魔法少女ぶらぼ☆マギカ (Ciels)
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There's Cosmic Girl Coming From The Sky
百合の狩人


ブラボやってて思いついただけなので続くかわからないです


 ぶちゅり、ぶちゅりと。手にした得物が肉を裂く音が夜の街に響く。厚手の手袋をしても言葉にならない甘美な感触が伝わって来るのがわかる。

 身に纏った衣装に鮮やかな返り血がこびりつこうとも構やしない。ただ一心不乱に、いや無駄が無い動きのはずなのにその行為は無駄だが……ともかく私は、目の前の死体を挽肉にせんと得物を振り下ろす。

 仕掛け武器であるこの鉈の刃はノコギリとの混血児。手前の獣には小さく無数の牙を。手では届かない獣には伸びた鉈の獰猛な一閃を。

 

 みちち、みちり。ばきばきり。

 

 切り刻んでいた死体の肉が裂けに裂け、骨が圧されて砕けてゆく。解体、そんな風に人は言うのかもしれないけれども。私達狩人にしてみれば、この行為はそんなものではないことは確かだった。

 食事。性交。睡眠。人が生きる上で必要な三大欲求を言う。この死体を切り刻んで返り血を浴びる行為は、私にとっては三大欲求を超える行いなのだから。言うなれば、最大の欲求を満たしている最中だった。

 

 空を見上げる。否、宇宙を。

 

「ああ……赤いな……」

 

 まるで血のように赤い月。大きな大きな、吸い込まれそうなお月様。

 現実ではあり得ない。月は太陽の光を反射して輝くもの。それなのに、今浮いている月は自ら赤く輝いている。血のように、心臓のように輝く月は心を魅了する。

 ━━月に恋するとは、このことなのね。

 蒸せ返るほど、えづくほど。流れる血が鼻を通って肺に入って身体を快楽に染め上げていく。脳が震え、内なる瞳が抵抗しようと構わない、私の心は満ちているのだから。

 誰かが言った。狩人は狩りに酔うのだと。そして獣は血に酔うのだと。ならば私はどちらだろうか?狩人、あるいは獣?そのどちらでもあるのかもしれない。

 まぁ良い。それで自分という人間を保てているのであれば、それで良いでは無いか。

 

 路地が騒がしくなる。狩人が獣を狩るのであれば、狩るための獣が必要だ。それは今私が快楽のために切り刻んでいる死体の事ではない。数分前こそ獣ではあったが、今は違う。ただのタンパク質の塊だ。

 そして狩人の獲物がやって来る。こちらを見つけ、松明の火で闇を照らし、手にした武器で私を八つ裂きにするためにやって来るのだ。罵詈雑言を吐きながら、それでも精神は異常な獣たちが。

 

あぁ……匂い立つな(What′s that smell?)

 

 いつか殺した家族想いの神父の言葉を借りて、私は獣に対峙する。

 右手には鉈を、左手には銃を。瞳には宇宙を。血塗れの可愛らしいドレスを揺らして駆け出す。

 狩人は獣を狩らなければならない。でなければ、狩人たり得ない。そして私は狩人だ。

 恐れたまえよ獣ども、私は狩人なのだから。そして私も、血を恐れたまえよ。獣と人は、表裏の存在なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こくり、こくりと船を漕ぐ。夢の中で居眠りとは興味深いことこの上ないが、それは彼女が夢の住人であるからなのだろうか。

 人形。かつて最初の狩人が執着していたある女性を模して作られた生きる人形だ。彼女は我々狩人を助ける存在であり、丁寧な姿勢でいつも私に接してくれるありがたい存在だ。彼女に遍く血の遺志を渡せば私の能力を強化してくれるだろう。

 

 ここは狩人の夢。私達狩人が拠点とし、身を休めたり武器を弄り回したり、はたまた使者と呼ばれる奇天烈な愛らしい者たちから備品や武器を買ったり……獣狩りに赴く為に使用する墓石があったり。

 人形はこの夢で私の帰りをいつも待ってくれている。美しい白い肌、整えられた銀髪、そして球体関節と、まるで某人形師がアリスなんとかゲームさせそうな書物に出てきそうな見た目だ。

 まだ駆け出しの狩人であった頃こそ彼女のあまりの無機質で執事的な態度に余所余所しくしてしまったが、今では私を支えてくれる大切な人だ。娘とも思っている。恋人とさえも。

 

「スゥ……スゥ……」

 

 石段に腰掛け眠っている無垢な人形の顔を覗き込む。ああ、素晴らしい。いかに私が獣狩りの夜を幾度となく繰り返す上位者( カンスト勢)の端くれだとして……脳に瞳を宿して啓蒙に溢れた考えをするとしてもだ。

 人形は可愛い。叶うならこのまま一緒に寝てしまいたいほどに。それにほら、私の格好を見てみよ。ズボンとグローブこそ人形の素となった女性の持ち物だが、ヘッドドレスと上着は人形とお揃いだ。とても狩りには適さないのに。

 

「はっ!」

 

 と、私の熱狂した視線に気がついたのか、人形の目蓋が開けられて硝子細工の瞳が現れた。私は腰掛けていてもなお私よりも背の高い人形の頭を撫でる。

 

「起こしてしまったかな?」

 

 我ながら何ともまぁわざとらしい。しかし人形は首を横に振り、

 

「いいえ、狩人様……すみません、私はどこかに……」

 

 そう言うとすくっと立ち上がって背の低い私を見下ろした。そこに邪な感情は一切感じられない。

 

「お帰りなさいませ。御無事で何よりです」

 

 頭を下げて……一礼をする彼女に、私は抱き付く。彼女の割と平らな胸に顔を埋め、深呼吸すると脳が震えた。良い匂いだ……血とは異なる……少女の匂い……たまらぬ匂いで誘うものだ。

 世の学者は口を揃えて言うだろう。脳に瞳を与えられた者が、このように人形と低俗な愛を育んでいるなどと。

 だが私から言わせてみれば……愛こそ、人間の真理だ。特に少女が少女を愛する……瞳から啓蒙された言語によれば、百合こそが、この世で最も澄んだ事柄なのだ。

 

 唐突だが、私は百合が好きだ。

 

「狩人様……胸が、くすぐったいです」

 

「良いじゃないか、なぁ。ゲールマンだってマリアお姉様にこうしたかったのだろうし。今まさに、私が最初の狩人の遺志を継いでるのさ」

 

 名前を呼ばれた挙句あらぬ疑いをかけられた最初の狩人は工房の中で咳き込んだ。あのお爺様、寝ているようでしっかり聞いているらしい。

 老人は置いておいて、私は人形ちゃんと愛を育もう。彼女の腰に回した手に少し細工をした。エーブリエタース、と呼ばれる綺麗な瞳をした上位者の娘……その娘の触手をわずかに召喚した。通称、エーブリエタースの先触れ。

 

「か、狩人様……?」

 

 ぬめぬめした触手は彼女の腰回りから背中、尻をも撫で回す。私は緩み切った表情で、紅潮していく人形の顔と感触を堪能する。勝手にこんなことに使われているエーブリエタースには申し訳ないが、まぁえっちな気分になれるならなんでも良いでは無いか。

 

「あっ……んん」

 

「良い声だぁ人形ちゃぁん!」

 

 すけべに磨きがかかっていくと、とうとうむっつりスケベなゲールマン爺が車椅子を自力で動かして工房から覗き始めた。他人の介錯する前に自分の息子を介錯しようとしているのだろうか、汚らわしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぐったりと疲れ果てて座り込んでいる人形の目の前で、私は満足げに口笛を吹く。あぁ、少女の恥ずかしい声を聞くのは血を浴びる次にたまらない。烏羽の狩人お姉様のような経験豊富に見せ掛けて意外と初心な人もまた良いが、やっぱり若さには勝てないのか。

 

「お疲れ様人形ちゃん。おかげで次の狩りも頑張れるよ」

 

 ツヤッツヤの笑顔でそう言えば、人形ちゃんは無理やり笑って見せた。ああ、美しい少女が汚されながらも見せる笑顔は美しい……だがNTR、てめーはダメだと瞳が囁く。上位者も一筋縄ではいかないらしい。

 そうして私は新たな狩りへと赴く。繰り返す時の中で幾度と無く経験してきた……言い換えれば退屈な狩りを。そう、私はもう飽きかけている。たとえ獣を狩ってこの身を血に染めようとも得られる快楽はその一瞬だけ。人形ちゃんとのいちゃいちゃは捨てがたいが、良い加減目を覚ましたいのも事実なわけで。

 ゲールマンの介錯?されて数分で気を失ってまた一からやり直し。

 ゲールマンの遺志を継ぐ?足を刈り取られた挙句寝たら最初からになってたわ。

 幼年期の始まり?赤ん坊は眠るものだろう?言わずもがな。

 

「新しい百合は無いものか……」

 

 できれば狩り付きで……だって、百合と狩りができればそれで良いもの。

 だが現実はそううまくはいかないものだ。このヤーナムの街に百合の面影は無い。あるのはどっかいけ!この野郎!(Away!away!)叫んだりする獣と化した住民達のみ。つまらない。

 ━━ああ、だがゴース、あるいはゴスムよ。貴方がたが齎した啓蒙は無駄ではなかった。

 気がついてしまった。何も私達だけの世界で百合を目指さなくても良いじゃ無い。

 私達狩人は、他の世界から協力者を呼べる……ならばそれをどうにか利用して、百合だらけの世界へと赴けるのではなかろうか。あわよくば、その百合をこの夢へと持ち帰られたら。

 

「おおおおおお、あああああああアアー!!!!!!」

 

 おお、素晴らしい!他の世界でも百合天国とは!

 決めた、せっかく上位者なのだ。これを活かさずしてどうするか。百合の世界を見つけ、侵入しよう。

 そう決めてからは早かった。あっさりメルゴーを始末しへその緒を手に入れ、ついでに狩人の悪夢でマリア様に嫌がられながらも内臓攻撃されたりしたり。そうして変態ゲール爺を倒して月の魔物を張り倒して私は何度目か分からない幼年期を迎える。

 その後しばらく、私は眠気に抗って下準備を終える。そうしてようやく人間の姿へと変身できるようになったタイミングで、他の世界に侵入した……これこそ、幼年期の終わりなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地球に寄生した汚いノミを追う。路地裏を駆け、奴が行動する前に黒髪の美少女は使命を達成しなければならない。そうでなければ後々の計画が崩れる。

 

「待ちなさい……!」

 

 白い猫のような動物の上空を取り、9mmオートの拳銃をそいつに向けて放つ。だが銃弾は外れ、白い生物には当たらない。少女は歯がみした。

 気がつけば、猫か何かは逃げてしまっていた。数発当ててはいたが死にはしないだろう。少女は舌打ちして、猫のようなものを追う。

 猫らしきものが、とある少女を呼んでいることに気付かずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ━━助けて。

 

 そんな、脳に響くような声が聞こえてから、まどかは何かに取り憑かれたように声の主を探した。

 彼女は所謂気弱で優しい少女だが、心の奥底にはただならぬ好奇心と正義感、そして狂気を秘めている……それが、この桃色の髪をツーサイドアップに結った少女、鹿目まどかだ。

 まどかは声に導かれるままに友人と別れ、助けを求める何かを探す。従業員以外は立ち入れない場所まで来ると、突然天井のダクトから何かが降ってきた。

 

「え、な、なに!?」

 

 たじろぐ彼女に、降ってきた何か……傷だらけの白い猫のような畜生は懇願する。

 

「たす……けて……」

 

 黒髪の少女なら躊躇わず死ねと言うだろうか。だがまどかは優しい、傷だらけのゴミに駆け寄ると、まずは尋ねた。

 

「え、あなたなの!?」

 

 彼女の問いには答えず、助けてとしょうもない演技をする猫もどき。

 まどかの困惑も治らぬまま、また問題は起きる。突如として、黒髪の見知った少女が猫野郎を追ってきたように現れたのだ。

 

「え!?ほ、ほむらちゃん!?」

 

 暁美ほむら。本日まどかの通う学校に転校してきたミステリアスな少女だ。彼女はピストル片手に一人と一匹に迫ると言う。

 

「そいつから離れて」

 

 そいつとは、まどかが胸に抱くゴミ、あるいは畜生だ。まどかは酷く狼狽えていたが、

 

「ダメだよ、酷い事しないで!」

 

 と強く懇願した。優しい少女は尊い。

 

「貴女には関係無い」

 

 そしてクールな少女もまた尊いのだ。

 

「だってこの子私を呼んでた!聞こえたんだもん、助けてって!」

 

「そう……」

 

 語尾に無関心と付きそうなくらい無感情で言い放つほむら。

 しばし二人は見つめ合う。まどかは混乱を滲ませ。ほむらは冷酷の下に、燃えるような感情を押し込め。

 

 突如、空気も読まずに二人の間を煙が舞った。煙の噴流は容易にほむらの姿を隠し、出所を見てみれば置いてきた青髪の友人が消火器を火炎放射器張りに噴射していた。

 

「まどか、こっち!」

 

 退路を確保した友人が叫ぶ。

 

「さやかちゃん!」

 

 まどかはすかさず友人さやかの下へと走りこむ。腕にはしっかりとクソザコ猫を抱えて。消火剤が切れれば、まるで親の仇とばかりに消火器をほむらの方へと投げ込んだ。なるほど、その容赦の無さは素質があると言えよう。

 何はともあれ、二人は逃げた。次いで、煙が謎の風圧によって晴れる。ほむらは渋い顔をすると、二人を追おうとしたが。

 

「ちっ」

 

 突如、薄暗い倉庫に謎のフィールドが展開した。まるで夢の中のような、そんな景色へと。一瞬で変貌して見せた。

 

「こんな時に……」

 

 メルヘンチックで狂気に溢れた世界へと足を踏み入れてしまった少女は、仕方なく、しかし急いで少女達を探し出す。

 

 

 

 

 

 

「何よあいつ!今度はコスプレで通り魔かよ!ていうか何それ、ぬいぐるみじゃないよね、生き物ぉ!?」

 

 さやかが悪態を吐きながら駆ける。その後ろでやや息切れ気味になるまどか。疲れるならばその動物紛いの上位者のなり損ないを捨てれば良いのに。

 

「わかんないけど、この子助けなきゃ!」

 

 少女の慈悲に浸かれる身分では無いと知れ猫の化身。

 と、ここも先ほどのメルヘン空間へと変わり果てる。非常口を探していたのにこんな空間に迷い込み、混乱するさやかとまどか。

 

「変だよここ、どんどん道が変わっていく……」

 

「ああもう、どうなってんのさ!」

 

 少女二人見ていても、態度が違うから面白い。困惑という感情が根底にあるはずなのに、さやかはより一層攻撃的になっている。

 そうして現れたのは髭を生やしたモヤのような何か。ヤーナムで言えば、そこいらの住民程度のものだろう。

 しかし忘れてはいけない。彼女達はただの少女なのだ。狩人のように武器は無いし、戦う術を知らない脆弱な存在なのだ。

 

 それらは彼女達を囲むと、何やら未知の言葉を発しながらにじり寄ってくる。恐怖で動けない彼女達を狩り殺すために。

 

 

 

 

 

 

 けれどね。少女は甘いものだ。だからこそ、守護者が必要なのさ。愚かな獣を殺すような、恐ろしい狩人がね。

 

 

 

 

 

 

 

 

「だ、だれ……?」

 

 まどかは目を大きく見開いて、その女性に問いかけた。

 絶体絶命の瞬間、突如として現れて周囲の怪物を薙ぎ払い少女達の身を救った女性に。こちらに背を向け、きりりとした出で立ちで不釣り合いな武器を持ち、守ってくれた女性に。

 その女は言う。

 

「狩人。少女を護り、愛を育てる百合の狩人さ」

 

 全力で格好付け、井戸の底で拾った落葉を手に現れた百合の狩人が舞い降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほむらは困惑した。今日だけで少女達が何度も困惑しているが、その中でもほむらの困惑は相当に大きなものだろう。

 魔女の使い魔に襲われそうだったまどか達。それを見つけたほむらは彼女達を救出しようとしたのだが……突如として、まるで召喚されたように女が現れ、手にする刀と銃で使い魔を排除したのだ。

 その手際は鮮やかなもので、襲いかかってきた使い魔に拳銃を放って怯ませると、そのまま刀を上下に分離させて一回転。まどか達を傷つけないように斬り伏せてしまった。

 

「何なの、あいつは……」

 

 彼女は自らを百合の狩人と名乗っていた。よくわからないが、その姿と力から見てほむらと「同業」であると推測される。

 とりあえずは敵では無いらしく、少女を護ると言った手前二人に危害を加えるようには見えなかった。しかしほむらにとっては完全なイレギュラーである狩人の存在は無視できるものでは無い。

 ほむらは左手の盾からスコープ付きの狙撃銃を取り出すと、遠目からイレギュラーを観察することにした。

 

「はははッ!」

 

 そうしている間にも狩人はバッタバッタとステップを駆使しながら使い魔を斬り殺していく。そのうち使い魔が逃げ始めたが、それすらも殺す。

 最後の一体を殺し、その亡骸に刀を突き刺すと狩人は――――

 

「!?」

 

 ほむらと目が合った。そんなはずはない、ここからではほむらの姿は光の加減でほとんど見えないはずなのに。なのに、狩人はこっちを見ている。冷徹で、残忍で、理性的な瞳がこちらを見ている。

 心臓の鼓動が跳ね上がる。どういうわけか、言い知れぬ恐怖が心の底からこみ上げてくる。脳が震え、身体の中の血が突き上げてきそうな感覚に陥った。

 

(いえ、落ち着くのよ。少なくとも敵対的な反応は無い。それに有利なのはこっち。もし下手な動きをすれば狙撃すればいいだけ)

 

 そう自分に言い聞かせ、無理やり沸騰しそうな狂気を下げる。

 

「ふぅん。発狂しないのか」

 

 狩人が何か呟いた。同時に、このメルヘンな空間が元の薄暗い倉庫へと戻っていく。ほむらは移動を開始した。

 

 

 

 

 

 

「夢が醒めたか」

 

 溶けていく景色をそう形容する。そして未だ混乱から目が醒めない少女達と対面すると、ゆっくりと歩み寄った。

 

「か、狩人、さん」

 

 たどたどしくまどかが呼ぶと、狩人は二人を抱き締める。そして少しばかり二人よりも高い背丈を活かして、少女達の髪に顔を埋めた。

 

「え、ちょ、なに!?」

 

 慌てるさやかに、狩人は言う。

 

「ああ良かった、美少女二人を死なせないで済んだよ」

 

 美少女と呼ばれて一瞬歓喜した二人だが、よく見ればこの狩人こそ美少女だ。美少女とかそういうレベルを超えている。人形のようだ。

 

「あ、あの……」

 

 まどかが奇行に走る狩人に言葉を投げかけた時。

 

「先客がいたのね」

 

 新たな来客がやって来た。その豊満な胸に、煌びやかな宝石を携えて。

 



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魔法少女

感想ありがとうございます。みんなもっとブラボのSS書いてホラ


 

 

 

 高まる啓蒙が私の脳を揺さぶる。まるで初めて大きな獣を見たときのような、宇宙からの言い知れぬ叡智の授与を感じ取った時と同じく……その少女と呼ぶには些か豊満な胸を持つ、しかし確かに少女である彼女。

 一眼見て、その少女が人ならざるものであると啓蒙された。見ただけで脳が震えるのは、大きな獣か……宇宙からの上位者か。経験上はどちらかである。

 そういう点では、この弱気だが勇気のありそうな桃色の少女が抱える、ある意味で使者も同じだろう。

 

 人の身や猫の姿に隠れていても、獣は臭いでわかるものだ。

 

「初めて見る顔ね」

 

 まるで掘削ドリルのようなツインテールを優雅に揺らし、その少女は少し離れた場所で止まった。感じる、この少女は狩りに慣れている。私の持つ落葉に斬られない間合だろう。

 見縊られては困るなぁ……たかだか数メートル、この私が攻撃できないとでも思っているのだろうか。無知が悪いとは言わないが、今まで彼女が相対してきた相手は所詮その程度でしか無い。剣が駄目ならば銃で、銃が届かぬならば神秘で。それが狩人の狩りというものだろう?

 

「ああ、初めて来た場所だからね……無垢な子らも助けられて良かったよ」

 

 そう言って、蚊帳の外である少女達に微笑み掛ける。強いて言えば、この私もこの世界の狩りに関しては思い切り部外者であり、脳の瞳から啓蒙された知識と推測を巡らせているに過ぎない。

 金髪の美少女は警戒を崩さず、だが桃色の少女が抱く猫のような物体を目視すると彼女はやや驚いたように言った。

 

「あなた達……キュゥべえを助けてくれたのね」

 

 キュゥべえ。猫もどきの名前。相変わらず大根役者のような演技で傷付いたフリをしている。私はそれを一瞥すると、無性に内臓を引き摺り出したくなる衝動を抑えた。

 

「呼ばれたんです!頭の中に直接この子の声が……」

 

 桃色の少女が冷めやらぬ興奮のままに言うと、金髪の乙女はふぅんと納得したように彼女達を見た。無論、私も。

 

「その服装、あなた達も見滝原中学ね。二年生?」

 

 そう言われ、私は彼女達の服装が同じであることにようやく気がついた。狩りの事となると途端にそれ以外の事柄がどうでも良くなるのは悪い癖だ。

 青髪の勇ましい少女が、あなたは、と言葉を返す。

 

「そうね、自己紹介がまだだったわね。でも……その前に」

 

 彼女の黄金の瞳が私を射る。二人はただの少女であるから警戒に値しないとして……やはり狩人は狩人を惹き付ける。彼女もまた、私という存在から近しいものを感じ取ったに違いない。

 残念ながら、瞳を持たない彼女では私の存在を看破することはならないが。

 

「貴女も……魔法少女ね」

 

「ん?魔法少女?」

 

 そのメルヘンすぎるワードに、思わず面食らった。いかに脳に瞳を授けられ、宇宙からの高次元的な思考と啓蒙を授けられたとしても、魔法少女というような名前はゴース、あるいはゴスムにも想像できなかっただろう。

 だが問題はそこではない。訝しむ私を見て、目の前の魔法少女(胸を除く)はその瞳を細めた。

 

「惚けても無駄よ。魔女の使い魔に攻撃できる時点で、貴女には魔力が宿っている……それが分からない私じゃない」

 

 魔力。かつての世界に存在していた神秘のような超次元的力。彼女の言葉とは裏腹に、残念ながら私には魔力は宿っていない。

 だが、神秘と呪いであるならば。私という存在は、どの世界に赴いても負けない自信はあった。地下に潜り、上位者を屠り、トゥメル人の内臓を引き裂き、イズを蹂躙し……これで呪われるなという方がどうかしている。

 そして瞳が囁く。私に啓蒙するのだ。先程戦った使い魔と呼ばれる存在や、その親方である魔女には魔力や呪いの力でなければ対抗できないと。

 

「ふむ。君の言いたいことは分かるよ。そうだね……君の求める答えではないかもしれないが」

 

 くすりと笑い、簡易的な礼拝を美少女相手に向ける。

 

「百合の狩人。そう、自称している」

 

 下げた頭の奥底で、私の瞳が魔法少女を突き刺す。

 

「っ……一つ、聞いて良いかしら。貴女は味方ということで……良いのよね?」

 

「美少女にはいつでも味方さ……ましてや君のように勇敢で、孤高で、脆い美少女はね」

 

 エッと後ろで青髪の少女が驚く。目の前の戦乙女には単なる味方であると伝わったようだが、この短髪の少女は鋭いようだ……瞳を持たずして本質を見極めて見せた。

 

「それはともかくとして……あそこで見つめている寂しがり屋さんも、君たちの仲間かい?」

 

 話題を変え、ずっと私達を遠くから見ていた少女を指さした。不思議な視線だ、私には困惑しているのに、他の少女には一定の信頼と呆れを抱いている。

 少女はまだ暗がりから出てこないが、目の前の魔法少女はその存在に最初から気がついていたようだ。

 

「魔女は逃げたわ。もう出てきたらどうかしら?それとも、グリーフシードが欲しいなら追えば良い」

 

 ━━グリーフシード。忌むべき魔女の命は巡り、打ち倒した少女達の心を癒す。その源が、何であるかも知らずに。使用するとソウルジェムの濁りが一定量回復する。

 なるほど、言うなれば輸血液のようなものだろうか。魔法少女も狩人と同じで一筋縄ではいかないようだ……

 

「……」

 

 ようやく少女が出てくる。黒髪の……ああ、なんと美しい少女か。自分を偽り魂は歪んでいて、今にも崩れてしまいそうなのに人間が持つ気高さと希望は捨て切れていない。

 そして、彼女もまた。私と同じく無限の繰り返す時に囚われた狩人だ。あぁ瞳が疼く。強い狩人は好きだ……美しい狩人は、もっと。

 

「私の目的は……」

 

「分からない?見逃してあげるって言っているの」

 

 黒髪の少女の目的が、この汚れた猫であることは分かっていた。そしてこの金色の少女とこの猫畜生が協力関係であることも、瞳を使わずとも分かっている。

 黒髪の少女はやや殺意と焦りを感じさせる視線を金色の少女に向けた。

 

「お互い、無用なトラブルとは無縁でいたいと思わない?」

 

 なるほど、この豊満な魔法少女が強かであるのは胸と腕っぷしだけではないようだ。話術にも長けると……

 だが分かるよ。君は大事なことを失念している。あまりに未知の同業者を警戒しすぎるあまり、その話術は交渉ではなく単なる刺になってしまっているのだ。

 それは、百合天国を目指す私としては好ましくない。

 

「ねぇ、お二人さん」

 

 口下手な二人に代わって私が口を挟む。その場にいた全員が、私を注視した。

 

「可憐な少女同士がいがみ合うのはいただけないな……そういうのは、呪われたヤーナムだけで良いのさ」

 

「いや、さも味方みたいな感じだけど貴女も信用してないわよ」

 

「黒髪の少女よ、今は引いた方がいいだろうね」

 

 掌は返せる時に返す。それが狩りの基本であると思いたい。

 黒髪の少女は素直に背を向けると去っていく……済まないね、いつか君も私の天国に入れてあげるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒髪の少女が消えた事により、一先ず少女達は地底に蔓延ってそうな猫を癒す事にした。金髪の魔法少女……巴マミは、ポシェットに入れていたブルーシートを広げると、その上に皆で座り込んでキュゥべえを修理する。

 私はその光景を、すぐ近くの壁に寄りかかり眺めていた。なるほど、聖歌の鐘のような形で畜生を癒している。あれが魔法少女の力か。次第にあの耳毛なのか腕なのかよくわからない生き物が目を覚ます。

 

「マミ、ありがとう。助かったよ」

 

「お礼はこの子達に言って。私は通りかかっただけだから」

 

 そうマミが言うと、二人……まどかとさやかにとんかつ屋みたいな名前の生き物は向き直って礼と自己紹介をする。

 

「あなたが私を呼んだの?」

 

「そうだよ、鹿目まどか。それに美樹さやか!」

 

 なんで私の名前を、なんてありきたりな問いかけをするさやか達だったが。

 キュゥべえが、本題を告げる。待っていた、この時を。

 

「僕と契約して、まほ」

 

「魔法少女!素晴らしいッ!」

 

「ぎゅえ!?」

 

 驚いたようにキュゥべえが私を仰ぎ見た。赤い宝石のような濁った瞳で、両手を広げる私を見上げるのだ。

 恐れを抱いたように、理解ができないと言わんばかりに、私に驚いた。無理もない、キュゥべえには私を、今の今まで認識できないように細工をさせてもらった。

 青い秘薬……存在を薄れさせ、しかしもうすでに私を認識している三人には効かずに、キュゥべえだけが私を認識していなかったのだ。

 

「陰鬱なヤーナムで、狩人もまたそれと同化するように暗く悍しいものであった。だが、魔法少女!美しい!どれだけ自身が汚れていようとも、少女という美しさがそのすべてを覆すッ!」

 

「き、君は……ッ!」

 

 心あたりが、あるのかね。

 

 そして、人の背景を盗み見ようとするのは感心しないな。

 

 だが、分かるよ。秘密は甘いものだ。だからこそ美しい少女が必要なのさ。愚かな好奇を忘れるような、美しい魔法少女がね。

 

「狩人。そう言えば、君には分かるだろう?キュゥべえ」

 

「じょ、上位者ッ……むぎゅ」

 

 口を滑らせそうなマスコット君の口を塞ぐ。

 

「ちょっと、何よいきなり!ていうか、あんた結局なんなのさ!」

 

「美樹さんに同意ね。良い加減、貴女の事を聞かせてもらえないかしら……あとキュゥべえを返して!」

 

 取り上げられる同類。私は懐から鎮静剤を取り出すと、それを一気飲み。冷めやらぬ興奮を無理矢理鎮めると、改めて自己紹介することに。



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ソウルジェム

気分に乗ったのでガバガバですが載せていきます


 

 

 

 ヤーナムは、ここ見滝原と異なり古い時代らしい。街のあちこちには電気を原動力とする機械がたくさん設置されており、小さなトニトルスで電撃攻撃すれば街くらい簡単に落とせるんじゃ無いかと思ってしまうくらい発展していた。

 特に車というのは素晴らしい。餌を与えずともあれだけのスピードで走るとは、馬はもうお役御免だろう。おまけに自動で走る。

 

 さて、魔法少女の素質があるまどかとさやか。二人は巴マミの提案で彼女の住む家へと招待され、これから魔法少女について詳しい事柄を聞くのだそう。何やら面白いので、私も付いていくことにする。

 

「貴女はお呼びでないのだけれど」

 

 あからさまに怪しい私はお呼びでないようだが、そうはいかない。魔法少女百合天国を完成させるためには、現役魔法少女である巴マミと接点を持っておくことは必要不可欠だ。故に、私は出来る限り気に入られようとまるで男のように振る舞う。

 

「まぁまぁ、良いでは無いか……マミ。私も魔法少女について知りたいんだ」

 

 これでも声には自信がある。まぁヤーナムでは人形ちゃんと話すか烏羽の狩人にべたつくか、死ぬときの絶叫くらいしか声を発することはなかったが……それにだ。顔にも自信はあった。いくら時計塔のマリアとその生写しである人形ちゃんが美しいとは言え、それに負けないくらいの美貌はあると、無い胸を張って言える。くっ。

 どうやら巴マミも満更では無いらしく、何だかんだ警戒しながらも私を上げてくれるようだ。友達が少ないのだろう。きっと、彼女の胸で震えるキュゥべえくらいだったのだ。

 

「ここが私の家。一人暮らしでロクにおもてなしの準備もしてないけれど」

 

 そう言われて、私達はとある高級マンションのそれなりに高い階層にある部屋へと辿り着く。ヤーナムでの記憶しかない私が言うのもなんだが、少女が一人で住むにはいささか豪華すぎやしないだろうか。

 

「すっごーい……!」

 

「うっわー、セレブだ……!」

 

 思春期の少女二人が各々の感想をのべる。やはり思考的次元が低いせいか、小学生並みの感想だが……いや、それが可愛いのだろう。

 しばらく居間で巴マミを待つ。その間、私は多少居心地が悪かったと言う事を理解してほしい。なぜなら、まだ私を怪しんでいる二人が、コソコソとこっちを見ては何かを言っているからだ。

 

「あの人の格好、コスプレなのかな……?」

 

「うーん、でもすっごくきれいだよね……」

 

 聞こえている。聞こえているのだ二人とも。

 狩人は耳が良い。薄暗いヤーナムや地下墓地では、視界がロクに効かない場合も少なくない。また、獣風情も知恵はあるから罠なんかも仕掛けてきたりする。そういった視覚だけでは対処しきれない敵には耳を傾けるのだ。

 でも、まどか。綺麗って言ってくれてありがとう。貴女は私の天国に招くのに値する。

 

 その後、マミが震えるキュゥベえを無視してケーキを持ってきてくれた。もちろん私の分も……それを、やや啓蒙的な三角形のガラス張りのテーブルに置く。余計なお世話かもしれないが、このテーブルは接客には向いていなくないか。

 

「うむ……美味しい。君が作ったのかい?」

 

 狩人は食事を必要としない。狩りと血こそ食事に等しいだろう。しかし食べれないわけではない。ヤーナムでは味わったことのない甘みを舌で堪能した。今度人形ちゃんと一緒に作ろう。

 

「ええ……ほんとに、美味しい?」

 

 私の反応を伺うように聞いてくるマミ。やはり友達を呼ぶなんてことはあまりないのだろう。

 

「おいしいですぅ!」

 

「めちゃうまっすよ〜!」

 

 ほっぺにクリームをつけたまどかと、どこかリーゼント高校生みたいな口調のさやか。まどかの頬を舐めたい衝動を抑えながら、私は頷いた。

 

「こんなに美味しいのは初めてだ。美人で魔法少女だとケーキまで美味しいのかい?」

 

「もう……調子が良いわね」

 

 そう眉をハの字にするマミは、先程までの凛々しくも強い魔法少女とは打って変わって年相応の……そう、胸が大きいだけの少女だ。うむ、人形も私も、そしてマリア様も総じて胸が残念だったから、大きいのも味わってみたい。

 しばらく紅茶とケーキを味わうと、頃合いを見てマミが話を始めた。やはりと言うか、魔法少女に関しての説明だった。

 

「キュゥベえに選ばれた以上、貴女達も人ごとじゃないものね……必要なことは説明させてもらうわ。貴女にもね、百合の狩人さん?」

 

 不敵に笑うマミ。あぁ、その強がった顔も美しい。この顔を快楽に歪めてやりたいと思いながらも、私は口を出さなかった。

 

「なんでも聞きたまえ〜」

 

「逆だよさやかちゃん」

 

 口煩いさやかに困り気味のまどか。マミは苦笑いしながらも、懐からあるものを取り出した。先程持っていた、黄金の宝石……啓蒙によればソウルジェムと呼ばれる、魔法少女の「命」。

 それを、まだ敵か味方もハッキリしない私にも見えるように見せてきたのだ。

 私は薄ら笑いをキュゥべえへと向ける。なるほど……随分と悪趣味じゃないか。彼女達に肝心な事を知らせず、己が欲の為に利用するか、外道め。

 

 ソウルジェム。魔法少女が歴史の裏側の使者と契約する際産み落とされる宝石、そしてその証。魔法の使用や外傷、精神的な損傷により濁ってしまうがグリーフシードによって癒すことができる。

 少女達はこの宝石と共に死地に赴く。だが彼女達は知らない。何気なく用いているその宝石こそが、自身の願いの対価そのものなのだと。

 

 でも、分かるよ。君たち宇宙の民もまた、自らの使命のために魔法少女を生み出したんだ。その事に私は感謝こそすれど非難するつもりは今のところ無い。

 強くて美しい狩人なんて、素敵じゃ無いか。なぁ?キュゥベえ。

 

 その間にもマミは二人にソウルジェムや魔法少女について教えていく。私もそれに頷いてはいるが、魔法少女については啓蒙されたおかげでマミよりも深く知り得ている。キュゥベえはこちらを警戒しながらも、マミと共に魔法少女セールスをしていく……願いを一つ叶える代わりに魔女と戦う使命を与えられると。

 なるほど、酷いじゃ無いか……儚い少女に狩人紛いの事をさせるなどと……クフフ、エグいじゃないか。嫌いじゃない、そういうのは。

 

 続いて説明は魔女に関して。

 

「願いから生まれるのが魔法少女なら、呪いから生まれるのが魔女なんだ」

 

 白々しく、この上位者もどきは言って見せた。だが、まぁ、ふふ。嘘は言っていない。巧妙な話術とはこういうことを言うのだろう。上手くぼかし、必要最低限の事だけを説明していくキュゥべえ。

 魔法少女が希望を与えるように、魔女は絶望を撒き散らす。挙げ句の果てに素質がない人間には見えないときた。まるでアメンドーズじゃないか……狩り甲斐がありそうだ。

 

「キュゥべえに選ばれた貴女達にはどんな願いも叶えられるチャンスがある。でも同時に、常に死と隣り合わせであることを忘れないで」

 

 一人思案に耽っていると、マミがそんな事を言い出した。そうか、彼女達は夢を見ない。だから一度死んだらそれで終わりなのか。

 それはそれで、ある種の救いだろう。私のように何百回も繰り返さずに済むのだから……とうの私も、狩りにはやや飽きてきたが死にたいとは思わない。それに、幼年期になった事を利用して更なる宇宙と交信し、その連鎖も止まってこうして別世界に侵入できている。楽しくて仕方が無い。

 少女達は悩む。それでいい、幼子とは本来悩むものだろう?メルゴーのように赤ん坊なのに気が付いたら色々な策略に巻き込まれていて何もできないのとは訳が違う。

 

「そこで提案があるの」

 

 マミが言った。

 

「二人とも、しばらく私の魔女退治に付き合ってみない?魔女との戦いがどういうものか、その目で確かめてみるといいわ。その上で、危険を冒してまで叶えたい願いがあるのかどうか、じっくり考えてみると良いと思うの」

 

 そこで、会話は終わる。厳密には、まどかさやかコンビとマミの、だが。

 

「なぁ、マミ」

 

 だから、このチャンスを逃さない。こちらを訝しむ少女に、私からも提案した。

 

「その魔女狩り……是非とも私も協力させてくれないかな」

 

「え……?」

 

 紅茶のカップを置いて、私はマミの隣に座り直す。そっと手を重ね、吐息が当たるくらいの近さまで顔を近づけた。

 動けまい。私の狩りに対する狂気から、ただ強いだけの少女が逃れる術はあるはずもない。そんな彼女に、艶っぽく、丁寧に、舐めるように言う。

 

「悪い話じゃ無いよ、マミ。私も奴らと戦える力はある……見ただろう?それに私は魔法少女じゃ無い。ただちょっと啓蒙が少し高いだけの女さ。君と変わらない」

 

 慌てて仰反る彼女を追うように。

 

「で、でも、私貴女のこと全然知らないわよ!」

 

「教えてあげる。私は狩人。月の香りの狩人であり、百合の狩人でもある……魔法少女達の守護者さ。なぁキュゥベえ?」

 

 そう同意を得ると、キュゥべえはそうだね、と頷いた。きっと彼らからしてみても上位者と関わり合いになるのは好ましく無いのだろう。無理もない。

 

「うわ、うわ……ねぇまどか、あの狩人さんって女の人好きなのかな……?」

 

「う、うん、多分そうなんだと思うよ……?」

 

 こら君たち、あまりこそこそ話しないの。

 マミは目を逸らした。ここぞとばかりに私は彼女の顎をそっと掴み、まるでキスするかのように目を合わせた。しまった、私も心臓が回転ノコギリのように速い。しかたなかろう、今まで人形ちゃんと烏羽と、たまにエーブリエタースとしか話さなかったのだから。

 

「そう、これは……友達さ、マミ。同業の友達。狩人と魔法少女の組み合わせなんて格好いいだろう?」

 

 啓蒙が降りてきた。マミはこういう……この世界で言う厨二病的言葉に弱い。ほれみろ、確かに……と納得して目を輝かせているじゃないか。これは良い流れだ。

 相手に考える時間を与えない事が闘いにおいて重要なのだ。そしてこの問いかけも、また闘いだ。多少文脈がおかしかろうが、勝った方が正義なのだから。

 



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上位者転校生

まどかは幸せな家庭で育ってきたから愛情たっぷりな彼女になると思います(願望)


 

 

 

 次の日の朝。学生の本分は勉強にあると言い伝えられる通り、まどかとさやか、そしてマミはこの地にある学舎……中学校という所へ通う事となる。

 昨日のマミの家での説明会はその後、滞り無く終わった。ややマミの私を見る目が乙女と化した事以外、異常は無い様に見えた。なお、キュゥべえに関しては勧誘のため一時的にまどかの家にお世話になるそう。

 そうそう、マミとキュゥべえ曰く、魔法少女というのは私が予想した通り血生臭い存在らしく、魔女を倒した時に精製されるグリーフシードを巡って対立する事も多々あるらしい。啓蒙された知識によれば、魔法少女は定期的にソウルジェムをグリーフシードで浄化しないと生きられないそうだ。

 なるほど、マミ達はあの暁美ほむらという少女がキュゥべえを襲った原因が、新しい魔法少女が増えたら不味いからだと思っているのか。彼女は曰く、利己的な魔法少女で、取り分が減るのが困ると……

 

 人間とは、こうも表面的な事実でしか物を見れない存在であったか。笑わせる。

 私はまともな人間の記憶は無い。確かにヤーナムでは数名の人間は比較的まともだが、それでも死んだり発狂したりと、日常から照らし合わせればまともではない人物しかいないだろう。最終的に、あのオドン教会の男とアリアンナが一番まともだった。まぁ、両人とも姿なき上位者の影響を酷く受けていたが。

 

「じゃあ人形ちゃん、行ってきます」

 

 そんな思考はさておいて、私は狩人の夢のとある墓石の前で人形ちゃんに別れの挨拶をする。彼女はお辞儀をした後、小さく手を振ってにっこり笑った。

 

「行ってらっしゃい、狩人様。貴女の目覚めが、有意でありますように」

 

 そんな彼女に私も手を振ると、ローファーの爪先をトンっと地面に押し付けて整え、転送した。

 そう。今日、私は自分の知る限り初めて学校へと行く。昨日の今日で随分と準備が早いが、その辺はまぁ上位者的な力で上手いこと調整して見せた。姿なきオドンがあの男を無意識的に操っていたように、私もまたあの世界の役人どもを支配し、都合の良い様にでっち上げて見せたのだ。

 これから向かう見滝原中学校に想いを馳せる。ああ、きっと若くて美しい乙女達が大勢いるのだろう。まどかもさやかも、そしてマミも。皆が美しいのだから、その友達も美しいに決まっている。

 

 やはりウィレーム先生は正しい。学び舎は学問と百合を育てる場所。彼はヤーナムにてその事実に辿り着いたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後方に座るまどかを見つめる。彼女達は私の視線に気がついている様で、まどかはやはりたじろきながら、そして美樹さやかは何を吹き込まれたのかこちらを警戒して睨み付けている。

 私はそんな二人の存在を懸念しつつ、昨日の出来事を振り返る。何にせよ、特大イレギュラーが発生したのだから、気が気でなかった。

 キュゥベえを仕留めきれなかったのに加え巴マミまで出て来てまどか達と接触してしまった。挙げ句の果てにあの百合の狩人とかいう不審者……彼女が一体何者であるにせよ、見逃しておくには情報が少な過ぎた。

 今までこんな事は無かった。近隣から仲良しレズコンビがまどかを狙いに来た事は幾度かあったが、それも探ればすぐに身元が分かるような類だ。だが、あの百合の狩人という魔法少女に関しては、寝ずに情報を得ようとしても何も得られない。巴マミの家から尾行しようとしても、いつの間にか消えてしまっていた。

 

「ふぅ……」

 

 心労で溜息が出る。ただでさえやる事が多いのに、追加で仕事を増やされる身になって欲しいと、後ろで私を睨みつけるアホに恨み言を吐きそうになった。

 そうこう考えているうちに、ホームルームの時間に。相変わらず先生は彼氏に振られた事を根に持って喚いているが関係無い。私としては、今日の放課後以降の活動をどうするかを考えなければーー

 そんな、学業なんて二の次である私の耳に驚愕の事実が飛び込んでくる。

 

「今日も皆さんに転校生を紹介します!」

 

「は?」

 

 素の声で、私は言ってしまった。転校生?この時期に?ちょっと待って欲しい。確かに私も変な時期に転校してきたからその件に関しては何も言えないが、転校生?そんなの、今までのループでは無かったではないか。

 私は乱れに乱れる頭をなんとか整理して、とにかくその転校生が魔法少女問題に関わりの無い人である事を祈る。

 

「それではどうぞ!」

 

 先生の誘導で扉が開き、私の新鮮な転校生という肩書を奪っていく輩に注目した。そして今度こそ、私は精神的苦痛で吐きそうになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「転校生を紹介します!」

 

 先に教室へ入った先生がクラスメイトに告げる。私、自称百合の狩人は夢広がる学生生活に心躍らせながらその時を静かに待っていた。

 この近未来的刑務所みたいな学校は、壁がガラスになっている。そのせいで私は他のクラスメイトのオス共から嫌らしい目つきで見られたが、我慢の時だ。もうすぐ私の百合天国のための大いなる一歩を踏み出すのだから。

 先生が転校生の存在を告げたために教室が騒がしくなる。私は教室内から見えない様に秘薬を飲みながら、今か今かと待つ……男子め、女子が良いなどとほざくなよ。

 

「それではどうぞ!白百合さん!」

 

 そうして、この地での私の名が呼ばれた。私は生まれつきの良い声を用いて返事をし、扉を開ける。宇宙は教室にある!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 流れる様な銀髪をポニーテールに結い、気品溢れる歩き方でその転校生はやって来た。

 きっと日本人では無いのだろう、その顔立ちはとてもでは無いが東洋人には見えない。美しい、ヨーロッパ系の美少女だった。雪の様に白い肌に翠の瞳、胸こそは私とどっこいどっこいだが、スタイルはとてつも無く良い。女の私が惚れてしまいそうなくらいの……艶っぽさがあった。

 彼女はゆったりと先生の横まで歩くと、生徒達に正対する。そして氷の様に冷たそうな、それでいて慈悲に溢れた笑顔で言った。

 

「初めまして皆様。この度転校して参りました、白百合マリアと申します」

 

 あの白百合の狩人が、とんでもなく良い声でそう言った途端に私は半ば白眼を剥いた。

 

 

 

 

 

 

 

 名前を告げ、御辞儀をする。ちなみに御辞儀は人形ちゃんを参考にしている。すると教室がなぜだか静まり返った。

 何か悪い部分でもあっただろうか。それなりに礼儀正しくやったつもりだが……何せ人間の、しかも子供のことだ。何か気に触る事があったのかもしれない。

 だが、私の心配は杞憂だったようだ。突然クラス中から歓声と拍手が上がる。

 

「おお、素晴らしい!」

 

「ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 

 主に男子達から。中にはワカメのような髪をした女子が、キマシタワー!宇宙よ!と叫んでいる……考えたくは無いが、私を見たせいで発狂しかけているのだろうか。だとしても、関係は無いが。

 混沌とした教室を先生が鎮めると、私についての情報を語る。いや、騙る。

 

「白百合さんはイギリスからの転校生ですので、日本の土地には不慣れです。皆さん仲良くしましょうね」

 

「ええ。私、日本は初めてですから。仲良く、しましょう?」

 

 妖しげにそう言うと、ごくりと男子とワカメ女子が生唾を呑んだ。ふむ、あの女子は啓蒙が低いが見所がある。リストに加えておきましょう。

 おや、よく見ればまどかもさやかもいるでは無いか。まぁそう調整したからなのだが。そして……

 

「ふふ……」

 

 なぜか半分白目になっている暁美ほむらに笑いかける。ああ、そんな顔をしないで。綺麗な、お人形さんみたいな顔が台無しよ。いや待て、汚してこんな顔になったと考えればそれはそれで……

 啓蒙の低い邪な考えが頭を過ぎる。それはいけない。百合落ちは素晴らしいが、今私が考えたのは百合ものに男が出てくるくらいに邪道だ。ウィレーム先生は嘆くだろう。

 

「席は暁美さんの横になります」

 

 そう宣言され、ようやく我に帰るほむら。物凄く警戒している彼女の横の席に腰掛けると、お隣さんであるほむらに笑いかけた。

 

「よろしくね。暁美さん」

 

「っ……」

 

 まるで番犬のように牙を剥く彼女だが、それを無視して振り返り、かなり後ろの席にいる魔法少女候補二人に小さく手を振る。彼女達は少し困惑していたが、ほむらとは違い手を振り返してくれた。素直な少女は可愛い……ほむらも、きっとそうなる。

 

 

 さて、お昼時になればまどかとさやかと三人でお食事タイム。私の今日のお昼は人形ちゃんに作ってもらったサンドウィッチだ。食材はしっかりとこの世界で買った物で、調理は狩人の夢で行った。

 人形ちゃんは料理が初めてだったようだが、一緒に作ったから不味いという事にはならないだろう。

 

「いや〜、しかし驚いたよ!まさか白百合さんが転校生だったなんて」

 

 さやかがお弁当を食べながら言う。豪快な食べっぷりは見ていて気持ちの良いものだ……あらあら、口元にケチャップがついているわよ。舐めたい。

 

「マリアでいいよ。私も皆が一緒で驚いたよ」

 

 我ながら白々しい。今の私は狩人では無い。見滝原中学2年の白百合マリアだ。口調は変わるさ。ちなみにマリア様から名前をお借りしたが、違和感無いだろう。

 

「だから百合の狩人だったんだね〜。えっと、マリアちゃん」

 

 ああもう、まどかは可愛いなぁ。小動物のような愛らしさを持つまどかは今のところ私の百合天国リストの最有力候補だ。そのうち彼女も狩人の夢に御招待しよう。キュゥべえが見えると言うことは、啓蒙も多少持ち合わせているだろうしね。

 

 そして会話は、魔法少女の願いについて移行する。というか、マミは遠くから見ているだけで良いのだろうか。せっかく友達になれそうなのに。

 

「しっかし意外だな〜。願い事なんてすぐに決まると思ったのに」

 

 さやかが青空を仰ぎ見ながら言う。二人とも、願いはまだ決まっていないようだった。それもそうだろう、命をかけてまで叶えたい願いなど……この時代に早々ありはしない。ましてや物を知らない少女達なら。

 私はそんな、若さに溢れる少女達の言葉を、滅多に見ることのなかった青空を見ながら聞いていた。

 

「色々やりたい事考えたけど、いざ命かけるってなったらなぁ」

 

「うん……そうだね」

 

 やはり、幸せに生きてきた少女達に命懸けの狩りは荷が重い。キュウべぇは大抵の少女が二つ返事で承諾すると言うが、さやかは自分を嘲笑った。

 

「きっと、馬鹿なんだよ」

 

「へ、そうかな」

 

「そう、幸せ馬鹿」

 

 独白するように、さやかは大人びた……それでいて多感な思春期でしか感じ取れない心を持って言う。

 

「きっと珍しく無いはずだよ、命をかけてまで叶えたい願いなんて。そう言うの抱えてる人って、世の中大勢いるんじゃないかな」

 

 自らの師の仇を討った男を思い出す。彼はきっと、死んでもあの女王を殺したかったに違いない。だからこそ、見ず知らずの私を利用したのだろう。

 檻を被った狂信者を思い出す。現実の自分が干からびようが、脳に瞳を授かりたかったのだろう。

 思えばヤーナムの民は皆、死と願いは切っても切れないのかもしれない。ならば私は?百合天国を達成するまでは、何度でも死んで見せよう。きっと、かつて青ざめた血を求めていた私も等しくそう考えていたんだろうさ。

 

「だから、それが見つからない私達って、その程度の不幸しか知らないって事じゃん」

 

 フェンスを握る手に力が籠る。

 

「幸せ過ぎて、馬鹿になっちゃってるんだよ」

 

 私は立ち上がり、さやかにゆっくりと寄っていく。

 

「どうして私達なのかな……こういうチャンス、欲しい人はいっぱいいるはずなのに」

 

 そっと、外を向く彼女を後ろから抱きしめた。フェンスを掴む彼女の手を、優しく包み込む。そして耳もとで囁くように諭した。

 

「君の心は美しい」

 

 ぞわりとさやかの心を震わせる、私の声。

 

「さやか、君の言いたいことはわかるよ。君は不幸を知らず、与えられた大きな分岐に心が揺れているんだ。そうして、自己嫌悪に陥っている」

 

「そう、かな」

 

「そうだとも。でもね、さやか。もっと自分の心と向き合い給え。君の心は君にしか分からない。君が自己嫌悪を抱く事もまた、本心なのだろう」

 

 少女の心は美しい。それ故に脆いのだ。

 

「だからこそ、物事の一面だけを見ないで欲しい。君は可能性に満ちた少女なんだ。じっくり悩め、そして決めるのだ。その意思は、人間であることの証明さ」

 

 少しばかりの啓蒙を与える。彼女は純粋故に頑固すぎる。もう少し、周囲を見るべきなのだ。

 さやかは身震いした後、落ち着いたように頷いた。まどかはちょっとヒヤヒヤしながらそれを見ていたが……大丈夫、彼女が百合に落ちる時は、君もまたそうであるから。

 

「さて。それでは是非とも魔法少女の先輩である君にも御教授願おうか」

 

 不意に私は屋上玄関に視線を向けて語った。そこには漆黒の闇……ではなく、黒が似合う暁美ほむらが神妙な面持ちで立っていたのだ。

 それを見たさやかの行動は早い。曰く、ほむらはまどかをつけ狙っているらしく、いち早く彼女を守るように動いたのだ。私はまたベンチに腰掛け、足を組んで彼女を見据えた。

 

『大丈夫』

 

 警戒するさやかに、遠くから見守っていたマミがテレパシーで語った。やはり私の啓蒙は魔法少女の脳波ですら読み取れるようだ……素晴らしい!

 というかマミよ、狙撃に自信があるのか知らないが、君もこちらに来たらどうだね。

 

 こちらに歩み寄るほむら。私とマミのいる位置を目だけで一瞥した後、さやかの言葉で足を止めた。

 

「昨日の続きかよ」

 

「いいえ、そのつもりは無いわ。そいつが鹿目まどかと接触する前にケリを付けたかったけど……今更それも手遅れだし」

 

 ほむらの心の奥に暗い炎が陰る。その炎で炙るのは、言うまでもなく。

 

「で、どうするの。貴女は魔法少女になるつもり?」

 

 ほむらはまどかに問いかける。しかしまどかは狼狽えるのみ……しかしまぁ、物の言い方がなってないな、彼女は。数多の可能性の内に思いやる言葉すら薄れたか。

 

「あんたには関係ないでしょ!」

 

 騎士であるさやかが吠える。それを無視して、再度ほむらは問う。

 

「昨日の忠告、覚えてる?」

 

「……うん」

 

 それを聞いていくらか安堵したのか、ほむらは瞳を閉じて踵を返す。

 

「ならいいわ。忠告が無駄にならない事を祈ってる」

 

 去り際に言うと、今度はまどかが意を決して問うのだ。

 

「ね、ねえほむらちゃん!ほむらちゃんはどんな願い事をして魔法少女になったの!?」

 

 問われると、ほむらは歩みを止めて振り返った。その表情は冷徹なままだが、確かに私には燃えたぎる熱意をかんじられる。ほう……君もまた、私と同胞なのか。分かるよ、まどかは甘い物だ。

 ほむらはそれから何も言わずに屋上を去る。残された私達はその姿をただ見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、喫茶店。私達、魔法少女見習い及び狩人はこの後に控える狩りのために集合していた。少女的に言えば、まさしくお茶でしかないのだが。

 しばらく雑談し、お茶とお菓子を楽しむとマミが言った。

 

「さて。魔法少女体験コース第一弾、張り切っていきましょうか。準備はいい?」

 

 マミがそう言うと、さやかはバッグから金属バットを取り出す……それを見てマミと私は苦笑いした。

 

「何もないよりはマシだと思って!」

 

「まあ、そう言う覚悟は大切だと思うわ」

 

 張り切るさやか。私は少し真剣に考え、そして彼女を観察した。それをどう受け取ったのか知らないが、さやかはさっと身体を手で隠す。

 

「……君がどう思ったのかは聞かないでおこう。しかし、それで狩りに挑むのはいささか無謀だね」

 

「うわ、またマリアの口調が変わったよ」

 

 狩人モードの私に少し引いているさやかを置いておき、私の思考は自らの夢の武器庫にアクセスする。夢を見れる狩人は、そこに必要なだけ物をしまっておける。それを使ったに過ぎない。

 そこから私はとある武器を取り出す。レイテルパラッシュ、と呼ばれたシンプルな仕掛け武器である刀剣だ。

 

「これを使うといい。君は運動が得意そうだから……」

 

「ちょ、ちょっと白百合さん!しまって!」

 

「あ、ああすまない……つい地元のように武器を出してしまった」

 

 慣れというのは怖い。いつも当たり前のように武器を持っていたから、現代日本という武器の取り扱いに厳しい環境には慣れていないのだ。学校でも、手ぶらな状態では落ち着かない物だった。

 私は急いでレイテルパラッシュをしまうと、しょぼくれたように縮こまった。

 

「あはは……ま、まぁ私のこと考えてくれたんだもんね、ありがと」

 

 さやかにフォローされる。そんな自分が情けないが……

 

「ま、まどかは何か持ってきた?」

 

「わ、私は……衣装だけでもと思って」

 

 そう言ってまどかは鞄からノートを取り出す。そこに描かれていたのはファンシーな魔法少女姿の私たちの絵……

 それを見て、さやかとマミは苦笑いする。少女達からすればこの絵はあまり好ましくないのだろうか。だが、私は……

 

 急速に啓蒙が高まる。一種の、カレル文字にも似た作用が私の体内にもたらされた。脳に刻んでもいないのに、脳の瞳が震える。絶頂にも似た多幸感が私の身体を襲ったのだ。

 全身の血管から血の槍が伸びそうになる錯覚をおぼえ、しかし不快なものではなかった。

 

「か、か……」

 

「か?」

 

 震える私を皆が見つめる。

 

「可愛いぃいいいい……ああまどかぁ、貴女は、君は、可愛いのねぇえええ!!!!!!」

 

 宇宙を見た気がした。ただの落書きにしか見えないこの絵に、私は確かに百合の宇宙を見た。

 まどかの手を取り、私の頬に擦り付ける。

 

「ああ、この手が宇宙をもたらしたのね……美しいわ……」

 

「ひゃ、ま、マリアちゃん!?」

 

「ちょっとあんた何してんのさ!私の嫁から離れろー!」

 

 まどかの手をとる私を引き剥がそうとするさやか。そんな我ら百合の子孫たちを見て、マミは今後が不安になりつつも苦笑いした。

 




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狩人

誤字報告助かります。


 私達四人はわずかに残った魔女の反応を頼りに街を練り歩く。夕暮れ時、理由はそれぞれだろうが人はそれなりに闊歩していて、これから訪れる夜に怯えるような気配はまるでない。

 やはりヤーナムこそが異常だったのだと私は再認識した。人々は家に閉じ籠り、余所者を迫害する。罵声を浴びせ、そのまま死ねと。この街にはそんな景色は一切ありはしなかった。

 

 マミによれば、魔女は人の生命力を奪う事を目的としているらしい。理由はよくわからないが、魔女は事故や争いが起きやすい場所や、治安の悪い路地裏などで出現しやすいらしく、時に病院などでも悪さをするらしい。確かにいくら生命力が弱くても、死にかけの人間を狩るほうがやり易い。

 さやかはそんな悪い魔女を止めるマミの邪魔をするほむらについて悪口を言っていた。これは本人達が気が付かなければならない事だが、ほむらからすれば君達が邪魔者なのだろう。

 

「そういえば、マリアって結局魔法少女ではないんだよね?」

 

 不意に、たまにやたらと鋭くなるさやかが問いかけてくる。私は頷いて、

 

「そうだね。私はただの狩人だよ」

 

「よく分かんないけど……なんであんたは魔力が無くても魔女と戦えるのさ?」

 

 それはマミも知りたいようで、先導する彼女は意識を私たちの会話に向けている。

 

「きっと、呪いさ」

 

 そんな、夢も希望もないような回答にさやかは少し引いていた。まだ啓蒙の低い彼女のために言葉を足す。

 

「そうさね。私達狩人は古くから……魔女のような人ならざるものと戦い続けてきた。積もり積もった怨嗟が、きっと私達を呪ったんだろうね。今では私のすべては呪われている。結果的に魔女を相手取れるようになったけれど」

 

 そう説明すると、さやかは黙った。きっと思った以上にどろどろとした表現と内容だったからに違いない。

 詳しくは違うのだろう。我ら狩人は血の医療のせいで通常の人間とはかけ離れている。遍く血の遺志を集め、自らを人から遠ざける。それに加え、上位者を屠るのだ……それは見方を変えれば、神殺しと同罪。

 罪は罰せられなければならない。古狩人達が、あの悪夢で終わらない狩りに勤しむように。私達の罪もまた、力となり、枷となる。

 

「……ねぇ白百合さん。狩人の事は大体分かったわ。それでいて一つ聞かせて欲しいの。貴女はいつも一人で戦ってきたのかしら」

 

 先を行くマミが、ほんの少し頼りない背中を見せて言った。その意味は私の脳の瞳を持たずしてもよく分かる。

 

「君と同じさ。戦いでは稀に協力してくれるものもいたが、基本は孤独。一人で狩りを全うしていたよ……まぁ私の場合、住処には家族とすっとボケた振りをした爺さんがいたけれどね」

 

 夢にてお留守番をする人形ちゃんと、狩りになるとやたらアクロバティックになるゲールマンを思い出す。かつて私が狩りを繰り返す前に対峙した際、とんでも無い数殺された。最初の狩人は伊達では無い……が、今では一撃も喰らわずに彼を狩り殺せるようになってしまった。途中で叫ぶ時間が長過ぎるのが敗因だろう。

 

「そう。貴女にはいるのね……家族が」

 

 マミから少しばかりの失望を感じる。あぁ、マミ。そんなに悲しそうにしないでおくれ。家族が欲しいのなら、もうすぐなれるさ……だからそんなに悲しまないでおくれ。

 すっかり辛気臭い話になってしまった。やはり夜が近づいているせいか。通常の人間は、夜がやってきて心の底から喜ぶ人間はいないだろうから。

 

 魔女の気配が近付く。どうやらここは廃ビルのようだ……人がいないのは幸いだ、救出する手間が省ける。

 仲間と狩りをする上で面倒なのが、仲間の心配をしなければならないという事だ。今回は戦闘に慣れていないまどか達がいる……更なる非戦闘員がいなくて良かった。まとめて殺してしまっていたかもしれない。

 

 だが、不意に私は誰かの悪夢を感じた。ありふれた悪夢だ……悪夢の本場ヤーナムから来た狩人としてはこの程度悪夢にもならないが、きっと幸せなこの世界では悪夢なのだろう。

 気掛かりなのは、この悪夢は誰かによって手が加えられているという事だ。安っぽい悪夢の上から、更なる悪夢が上塗りされていると言った方がいいだろう。

 

「あ、人が!」

 

 と、悪夢に気を取られている私をさやかが正気に戻した。彼女が指差す廃ビルの屋上を見上げれば、人間が一人自由落下をしてきていた。メンシスの悪夢で足を滑らせた私と似ている。

 やはり、正義の味方は私では務まらない。ただ眺めていた私とは違って、マミは瞬時に変身するとその可憐な姿で降ってきた人間をキャッチして見せたのだ。

 素晴らしい!あれがマミの魔法少女姿か!黄色を基調としたドレスだが、あれはどちらかと言えば歩兵のような服装だ。

 もちろん魔法少女であるから可愛らしい事この上無い。それでも、腹部のコルセットは内臓攻撃によるダメージをいくらか減らせる作りになっているし、何よりあのベレー帽がマミにぴったりフィットしているのだ!ふわっとしたスカートも、啓蒙曰くチラリズムという興奮作用を齎す。

 

 マミに駆け寄る二人に遅れて歩いて近寄ると、彼女は落ちてきた女性の首元につけられている印を見て言う。

 

「やっぱり、魔女の口付け……」

 

 先程マミが言っていたが、魔女はターゲットにした人間に魔女の口づけという印を残すのだという。それを付加された者は、自殺や殺人、とにかく魔女にとって都合のいい行動をするようになると……

 まるで獣だ。やはりどこの世界でも、獣は姿を変えて存在しているのだ。

 ならば私の役目は変わらない。獣を狩り、殺し、根絶やしにするのだ。そこに区別は無い。獣に問わず、人に仇なす害虫は潰さねばなるまい。

 今でこそ連盟では無いが、その考えに間違いはないのだ。

 

「この人は……」

 

「大丈夫、気を失っているだけよ。……行くわよ!」

 

 まどか、やはり君は優しいね。知人か他人かは問題では無い、君はすべての人を愛し、尊重するのだろう。それが災厄を齎すとしても、君は引き返さないのだろう?

 駆けるマミを私達は追う。廃ビルの中に入ると、おかしな文字が入り口にあった。これは日本語では無い……ましてやカレル文字のように高度なものでも無い。啓蒙が囁く。あれはドイツ語だと。ただ周りくどいだけなのだ。それにしても、ファウストとは。生まれ変わって強くなったつもりか?くだらない。

 

 マミ達とビル内へ駆ける中、私も狩装束へと身を包んだ。マミほど映える着替えでは無いが……うむ、改善点だ。今度誰かしらの上位者と交信してアドバイスを貰おう。ブチ殺して隠居した月の魔物辺りで良いだろうか。彼は演出が上手いし。

 そうしてすぐ、歪んだ空間を発見する。あれが魔女の結界だろう。

 

「見つけた。今度こそ逃さないわよ」

 

 マミが意気込む。私は頃合いだろうとさやかに渡せなかったレイテルパラッシュを手渡した。わわ、と驚く彼女に軽く説明する。初めての者に技量が必要な仕掛け武器は難しいだろう。

 

「もし遠距離を攻撃したいなら、そのトリガー付近を握れ。変形する……相手に向けてトリガーを引けば一発は撃てる」

 

「ちょ、さやかちゃんにはちょっと難しいぞ!?」

 

「大丈夫さ、君は剣技に長けてそうだからね」

 

「そうは言っても……おおっと変形したぁ!?」

 

 ガシャン、ガシャンと武器を変形させて遊ぶさやか。凄いと驚くまどかに、彼女用にも選んだ武器を渡す。それはどこか、湖にも似た青いガラスの盾。名前はそのまま湖の盾だ。

 まどかは湖の盾を受け取ると、その美しさに目を奪われた。少し神秘が強すぎただろうか。

 

「きれい……これは?」

 

「湖の盾、と呼んでいる。もし魔法が飛んできても、それなら耐えてくれるはずだ」

 

 まぁ多少は痛みも感じるが、死ぬほどでは無いだろう。彼女はそれを大事に抱き抱え、さやかと共に結界へと乗り込む決心を付けたように思えた。心構えはもう良いだろう。下手に先延ばししてしまっても、それはそれで躊躇う理由を与えてしまう。

 そしてマミを先頭に、二人が結界へと突入していく。私は結界に触れようとして、後ろを振り返った。

 

「君は行かないのかい?」

 

 入り口で、隠れるように佇む暁美ほむらに語り掛けた。彼女は相変わらずのポーカーフェイスでただこちらを見ていただけだったが、私が行こうとすると一言尋ねた。

 

「貴女の目的は何?」

 

 その質問に、私は振り返らずに答える。

 

「君が本当に望むこと」

 

 それだけで、今は十分だ。今の私たちに言葉は必要無い。狩人は狩人らしく、狩りに没頭すれば良い。それが良い狩人の条件だから。君もそうしてきただろう、ほむら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結界内では昨日私が惨殺した魔女の使い魔達が所構わず襲い掛かってくる。それをマミが先頭に、私が二人を守るようにして進んでいく。

 さすがのマミも守りながら進み戦う事に慣れていないのか、後方から迫る使い魔には反応が遅れ気味だった。私は獣狩りの散弾銃でそれらを撃ち落とし、近い敵には落葉で斬撃を見舞う。ちなみに私が落葉を使う最大の理由は、私自身が技量に特化した狩人であったからだ。

 今?フッ、もう全部カンストしてしまって筋力や神秘まで同等だよ。血の意志は人形ちゃんを着せ替えるために使者から服を購入するとき以外使わない。あと修理。

 

「マミ、二人の事は私に任せておくと良い」

 

 使い捨ての長銃で進路上を撃滅していくマミに言う。

 

「それは頼もしいわね!」

 

 マミも少しは私に対する警戒が薄れているのだろう。背後のことは言わずとも任せっきりにしてくれていた。

 ベテランを自称するマミの戦闘力は凄まじいものだ。動きのとろい相手には銃撃を、素早い敵にはリボンによる拘束を、近づかれるなら打撃を、数で押されるならすべてを用いる。彼女ほど完成されている狩人ならば、死なずに悪夢の辺境くらいまで辿り着けるのでは無いだろうか。聖杯は無理だ、あそこは死ぬのが前提だから。

 

「この!この!近付くなって!」

 

 運良く寄ってきた使い魔に剣を振るうさやか。ああ、やはり戦いを知らぬ者に剣は早かったか。彼女は一心不乱に引け腰で剣を振っているだけだ。使い魔は痛がっているが、死ぬほどでは無い。

 

「落ち着け。まずはイメージするんだ。そうだね……格好良い、剣士になったつもりで剣を振るってごらん」

 

 彼女には詳しい事を言っても難しいだろう。直感的な教えをもって導く。ゲールマンよ、やはり助言とは難しいものだな。心底説明が苦手な私が助言者にならなくて良かったよ。

 

「よ、よーし!」

 

 さやかは剣を構え直す。うむ、先程よりはよっぽど良い構えだ。後ろではまどかがキュウべえと盾を構えて応援している。

 そうして、にじり寄ってきた使い魔を縦一閃してみせた。勢い良く振り抜かれたレイテルパラッシュ……それを振るう姿は、騎士に見える。ふぅむ、あのレイテルパラッシュ、幾度目かの夜で使ったせいか少し呪われているな。きっと僅かな呪いが良い方に傾いたのだろう、さやかの身体をサポートしてみせたのだ。

 

「ど、どうだ!さやかちゃんもやる時はやるもんね!」

 

「す、すごいよさやかちゃん!」

 

 と、そんな中キュウべえは首をこちらに向けてテレパシーを飛ばしてくる。

 

『あれ呪われてない?』

 

「……そういうこともあるさ」

 

 人は少なからず呪われているものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キュウべえ曰く、ここは魔女の結界の心臓部らしい。道理でだだっ広い空間であるはずだ……こういう開けた場所は一際大きな獣が出ると相場が決まっている。そこはヤーナムも見滝原も変わらないらしい……都合が良い、これからの狩りに繋がるのだから。

 そうして、使い魔に囲まれたおかしな生き物が姿を現す。マミのそれを見る目の色が変わった。ああ、それこそ私が少女に求める要素の一つだ……狩人の瞳。

 

「見て、あれが魔女よ」

 

 まるで蛞蝓だ。背中に蝶のような翼はあるものの、おどろおどろしい姿は変えられぬ。薔薇が好きなのか身体の所々にそれが備えられており、不快な景色に一役買っている。

 私は、脳の瞳を震わせる。あんな恐ろしい化け物を見たいのでは無い。私が見たいのは、本心。その美しくも醜い少女の心なのだ。メンシスの輩のように、脳に瞳を、という言葉を額縁通り受け取るほどアホでは無い。

 

 GERTRUDE

 薔薇園の魔女、ゲルトルート

 その性質は不信。彼女は薔薇が愛おしいがために人を信じられず、また自らを愛してくれない人間に絶望した。薔薇の美しさこそ自らの証であり、その維持のためには人の命など取るに足らないものであろう。

 

 一人の、健気な少女が瞳に映る。長い髪の、薔薇を愛せど人の心は愛せなかった哀れな少女が。ああ、可哀想に。君は願いによって美しくなった自分が愛されるのがたまらなく不快だったんだ。

 だって、それは本当の君では無い。本当の自分を愛してくれない人間が信用できなかったんだろう?本末転倒とはこの事だ。

 

 でもね。私は愛せるよ。本来の君も、飾らない君も、美しい少女なのだから。

 だから君の血の遺志を、私に頂戴?私の夢に、君を呼ぼうじゃ無いか。そのために私は今、でっかい蛞蝓になろうとも他世界に侵入して新たな夜を迎えないようにしている。

 さぁ、おいで。大丈夫、私の天国では不信などないさ。

 

 

 

「どこの世界も獣だらけ」

 

 私は呟く。それを聞いていようがいまいが関係はない。まどかはこちらを振り返ったが、それを押し除けるように私は前へと出る。そしてマミと並ぶと、落葉を両手で握り、分割した。

 マミはそんな私を訝しむように見た。きっと私の身から溢れ出る呪いに反応しているのだろう。仕方あるまい、狩人は呪いを背負うものだ。

 

「殺し尽くさねばなるまい……獣であるなら……汚らわしい蟲ども……」

 

「私が前衛に出るから白百合さんは……」

 

 マミが何を言おうが関係無い。私は一人、魔女が待つ舞台へと先行する。刻むカレル文字は獣、爪痕、左回りの変態。

 高い場所から飛び降りたが、獣のカレル文字によって足に負荷はまったく掛からない。そして左回りの変態により高められたスタミナを頼りに、未だ薔薇を丁寧に扱うゲルトルートへと駆け出した。

 

「白百合さん!?」

 

 私の先行に驚いたマミも続けて来るが、その頃には迎撃してきた使い魔によって彼女は足止めを食らっていた。

 そして私は魔女のすぐ手前まで迫る。ようやく彼女も私の存在に気がついたらしく、酷く慌てたように手にしていた鋏を投げつけてきた。

 

「危ない!」

 

 まどかが叫ぶが、私は難なく横ステップでそれを回避するとゲルトルートの脚であろう部分へ落葉を振るう。高められた技量による一撃は、通常の獣であるならば一撃で真っ二つにできるほどの威力を誇る。

 だがさすがに魔女、深い傷こそ負ったものの致命傷にはならないようだ。ならば、もっと攻めればいい。

 

「白百合さん!連携して……」

 

 マミの言葉を無視して何度もゲルトルートを斬り付ける。さすがに怒った彼女はしなる触手を私目掛けて振るってきた……が。

 あまりにも遅い。獣とはこうも遅い生き物だったか。いや違う。彼女は魔女だ。彼女は魔法少女を知っているが、狩人は知らないのだ。

 ならばお見せしよう。月の香り……今は百合の狩人の狩りを。その身をもって知るが良い。

 

「〜〜!」

 

 ゲルトルートの触手を避けるどころか、逆に攻撃する。スパスパと斬られていく触手にも痛覚があったのか、あからさまにゲルトルートは痛がった。

 ここを斬るのはもういい。次は跪きやすいように腹部を斬ろう……そう考え、正面へと回る。

 

「ああもう!勝手にして!」

 

 先走る私に呆れたのか、マミは周辺の雑魚狩りに尽力した。私の邪魔をさせないために……だがマミの脳裏には、そんな自分勝手な狩人があの娘と重なる。

 かつて、自分を師と呼んでくれた幼い聖職者と。

 そんなことは考えるなと、マミは自分に言い聞かせる。今はとにかく目の前の敵を殺すのだ。

 

「はっはははッ!」

 

 狩人は狩りを楽しみ酔いしれるものだ。だが私はそれに囚われるなどと愚行は犯さない。バレリーナのように一回転してゲルトルートの腹部を斬りつける。

 伊達に私も、地底人だった訳では無い。この落葉には通常強化に加えて血晶石と呼ばれる地底人御用達の武器強化用アイテムも仕込まれている。そのどれもが呪われていてデメリットを引き起こすが、メリットの方が遥かに大きい。

 

「〜!!!!!!」

 

 そうして、裂かれた腹部を庇うように彼女はより一層項垂れた。ああ、これぞ狩りの醍醐味。内臓攻撃の時間だ。

 

「ふぅッ!」

 

 すかさず私は落葉を結合し、左手で掴む。そして空いた右腕を思い切りゲルトルートの頭へ突っ込んだのだ。

 

「うっわマジ!?」

 

「痛そう……」

 

 まどか達が魔女に同情する。それすらも無視し、私は彼女の頭の中を掻き回し、強引に引き裂いた。爪痕によって大幅に強化された内臓攻撃は容易に彼女の頭を破壊する。

 いつものように内臓攻撃によって吹き飛ばされた魔女は薔薇園の壁に激突していく。

 

「やるじゃない……私も!」

 

 傷ついた魔女を見て、マミは周囲の雑魚をリボンで一掃。すかさず大技に取り掛かる。彼女のリボンは大きな大砲となり、その砲口は未だ動けない魔女に向いたのだ。

 良い大砲だ。きっと私が持つものよりも威力が高いに違いない。少しばかり興味はあるが、あれでは狩りに支障が出るだろう。

 

「ティロ・フィナーレッ!」

 

 マミが謎の言葉を発すると、大砲の撃鉄が火薬を弾いた。

 刹那、雷鳴。砲身から放たれた巨大な弾丸はゲルトルートを覆い被すほどに。彼女を喰らい尽くす。まるでアメンドーズのレーザーだ。

 必殺の一撃は手負いのゲルトルートを殺すのには事欠かない。結果的に、私が初めて戦った魔女はあっさりと消し墨となってしまった。

 

 

 ━━PREY SLAUGHTERED━━

 

 

 そうして残ったのはグリーフシードのみ。私はそれを拾い上げると、マミへと投げ渡す。

 

「これが必要だろう」

 

 彼女がそれを受け取った瞬間、魔女の結界は消え去り元いた廃ビルへと変化した。

 ああ、ゲルトルートの血の遺志が私を巡る。君はトドメを刺したマミではなく私を選んだのだね。良い子だ……夢でまた、会おう。それまで私の人形ちゃんと仲良くしてくれ給え。

 その間にマミとキュゥベえは二人にグリーフシードの説明をする。魔女の卵……否。あれはそんな生優しいものではない。悪夢が巡り終わらぬように、絶望もまた巡り廻るものだ。そうして星の命は巡るのだから。

 マミが自らのソウルジェムを癒す。そして、それを暗闇にいるほむらへと投げ渡した。

 

「あと一回は使えるはずよ。それとも人と分け合うのは信条に反するかしら?暁美ほむらさん」

 

 そうマミが言うと、ほむらはいつもの澄まし顔でそれを受け取った。さやかがレイテルパラッシュを変形させ、銃撃モードへと移行させる。

 

「貴女の獲物よ。貴女だけのものにすればいい」

 

 ほむらは拒絶するようにグリーフシードを投げ返した。私は、それをマミの代わりに受け取る。

 ほむらとマミは……ここにいる皆が私を注視した。それはどうでもいい、ただこの絶望の卵が私には必要なのだ。

 

「……白百合、マリア」

 

「良いだろう?マミもいらない、ほむらもいらない。それならばこの絶望は私が預かろう。それで良かろう、魔法少女達」

 

 僕はそれじゃ困るけどね……とキュゥべぇが愚痴る。まぁ良いではないか。ほんの些細な報酬だ。

 マミはどうでも良さげにほむらと対峙する。

 

「それが貴女の答えなのね……」

 

 ほむらは何も言わずに去って行く。相変わらず仲が悪いのか、さやかは恨み言を言うが……構わないさ。いつか君も、私達の隣に来るのだから。そう、私の啓蒙が囁く。

 

 

 

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You Wish I'd Never Been Born
病の幼子


前話に一部加えました。ブラボらしいでしょう!


 

 少女の心は麗かで清く、そして美しい。かつて私はイズと大聖堂にて星の娘と会い、あまりの宇宙的な美しさに心を奪われたものだ。これほどまでに澄んだガラス細工のような瞳と心があるのかと。それからかもしれない。私が人である事を辞め……いや、更なる進歩を遂げたいと考えたのは。

 故に、少女の心は割れやすい。多感な感情を処理し切るには、少女の心では器として小さすぎるのだろうか。清く、美しく、しかし小さい心では溢れる呪いには立ち向かえないのだろうか。

 

 夕暮れの病室で、美しい人魚の少女は思い他人と時間を分かち合う。バイオリンの優雅で清々しい音色を互いに耳にし、今この場だけは二人の夢。

 夢は有限かつ無限である。広大な夢の中では何もかも願いが叶うものだ。しかし夢とは、悪夢ではない。巡らず、そして目醒めの時がやってきてしまう。

 この場合、少女の目醒めは思い他人の少年が音色を聴きながら石と化した左腕を僅かばかりに動かした事だった。それを見て、人魚姫の淡い恋夢は打ち破られる。

 純粋なまでに清らかな心は、その呪いに耐えきれない。いつしかのようにバイオリンを奏でたいという少年の、呪いにも似た願望は多感な少女にも伝染する。

 だから悩む。呪いを共有する者として、少年と目醒めを迎えたい者として。

 美樹さやかという健気で多感で気高い少女は、恋という呪いに支配されている。

 

 

 

 

 

 

 

 魔法少女体験ツアーも二日目となる夜。マミは異形の使者達を、自身が誇る巨大な砲でもって粉砕してみせた。そして帰路に着く彼女達は、巴マミという魔法少女のルーツを知り。美樹さやかという恋を抱く少女は自らの願いの一端を告げ、否定される。否定され、問いかけられるのだ。

 自らの願いは、果たして自らの利となるものなのか。または他人からの感謝を拝領したいが為の……恩を着せるためのものなのか。

 同時に聖女であり女神は、宇宙からの使者によって自らの魔法少女としての素質を啓蒙される。そして父に問うのだ。願いとは何なのか、夢とは何なのか。生き方とは。

 

 

 

 

 

 

 私は私で、今日はツアーに参加せずに一人街を練り歩いていた。マミやまどか達には参加できない事を告げている。今は夕暮れ、きっとマミは今使い魔を狩っている頃合だろうか。まぁ良い。魔法少女の狩りを見られない事は残念だが、それよりもやらなくてはならないことが私にはあったのだから。

 クレープとチーズをコンビニという店で買い、私は見滝原の病院へと辿り着いた。一人の、少女とはまだ呼ぶには早い幼子に会うために。

 

 瞳の囁きに導かれるまま、私はとある個室を訪れる。病室の札には可愛らしい名が刻まれている。百江なぎさ。その幼子に、私は用があったのだ。

 扉を開けると、まるでいつしかの私のようにチューブに繋がれた少女がベッドに横たわっていた。朦朧とする意識の中、少女は私に気が付かずに窓際にいる何者かと交信している。宇宙からの使者、キュゥベぇだ。

 

「やぁキュゥベぇ、契約はまだだね?」

 

 そう尋ねると、キュゥべぇは血のように赤い瞳をこちらに向け、表情を一切変える事なく言う。

 

「驚いた、まさか君がここに来るとはね。理由を聞いてもいいかな?」

 

 明らかにキュゥべぇは上位者でありながら狩人たる私を警戒しているようだった。無理もないだろうか。世界は違えど互いに上位者である事は変わらない。そして争うのは、大概同じ種族同士だ。ならばこそ、彼らは私を警戒する。

 私はようやくこちらに気がついた少女の傍に近寄り、彼女を挟んでキュゥべぇの対面へと座る。ゴツゴツとしたプラスチック製の椅子はひんやりと私の肌を冷やす。

 

「君と同じさ。魔法少女となり得る幼子に、ちょっとした助言をしにきた」

 

「まさか君まで魔法少女になるな、なんて言わないよね?」

 

 あからさまに警戒するキュゥべぇを、私は笑う。嘲り。

 

「まさか!魔法少女は尊いだろう?尊いものが産み出される事は、素晴らしいじゃないか……なぁ、なぎさ?」

 

 幼子に問いかけると、彼女は朧げな瞳で口を開いた。

 

「だれ……?」

 

 そう尋ねる幼子に、私は優しく頭を撫でた。薬で抜け落ちてしまったであろう帽子で隠された頭部を、直接素手で撫でたのだ。

 

「人はこう呼ぶ、月の香りの狩人と。だが今の私は百合の狩人と名乗っている……そして、友人達は私をマリアとも呼ぶ」

 

 幼子は答える事なく、私の瞳越しに宇宙を啓蒙した。なるほど、良い魔法少女たり得るな、この娘は。それほどまでに高い啓蒙を宿しながら……いや、死と向き合う幼子だからこそだろう、そうでなければこれほどの啓蒙を純粋に人は持ち得ない。ヤーナムであれば良い狩人になっただろうか。

 病とは、どんな時代でも恐ろしいものだ。彼女が私の瞳を覗き、その苦痛を少しでも和らげられるよう祈る。

 

「なぎさは、どんな願いを望む?」

 

 キュゥべぇの仕事を取るように、私はなぎさに問いかけた。少しばかりの啓蒙を授かったなぎさは掠れた声色で答える。

 

「一つでいいから、チーズを……最期に、食べたいのです」

 

「美味しいものね、チーズは。私も好きだ」

 

 だが、そうではないだろう。君なら分かるはずだ、なぎさ。願いを叶えられる機会を与えられ、そして啓蒙もある君ならば。

 

「でも、本当は。元気になって、お母さんに甘えたいのです」

 

「それが君の願いかい?」

 

 キュゥべぇが食い気味に言って見せた。タイミングは完璧だった。感情がほとんど無い君達がよく最初の願いを素通りして見せたと、褒めてやりたい。

 そうしてなぎさという幼子は肯く。自らの願い、それは反動として呪いを生み出すことになるとこの幼子は知りながら。それでもどうしても叶えたい願いは、叶えるべきだ。

 青ざめた血を求めた私のように。狩人の悪夢で、真実を知りたいがためにすべてを犠牲にした私のように。それが、彼女には赦される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 胸が騒つく。そこまで野生の勘などには強くはないと理解はしているが、大概こう言う時は良くない事が起こる前兆だと人は言う。論理的で冷徹なほむらは、現れるであろうお菓子の魔女を待ちながら、そんな事を考える。

 ほむらは知っている。今日、この病院にてお菓子の魔女が産まれる事を。弱々しい少女が契約し、その直後に絶望し、消え入るようにグリーフシードを経てから危険な魔女に至ると。

 だがその兆候がまるで無いのだ。

 

 道路を挟んで向かい側のビルの上から、狙撃用の小銃に備え付けられた眼鏡を覗き込み、グリーフシードを探す。本来ならばある場所を中心に、見える範囲を探して。

 ふと、眼鏡の端に見知った少女達が映った。桃色の髪を結んだ鹿目まどかと、その友人であり哀れな恋心を抱く美樹さやか。そして、今最も危惧しているイレギュラー……白百合マリア。その三人を。

 

「白百合マリア……」

 

 その存在は、未来の可能性を身を以て体験してきたほむらからすれば異常とまで言える。魔法少女では無いのにも関わらず魔女と戦える未知の戦闘能力と、一部の少女達が持つキュゥべぇが見える……所謂、魔法少女としての素質を兼ね備えたイレギュラー。そんなもの、彼女は知る由も無かった。

 あるいは、こう言えば多少なりとも考察する余地はあったのだろうか━━上位者と。

 耳を澄ませば、魔法少女の聴力は離れた場所にいる三人の会話を傍受できる。

 

「いや〜わざわざ会いに来てやったのに失礼しちゃうわよね〜」

 

「残念だったね……上条くん、体調よく無いのかな」

 

 ほむらは知っている。美樹さやかが同級生であり幼なじみである上条恭介のお見舞いに来ていて、鹿目まどかはその付き添い。であれば、白百合マリアも同様だろうか。

 

「上条くん……さやかの幼なじみだったかな?ほう、なるほどなるほど、さやかも立派な乙女という訳か。ふふ」

 

「ちょ、違うって!恭介とはそういう間じゃ……」

 

 どうやら白百合マリアは上条恭介についての知識が無いようだった。ならば、彼女は如何にして見舞いの付き添いに来たのだろうか?

 

「でもマリアちゃん、偶然だね。マリアちゃんの知り合いも入院してるの?」

 

「うん?あぁ、そうさ。と言っても、もう元気になったから退院するけれどね」

 

 知り合いが入院している。その情報はほむらが持ち得ていなかった情報だ。

 以前、というより彼女が転校してきた初日にほむらは白百合マリアという人物の身辺調査をしている。親はイギリス人と日本人で共に海外で働き、今は近場のマンションで一人暮らし。兄弟は居らず。親戚や知り合いも見滝原にはいなかったはずだ。

 そもそも白百合マリアという人物には不明な点が多い。産まれも育ちもイギリスなのに、わざわざ日本に来る理由がない。学業も優秀、日本語と英語を使いこなし、イギリスでは優秀なお嬢様学校に入学していた……

 にも関わらず、彼女はわざわざ都心から離れた見滝原という地の至って普通の中学校を選んだ。

 

「一体何を考えているの……」

 

 故にほむらは危惧する。噂によれば、彼女は狩人と呼ばれる魔法少女にも近い存在らしい。そんな不審でしかない彼女が、あの二人に良い傾向を齎すなどとは考えようがないのだ。

 

 と。不意に彼女達の頭上の窓が開いた。三階の、確か個室だったはずだ。そこの窓が開かれて一人の少女が天真爛漫に手を振ったのだ。

 

「マリア〜!またチーズを持ってくるのです!」

 

 眼鏡越しに映った光景が信じられなかった。銀髪の幼子……百江なぎさ。お菓子の魔女となる、末期の小児癌の患者である彼女が、まるで病気などしていないように手を振っているのだから。

 そんなはずはない。どの世界でも、彼女は末期癌で、頭髪は抗癌剤で抜け落ち、立ち上がる元気も最早無かったのだから。そしてチーズを一つ食べたいという哀れな契約をし、お菓子の魔女と化す。そんな末路が待っている幼子なのだ。

 

「今度は退院してから会おう、なぎさ」

 

 幼子に気を取られている隙に、白百合マリアが彼女に小さく手を振る。そして、なぎさの振る手に、正確には薬指に取り付けられた指輪を見て確信する。あの狩人が、彼女を魔法少女に仕立て上げたのだと。

 

「〜!」

 

 即座に眼鏡の十字線の中心を白百合マリアの頭部と重ねる。そして引き金をゆっくりと絞っていく。

 最早イレギュラーどころではない。彼女は敵だ。少女を魔法少女へと変えてしまう、悪しき宇宙の手先だ。それを許すわけにはいかない。

 

 だが。ほむらは知らない。宇宙を覗き込んだ先に何があるのかを。そしてまた、宇宙を覗けばまた、宇宙も彼女を認識しているのだと。

 

 目が、合った。少なくとも数百も離れている距離から、あの冷血で冷酷な狩人は、ほむらを見ていた。寒気のするような笑みを浮かべ、まるでほむらを狩の対象とするような、そんな気配を醸し出して。故に、宇宙悪夢的な瞳はほむらを狂わせる。

 

「〜、つぁ!」

 

 湧き上がるように、沸騰するように血が滾り、少女の身体では抑えきれずに溢れた血が瞳から涙のように溢れた。すぐさまほむらは小銃を盾に収納し、その場を離れる。全力で、ひたすらに逃げるように。

 狩人?一体彼女は何を狩ってきたのだ。魔女ですらない。そんな、少女如きの呪いで済むものではない。もっと業が深い何かを、彼女は狩ってきたのだと。

 

「はぁ、はぁ、はぁ!」

 

 息を切らし、それでも精神を落ち着かせるようにほむらは逃げる。そして決意もした。

 彼女は排除しなければならない。でなければ、鹿目まどかが危ない。きっと奴は彼女の素質に気がついている。気がついていて、法則を曲げてまで転校してきたのだ。

 神秘に触れた魔法少女は、故に狩らなければならない。あの狩人を自称する悪魔を。だが悲しいかな、その神秘を理解するには人の身では啓蒙が足りないのだ。━━魔法少女とて、私からすれば人の子だろう?

 




なぎさの設定は考察を見て流用したものです。合ってるかどうかは啓蒙が低いのでわかりません


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三日月

戦闘回


 

 

 ━━どこもかしかも獣ばかりだ……貴様もどうせ、そうなるのだろう?

 

 得物を獣の死体から引き抜き、およそ神父とは思えぬ外套と帽子に身を包む男が呟く。目には古びた包帯が巻かれ、それはまるで人の身に潜む何かを目にしないようにと覆い隠しているようだった。

 

 神父はーーと言っても、ヤーナムでは神父という役職は無く、その通り名は彼が余所者であることの証であるーー寒空に白い吐息を吐き散らす。まるでその白さが、僅かばかりに残った彼の人間性とでも言わんばかりに、彼は血に、狩りに……何よりも、自らの獣性に呑み込まれていた。

 例え愛する者が目の前にいてもそれは変わらなかっただろう。所詮、獣は獣だ。人間性など糞と共に吐き出してしまったに違いないのだから。

 だから、神父は気が付かない。その頭上、屋根の上には彼が自ら殺めた愛おしい者が無残にも亡骸と化してしまっている事を。

 そして、そんな獣へと身を堕とした者を狩るのは私。狩人なのだ。故に私は武器を取らねばなるまい。それこそ、古き狩人への餞別なのだから。

 

 ━━匂い立つなぁ。たまらぬ血で誘うものだ……えづくじゃないか……ハハハ、ハッハハハハハッ!

 

 狩人は狩りに優れ、無慈悲で、血に酔っていなければならない。それを履き違え、呑み込まれた挙句獣へと身を落とすなど……哀れだよ、神父。貴方にはまだなすべき事があるだろうに。それすらも血と共に流れ落ちたか。

 私は血に酔いしれ、されど人は忘れぬ。狩人なのだから。

 月の香りを振るわせながら、私は醒めることのない悪夢へと降り立ってしまった者を狩る。

 

 それは、私が初めて彼と対峙した時の思い出だった。

 

 

 

 

 

 

「確かに……どこもかしこも獣だらけだ」

 

 闇夜を照らす月光を浴び、私は背後で息を殺し近づく者に呟いた。まだ月は満ちておらず、三日月が僅かに姿を現すのみだがその姿のなんと美しいことか。

 ヤーナムでは見られない。血のように赤い月、それすらも幾度の繰り返しの狩りで見慣れてしまっていた私にとって、あの力なき月は余りにも魅力的だった。

 

 私は振り返らず、ただ月を見上げながらほむらに問いかけた。

 

「君もまた、既に獣なのかい?」

 

 ほむらは立ち止まると、右手に携えた拳銃をこちらに向ける。その拳銃は、無骨で、機能的で、殺意に満ちていて、されど僅かな美しさを持つが獣狩りには適さない粗悪品とでも言えようか。

 彼女は冷酷な中にも確かに熱を帯びた使命感と、僅かながらの恐怖心を瞳に抱きながら私を見据えている。

 

「貴女を排除するわ、白百合マリア」

 

 私は腰掛けていた外灯の上で立ち上がると、振り返って彼女を見下ろした。ほむらの感情が手にとって分かる。彼女は、月夜に照らされ影となる私の姿を見て悪魔を連想したようだが……それは違う。私は狩人で、それ以上でもそれ以下でもない。ただ、乙女達が愛おしい、偏愛を抱くだけの狩人なのだ。

 私は人形の服の外套を翻し、落葉を夢の中から取り出す。かつては真のマリアの持ち物であり、しかしその心弱さ故に井戸へと投げ捨てられた一振りの仕掛け刀。

 

「だから奴らに呪いの声を。赤子の赤子、ずっと先の赤子まで……」

 

「私の心を代弁するのは辞めなさい……狩人」

 

 心を覗かれるのがそんなに怖いことだろうか。否、心とは宇宙である。宇宙とは誰のものでもない、ただあるのみ。海と呪いと同じように、宇宙もまた底は無く、故にすべてを受け入れるのだから……その事実から目を背けるなかれ、私と同じく時を繰り返す同胞。

 海のような笑みを彼女に向けると、ほむらの背筋が凍った。だが知らねばなるまい、そして狩らねばなるまい。彼女からすれば、私は宇宙の使者と同じく獣なのだから。

 

「百江なぎさを契約させたわね。どういうつもり?」

 

「……ほむら、君は天国を見たことがあるかね?」

 

「は?」

 

 ほむらは訳がわからないと言うように、顔を顰めた。それでも私は構わずに言葉を連ねる。

 

「そこはまさしく、すべてを受け入れる……愛も、憎悪も、呪いさえも。私はあの漁村に、確かに天国を見たのだ」

 

「それが何か関係があるのかしら」

 

 あるとも。私は静かに笑いながら彼女に諭す。

 

「魔法少女も狩人も。同じく呪われている。私はただ、彼女達の燈となりたいだけさ……闇夜の陰りに、しかし確かな安らぎと導きを。それだけなのさ」

 

 されどほむらは分からぬ。啓蒙低き人の身で、否魔法少女の身では、超次元的思索へと辿り着いた私の願いは分からぬ。

 狩人もまた、そういう存在だ。宇宙的思索に身を置く上位者と戦うだろう。それは、理解が足りぬ証拠。人とは、ただ啓蒙を集めれば良いわけではない。考え、理解し、対話することが大切なのだ。そしてその次元に辿り着いた人間もまたいる。ウィレーム。ビルゲンワースの学長である彼は、人でありながら上位者たる。

 ならば私は如何にして狩りを全うするのか。獣のみならず、今となっては同胞の上位者までをも狩り取るのだろうか。

 

 決まっている。それは私が、上位者であり人間であるからに他ならない。私は、人間であり上位者なのだから、獣を狩ることも、上位者を殺すこともする。逆説的に、人を殺め、思索することもある。それだけなのだ。

 

「そう。話は無駄という訳ね」

 

「解っていただろう?人間とはそんなものさ……だからこそ、愛おしくなる」

 

 右手に剣を、左手に銃を。エヴェリンを腰のホルダーから抜き取ると私は両手を広げる。かかってこいと、挑発するように。そして彼女もまた私に応えてくれるだろう。

 彼女は狩人で、魔法少女なのだから。

 

「君が刃を向けるというのならば私も礼儀を尽くそう。狩人に言葉は不要、ただ血に酔い、狩りに酔うのみ……だろう?」

 

 

  自己完結の魔法少女、暁美ほむら

 

 

 刹那、雨のような弾丸が目の前に迫る。私は瞬時に加速して街頭から飛び降りると、一瞬にして後方へ下がったほむらを追撃する。

 これで良い。本来狩人とはこうあるべきだ。私は加速し、瞬時に彼女の目の前に迫ると落葉を振るった。

 

「ッ!」

 

 ほむらはそれを見切り、バックステップで回避すると拳銃をまたしても撃ち込んでくる。誰がどう見ても、牽制でしかないそれを。

 狩人の回避……所謂ステップと呼ばれる行為は、一時的にその存在を夢と同化させる。つまり、この現実とは一瞬おさらばするということ。故にその瞬間は重要ではない。明らかに攻撃が当たる場所にいたとしても、その存在は消えるのだから攻撃もまた当たらない。

 これが、月の香りの狩人に赦された……ある種の神秘。だから斬撃でも、大きな獣の攻撃でも、前に進んで潜り抜けることが出来る。

 

 私は前にステップし、弾丸を避けるとお返しとばかりにエヴェリンをただ彼女に向けて放った。

 

「ぐっ!」

 

 狩人の射撃とは精密である必要は皆無。無論当てなければ意味はないが、こと対人ではどこに当てようとも相手の隙を作れればそれでいいのだ。

 速すぎる銃撃はほむらの理解を超えていたようだった。彼女は盾の時計を作動させると、時を止めて迫り来る水銀弾を回避した。

 同時に、彼女は私の背後へと回り……時間が動き出す。

 

「馬鹿な!」

 

 背後で驚くほむらに、私は落葉の後端に備え付けられている刃を突き刺す。だがそれを食らうほど柔ではない、ほむらはそれに反応すると、左手の盾で鋒を防いだ……が。

 如何に硬度のある盾で斬撃を防げても衝撃は打ち消せない。狩人の、血の遺志によって強化された膂力は少女如きの身体を最も容易く吹き飛ばした。

 それはそうだろう。狩人は、獲物に対して内臓攻撃と呼ばれる手刀を繰り出す事がある。いくら弱っているとはいえ、獣の硬い皮膚を容易に裂き、内臓にまでその手先を達せるのだから、弱いはずがない。

 

「ぐあッ!」

 

 いくつかある外灯にバウンドしながら激突するほむらへ、私はゆっくりと歩いて近づく。ほむらにとっては狩りであるかもしれないが、私としては手解きをしているくらいの感覚でしかない。仮に彼女がヤーナムに潜む他の狩人と戦うならば、もっと早く殺されているに違いない。

 少女が苦しむ姿は好ましくはない。それは私が百合と少女を愛する狩人だから。それにほむらは、これまで見た中でも私の心を射止めるものを持っている。傷つけてまで奪おうとは思わない。

 

「君もまた、友に呪われているね」

 

 脳震盪を起こしながらも立ち上がるほむらに、私は語り掛ける。

 

「甘いものだろう、呪いは。そうしてその身を呪いへと深めていく。人間とはつくづく、救いようがない」

 

 笑いながら、しかし私は言う。

 

「だからこそ、人間はやめられない」

 

 ほむらが盾から何かを取り出す。彼女はピンを抜くと、それを私目掛けて放った。爆弾の類であることはすぐに分かった。問題は、この程度の小さな爆弾から、それなりに距離があるにも関わらず全力で逃れようとするほむらだった。

 私は瞬時にステップで爆弾から離れる。同時に爆発。爆風と、細かな破片が私の背中に無数に突き刺さった。

 

 狩人のステップは、こういった持続する範囲攻撃に弱い。そも爆風というのは考えている以上に素早いものだ。音を超え、光に迫る勢いでやってくるそれを避ける事は容易いが、熱風が持続するのが問題だった。

 加えて、破片。これは私が予期していない攻撃だ。いかに啓蒙高い私と言えども、今の存在は人。限界がある。これが蛞蝓か異形であるならば話は変わったかもしれないが……とにかく、私は貧者の血晶石が発動するくらいにはダメージを受けた。

 

「鼓膜も破れたようだ」

 

 吹き飛ばされながらも冷静に分析し、着地する。

 

「やはり、ただの人間ではないようね」

 

 ほむらは魔力で回復したようで、先程の衝撃を物ともせずに佇んでいた。手には拳銃ではなく、少女の身体には不釣り合いな機関銃のようなものを持っている。

 

「狩人さ……なるほど、やはり文明とは侮れないものだ。ヤーナムにも同じものがあれば狩りが楽に行えたかもしれないね」

 

 そうして、輸血液を自身の太腿に刺す。劇的に回復していく身体。傷口に刺さった破片など、治る肉と皮膚がそれを押し除けて取り除いて見せた。

 そんな異形を見て、ほむらはより一層顔を顰めた。確かに、血で傷が治るとは普通考えられないだろう。しかし、ヤーナムとはそういうものだ。

 

「さて、ほむら。私に傷を負わせた褒美だ。一つ質問を赦すよ」

 

 両手を広げ、敵意がないことを示す。ほむらは警戒を止めないまま、口を開いた。

 

「鹿目まどかに手を出さないで」

 

「……命令だな。まぁ良い。それは、魔法少女にするな、という事でいいね?」

 

「ええ、その通りよ」

 

 私はふぅ、と息を吐いて言う。

 

「私は麗若き乙女を穢す趣味は無い。本人がそれを望めば別だが。元より、友人であるまどかをインキュベーターのいいようにさせるつもりもない……君も、そうだろう」

 

「……どこまで知っているの」

 

「それが質問かな?ふむ……粗方。まどかの危うさも、君の使命も、さやかの儚い恋心も、マミの孤独な仮面も、そしてインキュベーターの目的も。理解しているさ」

 

 私は、啓蒙高き上位者なのだから。

 

「なら、なぜ百江なぎさを……」

 

「おっとほむら、それは約束違いだ。質問は一つまで……今日の狩りごっこはおしまい。それについてもいずれ知るだろうね。だが、悪いようにはしないさ。私は心のある狩人なのだから」

 

 そう言うと、ほむらは黙り込んだ。そして得体のしれない化け物を見る目で私を睨む。悲しいな、君のような優しい人間がして良い目では無い。

 私は穴が空いた外套を翻すとまたしても月に背を向ける。そして狩人の確かな徴を使用した。

 

「では、また。明日学校で会おうじゃないか。ほむらちゃん」

 

 夢へと私は還る。そうして残されたのはほむらただ一人。彼女はしばらく私のいた場所を見つめると、歩いてその場から立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人形ちゃんごめん、お裁縫得意だったりする?」

 

「お帰りなさい、狩人様。お洋服が破れたのですね」

 

 狩人の夢。私は実の所、人形ちゃんとお揃いの服が爆風と破片によってズタボロにされたことに心が折れそうだった。半ベソかきながらいつものように佇む人形ちゃんにお願いする。しかし人形ちゃんは表情を変えずにただ言う。

 

「私は手先が器用ではありませんので……このみ様なら、お得意かと」

 

 そう言って人形ちゃんは夢の中の庭、かつてはゲールマンと戦い月の魔物を下した場所で白薔薇を選定している少女を指差す。栗色のボブカットの魔法少女……かつては薔薇園の魔女であった、ゲルトルート。又の名を、春名このみ。

 私はカンストスタミナをフルで使って彼女にダッシュすると、後ろから全力で抱きついた。

 

「このみちゃあああん!お裁縫してえええ!」

 

「わ、ちょっと狩人さん!?」

 

 そんな、獣狩りの夜では見られなかった光景を見て、人形は優しく微笑む。その後ろで、車椅子の上でゲールマンもまた、自らの後継者を温かいような、偏愛が篭った目で眺めたのだ。

 



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百合の狩人、ステータス※挿絵あり

本編ではなく狩人様のステータスです。一部脚色してます。


 名前━━百合の狩人(白百合マリア)

 性別━━女性、若年

 生まれ━━過酷な運命

  君の過去は過酷な試練が続いた。それには意味があったはずだが、今となっては深い夢の中に埋れてしまっている。唯一残されたものは古めかしい指輪のみである。

 

 外見━━生まれながらの流れるような銀髪と整った顔立ちが特徴的な美しい、しかしまだ少女と言える年代の女性。肌は雪のように白く、血が通っているとは思えない程だ。

 身長は160cm前半で、決して体格は良いとは言えない細身。女性らしい起伏もあまり無い。反面手足は長く、顔付きや美貌もあって人形にも見えるだろう。

 狩りに赴く際は瞳の色は赤く、まるで血に酔いしれた狩人を表すような色であるが、ヤーナムでの輸血前は不明。闇夜で光に照らされると不気味に赤く光る瞳が浮かぶ。

 

 装備、頭部━━人形の帽子

 装備、胴部━━人形の服

 装備、腕部━━マリアの狩手袋

 装備、脚部━━マリアの狩ズボン

 

 右手1━━落葉+10

  かつて時計塔の頂上で闘った古狩人マリアの持ち物とされる狩武器。カインハーストの千景と同邦となる仕込み刀であるが、血の力ではなく高い技量をこそ要求する名刀である。

 百合の狩人は井戸の底に捨てられた刀を拾い、その啓蒙で感じ取る。一人の美しい女性の、弱き心を。そしてまた、その心を尊び、愛するのだ。

 

 右手2━━ノコギリ鉈+10

  百合の狩人が最初に使者から贈られた工房の仕掛け武器。変形前は獰猛な獣の皮膚を容易に裂くノコギリとして、変形後はリーチと遠心力を利用した長柄の鉈として機能する。

 数多の使用によりノコギリは血を吸い、まるで獣の牙そのもののようである。もっとも、その牙が喰らうのもまた獣である。

 

 左手1━━エヴェリン+10

  カインハーストの騎士達が用いた独特の銃。工房の銃よりも血質を重んじる傾向が強い。

 女性の名を冠するそれを、百合の狩人は極めて個人的に好んだ。血に優れずとも、ただ人を一途に愛するが如く。そして彼女は血の遺志を血質へ流し込んだ。

 

 左手2━━ロスマリヌス+10

  医療教会の上層、聖歌隊が用いる特殊銃器。狩人の水銀弾を触媒とし、神秘の霧を放射し続ける。

 美しい娘の恩恵を受けるこの銃器は、しかし今では狩人の夢に咲く薔薇を育てるための如雨露と化してしまっている。

 

 ステータス

 体力50

 持久力80

 筋力40

 技術99

 血質99

 神秘50

 

 啓蒙60

 

 ※見滝原現界時。現代の街では神秘が薄い影響からかステータスに反映されている。本来はカンスト。

 カレル文字、月、爪痕、左回りの変態

 契約カレル文字、狩り

 

 

 

 見滝原とは別世界にあるヤーナムにて、獣を殺す狩人をする女性。血の医療を受ける以前の記憶を一切失っているために、自分自身が何者であったかなど最早分かるはずもない。

 

 百合の狩人にとっての(当時は月の香りの狩人)獣狩りの夜が始まった当初は実に誠実な狩人であり、ヤーナムの狩装束に身を包み狩りに勤しんでいた。

 使命を果たしゲールマンの介錯によって夜明けを迎えたが、それも束の間また獣狩りの夜へと時が戻る。その後も使命を果たすものの、同じく時が戻るため百合の狩人は終わる事のない悪夢に心を躍らせた。

 

 しかし30周もすると流石に飽きたのか、徐々に奇行が目立つようになる。

 とある制裁神に侵入された際に彼の独特な服装と口調に感化されてヤーナムの狩装束をやめ、独自路線を貫こうと人形の服を着出す。またこの頃から狩以外の欲求を出すようになり、人形や烏羽、そして時計塔のマリアやアリアンナ、カインハーストの女王アンナリーゼにセクハラや求婚を繰り返すように。

 時計塔のマリアには幾度と無く内臓攻撃をするよう迫り、とうとう「帰ってくれ」と懇願された。また彼女をお姉様と慕う周回もあったが痺れを切らしたシモンに殺害するよう迫られたことも。

 ゲールマンは百合の狩人が周回しているということに毎回気がついており、彼もまた時計塔のマリアへと偏愛を抱いていたので人形へのセクハラを楽しみ、覗き見していたようだ。

 そうして幾度目かの幼年期の目醒めにおいて、彼女は新たなる使命を得る。百合の、また乙女達の天国を作ること━━その冒涜的なまでに自己中心的な使命を抱き、彼女は永遠とも思える獣狩りの夜を脱した。

 

 喋り方は時計塔のマリアに影響されており、外界である見滝原や狩りに赴いている際には顕著に出る。また、ある程度高貴な生まれであったのか気品を感じさせる振る舞いをする。その反面狩人の夢では家族となった相手に本性を曝け出しているようだ。それは、永遠とも思える長い夜の夢によって凍てついた心を溶かすがためか。

 

 故に、彼女は忘れている。一体何が自身をヤーナムへと駆り立て、青ざめた血を求めたのか。古い指輪は答えてはくれない。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 




足りない部分があれば感想にお願いします。

追記 美樹さやか絶対誤字るマン


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Careful Girls, She's Eat You Up!
聖少女領域


狩人怖い
それ以上にマミさんちょろすぎて怖い


 

 

 不可思議な三角形のテーブル上に置かれたティーカップを手にする。湯気と共に、私の鼻に豊潤な茶葉の匂いが広がったのを楽しんでから、今度はカップの中の紅茶を一口含んだ。啜り、しかし音を発てず……淑女の真似事をしながら。

 そうして、目の前で同じように紅茶を楽しむマミもまた完成された淑女らしく飲んでみせる。

 

 私達はしばし紅茶を楽しむと、話を始めた。異形の二人組、その話題はもちろん少女めいた色恋沙汰ではない。それは昨日の暁美ほむらとの一件についてだった。マミは真剣な面持ちで口を開く。

 

「それで……暁美さんに襲われたのね」

 

「そんなに恐ろしい物じゃないさ。言うなれば、そうだね。あれは単なる戯れに過ぎないが。魔法少女的に言ってしまえば襲われたということなんだろうね」

 

 十分回りくどいように……しかし戦ったことを否定はしない。しかし唯一配慮するのであれば、昨日のあれは戦いなんて血生臭いものではなかった。単に、私は暁美ほむらを試したに過ぎないし、彼女もまた本気で私を殺せるなどと思ってもいなかっただろう。少なくとも、最後は。

 マミは少しだけムスッとした表情で、組んだ手の上に顎を乗せる。

 

「でも、まさか魔法少女ではない白百合さんを襲うとはね……やっぱり彼女、見滝原を手に入れるつもりね」

 

「それは魔法少女のテリトリーを、という意味かい?」

 

 私の質問に彼女は頷いた。しかし対して私はそれを少し小馬鹿にして笑う。それは間違っていると、マミにはっきりと感じ取ってもらうために。今、マミは疑心暗鬼に陥っている。私という正体不明の狩人に加え、暁美ほむらというツンケンした少女の存在がきっと彼女の記憶に眠る何かを刺激しているのだろう。

 それが何者なのかは、もう調べはついている。自らの父の言葉を偽った、あの捻くれた聖女のことに違いない。

 

「そうかな……私にはそう思えないが。まぁ良い、それは時間が解決してくれるはずさマミ。私が言いたいのは、必要以上にほむらを警戒する必要はないという事さ」

 

「随分と彼女の肩を持つのね、白百合さん」

 

 と、マミはまるで私を警戒するように言った。私は肩を竦めて笑う。

 

「可憐な少女同士がいがみ合う事が嫌いなだけさ。……なぁマミ、そんなに知らない魔法少女が怖いかい?」

 

「私からすれば貴女も十分怖いわ。得体が知れないもの」

 

「傷付くな……私はただ、マミみたいな少女と友達になりたいだけさ」

 

 どうだか、と言ってマミはケーキに齧り付く。しかしマミよ、君はいつもケーキを食べているのだろうか。少女ながら豊満な身体を持つ事に称賛はすれど否定はしないが、いくら魔法少女の活動でストレスが溜まるからと言って食べてばかりいると太る。

 ……いや、それはそれでマシュマロみたいで美味しそうじゃあないか。

 

 邪な啓蒙を振り払う。そも、啓蒙とはこのように下心を助長するものではなかったはずだ。百合に浸かりすぎて頭の瞳がおかしくなってきたのだろうか。まあ、可愛いのだからどうでも良いではないか。

 

 紅茶とケーキを美味しく頂いて、私達は2、3言葉を交えてお開きにする。そうして私が玄関を出ようとしたところで、彼女はわざわざ私を見送ってくれるようだった。

 革靴を履き、扉を開ける前に振り返ってマミと向かい合う。

 

「マミ、美味しいケーキと紅茶をありがとう」

 

「いいえ、今度は皆でお茶にしましょう。明日も体験ツアーはあるのだし」

 

 そうだね、と私は言って彼女の細い手を取る。細さで言ったら私も負けないはずだが、狩人として武器を取った時間が長かったせいか柔らかさではおよそ勝負にならないくらい柔らかい。

 マミは少しばかり驚いたように狼狽えたが、それを無視して彼女の手を私は自分の頬に触れさせた。

 

「綺麗な手だ。君の手を汚さないように、私も魔女狩りに精を出すよ……ふふ、君は友達だからね」

 

「ちょ、マリアさん……もう!男の人みたいな事言うんだから!そうやって地元でも女の子を誑かしてきたんでしょう?」

 

 顔を赤く染めるマミは美しい。そも、巴マミは美人で、清く正しい。そんな少女を赤く染めたいと思うことに性別は関係しない。ただ私は、この少女を愛しく思っているだけだ。

 私は百合の狩人。少女のためにあり、少女を愛する。私ははにかみながら……きっとまともな時のアルフレートよりもイケメンっぷりを発揮しながら言う。

 

「君の孤独を、少しでも和らげたいだけだよ」

 

 そうして私は彼女をそっと抱きしめる。身長で言えば私の方が少し上だから、私の首元で彼女は顔を真っ赤にしながら目を丸くした。

 

「マミ、私は狩人だ。魔法少女にはなり得ない。だが共存は出来るはずだ。そして、私達は友達で……戦友さ。見栄を張るのはまどかとさやかの前だけで良い。もっと私を頼って。もっと弱い所を見せて。私もマミ相手ならそうするわ」

 

「マ、マリアさん……」

 

 全部この上位者たる私にはお見通しだ。彼女がどうやって生き延びてきたのか、どうして戦いの中でも優雅たるのか、良き先輩であろうとするのか。

 彼女の孤独を埋めようとする……少女の弱い心が原因なのだ。私はそれが尊い。手に入れたい。

 

 マミはうっとりとして、しかし理性を取り戻したのか顔を逸らす。私は彼女の顎を押さえて無理矢理、けれど優しく目を合わせた。嗚呼、やはり少女は美しい。こうして頬を染めて、自らの劣情と向き合おうとする少女は特に。

 ……彼女に男性経験が無くて幸いだったという事もあるだろう。魔法少女が喪女道まっしぐらとは。先生ももしや魔法少女なのだろうか?

 

「あっ……」

 

 艶やかな声をあげるマミのおでこに、私はそっと口をつける。その意味は祝福や友情。もっとも私の齎す祝福は狩りに直結するものだろう……ヤーナムではそれを、啓蒙と言う。

 私は彼女に少しばかりの啓蒙を与える。減った分は上位者の啓智で補えば良い。腐るほど保管している……そろそろ余りを売っ払ってしまおうか。

 

「ひゃあ……マリアさん……」

 

 今まで聞いたことのないような声をあげるマミ。私も少し驚いた。いくらなんでもちょろすぎるだろうマミよ。この分ではそのうちミコラーシュや

アルフレートのような悪い男に引っ掛かりかねない。彼女が車輪を武器に戦ったり、檻を被るシーンを想像して笑いそうになった。危ない危ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「マミ、戻ったよ」

 

 巴マミ一人の部屋に、同居しているキュゥべぇが戻ってくる。粗方まどかやさやかの所にでも営業に行っていたのだろうか。赤い瞳の使者は少し疲れたと言わんばかりにソファの上に寝転ぶと、部屋の隅で震えているマミの存在に気がついた。

 

「マミ?」

 

 様子のおかしいお得意様。彼はそれを不審に思い、ソファから降りてトコトコと彼女の顔を拝もうとする……が。

 ガシッと、急にマミの両手がキュゥべぇを鷲掴みにした。きゅいっと驚くキュゥべぇに、マミは顔を真っ赤に涙を浮かべながら叫ぶ。

 

「どっどおどどおっどどどうしましょキュゥべぇ!キキキ、キスされちゃった!マリアさんに!」

 

「あーうん、とりあえず落ち着いて」

 

「無理よむりむり!私の初めて取られちゃった!きゃー!」

 

「ぎゅええええええ」

 

 強烈な抱擁でバストに埋もれるキュゥべぇ。非常に羨ましいが、彼は豊満な胸の中で窒息しかけている。彼はマミの腕を耳でタップするが、それに気がつかないマミはうっとりしたり発狂したりしながらキュゥべぇを掻き乱す。

 啓蒙は関係無く、多感な少女は新たな領域を見出そうとしていた。

 

「ああマリアさん……カッコいいわ……それにお友達って……いやでも女同士で!ああでもそれもアリなのかしら……いやでも」

 

「マ、マミ!苦し、うぎゅ」

 

 あれだけ銃弾に晒されても生き延びていたキュゥべぇは、あっさりと息絶えた。マミはそれに気が付かず、新たなキュゥべぇが死体を回収している際もずっと悶える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は、恭介にどうされたいんだろう」

 

 少女は一人悩む。それはもちろん、事故によって人生を壊された思い他人についてであることは明白だ。美樹さやかとはそういうものだ。

 もし魔法少女になって、その願いで思い他人を救済したとしよう。それで彼女は救われるのか否かは、別の話だ。

 少女が人生を棒に振ってまで少年を助けた事を、本人は知らないのだから。ならば彼女は、少年に感謝されたいのだろうか。それも否。それは少女にとって最も恥すべき事態であろう。

 騎士のように愚直で純粋な少女は悩む。自分の気持ちとも向き合えない乙女が、他人の願いを叶えるなどと愚かにも等しい。

 恋という呪いに囚われた少女は故に悩むのだ。

 

 悩み、エレベーターに乗っていたさやかは周りが見えていなかったようだ。いつのまにか見知った人影が隣にいるのだ。それはついさっき、尊敬する魔法少女を女にしてしまった狩人だった。

 

「なぎさの見舞いに来たら今度は不器用な乙女。恋は盲目とは、実に人を体現した言葉だと思うね」

 

「うひゃあ!?あ、あんたいつの間に!?」

 

 大袈裟なリアクションで驚くさやかに、しかし私は冷静に対処する。

 

「君はまず、他人を想い遣るよりも先にすべき事があるだろうね」

 

 そう言えば、彼女は何かに気がついたように俯く。わかっていなかった訳ではない。その気持ちを、さやかが心の奥底に封じ込めていただけだ。

 怖いのだろう。それを意識してしまったら、きっと今までの距離感が崩れる。だがそうしなければ人は成長出来ない。彼女には、成長してほしい。少女として。

 

「彼を助ければ報われると思うのは間違いだ。想いは口にしなければ伝わらない……啓蒙低き人間に課せられた試練さ」

 

「分かってるよ……分かってるけど……無理だよ、私には」

 

「そうかな?君の良さは、その無鉄砲な所だと思うけれど」

 

 馬鹿にしているようで、それは的を得ている。美樹さやかという少女は純粋、しかし思慮深い。そして不器用。そんな思春期の少女が目的を達成するには強みを引き合いに出すしかない。

 どこかの制裁神が神秘と策略と唇を強みにするように……いや、何でもない。

 

「君が足踏みしているようなら……私が彼を奪ってしまうよ?随分と優良物件みたいだしね」

 

「あんた……!」

 

 敵意を向けてくるさやか。私は軽く笑い、

 

「冗談さ。だがさやか、これだけは覚えておくことだ。人間とは、どんな姿になっても遺志さえあれば人間なのさ」

 

 エレベーターが止まり、目的の階の扉が開く。私はエレベーターから降りて振り返らずに、狩人から少女へと助言する。

 

「だから君、恐れるな。君は信じる者のために戦え。どんな結末が待ち受けようとも進むのだ……私はそれを助けよう」

 

「ちょっ」

 

 さやかが何かを言う前に扉が閉じる。さて、悩むのは少女の特権だ。存分に悩んで呪いと向き合うといい。どうせその呪いもいつかは解ける。その時こそ、彼女は完全な乙女となるのだから……手に入らずとも、そんな尊い存在が待ち遠しい。

 

 私はなぎさの入院する病室へと向かう。わざわざ助言のためにエレベーターを必要以上に登ってしまって日が暮れそうだが、時間的には余裕があった。

 百江なぎさの名が刻まれている病室の扉をノックし、中へと入ると彼女はいた。

 

「マリア!こんにちはなのです!」

 

 笑顔を咲かせ、こちらに手を振るベッドの上の少女は元気そうだ。抜け落ちた髪も今では元通り……インキュベーターは好かないが、契約の力は凄まじい。あれだけ病に侵されていた幼子は今ではどこにでもいるくらいに生命に満ち溢れている。

 私は手を振り、鞄からスーパーの袋を取り出す。中にはもちろんチーズ。

 

「チーズ!チーズなのです!食わせろなのです!」

 

「随分ガメツイな君は」

 

 なぎさにチーズを渡すと彼女はそれらを勢い良く食べていく。

 

「こらこら、もっと御上品に……まぁ良い。体調はどうだい?」

 

「バッチリなのです!このモッツァレラみたいにもちもちなのです!」

 

 その比喩の意味はよく分からないが、体調は良いようで安心した。私は椅子に座り、チーズを喜ぶ彼女を見つめた。

 なぎさは……結果的にキュゥべぇとの契約を完全には達成してもらえなかった。彼女の願いは、元気な身体で母の愛を受け取ること。確かに病は治り、弱り切っていた身体は元通り。しかし母親だけは……

 なぎさの母親は、既に癌で死亡していたのだ。遺伝とは恐ろしいものだ、きっと小児癌も遺伝なのだろう。

 

 願いは、少女の素質で決まる。素質とは因果。因果の弱いなぎさでは、身体を治せども母を蘇らすまでには至らなかったのだ。現在彼女の親権は祖父にある。近いうちに、その親権も譲ってもらうが。父親は大分前に彼女を捨てているのだから、今度報いを受けてもらわねばなるまい。

 

「なぎさ、お母さんに会わせられなくてすまない」

 

 そう謝罪すると、彼女は手を止める。

 

「いいのです。本当は分かっていたのです……お母さんは、死んでしまったのですから」

 

 親を亡くしたなぎさを見て、ふとあのリボンが美しい少女を思い出す。どうやっても救えなかった……あの神父の娘。そうだ、今彼女はオドン教会に避難させてある。姿なき上位者に良いようにされるのであれば、私が引き取ってしまおう。

 手段は問わないさ。少女を救う事が私の遺志なのだから。

 

「でも、マリアがいるのです。マリアはちょっと不思議ですが、当分はマリアをお姉ちゃん扱いするのです」

 

「強かだな君は……構わないが」

 

 この子は意外と強い。良い魔法少女になるだろう。そうだ、退院したらマミに引き取らせようか。彼女も愛に飢えているから、快く受け入れるに違いない。狩人の夢には……今はまだ来れないだろうから。

 沈みゆく夕陽を、なぎさと共に眺める。これから夜が訪れる……今日はどうだろう。魔女が現れるだろうか。

 結局、狩人の願望は狩を全うする事だ。近いうちに訪れるであろう狩りに、私は心躍らせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マミ、そしてなぎさ。私は死するべき少女達の因果を変えた。彼女達はまだ幼いが、使命を与えられた選ばれし少女である。それは狩人のように、暗い未来が待ち受けるであろうことは想像に難くないが……でも、良いだろう?私がいるんだからね。天国を作る、この私が。

 そうだ、天国を作ったら私も制裁神のように二つ名を変えようか。今は百合の狩人だから、白百合神とか。ふむ、ちょっと語呂が悪いだろうか。

 

 まぁ、良い。その時になったらまた考えれば……ね。

 

 そうして、私はもう一人の因果を大幅に変えることを決意する。なぁ、君もまた恋に呪われた魂なのだろう?ならばこっちに来たまえよ。君の心の奥底に潜めた想いは、しかし今のままでは成長するであろう親友に取られてしまうぞ。

 

 私は登校してくる少女の前に立ちはだかる。緑髪の、ウェーブのかかった気品溢れる少女だ。

 

「なぁ、仁美」

 

 おどけた顔で私を見つめる志筑仁美。彼女には、因果が足りない。故に魔法少女足り得ない。その結果、彼女は縛る呪い故に美樹さやかを追い詰めるだろう事は想像に難くなかった。

 ならば、与えてやれば良い。この瞳で、その啓蒙で。

 

「あら……マリアさん。おはようございます。まださやかさんとまどかさんはいらしていないのですね」

 

 私は何も言わずに近寄る。そして、制服から獣狩りの装束へと変幻させると、驚く彼女の目と鼻の先で止まった。

 

「マリアさん、その格好は……」

 

「秘密は甘いものだ」

 

 告げる。ゲールマンがそうしてきたように、私も少女達の助言者であり導き手である。

 

「だからこそ、恐ろしい啓智が必要なのさ……愚かな恋心を、昇華させるような、恐ろしい啓智が」

 

 私の宇宙が彼女の瞳に映り込む。同時に、彼女は触れてしまった。呪われた啓智を。神秘を、そして宇宙を。

 だからもう、ただの少女などと言うなかれ。彼女もまた、呪われた因果に囚われた少女の一人なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遅れそうになったまどかとさやかが駆け足気味にやってくる。どうやらさやかが遅れた事が原因らしい。まどかが若干文句を言い、さやかが謝ると。いつも通りの美しい友情。そして彼女達には、宇宙の使者であるキュゥべぇも随伴しているのだ。

 私と仁美は、そんな二人を微笑ましく迎える。

 

「いやーごめんごめん!ちょっと寝坊しちゃってさ〜」

 

「もう……ちょっと所じゃないでしょさやかちゃん」

 

 息を切らしながらまどかの頬が膨れる。可愛いな、その頬を突いてやりたい。

 仁美は苦笑いしながらもいつもの事だと流し。

 

「それでは参りましょうか……あら?」

 

 何かに気がついた。正確には、まどかの肩に乗る白き異形に。

 

「どったの仁美?」

 

「まどかさん……その動物は?」

 

 仁美が指差すは、宇宙を存続せんと契約を結ぶ使者。忌むべきインキュベーター、そのもの。まどかとさやかは驚きながら、仁美に迫る。

 

「ひ、仁美ちゃん!キュゥべぇが見えるの!?」

 

「え、ええ」

 

「ちょっとキュゥべぇ!仁美はあんたが見えないんじゃ……」

 

 問い詰められるキュゥべぇは、一瞬私をその赤い瞳で見据えた。そして告げる。

 

「どうやら彼女の素質も開花したみたいだね」

 

 驚く少女達の声が響く。そして彼はまどかの肩から降りて仁美に近寄るのだ。

 困惑する彼女に、いつものように提案する。

 

「僕と契約して、魔法少女になってほしいんだ!」

 

 

 

 

 私はそんな光景を、ほくそ笑みながら眺めていた。




仁美ちゃんも見てないでこっちきて


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誰が為に、我が為に

 志筑仁美が、魔法少女の素質に開花した。この事実を告げられたのは放課後、無人の教室に私が呼び出しを受けた後だった。

 私を呼び出し、そう告げてきたのは他でもない白百合マリア。彼女は制服を歪な程に着こなして、同じはずなのにまるで彼女だけがお姫様のドレスを着ているよう。そんな、不可思議で暴虐な程に神秘を滲ませた狩人と名乗る少女は自分の机の上に腰掛けながら。

 まるで私を嘲笑うかのように口元を緩ませていた。

 

「どういうつもり、白百合マリア」

 

 そう尋ねれば彼女はクスクスと笑い、逆に問いかけてくる。

 

「どう、とは?」

 

 私は手にした鞄に隠した9ミリ口径の拳銃をいつでも取り出せるようにフラップを開けながら静かに憤る。

 

「惚けないで。貴女が彼女にキュゥべぇを見えるようにしたんでしょう」

 

 威圧するように言えば、しかし彼女は全く動じない。サラサラとかかる前髪で瞳は見えないが、それでもあの射殺すような視線が私を突き刺しているという事は分かる。彼女は、はっきりと私を見ているのだ。

 白百合マリアは相変わらず口を緩ませたまま、しかし明確な意思を持って告げる。

 

「透き通った水に垂らす血は、いつしか薄まった血へと変わり果てる。私は志筑仁美という少女に、ささやかな贈り物をしただけさ」

 

 悪びれもせずに言う彼女に、私は堪えきれずに隠し持っていた拳銃を向けた。引き金に指をかけ、いつでも撃てるぞと撃鉄を親指で引き起こす。いくら彼女が強かろうが、変身前に私の能力を以ってすれば瞬時に殺害できる。

 前の戦闘において、彼女が私の時間停止を強制的に打ち破って見せた原理は分からないが、それでも一時的には止まっていたのだ。ならば一発くらいは叩き込めるはずだ。

 

「分かっていないな、ほむら」

 

 彼女は机から降りると動かずに私と対峙した。動じず、騒がず。しかし私の動きをじっと見詰めて。観察するように。まるで彼女が潜ってきた修羅場を思わせるような動きだったが。

 私も数多の戦いを潜り抜けてきた。前回は情報量の少なさに苦戦したが、今回はそうはいかない。

 

「狩人とは……その飾りに意味を持たない。ただ獣を狩り、狩り尽くし、そして夜明けを待つ存在だ」

 

 彼女の目が輝く。

 

 

 ━━宇宙。そう比喩するのが妥当であろう。彼女のくっきりとした二重の瞳に映るのは宇宙だ。まるで彼女の頭の中には宇宙があるのではないかと錯覚するくらいには、綺麗な宇宙がそこにはあった。きっと魔法に違いない。

 

「仁美に素質を与えた理由か?ふふ、簡単じゃないか……仲間外れは良くない。良くないなぁ。あは、あははは」

 

 気味悪く笑う白百合マリアの言葉を理解できない。気がつけば私の心には恐怖が芽生えていたのだろうか、なぜか銃を握る手が震えていた。空いていた左手で右手を包み込むように拳銃を握る。震えを誤魔化すように。

 彼女はゆっくりと、確実にこちらへと歩みを進めた。引き金に籠る力が増すが、それでも私は何故だか引ききれなかった。

 

「恐怖を抱く事はないさ……私はね、ほむら。皆を幸せにしたいだけなんだよ」

 

 慈悲を含んだ笑み。でも私にはそれが素直に受け取れない。

 

「……訳がわからないわ」

 

「いいさ、今はそれで。だが覚えておく事だほむら。今の君には、助っ人がいればいる程いいのだろうから。私はそれを助けたに過ぎないのさ」

 

「あなた、どこまで……」

 

 私が問い詰めようとした時だった。教室の扉が勢いよく開かれ、血相を変えた魔法少女姿の巴マミがやってきたのだ。

 思わず私の視線がそちらへ移る……刹那。

 

「ははッ!」

 

 白百合マリアが、一気に距離を詰めてきた。手には何も持たず、しかし右手を伸ばしまるで手刀を繰り出すような……あれは危険だ。前に薔薇園の魔女にやってみせた攻撃に違いない。

 瞬時に魔法少女へと変身し、時を止める。全ての音を置き去りにし、私以外が止まってみせた。同時に私の額から冷や汗が溢れる。危なかった、あと数センチで彼女の指先が私の腹部へと突き刺さるところだったのだ。

 

「くッ……」

 

 今のうちに私は巴マミを放って白百合マリアの頭を撃ち抜くことにしよう。そう思って、再度狙いをつける。

 

 

 

 

「え?」

 

 

 

 

 彼女の瞳は、少しばかり動いた私の目を追っていた。前と同じ、止まった時の中でも彼女は動いてみせたのだ。

 驚いて飛び退く私を、やはり彼女の瞳は追っている。その不気味さは何たるものか。想像もつかない、どうすればこんなにも恐ろしい目ができるのだ。獣を狩るのが彼女、狩人だと?嘘をつくな。その瞳こそ獣ではないか。

 

「私達狩人に時は無い」

 

 すくっと、彼女は姿勢を正して口を開く。獰猛な笑みを抑え、しかし笑みを絶やさず。

 

「明けない夜を狩りに費やし、私の時は狂ってしまった。そこに最早、正常な感覚は無いのさ」

 

 だから、この止まった時の中を動けるのだと。彼女は悠々と語ってみせた。同時にそれは、私に彼女を倒す事は出来ないと告げている。どうやら逃してくれはするようだ。

 

「行き給え。マミはせっかちでね、君は悪い奴では無いと説得はしているんだが……まぁ、そこは君のが詳しいだろう」

 

「私の、私がやってきた事がわかるのね、貴女は」

 

「ふふ、私は少女の味方だからね。味方の情報は……持っておくべきさ。ああほむら、美国織莉子と呉キリカの事は私がどうにかするから気にしないでくれ。君は今までのようにまどかの味方であるべきだ。私も助力は惜しまないさ」

 

 すべてを見透かしたように彼女は言い切ってみせた。時に最大の障害となり得る二人組を、引き受けるのだと。そして……私の最大の目的を助けると。

 何を信じていいかは分からない。だが、使えるものはなんでも使うべきだ。彼女の目的はわからないが、少なくともキュゥべぇの味方ではないようだから。私はすぐさまその場から逃げ出した。

 一目散に逃げる私を、白百合マリアは追っては来ない。御言葉に甘えて、今はまどかを守るためだけに動くことにしよう。時間は有限だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふぅ、と私は時が動き始めたと同時にため息を溢した。なんとも不器用な人間だ、彼女は。私が攻撃をする素振りを見せなければ、瞬時に時など止めようとしなかっただろう。そうなればせっかちで愛らしいマミが出張って言いたい事が言えなくなる。それは本望では無い。

 

「白百合さんッ!……って、あ、あら?今確かに暁美さんが……」

 

 美しい魔法少女姿で惚けるマミに、私は近づく。きっと一緒に帰ろうと相談してきてこの現場を目撃してしまったのだろう。友達ができて浮かれているのはマミらしいが、この子の愛はそのうち重くなりそうだ……それもまた愛らしいがね。

 

「やぁマミ。さっきまでほむらと話していたんだ」

 

「やっぱり暁美さん……!大丈夫だった!?銃を向けられていたでしょう!?」

 

 オカンか君は、という言葉を抑えて私はマミの肩を優しく、しかし強引に抱く。ほう、魔法少女衣装の素材は中々に良いものらしい。肌触りは良いのに、私達の狩装束のように血をすぐに落とせるような素材になっている。是非とも私も一着欲しいものだ……キュゥべぇに言って貰えないかな。

 

「話していただけさ。さ、マミ。せっかくだから一緒に帰ろうか。君の家に寄ってもいいかな?」

 

 そう話を進めれば、制服姿に戻った彼女はもじもじしながら笑った。どうやらほむらの件からは目を逸らせたようだ。

 

「え、ええ。もちろんよ。でも今日は見回りがあるから……」

 

「私も付き合うさ。友達だからね、私達は」

 

 彼女の肩を撫でれば、少しだけ息を荒くしたマミが艶やかに照れ笑いしてみせた。しかし私がその気にさせてなんだが、彼女は大分飢えているようだな……これは一線を越えるのも遠くはないだろう。人形ちゃんには軽蔑されそうだが。何だかんだ、使者を通して私の動向を窺っているようだからね、彼女は。嫉妬深いなぁ。

 そうして私達は帰路へと着く。今頃まどか達は私の計画した通り、新たな娘に引き寄せられている頃合いだろうか。まぁそれも、マミとのお茶を楽しんでから向かっても遅くはない。むしろ、ちょうどいいくらいさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕焼けが沈む通学路を、三人は歩く。本来ならばこの時間は既に帰宅しているのだが、今日ばかりは美樹さやかの付き添いという事もあってまどかと仁美も青髪の少女と病院へと寄っていたのだろう。だが友達を同伴させた当人はまた酷く落ち込んでいるようだ……理由は、彼女の想い他人にある事は想像に難くなかった。

 一人前を行くさやかが口を開く。

 

「ねぇ。なんで私なのかな」

 

 声には元来彼女が持ち得る元気さは微塵も無い。ただ呆然と、彼女は疑問を同じく宇宙の使者に認められた少女達に投げかける。

 

「恭介、もう腕動かないんだって」

 

「え……」

 

「そんな、上条君……本当ですの、さやかさん?」

 

 さやかは頷かず、ただそうであるとばかりに語る。

 

「それ聞いてから私、願い事決めたんだ。恭介の腕を直すんだって」

 

 でも、とさやかは放課後にあの狩人から言われた事を思い返す。得体の知れない、それでも友達で、ミステリアスだけど頼れる友人を。

 きっとこうなると予見していたのだろう。だから彼女は古くから狩りに身を置く存在としてこれから同じ末路を辿ろうとしている少女に助言したのだ。

 

 ━━きっと今君が真実に目覚めないままに魔法少女になったのであれば、決まっているさ。獣となるだろうね。人でも少女でもない、自分の事を顧みず、されど少年にその事実を告げられずに君は絶望し、獣と化す。私はそれを止めたいんだよ。友人としてね……

 

 彼女の言う言葉は正しいのだろう。そして彼女はまた、願いとは自分のために使うべきなのだとも語った。まるで数日前に巴マミから言われたことの復唱でしか無いが、今ならば分かる。きっと願いで想い他人を救ったところで、自分は見向きもされないだろうから。

 それにだ。ただ闇雲に与えられた奇跡を受けたとして、恭介は成長できない。

 

「でも、それじゃだめ。私は恭介に、もっと悩んで欲しい。いつかその経験が……恭介を助けるから」

 

 青髪の少女は脆くも強い。はっきりと通った芯が根付いている。

 さやかはもう一つ、あの狩人の少女からの助言を思い出す。転校初日に屋上で言われた事だ。

 

 ━━ 物事の一面だけを見ないで欲しい。君は可能性に満ちた少女なんだ。

 

 もっと多様性を持つべきなのだ。それを教えてもらった。だから少女は決める。

 

「私の願いは自分のために使うよ。……ま、結局今のところはまたお悩み中になっちゃったけどね」

 

「強いね、さやかちゃん」

 

 絶望の淵にあったとしても尚立ち上がるさやかを称賛する。一気に元気になって振り返ったさやかが、でしょー!と言うが。仁美だけはそこまで割り切れてはいなかった。

 志筑仁美の想い人。それもまた、さやかと同じく上条恭介である。そしてチャンスを与えられてしまった少女は悩むのだ。少し前のさやかと同じく、想い他人の救済を望むか否か。

 

 遺志とは受け継がれるものだ。かつて最初の狩人、ゲールマンがそうしたように。彼の遺志は私に受け継がれ、そしていつか新たな狩人に受け継がれるだろう。獣を狩り、夜を明け、そして助言者となる事を。

 同じことさ。彼女達もまた遺志を継いだに過ぎないのだ。

 

「私は……そう、思えませんわ」

 

 だから、その遺志を受け継いだ少女は否定した。さやかもそれを否定する事は出来ない。だって、少し前まで己もそうだったのだろう?誰が否定できようか。

 

「まぁ、難しいよね」

 

 さやかが同情すれば、今まで静かだったキュゥべぇが仁美の肩の上で口を開いた。

 

「僕としては、君たちが悩むことを否定しないよ。ただ、願いが決まったら僕に言ってくれさえすればいい」

 

 淡々と言い切るその白き使者に、誰もが不可思議な嫌悪を抱いた。まるで願いさえ決まればそれでいいと言うような。

 

 そうして夜が来る。獣狩りの夜が。陽は沈み、来たるは闇と月夜が照らす世界。血生臭い、汚物に塗れ狩りが支配する世界へと変貌する。

 

 最初に見つけたのはまどかだった。ふと、明かりのない工場付近にぞろぞろと人が集いつつあったのだ。

 その人々の年齢層や服装がまばらで、どうにも不審である。おまけにその中に、見知った人物もいるのだからスルーするわけにもいかない。

 

「せ、先生!?」

 

 さやかが驚く。虚な瞳で工場へと向かう人々の中に、彼女達の担任である早乙女先生がいるのだ。

 三人は先生の元へと駆ければ、すぐに異変に気がついた。先生の首元には、見知ったマーキングがされていたのだ。

 

「魔女の口付け……!」

 

「どうしようさやかちゃん!」

 

「な、なんですの?」

 

 一人事情が分からない仁美にさやかは説明をする。とにかく今は彼らをどうにかしなければならない事は理解してくれたようだ。

 

「ねぇまどか、マミさんかマリアの携帯分かる!?」

 

「え、え、分かんない!」

 

「あー私もぉっ!交換しとけばよかったぁ!ていうかマリアは携帯すら持ってないし!」

 

 それは仕方ないだろう、私も携帯ショップに行ったら品物の到着まで一週間はかかると言われたのだから。

 その時、先生は教え子達の存在に気がついたようで、ホームルームで時折見せる自嘲気味な狂気を見せつけながら言った。

 

「あぁら皆さん。ダメですよぉ、こんな時間に出歩いちゃあ。でも、そうねえ、どうせ男なんて頭の悪い奴らばかりだし、皆さんも悪い男に引っかかる前に先生が救済してあげましょうかぁ?」

 

「先生!振られたのがショックなのは分かるけど何もそんなにならなくても……」

 

「アアアアアアアうるさいッ!美樹さん、貴女はまだ中学生でしかも身体もそれなりにエッチだからいいですけどね!先生みたいに四捨五入すればアラフォーなんて言われる存在にはもう夢も希望もないんですッ!」

 

「え、エッチって……」

 

 ついに先生は邪魔しないで、と去ろうとする。だが仁美は彼女の前に立ち塞がり、急な腹パンをお見舞いしてみせた。

 ドスっという鈍い音と共に先生が崩れ落ちる……失神したようだ。

 

「申し訳ありません」

 

 謝る仁美にさやかとまどかは引きつつも安堵した。これで身内の人物が死ぬのを避けられたのだから。

 

「でも、でも!他の人を止めないと!」

 

「あんなにいっぱいいたら流石の仁美も厳しいか……なら私があいつらを追うよ!近くに来ればテレパシーで状況も伝えられるでしょ!」

 

「危険ですわさやかさん!」

 

「そうだよ、無茶だ!きっと彼らが向かう先に魔女がいる事は間違いない、マミを待つんだ!」

 

 混乱する少女達。だが仁美は意を決したように呟いた。

 

「なら、私もさやかさんとあの方々を追いますわ。まどかさんは巴先輩を。キュゥべぇ、いざとなったら契約をしましょう。それなら誰一人死ぬ事はないでしょうから」

 

 冷静な判断に二人と一匹は黙った。しばし考えた後に、さやかは決断する。

 

「分かった。まどか、マミさんを呼んできて」

 

「え、ええ……もう!分かったよ!絶対に死なないでね!」

 

 そう言って駆け出すまどかを二人は見送ると、工場を目指す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 甘い幻想を抱くのは少女の特権だろう。それ自体に罪は無い。少女であるならば、むしろ夢を見るべきなのだ。それこそ少女足らしめる。

 だが、狩となれば話は別だ。そこに男女や老若の差はありはしない。獣を狩るか、或いは。あまりにもシビアな世界が広がっている。

 数刻前までは勇敢に獣を狩っていた狩人が、今ではその身を裂かれ餌と成り果てたり……その身を獣に貶めたり。そういう、甘い幻想など何処にもありはしないのが狩りというものなのだ。

 

「だからこそ、彼女達は知るべきなのさ。醜い狩の先にあるものを。私の死をもって……ね」

 

「なに、マリアさん?」

 

 部屋でお茶をするマミが首を傾げる。

 

「いや、マミは可愛いなって」

 

「もう、またそういう事言うんだから」

 

 まどかのテレパシーが彼女を呼んだのは、それから間も無くの事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 工場内は絶望に溢れかえっていた。魔女の口付けを受けた人々が各々の事情を呟き、自らの死をもって救われようとしているのだろう。

 その光景はヤーナムに近い。違うとすれば、ヤーナムの民は彼らが獣になった事を知らず、獣を殺し生き延びようと人々を死に追いやるが。今、工場内の人々は死にたがっているという事だ。

 

「ちょっと!洗剤なんて混ぜたらヤバイって!」

 

 さやかが彼らがバケツに混ぜようとしていた洗剤を蹴散らせば、救済を邪魔されたと人々は暴徒と化した。邪魔をするさやかと仁美を各々に追いかけたのだ。

 逃げついた倉庫で、二人は息を整える。だが鍵のかかった扉は暴徒達が押し寄せていて、暴力的に叩かれた扉が音を発てていた。逃げ場はもう無い。

 

「はぁ、はぁ……ナイスですわさやかさん」

 

「まったく君たちは無茶をするなぁ。でもいざとなったら僕と契約できることを忘れないでね」

 

「はぁ、でもヤバイね、もう逃げ場が……」

 

 その時。倉庫内のテレビが一斉に点灯した。映るのは悪趣味な映像。それは、この場が魔女の結界になりつつあると告げていると理解するのに時間は要さなかった。

 

「ああもう!なんでこうなるのさ!」

 

「まずいよ!魔女がもう……」

 

「きゃ!さ、さやかさん!これ!」

 

 気がつけば魔女の小さな使い魔が彼女達を覆い尽くしていた。引き裂こうとしているのか、身体を揉みくちゃにされる。そうして気がつけば、二人は魔女の結界へと迷い込んでいたのだ。

 

 結界内を漂う彼女達は、同じく漂うテレビに映された映像を見て心を動かされる。それらに映るは、彼女達が経験した事柄……その中でも取り分け悪いものだ。

 だがそれよりも、使い魔が彼女達の四肢を伸ばし、引きちぎろうとしている方がよっぽど不味い。

 

「いや!ああああ!」

 

「さやか!仁美、早く契約を……ぎゅ!」

 

 彼女達をサポートしていたキュゥべぇも拘束される。だが、その中でとりわけ仁美だけが冷静に。

 

「キュゥ、べぇさん……契約を……」

 

 仁美は引き裂かれそうな痛みの中で願う。想い他人の幸せを。

 

「あだだだ、それが君の、願いかい?いたたた」

 

 そうして、キュゥべぇは無理やり拘束を解いて仁美に迫った。その口には、輝く宝石……少女の魂の器となるソウルジェムが。

 それを仁美の口へと耳毛で押しやると、変化が起きる。宝石はより一層の光を放ち。仁美を覆った。使い魔達を蹴散らし、まるで神秘の現れとでも言うように。

 

「きゅ、キュゥべぇ!私も、願うよ!」

 

 与えずとも啓蒙を抱く少女もまた、願いを決めた。それはどこまでも自己欲求的で、自己犠牲的で、儚いものだ。

 忙しいと言わんばかりにキュゥべぇは結界を駆け巡る。使い魔を避け、さやかにたどり着くとソウルジェムを精製してみせたのだ。

 

 

 瞬間的に、使い魔達が爆ぜる。二人の新たな魔法少女の攻撃によって。

 彼女達は華麗な着地を決めると、背中合わせに使い魔達に対峙した。

 

 マントを翻し、やや露出の高い青い衣装に身を包むは美樹さやか。その願いは、『恭介に自分と仁美を見て欲しい』。その手に握られるは一振りの長剣と、全てをいなす短剣。古き時代、私たちよりももっと前。かつてあったとされる火の陰りを再現したような武具。それが美樹さやか。

 

 背後を守るは深緑の衣装に身を包む志筑仁美。所々にフリルや少女を意識させる意匠はあるも、その服装は狩人に似ている。動きやすく、されど防御力は低い。血を払いやすい、実戦的なものだ。武器は大振りのチェーンソー。皮膚裂き、肉を抉る獣狩りにふさわしいものだ。

 ……きっと、啓蒙が。少しばかりの狩人の遺志がそうさせたのだろう。

 願いは、想い人の成長を促すこと。どこまでも彼女は、少年に尽くすのだ。

 

「こっから先は!」

 

「私達の仕返しタイムですわ!」

 

 少女達は武器を構える。モニターにツインテールが生えた魔女を狩るために。

 自らの願いを成就させるために。

 

 KIRSTEN

 箱の魔女、エリー。或いはキルステン。

 魔法少女であるならば、魔女を狩らねばなるまいさ。それが使命。願いの対価、そのうちの一つなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私とマミ、そしてまどかが駆けつけた時には既に二人は魔法少女の契約を済ませていた。辿り着いた先で勇猛果敢に戦う二人を見て、私は心躍らせる。

 しかしマミは、やはり複雑な思いでその様子を眺めていた。何だかんだ言いつつ、同じような境遇の少女達を放っておくほど厳しくは無いだろうからね。

 

「さやかちゃん、仁美ちゃん……」

 

 一人先を越されたまどかは呟く。まぁ慌てるな。君は魔法少女にならずとも幸せなのだから。それで良いではないか……なぁ、ほむら?

