?それとも幼女趣味(ロリコン)……?

 

 薄着でフラフラしたためだろうか、『美月』はブルッと身をふるわせる。

 トイレにも行きたくなった彼女は、ネグリジェすがたのまま部屋をでて、いまだ静かな部屋を足音しのばせ、洗面エリアに向かう。

 

 そしてトイレのドアに手をかけようとしたとき――。

 

「あー。あー。あいうえお……」

 

 ――え……ナニ?……キモい……。

 

 ドア越しに、なにやら咳払いと発声練習のような声がする。

 『美月』は眉をひそめ、おそるおそる、

 

「お姉ぇちゃん……入ってるのォ?」

 

 コンコン、とトイレのドアをノック。

 

「おしっこー!」

 

 ハヤくしてよもぅ!と、多少イラついた声をあげる。

 すると、扉の向こうでナニやらゴソゴソと慌てる気配。

 

「ごっ、ゴメンなさいね、()ィちゃん――いま出るわ」

 

 水の流れる音がして、トイレのドアが開かれる。

 とたん、発情する女の匂いがムワッと押し寄せてきて。

 『美月』の表情(かお)が能面のように無表情となり、くびれた腹に怒りが込められる。

 

 ――()()()……ト イ レ で オ ナ っ て や が っ た 。

 

 イラっとする『美月』。

 

 先日のオナニー事件いらい、彼女は目前の相手に以前(まえ)ほど親しみを持てないでいた。

自分とは()()()()()()()()ということが分かったのも、それに輪をかけているのだろう。

なにより、自分とは恋のライバル関係にあるということが決定的だった。それも“自分の方が先にツバをつけた”のに、である。

 

 ――まったくもう!マイケルさんとアタシとの“愛の巣”にズカズカ割り込んできて!

 

 ここに来る間、姉とふたりキャリーバッグを引きながら、さんざん言い争ったものだった。

 邪魔モノの存在に向かい『馬に蹴られて死んぢまえ』と言わんばかりな感情をのせて『美月』は、

 

「……お姉ぇちゃん、またオ〇ニー?いい加減にしてよモー!」

 

 ギロリ、相手を()めつける。

 

「なっ、なに言ってるの!おマタのヨゴレを……拭いていただけです」

 

 相手の顔が、カッと赤くなるのが分かった。

 そして――狼狽(うろたえ)た口調で、聞き苦しい言いワケ。

 これが今まで「姉でござい」とエバっていた女から発せられるのが、なんとも哀しい。

 

 ――よくみればパジャマのおマタがうっすら変色してんじゃない!“お店(ウサギ)”にだって、こんな××汁たらした色ボケ居ないわよ!情けなっ!

 

 ヒュッ、と『美月』は息を吸い込んで、

 

「臭いでワかるわよ――もぅ!」

 

 身体を入れ違いにしてトイレに入ると、バタン!勢いよくドアを閉めた。

 

 ――臭ッさ……!

 

 トイレの窓を手荒く全開に。

 ショォォォォォォ……と用を足している間にも、自分の心が波立って仕方ないのを『美月』は感じる。

 足どり荒く寝室にもどると、姉が着替えをしていた。

 彼女の無言の圧力に彼女はそそくさと服を着終えると、キャリーバッグの中からコスメ一式を持って部屋を出てゆく。

 

 『美月』も自分のバックを開け、実家から渡されたセーラー服のクリーニング・パックを手に取った。そして、そのまま幾拍か凝固して。

 

 ――もう着ることなんて、ないと思ってたのに……。

 

 「学校へもどる」とマイケルさんの手前、イヤイヤながら宣言したとき。“育ての両親”が、みょうに嬉しそうだったのが、不思議と喜ばしい記憶として自身の中に残っていた。

 

 なんだか大きな回り道をした気分。

 大きくグルッと一周して、結局はもとのところに。

 

 時間的に、まだすこし早かったが、彼女はクリーニングのビニールをやぶり、ウィッグを外して白いセーラー服にボウズ頭をくぐらせ、袖を通した。

 

 ――うっわ……。

 

 思わず彼女は絶句する。

 

 なにより豊胸処置を受けたおかげで胸のサイズが全然合わず、パツパツに。

 あまりにもキツすぎて、乳首ピアスのリングが浮かんでしまっている。

 スカートの方を履いてみれば、こちらは細まった腰のおかげでブカブカ。

 

 赤い艶のあるセーラー・スカーフを襟に通し、さて、と姿見で全身を映せば……。

 

 ボウズ頭ともあいまって「セックス・ドール」がサイズの合わないセーラー服をムリヤリ着ているような印象。

 セーラー・スカーフの前はオッパイで持ち上がり「のれん」のように。

 スカートは、アジャストを最小にしても細いウエストにズリ下がり、白々としたお腹がすき間からコンニチワ。

 

 地味なボブカットのウィッグを選んで装着。

 しばらく自分の一種異様なアブない容姿(すがた)を見ていた彼女だったが、ようやく、

 

 ――でも……コレはコレで。

 

 フフッと、半ば“夜の女”と化しつつある彼女は、ほくそ笑んだ。

 そして「このまま登校してみるのも面白いわね」と開きなおる。

 

 ――考えてみれば、お店(ウサギ)で出す余興の「露出プレイごっこ」みたいなモンじゃない。それを公開で堂々とデキるチャンスだわ……アタシが悪いんじゃない。サイズの合わない制服が悪いんだモン?

 

 『美月』はこの格好で通学電車に乗ることを想像した。

 

 ――なるべくムッツリそうなバーコードハゲや、純情そうな〇学生が座る前に立って、つり革を掴むため腕を上げてやるわ?……すると、まる見えになる自分のセクシーなお(なか)……懸命に見て見ぬフリをする中年オヤジのチラ見や、顔を赤くするヤリたい盛りの〇学生が制服のズボンを突っ張らせて。パンティも、見られてイイように真珠つきのSMチックなものにしてみよッかな?……そーだ。あの童貞クンの鼻血も、ひさびさに見たいわねェ……。

 

 『グルッと一周』なんて、してなかったワケかと彼女は短くわらう。

 そして微妙になった“姉”との関係を想いつつ、

 

 ――そう……もうモトに、なんて戻れないのかもね……。

 

 ベーコンを焼くイイ香りが立ちこめ始めた。

 学校指定の黒ソックスを履くと、『美月』はリビングに意気揚々、姿をあらわした。

 



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重要連絡:お読みいただいている精鋭読者さまへ

『美月』:え?ナニよ?このジューヨーレンラク、って。それに精鋭読者さま、って?

 

 詩 愛:これをお読み頂いている皆様は、とおり一遍のラノベ読者レベルではないからよ。

 

『美月』:ま、こんな時流にハズれた内容と文章を読めるなんて、スゴよねェ。

 

 詩 愛:これッ!――それにしても、どうしたのかしら……ネェあなたァ!?

 

『美月』:あぁッ!ナニよ、どさくさにマギれて!このオナニー女!

 

 詩 愛:だ・れ・がオナニー女ですって?そんな悪い事いうお口は……コレかしら!?

 

『美月』:ひゃ、ひゃへほ~~!はひゃhぇ~~!

 

マイケル:な~にを朝っぱらからバカ騒ぎしとるんだ、貴様らは?ホラ、朝食できたぞ。

 

『美月』:ふあっへ、ほへ~ひゃんふァ……。

 

マイケル:詩愛?ホドホドにしといてやれ。そう両側から頬を引っ張ると、くちびるが変形するかもしれんからな?

 

『美月』:ふぃぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁl!(泣

 

 詩 愛:仕方ないわね!こんどだけよ?

 

マイケル:『美月』?小おとk……店主は、まだ出張から帰ってこんのか?

 

『美月』:あー痛かった……お姉ェちゃんのバァカ!!!11

 

 詩 愛:(ギロッ!

 

『美月』:(ヒッ!

 

マイケル:……『美月』?

 

『美月』:(ビクビク えっ?あぁ、うn……“ちびピエロ”は、なんか出先でトラブってるみたい。アレが居ないんで、最近ヘンなヤツらが店ン中でのさばり出してイヤなんだぁ。

 

マイケル:“ちびピエロ”?(プッ)アイツそんなアダ名なのか。

 

『美月』:うん。カゲでコッソリとね。最近言われ出したんだけど……。

 

マイケル:ふぅん……それに何だ?変な奴等がノして来たって?

 

『美月』:そ。ウラのエリアで一部のヤツらが業者のリベート狙いにのさばってるみたい。

 

マイケル:留守を狙われたか……。

 

『美月』:ソレか、その出張が、店を留守にするためのダミー?だって。

 

 詩 愛:美ィちゃん……大丈夫なの?あの“紅いウサギ”とか言うお店。

 

『美月』:だいじょうぶって、ナニが。

 

 詩 愛:この前いっしょに行ったとき、お姉ちゃん酷い目に遭ったわよ……。

 

『美月』:ヒドいって――どんな?

 

 詩 愛:(そんなこと……いえるものですか!)

 

マイケル:ともかく、だ。早く戻ってきてもらわねば……。

 

『美月』:そーいやサ?ウチらの作者も――。

 

マイケル:なんだ?作者がどうした?

 

『美月』:とうとう某国に海外出張だって。

 

マイ・詩:「「えぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」」

 

マイケル:そ、そんな?じゃ、じゃァこの物語はどうなるんだ?

 

 詩 愛:そうよ!?わたしたちの“華燭の典”は?

 

『美月』:ハァ?ナニ言っちゃってんの?マイケルさんとアタシは、ハワイで――。

 

マイケル:まて!話をもどせ『美月』!いつまで海外だって?

 

『美月』:さぁ……ナンでも本人イヤだって相当ゴネたけど、向こうの責任者にムリヤリ――。

 

 詩 愛:お話の進み具合はどうなるのかしら?

 

マイケル:あいつ、()()()の言葉喋れるのか?

 

『美月』:進みぐあいは、サァ?としか。言葉は、英語もロクに通じないから、通訳か翻訳ソフトに頼るとか。

 

マイケル:まったくナァ……“親と上司は選べない”か。

 

『美月』:それで、慣れない現地でドタバタするから、なるたけガンバるけど、更新がおくれ気味になるかも、だって。

 

 詩 愛:それで?作者はなんて?

 

『美月』:それでね?作者のほうは――。

 

マイ・詩:「「ふんふん」」

 

『美月』:『代わりに精鋭読者のみなさまに謝っといてくれ』……だって。

 

マイ・詩:「「はぁぁぁぁぁぁぁァァァ!?」」

 

マイケル:なんでだ!我々は被害者じゃないか!

 

 詩 愛:そうよ、そうよ!まったく身勝手な!!

 

マイ・詩:「「出てこぉい!作者ぁぁぁぁぁッ!!」」

 

 珍 歩:えへへ……毎々ご高配を賜りまして……。

 

 マ美詩:(((ホントに出てきやがった……ッwww!!)))

 

 珍 歩:えぇ、そのような訳で。まことに心ぐるしく、また大変申し訳ありませんが、更新が滞った場合には何卒、精鋭読者みなさまの寛大なお心に縋り、平にご容赦を願う次第に存じます(宜しければチンポの「ヒ」も御笑覧下さい)。

 

……以上、業務連絡をおわります(トホホ。

 

 

 




(入国するだけでタイヘンでしたよ、えぇ)


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第37話:マイケルの場合(自粛版)

 (くら)い、得体の知れない夢からオレは目を覚ました。

 

 心臓が、まだバクバク言っている。

 ジットリした汗が、全身をつつんで。

 

 一瞬、自分がどこにいるのか分からない。

 籠ったような暑い空気と木材、加えてニスの匂い。

 

 ややあって、オレはようやく自分がリビングにある収納戸棚の上段に、ドラ〇もんのように寝ていること。いつも寝床にしているソファーは、詩愛に譲ったこと。あの“悪夢のような”鷺の内家のドタバタ騒ぎから数日経っていることなどを思いだした。

 

 ――詩愛……。

 

 オレは収納庫に寝たまま、扉をさらに大きくあけた。

 

 遮光カーテンから洩れる朝の光がボンヤリと照らす薄闇なリビング。

 中央には、羽振りの佳かったころに買ったチェスタフィールド調の長ソファー。

 背もたれに隠れて今は見えないが、そこには当の彼女が横になっているはずだった。

 

 扉をあけ、部屋の空気を嗅いだ時、自分がなぜあんな夢を見たのか、分かったような気がした。

 

 部屋に籠もる“女の匂い”と艶めかしい気配。

 たぶん、これがヘンな連想を喚びおこしたんだろう。

 

 どこか淫猥な印象をはこぶその雰囲気。

 それから背を向けるため、オレはキャンプ用の銀マットを敷いた固い仕切り板の上で寝返りをうち、黒いシミがところどころに浮き出る壁の方をむいた。

 

 現実がもどってきても、夢の圧力がなかなか抜けない……。

 

 

 夜。

 

 どこかアラビアの宮殿じみた、広壮な大理石の広間だった。

 香油入りのオイル・ランプが、そこかしこで灯明のように揺らめきいている。

 それが、部屋に据えられた蒼古(そうこ)たる意匠の金銀什器に、輝点の明滅を浮かび上がらせて。

 

 だが――そんな乏しく心細い灯りなど不要だった。

 

 広間から見える傍らの鐘楼。

 

 その上空には信じられぬほど巨大な月が、利鎌(とがま)のような鋭さで暗天に架かり、広間中を蒼く染めていたからだった。

 身体まで透けてしまいそうな、冷たく、澄明で、一切の不純から遠ざかった、玲瓏きわまる蒼さ。

 流れ星がひとすじ。線を引くように(くら)い宙を駆け――そして消えていった。

 

 そんな景色の中。

 

 オレは血まみれの迷彩服を着て自動小銃を傍らに、太い柱のかげで房つきのクッションを尻に敷き、グッタリと座りこんでいるのだ。

 抱え込んだ銃身は連射したばかりなのか熱く灼け、腰に下げるポーチにも予備弾増は少ないと見えて軽く、心もとない。

 胸に下げていた防御用手榴弾や拳銃、戦闘用ナイフの類も、どこかで使ったり、落として来たらしい。

 

 目の前に置かれた銀の盆には、玻璃(はり)製のデキャンタと杯。

 

 その中には赤い液体が満たされているが、なぜか(けが)れているように見え、口をつける気にはなれない。

 

 どこかで女の悲鳴がした。

 つづいて空気を裂く一本ムチの音――また悲鳴。

 

 オレは自動小銃のセフティ(安全装置)を外し、音のした方を見る。

 目を凝らし、アフリカの原野でアンブッシュをする斥候部隊の眼差しで……。

 

 すると――。

 

 清澄な月の光もとどかぬ暗がりの奥から、鏘々と鳴り物のひびく音がした。

 やがてひとりの踊り子が、優美な足どりで、その一挙手一投足に妙なる音を響かせつつ、広間に入ってくるのだった。

 

 面紗(フェイスベール)で顔を隠す女の片手は、銀色の鎖を引いている。

 その先は愛玩用のペットだろうか、一頭の小ぶりなブタが、ヨタヨタと彼女の足もとに従っていた。

 

 ――いや……ブタじゃねぇのか?

 

 いまだ月の光が届かぬ影で、踊り子は自分の肢体のあちこちに付けた鳴り物をゆらし、この奇妙なカタチをした愛翫動物にかがみ込んだ。

 

「**、**。**、**********~?」

 

 相手のことばは分からない。

 陽の出風(レバルト)がヒュウヒュウと鳴るような(ささや)き。

 しかし、このペットをからかうような、嬲るような、そんな口ぶりなのは分かった。

 

「****?*********!!」

 

 と。いきなり激高する踊り子。

 やおら腰の帯に挟んだムチを抜きだすと、ブタの背に打ち据える。

 

「イャァァァァァァァァ――ッ!」

 

 いきなり“ブタ”が女の悲鳴をあげた。

 

 二発――三発――四発。

 

 ブタが、震えながら主人の足もとにうずくまる。

 

 その様を眺め下ろした踊り子は、自分の胸と股間に手をやって。

 次いで背を反らし、身をよじらせて、短い舞いめいたものを、ひとくさり踊った。

 

 やがてこの苛烈な飼い主は(ひき)き鎖をひいてブタを導き、青白い月光のもと歩み出る。

 

 思ったとおり。

 

 ブタと思ったのは、人間だった。

 

 間違えたのも道理。

 中ほどで切断された腕と脚。

 そこを黄金(きん)色をしたブタの義足に継がれている。

 ブタ耳のついた黒い全頭マスクで、きつそう覆われている頭部。

 鼻に当たる部分は、牛のように大きな鼻輪が穿たれており、踊り子の手にする鎖につづいて。

 

 尻部には太い機材が刺さり、そこにクルンと丸まった尻尾が。

 前の方にも何かが挿入られ振動をたてるようだった。

 またムチが、ブタに変えられた女性に降り注ぐ。

 そのたびにわき起こる、悲痛な叫び。

 ふと、そこに聞き覚えのある声が。

 

「――おい」

 

 オレは、この奇妙な主従に声をかけた。

 だが、反応は無い。

 踊り子は、あいかわらず青白い光に染められたブタ女の肌にムチをふるって。

 

「――おい!」

 

 オレは自動小銃を引き寄せ、踊り子に狙いをつけた。

 しかし相手は聞こえないのか、折檻をやめる気配はない。

 やむなく広間の天井に向け引き金を引くが――カチリ、という音。

 

 ――こんなときに不発かよ……ッ!

 

 遊底(ハンドル)をうごかし、不良弾を排出。

 大理石(なめいし)に7.62mmの実包が跳ね、澄んだ音を広間に響かせた。

 

 と……その響きが届いたのか。

 

 踊り子はこちらを向くや、ベットリとした笑みを浮かべる。

 ややあって、この女は四肢を切断されたブタ女の後頭部に手をかけて。

 そして固く締め上げられているらしいブタ耳の全頭マスクを徐々にほどいていった。

 やがて現れる、無惨にも鼻輪をとおされた女の顔。ベッタリと髪が、やつれた頬に張り付いている。

 口には、穴の開いた紅い球のようなものを強制的に咥えさせられ、悲鳴はでても言葉は出ないよう、封じられていた。

 

「おごぉ……」

 

 ブタがこちらを見て一瞬、凝固し、次いでイヤイヤをするように。

 

 ――詩愛……!

