異世界でも女装して『ですわよ!』って言えば何とかなる。【完結】 (イーベル)
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トランクスorメイド 上

 自分の荒い呼吸が収まる気配がない。裸足なのを気にする余裕もなく走り続けている。足はとうに限界を超えている。ちょっとしたトラブルがあればすぐにもつれそうだった。

顔をしかめつつ振り返れば、自分よりもはるかに大きな体が目に付く。その姿はティラノサウルスに似ていて、のしのしと大きな足音を立てながら追いかけて来ていた。

 今はまだ木々の隙間を縫うようにして走っているから何とかなっている。でも、根本的なスピードはあちらが上だ。ちょっと気を抜けば、首から上がなくなっていてもおかしくない。

 

 頭がどうにかなりそうだった。

 自分がいた場所は剣と魔法の世界じゃなくて、ごくごく普通の日常が続く日本だ。今日だっていつもの様に学校で友達と話して、ご飯を食べて、風呂に入って寝た。なのに目が覚めたらこの森に放り出されていたのだ。

 

 土砂降りの中やっと見つけた洞窟で疲弊した精神を休めようとした矢先。あの怪物が飛び出して来たのだ。

 目の前に露出した木の根が見えた。足が上手く上がらなくて爪先を思いっきり引っかけた。体が宙に放り出される。地面の凹凸がおろし金みたいに自分の肌を削った。

 

「い、やだ……」

 

 痛みに耐えながら言う。目の前の怪物がそんな事で動きを止める筈もない。その事実に体が強張り動きが鈍っていく。大きく顎が広げられて、思わず目を覆う。

 

 でも、それが自分に襲い掛かる事は無くて、恐怖を踏み越えゆっくりと瞼を開けた。森には馴染まない緋色。それが怪物の牙を弾き飛ばす。

 声と共に振り返り、緋色が揺れる。それが髪で、目の前にいるのが人間であることを理解するのにそう時間はかからなかった。

 降り注ぐ雨の中、わずかに注ぐ日光で顔が照らされる。細身のシルエット、端正な顔つき。柔らかそうな白い肌。それらの要素で彼女が女である事を自覚する。

 自分よりも細身で非力そうなこんな人が、あの化物の牙を弾いた? 信じられない。

 

「大丈夫か?」

「だいじょう……ぶ?」

 

 何を聞かれたのかいまいち実感を持てなかった。だから言われた言葉をそのまま返した。

 

「言葉は話せるのか。……ふむ」

 

 彼女はじっと僕を見る。舐める様に、隅から隅まで。そして何を思ったのかワシャワシャと髪を触って来る。

 

「なっ、何をするんですか」

「いや、黒の髪は珍しいと思ってね。それに、顔が良いな。近くで見るとより一層可愛らしい。私好みだ」

 

 訳の分からないことを。黒は日本では一番ありふれた色だ。彼女の様な緋色こそ、珍しいというべきだろう。というか……可愛い? 僕は男だぞ?

 体はされるがまま。そんな事を考えていると、彼女の背後に怪物がゆらりと立ち上がったのが見えた。指を刺して「後ろっ!」と危機を伝える。

 

「ん? ああ、こんなんじゃ落ち着いて話もできないか。ひとまずは片付けるとしよう」

 

 ────『力強くあれ(アームズ)

 

 彼女の声色が変わる。ポケットからペンの様な物を取り出すとクルクルと回した。それは回転するたびに徐々に大きくなり、彼女の背丈より少し小さい杖へと姿を変る。そして振り向きざまに横なぎの一閃。怪物の頭を殴打した。

 杖の質量で出せるとは思えない打撃音。怪物がよろめき、地面に倒れ込む。一瞬だった。

自分にとっては恐怖の対象だった者が赤子の手を捻る様に……。未だに信じがたい。

 彼女が戻って来る。危機が去り、そこで彼女の全容を見る余裕が生まれた。

 

 目立っていた緋色の髪。近づいた事で見えて来た、シャープな茶色の瞳。血色の良い肌は触れなくても柔らかさが伝わってきそうだ。

 自分とは縁遠い美人。その姿に目を奪われる。

 

「所で少女よ」

「……え?」

 

 自分を刺す言葉であることに時間がかかった。彼女に見蕩れていたのもあったけれど自分との認識にギャップがある。それを修正するために首を振った。

 

「少年です。なんで女にするんですか」

「ああ、すまない。君の姿があまりにも可憐だったものでね。君、どこから迷い込んできたんだ? 場所が分かればそこまで送ってもいい」

 

 そう聞かれて僕は言いよどむ。最初は自分の家を想像した。でもその思考を中断する。あんな怪物がいる以上、ここが日本なのか、そもそも地球なのかも怪しかったからだ。

 だから彼女の問いに、沈黙を貫くしかなかった。

 

「……そうか。ひとまず私の家に来ないか。傷の手当てをして、話はそれからにしよう」

「あ、ありがとうございます」

「うむ。お礼が言えるいい子だな」

 

 そう言って彼女は僕の頭を撫でる。こんな事をされる年頃じゃないんだけどな。……でも頼る当てもなくこの森の中をさまよっていたからか、その温もりにとても安心感を覚えた。

 

「……そういえば、名乗っていなかったな。私はミツレ。ミツレ・スカーレットと言う。ミツレで構わない。少年の名前は?」

文月(ふづき)紫苑(しおん)。僕のことは紫苑と呼んでください」

「ああ、分かった。よろしくシオン君。しかし……ここらでは聞かない名だな。まあいい。取りあえずこっちだ」

 

 頭に置かれていたはずの手がナチュラルに移動し、いつの間にか指を絡めとっている。それに導かれるまま彼女の家に向かった。

 

  ▼

 

 ミツレさんの家は日本ではあまり見られない、レンガで組まれた城。大きな庭がその周りを囲んでいる。ここに王様が住んでいると言われても僕は信じてしまうだろう。

 そんな所に僕は恐れ多くも迎え入れられる。自由に使っていいと言われた大浴場で身体に付いた汚れを流し、その間に衣服を洗濯して、もう一度着てから食事を頂いた。シチューとパン。それが今の自分にはそれが何よりも染み込んで、人間の世界へと戻って来たのだと改めて実感させてくれる。

 しかし、それにしても……。辺りを見渡す。今自分がいるのは広間だ。ここで舞踏会を開くと言われても納得してしまいそうな広さを持っている。

 でも、家具は必要最小限。ミツレさん以外の人間は一人たりとも見当たらないときた。違和感がぬぐいきれない。

 

「どうしたのかな。口に合わなかったとか?」

「いえ、そんな事は……。ただ、こんなに広いのに使用人さんとかはいないんだなって」

「ああ、そう言うことか。私は慣れてしまったが、少し寂しく感じるか」

 

 目を落とす。過去に想いを馳せるミツレさんの表情は言葉通り暗く、寂しそうだった。

 

「両親が生きていたころはたくさんいたんだけれどね。亡くなってからは、維持するのも馬鹿にならなくて、暇を出したんだ」

「……すいません、余計な事を聞いてしまって」

「構わない。過ぎた事だ。いつまでも引きづっていたって仕方がないだろう? まあ、私の話はどうだっていい。し損ねたシオン君の話をしよう。落ち着いたみたいだしね」

 

 表情を立て直したミツレさんは、微笑んで食器を静かに置く。

 

「君はどこから……いや、どうやって来たんだ」

 

 考える。自分がどうやって来たのか、その方法を。でも現時点で答えが出ることは無い。情報があまりにも不足している。だからひとまずは首を横に振った。 

 

「すいません、分からないです。ただ、気が付いたらここにいて」

「ふむ、自覚は無いのか」

「自覚……? じゃあミツレさんは見たんですか!?」

 

 興奮のあまり席から立ち上がって聞くと、ミツレさんは頷いた。僕と違ってその態度は冷静沈着だ。

 

「ああ、見たとも。ここからすぐ近く……君がいた場所だね。そこから強い魔力を感じて、遠見の魔術で見たんだ。そしたら空間に穴が開いていて、そこから美少女が……」

「だから僕は男ですって」

「その時はそう見えたんだから、仕方がないだろう」

 

 悪びれもせずそう言うと、咳払いして逸れた話を修正する。

 

「あれだけの魔力を発生させる魔術師だ。私はしばらく様子を見ていたんだが……『土龍(どりゅう)』にあっさりと追い詰められていたから、助けに入ったという訳だ。心当たりは?」

「……全くないです。そもそも僕が魔法を使えるなんて思えない」

「ふむ。移動特化型の特異タイプかと思ったが、そうではないのか。つまり自分で元いた場所に帰るのは不可能と言うことだな

 

 自分の精神が凍った。考えない様にしていたことを唐突に突き付けられた不可に耐え切れなかったのだ。刺激は無かったけど居心地が良かったあの場所に、僕はもう帰れない。

 それはこれから一歩間違えれば死が見える、この綱渡りみたいな世界で生きていかなければならないことを意味していた。

 

 まだ、満足のいくだけの人生を送っていない。後悔を残さないという決意する時間すらも与えられなかった。そんなのってあんまりじゃないか……! なんで僕だけがこんな目に会わなくちゃいけないんだ! 目の前のミツレさんに怒鳴り散らしそうになる。それを何とかこらえると体の中が震えて、視界が滲む。

 

「っ……すまない。愚直に言い過ぎた」

 

 息を呑み、慌てた声だった。僕は上手く返せずに、目を袖で擦る。

 ミツレさんが駆け寄って、背中をさすった。優しさに甘えてしまっている。人に迷惑をかけるのは悪いことだ。こんなところを見ず知らずの人に見せてはならない。そう自分に言い聞かせて目線を上げた。

 

「すいません。見苦しいところを見せました」

「見苦しいことではないよ。苦しい時に泣けるのは大事なことだ。心がバランスを取るのに必要としている時に我慢すべきじゃない」

「我慢すべきですよ。特に他人の前で弱さを見せるべきじゃない」

 

 僕は自分の中で思い浮かべていたことを反復させる様に口にした。ミツレさんの優しさに自分の中の価値観が揺らぎそうになって怖かったのだ。

 でも直後に後悔する。これは考えているだけで良かった。優しくしてくれている人に向ける言葉では無かった。撤回しようとして、その前に彼女が言う。

 

「そうだね。弱さは他人の前で見せる物じゃない。晒してしまったら利用されて消されるかもしれない」

 

 背中をさすっていた手が首から後頭部へと移動する。自分の髪を指がすり抜けて、力強く抱き寄せられる。向こう側でも経験したことのない、肉親以外の人肌の温もり。樹木と土の感触を長々と味わっていた故に、妙な安心感がある。

 

「でも、だからこそ私は、一人ぐらい心を許せる隣人を作っておくべきだと思うよ。私がその隣人になるのは気に入らないかな?」

 

 耳元で告げられたその言葉に僕の緊張の糸を引き千切られてしまう。こらえていた物がどんどんと溢れ出して、彼女の胸元に染みができる。申し訳ないとは思うけれど、それ以上に自分が追い詰められていたことを自覚した。

 感情の濁流が収まって僕はミツレさんから離れた。

 

「すいません。……ありがとうございました」

「うむ。いい面構えになった。そっちの方が可愛いぞ」

「それ、あんまりうれしくないんですけど」

 

 思いっきり泣いた後はすごく、軽やかな気分だ。彼女の冗談に笑って返せるぐらいには回復している。気力を取り戻した自分を見てミツレさんは何かを決めたようだった。

 

「よし、決めた。シオン、(うち)でメイドにならないかい?」

 

 ミツレさんは爽やかな表情でそう言った。……何言ってるんだこの人は。

 

「……聞き取れなかったのでもう一度お願いできますか」

「いや、メイドにならないかって」

「気のせいじゃ無かったか……」

「だって行く当てもないのだろう? 元々住んでいた場所に帰るための資金作りだって必要だろう?」

「……それはそうですけど、でもメイド? 執事じゃなくて?」

「ああ、こんなに可愛い顔をしているんだから、執事なんてもったいないじゃないか」

「もったいなくないし、僕の精神が持たないです」

「じきに慣れるし、絶対に似合うから……」

 

 僕は後退りする。その様を彼女は困った様に眺めた。にらみ合いがしばらく続き、彼女がポンと手を打つと人差し指を向けた。

 

 ────『静止せよ(フリーズ)

 

「え?」

 

 体が強制的に大の字にされて空中にピン止めされてしまう。そこから指一つすら動かせない。そんな僕に指をわきわきさせる彼女がカツカツと足音を立てながら近づいてくる

 

「な、何するんですか?」

 

 彼女は僕の問いに答えること無く、パチンと指を鳴らす。するとどこからかふわふわとメイド服がやって来る。フリフリのフリルが付いたそれは彼女の腕に着地。空いた腕を伸ばし、さっき止めたばかりのボタンをプチプチと外していく。肌を爪先が撫でてこそばゆい。やがてズボンすら降ろされて、パンツ一丁だ。何が悲しくてこんなだだっ広い部屋でこんな格好を……。

 

「さて」

 

 彼女が指を鳴らすと人差し指の先に火が灯る。じりじりと僕のトランクスに近づけられて、端を炙──

 

「いや(あつ)っ!」

 

 反射で体を引く事すら許されないこの状況で、僕は声を上げることしかできない。それを見てミツレさんは満足した様に頷く。頷かないで……。

 

「君の衣服を洗濯したときから思っていたが、私は君の下着が気に食わない」

「僕の下着が気に食わない!?」

「淑女たるもの、見えない所にこそ気を配るべきだ」

「だから、僕、男ですよ!」

 

 言語が微妙に伝わっていないのかと思ってゆっくり言う。彼女はフッとほほ笑むとまた僕のパンツに火を……。

 

「いや、やめて下さい!」

「嫌かい?」

「来たままパンツを燃やされるのは嫌に決まっているでしょう!?」

「そうだろうな。そこで、君に選択肢をあげよう」

「……選択肢?」

 

「ああ」と彼女は頷き、火を消すと人差し指を立てた。

 

「一つ、パンツを燃やされる。その場合新しい下着を支給しよう。私に仕える間はそれで生活しなさい」

 

 彼女はトランクスを気に食わないと言っていた。となると新しい下着は……あまり考えたくないな。それに彼女は強制的に着せる手段を持っている。この様に身動きをとめればやりたい放題だ。

 彼女は立てる指を一本増やし続ける。

 

「二つ、ここでメイド服を着る。この場合パンツは燃やさずに、見逃してもいい。さてどちらがいいかな?」

 

 それは今拒否していたことを受け入れる選択。前者に比べるとハードルが低くなった様に見える。一回着たら、脱ぎ捨てても構わないのだから。

 でもそれが正しいのか、不安が残る。交渉術のひとつが頭によぎったからだ。

 確か、最初に無茶振りをして、それから二番目の要求を通しやすくするとか……そんな感じだった。彼女がそれを知っていて、利用していると仮定するとこの二つ目の選択肢を通したいことになる。

 彼女の目的はなんだ?

 

「あと十秒」

 

 ミツレさんが急かしてくる。また人差し指に火が灯っていた。細かいことを考える余裕はなさそうだ。メイド服は一度着て脱いでしまえばいい。一回ぐらいならば、助けてくれた恩として受け入れてもいいだろう。それが恩返しになるかと言われれば微妙だが……。

 

「分かりました。着ます! 着ればいいんでしょ!」

「よし、言ったね」

 

 指の灯りを消して、彼女は戦いに使っていた杖を取り出した。それを振るうと僕の服が一瞬でメイド服へと切り替わってしまう。彼女の熱意に呆れてため息を付いた。

 

「おー。やっぱり似合う似合う~。私の眼に狂いはなかったわけだ。クルっと回ってみて!」

「……一回だけですよ」

 

 サービス精神で言われた通りにくるりと回る。長いスカートが翻り、足元に空気が差し込んでくる。服を着ている状態で味わったことのない違和感を覚える。

 

「良いね。良いね~。感激だ!」

「……ほどほどに楽しんだら、服、返してくださいね。流石にずっとこれを着るのは嫌ですから」

「え? いや、脱げないよ。それ」

「え?」

 

 シオンは呪われたメイド服を装備した……?



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トランクスorメイド 下

「え? 本当に脱げないんですか」

 

 ミツレさんに言われた言葉が信じられなくて聞き返す。彼女は悩む素振りも見せずに頷いた。軽い気持ちで頷いたばっかりに、これから一生メイド服を装備して生きていかなければならないのか……。冗談じゃない!

 

「なんか方法とかないんですか!?」

「まあ、いくつか方法が無い訳じゃないよ」

「いくつか!? 早く教えてくださいよ!」

 

 迫る僕に彼女は「落ち着けよ」とジェスチャで示す。方法があると言うことはそれに伴う手順もあるのだ。慌てたってしょうがない。

 

「一番手っ取り早いのは、着てる人が死ぬことかな」

「それは勘弁願いたいです」

「だよね。二つ目は服の破壊」

 

 聞いた直後、襟元を掴んで引きちぎろうと試みる。だが、いくら引けども、引き伸ばそうとも、メイド服は伸縮するのみ。千切れたりはしない。

 

「簡単に千切れたりしないよ。それ、上級魔法の直撃にも無傷で耐えるから」

「……上級?」

「魔法のランク分け。初級、中級、上級、特級があるの。上級魔法以上ははこの国でも一握りの人しか使えないの」

「へぇ。ちなみにミツレさんが怪物を倒すときに使ってたのは何級ですか?」

「初級だよ。素養があればだれでも使える。上級は……山一つ平気で吹き飛ぶから」

 

 忌々しく自分の体についているメイド服を睨む。こんなふざけたなりで相当な装備らしい。

 

「……とにかく、素手で簡単に破壊できないってことは分かりました。……他には?」

「あと一つだけあるよ」

「あるんですか? ……ほんとに?」

 

 ここまでは無理難題を突き付けられたので、つい疑ってかかってしまう。

 

「主人が暇を出すこと」

「それ、クビにするってことですよね?」

「ああ、先代はこの方法でメイド服を脱いでいる。──らしい」

「らしいって……何で確信がないんですか」

「私がこの服を知ったのはついこの間だ。それに記録が数百年前でね」

「……じゃあ、しばらくは無理そうですね」

 

 ここにきてようやくまともに達成できそうな条件が出てきたが。それはしばらく実行することが不可能だ。彼女にクビされたとしてすぐに雇い直してくれるとは限らない。この家は他に当てのない僕にとっては生命線だ。そう簡単に手放すわけにはいかない。

 

「てっきりクビにしてくれって言うかと思った」

「まだ務めて実務もしないうちにクビになりたくなかっただけですよ」

「ふーん、とか言ってメイド服に愛着が湧いていたりして?」

「そういう訳じゃない! ただ、また雇ってくれるとも限らないって思っただけです」

「じゃあ、そういうことにしとこっか」

 

 含みのある言い回しで話を締めくくった。その言い方には不満が無かったわけでもないけれど、言い返すとまた地雷を踏んでしまいそうで、諦める。メイド服については受け入れることにしよう。これは、仕方ない。その上で問題になることについて目を向けなければ。

 

「でも本当に脱げないとなると、困りませんか? 風呂とかトイレとか……他にもいろいろ」

「それは大丈夫。身に着けている限り、服にも体にも塵一つつかないし。排泄物も内蔵から自動的に異次元へ転送されるから」

 

 得意げに彼女はそう言った。何そのトンデモ機能。僕の体は異世界に来たけど、僕のうんこは異次元へ行くのか……。少し前の言葉に「アイドルはトイレに行かない」ってあったけれど、彼女達はひょっとして異世界人だったのかもしれない。……何考えているのか自分でも分からなくなってきた。

 

「だから脱げなくても大丈夫よ」

「……そうですか」

 

 困らないのは分かったけれど、何だかなぁ……。真偽はともかく気分的にはあんまりよくないよな。

 

「不満そうだけど、身の安全のためなんだよ? 雇うからには簡単に死んでもらっちゃあ困るからね。そこら辺を色々考慮した結果だ。受け入れてくれ、なにせ君の肉体はあまりに脆い」

「そうですね……」

 

 淡々と流される事実を否定することができない。この服は自力で破壊できないし、死にたくないからな。でも、理由があったにせよ、それを説明も同意書も無しに着せるのはどうかと思う。

 

「それにしても、これだけ完璧に使用者を守ろうとするってすごい熱意ですね。というかコレ、ただのメイドに着せちゃっていいんですか? ……実は奥さんに着せる服だったりしません?」

「いや、そんな事はない。従者用だよ。そもそも、我らスカーレット家に従う意思がないと着れないのさ」

「成程、余程大事な女性だったんですね。乳母さんとか?」

「ん? いや、加えて男性じゃないと着れないぞ」

「男性専用!? この見た目で!! 作った人はバカですか!?」

「私達が代々受け継いだ家宝になんてことを……。まあ、私だって最初はおかしいって思っていたけれどさ」

 

 僕に指摘されて彼女は項垂れる。先祖代々ってなるとなかなか受け入れたくない部分があるか。僕も間違いなく受け入れたくない。そう思うと、有無を言わさず突き放したことに罪悪感が生まれる。

 

「あっ、そんなつもりで言った訳じゃないんです。すいません。熱意とかいろいろ伝わりましたから。可愛いと思いますよ。この服」

 

 慰めるために服を肯定しつつ、スカートを持つ。それを見た瞬間彼女は一瞬で立て直す。あっ、確実に演技だったな。ちょっとでも同情した僕もバカだった。

 

「そうだろう。そうだろう! 私も君を見つけたときは運命的だとさえ思ったとも。この服と男性の組み合わせは間違っていなかったと!」

「……はぁ」

 

 熱意は凄い。よく分からない方向性だけどね。先祖代々、よっぽどの異端者だったんだろうな。きっちりと遺伝している。

 

「売り飛ばさなくて本当に良かった……」

「え? 売り飛ばそうとしてたんですか? こんなに(性能は)すごい装備なのに」

「まあ、家は稼ぎが無いからな。今は時折家財を売り飛ばして生計を立ててる」

「……大丈夫ですか? それ。ちゃんと働いた方がいいと思うんですけど」

「それは後々だね。私はまだ学生だし。それにもうすぐ、こんな生活ともおさらばだ」

 

 ため息を付いた。この生活を忌々しく思っているようだ。

 脱却する手段も持ち合わせている。たぶんそれは就職だったりするのだろう。たぶん彼女はモラトリアムから脱却して、この苦しい世界でより厳しい環境に身を置く。それが表情からにじみ出ていた気がする。

 これ以上重苦しい雰囲気になりそうだ。話題を変える事にしよう。

 

「話を戻しますけれど、この服に有用性があるのは分かりました。嫌ですけど、しばらくこれで過ごします」

 

 そう宣言すると彼女は控えめにガッツポーズをする。……しないで欲しい。でもそれを指摘していたらきりがないので一旦スルーすることに決めた。

 

「仕事としてはひとまずこの屋敷の掃除、ですかね?」

「掃除? いや、要らないよ。掃除、洗濯、料理、その他諸々。全部魔道具でどうにかなっちゃうから。そんなことはメイドに任せないって」

 

 魔道具か……僕らで言うお掃除ロボットみたいな物だろう。確かにそういうものがあれば、仕事として必要ないのかもしれない。

 

「じゃあ僕の仕事は?」

「護衛かな」

「メイドなのに?」

「いや、メイドだから護衛だよ。メイドとは古くから重宝されてきた戦闘要員だ」

 

 彼女は当たり前の様にそう言う。つまりは、ここでは常識なのだ。メイドとは戦う者。そういう常識。……いやちょっと待って。

 

「護衛って、僕戦うんですか!? 僕よりミツレさんの方が強いんじゃないですか!」

「そりゃあ、君はド素人だしね。でもそのメイド服には訓練次第で中級程度までの魔法を使えるようになる機能もある。ちょっと体の使い方さえ覚えてしまえばそこら辺の人間よりも使い物になるさ」

 

 簡単に言ってくれる。僕はバツグンに運動神経が良い訳ではない。どんなに取り繕っても「体育:3」と言った具合だ。「体の使い方さえ覚えれば」という彼女の言い分は体育教師とか、バツグンに動けた人間の発言に似ていて、説得力がない。

 それに、護衛が必要ということは、それなりに危険が伴う場所に行くということでもある。いくら絶対の防御力を持つ服をまとっているとはいえ、未知の危険は不安を煽った。

 

「私は研修も経験も無しに役割を押し付けしないさ」

 

 彼女の手が頭に触れた。僕の不安が漏れ出て彼女に察知されたのだと思う。

 

「すいません」

「謝ることはない。私だって、無茶を言っていることは分かっているからな。じっくりできるようになっていこう」

「……分かりました」

 

 どうせ否定できる立場でもない。僕は彼女の従者で、この世界で生きていくためには他に手段もないのだから。

 僕の肯定を確認した彼女は「よし」と頷いて頭から手を離した。

 

「さて、早速で悪いんだけれど、明日は学校に顔を出しに行こう」

「……この格好で人前に出るんですか」

「うん。そうじゃないと仕事にならないでしょ。脱げない訳だし」

「そもそも僕、学校は入れるんですか? 部外者ですよ」

「学校の学園長は古くからの知り合いでね。口利きすれば問題ない。せっかくだし生徒として入れようか」

 

 彼女はやると言ったらやる。そういう凄みが確かにあるのだ。数時間の付き合いだけれど、嫌というほど理解した。そうでなければ僕はメイド服を着ていない。でも、それでも諦めきれず食い下がる。

 

「女子しか入れなかったりしませんか?」

「共学だし。それに君の場合、男って言うより、女って言っておいた方が良いだろう。格好が格好だし、面倒事はごめんだろう? 後は……そうだな。上品に口をきいておけば完璧だ」

「上品? 上品って、どんな風に?」

「難しく考えなくていい。困ったら「ですわよ」って言っておけばいいさ」

「雑過ぎじゃないですかね」

「まあ、人間意外と他人に興味がある訳ではないから、なるようになるさ」

「…………」

 

 強引に僕の言葉をねじ伏せて「さて」と背中を見せた。

 

「できない理由は潰した。これで、学校に来てくれるかな?」

 

 彼女は悪戯っ子みたいに微笑む。逃げ道を潰された僕はただ彼女の言葉に「はい」と頷くことしかできなかった。

 

  ▼

 

 翌日。僕は彼女に連れられて学校に足を踏み入れた。彼女の言う学園長に顔を通し、入学を許可されると、早速教室に案内された。

 僕が通っていた高校と比べても教室は数倍広くて、傾斜の付いた教室にひな壇の如く生徒が並べられていた。その中に彼女、ミツレもしっかりと姿を見せている。

 

「では、フヅキ()()。自己紹介を」

 

 教師に促されて、僕は教壇に上がった。僕は今から女として振る舞わなければならない。何故ならそのようにここでは登録されてしまったからだ。格好も相まって今のところ教師も含めてそう認識している。だけど、いつボロを出してしまうかひやひやしていた。

 緊張をなるべく鎮めるために深呼吸。でも、それが余計に緊張を意識させた。体は中から熱くなるばかりである。

 

「えーと。文月……紫苑です。あ……ええ……」

 

 続きの台詞が飛んでしまった。何を言おうとしたんだっけ。それどころかそもそも、女みたいなしゃべり方ってどうやるんだ?

 昨晩の内に考えはしたのだけれど、ここにきて全てが頭から抜け落ちてしまう。その間にもじろじろと生徒たちの視線が息苦しくて、冷汗が出そうだった。

 悩みに悩んだ挙句、ふと昨日のミツレさんとの会話を思い出す。

 

『難しく考えなくていい。困ったら「ですわよ」って言っておけばいいさ』

 

 そんな簡単に行くわけないのは分かっている。でも、それ以外に策は無く、何より間が持たない。これ以上針の筵にさらされるのはごめんだ! ならば、行くしかない!

 僕は清水の舞台から飛び降りる決心をして、

 

「仲良くしてくれたら、嬉しいで……嬉しいですわ、よ?」

 

 顔を赤く染めながらそう言った。



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異世界新人教育 上

前回までのあらすじ

トランクスを燃やされそうになった日本人、シオン君は脱げないメイド服と「トイレに行かない」という前時代アイドル的な設定を付与され、魔法使いの通う学校へ行くことになった。


 顔に昇っている熱が収まらない。何とかならないかと頬に手を添えてみてもどうにもならないし、むしろ浴びせられる視線が強くなっている気がする。

 どうしたらいいのか分からない。この間は何だ。これ以上僕に何を求められているのか? 早くこの時間を終わりにして欲しい。

 チラリと自己紹介を促した教師に視線を送ると察してくれたらしい。ウィンクが飛んでくる。本当に分かっているのだろうか。不安になる。

 

「自己紹介ありがとうフヅキさん。席はスカーレットさんの隣に用意してあるわ」

 

 僕の心配は的外れだったらしく、先生はきっちりと意図を汲んでくれていた。

 しかし僕が想定していなかったのは周りの騒めきだ。隣に座れと言われただけでここまで騒がしくなるなんてミツレさんは何をやらかしたんだろうか?

 

「とうとうスカーレットも『メイド持ち』か」

「この時期だ。目的は聖戦だろうな」

「違いない」

 

 席に向かう途中、そういった声が聞こえた。聞きなれない単語もあってその全てを正確に理解することができないけれど、細かいところはミツレさんに聞くことにしよう。

 中段の席まで足を運んで、彼女の隣に「失礼します」と断ってから座る。

 

「ご苦労様。緊張した?」

「……ええ。とても。考えてた台詞が全部飛んじゃうぐらいには」

「あんなに嫌そうにしてたことを実行しちゃうぐらいには、緊張していたよね」

 

 彼女はクスクスと笑う。僕の醜態はそこまで面白かったのだろうか。さっきのことはあまり思い出したくないし、さっさと話題を切り替えることにしよう。

 

「でも何でこんなに騒がれてるんですか?」

「君が可愛いから?」

「冗談よして下さい」

「冗談ではないさ。シオン君はとても可愛いぞ。自信を持ってくれ」

「それ、言われても嬉しくないって言いましたよね……」

 

 彼女は「そうだったかな」ととぼけて見せる。絶対に反省も後悔もしていない。僕はこれからも可愛いとか愛らしいとか言われ続けてしまうんだろうか……。憂鬱だ。

 

「では、ホームルームはここまでとします」

 

 思考を中断するように教壇から声がする。話は殆ど聞いてなかったけれど、所連絡は終わったみたいだった。その合図と共に教室に集まっていた生徒はわらわらと教室を出ていく。 

 

「終わったか。じゃあシオン君に学校を案内しようか」

「えっと、学校なんだからこの後授業があるんじゃ……」

「いや、ここでは授業は存在しないぞ。ああ、違うな。正確に言うと集団授業が存在しない」

「? じゃあどうやって勉強するんですか」

「好きなときに指定の場所に行けば指導を受けられるんだ。記録媒体から出てくる立体映像(ホログラム)から指導を受ける。例えば……そうだな」

 

 人が少なくなった壁際に行くと、ずらりと並べられた水晶の一つを取って空中に放り投げる。とっさに手を伸ばしかけて止めた。水晶が地面に叩きつけられる前に空中でふわりと浮かんだからだ。

 

『こちら~魔法学園・教育プログラム。受講する講義を宣言してください』

「『初級魔法1』だ」

『了解しました』

 

 無機質な声がミツレさんの指示を受けると水晶は輝きを増す。空中に人が浮かび上がり挨拶と共に授業を始める。

 

「へぇ。面白いですね。学習塾の通信授業みたいだ」

「学習塾?」

「僕のいた所にも似たようなものがあったんですよ。まあ、こっちの方がすごい高度ですけど」

 

 向こうではまだ空中に画面が出力されるなんてことは無かったしな。

 

「……シオン君も生徒である以上、いつでも授業を受けられるようになっている。仕事の合間に受講して、もっと私を守れるようになってくれるとありがたいね」

「精進します」

「良い返事だ。ではさっさと他の所に行こう。ここは無駄に広いからね」

 

 それから足早にこの学園を案内される。研究がされているという研究棟。格安で食べられる食堂。それから中庭。ここは何やら侵入規制がかかっているらしい。ミツレさんによると地下に遺跡が発見されたとかで現在調査中とのことだった。

 一通り見学を終えて、最後に案内されたのは離れた所にあるアリーナと言われる訓練施設だ。ここでは身体能力を鍛えたり、魔法の実技訓練を行えたりできるらしい。生徒であるならば誰でも自由に使えるので、僕の新人研修もここで済ませてしまう予定とのことだった。

 そういう意味では一番縁がありそうな場所だ。しっかりと見ておこう。彼女の後に引っ付いて、キョキョロとあたりを見回す。その途中、僕らを呼び止める声がした。

 

「ほう、スカーレットがメイドを手に入れたっていうのは本当だったのか」

 

 振り返るとよく目立つ長い金髪が目に付いた。どうやら彼が僕たちを呼び止めた人間らしい。黒の制服に身を包み、鋭い蒼の目つきが僕の主人を射抜いていた。

 そんな彼の隣にもう一人。

 赤みのかかった短い茶髪。褐色の肌が殆ど露出している奇抜なファッション。布に覆われているのが胸元と肩、太ももの根元ぐらいだった。

 でも、デザインは間違いなくメイド服と言って差し支えない。あしらわれたフリルに、頭に付けられているカチューシャの様な物。それは僕にも組み込まれてしまっていたものだ。服装こそ違うけれど、彼女も僕と同じくメイドなのだ。故に、存在を過剰に意識してしまう。

 

「なんだ。アイザックか」

「なんだとは、なんだ。せっかくこの俺が声をかけてやったというのに」

「そういう所だ。『なんだ』と言われる原因は」

 

 ため息を付くミツレさんに「お知り合いですか」と尋ねると頷く。

 

「ああ、昔からの顔馴染みでね。アイザックと、メイドのエマさんだ」

 

 さらりと僕に二人を紹介すると今度は僕の肩に触れる。

 

「こちら、つい先日雇ったメイドのシオン君だ」

文月紫苑(フヅキシオン)です。よろしくお願いしま……しますわ」

「ふん、ぎこちないな」

「雇ったのは昨日からだからね。新人教育はこれからさ」

「どうかな。先が思いやられる。まあどちらにせよ、俺はメイドごときと「よろしく」するつもりはないがな」

「またアンタは余計なことを……。ごめんな。ウチの主人なりの照れ隠しなんだ。許してやって。普段アンタみたいな別嬪さんに話しかけられること無いからさ」

「……エマ!」

「おっと、いけない。いけない」

 

 ニヤニヤとわざとらしくエマさんは引き下がる。僕でも分かる人付き合いの悪い主人をああしてフォローしているんだろう。

 アイザックさんが場を仕切り直すかのように咳払いをして、僕をじっと見た。何か気になることでもあるのだろうか。

 

「しかし、スカーレット。とうとうお前も聖戦に出る気になったか」

「ん?そんなこと言ったかな?」

「とぼけるな。メイドを雇った時点で分かり切ったことだろうに」

「……聖戦?」

 

 確か今朝教室にいた人たちもそんなことを言っていた。メイドがいないと参加できない行事なのだろうか。

 

「なんだ、言ってないのか。かわいそうに。この性悪女に騙されて契約したか」

「騙したとは失礼だね。ちゃんと同意の上さ」

 

「ねぇ?」と聞かれた僕は頷く。雇われることには同意した。業務の形は別として。それがどうしたというのだろうか。

 

「じゃあ聞いたか?お前、殺し合いをさせられるんだぞ」

「……え? ミツレさん、ぼっ……(わたくし)聞いてないのですけれど」

「この後言うつもりだったからね」

「やっぱりな。そんなことだろうと思った。いいか、ドジメイド」

 

 アイザックさんが僕に人差し指を向ける。ドジメイドと言われたことに多少苛立ちを覚えたけれど、情報を貰えるので許容した。

 彼女、ミツレさんにだって言いたくないことはあるだろう。けれど、僕が生き抜くためになるべく多くの情報は必要なのだ。

 

「聖戦はこの学園の伝統行事だ。中庭にある遺跡の話は聞いただろう?」

「はい。先程」

「なら話が早いな。あの遺跡の中にはいろんなものが眠っている。金銀財宝、人智を越える魔道具、古代文明の遺産、『あらゆる願いを叶える秘宝』とかな」

「あらゆる願いでも……」

「ああ、あそこから戻って来た人間はかなり少ない。だが、これは事実だ。何せこの学園の長が攻略者でもあるからだ。彼は魔導の深淵を覗いたことで今の地位を築いたとされている」

 

「だがな」と彼が話を区切る。

 

「誰だって入れる訳じゃない。あそこには入場規制がかかっている。言っておくが制度的な話だけじゃない。魔法的な面でも天然の結界が張られている」

「結界?」

「勝手に入ろうとすると弾かれるんだ。それを排除する儀式が『聖戦』。魔法使いたちが特定のルールのもと限られた枠を争う。ルール内であれば何でもアリ。殺し合いもあり得るってことだ」

 

「わかったか? ドジメイド」アイザックさんは話を締めくくった。願いを叶えるための争い。そのためにメイドさせられたこと。彼女の強引さにもある程度納得がいった。

 ミツレさんには叶えたい願いがある。それが何なのか、まだ教えてくれてはいない。けれど、純粋無垢で見返りを求めない。何を考えているのか分からない人間はそれだけで怖いものだ。少なくともミツレさんは得体の知れない人間ではない。そのことに安堵する。

 

「まあどちらにしろ、シオン君に命の危険はないよ。私がいればこの戦いは問題ない」

「いくらスカーレットとはいえ、油断していると足元救われるぞ」

 

 アイザックさんはため息をついてから僕を見る。じっと品定めするような目つき。向けられたことが無い種類の視線に恐怖を覚える。

 

「しかし……確かに見てくれはいいな。戦うことを除外すればいいメイドだ。珍しく手元に置きたがる理由もわかる」

「そうだろう? 節穴だらけの君でも分かるか」

「……黒髪のメイドなんて見たことが無い。これほどの物をどこで手に入れた?」

「企業秘密だよ」

「相変わらずだな。売る気はあるのか? この見た目なら、言い値で買ってやってもいい」

 

 彼の手が僕の頬に触れ。髪を指先が撫でる。まるで舐め回す様にねっとりとした手付き。まるで毛虫が肌の上を這いずり回っているかのような嫌悪感。それが感覚神経を通じて全身に広がっていくみたいだった。

 髪に隠れていた耳を露出させて、口元が吐息と共に近づいてくる。

 

「お前もどうだ? うちにはエマがいるからな。戦うことは求めないぞ。ただ俺の応じるときに出向いて、愛されるのなら────「触るな!」

 

 囁きが限界のトリガーを引いた。とっさに彼の指を弾いて、距離を取った。誰も声を発しない空白の時間。正面の怒りに駆られた表情を見て、自分の失敗を自覚する。

 

「こいつ、メイドの癖に……!」

「止めな、ザック。今のはアンタが悪い」

 

 僕に掴みかかろうとする彼を隣のエマさんが抑えた。それにじたばたと抵抗する彼。それを見れば見るほど自分の呼吸が荒くなっていく。

 そんな僕の肩に手が置かれる。「大丈夫だ」と声がして、それが僕の主人の物だと認識した。

 

「スカーレットッ! お前のメイドだ。無礼な下っ端の責任はちゃんととるんだろうなぁ!」

「ああ、勿論。だが、私は言ったはずだ。雇ったばかりで、新人教育もこれからだと。それを承知で手を出したんだ。覚悟はできていると思っていたんだがね。それともターナー家の長男はこれしきのことを許容できない器だったかな?