 さて、私も一仕事と行こうか。痛みは嫌だが元少女にされるのであれば本望だ。箱の魔女……ふふ、一体どんな少女なのだろうか。本来の彼女と会う夢が待ち遠しい。きっと美しいに違いない。少女である事は既に美しいのだからね。

 

 私はマミを置いて駆け出す。獰猛に笑いながら、使い魔には目も暮れずに駆けるのだ。右手には落葉を、左手にはエヴェリンを。いつものように。

 

「マリア!」

 

「マリアさん!無茶ですわ!」

 

 私に気がついた二人が叫ぶ。高く跳躍して落葉を振るうと、魔女は慌てたようにそれを避けた。すぐさま迫るカウンター……彼女はツインテールで、私を引っ叩いたのだ。

 

「うッ!」

 

 痛い。普通に痛い……が。快楽でもある。少女の髪に打たれる痛みは心地が良いのだ。ああ、綺麗な髪だ。今にも食べてしまいたいほど。

 地面に打ち付けられた私は、そのまま無防備に追撃を待つ。やはり魔女は、私を押し潰さんとモニターの身体ごと迫っていた。

 

 さぁ、私を潰し給え!その無垢で、絶望的なほどに少女の身体で!その時私は君を手に入れる!君に宿した遺志が夢へと誘うだろう!

 天国に行こうじゃないか!百合の、百合による百合のための甘い国に!

 

「マリアさんッ!」

 

 マミが邪魔をしようとするも、それは使い魔……厳密に言えば私の使者に阻まれる。あの見た目だ、彼女も無視できないだろう。大丈夫、私は死ねないのだから。

 

 ぐしゃり。箱の魔女は、白百合の少女を押し潰した。彼女の身体を覆うくらいに大きいモニターの下から、血が溢れる。血だけではない、肉が、皮膚が、内臓が。そのどれもが私のもの。

 ああ、少女達の前に私の内側を晒すとは……冒涜的じゃないか。

 

 ━YOU DIED

「マリアーッ!!!!!!」

 

 私の死を引き金に、さやかが目にも止まらぬ斬撃であっけなく箱の魔女を八裂きにしてみせた。止めと言わんばかりに仁美がチェーンソーで画面ごと魔女を貫く。

 甘美な狩りの音色が響いていた。絶望的な死が、結界に漂っていたのだ。

 

 夢へと帰る。血を残し、私の全てはここから消え去るのだ。

 

 

 ━━PREY SLAUGHTERED━━

 

 

 

 

 

 

 

 すべてを終えた少女達は、祝うべきこの場にて絶望をしていた。理由は……ああ、私だな。あんな死に方をしたら魔法少女の誕生を祝うなんてできないさ。

 

「マリアさん……」

 

 放心したようにマミが膝をつく。今にもソウルジェムが濁りそうだ。その横でまどかは吐き気を押さえながら嗚咽していた。あぁ……健気な少女が絶望した顔というのもまた美しい。

 

「ひ、マリア、うぐ、ちゃん、うっ」

 

 さやかと仁美は守れなかった友の死を受け入れられない。それよりも、自分達が踏み入れた世界の禍々しさに恐怖さえしている。自分もいつか、ああなってしまうかもしれないと想像すると気が気でなかった。

 死体さえ綺麗に残らない。魔女の結界に取り込まれたものは、そのままなのだから。

 

「あんな、あんな事って……」

 

 恐ろしい死を感じてしまったさやかは呟く。

 

「それが、魔法少女になるという事よ」

 

 背後から暁美ほむらがやって来る。彼女は淡々とした様子でそう告げると、とりあえずキュゥべぇを蹴って彼のそばにあったグリーフシードを拾い上げた。

 

「そうして私達は生きているの。誰かを犠牲にして」

 

 その意味は、今の彼女達には分かるまい。グリーフシードをさやかと仁美の足元に投げると、ほむらはため息を一つ。

 

「受け取りなさい。ついでに、巴マミにも使わせて。ソウルジェムが濁り切る前に」

 

 最早言葉すら出ない少女達に投げ掛けると、ほむらは去る。

 

「覚えておきなさい。これが魔法少女になるということよ」

 

 冷血に、カッコよく。

 

 

 

 

「そうさ。甘い幻想は所詮幻想でしかないのだから」

 

 

 

 

 暗闇から、聞こえるはずのない声が響く。ほむらは心臓が跳ね上がるような錯覚と共に、そちらを振り返る。

 コツ、コツ。革靴の足音を響かせながら明かりへとやってきたのは銀髪の少女。否、狩人。

 

「これで分かっただろう?魔法とは甘いものだと」

 

 白百合の狩人こと、私だった。

 

「さ、白百合さん?」

 

 惚けて私を眺めるマミはまるで赤子のように足元をふらつかせながら立ち上がり、駆け寄って来る。そして思い切り抱きついてきた。

 勢いが良すぎて転びそうだったが、なんとか受け止める……マミの豊満な胸が私を刺激した。

 

「マリアさぁああああん!良かった゛ぁ、生きてたのねぇ!」

 

「おおよしよし、君はあまりにも依存的だね」

 

「マリア、あんた!」

 

 驚くのはマミだけではない。さやかも、そしてまどかと仁美もだ。

 

「悪夢は巡り、終わらないものさ。私もまた、死なず巡るだけ……まぁ死ねないだけだけどね」

 

 そう言うと、皆は安堵したのかその場に崩れ落ちた。ほむらを除いて……だがこれでいい。少なくとも、新たな魔法少女に死を見せつけられたのだから。

 

 この後マミ達にこってり怒られたのは言うまでもない。だがそれすらも、狩りしか知らない私からすれば新鮮で愉しいものだったが……その態度が余計に彼女達の怒りを増長させて、説教は朝まで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「目を開けて。ゆっくり」

 

 深い微睡の中で、美しい声が響く。彼女は言われるがままに目蓋を開けると、眩い光が瞳を刺激した。

 光に眩む中、目の前の誰かをようやく見る。それは見知った……というより、先程彼女が押し潰した少女。その少女は、まるで死などなかったと言わんばかりに何事もなく。彼女に笑顔を向けていた。

 

「ようこそ……ここは狩人の夢。少女達の天国さ」

 

「え、なにこれ」

 

 困惑する彼女を差し置いて、少女は尋ねる。

 

「君の名前は?」

 

 黒いツインテールを靡かせながら、彼女は言われるがままに答える。

 

「えっと、毬子あやかです」

 

 また一人、少女が天国へとやって来る。宇宙からの使者の支配を逃れ。また、新たなる支配者の下へと。

 私は背後の人形ちゃんの冷たい視線を浴びながら、抱きつきたい衝動を抑えた。

 




駆け足気味なのに1万て、嘘やろ?


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助言

これは願いが効いてますね……間違いない
あ、そうだ  ステータスのページに挿絵いれました


 

 

 

 

 僕は、はっきり言って自分が嫌いだ。

 

 生まれた家は音楽関係の名家で、物心がついた時から僕はもうバイオリンの甘い音色に魅了されていた。それと同時に、その音色は僕の運命を縛る楔となったのだろう。

 裕福な家庭、自分で言っては何だけど悪くない顔立ち、学力。きっと色々な人々が欲しいものを、僕は生まれながらに持っていた。

 

 でも、それだけだ。僕にはそれ以外、何もないのだ。

 決定権は無い、流されやすい、唯一命を掛けているバイオリンですら親に決められた事だ。僕で決めた人生の決断など何もありはしない。まるで人形じゃないか。僕はガワだけの単なるマリオネットなんだ。

 そして僕の人生と言っても過言では無いバイオリンの演奏ですら、交通事故の怪我でもうままならない。医者にも言われた、諦めろと。僕の人生だぞ?そんなに簡単に諦められるわけがない。でも現実はとても残酷で。

 今まであんなに感情的になった事は無かった。唯一と言っていい、懸命に支えてくれた幼馴染みでさえも僕は怒りと絶望に駆られて拒絶してしまったんだ。僕は、本当の意味で空っぽの人間になってしまった。僕は、クズだ。

 

 涙さえも出ない。流すべきそれは枯れ果ててしまって、僕は深夜の病室で死んでいるように天井を眺めていた。そうだ、このまま何も出来ずにただ生きていくのであれば死んでしまうのも悪くはないかもしれない。

 そうすれば、すべてから解放されるのだから。

 

 

「自棄になるのは勝手だが。それでは彼女達が報われないじゃないか」

 

 甘くて、それでいて美麗で、しかし冷酷さを感じさせる声色が響く。それは夢のような音色……されど甘い夢では無い。まるで悪夢のように暗く、湿っていて、恐ろしいものだった。

 驚きながら僕は唯一動かせる上半身を使って窓際を眺める。いつの間にか開かれた窓から見えるのは満月。不気味で、それでいて心地良い……まるで永遠に浸かりたくなるような、そんな月。

 

 それと。

 

 

「絶望は人を獣へと駆り立てる……けれどそれに打ち勝つ時。人は、初めて自らの人間性を示せるのさ」

 

 

 後頭部で束ねられた月光に靡く美しい銀髪。あの月の表面のように白く魅惑的な肌。顔立ちは今まで見てきたどんな女性よりも整っていて、同い年かそれより少し上くらいにしか見えないのにも関わらず、官能的。

 惚れた訳じゃない。そんなはずがない。だって、だって。

 

 ━━あんなに赤い瞳が、僕の知る人間であるはずがないのだから。

 

 僕はしばし、いきなり窓際に現れた美しくも恐ろしい女性に心を強張らせた。金縛りにあったように、しかし自分の意思ですら動こうとは思わない。ただ彼女を見続けている自分がいる。

 なぜだろう。僕はこの人を知らない。それなのにどうしてか。この人は、いや人ではない何かに、僕は懇願しなくてはならない気がするのだ。一体何を懇願するというのか?それすらも分からないのに。

 

「そんなに見惚れられては困るな……君には私よりもよっぽど似合う子達がいるだろうに」

 

 そう彼女が言った途端、僕の心身の金縛りが解ける。まるで彼女が今までそうさせていたようだ。

 僕は息を呑みながら、汗を滝のように流しながらようやく言葉を発する。

 

「だ、誰だ……?」

 

 月光から逃れる女性の表情は分からない。ただその白さと血のような赤さが目立つばかり。彼女は腰掛けていた窓枠から降りると、ゆったりとした動作でお辞儀した。まるで簡単な礼拝のようなその動作は、ひどく様になっているように思える。

 

「初めまして、上条恭介くん。私は百合の━━いや、月の香りの狩人」

 

「かり、うど?」

 

 そうさ。彼女はおどおどとした僕にそう告げる。

 自らを狩人と名乗った女性は、その珍妙な服装であるマントのような肩掛けを翻すと僕を指差した。正確には、僕の動かない腕を。

 

「哀れなものだね……今まで人生を捧げていた事が出来なくなった途端、君のような人間は消えかけの火のようにちっぽけになってしまうんだから」

 

 いきなりの挑発に、僕は面食らった。数秒して、僕の人生が尽く否定されているのだと理解してしまう。同時に、昼間に抱いていた怒りをも超える何かが、僕の心を支配して表現させた。

 

「だって……だってしょうがないじゃないかッ!」

 

 情けない言い訳だった。分かっているのに、言わずにはいられないものだ。人生を否定されるのだ、それくらいの権利は僕にはあった。

 

「今までバイオリンだけだったんだ!なのにいきなり動かなくなって、もう弾けないって……そんなのあんまりじゃないかッ!」

 

「それで?」

 

 女性は促す。まるで僕が怒りに身を任せることを許可するように。だから僕もそれに甘える。

 

「何が天才だ、何がこれからの音楽業界を担う神童だッ!お前らはいつもそうだ、人を担ぐだけ担いで用済みになったら捨てやがってッ!いつもいつもいつもいつも……」

 

 気がつけば、怒りは悲しみにシフトしていた。枯れたはずの涙が勝手にボロボロと溢れてくるのだ。

 僕は嗚咽しながら、掛け布団を濡らしていく。

 

「さやか……志筑さん……あんなに来てくれたのに……ごめん……僕……もう……」

 

 頭の中は目まぐるしく変化していく。音楽に対する失望や怒りはいつの間にか僕を慕ってくれていた少女達への無念へと切り替わっていたのだ。

 女性はそんな僕の背中を優しく摩った。何かを流し込むような、そんな手つきも今は気にならない。

 狩人の女性は優しく、そして甘いバイオリンのような声色で僕の耳許で囁く。

 

 

「彼女達に、報いたいかい少年?」

 

 

 ただ僕は頷いた。悔し涙を流しながら、言われるがままに。

 女性の誘うような声が、脳を刺激する。

 

 

「なら、そうしようじゃないか」

 

 

 その不思議な提案に、僕は顔を顰めて彼女を仰ぎ見た。宝石のような瞳が僕を射止める。ただジッと、彼女は僕を見て笑うのだ。その冷えた……だが暖かい深淵のような笑みで。

 

 

「私と契約し給えよ。手を動かし、獣を狩り、彼女達に音色を聞かせようじゃないか」

 

 

 甘美な誘惑。その禁忌に、僕は抗う術を持たない。ただ言われるがままに━━されど、今は違う。僕の意思で、初めて僕が心の底からそうしたいと。狩人の誘いに乗るのだ。

 僕はただ頷く。さすれば狩人はより一層口元を緩め、僕から離れた。そうして彼女が取り出すのは一枚の古びた紙と万年筆。年季の入ったものだった。

 

 

「誓約を、ここに。さすれば君は、二度と明けぬ甘い悪夢に囚われるが。少女達に報いる事ができるのだ」

 

 

 本当に。なんて僕は愚かなのだろう。だがそれでも良いのだ、僕は僕の意思で彼女達にまた音色を聞かせてやりたい。それは単なるエゴで、自分善がりの願いだが。

 願いとは本来、そうあるべきだろう?

 

 “誓約書”にサインする。上条恭介と、自らの名を連ねる。すると、彼女はにっこりと微笑んで、その誓約書を懐にしまった。これで本当に……僕はさやかと志筑さんに何かをしてやれるのだろうか。

 僕の不安を察したように、彼女は言う。

 

「素晴らしい。君と私の契約は……これで完了する」

 

 代わりに取り出したのは注射器。充填されているのは血のように見えた。

 なんだか分からないが、僕の中の直感というか本能というか……そういったものが、あの液体から自らを遠ざけろと言っているのがよく分かった。恐ろしくてたまらないのだ。

 だが、それでも進まなくてはならない。僕は誓約書に名を連ね、前へ進むことを決めたのだから。それがどんなに苦しい道でも、やらねばなるまい。

 

「痛みは一瞬。けれど心は……君次第。だから忘れるなかれ。我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う。知らぬ者よ……かねて血を恐れたまえ」

 

 それは教訓のような、しかしはっきりとした警告だった。僕はその言葉を心に刻むと注射器の針を受け入れる。

 深く、針の先端が僕の動かない腕に突き刺さる。そして一思いに彼女は液体を流し込んだ。

 

「我ら人となり、獣を狩り、宇宙に抗う狩人だ」

 

 その意味は分からない。だが次の瞬間には、僕の意識が急激に遠のいて行く。

 最後に見えるのは血のように赤い月と、その月光に照らされる狩人のみ。だがそれで良い。そうして僕は前に進めるのだから。

 

 ━━さやか、志筑さん。待っていてほしい僕は君たちに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日の放課後……箱の魔女撃破の翌日。私達は何事も無く、いつものように登校をして授業を受けていた。

 唯一変わった事があるとすれば、先生が休みだった事だろうか。それも仕方ないだろう、何せ魔女に操られ、意識も無く彷徨っていたとなれば教師とて病院にだって行くものだ。

 そして何食わぬ顔で英語の授業を隣で受けるのは、白百合マリア。他の授業では熱心に受講する彼女も、完璧にマスターしている英語となれば船を漕ぐ。

 

「それでここの文法はーーおい白百合!」

 

 呼ばれてハッと目を醒ます。今早乙女先生の代わりに教鞭を振るうのは、この学校では悪名高い意地悪な教師だった。

 

「この日本語を英訳したまえ!」

 

 急に教師が指差すのは問題ですらない文だった。けれど白百合マリアはけろっとした表情で言う。

 

「You can’t get away from yourself by moving from one place to another……これでよろしいですか、先生?」

 

 女性ですら虜にしそうな甘くて凛々しい声色でスラスラと読み上げると、教室中の生徒が感嘆の声をあげた。流石の意地悪教師でも、これ以上何かする事は出来なかった。

 そうしてまた授業は進んでいく。ふと、彼女を見ていたのがバレたのか、白百合マリアと目があった。

 深い緑色の瞳……あの赤さとは無縁の瞳を覗かせる彼女は、悪戯っ子のように笑ってウィンクしてみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「珍しいね、マリアちゃんが居眠りするなんて。さやかちゃんじゃあるまいし」

 

「ちょっとまどか、なんて事言うのさ!」

 

「なら、ちょっとは起きる努力をしてくださいな。今日だって午前中殆ど寝ていたではありませんか」

 

「仁美まで〜!」

 

 昼時、私達はいつものように屋上で昼食を取っていた。私は何度も欠伸しながら、人形ちゃんに作ってもらったサンドウィッチを頬張る。うん、いつも通り美味しい……ローストビーフか。スーパーで食材を買った甲斐があった。

 

「あら、昨日はあまり眠れなかったのかしら?」

 

 当たり前のように隣に座るマミがちょっとだけ心配すると、私は頷いてマミの肩に頭を乗せた。

 

「夜更かしし過ぎた」

 

「あらあら。いけない子ね」

 

 そう言ってマミは私の頭に頬を擦り付ける。まるで猫をあやすような仕草だが、マミのもちもち肌を直接感じられるのだから良いではないか。

 昨日は死んだり新たな契約に勤しんだりと、それなりに忙しかったから。いくら私達狩人が睡眠を必要としない夜行性だとしてもだ、今の私は見滝原中学校に通うか弱い少女なのだから眠くもなるさ……か弱いよ、私は?エーブリエタースの突進で即死するくらいにはね。そのうち彼女にも会いに行かないと拗ねそうだな。

 

「そういやマミさん、今日私と仁美は見回りパスしてもいいですか?ちょっと用がありまして……」

 

 若干申し訳なさそうに言うさやかに、マミは頷いた。

 

「大丈夫よ。白百合さんもいるし……用って、例の男の子?」

 

 そう言われ、さやかはうっ、と図星を突かれたように、仁美はいつものおっとりした顔で頷いた。ふむ、恋する乙女とは見ていて気持ちが良いものだ。

 それに、今頃もう彼も夢から覚めているに違いない。彼も会いたいだろうから、タイミングはちょうど良いのかもしれないね。

 

「やぁみんな」

 

 と、そんな時。白き宇宙の使者がやって来た。相変わらず猫なのか犬なのか分からない姿で、無表情を貫く彼はマミの目の前まで来るとちょこんと座る。

 

「困ったな、マミの隣は僕だって昔から言われているのに」

 

 言葉の割にはそうでもなさそうなキュゥべぇ。私は頭を預けたまま笑う。

 

「男の嫉妬は見苦しいよ、友人」

 

「友人になったつもりも無いし、嫉妬もしていないけれどね……まぁいいや。ところで皆に伝えたい事があってね」

 

 ジョークの一つも理解できないとは、同じ上位者とはいえ擁護はできないよキュゥべぇ。まぁ彼らは思考よりも生産性を取った種族だし、私も元より友人だとは思ってはいないが。

 

「ちょっと、近いうちに見滝原に厄介な……うーん、凶暴な……まぁ、気難しい魔法少女がやって来そうなんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悪夢は巡り、終わらないものだ。

 

 雨となり、山に染み込み、川となり、海へ流れ。そしてまた繰り返すように……ヤーナムという悪夢もまた、繰り返す。狩りが永遠に続くということは素晴らしい事であると同時に忘れてはならない。

 かねて血を恐れたまえ。狩人とは、血に酔いしれど取り憑かれてはいけない。狩りに酔いしれど囚われてはいけない。そんな、僅かに残る人間性を癒す場こそが狩人の夢なのだ。

 悪夢が続くならば、ここで良い夢を見ればいい。少なくとも私はそうして来たのだ。そしてこれからは、少女達の安息の場となる。

 

「どうだい、調子は?」

 

 私は相変わらず車椅子に座る老人に話しかける。彼はしばし答えなかったが、それも老いから来るもの。

 

「ああ……君か。彼は良い狩人になるだろう。血に酔い、無慈悲で、狩りに勤しむ良い狩人に。まるでいつかの君のようだ」

 

「やめたまえ、老師。昔の事は黒歴史なのだからね」

 

 あんな面白味の欠片も無い狩人など、今思い返してもゾッとする。今の私は百合に酔い、甘く、少女に惚れ込む狩人なのだから。

 そんな私のことを笑うように、ゲールマンは喉を鳴らした。そして彼は、狩人の夢に設けられた花園を杖で指差した。

 

 そこには、白い装束……医療教会特有の狩装束に身を包み剣を振るう少年と、それに対峙する一人の麗しい女性の姿が。

 啓蒙高い皆にはこう言った方が分かるだろう。時計塔のマリア、と。今、上条恭介は偉大なお姉様に稽古をつけてもらっている最中だ。

 

「お姉様は狩でも美しい……」

 

 華麗に特別な落葉を振るうマリアお姉様を見て私はうっとりと見惚れる。ゲールマンはなぜか誇らしそうに笑みを浮かべた。

 

「そうだろう……私が、見出したのだからね」

 

「やはりウィレーム先生は正しかった」

 

「百合の狩人よ、あまりウィレーム先生を穢すなよ……」

 

 狩人となった少年は、ボロ切れのようになりながらも戦う。すべては愛する少女達のために。その身を狩人に貶めてまで。それはもはや、執念だろう。

 

 

「くぅッ!」

 

 ステップで斬撃を回避するも、スタミナ管理がうまくいっていない恭介は連撃には対応し切れていないようだ。彼の狩装束に血が滲む。輸血しようものならエヴェリンの追撃によって阻まれてしまう……ああ、昔を思い出す。

 

「少年、甘いな……もっと体力に注意を払え」

 

「言われなくても!」

 

 少年の苦難は続く。だが、それも悪くは無いだろう?少女達と共にいるための代償だと思えば、安いくらいさ。

 だから恭介、かねて血を恐れたまえ。それを忘れた時、君は彼女達に狩られてしまうのだから。

 

 

「お花畑が……」

 

 

 隣でこのみが荒れる花畑を絶望した表情で見詰める。ちょっとだけ悪いとは思いながらも、私は彼女から顔を背けた。

 




上条君、君も家族だ
ステータスに狩人の挿絵いれました


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Crazy Great Thing Called Love
紅蓮の槍


置いとくゾ

【挿絵表示】



 

 さやかと仁美の共通点といえばなんだろう。まぁ問題提起しておいてなんだが、言うまでもなく上条恭介という男子だろう。同級生や友達という面も確かに共通点と言えるが、そこまで広域に考えてしまうと狩人である私ですら彼女達と共通点を持ち過ぎてしまう。

 二人は上条恭介のお見舞いという大義名分を持ちながら、その実好きな男子に会いに行きたいという欲求の為に病室へ向かう。

 なぎさが“生活していた”部屋を通り過ぎ、そのまま恭介の部屋へと辿り着く。

 

「まさか仁美も隠れてお見舞い来てたなんてね〜。流石のさやかちゃんも気づかなかったわ〜」

 

「でも、この頃はお稽古も忙しくて中々お見舞いにも来れませんでしたの」

 

 適度な会話をしつつ、二人はノックして病室の扉をスライドさせる。

 二人にとってはいつもの事だった。いつものように扉を開け、ベッドの上の上条恭介に挨拶をする……それだけの事だったはずだ。

 

 前提として、二人とも上条恭介の絶望的な快復を知っており、今日はその励ましのために来たというのに。

 

 

「やぁ、二人とも。一緒なんて珍しいね」

 

 

 いつもと変わらぬ……されど少しばかりの爽やかさを伴った声で二人を出迎える少年。その少年を見て、二人は固まった。さやかは肩に掛けていたバッグを落とし、仁美は口を上品に押さえて驚きを表す。

 昨日まではあれだけの怪我を負っていた少年は立っていた。それだけではない、もう二度と動かないと医師に宣告された左手で、マグカップを持ちながら優雅にコーヒーを飲んでいるのだから、驚かないはずがないのだ。

 

「きょ、恭介、腕……」

 

 さやかの言葉でようやく気がついたのか、恭介はああ、と言って答える。

 

「治ったんだ。さやか、やはり君が正しかった。奇跡も魔法も、あるんだね」

 

 今までに見たことのない、どこか達観したような表情で。ただ二人を迎え入れる。どこか変わったような想い他人……でも二人は互いに歓びを隠しきれなくて。人魚姫となるはずだった少女は涙し、蚊帳の外だったはずの少女はそんな人魚姫のなり損ないの肩をさする。

 ふふ、キュゥべぇくん。覚えておくことだ。何も願いを叶えれば少女は狩りに勤しむのではないのだ。そこには確かに、見返りが必要なのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時を同じくして、私とマミは街の治安維持を名目に魔女探しに勤しんでいた。ゆっくりと落ちる陽を背に二人とも制服で、街の隅々まで魔女の反応を探していく。

 しかし何だ、この世界の男というものはやはり獣だな。制服を着て中学生と分かっているのにも関わらず、良い歳の大人が声をかけてくる。マミ曰くそれはナンパというやつで、しょっちゅうだそうで。やはり私は正しいのだ、百合とはつまり何物にも勝る。男など、誠実で無ければ有り得ない。

 

「あら、使い魔かしら」

 

 と、マミがソウルジェムに映る反応を見て呟く。使い魔か……できれば魔女になるまで放っておきたいが。彼女と共にあるならば、そうもいくまい。

 あまり治安の良くなさそうな裏路地に入り、やはり居る魔女の手下共に出会す。だがしかし、マミは強い。それらをものの数秒で一蹴すると魔女結界はあっさりと消え去ってしまった。

 

「私が一緒にいる必要はあるかな?」

 

 半ば自嘲気味に言うと、マミは少し機嫌を損ねたのか眉をハの字に歪めた。

 

「私が寂しいじゃない」

 

「ふふ、素直なマミも嫌いじゃないよ」

 

 そうして今日の分の魔女探しは終わりを迎える……と、マミは思っていたのだろうが。すべてを見通す私の瞳が囁く。物好きな少女が私達を眺めていると。

 路地裏から出ようとするマミだったが、一向に動かない私を訝しんで言った。

 

「どうしたのマリアさん?」

 

 そう尋ねられ、私は見滝原中学校の制服からいつもの狩装束へと姿を変える。しかしこの狩装束、ワンポイントで襟元の赤いタイがあるとは言え少し地味だな……まぁ銀髪と白い肌に映える黒は気に入っているが、今度誰かに頼んで私も魔法少女のような可憐な衣装を作ってもらおうか。

 冗談はさておき、私は腰に下げた落葉を抜きもせずに声を鳴らす。

 

「出て来給えよ、恐れることはない」

 

 マミはそんな私の言動の意味を尋ねようとして、気がつく。私の背後、建物の上に居座る……紅蓮の少女。キュゥべぇが言っていた、厄介な魔法少女に。

 

「へぇ、よく気づいたじゃん」

 

 少女は飛び降りると、およそ人ではミンチになりそうな高さを物ともせず着地した。振り返れば、私は新たな少女に期待を込めて視線を送る。

 ああ、まさしく聖女。それもただの聖女ではない。あれはそう、私が好きな部類の……狩人として優れた、それでいて心は美しい聖女だ。

 脳が震える。啓蒙だ、瞳が新たな啓蒙を授けたのだ。私は交信したい気持ちをぐっと抑えた。

 

「佐倉、さん」

 

 マミが、その少女を視認して震えた。どうやら知り合いのようだ……ふむ、今カノが私だとして、彼女は元カノのようなものだろうか。いや、弟子か。

 赤い少女は鼻で笑い、

 

「はっ、新しい魔法少女が生まれたって聞いて来てみりゃあ……なんだいマミ?無関係な一般人を巻き込んで、まだこんなことやってんのか?」

 

 こ ん な こ と。……なんだ今の啓蒙は。

 私は下劣な啓蒙を振り払い、少女の考察を始める。なるほど、どうやら彼女は現実主義のようだ。マミとは違う……魔法少女は正義の味方ではないと。グリーフシードを落とさない使い魔を殺されてご立腹というわけか。

 

「あと2、3人食わせりゃ立派な魔女になっただろうに。相変わらず甘っちょろいなあんたは」

 

「佐倉さん、どうしてここに?」

 

 マミは魔法少女姿になりつつ、質問を重ねる。

 

「今言ったじゃん。新しい魔法少女がどんなやつか見に来たのさ。ま、結局勘違いだったみたいだけどね」

 

 キュゥべぇめ、何が厄介な魔法少女が来る、だ。君が教えたんじゃないか。まあ良い。同じく宇宙を共にする者として、今回の件は不問に処すとしよう。私としても、新たな魔法少女は好ましいからね。

 警戒し、私の前に行こうとするマミを制する。不思議がる彼女を他所に、私は佐倉、という魔法少女に言葉を投げかけた。

 

「いかにも、私は魔法少女ではないさ。でも、そうだね。強さだけで言ってしまえば私は君たちよりもうんと強いだろうね」

 

 自惚れでもハッタリでもない。それは紛れもない事実だ。事実、私は強い。ゲールマンを下し、時計塔のマリアを殺し、獣に成り果てたルドウイークでさえ救済して見せた。鐘の音に呼び寄せられた狂人達を屠り、上位者すらも狩ってみせるのだ。これが弱いわけがないだろう?

 私の言葉が癪に触ったのか、少女は私を品定めするように眺める。

 

「へぇ……随分な自信じゃん。でもあんた、やめときな。喧嘩を売る相手を間違えてるよ」

 

 ここで襲い掛かって来ない所を見ると、やはり彼女は思慮深い。その歳に見合わない思考の深さは過去に何か自らの浅はかさで失敗を経験しているのだろう。

 そうでなければ。狩人とは失敗し、学び、成長し、狩殺すものだ。嬉しいよ、ほむらはともかくとしてようやく狩人らしい魔法少女と出会えるなんて。

 

「マリアさん、下がって。これは私の……」

 

「いいや、マミ。いくら君の願いでも、私の狩りへの渇望が抑えきれないのさ……昨日はただ痛い目にあっただけだから、今日こそは発散させてもらうよ」

 

 腰に下げた落葉を取り出し、刃を鞘から抜く。それを見た少女は己も空虚から一本の槍を取り出すのだ。話が早い、やはり狩に言葉は不要だ。ただ狩り、殺すのみ。……いや、殺しちゃまずいか。

 

「もう!また火がついちゃって……」

 

「手出しは不要さ、マミ。殺しはしない。話は狩の後でも良いだろう?」

 

 怒れるマミを言葉でも制して下がらせると、少女は少しばかり苛ついたように槍を構えた。

 

「ちょっと見縊りすぎじゃない?痛い目に合うのは……あんたさ!」

 

 

 自棄の魔法少女、佐倉杏子。

 叫んだのと同時に、紅蓮の魔法少女は一直線に槍を放ってくる。そのリーチは見かけ以上のもので、すぐにその槍が我ら狩人と同じ仕掛け武器の類であると理解できた。

 私はステップして一撃を回避すると、続け様に繰り出される槍の連続攻撃を避けるため横へローリングする。

 

「オラオラどうしたぁ!」

 

 勇しく少女が叫びながら槍を振るう。いつまでもこの勇姿を目に焼き付けたいが、これは狩だ。私も攻撃に出ねば失礼だろうさ。

 槍を落葉で捌くと、私は彼女を蹴り付けて距離を取る事にした。しかしこの少女は凄まじい。私の蹴りを回避すると、ビルの壁を幾度も蹴って空高く舞い上がった。この間さやかがスマートフォンでプレイしていた……何だったか、岩男みたいな名前のゲームのようだ。

 

「素早いな」

 

 落葉を分割させる。エヴェリンは使わない。そもそも、スピードのある彼女に水銀弾を当てるのは難しいだろう。

 私は同じく壁を蹴って彼女を追う。あと数メートルの所まで接近すると、一際壁を強く蹴って彼女に猛ダッシュしてみせた。クルクルと落葉を振り回しながら。この戦法は対狩人に有効だった。

 

「おっと!」

 

 空中の少女は私の斬撃をすべて受け流すと、体勢を変えながら私を蹴り飛ばす。私はあえて少女に腹部を蹴られる快感を味わいながら、ビルの壁に叩きつけられた。

 

「マリアさん!」

 

 心配するマミに笑みを見せながら、大丈夫とだけ言った。参ったな、予想以上に強い。だが、マリアお姉様程ではない。彼女の内臓攻撃はそれはもう、至高の逸品だった……

 私が妄想にふけていると、少女は無防備な私に再度迫ってくる。私は夢から一つの軟体動物を取り出した。

 

「終わりだよ!」

 

 鋭い突き。だが若い、そのパワフルな突きは阻まれた。

 

「うっ!なんだそりゃあ!?」

 

 突然私の腕から現れた、太い触手に槍を阻まれ嫌悪感を示す少女。失礼な、これこそ神秘の極み。エーブリエタースの先触れだ。

 先触れの触手は槍を弾くと、瞬時に消失する。今頃星の娘は突然の衝撃に驚いている事だろう。

 

「とんだ隠し球だね!」

 

 少女は地上へ着地すると、同じく落下している私の到達を待たずに槍を回転させた。何かをするつもりらしい。

 

「なら私も使わせてもらおう、じゃんッ!」

 

 刹那、槍の節々が分裂した。それらは鎖で繋がっており、まるで蛇のように私に襲い掛かる……聞いたことがある。 多節棍だったか。素晴らしいじゃないか、やはり狩人は自らの人間性を証明するために仕掛け武器を用いるべきなのだ。獣ではその複雑な仕掛けを持ち入れないのだから、これ以上無い証明だろう。

 見惚れている私の身体を、それらは絡めとる。ゲールマンが見れば何かのプレイとでも言われそうな状況だ。私は四肢を拘束され、その身を少女に晒していた。これは……良い。

 

「さぁ、今度こそ終わりだよッ!」

 

 新たに召喚した槍で、私を貫こうとする少女。だが、甘いね。手だけが攻撃の手段でないことを、君は忘れている。

 既に、私は触れているのだ。新たな軟体生物に。そしてそれは、かの宇宙と交信を求めるだろう。

 

 マミの悲痛な叫び声と共に、私の背後に宇宙が広がる。少女はその異様な光景に、硬直こそせずとも困惑した。

 

 そして私の交信は届かない。代わりに、宇宙は爆ぜるのだ(彼方への呼びかけ)。まるで着信拒否のように、それを知らせるコールの代わりに熱した星々を。

 無数に現れた小さな星々は、軌跡を描きながら私を拘束する多節棍と少女を狙った。

 

「なッ!?」

 

 驚愕しながらも追跡してくる星々を避ける少女。その判断は素晴らしい、仮に手にした槍で弾こうものならば彼女はその高熱に身を焼かれていただろう。現に、私を拘束していた多節棍を焼いたせいかその熱が伝わってくる。熱い。

 拘束から逃れると、もう星々の怒りは収まっていた。私はアスファルトに着地すると、一息してから身構えてこちらの動きを窺う少女に言う。

 

「上位者相手でも宇宙はシャイだね」

 

 少女は答えない。それどころか、まだ攻撃してくるようだ……良いぞ、狩こそ血が滾る行いだ。

 だが、少女がまた攻撃をする直前。私と少女の間に一発の銃弾が撃ち込まれた。その突然の横槍の正体に予想はつけながらも、呆れたように私は上を見上げる。

 

「ああ、ほむら。一番萎えるぞ、それは」

 

 一人呟けば、暁美ほむらは低いビルの屋上で私達を見下ろしている。

 

「おいおい、アンタは関係無いだろ!」

 

 直様少女はほむらに攻撃をしかける。しかしやはり、ほむらの魔法は凄まじい。時を止め、それらを難なく回避していくと紅蓮の少女は困惑して手を止めたのだ。

 

「契約に無いことをしないで、佐倉杏子。まだやるつもり?」

 

 冷酷に、しかし少し怒りながらも注意するほむら。口約束では効力が薄いだろうに。

 

「へっ……まぁ良いや。手の内が分からないのが二人もいるとなっちゃあねぇ」

 

 杏子……紅蓮の少女は変身を解くと、私に背を向けた。どうやらお開きらしい。これ以上はほむらの不信感を強める事にしかならないだろう。

 

「貴女も、余計な事はしないで」

 

「狩人から狩を取るとは……酷い女だな、君は」

 

 そう言うと、ほむらは姿を消す。まぁ良い。佐倉杏子という魔法少女に会えただけでも収穫だ。久しぶりに純粋な狩人として戦いたくなったのだから。

 私は制服に戻ると、精神的に疲弊しているマミの手を取って裏路地から出る。そして言うのだ。

 

「さぁ、帰ろう。もう夜さ……獣が来る。それに佐倉杏子について、色々聞きたいからね」

 

 そう言えば、マミは複雑な表情をしてただ俯いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の病院にバイオリンの音色が響く。甘く、そして冷酷なまでに脳を震わせるような……それは狩りに似ていて、どこまでも聞く者を酔わせるのだ。

 演者は上条恭介。そして観客はさやかと仁美。二人は思い他人の音色を堪能しながら叶った願いに身を震わせていた。

 一頻り演奏を終えると、恭介は空に浮かぶ月を仰いで言う。

 

「まず君達に聞かせたかったんだ」

 

 そう語る恭介の表情はやはり清々しい。まるで別人になったような、奇妙な錯覚を覚えるもそんなものどうでもいい。今はただ、願いである少年の音色を聴けたことだけがすべて。

 

「これだよね、やっぱり」

 

 椅子に座るさやかが言う。

 

「バッハも何も、色んなクラシック演奏をCDで聞いてきたけど……やっぱり、恭介なんだ」

 

 その顔はどこまでも少女で、儚い恋心を滲ませていた。

 

「命を賭けるとは、素晴らしいのですね」

 

 同じく、仁美もその凛々しい少年の姿に恋をする。

 その様子はどこまでも少女的で、しかしその場にいる全ての者が異端であり。まるで、ヤーナムの異形を表している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「酷い女だな、彼女は……」

 

 マリア。本来の、時計塔のマリアはカップをソーサーに置くと呟いた。工房のテーブル、その周囲で師であるゲールマンと紅茶を楽しんでいる……のだが、その様相はどこか複雑だ。

 ゲールマンは彼女の視線の先にいる、二人の少女と人形を眺めた。そして車椅子に深く腰掛け、言う。

 

「だがそれで救われるのであれば、良いでは無いか……マリア」

 

 そっと、老師の手がマリアの手に触れそうになり……彼女にパチンと叩かれて妨害される。

 

「相変わらずだな、貴方は」

 

「ああ、そうとも……君のガードの固さもな」

 

 年老いても偏執に似た恋心は衰えない。ここは狩人の夢、すべての狩人のためにある安らぎの場所。

 月の魔物は滅び、今支配するは百合の狩人だ。そして疲弊した狩人はやって来るだろう。この偽りの楽園へと。

 夢もまた、海と同じく底はないのだから。

 




杏子ちゃん回。順調に上条君は夢に囚われています


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それぞれの使命

 放課後のバーガーショップ。私達としては珍しく、まどかと二人きりでお茶に興じていた。いや、この場合お茶というのは言葉の綾のようなものだろうか。まぁ良い。

 頼んだグレープジュースをストローで吸い込み、同じく学生で溢れる店内で暗い面持ちで縮こまるまどかに問いかける。

 

「話とは、なにかな」

 

 優しい声色で、極めて慈愛的に問いかけたつもりだ。だがまどかは頷くだけで中々口を開かない。そんな彼女を見て、私は一緒に頼んだポテトを口に頬張った。

 彼女が言いたいことは察せる。それは友達としての在り方の問題と言っても良い。現代日本においては特段珍しくもない、特に少女ならば誰であろうと感じる感情だ。ヤーナムでは誰も持ち得なかったものでもある。

 

「魔法少女の事だろう?話し給えよ、私だって魔法少女じゃないさ」

 

 そう言うと、まどかは重い口をようやく開いた。店内の喧騒にかき消されそうな、か細い声で。

 

「私、このままで良いのかな」

 

 どこか自信が無さそうに、そして縋るように。彼女は問いかけるのだ。

 

「さやかちゃんも仁美ちゃんも、魔法少女になって、でも私だけそうじゃなくて……願いだって、ちゃんと決められなくて」

 

 ふむ、と言いながら私は再度ジュースを啜った。そして俯いた深い桃色の瞳を見詰めながら私なりの答えを示す。

 

「君は君さ。命を投げ捨てるくらいの願いが無ければ、魔法少女になんてならなくて良かろうよ」

 

 それは、魔法少女システムを逆手に取って暗躍している私からの本心でもあった。少女は純粋で、己に真実であるべきだ。自らを偽れば偽る程、美しいその魂は老いていく。老いは悪いことではないが……少なくとも、年齢相応の老いであるべきだ。

 詰まるところ私は、少女達に多大な負荷をかけてまで私の天国には来て欲しくはない。そうなってしまった少女達だけが救われれば、それで良いのだから。

 

 まどかはそれでも煮えきらず、また問いかける。

 

「でも、卑怯じゃないかな。あれだけ戦いを見せられて、怖い思いをしてるって知って……それで私だけ魔法少女にならないって」

 

「そうかな?私がさやかや仁美なら、そうは思わないね。狩りは狩人に任せれば良い。君は君にしか出来ない事をすれば良いのさ……それが使命というものだ」

 

 ヤーナムの民がそうであるように。いくら獣に満ち溢れていても、それを狩るのは狩人で良いのだ。餅は餅屋、という言葉があるだろう。

 

「それとも何かね、君はさやか達を哀れみ、そのせいで魔法少女になるのかい?」

 

「そんな言い方……!ないと、思う」

 

 いいや、と。私は心優しき幼い乙女を否定する。

 

「誰しも使命を持って生まれる。そしてさやかや仁美は、今や魔女を狩る魔法少女としての使命を持ったのだ。まどか、君はその使命を貶めようとしているんだよ……それはあまりにも残酷だ」

 

 その身を獣に堕とし、それでも理性を取り戻し、狩人として、英雄として立ち塞がった男を思い出す。彼はその命の最期まで教会の狩人であり続けた。

 自らが正義と信じた教会に裏切られ、縋っていた師が何の変哲もない虫であったと知っても……それでも、誇りだけは捨てなかった。初めて対峙した時は分からなかったが……今では分かる。彼はただ使命に忠実であり続けたのだ。狩人達を導く身として、私をあの場で試したのだ。

 あの時、彼は確かに聖剣のルドウイークだった。月光に映る醜いはずの貌は、百合に浸かった私ですらも惚れさせる。

 

「君の気持ちも分かる。何もしてやれない自分の無力を嘆いているのだろうさ」

 

 まどかはまた俯いた。彼女の頬を、私の手がそっと触れた。

 

「君は美しい。他人を思い遣れる心がある。その心だけでも、彼女達は救われている。さやか達も……ほむらも」

 

「ほむらちゃんも……?」

 

 笑顔で頷いた。真相を知るにはまだ早いが、それでも安堵はさせてやらねばなるまい。

 納得と理解は程遠いだろう。だが、同時にそれをこなす必要はあるだろうか。そんな事ができる人間はいないだろう。なら、少しずつで良いのだ。そうして人はその啓智を高める。今はまだ、まどかはそれで良い。

 私達はそれから少ししてお開きにすると、互いに帰路へと着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このみは庭を整備するがてら、持て余した暇を工房の掃除に充てる。それはいつも通りの光景だった。そもそも、この狩人の夢の住人達は汚れに無頓着過ぎるのだ。

 最初の狩人であるゲールマンは年老いているから掃除などさせられないし(獣を掃除する時は別)、時計塔のマリアは身長が高くて美人であるが故に話し掛け辛い。彼女の模倣品である人形ちゃんも、これまた人形であることの宿命か手先が不器用で手伝わせれば何か壊す。新しい住人である毬子あやかは何というか、そもそも漫才のネタを作るのに忙しいらしい。

 ならば、夢の主たる狩人は。彼女こそこの工房を汚す原因だ。

 読んだ本は読みっぱなし、弄った武器はその辺に散らばり、溜まりに溜まった呪いを放出させている。血のような石もいろんな種類が散らばっている始末。

 

「でも狩人さんも忙しそうだし……」

 

 ここ最近、主である百合の狩人は忙しなく外界を駆け巡っている。その目的が、彼女が言う天国に繋がるものであることは理解してはいるのだが……と。

 おもむろに拾い上げた月光の聖剣をボックスに片付けようとした時に、このみの足元に使者が現れた。彼らは総じて三角巾を被り、その手には掃除用具を手にしている。

 

「あら使者さん、手伝ってくれるの?」

 

 笑顔で問い掛ければ、使者はいつも通りの唸り声で答えた。どうやらそのつもりらしい。今も手にする聖剣を引っ張っている。

 彼らの気持ちを有り難く受け取り、このみは聖剣を手放す。すると聖剣は使者達が現れた空間へと消えていく……これは片づけられたのだろうか。しかしまぁ良いと。このみはそのまま彼らと掃除を続ける。

 

 聖剣は確かに片付けられた。夢の底、境界線へと。そして今、夢に繋がるような場所は。

 見滝原。少女達がやって来た街。その境界線へと、聖剣は追いやられる。その輝きにかの狩人の遺志を宿して。導きの光を携えて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さやかと仁美は夜の公園を探索する。この時間帯に外を歩き回る中学生はいない……ましてやこんな、清廉な少女など。理由はもちろん、魔女退治に他ならない。

 今日はマミも私も用事が有り、パトロールは新米二人だけだ。それもまた経験だと、ベテランであるマミは納得した結果だったが。

 

「ここら辺に反応あるね〜」

 

 やる気十分なさやかがソウルジェム片手に魔女の反応を探す。そも、なぜこんな人も出歩かない時間にパトロールをしているのかと言えば、仁美の習い事が原因だった。なにかと忙しいお嬢様では、この時間に抜け出すのがやっとらしい。

 

「本当にごめんなさい、こんな時間まで付き合わせてしまって……」

 

「いーのいーの、さっきまで家でぐっすり寝てたし、宿題も終わらせたし!そ、れ、に!明日は恭介が久しぶりに登校してくる日だからちゃんと街の平和を守らなくちゃね!」

 

 いかにもさやからしい言い分だった。それだけ、彼女は慈悲に溢れている。そして健気である。

 いつか、私の下に来る日が待ち遠しい……が、彼女には想い他人がいるから望んだ展開にはならないだろうさ。それで良い、恋とは自由にあるべきだ。

 

 しばらく探索すれば、公園の奥深くにその反応はあった。これは使い魔ではなく、魔女の反応だろう。

 そして公園が結界に変貌すれば魔法少女としての使命が始まる。即座に変身し、各々の得物を取り、現れた魔女に対峙するのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 が。

 

 

 

「おらァッ!」

 

 

 突如として、魔女がさやか達以外からの攻撃を受けて撃沈する。視界外からの一撃……まさしく忍殺とでも言えようか。その一撃が、魔女の頭をカチ割って文字通り粉砕して見せたのだ。

 困惑するさやかと仁美を差し置いて、謎の襲撃者は勢い余って地面に刺さった槍を引き抜く。さすれば、結界は消え去り外灯に照らされた公園のみがあるだけだ。

 

「な、何なの!?」

 

 さやかが剣を構える。すると襲撃者は赤い衣装を翻して彼女達を見据えた。口にはチョコでコーティングされたお菓子……手には物騒な槍。佐倉杏子だった。

 

「へぇ……新米がいるってのは本当だったんだ」

 

 整った顔から獰猛な笑みを滲ませて、そう喋る彼女は味方ではなさそうだ。それはそうだろう、昨日の一件で嫌と言うほど思い知らされた。

 

「魔法少女……?」

 

 仁美が呟けば、杏子は槍に着いた血を払って言うのだ。

 

「見りゃわかんだろ」

 

 カリッとお菓子を齧り、杏子は槍をクルクルと回す。そしてその切っ先を彼女達に向けるのだ。

 闘志が、はっきりと感じ取れた。この赤い魔法少女は自分達の見滝原を侵しにきたのだと、嫌でも理解できてしまった。

 

「他所の魔法少女が来てんだ、やる事は一つ……」

 

「仁美、来るよッ!」

 

 そうして、杏子は槍を構える。その動きに一切の無駄はありはしない。

 

「縄張り争いってね!」

 

 有無を言わさず、杏子は後輩達に襲い掛かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ノコギリ鉈の一撃を避けると、私は前に踏み込んで両手の落葉を振るった。クルリクルリと回るその姿は踊る様に。されどその遠心力を持って、相手の喉元を掻き切るために。

 若き狩人はステップでそれを避けようと下がったものの、思った以上のリーチを誇る落葉の刃先に身体を斬り刻まれた。

 

「うッ!」

 

 吹き飛ばされ、出血しながらも彼は立ち上がる。そして回復しようと輸血液に手を伸ばした瞬間に、対峙する相手……私の目から放たれる一筋の流星に輸血液ごと手を捥がれた。

 自らの身体から分かたれた腕を無視して、彼は次の手を打たせまいとノコギリ鉈を変形させて割と遠くから振るったが。

 

「はいパリィ」

 

 いつの間にか持ち替えていた私のエヴェリンによって攻撃を中断させられるどころか、体勢を崩されてしまう。

 異様な程強化された銃から放たれた水銀弾が恭介の内臓をぐちゃぐちゃに引き裂くと、すかさず私は彼に駆け寄り内臓へ手を突っ込む。

 

「君の負けだ」

 

 宣言し、そのまま彼の内臓を引き摺り出した。吹っ飛ぶ彼……私の手には血に塗れた臓物が握られている。これぞ内臓攻撃だ。

 地面を転がる恭介は、そのまま立ち上がる事なくその身を薄れさせる。要は……死んだのだ。だがそれも一時だけ。今の死は夢でしかない。ならば目覚めるまで。夢で目覚めるとは、何とも哲学的ではあるが。

 

 ━YOU DIED

 

 私が内臓を捨てて手を払えば、夢に復活した恭介が疲れたように膝をついていた。

 

「はぁ、はぁ、はぁッ!クソ!」

 

 私は笑いながら外套を翻すと、彼に寄る。

 

「ダメだよ恭介。狩人たるもの、相手の二手三手先を考えて動きなさいな」

 

 そう助言すれば、彼は私を睨みつけた。ふむ、順長に彼の闘争心は育って来ているな。最初なんて少しお姉様が遊んであげただけで根を上げていたのに。

 と、私の後ろからマリアお姉様がやってくる。彼にとっては先生だ。

 

「そこまで。恭介、なぜ負けたのかよく考える事だ……これを使い給え。人形の下で使うと良い」

 

 お姉様は濃厚な死血を恭介に授ける。彼は今の所、獣狩りを体験していない。故に、強くなるには施しが必要だった。足りない血の意思は私が十分に持っているから、それで補えば良い。

 恭介は一礼すると、人形ちゃんの下へと向かう。悔しそうに身を震わせながら……

 

「容赦が無いな、君は」

 

 美しい唇が開かれ、ストラディバリウスのような喉から麗しい声が響く。私は白い顔を紅潮させながら、

 

「彼には強くなってもらわねばなりませんから……ああお姉様、久しぶりに血が滾りましたわ。私達も一戦如何でしょうか?」

 

「止め給え。どうせ、私に嬲られたいだけだろう……そういう所だぞ、君は」

 

 はぅん!と身を捩らせる。

 

「お姉様に蔑まれたッ!ああ!身体に電撃が走りそうですわッ!ああお姉様!お姉様のその真白な肌にむしゃぶりついてもよろしくてッ!?」

 

 気がつけば、マリアお嬢様はため息まじりに踵を返して立ち去っていた。連れない人だ……だが、それでこそ落とし甲斐があるというものだろう?

 と、そんな時だった。私の瞳が何かを映したのだ。これは見滝原……それも、魔法少女のものだろう。

 そこに映るは青と赤、そして緑の激しい少女達。なるほど杏子め、さやか達とぶつかったようだ。杏子を探していたマミを出し抜いたな。

 

「ふふ……良いわ、お姉様。お姉様が構ってくださらないのなら、彼女達に満たしてもらいますので」

 

 そう言って私は笑う。そして見下ろすのだ。人形に血の遺志を捧げる、上条少年を。彼には彼の、狩人以外の使命を果たしてもらわねばなるまいよ。

 楽しみだなぁ……ヒヒ、ひひひ。




次回、戦闘回

杏子ダルルォ!?(誤字への戒め)


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無限に有限

 

 

 私の目と鼻の先で、黒髪を乱雑なショートカットに切り揃えた少女が地面を這いつくばっている。半ば錯乱した様子で無くし物を探す姿は飼い主に逃げられた犬のようで愛らしくも思えた。

 ボーイッシュというのは、真にこの事なのかもしれない。事実、彼女の服装には想い他人以外を意識しておらず、ボーイッシュさの中にもちゃっかり可愛らしさを取り入れるさやかとは異なっている。

 私は手にしたキーホルダーを這いつくばる彼女の目の前で揺らした。

 

「探し物はこれかな?」

 

 少女は天啓が舞い降りたかのように目を輝かせ、私の手から素早くキーホルダーを奪い取ると眩い笑みで言う。

 

「うお〜ンあいたかったよぉおお!愛が壊れずに済んだぁあああ!」

 

 必要以上に喧しい子であるが、それだけキーホルダーに対する愛情が深いようだ。いや。深いなどと言い表せるものではない。それは最早、深淵そのものだ。これほどまでに人間は愛を深めることができるのかと、上位者たる私ですら感心してしまう。

 少女はそのまま四つん這いで私に迫ると半ば叫ぶように言った。

 

「君のお陰で愛は死なずに済んだ!ありがとう!」

 

 そんな奇行とも言える行動を取る少女に、私は笑みを返した。

 

「それは良かった。愛は大事だからね」

 

「恩人!君は話が分かるねっ!私は呉キリカ、恩人に恩返しがしたいッ!」

 

 まるで一人だけ違う世界からやってきたようなテンションで提案する少女……キリカに、私も満更でもなさそうに肯く。

 恩を返すと言うのは実に人間らしい行動ではあるまいか。ヤーナムでは恩が呪いになって帰ってくるなんて事がザラだった。助けてやった偏屈な男もそうだし、あの珍しい獣と化した男もまた。

 

「そうだね、それじゃあお言葉に甘えて」

 

 私は恩を仇にしない。ましてや少女から貰えるのだ、無碍にすればそれこそ呪われるだろうさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 圧倒的とは、正に彼女の事を言うのだろう。さやかと仁美は傷付いた身体で地に這いながら、襲撃者の少女を見上げる。

 たった数分。いや数秒かもしれない。二人がかりで挑んだにも関わらず、手も足も出なかった。さやかが直線的に剣で突っ込もうものならば槍で遊ばれ、仁美が搦手でチェーンソーで刻もうとするならば三節棍で翻弄され。

 特別な事は何一つ無い、ただ単純に、魔法少女としても狩人としても彼女達は杏子の足元にも及ば無いのだ。

 

「マミとあの薄気味悪い狩人の仲間だっていうから期待してたのによ。なんだこりゃ?全然雑魚じゃんか」

 

 心底失望したと言わんばかりに杏子は菓子を貪る。そこに戦いは有らず。ただ遊戯として二人を相手にしていただけにも思える。

 さやかと仁美は武器を杖にして立ち上がり、強敵と改めて対峙する。勝ち目がない事はわかり切っていたが、それでも自分や仲間を脅かすであろうこの少女を放っておけるわけはなかった。

 

「あんたがキュゥべぇが言ってた魔法少女だね……!」

 

「なんだ、マミとあの狩人から聞いてなかったのかい?しかしまぁ、マミがアマちゃんならその弟子達もアマちゃんだな。使い魔なんて放っておいてさ、何人か食わせりゃ魔女になるんだから。そうじゃなきゃグリーフシードが手に入らないじゃん」

 

 その身勝手かつ現実的な言葉に、さやかは激昂した。気がつけば、さやかは魔力で無理やり身体を回復させ杏子へと突撃を仕掛けていたのだ。

 直線的な動きだった。ただ迫り、剣を振るうだけ。当然の如く杏子はそれを避け、がら空きのさやかの腹部へ蹴りを見舞う。勢い良くさやかは仁美の真横へと吹き飛ばされた。

 

「さやかさん……!」

 

 気を失ったさやかを守ろうと彼女の前に立ち、チェーンソーをフルスロットルで回転させる。威圧的、しかし単なるこけおどしでしか無いその行為は杏子に何も影響を与えない。

 興醒めと言わんばかりにため息を吐くと、杏子は細いチョコクッキーを食べほして仁美を見据えた。

 

「はぁ〜……まったくこんなのが魔法少女なんてキュゥべぇも何考えてんだか。ま、そういう夢見がちな奴には……」

 

 獰猛な笑みを浮かべ、杏子は槍を構える。その鋒には一切のブレがない。

 

「現実を見せてやらなきゃなァ!」

 

 互いに攻撃を仕掛けると、火花と少量の血が舞った。血は言うまでもなく仁美のものであり、しかしそれくらいでへこたれるお嬢様でもない。

 戦いは一方的で、けれども苛烈を極めた。さやかは朧げな意識の中、ただそれを見ている事しかできない。

 

「甘いんだって!」

 

 杏子の槍の連撃が仁美を傷付ける。致命傷をチェーンソーで防ぎながら、しかし小さなダメージが蓄積していく。それは人を超えた魔法少女とて無視できるものではない。痛みは薄くとも、出血と疲労のせいで動きは鈍くなる一方。

 それにだ、チェーンソーは大振りの武器。軽量かつリーチの長い槍相手では不利を極めた。

 

「ちょこまかと!」

 

 壁を蹴り、上空で乱れ打ちする杏子へと跳躍する。そしてチェーンソーを回転させて斬撃。

 

「あんたがノロすぎるのさ!」

 

 それを槍で押さえつけると、仁美の胸部にドロップキックした。足に伝わる柔らかい感触……女としての敗北感をいくらか味わった気もするが、今は関係がない。

 仁美は吹っ飛びながらもそれを意思とフィジカルで強引に耐え、なんとか着地する。

 

(せめて、さやかさんだけでも逃さないと……!)

 

 さやかは意識を取り戻したのか、咳き込みながら吐血している。立ち上がれるような状態でもない……戦闘続行は困難だろう。

 だからこそ、友達として彼女を守らねばなるまい。同じ人を好きになった者同士、ライバルとして、欠ける事は許されない。

 

「しかしまぁ、根性だけは認めてやるよ。そこの青いやつなんかに比べりゃ全然マシさ」

 

 さも当然のように上から投げかける杏子の言葉を、さやかははっきりと聞いていた。

 自分の無力さを、改めて思い知る。そして思い出すのだ、想い他人と病室で寄り添い、しかし何もしてやれなかった時間を。結局、願いを叶えてまでやりたかった事がこれなのかと。

 

 ━━ああ、私ってほんと……

 

 こうして自己嫌悪に陥っている中でも同志である少女は果敢に斬りかかっているというのに。自分は何もできないのだから。

 失望とは、こうも暗くて無気力なものなのか。いや違う。自分は甘えているだけだ。仁美という友達に、そして魔法少女というものに。立ち上がらなくてはならない。けど、それすらもままならない。

 焦燥感を通り越し、絶望が深まっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 目の前に、光が舞い降りた。眩い、それでいてか細い糸のような何か。

 けれどもそれは、暗い夜に、しかし確かに、月光を見たのだ。

 光の糸はさやかを導くように舞い。この世のものとは思えぬ啓智を与えるのだろう。かつてその身を獣に落とし、しかし最期には確かに英雄であった彼のように。

 

 ━━恐るなかれ。導きは、確かに存在する。私は見たのだから。悪夢において、確かに月光は私を狩人たらしめたのだから。

 

 男の優しい、けれども確かな遺志を感じた。同時にそれは継承される。月光という、まだ見ぬ高次元暗黒……それを照らす、導きを。ただ一人の少女でありながらも正義を信じる少女へと。

 だから少女は迷わず立ち上がるのだ。狩りに酔うことも無い。血に酔うこともない。ただ導きのままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思うに、クレープとは最高に少女を少女たらしめる食事だとは思わないかね?」

 

 私はクリームいっぱいのクレープを貪りながら、それを訝しむように眺める呉キリカに語りかける。甘いものは大好きだ。マミのケーキも、それにこのクレープも。帰りがけにマリアお姉様やこのみ達に買っていくくらいには好きだ。

 

「恩人は本当にそんなものでいいの?」

 

「そんなものとは失礼だな、クレープほど罪深い間食は無いだろうに……私は太らない体質だが、そうではない少女からすればこのクレープは罪なのだよ。それにしても、奢ってもらってすまないね」

 

 ほっぺにクリームを付けながら私は感謝する。

 

「むしろ足りないね!私の愛がその薄い食べ物と一緒なんて思われたく無いな!」

 

 愛。その言葉を聞いて、私は食べる手を止める。そして並々ならぬ彼女が捧げる愛について問うことにした。

 

「愛……ふふ、そのキーホルダーも愛する誰かからの贈り物なのかな?」

 

 そう尋ねれば、キリカは困ると言わんばかりに困惑しながら……と言うよりも、そこに質問されたく無いと言うような雰囲気で曖昧に答える。

 

「え?あ、ああうん。そう、だね」

 

 私は特に突っ込まずに笑い、

 

「物凄く君に愛されているのだね、その人は」

 

 だが、この言葉が彼女の何かに触れたらしい。少女の多感で不安定な心は一気に爆発する。

 

「そんな軽々しいものじゃないぞッ!」

 

 私はそんなキリカを、いつもの微笑でもって眺めた。語りたければ語るが良い、私は少女の味方なのだから。

 

「愛はすべてだッ、愛を単位で表すような奴は愛の本質を知らないッ!」

 

 獣の臭い……しかしそれに紛れて少女の匂い。私はほのかに香るその匂いを嗅ぎながら、ずいっと顔を寄せたキリカの目を見据える。

 ああ、美国織莉子は幸せ者だな。こんなにも少女から愛を受けているなど。壊れた愛ほど甘いものは無いだろうさ。

 

 呉キリカはふらふらと私から少しだけ距離を取り、その歪んだ笑みを空にむけた。その笑みは、あの悪夢において血と狩りに囚われてしまった狩人達のように獰猛で、獣染みている。

 

 

「愛は無限に、有限だよ」

 

 

 刹那、彼女の真下から魔女が飛び出てキリカを飲み込んだ。哀れな魔女だ、自分一人でどうにかなるとでも思ったのだろうか。同情するよ……だから君も、私の下に来給え。すぐさま狩装束へと切り替えると、落葉を手に対峙する。

 

 だが、私の願望とは裏腹に。

 

 魔女の体内を突き破り、魔法少女姿の呉キリカが飛び出してきた。

 

「愛は無限に有限なんだ……」

 

 凄まじい速度で魔女を切り刻む彼女の両手には鉤爪……まるで獣の爪だ。獣化せずとも獣のような愛を持ち得る彼女に適しているとも思える。

 眼帯は……失ってしまった彼女の過去を彷彿とさせるに違いない。目を失い、光を美国織莉子に依存する彼女らしい。

 

「私は彼女に無限を尽くす」

 

 何が起こったかも分からぬ魔女は裁断され。

 

「恩人を故人にすることも、無限の中の有限に過ぎないよ」

 

 籠絡の魔法少女、呉キリカ。明確な敵意が私に向けられた。私はしばらく忘れていた本来の獣との戦いに、嬉しさのあまり身を震わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 眩い光の波が杏子に迫る。危険を察知した杏子は仁美から離れると、迫り来る未知の光を避けた。瞬間、それは物質では無いはずなのに、近場にあった鉄製の遊具を粉微塵にしてみせた。

 杏子は着地すると、光波がやってきた方角を睨む……そこには、先ほどまで地に伏せていた少女の姿があった。

 

「お前……」

 

 だが、どこかおかしい。それは友達の瞳であるならば尚更感じる事ができた。

 虚に佇むさやかはいつもの一振りの剣を、その鋒を杏子に向けるのみ。闇夜に、しかし青く光り輝くその剣は。魔法少女という神秘の存在から見ても異端であり。

 

「……私達は魔法少女。陽は当たらず、ただ闇の中で獣と対峙する。私はそれを照らす月光」

 

 少女は呟く。マントを翻し、月光を剣に宿し。

 

「あんたみたいな魔法少女や魔女から皆を守るのが、私の使命だよ」

 

 言い放ち、剣を振るう。その剣の軌跡から、先程の光波を放ちながら。

 

「さ、さやかさん!?大丈夫ですの!?」

 

「仁美、ありがとう!あとは私が!」

 

 心配する仁美を他所に、さやかは研ぎ澄まされた剣技で杏子と戦う。

 光波を再び避けた杏子に、再度彼女は剣で迫る。先程と同じ……ように見せて、何かが違う。

 

「このッ!」

 

 杏子の槍を見切りつつも、さやかは無理に攻撃はしてこない。ただ隙あらば剣を打ち込むのみ。杏子が技を繰り出そうものならば光波で妨害し、逃げようとするのならば剣を飛ばし、左手の短剣で追撃し。杏子の攻撃には防御だけでなくステップを交えて回避する。

 先程までの新米魔法少女はいない。ただ狩りに慣れた一人の狩人が、そこにはいた。

 

「見える、見えるよッ!私にも光がッ!」

 

「こいつ……!」

 

 杏子はその瞳に、狂気の一端を見た。まるで力に酔いしれるような、そんな目の輝き。

 

「調子に乗るんじゃ、ねぇー!」

 

 槍を分解して鎖と連携、得意の搦手でさやかを四方から攻撃する。

 だがさやかは一歩も動かず、ただ剣をアスファルトに突き刺して魔力を放出した。

 

「うりゃぁあああああ!!!!!!」

 

 魔力の奔流。かつて悪夢で、人間を取り戻した男が使った技。彼女の身体から放たれる魔力は迫り来る槍と鎖をすべて弾き返した。

 その余波は、杏子を吹き飛ばすだけの力を持っている。吹き飛ばされたベテランは、立ち上がろうとしてさやかが次の攻撃を繰り出す瞬間を見た。

 

「これで、終わりッ!」

 

 天高く掲げた剣。それに宿された導きの月光は、サーチライトのように夜空を照らし。

 さやかは勢い良くその剣を振り下ろす。先程までとは比べ物にならない光波……否、光の柱が杏子を襲った。

 

「こ、のぉおおおおおおおッ!!!!!!」

 

 槍と結界で全力で防御をするも、それを貫き杏子を今度こそ完膚なきまでに吹き飛ばした。100メートルは宙を舞う杏子、変身はその道中解除され。赤いソウルジェムが舞う。

 それが仁美の目の前に落ちたのは幸運だっただろう。友が繰り出した渾身の一撃に見惚れた彼女は、それを拾い上げると強敵を打ち倒したさやかに駆け寄った。

 

「さやかさん、やりましたわねっ!」

 

 背後から声をかけるも、声は返ってこない。するとどうだろう、さやかは変身を解除してその場に倒れ込んでしまったではないか。どうやら……相当な負荷がかかっていたらしい。見てみれば、彼女のソウルジェムもかなり黒ずんでいた。

 功労賞のさやかを背負い、同じく倒れた杏子の下へと近寄る。彼女は……何というか、息をしているのかすら怪しい。

 

「……死んで、いる」

 

 首に指を添えて脈を確認してみれば、杏子は息絶えていた。だが、外傷はそこまで無いはずだ。ならばなぜ。

 興味本位で。仁美は回収した杏子のソウルジェムを取り出して眺めた。色は燻んでいるが、さやかのものほど黒ずんでいない。ならばなぜ……

 

 まさか。まさかそんなはずは。

 

「いえ、そんな。嘘、そんな……」

 

 聡明な彼女は気がついてしまう。だが好奇心は強くて。ソウルジェムを、杏子の死体に置いた。

 

「うっ!うごほ、ごほッ!」

 

 瞬時に息を吹き返す杏子。相手がいくら悪い魔法少女でも生きていて良かったと思える反面、気がついた真実に絶望しかける。

 

「く、そ……」

 

 杏子には立ち上がる気力も無い。だがそんな事はどうでもよかった。仁美はそれよりも、自身らが願った奇跡の代償を理解してしまったのだから。その事実に、ただただ震えた。

 

 だがそれで絶望は終わるはずもなく。気がつけば、彼女達がいた公園は魔女の結界に包まれていて。

 

「魔女……くそ、ついてない」

 

 満身創痍の杏子が呟く。三人は十分に戦えるほどの力を今持ち得ていないのだ。きっと、今襲われれば誰かが死ぬ。

 だが、杏子としてはそれも仕方のない事だろう。今まで好き勝手やった報いが来たのだと、納得するほか無い。

 そう思っている間にも、きっと彼女達が追っていた使い魔が成長したであろう魔女が三人に迫る。仁美が硬直したように動かないのは不思議だったが、どうでも良い。

 

「ゆま、ごめん」

 

 ただ残してきた一人の少女が気がかりなだけ。杏子は目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 ━━獣の臭いだ……むせるじゃ無いか。

 

 

 

 

 

 

 声が響いた。少女のものでは無い、若い男の声。その声に反応するように、仁美は我に帰る。

 気がつけば、魔女と彼女達の間に割って入るように一人の影があるのだ。春だというのに黒い外套など着て、おかしな帽子を被り。その手には大きな大砲と、鋸のような武器を手にした男。

 顔は見えないが、こちらに背を向けるその男は魔女と明確に対峙していた。

 

「貴様は良い音を奏でるんだろうな……?」

 

 男は不気味な声色で呟くと、魔女に大砲を向ける。刹那、大砲が火を噴いた。轟音が耳を痛めたが、それよりも通常の武器では魔女に太刀打ちはできないはずだ。

 だが。

 

『ぎゃああああああ!』

 

 魔女は、その一撃を受けて悶える。確実にあの古臭くて血生臭い大砲は魔女へとダメージを与えているようだった。

 男は大砲を投げ捨てると、何かの丸薬を飲み干し腰に吊り下げていた古そうなピストルを代わりに持ち、鋸と合わせて突撃していく。

 

「待て!魔法少女じゃなきゃ……」

 

 杏子の忠告も無視し、男は怯んだ魔女にノコギリ鉈を振るう。血が出て、肉が削ぎ落とされ、魔女は絶叫している。杏子の心配は杞憂だったようだ。

 

「ハハハハハッ!鳴け!奏でろッ!獣めッ!」

 

 嬉しそうに叫ぶ男は何度も何度もノコギリ鉈でもって魔女を切り裂いていく。だが魔女は抵抗し、触手のような手で男を振り払うように攻撃した。

 それを、容易く男はステップで避けて見せる。それは先程さやかが覚醒して見せたようなものでもあり。昨日戦った狩人のようにも見える。

 

 男は避けざまにヤスリを取り出すと、ノコギリ鉈に着火させる。勢い良く、都合良く刃の部分が燃え盛り、凶暴な武器がより一層攻撃的になった。

 

「獣は死ねッ!遺志を寄越せッ!」

 

 笑い、獰猛に燃え盛る武器で攻撃すると、魔女はあっという間に膝をついた。圧倒的な火力の前に魔女は無力だ。

 

「ああ……なんて、なんて綺麗なの」

 

 仁美はその姿に見惚れる。男の、まるで演奏のような狩り姿。認めたくはない。けれどあの声、姿、佇まい、すべてが想い他人と直結する。

 男は手刀を魔女の内臓へと突っ込むと、強引に引き抜いた。夥しい血と内臓が彼の手によって引き摺り出され、公園の土を汚していく。

 

「死ね、獣め」

 

 男が言い張ると、魔女は絶叫と共に霧散する。あっという間に、いかに生まれたての魔女と言えども男は圧倒的なまでに勝ち誇って見せた。

 

 

  ━━PREY SLAUGHTERED━━

 

 

 男は武器を一瞬でどこかへ消すと、彼女達へと振り返る。そこに敵意は見られない。だが、杏子を見ているわけでもない。ただ仁美とさやかだけに、その恐ろしい瞳を向けていた。

 理解する。奴もまた、昨日の女と同じく狩人なのだ。

 

「かみ、じょうくん」

 

 惚ける仁美に、男は寄っていく。そして口元を隠していたマスクを取ると、その顔が露わになった。なんて事はない、同年代の整った顔をした少年だ。返り血に塗れていなければどこにでもいそうなお坊ちゃん……上条恭介。

 恭介は仁美に寄ると、どこか偏愛を感じる笑みで言った。

 

「それが、今の君達の姿なんだね」

 

 その声色には優しさが混じる。仁美は想い他人の優しさに歓喜しつつも、同じくらい動揺していた。魔法少女の真実を知ってしまった今、彼と顔を合わせるのが躊躇われるのだ。

 

「その、上条くん、きゃっ!」

 

 背中のさやかごと、恭介は二人を抱きしめる。そして囁くのだ。甘く、神秘に満ちた声で。

 

「美しいよ。その魂も、すべて……二人とも」

 

「あ、あ、あ!そ、っそそそその上条くん!?」

 

 顔を真っ赤にしてアタフタする仁美。杏子はそんな光景に困惑と呆れを持ちつつも、逃げるならば今だと算段する。体力はもう大丈夫だった。

 杏子は魔法少女にならずに全力でその場から逃げ出す。恭介はその後ろ姿を見ていたが、追いかけることはしなかった。

 今は目の前の愛おしい少女達にしか興味が無かったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 毒や猛毒、そして発狂。こちらの内側から攻撃をしてくる敵はヤーナムには沢山いた。特にあのほおずき女は厄介の極みだ、見ているだけで発狂しそうになる。……上位者となり、更なる啓智を手に入れた今となっては愛らしい。

 しかしまぁ、まさかこちらの速度を下げてくる魔法とは。実に魔法少女とは神秘に溢れている。

 

「はははッ!恩人強いな!」

 

 凄まじい速度で鉤爪を振るうキリカに、私も落葉で対処する。実際にはそんなに速くはない。だが彼女の魔法でこちらの速度が下げられてはやり辛くもあるな……経験にはなるが。

 私はエヴェリンで彼女を牽制すると、持ち主のいない魔女結界を逃げ回る。少女と追いかけっこというのも雅だろう。

 

「最近魔法少女が殺されているらしいが、やったのは君だね?」

 

 逃げながら笑い、そう尋ねればキリカは満面の笑みで頷いた。

 

「うんっ!」

 

 刹那、真上から彼女が突撃してくる。瞬時に触媒を握り獣の咆哮で叫ぶと、キリカはたまらず退いた。

 

「すごい!今のを切り抜けるなんてね!」

 

「だろう?狩人だからね」

 

「あれ、魔法少女じゃないの?」

 

 この子は頭が弱い。だが、そんなところも好き。

 

「そうさ。でもね、魔法少女も大好きだよ。君も、そして君が愛する織莉子もね」

 

「黙れ殺すッ!」

 

 感情を反転させたキリカがジグザグに迫る。なるほど、銃撃対策か。意外と機転は利くようだ。

 ローリングで攻撃から逃れると、私は真横のキリカに蹴りを放つ。筋力はあまり自信はないが、それでも牽制にはなる。キリカは蹴りを鉤爪で受けると、押し返す。私はその反動を利用して吹っ飛び、再度逃げた。

 

「しかし君の愛は素晴らしい」

 

 相手の壊れた愛を称賛しながら着地すると、新たな触媒を握った。

 

「そうだろうッ!恩人、見る目あるよ!」

 

 相手も私を褒めながら迫る。

 

「帰ったら愛する人にクレープでも買っていくと良い。丁度、お腹も空いただろう?」

 

「確かにね!うん、それ採用!」

 

 彼方への呼びかけを行う。すると、私に夢中のキリカの背後に高次元暗黒が出現した。

 

「でもまずは恩人を殺さないとね!君は織莉子に何かしようとしているからなぁ!」

 

 私は動かず、笑った。

 

「そうだね。でも、私が死ぬ必要なんてないさ」

 

 キリカの背後から流星が迫る。それに彼女が気がついたのは、キリカの背中に直撃する直前。同時に、私は彼女を称賛した。まさか当たる寸前に流星に速度低下を施してダメージを軽減するとは。

 背中に流星が突き刺さり、キリカは結界の床を転がる。

 

「だが獣に身を落としかけるのは頂けないな……君は本来、そんな人間ではないのだからね」

 

 目の前で倒れ伏すキリカに言葉を投げかける。

 

「さて、君の想い人もやって来たし……三人でクレープでも食べるかい?」

 

 軽口を叩きながら、私は瞬時に加速して迫る水晶を回避する。なるほど、君は愛されているなキリカ。羨ましい、私もお姉様に愛を向けて欲しいものだ。

 水晶が巻き起こした煙に紛れ、少女がキリカを回収する。

 

「私の事……ご存知のようで」

 

 現れたのは白い装束に身を包んだ魔法少女。美国織莉子……呉キリカが愛を一心に向けるその人だ。

 私は埃を払い、丁寧に簡易礼拝してみせた。

 

「もちろん。私は少女の味方だからね」

 

「貴女は魔法少女ではないと御見受けしますが」

 

 私の礼拝を無視して織莉子は質問する。

 

「ああ、そうさ。私は狩人……百合の狩人。そして君は、美国織莉子。呉キリカの深淵のような愛を受ける、未来を憂う魔法少女だね」

 

 そう言うと、彼女の表情が少し強張った。

 

「なら……私の目的も、ご存知で?」

 

「そうだね。それについて、君と話がしたくてね……そうだ、キリカもお腹が空いたと言っていたし。美味しいクレープ屋があるんだ。三人で食べながら話すと言うのはどうかな」

 

 しばし、織莉子は沈黙した。まるでこちらの意図を探っているような、そんな感じだ。

 

「……いいでしょう。どうやらキリカも御迷惑をおかけしたようですし」

 

 魔女結界が晴れる。同時に、私たちはそれぞれの装束から自身の制服へと戻った。おお、織莉子の制服姿のなんと美しいことか。まさかお嬢様学校だとは。素晴らしい!

 

「ついて来てください、狩人さん」

 

 その、相手を警戒しながらも丁寧な言葉遣いに私は心を洗われる。そして思うのだ、どこかお姉様と人形ちゃんに似ているなと。

 

「少し、いいかね?」

 

「なんでしょう」

 

「一回で良い、狩人様、と言ってみてくれ」

 

 その問いに、織莉子は訝しみながらも、

 

「……狩人様?」

 

「あ゛あ゛」

 

 思わず血が沸騰し掛けた。良い声だ……むせるじゃないか。

 




ルドウイーク戦大好きです


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月光に当てられて

 

 頭が重い。私の取り柄といえば、それはやはり悩みなど感じさせない底抜けの明るさと活発さのはずだ。私が私である事の証明として、今までそうやって私は美樹さやかとして生きてきたのだから。

 でも、今の私にはどうしてかそんな活力は湧いてこなかった。ただ深い微睡の中、私はその身と思考を闇に委ねるだけ……まるで、死人のように。

 

 あの赤い魔法少女と戦い、私はどうなったのか。確かに私はあの自らへの落胆の夜に、一筋の光を見た。それから自分は……思い出せないでいたが、そんな事すらも今はどうでも良かったのだろう。ただ私は、心地よさの中に沈むだけ。

 

 沈むだけなのだ。

 

 

 

 

 

 

 暗く、何も無いはずなのに、私は暖かさを感じた。それはこの心地の良い微睡とは違う……別種のものであろう事を、なぜだか悟る事ができた。

 悟る、のではない。囁くのだ、頭の中の私が。目を開けて真実を観よ、と私の心に。だから私は、その囁きの通りに眼を見開く。

 

 暗い闇の中、その人はいた。気がつけば、闇はどこかへと過ぎ去って広がる風景は何か教会のような建物の中である事がわかる。

 荘厳なステンドグラス。そこから入り込む光は、陽の光ではない。月光だ、眩い月光が私とこの建物内を照らしているのだ。

 

「ここ……」

 

 どこ、と言おうとして、教会の最奥、そこにある祭壇のような何か。造りの立派なその祭壇の手前にいる誰かに気がついた。月光の光を受けて、神秘的に映し出されるその姿は、大きな男の後ろ姿。祈りでも捧げているのだろうか、彼は首を垂れているように見える。

 いつのまにか、自らを支配していた気怠げな感覚は無く。そこにはいつも通りの美樹さやかがいるのみ。ならばその後の行動は早かった。

 

「あの〜、すみません」

 

 ちょっとだけおどおどしく、彼の背後から声を投げ掛ければ、その男は立ち上がった。

 なんと逞しい身体だろうか。白い衣装に身を包む男は、その丈の長い外套を持ってしても屈強な身体を隠す事はできないでいた。2メートルはあるであろう身体が、彼女に振り返ればその顔も見える。

 少し馬面の、しかし整った中年の男性。その彫りの深さを見るに異国の出身である事は想像に難くない。顔つきは厳しそうに見えて、優しくもありそうな、そんな理想的なダンディズムを感じる。

 さやかはしばしその男性に見惚れ、しかし想い他人の顔を無理矢理記憶から呼び起こして顔を横に振った。

 

「あの、ちょっと道に迷っちゃって……」

 

 言いかけて、さやかの横を何かが通った。それは一筋の光。細く、容易く千切れてしまいそうな光は男へと向かうと、そのままステンドグラスを抜けて月光に導かれるように消えて行く。男もまた、その光を目で追っていた。そして言うのだ。

 

「君もまた、月の光に当てられた狩人だと言うことか。異形の少女よ」

 

 荘厳な、しかし暖かみを感じる声色はさやかを現実に引き戻した。

 

「あの、ここって」

 

 尋ねようとして、男は手で彼女の言葉を優しく制した。そして教会に備え付けられた椅子を指差す。

 

「落ち着きなさい。そこに座ってからでも、遅くはないだろう」

 

 にっこりと微笑む男の言う通りに、さやかは言われるがままに座る。男はその後に彼女の横に座った。しかしまぁ、並んでみればその大きさがよく分かる。だが男から滲み出る謙虚さが、どういうわけかその大きさを包み隠しているようにも見えた。

 まるで、その姿は何かに怯えているようにも見える。それが何なのかはまだ幼い少女には分からない。

 

「異形でありながら魔を払う少女よ、聞きたいことがある」

 

 その周りくどい言い方を聞いて、それが魔法少女を示している事はすぐに分かった。だが本質はわかっていても、この男は魔法少女というもの自体は知らないようだった。

 

「なんでしょう……?」

 

 恐る恐る、この不審者とでも言うべき優男の質問に答えることにする。

 

「君は、その行いが不条理で自らを破滅に追いやるとしても自らの正義を貫く事ができるのかね?嘲り、罵倒されたとしても、君は自らの意志で戦う事ができるのか?」

 

 その質問は、初対面の者とは思えないほどにさやかの覚悟の真意を突いていた。美樹さやかという少女は、正義に生きる少女である。絶望し、その身を貶めても、どんな世界でも変わらない。ただ師と呼べる巴マミのように、自らも人々を守り、大切な人々に平和を齎す存在でありたいと願う魔法少女なのだ。

 一瞬の戸惑いも、どこまでも真っ直ぐな少女は躊躇わずに答える。

 

「私は……戦います。たとえ途中で死んでも、それまでは……だって、私は魔法少女なんだから。私だけの正義を果たします」

 

 その言葉を聞いた男は、しばし驚いたように目を見開いた後、安心したように顔を緩めた。

 

「遺志は、受け継がれるのだな」

 

 男が呟くように言う。

 

「少女よ、我が師が君を選んだ理由が分かったよ。これで安心して、私の遺志を君に託せる」

 

 え、とさやかが首を傾げると同時に男は立ち上がり、小さな少女を見下ろした。

 

「君は、強くありたいかね?」

 

「そりゃもちろん!だってそうしないと、皆に迷惑かけちゃうもん……」

 

 あの赤い魔法少女との戦いで、自らの弱さを痛感した。今のままでは足手纏いも良いところだろう。それではダメだ、もっと強くならなくてはならない。でなければ、自らの大切なものですら手放してしまう事になる。

 俯くさやかに、男は助言する。

 

「強さとは力があれば良いのではないのだよ」

 

 そう言う男の手には一振りの剣が握られている。大きな金属製の大剣だ……さやかの身長など優に越すであろう大剣だった。さやかは呼応するように立ち上がると、自らも魔法少女の姿となって一対の剣を取り出す……それは杏子との戦いにおいて、最後に使用した月光を宿した剣だった。

 剣士に言葉はそれほどいらない。どういうわけか、さやかには男の意図が分かった。それを我々は、啓蒙と呼ぶのだ。

 

「月光に導かれし我が同胞よ。ここは君の夢だ。私は招かれた客に過ぎない……だが」

 

 お互い離れ、剣を構える。男の立ち振る舞いを見れば分かる、それはもう途轍も無いほどの手練れなのだろう。さやかなど相手では無いほどに。

 

「君に教えを施す事はできる。生憎私は老師のように持つ言葉は少ないが……君にもこのやり方が一番では無いかね?」

 

 さやかは頷いた。同時に、男の正体もぼんやりとは理解できるのだ。彼もまた、自分と同じくあの光に導かれた者なのだと。ならば、同じ志を持つ者として弱いままでいるわけにはいかない。

 

「さぁ少女よ、来るが良い。手加減はしてやろう」

 

「へぇ〜……随分余裕だねおじさんッ!」

 

 聖剣のルドウイーク。魔法少女の瞬発力を持って、さやかは一気に間合いを詰める。そして一直線に剣を振るうと、これから師として崇める男はステップで難なくそれを避けて見せた。

 驚愕。なぜあれだけの巨体が、あんなに軽く動けるのだと。驚愕して、さやかは気がついた。

 

「……まず、君は基礎的な動きを身につけるべきだな」

 

 いつの間にか男の大剣で自らの胴は両断されていた。ボトッと上半身が地に落ちると、痛みよりも眠気が意識を襲ってくる。勝負は一瞬で決してしまった。

 男は動かないさやかを見て、少し申し訳なさそうに言う。

 

「……とりあえず、また今度来なさい」

 

 さやかは何も言えず、ただ深い微睡の中に身を委ねる。それが目覚めであることは、なぜだか分かっていた。

 かつて聖剣と言われた古狩人。私が悪夢で見えた恐るべき獣、そしてどこまでも人であり続けた男。さやかはこれから強くなるだろう。月光に導かれ、新たな師に教えられ。

 

 

 ━━YOU DIED━━

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこで、さやかはようやく目が覚めた。朝の陽気な木漏れ日が彼女の網膜を刺激する。眩しさを疎ましく思いながらも起き上がれば、そこは彼女がいつも寝起きをする部屋ではなかった。

 志筑仁美の部屋。お金持ち特有の広い寝室で、ベッドは豪華で……どうやら戦いで気を失った後、彼女の家に運ばれたようだった。

 

「さやかさん、目が覚めましたのね!」

 

 と、横から声がすれば親友のお嬢様が慌てて駆け寄ってくる。

 

「あぁ、仁美。ごめん、運んでくれたんだ。迷惑かけちゃったね」

 

 謝れば、仁美は首を横に振った。

 

「いいんですの。それよりも、お身体の方はもう大丈夫ですの?」

 

 言われて、さやかはベッド上で身体を軽く動かして異常をチェックする。清々しいだけで何も異常はないようだった。

 

「元気一杯、さやかちゃん復活!いや〜、仁美ん家の高いベッドでぐっすりだったよ〜」

 

 そう言えば、仁美は少しだけ呆れたように、しかし安堵したように困った笑みを見せた。

 

「もう、さやかさんったら……心配したんですよ。上条くんも夜の間ずっと付きっきりで……」

 

 言われて、さやかは驚いた。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ仁美!恭介もいたの!?何がどうなってるのよ!」

 

 思わぬワードに慌てれば、寝室の扉が開いた。そこから現れたのは……二人の想い他人である上条恭介。だがいつもと様子が違う。違うなんてもんじゃない、どうしたと。

 なんでそんな、春先なのに黒いコートなんて厨二病みたいな格好をしているのだろうか。

 

「やぁさやか、起きたんだね」

 

 爽やかな笑みを浮かべる恭介。

 

「恭介……どうしたのよその格好!」

 

 ああ、と恭介は自分の異常な格好に気がつく。同時にさやかは想い他人の新鮮な格好に見惚れてもいた。それは仁美も同じだろう。

 

「あの後、さやかさんがあの魔法少女を倒した後に魔女に襲われて……上条君が既の所で助けてくれましたの」

 

 えぇ!?と声を上げるさやか。

 

「僕もまた、君達魔法少女と同じように戦えるんだ」

 

 そう言って恭介は、無からノコギリ鉈を取り出す。そしてレバーを起動させ、ジャキン!と勢いよく展開して見せた。

 えらく物騒な武器に、さやかは少し引いた。引いたが、これはこれでカッコいいと、恋は盲目を発動させる。少女とは、実に愚直な生き物なのだ。

 

 ふと。何かの匂いを嗅いだ。

 

 嗅いだことはないが、それでも知っている。そんな不思議な感覚が……まるで頭の中の瞳が警鐘を鳴らす。

 

「これ……月の香り……」

 

 さやかの呟きは、仁美には届かなかった。だが恭介にははっきりと聞こえていて。

 恭介の中に眠る狩人の血が、急激に沸騰しかけた。急いで懐から鎮静剤を取り出すと、彼女達に背を向けてそれを一気に飲み干す。

 

「恭介、あんた一体何になっちゃったのよ……」

 

 眉を歪ませ心配するさやかに、恭介はまた振り返って笑みを見せる。妖しい、血に塗れた笑みを。

 そして言うのだ。自らが成り果てた存在を。これから彼らを狂わす歯車を、機械に入れるように。

 

 

「狩人さ、さやか」

 

 

 



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Under Pressure
少女の導き


 良く手入れされた薔薇園だった。まるで絵画の中から飛び出たようなこの場所は、美国織莉子の実家……常に鳴り響く都会の騒音すらもこの薔薇園では気にならない。

 高級そうなテーブルの上に差し出された、これまた装飾の凝ったティーカップを手にとる。そして、一口中身の紅茶を口に含んだ。うむ、マミの紅茶も美味しいが、この紅茶も中々に美味だ。

 

「故郷を思い出すね」

 

 嘘だ。ヤーナムで飲んだものといえば女王アンナリーゼの血くらいだろう。あの血もまた、素晴らしいものだ。身体の底から温まるような……きっと人柄が出ているに違いない。今度、女王に謁見しなければ。穢れた血を差し出さなければ。

 

「異国の方と御見受けしますが」

 

 優雅に紅茶を飲みながら買ってきたクレープを頬張ろうとする私に、織莉子は言った。私は頷いて、クレープを今度こそ食す。

 甘いクレープに落ち着いた紅茶の組み合わせは最高だった。うーむ、しかしそうなるとしょっぱいものも欲してくるな……人間とは欲深いものよ。

 

「大英帝国さ。ま、私はその片田舎と言うべきか僻地と言うべきか……そこの出身だけれどね」

 

Well......Your Japanese is very fluent.(とても流暢な日本語ですわね)

Where did you learn that language?(どこで習得を?)

 

 ピタリと私は食事の手を止める。綺麗な発音の英語だった。少しばかりアクセントに訛りはあるが、日本人の中ではかなり上手い方だろう……ちなみに私が見滝原で一番英語が達者だと思うのは早乙女先生だ。

 

Yharnam. I lived there before I came here......(ヤーナム。ここに来る前に住んでいた。)

for a long time. I learned it there(日本語はそこで覚えたよ)

 

 嘘も嘘だ、日本語は上位者になってから、短い期間で覚えた。

 それに……ヤーナムでの出来事は長いなんてもんじゃない。私からすれば、あのヤーナムでの狩は私の全てだ。それ以前のことは全く覚えていないのだから。今となってはどうでも良いが。

 気の遠くなるほど、私はあのヤーナムにて時間を繰り返した。それは同じく時を戻す少女、暁美ほむらの比ではない。

 

「そうですか……でもおかしいですわね。貴女の英語には郊外特有の訛りが一切ありませんわ」

 

 人形ちゃんのように美しい声で、しかしトゲのある指摘をしてくる。まぁ確かに、ヤーナムの発音は正しく英国的だったからそれも仕方ないだろう。その割にはアメリカ英語も混ざっていたし……思えば、あそこは言語まで特殊だったに違いない。

 

「ヤーナムは少し特殊でね。僻地だったからこそ訛りもまた少なかったのかもしれない。田舎だからと言って全てが訛るようなものでもないさ」

 

 そう言って私は、空になったティーカップをソーサーに置いた。そろそろ本題に入るべきだろうという合図でもあった。私は薔薇園の奥のベンチに横になるキリカを見通す。どうやら彼女が起きるのも先になりそうだ。

 織莉子は私の対面に座ると、警戒するように私をまっすぐ見た。

 

「聞きたいことがあるんだろう。質問し給え。答えられる事ならば答えよう」

 

 私がそう言えば、織莉子は落ち着いた様子で語る。

 

「どうやって私達の目的を知り得たのですか?」

 

 当たり前だが、彼女は私に最大限の警戒をしている。それはそうだろう、今まで秘匿していた目的がバレているのだから。

 

「啓蒙が導いた。最近起きていた一連の魔法少女殺し……そして最強の魔女。すべて調査し、行き着いた先が君だ」

 

 織莉子の表情が強張る。今私が語った事はすべて事実だ。何も私はまどか達とゆりゆりしたり恭介を血に酔わせていたりするだけの存在ではない。

 苦しむ少女を救済する。それが、私の使命。その中にはもちろん織莉子とキリカも入っているのだ。

 

「この世界に災厄を齎す魔法少女について、貴女はもう見当が着いていると?」

 

 私は頷いた。

 

「もちろん。それでいて、私は君に忠告しなければならないのさ。……彼女には手を出すなよ、織莉子。君が手を下さずとも、彼女が人類の敵になることはあり得ない。私が居る限りね……」

 

 不敵に笑えば織莉子はその端正な顔を顰めた。

 

「信用なりませんわ」

 

「ふぅん……ふふ、君は思っていたよりも感情的な少女だね。キリカが惚れるのも分かる」

 

 でもね、と言って私は立ち上がる。

 

「私の、狩人としての目的は、少女の救済なのさ。ならばその少女達が苦しむ事は望むところではない。私はね、織莉子。全ての苦難を背負った少女が、安らげる世界を目指している。そして私にはその力がある」

 

 啓蒙が、それを提示する瞳が囁く。今すぐにでも織莉子とキリカを殺してその血の遺志を吸い取ってしまえと。しかしそれでは真の救済には至らない。

 なぁまどかよ。君が未来、異なる世界で成し遂げた救済は、意思を無視しすぎていたんだよ。だからこそ、ほむらに拒絶されてしまった。今なお世界を吸い尽くし、彷徨える身となっても君には理解できまい。今の君では……

 

「君の瞳は美しい。未来を見据え、憂い、自らを犠牲にしてまで救世を成し遂げようとするその心……それはかけがえのないものだ。だがね、それだけではいけないのさ」

 

 身を縮こませる織莉子を包むように、私は見下ろした。その瞳で……

 

「啓蒙を高めよ。私は魔法少女でもなければ魔女でもない。もちろん宇宙の使者とも繋がりは無い。私は少女の味方なのさ……なぁ、安心し給えよ。救世を成し遂げたいのだろう?ならば私と手を取ろう。君が殺してしまった少女達のためにも……織莉子」

 

 私の宇宙が織莉子を見つめる。底知れない恐怖と狂気が、まだ幼くも賢い織莉子を包み込もうとしていた。

 抗えない何かが、織莉子を支配しかける。だがまだ足りない。織莉子は賢い。そして懸命だ。健気だ。美しい少女はまだ抗えるのだ。

 

「貴女は、一体何者なの……?」

 

 その質問に、私は笑みを持って答えた。

 

「狩人は狩人でしかない。狂った獣を狩り殺し……少女を守るのさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 美樹さやかは激昂していた。教室について、朝はいなかった目的の人物を見るや否やズカズカと歩いてそちらの方へと向かう。事情を知らない他人から見ても、彼女が何かに怒っている事はわかるほどだ。

 

「さやかさん、待って下さい!」

 

「落ち着いてよさやかちゃん!」

 

 まどかと仁美の制止を振り払い、一人窓際で黄昏る私の前にさやかはやって来る。そして勢い良く私の胸ぐらを掴んで見せた。教室中の視線が集まる。

 怒りに狂った少女を見下ろし、私はそれでも微笑を崩さずに尋ねる。少女はどこまでいっても少女だ、怒りに狂ったとしてもそれはヤーナムの狂気と比べるまでも無い。

 

「どうかしたかい、さやか」

 

「あんた……!恭介に何をした!」

 

 昨日の出来事は知っている。懲りもせず襲ってきた杏子と戦ったさやかと仁美が恭介に助けられた。

 

「彼が望むことを、私なりに叶えたに過ぎないさ」

 

 そう答えれば、さやかは投げるように私から手を離した。崩れた胸元を正すと、さやかは言う。

 

「私、あんたを誤解してた。あんたはミステリアスだけど強くて、頼りになって……私達を導く光だと思ってたのに。違ったんだね。恭介をあんな身体に変えちゃったんだ……あんな、人間じゃ無い身体に!」

 

 はぁ、と溜息をついてから、私は両手を広げる。

 

「酷いじゃないか……私とて、その仲間だ。私も狩人で、彼もまた同じ」

 

「あんな月の香りなんて漂わせてる人間、普通じゃない!」

 

 

 待て。今、なんと言った?

 

 私は目を見開き、逆にさやかに詰め寄った。そして彼女の肩を掴み、瞳を覗かせて尋ねる。

 

「月の香りを、感じるのか?」

 

 笑みが一切消えた私など、彼女は見たことがなかっただろう。さやかは気圧されたようにたじろぎ、頷く。

 

「あんたもそうじゃない……恭介から全部聞いたよ。あんたが、マリアが契約を持ちかけてきたって」

 

 何か、さやかから感じる。精神を研ぎ澄まし、脳の瞳のその先、暗い宇宙で彼女を覗き。

 光の糸を、私は見てしまった。

 

 

 

 

 ━━ああ、ずっと。ずっと側にいてくれたのか。

 

 

 

 “彼”の遺志を感じる。あの気高い、英雄であり続けた民衆の味方。そして、どこまでも愚かで欺瞞の光に導かれていた男を。

 見捨ててはおけなかった。私はそのまま尋ねるのだ。

 

「さやか、君は月光を見たね?」

 

 そう尋ねれば、さやかは困惑した表情からある種、決意に満ちた表情へと変わり果てた。どこまでもその表情は少女らしくはない。ただ、英雄のような貌があるだけ。

 しかし、なぜだろう。彼女には良く似合うのだ、その貌が。美しいとも思ってしまった。私にはなり得ない、その姿に。

 

「私は見たよ。導きを。だからね、マリア。あんたが違うなら、私が魔法少女の導きになってやる」

 

 暗黒の彼方、宇宙を彼女の瞳に見た。彼女の気高き心が月光を呼び寄せたのだろうか。こうなれば、私が言う事は何もない。

 

「……そうか」

 

 肩から手を離す。それも良かろうさ。だがね、さやか。その道は薔薇で舗装された、険しき道だ。それを忘れてはなるまいよ。

 私は素直に、英雄になりつつある少女に言う。

 

「恭介は泣いていたんだ。君たちに何もしてやれないとね。だから私は、知り得る手段で彼を救ったのだよ」

 

 懺悔するように言う。事実、それは想い他人達に何も言わずに契約させてしまった私の罪でもあった。

 私の目的は少女の救済。このままでは、魔法少女の真実を知った時にさやかと仁美は絶望してしまう。だからこそ、恭介と血の契約を結ぶ必要があったのだ。

 想い他人が人外になれば、悩む必要はないだろう。

 

「そう。でもね、あんた勘違いしてるよ」

 

 強い意志を持って、少女は言う。

 

「私と仁美の願いの根本は、恭介の幸せだよ。あんたは私達からそれを奪ったんだ」

 

「……そうかな。いや、そうは思わない」

 

 燻る火が、反論させた。さやかはこれ以上の議論の余地はないと判断したのか、反転して席へと歩いていく。何も言わず……

 君もいつか分かる。私の行いは正しくなくとも最良だったと。それまでは、私に怒りの矛先を向けるが良い。

 

 そんな折、恭介がやってきた。彼は私を蔑むような目で見ると、一言だけ。

 

「自業自得だな、上位者め」

 

「……やはり男は嫌いだ」

 

 フェミニストではない。だが、男はこうだから嫌いなのだ。

 



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恐ろしいもの

 

 

 

 私としては珍しく、屋上にて暁美ほむらと二人きりで昼食時間に休憩を取っていた。ちなみにいつもならばマミとまどか、仁美、そしてさやかと五人で昼食を取るのだが、今日の朝の一件以来さやかに随分と警戒されている……そのため、私達を昼食に誘いにきたマミや魔法少女の手を取ってどこかへ行ってしまった。

 つまり、今日の私の昼ご飯は無しという事だ。最近はよくマミに作ってもらっていたから悲しい。

 

 項垂れてベンチに座る私を、ほむらは相変わらず興味がなさそうに見ていた。いや、興味はあるのかもしれないが……きっと、表情が変わらないだけだ。いつも微笑を浮かべるようにしている私が言うのもなんだが、そのうちさやかあたりにまた突っかかって来られるぞ。

 

「珍しいわね。貴女が一人で屋上にいるなんて」

 

「上条恭介の件が知られてね……」

 

 だが彼の腕の回復の細部を知らないほむらは可愛らしく首を傾げた。おおほむらよ、それは所謂ギャップ萌えというやつかね。

 

「彼の腕を治したのは私だ。同時に、彼には私と同じく狩人になってもらったが」

 

「……驚いたわ。てっきり美樹さやかか志筑仁美のどちらかが軽薄な考えで祈りを彼に使ったものだと」

 

 随分な物言いだが、それは理解できる。きっとほむらは今までさやかのそういった行動に悩まされてきたのだろう。さやかが契約するということはつまり、まどかも一緒になって契約する可能性が高いからね。まどかは優しいから、傷ついた友達を放っておかないだろうさ。

 

「それを知られてね……まぁ、結果的には彼女達のためにはなるだろうが、さやかが偉くお怒りなのさ。私の男になんて事してくれるんだって」

 

 それ以上に、月光が何かしでかさないか心配だ。どうやって月光に接触したのかは分からないが、仁美曰くさやかは月光の力を自らの剣で行使したらしい。

 そんな事をする人間を、私は一人しか知らない。聖剣のルドウイークだ。彼の遺志をさやかが吸収していてもなんら不思議ではなかった。

 

 正直な話、ルドウイークという男が彼女に取り憑いていたところで問題は無いだろう。彼の英雄としての志が高いことは知っているし、仮に彼がさやかの闘い方に影響を及ぼすならばそれは良い方面での影響に違いなかった。

 彼の剣技は素晴らしい。あんな獣の姿で、慣れないだろうに月光の聖剣を存分に操ってみせたのだから……きっと狩人時代はとてつもなく優れた狩人だったのだろう。

 

「……ああ、そういえばほむら」

 

「なにかしら?」

 

「二人の件は一時的に片付いた。織莉子は当分まどかに手を出さないだろう」

 

 そう告げれば、ほむらの表情はようやく驚いたように変化してみせた。どうやら私が彼女達をどうにかするのは想定外だったらしい。

 

「殺したの?」

 

「いいや。キリカと戦いはしたが、それでも話し合った。結果的に協力は取り付けたが、マミ達とは会わせない方がいいだろうね」

 

 きっと彼女達は相容れない。目的のためならば手段を選ばない冷酷な魔法少女と、正義や人々の為に戦う熱き魔法少女。だがほむらも……そうなのだろう?君は自分で思っているよりも熱い人間だよ。

 ほむらはしばし考えると、私に背を向けた。どうやら立ち去るようだ。

 

「それでも彼女達が脅威であることには変わりないわ。美国織莉子が未来を予知している以上、いつかまどかを襲いに来る」

 

「そう、ネガティブに物を捉えるのはやめ給えよ。君の心情は察するが、それでも今彼女達は私の協力者だ」

 

 私も立ち上がると、空腹を紛らわせるように大きく欠伸した。

 

「ほむら、まどかをもっと信用してあげなさい。彼女は強い」

 

 そう忠告すれば、ほむらは少しだけ怒ったような表情をこちらに向けて振り返った。

 

「言われなくとも分かってるわ」

 

 コツコツと、彼女は屋上を去って行く。私はその背中を最後まで見送ると、再びベンチに座り込んだ。次の話し相手を待つ為だ。

 そして、その話し相手はまるで私達の会話が終わるのを待っていたかのように現れる。宇宙からの使者にして少女達からの嫌われ者、キュゥべぇ君だ。

 彼はいつもの無機質な顔で、しかし私には決して不用意には近寄らない。警戒されているのだろう。

 

「随分と暁美ほむらの肩を持つんだね、白百合マリア」

 

 咎めるような台詞だった。私は彼らを鼻で笑う。

 

「そうかな?彼女は可愛い少女だからね」

 

「君達上位者はいつもそうだ。気紛れで、宇宙の危機にも関わらず呑気に赤子を探している」

 

「月の魔物やオドン然り、男は皆そういうものさ」

 

「僕達からすれば、君も少女という娯楽を求める上位者に過ぎないよ」

 

 おや、それは随分な物言いだね。

 

「街一つ獣塗れにさせたり女性を勝手に孕ませたりなんてしていないさ。私はただ、少女達の安息を願うだけだからね」

 

「力のある君達上位者はもっと宇宙の為に働くべきだ。僕たちのようにね」

 

「生憎、私は宇宙の神秘に興味があるだけでその生存には興味がなくてね」

 

 くすくすと笑えば、インキュベーターも何も言わずに背を向ける。

 

「君が何を考えているのかは分からないけれど、結果は変わらないよ。まどかには宇宙のためにその身を捧げてもらわなければならないんだ」

 

「おやおや、それこそ君達の身勝手さの現れだね。あんなに愛らしい少女に死ねなどと……まぁ、私としては楽園に迎え入れるだけだ。残念だけど、君の望むような結果にはならないだろうね」

 

 そう挑発すると、キュゥべぇは相も変わらずの無表情で言うのだ。

 

「君がどこで何をしようが勝手だ。でもね、マリア。勝手に魔女の魂を遺志として攫っていくのは僕は感心しないかな。魔女の魂も僕らにとってはエネルギー供給源の一種だからね」

 

 私はおもむろに立ち上がると、瞬時にキュゥべぇを掴み上げた。きゅっぷい、と鳴く彼をそのまま食す。肉がちぎれ、しかし血は出ない。なんとも言い表せない食感だ。うまくもなければ不味くもない。なんだか損をした気分。

 

 白い生物を食べ終える頃には、また新たなキュゥべぇが私の背後に立ち尽くしていた。

 

「もう少し味を改善し給えよ。ほむらがよく食べている栄養食よりも味気ない」

 

「僕の身体は食用じゃないんだけどな。まぁいいや、それじゃあね。あまり個体を減らさないでくれよ、もったいないじゃないか」

 

 それだけ言って、キュゥべぇは走り去る。私は食した個体の尻尾を吐き出すと、それを夢の中へと押し込む。気づいているのかは分からないが、彼はやはり愚かだ。賢いが、愚かなのだ。

 

 さて、残りの昼休みをどう過ごそうか。ああ、もっと友達というものを増やしておくんだったね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時を同じくして、さやか達は空き教室にて昼食を摂っていた。しかしどうにも空気が悪い。その原因は明白で、上条恭介の件についての怒りがさやかの中に燻っているから。

 

「美樹さん、あの……話は聞いたわ」

 

 マミは恐る恐る、配慮するような形で話を切り出す。ガツガツとお弁当を食べるさやかだったが、ふと何かを考え出した。その挙動を見守る少女達。

 そして、さやかは語り出す。虚な瞳で、何かを考えながら。

 

「マリア……あれはどういう意味だったんだろう」

 

 さやかと仁美の願いを奪ったと言った時。あの狩人は確かに言ったのだ。そうは思わない、と。その真意が分からない。頑固なのか、それとも。

 さやかの低い啓蒙が答えを導こうとするも、それは叶わない。知りもしない情報を導き出せるほど、彼女の啓蒙は高くないのだから当たり前だ。

 次第にさやかはどうでもよくなり、うがーっ!と吠えてみせた。

 

「マリアのやつ!やっぱり許せない!杏子とかいう奴もそうだし……あーもう!」

 

「美樹さん……」

 

 杏子の名前を聞いてマミの表情が暗くなる。事情は聞いている。杏子はかつての弟子だ。そしてその事を、まださやか達は知らない。この秘密は私とマミだけのものなのだ。

 またもややけ食いするさやかを、まどかは困ったように笑って見ていたが。ふと、隣の仁美の表情が曇っている事に気がついた。彼女は俯いて、何か別の事に気を取られてもいるのだと、鋭くも優しい心の分かる少女は気がつく。

 

「どうしたの、仁美ちゃん?」

 

「え?ああ、なんでもありませんの」

 

 仁美は直様引きつった笑みを見せると、何事も無かったかのように食事を再開した。

 

 

 仁美には、秘密ができてしまった。魔法少女という存在、その根本に関わる秘密が。

 自らの魂の在り処。その秘密を彼女は昨日の戦いで察してしまったのだ。その恐怖が今の仁美の心に巣食っている。

 

(もし、このソウルジェムが私達魔法少女の魂の入れ物なら……肉体は?ただの殻でしかないの?)

 

 少女は悩む。それはつまり、自らがゾンビのように死人に寄生するものでしかないという事だ。多感な少女にとってそれは紛れもない絶望である。

 これを話すか否か。話してどうなるのか、それは仁美には分からないが。いずれは知らなくてはなるまい。それが魔法少女という奇跡の対価なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また、この夢だ。

 

 綺麗なステンドグラスから差し込む月光、そしてそれを浴びる巨漢……否、先生。彼は私を見るや否や、男らしい笑みで迎えてくれた。

 名前も知らないその人は、前のように大きな大剣を手にしている。私は何も言わずに、ただ一礼すると魔法少女姿へと変身した。そして同じように月光の剣を手にするのだ。

 

「また会ったね、少女よ」

 

「はい、先生」

 

 先生と呼ばれ巨漢の男は少しばかり面食らったような顔をしてみせた。そしてどこか懐かしむように俯くと、照れ臭そうに言うのだ。

 

「昔を思い出す。遥か彼方、もうそれを覚えている者はいないだろうが」

 

 その言葉の意味は分からない。だが私には言っておくことがあった。

 

「あの、私美樹さやかって言います」

 

「さやか、そうか。良い名だ」

 

 先生は大剣を一度背中に背負うと、何かの仕掛けを作動させた。そうすれば、大剣は鞘となって彼の腕には一振りの細身の長剣が握られている。それはどこか、さやかの握る剣と似ている。

 

「さぁ、来給えよさやか。今度はしっかりと剣技を教えられるように加減をする」

 

 そう言うと、先生は剣を構えた。その立ち姿はまさしく英雄そのものだ。私もああなりたい……なれるだろうか。私も月光の剣を構え、突進していく。前は一撃で叩き潰されてしまった。もっと慎重に行動すべきだろう。

 まずは振り下ろしだ。キレのある振り下ろしは、しかし先生を捉える事なく宙を切る。先生はいつの間にかステップで横へと逃げていた。

 

「っ!」

 

 そして気がつけば、彼は剣を横一線に振るっている。何とか左手の短剣でそれを受けるが、この先生は化け物か。強烈な力で剣ごと私を弾き飛ばした。

 

「痛った……!」

 

 防御したはずなのにジンジンと腕が痛む。だがそればかりに意識を割いてはいられなかった。何故なら先生はもうこちらに迫っていたから。

 先生は流れるように連撃を繰り出す。私は必死にそれを受け流すことしかできない。

 

「相手の攻撃は時にまたとない機会でもある」

 

 先生はそれだけ言うと、容赦のない蹴りを私の腹にぶち込んで見せた。私はそれだけで容易に何メートルも吹っ飛ぶ……が、痛みに負けずに空中で回転すると、何とか足から着地して復帰した。このまま転がって倒れてしまったらそれこそ最期だろう。

 そんな私を見て、先生は何もせずに突っ立っているだけ。

 

「今度は君が打ち込んで来なさい。カウンターの手本をお見せしよう」

 

「それじゃあ……お願い、しまぁすっ!」

 

 またも私は瞬発力に身を任せ、強引に剣を振るった。先生はそれらをわざと剣で受けながらも、すべて対処してみせる。そして私が突きをしようとした時。先生は、弾くように私の剣を受け流した。

 ほんの一瞬、私は無防備になる。先生はそれを見逃さず、剣を一直線に私の肩へと突き刺した。

 

「あ゛ぁああッ!」

 

 強烈な熱さが肩を覆い尽くし、その直後には鋭い痛みが襲ってきた。先生は剣を引き抜くと、私の首根っこを掴んで振り回す。そうして勢いがついた私は、教会の柱目掛けて思い切りぶん投げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 肩をさすり、具合を確かめる。いくら素質の低い私でも治癒魔法くらいは使える。あの後先生が私の首元に剣を突きつけて「授業」は終わった。今はただ、傷を癒し教会の椅子に二人並んで座っている。

 

「しっかし夢なのに痛いな〜……いてて」

 

「夢と現実の境界は曖昧なのだよさやか。夢の痛みは現実の痛みの代替わりでもある……忘れないことだ」

 

 なるほど、わからん。とにかく傷を治せば、私は沸騰していたアドレナリンを落ち着かせることができた。

 

 そうしていつの間にか、私は先生に相談していたのだ。

 

「ねえ先生、相談いいかな」

 

「なんだね?」

 

 先生は嫌な顔一つせずに答える。私は恭介の事を、名前を伏せて一から説明したのだ。もちろん、マリアの事も。

 

「……百合の狩人。なるほど、君もまた苦労人というわけだ」

 

「どういうことです?」

 

 先生は少しだけ同情するように笑い、

 

「私は、その狩人が間違った事をしたようには思えなくてね。だが現に君は想い人が狩人になってしまった事に心を痛めている……」

 

 その通りだ。私はただ頷いた。

 

「だがね、こうも思ってしまうのだよ。君は傷つこうとも、想い人は悲観していないのではないか?むしろ腕を治され、歓喜こそしている。確かに狩人という存在は限り無く救いが無い……しかし、望んだのであるのならば、それもまた答えなのだよ。……かつてヤーナムで私が募った者達のように、民の平和のために剣を取る事もあろう」

 

「先生は狩人のこと知ってるんですか?」

 

 そう尋ねると、先生はちょっとだけ悲しそうな顔で頷いてみせた。

 

「私もまた、狩人なのさ」

 

 それは恭介の事実を知った日の晩。私の夢の中でのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 呉キリカは苛立っていた。理由は目の前で優雅に紅茶を啜る少女にある。キリカと同じ制服に身を包み、自身の愛する人が淹れた紅茶を美味しそうに飲んでいる。それを飲んでいいのは自分だけだ。

 いかに彼女が恩人であろうが、その後の行動はキリカのただでさえ狂った沸点を越えさせるのに苦労はしない。

 

「紅茶が不味くなるよ、キリカ。怒りは抑えてこそ人間だよ」

 

 怒りの矛先である狩人がそんな事を言い出す。

 

「ねえ織莉子!やっぱりこいつ殺させて!」

 

 彼女が依存する少女、織莉子に嘆願するも問われた本人は困ったように首を横に振った。

 

「やめなさい、キリカ。彼女は……味方なんだから」

 

 一瞬言い淀んだ織莉子を、私は微笑を持って見た。

 

「そんなに警戒しなくてもいいよ、織莉子。私はただ君の友達になりたいだけなのさ……ね?」

 

「こんの……!」

 

 かぎ爪を取り出し攻撃しようとするキリカ。そんな彼女を、織莉子は制止する。良い番犬だが、その手綱はしっかりと握っておくべきだね。でなければ、いつか君を噛み殺すだろう。

 さて、私がまたこの薔薇園にやって来たのは報告をするためだ。私はスマートフォンを取り出すと、慣れない手つきでネットニュースを表示させる。うーむ、やはり文明とは優れたものだが、扱いが難しい。よくもまどか達は上手く操作するものだ。

 

「君が望んでいた事を、友達の私が代理しておいたよ」

 

 スマートフォンを織莉子に差し出す。すると彼女は恐る恐るそれを手にしてニュースを見るのだ。

 

「……!さ、白百合さん、どうやって!?」

 

 そこに書かれていたのは、汚職がバレて自殺した議員の記事。なのだが……日付は今日。つまり彼女の父の一件とはまた別のものだ。

 

 ━━……議員はまた、美国元議員に自らの汚職を被せた疑いもあり、県警は捜査を━━

 

 

 

 織莉子は戦慄した。いつか復讐しようとしていた相手を、しかし絶対に不可能な暗い夢を、この少女はやり遂げてしまったのだと。

 

「それとも、君が直に仇を取りたかったかい?」

 

 そう尋ねると、織莉子はスマートフォンをそっとテーブルに置いてこちらに差し出して返納した。

 

「いいえ……私ではきっと、不可能でしたから」

 

 不可能では無い。だがここまで完璧に追い詰められはしなかっただろう。

 しかし実に簡単だったよ。人は発狂すると、あんなに簡単にボロを出すものなのだね。まぁ散々発狂して死んでいった身としては何も言えないが。

 

「これで、条件は飲んでくれるね?」

 

 織莉子はただ、頷いた。そこに歓喜は無い。ただ私を恐れているだけだ。

 まぁ良い。君もいつか、私の天国に来るはずさ。そうなればもっと自由になれる。君は美しいからね、是非とも愛らしい狂気を持ったキリカと添い遂げてほしいものだ。

 




ちなみに章の名前にピンと来た人いますかね?