 

 オレの驚きを喜ぶのか。

 面紗(フェイスベール)奥の、ニンマリとした眼差し。

 幾重にも指輪で飾られた手が、“ブタ女”の尻尾を激しく動かして。

 切なそうに身を悶え、哀れな声をあげて糸を引く液を垂らす(ミジ)めな愛翫(あいがん)ペット……。

 

 

 

 

 

 長ソファーで、革の(キシ)む気配がした。

 背中で様子をさぐると“ブタ女”――詩愛が目覚めたらしい。

 リビングに“女の匂い”がいっそう強まり、反芻された夢の印象を補強する。 

 

 やがて彼女が起き出し、トイレに入る気配。

 

 ――こっちも起きるかぁ……。

 

 異様な夢の残り香を(はら)い、オレは熱のこもった収納棚からズルリと抜け出した。

 エアコンを、睡眠モードから“強”に。遮光カーテンを勢いよく引きあけ、悪夢を一掃する。

 目の痛みをこらえ、細めた目蓋(まぶた)で建物のあいだからのぞく青空を眺める。

 

 ――今日はイイ天気だ……。

 

 梅雨(つゆ)の中休み、というところか。

 冷たいシャワーに朝ビールといきたいが、女どもが出かけるまでは、ガマン。

 協会の管理部門からは、トラックのメンテとデバッグがおわったという連絡はない。

 今日もハロワで仕事を見つけられなかった失業者よろしく、『BAR1918』の監視をしながらブラブラすることになりそうだ。

 オレは台所に行ってヤカンに水を入れる。

 

 と、水道の音を押しのけ、トイレの方から、

 

「あー。あー。あいうえお……」

 

 なにやら咳払いと発声練習のような声が。

 ナンだ?とコンロに火を点けながら耳をすましていると、

 

「お姉ぇちゃん……入ってるのォ?」

 

 『美月』も起き出したらしい。今日もイカれポンチなネグリジェを着ているのだろうか。

 いつも手を変え品をかえ――おそらくバイト先から借りてくるのだろう――扇情的なランジェリーを毎晩披露してくる。

 だが、おあいにく様。オレはすでにヤツを妹分のように思っている。妹に手を出す気にはなれない。

 一部の読者からは、不満と不平の抗議があがりそうだが、こればっかりは譲れない。

 

 まったくアレにもマイるよなぁ……などと考えていると、

 

「おしっこー!……ハヤくしてよ、もぅ!」

 

 ガックリとオレは肩をおとす。

 年ごろの女の子が何てこったい。恥知らずな。

 この分だと、そのうち平気でチ○コ・マ○コ言い出しかねん。

 

 ――やっぱ、ハヤいとこ“あの店(ウサギ)”から足を洗わせなきゃダメだナ……。

 

 いくら高級店とはいえ、気の強い水商売の女どもに感化されつつあるのが丸わかりだ。

 だんだん蓮っ葉になり、ガラも悪くなり、雰囲気も(しな)くだってゆく。

 言葉が汚くなるのは10000歩ゆずってまだガマン出来るとして、彼女の金銭感覚がマヒするのが、なにより怖い。

 

 トイレの水が流される音。

 オレは冷蔵庫からトマトを出し、ダマスカス模様の包丁をにぎると四つ切りに。

 一個目を切り、二個目に移ろうとした時だった。

 

「……お姉ぇちゃん、またオ〇ニー?いい加減にしてよモー!」

 

 トマトを切ろうとした手元がくるい、浅く指を切ってしまう。

 

 ――あ()ゥ……ちぇっ!

 

 舌打ちをして、絆創膏をさがしていると、

 

「なっ、なに言ってるの!おマタのヨゴレを……拭いていただけです」

「臭いでワかるわよ――もぅ!」

 

 ――あぁぁぁ……まったく……。

 

 オレはフライパンをコンロにかけ、換気扇を「強」に。

 次いで調味料を出すため、シンク下の収納部にかがんでいるとダイニング・テーブルごしに詩愛の足が見えた。

 換気扇を「強」に回しておいてギリセーフ。

 あとはこちらが何も聞こえなかったフリをすればいい。

 

 かがんでいた腰を伸ばせば、微妙に曇った顔の詩愛と出会う。

 こちらは作り笑顔で、強いて明るい声をよそおい、

 

「――どしたァ?ハヤいな」

 

 思った通り。

 相手の顔がホッとしたような色をうかべた。

 

「そんなソファーじゃ、寝らンなかったろう?」

「いいえ、そんな。こちらこそ、ムリヤリ押しかけてしまって……」

 

 詩愛の腕に巻いたスマート・ウォッチが振動をはじめた。

 すると、彼女の顔が“オナニー女”から一転、OLらしくキリッとしたものになる。

 

「――いけない。もう出勤の準備をしませんと……」

 

 うむ、とオレはそんな彼女を、部下である女性士官の用に頼もしく思いつつ、

 

「洗面台は、自由に使ってくれて構わない。()は一週間ばかりテレワークなのだ」

「……お言葉に甘えますわ」

 

 彼女はオレから微妙に距離をとって、寝室へとむかう。

 たぶん、自分の臭いを気にしてのことだろう。

 

 ――可哀想に……

 

 はやいトコ、彼女の中に入れられたクスリの解毒剤を入手せねばと思うが、小男がいまだ留守とあっては、どうにもならない。たぶん下っ端に掛け合っても解毒剤は(あればの話だが)渡してはくれないだろう。彼女には、自分がクスリを股間から吸収させられたことなんて言わないほうがイイ。知ってしまったら、たぶん気に病むとオレは看ていた。

 

 中断していた朝食の準備。

 灼けたフライパンにエクストラ・バージンのオリーブ・オイル。

 冷蔵庫からショルダーベーコン。油のはねる景気の良い音が1日の始まりを知らせる。

 タマゴは、どうせ「固ゆでだ、半熟だ」とヤツら好みが(うるさ)そうなので、一律に目玉焼き(キリッ!

 そしてサニーレタスをトマトと併せ、サラダ用のボウルに盛り付けた。なんだか過去が戻ってきたような。

 

 朝のイイ匂いが、リビングに立ちのぼる。

 エスプレッソ・マシーンがそれに輪をかけて。

 ただし、女性軍にはミルク・ティーを別途用意した。

 

 ダイニング・テーブルに出来上がったものを並べていると、

 

「オハヨ~~~ぉ!!」

 

 上機嫌な顔をして、セーラー服姿の『美月』が入ってきた。

 

 ――うわ……。

 

 思わずオレは絶句する。

 

 白いセーラー服のパツパツな胸。

 その乳首部分に浮かぶ、リング・ピアスのシルエット。

 おそろしいほど引き締まった腰。反対に年齢のワリには張り出した尻。

 上着のスカートの間があいて、白々としたハラがチラ見している。

 なによりそこにキラめくヘソピアスが、これ見よがしに。

 止せばいいのに、首には黒いチョーカーを巻いて。

 そこに『SLAVE』というチャーム……。

 

 『美月』が、自分の胸を強調したあと、これ見よがしに薄目でうわ唇をユックリと舐め(()って……)のサイン。

 そこへ、あらかた化粧を終えたらしい詩愛が洗面台から出てきたところで大騒ぎ。

 

「美ィちゃん?アナタ、ナニやってんの――そんな格好!」

「ハァ!?オナニー女がうるさいッてェのよ!」

「ダレがオナニー女ですか!わたしはアナタのことを心配して――」

「ソレが余計だってぇの!血も繋がってないクセに姉面――」

 

そ こ ま で だ !

 

 ――朝から冷たいシャワーを浴びれない。

 ――起きぬけのビールが飲れない。

 

 そんな鬱積がタマった、オ レ の 一 喝 。

 

「いったいなんだんだ貴様らは!――あぁ!?」

 

 この糞アマ共が!と腰に手をあて仁王立ち。

 

「諸君!卑しくも()のテリトリーにおいて!斯かる下賤なやりとりが行われることは、極めて嘆かわしい!!」

「だって……このオナニー女が……」

「だってじゃない!――『ミッキー』!!」

「へ?」

「貴様!このごろの品下った物言い、目に余るぞ!()()()に感化されて、どんどん品性が堕ちている。分からんのか!」

「……だって」

 

 だって、じゃないだろうが!と自分は一喝し、

 

「よいか?貴様は小男……いや、店主が出張から戻ってきたら、すぐに私に知らせろ!それから……その制服だが、やはり宜しくはないな」

「じゃぁ、どうするんです?ご主人サマぁ?」

 

 涙目となる『美月』。

 

「とりあえず!学校指定の店に行って制服を新調する!今日は……まぁ仕方ない。それから胸とヘソのピアスは外していけ」

「そんなぁ……電気溶接されちゃって、これハズせないんですヨォ?」

「あぁ、もう!ならば絆創膏でもナンでもいい!とにかく、これ以上学校から目をつけられるようなことはするな!」

 

 こ れ は 命 令 だ !

 

「……はァぃ」

 

 ふてくされて顔を膨らませる『美月』。

 唇をゆがませ、いまにも泣きそうな……。

 

 ――む、不可(いか)ぬな……。

 

 このままの状態でコイツをほっておくと、またヤケを起こし、ヘンなことを仕出かしかねない予感。

 「エンコー」ならまだしも、店で余計な知恵を付けたであろう今は、黒服と組んで最悪「美人局(つつもたせ)」ぐらいしかねない。

 

「学校が引けたら、制服を作りにいくぞ?その後で、なにか甘いものでもオゴってやる」

 

 ホント!?と『美月』の顔がパァァァァと明るくなる。

 しかし、すぐにプイっと顔をそむけ、

 

「でも――甘いものは太るからダメだって、教導長が」

「教導長?」

「“馴致”部門でいちばんエラいオバさん」

 

 ――そんなヤツがいるのか……。

 

 うむむと自分は腕組みをしつつ、まさかウラの人間じゃないだろうな、と思っていると、

 

「オゴってくれンのなら『太郎』のお寿司か、『遠藤』のテンプラがイイ!」

 

 クッ!と()は思わず舌打ち。

 たぶん“紅いウサギ”に来ている金持ちのバーコード禿げ共から聞きかじったンだろう。

 

「どちらも有名な高級店ではないか!このウチは、そんなに財政が豊かではない!」

 

 コツン、と『美月』にゲンコ。

 もう時計の針は7時半に近づきつつあった。

 

「さ――はやいトコ食って“出撃”しろ諸君!夕飯はなにがいい?」

「あたしカレー!はぃ決定!」

「もう初夏の暑さですし……白身のお刺身と、トロロご飯など宜しいかと。材料は、買ってきますわ?」

「えー!?カレーだよカレー!!」

「わたしが作ります。あなたは「ソコイチ」でも「竹屋」でも行ってカレー食べてきなさい」

「えー!オナニー女のつくったお刺身なんて食べたくナイ」

「――では食べなくてよろしい」

「え――!!!!!おーぼーだ!」

 

 ふふふふふふふf……。

 

 思わず脱力した笑いが漏れる。

 そして年上がもてる余裕の、なにかホノボノとしたため息をもらし、

 

「まったく、朝からナゴませてくれる……ひょっとしてこれが“家族の団欒”というモノかもしれんな……」

 

 三人で朝食を済ます間の休戦。

 その間も姉妹の小競りあい。

 

「美ィちゃん?最初に先生にご挨拶するのよ?お姉チャン付いてってあげようか?」

「――いいよ!……そんなの!」

「乳首ピアスは、チャンと隠しておけ?放課後どこかで落ち合おう。さっきも言ったとおり、制服の作り直しだ」

「はぁい♪」

「ホントに……ナニからナニまですみません」

「制服のコトで何か言われたら、今日新しく作る予定です、とでも言っておけ?」

「あ~あ、ブッチャーに、またナンかウルサく言われるんだろうなぁ……」

「……ブッチャー?」

「風紀のデブ教師」

「当たり障りなく、な?キミの方は――今日は早めに仕事を上がれるのか?」

「たぶん、大丈夫だと思います。スーパーでイイお刺身を見繕ってきますわ?」

「だからカレーだってば!!(怒」

「うるさいわね。美ィちゃんは自分でカレー食べに行けばイイじゃない!私は鯛のお刺身を買ってくるから」

「金なら出すから、一匹丸ごと買ってきてくれ。私が(さば)いてやる。いい出刃包丁があるんだ」

「まぁ♪本当ですか?ここの駅前のスーパー、わりと良い品揃えなんですよねぇ」

「オナニー女ずるぅい!!!」

「分かった分かった、ほら、早く食いたまえ。『美月』の学校には、ご両親から連絡がいってると思うが、再起動の初日から遅刻は先生がたの心証が悪いぞ?」

「前々から思っていたんですけど……ミッキー(美月)ってなんです?」

「アタシの源氏名。お店のね?けっこう売れっ子なんだから!」

「……まぁ……呆れた」

「店長と話がついたら、足抜けしろよ?さっきも言ったが、オマエはだいぶ口も品も悪くなっているからナァ。それだけ()()()に毒されている証拠だ」

「だって。バイトのワリがイイんだモン」

「バイト、って。あなた一体いくらもらっているの?」

「一晩で……大体『とっぱらい』3万ぐらい」

「……とっぱらい?」

()()()()のコトだ。高校さぼっている間、月に15は出てたろ?すると手取り45万以上だな」

 

 食後の紅茶を含んでいた詩愛が、ブホッと紅茶にむせて目をまわした。

 

「高校生が……手取り……よんじゅうごまんえん……」

「これで福利厚生がシッカリしているとくるから恐れ入る。あの小男……いや店主のヤツ、どれだけ儲けてるんだか」

「お姉ちゃんも“ウサギ(ウチ)”に来ればいいのに。アタシの付き人として使ってあげる♪」

「まっぴらゴメンです!」

 

 なんのかんの。

 

 ワーワー言いながら朝食は終わり、女たちは制服にスーツといった出で立ちで、寮の狭い玄関からバタバタ騒がしく出て行った。

 それを見送った後の、嵐が去ったダイニング。

 いままでの騒動がウソのような静けさで、しばし()()は呆然とせざるを得ない。

 

 ――ケッ!!!!!!!!!!なにを!!心がヒヨったか!!!!

 

 不意に、正体不明の苛立ちが、全身を包んだ。

 家庭への未練が今になって出たか、と朝食の皿の片付けもせずに腹立たしく服を脱ぎ捨て、自分に喝を入れるべく冷たいシャワーを浴びる。

 

 だが。

 

 物入れで寝ていた汗を洗い流し、サッパリすると風呂場を出てフルチンのまま台所に行き、冷蔵庫からビール。

 女たちがいる前では、絶対出来ない行為。

 タブを鳴らし、よく冷えた最初の一口を、ゴクリ。

 台所の壁に背をつけ、大きく吐息。

 

 ――あぁ……コレでいい……。

 

 家庭の団欒。小市民の幸せ。家族ごっこや、持たれ合い。

 そういったものには、もう一切関わりたくない――ゴメンだぜ。

 

 オレは轢殺屋だ。

 

 幸せってのは、なくすものだ。

 そうなって悲しむのは、もうコリゴリだ。

 だったら、最初ッから“幸せ”なんて持たないに限る。

 あとは、詩愛や『美月』――美香子が……あるいは、あの“引き篭もり”が、幸せに生きていくのを見れれば、それで十分だ。

 

 ――そう、オレは轢殺屋だ……。

 

「オレ自身が幸せになる必要なんかないサ……」

 

 そう呟いて、ようやくいつもの自分が戻ってきた感覚。

 不意に――目標(ターゲット)を轢き殺したくなってきた。

 

 転生指数満点の、この世界から消し甲斐のあるヤツを!

 【SAI】にまかせ、思う存分嬲り殺すような轢殺方法で!