「ミツレさん!?」

 

 ギョッとして僕はミツレさんを見た。気にするなと言わんばかりにポンポンと肩を叩く。けれど、さっきの神経を逆撫でするかの様な言葉の後では信用できなかった。

 

「……チッ、そうだな。この俺はこれしきのことを受け入れられない人間ではない。だがな! これしきのことにも耐えられない人間もここにはいる。俺の器が海よりも深くて助かったな、ドジメイド!」

 

 アイザックさんは舌打ちの後、頭をかいてまた人差し指を向けた。

 

「しかし、スカーレット。挨拶するたびにトラブルを起こしていたらシャレにならんぞ」

「それはそうだね。せっかくだし、ここで言葉遣いのレクチャーをするよ。勿論、練習台になってくれるよね? 海よりも深い器のアイザック?」

「良いだろう。不本意ながらこのアイザック・ターナーが練習相手になってやる。さっさと済ませろ」

 

 腕を組んでふんぞり返るアイザックさん。それを見て「ね?」とミツレさんはウィンクを僕にお見舞いした。「ね?」じゃない。僕は死んじゃうかと思ったのだ。この人、心臓に毛が生えているんじゃないか?

 

「シオン君、耳を貸してくれ」

 

 耳元に彼女が手を添えて、言うべき台詞を告げる。正直、面喰らった。日本ではあまり言わない台詞だったからだ。でも、きっとこの場所では大切なマナーに違いない。さっき失礼な振舞いをしてしまっただけに、二度目のミスは許されないだろう。ここできっちりと言われた通りに遂行しなければ。

 決意を固め、僕はアイザックさんを見る。深く息を吸ってー。吐いてー。緊張をほぐして……

 

はぁーきっしょ。ぶち殺しますわよ

「よくできました」

「よくできましたじゃない! 今すぐ新人教育マニュアルを見せろ!!」



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異世界新人教育 下

「スカーレット、覚悟はできているんだろうな」

 

 アイザックさんは静かに闘志を燃やし、睨む。まあ当然といえば当然のことである。「失礼なことはしてくれるなよ」と散々釘を刺されたうえでのあの言葉だったのだから。彼の怒りは当然のものと言ってしまっていい。

 僕はチラリとことの発端である主人を見る。彼女が僕に間違った支持を出さなければ、こんな事にはならなかった。彼女の思惑は分からないけれど、何事にも限度ってものがある。こんな厄介ごとにわざわざ引っかかりに行く意味が分からない。

 

「ああ、丁度アリーナにいるんだ。『1on1』でどうかな?」

「ほう……いい度胸だな。そのポンコツメイドがうちのエマに勝てるって言うのか」

「勿論。こう見えて彼は優秀だ。そうでなければ私が雇うはずもないだろう?」

「……そうだな。俺たちは一足先に向こうにいる。尻尾巻いて逃げるんじゃないぞ」

「そっちこそ」

 

「フンっ」とアイザックさんはそっぽを向くと足早に角を曲がってどこかに行ってしまう。待って、待って。何があったの今? 僕が優秀だとかエマさんに勝てるだとか……。状況が全く理解できてない。

 

「という訳でシオン君。早速だけど戦ってもらおうか」

「本当に早速過ぎませんか。え、戦う? 僕が? 喧嘩打ったのミツレさんでしたよね!?」

「そういう話だったじゃないか。聞いていなかったのかい?」

 

 彼女は不思議そうに首を傾げた。うん。可愛い。とても可愛いんだけど、なに? そんな無垢な表情をしたお姉さんが僕を急に戦いに差し向けるの……?

 

「聞いてましたけど、僕が優秀でエマさんに勝てるだとか、そこら辺は分かりましたけれど、『1on1』って何ですか」

「ああ、そこで引っかかっていたのか。まあ、一般的ではないからね」

 

 僕の戸惑いに納得がいったのか、彼女は頷く。

 

「『1on1』はメイド同士、一対一の決闘だね。武器も魔法も何でもあり。敗北条件はその時々で変わるけれど、そこまで酷いことにならないはずだよ」

「決闘、メイド同士。……メイド同士? あれだけ喧嘩打っておいて戦うのは僕なんですか!?」

「君には馴染みがないか。メイド同士の決闘は揉め合いを解消する伝統的な方法でね。主人たちの衝突を盾であるメイドたちが代わりに請け負うのさ。結果で賠償金を払ったり、土地を渡したり、いろいろあるけれど……まあ、端的に言えばプチ戦争だ」

 

 戦争。その言葉は僕ら現代の日本人にとっては重いものだ。それを彼女は「ちょっとお茶してみましょう?」ぐらいの、気軽さだ。ちっとも悪びれてはいない。ここら辺はたぶん文化の違いなんだろう。僕は上手いこと割り切ることができそうにない。

 

「でも僕、アイザックさんの言っていた通りド素人ですよ。急に戦うなんて」

「ド素人だからこそだよ。本番よりも先に身内との対戦だ。ここは学内だからアイザックだって『聖戦』の前に目立つ行為は避けるはずさ。まあ、そのメイド服を着てるんだ。君が殺されるようなことはないさ」

 

 僕の胸元に人差し指を突き立てる。僕の来ているメイド服には防御効果、加えてトイレにも風呂にも行かなくても済む能力が備わっている。……らしい。まだ攻撃を受けたことが無いから分からないのだけれど。

 

「言ってしまえば、これは君の新人研修を兼ねた戦いなんだ」

「そのつもりで煽ってたんですか」

「半分そうだね」

「もう半分はなんですか?」

「楽しかったから?」

「そんなことに楽しみを見出さないでください……」

 

 呆れて言葉も出ない。いや、出てるけども。彼女はそんな僕を気にすることない。

 

「さて、新人研修の続きだ。君に攻撃魔法のレクチャーをする。教えるのは初級魔法『力強くあれ(アームズ)』だ」

「アームズ……。ミツレさんが最初に会った時に使ってた奴ですか?」

「そうだ。よく覚えているね。この魔法は肉体の力を強化する。殴る力、蹴る力、掴む力、その他諸々。効果時間内であれば自身の身体能力に加算する形で付与される。こんな風にね」

 

 ミツレさんは近くにあった石ころを素手で握る。素の状態では変わりない。だがその途中で『力強くあれ(アームズ)』を起動させた。直後、バキバキと音を立てて握られていた石は砕ける。さらさらと隙間から零れ落ちていく。

 

「詠唱も短く、難易度も低い。その上で汎用性も高いから、実践向けだ。初めての魔法としてはうってつけだね。シオン君も早速やってみて」

「早速って言われても、ただ言うだけでいいんですか?」

「素質があればね。まあメイド服を着ていれば素質(それ)は問題ないさ。あとは力強い自分をイメージしつつだと尚良いかな。どの魔法でも具体的なイメージができていると効力を増すから」

「力強い自分をイメージ……」

 

 眼を閉じて深呼吸。力強い自分。自分よりも大きな恐竜すら倒す常人を超えたパワーをイメージする。

 

 ────『力強くあれ(アームズ)

 

 眼を見開いて口にした。普段口にしている言葉が軽く感じてしまうかのような重厚感がある。違和感しかない。

 

「うん。成功だね。ほらっ」

 

 ミツレさんが僕に石を放り投げる。それを受け止めようとして手を伸ばす。キャッチして握るとさっき彼女が実演してみせたように砕かれる。

 自分の出力を大幅に超えたパワーが当然のように発現した。でもそれが怖くもある。自分の体が別の生き物になってしまった気がしたのだ。

 でも、弱音を言ってはいられない。ここではこれが当然で、付いていけない者はあっさりとやられてしまうだろう。

 戦う覚悟ができていない僕はそれ以前の問題かもしれないけれど。

 

「初めてにしては上出来じゃないかな。他の魔法についてもおいおい教えていくけど、今日はそれ一本で勝負だね。あんまり教えすぎて頭でっかちになっても困る」

 

 さて、と彼女は背中を見せた。緋色の髪が翻る。

 

「じゃあ、アリーナに行こう。いくらアイザックとはいえ、待たせすぎるのも考えものだしね」

「はい」

 

 僕は戦う理由を見つけることができないまま、彼女の後を追う。その途中、思い浮かんだことがあった。彼女が参加したがる『聖戦』。その先にある『あらゆる願いを叶える秘宝』。彼女は何のためにそんなものを欲しがるのだろう。その理由を知ることができたら、自分が覚悟を決めるのに役に立つかもしれないと思ったのだ。

 

「ミツレさん」

「何だい?」

「ミツレさんは何で『聖戦』に出るんですか」

 

 振り返った彼女はピクリと眉を動かした。今まで教えてくれなかったことだ。可能なら伏せておきたかったのかもしれない。

 

「……そうだね。遅かれ早かれ知ることだ。早い方がいい」

 

 彼女は数秒の沈黙を()て、重い口を開く。

 

「私が聖戦に挑むのは端的に言えば、失ったものを取り戻すためさ」

「失ったもの、ですか」

「ああ。今の家には殆ど何もない。家具も臣下も栄光も……両親も。このままではうちは衰退していく一方だ」

 

 あからさまに口調が重い。それだけ彼女に取って忌々しい、受け入れがたいことなのだ。

 

「そうならないために何か策を打つ必要があった。下準備に魔法使いとして研鑽を積んだ。時間稼ぎとして思い出を一部売った。これ以上は待っていられない」

 

 普段はふざけ気味の彼女が見せる真剣な顔。それだけに僕の印象に残った。あの極端に家具のない家もその表れだったのだろう。

 

「この聖戦には勝たなければならない。……隠しててごめん。過剰に情報を与えると混乱すると思ったんだ。君は、こっちに来たばかりで不安だっただろうしね」

 

 彼女は手を伸ばして僕の頭を撫でる。表情はいつも通りの柔らかな物に戻っていた。

 いろいろと腑に落ちた。

 彼女は戦うつもりだったから僕を助けた。戦うための駒を失う訳にはいかないから、メイド服を無理やり着せた。そして、この戦いも聖戦に挑む前の下準備だ。

 もしかすると、この頭を撫でる行為にさえ意味があるのかもしれない。それだけ彼女の覚悟は本物なのだ。僕に与えられたやさしさも、恩も、その全てが打算的だったかもしれない。

 

 それでも構わなかった。目的のための偽善でも、成されたならば、それは善行なのだから。僕はその恩を返す義務がある。

 

「ミツレさん、ありがとうございます。大丈夫です」

 

 髪を撫でていた指から離れる。

 僕は何者にもなれなかった。特筆すべき点の無い人間だ。そんな僕でもあの華奢な身体で、身を切りながら戦う彼女の力になれたとしたら……それはどんなに気分がいいことだろう。きっと、何かを成しえたという満足感が得られるはずだ。それは僕が得ようとして得られなかったものだから。

 

「僕は、戦えます」

 

 だから僕は自分自身のために『彼女の為に戦う』ことを決めた。

 

 ▼

 

 アリーナはさながらコロッセオの様になっていて、僕らの周りを観客席で取り囲んでいた。僕らの主人たちは有名人らしく、そこそこな人数が陣取って視線を送ってる。目立つのが好きではないから、その事に不快感を覚えた。

 

「試合形式は『1on1』、勝利条件は先に有効打を入れた方が勝ちでいいかな」

「ああ、問題ない。この時期に手の内をあまり見られるのは避けたいからな」

 

 主人たちがルールを決めて、頷き合うと離れていく。そして僕らメイドだけが中央に取り残される。

 

「武器は出さなくていいのかい?」

「いえ、私はそんな物持ってませんから」

「へぇ、じゃあアタシと同じステゴロだ。嬉しいねぇ」

 

 彼女は八重歯を見せつつ笑い、バンテージが巻き付いた両拳をぶつける。

 嬉しくない。鍛えてそうだとはいえど女の人と殴り合うのは良くないだろう。でも勝負は勝負だ。素人なりに拳を構る。それを見計らった様に「はじめっ」と合図の声がした。

 

「──さて、思う存分殴り合おうか。『疾風の如く(バーニア)』」

 

 彼女の時間の流れが加速する。瞬きの間に視界から外れ、空気の揺らぎで懐に入り込んでいることに気が付いた。拳が腹部目がけて穿たれる。それをとっさに脇を締めて前腕で受けた。

 走ったとかそういう次元ではない。鉄砲が放たれたのかと錯覚してしまう速度だった。

 

「初見で防ぐとはやるねぇ! 良い目してるよ!」

 

 高らかに声を上げる彼女。魔法がある以上人間を超えた力があるのは当たり前だ。女だとか関係ない。彼女も僕も戦う者(メイド)なのだ。

 

「『力強くあれ(アームズ)』!」

 

 習ったばかりの魔法を発動する。言霊が自身を改革する。拳を振りかぶって彼女目がけて突き出すが空を切る。

 

「そんな大振りじゃ当たんないね! 拳を振るときはこうやるんだよ!」

 

 ボクサーみたいなステップを踏んで、左腕から三発拳が放たれる。ステップで幻惑された発射点に対応できずに僕はもろに喰らってしまう。

 このまま一方的にやられてしまう未来が見えた。でも、殴られたときに起こる息が吸えなくなるような硬直が訪れることが無い。痛みすら感じなかったのだ。

 彼女はもう一度拳を振りかぶっている。ガードする腕は無い。ここが攻め時、そう確信してもう一度拳を振るった。

 

「っ!?」

 

 驚きの声。直撃コースの僕の拳に体を捻って対応する。そのままバク転で距離を取って、こちらを睨む。

 

固有能力(アビリティ)……!」

 

 彼女の目線にあったのは僕ではない。胸元だ。釣られるようにして自分の姿を見る。真っ白な生地のメイド服にシミができている。

 このメイド服は汚れない。ミツレさんはそう言っていた。それ故にこのシミは不可解だった。

 

「なんだ、これ」

「知らないのかい? 固有能力(アビリティ)を知らないとはとんだ箱入り入りメイドだね」

 

 彼女は少し驚いたように口笛を吹いた。 

 

「メイド服に稀につくことがある特殊能力さ。アンタの様子からして私の拳はダメージが無いみたいだし、『ダメージ吸収』って感じかな。ダメージを蓄積されているような跡が出てるからね」

「成程……」

「感心してる場合かい? 吸収ってことは無効にならないんだ。限界を超えるスピードで殴られれば……ダメージが入る!」

 

 彼女は走り出し、自身の拳を合わせた。

 

「『疾風の如く(バーニア)』、『力強くあれ(アームズ)』!」

 

 二つ連続の詠唱。さっきの加速する魔法に加えて、僕自身も使った肉体の強化。ダメージが入らないにしろ限度があるとしたら、この状況は望ましくない。

 勝つためにはどこかでカウンターで一撃入れる必要がある。

 彼女の姿がまた消えた。さっきよりも一段と高い速度で拳が打ち付けられる。

 でも今度はガードしない。する必要がない。僕にはダメージは入らないのだから。それを利用してカウンターを入れるタイミングを計る。

 

 二度三度四度五度、拳が、脚が、次々に体に衝突する。舞うように展開されるその攻撃は僕に中々隙を与えてくれない。一度たりとも止まる気配がない。

 反撃に行くためには彼女の足を止めさせる何かが必要になる。何かないかと思考を巡らせつつ辺りを見渡して一つ古典的な方法を思いつく。

 

力強くあれ(アームズ)!』

 

 詠唱する。より力強い自分を求めて。魔法の効力で強化された脚を振り上げ、かかとから地面に突き刺した。

 固い地面は砕かれ、砂ぼこりが舞う。彼女は目を覆って足を止めた。

 でもためらうことなく移動する。今の僕は()()()()()()()()()()()()()()()()。だから視界も気にしないで移動できる。

 隙だらけの彼女。無防備な腹部に向けて思いっきり強化された拳を突き立てる。

 

「はぁぁぁぁ!」

「っ!? 『飛翔せよ(フライ)』!!」

 

 僕の拳が空を切り、彼女の身体が宙へ舞う。ただの跳躍ではない。空中に停止して、目を擦っていた。空を飛べる魔法。空中という安全圏に逃げられてはどうしようもない。

 

「あっぶないね。流石に舐めてた。実戦経験は無いが、思い切りはいい。出し惜しんでると危ねぇな」

「あれだけ動いててまだ出し惜しんでたんですか」

「おう。むしろあれでビックリされてたら困るね。ちょっと本気出してやるよ」

 

 空中から僕を見下ろす彼女はまた八重歯を見せる。

 

「『力強くあれ(アームズ)』、『疾風の如く(バーニア)』、『風の刃(スプリット)』──複合魔法『我が拳に貫けぬ物なし(グングニル)』ッ!!」

 

 彼女が詠唱を終え、拳を合わせた直後だった。舞っていた砂埃の挙動が不自然になる。一定の規則をもって動き出したのだ。

 

「さあ、これには耐えられるか!」

 

 空中から隼みたいに僕に向けて飛び込んでくる。台詞からして彼女が自信を持っている攻撃。無策にくらうのは良くない。ひとまず全力で落下点から離れる。

 横眼で見ると地面が爆発したみたいに砂埃が舞う。僕がやっときとは桁違いの範囲で巻き起こったそれは、彼女の技の威力を物語っていた。

 

「シャレにならないんだけど……」

「シャレじゃないからな。今度は逃げるなよ。アンタの防御とアタシの拳、どっちが上か白黒つけようぜ!」

 

 あれをもろにくらうのはまずそうだ。いくらメイド服で防ごうっていったって限度があるかもしれないんだ。ならどうにかしてあれを別の手段で何とかしなければならない。

 そうは言っても今使える手段は一つだけだ。開き直っていくしかない。

 

力強くあれ(アームズ)

 

 人類の限界を三度超えた肉体で拳を握る。視線は飛び込んでくる彼女。近づいてくる脅威にタイミングを合わせ、今出せる最大の力を叩きつけた。

 拳同士がぶつかる。不可視の刃が僕を傷つけようと回転していた。ミキサーに手を突っ込んでしまったかの様に錯覚する。引っ込めてしまいそうになる自分を必死に抑え、もう一歩先へと進ませる。

 だが、届かない。僕の拳はなまくらだ。彼女の足元にも及ばない。一秒数える間もなく靴が地面を擦り、押され始めた。

 叫ぶ。少しでも力が出るように。当然のことながらそんなことで差は埋まらない。結果が分かり切ったうえで続ける。

 負けられない。ミツレさんの助けになるんだろ! だったら、こんなところで負けるわけにはいかない!

 

力強くあれ(アームズ)ッ!!!!』

 

 自己を改革する言霊を重ね掛けする。ほんの少しだけ彼女の力に拮抗した。でも、まだ押されている。まだ届かない。

 ダメかと、瞳を閉じかけたときだった。()()()()()()()()()()()()()()()。なんだ、これは。さっきまでメイド服に付いていたシミと同じ黒。それが自分の肌にも浸透している。

 

「何だよ、それ……?」

 

 それはどうやら僕の眼の錯覚なんかではない。目の前の彼女もそれを認知した。

 

「うぐっ!」

 

 心臓が高鳴った。普段の自動的な鼓動とは異なる、自分の力を大幅に超えた拍動。痛みを感じなかった体のはずだった。とうとうメイド服で防げる限界が来てしまったのかと思った。

 でも、そうではない。これは自分の力をより引き出そうとする異変だ。重機が重いものを崩すときみたいにゆっくりと相手の拳を押し返していく。

 

「だぁぁぁぁ!!!!」

 

 拳を振りぬいた。拮抗していたものが崩れる。嵐は去り、音が消えた。

 視界が暗転し、顔から倒れ込む。朦朧(もうろう)とする意識の中、僕の荒い息だけが耳に入っていた。




新人教育完了。
お嬢様言葉ノルマ未達成。


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夢の様な世界で見た初夢

第一幕エピローグ。


「紫苑、行くよ! 今日はサッカーするんだから」

「ま、待って姉さん。袖が伸びる! せめて手を握ってよ!」

 

 これは夢だ。そう理解するのには時間はかからなかった。グランドに向かう僕、その腕を引く()()()()()()()()()。それを俯瞰的に眺めている。

 僕と姉の背丈は去年頃には並んでいた。だから、この夢はかなり前の記憶になる。姉は中学生になるとあまり僕に構わなくなったから、たぶんお互いに小学生に属している時の記憶だろう。

 

 この時の自分は姉にかなり憧れを抱いていたと記憶している。姉は俗にいう優等生という奴で、クラスの人気者だった。勉強も苦も無くこなしていたし、特にスポーツでは向かう所敵なしと言っても過言ではない。

 そんな姉に、身近で偉大な姉に憧れを抱いたのは……いつのことだったか。記憶に無いぐらいには遥か前だ。物心ついた頃と言ってしまってもいい。まあ、その真偽は置いておく。今となっては分からないし。明確化する必要もないからだ。

 

 脱線した話を戻そう。

 

 姉の憧れを自覚する前から憧れていた僕にとって、姉を目指すのは必然だった。姉の様に“他者に認められる何者か”になりたかった。

 僕は姉の後を追い、地元の中学に進学した。姉のいた部活に入った。それで僕も姉の様になれるはずだと思ったのだ。それだけで、望みが叶うはずもないことは、ちょっと考えれば気が付きそうなものだとは思う。けれど、僕は気が付くことのないまま中学を過ごし始めた。

 

 途中、違和感を覚え、努力を始めた。

 努力の量を増やしたり、改良をしたりもした。

 でも、結論だけ言ってしまえば、そのどれもが報われる事はなかった。

 目標としている姉、その手前にすら僕は届かない。自分がもたついているハードルを自分よりも努力をしていない者が軽々と超えていく。

 

 自分は姉の様にはなれないのだと、理解するのに時間はかからなかった。……認めるのに多くの時間を有した。

 何物にもなれない僕には、どんな存在意義があるのだろう。そんな問いが僕には常に付きまとっている。考えない様にしても、ふとした時に考えてしまっている。

 

 そして、この問いには今でも明確な答えを示すことができていないのだった。

 

  ▼

 

 一筋の光が目に入った。そこから徐々に視界が広がっていく。ゆっくりと体を起こすと、肩にかけられていた布団がずり落ちて、衣擦れの音がした。

 

「起きたんだね」

 

 声がした方向に顔を向けた。窓の外を見ていたのだろうか、背中越しに彼女は僕を見ていた。月明かりに照らされる緋色の髪は昼間とはまた違った印象を受ける。開放たれた窓からは風が吹いていて、カーテンと共に彼女の髪を揺らす。

 

「……はい。おはようございます」

「もう夜だけどね」

「そうみたいですね」

「それにしてもひどい顔だ。嫌な夢でも見たのかな?」

「まあ、そんな所です」

「……そう。じゃあ、こっちにおいで。今日はいいものが見れるから」

 

 頷いて、彼女の隣へと歩く。彼女の視線の先を僕も見る。夜空に浮かぶ星々は僕が見ていたものとは違う。大幅に配置変更がされていた。極めつけは歪な形をした月の様な物だ。それが、星空に点々と映っている。ここでは、月が夜に浮かばないのだ。

 

「綺麗でしょ。(ティアーズ)がよく見えるの」

「ティアーズ?」

「あのひときわ大きな、この星に一番近い星たち。知ってるでしょ?」

「いえ、全く」

「知らないってことはないでしょ? 天邪鬼(あまのじゃく)だね、君は」

 

 寝ぼけた頭で素直に答えてしまったけれど、よくよく考えれば濁しておくべきだった。僕は彼女に違う世界から来たであろうことを伝えていない。この星に住んでいるなら、衛星を知らないってとんでもないことだ。

 

「……見たことはあったんですけど、そういう名前だったんですね」

「やっぱりシオン君は不思議だね。嫌いじゃないけど」

「……そうですか」

 

 しばらく星を眺め、夜風を浴びる。昼間に比べて冷ややかなそれは体温を奪っていく。心地の良い時間だった。けれど、いつまでもこうしてはいられない。僕は、どうして今こうしているのか分からないからだ。

 あの後、戦いがどうなったのかも知らない。自分が役割を果たせたのかどうかも。知らないままでは不快感が残る。その感覚を断つため、彼女に問う。

 

「……試合はどうなったんですか?」

「ああ、結果は両者気絶で引き分けだ」

 

 彼女はそんな事もあったなぐらいの気軽さで結果を口にする。負けなかったけれど、彼女に勝利を捧げることができなかった。それは、僕にとって何よりも悔しい。

 

「……そうですか。勝てなくて、すいません」

「初めてであのエマさんから引き分けをもぎ取ったのは上出来だよ。いや、むしろ出来過ぎかな? どちらにしろ、君はよくやったさ」

 

 彼女がまた僕の頭を撫でてくる。それだけで僕の悔しさが緩んでいく。どうしようもなく気分が高まる。僕はきっと人類の中でも指折りの単純さを誇っているのかもしれない。

 

「ところで、体の調子はどうかな。ダメージは受けなかったはずだけれど、倒れたんだ。少しでも体調が悪くなっていたら報告して欲しい」

 

 ペタペタと頬に触れて彼女は言う。目と目が強制的に合わせられる。心配そうな彼女の表情。幼い子共に対する接し方みたいでちょっと戸惑う。

 

「どうなの?」

「だ、大丈夫です。少なくとも今は」

 

 彼女は安堵したのかほっと息を漏らした。頬に添えられていた手が離れて「良かった」と言う。本来メイドはこんな風に過保護に扱われるべきではないのだろう。

 今日あったアイザックさんなんかを見ていればそれは分かる。この世界においてメイドとは戦う者であり、主人の盾なのだ。けれど、僕の無力さ故にそれが逆転してしまっている。その事をより歯がゆく感じた。

 

「よかった。君を殺させないための物は用意したつもりでいたけれど、まさかあんなことになるなんて、思いもしなかったんだ」

 

 あんなこと。そう言われて思い出すのは戦いの終盤だ。あの時、僕は得体の知れない力に助けられた。自分というフィルターを通し、出所が不明な力を使った。

 だからこそ負けずにいられた。けれど、直後に倒れてしまったのではこの先が思いやられる。今後の為にもあの力の正体は知っておくべきだろう。

 

「…………君が倒れたとき、本当に心配だったから」

 

 今にも膝から崩れ落ちてしまいそうな、表情を見せる。それはこれまでの彼女に見られなかった一面だった。たぶん、彼女は“失う”という行為が嫌なのだ。

 彼女が戦う理由。失ったものを取り戻すという願いからも読み取れる。彼女は──

 

「ミツレさんは……優しいですね」

 

 僕がそう言うと彼女は「そんなこと無い」と首を振る。

 

「私は断る(すべ)の無い君を利用している。自分の都合でね。悪い人……なんだよ」

 

 僕の眼から視線を逸らして、星空へと向けた。罪悪感に狩られる彼女の横顔。それで、僕の考えは確信へと至る。

 

「ミツレさんは悪役になり切れないですね。そんな感じがします」

「どうして、そんなこと言える。君とは知り合ったばかりだよ? 本質を晒し切っていない」

「本当に悪い人は、自分のことをそんな風に言ったりしませんから」

 

 僕は言葉を区切る。彼女にそんな顔をして欲しくなかった。どうしてそう思ったのかは分からない。理屈に落とし込めない。でも、それを拒むものも存在しなかった。だから、感覚に従う。

 

「ミツレさん。貴方は優しい人ですよ。自分が思っているよりも、ずっと」

 

 確信を口にする。彼女の表情を完全に解すことはできなかった。僕らはまだ出会って二日の仲だ。この程度では彼女の心の枷を外すことはできないのだろう。

 そう思い至って、僕は決心する。

 

「僕は貴方のメイドになる。もうドジメイドなんて言わせない。貴方が誇れるようなメイドになって見せます」

 

 これは誓いだ。彼女のよりどころになれるように。いつか、彼女に本当に心から笑って貰えるように。

 ミツレさん風に言えば、僕は悪い人だと思う。他に頼る手段がない彼女に押し付ける誓い(もの)。一方通行な誓い(ねがい)だ。受理されると分かり切っている。

 それでも、改めて僕は口にしておきたかった。自分がぼんやりと目指していた“何か”その具体像として。今度は決して迷わない様に。

 

「……何か言って下さいよ」

「ちょっと返事に困っちゃって、だってシオン君、とっくに私のメイドでしょ?」

「まだ、新人研修中ですから」

「そうだった。じゃあ待ってる。君がもっと立派で、私が自慢したくなるメイドになるのを」

 

 作られた笑み。それに向かって手を伸ばす。彼女はそれを包んで優しく圧力をかける。

 

「改めて、よろしくお願いします。ミツレさん」

「こちらこそ」

 

 僕には何者にもなれなかった。でも、そんな僕にも何かできることがあるかもしれない。月の浮かばぬこの世界。そこで僕は“主人に本当に笑って貰えるようなメイド”を目指すと、決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、さっそくだけど言葉遣いのレクチャーをしよう。アイザックのおかげで昼間は滅茶苦茶だっただろう?」

「いや、滅茶苦茶にしたのはミツレさんでしょう」

「細かいところはいいんだよ。よし、さっきの台詞から直そう。繰り返して……『よろしくお願いしますわ、お嬢様』はい、復唱っ」

「……え?」

「ほら、繰り返す!」

「……よ、よろしくお願いしますわ、お嬢様」

 

 シオンは赤面した。




異世界チュートリアル終了。


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ちょっとツラかせや 上

「さて諸君、何で私が呼び出しているのか、見当はついているかの?」

 

 目の前の老人は僕ら三人に問いかける。その問いの答えはこの場に集められたメンバーを確認すれば簡単に求める事ができた。僕とミツレさん、そしてエマさんは先日の決闘の首謀者だ。あの事が原因である事は間違いないだろう。

 

「学園長、この度は申し訳ありません。私もアイザックも熱くなり過ぎたと自覚しております」

「分かっているのならよい。喧嘩をするのは良いが少しやり過ぎたの。おかげで教員はてんやわんやじゃ」

「はい。反省しております」

 

