Kenshi 二次創作 (ぴこ山きゅん太郎)
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序
2018年11月、私はこのゲームに出会い、小説のようなものをしたためたい気持ちになるまでに熱中し、今でも断続的にプレイしています。
このような素晴らしいゲームを世に送り出してくれた、クリス・ハント氏並びにLo-Fi Gamesのチームに感謝を。
――ぴこ山きゅん太郎
その女は私の前に突然と現れた。小麦の穂のような薄い色の長い髪と、深い青色のつぶらな目をした若い女だ。
「わたしと一緒に来ない?手伝ってほしいんだ――。」
私は生まれ故郷のスワンプを着のみ着のままに飛び出し、流れ着いた先で食うや食わずの生活をしていた。路銀はとうに尽き、身に付けていたものを少しずつ切り売りしながら。残っているのは擦りきれたズボンと、錆び付いて切れるかどうかも分からない、ひと振りの刀だけだ。
私がいるのは大国間の戦いに巻き込まれ、あらゆる建物が倒壊し荒れ果てている、ハブという街だ。住民のほとんどは私のような流れ者か、追跡から逃れるために隠れている犯罪者のような連中だ。そして皆一様に貧しく、飢えている。
街で唯一の酒場の片隅で、空腹に耐えながらぼんやりとしゃがみこんでいた私に、その女は声をかけてきた。酒場の用心棒が私を追い出しに来たのかと思い込み、睨み付けるようにして顔を上げてしまったのだが、それを意に介す様子もなく女は続けた。
「あなた、ずっとここにいるよね。ちゃんとごはん食べてるの?」
私は驚くと同時に、余計なお世話だ、と思った。お前に心配される程じゃないよと、そう言ってやりたいところだったが、もはやそれは強がりでしかないなと、私は口をつぐんだ。
すると女はおもむろにひと切れの肉を差し出してきた。ドライミート――火でただ焼いただけの獣の肉。この辺りではもっとも安価でありふれた食べ物だが、今の私はそれにありつくことすら難しい。
「――餌付けするつもりなのか?」
ようやく絞り出した私の声に、女はただにっこりと微笑み、「ぺろみ」と名乗った。聞いたことがない珍しい響きの名前だと思い、出身地を尋ねると、覚えていない、とはぐらかされてしまった。
街のゲートから少し歩いた場所、小さな岩の塊の前に連れてこられた。右手にはツルハシを握りしめている。
「鉄だよ。この塊をね、崩して売るんだ。その日食べる分くらいの稼ぎにはなるよ。」
じゃ、よろしく。そう言うとぺろみは私の背中を軽く叩き、もう一本のツルハシを担いで離れていった。別の場所で作業をするのだろうか。
それにしても、この岩の塊が飯の種になるとは考えもしなかった。沼に囲まれて四六時中じめじめとしているスワンプでは見たことがない。あそこにあるのは薄暗い森と、濁った水と、危険な原生生物の群れだけだ。
しばらく食べていなかったせいか、少し動いただけですぐに疲れてしまう。重いツルハシを二、三度振っては少し休みを繰り返し、日が落ちかけた頃には両手でようやく抱えられるほどの小さな塊が集まった。
さて、どうするか。まずどうやって運ぶ?そしてどこで換金する?さっきまで掘り崩していた塊に腰掛けてぼんやりとしていると、視線の先に人影が映った。一人…いや二人、三人?私はハッとすると同時に、傍らの刀に手をかけていた。
野盗の集団だ。この辺りでは割とよく見かける、腹を空かせたアウトローたち。獲物を見つけゆっくりと、しかしまっすぐにこちらへと向かって来る。獲物はやがて武器を持った五人の男たちに取り囲まれた。
「食い物をよこせ。」
リーダーと思しき男が口を開いた。五人の中ではただ一人、刃物を握っている。
「取り引きだ。俺たちは食い物を得る。お前は生き延びる。」
一方的ではあるが悪い取り引きではない。食べ物を差し出せば、命は助けてくれるというのだから。私は応答する。
「持っているように見えるか?」
要求に応える代わりに両手を挙げてやれやれ、のポーズを取った。ぺろみにもらった肉片が最後の食事になりそうだな。そんな考えが頭の片隅をよぎる。
「ならば持っているものを全部もらう。」
男は顔をしかめ、得物を握り直した。私は立ち上がる。瞬間、刀の柄を握り、鞘から抜いた勢いで振り上げた。男が身を守ろうと反射的に出した右肘の先が、地面にぼとりと落ちた。
悲鳴とともに崩れ落ちる野盗のリーダー。手下たちは一瞬の出来事に固まっている。私はその隙に後ろに跳び退き、岩の塊の後ろに回った。――はずだったのだが、どうやら労働の疲れが思ったよりも足にきていたようだ。跳んだ勢いで転倒し、後頭部を痛打してしまった。
目から火花がバチバチと飛んだような気がした。意識が遠のいたが、なんとか持ち堪えた。しかしまだぼんやりとしている。私はすでに二人の男たちに見下ろされていた。両手で握った鉄の棒を振りかぶり、今にも私の頭めがけて振り下ろさんばかりだ。
もはや体に力が入らない。私は諦めてすっかり脱力していた。そして鈍い金属音が響く。一回、二回…不思議と痛みは感じない。痛くなければ楽に死ねるだろうか。
…いや、殴られていなかった。状況が理解できないまま、私は誰かにゆっくりと抱き起こされた。二人の男たちは傍らに倒れている。
「大丈夫?殴られたの?」
顔全体を不安に歪め、今にも泣き出しそうな表情のぺろみだった。その顔を見て私は安心するよりも先に、美しいな、と思った。そして、もう見たくない、とも。
心配しなくてよい事を伝えると、ほっとした顔を見せた。ありがとう、と礼を言って体を起こす。残りの野盗たちの姿は見えない。リーダーを連れて逃げたのだろう。とりあえずは危機を脱したようだ。
「どうやって倒した?」
私の問いに対し、ひと言「ツルハシ」。こめかみの辺りを指でツンツンとつついた。思ったよりも大胆な行動に出る女だ。しかし今回はその大胆さに命を救われた。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったよね。立てる?」
立ちあがり、私の手を引っ張りながらぺろみが尋ねる。私は立ちながらそれに答えた。
「――ジャグロンガー。」
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壱
それからというもの、私たちは毎日のように日の出から日暮れまで鉄の塊を崩しては売り、その日暮らしをしながら身なりを整え、ある程度の資金が貯まるまでになっていた。
「そろそろいいかなあ。」
酒場の裏手、街の要壁に登り、キャットの山をいくつかの塊に分けながらぺろみは切り出した。二千キャットくらいはあるだろうか。この街にある小屋がひとつくらい買えるだろう。そうすれば、寝ている最中に砂にまみれることもなくなる。私はこの地域に度々やってくる砂嵐に辟易していた。
何か考えがあるのか?私が尋ねると、ぺろみは少し微笑んで続ける。
「小屋を建てようと思う。ここから少し離れた場所にね、良さそうな土地があるんだ。」
その辺りは井戸を掘れば水が出そうだと言う。いつの間にか街の近辺を探索し、情報を集めていたらしい。乾燥に強い麦やサボテンの畑を作り、食糧にしようと考えているようだ。果たしてサボテンは食べられるのか?いや、それ以前に、ここを出て二人で本当にやっていけるのか?ハブに小屋を買って暮らす方が、まだ安全ではないか?
