「DETROIT SMASH!!」
咄嗟に放ってしまった、自分の代名詞とも言える必殺技に、誰よりも自分が驚き、炸裂して吹っ飛んだ相手を心配する。
相手からすれば巨大で強力な拳をまともに喰らい、コンクリートの地面をバウンドして壁に衝突した。
砂埃が舞い、響いた轟音が共振して、ゆっくりと静かになっていく。
「オールマイト!無事か!?」
「私は大丈夫。だが、少年が…!」
ナンバーワンヒーロー。平和の象徴と謳われるヒーロー、オールマイトに声をかけたのは、彼の唯一のサイドキックであるサー・ナイトアイだ。
鉄よりも固い筋肉を持つオールマイトだが、今回ばかりは相手が悪い。ゆえにナイトアイも心配して声をかけたのだが、オールマイトの関心は吹き飛ばした相手に向いていた。
徐々に晴れていく砂埃の中。どんな凶悪な敵も一撃で沈めた拳を受けて、無事であるはずがない。ましてや、14歳の少年がその拳を受ければ一溜まりも無いことなど、想像に難くない。
けれど、そんな予想は空を切る。
項垂れながらも、盗品の刀を握って立つ姿は、救うことを諦めないヒーローを彷彿とさせる。
口からは、先のオールマイトの一撃を受けて耐えきれなかったのか、胃袋から逆流した胃液と、内臓が傷ついたのか、溢れ出した血が口元を濡らしていた。
満身創痍。疲労困憊で、百孔千瘡。そして何より、四面楚歌。
ナンバーワンヒーローと、そのサイドキック。加えて、数名のプロヒーローと、現場を囲む警察官。
その全員が彼の敵であり、彼らの敵は少年一人だ。
「アレを受けて、まだ立つのか…」
「…っ!辞めるんだ、神守少年!このまま続ければ、君の体が保たないぞ!」
ふらふらと覚束ない足取りで、神守と呼ばれた少年が前へ出る。
垂れた前髪から覗く眼光が、大人であり、ヒーローとして強大な敵と戦ってきた彼らを射抜く。
「うるせぇ……うるせぇうるせぇ、うるせぇんだよ!!はやく、死ねよ!!」
下を向いたまま叫んだ少年は、ボロボロの体からは想像できない程のスピードで駆ける。50メートルの距離を、まるで空間を折り曲げたかのように一瞬で詰めた。
「くっ!」
気が付いたときには肉薄している少年に、今度は最大限まで力を抑えて、拳を振るった際に発生する風圧だけで吹き飛ばす。しかしそれは、たかが空中に吹き飛ばされるだけ。その程度なら、少年にとってはダメージに成り得ない。
空中で体勢を整えた少年は、音もなく着地して、今度はオールマイトから見て右側にいるヒーロー目掛けて駆けていく。
「死ね!死ね死ね死ね!…ゴブッ」
少年の振るう凶刃がヒーローの首筋に迫ろうとしたその瞬間、蓄積したダメージの反動か、大量の血が口から溢れる。
「少年!」
「オールマイト!彼は敵だ!隙を見せるな!」
「…っ、MISSOURI SMASH!!」
動きの止まった少年の背後からダッシュで近づき、そのうなじに向かって神速の手刀が繰り出される。常人なら反応することなど不可能。同じヒーローや指名手配されている凶悪敵であっても、躱すことは難しいだろう。
その技は、オールマイトの優しさだった。
拳による力での制圧ではなく、気絶による少年の確保。
すでにボロボロの少年に、これ以上の攻撃を加えれば、今度は少年の命が危ぶまれる。
だからこそ、背後からの奇襲。首筋を狙った、拳に比べて攻撃力に劣る攻撃。
ともすればそれは、オールマイトの甘さ故の攻撃。
「なっ!?」
それを敏感に感じ取ったのか、少年は前に倒れ込むことで神速の手刀をやり過ごす。
後頭部スレスレを通り過ぎるのを待ち、横向きに踏み込んだ右足を軸に、背後に向かって大きく刀を振るった。逆袈裟に振り上げられた刀の切っ先は、反応の遅れたオールマイトの脇腹から右胸までを薄く切り裂く。
「どんな反応してるんだ…!?」
「まるで獣だな」
バックステップで一様に距離を取るヒーロー達。
彼らが相手にしているのは、たった一人の少年だ。
全身ボロボロ。大人が、ましてやヒーローが相手にするには、あまりに貧弱な存在だ。脅威なのはその手に握る刀だけ。
少年の犯罪歴だけを見れば、凶悪敵もかくやというレベルだが、ヒーローが十人近くも出張るほどの存在ではない筈だった。
それこそ、ナンバーワンヒーローが出てくるほどの存在ではないのだ。
だが、捜査によって分かった少年の経歴は、警察や並みのヒーローの手に余るほどのものだった。
少年による被害者の数。
重軽傷者及び、一般市民の殺傷数百余名。
警察官の殺傷数、37名。
そして、プロヒーローの殺害数、18名。
ヒーローという仕事が世に出て数年。
その後のヒーロー史を見ても、歴代最多を誇る被害者を出した犯人。
14歳の凶悪犯、神守優。
彼は、無個性だった。
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初戦/幼き犯罪者
神守少年が本格的に追われることになったのは、二人目のプロヒーローを殺害してからだった。
それまでに、自分の両親と幼馴染の両親の4人、警察官を1人、ヒーローを1人、すでに殺していたんだが、それでも子供の個性の暴走ということで、事故の方向で捜査が進んでいた。その原因は、少年と連れ立って逃げていた幼馴染の少女の個性が関係するのだが、それは一先ず置いておこう。
二人目のヒーローの殺害方法は、包丁による刺殺。個性を発動した形跡もなく、警察は現場に残った少年の血痕からDNA鑑定をした。その時の少年は、とある事情で個性登録を行っていなかったんだ。だから、どんな個性なのかも分からなかった。念力やサイキックのような個性で包丁を操ったのか、ヒーローの動きを止められるような個性を持っていたのか。少なくとも、一緒に居た少女の個性ではないことは分かっていた。
しかし、結果として少年は個性を持っていなかった。8割の人類が個性を持つようになって数年、決してないとは言えないが、珍しいことに違いは無かった。それが、少年が無個性と分かった瞬間だった。
けれど、無個性の少年が、大人を4人、警察官を1人、ヒーローを2人も殺したという事実が、事の重大さを物語っていた。
包丁一本。
オールマイトやランキング上位者ほどのヒーローでは無いとはいえ、厳しいプロヒーローへ至る為の道を乗り越えてきた者達だ。それを無個性の子供が殺すには、あまりに貧弱な武器だ。だからこそ、少年の個性を調べたわけだが。
そうして、無個性の子供がプロヒーローを含めた大人を7人も殺すという大事件として、少年は世に報道され、捜査本部が置かれることになったんだ。
だがまぁ、プロヒーローが殺された大事件と言えど、相手は無個性の子供。また、殺されたヒーローが無名の新人サイドキックだったということもあって、捜査は警察だけで進められることになった。そもそも、君たちも授業で聞いただろうが、無個性の犯罪者は警察の管轄。ヒーローは手出しすることができない。とまぁ、近年の大事件の中でも、初動が警察だけだった稀な事件になったわけだけど。
それが良くなかった。
9歳の少年と、13歳の少女。
世界でも優秀とされる日本の警察から逃げるなど、ほとんど不可能だと思われていた。移動範囲も限られてくるし、移動系の個性も無い。お金や食料も無いし、直前の事件で少年は怪我を負っていた。
当初の捜査範囲は、少年たちが住む町と、その近隣の市町村だった。警察は個性の使用を禁じられているから、警察犬や犯罪心理学者さんたちの助言をもらいながらの捜査だったけど、同年代の非行少年を捕まえるのに1週間と掛かったことが無い。
だから、1か月経っても足跡の掴めない二人に、警察は手を焼いた。
子供二人の足取りも掴めなかった警察に、当時は非難の嵐だったそうだ。
そして、それを後押しするように、次の事件が起きた。
事件現場は、捜査していた場所から遠く離れた某県だった。
当時の世間の荒れ様は凄まじかったよ。
なにせ、殺されたのは全く関係のない四人家族だったんだから。
事件現場の近くには有名な神社もあって、そこに奉られていた宝刀が盗まれていたことも分かり、刀による斬殺だったこともすぐに分かった。
だが、その後の足取りもつかめず、文化遺産でもあった宝刀を盗まれ、後手にしか回れない警察は、ついにヒーローへの協力を打診した。あくまでも、捜査協力として、ヒーローの武力は使わないことを約束して。
その結果、1週間で少年たちの居場所を突き止めた為、警察の評判が下がり、ヒーローを称える声が増えたんだが、それはさておき。
二人が隠れていたのは、港にある廃倉庫だった。
警察は二十名近くで取り囲み、自首勧告の為の説得材料として、平和の象徴である私もその場に駆け付けた。 それが私と、二人の少年少女。神守優少年と冬神雪少女と出会った瞬間だ。