 

 ――くそっ、ヤツめ。ハヤいとこメンテから戻ってこないかな……。

 

 さらに500缶のビールをひとくち。

 冷えたのどごしが、いまだ女の匂いが残るリビングの甘ったるい気配をはねのける。

 

 この国の腑抜けた日常に疲れた中ね……後期青年が、元のトガった自分が、ようやく帰ってきたイメージ。

 ささくれ立った神経に心地よくシナプスを奔らせ、それが全身に行き渡たって。

 

 ――さァて……今日はどうしようか……。

 

 



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第38話:理(ことわり)たちの綱引き

 外は、梅雨の合間の快晴だった。

 

 サングラスの裏にコネクターを隠したオレは、ポロシャツにチノのハーフ・パンツといった格好で住宅街を駅に向かってブラブラ歩いている。

 

 ――暑い。

 

 先日までのジトジトとは、うって変わった天気だ。

 これで雨季も終わり、なんて天気予報もチラホラと聞こえてくる。 

 異常気象。熱中症。水辺の事故。今年もそんな季節がやってきたワケだ。

 

 公園の噴水では半裸の子供たちが水しぶきを浴びて歓声をあげ、公園の日陰では、乳母車や幼児をともなった若い母親が、何やら話し込み、ときおり開けっ広げな笑い声を立てていた。

 こう天気が良くては、いつものベンチでスポーツ新聞を広げワンカップを手にする無職のオッチャンたちもさすがにいたたまれず、どこか涼しいところに避難していることだろう。

 

 ――ノドが渇いた……。

 

 女どもが家にいる間『大人の手本』としてビールも遠慮がちになるので、最近は酒量がグッと減って地味にツラい……まぁ肝臓にはイイのだろうが。

 「家族がいない男は早死にする」なんてコトは、こんなトコロから来ているのかもしれない。

 

 一週間の予定だったAIのメンテは、いまだ技術部から完了報告がなかった。

 朱美や、巻き狩りの面々。それにマッドマッ〇ス3人組のトラックは既にメンテがおわったらしく、元気いっぱい目標を轢き殺しているらしい。

 

 もうあれから2週目の後半になる。

 

 この分では、今月の“轢殺予算達成率”でビリ決定だろう。

 そんな状況でも、いつもの朝会でしぼられたりするんだろうか。

 まさか、なぁ。いくらなんでも状況的に不利なのは、明らかだし……。

 

 ――いや、あの加論(カロン)のヤツならやりかねんな。

 

 お得意の閻魔帳をひけらかし、ヒトのささいなミスを重箱ほじくるようにネチネチと。

 その時の、あの満足そうな“ネズミ面”を思うと、今からコロしたくなるほどのムカつきに胸をかきまわされるのだが。

 

 ま、ともかく。

 

 いまは、ノドが渇いた。

 女どもが会社や学校に行っているあいだ、良識の仮面をかぶるのにいささか疲れた“駄目オトナ”は、午前中のビールと洒落こんでみたい。

 

 ――どこか昼間から空いているビアホールにでも行ってノドを湿らすか……。

 

 最近は彼女たちに、やれハーゲンダッチだ、あんみつだと見栄をはって奢ってばかりで、財政がチト怪しくなってきている。だけど、たまには自分のための贅沢もイイじゃないか……。

 

 駅に至る道のかなたにゆらめく陽炎。

 それを夢遊病者の足取りでをボンヤリ眺めながらそう考えたときだ。

 

 天の配剤だろうか。

 

 コネクターに『ジーミの店』の扉が開いている映像が。

 すこしばかり元気を取りもどしたオレは、汗をふきふき駅に向かうと、やってきた電車の冷房に、ホッとひといきついた。

 白いポロシャツが、たちどころに乾いてゆく……。

 そのままターミナル駅で電車を乗り継ぎ、例の潰れかけたような商店街へとやってきた。

 暑い中をガマンして通りの外れまであるき、あの気さくな黒人が営る店にようやくたどり着く。

 

 酒場の扉は閉じられ[CLOSE]の札が架かっているが、中にヤツが居るのは分かっていた。

 

 カギのかかっている真鍮製のノブをガチャつかせ、

 

「ジーミ!ジーブリール(ガブリエル)!――オレだ!マイケル(ミカエル)だ!」

 

 扉のすきまからそう言いつつ、向かいの『BAR1918』を素早く窺う。

 今日はブラインドが閉まっており、例の褐色女のすがたを見ることは出来ない。

 その向こうに、人影も、気配も感じることはなかった。

 

 扉のカギが回される金属音がして、セネガル人の迷惑そうな顔がニュッとのぞく。

 しかし、こちらの顔を見たとたん表情を変え、真っ白な歯をニッをむき出し、

 

オーララ(オヤオヤ)ボジュー(おぃすー)カメラート(戦友)サヴァ(元気)?」

 

※ここから先はブロークンなフランス語で交わされたのだが、先日の失敗を教訓に日本語に翻訳して表記(皆さんから不評だったらしいww)。

 

「よぉ!入って良いかィ?ノドぉカラっカラなんだ」

Bien sûr(もちろん)!入ってくれ、カメラ―ト」

 

 半袖のYシャツ着た大柄な体躯が、体臭と共にわきにどいた。

 オレはその横を通り、冷房の効いた店内に足を踏み入れる。

 先日より、すこし整頓されている印象。

 もっとも、ガキ共が暴れて破かれたビールの広告や、割れて素になったショーケース。壊された二、三のテーブルは、そのままだったが。

 

「ナンにスル?“(ナマ)”は出来ナイヨ。契約――切られたネ」

「切られたァ?だれに!」

「……ワカラナイ」

 

 頑丈そうなブ厚い肩がすくめられ、

 

「業者サン、もうサーバーの補給とメンテノォンス、ヤメるっテ」

 

 ふぅぬ、とオレは面白くない顔になりながら背の高いイスに登ってカウンターにヒジをつくと、とりあえず生――じゃない、国産の瓶ビールを注文。ジーミは冷蔵庫から瓶ビールの大ビンを抜き出し、慣れた手つきで王冠を撥ねると、大ぶりの冷えたグラスに注いだ。

 サハラ砂漠のように乾ききっていたオレのノドは、相手がグラスをカウンターに置くのももどかしくソレを奪い取り、一息に干した。

 

 手酌で二杯目を注ぎ、続いてアッというまにカラになる。

 

「お代わりだ!伍長(カポラァル)!!」

 

 なぜそんな言葉が飛び出したか、分からない。

 しかしジーミのほうも、

 

ウィ(はっ)モン・キャピテン(中尉どの)!!」

 

 と、反射的に反応したあと不思議そうな顔をする。

 だが、そんな些細なことにこだわってなど居られなかった。

 オレの喉の渇きは俗にいう“喫緊の課題”だったから、容赦なくジーミを急がせる。

 つごう大ビンを三本平らげてようやく落ち着くと、オレはハイネケンの小瓶にスイッチした。

 ジーミのほうも苦笑いしながら、

 

「ヨッポド喉カワいてたネ」

「あァ……いろいろあってなァ……」

 

 そう。

 いまのオレをとりまく環境は、あまりよろしくない。

 

 詩愛と『美月』の姉妹ゲンカ。

 暑苦しい収納庫で寝る睡眠不足。

 いつでも好きな時に飲めない朝酒。

 メンテから戻って来やしねぇ【SAI】

 見つからないドレッドと“おさる”のジョージ。

 どう考えてもキビしい今月のノルマ。朝会でのツルし上げ。

 

 それからしばらくの間。

 

 オレと、この大柄な黒人の間で些細な小話のやりとりが続く。

 セネガルの国内事情。日本のイミグレに関するうわさ話。お互いの国をとりまく政治……。

 やはり、どこもかしこも世知辛いらしい。国や環境は異なれど、状況は似たり寄ったりだ。

 

 話すネタがあらかた尽き、ふいに二人の間を空白が通った。

 ふぅッ、と大きく一つ息をつき、オレは空になった緑色のビンを弄びながら店内を見回し、そしてどことなく呆然とした表情でロールカーテンを下ろした窓の方を見るジーミに向かって、

 

「そういや、ドしたィ。この店ァ――まだ開けねェのか」

「店?……あぁ」

 

 疲れたような感情が一瞬この黒人の面をよぎり、

 

「コワれたトコロ。直すおカネなくて、タイヘンね」

「だいぶ入用なのか?」

「イリヨウ?」

ラルジャン・ド・リペア(修繕用のカネ)ボクゥー(たくさん)?」

「ウィ、ウィ。トレ(とても)、ボクゥー」

「お互い、問題だらけだなぁ」

セ・ら・ヴぃ(ソレが人生)……セ・ら・ヴぃ」

 

 ふふん、とオレは指の間でハイネケンのネックをふらふらさせながら、

 

「その後、ドウだァ――ヤツらは、姿見せねぇか?」

「……ヤツら?」

 

 ジーミは眉根を寄せる。

 

「オイオイ、忘れたのかァ?ほら、携帯の画像で見せた二人組だよ!」

「あぁ、アノ人タチ……見ないネ」

「向かいの店に女が居るだろ。『1918』に?」

「……女?」

「ほら、褐色の。どことなく混血っぽい、エキゾティーキュな顔立ちした……」

「……ワカラナイ。最近、あまりココ来ないね」

 

 ふと、オレはその口ぶりにキナ臭いものを感じる。

 コイツ――なにか隠してやしないか。

 

「じゃぁ、この店にいない時、いつもはナニぃやってンだィ?」

「アルバイトね……おカネ、貯めないと」

「なんのアルバイトさ?」

工場(ファクトリ)スリー・シフト(3交代)。就労ビザないから、ナイショ」

「時給はイイかい?」

「……アマリ。でも働かないト。仕送り、タイヘン」

 

 そう言ってこの大男はYシャツの胸ポケットからボロボロになった黒革のパスケースを取り出し、中をひらいてこちらに見せた。

 娘を抱いた母親らしき女が、こちらをみて笑っている。

 

「奥サンと娘ネ。セネガル居ル」

 

 そうか、とオレは密かに嘆息。

 この男も妻帯者だったってワケだ。

 こんな遠い国まできて、家族のためにガンバってる。

 ジーミ。ジーブリール。オマエは立派だよ、とオレは唇をゆがめた。

 カウンターをはさんで、それまでとは立ち位置が急に変化する気味がある。

 

 片や――家庭を営むもの。

 片や――家庭に失敗したもの。

 

 カウンターの“向こう”と“こちら”以上の、なにか見えない断絶が存在しているようで、ふいに居心地が悪くなったような。

 壁にかかっている古風なマリン・クロックを見れば、もうすぐ12時だ。

 

 意外に長居をしてしまった。

 

 ――ここを出て、どこか適当なところでメシを食うか……。

 

 背の高い椅子から腰を浮かしかけた時だった。 

 ジーミは不意に舌を鳴らすと相好をくずし、カウンターの下にかがみ、姿を消す。

 

 やがて姿を見せたときには、小さな黒いものを抱えていた。

 

 オレは背の高いイスから思わず転げ落ちそうになる。

 ジーミが抱えていたもの。それは、一匹の小さな黒猫だった。

 思わず上ずってしまう声で、

 

「ジーミ。ジーブリール。お前、それ……」

「カワイイでしょ。近くデ飼ってるミタイ」

 

 飼っているにしては、首輪も何もない。

 耳に去勢済みの印であるV字型の切り込みも見当たらない。

 ただ、艶々とした黒い毛並みは確かに清潔そうで“飼い猫”に見られてもおかしくはなかった。

 

 金色の瞳が、こちらを見て細められる。

 そして小さくニャァ、と一(こえ)

 

「オマエ……なのか?」

 

 ガブリエルのゴツい腕に抱かれ、満足そうな子猫はこちらをチラと一瞥。

 そして、自分の股間をぺろぺろナメはじめた。

 

「どしたノ?知ッテル猫?」

「いや……何でもない」

「そうだ、今夜、アソビに行こうヨ。トモダチ紹介するネ」

「いや、今夜は……」

 

 夕飯の支度をして、(ウチ)の女たちに包丁の冴えを見せてやらんと……。

 ポケットの中で、携帯が振動した。

 画面を見てみると、その女のひとり。詩愛からだ。

 

「はい――もしもし?」

『あ、マイケルさん?申し訳ありませんけど、今日夕方から急な会議が入っちゃって――』

「そうか、それじゃ……」

『えぇ、遅くなりそうなんです。今夜は、あの子のためにカレーにしてあげて下さい』

 

 受話器の向こうでは忙しそうなオフィスの気配。

 と、奥のほうで彼女を呼ぶ声が、微かに。

 

『アッ、ごめんなさィ!もう行かなきゃ』

「大変そうだな……仕事、頑張れ」

『はぃ!あ、マイケルさんも……』

「んぅ?」

『昼間っから、お酒飲みすぎちゃダメですよ?――それじゃ♪』

 

 プツン。

 

 彼女はいってしまった。

 なにか、無性に「負けた気がする」のは何でだ?

 知らず酔った口調になってるか?いや……全然フツーだよな。

 畜生め、まったく女のカンってヤツぁ、どうしてこうムダに鋭いんだろうか。

 

 ――じゃぁ、今夜はカレーか。チキンか、ビーフか。悩むところだなァ……。

 

 手のひらで、また携帯が振動した。

 画面を見ると『美月』からだ。

 

 ――まさか……。

 

「はい――もしもし?」

『あ、マイケルさん?あたC~~』

「どうした、美月」

『さっき“ウサギ(お店)”の方から連絡があったんだけどォ。そのときサイズの合わない制服のハナシになってサ」

「ふむ?」

『そしたら、アッチで制服をフルオーダーで作ってくれるって!』

「仕立てるってのか?いくらで」

『サービスしてくれるって。ただで♪』

 

 イヤな予感がした。

 あの算盤ずく一辺倒な魔窟で、そんな“サービス”などあるはずがない。

 

「ダレが言った?」

『踊り子でサロメ姫ってひとが居るんだけど、そのおつきの人が』

「いいか――美月」

 

 オレは思わず語気をつよめ、

 

「この世には、タダってモノはないんだ。あってもそれは、結果的に物凄く高価(たか)くつくんだぞ?」

『え~。だってもうオッケーしちゃったモン。だから、今日はお店の方で採寸があるから遅くなるよ?』

「おぃおぃ……」

『お姉ちゃんと二人っきりになるけど、ヘンな気おこしちゃ、ダメだかんね?』

「姉さんも、今日は遅くなるってサ」

『ヤったァ!あ……そういやサ、覚えてる?神社の()で***……***が***』

 

 通話が、いきなり不明瞭になる。

 

「もしもし……もしもし聞こえるか!?」

 

 不意に『美月』の声がささくれ、男の声のように。

 

『その娘がァァァァァ……**にぃぃイイイイ……病ぉぉぉォォ……」

 

 いきなり通話が切れた。

 なんだ?と思う間もなく携帯の電源も落ち、再起動しても画面が点灯しなくなる。

 

「ドシタノ?今夜、ダイジョブ?」

「あぁ……いや……」

 

 オレは言葉を濁した。

 

 黒人に抱かれる黒猫の、細めた金色な瞳でこちらを覗うような視線。

 なぜか知らないが、慄然(ゾッ)と鳥肌が立ち、イヤな感じがすることこの上ない。

 

「いや、今日はちょっと都合がワルいんだ。また今度な」

 

 オレはカウンターに代金を置くと、背の高い椅子から滑りおりた。

 

「マイケル……サン。コンナに要らないよォ?」

「イイんだ。娘さんに――なんか買ってやってくれ」

 

 オレは、黒ネコ抱くジーミを振り切るように、またその金色の視線から逃れるように足早で歩くと扉を開け、店の外に出た。

 

 とたん、襲い掛かる熱気――かと思ったが、どうしたことだろうか。

 

 いまのオレの身体は、まるで強烈な冷房に冷え切ったあとで外の陽を浴びたときのように、この炎暑すらジンワリと暖かく感じて。

 

 オレはロール・カーテンが降り、[CLOSE]と札のかかる『ジーミの店』を見た。

 ふと視線を感じて振り向くと、通りを挟んだ店のブラインドに、あの褐色な女の姿。

 このたびはツヤのあるピンク色をした旗袍(チャイナ・ドレス)をまとい、こちらを凝然(じっ)と見つめている。

 メリハリの効いた身体の線が丸わかりになる、ピッチリとしたタイトなドレス。

 ひょっとして、あのドレッド野郎の趣味なのだろうか……。

 

 ふと、その顔がニヤリ。

 うす笑いをうかべたかと思うと、ブラインドの羽根は手荒く閉じられた。

 コネクターに今の映像を録画するように命じ、オレは素知らぬ足取りで商店街を歩く。

 

 ――やっぱり頻繁に姿を見せるじゃないか、あのカフェオレ女……。

 

 それに、ジーミが抱えていた黒ネコ。

 まるでこちらの考えを見透かしたように。

 

 通話で『美月』のヤツが神社とか言っていた。

 そして、彼女がそう口にしたとたん、不明瞭になった通話。

 

「キミがお守りを手放してくれたおかげで、ようやく会えたよ」

 

 うたたねをした夢でみた、黒ネコのセリフ。

 二またの尻尾を揺らしていた金色の視線。

 そう。ちょうど今しがたのように。

 

 焦げた縁結び神社のお守り。

 

 ――そうだ、……あのお守りの代わりをもらおうと、延び延びになってたな……。

 

 でもムダだよ、という黒ネコの声が、そのときハッキリとよみがえる。

 

「お守りは、手に入らない。だってこちらが、そういう風に手配したもの……」

 

 ――まさか……ヤツが?

 

 急に予定がはいった詩愛と『美月』。

 しかも踊り子まで、またもや一枚噛んでいる気配。

 あれほど飲んだビールの酔いは、ホロリとも残っていなかった。

 かわりに腹の底には、なにかうす気味のわるい気配が、ヒタヒタと拡がって。

 

 ――とりあえず……あの縁結び神社に行ってみるか……。

 

 

 * * *

 

 

 それからが、ヒドい有様だった。

 

 乗った路線は立て続けに人身事故と信号故障を起こし、つごう2時間ばかり車内に閉じ込められる始末。

 客の中にはドアの非常コックをあけて放尿するもの、ガマンできず車内で“大”を漏らすもの。赤ん坊の泣き声。キレやすいジジィの怒号。客同士のケンカ。それはまさしくチョッとした地獄絵図めいたありさまだった。

 ようやく動いたと思ったら目的の駅よりずいぶん手前で下ろされる。仕方ないのでバスに乗り継ごうとしたら、こんどはバスが途中で工事現場の足場崩落による渋滞に巻き込まれ、しばらく来ないと停留所のモニターが。

 

 ――畜生……ッ!