あれこれ思案してしまい、きっと神妙な面持ちになってしまっていたであろう私の顔を見て
「大丈夫だよ!毒がなければ何だって食べられるよ!」
笑いながら私の肩をポンポンと叩くぺろみ。あまり深く考えない性格のようだ。この先の暮らしに希望を持ち、楽しんでいるようにも見える。
私の胸の中のもやもやとしたものが、ぺろみの笑顔ですっかりと晴れていくのを感じた。どちらにせよ、ここでくすぶって日々を無為に過ごすよりは有意義だろう。私は黙って従うことにした。
下見を兼ねて、その場所まで案内してもらった。ハブからさほど遠くはなく、ほどよく広く起伏の少ない土地だった。小高い丘の上にあり、振り返ればヴェインの森を見渡すことができ、景色もそれほど悪くはない。
なかなか良い場所だ。率直な感想を伝えると、ぺろみは得意気な笑顔を見せた。
小屋の建築に必要な資材を、ハブの酒場で購入した。酒場に建築資材が売られていた事も驚きだが、聞けばぺろみが事前に店主に交渉し、トレーダーから仕入れてもらっていたとの事だった。よほど信用されていたのだろうか。
思えばぺろみは酒場の客にも愛想よく振る舞い、店主から給仕で働かないかと持ち掛けられる事もあった。この街の人々の荒みきってひび割れた心に、ぺろみの笑顔はきれいな水のように沁み込んだことだろう。私がそうであったように。
何度か往復して、資材を全て運び込んだところで日が暮れてきたので、野宿の支度を始めた。焚き火の脇に敷いた寝袋に座り、酒場で仕入れた生肉を焼いて食べる。空には大きな月といくつもの星々が光っている。風もなく静かな夜だ。
私はぺろみの身の上について、聞きたかったことを色々と尋ねた。ぺろみはハブに来る以前の事を全く覚えていないようだった。気が付いた時には、一人で街の中に立ち尽くしていたのだという。
パニックを起こしたりしなかったのか?私が疑問を投げかけると
「不思議と不安は無かったんだ。なぜかツルハシだけ持ってたから、これで出来ることをしようって。」
そう言ってまた笑う。生来の性格なのかもしれないが、度胸があるというか、肝が座っているというか。自分の身に降りかかる災難に対して、身の処し方を心得ているようですらあった。或いは無垢な子供のようでもあり、この世界にはびこる脅威を知らないが故の余裕であるような。
私はぺろみのあの顔を思い出していた。野盗に襲われ抱き起こされた時の、悲しみに歪んだ美しい顔。守ってやらなくては。そう思うまでになっていた。
「ねえねえ、起きて。ジャグロンガー。」
揺さぶられて目が醒めた。私を揺り起こすなんて珍しいな。ぼんやりとそんなことを考えていると、ぺろみは私の肩越しにある方向を指差した。辺りはまだ薄暗く、起きたばかりで焦点が定まらないが、どうやら遠くに生き物がいるようだった。次第に目が慣れてはっきりと見えてくる。そして私はゆっくりと寝床から体を起こし、刀を手に取った。
ボーンドッグ。群れを成して家畜や人を襲う事もあるオオカミの一種だ。幸い一匹だけのようだが、姿勢を低く保ち、少しずつ近づいてくる。どうやら狩りをするつもりらしい。獲物はもちろん、我々だ。
ぺろみはツルハシを握りしめて身構えている。武器を買っておくべきだった。もっとも、ぺろみにとってはツルハシも立派な武器なのだが。
目を凝らして様子を窺っていると、前に進む度に不自然な動きをする。どうやら前肢を負傷しているようだ。狩りに失敗して深傷を負ったか、群れでの争いに敗北して逃げてきたのか。どちらにせよ、手負いとはいえ相手はオオカミだ。噛み付かれでもすればただではすまないだろう。私は鞘から刀をそっと引き抜いた。
「怪我してるね。お腹空いてるのかな。」
ぺろみが耳元で囁く。
「そうらしい。でも油断するなよ。オオカミは手強いぞ――」
私はそう返し、横目でぺろみを見た。その右手には昨日の晩飯にした肉の残りが握られていた。オオカミに向かってゆっくりと歩を進めつつある。
おい、まさか。私は声にならない声でぺろみを思い止まらせようとしたが、聞こえる訳もなく。両者はもはや飛び掛かれる所まで近づいていた。
ぺろみは肉を持った手を前に差し出し、注意を引いている。オオカミは牙を見せて唸りながらも、差し出された肉に注目しているようだ。私は刀を両手で握り、オオカミの横腹に狙いを定めた。あと数歩でも近づければ、この刃を突き立てることができる。
すると、ぺろみは持っていた肉を放り投げた。オオカミの鼻先へぽとりと落ちる。一瞬たじろいだかのように見えたが、クンクンと匂いを嗅いでから勢いよくかぶり付いた。
今しかない。私は距離を詰める。オオカミは肉を食べる事に夢中だ。ぺろみに目をやると、向こうも私を見ていて、目が合った。右手を開き、手のひらを私の方へ向けている。攻撃するな、の仕草だ。私は「なぜだ?」の視線を送る。首を横に振るぺろみ。
そんなやりとりをしている間に、オオカミは肉を平らげてしまった。名残惜しそうに地面を舐めている。そして首を上げ、ぺろみの顔をじっと見た。もっとないのか?といった風な表情だ。ぺろみは両の手のひらをオオカミに向けてひらひらと振り、もうないよ、の仕草をする。その指先の匂いを嗅ぎ、ぺろぺろと舐めるオオカミ。
空気が変わるのが分かった。ぺろみはオオカミの横顔に手を触れ、撫で始めた。オオカミはその手を受け入れ、大人しくしている。空腹が満たされて襲う気が無くなったとはいえ、これほど簡単に人に慣れてしまうものなのだろうか?
緊張の糸が切れ、私は地面に尻をついて座り込んだ。もはや両手で撫で回されているオオカミに、私はぺろみと出会った時の自分を重ねていた。
「包帯取って、ジャグロンガー。」
ぺろみの声で我に返る。オオカミはすでに体を横たえていた。ずっと飼われていたかのような雰囲気すら感じる。餌をやった挙げ句に怪我の手当てまでするつもりか。私はやれやれとばかりに腰を上げ、荷物袋を漁り始めた。
ぺろみに手当てをされ前肢に包帯を巻かれたオオカミは、何度か振り返りながらゆっくりと去っていった。あまり長生きはできそうにないな。後ろ姿を見送りながら、溜め息混じりに呟くと
「そうかもね。でも放っておけないじゃない?」
と返ってきた。単なるお人好しのようにも思われ
「私もあのオオカミみたいに哀れに見えたのか?」
と皮肉っぽく問いかけると
「――そうだよ!」
意図が読めたのか、笑いながら私の肩にぽんと手を乗せる。
さて、そろそろ新しい生活に向けてひと仕事始めようじゃないか。私はうんと伸びをして、寝床の片付けを始めた。
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弐
ここのところ、ぺろみは本の虫になっている。トレーダーから手に入れた数冊の本が、古代の技術に関する書物だったようで、研究すれば今の生活に活かせそうだというのだ。実際、ぺろみは手作業で行っていた井戸の水汲みを、自分で作った機械を取り付けてほぼ自動化してしまった。もっと便利にしたいと思っているようだ。
太古における世界規模の戦争によって、文明と呼べるようなものは殆ど失われてしまってはいるが、古代の技術が全く無くなってしまったという訳でもない。ハブにもある「電気」などはその最たるものだ。街の外縁部にある、巨大な風力発電機で発生するエネルギーを使っている。
我々の井戸も、小屋の上に据え付けられた小さな風力発電機で電力を賄っている。風車を回すための風が吹かなければ、当然ながら発電は止まってしまう。ぺろみの目下の課題は十分量の電力の確保であり、今は蓄電池の研究に余念がない。私としても、あの砂嵐をありがたいと思う日が来るとは思いもしなかったという訳だ。