「私が来た!!」
重厚な鉄の扉を開け、私が先頭になって突入したとき、二人は倉庫の最奥で眠っていたよ。ボロボロの布を床に敷いて、どこかから盗んできた毛布にくるまって、肩を寄せ合って眠っていた。
「………塚内君。私、余計なことしちゃったかな?」
「…まぁ、起きていないようだし、大丈夫だろう」
寝息も聞こえない程に静かに眠る二人を、起こしてしまう前に確保しようとした時だった。慎重に近づき、傍らに置いてある刀から回収しようとした、その瞬間。
「ゆきねぇ…?」
目を覚ました少年が、警察が回収しようとした刀を目にもとまらぬ速さで抜き放ち、一番近くにいた警察官の首を斬った。即死だった。
子供ながらに、あまりに躊躇いのないその挙動に気を取られたもう一人の警察官が、今度は心臓を一突きにされた。
子供で、寝起きで、重量のある刀を振るって。
凶悪犯と言えど、私達は心のどこかで子供だからと油断していたんだ。
その油断が、命取りになった。
「…だれだよ、お前ら。またおれたちを捕まえに来たのか?」
二人の警官が殺害された時点で交渉は不可能と悟り、彼らは銃を構えた。当然、私は何をすることもできないため、その場で見守ることしかできなかったけど。
そして、最初の事件を起こした時の現場に、無名のサイドキックではなく自分がいれば、なんて考えを浮かべることなど、私にはできなくなってしまった。
「…っ、そうだ!刀を捨てなさい!今ならまだ間に合う!」
「少年!今の君は、取り返しのつかないことをしているんだ。だけど、今なら引き返せる。これ以上、罪を重ねてはダメだ!」
十人近くの警察官に拳銃を向けられた少年は、怯むどころか臨戦態勢になった。ナンバーワンヒーローがその場に居て、全方位を警察に囲まれ、並みの敵なら降伏するような場面で、年端もいかない少年が戦いの姿勢を見せたことに、我々は二度目の動揺に襲われた。
「雪ねぇ。起きて、雪ねぇ」
「んん、優くん…」
「逃げるよ。また、あいつらだ」
「…うん、早く行こう」
「全員殺す。雪ねぇは逃げる準備して」
「優くん、私も…」
「ダメ。雪ねぇが個性を使う必要は、ない」
刀を構えた神守少年は、無個性とは思えない程の力を見せた。
速さ、膂力、戦略、剣術。
どれもが一流で、発砲を躊躇った警官たちを次々に斬殺していった。
さすがの私も、法律がどうのと言っている場合ではなくなった。只管に防御に徹し、少年が疲労で倒れることを目的に、戦闘に参加した。
背後で荷物を抱える冬神少女を確認した神守少年は、こちらへ視線を戻すや否や、先と同様の速度でもって切り込んできた。
狙いは私。
一太刀目は、神速の上段だった。左右にステップを踏みながら、視界から消えた時には驚いたよ。気が付いたときには目の前に居て、刃が顔面に迫っていた。
「ぬおっ!?」
咄嗟に白刃取りしたが、力のこもっていない柏手の中から刃を引き抜いて、二太刀目の薙ぎ払い、袈裟斬り、突きの連撃を放ってきたんだ。一応避けきることはできたけど、全てが紙一重。9歳で無個性の子供を相手に、ナンバーワンヒーローが防御に徹していたとはいえギリギリの攻防をした。それが、どれだけ重大で凄まじいことなのか、君たちにもわかるだろう。
「は、はっやいな!!本当に無個性なのかい!?」
「お前も、無個性だって憐れむのか…!死、ねっ!!」
「ちがう!単純に少年の強さを褒めているんだ!それだけの強さがあれば、人を殺さなくても少女を守れたんじゃないか!?」
「バカが!あんな奴ら、死んで当然だ!お前らも!あいつらと同じだ!」
踏み込む度に一撃を見舞う少年は、文字通り必死だった。
目の前の敵を排除し、守るべき少女の為に孤軍奮闘する。9歳の少年にはあまりに過酷で、当時の私達には、何故そこまで人を憎み、強く在ったのか理解できなかった。
私たちは、少年の事を何も知らなかったのだ。
「優くん!」
「っ、ふんっ!」
冬神少女の声に反応した神守少年は、地面のコンクリートが割れる程の力で踏み込み、跳躍。人1人分ほどの高さから、私を縦に真っ二つにしようと、最初の上段とは比べ物にならない程の力で刀を振り下ろした。
瞬間、衝撃。
「なぁっ!?」
危機感故にその場から飛び退いた私は、さっきまで自分がいた場所の惨状を見て驚いた。
「増強系でもないと、そんなんできないぜ…!?」
粉々だった。
コンクリートが、無個性の少年の手で、粉々になっていた。
「雪ねぇ!」
そうして私達が気を取られている間に、神守少年は冬神少女を抱えて廃倉庫の奥の窓から逃げ出していた。追おうと思えばできたけど、私達にはできなかった。
少年と初めて邂逅した倉庫で殉職した警察官の数、6名。
廃倉庫は血の海になり、少年と少女のことはほとんど分からなかった。
君たちはもう知っていると思うが、その後、神守少年と冬神少女は5年間の逃亡生活を行い、その間にヒーローと警察の連合と計三回衝突する。
その一度目が、先の我々の敗北。
だが、そう。緑谷少年の言う通り。
計三回。100名以上の警察官とヒーローを巻き込んだ少年との闘いは、その半分を少年に殺された。
そして、知っての通り、神守少年と冬神少女が捕まることは無かった。
我々は。ヒーローは、無個性の少年に、三度負けたのだ。
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次戦/二人の咎人
神守優と冬神雪は、互いが唯一の友だった。
二人とも両親から虐待を受け、学校ではいじめに遭い。その全ての原因は、二人の個性故のものだった。
神守優は無個性。それ故に、ヒーローとなって恩返しさせることを望んでいた両親から煙たがられ、家の中では存在すら認識されなくなっていった。また、個性を持つ者が8割を超えるこの世界で、無個性は度々弱者として扱われる。確かに、個性因子がある人間と比べれば、そもそも体の丈夫さから違うし、子供の世界ではいじめの対象になりやすい。
そして、冬神雪。
彼女は、とても強力な個性を持っていた。系統的には相澤君に近いかな。個性を持つ者を対象にする、効果だけを見ればヒーローにとても向いている、強力で脅威的な個性。
個性の名は『凍結』。その効果は、対象の個性因子を媒介に、個性を扱う部位から凍結させ、本気で使えば最終的に人を内側から凍らせて殺してしまうことも可能。だが、最も脅威だったのは、個性を凍結させてしまう、ということだった。
相澤君のように、一時的に個性が使え無くなるのではなく、完全に使えなくなる。個性因子を伝って、個性に関係する部位を凍らせるんだから、当然と言えば当然だけど。
そんな強力かつ個性を失うかもしれない恐ろしい個性故に、冬神少女は多くの人から距離を置かれた。
だが、周囲の人間にとって幸いだったのは、冬神少女がとても大人しい少女だったことだろう。個性を使うことも無く、誰に何を言われても怒ることも無く。
故に、神守少年と同じく、いじめを受けることになった。
人を害する個性で、人に逆らうことのできない性格。子供の感性は推し量ることができない程の摩訶不思議だ。だからこそ、少女は魔女と恐れられ、いじめに遭っていた。
そして、両親はそれを助けようとはしなかった。
少女の個性を、誰よりも知っていたからだった。
だから、両親は少女を殺そうとした。
死にたくなかった。殺される前に殺そうとした。気持ちが悪かった。
両親は、そう言っていたそうだ。
うん、そう。少女の両親は、少年に殺された。
少女の個性は、個性因子を媒介にしなければ効果が無い。つまり、無個性の少年にとって、少女は無個性も同然だったんだ。
無個性の少年が、無個性の少女に怯える必要はどこにもない。
そうして、二人は同じ境遇の無二の友になった。
けれど、少年が少女の為に、自身と少女の両親を殺して逃げるまでには、もう一つのきっかけがあった。
親から虐待にあい、学校ではいじめられ、二人は助けを求めた。
警察に、児童相談所に、ヒーローに。
そのたびに家庭に調査が入り、証拠を掴めずに二人を放置していた。二人が大人を恨むようになったきっかけだ。
何故、証拠が掴めなかったか。
その原因は2人の親の個性だ。
少女の母親の個性は『幻覚』。少年の父親の個性は『治癒』。
これだけ言えば、察しのいい君たちならわかるだろう。
助けを求めても、誰にも助けてもらえない少年と少女は、次第にすべてを恨むようになった。自分を、少女を痛める人間も、誰かを助けて自分たちを助けてくれない大人たちも、すべてが彼の敵になったんだ。
それが、一度目の敗北を受けて再捜査した私達が知った、二人の過去だ。