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星の瞳

 

 ひっきりなしに騒音がゲームセンターの中を飛び交う。前に一度、この場所には興味本位でやって来た事はあるが私はこの空間を好きにはなれない。

 そもそも、私は静寂の中で少女達に囲まれながら紅茶を飲むのが好きなのだ。BGMは少女達の姦しい声だけでよろしいのだ。それ以外は邪魔でしかない。だからこの、やりもしないゲームの音声が漏れるこの世界は好きではない。

 

 ただ、唯一この場で私の目を惹きつけて離さないものがある。それはダンスゲームに興じる佐倉杏子だ。

 

 彼女はその細身で無駄のない身体で、難易度の高い曲に合わせてステップを踏んでいる。飛び散る汗は星の娘の飛沫を彷彿とさせて美しい。長いポニーテールが揺れると、杏子の端正な横顔がちらりと見えた。

 内なる獣が飛び出る事を必死に抑え、私はただそのプレイを見ているだけだ。杏子がいるのならば、ゲームセンターも悪くはないかもしれない。それに、あのゲームは恭介のステップを鍛えるのにも使えそうだ。

 

 彼女が満点でダンスゲームを終えると、少しだけ息を切らしながら満足そうにお菓子を頬張った。あのお菓子になりたいという欲求を堪え、私は拍手で彼女の遊びを讃える。

 

「良いダンスだったよ、杏子」

 

「あんた……狩人、だっけ」

 

 私を見た途端に杏子の目つきが鋭くなった。私は炭酸たっぷりのジュースの缶を彼女に差し出す。

 

「飲むかい?喉が乾いただろう」

 

 杏子はしばし警戒したように視線をジュースと私とで行き来して見せたが、その細い指がジュースを受け取って見せた。

 

「貰うよ。もったいないしね」

 

 やはり彼女は良い子だ。普通の魔法少女ならば、一度戦った相手の施しは受けないだろうに。それに、もったいないというのは本心のようだ。このご時世、八百万の概念さえ忘れてしまっている現代っ子にしては見所がある。

 

 私と杏子はゲームセンターのベンチに腰掛けると、お互いジュースを飲みながら休憩する。

 

「んで?あんたが来た目的を聞かせてもらうよ」

 

 痺れを切らしたように杏子は言った。

 

「うん。君、ほむらとはもう会っているね?」

 

「あのイレギュラーって奴だろう?会うも何も、ちょっと前に向こうから話しかけて来たよ。あんたと戦う2、3日前じゃない?」

 

 ちなみにこの事実はほむらから聞いている。それでいて、私は彼女に提案したいのだ。

 

「なあ杏子、美樹さやかと志筑仁美……あぁ、あの月光の導きを宿す少女と物騒な得物のお嬢様について、君はどう思う?」

 

 杏子は私の質問を受けて少しばかり怪訝な顔をして見せた。だがしっかり答えてくれる辺り、やはりこの娘は良い子なのだ。

 

「お子ちゃま。私にはわかるね、あいつらどうせ願いを他人に使ったんだろう?」

 

 私は静かに笑う。確かに、そうかもしれない。だがその視点はあくまで杏子のものだ。私は二人の覚悟を笑ったのではない。

 

「確かに、仁美の祈りは想い他人の成長を願う事だった。だがさやかは違うよ、その想い人に自分達を見て欲しいと願ったんだ」

 

「それってもしかして、三角関係ってやつかい?ませてるね……ちょっとまてよ、その想い他人って、まさかあの男か?黒いコートの」

 

 彼女は確か恭介を見ていたね。ならば話は早い。私は頷いた。

 

「ふーん……魔女を殺せる一般人なんて初めて見たけど、なるほどね。まぁ私には関係ないけどね」

 

「そうかな。少なくとも、彼女達は人々の平和のために戦う事が魔法少女の使命だと思っているようだよ」

 

 パキッと、杏子が咥えていた駄菓子が割れる。鋭い瞳が私の横顔を捉えた。

 

「君は違うだろう?魔法少女とは、自らのために願いや力を行使すべきだと考えている」

 

「……それが魔法少女だろ」

 

 ふふ、と私は微笑んだ。

 

「それも人それぞれだろうね。ただ、人々の平和を願う祈りはまた、呪いも産んでしまう事を君は知っているね?」

 

 ダイレクトに、私は杏子のトラウマを抉りにいった。杏子は私を睨むと唸るように言う。

 

「おいてめぇ、それ誰から聞いた」

 

「マミさ。彼女は後悔していたよ、君を受け止めてやれなかったとね」

 

「はん、大きなお世話だ」

 

 ストレスを解消するように杏子は続け様に駄菓子を食べる。しかし彼女はちょいちょい間食しているのに太らないものだね。私も太り辛い体質だが、マミあたりに知られたらそれだけで怒られそうだ。

 そこで、と私は話を続けた。

 

「君、また彼女達と会ってみ給えよ。君としても負けたままじゃ示しがつかないだろう」

 

 その一言がプライドを傷つけ、また彼女の闘志に火をつけたのだろう。杏子は獰猛に笑う。

 

「へぇ……あんた、意外と悪い奴だね」

 

「そうかな。うん、そうだね。私は結構悪い奴だよ。上位者だしね」

 

 星の娘とゴースの遺子以外はろくでもない奴らばかりだしね、上位者というのは。だからこそ上位者なのかもしれないが。

 私は立ち上がると、側にあったゴミ箱に空き缶を投げ入れた。さて、私が杏子にしてやらなければならない事はこれで終わり。あとは彼女達がうまくやる番さ。

 

「それじゃあ私は帰るよ。聞いているとは思うけれど、ワルプルギスの夜もやって来るからその時は頼むよ」

 

「ああそう。ジュースご馳走さん」

 

 それだけ会話し、私たちはまた日常に戻る。しかし杏子も寝泊りする場所がないならば私の所に来させてやりたいものだ。まぁ、今はまだ無理だが……そのうち、ね。

 一人ぼっちは寂しいだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バイオリンの音色が響く。甘く、美しい音色は心を洗うようだ。現にさやかはそれに身を任せ、聞き入っていた。そして友であるまどかもそれを聞いてにこやかに笑っている。

 目の前でバイオリンを弾く上条恭介の姿は凛々しい。まるで動く彫刻のようであり、仁美の心も魅了している。でなければ、魔女退治の前にわざわざ彼の家に寄ってバイオリン演奏なんて聞かないだろう。

 

 しかし今日ばかりは、仁美の頭にその音色は届かない。原因はもちろん魔法少女の秘密を知ってしまったからだろう。故に仁美はどこか晴れない顔でただひたすらにその演奏を流すだけ。

 

 演奏が終わると、恭介は二人にまずは謝った。

 

「ごめんね、本当なら着いて行きたいんだけど。今日のレッスンはどうしても外せなくて」

 

 バイオリニストを目指す上条恭介ならではの予定がある。しかしさやかは笑顔で首を横に振る。

 

「平気平気!いや〜恭介の演奏聞けたからこの後の魔女退治もバッチリですわー!」

 

 相変わらずの天真爛漫さでさやかは答える。

 

「上条くん、前よりバイオリン上手くなったんだね」

 

 まどかも上条のバイオリンを褒め称える。それはそうだろう、ただでさえ扱いが難しい仕掛け武器を使うのだ。楽器の一つや二つ、上手く扱えずにどうするのだ。

 そうして、魔女退治の前の癒しは終わりを迎える。少女達は平和を守りに、少年はバイオリンを……夜は夢の中で、狩の鍛錬に勤しむだろう。

 

 だが、聡いまどかは見逃さない。緑髪の少女の憂いた表情を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上条邸を出れば、すでに空は夕暮れ時。太陽が沈めば夜がやって来る……そうなれば狩の時間だ。それは魔法少女とて変わらない。それなのに。

 三人は出会してしまった。赤い髪をポニーテールに纏め上げ、薄緑のパーカーを羽織る薄着の少女……彼女は三人を見ると不敵に笑った。

 

「よう、ボンクラども。これから魔女狩りかい?」

 

 ポキっと杏子の八重歯がお菓子を割る。

 

「あなたは……!」

 

 瞬時に仁美は前に出ようとしたが、さやかがそれを手で制した。怪訝な顔で仁美がさやかの顔を見てみれば、その表情は非常に凛々しい。ただただ杏子を見つめて力強さを見せつけるのみ。

 

「そうだよ。それが私達魔法少女の使命だから」

 

 はっきりと言って見せたさやかを、杏子は笑う。

 

「はっ!それは誰の受け売りだい?マミか?それともあの狩人か?」

 

 杏子はずいっとさやかに詰め寄ると動じないさやかの顔を睨み上げた。その表情には嫉妬が隠れている。

 さやかの、月光の使い手としての啓蒙が導くのだ。

 

「いいか、魔法少女ってのはな、誰かのために願いや力を使うもんじゃないんだよ。自分自身のために使うもんさ」

 

「まるで教訓だね。分かるよ、あんたが言いたいこと」

 

 唖然とした。まるで同情するように言って見せたさやかに、杏子はしばらく呆けると突然怒りを沸騰させた。

 胸ぐらを思い切り掴み上げ、先ほどとは比べ物にならないほどの狂気を向ける。

 

「知ったような事言うんじゃねぇッ!」

 

 怒号が飛ぶ。その光景に仁美は変身して撃退しようか悩み……まどかは困惑して慌てふためきながら何とか彼女達のいざこざを止めようと割って入った。

 杏子の手を振り払うと、さやかを守るようにしてまどかが立ち塞がった。

 

「もうやめてよ!同じ魔法少女じゃない!」

 

「同じじゃねぇッ!こんな……こんな甘い考えの奴と一緒にするなッ!」

 

 杏子の手が怯えるまどかに触れそうになる……その瞬間。

 

 

「やめなよ」

 

 

 さやかの手が、杏子の腕を掴んだ。怒りに震える杏子はさやかの目を見上げ……驚いてしまった。

 

 宇宙のような瞳。見た目では分からないのに、その青髪の少女の瞳の奥に広大な宇宙が広がっているような感覚に陥った。

 杏子は底知れぬ不安に心を擽られ、強引に手を振り払ってその不安すらも拭った。そして宣言する。

 

「場所、変えようぜ。てめぇらに現実を教えてやる」

 

 それは再戦の宣告。さやかは何も言わず、ただ後ろの仁美と目を合わせた。仁美は渋い顔をしながらも頷く。まどかはただそれを見ていることしかできなかった。

 

 それは、ワルプルギスの夜がやって来る9日前の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 久しぶりに……いや、実質ほんの三日ぶりだ。マミと二人きりで気に入った屋台のクレープを食べながらフラペチーノなるものを嗜んでいた。

 昨日といい、別の少女と紅茶を嗜む機会が多かったからマミと二人でお洒落に少女らしく楽しむのも良いだろう。

 今は夕暮れ時。きっと今頃、杏子は二人と接触しているだろう。それで良いのだ。この接触は皆の成長へと繋がる。私は少女の成長を喜ぶものだ。

 

「最近放課後は何をしていたの?全然お茶にも魔女退治にも来てくれなかったじゃない」

 

 ふと、マミが妬いたように頬を膨らませて言ってきた。私は口元に着いたクリームをぺろりと舐めると不敵に笑って言って見せる。

 

「秘密は甘いものだろう?ふふっ、女はミステリアスな方が素敵だろう?」

 

 いわば、誤魔化しだ。だがそんな誤魔化しは案外ちょろいマミにはよく効くものだ。彼女はもう、と困ったように言うと納得して見せた。マミよ、私は心配になるぞ。

 

 しばらく私達がお喋りと甘味を持って少女らしくしていると、突然の来訪者がやって来た。寡黙だがその実燃え上がるような使命を帯びた少女、暁美ほむらである。

 マミのやや後ろに突然現れた彼女は、ズイズイこちらにやって来る。その姿を私はいつもの微笑で歓迎し、マミも鋭利な感覚によって彼女の存在に気配のみで気がついた。

 

「暁美さん……」

 

 マミが警戒して立ち上がろうとするのを、手を握って抑えた。少女らしい驚いた小さな悲鳴を上げるマミは可愛い。

 

「やぁほむら……君が言いたい事は分かるよ」

 

 十中八九、杏子の事だろう。私の行いが彼女の計画にヒビを入れた事は想像に難くない。その証拠に彼女の表情は珍しく怒気を含んでいる……その表情もまた良いものだ。

 

「余計な事をしてくれたわね、白百合マリア」

 

「杏子の事は心配せずとも良いさ。今宵の邂逅は彼女達の成長に必要なのさ……それとも何かね?君の計画とやらはそんな些細な事柄でお釈迦になるようなものなのかね?ならば計画を一から練り直した方が良い、むしろイレギュラーを取り入れるくらいでなけれはなるまいよ……啓蒙を高めよ」

 

「ふざけないで。今美樹さやかと志筑仁美は彼女と争いになっているわ。この時期に無駄な消耗は許されない」

 

「許されない……ふふ、なぁほむら。許されないだと?この私に、君は警告するのかね?それは無謀と言うものだよ」

 

「え、何?佐倉さんまた……」

 

 私とほむらのやり取りを、マミは困惑したような表情で見ている事しかできない。なるほど、今日は喧嘩と困惑が行き来する運命にあるようだ。

 私は立ち上がると、制服からいつもの狩装束へと切り替える。仕方がない、彼女を納得させなければまた私は嫌われてしまうよ。私は白き宇宙の使者と違って少女に嫌われる事を良しとしないからね。

 

「そんなに言うならばほむら。是非とも彼女達を見学しに行こうじゃないか。どうするねマミ、君も来るかね?」

 

 私がそう言えば、マミは慌てたように立ち上がった。

 

「ちょっと!一からちゃんと説明してちょうだい!」

 

「道中、ね。さぁ行こうか。導かれた少女の成長も見たいしね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その女性は、夢にやって来るや否や勝手に百合の狩人がいつも座っているフカフカのソファに腰掛けた。

 客人の女性は美しい。流れるような金髪に、グリーンの宝石のような瞳。そして、ちょっと民族的な衣装。だがそれ以上に、何か神秘的なものを感じるのだ。まるで見たことのない神様を見ているような、そんな奇妙な錯覚だ。

 

 このみはその客人の対応を、住人である人形と丁重に行っていた。あやかはその性格上接客には……向かないのだろうか?意外にも彼女はお喋りだから今のところ夢の中でのコミュ力が一番高いが……

 とにかく、命ぜられた少女は自らの淹れた紅茶をトレーに乗せ、その女性へと運ぶ。

 緊張はしていた。何せ、あのゲールマンと時計塔のマリアが会いたくないと言っている相手だ。

 

「紅茶をお持ちしました」

 

 粗相がないように、低姿勢で女性に紅茶を差し出す。すると女性はそのやや眠たげな瞳を少女に向けてため息をついた。

 

 

「本当、人間と言うものは低次元な事を考えるものね」

 

「はい?」

 

 

 思わずこのみは聞き返す。同時に自らが何か粗相をしてしまったのではないかと慌てた。

 女性は顔を背けると、憂鬱な表情で勝手に言うのだ。

 

「自ら望んで美しさを手に入れたのに、どうして後悔するのかしら。少し考えれば分かるでしょうに……ま、だから人間なのだろうけど」

 

 直様その言葉の意味を理解した。自分の願いの事を言われているのだ。どういう理由でそれを知ったのかは分からないが……きっと、百合の狩人と同じく啓蒙というやつなのだろう。

 それ故に、このみは無視できない。自らの命を賭した願いを否定されたのだ。例えその愚かさが事実だとしても……それを否定できるのは、同じく魔法少女のみ。

 

「ちょっと!何なんですか!」

 

「何って……ああ、貴女人間だものね。ごめんなさい、配慮が足りなかったわ」

 

 その態度に心底怒る。何だこの女は。何故こんなに上から目線で接せられなければならないのだ。

 

 またこのみが反論をしようとして、後ろから伸びた手が彼女の肩を優しく押さえた。振り返れば、あれほど会うのが嫌だと言っていた老人、ゲールマンが優しい微笑みで頷いている。

 彼の頷きに身を任せ、このみは身を引いた。失礼しますとだけ言うと、彼女は工房の中から出て行く。

 

 ゲールマンはぎこちない動きで近くの椅子まで移動すると、痛む脚を押さえながら腰掛けた。

 

「あまり年頃の娘を傷つけないで頂けないかね、星の娘よ」

 

 キラキラと光る女性の瞳が、ゲールマンを捉えた。

 

「低次元の宇宙に囚われた人間が悪いの。さぁ、百合の狩人を出して頂戴な。私、あの子に用があるの」

 

 ゲールマンは困ったように笑うと、首を横に振る。

 

「申し訳ないが、彼女は今出かけていてね。君が良ければしばしここで待っていてくれないかな」

 

「ふぅん……人の身から上位者になった半端者が、私を待たせるのね」

 

 初めて無表情の星の娘は顔を歪めた。ゲールマンは年老いた柔らかい表情の中に、狩人らしい視線で女性を睨んだ。

 

「たとえ星の娘と言えども……我が弟子をバカにするなよ、上位者風情が」

 

 鋭い、針のような殺意を星の娘に向ける。最初の狩人は老いてなお、いや老いたからこそ獣を超えている。対して彼女はちらりと老人を流し見るだけ。

 

 だが、それは宇宙の瞳。人は持ち得ない禁忌の神秘。それはゆっくりと老人の内に潜む狂気を高めて行く……

 

 

 二人はしばらく見つめ合う。その冷戦を止めたのは、星の娘だった。

 彼女はため息を吐いてぐだっとテーブルに突っ伏した。どこまでも気紛れなのは上位者の特権だ。

 

「もういいわ。待つ。だからその不快な目で私を汚さないで」

 

「そうかい……なら、それで良いさ」

 

 身体から溢れそうな狂気を抑え、老人は咳払いした。同時に星の娘のお気に入りが戻って来るのを心から懇願するのだ。

 




エブたそ


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少女の叫び

ヒロインはエーブリエタース


 

 

 

 金属がぶつかり合う音が路地裏に響く。ヤーナムではなんて事ないあり触れた狩りの音色だ。それはこの平和な世の中では相容れない物なのだろう。

 だがそれも些細な事。そもそも人々は自分にメリットを齎すもの以外に興味を持たないものだろう。魔法少女という存在が戦う事も、街中を走る車やスピーカーから発せられる騒音によって取るに足らないと脳が判断して気にすらならないのだろう。

 

 この時代の人間は、肉体的に成長すれども啓蒙が低い。それでも魔法少女に選ばれるであろう者達は未熟なれど決して低い啓智ではないではないか。

 単にそれは、ウィレーム先生の正しさを証明するだけなのだ。情けない進化は人の堕落なのだと。

 

 

「オラオラどうしたぁ!この前の力を使って見せろよ!」

 

 

 杏子の執拗な槍のラッシュがさやかを追い詰めて行く。さやかは通常の剣と短剣でそれらを捌き、時に掠めながらなんとか凌いでいると言った状態だった。

 そう。月光は、今の彼女を導いてはいない。きっとあの欺瞞の光はさやかにこの事態を打開して欲しいのだ。それが彼女の成長に繋がるのだと信じて。

 

 だから君は欺瞞だと、狩人風情から言われてしまうのだよ。

 

 指導とは。最適な物の教え方とは何だろうか。それは時に厳しく、的確な助言を与え、褒める事ではないだろうか。

 ただ厳しくあっては教え子は拗ね、見て学べと突き放せばセンスの差で成長の度合いは変わってしまい、褒めなければ何が最適なのか分からない。故にだ、月光よ。君は本当に必要な時以外は手を出さないつもりなのだろうが、そんな前時代的な手法では時間が掛かり過ぎはしないかね?私も意味深な物言いをして相手の啓蒙に語りかける事はあるが、それでも分かりやすく答えに導いているつもりだよ。

 

 だから、自らの正体が露見されるや否や絶望されるのだ。

 上位者とは神聖なものではなく、須く人類とは掛け離れた異形の存在なのに。人はそれを、愚かと言うのだ。

 

 

(相手の攻撃は反撃に繋がる……!なら!)

 

 

 さやかは夢での授業で得た教訓を生かそうとする。狩人が得意とするカウンターを試そうとしたのだ。

 だが実際はそんな隙はない。そもそも杏子という魔法少女は強者だ。相手に合わせていたとは言え、この私に神秘を使わせたのだ……そんな手練れが、新兵が分かるような隙を見せると思うだろうか。

 

「いや、きついっしょ先生!」

 

 だから防戦一方になってしまう。これが魔法少女としてのさやかの限界でもあったのかもしれない。だがそれを理解していても、彼女は諦めない。

 弱いのは今だけなのだ。人は成長する。未来の彼女は今よりもっと強いのだと、希望を抱いて今は守る。

 

 仁美とまどか(厳密にはキュゥべぇもいる)はそんな二人を、ただ遠目で見ていることしかできなかった。さやかは仁美の参戦を許さなかったのだ。

 これは導きなのだと。魔法少女同士の醜い争いではなく、ただ哀れな戦士を導くための指導なのだと。その役目はさやかのものであると。

 さやかは確かに導き手である。だがその態度は心折れて長い杏子の琴線に触れたのだろうさ。

 

「お前の態度が気に入らねぇッ!」

 

 叫ぶ杏子は槍を分解し、三節棍へと変形させる。剣よりも長いリーチを誇る槍が更に長くなる。扱いが難しい鎖と棒の変形武器は、杏子という生存と狩りのベテランが使ってこそ真価を発揮するのだ。

 縦横無尽に飛び交う三節棍は、まるで結界のようにさやかを包囲する。

 

「食らいな!」

 

 高らかに叫ぶと三節棍の先端部分が背後からさやかを襲った。まるで狩人のようなステップでそれを避けようとするも、寸でのところで肩にぶち当たる。

 右肩が外れる音がして、華奢な少女の身体がアスファルトに転がる。

 

「さやかちゃん!」

 

「まどか、君なら止められる!早く僕と契約を!」

 

 悲痛なまどかの叫びといつものキュゥべぇの請求は何度もさやかを殴打する三節棍の様々な音で掻き消される。宙を舞い、血を撒き散らしながらさやかはただ為す術なく杏子の蹂躙に遭うのみ。

 仁美は、そんな勝負とも言えない光景をただ見ているだけ。彼女は……仁美という少女は、人との約束を守る律儀で堅物な少女でもある。

 幼き日からの教育の賜物かもしれない。信念を貫き、人との信頼を決して傷つけてはならないと考える彼女はどんな時でも言いつけを守るものだ。

 

 それは魔法少女になった今も変わらない。習い事はしっかりとこなし、今も尚友が死に瀕していても手を出さないのだ。

 

「ちっ……興醒めだね」

 

 攻撃の手を止め、ただ地面に転がるゴミのようなさやかを見下す。杏子は三節棍を再び槍へと変形させると、その鋒をさやかに向けた。

 そこに慈悲は無い。ただ勝者と敗者の関係があるのみなのだ。

 

 本来は当然の権利なのだ。勝者が敗者を屠り、その血の遺志を奪い取るなど。ならば杏子よ、君もそうあるべきだろう。

 

「じゃあ、そろそろとどめを……刺そうかね!」

 

 杏子が地に伏せて動かないさやかに引導を渡すべく跳躍した。この期に及んでも仁美は動かない。息を飲むも、彼女が出れば約束を違える事になる……

 

 

「ダメだよ!」

 

 

 突然、さやかを覆うようにまどかが割って入った。魔法少女では無いただの人の身で、彼女はともをまもるために非力ながら勇敢に立ち向かったのだ。

 今にも泣きそうで身体を震わせているまどかを目にし、杏子は驚いたように突撃を止める。そして一瞬にしてその熱を上げると怒鳴った。

 

「おいッ!これは魔法少女同士の戦いなんだぞ!外野が出張ってんじゃねぇ!」

 

「こんなのおかしいよ!魔法少女同士が喧嘩なんてしちゃダメだよ!さやかちゃんはただみんなを守りたいだけなんだよ!」

 

「おい、こいつマジか!?お前私達が喧嘩してるように見えたのか!?私達は殺しあいをしてるんだ!魔法少女でも無い奴が邪魔するんじゃねぇッ!」

 

 槍の鋒を向けられてもまどかは引かぬ。弱くとも友のためならば死ぬ覚悟があるのだと。まどかの正義は、その自己犠牲なのだ。

 杏子は本来、真に力を持たぬ弱者に向ける槍を持ち合わせてはいないが。自身の悪夢を触れられ冷静さを欠いた様子では抑えが効かないのだ。ベテランと言えども少女なのだから。

 

 

 

 

 

 

「何度言ったら分かるのかしら」

 

 

 

 

 

 

 だが、守護者は決してその生贄を許さない。

 

 槍はまどかを貫くこともせず、後ろにいるさやかを傷つける事すらできず。ただ宙を空振りするばかり。

 気がつけばまどかとさやかは赤き少女から離れ、その間を埋めるようにして暁美ほむらが立ち尽くすのみ。その凍えるような瞳で、感情に欠けるはずの貌を怒りで燃やし杏子を睨みつけた。

 

「あんた……」

 

 杏子は顔をより一層歪ませる。そこで冷静になれたのだろう、クライアントの意向を無視してしまった己の浅はかさに嫌悪しつつ、結果的にあの桃色の純粋な少女を殺めなかった事に心より安堵したのだ。

 

 だがそんな事情を知らないほむらはただ杏子に告げる。

 

「言ったわよね、手を出すなって。それが契約のはず……貴女は今、最もやってはいけない事をやろうとしたのよ」

 

「……けっ、そうかい。あんたも所詮は」

 

 瞬間、杏子の視点が反転する。気がつけば彼女は上下逆さまになって地面から落下した。何とか頭だけは守り、何が起きたか状況が掴めないまま立ち上がろうとして。

 頭に銃を突きつけられた。鈍く、硬い金属がひんやりとした冷気とともに伝わってくる。

 

「改めて言わせてもらうわ、佐倉杏子。ワルプルギスの夜のグリーフシードが欲しければ、彼女達には手を出さないで。事が済めば好きにすればいい。けど、今は駄目」

 

 杏子はジッと、ほむらではなくその後ろの二人を見詰めた。怯えた様子の桃色の少女と、ゆっくりと立ち上がる青色の戦乙女。その手に握る剣は、青く輝いていた。

 

 

「転校生、邪魔をしないで」

 

 

 ほむらの背中に声を投げかけるさやか。その姿は酷く汚れていて、とてもこれから戦えるものではない。だがさやかはそれでも自らの足で立ち、瞳の輝きを濁らせてはいなかった。

 言われてほむらは振り返らず、ただ警告する。

 

「何度言えば分かるのかしら。一般人を危険に巻き込んで、貴女は愚かなの?」

 

「まどかの事はありがとう。でもね、これは導きなの。私は導かなくちゃならないんだ……ほむら、あんたもね」

 

 一切の躊躇を捨て、さやかはほむら諸共月光の光波を投げるように振るう。暗い闇夜に光る月光の刃が二人に迫った。

 ほむらはそれを一瞬で避け、杏子も間一髪で光波を回避する。二人の注目はさやかに向いた。

 

「これは……」

 

 その光を初めて見たほむらは驚愕した。今の今まで、どんな時間でもさやかはあんな攻撃手段を持たなかったからに違いない。

 さやかは光る刀身をほむらに向ける。

 

「私は魔法少女達の導き手になるんだ……その迷いも、私は導かなくちゃならないんだ」

 

 啓蒙を通り越した狂気が高まる。彼女は狩人ではない。故に発狂による死を迎える事は無い。しかしそれでも、精神は違う。狂気は心を蝕み、狂わせる。

 

「……一体、何のことを言っているのかしら」

 

 ほむらの問いに答える事なくさやかは剣を振るった。何度も振るった。

 衝撃波と共に魔力を伴った光波が二人に再度迫る。まどかはどこかおかしいさやかに懇願する。

 

「ねぇさやかちゃん!もうやめて!仁美ちゃんも、なんで誰も止めないの!?こんなの絶対おかしいよ!」

 

 まどかの悲痛な叫びにも、仁美はなにも出来なかった。ただただ恐怖していた。さやかの言う導きというものを考えれば考えるほど頭の中の何かがおかしくなりそうになる。

 

 導きとは。月光とは。それは暗黒の宇宙、そのまた先の次元。人の身では決して届くことのない啓智の先。その辺境に足を踏み入れるなど、人理を超えた魔法少女ですら不可能なのだ。

 故に狂気が溜まる。考えるだけで宇宙の闇が心を侵食していく。

 

 夥しい数の光波の内、その一つが避けたばかりの杏子に迫る。それを避けることは不可能に近くて。

 

 

「佐倉さんっ!」

 

 

 黄色いリボンが光波を弾く。見覚えのあるリボンだった。それは、杏子にとってのかつての導き。あの忌々しい月光の青ではない優しい黄色。

 巴マミのもの。

 

「マミ!?」

 

 杏子は驚いて、彼女を守るように降り立ったマミを見上げた。相変わらず凶悪な胸が重力に従って揺れている。

 マミは迫る月光をマスケットのレーザーで掻き消す。その後ろ姿は、かつて杏子が憧れた魔法少女そのものすぎる。

 さやかは師であるマミの姿を見てもスタンスを崩さない。まともに狂って、ただ言うのだ。

 

「マミさんも、強がって魔法少女の先導を騙る必要なんてないんです。もっと弱さを見せてくれていいんですよ」

 

「なにを……正気に戻って!」

 

 あの、素質に溢れたマミですら光波を防ぐのに必死である。いかに月光という力が人の身に余るものか分かるだろう?

 

 

 

 

 

 

「月光の狂気に呑まれたか。なるほど、やはり高暗黒次元に潜む上位者というのはタチが悪い」

 

 

 私は、百合の狩人は落葉を抜くとさやかに向かって前進した。あれくらいの光波は問題ではない。元の使い手に比べれば小さいし、量も少ないからステップで簡単に避けられる。

 それにだ。私はあの男のように清くも英雄でも無いが。それでも友をただ飲み干されるのは面白くは無いからね。

 

「マリア……あんたこそ欺瞞の光に満ちた悪夢だよ」

 

「そうかな?私からすれば月光こそ眩い光で心を惑わす邪悪だと思うが」

 

 私は英雄というものを好かぬ。何故狩りに酔いしれず、血に酔わず、人に罵倒され嘲られ、その姿をただただ人に合わせて正しくあろうとするのだろうか。

 心折れぬ、だと?否、折れられないのだ。それは自らに課した正義に反してしまうから。だからあの男は獣と化した。ただ縋っていた光の糸に裏切られ、勝手に見捨て、何も無くなった男は酔い過ぎたのだ。

 

 そうだろう、ルドウイークよ。

 

 

 

「このっ!」

 

 私の落葉を月光の聖剣が受け止める。いつの間にかさやかの剣は本来の……ヤーナムで月光と呼ばれた姿を取り戻していた。

 激しい鍔迫り合いを制し、私は落葉を分割させて回転斬りを仕掛ける。体勢を崩していたさやかはそれをアンバランスに避けると、私の超接近を許した。

 

「友に使いたくは無いが。仕方あるまい、これもあの糸のせいさ」

 

 獣の咆哮。耳をつん裂く雄叫びを、絶叫を放つ。するとさやかは簡単に吹っ飛んでいった。きっと鼓膜も破れたに違いないが、魔法少女ならあっという間に治ってしまうから問題は無かった。

 

「もうやめてよ……ねぇ」

 

 まどかの呟きは聞き入れられない。皆が皆、さやかという異端を押さえるか狩るために剣を取るのだ。

 そしてこれ幸いとばかりにキュゥべぇは自らの使命を果たす為にまどかに寄り添う。

 

「君の力があれば戦いを止められる。さぁ、早く僕と契約を」

 

「なんで、なんでみんな」

 

 震える。ただ、傷ついていく友達を見て。

 

 月光を振るい、落葉を振るい、槍を振るい、リボンを靡かせ、銃を撃ち。

 

 

 

 

 

 だからだろう。私達、戦うべき定めの少女達は気がつかないのだ。ただの少女である彼女の嘆きに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんなやめてッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然だった。ただ見ていただけの仁美を除く、私を含めた少女達の動きが止まったのだ。

 急激に高まる狂気のせいで私は全身の血が噴き出るような錯覚に。いや、事実噴き出かけていた。これはあのほおずき人形やメンシスの脳みそと同じく狩人の発狂を促すもの。ただその根底にある想いは、殺すという物騒なものではなく優しい思い遣り。

 

「これは、発狂……っ」

 

 急いで鎮静剤を取り出して飲もうとしたが、間に合わない。発狂して白目を向いた私の全身から血が噴き出た。そのせいで膝をついてしまう。

 

「まどか……君はまさかぎゅううううう」

 

 驚いたと思えば破裂するキュゥべぇ。

 

「ひぃっ!?え!?なに、何なの?」

 

「か、鹿目さん、あなた」

 

 怯える仁美。魔法少女達はその場で倒れ、うごかない。まるで先日、佐倉杏子からソウルジェムが離れたように。

 肉体から魂が離れてしまったように。

 

「これは、神、秘……?違う……?」

 

 

 宇宙からの啓蒙が私に答えを促す。

 

 それは奇跡。彼女の争いを止めたい想いが具現化した奇跡なのだ。攻撃的で、しかし確実に止まる争い。もしかすれば、その奇跡は。

 

  救済

 途方も無い因果を束ねられた少女の優しい心は、宇宙に潜む者達すらも恐れさせる。優しき友の記憶は時の歪みに囚われた少女が長い年月をかけて自らの中に奇跡として積み上げられた。膨れ上がった因果の前ではこの世の法則は存在し得ない。故に心優しき少女は争いを止められるのだ。

 敵味方問わず戦う者達の魂を一時的に止め、狩人ならば高次元すぎる啓智のため発狂を促す。また不死人であるならば因果より振り分けられた呪いで石化する。

 

 少女はただ慈悲の心の下に救済したいだけなのである。たとえその救済のさきにあるものが死であるとしても。

 

 

 

 まどかは。その因果の重さ故に人であろうともその力を行使できるというのか。

 私は落葉を杖代わりに立ち上がると、血塗れのまま混乱して怯え、少女達の身体を揺さぶるまどかを見る。

 

「ねえ、起きてよ!さやかちゃん、マミさん!ほむらちゃん!ねぇ!」

 

 真に厄介なのは月光では無い。彼女なのだ。その優し過ぎる心と因果は、そのままでは宇宙すらも覆い尽くすに違いなかった。

 

 そんな彼女が、とてもとても眩しく見えた。

 

「う〜ん……きょうすけぇ……えっへへ……はっ!?あ、あれ?どうしたのまどか……」

 

 さやかが目を覚ますと同時に、他の魔法少女達も魂が身体に戻る。

 それぞれが困惑する中、ただ一人、仁美だけは抱いていた疑念が確信に変わってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 狩人の夢。老人と美女がただ動かずに狩人を待つ。その異様な空間に、またもや異様な乱入者がやってきた。やってきてしまった。

 

 いつものように修練の為に夢へとやって来た恭介は、何も変わらぬはずの夢の中で確かに感じたのだ。嗅ぎ取った、と言っても良いだろう。

 ただその、獣とも人間ともつかないその臭いは禍々しいもので。いつもの工房から漂うその異臭は恭介の中にある狩人の血を沸滾らせるものであることは間違いない。

 

 ただ吸い寄せられるように、恭介はこのみの制止を振り切ってまで扉を開ければ。

 そこにはいるのだ。例え人では低き啓蒙で分からずとも、狩人にはわかる。今老人と対面している異形の姿が。

 

「獣かぁっ……!」

 

 有無を言わさず恭介はノコギリ鉈を振りかざす。ゲールマンはそんな熱い若者を止めることはせず、深い溜息を溢して見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや絶対やばいって!あの女の人、すっごく綺麗だけど怖かったもん!」

 

 慌てるこのみに毬子あやかは楽天的に笑うと言う。

 

「大丈夫っしょ!案外恭介くんも仲良くやってるかもしれないし!」

 

 このみが慌てている原因は、恭介にあった。夢に現れるなり目を血走らせ客人の元へと急行した恭介……このみは先程の一件もあり客人に良い思いを抱いていない事は明白で。

 どうやらあの百合の狩人の友人らしいから、その客人がまともな訳もなく、そこへ武器を掲げて走っていく恭介が何かやらかさないか心配でしか無い。

 

 丁度暇そうにしていたあやかと人形ちゃんを捕まえたは良いが。

 

「エーブリエタース様は非常に消極的な方ですが。新しい狩人様は彼女を見かければ狩りを行うでしょう」

 

「え、なんで今言うのかな人形さん」

 

 それはつまり、恭介は客人を襲う気満々と言っているのに等しい。

 二人と一体は恐る恐る工房の扉の前まで辿り着くと、聞き耳を立てようと頭を扉に近づける。

 

 

 ガシャーンっ!と、何かが勢い良く割れた。どうやら人形ちゃんの予想は的中してしまったようだ。

 

「どどど、どうしよう!きっと上条くん襲い掛かってるよ!いつもマリアさんと狩人さんにやられちゃってるからストレス発散しようとしてるよ!」

 

「このみって結構酷いこと言うよね」

 

 その時だった。扉が勢いよく開けられて二人の頭が打ち付けられる。そのまま階段下まで吹っ飛ぶ少女達。ただ一人、人形ちゃんだけが後ろからその光景を見ていた。

 同時に、恭介も中から吹っ飛んでくる。ボロボロの雑巾みたいになって。

 

「ぐわっ!」

 

 恭介は階段を転がり、このみとあやかの上に倒れ伏すと工房の中を覗き見た。

 

 

 星の娘、エーブリエタース

 そこには、異形の存在がゆったりとした動きで這い出て来ていて。

 

「ああ、修繕が大変だからあまり壊さないでくれ」

 

 呑気に言うゲールマンを無視して客人、星の娘……上位者が姿を現した。そんな異形に、人形ちゃんはゆったりとお辞儀をする。

 

「化け物め……!」

 

「ちょ、いいからどいてって!おーもーいー!」

 

 恭介は立ち上がると、輸血液を自身に打って回復する。エーブリエタースと呼ばれる娘はそんな彼を見るとその触手とも呼べるであろう腕を天に掲げた。

 第六感が危機を告げる。恭介は急いでその場から離れる。

 

 暗黒の宇宙が、天に広がる。彼方からの呼びかけ、その失敗がもたらすのは隕石。小さな隕石は恭介を狙い飛翔した。

 それらをステップで回避すると、恭介はまたエーブリエタースへと突撃する。

 

「うわー、すっごい魔法!」

 

「あの女の人強いんだね」

 

 啓蒙とは、授けられるもの。そして授けられる者は狩人に他ならない。

 だから彼女達には、あの上位者が美しい娘にしか見えないのだ。だがそれで良い。皆が皆、真実を知る必要はないのだから。

 



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Ashes To Ashes
美しい娘達


ここから分岐していきます。


 

 

 ピシリとカップにヒビが入る。そこから冷めた紅茶が漏れ出すと、織莉子の学生服のスカートに染みを作った。彼女はあっ、と戸惑いながらも服が汚れる事よりお気に入りのカップが使い物にならなくなってしまった事に気を取られてしまった。

 そして番犬であり忠実な僕であるキリカが慌てたように、必要以上に彼女に寄り添う。

 

「大丈夫かい織莉子!」

 

「ええ、熱くはないし平気よ」

 

 それだけ言うと織莉子に対してのみ心配性なキリカは急いで厨房へと布巾を取りに行く。忙しない様子だが、こんなものはいつもの事だ。

 ただ、ちょっとばかり嫌なことがあってそれを補ってくれるパートナーがいて。そんな日常の一ページに過ぎないはず。それでも織莉子はこのヒビ割れを、どうしても単なる事象として片付けることはできなかった。

 何かがおかしい。あの狩人を自称する彼女が現れて以降、事は順調に進んでいるはずなのに。不必要な犠牲が出ずに済んでいると言うのに。

 なのに一体、何がそんなに彼女を不安と焦燥に駆らせるのだろうか。それが分からない。だからモヤモヤするのだ。

 

 狩人の啓蒙というものは、それこそ突然訪れるものだ。ここぞという時に脳に潜む蛞蝓が囁いてくれる。それが良きにしろそうでないにしろ、啓蒙とは実に気紛れな猫のようなもの。

 そしてここで忘れてはいけないのが、神の啓示というものだろう。我々のように物を知らぬ人からすれば、その啓蒙はまさしく神の啓示に他ならぬ。事実、古来より人は人知を超えた知識を啓示として扱ってきたのだ。

 

「これは……予知……?」

 

 美国織莉子がもたらした奇跡に、未来を予知する力が挙げられる。それは過程は違えど、啓蒙や啓示に他ならない。

 少女は見たのだ。その暗い、高次元暗黒の先に待つ救済を。その救済は自身ら魔法少女を救うものであると。そして、救世主の姿を。そこにあの世界を喰らい尽くす怪物は存在しない。ただ、清き心を持つ偉大なる少女がいるだけ。

 そしてその、神にも等しい救世主に立ち向かう━━百合の狩人を。

 

 聡明な織莉子にはその一瞬だけで良かった。ただ、次の目的が見つかっただけだった。齎された結果だけで良かったのかと自身に問いかけた日々がようやく報われたのだと、彼女は清々しい心で受け入れることができた。

 

「織莉子、タオルを……織莉子?」

 

 気がつけば、両の腕を天に伸ばして立ち尽くす少女が居た。気持ちが悪いほどに美しく、彫刻のような聖女の姿。

 美しい。やはり自分の愛した織莉子は綺麗なのだと、再認識はすれどもキリカは思うのだ。

 

 今、彼女の中に自分はいない。これほど彼女を愛する自分は、眼中にすらないのだと。キリカは怖くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私が草臥れた様子で夢へと帰ると、恭介が更にボロ雑巾のような格好で墓石の前に崩れ落ちていた。半殺しにされた彼は、なにかと必死に戦っていたのだろう。だが死んではいないからリセットされないのだ、彼はただ、疲れ果ててその獰猛な眼差しを私に向けた。

 

「どこもかしこも……獣ばかりだ……」

 

 奇しくも昔、あの神父が言ったように。恭介はそれだけ口にすると斃れる。死体は残らず、ただ消え去るのみだ。復活しない所を見るに、そのまま現世に戻ってしまったか。

 私は工房を見上げる。何ともまぁ修繕のしがいがあるくらいに破損していた。燃えていないだけマシだが……まったく、どうしてゲールマンは最期には工房を燃やすのだろうか。まぁ良い。

 

 無人の階段を登り、静けさだけが支配する工房の扉を開ける。そうすれば、今回の騒動の主犯がいた。

 美しい娘はただ平然と椅子に座り、紅茶を啜っているだけだ。その対面にはゲールマンと人形ちゃんが同じように椅子に座っている。どうやらこのみとあやかは不在のようだ……マリアお姉様もいないようだから、きっとゲールマンが薔薇園の方へ逃したのだろう。

 

「お帰りなさい、狩人様」

 

 いつものように人形ちゃんが出迎えてくれると、彼女は立ち上がって紅茶が入ったポッドを持ってくる。私は美しい娘の横に座ると、人形ちゃんが淹れてくれたそれを飲んだ。疲れた身体に染みる……まったく、今日はついていない。

 ふと、美しい娘が私を無機質な表情で眺めている事に気がついた。私は一息入れてから、

 

「やぁ、久しぶりだね……エブちゃん」

 

「あら。ようやく挨拶したと思えば貴女……随分と血が少ないわね」

 

 事実、私は発狂してから血を補充していなかった。

 

「なら君の血を私にくれるのかい?」

 

「嫌だわ。貴女、そうやってすぐに女の子を口説くんですもの。あの城に閉じ込められた哀れな女といい烏羽の狩人といい……でも、そうね。私貴女の事好きよ。だって良い啓蒙を持っているもの。半分人間だけれど」

 

 そう言って美しい娘は私の手を握る。暖かな温もりが肌に伝わってくる。私はその手を、自身の頬に擦らせた。

 

「私の弟子が迷惑をかけたね」

 

 至福の一時だった。こんなにも美しい少女の温もりを感じられるなど、やはり私は幸せものだろう。エブちゃんは少しだけ表情を困らせると、

 

「しっかり犬には首輪をつけておきなさいな、野蛮ったらありゃしないわ」

 

 そう言って私の上に跨った。ゲールマンはにっこりと笑ってその様子を眺めている。スケベ爺め。貴様に百合の良さは分かるまい。

 私は彼女の腰に抱き付くと、その豊満な胸に顔を埋めた。決して彼女は薄着ではないが、着ている服の素材は薄いものだ。ダイレクトにその柔らかさが伝わってくる。

 

「飢えてるわね」

 

「いつだって少女と血に飢えているのさ……」

 

 お姉様もこれくらい私を受け入れてくれていればいいのだが。まぁ、お姉様は私と同じで胸があれだし。

 と、扉の隙間からこのみとあやかが顔を赤くして覗いているのが見えた。というより目が合った。ちょっと刺激が強かったのだろうか。まぁ良い、いつか君達ともこうして愛し合いたいものだよ。

 

 しばらくこうしてエブちゃん成分を補充していると、向こうから話しかけてくる。

 

「それで、貴女の計画はうまくいっているのかしら。その様子では苦戦しているようだけれども」

 

 私は顔を胸に埋めたまま、首を横に振った。

 

「くすぐったいわ。何かあったのね。どうやら古い奇跡のようなものに当てられたみたいだけれど」

 

「難しいものだね、少女達とは」

 

「あら、珍しく……いえ、事女の子相手では貴女は悩みっぱなしだもの。乳母も心配していたわ。こんな月の支配者の置き土産に籠らずとも、こちら側に来れば良いのに」

 

「やる事を終えたらね。私は百合ハーレムを築くまで高次元暗黒に逃げるつもりはない」

 

 たとえまどかの因果が増え続け、私の手に余ろうとも。

 エーブリエタースは私の頭をそっと撫でると、自慢の銀髪に口づけする。上位者の口づけ。それが意味するのは、更なる啓蒙を授けるという事だ。私は恍惚とした表情を隠しながら、ただその啓智に震えた。

 やはり美しい娘は正しい。一人動く私に安定した安らぎを与えてくれる……

 

「好きよ、狩人。でも辛くなったらいつでも私に言いなさいな。貴女は私のつがいなのだからね。ハーレムも、私が一番ならそれで許すわ」

 

「……う、うん」

 

 でも、ヤンデレだ。それだけがネックなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女は震える。一人、高級そうなベッドの上で心の寒さに震えながら。

 朝の陽気は心地良いものだ。それが春先ならば尚更人の心を暖めてくれるだろうが。今の彼女にとって、その陽の光は自らの罪を暴くであろう業火の炎に等しい。毛布に包まり虚な瞳を空虚に向ける。でもだめだ、すぐに自らが気付いてしまった過ちが脳を行き来するのだ。

 

 志筑仁美は確信してしまった。自らの祈りによって得たソウルジェムの秘密を。この宝石は単なる魔法少女のシンボルではない。文字通り、自らの魂そのものの具現化なのだと。

 佐倉杏子との第一回の戦いでその事実を疑い、昨日の鹿目まどかの祈りによって確信へと変わった。仁美は魔法少女故に、感じていたのだ。あの時、まどかの奇跡によって齎された効果によって、一時的にだが倒れた魔法少女達のソウルジェムとのリンクが切れてしまっていた事に。

 

 それだけならばまだ良い。仁美は聡明だ。私が齎した啓蒙もそれに拍車をかけているのだろう。

 だからこそ、気がついてしまった。魔女と魔法少女の関係性。魔法少女が流れ着く成れの果てを。魔法少女は、いつか魔女になるのだと。

 

 

「やぁ仁美。どうしたんだい、学校へ行かないなんて君らしくないね」

 

 

 絶望の淵にある少女の下へやってくるのは、宇宙の使者。そして、彼女を絶望の未来が待ち受ける魔法少女へと変えた悪魔。仁美はキュゥべぇを見た途端、ベッドから飛び出てその白い身体を握り潰した。

 生物なのか疑ってしまうほど、その身体には体液が存在しなかった。ただの白い、綿菓子のような肉。可愛らしい形が一気に肉塊と化し、仁美はその悍ましさに吐き気を催した。

 

「う、うぐ、おえ」

 

 なんと、この世の真理の醜い事か。時に知らなければ良かった事など沢山あった。それでも真理を探求するのは啓蒙高き我ら狩人の性。

 

「まったく、酷いじゃないか。出会い頭にボディを消耗するなんて。暁美ほむらじゃあるまいし」

 

 だが宇宙より来たりし者に恐怖など存在しない。淡々と、彼はまた現れる。その異様な光景に仁美は戦慄した。

 キュゥべぇは仲間の死骸をその場で余す事なく食すと、短いゲップをしてから言う。

 

「その様子だと、君は魔法少女と魔女との関係について気がついたんだね」

 

 悪びれる様子もなく、ただ告げる。

 

「なぜ……なぜ言ってくれなかったんですか」

 

 私達はいずれ魔女になると。

 

「聞かれなかったからね」

 

 当然の事だと、少女の気持ちを鑑みる事はしない。

 

「第一、そんなに嘆く事かな?君は絶望していた上条恭介に希望を与えたじゃないか。もし彼がこのままでいたのであれば、きっと自殺していたに違いない。でも君がその身を捧げて奇跡を齎した。なら、その代償も支払うべきだ」

 

「貴方の目的は、一体」

 

 宝石のような瞳が怪しく光る。

 

「宇宙の存続だよ」

 

 そうして、彼は。彼らは、自らの目的を語る。危機にある宇宙。宇宙のエントロピー問題を解決するために、少女達の感情エネルギーを利用している現状。必要なエネルギーは、魔法少女が魔女に転移する際に発生するものが一番多い。

 故に彼らは求める。少女の絶望を。絶望の先に待つ、莫大なエネルギーを。仁美はそのスケールの大きさに圧倒され、改めて途方も無い目的の為に産み落とされた自身に絶望した。

 

「騙したの、キュゥべぇ」

 

「騙した?君達はいつもそうだ、事実を告げればそうやってこちらを勝手に非難して。だから言ったろう?僕たちは君達が望む奇跡を与えたんだ。なら、こっちもメリットを求めるものだろう」

 

 決して、キュゥべぇは間違ったことを言っていない。だがそのやり方は未熟で多感な少女達に受け入れられるものでは決して無いものだ。

 技術を高め過ぎて哲学的な思想を捨て去った上位者の末路のようなものだ。私達、真に啓蒙高き上位者ならばこうはならなかったろう。中途半端なのさ、君達は。

 

「こんなの、あんまりだわ。ゾンビになってしまったようなものじゃない」

 

 態とらしくキュゥべぇは溜息をついてみせる。

 

「君達は戦っていて何も思わなかったのかい?昨日もその前もそうだけど、本来人間があんなに肉体的損傷を負ってしまったらあんなに機敏に戦えないだろう?それはあの白百合マリアも同じさ。最も、彼女も僕達と種族は近いものがあるけどね」

 

 その言葉に耳を疑った。あんなに自分達を思って行動してくれるあのミステリアスな少女が、宇宙人と同じだと?

 キュゥべぇはそれを意に介さず、ただ続ける。

 

「じゃあ、そうだね。実際に君に本来の痛みを知ってもらおうか」

 

 と、宇宙の使者は机に置かれた仁美のソウルジェムに前足を触れさせた。

 

 

 

 

 

「おッ!?ごっ、ええええ!!!!!!あガァッー!?」

 

 

 

 途端に仁美は腹を押さえてその場にのたうち回る。味わったことのない痛みが、彼女の内臓を襲った。まるで腹の中に手を突っ込まれ強引に引き裂かれたような痛み。ただの少女が耐えられる痛みをとうに超えている。

 キュゥべぇがまたソウルジェムに触れると痛みは消える。だが余韻は。彼女の身体に確かに残っていた。

 

「それは白百合マリアがよく行う……内臓攻撃とでも呼べば良い攻撃さ。流石にそこまで損傷を負ってしまえば魔法少女でも動けなくなるだろうけど、回復魔法を使えばすぐに元通りになるだろう?ほら、便利じゃないか」

 

 淡々と告げられる。だが仁美にはもう反論する余裕は無かった。ただ転がり、息を切らしてその声を聞くだけ。

 

「まぁいいさ。魔女を倒してくれさえすればそれでね。今日も魔女は出るだろうから、魔女退治に勤しんでくれよ仁美」

 

 それだけ言うとキュゥべぇは立ち去る。仁美はそれから、長い時をその場で、その姿勢で過ごしただけ。夜になればまた狩りの時間がやって来る。仁美は、絶望しても獣を狩るしかないのだ。

 少女である為に。生き残る為に。かつての同胞を、屠るしかないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ━━かつて私が見た導きとは、欺瞞だったのだろうか。

 ルドウイークはいつもの夢の中で一人考える。ただベンチに座り、祈るわけでもなく。自らが師と崇めたものの存在について考えるのだ。

 ここは美樹さやかの脳に潜む夢の中。故に彼は一部始終を見ていたのだ。彼女が導きの光に心を奪われ、半ば獣と化してしまったことを。

 

 ルドウイークは英雄である。

 獣に悩める民衆のために立ち上がり、医療協会の剣として数多の獣と戦った。仲間を集い、鍛え、共に戦い。その中には確かに民衆からの嘲りと罵倒はあれど、彼はそれらの為にも傷つきながら、喪いながら戦った。それは正しく英雄と言って差し支えはない。

 

 同時に、彼は聖剣である。

 彼だけに与えられた秘する導きの剣。それは彼の心の縁で、師で、信仰だった。途方も無い獣と対する時はいつでも月光は彼を導いてくれた。人々に嘲られ、罵倒されても月光を信じ心は折れなかった。だからルドウイークは英雄でいられた。

 

 だからこそ、彼は導きの月光の正体を知ってしまった時絶望した。なんて事はない。月光の糸なんてものはそんな美しいものでは無かったのだから。

 虫。連盟と呼ばれる狩人達が呼ぶ、その汚れの亜種。それこそ月光の……いや、月光が齎した導きの糸の正体。獣の病の正体に通じるもの。それこそが彼が縋っていたものだった。

 それから獣に堕ちるのは、長くは無かった。

 

 美樹さやかは正義を重んじる少女だ。例えそれが論理的でなくとも彼女は自らの正義のために戦うだろう。英雄となる素質を持つ、素晴らしい少女であることは間違いはない。

 だからこそ、彼は疑問を抱く。師である導きの月光は、何故彼女を暴れさせたのだろう。それはかの者が少女に与えた試練なのだろうか。

 

 答えは出ない。もう彼には、自らが師と定めた者を信じることはできない。

 獣と同じく、狩るべき対象であった上位者。その考えを信じることは彼にはできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「仁美ちゃん、どうしたんだろうね」

 

 隣でお弁当を食すまどかが浮かない顔で言った。さやかも同じく、どこか友を心配する表情で頷く。だが、察してはいるんだろう。彼女は鋭い子だ。月光という後ろ盾はあるだろうが、それを除いても彼女は美しい。

 

「昨日の一件から、ちょっと様子がおかしかったものね」

 

 マミがサンドイッチを握りながら言う。彼女は私を見ると、眉をハの字にして私に語りかけた。

 

「そう言えば、もう身体は大丈夫なの?」

 

 私はマミの作ったサンドイッチを食べると頷く。ちなみにさやかは少しばかり私を警戒しているが、それ以上に杏子を敵視しているせいでお昼ごはんを一緒にすることは許可してくれた。

 

「血が湧き出ただけさ。よくあるんだ」

 

 主にメンシスの悪夢とかでね。

 

「ご、ごめんね。私昨日起きた事、よく分かってなくて」

 

 しょんぼりするまどかに笑顔を向ける。

 

「気にせずとも良いさ。それより、今日はどうするんだい?」

 

 是非とも狩りに赴きたいが。最近は夢に少女を引き込む隙が無いからね……どうやらエーブリエタースが狩人の夢に住み着くつもりのようだが、できれば人間の少女も来て欲しい。彼女はその、啓蒙が高すぎる。

 

「魔女退治には出かけるつもりよ。でも……できれば志筑さんのお家にお見舞いに行きたいわ」

 

 それは素晴らしい。確かに、彼女の心をケアしてあげなければなるまいよ。絶望しっぱなしの少女は見ていて心が痛む。

 それにだ。事実を知ってしまったんだろう。なら、その秘密を共有してもらおうじゃ無いか。そろそろ潮時だろうよキュゥべぇ。

 



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血に飢えた少女

 

 

 女の腕を掴み、引き寄せる。

 きっと、好奇心からなのだろう。こんな悪夢の奥にまで踏み込んだ愚か者だ。意味深に腰掛けている死体に関心など示さない筈も無し。それに漁村への鍵は私が握っているのだから、多少なりとも知恵が回る者であるならば調べないはずもないのだ。

 

 だから、そんな狩人に向けて私は言うのだ。冷酷な助言を。警告を。宣言を。

 

 女は突然生き返った私に迫られても動じる所かその可愛らしい顔を火照らせ、我が師が時折見せる偏執にも似た眼差しを向けている。機能性を求める狩人らしからぬ、これまた可愛らしい見た目の、それでいてやや実用的な物も合わせた服装だった。

 彼女もまた、私と生まれを同じとする穢れた血の持ち主なのだろうか。一部の服装が私の装束と似通っているのだ。しかし彼女からはそう言った、特別な血の匂いは感じない。

 

 まぁ、良い。秘密は甘い物だ。だからこそ、恐ろしい死が必要なのだ。

 ……愚かな好奇を忘れるような恐ろしい死が。

 

 彼女もまた、死に逝く者なのだから。

 

 剣を抜いた私に、彼女は羽織り物を少し広げて一礼して見せた。可憐な少女に相応しいその行為は、およそ私という異端を恐れてなどいないように見えた。そして言うのだ。

 

「御迎えにあがりました、マリアお姉様」

 

 不思議な娘。いや、狩人だった。彼女はそれから漁村で捨てたはずの落葉を取り出すと、それまでの礼儀作法を捨てて狩人らしい構えをして私に対峙した。

 所詮、この者は悪夢を受け止めきれずに狂ってしまったのだと……その時は思っていたが。

 

 ただただ、彼女の狩りによる蹂躙が待っていただけだった。私は本来の力を出し切った上で敗北し、その血の遺志を持ち去られ、挙句の果てに懐かしき夢へと誘われた。同じような末路を辿った師と、久方振りの再会を果たしたのもその時だった。

 

 彼女が月の魔物を打ち倒し、人を完全に辞めてしまう前の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私達はマミの提案により仁美の見舞いに赴く事になった、という事は記憶に新しいだろう。今は帰り道、陽は落ちかけ、今日もまた狩りの時間がやって来ようとしている。ちなみに恭介は、夢でコテンパンにやられた疲れで今日は狩りに参加できない。授業中も死んだように寝ていた。

 ただ、そうだね。今日の狩りは、いつものように単純なものでは無いだろうさ。なんてったって、ここが分岐点なのだから。私の計画と彼女達魔法少女のね。

 

 世間話というものは良いものだ。ヤーナムでは世間話をする相手などほぼいなかったし、唯一情報交換をしていたアルフレートは胡散臭かった。夢の住人もまた同じ、ゲールマンは昔見せなかったような満足気な顔で私やマリアお姉様を眺めているし、マリアお姉様もあまり話してくれない。人形ちゃんはそもそも夢から出た事がないから世間を知らない。

 このみとあやかくらいだろうか、まともな話ができるのは。ヤーナムの住民が狩人を蔑んだ理由の一つに、コミュ障が入っていても不思議では無いな。

 

「……ごめん、ちょっと用事できちゃった」

 

 ふと、さやかが背中を向けて歩き出す。私とはまた異なる、月の香りを脳で感じる……月光が何かを導こうとしているようだった。

 

「え、さやかちゃん?」

 

「ちょっと美樹さん?」

 

 まどかとマミの制止も振り払い、さやかは駆け出す。私かい?いいのさ、月光が何をしようとしているのかは分かっている。それに今、さやかが導かれる事による成長は必要なものだ。それを止める理由は私にはない。利用できるものは利用しなければなるまいよ。少女以外はね。

 

「では、私達は仁美に会いに行こうじゃないか」

 

 マイペースを装って、私は二人を先導する。これで良い。役割とは正しく、己の為すべき事なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 光の糸。さやかはそれを見つけ、友を置き去りにしてただ追いかける。気がつけばその糸は消えていて、人通りの少ない河川敷へとやって来ていた。

 代わりに現れたのは佐倉杏子。つい昨日、導きのままに戦った相手だ。杏子は何気ない顔でリンゴを貪り、警戒するさやかに言う。

 

「ちょっと面貸しなよ」

 

 聡明な彼女には分かる。今日の彼女は戦いのために来たのではないのだ。さやかは彼女の言うがままに、その背中を歩いて追う。

 

「聞いたよ、あんたあの男に振り向いてもらいたくて契約したんだって?」

 

「マリアから聞いたんだね」

 

「あいつそういう名前なのか。まぁいいや。驚いたよ、あんたはてっきりもっと自己犠牲的なもんかと思ってたのに。それに比べて、あの緑の奴はなんだい?あの男に成長してほしいって……サイコパスにでもなれって?魔女をあんな惨たらしく倒す一般人なんて初めて見たよ」

 

 ここまでは前座であると、今の彼女なら理解できる。きっと月光の導きと師の教えが無ければ彼女は怒りのままに食ってかかっていたに違いなかった。

 ただただ、哀れみを目の前の少女に向けるのだ。

 

 辿り着いた先は、焼け落ちたであろう教会の跡地。一般的ではないその光景は不思議と悍しいものは感じなかった。杏子はリンゴを食べ尽くし、茎の部分を投げ棄てる。そして新たに取り出した果実をさやかに投げ渡した。

 

「食うかい?」

 

 さやかは、そのリンゴを眺めた。丸く、甘みの乗ったそれはとても美味しそう。問題は、このリンゴの入手経路だった。きっと合法的に持ってきたものではないだろう。マミからも聞いている。彼女は今、住むべき所を持たぬ流れ者なのだ。

 

「……食べ物を粗末にすべきじゃないよね」

 

「そうだな」

 

 さやかは一瞬の迷いの後、それを齧る。禁断の果実とは良く言ったものだ。導くためには、時に自らの正義とぶつかる必要もあるのだろう。

 眩しい笑顔を杏子に向け、彼女は言う。

 

「これで共犯だね」

 

「あんた……」

 

 そんな、試すような杏子の行為をさやかは乗り切って見せた。それどころか、杏子の心に潜む何かを焚きつけても見せる。心にかかったモヤを、強引に打ち破る。佐倉杏子とはそんな魔法少女ではないのだと自らに言い聞かせるのだ。

 気を取り直し、杏子は話をする事にした。

 

「あんたさ、自分自身のために契約したんだろう?ならどうしてもっと魔法を自分のために使おうとしないんだい?巴マミとなんか組んで、街のためだ、人のためだってさ。それで坊やが振り向いてくれるのかい?」

 

「随分な質問だね。でも、あんたなら分かるんじゃないかな。杏子」

 

「いいや分からないね。魔法なんてものは徹頭徹尾自分の私利私欲のために使うべきなのさ……正直、イカれてるよあんたら」

 

 まぁ良いや、と。杏子は自らの主張を聞かせるために話を続ける。

 

「坊やの心が欲しいんだろう?ならあんたら二人がいなきゃ生きていけなくすればいいじゃないか。例えば……手足を潰すとか、ね」

 

 不敵に笑う杏子を、たださやかは無表情で見つめ続けた。

 

「それは私の導きに反する」

 

「ふん、またそれかい?まぁ良いよそれでも。でもね、あんたには覚えておいて欲しくてね」

 

 杏子はリンゴの入った袋を椅子に置くと、崩壊しかけた十字架を眺めた。その瞳は儚気で。魔法少女の導きとなりたい少女の心に刺さるものだ。

 

「ここはね、私の父さんの教会だったんだ」

 

 そうして杏子は語る。自らの出自を。正義を語り、見向きもされない父の話を。そんな父のために魔法少女となり、偽りに気がついた父親が取った行動を。それは決して幸せな話ではないが。どうにも教訓染みているのだ。

 次々とリンゴを貪り、杏子は言う。

 

「あたしの勝手な祈りが家族を壊したのさ。他人の都合を知りもせず、自分勝手に祈ったせいでみんな不幸になっちまった」

 

 茎が床を転がる。ただただ、さやかはそれを聞いていた。

 

「その時誓ったんだよ。もう他人のために力を使いはしない……この力は全て自分のために使いきるって」

 

 暗い意思がそこには宿っていた。さやかはそっと彼女に近寄る。杏子は自嘲気味に笑い、振り返る。

 

「奇跡はただじゃないんだ。使えばそれと同じくらい絶望が撒き散らされる。そうやって差し引きをゼロにして、世の中のバランスは成り立ってるんだよ」

 

 さやかは瞳を閉じた。

 

「杏子。私はね、魔法少女がそんなに正しいものじゃないってことは分かってるつもりだよ」

 

 その言葉は、杏子にとって刃物に等しい。

 

「誰にも理解されないで魔法少女は戦って、あんたみたいに罵られて、挙句絶望してさ。今の話だって、やりきれないよね」

 

「……なら、分かるだろ。私達はもっと自分勝手にやっていいのさ」

 

「そうかもね……でもさ、杏子。そんなに自分に嘘を付く必要はないんじゃないかな」

 

 杏子にとって、美樹さやかという少女は毒だ。

 

「私はね、杏子。光の糸を見たんだ」

 

 ならばさやかは導かねばならない。この絶望を経験し、今や曲がってしまった魔法少女を。

 

「暗い夜に、でも確かに見たんだ。月光の導きを。だから私は折れないよ。魔法少女が絶望するなら、私はその子たちの光の糸になりたいの」

 

「だから、それは」

 

「分かってる。きっと、まともな人生なんて歩めない。それでもやらなきゃならないんだ。杏子、私はあんたの光にもなりたいんだよ」

 

 かつて目指した正義を見た気がした。巴マミと二人で戦った、あの懐かしい光を、感じた気がした。

 杏子はもう何も言えなかった。これ以上言っても、きっとこの少女は折れない。自分のように志半でグレるなんて事はあり得ないのだと理解してしまった。

 杏子はさやかの手を振り払い、後退りする。

 

「違うんだって!魔法少女なんだ、もうそれだけで十分なんだ!他に望むものなんて無いんだよ!」

 

「杏子、これだけは覚えておいて。私はいつでも自分の正義のために戦うんだ」

 

 さやかは杏子に背中を向ける。もはや言葉は要らぬ。美樹さやかという少女は、既にただの魔法少女ですら無いのだろう。

 月光と呼ばれる者は、かつてのヤーナムで導いた者を思い出す。その者も正しく人々を導くために戦い続けていた。それを人は、英雄と呼ぶのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の工業地帯にチェーンソーの騒音が鳴り響く。全てを壊し、切り裂き、殺す音だ。仁美は魔法少女の衣装を血に染め、一心不乱に魔女と使い魔を切り裂いていく。

 それはかつてヤーナムの墓地で見た神父のように。血に狂い、狩りに狂った者の末路なのだろう。

 死んで動かない魔女を執拗に斬り刻むと、切らした息を整える。鼻には血の匂いが充満していた。かつての同類を、この手で殺したのだと満足し、その血をこれでもかと浴びる。

 

 悲しいかな、仁美よ。だが悲しむなかれ。すぐに私が楽園へと誘うだろうさ。少女達が安心して暮らせる━━天国へとね。

 

 仁美は開いた瞳孔を背後に向ける。そこには師である黄色の衣装に身を包んだ魔法少女と、友人で有る狩人、そして酷く眩しい桃色の少女が立ち尽くしていた。

 

「ああ……血を下さいな」

 

 チェーンソーの回転が増す。刃にこびり着いた血と肉片が舞った。

 

「魔女の血を。穢れた血を。ついでに、人の血を。く、ふふふふ、たまりませんのこの匂い。狂ってしまいそう……えづくじゃありませんか」

 

 マミはその顔を強張らせ。まどかは今にも泣き出しそうな顔で。ただ、仁美を見ているだけしかできない。

 

「魔法少女の末路が魔女なら……狩らなきゃなりませんわ。ねぇ、白百合さん」

 

 そうだね。私はそれだけ言って、落葉の鋒を仁美に向けた。

 

 身体から得体の知れない何かがはみ出してしまった、人ならざる者へ。彼女はもう、帰っては来れない。ならば狩るしか無いだろう。

 

 

 

 

 THE PRIESTESS

 美徳の魔女、プリエステス

 

 

 



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恐ろしい白百合

ほぼ会話


 

 

 死んだようにベッドの上で寝そべっていると、不意に胸騒ぎがした。彼は今にも落ちてしまいそうな目蓋をこじ開けて、夢の中から狩装束を取り出すと急いで着替え出す。

 理由は自分でも分からない。けれども、行かなくてはならないと頭の中の何かが警鐘を鳴らしているのだ。それを我々狩人は啓蒙と呼ぶ。

 啓蒙とは正しく知識なのだ。彼の中の知識が星に繋がり、それを助長しているに過ぎない。ならば必然的にその警鐘は星が抱くものでもある。無視は出来なかった。

 

 日本家屋の豪華な屋敷を抜け出し、夜の街を駆ける。むせるような血の匂いが鼻を擽っている……同時に、月の香りさえも。

 きっといつもの魔女狩りだろう。巴マミを主体とした魔法少女による恒例行事だ。それにあの忌々しい女も加わっているに違いないと。

 

 ならばこの胸のざわつきは何なのだ。

 

 少年は夜を駆ける。ただただ血に寄せ付けられて。そこに答えはあるのだと啓蒙されて。

 だが時としてその啓蒙は自らの存在すらも脅かすものとなり得るものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 よく言うではないか。灰は灰に、塵は塵にと。ならば君もあるべき場所へと帰るが良いさ。

 私に導かれるがままに。気紛れな月の光じゃ辿り着けない楽園へと。

 "I'm happy, hope you're happy too. "

 なぁ仁美。幸せだろう?苦しいこともない、ただ変わらず少女のままで、深い微睡の中に居られるんだ。むしろ感謝しなくちゃならないよ。私は君に幸せを与えるんだから。

 

 少女が血に飢えた笑みを見せるのならば、私も彼女へと少女に飢えた笑みで応えよう。落葉は妖しく光る。その血を求めるが如く。呪いはただ溜まり、底はないのだろう。まさしくそれは宇宙そのもの。そして……ふふ、まるで私が少女達へ抱く愛のようではないか。堪らないなぁ。

 

「志筑さん……!そんな、どうして!」

 

 怯えたようにマミが叫んだ。その手にはいつものマスケット銃が握られていて、銃口こそ変わり果てた仲間へと向けられているが……震えている。腕ごと、その震える銃が彼女の心を映すように。

 そんなに恐れる事はないのさ。どんなに姿が変わり果てようとも心は変わらない。見た目で人や物を判断するのは啓蒙が足りていない証拠なのだよ。

 

「そんな……キュゥべぇ!どういうこと!?なんで仁美ちゃんが、あんな、魔女に!」

 

 無垢な少女の悲痛な叫びにも似た質問が夜の街に木霊する。まどかの肩から降りた白き宇宙の使者はいつも通りの無表情を持って淡々と質問に答えた。

 

「見ての通りだよ。仁美は絶望し、ソウルジェムを濁らせたんだ。そうなれば希望を生み出す魔法少女が絶望を振りまく魔女になる事だって、納得するだろう?」

 

 そう。それは当然の摂理なのだ。作用と反作用があるように。それこそ光と闇があるように。希望が生まれれば、遅かれ早かれ絶望も生まれるものだ。そこに相違は無い。ただ当たり前の事なのだ。

 だが、それだけじゃ無い。希望は人に生を与えるものだろう?だが絶望は死を与えるものだ。そうやって、すべての事柄は差し引きゼロでうまく動いているんだよ。

 

 キュゥべぇは早口に、ただそれだけを語ってみせた。まどかは涙を流しながら……そして魔法少女という存在を神々しい何かと勘違いしていたマミは、同時に信じていた友に裏切られたと理解して放心した。

 だから、この場で戦えるのは私一人。いつかマミには私の天国に来て欲しいが、それは今では無い。ならば私が守らねばなるまいよ。無論、ほむらが大切にするまどかもね。それは約束でもある。

 

「ああ嫌だわ、皆キュゥべぇに騙されて絶望して……まるでつい先程の私を見ているよう。でも安心してくださいな、巴さん。貴女は今から狩られるのですから、そんな事気にしなくても良いのです。すぐにそこの裏切り者の獣と隠し事ばかりする百合女を殺して……ふひ、狩獲ってさしあげますから」

 

「いつになく饒舌に狩りを語るじゃないか、仁美」

 

 艶やかに魔女の血に酔いしれる少女。あぁ、単なる狂った狩人ではここまで私の心を動かす事は無かっただろう。

 やはり少女とは、それだけで美しい。隣で震えて絶望する少女も、呆けて何も考えられない少女も大好きだ。やはり私のものにしたい。私だけの、少女達に!

 

「心地良いだろう、血の味とは。蕩けてしまいそうだろう、血に酔うという事は。ならば君は私の夢に来る資格があるッ!」

 

 まどかが横で何かを言おうとした。きっと、私が言った事に対する質問だろう。だがそれを許さないのもまた私だ。落葉を握り締め、チェーンソーを熱り立たせる仁美へと突撃したのだ。

 私は、常に全盛期だ。命を散らし、その血の遺志を奪って自らの血肉と変える。そうする事によって常に狩人として強くあれるのだ。無慈悲で、血と狩りに酔った━━正しい狩人に。そしてそんな狩人が扱う武器もまた、尋常ならざるものではない。

 

 落葉の一撃を喰らえば痛覚を遮断できる魔法少女とて即死するだろう。この刀は呪われている。血を吸い、命を狩り取ってきて悍しいものが根付いてしまっている。だからだろう、同じように血に酔った仁美はその刃が迫るや否や、自らの魂から分離させた怪物を用いてきた。

 

 魔女。あるいはそれに近い何かは、回転ノコギリと化した腕で落葉を受け止めた。甲高い金属音が連続して鳴り響けば、堪らず私は飛び退く。理由は、落葉の耐久度の急激な低下にあった。ノコギリの回る刃を受け止めるのは得策ではない……のもあるが、それ以上に仁美の魔女の特性であろう異様な金属疲労が落葉を困らせているようだ。

 ならば、ここは初心に帰ってこの子を使うとするか。

 

 私は落葉を渋々夢へと放し、代わりに一つの大振りの鉈を手にした。

 懐かしき獣狩りのノコギリ鉈。無骨なそれは、正直に言って今の私が好む形と戦い方をしていない。だがヤーナムに来て狩人として初めて夜に身を投じた時に贈られた得物だった。個人的な思い入れは大きい。

 材質的な面だけを見れば落葉もノコギリ鉈も耐久性に優劣は無いのだろうが……それでもこの分厚い刃だ、細くて芸術的な落葉よりは物持ちは良い。

 

「まったく、古狩人といい君といい……どうも血に酔う者達は五月蝿い狩り道具を好む傾向にあるな」

 

 言って、私はノコギリ鉈を変形させないまま仁美の魔女に打ち付ける。同じように鍔迫り合いが発生したと思えば、私は強引に彼女の操る魔女を押しやった。

 仁美の表情が歪み、私を睨みながら飛び退いていく。それを追撃せんと私はエヴェリンの引き金を即座に引き絞った。

 

「やはり貴女は野蛮ですわ」

 

 チェーンソーで防御する仁美が言葉を吐いた。

 

「ふふ、それは頂けないな」

 

 笑い、私はステップで彼女の正面まで近付くと銃をホルダーに納め、代わりに可愛らしい蛞蝓を手にする……エーブリエタースの先触れだ。素早く迫った太ましい触手は仁美を貫かず、しかし私の意思通りに彼女の四肢を絡めとる。

 

「くっ!」

 

 思わぬ攻撃を食らった仁美に、私はノコギリ鉈を振りかざす。

 

「ダメ、仁美ちゃん!」

 

 まどかの悲痛な叫びも、今の私を止めるに至らない。あの時の奇跡に再現性は期待できないのだろう。

 

 そうして、刺々しいノコギリは少女の胴を裂く……はずだったのだが。確かに血飛沫は舞った。それは嘘じゃない。むせるような血の匂いが鼻にこびり付いたのだから。

 問題は、その血が少女の血ではないという事だ。弟子である少年の、私が呪わせた血だったのだ。

 

 

「ごぉッ、ああッ!」

 

「か、上条くん!?」

 

 身代わりとなって割って入った愚かな弟子、上条恭介が左手に持つ小さなトニトルスを頭上に掲げた。刹那、雲一つない空から落雷が降り注ぎトニトルスへと集束。恭介は目の前の私目掛けて一気にそれを振り下ろした。

 もちろん私とて狩人として様々な相手と戦ってきた経験がある。即座に古い狩人の遺骨を砕くと加速して迫る雷撃を避け切った。ヒヤッとしたが、所詮若い狩人の神秘でしかない。当たったとしても、血の遺志によって極められた私の身体を破壊するまでには至らなかっただろう。

 

「上条君!ああ、上条君!どうして……私、こんな獣になってしまったのに、どうして……」

 

 取り乱したように仁美は瀕死の上条を介抱しようとしたが、あの馬鹿弟子はそれを許さなかった。彼女の手を振り払うと、自分に輸血液を流し込んで無理矢理傷を塞ぐ。

 

「君は……獣じゃない」

 

「え?」

 

 恭介は、不器用ながらも僅かに正気を保つ想い他人に言葉をかける。

 

「君が血に酔ってしまって堕ちてしまったとしても……あいつのいいようにはさせない。あの白い上位者にも……君は、君とさやかは、僕のものだ」

 

 思わず拍手しそうになった。最近の若者がマセていると嘆く老人の気持ちがわかったような気もする……いや待て、私はまだ若い。本当の年齢などとうに分かるはずもないが。

 仁美は蕩けるような顔で上条の背中を眺めた。

 

「血ではなく男に酔っていたか……仕方あるまい」

 

 上手いこと言ったつもりはないが、とは言えこれは予想外だ。ルドウイークのように月光の光に充てられて正気を取り戻した者もいるが。まさか想い人に告白されて正気を取り戻すとは。

 ほれ見ろ、あいつら二人とも共同で私を殺そうとしているぞ。

 

「上条、別にとやかく言うつもりは無いがね。君は、私に逆らうつもりかい?」

 

「逆らう?違うな、上位者。元から貴様に従っていたつもりなどない。ただ利用していただけだ」

 

 これだから啓蒙低き人間は。それがどれほど無謀なのか分かって発言しているのだろうか。

 

「マリアさん……私、貴女を信じていました。でも私、気がついたんです。貴女が今まで親切にしてくれていたのは、すべて貴女の目的のためだったんじゃないかって」

 

「仁美ちゃん正気が……」

 

 私は息を深く吐いた。あながち間違いではない。だが、彼女は誤解している。私はノコギリ鉈を夢へと納め困ったように笑った。

 

 

 

「白百合を咲かせるには、何が必要なのだろう」

 

 

 両手を広げ、問いかける。

 

 

「土がいる。水がいる。虫にも注意しなくちゃならない」

 

 

 右手に落葉を。左手にエヴェリンを。狩りには狩りをもって応えよう。

 

 

「私はね、綺麗な白百合が好きなんだ。完璧で、清潔で、甘い百合なのさ。ねぇ、分かるよね。君ならば」

 

 

 今度こそ、仁美は心の奥底から私の言動を理解して見せた。与えた啓蒙は無駄ではなかったか。

 だが、だからこそ怖いものさ。理解するということは……熱を向けられているということを感じるということでもあるのだから。

 ふふふ、仁美。そんなに怖がらないで。大丈夫、最後には優しい世界だけが待っているんだ。恭介だっている。何をそんなに嫌がる必要があるんだい?

 

 

「マリアちゃん……私、マリアちゃんが言ってること、全然わかんない」

 

 

 ふと、まどかが怯えた様子で言った。マミの肩を支える彼女はしかし、理解している。理解していて、分からないと言っている。

 

 

「ふふ、嘘は良くないなぁ……まぁ良い。君もまた、私以外の百合に惚れられた身だろうからね。いつか分かる」

 

 さて、と。私は再度目の前の問題に取り掛かる。仁美はすでに、己から湧き出た絶望を制御できるのだろう。与えた啓蒙はきっと、彼女の中で膨れ上がったに違いない。故に宇宙からの囁きが、彼女を人ならざる者へと変えてしまう事を防いだのだ。

 だって、そうだろう。啓蒙高き者は獣に遠ざかるのだから。だから彼女は人でいられた。

 

「上条、彼女の気持ちを無駄にするなよ……無理だと思うがね」

 

 若き狩人と魔法少女を相手にする。こちらの手を知られた以上、彼らとの戦いは避けられないだろう。だが、それで良い。狩人は本来言葉を持たぬ。今が喋り過ぎなのだ。なら、元に戻るだけなのだよ。




5月下旬まで忙しいので許し亭許して


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咲き乱れる花

 

 

 

 

 

 狩りとは元来孤独なものだ。鐘を鳴らせば協力者を呼ぶ事もできたが、それでも制限はある。どちらかが死んでしまったり強敵を倒せば協力してくれた者達は自分の世界に帰る事になるし、そもそも制約上会話はできないからそれは寂しいものなのさ。

 だがそれで良いのだ。狩りとは言葉を持たぬ。ただ獣を狩り、自らの血の遺志とするだけなのだから。先にも述べたが、ここまでの見滝原での狩りが異様だったのだ。我ながら喋りすぎたと思う。啓蒙を得て人を辞めた上位者である私が、こうも心地良く口を開いていたなどと……ふふ、マリアお姉様が知ったらさぞかし笑うかもしれないな。

 

「志筑さんッ!僕に合わせて!」

 

「わかりましたわッ!」

 

 だから恭介よ、君は未熟なのだ。孤独に成りきれずに少女と狩りを成そうなどと。今まで単なる技術しか教えてこなかったツケが回ってきたのかもしれないな。ならば師として、私が教えてやろうじゃないか。

 狩りの孤独を。何故狩人は単体で狩りに臨むのかを。

 

 恭介の斬り付けをステップで回避する。単なる縦切り……あまりにも単調な攻撃だ。もちろん、この意図に気がつかない私ではない。背後を取るように仁美が忍び寄っている事には気がついている。

 凶悪なチェーンソーの音が後方から一気に響く。私は振り向かずに左手のエヴェリンのみを彼女に向けた。

 

「ッ!」

 

 眼前に迫った銃口に、仁美は息を呑んだ。急いで銃線から頭を回避させたと同時にエヴェリンが火を吹く。けたたましい銃声は彼女の鼓膜を傷つけたが、間髪入れずに私はノコギリ鉈を振るった。

 チェーンソーとノコギリがせめぎ合う。振りの速い未変形のノコギリ鉈……ああ、なんと使い易い事か。

 

 私は命の火でせめぎ合う中、顔だけを仁美に近づけた。それはかつて、お姉様が私にしたように神秘的であるに違いない。かつての私と同じく仁美はギョッとしたように顔を痙攣らせた。

 

「甘い少女の匂いだ……たまらないものだ」

 

「ほんっとうに……悍しいッ!」

 

 悪態を吐く仁美はそのまま押し切って私を遠ざけた。魔女化の影響か、筋力は既に魔法少女のものではないようだ。

 すかさず恭介がノコギリ鉈を変形させて大振りの攻撃を放ってくる。いつになく洗練されたフォームだ。怒りを制御し、血に飲まれる事も無い……強い意志を感じた。なるほど、愛のなせる技という事か。

 

 私は蛞蝓を夢から取り出し、それを彼に翳した。エーブリエタースの先触れだ。悍しくも美しい触手は回避の余裕もない恭介に迫った、が。

 それを、仁美の半身が邪魔をした。彼女の魔女化部分……その腕がエーブリエタースの触手を抑えたのだ。

 

「ほう、美しい娘に触れたか」

 

 触手は所詮、借り物でしかない。すぐに触手は離散して元の世界へと戻っていった。そして、恭介の一撃が私の肩へと食い込む。

 

「捉えたぞッ!」

 

 肩から血が吹き出る。その威力は、人間相手ならば即死する程の威力。きっと獣相手にも致命傷を与えられるだろう。だが生憎、私は人ではない。ただの狩人ですらないのさ。

 古い狩人の遺骨で瞬間的に距離を取ると、輸血液を注入する。刹那、傷が一瞬にして治る……でも服は直らないな。後で使者に仕立てて貰おう。

 

「悪くないな……狩人として立派に成長しているようだ」

 

 弟子の成長ぶりを褒める。

 

「なら、私も君の全力に応えよう。狩人とは……気高い血の狩人とは、気高いものだ」

 

 右手にノコギリ鉈を。左手には……眼に見えぬ何かを。きっとこの何かは、仁美達には見えない。だが多少の啓蒙を施された恭介には感じ取れたようだ。一瞬身を震わせたようだった。

 ふふ、君には見せた事が無かったね。ならば光栄に思うが良い。この神秘は……文字通り、私なのだから。

 

 私は左手を掲げると、二人はそれを阻止しようと走り出す。だが無駄さ、私を止められるものは誰もいない。いつの世も、どんな時代も。私は止まらず、狩りを続けてきたのだ。

 さぁ、我が父よッ!貴方を超えたその時から、ずっとこの力を使いたくてたまらなかったんだッ!私をガッカリさせないでくれ、月の魔物よ!

 

 それを、握り潰す。眼には見えぬ、しかしへその緒のような何かを。

 

 

 

 咆哮が、鳴り響いた。血を奪う、彼者のけたたましい声が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人は争わずにはいられない生き物だ。その理由は様々あれど。そして解決までの道のりに変化はあれど。最後は争って勝ち取るものだ。

 人の歴史とは、闘争の歴史だ。我々が今教授している平和とはまさしく人の屍の上に成り立っているのだろう。それこそ、一部の魔法少女が魔女を狩り人々の暮らしを守るように。だが、その先にはあまりにも救いがない。

 魔法少女の行く末が魔女であるとするなら。幼い娘らに救いはあるのだろうか。

 

 

「だからこそ、貴女にはなってもらわねばなりません」

 

 

 夜の鉄塔、その上で織莉子は両手を月光に広げる。その貌を甘美な笑みに歪めて。その背後で、呉キリカはなんとも言えぬ表情で想い人を眺める。彼女は聡明で素晴らしいが、それゆえに脆い。きっと、彼女が予知した何かが彼女を変えてしまった。

 

「マリアさんには悪いけれど。貴女はこの先、脅威になる」

 

 綺麗で、狂気を孕んだ瞳。人は生まれながらにして獣性を有す。獣性とは人の性。対して啓蒙は、更なる次元に潜む者たちの啓智。本来ならば人とは相容れないものなのだろう。

 だから、啓蒙を高めた人間には二通りしかない。自らを律しその啓智を我がものとするか。或いは、人を超えた啓智に脳を犯されるか。そのどちらかなのだ。

 

 聡明な織莉子とて、所詮は人の子。それにまだ幼い。あの狩人が齎した啓蒙は魔法少女としての格を更に上げた。だが同時に、人としての領域を離れてしまった。

 だからキリカは理解できない。なぜ今まで殺そうとしていた少女を……今度は崇拝するのか。嫌いだが、友人として迎え入れた恩人である狩人を排除しようとするのか。今はまだ、分からないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仁美ちゃんが言っていた、悍しいという感情。きっと、この事を言っていたんだ。でもそれだけじゃないけれど。私と仁美ちゃんは、それ以外の事も感じていたけれど。今は、この事を悍しいんだと幼いながらに思ってしまった。

 マリアちゃんは、自らを狩人と名乗る。それは詰まるところ、魔法少女でもなく人間ですらない。種族そのものを指しているのだろう。でも私の知り得る限り、狩人というものはあんなにも悍しいものだったであろうか。

 

 あんな、ポンチョの末端から蛸のような触手が出ているものが、狩人などと。

 

 

 

 

 

 かつてお姉様がそう仰っていたように、愚かな好奇は人を殺すものだ。人の身に余る好奇はそれこそ自らを飲み干して、獣へと堕ちていくのだろうさ。

 でも残念だね。私は最早人間じゃない。単なる狩人でもない。ましてや純粋な上位者でもないのさ。愚かな好奇も、獣性すらも超越した存在なのだ。

 

「良い夜だ。月も出て、狩りに適している」

 

 触手をうねらせ、私は二人に話しかける。あまりそんな目で見るな、まるで私が化け物みたいじゃないか。

 それにしてもいつかぶりの触手だ。幼年期の頃はまだ人間の姿に戻る事ができなかったからあんな姿だったが……なるほど、これも悪くない。星の娘がなぜあんな触手を有しているのかわかった気もするよ。

 

「上位者め……!」

 

 恭介が憎しみを込めた目でこちらを睨む。

 

「怒りは制御しろと、教えただろう。怒りは理性を喪失させ、いつか獣へと変えてしまう。恭介よ、ただ狩りに徹しなさい」

 

「黙れッ!志筑さん!」

 

 刹那、仁美の魔女がノコ刃を飛ばした。私がそれを触手でなぎ払うと、すかさず恭介が接近してノコギリ鉈を振るう。

 獰猛に微笑み、私は“加速”した。瞬間移動にも似た回避は、脅威的な動体視力を持つ狩人である恭介にも捕らえることはできない。私は瞬時に仁美へと向かうと触手で彼女を簀巻きにしてみせた。

 

「きゃっ!」

 

「加速!?志筑さんッ!」

 

 触手に巻かれて動けない彼女をそっと抱き寄せる。どうやら本体の状態によって魔女は動きを制限されるらしい。私は仁美の頬をねちっこく舐めると耳に息を吹きかけた。

 

「生の少女ね……甘いわ、ふふ、その全身、私の舌で舐め尽くしてあげたいね」

 

「ひぃ……!なんで舐めるの!?」

 

 シュッ、とナイフが飛んでくる。投げナイフだ。それらは彼女を捕まえていた触手を傷つける……これは、毒入りか?私は思わず仁美を恭介に投げつける。だが毒の蓄積量的に白い丸薬を飲むまでもない。

 恭介は投げ出された仁美を抱き抱える。私はその隙を逃さない。

 

 一気に触手を伸ばす。その触手は、エーブリエタースの先触れと同様に硬く、鋭いものだ。人間の身体程度なら二人まとめて貫けるだろう。

 迫りくる触手に恭介は反応した。すかさず仁美を突き放す。

 

「か、上条くんっ!」

 

 触手の先端が、恭介の胴を貫いてみせた。大量の血が側にいる仁美に降り掛かる……触手を引きぬけば、恭介はその場に崩れ落ちた。

 

「言っただろう、狩に徹しろとね」

 

 冷酷に、だが適切に助言をする。やはり私はゲールマンの代わりにはなれないか。今現在、弟子は絶賛反抗期中だからね。

 膝をつく恭介に駆け寄る仁美。その精神的な動揺は見ればすぐに分かった。

 

「上条くん!ああ、どうすれば、ああ!」

 

「僕は……死なない……君は、鹿目さんを連れて……逃げ……」

 

 響く破裂音。それは私のエヴェリンが、恭介の脳天を貫いた音。私の血質によって威力が上乗せされた弾丸は、いともたやすく恭介を絶命させた。彼の身体はその場で灰のように消え去る……死にはしないのだ、夢で目覚めるだけなのだからいいではないか。

 

 

 ━━YOU DIED━━

 

 

 それに。

 

「あ、あ、かみ、上条、くん」

 

 そこで絶望に打ち拉がれる仁美も、すぐに夢へと誘うんだから。

 

 

「狩りとは孤独なものだ」

 

 

 触手を納め、私は項垂れる仁美へと近寄る。

 

 

「だからだろうね。狩人とは常に孤独だ……それだけ仲間を失う事は辛いのさ」

 

 

 介錯を。深い眠りへと誘うための、介錯を。天国へ。君も少女ならば。私はノコギリ鉈をしまって落葉を取り出し……振り上げる。

 

 

「ダメだよ!」

 

 

 なんとこの少女の優しく勇敢な事か。私と仁美の間にまどかは割って入った。震える身体で、両手をいっぱい広げて。嗜虐的な嗜好は無いが、どうにも苛めたくなるなぁ、君は。

 私は足を止めるといつもの冷笑でまどかを見据えた。振り上げた落葉は、一度下げる。これでは益々怯えさせてしまうだろう。

 

 

「マリアちゃんおかしいよ!仁美ちゃんももうまともなのに、上条くんまで殺しちゃって!なんで?ねぇ、どうして?どうしてみんな仲良くできないの?」

 

「狩人だから。そして魔法少女だから。戦いからは逃れられない。その運命を覆したければ戦うしか無いのさ」

 

 まどかににじり寄る。今はまだ、彼女には夢の住人たる資格はない。だがその後ろで絶望する仁美にはこちらに来てもらおうじゃないか。

 まどかを退かそうと手を翳す。だが。

 

 殺気が私を貫く。瞬時に後方へ加速し、やってくるであろう攻撃を回避した。刹那、私がいた場所にレーザーが着弾した。これは、織莉子のものだ。

 それだけでは終わらない。真上から、笑い声がしたと思いきや誰かが降ってくる。呉キリカ……あの所謂、サイコレズという奴だ。人のことは言えないかもしれないが。

 

「死んでくれ恩人!」

 

「おいおい……」

 

 キリカの鉤爪を落葉で受け止める。力任せに押しやると、彼女はまどかの前に立ち塞がるように位置して見せた。なるほど、目的はまどかか。しかしおかしいね、彼女達は元々彼女を殺すために動いていたのに。

 キュゥべぇは、私たちを傍観する。相変わらず惚けるマミの横で。

 

「想定外だけど、これはこれで上手い方向に流れたね」

 

「あら、そうかしら」

 

 麗しい声が聞こえた瞬間、キュゥべぇはレーザーによって消滅した。少々雑だが、あの上位者もどきにはこれがお似合いだろう。

 マミの横を素通りし、グリーフシードを取り出して仁美のソウルジェムに触れる。彼女の絶望は、少しは緩和されただろうか。

 

「あなたは……」

 

「絶望に打ち勝ちし聖女の遣いよ、私は貴女方を救いに参りました」

 

「え?」

 

 いつもよりも三割ほど厨二感が増した織莉子が言う。なるほど、君は私を敵だと言いたいのか。

 

「織莉子、私は君たちを友達だと思っていたんだけれど」

 

「ええマリアさん。貴女は恩人ですが……同時に、聖女に歯向かう獣でもあります」

 

「聖女?」

 

 私は首を傾げる。もしやそれは、まどかの事を指しているのだろうか。と、織莉子はまどかに振り向いてまだ震えの止まらない彼女に対し跪いた。

 何がなんだか分からないといった表情のまどかを気にもせず、織莉子は言う。

 

「ああ、なんて美しいのでしょう」

 

「え、あ、ありがとう、ございます……?」

 

「聖女よ、今はまだ貴女様の役目をご自身で理解できていないかもしれません。でも、いつか貴女様は私達の救いになる……私はその時まで、貴女とその遣いを御守りする盾となります」

 

「はぁ……」

 

 だが、まどかを崇拝している織莉子に対してキリカは複雑そうな表情をしている。ふふ、好きな人を盗られて焼きもちを焼いているんだね。可愛いじゃないか。

 落葉を分離させる。そろそろ私とも会話してくれないかね。

 

「まぁ、人生何が起こるか分かるはずもない。これもまた、一興なのかもね」

 

 誰が来ようが構わない。私は狩人で、仇なす者をただ狩るのみ。キリカが鍵爪を構える。言葉は不要だ、なら戦おうじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その必要は」

 

 

「ないよッ!」

 

 

 

 

 

 眩い月光が、私の目を覆った。迫り来る波動を感じ、獣の咆哮でもってそれを遮る。それは言うまでもなくさやかの月光の大剣が生み出したエネルギーだった。

 ついでに、銃弾が一度に複数も迫っている。それらを一気に落葉で払う……少し刃がかけたかもしれないな。後で修理しなければ。ただでさえ血晶石のせいで耐久性が落ちているのに。

 

「マリア……恭介を、どうした」

 

 キリカの横に着地したさやかが剣を構える。その刀身はいつにもなく輝いている……ふむ、感情が月光の神秘に影響を与えているのか。

 同様に、銃弾を撃ち込んだほむらもまどかを守るように立ち塞がった。そして両手に握る拳銃を私と織莉子に向ける。どうやら彼女達は別に結託しているわけではなさそうだ。となると、織莉子とキリカはまったく別の思惑で動いていると。

 

「揃いも揃ってクラスメイトを敵扱いか……悲しいじゃないか」

 

「恭介をどうしたァ!」

 

「落ち着きなさい美樹さやか!」

 

 あからさまにさやかは激昂していた。冷静さのカケラも感じない彼女の声色はそばにいるまどかを震えさせる。そんな彼女に、私はいつもと同じように答えた。

 

「殺したよ。でも心配するなよ、明日にはひょっこり登校しているだろうからね」

 

 プツン。離れていても、さやかの血管が切れる音が聞こえた。そこからは早いものだ、彼女は光る月光の聖剣を振りかぶりながら跳躍して見せると、物理法則を無視してこちらに迫ってくる。

 ローリングで彼女の攻撃範囲上から逃れると、湖の盾を夢から呼び起こして構える。ルドウイークとの戦いで、私は散々あの月光の波動を喰らったのだ。その対策をしない訳がない。

 

 案の定、さやかの聖剣はアスファルトを砕きながら青白い神秘の波動を撒き散らす。狩人に盾は似合わないが、湖の盾を気紛れで強化しておいてよかった。鏡のような美しさを誇る盾は不完全ながらも高威力の波動を防ぎ切ってみせたのだ。

 

 

「これはこれは……ヤーナムの影の時ですら三対一だったのに」

 

 

 ため息まじりに笑いながら、カラン、という音を逃さなかった。気がつけば頭上にほむらが滞空しているではないか。音の正体は彼女が落とした筒状のもの。爆弾か。

 刹那、私の目と耳が奪われた。幾度か小爆発したそれは私の足元で眩い閃光と轟音を撒き散らしたのだ。なるほど、こういう爆弾もあるのか。相手を惑わすには良いものだろう、是非とも対人戦で使いたいものだ。

 

「ナイス転校生ッ!」

 

 さやかの叫びは私には聞こえないが、狩人の直感が彼女が向かってきていると警鐘を鳴らした。きっと確実に殺しにくるために突きを放つに違いない。長い年月を戦いに費やした私だからこそ分かる。

 盾をそのまま構える。そして、直感に任せて私は盾を思い切り弾くように振ってみせた。

 

「えッ!」

 

 確かに、盾越しに感触が伝わった。さやかの大剣を弾いたのだ。今、彼女は必殺の一撃を逸らされて無防備になっているに違いない。

 

「貰ったよ」

 

 囁くように私は宣言する。古来、神の時代の話だ。まだ盾が使われていた頃。私達が攻撃の瞬間に銃撃によって相手の体勢を崩すように、騎士達は盾によって攻撃を逸らしたという。

 聞きかじっただけの知識も、たまには役に立つじゃないか。

 

 復活した目を見開いて、私は驚いて身体を晒すさやかと向き合う。そしてやる事といったらもちろん内臓攻撃であり。

 

「っ、ああ、君の存在をすっかり忘れていたよ」

 

 私の必殺の右手はさやかの内臓を捕らえる前に鉤爪によって止められてしまった。呉キリカが邪魔をしてきたのだ。

 鉤爪の刃に突っ込む形になってしまった私の拳からは血が流れる。いやはや、やはり多人数を相手に立ち回るのは狩人らしくないのだろうね。

 

「恩人、死ね」

 

「美人が台無しだ、もっと顔を柔らかくしなさいな」

 

 迫るもう片方の鉤爪を、私はステップで回避する。すかさずキリカが私を追ってくるが。

 

「どきなさい呉キリカ!」

 

「あんた誰さ!」

 

 同じように迫っていたほむらが邪魔をしていた。無理もない、彼女達は異なる世界で戦った事はあれど共闘などした事がないのだろう。それに戦い方も全く別で、タイミングが合うはずもない。

 その隙に加速して距離を取り、輸血液を注入する。攻撃によるリゲインが期待できない以上、仕方がない。そんなに深い傷でもないが、やはりこれだけの相手をするのだから万全を期したいだろう?

 

「君達が複数で来るのならば私にも考えがあるよ」

 

 スカーフの下から触手を大量に放出する。私も古き良き上位者に倣って触手の物量で攻めてみようじゃないか。

 エブたんには敵わないが、それなりの質量を持った触手の数々が少女達に迫る。必然的に迫っていたキリカとほむらが真っ先にその被害に遭っていた。彼女達は触手を斬り裂き撃ち落とすも、その数のせいで四肢を拘束されてしまう。

 

「ぐっ、この!」

 

「転校生!」

 

 さやかが月光を用いて衝撃波を飛ばす。拘束した触手を狙ったものだが、甘い。連続して攻撃ができない性質上、一本切ってもまた次の触手が彼女らを拘束してしまうのだ。

 

「何なのさこの!」

 

 苛立つさやかにも触手が迫る。まどか達にもそれは迫っていて、さやかは一人でそれらを迎撃する他ない。

 

「拘束される少女を眺めるのも好きだからね……ふふ、ほむら。触手が君の細身の手足に絡みつくと、その、興奮するよ」

 

「へん、たいっ……!」

 

 必死に強がるほむら。それは褒め言葉として受け取っておこうじゃないか。

 

 

「さやかちゃん!ほむらちゃん!」

 

「ああ、悍しい……あんな女に、上条くんは……」

 

 

 震える少女達。だが、対照的に織莉子は落ち着いていた。まるでゴミを見るような目で私を見据えると、手にする水晶を真上に放り投げる。そして空中の水晶に向かってお得意のレーザーを放った。

 離散する細いレーザー。それらは私の触手を的確に弾いてみせた。もちろん二人を拘束する触手も……ああ、私なりの趣が。

 

「それは、ちょっとずるいんじゃないかな」

 

「あら、人ならざる力を持つ貴女がそんな事を言うなんて」

 

 私の抗議に織莉子は軽口で対処する。なるほど、ならば私も似たような技を使わせてもらおう。

 

「ではレーザー対決でもするかね?」

 

 私は蛞蝓を取り出し、それを握りながら頭上に掲げる。所謂、彼方への呼びかけだ。水銀弾の残量的にあと一回は撃てるだろう。

 

 

 

 

「おりゃあッ!」

 

「がぁっ!なんだいいきなり!」

 

 

 

 

 突然すぎた。誰もいない背後から急に槍が突き立てられた。槍は容易に私の胸を突き破り、多量の血を噴出させてみせたのだ。槍が引き抜かれてから千鳥足で後ろを振り返れば、次の攻撃を構える杏子の姿があった。

 

「あんたには悪いけどッ!」

 

 次の突きが来る。私は加速して強引にそれを避けると貧血のせいで地面を転がった。危なかった。まさかバックスタブされるとは。夥しい血を撒き散らしながら、私はヨセフカの輸血液を自身に注入する……凄まじい快楽と回復力を齎すそれは、できれば使いたくなかった。だって数が少ないし、補充しようにも当のヨセフカはもうこの世にはいないのだから。

 

 前衛で警戒する杏子の横にさやかが並ぶ。

 

「杏子、来たんだね」

 

 どこか嬉しそうに言うさやかに、杏子はバツが悪そうな表情で答える。

 

「別にあんたの考えに納得した訳じゃないさ」

 

「それでもいいよ」

 

「ただ、なんだろうね。あんたの考えに、少し光を感じた自分もいるんだ。だから、その……」

 

 だぁあああ、と頭を横に振る杏子。捻くれた少女は素直になる事ができない。

 

「あたしを納得させてみろ、美樹さやか!それまで共闘してやる!」

 

「素直じゃないな〜杏子は。まぁ、いいや。今はまずあいつを倒そう!」

 

 ジリジリと、私を包囲した魔法少女がにじり寄ってくる。ああ、これはちょっとまずいかも知れない。いくら私が強くても、基本的に狩人は複数を相手にすると敵が弱くてもタコ殴りにされて死ぬ事だってあるんだ。それは上位者となった今でも変わらない。

 そもそも、上位者とは強さでなるものではないし。水銀弾も血で補充する必要がある。それだけの隙を見せてくれるとは思えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「魔法少女が魔女になるなら……皆、マリアさんに救ってもらうしかないじゃない!」

 

「そうなのです!」

 

 

 

 

 シャボン玉が混ざった銃弾の雨が魔法少女達に降り注ぐ。急な攻撃に、対峙していた魔法少女達は対処しきれなかった。致命傷こそ避けたものの負傷は免れない。その上、謎のシャボン玉は彼女達の側で弾けると炸裂してみせたのだ。衝撃波という不可視の攻撃は彼女達の三半規管と内臓を揺さぶってみせた。

 

 私は深く溜息を吐き、安堵した。そして目の前に降り立った二人の魔法少女を見据える。

 

 金色の衣装に身を包み、豊満な身体を健全に主張する巴マミ。そして幼い、小さいながらも数多の魔法少女相手に物怖じもせずに助太刀してみせた百江なぎさ。

 私の窮地を救ったのは、少なからず私が干渉して救ってみせた少女達だ。マミはまぁ……精神的にだろうが。

 

 マミはマスケット銃を少女達に構えると、顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら叫んだ。

 

 

「もう、やめましょう?だって私達魔女になるのよ?なら、死んで、死なないと、そのうち大切な人を殺すことになるかも知れない!でもマリアさんは救ってくれるの!人じゃないかも知れないけど、私達を救ってくれるのよ!?なら争う事なんてないじゃない!」

 

 これはもう、依存だ。我ながら、エブたんに次ぐヤンデレを生み出してしまったなと笑うしかない。

 

「銃撃しといてよく言うぜマミ!化け物になるか化け物の手先になるかの違いしかないじゃねぇか!なら私は最期まで自力で戦い抜くさ!」

 

「そうだよ!そのために私は月光を取るんだ!偽りじゃない、魔法少女として魔法少女の導きになるためにね!」

 

 杏子とさやかは似た者同士だ。きっと二人なら良い百合を見せてくれるのだろう。

 

「百江なぎさ……貴女を魔法少女にしたのは白百合マリアよ。それなのに、どうして彼女を守ろうとするの?」

 

 理解できないと言うように、ほむらは幼子に問う。なぎさはさも当然といったように淡々と答えた。

 

「恩があるからなのです。なぎさは仮初だとしても、マリアに助けてもらった。なら忠を尽くすだけなのです」

 

「特殊部隊の母みたいな事を言うねなぎさは」

 

 彼女の芯の強さに驚いてそんな事を言ってしまった。まぁ良い。今この場においては彼女達の存在は心強いものだ。君も、一人で呪われた聖杯を攻略していたら心細いだろう?

 

「でも、マミさん!仁美をみてよ!あの子は魔女にはならなかった!人として、魔法少女として留まってるじゃんか!」

 

「それも全てがそうなるわけじゃないわ!」

 

 その通り、と私は念を押す。

 

「仁美が魔女とならなかったのは啓蒙が人よりも高かったからだ」

 

「けい、もう……?」

 

 仁美がこちらを見上げて首を傾げる。

 

「そうさ。理性、啓智、色々と呼び方はあるけれど。自らの獣性を抑え込むために啓蒙は必要なのさ。……まぁ、それも私が与えたものだが」

 

「人ならざる次元の思考……そうまでして超次元的な暗黒に興味がおありで?」

 

 織莉子は冷めた目付きで問うた。私は両手を広げ、

 

「それはもちろん!啓蒙とは、人が次のステップに進むために必要さ!そのために上位者へと進化した!……けれどね、本当はそんな崇高な事はどうでもいいんだ」

 

 私は広げた腕で、マミとなぎさを背後から抱きしめる。優しく、愛おしげに。その時の私はきっと、娘を抱きしめる母親のように暖かかったに違いない。

 

「私はただ、無垢な少女と過ごしたいだけなんだ。私達だけの天国で……そこには憂いも絶望も無い。ただ過ごし、今までの苦労を労うためだけに生きて良いのだ」

 

「マリアさん……」

 

 マミとなぎさも私の腕に手を添える。

 

「まどか、これが私の理想だよ。宇宙の延命とか、そういうのじゃない。ただ一人の疲れた少女として、私は生きているだけなんだ」

 

 蚊帳の外にあったまどかへ声をかける。別に同情してほしいわけではない。だが、まどかには知っていてほしい。彼女はこの先、この物語を左右する存在になるのだから。

 そして私は、抱きしめた腕に力を込める。

 

「だから、だからね君達」

 

 暗い笑いがこみ上げる。

 

 

「君達もその遺志を寄越せ。この私に、遺志を寄越すんだ。天国へ行こうじゃないか……ククク、くふふふ」

 

 狩人の確かな徴を砕く。ここは身を引く場面だ。

 すぐに私達の転送が始まる。まるで霧のように身体が薄くなっていくのだ。これには対峙する魔法少女軍団だけでなく、マミやなぎさも驚いた。

 

「私が憎いかい?でもね皆、私は君達のために色々としてやったよ?対価も無しにね……なのにあーでもないこーでもないと言って私を殺そうとするのはおかしいんじゃ無いかな?まあ良い。いずれまた会おうじゃないか。今はまず、君達は頭を冷やして本当の敵を見定めるべきだ」

 

「逃げるのかッ!」

 

 さやかが月光を振るうも、時すでに遅し。私達の実態はこの次元から離れてしまっていた。

 

「これ以上争ってまたまどかに奇跡を施されるのも嫌だからね。まぁまた明日学校で会おうじゃないか。私は敵ではないのだから……」

 

 そう、私は敵ではない。むしろ少女達の味方じゃないか。攻撃をされなければすることもない。私が狩るのは獣と、気に食わない上位者だけなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マミの厚めの唇が私の色素の薄い唇と触れ合う。転送先はマミの部屋だった。転送した瞬間、彼女は私を押し倒してキスしてみせたのだ。

 隣で目を輝かせるなぎさを横目に、私も彼女の甘えを受け入れる。息が切れて苦しくなってもマミは唇を離さなかった。しばらくして、満足したのか彼女は唇を私から離した。お互いの唾液が糸を引いている……甘美な味だった。きっと私の口の中は血の味しかしなかっただろうに。

 

「マリアさん、約束して」

 

 彼女は私に跨ったまま呟く。

 

「私を天国に連れてってくれるって」

 

 決意したような、強い表情だった。私はいつもの微笑みでもって頷く。

 

「言われなくとも」

 

 それだけ言うと、マミは魔法少女の衣装を脱ぎだす。あれ、これはもしかすると……もしかするかも知れない。

 突然のピンク色なシーンに、いくら私と言えども困惑せざるを得なかった。助けを求めるようになぎさを見れば、お邪魔虫は消えるのですと言って玄関から立ち去ろうとしていた。なんと薄情な事かこの娘は。

 

「ま、待ち給えマミ。ねぇ待って!」

 

「私、貴女を逃さない。だからここで一緒になりましょう」

 

 気がつけば彼女は下着だけになっていて、ついに私のボロボロな衣装を脱がし始めたではないか。

 魔法少女の髄力は狩人のそれに近い。マウントを取られている私はなす術なく、マミに良いようにしてやられるしかないのだろうか。

 

 啓蒙が囁く。百合は素晴らしいと。

 

「待ってマミ!まだ早い……あっ!」

 

「ふふ、可愛い声も出せるのね……私の初めて、あげるから」

 

 ああ、かつてのヤーナムで狩人に怯える獣達の心情が分かった気がする。ここに来て、まさか私が狩られる側になるとは。エブたんになんて説明すれば良いのだろうか。



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継承

 

 

 

 マンションの部屋を出て、階段に向かっていた(We passed upon the stair)。低血圧で貧血をよく起こす私が何故朝一にエレベーターではなくて階段を使って階を降りようとしていたのかは自分でもわからないが、ともかく降りようとしていたのだ。

 

 そうやって、健康のためとか何とでも理由は付けられるが階段の手摺りに手をかけた時、あの子と会ったのだ。随分と懐かしいあの子に。

 

 そう、確か昔の話をしたのよ(We spoke of was and when)

 

 でも私はあの子を何度も裏切ったのに(Although I wasn't there)あの子は私を友達だと言ってくれたの(He said I was his friend)

 

 何度も経験してきた私だけれど、とてもとても驚いてしまったわ(Which came as some surprise)。それでも私はあの子の優しい目を見て言ってしまったの。( I spoke into his eyes)

 

 “あなたはずっと昔に消えてしまったはずよ(I thought you died alone a long long time ago)

 

 “違うよ。それは私じゃない。私は私(Oh no, not me I never lost control)あなたの目の前にいるのは(You're face to face)世界を売った子なの(with the man who sold the world)

 

 

 

 デヴィッド・ボウイ、世界を売った男より。解釈和約

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少年は端正な顔をぐしゃぐしゃにしながら老師の前に跪いた。跪いた、と言うよりも四つん這いになって土下座をしたと言う方が正しいだろう。

 息を切らし、鼻水を垂らし、涙を零し、震える身体を地に這いつくばらせ車椅子の前で懇願するのだ。その様子にはかの老師、ゲールマンも見ていられるものではなかった。

 

 獰猛に狩人という強さを求めた輩は少なくはない。更なる力のために血に塗れ、そしてそういった輩は須く血に飲まれ獣と化す。獣狩りをしている気になって、獣になってしまっては洒落にならないだろう。

 だからゲールマンはそういった輩には向き合うことをしない。そもそも、この夢に招かれる事もないだろうが。

 だがこの少年はどうだ。大切なものを守るために、若くしてプライドや何やら全てを投げ捨て、こうして車椅子で日々少女と弟子の狩人を眺めるだけの日々を送る老人に頭を下げる。そこまでして力が欲しいのだと。

 

「僕は、奴を殺したい」

 

 擦り切れた声で彼は望む。

 

「あの化け物から、大切な人達を守りたいんです。だからどうか、僕を強くしてください」

 

 少年は愚かではない。力には力で対抗しなければならない。啓智は確かに必要だ。だが争いとは、啓智を持ってしても起こり得るのだから、必然的に力が必要になるのだ。

 ゲールマンは渋ったように唸る。正直彼には決めかねる問題だ。恭介は、この少年が倒したい化け物は彼の師であり老人の弟子だからだ。それに今の夢の所有者はあの百合の狩人だ。であれば、その配下にあるゲールマンが易々と頷いて良い問題でも無くなる。

 

「あの女ではない、貴方に教えを乞いたいんです。最初の狩人」

 

 と、そんな困り顔の老人の肩に手を置いた者がいた。時計塔のマリア……老人が一心に愛を傾ける女性であり、狩人だった。

 

「いいんじゃないかな、老師よ。リリィには私から言っておくさ……奴も私の頼みは断れまい」

 

 マリアがそう言うと、ゲールマンはようやく折れたようだ。義足を軋ませながらゆっくりと立ち上がると、膝を着いて少年の肩に手をかけた。

 

「少年よ、頭を上げ給え」

 

 言われるがまま、恭介は老師の顔を見上げる。そこにはいつもの呆けたような老人の顔は無い。人生を極めた、荘厳な古狩人の顔だけがあった。

 

「君に何があったのかは分からない。どうしてこういった行動に至ったのかも」

 

 思い出すのは、あの化け物が大切な人を殺そうと迫る瞬間。そしてそれを守る自分。大して何もできずに殺されるあの痛み。

 

「だがそれでも良いだろう。もう教える事も無いと思っていたが……私が君に、彼女とは違った狩りを教えよう」

 

 灰は灰に。塵は塵に。人は誰しも自らの宿命からは逃れられぬ。それは狩人も同じであって、助言者であるゲールマンもそうなのだ。

 ならば、彼はまた自らの役職に復帰するだけだ。最初の狩人、狩人の助言者。ゲールマンは再び、若者に狩りを伝授する。獣狩りならぬ、上位者狩りに熱を傾けるこの少年に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教室に入るや否や、視線が痛い。もちろんその視線の主はさやかと仁美である訳で。それでも私はなんて事は無いように彼女達にも挨拶を済ませ、自分の席へと座る。なぁに、かつてヤーナムで受けた洗礼に比べればこのくらい可愛いものだ。罵倒と嘲りは狩人には付き物だとルドウイークも言っていた事だし。

 マミも今頃自分の教室に着いた頃合いだろう。昨日は本当に、情熱的だった……失神してしまう程には。

 

 昨日の事を思い返し、一人瞑想に耽っていると、先に来ていた隣の席のほむらが口を開いた。

 

「よく来られるわね」

 

「そうかい?だって言ったじゃないか、私は敵ではないとね」

 

「そう。いいわ。ワルプルギスの夜を倒すために手を貸してくれるのなら、別に」

 

 あくまで彼女はドライだ。でもそれで良いのだろう、ほむらの目的はただワルプルギスを排除し鹿目まどかを守る事なのだから。今の私としてもそっちの方が都合が良い。

 

 昨日のマミとの会話を思い返す。もちろんそっち方面の会話じゃない、真剣な今後について……ワルプルギス討伐についての議論だ。

 今後、我々は目先の脅威であるワルプルギス討伐に向けて動くことになる。正義感の強いマミやなぎさは街の平和を脅かす超弩級の魔女を放っておく事を良しとしないし、狩人としても獣は狩らなくてはならない。それに、そんなに大きな魔女なのだ。さぞかし美しくて強い魔法少女の遺志を宿しているだろうから、夢に案内しなくては。

 私のハーレムはまだまだ終わりを迎える事はないのだ。

 

 

 

 

 

 

 昼食の時間となり、私とマミはいつものように屋上でお弁当を食す事となった。そしてそれは、日頃屋上を使用していたまどかやさやか、そして仁美も同じであるわけで。私達は、昨日の気まずい空気を背負ったまま邂逅を果たしていた。

 警戒するさやかと仁美はまどかを背中に隠すようにしている……やめてくれ、その対応は傷付く。そんな中、昨日の一件以来ある種の成長を遂げたマミが謎の余裕を醸し出しながらベンチに座って見せた。

 

「ご飯の時間よ、みんな。いがみ合う時間じゃないわ。ほら、みんな座って。サンドイッチを作ってきたの、食べましょう」

 

 そう言われ、さやか達は渋々向かい合ったベンチに腰をかける。私はゆったりとマミの横に座ると、学校の時計塔からこちらを監視するほむらと目があった。

 

「ほむら、君も来ると良い!」

 

 そう彼女に提案すれば、時間が止まる。止まった時の中で、ほむらは華麗に飛んで私たちの目の前に着地してみせた。再び時間が進めば、唐突に現れた彼女にさやかは驚いたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 お互い会話が無いまま昼食が進む。こう言う時、やはりまどかはその重苦しい空気に耐えられないわけで、時折愛らしい目をこちらとさやか達に向けて様子を伺っているようだ。

 しばらくそんな時間が続いて、ようやく皆が食べ終わった時だった。ふと気になる事を対峙する四人に問いかける。

 

「織莉子とキリカは、あの後どうしたんだい?」

 

 あの訳わかんない二人の事?とさやかが首を傾げれば、代わりにほむらが答えた。

 

「何もせずに帰ったわ。貴女、あの二人に何をしたの?」

 

「どう言う意味かな」

 

「呉キリカに変化はほとんど見られなかったわ。でも、美国織莉子は違う。あれだけ敵対的だった彼女がまどかを崇拝するようになっていたの……原因は、貴女じゃなくて?」

 

「てぃひひ……なんか、聖女様とか女神ってずっと言われてて……聞いてて恥ずかしくなっちゃった」

 

 顔を赤らめるまどか。恥ずかしがる彼女も可愛い。

 

「さぁね。そもそも、少し前に彼女達の問題を解決してあげたのは君にも言ったね。それ以降特に接触もしていなかったんだが……」

 

 けれどね、と私は。私なりに推測した事を言ってみる。

 

「きっと、織莉子は啓蒙を高め過ぎてしまったんだ。何かを予知したせいで、人の身には余る啓蒙を得てしまった。だからだろうね、昨日の彼女からは前とは異なる狂気を感じたよ」

 

 何を見たのかは分からないが、きっとその予知において私の存在は彼女にとって都合が悪いのだろう。だから殺意全開で襲いかかってきた。彼女は聡明だ、恩人である私に攻撃をするなんてそれくらいしか考えられない。

 

「まぁ良い。君達の脅威でなければね……さて、さやかと仁美。君達はワルプルギスの夜についてはどの程度まで知っているのかな?」

 

「凄い強い魔女で、近いうちに街にやってくるってのはほむらから」

 

 ふむ、その認識は概ね間違いでは無いが……まぁ良い。

 

「ほむら、ワルプルギスの夜が現れるのはいつだい?」

 

「……4日後よ」

 

「4日!?もうすぐじゃない!どうして早く言わないのさ!」

 

 さやかにそう責められ、ほむらは目を逸らす。きっと伝え忘れていたのだろう。可愛いところもあるじゃないか。

 

「仕方ないじゃない、最近は色々立て込んでいたし……そもそも、武器の調達で忙しかったんだから」

 

 ほむらが夜な夜な非合法な方法で武器をかき集めていることは知っていた。しかし、夢を駆使して物を収納する私が言うのもアレだが、小さな盾にあんなに大きな物が入るのだろうか。私が見ていた限りでは、大型のトラックをすっぽりと収納していたぞ。それに盗まれた方は大慌てに違いないし処分もされるだろう。あまり褒められたものではないな。

 私は最後のサンドイッチを頬張ると、今度はさやかと仁美に話題を振った。

 

「二人とも、恭介とは話したかい?」

 

「……はい」

 

 警戒する仁美が頷いた。

 

「そうか……ふむ」

 

「何が言いたいのさ」

 

 考え込むような仕草をする私をさやかは睨む。

 

「いや、なに。昨日の夜から恭介が何やら私の住処で動き回っているようでね……同居人の老人に聞いてもボケているだけだし、お姉様に聞いても無視されるし……」

 

 マリアお姉様に電話をかけた時の事を思い出す。昨日の事だ、マミの隣で寝ていると何やら使者達が騒いでいたから話を聞いてみれば(実際には彼らが用いた紙芝居での伝達)恭介が聖杯に潜って血晶石を集め回っているらしいじゃないか。聖杯の事は彼に話した事は無かった。となれば、ゲールマンかマリアお姉様に唆されたか。まぁ電話をかけてもゲールマンは耳が遠くて会話にならないし、マリアお姉様は即座に電話を切るし……

 ちなみに電話は私がこちらの世界に来た当初に買い与えた。もちろん人形ちゃんにもだ。最近のマリアお姉様の趣味は動画配信サイトで猫の動画を見る事らしい……初めてあんなに狩り以外で生き生きしたお姉様を見たよ。

 何にせよ、おめでとう恭介。君はこれで立派な地底人だ。そしてようこそ、確率とデブが支配する地獄へ。そのうちあのデブ達もやる気を失くすに違いない。

 

「あんたお姉さんなんていたの?」

 

「血は繋がっていないがね。それに、勝手にそう慕っているだけだ……そうそうさやか、君に個人的に聞きたい事があるんだ」

 

「何さ」

 

 考えるのは、さやかの脳に居座るルドウイークの事だ。彼の事だから悪さはしていないだろうが、念のために聞いておく。

 

「ルドウイークを知っているね」

 

「先生の事知ってるの?ああ、そういえば先生も狩人だって言ってたっけ……知ってるよ。最近は夢に出てこないけど」

 

「ああ、出てきていないのか。なら良い。ただ、彼に会ったら言っておいてくれ。貴方の居場所なら用意するとね」

 

 聖剣ともあろう狩人の居場所は少女の夢の中ではない。あるとすれば、狩人の夢だ。あそこならば狩場に困ることもない。いくら正義の狩人と言えども本質は血に酔っているのだから。それに、さやかに良い影響ばかり与えるとも思えない。月光が何を考えているのかは別として。

 

「あんた……先生とどういう関係?」

 

「敵だね。でも、それも過去の話さ。直接話した事はほとんどないが、それでも私は彼という英雄を好ましく思っている。英雄には英雄に相応しい場所を用意してやらないとね」

 

 大きなお世話かもしれないが。それに、きっとだ。あの時のルドウイークは私に遺志を継いで欲しかったのだろうが、実際私に人々を導く事などできない。少女はともかくとして。その辺りの弁明もしたいのだ。

 

 まぁ良い、と。私は立ち上がってマミの手を引く。

 

「ワルプルギスの夜との戦いは私も手を貸そう。どんな少女の成れの果てかも気になるしね」

 

「そう言って、ほんとはあんたのハーレム要員を増やしたいだけでしょ」

 

「もちろん。でも、それが救いになるのであればそれで良いではないかね?気高すぎる君には分からないかもしれないが、ね」

 

「やっぱり、私にはちょっとキツイわ」

 

 バッサリとさやかに切り捨てられる。まぁ良いのさ。百合は百合同士で馴れ合えばね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日も呪われた聖杯に潜る。いつもの狩人装備一式にノコギリ鉈、そして獣狩りの短銃を手に。恭介は血に酔っている。狩りにも酔っている。それは狩人としてあるべき姿だ。だが同時に、血晶石にも酔っているのだ。理想の血晶石を手に入れるために奔走する。

 だが、一人ではない。この呪われたトゥメル=イルの聖杯は危険である。ただでさえ深度が最大である事に加え、この呪われた聖杯は体力を半減する。いくら肉体的に強靭な狩人と言えども、ちょっとした攻撃で死ぬ可能性が出てくるのだ。だから、助言者が必要になる……恭介のような駆け出しの狩人には。

 

「帰って良いかな」

 

 時計塔のマリア。長身でスタイル抜群、透明感のある声で一部界隈では大人気の狩人は、ボソッと呟いた。手にはスマートフォンが握られており、当たり前だが電波の届かない(そもそも基地局すらヤーナムには無い)この場所では大好物の動画も見られない。

 戦闘においては比類無き強さを誇る狩人である彼女だが、どうやら狩人の夢に連れて来られてからは狩りに対する情熱も失せているようだった。

 

「それは困ります。道中はともかく、あの3デブは僕では荷が重いですから……」

 

 私の時とは桁違いな程お姉様に対しては礼儀正しい恭介。仕方なくマリアお姉様はガックリと項垂れながら彼の後を歩いていく。

 

「ちなみに今日は何回くらい聖杯に潜る気だい?」

 

 そう言われ、レバーを守っていたデブを狩り終えた恭介は答える。

 

「物理27.2%のスタミナマイナス血晶石が出るまでです」

 

 お姉様は言葉を失う。下手をすれば夜中潜る事になるのだから。

 

 部屋を入るなり3デブがダルそうに走ってくる。一日中色々な狩人に襲われていればそうもなろう。この聖杯に潜るような狩人からすれば彼らは単なる血晶石の道具でしか無いのだから。守り人とは名ばかりの哀れなる犠牲者だ。一時期私も潜りまくったからね。

 何はともあれ、デブ達はあっという間に狩られた。真っ先に近接武器持ちが仕留められ、残された銃持ちデブは、え、あと俺だけ?といった顔をしている最中に内臓攻撃。

 そして落とすは物理27.2のスタミナマイナス血晶石。一発目でこれが出るとは運が良い。

 

「よし、これで満足だろう。私は帰って動画を見る」

 

「待ってください、あと一つは欲しいんです。もう一回潜りますよ」

 

 夢に真っ先に戻ろうとしていたマリアは絶句した。

 

「恭介、妥協も必要さ」

 

「いいえ、強さを手に入れるためには妥協はいりません。ほら、はやく夢に戻ってください。また聖杯文字を入れないと」

 

「最近の狩人は面倒だね……」

 

 結局、その夜は一日中聖杯に潜る事になった二人。恭介はお目当てのものが出て喜ぶが、その後ろでは疲れ果ててゲールマンによる労いの言葉を無視して動画を見るお姉様が。猫達がお姉様の心を癒す事を祈ろうじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪が降る。風に乗って運ばれる水の結晶は露出した肌を痛めるほど刺激していた。

 手足の感覚はほとんど無い。元々ひ弱な少女の身体でおまけに色素も薄い、凍傷になって腐り落ちるのはそう遠く無いだろう。人間とはそんなものだ。弱くて儚い、なんと不完全な生き物だろうか。

 だからだろう。人とは願いを抱かずにはいられないのだ。そうしなければ前を向いて歩けない。今まで積み上げて来た失敗と死体の数々を踏み越えていけないのだ。

 

 それでも、その少女は動けなかった。身体のあちこちにある怪我だけじゃない。目の前の光景に、私は心が折れているのだ。

 

 雪原に死体が転がっていた。一つだけじゃない、無数にだ。私はそれらを見てただ立ち尽くすだけだった。

 一番近い死体に目をやると、輝きを失った瞳と目が合った。知っている瞳だった。エメラルドのように美しい瞳が可愛らしい、仲の良い少女だった。鈍臭い自分をいつも助けてくれる、頼り甲斐のある少女だった。

 胸から下が無いのだ。内臓は白い雪の上にぶちまけられて赤黒く染めている。吐き気すらも出て来ない。現実味がなさ過ぎる。あんなに強くて格好良い正義感ある少女が、こんな惨たらしく死ぬなどと。

 

 ここには、そんな死体が無数に転がっている。その異常さに気がつけたのはそれから数時間してからだった。

 一気に心からの震えが身体を襲い、膝から崩れ落ちる。魂が濁っていく感じがした。左手の中指を見てみれば、魂の代用品である指輪の宝石が濁っている。

 

 獣のように、あれだけ仲の良かった少女の死体を漁る。ポケットから服の中に至るまで、彼女は漁り尽くす。そして目的のものを見つけた。綺麗な装飾の、小さな何か。

 それを指輪に近づけると、魂が浄化される。濁っていた指輪は本来の白さを取り戻すと少女に生きる力を与える。その白さは、少女の髪の色にも似ていた。

 流れるような美しい白髪をかき上げると、少女は立ち上がる。仲の良い者の死体を踏みつけ、臓物を踏み潰し、歩く。

 

「嫌だ、死にたく無い、魔女なんかになりたくない」

 

 訛りのない、消え入るような声で彼女は呟く。最早彼女は人間ではない。だが化け物になるつもりもない。

 

「治さないと、身体、綺麗にしないと」

 

 少女は歩く。どこにいくでもなく。

 

 それは遠い昔、違う世界。少女は異形となってしまった身体の治療法を求めてひたすらに歩いた。

 



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Strung Out In Heaven's High
乳母


 

 

 

 狩人の夢で。このみはいつものように、植物や花に水をやろうとしていた。決して天気が良いわけでも無ければ気温も高く無いこの夢だが、不思議と花はしっかりと育つものだ。

 ここ最近では裏庭の花畑は恭介のトレーニングにおいて荒らされてしまうので、仕方なく彼女は水盆手前にて小さな花壇を作り花を育てている。もちろん私の許可を貰ってね。

 なんてことはない、まだ芽を出したばかりの未来の花であるがそれでもこのみにとっては私から貰った大切な宝物であるわけで。ロスマリヌスいっぱいの水を運んでいると。

 

 その女性はいた。花壇の前でしゃがみ、ようやく出てきた芽を指先で軽くつつき、興味深そうに見ている女性が。

 

 珍しく人形は水盆の前には居ない。きっと裏庭でトレーニングに励んでいる恭介を見守っているのだろう。人形ちゃんも大概大きいが、その女性もしゃがんでいるにも関わらずその時点のサイズでこのみの身長を超していた。巨人と呼ぶに相応しい。

 深紫の衣装に身を包み、顔はフードに隠れて見えない。このみは一瞬その不審な女性に声をかけるか戸惑ったが、生憎と百合の狩人の友人は唐突かつ不審な人が多い。今恭介の相手をしている烏羽の狩人という女性も、会話こそ普通にしているものの怪しいお面を被っている。だから今回も、怪しいのは見た目だけだろうと考えた上で話しかける。

 

「あの、狩人さんに御用でしょうか?」

 