ハブで休憩していたトレーダーに分けてもらった小麦とサボテンの株は、少しずつではあるが数を増やしている。まだ食糧として利用するには心許ない収量だが、畑に植えて定期的に水を撒いてさえいれば、勝手に育ってくれる。もっと拡張して収穫を増やすつもりだ。
ボーダーゾーンと呼ばれるこの辺りの地域には、畑を荒らす害獣がいないのも農業には都合が良い。スワンプではラプターという大型の爬虫類が作物を荒らすため、たまに狩りをしなくてはならないほどだった。その肉は臭みが強烈で食用には適さず、少しだけ採れるぬめぬめとした皮に利用価値があるだけの厄介者だ。
朝のうちに畑の手入れを終え、食事をした後はそれぞれが思い思いの時間を過ごす。ぺろみは大体の時間を読書をして過ごすようだ。たまに体を動かしたいのだろうか、小屋の外にある木偶人形に向かって棒切れで打ち込みをするか、トゥースピックという簡素なクロスボウの練習をしたりなどしている。
私はといえば、ぺろみが読み終わった書物に目を通したりもするが、やはり戦いの訓練を主に行う。近頃は持っていた刀よりも重いが、刃渡りが短く振り回し易いサーベルという種類の剣が気に入っている。
自給自足にはほど遠く、畑の作物はまだ食べる事ができないので、定期的に買い出しに出かける。樽に詰めた井戸水を担ぎ上げ、ハブで食糧と交換するのだ。重い樽を担いで歩く事は、体を鍛える事にもつながる――と信じてやまない。
食糧の残りが底を突きかけていたため、買い出しに出ることにした。ぺろみは留守番だ。我々の住み処からハブへの道のりは起伏に富んではいるものの、背の高い木や大きな岩などはあまりなく殺風景だ。何か動くものがあれば遠くからでもすぐに見つけられるし、逆に見つかり易いということでもある。
人影が見えた。周りには誰もおらず、一人で歩いているようだ。放浪者だろうか?テックハンターかもしれないな。私の移動経路からは大きく離れていたので、一瞥して道を急ぐ。
最近は樽一杯の水を持っていっても、あまりいい顔をされなくなった。酒と違って日持ちのしないただの水は、それほど需要がないのだ。まだ鉄の塊を崩している方が、収入源としては安定しているかもしれない。
物資の購入を終え、帰路につく。行きに比べて帰りの荷物は軽いものだ。早く戻って金銭面の相談をしなければ、などと考えながら歩いていると、行きに見た人影の事をふと思い出した。いる訳もないと思いながらもその方向に目をやると、人影はまだそこにあり、さほど移動していないようだった。むしろその場に座り込んで動けなくなっているようにも見える。
放浪者の行き倒れはよくある事だ。その多くは元の住み処から追放された犯罪者か、主人の元から逃げ出した逃亡奴隷のような者だ。運良く野盗やオオカミに見つからなかったとしても、水や食糧の確保ができなければ最終的には命を落とす事になる。
声を掛けるべきだろうか、しかし厄介事を抱え込むのは御免だな。頭ではそう考えながらも、私の足はすでに人影へ向かって歩き出していた。
やはり地面に座り込んで、うなだれているようだった。その両足には枷が付けられている。
「大丈夫か。どこから逃げてきたんだ?」
刺激しないようになるべく優しく声を出すことを心掛けた。ゆっくりと頭を上げ、私の顔を見る。
「水……水を……。」
消え入りそうなかすれた細い声。女だ。私は水が半分ほど入った革袋を渡した。微かに震える手でそれを受け取り、飲み口に顔を近づける。革袋を口よりも高く上げすぎてしまったので、水が一気に流れ込んだ。げほげほと咳き込む。
「落ち着いてゆっくり飲め。全部飲んでいい。」
私は荷物袋を開き、ドライミートをひとつ取り出して手渡した。よほど腹を空かせていたのか、女は夢中でむしゃぶりついた。怪我をしている様子はない。ふと先日のオオカミの姿がまぶたの裏をよぎる。
肉を平らげ、水を飲み干してようやく安心したのか、女はとつとつと話し始める。オクランの奴隷として売られてゆく道の途中で、奴隷商人の隊商が武装した盗賊団に襲われ、その隙に逃げ出したとの事だった。五日前の事だ。
足に枷が付いていては、自分は奴隷ですと触れ回っているようなものだ。外すことは難しいし、追跡の手が及ぶかもしれない。我々の住み処で匿うには相応の覚悟が必要だ。
「じきに暗くなる。あの壁が見えるか?あそこに行けばしばらくは身を隠せる場所があるだろう。オオカミがうろつき始める前に行くといい。」
私はハブを指差す。女は礼を言い、少し休んでから向かうと話すので、私はその場を離れた。出来ることはした。水と食糧を分け与えた上に隠れる場所まで教えてやった、もう十分だと自分に言い聞かせて。
住み処に戻ると、ぺろみはトゥースピックの調整をしていた。バネの張り具合がどうだとか言っている。水はもう金になりそうにない事を伝えると、まあそうだよね、という返事。少し離れた場所に銅鉱石の塊を見つけたらしく、それを掘りに行こうという提案をされた。ちゃんと次の手は考えてあるようだ。
買ってきた食糧を整理する片手間、奴隷を助けた話をした。お人好しのぺろみの事だ、人助けをした話は好きだろうと思ったが、反応がない。横目でぺろみの顔を見ると、表情を曇らせている。しまった、と思った。話すんじゃなかった。きっとここへ連れて来ようなどと言い出すに違いない。
そして私の後悔は残念ながら実を結ぶことになる。組み立て終わったばかりのクロスボウを手に取り、数本の矢をひっ掴んでさあ案内しろと言わんばかりの態度だ。
ああ、やっぱり。後の事など何も考えていないに違いない。目の前に今助けたい命がある。その衝動で動いているのだろう。私はふと可笑しくなり、笑いながらやれやれ、の顔をして外に出る支度をする。
女と会った辺りへ再びやって来た。日はすでに落ちているが今夜は月が明るい。月明かりにほんのりと照らされて、荒野に数人の人影が浮かび上がる。私はその集団に歩み寄り、声を掛けた。
「何かあったのか。」
その出で立ちから、野盗であることは確かだった。男が四人。囲まれているのは昼間助けた女だ。私の顔を覚えていたのか、女は私の後ろへさっと身を隠した。
「何だお前は?邪魔をするんじゃねえ。そいつは逃亡奴隷だ。奴隷商が探し回っているに違いねえ。そいつを売って――」
そこまで聞いて、私は吹き出した。何が可笑しい!と男の一人が凄んでくる。
「お前たち、奴隷商がまともに取り合ってくれると本当に思っているのか?奴らに会ったが最後、全員仲良く捕まって新しい奴隷にされるだけだぞ。」
男たちは黙ってしまい、お互いの顔を見合わせたりしている。どうやら説得力があったらしく、動揺が隠せない様子だ。その隙に男たちを観察する。体にはぼろを巻き付けているか、そうでなければ半裸だ。全員が金属の棒で武装している。その中の一人は右腕の肘から先が無くなっている。
おや、待てよ――。私が思い出したのと同時に、向こうも気がついたようだ。
「こっ、こいつ!俺の腕を斬った奴だ!」
指のない右腕で私を指し、そう叫んだ瞬間、その隣の男がうめき声と共に崩れ落ちた。あっ!という小さな叫び声が背後から聞こえた。倒れた男の頭には、深々と矢が刺さっている。
振り返ると、ぺろみが慌てた様子でクロスボウをガチャガチャとやっている。まさか暴発させたのか?私の背中がじっとりと濡れる。ぺろみの方に向き直って指を振り、や、め、ろ、の仕草をした。
女をぺろみの側にいるように促し、剣を抜く――正眼の構え。さあ、最初に斬られたいのはどいつだ?とばかりにゆっくりと見渡す。しかし男たちはすっかり戦意を喪失していたようで、我先にと逃げ出してしまった。
深い溜め息をひとつついて、剣を収める。ぺろみは地面にへたり込んだ女の頭を、もう大丈夫だよと言いながら撫でている。やれやれ、オオカミの次は奴隷女か。そういえば私はまだ撫でて貰っていないな?そんなことを考えながら、二人にさあ帰ろうと促す。月の光が、我々の後ろに三つの長い影を落としていた。