 主人が頭を下げるのに習って、僕も頭を下げる。

 この人が学園長。いかにも魔法使いと言った印象を受ける三角帽子とローブ。特に特徴的だったのは右目にしている黒の眼帯。その幾何学的な模様は何を表しているのか分からない。

 僕は素人だけれど、雰囲気からこの人は凄いのだと分かってしまう。それぐらい目の前の老人からは気迫を感じる。呼び出されているとは聞いていたけれど、まさかこの学園のトップが呼び出していたなんて思わなかった。

 僕らが頭を下げたのを見届けると、老人は張りつめていたものを弛緩させてホホホと笑った。

 

「まあ、若いからそんなもんじゃな。ワシも若い頃は山の一つや二つ……。メイドに代理させている時点で君らは大したもんじゃ」

 

 学園長さんはふっとため息を付き、長々と伸びたひげを撫でる。

 

「実を言うとワシはこの件でそれほど腹を立ててはおらぬ。ポーズとして呼び出しただけじゃ。でないと他の生徒に示しが付かんからな。見た所数が足りないようじゃが……あと一人はどうした」

「申し訳ありません学園長様。アイザックは本日欠席です」

 

 隣にいたもう一人のメイド。エマさんがこの間とはまるで違う口調で頭を下げた。そこにも違和感を覚える。彼女は荒々しいイメージが合ったけれど、この場では誰よりも丁寧な印象を受ける。やはり彼女はメイドとして磨かれているのだ。未熟な僕とは違う。

 

「そうか、まあよい。さっきも言った通り、大したことではないからの」

 

 その後「あ、だからと言ってやっていいわけじゃないぞ」と学園長さんは補足した。まあそれはそうだけど。

 

「本題は別の所じゃ。そう畏まらなくてもよい。いつも通りで構わんぞ」

「そう? ならそうさせてもらうね。おじい様」

 

 さっきまでの敬語を崩してミツレさんはそう言った。思わず二度見してしまう。おじい様、その呼び方からして、学園長さんともそれなりに仲がいいらしい。……そうじゃなければ僕をこの学園に入れるなんて無茶振りができないだろうし。

 とはいえ、そこまでフランクになるのはもはや無礼なのではないだろうか。まあ、学園長さん自身は不服に思っていないようだし……僕が言うべきではないだろう。

 

「今回はワシの愛弟子が雇ったメイドがどんなものか気になっての。その子がそうかの」

 

 突然視線が僕に向いた。驚きつつ、学園長さんの愛弟子がミツレさんであること、そのメイドが自分であることを理解する。

 そして「はい」と手を挙げた。直後、穏やかな目線が、品定めするようなものへと変わる。爪先から毛髪の一本一本まで、チェックし終えたあと「ほう」と息を吐いた。

 

「めんこいの。なかなかの別嬪さんだ。これなら確かにミツレも雇いたくなるか」

「でしょ? 初めて見たときにピンときたの」

「加えて腕も立つとなれば決定じゃな。ワシはいつになったらメイドを付けるのか、気になってしょうがなかった」

「だって、なかなか気にいる子が居なかったんだもの」

「だからと言ってここまで直前まで準備を引っ張る事は無いじゃろうに……」

 

 ため息を付いた学園長さんはミツレさんから僕へと再び視線を変える。

 

「これから聖戦もある事じゃし、ミツレの頼むぞ」

 

 聖戦。この学園で行われようとしている、命を奪われる可能性もあるイベントだ。アイザックさんからも聞いた事があった。けれど僕はその詳細について何一つ知りやしない。認知できてないものから守る事はできないのだ。だから問う。

 

「はい。でも……聖戦って具体的に何をするんですか?」

「なんだ、言う取らんのか?」

「……ええ、彼にもいろいろあって、話す機会が無かったというか。せっかくだし、おじい様に説明していただいてもよろしいでしょうか。私よりよほど分かりやすく語れるでしょうし」

「良いじゃろう」

 

「さて、どこから話したものか」と思案して学園長さんは机から立ち上がる。傍らにあった立派な杖がカツカツと音を立てた。

 

「単刀直入に言おうかの。聖戦とは、この学園地下に眠る魔導の深淵へ行くための儀式じゃ。優れた四人の魔法使いを選定し、その頂点に立つものだけ深淵に行くことが許される」

「四人、選定……?」

「そうじゃ。優れた四人。正確に言えば炎・土・水・風の四属性、一人ずつの魔法使いじゃな」

「四属性?」

「そこから説明が必要か。基礎知識がまだまだついとらんようじゃの」

「……すいません」

「シオン君、四属性というのはね、魔法の分類の事よ」

 

 脳みそがパンクしそうになっている所にミツレさんが助け舟を出した。彼女は人差し指を立てつつ話を続ける。

 

「魔法によって影響を及ぼすものごとに分類されるの。例えば、この間エマさんが使ったのは風魔法ね」

 

 この間の戦いを思い出す。エマさんが最後に使った魔法『我が拳に貫けぬ物なし(グングニル)』。あの風の刃に包まれた拳は見てくれからして確かに風の魔法と言えるだろう。だが、少し疑問が残る。

 

「でもあれって、複合魔法って言ってましたよ。『力強くあれ(アームズ)』や『疾風の如く(バーニア)』は何魔法なんですか? 炎でも土でも風でも水でもないじゃないですか」

「ああ、例外だ」

 

 僕らの会話にエマさんが口を挟んだ。あれを使ったのは彼女自身だ。これ以上説明に適した人材はいないだろう。

 

「無属性魔法って言ってな。自分自身に影響を与える物や四属性に分類できないものがそれにあたる。だから魔法は全部で五つに分類されるって訳だ」

「……成程」

「話に戻っていいかの」

 

 僕が納得いったことを確認して学園長さんは声をかけた。それに頷く。

 

「四種の属性の衝突によって、結界を開け、頂点に立って者が門を通り深淵へ向かうという訳じゃ」

「その深淵へ行く手段だというのは分かりました。では、その……魔導の深淵って何ですか。抽象的すぎませんか? 僕が聞いた話だと願いを叶えられる……とか聞きましたけど」

 

 僕はアイザックさんからそう聞いた。僕の主人もそれを否定しなかった。だからこんな抽象的な答えではない。そう思っていたのだ。

 僕の問いに対して学園長は少し間を置いて考える。

 

「どんな願いでも……か。まあ、そうじゃな。その様に見えてもおかしくはないかの。()()()()()()()()()()()()()

 

 手に入れた。つまり何かしらの願いを叶えたということだ。

 

「かつてワシは、深淵を覗いた。儀式もせずにな。おかげで片目はこのざまじゃ」

 

 学園長は片目にしていた眼帯を叩いた。今の口ぶりからして学園長さんの片目は使いものにならないのだろう。

 

「だが、ワシは力を得た。この学園を築くまでになった。願いを叶えたと言われても納得はできる。じゃがあれは失敗じゃ」

「失敗?」

「そうじゃ。ワシには分かる。この力は断片だ。本来の力の欠片でしかない。本来であればもっと大きな力を手に入れることができたはずじゃ……」

 

 学園長さんの手が震えた。杖を握る手に力が入っていることが分かる。それだけ自分が失敗したことを悔やんでいるのかもしれない。

 

「だからこそ、次の世代こそ正式な手順で成功させ、魔導会に更なる進歩を求めている……と言った所かの。つい、熱が入って長くなってしまったわい」

「ありがとうございます。長々と説明して頂いて」

「構わんよ。知識を求める者の助けをするのは老人の務めじゃからの。また、分からなくなったら来るといい。教壇に立たなくなってからワシも暇してるからの。話は終わりじゃ。もう行ってよいぞ」

 

 僕らは「失礼します」とまた頭を下げ、学園長室を去った。外から吹き込んでくる風が肌を撫でて、身震いをする。緊張感がそんな際立たせているのかもしれないと思った。

 

 学園長室の偉そうな扉を閉めた後、僕とエマさんは「はー」と長く息をついた。かなり目上の人との対談というものはどうしても緊張してしまう。それはちゃんとしたメイドのエマさんでも同じらしい。

 

「あー緊張した。ザックの奴、今日になって「やってらんない」とかドタキャンするからさ……気が気じゃ無かったっての」

()もいきなりミツレさんが口調を崩したのはビックリしましたけど……」

「言わなかったけ? 私と学園長が仲いいの。親代わりに面倒見て貰ってたからさ」

「……初耳でしたよ」

「ごめんごめん」

「聞いて無かったらビックリするよな、それ。スカーレット様が学園長様の弟子って言うのは結構有名だけど。こっちに来たばっかのシオンには知ったこっちゃないよなぁ……」

 

 エマさんが頭をかきながら僕と肩を組む。突然のことだったのでびっくりして体がビクッと跳ねた。

 

「お互い、面倒な主人を持つと苦労するな」

「お互いって……僕はミツレさんの事を面倒だなんて思ったことないですよ」

 

 振り回されているとは思っているけれど。

 

「おっと、流石にご主人の前だと言えないか」

「エマさん、言いがかりもいい所だ。私がアイザック並みに面倒なんてことがあっていいはずもない」

 

 ミツレさんが胸を張って自信満々にそう言って見せる。エマさんはそれを「まあいいや」と受け流して僕を見た。

 

「シオン」

「え? ぼ……こほん。私の名前、憶えてらしたんですね」

「まあな。戦った相手は忘れねぇよ。珍しい戦い方をする奴なら尚更な」

 

 エマさん曰く、メイドが素手で戦うのは珍しい。だから彼女にとって記憶しやすかったのだろう。エマさんは咳払いして「いや、それはいいんだ」と話題を切り替える。

 

「アタシは次こそお前をぶっ倒す」

 

 ギラギラとした瞳が僕を見つめる。荒野にいる肉食獣みたいな雰囲気。それに押されつつも見つめ返す。

 

「……僕だってそのつもりです」

 

 昨日の結果が不服だったのは彼女だけではない。僕だってそれは同じなのだ。主人に勝利を捧げたかった。その誓いを中途半端に済ますつもりはない。次こそ、白黒をつけた見間違えのないような勝利が欲しかった。

 一瞬の時間の凍結。それをエマさんの豪快な笑いで解凍する。僕と組んでいた肩を解いて、彼女は腹を抱えた。

 

「いや、『僕』って……男じゃないんだからさ。いや、それで所々口調が崩れてたって感じか。納得がいっ──」

 

 笑っているエマさんが途中で表情を歪ませる。彼女の頬にはガーゼが当てられていて、何らかの怪我をしたのは明らかだ。

 僕は緊張からかそれにすら気づくことができなかったのだ。せめて気遣いでできる事を示そうと、声をかける。

 

「そのガーゼどうしたんですか? 酷く腫れているじゃないですか。一体誰にこんな事を……」

「お前、わざといってんのか?」

 

 呼吸が止まるかと思うほどのプレッシャー。それに気圧される。

 いったい誰が……。聖戦の前、僕らの様に戦う人は少ないはずだ。あれほど強い彼女が傷を負うなんて考えにくい。そう思案して昨晩ミツレさんの言っていた事を思い出した。

 

『両者気絶で引き分け』

 

 それが僕たちの戦いの結果だ。僕の気絶は自分の力によって気絶した。では彼女が気絶した原因は? それは頬のガーゼと今の言葉が示している。僕は彼女の、()()()()()()()()()()()()()()()()

 思考が彼女の言動に追いつき、完全にやらかしたと理解して「あっ……」と声が漏れる。背中の肌を冷汗が伝っていく。

 何とかしなければと思案。ひとまず謝る事を決めた。でも何を言ったらいいのか分からなくなってしまう。絞り出す様な一言を喉の奥から引っ張り出す。

 

ご、ごめんそばせ

 

 声が裏返った。



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ちょっとツラかせや 下

「シオン。お前……覚悟はできているんだろうな」

「ひっ」

 

 声の主であるエマさんがパキパキと指を鳴らして迫って来る。僕はそれに呼応するように一歩二歩と後ろへと下がる。やがて背中に壁が当たって、これ以上下がる事ができなくなったことを悟る。

 そのタイミングでエマさんは壁に両手を当てて、僕の逃げ場を塞いだ。俗にいう『壁ドン』という奴である。僕も学生の頃に憧れたシチュエーションであったけれど、こんな緊迫した場面で味わいたくはなかった。

 

「お前、本当にいい反応するよな。加虐心を煽るというか、何というか」

「あんまり嬉しい言葉ではないですね。それ」

「だろうな」

 

 エマさんがペロリと自分唇を舐める。これからとっておきのデザートを食べるときみたいな表情だった。

 ああ、僕はこれからひどい目にあわされるんだろうな……。それだけのことをした自負はある。だから何をされようと受け入れるつもりでいた。ただ、ずっとそれを見続けるだけのメンタルは持ち合わせていなかったから、瞳を閉じた。

 でも、いつまで経っても衝撃は来ることは無くて、代わりに僕の髪をワシャワシャとかき分ける感覚。何をされているのかは分かりやすかったけれど、その意図を掴みかねて目を開ける。

 

「顔を殴られたのはまあいいんだ。メイドはそう言うのも仕事の内だからな」

「お、怒ってないんですか?」

「怒ってねぇよ。だけど、うちのザック……ご主人様も言っていたけど、それが冗談で済まない奴もいるからな。気を付けろよ」

 

 エマさんが距離を取って、僕の主人の隣に立つ。

 

「エマさん、良いのかい? 一発ぐらい殴っても良かったのに」

「殴って良いのか?」

 

 ミツレさんの言葉が神経を撫でたみたいにゾクゾクと伝わる。勘弁して欲しい。というか自分のメイドだよね? 殴らせることを推奨しないで欲しい。どういう神経しているんだろう。

 

「落ち着きそうなときに油を注がないで下さいよ」

「主人としてはともかく、一人の女としては、殴った相手にそれだけの報いはあってもいいと思うよ?」

「それはそうですけど……」

 

 まあ、それは僕も理解している。僕は彼女に殴られても文句は言えないのだ。

 

「ハハッ、愉快だな。ホント。お前らを見てるのは飽きないね。でも殴るのは止めとく。シオンのメイド服の前じゃあ一発殴ったところで無力化される」

「そうだった」

「おいおい。そうだったって、着てる本人が忘れてどうするんだよ」

 

 ニヤニヤとしている彼女はスパンと僕の背中を叩いた。その痛みも僕に届くことはない。本当に便利だと思ったけれど、痛みを感じないからこそ感じる申し訳なさも、僕の中に確かにあった。

 

「そのくせ殴る側はいつも通りちょっと痛いんじゃ割に合わない」

「それはそうかもね。じゃあ、そうだな……」

 

 僕の主人は顎に指を添えて考える。それだけで彼女の品がにじみ出ている気がした。何というか絵になるのだ。でもそれが自分を貶める何かを考えるための物だと思うと、あまり楽観視できなかった。

 

「じゃあこうしよう。エマさんにはうちのシオン君に悪戯する権利をあげよう。良い反応するんだよ、彼」

「へぇ……そいつはいいな」

 

 エマさんがまたペロリと唇を舐める。これがエマさんの癖らしかった。その横で僕の主人も「でしょ?」とノリノリだ。……いや、ちょっと待って欲しい。

 

「ちょ、何僕抜きで話を進めているんですか!?」

「駄目なの?」

「駄目に決まってます!」

「でも、エマさんがやられっぱなしっていうのは申し訳が無いじゃないか」

「それは、そうですけど」

「それにシオン君には殴りかかっても意味ないだろう?」

「はい。無力化されますからね」

「そうなるとこれぐらいだろう。シオン君がエマさんに返せる物は」

「……そうでしたね」

 

 僕はこの世界においてそれほど価値のあるものを持っている訳ではない。主人にも迷惑を掛けたくはない。そうなると返せるのは必然とこれぐらいだ。ミツレさんはそれを分かって言っている。

 でも僅かながら足掻くためにピリッと浮かんだアイデアをそのまま口にする。

 

「僕にそれぐらいしか償えることが無いことは、不本意ですが……認めましょう。でもそれを悪用されたらどうするんです? うちの品位を下げられることだって……」

「それは無いよ。エマさんはそんな事しないもの。ねぇ?」

「ああ、スカーレット嬢はうちのお得意様だからな。関連のあるシオンにそうひどいことはしないさ。それにあたしには策略を巡らすほど、頭が無い!」

「そう言うことよ」

「誇らしげにして欲しくなかったし、ノータイムでそのフォローを肯定する側で言わないで欲しかったですよ」

「よし、契約成立だ。シオンいいリアクション期待してるからな」

 

 二人は僕のテンションが下がる所を目の前で見ておきながら、綺麗にスルーを決めた。そしてエマさんはビシッと親指を立てる。そんなに僕に悪戯できるのが嬉しいのだろうか……。

 

「まあ、悪戯はそのうちするとして、少し聞きたい事がある。シオン、お前の力についてだ」

 

 チラリと僕の服に視線が集まる。エマさんとの戦いで発揮された力。メイド服でのダメージの吸収。そしてあの黒く染まった拳。前者はともかく後者は説明された覚えもない。僕自身もあの力の出所は気になっていた。

 

「正直なところ、お前に殴られたときのパワーは不自然だ。『力強くあれ(アームズ)』を三回重ね掛けた程度のパワーじゃない。……何をした?」

 

 さっきと打って変わってシリアスな声色。それで僕に答えが分からない問いを投げかける。その答えを考え、出す前にミツレさんが前に出た。たぶん僕に余計な事を言わせたくなかったのだろう。

 

「……エマ。それを知って、どうしたい?」

 

 強い口調だ。いつも含まれている言葉の柔らかさが失われている様に思える。きっと、それだけ隠したい何かがこの問いの答えなのだ。

 それを知らされてない自分の不甲斐なさも気に障ったけれど、ミツレさんにも考えがある。そう信じたかった。

 

「単純な興味だよ。あれだけの低出力の魔法であれだけの威力が出せる組み合わせ。それを知ればアタシだってもっと強くなれると思ってね」

 

 二人は睨み合う。探り合いにしては酷く直接的だ。エマさんが策を弄すことができないってのは本当だったらしい。しかしこのままでは全く進展性が無いと思う。何故なら、ミツレさんがプレッシャーに屈して話すとは思えないし、エマさんも引くとは思えなかった。

 ピリッと張りつめた空気が維持されてしばらく。それを崩したのは僕でもエマさんでも、ミツレさんですらなかった。

 

「そうだな。それはオレも興味がある」

 

 金髪の男と黒髪の女の二人組。男は絵本や歴史の教科書で見た貴族みたいだった。白を基調としたパリッと整った衣服にマント。腰に差したサーベルは綺麗に装飾されていた。口を開けばさぞ偉そうなんだろうと偏見交じりに思う。

 

 一方女はワンピースにエプロンを重ね掛けしたスタンダードなメイド服。(少なくともこの世界では)どこにでもいる普通のメイドと言った感じ。だが、久々に見る黒髪に僕自身が驚いてしまう。肌色も色白ながら、日本人のように見えて勝手ながら親近感を覚えた。

 二人を見たミツレさんとエマさんは距離をとって、あからさまに警戒する。服装からしてただ者ではないことは確かだが、そこまでする理由が分からなかった。

 

「エリオット・ベイリー……」

「おっと『風拳』のトンプソンに覚えられているとは光栄だね」

「優勝候補筆頭がよく言うな。『炎帝』のエリオット、君がどうしてここにいる」

「どうしてって、決まっている。オレもこの学校の生徒だからだよ。『宝石姫』」

 

 エリオットと呼ばれた男はバチバチと二人と言葉を交しても涼しい顔をしている。僕だったら気圧(けお)されてしまいそうだと、他人事の様に眺めていたらエリオットの眼がこちらに向いた。

 

「君が噂のフヅキ君か。流石『宝石姫』の選ぶメイドだ。近くで見るとより一層だね。家に持って帰りたいぐらいだ」

「……エリオット様」

「おっと、そんな怖い眼でこっちを見ないでおくれ、ミラ。本気で言った訳じゃない。僕には君がいるからね」

 

 自分のメイドと言葉を交わし、僕から目線を切る。

 

「それで、何の用なんだ」

「何の用って、言ったじゃないか。トンプソン君と同じだよ。興味があるんだ、フヅキ君に。オレは数々のメイドを見て来たが、彼はかなり特殊な部類だ。人種に魔法のあり方、不思議な部分はこれからももっと増えるかもしれない。どうにかして教えてくれないかい?」

 

 エリオットは先ほどの問いを今度は自分の口から聞く。一瞬にして会話の中心にたどり着いた彼は遠慮がない。それに対してミツレさんは表情を崩す事無く首を振った。

 

「それは無理な相談だ。何故なら、私も君が納得させることができるだけの情報を持っていない」

 

 嘘なのか本当なのか分からない解答をする。堂々としているが故に、少なくとも素人の僕からは判断が付かない。そして。こう続ける。

 

「それに知っていたとしてもエリオット、君に教える理由はない。聖戦ももう近い。好奇心に応えるために手札を晒すわけにはいかないだろう」

「それも妥当だね。僕が君でもそうしたよ」

 

 エリオットは頷いた。こうなるということは分かっていたといった態度だった。だったら、何でこっちに来たんだ。ひっそりと隠れていればミツレさんが何か漏らしたかもしれないのに。

 

「エリオット様、時間です」

「おっと、もうそんなか。では立ち去るとしよう。あまり歓迎されていないみたいだしね」

 

 両手を広げて残念そうなジェスチャーを大げさにしてから、来た道を戻る。その途中で僕とすれ違う。流れる様に彼は僕の肩に手を置いた。

 ビクッと肩が跳ねたけれど、エリオットはそれを気にする素振りも見せない。そして他の誰にも聞こえない様に僕の耳元で囁いた。

 

「彼女は、君を騙している」

 

 一瞬それがどういう意味なのか分からなかった。思考が追いついて、どういう意味だと聞き返そうとしたけれど、既にエリオットはもうこの場から完全に立ち去っていた。

 

 ミツレさんが僕を騙している? どういう意味だ?

 ミツレさんは見ず知らずの僕に手を差し伸べて、今もこうして助けてくれている。だいたい、僕を騙した所で何のメリットがあるって言うんだ。

 でも、彼女が隠し事をしていることは明白である。エマさんやエリオットの聞いたものの答え。それは敵でもない僕にも知らされていないのだから。

 動揺を上手い具合に収められないでいるとまた僕の肩に手が触れた。

 

「何を言われたの?」

 

 見知った、いつものミツレさんだった。さっきまでの固い印象はもうなかった。それに少し安心感を覚える。

 

「いえ、よく意味が分からなかったんですよ」

「そう、ならいいんだ」

 

 彼女が頷く。

 考えはまとまっていない。彼の言葉も、彼女の言葉も真偽は不明だ。でも僕はミツレさんを信じてついて行くことに決めている。たとえ騙されたとしても、裏切られたとしても、それを受け入れるだけの恩は彼女にある。まあ最も、裏切られていないことに越したことはないんだけれど。

 

「まあ、そもそもあの野郎の言うことなんて気にしなくてもいいぜ。何抱えているのか分かったもんじゃないからな」

「そうなんですか、ミツレさん」

「ああ。彼の家は王家に近い、面倒な立ち位置でね。扱いが難しいんだ」

「え? その割には不遜、というか露骨に嫌がってましたけどそれはいいんですか?」

「問題はないよ。偉いが、決定権を持っている訳じゃない」

 

 ん? 王家に近いってことは何かしらの権限を持っている言うことではないのだろうか。でも僕のいた場所と常識が違うのだから、そうとは言い切れないか。

 

「分かりました、気にしないことにしておきます」

「そうしとけ、そうしとけ」

 

 エマさんがそう言って、そのように受け入れることに決めた。

 そして、話題を切り替える。その手段として少し疑問だったけれど、先延ばしにしにしていた問いをミツレさんに投げることにした。

 

「ところでミツレさん。学園長もミツレさんも聖戦が近いって言ってましたけれど、日程は? 僕、具体的な日程を一切知らないんですけど」

 

 僕は知らない。彼らと戦う覚悟も決まっているけれど、何事にも段取りがある。それを知らないことにはこれから行動を起しづらい。だからなるべく早く知っておきたかった。

 彼女はそれを受け「あれ、言ってなかったっけ?」ぐらいの気軽そうな表情で言う。

 

一週間後だよ

「それ、早く言ってよ……」

 

 僕は項垂れながらそう言った。



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ブレークタイム

 戦いまで一週間前。その事実が判明してからというものの、僕は気が気ではなかった。いや、だってほら、フィクションであれば決戦の前って修行パートとか挟むじゃないか。でも、僕にはそんなイベントは発生していなかったからだ。それが不安を煽っていた。

 まああれはそうしないと主人公が勝った時の説得力が増せないとか、メタ的な概念はあるけれど、自分自身が初めて臨む本格的な戦いには準備万端で挑みたかった。それこそ、殺し合いになるのかもしれないのだから。『努力は実るとも限らない、だが成功した人間は努力している』そういった台詞もあることだし。殺されないためには殺されないための努力をすべきなのだ。僕は初心者(ビギナー)だから尚更だ。

 

 まあ、そんな前置きはともかく、僕は自分自身に対して戦いに勝つだけの理由付けが欲しいのだ。そうしないと戦いに臨んだ時不安になってしまう。そういった節が、かつて自分にも見られた。今回だって例外ではない。僕のメンタルはミツレさんほど図太くないのだ。

 だから僕は彼女に頼んで、一週間という短い期間ながら、修行に励むことになっていた。

 

「よし、休憩にしようか」

 

 丘の上、どこまでも続くように思える草原の中でミツレさんはそう言った。今日はほどほどに温かい気候で、肌を撫でる風は生ぬるい。もしも僕がこのメイド服を着ていないのであればうっすらと服が湿っていただろうなと思う。

 

「休むって、まだ歩いただけじゃないですか。修行も何もしてないじゃないですか」

「いや、だって歩くことが修行だからね。今も魔法を使いっぱなしだろう?」

 

 確かに今僕は彼女の指示を受けて身体能力を高める魔法を重ね掛けしたままだ。しかし、これだけで修行しているという実感は湧いてこなかった。

 

「こんな低レベルな修行があってたまりますか」

 

 冗談交じりにそう言った。何気ない一言だったけれど、彼女にとっては不満だったらしくムッと眉間にシワを寄せた。

 

「じゃあ聞くけれど、君はどんな修行をするつもりだったんだい?」

「それは、ほら必殺技の訓練とか。エマさんだってすごい技持ってたし、僕もそれらしいのを──」

「甘く見ないで」

 

 声色が一段と厳しいものへと変わる。冷たい目が僕の口をこれ以上動かないように引き留めた。その気迫に一瞬だけ気圧される。

 

「あれは長年の鍛錬のたまものだよ。君みたいな魔法を使い始めて数日の人間がマネできる物じゃないんだ」

 

 彼女の言葉は間違ってはいない。しかし、それだけでは納得ができない。僕は不安のままだ。それを少しでも払拭するだけの何かが欲しかったのだ。だから負けじと彼女を睨む。

 

「で、でも、聖戦にはたくさんの魔法使いが出てくるんでしょう。そうなると付け焼刃でもいいから、何かしらの対抗策を持っておかないと不安じゃないですか」

「そうやって君が不安になる気持ちも分からなくはないんだけれどね」

 

 ミツレさんが「はー」とため息をついて見せる。

 

「君はできることだけやればいい。ダメな所は私がカバーするさ。安心していい。私は伊達に長いこと魔法使いをしている訳じゃないからね」

「じゃあ、僕は何をすればいいんですか? こう言っちゃなんですけど本当に役に立ちませんよ。魔法も初級の物を数個だけ、頭だって、たいして良くないし……」

「いや、そこまで卑下しなくてもいいじゃないか。君にしかできないことある」

「本当ですか!?」

「ああ、勿論。出場するための人数稼ぎだ

 

 人数、稼ぎ……? 人数稼ぎって言ったのか今。人数を埋めてくれれば誰でも良かったってこと? 俺ホント頼りにされてないんだな。今更ながらショックだ。

 自然と(うつむ)いて、落ち込み具合が態度として漏れ出てしまう。

 

「冗談! 冗談だから! ゴメンよ。さっきのことでちょっと腹が立っていたからつい、ね」

「危うく本気にするところでしたよ」

 

 いや、冗談にしては条件が揃い過ぎている。その目的もあるのだろう。

 

「真面目な話をしようか。端的に言えば君の役割は私の盾だ」

「盾、ですか」

「ああ、君の防御力は他者と比べても頭一つ抜けているだろう? だから、私が危険な目に会いそうなときは守って欲しいんだ」

 

 確かに僕の防御力は高い。この間のエマさんとの戦いでも実証済みだ。でもあれは自分の力じゃない。メイド服さえ着れてしまえば僕の代わりになれる人間は幾らでもいる。その事実がより自分を面倒で、憂鬱な方向の思考へ導く。──それを遮る様に自分以外の熱が手を包み込んだ。熱源は彼女の手の平で、存在感のある緋色の髪がすぐ近くに迫っているのを理解する。僕の心臓が脈打つサイクルが早まっていく。

 

「返事は?」

「わ……分かりました」

「よし。じゃあ、お昼にしよう。今日は君が料理を作ってくれたんだろう?」

 

 ミツレさんが僕から離れる。背中を見せて軽やかにステップを踏んだ。合わせて揺れるスカートが綺麗で、印象に残った。手の平にはまだ彼女の熱が残っていて、何度か握ってそれを確かめてしまう。

 

「……楽しみって、そんなにハードルを上げないで下さい。たかだかサンドイッチですよ」

「それでも、楽しみな物は楽しみなんだから別にいいだろう?」

 

 背負っていたリュックから風呂敷を取り出して敷く。彼女は持っていたバスケットからサンドイッチを取り出した。並んで腰を下ろして、一足先に彼女がサンドイッチを口に運ぶのをじっと見る。

 

「どうですか?」

「美味しいよ、とっても。いい腕前してる」

「嬉しいですけれど、サンドイッチを料理の腕前にカウントしたくないですね」

「……それすらもできない私を遠回しに馬鹿にしてる?」

「え!? あ、その……そんなつもりは……」

 

 地雷を踏んでしまっただろうか。また不機嫌な彼女の相手をするのは嫌だった。どうした物かと頭を悩ましていると、クスクスと彼女の笑い声が聞こえた。

 

「そんなつもりが無いのは分かってるって。ホント良い顔するなぁ、シオン君は」

 

 彼女のからかい癖に振り回されて数日になるが、未だに慣れない。ちょっと呆れが出て来た気がするが、どうにも心臓に悪い。

 しかしまあ、今回は回避が難しかった。普段から料理を振る舞われているし、料理ができると思っていても仕方がないだろう。

 

「いや、ちょっと待って下さい。じゃあ普段食べているご飯は?」

「そう言う魔道具があるんだ。材料を入れて、ランダムに数品作ってくれる。最近は便利になったよ。それ以前は……あまり思い出したくないな」

 

 料理ではない料理を思い出したのか、苦虫を噛み潰したような顔をする。

 

「しかし、君といると自然と昔のことを思い出してしまうな。そういえばここにピクニックに来たのも、両親と一緒に来たとき以来だ」

「どんなご両親だったんですか?」

 

 思い返す彼女に食いつく。ミツレさんのそういったパーソナルな事を聞いた事があまり無かったから、がっついてしまった。

 そんな僕のアプローチを受けて、ミツレさんは「うーん」と思考をまとめ始める。

 

「まあ、厳しかったよ。でも自分の為になっている実感はあったし、苦では無かった。だから厳格な両親を尊敬していたよ」

「尊敬、ですか」

「ああ。父も母も他人に誇れる人間だった。こうやって家を支える側に回ってからは余計にそう思うようになった」

 

 ミツレさんの瞳が潤いを増す。その事を僕は気が付いていた。彼女は人差し指で目を拭い、僕がハンカチを差し出す。

 

「ごめん。改めて思い返すと、何だか感傷的になってしまうね」

「……なんか、羨ましいです。そういうの。僕の両親はあまりそう思えなかったですから」

 

 彼女の感覚は僕が感じた事のないものだった。僕の両親は……厳しくもないが優しくもない。放任主義というか「なるようになる」精神だったのもある。でも、主な原因は優秀な姉に手一杯だったからだ。姉のおまけの自分には手は回って来なかった。だから、両親に対してあまりいい感情を持っていない。

 

「きっと素晴らしい両親だったんでしょうね。ミツレさんがこれだけ立派になってますから」

「立派、か。どうだろうね。私は昔からそう進歩しちゃいないさ。可能ならば両親にずっと甘やかされていたかったよ」

 

 彼女は草原からどこか遠くへと思いを馳せる。それは遠くの景色なのか、それとも過去の記憶なのか僕には判断が付かない。

 

「……意外ですね。もっと前を向いていると思ってました。ミツレさんは強い人だから」

「そんな事はない。私は、弱い人間だ。弱い人間だからこそ、「願いを叶える」なんて物にすがっている。すがることに全力になっている。後ろ向きに全力なのさ。……失望したかな?」

 

 彼女の言葉。それは僕が今まで知る事のなかった彼女の核心に至るものだった。完全無欠に見えた彼女の泥臭さを垣間見た気がする。でも、失望することはない。彼女も自分と同じなのだと思ったからだ。

 

「いいえ、そんな事はないです。ちょっと安心しました」

「安心?」

「ミツレさんも卑屈になる事もあるんだなって。……ちゃんと人間なんだ

今すぐクビにしようか?