 問われ、女性はゆっくりと立ち上がってこのみの方へと向き直った。その大きさにこのみは開いた口が塞がらない。

 3メートルはあるだろう身長を誇る女性は、それでいて華奢だ。一体何がどうなったらこんな人間が生まれるのか。しかしその大きさに似合わず、フードから僅かに見える顔はとても美しい。

 女性はにっこりと微笑むと、このみに一礼して口を開いた。

 

「お初にお目に掛かります。私、あの方の乳母でございます」

 

 かつてはメルゴーという上位者の乳母であった上位者。啓蒙を高めつつある恭介が見たら発狂していただろうか。だがこのみは無垢な少女だ。だから彼女の目にはお淑やかな妙齢の女性にしか見えない。

 無知であり続ける事は罪に等しいが、果たして啓蒙低きは罪とはならず。人間など、すべてが全て悟りを開くまでもなし。

 まぁ、それによく言うではないか。真実は無く、赦されぬ事などないと。ならばこのみが見る姿もまた真実なのだ。

 

 それでも、瞳に宿す宇宙は拭えないだろうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 下校になれば、私達は昨日のいざこざからやって来るギクシャクした関係を一時的に抑えて共に帰路へと着くことにした。相変わらずさやかと仁美は警戒しているが、まぁ良い。こうして六人で少女らしい下校ができて私としては嬉しい限りだからね。

 だが、どうしてかな。運が悪いのだろうか。私がこうも少女らしくありたいのにも関わらず、不幸というものはやってくる。

 

「お待ちしておりました、聖女様」

 

 礼儀正しく門で出待ちしていたのは、やはりというか美国織莉子と呉キリカの二人。心の底からまどかに畏怖と敬意を払う織莉子とは対照的に、キリカはどうにもつまらなそうというか、まぁ嫉妬している。乙女の嫉妬した顔というのもまた良いものだ。

 織莉子は私を一瞥すると、まるで生ゴミを見るような目で視線だけを突き刺した。ゾクゾクっと私の中のイケナイ何かが芽生えそうだ。いやまぁそれでも恩人をそんな目で見るのはどうかと思うが。

 

「白百合さん?」

 

「あ、いやマミ……別になんでもないさ」

 

 もうすっかり彼女だねマミは……ちょっとくらい他の少女に目移りしても良いではないか。

 苦笑いして掛ける言葉に戸惑うまどかの前に、さやかとほむらという騎士様方が立ちはだかる。ああ、百合物にああいうどろっとした展開は付き物だろう。それもまた一興。私は久々にワクワクしながらその展開を見守った……片腕をマミに抱きつかれた状態で。

 

 

「あら、あらあらまぁ!聖女の守護者方ではありませんか!光栄ですわ、昨日は挨拶もままなりませんでしたから……そこの上位者のせいで」

 

 ビシッと織莉子は私を指差す。いつ彼女は私が上位者であると知ったのだろうか。いや、答えはあった。まどかの肩にマスコットみたいに乗っかっている白い奴だ。

 

「おいキュゥべぇ」

 

「聞かれたからね。でもそんなに怒る事かい?上位者であるということは人間を超越しているという事だよ」

 

「デリカシーとプライバシーというものは君には無いようだね……君達の種族ごと狩りとってやろうかい?」

 

 まったく、どうして純粋な上位者というものはこうも常識が無いのだろう。異なる世界の渡し屋なら常識ねえのかよ、と嘆くだろうに。

 と、そんな私達を無視して織莉子は笑顔でさやかとほむらに歩み寄る。きっと今までこんな世界線は無かったのだろう、さやか以上にほむらは困惑と警戒を目の前のお嬢様に向ける。

 

 そんなお嬢様はほむらの警戒心など気にせず、後ろで不満を募らせるキリカに向けて注意した。

 

「ほら、キリカ。聖女様方に挨拶は?」

 

「……うん。こんにちわ」

 

 おやおや、彼女の愛を一心に受けられないからと拗ねる事はないだろうに。しかしあれだね、ボーイッシュ属性はさやかと被るね……キリカの方がより男装が似合いそうだが。

 

「えっと……美国さんと呉さん……でしたっけ?」

 

 困ったように微笑むまどか。確かにあの笑顔は聖女級だ。

 

「それで。あなた達の目的は?」

 

 ドライなほむらがまどかを隠すように立ち塞がった。百合の三角関係らしくて大変よろしい。

 

「せっかくなので、私達も帰り道を御一緒にできればと思いまして。それにその上位者が聖女様の近くにいるなど気が気でないですもの」

 

「君、私一応恩人だからね」

 

 私の言葉は間違っていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平日の昼寝。それは禁断の果実。社会では大人達が汗水垂らして働き、学生ならば学業で眠気と闘っている時間だろうか。そんな中、惰眠を貪り夢を見るという行為はとんでもなく罪深いだろうさ。

 その理論からすると、佐倉杏子という人間は大変罪深い。好きな食べ物を食べ、眠くなったら寝る。確かに魔女狩りは大変だが、それでも平日働いているよりはマシかもしれない。

 今も杏子は寝ている。美樹さやかという色々と気になる少女の家に一時的に居候させてもらい、家事をするでもなく彼女の部屋のベッドに横になっているのだ。

 

「ぐが〜……んあ」

 

 そんな彼女が目覚めた。タオルケットをかけていたはずなのに、妙に肌寒かった。重い目蓋を擦り、起き上がる。

 最初は寝相の悪さのせいでタオルケットがずり落ちてしまったのだと思ったが。寝ていたはずのベッドのふかふか感触もなく、硬い……どうやらいつのまにか自分はベンチのようなものの上に寝ていたようだ。

 

「……ていうかよ」

 

 段々と冴える頭で、周囲を見渡す。

 

「どこだ、ここ」

 

 廃墟。まさしくその言葉が当てはまる場所に彼女はいた。

 魔女の結界にいつのまにか囚われてしまったのかとも疑ったが、魔力の気配は感じられない。観察のために周囲をよく見渡すが、どうやらヨーロッパ風の廃墟のようだ……城なのか教会なのかは分からぬが、そういった風情がある。廃墟なのを除けば、ここは趣のあるだけの場所だった。寒いけれど。

 

 とりあえずはこのよく分からない建物を出ようじゃないか。杏子の思考はざっくりしている。もし敵がいるのならば切り捨て、そうでなければその時に考えれば良いと。

 

 

「訪問者よ」

 

 

 だから、その声が聞こえてきた時には思わず警戒心が勝ってしまって。一瞬のうちに魔法少女へと変身して槍を取り出した。

 

「誰だ!」

 

 その声に答えるは、冷血なる声色の。それでいて威厳のある透き通った声。

 

「人無きとてここは玉座の間。武器を納め、故無くばそのまま去り、或いは我が前に跪くがよい」

 

 いた。数十メートルさきの、ステンドグラスから漏れた光が当たる部分。それは昔に絵本で見た、王様が座っていそうな場所。そこに、女性がいる。

 仮面を被った女性が。赤いドレスに身を包み、静かに杏子を眺めていた。

 

「何言ってやがる!私をここに連れ去ったのもお前だろ!」

 

「無礼者」

 

「っ、!」

 

 たった一言。静かな、それでいてとても威圧感のある一言だった。

 杏子はベテランの魔法少女である。闘ってきた相手は魔女だけではない、縄張りを荒らす魔法少女とも戦ってきた。その中には巴マミに匹敵するくらいの強さを誇る魔法少女だっていた。それらを全て負かし、彼女は生き抜いてきたのだ。

 

 それが、たった一言で打ち負かされるとは。杏子は警戒心をそのままに、純粋な気持ちでその女を間近で見てみたくなったのだ。

 

「穢れたとて私は女王。礼儀を知らぬ獣風情に賜う言葉など持っておらぬ」

 

 そう言われ、杏子は渋々武器を仕舞う。そして、自らを女王と名乗る女の前まで足を運んだ。

 

「あんた」

 

「跪け」

 

「はい」

 

 あの杏子が従順だとは、さやかが見て笑うかもしれないが。それでも目の前の女には従わなければなるまいと魂で感じる。そしてそれは、正しい。

 私も最初は無礼者と罵られたものだ……あれは良い。俗物とも言われてみたいものだ。

 跪いた杏子に女王は言葉をかける。その声はやはりいつ聴いても美しい。宇宙要塞の総帥にでもなってそうな声だ。

 

「ほう……訪問者。月の香りを僅かに漂わせる異形の者よ。狩人では無いな」

 

「はぁ」

 

「私はアンナリーゼ。この城、カインハーストの女王。穢れた一族の長、即ち教会の仇……と言っても、貴公にはわかるまい」

 

 クスクスと、女王アンナリーゼは微笑う。鉄仮面を被るその女王に杏子は目が離せなかった。心が平伏したがっていたのだ。分かるよ、私も一時期他世界に侵入してまで血の穢れを彼女に運んだものだ……指輪まで渡したが、結局求婚は失敗した。喜んでもらえたけれど。

 女性は王座に座ったまま、言葉を続ける。

 

「今となってはただ唯一の血族しか残らぬこの私に、何用かな?」

 

「……私が聞きたいんだけ……ですけど」

 

 会話が止まる。だがアンナリーゼ様はそんな杏子を笑った。

 

「フフフ……その様子だと、貴公。あの者の啓蒙に当てられたか。それとも、別の何かに魅入られたか」

 

 女王には何か見当があるようだった。思うは、あの求婚までしてきた百合好きの狩人であり上位者か。それとも仇である教会の英雄が崇める月の光か。

 どちらでも良い。今の杏子はまだ無垢な少女なのだから。穢れすらも知らぬ、美しい少女なのだから。

 

「久々の訪問者だ、無碍にはすまい。貴公、気づけばここにいたのであろう?」

 

「はい、そうです」

 

「ならば、帰るが良い。その灯りを辿れば、元の世界に戻れるだろう」

 

 アンナリーゼが杏子の横を指差す。そこには紫色のランプが弱々しくも灯っていた。

 

「あやつも最近は謁見に来ないからな……灯は脆弱になっているが、使えるだろう」

 

 そう言えば、アンナリーゼは杏子から興味を失くした。元のようにただ椅子に深々と腰掛け空を見るのみ。

 

「あの、女王様」

 

 だが啓蒙に導かれた少女は去らぬ。なぜだか目の前の女性に惹かれてしまったのだ。

 禁忌の血に惹かれたのか、それとも女性の心と魂に惹かれたのかは分からぬ。だがどうしても杏子には確かめたい事があった。

 

「発言を許そう」

 

「一人ぼっちが、寂しいんですか?」

 

 再び時が止まる。しばらくして、アンナリーゼが口を開いた。

 

「無礼者……と、言いたいが。フフフ……存外に良い目をしている。あの者とはまた異なった啓蒙があるようだ」

 

 妖艶に女王は笑う。

 

「そうだな。そうかもしれぬな」

 

 孤独を女性から感じた。その声色に優しさも感じながら。

 今思えば、もうこの時から魅入られていたのだろう。だから杏子は逃れられない。ただその熱い血を求めるのみだった。

 

 誰に啓蒙されたのかは分からぬ。だが啓蒙とは、正しく啓智なのだ。だから目の前の女王にどうすれば良いかは分かるものだ。

 自然と杏子の手はアンナリーゼへと伸びていた。まるでその血を求めるように。啓蒙とは、便利なものだな?ミコラーシュよ。

 

「ほう……敢えて異端となることを望むか。誰に唆されるでもなく、自らに降りた啓蒙を導として」

 

 女王は穢れた血の血族、その長である。しかしいくら赤子を抱かんとすれど人の心までは捨て切れぬ。

 だから私の求婚も断った。もう孤独は嫌なのだと、難しい言葉を並べても。

 

「よくわかんないけどさ」

 

 杏子は自らの言葉を綴る。

 

「初めて会ったし、私だって混乱してるけど、それでもなんだか貴女だけは見捨てちゃいけない気がするんだよね……あっ」

 

 無礼な言葉を用いた事を詫びようとする杏子を、アンナリーゼは制した。

 

「良い。貴公は血族に名を連ねる覚悟を持つ者だ、多少の無礼は許そう……前例がない訳では無いしな」

 

 思い返すのはあの月の香りの狩人。最終的にはどこからか古き婚姻の指輪を持ってきて迫ってきた。さすがのアンナリーゼもあの時ばかりは身の貞操を危ぶんだという。一体何をしようとしたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 椅子に座る乳母の前にこのみは紅茶を出す。乳母は礼儀正しく感謝の言葉を述べると、ソーサーを手にして紅茶を一口。甘めが好きなのだろうか、飲む直前には角砂糖を二個も溶かしていた。

 

「美味しい。ありがとう」

 

 にっこりと微笑む乳母に、このみの胸がときめいた。なるほど、あの狩人が百合好きになるのも分かってしまうなとも思う。あの狩人が連れてくるのは大体が美人だ。前のツンツンした少女と良い、街を歩けば男が放って置かないだろう。

 このみは笑みを向け、そのまま去る。残されたのは、黒装束に身を包んだ烏のような仮面をした狩人と、紅茶を飲みながら猫の動画に夢中な時計塔のマリア。

 

「なにさ、こんな時くらいやめなよ。せっかくの紅茶が不味くなるさね」

 

 いつかのヤーナムで聞いた老いた声では無い。麗しい女性の声で、その狩人……烏羽の狩人は言う。しかしマリアお姉様はんー、とだけ言って動画を見続ける。仕方あるまい、これが彼女の生き甲斐なのだから。

 

「しっかし、奴も隅におけないね。わざわざ上位者が会いにくるなんてね」

 

 烏羽が仮面を脱ぐ。フードで隠れているが、美人であることには変わりなかった。いつも脱いでくれていれば良いんだけれど……折角私の眷属になって若さを手に入れたんだから(瀕死の彼女に勝手に血を注入した)。

 

「ええ、最近連絡もありませんでしたから。乳母としては気にもなりますわ」

 

 クスクスと笑う乳母。そういうものかね、と烏羽は納得して出されたスコーンを口にする。

 しばらくそんな風に姦しいお茶会がなされていたが。突然の来訪者によってその良き時間も壊される事となる。

 

 ゲールマンとマリア、そして烏羽によってズタボロにされた恭介が乱入してきたのだ。

 

「また上位者かァ!」

 

 輸血すれば良いのにそれすらも忘れ、上位者である乳母を血眼で睨む。手にはいつものノコギリ鉈。つくづく彼も狩人だ。

 

「あら……月の香り。噂のお弟子さんかしら」

 

 そんな恭介を意に介さず、淡々と推察する乳母。恭介はそんな彼女に斬りかかろうとして。

 

 

 

 

 

「やめないか馬鹿弟子」

 

 

 

 またも突然現れた制服姿の私にエーブリエタースの先触れによって吹き飛ばされた。まったく、彼は毎度血気盛んだね。

 窓から吹っ飛んでいく恭介……あれは死んだね。まぁ良い、地底に潜るだけでは心に良く無いだろう。現世でしっかりと休むが良い。

 私は埃を払うと、空いた席に腰掛ける。

 

「久しぶりだね、乳母。メルゴーは元気かな」

 

 にっこりと彼女に微笑むと、彼女も小さく頭を垂れた。ああ、少女も良いが乳母くらいの年齢の女性もまた美しい。

 

「それと、アイリーン。いつになったら君は私といちゃついてくれるのかな?」

 

「寝言言ってんじゃ無いよ」

 

「最近の婆さん怖いや」

 

 せっかく眷属となったのだからそれくらいは許してほしいが。満更でも無いくせに。

 さて、話題を変える。

 

「今日はどうしたんだい?」

 

 乳母にそう尋ねれば、彼女は落ち着いた様子で言う。

 

「貴女のお父様から伝言を預かりまして」

 

 言われて、私の顔は渋くなる。

 

「……ああ、そう言うことか」

 

 実の父では無いが。まぁ、なんだ。上位者としては父のようなものだ。あの親馬鹿め。

 月の魔物という上位者がいる。赤子を求めてヤーナムを荒廃させた張本人だ。私が上位者になったのも、へその緒を使って彼の血を浴びに浴びたからだ。

 

 高位の上位者は物理的には死なない。その本体は高次元暗黒に潜み、現界する際は分身を用いるのだ。だからあの魔物も死んではおらず。定期的に愛娘である私を気にかけて手紙を使者経由で寄越す。あまりのウザさに返信すらしないが。

 

「そう邪険になさらず。あのお方もお嬢様が心配で仕方ないのです」

 

「どうだか。夢に来ればゲールマンが黙ってないよ。まぁ良い、それで?」

 

 乳母はまた一礼して、言伝を言葉にする。

 

 

「今の計画を諦めなさいと」

 

「ふざけるなと言っておいてくれ」

 

 思わずバキッと手にしたカップを割ってしまった。だが乳母は私の怒りを他所に淡々と言う。

 

「相手が悪いと仰っておりました」

 

「それはインキュベーターか?それともワルプルギスかね?どちらも私の敵ではない。狩り殺すだけだ」

 

 いいえ、と。乳母は首を横に振って真剣な面持ちで私を見据えた。

 

 

 

「鹿目まどかという少女です」

 

 

 

 

 私は怒りを忘れて目を丸くした。そしてあの可愛らしい笑顔と、織莉子の言っていたことを思い出す。

 

 

 




メルゴーの乳母は完全に想像です


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 それから数百年もの間、少女は彷徨い続けた。時に懐かしさを感じるフランスから、果ては東欧の白い大地まで彼女は自らの足を使い歩き続けたのだ。

 それでも定住することは決して無い。そんな地があるはずも無い。それは魔法少女の宿命なのだろう。永遠に歳を取らぬ呪いにも似た祝福は、当時の人々にとっては魔なるものに等しいのである。それに、未だ各地では社会不満から来るであろう民衆による魔女狩りが行われている時代である。もし仮に、少女が魔法少女と知られでもすれば一大事であろうから。

 

 すべては病に似た呪いを解くため。自らの願いを望み、そして呪われてしまった運命を拓くため。

 人が人たり得る年数をゆうに超え、それでもなお自らを見失わない理由は単にそれだけなのだ。彼女の思い出は霞んで行く。年数を重ねる毎に、生きる度に。だが彼女は止まらない。止まってはならない。

 

 自らが倒してきた化け物だけにはなりたくなかったのだ。

 

 身分を隠しながら生きていくのは容易いことでは無かった。今の世のように情報化されていない文明でも、噂というものは広まるものだ。彼女は弱きを助ける正義でもあった。その力を人々に使えば、感謝される事は無くとも迫害はされる。そしてその噂は山を、海を越えて行く。定住する事ができない理由の一つだった。

 

 長く生きていて良い事もあった。様々な人々と、国々の興亡を目にする事ができた。苦しい時代にあっても人々は屈する事なく立ち上がっていく姿を見ると、彼女の今までの正義による行いも悪くはなかったと思えた。そして技術もまた、日に日に向上していくのは見ていて飽きなかった。

 

 戦の主役が剣から銃へと変わりつつあり、噂では少女が古くに仕えたブリテンにおいて産業革命が起こりつつあると聞く。

 気紛れだった。長く生き過ぎた彼女の、ほんの気紛れ。呪いを解く手掛かりはまだ見つからぬ。ならば息抜きがてらその技術革新とやらを見てみようではないかと。それに啓蒙思想なるものにも興味がある。なぁに、今いる東欧からブリテンの島国までは一年と掛からぬ。足と馬車さえあれば楽に辿り着けるだろうと。

 

 それはいつか見たオルレアンの聖女、ジャンヌ・ダルクが悍しい人の業に焼かれてから数百年経った頃の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鹿目まどか。私の友人。そして心優しき素晴らしい少女。おっとりしていて臆病で、しかし強い勇気も持ち合わせた聡明な子だ。異様な因果の大きさを持つ以外は、概ね彼女に対する私の印象はそんな感じ。それは間違っていないだろう。

 私は乳母の膝に頭を乗せ、裏庭の芝生に寝転がりながら思考に耽る。私の脳と身体に居つく虫が……俗に言う啓蒙と言う奴が示した未来では、彼女はその膨大な因果故に凄まじい力を持つ魔法少女になるが、同時に最悪にして最強の魔女にもなるのだ。

 私のお父様……メンシスの奴らが俗に言う、青ざめた血が警告していた事は、その少女の魔女化についてだろうか。確かにまどかが魔女と化せば、いくら私と言えども危険かもしれないが。それでもたかが魔女、上位者であり狩人である私の敵では無い。いかに人類を滅ぼすほどの存在であろうともだ。仮にヤーナムの上位者連中と獣共が世に解き放たれれば、それこそ世界などとうに滅んでいただろう。

 

 それでも私は狩りを成し遂げた。今でこそ父であるが、青ざめた血を手に入れたし、立ち塞がる獣と上位者はすべて屠ったのだ。慢心では無い。私が負けるわけがない。死ぬ事はあっても、滅する事はない。これはルールだ。

 

「単純なようで難しい事をお考えですね、リリィ」

 

 頭上の乳母が私の真名を呼びながら、髪を撫でた。細く長い彼女の手は心地が良い。

 

「アイツは何を見たんだろうね」

 

「お父様、ですわ。私にもあのお方の考えている事はわかりませんが。酷く焦った御様子でした」

 

「私の事になると慌てるのはいつも通りだろうに」

 

 父親の慌てっぷりを思い出す。思えば、上位者の赤子になってからあの方はとんでもない親バカだった。実の娘でもないだろうに、事ある毎に気にかけて。上位者としての考えや、当たり前の事を何度も教えてきた。親というものを覚えていない私にとっては新鮮だったが、鬱陶しくもあった。まぁ、嫌いではないのだが。

 私は左手を曇り空に掲げた。薬指に嵌められた古めかしい指輪が、手袋の下でも存在を強調している。

 

 

「考えていても仕方がないか」

 

 今はとにかく、ワルプルギスの夜を倒す事に集中しよう。きっとほむら達だけでは歯が立たない。どんなに魔法少女を集めようと、かの魔女が災厄をもたらす事は変わりないのだ。

 それに、その魔女の遺志も気になる。彼女が何を祈り、どうして絶望したのかを。お友達になろうよ。巨大な魔女よ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さやかと杏子、そして仁美の三人は来る戦いに備えて魔女狩りに勤しんでいた。目的は生命線でもあるグリーフシードの確保。ワルプルギスがやってくるせいか、ここ一週間の見滝原ではやたらと魔女が出現している。それは魔法少女としては好都合であり、しかし一般人からすれば死を齎す災厄であり。

 お互いの利害も一致し、杏子もさやかに対して理解を示した事もあって当初の険悪感は一切なく、三人は良い連携でもって狩りを嗜んでいた。

 

「今ださやか!」

 

 杏子の多節棍が魔女の集団を拘束し、鎖から滲む血が魔女達を炎上させた。すかさずさやかは月光を振りかざし、その光波で燃える魔女達を消し去らんとするが。魔女の使い魔がさやかの背後から襲い掛かる。

 

「させません!」

 

 無防備なさやかを守るのは友人であり恋敵である仁美の役割。使い魔をチェーンソーで貫くと、そのまま持ち上げて惨殺してみせた。返り血が仁美に降り注ぐ。とても良い、血に酔った戦い方だ。

 さやかの月光の聖剣に光が集まる。まるで少年漫画の主人公のようなその出で立ちは、かつてのヤーナムにおける英雄を見ているようだ。

 

「でやぁああああああ!」

 

 雄叫びと共にさやかが聖剣を振り下ろす。すると、月光が奔流しその光に飲み込まれた魔女が多節棍ごと消え去った。まさに跡形もなく、という表現が相応しいだろう。

 光が消え、カラン、とグリーフシードが数個地面に転がる。杏子はそれを回収すると、自分の分け前を収納して残りをさやかと仁美に投げた。

 

「火力高過ぎるぞバカさやか!」

 

 グリーフシードを受け取ったさやかに杏子は言う。

 

「調整難しんだって!あんたこそ、いつの間に炎なんて使うようになったのさ?」

 

 さぁね、とだけ杏子は言ってグリーフシードでソウルジェムを浄化する杏子。そんな犬猿の仲のようで意外と馬が合っている二人を見て仁美は笑った。似た者同士とは彼女らの事を言うのだろう。

 

 

「それにしても、この数は異常ですね」

 

 夜のビルの上、周辺を観察しながら仁美は言う。異常とは、魔女の数だ。この日だけで計十体と交戦しているのだからそれはもう異常だ。

 通常であれば魔女など一週間に一度戦うか否かなのだから。それがこうも、突然大量に現れた。今現在、見滝原の魔法少女達は三つに別れて魔女の対処にあたっている。一つはさやか達、もう一つはマミとなぎさのチーム、そして織莉子とキリカに……ほむら。正直何を仕出かすか分からない織莉子を信用するほどほむらは愚かではない。つい先日までまどか抹殺のために動いていた彼女達が掌を返してまどかを崇め始めたのだから、警戒もするだろう。

 

「長い事魔法少女やってるけど、これはヤバイね〜。ふぁ〜あ……」

 

 飄々と言う杏子。そんな彼女のあくびを見て、さやかはムッとしたように言う。

 

「あんた昼間私のベッドであんだけ寝たのにまだ眠いの?」

 

 小馬鹿にするように言うさやかに杏子は彼女を見ずに口を開いた。

 

「うっせーなぁ。なんか変な夢見たせいか寝た気がしないんだよね」

 

「夢……?」

 

 夢と言われて、さやかが気にならないはずがない。思い返すは師であるルドウイーク。まさか彼女も同様に彼を幻視したのだろうか。

 

「なんかおっかないオバサンがいてさ……よく覚えてないんだけど、まぁ変に頭に残ったせいでね」

 

「え、オバサン?叔父さんじゃなくて?」

 

「は?」

 

 話が食い違う二人。それと杏子、オバサンと言うのはやめなさい。あのお方はそれはもう美人なんだぞ。仮面の下見た事ないけど。私が指輪を渡すくらいには美人だ。きっとそうだ。エブちゃんにはめちゃくちゃ怒られたけど……

 その時だった。不意に仁美が裏路地を見下ろすと、魔女の気配を強く感じたのだ。どうやら他の二人も同じように感じたらしい。三人は顔を見合わせるとビルを飛び降り、魔女の気配を辿って行く事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ!誰か襲われてる!」

 

 

 さやかが指差す先に、使い魔に襲われている男性がいた。使い魔はジリジリと男性ににじり寄っていて、当の男性は慌てたように取り囲む使い魔を見渡し拳を構えている。どうやら孵化したばかりの魔女のようで、未だ結界は張られていない。どちらにせよ、倒さねばあの男性は死ぬだろう。

 さやかは落下しながら近くのビルの壁を思い切り蹴ると、男性に向け大きく跳躍した。

 

「あ!ずりぃぞさやか!」

 

 負けじと杏子も 多節棍をロープのように用いて男性まで急行する。そんな二人を見て、仁美は大きく溜息をついた。

 

「もう、二人とも血気盛ん過ぎますわ!」

 

 しかし彼女もそこいらの魔法少女では太刀打ちできないくらいには強く。空中で謎のバーストを見せるとまるでブースターが付いているのではないかと錯覚する程に跳躍した。何だかんだ、仁美も狩に酔った魔法少女なのだろう。

 仁美にはさやかのような月光も、杏子のような薪の炎もありはしない。だが彼女は一度魔女になりかけ、そして人に戻った特殊な事例だ。神浜という土地ではそのうち当たり前になるのかもしれないが、仁美は自身の魔女を使役できるようになったのだ。

 魔女をソウルジェムから呼び寄せると、仁美は魔女に自身を投げさせる事で加速する。あっという間に先行する二人を追い抜くと、勢いよくチェーンソーを回転させた。

 

「お先ですわーっ!」

 

 颯爽と追い抜いて行く仁美。

 

「あ!ちょっと!」

 

「それずりぃぞ!」

 

 負けじと二人は仁美に追いすがるが、それでも仁美の方が速い。仁美はそのまま地面に突き刺すように男性を襲おうとしていた使い魔をチェーンソーで真上から貫く。

 ブシャっと使い魔から血が溢れ出て、それでも尚仁美は使い魔を切り刻んだ。

 

「ああ、今度はなんだ?」

 

 そんなグロテスクな光景を見て、助けられた男性は困ったように驚く。続いてやって来たさやかと杏子も周辺の使い魔を切り刻んでゆく。そこからは一方的な虐殺だった。

 杏子が刻み、さやかがバラし、仁美が潰す。その繰り返し。孵化したばかりの魔女も同様に殺されてしまった。

 

「クソ、物騒な街だ……ヤーナムじゃないんだぞ」

 

 助けられた男性は少女達が化け物を捻り潰す姿を見て思わず言葉を漏らす。その光景は狩というよりも遊びに近い。

 

 そんな男性にこっそりと使い魔が近付く。手にした刃物を彼に向け、突撃しようとして。

 

 

 

 

 

 

「っ、クソ!」

 

 

 

 男性は刺される前に使い魔の腕を掴んで、刃物を奪い取った。そして荒々しく使い魔の喉元に刃物を突き刺したのだ。そのまま押し切って使い魔を倒し、とどめと言わんばかりに顔面を踏み潰す。幸い、その光景は彼女達には見られなかった。使い魔が落とす僅かな血の遺志が男性に当然のように流れ込む。

 

 魔女を蹂躙した魔法少女達が男性の下へやってくる。

 

「怪我はありませんか?」

 

 その問いに、男性はどこかよそよそしく答えた。

 

「ああいや、大丈夫だ」

 

 魔法少女と魔女は一般的には未知の存在である。その存在に対し、男性は異常なほどに関心を抱いていない。それどころか、早く厄介事から解放されたがっているように見える。

 はっきり言ってしまえば不審だ。杏子の長年の経験が、この男性について警鐘をならしていた。

が、この男性について警鐘をならしていた。

 

「おっさん、外人か?」

 

 言われて、さやか達は暗闇の中で男性を観察する。服装は普通の私服だが、顔付きは確かに日本人のものではない。髭面の、中年の外国人男性だ。

 

「ああ、まぁな」

 

「観光には見えないね」

 

「……人を探してるんだ」

 

 そう言う男性が、だんだん怪しく思えてくる。それになぜだろうか、少しばかり知っているような雰囲気が彼から漂っている。

 

「そうかい。ちなみにどんな奴を探してるんだ?」

 

 杏子は助けた男性の安否そっちのけで質問を繰り出す。男性は少し警戒した様子で言う。

 

「女の子だ、お前達と同じくらいの」

 

「お前って……写真とかはあります?」

 

 さやかが問えば、男性は少し躊躇ってから懐から写真を取り出した。心底大事そうに取り出す様から見るに、どうやら探している女の子は大切な存在のようだが。

 

「この子なんだが……なんだ、お前ら知ってるのか」

 

 その写真を三人が見るや否や、固まってしまった。しばらく固まって男性の警戒心をさらに高めると、仁美が恐る恐る口を開いた。

 

「あの、失礼ですがこの方とはどのような間柄で?」

 

「なに?ああ、そうだな。……俺の娘だ」

 

 次の瞬間、驚愕の絶叫が裏路地に響く。無理もなかった。なぜならその写真に映る少女は、彼女達のクラスメイト。

 百合の狩人、白百合マリアその人なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな少女達と男性を、遠くで眺める者もいる。かの偉大なるクソ上位者、キュゥべぇだ。相変わらずの赤い瞳で四人を見下ろすと、彼は一人口を開く。

 

「あまり好ましい展開とは言えないかな」

 

 すると彼の背後から同じ声色で、同じ声質で返答があった。彼も同じくキュゥべぇの一人だ。ひょこっと現れた彼は、先に見下ろしていたキュゥべぇの横へと腰を据えると言う。

 

「あの月の魔物が人間の姿を模してまでわざわざこんな土地にやってくるなんて。まったく、上位者はどうかしているよ」

 

 目まぐるしく変わって行く計画に頭を悩ませるだろうキュゥべぇは、しかし感情を持たない。

 

「せっかく魔女を増やして魔法少女達を消耗させようと思ったのに。これじゃあただ彼女達の養分になるだけだ。まどかとの契約も難しくなってしまった」

 

 ぞろぞろと集まるキュゥべぇ達。ビルの屋上を埋め尽くすほどの彼らは、しかし通常の人間には見えない。

 

「でも利用はできる。あの白百合マリアの計画通りにもいかないだろうね」

 

「それでもこちらとしても痛手であることには変わりない」

 

 赤い目の集団が不気味に夜の街を彩る。ワルプルギスが来るまで、あと三日を切っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 単なる偶然だった。たまたまブリテンに上陸し、田舎を経由してロンドンにでも行こうとしていた少女だった。一人夜の田舎道を馬で走っていると、馬車が野党に襲われていたのだ。

 少女は魔法少女だ。しかし私利私欲の為だけには決して生きぬと誓っている。それは友との約束。せめて誇れる生き方をしようと、自分なりの正義に従って生きているだけ。故に少女は馬車を横転させた野党を皆殺しにした。

 少女は正義漢という奴だが、容赦はしない。こと戦いにおいては、一切手を抜かぬと決めている。手をぬけば自らや仲間が窮地に陥ると、過去の経験から得ているのだ。

 

 助けた馬車はどうやら貴族のものらしく、それなりに豪華な装飾が施されていた。護衛の騎士らしきものは奇襲されたのか既に死んでおり、馬車の御者も少女が辿り着く寸前に斬り伏せられていた。生き残りは、中にいる貴族であろう少女だけ。

 

 華奢な貴族らしい少女だった。仕立ての良いえんじ色のドレスが似合う金髪の。少女よりも見た目では少し歳下だろうか。

 中から助けてやると、彼女は怯えた様子で少女に助けを縋った。一人ぼっちはいやだと。

 

 もちろん正義感ある少女もこのまま放っておくことはしない。それに、こうして同じくらいの見た目の少女と話すのはなんだか久しぶりだったから悪い気はしなかった。

 

 これも運命なのだろうと。少女は貴族の娘を彼女の目的地まで届けてやることにした。雪の降る季節、貴族の娘が女王になる前の遥か前の事だ。

 





 おっさんの姿はジョエルさんを想像してもらえれば。最近ハマってますので。
 こういうのが嫌な方もいらっしゃると思いますが我慢して(届かぬ思い)


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感想を…感想を寄越せ(感想に渇いた獣)


 

 

 一人、ルドウイークは崩れた教会の中でただ瞑想にふける。考えるはやはり彼の師である導きと、教え子である美樹さやか。そしてあの狩人の事だ。

 ここ最近、美樹さやかの精神状態は非常に良いものとなりつつある。それはやはり、志筑仁美という少女が自らの獣を愛によって克服し尚且つ佐倉杏子というある程度信頼できる仲間と出会ったからだろう。かつて月光の狂気に呑まれかけていた時とは程遠い、良い啓蒙を用いながらも狩りに出向くその姿はかつてのルドウイークとも共通していた。

 きっとさやかはこれからも困難を乗り越え、良い狩人となるであろう。

 

 だがそうなると彼の師である導きが気になってしまう。導きは一度、さやかを狂気に触れさせたのだから。

 かつての導きの月光とは、まさしくルドウイークにとっての導きであった。迷える時、彼の道筋に光の糸が見える。そうしてその光を辿り、彼は狩を成し遂げてきたのだから。

 そしてその光の糸はまた、狩人の悪夢へと誘い秘密を守る仲間であった時計塔のマリアへと彼を導き。彼女の口から語られた、信じていた医療教会の汚点と師の正体によって醜い獣へと堕ちた。

 獣へと変異した直接的な原因は違えどその真実に誘導したのは導きの月光だ。客観的に見ればルドウイークは裏切られたのだろうし、だが彼からしてみれば師である月光の行いはそれすらも導きの一つであったと思うのだろう。

 

 真実とは所詮、酷く歪なものなのだ。受け取り手によって容易にその姿は変わるのだから。

 だからこそ、美樹さやかという少女には自らのように絶望して欲しくは無い。自らがいずれ魔女になるという事実を知ってもなお自らの獣性を振り払える彼女に、ルドウイークは心配をしているのだ。もはや彼女に与えた影響は大きいのだから。

 

 百合の狩人。そして月の香りの狩人であるあの上位者にも関心が向けられる。はっきり言って、彼女は美樹さやかには良い影響は与えないだろう。

 ルドウイークが考えるに、彼女が成そうとしている事は悪では無い。彼女が魔女に堕ちた少女のためを想っている事は分かるし、結果的にそれが自身のためになると考えれば実に上位者らしくもある。だが悲しい事に、少女達からすればその行動はいつかお前達の魂を頂くぞと言っているようなものだ。

 

 自らが理性なき獣に堕ち、その先に待つ恐怖を知らぬが故。少女とは無垢なものだ。そんな恐怖を抱いてよい程少女は強くできていない。あの狩人はまさに救いなのだろう。彼が獣へと堕ちたまさにその時に、彼女がいればどれほど救われただろうか。

 さやかを通して、彼にふさわしい居場所すらも与えてくれると。ルドウイークという報われなかった英雄にとってそれは救済なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 残り三日。ワルプルギスの夜は、街を破壊し尽くすだろう。私はただ狩りを成せば良い。そしてその血の遺志を奪えば良い。それだけだ。なのに。

 

 マミと登校する最中。私の頭は父である上位者からの警告の事で頭が一杯だった。ワルプルギスの夜でもなく、キュゥべぇという種族でも無い。ただ無垢で健気な少女である鹿目まどかに気を付けろと。その事で。

 何度も言うが、まどかの魔法少女としての素質は素晴らしいものがある。インキュベーターが手段を問わず纏わり付くのも納得はする。魔力というものが感じられない私ですら、あの因果の塊を覗けばたちまちに脳が啓蒙されすぎて発狂するだろう。上位者が発狂するという事は即ち、もはや世界の理を超越しているのだ。それは分かっている。前に彼女の奇跡とやらにも当てられたし。

 

 だが今の所彼女が契約する理由は無く。ほむらが何度も繰り返した世界とは違い、彼女に直接的な悲劇は降りかかっていない。マミは死なず、さやかは恋に敗れて魔女とならず、杏子も道連れになっていない。織莉子達も彼女を守らんとしている。これ以上無いほど上手くいっているのでは無いかね?

 にも関わらず、月の魔物は私に警告する。鹿目まどかに気をつけろと。

 

「……どうしたの?考え事しているようだけど」

 

 ふと、マミが少しばかり心配そうに言葉をかけてきた。うむ、と私は頷くと。

 

「父とはまったく、娘に嫌われるものだ」

 

「え?」

 

「気にしないでくれ」

 

 彼女が気にしても仕方が無い。これはある種の親子問題だ。いや、問題にすらならぬ。月の魔物は過保護だ、あれだけヤーナムにおいて私に狩りをさせておいて、牙を向けておきながらいざ私が赤子となれば不器用ながらも凄まじい愛を向けてくるのだから。いくら赤子を欲していたとは言えまったく理解できん。

 

 そうして通学路の美しい並樹のある道を愛人と歩いていると。さやかと仁美、そしてまどかが私達を待っていた。これは珍しい事もあるものだ。最近はすっかり嫌われてしまっていたのだから。

 だがどうも……単に私達と登校したいようには感じられぬ。啓蒙を用いずにもそれだけは容易に分かってしまった。ならば何用か。

 

「やぁ、三人とも。ほむらはいないようだね」

 

 それにキュゥべぇも。これは珍しい。キュゥべぇなど、呼んでもいないのにいつもまどかのそばにいただろうから。

 私が挨拶すれば、マミもそれに倣った。そしてぎこちない様子でさやか達も礼儀を通す。だがなんだこの不快感は。いくら少女に蔑ろにされても気にも留めないのに……この時ばかりはどうにも気に入らない。

 

「何かあったのかな?」

 

 私はいつもの笑みで彼女達に問う。すると少しばかり彼女達は互いの顔を見つめあって、さやかが口を開いた。

 

「実はね、その……あんたに会いたいって人がいて」

 

「会いたい人?」

 

 見当もつかなかった。私はこちらの世界に来てから日が浅い。知り合いも数少ない。何だろうか、告白か?男なら断り、少女であれば受け入れるのみだが。それはそれでマミが嫉妬する。

 そんな事を考えていると、さやかが並樹の方へ向いて声をかける。

 

「あの、来ましたよ」

 

 啓蒙が、私に警鐘を鳴らした。何か嫌な事が起きると。虫の知らせでは無い、啓蒙が知らせる何かは絶対だ。特に私の脳に居座る瞳とは、そういうものだ。

 

 誰かが、並樹の後ろから出てくる。まるで隠れていたように。

 

 

 

 髭のある男。それなりに歳の。見たことのない姿。

 

 それでも私には分かる。姿など関係が無い。その溢れ出る月の香り。それはまさしく。

 

 

「……なぜここにいる」

 

 

 私は宇宙を宿した瞳をその男に向けた。男は少し躊躇ったような、どうすれば良いか分からないように言葉を詰まらせながら何とか声を出す。

 

「その、ンン……久しぶりだな、リリィ」

 

 私の父。厳密に言えば、上位者としての祖である青ざめた血が、人の姿に扮してそこにいた。同時に私は精霊を握りしめ、父親に向けて勢い良く突き出した。

 刹那、エーブリエタースの先触れが腕から現出して月の魔物へと向かっていく。

 

「ちょっとアンタ!」

 

 さやかが聖剣だけを出現させて触手を切り払い、その男を守るように立ち塞がった。神秘には神秘を。上位者の一部である触手は、上位者の啓智である月光によって容易に切り捨てられるものだ。

 

「出会い頭に父親に攻撃する奴がいる!?」

 

「退くんださやか、そいつは君が思っているような奴じゃ無い」

 

「で、でもお父さんなんでしょ?ダメだよマリアちゃん!」

 

 私の肩をまどかが押さえる。マミは状況が理解できていないらしく、お父様!?あ、挨拶しなきゃと慌てている。

 と、臨戦態勢に入っているさやかの肩を月の魔物が叩いた。

 

「いや、良いんだ。君は下がってて良い」

 

 そう言うと、月の魔物はさやかを優しく退かせる。私はいつでも落葉を現出させられるようにしながら、彼の動向を伺った。腐っても上位者だ、きっと人間の姿を取っていてもそれなりの事はできるだろうから。

 月の魔物は両手を広げると、言葉を詰まらせながら何とか口を開いた。

 

「その……なんだ。別に戦いに来たわけじゃ無い。それに……あぁ、ほら。この姿じゃ父さんは人間と変わらないし、神秘だってほら。使えないだろ?お前じゃないんだ」

 

 まるで反抗期の娘にどう接したら良いか分からぬ父親だった。私は呆れたように首を横に振って、

 

「なら帰って下さい。貴方と話す事はありませんから」

 

 そう言ってまだ挨拶の文言を考えて浮かれたマミの手を引いて歩き出す。

 

「ちょっとマリアさん!?お父様に挨拶を……」

 

「必要無い」

 

 ピシャリと会話を打ち切って歩き出す。

 

「リリィ!ああクソ……おいリリィ!」

 

 追いかけてくる父親に、私は言い放った。

 

「その名前で呼ぶのはやめて!私は白百合マリア!」

 

「ああそうか……ってマリア?おい、やめとけ、またあの狩人を怒らせるぞ」

 

「別に貴方には関係ないでしょう!」

 

 そう言って私はマミを抱えて走り去る。挨拶ができず文句を垂れそうなマミもお嬢様抱っこされて満更でもなさそうだった。

 走り去る私の背中を、月の魔物はただ見ているしかなかった。落胆したように肩を落とす彼に、まどかは恐る恐る声をかける。

 

「あの……」

 

「……ああ、すまない。娘とはいつもこうでな。君達もわざわざすまなかった」

 

 そう言うと、父親はその場を去ろうとする。だがまどかは、そんな彼をただ放っておけるほど薄情でも無く。

 

「あの!マリアちゃん、あんな感じですけど……ちゃんと話してあげた方が良いと思います」

 

 男は止まる。そして言葉を返す事も無く、去るのみ。

 幸せな家庭で育ったまどかには、その姿が心に突き刺さった。事情は分からないし、どういう家庭環境かも分からないが。それでもこのままで良い訳がないと思いながらも。それ以上の言葉は持ち合わせない。

 これは本人達の問題だ。それ以上でも、それ以下でもない。他人が入り込む余地は無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女はしばらく、その貴族の娘と旅をした。流石にあのドレスは目立つので服を貸し与え、馬に乗り、発展した大英帝国を自らの瞳で確認した。

 時に波止場に寄り、農村に寄り、栄えた町に寄ったりもした。どこへ行っても二人の美貌は男を引き寄せるらしく、トラブルは絶えなかったが。それでも貴族の娘には新鮮だったらしい。そんな些細な事も彼女は喜んでいた。

 少女もまた、久しぶりの同伴者という事で退屈しなかった。一人で旅をして長い彼女は、久方振りにこんなに話せて。人として大切な何かを取り戻しつつあったのかもしれない。

 

 問題があるとすれば、それは貴族の娘を狙う何者かの襲撃が定期的にあるくらいか。身をやつした者達が、その身の丈に合わぬ武装と力量で全力で殺しに来るのだ。よくよく考えれば、貴族の娘を拾った時に対峙した盗賊連中も同じような者だった。

 これは面倒な事に巻き込まれたかも知れぬと思いながらも、それでも些細な事で喜ぶ娘の笑顔を見ては後悔の念も薄れるものだ。細かい事情は聞かぬし、話したくも無いようだったので詮索はしない。少女はただ、降りかかる火の粉を払えばそれで良いのだ。

 

 今もまた、道を塞ぐように敵が立っているでは無いか。ならば剣を取り、正義の魔法少女として願いの結晶である武具を振るうだけなのだから。

 

 少女は娘と旅をする。僅かに芽生えつつある恋を抱きながら、それを表さずに。

 



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親と子

 

 

 

 青ざめた血。またの名を月の魔物。それは只人が彼を呼ぶために勝手に名付けたものに過ぎない。上位者という人知を遥かに超えた存在である彼らにとって、名とは重要では無いのだろう。形に囚われ思考を放棄するよりもすべき事は沢山ある。そうしてウィレーム先生は思考のみで人を超えたのだから。

 それでも無いよりはマシだとは思うが。だってアメンドーズや星の娘のことをあれとかこれとか表現するのは彼らにとって失礼に値するだろうし、何よりも分かりづらい。上位者で一括りにしてしまっては、それこそ思考の放棄に他ならないだろう。

 

 そんな娘に翻弄される月の魔物は、一人学校に忍び込んで屋上にて黄昏る。月の魔物という名が示す通り、彼は夜に生きる種族なのだろう。この晴天は似合わない。

 彼はボロボロのリュックサックをベンチに下ろすと、リュックのポケットから一枚の紙切れを取り出した。それは彼の、本来の顔の似顔絵だった。随分と昔に貰ったであろうそれは、幼年期の娘が描いたものだ。まだ仲が良かった頃の。

 それを懐かしむように彼は見つめる。今となっては仲の良かった娘は反抗期真っ只中。永らく上位者の赤子というものが存在しなかった彼らにとって、上位者にも反抗期があるのかと話題になったほどだ。

 

 

「やぁ。まさか君ほどの存在がこちらの世界にやってくるとはね」

 

 

 少女のようで、少年のような声が背後からかけられる。月の魔物は胸ポケットに紙切れを仕舞い込むと、ゆっくりと振り返って声の主を睨んだ。

 

「インキュベーター」

 

「おや、まさか僕を覚えていたとはね。もっとも、その名前も人類が勝手につけた名前だ。そこに意味は無いよ」

 

 ひょこひょことこちらへと歩いてくるキュゥべぇ。姿は一体のみだが、彼らは独自のネットワークで各個体の情報を統括している。即ちそれは、月の魔物がこの世界に降り立っていると知られている他ない。

 月の魔物は特に何をすることなくキュゥべぇの接近を許した。そもそも、娘に言ったように今の彼には攻撃の手段など無い。人間の姿を模す事は上位者にとっては容易だが、本来そのままでもその溢れんばかりの神秘を扱うことなど容易いはずだった。それでも彼が自らに枷をかけているのはやはり、娘に敵意がないと示すためだろうか。

 可愛い娘に嫌われたい親などいない。

 

「よくも俺の前に姿を出せるな」

 

「怒っているのかい?君達らしくないね。それに、僕は彼女には何もしていないよ。白百合マリア……あぁ、リリィだったかな。彼女と会ったのも最近さ」

 

 即座に月の魔物はキュゥべぇを踏み潰す。ぐちゃりと白いタンパク質の塊が彼の足元に広がった。

 

「そんな行為に意味がない事は君も分かっているだろう?」

 

「あの子の名前を気安く呼ぶんじゃない」

 

 新たなキュゥべぇがやって来る。月の魔物が言えた事ではないが、相変わらず不気味な奴だ。

 

「随分と彼女を気にかけているんだね。まぁ当然だろう、彼女は君達が待ち望んだ赤子だからね」

 

「鹿目まどかから手を引け」

 

 単刀直入に月の魔物は言う。

 

「それはできない。まどかの素質は本物だ。彼女の因果をすべて回収できれば宇宙のエネルギー問題は解決されるんだ。君達の世界の宇宙にすらその影響は及ぼされるだろうね。悪い話じゃないだろう?赤子のためだけに街一つ壊滅させられる君なら、僕たちの行いも理解してくれると思っているんだけどな」

 

「お前、何もわかってないのか」

 

 呆れたように、されど怒り問いかける。

 

「確かに彼女が魔女となれば……最悪の魔女と化して地球上の生き物は朽ち果てるだろうね。でもそれは必要な犠牲だ。それに君の娘は狩人で上位者だろう?なら恐れる事はないさ、上手くいけばまどかすらも狩れるに違いない」

 

 そうではないと、月の魔物は首を横に振る。そして彼ら白き使徒を嘲笑した。

 

「上位者なのに、瞳を失った理由が分かったよ。お前も低俗な人間となんら変わりないな」

 

「心外だな。君達こそ、無駄な思考ばかり求めて何もしない。僕達には感情はないけれど、母なる宇宙のために身を捨ててまでこうして貢献しているのに」

 

 まぁいいや、と。キュゥべぇは背中を見せる。

 

「お互い干渉するのはやめないか。上位者同士の争いなんて何の利益も産まないからね。僕達としても君とやりあうつもりなんて無いんだよ。じゃあね、月の魔物。もう二度と会わないことを祈るよ」

 

「ああ。二度とその面を見せるな」

 

 そうしてキュゥべぇは消えていく。後に残されたのは月の魔物だけ。しばらくするとチャイムが鳴り響いた。昼休みを知らせるものだ。学校などに通わずとも、それくらい分かる。

 そして、屋上で食事を摂る人間など限られている。それは言うまでもなく彼の娘とその仲間達なのだ。

 

 

 

 朝から例の一件で不機嫌な私を、マミは昼食に誘った。どうやらさやか達も私の機嫌の悪さを気にしていたらしく、あれだけ険悪だったさやかから食事を共にしようとの誘いがあったのだ。

 平時であれば喜んで少女達からの誘いは受けるのだが、今日ばかりはそんな事すらできないほどに虫の居所が悪い。そっけない態度をとってしまった事で自己嫌悪に陥っていた。どれもあの父親ぶった上位者のせいだ。

 さやかやまどかは月の魔物についての話題には触れなかった。ただどこか私に配慮したように、会話がぎこちない。普段通りなのは何も知らないほむらだけだろう。

 

 そうして屋上への階段を上り、扉を開ける……と同時に、さやか達が言葉を止めた。私は俯いていたせいでその理由が分からず、思わず前を向く。

 

 

 

 

「ああ、リリ……マリア」

 

 

 

 

 私が不機嫌になっていた理由がそこにいた。ベンチに腰掛け、いつか見たリュックを背負っている父親が。私は即座に踵を返すと立ち去ろうとする。

 

「待って、マリアちゃん」

 

 そんな私を、まどかが引き留めた。手首を掴む華奢な腕は、少しばかり震えている。臆病な子だ、こんな親子問題で震えるなどと。でも同時に勇敢でもある。

 

「ちゃんと話してあげて」

 

 何も知らないくせに、とは言えなかった。私はそのまま足を止め、しばらく停止する。友達の意思とは言えあの父親と話す気など無いのも確かだった。

 まどかを援護したのはやはりさやかだ。彼女は半ば敵である私に声をかける。

 

「お父さん、あんたを探して魔女に襲われてたんだよ。そうまでして仲直りしたいんじゃない?」

 

 ため息を漏らす。仲直り。聞こえは良いが、そういう間柄でもない。私達は上位者で、狩る者と狩られる者だ。

 確かに血は繋がっている。月の魔物との戦いにおいて、強制的に血を流された私は彼の血を、自らのもの全てと置き換えるほどに取り込んだのだから。でもそれだけ。上位者になったのは三本目の三本目、そして自らに芽生えた瞳のおかげだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 

 だが。

 

「分かったよ。手を、離してくれないか」

 

 渋々、私は頷いた。手を離され、私は重い足取りで待ち受ける青ざめた血へと向かう。

 彼も彼で、何と声をかけて良いのか分からないようだ。ぎこちない動きで、挨拶のように腕を上げた。

 

「ああ、なんだ、マリア。その……ちょっと話せるか」

 

 私はしばらく黙って、

 

「良いでしょう」

 

 とだけ。そうして二人、ベンチに腰掛ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走る。疲れなど知らぬ、だがひたすらに夜の路地を走る。貴族の娘を胸に抱え、追手から逃れるために。少女の姿はいつもの外套と異国の服ではない。簡素な、運動性に優れるドレスとマント。そして空いた腕には秘匿していた緋色の弩が取り付けられている。

 魔法少女の姿。魔女狩りという迫害を逃れるために隠していた姿。人間ではない魔法少女としては、こちらが本来のものなのだろう。とにかく少女は走る。

 

 目的の地、貴族の娘が住む土地へは後少しだった。もう一週間ほど馬で行けば辿り着くはずだった。この街へは、その過程で寄ったに過ぎなかった。

 宿で寝込みを襲われた。たまたま、本当にたまたま。食糧を買って戻った時だった。部屋に戻ると、斬られた娘と、斬った本人がそこにいたのだ。

 

 怒りというものを久しぶりに思い出した。娘のために買った好物の苺ジャムの瓶ごと物を落とし、気がつけば追手をバラバラに引き裂いていた。それだけならまだ良い。魔法を用いれば治せない傷ではなかったから。

 そうはさせてくれないのが世の常。追手の仲間達が次々と現れては、剣や車輪を向けてきた。守りながら戦えるほど、今回の追手は柔ではなかったのだ。

 膂力は人を超え、扱う武具は明らかに人に対して用いるものではない。より大きな脅威に対して。それを殺すためのものだと、直感した。

 剣を折られ、思わず魔法少女へと変身して殺し尽くした。それでもまだ追手は尽きない。娘を抱えて逃げることに徹するしかなかった。

 

 無数の流星が迫る。小さな、しかし人を殺すなど容易にできるそれは魔法少女相手でも脅威でしかない。追手は異常だ。そんな魔術のような攻撃を、全員がしてくるのだ。

 

 魔術など、魔法少女の専売特許ではなかったのか。自らを魔法少女にした白い悪魔を恨む。彼らはそう言っていたではないか。

 

 流星の数々を避けると、真上から気配がした。少女は娘を傍に抱えたまま弩を構えると、飛び掛かる白装束の追手を射抜く。

 一発、二発、三発。胸に突き刺さっているはずなのに、追手は中々死なぬ。常軌を逸した耐久性だ。四発目で脳天を魔力の矢が貫き、追手は事切れた。

 少女は降ってきた追手を避けるとまた走り出す。こいつらは中々死なないだけではなく、異常なほどに回復力がある。瀕死になったと思いきや、自らに何かを打ち込んで元通り。そんな事、癒しの魔法少女でもない限りできはしない。

 ならば魔法少女ですらない。彼らは皆男だ。男が魔法少女などと、それは少女ですらないじゃないか。

 

 少女は逃げる。意識の無い娘を抱えて。向かう古都までの道のりはまだ遠かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「元気そうだな」

 

 第一声がそれだった。ご機嫌を伺っているようなその言葉に、素っ気なく返す。

 

「いつも通りです」

 

 ああ、そうだな。父は頷いて私を見ようとしない。いや見れないのだろう。彼からすれば、合わす顔が無いと言った感じだろうし。ちなみにまどかやマミ達は離れた場所で昼食を取っている。気を遣ってくれるのはありがたいが、今だけは一緒にいて欲しかった。

 月の魔物はしばらく黙ると、話題を放り出す。

 

「良い友達だな」

 

「ええ。貴方が恐れている少女もいます。皆、優れた思考を持つ少女です」

 

 父がまどかをチラリと見た。そして頷く。きっと因果を感じたのだろう。私は少しばかり意地悪になっていた。

 

「ヤーナムで貴方が狂わせた者達も私の友でした」

 

 そう言えば、やはり気まずいのだろう。言葉を失って父は俯いた。

 

「アリアンナはカインハーストから逃れてきた娼婦でしたが、とても親切だった。自分を卑下していたけれど、狩に疲れた私を癒してくれた。ええ、あのカインハーストです。貴方の計画で赤子を産ませようとしていたね」

 

 下水道で発狂した彼女を思い出す。望まぬ子を産み、最期は私が手を下した。

 

「盲目の男はその身の醜さとは裏腹に、最後まで人のためを思っていた。全てが終わったら友になろうと約束もしました」

 

 皆が狂ったのを自らのせいにして、発狂した男を思い出す。いくら無意識下でオドンに唆されていたとしても、その優しさは偽物ではなかったはずだ。それを分かっていたから私も約束した。

 

「神父の娘は教会にすら辿り着けなかった。豚に食われ、これだけしか残らない」

 

 血塗れの、あの神父の娘のリボンを取り出す。顔すらも見たことはない。それでもあんな無垢な少女、私が気にかけないはずがないのだ。死んで良い子ではなかった。父が狂わなければ。母が獣に襲われなければ。

 リボンを握る手の力が増す。

 

「全員、狩人として守るべき人達でした。でも、貴方が狂わせた。幼年期の私では知る由もなかったが……オドンが貴方である事を知った今では、恨まずにはいられない」

 

 姿なきオドン。姿が無いのは当たり前だ、なぜなら本体の上位者は狩人の夢、そこに浮かぶ月にいたのだから。

 

「貴方は私が完全な赤子となるまで何度も繰り返させた。今となっては、不完全なままその輪廻を断ち切りましたが」

 

 瞳が開く。私が上位者になってもなお繰り返していたのは、その身を完全なものにするためだった。そしてそれを仕組んだのは他ならぬ月の魔物。

 父はただ私の非難を受け入れていた。そしてボソッとした声で、呟く。

 

「俺は、ずっとお前を待ち望んでいた」

 

 紡ぎ出すように父は声を鳴らした。相変わらず私の顔は見れないまま、眼前に広がるグラウンドを見下ろしながら。

 

「最初は種族のためだった。瞳を授けたゴースが悪夢で死に、生まれたのはあまりにも不完全なその遺子のみで……トゥメルやカインハーストを利用して赤子を生み出そうともしたが、それも無駄に終わった。そんな中で、お前だけがあの悪夢で赤子になれたんだ」

 

 ヤーナムでの記憶を思い返す。きっと過去の私は、赤子になりたくて青ざめた血を求めたのでは無いのだろう。過去の記憶を失った今となってはもう、知る由もないが。それだけは魂に刻まれていた。

 この、左手の指輪とともに。

 

「お前がゲールマンを倒し、あの夢で初めて対峙した時……俺は嬉しかったんだ。こんなにも強い意思と瞳で、俺に立ち向かって上位者を目指してくれたんだってな。そんなお前が幼年期を迎えて、俺の娘になった時に……そうだな、人間の親の気持ちが分かった気がした。同時に、俺がヤーナムでやって来た事の罪深さも啓蒙されたんだ。笑えるよな。いくら啓智を持っていても、俺はそんな当たり前の事にも気がつけないなんてな」

 

 父は自嘲気味に笑った。そうだった、この人は上位者でありながらも変わり者だった。

 

「でもな、マリア……いやリリィ」

 

 少しばかりの狂気が父の言葉に混ざる。それは上位者由来の啓智に満ちたものではない。どちらかと言えば獣性を感じるような、人間らしいものだった。

 

「だからお前の事が心配なんだ。父親として、青ざめた血を持つ者としてな」

 

 私は立ち上がった。もうこれ以上父の言葉を聞いていたくない。きっと次には私の計画を否定するだろうから。

 だから、父が私の予想を裏切った事が信じられなかった。彼は私の顔をチラリと見上げて言うのだ。

 

 

「お前は、お前のやりたい事をやれ。それが親である俺が言える事だよ」

 

 

 私は目を丸くして、脳の瞳を駆使して彼の言葉に裏が無いかまでも確認してしまう。ヤーナムをあんな風にした奴が言うことではなかった。これではまるで、私はただ反抗期で何に対しても父に反発する愚かな娘みたいじゃないか。

 

「お父様……」

 

「だがな」

 

 語気を強め、父は忠告する。

 

「お前が危なくなったら、俺は躊躇わないぞ。嫌われてもいい、お前を助ける」

 

 強い意思を感じた。その眼差しが、私の心を掴む。啓智とも違う何か魅了されるようなものだ。きっとそれは父性なのだろう。親の愛情をほとんど知らぬ私にすら分かるほどの父性で、父は娘に宣言した。

 私は父の目を見据え、表情を硬くして告げる。

 

「そうならないように努めます。これは私の為すべき事なのですから」

 

 それだけ言うと、私は彼に背中を向けて友の方へと歩き出す。そして立ち止まると、振り返らずに言った。

 

「貴方の父親らしい部分、初めて見ました」

 

 それを聞くと、父は鼻で無理に笑った。

 

「俺も言うのは初めてだ」

 

「……これが終わったら、一緒に夢でお茶会でもしましょう。私達はまだ、親子らしい会話もできていませんから」

 

 言うだけ言って、私は今度こそ父のもとを去った。彼は少しだけ驚いた表情で私を見ると笑ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 狩人の夢。本来月の魔物に魅入られた狩人が狩りの拠点とするこの異次元だが、最近は客人が多いようだ。

 最も客とは人ならざる者たちが大多数だが。純粋な人間と呼べる者は、そもそもここにやって来れない。血の医療を受け、その身に上位者の血を受ける者のみがやって来れるその場所は、今は月の香りの狩人の所有物だ。

 そんな場所の薔薇園にて、明るい月を浴びながらお茶をする者たちが居る。それは客人である二人の麗しい女性。星の娘と乳母だった。

 

 彼女達はこのみが運んできた紅茶とスコーンを口にすると、しばし無言で過ごす。きっと無言ではないのだろう。互いの啓蒙が、言葉を交わさずとも読み合い、情報を交換している。上位者とはあまり口を開かぬものだ。カレル文字という至極少ない文字を見ればそれは理解できる。あれが全てではないが、あまりにも不便だろう。

 

「青ざめた血と彼女は……概ね和解したようね」

 

 煌く翠の瞳を覗かせながらエーブリエタースは口にした。乳母は微笑みながら頷く。

 

「親子ですもの。どちらも頑固ですが、やはり似た者同士という事ですわ」

 

「ふん……やはり元が人間だと、互いにやり辛いでしょうね」

 

「片や火の時代からの異端、片や狩人……すれ違う部分はあれど、それが人間ならば自然な事です」

 

 いつも通りむすっとした表情で星の娘は鼻で笑う。

 

「やっぱり人間って馬鹿だわ」

 

「でも、そんな人間に惹かれたのでしょう?」

 

「私が好ましいのはリリィだけ。それ以外は興味すらも湧かない……特に聖歌隊は、姿形を真似るだけだもの。そんな輩に瞳は授けられないわ」

 

「あの学び舎の長も嘆く事でしょう」

 

 上位者トークはここで打ち切られる。そもそも、声に出して会話をするなど実に人間らしい行為だ。およそ上位者らしくない。

 けれど、そんな啓智に溢れた上位者だからこそだろうか。獣性を宿し理性に欠けた人間を羨ましく思うこともあるのだろう。きっとエブたんは私のそういうところに惹かれたに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鹿目まどかは、優しい少女だ。きっと好ましく思っていないであろう私に対しても、ああやって父との和解を仲介してくれたのだから……織莉子が言うように聖女と言っても過言ではない。

 好み的にも、ああいった小動物系の少女は大好きだ。ほむらがゾッコンになる理由も分かる気がする。マミに聞かれたら危ないが。

 そんなまどかだが、今日の下校は一人だった。友達である魔法少女達は三日後に迫る戦いのために魔女から得られるグリーフシードを集めているのだと。一人、辛い運命から脱却されているまどかは疎外感を感じることもあるだろう。しかし彼女は心折れぬ。友が戦い、彼女達のために平和を守るのであれば。まどかは我儘を言わず、その平和を受け入れるのだ。そう、納得した。辛い過去も無い、命に換えても叶えたい願いもない。ならば、魔法少女になるべきでないと皆に諭されて。

 まどかは幼いながらも、自らの理性と知性、そして優しさで自らを啓蒙している。そしてそうする事で、彼女達が安心できることも知っているのだ。

 

「あれ……」

 

 ふと、自宅の前に誰かがいる。目を凝らせば、それが友である白百合マリアの父である事が分かった。まどかは声をかけるべきか悩み、少々俯く彼にようやく言葉を投げかけた。

 

「あの、こんにちは」

 

 そう挨拶をすれば、友の父はまどかを見る。厳し目の顔付きを少し柔らかくさせて。

 

「ああ、こんにちは。その、昼間はどうもありがとう」

 

「いえ……あんなに悩んでるマリアちゃん、初めて見ましたから……」

 

 しばらく沈黙が人見知りの二人を包む。その沈黙を破ったのは、友の父だった。

 

「今、ちょっといいかな。マリアについて話しておきたくて」

 

 ぎこちなく、まどかを安心させるように話す。まどかは少し悩み、頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほむらの住処はとあるマンションの一室にある。女子中学生が住むには広すぎる空間は、しかし魔法少女軍団がやってくるには少し狭い。

 それにしても簡素な内装だ。お洒落とか可愛いものとか、年相応のインテリアは全くない。まるで事務室のような……必要最低限のものしか置かれていない。溜まっているゴミ袋を除けば、人が住んでいる気配はあまり感じられなかった。

 

「揃ったわね」

 

 ほむらは自宅にやって来た皆の衆を見回す。美樹さやか、佐倉杏子、志筑仁美。そして私にもたれかかる巴マミはもちろんのこと、さやかと仁美の想い他人である上条恭介もいて、私の事を睨んでいる。また、珍しく美国織莉子と呉キリカもいるのだ。これは何事か。

 

「それではワルプルギスの夜についての情報共有を始めるわ」

 

 ほむらの言った通りの事だった。今回集められたのは、ワルプルギスの夜に対する認識の共有と作戦会議だ。狩りの前に情報を与えられるのはありがたい。

 ほむらは部屋の電気を消すと、プロジェクターのスイッチを入れる。同時にスクリーンに見滝原の映像が映った。マミ、暗くなったどさくさに紛れて恥ずかしいところを触るのはよしなさい。コラ、さやかと仁美も恭介と手を繋ぐな。キリカ、君も隙を狙って織莉子に接触しようとしない。

 そんな乙女達の状況を知る由もないほむらは話を進める。

 

「今から三日後に、見滝原にとてつもない規模のスーパーセルがやって来る。ワルプルギスの夜はスーパーセルの発生と同時に現界、見滝原を蹂躙するわ」

 

「そのすーぱーせるって奴は、ワルプルギスの結界みたいなもんなのか?」

 

 杏子が尋ねれば、ほむらは頷く。

 

「正確にはワルプルギスの夜に結界は必要無い、奴はそれほど力が強大だから。スーパーセルはワルプルギスの夜から溢れている魔力の片鱗に過ぎないわ」

 

 さやかが手をあげる。

 

「放っておけば、どれくらいの人が死ぬの?」

 

「見滝原の人口の半分は」

 

「そんな……」

 

 皆が黙ったところでほむらは話を進める。スクリーンを切り替えれば、見滝原の上空写真が現れた。

 

「ワルプルギスの出現ポイントは港沖、そこから時速20キロで街の中心部へと侵攻する。私達がすべきことは、それまでに奴を倒し切る事よ」

 

 なかなかに速い。きっとあっという間に街の中心部へと辿り着くだろう。そして中心部には、避難所として機能する学校がある……なるほど、ワルプルギスの夜の目的は因果が集まるまどかと言うことか。引き寄せられているのだろう。

 ほむらがまたスクリーンを切り替える。そこには古い、ワルプルギスの夜のスケッチが映っている。きっと遥か昔に現れたものだろう。しかしまぁ、上下逆さまとは。

 

「全長は約100メートル。空中に浮かんでいるから道路上の障害は無効化するわ」

 

「100!?イデオンより大きいじゃねぇか!」

 

「ちょっと杏子!イデオンは意外と小さいんだよ!」

 

 さやか、注意するポイントはそこではない。というか、なんだイデオンとは。

 

「目的地は避難所となる学校……?なら、経路上と避難所の人達を逃せば」

 

 仁美が提案をすると、ほむらは首を横にふった。

 

「奴の目的は……大きな因果よ。人々を別の場所に避難させてもワルプルギスは因果を求めて別の場所を襲撃する」

 

「因果って?」

 

 杏子の質問に私が答える。

 

「まどかさ。彼女の因果の大きさは計り知れない」

 

「ならまどかを逃せば……」

 

「それも意味はないわ。まどかを逃せばワルプルギスは人々の因果を求めて、それこそ街中の人々を殺し回る」

 

「獣め……狩り尽くすべきだ」

 

 恭介が唸る。それには同意だ。

 

「ちなみに、その情報はどこから?」

 

 ふと、仁美がほむらに尋ねた。ほむらは少し言葉を詰まらせ、

 

「経験則よ」

 

 と曖昧な言葉を返す。そんな彼女に私は言う。

 

「もう、すべて教えてしまっても良いのではないかね?ほむらよ」

 

 と。するとほむらはあからさまに私を睨んだ。しかしそんな睨むこともないだろう。君がこの戦いの後にどんな事を考えるかは自由だが。それでも私たちは少女で、友達なのだ。秘密は共有すべきだ。でなければ、その甘さによって来た者達を尽く破滅させる。

 秘密とは、そういうものだろう?

 

「……ほむらが何を抱えているのか、私には分からない」

 

 さやかが口を開く。その瞳には、月光の如き光が宿っている。ほう、たまには役に立つではないか。

 

「でも、私はほむらともう友達なんだよ。だから助けたいとも思ってる。そのために死ぬ事だって覚悟しているつもりだよ。だからほむら、あんたからも歩み寄ってほしい」

 

 知的な誘いだった。ほむらは悩む。悩んで、ようやく。

 

「まどかには。あの子には言わないで。それを約束出来るなら、いいわ」

 

 そうしてほむらは、彼女達に自らの秘密を語る。それで良い。壁を作る必要は無いのだ。君は狩人では無い。魔法少女で、未来ある乙女なのだから。

 乙女とは、友と語り合い、共有するものだろう。そうあるべきだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 血の医療。逃げ延びた先で貴族の娘から語られた、そんな眉唾物の話は長らく生きて来た少女ですら知らぬものだった。

 少女は追手を撒いた後、娘を魔法で治癒しようとして止められた。代わりに娘が持つ輸血液を体内に取り入れれば傷など治るのだと教えられて。

 半信半疑で渡された血を輸血すれば、たちまちに傷は治り、その話を聞かされた。曰く、この話は秘匿すべきものだったらしい。

 

 そして娘は語るのだ。彼女の住む地域には、まだ世には知られぬ医療があり、それは万病を治すものなのだと。少女はにわかには信じられなかった。しかし目の前でその奇跡にも魔法にも似た術を使われた事も確か。少女はこの秘密を守る事を約束し、また旅を続ける。

 

 この身に流れた穢れた呪いもまた病であるならば。少女は旅をしながら考える。だがこの呪いは病と呼ぶには悍ましすぎる。奇跡の対価として生まれたこの呪いは、そんな医療で治るはずも無し。

 煮え切らぬ思いを抱き、それでも少女は娘と旅をする。あと数日の旅だ。もし、本当に。何でも治すようなものであるならば。

 

 最後の最後に、その医療をあてにしようではないか。少女にはまだまだ時間はあるのだから。

 




あくまで上位者の設定は個人的な解釈です。ていうか完璧な考察なんてフロムゲーじゃできるわけないってそれ一


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Lazarus
星の訪れ


 

 

 

 

 

 

 ━━それは私じゃないよ。私は世界を売った子なの。

 

 

 

 

 

 

 

 私とあの子はお互いに笑って握手をしたの。こんなに触れたったのはいつ振りだったかしら。それすらも思い出すのに苦労する。長い間、何度も必死に動いて来たから正確な時間なんてもうわからないのよ。

 それから一日を終えてマンションに帰ったのかしら。思えば私はあれ以来ずっと探していたのかもね。本来あるべき姿や、居場所とか。それこそ同じくらい長い年月をかけてね。

 

 この街で、この世界で。私はずっと見ていたわ。大勢の魔法少女達の誕生と終わりをね。

 

 ねぇ、やっぱり私達はお互い孤独に死ぬべきだったのよ。

 もっともっと、貴女があんなになってしまう遥か前にね。

 

 

 

 

 ━━いや、かな。私は……私は自分を見失ってないし。だって貴女の前にいるのはさ。

 

 

 

 

 世界を売った子なんだよ?

 

 

 

 デヴィッド・ボウイ、世界を売った男より。魔法少女まどか☆マギカに合わせて翻訳。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 願いとは、呪いのようなものだ。

 

 かつてビルゲンワースから派生した医療教会は、人を超える者を目指し悪夢に呪われた。その願いの成就の過程には血が流れ、そしてあの漁村は永遠に血に酔いし者達を掴んで離さないだろう。

 結果的に医療教会の願いは頓挫したが。主導したローレンスは最悪の獣と化し、人々と医療教会の為に戦った英雄ルドウイークですらも地に堕ちた。やはり行き過ぎた願いとは呪いなのだろう。何事も、適度であるべきだと啓蒙が囁く。

 

 だから、ほむらの本当の願いもまた。身の丈に合わぬものなのだろうか。最高の友達である鹿目まどかを救うために、時を繰り返し。

 その度に本当の願いは叶わず、まどかの死をその目で何度も何度も何度も、見て来たのだ。それはか弱い少女であった暁美ほむらを変えてしまった。他人を信用せず、重ねた精神の年齢のせいで物事を悲観的に、現実的に捉え過ぎ。

 

 いつしか彼女の友を救う為の行動は、それ以外のものを省みず、また作業化していったのだ。

 

 

 

 

 涙を浮かべて耐えるほむらの過去を、私達は黙って耳にしていた。各々の考えはあるだろう。マミなど涙が堪えきれずに私のスカーフで拭いているくらいだし、仁美もさやかも混乱しているように見えた。終始私を睨んでいた恭介でさえも動揺しているのだろうか。杏子はやはり、彼女にも辛い過去があるためか同情の念を感じる。

 織莉子はその経緯も予知を通して啓蒙していたようで特に驚いてはいなかったが……それでも、今の今までほむらが背負って来た呪いの重さに心を痛めているようだった。元来彼女は優しいものだ。キリカは……まぁ、興味がないようで、心を痛めている織莉子に慌てている。

 

 だが、わかるよ。時を繰り返すという行為の残酷さはね。何をしても無駄と化し、最初から。以前の記憶があるのは自分だけ……となれば、発狂もしたくなるだろう。ほむらが発狂しなかったのは、一重にまどかとの約束があったからに違いない。

 

 ━━騙される前のバカな私を、助けてあげてくれないかな。

 

 ふと啓蒙が、遺志を拾う。それは血の遺志にすらならぬようなものだが。いつしたかも分からぬ約束が、こうしてほむらに纏わりついているのだ。これは最早呪いだろう。

 呪いという力だけ見れば、私も利用はしている。例えば血晶石。私が落葉とノコギリ鉈、そしてエヴェリンに組み込んでいるものは最高峰の呪いが付与された強力なものだ。その呪いを利用し、デメリットはあるが戦いに用いているのだ。手に入れるのは途轍も無く苦労したが……トゥメルのデブ共め。

 

「辛かったね、ほむら」

 

 さやかが声をかける。深く慈愛を持って、そして月光の光を感じさせて。

 ほむらは涙を堪え、首を横に振る。

 

「いいえ。それがまどかのためになるなら、辛い事なんて無い」

 

 まさしく、彼女は鹿目まどかという少女の信奉者だ。だが彼女は気がついていない。彼女の繰り返すという行為がまどかにどんな影響を与えているかを。

 私はいつも通りの微笑を浮かべたまま、ほむらに尋ねる。

 

「なぁ、ほむら。質問を良いかね」

 

「……何かしら」

 

 少し彼女には辛いかもしれないが。それでも越えるべき壁なのだ。私は教えなければならない。因果の強まりを。

 

「ワルプルギスの夜は、君が時を繰り返す度に強くなってはいないかい?」

 

 投げかけられた質問の意図を、ほむらは分からなかった。だが彼女は良い啓蒙を持っている。次第にほむらは顔を青ざめさせると、震え出す。

 

「繰り返す度、まどかは強力な魔法少女と化していかなかったかな?」

 

 ここまで言えば、他の皆にも私が言いたい事が理解できたのだろう。驚いたような表情をして、さやかは私を止めにかかった。

 

「マリア!あんた今は……」

 

「知っておくべきだ。時を繰り返すという事は、因果も持ち越されるのだから。だろう、キュゥべぇ?」

 

 私が玄関の方へ声をかけると、やはりあの白き宇宙の使者はやって来た。いつも通りの不気味な顔に、どこから発せられているのか分からぬ声で。彼を見たと同時に、私以外の全員が気を張り詰めた。

 

「それも啓蒙のなせる技かな。まぁ概ねその通りだよ」

 

 真実を知って震えるほむらに、キュゥべぇは言い放つ。

 

「暁美ほむら、やはり君は時間遡行者だったか。道理でまどかの因果が強大であるはずだ。君が時間を巻き戻す度、その願いの対象であるまどかの因果は指数関数的に増えていくんだから。でも納得したよ、ありがとうほむら。君の行いは、最強の魔法少女を産むのと同時に最恐の魔女すらも産む行為だったんだ。僕らも満足さ」

 

 ほむらが膝から崩れ落ちたと同時に、さやかと杏子は彼女に駆け寄った。そしてすぐさまグリーフシードを取り出して彼女のソウルジェムに溜まった呪いを吸収していく。

 それはそれは、いつ魔女になってもおかしくないほどにどす黒く。しかし友達がそれを許さない。楽になるという行為すらも彼女にはありもしないのだろう。それが運命であるようにも感じる。

 

「君もどうやら、重ねられた因果の中で抗っていたようだね。白百合マリア」

 

 話題をこちらに向けたキュゥべぇを、私は夜空の瞳で屠った。余計な事は言うべきではない。

 

「白百合さん、どう言う事?」

 

 腕の中のマミが問う。まぁ、彼女に言うくらいは良いのかもしれないが。

 

「私もね、ほむらと同じさ。何度も悪夢を繰り返したんだ。繰り返す度に敵も強くなっていってね……彼女と違って、私にはまどかのような存在はいなかったが。ああいや、人形ちゃんがいたから癒しには事欠かなかった……あっ」

 

「誰よ人形ちゃんって」

 

 不味った、ついつい思い出に浸っていらぬことを喋ってしまった。マミには後で説明すると言ってお茶を濁す。今じゃ無くても良いだろうこの話は。

 さて、ループの先輩として私はほむらに助言をしなくてはならないだろう。今の私は少女達の助言者であり、理解者なのだから。ほむらにはいずれ夢に赴いて欲しいが、それは今ではない。

 

「ほむらよ。聞き給え」

 

 私はマミを離し、ほむらに寄る。さやかと杏子は警戒していたがそれは無視した。

 絶望に打ちひしがれ、顔を歪めるほむらがこちらを見た。

 

「時間と因果など、越えるべき壁でしかない。希望があれば絶望もあり、逆もまた然り。ならばね、君は超えられるよ」

 

 根拠の無い助言では無い。

 

「どうして、そんな事が言えるの」

 

「私がいるからね」

 

 笑顔で軽くウィンクする。まるでSF漫画の赤いボディスーツを着た主人公みたいだが、それで良い。ちなみにあの漫画はマミの家で見た。

 

「数百も悪夢を繰り返した私がいるのだ。その全てで、狩りを成就させて来た。立ち塞がる者はなんであろうと斬り伏せて来た。今回もまた、私は斬り伏せるのみさ」

 

 言葉には、魂が宿る。その魂の大きさは、発言した者に依存する。ならば私の言霊は、それはもう大きいはずさ。ほら、ほむらもまたその言霊に心を揺らしているではないか。

 

「それに、今の君には仲間がいる。織莉子もまどかを狙わない。マミも、さやかも杏子も、それに仁美も。君を支えてくれる。恭介だって獣狩りを楽しめるから戦力になるだろう」

 

 あのバカ弟子、欲しい血晶石が揃ったから巨大な敵で試したくて仕方が無いらしいからな。付き合わされたマリアお姉様が星の娘並みに嘆いていたぞ。

 ほむらはしばらく惚けた後、決意を固くして肯く。

 

「君の本当の願いはなんだい?」

 

「私の、本当の願いは……」

 

 そして、暁美ほむらは成長する。良い啓蒙を携えて。それは意思と、かつての友の遺志が齎したものだ。

 

「まどかを、救いたい……!みんなと、あの子を……!」

 

 マミの嫉妬している視線を背に、私はほむらの首元を撫でる。強い子だ、彼女は。更に良い狩人になるだろう。それで良い、戦う意志さえ折れなければ、何度だってやり直せるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とある喫茶店で、不釣り合いな客がいる。一方はもうすぐ還暦を迎えそうな外国人男性。私の父。もう片方は中学生のか弱そうな少女。まどかだ。

 二人は机を挟んで向かい合い、互いに無言でコーヒーを飲む。どうやら父はコーヒーが好きらしい、一口ずつコーヒーを口に含む度に唸る。

 しばらくそんな光景が続いた。店員も特に気にしないのは、父が彼らに何かしらの影響を与えているに違いなかった。

 

「リリィは……マリアは」

 

 ようやく、父が声を発した。この不器用な父は、きっとコーヒーを飲みながらタイミングを図っていたんだろう。まどかの瞳が父を捉える。

 

「強い子だ。それこそ、あんなナリに相応しく無いくらい」

 

 父は記憶の中の私を辿る。

 

「幼い頃から、勉強熱心で……少しズボラだったが、それでも知り合いに誇れるくらい良い子だった」

 

 コーヒーを一口、父は飲む。窓の外はいつも通り、人の活気に満ち溢れている。彼の知るヤーナムとは全く違う光景だ。

 

「あの子は……だからだろうな。俺がやった事を知ると、途端に反抗し出して……そのうち全然口を聞いてくれなくなった」

 

 君とは真逆だよ、と。父は自虐的な笑いと共に言った。まどかは啓蒙する。彼が自分を連れてきたのは、こんなありふれた親子のいざこざを言いたいがためではないと。少なくとも、それ程までにまどかの因果は気づかぬ内に彼女の啓蒙を急速に高めていたのだ。そしてその一端は、私と私の父にもある。

 だがまどかは空気が読める子だ。話を合わせる事に今は徹した。

 

「でも、マリアちゃんは強いけど……不器用な子なんです。強いから表には出さないけど、きっともっと皆と素で仲良くしたいなって、思ってると思います」

 

 これから言いたい事を少女に言われ、父は目を丸くした。同時に、目の前の少女の良い啓蒙に上位者の本能として魅了されそうになる。

 

「ああ、あの子は意外に脆くてな。ただ狩りの中であれば折れる事は無いんだが……」

 

「狩人の願いは狩りの成就。上位者の願いは赤子の誕生。でもマリアちゃんは違うんです。もうその二つは成してしまった。だからマリアちゃんには目標が必要だったんです。それこそが強い意志を保つ方法だから。意志さえあれば折れる事は無い。だから……心の奥底に眠る純粋な少女への憧れを支えにしたんです」

 

 突如、この若干十四歳の少女が饒舌に喋りだす。不味いと、父は思った。もしかすれば自らと長く接触した事によって啓蒙が高まり発狂しかけているのかと考えたのだ。

 しかし違う。これは、ただ彼女の因果のみによるもの。発狂などするはずもない。この啓智は、今の彼女が元々持ち合わせているものなのだから。今、彼女の瞳に映る星々は彼女のものである。

 

 つまり。

 

 

 目の前の少女は、自らに課せられた因果の呪いで上位者になりかけている。

 

 

 

 

 

 

 

 パンっと、父は手を叩いて鳴らした。同時にこの空間の濃厚な狂気が鎮まっていく。他に客が近くにいなくてよかった、きっと彼女と父の啓蒙に充てられて発狂死していたに違いなかったから。

 まどかはハッと我に帰る。いや違う、狂気が鎮まっただけだ。父はふぅっと息を吐く。すると少女は何事も無かったかのように話を続けた。

 

「マリアちゃんだけじゃ無くて、ほむらちゃんも……私なんかのためにずっと悪夢にとらわれているんです……だから……マリアちゃんには使命を全うして貰わないと……自分なんだから……相手は……宇宙からの使者を……狩り尽くさないと……淀みを……てぃひ、てぃひひひ」

 

「ああクソ……!おい、これを飲め」

 

 狂気は全く収まっていないようだった。上位者である父が世の理をねじ曲げてまで狂気を収めたのにも関わらず……やはりこの少女は、なるべくして娘の脅威となり得る。だが今は、彼女にとっての友達の父として振る舞うしかない。リュックから鎮静剤を取り出すと、彼女に無理矢理飲ませる。どうやらまどかは鎮静剤の効能を啓蒙されていたようで、濃厚な人血をすんなりと受け入れた。

 

「……不味い」

 

 舌を出して眉をハの字にするまどか。可愛いが、口の中は血だらけだ。まどかはコーヒーを飲むと、一息。

 

「……啓蒙されたんだな、君の友達の……」

 

「ほむらちゃんの事、ですよね」

 

 真剣な面持ちでまどかは言う。

 

「全部、思い出して……私、声が聞こえるんです。自分の声が。世界を跨いで、私の遺志が助言するんです。ほむらちゃんのために、なすべき事をなせって」

 

 父は言葉が出なかった。例え異なる世界の自分とはいえ、まさか数多の死人の声を聞いて無事でいられる人間などいるはずがない。つまりそれは、鹿目まどかという物理的な存在も最早人を超えつつあるのだ。

 

「いつからだ」

 

「今週に入って。でも、まだ皆には黙ってるんです。だから青ざめた血である貴方にも黙っていて欲しいんです」

 

 ギョッとした。この少女と話してから驚かされてしかいないが、自らの存在を言い当てるほどに進化した彼女に今度こそ度肝を抜かれたのだ。

 

 

 

「私の願いを成就するために」

 

 

 

 正気のまま、瞳に宇宙を宿した少女は語る。きっとここで拒否すれば、自らの存在は殺されてしまうだろう。上位者とは、現世に住むものではない。それはある種、精神体に近いのだろう。私という狩人が狩ったのはただのアバターに過ぎない。それでも現実世界に干渉するためのアバターを狩られれば精神は傷付き、当分の間干渉できなくなるが……

 彼女はその、現実と高次元暗黒の線引きすらも凌駕しようとしているのだ。

 

「……お前の願いはなんだ」

 

 静かに、敵意を滲ませながら尋ねる。まどかは笑うこともせず、ただ淡々と言うのだ。

 

 

 

「私の願いは━━━━」

 

 

 

 

 外で、クラクションが鳴る。交差点で飛び出しでもあったのだろう。しかし事故など特に起こらない。見滝原ではよくある光景だった。都会ならば、あり得るものだ。

 父は脂汗を滲ませ、少女の願いを頭の中で反芻した。それは最早人間には過ぎた願いだ。だが、それでも良い。

 

「なら、娘には手を出すな。殺すぞ」

 

「マリアちゃんが、そうしなければ」

 

 上位者相手に人間の少女は一歩も引かない。やはり月の魔物が啓蒙した通りだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 星の娘は暇である。というか上位者自体思考を巡らすことが仕事のようなものなので、それ以外の時は基本暇。だからこうして星の娘は狩人の夢に居座るし、乳母も赤子が成長してしまってからは基本的にやる事がない。

 椅子にぐでっと座り、星の娘は対面に座る時計塔のマリアを興味なさげに見る。彼女は相変わらず、スマートフォンという俗世に塗れた機器で猫の動画を視聴しては頬を緩ませていた。そこにはかつての凛々しい古狩人はいない。ただの、可愛らしい乙女がいるだけ。

 

「あんたそれ楽しい?」

 

 興味は無いしわかり切っているが尋ねる。するとお姉様はキリッとした表情で星の娘を見据えた。

 

「無論だ。上位者にはこの良さが分からぬか……残念だな」

 

 言うだけ言ってまたマリアお姉様はにこやかに動画を見る。やはり人間というものは愚かだと言わざるを得ない。猫など、どこにでもいるというのに。

 興味など失せている。星の娘は隣で編み物をする乳母に声をかけた。

 

「そういえば、あの坊ちゃんはどうしたの」

 

 乳母は手を止める事なく答える。

 

「お坊ちゃんですか?元気ですよ。今は下界で人間の事を学んでおります」

 

「大丈夫なの?いくら姿を変えられるとは言っても、上位者なのよ。人間なんて近くにいるだけで発狂してしまうわ」

 

 かつて、乳母が育てていた上位者がいる。メルゴーと呼ばれたそれは頭のおかしい学者どもに生まれてすぐに拉致られたが、今ではすっかりと俗世に馴染んでいた。きっとどこかで会うこともあるかもしれない。

 




まどかちゃん啓蒙99くらいありそう
アンケートですが、このままいくと叛逆後も書きそうです


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鹿目まどかの愛情

 

 

 一人、ほむらはマンションの屋上にて黄昏る。屋上から見える夜の街は、絶景とは言えないが中々に風情があるものだ。森は切り開かれ、今やコンクリートジャングルと化した見滝原ではあるが外灯やビル、そして車の光は街を眠らせない。

 ビルから抜けた夜風が彼女の髪を撫でる。美しく長い黒髪が靡き、乱れた髪を彼女は手櫛で掻いた。

 

「帰ったと思っていたけれど」

 

 一人では無い。ほむらの背後には、いつもの狩装束の私がいた。銀髪と羽織り物が同じように靡くが、私は気にせずほむらの背後に微笑を向けた。

 

「君とはあまり親睦を深められなかったからね。この際だ、今のうちに話しておこうと思ったんだ」

 

 その言葉に嘘偽りは無い。私は少女が大好きで、ほむらは少女だ。ならば私がほむらと話したいと思うこの気持ちもまた自然。

 だがほむらは常に一人で戦ってきた。故に警戒を解こうとするはずもない。その相手が、自らの過去を明かした相手であっても。その気持ちは分かる、私も同じだった。シモンに対しても、最初はアイリーンにも警戒していたんだから。

 それで良いのだ。

 

 私はほむらの隣に陣取り、同じ風を浴びる。眠らぬ夜景を見ながら、私は言葉を紡いだ。

 

「私もヤーナムで狩りをしていた時、君と同じように絶望で心が折れそうになった事がある」

 

 それは在りし日の記憶。それもまだ、狩人になりたての頃のものだ。あの頃の私は純粋に血に酔い、ただ無慈悲であるだけの狩人でしかなかった。何も覚えておらぬ、ただ青ざめた血を求めてヤーナムを駆け巡る傀儡でしかなかったのだ。

 そんな夜を思い出しながら。

 

「貴女が?」

 

 ほむらが不思議そうに尋ねてくる。確かに今の私からでは想像もつかないだろうが。

 

「何体獣を殺せど、町中を狩り尽くせど夜は明けず……話せるような人々には嘲りと罵倒を受け、それでも助けられる命は助けようと努めた。だが何度繰り返しても……幾人かは助けられなかった」

 

 あの老婆と偏屈な男を思い出す。彼らもまた、父の被害者だ。元の性格もあるのだろうが、月によって獣性が高まり攻撃性が増す。秘匿を破り、赤い月がやってくれば彼らは正気すらも失ってしまう。その繰り返し。

 あの獣と化しても人間性を保つ男も、出来れば救ってやりたかった。禁域の森で死体を貪り血の遺志と虫を取り入れながらも、まともに話せたあの男。結局は生きるために人々を食い殺す運命にあったが……私が彼を招いた事で、オドン教会が血塗れになった事もあった。

 

「何度もやめてしまいたいと思った事もある。狩りを成就させても時は繰り返すんだ。意思を捨て、獣に堕ちたらどれほど楽かとも思ったよ。それでも私は狩りをやめられなかった」

 

「その時、貴女はどうしたの?」

 

 その問いに答える前に、私は左手を月に伸ばしてそこに嵌められた古い指輪を眺めた。

 

「この指輪が言うんだ。諦めてはならないとね。私自身、この指輪の記憶は無い。ヤーナムに来る前の事は何一つとして覚えていないんだから」

 

「記憶喪失?」

 

「そうさ。今の私はヤーナムで生まれ、狩りと共に育った。私の縁はずっと昔から抱く少女への憧れだけ。狩りを成就し異形の存在へと昇華し、この世界へ侵入してもなお、それだけは変わらない。空っぽな奴なのさ」

 

 どうやらほむらには情報量が多過ぎたようで、何を尋ねていいのか分からないらしい。

 

「他の世界から来たの?」

 

「まったく別の世界、別の時空。遥か古の時代から。この世界に来て色々学ばせてもらった。世界が異なるから何とも言えないが、技術や価値観から計算してこの時代よりも百年以上は古いだろうね」

 

 そう……と言うほむらは何か納得しているようだった。どうやら私の服や武器を見ているようだ。なるほど、確かに私の武器は君達からすれば骨董品だろう。華やかさも、この時代の物とは趣向が違う。

 

「貴女に一つ……聞きたいの。貴女は人間でも、魔法少女でもない。キュゥべぇも見えるし、奴らも貴女の事を知っているようだった。一体何者なの?」

 

 ほむらの脳裏に浮かぶのは、私が来てすぐの事……狙撃銃で私を監視していた時の事だ。私の濃厚な狂気に当てられた彼女は目から流血していたな。確かに、あんな事ができるのは人間ではない。話しても良いだろう。彼女は話を言いふらすような人間でもない。

 

「上位者。ヤーナムではそう呼ばれていた」

 

「上位者……?」

 

 私は頷く。

 

「ヤーナムで言う、神のような存在だ。もっとも……上位者とは、単に君達からすれば啓智を授かった宇宙人程度の存在だが」

 

 キュゥべぇもまた、そうだろう?と私は付け加える。彼も厳密には異なるが上位者の一派である。彼らは我々とは異なって新たに個体を設けられるし、技術的な啓智以外では遥かに劣るが。そもそも彼らは哲学的な要素を嫌う傾向にある。現実主義と言えば聞こえは良いが、哲学とは現実を仮定する上で最も重要だとは思わないかね?

 ともかく、私は自らの正体を明かした。これで秘密などもう無い。私の目的も知られている以上、ほむらも尋ねることなど無いだろう。

 

「なぁ、ほむら。一つ……狩人の助言者として君に助言する事がある」

 

 そして。私は彼女に言うべき事がある。

 

 ほむらは凛々しい顔でこちらを向いた。

 

「君のまどかに対する想いを、捨てるなよ。君は正しく、そして幸運だ。あの少女はきっと、どんな理由でも君を赦してくれるだろうから」

 

 宇宙からの啓蒙が囁くのだ。ほむらの闇は、きっと彼女が受け止めてくれるのだと。そしてほむら自身は、この戦いが終われば自らの愛を秘匿してしまうと。そんな事は許されない。許してなるものか。少女とは、純粋で美しくあるべきだ。容姿など問わぬ、ただありのままを表現すれば良い。

 私が少女に求めるのは、真にそこにある。

 

「君は美しいのだ、君の想いは恥すべき事では無い。姿を眩ます事も無い」

 

 そう言うと、ほむらは驚いたような顔をして。次に俯いた。

 

「無理よ。私、本当ならまどかに会わす顔なんて無いもの。それぐらい、酷い事をしてきた」

 

「それは君が決める事じゃ無い。まどかが決める事さ」

 

 自らを罰する事を咎める事はしないが、他人の因果を背負う必要はないのだ。それを履き違えてはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真、魔法少女とは哀れな生き物である。

 身の丈に合わぬ希望を生み、抱えきれぬ絶望を放出させて後始末を後進の者たちに押し付けるのだから、哀れと言わず何と言えば良いか。更にその後身に愛すべき誰かが居た時など、最早直視出来ないものだ。そうなれば、また新たな絶望が彼女達を襲い、魔女を産む。何ともよく出来たシステムだ。

 

 そしてそんな、システムの一人であり哀れな落とし子の一人である織莉子もまた魔法少女の逝く末を案じる少女である。

 そもそもの彼女が抱いていた目標とは、人類の救済だ。いずれ来たりし最悪の魔女を、犠牲を払ってでも孵化前に倒す事。それこそが本来の彼女の目的。しかし今や彼女の思想はとある少女によって塗り替えられ、新たなる意思の下道を進んでいる。

 

「あと少し」

 

 夜の薔薇園に佇む織莉子。夜空に浮かぶ月に祈る彼女の姿はまさしく聖女であり、彼女を崇拝するキリカの目には神にも等しく映っている。しかし皮肉かな、彼女が祈りを捧げる月を代名する狩人は、憎むべき女神の敵となり得る者。信仰とは神にとって力にも等しく、人々が祈りを向ける度神共はその力を増していく。

 そして確かに織莉子は美しく、また正しい魔法少女だ。彼女が見た未来のビジョンでは鹿目まどかは魔法少女を救済する聖女となる。人類の敵が一気に救済の女神へと変貌したのだから、啓蒙に溢れた織莉子が崇拝しないはずも無し。

 

 だが、何かに縋ると言うことは脆くなると言う事でもある。信じた者に裏切られた時、またはそれらが死に絶えた時、人は絶望するだろう。

 ルドウイークのように、獣に身を落とすだろう。

 

 背後で織莉子を見守るキリカはその事を啓蒙されている。故に心配でならないのだ。想い他人が絶望し、死よりも惨い事にならないか。可能性など多分にあり得る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旅の終わり。正直な話、命の危険を何度か感じた少女と娘の一月半の長旅は佳境を迎えていた。それは発展と治安の悪さが反比例したロンドンから離れた地……聞き慣れぬ土地へと赴いた所で、娘から言われたのだ。

 もうじき、目的の国へと入ると。

 

 別れとはいつも唐突にやってくるものだ。それが死であれ否であれ、少なくとも少女に関わった者達は総じて突然居なくなったものだ。それは遠い昔、まだ少女が魔法少女として純粋に使命を全うしていた頃の話だ。

 だから少女は、慣れていた。突然の別れも、死別も含めて。きっと少女は笑顔で娘を送っていけるだろう。そしてまた一人、呪いを断つ旅に出掛ける。なるほど、かつて友が言っていた人間の狂気の定義とはまさしく自らの事であると理解した。

 

 狂気の定義とは、異なる結果を期待して何度も同じ結果を繰り返す事だ。少女は自嘲する。まさしく自らの運命ではないか。

 

 大きな街が見える。ロンドンと同等か、しかし古くからの趣も感じられる街が。娘曰く、そこは通ってはならないそうで。なんでも今までの刺客は全てその街からやって来ていたらしい。

 娘の目指す場所はその隣にある。夕暮れの陽に照らされながら少女は馬を引く。その馬の上では、娘が陽の眩しさに目を眩ませていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほむらは思わずまどかに抱きついた。百合的な展開では無いようだ。理由は、この聖女となり得る少女にあった。

 傍らには散弾でズタボロにされたキュゥべぇの残骸が打ち捨てられている。彼らがまどかに何を吹き込もうとしていたのかは、ほむらにとっては火を見るより明らかだった。

 

「私ね、未来から来たんだよ」

 

 涙を流すほむらとは対照的に、まどかはひどく落ち着いた表情をしていて……それが不気味でもあった。泣き噦るほむらの背中をまどかはさする。

 

「ずっと、まどかを守りたくて繰り返してきた」

 

 少女の独白を、ただまどかは受け入れた。まるで何を言いたいかなど分かっているかのように。

 

「お願い……変わろうとしないで。自分を、大切にして」

 

 神に等しい少女に、ほむらは願う。

 

「私に貴女を守らせて」

 

 まどかは優しく、頷いてみせた。そして狂おしいほどに愛らしい友の身体を愛情を持って抱きしめる。身体の隅々まで食べ尽くしてしまいたい衝動を抑え、彼女の耳元で優しく呟いた。

 

「大丈夫だよ、ほむらちゃん。私、魔法少女にはならないから」

 

 そうして、甘い嘘をつく。友にとって一番の絶望を与える嘘を。だがこれで良い。すべてはまどかの啓蒙が導くのだ。乗り越えられぬ夜も、今回限りだ。

 愛は無限に有限では無い。真に無限であり、その愛は宇宙を覆う。ならばその愛を、少しばかり早めても良いだろう。

 

「まどか……」

 

 何かを言いたげなほむらの口を、まどかの唇が塞いだ。驚くほむらを他所に、まどかは息を荒げて彼女の口を貪る。何とも情熱的な光景ではないか。

 ほむらはその甘い愛を受け入れた。困惑よりも、まどかがもたらす愛の方が大きかった。しばらくして、まどかが口を離せばほむらはもう放心状態である。

 

「辛かったよね。でも大丈夫」

 

 心の縁であった少女は宣言する。そして深く、もう一度抱きしめた。そんな彼女達の密会を、眺めている者達もいると言う事は今のまどかにも分かる。

 

 一人は月の魔物。側から見れば彼は少女達のイチャつきを眺める変態でしか無いが、その心境は非常に焦りに満ちていた。とうとう彼女が動いたのだと、警戒を高めるには十分な映像だ。

 もう一人は、織莉子。彼女は来るべき日のためにまどかが行動を起こしているのだと啓蒙されている。だからその、深い愛情の光景ですら神聖なものに思えてならない。

 

 そして。インキュベーター。彼らは感情を持たぬ。しかし危機は覚える。今の彼らは前代未聞の光景に強い危機感を抱いていた。

 

「そんな馬鹿な。あれじゃまるで上位者じゃないか!」

 

「いったいまどかは魔法少女になって何を成し遂げようとしているんだい?」

 

「訳がわからないよ。上はなんて言っているんだい?」

 

「変わらないよ。上は今の状況を理解できていないんだ」

 

 啓蒙に溢れ、自ら上位者と成り果てた少女にされた事をキュゥべぇは気がつかない。彼らは感情を持たぬと言ったが、それは総体での話。今この場にいる個体にははっきりとした恐怖が伝染している。

 そもそも、キュゥべぇはいつものようにまどかに魔法少女となるよう諭した訳ではない。ただただ、この世の仕組みを教え、決して魔法少女達を騙しているのではないと幼く物を知らない少女に語ったに過ぎない。

 それなのに、まどかはまるでその全てをわかっているようだった。食物連鎖、その果てに人間が動物達に成している行いを見せれば心が揺らぐと思いきや、そんな事は一切ない。ただただまどかはその全てを理解し、受け入れ、インキュベーターの存在を否定もしなければ肯定もしなかった。

 ただ、彼女は言ったのだ。

 

 ━━希望は、希望のままで終わらせたい。そうじゃなきゃ、私と私の遺志が許さないの。

 

 

 深愛を受け入れた少女の計画は進む。ただ、少女達のために。私とは異なるプロセスで、解釈で。

 




まどほむすき


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Only women kneel and smile
襲来


 

 

「お世話になりました、先生」

 

 夢に潜むルドウイークの下にさやかがやって来たのは、ワルプルギスの夜がやって来る前日の事だった。

 彼女が月光の導きに狂わされる事が無くなってからはその力を存分に発揮できるようになり来ることもなくなったのだが、どうやら今日の彼女は別れを告げに来たらしい。だがルドウイークとしては、僅かな時間しか共にいなかった弟子の別れは好ましくも思えた。

 そもそも、彼が教えた者達は別れの言葉を言う間も無く死んでいくのだから。さやかのその行為はつまり、健全であるという事だ。

 

 しかし、気がかりでもある。元気溌剌で騎士の誉れすらも持ち合わせる彼女が、いくら強敵と戦うと言えども別れを切り出して来るだろうか。

 

「挑むのだな、さやか」

 

 師の言葉に、さやかは頷いた。

 

「はい。だから、別れの挨拶をしに来ました」

 

「死ぬつもりではないだろうな」

 

 その問いに、さやかは否定も肯定もしない。

 

「月光が囁くんです。全部守れって。そのために自分を惜しむなって」

 

 彼の師でもある月光の導き。それが何を考えているかは分からないが、彼女の師であるルドウイークには不吉の前兆であるようにしか聞こえない。

 だがそれも、彼女の意思で決めたことに他ならない。ならば彼には否定をする権利などないのだ。

 ルドウイークは懐から、とある古びた鐘を取り出した。それはヤーナムにおいては狩人が用いるものだ。

 

「これを持っていくと良い」

 

 その鐘を、さやかへと手渡す。

 

「自らの力でどうにもならぬ時、その鐘を鳴らすのだ。さすれば己の力となろう」

 

 さやかはその鐘をしばらく見つめ、それを握りしめた。そして日本人らしい一礼をする。

 

「ありがとうございます、先生」

 

 あぁ、きっと何かが違えばローレンスとウィレーム先生もこういった別れがあったに違いない。お互い後腐れ無く、学び舎から卒業していく学徒達。離反することもなかったのだ。

 だが、そうはならなかった。歴史は変えられない。変えられるのは未来だけ。ならば己は、この少女の未来を変えられるだけの事はできたのだろうか。彼には分からない。最早彼は、夢の中に生きる遺志なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さやかが師と会うならば、夢から異界へ誘われた杏子もまた主人と顔を合わせるというもの。杏子は廃城カインハーストの女王の間において、相変わらずの鉄仮面を被る女王アンナリーゼの前に跪いていた。

 それはおおよそヤーナムで見られるような跪き方ではなく、異国の修道女を思わせる敬虔な神の使徒の礼儀であり。教会の敵であるアンナリーゼであるが、不思議とその光景に異を唱える気など湧いてはこない。

 ただ少女のその姿は美しい。自らに祈りを捧げる少女はまるで、絵画のよう。

 

「……して、異形の少女よ。貴公の望みを申してみよ」

 

 まさか何も無しに、あの粗暴な杏子が祈りを捧げている訳でもあるまい。杏子は面を上げる事なく、静かに言う。

 

「私の望みは、もう使い果たしました」

 

「それでも良い。申してみよ」

 

 そう諭せば、杏子はそのままの姿勢で言葉を紡ぐ。

 

「仲間達を、救って欲しい」

 

 その言葉に嘘偽りは無い。ただただ、杏子の願望がそこには滲み出ている。

 

「救いの中に貴公はおらぬのか」

 

「私は十分救われました。新たな仲間ができ、犯してしまった罪を償う時なのです」

 

 およそ少女とは思えぬ思想。だがその思想が、懐かしい。アンナリーゼの脳裏に在りし日の自分と友が浮かぶ。本来ならば、こんな事は女王である彼女がする事では無いが。誰もおらぬ、求婚も断った今、彼女が唯一杏子という眷属にしてやれる事は。

 

 アンナリーゼは立ち上がる。そしてゆったりした動作で王座を降りて来る。一歩、また一歩。彼女は杏子へと歩みを進める。

 跪く杏子の眼前へと立ち止まると、アンナリーゼは片膝を付いて杏子の顎を押さえて上げた。仮面越しの瞳同士が合う。

 

「貴公の願いが叶えられるかは分からぬが……持って行くが良い。それが主人として、今の私にできる唯一だ」

 

 そう言えば。アンナリーゼは仮面を取り外す。私ですら見たことのない素顔に、杏子は釘付けになった。

 美しい、歳を取る事を知らぬような若々しい貌だ。流れるような金髪が、その美しさを更に映えさせる。そんなアンナリーゼが、自らの舌を僅かに噛み、流血させていた。そしてその血を指ですくうと、杏子の舌へと這わせるのだ。

 

「穢れた血は熱かろう。しかし貴公にとっても力となろう。フフフ……」

 

 冷静に微笑むアンナリーゼ。杏子は舐めとった血が身体に巡っていく感覚を味わう。身体が熱い。息が乱れる。だが、悪く無い。これは力だ。杏子の望みを叶えるためのものだ。

 燃え盛る血は、きっと彼女の槍にも宿るだろう。啓蒙が囁く。

 

「また、訪れるが良い。貴公を失うのは惜しい」

 

 そう言うアンナリーゼの言葉は本心だ。だから杏子も、その言葉に応えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢の工房にて、恭介は様々な上位者がいるにも関わらず夢中になって武器の改造に勤しんでいた。マリアお姉様と集めた血晶石はもちろん、その過程で得た血石の塊などを用いて愛用するノコギリ鉈を強化していく。

 私はそんな新米狩人の背後から、その作業を眺めていた。エーブリエタースと共に。

 

「本当にあの武器は野蛮ね。最初に会った時を思い出すわ」

 

 忌々しいといった様子でエブたんが呟く。私はほくそ笑み、その事を思い出していた。

 

「あの頃の私は狩に酔いしれすぎていたからね。面白味も何も無い頃だ」

 

「そうね。今じゃあの制裁神に影響されて個性の塊だもの」

 

 あの驚異の神秘99が脳裏に浮かぶ。確かに彼が居なければ、私は没個性のどこにでもいる狩人でしかなかっただろう。彼には感謝せねばなるまい。例え人をクソホストとか言って罵倒しようが、それも彼の個性だ。甘んじて受け入れよう。そもそも何を持ってクソホストなんだろうね。啓蒙に溢れていてもそれは分からぬ。

 ふと、エブたんが私の肩にもたれ掛かる。私はそんな彼女の頭に重ねるように頬を乗せた。

 

「月の魔物と仲直りしたようね」

 

「多少はね。お父様も、私の背中を押して下さるだろう」

 

 ふぅん、と彼女はいつものようにダウナーな感じで頷く。

 

「最近、貴女からする女の匂いが強くなってるわね」

 

 痛い所を突かれた。大体マミの匂いだろう。私は濁すように咳払いをする。

 

「私よりも胸が大きい女がデレデレするのはさぞ嬉しいでしょうね。そんなに肉厚のほうが良い?」

 

「いや……そう言う訳では」

 

 愛が重いという事自体は好ましいが、重すぎるというのは何とも……エブたんは本当に良い娘であることは疑う余地もない。しかし私も、愛されているということが深く理解できる。故に彼女の愛を受け入れよう。

 私は彼女の剥き出しの肩にそっと手を置く。そして彼女の身体を抱き寄せた。私の好きな百合の花の匂いが鼻にまとわりつく。彼女が気を利かせてくれたのだろう。

 

「私はね、すべての無垢な少女が好きなんだ」

 

「あら、なら私は無垢じゃないわ」

 

 拗ねる星の娘の横で、私は笑う。

 

「そうかな。こうして人間であった私を好いてくれるじゃないか。偏見など捨てて……ただ愛しい者に愛を向けてくれるじゃないか。嘆きの祭壇で涙に濡れる君も魅力的だが、こうして嫉妬している君もまた、実に愛らしいよ」

 

 そう言うと彼女はふん、と鼻で笑った。その頬を赤らめながら。

 と、そんな時だった。恭介が手を止めて私の目の前までズカズカと歩いてくる。そして私に手を差し出した。

 

「血の岩をくれ」

 

「……君は恋人が二人もいるのにまるで空気が読めないな」

 

「獣以上に獣ね」

 

 無視する恭介に私は血の岩を差し出す。貴重だからあまりあげたくないが、余らせるよりは良いか。

 恭介は無言でそれを受け取ると、また作業台に戻る……狩人になると人間的な常識が欠落する病にでもかかるのだろうか。まぁ良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 別れはやはり、突然だった。あの街を迂回し、少女は娘と雪の降る田舎道を歩いていた時のこと。突然、今までの追手とは異なる衣装に身を包む騎士達に囲まれたのだ。

 少女は即座に身構えたが、娘がそれを手で制した。どうやら彼女の迎えらしい。どれも顔が見られぬように鳥の嘴のような仮面をしていたが、気配で分かる。彼らもまた、人ならざる力を持った者達なのだろう。それはやはり、娘が少女に語った血の医療というものの産物なのだろうか。

 

 娘は少女に別れを告げる。涙混じりの笑顔を向け、今までの礼を語り尽くした。そして騎士の一人に命じて旅の分の謝礼を渡した。これで当分の間、食うものには困らぬだろうというほどを。

 少女は笑顔で娘に別れを告げると、旅立とうとした。どうやら少女は騎士達にとっては招かれざる客だったようだ。それはそうだろう、どこの馬の骨とも知れぬ異形の者が、大事な貴族の娘を連れてきたのだろうから。怪しまれるのは仕方のない事だ。

 

 だが、貴族の娘が馬に乗って去ろうとする少女を引き止めた。そして迎えの馬車から何かを取り出して少女の下へと走る。

 手渡されたのは、何かが入った木箱。もし、呪いが解けずに行き詰まったならばこれを開けろと。娘は告げた。呪いの事はすでに告げてあったが。少女は礼だけ言うと足早にそこを立ち去る。

 娘が去っていく少女に向けて何かを叫ぶ。馬の蹄が地を踏み締める音にかき消されながら、それでも娘は礼を叫んでいた。

 

 少女はもう、娘に会う事は無い。それでも良いのだろう。思い出は、十分に集めた。それを死なせなければ良い。少女は駆ける。この不毛の地を。そしてまた、旅に出る。

 少女は今日も、呪いを解こうと歩みを止めない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワルプルギスの夜が、やって来る。それはそれは恐ろしい魔女達の宴が始まる。

 見滝原は未曾有のスーパーセルの接近に震えていた。早朝に警報が鳴り響き、住民達は避難所へと逃げ惑う。それが良い。立ち向かう力を持たぬのであれば力を持つ者に託すが良い。そうして獣狩りの夜であれば、狩人達が狩に赴くのだ。

 夜明けを待ちながら、感謝するが良い。我ら狩人を。命の限り狩に酔いしれる者達を。君達ができるのは、それのみなのだから。

 

「来るわ」

 

 吹き荒れる雨風を受けながら、ビルの上でほむらが強張った様子で呟いた。私達は立ち上がると、沿岸から見える地平線を眺める。

 ずっと戦い続けてきたほむら。私に救いを求めたマミ。月光に導かれたさやか。獣から人へと這い戻った仁美。初の弟子であり、ひたすらに狩りに身を費やす恭介。新たな仲間に巡り合え希望を見出した杏子。何かに啓蒙されまどかを聖女と崇める織莉子。その織莉子を崇拝し、そしてまどかに嫉妬を向けるキリカ。

 そして私━━百合の狩人であり、月の香りの狩人。

 

 少女達の救いとなるため。私はこの魔女の集合体とも戦おう。

 

 

 1つ。それは我が欲望のために。

 

 2つ。それは救われぬ少女達のために。

 

 

「あれが……ワルプルギスの夜……」

 

 

 3つ。楽園の完成のために。夢は夢であるために。

 

 

 

 

 そして、ワルプルギスの夜は姿を表す。けたたましい、狂気に満ちた笑い声を上げながら。結界に姿を隠すこともなく。まるで自らを自然の一部と謳いながら。

 逆位置の魔女はやって来るのだ。道行くものを破滅させるために。少女の約束を食い潰すために。

 

「発狂しそうな声だ……あれが獣だと?」

 

 恭介の疑問ももっともだ。あれは最早、魔女という少女の成れの果てを超えてしまっている。その性質は制御の取れぬ上位者に近いだろう。

 だが上位者ならば狩り取れる。私がヤーナムにおいて散々やってきたことだ。

 

「見て、あれ……悪趣味だね」

 

 さやかが指差すのは道路上のパレード。ワルプルギスの配下である使い魔達が、まるで魅せるかのように練り歩く。統制の取れた彼らは今までの使い魔とは比べ物にならないほど強いだろうさ。

 

「狩の成就を。そして、私の願いを叶える為に」

 

 落葉を分離させる。それが合図。皆はそれぞれの役目を果たす為に走り出した。

 

「まどかは殺させない!」

 

 執念にも似た愛を滲ませ、ほむらは駆ける。

 

「恭介、仁美、杏子!誰が一番狩れるか勝負だね!」

 

「へっ、負けても泣くんじゃねーぞ!」

 

 勇ましい少女達が後に続いた。

 

「織莉子、君は私が守るよ!」

 

「頼もしいわキリカ」

 

 しかし彼女はキリカを見ていない。哀れな事だ。

 

「白百合さん……絶対、死なないで」

 

「死なないさ。君も、狩に励み給えよ」

 

 そうして私達もあの地獄へと向かうのだ。これは誰のためでも無い、自分自身のための戦いなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地上の使い魔を狩るのはさやか達の役目だ。彼女達は四人で連携し、次々と襲い掛かる使い魔達を狩り殺して行く。その勢いは、この風雨を打ち破るものだ。

 さやかの月光が光を放ち、その光波はアスファルトごと使い魔を砕く。それでも狩りきれない使い魔は杏子と仁美が各々の武器で捌く。恭介は……いつも通り、単身で攻めている。

 

「おりゃあああ!!!!!!」

 

 月光の聖剣の三連撃と共に、光波が使い魔を切り裂く。私は月光の導き手にはなれなかったからか、あのように水銀弾を用いずに光波を飛ばせない。やはりさやかは月光に認められている。

 

「背中も見ろって!」

 

 杏子の三節棍が伸び、さやかの背後を狙う使い魔を引き裂く。どうやら血質強化されたらしいそれは、ワルプルギスの夜の使い魔であろうと簡単に引き裂く。

 

「キリがありませんわね」

 

 淡々と、トドメを刺しきれなかった相手をチェーンソーで斬り刻む仁美。彼女の魔女はまだ出現させていない。

 

「ハハハッ!これでこそ狩りだッ!最大強化したんだ、もっと得物で試させろッ!」

 

 使い魔でノコギリ鉈の切れ味を確かめる恭介。一見すると完全に狩りと血に酔っている。返り血で顔が凄いことになっているが、狩人にとってはいつもの事だ。

 幸い、使い魔は見滝原のメインストリートのみを行進している。だから彼女達さえ生きていれば、その防御ラインを突破される事はない。これは願ってもない幸運だった。

 

「なんだ、楽勝じゃん!」

 

「へっ、あたしらがいなけりゃ速攻やられてるのによく言うよ」

 

 さやかと杏子が軽口を言い合う。だが、忘れてはならない。もしこれほどまでに容易い相手ならばほむらは何度も負けてはいないのだ。

 いつだって、最悪というものは唐突にやってくるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鐘の音が、聞こえてくる。

 

 それは耳に纏わり付くような、不快な音で。そしてその音色は世界の壁を越えどこまでも届く。

 ヤーナムにおいて、幾度も耳にした音色。

 

「何?風鈴?」

 

「いや、これは……」

 

 何か良からぬことが起きていると、杏子の啓蒙が警鐘を鳴らす。それは今まで魔法少女として生き抜いてきた彼女だから得たものだろうが。

 

 

 

 

 

 「鐘を鳴らす女」が、不吉な鐘を鳴らしています……

 

 

 

 

 

 私が世界の壁を越えてきたのであれば、奴らもまた同じ事だろう。

 

 

 

 

 

 

 敵対者 血族狩りアルフレート がやってきました━━

 

 

 

 

 そして、いつの世も狂った聖職者もどきというものは血に寄ってくるものだ。火に集る蛾のように。

 



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交信

 

 

 

 

 魔女とは魔法少女の成れの果て。絶望し、心を濁らせその身を変化させ世に生まれ落ちた哀れな落とし子。世界の法則において、常に一つの事柄に対し相反する物が生まれるように出来ている。プラスがあればマイナスがあり、正があれば負があるように、希望があれば絶望が纏わり付く。その法則は乱れる事はなく絶対なのだ。

 希望によって生まれた少女が絶望によって成長し魔女と穢れていく。それはある種、逃げられぬ法則に則った運命なのだろう。そして私は上位者であり、法則を捻じ曲げてまで狩りを成すもの。故に少女が獣と成り果てる事は許さない。

 少女はその最後まで希望に満ち溢れねばならない。それこそが希望を生み出す魔法少女の役割。美しく、そして時に生のエネルギーを生み出す神聖なものなのだ。

 

 ワルプルギスの夜は、曰く魔女の集合体なのだと言う。膨大な絶望は夢を必要としない。それは形となって現れ、物理として絶望を振りまく存在と化した。ほむらが私のように、何百何千と繰り返しても狩きれない大いなる絶望。絶対的な壁。

 そんな存在ですら、逆位置なのだ。本来の魔女という存在とは逆転した不完全な存在。なるほど、これは骨が折れる。もっとも折れる骨など蛞蝓である私には無いだろうに。

 

 群がる影を落葉ですれ違い様に斬り刻みながら。優雅に、華麗に、少女のように美しく。

 私は狩に冷酷な月の香りの狩人であると同時に、百合の狩人である。唯一覚えている名である白百合の名が示すように、その狩は少女のように潔癖でなければならない。

 

 狩人など、複数の獲物相手には手足も出ないというのに。されど私は戦わねばならぬ。少女達の楽園のために。私が護ろうとしている少女達を安心させるために。優雅であらねばなるまい。それが死と隣り合わせの連続だとしても。

 狩人なのだから。選んだ道なのだから。

 

「神秘が濃いな」

 

 ワルプルギスに近づく度に身体に漲る血の熱みが増していく。それはかの魔女から滲み出る絶望が深過ぎるからだろう。あまりにも深い絶望とは、深い闇である。闇とは即ち、人間の根本である魂の色。古来より人の魂とはそういうものなのだ。

 そしてかつての世界では、その魂の業を用いていたのだから、闇が深まれば神秘が増すのは必然なのだろう。私の存在は人にあらず。神でも無し、しかしただの上位者でも、並みの狩人ですらない。

 すべてを取り入れた者。故に今まで、この世界において私の力は弱まっていた。神秘が薄れれば上位者としての力が弱まり……現代という未来において人間とは己の力を封じ込め……狩り尽くすべき獣が居らぬ世界においては狩人という存在は自己を認識出来ぬ。一度落葉を振るえば、元来神域に至っていた私の剣技により少女の遺志を感じる影は二つに別れ、エヴェリンの撃鉄を弾けば青ざめた最上の血質が水銀弾をコーティングし、口径以上の穴を影に穿つ。

 

「だが……」

 

 呆気ない。実に物足りない。囲まれ四方八方から襲われるなど、それこそ深度の浅い聖杯ですら起こり得る事だ。今の私は敵を一撃で屠れる程の技量を持つ。元より落葉とは技量に依存する剣だ。そして私とは技量に特化した狩人。そんな私に、ワルプルギスの夜の使い魔は完全に力不足なのだ。

 周辺の使い魔を狩り尽くし、私は一度状況を把握するために近場のビルの屋上へと降り立った。そこで私は、ほむらの姿を見る。

 

 ほむらは持てる力の全てを、あの絶望の集合体にぶつけていた。個人が持てる最大火力である無反動砲や対戦車ミサイルといった対戦車火器はもちろん、器用に街の至る所に隠していたミサイル兵器の数々。まるで花火のように一斉に飛び、逆位置の魔女に全てが着弾している。それはもう爽快な絵面だが、きっとあの程度のダメージは蚊に刺されたようなものだろう。もちろんそれだけで諦めるほむらではないが。

 マミも健闘しているようだ。いつもの様に鮮やかに影共を翻弄している。

 

「やはり君達は獣だな」

 

 そんな中、私は姿の見えない少女達を思い呆れた。織莉子とキリカがいないのだ。分かってはいたが、やはりこうも勝手に動かれると疲れるものだ。きっと彼女達は、崇める聖女であるまどかの下へ向かったに違いない。

 この場に連れてくるために。魔法少女にするために。そして、聖女にするために。下らない、そんなものにどんな価値がある?少女は少女のままであるべきなのだ。造られた清廉とは、最早純血とは言えぬ。

 

「やはりあの子を付けておいて正解だったな。……?」

 

 

 ふと。吹き荒れる嵐の中、鐘の音が聞こえた気がした。

 そんなはずは無いと、言えはしなかった。なぜなら私という前例があるから。私がそれを証明してしまっているから。どこかで薄気味悪く笑っているであろう鐘を鳴らす女に怒りを覚えながら、私は無理やり心を落ち着かせる。遅かれ早かれ、このままでは侵入されるのだから、戦いに向けて心を落ち着かせた方が良いだろう。

 

 まぁ、良い。私がやることは変わらぬ。ただほむら達を守り、獲物を狩るのみ。道中侵入者を片付けながらワルプルギスに近寄れば良い。

 それにほら、見給え。私が出向かずとも向こうからやって来るのだから手間が省けた。

 

 

 敵対者 悪夢の主、ミコラーシュ がやってきました。

 

 敵対者 聖歌隊、ヨセフカ がやってきました。

 

 

 深い絶望の色に惹かれ、同郷の狂人達がやって来る。私はいつもの様に薄い笑みを浮かべながらビルを飛び降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天を仰げば。彼女の瞳には宇宙が映る。瞳だけに映っているのではない。それはまさしく、宇宙そのものが空に広がっているのだ。

 嵐など、とうにこの避難所の上にはありはしない。当然であろう、彼女が宇宙と交信するのだ。宇宙の辺境、その中の地球如きがその交信を妨げてなるものか。それは冒涜であるだろう。

 

 ━━宇宙は空にある。かつて異界の聖職者達は超次元的思索の片鱗によって啓蒙された。それは正しく、しかし文面通りの意味ではない。

 そして人を超えた因果を受け継ぐこの少女もまた、宇宙が空にあるという事実を自ら啓いている。あれだけヤーナムにおいて手に入れようとも不可能であった脳の瞳は、弱冠14歳の少女の頭蓋の内に既に開いていた。

 

 くどい事を抜きに、結論から述べよう。鹿目まどかは最早人間の域を超えてしまっているのだ。

 

 

「聖女様、大変お待たせ致しました」

 

 

 一人、避難所の外で宇宙を感じる少女の背後に魔法少女達が現れる。彼女を信じてやまない美国織莉子とその従者である呉キリカ。織莉子は簡易拝礼をすると背後で棒立ちするキリカに合図した。

 キリカは渋々手にする何かをまどかの真後ろへと投げる……それは、ボロ雑巾のように擦れたキュゥべぇだった。

 

 地面に放り出されたキュゥべぇはふらつきながら立ち上がると、未だ彼らに正対しないまどかに言葉を投げかけた。

 

「まどか。やはり君を魔法少女にするのは危険だね。確信したよ、君は僕達インキュベーターだけじゃない、宇宙の脅威にもなり得る。母星とのネットワークを遮断しているのも君なんだろう?正確には君に唆された上位者達だ」

 

 キュゥべぇにしては珍しく、捲し立てるように。しかしそんな彼等にも、あの弱気で臆病だった鹿目まどかは動じない。むしろ少女特有の優しい微笑みを不自然に絶やさずに語るのだ。

 

「今日の星々は異なって見えるね、キュゥべぇ」

 

 その言葉の本質が分かるほど織莉子の脳は啓いていない。ただ、ニュアンスとしては何となくだが理解できるものだ。

 

「宇宙に旅立ったトム少佐は、何で地球に帰ってこなかったんだと思う?」

 

「訳がわからないよ。生憎母星とリンクが切れてしまった僕個人の知識はそこいらの子供と変わらないんだ。君のせいだ、まどか」

 

 あのキュゥべぇが怒っている。キリカの脳が起きている現象に追いつかない。何を言ってもけろりとしていて正論を振りかざすあのキュゥべぇが、こんなか弱そうな女の子に苛つかされているというのか。

 そのか弱そうな女の子がようやく振り返る。胸に手を当て、瞳を閉じて。その姿はまさしく女神。織莉子はもちろん、織莉子以外のものを崇めないキリカでさえもその神々しさに跪いてしまう。

 恐怖も、敬いも、愛らしさも、すべてを抱擁した少女。それが今の鹿目まどかという上位者。

 

 その上位者は、白き宇宙の死者を抱き抱えるとその瞳を開いた。その瞳はいつもの桃色とした優しきものではなく。

 

 

 ━━宇宙よ!(Cosmos!)