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参
「はあっ!だめだ!この鍵は難しいなあ!」
今日も足枷を外そうとして錠前外しを試みていたぺろみは、床の上で大の字になってしまった。何度か見た光景だ。素人が簡単に外せるようなものでないことは分かっている。しかしぺろみなら何とかしてしまうのではないかと期待したが、やはり難しいようだ。
足に枷をはめられている女の名はミバール。枷の鎖はずっしりと重いが、歩くにはそれほど困らないと言う。ぺろみは相当悔しかった様子で、必ず外してやると息巻いている。私もぺろみの真似をしてガチャガチャと弄り回してはみたが、当然の事ながら鍵が開く事はなかった。
ミバールは奴隷としてオクランのリバースへ送られる途中だったと話す。オクラン神の教えを信仰の柱とし、信奉する一大勢力、ホーリーネイションの所有するリバース鉱山は、各地から集めた奴隷を使役し労働力としている。かなり過酷な環境であるという噂だ。幼い頃、悪戯をしては「悪い子はリバースに送っちゃうよ!」と親に叱られた事を思い出す。昔からリバースは恐ろしい場所であると知られ、そういう刷り込みをされていたのだと思う。
奴隷商を襲った連中は、おそらくダスト盗賊団ではないだろうか。自分たち以外の人間には見境なく襲撃、略奪行為をはたらく武装盗賊団で、首領の首には各勢力から賞金も掛けられている。ボーダーゾーンのどこかに本拠地があるらしく、この近辺では野盗の次に見かける機会が多い。なるべく関わり合いたくない手合いであることは間違いない。
小麦とサボテンの畑はだいぶ広くなり、作物を食糧として利用していける算段が付いたので、収穫物を加工するための設備を整えた。小麦を挽いて粉にするためのサイロ、その粉を捏ねてパンにするための窯、そしてパンとサボテンを料理するためのコンロだ。こういった機械の組み立てにもだいぶ慣れてきたように思う。
我々が住み処としている小屋は設備も増え、三人で暮らすには手狭になってきている。より大きな建物を作りたいとぺろみは考えているようだ。私としてもそれには諸手を挙げて賛成なのだが、すでに資金は底を突いている。やはり先立つものは必要だという訳で、畑の世話をミバールに任せ、私とぺろみは鉄や銅の採掘に精を出し、稼ぎとする日々が始まった。
「ちょっと!すぐ来ておくれよ!」
朝のひと仕事を終えてぺろみと休んでいると、畑仕事に出ていたミバールが小屋の扉を勢いよく開けて入ってきた。何事かと外へ出てみると、鮮やかな橙色の服に身を包んだ数人の男たちが立っていた。
「こんにちは兄弟、今日はお祈りの日です。オクランの聖なる光を届けに来ましたよ。教典はお持ちですか?」
困ったことになった。オクランの宣教師が来てしまった。何だって奴らはこんな辺鄙なところまでやって来たのだろうか。信徒ではない我々にとっては、ただ厄介な相手でしかない。
教典を持っていない事を伝えると、一冊の分厚い本を手渡された。片手で持つにはずっしりと重い。一体何が書いてあるというのか。指定されたページを開き、宣教師の後に続いて一節を読む。ここは穏便に済ませたいところだ。黙って従うのがいいだろう。従者たちがじっとこちらを見ているのに気が付き、背中が湿り気を帯びていく。宣教師はいくつかの説法を垂れた後、オクランの加護がありますように、と祝福を残して去っていった。やれやれ、何とかやり過ごした。
「もう帰ったの?」
ぺろみは様子を見に外へ出ようとしたところを、ミバールに止められたようだった。
「よくバレなかったね?ヒヤヒヤしたよ。」
ミバールが胸を撫で下ろす。それについては土方仕事で薄汚れた出で立ちが、相手を欺くのに一役買ったと思う事にした。ぺろみはまだ事の次第が飲み込めていないようだ。どういう意味なの?と怪訝な顔をしている。私とミバールは顔を見合せ、クスクスと笑った。
――その日の夜、我々は最大の危機に瀕していた。
絶望という言葉はこの状況をひと言で表すのにふさわしく、何とも言えぬ悲壮感に包まれている。ぺろみに至ってはもはや顔を手で覆ってしまっている。嗚咽が聞こえてきそうですらある。
夕暮れの迫る頃、労働を終えて住み処に戻ると、ミバールが食事を用意してくれていた。サボテンを薄切りにしたものをパンに挟んで焼いた、ダストウィッチという食べ物だそうだ。
「おいし……そう?」
ぺろみが私の顔をちらりと見た。私だってこの食べ物は初めて見る。薄茶色のパンの間から緑色の具、すなわち薄切りのサボテンがわずかにはみ出しているのだが、あまり食欲をそそられる見た目ではなかった。味は想像もつかない。私は何を答える事もできず、ただ肩をすくめるだけで茶を濁す。
「いただきます!」
テーブルに着き、ぺろみの号令で食事が始まった。初めてのダストウィッチを一口囓ってみて、味を確かめる。そしてお互いの顔色を窺い、やがて長い沈黙が訪れた。
強烈な苦みが口の中いっぱいに広がった。舌全体がぴりぴりと痺れるようだ。このまま噛む動作を続けようものなら、更なる苦みに襲われるだろう。それが恐ろしくて顎を動かすことができない。かといって吐き出してしまう訳にもいかず、少しずつ噛み締める。パンは乾燥していてパサパサしており、口の中の水分を容赦なく奪ってゆく。サボテンは繊維が多く筋張っていて、なかなか口の中から無くならない。最初の一口を飲み込んだ頃には、顎の筋肉が猛烈な疲労感に襲われていた。まあ、一言で言えば、不味いのだ。
「酒場のマスターに聞いた通りに作ったんだけどね。」
ミバールが沈黙を破った。調理法が間違っていた訳ではないと思う。これはそもそもこういう食べ物なのだ。酒場で提供されていなかったのは、むべなるかな。ぺろみは目をぎゅっと瞑り、まだ口をもぐもぐと動かしている。私は溜め息をついて、次の戦いに挑む。
永遠とも思われる時が刻まれ、私はようやくダストウィッチを食べ終えた。ミバールは私よりも先に食べ終え、ぺろみの方をじっと見ている。そのぺろみはといえば、半分ほどを残して戦意喪失のようだ。テーブルに両肘をつき、顔を手で覆い隠して微動だにしない。
もう食べないのか?私の問い掛けに対し、黙って両足をバタバタとさせる。食べなくてはならないのは分かっているが、心がついて来ない様子。いつもの余裕綽々といった佇まいからは想像もできない姿だ。ぺろみの意外な一面を見出し、微笑ましい気分になる。私はちょっと意地悪をしたい気持ちが湧いてきた。
「毒じゃなければ何だって食べるんじゃなかったのか?」
動きがぴたりと止まった。他の誰のものでもない、かつての自分自身の言葉がその身に返ってきたのだ。それはぺろみの心に火を点けたようだった。
「もう!分かってるよ!」
ダストウィッチの残りを手に取り、じっと対峙している。しばらく睨みつけた後、気持ちを奮い立たせて勢いよく齧り始めた。時々足をバタバタさせたり、うー!などと唸ったりしている。その光景を固唾を飲んで見守る。
「ごちそうさま!」
遂に最後の一口を飲み込んで、高らかに勝ち鬨をあげた。これは誉めてやらねばなるまい。私は笑いながらその頭をわしわしと撫でる。ぺろみは再び両手で顔を覆ったまま天を仰ぎ、呟いた。
「――お肉食べたい。」
ぺろみよ、それは言わない約束だ。なにせ明日からしばらくは、毎日これを食べて暮らさなければならないのだから。
「作り方を工夫してみるよ。サボテンは先に茹でたほうが良いかもしれないね。それともう少し若いやつの方が筋が少ないと思う。」
食材や調理の知識が豊富にあるようだ。肉を焚き火で焼く事くらいしか出来ない我々にとっては、得難い存在である。こうしてミバールは料理番としての地位を確固たるものにし、ダストウィッチの食べ難さは後に劇的な改善がなされたのだった。