神守少年と冬神少女には、復讐する権利があったんだ。
ヒーローや警察が助けることのできなかった自分たちを自ら助け。過剰防衛故に、他を助けて自分たちを助けてくれなかったヒーローや警察に追われる。
成熟していない子供の彼らにとって、それがどれだけ理不尽なことだったのか。想像を絶する苦痛だっただろう。
だから、私たちは決めたのだ。
彼らを保護し、罪を償わせ、人並みの幸せを享受させることを。
もう二度と、彼らを見放さないことを、胸に誓ったのだ。
「良くも悪くも、今の世は個性を中心に回っている。個性によって悪が為され、個性によって正義が行使されている。個性は人権に等しい扱いを受け、個性によって周囲からの対応が変わる。個性は、その人の半分以上を占めるキーファクターになっている節がある。だから、無個性の人間は、その半分以上の何かが欠けた人間として扱われる」
二度目の邂逅。
体の芯から冷えそうな、極寒の冬。その年は大きく強い寒波が訪れていたのを、よく覚えている。
最初の邂逅から2年経ち、少年は11歳、少女は15歳になっていた。子供の成長は早いもので、出会った頃より大きくなった二人は、2年の間にさらに人を殺していた。より正確に言うならば、神守少年が30人以上の一般人と、数人のプロヒーローを殺していた。また、彼らの噂を聞いて勧誘しに行ったのだろう敵の死体も、10人では効かない数が発見されていた。
「知ってるか。何をしても、枕詞に無個性なのに、って言われて、まともに認めてもらえない辛さが。どいつもこいつも、ヒーローのように、って口にして、無個性が敵として扱われる辛さが。どいつもこいつも…どいつもこいつも!いつかヒーローが助けてくれるって!見放されてきた俺たちを、お前らなんかが理解できるわけねーだろうが!」
「貴方たちのように、人を害しても許される存在になりたかった。暴力が認められて、より強い力を持つ人が称えられる、そんな世界に行きたかった。でも、無理でした。誰からも認められない、敵として力を振るわれる側だった私を助けてくれたのは、優君だけだった。私のヒーローは、優君だけなんです!貴方たちは…」
「お前らは…」
「「
そうやって吠えた二人は、神守少年を前衛に、殺した警官から奪った拳銃を使って冬神少女が援護をするという、子供とは到底信じられない戦闘をした。
相も変わらず、むしろ強くなった神守少年は、正直言って並みのヒーローでは相手にならなかった。小柄な体格と、並外れた速さ、刀という武器を活かしたヒットアンドアウェイ戦法。一撃離脱する少年を捉えることは、私でも難しかった。
けれど、それ以上に驚愕だったのは、前回とは違って早々に逃走を始めた冬神少女が、どこからか盗んできたのだろう車を運転していることだった。
「なっ、なんで運転できてるのよ、あの子!?」
叫んだのは、ミッドナイトだった。
少年たちを無傷で確保するため、『眠り香』の個性を持つミッドナイト、『ファイバーマスター』の個性を持つベストジーニストに、私が個人的に協力を申し出たのだが、今回に関しては人選ミスだったと言うほかない。
二度目の戦闘は前回と違って、逃走する少年たちを追う、追撃戦になったんだ。
「オールマイト。こうなってしまっては、私たちにできることは少ない。彼らの動きを止めてもらえれば、私かミッドナイトで拘束できるのだが…」
「そうだな…承知した!まずは私と警察で彼らを止めてくる!二人は追って、少年たちの無力化の準備をしておいてくれ!」
「ええ、了解したわ。さぁ、行ってちょうだい、ナンバーワンヒーロー?」
「ああ。私が、行くっ!!」
冬神少女は未成年では考えられないドライビングテクニックで警察を振り切ろうとしたが、警察だって負けないくらいに優秀だ。
それでも、警察は一定の距離までしか近づけなかった。
「クッ、神守少年!危険だから車内に戻るんだ!」
「馬鹿が!そう思うんなら、テメェらがさっさと消えろ筋肉ダルマ!!」
「むむぅ!ごもっとも!!」
車体の上に立つ神守少年が、同じくパトカーの上に立つ私に向かって叫ぶ。
この時から少年は、本当に無個性かどうか疑いたくなるほどの強さを持っていた。だって、信じられるかい?なんの個性も持っていない11歳の少年が、刀を自由自在に操るだけじゃなく、かまいたちを発生させるんだぜ?
「塚内君!ほかのパトカーは下げさせてくれ!」
「もうやってる!」
「流石だな!それと、全力でアクセル踏んでくれ!」
「何を…!?」
「私が行く!!」
縦横無尽に走る無数のかまいたちが、パトカーを破壊し、周辺の店や民家を切り裂いていく。走るだけで周囲を傷つける暴走車と化した二人を止めるため、全速力のパトカーから飛び出した。私が跳ぼうとすると、車が壊れちゃうから、もちろん力はセーブしたけどね。
追うパトカーはいなくなり、2人を追い詰める存在は私だけになった。
前回の失敗を省みて、油断など一切しなかった。
傷つけない。傷つかせない。もう二度と、彼らを見放したりなど、絶対にしない!
この手で救いきれなかったものなんて、数えきれない。どれだけナンバーワンヒーローだと持て囃されようと、見えない人まで救うのは不可能だ。だからこそ、平和の象徴として。救いを求める者が絶望する前に、最後の希望であろうとしたのだ。どれだけ離れていても、眼には見えなくとも、絶望の淵にいる者達が最後の一歩を踏み出さないための存在に。
「君たちの罪は重い。だが!償えない罪など無い!君たちには、まだ未来があるんだ!」
「……」
「平和の象徴として、多くの敵と戦ってきた。だからこそわかる。君たちは、彼らのような悪とは違う!互いを想い、守る心を持つ、ヒーローの素質を持っている!!だから、今ここで!足を止めてくれないか!?」
そう。
彼らは凶悪犯だ。
人を傷つけ、人を殺し。どんな過去を持っていようと、簡単には許されない犯罪者だ。
それでも、敵のように単純な復讐心や、己の快楽のために戦っているのではない。
神守少年は冬神少女の為に。冬神少女は神守少年の為に。
互いを守るヒーローとして、私達と戦っているのだ。
「…罪?人を傷つけることが罪なのか?」
「そうだ!傷つけられた者達にも家族がいる!友がいる!一人を傷つけると言うことは、その人に関わる人も傷つけるということなんだ!」
「だから、お前らは俺たちを助けてくれなかったんだな?俺たちが傷ついて悲しむ人がいないから。俺たちを傷つけることは、罪じゃないから」
「それは…!」
「だから嫌いなんだ。お前らは。自分達に都合の悪いことを罪だの悪だのと呼んで、それを叩くことが正義だと思ってる。傷つけることが罪?傷つけられた奴の知り合いも傷つく?それがどうした。そんなことは、昔から知ってる。雪ねぇが傷つけられているのを見て、俺が何も思わないとでも思ったのか?ふざけるなよ、平和の象徴」
走って追いすがる私を見下ろして、少年は言う。
「お前の光が眩しかった。救いを求めて手を伸ばしても届かないお前の光が、鬱陶しくてしょうがなかった。お前の存在は、絶望の淵にいる人間をどん底に突き落とす最悪の光だ」
右手に握る刀を構えて、私の目を見据えた。
「貴方は、きっと正義の味方なんでしょう。家族がいることが幸せで、友達がいることが幸せで、誰かのために怒り、誰かのために行動し、人を傷つける人を懲らしめることが正義で、貴方たちの常識に更生させることが正しいことなんでしょう。けど、貴方の正義は私達には届かなかった。私たちは生まれた時から悪だった。生まれたことが罪だった。それが今更、罪は償える?笑わせないでください。貴方たちにとっての罪は、私達が生きてきたうえでの常識で、正常です。だから、私たちを更生させると言うのは、私たちを殺すということ」
運転席から、冬神少女が言う。
正義は、ヒーローは、不要だと言う。
「平和の象徴。貴方に、人を殺す覚悟がありますか?」
冬神少女の運転する車のタイヤが道路との摩擦で悲鳴を上げ、速度を上げていく。街中をテールランプの赤い光を残して通り過ぎ、高速道路のインターを遮断機を破壊して突き進む。
その後ろを、私は無言で付いていった。
時速100キロを超えると言っても、本気で走れば私に追いつけない速度ではない。けれど、私は何をするでもなく、ただ付いていくことしかできなかった。
神守少年と冬神少女の言葉に、何も言い返せなかった。
平和の象徴。
それは、理想のヒーローだ。
すべてを救い、悪を挫き、悪意に怯える人々を照らす、正義の味方。
けれど、悪意の中で育ち、悪意の中で正義を為した者にとっては、身を焦がすだけの太陽なのではないだろうか。
私の存在は、二人を苦しめているだけではないのだろうか。