 

 こうなりゃヤケだ。

 

 どんなことをしても!神社にたどり着いてやるぜと、オレはタクシーを捕まえる。するとそのタクシーが、あろうことか路面に落ちていた落下物を踏んでパンクしてしまう。

 

 歩道をゆけばヤクザに絡まれ、あるい警察(ポリ)の職務質問。上からは植木鉢やパンティーが落ちてきてそのたびに足止めをくらい、とどめにはネコのウ〇コを踏むなど、満身創痍(まんしんそうい)になりながら彼方に神社の大鳥居を望んだのは、それからさらに2時間がすぎていた。

 

 途中にあった公園の蛇口で靴の裏についたウ〇コを(すす)ぎ、ついでにポロシャツを脱いで熱気で温くなった水に浸して絞り、最後に上半身の汗を流してサッパリする。

 

 この日。

 オレは初めてセミの鳴き(こえ)を聴いた。

 

 見上げる木々のすき間から漏れる陽光に、疲れが一気に出たせいか視界がフラッとくる。

 公園のベンチと近くの自販機に思わずヨロヨロ進みかかるが、神社の境内にもあったことを思いだし、もう少しのガマン。

 

 フラフラ歩きかけると、

 

 ――アいててて……。

 

 ふくらはぎが釣った。

 頭もなんだかボンヤリする。

 

 そして何かが……そう、幾本もの透明な腕が、自分を後ろに引きもどそうとするような。

 もちろん、振り向いてもそんなものは無い。ただ今まで歩いてきた誰もいない歩道が、彼方まで続いているのを見るだけだった。

 しかし、大鳥居に近づくにつれ、その腕の数がだんだんと増えてゆくような気がしてならない……。

 

 夕方の散歩だろうか。

 

 ポメラニアンを連れた中年のご婦人二人連れが、向こうからやってきた。

 と、オレが近づくにつれ、そのポメは異常な激しさでコチラを向いて吠えたてる。

 婦人たちがリードを引いて、宥めすかしても効果がない。オレが息を喘がせつつ、重い足を引きずり近づくと、ついにその小犬は泡をふいて気絶した。

 オロオロと狼狽する二人の婦人の脇をとおったとき、

 

「ねぇ……なんかお線香臭くありませんこと?」

「いえ……わたしは何かお肉の腐ったような……」

 

 そんな声を背に、オレは視界がブレはじめた中、神社を目指す。

 ついに横断歩道の向こうは大鳥居となり、歩行者用信号を待っていると。

 T字路交差点の左手から、プリ○スがエンジン全開の猛スピードで突っ込んできた。

 運転席では、目を吊り上げたジィさんが、ハンドルを握る腕を伸ばして必死の形相で。

 間一髪、よけると車は歩道に乗り上げてジャンプし、横転。T字路わきの植栽を薙ぎたおおしつつ、ついには逆立ちとなって止まった。

 

 悲鳴と怒号。

 土ぼこりと、ガソリン臭いにおい。

 

 騒ぎがだんだんと大きくなるなか、横断歩道の「通りゃんせ」のメロディが場違いのようにむなしく響きはじめた。人の流れとは反対に、オレは青息吐息。雲を踏むような足取りで横断歩道をわたってゆく。

 ようやく大鳥居にたどり着き、一歩玉砂利を踏み鳴らしたときだった。

 

 背後から引くような抵抗が、フッと消える。

 

 頭は水を浴びたようにハッキリとし、それまでの(ゆだ)ったようなボンヤリとした感じは一瞬にして消え去った。

 

 T字路交差点でますます集まる人。

 見事な倒立を見せるプ〇ウスを遠巻きに眺めて。

 事故を見物する車の渋滞も、はじまっていた。

 遠くではサイレンも聞こえてくるが、狭い片側一車線とてなかなか近づかない。

 

 ――何だったんだ畜生……。

 

 オレは玉砂利を踏み鳴らしながら社殿の方へ向かった。

 と、行く手には巫女さん――というには年老いた初老の婦人たちが整列し、そろいの白衣(びゃくえ)緋袴(ひばかま)でオレのほうを見ている。

 

 やがて、その中でも最高齢と思われる小柄なバァさん……いや。全身にまとう品格からバァさんでは失礼か。ここは、仮に(おうな)とでも呼んでおきたい。その人物が、杖を突きながら列の中から進み出ると、厳粛な面持ちで近づいてきた。

 

「ようこそ、おいでぢゃの……えーかん(キツ)かったが、どうやら(わし)らの勝ち(いくさ)ぢゃて。見てみぃ」

 

 そう言いうや、手にした杖で、オレの背後を示した。

 

 ――う……っ!

 

 大鳥居の外がわ。

 そこには、黒い影のようなものが幾体も蝟集(いしゅう)し、ゆらめいていた。

 目も口も分からないが、一様にこちらを見ているのは何となく感じられる。

 

「なに……なんですアレ!」

「“よくない”ものぢゃ。したが今となってはドゥでもえぇ」

 

 さ、来なっせと(おうな)(きびす)をかえし、神社の奥へと向かってゆく。

 キビしい顔をした他の緋袴な一団もオレを守るように取り囲むと、ゆっくり歩きはじめた……。

 



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第39話:雷鳴と咒文

「お着換え、ここに置いておきます……」

 

 シャワー室の外から声がした。

 

 型板ガラスの向こうを緋袴(ひばかま)の朱色が動き、正座の姿勢から立ち上がるのが見える。

 オレは、そのボヤけた姿に向かい慌てて、

 

「あのゥ、スミマセン!お湯が出ないんですけどォ?」

 

 しかし巫女さんは何も言わず、すり足で脱衣所を出ていってしまう。

 

 ヤレヤレ、ボクは勃起した……じゃない、ため息をついた。

 

 T字路のプ〇ウスミサイルを間一髪逃れ、そして大鳥居のところで、みょうな幻影を目の当たりにした自分は、そのまま巫女さんの一団に、まるで守られるようにして社務所に入ると『汗もかいたことだし行水でもどうか』と誘われたのだ。

 

 この炎天下を歩き、さすがに汗ドロドロで持ち悪かったので、その申し出に甘え風呂場に入ったのだが……いかんせんお湯が出ない。

 

 杉の香りがする、うす暗く古めかしい風呂場だった。

 

 高い位置にある明り取りの窓には、なぜか注連縄(しめなわ)が。

 シャワー・ヘッドから出てくる水は恐ろしく冷たい。

 まるで地下水でも汲み上げて使っているかのようだ。

 

 ――しかたない……。

 

 オレは覚悟を決めて、シャワーの水流に飛び込んだ。

 

「うッひィ!……ィィィィィィ……ッッッ……ツ!!」

 

 思わず声ひくく叫んだ。

 

 身を切るような感覚!

 まるで氷のカッター・ナイフで皮フをズタズタにされるよう。

 全身に鳥肌を立てながら体をこすると、だんだん感覚がマヒしてきた。

 頭から冷水をかぶっていると、アイス食ったみたいに、こめかみがキーンなって。

 

 やがて、さしもの冷水もぬるく感じるようになると、オレは半ば麻痺した手で全身をくまなく洗う。

 みょうな匂いのする石鹸やシャンプー。いったい何の香料だろう……。

 

 すっかり冷え切ったオレは、水流を止めるとぎこちない動きで脱衣室に(のが)れでた。

 洗面台の鏡を見れば、くちびるをムラサキ色にした全裸の男が映っている。

 全身の血が引いて生ッ白く見え、まるで頼りなく情けない。

 

 なるべく自分の身体を見ないように手早く身体を拭く。

 

 ――さて……。

 

 脱衣カゴを見れば、白くブ厚い布のようなものがキチンと畳まれて置かれていた。

 持ち上げてみると、それは上下とも白い上衣(うわごろも)(はかま)だ。

 それにくわえ、ヒモのついた長方形の白く細長い布……。

 

 ――なんだコレ……まさか“ ふ ん ど し ”?

 

 うろたえた目で脱衣所を見回しても、ほかに着ける下着はなかった。

 おそらくズボンからなにから、みんな洗濯に持って行かれたのだろう。

 まさかフル珍で(はかま)をはくわけにもいかない。ヤケクソになったオレは、とりあえず横のヒモを腰にむすび、垂れ下がった布をチソコ経由で後ろに回し、ヒモに挟んだ。

 

 ――これで……いいのか?

 

 入院の時も紙パンツで、T字帯(ふんどし)など着ける機会がなかった。

 どうにかそれらしくタマタマが納まったところで、 肌触りの荒い白の上衣を着た後、ノリの効いた白袴に脚を通す。サイズ的には、まるであつらえたように丁度良かった。

 

 どうだ!と着終わってふたたび鏡を見れば、こんどは満更(まんざら)でもない印象。

 

「お済みですか?」

 

 外から声がかかり、いきなり脱衣所の扉がガラリと開いて、緋袴(ひばかま)の中年婦人軍団がドヤドヤと入ってきた。

 

「ちょ!……wwww」

 

 危なかった。

 もう少し遅ければ、フンドシ姿を鑑賞され「裸が見たいわ!」などと言われかねないところだ。

 ヒき気味になるオレのまわりを、恰幅のイイ婦人がグルグルとまわり、いきなりドン!と一発背中をドヤしつけ、

 

「ホラッ!背中がマルいよ!良いオトコが爺ィみたいに。台無しじゃないか!」

「そうねぇ……“抜き衣紋(えもん)”になってるわ。もっとこう!!」

 

 こちらの(はかま)のなかに遠慮なく手を突っ込んできて、グッ!グッ!とオレの白衣(びゃくえ)を下に引っ張り、前身ごろもの合わせ目をピシッと整える。

 

「まぁ、()()()()()()()()()、どうにか見られるようになったわネ」

「すこし来るのが遅かったかしら?ザァンネン」

「いいカラダしてるものねぇ……」

 

 これじゃ巫女どころか、ただのワイドショー好きなオバはんの集まりだ。

 

「さ!お館サマがお待ちだよよ?急がないと」

「アレで、なかなかキビしいお方だからねぇ」

 

 口々に言い交わしつつ、オレをどこかへと引き立ててゆく……。

 

 

 

 連れていかれた先は、30畳ほどの広間だった。

 一方をデカい神棚が占め、もう二方は(ふすま)。そして庭に面しているらしい一面は障子(しょうじ)で締め切られて。

 手元不如意な神社らしく、畳は半ば擦りきれ、襖は陽に焼けて黄ばみ、かつては墨痕淋漓たる水墨画も、いまは惨めな状態となりはてている。

 

 だが、そんな有様をもってしても、その場には一種犯しがたい神聖さが横溢(おういつ)していた。

 

 障子からの光だけがあたりを仄明るく照らす静謐な空間。

 そのなかを充たす、ヒリヒリとした清澄、かつ厳粛な空気。

 先の中年の巫女たちは、一転してなにやら沈鬱・神妙な面差し。

 一様に顔を伏せて、まるで何かを畏れ敬うように微動だにしない。

 オレの前には主のいない円座。これはやってくるお館様の物だろう。

 

 やや久しい間。

 

 こちらも案内されたワラの円座にすわり、広間の中央で歳のいった巫女たちに囲まれて待っていると、やがて先ほどの(おうな)に先導され、以前見たことのある縁結び神社の神主が、例の口ひげの下にニコやかな笑みを浮かべて入ってきた。

 

「ヤァ、ヤァ。このたびはどうも、お呼びたて致しまして」

 

 張りつめた空気には似合わぬ飄々(ひょうひょう)とした物言いで、神主はオレの前にある空の円座にすわった。そのやや後ろに、件の(おうな)は何も敷かず、杖をわきに置き正座する。

 

 ――ナぁんだ“お館サマ”って、このオヤジのことだったのか……。

 

 まるで剣豪のような、オっかないオッサンがくるかと思って身構えていたのだが。

 緊張がとけたオレはいささか拍子ぬけしながら、それでもあることが気になったので、 

 

「いや~すみません。シャワーをお借りして。ところで……私はべつに呼ばれてこちらに伺ったワケじゃないんですが」

 

 “お館さま”の快活そうな顔が、ふと曇った。

 

「なんと?ウチの娘から――連絡が行きませんでしたか?」

 

 娘さんから?と今度はこちらが怪訝な顔をする番だった。

 

「いえ。こちらの娘さんからは……なにも」

「それはおかしいですな」

 

 神主は口もとのヒゲを撫でつつ、

 

「ウチの娘から、そちらに連絡するよう言づてたはずなんですが」

「そもそも、なぜ娘さん経由で?神主さんが、直接私に連絡をくだされば良かったのに」

「当神社から、そちらに直接連絡をするのは……」

 

 神主は己のヒゲをなでるのをやめ、雰囲気に少しばかり硬いものを混ぜてオレを見つめた。

 

()()()()()を考えて控えたのです」

「……万一のコト?」

「そう。いえ、こう申してはナンですが、実は“千一”いや“百一”と言ってもいいくらいでして」

「……よく分かりませんね。いずれにせよ、こちらの娘さんからは何も……」

 

 このとき、とり巻く中年の巫女たちから、不安気な(ささや)きが交わされる。

 耳を澄ますが、なにを言っているか良く聞き取れない。

 

「では、どうして。今日、おいで下すったのです?」

「じつは――」

 

 オレは頭の中で、すこし考えを無難な方向にまとめてから、

 

「お宅の娘さんと、私の……そのぅ、()()()()()()が高校の同級生でして。そこでこちらの神社の話をしはじめたとき、携帯の調子が急にわるくなり、途切れてしまったんです」

 

 あぁ、と居並ぶ年かさの巫女たちから、ため息まじりの声。

 密かに交わされる目くばせ。得たり顔をした、うなずきあい。

 

「……それで?」

「それで、以前こちらで頂いたお守りが、どういうわけか焦げてしまったのを偶然思いだしまして、ついでに新しいのと交換しようと――」

 

 ザワッ、と広間の空気がうごいた。

 神主が、わずかに身を乗り出すのが分かった。

 

「……焦げた、と申されますと?」

「いえ、そのままの意味です。ポケットに入れて置いたら自然と……」

 

 巫女たちの囁き交わしが大きくなる。

 

 (……やはり“(さは)り”のしわざぢゃて!)

 (また“(くろ)災殆(まがつひ)”が、性懲(しょうこ)りもなく出をつたのぢゃ!!)

 (えぇ、鶴亀(つるかめ)、鶴亀。ホンに忌々しいことよなぅ……)

 

 年かさな女たちの動揺をやんわりと制しつつ、この神主は口ひげをゆっくりと弄りながら、

 

「くわしく、話を聞かせて頂けませんか」

 

 オレの中で、たっぷり15秒ほどのためらいがあった。

 

 なぜかって?――当然だろう。

 黒ネコが夢にあらわれて、この神社のお守りにケチをつけ、散々こちらにちょっかいを出したあげく『ゲッチンゲン大学』仕込みの哲学的な議論までフッかけてくる……などと言って、相手に“キ印”扱いされたくも無い。

 

 だが、、そんなオレの逡巡(ためらい)を、次の“お館さま”のひとことが吹き飛ばした。

 

「その件。まさかとは思いますが……“黒ネコ”が、関係してやしませんか?」

 

 

 * * *

 

 

 四方を注連縄(しめなわ)めぐらす笹竹(斎竹)斎竹にかこまれ、その中にオレは正座させられていた。

 

 あれから長々と“お館さま”の説明を受けたのち、巫女ふたりが神主の合図をうけて光の入る側の障子をあけ放つ。

 すると――そこは神社の広い中庭になっており、中央には大掛かりな地鎮祭のような祭壇が一式、しつらえてあった。

 

 聴いたハナシをまとめれば、なんでもその“障り”とか言うモノに、神界から地上界に至るこの神社の『神道』を(とざ)されて、本来この神社に祀られる祭神が降臨できなくなってしまったらしい。その塞がれた『神道』をふたたび通ずるために、祭神と親和性の高いオレが、とくべつに呼ばれたのだとか。

 

「なんでオr……私が、こちらの神サマと近しいって分かるんです?」

「そりゃもちろん。以前おこなった“ご祈祷”からですよ」

 

 口ヒゲを撫でながら、こともなげに神主は言ってのけた。

 

「貴方は、いとも簡単にわが(やしろ)の祭神とお近づきになられましたからなぁ……」

 

 なるほど。

 そういえば先だって、奮発して万券を出して祈祷してもらったときも、ここの神様の仕業なのか、ヘンな幻影を観たのだった。

 (※第15話:紙一重な"ウラ側"の世界・参照) 

 

 ふぅぬ、とオレは疑わしげに首をかしげる。

 

 ――神の路すら(ふさ)ぐことのできる、神と同等の存在。

 

 そんなものに、世をスネた一介の酒飲みである轢殺ドライバーのオレが、太刀打ちできるもんなのか?いや、そもそも……。

 

 ――あのクソ生意気な黒ネコは、それほどまでに()()()があるものなの……か?

 

 まてよ?と、そこでフト立ち止まる。

 なにも敵が()()()()とは限るまい。

 もっと強力でエゲつないものが出ても、おかしくないんじゃないか?

 大鳥居で見た、あのワケ分からん死霊を思いだせば、その可能性が高くなる。

 そもそもヤツに、あんな“死霊使い”のような邪法を使うマネが出来るのだろうか……。

 

 ――どうもアヤういなァ……。

 

 以前にみた様々なホラー映画がよみがえる。

 “悪魔”や“妖怪”と戦って無残に討ち死にする登場人物。

 その最後の無残な姿が、BGM付きでオレの目のまえにチラつきはじめた。

 

 首の切断。焼死。列車事故。猛犬の襲撃……。

 

 オー〇ン2に出てきた無敵モードのダミ〇ンや、ゴッド・アーミ〇のクリスト〇ァー・ウォーケンみたいな()ッかない「悪の天使」と戦うことになったらどうしようと、オレは先ほど神主から受けた説明を、もういちど念のために復習する……。

 

 

 

「……なべての“怪異”は、すべて(くろ)(かたち)をもって(あらわ)れると()われております。黒ネコも、そのひとつ……」

「はぁ……」

「また、私どもの大鳥居のところでご覧になったときいております“障り”に使役される、哀れな低俗霊を……」

「ていぞくれい?」

「魂を(けが)したまま肉体を(うしな)った者が、冥界にも神界にも行けず“障り”のちからに縛められ、使役魔とされた()()()()()、その(すがた)ですよ」

「魂を(けが)したまま肉体をなくした人間、って?」

「殺人者、誣告者、自殺者、姦淫者、虚妄者……その他もろもろです」

 

 大鳥居のところで蝟集し、わらわらと(うごめ)いていた薄黒い半透明状のモノ。

 見るからに“ケガレ”を具現化したような、哀れな(すがた)

 

 ――あれが“人間の魂”のたどり着いた先とは……ねぇ。

 

 その他にも、畳敷きな広間の中でオレと神主は互いの知識を交換し合った。

 とくに、夢の中の出来事。なかんずく尻尾の割れた黒ネコとその言葉は、神主はもちろん、中年の巫女さんも、思い当たるフシが大いにあるとみえ、不思議で不気味な怪異譚が、お互いの経験談を補完し合う形で次から次へと語られる……。

 

 

 

「用意は――大丈夫ですか?」

 

 神主に声を投げかけられ、オレは我にかえった。

 

「用意もナニも……私は、どうすればいいんです?」

貴方(あなた)は、なにもしなくて(よろ)しい」

 

 先ほどまでの飄々(ひょうひょう)とした態度をひっこめ、厳粛な声で相手は告げた。

 こうなると口ひげの効果もあって、相手から相応の貫禄をうける。

 

「ただひたすら、精神を集中させ、外乱に囚われないようにすれば佳いのです」

「お館サマ!」

 

 その時、ひとりの平服すがたな中年婦人が飛び込んできた。

 携帯を手する腕をふるえさせ、悲痛な面持ちで神主を凝視している。

 先ほどまでのワイドショーな調子を一変させた中年巫女軍団のひとりが(まなじり)をつりあげ、

 

「下がりゃれ!式の端緒(はじめ)ぞ!」

「あの、お嬢サマが……お嬢サマが……」

 

 平服の婦人は、わななく声でそれだけ言ったあと声を詰まらせる。

 

 神主の葛藤を看たオレが、代わりに、

 

「マコトさん、だっけ?あの子がどうしたんです?」

「……学校の階段から足を滑らせて……頭を打って意識不明で病院に運ばれたとか」

 