 

 

 どこかで、誰かの声が啓蒙される。

 

 

「宇宙から見た地球はどこまでも蒼くて」

 

 

 キュゥべぇはその瞳から逃げる術を持たぬ。恐ろしくて身体が強張る。彼等が精神疾患と呼ぶ感情というものが、全力を以て危険を訴えるのだ。

 

 

「“私達”に出来ることはないんだよ」

 

 

 さぁと、まどかはキュゥべぇに催促する。最早言葉はいらぬのだ。彼女が求めるのは手段。そしてその手段は目の前にあるのだから、手を伸ばさずにはいられない。

 超次元的な思索と可能性を前に、誰しもがそうなるだろう。故にまどかは間違っていない。それは人間として、上位者として正しく幸運なのだ。インキュベーターとて、つい先日まで宇宙の延命の為にこの少女に迫っていたではないか。それと同じこと。彼等に少女を咎める事は出来ぬのだ。

 まさしく因果応報。神々のいた時代であれば赤涙が発動するくらいにはこの因果応報は大きい。

 

 それにだ。これは宇宙の意志でもある。彼女はその遺志に従い、幾つもの次元を超えるに過ぎないのだから。

 

 

「さぁ、キュゥべぇ。私を魔法少女にしてよ。この願いを叶えてよ」

 

 

 迫る。ただただ、少女は言葉のみで彼に迫るのだ。気がつけば、母星とのネットワークが繋がっている。これでもしリンクが切れたままであればこの個体に魔法少女契約を結ぶ権限や機能は持ち得なかったのに、今の状況では目の前の少女を魔法少女に変えてしまえるだけの能力があるのだから……不幸なのだろう。

 加えて、母星にいる彼等の総体は事の重大さに気がついていない。目の前に大きなエネルギー発生源があるのならば利用しない手はないというのが総意な訳であり。

 

 このキュゥべぇに拒否権は無かった。これが絶望と言うものなのだろう。

 ようやく、ようやくだ。今まで少女達を絶望に陥れて来たが、ようやくその絶望というものが理解出来たのだ。理解しなければ良いものを、彼は理解してしまった。

 

 だが、何も上位者すべてが彼女の昇華を望むわけではない。

 

 

「きゅぷっ!?」

 

 

 突如、腕の中のキュゥべぇが消える。無理矢理奪い取られたのだ。

 予知の能力が働かなかった織莉子は驚きながらも態度を変えないまどかを守るべく彼女に寄り添う。そしてキリカは見たのだ。キュゥべぇを奪い去った者の姿を。

 

 

「私の願いは、なぎさちゃんにとっても悪い話じゃないと思うんだけどな」

 

 

 困っているのか笑っているのか、それとも怒っているのか。まどかは首を傾げて襲撃者に微笑んだ。そしてその襲撃者は、身の丈に合わぬ飄々とした無表情でキュゥべぇを抱えている。

 

「別になぎさは、個々人の信条は関係がないのです。なぎさはただマリアのために割りに合わない戦いをしているんですから」

 

 百江なぎさ。私が救い、そして呪いを植え付けた少女。織莉子は再度今の状況を訝しむ。なぜこの子娘が現れるまで予知ができなかったのだと考え、そして導き出す。

 なんて事はない、魔法少女とてキュゥべぇから生まれたのだ。ならばその能力の制御や統制は、ある程度ならばキュゥべぇ達が行えるのではないか。つまりそれは、彼等が組んでいるということに他ならない。

 キュゥべぇは織莉子の予知を阻害したのだ。

 

「珍しく……魔法少女同士の関係に口を出すのね、キュゥべぇ」

 

 織莉子の周辺に水晶が浮かぶ。それは攻撃の予兆。

 

「この問題は最早魔法少女だからと片付けられる範疇を超えている。だから僕個人として対処させてもらったよ。まさか他の上位者の手を借りるなんてね」

 

「織莉子、下がって!キュゥべぇをあのちっこいのから取り返せば良いんだよね!」

 

 織莉子の忠犬は動く。迅速に、そして鮮やかに。その鉤爪でなぎさを狩り取るべく。なぎさは懐からあるものを取り出し、それを掲げる。

 それは遺骨。古い狩人の遺志が滲み出るものだ。

 

「マリア、力を借りるのです」

 

 刹那、遺骨から遺志が滲み出る。キリカが超スピードでなぎさを切り裂く瞬間、なぎさは瞬間移動とも思える速度でその一撃を回避して見せた。

 その光景にキリカは驚く。驚いて、危機を感じた。なぎさが彼女にラッパ銃を向けていたのだ。

 

「うわっ!」

 

 ラッパ銃から流れ出るシャボン玉をキリカは直撃寸前で回避する。だが、このシャボン玉が恐ろしいのは直撃だけではない。

 シャボン玉が破裂すると、そこから溢れた魔力の奔流がキリカを襲った。爆発的な魔力はキリカの身体くらいなら容易に八つ裂きにするほどの威力を持ち合わせている。無論、キリカは回避する術もなく吹き飛ばされる。

 

「キリカ!」

 

 織莉子が叫び、レーザーを発射する直前。まどかが眉を細めて言った。

 

「殺さないで、織莉子さん」

 

「っ!」

 

 レーザー群がなぎさに伸びると、彼女は瞬間回避でそれらを避けて距離を取った。

 

「なぎさちゃんも、キリカさんを殺そうだなんて考えてないから。ね?」

 

 織莉子が倒れたキリカを見れば、彼女は衝撃で気絶しているだけのようだった。殺そうと思えば殺せたはずだ。それをしないのはやはり、彼女のバックにいる白百合マリアの意思なのだろう。

 まどかはゆっくりと織莉子の前へ出るとなぎさに両腕を伸ばした。まるで赤子を受け入れる聖女の如く。だがなぎさには、私から与えられた啓蒙がある。瞳のかけらを持ち得るなぎさには、彼女の抱擁は必要無い。

 

「なぎさちゃん。覚悟はできてるんだよね?」

 

「悪役の台詞なのです」

 

「やだなぁ、そんな訳無いよ」

 

 刹那、なぎさの身体に異変が走る。急激に身体が寒くなり、手足が震えた。これは紛れも無い奇跡だ。前に魔法少女達の争いを止め、私を発狂させたあの奇跡。

 なぎさはすぐにとある薬を飲み干す。光り輝くその飲み物は、私の父からの贈り物。女神の祝福と呼ばれたものだ。それを飲めば、未だ上位者に成り果てていないまどかの呪いなど容易に吹き飛ばせた。

 

「なぎさ!とにかく今は逃げるんだ!今の君に勝ち目はない!」

 

「分かってるのです!」

 

 キュゥべぇの助言に従い、なぎさは遺骨を使って猛急ぎで逃げる。だがそれこそ彼女の勝利だ。だからその勝利を認められるはずがない。

 織莉子は倒れるキリカを抱き、まどかに告げる。

 

「しばしお待ちを。必ず貴女様の下にキュゥべぇをお届けします」

 

「うん、ありがとう織莉子さん。気をつけて」

 

 笑顔で送り出すまどかは、やはりいつものように優しい少女であるが。本質は最早少女ではない。まどかは織莉子の姿を見失うと、やはり空を見上げる。

 今はまだ良い。叶えられるのであれば、それは容易い方が良いのだ。だが、時間が経つにつれ有利になるのはやはりまどか。この宇宙に対する交信はただ啓智を深めるだけのものではないのだ。

 

 やはりこの少女は一筋縄ではいかない。最も穏やかな少女は、今や最も危険な存在へと成り果てているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「新たなる思索に心を躍らせてみれば、なんだねあれは。まるで出来の悪いサーカスだ」

 

 男は、頭に奇妙な檻を施した男は呆れた口調で言った。彼の視線の先には未だ暴れ狂いほむらと対峙するワルプルギスの夜が浮かんでいる。

 男は不健康そうな顔を歪ませ、一先ず壊れかけのベンチに腰掛ける。そして思索に頭を巡らせた。

 

「ふむ、獣とは違うし狩人ですらない。しかしそこに集められた仮初の遺志の中に確かに感じるのだよ。見知った啓智がね」

 

 その背後のアスファルト。そこでは麗しい金髪と純白の衣装を真っ赤に染め上げる女もいる。彼女は手にする武器で使い魔を解剖し、未知なる生物に対しての興味を隠せないでいた。

 獰猛な、しかし美麗な笑みを浮かべながらその女は切り刻む。

 

「ああ、何なのかしらこの生き物。でも、こんな生き物で治験が出来るなんて……幸せね、私は」

 

 自分とは異なる狂気に満ちた女を、男はため息混じりに眺めた。

 

「聖歌隊とはここまで野蛮な連中だったか。まぁ良い。ここは我らが故郷に比べ神秘が薄いが……それでも良い思索ができそうだ」

 

 ここにいてはいけない二人。私がヤーナムで出会った者達の中でも、群を抜いて凄まじいインパクトを誇る者達がやってきてしまった。

 



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継承、月光

 黄金の三角頭。さやか達の前に姿を現した敵対者は、変わったナリをしている。それは正しく、穢れに対する不退転の意思の表れであり強靭な覚悟の表明でもあるのだ。現れたそれが手にするおよそ武器とは呼べぬ大車輪。しかし恭介はその車輪から、怨嗟にも似た夥しい数の遺志を感じる。きっとあの車輪はただただ相手を叩き潰す事に特化した武器なのだろう。かつて狩人の夢で見た記憶がある。

 三角頭はしばらくそのまま呆けたようにその場に立ち尽くした。さやか達は警戒し、しかし所以の分からぬ存在に声をかけるのも憚られている。

 しかし、恭介には分かる。あの三角頭の左手に持つ長銃。あれは正しく、医療教会の工房が作成した長銃であろう。皮肉にも、敵対者が持つあの長銃の名はルドウイークの長銃。さやかが師と仰ぐ古狩人が作成したものだった……が。彼の記憶ではかの長銃は取り回しが悪く、一人で運用するのは難しいはずだ。

 

 と、いう事はあの三角頭は見た目通り相当頭が狂っているか実力があるということ。そして装束と武装からして医療教会に縁のある者であるということ。

 

「おお……ここは、宇宙か?」

 

 三角頭がようやく口を開く。いつのまにかあれだけいた魔女の使い魔はいない。きっとあの三角頭が抱く怨念にも似た意思に恐れをなしたのだろう。超弩級の魔女の使い魔すら恐れさせるとは、一体あの三角頭はなんなのだ。

 

「あんた……それ、嫌なものを感じるよ」

 

 宇宙に啓蒙されている少女、さやかが三角頭から何かを感じる。と、三角頭はこちらに気がついたのか驚いたような素振りを見せた。

 

「貴女は……?もしや、その剣は!医療教会の方でしょうか?」

 

「はい?」

 

 およそ敵対者として呼び出された者に相応しくない親切な言葉遣いだった。三角頭は感動したように車輪を地面に叩きつけながら歓喜する。

 

「間違いない!その聖剣は……まさしく英雄ルドウイークのもの!という事は、貴女もまた私の友という訳ですね!」

 

「ちょちょちょ、ちょっと待った!あんたいきなり現れてなんなのさ!」

 

 やはり狂人は狂人でしかない。一人言葉を連ねる三角頭にさやかは困惑する。

 

「さやか、こいつちょっとヤバ」

 

「お前かァー!この私を呼び寄せた穢れはァーッ!!!!!!」

 

 杏子の言葉を遮り、三角頭は憤怒した。突如として車輪を振り被り、こちらに突っ込んでくる。あれだけ重そうな車輪を悠々と振りかざすあたり、やはり普通の人間ではなさそうだ。

 

「ちょっと杏子あんた何したのさ!」

 

「知らねーって!」

 

 全員が怨念を積もらせた車輪を避ける。車輪はいともたやすくアスファルトを砕いて見せた。どうやら威力は相当なものらしい。

 後退しつつ、やはり鐘の音に誘われた者にまともな者はいないのだと恭介は痛感した。思えば聖杯で呼んだメンシスのダミアーンといい、格好もそうだが揃いも揃って個性的だった。彼らには幾度も助けられたが、偏見というものは中々覆せない。

 

 恭介は乙女達を守るべく前衛に出る。

 

「さやか、気を付けろ。やはり彼も狩人の一人だろう……それもタチが悪い医療教会のね」

 

 発火ヤスリを用いてノコギリ鉈に火を灯す。

 

「タチが悪いだとォー!?お前からあの雌犬の臭いがするなァー!あの裏切り者の狩人と同じ臭いが!」

 

 そう言うと、彼は手を振るジェスチャーを背後に送る。そちらの方向はワルプルギスの夜……するとどう言うわけかあれだけ三角頭を避けていた使い魔達が一斉にさやか達に襲い掛かる。どうやら彼と使い魔達は提携しているようだ。

 杏子は舌打ちすると槍の切っ先を三角頭に向けた。

 

「だぁーもう!ただでさえ使い魔達が厄介だってのに!」

 

「来ますわ!杏子さんと私で使い魔を倒します!その隙にあの変態を!」

 

 啓蒙低き彼女達からすれば、あの三角頭はまさしく変態だろう。そして思索を巡らし啓蒙の高い私からしてみても、やはりあの装備は変態だ。あの金のアルデオと呼ばれる装具の意味は知っているが、やはりそれでも変態装備だ。

 

 血族狩り、アルフレート

 

 さやかは聖剣に月光を迸らせると、手始めに死なない程度の光波を振るう。三角頭はそれを華麗に避けると距離を詰めてきた。

 

「何ですか!?なぜ医療教会の者が穢れた売女と共にいるのですか!?何故私に刃を向けるのですかァー!?」

 

 やたらとテンションの高い彼はそのまま車輪を振るう。さやかの聖剣がそれを受け止めれば、見た目よりもずっと重い車輪が彼女を押し潰さんとしていた。聖剣越しに、さやかの骨が軋む。

 それだけではない。車輪から溢れる怨念がさやかを内側から蝕んでいくのだ。それは呪いに近いだろう。

 

「彼女に触れるなッ!」

 

 すかさず恭介が真横から変形したノコギリ鉈を縦一直線に振るう。三角頭に刃が当たれば、たまらず三角頭は吹っ飛んでいく。多少はあの黄金もへこんだだろうが、致命傷にはなっていないだろう。

 

「なんですか!嫉妬ですか!?狩人の嫉妬は醜いですよ!前にも言ったでしょう!」

 

 どうやら彼は恭介を誰かと勘違いしているようにも見える。だが、それは正しい。恭介もまた月の香りの狩人なのだから。私の意思は少なからず彼にも流れている。

 

「さやか!躊躇っちゃダメだ!殺すんだ!」

 

「そんな……でも、人でしょ!?」

 

「狩人だッ!」

 

 燃え盛るノコギリ鉈をダウンした三角頭に振るう。一回、二回と斬り付け、すぐにノコギリ鉈を変形させて鋸部分で三角頭の皮膚を切り裂いた。

 狩人の膂力は凄まじい。三角頭は耐えきれずにまた後方へと吹っ飛ぶ。恭介は追撃しようとして、倒れ様に三角頭の長銃の銃口が彼を狙っていることに気がついた。

 

 刹那、発砲。長銃とは名ばかりの散弾が恭介を襲う。ステップで避けようとも、広がる水銀弾は避け辛いのだ。致命傷は避けられたが腕に数発ペレットを受けてしまった。

 

「恭介!」

 

「大丈夫だ!これくらい……」

 

 すかさず距離を取って輸血する。これぞ狩人の業。受けた傷はすぐに塞がり、元と変わらぬ恭介があるのみ。

 三角頭はむくりと立ち上がり、受けた傷にショックを受けているようだ。

 

「血が!血が出たじゃないですかァ!」

 

「狩人だろうに……」

 

「貴様のように血に飲まれてないわァー!」

 

 輸血すらせず、三角頭は車輪を空に掲げて怨霊を解き放つ。さやかですら秘儀が来ると分かった。人ならざる業が、あの車輪より解き放たれる。

 現れたのは巨大な髑髏のような怨霊の塊。それはゆっくりとさやか達へと迫る……かつて彼が師と仰ぐトゥメル出身の聖職者、ローゲリウスが用いた業と同一のものだ。

 

 死して、あの三角頭……血族狩りのアルフレートはその秘儀に目覚めたのだろう。師の業を再現し、彼は叩き潰した者達の怨霊を使役したのだ。

 

「神秘……!」

 

 すぐさま恭介も対処しようと試みて、さやかが前に出た。神秘には神秘を。月光に絶対的な信頼を寄せる彼女はすぐに月光の聖剣を掲げて魔力を貯める。

 

「うおぉおおおりゃあああッ!」

 

 月光の奔流。古い火の時代より受け継がれしその業は、確かに強力だ。かつて対峙したルドウイークが用いた時も私は苦戦を強いられた。

 だが、隙が大きい。隙というものは獣狩りであればさして支障にならぬ。しかし相手が狩人であれば。

 狩人とは、その速度と業によって獣を狩る。隙を晒せばどうなるか、狩人である恭介はよく分かっていた。

 

 だから。見逃さない。怨霊を放った三角頭が、それを隠蓑にステップで接近していることを。

 

 さやかが月光を放つのと同時に、恭介は奔流に巻き込まれる事を承知で前に割り込んだ。月光の力は凄まじく、掠っただけの恭介の腕を吹き飛ばす。

 同時にアルフレートが振るう車輪を、さやかの盾となる形で受け止める。無論、人より少し強靭である程度の狩人がそれを受け止めればどうなるかは火を見るより明らか。

 

 恭介は車輪に潰された。怨嗟を募らせた車輪は、恭介の胴を半分ほど擦り潰したのだ。

 

「あ、」

 

 想い人が、自らの隙を守るために潰れていく。さやかはその光景を目の前で見つめながら。

 

「さや、かッ」

 

 臓物と血を吹き出しながら、恭介の身体はさやかと共に吹き飛ばされる。地面に激突したさやかは、その身体に軽すぎる恭介を感じた。

 そして、身体の半分以上が消えている恭介を腕に抱える。

 

「あ、ごめ、恭介」

 

 恭介の血を浴びながら、さやかは震える身体で謝る。それだけではない、魔力で治療も施しているのに身体が治っていかないのだ。

 狩人の身体は人間とは違う。その身に虫を宿し、その意思は宇宙と繋がっている。はたしてただの魔力で再生できるほど単純でもない。狩人を癒すのは、同じく虫を宿す血なのだ。

 

「貴女が!貴女が殺したんですよ!その狩人を!」

 

 アルフレートは責めるように指を指して怒鳴り、車輪を掲げた。

 

「さぁ、潰れるがいい!売女め!」

 

 憔悴しているさやかに車輪を振るおうとして。

 

 

 

「テメェ何してんだァー!」

 

 

 杏子の槍が、彼を背後から貫いた。

 

「ゴアぁあああ!?なんですか貴女はァー!?」

 

 刺されてもなお暴れるアルフレート。杏子は怒りに震えながらもその槍を介して彼の意思を感じた。

 

「テメェ……あの人の敵か!」

 

「貴様、穢れた血族の……!」

 

 刹那、杏子の槍に炎が灯る。それはただの炎ではなく、教会の狩人に殺された城の者達が抱く復讐の念。

 それは瞬く間にアルフレートを包むと彼の身体を消し炭に変えていく。

 

「あああああ熱いッ!血が、熱い!」

 

「仁美ィ!」

 

 杏子が叫ぶと、チェーンソーを携えた仁美が燃え盛るアルフレートの前に立ちはだかる。そして一気に彼の首筋目掛けて得物を振るった。

 

「死になさい、悪魔め!」

 

 けたたましい機械音と共にアルフレートの首が金のアルデオごと切断されていく。それはさながら処刑のようだ。

 彼は、処刑する側であった彼は、処刑された。穢れた血族とその仲間によって。血を噴き出し、重低音の金属音と共に首が転がる。侵入者は、完膚なきまでに殺された。

 

 

 ━━PREY SLAUGHTER━━

 

 

 余韻など無い。すぐさま杏子は追ってきた使い魔を屠る。仁美は……やはり恭介とさやかへと駆け寄るのだ。

 ぼろ雑巾のようになって動かない恭介をさするさやかを見て、絶句した。これはもはや死んでいる。彼女達の想い他人は死んでいるのだ。

 

「かみ、条くん」

 

 膝をつく仁美。まさしく絶望が彼女達を襲う。

 

「おい!しっかりしろ!私一人じゃこいつらを……うわっ!」

 

 使い魔の攻撃をギリギリで受け流す杏子。いくらベテランの彼女と言えども、この数の使い魔をさやか達を守りながら狩るのは至難の技。

 しかしそれを理解していても二人は動けない。顔を涙で歪めるさやかは、何度も治癒魔法を恭介にかけるも治らず。深い絶望は、すなわち彼女達の魂を汚していく。

 

 しかし宇宙は見捨てず、彼女に語りかけた。

 

 

 ━━ 狩人よ、光の糸を見たことがあるかね?とても細く儚い。だがそれは、血と獣の香りの中で、ただ私のよすがだった━━

 

 

 師の言葉が、彼女の脳に流れる。脳に宿る瞳が、さやかに何かを訴えた。まだ終わっていない。そう、恭介はまだ死んでいない。

 夢に囚われた狩人は死なず、ただ自らの死を夢として流すのみ。ならば彼の死体は残るはずがないのだ。また生き返り、狩をなすだけのはず。

 であれば、恭介はなぜ形を留めたままここにいるのだろうか。それはやはり、あの狩人アルフレートによる呪い。狩人とは不死と対峙する時、確実に狩殺すために生きる意思すらも奪う。今の恭介はただ、あの三角頭に意思を奪われているに過ぎない。

 

 ならば。意思を与えれば彼は蘇る。

 

 光の糸が舞う。それはさやかに纏わり付き、次第に恭介の身体へと溶け込んでいく。

 

 

「仁美」

 

 

 覚悟を決める。なすべき事をなすのだ。

 

 

「恭介をお願いね」

 

 

 訝しむ仁美を他所に、さやかは月光を彼の亡骸に突き立てる。何をと尋ねる仁美に微笑みかけ、さやかは受け継いだ鐘を取り出し鳴らした。それは不吉な鐘とは異なり、どこか懐かしさすらも覚える音色。

 さやかは、月光を通じて自らの意思を流し込む。魔力の奔流とも異なる意思が、生きる意思さえもが恭介の亡骸に流れ込んだ。

 

 同時に仁美は啓蒙された。さやかは自らの命と引き換えに恭介を救おうとしているのだと。そして、それを理解していても止められない自分がいる。

 なんと人間とは身勝手な生き物なのだろう。想い人が生き返るならと、親友の死を止めないのだから。だが自己嫌悪すれど絶望はしない。それが彼女の望みなのだから。そして、その望みは己ではできぬ事だと理解しているから。

 

 

 ━━「古人呼びの鐘」に共鳴がありました。

 

 

 失われた四肢が戻っていく。その命に息吹が芽生える。

 そして、さやかの命が失われていく。

 

 

「ねえ、恭介。私」

 

 

 ソウルジェムに亀裂が走る。限界だった。いくら月光に導かれた魔法少女といえど、人であることに変わりはない。

 完全にソウルジェムが砕ければ、月光の奔流は止まる。命が流れ出て、さやかという少女の生涯は呆気なく止まる。だがそれで良い。

 最後の瞬間、彼女には聞こえた。友の声だ。それは走馬灯の中の一部かもしれないし、幻聴だったのかもしれない。だが、確かに耳にしたのだ。

 

 

 ━━大丈夫だよ。さやかちゃんの意志は無駄にはしないよ。

 

 

 これで美樹さやかの物語は終わり。後は残されたものが紡ぐのだろう。

 

「さやかっ、クソ!」

 

 叫ぶ杏子は、しかし見た。彼女が最期に鳴らした鐘に共鳴し、やってくる者を。

 

 

 ━━鐘の共鳴により、聖剣のルドウイーク がやってきました。

 

 そして、姫の口付で王子は眠りから醒める。悪夢に再び戻るために。

 やってきた彼の師は、足元に横たわる弟子の少女を見下ろした。跪き、開いた彼女の瞳を閉じる。そこに命は感じられない。だが、それで良かったのだと彼女の貌は告げている。

 

 

「なすべき事を、成したのだな」

 

 

 慈しみ、しかし嘆くとルドウイークはさやかの胸に彼女の腕を乗せた。少女は身も心もは綺麗なまま死ねたのだ。それは狩人には稀有な、良い死に方なのだろう。

 恭介は目を見開き、その顔で心の苦痛を表現した。

 

「狩人は死なないのに、さやか」

 

 胸に刺さる聖剣を引き抜き、立ち上がる。月光と少女の遺志は、確かに彼の中に流れている。だから、余計に虚しいだけだ。その遺志が、さやかの死を実感させるのだから。

 かつての英雄は少年の肩に手を乗せると言うのだ。

 

「さやかは、確かに君を導いたのだ。狩こそが、君の使命なのだよ」

 

「さやか……」

 

 恭介は受け継いだ聖剣を掲げると、そのクリスタルの刀身に魔力を迸らせた。彼が信仰するのは月光ではない。それに魅入られた少女を信じるのだ。

 そしてその信仰は、杏子を囲む者達を須くこの世から消して見せた。あまりにも強大な力に、しかし恭介は喜びはしない。深い悲しみと決意のみが残る。

 

 

 

 さやかの親友であった上位者は宇宙に祈るのだ。友の安らぎを。そして安らげる場を作るため、暗躍するのだ。

 

 

 

 

 




なんでさやかすぐ死んでしまうん?


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ヤーナムの影大嫌い、犬はもっと嫌い、赤蜘蛛は死んでいい


 

 

 瞳が齎す啓蒙に、価値が無いと言えば嘘になる。瞳とは正しく思索の果てに得る輝きであり、人が次の超越を迎える為に求め続けなければならないものだ。ウィレーム学長はかつて思索の果てに人の身でありながら上位者へと至った。それは到底人が成し遂げられる偉業ではなく、ビルゲンワースの流れを汲む医療教会とメンシスの檻達は彼の正しさを須く認めなければならないという証でもある。

 血に酔い、狂気に酔い、ヤーナムという土地はしかし滅んだ。思索を捨て、血と実験、そして交信という分かりやすい成果を求めた学徒達の最果てによって。しかしそうまでして求めたかったものが瞳なのだ。瞳とは、人が人を超えた証。更なる思索を得た証。100マイル離れた先から人類を見据えるための光り輝く暗黒の星。

 かつて私は、狩りの果てにその瞳を脳に宿した。私は人間や狩人という枠を超え、赤子が齎した啓智を継承して上位者と変わったのだ。

 

 だが。そんなもので望むものがすべて救えるわけでは無い。

 

 

 さやかが死んだのだと、私は深まる神秘の中で感じてしまった。月光を信じ、人を愛して愛された少女はとうとう報われなかった。それが例え少女が望んだことにせよ、幸せな結末である訳がない。恭介が遺志を拾ったのだろう、彼女の彷徨える遺志を感じることはできない。それが唯一の救いだろうか。

 

 本当に?あの少女の願いは自分達を見て欲しいという欲の果てに得た願いだったはずだ。ならば死にたくはなかったはずだ。どんなに手段が無くて、最期には笑っていたとしても、通じ合っていたとしても失われて良い命ではなかったはずだ。

 上位者とは、人を超えた存在ではなかったのか。私の夢は少女達の楽園を築くこと。しかしそれは、ただ少女の遺志を拾って意思を再現する事ではない。その夢の中には、確かにあったはずなのだ。少女達を生きたいように生かせ、導いていく私の姿が。

 

 歯が砕けそうになる程に顎が軋む。悔しくて堪らない。かつて仁美が魔女となりかけた時は、それでもよかった。きっと恭介は二人を選べない。人とは最愛のものを二つと選ぶようにできてはいないから、きっとどちらか一方の少女が気付かずに捨てられてしまうのだろうから、そうであるなら私が彼女を楽園へと導くだけだったから。そして仁美も、自らに起きた身体の変異に絶望していたのだから。

 だが、さやかは違う。受け入れて、それでも進もうとしていた。それは狩人が最も尊敬すべき生きるという意志。果たすべき使命の自覚なのだ。そんな少女を殺して良いはずがない。

 

 

 ビルから飛び降りた先には、かつて見たであろう人物達が背を向けていた。悪夢の先で狩ったはずの二人。きっと漂っていたわずかな遺志が、ワルプルギスが放つ濃い神秘に惹かれたのだろう。彼らは死人だ。その存在は霊体に近い。怨霊と言っても良いだろうが。

 

「アッハッハッハ! おぉ、素晴らしい(Oh, majestic!)!狩人の身で上位者となるとは!」

 

 その内の一人、メンシス学派でありヤーナムにおいて悪夢の主をしていた学者、ミコラーシュが私の存在に気付いて歓喜した。啓蒙高き彼であれば私の正体の看破は容易いだろう。そしてもう一人、あの診療所でなり変わっていた医者が狂った笑みを向ける。

 

「あら、貴女……そう。結局、真に貴女が選ばれたのね」

 

 仕込み杖を握った彼女……名前などない。ただヨセフカと呼ばれた女を偽った、聖歌隊の生き残り。そんな女は、上位者の子を身篭って私に無残にも殺され腸を引きずり出された挙句にその赤子の臍の緒を奪われた。

 彼女から感じるものは嫉妬。彼女では無く、私が真に選ばれた事に対する灼熱の怒り。自らを私を生み出すための手段とされた事に対する、正当な怒りだが。

 哀れ偽のヨセフカ。せっかく赤い月により齎された叡智も死して怨霊となり嫉妬に囚われた事で無為と化したか。

 

「悪夢とは、正しく廻り終わらぬものだ」

 

 右手に落葉を。左手にエヴェリンを。愛すべき友を失おうとも私がやるべきことは変わらぬ。宇宙の光が私に囁く。為すべきことを為すのだと。いつかいた、狼達のように。

 

「学徒よ、貴公の言った通りだった。私はやはり、上位者となっても悪夢に囚われ続ける未熟者よ」

 

 ならば、この怒りも正しい。怒りは啓蒙低き行いであり思索の邪魔である。しかし事人間とは無駄大き存在よ。無駄に無駄を重ね、繰り返す狂気の果てに進化を得る。私が獣狩りの夜を繰り返したように、最後に辿り着くまで。

 ならば良いのだ。怒りをもって、少女らしく、人間らしく彼らを狩ろう。そしてワルプルギスの夜を討ち殺そう。

 

「貴公らこそ我が悪夢を語るに相応しい」

 

 神秘の高まるこの街にて、我に敵う者無し。彼らは狩殺されるだろう。敵意の無い学徒も、嫉妬に狂う女も共々。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何かがおかしいと、ほむらは無反動砲の数々を操作しながら思考した。それは今までの経験から齎された彼女なりの啓蒙であろう。

 ワルプルギスの夜という存在は、こうも敵対する魔法少女に無関心であったか。もちろん今も使い魔の攻撃は続いているが本来からの攻撃は一切無いのだ。通常であればこの時点で本体の魔女の集合体からの苛烈な攻撃を受けていて然るべき頃合いだ。それなのに、本体は一向にこちらを向かず、前進を止める事もない。こちらの攻撃も相変わらず効いている気配はないが、それでもなお、この様子はおかしい。まるで何かに引き寄せられているような、そんな感じすらもある。

 

 ワルプルギスの夜の進行上にセットされていた爆薬を作動させる。自衛隊から盗んだ指向性散弾と呼ばれる爆薬が爆ぜ、その上に積み重ねられていた高性能炸薬が爆ぜる。爆発の指向性を持たせるために創意工夫をし、そのエネルギーのほとんどがワルプルギスの夜の反転した頭部へと文字通り突き刺さった。

 が。しかし止まる気配は無い。多少はダメージが通ったようで、頭部が焦げている。やはり外部からの攻撃は効果が薄い。

 ならばと、ほむらは軽機関銃を両手に抱えて本体へと突撃を試みる。使い魔である魔法少女の影を空中で弾幕を張り撃ち落としながら先へ進む。ほむらには一つの秘策がある。それは、ワルプルギスの内部破壊。数多のループの中で、かなりの有効打となった攻撃だった。方法は明快単純、ただワルプルギスの機械的な体内に乗り込み、破壊のかぎりを尽くすだけ。問題は、ワルプルギスの夜に近づけば近づくほど使い魔が増え、乗り込んだとしても変わらぬ量の使い魔と逃げ場のない内部で戦闘になるということか。

 

「どきなさい!」

 

 怒号のように叫びながら、ほむらは使い魔を駆逐していく。彼女の魔法少女としての素質は薄いものだ。だが、潜ってきた修羅場の数々が彼女を歴戦の魔法少女と変えた。きっと、凄まじい素質を持つマミですら彼女には苦戦するだろう。

 

 だが不思議な事に、ほむらがワルプルギスの表面にたどり着くと魔法少女達の影が離れていく。到達した面にも使い魔は見当たらない。こんなに不思議なことがあるものか。

 しかしそれでも進まねばならぬ。仲間達は自分を先行させるために使い魔と戦っているのだから。

 

 そう決意して、機械仕掛けの魔女の内部を進んでいく。敵は誰一人として見当たらない。ほむらは持ち得る火器を最大限に使用し、破壊の限りを尽くす。

 人間であれば心臓の部分に辿り着いた頃だろうか。変わらず爆薬で吹き飛ばしてやろうとしていた時だった。不意に、使い魔が現れた。

 

 それは、やはりいつもと変わらない。見知らぬ、しかし魔女になったであろう魔法少女をモチーフとした影。血のように赤く、だがほむらを見つけても向かってくる様子はない。

 ほむらは警戒し、しかし倒すべき敵である事には変わらない。ただ、ライフルの銃口を向ける。そして、その影の顔を見て、驚くのだ。

 

 

 

 

「白百合、マリア?」

 

 

 

 百合の狩人。その人物にそっくりな影が目の前にいるのだ。だが、よく見てみれば服装や武装が異なる。

 服装は古めかしく仕立ての良い動きやすそうな地味な服の上にマントのような布を羽織っている。左手にはあの銃ではなく、腕に備え付けられた弩が備え付けられ、手には短い短刀。何よりも右手には狩人特有の仕掛け武器ではなくただ何の変哲もない剣が握られていた。

 

 影はほむらをジッと見据えた後、フードを頭に被せてから構える。その構えには、少女らしさは一切感じられない。巴マミのような華やかさも、美樹さやかのような実直さも、佐倉杏子のような猛々しさも、個人としての癖すらない。ただ敵を倒すことのみに特化した、実戦的な構えであることが見て取れる。

 

 長い時を戦いと共に生きてきた彼女だから分かる。この魔法少女を模した影は、なるほどワルプルギスの心臓を守るに値する強敵であると。

 

 ほむらはライフルを盾にしまい、代わりに取り回しの良いドイツ製のサブマシンガンを取り出した。4.6mm弾を使用するその特殊な銃は、破壊力自体はライフルには劣るが制御のしやすさと連射力、貫通力、そして何より室内戦における取り回しに優れる。

 見た所、あの影は防御力に優れた服装はしていない。ならば破壊力よりも、相手の上を行く速度と取り回しで上回る必要があるだろうと考えてのことだ。

 

「っ!」

 

 最初に動いたのは影の方だった。影は全速力で走って来ると、弩で矢を飛ばしながらほむらを牽制する。

 一瞬の時間停止で矢を回避し、反撃に移る。単発でダブルタップ、軍の特殊部隊にも劣らぬキレのある射撃は無駄なく影の胸と頭を捉えていた。

 

「!」

 

 影は驚いたように表情を変えると、剣で銃弾を斬り払う。もしこれが重量のある7.62mmであるならば剣をへし折りながら影を殺せたかもしれないが、高初速軽量弾はあっさりと無に帰ってしまった。そもそも、銃弾を切り払えるなどさやかですら難しい。それどころか、並の狩人ですら無理な神業だ。

 しかし音速を超える弾を斬ったせいで刃こぼれはしたらしい。影は剣を捨てると新たに魔力で精製した短剣を召喚した。そしてその隙に、ほむらは一気にサブマシンガンのセレクターを切り替え連発しながら詰め寄り、弾の回避に専念する影の胸をドロップキックする。

 確かな感触。影はそのまま後方に吹っ飛んでいく。

 

「もらった……!」

 

 そのままほむらが追撃しようとして、何かに気がつく。

 

 

 吹っ飛びながら、弩の先端がほむらに向いていたのだ。

 

「くっ!」

 

 射出される矢をサブマシンガンで受ける。咄嗟の事で時間停止が間に合わなかった。影はその隙に体勢を立て直すと、蹴られた胸を摩る。どうやらかなり痛かったらしい。

 ほむらは機関部に矢が刺さったサブマシンガンを投げ捨てながら、疑問に思う。ワルプルギスが召喚する使い魔としての影は、取り込んだ魔女の魔法少女時代を再現するものだ。思考、魔力、武器、その全てを。

 しかしあの影はどうだ。もし今の一撃が他の魔法少女のものであるなら、今頃ほむらはサブマシンガンごと貫かれていても不思議ではなかった。

 魔法少女とは、自らの魔力を出し惜しみなどしない。持てる力をもって、魔女を粉砕する。ならばなぜ、相手が撃った一矢の威力が低いのだろうか。

 

「どうやら、魔法少女としての素質は低かったようね」

 

 それに尽きる。きっと、目の前の影は卓越した技量と戦いに関する先見性で魔力を補って魔女と戦っていたのだろう。つまりほむらと同じタイプ。だが、影にはあってほむらにしか持ち得ないものもある。

 ほむらは構える影に突進せず、固有魔法である時間停止を作動させる。

 

 すると、彼女以外の時間が止まる。この法則にはあの百合の狩人以外当てはまらない。

 ほむらは即座に飛び上がり、小盾から対戦車ロケットを取り出して影の死角である真上から発射する。

 

「でも、魔法運用では私の方が上ね」

 

 そして加害距離から離れ、時間を進めた。

 

「ッ!?」

 

 影は突如真上から迫ったロケット弾に気がつくも、もう遅い。防御するように羽織っていたマントで自身を包む。

 そして、爆発。最新の戦車ですら後部ならば破壊する弾頭は、影を爆風と粉塵で包んだ。包んだのだが。

 

「……面倒ね」

 

 晴れた粉塵から、その姿を現すのは爆発を耐え切った影。しかし無傷ではないらしく、マントはボロ布と化し、立つ事さえやっとの様子だった。剣を杖代わりにし、影はなんとか立ち上がる。どうやらあのマントには魔力的な防御結界か何かが仕込まれていたようだ。

 ほむらは拳銃を取り出し、まだ倒せない影に苛立ちを覚える。早いところ始末しなければならない。

 

 

「えっ?」

 

 

 思わず、影が取った行動にほむらは面食らった。影はマントを脱ぎ捨てるや否や、全速力で逃げ出したのだ。こんな事、あるはずがないと脳内で否定しながらも実際目の前で起こっている事にほむらは対処すべく、同様に走り出す。

 

「待ちなさい!」

 

 イレギュラーだった。影が、防衛を無視してまで逃げるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 簡単な事だ。相手の攻撃に合わせて銃を撃てば、相手は体勢を大きく崩す。その隙に内臓を引き抜いてやれば、それで終わり。相手は上位者や獣のように大きくもない人間なのだ、ならば手で握れるだけの内臓を引き抜いてやればそれだけで良い、終わる。

 引き抜いた内臓を捨て、私は横たわる偽のヨセフカの胸に落葉を突き立てる。彼女は相変わらず私を憎悪した目で睨んでいたが、それで終わり。狩人は死体すら残さず、悪夢に沈むのだ。彼女が居たという痕跡はなくなる。これは屠殺だ。

 

「は、はは、は……やはり君は、どこまで行こうが狩人のようだね……」

 

 その横で、壁に横たわるミコラーシュが皮肉った。片腕と足は既に取り払われていて、新鮮な血が溢れていた。

 

 久しぶりに、一方的な狩りというものをさせてもらった。百合の狩人を名乗って久しく、相手の尊厳を無視した狩りだった。最早虐殺と言っても良い。

 ミコラーシュが呼び寄せた隕石を、上回る私の神秘で相殺し、余剰の隕石が彼を貫いた。狩人の端くれらしく接近戦を仕掛けてきた偽のヨセフカを、銃撃でパリィして内臓を引き抜いた。それだけのことだ。

 

 勝負などにもならない。これがかの制裁神であったならば、手こずっていたのだろうが。

 

「悪夢に囚われ、その微睡だけを享受する者共が私に勝てるはずも無し……メンシスの学者よ。いかに上位者に媚びようと、自ら思索せねば瞳など得られるはずもなかろうよ」

 

 私の忠告を、彼は吐血しながら不気味に笑って受け入れた。

 

「アッハッハッハ……そうだねぇ、夢に戻ったのならば……私もウィレーム先生のように、自らの脳のみで考える事にするよ……」

 

 それだけ言い残し、彼は霧散した。きっと彼は目覚めない。永遠と悪夢の中に囚われ、そして巡っていくのだ。それが正しいと信じ、上位者から瞳を授けてもらうために。

 私は落葉に着いた血を払い、鞘に納刀する。先ほどからほむらの戦いが随分と静かだが、彼女が死んだという事も無い。きっと内部に乗り込んだのだろう。

 情けない、さやかの死をきっかけに、少し血が荒ぶり過ぎたか。本当ならもっと二人と戦ってやっても良かったのだが。

 

「だが、もう良い。今こそあの遺志の塊を私の手に。それこそ、今の私の悲願なのだから」

 

 人間とは、思索も大事であるがもっと欲深くあるべき存在でもあるのだ。ならばそれで良い、私は変わらず少女達を導き、あの狩人の夢をハーレム化する。それだけなのだ。

 私はそれだけ考え、ほむらの後に続くために当たり前のように浮かび、ワルプルギスの内部へと侵入する事に決める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めないキリカを簡易ベッドの上に寝かせ、まどかは避難所の体育館を後にすべく裏口へと向かう。未だ織莉子は逃げたキュゥべぇを捕まえられていないが、それでも良いのだ。運命とは、自ら歩みを進めなければ向かっては来ないのだから。

 上位者となりかけても尚、まどかは友達想いだ。今まさに死地にいる友が死んでしまったが、それでもジッとここで待っているのは性に合わない。臆病だが、それでも今の自分は昔の自分とは意思が違う。ならば、赴かなくてはならない。それこそ、来るべき時に向けた試練。

 

 そしてこれもまた、試練なのだろう。裏口へ行けば、まどかの母が彼女の手を引いた。娘が娘ならば親も親、また啓蒙に溢れている。きっと何かを察したのだ。

 

「どこへ行くんだ」

 

 そう母が尋ねれば、まどかは振り返らずに落ち着いた様子で答える。

 

「友達を助けに行くの」

 

「消防に任せろ、素人が動くんじゃない」

 

 母は正しい。だが、人の身でまどかの為そうとする事を思索するまでには至るはずもない。それほど神秘の中で生きてきたはずもない。

 

「私にしかできない事って、何かな」

 

 娘の問いに、母は首を傾げた。

 

「出来もしないのに止めて、泣き噦ること?帰ってくるかも分からない友達を、待ち続けること?契約をしないこと?」

 

 目の前にいるのは娘のはずだ。しかし母にはどうにもいつもの娘には見えない。思えない。

 

「違うんだ。私は私自自身を補って、至高の存在(Great one)になるの。だからね、ママ。行かなくちゃならないんだよ」

 

 まどかが振り返り、瞳を覗かせる。その瞳は、いつもの可愛らしい瞳ではない。光り輝く星々を宿した、超次元の存在。娘は、母の知らぬ間に人を超えてしまっていた。

 只人にとって、理解できぬものとは毒となる。それは目の前の娘もまた同じ。鹿目詢子の脳に、異形が囁く。

 

「ママとパパに、私は大切にされてた。愛されてた。今ならもっと分かる。だから私は自分を蔑ろにするつもりはないよ。でもねママ、それ以上に、私は皆を見捨てられないの」

 

 まどかが母の手を握り返す。

 

「ママ、今でも私が正しいと思う?嘘もつかない、良い子だって信じてくれる?」

 

「まどか……」

 

「私は自分に嘘はつかないよ。例えそれが、高次元暗黒に揺らめく存在になろうと。だからママも、私を信じて」

 

 啓蒙が、正しさを証明する。だから鹿目詢子は娘を引き止められない。自分が、そう育てたのだから、娘を信じなければならないと、否定しようともできない人間性が彼女を止めさせた。

 手を離せば、まどかは笑顔で母の頬に唇をつけた。

 

「さよなら、ママ。大切にしてくれてありがとう」

 

「まどか……!」

 

 走り去る娘を追いかけることはできない。身体が動かない。意思とは異なる、人間性がそれを止めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう、できる手段は尽くした。最早すべき事は何もない。何もないのだ。

 娘と別れて数年、少女はイギリスの地を放浪した。その間、沢山の出来事があったが。それはどれも、少女という異形であり魔法を司る存在を否定していた。

 技術は進歩し、魔術はすでに御伽噺の中でしか生きられない存在となっていた。そうなれば魔法を使う人間はおろか、治す存在などいるはずも無し。少女はそれでも放浪しなければならなかった。

 自らの呪いを解くために。死ぬことすら、今の彼女を解放できるとは思えない。それほどまでに、少女は魔法少女の中でも異端と化していた。長く生きた代償か、最早彼女のソウルジェムは浄化を必要としない。ただ闇に染まり、人間性を貯め続け、奪った魂を自らの糧とすればそれで良し。空腹すらも懐かしい。

 

 終われない苦しみというものが、彼女を襲っていた。発狂など、してしまえばどれ程楽だったか。だが悲しいかな、彼女の脳は既に啓蒙に溢れている。長い時の中で考え、見て、実感して、現世において発狂するには既に遅い。

 

 

 

 そういえば。あの貴族の娘を送り届けた場所、あの街はどんな所だったか。

 遠目に見ただけだが、確か医療によって隔絶されながらも発展したのではなかったか。

 

 今までずっと、魔法こそ自らを治す手段だと思い込んでいた。しかしそれほどの医療ならば彼女を治す事も可能なのではないか。

 ポーチから、懐かしいものを取り出す。それは貴族の娘から最後に与えられた手紙。結局今の今まで読む事は無かったが。少女はそれの封を切る。

 

 中には招待状だけが入っていた。カインハーストと呼ばれる、とある国の招待状だけが。

 

 少女はそれをまたしまい、考える。

 

 もし、かの街で自らを治療できるのなら。呪いを解けたのなら。もう一度、あの娘に会いに行っても良いかもしれない。それくらいしか、楽しみというものが無いのだから。

 

 決めれば、少女は馬に跨り次の目的地へと進む。

 

 ヤーナム。より深い呪いが渦巻くその街が、次の目的地だった。

 

 

 

 



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呼びかけ

 

 獣と変わらぬ使い魔達を共同で屠りながら、ルドウイークは空を見上げる。吹き荒れる嵐は未だ止む気配を見せず、使い魔達の数も変わらない。それでも、ほんの一瞬だけ彼は空に何かを感じ見ずにはいられなかった。

 空を飛ぶ、一輪の百合。暗めの衣装に映える灰のような銀髪。かつての悪夢で自らを解放したその者が、元凶であるワルプルギスに向かって跳躍していたのだ。相も変わらず狩りには適さない格好だというのに。

 特に彼がなにをするでもない。労いの言葉も届かなければ、ジェスチャーをしても無視されるだろう。だからなにもせず、ただ見つめた。

 自分の安らぎの為に甘い嘘をついた狩人を。自らの弟子に助言をした、最初の狩人であるゲールマンの弟子を。ただ、見送る。

 やはり彼女は、どこまでも狩人なのだ。その狩人とはかつてのヤーナムにおいて卑下されたような存在ではない。人を守り、自らの正義のために殉ずる覚悟のある狩人だ。

 

 あぁ、さやかは結局最後まで彼女を理解してやれなかったのだろうが。それでも二人は友であったはずだ。それで良い。狩人とは本来孤独なものだから。

 

 ルドウイークは贋作の聖剣を振るう。重い銀色の隕鉄が使い魔を叩き潰す。

 だが悲しむなかれ、狩人よ。貴公の弟子はしっかりと亡き者の遺志を継げるだけの器量を持つ正しい狩人だ。彼は、愛弟子の想い人である恭介を見据えた。あの若い狩人は、受け継いだ月光を巧みに操り狩りを成している。血に飲まれる事もなく、狩に酔いしれる事もなく、ただひたすらに約束を果たそうと。自らの愛するものを守ろうと足掻いている。

 例え月光に真に見定められていなくとも、彼は立派な月光の狩人であり、月の香りの狩人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レーザーがすぐ真横を掠める。やはりあの美国織莉子という少女は、想像していたよりも対魔法少女戦に熟知していた。

 美国織莉子はかつて、聖女として崇める鹿目まどか殺害のための撹乱として魔法少女狩りを行なっていた。故に魔法少女の追跡、襲撃などの行為に対し熟知している。実際行動していたのはキリカだが、それを指揮していたのは織莉子だ。思慮深く、知識もある彼女ができないはずもない。

 

「これじゃあジリ貧なのです」

 

 次第に正確になっていくレーザー攻撃から逃げ惑うなぎさが呟く。

 

「僕じゃ彼女の魔法は打ち消せない。何とか逃げ切るんだ!」

 

「言うは易しなのです」

 

 ビルから飛び降り、霧揉みしながら地面へと飛び込む。勘違いされがちだが、百江なぎさという少女は実に賢い。戦う経験こそほぼないが、彼女にはいざというときに躊躇いなく敵を斃せるだけの覚悟もある。故に彼女は、逃げの一手ではなく反撃のタイミングも伺っていた。

 なぎさは路地裏に逃げ込むと、シャボン玉を辺り一面にばら撒く。上にも周辺にも満遍なく。

 織莉子が彼女を追って裏路地へとやって来た頃には、なぎさはどこかに息を潜めていた。如何に織莉子が智略に優れた魔法少女であろうとも、今の彼女は未来予知の魔法を封じられている。故に罠が張られていようともそれを予知する事などできるはずもない。

 

 だが、それでもやはり賢いのは織莉子。彼女は自分が裏路地に誘い込まれた事を瞬時に理解した。次に彼女は、水晶を真上に放り投げて自身に当たらない程度に周辺へレーザーを放つ。

 

 刹那、路地裏が爆風でごった返した。なぎさが秘匿していたシャボン玉がすべて、レーザーによって誘爆したのだ。

 

「小癪ね」

 

 織莉子はそう吐き捨てると、粉塵の舞う中で精神を研ぎ澄ませる。きっとあの小娘はこれを煙幕代わりに襲いかかってくるに違いない。彼女にはわかっていた。逃げられないのならば、なぎさは必ず立ち向かってくるという事が。そしてそれは、正しい。

 突如、真横から気配がする。そちらを振り返り即座にレーザーを放てば、煙が晴れて襲撃者の姿が露わになる。

 

「あっぶないなぁ!」

 

 キュゥべぇ。レーザーを間一髪で避ける彼が、そこにはいた。なぎさの姿などどこにもない。

 してやられたと悟る。彼は囮だった。そしてやはり、反対側から新たな気配がするのだ。急いでそちらを振り向こうにも、もう迎撃には遅い。なぎさの姿を見たときには既に彼女は腕を突き出していた。

 

 なぎさの腕から、正確には彼女が手にする蛞蝓のような何かから、触手が溢れ出す。それは正確に織莉子を突き飛ばして見せた。まるでトラックに轢かれたような衝撃が、彼女を簡単に跳ね飛ばす。

 エーブリエタースの先触れ。私がなぎさに貸し与えたものだ。しかしいくら上位者の一部を召喚しようにも、その威力は召喚者の神秘に依存する。故に神秘に劣るなぎさでは殺し切るほどの威力は発揮できなかった。だがそれで十分。

 

 なぎさはゴムボールのように跳ね飛ぶ織莉子を追撃する。手には固有武器の如雨露ではなく、形状が異なるこれまた如雨露。

 聖歌隊はそれを、ロスマリヌスと呼ぶ。水銀弾を消費し先端から放たれる霧は、濃い神秘である。これもまた星の娘の恩寵である。

 

 まるで殺虫スプレーの如く吹き荒れる神秘の霧は、常世にある人の身体には毒となる。織莉子はなす術なくその霧によって肌を焼かれ、度重なる神秘との邂逅によって発狂しそうになる。

 とどめと言わんばかりに、なぎさは未だ宙を舞う織莉子目掛けて前方宙返りのまま蹴りを放つ。織莉子の身体が無理矢理地面へと打ち付けられた。

 

「すごいよ!あの織莉子を一方的に攻撃するなんて!囮にされた時はいつか殺してやるクソガキと思ったけど、それもチャラだね」

 

「キュゥべぇが感情を楽しんでいて何よりなのです……でも、まだ終わりじゃありません」

 

 ここで終われば、織莉子はおりこ☆マギカでラスボスなどやっていない。なぎさの言う通り、織莉子は満身創痍の身体を無理矢理起き上がらせると震える足を支えに立ち上がる。どこからどう見ても、敗色濃厚な彼女だが。

 その瞳から溢れ出る闇は失われていない。

 

 織莉子は咳き込み吐血しながら、静かに言葉を紡いだ。

 

「絶対に、貴女はこういう狭い場所で反撃してくると思っていたわ」

 

 ゲリラ的な気質、武器、戦力。それらを総合的に判断し、彼女は言う。

 

「そして、それは私も同じ。貴女達を確実に討ち滅ぼすために、あえて乗ってあげた」

 

 そして彼女は、空を指差す。その瞳に狂気的なまでの人間性の闇を溢れさせながら。

 

 

「宇宙は空にあるッ!聖女様の意思は、何としてでも成し遂げなければならないのよッ!このクソガキ風情がぁ〜ッ!」

 

 刹那、何かとてつもない巨大な影が路地裏を覆った。見上げれば、それはある。とてつもない数の隕石が……今まさに路地裏を、いやこの周辺のビルごと更地にしようと迫っていた。

 それを見た一人と一匹は血相を変える。自分の身を顧みず、自分達を殺しにくるとは思ってもいなかった。これでは目標であるキュゥべぇごと殺してしまうではないか。

 

「に、逃げるんだッ!」

 

 キュゥべぇが叫び、なぎさは全速力で路地裏から逃げ出すが。

 

「無駄よ。何人たりとも聖女様の邪魔をした者を生かしてはおかないの。だから死になさい」

 

 無慈悲に、彼女は言い放つ。そしてなぎさの予想よりも早く、隕石は辺り一帯を砲撃してみせたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 影は所詮、影でしかない。邪魔をする影を落葉で斬り刻みながらワルプルギスの夜の表面へと着地する。なんて事はない、よくある狩の道中だった。そして中へと足を進めれば、誰かが戦っていた痕跡がある。小さな弾薬の撃ち殻。ほむらのものに違いない。

 どうやらかなりの規模の戦闘だったようだ。爆発の痕も見て取れる。強敵でも現れたのだろう。それにしては短時間で決着がついたようだが。

 

 更に内部を進む。すると外の風雨以外に、何やら物騒な音が混じって来た。発砲音と爆音だ。

 

「このっ!」

 

 遠くで、その姿を見つける。ほむらと影が戦っている。ほむらが銃撃し、影が斬り込みにかかっているのだ。私は友を救出すべく駆け出すと。

 ほむらが影の蹴りを喰らってこちらに吹っ飛んできた。おっと、と私は運よくほむらを抱き抱えてその華奢な身体を受け止める。それにしても軽いな、しっかりと飯を食べているのだろうかと心配になるが、今はそれよりも。

 

「さ、白百合マリア?どうしてここに」

 

「なに、影相手の狩りにも少し飽きてね。随分と威勢の良い影もいたものだ」

 

 軽口を叩きほむらを下ろす。しばらくして、影はこちらへと歩いて近づいて来た。どうやら他の影とは違い、何かしらの意思があるようだ。

 しかし何故だろうか。凄く。凄く見覚えのある……いや、見た事はない。それなのに懐かしいような感覚がある。それにあの服……あれは異邦の服だ。私がヤーナムにおいて最初に着ていた服。所々意匠は異なるが、概ね同じものだ。

 

「どうやら……少し特殊な使い魔のようだね」

 

「気をつけて白百合マリア。奴は何かが違う。戦略的な判断もできるようだわ」

 

 なるほど。ワルプルギスの親衛隊か。一人で親衛隊というのもおかしな話だが。

 

「ほむら、あの影は私の役目だ。君は先行し、ワルプルギスの脳を叩け」

 

「頼むわよ」

 

 すんなりと、彼女は私を信用した。少しは友達として仲が良くなったのだろうか。ふふ、可愛いじゃないか、素直な君は。私と対峙している隙にほむらは時間停止を駆使してこの場を抜ける。それで良い、なすべきことをなすのだよ。

 私はしばらく影と、お互い動かずに対峙していた。相手は私の何かを窺っているようだった。どうも切り出すタイミングを見ているようには見えない。

 

 それならば、私から仕掛けるか。落葉を分離させ、威圧する。その時だった。

 

 

 影が、フードを脱いだのだ。

 

 

「……実に、不愉快だね」

 

 

 その影の顔。それは、私自身。なるほど、ワルプルギスめ。私の意志を感じてコピーしたとでもいうのだろう。最大戦力だからだろうね。光栄に思えとでもいうのだろうか。

 

 

 いや、違う。そんな単純な事ではない。もっと何か、大切なことを私は忘れている。あの影は、ただの影じゃない。何か意志を、いや遺志を感じるのだ。懐かしい、どこかに置き忘れて来た遺志を。

 

 

 

「ずっと、私は君を待っていたよ」

 

 

 

 影が口を開く。私の顔で、しかしその顔に愛を滲ませながら。

 

「……何の話かな」

 

「忘れていても無理はない。何万マイルも遠い、御伽噺のようなものだ。それで良いのだ、リリィ」

 

 私が唯一覚えている、私の名を影は呼ぶ。やはり私は彼女を知っていた。

 

「貴公は、一体」

 

「その啓蒙で、瞳で。感じているはずだ。君は愚かではない。ならば、言葉は不要なのだろう。君は闇で、同時に私も闇だ。呪いであり、私も呪いだ。だが、最早その毛色は異なる。血を力に変える君ならば分かるだろう。同様に私も、魂を力に変えるのだから。得た遺志を遡れば、お互いの齟齬は解決するはずだ」

 

 影は言い切って、剣を構える。酷くあの剣にも見覚えがある。いやそれだけではない。その重み、切れ味。全ての感触を覚えている。

 私も同様に、落葉を構える。狩人に言葉は不要であると、彼女は言ったのだから。その通りなのだ。私は狩人で、分からぬ事があれば相手の血の遺志を奪って知識とすれば良い。それだけで良いのだ。

 

「お互いに、死力を尽くそう。最期なのだから」

 

 影が向かってくる。私は言葉を封じ、ただ相手を狩殺すためだけに意識を集中させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 焼け野原なんてものではない。そこは、一方的に爆撃されてリセットされた更地。織莉子が見せた彼方への呼びかけは、周辺数百メートルを消し去ってみせた。きっと避難に遅れた人間など、痛みを感じる間もなく死んだに違いない。

 そんな中、生きているといえば異形の存在と成り果てた魔法少女くらいだろうか。それと、それらを影で使役する上位者。

 なぎさとキュゥべぇは辛うじて生きていた。だが無傷という事はあり得ない。なぎさの指はちぎれかけ、全身を火傷と裂傷が襲い、もはや動かぬ。キュゥべぇの方も生きているというだけで反応が無い。ほぼ動かぬ身体で、何とか逃げようとするもやって来た気配を前に動きを止めた。

 

「やはり、宇宙は私を見捨てなかった」

 

 恍惚とした表情で、空を見上げる織莉子がそこにはいた。呼び寄せた隕石が片腕をもぎ、破片で身体を貫かれようとも彼女は歓喜に震えている。

 だが、悲しい事だ。そもそもやってくる隕石とは、交信が失敗であるという証。織莉子は宇宙に拒絶され、しかしそれを理解せぬまま喜ぶのだから。

 なぎさは改めて目の前の魔法少女に恐怖した。元よりこの魔法少女に理性などない。自らが犠牲になろうとも、誰が死のうともあの上位者もどきのために献身を尽くすのだ。恩などない、ただ自然に。

 

 

「さぁ……聖女様の下へ参らなければ」

 

 

 織莉子は残った腕でキュゥべぇを掴み上げると、その場を立ち去ろうとした。そんな彼女の足に、絡みつく小さな手。

 

「マ、リアの、邪魔は、させないのです」

 

 歯を食いしばり、なぎさは織莉子の足首を掴む。そんな幼子を、織莉子は冷めた目で見下ろした。そして、腕を振り解くとなぎさの頭を踏む。虫を潰すように、ぐりぐりと幼子の頭を踏みつける。

 

「忌々しい聖女様の敵。でも、その意志だけは認めましょう」

 

 足を離すと、ボロボロになったなぎさの顔がこちらを向いていた。負けても尚、闘志だけは捨てていなかった。そして切り札も。

 織莉子を見上げるなぎさの瞳から、眩い小さな隕石が飛び出る。突然の攻撃に、解除された未来予知を持ちながらも対抗できなかった。織莉子は容易に左目を貫かれ、悶絶する。

 

「ぐ、ああああああああッ!このちっぽけなガキがッ」

 

 一矢報いて不敵な笑みを浮かべるなぎさの背中を、織莉子は容赦無くレーザーで貫いた。失った瞳から流れる血が、なぎさの血と混ざり合う。

 なぎさの命が消えていく。それは、痛ましく苦しい事であるが。当の本人はそれほど悲観はしていなかった。自分が死ねば、その遺志は必ずマリアへと届けられる。それはとても、救いのある話だ。

 それで良い。自身は一度、死んだも同然なのだから。運命に従ったに過ぎない。それよりも使命を果たせずに死ぬことの方が辛いのだ。

 

 なぎさのソウルジェムが砕ける。だが、魂が消えても彼女の勝ち誇る笑みは消えなかった。

 

「あひ、ひひひ!ひひひひひ!やった!聖女様、私はやりました!白い害獣を奪って、敵を屠ってみせました!あひゃ!あひゃっひゃ!私はやったんだァーッ!!!!!!」

 

 後には織莉子の絶叫が響くのみ。それも嵐の音に掻き消され。すべては夢に沈んで行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヤーナムとは、実に奇怪な場所だ。これ程までに医療が進み街が発展しているというのにも関わらず、人々は閉鎖的で余所余所しい。他所から来た少女を見れば罵倒こそしないが、まるで腫れ物を見るような目で彼女を見つめた。無論、魔法少女として世界を放浪していた彼女はこれしきの事は慣れている。

 それにしても、先程も思ったが実に面妖である。このヤーナムという土地は。血の医療という怪しげであるが確実な医術と、医療教会という医療を施すための宗教が一体化しているのだ。通常であれば宗教と学術の最先端である医療は反目し合う。それはどこの国でもそうである常識だ。

 これほどまでに宗教と学術が融合するとは、正に神秘。少女は住人達の気質を除けば、このヤーナムという街がいかに優れた場所であるかということを悟る。

 

 どうやら血の医療を受けに来る異邦人は度々いるようだ。怪しげだが医療教会の者と自称する男は少女を受け入れた。そして自らに募る呪いの事を簡易的に説明すれば、それすらも容易く治るのだと豪語する。

 にわかには信じられない事だった。これまで散々放浪し、その欠片すら見つけられなかった治療法が、ここにはあるのだと、この男は言うではないか。嘘ではないのだろう、今まで数多の詐欺師を見てきたが、この男はそのどれとも合わぬ自信と確信を抱いている。

 

 得体の知れない血を輸血するのは抵抗があるが、それでもこの呪いを解くためにできる事があるのならばと、少女は男の後について行く。

 まだ昼だというのに、ヤーナムの街はどうにも薄暗い。ジメジメと、嫌な空気だけが彼女の肌に纏わりついていた。

 

 



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I Never Lost Control
千景


 

 

 

 

 経験、知識、能力、技術。概ね、狩人が戦いにおいて必要なものといったらこの辺りだろう。もちろんこの四つも更に細分化される事に注意しながら考えねばならない。経験一つ取っても戦いの経験、日々の経験など枚挙にいとまがない。技術にしても、剣技と銃の取り扱いではまるで違うだろう。

 自慢するわけではないが、かつてヤーナムにおいて私は幾度もの夜を繰り返した。その中でこの四つの狩りに必要な事項はすべて得たと言っても過言ではないだろう。

 そう、決して自慢では無い。これは客観的判断における事実なのだ。それほどの戦いを繰り返してきた、という裏付け。

 

 その点、魔法少女という存在はこの四大要素の内、経験が劣るという事が挙げられる。理由は、彼女達の若さと魔法少女の寿命の短さだろう。

 この見滝原において絶対的なベテランである巴マミでさえも、年数にしてしまえば魔法少女歴5年程度である。もっとも、5年という時間は少女という限られた年代の中であれば十分長いのだが。そしてマミ曰く、その5年の中で彼女以上に生き延びた魔法少女を見た事がないそうだ。故に、いくら能力や技術、そして戦闘に関する知識があろうとも経験が育たない。さやかにしても……彼女は良い狩人で、そして魔法少女であるにも関わらず一ヶ月もしないうちにその遺志を恭介に託してしまった。

 

 それであるならば、目の前の魔法少女の影は異様であると言えよう。こんなにも戦いに精通し、能力こそは高くはないが技術と経験に優れた者はヤーナムにおいても数少ないだろう。

 

 

 音速を優に超える落葉の連撃を影はすべて回避してみせた。私が誇る、技量特化の連撃。それは悪夢で狩りに酔いしれる古狩人ですら防ぎ切ることは難しい。あのゲールマンやマリアお姉様ですら浅く傷を負わせられる程の一撃だ。

 私は驚かず、牽制のために使い捨てのナイフを数本纏めて投げる。それらを的確に剣で斬り捨てると、今度は影の方が攻めてくる。

 速度は、正直に言って遅い。基本的には魔法少女の域を出ないだろう。神速と言ってもいいゲールマンの動きに比べれば目で追えるのだから。

 

「ッ!」

 

 だが、そんな事は彼女にもわかっている。だから普通には攻めてこない。クロスボウを放ちながら間合いを詰め、剣で手数を稼ぎながら合間に投げナイフを投げて来る。これではいくら剣技に優れようとも反撃の隙が無いのだ。

 かなり慣れている。きっとこの影の持ち主は、幾度となく自分よりも格上の相手と戦ってきたのだろう。まるで上位者や獣に挑む我々の如く。

 

 ステップを交えてそれらを捌くと、私は手元に蛞蝓を呼び寄せて獣の咆哮を放つ。私の喉元から放たれる咆哮は、圧を持って相手を弾き飛ばすものだ。しかし影はそれを察したのか、影はローリングで勢い良く距離を取った。お返しと言わんばかりに着地した姿勢でこちらにクロスボウを構えている。

 

 刹那、影から放たれた矢が私目掛けて飛んでくる。装填もせずに撃てるあの矢は、やはり魔力によって精製されているのだろう。隙だらけの私は仕方なくそれを斬り払う。落葉を伝って、魔法の神秘にも似たちくちくとした痺れが腕を刺激した。

 だがここで終わりではない。私は身体から溢れ出る神秘を用いて加速し、影に肉薄する。まだ影はローリング後で膝をついている状態だ。そんな影に、両手の落葉で回転攻撃(変形L2)を見舞う。

 この攻撃こそ落葉の脅威だろう。マリアお姉様が用いる失われた落葉とは異なり、私の落葉は血による神秘を伴わない。故に純粋な技術特化型の獣狩りの武器であり、私の技術が重なれば脅威的な速度と攻撃によって敵はバラバラに事切れる。今まで幾度となく狩人や獣に対して用いてきた技だ。

 

「読めたぞ」

 

 影が、不敵に笑う。刹那、私の初撃をいつのまにか手にしていた短剣で弾いてみせたのだ。古の時代、まだ獣狩りという言葉すら無い時代に用いられていたパリィと呼ばれる業だ。一度私も見せただろう。単純に、相手の攻撃を弾くのみ。だがその恐ろしさたるや。しかしそれはヤーナムの狩人においては一般的では無い。なぜなら相手は大概自らよりも筋力で勝る獣であるし、そもそも接近して危険を冒してまでパリィするよりも銃撃で相手を崩した方が容易いからだ。

 パリィによって強制的に攻撃を弾かれた私はバランスを崩した。

 

「一本、取った」

 

 空いた胴に、影は剣を突き刺す。鋭い剣は容易に私の肉を裂き、内蔵を貫いた。吐血する私を、影は蹴り飛ばす事で引き離した。

 蹴り飛ばされた私は落葉を杖に立ち上がる。影は追撃せずに、そんな私を眺めていた。至極満足そうな表情で。それが私の顔なのだから、なんとも憎たらしい。

 

「出し惜しみは良く無いよ、君」

 

 影はそんなふうに、まるで私が魔法少女の諸君らに助言するように言ってみせた。私は輸血せずに流れ出る血と寄生虫を筋力で塞き止めると血を吐き捨てて笑った。

 

「何を言う。君もまた、全力で来ると良い。今のはほんの小手調べだ。なるほど、私を模しているだけあってやはり君は手強い狩人だ……ただの影と侮ってはならんな」

 

 獣血の丸薬を飲み込む。今の一撃で「彼女」の強さは身に染みた。どうやら狩人として本気を出さなければなるまい。生半可に挑むのは相手にも私にも誉がないだろうし。

 

「まだそんな事を言う。まぁ良い、それもまた、君の意志なのだろうからね」

 

 呆れたように言うと、影は直剣を霧に帰し、代わりの武器を精製してみせた。その姿はまるで夢を知る狩人の如く。だが方法はもっと根源に近いものだろう。

 取り出したのは大剣。クレイモアとでも呼べば良い、ルドウイークの聖剣よりも少し小さい何の変哲もない剣だ。

 対抗し、私も落葉を連結させて左手にエヴェリンを握る。そして勢い良く落葉を腰のポーチにマウントさせてあった雷光ヤスリに擦り付けた。

 黒獣由来の雷が落葉に宿る。聖杯にて幾度も用いたものだ。

 

「これは私が啓蒙された程度に過ぎないが」

 

 お互いに距離を取りながら、円形にゆっくりと回る。間合いを確かめるように、いつでも詰められるように。さながら西部劇と呼ばれる決闘のように。

 

「君を狩り、その遺志を拾えばはっきりとするはずだ。君が何者なのか、その存在の理由が」

 

 右手に隠していた精霊に神秘を灯す。すると私の頭上に暗黒の宇宙が出現し、数多の星々(彼方への呼びかけ)が影に飛来していくのだ。私はそれに乗じて加速しながら突撃を仕掛ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巴マミという魔法少女は非常に強い。これは比喩でも何でもなく、ただひたすらに溢れ出る素質と因果、そして培ってきた経験と知識がそうさせるのだ。

 生き延びたいという意志が彼女に力を齎し、本来の弱い心はベテランであるという自負と戦いの優雅さでひたすらに隠してきた。そうしなければ彼女は生き残れなかったのだろう。

 だが、今のマミは昔の心弱き少女ではない。守りたいものがあり、依存先とでも呼べるものがある。それは紛れもなく私、百合の狩人であり、マミの後輩達だろう。故に彼女は心折れぬ。ただ戦いの中であれば。それはかつての聖剣のように。

 

「レガーレ・ヴァスタアリア!」

 

 マミの詠唱と共に彼女を囲っていた影共が無数のリボンによって拘束された。これこそマミの本来の武器。あとはマミに狩られるのみだ。

 

「パロットラ・マギカ・エドゥ・インフィニータ!」

 

 やたらと長い技名を言い終えれば、マミの周囲には無数のマスケット銃がずらりと並び、その銃口はすべて拘束した影に向けられていた。

 無数の撃鉄が降り、魔力を供した火薬が点火すれば最早逃れる術はない。影達は須く彼女の魔弾に貫かれ、霧と化す。そしてそうなれば新たな影が彼女の下へと群がるのだ。それを、マミはかれこれ1時間は繰り返していた。

 

「キリがないわね」

 

 そう言いつつも無傷のマミはさすがベテランの魔法少女だろう。やはり支えを手に入れ油断をしない彼女は天下無敵。いつか来る神浜での戦いでも、きっと相手の街の魔法少女連中から見滝原のやべーやつと言われるに違いない。かくいう私もやたらめったに侵入していた時は百合のやべーやつと狩人の間では制裁神と共に話題に上がっていたらしい。

 マミの戦いは一方的だ。燃費に優れている事に加え、その素質は最上級。一発でもマスケットが当たればいくらワルプルギスの夜の使い魔である影でさえ霧に還る。

 だがそれでも、無限に戦えるわけではない。魔力とは有限だ。そして魔力が無くなれば、自身も敵の一味と化す。

 

「暁美さん、急いで……!あんまり長くは持たないわよ……!」

 

 マミは新たに迫る影共を打ち滅ぼす。相手の数は無尽蔵で油断ならない。

 

 だが、その時。先ほどから何度かしていた鐘の音が、また聞こえた。

 

 それと同時に、何かに怯えた様に影共の動きが止まる。何が起きているか分からないが、これ幸いとばかりにマミは目に見える影全てにマスケット銃を一斉発射する。

 影共はそれで打ち滅ぼされた。今の所は。だが今までの様に新たな増援が来ないのだ。一旦マミは地上に降り立ち、周辺を確認する。

 

 嵐が吹き荒れる中、誰もいない。さすがに遠くでは仲間達が戦っているだろうが、それにしては不自然なほどなにも聞こえないし感じない。

 

「何なの……」

 

 得体の知れない恐怖が彼女を包む。

 

 

 

 ガシャリ。

 

 

 そんな、金属が擦れる様な音が聞こえた。そんなに遠くはない。彼女の背後で。条件反射に近い。振り向き様にマスケット銃を構えると。それは、確かにそこにいた。

 無言で、ただマミに歩み寄ってくる。わずかばかりの気品が見て取れる金属の鎧。その上から意匠の凝った服を身につける姿は騎士に近い。だがそれよりも目を引くのは、まるでカラスのようなヘルムだろう。表情も、目も見えないそのヘルムに身を包む者。

 その者は右手に悍しい何かを宿した刀を携え。左手には彼女が依存する百合の狩人と同じく女性の名を冠した短銃が握られている。

 

 

 敵対者 カインの流血鴉 がやってきました

 

 

 そんな言葉が、宇宙から啓蒙された。そうなれば、嫌でも突然の来訪者が敵であると分かってしまう。

 

「何者かしら……人間?いえ……」

 

 狩人。啓蒙されるよりも早く、その事実にたどり着く。そして流血鴉が何か骨のような物を砕くのと同時に、その姿が視界から消える。

 

 

「えぅ!?」

 

 

 思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。それは正しく、長い魔法少女生活の中で得られた経験だったのだろう。まるでブリッジするようにマミは身体を逸らした。刹那、あの流血鴉が目の前で刀を振っていた。恐るべき速度で奴は迫り、刀を振るった。それだけの事だ。

 マミは仰け反った姿勢から、流れるように銃撃してみせる。だが鴉はそれすらも神速のステップで躱してみせたのだ。すぐ様マミは姿勢を整えると、対峙するために銃を構える。

 

「ッ!」

 

 その時には既に流血鴉の姿は見えず。ただ真横からの気配を頼りにマミは横にローリングして一撃を躱す。ローリングからの復帰様にすぐに反撃しようにも、今度は流血鴉の短銃が彼女を捉えていた。

 放たれる弾丸の速度は、音速を超える。骨髄の灰によって上乗せされた威力のある水銀弾はマミを一撃で葬るには十分だった。避けきれないと瞬時に判断したマミは、ほぼ条件反射でマスケット銃で弾丸を受ける。

 

「くっ!」

 

 だが骨髄の灰を重ねた弾丸はそれでは止まらない。集中力により遅まる時間の中でマミは弾丸受け流すようにマスケット銃を振るった。きっとあのまま受け切っていたのならばマスケット銃を貫通し、マミの心臓を貫いていただろう。

 辛うじて弾道が逸れた水銀弾は、マミの右腕を掠るのみ。だが掠っただけで、マミの腕から多量の出血が齎された。それ程までに、血質と骨髄の灰によって強化された水銀弾は恐ろしい。

 

 すかさずカインの流血鴉はマミを仕留めるべく加速する。鞘に納めた刀を勢いよく抜けば、それは血の刃を伴ってマミに襲い掛かった。

 これこそカインハーストの呪われた刀、千景の脅威。その刃に自らの血を這わせる事により、その血すらも刃となるのだ。代償は、その者の生命力。徐々に身体を蝕むその代償は、しかし勝利の為には必要な犠牲。

 

 流石のマミも、直撃は免れたが血によるリーチの長い攻撃は予測できなかった。低い斬撃は彼女の美しい太腿の表面を斬りつける。

 

「痛ったぁ……!」

 

 だが、この千景の恐るべき真価はそれだけではない。

 後ろに下がったマミは、不意に視界が揺らぐ。まるで高熱が出た時のような具合の悪さに思考が纏まらなくなった。そして啓蒙されるのだ。あの刀の悍ましさを。

 

「毒……!そういう搦手は女の子に嫌われるわよ!」

 

 魔力を用いて毒を少しばかり抑え、マミは反撃に出る。逃げながら、その経路上にマスケット銃を配置した。

 追いかけてくる流血鴉を逃げながらにして銃撃する。どうやら先ほどの遺骨の効果は切れたようで、脅威的な速度では追ってこないが、それでも魔法少女に追い縋るその姿は悪魔と言っても過言ではない。

 それよりも、毒の方が深刻だ。ゆっくりと、確実にあの千景によって受けた毒が彼女の身体を蝕んでいた。どんどん血が腐っていくような、そんな感覚に陥る。

 

「長引かせるのは……良くないわね」

 

 一気に跳躍すると、マミはビルを蹴って高度を上げていく。流石の流血鴉もそこまでの芸当はできない。そして、一気に反転した。ここで仕留める。

 より一層、大きなマスケット銃が現れてマミの肩に担がれる。それはマミが最も得意とする火力による蹂躙の象徴。

 

「決めさせてもらうわ!」

 

 魔力が砲塔に集まる。それは必殺の一撃。幼きマミが朝まで考えてようやく名付けた必殺技。

 

「ティロ、フィナーレッ!」

 

 流血鴉は逃げようにも、その魔力の奔流と呼ぶべき一撃から逃れられぬ。青白い魔力の束は、容易に鴉を飲み込んで見せた。その直前、手袋を懐から取り出し。

 

 

 轟音と光が辺りを包む。それは間違いなく勝利を齎す一撃だった。そして、油断とはいつも勝利の間際に齎されるもの。まだ少女であるマミは慢心を捨て切れない。

 安堵が心を満たし、次の事を考えながら落下していた、その時。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゔぁぁあああああああああッ

 

 

 

 

 

 

 

 悍しい、髑髏のような何かが着弾地点から迫ってきた。出来の悪いホラーのようなそれは、確実にマミを狙ってきている。

 心臓が一気に跳ね上がった。元より少女とは怖いものが苦手だ。マミも勇ましいが、夏の夜にテレビで放映される心霊特番などを見ようものならキュゥべぇを抱かずに寝られない。きっと戦いでなければ声をあげていただろう。

 咄嗟に腕を交差させて防御するも、それは秘儀。神秘により齎された物理を無視した攻撃なのだ。マミはその怨霊共に身を打ち付けられ、無様に落下した。

 

「あがッ!うっ、ああ……」

 

 狩人ならば死ぬような高所からの落下でも死なないのは流石魔法少女だろう。しかしダメージは深刻だった。流血鴉が放った秘儀、処刑人の手袋から溢れ出た怨霊の一撃は彼女の無垢な身体をズタボロにしてみせた。最早手足は動かない。いくつかの内臓も、そして肺も潰れている。おまけに毒が彼女の残った内臓すらも傷つけていた。

 

 そして、マミは見たくもない光景を見る事となる。それは、依然として立ち上がる流血鴉の姿だった。その身を大砲で焼かれながらも、その身に宿す怨嗟で辛うじて耐えているのだ。そして自らに輸血液を突き刺せば、その傷は癒えた。

 その後の行動は決まっている。マミを仕留めるのだ。

 

「う、あ、あ」

 

 ろくに声が出せないマミに迫る流血鴉。ゆっくりと、弄ぶように。

 

 

 

 けれど。けれどね。私が、この狩人の最上を征くこの私が、マミを死なせるはずもないだろう?

 

 

 

 

 

 ━━鐘の共鳴により、烏羽の狩人、アイリーン がやってきました。

 

 

 

 

 

 

「言ったはずさね。あんたは私の獲物だってね」

 

 

 一羽の烏が舞う。それは何処までも黒く、そして慈悲に溢れている。

 油断とはやはり狩人もするものだ。このカインの流血鴉も例外ではない。一瞬の油断が、異界にやってきた彼の運命を決めた。狩人狩りの烏はあっという間に流血鴉の背後を取ると、重い一撃を無防備な背中に打ち込む。

 

 あっさりと、流血鴉は片膝をついてみせた。となれば、後は。

 

「葬送ってやつさ。今度は私の手でね」

 

 狩人狩りアイリーンは右腕で流血鴉の胴を貫くと、彼の内臓を掴み取り引き裂いた。それで、終わり。あれだけ大聖堂で苦戦したあの相手を、不意打ちと言えどアイリーンは一撃で屠ってみせたのだ。

 死に至った狩人は夢に帰るのみ。そしてカインの流血鴉も例外無く生まれ出た悪夢へと帰って行くのだ。

 

 アイリーンは慈悲の刃の血を拭うと、仮面越しに平伏したマミを眺めた。

 

「酷い格好じゃないかまったく。ほら、これを飲みな」

 

 そう言ってアイリーンは手にした白い丸薬をマミに無理矢理飲ませる。敵ではないとは分かっていても、得体の知れぬものを飲むのは少しばかり抵抗があったのだろう。そしてそれを飲めばあっさり毒は治った……しかし身体の傷はそうはいかない。

 

「参ったね……あたしゃ狩人以外の治し方なんて知らないよ」

 

 マミは狩人ではない。もっと言えば、血の医療を施されていない。血に寄生虫を宿さぬ身では、輸血液は単に毒となり得る。

 だが心配は要らぬ。私がアイリーンを寄越したように、彼もまた娘の友である少女達を見守っていたのだ。

 

 煌びやかな魔法陣がマミを中心に広がる。アイリーンは警戒し飛び退いて、気配を感じた。それは遠く、ビルの上。そこには一人の男が杖のような何かを掲げている。

 

「あ、あれ……傷が」

 

 すると、あれだけの酷い傷が治っていく。それは神秘から齎される秘儀にも似た、しかしもっと古い時代の奇跡だ。アイリーンはため息をつきながら、聞こえもしないのに呆れた声で言う。

 

「娘が娘なら、父親もまぁお節介だね」

 

 父はマミの無事を見送ると、背を向けてその場を去る。それは隠せない父性が見せた奇跡。火の時代からの神話の賜物。太陽の光の癒し。

 マミは立ち上がると、助けてくれた恩人に語りかける。

 

「あの、助かりました……貴女も……狩人?」

 

「そうさね。あの若造に頭を下げられちゃあ、私も出るしかなかったんだよ」

 

 要領を得ない回答に、マミは訝しみながらもアイリーンが百合の狩人が差し向けた応援である事を理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 織莉子は、一人歩くまどかの下へと辿り着くと片腕で戦利品を献上した。跪き、まるで王に捧げるように。くたびれた白い上位者もどきを与えた。

 まどかは織莉子の手を包み込むようにキュゥべぇを受け取ると、彼女の身体を抱きしめる。慈悲に溢れ、すべての魔法少女を愛する少女の抱擁は、織莉子という救われぬ者にとって最上の喜びだった。

 

「ありがとう、織莉子さん。ごめんね、腕、痛いよね」

 

 そしてそんな聖女が、自らの身を案じてくれている。それだけで達そうになった織莉子だが、理性を保って片目だけでまどかを見上げた。

 

「これも、魔法少女と世界のためなのです」

 

 そこに嘘偽りは無い。ただひたすらに、彼女は従者であり続けた。犠牲を出そうとも、それはコラテラルダメージに過ぎない。必要な犠牲だ。殺した名も知れぬ魔法少女も、百江なぎさもそうなのだ。

 まどかが行う事に比べれば、些細な事だ。その後、すべてが救われるのだから。

 

 まどかは織莉子から離れると、その胸に未だ動かぬ上位者を抱き命じる。

 

「キリカさんの所に行ってあげて。きっと待ってるから」

 

「はい……お気をつけて、聖女様」

 

 ふらふらと、まるで操られたように千鳥足で立ち去る織莉子を背に。まどかは進む。

 未だ終わらぬ戦地へと。彼女が求める世界のために。それはきっと、美しく、救いのあるものだから。

 



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The Girl Who Sold the World
望郷


 

 

「ああ!織莉子!ああッ!嘘だ!ああ!」

 

 避難所として使われている体育館に悲鳴が響き渡る。それは少女の声で、しかし少女が表現して良いようなものではない。悲鳴の中に絶望と怨嗟が混じり、それは体育館に逃げ延びた人々に対しても作用する。

 得体の知れぬ不安が彼ら彼女らを襲っていた。一生の内、命の危険が迫る事など現代で何度あるだろうか?その危機が今まさに迫り、挙げ句の果てに少女が泣き叫んでいるのだからたまったもんじゃない。

 

 そして、鹿目詢子とその夫である鹿目知久は目にしてしまった。ボーイッシュな少女が泣き叫ぶ理由、その元凶を。

 泣き叫ぶ少女の傍らには、一人の白髪の少女が横たわっていた。腕のない、死体。遠目でも分かる。あれはもう死んでいる。腕を失った肩口から夥しい血を流し、全身は酷く傷ついているようだった。詢子は湧いてくる吐き気を必死に堪え、知久に介抱される。これはこの世界の常人が見て良いものではない。

 

 そのうち、大人が少女らの周りに集まる。救急車を呼べと叫ぶ大人、死体から少女を引き離そうとする大人、集まりだす野次馬を下がらせる大人。その頃にはもうあの泣き喚いていた少女は黙っていた。ただただ放心し、その瞳を虚にして天井を見上げている。きっと大切な友達だったのだろう、その心の痛みは計り知れない。やはり災害というものは人々の生活を尽く捻り潰していくものだ。

 

 ふと、止められなかった愛娘の事を思い出す。もしかすれば自分の娘もどこかでああなっているのかも知れないと考えると、自分がしでかしてしまった事の重大さが今頃になってのしかかって来るのだ。

 どうして止めなかったのだと、自らの理性が糾弾する。諸々の恐怖と不安は気丈で勝気な彼女を崩壊するには十分で、気がつけば詢子は震えてその場にへたり込む。

 

「詢子さん、まどかは!?まどかは今、どこに……」

 

 しかしそう問われれば、詢子はただ震えて外を指差す事しかできなかった。知久の顔色が青ざめていく。

 

「詢子さんはタツヤを見てて、僕はまどかを……」

 

 探しに行く。それは到底容認できない事実だった。娘に加え夫さえも死地に送るほど彼女は強くは無い。止めようにも、腰が抜け既に大切な娘を送ってしまった彼女に言葉はないのだから。

 

 しかし、そんな彼女にも僅かに救いはあった。

 

「娘さんなら心配いらない」

 

 不意に、彼女らの背後から声が掛かる。それは突然の神の啓示にも等しい。二人揃って背後を振り向けば、外国人であろう二人の夫婦がそこにはいた。

 髭面で、しかしかなり苦労してきたのであろうか。目には並々ならぬ意思が宿っているように感じる。女性の方は黒いドレスのような見慣れぬ衣装を纏い、腕に赤子を抱いている。きっと息子のタツヤと同い年か

少し上くらいだろうか、好奇心旺盛そうな顔で椅子に座るタツヤに腕を伸ばしている。

 

「あの、まどかを、娘を知ってるんですか!?」

 

 食いつくように尋ねる知久に、男性は頷いた。

 

「……保護された。心配いらないさ。今は外が危ないから、嵐が止むまで合流はできないだろう」

 

 その言葉がどれほど救いになった事か。気がつけば知久も詢子を抱きしめながらへたり込んでしまった。そしてお礼の一言を述べると、夫婦は頷いた。

 

「それでなんだが、その、うちの息子が退屈しててね。是非ともそちらのお子さんと遊ばせてやりたいんだが」

 

 別に構わない事だった。きっとタツヤも暇しているだろうし、気が紛れるのであればそれは願ってもない事だ。

 女性の腕から子供が飛び出す。銀髪の子供だった。夫婦の髪色とは異なる所を見るに、養子だろうか。しかし顔立ちは男性に似ている。複雑な家庭なのだろうと考えて、尋ねはしない。

 

 子供はよちよちと歩いていくと、タツヤに挨拶してみせた。片腕を上げながらまるで嵐を呼ぶ五歳児のように、よっ!と言って見せたのだ。タツヤもそれが気に入ったのか、よっ!と手を上げる。子供とは純粋無垢な存在だ。初対面でも警戒などせず、ただ波長が合えば意気投合するのだから。

 

「残酷ですね」

 

 ふと、女性が鹿目夫妻に聞こえない声で男性に耳打ちした。男性はやや険しい表情で息子を眺めながら返答する。

 

「それも、彼女が望んだ事だ」

 

 上位者とは身勝手なものだ。自らの目的のためならば嘘や欺瞞など日常茶飯事。しかしだ。その嘘で救われる人がいるのであればそれもまた、良いではないか。現に目の前の夫婦は安堵しているのだから。きっと彼らが真実を知ることはない。その前に、世界は変わってしまうだろうから。それで良いのだ。

 

 

「タツヤ、ぼくメルゴー!」

 

「めるろ!めるろ!」

 

 そして子供達は笑う。本当に純粋無垢な子供と、脳に瞳を宿した子供は戯れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高まる獣性に心を躍らせながら、雷を纏う刃を振るう。かの黒獣を由来とするその雷は、当たれば炎以上に相手を内側から焼き尽くすだろう。強過ぎる雷は時に炎の威力を超えるものだ。ペースを乱さず、またスタミナの管理を怠らず、一撃、二撃と落葉を振るうのだ。

 相手がステップで避ければすかさずエヴェリンの引き金を引く。フリントロックの短銃と侮るなかれ。最早付喪神と化した時代遅れの銃にロックタイムなどあるはずもない。そして撃発すれば即撃ち出される水銀弾は私の神秘に塗れた血を吸い一撃必殺に近い。

 影はクレイモアで弾丸を受け止めるが、無傷ではあるまい。骨髄の灰を上乗せされた弾丸は、この世界の対物狙撃銃の一撃を超えるのだから。

 

「ぐっ!」

 

 剣ごと弾き飛ばされる影を、私は追った。加速の勢いを殺さず、その喉元に落葉を突き立てる。しかし影もまたこれを好機とする。

 既の所で一気に影は跳躍する。回転するように、まるで乱舞のように。美しい上がり様だ。

 そして両手に掲げるクレイモアに魔力が迸る。月光には遠く及ばないが、それでも並の魔法少女には辿り着けない領域だろう。

 

「いくら狩人でも三次元的な動きには弱かろう!」

 

 勇しく影は吠えると、そのまま一気に落下して私の頭を勝ち割りにきた。スタミナは十分、加速ステップでその場を離れる。

 刹那、影の剣が床を勢い良くカチ割った。ワルプルギスの体内であるというのに、それを構いもせずに床のタイルごと破壊したのだ。同時に魔力が叩きつけた地面から放出される。いくら生命力を上げまくった私でも、あれを直撃したならば死んでいただろう。通常のステップでも魔力の放出を避け切れず、致命傷か。貧者の血晶石が発動するだろうね。

 

 だが隙は大きい。私は夢から悍しいものを取り出す。それは頭蓋。凄惨な実験により頭蓋に穴を開けられた呪詛の塊。我々はそれを、呪詛溜まりと呼ぶ。それを勢い良く投げ付けた。あまりこの手の秘儀は用いたくはないが、相手が相手なので容赦はしない。

 ローレンス率いるビルゲンワースが残した負の遺産が影に迫る。

 

「これは……」

 

 影は焦りもせず、淡々と呪詛溜まりを斬り捨てる。あれは純粋な呪いであり、斬り捨てる事などままならないだろうに、あの影はそれを平然とやってのけた。どうやらあの影も並々ならぬ呪いを背負っているらしい。漁村の呪いが負けるなど。

 

 呪いを斬り捨てた影は大剣にこびり付いた呪いを払うと、言う。

 

「君は呪いの愚かさを理解していると思っていたが……なんと忌々しい」

 

 そして明確に、こちらを睨んだ。呪いというものを嫌悪しているのだろうか。しかしそれは私とて同じ事だ。呪いなど、いつまでも残しておいて良いものではない。

 

「ヤーナムで身も心も俗物に堕ちたか。呪いを背負う身でありながら、呪いを行使するなどと」

 

「それは価値観の違いだ。呪いとは所詮、呪いでしかない。強靭な意志の前には呪いは道具と成り果てるものだ」

 

「それが例え、人間性の闇であろうともか。それは人の身に余るものだよ、君。人を超え、狩人を超えたとしてもね」

 

 まぁ良い、と影は言い捨て大剣を勢い良く払った。まるで発火ヤスリを用いたように大剣を炎が包む。それは最早炎とは言えぬ、禍々しく吹き荒れる渦。光を持たぬ人間性の渦を纏う剣。

 父曰く。古く、人の根源は人間性であったという。火の時代においてそれは最も忌み嫌われ、しかし人はその内に潜む人間性を消し去る事などできない。そして火の時代において人間性とは、深い闇そのものである。光である神々は闇を恐れ、しかし最後には火は燃え尽きて闇の時代……即ち人間の時代が訪れた。そしてそれが当たり前であるならば、人間性の闇というものは目に見えなくなるというもの。

 

 あの影より様々な遺志を感じるのだ。長く、人の営みをその目に刻んできたと。その中で彼女は自らの内に潜む闇を見出したのだと。

 単に啓蒙されたのではない。これは(ソウル)の共鳴だ。私はあの影の魂と共鳴しているのだ。それは何ら不思議な事ではない。懐かしくもある。

 

「人が抱く呪いは……人間性のみで良いのだ。宇宙より齎された呪いも、それに付随して得た呪いもまた、人を器にするには大き過ぎる」

 

 距離はある。しかし影はそのままの距離で、届くはずもない大剣を振るう。同時に宇宙より啓蒙されたのだ。行き場のない人間性とは、別の人間性に釣られるのだと。まるで行き場のない子供達のように。

 闇が人の持ち物であるならば、雷とは神の得物。私は雷の力を得た落葉で、大剣より伸びる人間性の闇を弾く。

 

「っ……!」

 

 これは、毒なのだ。人間性とはまさしく深淵。その一端でさえも人を深海の微睡に引き摺るには十二分。そして上位者とは神に近い存在。その性質上深淵とは相入れないのだろう。落葉を介して、その毒は私を蝕む。劇毒よりも優しく、雷よりも暖かな闇。それは人間の根源。

 あの影は、何人もの人間を屠ったのだろうか。彼女が振るう闇の炎の中に、数多の遺志が宿っている。私の頭に流れ込んでくるその遺志は、人生そのもの。

 安らかに死ねた者、惨たらしく死んだ者、魔女と化した者、信じるもののために火に焼べられた者。その全てが瞳に訴えてくる。

 

「熱かろう、暖かろう。それは思い出なのだ。君は知らねばならぬ」

 

 一体この使い魔は━━否、この魔女の化身は、どれ程の時を生きてきたのだ。

 繰り返すヤーナムの夜において、私はとうに人間が老いて死ぬ時間を通り越している。百年では済まないだろうに。それなのに、この魔女は更に連ねる時を歩んだのだろう。

 ジャンヌ・ダルクが焼かれた時も。虚栄の篝火も、王が民衆に打ち倒された時も。彼女はその目で歴史という人の業を見続けてきた。決して歴史では語られぬ人の営みを。その闇を。

 

「だからこそ、君に返す。私の闇は、君の闇。本当の使命を。打ち捨てられ克服した呪いを思い返せ」

 

 闇を弾く。弾いて弾いて、弾き返す。狂気が高まる。だがそれは決して発狂するようなものではない。

 郷愁。懐古。それらが胸を締め付ける。そんなもの、今の私には必要ないのだ。ないのだよ。

 

「私は」

 

 魔女が剣を振るう間際、エヴェリンを彼女に向ける。

 

「狩人であり、上位者だ」

 

 決別しなくてはならない。それは過去を捨てるのではない。向き合い、見つめ直さなくてはならないのだ。

 引き金を引けば、魔女は態勢を崩した。加速し、近寄り、肩を抱き寄せその顔を見つめる。今にも感情が溢れそうな顔でもって。

 

 それでも彼女は深海のように優しい。そっと私の額に口づけをして、受け入れる。

 

 

「それで良いのだ。君は私の、可能性なのだから」

 

 

 貫手で魔女の心臓を貫く。心臓とは、曰く思いを集める場所。魂の在り処。

 

 

「悪夢は終わり……そしてまた、始まるのだ」

 

 

 残り香を放ち、魔女の化身は離散する。その遍く遺志を私に託して。指輪の意味を、思い出す。ワルプルギスの夜と偽ったかつての少女の全てが流れ込んでくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワルプルギスの夜の使い魔との戦闘を繰り広げていた恭介達。無限とも思える数を屠れば、いくら魔法少女や狩人といえども疲労は隠せない。次第に傷は増え、あれだけ攻勢に回っていた彼らも防御に回ることとなる。

 それでも尚、意志は潰えない。遺されたものを守る為、恭介は月光を振るう。不完全ながらも、その光輝く刀身に亡き少女の遺志を感じて。それは最早、呪いに近い。

 

 迫る影を、月光の聖剣が貫く。影が塵と化す前に聖剣を振るって別の影に投げつけ、怯んだ隙に光波を繰り出す。空いた背中を新たな影が斬りつける。それでも止まらず、恭介は月光の奔流で周囲の影ごと消炭にする。

 

「クソッ……!」

 

 膝をつく間も無く恭介は輸血液を自身に刺して輸血した。

 

「君、大丈夫かね」

 

 恭介のカバーに回るルドウイークが贋作の聖剣で影を叩き潰す。

 

「どこもかしこも獣ばかりだ……!」

 

 だが恭介は心折れぬ。彼女が残してくれた月光がそばにある限り。信じるとは、即ちそういう事だろう?

 

「きゃあっ!」

 

 仁美の叫びが響いた。見れば、影共は寄ってたかって仁美とその魔女の化身を攻撃している。

 恭介と杏子がすかさず月光と身を焼く炎で影を殲滅するが、それでも数は減らない。むしろ増すばかり。

 

「どうすんだ!キリがないぞ!」

 

「黙れッ!ならば狩るまでだ!」

 

 だが。夢とは醒めるものだ。それは悪夢も例外ではない。ミコラーシュが見せた悪夢でさえ、狩によって目醒めを齎されたのだから。

 

 それは突然の事だった。

 

「なんだ!?影が消えてくぞ!」

 

 杏子が叫んだ通り、あれだけいた影が一人残らず消えていく。一体何が起こったのか、しかしそれは一つしかない。

 

「暁美さんがやったんですわ!」

 

 すると、後方からマミと黒尽くめの狩人がやって来る。

 

「みんな!大丈夫!?」

 

 マミが彼らの身を案じ駆け寄る中、ルドウイークは共にやってきた烏を驚いた様子で見つめる。そしてそれは、烏もまた同様。

 

「あんた……聖剣のルドウイークじゃないか。なんでこんなところにいるんだい」

 

「烏羽の……そうか。君もまた、彼女に導かれたのだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その少し前。ほむらはようやく、ワルプルギスの夜の脳へと辿り着いた。言い換えるならばそこは深淵。故に暗く、光など届かない。軍用の800ルーメンを誇る明るさのライトですら、足元を照らすのでやっとだ。

 深淵に光はいらぬ。ただ人を微睡に誘うのであれば、既に深淵は人間性にとっては太陽そのものなのだから。それで良いのだ。

 

 そして、その中心にはやはり源があるものだ。光が溢れる大元に太陽があるように、勝手に湧く事などありはしない。ほむらはそこに、少女を見た。椅子に座り、ただ眠りにつく幼い少女を。

 いや。少女などいやしない。それはそう幻視させるだけの脳。いつぞやのメンシスの悪夢にて見えた脳みそのように、ただ大きいだけの脳味噌。ほむらは得体の知れぬ恐怖に身を包まれるも、その意志の強さで前へと進む。

 

「これが、ワルプルギスの夜の本体」

 

 こんな、理想も魔法も無い、大きいだけの脳味噌が。今まで彼女を苦しめてきた元凶。

 ほむらは軽機関銃を取り出し、その元凶を叩くべく構える。鼓動する脳味噌はうねり、生きている事を感じさせる。あとは引き金を引くのみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コツ。コツ。コツ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 音すら飲み込む深淵に、ただブーツの足音だけが響く。それはほむらのものではない。彼女の背後、入り口からやってきたものだ。

 敵。勢い良く振り返り、軽機関銃を音の方向へと向ければ、その足音の主は深淵においてもはっきりと姿を現した。同時にほむらは機関銃を下げる。

 

「白百合マリア……無事だったのね」

 

 百合の狩人。そして月の香りの狩人。狩人にして幼年期を脱した上位者。その本人がそこには佇んでいた。右手に落葉を、左手にエヴェリンを。しかし表情にはいつもの笑みは無い。返り血に身を包み、その血すらも我物とする狩人の業の化身。

 彼女はほむらのすぐ側まで歩み寄ると、語った。

 

「ここから先は、私の役目だ」

 

 そう言って、ほむらを押し退ける。

 

「何を言っているの?」

 

「君は戻り給え」

 

 狩人の意志が分からない。ほむらは再度尋ねようとして、狩人により軽機関銃のみが神速で両断される。それは警告だった。

 

「友が待っている。その最期を、君が見届けるのだ」

 

「まどかが……?それはどういう事っ、え!?」

 

 深淵がほむらを一瞬にして飲み込む。しかし心配は要らぬ。この闇はきっと彼女を仲間の元へと帰してくれるだろう。最早勝負はついているのだから。

 待ってくれる仲間がいると言うことは、素晴らしいことなのだ。

 

 

 狩人は、私は佇む脳味噌へと歩む。しとしとと脳液で濡れたそれは心地良く。私を待ち続けていた。そんな脳味噌に、私は優しく抱擁してみせた。

 帰郷なんだ。私はついに、私を見つけ出してみせたのだ。無数の世界を彷徨い、しかし見つけ出すことは叶わなかった脳味噌が、最後にその主と抱擁を交わしたのだ。

 

「すべて、長い夜の夢だったのだ」

 

 そう。これは、夢に等しい。長い悪夢の中で、私は本来の私を忘れていた。唯一離さなかった指輪と共に。

 

「魔法少女の私。今こそ、一つになろう」

 

 抱擁の力を強める。脳味噌が悲鳴を上げる。だがそれすらも無視し、私は脳を力一杯抱き潰した。

 これで良い。見たくも無い悪夢からは目覚めなければならない。そうして獣狩りの夜は終わる。死ねると言うことは幸せなのだ。

 

 脳が死に、ワルプルギスの夜が崩れ出す。私はその最後まで死んでしまった脳を抱き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 治療を受ける前に少しばかり時間ができた。少女は特にする事はないが、それでも初めての地なのだからと街を練り歩く。相変わらずヤーナムの民は排他的で不気味だが、それでも構わない。暇潰しくらいはあるだろう。

 

 そうは考えたが、今日はなぜだか店がほぼ閉まっていて買い物どころではない様子だった。何かあるのだろうか。

 それでも営業している店を訪ね、食料を買う。非常に不味い。酒を買おうにもここには酒と呼べるような品は無い。あるのは血のような飲み物だけで、間違えて買ってしまった少女はそれを一口飲んで排水溝に流した。

 あまりにも今まで訪ねた場所との違いに一人、ベンチに腰掛け途方に暮れる。まだ治療まで時間がある。どうしたものかと悩んでいると、不意に少女の横に人が座ってきた。珍しい事もあるものだ、この街の民は彼女に決して近寄らないというのに。

 

 フードを深々と被り、決して顔は見えないが。それでもその人物は女性であろう。身体付きを見ずとも匂いで分かる。成人はしているに違いない。女は何をするでもなく、じっと岩のように座っている。

 

 しばらく少女は警戒しながらもベンチに座っていると、突然女が寄ってきた。殺気は感じない。だが少女が離れようとすると女は彼女の腕を優しく掴む。

 そして、隠れた顔が見えるのだ。見覚えのある顔が。

 

 あの、貴族の娘だ。成長し、麗しい貴婦人となったあの娘だった。

 

 再開の挨拶も交わさず、娘はただ一言だけ少女に忠告する。

 

 

 

 

 青ざめた血を求めよ、狩りを全うするために、と。

 

 

 

 

 

 それだけ。それのみで、娘は立ち去る。否、煙のように消える。それが幻術であるという事は、それで分かった。

 

 少女はすぐ様懐から紙を取り出し、メモする。幻術を使ってまで会いにきた理由は分からないが、無意味な事ではないのだろう。

 それは治療を受ける数時間前。そして、この街が長い獣狩りの夜へと突入する直前でもあった。

 

 

 



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願い

もうまどか原型無くて草


 

 

 曰く、呪いとは深海のようなものなのです。

 

 深海とは古来より数多の人々が底を見ようと確認し、しかし終ぞ目にする事は叶わなかった世界。それどころか引き摺り込まれ深海の微睡の中に文字通り魂を奪われてしまいました。

 それは別の時空に存在するかつて来たりし火の時代においても、私達人が支配する世界においても変わりはありません。人が抱く呪いに際限は無し。ならばそれは深海と同じこと。人は知らずのうちに、自らの人間性の中に深海を見出していたのです。

 そして遍く呪いは、人々を悪夢の微睡へと誘うのでしょう。結局人は人である限り、自らを深海の微睡に閉じ込めてしまうのです。それに気付かず、永遠に。

 でもそれって、実に運命の輪廻に囚われた人間らしいと思いませんか?忌々しいと呪いを禁忌するのに、実は呪いとは自分自身の中に巡っているのですから。ある種輪廻の縮図ですよね。

 

 海とは命の源です。海が無ければ、地球という宇宙の辺境に位置する小さな星に住まう生命は、須く死滅するでしょう。海からの幸を受け、生命は巡る。それは自然の摂理です。

 それが自然の摂理ならば、呪いとは、そして人間性の深海とは、やはり人間にとって必要不可欠なのでしょう。幸せが無ければ呪いは生まれない。その逆もまた然り、呪いが無ければ幸せすらもただ普遍的な概念と化します。それでは差異が生まれません。

 

 

 

 魔法少女とは奇跡を齎す存在であると、他の次元の私は考えていました。自らの献身と引き換えに、大切な何かを守る救済の使者なのだと啓蒙されました。

 しかし、本当にそうなのでしょうか。果たして魔法少女の真価とは奇跡のみに留まって良いのでしょうか。

 

 魔法少女とは、呪いと奇跡の表裏一体。私は奇跡という表面だけでなく、彼女らに潜む呪いすらもタレントだと考えています。

 思い出してもみて下さい。美国織莉子は私という呪いの影に奇跡を見出しました。魔法少女を救済する可能性を私に託し、百江なぎさという幼い魔法少女を殺めてみせました。ひたすらに破壊を齎し、その使命を全うしてみせたのです。

 私の友人であるほむらちゃんも、私との出会いを繰り返す奇跡の中で、私に宇宙すらも凌駕する膨大な因果を齎しました。それに留まらず、きっと彼女の因果すらも既に類稀なるものと変貌しているでしょう。これは奇跡とは呼べず、ただ呪いの一環であると言えませんか。

 

 人間がそうであるように、魔法少女もまた闇の可能性を秘めています。それもそのはず、人間とは闇より生まれし落し子なのですから、魔法少女もまた本質は闇なのです。不完全であり、不器用なのです。

 

 

 

 他次元の、それこそお互いに観測し得ない程に遠い宇宙で瞳を宿しかけた私から啓蒙されました。魔法少女を絶望で終わらせてはならないと。故にその私は、全ての宇宙、過去と未来の全ての魔女をこの手で生まれる前に消し去るという願いを思いついたようです。

 

 

 

 でも、私は魔法少女ももちろんそこから産まれる呪いである魔女ですら、愛おしい。

 愛とは無限に有限で、互いに与え合う事で成り立つ人の性。いつしか私は、あの魔女にすらなれなかった百合の狩人の思想に感化されていたのです。

 少女達が愛し合う世界。そこには一片の穢れも無く、呪いすらも愛と化す。上位者が身勝手な欲望と啓智のために生きるものであるならば、これもまた上位者らしいと言えませんか。

 

 パパに、ママに、タツヤに、さやかちゃんに、マミさんに、杏子ちゃんに、仁美ちゃんに、マリアちゃんに、そしてほむらちゃんに愛されている。

 しかしそれすらも足りない。私は、すべての魔法少女の呪いを受けたい。愛が欲しい。彼女達を救い、その先に待つ愛を受けたいのです。須く、穢れなき少女達の愛を私は欲します。

 

 私が作る、私達だけの天国において咲く百合の花。それは甘美で、淫らで、潤しい百合の花。想像するだけで達してしまいそうな程。少女達が愛し合い、私に最上の愛を向けるのです。

 

 

 

 百合の狩人が為そうとしている事と、私の願いは変わらないかも知れません。きっと低次元の思考に頭を悩ませる現人類ではその区別は殆ど付かないでしょう。それは仕方のない事なのです。それが限界なのですから。

 百合の狩人、それに擬態する上位者が為そうとしていることは、あの寂れた箱庭において、手の届く範囲で魔女と化した魔法少女の遺志を拾い上げ、復元する事です。それは確かに僅かながらの百合が咲き、果たせなかった幸せを逃した少女にとっての救いとなるかもしれません。

 ですがやはり、狩りによって赤子となった上位者の限界なのでしょうか。私にはその行為が自己満足の域を出ていないように感じます。私が為すのは魔法少女全ての真の救済なのですから。

 

 ああ、悲願の達成前となると言葉が何度も巡ってしまいますね。今まで只人として、鈍臭くて取り柄の無かった私が大勢の魔法少女を救済できるんですから。それはとっても、嬉しいなって、思うのです。

 

 もう、あの白い小さな上位者達の思いのままにはさせません。少女を利用し裏切り、いつか死に逝く宇宙を嘆く彼らはやはり魔法少女の敵。彼らには本来の役割のみを果たしてもらいます。不満は無いでしょう?

 

 

 私はこれから自分の世界を売ってしまうのです。そうして残るのは神として、概念として昇華した鹿目まどか。それでも良い。友達や家族と会えなくたって、私が私である事は変わらないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 崩壊した故郷を一人歩きます。住んでいたり、お仕事をしていた人達はもういないようでした。彼ら、又は彼女らがどうなったのかは知る由もありません。しかし避難所として用いられていた体育館にはさほど人は居なかったので、きっと他の避難所に居るか……或いは、死んでしまったのかもしれません。

 ですがご安心を、この宇宙が根こそぎ改変されればその人達も元通りです。私にはそんな力があるのです。

 

 しかし強すぎる力は時として人から妬まれるものです。今も背中に突き刺さる殺意に、私は足を止めます。

 

 

「織莉子さんは理解してくれたんだよ。私の為そうとしている事にね」

 

 振り返り、追ってきた私よりも背の高い少女を一瞥します。彼女は明らかに昇る怒りのみを私に向けているようでした。理性なきその様相は獣と変わらないでしょう。怒りとは実に人の理性を落ち込ませる感情であります。

 少女は血走る片目を抑える事なく言います。

 

「お前が織莉子を殺したんだッ!」

 

 言うや否や、その少女、呉キリカさんの身体は糸の切れた人形のように地に伏せました。長い手足が崩壊したアスファルトの上に投げ出され、無防備な姿を晒します。

 代わりに彼女の魂から現れたのは魔女。無機質さを感じさせる同色の女体に刃とハットを備えたシンプルな魔女でした。きっと、魔法少女的に表記するならば……

 

籠絡の魔女 ラトリア

LATRIA

 

 と。そうなるのでしょうか。しかしなるほど、ラトリアとは。至聖三者に贈られる最高礼拝を意味するその魔女は、やはりこれより人を超える私に捧げられるのに相応しいでしょう。かつての彼女達の事を考えれば、それは皮肉にも等しいでしょうが。

 そしてその性質は籠絡。美国織莉子の駒として身も心も捧げた献身的な彼女に相応しいとも言えます。

 

「愚かさと賢さはね、キリカさん。決して対になる言葉じゃないと思うんだ」

 

 両手を胸に添え、私はその魔女に祈りました。安らかな愛を向けるために。彼女が愛する者の下へと向かえるように。これは、私から貴女への手向けなのです。

 魔法陣のような円が私の足元に広がり、それは次第に魔女をも飲み込みます。

 

「だって、愛とは愚直に愛するからこそ為せるものでしょう?私はその祈りが、想いが無駄だなんて思わない」

 

 こちらへ迫っていた魔女はぴたりと足を止めました。もう戦わなくて良い。苦しまなくても良い。ただ貴女は、還るべき場所へと還りなさい。

 あの魔女は、一瞬苦しむような仕草を見せた後にその動きを止めました。刹那、霧のようにその姿を消してしまいます。それは即ち、死であると言うこと。私は戦わず、かの魔女を救済したのです。

 

 キリカさんの冷たい身体を整えて、私はまた歩き出します。もうすぐなのです。もうすぐ、魔法少女達は救われる。誰も私の意志を覆す事はできませんし、必要もありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「暁美さんっ!?マリアさんはどうなったの!?どこへ行ったの!?」

 

 錯乱しながら巴マミが暁美ほむらの肩を揺さ振る。しかしほむらには答えられなかった。その答えを知る由もない。なぜなら全ての決着が着く前に、彼女は仲間の元へと返されてしまったのだから。

 ほむらは、あの闇に呑まれた直後にマミ達が死守する場所へと転送させられた。最早狩るべき敵も居らず、ただ崩れ行くワルプルギスの夜を眺めていた彼女達のすぐそばに、訳も分からず現れた彼女は、説明を求められて事情を話したのだ。

 意思を持つ影との闘い。そしてそこに現れた百合の狩人。脳味噌の前に立ち尽くす彼女の事を。

 

 ルドウイークはマミを優しくほむらから引き離すと伝える。

 

「やめ給えよ、君。あの狩人は夢を見る狩人。であれば、彼女に死など存在しない。あるのはただ、悪夢のみ。それに、見給えよ」

 

 死んでいない。それだけで彼女の救いとなる。へたり込みながら聖剣に促され、他の少女達がそうするようにマミもまたワルプルギスを眺める。

 見滝原の湖の上空に巣食う悪夢は、最早散る間際だった。ボロボロと崩壊していく悪夢に術は無く。ただ死ぬのを待つ病人と同じ。ならば彼女らにもする事はない。そのはずだった。

 

 だが、その中で一人だけ。あの百合の狩人に育てられ、そして彼女を憎み、しかし依存する若い狩人だけが前へと躍り出た。

 狩人とは、獣ではない。そして上位者ですらないが。その啓蒙は只人よりも優れているのだから。彼が今、師が何を思っているのかも分かるのだろう。

 血は繋がり、しかしその意思は真逆であるが。それは彼なりのケジメの付け方。

 

「上条君?」

 

 月光の聖剣を携えた彼に、仁美は尋ねる。対して恭介は振り向かずに、ただ言うのみ。

 

「これは、葬送だ」

 

 聖剣を掲げ、月より流れし魔力を貯めていく。

 

「我が師、月の香りの狩人に。さやかと僕からの」

 

 崩壊し、それでも原型を留めているワルプルギスの夜。それはゆっくりと地表へと迫ってきている。隕石のように迫るそれは、着地すれば大被害を齎す事を今になって彼女らは理解した。

 ルドウイークは強い眼差しで頷いて見せる。

 

「君の使命を、果たし給え。人々を救い、さやかの遺志を継いで見せろ」

 

 恭介は何も言わず、ただ聖剣を掲げ。

 

 

 

 ワルプルギスの残骸に向けて一気に振り下ろす。その刀身から放たれる月光の奔流は大きな光束となりワルプルギスを呑み込んで見せた。遥か彼方、高次元暗黒に潜むルドウイークの師、月光は確かに恭介へと力を貸してみせたのだ。

 光波が過ぎ去れば、そこにワルプルギスの夜は最早存在せず。塵一つ残さず、悪夢は葬られたのだろう。百合の、そして月の香りの狩人を呑み込んで。それは長く失われた記憶を取り戻した狩人に向けての葬送であった。

 

 

 

NIGHTMARE SLAIN

 

 

 

 

 そして。体育館において娘を待ち続けていた月の魔物は啓蒙された。娘の意志を。何を得たのかを。

 

「……リリィ」

 

 呟く声は陽気にはしゃぐ子供達に掻き消され。しかしその横に佇む乳母にだけは聞こえていた。彼女は同じく感じ取った啓蒙で、彼に話しかけた。

 

「お嬢様は、やはり魔法少女だったのですね」

 

 その言葉に月の魔物は頷く。彼は全てを知っていた。その昔、別の世界。娘はただの魔法少女であった。ただ必死に戦い抜いて生きたいと願う哀れな少女は、しかし魔法少女の呪いのせいで老いることはできず、放浪していた事も。そして行き着いたヤーナムにおいてその呪いを解くべく血の医療を受け入れた事も。

 彼らの特別な血とは、即ち聖血である。その血は人の身体を作り替え、魂までも人とは見えぬように変えてしまう。魔法少女とは魂の具現化。であるならば、人としての魂は作り変えられ、しかし魔法少女の魂は何処へ行き着くのであろうか。

 どこにも行き着く場所などない。ただ魂のみは放浪し、そして定めである魔女へと変貌し、世界すらをも跨いで渡り歩くのであろう。

 故にリリィという狩人には魔法少女であった記憶などない。狩人として生まれ変わり、魔法少女の部分は流れてしまったのだから。それは必然だった。

 

「これからだぞ、リリィ」

 

 父である上位者は、娘の未来を憂う。それは今まで以上に険しい道のり。此度相手にするのは唯の上位者では無く。それこそ神と言っても差し支えのない存在なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 晴れた空。寸前まで嵐がこの街を襲っていたのだと、誰が思うものか。どこまでも澄んだ空は美しく、まるで少女達の未来を歓迎するかのよう。大量に散らばるワルプルギスの夜のグリーフシードが無ければ、の話だが。

 少女によって、その光景に対する捉え方は異なるだろう。巴マミ、佐倉杏子、志筑仁美、そして恭介は大切な仲間……愛する人を失ってしまった。

 傷はなく、しかし魂すらも無いその身体を抱き抱え、恭介は涙する事なく空を見上げるのだ。喪失感を覚えながら。それを埋める事など誰にもできない。

 

「さやか……」

 

 託された月光を、恭介は自らの夢に仕舞い込む。この聖剣は彼女の遺志。恭介が継がずに誰が継ぐ。

 そして、闘いが終われば協力者とは去るもの。ルドウイークと烏羽の存在が希薄のものとなっていく。ルドウイークはその結末に満足いく訳が無い。かつての狩りのように、自ら育てた者が死に、また生き残ってしまう。

 

「少年。彼女はきっと……」

 

「分かってるさ、それは。だが、それでも、僕は……」

 

 少年の複雑な思いは計り知れない。故にルドウイークはただ消えることしかできない。

 

 

 暁美ほむらは、彼女の悲願を達成した。悪夢は潰え、それを歓迎するように晴れる空にただ両手を伸ばす。

 それは長い、長い闘いの歴史。誰にも知られず、そして知られてはならぬ闇。故にそれが晴れれば、発狂してもおかしくはなかった。

 確かにやりきれない。大切なまどかの親友であるさやかは死に、よく分からなかったが最期まで戦いに付き合ってくれた百合の狩人も消息不明。しかしそれでも喜ばずにはいられない。

 

 とっくに、暁美ほむらは狂っている。時を戻し、否、世界を切り替えて目的を達成するまで繰り返すという事は即ち、現代人において神の業にも値するものなのだから。それを一介の魔法少女が経験するなど、気が触れない訳が無い。

 

「やった……!まどか!やったよ!まどか達!今まで見殺しにしてごめんね!でもやったの!貴女に頼らずワルプルギスの夜を倒して、貴女を救ったのッ!あははー!やったんだー!やったぁー!まどかァー!!!!!!」

 

 そこに凛々しい暁美ほむらの姿は無い。ただ壊れ、子供のように喜ぶ少女がいるだけ。そんな姿を、仲間達は訝しむように眺めていた。

 ワルプルギスの打倒とは、この物語におけるある種の終点。それを喜ばない時間軸など存在しない。はずなのに、何なのだこのやり切れぬ感じは。やはり美樹さやかの死が関係しているのだろうか。

 

 

 

 否。それはすぐにやってくる。

 

 

 

 

「ほむらちゃん、もう良いんだよ」

 

 

 

 

 覚醒した少女は、壊れかけた大切な友を後ろから抱きしめる。その暖かさは不死にとっての火のように。ほむらを包み込んだ。一気に狂気が醒め、ほむらの精神は正気に引き戻される。そして次に現れる感情は涙。歓喜の涙だった。

 振り返り、まどかを抱き締め返すとほむらは告げた。

 

「やったよ、まどか……!私、今度こそ貴女を死なせずに……!」

 

「うん、うん……ありがとうほむらちゃん……でも、ごめんね。私いかなくちゃ」

 

 ふと。そこで、抱き締めているまどかの手に何かが握られているという事に気がついた。涙ながらに彼女の手を見てみれば、そこには見たくも無い忌むべき存在が握られている。

 

 擦り切れ、生きているかも怪しいキュゥべぇ。まどかの手にはそれがあった。

 

「ひっ!?まどか、何をするつもり!?」

 

 ほむらは問う。そして、守りきったと思った親友の瞳を覗き。今度こそ発狂した。

 

 

 宇宙。広大な暗い闇に広がる星々が、まどかの瞳に名一杯広がっているではないか。それはいつか見た、百合の狩人よりも凄まじく。銀河そのものと言っても過言ではないほどの宇宙。

 ━━宇宙は空にある!それは正しい。だが誤りでもあり。宇宙とはまさしく、まどかの脳にあるのだ。悍しく、しかし狂うほど美しい。誰もがそれを欲する。故に誰の手にも届かない。

 

 それを、少女は手に入れた。

 

 

「ああああ!ああああ、アァーッ!!!!!!」

 

 まどかの腕の中で絶叫し悶えるほむら。人の身に過ぎた啓蒙とは毒だ。深い真理に辿り着こうとするたびに、人の脳では処理し切れない。

 

「か、鹿目さん!?一体何をしたの!?」

 

 マミが問うも、まどかは微笑をするのみ。

 

「安心して、ほむらちゃん。貴女の愛を、無碍にはしないよ」

 

 そう言ってほむらに口づけすれば、あれだけ暴れていたほむらは黙った。深く、熱い口づけは見ているだけで息を呑む。それはまるで魂を呑み込んでいるようにも見え。

 だがほむらは、冷静にまどかから離れていく。

 

「ダメ、ダメよまどか……やっと、やっと倒したじゃない!美樹さやかは死んだけど、貴女の敵はもういない!だから、やめて!魔法少女なんかにならないで!」

 

 後退りしながら懇願するほむらに、まどかは告げる。

 

「魔法少女にはならないよ。私は、神になるの。ほむらちゃんは、神様のお嫁さんになるの」

 

 少女らしく頬を染めて言い切るまどかは、しかし次の瞬間には不気味なほど静かに。

 

「さぁ、キュゥべぇ。叶えてよ。私の願いを」

 

 草臥れ言葉を発しないキュゥべぇに、その願いを告げた。

 

 

 

 

 

 

「全ての魔女を生まれる前に消し去るの。すべての宇宙、過去と未来の全ての魔女をこの手で!そして私は、天国を築く!魔法少女達の楽園を!」

 

 

 理は、覆される。感情を持たぬ白き宇宙の使者達は、その誘いにまんまと乗ってしまった。どうしようもなく利己的で上位者らしく、しかし宇宙規模の願いを。

 

 

 

 

 

 

 少女の救済

 上位者を超える存在となる少女、鹿目まどかが齎した奇跡。敵味方問わず戦う者達の魂を止め、狩人ならば高次元すぎる啓智のため発狂を促す。また不死人であるならば因果より振り分けられた呪いで石化する。魔法少女であるならば円環の理に強制的に引き摺り込まれる。

 深淵すらも飲み込む愛という名の野心を持った少女の心は、宇宙に潜む者達では最早手に負えない。優しき友の記憶は時の歪みに囚われた少女が長い年月をかけて自らの中に奇跡として積み上げられた。そしてそれを理解し、自らの奇跡として再構築したのだ。膨れ上がった因果の前で最早敵や味方など意味を為さない。ただ少女の、遍く愛を手に入れたいという欲の前に呑み込まれるのみだ。

 

 

 死とは、終わりではない。その先に待ち受ける極楽浄土のためらなば、誰が生に執着しようか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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獣狩り

最後の宇宙で漂うまどかとほむらが裸なので興奮しました(台無し)


 

 

 

 因果律の特異点。数多の世界の運命を束ねた選ばれし少女。そしてその少女は願う。無限の可能性を一つに集約し、白き上位者、宇宙の監視者に。

 もしその願いが叶うのならば、最早魔法少女という枠などに収まるはずも無い。強欲で、愛に塗れた唯一の神。火を継いだ神々や宇宙の暗黒に潜む者共など取るに足りない唯一無二。最初の死者でさえも、混沌の魔女達でさえも、そして薪の王でさえも。

 ただ、赤子に等しい。

 

「君は、本当に神になるつもりかい?」

 

 故に問う。その腕に抱えられ、人間性を宿した失敗作は未だ潰えぬ赤い瞳を少女に向けた。そして少女は強い意志で頷いて見せる。そこにかつての弱々しい鹿目まどかなど存在せず。今あるのは瞳を宿し、上位者となるべく存在。

 マミは狩人から与えられた僅かな啓蒙で、彼女が為そうとしている事を感じ取る。それは最早、直感に近い。

 

「鹿目さん……そうなれば、貴女はきっと人でいられなくなるわ。大切な家族にも、誰にも会うこともできず、一人宇宙を彷徨うのよ?」

 

 因果律への反逆。それすらも彼女には容易い。縛る物など何もない。ただ彼女は素質と瞳故に至上へと到達するのみなのだ。

 

「私はトム少佐じゃありません。宇宙に魅了されて帰還できなくなる事はないんです、マミさん。私は、宇宙そのものになるんです。魔法少女の愛を受けて」

 

 最早後には退かない。だが長年の友として、仁美だけは。それでも問わねばならなかった。今は亡きさやかの遺志を代理して。

 

「鹿目さん」

 

 傷付き、しかしその意志を明確に保つ魔法少女は問う。

 

「白百合さんもまた、魔法少女を救済しようとしています。ならその役目は彼女に任せてもいいのではありませんか?」

 

 分かってはいた。一度は魔女となり、人の領域から外れたからこそ見えるものもある。そして彼女は、愛を知っている。二人の少女が一人の男に想いを寄せるという事が、何を齎すのかも気付いている。

 まどかはその質問の意図を理解した上で、答える。

 

「私、マリアちゃんに感謝しなくちゃ。こんなにも魔法少女って美しかったんだって。奇跡を起こして絶望して、それでも根本にあるのは願いなの。私はね、仁美ちゃん。魔法少女達すべてが欲しいの」

 

 そしてやはり、彼女は狩人の敵だ。まどかの思考は尽く上位者らしい。上位者とは本来常に、狩人の敵である。ならば上条恭介の敵でもある。

 恭介は獣とその仲間共に容赦はしない。例えそれがかつての友であろうとも。むしろ獣やそれ以外に堕ちたのならば葬らなくてはならないのだ。

 まだ間に合う内に。それが葬送。

 

 恭介は有無を言わさず聖剣で斬りかかる。まどかの願いは、きっとさやかが祈る導きではない。それくらい鈍感な彼にも分かっている。そしてこのまま野放しにすれば何れ彼の大切な少女の魂でさえまどかに奪われ、その愛も取り払われてしまうのだと。

 

 だが彼は忘れている。鹿目まどかが瞳を得た遠因を。だから、時は止まる。

 

「まどかの邪魔はさせない」

 

 つい数刻前まで歓喜と絶望を味わっていた少女が、動いた。暁美ほむらと鹿目まどか以外の全てが止まる時の中で、彼女は軍用の散弾銃を取り出しその薬室とシェルチューブの中に弾薬を装填していく。

 12ゲージスラッグ弾。細かい散弾を撃ち出すのでは無く、大きな一発の弾頭を発射するクマ撃ち用の弾薬。それを8発すべて入れて上条恭介に向けて引き金を引く。

 轟音のような発射音と共に、スラッグ弾が目の前に滞空する。フォアエンドを引き排莢、フォアエンドを前進し装填、そして撃発。その動作を8回繰り返す。

 

 恭介の眼前には今まさに迫らんとするスラッグ弾が滞空している。それを見届ける事なく、まずは散弾銃を捨てて振り返り、最愛の友を抱きしめた。

 

「まどか……後悔は、無いのね?」

 

 耳元で囁くと、まどかは返答せずほむらを抱きしめ返す。

 

「いつか、きっと。ほむらちゃんも迎えに来るよ。だからそれまで私への愛を忘れないでね?こう見えても私、嫉妬深いんだから」

 

 しばらく口づけを交わすと、ほむらは無理な笑顔でまどかから離れる。それは一瞬の事。また敵対者へと向き直り、その貌を冷徹な氷のように変えてしまうと盾を作動させた。

 これで良いのだと、ほむらは無理に納得するしかない。本当ならばまどかを魔法少女に、否。神になどさせたくはないが。愛には抗えない。ほむらの人間性が叫ぶ。自らの愛をまどかという深淵に差し出せと。だから、そうするのだ。

 

 

 

 

 

 

 恭介の胸に穴が空く。熊をも仕留めるエネルギーは少年を少女達の下へと吹き飛ばすには十分すぎた。血や臓物を撒き散らして無残に吹き飛ぶ少年を、訳も分からず少女達は見ていることしかできない。

 

「上条くんっ!」

 

 仁美は叫び恭介へと駆け寄るが、彼はと言えば動かぬ身体を起き上がらせ、血涙を流しながら鹿目まどかを指差した。

 

「か、彼女を、止め、なければ、みんなが」

 

 しかし狩人とて人の子。その血に呪いを宿した所で死には抗えぬ。恭介はそのまま力尽きると霧散してしまった。それは単純な死ではない。ただ夢へと還るだけ。悲惨な思い出は悪夢のせいにしてしまえば良い。

 

 

YOU DIED

 

 

 けれど今は、そうとも言えぬ。恭介の言う通り、まどかはさやかや仁美が恭介に向ける愛すらも奪おうと言うのだから。

 

「鹿目さん、貴女はそうまでして愛を独占したいのですか!?」

 

 仁美の問いに、まどかは微笑む。

 

「愛って、素晴らしいよね」

 

 狂気とは、彼女の為にある。ただ狂い暴れるだけならば誰にでもできる。人を殺す事さえも容易い。

 しかし須く愛を奪うなどと。そんな事、誰にでもできる訳がない。だからキュゥべぇには分からないだろう。彼女が真に為そうとしている事が。

 

「それが、君の願いだね」

 

 どこからか現れたキュゥべぇの群れに、流石の巴マミですら寒気を覚えた。彼らはまどかとほむらを囲み、少女の願いを叶えようとしている。

 その中心で、まどかは失敗作を手放し両腕を広げた。その姿は、全てを手に入れんと翼を広げる神。そして愛という名の欲望を曝け出す人間性の塊。

 

 

「今まで戦ってきた魔法少女達を、絶望の淵に追いやりたくない。私は、みんなを、救う。希望に溢れ、絶望に満ち、それでも愛は全てを救う。私は上位者を超え、神すらも超える!さぁ、叶えてよインキュベーター!」

 

 

 光が、迸る。その光は彼女を飲み込み柱となり、吹き荒れ、嵐を超える。この世のすべてが、それこそ宇宙でさえも彼女に飲み込まれる。

 これこそ宇宙の創生。神の誕生。愛を知らぬインキュベーターはそれを理解できず、手を貸してしまった。彼らを超えた存在を生み出してしまった。天使ではない。しかし悪魔でもない。彼らはただ、宇宙の為に、宇宙を創り変えてしまった。

 

 

 ほむらはその誕生を、祈るように真近で眺めていた。これは彼女が愛した少女の死。しかし終わりではない。絶望の先に見出した、新たなる希望。暁美ほむらという少女は、実に狂信者である。まどかの救済を心から信じ、すべての魔法少女はまどかという神に救われるのだと考えている。

 

 無数の暖かい矢が放たれる。暗い人間性を宿した矢が。それは次元を超えるのだ。もちろん、「私」のいた世界にさえもその矢は届いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白銀の世界などと形容は出来ない。雪はただ、今の私にとって命の輝きを吸い取るだけのものに過ぎない。傷から流れ出た血が雪に染み、ゆっくりとこの大地を赤く染めていく。その血は私だけではない。この雪原を埋め尽くすくらいの魔法少女達の骸も、また。

 

 傷付き、失いながらも敵対する数多の魔法少女を討ち滅ぼした。友を守る為に。自らの命を繋ぐ為に。

 そして魔法少女が希望を産むのであれば、その対価は重いのだ。希望はいつか絶望へと変わる。それは必然なのだろう。私達は敵を倒したが、ソウルジェムの濁りは最早どうにもならない。

 

「ここで、お別れだ」

 

 共に動けぬ状態で、最愛の友が呟く。痛む身体に鞭を打って、私はその友に寄り添った。

 愛するその人を、少女を。私に魔法少女のすべてを教えてくれた愛しき人を看取りたくて。

 

「そんな、悲しい事……言わないで」

 

 私は暖かい涙で顔を歪めながら友の手を取る。その手には、確かに彼女のソウルジェムが握られていた。命を現す、その宝石が。

 友は美しい金髪を自らの血に混ぜながらも、もう片方の手を私の頬に添わせる。感じられる脈拍は弱い。それもそのはずだ、彼女の胸から下は既に失われているのだから。生きている方が不思議だ。

 

 戦いに不向きな私を守る為に、敵の魔法少女の攻撃から私を庇って空いた穴。本来死ぬべきは私だったのだ。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 腕を抱きしめて謝ってももう遅い。彼女の身体を治せるだけの魔力は私にはもう無い。他の魔法少女は皆戦いで死んだのだ。残りは私達だけ。でも、自らを消費してまで彼女の命を繋ぐ勇気も私には無い。

 私は無力だ。無力で、愚かだ。

 

 そんな愚かな私に、友は頼むのだ。

 

「最後の、頼みを……」

 

 そう言って、彼女は濁り切ったソウルジェムを私に託す。それは介錯。魔女となる前に自らを人間らしく死なせてくれとの懇願。

 だが私にはできない。大切な人を殺す勇気なんて、弱虫な私には無いんだ。だからやめて、お願いだから。

 

「できない、できないよ」

 

 更に溢れる涙が彼女の腕を伝う。友はそれでも、笑った。

 

「お前に、殺されるなら……それも良い」

 

 そして、彼女はもう一つ手渡す。きっと最後の最後まで隠し持っていたグリーフシード。まだ使った形跡のないそれは、私のソウルジェムくらいなら容易く浄化できるだろうが。

 幼く、そして愚かな私は分からなかった。それが魂の継承であると言うことが。無知とはなんと罪深いのだろう。

 

「はや、く……もう、ジェムが……黒く……」

 

 手にするソウルジェムの穢れが溢れていく。最早魔女化を止める術など無い。私にできる事は。彼女を殺し魔女にさせない事しかないのだ。

 泣きじゃくりながら左腕の弩の弦を引く。今までの思い出を頭の中で巡らせながら、魔法の矢を装填していく。

 

 そんな私を苦しそうな笑顔で見つめながら、彼女は私に呪いを与える。

 

「あり、がとう。リリィ」

 

 最早私の方が先に魔女と化しそうな程に、私の心は絶望のどん底に落とされていた。しかし友のため、震える手を絞って掌のソウルジェムを狙うのだ。

 

 

 

 あとは、発射するのみ。そのはずだった。

 

 

 

 

 

 ━━頑張ったね。もう苦しまなくて良いんだよ。

 

 

 

 

 

 そんな、美しい少女の声が天から舞い降りたのだ。

 

 私達は今際の際であってもその不思議な声の主を確かめずにはいられなかった。お互いあと一歩の所で天を仰ぐ。どうにも私にはその声が、人間のものでは無いように聞こえたのだ。きっとそれは、目の前で死に瀕する少女とて同じ事だったろう。

 

 天使。否、女神。そう形容するのが正しいのだろうか。万の言葉を充てがっても言い表せないほどに美しい“何か”が、そこにはいたのだ。

 桃色の髪は先端が見えぬほどに、大地を埋め尽くさんばかりに伸び。仕立ての良い純白のドレスは現れた女神を引き立たせる。顔つきも私よりも幼いくらいだが、愛らしく端正である。

 だがそれよりも私を魅了したのは、その瞳に宿す黄金の宇宙。それは神秘に溢れていて、空に浮かぶ月よりも輝き、しかしどこか底知れぬ闇すらも内包しているように見て取れる。

 その瞳は溢れた慈愛。私は彼女の宇宙に、愛を感じていた。

 

 その女神は私達の下に舞い降り、私には目もくれず瀕死の友に添い寄る。

 きっと、この女神は私達の願いを聞き入れてくれ、彼女を治してくれるのだと。私は勝手に妄想していた。生き残りたいという人間性の表れが、この女神をここに導いたのだと。そして、今まで悲惨な目に遭いながらも戦ってきた私達への褒賞なのだと。

 

 

 だが、女神は。

 

 

「ああ……女神が……私を……」

 

 

 友が女神を、私の手を放り出して両手を差し伸べ迎え入れる。彼女の心には最早私という最愛の友は存在しなかった。ただ今目の前にあるのは女神の救済。私は喪失感に苛まれながら、その光景を唖然と見ている事しかできない。

 そのうち女神は友を抱きしめ、その魂を肉体から吸い上げるように昇っていく。気が付けば、ソウルジェムの穢れなどとうに消えていた。あるのは輝きに満ちた友の魂の具現。

 

 この時、初めて。この女神は友を天に連れていくのだと理解した。同時に……これが、啓蒙なのだ。女神の宇宙を覗いた事によって、私は宇宙より思考を齎された。彼女は救済などしていない。私達の愛を、その手で奪い取ろうとしているのだ。

 

 気が付けば私は空に浮かぶ女神に向けて矢を放っていた。

 

「待って!待ってよ!私からその人の愛を取らないで!」

 

 だが女神はそれすらも無視し、彼女に抱擁され惚けている友を拐っていく。最早友の愛は私には向いていなかった。あれだけ愛し合って育んだ愛は、どこぞの女神によって一瞬で奪われたのだ。それは女神の所業ではない。ただの、ただの。

 もう一発、更に一発。私は濁るソウルジェムを無視して矢を放つ。しかしそれらはすべて彼女らをすり抜けていってしまう。

 

貴女は!貴女は女神なんかじゃない!私達の愛を奪ってッ!貴様は獣だッ!死ね!獣は須く死ね!