「いい加減、止まれよヒーロー」
だから気づかなかった。
車上から飛び降りた神守少年の持つ刃が、自分の首元に迫っていることに。
「オールマイト!!」
「んぐぅっ!?」
聞き覚えのある声に反応して、頬を削られながらもギリギリのところで回避した。
「無事かしら?」
「あ、ああ。助かったよ、ジーニスト」
「礼には及ばん。しかし、戦場で心ここにあらずとは、貴方らしくもない」
ベストジーニストの操る繊維が少年の刃に巻き付き、固定していた。
だがそれも一瞬。
無理やり繊維を引きちぎり、残った糸くずを振り払う。
「なぁ。もういいだろ?俺たちとアンタらは、別の常識の中で生きてる、別の生き物だ。野生の動物に人間の法律を持ち込むのか、アンタらは」
「貴方たちは人間でしょう?それなら、あたし達は貴方たちを止めるわ」
「間違った道に進んでいるから?」
「ああ、そうだ。君たちを更生させるのが、我々の仕事だからな」
「やっぱり、相容れませんね、私たちは」
停止させた車から冬神少女が降りてくる。
並んだ二人は神守少年の方が小さくて、二人とも私の半分くらいの身長だった。
「そこの平和の象徴には言いましたが、私達を殺す覚悟が無いのなら、さっさと消えてください」
「そんな覚悟は必要ない。君たちは生きたまま捕え、更生してもらう」
「次に起きた時には、ちゃんと話を聞いてもらうから。ね?」
「うるせーよ、おばはん」
「おばっ!?」
二人の子供と、二人のヒーローの押し問答を見ていることしかできなかったが、その時に背筋に走った寒気は今でも忘れられないよ。
今まで、直接的な脅威は神守少年だけだった。
無個性とは到底思えない力、技術、速度。近、遠距離の攻撃手段を持ち、無個性故にヒーローが手を出せない、対ヒーローとしてはジョーカー過ぎる存在。
だから、冬神少女の絶対零度のような視線を見た時、私はゾッとした。
凶悪敵と出くわした時のような、脳内に警報が鳴り響いたような、そんな感覚。
「優君、逃げる準備、しといてね」
「!雪ねえ、それは…!」
「大丈夫。三人くらいなら、少しで済むから」
瞬間、周囲を冷気が覆った。
肌が凍てつくほどの冷気。冬の寒さをも凍らせるようなそれは、白い靄を伴ってベストジーニストとミッドナイトの周囲を旋回していく。
その靄が冬神少女の個性であることはすぐに分かった。
パキ、パキ。
個性因子を媒介に、個性を含めた全てを凍らせる個性。
「これは…?」
一際大きく、何かが凍った音が鳴る。と、同時に、靄が掛かっている地面に氷の華が咲く。
パキ、パキ、パキパキバキン。
ベストジーニストとミッドナイトの周囲で咲いた氷の華は、凄まじい勢いで二人の足元に迫り、止まることなく二人の身体の上で、その冷たく美しい花弁を開いていく。
「くぁああ!?」
「くっ!二人とも、下がれっ!!」
「オールマイト!その靄はっ!」
「分かっている!二人は急いで処置を!」
冬神少女の体から発せられる靄は、触れるモノ全てを凍らせる、彼女の個性だ。
神守少年がヒーローの天敵であるならば、冬神少女は個性の天敵だ。その気になれば、数十人のヒーローに囲まれても、その全てを無力化できる。
けれど、強大な力には、それ相応の代価が必要だ。
それは君たちもわかっていると思う。
例えば、入学当初の緑谷少年は、個性に耐えきれず体をボロボロにしていた。麗日少女は吐き気に襲われたり、轟少年は左右の力で体温調節しなければ凍傷になったり火傷になる。
個性を含めた全てを、冷気だけで凍らせる。
そんな個性の代償は、私達が考えている以上に大きかった。
「っづぅうぅぁああ!!」
冷や汗を垂らしながら蹲る冬神少女。その苦しみ様は尋常ではなかった。それこそ、たとえ話にした緑谷少年の個性に耐えきれない代償と同等か、それ以上だったよ。
苦しみ、悶える少女に素早く駆け寄った神守少年は、私を睨んで言い放った。
「…近づくなよ、平和の象徴。お前らが近づけば、雪ねぇは死ぬ。そうしたら、どんな手段を使っても、お前を殺す。刀が折れても、腕が砕けても、足を失っても、この身体が死んだとしても、必ず殺してやる」
純粋な殺意。
人を守るために放たれる殺意は、こんなにも力強く、美しいものだと、初めて知った。
冬神少女を抱え、神守少年が夜の街に走って消える。
私が、二人の少年少女に二度目の敗北をした夜のことだ。
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幕間/二人の力
さて、私は神守少年と冬神少女にもう一度負ける。すでに終わった話だが、悪に屈しない平和の象徴は、二人の子供に三度負ける。
けれど、今までの敗北とは決定的に異なる敗北だった。
一度目は、何も知らずに負けた。
二度目は、二人の過去を知ってなお負けた。
敵と対峙するとき、相手の過去を知っている事がカギになることがある。特に、少年犯罪においてはその傾向が顕著に表れる。過去の経験が、現在の個性の扱い方に現れるからね。轟少年は、よく知っていると思う。
けれど、冬神少女はともかく、神守少年は無個性だ。
でも、ここまでの話を聞いて、君たちも思ったことだろう。
無個性の子供が、否、個性を持っていたとしても、あまりに強く、大人びていると。
例えば、校長先生のように頭脳が個性ならば、それも納得できる。だが少年は無個性だ。爆豪少年のように爆発できないし、尾白少年のように尻尾が生えていたりしないし、葉隠少女のように透明じゃないし、私のように超パワーでもない。
少年の過去を知っても、無個性たる少年が強く賢い理由は分からない。
だからこそ、我々は少年の現状について考察し、戦闘データから少年の身に何が起こっているのかを研究した。目にもとまらぬ速さ。重い刀を扱う技術。人の首を斬り飛ばす力。小学生とは思えない思考と信念。
その源は何なのか。
我々は考え、研究し、一つの結論に至った。
個性因子の存在が発見されて数年。
個性の発現が人間の進化の形というのであれば、少年のそれは、人間のもう一つの進化の形。大昔から示唆されていた、人間の究極系。
神守少年の脳は覚醒していた。
所謂、リミッターが外れると言う奴だ。
普段、人間の脳や身体は、無意識にリミッターをかけている。それは意識的に外せるようなものではないし、未熟な脳や体で限界以上の力を扱えば、向かう先は破滅以外ありえない。
それを神守少年は、自由自在に操れる。
普段からリミッターを外しっぱなしにするのは身体が保ないだろうし。
そして、我々が個性を扱い、身体が慣れ、成長していくように、神守少年もリミッターを解除した状態に慣れ、成長していった。
力を扱う際の負担が減り、少ない力で大きな力を生み出し、頭の回転が速くなっていった。
それは、個性を扱うヒーローに匹敵する強さになるまで。
もはや彼は、無個性の犯罪者とは言えない程に強くなり過ぎた。
遺伝子的、生物学的には無個性かもしれない。けれど、その凶悪的なまでの強さ、何をしてでも冬神少女を守らんとする頭脳。ヒーロー、というより自分たち以外の人間に対する容赦のなさ。
敵と呼称するに相応しい存在に、彼は成り果ててしまった。
原則的に、無個性の人間は敵とは呼ばれず、ヒーローの管轄外だ。だが少年の強さは警察では手に負えない。
そうして、史上でも例を見ない特例措置が発せられた。
無個性犯罪者、神守優。並びに、共謀している少女、冬神雪を敵と断定する、と。
対外的には、逃走中に突如として個性が発現した、ある種の特例として処理された。成長してからの個性の発現は基本的にありえないが、ごく少数とはいえ無いわけでもない。
そして、二人は名実ともに敵として、ヒーローに追われる存在になったのだ。
「冬神少女の体が…!?」
「ああ。これを見てくれ」
二度目の敗北後、我々は確実に二人を止めるために、警察とヒーローの合同捜査本部を立ち上げた。作戦立案や捜査は警察が、二人の捕獲に30名のプロヒーローと、周囲の警備にサイドキックたちが参加する、近年で最も大きな捜査本部だった。
「前回、二人を追うためにジーニストがパトカーに乗っただろう。その車載カメラにはサーモグラフィで記録する機能も付いていて、何か手掛かりになるものが無いか、一応確認してみたんだ」
パソコンを操作した塚内君が開いたのは、前回の戦闘時の画像だった。右側に私とジーニスト、ミッドナイトが。左側に冬神少女と神守少年がいて、今まさに冬神少女の個性が発動せんとしている場面だ。
「そうしたら、ここ。君の体温の高さはともかくとして、他のジーニストたちと比べても明らかに体温が低い。というか…」
「体温が無い…?」
「ああ。体温がマイナスを下回っている。しかも、この腕と脇腹の極一部分だけ」