 この時の神主の態度こそ、見上げたものだった。

 口もとをグッと引きしめ、静かな身ぶりで婦人に下がるよう伝える。

 とりまく中年巫女のうち一人が立ち上がり、彼女をどこかへと連れていった。

 

 神主はいちど天をあおいだ。オレもつられて上空に目を細める。

 先ほどまであれほど晴天だったものが、見るまに厚い雲がわいていた。

 陽の光はあっと言う間に力を失い、地上は温度を下げ、うす暗く染まってゆく。

 

「……これから御焚き上げをして式を繰りだし、祝詞(のりと)をとなえます。そのあいだ“憑代(よりしろ)”たる貴方は()()()この「結界」から出ないで下さい」

 

 オレは不安げに辺りをみまわした。

 

 地面に突き立てた、注連縄(しめなわ)めぐらす四方の笹竹。

 その外では、中年の巫女たちが(そろ)って平伏して。

 ワイドショー的に下世話なオバはん達だが、実は位の高い神社からとくべつに派遣(よこ)してもらった者たちだと神主に知らされる。

 

 中央の祭壇には、鏡。神饌。加えて何につかうのか、直刀型の剣。

 あるいは(さかき)や御幣など、その他もろもろ散供用具。

 オレの前には、お焚き上げ用の炉。傍らに、木札の山。

 

 ――はぁ……っ。

 

 なんでこうなったんだか……と身じろぎする。

 ノリの効いた(はかま)白衣(びゃくえ)が肌触り荒く、きゅうくつだ。

 

 ふいに生暖かい風がふき、注連縄(しめなわ)から下がる紙垂(しで)を揺らす。

 と、その中にオレは死臭を嗅いだような……。

 

 そこはかとなく不安になり、重々しい手つきで祭式の準備をする神主に、

 

「あの。オr――本当に()()()なんかで大丈夫なんですかね?」

「なぜです?」

「もっと自分なんかより“神様に近い存在”がいるんじゃないですか?」

「……というと?」

生贄(いけにえ)なら、もっとこう(けが)れを祓った乙女とか、なんとか」

「“(にえ)”ではありません“憑代(よりしろ)”です」

「ニタヨウナモンダト……オモウンデスケド」

「ついでに、当神社の祭神は女神です」

 

 レズの女神だっているかもしれないじゃんか……と、オレは先日のサロメを思いだす。

 

「それに――」

 

 神主は準備の手を休めることなく言葉を継ぎ、

 

「神道が“障り”に(とざ)される前日、わが「祭神(さいじん)」より神託(しんたく)がございました」

「シンタクって……“お告げ”のコトですよね?」

 

 左様。神主は重々しくうなずいた。

 そして、腰に祭壇の剣を帯びながら声ひくく、

 

“炎の(カギ)”持てる益荒男(ますらお)(きた)る。あとは()の者に(すべ)てを委ねよ”……と」

「なんですソレ」

「……さぁて」

 

 口ヒゲの下で()る挑戦的な微笑が生まれる。

 

「それこそ――貴方に聞いてみませんと」

「こんな、世間の俗塵(ぞくじん)にまみれた、(ケガ)れまくっている自分でいいんですかね?」

「さきほど水垢離をしていただきました。貴方の身は清まっているはずです」

 

 あぁッ!とオレは胸のなかで叫んだ。

 

 ――あの風呂場の!どうりで水が(つめた)いと思ったぜ!!

 

 とおくで、雷鳴が天を(とどろ)かせはじめた。

 いまや陽は完全に(かげ)り、雨の匂いが風にのってやってくる。

 

 「マズいですね、コレ。ゲリラ豪雨にでもなるんじゃないですか?」

 

 しかし、口ヒゲの神主は悠揚(ゆうよう)迫らずオレと供え物とに修祓(しゅばつ)をしてさらに清めると、炉に点火して積まれた木札をくべ始める。

 

 ややあって。

 

 おぉぉぉぉ……ぉぉぉ……ぉぉォォォォ……。

 

 (いにしえ)よりの祝詞(のりと)をとなえ、聞きなれない(じゅ)を口にする神主。

 

 また雷鳴。

 こんどは、近い。

 空を打ち割るような轟音。

 そして腹に響く振動が、それに伴う。

 神主の声が力をつよめ、朗々たる勢いで。

 周囲をとりまく中年の巫女たちも地に平伏し、それに和す。

 

 おぉぉぉぉ……ぉぉぉ……ぉぉォォォォ……。

 

 人間たちの、必死の咒文(じゅもん)

 

 だが、それをまるでせせら笑うように、また彼方で腹の底に響く連続性の炸裂音。

 あたかも結界の周囲が、重砲の攻撃か空爆を受けるような印象。

 

 ザァッ、とひとしきり驟雨に降られ、ほどなく止んだ。

 一陣の強い風もふきわたり、炉の炎が消えそうに。

 ついには積み上げた木札の山がくずれ散る。

 

「あぁっ!」

 

 巫女たちの狼狽する声。

 しかし、さすがに神官は落ち着いたものだった。

 沈着に木札をひろいあつめ、迷いのない手つきで式を再開する。

 だが一度地についた木札は濡れたものか、火にくべても(けむ)るだけとなった。

 注連縄(しめなわ)に下がる稲妻型の紙垂(しで)は、四方に立つ笹竹の揺れにつれ無力にまくれあがり、神の代理である神籬(ひもろぎ)も祭壇で倒れる。

 

 

 

 霹靂一閃。

 

 間髪をいれず、近くで落雷。

 樹木にでもおちたのか、何かが燃える焦げ臭い臭い。

 

 まさか、これも“障り”とやらの()()()なのか。

 だとしたらパワーが違いすぎる。思いっきり“負け戦”じゃないか。

 生ぐさいような風が、また勢いを増してふきつのり、神社の神域を荒れ狂う。

 

 巫女がひとり、うつ伏せのまま地面に延びていた。もう一人の巫女が、狂ったような顔つきで、何やら叫びながら四方に立つ笹竹の一本を引き抜こうとする。近くにいた者があわててそれを止めようとするが、狂女の力はつよく、三人がかりでも吹き飛ばされた。

 加勢しようと思わず立ち上がるものの、足のしびれで前のめりにたおれる。

 

 結果的にそれが良かったのかもしれない。

 

 すぐさま特大の落雷。

 

 当たりの空気が電気を帯びたようになり、斎竹の一つを抜こうとしていた巫女は口から黒い煙を吐き、白目をむいてゆっくりと仰向けに斃れた。

 

 もはやここまでだ。

 意味不明な突風に、落雷。

 どう考えても死亡フラグとしか思えない。

 

「神主サン、撤収!――ここは一時撤収を!」

 

 だがオレの撤収要請にもお構いなしに、口ひげの男は背中に微塵のためらいもみせず、燻る炉に木札を()べつづけている。

 

「神主!――サン!」

 

 その時だった。

 

 長いフラッシュのように辺りが強烈な紫色につつまれた。

 祭壇が崩壊し、その上に神主が倒れ伏すのがかすかに見えたような。

 同時にオレも全身を何かが突き抜けたような勢いで、横ざまに吹っ飛んだ……。

 

 

 

  * * *

 

 

迫撃砲(モーティェ)散開(ディストォーンス)!」

 

 その声を遠くに聞いたのは、オレが地面に叩きつけられ、上から土くれがバラバラと降りかかってきた時だった。

 

 ――遅ェんだクソが……。

 

 片目が見えない。

 やられた、と土まみれの手で額をさぐる。

 ぬるりとしたような感触が指先にふれて。

 気を失いかかるところを、両わきの下に腕を通され、手荒に引き起こされた。

 

モン・キャピテン(中尉どの)!――go!go!go!」

 

 脚に力が入らない。

 祭壇はどうなった?神主のオヤジは……。

 そのままひきずられ、近くのアリ塚に投げ出される。

 左右の茂みから自動小銃の連射をうけ、少なからずの兵士が斃れた。

 

Embuscade(待ち伏せだ)Réponse(応戦)!」

 

 

 二発目の着弾が、乾いた大地を轟然とゆるがした。

 待ち伏せの凶弾と応戦の銃弾が、激しく交錯する。

 

 

 * * *

 



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第40話:戦塵の巷(ちまた)(1)

お待たせしました!!!!!!!!!
VPN接続ミスってネットと繋がらなくなるわ
土日出勤・残業で余裕がないわで散々でした。
不好(プーハオ)(ダメダメ)ですよ不好(プーハオ)!!!
(おまけに今月帰国の予定が最低1ヶ月伸びました……)

ともあれ、これから徐々に復活です。
精鋭読者に皆様におかれましては、これからも珍歩を
どうか御贔屓のほど、何卒宜しくお願い致します。


 四方をなだらかな丘に囲まれた「すり鉢」状の土地だった。

 周囲は丈のひくいブッシュに囲まれて、見通しがきかない。

 銃撃を受け移動中の兵士は素早く車両のかげに、あるいは近くのアリ塚へ。

 

 寄せ集めの傭兵部隊とはいえ、歴戦の強者。戦場の古ギツネだ。

 

 エル・アラメインで()かれた者もいる。

 スターリングラードで(こご)えた者もいる。

 ディエン・ビエン・フーでの塹壕戦闘。

 アルジェリア戦争で受けた屈辱的降伏。

 

 それら硝煙の巷をかいくぐった男たちは、皮膚に刻み込まれた厳しい経験から、即座に反応した。

 

 前方、そして左右側方にむけての応戦。

 経験に裏打ちされた的確な制圧射撃。

 せーの!と防御用手榴弾が投擲され、爆発音と悲鳴。

 一人の小隊長が大型の無線機を背負った兵士を呼びとめて、 

 

オム ド ラディオ(通信屋)!D-24地区にて敵のアンブッシュ(まちぶせ)と本部へ連絡!座標を知らせて応援を要請しろ!座標は――」

 

 また着弾。

 

 吹きあがった土くれがバラバラと振る中、命令をうけた通信兵は受話器を耳に当て、 

 

「本部!本部!D-24(b)地区にて敵の待ち伏せに遭遇!座標087・2ろ――」

 

 ビュバッ!

 

 紅い花が弾けた。

 通信兵のベレー帽が吹っ飛び、頭の無くなった身体は、力なく前のめりに斃れる。

 

狙撃兵(ティラユール)!」

 

 ジープに取り付けた50口径の重機関銃が、ドカドカと狙撃手がいると思われる方向に目くらめっぽうな制圧射撃をするが、きっかり10秒後に通信兵の後を追った。

 

「ダメだ!頭ァだすな!」

 

 片目の視界でその顛末(てんまつ)()たオレは、周りの兵士たちに伏せるよう命じる。

 死体の倒れた方向が通信兵とは逆だ。つまり敵の狙撃地点は左右前方だ。

 

 ――なぜだ……なぜ真横から撃たない……?

 

「ジャン!――ジャン!エグモン!」

 

 オレは腹心としている二人の小隊長を呼んだ。

 

「ウィ!」

「ヤボォール!」

 

 南フランス人と低地ドイツ人が、飛び交う銃声の中で同時に(こた)える。

 

「ミラー大尉は?どうした!ヤツが応戦の指揮をとっているんじゃないのか!」

 

 文字にできない(ののし)り文句がひとしきり続いたあと、

 

「ドコに居るか分からんデス!」

「もう基地のBARに居るンじゃねぇスかぁ!?」

 

 オレを土の中から引きずり出してくれた若い兵が、水筒の貴重な水を顔に振りかけてくれた。

 すると血が洗い流され、片目がふたたび見えるようになる。

 どうやらやられたのは眼球ではなく額だったらしい。

 

 助かった――と、思うと急に元気が出てきた。

 

中尉どの(モン・キャピテン)!ドゥしやす!?」

 

 10秒に1回の割で落ちてくる敵砲弾。

 噴水のようにもちあがるアフリカの大地と悲鳴。

 そして敵の掃射をかいくぐり、匍匐前進で近づいてきたジャンの声。

 トレード・マークである外人部隊の白ケピ帽がずり下がり、血ばしった目が。

 それを見たとき“部下に対する責任”というものが着火剤となって、頭が働きはじめた。

 

 オレは現在の座標と、記憶にある地形を合致させる。

 この待ち伏せは、あらかじめ周到に練られたものだろう。

 重火力で進行方向を遮断し、左右斜め前方に狙撃兵を配置……。

 

シンバス(ライオン団)かもしれません!」

 

 ちかくにいた黒人兵士が身を伏せて震えながら、勇猛さで鳴らす反乱兵団の名をあげて怯えた声をあげた。

 

「もう囲まれているのかも……逃げましょう中尉どの!!」

 

 ――いや……違うな。

 

 頭をかすめた銃弾に首をすくめながら、オレは考えた。

 

 むやみやたらに小銃を乱射することもない。

 呪術や護符をたよりにしたバンザイ・アタックを仕掛けてくる気配もない。

 それどころか、巧妙にしくまれた連携作戦のにおいすら感じられる。単なる反乱軍の動きではなく、まるで“東側”の軍事顧問でもついているような……。

 

「射点、出ましたァ――ッ!」

 

 銃撃戦の嵐のなか、沈着な工兵のポポロペロスキ伍長が叫んだ。

 弾着跡の深さ、角度から、迫撃砲の射撃位置を割り出したのだ。

 

 伝えられた距離と方向は、意外とちかい。

 砂まみれとなった地図と軍用コンパスをつかい、ミル単位で位置を確認。

 どうやら敵は、この先にある三叉路の小路(パス)から撃ってきているらしかった。

 

 思った通り。

 

 この威力、間延びする射撃間隔。

 兵士3人で運用する81mmの豆砲じゃない。

 運搬に車両が必要な120mmの重迫(重迫撃砲)だ。

 だからこそ街道から撃ってきているのだろう。

 

 オレは近くにいた軽迫(軽迫撃砲)屋に座標を指示。

 

 あちこちに炸裂する着弾と敵の機銃掃射をものともせず、コリメータ(視準器)をのぞきこんだ熟練の老射手は照準を固定。やがて部下の若い装填手に指示し、軽迫の強みである(つる)べ打ちの発射速度で応射をはじめた。

 向こうが最大1分に10~15発撃つ間に、こっちは30~35発をブチかます。

 やがて目標がいると思われる彼方でド派手なキノコ雲があがり、敵の重迫は沈黙した。

 

「やったァ!!」

 

 部隊のだれからともなく歓声があがる。

 

 一瞬、敵の攻撃がやんだ。 

 だが再び前方より、発射速度の速い機銃をそろえた連射。

 向こうも経験者だろう、効率的に、しかも低く撃ってきている。

 こちらの50口径も応戦するが、この状況下ではいかにも効率不足だ。

 

「撤収しようヤ中尉どのォ!」

 

 ジャン伍長が打ち尽くした弾倉(マガジン)を交換しながら叫んだ。

 

重迫(じゅうはく)もツブしたし、チャンスですゼ!」

「――最後尾の第一中隊、もう下がり始めてるとのことです!」

 

 ハンド・トーキー(トランシーバー)を耳に当てていた兵長が声高に報告する。

 

 この地形の背後は、どうなっていたか。

 たしか道は狭くなって、左右が比較的高い大地になっている。

 

 オレは思わずゾッとした。

 絶好の殲滅ポイントじゃないか。

 敵の攻撃火線も「下がれ」と言わんばかり。

 たぶんそれぞれの丘の上には敵が砲門を揃え、手ぐすねを引いてるだろう。

 

 ――行くも地獄。退くも地獄なら……。

 

 

 オレはホイッスルを吹いた。

 そしてノドがひびわれるくらいな大声で、

 

「火炎放射器――防御班とともに、前へ(アヴァン)!」

 

 突っ込むンですかィ!?とジャン小隊長。

 

「ワナだ。下がったら、たぶんそれまでだぞ!」

「でもよォ……」

「エグモン!装甲車を全面に押し出して、前方機銃の処理にあたらせろ!機関砲の弾を惜しむなと言え!」

ヤァボォール(了解)ヘル、コマンダール(隊長どの)!」

 

 ガタイのデカい、降下猟兵くずれの下士官がm/45短機関銃を手に素早く去った。

 代わりに白系ロシアの子孫である青年兵が、トンプソンを手に近づいてきた。

 まだ骨も固まっていないような、どことなく弱々しい金髪碧眼の17歳。

 たしか後方にいる第一中隊所属のはずだが、なんでこんなところに。

 

 と、敵側機銃の連続的な激しい弾着。

 その場に居たものはガバッと地面にふせる。

 

 ミシン状に土ぼこりが(はし)るなか、伏せたオレの目のまえを。鼻先のトガった砂漠のネズミが巣穴から顔をのぞかせ、ヒクヒクと鼻をうごめかしてつぶらな目で、降ってわいた人間の愚かしいこの混乱を身ぶるいしながらうかがっている。

 

「アレクセイ!アレっち(アリョーシェンカ)!どうした!?」

()()()()中尉どの!ミラー大尉どのから伝言です!『残存を率いて、ただちに“転進(退却)”』と」

 

 ――あンのクソ阿呆が……。

 

 ンなコトしたら、溶鉱炉のなかに味方を放り込むようなもンだ。

 

「ダメだ!退却は出来ん!このまま突っ切るぞ!」

「でも――」

 

 オレはふたたびホイッスルをふいた。

 

 背をかがめて走り寄ってきた小隊長たちに、これからの行動を伝える。

 一を聞いて十を知る歴戦の男たちは、ただち自分の意図を察し、背をかがめてそれぞれの受け持ちに戻っていった。

 

 やがて。

 

 トラックに装甲板をつけた軽装甲車が、周囲を随伴歩兵と火炎放射器に守られながらハリネズミのように突き出した機銃を総門で連射しつつ進んでゆく。

 

 擲弾筒が頻繁に放たれ、放物線を描く死が、敵の隠れていそうなブッシュをしらみつぶしに爆散させていった。

 部隊の先頭が、敵の正面に突っ込んでゆくのを見たロシアの青年は怖気づいた表情(かお)で、

 

「中尉どの!ボク……伝えましたよ?」

 

 そう言って後方に逃げようとする。

 オレはその襟首を慌ててつかまえ、地面に引き倒した。

 きわどいタイミングで機銃の弾着がすぐ横を奔り抜けてゆく。

 ホコリまみれな若い顔が呆然とそれを見送り、やがてオドオドとこちらを向いて。

 