「あ、いや、そのごめんなさい! 貶す目的で言った訳じゃないんです!」

 

 やめて。微笑みながら言われると、とても怖い。

 

「分かってる。でも、シオン君は時々口を滑らすよね。アイザックの時もそうだっただろう?」

「いや、あれはミツレさんが言えって言ったんでしょう!」

 

 あれは今思い出しても冷や汗が出てくる程度に嫌な体験だった。そんな事を気にせずに彼女は話を仕切り直す。

 

「へぇ。じゃあ今回はどんなつもりで言ったんだい?」

「それは、何というか……ミツレさんってどうにも他を寄せ付けがたい雰囲気だったりするじゃないですか。自分とは違う人種に見えていたというか。ようやく共感できる部分を見つけたって感じの意味で……伝わってます?」

 

「うん、平気だよ。でも君の言葉は誤解を招きやすいよね。そのうち致命的な所で地雷を踏み抜きそうだ」

 

 全くもって反論できない。ここは僕がいた場所とは文化も違うし、分からないことも多い。ミツレさんが言った自分の悪癖もあることだし、不安になる。

 

「でも、今回は割と救われたかな。ありがとう、元気が出た」

「思ったことを言っただけですけどね」

 

 彼女の言葉に安堵して高まった緊張感が元通りになる。自分のサンドイッチを口にして一息ついた。ベーコンとトマトとレタスのBLTサンドが口の中で解けていく。風が吹いた。心なしか温かくなっている気がする。それを合図に彼女がこちらを見た。

 

「……聖戦が終わって、落ち着いたら、改めて君の故郷を探そう」

「え? いいんですか?」

「ああ、勿論。いつまでもこのままって言う訳にもいかないだろう」

 

 僕は流されるがままここにいる。でもいつまでもこのままではいられない。彼女にも迷惑をかけっぱなしだし、いつかは日本に帰りたい。

 だからこの関係にもいつしかピリオドを打つべきなのだ。

 

「ありがたいですけれど、ミツレさんは大丈夫ですか」

「大丈夫って?」

「あの広い屋敷に一人は寂しいでしょう?」

「それなら大丈夫だよ。これまでもそうしてきたんだから、問題ない。逆に君が辞めないと、帰る時にもメイド服のままだけど良いのかな?」

「それは……嫌ですね」

 

 流石にこの格好のまま帰るのは勘弁してもらいたかった。姉や両親にも友人にもこのような姿を見られたらそれから先の人生を送れる気がしない。

 

「だから、君が帰るその日まで、よろしく頼むよ」

 

 彼女の言葉に「はい」と頷いて、僕はまたサンドイッチを頬張る。彼女の考えを知って、過去を知って、まだ少し空いていた距離が縮まる。そんな昼食の時間。『聖戦』まではあと三日に迫っていた。



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聖なる戦いの始まり 上

 空に浮かぶ滴たちが光を地上に反射して、その一部がオレの家にも差し込んでくる。その灯りだけがこの部屋を照らしていた。あまり大っぴらに話す訳にはいかないから他の明かりはつけてない。

 オレ達ベイリー家は代々王国の懐刀として汚れ仕事を行う一族だ。国にとって障害となる輩を処分する役割を担っている。今回、メイドと打ち合わせることも仕事の一環だった。

 

 けれど、オレはまだまだ未熟の身。本来仕事が回ってくることはまずない。だけれど、今回は特例の中の特例として、数日前このオレにも仕事が回ってきていた。

 仕事の内容は『魔導学園』で執り行われている儀式『聖戦』を阻止すること。自身の所属が組織に所属し、儀式への参加資格も持っている。オレ以上にこの任務に相応しい人間はこの家には居ない。

 ここで成果を上げれば次期党首としての株を一気にあげることも難しくはないはずだ。何としても成功させたい。そのためにまずは儀式の核となる人間を見つけなければならなかった。

 

「ミラ、彼を見てどう思った?」

「彼というのは?」

「シオン・フヅキの事だ。変に勘くぐらなくてもいい」

「そう……ですね。黒に限りなく近いグレー、というのが第一印象でしょうか」

 

 シオン・フヅキ。学園最大のイベント『聖戦』、その直前になって現れた人物。

 入学して、すぐに彼女は『風拳』のトンプソンと一戦交えた。メイドの中では頭一つ抜けた戦闘能力を持っているトンプソン。だが、フヅキはそんな彼女相手に引き分けに持ち込んだ。おかげで学園での知名度は鰻上りだ。

 

「そうだな。彼が核だとしてもおかしくはない。それだけの材料はある。だが……目立ち過ぎだ。あれでは『私が犯人です』と言っているようなものだ」

 

 オレたちの様な存在がいることは儀式の計画側だって知っている。だから、フヅキシオンは本命を隠すためのデコイの様だ。だからミラは黒に限りなく近いグレーと言ったのだろう。

 だが……

 

「しかし、トンプソンとの戦闘の時に見せた耐久力。そして最後の一撃。あれは『器』と『変換機』で殆ど間違いないだろう」

 

『器』そして『変換機』。これらは『聖戦』で必須になるであろうアイテム。儀式の目的は学内にある遺跡への入り口をこじ開けること。

 あそこには結界が張られており、何人たりとも近づけなくなっている。その結界を強引にこじ開けるためには多くの魔力を貯蔵しておくの為の『器』。そして、その魔力を適した形へ変える『変換機』が必須となる。

 その片鱗となる力を()は見せていた。

 

「ええ、そして彼女は恐らく日本人です。名前も肌も、髪色もその傾向があります。もっとも、魔法で偽装した囮の可能性は否定できませんが」

「ああ、それを踏まえて動かなければならないね。戦闘していたのは本物だが、日常生活をしているのは偽物ということも十分にありうる」

 

 相手がかけた保険に引っかかってしまえば、我々の敗北は必至。儀式を止めさせることは不可能になるだろう。だから事は慎重に運ばなければならない。

 

「これで『器』に『変換機』、そして『操る者』。儀式のピースは揃っていることが確定した。事前に防ぐというのはもう不可能だろうね」

「珍しく弱気ですね。何か悪い物でも出してしまったでしょうか?」

「いいや、それは大丈夫だ。ミラが出してくれる料理は最高さ。ただ、追い詰められているということを改めて見て、自分に発破をかけている」

「成程。それはエリオット様らしい」

 

 くすりとミラが笑う。あの心身共にやつれていた彼女が日常的に笑えるようになったというだけでどうにも感慨深い。

 

「だが、もう候補は絞れた。シオン・フヅキが核かどうかは分からないが、それに近い者であることは間違いない。引き続き、辛抱強く行こう」

「はい。畏まりました。エリオット様」

 

 ミラは返事をすると、スカートを軽く持ち上げて一礼して去っていく。重い扉が閉まる音がやけに耳に残った。

 聖戦まであと三日に迫っていた。

 

  ▼

 

 ミツレさんと僕が授業をボイコットし始めてから数日が経ち、久々に学校へ出向くことになった。いよいよ『聖戦』が始まろうとしていたのだ。手始めに開会式がアリーナで行われている。世界こそ違ってもこういう格式ばったものを省いたりはしないらしい。

 集まった生徒達は同じ制服に身を包み、先日までは見られなかった魔法使いらしい三角帽子が追加されていた。彼、彼女らも戦闘用へと変わっているのだと思う。

 ずらっと並んでいるその姿は圧巻で気圧されている自分がいて、少し情けない。

 

「こんなに多くの人と戦うんですか……」

「なに、そう固くなることはない。いっぺんに戦うのは四分の一ぐらいだ。属性ごとに分かれるからね」

「ああ、そっか」

 

 学園長に聞いた聖戦全体の流れを思い出す。まずは各属性の代表を決め、その代表者四人で戦うのだ。だから、この人数を一斉に相手取る事はない。

 学園長が大衆の前へと出て、壇上へ立つと杖を振る。魔法詠唱は遠すぎて聞こえなかった。瞬く間に水蒸気、炎、そして風が巻き起こる。目を覆った次の瞬間には空中に壇上の校長先生が拡大される。僕の居た世界で言えばスクリーンの様だった。

 そして、彼の咳払いが空気を大きく振るわせる。直前に魔法で声を広げているようだった。

 

『諸君、いよいよだ。我々の宿願を果たすときが来たのだ!』

 

 声高々に宣言する。この間呼び出されたとき同様に熱が籠っているのだと思う。この学園を上げての儀式。そのトップである彼が熱心であるのは当たり前だ。だけれど、何というか、戦争に行く人間の気持ちを煽るような演説、みたいな。僕からすれば異常な光景だった。

 演説が終わる。熱湯の様な激しさを持つ歓声と指笛の音が鼓膜を叩いた。その波に僕は取り残されていた。

 

 開会式を終えて、僕たちは大勢が押し寄せていたアリーナからいったん離れていた。自分達の戦いまではまだ時間があったのだ。当初は控室でじっと待っているつもりでいた。けれど、緊張で固くなっていた僕を見て、ミツレさんは散歩に繰り出そうと誘ったのだった。

 人通りが少ない廊下にカツカツと僕らの足音だけが響く。こういった場所にいた方が気持ちは楽だった。

 

「まさかシオン君があそこまで緊張するとはね」

 

 彼女はにやにやと笑いながら傷口に塩を塗り込んできた。前々からそうだったけれど、人を弄るときは本当に生き生きとしている。

 

「……あがり症なんですよ。大舞台には弱いんです」

「そうかな? この間のエマさんとの戦いでもそのような印象は受けなかったけれど」

「あれは、無我夢中でしたから」

「じゃあ今日は幾分か余裕があるんだね。いいことを聞いた。これは予選突破も楽勝かな」

「余計にプレッシャーをかけることを言わないで下さいよ……」

 

 背中を丸めてため息を付いた。本当に意地が悪い。こんな事ばかりしているから彼女の友達は少ないんじゃないんだろうか。僕以外にもアイザックさんなんかにも似たような態度を取っていたし、信頼度は高そうだ。

 なんて考えていた所で曲がり角に人影が見えた。もう少し進むとその正体が明らかになる。ウェーブのかかった白髪に手に持った立派な杖。そしてひときわ大きな三角帽子。似たような服装の人は数多くいるけれど、ここまで威厳のある人物は学園長さんしかいない。

 

「おっと、奇遇じゃの。ミツレ」

「あら、おじい様。こんにちは」

 

 僕は礼をするミツレさんに続いて「こんにちは」と頭を下げる。学園長先生は「うむ」頷き、杖を両手で持って立ち止まる。

 さっきの演説の様なエネルギッシュな姿はもうなく、落ち着いた雰囲気を醸し出している。初対面があの演説であったのなら、別人だと思ってしまうかもしれない。

 

「先程の演説、見事でしたよ。流石おじい様です」

「よせよせ、世辞はいい。お主に褒められると寒気がする」

「そんな……」

「わざとらしく落ち込んだ様に見せるな。わしが悪者みたいじゃろう」

「あら、ばれてしまいましたか」

「バレバレじゃ。何年面倒を見て来たと思っておる」

 

 冗談を交換し合って二人は笑う。師弟関係の長い付き合いというのもあるだろうが、彼女とここまで打ち解けている人もなかなか珍しい。それは学園でしばらく過ごしてみて余計にそう思った。

 学園長さんが咳払いをして、弛緩した空気を引き締める。

 

「さて、いよいよ本番じゃな」

「……はい。いよいよです」

「……長かったの。念を押すようじゃが、へまはしないようにな」

「勿論。それだけの準備はしてきたつもりです」

 

 ミツレさんの声色がまた変わる。エマさんに対して見せた緊迫感のある感じ。それだけ二人にとってこの『聖戦』にかける思いは真剣で切実な物なのだろう。

 

「じゃが、この学園の土魔法で君に敵う者はいないじゃろう。予選は問題あるまい。……指導者の立場上あまり大っぴらには言えないがの」

 

 にやりと笑って、緊張し過ぎた空気を再び元に戻す。そして、学園長さんは僕の方に視線を向けた。

 

「それにシオン君もいる。あれだけの力を持っているなら、ミツレも安泰じゃろう」

「いや、そんな事は……。僕はただ、いろいろな物に助けられているだけです」

 

 そうだ。僕はただ助けられているだけなのだ。特別な物なんてない。それだけは勘違いしちゃいけない。そんなものは重荷になるだけだ。

 

「ホホホ、謙遜するでない。そうやって助けたくなるというのもまた一種の力じゃろうて」

「そう、でしょうか」

「随分自身が無いのじゃな。君は」

 

 学園長さんは髭を撫で、目を細めた。見透かすような台詞に僕はたじろぐ。自分の内面、不安と緊張に繋がっている部分をばっちりと当てられたからだ。

 

「……まあよい。我々の宿願の為にも、君にも、もう少し頑張ってもらうぞ」

 

 僕とミツレさんに微笑みかける。学園長さんは「じゃあわしはこれで」と背中を見せ、この場からゆっくりとした足取りで去っていった。それを僕は彼女と並んで眺める。その姿が見えなくなった所で彼女に言う。

 

「しっかしまあ、学園長さんってすごい人なんでしょうね。さっきの見透かした様な台詞といい、演説といい、その時に見せた魔法もそうですけど、別次元の人間って感じがします」

「そうかな? 確かにおじい様は凄い人ではあるけれど、そうでない事だってあるさ。あの人は嘘つきだからね。例えば君が挙げた三つの事にだって偽物が混じっている」

 

 右手で三本指を立てて彼女は言う。偽物? どこが偽物だって言うんだ。実際に見てすごいと思ったのだから、問題ないのではないだろうか。

 

「それは、ミツレさんが長い付き合いだからそう思うだけじゃないですか?」

「そうでもない。確かに魔法は凄いさ。魔導王と呼ばれた事だってあるし、なにせこの学園のトップだ。それが嘘だったら務まらない。観察眼は年の功かな~」

「じゃあ、あの演説は?」

あれ、全部録音だよ

 

「私以外には分からないだろうけどね」と彼女は続ける。人間見た目には寄らないものだな、と改めて思った。



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聖なる戦いの始まり 下

「さて、シオン君。もう緊張は解けているかな? まあ解けていなくても、戦ってもらうしかない訳だけれど」

「そうですね。完璧に解けた訳じゃないですけど、さっきよりはマシですよ」

「それは良かった」

 

 控室に戻って来た僕らの最初の会話だった。ここに残っている人はまばらで、もうアリーナへ移動し始めていることが分かる。本番まではもう秒読みなのだ。

 

「でも戦いが始まる前に一つ、君には言っておかなければならないことがある」

「どんなことですか。スカートが捲れたまま廊下を歩いていたとかですか?」

「それだったら私は放置しているよ」

 

 彼女は淡々と僕の冗談を受け流して、より最低な答えを導出した。それに若干引く。

 

「そうじゃ無くて真面目な話さ。自分で言うのもなんだけれど、私たちは優勝候補だ。徹底的なマークに合うだろう」

「学園長さんの弟子ともなると大変ですね」

「何他人事みたいに言っているのかな。君だってその弟子のメイドだ。他人事じゃないぞ。開始早々、袋叩きに合ってもおかしくない」

「……そうでした」

 

 想像しただけでぞっとする。自分よりも力を持った魔法使いたちが狙ってくるという事実は認めがたい。でも想定していなかったじゃ済まされない。

 

「まあ、エマさんみたいな大規模な魔法を使える人間は早々いないさ。あれだって規模的には中級魔法、君の防御力を貫通する段階には程遠い」

「あれで、中級なんですか……?」

「その上の段階、上級は山一つ消し飛ばす規模。言った事無かったっけ?」

 

 そう言われていつしかの会話を思い出す。確か、彼女が初めてメイド服を着せて来た時にそんな話をされた気がする。僕のメイド服は上級魔法までは無傷で耐える力があるのだ。

 

「だから安心しろ、とは言わないけど、もう少し肩の力を抜いたって問題ないさ」

「……はい」

「良し、じゃあ行こうか。流石に待たせすぎるのはまずい」

 

 ふと周りを見るともうこの控室に残っているのは僕たちぐらいで、いよいよ戦いが始まるのだと実感できた。彼女の後ろに続いてアリーナに入る。ここに来るのは二度目だけれど、この前の一対一の状況じゃない。

 満員電車程ではないにしろ、多くの人がこの場に集まっている。その視線が僕たちの方を見ていた。注目度が高いのはミツレさんの言っていた通りだ。

 

『えー、全員そろったようなので今回のルールを説明させていただきます』

 

 僕らが完全に足を踏み入れた所でアナウンスが聞こえた。これも学園長さんがやっていたような魔法で拡散しているのだろう。

 内容は今回の予選のルール説明だった。簡単にまとめてしまえば以下の三点だ。

 

 一つ、この予選は最後の一人になるまでの乱闘、バトルロワイアル

 二つ、行動不能、または場外になったら失格(行動不能は審判が判断、死亡した場合も含む)

 三つ、武器と魔法の使用は無制限

 

 このルールには殆ど縛りが無い。いつだったかアイザックさんが言っていた様に殺しもあり、手を組むことも問題は無いわけだ。

 最も、注目度の高い僕達はその有利性を生かし切ることはない。勝ち抜けるのは一組。僕ら以外が勝ち抜くためには僕らを倒さなければならない。

 手を組み、数が減ってからよりも数が減っていないうちに僕らを相手取る方がましだろう。ミツレさんの言っていた通りの展開になり────いや、でもルールを説明される前に何で展開を予想できるんだ? 早押しクイズとかだったらどうするつもりだったんだろうか。まあ、そうは絶対にならないだろうけれど。

 

『……以上になります。カウントダウンと同時に始めます』

 

 アナウンスが淡々と説明を終える。五から始まった数字が等間隔で消えていく。

 

「準備はできたかな?」

「腹は括りました」

「上出来だよ」

 

 隣のミツレさんがジャケットの内ポケットからペンを取り出してくるくる回す。瞬く間にそれは一振りの杖へと姿を変えた。軽く振るうと視線を正面へと向けた。

 カウントがゼロになると同時に、アリーナに怒号が響く。彼らの杖が輝いているのを見て、それが詠唱であることを理解した。

 大地にひびが入り、針の様に変化し迫る。岩の弾丸が僕らに向かう。この危機的な状況の中僕の主人は冷静に杖を振る。

 

飛翔せよ(フライ)

 

 魔法を掛け、空を駆ける。彼女へと向かっていた攻撃は空をきり、()()()()()()()()()()()()。迎撃すると思っていた僕は当然、避ける準備をしていなくて……。

 

「え? いやちょっ……! 痛い痛い痛いぃ!!」

 

 直撃。弾丸や槍の雨霰に打たれ続ける。痛みはないけれど思わず叫んでしまう。土埃が舞う中でも視力を失わない僕は空中でにやにやと見下ろす。

 

「やったか!?」

「まだだ! 息がある! 畳みかけろ!」

 

 叫びながら飛び込んでくる魔法使いたち。彼らの手には立派な剣や斧が握られていたりして僕の神経が危機を知らせる。ゾワゾワとする感覚に従ってその場から全力で駆け、逃げた。そして空中の彼女を睨む。

 空の上の彼女にも攻撃が向かっていない訳じゃない。けれど、届いていない。あのエリアは彼女と同じ様に空を飛ばない限り安全地帯なのだ。

 

「ちょっとミツレさん!? 助けてくれてもいいじゃないですか!」

「悪いねシオン君。この魔法、一人用なんだ」

「くっそぉ!」

 

 その台詞をこんな所で聞くとは思っていなかった。天然でジャイアン思考かよ。まあダメージを受けない僕を置いて行くのは理にかなっているけど、もっとこう……人の気持ちとして最低限というか、倫理観ってものがあるだろう。

 

「まあ、シオン君はその調子で時間を稼いでおくれ。決着は私がつけるからさ」

 

 ジャケットの内側からコルクで封をされた試験管を取り出す。中身は遠くてよく分からなかったけれど、その場で封を開けて空中にぶちまける。キラキラとした砂の様なそれはいつか旅行先で見たダイヤモンドダストみたいだった。

 

我が僕よ(サーバント)、『増殖せよ(インクリース)』『増大せよ(ヒュージ)』『その姿を槍となせ(チェンジ・スピア)』」

 

 三節の詠唱で彼女がばら撒いた者たちは姿を変えていく。一つで砂粒の量は増し、二つ目で大きさを増し、天を覆う。そして最後の一つの詠唱を終えるとその全てが宝石の槍へと姿を変えた。漂うそれらは数えることはできない。砂場の砂粒の数を数えるような物だ。

 

「──複合魔法。『降り注げ、必殺の槍(ゲイ・ボルグ)』」

 

 一つ一つの質量が、鋭さがどのような物なのかは分からない。ただ、直撃したらただでは済まないことは直感的に理解できた。

 彼女の異名を思い出す。『宝石姫』。宝石に囲まれる緋色の髪がただひたすらに綺麗で、戦いの中の景色ではないと錯覚してしまう。きっと魔術が、彼女自身が、そう呼ばせるのだ。

 

「さて、諸君。私は殺生が嫌いでね。生き永らえる気があるのならさっさと場外に出るといい」

 

 彼女の声がやけに通った。さっきまでの怒号はどこに行ったのやら、周りの人間はただあっけに取られている。

 そんな彼らに嫌気が差したのか、ミツレさんはため息を付くとパンパンと手を叩いた。「チャンスを上げてるんだ。さっさとしなよ」と急かす。

 

 その仕草が短距離走のピストルの役割を担い、まず主人を置いてメイドたちが悲鳴を上げ、駆け始める。その後を追う主人たちの足跡が大地を揺らしていた。

 彼女はその様を興味なさげに見ている。まるでアリを踏み潰す前の子供みたいな眼だ。普段彼女の見せる温かみは一切感じない。

 避難を待ち、もう逃げる人間がいないことを確認したうえで彼女は杖を振るう。

 

「行け」

 

 その言葉と同時に宝石の雨が降る。迎え撃つは岩の壁だ。この場に残った魔法使いたちが必死になって用意した防御壁。それにすがる様に彼らは背中を預けた。

 でもそんなものが役に立つことは無い。鋭さと圧倒的な質量によって厚い壁は貫かれる。そのたびに苦痛に歪む悲鳴が響く。

 当然僕もその中にいた。完璧な巻き沿いを喰らっている。けれど、僕は彼らと痛みを分かち合うことはできない。僕の体はそういうものでは無いのだ。少なくともメイド服を着ている限り。彼女はそれを踏まえてこんな大規模な攻撃を仕掛けている。

 

「悪いな、ちょっと失礼」

 

 背後からの声が聞こえ、声の主を見る間もなく後ろから羽交い締め、そのまま僕を頭に担いだ。

 

「なっ、離せ!?」

「嫌だね。お前にはどうせ攻撃が効かないんだろう? だったらちょっと盾になってくれてもいいじゃないか」

 

 男は僕を掴む力を強くする。非力な自分では拘束から抜け出すことはできずに宝石の槍が直撃する。

 

「ぐっ……!」

「やっぱりな。岩で防御するよりお前さんの方がよっぽどいい」

 

 男は僕を掴んだまま移動し反撃のチャンスをうかがう。宝石の槍が尽きた後、僕を頭の上からどかして空中から降りて来たミツレさんを睨む。

 

「いきなり上級魔法を使ってくるとは流石は『宝石姫』だ。油断ならない」

「光栄だね。でも、卑劣さでは君には負けるさ。まさか私のメイドを盾に使うとはね」

「こっちも必死なのさ。この戦いに勝たなければならないからね」

 

 男は地面に置いていた杖を拾い上げて彼女と相対する。僕から離れて彼女から目を離そうとはしない。張りつめた空気がこの場を支配している。

 

「私のメイドを人質に取らなくていいのかい?」

「いや、人質を取っても傷一つ追わせられないとなればむしろ邪魔だろう」

「冷静だね。私はそうしてくれるとありがったんだけれど……」

 

 ミツレさんは杖を握って、辺りに目配せをする。辺りに突き刺さっていた宝石の槍たちが再びふらふらと空中に浮かぶ。どうやらあの魔法は槍を作り降らせる魔法ではない。空中で操作できる槍を作る魔法なのだ。

 

「さて、実力差は示した。それでも戦うかい?」

 

 確認する様に彼女は問う。その問いに男は吹き出す。彼女の言葉にあり得ないと意義を唱えるようだった。僕からすればそれこそあり得ない。生き残れる可能性があるのなら、それにかけるべきだ。

 でも、彼はそうしない。もっと別の物の為に戦っている。

 

「笑わせるな。そのつもりなら最初に逃げている。それにそんな事をしたら俺のメイドに笑われてしまう」

「……そうだろうね。ではやろうか」

「ああ、来い」

 

 説得に失敗した彼女はため息をついて、切り替えた。

 男は杖を構えて無限にも思える宝石の槍に相対する。最初に動いたのは男だった。突き立てた杖から湧き出た力で大地が歪み、隆起し、彼女に迫った。だがその魔法は届かない。宝石の槍が行く手を阻んだのだ。浮き上がった大地に槍が降り注ぎ、氷のように砕かれる。

 

 その隠れていた彼は飛び出し、肉薄する。筋肉質の腕を振るった。鍛えた者の洗練された一撃。僕の物とは出来が違う。だが、それでも彼女へは届かない。一足先に槍が腕を射抜いている。慣性の法則に従って彼の腕は退けられた。

 

 だが、それでも彼は進もうとする。諦める気は微塵もない。そんな彼の両足には楔が撃たれた。痛みを訴える叫びに思わず目を覆いたくなる。

 そして、進めなくなった彼に彼女は一歩、一歩と近づく。

 

「この状況でも諦めないその姿勢、見事だ」

「そりゃ、ぁ……どうも」

「その姿勢に敬意を表して私の杖で止めを刺してやる」

 

 彼女の杖が大きくなる。初めて会った魔物への一撃を思い出す。杖の横なぎが彼の胴に衝突し、大きく吹き飛ばした。壁に衝突すると共に大きくブザーが鳴る。

 宝石に囲まれた大地には二人きり。もう他に残っている者はいなかった。

 

『土属性代表は……ミツレ・スカーレット&シオン・フヅキ』

 

 当初と同じようなアナウンス。それで僕たちが勝ち残った事を再確認する。僕は何もしていない。ただ、ミツレさんは圧倒的だったのだ。このことに異を唱える者はいないだろう。だから、より一層意識してしまうのだ。自分がここにいる意味とは何か。人数稼ぎという彼女の冗談が一番しっくり来てしまう。

 なんだか、この結果そのものが彼女に必要とされていないと言われているみたいだった。こんな考えは身勝手な物であるというのは分かり切っている。だが、それでも……それでも僕は彼女に必要だと思われている確証が欲しい。その願いは時間が過ぎる度に強くなっていくばかりだった。

 

 そんなこと、ありえるはずもないのに。



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手段、信念 上

遅れました。さーせん。


 自分達の戦いを終えて、僕達はさっきとは違う控室へと通された。初戦の前に通された部屋は人数の関係から広々としていたけれど、ここは何というか……そう以前いた場所のように言えば応接室の様な手狭さだった。

 

 そんな場所にいたのは僕らだけではない。ほぼ同時に案内されていた二人に出くわした。戦闘を終えても一切の返り血すら見えたらない白のマント。歩くたびにゆらゆらと揺れる金髪。かつてミツレさんが優勝候補とも言っていたエリオット・ベイリー。そして、黒髪が印象的なミラと呼ばれていたメイドだ。

 エリオットさんは手を上げて、ミラさんは軽く会釈をして僕らの存在を認知する。

 

「やはり、スカーレットも勝ち抜いたか」

「おかげさまでね。そちらもおめでとう、エリオット。君が勝ち抜くのは当然の結果だったろうね」

「ああ、予選で躓くようでは先が思いやられる。その点、君も余力がありそうで何より。おかげでオレの優勝にはケチが付かないで済みそうだ」

 

「当然だろう?」と問いかけるようにエリオットさんは頷いた。僕にはとてもできそうに無い振る舞い。自身の表れであり、その実力の裏返し。こんなに自信を持って過ごせたなら僕はどんなに楽だったか。そんな事は絶対にあり得ないけれど、つい考えてしまう。

 

「傲慢だね。そんな事を考えていると足元を掬われるよ。水と風はまだ決まっていないんだ。相性が悪い相手がピンポイントで出てくることもありうる」

「……そうですね。エリオット様は本当に詰めが甘い」

 

 思わぬ援軍が入った。初めて会った時も、これまでも静観を決めていたもう一人のメイド、ミラさんが動いたのだ。

 

「先を見据えるのは結構。ですが、それは勝ってこそ。目の前のことを終えてからです」

「全くだな。俺を差し置いて勝ち抜いた時の話なんて、随分と偉くなったな、エリオット」

 

 その声と同時に勢いよくドアが解放された。現れた二人組は僕が見知った顔。つい先日戦ったミラさんとその主人、アイザックさん。彼はエリオットさんを睨む。

 

「せいぜい格上気分でいるといい。俺はお前らを上から踏み潰してやる」

「こらこら、イラっと来たかもしれないけど、突っ走るなってザック! うちの主人がすいません~本当に」

 

 親指を下に向けて挑発するアイザックさん、ぺこりと頭を下げフォローに回るミラさん。初めて会った時と何ら変わらない空気感だった。

 

「へぇ、まさか君が勝ち抜くとは思わなかったよ、アイザック」

「まさかとは何だ、まさかとは!」

「何だって……そのままの意味だけれど?」

「意味を聞いたんじゃない! くそっ! お前はいつもそうやって俺をおちょくりやがって……」

 

 苛立ちを隠そうともしないアイザックさんはバリバリと頭をかく。それを僕の主人はにやにやと笑ってみている。僕の主人はいちいち喧嘩を売らないと気が済まないのだろうか……。少し心配になる。

 その様を苦笑いで見ていたエマさんがこちらに近づいて来た。軽く振られた手に僕は応え、振り返す。

 

「無事勝ち抜いたみたいじゃないか、シオン。めでたいね。これで、お前をぶん殴る権利は逃さなくて済みそうだ」

「いや、エマさんが持ってるのは僕に悪戯する権利ですから。曲解しないでください」

「似たようなもんだろ」

「違いますよ……」

 

 悪戯感覚で殴られては困る。そんな事されたら流石にミツレさんも怒……いや、笑いそうだな。そんな所を想像したくはないけれど。

 

「そーやって細かいことを気にしてんと可愛い顔にシワできちゃうぞ。シオン」

「別にいいですよ」

「良いってことはないだろう。シオン君。君の可愛い顔にシワを付けたら、私が君の親御さんに叱られるかもしれない」

 

 面白半分にミツレさんが会話に混ざって来た。かき回すだけかき回しておいてアイザックさんをエリオットさんに押し付けて来たようだった。

 

「別に僕に傷つけたって両親は気にも留めませんよ」

「そんな寂しいことを言わないで欲しいな。少なくとも今君は私の大切なメイドなんだから」

それ敵の攻撃から自分だけ逃げた人の台詞じゃないですよね?