塚内君が画像を拡大して指さしたのは、冬神少女の腕と脇腹だった。筋肉量や個性故に私の体温は常人より高い。だが、その場に居たジーニストやミッドナイト、神守少年、何より冬神少女のその一部以外の体温に比べ、色が黒に近い青で映されていたのだ。
「専門家にも見てもらったが、この箇所だけ氷になっているそうだ」
「氷!?人体がか?」
「ああ。そして、さらに昔の写真を探し、一つの仮説が立った」
新たなウィンドウに表示された画像には、幼い冬神少女が写っていて、服がめくれて右の脇腹が見えていた。
「これは数年前、児童相談所の職員が撮影したものだ。近隣からの電話で雪神家を訪れた時、暴力の痕跡がないか診察したが、そんな痕跡は一切なかった」
「母親の個性…。幻覚を見せられていたんだな」
「そうだ。だが、彼女の個性は写真まで騙せない。つまり、彼女の体には、少なくともこの写真から見える範囲は、正常な身体だったんだ」
「ん?だが、彼女の体の氷は…?」
「そう。ここからは我々の仮説になる」
冬神少女の個性は、個性因子を媒介に全てを凍らせる個性。
医者の診断では、彼女の個性に充てられたジーニストとミッドナイトの復帰には最低でも1か月はかかる見込みだ。
そんな強力過ぎる個性の副作用で、彼女は自身の個性因子さえも凍らせてしまう。その結果、個性の発動範囲分、身体を氷に変化させてしまうのだろう。
今まで神守少年が戦っていたこと。冬神少女が個性をほとんど使わなかったこと。使った時の苦しみ様。仮説が正しいと判断するには、あまりに材料が揃い過ぎていた。
「今はまだ、この程度の氷で済んでいる。それは、生まれてからほとんど個性を使っていなかったからだろう」
「神守少年は、それを知っていたから、あそこまで必死に…」
「だろうな。しかし、これ以上彼女が個性を使うのであれば、それは命に関わることになる。というより、すでに危険な状態だ。表面だけが氷で覆われているのか。血管や臓器まで氷になってしまっているのか。変化した氷が臓器の役割を果たしているのか、いないのか。彼女の個性の副作用について分からないことが多すぎる」
「つまり、捕獲の際にはまず第一に冬神少女を気絶させなければならない。それも、戦闘力が図抜けて高い神守少年を抑え、個性の天敵である冬神少女が個性を発動するよりも前に」
それは、正直言って限りなく不可能に近い作戦だった。
そも、冬神少女の個性は意志一つで発動できる。彼女が捨て身で個性を使う覚悟があるのであれば、我々は何をするでもなく敗北することが確定してしまう。加えて、彼女を守護する神守少年の相手はトップヒーローかつ、速度に特化したヒーローでなければならない。
あまりにも隙の無い二人。その実力は底知れず、こうして考えている間も進化しているかもしれない。
「…頭が痛いな」
「ああ。だが、絶対に捕まえなければ」
彼らは、我々の罪そのものなのだから。
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終戦/氷と灰
桜が舞う夜に、とある学校の校庭に立つ20人の影。取り囲んでいるのは、校庭の端にある体育倉庫だ。
「オールマイト。準備は?」
「…ああ、大丈夫さ。今度こそ、二人を捕まえる!」
「俊典、平和の象徴として気負い過ぎるのはお前の悪い癖だぞ。相手は悪ガキ二人。過去にどんなことがあろうと、今はただの敵だ」
「確かにそうですが…」
「必要なのは、一応無個性のガキを殺さないための手加減だけでいい」
「他は任せてくださいよ。そのために俺たちがいるんスから」
あの戦いから生き残ったヒーローたちは、現在では皆トップヒーローと呼ばれている。
エンデヴァーやホークス、ミルコやエッジショットにヨロイムシャもいた。ああ、現在のトップ10ヒーローの中でも、制圧力、速度、剣術に長けたヒーローたちに、私が自ら声をかけたんだ。
正直なところ、冬神少女と神守少年が二人がかりで攻めてきた時、情けない話だが私一人では手に負えない。それに、二人が私達だけに攻撃してくるとも限らない。
周囲への安全確保、今回で確実に二人を捕えること、そして、二人の成長度合いがまるで不明だったこと。
当初は過剰戦力が過ぎると、警察の上層部に言われもしたが、戦闘が始まってみればそれは間違いだとすぐに分かった。
「よし。皆、準備は出来ているな。…それでは、作戦…」
開始。
私の号令で、二人を捕える作戦が始まるはずだった。エッジショットに倉庫の扉を開けてもらい、個性の凍結により作戦に参加できなかったジーニストとミッドナイトのような、確保に向いた個性のヒーローに冬神少女を確保してもらう。
あとは、戦闘向きのヒーローで神守少年を無理矢理にでも拘束する手はずだった。
だが、号令の途中で半開きだった倉庫から飛び出してきた黒い影が、私の言葉を遮るように月光を反射した白刃を振り下ろす。
高速の黒い影の正体、神守少年によって、第一作戦は失敗に終わった。
というより、初手から数十名のヒーロー対神守少年の構図になった。そう、冬神少女を捕えるという第一目標は叶わず、顔を見ることすらできなかったのだ。
「久しぶりだなぁ、平和の象徴。こんなにヒーロー引き連れて、集団自殺か?」
「ああ、久しぶりだな、神守少年!君たちを止めに来た!」
「皆の為に俺たちを殺す覚悟ができたのか、偽善のヒーロー」
「違う!覚悟はしてきたが、殺す覚悟などではない!私達が胸に決めた覚悟は、君たちを保護し、幸せを享受させる覚悟だ!!」
真っ先に私を狙ってきた神守少年を柔らかに吹き飛ばし、校庭の中心に降り立った少年に向かって叫ぶ。
私達とは言ったものの、そんな覚悟を持っている者は少数だったろう。それでも、彼らを捕えなければという使命感は皆同じ。
だが、今までの経験から、彼らには本気の言葉でも届かないだろうことは容易に予想できた。
だからこその実力行使。だからこその強行突破。
無理やりにでも捕えてから、というのが我々の総意だった。
「…あ、っそ」
瞬間、我々の前から神守少年の姿が消えた。
動揺する我々の耳に、体育倉庫近くから神守少年の声が聞こえる。
「覚悟決めて、雁首揃えて、それでもこれか。なぁ、ヒーロー。きっと調べたんだろうから教えてやるよ。雪ねぇは個性を使うと体が氷になる。昔、俺たちが小さいころに一度、3年前にお前ら相手に一度。たった二回の発動で、歩くだけでも苦しむようになった。今もな、氷が解けないように体を冷やしていなきゃいけないんだよ。医者に聞いても治らないって言われたし、ただ耐えるしかないんだ。お前らの相手なんか、してる場合じゃねぇんだよ…!」
「ああ、知っているとも。だから、彼女が安静にしていられる環境も整えた」
「今の生活をしている方が、彼女には苦しい筈。早く投降すれば、彼女を苦しませずに済む。だから、その手を放せ」
倉庫前には、少年の説得中に少女を捕えようとしたヒーローがいる。だが、少年のスピードについていけず、正面から首を掴まれ、苦しんでいた。
「黙れ。言った筈だ。雪ねぇに近づけば、お前らを殺すってな。まずはお前からだ」
「ぐっ、や、やめろぉ!」
静止も聞かず、躊躇い一つもなく、潜入を試みたヒーローは呆気なく殺された。
ヒーローの血を浴びながら、少年は悪辣に笑う。
「っ!…君たちは、何故人を殺す!?君たちの求めるモノはなんだ!?」
突き刺した刃を引き抜き、意識の無くなったヒーローの体を投げ捨てた少年に問う。
過去を知り、強さを知り、対策も練った。
彼らが過去の経験から大人や他人を嫌っているのは知っている。悲惨な経験故に、それは納得できるし、持って然るべき感情だろう。
だが、その経験から、彼らが何を求めているのか。それだけは、どうしても分からなかった。
自分たちに危害を加えてきた他者を皆殺しにするのか。助けてくれなかったヒーローや警察を潰したいのか。幸せな人間を消したいのか。
そのどれもが在り得る可能性であり、どれもが彼らの足跡からは考え辛い可能性であった。
彼らは多くの人を殺してきたが、見境無しという訳ではなかった。
彼らが殺害していたのは、自らを害そうとする警察やヒーロー。そして、幸せな家族だ。
けれど、調べを進めるうちに、殺された家族には共通点があることが分かった。
それは、その家庭の子供がいじめの主犯や加担していること。親が対外的に悪い人間であることだ。隣人と揉めたり、学校と揉めたり、会社でパワハラを働いていたりと、正直言って碌な人間がいなかった。それでも幸せな家庭であることに違いはなく、それが彼らに狙われる原因だったのだろう。
「俺たちの求めるもの?」