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肆
ガチャリ、と小気味良い音をたてて錠前が外れた。よし、と小さく呟いて開けた錠前を元に戻し、また鍵開けを始める。ぺろみは錠前外しの技術を自分のものにしていた。足枷への執着心が功を奏し、ミバールは縛られていた重い鎖からようやく解き放たれたのだった。後に残った足枷の錠前を使って、練習を繰り返すぺろみ。凝り性な性格なのかもしれない。興味があることにひたすら没頭する時間が多い。その好奇心がなければ、我々が今ここにこうして暮らしているというような事は、万にひとつも起こり得なかったように思う。
「もし奴隷にされそうになっても、これで逃げられるね。捕まったら教えてよね、ジャグロンガー。助けてあげるから。」
満面の笑みで縁起でもないことを言う。どちらかと言えば、危ないのはお前の方だと思うのだが。
牢に入れられても逃げ出せるのなら、泥棒だって出来るんじゃないか?と冗談めかしてみると、それはいい考え!とまんざらでもない様子だ。
朝から強い砂嵐が吹き荒れていた。大きくなった住居の屋根の上で、三基の風力発電機が勢いよく回っている。発電機の脇に新たに設置された蓄電池は、順調に電力を溜めつつあるようだ。いよいよ我々の生活も地に足が着いてきたように思えるのは、いささか自惚れが過ぎるだろうか。
その日、風に巻き上げられ視界を奪う土埃に紛れて、招かれざる客が訪れた。
「ここいらは俺たちの縄張りだ。挨拶もなしに色々やられたんじゃ困る。まあ、出すものを出せば仲良くしてやらんこともないがね。」
棘の付いたヘルメットが、見る者に威圧感を与える。サーベルとクロスボウで武装した男たちが八人。野盗よりもたちの悪い、ダスト盗賊団が現れたのだ。遂に目を付けられてしまった。遠くからでも目立つ建物が出来たせいだろう。
「残念だけど、お前たちに渡せる物は何も無いな。」
畑でサボテンの収穫を手伝っていた私は、ぺろみに下がっているように言い、盗賊のリーダーと思しき男の相手をする。
「ああん?そんなわけねえだろう。二千キャットで勘弁してやるってんだ。痛てえ目にあいたくなければさっさと出しな!」
男は私の胸ぐらを掴んで脅してきた。
「すまないが、金は本当にないんだ。……ああ、サボテンならいくらでもある。好きなだけ持っていくといい。」
現金が無いのは事実なので、サボテンでも渡して大人しく帰って貰うしかないのだが、それが聞き入れられるような相手であるはずもなかった。男は胸ぐらを掴んでいた手を離し、私の頬を拳で殴りつけてきた。私はバランスを崩し、尻餅をついて倒れる。男はさらに畳み掛けてくる。
「いいか、俺たちは泣く子も黙るダスト団だ。この辺で知らねえ奴はいねえんだ。金が出せねえってんならそこの女を貰ってって、奴隷屋に売り飛ばすまでよ。」
その言葉を聞いて、私は頭に血がのぼってゆくのを感じた。そんなことは断じて許さない。
戦うしかない。私が覚悟を決めて立ち上がろうとした時、ぺろみが私と男の間に割って入って来た。話が通じる相手ではない――私は止めようとして服の裾を掴もうとしたが、届かない。いきなり腕を大きく振って男の頭を殴りつける。ガチン、と鈍い打撃音がした。手には鉄鉱石の塊を握っていた。
ヘルメットで守られはしたであろうが、それなりの衝撃はあったようだ。ヨタヨタとよろめいて頭を押さえる。手下たちは色めき立ち、各々の武器に手を掛けた。
ぺろみは臆する様子もなく、なお毅然と立ち塞がっている。私は立ち上がり、剣を抜いた。ぺろみたちを逃がそう。この人数を相手にどこまでやれるだろうか。
「――おい、待て。」
殴られた男が手下たちを制した。
「お前、なかなか肝が座ってんな。俺は気の強ええ女は嫌いじゃねえ。今回はお前に免じて、これであいこにしてやるよ。ただし、この件はうちの頭に報告させて貰う。」
次に会うのが楽しみだぜ、と捨て台詞を吐いてダスト盗賊団は去っていった。こちらとしては金輪際御免こうむるのだが。
私は剣を納め、ぺろみに礼を言う。また助けて貰ってしまったな、と言って軽く自己嫌悪感に陥る。もっと強くなりたい。あんな連中など一瞬で切り伏せてしまえるくらいに。
「ありがとね、ジャグロンガー。大丈夫?」
ぺろみが私の顔に触れ、殴られた辺りを優しくさする。柔らかく、暖かい手だ。痛みが引いていくような気さえした。あの時のオオカミもこんな気分だったのだろうか。
砂嵐はいつの間にかおさまって、空の青は深みを帯び始めていた。
盗賊の男は、我々の事を首領に伝えると言っていた。首領とは、ダストキングという名で知られる賞金首の事だ。ダスト盗賊団は近いうちに襲撃を仕掛けてくるに違いない。
身を守るために何か対策を立てなくてはならない。ぺろみとミバールは武器の扱いには慣れていないし、私だって戦いが得意な訳ではない。傭兵隊を雇って守って貰うという手もあるが、そもそも資金がない。金の工面をしている間に連中はやって来るだろう。三人でどこかに逃避行か?逃げたとて危険は何もダスト盗賊団だけではない。別の脅威に置き換わるだけの話だ。八方塞がりだな…頭が痛くなってくる。
「もっと仲間が欲しいね。できたら一緒に戦ってくれる強い仲間。」
私の頭の中身を覗いたのかと思うようなタイミングで、ぺろみがそう切り出した。強い仲間…戦いが得意な者――戦士か。私はある閃きを得た。
「――スクインに行ってみるか。」
ここから少し南に、スクインというシェク王国の街がある。シェク王国はかつて、ホーリーネイションと戦争で渡り合うほどの国力を持っていた。シェクは戦いの中に生き、戦いの中で死ぬことを誉れとする種族だ。男女とも気難しい性分で取り扱いには慎重さを要するが、共に戦う仲間としてはこの上なく頼もしい。私はスクインで仲間を探そうと考えていた。
「ぺろみ、ここを棄てる覚悟はあるか?」
わざと深刻な雰囲気を醸し出しながら問う。もちろん帰って来るつもりではいるが、ダスト盗賊団の襲撃が確実視される以上、あながち大袈裟な話でもないのだ。出掛けている間に建物が占拠されたり、あるいは破壊される恐れだってある。
「大丈夫だよ。わたし最初は何も持ってなかったんだよ?いくらでもやり直せるよ。今はジャグロンガーもミバールもいるし。ね?」
ぺろみは笑いながら隣を見やる。
「あたしは…二人に付いていくよ。どうせ帰る場所も無いしね。その代わり、危ない時は助けておくれよ?」
ミバールが頷きながら答えた。
「…決まりだな。それじゃあ――」
我々は早速旅の支度を始めた。しばらくの間戻っては来れないだろうから、収穫できる作物は全て食糧にして、バックパックに入るだけ詰め込んでいくことにした。ぺろみにとっては初めての遠出だ。これは持って行く?これはどうする?目に付いた物をひとつずつ指さしながら是非を聞いてくる。少しはしゃいでいるようにも見える。
「荷物はなるべく少ないほうが良いけど、必要だと思うなら持って行けばいい。持てる分だけにしろよ。邪魔になった時は捨てるからな。」
捨てると言われた事が余程衝撃だったのか、改めて荷物の選別を始める。この様子ではまだまだ時間がかかりそうだ。ミバールは作り終わった大量のダストウィッチを、一日分毎に細かく分けている。こちらももうしばらくかかるだろう。今の内に剣の手入れをしておこう。
野宿の道具と、身を守るための武器、食糧にその他の荷物袋。さしずめちょっとした隊商のようになってきた。私は自分のサーベルとぺろみに持たせる刀の手入れを終え、先に就寝することにした。
翌朝、天候は晴れ。空気はいつもと変わらず乾いている。絶好の旅立ち日和ではないだろうか。