「あれは戦略的な事情で仕方がなかったんだ。許しておくれ」

「せめて事前に話して欲しかったですね」

 

 まあ確かにあれは戦略的に間違っている訳では無かったけれど、僕だって人間だ。あのような扱いは不服である。そのときの気分を露骨に出す為に彼女からそっぽを向いて見せた。

 

「悪かったよシオン君。謝るよ」

「言葉よりも態度で示して欲しいですね」

「それはごもっともだね。そうだね。君を送り届けるときは高価な馬車で、優雅に観光でもしながらにしよう。約束しようじゃないか」

 

 ミツレさんは早口でそう言った。彼女の家には馬車なんて無かった。買ってでも何でもする用意をするということだ。それは倹約化でストイックな彼女からすればあまり考えられない。

 でも、まあ僕の故郷にはどれだけ陸続きに行っても変えれそうには無いが、彼女なりの必死さの様なものが伝わって来る。引きずったってしょうがないので、ここらへんで手打ちにしよう。

 

「別にそこまでしなくても良いですって。分かりました。許しますよ」

「さっすがシオン君。話が分かるね」

「そこまで態度が変わると腹が立ってきますね」

 

「そんな」と嘆き、背中にすがる彼女を鬱陶しく思っていると、また出口が開いて、三人の人物が入って来る。一人は学園長さん、そして残りは勝ち抜いた学生と思われる人達だ。

 彼らの身にまとう服は所々破れたり、返り血が付いていたりして生々しい。戦いは熾烈を極めた、と言った感じだろうか。よろよろとしている彼らは、すがるように用意されていた椅子に座り込む。僕らを見る余裕もない。

 

 学園長さんはそれを見届けてから、僕らに向き合った。

 

「君達が勝ち抜いたそれぞれの属性代表だ。おめでとう。これで最後の戦いに挑む資格を得た訳じゃな」

 

 髭を撫でつつ、彼は僕達を(ねぎら)った。ここまでの戦い、最後にやって来た風属性の代表を見れば本来はあの様に血を血で洗うような、厳しい物なのだろう。だけれど、僕ら、そしてたぶんエリオットさんとアイザックさんは圧倒的な力の差でねじ伏せてしまっている。

 それ故に、大げさな気がしてしまう。

 

「じゃあ学園長、早速戦いを始めるんですか?」

「いや、今日はここまでじゃ。お互いに付かれているじゃろう」

 

 噛みつくように問いかけたアイザックさんを落ち着かせるように学園長さんは言う。その返答にホッとする。あの戦いの後、まだ気持ちの整理ができていなかった。

 

「ここは一旦休息じゃな。出力不足で儀式失敗なんてことになったら目も当てられないからの」

 

 こほんと咳ばらいをして、それから杖を振るった。光の粒子が空中に散布され、ぐったりとしていた風属性の代表に降り注いでいく。そして、みるみると傷が塞がり顔色も元通りだ。

 

「あれが、深淵の力……」

 

 隣のエマさんが魅入られた様に言う。驚いていたのは僕だけではない。他の参加者もかけられた本人でさえ、なにが起こったのか認識できていなかった。

 魔法で解決できないものを、解決する。その力がこの戦いの先で手に入る。そう言ったデモンストレーションをされているみたいだった。

 

「ささやかながら祝いの席も用意している。早速じゃが、パーティーに繰り出して貰おうかの」

 

 あっけに取られていた僕らに声をかけて、話を戻す。学園長がもう一度杖を振るうと勝ち抜いた四人の魔法使いたちはドレスとタキシードへ切り替わる。

 その原理は炎だとか風だとか、土でも水でも説明が付かない何かで行われているに違いないと思わざるを得ない。

 学園長さんが指を鳴らす。するとさっき入って来たドアが自動で解放された。でも、出口が異なっている。廊下ではなく、キラキラと輝く舞踏会、その会場だった。

 

『さて、諸君。本日の主役。勝ち抜いた四人の戦士、登場じゃ!』

 

 会場に響く学園長の合図。それに合わせて僕らは足を踏み入れた。姿を見せた途端に歓声が沸き上がる。その中を通り壇上に上がっていく。

 グラスを渡されて乾杯の音頭を受け、会食が始まった。

 予選を勝ち抜いた魔法使いたちは常に人に囲まれていて、それはミツレさんも例外ではない。戦闘用の物ではなく、パーティー用のドレスに着替えた彼女は、他の誰よりも目を引く存在だった。特に目立つ緋色の髪を靡かせ歩くだけで誰かが寄って来る。それ故にあまり声をかけることができなかった。

 遠目に眺めていると、後ろから手を引かれる。振り返って正体を確定させると、それは意外な人物だった。

 

「こんばんは。フヅキさん。お時間よろしいですか?」

「え? ああ、大丈夫ですけど。……ミラさんでしたよね」

「あら。私の名前を覚えて頂けているなんて……嬉しいですね」

 

 彼女は口に手を添えて微笑んだ。どことなく品のあるその振る舞いが自分とは違ってちゃんとしたメイドなんだということを感じさせる。

 

「こうして話すのは初めてですね。私、ベイリー家のミラ・バトラーと申します」

「ご、ご丁寧にどうも。私はスカーレット家のシオン・フヅキです。よろしくお願いいたします」

 

 彼女に合わせて頭を下げる。今思えば彼女は自分を知っているのだから改めて自己紹介をする必要はなかったかもしれない。でもそんな事は置いておく。それよりも大事なことがある。

 

「何か、私に用ですか?」

「用、まあそれほど(かしこ)まった物でもないんですよ。ただ暇を持て余していただけです。フヅキさんもそのように見えましたから、声をかけてみたんですよ」

「ああ、成程」

 

 確かに僕は今暇そうに見えるだろう。何をしていいのかよく分からず、ただただボーっとこの場を眺めていたのだから。彼女の言い分には納得がいく。

 

「それに、フヅキさんには前々から勝手に親近感を覚えていましたから」

「親近感?」

 

 完璧な様に見える彼女(メイド)と要領を得ずにポンコツと言われてしまう(メイド)ではあまりそのようなものは感じられないとは思うけれど。

 

「ええ、だって同じメイドで、黒髪で……意外と似ている所があるでしょう?」

 

 彼女は自分の服と髪を指差し、僕と比べて見せる。まあ確かに共通点は多い。僕だってそれに着目していた。でも僕は男で彼女は女性だから、ちょっと複雑だ。

 

「そうですね。言われてみれば似てるかも」

「だから、故郷も近いかもしれないと思って」

 

 彼女は怪しげに微笑み、そしてこう続けた。

 

「日本、って言うんですけど」

 

 その言葉に僕は驚きを隠せなかった。一瞬時間が止まったかのように感じてしまう。今、日本って言ったのは間違いなかった。聞き間違いようのない。自分の故郷の名前。 

 それを認知し、勢いよく彼女の両肩を掴んだ。

 

「本当に言ってるの!?」

「文月さん、声が大きい。人目を引いてしまいます。お静かに」

「え? ああ……」

 

 自分の口元に彼女の人差し指が押し付けられる。確かにそれはそうだ。僕達は主役ではない。ここで人目を引くのはまずい。いつだったかアイザックさんが言っていた様に、キッチリとした振る舞いしか許せない人間はこの場にもいる。

 昂った気持ちが落ち着いて、彼女の両肩から手を離した。

 

「もっと隅で話しましょう。誰かに聞かれてまずい訳ではないとは思いますけれど、意味不明な会話は不快でしょうし」

 

 僕は彼女の言葉に頷いて移動する。ここまで一切の情報が無かった自分の故郷の情報それがさらされたのだ。それでも、自分が落ち着けているというのが不思議だった。

 

「先程の答えですが、本当です。何ならいくつか質問をして頂いても構いませんよ」

 

 彼女は胸に手を当てつつ、ウィンクをしてみせる。こういった茶目っ気のある仕草をしてくるのは意外だ。

疑っている訳じゃない。僕はこの世界で一度も故郷の名前は口にしていない。だから、そのような嘘を付ける訳がないのだ。それでも、一応確かめてみることにした。

 日本における初代総理大臣。日本の都道府県の数とその中で出身の県。そして月の数。彼女はよどみなく答えて見せた。

 

「すっげぇ。本物の日本人だ……!」

「驚くと随分と荒っぽい口調なんですね」

「あっ、いけない……ですわね」

「誤魔化し方が強引すぎです。もう少し何か考えた方がよろしいかと。でもまあ、これで私が日本人である証明はできたでしょう」

「ええ、まあ」

 

 彼女の身分は疑いようもない。さっきした質問。そして、これまで感じていた微妙な親近感も同じルーツを持っていると言うのであれば、納得のいく話だ。

 しかし、彼女が身分をここで明かした意味を見いだせない。黙っているメリットをもなければ、逆に言うメリットもないだろう。いや、彼女がこれから切り出してくる要件によっては覆るかもしれない。

 

 この訳の分からない状況下、敵である彼女の思うように物事を進めさせるのは望ましくないだろう。それは交渉事の素人である僕でも分かる。いつも以上に冷静に物事を見決めなければならない。

 だから、一度息を吐いて、さらに気持ちを落ち着かせた。

 

「でも、それが何の意味があるって言うんですか。私達はこれから戦う間柄です。それに変わりはないはず」

「ええ、そうですね。間違いありません。しかし、私だって人の子です。できる事なら、同じ故郷を持つあなたを傷つけるようなことはしたくありません」

 

 それは僕にもある倫理観だ。むやみに人を傷つけてはならない。それは僕がいた社会では当たり前のことだった。彼女もそのような感覚を未だに持っている。

 

「だから、明日の本戦、戦うことになったら手を抜いて頂けませんか?」

「何を言い出すかと思えば……」

「勿論タダでとはいいませんよ。シオンさんの安全の保障。加えて日本に戻る方法を見つける協力関係を結びましょう」

 

 呆れた風に見せた僕を引き留めるように彼女は条件を付けくわえる。僕は思わず息を呑んだ。

 

「おそらくですが、貴方はスカーレット様にはまだ自分の故郷の話をしていないでしょう。でなければ『馬車で送り届ける』なんて言うはずもないですからね」

 

 ぴたりと言い当てられる。あの会話でそこまで見抜いたからこそ、彼女はここで交渉を仕掛けてきているのだ。本当に油断ならない。

 

「エリオット様は何年も前から日本へ向かう準備をしています。私が協力するための条件でしたからね。スカーレット家より早くその準備が整うのは明白でしょう」

 

 それは間違いない。彼女の話が本当ならば、先に用意を始めた人間が有利なのは自明の理。そこにほころびは見られなかった。

 

「しかし、その準備は私達が敗北し、命を落とした、ともなれば白紙になります。逆に私たちが勝ち抜けば、貴方を元の場所に返すだけの用意がある。悪い話ではないでしょう?」

 

 彼女は僕に問いかける。勿論悪い話ではない。僕にとってこの世界は恐ろしい程に刹那的で、殺伐としている。帰れることなら早めに帰った方が『いのちだいじに』という作戦方針なら間違ってはいない。

 だが、それは……ミツレさんへの裏切りを意味している。右も左も分からなかったとき、初めて助けてくれた彼女を裏切るかどうか。

 

 その決断を僕は、ここでしなければならなくなった。



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手段、信念 下

「さて、それで貴方はどうするのかしら」

 

 情報を掲示し終わったミラさんは再び僕に問いかける。自分達の提案に乗るのか、否か。僕がミツレさんを裏切るかどうか。その選択を、求めている。

 彼女は、ミツレさんは僕を必要としていない。その事は僕自身がどうしようもなく理解している。僕がいなくても勝ち抜けるだけの力があった。

 だから、僕がどのような振る舞いをしようと問題はないはずだ。

 それに、もしミラさんとエリオットさんが勝ち抜いたら僕を日本に返してくれる可能性がある。彼女よりも早くその準備に着手している。ならば、彼女よりも早く、その用意を終えるのは道理だろう。だが、

 

「貴方の提案が本当であるとは限らないじゃないですか。本当に日本に返してくれるかも怪しい」

「確かに、その証明をすることは難しいでしょう。でも、このままでは貴方が危ないことも確かではないでしょうか。私の主人はこの学園でも屈指の使い手。貴方のご主人も素晴らしいものを持っている。ですが……一番はエリオット様」

 

 目を伏せて彼女は言う。どうしようもない、覆しようのないことを言う時みたいだった。自信、ではない、忠告だ。予選を超えた彼女は主人の戦い方を知っている。僕がそれ故にどのような目にあうのかが分かるのだ。

 僕がミツレさんの実力を()の当たりにしたように。

 

「……そんな事、やってみないと分からないじゃないですか」

「この学園唯一の特級魔法の使い手と言っても?」

 特級、ミツレさんに聞いた事があった。一番上のランクの魔法だ。僕が無傷で受けられるのは上級まで、巻き込まれたら僕がただじゃすまない。

 そんな人にミツレさんは勝てるのか? その疑問は戸惑いとなって、僕の表情に滲みだす。

 

「その様子だと、魔法に疎いあなたでも実力の差は分かった様ね。これで身を引いてくれる気になったかしら?」

 

 証明はされない。しかし、ここで首を縦に振れば命は助けてもらえる可能性がある。

 それは悪くない話のはずだ。でも、だったらどうして、どうして僕はこんなにも悩んでいるのだろう?

 最初はただ恐怖感しかなかった。この世界からは一刻も早く去りたかった。だから手段があるなら全部ほっぽり出して、実行しているはずなんだ。なのに……なぜ、そうしないのか。

 

 正しいはずの選択。正しいはずの答え。それに応じて「分かった」と言うだけのこと。

 

 それになぜ、これほどまでに僕は悩んでしまっているのか。

 心の底で、そうしてはいけないと思ってしまっているのか。

 それは……たぶん、自分が納得していないからだろう。例えそれが正しいとしても、他の誰もがそれに文句をつけないとしても、答えを出した自分自身が否定してしまいたいからだろう。

 仮に生き延びたとして、日本に帰れたとして、その選択を僕は障害後悔して生きていくことになる。根拠はない。だけど、確信がある。

 

 一度決めた目標を成し遂げる前に諦めること。それがどんなに辛く、歯がゆいものなのか。僕は知っている。

 もう何も目指さないことが楽だと、感覚で分かっていた。だから何者でもない自分でいた。後悔で日々ジクジクと自分の心を蝕まれたとしても構わなかった。

 

 だけど、もう一度目指したいと思ったのだ。

 初めてここに来た夜。月下で誓った。彼女の力に、彼女に誇れるメイドになるんだと、決めたのだ。

 

 ミラさんに向き合う。そしてはっきりと自分の目的を、信念を口にする。

 

「ごめんなさい。僕は貴方の提案を受けることができない」

 

 彼女はまさか断られると思っていなかったようで、面食らったようだった。たぶん、僕が逆の立場でもそう思っていた。

 

「自分が何言ってんのか分かってるの!? バカじゃない。せっかく私が助けてやろうって言ってるのに!」

 

 急に声が荒くなって、彼女のおしとやかな態度が崩れた。近寄りがたかった彼女にようやく近くなった気がする。やっぱり、年の変わらない女の子なんだと思う。そのことに僕は安堵する。

 

「なんだ、貴方も荒っぽいじゃないか。最初からそうしてくれれば気が楽だったのに」

「うるさい! アンタの選択は絶対に間違っている!」

 

 ビシッと人差し指を刺された。それにひるむことなくはっきりと意思を告げる。

 

「それでもいい」

「アンタがいなくたって、あの女はやっていける」

「知ってるよ。例え必要とされていなくても、僕は彼女に恩を返したい」

 

 そうだ。例え必要とされていなくたって問題ない。裏切られたって構わなかった。

 僕はミツレさんの助けになりたい。たとえ微々たるものだとしても、意味がないと他の誰かに何を言われようと、絶対に変えない。変えてはいけない。

 

 この想いはこれは僕の意地であり、信念なのだ。

 

 そのことをようやく、ミラさんに問われて自覚することができた。

 

「もういい。後で後悔させてあげる。そのときに助けて欲しいって言っても聞かないから」

 

 彼女が踵を返して、僕の眼の前から去っていく、足音が雑踏に紛れていくたびに緊張感がほどけて、平常心が戻って来る。

 気が付けばあれだけ悩んで、ため込んでいた気持ちはスッキリと晴れている。さっきまでなら考えられない気分だ。今日はぐっすりと眠れそうだなと、思った。

 

  ▼

 

 私は、彼の会話を聞いていた。他人と会話をしているふりをしていた。今更ながら自分に好意を見せる人たちに苛立っていたのだ。

 正直こんな事をしているのならば、この間みたいにシオン君とどこかに抜け出してしまいたい。でも、それは思うまでにとどめておく。この場を取り仕切るおじい様の面子もあるから、最低限こなしているふりをした。

 それでも、退屈なのは変わりない。だからシオン君の様子を覗き見し、聞き耳立てていた。魔法を使えば、すぐ隣にいるのと変わらないぐらいに情報を得ることができる。それに、彼は予選が終わってからどうにも調子を崩していたから、放っておけなかった。

 

 しばらくして彼と会話をし始めた女性がいた。僕と優勝を争うエリオットのメイド。黒髪で、おしとやかで、どことなく品を感じさせる女性。そんな彼女がシオン君に何を聞いて来るのか興味があった。彼と彼女は姿形こそ似通っているけれど、その在り方は新人とベテランということもあって、対照的だったからだ。

 叱咤か、呆れか、挑発か。いろいろと予想を立てていたのだけれど、そのどれもが的外れだった。

 彼と彼女は異界での同郷であること。故郷に帰る手伝いについて。そして、代わりに私を裏切るように提案をしたのだ。

 それを聞いたの彼の反応は、一言で表現することは難しい。喜びと疑いと不安。その全てを三分割でぐちゃぐちゃにしたみたいな、そんな表情。

 それを見たとき、胸の内に思いっきり爪を立てて、つままれたみたいな痛みが走る。そんな表情をさせているのは他ならぬ自分のせいだと知っていたからだ。

 

 彼がニホンという国から来たことも。

 それを言えずにいたことも。

 私に恩を感じていることも。

 それをそう簡単に踏み倒すことができないのも。

 だって、私は()()()()()()()()()()()()()()()

 でもそれはあくまで傾向だ。人間の傾向は非常時には簡単に覆る。だから彼は私を裏切るに違いない。裏切られても構わなかった。そうされてもじぶんが勝ち抜くだけの自信があったから。

 

 しかし、彼は私を裏切りはしなかった。

 

 魅力的な提案を自分にとって最大の利益を生む手段を突っぱねたのだ。その行為に、私は思わず息を呑む。

 何で……? 恩を返したい。それだけの為だけ? あんな小さな借り踏み倒してしまえばいいのに。

 彼はやっぱり純心だ。どこまでも善人であり、騙しやすい人間だった。だからいつまでも私に利用させる駒なのだ。

 そんな彼に呆れて、エリオットのメイドが捨て台詞を吐いて立ち去る。望み通りの結果を得られた瞬間だった。思わぬアクシデントだったが、大きな障害にはならなかった。思い通りだ。計画は以前問題なく進行中だ。でも、だからこそ余計に胸の痛みは増していく。それは、心臓の鼓動と共に響いて表情を歪ませてしまいそうになる。

 それを理由に私を囲んでいた人たちに断ってパーティーの中央から離れる。そして、彼に近づく。

 いつもみたいに弄り倒して笑ってしまえば、収まると思ったのだ。

 

「お疲れ様、シオン君」

 

 声をかける。彼は何事も無かったように笑って見せた。慣れない土地で、今もなお苦しんでいるはずなのに。その弱さを欠片も見せなかった。

 私とは違う。どこまでも独善的で、弱さを行動の理由にしていた私とは……根本的に精神構造が違う。それを自覚する。

 

「ミツレさん? 大丈夫ですか?」

「ああ、ごめん。ちょっと疲れてしまってね。何だったかな」

「自分で話しかけておいて『何だったかな?』は無いでしょう。三歩歩くと忘れる鶏ですか?」

「鶏とはひどい言い草だね。でも……」

 

 今だけは鶏が羨ましい。三歩歩いて彼の言葉を忘れてしまいたかった。そうすればこの胸の痛みも、自分への嫌悪感も綺麗に消してしまえるだろうと思ったのだ。

 

「でも、なんですか?」

「おっと、忘れてしまった」

「おめでとうございます。鶏の記録更新です」

 

 パチパチとわざとらしく拍手をして私を煽る。私の気持ちも知らないで(知らないのも当然だけれど)そんな事をするなんて……メイド失格だよ。

 

「……シオンも言うようになったね。最初の頃の遠慮がちで、一方的に弄り倒せるころが懐かしくて、恋しくなってしまうよ」

「僕も学習しましたから。言い返さないとミツレさんは止まらないって」

「君もその事を早く忘れてしまえばいいのに」

「嫌ですよ」

「つれないな~」

 

 彼が舌打ちをする。わずかながら反撃ができたことに、ちょっとだけ満足した。一方的な八つ当たりであることは分かっているけれど、そうせざるを得なかったのだ。許して貰えるとも思っていない。

 

「一生釣られる気はないので安心してください」

 

 嫌味ったらしく言葉を強める彼。それを遮るためにでっち上げた言い訳を取り出す。

 

「そういえば思い出したよ。話しかけた理由。早く帰ろうって言いに来たんだった。今日は君も疲れただろう?」

「……ええ、そうですね。早くベッドで眠りたいです」

 

 疲れているのは本音だろう。彼にも心の整理をする時間が必要なはずだ。こんな煌びやかな場所では、そうすることもできないだろう。

 

「あっ、でもその前に私の世話をして。体を洗って~着替えさせて。最後には整えたベッドに寝かせてくれ」

「寝る準備ぐらい自分でして下さい」

「えー? 君は私のメイドだろう?」

「えー、じゃない!? あんたは女で、僕はおっ……女だけど恥じらいを持って頂きたいですわね!

 

 彼は家にいるときの様に爆速で啖呵のスタートを切ったが、周りに人がいるのを思い出したようで、急に方向転換をして自爆していた。

 恥じらっている姿が可愛らしい。女の子だって言われても、相変わらず信じてしまいそうになる。

 

「良いじゃん。女なんでしょ?」

「あーもう、駄々をこねない! 早く帰りますよ! か・え・り・ま・す・よ!」

「おっと、シオン君。強引に引っ張らないで欲しいな」

「もう家まで黙っててください!」

 

 思う存分彼をからかった所で、シャットダウンをされてしまった。やり過ぎたのは自覚していたが、引き際が分からなかった。普段だったらすっきりとしていた気分転換法だったのに、まるで効果が無かったから。

 そのタイミングで『ああ、今日は上手く寝付けないんだろうな』と思った。




ちょろっとオリジナルランキングに顔を出していたようです。ありがとうございました。
評価や感想、お気に入りなどモチベに繋がっております。嬉しかったです。これからも何とぞよろしくお願いします。


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原点、朝

お待たせ。


 夢を見た。ずっと昔の夢だ。ずっと昔であることに気が付いたのは両親の背丈がやけに大きくて、私はその背中を見上げる視点だったからである。

 両親は魔法使いとして大成していた。領主としてこの辺りを収めるだけでなく。時折起こる隣国との争いに駆り出されては、その度に戦果をあげて帰って来た。

 だからこの辺りの人たちは両親を敬っていたし、両親はその事に誇りに思っていた。たとえ有事の際にしか求めれられない力の象徴だとしても。誰かの暮らしを、誰かの幸せを守れたことに胸を張る。そんな両親に私は憧れ、日々の鍛錬に明け暮れた。

 そんな自分の成長を両親は喜んで、褒めて。またその度に私の知らない次の壁を提示して見せた。それをまた乗り越えるために、また鍛錬を繰り返す。その果てに十歳になる事には大人にも負けない技量は身に付けていた。人生で間違いなく充実していた日々だったと思う。

 

 でも、その日々はもう無いものなのだ。両親は私の目の前で……私を逃がす為に亡くなった。家族で出かけた所を襲われたのだ。

 今にして思えば、両親にも負の側面があったのだと思う。争いに身を投げるということは、誰かから感謝されると同時に恨みを買う行為でもあるからだ。両親とてそれは例外ではない。

 納得している。でも、その頃はしばらく受け入れることができなかった。時間は一人でもじわじわと進行した。時計の秒針が動くたびに自分の気持ちがやすりで削られているような、そんな気がしていた。

 その傷のことを周りは気にもかけない。領地をかすめ取ろうとする他の領主からの追求が雨の様に私を濡らす。それもまた精神をすり減らしていく。

 両親の残したものを受け継ぎたい。しかし、まだ自分は若い。それでいて未熟だ。そんな者に土地を治めるだけの能力なんて有りはしない。両親が亡くなった後でさえ、どうしたらいいのか分からなかったのだから、当然と言えば当然だった。

 そんな風に途方に暮れていたときだった。おじい様と出会ったのは。

 

「君がミツレさんだね。スカーレット家の一人娘の」

 

 第一印象ははっきり言って胡散臭いおじいさんだった。警戒心を緩める事なんてできる筈もなく、私は彼を睨んだ。

 

「そう睨まないでくれ、ワシはね、君の助けになりに来たんだ」

 

 そう切り出して来た大人は何人いただろうか。ほとんどの要約してしまえば領地を自分に寄越せと言っているようなものだった。でもおじいさまは違った。

 

「後見人になりに来た。領地を治める事を認めるし、その手助けもしたい。文句を言う奴は私が黙らせてしまおう。どうかね? 悪い条件ではないと思うんじゃが……」

「確かにそれが本当なら、ですけどね。私は貴方がどのような人間かも知らない。そのような力があるとも思えない」

「それはごもっともじゃな。自己紹介を忘れておった」

 

 自分の言葉は一定以上の正しさを持っていた。おじいさまは髭を撫で言葉を付け加える。

 

「ワシは、ノア。ノア・クラーク。君のご両親の上司にあたる」

 

 息を呑む。その名前は聞いた事があった。両親からも、他の人からも。父以上の戦果を挙げ、この国の英雄ともされた魔法使い。顔は見たことは無かったけれど、知っていた。

 

「不思議そうじゃな」

「はい。何で貴方が私を助けるんですか?」

「それはの、君を見ていられなかったからじゃよ。君には素質がある。両親の言っていた通りにの。未来溢れる人間に手を差し伸べたくなるのは当然じゃ」

 

 こほんと咳払いして彼は続ける。

 

「ミツレ・スカーレット君。改めて言おう。君も魔法使いになって欲しい」

 

 救いの様な提案だ。私は言われなくてもそうなるつもりでいた。両親の期待に応えたいという思いは未だに持ち続けている。その道筋が断たれかけていたのもまた事実だった。

 でも自分にとってあまりにも都合がよすぎる。だから余計に彼の真意が気になっていく。

 

「それが貴方にとって何のメリットがあるのかさっぱりわかりません」

「なるとも。ワシはね、ミツレ君。学校を作りたいんだ。魔法使いが切磋琢磨し、より強大な力を手に入れるための学び舎を。生徒になるというなら、君の立場を確約しよう」

 

 その夢を語るおじいさまはあまりにも綺麗な目付きをしていた。かつての自分の様な、希望を持った目。自分を貶めようとしてきた大人とは違う。だから、この人の手助けになるのなら……それは悪くない。子供ながらにそう思った。

 私は保護を受けることを了承した。それからはただただ自分の資質を高めることに専念した。自分の夢を叶えるために。おじい様から受けた期待に応えるために。ただがむしゃらな日々を送った。

 でも、そうしても傷は癒えない。両親がいた頃以上に幸せだと感じる瞬間は訪れなかった。眠る前、食事中、風呂に入る前、ふとした時に今と過去を比べてしまう。 

 きっとあの時。両親と別れた瞬間。自分の幸福を感じる器官は壊れてしまったのだ。そう理解するのに時間はかからなかった。その認識は今になっても変わっていない。

 

  ▼

 

「ミツレさん起きて下さい。朝です。いつまで寝てるんですか」

 

 ゆさゆさと肩を揺らされる。窓から差し込む光はカーテンで減衰されずに部屋に届いていた。それが少し不快ではあったものの、少しずつ意識が覚醒していく。

 

「そうだな……美味しい朝食ができるまで、とか?」

「朝食はもうできてますよ。それともあれですか『食べるまでもない、こんなものを私に出すな』って言いたいんですか」

「いや、流石の私でもそこまでは言わないさ。それとも君の周りにはそう言う人がいたのかい?」

「流石に周りには居ませんでしたけど、料理の漫画(しょもつ)には居たりしましたよ」

「それ絶対に教育によろしくないでしょ……。まあいいや。起きよう。せっかくの君の朝食が冷めてしまってはもったいない」

 

 私は反動をつけてベッドから起き上がると真上に向かって背伸びをした。緊張していた筋肉がほぐれて血液が体を巡っていく気がする。

 

「それにしても、珍しいですね。ミツレさんが自分から起きないなんて。いつもは決まった時間にこっちに来るじゃないですか」

 

 瞼を開けると不思議そうな顔で彼はこっちを見ていた。(当たり前だが)悪気が無いことにイラッとした。誰のせいで眠れなかったと思っているんだ。

 

「中々寝つきが悪かったんだよ。それに、寝たら寝たで変な夢を延々と魅せられて……」

「へぇ、それはどんな?」

「上手く説明できないな……。もう記憶から抜け始めている」

 

 嘘だ。でも、彼に向かって私は積極的に過去の話をしたくはなかった。私はかわいそうで、同情して欲しいと言いたい訳じゃない。だから、話すことは選ばなかった。

 

「そうですか。まあ夢ってそういうものですからね。さっさと着替えて、朝食、食べに来てください」

「えー着替えさせておくれよ。君、メイドでしょ?」

「い・や・で・す! セクハラで訴えますよ。バカなこと言ってないで早く来てください。先行ってますから」

 

 すたすたと歩く彼はわざと音を立てて扉を閉めた。ついこの間といい今日といい、同性と言うことにしている設定を弄り過ぎただろうか。でもそう言う所でムキになるのはなんだか可愛い、年下の男の子って感じがした。

 そういえば少し前のアイザックもあんな感じだったなぁ。彼はあれでからかいがいのある男だった。今でこそすっかり可愛げが無くなってしまったけれど、幼い頃は純粋で……。そうなくなってしまったのはいつ頃だっただろうか。覚えていないけれど、その要因はからかい過ぎた自分にあるのだろう。

 思い出に浸り、身支度を済ませて彼の待つ広間へと歩いて向かった。空腹の出迎えたのはトーストにハムエッグ。それにスープを加えた朝食メニュー。それぞれの匂いに心が躍る。

 両手を合せて挨拶をして、トーストを頬張った。バリッと心地いい音が響く。

 

「美味しいね」

「それは良かった。焼いただけですけど」

「……ジャムがあったらもっと良かったのに」

「一言多いですね。そう思うなら自分で買ってきてくださいよ」

「ああ、君の仕事ぶりに文句を言うつもりはなかったんだ。許してくれ」

 

 プーっと頬を膨らませて彼は拗ねてしまう。こうやって分かりやすく感情を表現してくれるようになったのは私としては喜ばしく微笑ましい。

 一人だけだった時の食事は生命を維持するだけの義務的な物だったけれど、彼と摂る食事は失われたかつての日々を思い出させる。

 ずっと、こうしていたい気持ちが無いと言えば嘘になる。そう言ってしまっていいほどに彼は私の中で存在価値を得ていた。

 

 でもこれは所詮借り物で偽物の日々なのだ。本来、彼はここにはいない異物、異端である。何事も行動には代償が必要だ。彼をここにいつまでも留めておくことはできない。いつかは返さなければならないのだ。

 彼自身もそれを望んでいる。この間、自分でチャンスを蹴ったのは確かだ。けれど、いずれは絶対に帰りたいと思っているはずだ。

 曰く、彼の居た世界では武力による争いは数を減らしている。だから戦い慣れはしていなかった。今回、戦い抜くにあたっては適していない人選だ。

 でも、それが羨ましい。もしそのような世界だったら……たぶん、私はこんな風にならずに済んだだろう。彼と接するたびに考えてしまう。

 

「ごちそうさま。美味しかったよ」

「お粗末様でした」

 

 彼が軽くお辞儀をして私の皿を下げていく。その片付けが一通り終わったところで、私は彼と向き合う。こうして落ち着いて話せるのも、あと少しだと思ったからだ。

 

「さて。いよいよだね。今日で全てが決まる」

「……はい。今日は決勝ですからね。本音を言えばもう少し休ませて欲しかったですけど」

 

 冗談交じりに肩をすくめてみせる。まあ、それは私も思った。なにせ昨日予選が終わったばかりだ。もう少しスケジュールに余裕を持たせて欲しかった。もう数日、余裕があったならこの寝不足も立て直せたかもしれないのに。

 

「どう転んでも、君との戦いはこれで最後だ」

「そう、なりますかね?」

「なんで疑問形なんだい?」

「だって、そう簡単帰れるとも思っていないですから」

「なんだ。私の力を見くびっているのかな? 私が本気になれば、数日もかからないさ」

「だと……いいんですけどね」

 

 彼は視線を逸らす。それは彼が自分のことについて隠し事があるからなのか。それとも、別の不安要素なのか。心当たりが多くて絞り込めない。

 

「何だ、心配そうだね」

「いえ、疑っている訳じゃないんですよ」

「へぇ……メイド服を脱ぐことが名残惜しかったりするのかな

「それは絶対にないから安心してください」

「じゃあ、私と別れる事を寂しく感じていたりするのかな?」

 

 意図的な会話が、意図しない文脈へとジャンプした。そのことを彼以上に私が驚いている。その困惑を整理する間もなく彼は言う。

 

「それは、否定できませんね。ミツレさんといるのは悪い気はしませんでしたから」

「っ……!?」

 

 その言葉で自分の心がさらに乱される。彼の言葉が何度も、頭の中で反響した。それに心臓の鼓動がテンポを上げながら混ざる。一つの音楽を聴いているみたいだった。

 初めての感覚に困惑している。これをどのように扱って良いのか分からない。だから私は「……そう」とぼんやりとした返事をする。

 

「だから、寂しいって思ったりします」

 

 その言葉に追い打ちを喰らってしまった私は上手く言葉を紡ぐことができなかった。数十秒の空白を産み出し、昂った何かをギュッと押し込めて、

 

「そっか、ありがとう。嬉しいよ」

 

 そう、言葉を絞り出した。



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聖戦、開戦

お待たせ。言い訳すると完成した物を全ボツして再復旧した。


 屋敷を出てからというものの、ミツレさんはずっと何かを考えているようだった。昨日の夜、パーティーが終わった後。僕と一緒に帰ってから、どこか遠くを見ている。昨日の夜も眠れなかったみたいだった。だから、ちょっと心配になる。

 彼女の悩み。その詳細を読み解くことはできない。けれど彼女にとって、それは何事にも代えがたいものだということは察することができた。

 昨日までの僕だったら、それをきっと放置していたと思う。僕は彼女にとって身近な人になった。けれど、重要な人ではないから、彼女の大事な“核”となる部分に踏み込むべきではない。そう思っていた。

 でも、その考えを改めた。僕は他の誰でもない自分の為に。彼女にとって微々たるものだとしても、助けになると決めたのだから。だから、ブレーキを離して彼女に踏み込む。

 

「何をずっと悩んでいるんですか、ミツレさん」

「え? ああ……まあ、いろいろと思う所があってね」

 

 僕に声をかけられたことに目を見開いて、驚いていた。彼女にとっても僕の行動は意外だったらしい。

 

「いろいろと?」

「……まあ、いろいろとだよ。そのうちの一つは今日をどうやって勝ち抜くか、とかね」

 

 僕が問うと彼女は少し間を置きそう言った。少し言いづらそうにしていたのはかつて彼女自身が考えるのは自分の仕事だと言い切っていたからだと思う。

 誰だって自分の仕事を他人に押し付けるような真似はしたくないはずだ。それは彼女でも例外ではないだろう。

 

「じゃあ他は? 何に悩んでいるんですか」

「そこを突っ込むかい? てっきりこのまま作戦会議かと思ったよ」

「それは、ミツレさんの仕事でしょう。本人がやるって言ってたからには口出ししません。僕は貴方を信じて、動くだけ。そうでしょう?」

 

 問いかける。気難しそうな彼女がほんの少し解けて、取り乱した様に見えた。もしかして、本当は助けて欲しかったとか? いや、彼女に限ってそれは無いだろう。一瞬生じた疑問を振り払った。

 

「……台詞だけは一丁前だね」

「台詞だけとは酷い事を言いますね。僕は別にかっこつけている訳でも何でもないですからね」

「そう言う所は、ちょっとズルいかな」

「え、今なんて言いました?」

「いや、何でもないよ。独り言だ」

 

 彼女は何かを誤魔化した。それが重要な事ではないと思いたい。学園が見えて来て、雑談もここまでと言ったタイミングに差し掛かっている。だから僕はその言葉に言及できずに、門をくぐる。

 

「お待ちしておりました。ミツレ・スカーレット様、決勝の会場はこちらになります」

 

 僕らがしばらく歩くと黒服の大人が一人立っていて、彼に従って校内を移動する。足取りからしてアリーナには向かっていない。むしろ校舎の中心へと向かっているようだった。

 これから行われる決勝。そこでは選抜された四人の魔法使いが争う。そのうちの一人、僕の主人であるミツレさんの攻撃を僕は知っている。アリーナを埋め尽くす宝石の槍。同じでないとしても他の魔法使いも似たような規模の魔法を使ってくるだろう。そう考えるとまわりに建物がある状態ではやるべきでないとは思うのだけれど……。

 

「こちらです」

 

 黒服が足を止める。たどり着いたのは中庭だった。以前ミツレさんにこの学園を案内されたときには侵入規制がかかっていた場所。そして地下遺跡がある場所。この地下に、願いを叶える何かが、眠っているのだ。

 

「ご案内ありがとうございました」

「いえ、仕事ですので」

 

 ミツレさんが頭を下げたのに倣って、僕も頭を下げた。彼は「頑張ってくださいね」と辺り触りのない言葉を残して、この場を去る。彼女はその背中を見送る事はしない。真っ先に中庭と廊下の境界線を手の甲で触れた。当然のことながら何も起こらない。

 

「結界の第一層は解除されているね」

「結界?」

「ああ、平時ではここに結界が張られているんだ。容易に人が入れないようにね」

 

 入っていけない場所に鍵もかけないのは不用心すぎる。学園側もそれ相応の対策は練っているのだ。

 

「それが何層だったか……細かいところは忘れてしまったけれど、何枚も張ってあるのさ。地下遺跡の入り口までね。まあ、雑談はこのぐらいにして……さっさと行こう。ここで立っていても願いが叶う訳じゃない」

「……はい」

 

 ミツレさんの声色が変わった。普段の弾むような物も、さっきまでのきまり悪い迷いの雰囲気も感じられない。彼女はこの戦いの為に長らく備えて来た。その覚悟は揺るがない。

 初めて中庭に足を踏み入れた。空気が静まり返った空気は何となくヒンヤリとしている気がした。

 

「シオン君、君には……いろいろと迷惑をかけるね」

「そんなことないですよ。僕は、迷惑だなんて思ってません。ミツレさんに助けて貰って、メイドになって……いろいろなことに気が付きましたから。感謝してますよ」

「そうか。ありがとう」

 

 彼女は一度顔を伏せていた。顔を上げて僕をチラリと見る。そして、何か重い事象を打ち明けるときの様に、ゆっくりと再び口を動かす。

 

「……でも、君は優しすぎるように思える。ずっとそのままなら、いずれ利用されてしまう。気を付けた方がいい」

「そう、ですかね?」

「ああ。世の中には。悪い人間はいっぱいいるんだから」

 

 彼女は言う。念を押す様に。それは呼び水みたいに、いつかの記憶を思い出させた。だから僕はそれに従って問う。

 