「そうだ。お前たちは、何を求めて人を殺すんだ?」
「求めるもの、ね。はは…」
少年は嗤う。
春の夜に響く少年の乾いた笑い声。それは我々には理解のできない大笑。
それは、恐怖以外の何物でもなかった。
ヒーローが、少年の発する恐怖に呑まれ、動けなくなる。
情けない話だが、少年の恐怖は今でも覚えているよ。
「ははは……」
「自由だ」
神守少年は強くなっていた。
二人の求める、自由という名の夢を手に入れるために、ヒーロー達を圧倒出来るまで。
「自由…?」
「がっ!?」
「オールマイト!もう説得は無理だ!」
「くっ…!仕方ない、プランBだ!!」
跳弾する弾丸のように、囲むヒーロー一人一人に対してヒットアンドアウェイを繰り返す少年。最早、捕獲は不可能。制圧力に長けたヒーローには下がってもらい、速度に長けた私、ホークス、ミルコ、グラントリノ、エッジショット、ボルテックスと、剣術に長けたヨロイムシャ、先読みが出来るサー・ナイトアイの8人が残り、どうにか動きを止めたところを他のヒーローが制圧する。それがプランB。
この8人だけが、おそらく神守少年のスピードについていけるメンバー。
の筈だった。
「おいおい…敵指定受けたって、無個性の子供の筈だろ?」
「らしいっスけど、これは…っと」
「速すぎる…っ!」
3年前より成長した神守少年は、個性を持つ人間と比較してなお、強過ぎた。
脳が覚醒しているとしても、無個性の人間の速さは上限を超えられないだろう。それが具体的にどれくらいの速さなのかは分からないが、姿が消えるほどの速さなんてありえない。それでも、私たちの目には向かってくる神守少年の姿が見えなかった。
「ミルコくん!左だ!」
「う、っす!」
「…っ!」
「ボルテックス君、これは…」
「ああ。その通りだと思いますぜ。ナンバーワン」
向かってくる少年は見えない。けれど、誰かに高速で向かう少年は辛うじて見える。
つまり。
「俺と同じ、歩法で視線をずらして速く見せてる。しかも、素の速さが群を抜いてるから、結果的に見えなくなってる」
初代最速のヒーロー、ボルテックス。
彼は体内の電気信号を操り、身体能力を底上げする個性の持ち主で、ホークスの前に最速と謳われていたヒーローだ。個性で速さを生み出し、学生時代に学んだ武術を取り入れて戦う彼のスタイルは、当時、私に匹敵する速度を生み出していた。
その彼が見抜いた、神守少年の速さの絡繰り。
「雪ねぇのところには行かせない。さっさと引いて、二度と追ってこないなら見逃してやるよ」
「ガキが、ぬかせ!」
一対多の大混戦。誰もかれもが速度に特化し、地面だけでなく空中にすら撃音が響く、紛れも無い戦闘地帯。
後のニュースや新聞なんかでは、ヒーロー史上初となる機動戦とも呼ばれていたね。
だが、間違いなく優勢だったのは、ヒーロー側だった。
最初こそ神守少年の速さに対応できていなかったが、腐ってもヒーロー。誰かに迫る少年を、他の誰かが指示を出し、当時新人だったホークスが上空から戦況を見て、全員をフォローすることで円滑な連携を図り、次第に少年を追い詰めていった。
けれど、ヒーロー側は一人として決定打を打つことができなかった。
なぜか。
神守少年が、無個性だったからだ。
個性因子の有無は、個性の有無を決めつけるだけのものではない。個性因子を持つ人間と持たない人間では、体の構造が根本から異なる。それは異形型とか関係なく、身体の丈夫さとか、膂力の強さとか、そういう基本的なところから違ってくる。
君たちも必殺技を持っていると思うが、あれは相手が個性因子を持っているからこそ放てるものだ。無個性の相手に放てば、それは相手を簡単に殺してしまう、文字通り必ず殺す技となる。
「はぁ、はぁ…なんだよ…舐めてんのか?殺す気で来いよ、ヒーロー」
「もう分かるだろ。お前は勝てねぇ。冬神ちゃんと一緒に投降しろ」
「うるせぇよ…はぁ、勝てるかどうかなんて知ったこっちゃねぇ。邪魔だから、殺す。それだけ、だ!!」
「…っ、ホークス!」
少年が刀を振り上げる。周囲に誰もいない為、その挙動の真意に気づくのが遅れてしまった。
かまいたち。
少年の唯一の遠距離攻撃手段。民家をも破壊するそれは、不可視の刃となって、上空にいたホークスの剛翼を切り裂いた。
「っつぅー、いてて。まっさか、翼が切られるとはなぁ」
「坊主!大丈夫か?」
「あぁ、はい。問題ないっス。けど、片翼じゃあフォローは難しそうっスね」
「十分だ。だが、またあれをやられると助けらんねぇ。新米は一旦下がっときな」
「すいません。翼が復活したら、また来ます」
「間に合えばいいけど、なっ!」
かまいたちによる牽制と、脳の覚醒による我流の剣術。ヒットアンドアウェイ戦法と、見えない歩法。少数精鋭でなければ対応すらできない相手に、それでも我々は即座に対応した。
不可視の飛ぶ斬撃。それだけを聴けば恐ろしい攻撃だが、対応策さえ知っていれば恐るるに足らず。
かまいたちは、唐突に発生するわけではない。発生する起点があり、それはとても見やすく、範囲まで絞れる起点である。つまりは、少年の振るう刃の軌道。それがかまいたちの発生源であり、攻撃範囲だ。
「くっそがぁ!」
以前までと違い、自身の攻撃が通じないことに苛立ったのか、少年が叫ぶ。
数回地団駄を踏むように地面を踏みしめ、右手に持つ刀で地面を破壊する。その姿は子供のようで。少しだけホッとしたのを覚えている。神守少年にも、まだ子供らしい一面が残っているのだと。
けれど、それは間違いだった。
項垂れていた神守少年は突然静まり、次に見えた少年の眼は真っ赤に染まっていた。
「っ!?」
「俊典!!」
完全に無意識だった。
私の放った本気の拳は、気づくことすらできなかった神守少年の腹に突き刺さっていた。
喚きながらも、明らかに強くなった少年に動揺が走る。
覚束ない足で、倒れ、立ち上がり、また倒れ。
嘔吐と吐血から見てわかるように、すでに彼は瀕死だ。他ならない、私の手によって。
「もう辞めるんだ、神守少年!冬神少女だけじゃなく、君まで…」
「うるせぇって言ってんだろうが!」
「…優君?」
何度目かもわからない押し問答。その最中に、彼女は現れた。
「雪ねぇ!出てきちゃだめだ!」
「優君」
体育倉庫から現れた冬神少女は、ヒーローを一瞥すると一直線に神守少年の元へと進む。
「雪ねぇ…」
「優君。こんなにボロボロになって…。私の為に、ありがとう」
「こんなの、何でもない!早くあいつらを殺して逃げよう」
「…そうだね。優君は、逃げる準備をして。たまには、私に優君を守らせてよ」
「何言って…」
冬神少女は、一度神守少年を抱きしめると、校庭の中心に立つ。
美しい長髪をなびかせて、個性でもないのに目を引き寄せられる。5年間に及ぶ逃亡生活。まともな生活を送れているとは思えないのに。個性によって体の一部が氷になってしまっているというのに。
凛として我々と向き合う少女は、余りにも美しかった。
「平和の象徴。いつか、貴方には言いましたね。暴力が認められ、より強い力を持つ者が称えられる、貴方達のような存在になりたかった、と」
「…ああ。だが、私たちは」
「黙れ。貴方たちと私たちは相容れない存在だ。生まれたときから罪を背負ってる私たちには、貴方たちのようなヒーローになんてなれない」
「そんなことは!」
「ありますよね。だけど、私には私を守ってくれるヒーローがいた。平和の象徴なんていうまやかしのヒーローじゃなく、誰よりも強くて、誰よりもカッコいい、私だけのヒーローが」
そう言って微笑む冬神少女は、年相応の少女に見えた。当時の年齢は18歳。君たちと同じくらいだね。
けれど、その微笑みはたった一人に向けられたものだ。他の誰にも、その優しさが向けられることはない。
「だから、今度は私が優君のヒーローになる番です。覚悟してください、ヒーロー。私は、優君のように優しくはありません」
「な、まさか…」
「やめるんだ、冬神少女!個性を使えば、君の身体が!」
「くそっ、間に合うか…!?」
ヒーローが走る。
私が。グラントリノが。ナイトアイが。ミルコが。エッジショットが。ヨロイムシャが。ボルテックスが。
冬神少女めがけて駆け、けれど間に合わない。
少女を目前に捕らえ、気絶させるだけ。だが、その瞬間に、急激にスピードが落ちていく。今まで当然のようにあった力が抜け落ちていく、不思議な感覚だった。
「私たちの苦しみを知って、死んでいきなさい」
豪、と春の夜に吹雪が現れた。
少女を中心に吹き荒れる氷の嵐は留まることを知らず、私たちは一様に吹き飛ばされた。
でもそれは、吹雪によって吹き飛ばされたのではなかった。
「だ、大丈夫っスか、皆さん」