目的地に辿り着くまでに命を落としては元も子もない。移動中は周囲をよく警戒する事。いざという時は荷物を捨てて逃げる事。逃げる時はなるべく散り散りになり、南方のスクインへ向かう事。危険に遭遇した時の行動を取り決めて、我々は住み処を後にした。
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伍
スクインへと向かう旅路は、すこぶる順調だ。――というのはついさっきまでの話なのだが。
我々は今、ダスト盗賊団の一部隊と対峙している。スクインの街が遠くに見えてきたところで気が緩み、盗賊の接近を許してしまったのだ。気が付いた時には、すでに武器を構えて近寄って来ていた。迂闊だった。私がもっと気を引き締めてさえいれば。
出発前に決めた通り、逃走を試みる。スクイン周辺の大地は岩がちのでこぼことした斜面が多く、歩き慣れていない我々は上手く走る事が出来ない。もたついている間にも盗賊たちは斜面を滑るように下り、距離を詰めてくる。街まではあと少しなのだが…。
「ミバール、スクインまで走れ。外に警備が居るはずだ。助けを求めてきてほしい。」
無言で細かく頷いてバックパックを下ろし、我々を背にして走り出す。
「やるぞ、覚悟は良いか。」
ぺろみの方に目をやると、刀を抜いて構えており、すでに臨戦態勢だ。
相手は剣士が五人に射手が三人。全部で八人、先日住み処にやって来た連中と同じ編成だ。
「さあどうした!二人に向かって八人がかりか!ダスト盗賊ってのは大したことないんだな!」
なるべくぺろみに注意が向かないように、大声で挑発しながら間合いを測る。そんな私の気配りをよそに、ぺろみは突出する。射手から三本の矢が放たれた。が、狙いが甘いようだ。一本は外れ、もう二本は仲間の方に当たってしまった。
痛てえ!おいやめろ!至極もっともな怒号が飛び交う。私は混乱の隙を突き、剣士に斬りかかった。利き腕を狙って斬りつける。武器が振れなければ逃げ出すだろう。命まで取るつもりはない。
剣は盗賊の腕を捉えた。しかし手応えは今ひとつ。私の剣は全体が赤錆びており、研いだは良いが全体に刃こぼれが酷いなまくらだ。相手にわずかな裂傷と打撲を負わせたに過ぎなかった。
逆上して力任せに振り下ろしてきた剣を、刀身で受ける。衝撃が腕から肩へと伝わる。かなりの腕力だ。次の一撃を振りかぶっている。体の守りはがら空き。私が下から斬り上げた刃は、相手の胴体を捉える。手応えあり。盗賊は脇腹を押さえて地面に転がる。
ぺろみは射手を一人倒したようだ。射手たちは鉄の棍棒に持ち替え、二人で殴りかかっている。刀でいなして相手の腹に蹴りを見舞ったりしているが、あまり効いていないように見える。
余所見をしている隙を突かれ、私は左腕を斬りつけられてしまった。こちらはもはや四人の攻撃を受けるのに精一杯だ。だんだんと腕が痺れてくる。息も上がってきた。そして守りが薄くなったところを更に斬りつけられ、私は遂に倒れ込んでしまった。しかし攻撃の手は緩まない。脚や脇腹に何度も蹴りを入れられ、痛みで意識が遠のく。ぺろみは棍棒で打ちのめされ、倒れているようだった。くそ!また守れなかった。悔しさと同時に怒りが込み上げる。
盗賊たちは動けなくなった私から離れ、ぺろみの周りに群がった。何をするつもりだ…着ている物を脱がそうとしているのか?まさか――そんな事は絶対にさせない!私は渾身の力を振り絞り、立ち上がった。…戦い続けなければ!
私が再び剣を構えたことに気が付いた盗賊が数人、こちらへ向き直り、立ち上がる。ぺろみから離れろ。何かしたらその首を斬り裂いてやるからな!無力な自分への怒りは、男たちへ向けた殺意へと変わっていた。
薄ら笑いを浮かべながら、じりじりと近寄ってくる。左腕がじんじんと疼く。私は歯を食いしばり、剣の柄を握りしめた。すぐにでもこいつらを斬り伏せて、ぺろみを助けなければ。
盗賊たちが急に顔色を変えた。驚き、あるいは怯えにも似た表情だ。今ひとつ状況を掴めないでいる私の肩を、何者かががっしりと掴む。
「人様の庭先で何をやっているんだ、フラットスキンのクソ虫ども。」
私を遥かに凌駕する大きな体躯、頭から伸びる数本の太い角。そして背中には身の丈ほどもある巨大な剣…いや、もはや鋼の板を携えている。
シェクの戦士が現れたのだ。戦士は私の前に出て立ち塞がる。
「弱い旅人を襲う事でしか餌を獲れない雑魚どもめ…今すぐこの地から消え失せろ!」
長い柄の付いた鋼の板を、両手で構えながら盗賊たちに迫り、勢いよく薙ぎ払う。ひゅう、と風を切る音がした。まとめて弾き飛ばされる盗賊たち。その衝撃は如何ばかりか。一人などはそのひと太刀で片腕をもぎ飛ばされてしまった。
助かったのか…?私は膝からくずおれる。気が付くと盗賊たちは全員が地面に転がっていた。
「ジャグロンガー!大丈夫?」
ぺろみが乱れた衣服を直しながら近寄ってくる。ああ、またあの時の顔だ。その顔は見たくなかったんだ。
「ごめんな、ぺろみ。また――」
ぺろみの横顔に手を触れる。その頬が私の血で汚れてしまった。もはや目の前は滲んでよく見えない。ごめん、ごめんな――嗚咽混じりに口をついて出るのは、謝罪の言葉ばかり。それ以外の言葉は思い付かないし、何を言っても言い訳にしかならない。ぺろみは私の頭に両腕を回し、抱きついてきた。
「泣かないで、ジャグロンガー。ごめんね、わたし死んだふりしてたの。服を脱がされそうになったのは、ちょっとびっくりしたけど。ねえねえ、あいつの顔を石でぶん殴ったの見た?」
私の頭を撫でながら、少しひょうきんに振る舞う。はは、お前は賢いな。鼻水をすすりながら応えた。
「はあ…はあ…。遅く…なって…ごめん。ふう、ジャグロンガー、間に合って良かった。ずいぶんひどくやられたね。すぐに包帯を出すよ。」
ミバールが遅れてやって来た。どうやらシェクの戦士を連れて来てくれたようだ。おかげで命拾いした。
傷口周辺の血を水で洗い流してくれるが、猛烈に沁みる。その痛みに思わずうめき声が漏れた。ぺろみはまだ私の頭にしがみつき、私がうめく度にぎゅっと締め付けてくる。心地よい息苦しさに少し恍惚としてしまう。応急処置が終わる頃には、私はだいぶ落ち着きを取り戻していた。
「なんだこれは!ダストウィッチばかりじゃないか!」
シェクの戦士が大声で喚いている。
「仕方ないじゃないか。それしか持ってないんだよ。いいからひとつ食べてみてごらんよ。」
ミバールがひとつ取り出して戦士に手渡す。
肉はないのか、肉は……。ぶつぶつと不満を述べながら、ひと口齧る。しばしの硬直の後、むしゃむしゃと食べ始めた。
「俺の知っているダストウィッチと違うな。何と言うか…瑞々しい。おい、これをあと十五個くれ。隊の奴らに配りたい。」
どうやら気に入ったらしい。当然だろう。ミバールのダストウィッチは進化を遂げ、もはやただ不快なだけの食べ物ではなくなっている。
「お前たち、肉を食え。こんなものばかり食っているからひょろひょろで、あんなクソ虫どもにも勝てんのだ。もっと肉を食って筋肉を付けろ、この俺のようにな!ガッハッハ!」
肘を曲げて力こぶを作ってみせる。その腕でダストウィッチの包みを抱えて、シェクの戦士は上機嫌で帰って行った。
「すまないね。助けてくれって言ったんだけど、それだけじゃ動いてくれなくてさ。”フラットスキンのいざこざなど我々には関わりのない事だ”とか言っちゃって。」
代わりに食糧を渡すことを条件にしてようやく説得に応じ、渋々ながらやって来たとの事だった。半分以上を持って行かれてしまったが、それで命を落とさずに済んだのなら、釣りが来るというものだ。
それにつけても私に必要なのは、あのシェクの戦士のような強さだ。肉体的な強さはもとより、複数を相手にしても決して臆することのない強靭な精神。肉体が強くなれば、自然と備わってくるものなのだろうか?