 

 呪いの言葉をかけていた。あの女神だけではない、友にさえも。私を捨てて、愛を消してしまった友にも。

 

 そこでようやく女神は止まり、私を一瞥した。その瞳には友に向けていた慈愛など存在しない。ただ邪魔な虫を眺めるだけの獣。哀れで、奪われてしまった弱い少女を蔑む女。

 

 ━━やっぱり、貴女はどこまでも狩人だね。

 

 女神はそれだけ言うと消え去る。友の魂と友に、天へと還ってしまった。

 あの女神が言っていた事の真意は分からない。分からないが。愛を、そして友を介錯する役目さえも奪ったあの女神が、憎くて仕方なかった。

 だが私にはもう何もない。ただその場で、下半身の無い友の亡骸に縋って泣き噦るだけの弱虫少女。

 

 心無しか、友の貌は微笑んでいるようにも見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ。呼んでる」

 

 

 狩人の夢。いつものように薔薇の手入れをしていたこのみが宇宙を見上げて立ち尽くす。それは彼女だけでは無い。同じく百合の狩人に魅入られたあやかも。

 彼女達はつい先ほどまでしていた事柄を全て投げ出し、両手を広げて宇宙と交信し出す。その姿はかつての聖歌隊。しかし明確に言えるのは、彼らとは異なり、魔法少女の成れの果てである二人の語り掛けに、かの女神は答えるであろう。

 

 ゲールマンは渋い表情で車椅子から立ち上がる。

 

「愛弟子よ……些か相手が悪いようだ」

 

 そして愛しい姉である時計塔のマリアでさえも、スマートフォンをテーブルに置いて宇宙を見上げた。しかし交信では無く。ただ不吉な物の訪れを察したに過ぎない。

 

「現世から分断された狩人の夢にさえ干渉するか……」

 

 それは最早、上位者を超えていると。時計塔のマリアは感じるのだ。あの漁村の呪いさえも超える、深い深海の訪れを。トゥメルの血が、人ならざる者の訪れを予期させるのだ。

 

 そしてそれはやって来る。曇り空の夢の奥。遥か彼方、それでいて辿り着けないであろう途方も無い宇宙の底から。

 女神の姿を象った悪夢が、降臨した。

 

 

 

 

 

 

 

 「ここは、どこ?」

 

 因果の輪廻を彷徨う魔法少女、暁美ほむら。彼女は宇宙と過去と未来と今の狭間における神秘的な月面において漂流していた。正しくは、召喚された。

 魔法少女の姿で彼女は目の前に浮かぶ地球を眺める。惑星地球は青く、彼女に出来る事など何も無い。

 

 だが、呼ばれていたのは彼女だけでは無い。白き宇宙の使者、インキュベーターもまた。彼はさも当然のようにこの宇宙を練り歩き、ほむらの側に駆け寄った。

 

「やぁほむら。見てくれあれを」

 

 インキュベーターが示す先。そこには巨大な、太陽すらも飲み込む何かが地球目掛けて飛来していた。

 それは悍しく、しかし暖かく、それでいて冷たい深淵そのもの。膨れ上がった人間性の塊。ソウルジェム。そんな途方も無いものを持つ者は、宇宙広しと言えども一人しかいない。

 鹿目まどか。彼女の最愛の友。

 

「あれは……まどかのソウルジェム?」

 

 疑問を呈すほむらに、インキュベーターは頷いて肯定を示した。

 

「流石に神になると言っていた時は焦ったけど、最後はやっぱり僕らの勝利だ。彼女のソウルジェムはこの世の理を外れてまで穢れを吸い込んだ。いずれ地球へと衝突し、彼女はかつて無い程の規模の魔女となるだろうね」

 

 とても感情が無いとは思えない程に満足したようにインキュベーターは語った。事実、彼らは安堵しているのだろう。長年の悲願であった宇宙の確実な延命が齎されるのだから。他人を顧みず自らの願望を達成するとは、実に上位者らしい。

 

「しかし、宇宙を再編するとはね。こればかりは僕達ですら予測できなかった。まぁ良いけどね。僕達の目的は達せられたんだから」

 

 ああ、と。キュゥべぇは思い出したかのようにほむらに振り返った。その瞳はいつになく赤い。

 

「君もまた、時間を超越した魔法少女だったね。なら資格があるだろう。共に見届けようじゃ無いか、鹿目まどかという少女の結末をね」

 

 悍しいほどに穢れ切った巨大なソウルジェム。

 

「宇宙を変えてしまうほどに強い祈りは、その対価として膨大な……そうだね、宇宙すらも終わらせる程の呪いを生み出すんだ。当然だよね」

 

 宇宙を終わらせるのは彼らの本意では無いはずだ。しかし焦る様子を見せていない所を見るに、彼らインキュベーターには何か策があるのだろうか。それとも、策を弄せずとも対処ができるのか。

 

 だが、そんな事はどうでも良い。今は最愛の友の安否のみが心配だった。

 巨大なソウルジェムは地球に衝突する前に砕け散り、途方も無い量の呪いを撒き散らす。それは地球を飲み込み、ほむらのいる遠く離れた月にすら到達してしまった。

 

 暗く、しかし暖かい狂気がほむらを包む。けたたましい笑い声が脳に直接響いてくる。呪いはいつしか形作り、顔となり、身体となり、魔女となっていた。それはいつか見た救済の魔女。しかしその姿は元のものよりも悍しく巨大だ。

 

「君が鹿目まどかを最強最悪の魔女にしたんだ。見なよ、もう地球上の生物の殆どが死に絶えている」

 

「そんな……まどか……!」

 

 キュゥべぇに言われるまでもなく、ほむらは絶望した。膝をつき、流す事のなかった涙を流す。最早こうなってしまってはどうしようも無かった。為す術は無い。

 

 

 

 ━━ううん、大丈夫。

 

 

 

 

 遥か彼方、宇宙の暗闇から。友が舞い降りる。

 

「まど、か?」

 

 白い装束に、どこまでも伸びる桃色の髪。そして瞳に宇宙を宿した少女は弓を携え、やって来る。

 降臨した女神は一矢を自らのソウルジェムへと向け、語る。

 

「すべての愛を手にするのが私の願い」

 

 強い意志を持つ眼差しがソウルジェムを捉える。

 

「なら、私には━━絶望する理由なんて、無い」

 

 放たれる矢。それは分裂し、地球を覆い尽くす呪いを尽く射抜くのだ。そしてその余波は、月面にいるほむらでさえも。否、すべての宇宙すらも覆い尽くし変えてしまうだろう。

 それが新たな神の誕生。宇宙の創生。これより行われるのは上位者や神々が為し得なかった行い。それを止める術など、何も無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深海。かつて神喰らいが幻視した、来るべき世界。その微睡の中で、まどかは使者であるキュゥべぇと、そして最愛の友であるほむらとの対話を行なっていた。

 どこまでも暗く、底はなく。故に全てを受け入れる世界の底。しかしその領域は最早、まどかの手にある。キュゥべぇは、その肉体を放棄し思念で語りかけるのだ。

 

「まどか。これで君の人生は、終わりも始まりも無くなった」

 

 事実上の死。いや、それすらも生温い。存在が消えるという事の恐ろしさを理解していない筈も無し。しかしそれを理解していても尚、少女は貪欲に求めるものだ。

 

「この世界に生きた証も、その記憶も。どこにも残されていない」

 

 証など、あるでは無いか。

 

「君という存在は、幾つもの次元を超えて最上の高みの存在へとシフトしてしまった。誰も君を認識しないし、君もまた、誰にも干渉できない。君はこの宇宙の一員では無くなってしまった」

 

 しかしまどかは微笑む。

 

「何よそれ……!これがまどかが望んだ結末だって言うの!?こんな終わり方で、あの子が報われるの!?愛は……私達のあの子への愛は、どうなるの!?こんなんじゃ……死ぬよりも辛い……惨い……」

 

 違うのだと、女神と成り果てた少女は語り、友を抱きしめる。生まれたままの姿で、その温もりを余す事なく伝えて。

 

「今の私にはね。未来と過去の全てが見えるの」

 

 宇宙はまどかにある━━

 

「かつてあったかもしれない宇宙も。これからありえるかもしれない宇宙も、全部」

 

 故に彼女は視た。その瞳で、友が行ってきた全てを。

 

「ほむらちゃんがどれだけ傷付いて、私を愛してくれていたのかも。約束を果たそうと、何度も繰り返してきた事も。……夜な夜な私の部屋に忍び込んで、下着を盗もうと考えた事も」

 

「そ、それは……見ないで欲しかった……」

 

 少女とは正直である。しかしほむらの業にまどかは否定を示さない。

 

「違うの。それだけ愛してくれていた事を理解できた。その身を全て私に捧げてくれていたんだよね。ずっと、気づけなくて、ごめん。ごめんね」

 

 そうしてほむらは、真の意味で救済された。これまで数えきれないほどの世界で、鹿目まどかという最愛の少女を見捨ててきたのだから。その総体である少女に赦される。それこそほむらの至上。

 友の胸に涙ながらに顔を埋めるほむら。そんな本来弱気な少女をまどかは再度抱きしめた。

 

「今の私になったから、本当の貴女を知る事ができた。私には、こんなにも愛を捧げてくれる友達がいたんだって。だから、嬉しいよ」

 

 そう言って、友の頬を支えて口付けする。

 

「だから、嬉しいよ。貴女は私の━━」

 

 

 ━━最高の友達だったんだね。

 

 ほむらは達そうになる意識を保ち、女神の御言葉を聞いた。だからこそ、最高の友達として問わねばなるまい。

 

「だからって!貴女はこのまま、帰る場所も無くなって!大好きな人達とも離れ離れになって!こんな場所に永遠に取り残されるって言うの!?」

 

「一人じゃ無いよ」

 

 だがその問いに、まどかは笑顔で否定した。

 

「私はいつだってみんなと一緒だよ。これからの私はね、どこでも、いつだって一緒にいるの。だから見えなくても、聞こえなくても、私はほむらちゃんの側にいるよ」

 

「まどかは……それでも良いの?私は貴女の事を忘れちゃうのに?もうまどかを感じ取る事さえできなくなっちゃうのに!?」

 

 少女の悲痛な叫びが木霊する。

 

「ううん。諦めるのは早いよ」

 

 そう言って、髪留めを解く。

 

「ほむらちゃんはこんな場所までついて来てくれたんだもの。もしかすれば戻っても、私の事を忘れずにいてくれるかも」

 

 その髪留めのリボンを、ほむらに手渡した。

 

「大丈夫。きっと大丈夫。信じようよ。私達の愛を」

 

「まどか……」

 

 ほむらの身体が、存在が希薄になって行く。最早人の身で深海に留まれる時間はとうに過ぎていた。

 

「だって魔法少女は、夢と希望を叶えるんだから」

 

 そして女神に至った彼女ならば分かる。

 

「きっとほんの少しなら、本当に奇跡だって起こせるかもしれないよ?」

 

 とうとうほむらの存在は消えていく。元の世界に戻るために。それでも少女は懇願する。

 

「待って!行かないでまどか!」

 

 だがまどかは向かわねばならない。女神として、決着をつけるために。

 

「ごめんね。でも私、戦わないと。あの子も待ってるから。ほむらちゃん、いつか私が迎えに行くまで……迎えに行っても、私を愛していてね」

 

 それまでは、ほんのちょっとお別れだね。ほむらの絶叫が響くのと、彼女の存在が完全に戻されたのは同じ時。

 こうして深海にはただ一人、女神へと至った魔法少女がいるだけになった。暗い、されど暖かい闇の底。それは人間性の海。泥の塊。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 否、私がいる。

 

 

 

「……やっぱり諦めないんだね、マリアちゃん」

 

 

 

 いつの間にか完全に女神の装いへと戻ったまどかが振り返る。明るい宇宙の闇、深淵の底は本来暗い場所だ。ほむらに見せていた光は偽りの光でしかない。

 故に啓蒙高き私には分かる。あれは魔女の成れの果てでしかない。鹿目まどかという最恐の魔法少女から産み出された、救済の魔女の成れの果て。

 

 “私達”はゆっくりと立ち上がり、この赤い瞳を上位者に向ける。そこには少女達への愛など無い。ただ宿敵に向ける怨嗟のみ。“私達”は初めから、彼女を葬り去るために深海へと至ったのだ。

 

「奪ったものを、返してもらおう。まどか……いや」

 

 

 

円環の理、鹿目まどか

 

law of the circles madoka

 

 

 

 

 それが彼女。人を捨て、少女達への愛を奪い去る獣の果て。獣ならば狩るしかあるまい。それが私達狩人の存在理由なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤いリボン

 真の上位者へと至った少女が友に残したリボン。聖遺物の一種。そのリボンは何の変哲もなく、特に神秘を帯びないが、残され戦い続ける友を支え続けるだろう。

 円環の理を広めるために。少女達の愛を須く奪うために。

 

 



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懺悔

 

 

 

 人形は、空を仰ぐ。曇り空の夢の果て、その端正な顔付きと硝子細工の瞳で少女達の行き着く果てを幻視するように。

 つい先程、ここで和やかに暮らしていた少女達が連れ去られた先。常人ではおよそ見ることも叶わぬ人形の生きた姿を見せる啓蒙、端的に言うならば寄生虫の有無によってのみ真の姿を見せる人形は、その擬似的な脳に寄生させた虫を用いて見るのだ。

 

「ああ、狩人様。どうか、御無事で」

 

 彼女の側には誰も居ない。車椅子に乗って薔薇園と少女達を眺める老人も、私が姉と慕う猫好きの古狩人も。そして私が居場所を与えた少女達すらも。すべてが不在。残るのは人形と、戦う術を知らぬ無垢な使者達。

 使者の一人が案じるように人形のスカートの袖を掴む。使者とは言葉を持たぬ。それでいて不気味で、商人気質で、しかし狩人の手助けになるのならばどこへでも赴く従順な僕。人形はしゃがみ込み、慈悲を見せる微笑みを彼に向けた。

 

「大丈夫。きっと、狩人様は狩りを成就されますから」

 

 それは祈りにも似た確信。彼女は知っている。彼女が仕える百合好きな狩人の遺志の強さを。故に待ち続けるのだ。人形とは、創造主を信じ愛し続けるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 開幕、私は星々に語りかける。神秘を宿す蛞蝓を用いずとも良い、何故ならここは深淵。その奥深く。即ち高次元の暗黒に他ならぬのだから。現世とはまた異なる場所でやはり私は星々を司る上位者達との交信を成功させた。

 そして来たる流星の数々。本来であればこの流星とは交信の失敗を意味する。しかし皮肉なものだ。暗黒に潜む上位者のすべてが、新たな神の誕生を受け入れていない。故に交信の成功は、流星の要請という形で私に力を貸して見せたのだ。

 

 彼方への呼びかけとは比べものにならぬ量と質の流星が神へと迫る。しかし神は動じず、それらを迅速に目で追うと一本だけ矢を射出した。それは分裂し、星々すべてを撃ち落としてみせた。やはり飛び道具では彼女に分があるようだ。

 ならばと、私は加速して一気に神へと詰め寄る。カインの流血鴉との戦いでは、この技のせいで苦戦させられたものだ。人を超越した狩人でさえ目に追えぬ速度ならば、神でさえも追随する事は難しいはずだ。

 

「見えてるよ」

 

 だが。まどかはその動き辛そうな服装と髪の長さでもって、私の落葉の一撃を必要最小限の動きで完璧に回避してみせた。ならばと、私はとっておきの攻撃を続け様にしてみせる。

 私の持つ落葉とは、かつてマリアお姉様が用いた技量特化の剣である。筋力は無用、持つ者の技術のみが須く反映される達人の剣。しかし時計塔の戦いにおいて、お姉様は自らの血によって落葉を強化してみせた。

 それはトゥメルの呪われた血を色濃く反映させた攻撃手段。ならば、上位者と化しトゥメルやカインハーストの穢れなど気にならぬ程に極めた血であれば、再現は容易い。

 

 そして、強制的な瀉血は青ざめた血の特権。その娘である私ならば当然その逆も然り。故に私は、生命力を削って自らの血を身体から吹き出させる。その血は燃え滾り、落葉にこびりつく。

 

 血の医療、その最たる一撃。振るう落葉は付着した血を振り撒き、その血は延長された刃となって神を襲った。彼女の白磁の如く白いドレスと肌が、浅く斬り付けられ血に染まる。同時に、燃え盛る。これこそ神秘。獣を散らし、浄化する血の炎。

 

 仰反るまどかに追撃する。分離した落葉を両手に持ち、回転切りで彼女を滅さんと迫る。

 

 

 何か、彼女の手の内にあるのを見た。否、見る事は出来ぬ。しかし啓蒙された。それは聖鈴だと。あれだけ敵視していた月光から、今すぐ離れろと催促を受けた。しかし勢いに乗った私はその手ごと斬り捨てようとし。

 

 

 

「因果応報だよっ!」

 

 

 

 自信に満ちた表情の神が、意気揚揚と語る。刹那、神から紫炎のような波動が放たれた。それは近接する私を容易に弾き飛ばし、内側から破壊してみせたのだ。吐血しながら、全身から血を溢れさせながら落下する私を見送り神は語る。

 

「今の私はね。過去と未来、そして世界を超えてすべての魔法少女に愛されて、その力を使えるの。なら火の時代にいた魔法少女の物だって扱えるよね。まぁ、私あんまり器用じゃないから剣とかは使うの難しいんだけどね」

 

 ティヒヒ、と独特な笑みを溢して淡々と語る神。私はヨセフカの輸血液を動脈に差し、身体を回復させる。貴重な一本だが、今使わないでどうするのだ。あの女医の手を借りるのは釈だが仕方ない。

 しかし、彼女の話が本当ならば手数が多過ぎる。狩人の最大の敵はもちろん数の暴力だが、それと同じくらい同業者の連中は脅威だ。彼女は獣で上位者だが、それ以上に戦い慣れした人間である。いくら私と言えども侵入してきた狩人には苦戦する。制裁神とか。

 

 私は左腕にガトリング銃を装備する。最大まで強化したガトリングは威力、連射とも凄まじい。あの奇跡も、近距離でなければ意味を為さぬだろう。ならば遠距離から攻めれば良い。

 言葉は不要、私はガトリングを構えて神目がけてトリガーを引く。けたたましい音と共に水銀弾の嵐が彼女を襲った。この数と速度を弓で撃ち落とせは出来まい。

 

「わわっ!」

 

 神は可愛らしく焦るが、それも束の間。気がつけば重そうで岩のような盾を取り出して弾丸をすべて防いでいく。しかし衝撃は消せないようで、少しずつ後退りしていっている。ここは根比べだ、水銀弾が尽きるまでだが。

 

「それでもっ!」

 

 吠えると、神は盾を構えたまま一気に突撃してくる。近くにつれ増していく衝撃を物ともせず、あの小さな身体でシールドバッシュをかまそうという魂胆だろう。

 あの膂力で盾をぶちかまされれば不味い、狩人は案外脆いのだ。私はガトリング銃を夢に仕舞い込み、右手にシモンの弓剣を握る。そしてバッシュされる瞬間に加速で彼女の背後へと回り込んだ。そして武器を変形させ、ガラ空きの彼女の背中を射抜こうと弓を引く。

 

 瞬間。まるでフィルムが飛んだかのように、まどかは盾を消し去りこちらに弓を構えていたのだ。

 

「弓なら、負けないよ!」

 

 最大展張。私は弦を離す。強靭な獣など一撃で屠れる程の太矢は、まどかの放った細い矢によって相殺されてしまった。やはり彼女と私は相性が悪いようだ。

 しかし心は折れぬ。私が折れてしまったら、私への愛はどうなる。取り戻さなければならない。私だけではない。さやかと仁美の恭介を愛する心は。依存するマミの心は。やらなければならない。

 何より、取り戻した記憶の底に眠る、古い友の愛を。

 

 二撃目を放とうとする神の弓を、即座に取り出したノコギリ鉈の変形攻撃で弾く。そのまままた変形させ、リーチは短いが素早い攻撃で神を攻撃していく。

 流石の神も右手の矢で受け流す事しかできないでいる。先ほどの奇跡が受けたダメージを返す、文字通りの因果応報ならば今はまだ発動できないだろう。

 

 ならば、発動前に狩り殺すまで。

 

 気付かれぬように左手に銃ではなく蛞蝓を握る。そしてノコギリ鉈で幾度か攻め、そちらに集中させ。

 

 エーブリエタースの先触れを発動させる。

 

「っ!」

 

 突如私の左手から飛び出した触手の大群に、神は面食らった。咄嗟に弓で防御するも押し寄せる触手は彼女の手足、そして胴体を貫き弾き飛ばす。

 勝機。あの鈴は鳴らせない。ルドウイークの聖剣を取り出し一気に跳躍する。そして縦に回転しながら巨大な剣を転がるまどか目掛けて振り下ろした。

 

 

「神を怒らせると、怖いよ」

 

 

 ゾワっと、うつ伏せのまどかが呟いた。確かに耳に届いたその言葉には、ある種の呪いが込められているに違いない。だがそれでも、私は手を止めなかった。

 そして剣が彼女を両断する刹那、それは起こる。

 

 

 先程とは異なる質の衝撃波が、まどかを中心に吹き荒れた。それは究極の神秘。神のみが為せる奇跡の業。曰く、それは神の怒り。かつて火の時代、高めた信仰を用いて再現された神罰。

 防ぐ術を持たぬ私は再度衝撃波に弾き飛ばされた。幸いなのはルドウイークの聖剣を盾に出来た事だろう。故にそこまでのダメージは受けていないが。ゆっくりと立ち上がる彼女は、呪いに染まった瞳で私を睨んだ。

 

「私を怒らせたね」

 

 言うと、神は自身の身体を修復させて周囲に魔法陣を描く。

 

「過ぎた啓智は人を蝕み、しかし上位者とて理解出来ない叡智はやはり毒となる……ならマリアちゃんにもこれは毒だよね」

 

 急激に狂気が高まる。あれは彼女の奇跡、救済。かつて私を発狂させた呪いの類だ。私は急いで輸血液を打ち込み、同時並行で鎮静剤を飲み込む。口の中に濃厚な鉄の味が広まると、溢れた狂気は鎮まる……が、それも束の間。また狂気が脳の瞳を震えさせた。まるで悪夢に蔓延る鬼灯女の如く所業だ。気がつけば体内の血に宿る虫が反応して身体から槍のように血が突き抜けてくる。

 それでも加速しながら輸血液を打ち、発狂覚悟で祈る神に突撃していく。そして大振りで落葉を突き刺すのだ。

 

 

「パリィができるのは、貴女だけじゃないよ」

 

 

 ドンっ、と。彼女の無垢な左手の甲が落葉の腹を弾いた。最早神業だろう。盾や短刀を用いずに彼女は、極めた一撃を容易くパリィしてみせたのだ。

 ガラ空きになった私の胴に、彼女は右手を思い切り突っ込む。手刀は私の胴を貫き、そのまま内臓をもぎ取ってみせた。

 

「おぐっ!?」

 

 吐き出した血を浴びる神は、強引に私を弾き飛ばす。無様に転がる私に、反撃する力は残されていなかった。

 それでも、震える手で輸血しようとする私の身体に神は跨り。輸血液を持つ私の腕をへし折った。

 

「うぐぁっ!ま、まどかぁ!」

 

 名を呼び睨む私の顔を、彼女はそっと両手で支える。そして妖しく微笑む神は顔を近づけてその吐息で私の鼻を擽った。

 

「ねぇ、マリアちゃん。ううん、リリィちゃん」

 

 無垢な貌を血で染める彼女は、敵であっても魅力的で妖艶だった。

 

「リリィちゃんが教えてくれたんだよ。魔法少女を愛する事を。貴女が私に瞳を授けてくれたんだよ」

 

「っ……獣だ、君は」

 

 抵抗の遺志を示す私は、空いた右手で彼女を突き刺そうとし。その手を掴まれた。

 

「いけないんだぁリリィちゃん、神様に抗うなんてぇ!ティヒヒヒヒィ!でもいいの!いいの!そうやって抗う子なんていなかったから!啓蒙に溢れて真意に気付く子なんていなかったから!だからもっと抵抗して?抗ってみせて?その身も心もへし折って、私の愛だけに染め上げてあげるからッ!うごぉおおおお!!!!!!」

 

 自らの心臓に、彼女はあえて落葉を突き刺した。溢れ出る血が私の身体に染み込む。これは、拙い。血が、彼女の聖血が、私の青ざめた血を上書きしようとしているのだ。それは私の消失と言っても過言ではない。

 しかし痛みは無く。そこには快楽のみが広がるだけ。でも屈してはならない。この快楽を受け入れれば、死なぬ狩人は真の意味で死んでしまう。遺志など捨てて、彼女のペットとなってしまう。それだけは死んでもお断りだった。

 

 ぐったりと私に重なるまどかは、それでも私の顔に手を添えて私の血で染まる頬を舐める。イヤらしく、まるで自分の女のように。彼女の唾液と私の血が混じるその様は、なんと魅惑的か。

 

「大好き。そうやって反骨心を剥き出しにして、快楽に抗うリリィちゃん、とっても魅力的。ねぇ、もういいでしょう?あの子も貴女を待ってるよ。一緒に円環の理で、私を愛してよ。きっと、ううん、絶対気持ち良いから、ね?」

 

「ん、んん!」

 

 むちゅっと、彼女の唇が私の唇を強引に奪う。なんと淫らな神様か。親が見たら悲しむに違いない。

 私は抵抗するが、なす術なく彼女の口に蹂躙されていく。しばらく神は私の口を楽しむと、ぷはっと離してニヤついた。

 

「本当は楽しんでるくせに……なら、もう死んでいいよ。遺志は私が拾い上げるから」

 

 そう言って、彼女は私の首に手をかけた。ぎゅっと万力が如く私の首を締め付ける彼女の顔はやはり狂気の笑みに染まっている。私は右手で必死に抵抗して、しかしやはり彼女の腕力に敵わない。

 

「ぐ、うぐ、お、おおおお!」

 

 彼女に突き刺さった落葉の柄を握る。そして強引に捻る。

 

 

「ティヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ!すっごいねぇ!死ぬ寸前まで狩人だよッ!」

 

 

 それを物ともせず、彼女は笑う。笑って、この瞳に滲む涙を舐めとると。そっと優しく囁くのだ。

 

 

「大丈夫。リリィちゃんの祈りは、無駄じゃないよ」

 

 

 女神の如く。それは私の遺志を砕けさせるだけの神秘を伴っていて。

 脳が幻視するのだ。今までの道程を。過酷で陰惨で、しかし諦めなかった戦いを。それは狩人の記憶だけではない。魔法少女の頃の記憶さえも。

 険しく、しかし優しい日々を思い出す。あの子は私にすべてを教えてくれた。戦い方、生き方、誇り、そして人の愛し方を。一人になった後も、私の人生は長かったが。それでもあの子を忘れた事は無かった。

 

 

 

 あぁ。でも、そうさね。

 

 

 あの子に会えるのなら。ここで死んでも、いいんじゃなかろうか。

 会って、もう一度抱きしめたい。その最期は、あんまりにも愛を語るには惨過ぎたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ━━霊体 火の無い灰 に侵入されました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛んできた雷の矢が、まどかだけを貫いた。軽い彼女の身体はすぐさま吹き飛び、同時に酸素と血液が脳に行き渡る。私は咽せながら首を押さえると、何が起きたかを確認するために手元に残された落葉を杖に立ち上がる。

 まどかは貫かれた衝撃よりも、雷が齎す痺れによって深淵の地で悶えていた。これは良い気味だが、いったい何が起きたのか。

 

 ガシャ、ガシャ。

 

 そんな、金属が擦れ合うような音が深淵に響く。回復するよりもまず、私はそちらを眺めた。この場には、自分と神しかいないはず。

 

 

 

「娘に手を出せば、殺すと言ったはずだ」

 

 

 

 いつになく怒りに震えた声で。しかし堂々とした声色で。父は、そこにいた。

 

 青ざめた血。月の魔物。しかしその正体は、古き火の時代、その不死であり。王の火を継いだ薪の英雄。人の時代を齎し、遂には居場所すらもなくなり無形の上位者と成り果て、その先に自らの子を為そうと野望を持ち果たした王殺しの王。

 灰の英雄が、全身の鎧に火を灯してそこにはいたのだ。

 

 神は雷を打ち払い、すぐ様身体を修復して父を睨む。

 

「こんなのって無いよ、あんまりだよ……」

 

 ワナワナと震える神は、しかし明確な殺意を父に向けていた。その隙に父は私の真横に立ち、一時的な盾として立ちはだかる。

 私は折れた左手で輸血液を数本打ち込み回復すると、問う。

 

「良いのですか?」

 

「何がだ」

 

 分かっていて、父は問い返した。

 

「その姿、それは不死の時代のものでしょう。あれほど忌み嫌っていたではありませんか。遺志を問わぬ不死など、この宇宙で最も忌むべきものだと」

 

「子を守るために全力を尽くすだけだ」

 

 それだけ言って、灰は見慣れた鐘を鳴らす。それは古人呼びの鐘。我ら血によって造られた狩人を呼ぶ道具だ。

 二回、三回と鳴り、その音色は世界の次元を超えていく。そして呼ぶのだ。私の大切な人達を。

 

 

 

 ━━ 「古人呼びの鐘」に共鳴がありました。

 

 

 

 師であり、姉であり、友でもある彼らを。

 

 

 

 

 ━━ 鐘の共鳴により、最初の狩人、ゲールマン がやってきました。

 ━━ 鐘の共鳴により、時計塔のマリア がやってきました。

 ━━鐘の共鳴により、烏羽の狩人、アイリーン がやってきました。

 

 

 私の師であり助言者、老ゲールマンが。その大鎌を携え、しっかりとした背筋で。かつて私と対峙した時のような堂々さを兼ね備えて。

 私が姉と慕う美しくも強いマリアお姉様。あぁ、やはり落葉は彼女が手にすると美しい。真似事しか出来ぬ私とは異なり、その左手に持つエヴェリンもまた輝きを放っている。

 獣狩りの夜に訳も分からぬまま放り出され、しかしヤーナムにおいてまともであったアイリーンは救いだった。死にかけヤーナムを彷徨う彼女を夢へと誘い、初めて素顔を目にした時は惚れてしまったものだ。

 

 そんな彼ら彼女らが、私の前に、護るように立ちはだかる。

 

「やぁ……狩人よ。まさか青ざめた血となった君を護る時が来るとはね」

 

 ゲールマンはいつもの声色で、振り返らずに語った。しかし意思は伝わってくる。彼は師としての役割を果たそうとしているのだ。

 

「酷い女だな、貴公は……動画を見ていた最中だったのに」

 

 猫の呪いに嵌ったお姉様が呟く。だがそこにはいつもの気怠さは感じられない。ただ狩人としての、獣狩りに挑む凛々しさがあるのみ。やはりお姉様は素晴らしい。

 

「酷い有様じゃないかまったく……まぁいいさね。前は助けられたんだ、その借りを返させてもらうよ」

 

 既に私の眷属となった彼女もまた、慈悲の刃を分離させ獣狩りに挑む。やはり頼れるのは先輩なのだろう。それは上位者となっても変わらない。

 

「済まないね、皆」

 

 そうなれば、私も闘う遺志を放棄してはならない。狩人は、獣狩りにおいて闘志を捨ててはならぬ。ただ自らの使命を果たすのみ。死は、与えるものだ。

 落葉の血を払い、神と対峙する。

 

 

「みんな、みんな私を邪魔するんだね」

 

 

 神は弓を握りしめ、私達全てを睨んだ。遍く呪いをぶつけるように。ただ敵を殺さんとする神がいるのみ。

 

 

「私の愛を邪魔するなら……殺しちゃうよっ!」

 

 

 神の背から大いなる翼が生える。それはどこまでも白く、しかし分かる。あれは人間性そのものだ。人の身にとって毒となり得る。

 彼女は空目掛けて弓を引くと、一発の矢を放った。同時に私達は危機を啓蒙されて動き出す。あの一撃は、無数の矢と化していた。それが降り注ぐのだ。

 

 父は一直線に神へと迫る。その素早さは流石火の時代の生き残り。矢の加害範囲から逃れつつ手にする螺旋剣で神を貫かんとする。

 

「逃げないとマズそうだね」

 

 アイリーンの一言で、私達も加速して逃れる。加速の術を持たぬアイリーンは私が抱き抱えた。やはり彼女の狩人としての身体は引き締まっていて少女とは異なる良さがある。どさくさに紛れて尻を触ろうとして怒鳴られる。

 

「真面目にやんな!」

 

 刹那、私達が先程まで陣取っていた場所に矢が降り注いだ。見るに、かなりの神秘が宿っているようだ。先程隕石を撃ち落としたものとは比べものにならない。

 父を見れば、あの神と斬り合っているようだ。

 

「初めて会ったときに殺しておくべきだった」

 

 冷徹に後悔する父の剣は、神の持つ弓に防がれている。

 

「やっぱり、火の時代の不死人だったんですね。なら、何回でも殺してあげる!」

 

 鍔迫り合いを制したまどかがゼロ距離で矢を撃つ。しかしそれをソウルより召喚した盾でパリィすると、矢はあらぬ方向へと飛んでいく。

 私達が戦いに入れないでいると、不意にゲールマンがゆっくりと私の隣に立った。

 

「さて、狩人よ。我々の役目は君を逃す事だ」

 

「なに?彼女を狩りに来たのではないのか?」

 

 その発言に私は反発した。

 

「無理だね。あの娘はとうに上位者の域を超えている。たとえかの王殺しでさえもね」

 

 そう言われて、私は再度父を見る。気がつけば父は弓しか持たぬ神に押されていた。瞬間的に動き回る神が、翼に宿した神秘で父を猛打している。

 いかに不死の時代の王殺しだとしても、本質は人だ。人を超えた存在に対してはやはり不利なのだろうか。だが。

 

「それでも、私は父を見捨てられない」

 

 一人、父の下へ駆け出す。それを見て、ゲールマン達は分かっていたのか止めはしなかった。それどころか追随して戦いに赴くのだ。

 

 狩人とは孤独なものだが。しかし共闘も悪くない。

 

 飛び回る神を撃ち落とすために、私は大砲を構える。直撃させなくて良い、大砲の弾は私の遺志に反応するのだから、至近距離で爆発させればそれで良いのだ。

 撃発し、大きな弾が飛んでいく。それは空中で炸裂し、飛び回る神を確かに傷つけた。

 

「っひゃう!?」

 

 虚を突かれ撃ち落とされる神は地面を転がる。すかさずゲールマンとマリアお姉様が追撃にかかった。

 最初の狩人が巻き起こす風圧により嵐が起こり、神を掬い上げる。同時にお姉様が血を通わせた落葉で斬りかかった。

 

 凄まじい一撃。それは並の狩人であれば、いや上位者であろうとも屠れるほどの暴力。

 

 

「なるほど、腐っても神か」

 

 

 渋い顔をしてゲールマンは呟いた。神は、そんな暴力に晒されていてもめげずに弓を構えていたのだ。斬撃後で隙だらけなお姉様を狙い、彼女は矢を放ったのだ。

 加速の業を用い、ゲールマンは盾となる。老体にはさぞ辛かろう。しかし彼は酷く愛する女を守るためにその身を犠牲にする事を躊躇わない。肩を貫かれたゲールマンはそのまま崩れ落ち、その巨体をお姉様が支えた。

 

「無茶をする、我が師よ」

 

「たまには、男らしい所を見せなくてはね……流石に無理をし過ぎたが」

 

 私とアイリーンも攻撃に加わる。烏羽の放つ投げナイフは確かに神の気を引いた。その隙に私は上位者としての血を解放し、大きく跳躍する。ゲールマンが起こした嵐に巻き込まれる事も躊躇わず、身を削りながら神に迫った。

 貧者の血晶石が発動し、とてつもない火力を持った落葉を、なんと神は片手で白羽取してみせたのだ。だが彼女も相当無理をしているらしい。いつになく焦った表情をしている。

 

「ここで君を討ち取らせてもう。友として」

 

「まだ私を友達って言ってくれるんだね……!」

 

 拮抗する神と上位者、だがそれで良い。本命は。

 

 

「うぐぅあっ!?」

 

 

 背後に回った父の剣が神の胸を貫く。バックスタブ、それは不死人達の致命業。胸を貫かれ、そのまま地面に叩きつけられる神。父はそのまま最初の残り火で彼女の身体を焼いた。

 

「っ、ぐ、ああああああああ!!!!!!」

 

 まどかの絶叫が木霊する。決着はついた。そのように思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ━━神の邪魔はさせんっ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな、叫び声。

 

 

 そして訪れるは一人の魔法少女。

 

 

 クレイモアを携え、父を叩き潰さんと迫る美しい金髪の少女。

 

 

 父は辛うじて不意の一撃を逃れ、突然の襲撃者を葬り去らんとするが。

 

 

 私が、それを止めてしまった。振り上げる父の剣をパリィし、思わず防いでしまった。

 

 

 

 

「……リリィ?」

 

 

 

 背後の、突然現れた少女が私の名を紡ぐ。

 恐る恐る、私は震えながら振り返らずにはいられなかった。なぜなら、その少女は。

 

 

 

「やはり、リリィ……なぜ君が神に刃を……?」

 

 

 

 あの日、私から去ってしまった友。私に愛を教えてくれた、生きる全てを教えてくれた大切な人だったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄暗い部屋。その診察台の上で、私は医療者の男に問う。青ざめた血とは一体何なのかを。あの貴族の少女が残した唯一の疑問を、彼にぶつけた。

 彼は不気味な笑みでその言葉を飲み込むと、続けて口を開く。暗くて分からないが、きっとその顔にはいつもの如く笑みを携えているのだろう。

 

「確かに、君は正しく、そして幸運だ」

 

 その意図は分からない。しかしこの男が青ざめた血について何かを知っているのだけは確信できた。そして経験上、それが何かまともでもないという事も。きっと、何か禁忌の類いだろうか。

 

「正にヤーナムの血の医療、その秘密だけが……」

 

 君を導くだろう……と。意味あり気に語る様は、やはり奇妙だ。この街の縮図そのものと言っても良いだろう。

 だが、と彼は続け。

 

「よそ者に語るべき法もない」

 

 それは当たり前の事。秘密とは甘いものだ。秘密とは秘匿されなければならないから秘密なのであり、それを漏らす事など言語道断。正にヤーナム。秘匿された医療の地。

 

「だから君、まずはヤーナムの医療の血を受け入れたまえよ……」

 

 そう言って男は懐から一枚の紙切れを取り出す。それは誓約書だった。汚れた、しかし書くべき部分はしっかりと空欄であるその紙を、私に差し出す。さぁ、契約書を、と催促され、不気味に思いながらもそれを受け取る。

 

 名前の欄。そこには嘘偽り無くLilyと。苗字などありはしない。私の生まれた時代では、苗字など貴族か領主くらいしか持ち得なかったのだから。

 生まれた地は、オルメンの村。今はありもしない懐かしい寒村。そこで私は生まれ育ち、魔法少女となった。

 年齢は……若いとだけ、書いておく。自らの年齢など最早覚えていない。数百年生きたのだ、それすら意味を為さないだろう。

 他にも筆記すべき箇所に筆を入れ、男に返す。それを確認した彼はニンマリと笑った。

 

「よろしい。これで誓約は完了だ」

 

 そうして、彼は台のそばにある輸血液の針を手にする。

 

「それでは、輸血を始めるとしようか」

 

 正直、不安しかない。病気など魔法で治せるが、それでも得体の知れない血を自らに輸血するなど、常識的ではないのは確かで。

 そんな私の不安を察したのか、男は笑ってみせた。

 

「なぁに、何も心配することはない……」

 

「待って」

 

 そう言った彼を、後ろから現れた誰かが止める。それは見た目の若い女性だった。金髪を後ろで縛り、医療従事者特有のエプロンをしているが……その下の衣服は何やら大層な白いものだ。

 彼女は男をどこかへ追いやると、私を安心させるように微笑みかけてくる。

 

「知らない男の人に肌を触られるのは、女の子として嫌でしょうから」

 

 そう言う彼女の言葉は理にかなっている。それに、先ほどの医者か浮浪者かも分からぬ男ではやはり信用できない。何より、その声色が私の好みだった。

 やはり女性は安心する。そしてその手つきもまた、優しく母性溢れるものだ。だからだろう、私は一つ、彼女に質問した。

 

 

「私の呪いは、これで消えるのだろうか」

 

 

 長く生き、しかし根は少女の私が唯一溢した弱音。その弱音を、女性は驚いたように目を見開いて聞いていた。だがすぐに優しい笑みへと戻れば彼女は頷く。

 

「何があっても、それは悪い夢でしかないわ」

 

「夢……すべて、長い夜の夢」

 

 彼女はうなずき、とうとう私の腕に針を刺す。ちくりとした痛みは、しかし次第に薄れ行く意識の中で消えていく。私の中に、血が流れていく。新しい人生をやり直すための血が。すべてを忘れ、新しい悪夢へと飛び込むための鍵が。

 こうして、私の魔法少女としての人生は幕を閉じたのだろう。肉体の安らぎに、しかし魂は拒絶を示し。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 診察台に寝かされている私の身体を、しかし同じく私は眺めていた。魂のみになってしまった浮遊霊。それが今の私。

 最早ソウルジェムなどありはしない。肉体に添えられた魂の宝石は砕け、意味を成していない。それを霊となっても手にすれば、私は啓蒙された。

 

 呪いなど、消えてはいない。ただ形を変えて存在しているに過ぎない。それが霊体である私。

 

 絶望はしなかった。最早絶望など幾度もしている。薄れているだけだ。ジェムは濁り切っている。魔女でもない、しかし人間でもない霊。それが私。ならば怨霊なのか。否、誰も恨んでなどいない。

 

 それならば、私の存在意義は。分からぬ。分からぬが。もし魔女でもなく人でもないのであれば。今度こそ自由に生きようではないか。生きてはいないが、自由に放浪しようじゃないか。穢れを気にする事もなく、自由気ままに魔女達と触れ合って、共にして。

 

 それが良い。いつか聞いた、魔女の集会。ワルプルギスの夜。そんな存在になるのも悪くない。だって私達は現世に拒絶された魔法少女の成れの果て。そして人とは群れたいもの。なら、魔女だって群れたいだろう?

 

 

 診察室を後にする。あの抜け殻の私はどうなるのだろうか。いや、きっと新しい魂を受け入れるだけだ。血の医療という名の新たな呪い、そこから生じた狩人という魂を。なら祈ろうじゃないか。

 

 君に、暗い魂があらんことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友を守るように。私は両手を広げて父の前に立ち塞がった。きっとこのままでは父は遅かれ早かれ友の魂を狩り取るだろうから。そんな事は、既に記憶を取り戻した私にはできない。させられない。友にも、父にも。

 父は躊躇い、しかし啓蒙されたのか私の意図を理解した。

 

「リリィ、退くんだ。もう手遅れだ」

 

「それでも、あの子は私の友だ。父に友を殺させない」

 

「いいかリリィ、これは罠だ。あの神が仕組んだ罠だ」

 

「でも友なんだッ!私が愛した友なんだ!」

 

 そんなやり取りを、友は困惑した様子で眺める。

 

「一体何が……なぜリリィが!?」

 

 突然女神の危機に召喚されたかと思えば、友が神を殺そうとしていて。しかも今度は守ろうとしている。だから、これは神にとっては願ってもないチャンスだった。

 神は立ち上がり、傷を治す事もせず少女に囁く。

 

「私を、殺そうとしているの……助けて……お願い」

 

 それは悪魔の囁き。しかし他でもない神の願いならば捨てる理由もない。だが敵は友でもある。

 

「あの子は、貴女の知ってる子じゃない。良く似た魔女なんだよ」

 

 そう言われ、単純で正義感溢れる少女は決心がついた。大剣を担ぎ、ガラ空きの背中を狙う。せめて一突きで。いくら敵とは言えど、見た目は最愛の友だ。

 

「リリィ!」

 

 父が、背後から迫る友に気がつき私を押し退けようとする。だが、それを拒んだ。

 

「いいんだ、お父様」

 

 それで、良いのだ。あの子を殺す事なんか無いのだから。もう一度死んでいるのだから。彼女は不死では無い、普通の子なのだ。

 私の背中にクレイモアが突き刺さる。それは胸すらも貫き、良く知った剣先が目に見えた。

 

「アン、リ」

 

「……やはり、君は、リリィ……?」

 

 夢を見る狩人は、死ねばその死を夢にするだけ。私は吹き出る血を見ながら霧散する。ようやくここで、私は友に殺された事により許された気がした。

 友を置いて生きていた事を。一人呪いから逃れようとした事を。だからこれでよかったのだろう。

 

 

「リリィッ!」

 

 

 激昂した父が剣を振り上げるも、神はその前にいくつもの矢を放ち父を射抜く。

 

 

「うぇっひひひひひ!やったやった!マリアちゃんを倒した!ウェヒヒヒ!」

 

 

 吹き荒れる矢の嵐。たまらずゲールマン達古狩人は放心する薪の王を抱えて狩人の確かな徴を使用して逃走する。そうして残ったのは神と娘。勝敗は、神の勝ち。

 神が絶叫にも似た笑い声を上げる中、友は一人貫いた剣を手放す。そしてその時の感触を思い出す。

 

「私は、私は友を……?いや、そんなはずは、だってあの子だって魔法少女で、生きてるはずが、そんな」

 

 

 こうして、新たな神の誕生は終わる。我々狩人の敗北により。そして始まるのだ。新たな世界の創生が。それは少女達が無条件で女神を愛する世界。私が夢見て、しかし本質は異なる世界が。

 

 

 

 




この小説内では青ざめた血という上位者=火の無い灰です。ちなみにダークソウルループ説を推してますので何度もループを繰り返しています。
ロードランの牢獄に不死として閉じ込められる→グウィンらを殺す→闇の王→ループして火継ぎ→
気がついたらドラングレイグで放浪してた、火の力も無いしそろそろ死にたいから呪いを消さなきゃ→デュナシャンドラを倒して火を継ぐ→ループして最初から→なんか原罪の探求者とかいうのに影響されて探求の旅に出る→
放浪してロスリック建国とかに立ち会う→来たるべき人間の世界が来るまで寝ます→自らも内包した王達の化身に起こされ灰となる→王殺し一通りループ→
火継ぎの終わりエンド→人間の時代がやって来る→神性が消え闇というものは普遍的になり薄れ、同時に不死というものは長い年月をかけて消えていった→その中でただ一人不死として生き続け放浪する→
なんか上位者とかいう自称神がいるらしい→人でいるのにも飽きたし探求もやり尽くした→人間性も程よく虫と化したから啓蒙貯めて上位者ブチ殺しに行くかな〜俺もな〜→やめてくれよ……(絶望)そんなに暇なら瞳あげるよ〜!(GO is Great one)→やったぜ。→
あ^〜思索するの最高や。でもなんか足んねぇよな?あ、そうだ(啓蒙)不死の時は子を為せなかったし、最近上位者が出生率足らないから作ろう→ヤーナムでリリィを何度もループさせて赤子にする→もっと逞しくしなきゃ(使命感)→幼年期すらもループさせる→リリィさん百合に走る

という感じです。なおロードランで神殺しも経験してますしドラングレイグで原罪の探求もしてた設定です。つまりダークソウルトリロジー設定です。


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世界を売った少女

 

 

 

 「本当に、いいの?」

 

 

 その問いに、友であるさやかは頷いた。彼女の眼前にはまるで夢の微睡の中で漂うように瞳を閉じる恭介がいる。さやかはそんな彼の額を撫でるとそっと笑った。

 愛情を隠さず。惜別を隠さず。されど運命には抗わず。彼女は最期まで正しく騎士であり続ける。例え友が愛に歪もうとも、彼女は信じた者のために戦い続ける。その手には、確かに光り輝く月光の聖剣が握られていた。

 

「私の遺志は、確かに恭介が紡いでくれたよ」

 

 それにさ、とさやかは振り返り、背後の親友に笑いかける。

 

「正直、嬉しかった。ちゃんと私の祈りが届いて、恭介は最後まで私のために抗おうとしてくれた。それだけで、私は満足だよ」

 

 さやかは聖剣を恭介の腕に抱かせる。やはり真に導かれた少女から離れた聖剣は、本来の輝きを失ってしまうが。それでも良い。月光に魅入られずとも良いのだ。それ以上の物を、彼に託せたのだから。それはさやかの我儘な呪いかもしれないが。

 それで良い。過ぎた願いだったのだ、彼女には。今ならば分かる。美樹さやかという少女の抱く恋心は、因果によって成就しないのだと。彼女では幸せにできない。

 

 だから、親友である神は謝った。それは狩人と対峙した時のような口先だけの歪んだ上位者ではない。ただ一人の、友を案じる少女がいただけ。

 

「ごめんね。どうやっても、上条くんが救われてさやかちゃんも救われる状態にはできなかったの」

 

「大丈夫だよ。私は救われたよ」

 

 その言葉が本心であるとさやかは啓蒙されるまでもなく理解できた。一番神と長くいたのはさやかなのだから、その心を理解できないはずもない。

 

「まどか。あんたこそ、本当に後悔してない?」

 

 故に問う。分かりきった事でさえも、聞かねばならない。これから崇め共に戦う戦友として。

 

「凄く強欲で、それでいて魔法少女を救済するなんて、きっと普通の人じゃできないよ」

 

「私は後悔なんてしてないよ」

 

 すぐに、強い意志でまどかは答えた。それは上位者ではなく、さやかが知っている一人の友達である鹿目まどかの瞳をしている。故に信じるのだ。この友の望む結末を。例え想い人が禁忌しようとも。

 ただ一人、本当の神を知る者として支えるために。

 

 さやかは呟く。

 

「本当はね。私、ただ恭介のバイオリンを色んな人に聞いて欲しかっただけなんだ」

 

 月光に魅入られた少女は淡々と独白した。

 

「でもマリアが恭介を狩人にして、恭介がバイオリンよりも狩りにお熱になった事を恨んじゃいないよ。マリアもマリアなりに、私を救おうとしてくれたんだよね」

 

 散々歪みあった彼女達だったが。死してようやく、かの上位者であり狩人の遺志を読み取った。それはただ、虫や精霊によって齎されたのではない。真に理解しようと心を開き、そして瞳を得た証。思考の先に辿り着いた、ヤーナムが本当に求めるべきもの。

 少女は理解したのだ。思考の次元を引き上げて。

 

 まどかはさやかを後ろから抱きしめる。それは一見さやかを慰めるものであったが。違うのだ。それは独占に過ぎない。

 

「大丈夫。マリアの遺志を理解しても、まどかから離れようとは思わないよ」

 

 安心させるように彼女はまどかの腕を握る。どこまでも独占欲の強い寂しがり屋。それを理解していたから。

 

「それに、恭介には仁美がいるんだもん。あんな良い子、もったいないくらいだよ」

 

「さやかちゃん……」

 

 夢は、醒めるものだ。例えそれが悪夢だろうとも、いつかは目醒めがやってくる。次第に恭介の身体が透けていく。それは彼女と彼の、最後の時間が終わってしまう事を示していた。

 

「例え狩りの中であろうとも。幸せにね、恭介」

 

 少女の呟きは届かない。だがその遺志は、確かに紡がれていた。

 

 月光は薄れて行く眷属の少女の想いに心を痛めたのだろう。かつて白竜と呼ばれ、非道な行いばかりしていた古き者は、神々の歪な愛ではなく、同族に向けた嫉妬心だけではなく。ここでようやく、暗い人間性を持った人の愛を知ったのかもしれない。

 それはどんな啓智よりも暖かく、そして暗い水底のように禍々しく。しかし嫌いではない。不思議な感覚。月光を信じ、闘った者達は皆、殉じていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地獄の業火が晴れていく。同時に暁美ほむらの意識が明瞭化していくのだ。

 神と対話し、現実に引き戻された彼女は一瞬の出来事に頭の中の瞳が震えた。正確にはその卵が。今までの事は全て幻だったのだろうか。鹿目まどかという少女と、そのために繰り返した無限の時は。そして最後に親友が辿り着いた思考の果て、愛とは。

 それらを脳に巡らせ、思考しようとした時だった。

 

「おい、さやかはどこだ!?」

 

 聞き知った声が隣からした。それは慌てる佐倉杏子。

 

「逝ってしまったわ、円環の理に導かれて……きっと美樹さん、さっきのあの一撃に、すべての力を使ってしまったのね……」

 

 巴マミがその横で、必死に自分を抑えて嘆く。

 

「さやかさん……貴女が逝ってしまったら、上条くんはどうするの……」

 

 緑の衣装に身を包む志筑仁美が拳を握り締めて呟いた。そこでようやくほむらは理解した。ここは友が改変した宇宙の先。友は、その願いをしっかりと叶えたのだ。魔女にならず、その魂は穢れを除かれて救われたのだ。

 それは魔法少女の最高の栄誉。その最期を認められ、女神に救済されるとは、あの青髪の少女はなんと幸運か。そしてそれを成し遂げた友はなんと素晴らしいか。ほむらは瞳と身を震わせた。

 

 

 

 

「ああ、あああああ!あああああさやか!あ゛あ゛あ゛ぁあああああッ!!!!!!」

 

 

 

 気がつけば、晴れた炎の中に黒装束の少年が膝をついて叫んでいた。それは上条恭介。美樹さやかの想い他人であり、しかし最期まで少女の愛は報われなかったようだ。

 少年は月光を模した聖剣を掲げ、発狂する。目から血を流し、身体から血が溢れ、そのうちの幾つかが血の槍となって彼の身体から突き出ている。仁美はそんな彼に駆け寄ると、彼のポーチから輸血液を取り出して突き刺した。

 

「上条くん!落ち着いて!」

 

「志筑さん!僕はッ守れなかった!奪われてしまったッ!ああ!さやかッ!ぐぅああああッ!?」

 

 しかし輸血の量を発狂が上回ったのか、彼は全身から更に血を吹き出して事切れてしまった。そして夢を見る狩人の典型として霧散する。何度目かの死。しかし世界が作り変えられてからの初めての死が訪れたのだ。そしてそれを、仁美は悲しげに見送る。

 その後ろで京子達がさやかの死を嘆いているが、ほむらの耳には届かない。

 

「馬鹿野郎……惚れた男を残して死ぬ奴がいるかよ……やっと友達になれたのに」

 

「それが魔法少女の運命よ。この力を手に入れた時からわかっていたはずでしょう?希望を求めた因果は、この世に絶望を齎す前に……私達はああやって、消え去るしかないのよ」

 

 己の拳に握られたリボンを目にする。それは最後に、最高の友達が残したリボン。やはり彼女はやり遂げた。神となり、少女達の愛を手に入れたんだ!

 

「あは」

 

 ほむらの貌が歪に笑みへと歪んでいく。

 

「あははは、やったーっ!まどか、やったねぇ!私達はやったんだ!愛を手に入れたんだァッ!」

 

 まるで発狂するように笑い友の名を叫ぶほむらを、全員が訝しむように眺めた。異常だった。それなりに仲の良かった友が死んだのにも関わらず、彼女は別の誰かの名を叫んで喜び始めたのだから。狂っている。赤いリボンを握りしめ、それを掲げ、クールな彼女が盛大に笑うのだ。それを狂うと表現せずなんと言う。

 だからマミは首を傾げた。

 

「まどか……?」

 

 杏子は尋ねる。

 

「誰だよ、それ……?」

 

 だがほむらは笑うだけで答えず。ただ狂信者のように神を讃えた。だが良いのだ。真に神を知り得るのは、一番の愛を向けられている自分のみで。それ以外など取るに足らない。

 いつか迎えに来てくれるその日まで、ほむらは鹿目まどかの狂信者であり続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕暮れの河川敷で、ほむらは足を止めた。すぐ傍では小さな子供が地面に絵を描いている。それは偶像。暁美ほむらという狂信者が最も喜ぶ行為の一つ。そしてそれを描くのは彼女の最愛の家族の一人。ほむらはしゃがみ込み、慈悲の笑みを見せて子供の頭を撫でる。

 

「まろか!まろか!」

 

 無邪気な子供が絵を指差して神を呼んだ。それだけで達してしまいそうな程に心を踊らせながら、子供に抱く劣情を必死に堪えて頷いた。

 

「うん、そうだね。とっても上手だよ」

 

 そう言うと、子供は不思議そうな顔でほむらの髪を縛るリボンを眺めた。その子は知っている。そのリボンを大切に髪に結んでいた少女を。そしてそれが大切な人であることも。

 そして開きかけた瞳に導かれるまま、子供はその手をリボンへと伸ばし━━

 

 

「ダメだよタツヤ。女の人の髪を引っ張るのはダーメ」

 

 

 現れた彼の父親に抱き抱えられ阻止された。神の名を呼び暴れる子供に父親は諭す。それはどこにでもいる幸せな家族の一瞬。だがほむらには。

 母親が未だしゃがみ込むほむらを案じる。

 

「すみません、大丈夫でしたか?」

 

 ほむらは立ち上がり、

 

「いえ、こちらこそすみません。お邪魔してしまって……」

 

 神の家族というものが、どれほど偉大なのかは歴史を振り返れば分かるだろう。ほむらはそのまま崇め讃えたくなる気持ちを押し殺し、返答した。そして無邪気な子供に問いかける。

 

「まどか、だね?」

 

 子供はキョトンとした顔をほむらに向けた後、無邪気に笑って肯定した。やはりまどかは正しい。そしてその弟である彼もまた、瞳に溢れている。この世界で知るはずもない神の真名を覚えているのだから。

 奇跡の具現。彼こそ生きた聖遺物。

 

 

 

 

 

 

 父親と子が離れ、夕焼けに染まった河川敷で遊んでいる。ほむらと母はその近くで、二人を眺めながら会話をしていた。

 

「ほら、その……あの子が一人遊びする時の見えない友達ってやつ?子供の頃にはよくある事なんだけどね〜」

 

 鹿目詢子は、その落ち着いた少女に語りかけた。その出会いは何か神秘的だったと後々まで覚えている。少女、暁美ほむらは彼女の顔を見ずに答える。

 

「ええ。私にも覚えがあります」

 

 だから、詢子が持ち得ない答えも少女ならば持ち得ているかもしれないと考えたのだろう。

 

「まどかってさ、貴女の知り合いか、それともアニメのキャラか何か?」

 

 少女は落胆しなかった。その名を知らないのも常人ならば無理はない。ましてやこの母親には元から神秘や瞳など備わっていないのだから。そしてそれを持つのは魔法少女や狩人という異端のみで十分。

 だからほむらは語る。その名の真意を。

 

「神様です。……ふふ、冗談。私もあんまり覚えていないんです」

 

 彼女なりの冗談なのだろうと、詢子は納得した。

 

「そっか〜、私も何かでタツヤと見たのかな〜」

 

 ほむらは何も答えず、次の言葉を待つ。

 

「たまにね。すっごく懐かしい名前だって思う時があるんだよね。……まどか」

 

 そこでようやく、ほむらは母の顔を見た。驚きはしない。だが、嬉しくは思う。ほむらもまた、笑みを見せて頷く。

 

「そうですか」

 

 そこで、まどかというものに対する問いは終わる。次に詢子はほむらのリボンをハッとしたように眺めた。

 

「そのリボン!」

 

 一瞬。期待した自分がいた。

 

「すっごく似合ってる!私の好みにど直球なくらいだよ!」

 

 だが、奇跡とは一度で良い。これ以上の幸運は過ぎたものだ。

 

「良かったら差し上げましょうか」

 

「ううん、こんな叔母さんには似合わないよ〜」

 

「いいえ」

 

 だが、孤独とは心を蝕むものだ。だからほむらは、何かに縋るしかない弱虫なのだ。

 リボンを解き、困惑する女性の頭に半ば無理やり結んでいくと。それはやはり、神の血を持つ一族なのだろう。非常に似合う。自分よりもよっぽど。怖いくらい。

 

「あはは……ね?やっぱり年齢的にキツイよ。そりゃ娘がいれば着けてあげたいけどさ」

 

 高まる狂気と熱意に心が躍り、身体が火照る。だがそれに身を任せては獣と変わらない。自身は理性的で、まどかの信奉者に相応しくあるべきなのだ。そして一番に愛するのはやはり、彼女の娘なのだから。自らの愛は、他人に向けてはならない。

 この想いは、彼女のものだ。死した後も、須く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ━━We passed upon the stair, (階段を上ると奴がいた。)we spoke of was and when.(そこで昔話をしたんだ)

 

 

 

 

 

 携帯から適当に選曲した音楽が流れる。確かデヴィッド・ボウイだった。ほむらが生まれるよりずっとずっと昔の曲。

 

「ふぅん、確かに君の言った事は、仮説としては成り立つね」

 

 夜、ビルの上にて。キュゥべぇは納得したように頷いて見せた。

 

「仮説じゃなくて、事実よ」

 

 そんな彼にほむらはグリーフキューブを投げ渡す。キュゥべぇは背中の穴にそれを仕舞い込むと反論した。

 

「だとしても証明しようがないよ」

 

 事実、その通りなのだろう。ほむらはそれを理解した上で、絶対的な優位性を握った上で語るのだから。

 

 

 

 ━━Although I wasn’t there, (俺はあそこには居なかったのに)

 he said I was his friend.(あいつは俺を友だと言った)

 

 

 

「宇宙のルールが書き換えられてしまっては僕たちにも分かりようがないし、そもそも記憶を引き継いだ君が語ったのだって僕達からすれば狂人の世迷言さ」

 

 まぁ確かに、と。キュゥべぇは穢れの行き先について何やら考察し出す。そして魔女のことも。きっと魔女システムというものがあれば彼らの悲願にもぐっと近づくのだとも。

 だからほむらは、彼らを嘲笑う。

 

「そうね。あなた達はそういう奴らよね」

 

 

 ━━Which came as some surprise(俺は驚いちまって) I spoke into his eyes,(あいつの瞳に向かって言ったんだ)I thought you died along(一人ぼっちで死んだと思ってたよ), a long long time ago.”(ずっとずっと昔にな)

 

 

「君がいた魔女の世界では、僕らが戦う魔獣なんて存在しなかったんだろう?呪いを集める手段としては手っ取り早いじゃないか」

 

 そう簡単ではなかった。事実彼らインキュベーターとの関係も険悪だった。故にほむらは契約を阻止するために奔走し、彼らを殺し回った。

 そしてやはり、彼らは人間を理解できない。どうして険悪なのかも、明確な感情を放棄した彼らでは思いつかない感情なのだろう。それで良い。元より上位者とは身勝手なのだから。

 

 

 

 ━━Oh no, not me. (おいおい、それは俺じゃないぜ) I never lost control.(俺はまだ狂っちゃいない)

 

 

 

 ほむらは立ち上がり、自らの魂の宝石を腕に嵌める。

 例え魔女のいない世界であろうとも、それで人間性から生まれる呪いが消えたわけではないのだ。ただ形を変え、深淵に引き摺り込もうとしているに過ぎない。

 

 

 

 ━━You're face to face(お前と向き合ってる奴は)

 

 

 

 キュゥべぇが彼女の肩に乗ると、現れた魔獣を眺めるほむらに呟いた。

 

「今夜はつくづく瘴気が濃いね。魔獣どもが次から次へと湧いてくる。倒してもキリがない」

 

「ボヤいても仕方ないわ。それに、ほら。獣狩りをする狩人は私達だけじゃない」

 

 巴マミが、マスケットを振るい獣を打ち滅ぼす。佐倉杏子が槍を突き刺し獣を焼く。上条恭介が失踪して半ば自棄になっている志筑仁美がチェーンソーで獣を引き裂く。

 ほむらはビルから飛び降りると、死地に向かっていく。

 

 

 ……例えこの世界が憎しみと悲しみを繰り返す、救いようがない世界だとしても。

 

 

 

 着地の瞬間、ほむらは翼を展開して宙に浮いた。

 

 

 

 ……あの子が愛した少女達がいる世界ですもの。

 

 

 

 盾ではなく、手にするのは一つの弓。

 

 

 

 

 ……それで十分。私はあの子の遺志を、その啓智を広めるだけ。

 

 

 

 

 撃ち出された矢は無数に別れ、人間性の獣を打ち滅ぼしていく。

 

 

 

 

 

 ……だから私は、狩り続ける。まどかの事を広めるために。彼女に真に愛されるその日まで。

 

 

 

 ━━With the man who sold the world.(世界を売った男なんだぜ)

 

 

 

 そして神の名は、一人の魔法少女によって永遠に紡がれるだろう。ただ深き愛故に。底を知らぬ愛によって動く、虚の魔法少女の手によって。

 最愛の友は更なる愛を手に入れる。それがほむらが唯一できる、友への手向け。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だからこそ、彼女は世界の果てでさえも心折れぬ。一人、滅んだ地でさえも彼女は戦い続けるのだ。

 友との約束を守るために。彼女が愛した少女達が、平和に暮らせるように。そしてその愛を、友へと還元するために。無限の時を抗った少女は弓とリボンを携えて狩りに赴く。

 キュゥべぇさえも既にいない。彼女は魔法少女からも切り離された円環の使者。狂信者、信奉者。そしてそれは、少女達の伝説の一つ。

 円環の理を伝え、そこに住う女神を讃え、少女達に説いていく説教者。今や世界中の魔法少女が神の名を知っている。これで良い、これこそが彼女の愛の現れ。

 魔獣の群れが彼女を待ち受けようとも構わない。ただ狩滅ぼし、神の名を広めるのみ。

 

 背中から人間性が溢れる。それは翼。深淵から戻った彼女に、同じく深淵に潜む神から授けられた偉大な翼。しかしそれはおおよそ翼とは言えぬほど禍々しい。黒ずみ、羽など存在しない。ただただ無形の物体が彼女の背中を守るだけだ。

 かつて火の時代、人は天使という存在に見えた。世界の最果てのロスリックや、その更に果ての吹き溜まり。人は人間性を羽化させ天使へと昇華した。

 

 愛とは人間性の極地。故に愛を極めたほむらは天使として、獣を借り続けるだろう。

 

 

 頑張ってと、声がした気がする。

 

 

 本当は、その一言が欲しかったから。ほむらは最期まで戦うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「まったく、皆人使いが荒いよ」

 

 洒落たトップハットを被ったキュゥべぇが眉をハの字にして悪態をついた。感情を露わにしてテーブルの上に腰掛けると、そのまま項垂れるように横に伏せる。

 そのすぐそばに座っていた女性はテーブルの上のカップを持ち上げると、中身を一気に飲み干した。そして空のカップをキュゥべぇの横に置く。その様子をキュゥべぇは流し目で見ながら尋ねた。

 

「僕の分は無いのかい?」

 

 その問いに男は淡々と答える。

 

「お前に紅茶の味が分かるのかしら?」

 

「失礼だな。仕事終わりの紅茶は実に紳士的な一杯だよ」

 

 女性は鼻で笑った。何が紳士だと言いたくもなるが、それは彼なりの個性らしいから取り上げないでおこう。女性は後ろの薔薇園を振り返って声を上げる。

 その視線の先にいるのは宇宙を見上げる人形。

 

「ねぇ、人形。紅茶のおかわりを。この上位者もどきにもくれてやりなさい」

 

 人形は宇宙を見上げるのをやめると振り返り、一礼した。人形がゆったりとした動きで台所へと姿を消すと、女性はため息をこぼした。頬杖をつきながら翠の瞳を眠たげに上下させると見もせずにキュゥべぇに問う。

 

「それで、首尾はどうかしら」

 

 尋ねられて、キュゥべぇはすくっと四足で立ち上がり赤い瞳を女性に向ける。

 

「どうやら総体は暁美ほむらの言葉を信じて大規模な実験をするようだ」

 

「命知らずね」

 

 まったくだね、とキュゥべぇが頷く。彼は背中のポケットから煙管を取り出すと徐に火をつけて吸い出す。今や立派な個として狩人の夢に居座るのは、あの日感情を持ってしまって織莉子達と戦い抜いた一人のキュゥべぇだ。

 そんな自称紳士のキュゥべぇが吐き出す煙をもろに浴びて女性は嫌がるように手を右往左往させた。

 

「ちょっと、レディの前でそんなもの吸わないで」

 

「良いじゃないか、君は特に何をしているわけでもなく狩人の夢に居座っているんだろう?戻るはずもない百合の狩人を待ちながらね」

 

 でも僕はちゃんとそれなりに仕事をこなしているよ、と自慢気に言うとまた煙を吐き出した。その面の何とも憎らしい事か。

 

「それで?時期が来れば君達も動くんだろう?」

 

 話題を変えてくるキュゥべぇに嫌気が差しながらも女性は答える。

 

「もちろん。あの子は完全に神に奪われた訳じゃないわ。その証拠として狩人の夢は問題無く機能しているから」

 

 狩人の夢。それは元来、月の魔物が生み出した夢に過ぎないが。それ以降は月の魔物を打ち倒し、自ら上位者となった百合の狩人の所有物。故に完全に彼女が滅びればこの夢は目醒めて消えてしまうはずだ。

 それにも関わらず女性、星の娘や人形達は今もこの夢で生活している。

 

「そりゃ結構。僕としても、あの使者達さえ居なければここは良い住処だからね」

 

 ふと、星の娘は夢に来たてのキュゥべぇを思い出す。同族だと思われて当初は使者に揉みくちゃにされていた頃が懐かしい。

 

「それで、星の娘。結局彼女の救出には誰が向かうんだい?」

 

「全員よ」

 

「……何だって?」

 

 あまりの即答にキュゥべぇは耳を疑った。

 

「僕もかい?」

 

「そうよ」

 

 その返答にキュゥべぇはため息と煙を溢す。どうやら彼としては必要以上の仕事をこなしたくないようだ。かつてはあれだけ契約のために動いていたのに、今となっては宇宙の寿命などどうでもいいのだろう。それよりも個として新たに開花した彼は楽をして生きていたいらしい。

 キュゥべぇは煙管をポケットへとしまうと腹を向けて寝転がる。

 

「あのねぇ、仮に母星の奴らに見つかれば僕だってただじゃ済まない。改変前の宇宙を知った個体なんて、今の彼らからすれば喉から手がでるほど欲しいだろうからね」

 

「あらそう。なら精々死なないように頑張りなさいな」

 

 ふと、その時。彼女達がいる工房の外で爆音が鳴った。ちらりと窓から外を見てみれば、百合の狩人の弟子が聖剣を振るっていた。相手は……最初の狩人と、その弟子。そして薪の王(月の魔物)

 聖剣を携えた少年狩人は傷付きながらも、ゲールマンと時計塔のマリアを圧倒している。ほぼ傍観しながら時折ソウルの矢を放つ普段着の薪の王(月の魔物)は……無傷だが。それでも彼は、ひたすらに成長を重ねていた。

 

 ゲールマンが飛び上がり、大鎌を振るえばその剣圧で旋風が起きる。それは人を吹き飛ばすには十分な威力だが。恭介はそれをすべて見切り、着地するゲールマンへと突撃した。

 すかさずマリアが防御するも、神秘の力を宿す聖剣を受け止めるだけで精一杯のようだ。そして彼女の落葉を弾けば、その胴を蹴り上げて吹き飛ばし、無防備なゲールマンへと光波を飛ばす。

 

「ぐっ……やるじゃないか、少年」

 

 光波によってゲールマンの義足が破壊されると、彼は膝をついてしまった。その隙に恭介は内臓を引き抜こうとして……

 

 突如飛来した薪の王(月の魔物)の黒騎士の大剣によって勝ち上げられる。軽い少年の身体はサッカーボールのように飛び上がり、しかし決定的な傷を負わずに着地して見せた。聖剣で防いだのだろう。

 着地と同時に蛞蝓を握り天へと掲げると、夢の宇宙から隕石が降り注ぐ。それらはすべて薪の王(月の魔物)に向けられた必殺の一撃。

 

 だが薪の王(月の魔物)はそれを意に介さず、左手に金翼紋章の盾を召喚するとまるで野球のバッターのように迫る流星を打ち返してみせた。

 流星が打ち返され、恭介は加速してそれらを回避しながら薪の王に迫る。そして聖剣に神秘を蓄えると剣の射程外から一気に魔力の奔流を放った。

 それは美樹さやかの放ったそれと比べればか細いものだが、獣を殺すには十二分。薪の王(月の魔物)は右手の古老の結晶杖で盾に魔術を施す。

 

 強い魔法の盾。それは一時的に盾を強化し、ほぼすべての攻撃を無力化するロードランの魔術。

 魔力の奔流を盾で受け切ると、薪の王(月の魔物)は一気に恭介へと迫り右手をロングソードに切り換えて振るう。

 

「ッ!」

 

 しかし恭介はバックステップでそれを完璧に回避してみせた。すかさず聖剣を振り上げて薪の王の脳天をかち割らんとするが。

 彼の左手の盾がいつのまにか変化していた。具体的には、小さい剣になっていたのだ。

 

 恭介が振り抜いた一撃は、薪の王(月の魔物)の小さな剣。パリングダガーに弾かれる。これぞ火の時代の秘儀、パリィ。攻撃を弾かれ無防備な恭介の胴へ、薪の王(月の魔物)はロングソードを突き立てた。

 

「油断したな、坊主」

 

 薪の王を睨む恭介を、そのまま蹴り飛ばし同時に剣を引き抜いた。そして楔石の原盤によって強化された神の武器の一撃は、容易く恭介という狩人を即死させてみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「野蛮ね」

 

「野蛮だね」

 

 星の娘とキュゥべぇの言葉が重なる。と、修行が終わるのと同時に人形が紅茶を持って来た。彼女は一礼してテーブルにカップを置くと去り、また宇宙を見上げ出す。

 キュゥべぇは熱がりながら紅茶を器用に飲むと、ホッと一息入れた。

 

「仁美もかわいそうに。恭介が夢で修行三昧になったせいで荒れちゃってるよ」

 

「興味無いわ」

 

 狩人は次元を超え、他の狩人の狩りを助けるくらいだ。ならば例え宇宙を改変されようとも、人の次元を超えた狩人ならば記憶の引き継ぎ程度容易いものだ。

 と、その時。自らの死を無かったことにした恭介が工房へとやって来た。彼はトップハットを被るキュゥべぇと星の娘を一瞥すると、昔では考えられない程に穏やかに挨拶をする。

 

「やぁキュゥべぇ」

 

「やぁ恭介。いつも戦いばかりで飽きないかい?」

 

「そんな事ないよ。月の魔物や老ゲールマンのお陰で日に日に強くなってるしね……さやかを取り戻すためなら何だってするさ。ヒヒ、ヒヒヒ」

 

 イケメンスマイルがマジキチスマイルに歪む。彼はあの時、暁美ほむらに屠られ美樹さやかを奪われた時から壊れてしまった。そうかい、とキュゥべぇが適当な相槌を返すと月の魔物がやって来る。

 

「戻ったか」

 

 彼は涼しい顔で武器をソウルへと変換して収納するとキュゥべぇに話しかけた。

 

「暁美ほむらはどうだ」

 

「君の望んだ通り、もうすぐソウルジェムが濁り切るよ。あの因果の量ではもうグリーフキューブくらいじゃ浄化しきれないだろうね」

 

「他のインキュベーター達の動きは?」

 

「順調さ。暁美ほむらは最期の地を見滝原にするつもりらしくてね、母星の奴らも見滝原に群がっている……例の実験を行うためにね」

 

 そうか、とだけ言って。薪の王はソファーにどかっと座った。そして視線だけを聖剣の修理に勤しむ恭介に向ける。

 

「最後の油断さえ無ければ完璧だった」

 

「でも負けました。貴方に負けるようでは鹿目さんには勝てません」

 

 ストイックだな、と茶化すと月の魔物はソウルからエスト瓶を取り出して飲む。傷は負っていないが、彼からすればこの行為は酒を飲むに等しいのだろうか。様子は酒に酔うジジィだ。不死人の事など分かるはずもないが。

 星の娘は気怠げな目で月の魔物を一瞥した。

 

「そういう態度はやめなさい。リリィに嫌われるわよ」

 

 そう言えば、月の魔物は組んでいた足を下ろす。

 

「ねぇ、貴方の計画上手くいくのかしら?」

 

「らしくないな。思考が足りないぞ」

 

「違うわ。成功の可否を問いてるんじゃない。リリィは戻る気があるの?」

 

「それこそ俺に聞くのは間違ってる。俺はただ、あの子を取り返すだけだ……あの愛に飢えた女神様からな」

 

 そこで話は途絶えた。これ以上彼に何を聞いても無駄だと、星の娘は拗ねてしまったのだ。

 しかし図らずとも事態は動くものだ。それが女神の愛を強く受ける説教者の最期であるならば。必然なのだ。

 

 




途中の曲はデヴィッド・ボウイの世界を売った男。MGS5で使われていたので有名ですね。
次回から新章に突入します。


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Live While We’re Young
夜明け


叛逆の物語編


 

 

 宇宙は広い。その宇宙飛行士は窓から外を見上げる。眩い星々が漆黒の宇宙の中で輝いていて、母なる星である地球はそんな光景に感動する彼を嘲笑うかのように青く小さい。

 通信機が鳴り響く。地上管制から打ち上げが成功した事に対する賛辞と、新聞記者達が彼の着ているシャツを気にしているという俗っぽい言葉が投げかけられた。そして勇気を抱いて船外に飛び出せという命令も。

 だから彼は、一人震えそうになる心を抑えて宇宙服に身を包み、扉を開ける。そしてその事を地上管制に伝えた。フワフワと浮いて妙な感覚だと、そしていつも地上から見上げる星々が、なんだか今日は違って見えるのだと。

 

 それは正しい。宇宙は彼を歓迎している。この高次元の暗黒の中、一人飛び立った勇気のある彼を。この暗黒は元々人々の内にあるのだから。遠路遥々同胞がやってきたのを歓迎しない者達がいるだろうか。

 

 そして遥か彼方の宇宙から地球を見下ろす彼は思うのだ。

 惑星地球は青い。そしてこの壮大さの中で、自分ができることは何もないのだと。それは宇宙に魅了されたものが持ち得る一つの感性。神秘に触れ啓蒙を得た証。

 

 もう10万マイルは飛んだはず。それでも彼の心は平穏に包まれていた。それは母なる温もり。深淵という微睡に浸かる喜び。実感はない。しかしそれでも、彼は宇宙に抱かれている。

 彼と旅する宇宙船は一体どこに向かっているのだろうか。最早彼はその操舵を放棄しているのだから。行き着く先を知るのは宇宙船だけ。そしてそれを操る未知の女神だけなのだ。

 

 だから地上管制にお願いをするのだ。妻を愛していると。きっと妻は分かってくれているはずだが。

 彼は宇宙に恋してしまったのだから、許されるはずもない。彼は恋した女神に導かれるまま宇宙を漂う。

 

 地上管制から彼を呼ぶ声が聞こえる。トラブルが起きたと混乱しているようだったが。彼は意に介さずにただ浮かぶ。女神に抱かれながら。少女達を愛した女神に連れられ、男は愛されずともその女神に恋をしたのだから。

 

 

 

 私は今、宇宙船で月の裏側を漂っている。母なる地球は青い。そして私にできることは何もないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ━━蛇の村の館の中。(In the villa of Ormen)蛇の村の館の中。(In the villa of Ormen)孤独な蝋燭が一本佇んでいる。(Stands a solitary candle)

 

 

 耳にするヘッドホンから曲が流れてくる。どうにも不気味で魅惑的なサウンドは多感な時期の私の脳に響いてしまうようだ。世間ではもっと女の子らしい曲などザラにあるというのに。

 

 

 ━━あぁ、あぁ。その全ての中心には。(At the center of it all)その全ての中心には。(At the center of it all)君の瞳が。(Your eyes)

 

 

 瞳を開けば夜の静寂さが街を包んでいる。暗い帳の中に煌くビルの光は人の時代の象徴だけれども、それでも闇というものの本質は拭い去れない。その中で、私の赤い瞳だけが屋上に光っているのだから、不気味なのは曲よりも私だろうか。

 エレクトロニカとジャズが混ざり合う曲は夜に良く似合う。私は徐に立ち上がると車が行き交う道路を見下ろした。数々の車はやはりライトを付けていて、遠く離れた屋上からはまるで蛍の光のように見えて幻想的だ。きっと写真を撮ったならば良い作品が生まれるだろう。

 

 

 ━━処刑の日。(On the day of execution)処刑の日。(On the day of execution)女達だけが膝をついて微笑むのだ。(Only women kneel and smile)

 あぁ、あぁ。その全ての中心には。(At the centre of it all)その全ての中心には。(At the centre of it all)君の瞳が。(Your eyes)

 

 

 制服から、闇に紛れるような漆黒の衣装を身に纏う。少女らしくはないだろう、地味で写り映えのしない私の衣装はそれでも戦いには向いているのだ。

 ゆっくりと両手を広げ、眼下に広がる蛍の光を受け入れる。今日は一段と瘴気が濃い。人が悪夢を見るにはうってつけの夜だろう。

 

 

悪夢を狩るには良い夜ね(Today is a good to hunt the nightmare)

 

 

 身体を傾け、眼下の闇に堕ちていく。浮遊感、疾走感、自由感。その全てを受け入れ、私はただひたすらに蛍に向かい堕ちていくのだ。

 左手に弩を、右手に剣を。少女らしくない実戦的な武器を携え。私は悪夢に飛び込んでいく。マントが風に揺れ、私の銀髪が靡く。自慢の銀髪はお姉ちゃん譲りでかっこいいでしょう?

 

 そして向かうは戦場。メルヘンに彩られ、しかし死の匂いは濃く。それはまさに悪夢の辺境。哀れな落とし子共を狩りに、私達は向かうのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その悪夢は、追い詰められていた。人々が深層心理の中で生み出した悪夢として実体を持ち、代理人として暴れ呪いを撒き散らす存在として生み落とされた彼らの性質は暴虐だが。立ち塞がった桃色の少女が放つ数々の矢が彼又は彼女の進路を塞いだのだ。

 生まれて一日、されど戦いには容赦など持ち得ない悪夢は応戦することもできずに撤退を余儀なくされる。そして命辛々路地裏に逃げ込み、今後の事を考える暇も無く。

 

「ナイスまどか!」

 

 今度は青色の少女と赤色の少女の待ち伏せに遭った。今度こそ悪夢は応戦しようと試みたが、どうにもこの二人のコンビネーションの前には自身の戦いをし辛い。青い剣を避ければ赤い槍が縦横無尽に飛んでくる。またもや悪夢は逃げに徹する事しかできない。

 それでも悪夢は逃げ続ける。時折斬り刻まれそうになりながら、突き刺されそうになりながら、それでも悪夢は命辛々薄暗い屋内に逃げ込んだ。ここならば襲われる方向が分かり易いと、考えた結果だ。

 

 それが悪夢にとって最悪の一手だと知らずに。

 

 

 コツ、コツ、とブーツの音が暗闇に響く。それが追手だと悪夢が気がつく頃にはその正体も見えるというもの。

 それは、少女ではなかった。黒尽くめの、不吉な格好をした少年。手には一振りの大剣と古い散弾銃。それは今まで対峙した少女達とは異質なほどにかけ離れている。それでも悪夢は応戦しようと身構えて、少年はトンガリ帽子とマスクのせいで見えない顔を歪ませて呟いた。

 

「今宵もまた、人々の悪夢で満ちている。ククク……素晴らしいじゃないか。我ら狩人の本領発揮という訳だ」

 

 言うや否や、彼の手にする大剣が青く光り輝く。まるで宇宙に浮かぶ月のように。もしかすれば、一番不味い相手と当たってしまったかと悪夢は後悔した。そしてそれは正しい。

 剣では届かない距離で少年はその大剣を振るった。刹那、迫る月光の光波。悪夢はそれを間一髪避けるとプライドも何もかも捨てて窓を突き破り逃げ出す。

 あの光波を打ち出す瞬間、少年の瞳を見て感じた。あれは先ほどの少女らとは比べものにならない程に狂っている。悪夢が他人に狂っているなどと感想を抱くのもおかしな事だが、狩人というものは皆そういうものだ。血に酔い、狩に優れ、狂っているものだろう?

 

 そうした逃亡が功を奏したのか、あの少年達は追ってこないようだった。悪夢は逃げ延びた裏路地でホッと一息入れると、その場に項垂れる。まさか悪夢が悪夢を見るとは思いもしなかった。そして自分もまた人の呪いの産物であるが、やはりその呪いを心に抱く人間こそが一番恐ろしいのだと震える。

 

 

 

 

「やぁ。瘴気の元は君かな?」

 

 

 

 

 一閃。突然真上から少女が落ちてきた。悪夢は考える事もできずにバッサリと腕を斬り落とされる。

 落ちてきた少女は、先ほど出会した少女達とは対照的な色合いだった。さっきまで襲ってきた少女達はそれなりにカラフルで、いかにも女の子が好きそうな衣装だったのに。目の前の少女に関しては質素そのもの。

 それどころか、闇に紛れる事を意識しているようにも見える。それでいて、身体の機能を阻害しないように。そう、いつでも戦えるように整えられた服を着て。

 

 悪夢は逃げ出そうとして、少女の隠し玉である弩に足を射抜かれる。それは徹底した狩。転がる悪夢に少女はゆっくりと近づくと剣を向ける。

 

「こんなに瘴気も濃いんだから。悪夢の一つや二つ現れるわよね」

 

 その時だった。生存の危機に瀕した悪夢が、自身の口から煙を吐き出したのだ。煙幕のように立ち込める煙は容易に悪夢の身体を包み込み、その存在を秘匿する。黒尽くめの少女は煙を吸うまいと手で口を覆って悪夢を探すが、時すでに遅し。

 

「あぁっと!これは!一体悪夢に何が起きたんだァーッ!?」

 

 そんな少女の背後から、やかましい声が響いた。それはどこか見覚えのある茶髪の少年。彼はその肩に白い宇宙の使者を連れ、大袈裟にその場で起きた事象について解説しだす。

 

「こ、これは!あの悪夢、生命の危機に瀕して進化したんだ!死にたくない一心で瘴気を口から出して煙幕にするなんてッ!敵ながら天晴れな戦法だぜェー!」

 

「キュー!」

 

 少年の大声解説に耳を塞ぐ少女。その顔はうんざりしている。

 

「タツヤ、うるさい」

 

「おいおい、そんなに邪険にしなくていいじゃあないか!俺だって君達が戦っている中、必死にサポートしようとしているんだぜ!」

 

 タツヤ。そう呼ばれた、解説役の少年がオーバーリアクションで嘆く。一人だけジョースターの世界から飛び出てきたような少年は、しかしすぐに心を入れ替えると周囲を見渡す。

 

「しかし一体どこへ!?ここら一帯は街外れ、逃げる場所も限られているッ!」

 

「心配しなくても、あとはマミ達がやってくれるよ」

 

 鞘に剣を納めながら少女は路地から出る。どうやらもう少女には今宵戦う気はないようだ。

 

「おいおい!いくらあの魔弾の魔法少女巴マミでも、今回のナイトメアは危険だぜ!あの上条恭介からも逃げ切ったんだ!なぁキュゥべぇ!?」

 

「キュー!」

 

 やたらとコンビネーションが良い二人に、少女は呆れたようにため息を吐いてみせた。

 

「それ、マミには絶対言わない方がいいよ」

 

 そう言って少女は跳躍してこの場を後にする。タツヤと呼ばれた少年とキュゥべぇは慌てるように彼女に走り追い縋った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やぁ!俺は鹿目タツヤ!見滝原中学校に通う弓道部の二年生!得意科目は体育で苦手な科目は数学!最近の悩みは事あるごとにうるさいって言われる事かな!

 さて、俺はひょんなことから人間の呪いの権化であるナイトメアに襲われてしまった!絶体絶命のその時、俺の前に現れたのはなんと双子の姉で魔法少女である鹿目まどかだった!驚く俺に姉ちゃんやその友達である魔法少女達はこの街で起きる数々の不思議な事件を説明してくれた!そして正義感溢れるこの俺は、彼女達の助けとなるべくマスコットであるキュゥべぇと一緒にサポートをしているんだ!

 

 って、そんな事は今はどうでもいい!今は現れたナイトメアをどうにかしなきゃならない!黒尽くめの魔法少女リリィが言うには巴先輩達が後は片付けるらしいが、俺は楽観視しないタチでね!人々の暮らしを守るためならなんだってするぜ!

 

 おっと、とんでもない速さでジャンプしていくリリィが止まった!あれはどこかのアパートか?きっとナイトメア達はあそこにいるに違いない!行くぜキュゥべぇ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナイトメアは運よく空いていた窓から屋内へと入った。ここはどうやらアパートの一室のようだ。追手は見えないから、しばらくここで休んで戦力を回復することにしようとする。

 そうして壁に寄りかかり、休もうとしていた折。この場所がとても奇妙であることに気がついた。電気のついた一室。それは良い。だが人は居らず、それどころか真夜中だというのに朝食を作るような音がキッチンからしてくる。

 不思議に思い、悪夢はキッチンへと赴く。そこにいたのは二人の少女だった。黄色の衣装に身を包み、二つに結んだ金髪をロールさせている美少女。そしてもう一人は、深緑の衣装を着こなし野菜を切る少女。

 

 流れてくるレコードの音に合わせ、金髪の少女が歌う。

 

「私は朝の夢を見る」

 

「まだだめよ、まだだめよ」

 

 合わせて緑色の少女が歌う。

 

「何色の朝が来る?」

 

 不意に背後から歌が聞こえた。それは一番最初に襲ってきた桃色の少女。彼女はパンの入ったバケットを手に楽しそうに歌う。

 

「まだだめよ、まだだめよ」

 

 桃色の少女はパンを一つ悪夢に放る。釣られるがままに悪夢はそのパンを食した。極上の味。

 

「まだ夜は食べかけよ」

 

 また少女が増える。今度は青い剣の少女と赤い槍の少女。二人はそれぞれ鶏肉とリンゴを手にし、歌いながら悪夢に食材を投げる。

 

「眠っている子は」

 

「どこにいる?」

 

 まだだめよ。悪夢はお腹を空かせてそれらを食していく。

 

「まだだめよ。眠っている子に朝ごはんを」

 

 気がつけば、悪夢の手を両断した少女が食材をテーブルに並べていた。

 その間にも少女達は食材や飲み物を手に悪夢を囲んでいく。気がつけば、金髪の少女の肩に潜んでいた悪夢のような物体がテーブルの上の食材を散乱させた。悪夢は驚き飛び退こうとするが。

 

 

「さぁ、おはよう。悪い夢はこれっきり」

 

 

 金髪の少女が放った一言で、夢は醒めて行く。

 朝が来れば朝食を。そして開けない夜はない。夢とはいつか醒めるもの。人の呪いは朝の幸せへと還元される。

 

 

「決まったァーッ!ピュエラマギホーリーセプテッドの必殺技ァ!」

 

「キュー!」

 

 遅れてやって来たタツヤとキュゥべぇが叫ぶ。同時に悪夢が晴れていく。それは魔法少女達の戦いの終わり。夜明けだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目覚ましの音と共に、私は眼が覚める。時計を見ればもう7時。今日は月曜日。なら、後は分かるかな?学校へ行かなければならない。

 布団から手だけを伸ばして目覚ましのボタンを叩く。本当に目覚ましの音というものはトラウマになる。このまま永遠に眠っていたいが、仕方なく私は布団を蹴飛ばして窓から入る風を浴びる。

 清々しい朝だ。ひんやりとした風と、暖かな日差しがミックスされて気持ちが良い。窓から身を乗り出して思いきり背伸びすると、私は両手で頬を叩いて気合を入れる。

 

「よしっ!」

 

 寝巻きのまま、私は部屋を出て階段を降りる。そしてリビングの扉を開けると一言。

 

「おはよう」

 

 私の挨拶に、その場にいた家族が順番に答える。

 

「おはよう、リリィ。もう朝食はできてるから着替えなさいな」

 

 台所に立つ、深紫の紙を一本に束ねた母が言った。わたしは頷いて隣の部屋に入って学生服に着替える。

 先にテーブルに着いて新聞を読みながらコーヒーを啜る父が私に挨拶する。

 

「おはよう。昨日は夜更かししてたのか?」

 

「どうして?」

 

「クマ、できてるぞ」

 

 鏡で顔を見てみれば、父の言うように確かに目の下に隈ができている。やはり夜更かしは美容の天敵だ。肌の白い私なら尚更だろう。

 ため息混じりに席に着けば、家政婦ロボの人形ちゃんが紅茶を出して来た。私は笑顔でお礼を言うと、紅茶を飲む。暖かく深みのある紅茶は目覚めの一杯としては最適だ。だが、飲み終える前に母が思い出したように言った。

 

「ねぇリリィ、お姉ちゃん起こして来て。まだ寝てるみたいだから」

 

「なんだ、姉妹揃って夜更かしか。男でもできたのか?」

 

「もう、違うってば。お姉ちゃん昨日は遅くに帰って来てたから。残業してたんだって」

 

 言いながら私はリビングを後にして階段を勢い良く上る。そして姉の部屋に辿り着き、扉を開けた。

 目にするのはカーテンを締め切り布団に包まる姉、マリア。大きな時計塔を模した目覚ましに手だけを伸ばしているところを見るに、多分機能は果たしたのだろう。本人は止めるだけ止めて二度寝したが。

 

 私はカーテンを開けて陽の光を布団に浴びせる。それでも起きない姉だが、私は勢い良く布団を剥がして姉を起こしにかかった。

 

「起きろー!」

 

 だが姉は猫のぬいぐるみを抱いたまま唸って縮こまるだけ。

 

「うぅ〜……あと五分……いや一時間……」

 

「会社遅れちゃうよ?またまどかのお母さんに怒られるよ」

 

「それは……嫌……」

 

 寝坊助な姉の会社の上司は友達の鹿目まどかの母親。相当勝気な人らしく、姉は上司を恐れている。

 猫のぬいぐるみを取り上げ、未練がましく手を伸ばす姉の手を引っ張ってベッドから引きずり出す。

 

「もう!早く起きてってば!」

 

「う〜ん……」

 

 嫌々姉は立ち上がると、重い足取りで部屋を出た。その隙に私は布団を畳んでぬいぐるみを定位置に戻す。

 

「ちゃんとしてれば美人なのに」

 

 困ったように私は呟くとリビングへと降りた。

 

 

 

 

 

 

 朝食を終えて姉と歯を磨く。普段から眠たそうな瞳をしている姉だが、やはりその切れ長の二重目蓋は見ていて惚れ惚れする。私も姉に似て美人な部類だが、それでも姉には劣るだろう。

 そんな羨望にも嫉妬にも似た眼差しを長身の姉に向けていると、歯ブラシを咥えた父がやって来て私達の間に割って入った。そして歯磨き粉塗れの唾を洗面台に吐き捨てるとそのままうがいをする。

 

「もう、お父さん汚い!」

 

「んん?男は皆そんなもんさ」

 

 そう言って軽く流す父は、まるで犬のように顔を洗い出す。

 

「もう!二人ともお母さんと人形ちゃん見習ってよ!」

 

「私もかい?」

 

「ズボラな所はお父さん譲り!」

 

 一緒にされて嫌がる姉を断言する。こうして白百合家の一日は始まる。どこにでもある家庭の一ページ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、家を出れば通学路にて友達を待つ。昨日はナイトメアが出たせいであまり眠れなかったから皆寝坊しなければいいんだけど。

 一人そんな不安を抱えていると、青と赤のコンビがやって来る。美樹さやかと佐倉杏子だ。二人とも私のクラスメイトで、とある事情で親が居ない杏子はさやかの家に養子として住んでいるのだ。

 

「おっすリリィ」

 

「おうリリィ、おはよー」

 

 元気そうな二人に私は手を振る。

 

「おはよう二人とも。よく眠れた?」

 

 そう問いかけると杏子はわざとらしく欠伸をしてみせた。

 

「ぶっちゃけ眠い」

 

「あんたはいつも朝は弱いでしょ」

 

 杏子の一言に突っ込むさやか。つまりはいつも通りだ。そしてもう一人、忘れてはいけない友達がやって来る。

 肩に私達魔法少女のマスコット的存在であるキュゥべぇを乗せ、二つに縛った桃色の髪を靡かせてやって来るのは鹿目まどか。彼女は焦ったように走っていて、やって来るや否やごめーんと謝る。

 

「待たせちゃった!?」

 

「ううん。今来た所。仁美は?」

 

 私が尋ねれば、さやかが後方を指差す。そこには恋人である上条恭介を連れた志筑仁美がいた。彼女達とは度々別々に登下校している。ラブラブな二人を邪魔しちゃ悪いとさやかが気を遣っているのだ。

 それにしても、さやかも恭介が好きだったのによく手を引いたものだ。私だったら嫉妬しちゃって見ていられないだろう。

 ちなみにここにいる友達に加え、仁美も魔法少女だ。そしてその隣にいる上条恭介も、魔法少女と戦いを共にする狩人と呼ばれる正義の味方。まぁ、狩人はちょっと戦い方が血腥いけれど……恭介は眠そうな目蓋を擦り仁美に引っ張られながら登校している。

 

「上条くんも大変だね〜。ナイトメアと戦いながら勉強もしてバイオリンも練習しなきゃいけないし」

 

「いいのよあいつはそれで。やりたいことやって満足してるって。さ、行こうか」

 

 さやかの提案に頷き、私達は通学路を歩く。宿題の事とか、今日の授業の事とかを話しながら、真っ当な女子中学生らしく私達は学校へと向かうのだ。

 と、その時。背後から誰かが走って来る。振り返ればまどかの双子の弟、鹿目タツヤが血相を変えて走っていた。

 

「おうおうおう!なんで俺を置いてくんだ姉ちゃん!」

 

 息を切らして膝に手をつくタツヤが問うと、まどかはちょっと怒ったように腕を組んだ。

 

「何回起こしても寝ちゃうからでしょ!」

 

「キュゥべぇもいつのまにか姉ちゃんのベッドに行っちまうしよォ〜、俺とお前は相棒だろう!?」

 

「キュ〜」

 

 そんなタツヤを冷ややかな目で見るキュゥべぇ。私達は苦笑いし、彼を加えてまた足を進める。いつも通りの登校風景だった。

 

 



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謳歌

 叛逆になってからお気に入りの数がバンバン減っていって笑っちゃうんすよね(肉おじゃ)
 やる気に繋がるので感想もお待ちしてます


 

 相も変わらず先生は恋愛に苦戦しているようだ。ホームルームではいつものごとく今回も彼氏に逃げられたらしい早乙女先生が発狂し、自らの恋愛観を余す事なく語り中沢くんがその被害者と化している。

 そして最近流行のマヤの予言を引用し、世界は滅びるだの恋愛や男女関係が無くなればそれでいいだのと喚いているのだが。まぁ、つまりはいつも通りの日常というわけだ。

 

「2050年までに何が起こるでしょうか!はい、中沢くん!」

 

「えっ!?」

 

 先生に当てられた中沢くんが慌てた様子で苦笑いしている。それに対して答えなど持っているはずもなく、しどろもどろしている彼に先生は失望したようなため息を溢した。

 一体なんの話を聞かされているのだ私達は。面白おかしいが、父がこの話を聞けばきっと税金の無駄遣いだとか教育費を返せだとか皮肉めいた言葉と合わせて言うに違いない。

 

「うぇはは……今日の先生すごいね……」

 

「ありゃ既のところで逃げられたんだろうね……」

 

「見ていて辛いですわ……」

 

「腹減ったなぁ」

 

 まどかとさやか、仁美そして杏子がテレパシーで会話をしている。しかし杏子は心底興味が無いようで昼ご飯の事しか考えていないようだ。あの子らしいが。

 いつになっても終わらないホームルームだったが、その時教室の扉が開かれて一人の男性が入って来た。それは我が校のイケメンランキング1位との呼び声が高いALTの外国人の先生。一体どこで買ったんだと言いたくなるホストのような白いスーツを着こなし、彼は話に夢中である早乙女先生の横でわざとらしく咳払いをしてみせる。

 

「コホン、早乙女先生?」

 

「あら良い男……い、いえ先生!?」

 

 本音を漏らす早乙女先生だったが、その時彼女はハッと何かを思い出したようだった。それはきっと、ALTの先生の背後にいる女の子の事だろう。噂でしか知らないが、転校生だ。

 早乙女先生は我に帰り、転校生の手を引いて教壇に上がらせる。

 

「今日は転校生が来ています!」

 

「忘れてたね……」

 

 思わずボソリと呟いてしまうがまぁ良い。テンションの高い先生に紹介されたのは、長くて艶やかな黒髪を三つ編みにした眼鏡っ子の少女だった。かなりの美少女……思わず生唾を呑む。昔から、私は美少女に弱い。

 転校生はお辞儀をすると、ハキハキとした様子で自己紹介をする。

 

「暁美ほむらです。よろしくお願いします」

 

 良い響きの声だった。それこそ姉に負けないくらいの美声。ますます興味が湧いて来た。

 

「暁美さんは心臓の病気でずっと入院していました。久々の学校で戸惑う事もあるでしょうから、皆さんも助けてあげてください」

 

 外国人の先生が笑顔で説明する。なるほど、病弱キャラか。随分とキャラを盛るじゃ無いか……匂い立つなぁ。堪らぬ少女の匂いで誘うものだ。えづくじゃないか……あれ、このは誰の言葉だったか。思い出せないが、きっと何かの小説だろう。

 と、その時。暁美さんが耳元の髪をかき上げた。その仕草に惚れそうになるが、それよりも興味深いものは。

 魔法少女の指輪。彼女の薬指には確かに指輪が嵌められていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさいね、みんなをびっくりさせたくて」

 

 昼休み。屋上にて食事を取る私達は微笑むマミの言葉に驚かされる。どうやら彼女は暁美さんが魔法少女である事を隠していたらしい。動機は彼女らしいが、それならそうと予め教えて欲しかったものだ。

 お弁当を食べる暁美さんは困ったように笑い、

 

「本当は昨夜のうちにご挨拶しなきゃいけなかったのに……」

 

 と申し訳なさそうに言う。繊細な子だ、別に彼女を咎めようとする子がいるわけでもないのに。

 ああ、とすればあれか。昨日の悪夢狩りで一人気配が多いような気がしたのはもしかして……

 

「昨日の戦いでマミや仁美と待ち伏せしていたのって、君?」

 

 私が尋ねれば、彼女は頷いた。

 

「ご名答。こっそり暁美さんにも手伝ってもらってたのよ。彼女の魔法凄いのよ、コンビネーションで攻撃力を何倍にもできるんだから!」

 

 新しい仲間が増えたからか、マミがいつになく興奮気味に言って見せた。それに対し暁美さんは謙遜した様子で首を横に振る。

 

「わ、私にできるのはサポートだけで、攻撃力はからきしですけど……」

 

 そんな事はない。基本的に私達ピュエラマギホーリーセプテッド(命名主マミ)は戦闘力に特化した集団だ。サポート要員は常日頃から欲しかったし、それにこんな純朴そうな女の子なんだから……ね。

 邪な感情が出そうになったが、そんな時さやかが暁美さんをフォローするように言った。

 

「でも頼もしいじゃん。ここんとこナイトメアも大物ばっかりで手こずらされてたからさ」

 

「実力は昨日で証明済み……ってことならね。あたしも別に文句はないよ」

 

「黒髪おさげの美少女……キマシタワー!」

 

 仁美は相変わらずだ。ともあれそう言われ、暁美さんは笑みを浮かべて喜んだ。

 

「改めまして……暁美ほむらです。これから皆さんと一緒にこの街のナイトメアと戦います。どうかよろしく」

 

 暁美さんが頭を下げて一礼した。私とまどかはそんな彼女に駆け寄り、互いに手を取る。

 

「こちらこそ!これから一緒に頑張ろうね、ほむらちゃん!」

 

「君はもう私達の友達だから、遠慮しないで何でも言ってね」

 

 心からの一言だった。新たな仲間の歓迎。暁美さんは驚いたが、すぐに満面の笑みを見せて頷いた。

 あぁ、これぞ青春。中学生の身にとって魔法少女という仕事は辛いものがあるが、それでも得るものは多い。そして仲間との出会いは、何にも変え難いものだ。

 しかし見れば見るほど美しい……この手も、実を言えば好きなだけ舐めていたいがそんな事をすればこの関係性もあっという間に崩れてしまうだろう。いや待てよ、ワンチャン彼女も私と同じく少女好きという可能性も……

 

「リリィさん?だめよ、変な事考えちゃ」

 

 と、そんな熱意をマミの一言で遮られる。ぎくっと私は身を震わせて暁美さんから渋々離れる。そしてマミの手を取った。そして膨れっ面で嫉妬しているマミの頬にそっと唇を付ける。

 

「そんなに嫉妬しなくても、マミが一番好きだからね」

 

「ちょ、ちょっと!みんなの前でやめてよ!」

 

 カァッと顔を真っ赤にして恥ずかしがるマミだが、握った手を離さない所を見るに満更でもないのだろう。

 仁美はキマシタワー!といつも通り興奮し、さやかや杏子は茶化すようにお熱いねぇ、なんて言っているが、初めてこの光景を見る暁美さんはマミ以上に顔を赤らめて沸騰する。無理もないだろう。

 

「わわっ!さ、白百合さんと巴さんって……ええ!?」

 

 私は見せつけるように横からマミを抱きしめると、ふふんと笑って暁美さんに言って見せた。

 

「少女同士の恋愛は、嫌いかな?」

 

 決まった。そして百合の花が咲き乱れる。私の脳内で、だが。暁美さんは戸惑いつつ興奮しつつも、ぎゅっと手を握り締めて言う。それはまるで決意を固めたように。

 

「お、女の子同士の愛情も、アリだと思います!」

 

 それを真横で聞いていたまどかは目をキラキラさせて妖艶に微笑む。あれは火のついた時の目だ。まどかめ、私には分かっていたぞ。君が実は百合が大好きだってことがね。

 まどかは親しみを表すように暁美さんに抱き付いた。びっくりした暁美さんはそのまま固まるが。

 

「ま、まどか!?」

 

「うぇひひ、ちょっとしたスキンシップだよ〜」

 

 その割には妙にベタベタしてないかな君。

 

 

 

 

 

「あら、騒がしいと思ったら。巴マミとその金魚の糞じゃない」

 

 突然、そんな声が響いてくる。聞き知ったその声の方を向けばやはりと言うべきか、厄介な人達がそこにはいた。私達ピュエラマギホーリーセプテッドのライバルである魔法少女三人組、クワイア・オブ・ザ・コスモスだ。

 先頭に立つ帰国子女で金髪ハーフの魔法少女、星野さんはねっとりと暁美さんを見ると鼻で笑う。

 

「魔法少女の転校生がいると聞いて来てみれば……フン、地味ね」

 

「ちょっと星野さん!」

 

 同級生のマミが当然ながら怒った。それを意に介さず、彼女は両手を腰に当てて踏ん反り返る。

 

「それに比べ私のリリィ……ふふ、貴女はいつ見ても美しいわね」

 

「星先輩……相変わらず清々しいくらい悪役ですね」

 

 呆れたように私は言った。彼女は昔からやたらとマミに因縁をつける魔法少女なのだが、何を隠そう彼女は私に惚れている。中学で最初に会ったその時から、彼女はやたらと私にベタベタして来たしその度にマミが嫉妬したものだ。こんな人が生徒会長なのか我が校は……

 そんな星野さんの背後から困ったように笑って仲裁に入る人がいた。それは副生徒会長の美国織莉子先輩だ。高飛車な星野先輩と比べ彼女は聖人だ。思慮深く、穏やかで。しかし悪夢には一切の躊躇はしない冷酷さを併せ持った魔法少女。

 

「ごめんなさいね。星野ちゃん、転校生が来るって聞いてずっとそわそわしてて。巴さん達のチームに入るって聞いたから拗ねちゃってるの」

 

「織莉子、やめなさい」

 

 所業をバラされて顔を赤くした星野さんが制止するも時すでに遅し。杏子とさやかは彼女を指差して笑っている。それに対し星野さんもプルプルと怒りを隠せないようだ。

 

「昨日のナイトメアは大物だったらしいじゃないか。僕と織莉子がいればもっと簡単に片付けられたに違いない」

 

「キリカ、なんで私を省くのかしら」

 

 織莉子先輩ラブな呉キリカ先輩がその豊満な胸を張ってなぜか自慢してくる。この人達は織莉子さんを除いて人を煽らないと我慢ならないのだろうか。

 困ったように織莉子さんは笑い、

 

「暁美さん、チームは異なるけれど同じく街を守る魔法少女としてこれからよろしくね」

 

 そう言って彼女は暁美さんに手を差し伸べる。少しばかり暁美さんは躊躇ったが、それでも善意には善意で返せる人間だ、彼女達は握手をしお互いの誤解を解いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ALTの先生は一人、陽の当たる校庭を歩く。校庭を突っ切れば、我が校自慢の花壇が彼に見えるだろう。そしてそれを整備し育てるのは、用務員の老人。

 背の高い老人は麦わら帽子を着こなし、義足を器用に操りながら赤い花々に水を遣っている。古めかしい如雨露から出る水道水は、しかし花々にとっては栄養そのもの。今日も光合成をし、その美しさを磨くのだ。

 

 汗水垂らし、そんな花々を世話する用務員の老人に先生は話しかける。

 

「今日もお疲れ様です」

 

 そう言って先生は老人に水の入ったボトルを差し出す。老人は振り返ると、にっこりと笑いボトルを手にした。

 

「あぁ、やぁすまない。有り難く戴くよ」

 

 老人は軍手を脱いでボトルを手にすると、震える手でキャップを開けて水を飲む。春と言えども、昼の日差しは暑いものだ。ましてや老人ならば尚更脱水には気をつけなければならない。

 先生は老人の横のレンガに腰かけると彼に問う。

 

「お花は順調に育っていますかな?」

 

 その問いに、老人はにこやかに答えた。

 

「もちろんだとも。これくらいしか私にできる事はないのだからね……まさか狩る側が、育てる側になるとは思わなかったが」

 

 ━━いや、助言者として若者を育てたからこそこの役割を与えられたのか。老人は聞こえぬくらいの小声で呟いた。先生は首を傾げ、聞こえなかった言葉について再度問うが老人は笑って首を振った。

 それよりも、と。老人は話を続ける。

 

「転校生が来たと聞いたが」

 

「ええ。話を聞いた時は病気がちで内向的だと聞いて心配しましたが、杞憂だったようです。今もうまく生徒達と溶け込めています」

 

 そうか、と老人が言ってしばしの静寂が訪れる。その間にも校庭では少年少女達がそれぞれ昼休みを満喫していた。サッカーをする者、鬼ごっこをする者、沢山いるが。その全てが先生にとっては微笑ましいものだ。

 

「数日前にALTとして日本に赴任し、この学校に来た当初は私のような人間が本当に子供たちに教鞭を振るえるか不安でしたが……今となっては、良かったと思います。それも貴方に相談したおかげだ」

 

 流暢な英語で彼は老人に語った。

 

「そうかね。私が居らずとも、君は良き教育者となっていたに違いないが」

 

「不安に駆られた私に、貴方が君なら出来ると仰ってくれたからです。感謝してもしきれません」

 

 若者に礼を言われ、老人はくつくつと笑った。しばらくそうしていただろう。気がつけば時間は過ぎて行き、午後の授業が近くなる。

 先生は立ち上がると老人に別れを告げる。

 

「貴重な時間をお取りしてすみません」

 

「良いのだよ。君も、励み給えよ」

 

 何がとは言わない。しかし先生は自分の解釈に当て嵌め、頭を下げる。

 

「では、ミスターゲールマン」

 

「あぁ。また来なさい、ルドウイーク先生」

 

 

 

 

 そうして教員や用務員である者達は奇妙な邂逅をしていく。それが運命に導かれたものだとも思わず。ただただ日常は過ぎて行く。

 

 





 感想でも頂きましたが、原作ならタツヤはまだ赤ん坊です。ここではまどかの双子の弟としてスピードワゴン並みに解説していきますのでご容赦ください。
 秘匿された謎については解明されますのでゆるして。


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魔法少女☆

タイトルクッキー☆みたいですけど関係はありません


 

 

 

 マミと二人。私は彼女の部屋にお呼ばれして恒例のお茶会を楽しむ。それは私とマミにとっての至福の一時。誰にも邪魔されず、そしてお互いを確かめ合う儚い恋の一ページ。夕陽に照らされた紅茶を眺めながら、隣で甘いケーキを食すマミの肩に寄り掛かる。

 ふんわりと、ケーキとは異なる甘い香りが鼻を擽る。少女特有の何とも形容し難い高貴な匂い。それが肺に満ちると、マミはケーキを食べる手を止めて、顎をちょこんと私の頭に乗せた。

 

「あらあらどうしたの甘えん坊さん?」

 

 問われた私は言葉にせず、代わりに彼女の口元に着いた僅かなクリームを手で掬うと、自らの口に含んだ。二重の意味で甘く、それは幸福な事だ。

 私はいつものようにクールに微笑めば頭をスライドさせてマミの胸に顔を埋めた。同年代の中では暴力的なまでに大きなマミの胸を顔で堪能すれば彼女は困ったように私の頭を撫でた。

 

「もう〜どうしたの?今日ちょっと変よ?」

 

 私は唸り、両手をマミの腰に回す。

 

「ねぇマミ。明日は休みだし、今日は泊まっていい?」

 

 彼女の顔を見上げて私は尋ねる。マミは少し考えて、ちゅっと私のおでこにキスする。今はべべも気を利かせて隣の部屋で何かしているようだから、彼女も恥ずかしがる事なく接して来る。

 マミはにっこりと笑うとケーキをスプーンで掬って私の口に優しく入れた。

 

「そうね。私もね、久しぶりにリリィさんと……って考えてたの」

 

「マミ大好き」

 

「もう、調子良いんだから」

 

 今日の夜が楽しみだ。だがそれと同じくマミと過ごすこの日常が幸せだった。好きな少女と一緒に過ごして、甘い青春を送っていくことが。

 それは他人から見ればちょっとおかしな日常なのかもしれないが。それでも良いのだ。人の目を気にして生きることの何と息苦しい事か。確かに世間体なんかは大切かもしれないが。人の幸福や安心というものは大概世間の価値観を逸脱してこそ得られるものだろう。

 

 私はしばらくお茶会そっちのけでマミの膝枕を楽しむ。

 確かにこうしてイチャつくのは最近は久しぶりだったが。それでもなんだか、こうして愛し子と日常を過ごせる事を待ち望んでいたような。そんな考えが、ぼんやりと私の頭にあった。

 

「マミは今、幸せ?」

 

 問いかける彼女の顔は、確かに笑みに溢れていて。

 

「もちろん、幸せよ」

 

 そんな彼女に、私は甘えてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのキュゥべぇは、陽が沈むのを待ってから花壇の側に座る老人に近寄った。老人は軋む義足を立たせて振り返ると、いつも通りの表情でその小さき白い使者を眺めた。

 夕陽に照らされた花壇の花は、いつにも増して哀愁を醸し出している。彼岸花はどこまでも赤く、そして死に寛容だ。ある場所で死血に咲くその花は、しかし死を受け入れる。そして嘆くのだろう。だがこの場に人の死はあり得ない。故に彼岸花はその使命を果たせぬまま朽ちるのだろう。

 ここで人の生を謳歌する少女達のように。

 

「そろそろ彼女達の中に怪しむ者達が出てくる頃合いだ」

 

 キュゥべぇはトップハット越しに老人の顔を覗く。

 

「あぁ、そうか。この役割ももうすぐ終わってしまうのか」

 

 老人は微笑むと夕陽に照らされる彼岸花を眺める。哀愁が彼の背中を包んだ。

 

「気に入っていたようだね。なら使命を果たした後に夢の中で育てれば良い」

 

「ははは……やはり君には分かるまい」

 

 キュゥべぇは老人の隣に並ぶと表情を一切動かさずに答える。

 

「分かるさ。だからこそ、君に助言しようか最初の狩人」

 

「私に助言、か」

 

 老人は枯れた笑みを絶やさず、しかし目には鋭い何かを秘めたまま言う。

 

「このまま仮初の幸せを受け入れ続ければ誰かさん達と同じく君まで遺志を失ってしまうだろうね」

 

 脳裏に浮かぶのは老人を夢に縛った張本人や他の上位者。そして自らの弟子達。彼らは皆、己が得た偽りの幸福に心を染めてしまっている。それは最早、使命と遺志の放棄。それは不死と狩人にあってはならぬ事。

 そしてそんな宇宙に潜むほどの者達を容易に縛り付けておくほどの力を宿した“あの少女”が恐ろしい。トップハットのキュゥべぇは、感情を得た故に彼女を忌む。そして忠告するのだ。

 

 老人は遠く、その夕陽を眺めると語る。

 

「元より、私の遺志とは儚いものだ」

 

 夢において存在が希薄になり、ひたすらに助言者として狩人達を葬送してきた老人は言う。キュゥべぇはそれ以上何も語らず、トップハットを被り直してその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 それは仕方のない事なのだ。上条恭介という少年は音楽に多忙で、血に酔い、狩に優れているのだから。志筑仁美という少女は彼の正妻とも呼べるポジション……単純に言えば彼女であるのだが、そんな仁美は多忙な彼に少なからずのフラストレーションを抱いていた。

 意を決して忙しい彼に電話をする。それは日曜日の予定について。

 

「もしもし、あの、上条くん。今お時間よろしいですか?」

 

『あぁ、なんだい志筑さん?』

 

 一瞬躊躇った。それでも彼女として、恋人として仁美は提案する。

 

「今週の日曜日、何か予定はありますでしょうか?」

 

 恐る恐る尋ねれば、恭介は少し悩んだような間を開けて答える。ドキドキしながら乙女心を開いて返答を待っていると。

 

『……ごめん、その日は朝からバイオリンのレッスンで、夜には地下に潜らないといけないんだ。次の発表会まで時間が無いし、戦力的にも現状満足していないしね』

 

 地底人にとって血晶石マラソンとは人生。暗い地下の果てに渇望するのは深い闇や偉大なソウルではなく攻撃力全振りの呪われた石。そして恭介は地下に酔い、今やデブ狩りや落とし子狩りに優れている。地上にいる誰も彼の事を理解はしないだろう。しかし地下にて彼を待つ同胞達はその尊さを受け入れるだろう。

 そして彼は、デブを殺すだろう。石なき地下に狩人無し。

 

 まあ詰まるところ、彼は強さに貪欲過ぎてまた地下に潜るどうしようもない狩人なのだ。

 

 仁美はソウルジェムを少しばかり濁らせ、それでも彼を立てる。

 

「……そうでしたか」

 

『いつもタイミングが悪くてごめんね』

 

 それは大切な者を守る事に執着している上条恭介の心の声。それをわかっているからこそ、仁美も上条の背中を押すのだ。

 

「お気になさらず。……私、頑張ってる上条くんのことが大好きですから!」

 

 強がり、しかし上条の心にその言葉はしかと届いている。

 

『……今度、二人で遊園地にでも行こうか』

 

「ふふ、そう言っていただけるだけで私は満足ですわ。では」

 

 上条の精一杯のフォローだったが、きっとこの約束もずっと遠くのものになるのだろう。彼は悪夢を狩る狩人であり、人の心を癒す演奏者なのだから。

 電話を切り、仁美はベッドの上に大の字で寝転がる。そしてその胸に高級そうな枕を抱くと上条の事を思うのだ。

 

 ━━戦う上条くんはどこまでも非情で猛々しくて、そして演奏する上条くんもまた素敵で凛々しくて。

 

 でも。仁美は立ち上がり枕を高く放り投げるとチェーンソーを取り出す。そして落ちてくる枕をズタズタに引き裂いてみせた。中身の羽毛が部屋に舞い散る。

 仁美は身体をわなわなと振るわせると叫ぶ。

 

「もうっ!私よりもずっと側にいるバイオリンと地下デブ達が羨ましいですわッ!」

 

 決してそんな事はない。トゥメルの地下墓地に潜む哀れな被害者であるデブ達は、毎日のように何度もやって来る上条を見ては疲れ果てた様子で迎撃に向かっている。そして広場でただぼーっと突っ立っている哀れな落とし子達も作業のように狩りを為す彼にうんざりしているのだ。きっと彼らに労働基準法があるならばとうに女王は訴えられていてもおかしくない。

 仁美は目に涙を浮かべながら叫ぶ。

 

「日曜日なんて……発表会や地下遺跡なんて……無くなってしまえばいいんですわッ!」

 

 だから奴らに呪いの声を。地下の地下、ずっと地下のデブ達まで。そしてその呪いは、悪夢として現れる。ソウルジェムから溢れた呪いは仁美の意志を具現化するために行動する。

 昏睡する仁美を見下ろすと、悪夢は仕方なくといった様子で夜空を駆る。それは在りし日の呪いとは異なり。もっと優しい、終わらない夢。

 

 

 

 

 

 マミと共に風呂に入った後、私達はバスタオルを巻いてイチャつく。具体的には私がマミの長くウェーブの掛かった金髪を櫛で解いているのだ。時折髪から覗く彼女のうなじと肩回りを見ては息を飲む。なんと魅惑的な身体だろうか。

 程よい肉付きの肩と首は、そのまま舐め回してしまいたい衝動を湧き上がらせ。また上から見える谷間はその奈落に落ちてしまいたくなる思いになる。罪深き巴マミの身体よ、少しは私にも胸を分けてくれ。

 

「ちょ、リリィさん……どこ触ってるのよ」

 

「あ、ごめん」

 

気がつけば私の手はマミの胸を上から鷲掴みしていた。それは仕方のない事なのだ。そこに美女の胸があれば、掴まずにはいられないだろう?

 と、そんな私の手をマミは掴む。そして引き寄せれば、私はマミの肩に項垂れるように寄り添う事になる。おや、これは。

 

 マミは艶やかに微笑むと、すぐ隣で驚く私の耳元で囁く。

 

「そんなにガツガツしなくても、夜はまだまだ長いわよ?」

 

「……ごくっ」

 

 喉の音が伝わるほどに興奮し、私の雪のように白い肌が赤くなる。私は振り向き異様に近い彼女の顔を覗き見る。

 何だかんだマミも恥ずかしいようで顔を赤くしていた。そんな彼女が可愛過ぎて、私はそっと唇を彼女の厚めの唇に重ねた。しばらくそうしていただろう。息が保たなくなると、私たちはお互いに口を離す。ねっとりと互いの糸が絡み合い、淫靡な艶が照明を反射させた。

 

 

 

「チーズパルメジャーノっ!」

 

「おごっ!?」

 

 ばんっ!と部屋の扉が開き、ベベがやって来る。それに驚いた私たちは互いに身体をビクつかせ、その勢いでマミが私の鼻に頭突きした。床に倒れ伏せ悶絶する私のもとに、マミが慌てた様子で寄り添った。

 

「だ、大丈夫!?」

 

 私は答えずただ頷く。鼻血が出てしまったようで、巻いていたバスタオルで鼻を押さえて一時的に止血するとマミが魔法で治癒してくれる。その間にもべべは慌ただしく飛び回る。今まで特に言わなかったが、ベベって一体何なんだろうか。

 

「ナナナニカクル〜!」

 

「はぁ……またなの?」

 

 マミはうんざりした様子で言う。ベベが慌てて何かを宣うのはつまりナイトメアが現れたという事に他ならない。どう言う理屈なのかは分からないが、ナイトメアの感知はベベの特権だ。

 私はまだ付着している血を拭ってタオルを洗濯カゴに投げ入れる。そして新鮮なマミの大きな下着を拾い上げるとそれを彼女に投げ渡した。

 

「狩りの時間だ」

 

 素っ裸の状態で私は獰猛に笑う。ことナイトメア退治において私は容赦を持たぬ。そしてそれを狩りと見立てている。私は単なる帰国子女で別に何かの狩人だったわけではないはずだが、それでも狩という言葉を用いる事に使命に近い何かを感じているのだ。

 マミはムッとした様子でタオルを落とし、わがままボディを余す事なく見せつけると下着を着出す。その間に私はもういつもの魔法少女姿へと変身していた。

 

「リリィさんもスイッチ入っちゃってるし……」

 

 言いながら指を鳴らせば、マミの金髪がまとめられていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鹿目タツヤは相棒のキュゥべぇを肩に現れたナイトメアを追っていた。

 弓道部で鍛えた身体で息を切らし、しかしそれでも縦横無尽に飛び回り暴れ回るナイトメアをその視界に入れるとキュゥべぇが何かを伝えようとしている。タツヤはその言葉を聞くと大袈裟に驚いた。

 

「な、なんだって!?あれは志筑仁美から生まれたナイトメアだと言うのか!?」

 

 ナイトメアとは、人の負の感情の現れ。その発生メカニズムは分かってはいないが、概ね瘴気が濃い夜に発生しやすいという傾向にある。そして魔法少女もその魂は人のままであるのならば、ナイトメアを産む可能性を秘めているものだ。

 ソウルジェムは、濁り切れば魔法が一時的に使えなくなってしまう。それは負の感情の蓄積や疲労、そして魔法の酷使によって引き起こされるものだ。魔法少女がナイトメアを産んだ後はソウルジェムの穢れは消え去る。まるで抱えた不満を全て悪夢で晴らしたように。かつてマミも、私が星野先輩に詰め寄られた際にナイトメアを産んだことがあった。

 

「あれが志筑仁美のナイトメアねぇ」

 

 そんな悪夢の姿を、杏子とさやかは高台で眺めていた。相変わらずお菓子を貪りいつもの風格を崩さぬ杏子の横で、さやかは表情には出さないが複雑そうな、それでいて同情するような感情を抱く。

 

「仁美も難儀だねぇ。あんな無神経な奴を彼氏にしたりするからさぁ」

 

「あんたが言うと重みが違うな」

 

 かつて恋に敗れた……と言うよりも自分から身を引いたさやかの発言に杏子はちょっとばかり引く。それはそれはあの頃のさやかは荒んでいたが、杏子の献身がきっと今のさやかを構成しているのだろう。

 杏子はそっとさやかの手を握ると、顔を逸らして呟く。

 

「まぁ……今のあんたには私がいるし」

 

 その一言は、杏子なりの勇気だったはずだ。さやかは少し驚いた顔で杏子を見ると、綺麗な笑みを見せてその手を握り返した。掌にお互いの体温が巡り、小さな百合が咲く。

 

「ふふ……ほんと、あんたって良い女だよね」

 

「うっせぇな……」

 

 そんな小さな百合を、悪夢はうんざりした様子で眺めていた。そして彼女らが最大の百合を咲かせる前に悪夢は口から自身の複製のようなぬいぐるみの数々を飛ばす。それはある種の爆薬。

 

「危ない二人ともっ!逃げるんだァー!」

 

「きゅー!」

 

 やかましい二人が地上で二人を案じるが、さやかと杏子は手を繋いだまますぐにそこを飛び退いて攻撃を躱す。そして地上に着地すれば、そこを目掛けて悪夢もまたぬいぐるみを飛ばしていた。

 やば、と杏子が焦ったその時。迫っていたぬいぐるみのすべてが小さな矢によって迎撃された。

 

「もう、真面目にやらないと危ないわよ」

 

 彼女達青赤コンビの背後に現れたのは巴マミ。彼女はべべを肩に乗せて少し困ったようにため息を吐いた。二人が空を眺めれば、黒装束に身を包んだ私、白百合リリィが街頭の上に立ち尽くしている。その目は妖艶に赤く光り、闇の中で輝いている。

 私は何の変哲もない長剣を右手に、マウントされた弩を左手に備えるとナイトメアを眺める。それは牽制だった。あのナイトメアが仁美のものであることは分かっているが、どうやら私を見て必要以上に警戒しているようだ。

 

「もう、勝手に変身しちゃって……いつものができないじゃない」

 

 不満を語るマミを他所に、おまたせっとまどかとほむらも到着。これでメンバーが揃った。

 

「二人ともおっそーい!」

 

「うぇへへ、ごめんねさやかちゃん」

 

 少女達が揃ったのを確認して私も一度彼女達の下へ集う。そしてお決まりのアレをやるのだからと、仕方無しに変身を解いて制服姿になった。流石に裸にはならない。

 マミは不敵に笑えば腕を組んで言う。

 

「全員揃ったわね。それじゃあ……みんな行くわよ!」

 

「またあれをやるのか……」

 

 私は少しばかりの恥ずかしさに項垂れながらも、マミ達と同様にソウルジェムを翳す。これはもう恒例行事だ。皆が魔力を身に纏えば、それぞれの変身バンクが流れる。皆のカラーリングの光が背景を包み、みんな少女らしいポーズで変身していく中……私だけがシンプルに黒い炎に包まれその身に衣装を纏っていく。

 暖かな、しかし燃え尽きるような炎は人間そのものだ。面白味もない衣装はしかし、動きやすく狩に適す。最後に武器である弩と何の変哲もない長剣を地面の炎から取り出せば、私の変身は終わり。

 私たちは六人、横列になると決めポーズを取る。

 

「ピュエラマギ!ホーリーセプテッド!」

 

 中央のマミが勢いよく宣言すれば、彼女の魔法が背後で炸裂してそれぞれの魔法少女の背後で各々のカラーリングの光が溢れる。しかしこの光も相当な魔力の消費量だと思うが……

 

「出たァー!金色の魔弾、マミさん率いる魔法少女集団ピュエラマギホーリーセプテッド!今は一人少ないからセクステットだって言うのは野暮だぜ!」

 

 野暮なタツヤが興奮したように言う。しかし彼はまどかの弟だと言うのに騒がしいな。恒例行事とはいえ今だに慣れない。こうも戦隊モノみたいに変身する必要はあるのか?