「……それは、ミツレさんも含めて?」

「勿論。いつか言わなかったかな。私はね、悪い人なんだよ」

 

 その言葉を覚えている。やっぱり思った通りだった。僕がこの世界(こちら)に来て、初めて迎えた夜。星空を見ながら話をした。あの時と同じ言葉だ。

 あれから少し時間が経った。けれど、僕の考えは変わらなかった。彼女は……

 

「でも、やっぱり……ミツレさんは悪い人にはなり切れませんよ」

「どうしてそう言えるんだい? 私は君に自分のすべてを話したわけじゃない」

 

 あの時と同じような言葉を、ミツレさんは返す。なぜ彼女がそのような事に(こだわ)っているのか、その理由を僕は知らないままだ。

 それでも、僕の結論は変わらない。彼女の目的と同じだ。僕の想いはそう簡単に曲がったりしない。僕は、彼女を信じている。

 

「本当に悪い人だったら、そうやって警戒を促す事なんてしませんよ。『私は詐欺師です。注意してください』なんて言いながら詐欺を働く人はいないでしょう。たぶん、根本が善人なんですよ、ミツレさんは」

「…………そうかい」

 

 彼女が今にも消えてしまいそうな声で返事をした。彼女の表情は読み取ることはできなかった。確認する間もなく、彼女は立て直したからだ。

 

「さあ、到着だ。ここがこの学園内で発見された遺跡。『タワー・オブ・ヘブン』だ」

「ここが……」

 

 天へと伸びる三角の建造物。やけに機械的なそれは、僕の知っているもので言うならば、伝播等の先端、みたいだ。ここの世界はファンタジーというジャンルなのに、ここだけSFのようだった。妙に浮いている。

 違和感を修正できないでいると、空中にまた映像が映る。その中にいるのは勿論、学園長さんだ。

 

『よく来たの。決勝はこの中で行われる。近くに階段がある筈じゃ。それを使って降りて来てもらえるかの?』

 

 あたりを見渡して、それらしきものを見つける。覗き込むと階段はらせん状になっていて、等間隔で炎が揺れていた。それを見てミツレさんが目を閉じて深呼吸をする。

 

「……行こう。これが最後の戦いだ」

 

 彼女の言葉に頷いて、階段を下りる。下り切ると開けた広場に出て、そこにはすでに僕ら以外のすべての代表と、学園長先生が揃っている。僕らはどうやら最後だったらしい。

 学園長さんと目が合う。

 

「これで、全員そろったの」

「遅いぞ、スカーレット。てっきりこの俺から逃げ出したのかと思ったぞ」

「いや、君からは逃げるまでもない。勝手にやられそうだ」

「何だと!?」

「落ち着きな、ザック。アンタはすぐ熱くなるんだから」

 

 今にも飛びかかりそうなアイザックさん。それを羽交い締めで留めるミラさん。二人は相変わらずと言った感じだ。けれど、他の面々は緊張感を保ってこちらを睨むのみ。それが本来普通なんだろう。

 学園長さんが咳払いをして、彼らを鎮めると改めて話を始めた。

 

「では、諸君。よくぞ勝ち抜いた。よくぞたどり着いた。これより行われる聖戦、それによってこの中から一人、最高の魔術師が誕生することだろう」

 

 聖戦によって深淵に至る。この世界で出会った魔法使いたちの目的。あらゆる願いが叶えられるだけの力を得る。力の断片を手にした学園長さんは先日他に類を見ない力を見せていた。

 

「この地下で戦い、四属性のエネルギーぶつけ合う。それによってこの先にある“門”を開く」

 

 彼は杖で示した先には金属の門がそびえたっていた。これまで、これも、上に会った塔同様にこの世界から浮いている。この世界に馴染んでいないない。やけに機械的でメタリックな外観だ。

 あの先に、とんでもないものが眠っている。

 

「死力を尽くし、最後まで生き残った者。それがその全てを手に、門の先へ進むのじゃ」

「ちょっと待って、おじい様。この場所、本当に全力を出して大丈夫なの? 場合によっては倒壊するかもしれないでしょ」

 

 ミツレさんが口を挟む。確かにそれは死活問題だ。この場所でミツレさんが全力をだしたら、本当に倒壊するかもしれない。戦いどころでは無くなってしまう。それは他のペアも、例外ではない。

「それは問題ない。ワシが結界を張る。ちょっと、下がっておれ」

 

 促されるままに僕らは距離を取ると、学園長先生の足元に魔法陣が描かれる。幾何学的な模様は見る見るうちに大きくなって、この地下の床を埋め尽くす。

 

「『停滞せよ(スタグネイト)』、『傷つくこと無かれ(フローレンス)』、『反発せよ(リフレクト)』──複合魔法『城壁は傷を許さず(インタクト・ウォール)』」

 

 詠唱を終えると魔法陣は光の粒子となって、この空間をベールで被う。

 

「これは結界術式。対象としたものを不変、つまり状態を固定する魔法じゃ。君達の攻撃も問題ない」

「流石おじい様ね」

「これこれ、あまり褒めるでない。調子に乗るからの。これで準備は終わりじゃ。四隅に散らばっておくれ。開始地点が記してある、そこまで向かうのじゃ。全員が準備できたら始めるぞい」

 

 カツカツと靴の音が響く。その途中で早くもたどり着いた人の声が聞こえ始める。

 

『アイザック・ターナー、エマ・トンプソン、準備OKだ。いつでも行ける!』

『ちょっとまて、何でお前が返事をするんだ!』

『いや、準備できたみたいだったし。いいかなって』

『よくない! こういうのは当主がビシッとだな……』

 

 真っ先に準備を終えたのはアイザックさんたち。この場面でもいつも通りフラットな状態でいれる図太さが羨ましかった。

 

『ルーク・ロバーツ、ナタリー・テイラー。準備……出来ました』

 

 おどおどとした声。初めて名前を聞いた人だった。たぶん風属性代表の人だ。怯えをにじませた声の震えには僕も共感してしまう。

 

『エリオット・ベイリー、ミラ・バトラー。問題ありません』

 

 淡々と述べる。感じられるのは自身の表れ。何でも無い、普通のことのように言う。僕が手に入れられなかった物、それを持っている彼。戦うことが避けられないであろう、強大な力を前に少し体が硬くなった。

 

「表情が硬いな、もう少しリラックスしたらにしようか」

 

 柔らかな手が肩に添えられる。隣の彼女の声が、僕に力をくれる。そうだ。僕には彼女が付いている。首を振って笑顔で応えた。

 

「いいえ、大丈夫です」

「うん。その顔ができるなら大丈夫だね。じゃあ、行こうか」

「はい」

 

 緋色の髪が目の前を通って、戦場へ体が向けられる。

 

『ミツレ・スカーレット、並びにシオン・フヅキ。準備完了です』」

 

 カウントダウンが始める。五から始まって、一まで近づく。一つ一つが、とてつもなくスローに感じる。それがようやくゼロになった瞬間、戦いが始まった。

 

「『激流よ(シュート)!』」

「『風の刃(スプリット)』」

 

 水弾、風の刃が僕ら目がけて飛んでくる。アイザックさんと風属性代表からの攻撃だった。目くらましも兼ねているであろうそれらを僕は腕を広げて受け止める。痛みはない。この程度であれば問題なくしのげるのは実戦で経験済みだった。

 

「『飛翔せよ(フライ)』」

 

 後ろでミツレさんが呪文を唱え、跳躍する。追撃を華麗にかわして、空を蹴り、舞う。緋色の髪がはためく。速度を上げて天井付近まで駆け上がる。懐から取り出した試験管を砕いて、その中の(しもべ)達を呼び起こす。

 

我が僕よ(サーヴァント)、『増殖せよ(インクリース)』、『増大せよ(ヒュージ)』、『その姿を槍となせ(チェンジ・スピア)』」

 

 彼女の言霊に従い、眷属が動き出す。命令を一つ越える度にそれは凶悪に、支配的に姿を変える。地下を照らす光は覆われ、その槍に屈折させられた。

 

「──複合魔法。『降り注げ、必殺の槍(ゲイ・ボルグ)

 

 彼女の右手が天へと振り上げられた。槍の矛先が一斉に僕たちの地面を剥く。空気が締まり、ピリピリとしたものへと変わる。

 

「時は満ちた! お互いの願い、存在意義、その全てを賭けて……思う存分、競い合おうか!」

 

 この場にいる者全てに高らかに宣言する。誰もがその魔法の強大さ、美しさに目を奪われる中、彼女は不敵に笑う。

 

「もっとも、勝つのはこの私だけどね」

 

 ……一言余計なのは最後まで変わらないらしい。彼女の右手が、振り下ろされた。必殺の槍が大地へ向かう。



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ざまーみろ。

 かつての自分は特別な家に生まれ、その中で蝶よ、花よと愛でられた。優秀だと言われ続けた。自分は誰よりも特別で、将来は家をしょって立つのだ。そう教えられてきた。信じて疑うことを知らなかった。

 だから、辛い訓練にも耐えられた。辛い教育にも耐えられた。これから、より特別な人間になるための下準備としては当然の行為だ。当然の代償だと、理解できたからだ。

 そんな日々を過ごしていた時だったから、彼女の出会いは鮮烈だった。

 

 ミツレ・スカーレット。

 彼女はこの俺、アイザック・ターナーにとっての『理想』だった。自分に無い、考えもしなかった要素を彼女は持っていたからだ。

 

 初めて会ったのは、訓練と評された魔法戦闘だった。親たちの代理戦争の意味もあった子供たちの争い。その最終戦だった。彼女との戦いも当然ものにするのだと信じて疑わなかった。

 目の前の彼女はヘラヘラと笑って、一つ一つの戦いを楽しむような奴だった。お遊びでやっている奴らとは自分は違う。

 だが結果は惨敗。自分が手出しすることも許されない程の完封負け。

 何が起こったのか分からない程の力の差にただ成すがまま。遅れてくる痛みと悔しさに打ちひしがれながら見た彼女は、とても嬉しそうに両親にピースサインをしていた。

 

 鮮烈な敗北の味。大人に負けるのはよかった。これから先の人生で打倒すればいい。最後に勝つのは自分だ。

では、同世代に負けるのは? 

 己より努力している者なら納得がいく。でも、目の前の彼女は? 自分より研鑽を重ねているとは考えられない。もし、そうなら……あんな表情はできないと思った。

 なら、自分が負けた理由は才能なのだろうか? 家の誰よりもそれを認められ、尊ばれてきた自分が、それで負けた? ……認めたくない。だってそれは、自分を認めてくれた人たちを嘘つきにしてしまうことだったから。

 

「楽しかったよ。またやろう」

 

 尻餅をついていた自分は、思いっきり歯を噛み締める。彼女から差し出された手を、弾いた。遊戯の様な感覚で相手をした彼女が許せなかったのだ。

 その屈辱的な敗北を取り返すため、何度でも挑んだ。何度敗北しようとも、諦めることはない。だって、そうしたのなら、自分が何の為にここまでやって来たことが分からなるからだ。

 それでも、彼女の差は一向に埋まる事はない。苛立ちは募っていく。そんな日々が五年ほど続いた時だっただろうか。彼女の両親にあった。

 父の商談で家具を売りに来たのだ。その中でふと、彼の父親が僕を見て、散歩に誘って来たのだ。理由は「娘に挑む君を気に入ったんだ」と彼は言った。

 正直、馬鹿にしているのかと思った。けれど、客人へ無礼を働く訳にもいかなかったから、俺はそれに付き合った。その中で彼は言う。

 

「娘がライバル視している子は初めてで気になっていたんだ」

 

 自分がそんな風に思われているなんて、彼女は表情にも、言葉にも見せたことが無かった。だから、余計に苛立って「お世辞は止めて下さい」と声を荒げて言ったのだ。無礼にもほどがある。でも彼は気にせず、なだめてこう続けた。

 

「娘は口に出すのが苦手でね。いろいろとコツがいるんだ」

 

 それから彼は、自分の娘について語った。自分のこと『骨のある奴』と嬉しそうに話すこと。そんな彼に負けたくないと言っていたこと。

 そして、普段の鍛錬に加え近くの森で隠れて修行していること。

 その姿を彼は、彼女の眼を盗んで見せてくれたのだ。

 自分のメニューにも負けないハードさ。量。ただひたむきにそれをこなしていく彼女の姿を見て、素直にすごいと思ったのだ。

 

 ただ、自分一人に負けないために、これだけの事ができる彼女の精神性。それは家から与えられ続けて来ただけの自分とは徹底的に異なる。

 笑って、他人にとっての苦ですら楽しんで見せる。誇らず、見せず、何事も無かったように振る舞う。その在り方が、彼女なりの美学。

 自分に無かったその価値観を、美しいと思ったのだ。

 その光景が、自分の日々を変えた。

 

 負けじと鍛錬を増やした。言葉遣いを変えて、より強気に彼女に振る舞う。戦いの頻度は増え、彼女に冷や汗をかかす頻度も増えた。

 その度に自分も理想に近づけているのだと思えた。笑顔も増え、彼女と談笑もできるようになった。お互いを名前で呼び合い、打ち解けた。頻繁にからかわれたのは気に食わなかったけれど、彼女との会話は心地が良かった。

 今までで一番人生を楽しめていた気がしたのだ。

 

 でも、その日々は長く続かない。突然だった。ミツレの両親が亡くなったのだ。どうやら、家を襲われたらしい。

 それからミツレは家に引きこもるようになった。呼び出しても聞きはしない。戦いにも応じなくなった。ようやく出て来たと思ったら、後見人の後ろについて、つまらなそうな顔をして杖を振うだけでまた家へ帰っていく。

 理想であるはずの彼女。それがたった一つの偶発的な出来事で変わってしまった。何かに縛られ、動かされる彼女は……見ていられなかった。

 

 だから、そのときに決めたのだ。いつか必ずミツレを打倒する。あの時の彼女の様に笑い、見下ろして。自分なりにアレンジを加えて一言、「ざまーみろ」と言ってやるのだ。

 

  ▼

 

 ()()()()()()の必殺の槍が振り下ろされる。その圧倒的な質量、体積、鋭さが敵対するものを封殺してきた。ミツレ・スカーレットが得意とする上級魔法『降り注げ、必殺の槍(ゲイ・ボルグ)』。この魔法無くして彼女は語れない。

 その魔法をよく知っていた。忘れる訳がなかった。かつて自分が破れず、成すがままにされた試練。それを乗り越える手段を

 

「『飛翔せよ(フライ)』、『鎧を纏え(アームド)』!」

 

 二つの詠唱。体を浮かせ、自身の従僕に目配せをする。褐色の格闘家はその真意を今の魔法と目線で理解した。自分の魔法が効力を発揮し始めた。

 

「分かってる! 力強くあれ(アームズ)!」

 

 即座に宙に浮いた俺の靴裏を蹴り飛ばす。容赦なく振られたその足は防御魔法をもってしても、ジンジンと骨に響いた。

 人間砲台の例えがふさわしいほどに、俺は一直線に高速で空を飛ぶ。弾丸の自分と目標物である彼女と目が合った。

 ああ、相変わらず気に食わない表情だ。テンションの上がる啖呵を切った癖して、心の中では全くそんな事思っていない。本来の彼女はもっと、不細工な笑い方をする奴だった。

 腰の剣を引き抜く。鞘と擦れる金属音がこの場ではやけにしっかりと聞こえる。

 

我が眷属よ(サーヴァント)

 

 告げる。我が眷属たる水の粒子。その全てを動員して理想を取り戻す為に。

 

「『被え(ベール)』、『増大せよ(ヒュージ)』、『すべてを切り裂く剣となれ(シャープネス)』……複合魔法──」

 

 剣を覆い、それを拡大し、研磨する。その三行程を越え、あの槍に相応しき水の大剣を仕立て上げる。

 これこそが彼女と戦うために自分が作り上げた、今まで隠し通したとっておき。死力を尽くしてたどり着いた自分の解答。そのずっしりと重い感触を確かめながら彼女を見る。

 その表情はいったい何を示しているのか、今となっては正確に読み取れなかった。

 

「ミツレ────!!」

 

 彼女の名前を叫ぶ。名前で呼んだのはいつぶりだろう。その正確な数字も出すことはできない。でも、言うべきことは分かっていた。

 

「そのムカつく面、叩き切ってやるから覚悟しろ!」

 

 かつてのように言う。彼女は答えることはない。ただ槍の切っ先をこちらに向けるだけだ。だが、それでいい。そんな冷血な血の通っていない彼女を打倒するからこそ価値がある。

 

「『斯の一閃は(エクス・)────』

 

 自身の魔法の名を言霊に乗せて口にする。自分が長年培って来た想い。その全てをこの一閃に乗せた。

 

「勝利の為に《カリバー》』!!」

 

 攻撃は横なぎ、全ての槍に接触するように振るう。勝負の為なら目の前の一つだけで充分だ、でもそんなものにこだわりは無い。俺はこの戦いに残るより、目の前の彼女を打倒する。それが目的だったのだから。

 拮抗する二つの武器。俺は雄叫びを上げ、魔力を柄から更に流し込んだ。高速で回転する水の刃は砕けた宝石も巻き込み、更に切れ味を増していく。

 

 ミシミシと槍にひびが入る。それを合図に力を籠め剣が振りぬかれた。

 宝石の槍が、次々に砕かれていく。破片がひらひらと、舞い散る雪の様に降り注いだ。彼女の必殺は、俺の信念のもとに砕かれた。

 彼女は、あっけにとられ、今までの読み取れなかった表情を崩す。

 

「ククククッ……いやいや、見事だよ。アイザック。まさか君が私の魔法を破るとは。てっきり私は、エリオットが対処する物だと思っていたけれどね」

 

 破片が降り注ぐ中、おちょくる様にミツレは拍手をする。それはかつての彼女とのやり取りを思い出させた。

 それに応じる余裕はない。魔力を今の一撃でかなり持って行かれた。上級魔法は、戦争においてそれだけで戦略になってしまう。それほどにまで強力だからこそ、消費は激しいのだ。

 でも、今だけは無理をして応えたかった。

 

「当然だ。俺とお前は……ライバルだ。これぐらいできなきゃ話にならない」

 

 かつて自分たちが形にしなかった関係性。彼女と再び結びたい理想。その名前を改めて口にする。彼女は反芻(はんすう)するように聞き入り、笑う。

 

「……ああ、そうだったね。なら、まだまだ続けるだろう? 『再起動(リブート)』」

 

 告げられたのは詠唱短縮、繰り返しの魔法。彼女が唱えた魔法をもう一度、魔力を消費することで発動できる。当然、唱えられるのは……

 

「複合魔法、『降り注げ、必殺の槍(ゲイ・ボルグ)』」

 

 空中に宝石の槍が再び展開される五つの槍。大質量のそれの矛先は全て、自分を向いていた。これをまともに喰らったら生きては帰れない。

 考えてみれば、当然だ。進歩しているのは自分だけでない。彼女とて、あれから更に鍛錬を積んでいるのだ。この規模の魔法をもう一度使えたとしてもおかしくはない。

 

「ライバルというのなら、これぐらい大したことないと言ってほしいね!」

「……ああ、勿論だ」

 

 見栄を張る。自分の魔力の在庫はそこを尽きかけている。でも、それでも……

 

「『再起動(リブート)』」

 

 無茶を承知で自分の体に告げた。自分を動かす原動力が限界を超えてフル回転する。口から血が滴り、体が代償を現在進行形で支払われていく。

 

「ザックっ!」

 

 従僕が馴れ馴れしい名前で叫ぶ。悪い。でも、これは俺がやらなきゃいけないんだ。無茶でも、無謀でも、これだけは譲れなかった。

 震える腕で剣を担う。それを眷属が覆い、もう一度大剣を仕立てていく。

 

「複合魔法」

 

 空中を踏み締めて彼女に向かって飛びかかる。彼女はすでに腕を振り下ろし、強大な槍はすでに動き出していた。

 息を吸って肺に喝を入れる。体の内部から焼けるような痛みが伝わって来た。やめろと、諦めろと、限界だと言ってきている。

 でも、止まるわけには行かなかった。ようやく彼女が“らしく”なってきたのだ。自分が先にくたばってどうする。やっと待ち望んでいた展開じゃないか。

 

 彼女を彼女らしく、自分が引き戻す。

 

 そして、また全力で彼女に挑む事。それこそがこの戦いで望んだ、たった一つの祈りだったはずだ。ならば──ここで諦めるなんてあり得ない。この瞬間こそ自分が生きる意味そのものなのだ。

 

「『斯の一閃は勝利の為に(エクス・カリバー)

 

 喉から絞り出すようにして、信念を口にする。言霊が形となってその姿をさらす。

 この魔法こそが自分の祈りの象徴。研鑽の為にたどり着いた物。憧れを打倒するため、未開の領域へたどり着くために編み出した物だった。

 

「行くぞ、ミツレ。そのムカつく面、今度こそ叩き切ってやる……!」

「ハッ、飽きずに良く吠えたね。やってみなよアイザックッ!」

 

 空中を蹴り、飛び上がるさっきの様な速度はもうない。発射台に頼る事ができなくなったうえでの最高速度を保つ。

 彼女との間に宝石の壁が割って入った。速度が落ちた分、彼女の対応も柔軟になっている。

 

「そこを……退()け!」

 

 一太刀。上段から一つ目の槍を相殺する。濁流が破片を飲み込み、己の力に変える。それを忌々しく彼女は見ていた。

 成長した彼女ならば、砕けたこの破片でさえ操れるのだろう。砕かれても、敵を貫くために動かせる。

 

 でも、俺相手ではそれはできない。この剣は砕いた敵でさえ己の一部へ変える。彼女のための剣なのだ。

 

 背後からの二つ目、その陰に隠した三つ目。それらに突き差して内部から破壊した。その残骸すらも呑み込んで彼女に迫る。

 

「ッ……! なら、これはどうだ!」

 

 上下から自分を挟むように展開された。成程、剣が一つしかないのなら、それに応じた動きをさせるのは道理だ。今の体勢から対応させるのは難しい。だが……!

 

分裂せよ(ディビジョン)

 

 限界を更に一段越え、我が眷属に告げる。後付けの魔法によって、剣は二つに分かれた。反動でまた体が軋んだ。無理を押して、体を捻る。

 彼女の魔法は質量も体積も桁違い。だが、それ故に……素人とでも、狙いは定めやすかった。

 

「吹っ飛べ!」

 

 回転の勢いをそのまま利用し投擲。反対方向にさらにもう一投。一直線に飛んでいく。剣が触れ、浸食し、最後の二つの槍を破壊する。

 祈りが役割を全うし、その形を徐々に失っていく。確信して俺はミツレを見た。

 

「俺の勝ちだ、ざまー……みろ」

 

 力を出し尽くした俺は、ずっと言いたかった言葉を口にする。信念は貫かれ、必殺は再び破られた。




いや、私はここまでアイザックに入れ込むつもりはなかったんだけど……。ここだけはアイザックの視点でお送りしたかった。仕方ないじゃん。書いてるうちに好きになっちゃったんだよ。


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メイド対決 上

評価をいただいたおかげで、色付きが見えてきました。今後ともよろしくお願いいたします。


 二つの魔術の衝突。それが二度繰り返された。両者が扱ったのは上級魔法。彼女曰く、山一つ吹き飛ばす規模の一撃。

 その余波は下にいた僕達にも影響を与えた。強風、衝撃波、砂埃が舞う。その中で僕だけはその決着を一秒も逃さず見ることができた。

 

 砕かれた彼女の必殺の槍。傷だらけの体を押して、彼女を見つめる彼。そして「ざまーみろ」と少年の様に無邪気な声がその勝敗を示していた。

 

 殆ど引き分けに近い決着。だがこの技の応酬は声の主、アイザックさんに軍配が上がったのだと理解した。

 主人は敗北した。それでも笑っていた。それもまた、公園で遊んでいる子供の様な表情。作られたかのように整ったものではない。ただ、それすらも忘れてしまっているような……そういう顔。

 

 それは自分がたどり着けていないもの。自分が目標にしていたものだった。その表情を引き出せる彼が、彼女と同じ舞台に立った彼が……羨ましかった。

 

 でもその感情は脇に置いておかなければならない。彼女の術は敗れた。両者ともに疲弊している。彼女はまだ余裕を残しているとはいえ、それでもまだ戦うべき相手は残っているのだから。

 

「『力強くあれ(アームズ)』、『疾風の如く(バーニア)』」

 

 自分が使える数少ない魔術。そのうちから二つ、いち早く彼女の元へたどり着くために選択した。人間を超えた力が自身に付与される。大地を蹴り、ただ一直線に彼女の落下点へ。

 だが、その思惑を読んだ何者かが、行く手を阻んだ。自分の顔面に向かって繰り出される蹴りを無防備に受け取った。痛みはない。だけど、足を止められた。

 

「よっぽど自分の主人にしか目が行っていないみたいね」

 

 ツンケンとしたとげのある言葉。その声を覚えている。前日、自分が誘いを蹴った者。この異世界で会った、たった一人の同属。ミラ・バトラー。整っていた口調はもう見る影もない。僕相手には隠す必要もないと判断したらしい。

 さっきの彼女の動きは日本人離れしていた。おそらく魔法で何かしらの付与が行われている。警戒しながら対処しなければならない。

 

「……退いて」

「嫌よ。昨日、私がなんていったか忘れた? 後悔させてやるって言ったの。主人への加勢をそう簡単に許すと思う?」

 

 いやらしく、狡猾な表情だ。それは彼女の宣言通りの行動だった。戦略的な意味でも、嫌がらせの意味でも、ここで僕を自由にさせないのは当たり前だった。

 

「まあ、言っても聞いてくれないだろうなとは思っていたけど……」

「当然でしょ。アンタ本当に交渉する気あるのって感じ。メリットデメリットの換算が致命的に下手ね」

「素直に生きているだけだよ」

「そう、生きづらそうね」

 

 彼女は懐から短剣を引き抜く。アイスピックの様に細く、鋭く扱いやすそうなそれは彼女の殺意がこもった一品だ。その切っ先が僕へ向いた。これ以上話すことはない、そう言っている様にも思えた。

 

「『戦闘人形(バトル・ドール)』」

 

 彼女が魔法を唱える。聞いた事もない魔法。何が起こるか想像することは難しい。「力強くあれ(アームズ)」を追加でもう一度唱え、彼女の動きに備える。ここで彼女を倒さなければミツレさんの応援には行けないことはほぼ確定した。ならば力づくで押し通るまで。

 

「馬鹿の一つ覚えね」

「勝手に言ってろ!」

 

 お互いが距離を縮め、僕の拳と彼女の武器が交差する。目に彼女の武器が的確に命中。僕の拳は、紙一重で交わされた。メイド服が無ければここで決着がついている。

 

「ほんとムカつくほどにいい固有能力(アビリティ)ね。アンタにもったいないぐらい」

「ああ、僕の主人からの贈り物なんだから当然だよっ!」

 

 捨て身で彼女に拳を打ち付ける。彼女は(ことご)くそれを躱し、的確に心臓や首筋、鳩尾と言った急所を突いて来た。メイド服が熱く、黒いシミを作っていく。

 ミツレさんの元へたどり着かなければならない状況。その中でじわじわと追い詰める持久戦の展開。それは最も回避すべきことだ。それを理解した上での行動なのだろう。

 僕はそれをいち早く打破しなければならない。

 だが、どうやって……?

 

「そこッ!」

 

 思考の狭間、エマさんの蹴りが胴体を打った。重心をずらされ、尻餅をつく。そこから更に蹴り飛ばされ、地面を転がった。体制を立て直す間もなく停止した所でミラさんが馬乗りになって僕の動きを止めた。首筋に切っ先が当たる。そして、躊躇なく突き刺す。メイド服が機能を発揮し、その進行は阻害されているが、いつまでも持つわけじゃない。

 

「伊達に、この世界での生活が長い訳では無いの。貴方みたいにいつまでも素人じゃない」

「…………」

「このままここで縛られてなさい。貴方の主人はエリオット様が仕留める。それを悔しがりながら見ていると良いわ」

 

 エリオットさんが彼女のもとに向かっている? 状況を考えれば当然あり得た。

 疲弊した二人の宿敵、それをまとめて一掃することができる。そうなれば残るは……。力の差がある風属性。

その状況だけは回避しなくてはならない。

 

「離せ……!」

「私は『はいそうですか』なんて言わないわよ」

「なら結局、殴り合うしかないって訳だ」

 

 ミラさんが慌てて振り返る。そこにいたのは褐色の肌に赤い髪。過度な露出のメイド服。エマ・トンプソン。彼女が既に拳を振り下ろしていた。

 それを慌てて避けるミラさん。唐突過ぎて動く暇もなかった自分。拳は当然のことながら、僕の胴体に直撃した。

 

()っったい!? いや、痛くないけど。いきなり何するんですか」

「ああ、殴った。敵同士なんだから、別にいいだろ」

「良くな……いや、良いのか」

 

 混乱する頭を整理し切れていない自分はそんなトンチンカンな会話をしてしまう。

 

「トンプソン、何であんたがここに来たの。貴方の主人はあっちよ」

 

 ミラさんが空中を指差し、僕らはそっちを向いた。そこでまだ僕らの主人が戦闘を繰り広げていた。規模こそ先程よりも落ち着いているがまだまだ激戦だ。

 そこの光景に安堵する。まだミツレさんは健在そして、エリオットさんも合流していない。……ということは風属性の代表に時間を割いているのだろう。

 

「そうだな。助けに行くべきだとは思うが、それはもうちょっと後だ。今はまだ、ザックが意地を張る時間。一人でやらなきゃ意味がない。お前の主人が出張って来るなら話は別だけどな」

「……非効率じゃない。声をかけるのも、馬鹿みたい」

「ああ、だろうな」

「分かってるのに、どうして」

 

 苛立ちを抑えきれないミラさん。声も視線もとげとげしい。エマさんはそれを気にも留めなかった。

 

「それは気に食わないからだ。シオンを倒すのはこのアタシだ。お前になんてくれてやるものか」

 

 その意思表示には全くもって理屈なんて存在しない。効率なんて求めていない。ただ、自分にとってしたい事を突き詰めていった宣言。あまりにも真っすぐで彼女らしい。

 

「……そう。貴方のそう言う所、好きになれない」

「奇遇だな。アタシもお前の変な所にこだわる所、好きじゃないぜ」

「お互い様ってことね。良いわ、かかってきなさい。その腹立たしい思想、まとめて打ち砕いてあげる」

「望むところだね。行くぞ、シオン!」

「え?」

「何ボケッとしてるんだよ。お前も一緒に戦うぞ」

「いや、何で自然と共闘することになってるんですか?」

「そりゃあお前「まとめてかかってこい」って言われたんだからそうだろうよ。それとも一人で勝てる自信はあるのか?」

「それは……無いですけどッ!?」

 

 話している途中に割り込むようにして攻撃。それを半歩下がって回避した。

 

「チッ……躱さないでよ」

「話している途中に攻撃するとか、アンタ絶対プリキュアの変身中に攻撃するタイプの敵かよ!?」

当たり前じゃない。私、攻撃が来ると分かってて待つ阿呆じゃないの

 

 シレっと冷淡な顔つきでミラさんはそう言った。相手はもとよりそのつもりのようだ。

 

「エマさん、分かりました。暫定ではありますがコンビということで」

「おしっ! 流石シオン。話が分かる。じゃあ、行くぞ!」

 

 その声に合わせて、二人同時に『力強くあれ(アームズ)』を唱える。僕ら肉体戦闘を主流にする者の生命線。発動を確認してミラさんに飛びかかる。

 役割は打ち合わせしなくても決まり切っている。僕が盾でエマさんが矛。可能な限り隙を産みだし、彼女につなげる。

 

 懐に飛び込み、鋭く打ち出した右拳。それをミツレさんは回避する。そしてすれ違いざまのカウンター。短剣で僕の首筋を傷つけた。そのまま僕の後ろにいたエマさんに向かう。

 彼女には僕と打って変わって、手数で勝負する。一息で何度剣が振るわれたのか素人目では判別ができない。だがそれをエマさんは片手でいなす。逆にカウンターを入れようと鳩尾に拳を振るう。それは完全に虚を突いた。が、それも不発に終わる。ミラさんは身体を捻り、またしても紙一重で交わしてしまう。

 この動き、反応速度、回避に関してはエマさんすら凌駕している。

 ミラさんは大地を蹴り、スケート選手の様に体をスピンさせてから着地した。

 

「成程、『戦闘人形(マリオネッタ)』か。小賢しい」

「エマさん、確かに使ってましたけど何なんですか?」

「ん? そうか知らないのか。まあ、使い手が少ないからな」

 

 バリバリと頭をかいて、解説を始める。その間にも敵から目を話すことはない。

 

「あれは戦闘補助の無属性魔法だ。回避、攻撃、身の運び方、その全てを任意で魔法に任せることができる。それでいて、最適化される。常に理想の回避、理想の攻撃をし続ける」

「そういうこと。貴方たちのスタイルはもう既に対策済み。ここを通る事はできないと思いなさい」

「ほう、言うね。なら、これはどうだ?」

 

 自信満々に言うミラさんに対抗してか、エマさんは魔法を唱え始めた。

 

力強くあれ(アームズ)

疾風の如く(バーニア)

風の刃(スプリット)』」

 

 その三つの魔法の組み合わせによって生まれる複合魔法。それは僕がかつて彼女と戦った時に出した切札。風の刃が彼女の拳に収束し、強化する。

 

「『我が拳に貫けぬ物なし(グングニル)』ッ!」

「成程、規模で勝負ってことね。無駄だと思うけれど」

「言ってろ、行くぞ、シオン」

 

 僕は頷いて、駆け出すエマさんの後を追う。懐に踏み込んだエマさんが二度拳を振るう。さっきよりも攻撃範囲が広がっているが、それでもミラさんにはあと一歩届かない。

 さっきミラさんは「貴方たちのスタイルはもう既に対策済み」と言っていた。公衆の前で戦ったことがある僕たちはそのスタイルを観察することを許してしまっている。それ故に彼女はああして避けることができる。

 僕も続いて背後に回って攻撃をするが、暖簾に腕を通している、と言うのがふさわしいれべるだった。その一連の攻撃をかわされたタイミングでの反撃。それを後ろに下がって回避。もう一度距離を取った。

 

「くっそ……まるで手ごたえがねぇ」

「ええ、きりがないですね」

 

 何とかしなければ、僕の主人だっていつまでも持つわけじゃない。一刻も早く彼女を打倒しなければならない。人数、及び攻撃規模の拡大は駄目。これまでの攻撃パターンは彼女によって対策されていている。