そしてやはりシェクの仲間が欲しい。我々のために身を呈して剣を振るってくれ、などという都合の良い願いを、快く聞き入れてくれるような人物がスクインにいるとは思い難いが…。
日はすでに陰りつつあり、間もなく辺りは闇に包まれるだろう。早めに宿を確保して、すぐにでも横になってしまいたい。まだ倒れている盗賊たちは、オオカミにでも食われてしまえばいい。我々は再びスクインへと向かって、足早にその場を去った。
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陸
スクインヘ到着した時にはすでに日が落ちていたので、我々は宿を確保して戦いの傷と疲れを癒すことにした。
ベッドの上で上着を脱ぎ、自分の身体の具合を確かめる。私は数ヵ所を浅く斬られたのと、全身を蹴り回されたのでたくさんの痣が出来ていた。このくらいであれば軽傷と言えるだろう。次にぺろみの服を捲る。少し嫌がったが、誰も見てはいないから、となだめる。鉄の棍棒で打ち据えられたため、白い肌に赤黒い痣がいくつか出来てしまっていた。その痣にそっと触れ、私は再び悔しさを噛み締める。
痛あい!ぺろみが小さく叫ぶ。おっと、ごめん。しばらく痛むだろうが重傷ではない。捲り上げた服をゆっくりと戻す。宿のベッドは敷いてあるものが硬く、傷だらけの体には寝心地があまり良くなさそうだったので、上に寝袋を敷いて寝ることにした。少しはましになれば良いのだが。
翌日、じんわりと痛む身体の節々をさすりながら階下の酒場へと降り、その一角を借りて食事を済ませた。すでに数人の客が居るが、当然ながらシェクばかりが目に付く。ぺろみは周りをきょろきょろと見渡し、客の一人に狙いを定めたようだ。
こんにちは!と声をかけながらテーブルの向かいの席に座る。突如現れたフラットスキンの奇妙な女に動じる様子もなく、そのシェクは静かに挨拶を返す。私も少し遅れてぺろみの隣に座った。左腕の包帯が気になったのか視線を感じたので、昨日ちょっとあってね、とだけ喋る。
席に着いてよりこの方、ぺろみはシェクの顔、というよりは頭をしげしげと見つめている。私は相手が気を悪くしやしないかと思い、終始気が気ではない。しかしぺろみが興味を持つのも無理からぬ事だ。シェクの頭には、その特徴的な角が生えていなかったのだ。
「何だ。頭の角を探しているのか?フラットスキン。」
ぺろみからの探るような視線に耐えかねたのか、我々への侮蔑を込めた一言を放つ。
フラットスキンという言葉は、シェクたちが我々のようなグリーンランダーという人種を指して呼ぶ時に使う、蔑称のようなものだ。シェクは身体の一部にごつごつと盛り上がった硬い皮膚を持ち、それがある種の鎧のような役割をするという。それを持たない我々は、平たい肌――フラットスキンという訳だ。
少しばつの悪そうな顔をして、ぺろみは応える。
「うん。えっと、その……角はどうしたのかなあって。」
上手い言い訳が思い付かなかったのか、単刀直入に疑問をぶつけた。私はシェクが今に怒り出したりしないかと、横で肝を冷やしている。そんな心配に反して、シェクは小さくため息をついて問う。
「ひとつ聞かせてくれないか。戦場において残っているのは自分一人だけになり、周りは敵だらけだ。そんな時、お前ならばどうする?」
ぺろみは少し考えて、死んだふりをする、と答えた。ぺろみらしい答えだ。昨日の死んだふりは、あまり上手くいかなかったようだけれど。シェクはふん、と鼻で一笑して続ける。
「ずる賢いフラットスキンが考えそうな事だな。我々は違う。最後まで戦い、果てるのがシェクの戦士としての使命だ。しかし――」
少しずつ表情が険しくなってゆく。
「私は生き残ってしまった。そして逃走者の烙印を押され、角を切り落とされた。戦士としての地位も失い、今や奴隷同然の有り様だ。」
それっきり黙ってしまった。重い空気に包まれる。店の外から聞こえてくる喧騒の中に、今すぐに席を立って逃げてしまいたい気分だ。
「…でも、生きてるよ。生きてたら、まだ戦えるし、きっとまた活躍できるよ。」
その場を取り繕うかのようなぺろみの言葉ではあったが、私もうんうんと頷いて同意する。生きてさえいれば、チャンスはある。それは真実だと思うのだ。
確かにそうかもしれないな、シェクは小さく呟く。
「ところでお前たちはどうしてここに来たんだ?放浪者のようには見えないが。」
本題に入る時が来た。待ってましたとばかりに、私はスクインへとやって来た顛末を話した。シェクは私の話を興味深々といった表情で聞き、なるほどと頷く。
「今の生活から抜け出すには都合が良いかもしれないな。戦いの中に身を置く事は私の願いでもある。そういう事なら、お前たちと一緒に行くとしよう。」
やったあ!と興奮気味に立ち上がるぺろみ。我々は固い握手を交わし、歓迎の証しとした。
ぺろみは初めて訪れる場所に好奇心を刺激されたようだ。周辺を散策したいと言い、軽い身支度をして出掛けて行った。あまり遠くへは行くなよ、と背中に掛けた言葉が耳に届いたかどうかは定かではない。
我々の新たな仲間として加わったのは、ルカというシェクの女だ。我々を助けてくれたあの時の戦士と同じように、鋼の板を携えていた。その武器の名もそのものずばり、板剣というそうだ。ものは試しと得物を握らせてもらったが、両手で振り回すのにも四苦八苦するほどの重量。これはとても使いこなせそうにはない。腕の傷が開いてしまいそうだったので、早々に手放す。
さて、傷が癒えるまでもう少し街に滞在したいところだが、食糧と路銀の残りがすでに心許ない。食糧に至っては人数が増えたこともあり、帰りの分が足りるかどうかといったところだ。
道中危険な目には遭ったが、初めに企図した通りに仲間を得ることができ、旅の成果は上々と言えるだろう。私は住み処へと戻る事に決め、帰り支度を始めようとしたところでぺろみが宿に戻ってきた。
私のベッドの上に小さな麻袋を置く。黙ってはいるが、その顔は得意満面といったところ。袋の中を覗いてみると、キャットの束がいくつか入っている。千キャット以上はありそうだ。これだけあれば、あと二、三日ほどは滞在していられるだろう。しかしどこで手に入れて来た?盗んで来たんじゃないよな?