 変身するまで手を出さないでいてくれたナイトメアは大きく欠伸をすればむくっと立ち上がる。そして召喚したバイオリンで何かをしようとした時だった。

 

 

 

「あら。雑魚魔法少女が集まっているかと思えば……ふふ。巴マミ達じゃない」

 

 

 妖艶な声が響く。またしても行動を阻害されたナイトメアは声のした方へ振り返った。

 

 

「やるわよ、織莉子、キリカ」

 

「はい……」

 

「大丈夫!キリカの変身シーンはいつでも美しいよ!」

 

 とうっ!と三人の少女が時計台から飛び降りる。スーパーヒーロー着地した彼女達はすくっと立ち上がると、ソウルジェムを空高く掲げた。星野先輩達だ。

 

「あ、あれは!マミさんたちピュエラマギホーリーセプテッドのライバル!クワイア・オブ・ザ・コスモス!何と言うことだぁ!ナイトメアに釣られて彼女達まで出てくるとは!一体何が起きるんだァー!」

 

 解説ご苦労タツヤ。そう言っている間にも彼女達は変身を進める。織莉子先輩は白いドレスのような魔法少女衣装に身を包み。キリカ先輩も黒くボーイッシュな衣装。その右目には眼帯……メンヘラみたいだが、個人的にキリカ先輩の身体ってスタイルは良いのに出るところはしっかり出ていて羨ましい。

 最後に星野先輩。自信満々な表情で、割と露出のある青紫のドレスに身を包む彼女は……まぁ、その、綺麗だ。手には古びた木製のステッキを持ち、それを掲げれば私達のように背後にそれぞれのカラーリングの光が伸びた。

 

「クワイア・オブ・ザ・コスモス。今宵も宇宙に輝く私達に酩酊しなさいっ!」

 

「……」

 

「ああ、恥ずかしがる織莉子も美しいよ!」

 

「同情しますわ織莉子先輩」

 

 心の底から彼女に同情した。マミといい星野先輩といいノリノリすぎるだろう。

 

 



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啓蒙

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 それは夢を見る仁美からすれば、悪夢ではなかったのだろう。人とはストレスを解消するために悪夢をみるものだ。そしてストレスが悪夢を生み出す引き金ならば、生きる上で無くなるはずもない。つまり、誰かが言っていたように悪夢は巡り終わらぬものなのだ。

 故に。仁美は今頃心地良く涙で枕を濡らしながら眠りについているのだろう。彼女を放って血に酔う彼氏に不満を抱きつつ、しかし見放すはずもない。仁美とはそういう少女だ。真、仁美は健気である。こうして悪夢に乗じてぶつけるくらいでしか不満を表せないのだから。それは不器用とも言えるだろう。

 

 変身を最後まで待ってくれていた仁美の悪夢は口からバイオリンを召喚するとそれを勢いよく振るった。刹那、衝撃波が迫ってくる。

 いくら変身シーンを挟む多感な時期の魔法少女と言えども戦いが始まれば機敏に対応してみせた。マミを筆頭に衝撃波を避ければ反撃に転じる。

 

「まどか!」

 

 ほむらが彼女の名を呼べば、まどかは弓を手にほむらの手を取る。瞬間、マミが私達ピュエラマギホーリーセプテッドの面々をリボンで繋いだ。

 そして時は止まる。ほむらの機械仕掛けの円盾が作動し、私達以外はすべて止まってしまった。これは彼女の固有魔法である時間停止だ。そんな強力な魔法を得るとは、一体彼女は何を願って魔法少女となったのだろう。

 

「いっくよ〜っ!」

 

 まどかが弓を引き絞ってから開放すると、矢の嵐が悪夢に迫り止まった。動き出せばあの矢は悪夢を尽く貫くだろう。私もマミと手を繋ぎ、彼女と頷き合う。まどかとほむらが相棒ならばマミとのペアは私なのだ。

 マミは大きな射出台を召喚し、私はその上に跨った。

 

「しっかり掴まって!ティロ、スパラーレっ!」

 

 それはイタリア語で射出。私はボウガンの矢の如く勢い良く飛んでいく。凄まじいGが掛かり、しかし魔法少女であるならば耐えられないはずもない。

 飛びながら両手に長剣を召喚すると、私は回転しながら動かぬ悪夢へと迫る。そしてすれ違いざまにぬいぐるみのような悪夢を何度も斬りつけた。だが滅するには至らない。

 

「む、硬いな」

 

 流石仁美が産み出しただけはある。あの子は強く、賢い魔法少女だ。悪夢にもそれは反映されているのだろう。

 

「リリース!」

 

 ほむらが唱えた瞬間、時間が動き出す。ズタズタにされた悪夢は何が起きたか理解する前に数多の矢に射抜かれた。どんどんボロボロになりながらもまだ悪夢は耐えているようだ。

 

「暁美ほむらの時止めだァー!誰も彼女の時間の中では静止する!世界を支配する唯一無二の力だ!」

 

 時が動き出すのと同時にやかましいタツヤの解説も再開された。私が着地すると、さやかと杏子も動き出す。それを阻止せんと悪夢はバイオリンを投げ捨てチェーンソーを召喚し、地面へと突き立てた。瞬間、地面が抉れさやか達を妨害する。

 

「おいおい、ナイトメアまでチェーンソー使うのかよ!」

 

「こりゃ相当怒ってるね!」

 

 地面から離れ攻撃を回避する二人。そこに割って入るのは今まで蚊帳の外だった先輩方。織莉子先輩は水晶からレーザーを射出すると悪夢の注意を引いた。無機質な瞳が織莉子先輩を睨む……が。

 悪夢が何かをする前に迫る獣がある。愛に塗れたキリカ先輩だ。

 

「そんな目で織莉子を見るなぁ!」

 

 獰猛に悪夢を睨むキリカ先輩が固有魔法の速度低下を掛けながら鉤爪を展開する。両腕からまるでアメコミのヒーローばりに伸びた鉤爪で、ノロマの悪夢を貫くと一気に地面へと串刺しにしてみせた。

 その真上ではさやかが飛び上がり━━

 

「ちょっとは頭を冷やしなよ仁美!」

 

 慣れた手つきで剣を召喚し、キリカ先輩が飛び退くとそれを放つ。放たれた剣は、しかし悪夢を貫くことはなかった。悪夢は既の所でそれらを避け、状況が悪いと見たのか一目散に逃げていく。

 それを阻むのは杖を構えた星野先輩。彼女は杖を高らかに掲げると不敵に笑った。

 

「私の美技に酔いしれなさい」

 

 自分で言ってて恥ずかしくないのだろうか。しかし彼女の魔法は凄まじい。頭上に黒いモヤ……否、宇宙を召喚する。それはどこまでも神秘的で、しかし恐ろしい高次元の暗黒のようにも見えた。

 ズキリと私の頭が痛くなる。同時に何かが流れ込んでくるような錯覚に陥った。あの魔法を見るといつも頭痛がする。宇宙は嫌いではないのだが、なぜだろうか。あの深き闇に私の本能が警鐘を鳴らしているのだろうか。それは分からない。

 

「私の呼びかけは失敗ばかりね」

 

 そう言う星野先輩の宇宙から光が降り注ぐ。それはレーザーにも似た、しかし神秘の塊である流星なのだという。遍くそれらは悪夢を執拗に狙い、ぬいぐるみの身体を撃ち抜いていく。だが威力が高すぎる。あれでは突き抜けるだけで止めることはできないだろう。

 

「さぁ穢れた血の聖女さん。貴女の出番よ」

 

「ああ?あたしの事言ってんのか?まぁいいや」

 

 逃げ続けるナイトメアの先にいるのは風見鶏の上でお菓子を貪る杏子。彼女は手元のお菓子を口に押し込むとニヤリと笑って両手を組む。

 

「そうらアミコミケッカイ!」

 

 杏子の槍から鎖が伸び続け、それらはいつのまにか悪夢を飲み込む蜘蛛の巣へと変化していた。鎖が悪夢を絡めとると、最早脱出するほど力を有していない悪夢はジタバタするのみで逃れることはできない。そして火の力を有する結界は、暴れれば暴れるほどに悪夢を焼いていくだろう。

 好機。あの悪夢は無力化されたも同然だ。マミは的確にその事を見抜き、皆に指示する。

 

「みんな、仕上げよ!」

 

 私達ピュエラマギホーリーセプテッドは悪夢を囲み、伸ばされた鎖を掴む。そうしてマミの肩に乗っていたベベが悪夢へと取り付けば。私達の狩りは遊戯へと変わる。それは少女達の戯れ。そして制裁の裁判でもある。丸いテーブルを囲んだ私達。その中央には料理される悪夢と、悍しく変化した調理師のべべ。

 にこやかに、しかし容赦無く。料理は進む。

 

 ケーキ、ケーキ、まぁるいケーキ。

 

 私達は歌い出す。ほむらはこの調理方法は知らないようで、困惑しながらも合わせるように歌っているのが可愛くて印象的だ。

 

 まぁるいケーキはだぁれ?

 

 ケーキはさやか?

 

 ベベの問いに、さやかはリズム良く答える。

 

「ちーがーう!私はラズベリー!まぁるいケーキは赤い!ケーキは杏子?」

 

 振られた杏子は八重歯を覗かせながら落ち着いて答える。

 

「ちーがーう。あたしは林檎。まぁるいケーキはベベが好き。ケーキはマミ?」

 

 ベベがマミに牙を向ける。色合いからチーズを連想してしまうのだろうか。ベベはチーズ好きだからね。

 

「ちーがーう。私はチーズ、まぁるいケーキはモノクロ。ケーキはリリィさん?」

 

 本当にチーズだった、リズム良く足を踏むマミが私を指差す。私は左右に揺れながら歌う。

 

「違うわね。私は桑の実」

 

 花言葉はなんだったか。そのまま揺れ、私はオドオドとしているほむらを見る。

 

「まぁるいケーキは転がる。ケーキはほむら?」

 

 慌てた様子でほむらは否定した。

 

「ちが、います!私はかぼちゃ!」

 

 なぜかぼちゃなのだろうか。パンプキンはハロウィンには欠かせなく、そして甘いが果物としては連想し辛い。となればきっと、ほむらは自身の事を鈍臭くて美しくないと考えているに違いない。自己評価は低いようだからね。

 

「まぁるいケーキは甘いです!ケーキはまどか?」

 

「ちーがーう!」

 

 可愛い振り付けでまどかは否定した。彼女は魔法少女になるとややお茶目になる。普段はしないような振る舞いを見せたり、自信に溢れたり。

 やはり彼女は魔法少女になって変わった。それは良い変化だ。より一層美しく、可憐で。ほむらが惚れるのも分かる。

 

「私はメロン!メロンが割れたら甘い夢っ」

 

 今夜のお夢は苦い夢。お皿の上には猫の夢。まるまるふとってめしあがれ━━

 

 

 

 

 悪夢を触媒としてケーキが出来上がる。それを食すのは調理師のべべ。お口を大きく開けた黒い異形は、頂上からケーキを平らげてみせた。そうして悪夢の後に残されたのは仁美の遺志。

 さやかはそれを愛おしそうに抱きしめると、宇宙へと放り投げた。漂う仁美を抱擁できるのはただ一人しかいないだろう。

 

 そして、いつの時代もヒーローとは遅れてやってくるものだ。

 

 黒い影が、少女達の戯れにやって来る。夢が醒め、現実へと舞い戻りし血の権化。夜の間に漂う狩りの夢。獣を狩りし人の業。上条恭介がようやく現れたのだ。

 恭介は仁美の遺志を腕に抱くと、マスクで隠した表情を和らげた。それは悪夢狩りの最中では決して見せぬ彼の心。そして遺志は彼に寄り添う。

 

「志筑さん、ごめんね。ここまで君を悩ませてるなんて」

 

 乙女心に疎い恭介が彼女を抱きしめれば、それは朝日の訪れと共に天高く登っていく。きっと今日の仁美の朝の目覚めは心地良いものだろうさ。

 私達はそれを、ただ静かに眺めていた。刹那、恭介とさやかの視線が合う。少年は何か少女に言いたげにし、そのまま顔を逸らして夢へと帰還した。きっと今はまだその時ではないのだろう。これは本人達の問題だ。私が何かを知り得るものはない。

 

 やったね、とまどかが嬉しそうに言えば、タツヤの腕を離れたキュゥべぇが頷いた。

 

「お疲れ様、リリィさん」

 

 明ける宇宙を眺める私の横へ、マミが並ぶ。そっと、その手を握った。良い夜明けだろう。記憶の彼方にある……絶望と疲労、そして酩酊からの解放とはまた違う。ただ希望だけがここにはある。ゼロからのスタートではなく、プラスからの始まり。それを愛しき者と迎えられるのは素晴らしい事ではないだろうか。

 

「見滝原の夜明けはやはり美しい」

 

 言葉にすれば、マミは優しく微笑んだ。そして、星の聖歌隊はそれを遠く眺めるだけ。星野先輩はいつになく無感情な瞳を私に向けると呟いた。

 

「それで良い。貴女が受け入れているのなら。でも目醒めの時は……辛いものよ」

 

 人知れず彼女達は去り、後に残された私達はしばし談笑する。

 

「いや〜私達が力を合わせればチョロいもんよね!」

 

「こらこら、油断は禁物よ?今回だってちょっとヒヤッとさせられたわ」

 

 さやかの軽口をマミが咎める。それを止めるのはやはり杏子。

 

「そういうお説教はごめんだね。まー、ケーキと紅茶があったら別だけど?」

 

「コラ、調子いいこと言ってんじゃないの」

 

 さやかのツッコミに杏子は悪戯っ子のように微笑んだ。だがそれはいいのかも知れない。今日はもう、マミとイチャつく気分でもない。皆で楽しむべきだ。

 

「もう、仕方ないわね……みんな、うちに寄ってく?」

 

 マミがウィンク混じりに提案すれば皆が頷いた。それは私達魔法少女の平穏な一ページ。ありふれて、そして幸せな風景。

 マミが歩き出し、皆がそれに追従していく。さやかと杏子が無邪気にお喋りし、まどかがそれを見て笑い、タツヤがキュゥべぇと意気投合し、マミが私に手招きをして。なんと充実した日常か。そうして新しく加わったほむらと、今はぐっすりと寝ているであろう仁美がいれば恐れなどない。ナイトメアが出ようとも、私達の行く手を阻むものはないのだ。星野先輩達とも何だかんだうまくやっている。

 

 私は宇宙を見上げた。若い太陽の温もりと吹き抜ける風が心地良い。もうすぐ宇宙全体が明るくなるのだ━━

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから奴らに呪いの声を 赤子の赤子 ずっと先の赤子まで

 

 けれど けれどね 悪夢は巡り そして終わらないものだろう? 

 

 気持ち悪い……選ばれてるの 

 

 秘密は甘いものだ

 

 君も何かにのまれたか

 

 青ざめた血を求めよ 狩りを全うするために

 

 

 

 

 

 

「……ッ!」

 

 

 

 何かが私の頭を過ぎる。それは言葉。誰かの声。それは啓蒙。しかし私はそれを知るはずもない。まるで宇宙から何かの電波を受信したような感覚だった。言い知れぬ悪寒に身を包み、一人震えた。

 頭に何かが蠢く。まるでそれが当たり前であるような感覚と、人間としての私が嫌悪する感情が鬩ぎ合うのだ。そも、啓蒙とはなんだ?無知に智を与え導く事?宇宙の真理を脳の瞳に齎し探求する事?そのどちらも正しい。いや否、狩りを全うし人を超える事。それこそが我ら狩人の━━

 

 

 

 

 

 今の思考は、なんだ。考える前にスラスラと言葉が頭にめぐる。まるで沢山の自分が議論しているかのように。それは私であり私ではない。私とはなんだ?魔法少女である私とは?そもそも、いつから私は魔法少女になったのだ?記憶が無い。すべてが都合良く、しかし違和感の無いように思い出がある。一体何が真実なのだ?私の瞳が語る。私の役割はなんだ?いやそれよりも、戦いとは━━

 

 

 

 こんなにも生温いものだったか。狩りとは、血に塗れ、酷く、そして酔い痴れるものだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

「白百合、さん?」

 

 

 

 

 

 

 

 不意に。ほむらが私の肩を叩いた。煌く赤い瞳で彼女を眺めれば、何かに怯えたように。しかしいつものほむらとは明確に違う何かを抱いた様子で私を見ている。怯えでは無い。恐れだ。何かに気がついてしまった事による恐れ。きっとそれは気がついてはいけないもの。脳で何かが囁く。それは私の疑問を解決するための糸口にもなるのだと。

 最早私の心理に、この脳に囁く何かを疑う懐疑心は存在しなかった。まるでそれが昔からあったように。実に馴染んでいる。

 

「ああ、ほむら。さぁ行こうか。マミが待ってるよ」

 

 落ち着いて私はほむらに告げる。この疑問が何にせよ、私は解決しなければならない。例え何かを変えてしまう事になったとしても……なぜだろう。しかしやらねばなるまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここ数日、ほむらの様子が優れない。まどか達といる時はいつも通りの彼女を演じているが、人一倍気にかけていれば私にもわかるものだ。やはりあの夜明けに、彼女は何かを啓蒙されたのだろう。私のように。それが何だか分からぬまま、ただ漠然と疑問を与えられた。

 きっと不安で苛ついて、しかしそれを他人に告げるには彼女は優しすぎるから。ならば私から接触すれば良い。

 

 昼休み、私達はいつものように昼食を取る。やはりほむらは優れぬ様子を見せている。大好きなまどかから唐揚げを貰っても、笑顔を見せぬ。ただ友達は楽しそうに時間を過ごし。私も表面上はマミ達と仲良く過ごし。だが、何かが足りぬ。もっと野性的な何かが。

 それはやはり、狩りなのだろうか。

 

「すまない、先生に呼ばれていたんだ。お先に失礼するよ」

 

「あら、そうなの?残念ね……また下校の時に会いましょう?リリィさん」

 

 残念がるマミの言葉に頷き、私は屋上を一人後にする。嘘に決まっている。狩り、青ざめた血。これらの言葉を知っていそうな奴を私は知っている。上条恭介だ。きっと今頃タツヤ達と教室にいるはずだ。

 

 そうして廊下を歩いていると。珍しく人気の無い廊下の先に、その人はいた。

 

 

 

 

「リリィ」

 

 

 

 ライバルである魔法少女、星野先輩だ。彼女はいつものようにダウナーなグリーンの瞳で私を見据えている。だが今は彼女に用はない。いつものように絡まれれば面倒だ。私も先輩のような綺麗な少女を相手にしたいのは山々だが。

 会釈だけして私は彼女の横を通り過ぎようとする。しかし唐突に、彼女の細い指が私の腕を掴んだ。苛ついて彼女の顔見ようとして。

 

 私は彼女の瞳に宿る宇宙に見えた。どこまでも美しく、深く、そして神秘に満ちた宇宙を。瞳に宿した宇宙はまさしく高次元暗黒の底。彼女はその瞳で私をじっと眺めた。思わず顔を逸らしてしまう。

 

「本当にいいの?」

 

「何の、事です?」

 

 質問の意図に気づいている私がいる。つまり、この幸せを終わらせてもいいのかと。いつもの高飛車クールぶったお嬢様ではない。ここにいる星野先輩は、神秘そのものだった。

 彼女はしばらく私を眺め、口を開いた。

 

「青ざめた血」

 

 ハッと、私は先輩の瞳を見返す。

 

「やはり、いくら深淵の頂点であろうとも授かった啓蒙は打ち消せないわね」

 

 それは深く、しかし暖かな誘惑。彼女の瞳に魅入られる。星野先輩は私の両頬をその手で包む。そしてクールであるその貌を柔らかく微笑ませ。

 

「お帰りなさい、リリィ」

 

 心の底からの歓迎に、私は身を震えさせた。そんな私を、彼女は優しく抱擁する。獣とは違う、上位の何か。その神秘に溢れた身体で私を包んだ。

 そして何かを言おうとした私の唇を、唇で塞ぐ。それはマミに対する背信行為。絶対にあってはならぬ事だが。なぜだろう、とても懐かしくて温かい。まるでこれを求めていたように。

 

「いいの。今はただ、私を受け入れれば」

 

 唇を離せば、先輩は優しく諭した。

 

「愛しいリリィ。この先は自ら辿り着かなくてはならない残酷な真実。私ができるのはここまでなのよ。大丈夫、私はね、あの祭壇で貴女に狩殺された時から貴女に夢中なのよ」

 

 言っている意味はわからない。だが納得している自分がいて、気味が悪いのに。それでも何故だか彼女を求めようとしている。

 

「……今はまだ、先輩が何を言っているのかは分かりませんが」

 

 彼女の宇宙を覗きながら、私は口を開く。脳の何かは蠢き、瞳が開いている。

 

「例えどんな答えを得ようとも、私は私です」

 

「それが、聞きたかったの」

 

 そう言うと星野先輩は私から離れる。そして優しい微笑みをずっと私に向けたまま。対して私は強い意志を持った貌でその場を後にした。尚更、私は恭介に聞かねばなるまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勢い良く扉を開けたせいで教室中のクラスメイトが私を唖然とした様子で眺めた。それらを一切気にせずに、唯一いつものように無表情で私に歯向かうような目を向ける恭介の下へと向かう。昼食を終えて恭介と談笑していたタツヤ達は空気を読んだようにそそっとその場を後にし、残るは私と恭介だけ。

 私は座る恭介を見下ろすと、しばらくジッと彼の瞳と目を合わせた。

 

「どうしたんだい、白百合さん」

 

 そう尋ねる恭介は、しかしまるで私が来るのを予想していたように冷静だ。

 

「聞きたい事がある」

 

「そうかな。僕にはそうは思えない。君はいつも、“答えを知っていた”だろう?」

 

 やはりコイツは何かを知っている。ならば尚更無視はできぬ。何としてでも聞き出さなくてはならないだろう。

 

「やはり貴公、何かを知っているな。私の知らぬ何かを」

 

「いいや、違うな」

 

 恭介は否定し、立ち上がり。先ほどまでの端正で冷静な顔立ちを獰猛に歪めた。憎しみと期待と、それ以上の何かを求めた顔で。

 

「お前は忘れているだけだ」

 

 私達はしばらく睨み合っていた。何が起きているのか分からぬクラスメイト達は私たちが喧嘩したのだと騒ぎ立てていたがそれを無視し。

 しかし恭介は突然冷静になって座る。ふぅっとリラックスしたように息を吐き、仁美とさやかが惚れた笑みで言うのだ。

 

「放課後、暁美さんと話してみるといいよ」

 

「ほむらと?」

 

「きっと彼女も、君と話したいと思っているはずだからね。……君も分かってるんだろう?」

 

 ニヤリと、やはり彼は獰猛な笑みを見せる。彼から直接答えてはくれないようだ。ならば良いと私は言い放ち、その場を後にする。クラスは平静を取り戻し、なんて事はないいつも通りの騒がしさを取り戻した。

 とにかく、放課後まで待とう。恭介が時期を示したのには意味があるはずだ。

 

 

 




ようやくまともな戦いになるぞTKGWくん……


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Valentine’s Day
瀉血


段々狂っていきます


 

 

 私は自分の世界と引き換えに新しい世界を得た少女。

 失った世界とは、まさしく自分の存在。私が世界に存在していたという証明。それはしかし、完全に成し遂げられた訳ではなく、大切な友が覚えていてくれた。故に私という存在は、世界において完全に消滅したわけではない。

 失ったと同時に得たものは、完璧な百合の花畑。いつか人を超えた狩人が作りし偽りではなく紛う事なき百合の園。私が一から手を入れ育て、すべての百合は私を愛し、また私も百合を愛する。ただ一人を除いて。

 愛とは何物にも優る深くて暗い人間性の塊。火の時代、神々はとうとう人間性の本質を理解する事なく滅び果てた。いかに啓蒙高き彼らであろうと結局は根源には至れず、その闇に飲まれたのだ。

 

 けれど、けれどね。私は違うよ。私は瞳を開いて人間性の真価を知り、熱くて暗い魂を抱いて自分の世界を売った。そうして一つ、二つと次元を超えて神すらも超えてみせた。薪の王(月の魔物)もそれが殺した王達も、私は超越してみせた。人の身で、私は暗い魂を手に入れた。

 

 パパもママも、たっくんとも会えなくなったけど。それで後悔するはずがない。未だ私を受け容れぬ白百合に世界を売った女だと詰られても、私は進むのだ。

 私の百合園に、最後の白百合を植えるために。それはある種、愛の究極と言ってもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後を知らせるチャイムが学校中に鳴り響く。それと時を同じくして学生達はそれぞれの行動へと移る。それは部活動だったり、はたまた帰宅だったりとするわけで。特に部活動をしていない私には帰宅以外の選択肢は存在しない。

 カバンを取り、部活動へと向かうタツヤをまどかが見送る。タツヤが教室のドアを出るとすれ違いでマミが和かな笑みを見せて入室してきた。

 

「さ、帰りましょうか」

 

 まどか達は頷き、さやかと杏子はいつものように軽口を叩き合い。仁美は多忙である恭介の愚痴を溢し、まどかが苦笑いする。そんないつもの光景。ありふれた日常。

 けれど、ほむらだけは。どこか浮かない様子で俯いている。夕陽に照らされた黒髪の美少女はとても絵になるものだ。それがどんな表情であれ、憂いた貌であれ、美しく貪りたくもなる。私は教科書をまとめるとカバンの中に整頓して突っ込み立ち上がった。

 

 教室から出るまでに、まどか達が何かを話していた。その間私とほむらは終始無言でそれぞれの考えを巡らせていたのだろう。

 

「これから皆で買い物に行かない?、って話になったんだけど、ほむらちゃんとリリィちゃんはどうかな?」

 

 屈託の無い笑顔でまどかが提案した。私はほむらの様子を見つつ、まだ返答を返さない。きっとこの後、ほむらには何かあるのだろうから。

 

「えと……ごめんねまどか、今日は予定があって……」

 

 そうほむらが告げれば、まどかはちょっぴり眉をハの字にして可愛い顔を困らせてみた。

 

「そうなの?残念……」

 

 それは心からの言葉なのだろう。鹿目まどかという少女は純粋で、無垢で、そして汚れない少女だ。少なくとも目の前の桃色の少女はそうであるべきなのだ。

 そして私がすべき返答は一つ。

 

「私も……今日は都合が悪くてね」

 

「あら、リリィさんも?」

 

「すまないねマミ。家族で夕食に行く約束をしているんだ」

 

 もちろん嘘だ。今日は帰りが遅くなると母には告げているし、きっと姉は今日もまどかの母とどこかで飲んでくるのだろうから。毎朝起こす身になってほしいものだ。

 と、その時さやかが杏子に同じ問いかけをしてみせた。私はてっきり杏子も買い物に行くのだと思っていたが、どうやら杏子は気分が乗らないらしい。これは少しばかり、ある意味心強いかもしれない。

 そうして、私たちは買い物組と別れる。マミ達は早速早足で買い物へと出かけ、それを見計らったようにほむらが私と杏子に声をかけた。

 

「あの、ちょっとよろしいですか?」

 

 ゆっくりと時計の歯車は動き出し、舞台は廻り始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕日が映える校庭横のテラスにて、私たち三人は無言で紅茶を嗜む。この中学校に相応しく無い美しいテラスは、用務員の老人が勝手に拵えたものらしく、彼の趣味でもあるガーデニングも相まってよく整備されている。ちなみにこの紅茶も用務員の老人が淹れてくれたもの。長身の老人は、その歳に見合った皺を微笑ませると語った。

 

「ここは学生達が悩みを明かし合うには良い場所だ。私は、向こうで休んでいるから、君達もゆっくりして行くと良い」

 

「ありがとうございます、ゲールマンさん」

 

 きっと、外国で生まれたであろう義足の老人に感謝を告げた。彼は麦わら帽子に手を添えると紳士のように頭を下げ、そして退場する。これで良い。私たち三人が残されたのだから。

 そして、ほむらは神妙な面持ちで時を待つ。そこにいつもの気弱な少女はいない。何か明確な意思、それも覚悟に似たものを抱いた少女。

 

 最初に口を開いたのは杏子だった。きっとせっかちな彼女はこの空気に耐えられなかったのだろう。

 

「んで、話って何さ」

 

 その問いに、ほむらは紅茶を一口含んだ後に答えた。

 

「二人とも。最近、何かがおかしいと思った事はありませんか?」

 

 私は表情を変化させる事なく、ただ時を待つ。

 

「はぁ?何かって……なにさ?」

 

 だが、ほむらもその違和感を言葉にはできないようで。

 

「それは、その……何となく。でも」

 

 瞳に何かを宿して。ほむらは告げる。

 

 

「何もかもが」

 

 

 その突拍子もない言葉に杏子は笑いを堪える事はなかった。

 

 

「アッハハ、なに言ってんのあんた?大丈夫?」

 

「……誰よりも先に、佐倉さんと白百合さんに相談したのは……だって、貴女達が一番変っていうか……」

 

 最早感想とでも言えば良いほむらの言葉に、杏子は戸惑いを隠せなかった。

 

「はぁ!?」

 

「私の中の二人の印象と、その……あまりにも食い違っているんです。あ、でも白百合さんは何ていうか、その……最近は妙にしっくりくるんですけど」

 

 ふっと、私は口許を綻ばせる。決してほむらを笑ったわけではない。紅茶の入ったカップをソーサーに置くと、私は反論しようとする杏子を手で制した。

 

「私もね、ほむら。最近何かおかしいと思い始めていたんだ」

 

 脳に潜む何かが囁く度に、私の知識が増えていく。しかしその知識はあまりにも現実と食い違っていて。だがそれを単なる妄想と断定するにはあまりに現実味が帯びすぎているという矛盾。

 それは啓蒙と自らを嘯く。けれど啓蒙とは、まさしく人を知によって導く事。故に正しくなければならないだろう。

 

 そしてその啓蒙は私の脳に新たな知識を与える。それは佐倉杏子という孤高の魔法少女の人生。正義に失望し、しかしそれでもがむしゃらに生き、そして新たに得た正義と共に散り行く定めにあった少女。そしてその行いは、穢れた血により歪められた。

 

「そもそも、おかしいんです。佐倉さん、今のお住まいはどこですか?」

 

「そりゃ、さやかの家に居候してんだよ。あんたより先に転入してきたんだ。それくらいあんただって知ってんだろ?」

 

「質問を変えよう杏子。それはいつの事だい?」

 

 私の問いに、杏子は即座に答えようとして悩んだ。

 

「えっと、去年の……ううん?あれ、いつだったっけな……でもよ、何でそんな質問を?」

 

 次にほむらが質問する。

 

「見滝原に来る前はどこに?」

 

 ここまで来るとほむらの目的が見えてきた。この質問に杏子は即座に答える。

 

「隣の風見野だよ。あっちの街が平和になったから色々と難儀してるっつーマミの縄張りを手伝ってんじゃねーか」

 

「なぁ、杏子。君は一体何のために風見野で悪夢狩りをしていたんだい?」

 

 え?と尋ねられた杏子は訝しむような目で私を見た。

 

「そりゃあんた、もちろん街の平和を……あれ?」

 

「なぁ杏子、おかしくないかい?君はそんなに人々の平和に頓着するような魔法少女だったかな?ならばなぜマミから一時的とは言え離れたんだい?平和に限ればマミと共にいれば風見野程度のエリアならば君達二人でカバーできたはずだ。だが君は一度はマミの下を離れて一人孤独に風見野を狩場としていたんだ。それはなぜなんだい?」

 

 質問で彼女の脳が飽和する。彼女の存在は矛盾だらけだった。私のイメージでは、彼女はさやかと会うまでは正義やら人々の平和やらを鑑みるほど理想主義者ではなかったはずだ。むしろアウトロー。自らの生存のために敵を狩るのだ。

 そのイメージはほむらとも、そして杏子とも共有しているようだった。故に杏子は自分の存在を訝しむ。だがそれで良い。思索無くして進化は得られぬ。人とは正しく考え、啓蒙を得てこそ初めて人たり得るのだから。

 

 故にほむらは提案する。

 

「二人とも。今から風見野に行ってみませんか?」

 

 それは思索に近い。謎を解き明かすために自らを深みへと誘い込むのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして私達はバスに乗り、沈む太陽を眺めながら道を走る。日頃使っているバスは順調に進んでいたはずだったのに。

 道中無言で私たちは椅子に座っていた。二階建ての風情があるバスの上。そして風見野の手前で杏子は停車のボタンを押してみせた。何事もなければこのバスは風見野へと辿り着く。

 

 けれど、けれどね。悪夢は巡り、終わらないものだろう?

 

 バスのナレーションは過ぎ去ったはずの地名を読み上げ。私達は見滝原を出る事はなかった。まるで輪廻に囚われた哀れな不死人のように。そして明けることのない狩りの夜に閉じ込められた血生臭い狩人のように。

 慌てる杏子とは対照的なほむらは、バスを乗り換えることを提案し。それでもバスは辿り着かず。

 

「おいちょっと待てコラ!」

 

 暴れようとする杏子の腕を、私は取った。

 

「やめたまえよ、杏子」

 

 動じず、私は彼女を制すれば仕方無しにバスを下車する。

 

「あそこの三叉路を左に行けば風見野……でしたよね?」

 

「ああ……」

 

 三人で徒歩で風見野へと向かう。しかしその道は、あり得ないほどに長く。そして進めば進む程に暗く闇が広がって行く。まだ日没には時間があるにも関わらず。そして私達は気づかされるのだ。風見野など存在はしない。迷宮の中、我々は運命に嘲笑われているのだという事を。

 見えた看板を見て杏子が言う。

 

「嘘だろ……」

 

 見滝原二丁目。つまり、私達は気付かぬうちにまた戻ってきていたのだ。

 

「私も貴女も、あんな大きな三叉路に気付かずに素通りするほど馬鹿じゃないはずですよね」

 

 驚くほどに冷静なほむらが言う。これこそ私が知る暁美ほむら。知に優れ、冷酷で、容赦の無い魔法少女。その片鱗を見た。

 同時に私は宇宙から啓蒙される。それはもう、答えのようなものだった。真理、真実、禁断の智。人はそれを神の啓示だと言う。だがそんなものはどうでも良い。今の私に明確な答えを、授けてしまった。

 

 故に絶望した。

 

 

「やりきれぬものだな」

 

 

 二人の背後で私は俯く。

 

 

「あんな生温いものが悪夢などと欺かれていたとは……ふふ、ふふふ、そうか。結局は欺騙。すべては彼女の手の内か。悪夢とは、つまりまったくそれで良いのか」

 

 

 瞳に浮かぶはあの女神。私を貶め辱め、その魂を奪い去った円環の理。心優しき乙女が人間性を理解し掌握し、深淵へと至などとと、誰が考えようか。あまつさえ暗い魂を我がものとするなどと。私の花園が、奪われたなどと。

 私は膝をつき、空を仰ぐ。陽は沈み、夜が来る。それは獣狩りの夜では無い。ただ変わらぬ平和を偽るための絡繰り。夜とは即ち繰り返される。かつて私が青ざめた血を求めたあの日のように。

 

「私は認めたく無いのだな。認めるには、この日々はあまりにも理想的だった。甘く、優しい日々を、きっと私は求めていたのだろう」

 

「白百合さん……」

 

 きっとほむらには、私の言ったことが分かったのだろう。理解もしたのだろう。しかし杏子は。穢れた血を分け与えられた哀れな少女は現実を否定したいのだ。

 

「これは、幻覚だ!あたしたちを見滝原から出さないための……」

 

「そんな生易しいものじゃない」

 

 変身しようとする杏子を、ほむらは制した。かつての冷酷さを貌に宿し。

 

「もしかしたら、この見滝原には外なんて存在しないのかも」

 

 それは正しい。そもそも、これはただの見滝原ではないのだから。ほむらは眼鏡を上げると安心させるように笑みを見せた。

 

「この事は、しばらくみんなには内緒にしておいて。私だけでちょっと調べたいことがあるの」

 

 その頃には、ほむらは完全にあの頃へと戻っているようだった。本来の自分を取り戻したのだ。否、彼女に取っての本来とは正しく数日前までの彼女だったに違いない。

 

「バカ、こんな妙な事を放って……」

 

「大丈夫。ここは気付かなかったフリをしていた方が安全だと思う」

 

 私達の周りを、死人のような人々が囲んでいた。虚で、魂は無く、ただ忠実に言いつけを護る守護者たち。それらはただ私達を見つめる。

 ほむらには元凶に心当たりがあるようだった。そしてこれは下手に動けば動くほどに追い詰められる罠だとも看破している。故に彼女は一人で動く事を提言した。それに、この元凶は今まで手を出して来なかったと言うことも合わせて。

 

「大人しく騙されている限り危険はないはずよ」

 

 断言する彼女に、杏子は渋々納得して見せた。

 

「分かったよ。確かに……私の記憶。色々と食い違っているのかもしれない」

 

 その隣で私は全身から血を吹き出した。気がつけば私は宇宙と交信し、高すぎる啓智によって発狂していたのだ。だが杏子とほむらはまったく動じない。まるで見慣れているかのように。

 

「こいつも、あんたもさ。妙なんだよ」

 

 そして一度得た啓蒙は、脳に寄生する。

 

「小難しい事を呟いていきなり血を吹くリリィも、強気なあんたも初めて見るはずなのに……全然意外って感じがしねぇ。むしろしっくりするくらいさ」

 

 そう言って杏子はリンゴをほむらに投げ渡して去っていく。後に残されたのは失意の内に呆けている私とほむら。

 

「覚えているのは君だけではない」

 

 だから私は、彼女に告げる。

 

「魔法少女が希望を産み出すのならば、魔女とは絶望を産み出すもの」

 

 立ち上がり、血を拭ってほむらの両肩に手を置いた。

 

「君。未だ瞳を授からぬ身であるが、忘れるなよ」

 

 強張る彼女の瞳を、脳の奥から覗くのだ。

 

「否定すれど、結果とは変わらぬものだ。くきききき……百合を大切にな、同胞よ」

 

 宇宙は私に告げるのだ。この世界のすべてを。私が為すべきすべてを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅かったな、リリィ」

 

 風呂上りの父はリビングでテレビを眺めながら言った。私はいつも通りの笑みを見せながら頷く。そしてソファにもたれる父の後ろから、彼を抱きしめた。

 抱擁。この場合、獣ではない私が齎す抱擁とはカレルが見出したものとは意味が異なるのだろう。上位者であり狩人であり、そして魔法少女である私の抱擁が齎すものとは。それは父への愛。上位者としての敬い。そして狩りの対象を逃さないと言う意志の現れ。

 

「おいおい、なんだ突然?反抗期の前にデレ期が来たのか?」

 

 私は何も言わず、ただ父の男臭い肌の匂いを嗅いだ。

 

「あらあら、リリィったら。ご飯ができたわよ」

 

 母と人形が夕飯を食卓に並べ、珍しく自室にいる姉を呼ぶ。そうすれば家族が揃い、仲良く皆で席につくのだ。

 父のいただきますという合図で、各々が食事をする。私を除き。私はただ、その光景を笑顔で眺めていた。幸せな家庭。ありふれた日常。それがどれだけ素晴らしいかなど、今の今まで考えた事はなかった。その余地は無かった。知るはずもなかった。私は呪いに生まれ、死ぬ事を赦されず、狩りに明け暮れたのだから。こんな平凡を知る由は無いだろう。

 そのうち、食に手をつけない私を家族全員が不審がった。不気味なまでに笑みを見せている私に、父が質問したのだ。

 

「どうしたリリィ?腹が減ってないのか?」

 

「まぁ、リリィったら。まさかお友達と夕飯を済ませてきたの?もう、なら連絡しなさいな」

 

「リリィ、食べないなら私が貰ってもいいかな」

 

「マリア様、御行儀が悪いです」

 

 家族が、偽りが、喋り出す。私はずっと、無言で笑顔でそれを見る。

 

 

 

「我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う。知らぬ者よ、かねて血を恐れたまえ」

 

 

 

 悪夢は。醒めなければなるまい。

 

 

 私は狩人。獣と、上位者と、悪夢を狩る使命を帯びた狩人。

 

 

 

 剣を振り上げる。唖然とした家族に。瀉血は既に済まされた。ならば血を取り入れるのだ。

 私は正しく、幸運だ。血の医療とは齎されるばかりでは無いのだ。私から、自らが施す事によって完成する。

 

 悲鳴。食卓は私が望んだように血で染まる。そうしてすべて狩り尽くす。治療とは時に荒くなければならない。

 




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恋慕

デモンズソウルリメイクステージ構成変わらないのか…


 

 

 

 

 夜は必ずやってくるものだ。かつて火の時代が終わって闇の時代が訪れたように、暗い時間というものが巡るのは普遍的な事実。それは逃れようもない。

 見滝原の夜はとても幻想的である。市街中心はビルと車の光が眩く輝き、深夜であっても眠る事はない。対して工場地帯ではそれよりも優しく街頭や一部の光が灯り、眩さに疲れた心を癒してくれるだろう。

 

 それでも拭えぬ何かがあるのであれば、公園に行くと良い。あそこは闇。街頭はあるも本来ならば昼間にこそ役目を持つその場所に、役割以外のものがあるはずもなし。日陰者は皆、そこに集う。私のように。狩人など、夜でなければ価値などないのだから。

 

 一人、私は滑り台の上に魔法少女姿で座り宇宙を仰ぐ。星々は街の光のせいで見えないが、それでも良い。視界のための瞳では無く脳の瞳で見れば良い。そこにはほら、あんなに美しい高次元暗黒が広がっているではないか。これこそ神秘。啓智を齎す悪夢の根源。狩人が狩るべき対象が潜む深淵であり、しかし上位者が求めるべき深み。

 今でも哀れなる使者達は花園で交信を続けているのだろうか。忌むべき失敗作達は時計塔で宇宙に向かおうとしているのだろうか。此度の旅路が終わればそれを確かめに向かうのもありかもしれない。

 

「だが、その前に……互いにやるべき事があるようだ」

 

 暗闇から現れた客人を見下ろす。ゆっくりと、一歩一歩を踏みしめながらこちらへやって来る少女。剥き出しの肩を覆うようにマントを羽織り、比較的露出のある衣装はしかし彼女が着ればしっくりと魔女狩りの衣装として当て嵌まる。

 手には鞘を携え、水底のような瞳は同じく青々しい髪の間から私を捉えていた。

 

「思い出さなくても良いことってあるよね」

 

 美樹さやかは鞘を眼前に突き出すと、ゆっくりとその刀身を抜いて見せた。そこに新米魔法少女であった姿は無い。百戦錬磨の円環の理の右腕。女神の守護者。円環の理へと昇華された魔法少女達から人魚姫と称される剣士がいるのみ。

 私は立ち上がると、左腰の鞘に手をかけた。そしていつものように冷ややかに笑い、問いかける。

 

「そうかな?しかし目醒めとは迎えなくてはならないものだ。それが優しければ優しい程に、人はその深みに抗えなくなる。……君もそうなるのだろう?」

 

 さやかは左腰のホルダーに鞘を戻すと、両手でしっかりと剣を握り構える。

 

「随分と物騒な目醒め方もあるもんだね。家族を皆殺しにするなんて」

 

「いいや。死ぬはずもないさ。ただ、目醒めただけだ……彼らもまた、人ならざる者達なのだからね」

 

 

 

 

 

恋慕の魔女

Oktavia Von Seckendorff

 

 

 

 

 

 

 刹那、さやかが動く。狩人の動体視力を持ってしてもその動きを追うのに精一杯な程に速い。私が飛び上がった瞬間、今まで丁度良い物見台として活用していた滑り台がバラバラになる。あれだけの質量を一度に解体するとは、やはり人の成長とは素晴らしい。例えそれが死んでしまったものだとしても。

 遠く着地し、私は剣の柄に手を掛ける。同時にさやかが身体をうねらせながら突撃してきた。それも直線的では無くジグザグに、撹乱させるように。

 

「気付けば刃は飛んでいた」

 

 瞬間的に呟くと同時にさやかは鞘に剣を納める。何かが来ると狩人としての感が警鐘を鳴らし、宇宙からの啓蒙がその映像を幻視させた。

 まだ剣が届かない距離、しかしさやかは回転しながら剣を振るう。そして飛んでくる幻の刃。剣を極めし彼女の刃が文字通り飛んできたのだ。私はそれをステップで前に躱すと居合の要領で剣を振るう。その一撃は魔法少女として長きを彷徨い、狩人として成熟させた一閃。さやかはそれを容易く弾いて見せた。

 

「紫電、一閃ッ!」

 

 一撃を弾かれ無防備な私の腹部を斬り裂くべく、さやかは対抗するように居合斬りをかます。それは名の通り正しく稲妻の如き剣筋。

 だがそれしきの攻撃で殺される程、私は有象無象ではない。ブーツの裏で強引に彼女の剣を押さえると、それを踏み台にして跳躍する。そして回転飛びしながら剣を二回振るい、さやかはそれを全て弾いて見せる。弾かれながら、私は左腕の暗器でもある弩をさやかに向けて放った。距離などほとんどない。

 

「霧雨」

 

 必殺の一矢は、しかしさやかの身体が蒸気のように霧散してしまったことで無価値となる。彼女だったはずの水蒸気は瞬間的に着地した私の背後へと回り込み、少女を形作った。

 なるほど、今のは霧となり攻撃を無力化し、相手の背後に回る秘儀なのか。瞬時にそんな事を思いつくとは、新米魔法少女姿を知っている私からすれば感慨深いな。

 

「ぬぅあッ!」

 

 怒るようにさやかが唸り、目にも留まらぬ速度で剣を振るう。憤怒の舞━━そう名付けるのが良い程に怒りが篭る連撃。そう、連撃だ。何度も重たい一撃を彼女は喰らわせて来る。私はそれを剣で弾くも、腕の疲労は蓄積される一方だ。

 しかしそれよりも先に、剣が折れそう。この剣は魔力を帯びているだけで他に特別な事はない。その昔、敵対者から奪ったり買ったりした一般的な剣でしかないのだから。

 

 ステップで彼女から距離を取る。だが彼女が態勢を整えるような時間を与えてくれるはずもなし。

 さやかは羽織っていたマントをこちらに飛ばす。嫌な目隠しだ。完全に彼女の姿が消える。だがこういう場合、上から来るものだ。

 

「ふんっ!」

 

 案の定さやかが上空から仕掛けて来る。落下しながら、その剣先は私の胸を捉えていた。

 迎撃のために瞬時に魔力を剣に込め、振るう。迸る魔力は微弱ながらも、ビームのように剣から飛び出てリーチを伸ばす。だが本職の剣士であるさやかがそれに対応しないはずもない。あっさりと魔力の長剣を弾くと素手の左手を私の首元に伸ばした。

 

「ぐっ!」

 

 そしてそのまま地面に押し倒され馬乗りにされる。私が何かをする前に、さやかは私の胸に剣を突き立てた。

 

「案外脆いね、あんた」

 

 吐血する私を見て、さやかが冷酷なまでに無表情のまま呟く。流石円環の理という規格外の神の精鋭として戦うだけある。認めよう、此度の私は君に負けた。

 だが、それだけだ。私は口を歪ませ狂気のままに笑う。何かを感じ取ったのか、さやかは私から離れた。それと同時に流れ出た血が刃のように周囲を舞う。まるで意志を持ったように。アサルトアーマー、私はそう呼んでいる。時計塔のマリアのように、血は私の攻撃手段となる。

 

 神秘が溢れる。今の私に流れるのは、魔法少女としてのリリィの血ではない。青ざめた月、その上位者の血。その神秘は私を中へと浮かすと月の光を浴びせるのだ。

 

「堪らぬな……やはり狩りというものは血を滾らせる」

 

 流れ出た血が、私に集まる。それは傷口だけでなく、私の身体を全て覆い。

 

「そして狩りとは、やはり狩装束でなければなるまいさ」

 

 血が弾け、真に私が産まれる。それは長く馴染ませた狩装束。偏愛を感じる程に作り込まれた人形の帽子と服。そして時計塔のマリアのズボンに手袋。それらを身につけ、ようやく私は狩人として蘇ったのだ。

 右手に落葉を。左手にエヴェリンを。やはりこれが一番馴染む。カランと地面に落ちた剣は、やはり折れてしまった。所詮は贋作、しかし使い勝手は良いものだった。あの剣の名誉のために言うならば、ヤーナムの狩には似合わぬが決して駄作ではなかったよ。

 

「あっけないと思ったら、遊んでたって事?」

 

 剣を構えるさやかが睨む。

 

「肩慣らしさ。こういう戦いは久しぶりだろう?さて……じゃあ、やろうか」

 

 加速する。決してヤーナムの古狩人如きができるようなものじゃない。それは瞬間移動に近い。連続でジグザグに、タイミングをずらしながら加速すればさやかは防御するように剣を垂直に構えた。

 加速の終わりに銃撃を挟む。さやかが弾丸を弾くのと同時に落葉を分離させ、加速回転斬りを叩き込む。

 それは体幹削りの極致。青い魔法少女は弾きながらも後退りする。まるで駒のような連続攻撃は反撃の余地すらない。

 

「……っ!」

 

 疲弊していくさやかは、強引に私の剣を押し込んだ。そしてそのまま突き刺しを見舞って来る。それを完全に見切っていた。

 

「見えたッ!」

 

 笑い、私は突き出された剣を落葉で受け流し踏みつける。顔を硬らせたさやかの腹に、左手の短刀落葉を突き刺した。苦痛に顔を歪めるさやかだったが、すぐ様痛覚を遮断し剥き出しの肩でタックルしてくる。

 私が押された隙にさやかは距離を取り、彼女の魔法で傷を癒す。

 

「因果なものだ。私が知る限り君の祈りは回復には繋がらないものだが、まさか多次元の君の願いが今の君の魔法を修正しているとはね」

 

 彼女の回復力は異常だが、さして問題にもならない。

 

「あんたの輸血だって相当めちゃくちゃでしょ!」

 

 言い終わり、私達は再度互いに向けて突撃を敢行する。だがそれを邪魔するものがいた。

 

 

 

 私とさやかの間に割って入ったその男は、月光を地面に突き刺し溢れる魔力を放出させた。青白い魔力は私達を吹き飛ばすくらい容易い。何せあの魔力は神秘の原初。裏切り者の竜が齎したものなのだから。

 私達は距離を取らされ、着地すると互いに邪魔者を見据えた。彼は突き刺した月光を引き抜き、刀身の汚れを払う。

 

 

「恭介……」

 

 

 上条恭介。私のかつての弟子が、間に陣取る。

 

「ようやっと使命を思い出したか、上位者」

 

 冷酷に私を睨む彼の瞳は、しかし待ちわびていたと言わんばかりに血走っていた。私は笑い、口元を隠す彼に言う。

 

「お陰様でね。しかし参ったよ、まさか我が父が自らの使命を忘れて家族ごっことは……ふふ、だが案外悪くなかった」

 

「恭介、そこをどいて」

 

 感傷に浸る私とは対照的に、さやかは焦るように恭介に指示した。だが恭介は退く事なく、たださやかと向き合う。まるで壁になるように。

 

「さやか」

 

 そこにいるのは狩人ではない。ただ少女を想い、取り返そうとする思春期の少年。

 

「一緒に帰ろう。志筑さんと三人で……本当の見滝原に」

 

 さやかの顔が明確に歪んだ。恋と使命の間で彼女は揺れ動いた。それでも。

 

「ごめん、恭介」

 

 拒絶。さやかは自らに剣を突き立てると、魔女を産み出す。それは恋慕の魔女。彼女の魂の姿。それは手にした剣を大きく振り上げると、恭介目掛けて一気に振り下ろした。

 容易く恭介は月光でそれを受け止めれば、衝撃波で地面の砂が舞い上がる。

 

「あんたは仁美を幸せにしてあげれば良いんだよ」

 

 哀れな人魚の声が響く。砂塵が晴れれば既にさやかと魔女の姿はなく。残されたのは私達二人だけ。

 落葉を夢にしまい、恭介の下へ歩く。彼はずっと、さやかがいた場所を眺めている。

 

「今すぐ取り戻す必要はない。時期を待つのだ、恭介」

 

 そう、助言者として彼に諭す。

 

「やはり、お前が正しかったのだな」

 

 振り返る恭介の顔は、どこまでも少年で、悲しみに歪んでいた。

 

「無知は悪ではないさ、恭介。ただ、まぁ。そうだね、私のやり方も多少強引だった事は認めよう。それに関してはすまない。結果として君達に誤解を産み、こんな結末になっただけではなく私自身も円環の理の傀儡と化していた」

 

 それは反省すべき点だ。やはりまともな会話がままならないヤーナムで悠久の時を過ごすとコミュ障と化すな。

 

「円環の理は今目的を見失っている。くるみ割りの魔女に心を許しすぎたのだ。そしてこれは好機とも言えるだろう」

 

「だろうね。力と記憶を取り戻す前に、どうにか彼女を抑えなければなるまいよ」

 

 私の言葉に恭介は力強く頷いた。

 

「やぁ、白百合マリア。いや、リリィなのかな?この場合どっちで呼べば良いんだい?紛らわしい事この上ないよまったく」

 

 不意に、恭介の肩に使者のトップハットを被ったキュゥべぇが乗る。どこから現れたのだ。

 

「……君は、そうか。なぎさと一緒にいたキュゥべぇか。自我を持ったのだな。良い事だ」

 

「どうかな。今になって少し後悔しているよ。もし自我を持たなければ今でも僕は一個体として何も考えずに業務をこなしていれば良かっただけだしね。ま、いっか。君に一つ報告しなくちゃならないことがあるんだ、白百合マリア」

 

 私は首を傾げる。

 

「母星の同胞達が君の目醒めに気がついた。まぁあれだけ派手な事をすれば、誰だって気付くよね」

 

「ふん……穢れた獣共め。干渉してくるだろうな」

 

 心底憎いといった様子で恭介が呟く。ならば我々も動き出さねばなるまい。こうやってさやかが動いてきた以上、他の円環の理の使者達が襲ってくる可能性もある。一先ずは、そうだね。愛しの上位者とコンタクトしてみるかな。

 

 



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美しい娘よ、泣いているのだろうか

 

 

 

 宇宙はどこまでも輝き、暗く暖かみに溢れている。それは深海のように。神々が辿り着けなかった深みの先。故に上位者達は宇宙を求めたのだろう。神々を超え、その微睡に浸かるために。真理へと辿り着くために。

 そして星の娘もまた、宇宙に恋い焦がれる。いつか見捨てられ、瞳を持たぬ人間どもの祭壇において嘆いていた時のように。美しい娘は海岸沿いの暗闇の中、一人宇宙を仰いでいた。

 否、訂正しよう。彼女は今嘆いている訳ではない。待ちわびている。彼女を見出してくれた青ざめた月の少女を。恋焦がれた白百合を。だから彼女は祈り、待つ。

 まさか人智を超えた上位者が、他者の為に祈る時が来ようと誰が考えたであろうか。それは瞳を持つ者であろうが思い至らぬ深淵の先。愛という名の欲望のみが為せる業。

 

 星の娘は組んでいた指を解き、見上げていた顔を降ろす。背後に現れた足音に、心の高揚が掻き立てられるもそれを堪える。今か今かと待ちわび、そうしてようやく真後ろで足音が止まった。

 いつか嘆きの祭壇で出会ったあの時のように。あの時は嘆く彼女に一方的な暴力でもって挨拶とされたが。此度の出会いは、抱擁で始まった。

 

「ただいま、エーブリエタース」

 

 背後からの抱擁と言葉に星の娘は酩酊した。そっと、自らを抱く腕に手を置く。

 

「遅いわよ、リリィ」

 

 そう言って星の娘は言葉の刺とは裏腹な笑みを背後の少女に向けた。

 百合の狩人。月の香りのする狩人。そして青ざめた月。夢の主。白百合マリアと偽った彼女が、いつものように冷静な笑みを浮かべていた。鼻を擽る銀髪から、優しい血の匂いを嗅ぎ取る。

 

「ずっと見守ってくれていたのだね、エブちゃん」

 

「そうよ、まったく。貴女と来たらあの胸しか取り柄の無いヒステリー女に気を取られて」

 

「おや、君が一番なら良いのだろう?マミもまた、私を信じて改変前も後も心を授けてくれたのさ」

 

 しばらく二人はそのままの状態で語り合う。高次元の思考による語らいも、ウィレーム先生やビルゲンワースの学徒達が好みそうな思索の先に行き着く小難しい話でも無い。少女達━━我々はただ、深淵の先に待つ愛を語らうだけで良いのだ。それこそが、人が人であるための条件。神も上位者も狩人も、そして人間も。愛によって人となる。

 

「織莉子とキリカは強情ね。未だ魔女の結界の内であろうとも目的を見失ってはいないわ」

 

「だろうね。それでもこの、幸せな日常をそれなりに謳歌していたようだが」

 

 変身バンクで恥ずかしがる織莉子を思い出す。あれで未だ円環の理に執着しているというのであれば、彼女はまさしく名優だろう。

 

「それと、月の魔物(貴女の父親)から言伝があるわ」

 

 ピクッと、私の腕が反応した。

 

「思い切りやりなさいって、ふふ。あの男、一番この偽りの街を楽しんでいたくせに」

 

 この世界で、仕事から帰って来てはソファーに座り晩飯まで撮り溜めていたサッカーの試合を見ていた父を思い出す。そうだ、全てが終わったら夢にテレビを置こう。そうすれば父も、新たに見つけたスポーツ観戦という趣味を充実させられるに違いない。

 会話の終わり間際、私は星の娘の頬に口付けをすると立ち上がる。一度は夢破れた私だが、今度こそ成し遂げよう。

 そしてそのための計画は、既に始まっているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 狩人たるもの、いつまでもありふれた日常に使っては居られぬだろう?

 朝日を浴び、露に濡れた花達を手入れする老人の背後。チョキンチョキンと、似合わぬ小さな鋏でその老人は仕事をしている。気がついている癖に、彼はいつも自分のペースを崩さない。その時が来るまで待ち、疲れ果てた使命のために後輩達に献身する彼は、やはり私の師であり眷属だ。

 

「やぁ、狩人よ。そして月の魔物の娘よ。自らの遺志を取り戻したか」

 

「らしくない、老ゲールマン。貴方に似合うのはいっそ命を狩り取る大鎌だろう」

 

 私の軽口にゲールマンは年相応に笑って見せた。そして道具を置くとその長身で振り返り、皺くちゃの顔を笑みで歪ませ鋭い瞳で私を眺める。

 それはまさしく、最初の狩人。格好こそ用務員のおじいさんで、似合っていたボロボロの帽子も今では麦わら帽子だが。彼は義足でぎこちない歩みを持って私の横を通り過ぎる。

 

「意外と悪くなくてね、この仕事も。……まぁ良い。君はまた、使命に基づき狩りに励めば良い」

 

「そのつもりだ。して、ゲールマン。ルドウイーク先生はまだ?」

 

 その問いにゲールマンは頷いた。

 

「彼もまた、報われぬ者の一人だ。ならば心地良い夢に囚われるのも分かるだろう」

 

 そうか、とだけ。私は離れていく老人を見送る。詰所に帰る彼は道中、少女達に挨拶をされては返している。その姿は最初の狩人らしからぬ気さくな老人だ。

 ふふ、師よ。貴公もまた報われぬ狩人の一人のようだな。優しい夢に浸かり少女達に慕われるのは、長い悪夢では無いだろうに。

 

 

 

 

 

 教室に来れば、やはりさやかは休んでいた。昨日の今日だ、そりゃあ来れるはずも無い。それでもシレッと登校している私と恭介は図太いのかもしれないが。

 変化もあった。ほむらの髪がいつもの三つ編みではなく解けている。そしてトレードマークの眼鏡も掛けてはいない……喜ばしい事だ。まどかは三つ編み眼鏡を辞めてしまった事に不満を抱いているようだったが、それでも使命を抱いた少女は美しく輝いている。

 

「やぁ、ほむら。見違えたよ」

 

 そう尋ねれば、彼女は少しばかり私を睨んだ後にいつもの笑みを見せた。きっと思い出したのだろう。ここに至るまでの全てを。いいや違う、全てでは無いが。

 

「ええ。……白百合さん、貴女はどうなんですか?」

 

 直球な質問に、私は笑った。やはり彼女の根は変わらない。基本的に無駄を嫌う。定位置である彼女の横に座り、テレパシーで答える。

 

『君と同様さ』

 

『そう……世界が改変されても狩人はやはり理から外れているのね。そしてその様子じゃ、円環の理を狩るには至らなかったようね』

 

 彼女は私の結末を知らぬ。故に今でも変わらないまま、少女達の遺志を求める狩人だと思っているのだ。いやそれは変わらないが。それでも敗北し、円環の理に囚われたという事は知らぬ。その呪縛も今では消え去ったが。

 

『まぁ良いわ。まどかが円環の理になった後、どこへ?』

 

『夢に。それなりに手酷くやられてね。油断していた訳では無いが、それでもこちらの遺志を根こそぎ持っていこうとするまどかとは相性が悪かったよ』

 

 苦い思い出を包み隠さず話す私を、ほむらは鼻で笑った。

 

『あんなに貴いまどかに手を出すからよ。……やはり、この世界は偽りの箱庭なのね』

 

『その通り。あのまどかも、本来ならば存在するはずもない』

 

『魔女の結界……そんなはずはないのに』

 

 やはり彼女は聡明だ。もう八割は答えを出している。残り二割に気がつくのはそう遠くは無い。しかしその時こそ、彼女は決断を迫られる。

 私はそれまで道化を演じつつ、暗躍すれば良い。それこそ上位者らしい振る舞いだ。私は他世界の狩人あがりの上位者とは違う。自らが上位者である事を、忌む事などしないし、上位者を毛嫌いする事もない。それこそ啓蒙が足りぬ。あんな個性の塊を狩るなどと。

 

『今の私は君と目的を同じとする同志だ。さて、ほむらよ。この後の計画は?』

 

 ほむらはやはり誰も信じない。信じないが、利用はする。彼女は瞳に暗い魂を宿しながら、答える。

 

『放課後、巴さんと話すわ』

 

 マミにさん付け……なるほど。君は全てを思い出した訳では無いのだね。

 

『目的はベベか。なるほど、確かにあの子はキュゥべぇ同様異形の存在だからね』

 

『貴女はどうするの?』

 

『古い知り合いを目醒めさせなければならない。その為の御膳立てをする』

 

 ほむらは首を傾げるも、無理矢理納得してくれた。私の謎かけめいた言葉も今に始まったことではないと理解しているのだろうから。

 そうしているうちにホームルームが始まる。一時間目は英語の授業。担任は早乙女先生ともう一人。頭の中で、かつての死体溜まりで邂逅した獣を見出す。無意識にさやかが連れて来たのだろう。それはある種、誤算だった。

 しかしその誤算すらも私の手の内としよう。お父様は私を応援して下さっているのだから、答えなければならない。

 

 それともう一人、話しておくべき人間がいる。円環の理、その血を引くいてはならない人物。あのやかましい解説役と。



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殺す者

本日二話投稿しています


 

 

 

 

 

 放課後になるとほむらはまどかと共にマミの家へ行ってしまった。今の所あの桃色の魔法少女がほむらの目的に気がついているようには見えない。そもそも今の鹿目まどかは使命をすっぽかして学生ライフをエンジョイしているのだから気付きようがないのだろう。

 ふふ、円環の理だの深淵だのと言っておいて、結局は彼女も最愛の友と家族が恋しかったのか。それは良い、最後まで黙っていてくれれば事は上手く運ぶだろうからね。

 

 私はと言えば、とある人物を誘ってゲールマンが管理している花畑のテラスでお茶をしていた。その人物とは鹿目まどかの双子の弟━━と嘯いている男、鹿目タツヤ。毎回のように悪夢狩りに着いて来てはキュゥべぇと共に解説をする熱い男。傍らには彼が所属している弓道部で扱うであろう日本式の弓が、袋に入れられて立て掛けられている。

 タツヤには紅茶の良さはわからないようで、砂糖をドバドバいれてその味を安っぽくすると言う。

 

「やっぱり男らしく無いよな!こうやってさ、調味料全部ブッ込んでこそ浪漫だよな!」

 

 私もそこまで健康に詳しい訳では無いが、それでも糖尿病が心配されるほどに砂糖を入れまくる。これではお茶会に誘うのは無理だろうな。

 私は紅茶を飲み干すと、紅茶というよりは砂糖を飲んでいるタツヤに語りかける。

 

「君は、まどかの弟で合っているよね」

 

「ん?そりゃそうだろ、リリィちゃんだって知ってるだろ?」

 

 男からちゃん付けされるとゾワっとするが、私は落ち着いた素振りで質問した。

 

「いつから君はナイトメアの事を?」

 

 そう尋ねればタツヤはう〜ん、と唸った様子で深く考え出した。

 

「そうだった、まだリリィちゃんが転校してくる前だったな。ありゃいつだったか……あぁそうだ!今年の初めくらいだったかな、姉ちゃんが夜中にこっそり抜け出してるのを見つけてな!ツケていったら巴先輩達と珍妙な奴らと闘ってて、こりゃいかん!男たるもの闘えずとも女の子放って暮らしてられるかってんだ!ってな訳で何かできる訳じゃねぇが、ナイトメア退治に付き合わせてもらってるぜ!まぁ、毎回姉ちゃんには帰ってくれって言われてるがな!」

 

 ガハハと気持ちが良いくらい笑うタツヤ。相変わらず情報量が多い奴だ。ヤーナムでは見ないタイプだったから嫌いな訳では無いが、それでも喧しい。

 ちょっと疲れ気味に私は次の質問をした。これもこの悪夢を醒ますためだ。そして次の質問から核心に迫っていく。

 

「なら……なぜ君は、魔法少女でも無いのに悪夢共が見えるのだい?」

 

 今まで奇妙な程に誰もその点に触れなかった。気が付かなかった。きっと何かしらの呪いが掛けられているんだろう。誰もその事実に到達する事はないように。それはこの偽の街を産み出した魔女によるものか。

 タツヤは俯くと、プルプルと身体を震わせた。もしや都合の悪い事を聞かれて正体を現しかけているのか。ならば狩るまでだが。そしてクワっと目を見開き、その瞳に宿す熱い炎を私に向ける。

 

「その血の運命ってやつさ!きっとな!」

 

「は?」

 

 頭の悪い解答に私は心の底から腑抜けた声を出す。

 

「巴先輩曰く姉ちゃんは素質のある魔法少女らしいじゃないか!ならその双子の弟である俺にも何かしらの因果があるに違いない!そっちの方がジャンプ漫画っぽいだろ!?」

 

 なんて子供染みた事を言うんだコイツは。そのうちタツヤは聞いてもいない彼なりの考察をベラベラと喋り出す。そのほとんどが突拍子もない妄想でしかないのだが。

 

「そのうち俺にも力が目覚めてサ!スタンドとか出せるようになったりして」

 

「分かった、わかったから黙ってくれ」

 

 熱意が溢れ出るタツヤを強制的に鎮める。本当にコイツはまどかの弟か?いや待てよ、彼女も魔法少女に対する憧れをノートに書き記していたな。あのイラストは可愛かったが。

 私は溜息を一つ吐いた後、新たに質問をした。しかしこのまま行けば彼の熱意に私が負けてしまう。一人だけ世界間違えてないか。

 

「私の記憶だと、鹿目タツヤは赤子だったのだがね」

 

 それは質問というよりも呟きに近い。そして案の定タツヤも首を傾げた。

 

「おいおい、俺が赤ん坊なら姉ちゃんも赤ん坊にならんとおかしいだろ。リリィちゃん最近おかしいぞ、言動も厨二病っぽいし。ほむほむもイメチェンしたしさ、なんか流行ってんの?」

 

「黙れ小僧」

 

 人を厨二病なんて言うな。ヤーナムではこれが普通だ。むしろ厨二病と言うならマミこそ患者だろうに。クソ、上位者たる私がたかが一人の男子に掻き乱されるとはね。

 やはり正攻法では拉致があかない。私の感が外れればタツヤは発狂してしまうが、最終手段を取ろう。私は疲れた表情で懐から蛞蝓を取り出す。それは秘儀に用いる神秘の塊。宇宙との交信に用いられる貴き精霊。

 聖歌隊はそれを、彼方への呼びかけと呼んでいた。

 

 その蛞蝓を、タツヤに投げ付ける。べちょっとタツヤの胸元に精霊がこびりついた。

 

「うわっ!蛞蝓!うわキモッ!」

 

「失礼な。それは貴い精霊だぞ。……ふぅん、なるほどね」

 

 立ち上がって慌てふためくタツヤ。それは仮に、蛞蝓が精霊でなければ正常な反応だったはずだ。

 だが精霊とは神秘の写し。神秘が薄い現代人、それも啓蒙のないものであればその啓智に脳が追いつかず発狂をしてしまってもおかしくはない。なのにも関わらず、タツヤは変わらない。

 

 何も、変わらない。慌てるだけ。それはあってはならない事。つまりタツヤは、ただの人間ではない。

 

「タツヤ」

 

 精霊を引き剥がしテーブルの上に置くタツヤに、私は声をかける。

 

「やはり君は、その頭の内に瞳を宿しているね」

 

 これで辻褄が合う。魔法少女でもないのに悪夢を視認できるのは、彼の啓蒙が瞳を宿す程に高いから。それ程の啓蒙であれば精霊など取るに足らない。

 それだけの啓蒙があれば、私達を騙すことなど容易いのだ。啓蒙とはまさしく啓智。宇宙との交信に他ならないのだから。

 

 タツヤはぴたりと動きを止め、今までの熱さが嘘であったかのように瞳を冷酷に開いてみせた。その瞳は絶えず私を見ている。ある種狂気に染まった━━あぁ、それこそ瞳を携えたまどかのような、そんな目で。

 それでいて深く暗い人間性とはまた異なった何かを抱いている。それが何かが私にも分からないが。鹿目まどかの弟であればできてしまうのではないかと思えて仕方ない。

 

 フッと、タツヤは落ち着いたように深々と椅子に腰掛けた。そして冷笑を向けると言うのだ。

 

 

「ほう。貴公、自らを取り戻したか」

 

 

 その声は、タツヤのものであり彼のものではない。まるで他人の声が重なったような、そんな声色。

 

「君は誰だ?タツヤじゃないな」

 

 私の質問に、タツヤではない何かは答えた。

 

「誰でもない。タツヤでもあるし、そうじゃないかもしれない」

 

 謎かけのように。はぐらかすように。しかしそれは真実なのだと啓蒙される。気がつけば私はテーブルの上の精霊を握っていた。いつでも隕石を彼に叩き落とすために。

 

「狩人、落ち着けよ。俺はただ楽しんでいるだけだ」

 

「どう言う意味だ?」

 

「お得意の啓蒙とやらで察すれば良い。貴公もまた、俺と同じ。他人の(ソウル)を糧に生きる人ならざる者。貴公の父もまた同じか。だがそれよりも俺の方が根源に近いが、な」

 

 宇宙のすべてが、私に警鐘を鳴らした。今すぐに目の前の男を狩ってしまえと慌てている。宇宙はその正体を知っている。魂を喰らい、自らの糧とする者。それは確かに私や父である薪の王(月の魔物)と似通っているが……その存在はもっと悍しい。

 まどかよ、君の弟はなんてものを呼び寄せたのだ。

 

「落ち着けと言ったはずだぞ貴公。確かに貴公らの(ソウル)は貪ってみたいが……フン、俺はそれよりも先のものを見据えている。よく言うではないか、敵の敵はなんとやらとな」

 

 戦う意思はない。しかし俺は負けないのだと、暗に言っている。それは正しいのだろう。これほどまでに宇宙規模で脅威を感じる事など今までになかった事だ。まどかの時も宇宙はその存在に恐れ慄いていたが、この比では無い。

 服の下が冷や汗に塗れる。と、目の前の男が口を開いた。

 

「赤子とは、何をしでかすか分からんな。まさか瞳を得ただけでなく、そのソウルのみで世界を旅するとは」

 

「なに?」

 

 男は鼻で笑い、懐かしむように語る。

 

「元はと言えば、貴公の父が原因だ。あの舞台装置が来た日、俺と上位者の赤子を引き合わせただろう?メルゴーと言ったか。奴は俺に啓蒙を授け、俺はそれを増やし、精神だけが成長した。ろくに喋れず、オムツが取れたばかりの子供だったが、それでも柔軟過ぎる赤子の脳は思索するには事欠かなかった。故にだろうな、俺が円環の理を忘れなかったのは。あぁ、姉と言うべきか」

 

 つまり。彼は改変前の世界において赤子のまま瞳を授かり。他世界へとその魂だけを転送して旅をしたのだと、そう言う事なのか。

 察した私を、男は頷く事で肯定した。

 

「やはり貴公も上位者、思索に事欠かぬな。その通り、俺はあの世界で(ソウル)の業を手に入れ、全てを制した。古き獣も、偽りの王も須く」

 

 それは悪魔を殺す者(Slayer of The Demons)。火の時代、その前の灰の時代よりももっと前。ソウルという、血の遺志として変化したものの根源の時代にいたとされる魂を貪る者。あぁ、分かった。あの熱さも、この冷酷さも、彼のものではない。貪った誰かの(ソウル)がそうさせているだけなのだ。

 彼はまさしく(ソウル)の器。メルゴーめ、なんて奴を産み出したのだ。

 

 考察する私に、しかし目の前の悪魔(デーモン)は諭す。

 

「まったく、勝手に思索し身構えるのは結構だが、今の俺は鹿目まどかの弟である鹿目タツヤだ。それにここには俺の(悪魔)はいない。ならば剣を携える事などない。そうであろう。そういうところだぞ、上位者よ」

 

「……だが、敵にならないという保証もない」

 

「然り。その時は貴公も俺も、そして(薪の王)もいつものように戦えば良い。まぁ、そうだな。この平和で美しい世界を潰すのは容易いが、それでもあの少女が夢見た世界であるのなら……俺は手を出さん」

 

 彼の脳裏に浮かぶのは、河川敷で出会った黒髪の少女。そしてつい最近転校してきた魔法少女。

 

「俺はただ、少女達の幸せな世界を見たいだけだ。そして家出娘の姉と、暮らしたいのだ」

 

 悪魔殺しは驚くほど朗らかな笑みでそう言った。きっと、いくら魂を貪ろうとも根は変わらなかったのだろう。それは確かに私が良く知る鹿目タツヤの笑顔だった。

 私はふぅっと息を吐き捨てると言う。

 

「一先ずは、そう言う事で納得しておこう」

 

「おう。貴公もまた、少女達のために戦う気高き狩人だろう。貴公が築く百合の園、楽しみにしている」

 

 どこまでも上から目線で語るこの男。だが不快感は無い。宇宙は相変わらず殺せと私に叫ぶが、この男は殺せど殺せど蘇るのだから意味はないだろうに。

 私はポッドから紅茶を淹れると、一気に飲み干した。

 

「いつか、私は君の姉を狩るかもしれない」

 

「ふむ。その時は俺が壁となるだろうな」

 

 いつか来るかもしれないその時を、私は想像する。それは最も悍しい者同士の戦いになるに違いない。

 




どうしてもタツヤに役割を持たせたくて書いてたらとんでもないことになりました(他人事)
メルゴーから啓蒙を授かる→赤子の脳は柔らかく、故に得た啓蒙をフルで活用する→鹿目の因果も相まって瞳が開花する→色々考える内に分身して他世界に侵入する手段を獲る→デモンズソウル→主人公に成り代わる(容姿はどうとでもなる)→ボーレタリア蹂躙を繰り返す→偽の見滝原が生まれ、双子の弟として介入する→今
正直無理矢理感半端ないですがご了承ください。叛逆後の事を考えたら彼がいないと盛り上がりに欠けるので……


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Scary Monsters
懐疑


 

 

 ルドウイークは学校での勤務を終え、行きつけのバーへと向かうべく道を歩いていた。日本という国は母国とは異なる食生活やライフスタイルが根付いており、いくら社交的な彼であろうとも少なからずホームシックになるものだ。

 そんな日本にも一つだけ変わらぬものがあるとすれば、酒だろう。故にルドウイークは酒が好きだ。体質のせいか酔う事はままならぬが、それでも母国の酒は彼の寂しさを紛らわせる事ができる。

 それでも、理由の分からぬ違和感は拭えないが。酒に酔い、家に帰り眠ってもなお彼は何かに飢えていた。

 

 そしてその道程に教え子がいれば少なからず焦るというものだ。

 

「ルドウイーク先生」

 

 灰のような銀髪の少女は、見滝原中学校の制服に身を包んで彼を待ち受けていた。

 

「白百合さん……どうしてここに?」

 

 その教え子は不敵に笑うばかりで、問いには答えない。

 

「見せたいものがあるのです。一緒に来ていただけませんか?きっと先生が抱く違和感を、払えるでしょう」

 

 教師として、こんな夜に街を歩く教え子を咎めなければならないのに。その提案はとても魅力的に見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暁美ほむらという少女は容赦が無い。躊躇いもなければ憐みも無い。ただ目的のために他者を切り捨て、心を鬼にする覚悟を持つ。遍く繰り返しの中で、彼女は人間性を擦り減らしながらもそれだけは捨て去らなかった。

 それはただ、一人の少女のために。彼女が最期まで信じた女神のために。その約束のためならば、彼女は殺すだろう。大切な友人でさえも。その家族でさえも。それはある種、狂信的とも言えるだろう。逆説的に言ってしまえば、その精神がなければ彼女は約束を果たし得なかった。

 

 そんな彼女の精神とは正反対の、巴マミとのお茶会。穏やかで、和かで。それはいつか夢見た理想郷。隣の桃色の少女がケーキを食べ、感想を言い、マミが喜び。得体の知れないマスコットがチーズケーキを食すのだ。

 ほむらはケーキには手を付けず、ただ紅茶だけを嗜む。まるでタイミングを待っているかのように。ただ雑談と紅茶の甘さだけを堪能しながら。

 

「巴さん」

 

 しかしあえて、火の中に飛び込むこともしなければならない。ほむらは静かにマミに問う。

 

「あら、そうだ。聞きたいことって?」

 

 首を傾げるマミに、ほむらは尋ねた。

 

「その子……べべとはずっと一緒に暮らしてるんですか?」

 

 マミはベベの頭を撫でて肯定する。

 

「そうよ。ベベはずっと昔からの友達なの」

 

 そうして、マミはべべとの思い出を振り返る。思うよりも長い付き合いなのだろう、マミの部屋にはべべとのツーショットの写真が並び、まるで家族の如く。それが異形であろうとも、誰もその存在に疑問を抱かず。

 故にほむらは、探るのだ。その正体を。世界の探求者、そして女神との約束を守るために。

 

「ホムラ」

 

 不意にべべが、マミの肩越しにほむらに問い掛ける。

 

「ナゼキク?」

 

 その瞳はどこまでも深く。人間性が齎す闇の灯火を見た気がした。だがそれすらもほむらは納得してしまうのだ。ほむらはべべを知っている。もしべべが彼女の思う存在であるのならば、べべがその身に人間性を宿す理由も納得できる。

 それは少女の成れの果て。希望から生まれた絶望が孵化した姿なのだから。そしてそれこそ、ほむらが狩殺さねばならぬもの。

 

 だが今では無い。今はまだ耐え忍ぶ時だ。でなければ彼女の狩りは成就されぬ。

 

「ちょっとだけ、気になって」

 

 ほむらはいつもの笑みを浮かべると答える。ベベは怪しみつつも納得した様子を見せた。見た目に惑わされてはならない。それは正しく、少女なのだから。

 マミは相変わらず、べべとの想いに身を馳せる。

 

「以前はね、この街には魔法少女が私一人しかいなかったの。今でこそ皆がいてくれるけど、あの頃の私を支えてくれて励ましてくれたのはべべだけだった」

 

 マミはそっと、べべを両手に包み抱きしめる。

 

「この子がいなかったら、リリィさんと会う前に私は駄目になっていたわ」

 

 その発言にまどかは衝撃を受ける。マミは理想の魔法少女。尊敬すべき先輩。しかしほむらは知っている。覚えている。彼女はどこまでも脆く、そして強がりなのだ。

 

「そんな、マミさん……」

 

 まどかの横でほむらはマミをフォローする。

 

「巴さんはもっと逞しくて強い人です」

 

 それは優しい嘘。しかし嘘で人が救われるのならば、それで良いでは無いか。そしてほむらは嘘つきなのだから。

 二人の優しさにマミは微笑む。

 

「ありがと。確かにそうやって頼り甲斐のある先輩ぶってた頃もあったわね」

 

 その憧れの先輩は、幸せに満ちていた。

 

「でもね。鹿目さんや美樹さんが一人前になって、佐倉さんや暁美さんが味方になってくれて……今ではリリィさんも一緒にいてくれて。皆に囲まれて、私幸せなの。もう昔みたいに背伸びして頑張る必要もなくなったわ」

 

 その笑顔は、紛う事なき太陽のように。少女の美しさを表しているように。だから魔法少女の私はマミに惚れたのだろう。星の娘に聞かれたら事だが、それでも私はマミが好きでよかった。

 健気で頑張り屋で凛々しくて、しかし甘えん坊で寂しがり屋。そんなマミに私も救われたに違いない。

 

「マミ、サミシガリヤ」

 

「こぉら、うふふ」

 

 悪戯っ子のべべをマミは笑顔で抱き締めた。そんな姿を見たまどかの心は晴れる。

 

「ナイトメアも強くなってきたけど、その分魔法少女も増えて安心して戦えるようになってきましたね。こういうの、なんだか賑やかで楽しいかも」

 

 楽観的な言葉に、マミは先輩として咎めなければならない。

 

「もう、ナイトメア対峙は遊びじゃないのよ鹿目さん」

 

「ウェヘヘ……」

 

 けれど。その幸せは確かに存在しているのだ。そして人はそれを夢と呼ぶ。

 

「でも、そうね。今にして思えばこれって昔の私が夢に見ていた毎日なのかもね」

 

 落ち着いて、振り返りながらマミは紅茶のカップを手にする。

 

「魔法少女として受け入れた生き方がこんなにも幸せで充実したものになるなんて、あの頃は思ってもみなかったわ」

 

 私も。あれだけ人に戻りたかった私も、君たちのおかげでとても楽しかった。狩りによって擦り切れた人間性も、魔法少女として彷徨い薄れた魂の輝きも、君達と過ごしたからこそ取り戻せた。それは狩人に戻った私であろうとも変わらぬものだ。

 啓蒙があろうと無かろうと。魂の奥、人間性を豊かにするのはやはり溢れんばかりの愛なのだから。啓智、知恵、狂気。今思えばその全てが取るに足らない。愛とは無限に有限で、全てを超越していた。

 

 ほむらはそんな幸せな風景を、ただ見ていた。そして待ちに待った時が来たのだと。マミに声をかけた。

 

「巴さん。お茶のおかわり、いただけますか」

 

 この話の最中でポッドの中身は既になく。自然な流れでほむらは注文をすれば。

 

「あら、ちょっと待っててね。今お湯を沸かして来るわ」

 

 そうしてマミはキッチンへと向かう。この部屋の主として彼女達をもてなすために。しかし魔法少女という闘いを強いられた存在である事は忘れる事なく。ただそれだけのこと。マミは己の役割を果たしているに過ぎない。

 そうしてマミがいなくなれば、ほむらは動き出す。立ち上がり、魔法少女へと変身すればただ笑みのまま首を傾げるまどかに謝った。

 

「ごめんなさい、まどか。すぐに終わるわ」

 

 そして彼女の祈りは動き出す。盾が回転し、時を統べる女王以外はその動きを赦されない。この場において自由なのはほむらのみ。彼女は冷酷なまでに無表情をべべへと向けると、その首根っこを掴んで見せた。

 同時に『世界』へと入る事を赦されたべべは動き出す。気がつけば己を睨むほむらに握られていたのだから驚愕もするだろう。

 

「夢は目覚めるものよ」

 

 人間でいう頸動脈を締める。苦しむべべを無視し、ほむらは呟いた。

 

「貴女がかつて何者だったのかを思い出したの。私は貴女の正体を憶えてる」

 

 脳裏に浮かぶは忌まわしき呪いの権化。魔法少女の成れの果て。

 

「皆の記憶を捏造し偽りの見滝原の結界に閉じ込める……そんな芸当ができるのは、魔女である貴女しかいない」

 

 魔女。それは救われたはずの存在。本来ならば居てはいけない呪いの結晶。友が己の存在と引き換えに成した希望を否定するもの。

 いてはいけないのだ。もし存在するのであれば、狩らねばならない。世界の果てまで追いかけ抹消しなければならない。それが友との約束。彼女が望んだ世界のために、遍く魔女を殺すのだ。

 

「どういうつもり?こんな風に私達を弄んで、一体何が楽しいの?」

 

「グエエ、ワ、ワカラヌ……」

 

 白を切るべべの首を思い切り締め付ける。ここで尋問するのは得策ではない。魔力を消費して時を止めている以上、いつかは時止めが切れてまどかやマミにこの所業がバレてしまう。

 秘匿するべきなのだ。今はまだ。故にほむらは、動かなくなったべべを抱えて窓から部屋を飛び出す。

 

「記憶って厄介なものね。一つ取り戻すと次から次へと余計な思い出がついてくる」

 

 暁美ほむらは巴マミが苦手である。マミは基本、強がりで無理をしがちなのだ。それでいて繊細なのだから、魔法少女の真実を暴露されればどうなるかなど想像に難くないだろう。事実、彼女は私に依存したのだから。

 そしていかにほむらと言えどもやはり人の子。それを告げるのは彼女とて辛いのだ。

 

「忘れたままでいたかったわ。今まで自分が一体どれほどの人の心を踏みにじってきたかなんて」

 

 闇夜に紛れ、ほむらは呟く。己の所業を後悔し、しかし立ち止まる事はない。

 

「白状なさい!こんなに周りくどい手口を使って一体何が目的なの?」

 

 強制的に目覚めさせられたべべに、ほむらは強く怒鳴った。その姿は弱々しい暁美ほむらではない。友を救うために冷酷なまでに心を閉ざした魔法少女。

 べべはほむらを見据えると、懇願するように言う。

 

「ギギギ、ホムラ……チーズ二ナッチャウ……」

 

 またいつもの戯言だと、ほむらは気にも留めなかった。ならば尋問は拷問に変えてしまえと決意して。だが不意に違和感を覚える。それは自らの右足。何かが纏わりついている。

 それを見た瞬間、その表情を焦りに変えて銃を抜こうとするが。先に彼女の足首に巻かれたリボンが引かれた。高台にいたほむらはバランスを崩し暗い闇へと落ちて行く。

 

 やられたと、ほむらはリボンを巻いた張本人を恨んだ。そして後悔するのだ、その魔法少女は決して油断して良い人物ではない。

 一人、見滝原という魔境で生き残ってきた歴戦の勇者。脆く、しかし油断などしてはいけない相手。

 ほむらは落下しながらビルの窓に足を滑らせ、速度を殺す。そして手頃な足場に手をかけると、その相手の姿を捉えた。

 

「……事情が分かるまで話を聞いていたかったのだけれど」

 

 それは自らの原点。憧れの象徴。黄衣に身を包んだ魔法少女。巴マミ、その人。

 マミは高台からほむらを強い瞳で見据えている。

 

「これ以上べべが虐められているのを黙って見ている事はできないわ」

 

 最初から気付かれていた。マミはどうしようもなく調子乗りで脆いが、それ故仲間という存在を重じている。長く一人でいた彼女は、しかし他者に依存するためにその努力を惜しまない。故に人の心には機敏に反応するのだ。

 

「どういう事か説明してくれる?一体その子が何をしたっていうの?」

 

 ほむらにとって、最大級の危機。武力では敵う相手ではないのだろう。

 

「……貴女はべべに騙されてる。ここは本当の見滝原じゃないわ。皆偽物の記憶を植え付けられているの!」

 

 だから心に訴えかける。情に熱い彼女ならば、それで隙を突く事もできるかもしれない。

 

「ちょっと……暁美さん、いったいどうしちゃったの?」

 

 

 

 

 

ご招待の魔法少女、巴マミ

Candeloro

 

 

 

 

 そして訝しむマミの隙を突く。一気にべべを放り投げ、時を止めた。そして止まったべべを盾から引き抜いた拳銃で瞬間的に撃ち抜こうと引き金を引く。

 それは長く銃を扱ってきたほむらだから出来る芸当。拳銃というのはそもそも25メートルも離れれば瞬間的に当てる事は難しい。アメリカの警察のデータによれば、銃撃戦における25メートル位内での拳銃の命中率は8%程度。しかしそれは突発的とは言え成人男性がしっかりと構えた上での命中率だ。

 しかしほむらは足場にぶら下がり、不安定な状態から片手のみでべべを狙った。そして発射された9mmの弾丸は寸分違わずべべを射抜くコースを取っている。

 

 時が動き出す。間違い無く撃ち抜かれるであろうべべは、しかし唐突に巻かれたリボンによって強引に射線上から移動させられた。

 マミが瞬時にべべを退かせたのだ。

 

 ほむらは自らの足に巻かれたリボンを撃ち抜こうとしたが、このリボンは魔力によって精製されている。たかが9mmの口径では完全に断ち切る事は能わず。その間にべべはマミにキャッチされ、叫ぶ。

 

「逃げて!」

 

 べべは形態を変化させて逃げ出す。魔女が魔法少女から逃げるなど、今まであっただろうか。

 

「どうあってもあいつを逃すつもり?」

 

「追いかけようなんて思わないで。さもないと……私と戦う事になるわよ」

 

 問われるマミは、その瞳を闘志で輝かせる。そこにかつて見せた油断など存在しない。ただ獣を狩る狩人のように。

 ほむらは少し考え、後には退けない事を理解して同じく闘志に火を付けた。時を止め、瞬時に高火力の突撃銃を取り出しセレクターをフルオートに切り替え、飛びながらマミに向けて撃ちまくる。

 5.56mmの弾丸の嵐は容赦無くマミを襲うが、マミも周囲にマスケット銃を展開して脅威となる弾丸を撃ち落とすために発砲する。

 

「時は動き出す」

 

 ほむらの呟きと共に互いの弾丸が暴れる。そしてその全てが、彼女達に当たる事なく弾け飛んだ。まるで針通しのように。そんな芸当ができるのは、世界広しと言えどマミやほむらだけだ。

 弾丸の嵐が収まればほむらとマミは互いに跳躍し、霧揉みに落下しながら銃弾を撃ち合う。

 

「お互いに動きの読み合いね!」

 

 まるで余裕を見せるようにマミが言葉を紡いだ。

 

「でも同じ条件で私に勝てる!?」

 

「根比べなら負けない……!」

 

 時を止めると同時に軽機関銃を取り出す。200発もの5.56mm弾を備えた軽機関銃は、引き金を引けば一気に弾丸を放出した。

 マミも負けじと流れるような動作でマスケット銃を放ち、止まった時の中で弾丸は雨のように彼女達を覆う。

 

 そして時が動き出せば、周囲の物体は弾丸の嵐に耐え切れず細切れになっていく。その中心には無傷の魔法少女二人。

 

「ほら、ラチが開かないわよ」

 

 若干の息切れを見せるマミ。正直マミはほむらを侮っていた。弱気で、しかし強力な魔法を用いるほむらをいなす事など容易だろうと。

 しかし行動でそうしなかったのは、やはり魂が暁美ほむらという魔法少女を覚えていたからだろう。故に全力で。

 

「……魔女は救われなければならないわ」

 

 ほむらは呟き、盾から何かを取り出す。それを見てマミは身構え、次に戦慄した。

 それは手榴弾。半径15メートルを爆風と破片で殺傷するための爆弾。身構えたままのマミは、しかしそれを握って天を仰ぐほむらを見て慌てた。

 

 まるで心中するかのように、彼女はピンを抜いて手榴弾を抱いたのだ。

 

「、ダメッ!」

 

 巴マミは優しい。非常になり切れない魔法少女。だからこそ、それすらも利用する。

 安全レバーが離れ爆発寸前の手榴弾を、マミは駆け寄って奪い取ろうとした。ほむらはそのあまりの隙を見逃さない。奪われた瞬間に手榴弾が破裂する。同時に時を止めたのだ。

 

「ごっ!?」

 

 一瞬、遅かった。間近で起きた爆発と破片はマミを粉砕したが、同時にほむらにも少なからずダメージを与えて見せたのだ。爆風は彼女の脳を揺さぶり、肺から空気を吐き出させ、破片は彼女の白い肌を傷付ける。

 巴マミは必要な犠牲だった。彼女の目的のために死ななければならない存在だった。そう自分に言い聞かせ、立ち上がる。そして気がつく。

 マミの死体が、リボンによって構成されている事に。

 

 魔力が少ないせいで時が動き、死体がズタボロのリボンと化す。刹那そのリボンがほむらを襲った。彼女をぐるぐる巻きに拘束したみせたのだ。

 

「相手より優位な魔法を扱えるからって油断するのは貴女の悪い癖ね」

 

 マミは無傷で離れた高台に立っている。上手だったのはマミの方だ。

 

「そして容赦が無いわね。自分が傷付く事を厭わない……暁美さん、一体どうしたの?」

 

 ほむらは歯を食いしばり、叫ぶ。

 

「貴女は何も気がつかないの!?今の自分に何も違和感を抱かないの!?」

 

「どうしてべべを撃とうとしたの?」

 

「あいつは魔女よ!私達魔法少女の敵なのよ!思い出して!」

 

 マミはそんな、叫ぶ少女に首を傾げる。

 

「何を言ってるの?私達の敵は魔獣でしょ?」

 

 その瞬間、場が凍りついた。ほむらは唖然とし、マミは自らの言葉に慄いた。

 

「……そう、私はずっと魔獣と戦ってきた」

 

 ならば。ナイトメアとは一体。

 

 

 

 

 

 

「巴さん……?それに、暁美さん、一体……」

 

 

 

 

 

 

 不意に、男が現れた。それは見知った教師。女子の人気者であるルドウイーク先生。彼は二人の姿を見て慌てるが、それ以上にマミが慌てていた。

 

「ル、ルドウイーク先生!?どうしてここに……」

 

 その答えを私が示そう。

 

「私が連れてきたんだよ、マミ」

 

 先生の背後から、私はゆったりと歩いて登場する。制服では無い狩人の姿で。人形ちゃんの羽織物を巻いて、私は不敵に笑った。

 

「リリィさん……?」

 

「マミ、やはり君は優秀な狩人であり魔法少女だ。その強さ、美しさ、気高さ、全てにおいて私が惚れた巴マミそのものだね」

 

 私の称賛にしかしマミは怒る。

 

「ちゃんと答えて!どうして一般人をこんな所に……」

 

「一般人?違うね。彼もまた、我らの同胞だ。血に酔い、獣を狩り、しかし最期は獣に身を墜とした。だろう、さやか?」

 

 彼女達の遥か上、一つの影が外灯によって晒される。見上げればやはり彼女はいた。

 美樹さやか。円環の理、その女神の右腕。かつて月光に導かれた魔法少女であり剣聖。彼女は私を見下ろすと、飛び降りてスーパーヒーロー着地を決める。

 ゆっくりと頭を上げれば、やはり彼女の表情は冷酷で、しかし怒りに満ちていた。

 

「上位者なんて、ろくでもないね」

 

「まるで昔の恭介のような事を言うね」

 

 さやかは鞘から剣を抜くと私にその鋒を向けた。

 

「知らなくていい事は、そのままでいいでしょ」

 

「だが先生は狩りに飢えている。偽りの幸せを与えられ、しかしそれは所詮偽りでしかない。夢とは目覚めるためにある」

 

 狼狽る先生を他所に、私はエヴェリンを取り出す。そしてほむらのリボン目掛けて発砲した。寸分違わずリボンを射抜き、ほむらは瞬時に逃走する。

 

「あっ!ちょっとリリィさん!?」

 

「マミ。ほむらは放っておき給え。今はそう……この使者をどうにかしなければなるまい。恭介!仁美!」

 

 名を呼ぶのと同時に、暗闇から恭介と仁美が飛び出て来る。彼らはそれぞれの得物でさやかの前に立ちはだかった。

 唸るチェーンソー、輝く月光。その二つがさやかを相手取る。そしてやはり、先生は月光を見て唖然とした。

 

「ああ……私は、私は」

 

 月光により齎される啓蒙により狂気に満ちる先生を見てさやかは怒鳴る。

 

「恭介ッ!やめなよ!あんた自分が何をしてるのか分かってるの!?」

 

「君こそ」

 

 恭介は担いだ月光を輝かせながら静かに言う。

 

「狩人というものを分かっていない。そしてさやか、君は解放されるべきだ……僕達に、その遺志を渡せ」

 

「さやかさん……私、思い出しましたの。あの日、上条君を守った貴女の姿……やはり私だけじゃ上条君を支えられない。二人で支えるべきなのです」

 

 二人の真摯な言葉を聞いて、さやかは震えた。それは激怒。溢れ出る激情が、剣を覆う。それは赤黒く、まるで私達死なぬ者達を葬るためにあるが如く。

 さやかは剣を構えるとその表情を晒す。美しい少女の顔は、異常なまでに怒りに歪んでいた。

 

 

「私の遺志を無駄にしたね、あんたら」

 

 

 やはり我々に言葉は不要。流す血と、狩りによってこそ分かり合える。だから恭介、仁美。狩りに励み給えよ。

 

 



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獣狩りの夜

 

 

 闇夜のビルの屋上。この見滝原の夜景を一望できるこの場所に、彼は何食わぬ顔で佇んでいた。見滝原中学校の制服に身を包み、両手はポケットに突っ込んでただ下界の者共を見下すは異界の悪魔殺し(Slayer of the demons)でありながら、古い獣の悪魔(デーモン)。つまりは鹿目タツヤである。

 いつものように激しい感情を出さず、氷のような瞳に映るは狩人と魔法少女の争い。それを見て何を想おうなど彼の勝手であろう。

 

「やはり世界とは悲劇だ。しかし悲劇もまた繰り返されると喜劇となり得るのだろうな。そうだろう、キュゥべぇ?」

 

 彼の独り言は、しかし確かに背後の使者達に投げかけられたものだった。そっと、背にする闇から白い異形達が姿を現す。それはキュゥべぇ。インキュベーターと呼ばれる上位者の使い魔。人類を利用し、見返りに発展させてきた者達。いつものように愛玩動物のようで無機質で宝石のような瞳が悪魔殺し(Slayer of the demons)の姿を捉える。

 

「君をマークしておいて正解だった。君の魂はあの鹿目まどかや美樹さやか、そして暁美ほむらよりも膨大な因果を抱えているようだったからね」

 

「ほう。やはり貴公らにも(ソウル)を観測する技術はあったか。それは良い」

 

 態とらしく驚くタツヤは、それでもキュゥべぇに一瞥もくれない。まるで羽虫を気にかけずといった様子で、人の身で上位者へと至り悪魔を殺す者として成り上がった者からすれば彼ら宇宙人程度に価値は見いだしていないのだ。

 彼が欲するのは、強大なデーモンの(ソウル)なのだから。感情を持たず、ただ壮大な使命とやらのためだけに他人の手を汚させる彼らに大きな(ソウル)が宿っている方がおかしいのだ。

 

「さあ、タツヤ。君と僕達の仲だ。そこを退くんだ。あの狩人達を排除しなければならないからね」

 

「フン。貴公らの計画を邪魔するからか?」

 

 キュゥべぇはタツヤに近寄らず、ただ肯定した。

 

「へぇ、それが君本来の口調なんだね。そうだね。僕達はただ暁美ほむらを迎えに来る円環の理を捕獲したいだけなのに……まったく、やはり他の上位者がやる事は理解できないよ」

 

「ほう……円環の理を、な」

 

 鹿目タツヤとは、鹿目まどかの弟である。そして鹿目まどかとは。その本当の姿とは、円環の理、その本人である。そして今のタツヤが願うのはあの少女が平和に家族や仲間と暮らす日常。

 それを壊すのであるのならば。あまつさえ奪うのであれば。それは敵なのだ。

 

 ここでようやく悪魔殺し(Slayer of the demons)はキュゥべぇへと振り向いた。その貌を月光の影に隠しながら、しかし在りし日の殺意と闘志を向けて。常人であるのならば魂が震えるほどの強烈な殺意は、しかし感情を持たぬキュゥべぇにとっては単なる意思表示としてしか意味を持たない。

 

「あの狩人に肩入れする訳ではないが」

 

 ポケットから出した手に、(ソウル)から顕現させた剣とタリスマンを握り。

 

「俺も俺で、貴様らを駆逐しなければならんようだ」

 

 悪魔(デーモン)と化した乙女から奪いし(ソウル)より錬成された本当に貴い者の剣。それは人の持つ本来の力によってこそ真価を発揮する、人の為の剣。その剣に、左手の獣のタリスマンを当てがう。

 それは光の武器と呼ばれる、つらぬきを名に冠した記者の象徴。瞬く間に直剣が光り輝き、その光はタツヤの貌に反射する。それは数多の世界において彼の敵を震撼させた光景。

 

「やっぱり人間とは相入れないね」

 

「だったら、せめて邪魔者だけは排除しないとね」

 

 闇夜からわらわらとキュゥべぇが現れる。

 

「君達の弱点を知っているよ」

 

「それは集団で囲み、損害を無視して蹂躙することだ」

 

「狩人も、不死人も、これには勝てないんだろう?」

 

 数えきれないほどのキュゥべぇが彼を囲む。それは狩人にとっては想像もしたくない程の窮地。かつてのヤーナムにおいて最強を誇った私でさえも、獣と化した住民達に囲まれればあっという間に殺されたものだ。それはいくら悪魔殺し(Slayer of the demons)でも変わらないだろう。事実、かつてボーレタリアという没落した国に降り立った彼はそうして奴隷兵達にタコ殴りにされて殺されているのだから。

 

 だが、その程度で臆する程彼も伊達ではない。不敵に笑えばタツヤはタリスマンを掲げて宣言する。

 

「炎の嵐」

 

 それは異形の魔法。竜の神の(ソウル)から生まれし怒りの炎。タツヤを中心に巨大な火柱が屋上を覆う。それはその場に現れたキュゥべぇ達を殲滅するのに事欠かない。そして彼は走るのだ。かつて走り嵐と呼ばれ恐れられた禁断の技を用い、敵を殲滅する。

 何も言葉を発することなく、何も出来ることはなく。キュゥべぇは燃え尽きていく。その光景の何とも滑稽なものか。

 炎が治れば屋上にはタツヤ以外の者は存在せず。炭と化した残骸が無数に散らばるのみ。

 

「少々君を侮っていたようだ」

 

「こちらもそれなりの力で行かせてもらうよ」

 

 だがそれだけで消え失せるのであれば暁美ほむらは苦労しない。どこからかまた現れたキュゥべぇ達。しかしその背後には強力な助っ人がいる。

 それは悪夢。この偽りの世界においての敵対者達。言い表せぬ異形達がタツヤを取り囲んだ。だがそれでも足りぬ。彼の(ソウル)を満たすには、悪夢程度では足りぬのだ。

 

「笑止。有象無象を連れてきた所で俺をどうにか出来ると考える方が愚かなのだ」

 

 気がつけば彼の姿が変わる。全身に甲冑を纏い、左手には暗銀の盾が握られている。右指には再生者の指輪を。左指には戦い続ける者の指輪を。そして強過ぎる(ソウル)は周辺の次元すらも歪め、色の無い濃霧を発生させる。

 場は整った。あとは彼が思うがままに暴れるのみ。

 

 最初の一波が正面から彼を襲う。悪夢の形はそれぞれだが、そのすべてが近接攻撃。タツヤはそれらを暗銀の盾で受け止めると、目にも留まらぬ速さで直剣を振るった。

 たった一振り。そんなに長くは無い直剣は、襲って来た悪夢達をすべて両断して見せたのだ。

 

「腐れ谷の忌み人共のがまだ根性があるぞ。この世界には貧弱な奴らしかいないのか」

 

 その言葉に激怒したのかは分からない。しかし残りの悪夢達は言葉が終わると同時に再度彼を四方八方から襲うのだ。その中には遠距離攻撃を持つ者も混ざっている。

 しかしそんなもの、彼には関係が無い。すべて価値が無い。再度獣のタリスマンを、今度は右手に握ればそれを掲げる。刹那、彼の周囲を時空を歪める程の衝撃波が悪夢達を襲った。

 

「神の怒り」

 

 宣言された奇跡は、文字通りの破壊力を見せた。屋上にいるすべての者は常識外れな範囲攻撃に圧殺される。空を飛び遠距離からタツヤを殺そうと企む悪夢は逃れたが、それを許すはずもなし。

 

「浮遊するソウルの矢」

 

 タツヤの背後に青白い光がいくつも浮かぶ。魔法的な攻撃力を持つその光は、まるでそれぞれが意志を持つように浮かぶ悪夢達を追っていく。そして光は容易に悪夢を貫けば、爆発四散。かつて黄衣の翁の(ソウル)から生まれた魔法は、新たなデーモンによって進化を遂げていたのだ。

 

「この程度か。もう少し遊べると思っていたのだが……失望したぞ、キュゥべぇ」

 

 落胆するタツヤに、しかしキュゥべぇは言う。

 

「無茶言わないでほしいな。そもそも君がおかしいんだ。今のナイトメア達だって、強い憎悪を持った人間達から産まれた凶悪なナイトメアなんだ」

 

「それだ。そもそも現代人は(ソウル)が弱過ぎる。さぁキュゥべぇ、もっと骨のある奴を出せ」

 

 この闘いも瞳を宿した赤子からすれば戯れに過ぎない。だがそれで良い。彼の目的はキュゥべぇの本隊を引き付ける事なのだから。しかし、何と言うか。彼はこのまますべて倒す気でいるのだからタチが悪いのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大切な弟が戯れている頃、鹿目まどかは突如消えてしまった友人を探して街中を奔走していた。今にして思えば今日のほむらは様子がおかしいというか、妙にしっくり来るというか。ともかくいつもと違ったのだ。その差異を感じる事は、親友である彼女達にしか分からないだろう。巴マミもどこかに消えてしまったし、マミの大切なべべすらもいない。

 そうしてしばらく駆けていれば、何やら大きな物音が路地裏から響いて来た。もしかすれば、彼女の探している友がいるかもしれないだろうと考え。

 

「やぁ、鹿目さん」

 

 そこには一人の老人と、美しい銀髪の女性が佇んでいた。学校の用務員である老人と、親友の姉である事は一目見て理解できた。何よりその姉は、毎回母を家まで送ってくれているのだから。

 

「あれ、ゲールマン先生……と、リリィちゃんのお姉さん?こんばんわ……」

 

 優しい表情の老人に対し、隣の女性は恐ろしいほどに無表情だ。それ以上に奇怪なのは彼らの服装。老人は擦り切れた黒いコートに、いつもの麦わら帽子ではなくこれまた年季の入ったトップハットを被っている。そして友達の姉は意匠の凝った、動き易そうな……まるで貴族のような装束だ。

 そして二人共、その手には得物を握っているのだ。

 

 一歩後退りするまどかに、ゲールマンは安心させるように笑いかける。

 

「ああ、恐れる事はない」

 

 そう言って老人は近くのベンチに腰をかけた。それでもその長身は未だまどかよりも高い。

 

「感心しないな……こんな夜に、一人出歩くとは」

 

 涼しい声で女性は言う。

 

「えっと……その……」

 

「なぁに、詮索はしない。きっと何か大切な用があるのだろう」

 

 老人はそう言うと、得物の鎌を杖代わりにして言うのだ。

 

「これは、老人の戯言だ。だが助言でもある」

 

 そう発する老人の声は弱々しく、しかしどこか心に訴えるものがある。気がつけばまどかはその言葉に聞き入っていた。

 

「何があっても、後悔してはいけない。君はただ、為すべきことをすれば良いのだ。だが引き返す事はできる。それを忘れてはいけないよ」

 

 ありきたりな言葉。しかしそれは、確かな助言。今はまだ分からない、だがきっといつか分かる時が来るのだと少女の脳が囁く。

 

「だって君は、若いのだから」

 

 一層老人の表情が和らいだ。そして彼は鎌を露地の奥へと向ける。

 

「さぁ、行き給え。君が望むものが待っている」

 

 そう宣言すると、しばらく少女は呆然としていたが、次第に瞳に輝きを取り戻し力強く頷いた。そうすれば少女は駆ける。為すべきことを為すために。

 親友の姉の横を通り過ぎようとして、その女性は口を開いた。

 

「秘密を知っても、君は君でいられるかな?」

 

 まどかは足を止め、振り返る。

 

「それでも、私はほむらちゃんを助けたい」

 

 その少女はどこまでも純粋で、しかし独占欲に溢れている。それこそ人の業。故に鹿目まどかは駆けるのだ。忘れ去った記憶すらも取り戻さず、ただ自らの人間性のために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 刃が、飛ぶ。

 

 円環の理、その右腕かつ守護者たる少女が振るう剣は最早魔法少女の域を超えている。

 遠くから振るったはずの剣は見えぬ剣となって恭介達を襲う。狩人としての感が恭介の身体を動かし、辛うじてそれを月光の聖剣で防ぐ。その間に仁美がチェーンソーで斬り掛かる。

 ギリギリと音を鳴らすそれを、しかしさやかは容易に弾いて見せた。それは達人の技。高速回転する無数の刃を、一本の長剣で弾くなどという事が並の魔法少女にできるはずもなし。

 

 すかさずさやかは仁美を蹴飛ばす。その場で斬り捨てることもできたはずだ。それをしなかったのは、やはり友を手に掛けるほど非情になりきれていないのだろうか。

 

「さやかッ!」

 

 恭介が跳躍し、月光に神秘が宿る。光り輝く聖剣を振り下ろせば、さやかは横にステップして回避する。

 それを予想できない狩人ではない。地面に打ち付けられた聖剣は光の粒子を波を周囲に振り撒く。さやかはマントで自らを覆うとその光波を防御した。

 

「ふんっ!」

 

 それは明確な隙だ。マントで顔まで覆ってしまっては姿も見えないだろう。聖剣をさやかに振り回すように打ち付ける。

 

「やっぱり」

 

 それを、容易くしゃがんで回避した。そして空いた左手で恭介の顔面を殴る。魔法少女の膂力で殴られた恭介は後方に勢いよく吹っ飛んでいく。それを見届けたさやかは倒れる二人を見下ろしながら言うのだ。

 

「二人じゃ無理だよ。私を倒すのはね」

 

 背にするは月光。かつて彼女が導きと称し従っていたであろう象徴。やはり彼女には青が似合う。神秘的な月の青白い光はさやかのシルエットを妖しく光らせていた。しかし影に浮かぶは人の形ではなく、魔女のそれ。きっと今の姿は、私やエーブリエタースのような仮の姿なのだろう。

 私がちょっとした考察を脳に浮かべていれば、恭介が輸血液を自らに突き刺し立ち上がる。英雄ルドウイークがそうであったように、やはり月光に魅入られた者は心折れぬのだろう。

 

 ただ信じる者のために戦うのであれば。

 

 

「それはまた、君もだった。聖剣よ」

 

 

 隣で啓蒙に溢れトランス状態に入っているルドウイークに語り掛ける。獣に堕ち、理性を失ってもなお導きの月光により狩人としての誇りを取り戻すに至った狩人。遺志のみとなってなおも助けを必要とする少女の下で、ただ正しくあろうとした聖剣。そして偽りの世界において、ようやく平穏を享受した教師。

 やはり、悪夢は巡るものだ。例えこの夢が幸せだったとしても醒めてしまえば辛く重たい現実へと引き返す事になるのだから。

 それは悪夢と言っても差し支えないだろう?

 

 諦めずにガムシャラに向かう恭介と仁美を一瞥し、私は背を向ける。最早ここでの役割は果たしたのだ。私は私の為すべきことをなすまでなのだ。

 

「君は、優しくも残酷な狩人だな」

 

 不意に、隣のルドウイークが宇宙を見つめながら口を開いた。そうだとも。私は残酷で冷酷で、血に酔った狩人であると同時に人の考えなど超越した上位者なのだから。優しいのは、少女にだけ。

 

「やはり民が言っていた通りだった。酷く歪んだ獣憑き、それが私達狩人だったのだ」

 

 彼から神秘を感じる。瞳が幻視するはウロコの無い白き竜。最早秘匿は破られ、彼を邪魔する幻想は打ち払われた。それで良い、貴公は狩人なのだから。教会最初の狩人、聖剣のルドウイークなのだから。

 私は彼の顔を見ず、ただ笑う。

 

「だが、それでも彼女達は戦っている。愛する者に刃を向けながら。自らの愛と信念を貫かんとしているのだ。それは獣では出来ぬ人の業。人間性の真髄。それで良いではないか。嘲り、罵倒されようと、獣に堕ちようと。君はどうするかね、聖剣」

 

 私の言葉に彼は何も返さない。だがね、君は言ったではないか。例え私の言葉が嘘だったとしても。嘲と罵倒、それでも成し得たのだとね。よく考え悩み給えよ。君は彼女の先生なのだから。月光もきっと君の事を後押ししてくれるに違いない。

 そうして私は歩き出す。次の戦場へと。今頃べべがマミを連れて真相を話している頃だろうから。

 

 そしてあの人はいつもの頼りなさそうな姿で私を待っているのだ。

 

「お父さん」

 

「リリィ」

 

 父と向き合う。私が殺し、目醒めたばかりの青ざめた血。私の半身。否、この場合は私が半身なのだろう。その父に、私は正面から深々と抱きついた。

 中年の好ましくない洗っていないタオルみたいな臭いがする。でもそれが好きで好きで堪らないのだ。懐かしく、しかし真新しい記憶の匂い。偽りであっても、普通の親子のように過ごした日々が愛おしい。

 父は驚きながらも私を大きく抱き締め返した。それはどこからどう見ても親子のそれで。

 

 一度目は、拒絶した。最初の狩人を屠り現れたそれの抱擁を、三本目の三本目で打ち返した。

 

 でも二回目は。愛を自覚し、迎えに来てくれた父に自ら飛び込んだのだ。

 

「遅れてすまない」

 

 厚い胸板の中で私は首を横にふった。

 

「迎えに来てくれて、ありがとう」

 

 上位者であり狩人である私らしくない少女性が出る。だがそれで良い。本心なのだから。本心をぶつけてこそ、私は次に進める。ようやく人間らしく。魔法少女でもない、狩人でもない。ましてや上位者でもないただのリリィとして。それは荒れた数百年を取り戻すかのように。

 しばらくの抱擁の後、私は父から離れた。親子ごっこはもう終わり。しばらくは、上位者として振る舞う時間が続くだろう。

 

「さぁ、目的を果たしに行きましょう」

 

 その言葉に父は力強く頷いた。

 



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酩酊

本日2話投稿です
あと感想くださいマジで


 

 

 

 

 

 

 やっぱり。私は何がなんでも彼女を止めるべきだったんだ。

 

 

 

 

 私に寄り添う少女は、本当は神になんてなりたくなかったんだ。

 

 人を超え、宇宙を統べ、魔法少女の救済なんてしなくて良かったんだ。

 

 だって彼女は、言ったんだから。別れたくないって。一人は寂しいんだって。私が泣くほど辛い事が、自分に我慢できるはずないじゃないって言ってしまったんだから。

 巴マミとも、美樹さやかとも、佐倉杏子とも、志筑仁美とも、家族とも、みんなとも、そして私とも。誰とだって別れたくないんだ。

 

 あぁ、私はなんて愚かなんだ。今まで散々人に愚かだなんて言ってきた私が一番愚かだった。これならあの狩人が為そうとしていた事の方が何倍もマシじゃないか。

 誰かが犠牲になる必要なんて無いんだ。ましてやそれがまどかである必要が何処にあるというの?

 繰り返し、勝手に崇め、彼女との約束と自らに言い聞かせて盲信的に戦っていた自分を呪い殺したい。できる事なら今すぐにでもあの時に戻って、上条恭介を殺した自分を処刑したい。

 

 ねぇ、それが本当に貴女の願いなら。

 

 

 

 私は。私は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ほむらちゃん?」

 

 誰かが都合良く用意したような美しい花畑で、愛する少女は首を傾げた。私に寄り添い、その魅惑的な唇を動かす彼女は円環の理。最愛の、最高の親友。鹿目まどか。

 私は無理に笑顔を作って彼女を抱きしめる。その温もりは偽りではない。確かに愛した彼女の暖かさだった。暗く、優しい微睡の中。私は彼女にそれを見出したのだ。

 

「やっぱり、貴女は私の希望の百合。世界の中でただ一つの眩い星。ねぇ、まどか。私貴女の事を疑ってたわ。貴女は誰かが用意した偽りの誰かなんじゃないかって。そうでもなければもう一度貴女と会う事なんてできないもの。覚悟していたもの。でも違うのね。貴女は確かに私が愛した鹿目まどか。私の大好きな一輪の太陽」

 

 私は首を傾げるまどかを抱き締める。これでもう、恐れは無い。覚悟もできた。最後にこうして彼女と触れ合えたのだから、やっぱり彼女は女神なんだろう。

 私を探しに来た訳のわからないはずの彼女は、しかしそんな場においても優しく包容してくれた。

 

「こんな風に話ができて、もう一度優しくしてくれて。本当に嬉しい。ありがとう。それだけで十分に私は幸せだった」

 

 立ち上がり、私はそう告げて立ち去る。これより先は私の問題。彼女を巻き込んではならない。

 去って行く私をまどかは不思議そうな顔で見つめている。白い悪魔と共に。その悪魔の瞳は私の背中をしかと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コツコツと、誰もいない公園にブーツの音が響く。靡く金髪は星の象徴。輝く瞳は宇宙を内包し、一度覗けばその深淵から齎される高次元暗黒の啓蒙に引き摺り込まれるであろう少女は酩酊を冠する上位者。

 即ち星の娘、エーブリエタース。イズの地で見出され、聖歌隊共に崇め奉られていた神秘そのもの。

 

 そんな彼女は、不意に足を止めて前の暗闇から現れる二人の少女を見据える。それは見知った姿。この偽りの世界で共に魔法少女として背中を預けていたはずの者達。

 美国織莉子と呉キリカ。その二人が、既に魔法少女の姿へと変貌し対峙するのだ。まるで行く手を阻むように。

 

「灰は灰に。塵は塵に。上位者は、宇宙に。ならば貴女もまた、この神聖なる場に居て良い者ではありませんわ」

 

 その瞳の須く円環の理に染まった少女が妖しく微笑む。明確な殺意。およそ少女が抱いて良い闇を大きく超越している。その横でまるで獣のように獰猛に牙を向くキリカ。

 だがそれが何だというのか。そんなもの星の娘には何ら関係はない。ただ道行く先の小石に等しい。

 

「退きなさいな織莉子。邪魔よ」

 

 そんな言葉に織莉子はただ笑う。

 

「あら、酷いじゃありませんか。私達、同じ星の聖歌隊(Choir of The Cosmos) じゃあありませんか」

 

「そんな事、本当は思っていなかったでしょう?円環の理の使者……お互いにね」

 

 星の娘の姿が変わる。魔法少女の衣装ではなく、かつて狩人の夢に訪れていた時のようなドレスへと。その手には何も抱かず。だがそれが正装である。

 

「お互いに言葉は不要なようで」

 

 織莉子が水晶を構え、その横で今にもキリカが飛びかからんとする。

 

「言葉よりも思考しなさいな、人間」

 

 

 

 

 

煩悶の魔女

Sotria

 

針の魔女

Latria

 

 

 

 

 

 刹那、星の娘の頭上から宇宙が現れる。その宇宙は神秘。そして交信とは失敗させるもの。その失敗こそが次なる段階を生むのだから。失敗が齎すものは隕石。小さく無数の星々は織莉子達を狙い滑走していく。

 そこでキリカが固有魔法を使って見せた。その魔法は速度低下。近接戦闘に特化した彼女らしい魔法だろう。速度を緩めた隕石を避けることくらい魔法少女には容易いだろう。現に二人は最低限の動きで隕石の大群を避け切って見せた。

 

「織莉子を攻撃したな化物ッ!」

 

 激昂したキリカが突撃してくる。まさに電光石火。

 

「犬の躾はしっかりしなさいな」

 

 星の娘が腕を伸ばせば触手が伸びる。それは一般的にエーブリエタースの先触れと呼ばれる神秘のように見えるが、これは彼女そのものの本来の腕だ。圧倒的物量を誇るその触手は、しかしいとも容易くキリカに引き裂かれた。そして彼女の鉤爪は星の娘の腹を引き裂く。

 途端に鳴り響く高周波の金切声。星の娘は表情を変える事なく歌を奏でてみせた。

 高次元の啓智に溢れた高音は、かつて嘆きの祭壇で私を苦しめた技の一つ。啓蒙に溢れた脳であればその声は美しい歌声に聞こえるはずだが、無垢な人間であるのならば狂気でしかない。故にキリカは頭を抑えて苦しむ。

 

「ぐ、ぐああああッ!」

 

 その姿を見て織莉子はすかさず指示を出した。

 

「下がりなさいキリカ」

 

 彼女の周囲に現れた数々の水晶がレーザーを放ち星の娘を貫く。

 上位者とは、戦いに優れた者達ではない。戦闘本能や戦力であるならば、脆いが狩人の方が格段に上だ。故に……エーブリエタースは本来弱い。上位者の姿であるならばその質量を持って相手を叩き潰せるが、今の彼女は華奢な少女。星の娘は相変わらずの無表情で片膝をつく。

 

「存外、貴女達はそんなものね」

 

 勝利を確信した織莉子が聞こえる声で呟く。呆気ないが、狩人との戦いでも上位者というのはあっさりと屠られる事もあるのだから不思議ではない。

 

 

 

 だが、そんな事私もわかり切っている。大切な彼女を一人にさせると本当に思うだろうか?

 目には目を。織莉子を苦しめた子は、星の娘ではないだろう?