 そうなるとその予測パターンを何とかして逸脱しなければならない。意識すべきはゲームで言う所バグチェックみたいな行動をとることだけど……。思考を巡らせ、一つ閃いた事があった。

 

「エマさん」

「何だよ」

「一つ、策を思いつきました。あの魔法を突破する方法。その上でお願いがあります」

「なんだ、言ってみな」

 

 彼女に促されて耳元に近づいて囁く。

 

「僕の事、思いっきり殴り飛ばしてくれませんか」

お前……戦闘中にドMに目覚めるなよ

「いや、そうじゃ無い!」



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メイド対決 下

本作においてインターバル2日は最速。


「ハハハッ、成程。面白いことを考え付くな! やってみるか」

 

 内容を訂正し、これから実行する策を提案し終える。了承したエマさんは僕の頭をワシャワシャとかき混ぜた。

 改めて状況を整理する。まずは目的。

 僕らを妨害するミラさんの目的は、僕ら二人を主人の応援に行かせないこと。かつ、時間稼ぎだ。彼女の主人が止めを刺す邪魔をさせたくない。

 

 逆に僕らの目的は主人のもとにたどり着くことだ。疲弊した主人の為に一刻も早く応援に行く必要があった。

 次に、そのために取っている手段。

 僕らは力業でミラさんの妨害を跳ね除けようと肉弾戦を仕掛けている。

 対するミラさんは僕らの攻撃を紙一重で躱し、攻撃する補助魔法『戦闘人形(バトルドール)』を使用中。そのため彼女を打倒することができない。

 僕らの基本的な戦闘パターンは対策されている現状、今のままでは目的を達成することができない。

 

 最後に今この瞬間から行う策。その結果。それについては実際に実行して、試すしかない。

 

「作戦会議は終わった? どうやらそこの阿呆が訳の分からないことを言ったみたいだけど」

 

 傍観していたミラさんがそう言った。彼女にとって話し合いを妨害する必要はもうないらしい。先にも述べた通り、彼女の目的は時間稼ぎであり、僕らの目的の阻害だ。こっちが勝手に時間をかけてくれるのは彼女にとって、むしろ望むところだろう。

 

「ああ、実に愉快な策だった」

「へぇ、それは楽しみ。でも私の『戦闘人形(マリオネッタ)』は破れない。私自身が解除しない限りね」

 

 自身に溢れた言葉。彼女はあの魔法に自信を持っている。だからこそ彼女は僕ら二人をまとめて相手を買って出た。それにこそ、付け入るスキがある。

 

「どうかな? やってみないと分からないぜ。なあ、シオン」

「分からないからやってみるって感じですけどね」

「おいおい、随分とネガティブだな。まあいい。行くぞ!」

 

 二人揃って構えを取る。息を吸って、言葉に力を込めて魔法を口にした。使うのは自身の速度を増加させる魔法『疾風の如く(バーニア)』。

 

「速度を上げても一緒。私に攻撃は届かない」

「ああ、そうだろうね」

 

 僕はミラさんの言葉を肯定する。そうだ、彼女に攻撃は届かない。反応できるなんて関係ない。肉体が動けるのなら、意思を越えて行動できる。無意味に終る。故に、()()()()()()()()

 

「だから、逃げることにした。敵わないからね!」

「なッ!?」

 

 ミラさんを挑発するように、悪戯っ子みたいに笑って背中を向けて走り出した。ここが以前の世界だったなら、金メダルだって余裕で奪い去れるスピードで。

 攻撃してくると思い込んでいた彼女は一歩対処が遅れた。その一歩はこの世界において致命的。一気に距離を開けた。

 彼女はスピードに魔法を使っていない。それ故に自分が追っかけられる側になると遅れを取る事は確実だった。

 

「『疾風の如く(バーニア)』!」

 

 後ろの彼女も魔法を使い、これ以上離されないよう縋りつく。ミラさんの目的は時間稼ぎであり、僕らの行動を彼女の目の前で固定すること。そうするためには追っかけるのは当然の行為だ。

 作戦は続ける。この段階になって僕らは更に速度を上げる。『疾風の如く(バーニア)』の重ね掛け。かつてエマさんとの戦いでやったように、その効果を上げた。

 僕はこれで三回目の効果、対するミラさんは一回。

 異世界人であるエマさんはともかく、ミラさんは僕と同じ日本人。加えて男女の差がある。この二回の差は明らかだ。

より差は開く。異変に気が付いたミラさんは遅れながらもう一度、二度と追加で重ね掛け。更に速度を上げていく。下準備はこれで完了だ。

 ここまでは計算通り。ここから先はギャンブルだ。パターンを越え、彼女を打倒するべく動く。最高速度は自動車並みに動いている自分。その体を、スライディングの要領で地面に擦り付けた。

 メイド(こんな)格好での行為は本来あり得ない。徐々に減速し停止するべきだ。そうでなければ地面をおろし金に、自分の体をすりおろすことになる。

 

 でも、自分に限っては例外だ。僕の体は傷つくことはない。

 

 地面に爪先で楔を打ち削りながらの急停止。勢いを利用してそのまま立ち上がる。その後ろにはエマさんが回り込み、拳を構えていた。

 彼女は僕とは違う。ジェット噴射の様に風を放つことによって停止した。

 この場で一気に減速することができないのは、僕と同じく魔法の素養がほぼないであろうミラさんただ一人。減速も、方向転換もこのスピードでは不可能だ。

 彼女の魔法は肉体的にできる事をやっているに過ぎない。意思や反射は超越できても、肉体はどうしようもないのだ。

 そんな状況で、銃弾でも飛んできようものなら彼女は避けられるだろうか。

 

「エマさん!」

「おうよ、景気よくぶっ飛びなッ!」

 

 背後にはエマさんが『我が拳に貫けぬものなし(グングニル)』を維持し構えている。僕はジャンプして彼女へ足を向けた。靴底を彼女の切札が衝突した。

 これは他の人間ではたどり着けない。パターンを越えた攻撃。

 人間砲台、さっきアイザックさんがやって見せた物の応用。

 他の人間がやればみじん切りになるリスクがあるが、僕には関係がない。

 ライフル弾の如く螺旋回転しながら高速でミラさんに向かう。風も、回転による酔いも、僕は受け付けなかった。敵の姿を、ちゃんと補足できている。

 反応できていない。否、反応する手段がない。僕の攻撃を避ける手段はある。ただそれは、自分の体にダメージを負わせることが前提となる。事故直前の車から飛び降りるような行為だ。

 

 それに、彼女の魔法は()()()()()()()()()()()()()()()()()。本当に戦闘に特化するなら、攻撃を喰らってでも攻撃する場面があったはずだ。

 でもそれが見られなかった。彼女にあの魔法を教えた人は何より、その体が傷つくことを嫌がったのだろう。僕の主人と同じように。

 

「っ!?」

 

 ミラさんは当然攻撃に気が付いていた。だが、体が自動的に動いていない。自動で、理想的に避けられるタイミングはとうに過ぎ去っている。

 僕は空気の抵抗にあらがい、腕を広げて胴体へと叩き込む準備を終えた。

 

切断(カット)っ!」

 

 ミラさんは叫び、その体が動き出す。その動きは自分が先ほどやって見せた動き。地面に滑り込みでブレーキする手法。

 その手段を彼女が予想を超えて選択したのだ。結果、僕のラリアットは空振りし、彼女は僕と地面の間に滑り込む。

 重力加速度に従って落下した僕は顔面から着地する。勢いのまま縦に転がって停止する。生身だったらたぶん複雑骨折どころじゃすまない着地の仕方だった。痛くないとはいえ、めちゃくちゃ怖い。トラウマものだ。もう二度とやりたくない。

 でも、しょげている場合ではなかった。攻撃は直撃しなかったとなれば戦いはまだ終わっていない。すぐさま立ち上がって彼女が滑り込んだ方向を睨む。

 視線の先に立ち上がることができないエマさんがいた。太ももの裏は痛々しく血に濡れていて、それを見るのは憚られた。

 そんな彼女にエマさんは自分の拳を向けている。その周りを高速回転し続ける風の刃は健在だ。

 

「決着はついた。エマ、さっさと私を殺しなさい」

 

 ミラさんは飄々とそう言って見せる。その態度はさっきからあまり変わっていないように見えた。本当だったら泣いても、わめいても、許されるような局面でも彼女はそのままなのだ。その在り方はきっと、元の彼女から変わってしまったものなのだろう。

 

「そうだな……楽にしてやるよ」

 

 拳を振りかぶるミラさん。僕は彼女の肩に手を置いてそれを制止させる。

 

「シオン、何で邪魔するんだよ」

「ミラさんはもう動けない。止めを刺す必要はないでしょう」

「それは、そうかもしれないけどよ……」

「甘いね。いや、現代的な感覚を残していると言った方がいいかな。紫苑は」

 

 彼女が初めて、僕の事を名前で呼んだ。他の人とは違う。完璧な発音は他にはない、懐かしさと安心感がある。やっぱり彼女は僕と同じルーツを持っているのだ。

 

「でも、その感性は遅かれ早かれ命取りになる。この世界ではね。見て来たでしょう? この世界での命の軽さを」

 確かに見て来た。こっちでの初日に晒された命の危機。生身では持たない戦いの数々。刹那的とも言える倫理観。僕にはその全てが受け入れがたかった。

 

「でも、それでも僕はできる事なら人は殺したくない。殺されるところも……見たくないよ。それは貴方だって、そうだったでしょう」

「ええ、そうね。でも私はこっちに長く居過ぎた。もう元には戻れないよ」

 

 噛みしめる様に言う。ミラさんはこの世界に適応し過ぎていた。一目見ただけで日本人だって発想が出ないぐらいに馴染んでいた。加えて、今の態度。危機を受け入れることに関して躊躇のなさ。それがまた彼女の言葉を裏付けている。

 

「その点、まだ紫苑はまだ戻れる。だから余計に私の提案を突っぱねたのが頭に来た。本当はここで叩きのめしてしまえれば良かったのだけれど、貴方が私に勝ったからそれも無し」

 

 彼女はため息を付く。

 

「昨日聞いた事、やっぱり返事はいっしょ?」

「はい。僕にはまだ、やるべきことがある。途中で降りるのは嫌だ。これは、僕がきっちりと最後までやらなきゃいけないことだと思うから」

「そう……本当にお人好し。そんなんだから騙されるのよ」

 

 一瞬、僕は以前彼女の主人が言っていたことを思い浮かべた。自分はミツレさんに騙されているという言葉だ。

でも、そうじゃ無かった。彼女が言いたかったことは現在進行形で進行していることだったのだ。

 

 視線の端に赤く燃え上がる炎が写った。この地下の照明よりも一段と明るい光。まるで望遠鏡で拡大した太陽みたいな色み。その異質さに視線が誘導される。

 その先に僕ら()()のご主人たちが集っていた。

 展開された水の盾。それを蒸発させながら貫いた炎の剣。エリオット・ベイリーがアイザック・ターナーを仕留めた瞬間。時間稼ぎは終了していた。



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聖戦終幕

「悪いなアイザック。水を差したくはなかったが、こっちにも事情があるんだ。君に生き残ってもらう訳にはいかなかった」

 

 炎の剣が引き抜かれる。ぽっかりと腹に穴を開けられてしまったアイザックさんは力なく、重力に従って地面へと落ちてゆく。誰もがその展開に目を奪われていた。ただ一人の例外を除いて。

 

「お前、ザックに何しやがる!」

 

 主人の窮地に駆け付けるべく、エマさんは動き出していた。地面に衝突する寸前で自分の体をクッションに主人の墜落を阻止した。

 文字通り敵を見るような目で、エリオットさんを睨む。その目線に応えるために彼は口を動かす。

 

「何って、見てわかるだろう。彼はこの場にいる唯一の水属性の使い手だ。我々にとっての障害。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「何を訳の分からないことをぬかしやがる!」

 

 エマさんが空中に飛び上がった。空中浮遊の魔法『飛翔せよ(フライ)』を用いて、縦横無尽に駆け上がる。的を一定に絞らせず、虎視眈々と攻撃のチャンスを狙う。血が上っているようで、彼女は冷静だった。

 彼の剣から放たれる炎の弾丸をかわし、その距離をほぼゼロ距離にする。振りかぶった拳。そこには彼女の切札がまだ発動中だ。まともに触れればひとたまりもない一撃それを彼は炎を纏った剣で受け止める。

 

「君の魔法はオレと相性が悪い。送り込まれる風は全てオレの力になる」

 

 言葉通り彼の剣は彼女の攻撃を受けて巨大化し、ついにはその拳を完全に吸収してしまう。ここは完全にエリオットさんの独壇場だった。

 剣は振るわれ、エマさんはなすすべもなくそれを受けるしかなかった。彼女の体が僕の真横を通って、後ろの壁に叩きつけられる。

 

「これで水属性は潰した。風魔法を使える者ももういない!」

 

 エリオットさんはミツレさんに視線を向けた。その理由は残った唯一の魔法使いだからなのか、最後の敵だからなのか。

 いや、そのどれでもない。彼の振る舞いは目的を達成した時のようだった。それはたぶん当たっている。彼の目的はここで勝ち抜く事ことなんかじゃない。

 ミツレさんはそんな彼を忌々しいものを見るように睨んだ。

 

「これで君の目的は排除された。()()()()()()()()()! 終わりだ、ミツレ・スカーレット!」

「……そうだね。見事だよ、エリオット。私の計画はご破算だ。正攻法ではもう諦めるしかないね。この方法はあまり使いたくなかったんだけど、致し方あるまい」

 

 彼女が杖を振るう。宣言されたのは『蜘蛛の巣(スパイダー・ウェブ)』という魔法。先端からこの空間に意図がばら撒かれていく。誰一人例外なくその糸に絡めとられていく。

 それはさっきまでこの戦況を荒しに荒らした彼、エリオットさんも例外ではない。

 

「これがどうかした。子供だましの初級魔術で俺を捕縛できたとでも? すぐに焼き切って──」

「いいや、触れるだけでいい。後は……」

「ああ、ワシが何とかするからの」

 

 思わぬ人が返事をする。この戦いに最初からいて、唯一の不可侵領域。学園長さんが糸に触れ、杖に力を込めて言霊を放つ。

 

糸よ(サーヴァント)、『絡み付け(インテュアイン)』『掌握せよ(シージィング)』『意思を奪え(マニュピュレイト)』──複合魔法『全て魔女の掌の上(アラクネ・ウェブ)』!」

 

 ばら撒かれただけだった糸はピアノ線の様にピンと張って、操り人形の如くこの場にいる人間を操った。倒れていたアイザックさんも、壁にめり込んでいたエマさんも、そしてエリオットさんが強引に動かされる。

 何故、学園長さんがこの段階で介入してくるのか。理由は分からない。けれどもう戦いが終わった事は理解できた。こうなった以上、これは正規の戦いではない。

 

「学園長、貴方までもが……!? 何故です! 国の英雄である貴方がこの悪事に手を貸すのですか!?」

「ああ、勿論だとも。この時の為にワシは生き残った。実に長い、長い待ち時間だったよ」

 

 悪事、それを堂々と認めた。対照的にそれを認め切れていないエリオットさんは動揺を隠しきれていない。どこか常に余裕がありそうだった彼はもういない。

 そんなエリオットさんの精神に畳みかけるように、学園長は彼の目の前に立ち、話を続けた。

 

「エリオット君、君は一人でよくやった。君は我々の計画の脅威だった。属性を排除し、儀式を成り立たなくするというのは王様あたりの入れ知恵かな? でも、そのような策、専門家の私が対策を打っていない訳無いじゃないか」

 

 にやりと邪悪な笑みを浮かべる。これまでの優しそうな表情はもうなかった。

 学園長さんが杖を振るう。糸を張られた人間が動かされる。胴に穴が開いたアイザックさん、やけどを負っていた風属性代表の人。そして唯一、意識を保っているエリオットさんも。

 

「クソッ……体が、勝手に!」

「あれだけ大規模な戦闘が繰り広げられる中、君だけが特級魔法を使おうとしなかった。それもまた対策なんじゃろう。だが、ワシにかかればそんなものは無意味じゃよ」

 

 学園長さんの言葉のすぐ後だった。覇気のない声が聞こえた。

 

我が眷属よ(サーヴァント)、『被え(ベール)』、『増大せよ(ヒュージ)』、『すべてを切り裂く剣となれ(シャープネス)』……複合魔法──『斯の一閃は勝利の為に(エクス・カリバー)』」

 

 僕の主人に襲い掛かった剣が展開される。彼の信念、努力の結晶がいとも簡単にその肉体を通して発動された。限界を超え、もう二度と発動されることはないはずの物。それが、操られることで発動されてしまった。

 

我が眷属よ(サーヴァント)、『風の刃よ(スプリット)』、『回転せよ(スピン)』、『加速せよ(アクセル)』複合魔法『嵐は無常なりて(プロミネント・テンペスト)

 

 痛々しく焼かれた体。一瞬誰だかわからなかったけれど、わずかに残っていたとんがり帽子がその正体を知らせてくれた。風属性代表、この場で最も実力の劣る魔法使いが行使できないはずの物を使わされる。

 暴風が吹き荒れ、環境を無茶苦茶にするだろう嵐が、この場に再現された。

 

「……我が眷属よ(サーヴァント)、『燃えろ(バーン)』やめろ……『融けろ(メルト)』『纏え(ベール)』止まれ! 複合魔法、やめろぉ! 『融解せよ無敗の剣(バルムンク)』」

 

 反抗する意思を見せながらも、それをあざ笑うように操って見せる。彼の切札にしてこの場の誰よりも強力な特級魔法。その威圧感に自分は身をすくませてしまう。

 現れたのはマグマで形作られた大剣。その膨大な熱が空気を歪める。

 

 そんな中でただ一人、動く人間がいた。

 

戦闘人形(バトルドール)

 

 血にまみれた両足、それを彼女は強引に動かす。強化された肉体で壁を蹴り、宙を舞う。ただ愚直に真っすぐに。主人のピンチを打破するために。

 ミラ・バトラー。彼女はまだこの場で健在だった。

 

 向かう先はこの事態を産みだしている元凶。学園長さんだ。しかし、彼女は他の魔法使いの様に飛行できているわけではない。ただ単純にジャンプしているだけだ。規模こそ大きいが、空中で動けるわけではない。魔法使いにとって的同然だ。彼女の持つ短剣が届く前に撃ち落されてしまう。

 

 でも、彼女が取り出したのはナイフではなかった。黒く、直線的な四角形で構成された物体。この世界では見ることが無いと思っていた。だからそれが何なのか、自分には判別ができなかった。手元が光る。乾いた音と煙がその正体を知らせた。

 拳銃。この世界では馴染みの無い武器が牙を剥く。学園長さんは不意を突かれて、傷を負う。肩を抑え、弾丸によって発生した痛みに表情を歪めた。

 

古代遺産(オーパーツ)とは小癪な真似をっ……」

 

 杖がミラさんに向けられた。目にも留められていなかった彼女が、今、標的として認知される。

 

「ミラ、下がれ!」

「遅い──『雷よ、射抜け(ライトニング)』」

 

 エリオットさんが叫ぶ。己の従者の身を案じたそれは、役に立つことはなかった。雷が彼女の心臓を貫く。力なく自由落下に従って、墜落していく。

 彼女の主人が顔を歪め、彼女の名前を叫び、俯いてしまう。

 

「余計な事を……ミツレ!」

「はい。おじい様」

 

 いつの間にか近くに来ていたミツレさんが僕の肩に手を置く。『静止せよ(フリーズ)』の魔法を使って僕の身動きを封じた。大規模な魔法が展開される中、無防備に磔にされる。

 

「悪いね、シオン君」

 

 申し訳なさそうな、今にも消えてしまいそうな表情だった。彼女の行動、言葉が理解できなくて、問う。

 

「ミツレさん……!? 何を」

「言っただろう。私は君を目的なく助けた訳じゃない。目的があったからこそ、()()()()()()()()()()。許してくれなくてもいい。恨んでくれてもいい」

 

 僕が言葉を返す暇もなかった。すぐさま彼女は魔法を使ったからだ。「再起動(リブート)」で限界を超えた魔法を行使する。口元に朱が滲んで、彼女の無理が素人でも分かってしまう。

 

降り注げ、必殺の槍(ゲイボルグ)

 

 振り上げた手の先に展開される宝石の槍。彼女の切札にして、この場の誰よりも美しい魔法。それに見蕩れる間もなく、一斉に攻撃される。

 四属性の魔法。その全てが山すら吹き飛ばす大規模な一撃。いくら痛みを感じない、ダメージを喰らわない体でも強張ってしまう。

 許容量を超え、黒く染まるメイド服。その変化を一度見たことがあった。そのときの様に黒の浸食は自分にはどうにもできず、肌に浸食する。

 自分の中に何かが入ってくるような感覚。自分が塗りつぶされそうになる不快感がただただ気持ちが悪い。それを吐き出すために悲鳴を上げた。改善は見られない。

 

 攻撃が収まる。純白に近かったメイド服はその全てを黒く塗りつぶされていた。肌も浅黒く染まっている。視界が、ぼんやりとしていて本調子でないことが理解できた。キャパシティの限界を迎えている。膝を崩し、地面に倒れ込む。呼吸がやけに重く、息苦しい。

 

「儀式は成った。予定外の事もあったが……」

 

 足音が二つ近づいてくる。台詞がエコーをかけたみたいに聞こえた。体に手が触れる。自分の中から何かを吸い出されるような感覚がした。それにつれて意識が、遠のいていく……。

 

「これで必要な魔力は用意できた。扉を開くには十分じゃろう」

「ええ、計画通りです。これでお父様とお母様に……」

「ああ、死者と生者の境界線を消すことができるはずじゃ。行くぞい、ミツレ。我々の望む世界はもう少しじゃ」

 

 ミツレさんが返事をする。先導する学園長さんの後ろをついて行く彼女は、途中で振り返って僕を見た。表情はピントが合わなくて、確認できない。

 彼女の目的は果たしたのだろう。悲願を達成したのだろう。それでも、喜んでいるようには見えなかった。

 彼女の助けになる。それが微々たるものだったとしても、裏切られたとしても構わない。それで彼女が心から笑ってくれるのなら、それでいい。僕はそう決心して彼女について来た。でも……今の彼女は──

 思考が纏まらない。その前に、意識が途絶える。目を覚ましたとき、彼女の姿は無かった。



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(1)次に示す言葉の対義語を書きなさい。

 背中にジャリっと、土の感触。それが不快で目が覚めた。瞳を開けると天井じゃなくて肌色が広がっていて、ピントが合ってその正体に気が付く。

 でも、それは僕が望んでいた者ではない。そのホッとした表情が珍しくて、面喰らった。

 

「良かった……生きてる」

「野郎に心配されるのは嬉しくないね」

「そんな事、女性に言われたのは初めてだ」

 

 あっ、そうだった。僕は現状女扱い。今の対応は相応しくなかった。

 

「……そりゃあ、良い人生ですね」

 

 自分の失態を言葉で誤魔化して、上体を起こした。視界が彼から外されて、戦いの後地が鮮明に瞳に写る。

 壁が所々崩れていた。ここにいた遠くに人が倒れているのが見える。僕を中心にえぐれてた大地もそのまま。そして、体中に残る倦怠感。あの戦いが終わってからそう時間は経っていないようだった。

 

「……あれから。僕が攻撃されてから、どうなったんですか」

「そうだな。説明は必要だろう」

 

 咳払いをしてエリオットさんは説明をしていく。僕は体に四属性の魔術を受けた。山をも吹き飛ばす上級の魔法。本来であれば塵すら残らないレベルの攻撃だ。でも、僕のメイド服は上級までなら受けきる性質、固有能力(アビリティ)がある。それによって耐えることができた。

 だが、それで終わりではない。僕のメイド服は攻撃を無効化するわけではない。

 

「君のメイド服、その真の能力は攻撃を受け、自分のエネルギーにすることだ」

「自分のエネルギー?」

「君にも覚えがないか? ダメージを受けた後、いつも以上に高い威力の一撃を放てる瞬間があっただろう」

 

 そう言われて思い浮かべる戦いがある。この世界における初戦。エマさんと戦った時だ。彼女の切札、『我が拳に貫けぬ物なし(グングニル)』を受けた後、素人の僕が彼女にも匹敵する威力の一撃を放った。

 

「でも、そんなことミツレさんは……」

「言わなかっただろう。機密が漏れないように隠していた。それを纏う君にさえもだ。彼女は計画に細心の注意を払っていた。たったこれだけを知る事でさえ多くの時間を有している」

 

 ミツレさんは秘密主義であった。僕が何を聞いても基本ははぐらかす。戦闘するとき、作戦の内容だって全くもって知らせない事だってよくあること。だからそれはとても彼女らしいと感じた。

 

「……話を戻そう。ここで肝になるのはエネルギーが『君の物になる』ということだ」

「あまり重要な様には感じませんけどね。結局奪われている訳ですし。どこが重要なんですか」

 

 僕自身にはメリットがあるとは思えなかった。話したこともそうだが、別にエネルギーが自分の物になったとしても自由に使えるわけでもなかった。

 

「まあ、そう思うかもしれない。だが、君の物になったエネルギーは君の体を通り、キミ独自の物に性質が変わる。水をろ過するとき……とは厳密に違うがイメージはそんな感じだよ。あの門は君の性質に変化したエネルギーでないと開かない」

 

 彼が、指差すのはこの場所にあった門。金属でできているこの時代に馴染まない物。でも僕から見れば馴染みのあるそれは、解放されている。

 彼の話の通りならば、僕のエネルギーを使ったのだ。

 

「あの奥には、かつて古代人が生活した痕跡が残っている。それを触媒に、冥界の門を開くつもりだ」

「冥界の……門を開く?」

 

 その言葉にエリオットさんは相槌を打つ。彼はその言葉を戦いの最中にも言っていた。あのとき、その意味を理解することができなかったけれどその真意を聞くことができそうだ。

 

「要は死者と生者の境界線をあやふやにすることだ。死んでも生きていても変わらない。事実上の不死の世界を作る気でいるのさ」

「それの何がいけないんですか?」

 

 誰も死なない世界。その言葉だけで言えば悪いことではないと思える。それによって細かい問題はあると思う。けれど、定められた寿命を越え、より長い間生きていられるというのはそれを度外視するだけのメリットもあるはずだ。

 でもエリオットさんはそれを肯定することはない。首を振って僕の言葉を否定した。

 

「世界のルールが変わる、作り変えられるんだ。今あるものはすべて消える。なかったことになる。その上で新たな世界ができるんだ」

「じゃあ、僕達は」

「……当然。その過程でオレたちは消えていく。それを防ぐために行動してきたつもりだったが……このざまだ。儀式の準備は成った。この奥にいるミツレと学園長を止めなくては世界が終わる。応援を待っている時間はない」

 

 彼は重苦しく、重みのある言葉を自分に言い聞かせるように言う。でも、そんな緊迫した状況であったなら、どうして────

 

「だったら、僕に話しかけている暇なんて無いでしょう?」

「それは……時間稼ぎの結界を解除できないでいるからだ」

 

 彼はもう一度空いた門を指差した。彼の言葉によって気が付かなかったことに気が付く。開かれた場所にうっすらと何かが書いてある。

 

「あれは『文字結界』。非常にシンプルで、簡素的な結界だ」

「じゃあ、どうして解除できないんですか?」

「特定のルールに沿ってなら簡単に解除できる。けれどそれを破って解除するとなるとなかなか破れない」

「特定のルール?」

「反対の言葉を結界に刻むんだ。そうすることで解除できる。だから基本的には異国でしか用いられない」

 

 歩いてその結界に近づいた。うっすらとした文字の正体が明らかになる。

 

「これは古代語、かつてこの世界で使われていたとされる言葉だ」

「古代、語……?」

 

 ふさわしくない言葉を思わず聞き返す。古代? そんなはずがない。だってこれは──

 

「そんな訳がない。これは日本語だ。何で、こんな所に」

「君達の居た場所ではそう呼んでいたんだったな。ミラも驚いていたよ。本来であれば、ミラに解除してもらうつもりだったが……。ミラは、もう……」

 

 エリオットさんが目を伏せる。

 ミラさん。僕と同じく日本からこの世界に来ていた彼のメイド。だが彼女は学園長さんに歯向かって、その心臓を雷によって射抜かれた。その後の事を彼の態度で察する。

 

「頼む、シオン・フヅキ。君は巻き込まれた一般人だと分かっている。オレがどうなろうと、礼は必ずする。だからどうか、一緒に世界を救って欲しい」

 

 僕は世界なんか救いたくない。でもこのままじゃ悔いが残る事は確定的だ。最後に見たミツレさんの顔。表情は確認できなかったけれど、喜んでいるようには見えなかった。

 僕は彼女が本気で笑えるように、メイドとしてやってきた。本気で笑わない。いつだって取り繕った顔ばかり見せる彼女の表情を崩したかった。

 でも、このままじゃ……その願いは、信念は果たされないままだ。自分達の関係性がそんな形で終わってしまうのは、嫌だった。

 だから僕は彼の言葉に頷く。

 

「……分かりました。行きます」

「本当か!?」

「ええ。嘘を付いたりしないですよ。でも、僕は世界を救うなんてつもりはない。ただ、彼女にもう一度会いたい。それだけです」

「それで十分だ。ありがとう」

 

 結界を見る。刻まれていたのは「侵入を禁ずる」という一文。指で結界に触れるとぼんやりと指先が蛍の様に光る。指を動かして結界に「侵入を許可する」と書き込むと、文字は薄れ、さっきまで指先に会った壁の様な感覚が消えていく。

 

「これで、結界は解けましたかね?」

「ああ、完璧だ。行こう。時間がない」

「話は聞かせてもらったぞ!」

 

 僕らの背後からの声。その主の正体を目視で確認する。

 赤髪と金髪の二人組。さっきまで戦っていた、もう立ち上がる事ができないと考えていた人たちだった。アイザックさんとエマさん。僕が初めてこの世界で敵としてであった者たち。

 その姿に僕も、エリオットさんも驚きを隠せない。

 

「驚いた。まさか生きているとはな」

「ハッ、あんまり俺を舐めるなよ。俺はターナー家の長男だぞ。ただの致命傷ごときで死んでたまるか」

  

 いや、死にそうだから致命傷なんだけどな……。言っていることが滅茶苦茶だ。どうやってツッコミを入れていいのか分からないままでいると、背後に回ってた者が後ろから抱き着いてくる。

 

「隙ありだぜ!」

「なっ、エマさん、何をするんですか!?」

「何って、悪戯だぞ? せっかくミツレさんに貰った権利だ。行使しとかないともったいないだろう? 何せ世界が無くなっちゃうかもしれない訳だしな」

「エマ、それは洒落にならないから止めろ」

 

 ぶち壊されたシリアスな空気を再び鎮めるように、エリオットさんは咳払いをする。

 

「……まあともかく、俺たちも連れていけ。死にかけとは言え戦力にはなるだろう。それに……俺もミツレに一言、言っておきたい」

「ああ、助かるよ、アイザック。行こう」

 

 エリオットさんの一言で僕たちは動き出す。扉の奥へ向かって一定のペースで走り、突き当りにあった螺旋階段を下っていく。

 その途中で僕たちはここに眠る遺跡を上から眺めることになる。その視点はさながらテレビ局のヘリで報道される時の視点だ。そして、その高さから見る物も似通っている。

 所々に見える瓦の屋根。立ち並ぶ電柱と電線。コンクリートの道路。明かりの消えた信号機。それらは全て僕がいた場所にあった物だ。

 

「……日本だ。間違いなく」

 

 そこまで驚きはなかった。薄々予感はあったからだ。古代の文字は日本語。エマさんが使っていた銃は「古代遺産(オーパーツ)」と呼ばれていた。

 ここにいる僕以外の人間にとってここは過去の物なのだ。

 

「まさか、ここまで綺麗に残っているとは……」

「ああ、これだけの物は初めて見る。町丸々一つ残ってるとなると歴史的発見だ。迂闊に魔法を使いたくないな」

 

 エリオットさんとアイザックさんが街並みを見てそう言う。その驚きようにエマさんは不思議そうに問いかける。

 

「ん? ザック、何がそんなにすごいんだよ。ちょっと不思議な街並みが一つあるだけじゃないか」

「このばっっっか! いいか、古代人の記録はほぼ残っていない。その生態は謎に包まれたままだったんだ。その解明が一気に進むかもしれないんだぞ」

「それの何がすごいんだ?」

「奴らは指先一つで、詠唱も無しに星すら吹き飛ばしたって言われてる。もっと強大な魔法が開発されることだって……!」

 

 アイザックさんの話を適当に聞きつつ、思う。僕の居た頃にはそのような技術は存在しなかった。でも、かのアインシュタインは言っていた。『第三次世界大戦がどのように行われるかは分からない。だが、第四次世界大戦は棍棒と石の戦いだ』と。進歩によって自分の理外の物が出て来てもおかしくは無い。

 ……まあでも、まさか最終的に剣と魔法による戦争になりそうというのは、誰も予想できなかっただろう。

 螺旋階段が終わり、久々にコンクリートの地面へ足を降ろす。かつての自分では考えられない様な服装をしているから、自分がかつての世界にあまりにもミスマッチである。ごってごてのメイド服を男の自分が着ているなんて、かつての自分が知ったらたぶん信用しないことだろう。

 

「魔力が増大していくのを感じる。儀式が行われようとしているんだ。ついて来てくれ」

 

 エリオットさんの言葉に従って、その後ろを追いかけた。進行方向の先には住宅地の中で目立つ神社が見えた。赤い鳥居が奥に向かって何本も並んでいる。千本鳥居とまではいかないけれど、それでもかなりの量だった。

 階段を上がり、一本目の鳥居をくぐろうとしたとき、目の前を走っていたエリオットさんが急にその足を止めた。てっきりこのまま走り抜けると思っていた僕は減速していない。

 

「なんで急に止まっ、うぐっ……!?」

 その勢いのまま鳥居をぐぐれなかった。うっすらと空中に再び文字が浮かび上がるさっきの結界と同じものだろう。僕の体は弾かれて、後ろに吹き飛ばされた。

 

「おいおいシオン何やってんだよ。これぐらい気づけって」

「すいません、助かりました」

 

 吹き飛ばされた体を後ろに居たエマさんが見事にキャッチする。からかってくる彼女を軽くあしらって、もう一度前を見た。

 

「ここから先はこの門の様な物全てに結界が張られているみたいだな」

「ちっ……めんどくさい真似を」

 

 結界に気が付いていた二人の魔法使いはこれから先の道のりを見ていた。アイザックさんはその面倒な結界に苛立ちを見せている。

 

「おい、ポンコツメイド! さっさと解け!」

「だから、僕はそんな名前じゃないですよ」

 

「まったく……」と口走りつつ結界に記されていた日本語に目を通す。中央部に書かれているのは───『』。

 ……ん? 待って、待って、待ってなんて読むの? しかも対義語でしょ? 魚の種類の対義語ってなんだ……?