「ホレ見ろ!いま自分の中隊に戻っても死ぬだけだぞ――ザムノォイ(ついてこい)!!」

 

 

 * * *

 

 

 激戦の終わった夕方。

 

 部隊は、ズタズタになって前進基地に帰還した。

 

 “夕暮れ”などという余韻を残さぬアフリカの落日を、生き残った部隊が抱える“装甲車両”の車列が、とぼしいライトに羽虫の軌跡を浮かべつつ進んでゆく。

 

 “装甲車両”とは言うものの、じっさいは大型車両に、建築廃材の鉄板を溶接でくくりつけただけだ。12.7mmの機銃で簡単に穴が開く。しかし手榴弾の破片やUZIの9mm弾ぐらいは辛うじて防いでくれるので、みな悪態をつきながらもその遮蔽物に身をひそめ、何かと重宝しているのだ。

 

 その車両の荷台から、古い軍歌の斉唱が沸き上がった。

 

 次から次へと。

 

 各車に乗る音頭とりの呼吸次第で、軍歌の題名は変わってゆく。

 

 大戦中のもの。

 インドシナ時代のもの。

 アルジェリア紛争当時のもの。

 

 Sous les pins de la B.A.(善行章のバッジの下に)という陽気な軍歌が、足早にやってくるアフリカの夜の空気を縫ってゆく。

 

Cette fois c’est du vrai(こんどは実戦(マジ)だぜ)

 Car le convoi démarre(戦闘車両の群れが征(ゆ)く)

 Salut les gars direction la bagarre!(よォ野郎ども、いざ戦いへ)

 

 血の臭い。

 硝煙の臭い。

 砂塵と乾いた草の臭い。

 

 それら諸々のにまみれた男たちの胴間声(どうまごえ)

 みな、この戦闘から帰還することが、たまらなく嬉しいのだ。

 

 傭兵ってヤツは、極論すれば自分自身が軍規であり、絶対の掟だ。

 銃殺の危険と引き換えに、戦闘中の戦場放棄も自由、部隊の脱走も自由。

 この中にあって自分の意志で部隊にのこり、恐怖に打ち()ち、敵を撃滅して帰りの車両に乗り込んでいる……。

 そんな自分自身を、彼らは(よみ)したいのだ。寿(ことほ)ぎたいのだ。

 

 ――敵に背を向けず、危険な状況になりつつも反撃し、局地的勝利を勝ち取った“オレたち”……。

 

 

 アンブッシュ(待ち伏せ)を受けた戦いは、 重迫(重迫撃砲)をツブした時点から一転、風向きが変わった。

 近くに潜んでいたスナイパーを擲弾筒であぶり出してから、戦闘の趨勢は決定的となる。

 

 部隊を立てなおし、全方向に軽機関銃を突き出した“装甲車両”を火炎放射器とともにメインで突入させ、 重迫(重迫撃砲)の周囲に残っていた敵の部隊を殲滅させたあとは、残党狩りがはじまった。

 捕虜も何人か捕獲し、装甲車両の奥にロープでグルグル巻きにして、放り込んである。

 

 すなおに後退して敵の術中にハマった第一中隊の損耗率はすさまじく、60%が未帰還。車両に至っては、ほぼ全滅だった。

 しゃにむに突っ切って敵のワナを突破したオレの第三中隊は、それに比べたらずいぶんとマシな方ともいえる。

 

 基地の司令部的に一番痛かったのは、某国からバトル・プルーフ(戦闘実績)を高めるために供与された新型の暗視装置、長距離用狙撃銃、正式配備まぎわの擲弾発射機を奪われたことらしい。用心のために部隊の後方に配置していたのが、かえってアダとなった格好だ。

 

 先行する路上斥候役のジープから、今度はラジオで流行歌が流れ始めた。

 

 元気の残っている者は、その場しのぎの装甲板を叩いて拍子をとり、負傷し血まみれの包帯を巻いて横たわっている者は、青ざめた顔に微笑をうかべて。

 

 そんな、あらゆる意味で頓狂な『リュカントロポス』たちを、僅かにのこる残照を背景に、バオバブの樹のもと、ガゼルの群れが眺めている……。

 

 

 その翌々日。

 

 指揮者のミラー大尉は、このまえ姿を現したウサん臭いCIAのスーツ野郎を含んだ査問会に出席し、だいぶ脂をしぼられたらしい。オレも呼ばれたが、30人ばかりが集まる広い会議用バラック棟で高級将校を前にして、

 

・今回の攻撃は敵の練度が異様に高かったこと。

・運用に車両が必要な重迫(重迫撃砲)まで持ち出し、装備も万端だったこと。

・検証した敵の重迫はソビエト製のモノであること。

・部隊の行動が、いちいち読まれていたフシがあること。

 

 以上のことから、

 

・敵の不正規部隊にソビエト、ないし中国の技術顧問が存在している可能性。

・車両をつかった大掛かりな待ち伏せ計画が事前に察知できなかったことへの不満。

・なにより基地内に内通者がいる可能性。

 

 この三点をあげ、会議室に居ならぶ裁判官役たちに渋づらを浮かべてやった。

 

 オレの供述を聴き、自分への矛先が鈍るのを予想できたミラー大尉は、まるで(うれ)ションをせんばかりな小イヌめいた感謝の表情をうかべてコチラを見たものだ。

 

 だがオレは、そんなヤツにかまうことなく言うだけ言うと、敬礼をして気づまりな大会議用バラックを後にした。

 

 

 

 

「やァ、ここに居ましたネ」

 

 その日の夕方だった。

 

 基地内のまだ静かな将校用バーで、オレがひとり、グラスを傾けていると、管理部門のヤン中尉がやってきた。

 

 この傭兵部隊には似合わないほどの、見るからに文系風な容姿。

 クリケットで鍛えたとは言っているものの、どう考えても線の細い体つき。

 そして女からみて魅力的な顔立ちらしく、あちこちの基地に女友達がいるらしい。

 

 黒人労働者を多数抱える白人豪農の家に生まれ、なに不自由なく育ち、ケープタウン大学を出ると――ドコでどうトチくるったか――この傭兵部隊に転がりこみ、持ち前の明晰な頭脳とソフトな物腰で経理関係と、ほかのコマンド部隊との折衝を助けていると聞いていた。

 現に今日も国連軍との連絡役で、西の区域に展開するベルギー人部隊のところへ派遣されていたらしい。

 

 日没の風が気持ちよく室内に吹き抜けるなか、この比較的若い“中尉”は、カウンターにならぶ背の高いイスに座るオレの隣席に遠慮なくよじのぼる。

 

「聞きましたよ?」

「なにを?」

「カッコよかったそうじゃないですか」

「恰好良かった?――何が」

 

 スタッフの人間とはあまり仲良くしないオレだが、それでも“情報の手づる”は欲しい。

 ヤンの方も『南アフリカ産の大学出なフニャチン』というレッテルを貼られ、ほかの将校から妙にキラわれ、イヂられがちなトコロを“戦場ギツネ”のオレと懇意だと吹聴することで自分の身を守っているフシがあった。言ってみれば“利害関係のもたれあい”となったオレたちである。

 

「ミラー大尉の弁護ですよぉ。そうとうイカしてたとか」

「あぁ――査問会の内容が伝わったのか。さすがに耳がハヤいな」

「これはまだオープンになってない情報ですが、ミラー大尉は戒告処分で済みそうですよ」

 

 コレだ。

 

 この情報網こそが、コイツの利用価値なのだ。

 

「あと、あのミラーのヤツを“サムライ”マイキーが擁護するなんて意外だと、もっぱらの評判です?」

「擁護じゃない……」

「え。じゃぁ、なんで?」

「ん……」

 

 オレはウォッカ・ギブソンを飲み干すと、バーテンにお代わりを命じる。

 

 白ワイシャツに蝶ネクタイ姿のナミビア人は、黒い二の腕に白い(てのひら)をひらめかせ、見るからに冴えわたった手つきで酒を調合し、素早く繊細な一杯をつくるとコースターに載せてオレの方に押しやった。

 

 コイツがいれば、ノコノコ街中のバーに出かけ、ケバい女にまとわりつかれる愚を犯す必要がないほどの腕だ。とくにマティーニをつくる精妙な腕が素晴らしい。

 

 グラスに口を近づけると、ジンとウォッカの涼しい香りが広がった。

 一日のドタバタ騒ぎからくる乱雑な印象を、スッと吸収してくれる。

 明日の見えない危険な傭兵稼業の日常すら、この一瞬だけは忘れて。

 

「司令部のアホどもに、自分たちの情報不足と目論見ちがいを叩きつけてやるためサ」

「へぇぇ?」

「タリめーだろ。でなきゃ今回の一件は「ミラーの不手際」と言うだけでオワっちまう……」

 

 3日前の戦闘の余波は、ようやく収まりつつあった。

 

 放置遺体は収容され、KIA(戦死)としての登録抹消と遺族への弔問金手配。

 損耗した機材のリスト作成と、攻撃地点、および当時の戦闘行動が、国連軍の部隊によって再検証される。

 

 重迫撃砲は2門が用意されていたことが分かった。

 そのうちの1門は故障をおこし、少しはなれた場所に放棄されていた。

 実際に使用された1門が、我が方の軽迫砲撃により予備弾薬を誘爆させ、射撃地点より少し離れた場所で操手の肉片をこびりつかせ横倒しになっていた。

 

 危ないところだった。

 

 2門で攻撃されていたら、オレの第三中隊は全滅だったに違いない。

 そんな不吉な想いをジンベースのカクテルで洗い流していると、司令部付きのヤン中尉は、

 

「アナタが言ってた内通者の話、司令部の方で調べるみたいですよ?」

 

 ゴトン、とカウンターで音がした。

 

 見ればバーテンダーが、洗っていたゴツいオールド・ファッショングラスをシンクに取り落としたのだ。

 

ハアイ(おぃ)、サミィー。パソッ(気を付けな)

 

 ヤン中尉が口調を一変させ、アフリカーンスで注意する。

 バーテンダーのサムは苦笑をうかべて首をふり、幸い割れてなかったグラスをかたづけるとウィスキー・ソーダを手早く作り、ヤンのまえに置いた。

 

 司令部付きの若い中尉はひと口すするや、

 

「サミィ――濃いよコレ」

ヴァルスコーヌ・マイ(すみません)……」

 

 そういってバーテンはジョニ―・ウォーカーの赤を取り、再度作りはじめる。

 

 ヤンは知らないだろうが、あのジョニ赤はニセモノだ。

 南ア産の安ウィスキーでごまかされている。

 おそらくコイツは、ふだん酒など飲まない人種なんだろう。オレと一緒のところを他の将校に見せつけたい一心で、わざわざバーに足をはこんでいるに違いない。

 

 ――ま、そんなイジましい努力をする小心さも、キライなワケじゃないが……。

 

 オレは将校用のバーを見回した。

 まだ夕方早くともあって、佐官級は姿を見せていない。

 これがもう少し遅くなると、取り巻きをつれてチラホラ“ご降臨”なさるのだ。

 ときには“お気に入りの女”などをこれ見よがしに連れてくる将校もいる。

 なにせ「前進基地」とはいえ少し古く、周りには掘立小屋の市が立つぐらいの場所なんだ。

 

 とおくの席で顔なじみのアルモンが、ひとり鬱々と飲んでいるのが見えた。

 アルジェリアのドタバタで「1er BEP(第一外人落下傘連隊)」を除隊となった中尉が“大尉待遇”でこのアフリカの場末に蠢いている。

 すこし離れた場所に、スペイン人のラルゴ少尉と仲間たちがテーブルを囲み、ナニやらヒソヒソと額をあつめて。こちらに気づくと、ラルゴは軽く手を上げ挨拶する。

 ヤツも気の置けない人物だ。

 狙撃の腕と、カードのイカサマ。それに女を引っかけることにかけちゃ、右に出る者はいない。

 

 

 また新しく客が入ってきた。

 時刻は、はやくも1700時を回って。

 バーテンダーのサムが、レコードジャケットのラックから「La java bleue(青のジャヴァ)」を抜き出した。

 慎重に針にかけると、大戦中の古わたりなシャンソンが鳴り出す。

 なにせ“旧式”な連中が多いので、こういった曲の方が盛り上がるのだ。

 

  せつなの狂おしい熱情のために

  なんて沢山の約束、なんて沢山の誓いを

  人は交わすのかしら。

 

  でも人は知っているの。

  愛に満ちた誓いは、いつまでも続かないことを。

 

 胸のなかで、ふしぎな苦々しさが広がった。

 それまでの心地よいカクテルの酔いは吹き払われる。

 代わってやってきたのは、女に裏切られた苦さと、やるせなさ。

 みょうな事だった。オレは今まで結婚なんぞ、したことはないってのに。

 

 古馴染みの曲に引かれたのか、次々と将校たちが入ってきた。

 もう佐官級もチラホラ混じっている。だんだんと席は埋まってゆき、レコードはまたしても古いシャンソン。

 外人部隊上がりのドイツ人が、そろそろ顔をしかめ始める。

 

「……出ようか」

 

 オレは本人の抗議も無視してヤンの分も支払うと背の高いイスから滑りおり、バーの出口へと向かう。

 

「ねぇ、ホントに払いますよぉ?」

「いいって」

 

 か細い灯りが灯る中、大きな三角形をした基地の敷地内を、気の合った者たちが勝手に作った“将校クラブ”に向けて歩いてゆく。

 

 虫の聲が支配する闇の中。

 どこかで怒鳴りあう声がした。

 また誰かがケンカしているらしい

 ガラスの割れる音。たぶん酒瓶だろう。

 脳天に叩きつけられたのでなきゃいいが。

 

 向かいから、短機関銃を肩にかけた軍曹がやってきた。

 

 ご大層にカイゼルひげを生やしたこの男。

 ベレー帽にSASの徽章と、落下傘に翼のついた空挺徽章の二つをつけている。

 おまけにソイツがクロムだから、月夜の明かるさに反射して実に良く目目立つ。

 

 ――アホが……。

 

 夜間戦闘で絶好の餌食だ。

 

 とくに昼間のように明るい満月では「撃ってくれ」と言わんばかり。

 だいたいコイツが、ほんとにSASや空挺部隊に在籍していたかアヤしい。

 おそらく給料をつりあげるため、履歴を捏造したかナニかだろう。

 オレなど迷彩服には、目立つモノを一切つけないというのに。

 

 だいたいこの部隊は、掃きだめというか玉石混合だ。

 北欧の名門や零落したロシアの貴族が下士官にいるかとおもえば、殺し屋やポン引きが将校をやっている。

 オカマの伍長。ホモの軍曹。殺しが趣味の降下兵。

 

 ――まぁ全部が全部、そんなワケじゃないが……。

 

 カイゼルひげは、オレたちをチラッと一瞥しただけで通り過ぎてった。

 

 たぶん一般兵士用の酒場に行くんだろう。そこでは毎夜“混沌”と“バカ騒ぎ”が繰り広げられてる。とくにこの一両日は、先日の死地をのがれた隊員たちでヒートアップしていた。これが正規の部隊なら、とうにドクターストップが出るだろうが、傭兵部隊はそんなものには縁が無い。

 

 ――戦い、殺し、飲み、殺される……。

 

 ときおり、そこに“脱走”の二文字が入るが。

 

 だいたいこの部隊。第5の(マイク)ホーや第10(ブラックジャック)シュラムを頭とする有名なコマンド部隊を模して創設されたらしいが、最近はCIAの私兵か、ワルくすりゃ、使い棄ての実験部隊じゃないかと思うようになっている。じっさい雲行きがアヤしくなったら、オレもサッサと脱走して、ホーのもとにでも転がりこむのが利口じゃないかとすら考えていた。

 

 最近では機関砲用の20mmカートリッジすら、支給がアヤしくなってきている。

 その上、先日の『コカイン・モンキー』ふたりを暗殺しろと言う命令だ。

 

 ――あのCIAのスーツ野郎……まともに信じていいのやら……。

 

「マイキー?ドコいくんです?将校クラブは、こっちですよ?」

 

 オッとヤバい。

 考え事をして、つい将校クラブに通じるバラックの路地を通過してしまうところだった……。

 

 ――おっ……♪

 

 基地と外を仕切るフェンス。

 そこに、ひとりの若い兵が、フェンスを挟んで黒人の女の子となにごとか話し合っている。

 手には包みをもち、どうやら女の子にむけてのプレゼントらしい。

 フェンス越しに放り投げ、女の子がキャッチした。

 

「どうしたんです――行きましょうよ?」

「悪ィ、先行っててくれ。チョイと用事を思いだした」

 

 あとからすぐに行く、とヤンを将校クラブに去らせ、オレはもう少しこの若い黒人カップルに接近する。

 

 この辺の連中はイスラムが多いから、逢引きも大変だろう。

 女の子が自分の父親に“不義密通”を知られたら、ムチや棒でしばかれるだけでは済まない。

 それでも若い二人はフェンスの金網ごしに手を取り合い、顔を寄せてキスをする。

 

 ――ふふっ♪

 

 オレの口もとに、覚えず笑みがもれた。

 

 できればあの男が本気であり、二人が巧くいってくれればいいが……。

 傭兵稼業の不安定さに若い彼らの将来を危ぶむが、いちいち気にしても仕方ない。

 

 胸のなかのモヤを祓うと、オレはヤンのあとを追った。

 

 

 



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      〃       (2)

 将校クラブの扉を開けようとする。

 と、なにやら中が騒がしい。

 ソッ、と細目にあけてみた。

 すると――。

 

 

「ヘェ。じゃお前ェは、オヤジのあてつけで、こんなトコまで来たってワケか」

 

 黒タバコの臭いとバラックの中の喧騒。

 蓄音機のシャンソンにまぎれ、アフリカーンス(アフリカ語)なまりのフランス語が聞こえてきた。

 

「イイとこのおぼっチャンが、わざわざドロ水すすりに来なくてもナァ?」

「パパは“朝鮮のゴタゴタ(朝鮮戦争)”で儲けたんだろ?お家に居りゃイイのによォ?」

「黒ん坊どもをイタぶるのに飽きて、とうとうホンモノの殺しを味わいたくなったか?」

「そのワリにァ、パトロールにも出ねぇし……」

「国連軍のジジィどもを()()()()()()ってハナシじゃねぇか」

「いい医者しってるゼぇ?紹介してやるよ?」

 