「ホークス!」
「助かったぜ。だが…」
復活しきっていない剛翼を操作し、私たちを避難させてくれたホークス。だが、その場にいた全員と、それを救ってくれたホークスの剛翼に纏わりつく氷の華が、我々の敗北への道を示していた。
「雪ねぇ!雪ねぇ!やめて!やめてくれよ!雪ねぇが死んじゃうよ!!」
「!!」
「ホークス!エンデヴァーを呼んでくれ!」
吹雪をものともせずに、冬神少女のもとへ向かう神守少年。
無個性の彼にとっては、恐ろしいものでもないのだろう。加えて、愛すべき冬神少女の個性だ。例え神守少年が個性を持っていたとしても、迷わず突き進んだだろう。
「優君。前に決めたよね。私たちは、自由になろうって」
「うん…うん」
「…っ…これが私の自由だよ。初めて優君が守ってくれたあの日から、ずっとこうしたいって思ってた」
「俺はずっと、当たり前のことしかしてないよ…」
「ふふ。優君は優しいね」
吹雪が晴れる。
嵐の中心だった場所には二人がいて、神守少年に冬神少女が抱えられていた。
「あぁ、思いっきり個性を使うのって、こんなにすっきりするんだね」
「…死なないで、雪ねぇ」
「死なないよ。私はずっと優君の近くにいる。だって、大好きだもん」
「俺も、大好きだよ」
「やった。両思いだね」
「うん。だから、だからさぁ…消えないでよ」
冬神少女の身体は、そのすべてが氷になっていた。
それだけじゃなく、足先の方から蒸発したように消えていた。
「……優君も、自由に生きて。何にも縛られず、好きなように生きて」
徐々に消えゆく冬神少女。
彼らの求めるモノは、何物にも縛られない自由。
それは、普通に生きていれば心から望むことなどないモノだ。
けれど彼らは、親に、学校に、世間に、正義に、悪に縛られて育った。暴力に屈服し、いじめに降伏し、世論に拘束され、正義に救われず、悪と決めつけられた。
どれもこれもが他者から決められたもので、彼らの意志は一切反映されていない。
そんな二人が求め、起こした最初の反乱。
我々にとっては犯罪者となった二人を捕らえる戦いだったが、二人にとっては自由のための戦いだった。
ともすればそれは獣のような生き方かもしれない。
寝たいときに寝て、食べたいときに食べ、殺したい時に殺す。
けれどそれは、二人が育ってきた環境がそういうものだったからだ。成長する過程で起きた出来事が、その人の常識を決めていく。我々の自由は、法の許す限りにおいての自由。二人にとっての自由は、そういうものだったんだろう。
「雪ねぇ…」
消えゆく身体から発せられる冷気が、二人の周囲に氷の華を咲かせていく。
とても幻想的な風景だった。
「いつか、また逢おうね」
何故意識があるのかわからないくらいだった。彼女の身体は四肢が消え、胸から上しか残っていないような状態だったんだ。
「…うん。必ず、必ず逢える。すぐに、逢いに行く」
「ふふ、すぐは、やめて、ほしいなぁ」
頭部まで凍り付いた冬神少女は、言葉を発する度に欠けていく。当然だ。動かないモノを無理に動かせば、可動部が壊れていくのは自然なことだ。
それでも冬神少女は言葉を止めない。
すでに命が尽きても当然の状態だからか。溢れる想いを神守少年に伝えたいからか。
「…優君。これが、最後。逃げてもいい、戦ってもいい。私もそうしたように、好きにやって。それが、自由だ」
「うん、うん」
「バイバイ。愛してるよ、優君」
視界一杯に広がる氷の華。彼岸花に似たそれは、少年の周囲を包み込んでいく。
冷たい氷の唇で、柔らかく、優しい口づけをして、冬神少女は神守少年の手の中で、氷となり、空気に溶けていった。
目の前で救えなかった人は数えきれないくらいいる。プロヒーローになれば、そんな経験は数えきれないくらいあるし、死んでしまったのは只の民間人ではない。凶悪犯だった。
だけど、彼女は己の夢に殉じ、愛すべき少年のヒーローとなって死んだ。
過去の呪縛から逃れ、我々が普通に得ている自由を求めて戦った。
「…神守少年。投降、してくれないだろうか。悪いようにはしない。君は、必ず私が守る」
そんな冬神少女が守った少年を、私は守りたかった。
座り込み、項垂れて動かない少年の肩に手をかけ、最後の説得を試みた。
今でも思う。
あれは、失敗だった。
最後の最後まで彼らを理解できなかったのに、理解したつもりになっていた私のミスだった。
「雪ねぇ。俺も、すぐに行くよ……こいつらを、殺してから」
最近の教科書には、事件の名前が載っているそうだ。さすがに詳細までは書いていないだろうが、個性の暴走による未成年凶悪犯とヒーローの戦い。
戦闘現場に残された氷の華からつけられたその名前は、雪華事件。
犯人は二人の少年少女。個性の暴走により、5年間の逃亡生活中に民間人、警察、ヒーロー、敵に多くの死傷者を出し、最後の決戦地である中学校にて、現在も咲き続ける氷の華を生み出した。警察からの報道によれば、その場でプロヒーロー10名以上が殺害され、中には当時トップ5だったライジングヒーロー、ボルテックスも含まれていた。
近年稀にみる、最凶最悪の未成年犯罪。凶悪な個性の暴走による悲劇を二度と起こさないため、今では義務教育中に最低限の個性教育を行うようになった。
が。
そう。話した通り、真実は違う。
最後の戦闘。
唯一の拠り所だった冬神少女を失い、ある種、彼らの求めていた自由を手に入れた神守少年は手が付けられなかった。
今までは、冬神少女を守るという意識がストッパーになっていたのだろう。大立ち回りをしている最中でも、少女の存在が気がかりだった。それでもあの強さだったのだが、端的に言って桁が違った。
それは、神守少年さえも知らなかった彼の本気。
我々とは違う進化を遂げた人間の底力。
脳を覚醒させ、驚異的な成長を遂げた、神守優という人間の本当の姿。
冬神少女の本気が嵐ならば、神守少年の本気は雷。
全てを貫き、破壊する、天の矛。
「幸せそうにしてる奴が嫌いだった。
「幸せを守ろうとするやつが嫌いだった。
「俺たちには決して手の届かないそれを、後生大事にして、見せびらかして、憐れんでいる奴らばかりの世の中が、大っ嫌いだ。
「だから壊す。
「だから殺す。
「悪上等。
「敵上等。
「お前らが見放した闇の中で生まれた化け物の力を見ろ。
「もう何にも縛られない。
「俺は自由だ」
血で赤く染まった目が、夜の中で怪しく光る。
今までからは考えられないくらい大人しい少年に、我々は警戒を最大限まで高めた。脳が覚醒した者との戦闘は、ほとんどのヒーローが初めてだ。神守少年を見ても、驚異的な身体能力の向上と、脳の発達くらいしか見られない。
だから、我々は最悪を想定し、警戒したのだ。
映画のように超能力が発現するかもしれない。人知を超えた想いの力が、神守少年に冬神少女の個性を与えるかもしれない。まったく未知の個性が発現するかもしれない。
だが、想定するべきはそこではなかった。
進化の方向性は違えど、力そのものは個性と似たようなものだ。
だから、唐突な成長であっても、それは今持ってる力の延長線上の筈なのだ。
トン、と。
少年が跳ねた。
「消えっ…がぁっ!?」
音も無く。予備動作も無く。唐突に。
少年の蹴りがミルコの腹に突き刺さり、数十メートル先まで吹き飛ばした。
「は。はは。ははははは!」
高らかに笑う。
楽しそうに。嬉しそうに。
きっと彼は。彼も、力をセーブしていたのだろう。
本来の力を、未熟な体故に発揮できないのはよくあること。無個性の体に、強力な力を持つ神守少年は、多少手荒に個性を使っても無事な我々より、力の制御に割くリソースが大きい。
だから、それを気にせず、十全に、万全に、本気の力を振るう神守少年に、我々は防戦を強いられた。
歩法とか、視線を逸らすとか、そういう技術じゃない。単純で、純粋な脚力によるスピード。
「速い!熱い!なぁヒーロー!お前たちが敵を捕まえる時もこんな気持ちなのか!?圧倒的な力で叩き潰す、この快感を!お前らはいつも味わってたんだなぁ!?」
「くそっ、見えねぇ…!」
加えて、冬神少女の個性によって、こちらは個性を封じられた状態で戦わなければならなかった。
「おい!どうなっている!!」
だから、そこに現れたエンデヴァー達には今でも感謝している。
氷を解かす炎熱。
個性も無しに、経験と素の肉体だけで防戦していたところに延びた救いの手。ただそれは、一つの賭けだった。ジーニストとミッドナイトは、未だ個性の凍結から回復していない。けれど、冬神少女が消失し、凍結という個性の性質上、炎熱で氷を解かせば回復するのではないか。
結論から言えば、賭けには勝った。
エンデヴァーの炎によってヒーローたちの個性は復活した。