 

「おーい。シオン? どうしたんだよシオーン」

 

 エマさんが肩を揺する。だが混乱のあまり、反応することが僕にはできなかった。




という訳でこの話も何気に終盤です。ホントは20話で畳むように人生設計していたけど、人生設計ヘタクソなの忘れてたね。


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『ですわよ!』

 かつて憧れた背中を見た。偉大な人物だったはずだ。でも今はその威厳を感じられなくなった。ただの力だけの塊。欲望の象徴。……あまりにも醜い。

 私は待っていた。その力が儀式に集中するこの瞬間。その力は無防備になる。

 懐に隠していたナイフを抜く。この古代で存在していた物。古代遺産(オーパーツ)と呼ばれるそれらは魔法使いに魔力による防御を許さない。天敵と言える武器だった。それを背中に垂直に突き刺した。

 

「……永遠の命を望むあなたにとって、目前での死は耐えがたい苦痛でしょう」

 

 私は淡々とそう言った。指にかかった刃物の柄が重く、その座標に固定されているようだった。達成感は無い。あった気持ちは、ただただ安堵だった。例えるなら、負債を返済しきったような感覚。私はここに、一つ目の使命を全うしたのだ。

 背中越しにおじいさまが振り返る。彼は驚き、そして納得がいったような表情を見せる。

 

「……いつ気が付いた」

「貴方の本当の野望を知ったときです。両親の死は貴方にとって都合がよすぎる」

 

 スカーレット家の秘宝であるメイド服、これが無ければ儀式は成り立たない。

 生徒側からの協力者がいなければ表立って展開をコントロールするのは難しかった。

 両親がいなくならなければ不成立になってしまう条件にあまりにも重みがあり過ぎる。調査に調査を重ねた私の結論はやはり正しかったのだ。

 

「……そうか。だが良いのかの? ワシがここで力尽きれば冥界の門は開かないぞ。それは、お前の望みに反しているじゃろう?」

 

 私の望み。両親にもう一度会うこと。それは、おじいさまの野望を聞いた時に話した事だった。生と死の境界線をかき消し、世界を繋げることによって得られる副産物。それは自分の人生を意義のあるものにするために必要だった。

 でも、ここで私は躊躇なく刃物を更に押し出す。苦痛に歪んだ声が漏れる。

 

「……確かにそうであったらいいと思ったことは事実です。でも、今の私を両親に見せるのは遠慮したいんですよ」

 

 柄に魔力を通す。そして順番に三つ言霊を重ねる。『浸食せよ(インヴェルズ)』。『奪え(ドレイン)』。『眷属となれ(リボルト)』。編まれる魔法は私の完全オリジナル。この瞬間だけにしか役に立たないおじいさまの知識に無い魔法だ。

 

「複合魔法『貴方の物は私の物(ユアーズ・イズ・マイン)』」

 

 肉体に作用するこの魔法は、私の魔力を通して相手を蝕んでいく。対象の魔力は徐々に私の物へと変質する。最終的には対象の肉体は全て魔力に分解され、私の物になる。

 今のおじいさまの魔力を全て奪えば、私にだって儀式はできてしまう。なぜなら、()()()()()()()()()()()()。伊達にここまでずっと従って来た訳じゃないのだ。

 

「ミツレ、貴様……!」

 

 おじいさまは私が何をしたのか一瞬で理解した。初めて見る魔法だというのにその理解力、解析能力は年老いたとしてもこの国では随一だろう。

 でも、もう何もかもが遅い。

 

「安心してください。貴方の野望は私が引き継ぎます」

「────」

 

 何かを言おうとしていた。でもそれが言葉になる事は無かった。口が分解され、粒子へと姿を変える。憎らし気に何かを訴える瞳が印象に残った。

 

「さようなら。どうか、あなたにとって一番不快な瞬間であることを祈ります」

 

 瞬きをするとおじいさまの姿はもうない。あるのは、彼が振るっていた杖だけだ。

 魔力が瞬間的に増大する。おじいさまがシオンから奪った儀式を可能とするだけの力が私の中に流れ込んでくる。内蔵を内側から握り、圧迫されているかのような負担が私を襲う。これは肉体という器に本来は入りきらない力。自分に相応しくないものだ。だから、それだけのノックバックが発生している。

 

 でも、大丈夫。これが最後だ。儀式さえ終わってしまえばこの肉体がどうなろうと関係ないのだから。

 私は落ちていた杖を握り、中断されていた儀式を再開した。

 

 

 ▼

 

 

 結論から言ってしまえば、結界の答えは『鰆』であった。酷い誤字だ。何で魚偏をつけたんだ。意味が分からない。この結界を作った人間はちゃんと日本語を学び直した方がいい。まあこの世界ではそんな環境が無いから仕方がないとは思うけれど。

 話を戻そう。エリオットさん曰く、間違っていても結界を作った人間が誤字に気が付いていなければ結界は成立する。そう言うルールが結界には存在している。だから今回はこのような回答になったのだ。

 僕の隣でエマさんがホッと息を吐く。

 

「しっかし、焦らせんなよ。お前が読めないとか言い出すから冷汗止まらなかったぞ」

「いや、まさか誤字の対義語を考えろとか言われるとは思わないでしょう」

「それはそうなんだけどさ」

 

 この先が思いやられる。まだまだ結界はあるのだ。これから先もどのような間違いをしているのか当てるゲームをしなきゃいけないと思うと、心苦しかった。

 先を見て次の鳥居へ目線を向けた瞬間。視界の端に影が映る。

 

「っ!?」

 

 頭をとっさに腕で覆う。そこに打撃が加えられた。目の前の生き物を見る。狼のような姿形をしたそれらは、僕らを敵視していた。一匹だけではない。目を凝らせば何十匹とその姿を確認できた。

 

「魔物……!? どうしてこんなところに」

「どうして、とか言ってる場合じゃねぇ! 問題はアタシ達を邪魔してるってことだけだ」

「……それは、言えているな。おい、ポンコツメイド!」

 

 アイザックさんが僕を呼ぶ。そして僕が目線を送ったのを確認して言う。

 

「先に行け!」

「え? でも!」

「ここをノーダメージで強行突破できるのはお前だけだ! それでいて敵の本丸でも時間稼ぎができる。適任だろ!」

 

 反論する隙すら与える気はないらしい。彼は力強く、怒鳴るようにそう言った。それを聞いたエリオットさんも剣を抜きながら頷く。

「そうだね。適任だろう。結界の事もある。他には考えられない。ここはオレ達が引き受ける。行くぞ、アイザック!」

「言われなくても分かってるっての!」

 

 二人は狼の群れへ突っ込んでいく。それでもまだ動くのを躊躇している自分の背中を何者かが押した。同じメイドとして戦った彼女は

 

「早く行きな! 主人が待ってるんだろ! だったら、こんなところで止まってんじゃないよ」

「……はい! すいません、エマさん」

 

 僕はエマさんにそう返事をして、次の鳥居へ向かった。たどり着いて結界を解き、それからもう一度走る事を何度か繰り返す。そしてその最奥へたどり着いた。

 銀杏の木々。中央の舗装された道とその回りに敷き詰められた砂利。それは見慣れた一般的な神社のそれだ。その中で一つこの場にはあるべきではない、馴染まないものがあった。

 幾何学模様で編まれた円。僕の知らない、異世界の文字。その中央に彼女はいた。

 

「……来てしまったんだね」

 

 その緋色の髪が鮮明に映る。時間は数時間しか経っていないはずなのにやけに久々な感じがした。振り返り向き合うと、彼女はいつものように微笑む。

 

「どうだったかな? 久々のニホンは」

「そうですね。数日のはずなのにやけに懐かしく感じました」

 

 世界が無くなるかもしれないタイミングで僕らはどうでもいい話をしてしまう。でも、それをいつまでも続けるわけにはいかなかった。

 

「……本当に、僕がどんな人間なのか知ってたんですね」

「ああ。君が怪しまれない様に正体を隠していることも知っていた」

「……どうして? 日本があったのはかなり昔のことなんでしょう?」

 

 彼女は頷き、僕は問う。本当に正しいこと、彼女が見ていた景色を知るために。それを彼女は拒むことはない。

 

「私は土の魔法使いだったけれど、同時に考古学者でもあった。地下の歴史を学び、そこにあった文明をいつくしみ、そして、でき上がった物を見た」

「だから、日本の存在を知っていた」

「そうだよ。そして、己の野望の為に君たち日本人を過去からさらった」

 

 彼女の野望。それは一度も僕に口にしなかった事だ。僕が知りたくてたまらなかった彼女の心の内。そこに一歩踏みこむ。

 

「野望? ミツレさんは、本当は何をしたかったんですか?」

 

 彼女は噛みしめるように僕の言葉を聞いた。僕が聞きたくても聞けなかった実に重い一言。それに彼女は答える。

 

「……本質は変わらないよ。以前話したはずだ。私は失ったものを取り戻す為にここまで生きて来た」

「でも、それはどんな願いでも叶えられる、聖戦の景品の話だ。そんな物、本当は無かったでしょう?」

「ああ、自分の願いは自分で叶えるべきだ。……他のどんなものを犠牲にしたとしても。景品なんてあやふやな物を私は信用しない」

 

 彼女は断言する。犠牲、その言葉がやけに重たく感じられた。彼女の覚悟がそこにはあるのだ。

 

「私はこの儀式で誰もが安心して生きることができるセカイを作る。人が突拍子もなく死んだりしない。争いも起こらない。私の様に、苦しむ人がいないセカイを」

 

 彼女は苦しんでいた。僕が来る以前のことは正確には分からない。けれど、あの殺風景な、誰も居ない家を見れば分かる。両親との時間。友達と遊ぶ日々。そういった本来あるべきだった当たり前のことを、彼女は享受することができなかったのだ。

 

「……それができたら、素晴らしい事でしょうね」

「ああ、そう思うだろう。この場所で生きた君なら、この世界の理不尽さを骨の髄まで理解できたはずだ」

 

 僕はこの世界での日々を想う。初日は魔物に殺されかけた。学校には戦いがありふれていた。ここではあまりにも命が軽く感じてしまう。

 確かに僕から見れば理不尽極まりない。そういう場所なのは否定できなかった。

 

「その点、日本は素晴らしかった。私の理想に限りなく近い、完璧な世界だ。ここで儀式を行えば、あの世界を元に、セカイは再構築される」

 

 両手を広げる。自分の言うことが正しいかのように堂々と言う。でも、あの世界だって問題がない訳じゃない。

 

「……そんな事をしたって争いは亡くならない。知能がある限りそれは絶対ですよ。あの時代に生きてきたからこそ、断言します」

 

 あの世界で僕は悩んでいたのだ。日常で起こる争いに勝ち抜くためのアイデンティティを見いだせなかった。それ故に、苦しみ自己否定を続けて来たのだから。

 それはあの世界に居た誰もが心の内できっと抱えている。

 

「……なら、それを超える物を作るだけだ。より高度なセカイを産みだす。死のない、争いのない世界。そのシステムを私が管理する限り、それは揺るがない」

「神にでもなるつもりですか」

「君達の世界の様に言い直すなら、そう言えるかもしれないね」

「それは……駄目だ。個人が扱っていい物じゃない。自分一人だけが苦しみ続けて、いずれは精神がおかしくなる」

「……苦しんでいるのは今までもそうだ。それがこれからも続くだけの話だよ」

 

 聞く耳持たない。彼女にとってこれはもう決まっていること。一言二言の言葉で、覆るようなら、彼女はここには居ないはずだ。

 彼女はどこまで正しい。実現できたのなら、セカイは素晴らしいものになるだろう。僕はこの世界では何も持たない部外者だ。だからこそ、その正しさを否定できない。

 でも──

 

「──僕は嫌だ」

 

 言葉が口からこぼれる。考えなんて無い。ただただ、感情的だった。

 

「ミツレさんが人間ではなくなって、新しいセカイで、完璧に物事をこなして……それがミツレさんにとって何のためになるんですか!」

「それは……もう言ったじゃないか」

「言っていませんよ! それは、セカイにとっての理想でしょう!?」

 

 首を横に振った。彼女は眉をひそめる。それの何がおかしいのだと、僕に問いかけるようだった。違う。それはあまりにも自分の事を度外視してしまっている。

 それがあまりにも許せなかった。

 

「……僕は、人としての貴女が好きだ」

 

 彼女が目を見開く。あまりにも唐突で、ムードなんてへったくれもない告白だ。当然と言えば当然だ。でも、それでもよかった。

 

「……何で、今そう言うことを言うんだ」

「どうしてでしょうね。それが分からないんだったら、神様になんてならない方がいいです」

「私は、憧れられるような人じゃないんだよ。言ったじゃないか。私は悪い人だって」

 

 彼女はいつも言ってた。いつだって自分のしていることに自信を持っているように見せて、心の内ではダメ出ししている。そんな自己否定の精神を僕には見せていた。

 でも僕はそんな事を気にしない。彼女のそんなアンバランスさですら愛おしいと思っている。だけれど、いつまでもそんな風に自分を卑下して欲しくなかった。

 

「ミツレさん、僕は貴女を止める。人として留まって貰うために」

「……そう、君になら分かってもらえると思っていたのだけれど」

 

 彼女が懐から杖を取る。初めてあった時と同じように鉛筆サイズだった杖は、徐々に大きくなった。その先が今度は魔物ではなく僕に向く。

 

「どうやら、戦うしかないみたいだね」

「ええ、そうみたいですね」

 

 僕は拳を握る。半歩半身を下げて構えを取った。

 

「君に勝って、計画を遂行する」

 

 彼女の言葉を首を振って否定した。そして、彼女と向き合うために()調()()()()。他ならぬのメイドとして。

 

「いいえ。勝つのは、この(わたくし)ですわよ!」

 

 僕は堂々とそう言った。




久々のお嬢様言葉ノルマ達成。


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ずっとできなかったこと。

 啖呵を切ったのは良い。しかし正直なところ、僕には策なんて大層な物の持ち合わせがなかった。圧倒的に格上。自分の実力も知られている。突破口を見いだせない。そもそも自分の勝利条件ですら分かっていないのだ。

 彼女を止めるために、僕ができること。そのために必要なこと。それらが何なのか、一度仮説を立てる。

 彼女は今、儀式をしている。彼女の中心に描かれた魔法陣がその証拠。それを何とかして辞めさせることが僕の勝利条件だと仮定する。

 では儀式を維持するために必要な事は何か。それは間違いなく魔力だろう。彼女とその師である学園長先生は僕を通して魔力を得ることによって、この儀式にこぎ着けた。

 エリオットさんがそう言っていた以上間違いないはずだ。ならば、それを何とかして枯渇させることが僕のやるべきことだろう。

 手段としてはひたすらに特攻して、魔法を使わせ続けるぐらいしか思いつかない。けれど、僕には鉄壁のメイド服がある。命がいくらあっても足りない状況だって乗り越えられるはずだ。

 一息の呼吸。意識を集中。見つめるは一点、彼女だけ。大地を蹴ってその距離を縮めた。

 

「『再起動(リブート)』、──複合魔法『降り注げ、必殺の槍(ゲイ・ボルグ)』」

 

 今日見るのは三度目の大魔術。彼女の代名詞。七つの宝石の槍が再び顕現する。その規模は何の因果か膨らんでいる。重く、大きく、煌びやかに。

 二度目の魔法を使った時、彼女は無茶をして行使していた。でも、今はその様子は見られない。ピンピンしている。限界を迎えていたはずだ。あれ以上の威力は出せないはずだった。彼女はさっきまでの彼女とは異なっている。

 

「……何かしたんだな」

 

 呟きに彼女は答えない。だから、その具体的な手段は分からない。もしかしたら彼女はもう人間ではなくなりかけているのかもしれない。そんな彼女に対して、僕にできる魔法は一つだけだ。

 

「『力強くあれ(アームズ)』」

 

 自身の身体能力を拡大する魔法。このセカイではありふれた、当たり前の物だ。圧倒的な才覚に対して、自分は普遍的な物で立ち向かうしかない。あるもので最高のパフォーマンスをしなければならない。最初から分かっていることだけれど、改めてその厳しさを痛感する。

 

「……行け」

 

 第一の槍がこちらへ放たれる。高まった身体能力反応し、拳を合わせた。痛みはない。でも、メイド服は黒く染まり、ダメージは蓄積されている。限界を越えたらどうなるのかは分からない。けれど、絶対にろくでも無いことになるだろう。

 

「『力強くあれ(アームズ)』!」

 

 自分を改革する言霊を放つと、腕力が増大した。早くも二度目の魔法の行使。その効果が発揮される。靴と砂利が擦れて音を立てた。その摩擦が僅かに槍を押しとどめる。

 衝撃に代わり、魔力の本流が体に流れ込む。気を緩めれば自分の神経を塗りつぶされそうだ。不快感に顔を歪める。でも、こんなことに屈している場合ではない。だから、さらに己を変える。

 

「『膝をつくな(アームズ)』!」

 

 ただ、立ち続ける自分をイメージした。いかなる力にも負けない。強靭な自分。その想いを込めた三度目の自己の改革は成功した。宝石の槍は押し留められる。

 

「……っ!」

 

 彼女が歯を噛み締めたのが見えた。続いて第二、第三射が僕へと迫る。第一射を受け止めている僕に当てて吹き飛ばすつもりだろうか。

 彼女の槍と僕の拳。その力は拮抗し始めたばかりだ。これ以上は今のままでは対応できない。なら、更に踏み込んでいくだけのこと。

 イメージするのは全てを貫く必殺。エマさんが使っていたあの、風の拳。

 

「『我が拳に貫けぬ物なし(アームズ)』!」

 

 拮抗していた第一射。それを自分の力が上回る。宝石の槍を弾いた。前にできた空間に体をねじ込み、残り二つの攻撃をかわした。彼女へ向けてもう一歩、前へ出た。

 

「くっ……なら!」

 

 彼女が手で槍を操作する。僕の足元が隆起し、空中へとこの身を押し出した。そして、その真上から挟むようにして槍が迫っている。

 僕は他の魔法使いの様に空は飛べない。この攻撃を回避することはできない。だから攻撃を直接受けた。ダメージが再びメイド服に蓄積され、体と共に黒く染まっていく。

 

「『解き放て(アームズ)』!」

 

 自分の中にある魔力、エネルギーを暴発させるイメージで腕を思いっきり横薙ぎに振るった。拳が接触した瞬間に爆発が起きたように、宝石の槍が砕ける。

 メイド服の固有能力(アビリティ)。攻撃の吸収と放出。制御できていなかった力をこの土壇場で使って見せた。黒く染まったメイド服が再び純白へと戻っていく。

 

 空中で自分の体が回転して宙へと放りだされる。彼女がこの瞬間、槍は二つ。その二分の一が解き放たれる。応対しようと拳を握りった瞬間だった。

 

「『暴発しろ(エクスプロージョン)』」

 

 彼女が槍へ指示を出した。槍が自分と触れる前に爆発する。その爆風が僕を持ち上げた。最初以上に距離が離れた所に無様に背中から墜落する。

 距離が詰められない。彼女の槍は減らすことができているが……しかし、それだってもう一度魔法を再起動すれば元通りだ。根本的な解決にはなっていない。

 

「なんで……逃げない。君の攻撃は届かないんだよ。分かっているだろう。なのに何故、無駄な事を続けるんだ」

 

 今にも崩れそうな表情を見せた。追い詰めているのは彼女だ。時間稼ぎさえしてしまえば彼女の目的は達成できる。その状況は何も変わっていない。

 だが、一つ。確信を持てた事があった。

 

「その言葉、そのままそっくり返しますよ。他にやりようはいくらでもあった。なのに、僕に通用しない攻撃しかしないのは……何故ですか」

 

 そうだ。彼女には多くの選択肢が存在している。土魔法による地形変化。無属性魔法『静止せよ(フリーズ)』によって僕の動きを奪うこと。

 僕が知っているだけでもこの二つ。彼女なら他の手段を隠していてもおかしくはない。

 

「…………」

 

 彼女は答えない。肝心なことは何も教えてはくれない。それはこのセカイに来てからずっとそうだった。僕はいつだって予想することしかできなかったけれど、今回は確信している。それを口にする。

 

「たぶん、ミツレさんは止めて欲しかったんだ」

 

 一瞬の戸惑いが見えた。それが即座に苛立ちへと変わる。

 

「違う、そんな訳はない! 私は、このセカイを変革することだけを望みに生きて来た。今更止めて欲しい? そんなバカなことがあってたまるか!」

 

 彼女が声を荒げたのは記憶にある限りでは初めてだった。

 そんな馬鹿なことがあってはならない。矛盾している。だからこそ、彼女は激高した。気が付かないふりをした。僕は、彼女の基本的な性質を知っている。数日とはいえ行動を共にした。だからこそ、違和感を見逃すことはない。

 

現実主義者(リアリスト)の貴女が、ここまで手段を択ばずにたどり着いた貴女が、このタイミングで選択を間違えるはずがない」

「……っ。どうかな? 私だって人間だ。間違える事だってある」

 

 彼女が歯食いしばる。無理矢理昂った精神を抑えた。

 その仕草、表情で確信する。僕は間違ってはいない。彼女は心の底で間違いなく──

 

「でも、そんな事どうだっていいだろう。私が間違っていても、いなくても、君を行動不能にするという結果は変わらない!」

 

 ミツレさんが右手を振り上げる。再び宝石の槍が集結した。隊列には欠番があったが、それすらも補充されて元通り。僕はまたしてもこの難しい局面を乗り越えなければならない。

 でも、大丈夫だと思った。無理な事は要求されていない。他ならぬ彼女が望んでいるのなら、無謀でも、望み薄でも、自分にも勝ち目はある。

 

「────『限界を越えろ(アームズ)』」

 

 六度目の自己改革。自分の限界、素質を越えた力。そして何より彼女の元へたどり着くイメージする。全ては彼女を止めるために。

 

「どうかな。やってみなきゃ分からないですよ!」

 

 大地を強く蹴る。トップレベルのアスリートが百メートル走の終盤で繰り出す大幅なストライドを一歩目で引き出す。二歩目、三歩目どんどん加速していく。

 それに対して彼女は冷淡に槍を操る。視界を覆うように繰り出された第一射。滑り込み、その下をくぐり抜ける事で回避する。

 その陰から繰り出されていた第二射。普通の人間に対しては必殺の一撃。だが、それを避けることはしない。僕はただ、前に進めればいいのだ。打撃で吹き飛ばされることさえなければそれでよかった。

 右半身をかすめるようにして僕と接触する。ダメージがメイド服の黒へ置換された。足は止めていない。スピードは維持されている。

 

「そう来るよね。君なら……!」

 

 彼女が右腕を振り下ろす。待機していた槍が僕の死角にある事に気が付いた。僕を囲むように四本の槍が地面に突き刺さる。

 

「『封印(シール)────」

 

 足元に文様が描かれる。結界。ここに来る前に何個か存在した出入りを制限する魔法。僕が唯一貰ってはいけない攻撃だ。指摘した事で無意識に封じていた物を持ちだされてしまった。

 だが、結界が完成する前に抜け出せば問題はない。右半身を後ろに下げ、()()()()()()()()()()()()()

 

「ぶっ飛べ!!」

「なっ!?」

 

 右腕からこれまで蓄えられたエネルギーが暴発する。コントロールなんてない。スイッチのオンオフしか考えてない。それは狙い通り僕を結界の外に押し出した。飛行機のエンジンを腕に付けているみたいに一気に加速する。彼女にたどり着くまであと一秒もかからない。

 

「来るな!」

 

 空中から降り注ぐ最後の槍。僕と彼女の間に壁が出来上がる。それは彼女がこれまで僕にしてきたことの様に思える。

 距離を取り、壁を作る。心情でしてきたことを物理的に行った。それをぶち破るための最後の一押しが必要だ。

 イメージする。彼女との間に感じていた隔たり、それを砕く自分。彼女と本当の意味で分かり合うために。

 

「『心の壁を砕け(アームズ)』!!!!」

 

 推進力を得ていた右半身を捻る。握られていた拳はこれまでに無いぐらいのスピードで暴れ、衝突する。

 シャンデリアを高い所から落とした様な音がした。

 宝石の破片が宙を舞う。キラキラと輝いたそれは、タイヤモンドダストみたいだった。その中心でひと際目立つ緋色の髪。その持ち主を思いっきり抱きしめた。体温が、息遣いが、震えが、彼女が今もここに居る事を証明してくれる。

 

 彼女の体から魔力が流れ込む。神経を内側から焼かれるように錯覚する。もともと僕の性質へと変えたものだ。近くに本来あるべき器があるのなら、そこに流れ込んでくるのは当然と言えた。

 

「やめてよ……最後の望みでさえ私から奪うの? また私に人として苦しめって言うの……?」

「……ああ、逃げるなんて許さない。恨んでくれても構わない」

 

 彼女に僕はかつて自分が言われたようなことを返した。

 僕がしたことは残酷な事だ。恵まれなかった少女が唯一望んだ夢。それを目の前で砕いた。その夢がどんなものであれ、本当に願っていたものなら恨まれてしかるべきだろう。

 でも、その前にどうしても言っておきたい事があった。彼女の頭を撫で、体をより強く引き寄せて僕は言う。

 

「ミツレさん。僕は、ミツレさんと過ごした時間が何よりも楽しかった。嬉しかった。愛おしかった。そんな事を思ったのは、初めてだった」

 

 僕はずっと息苦しさを感じていた。ずっと、それを抱えて生きていくことも覚悟していた。彼女の前だけはずっと自然体でいれた。

 

「それを無かったことにされるのは、たとえミツレさんでも嫌だったんです。耐えられ無かったんですよ」

 

 彼女がこっちを見る。懐の布が擦れて、こそばゆかった。その瞳は普段よりも潤んで見える。普段とは違う。大人びていない。これではちょっとだけ年上の女の子だ。それが正しいと思った。

 彼女はきっと大人にならざるを得なかった人だ。本当に自分をさらけ出せる人間を見つけることができないでいた。だから、自分が彼女にとってそんな人間になりたいと思ったんだ。僕にとって彼女がそうであったように。

 

「他の人にだってきっと、そういう時間がある。無かったとしても、これからできると思う。何事にも代えがたい、自分にとって大事な時間が」

「それは……そうであったら、素晴らしいと思うよ。だけれど、そうなるとも限らない」

「でも、そうならないと確定した訳じゃないでしょう?」

 

 否定はできないけれど肯定もできない。絶対に正答だという訳でもない。そんな物しか提示できない自分がもどかしい。

 でも「完全」な言葉は彼女に向けてかけたくなかった。完全を目指した彼女には、完璧じゃない、人としての脆さを受け入れて欲しかった。

 

「だから、苦しみながら進みましょう。望ましい方向を目指して。足を引きずってもいい。ただ愚直に、前を向いて行きましょう。辛くなったら、寄りかかったっていい」

「寄り、かかる……?」

「ええ。だって、僕は貴女のメイドだ。いつだって貴女のそばにいます」

 

 僕は精一杯笑顔を作ってそう言って見せる。彼女がその美しく保たれていた表情が崩れていく。

 

「……そう。じゃあ、その、メイド服を脱ぐのは……随分と先になりそうだね」

 

 彼女は詰まらせながらそう言って、僕の胸元で表情を隠した。




次回、最終回。


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エピローグ

 今日もいつも通りに日が昇った。朝日がカーテン越しに差し込んで僕は目を覚ました。軽めの朝食を摂って、だだっ広いお屋敷を回る。

 掃除に洗濯、庭の手入れ。主人の居ないこの場所をただ維持するために行動する。今や生活の一部になってしまったそれを苦に感じなくなった。少し前の自分には考えられなかった変化である。

 

 あれから二か月が経った。正直に言ってしまえば、自分にはあの状況をきっちりと理解できていない。あの事象の中心にいた自分にさえ情報は開示されることは無かった。

 分かっていることは殆どない。数少ない理解していることは、僕はミツレさんを止めた。そして、この世界に留めたということぐらいだ。

 彼女には人間として前を向いて生きて欲しかった。でも、今ではあの結論は正しかったのだろうかと考えてしまう。何故なら、僕は彼女の願いを砕き、その自由を奪う決定打を打ってしまったからだ。それは揺るぎない事実である。

 

 あの後、ミツレさんはこの国の軍事組織からやって来たと思われる人間に連れられて行った。自分も事情聴取を受けた。話せることは無かったけれど、調査する人たちの真剣さは僕にでもはっきりと分かった。

 ……彼女がした行為は許されるものではない。この結果は当然と言えば当然だ。

 正直に言ってしまえば、あの時はその後に待ち受ける結末を考えていなかった。ただただ必死だったと言い訳しても拭えることではない。

 その償いなのか。僕はいまだにこのお屋敷を手入れして、維持している。意味がないということは分かっている。それでもやらずにはいられなかったのだ。自己満足と行ってしまえばそれまでだが……

 

 物思いにふけっていると突然目の前の窓ガラスが砕けた。その破片がかつての彼女との戦いを思い出させて、一瞬立ち止まってしまう。

 でもいつまでもそのままでいるわけにもいかない。盗人か何者か知らないが、僕の主人の遺したものに傷つけることは許せなかった。

 破片の上にガラスを割った張本人が着地する。細身の体。顔を隠す様に深くかぶったフードがその怪しさを強調していた。僕は持っていたモップを構えて、そいつに対峙する。

 

「ここにいてくれると思っていたよ」

 

 フード付きの外套。ただ者ではない足運び。正体不明の侵入者に負けない様に僕は声を張る。

 

「何者だ!?」

「何者……? 分かっているだろうに。もしかしてたった二ヶ月で主人の顔もわすれてしまったのかな?」

 

 目の前の人物がフードを取った。しまわれていた緋色の髪が露わになる。それは紛れもなく僕の主人のトレードマークであり、もしかしたらもう見れないと思っていたものだった。

 

「ミツレさん……どうしてここに」

「そりゃあ、決まっているでしょう。脱獄してきたからさ」

「脱獄!? なんてことを……罪が余計重くなったらどうするんですか!」

「情状酌量の余地なしの重い刑が下されることは確実だったからね。これ以上重くなることはないよ」

「そ、そうなんですか……」

 

 平然と重いことを言ってくるな……。自責の念に駆られそうになる。

 

「死刑か、無期懲役の二択ならこれ以上罪が重くなることはほぼないしね。脱獄し(どく)だったよ」

「脱獄犯が『し得』とか言わないでくださいよ……」

「事実なんだからしょうがないだろう?」

 

 事実かもしれないけどさ……言い方があるだろうに。

 

「それにこれは君のせいでもあるんだよ?」

「脱獄したのを僕のせいにしないで貰っても良いですか?」

「いや、だってさ、牢屋にいたら君が言っていたようにはできなかっただろうから」

 

 彼女がそう言って、僕の言葉を思い返している。僕の言葉を受け取って、それを踏まえた上で行動を起こした。それが喜ばしいと思う自分が居るのは確かだけれど……どうにも納得しがたい。

 

「だから、君にも責任があると思うんだ」

「滅茶苦茶だ……支離滅裂にも程がありますよ」

「ああ、知っているよ。でもそれはさほど重要ではない。追手も来ていてね、時間が無いんだ」

「そりゃあ、そうでしょうね」

 

 国家転覆を目論んだ大罪人が脱獄したとなれば追手の一人や二人は当たり前。それどころか軍隊を派遣して来るのが打倒ではないだろうか。

 

「だから重要な事だけ言ってしまえば、シオン君私と一生かけて国外逃亡しないか?

「世界で一番受けたくないプロポーズですね」

「そう言わずに聞いてくれよ……」

 

 ミツレさんは僕の言葉に項垂(うなだ)れた。それから一度咳ばらいをして仕切り直す。

 

「私は君に責任を取って欲しいんだよ。そして、逆に責任を取りたいんだ」

「僕の責任はともかく、ミツレさんの責任……?」

「ああ、君をこちらに連れてきてしまったのは私の責任だ。人生を変えてしまった責任はどう考えても重い」

 

 そう言えばそんな事を言っていた。僕も彼女に人生を歪められてしまっている。でも僕にとってそれは悪いことでも無かったけれど、彼女にとっては重荷になっているのかもしれない。

 

「だから、これからも一緒にいよう。お互いに責任を取り合って、多くの時間を過ごそう。そうしたら何事にも代えがたい時間が生まれるかもしれないからさ」

 

「これは義務じゃない。でも、もし納得してくれるのなら、私の手を取って。これからもメイドとして一緒にいて欲しいんだ」

 

 ミツレさんが手を差し出す。僕は彼女ともっと一緒にいたかった。だからこそ、(あるじ)の居ないこの屋敷を守り続けた。意味がないと、利益を産まないと分かっていてもやらずにはいられなかった。僕の気持ちは彼女が来る前に既に決まっている。

 

「断るわけないでしょ。僕は貴女のメイドなんだから」

 

 彼女から差し出された手を取った。ぐっと掴み返返される。接触面積が増えて、滑らかさと温もりが伝わった。

 

「文字通り一生付き合いますよ。でも、ちゃんと一生養って下さいね」

「それは、経営状態にもよるかな……」

「そこはちゃんとどんと返事をして欲しかったな~」

「なんか今日はシオン君が意地悪だ……」

 

 彼女の呟きとほぼ同時。本来の出入り口の方で爆発音がした。たぶん追手が強引に扉をこじ開けたのだ。それを察して彼女は強く手を引いた。

 

「おっと。よし、じゃあ行こうか!」

「はい!」

 

 割れた窓枠から僕らは空へ飛び出す。視界が見慣れた庭から、どこまでも続くように見える青空と雲へ移った。すごい勢いでスピードが上がっていく。顔にぶつかる空気がすさまじくて、目をまともに開けることができなくなった。

 

「ちょっと、待って! 早い、早いですって!」

「ハハッ。ビビリだな、シオン君は。これぐらい、なんてことないだろう。もっとスピードを上げよう!」

「それは勘弁してくださいよ!」

 

 戸惑う僕に対して、彼女は大きな声で笑う。それは今までの取り繕った笑い方とは違って、少し不格好だ。そこで僕はやっと、無断でした誓いを果たせたのだと悟った。

 どこまでも続く空。僕らの行先はまだ分からない。けれど、二人なら何とかやっていける気がした。

 

「異世界でも女装して『ですわよ!』って言えば何とかなる。」 完




最後まで読んで頂きありがとうございました。完走した感想(激ウマギャグ)とか、評価をくださると嬉しいです。

あとがきは活動報告へ書きます。


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