 

 シャボン玉が浮かぶ。一つ、二つ、三つ、いっぱい。そしてそれらは織莉子達を取り囲んだ。今の今まで余裕の笑みを浮かべていた織莉子の表情が強張る。彼女は知っている。このシャボン玉を。

 その小さくも逞しいくらいに強い意志の正体を。

 

 シャボン玉が爆発する直前、織莉子は予知によって危機を察知し加害範囲から逃れた。一個一個は弱い爆発だが、一斉に起爆されれば魔法少女とてひとたまりも無い。そしてもう一つ、予知した事がある。

 

「ティロ、フィナーレ!」

 

 真上から魔法の砲撃が来る。織莉子は全力のオラクルレイを砲撃に向け放って相殺してみせた。

 

「弱いものいじめは感心しないわね」

 

 そうして現れるのは黄衣の魔法少女、巴マミ。彼女はいつものようにポーズを決めて星の娘の手前に着地した。立ち上がる星の娘の背後から、別の気配が声をかける。

 

「なんとか間に合ったのです」

 

「要らぬ心配よ、おちびさん」

 

「むっ。マリアの知り合いだからって言っていいことと悪い事があるのです」

 

 百江なぎさ。この世界ではベベとして魔法少女達を支援していたお菓子の魔女。その姿を見て織莉子は憤った。それもそのはず、なぎさもまた円環の理の使者としてこの世界へとやってきたのだから。

 

「どうして……使命を忘れたのッ!」

 

「使命よりも、なぎさはただチーズをくれたマリアに借りを返すだけなのです。それに……」

 

 なぎさはシャボン玉発生器を織莉子に向ける。

 

「織莉子は個人的に、倒しておきたいのです」

 

「……ッ!」

 

 邪魔者が増えた事よりも背信者が出た事に激怒した。生前の彼女はあれだけまどかに心酔していたのだから無理も無い。

 

「巴さんっ!貴女は騙されてるわっ!あの女達は魔法少女の敵!円環の理に仇なす異教徒なのよ!?暁美ほむらだって救われる!それを邪魔しているのよ!?貴女はそれで良いの!?」

 

 悲痛な訴え。否、弾劾。マミは瞳を閉じ、しばらく心を落ち着けてから言う。

 

「確かに、円環の理は魔法少女達の希望よ」

 

「なら……!」

 

「けれど」

 

 けれどね。マミは強い意志を持って宣言する。

 

「リリィさんの大切なお友達を傷つけるのなら、私は戦うわ。例え貴女達が円環の理の使者であってもね」

 

 マスケットの銃口を織莉子とキリカに向ける。冷静なキリカとは裏腹に、織莉子は震えながら俯く。それはある種の狂気。怒りの真骨頂。

 

「そう。そうなのね。やっぱりあの女は私達の理想の邪魔をする……宇宙人は皆、皆んなみんなァ!私達の敵よッ!キリカァッ〜!」

 

 織莉子の絶叫と共にキリカが速度低下魔法をかける。刹那、織莉子がいくつもの水晶を展開。それらは三人目掛けて飛んでいく。

 直接ぶつかりにいくもの。彼女達を包囲するもの。しかしそれらはマミとなぎさの攻撃によって須く排除される。だがそれで終わらない。気がつけば死角よりキリカがなぎさの首を取らんと迫っていた。

 

「爪が甘いのです」

 

 咆哮。まさにその言葉が合うほどの絶叫を、なぎさは喉から搾り出した。手にするは異形の手。それは秘儀、獣の咆哮。一度神秘に触れた者であればその身には虫が流れる。ならば狩人でなくとも秘儀は使えるのだろう。

 寸前に耳を塞いで踏ん張っていた星の娘はともかくキリカはその衝撃波に耐えられずに吹き飛ばされ鼓膜を破かれる。すかさずマミがキリカを撃とうとするも、類稀なる戦闘センスが彼女に警鐘を鳴らした。

 

 瞬間的にマミは二人を押し倒すように倒れ込み、頭上を走るレーザーを回避する。それは織莉子の援護攻撃。気がつけば近接戦が苦手な織莉子が彼女達に向かって突撃してきていた。

 

「女神の邪魔をする者達に死をッ!」

 

 目を血走らせ、手にするは溢れんばかりの水晶の塊。自爆。まさかの自爆。これこそ狂信者。さすがのキリカも目を丸くさせる。それほどまでに三人の事が許せないらしい。

 

「マズい!逃げ」

 

「いや、もう大丈夫なのです」

 

 そんな危機にもなぎさはけろっとしている。

 

 

 

 

 だって、彼女の目には織莉子の頭上から刃を突き立てようとする私が見えているのだから。

 

 突如として現れた私の落葉が織莉子の鎖骨付近を突き破り串刺しにする。驚愕した織莉子は吐血しながら私の顔を見た。そこには憎悪と驚愕と、何より目的を成し遂げられなかった絶望感が広がっていた。

 それでも自爆しようとしているのはいただけないな。そのまま私は落葉を捻り内臓を傷つけ、極め付けに空いた左手で彼女の内臓を掴み取る。やはり少女の内臓こそ最高のリゲインだ。まぁ今の私は傷を負ってはいないがね。

 呆気なく事切れた織莉子は水晶を爆発させる事なく変身を解除する。遺志はしっかりと頂いたよ、織莉子。狩人の夢で今度こそ仲良くしようじゃないか。

 

「織莉、ッ!?」

 

 最愛の人が死ぬ光景を見ていたキリカは、しかし背後の気配のせいで言葉を中断する。振り返ればそこには燃え尽きた灰のような鎧を見に纏う騎士がいるではないか。

 薪の王(月の魔物)。その人が立ち尽くす。

 

「このっ……」

 

 キリカが反射的に鉤爪を振るえば、薪の王(月の魔物)はあっさりとパリィしてみせる。そして隙だらけのキリカの腹部へ剣を突き立てた。

 

「うご、」

 

 織莉子の亡骸を抱き抱えながらキリカの背後へと加速する。そして私の左手は彼女の無防備な背中を貫き遺志を吸い取ってみせた。

 

「お、まえ」

 

「安心し給え。君の大切な織莉子の遺志も奪い去った。今度は円環の理に奪われる事なく、君達は愛し合えば良いさ」

 

「お、りこ」

 

 ガクッとキリカが項垂れ変身が解除される。そうして出来上がるのは二人の死体。円環の理が誇る従順な使者達はあっさりと私達の前に敗北した。いや、縛るものが無くなった分救いなのかもしれないな。

 織莉子から落葉を引き抜き、左手に寄りかかるキリカの死体と共に地面に寝かせる。その表情は対照的だ。安らかなキリカと苦悶の織莉子。私に死体を弄ぶ趣味はない。

 

「遅かったわね、リリィ」

 

 ボロボロのエブちゃんが足を引き摺りながら言う。

 

「ヒーローは遅れるものだろう?いや、ヒロインか……ふふ、傷だらけの君も美しい」

 

「あら、そう?なら頑張った甲斐があるわ。やっぱりこの身体じゃ戦うのは無理よ。さ、抱っこしなさいな」

 

 そう言って星の娘は私に抱きつく。私は微笑みながら彼女をお姫様のように抱えると、マミがムッとした表情で迫ってきた。

 

「ちょっと星野さん!リリィさんの恋人は私なのよ!?リリィさんも何抱っこしちゃってるのよ!」

 

「うるさいわね。あんたは黄色らしくカレーでも食してなさいな」

 

「はぁー!?助けてあげたのに何よその口ぶり!」

 

「はは、落ち着き給えよ二人とも」

 

「リリィさん!じゃあ私はおんぶ!おんぶして!」

 

「うぐ、ま、マミ!急に背中に抱きつくんじゃ……」

 

 そんな軽い修羅場を前にして、なぎさはため息を吐く。

 

「やれやれなのです」

 

「楽しそうだな。何やってんだか」

 

 お父様、見てないで助けてください。

 



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少女達の導き

いつも誤字報告ありがとうございます。感想待ってます


 

 

 

「じゃあ、何?結局この世界はその、魔女が生み出した偽りの世界だっていうの?」

 

 マミは私の左腕をがっちりと掴みながら困惑し問う。私の代わりになぎさが頷き、その疑問に答えていく。ちなみに右腕はエーブリエタースが掴んで離さない。いくら姿は可憐で華奢な少女でも君はそれなりに大きな上位者なのだ、力の加減はして欲しい。今も右腕が折れそうだ。

 

「その通りなのです。この見滝原はあの魔女が望んだ優しい世界。夜は既に明け方、朝になれば夢は醒めるのです」

 

 中々に彼女も良い語り部だ。円環の理に導かれてなぎさもまた啓智に触れたか。まるで狩人が如き表現の仕方だね。

 マミは明かされた真実に震え、俯く。それはやはり仕方のない事なのだろう。彼女が求めていた優しい世界がそこにはあったのだから。そして夢とは暖かなものだろう?誰も夢が醒めて欲しくないと思うものさ。悪夢以外はね。

 

「じゃあ……私が、私がリリィさんの事が好きだっていうこの感情も、また偽り……?」

 

「それは違うさ、マミ」

 

 私は優しくマミの肩に頭を寄せた。ふわりと柔軟剤と少女特有の甘いの匂いが鼻を擽る。

 

「例え君にその記憶が無くとも、君と私が愛し合っていた事は紛れもない事実。この世界でも、私と君の間に芽生えた百合の花は決して偽りではなかった。だからマミ、嘆いてはいけないよ。君は私を愛し、私もまた君を愛するのだからね」

 

「リリィさん……」

 

 重なるようにマミの頭が私の頭に触れる。人間性とは正しく愛の事なのだろう。愛が愛を産み、そして人間とは繋いでいく生き物だ。故に尽きる事はない。それを勘違いし、ただ闇のみを見続ければ狂ってしまうだけだ。

 隣でムスッと星の娘が妬いているが、後で君も可愛がってあげるから腕の力を弱めて欲しいな。そろそろ輸血しないと腕が取れる。

 そして人間性の極みが愛であるという事を、後ろでただ私達を見据えている父も知っている。かつて出会った者達。奴隷騎士の献身。原初の薪の王(グウィン)が抱いた娘への愛。そして今は彼も、娘を愛している。

 ああ、人の世とはなんと愛に溢れている事か。

 

 だからほむら、君もまた愛を拒む事なかれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だからだろう。愛というものを知る誰かに、彼女は電話をした。数度のコールの後、その人物の凛々しい声がスピーカーから響く。

 小百合リリィ。狩人にして魔法少女。そして少女を愛するおかしな百合。しかし今のほむらには、私くらいなのだろう。真相を知り言葉を託せる相手とは。佐倉杏子もまたそうではあるが。ほむらは知っている。あの狩人が、宇宙が再編されたくらいで記憶を全て失う事はないと。

 

「ねぇ、小百合マリア」

 

 かつて名乗った偽りを、彼女は確かに口にした。

 

『久しい名だ。確かにそう名乗っていたこともある』

 

 その落ち着きと声色から滲み出る得体の知れない不気味さは確かにほむらが知っている狩人のもの。人の身でありながら人をやめ、そして人に執着した上位者のもの。そしてその声に安堵したのも確か。

 

「貴女はまどかの事も、魔女の事も、全て覚えているのね」

 

『君もそうだろう、ほむら?』

 

「そう……そうね。なら、本来のまどかが何者であるかも貴女は知っているはず」

 

『その通り。あの聖女は人間性の本質を理解し、その身を宇宙に捧げて人を超えた』

 

 認めたくない自分がいた。そうであるならば、彼女が得た真相とは正しく最愛の友を裏切った事に他ならない。失望、絶望。それは彼女の内に巡るのだろう。まるで悪夢のように。彼女もまた、呪われている。

 

「貴女ではないのね」

 

『むしろ私は被害者だね。私がこの世界を構成する理由はない。私が世界を作るのであれば、少女しかいないだろう』

 

 これで確信を得た。だがそれでも認めたくはなくて、彼女は実験をするのだ。

 

「最後に確認すべきことがあるわ。巻き込んで悪かったわね」

 

『いいのさ。例え偽りの世界であったとしても……我々は、友達だろう?』

 

「そうね……そう、なのよね」

 

 この世界が偽りであったとしても。確かにほむらと私の間には友情があった。共に悪夢を駆逐し、その日々を楽しみ、学業に励んだ。ならば良いではないか。それで友達足り得る。

 だから友として、私は伝えるのだ。ほむらのために。愛すべき偽りの日常を与えてくれた者のために。

 

『為すべきことを為すのだ、ほむら。後悔しないために』

 

「……もう、遅いわ」

 

 ほむらは友との電話を切る。もし本当に友達ならば、最後の最後まで迷惑をかけるかもしれないが。それもまた、友の宿命。私は快く受け入れよう。

 

 走り去るバスの中に自らのソウルジェムを投げ入れる。それは彼女の魂の具現化。それが離れるという事は、死を意味する。

 そして、バスは道を行く。離れ分たれ業の玉。されど少女は死する事なく。故に確信はそれ以上の意味を持ち、ほむらは絶望する。絶望し切る。されど形を変える事は能わず。ならば砕くまでと、バスから取り戻した魂の殻を撃ち抜く。

 

 

 

「ああ」

 

 

 

 呪いは己の内に巡る。

 

 

 

「私は、いつ」

 

 

 

 知らずの内に友を裏切った。

 

 

 

「魔女になってしまったの?」

 

 

 

 認められぬ事実に、しかし呪いは証明してみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最早、さやかは一狩人が手出しできる範疇を超えている。無限とも思える数多の戦いで磨かれた剣の腕は剣聖の如く。不意な出来事に対する経験は不死の王と同等。多様な魔力の使い方は、歴戦の魔法少女を超え。

 故に円環の理は彼女を重宝した。ただ友であるという理由もあって。円環に潜む少女達はさやかをこう呼ぶのだ。聖剣と。奇しくも彼女が師とした男の名と同じく。しかしその腕は確かに聖剣そのもの。負けを知らぬ強かな聖女。恋に生き、恋のために死した乙女の最上。死した後も友である女神のためにその身を捧げ、少女達を導く英霊と化し。

 

 そんな御伽話のような彼女の生き様は、導かれた少女達に崇拝された。信仰を集め、ある種神に近い存在と化している。

 その魔法は既に魔の力ではない。奇跡と呼ぶに相応しく、得た信仰を力に彼女は敵に立ち向かう。

 

 ただ少女達を導くために。少女達を安らかな眠りに誘う為に。それを阻害する邪悪を打ち滅ぼすために。

 

 

 大きくさやかが剣を振るえば、それは剣以上の大きな刃と化す。それは純粋なものではなく、彼女が戦いの中で得た経験と技が為せる一撃。

 十字に振るった刃は月光を構える恭介を容赦なく吹き飛ばす。そしてその一撃とは不死にとって魂を揺るがすほどのもの。

 

 秘伝、不死斬り。彼女達が対峙する敵が放つ瘴気を、さやかもまた持つのだ。その身が呪いであるが故に。その呪いを剣に纏わせる。不完全な模倣であろうとも、それは確かに不死を斬る為のもの。いつか来たる薪の王(月の魔物)やその血族達を殺すために得た業。

 

「上条くん!」

 

 斬り裂かれ地面を転がる恭介を案じ、しかし大振りの一撃の合間にチェーンソーによる突き刺しを仕掛ける仁美。さやかはそれを容易く見切ると刃のない側面を踏み付け無効化する。強引にさやかの足を振り払えば、仁美は未だ立ち上がらない恭介を守るように駆け寄った。

 死んではいないようだが、その傷は致命的だ。輸血液を刺してはいるものの、あの不死斬りの効果だろう。生きる活力が削がれている。それは狩人にとって致命的な一撃だったはずだ。

 

「さやかさん!素直になりなさい!」

 

 仁美が叫べばさやかは剣に着いた血を払い、冷酷な声色で語る。

 

「素直?私は素直だよ、仁美。私は私の意志であの子の傍で魔法少女を導いてる。そして仁美、あんたはそんな私が残した遺志を……務めを投げ出そうとしてるんだよ」

 

「そんな務めはありません!私はただ、さやかさんと上条くんを支えたいだけ!貴女は願ったじゃありませんか!自分を見て欲しいと!そして上条くんは今でも貴女を見ている!私ではなく!嫉妬して狂いそうになっても、貴女は私の大切な友達でありライバルなのですわ!投げ出したのは貴女のほうよ!」

 

 その悲痛な叫びに、さやかは少しばかり眉を細めた。

 

「それでも……私は魔法少女の導きなんだ。今更その役目を投げ出すなんてできない!」

 

 さやかが居合の型で剣を構える。それは飛ぶ刃の構え。距離など今の彼女に関係は無い。今の彼女にあるのは幼馴染みを裏切らないという使命。それのみが彼女を支えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、良いんださやか」

 

 

 

 

 

 

 

 コツコツと、革靴がアスファルトを叩く音が響く。そしてその音に乗じるのは男の声。先程まで月光と交信をしていた彼女達の先生。ルドウイーク。

 彼は三人の間に入ると、さやかと対峙する。ただ一人の男の腕には、恭介が落とした月光の聖剣が握られていた。その刀身には先程と比べるのも痴がましい程の神秘が宿る。

 本来の持ち主に。聖剣のルドウイークとして、彼は弟子の前に立ちはだかった。

 

「先生……」

 

「さやか、君が使命に縛られる必要はない。ただ君は、一人の少女として愛する者達と過ごす事を選び給え」

 

 それはかつての師からの否定だった。

 

「我が師は、かつて私に使命を与えた。ヤーナムに潜む獣を討ち滅ぼし、人々を守るという使命を。今考えてしまえばそれは、きっと私の独り善がりな偽りの使命だったのだろう。ただ狂わないために、月光という体の良い光を求めたに過ぎない。結局、私は最後の最後まで師の求めていたことを理解できなかった。君にはそうなって欲しく無い」

 

「……まどかを否定するんですか、先生」

 

「ならば何故私をこの世界に呼び寄せたのだ?君は死に、私という残り滓はそのまま消え去るはずだったのに。君は円環の理として存在を変えた後も、私の遺志を手放す事はしなかった。そしてこの偽りの見滝原で、先生という形でその遺志を再現した。さやか、君は見たのだろう?かつて私が抱いた感情を。狩の果てに、私が何を見出してしまったのかを。唯一君が救われたのは、君が信じるものはかねてより知っていた人だったということだ。上位者になろうとも、鹿目まどかという娘は君の知る子だった」

 

 言い当てられ、さやかは一歩退く。

 

「だが、君は知っているはずだ。それは君の意志とは違う。君は私から導きを見出し、そしてそれを寄る辺としたが……美樹さやかという少女にそんなものは必要なかった。これは私が、あの悪夢の中で秘するべきだったのだ。本当に寄る辺とすべき者達は、ここにいるじゃないか」

 

 ちらりとルドウイークは背後の二人を覗き見た。その二人は今を生きる若人。例え人ならざる身となったとしても、彼が守るべき対象なのだ。

 そして彼からしてみれば、目の前で悩む青い少女もまた。

 

「そう。そう、だよね。でもね先生、今更無理なんだ。まどかにはもう私しかいない。本当のあの子を知る魔法少女は、もう私しかいないんだ。そしてほむらが来れば、あの子はその寂しさも埋められる。私はあの子を捨てる事なんてできない」

 

「それはあの子に頼まれたのかね?君が勝手に思っているに過ぎない。ならばさやか、君が背負うのは御門違いだろう」

 

 その言葉を機に、さやかは剣を構える。

 

「なら、証明してよ。先生が正しいのか、私が正しいのか。狩人に言葉は不要、ただ狩の中に目的を見出すものでしょ?」

 

「それが君の答えかね?ならば良かろう。生徒を正すのもまた、教師の役目だ」

 

 

 

聖剣のルドウイーク

Ludwig,the holy blade

 

 それは月光に導かれた者達の戦い。ただ信じるもののために。欺瞞の光に目が眩んだ哀れな者達の愚かな戦い。きっと月光はそんなもの望んではいなかったが。それでも人間というものは、衝突し、理解し合う事で進んで行くものだ。

 

 刹那、さやかが動く。一瞬の内に距離を詰めれば、躊躇う事なく舞うように剣を振るった。その剣は、まさに異形。一つの剣で無数の刃を産み出す剣の極み。

 秘伝、渦雲渡り。目にも留まらぬ速さで振るわれるその剣は、一見すると摩訶不思議な斬撃に見えるに違いない。それを何度もさやかは振るう。絶対的な殺意を伴い、強く逞しく、しかし心の弱いはずの少女はいつしか聖剣と化していた。

 

「ぬぅッ!」

 

 ルドウイークはその秘伝を月光の聖剣で受けきる。背後の二人を守るため、本来避けるはずの狩人は防いで見せたのだ。無論その全てを受け止めることなど出来ず、スーツは裂かれ手足に切り傷が生まれる。

 だがこれしきの傷で立ち止まる男ではない。彼もまた聖剣、立ち止まる理由などありはしない。

 古狩人の例に漏れず、彼も横へ加速し聖剣を振るう。神秘の刃から放たれる光波はさやかへと迸り、しかしそれを剣で受け止めたかと思えば空中へと跳躍し、受け止めた神秘を剣へと纏い、打ち返してくる。

 機転が効くという言葉で表して良い次元を超えている。本来雷撃に対してのみ行われる行為を、さやかは平然と月光相手にやってのけた。

 

 だが、それがなんだというのか。

 

 ルドウイークは打ち返された月光を、更に打ち返す。強引に、しかし的確に。まるでテニスのラリーが如く。

 その光景にさやかは目を丸くした。羽織っていたマントを盾に月光を受け止めれば、彼女の華奢な身体は飛んで行く。そこをルドウイークは追う。空中で回転し、体勢を立て直すさやかに向けてカチ上げるように剣を振るった。

 

「かかったッ!」

 

 しかしさやかは獰猛に笑い、カチ上げられる聖剣を空中で弾く。ジャストパリィ。弾かれ隙を晒すルドウイークの身体に、即座に召喚した五本の剣を放つ。

 魔法少女としての戦い方も彼女は忘れてはいない。強かに、ずる賢くもあり。故に無敵。

 

「ゴメイサマ・リリアン!」

 

 五本の剣はルドウイークの身体を容易く貫く。胴体だけは守ったルドウイーク。しかし長身かつガタイの良い彼でさえも、大きな深傷を負った手足は無視できまい。

 片膝をつくルドウイークは苦悶の表情を浮かべながらも、心折れぬ。その心に、月光は反応した。殺害しようと迫るさやかを、聖剣から溢れ出る魔力が押し返した。かつて狩人の悪夢にて見せたアサルトアーマー。そしてその後に来るものとは。

 

「我が師、月光よ……今一度、私に人を正す力を与え給え」

 

 掲げた聖剣に神秘が宿る。同じく月光使いのさやかは脳内に警鐘を鳴らした。加速するように移動し、その攻撃を止めるべく迫る。

 

「月光の下ならば、私は迷わぬ」

 

 光の糸を、見た。それは暗闇の中に揺らめき、しかし確かに彼の縋る縁だった。それは今、さやかに纏わりついている。彼女を解放せよと、百合の狩人から齎された啓蒙が師の想いを彼に伝えた。

 月光の奔流。迸る月光の神秘は、さやかの身体を飲み込んで行く。

 

「ぬおぉああああああああッ!!!!!!」

 

「ぐ、ぐぅうううううッ!」

 

 叫ぶルドウイーク。剣を盾に、さやかは耐え忍ぶ。だが奔流は途切れることはない。かつて見えた時よりも一層力強い奔流は、しかしどんどん聖剣から溢れ、そして聖剣の許容量を超えていく。

 聖剣が見る見る溶けていく。最早その刀身は見るに耐えない形となり月の魔力だけが募っていく。

 

「私は、私は……!折れるわけには、いかないッ!」

 

 人間性が爆発する。さやかの身から悍しい呪いが溢れ出て、月光の奔流を掻き消したのだ。それは暴走に近い。だが彼女は、自らの身を顧みずにただ勝つために。自らの信条を通すために、やってのけた。

 全力の攻撃を防がれたルドウイークに、最早力は残されていなかった。切れる息と力の入らない身体で、しかし視線だけはさやかを離さない。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……!」

 

 剣を支えにさやかは立ち上がる。勝敗は決したも同然。両膝をつき、もう戦えぬ師をその瞳で見た。

 

 

 

 何かが、足りない。師の手に握られていた、溶けた聖剣が無い。それに気がついたさやかを見て、ルドウイークが不敵に笑った。

 瞬間、気配。頭上の月の光が遮られ、思わずさやかは真上を見た。

 

 

 

「さやかぁあああああああッ!」

 

 

 

 傷だらけの上条恭介が、空を舞っていた。月光を背に、掲げた柄だけの聖剣はしかし刃を纏っている。物理的な物は何も無い。ただ透き通る刀身は、溢れる月光の神秘を形付けたもの。

 しかしその聖剣はより原初の形に近い。かつて悪魔殺し(Slayer of the demons)が腐れ谷で見えた月明かりのように。まるでその姿こそ、本来の姿であるかのように。

 恭介の祈りが、宇宙に響いた。少年の愛こそが月光という上位者━━白竜シースの埋もれていた遺志を掘り起こしたのだ。

 

 恭介はさやかにのしかかり、二人して地面を転がる。しかしその間にも恭介はさやかの身体を決して離さなかった。しかと抱き締め、馬乗りにしその刀身を彼女に突き立てる。

 

「う、うぐぁあああああッ!」

 

 焼けるような痛みが胸を襲う。決して身体には傷を与えていないが、それでも彼女の呪いは貫いて見せた。

 

「きょ、すけッ!」

 

 柄を押し返そうとするさやかだが、恭介の背後から仁美が覆い被さる。そして彼の手を握るとより一層その刃をさやかに突き刺した。

 

「戻ってきて!さやかさんッ!」

 

「ひ、とみ……!」

 

 少年は、苦しむ少女に突き立てられた刃から手を離すと自らの腹部に手刀を突き刺した。自らへの内臓攻撃。それは多量の出血を引き起こす。

 

「君を、一人にしないッ!」

 

 叫ぶ恭介の傷口から血が溢れ出る。その夥しい血は聖剣の刀身に混ざり、美しい青白さは瞬く間に赤黒く染まる。

 

「私に、輸血するつもりッ……!?」

 

 さやかの身体が内側から燃えるように熱くなる。それは血の誓約。かつての私のように、彼の呪われたヤーナムの血は魔法少女であるさやかの身体を変質させていく。

 その光景を、ルドウイークは後ろで眺めていた。その瞳に確かな希望を見据えて。やはり彼では、あの少女を救うことはできない。できないが。

 あの少年の後押しをする事はできた。孤独に戦っていた英雄は、最後に共に戦う同志を得たのだ。

 

「さやか、君が好きだ!」

 

「はぁ!?な、なんで今なのさ!」

 

 恭介の告白に、さやかは動揺した。

 

「君の健気さも、他人を気遣う優しさも、自分を犠牲に逃げ出そうとする弱さも全部!僕は君が欲しいッ!」

 

 血塗れで、恭介は愛を語った。

 

「でも君だけじゃダメなんだ!志筑さんも大好きだ!さやかに負い目を感じている所も、実は僕を独占したい欲深さも!」

 

「ちょ、上条くん!?」

 

 思わぬ言葉攻めに仁美も慌てる。

 

「僕には何も無い!バイオリンだって親から与えられたものだ、狩人の業だって、あの上位者から与えられたものだ!だから、君達二人がいないとダメなんだよ!僕は、僕は弱いんだ!欲深いんだ!だからさやか、戻って来てよ!こんな、こんな僕を、志筑さんと支えてよ……!罪な奴だって、分かってる。けどさ……!好きなんだからしょうがないじゃないか!」

 

 涙を溢れさせ、恭介は独白した。それは少年の本心。いかに強くなろうとも、狩人に徹しようとも。それだけは譲れぬ弱さ。

 彼の人間性。

 

 さやかは目を丸くしたのち、ふっと微笑んでみせた。そして聖剣に突き刺されたまま人魚姫だった少女は二人を腕で優しく抱き寄せた。

 

「馬鹿だなぁ、二人とも。ほんっと、バカ。ほんとに、しょうがないなぁ……」

 

 三人まとめて涙を流しながら、ついに彼女たちは心を通じ合った。溶け合う人間性が真の理解を齎したのだ。

 愛とは、無限なのだ。限りあるものではなかった。故に三人はこれからも進んで行くのだろう。ルドウイークは薄れゆく意識の中で想う。

 月光の刀身が消え失せ、柄が風化するように廃れていく。どうやら師も、満足したのだろう。最早彼女達を導く事などない。

 

 それで良いのだ。導きとは所詮、他人の意志の押し付けでしかない。そして老兵とは死なず、去るのみ。故にルドウイークもまた、夢へと還るのだろう。

 

「ようやく、私は成し得たのだな」

 

 あの狩人の優しい嘘ではなく。真に彼は英雄としての役目を果たした。数多の人々のためではなく。たった三人のために。彼は教会最初の狩人として、教師として彼は消えて行く。

 

 

 後に残されたのは少年少女三人のみ。教師の姿はどこにもなく、ただ遺志だけがどこかへ飛んで行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、なんなんだありゃあ……!」

 

 杏子は一人、その偉大で愚かな姿を見つめる。それはまるで泣く幼子。巨大な駆体の癖して後悔の後に泣きじゃくり、腕に枷を嵌めて歩いていく罪人。

 それは単なる悪夢ではない。それこそが友が語っていた魔女であるのだと、本能的に理解した。そしてその魔女が誰であるのかも、自らの内に流れる穢れた寄生虫から啓蒙される。あぁ、すべてが遅かった。

 

 唖然とする杏子の横に、誰かがやって来る。それは鹿目まどかの弟、鹿目タツヤ。彼はポケットに手を突っ込みながら飄々とした態度で杏子に並ぶと冷静にその魔女を見上げた。

 

「ほう、真相に辿り着いたか、ほむらちゃん」

 

 その様子はいつもの熱血感溢れる様ではない。どこか違和感のある少年。

 

「おい、あれがほむらだって……!?一体どうなってんだ!お前何を知ってる!」

 

「貴公も気付いてるだろう。あれは呪いのその先、魔法少女の本来の成れの果て。暁美ほむらそのものだ」

 

 淡々と、彼は語った。良く見れば彼の服の所々に血が付着している。

 

「自ら望んだ事を拒絶し処刑される事を願うか。人とは実に欲深いものだな……無欲な俺にはとんと理解出来ぬが。フン、それも良かろう」

 

 それだけ言うと彼は踵を返し立ち去って行く。

 

「おい!お前どこに行くんだ!あれが何なのかわかってるのか!」

 

「叫ぶなよ、あんこちゃん。これより先は俺の出番は無い。キュゥべぇ共はどうにかしてやったんだ、後は我が姉と……狩人共の役割だ」

 

 言い切ると彼は今度こそ立ち去る。まるで興味がないように。そんな事はないが、しかし彼が言うように魔女退治は悪魔殺し(Slayer of the demons)の役割ではない。

 彼はただ、デーモンを殺すだけの存在なのだから。次に彼が剣を握るとすればそれは、悪魔が出た時だろう。それまでは彼は傍観する。いつもの鹿目タツヤとして。

 



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憐憫

 

 

 

 百合で織られた檻の中で、私はあの子と再開した。

 桃色の長髪を、床を超えて途方の無い宇宙にまで垂らす魔法少女の女神。彼女達を救うべくその身を捧げた少女。その正体は、暗く暖かい人間性を理解し我がものとした貪欲な百合の花弁。

 

 その少女は檻の外から、鎖で繋がれた私の手足をゆっくりと捕食するように撫で回す。それはなんとも魅惑的で、性的で、しかし争い難い優しさがあるもので。一撫でする度私の人間性が眠りにつきそうになる。

 私は決して心は折れず、ただ狩に挑むだけの狩人。そして少女達を愛する白百合の花。それだけを胸に、この全てを得たい少女の誘いを断っていた。

 あぁ、これが夢へと誘われる前の私であればとっくに心の全てを持っていかれていただろう。あの古い友のように。

 

「君は、世界を売った少女だ」

 

 私をいたぶり楽しむ女神に、私は告げる。

 

「自らの世界と引き換えに、こんなにも壮大で手に負えないものを手に入れた。すべての愛など手に入れられるはずもないのに、それでも君は求めてしまった。結果、君は世界を売らざるを得なくなった。大切な人達と会う権利を手放してしまった。愚かだよ、瞳を得た者というのは。君も、私も、人を超えたというのにどこまでも人間らしい誤ちを犯す。本当は、そんなもの求めていないのに」

 

 そうして私は自らと目の前の少女を嘲笑する。

 

「まるで、スカボローフェアのように。決して我々は真に望むものに到達する事は無いのだ」

 

 黙って私の話を聞いていた少女は、ゆっくりと私に太陽のような瞳を向ける。

 

「そうだね。でも、それでも追い求めるものでしょう?探求者というものは、ね」

 

 屈託の無い笑みで。かつて見滝原で見えたあの優しい笑みで、彼女は言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真実など、知りたくも無いはずなのに。それでも人というものは追い求めずにはいられないのだ。

 人間性とは愛ゆえに探求する。愛とは言葉にできぬ。言葉にできぬからこそ、神々は人間性を恐れ、人々は内に潜む人間性を危惧しながらも探求した。

 未知とはなんと都合の良い言葉か。己の知らぬ事を追い求める姿はまさに生きがいそのもの。そしてその本質に触れた時こそ、後には退けぬのだという事に気がつかない。

 それは正しく、原罪なのだ。人が人として形を持った時より生まれし愚かな罪。それが人を苦しめ、時に助く。そうして人間は成長してきた。だから神々には理解できぬ。人間の底に眠る好奇と炎を。

 

「つくづく人間の好奇心というものは理不尽だねぇ」

 

 そして感情が人間性の一端であるというのならば、感情を持たぬインキュベーターに分かるはずもない。人というものがどれだけ危険で、暖かいのかを。

 

 真実に到達したほむらに、一匹のインキュベーターは嘲笑うようにして語り、目させる。

 本来の彼女を。本当の見滝原で永遠の眠りにつく暁美ほむらの姿を。友から賜ったリボンと弓、それをしかと身につけ安らかに死ぬ彼女の肉体。

 

 同時にキュゥべぇは自身らの目的も語る。まるで自らの計画通りに進んでいると誇示するように。すべては掌で踊っていたと言わんばかりに。

 穢れきった魂を遮断し、円環の理を観測するための演劇。それが、この偽りの見滝原。ほむらはまんまと魔女の存在を彼らに明かしてしまったのだ。知らずのうちに、友を危機に合わせてしまっていた。

 心の弱さが露呈した。誰も知らぬ、覚えていない。鹿目まどかの事を。自らの世界を売った少女の事を。自分以外のすべてが忘れ去ってしまった事に我慢ならなかった彼女は、宿敵であるはずのキュゥべぇに明かしてしまっていたのだ。信じるはずがないと侮り。

 

 そうしてこの偽りに現れた登場人物の中で、キュゥべぇ達が知り得ない者は。円環の理である。故に鹿目まどかは、ほむらを救いに来た女神である。

 

 唯一誤算だったのは、まどかとほむらが結界の作用で自らの目的や存在を忘れてしまっていた事だろう。

 円環の理であること。魔女であること。しかしそれはキュゥべぇにとっては記号でしかない。

 

「おかげさまでこんな茶番にも付き合わされた。当初は小百合リリィも疑っていたが、彼女は魔法少女とはまた異なる存在だ」

 

「……狩人」

 

「その通りでもあるし、違うとも言える。彼女は高次元暗黒に潜む上位者さ。そして彼女の一家もまた、同じような存在だね。ま、僕には関係が無い。彼らの目的は大体掴んでいるからね」

 

 さぁ、とキュゥべぇは赤い瞳を輝かせ提案する。

 

「まどかに助けを求めるといい。君が真実に辿り着き均衡を失いつつある今なら届くはずだ。そしてまどかも自身の存在理由を思い出すだろう」

 

 闇よりも暗く。炎よりも熱く。ただほむらは明確な殺意をもってキュゥべぇと対峙する。穢れきった魂は、虫の苗床になるには十分である。そして啓蒙とは、輝きとは、導きとは、宇宙に潜む者達の虫である。

 故にほむらは啓蒙された。彼らの目的を。燃え滾る魂はこの世界の主。

 

「まどかを支配するつもりね」

 

 ドス黒い何かが溢れ出す。かつて灰が、ただの使命を帯びた不死であった頃に過去の亡国で見えた深淵。それと同等の闇がキュゥべぇを襲った。

 

「最終的な目標については否定しないよ」

 

 迫る闇の槍々を避ける。

 

「道のりは長く険しいものだろう。しかし一度観測できれば干渉もできるというものだ。そして干渉できれば制御もできる。紫外線のようにね」

 

 使い魔である偽街の子供達がキュゥべぇを捕まえ、八つ裂きにする。しかし新たに現れたキュゥべぇが語りを止めるはずもなし。

 

「そうなれば魔法少女は魔女となり、更なるエネルギー回収が期待できるようになる。希望と絶望の相転移。その感情から換算されるエネルギーの総量はかなりのものだったよ。やっぱり魔法少女は無限の可能性を秘めている」

 

 否。それは側面にしか過ぎぬ。感情を危惧しない者共ではそれすらも分からぬのだ。

 

「君達は魔女へと変化することでその存在を全うすべきだ」

 

 槍がキュゥべぇを貫く。

 

「なぜ怒るんだい?暁美ほむらの存在は完結したんだ。君にはもう何の関わりも無い話だ」

 

 殺せど殺せど湧く害獣。けれどその言葉に、ほむらは心を傾け掛ける。

 

「君はその長く過酷な道のりの果てに。待ち望んでいた少女と再会を果たす」

 

 だから、夢見てしまった。自身が救われる世界を。

 

 

 ほむらとまどかが手を繋ぎ、無垢な少女のように笑い合い、愛し合う、そんな花園を。あり得ない、そんな光景を。

 

 そんな、理想の自分の首を締め上げる。確実に、必ず殺すために、右手の銃で脳天を撃ち抜く。脳髄は弾け、血は吹き出し、自らを殺す事によってのみほむらは遺志を保つ。

 溢れる涙は暗い魂の血と化し鬼のような形相は変わる事なく。理想を殺しきり友との約束を果たす為に友を拒絶した。

 

「そんな幸福は求めていない」

 

 だから、気がついた。こいつら害獣を殺すだけ無駄なのだと。真に葬るは自分自身。ほむらの呪いは、自らが最期まで抱くべきなのだ。

 

「そんな……自ら呪いを募らせるなんて……それがどういう結末になるかわかっているのかい?」

 

 キュゥべぇの問いの答えは啓蒙されている。

 

「あなたは知らないでしょうけど。私の願いはまどかを救うことなのよ」

 

 闇を募らせた少女は両腕を広げた。その顔に先程までの悲痛な怒りは無い。

 

「なら、このまま私は私を殺して魔女となるッ!そうして魔女として葬られ、まどかは永遠に約束を果たし続けられるッ!願ってもないわ!ありがとうインキュベーター、これは殉教よッ!私はまどかのために消え去るのッ!それって素晴らしい事だわ!約束を守ったまま死ねるのだからッ!そしてまどかも間近でそれを見てくれる!」

 

「君はそんな理由のために救済を拒むのかい?このフィールドの中で死んでしまったら二度と円環の理とは出会えなくなる。永遠に呪いの中に魂を巡らせたまま消え去る事になるんだ。まどかと会えなくなるんだ」

 

 ああ、愛しい我が親友、まどか。ほむらは心の奥底で、あの眩しい笑みを思い描く。行かないで、行かないで、弱い心がまどかを求める。

 

 黙れ。黙りなさい。そう、呪いのように言い聞かせ。

 

「それで良い。私は役目を果たす」

 

 そうして、ほむらの魂は暗い微睡の中に消えていく。自分が消えていく様を感じながら。輝きと後悔が交差しながら。それしか思い出せないのだから。

 最期に別れを告げられずにごめんと、ただ弱き少女の心を見せながら。

 

 

くるみ割りの魔女

Homulilly

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女達は集う。 まるで定められていたかのように。かつて見えた地で、我々は歪み合いながらも友だった。夕陽に浮かぶは断罪を求める哀れな少女。愛を理解し、愛に殉教し、そして愛を拒んだ魔法少女。

 そんな姿を見て、まどかは思わず立ち竦む。

 

「ほむらちゃん……」

 

 そんなまどかの肩に手を置く。これは友としての役割を果たすため。円環の理と狩人の争いは一先ず高次元暗黒に流しておこう。

 

「怖がる事はない。彼女もまた、人なのだよ。彼女を受け入れ給えよ、まどか」

 

 この世界で見る初めての魔女に、まどかは怯えていたがしばらくすればいつもの強い眼差しを携えた魔法少女へと戻っていた。本質的に、彼女はやはり円環の理だ。目的を見失おうとも、彼女はやはり魔女を救済しようとするのだろうか。

 そうしてさやかたちもまた、三人でやってくる。我が愛弟子とその恋人も含め……聖剣はやはり成し遂げたのだな。そしておめでとうさやか、君もまた私の眷属だ。

 

「あいつが一番辛いんだ。怖がらないでやって、まどか」

 

「さやかちゃん……うん、大丈夫」

 

 ふと、ボロボロの狩装束に身を包んだ恭介が私の真横に立つ。

 

「よくなし得たな、恭介」

 

「……あぁ。あとは暁美さんを救えば良いだけだ」

 

 えらく素直で男前な瞳をする恭介に、私はちょっとばかり面食らった。成長したのだろう、やはり少年とは恋と戦いで強くなるのだ。

 

「おい、あれが魔女なのか?」

 

 ふと、杏子が相変わらずチョコ菓子を口にしたまま尋ねた。

 

「然り。そしてほむらの魂とも言える」

 

「あんな悍しいものが魔法少女の成れの果て……でも、不思議と恐ろしくはないわね。むしろ、哀れ……」

 

 同情にも似た感情を示すマミ。良い啓蒙だ、事実あの成れの果ては哀れで仕方ない。

 しかし、我々がいれば救いなど既に達成したにも等しい。私、マミ、杏子、なぎさ、恭介、仁美、さやか、そしてまどか。我ら等しく、少女を救うために集いし狩人と魔法少女。今こそ使命を果たすときだ。

 円環の理に閉じ込められていた時は、その反骨精神でとうとうこの場に来るまで女神に協力しなかったからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、あんた良い加減手伝いなさいよ」

 

 閉じ込められた私に、さやかは怒気を孕んだ口調で言う。

 

「嫌だ。そもそも私は円環の理に救われたとは思っていないし望んでもいない。考えてもみ給えよ、どの少女もやれ女神様だの何だのと。あれじゃまるで新興宗教だ」

 

 もぐもぐと与えられたお菓子を頬張りながらさやかの言葉を突っぱねる。まるで檻に入れられた猛獣だが、それでもまどかに力を貸すのは御免だ。いくら遺志を囚われたとは言え、私は私の理想郷を目指すだけ。隙あらば脱走しようと試みているくらいだ。

 と、さやかの隣で話を聞いていた我が旧友……アンリがため息をつく。

 

「すまない聖剣。リリィは頑固でね、こうなると意地でも動かないんだ。……ふ、そう言う所は変わってないんだな」

 

「思い出話は止め給えよ、アンリ。君こそ我々の戦いを邪魔するほど無粋だったかな?……あぁいや、思えば君は純粋過ぎてよく人に誑かされていたな。いつも通りか」

 

「ちょっとリリィちゃん、喧嘩はよくないよ」

 

 困ったように、その背後にいたまどかが仲裁に入る。元凶が何を言っているんだ。

 と、まぁ何だかんだで私は円環の理においては不自由しながらも会話に困る事はなかった。時折なぎさがチーズを持ってきてくれたり、このみとあやかも定期的に来てくれた。

 ……正直、悪い気分ではなかった。救出のために計画を練っていたお父様達には申し訳ないが。

 

 

 だが、それでも歯車は動き出す。

 

 

 やって来たさやかとまどかは珍しく慌ただしかった。私はある程度フリーな両手で紅茶を飲みながら百合系の少女漫画を読んでいると、そんな二人の顔を見て首を傾げた。そんな呑気な私にさやかは言った。

 

「お願い。手を貸して」

 

 またお仕事のお誘いか。しつこいものだとうんざりする。

 

「嫌だって言っているだろうに……今良いとこなんだ、後にしてくれ」

 

 そう言ってまた少女漫画を読む作業に戻ろうとすれば。

 

「ほむらちゃんを迎えに行くの」

 

 と、まどかが困ったように言った。ほう、とうとうほむらも限界か。しかし良かったじゃないか、君の最高の友達を迎えに行けるのだ、むしろ私なんかいない方がいいんじゃないのかな。

 多分、そんな事を適当に言った。だがそれでもまどかは困った顔をしていて。

 

「キュゥべぇに、囚われてるの」

 

 そう言った瞬間、私の本を読む手が止まる。同時にあの白くて汚らわしい汚物の顔が頭に浮かんだ。

 円環の理に導かれた少女達の共通認識として、キュゥべぇは須く敵だ。無理もないだろう、最初に彼らの目的を明かされていたタルト達はともかくとして、ほとんどは魔女の真実なんか知らされていないのだから。

 

「……話を聞かせてもらおうか」

 

 つい最近見た殺し屋の漫画を真似て、私は言う。まぁ、友を助けに行くくらいならば……そんな甘い考えで。

 まさかこんな事になるなんて思ってもいなかったが。

 



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BLACK★STAR
渇望の玉座へ


 

 

 

 

「待ってくれ!あれは暁美ほむらなんだ!」

 

 

 くるみ割りの魔女に立ち向かおうとする私達の前に、突然キュゥべぇが横槍を入れた。いつものようにその表情は変える事なく、ただ声色のみで感情を再現しているだけの哀れな使徒。彼は宝石のような赤い瞳の中央にまどかを捉えながら懇願する。

 

「君達は仲間を殺すつもりかい?あんなに仲が良かったのに!」

 

 そんなマスコット的な彼を、皆が各々の感情を視線に含ませながら眺めた。まどかは悲しそうに彼の名を呟くと、遮るように杏子が立ちはだかった。

 

「ふぅん、あんた普通に喋れたんだ」

 

 疑念と確信を同時に得た杏子は、態とらしくキュゥべぇに言う。だがキュゥべぇは彼女の言葉に返事を返さず表情も変えない。まるで意に介さないと言わんばかりに。マミもまた、彼に対する感情を悲しみによって顔に表していた。なぎさを後ろから抱きしめ、瞳をそらしながら呟く。

 

「残念だわキュゥべぇ。これでもう、なぎさちゃんの言葉を信じるしかないのね」

 

 完全に彼は魔法少女達に見捨てられていた。それを分かっていたからだろう、キュゥべぇは最後の手段とばかりにまどかに駆け寄る。そして懇願するのだ、哀れな道化として。最後には君しかいないのだと。

 まるで恐れるような素振りを見せるまどかに、彼は言って見せた。

 

「まどか!君ならほむらを救えるはずだ!君が持っている本当の力に気付きさえすれば!」

 

 懇願するキュゥべぇを、まどかは何も言わずに眺めていた。彼女からすれば目の前の白い物体は不審で危ない動物でしかないのだから仕方あるまい。

 そんなキュゥべぇの首根っこを、恭介が掴み上げる。強靭な狩人の膂力はキュゥべぇの首をミシミシと締め上げるも、当のキュゥべぇは何とも思っていなさそうだ。

 

「黙れ、汚らしい害獣め」

 

 いつものように口元を隠し狩人の帽子を深々と被りながらも目だけはきっちりと出している恭介の眼力は凄まじい。それだけで人を殺せそうな程には狂気が滲み出ていた。

 

「そいつは放っときな、まどか」

 

 まどかの肩に手を置くさやかが言う。彼女はしっかりと友に向き合うと力強く笑って言ってみせた。

 

「大丈夫。さっきあたしが教えた通りにやればいい」

 

「……うん」

 

 対してまどかはどこか不安げな様子だ。無理もない。今の彼女は力を持たぬ一人の魔法少女。その使命も、抱いた欲望でさえも忘れてしまったのだから。

 さやかは今一度友を信じると、戦場へと赴く。大切な人達を引き連れて。その後ろ姿は正しく英雄。かの聖剣の遺志は、今度こそ彼女に流れ着いたのだ。

 

「恭介、仁美。なぎさも、行くよ」

 

 手にするのは月光ではない。彼女が本来持つ長剣だ。きっともう、彼女には必要がないものだ。誰かの導きなど、未来を生きる上で邪魔にしかならないのだ。そして高次元暗黒でそれを見守るあの白竜もまた、その事に気がついているのだろうから。

 恭介はノコギリ鉈を手に。仁美は変わらずチェーンソーを鳴らしながら。そしてなぎさは、マミの下を離れれば私に言ってみせた。

 

「なぎさの力を見てるのです」

 

 そう言って彼女達はくるみ割りの魔女を助けるべく向かう。先手はなぎさの攻撃だ。ラッパを取り出せばそれをけたたましく鳴らして協力者を召喚する。

 それは円環の理に導かれた少女達が駆使する使い魔━━ああ、あれはこのみとあやかの使い魔だ。きっと、彼女達もほむらの救出に志願したんだろう。かすかな遺志が私に啓蒙する。彼女達もまた私を愛していてくれたのだと。

 

 くるみ割りの魔女の使い魔……まるで眼鏡をかけたほむらの分身達が手にする槍で使い魔を攻撃しようとするが。

 

「慌てなさんな」

 

 鞘に納めた剣が無数の刃を生み出す。私の並外れた動体視力を持ってしても、すべてを捉える事はできぬ。秘伝、渦雲渡り。一瞬にして八つ裂きにされた使い魔は、しかし数を減らす事なく行進していく。まるで最後尾にいるくるみ割りの魔女を処刑台に連れていくが如く。

 さやかだけで倒しきれぬのであれば、それを援護するのはやはり恭介と仁美。恭介はひたすらにノコギリ鉈を振るい、時に秘儀を発動させ。仁美はチェーンソーで敵を細切れにし、道を拓く。

 

「あんたを外に出そうってんじゃ、ないッ!」

 

 ここぞとばかりにさやかは自身の魂を曝け出す。それは人魚姫。彼女の魔女。まるで演奏するかのようにさやかは振る舞い、それに合わせて恋慕の魔女が剣を振るう。その切っ先は暁美ほむらへと。しかし彼女もただやられるのではなく、繋がれた手を巧みに動かして防いでいる。

 

 そして、そんな光景をただ驚愕して見ている者がいる。それはキュゥべぇ。白き宇宙の使者はその啓蒙が足りぬ故。

 

「君達は……一体」

 

 ここまで来ても分からぬとは、やはり感情が無い上位者などこれしきのものか。

 

「私達は、かつて希望を齎し。そしていつか絶望に散っていった者達。そして今は━━」

 

 恋慕の魔女とさやかの二重不死斬りが炸裂する。まるで筆で一本書きしたような軌跡が空に走る。

 

「円環に導かれ、この世の因果を超越した百合の花」

 

 そんな、とキュゥべぇが想定外の事象に困惑する。

 

「まどかだけに狙いを絞ってまんまと引っかかってくれたね」

 

「じゃあ君たちも、また……円環の理」

 

 不敵に笑うさやかは言う。

 

「私は聖剣。女神を守る双刀のうちの一つ……ま、鞄持ちみたいなもんだけどね。ほむらの結界に取り込まれる時にまどかが置いていった記憶と力を誰かが運んでやらなきゃならなかったからね!」

 

「いざとなったらなぎさとさやか、そしてリリィ。無事な魔法少女が預かっていた本当の記憶をまどかに返す予定だったのです……リリィは家族ごっこで忙しかったみたいですけど」

 

 悪かったね。案外居心地が良すぎたんだ。私は苦笑しその苦言を甘んじて受け入れた。

 だがほむら一人を助け出すのに強力な魔法少女六人がかりとは、随分と苦労をさせるものだ。しかしそれも良いのだろう。まぁそのうち二人は最早私の手中だがね。

 

「ここまで頑張ってきた奴には御褒美あげないとね!」

 

「さやかちゃん……」

 

 さぁ、それでは我々も行くとしよう。彼女達ばかりに良い所を持っていかれるのは癪だ。私は一歩踏み出し、両腕を広げる。それは失われたはずの魔力の解放。さやかと同様に、私の中に眠る魔女を解き放つ。

 そして私の魔女と言えば。

 

 嵐が吹き荒れる。マミ達のスカートをめくり上げる程の嵐は、しかし収束すれば一人の魔女を産み出した。

 

 

 

「……やぁ、もう一人の私。随分と遅かったじゃ無いか」

 

 

 

 大きな、大きな歯車を携えた正位置の舞台装置。その名をワルプルギスの夜。かつての耳に障る笑い声は失い、しかし理性を伴って私に語り掛ける。確かに私は魔法少女であるが、同時に狩人である。かつてヤーナムで輸血をした際に、魔法少女である私の魂は離別してしまったのだから、こうして自我を持つのも仕方のない事だ。

 私は笑い、大きな駆体を揺らす自分に言う。

 

「君も楽しんだだろう?さぁ、行き給え。最早君は私ではなく、一人の魔法少女の成れの果てだ」

 

 そうして魔法少女リリィは救うべく敵へと向かう。私と私。しかし解き放たれた魔力は自由を手に入れた。これで良い。リリィは二人もいらない。彼女はこれより、円環の理として役目を果たすのだ。

 

「君は、ワルプルギスの夜だったのか!でもそんなはずは、あれは魔女の集合体だったはずさ!」

 

 キュゥべぇが吠える。

 

「それもまた正しい。だがそこは、やはり私なのだろうね。魔女という百合に誘われた私の魂は他の魔女を誘惑し、堕落させ、その身にまぐわせた。なんと羨ましい事か……」

 

 という事は、知らないうちに私は殆ど目標を達成していたのだろうか。まぁ良い、あれは私であって私ではないのだから。私は狩人として少女達を導くだけなのだ。

 と、魔女同士の戦いの余波が広がる。見ればほむらの魔女はワルプルギスに対して過剰な程に攻撃を仕掛けている……トラウマに触れたか。ほむらもまさか私が宿敵であったなどと思うまい。

 

 足元が崩れ落ちれば、私達は跳躍する。マミはまどかを抱え、共に戦場へと向かうのだ。

 

「鹿目さん!私達もいくわよ!」

 

「……はいっ!」

 

 マミに発破をかけられ弓を取り出すまどか。彼女は独り立ちすると弓を頭上に掲げて矢を弾き放った。あれはかつて私にやってみせた矢の嵐。無数の矢はほむらの使い魔を襲う。

 私も落葉を取り出し戦おうとした所で、声が聞こえた。それは思念に近い。

 

 ━━もうやめて。私はこの世界で死ななきゃならないの!

 

 それは悲痛な叫び。同時にくるみ割りの魔女から新たな影が伸びる。それは今までの使い魔とは異なる、ある種個性を持った者たち。

 偽街の子供たち……啓蒙が、そう名付けた。そしてそれはほむらの強い感情が生み出した娘達であるとも。

 

 複数現れた偽街の子供達は、特に私とワルプルギスに対し苛烈な攻撃を仕掛ける。脅威判定ができるのだろう。さやかにもちょっかいをかけているな。

 

「色から生まれた子らよ、私に遺志を寄越せ」

 

 獰猛に笑えば、私は子供達を相手に狩りをする。四対一。私達狩人が苦手とする個対複数戦だ。だがそんなもの、最早恐るるに足らぬ。

 獣や訳の分からない虫ならばともかく、この子たちはほむら自身なのだ。それを狩り、自らの物とするのならばこれ以上の喜びは無い。

 迫る槍を躱し、落葉を突き立てる。刺突はカウンターとして攻撃すれば本来以上の力を有する。貫かれた子供は逃げ出そうとするが、その前に私が抱きつき行動を阻害した。

 

「ほむら、友達だろう?一緒に楽園へと向かおうじゃないか」

 

 耳許で囁けば、子供の顔から笑みが消えた。そんな反応は心苦しいな。

 かつて父が私にしたように、その抱擁は逃れ得ぬ誘惑。呆気なく霧散し私に取り込まれた偽街の子どもは、ヤキモチ。私はほむらからヤキモチを奪った。

 

「我ながら、君は随分と気色が悪いね」

 

「そうかな?魔女を取り込んでその魂と混ざり合ってイチャイチャしている君に言われたくはないね」

 

 自分自身と歪み合う。まったく、これくらいは少女の嗜みだろうに。さて、残りの遺志も頂こうか。

 仲間を取り込まれた子供たちは、対する私を前に後退りしてみせた。

 

 

 さやかもまた、偽街の子供たちと交戦していた。彼女らは普通の使い魔とは違い、個々の能力が高い。魔女にも匹敵する魔力と魔法少女並みのスキルの高さはまさしくほむらが積み上げてきたものなのだろう。

 あの剣聖でさえも一苦労だ。故にそれに劣る恭介と仁美は二人で一人を相手している。隙の少ない攻撃を繰り出す偽街の子どもは銃撃パリィするのには向いていないから厄介だ。

 対するさやかは四人の子供たちに囲まれながらも反撃していた。弾き、弾かれ隙を見ては攻撃するものの相手もまた手練れ。気がつけばさやかは完全に包囲される。

 

 

「ちっ。わけわかんねー事に巻き込みやがって」

 

 

 そんな彼女の窮地を救ったのは杏子。燃える三節棍は子供たちを吹き飛ばすと、さやかの背後に背中合わせで杏子は着地した。

 

「胸糞悪い夢を見たんだ」

 

 杏子は独白する。

 

「あんたが、死んじまう夢を。でも本当はそっちが現実で、今こうして二人で戦ってるのが夢だって……そういう事なのか、さやか」

 

 重く、しかし確信を得ていた杏子は問う。

 

「夢っていうほど、哀しい物じゃないよ」

 

 迫る子供たちを不死斬りで弾くと、さやかは晴れた笑みを見せた。

 

「何の未練もないつもりだったけどさ。それでもこんな役目を引き連れて戻ってきちゃったって事は、やっぱりあたし、心残りだったんだろうね、あんたを置き去りにしちゃった事」

 

 そっと、杏子の背中に寄り掛かる。ふわりと杏子の鼻をさやかの香りが擽った。

 

「もし。もし、あんたがあの坊ちゃんと別れたら……」

 

 その先を、杏子は言えなかった。さやかが言わせてくれなかったのだ。ぎゅっと、杏子の背中をさやかが抱きしめる。

 

「ごめん。私にできるのは、これくらい」

 

「……十分さ」

 

 そんな、甘く苦い百合の花。心苦しい少女たちの心。それは私の大好物。混ざりたいが、空気を読もう。

 

「なぎさはただもう一度心ゆくまでチーズが食べたかっただけなのです!」

 

 しかしこの幼子は分かっていながらそんな空気を破壊してみせた。彼女なりの思いやりだったのかもしれない。この子はこれでも、賢いのだから。

 怒るさやかに逃げるなぎさ。そして笑う杏子。これで良いのだ。私達とは、今を生き、今に恋する魔法少女なのだから。

 

 さて、あともう一踏ん張りだ。さやかと杏子は手を繋げば、辺り一面を血の炎で焼いてみせる。あれは穢れた血と青ざめた血の一部によって為せる血の業。カインハーストの血族である杏子、そして今となっては私の眷属であるさやかが齎す少女の炎だ。

 

 そして夢とは醒めるもの。今は目醒めの時だ。

 

 魔法少女と魔女達が活路を開き、私は宇宙へと祈る。蛞蝓を手に、私の中に流れる啓蒙が高次元の暗黒への道を拓くのだ。

 

「彼方への呼びかけ」

 

 呼びかけとは、失敗するもの。それが齎すは流星の煌めき。宇宙から訪れた最大級の隕石は、ほむらが秘匿する結界に綻びを生じさせる。さぁ、あとは君が役目を果たす番だぞまどか。

 まどかは弓を引き絞ると、一気に空へと解放する。

 

 歌が聞こえた気がした。朝を告げる歌が。

 

「見えた!」

 

 まどかが叫べば夜の空は晴れ、禍々しいインキュベーターの封印が露わになる。そうなればあとはあの装置を壊し、ほむらを解放するだけ。今頃お父様やお姉様方が外で暴れているだろうからキュゥべぇ達が円環の理を観測する手段は無いはずだ。

 

 さやかが叫んだ。

 

「ほむら!あれを壊せばあんたは自由になれる!インキュベーターの干渉を受けないまま、外の世界で……」

 

 歌が聞こえた気がした。ラジオの電波に乗って、それは啓蒙を介して。禍々しく、しかし神秘に満ちた曲は私の脳髄に流れ込んで何かを予感させる。

 

 

 ━━本当のまどかに会える!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巡る。言葉が巡る。思いが巡る。すべての記憶が巡る。その中でただ一人、私は覚えている。

 荒野の中、私はただ一人戦い続ける。人々のためではなく。魔法少女のためではなく。

 

 ただ、友との約束を果たすため。

 

 壊れた世界の中で。誰も生きて貴女に感謝することはせず。ただその瞳に円環の理という概念だけを目にして。

 私だけ。私だけが貴女を覚えている。この心に。人間性に。世界が終わるその日まで。

 この世界すべてが貴女を忘れてしまっても。

 

 

 私だけは覚えている。

 

 

 

 

 いつか、いつか。

 

 

 死んで円環の理に導かれ。

 

 

 ━━駄目。彼女を危険に晒す事になる。

 

 

 あの優しい笑顔が私を見てくれると信じて。

 

 

 ━━駄目。私は彼女にあってはいけない。

 

 

 再び巡り合える時を信じて。

 

 

 ━━私は一人死ななくちゃならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ━━ダメだよ、ほむらちゃん。

 

 

 

 世界が晴れる。その中に、その中心にあの子の笑顔が。

 

 

 

 ━━一人ぼっちにならないでって、言ったじゃない。

 

 

 

 ああ、まどか。

 

 ━━何があっても、ほむらちゃんはほむらちゃんだよ。私は絶対に見捨てたりはしない。

 

 

 だから。諦めないで。

 

 

 



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再誕

本日二話投稿です


 

 

 

 

 

 世界が晴れる。最早インキュベーター共の封印は壊され、偽りの宇宙が街を覆う事は無し。そしてその街すらも枯れ果て、残るは荒野の海のみ。それは現実なのだ。

 新たに生まれ落ちたほむらは、ここでようやく巡り合えた。真に待ち望んでいた相手との抱擁を。その笑顔を、感じたのだ。その姿はどんなものよりも貴く。そしてどんなものよりも美しい。

 あぁ、これが円環の理の、真の理想なのだろう。そしてそれは、私の理想でもある。

 

 まどかの腕の中で、ほむらは涙を漏らす。

 

「ごめんなさい……私が、意気地なしだったせいで」

 

 そして気がついたのだ。真に愛する者と巡り合えるためならば、その身にどんな罪と罰が訪れようが構わない。それを背負ってこそ、資格があるのだと。

 私は落葉を鞘に納め、ただただ美しい百合を眺めていた。と、その隣にお父様を含め私の知る面々が訪れる。

 

「君の理想は見れたかい?」

 

 懐かしい魔法少女の姿をした自分に問いかけられれば、頷く。

 

「やはり私は間違っていなかった。そしてまどかも。我らはただ、百合の花を咲かせたいだけなのだ」

 

 満足そうに私は語る。父は鎧の頭を脱ぎ、その光景を最初は黙って見ていた。

 

「……俺の知り合いにも、友との約束を最期まで果たそうとした玉葱頭がいた。人とは、やはり約束と愛に生きるのだな」

 

 玉葱頭とは何だろうか。まぁ良い。それは一先ず置いておこう。

 

「あんたも満足そうだね。こちとらあの白い獣相手に散々暴れて疲れちまったよ」

 

 アイリーンが仮面を外し、ため息まじりに言ってみせた。その美貌を態とらしく歪め、しかし私とまた巡り合えた事を嬉しく思い。そしてもう一人。ゆっくりとした様子で歩いてくる者がいる。

 人形ちゃんは、優しく私を抱擁すると語った。

 

「お帰りなさい、狩人様。お元気そうで」

 

「待たせたね、人形ちゃん。偽りの世界での君の作った料理、美味しかったよ」

 

 創造主を愛する人形は、ただ優しく私を受け入れてくれる。

 

「あら、私も手伝ったのだけれど」

 

「君はどこまでも嫉妬深いね、星の娘よ」

 

 むすっとした様子で愛を欲する星の娘もまた、キュゥべぇと対峙していたのだ。

 

 

 

 

 まどかは本当のほむらと一緒に弓を構える。コネクト、ルミナス、そう言った単語が啓蒙される。そして二人の天使は翼を携え、空に潜む者達に向けて矢を放った。

 遍く矢は尽く結界の名残とインキュベーター達を葬り去る。そして言うのだ、いつものごとく理解ができないと。訳がわからないよ、と。

 

 円環の理は、そうして最後の役割を果たすべく一度帰還する。もう一人の私も含め。その横に、かつての友を携えて。それは羨む光景。けれど、良いのだ。もう私は、狩人なのだから。君は君で、楽しんでくると良い。幸せなのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

「……行っちまったのか?」

 

 

 

 悲しそうに、しかし態度には出さず杏子は呟く。これが物語とするならば、もうエンディングなのだろう。

 

「さやかも、あんたのベベも」

 

 問いかける杏子に、しかしマミは暗い夜空に何かを啓蒙した。そして否定するのだ。暗闇にさす一筋の明かりを瞳にして。さやかよ、私の眷属に命ずる。最期の役目を果たし給え。それこそ君の、魔法少女としての務めなのだから。

 そうして円環の理は、初めて生きた魔法少女達の前に姿を現す。

 

 やはり彼女は美しい。純白のドレスに身を包み、その桃色の髪を靡かせる人間性の闇。しかして魔法少女達の希望である、女神。

 円環の理、鹿目まどかは現れた。かつて私に見せた欲深さも、暗闇もない。ただ愛するもののために見せる慈悲は、神すらも超越してみせる。アンリも手中に落ちる訳だ。

 

「あれが、鹿目まどか」

 

「ええ……いつか私達を導く、円環の理」

 

 使命はとうに思い出された。暁美ほむらを導き、共に愛するという使命は。

 

「そうだった」

 

 故にまどかは謝罪する。

 

「私はほむらちゃんのために……こんな大事な事を忘れてたなんて」

 

 神になっても本質は変わらない。おっちょこちょいな所もまた、彼女の魅力なのだろう。

 そうして女神の後ろから、彼女達もやって来る。円環の理の使者達。美樹さやか、百江なぎさ、そして私とアンリ。二人寄り添う魔法少女の私とアンリは私を一瞥すると、にっこりと笑う。それは祝福なのだ。私も朗らかに笑みを返す。

 

「まぁ……さやかさんったら、立派に……」

 

「さやか……また会えたね」

 

「仁美、恭介……今度からは、ずっと一緒だね」

 

 これからも、三人は愛し合うのだろう。例えどの様な障害があろうとも、彼らの愛はそれを乗り越えて行けるはずだ。それこそ人間なのだから。愛故に、生きて行ける。それは神々にすら理解できぬ事なのだ。

 さやかが走らせる馬車。そしてとうとうまどかはほむらの下へ降り立った。

 

 今度こそ、終わらせるために。最愛の友を救うために。横たわり最期を待つ友に、寄り添う。今はただ、その運命的な瞬間を見届ける。

 

 

「フン……未だ人とは、欲深きものだな」

 

「タツヤ?」

 

 不意に、悪魔殺し(Slayer of the demons)が隣に現れる。不敵な笑みを宿し、何かの訪れを待つように。その膨大な(ソウル)に、お父様が警戒したが私が手で制した。

 

「今いい所なんだ、邪魔はするなよ」

 

「おいおい、分からぬか貴公。まぁそれも良い。ネタバレしては楽しめぬからな……姉貴も随分と面白い女に好かれたものだ……だが、良い。久々に本業に戻れそうだからな」

 

「なに……、これは……?」

 

 何かが啓蒙される。それは先ほどから聞こえていた曲。何なのだ、これは。宇宙は何を予期しているのだ?

 得体の知れぬ不安が襲う。まさか、まだ何かあると言うのか。キュゥべぇ達は最早干渉はできぬ。一体何が不安だと言うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ━━ Something happened on the day he died !(彼が死んだ時、何かが起きた!)

 

 

 まどかはゆっくりとほむらの身体に手を伸ばす。この時こそ、救いを齎す。そしてほむらも、ゆっくりと瞳を開けてその存在を目にした。

 美しい友は、彼女を導こうとしていて。彼女もまた、手を伸ばす。それで良い。それで良いのだ。だから、何もすべきではない。

 

 

 ━━Spirit rose a metre and stepped aside(魂が1メートル起き上がり、その身を引く)

 

 

 さぁ、行こうとまどかが言葉をかける。今度こそ貴女を救うのだと。永遠の愛を誓うのだと。それは百合が咲き乱れる瞬間。

 

 

 ━━Somebody else took his place(誰かが彼の身体へと置き換わり)

 

 

 歌が鳴り止まない。ただほむらは、嬉しそうに、その抱擁を受けるべく頷く。そうね、まどかと、同意するのだ。

 割れたソウルジェムを差し出し、その魂を導くために。円環の理の女神に救われるために。錯乱しかける私に、父が心配そうにして声をかける。だがそれすらも耳に入らない。

 そうしてとうとう、ほむらの手とまどかの手が触れ合う。それは渇望。愛を欲し、その愛のために生きた者の魂。

 だが最後まで、ほむらは何も語らない。それは沈黙。彼女は何かをしようとしている。啓蒙が何かを告げて来る。歌と共に。そして父や恭介達もまた、何かを感じ取った。

 

 

「そうね、まどか」

 

 

 ほむらの人間性が膨れ上がる。それは人が抱くべき量を遥かに超えている。神ですらない、しかし人ですらない。それは一体、何になると言うのか。

 まどかがそれに気がついた時には既に遅かった。そして触れ合う事で、ようやく気がついたのだ。

 

 

「この時を、待ってた」

 

 

 穢れ。人とは、人の魂とは、穢れてこそ燃え盛る。愛に燃え、救いに燃え、約束に燃え。そうして暁美ほむらは生まれ落ちた。

 燃え盛る炎。かつてまどかがほむらの名を現したように、ほむらの人としての人間性は燃え滾り爆発する。その炎は、目に見えずともまどかを包んだ。

 

 

 

「やっと、捕まえた」

 

 

 

 自らのソウルジェムを手放し、まどかの白い腕を掴み上げる。刹那、さやか達が動いた。剣を抜き、不死斬りを発動させるべく構えた。もう一人の私とアンリも、各々の武器を構え突貫していく。

 だが、最早遅い。黒い炎がほむらから吹き荒れれば、彼女とまどかを中心に全てのものを弾き飛ばす。私達も例外無く、その炎の余波に巻き込まれ吹き飛んだ。

 

 

 ━━and bravely cried(勇しく叫ぶのだ)

 

 

「ぐ、これは……!?」

 

 落葉を地面に突き立て耐え忍ぶ。只一人、悪魔殺し(Slayer of the demons)だけが両の手を広げてその光景を歓迎していた。

 

「ハッッハハハハハハハ!!!!!!オーラントよ!見よ!貴様は実に正しく愚かだ!世界とは悲劇ではない!喜劇だぁ!人を超越し、獣を介さず悪魔になるとは!」

 

 まどかは困惑し、問いかける。

 

「ほ、ほむらちゃん!?」

 

 宇宙は女神より、悪魔を選んだ。膨大な遺志と啓蒙がほむらに降り注ぐ。暗い闇の炎はそのまままどかを包むと、先ほどまで力無く倒れていたはずのほむらが立ち上がりまどかを抱いた。

 

「ああ、ようやく、ようやく……!貴女を手に入れられる!」

 

 彼女の熱い接吻がまどかを蹂躙する。そしてその口づけは、正しく呪いだ。

 落ちたソウルジェムに、ドス黒い呪いが溜まる。

 

「っ、あれは、何?欲望?執念?いや、違う……ほむら、あんたッ!」

 

 さやかが叫ぶ。するとほむらは口を離し、力無く項垂れるまどかを抱きながら冷たい表情で彼女を見た。

 

「貴女は理解しているはずよ、美樹さやか。いいえ、違う。貴女には、貴女達には理解できないわ」

 

 魔女は、否悪魔は笑う。

 

「この想いは私だけのもの、まどかのためだけのもの」

 

「ほ、むら、ちゃん……ダメ……私が、裂けちゃう」

 

「いいのよ、まどか。裂けて?」

 

 ほむらが片手でまどかの胸を撫でる。その手つきのなんと嫌らしいことか。すると、何かを掴んだのか引っ張り上げた。

 

 

「まどか。お帰りなさい」

 

 

 それは、鹿目まどか。女神ではない、ただの少女である鹿目まどか。ほむらは女神から、一人の少女を分離させた。引き剥がしたのだ。

 円環の理である女神が力無く天に登っていく。それを無視し、ほむらは少女であるまどかを抱きしめた。

 

 ━━言ったはずよ。もう二度と、貴女を離さないと。

 

 世界は二度変わる。一回目はまどかによって。今度はほむらによって。すべては愛故に。愛とはまったく、それで良いのだと。宇宙は叫ぶ。

 

「ほむら……ほむら!」

 

 崩れて行く世界の中で、私はほむらに叫ぶ。

 

「貴女のおかげよ、狩人。貴女がいなければこうして辿り着くことはなかった。魂と魂の分離……ふふ、実に貴女は、良いお手本ね」

 

 その笑みは、言葉とは裏腹に優しく。愛に溢れている。彼女の笑みを見て、私は納得した。結局彼女は何も変わっていない。ただまどかを愛するだけの、一人の少女なのだと。

 

「それで良い!君は、君の為すべき事を為すのだ!」

 

 百合に呑まれ、しかし本当の愛は忘れず。それで良いのだ、ほむら。君はただ、まどかを愛すれば良い。君こそ、黒き星。

 

 

 ━━ I’m a blackstar!, I’m a blackstar(私は黒い星よ!黒い星なの!)!



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ブラックスター

繋ぎなので短めです


 

 

 

 

 一体何度、天使のようなあの娘は死ねば良いのか。

 

 私は黒き星!

 

 一体何人の愚かな人々がその真意を隠し嘘をつくのか。

 

 私は黒き星!

 

 私はあの娘が創りし聖地に足を踏み入れると、曇り空の下で私を見上げる少女達に高らかに叫ぶのだ。

 私が黒い星!黒き星なの!ゴロつき達の星じゃないわ!違うよほむらちゃん。

 

 何故かは答えられないわね。だって私は黒い星なのだから。私と共に逃げましょうよ。

 

 私は女優じゃないわ!

 

 貴女を大切な人達の下に連れ帰るの。それが私なのよ。私はブラックスター!

 そうそう、パスポートは持ったかしら?それに靴も履かなくちゃね。

 

 ポップスターじゃないの!

 

 鎮静剤も忘れないでね。(狂気を忘れなさい)私はブラックスターなのだから。貴女は宇宙で儚くも輝く流れ星よ。私はお人好しのスターじゃない!

 

 私こそ偉大なる上位者(人間性のデーモン)なのよ。それこそブラックスターなの!

 

 私には何でも出来るのよ。魅力もある!貴女みたいな優しすぎる厄介者の面倒だって見てあげる。私が欲しいものは白昼夢の中に潜む鷹。瞳に宿るダイヤモンド。

 私はブラックスターなのよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界がまた、書き換えられていく。それは女神の望まぬ世界。望まぬ上書き。だからこそ少女は選ぶのだ。彼女の独善的な愛故に、最愛の友を取り戻すために。

 そも、暁美ほむらの人生とは繰り返した時間を含めればその殆どが最愛の友を救うために生きた時間。最早暁美ほむらという本来の少女が抱く人間性とは枯れ果て、今はただ約束のためにのみ道を進む。

 それは呪いの物語だった。ほむらは自ら呪いを受け、そしてそれを尊びながら筆で綴る。いくら絶望はあろうとも、ほむらは心折れぬ。ただまどかという少女さえいれば。

 

 最早、ほむらの存在は白き宇宙の使者の予想など遠く超えていた。たかが一人の魔法少女が神にも等しい……否、それすらも超えてしまった少女を手中に収めるなどと、誰が思おうか。自らの安らぎすらも捨て、待ち受けるのは呪いの最果て。そんなものの為に魂を地に落とすなど人間ならばするはずも無し。

 しかし暁美ほむらはしてしまったのだ。人間の行動を遥かに超え。神を手に入れてしまった。新たな概念を生み出してしまった。

 

 新たに生み出された世界。薄暗い曇り空、花すらも咲かない荒れた農地で一人少女は語りかける。

 

 

「そういえば。あなたは覚えていなかったわね」

 

 

 凍りつくくらい冷酷な口調で、しかしはっきりと嘲笑うように彼女は言った。

 

 

「私にとっては二度目の光景だけれど」

 

 

 誇るように、はっきりと言い放つ。その言葉を受けたインキュベーターの総体は、問いをぶつける。

 

「何が起きているんだ、暁美ほむら。君は何に干渉しているんだ?何を改竄してしまったんだ?」

 

 彼らはその後、砕け散ったソウルジェムの残骸を目にした。魂を包む殻は既に砕け散り、しかし中心の魂は光り輝いている。

 否、燃えている。おどろおどろしく暗い魂を薪にして、彼女の魂は暗闇を燃やしている。それは浄化されて保たれている魂とは訳が違う。根本が違う。人間性の最果て、暗い闇。闇こそが彼女の心。深く暖かい闇こそが、人の本質。

 ほむらは極限に到達した。誰もなし得なかった、それこそ愛する友ですら辿り着く所か気づきもしなかったもの。ただ一つの物を、世界を超えても愛し、愛するが故に暗く。

 

「不可能だ。そんな呪いに染まってしまって、消え去るはずの君の魂が……何故……」

 

 理解できるはずもない。インキュベーターとは感情を持たぬ。それに意味を見出せぬ。ならば意味は無し。

 

「思い出したのよ」

 

 黒い喪服は燃え尽き、新たにほむらの身を包むのはバレリーナのようなドレス。

 

「今日まで何度も繰り返して、傷付き苦しんできたその全てが。まどかを思ってのことだった」

 

 安らかに、穏やかに。されど魂はどす黒く。黒よりも深い闇は何処とも知れぬ農地を包む。

 

「今はもう、その痛みさえも愛おしい」

 

 彼女の魂が溶けてゆく。いつの間にか手にしたグラスにその魂ごと注いでいく。

 

「私のソウルジェムを濁らせたのは、もはや呪いですらなかった」

 

 宇宙が叫ぶ。黒き星の名を。ブラックスター!

 

「それは一体、何なんだ!」

 

 感情を持たぬはずのキュゥべぇが答えを心の底から求めると。ほむらはただ、誇らしげに言うのだ。

 

「あなたに理解できるはずもないわ。これこそがすべての人間の内に宿すもの、人間性の極み」

 

 グラスに注いだ無形の魂は再度形作られる。黒く、しかし燃え盛る魂へと。

 

「希望よりも燃え上がり」

 

 宇宙は叫ぶ。

 

「絶望すらも明るく思える深淵」

 

 

 

 魂を、身体が飲み込む。薪は彼女の体内で燃え、その力を完全なものとする。新たなデーモンが、誕生する。

 

 

 

「愛よ」

 

 

 

 

 ━━私には答えを言えないわ。でもやり方は教えてあげられる。

 私達は逆さまに産まれてきたの。間違った方向に産まれてしまったの。

 

 私はホワイトスターじゃない。ブラックスター。

 私はギャングスターじゃない。ブラックスター。

 ポルノスターでもなければ彷徨えるスターでもない。

 ブラックスター。ブラックスターよ!

 

 磔の罪人達が叫ぶ。糾弾する。白い肌を剥き出しにして、赤い瞳を輝かせて。

 お前ではないと叫ぶ。雨晒し、雷が落ちようと叫び続ける。その中でこそブラックスターは誕生する。白い星を堕とし、代わりに彼女の場所へと入れ替わる。

 それがブラックスター。闇より産まれ出た黒き星。

 

 最早逃げることなどできぬ。白き使者達は遂に宇宙の声を聞くことはなく。その祝福は黙示録のラッパ。放棄などさせるはずがない。それこそ宇宙の総意。

 故にその手の内に捕まるのだ。悪魔の手に。そして死ぬ。いや死ねぬ。世界と宇宙が終わるその日まで、彼らは怯え使役される。

 

 それで良い。これこそ報い。人間性を弄び、制御できると思った哀れで愚かな賢者達。その者達は、嘲笑い使役していた者に支配されたのだ。

 

 

 

 

 

「哀れだね、同胞達」

 

 トップハットを深々と被り、唯一逃れた白き者が嘆いた。感情という危険すぎる物を手に入れた彼だけは知っている。人間など、その存在が既に手に負えるものではなかったのだと。彼は一度、人から神が産まれるのを見ていたのだから。

 宇宙すらも統御するものを、なぜ支配できると思ったのか。呆れもするだろう。

 

 その横には狩人がいる。ただ遠目に、深淵の縁から悪魔を見つめている。真の愛に目覚めた者を歓迎するのだ。深く、暗く、暖かく。愛という名の真意に気がついた彼女を、迎え入れる。それは真の人の時代の到来である。

 

「世界とは、実に喜劇だ」

 

 そうして魂を貪る者も、その闇に惹きつけられ現れる。重厚な鎧に身を包み、しかし闘志は今の所無く。古き獣が求めたデーモンが嬉しそうに、楽しそうに囀った。

 かつてどこかの世界で老王が言った。世界とは悲劇であると。人の世とは実に儘ならぬものである。今もどこかで人々は嘆き、悲しみ、絶望していく。神はそう世界を創ったのだと。彼は嘆いた。

 

 それがどうしたというのだ。悲劇とは、単なる事象でしかない。重なれば単なる悲劇の纏まりでしかないが。積もり積もれば喜劇に等しい。いつしか悲劇は普遍のものと成り果て、人は喜劇に飢えるだろう。

 悲劇しかないのであれば、それを喜劇にしてしまえば良い。それだけのこと。

 

「人を超え……否、人であるからこそその闇に気付き、愛へと闇を焚べ続ける」

 

「愛とは実に、美しい。愛故に人は生き、死んでも尚輝き続ける。愛だけは不変であるが故に。やはり君は正しかったのだね」

 

 会話にはならぬ。そもそも会話などしておらぬ。ただ話したいことを話す。それで良い。

 そのうち悪魔殺し(Slayer of the demons)はガシャりと踵を返し、闇より立ち去ろうとする。その背中へ振り返らずに私は質問をした。取るに足らぬ質問だ。

 

「悪魔を殺すのが君の所業だろう。君は彼女を殺すのかい?」

 

 悪魔殺し(Slayer of the demons)は足を止め、しかし同じく振り返らずに鼻で笑って答える。

 

「人よりも人らしいものを悪魔だとは呼ばぬ。あんなに利己的で欲深い愛は、デーモンでは齎せぬだろう?」

 

 それだけ言って彼は消える。それもそうだ。前ならば新たな上位者の誕生に私も喜んだが。今のこの喜びとは異なる。清々しいほどの私欲とは時に美しすぎるものだ。そんなモノを穢して何になる。

 

「さて……君はこれから、どんな悪魔になるのだろうね、ほむら」

 

 私はあの少女に輝かしい期待を抱きながらその場を去る。後に残るのはあの少女の呪いのような笑い声と、その少女に捕らえられた哀れな上位者だけだった。



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愛を、ください

 

 

 

 

 終わらぬ夜もなく。朝日が必ず地上を照らす。鳥達は太陽の到来を囀りで知らせ、人々は新たな一日を前にして深い微睡から目覚めていく。星々を映す暗い空は段々と光に溢れ、紺紫からの薄青のグラデーションは実に芸術的である。

 夢とはいつか醒めるものだ。そうしてやってくるのは現実。紛れもない真実。こんな、たったそれだけの事実がどれほど素晴らしいものかは今の人々には分からぬだろう。時空は歪まず不必要な物は見えず、ただありのままを見れば良いとは。世界とは本来そうあるべきなのだ。

 

 窓から差し込む光に目が眩み、しかし嫌な気持ちにはならない。はっきりとした意識で私は太陽を眺めた。偽りではない本物の太陽を。

 かつて不死が追い求め、しかし遂には手に入れることは叶わなかった太陽。だがそれで良い。人が太陽を手に入れるなど、身に余る。

 

「狩人様、おはようございます」

 

 ふと、部屋の扉がノックされいつもの格好の人形ちゃんが入ってくる。私は和かに笑い挨拶するのだ。

 

「おはよう。今日も良い一日になりそうだね」

 

 そう言って、窓の下を眺める。そこには学生や社会人達が道を闊歩している。それぞれがなすべき事のために歩く。獣や異形は蔓延っていない。

 私の、世界の新しい夜明け。これこそ人が、魔法少女達が真に求めていたもの。なるほど、やはり人の世とは素晴らしい。

 

 着替えてリビングに降り立てば、やはりいつものように父が新聞を広げてコーヒーを飲んでいた。テレビには朝のニュースが流れ、キッチンでは女性が料理を作っている。鼻を擽る匂いは目玉焼きとトーストの匂い。

 

「おはよう、お父様」

 

「おはよう。どんな気持ちだ、新しい目醒めとは」

 

 父は不意に、そんな事を聞いてきた。何気無く、しかし私の反応をしかと見たいという気持ちが伝わってくる。私は椅子に腰掛け、足を組んで答える。

 

「清々しいものです。かつてヤーナムで幾度も味わった目醒めとは似ても似つかないものです」

 

「そうか。なら良いんだ……お前が決断した事だしな」

 

 相変わらず不器用な父だ。だが良い、父があの時手を出さなかった事は今に繋がっているのだから。

 

「これからはどうするんだ」

 

 人形ちゃんから渡された紅茶を飲み、父の第二の質問に答える。

 

「今まで通りに。やはり私は夢を捨てきれませんから」

 

「そうか。そうだな」

 

 特に何を言うでもなく。父は私を肯定した。元より否定するなどするはずもない。父は私の父で、私は父の娘なのだから。親とは子の願いを応援するものだ。

 と、リビングにもう一人やって来る。それは姉。否、古狩人。スタイルの良い長身に似合わないファンシーなパジャマに身を包み、目を擦る時計塔のマリア。彼女は傍に猫のぬいぐるみを抱え、心底眠そうにして対面の椅子に座る。なんともまぁ、初めて会った時の威厳は無い。

 

「……なんで私も巻き込まれたのだ」

 

 ボソッと、そんな小言を言う。

 

「不満ですか?」

 

「仕事に行きたくない」

 

 それは実に現代人らしい悩みだった。私はくすっと笑ってから言う。

 

「でも、ここでなら猫が飼えますよ。夢には猫は持って来れませんでしたから」

 

 そう言うと少しは納得したのか差し出された朝食であるトーストに齧り付く。

 

「王、朝食ができましたわ」

 

 紫がかった黒髪を揺らしその美人は言った。本来なんの繋がりもない、しかしあの悪夢においては私の母を演じていた上位者。メルゴーの乳母。彼女はにこにこと笑みを溢れさせながら言う。

 彼女も満更でもないのだろう。それは良かった。今となっては君もまた私の家族なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 皆が登校していく。制服を身につけ。友達や恋人と共に。

 ふと、偽街の子供たちが視界の淵で走った気がした。一瞬の出来事。私の視線がそちらを向けば、優雅に小川の近くで朝のティータイムをする黒髪の美少女と青髪の活発な少女が何やら揉めているように見える。

 

「やらかしたね、あんた」

 

 滲み出る殺意をほむらにぶつけるさやか。当の本人はどこ吹く風で、紅茶を嗜んでいる。耳にぶら下がるピアスが朝日を反射させた。

 

「その、やらかしたというのはやめなさい……それにしても、貴女はやはり覚えているのね」

 

 クールにほむらは呟く。さやかはほむらの対面に座り、問い詰めた。

 

「自分のした事分かってるんだよね」

 

 そう言うさやかの表情は優れない。今にも斬りかかりそうな程に緊迫している。しかしほむらはニヤッと笑い、ただ言い返す。

 

「ただ円環の理の一部を分けただけよ。人間としての彼女と、女神としての彼女をね」

 

「魔法少女の希望を……勝手にもぎ取るなんて事、許されると思ってるの?」

 

 さやかの言葉を鼻で笑う。

 

「そうね。あんなに神聖なモノを私は奪ってしまった。それは許される事では無いわ」

 

 ふぅ、とさやかは頭を悩ませる。

 

「あんた、魔法少女や魔女からも外れて何になったつもり?」

 

 そう問われ、ほむらは自身のソウルジェム……否、ダークオーブを取り出して太陽に透かす。清々しい程に黒く染まったそれは決して陽の光を通す事はない。それは深淵の、人間性の凝固に近い。

 

「それはもう、魔なるモノかしら?」

 

「何カッコつけてんだか、痛々しい」

 

 そんなほむらを、今度はさやかが笑って呆れた。

 

「まぁ良いじゃない。私が世界を改変した事によって、本来ここにいられるはずも無い貴女や百江なぎさ達も受肉したのだから」

 

 道行く人々を見渡す。その中には元気に走り回るなぎさやあやか、そしてこのみの姿すらも見受けられる。

 彼女たち、円環の理の使者は世界の再編に巻き込まれたのだ。暁美ほむらが望む世界、その犠牲者となった彼女達は知る由も無い。自らが一度は絶望に染まり、世界に深淵を齎そうとしていた事など。すべての魔法少女が復活などはできないが、少なくともあの場にいた者達は今一度人としての余生を過ごす事ができるのだ。

 誰でも無い、神を奪った悪魔によって。

 

「これからどうするつもり?悪魔らしく世界と宇宙を滅ぼすの?ゴジラかよ」

 

「貴女私を馬鹿にしてるでしょう。でも、そうね。それも面白そうね……魔獣を打ち滅ぼしたらやってみようかしら、世界滅亡」

 

 その時は改めて、貴女達の敵になってあげると告げて。軽く、しかしどこまで本気かは分からないが言った。だがそんな悪魔にも怖いものはある。

 

「……やめておきましょう。ここには薪の王がいて、悪魔殺しや狩人もいる。敵になれば私の手に余るわ。貴女はどうなの?記憶は無くならないまま、私の所業を知っている円環の聖剣。良いのよ別に。私に立ち向かっても、ね」

 

 ここで。もしさやかが剣を抜くのであれば、ほむらは悪魔の権限を持ってさやかの記憶を消すつもりでいた。敵は少なければ少ないほど良いというのは繰り返した時間の中で知っている。そして美樹さやかという少女は正義感故に幾度もほむらを直接的に、そして間接的に妨害してきたものだ。

 さやかは瞳を閉じ、一考してから答える。それは悪魔にとっては予想外で。

 

「……今の私はリリィの眷属。円環の理の、その右腕じゃない。今更どんな顔して正義の魔法少女面すれば良いのさ」

 

「……あら、意外ね。てっきり貴女の事だから、感情に任せて斬りかかってくると思ったのに」

 

「でもね、ほむら」

 

 ダンッと、さやかは召喚した剣を目にも留まらぬ速さでテーブルに突き刺した。世界が改変され彼女が復活しても、その剣筋は衰えていない。その素早さは正しく剣聖。ほむらは動じず、さやかの青い瞳を見詰める。

 

「まどかが全てを思い出して、助けを求めるのなら。私は喜んであんたの敵になるよ。覚えときな」

 

 そう言って剣を引き抜き、鞘に納める。そして踵を返せばさやかは立ち去る。一言だけ、ほむらに言い残して。

 

「それまでは意地っ張りで天邪鬼で、自分に正直になれないほむらの友達でいてあげるよ」

 

 少女達が惚れそうなくらい爽やかな表情で彼女は言って見せた。そんな、ある意味男らしいさやかにほむらは面食らったのも事実だった。

 彼女が立ち去れば、ほむらは一人呟く。少しばかり顔を赤く染めて。

 

「……円環の魔法少女が惚れるのも分かるわね、美樹さやか」

 

 偽街の子供達は嘲笑う。主の醜態を見るのもまた、彼女達には娯楽になり得る。

 

 

 

「もう良いのかい、さやか」

 

 道路で待っていた恭介が、戻ってきたさやかを見て言った。さやかは適当に頷けば、彼の左手を握る。その反対側の手は、仁美が握っていた。

 

「ま、今すぐに何かする訳じゃ無いみたいだし。いいんじゃない?」

 

「では、参りましょう」

 

 そうして三人は進んでいく。いつもの日常へと。血の匂いなどしない、健全な道へと。それで良い。学生の本業は学問と恋愛なのだから。君達は異性に酔いしれ、成長すればそれで良いのだ。

 

 

 

 

 

 

「リリィ遅いぞ!何分待たせるんだ!」

 

 通学路で、私はその人を見た。長い金髪を一本に纏め、凛々しさを溢れ出すその少女を。私はしばし立ち止まり、懐かしさとよく分からない感情を抑え込めばその少女と、その隣で不機嫌そうにそっぽ向く星の娘に合流する。

 

「済まない、中々髪型が決まらなくてね」

 

 適当な返答をして二人に混ざれば金髪の少女……アンリがムッとして私の髪を眺める。

 

「そういう割には寝癖があるぞ」

 

「え、本当かい?」

 

「ほら、じっとしていろ」

 

 そう言うとアンリは鞄から櫛を取り出して私の髪を梳かす。セミロングの銀髪に、櫛は何ら抵抗もなく流れていく。それが気持ちが良い。

 ふと、そんな撫でられている猫のような私をジッと見詰める者がいた。人間の姿に擬態し、見滝原中学の制服に身を包んだエーブリエタース……星の娘。どうやら嫉妬しているらしい。

 

「ご機嫌ねリリィ。ああそうよね、美人に髪を弄られるの好きだものね」

 

「おや、嫉妬かな?朝から可愛いね。えいっ」

 

 ふんっとそっぽ向く彼女の脇腹を触る。すると星の娘はびくっと無言で身体を驚かせ、まるで初めて嘆きの祭壇で出会った時のようにその翠の瞳で私を全力で見つめた。

 

「リリィ〜……!」

 

「はははっ、身体は正直……あひゃ!?」

 

 と、真後ろから私は胸を触られる。思わず変な声が出てしまい、梳かされているのも忘れて振り返ればニコニコとしたマミがいた。

 いや、これは怒っている時の笑みだ。私が何をしたと言うのだ。

 

「おはようリリィさん。楽しそうね、他の女の子に手を出すのは」

 

「マ、マミ。待ち給えよ。別にそんな卑猥な事は……」

 

「出たわね巨乳。今は私とリリィの時間なの。貴女はお呼びじゃないわ」

 

「あら?ごめんなさい、リリィさん貴女の身体じゃ満足してなさそうだったから」

 

「なんですって〜!」

 

 気がつけば私をそっちのけでマミとエブちゃんがキャットファイトを始める。毎度の事だが、見ていて飽きない。だってそうじゃないか、私を目当てに争うなんて、それこそハーレムもののお約束だ。

 私はニヤニヤと笑みを隠さず、

 

「まぁ落ち着き給えよ、二人とも」

 

「ちょっとリリィ!貴女は結局誰が一番なのよ!」

 

「答えてリリィさん!」

 

 しかしこれもお約束か、いつの間にか二人は私に詰め寄っていた。うっ、と私はたじろいでどう返答するか悩む。

 ああ、結局脳に瞳を宿したとしても少女達を満足させることは難しいのだな。隣で呆れるアンリに助けを求めるが、彼女は私に自業自得だ、と言うと歩いて行ってしまった。ならば私も逃げるまで。

 

 猛ダッシュする。まるでヤーナムタイムアタックの如く走る。スタミナをしっかり管理して走る。

 

「私は先に失礼するよ!」

 

「あ!ちょっと待ちなさい!」

 

「リリィ!私よね!私なのよね!」

 

 二人も魔法少女と上位者パワーで執拗に追いかけてくる……朝から姦しいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 騒がしいのはホームルームでも同じ事だ。相変わらず先生は男運が無いらしく、卵焼きの持論を展開している。私達クラスメイトはその恒例行事を苦笑いで暖かく見守るだけ。

 仲の良いさやかとアンリはまたダメだったのかと呆れ、仁美はニコニコと恭介を眺めている。恭介よ、そんな迷惑そうな顔をするな、男だろう。

 そしてほむらは。相変わらず冷静に……しかしどこか気怠けに呆然としている。それはキャラ作りだろうか。あんまり似合わないぞ。

 

「あ、そうだ。今日は転校生を紹介しま〜す」

 

 唐突な転校生の紹介。皆が呆れる中、入ってきたのは。

 

「えっと、鹿目まどかです」

 

「鹿目タツヤです!よろしくぅ!」

 

 トレードマークのリボンを外した美少女、鹿目まどかとその弟である騒がしい鹿目タツヤだった。まどかを見た瞬間、ほむらがふっと微笑む。分かるよ、ほむら。君の愛は本物だ。滲み出る闇を介さずとも、君の愛は伝わる者には伝わっている。

 どうやら二人は母の海外出張から戻ってきた帰国子女という事らしい。なるほど、あまり得意でない英語を補強するためにそういう設定にしてあげたのかほむらよ。私としても英語を話せる相手は好ましい。今でこそ当然のように日本語を話しているが、私は元々英語が母語だからね。

 

 そこからは、いつか私が受けたようにクラスメイトからの質問責めにあっていた。

 

「鹿目さん英語ペラペラなの?すっごーい!」

 

「髪良い匂いするね、シャンプー何使ってるの?」

 

「鹿目さんちっちゃくて可愛い、小学生みたいだね……ちょっと抱きしめてもいい?」

 

 おかしいな、少女達しか話しかけていないはずなのに邪な念をひしひしと感じるぞ。

 もしかすればこれもほむらの影響なのかもしれない。悪魔として産まれ変わったほむらの愛は、それこそ一人の身体に納められるようなものではない。溜め過ぎた人間性は時として周囲に影響を与えるのだろうから、それも仕方ないか。

 

 タツヤの方も男子からの人気は厚いようだ。スポーツの事とか、趣味の事とか、あのゲームはやってるかとか実に男子らしい。

 

「えっと……あはは……」

 

 と、あまりの質問責めにまどかが困惑している。

 

「みんな。一気に質問されて鹿目さんが困っているわよ」

 

 不意に。ほむらが立ち上がった。そして彼女を守るように女子生徒達を落ち着かせる。ほむらを見た少女達は一斉に黙り、教室にはしばしの沈黙が訪れた。

 やはりほむら。君は孤独の道を選ぶか。それもまた、君の選択なのだろう。それは良い。真に愛する者だけ、それ以外とは馴れ合うことすらもしないとは。

 

 が。その沈黙もすぐに終わりを告げる。

 

「お、お姉様!」

 

「ほむらお姉様!ごめんなさい、別に他の女に手を出そうとしてる訳じゃなくて!」

 

「クールなお姉様と小動物系の鹿目さん……ああぁんどっちも好きぃ〜!」

 

 私の同情を返せほむら。クラスの女子を全て百合に目覚めさせてどうするのだ。

 

「え、ちょっと」

 

 だがこれはほむらには想定外だったらしく。何やら熱い感情を持ってほむらを囲む女生徒達に困惑している。

 なるほど、世界を改変したのは良いが力の使い方が下手だね。いやまだ分かっていないのか。細かい部分まで改変することを忘れて君の愛に触れた少女達の影響を考えていなかったね。

 

 ほむらが私を見つめて暗に助けを求めてくるが、私はただ笑って見守ることにした。ほむらよ、それも試練だ。他の百合に惑わされる事なくただまどかを愛するのだよ。

 

「あいつ馬鹿だ……」

 

 ふと、さやかが呆れたように呟く。

 

「そうかな。羨ましいけれど」

 

「リリィ……そういうところだぞ」

 

 記憶を持たぬアンリが呆れる。良いでは無いか、君もいずれ私を求めるようになるさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほむらは何とかまどかを連れ出すと、校内を案内するという名目で二人人気の無い通路を歩く。狂気に染まった女生徒達にもみくちゃにされてくたくたなほむらと、それを困ったような目で見るまどか。

 そんなほむらだったが、ふと冷静になれば自分の名前すらも告げていない事に気がつく。これが初めてでは無いが、いつもの繰り返す時間の中では概ねまどかの方から話しかけられていたから自ら自己紹介するという概念が薄い。

 

「鹿目さん、自己紹介がまだだったわね。私は……」

 

 その時。不意にまどかが足を止めた。それを不思議がって、ほむらは振り返る。

 

「……鹿目さん?」

 

 いくら悪魔でも、他人の心を全ては理解できない。

 

「ねぇ、ほむらちゃん」

 

 俯く桃色の少女は、まだ聞いてもいない少女の名を呼んだ。ほむらの心臓の鼓動が跳ね上がる。

 喉が自ずと乾き、ごくりと息を飲んだ。それでも余裕な表情は絶やさず、ただほむらはいつものように答える。

 

「なに、まどか」

 

 だから、まどかと。愛する友の名を呼んでみせる。まるで旧知の仲のように。

 その少女は面を上げると、その瞳を見せた。闇夜に浮かぶ星空のように、金色に光り輝く円環の星。その女神たる瞳を隠すことはせず。けれどその表情は、いつか見たあどけない少女のまま。

 

「ほむらちゃんは、後悔してない?」

 

 すべての質問を、投げ掛ける。覚悟を決めなければならなかった。ここで逃げるのは容易い。だがそうしてはならないと、ほむらの人間性が熱を帯びる。

 ほむらはしっかりとまどかと向き合い、その表情を変えた。決意に染まった、確かな表情。とても悪魔とは思えぬ真剣な面持ちだった。

 

 ぐっと拳を握りしめると、彼女はただ告げる。

 

「後悔なんて、あるわけない」

 

 まどかはじっと、ほむらの瞳を見詰めていた。狂気は無い。ただ、愛するが故に。

 

「私はきっと、敵になるよ」

 

「それでも。私は何度でもまどかを取り戻す」

 

「きっと、ほむらちゃんを傷つけちゃうよ」

 

「構わない。その痛みも、私は愛おしい」

 

「なら、誓って。ずっと私を愛するって。深淵の中に佇んでても、私を迎えに来るって、誓ってよ、ほむらちゃん」

 

 一歩、また一歩。ほむらは重い足を踏みしめてまどかに近づく。そうして踏み出せぬ程に近付けば、震える腕で彼女を抱き締める。

 

「もう、放さない。二度と。まどかは私のものよ。だから、お帰り、まどか」

 

「……ただいま、ほむらちゃん」

 

 女神と悪魔。相容れぬ者達は、しかし互いを愛する。その内に深い人間性を宿し。

 だがそれで良いのだろう?人とは愛を求め、愛に生き、愛に死ぬのだから。それは悪魔も女神も変わらぬ事なのだ。故にこの二人もまた、結ばれる。

 その先に血みどろの世界が訪れようとも。祝福されずとも。彼女達は互いを愛する。それこそダークソウルの極み。かつて父が奴隷騎士の中に見た、深い愛。

 

 私は、確かに少女達の歴史を見た。そして一つの終焉を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、これは予想外だね」

 

 屋上。トップハットを深く被り、煙管を咥えたキュゥべぇが言う。その隣で遠くから少女を見詰めるのは悪魔殺し(Slayer of the demons)。満足そうに二人を見詰める彼はふっと笑えば語った。

 

「そうだろうか。俺にはこの結末は必然であったように見える」

 

 ぷはーっと煙を吐き出すと、キュゥべぇはふぅん、とだけ反応した。彼にとっては少女達の愛はどうでも良いらしい。ただ何となく、しかし不満がないように生きられればそれで良いのだ。宇宙の事など最早どうでも良い。それがこの個体だ。

 

「少女達は愛を自覚し、傷付け、しかし最後には愛に溶け合う。それこそ人の(ソウル)だろう?悪魔殺し(Slayer of the demons)よ」

 

 その背後で、私は制服に身を包んだまま彼に問う。タツヤは何も言わず、しかしずっと姉とその友を眺めていた。満足そうに、それでいてその瞳には野心を抱き。その野心は波乱を呼ぶに違いない。

 だが悪くはなさそうだ。いつまでも何事も無く平和なのは良いが、それだと生きる喜びを補えない。

 

「これから君はどうするのかな、悪魔殺し(Slayer of the demons)よ」

 

 そう問えば、彼は立ち上がってぐっと背伸びをした。何かをやり切ったように。しかしこれから何かをするかのように。

 

「先程はああ言ったが……そうだな。やはり悪魔を見ると血が騒ぐ」

 

「ふん……だろうね」

 

「止めないのか?」

 

「止めるとも。だが今じゃない……そうだね、もっと彼女達の愛が燃え盛った頃、止めることにしよう」

 

 それだけ言えば、タツヤは満足したように頷いて立ち去る。

 

(ソウル)を求めよ、狩人」

 

 それだけ言って、彼は濃霧の中に消えて行く。私はキュゥべぇの横に座る。

 

「君達は物事を厄介にする達人だね。折角仕事も終わったのにさ」

 

「その折はありがとう。だが良い経験になっただろう?」

 

「どうかな。僕としては気ままにあの夢でのんびりするのも悪くないんだけどね……まぁ同胞達が困惑する様は楽しめたよ。ああそうだ、君の使者達、ちゃんと躾といてくれよ。毎回会う度に仲間だと思われて囲まれるのは精神衛生上良くないんだ」

 

「ふふ、分かったよ」

 

 じゃあ、またね。そう言って彼はどこかへ立ち去る。こうして日々は続いて行く。その時を待ちながら。

 百合の花は咲き乱れ。しかしそれでは満足できぬ。その花を手に入れたいと思う事は、おかしい事だろうか。

 




これで叛逆は終わります
少し日常回を挟んで、次の物語へ


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婚姻

とりあえず伏線回収から


 

 

 

 

 

 

 それは悪夢。閉ざされ、最早かつての栄華を思わせるものは破壊された美品の品々のみ。それも天井の高い部屋一杯に散乱し、踏み入れる者達を歓迎する素振りも見せぬ。仮に入れたとしてもその土地は異形に溢れ、死して尚怨念を抱き彷徨い続ける亡霊達が闊歩している……地獄そのもの。

 外からその地を見れば、古びた威風のある建物と万年降り続ける雪も相まってどこかの観光地にでも見えるのだろうが。それでも人はやって来ない。分かるのだ。自らの(ソウル)が、この土地は呪われていると。この土地は、そのものが悪夢なのだと。

 

 それは廃城カインハースト。現実ではない、しかし幻でも無い。確かに存在し、しかし月は降りる事はなく。夢、それも暗い悪夢の中に聳える城なのだ。

 

 

 久しぶりにこの城にもやって来た。いつ以来だろうか、確か覚えている限りでは死して尚秘密を秘匿し続ける殉教者をさくっと屠り、女王に血の穢れをこれでもかと捧げ求婚した時以来だ。

 今でも彼女の鉄仮面越しに響く美しい声が脳に木霊している。まどかもほむらも、そして人形ちゃんも確かに甘美な声をしているが、それでもあの女王から発せられる熟しても尚脳を蕩けさせる甘い声色は超えられぬ。

 よく想像したものだ、あの鉄仮面の下に隠れる顔を。すらりと長い手足、雪のように白い肌、それを映えさせる真紅のドレス。いつか彼女の隣に座り、その仮面の下を覗いて百合の花を咲かせてみたいと思ったものだ。

 

 それがまさか、あの貴族の娘だったとは。忘却というものは恐ろしい。何も知らず、彼女の前に跪いた私を……女王はどういう心境で見ていたのだろうか。失望か。それとも。

 

 だが、それももうじき分かる。城内を足速に駆け抜け、道中の亡霊や使用人達に挨拶を済ませるとローゲリウスのいた場所を通り抜けて血の女王の間へと向かえば。

 

 

 

「貴公。また、来たのだな」

 

 

 彼女は。血の女王アンナリーゼは、変わらずそこに座していた。

 私はなんだからしくなく緊張して、ぎこちなく歩く。数多の少女達と触れ合って来たはずなのに、そして何度も穢れを捧げて来たはずなのに。まるで告白間近の少年のように。

 

 いつもならば跪く場所で、私は立ち尽くしたまま彼女を見据えた。互いに何も言わぬ。彼女は私が跪くまで。私は決心がつくまで。

 

「…………」

 

「…………」

 

 静寂の城内で、痛いくらいの沈黙が我々を支配した。最初の一言が発せない。それくらい女王からの威圧感と申し訳なさが凄い。

 私をヤーナムへと誘った本人。悪夢に囚われる間接的な原因。されどそれを恨む事など絶対にするはずもない。なぜなら私は多くの悪夢で狩りをこなし、そして上位者へと至り。本当に大切だったものを見つけることができたのだから。むしろ感謝しなければなるまい。

 

 仕方が無い。ここは、昔の私に頼る事にする。私は夢を利用し、一瞬の内に衣装を着替える。いつもの人形ちゃんの服とヘッドドレス、そしてマリアお姉様のズボンとグローブ。それらをすべて夢に預け、纏うは懐かしき魔法少女の装束。何ら面白味も無い異邦の、全体的に暗い配色の服装。

 それに着替えた私は、胸に両手を当てて瞳を閉じた。深呼吸し、心臓の鼓動を整える。

 

「待たせたね……アンナ」

 

 ずっと、言えなかった名前を呼ぶ。すると私の脳が、(ソウル)が、血の遺志が、過去の情景を思い起こさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ねぇ、勇者さん。なんで私の名前を呼んでくれないのかしら」

 

 かっぽかっぽと音を鳴らして歩く馬の上で、背中に寄り添う少女は尋ねた。私は振り返ることもせず、一瞬だけ瞳のみを動かして彼女の方を見た。

 返答に困る質問だ。あんなに泣き虫で寂しがり屋なのに、平常時はいつもこうやってお姫様を気取る。それも彼女の個性だし、私も特に何も思わないが。それでもこうやって私のプライベートな部分に貴族らしくズカズカと触れてくるのは辞めてほしい。

 

「別に。大した理由じゃ無い」

 

 素っ気なく、しかしいつも通り私は答えた。秋の太陽はそんな私の冷静さを溶かすように照り付けている。暖かさ、そして寒さも特に感じない魔法少女の私にとっては至極どうでも良い事象だが、後ろの娘にとってその陽気はどうでも良い質問を掘り起こすくらいの動力を得るくらいには役だったのだろう。

 だが、私のこんな回答じゃ満足しないのも当たり前だ。出会ってもう一月。常に共にいるのだから、それくらいの事は分かる。

 

「あのね、私が尋ねてあげてるのよ。ちゃんと答えて」

 

 本当にこの娘は。顔は良いし髪も輝き、私よりも少し高い背丈で美しいのに図々しい。

 私はため息混じりに振り返らずに口を開いた。

 

「名前を呼べば、きっと忘れられなくなる」

 

「え……貴女、もしかしてそっちの気があるの?」

 

「違う、そうじゃない……だから言いたくないんだ」

 

 ムカっとして今度こそ私は殻に閉じこもった。誤解など、今更だ。長い人生の中で理解される事の方が少ない。だがこれほどまでにこの少女に勘違いされる事が苦痛だとは思わなかったが。

 すると少女はふぅん、と何かを納得したように唸った。こういう時、この図々しくて遠慮が無く、それでいて聡明だったりするこの娘は的確に物を当ててくる。

 

「意中の人に振られたとか?」

 

「……」

 

「本当?」

 

「言いたくない」

 

「それは答えを言っているようなものよ」

 

 そうして少女はふふっと笑う。私はうんざりしながらも、馬を歩かせる。まだ町までは距離がある。この話も途切れる事はないだろう。彼女は空気を読まない。

 

「それで?」

 

「なんだ」

 

「だから、どんな男にどうやって振られたの?」

 

「君は本当にアレだな……ふぅ」

 

 込み上げる苛立ちを抑える。そしてしばらくしてから、きっと真後ろで瞳を輝かせている思春期の少女に聞こえるくらいの小声で言った。

 

「男じゃない。私の……友だ」

 

「やっぱり貴女、そっちじゃない!」

 

「話を聞き給えよ、貴公……彼女は、私の戦友だった」

 

 それだけ言えば、聡明な少女は話の半分を理解出来た。急に大人しくなった少女に、身の上話をする。

 

「彼女はまだ幼く未熟な私を支えてくれた。私の半身のような人だった。可憐で、美しく、魔法少女の模範のような気高い少女。きっと英雄とはああいう者の事を言うのだろうね。私はずっと彼女の背中を見て育ち、戦って来た。血生臭い戦場を、しかし心折れる事なく」

 

 左手を、太陽に透かす。私の魂である指輪が、キラリとその存在を主張した。

 

「ずっと一緒だった。何をするにも。彼女の名前を呼ぶ度に、あの子も私を呼んでくれた」

 

「……私、貴女の名前すらまだ知らないわ」

 

 手を下げ、前を見る。

 

「名を教えれば、君は私の事を呼ぶだろう。そうなれば私も君の名を呼びたくなる」

 

「その子は、どうなったの?」

 

「死んだ。殺された。どちらでも同じだ、私の前で死んでしまった。それからは誰とも徒党を組まず、一人さ」

 

 あの時の事を思い出す。もうずっと前の事だ。正確な時間など忘れてしまった。それほどまでに私は世界を彷徨っていたのだろう。

 当時、私は相棒の少女、アンリを中心とした魔法少女の集団に属していた。身勝手な願いで魔法少女となり、行く当てもない私を拾ってくれたアンリはまさしく私の中の希望。彼女はただ強く、正義感に溢れ、そして気高い一輪の百合……いや、百合など、気高くはない。現に私は意地汚く生き残る老害のようなものだから。

 

 数年、戦はあれど、死人は出れど、私達は魔女を狩り、そして敵対する悪い魔法少女と戦い生き延びて来た。魔法少女が魔女になるという事実を堪え、それでも戦った。だが常勝の軍などどこにもありはしない。唐突に、終わりはやって来た。

 あの吹雪の日。いつものようにテリトリーの村からの要請で私達は山賊と化していた魔法少女集団の討伐に当たった。だが、それは罠だった。いくら人を助けようとも、魔なる存在は例え魔法少女であろうとも人に受け入れられるはずもなし。気味悪がり、魔女と呪う村人達は敵対する魔法少女と結託し殺しにかかったのだ。おかしな話だろう?私達が魔なるものならば、彼らが結託した者達も同じじゃないか。人とは実に愚かなものだ。

 そうして私達は奇襲を受け、多過ぎる犠牲を払いながら敵を皆殺しにし。結果は、知っての通り。私だけが生き残った。

 それ以来私の心はアンリに取り憑かれ、彼女の愛を掻っ攫って行ったあの女神への呪いを忘れられずに生きている。ここでまた愛する者を得てしまったのならば、別れが辛過ぎる。

 

 彼女が呼ぶように、私は勇者などではない。臆病で汚らしい魔女にもなれない半端者なのだ。

 

 

 気がつけば、それらをすべて少女に話していた。ハッとして、私は黙り込んでしまった少女に向けて結言を述べる。

 

「だから私は、誰の名も呼ばない。誰からも名を呼ばれない。そうすればきっと、私は呪われずに済むから」

 

 秋の日が照らす中。馬は進んでいく。黙り込んだ少女達を乗せて。ぎゅっと、私の背中を抱きしめる少女の温もりを否定しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ━━名を、呼んだ。女王はしばらくそのままじっと仮面越しに私を見ていた。その瞳に抱く感情は、鉄仮面越しには分かるまい。私は蛇に睨まれた蛙が如くずっと立ち尽くす。

 じとりと汗が滲む。思えば彼女と対面するときはずっと私のペースを崩されていた。あの我儘で泣き虫で寂しがり屋で図々しい貴族の娘は、凍えてしまった私の心を確かに溶かしていたのだろう。私はとうとうその事にも気付かず、気付こうとせず、狩人となりその暖かい思い出も忘れ去ってしまった。罪人とは、真私の事だ。

 

「……あの旅で、私は最後まで貴公の名を知る事はなかった」

 

 女王が、立ち上がる。ゆっくりとした足取りで階段を降りて来る。私はそれが怖かった。恐ろしかった。彼女に嫌われてしまったのではないかと勝手に思って。

 

「あの旅は、私にとって何よりも大切な思い出だった。掛け替えのない、導きだった」

 

 女王がその仮面に手を掛ける。

 

「貴公が孤独な私の前に再び現れた時。心が跳ね上がった。迎えに来てくれたのだと、喜びが胸を支配した」

 

 私は気付かぬ内に頭を垂れていた。項垂れるように。合わせる顔が無かった。

 

「跪き、穢れた血を求めた瞬間。私は貴公がかつて言っていた事を理解したよ。嗚呼、確かに、名など教えるものでは無かったと。心の底から後悔したものだ」

 

 眼下で鉄仮面が転がるも、私は彼女の顔を見れない。

 

「穢れを捧げ、求婚されてもその後悔は消えず。ただ、空虚の中に訪れたその喜びもまた、私は抑え込んでしまった。きっとまた、貴公は私を忘れてしまうのだろうと、な」

 

 そっと、私の頬に彼女の両手が触れる。氷のように冷たく、しかし人間性の暖かさと血の熱さが通う愛しき手。

 

「だが、こうして。貴公はまた戻って来てくれた。私の名を呼んで。……ねぇ、貴女。お願い。顔を上げて」

 

 優しい手が、私の顔を上げた。私の頬に涙が伝う。懺悔、後悔、悲しみ、そして贖罪。すべて同じ事。

 

「だから。貴女も名前を教えて、勇者さん。そしてもう一度、指輪を渡して。きっと今なら、貴女の気持ちに答えられるから」

 

 あの時から何も変わらぬ。ただ美しく、聡明で、泣き虫な、でもしっかりと成長したあの子がそこにはいた。同じく涙を流し。細やかな肌を伝って行く。

 私は無理に笑顔を作り、それでもしっかりと告げる。

 

「リリィ。私の名前は、リリィ」

 

「リリィ。お帰りなさい……さぁ」

 

 促され、私は懐から古めかしい指輪を取り出す。

 それは婚姻の指輪。地下に潜りし聖杯にて得た上位者達のもの。かつての私には、その意味が理解できなかった。高次元暗黒に潜む彼らが何を思い、何を込め、人に渡したのか。でも今なら分かる。人の温もりを取り戻し、真に闇を理解した私ならば。

 

 その指輪を片手に、跪く。そして彼女の左手を、そっともう片手で優しく掴んだ。

 

「やっと、報われる。王女としてでは無く、赤子など関係が無い。一人の乙女として、永遠に貴女のものになる」

 

 彼女の左手の薬指に指輪を嵌める。優しく撫でるように、そっと。ファンタジーのように光り輝いたりもしない。何か特別な事は起きない。でもそれで良いのだ。婚姻とは、正しく当事者だけの幸せなのだから。それが例え、同性同士でも。

 私という百合は今、幸せの絶頂にいるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと。

 

 

 星の娘とマミにどう説明すれば良いのだと深刻な悩みが頭を過るが、それは今は良い。ただ彼女の唇と私の唇を重ね、百合の花を咲かせれば良いのだ。数回死んだ所で痛くも痒くもない。そういう事にしておこう。

 




すべての血族の願望、それはアンナリーゼ様と結ばれる事なのです。
何度も求婚してると笑うアンナリーゼ様マジ最高可愛い……バババババ(UAV online)


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Heart To Heart
時計塔のマリアの憂鬱


 

 

 

 時計塔のマリア。その名はヤーナムにおいてはありふれた夜の噂の一つである。

 曰く、古狩人であったと。曰く、獣狩りの夜の中、血に酔いしれていつしか理性を失ったのだと。そんなたわいも無く証拠も無い噂。だが共通して語り継がれている事は彼女が絶世の美女であり、獣に対して猛威を奮ったという事だ。

 

 事実、悪夢で出会った時計塔のマリアはトゥメルの血の能力も相まって驚異的な強さを誇った。分離する刃は長く重く、そして多彩な技に応えるだけの精巧さを誇り、振り撒く血はそのすべてが剃刀のような鋭利さを持ち、燃え滾る血族の証は火炎瓶など比較にならぬ。離れれば左手のエヴェリンで容赦無く射抜かれ、その隙に内臓を引き抜かれるだろう。

 確かに彼女は強い古狩人だった。美しく、悪夢の中に佇む一輪の花だった。それはこの、百合の狩人が保証する。

 

 

 そして今、彼女の装束は気高い狩装束ではなく。ややくたびれた安物のビジネススーツを着込み、流れるような銀髪は少しばかり跳ね、目の下にはクマができている。そこにかつての誇り高き狩人の姿は無い。残念な美人が仕事で疲れているだけだ。

 おまけに彼女の背には酔い潰れた女性がぶら下がっている。時折嗚咽し嘔吐しかける彼女は、小百合マリアという懐かしい偽名を用いる時計塔のマリアの、今の上司。

 

 鹿目詢子。あの偉大なる聖女、鹿目まどかの母である。

 

「詢子さん、絶対吐かないでください」

 

 うんざりしたようにマリアは背後の上司に言う。だが上司はあーだのうーだの要領を得ない回答をするばかりだ。

 どうしてこうなったのだと、毎回思わずにはいられない。自分はヤーナムの狩人であり獣を狩る事こそが役目なのに。なぜあの悪夢に引き続き自分は一見滝原市民として、こうして毎日デスクワークに励んでいるのだろう。

 そもそも彼女達、現青ざめた月の眷属であるならば夢に帰ることができるのだからこの役職を放棄できるのにそうしないのは、ただマリアが勝手に消え去って鹿目詢子に怒られるのが怖いからだ。彼女は本当に恐ろしい。それこそ聖杯に潜む獣など取るに足らないくらいに。……夢に消えたならば直接怒られる事もないのでは?

 

 とにかく、これはもう恒例行事だ。ストレスの溜まった上司に連れられ飲み屋を梯子し、アルコールに酔えないマリアがおぶって彼女を家に連れて行く。奢ってもらえるとはいえ、それをほぼ毎日続けていたらいくら狩人とて身が持たぬ。これをアルハラと言うらしい。

 

「詢子さん、ほら、着きましたよ」

 

「う〜……マリア胸小さい」

 

「狩りますよ」

 

 おんぶされているのをいい事に上司がマリアの胸を揉む。いっそのこと狩ってしまおうかとも思ったが、そんな事をすればあの女神が何をするか分からないし、マリアの妹という事になっている上位者も非難するだろう。

 鹿目家に辿り着けば、いつものように妻の帰還を待っていた夫が申し訳なさそうに出迎えてくれた。彼に詢子を任せば、ぐでっとフライパンの上の卵のように彼女は倒れ込む。

 

「すみません小百合さん、いつもいつも……今紅茶を淹れてきますね」

 

 草食系っぽい旦那さんが上司を担いでリビングへと消えていく。上司曰くあの気弱そうな旦那さんもベッドの上では獣と化すらしいが、マリアにはどうでも良い事だ。我が家ではそんな事は決して起こり得ない。なぜなら皆が皆、血は繋がっていないし(特殊な事情は除く)、そもそも不死人に性欲は無い。父は父で、妹の父をしっかりとこなせていると言う事が幸せらしいし、母役の上位者も母という役割が気に入っているらしく毎日マリアと妹を甘やかしている。その妹も、最近はやたらと少女達を連れ込んで何かをしている……想像に難くはないが。

 

「はぁ……」

 

 玄関に座り込み、マリアは項垂れた。死して尚悪夢に囚われ何年も迷い込み秘密を暴こうとする輩を排除してきた彼女だが、こんなのが毎日続いていくと考えるとストレスしか溜まらない。救いがあるとすれば休日に通っている猫カフェくらいだろう。

 一人悲しく哀れな独身女性は紅茶を待つ。すると、背後の二階へと続く階段から気配がした。小さな足音だ。

 

「ママ、帰ったの……」

 

 振り返れば桃色の髪をした少女。時計塔のマリアを見て固まる少女が、そこにはいた。可愛らしいトレードカラーのピンク色のパジャマを着た女神。彼女はマリアを見て何を思ったのだろうか。

 目の合った二人は何も言わず、しばし見つめ合う。

 

「まどか、どうしたの……」

 

 また、来客が来た。この場合マリアの方が来客だがどうでも良い。彼女をここに繋ぎ止めた張本人、即ち悪魔である暁美ほむらが、グレーのパジャマを着て階段を降りてきたのだ。

 ほむらはキッとマリアを睨み、まどかの前に立ち塞がる。何を勘違いしたのかは知らないし興味が無い。ただマリアは疲れた瞳で青春を謳歌する彼女達を見ただけ。

 

「……えっと、マリアさん?ママを送ってくれたんですか?」

 

 可愛らしい小動物のようにおどおどとするまどかが尋ねる。どうしてあんな男勝りの女性から彼女が生まれたのかが分からない。どう見ても父親の育成が良かったのだろう。

 いや、欲望の末に女神になる辺り素質はあるのか。

 

「君の母君、もう少し後輩の事を労ってもいいんじゃないかな」

 

「えっと……ごめんなさい」

 

 しょんぼりしてまどかは謝る。

 

「言う相手を間違えているわ、狩人。それにまどかのお母様は貴女が思うほど乱雑な人じゃない」

 

 ほむらの言う通り相手が違うが、その感想は少々鹿目家に偏っている。恋は盲目とはよく言うものだ。少女を愛する故にその母親すらも信仰の対象としているようだ。

 

「……そうだね、すまない。背中に吐かれそうになるのも胸を揉まれるのも、全部私の責任だ」

 

 だが文句を言わずにはいられないほどにはストレスが溜まっていた。もちろん仕事中の上司はとても頼り甲斐があるし、きっと生まれる場所が違えば英雄になる素質だってあるくらいの人間性だ。

 

「うぇはは……ほんと、ごめんなさい」

 

 と、その時だった。彼女の父が紅茶を手にやって来たのだ。彼は三人を見据えると、一瞬考えて提案した。

 

「えっと、良かったら皆でリビングで紅茶を飲みませんか?明日は休みですし……タクシーもお呼びします」

 

 ハンドバッグから取り出した古びた懐中時計を眺める。もうすぐ日付が変わってしまうが、明日は休みだしタクシーも呼んでもらえるとなれば甘えても良いだろう。何より、いくら酒に酔わない彼女でも疲労は溜まっていた。家に帰る前にリフレッシュする事が悪い事だとは思わない。

 パタンと懐中時計の蓋を閉め、頷いた。すると旦那さんはにっこりと笑い三人をリビングへと迎え入れたのだ。

 

 

 

 

 出されたハーブティを一口飲む。しじみ汁並みに身体に染み渡るそれは、凝り固まった時計塔のマリアの表情筋を和らげた。氷のような美貌がふやける。そんな顔を見て、ほむらはふと呟いた。

 

「よく見てみれば、全然似てないのね」

 

 それが自身と妹の事を指していると言う事は分かった。それは当たり前だ、似ているのは肌の色と髪の色くらいだろう。瞳の色も異なれば、顔の造形や身長も違う。似ているのは胸のサイズだけ、とはトップハットを被った白い畜生の言葉だ。

 マリアはカップをソーサーに置くと、切れ長の瞳をほむらに向けた。

 

「君……ほむら、だったか。どうしてここに?」

 

 黒髪の美少女であり悪魔である少女に問いかける。すると彼女はきょとんと真顔で首を傾げた。

 

「私がまどかの家にいる事がそんなに不思議かしら?」

 

「うぇへへ……今日はお泊まり会なんです」

 

 なるほど、とマリアは心中で納得しハーブティーを一口。ふと、その長身故にちらりと目の前の少女二人が机の下で手を繋いでいるのが見えた。百合の花が咲いているのは妹だけだと思っていたが、そんな事はないようだ。それもそうだ、そもそもこのピンクの少女も百合故に女神になったのだから。そしてこの悪魔を自称しているらしい黒髪の乙女も。

 どうやら知らぬうちにそれが割とスタンダードになったらしい。理解できない他人の心を勝手に想像して、マリアはため息をついた。

 

「君達は付き合っているのかな」

 

 唐突に、そんな風に尋ねれば二人は相応の年齢らしく顔を赤らめた。どうやら人を超えても羞恥心というのはあるらしい。妹には欠如しているが。

 

「えっと……はい」

 

「まどかぁ……」

 

 肩を寄せ合い、二人は頬を擦り付け合う。この前野良猫に餌をあげた時もこんな事されたなぁ、なんて失礼な事を考えていると、旦那さんがトレーに何かを乗せてやって来た。狩人の嗅覚に入り込むは甘いお砂糖の匂い。彼お手製のお菓子のようだ。

 旦那さんはトレーをテーブルの中央に置くと和かに言った。

 

「良かったらどうぞ。ハーブティーにも合う洋菓子です」

 

 パウンドケーキだった。見た目はどう考えても一個人で作れるものを超えている。彼は優秀な料理人のようだ。これにはさしものマリアも目を輝かせる。甘いお菓子を嫌いな女子はいない。

 そしてそれは、目の前の少女二人も同じ事。二人は感嘆を漏らせば、ふと我に帰った。

 

「う、食べたいけど……カロリーが……」

 

「わ、私も……流石に夜中には……」

 

 躊躇う少女二人を前に、マリアはいただきますと一言添えてパウンドケーキを手に取った。そして一口。甘くてふわふわなケーキが口の中に広がる。すっきりとしたハーブティーも相まって、これは魔力を有しているのではないかと疑いたくもなった。

 

「おいしい。ありがとうございます」

 

 夢に囚われた狩人ならば、食事や睡眠は必要ではない。その夢が悪夢であるのならば尚更だ。彼女はあの時計塔の頂上で、何も食さず飲まず、ただひたすら秘匿に励んでいたのだから。

 だがやはり、こうして悪魔の陰謀に巻き込まれ肉体を得てからというもの、食欲や睡眠欲というものの有り難みと気難しさはやはり良いものだ。

 

 美味しそうにクールにケーキを頬張るOLを見て、まどかとほむらは喉を鳴らした。いかに女神や悪魔とて、その根本は少女であるのだから甘味を欲するのは仕方のない事だ。

 

「……まどか、食べないの?」

 

「え?」

 

「ああいえ、まどかなら少し食べても可愛いままだから問題無いんじゃないかしら、うん」

 

 どういう理屈なのだろうか、この悪魔は最愛の友が最初に食べるのを待っているようだ。どちらか片方が手を出せば、罪悪感は減るだろうから……神に叛逆するのが悪魔ではなかったのか。

 

「……ほむらちゃんこそ、そんなに痩せてるんだから食べてもいいんじゃない?私はほら、結構肉がつきやすいし……マミさんほどじゃないけど」

 

 さらっと先輩を売る後輩。だがマミの場合、そのカロリーは全て胸に行く。まさしく女子の敵。

 

「あら、少しお肉がある方が抱き心地が良くていいんじゃないかしら……」

 

「もう、ほむらちゃんたら……」

 

 どうしてそうなると、マリアは黙々と食べながら思う。気がつけば罪のなすり付けあいからイチャつきに変わっているではないか。二人とも父が隣にいるのにも関わらず抱き合っている。これが啓蒙曰くルミナスというやつか。

 出会いなどない時計塔のマリアには関係が無いが。会社の男達はどうにも美人すぎるマリアを避けているし、仮に誘って来たとしても魅力が無い。かつて慕っていた……という言葉では足りぬ程には心酔していたゲールマンはもう老体で、今では中学校で用務員として花壇に熱を上げている。

 

「……百合とは甘いものだな」

 

 口と心が甘ったるい。どれもこれも鹿目家のせいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜遅くに家に帰れば、不眠の父は変わらずリビングで読書に勤しんでいた。もうすぐ夏だというのに風変わりな暖炉は燃え盛り、しかしそこからは暑さは感じない。ただ暖かく、何か魂に響く熱だ。不死人曰く、それは不死が心を寄せる篝火だという。その光が、父役である月の魔物を照らす。

 ふと、集中していた父がマリアの存在に気がつく。

 

「遅かったな」

 

 渋いバリトンボイスが耳に入る。どうやらこの声も彼の持つ偉大な(ソウル)とやらの中の一つらしい。時計塔のマリアはハンドバックをハンガーにかける。

 

「本当の親でも無いでしょうに。月の魔物は余程今の生活を気に入っていると思える」

 

「こらマリア、お父さんだろう。少なくとも今はな。確かに今の生活は想定外の出来事の産物に他ならないが、お前は気に入ってないのか?」

 

 そう言われ、会社でのストレスフルなやりとりと休日の心が洗われるような出来事を交互に思い出す。

 

「常に狩りの中に身を投じるよりは、良いのかもしれません」

 

 そう言えば、父は笑う。どうにも掴めない上位者だ。百合の狩人はあんなにも下心丸見えだというのに。

 マリアが寝るために自室へ向かおうとすれば、不意に父が彼女を止めた。

 

「ああ、マリア。その、コーヒー飲まないか?少し作り過ぎてな、あー、お前さえよければだが」

 

「……寝る相手にコーヒーを?」

 

 別にその配慮は悪くは無い。仮にマリアが目の前の上位者のように眠りにつく事がないのであれば快く承諾していただろう。しかし明日は休日、休日となれば猫カフェが待っている。故に体力を回復させるためには眠りにつかなくてはならない。

 

「あぁ、そうだな。すまない……あぁだが、その〜……あんまり今は、上に行かない方がいいと思うぞ」

 

 上、つまり寝室のある二階。

 

「何故?」

 

「その、なんだ。説明がし辛いんだが……リリィが友達を呼んでてな」

 

 どうやら中学生女子の中でお泊まり会が流行っているらしい。しかしそれくらいは別にどうでも良い。きっとベッドに身を投げ出せば寝てしまうのだろうから。多少騒いでいても構わぬ。

 

「気にしません」

 

「そうか。あぁ、それじゃ、お休み」

 

「ええ、月の魔物」

 

 お父さんと……と言いかける父を無視して階段を登る。確かに妹の友達が来ているらしい、扉から光が漏れている。それでもマリアは気にせず、自室に入れば寝巻きに着替えてベッドに寝転ぶ。

 程よい疲労が彼女を深い眠りへと誘う。想像していた以上に疲れていたようだ。すぐに眠れるだろう。

 

「……?」

 

 ふと、隣の部屋から声がする。話し声……ではない。まるで獣に襲われて逃げ惑う人々のような、そんな声。

 思わず耳を澄ました。澄ましてから、後悔した。それは妹と、その友の声。攻め立てるような声と許しを乞う声。もうやめて、という妹の嬌声と、まだまだ、という少女達の声だった。

 

「……」

 

 眠れない。眠れるはずがない。秘密は甘いものだ。知らぬが仏、知らなければ良いものを、彼女は知ってしまった。

 妹達は盛っているようだった。一度気になってしまったものは何度でも気になって眠れるはずもない。その間、ずっとマリアはクマのできた瞳を開けていて……妹たちの戦いが終わったのは、陽が昇る頃。それでもマリアは猫を捨てきれぬ。昼時になると重い身体を動かし、父と母に心配されながら猫カフェへと向かった彼女は、猫に埋もれながら寝た。

 



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呪い

お久しぶりです。ちょこちょこ後日談を続けていきますが、ぶっちゃけ百合百合したものではないです。


 

 

 

 

 

 悪魔殺し(Slayer of the demons)は、ただ一人校舎の屋上に腰掛けて街を眺める。

 空を見れば夜の暗い帳は地平線からやって来るであろう太陽の光に押され、徐々にその神秘を眠りにつかせていく。オレンジ色と暗い夜空のグラデーションは見る者よっては心を打たれる光景だ。特に長く獣狩りの夜に身を費やし、血と狩に染り切ってしまった者からすれば……それは夜明けだ。

 

 いつもの学生服に身を包み、しかし身体からは溢れる神秘を隠そうともしない。父と母の遺伝子を混ぜた茶髪が現れた太陽を反射する。

 タツヤ、そして悪魔殺し(Slayer of the demons)とも呼ばれるその魔物は夜明けに相応しく無い笑みを浮かべ、ただ呟いた。

 

「人とは、学ばぬものだな」

 

 それは、人類全体に述べたものか。それともある特定の者達に向けた言葉か。真意は分からぬが、しかし彼は一人言葉を紡ぐ。

 

「いつの世も、人は安寧を求めるあまり無防備となる。それは悪魔となっても同じ事」

 

 脳の瞳に浮かぶは悪魔の貌。暁美ほむら。人の身でありながら神を蹴下ろし、自らを闇で昇華した……ある種上位者。

 

「だがそれもまた、良い事だ。束の間の安息を愉しめず、ひたすら悪魔に徹するなど……あまりにもつまらん」

 

 言うと彼は立ち上がり、その身をかつて異界で得た鎧と武器で固める。その姿に中学生である鹿目タツヤの面影は無い。その姿は正しく悪魔殺し(Slayer of the demons)。かつてボーレタリアで須くデーモンを狩り、最後には自らもデーモンと化した異端。

 彼は兜のバイザーの奥、その赤く染まった瞳で太陽を一瞥する。

 

「だが、それだけでもつまらん。人とは闘争の中に大切なものを見出すのだ。例え既に大切な者が居たとしても」

 

 上位者、悪魔、女神。この見滝原には神秘が集まり過ぎている。人は神秘を前に抗えぬものだ。それは上位者達も同じ事。今やこの見滝原は、かつてのヤーナムに劣らない程に上位者達が注目している場。

 そして上位者とは、碌でもない。愛を知らず、ただ啓智のみに酔いしれる故に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勉強がヤバい」

 

 昼休み、皆で囲んで食事を摂っていればほむらが唐突にそんな事を言い出した。何を言うのかとその真意を問いてみれば、どうやら今まで成績が良かったのはループしている中でテストや授業の内容を暗記していたからだそうだ。

 悪魔となり、澱んだ時が流れた今ほむらの偏差値は平均よりも低いらしい。そういえば今日小テストがあったような。

 

「今日の小テスト、何点だったの?」

 

 こてんとまどかが可愛らしく首を傾げれば、ほむらは目の下の隈をより一層酷くさせてぎこちなく答えた。

 

「さ、三十点」

 

「それはヤバいわ」

 

 嘲笑う事なくさやかが言う。かくいう彼女も小テストの出来が良くなくて喚いていたのを思い出した。少女達よ、百合に酔いしれるのも良いが、学生の本分を忘れぬようにな。

 私は早々に母が作ってくれたサンドイッチを食べ終わり、ペットボトルの紅茶を飲む。

 

「ふぅ……ツケが回ってきたね、ほむら」

 

 呆れたように私は言ってみせた。ぐぬぬ、とほむらは私を可愛らしく睨むが、事実その通りなので何も言い返せない。

 繰り返す事で得るものなど、狩りの記憶と血の遺志、そして獣狩りの武器と道具だけで十分だ。あぁ、あと血晶石もだが。逆にそれ以上を求めれば疲れるだけだろうに。

 

「ちなみにどの科目が苦手なの?」

 

 何も知らないマミが尋ねる。ちなみにマミは努力家であり成績は優秀だ。テスト前なんて私が甘えても勉強するから邪魔しないでとあしらわれる。

 ほむらはバツが悪そうにもじもじしながら何か呟く。あまりにも小さ過ぎる声だったので、私がもう一度言うように催促すればようやく彼女は大きな声で言ってみせた。

 

「ぜ、全部よ!国語数学理科社会、全部!」

 

「ええ……」

 

 これには思わず国語が苦手なまどかもドン引きする。そんなに勉強ができないのか、彼女は。いかに上位者の仲間入りしたと言えども擁護できない。

 

「しょうがないじゃない……入院生活が長かったせいで勉強どころじゃなかったんだし」

 

「あはは……そういえば、昔はほむらちゃんにもそんな時があったね」

 

 彼女の全てを知る最愛の友が納得したように笑った。その事情を知らないマミからすればいつ入院したのだ、という疑問を抱くだろうが。

 ともあれ、私の友達が赤点を取ってバカの烙印を押されるのは困る。これでも上位者、それも勝手にビルゲンワースで色々学んでいた学者の端くれだ(上位者になってからドロドロに溶けた学徒達に色々教えてもらった)、ここは一肌脱いであげようか。

 

「なら、するかい?勉強会」

 

 私が提案すれば、それは名案と言った様子でマミが笑顔を咲かせた。

 

「なら、放課後に私の家でどうかしら?一回やってみたかったのよね、お友達と勉強会!」

 

 君はつくづくボッチだね、マミ。だがそんな君が可愛いよ。

 

「げっ、マジかよ。放課後まで勉強なんてしたくねぇだろ」

 

 不意に不真面目代表佐倉杏子が異を唱える。

 

「ちなみに杏子何点だったのよ」

 

「あ?あんなもん満点に決まってんだろ」

 

「え?」

 

 思わぬところに敵がいたものだ。杏子はこう見えて勉強ができる。ただやらないだけだ。勝手に彼女を同志だと思っていたほむらが呆けたように声を出してしまっているじゃないか。

 それから私達は食事を終え、また授業に赴く。それにしても、彼女も上位者であるならば高次元の暗黒と繋がっている故、勉学に対する知識なんかは吸収していてもおかしくないのだが……きっと彼女は人間としての、一人の少女としての人生を大切にしているのだろう。そう考えれば彼女の馬鹿さ加減も微笑ましいものだ。

 ちなみに午後の授業で彼女は先生に当てられ、悪魔らしからぬしどろもどろを見せて黒板でフリーズしてみせた。彼女を慕う少女達が応援している様は、公開処刑と言うに他ならない。

 

 

 

 放課後、私達はマミの家に集まりほむらのための勉強会を開く。勉強会といっても、主にほむらとさやかに勉強を教えるためだけの集まりだが。ちなみに恭介と仁美は習い事があるせいで来れない。

 ほむらは特に英語が苦手らしく、彼女の愛しのまどかに手取り足取り教えてもらっていたのだが……二人とも百合の花が咲き乱れている故に勉強そっちのけでルミナスしだして進まないので、私とエーブリエタースが教えることとなった。その際にまどかから引き離されたほむらはまるで捨てられた子犬のようだった。

 

「ほら、じゃあこの問題を解いてみ給え」

 

 教科書を指差す。なんて事はない、関係代名詞の問題だ。日本人は特に苦手らしいが……まぁ我々としてもこんな文章みたいな英語はなかなか話さないし、仕方ないだろう。

 

「えっと……Whoの後は……」

 

「さっき教えたじゃない。貴女本当に上位者?」

 

 苦戦するほむらをナチュラルに煽る星の娘。上位者とは人に物を教える方法が分からない。だからメンシス学派共にあんな腐った脳を与えてしまう。

 

「エブちゃん、落ち着いて。ほら、ほむら。Whoの前は人だろう?その後に来るのはその人が何をしているのかを表す言葉だよ」

 

 そっとほむらの華奢な肩を抱きながら親身に教える。スンスンと匂いを嗅ぎながら……あぁ、ほむらよ。君のそのか細い身体と少女特有の匂いは実に啓蒙を高めるよ。

 バチンとエブちゃんに腕を叩かれ、堪らずほむらから離れる。まったく、君は嫉妬深いなぁ。

 

 

「あいつら相変わらずだね……」

 

「ほら、美樹さんも集中して。じゃあこの連立方程式を……」

 

「あん?こんな簡単な問題じゃ意味ないだろ。こっちやれよこっち」

 

 ケーキを貪りながら杏子が方程式の発展問題を指差す。

 

「ちょっと佐倉さん?美樹さんに合わせて勉強を……」

 

「マミは甘っちょろいな〜。ま、だからさやかもバカのまんまなんだろうなぁ」

 

「なんですって杏子〜!?」

 

 ギャーギャーと喧嘩し出す杏子とさやか、そして仲裁に入ると思いきや二人を力付くで制圧するマミ。そんな皆を見て蚊帳の外のまどかとアンリは苦笑いを浮かべている。

 

「うぇはは……皆元気だね」

 

「元気すぎて本来の目的を忘れてもらっては困るけどな……」

 

 

 

 

 

 

 

 夕焼けはいつの間にか過ぎ去り、勉強会が終わる。成果はあまり無いようだが、少なくともほむらに関係代名詞は伝わったようだったから良しとしよう。マミ達と別れ、私は一人帰路についていたのだが。

 ふと、何かが匂った。血の匂いでもない、獣の匂いでも無い。ましてや上位者らしい匂いとも異なる奇妙な香り。

 その匂いは後ろからやってきた。つまり、ほむらとまどかが去っていった方角から。だがこの匂いは彼女達の匂いではない。あの二人の匂いはもっと清潔だ。

 

 ならば。この匂いはなんだ。脳に溢れる啓蒙にも分からぬこの胸騒ぎ。兎にも角にも何やら異状な事が起きているという事は分かる。

 取り込み、今や私の物となっている三本目の三本目が疼く。思い立ったが吉日、私はスマートフォンを取り出し連絡を入れる事にした。相手はもちろん、ほむらだ。

 

『あら、どうしたのかしら』

 

 いつものように冷静に、だが隣ではいちゃついているのかまどかの甘える声がマイクに入ってしまっている。

 

「うん、何か予兆を感じてね。そっちでおかしな事は何も無いかな?」

 

『予兆?特に何も……ちょっとまどか、今電話中。何もないわ。おかしな薬品でも飲んだんじゃないの?ヤーナムの』

 

 否定はできないのが痛い所だ。ヤーナム産というだけでやたらと胡散臭くなるし。

 

「無いなら良いのだ。あんまりイチャつき過ぎて勉強を怠るなよ、ほむら」

 

 言われなくても、とちょっとだけムキになって電話を切るほむらは可愛かった。だが、何も無いならば私の杞憂だろうか。そうなら良いのだが。

 電話のしまい、少し考える。ふむ、こういう時こそ親愛なる上位者の知恵を借りる時かも知れぬ。事企みに関しては碌なことをしない彼らだが、長い時の中で得た彼らの慧眼は目を見張るものがある。

 

 脳裏に刻まれた、完璧な狩人の徴を思い浮かべると私狩人の夢へと赴く事にした。きっと彼も今は暇しているだろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから奴らに呪いの声を。赤子の赤子、ずっと先の赤子まで。

 

 

 

 

 暗闇の中で、ただ一人その白い者は呪った。

 

 同族を蹴落とし、偉大なる使命を無碍にした愚か者。そいつを呪うために。

 

 秘密が甘いものであるならば、復讐とは甘美である。解けぬ秘密を探すより、自ら手を下す甘さがある。

 

 だから、それで良い。秘密など、彼らにはありはしない。秘密など彼らには必要ないのだから。

 

 全ての星に、祈り、呪いを。果たすべきは我らが昇華。再び帰り咲くために。

 

 擦り切れた愚か者は、一人暗闇を彷徨う。呪いが報われるその時まで。自らがまた、今まで下等に見ていた者達と同様の想いを抱く事に気が付かず。

 

 

 一度堕ちれば、戻る事はないと知らぬわけでも無し。しかし堕ちずにはいられぬのだ。

 

 

 だからそれまでは、偽りの中で安寧を享受するが良い。来るべきその時、きっと君は計り知れぬ絶望を抱くのだろうから。

 

 




今更ですがダークソウル/Blood borneの小説を書き始めました。良ければそちらもご覧下さい。


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