「で、もっ!」
「目で追えないのは変わらねぇ!」
「ふんっ!俺が行動範囲を絞る!貴様らは畳みかけろ!」
「…エンデヴァー。氷を融かす、炎のヒーロー」
「っ、エンデヴァー!」
並の敵ならそれだけで降伏するような炎の檻。
だが、神守少年にとっては障害物にすらならなかった。火傷を負いながらも、炎の壁を突き抜けて、エンデヴァーへと白刃が迫った。
彼にとっては、冬神少女そのものともいえる氷の華を融かされることが嫌だったのだろう。
炎の尾を引いて突撃する神守少年に対応できたのは、奇跡というほかなかった。
けれど、それ故に我々は、初代最速ヒーローを失ってしまう。
「ボルテックス!くそぉ!」
だが、それでも少年は止まらない。
速度を上げ、応援に駆け付けた警察やヒーローを殺し回り、辺り一面を血で染め上げた。
死が充満する現場がトラウマになり、ヒーローや警察を辞めた人も続出した。
しかしそれも、たった数分のこと。
逆に言えば、10分にも満たない時間で50人以上も殺されたのだが、それすらも幸いと言えてしまうほど、神守少年は強過ぎた。
唐突に足を止めた神守少年の体からは、赤い蒸気が出ていた。
「なんだ、あれは」
「平和の象徴。お前らの敗因はたった一つだ。覚悟が足りなかった」
「…君たちを、殺す覚悟か?」
「そうだ。だから…」
赤い蒸気は、血液の蒸発。
カラン、と刀が氷の上に落ちる。
奇しくも足を止めたのは、冬神少女が消失した、氷の上だった。
そして少年の腕は、無くなっていた。
「腕が…!」
「灰に、なっている…」
限界を超えた、力の行使。
今まで制御していた脳の回転速度や筋肉を、自身の限界を超えて最大限まで出力させた結果、異常なまでの発熱を引き起こし、最後には人体自然発火現象を体の内部で引き起こした。
赤い蒸気を上げ、黒く染まっていく神守少年は、数分前の冬神少女を彷彿とさせた。
冬神少女は氷に。
神守少年は灰に。
ヒーローにも救えないものはたくさんある。
それは人であったり、物であったり、気持ちであったり。
けれどあの時。多くのヒーローと警察官を巻き込んだあの事件で、私たちは何一つとして守れなかった。
誰のせいでもなく。
誰もが悪かった。
多くのヒーローがトラウマと悔恨を植え付けられた。
それすらも自業自得だった。
こうして、後世に残る大事件、雪華事件は幕を閉じた。
自由を求めて我々と戦った冬神雪と神守優を悪として、敵として世に伝え、大損害を受けながらもヒーローの勝利として、教科書に載ることになった。
けれど、私たちは未だに考え続けている。
あの事件において、悪とは何だったのか。誰だったのか。そもそも、彼ら二人を最初に救えていれば、あんな事件にはならなかったかもしれない。
冬神少女と神守少年が悪だったのか。ヒーローが救えなかったことが罪なのか。
故に今も、私たちは心に刻み続ける。
風化させてはならないと、必ず思い出す。
灰になって、今も氷の華に包まれている神守少年の言葉とともに。
「次は、ちゃんと、殺せるといいな」
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エピローグ
「…久しぶり。神守少年、冬神少女」
ガリガリに痩せ細ったオールマイト。ワンフォーオールという受け継がれる個性の残り火さえ失い、本来の姿であるトゥルーフォームが世に晒された彼は、引退したにもかかわらずヒーローコスチュームに身を包んでその場に居た。
ヒーロー時に比べて萎んだ体にはあまりに大きいコスチュームには大小いくつもの傷があり、その全てが何かに斬られたものだ。
「今になってようやく、君たちの近くに行けるな」
旧春陽中学校。数年前に廃校となり、周囲一帯を立ち入り禁止区域にされたここには、ごく一部のヒーローだけが入れる。
校門を一歩超えれば気温が下がり、もう一歩踏み込めば極寒の冬と化す。
その寒さの根源の近くに、オールマイトはいた。
校門を超え、校舎を通り過ぎ、敷地の奥に造られた広大なグラウンド。
その中心に美しく咲き誇る、黒い灰を内包する青い氷の華。
「今年は、いろいろあったよ。神守少年と同じ無個性の少年が、今は私の後継として頑張っている。私は個性を最後まで絞り切り、今では無個性みたいなものだ」
中心の氷華だけではなく、グラウンドは氷で覆われ、その被害は氷華から離れた校舎まで届いている。さらには、この中学の上空の天候にまで作用し、立ち入り禁止区域一帯の天気は一年中極寒の曇り空で、時には雪や吹雪まで吹き荒れるという。
その全ての氷雪が、個性を持つ人間にとっての毒。
舞い落ちる雪の一粒に触れれば、触れた個所が凍り。凍り付いた地面や建物に触れて、この世を去った人間もいる。
立ち入るだけで、何がいるわけでもないのに死の危険がある。ゆえに、立ち入り禁止にされているのが、この場所。
雪華事件の最終決戦地であり、冬神雪と神守優の墓であった。
「最早、私は過去の象徴で、多くのヒーローと、これからヒーローになる卵たちが私を超えていくことを願って、今は雄英高校で教師をしている。君たちが聞けば、私には向いていない、と言うのだろうね」
名前が彫られた墓標などは無く、唯々、氷の華が枯れることなく、溶けることなく、消えることなく、咲いているだけの墓。
「…あの時の闘いの真相を知る者は少ない。けれど、知っている者は皆、君たちに只ならぬ想いを持っている。君たちの強さに憧憬を抱き、君たちの信念に尊敬し、君たちの凶悪さに心を奪われ、君たちの関係性に涙する。そこにヒーローも敵も関係なく、だからこそ犯罪が増えたりもしたが、それはヒーローの罪だ。文句の一つも言える筈がない。ああ、言いたいのはそういうことじゃなくて」
近づいてもなお、氷の華に触れることは無い。何故なら、氷華は二人だけの世界なのだ。ようやく掴んだ、二人だけの自由の結晶。それに触れることは、誰にも許されない。
「今、巨悪として君臨していたオールフォーワンが捕まり、敵は一つの意思の元に集まっている。その為に、こちらも多くのヒーローを必要としている。ヒーロー飽和社会なんて言っていたのにな。だが、そうでもしなければならない程に、敵の組織は大きい。だから、今ヒーローを目指している卵たちの教育が急務となっている」
オールマイトは座り込み、何も語らぬ氷の華に頭を下げる。
墓に頭を下げるなど不毛。だが、この墓はただの墓ではない。
この場の天候も含め、すべての氷雪は冬神雪だ。そこに比喩は含まれず、嘘偽りなく、すべてが冬神雪という、既にこの世を去った少女の個性だ。
「その為に…」
少しだけ言い淀んだオールマイトは、決意の表情で顔を上げる。
「その為に、君たちとの闘いの全てを、彼らに伝えようと思う。平和の象徴が、無個性の人間に負けたこと。現トップヒーロー達が、冬神雪と神守優という、二人の少年少女に大敗したこと。この場で起きた全てを、嘘偽りなく、世に伝えようと思う」
事件の全てを伝えるということは、今までの歴史が覆るということ。
不敗のヒーロー。平和の象徴。
正義の太陽だった存在が、無個性の少年少女に、何かを救うこともできずに敗北していた。狂信的な信者ならば卒倒するような事実だ。
けれど、そうしなければならない。
平和の象徴という、ナチュラルボーンヒーローでも、一人では救えないものがあった。複数のヒーローが協力しても、勝てない存在がいた。
だからこそ、今後の敵との闘いでは、ヒーロー同士の協力や連携が大切になる。
大いなる一ではなく、小さくとも一が集まる多が、今後は必要になっていくのだ。
敵連合。
オールフォーワンが育てたリーダーを筆頭に、裏の世界を牛耳る悪党たち。
凶悪化しつづける彼らに対抗するため、ヒーロー側は学生たちにも多くの策を施している。一年生の仮免取得、ヒーローインターン、実際のヒーロー活動と遜色ない活動をさせている。
その一環。
ヒーローは人を助ける者。ヒーローは悪を挫く者。
けれど、ヒーローもまた人間だ。
弱者と同じ、悪と同じ、ちっぽけな人間なのだ。
だからこそ、未来ある彼らに考えてほしい。
答えが出ないままヒーローを引退した平和の象徴のように、救えたはずの人を救えないことが無いように。
助けて勝つ、勝って助けることを目指すヒーローの卵たちに。
正義。悪。罪。ヒーロー。敵。信念。
何が正しくて、何が間違っているのか、一つとして正解のないこの世界で。
一つの信念の下に、自らが定めた正義と悪に従って戦った二人の事を。
「この場で、誰よりもヒーローだった君たちの事を」
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