 なんのことはない。

 あの司令部付きのヤン中尉が、将校クラブのホールで“戦場ギツネ”どもに囲まれ、イヂられ半分の質問攻めに()っているのだった。

 

 “将校クラブ”といっても、大したことはなかった。

 

 見通しの効く広めのバラック。

 そこに得体の知れないカーペットと、どこかの飲み屋から徴発してきたらしいソファーやスツール、小卓(テーブル)。これら素性の怪しげな家具がそこいらに並べられ、いずれも『ジタン』や『ゴロワーズ』といった黒タバコにいぶされて、毎夜ビールやウィスキー混じりに吐かれる怪気炎にさらされている。

 

 FAL自動小銃を交差させた上には、撃ち倒したらしいガゼルの首が腐りかけな剥製となって架けられ、周囲をアフリカ少数民族の民芸品や呪術道具が飾っている。

 いい加減に刈り取られ、観葉植物の代わりとされたバオバブの若木やサボテンは、将校たちのいたずらで枯れかかり、ミジメなすがたを晒していた。

 

 皆からの玩具(オモチャ)にされたヤンは、弱々しい愛想笑いをうかべ、その枯れかけた観葉植物の葉を力ない手つきでいじりつつ、

 

「い、いえ自分は。そういうワケには……」

 

 一人の少尉がヤンのアフリカーンス(アフリカ語)をまね、

 

「自分ハ……ソウイウワケニハぁ……かァ?」

 

 下級将校たちの下卑(げび)(わら)い。

 もうひとりがヤンの肩章をゆびで弾き、

 

「だいだいョ?ここはアンタみたいな大卒モンが来るとこじゃネェよ」

「腐乱死体みて引っくり返るようじゃ困るぜ?」

「墓穴掘りにしたって、ツカえなさそうだし」

 

 さんざん囃したてる男たちを制し、顔にシワを刻む、いかにも苦労人といった感じの古参な老大尉が、

 

「しかし、キミは何でこんな部隊に?」

「それは……」

「プレトリアあたりで、銀行員でもやってればよかったのに……」

 

 これには下級将校たちが口々に同意のうなり。

 

「アレか?故郷(くに)の彼女に、イイ恰好みせたかったのか?」

「ちょろっと在籍すりゃ、本物の軍よりワリのいい手当出るからなァ」

「むかしのお貴族サマが大学出たときにやる「卒業旅行」(グランド・ツアー)のつもりじゃねぇの?」

「ちっとはパトロールに出てみやがれっての!」

「第一中隊のアレクセイを見ろよ!あんなロシアのガキでも立派に“アカ”と戦ってるじゃねぇか」

「あいつは……親兄妹をコミュニストに殺されたからな……」

 

 荒くれた戦場ギツネたちの間が、すこしばかりシュンとなる。

 

 彼等は一瞬、それぞれ戦禍のあいだに失くした親類や友人のことを想ったのだ。

 あの世界大戦やインドシナでの戦い。カスバでのテロ……。

 

「それに引きかえ、お前ェはどうでェ?戦闘に出撃るならまだしも、司令部で事務屋たァよ?」

「おおかた、パパの農場で“黒んぼ”たちにムチぃ振るぅハクをつけるため、部隊に参加して実績ィ作ろうとしたンだろ?」

「ンだな。契約期間おわったら、アイロンの効いた制服着て写真館で1枚。それで一丁あがりってなワケだ」

 

 まわりの将校たちから、またもや異口同音に同意が出される。

 

「自分は、そんなんじゃありません!」

 

 ヤン中尉は苛立たしげに、半長靴で将校クラブの床を踏み鳴らした。

 

 予想外の剣幕に、一瞬将校クラブが静まる。

 そして、くちびるを引き締め、周りを見回す眼つきに険をこめ、

 

「なんなら自分だって、皆さんと同じに――」

 

 ――潮時だ……。

 

 ドカン!

 

 オレは将校クラブの扉を勢いよくケリ開けた。

 とたん、黒タバコの強烈な臭いが鼻をつく。

 なぜか脳裏に、トレンチコートとソフト帽姿のノッポな男が思い浮かんで。

 これは一体なんの連想だろう……。

 

「ヨォ、こりゃ皆さんおそろいで――ドウしたい?ヤン。無学な連中にデカルトでも講義してやってるのか」

 

 頬に火傷痕(ケロイド)のある坊主頭の中尉が怪訝そうな顔で、

 

「デカルトだぁ?……どこの武器だィ?」

 

 ふふん、とオレは苦笑し、

 

「フランス製の有能なコンパスさ。どこにいても自分の立ち位置を示してくれる。Je pense, donc je suis(我思う、ゆえに我あり)、だ」

 

 分かったような、分からないような顔をする下級将校たちをしりめに、

 

「こいよ、ヤン。飲めなくなったバーの続きだ」

「なんだ?()()()()。飲めなくなった、って」

 

 額にザックリとキズのある大尉が怪訝そうな声でオレを引き留めた。

 

「酒場で、なんかあったのか?」

「大尉どの。今晩は本職の佐官だらけだ。みんなして大戦の懐メロで盛り上がってる」

 

 尉官たちのブーイング。

 

「そういやミラーの査問会やってたナ」

「ヤツらがそのままの流れで来やがったか」

「ほかの基地のヤツらも居たから、こりゃ相当な人数だな」

「ケッ!国連の()()()()どもなんザ、見たくもネェや」

 

 ほかの尉官たちもヤンから興味が失せたように入り口のフロアから散ると、てんでにアチコチのソファーや椅子に向かってゆく。

 封の切っていないカードが何組か取りだされ、あるいは壁にならぶカギ付きの個人ロッカーから嗜好品が抜き出された。

 

 オレとヤン中尉は、クラブの片すみにある目立たない4人掛けテーブルに腰を落ち着ける。

 

「助かりましたよ、マイケル中尉(さん)

 

 辟易(へきえき)したかおで、相手は首を振りながら、

 

「よってたかってイヂられるんだから……なにしてたんです?」

「べつに。ちょっと現地の若者の青春を、な」

「なんです?オヤジくさい」

 

 ――う……っ!

 

 意外なほど、その言葉はオレの胸にコタえた。

 オヤジじゃない“後期青年”だ!……とイキまこうとしたが、なんか(ムナ)しいのでヤメておく。

 

「おおきなお世話だ――ホラ」

 

 オレはポケットから個人用ロッカーのキーをヤンに放った。

 

「なんか作ってこいよ」

 

 先にも記したとおり、ロッカーの中にコマンダーたちは、それぞれ個人用の酒や禁制品のブツを仕込んであった。

 オレの場合はジャックダニエルとジャン・フィユーが数本。そのほかに入れてあった。

 了解、と若いヤンは素直にロッカーに向かう。遠くで彼が呑みかけのジャン・フィユーを取りだすのが見え、ついでセルフ・サービスなバーに向かい、棚からグラスを物色している。

 

 ――フン……。

 

 オレだって“まだまだ”さと、そんなヤンの若いうしろ姿をながめながら安出来な木製の木製のイスに深くもたれた。

 

 老眼にもなってないし、ウイスキーならボトル1本は軽い。

 「浸透作戦」用の重装備をかついで楽々走るし、連チャンの徹夜で戦闘も可能だ。

 

 ――しかし……。

 

 このごろ、妙な幻視に苦しめられるようになった。

 

 いちばん多いのは――これは前世だろうか?――オレは大型のトラックにのって仕事をしてるんだ。しかも仕事の内容が、トラックを使った暗殺という荒唐無稽なイマージュ。

 

 つぎに多いのは、自分は中世ヨーロッパ(?)の特殊な騎士団の団長で、大柄な化け物どもを相手に大太刀まわりをするという……おそらくこれは、むかし読んだ「ヨハネ黙示録」の記憶が、戦闘の興奮と疲れでそのまま表層意識に出てきたモンにちがいない。

 

 しかし、光景と印象、感覚が――いかにも()()()だった。

 

 トラックの暗殺者は女房を寝取られた男で、ヤケを起こしたその挙句、一流カンパニーを(クビ)になったすえ、毎日のビールを楽しみに世を過ごしているという。最近は、みょうな美人姉妹が部屋に転がり込み、女はもうコリゴリという“オレ”をふりまわしてる。

 

 騎士団長のほうは、これも美人だが気の強い半獣人(?)の女房とカワイイ娘に恵ものの、内乱によって屋敷を全滅させられた哀れな男だ。これも夢というにはあまりに生々しく、手のひらに剣の切れ味すらつたえる時がある。汗にまみれてコット(軍用ベッド)からハネ起きても、しばらく血の臭いが感じられるほどに。

 

 ――まさか若年性のボケじゃないだろうな……。

 

 ボケる前にとっとと死にたい。

 ただ、敵に負けるのは、イヤだ。

 戦って――戦って――戦い抜いて。

 相手を鏖殺(みなごろし)にしてから、戦死したい。 

 

「どうしました?マイキー。またボケっとして」

 

 気が付けば、将校クラブのミニ・バーから作ってきたグラスを両手にしたヤンの若い顔がのぞきこんでいは。

 

「ん。いや――なんでもない……すまねぇな。コニャック・ソーダか」

「向こうのバーみたいにカクテルとはいきませんけどね。あ、ソレからこんなものがロッカーにありましたよ?」

 

 通信紙の裏紙に、

 

 【ウィスキーもらったぜ。借りは現場で返す――ラルゴ】

 

 ――あんのヤロ……!

 

 油断もスキもない。

 手先が器用なヤツだとは思っていたが、おんなの股を開けるだけじゃなく、鍵穴も開けるのが巧みと来やがる。まぁ、油断したこっちも悪いんだが。

 

「ちくしょう、カギをつけかえなきゃならねぇな……」

「なんですって?」

「なんでもねぇ」

 

 ヤンはオレの前にきめの細かい泡の立ち上る一杯を置くと、自分の方は立ったまま、ソーダ水をわずかに染めたようなグラスを口に含んだ。

 そして、オレの方を見おろしながら、

 

「こんどの作戦に、影響が出ますかね?」

「んぅ?」 

 

 今度の作戦。

 

 つまり、オレたちが“一時的に“方位をうしない”本隊からはぐれたあと、あのドレッド野郎と腰ぎんちゃくのサルを本拠地と思われる訓練キャンプに向かい殺しに行く隠密行動だ。

 さすがにこの兄ちゃんは、そこまで知らないだろう。

 知っていたら大問題だ。だとしたら、オレはこの作戦(オペ)を降りる。

 

「大丈夫じゃねぇかぁ?「第1」と「第2」は、ほぼ健在なんだし」

「じゃぁ、予定通り進行?」

「まぁ、な。今のところ変更の予定は聞いていない。それよりも聞いてねぇか……?」

「ナニをです?」

「捕虜が、何をしゃべったとか」

 

 ヤンは肩をすくめ、オレの向かいのイスを引いてすわると、苦々しげに唇をゆがめた。

 相手の眼に、嫌悪じみたものすら閃く。

 まったく、とヤンは唾棄せんばかりな勢いで、

 

「あの手のサディストどもには――ウンザリしますね!」

 

 この青年にしては、珍しく語気が荒かった。

 ふしぎなことだ。たかが尋問するぐらいで。

 

「どうした?やっぱり過激な現場はダメか?」

「あの“獣人”ども、拷問に電気をつかうんですよ!電極を男のアレと……排泄部に差し込んで、手回し発電機を回すんです……それもバカ笑いしながら!なんであんなことが出来るのか、自分には分かりません!」

 

 オレはコニャック・ソーダを含んだ。

 馴染みの味が口中に拡がり、スッとここちよくノドに流れてゆく。

 

「じゃ、そもそも何でオマエ、傭兵部隊(こんなところ)入隊(はい)ってきた」

「それは……」

「そりゃ他のヤツらが、オマエにちょっかいも出すワケだぜ。いいトコ出の坊ちゃんが(しかも大学出だぞ?)こんな薄汚れた世界に」

「マイキー、貴方だって大学出てるじゃないですか」

 

 ヤンはグラスのむこうからふくれっ面をみせた。

 ウッ、とオレはまた詰まる。

 

 ――コイツ……こんなとこまで。

 

「誰から聞いた?」

「風のウワサで、ちょっと」

「この地獄耳が。おまえの“風”ってのは、地球をまわるジェット気流のことだろ」

「否定はしませんよ?」

「コイツめ。コキやがるぜ」 

 

 やれやれ。どこから漏れたんだかと、オレもコニャック・ソーダをすすり、

 

「実際の話どうなんだよ?」

「なにがです」

「オマエなら、ほかに仕事なんぞ幾らでもあったろうに」

 

 ヤンの顔に一瞬のためらいが動いた。

 やや久しく、いかにも薄そうなコニャック・ソーダのグラスを眺める風。

 

 しばらくしていつもの顔にもどったところを見ると、どうやら言おうとしたことを自分の中に呑み込んだらしい。そして言葉つきも幾分トゲトゲしく、

 

「自分の家が、富農だってのは知っているでしょう?」

「あぁ。話には聞いてる、といってもほかの連中のウワサを聞いただけだが」

()()()()を山のように使ってプランテーション(大農場)を経営してました。オヤジのヤツは利に敏くて、機械的な新機軸を次々に導入しました。そして()()()()も……それこそ機械のように使い……」

 

 なぜか、ヤンはここで声を途切らせた。

 そしてやおら、テーブルの上にあったうすいコニャック・ソーダをグイグイ呑んでから、ダン!とグラスをテーブルに置き、

 

「昔のアメリカ黒人奴隷みたいな扱いですよ。言うことを聞かない者は、棒やムチで殴る。拍車つきの固いブーツで蹴る。真っ暗な牢に監禁して、一切を与えない。有色人種に対する扱いがヒドいんです!」

 

 ヤンが先ほどから黒人を“黒んぼう”と言わずに“有色人種”というのが気になった。

 南アフリカの特権階級に生まれた子弟にしてはめずらしい。

 

「で?それとオマエが部隊(ウチ)に入ったのは、どういう関係なんだ?」

「もう一杯……いいですかね?」

 

 めずらしく、空いた自分のグラスを掲げながらヤンがつぶやいた。

 

「もちろん。喜んで」

「ヘヘッ、日本の居酒屋みたいなコト言うんですね。さすがヒノモトのサムライだ」

 

 ヤンは空のグラスを手に立ち上がると、バーのほうへ歩いて行った。

 オレは半分ほどになったコニャック・ソーダをチビチビと含みつつ、今夜のあいつは、どこか変だなと心中、首を傾げる。

 

 そこへ、顔なじみのヨーク軍曹がやってきた。

 

 インドシナ戦争のジャングルでヴェトミンを本能のまま狩りまくり、いくつもの勲章を授与された野生のハンター。年齢を偽証して少年兵で参戦した大戦からこっち、戦争と言う戦争を渡り歩いてきた猛者と聞いている。下士官はこのクラブに入れない不文律があるが、さすがにこの男ともなると例外扱いされていた。

 

 クマのように体毛の濃い、南フランスの農夫じみたその中年男が、ウイスキー臭いヒゲ面顔をよせるや、こそっとオレに耳打ちして、

 

「奴には――気ィつけた方がいいですよ、中尉」

「ヤツ?だれだ」

「あの“ヤン”とかいう南ア産の()()()()です」

 

 この物静かな年長者にしては、珍しい物言いだった。

 ヨーク軍曹だけじゃない。

 先の私設将校クラブの入り口での出来事と言い、あの青年は“大学出”というだけで傭兵たちから妙に毛嫌いされている。

 

「不思議だな、オーバン(ヨークのファースト・ネーム)」

 

 オレは残ったコニャックを一気にあおった。

 

「なぜ……そこまでして、みんなヤツを嫌う?」

 

 ヒゲ面の口元がへの字にゆがみ、

 

「なんでですかねェ。たぶん、みんな本能に忠実だからじゃねぇですかい」

「本能?」

 

 戦場のハンターは腰に手を当て、周りのコマンダーたちを見回した。

 

 腰に拳銃やナイフを吊った、髪も肌の色もさまざまな戦闘服姿の男たちが、笑い、怒り、あるいは寡黙に。

 過去を重く背負った肩からは、見せかけの自信と、防衛のための尊大さと、そして幾分かの躊躇(ためらい)や時には怯懦(おびえ)が見え隠れして。

 一つのテーブルで哄笑がわきおこった。

 そしてその哄笑は、沸き上がったと同時に急に醒め、しぼんでしまう。

 ことばの切れ端から、彼らが何をネタにしているのかが分かった。

 

 “安全ピンのシムズ”の話だ。

 

 むかし――といっても1年ぐらいの話だが、よく酒場のネタにされていた伝説の新人隊員。

 いつぞやの戦闘のとき、そいつは手榴弾の安全ピンを抜いて、安全ピンの方を投げやがったのだ。

 しばらくは部隊を揺るがす大ネタ。

 だがそのシムズも。後の市街戦で、もういない。

 そして橋の下を水が流れるように、多くの戦友たちが姿を消していた。

 しぼんだ哄笑は、テーブルにつく皆が、そのことを想いだしたためだろう。 

 

 その様をヨークは乾いた眼でながめ、やや久しく沈黙していたが、

 

「そう――本能ですよ」

「たとえば?」

 

 フン、と鼻で嗤う気配がして、

 

「金……女……戦闘……酒……そして何より、死……」

 

 死?とオレはヨークのヒゲ面をいぶかしく見やる。

 

 しかし、そこには何も浮かんではおらず、戦塵の中に年月を(けみ)した古革のような顔つきの中に、深淵のような無表情があるばかりだった。

 

「ハナが効くんですな。長年、こんな世界に身を置いていると」

「つまり?」

「信用できるか、否かってヤツです」

「あの青二才をか?」

 

 への字にまげたくちびるが頷いた。

 

「ヤツは大学出だと言ってましたな?どこの大学です」

「それは――」

 

「やぁ軍曹」

 

 いつのまにかヤンが両手にゴブレットを両手にもって立っていた。

 そしてきわめて社交的な笑みをうかべ、

 

「自分の出身大学が――なにか?」

 

 ヨークの肩から一瞬、何かの雰囲気が煮え立った。

 しかし、それはすぐに消え去り、冷たい乾いた眼がこの青年を見据える。

 ヤンは、落ち着いた口ぶりの下に辛辣なものを含ませ、それでも表面は軽やかに、

 

「当方のウワサ話をされるのはご自由ですが、そこに勝手な推量を交えるのは、控えめに言って如何なものかと考えますがねぇ……」

 

 オレは驚いた。

 

 以前、英国のパブリック・スクール出で『サンドハースト』を卒業したローデシアSAS・C中隊の男と夜戦の“仕事”をしたことがあるが、その物言いがコイツとそっくりだった。

 

 ――まさか。

 

 ヤンはこっちが思っている以上に、高学歴の人間ではないのか。

 それに対し、南フランスの農夫じみたヨークは何も言わず、ゆっくりと体の向きをかえ、まるで昼寝から目覚めた後、畑の畝のようすでも診るような足取りで黙したまま、ゆったりと立ち去っていった。

 

「やれやれ。ホントに自分はキラわれてるんですねぇ」

 

 ヤンはオレの前にグラスの片方を置いた。

 そして自身も対面のイスに座ると、こんどは見るからに濃そうな自分用のコニャック・ソーダを一息に干した。

 

「おいおい大丈夫かよ」

「なに。どうせこの部隊には場違いな存在ですよ――どうなったってイイんだ!」

 

 声ひくく()ねたように毒づき、くちびるをへの字に。

 

「らしくないな、ヤン」

「フンだ」

 

 アルコールの作用が早くも効いてきたのか。

 ダン!とオールドファッション・グラスを置くと、多少底のすわった眼で、

 

「サムライ・マイケル、か。アンタもほかの傭兵どもと同じだってワケだ!」

 

 ――はぁ……。

 

 飲みなれない酒を呑んで虎になった相手ほどウザいものはない。

 それがヘンにカラんでくるとなればなおさらだ。

 

「たいがいにしとけよ、ヤン。無理に呑まなくたってイイんだぞ」

「チェッ!ブランデーの1ッ本や2本ぐらい、なんてコタないんですよぉ」

 

 ドッ!と向こうのテーブルでまた笑い声があがった。

 ひょうきん者のジョーンズが、また何か面白いことを言ったらしい

 顔をもどしたオレは、思わずギョッとする。

 この酔っ払いが、腰のホルスターからM36を抜き出し、怪しげな手つきでひねくっていたからだ。

 しかもその拳銃、どこで覚えたのか生半可な知識で引き金ガードの前半分とハンマーが切り飛ばされ、抜き撃ち専用に改造されていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「――よせって」

 

 オレはヤンからスミス&ウェッソン製のリボルバーを取り上げようとする。

 相手はそうさせまいと抵抗した。

 イスに座ったまま、テーブル越しにもみ合ううちに、

 

 ダン!

 

 拳銃が暴発し、燃焼ガスの圧力がオレの首もとをかすめた。

 一瞬、将校クラブが静まりかえり全員の注目がこちらを向く。

 しかし、すぐに(なァんだ……)という雰囲気で元の騒ぎにもどってゆく。

 とうとうオレに拳銃を取り上げられたヤンは、酔いがまわった紅い顔で仏頂面をしていたが、ややあってイスに背をもたせると、 

 

「チェッ。まぁイイや……そうだ、どうして自分がこの部隊に入隊(はい)ったか、聞きたがってましたよね……」

 

 酔った勢いなのか、相手の口が妙に軽くなっていた。

 オレは、手の中にあるヤスリの跡もあたらしいリボルバーを見ながら、

 

「ふぅん?話してくれるのか」

 

 別にたいしたこっちゃないんです、とヤンはトロンとした目つきで、

 

「ウチの家が富農だって話はしましたっけ?……そうだ、したな……オヤジが辣腕の事業家だったことも……でも、その農場で叛乱がおきたことは、話してないでしょう?」

「……Aanhou(つづけろ)

 

 アフリカーンス(アフリカ語)でオレは先を促した。

 ま、先はだいたい見えていたが。

 そんなオレの顔つきを読んだのだろう。

 ヤンもひとつ頷くと、

 

「お察しの通り、叛乱は駐屯するベルギー人部隊のちからを借りて、手ひどく鎮圧されました。運が悪いことに、自分が管理を任されていた区画に叛乱の“根城”がありましてね――オヤジのヤツが怒ったの何の」

「だろうな」

「文字通り白髪が逆立っていましたよ。『オマエの管理が甘いから有色人種どもがツケあがるんだ』ってね」

 

 オレの脳裏には、ボーア戦争で辛酸をなめた父親を持つ、頑丈づくりな初老のオヤジがなんとなく浮かんだ。

 

「それで?」

「反乱軍の生き残りをあつめて、彼らの目前で、自分が首謀者を棍棒で殴り殺せっていうんですよ」

「オヤジさんが?」

「ほかにだれが居るんです――グレース・ケリーですか」

 

 ギャグまで冴えないこの青年に、オレは苦笑せざるをえない。

 相手から奪い取ったM36のレンコン型弾倉をスイング・アウトさせ、38口径の弾を抜き出すと、この物騒な“抜き撃ち用“拳銃を相手に向かってすべらせる。

 

「……とうぜん、自分は首謀者を殺せませんでした」

 

 ヤンはその拳銃を手に取ろうともせず、ますますボンヤリした目で、

 

「だから、オヤジは有色人種の2~3人も殺してこいと、コネを使って……自分を……このロクでもない部隊へ……」

 

 相手の頭がぶれ始めたかとおもうと、いきなりテーブルに突っ伏した。

 そして勝手なことに、すぐにいびきをかきはじる。

 

「クソしょうもない……」

 

 オレはため息をついてイスをひきずり席を立った。

 そして次第に混乱の態をなすクラブのなか、ヨークの姿を見つけ出そうとする。

 だが猫背ぎみな、南フランスの農夫じみた男を、紫煙とビールと哄笑の空気の中に見つけ出すことは出来なかった。

 

「だれを探してる――ラルゴか?」

 

 通りすがりの空挺章をつけた中尉が、ウィスキー・グラスを片手に話しかけてきた。

 

「……いや、ヨークのヤツだ」

「やっこさんなら、さっき出ていくところを見たぜ?」

「ちぇッ。聞きたいことがあったんだが……」

「そんなコトよりどうだい?これからあそこのテーブルで、ひと勝負」

 

 オレはタバコの煙にかすむ彼方に目を細めた。

 なるほど。ふたりの将校が一対一のサシ状態で、観客を背負いカードを広げている。

 

「勝っているのは誰だ?」

「パーカーのヤツさ――あいつにァ、変なツキがある」

「たしかに。こないだの待ち伏せにも、ヤツの部隊だけ、戦死者は無かったからなぁ」

 

 おれはテーブルで規則正しく寝息を立てているヤンを見おろした。

 

 ――クソが……。

 

 カード勝負も、今夜の気分転換には、ちょうどいいように思われた。

 

「ようし。パーカーと一勝負、カマしてやるか……」

「カマされないように気を付けな?このところのヤツの幸運は、異常だ」

「ふん、まぁ見てなって」

 

 バカ話や記憶に残る戦闘。名物傭兵などのウワサなどを肴にポーカーでテーブルを囲んだメンツは勝った負けたを繰り返し、1時間ほどで櫛の歯が抜けるようギャラリー側へとまわってゆく。

 

 残るはパーカーとオレとがサシの状態に。

 

 

「ずいぶんツイてるじゃねぇか。えぇ?パーキーさんよ」

「日頃のおこない、ってヤツですぜ中尉どの」

 

 頭がカッパのように薄くなった少尉は、カードを切るようオレを促しながら、

 

「神サマってヤツぁ、居るもんですね。ちゃんと善人をみているんだな」

 

 言うねぇ……とこちらも苦笑しつつ、

 

「だが幸運の前借りかもしれんぞ?次の戦闘で、S-マイン(対人・跳躍地雷)にドカン、だ」

「そうなったら、そうなったです」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 迷彩服を着たカッパはジタンの封を切るとくちびるにくわえた。

 机に黄燐マッチをこすりつけ、眼をほそめながらタバコに火をつける。

 そしてマッチのもえさしをバラックの床に投げすて、まるで意に介す風もなく、

 

「カネは墓場にゃ持っていけませんからな。酒と女にバラまきますよ」

「ようし、どちらが神に愛されているか、勝負だぜ」

 

 だが、そこからがイケなかった。

 

 こっちが2ペアを出せば、相手は3カード。

 こっちがダイヤのフラッシュをだせば、相手はスペードのフラッシュ。

 いつのまにかギャラリーが周りを取りかこみ、将校用バラックはアツい雰囲気に包まれている。

 

 そして最後――いざ一番の大勝負。

 

 一枚、一枚。

 札が配られる。

 そのたびに「レイズ」の繰り返し。

 フラン札は足りなくなり、急遽マッチ棒が代わりとなった。

 

 こちらはエースを交えたフルハウス。

 

 ――勝ったな……。 

 

 そう思った。

 しかし、相手が先にめくった最後の一枚。

 

 ダイヤのストレート・フラッシュ※

 ギャラリーの間から、声にならないどよめきが起こった。

 張り詰めていた緊張が、紫煙とともにゆるゆると解かれる気配。

  

 イヤな汗が、オレの頬を伝った。

 

 同時にカッと怒りがアタマを(はし)る。

 脈絡のない、ワケの分からないイメージが次から次へと。

 

 外資系のヤリチンに妻を寝取られ、娘と引き離された憤り。

 妻と娘をオークに惨殺され、旧友に刺されたやり場のない怒り。

 そして今、部隊の将校たちが注視する中、相手に見事にカモられた屈辱。

 

 オレは胸の隠しポケットから正真正銘の「ダブルーン金貨」を抜きだすと、タバコのコゲ跡や酒の染み込んだ傷だらけのテーブルにバチーン!叩きつけ、

 

「もうひと勝負だ!パーカー!……もう一勝負!」

 

 おぉぅ、とさらなるどよめき。

 カネに執着のある、スレっからしの傭兵ならこの高名な金貨を知らないはずがない。

 高名なエイハブ船長が、宿敵である白鯨の発見者へ報奨金として帆柱へ打ち付けた金貨でもある。

 

 パーカーの顔が相好を崩すのがみえたそのとき。

 

「もうやめときましょう……中尉」

 

 肩に手を置かれたオレが振りむくと、冷静に見おろしてくるヤンの視線にぶつかった。

 時間も経ったためか、すでに酔いの気配はなく、みょうに白けた顔で見おろしてくる。

 

「ヤン!手前ェ邪魔すンじゃねぇ」

「もやし野郎は引っ込んでろ!」

「男の勝負に口をだすな!」

 

 だが、こちらを見おろす彼の冷ややかな目つきに、煮えたぎっていたオレの胸は、どういうことかたちどころに醒めていった。

 

 こんなヤツに白眼視されるようじゃ、オレもおしまいだ。

 すくなくとも、まだそこまで堕ちるちゃいねぇ。

 

 ――ふん……。

 

 オレはダブルーン金貨を戦闘服の胸ポケットにしまいこんだ。

 

「なるほど、こんやはこの男に何かが取り憑ついてやがるぜ」

 

 まわりのギャラリーからブーイングの嵐。

 怖気づいたのかよゥ、サムライ!のヤジも混じって。

 

「なるほど神となら勝負もするサ」

 

 オレは余裕しゃくしゃく腰に手をあて、いつの間にかものすごい数になった迷彩服のギャラリーたちを眺めた。

 

「だが、禿げあがった悪魔と勝負するのは今夜、これまでにしておこう」

 

 なごやいた笑いと「な~んだ」という気配。

 戦闘服の男たちはふたたびそれぞれのテーブルに散ってゆく。

 パーカーは机の上のカネとマッチ棒を勘定しつつ、

 

「貸しは今週末までだぜ?例の大掛かりなパトロールがあるからな?」

「わかってるよパーキー。死ぬ前に借りは――キッチリかえす」

 

 いきなり緊張から解放されたオレは、おそろしいほどノドが渇いているのに気づいた。とにかくビールを大ジョッキでグイグイやらなきゃ、気が済まない。

 冷蔵庫のあるクラブの奥に行こうとしたところ、ヤンに止められた。

 

「さぁ、今夜はもうイイでしょう。もうココを出ましょう」

「ハァ?バカかお前。まだ2130時だぞ」

「飲みたきゃバーの方に行きましょう。もうエラそうな連中も居なくなりましたよ、たぶん」

「でもなぁ……」

「のみたければ、オゴりますって」

 

 この言葉にクラリときた。

 

 奢られて酒を呑むのはキライだが、このポーカーで痛めつけられ手持ちのカネが尽きている。

 借りたカネで飲む分には、オレのルールには反しない。

 

「ちぇっ。ンじゃ、バーに戻るか……」

 

 オレとヤン中尉は将校クラブを出た。

 

 喧騒から、いきなりアフリカの夜の静寂へ。

 いかにあそこの空気が悪かったか、ひんやりした夜の香気を呼吸しながら思い知る。

 目が慣れるにつれ月の明るさがあたりを昼のように照らし、文庫本すら読めそうないきおいだ。

 

 ヤンの背中を前に見ながら、オレたちは鉄条網ごしに歩いてゆく。

 と、彼方でひとの話し声がした。

 目を凝らしてみると、白いYシャツ姿の男と明るい色のドレスを着た女が何事か話している。さらによく見れば、男の方はバーテンダーのサムなのだった。

 

 (おぃ……)

 

 オレはヤンの肩に触れ、近くの物陰に身をひそめ、二人を見守った。

 

 相手の女は――これも酒場の女なのだろう。

 男好きのする体つき。

 それをピンク色のはでなドレスでピッチリと包んで。

 黒人ではない、ちょっとカフェオレめいた肌が、月の白さに映えた。

 おそらく北アフリカ系――あるいは南米系か。だいぶ白人めいた面差し。

 

 サムは、何かの封筒を女に手渡した。

 その見返りなのか、混血女はサムに何かをにぎらせる。

 

(サミィのやつも、スミにおけませんね)

 

 なぜか嬉しそうにヤンがささやく。

 

(あの朴訥(ぼくとつ)そうなやつも、やっぱり男ということですよ)

 

 はたしてそうだろうか。

 

 どうも見た感じ、オレには何かのヤバい取引のように思えて仕方がない。それが証拠に、ふたりは鉄条網ごしに手をつなぐことも、ましてやキスさえもせずに別れた。

 混血女はすぐに暗がりの方に身を消し、バーテンダーの方は辺りを確認すると、もらったものをズボンの尻ポケットにねじ込むと、そそくさその場から姿を消した……。

 

 ヤンは明るい声で、

 

「さて、これからバーに行って“色男”のツラでも拝むとしましょうか」

 

 将校用のバーは一段落がついた時間帯らしく、おちついた雰囲気となっていた。

 明日パトロールや浸透偵察にでるものは自分の簡易ベッドに行き、出撃予定の無い者や、ケガをした者、基地詰めのスタッフなどが、静かに飲んでいる。

 

 迷彩服のオレが入ってゆくと、スタッフたちの顔色が一瞬緊張する。

 しかし一緒に居るのがヤンと分かると、すぐに彼らは緊張をといた。

 

「なんだ、オドかすなよ、ヤン。傭兵が来たかと思ったぜ」

「マイケル中尉どのなら安心だ」

 

 まわりからのニヤニヤ笑い。

 こちらに向かって飲みかけのグラスを掲げてみせる者。

 軽くうなずく事務職員や、自分たちのテーブルにさそう女の子の一団すらいる。

 

 悪くない。

 

 オレが“血に飢えた凶暴な戦場オオカミ”とは一線を画する存在だと思われている証拠だ。

 

「こらこら、中尉どのはお疲れなんだ。さぁさぁカウンターへ」

 

 ヤンは妙に陽気な調子で高いイスによじのぼると、

 

 

「サム!サミィ!?ビールを大ジョッキでくれ!……おぃサミィのヤツはどこいった?」

「さっき、ちょっと用事があるとか言って出ていきましたよ」

 

 バーの古株のデイヴィスが白髪アタマをふりながら、

 

「5分で帰ってくるとか言ってやがったクセに30分たっても戻って来やしねぇ、とおもったら!サム、この野郎どこ行ってやがった!マイケル中尉どのがビールをご所望だ!さっさと来やがれ!」

 

 バーに戻ってきた若いバーテンダーは蝶ネクタイの具合を直して手を洗うと、とビール・サーバーから大ジョッキに泡立つ琥珀色の液体を注いだ。

 汗をうかべるジョッキの心地よい重み。

 先ほどまでの大負けも忘れ、オレはその一杯にノドをならす。

 

「ほら、代金だ」

 

 ヤンはビニール製の長財布から、1000ベルギー・フラン札を抜き出した。

 サムは渋面を浮かべる。

 

「もっと細かい紙幣をお持ちではないですか?モン・キャピテン(中尉どの)

「わるいなサミー。それしかないんだ」

 

 傾けたビールジョッキのふちから何気なく見ていると、若いバーテンダーは尻ポケットからゴムバンドで折りたたまれた紙幣の束を取りだした。そして慣れた手つきですばやく数え、ヤンにわたす。真新しい、コンゴ・フランでの釣銭だった。

 ヤンはオレのほうをチラッと観てから、

 

「どうした?エラく羽振りがイイじゃないか。貢いでくれるイイ女でも、見つけたか?」

「ソンナンジャ、ナイデス」

 

 慣れない英語でそう言ってから、若いバーテンダーはいつもの無表情にもどるとグラスを磨きはじめる。

 

 ビールの味は、しなくなっていた。

 1/3ほどになった大ジョッキをテーブルに置くと、オレはバーテンダーの横顔をジッと眺めた……。

 

     * * * 

 

 




……おまたせして大変申し訳ありません。

海外でのSV業務がいそがしく、更新がままならない状態です。
(土曜日も仕事というのは、ボディブローのように効いてきますね)
いま、年内に帰国できるか否かの瀬戸際状態となっており疲労困憊。
執筆に体力が回りません(何より中途半端なモノでお茶を濁したくない……)。
精鋭読者の皆様におかれましては、どうか今しばらくお待ちいただきますよう切にお願い申し上げます。
絶対にエタらせはしませんので、どうかご支援を願いたく。

珍歩のツイッターも、宜しければ併せてご覧ください。


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