「殴られ損は癪だからね。持ってた物は全部貰って来たんだ。あ、ちゃんとお礼はしたよ?まだ生きてた人にはね。」
どうやら我々が襲撃された場所まで行き、倒れている盗賊たちの身ぐるみを剥いで、どこかで売り捌いてきたようだ。大したもんだねえ!とミバールが手を叩いて賞賛を送る。私としては、そういった野盗じみた行為に手を染めて欲しくないと思っているのだが、ぺろみはこの地で生きてゆくための術を自分なりに理解し、少しずつ身に付けつつある。盗賊の連中については、まあ因果応報といったところだろう。それにしてもお礼とは何だろう?ありがとう、などと言葉を掛けてきた訳でもあるまいし――まさか。
「…とどめを刺してきたのか?」
恐る恐る聞いてみると、ぺろみはにっこりと微笑む。そして服のポケットから巻きの小さくなった包帯を取り出してみせた。安堵のため息が洩れる。
「盗賊狩りは面白そうだな。実入りも悪くなさそうだ。奴ら、数だけは多いからな。」
ルカのシェク然とした発言に、そうでしょうと深く頷いて同調するぺろみ。
まずい。このままではぺろみがますます調子付いて、本当に盗賊たちを襲い始めかねない。確かに、地道な野良仕事に精を出してわずかな糧にありつく暮らしよりは、他人に対して暴力を行使し略奪する方が楽なのは道理ではある。盗賊たちはその道理に実直なまでに従って生きている。しかし私は聖人君子になりたい訳ではないが、こんな世の中にあってもなお、盗賊行為を自ら行うにはやはり気が咎める。さりとてその盗賊たちに手を焼いているのもまた事実であり…。複雑な気分に言葉を失う。
「ジャグロンガーは、真面目さんだね。」
また私の頭の中を見透かされている。その割に、危険な目に遭って欲しくないという私の思いは、今ひとつ届いていないようなのだが。
「ジャグロンガーはお家を守って欲しいな。実際に手を汚すのは、わたしがやるから。」
そんな事を笑顔で言われると、まあいいか、と思ってしまう。私が守ってやりたいのは、住む場所よりもお前自身なのだ。自分の中の矛盾した気持ちを上手く整理できない。
もはや私にこの女を止めることは出来ないのかもしれない。むしろ、御せると思っていた事自体が間違いだったのか。考えてみれば、主導権は初めからぺろみが握っているのだ。我々が出逢った、あの日から。
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漆
ぺろみのお陰で少しではあるが金銭的な余裕が生まれたので、もう一日ゆっくりと過ごし翌日に帰路につくことにした。
ミバールは酒場でダストウィッチの調理をしている。というのも、我々がここに宿泊している事を件の戦士が聞きつけ、あのダストウィッチをまた食べさせて欲しいと言ってきたのだ。持ち帰った先の隊員たちの間でも評判は上々だったとの事で、ミバールは機嫌を良くしている。
「ダストウィッチ屋さんでお店が開けそうだね。」
ぺろみの何気ない一言に、私は畑のさらなる拡張を頭の中で打算してみる。……とてもじゃないが今の労働力では生産が追い付きそうにない。将来的な交易の手段の可能性として、心の片隅に留め置いておくことにする。
出発の準備のために荷物をまとめていると、我らの料理番が戻ってきた。その背中には、ぱんぱんに膨らんだ商人用のバックパックを背負っている。それを床にどっしりと降ろして曰く
「いやあ、よっぽど気に入ったんだろうね。あの百人衆に持たされたよ。肉を食えってさあ。」
ルカの受け売りではあるが、百人衆というのはあの戦士が所属する、シェク王国の主力部隊の事だ。平時においては街や砦の警備と、その周辺の巡回を主な任務としているそうだ。
バックパックの中には、獣の皮で包まれた生肉がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。これだけで半月は暮らせそうな量だ。しかもかなり新鮮であるように見える。どこかで獲ってきたばかりなのだろうか?
「またお肉が食べられる!」
ぺろみは目をきらきらと輝かせている。ミバールのダストウィッチも悪くはないが、確かにそろそろ肉が恋しいところだ。しかしぺろみよ、お前はさっき酒場でドライミートを二つも平らげていなかったか?
翌朝、例の戦士は今日も門の警備についており、大きく手を振って見送ってくれた。気さくな人物は案外居るものなんだな、とシェクに対しての考えを改めた次第だ。手を振り返してスクインを離れる。
行く手の空が土色に煙っている。その下では砂嵐が吹き荒れている事だろう。じきにこちらにもやって来そうだな。巻き込まれる前に、なるべく早く戻ってしまいたい。途中、遠くに盗賊の一団を発見したので、大きく迂回をする。またあのような目に遭うのは懲りごりだ。
「ねえ、ジャグロンガー。ちょっと休もうよ。」
珍しくぺろみがぐずりだしている。多少遠回りしているとはいえ、行きよりも荷物は軽くなっているはずだ。そもそも、それほど疲れているようには見えない。それにここはまだ荒野の真っ只中で、周りには身を隠せる場所がない。少しでも早く住み処へと辿り着きたいのだが…。
「私も休憩を提案する。お前、だいぶ疲れた顔をしているぞ、ジャグロンガー。」
ルカに言われてようやく状況を理解した。住み処への帰りの道中、私はずっと周囲を警戒し気を張り詰めていた。どうやら気の疲れが顔に出てしまっていたようだ。ぺろみは自分が休みたいのではなく、私を休ませたかったのだと気付く。気持ちはありがたいのだが、しかし今ここで休憩したとしても、とても気が休まるとは思えない。
「分かったよ。じゃあ一旦ハブに立ち寄って、そこでひと休みしよう。それでいいか?」
ハブであればここから住み処までの丁度中間くらいの距離で、そう遠くはない。顔を見合わせながら、私の提示した妥協案に同意する三人。目的地はひとまずハブに変更になった。
思った通り、ハブへ到着した時には一帯が砂嵐に見舞われていた。早足で酒場へと逃げ込む。私が定位置にしていた店の隅の空間が空いていたので、荷物と腰をどっかりと下ろし、しばし喧騒を眺める。ここへはしばらく来ていないが、風景は何も変わっていない。いつもの客、いつもの店主、いつもの砂嵐――。私はあの時からだいぶ変わってしまったが、変わっていないものを見るのは何となく安心する。そんな事を思いながら瞼を閉じる。
次に目を開いた時には、外はすっかり暗く、静かになっていた。迂闊にも眠ってしまったようだ。ぺろみとルカの姿が見えない。街の案内でもしているのだろうか?名所と呼べるような場所は、この酒場かシノビ盗賊の拠点くらいしか存在しないのだが…。寝起きの頭でぼんやりと考えていると、二人が戻って来た。あまり浮かない顔をしていたので、何事かと尋ねる。
「うーん…お家、乗っ取られてた。盗賊がいたよ。」
私が居眠りをしている間に、住み処の様子を窺って来たようだ。状況はやはり思わしくない。盗られて困るような物は置いては来なかったが、盗賊たちが我が物顔でのさばっている場所は、苦労して築き上げてきた我々の城だ。何としても取り戻さなくてはならない。
まずは作戦を立てよう。二人の話では、盗賊たちは建物の入り口の前と、屋根の上に二人ずつの見張りを立てている。残りの何人かは、中にいるはずだ。夜陰に乗じて建物に近付き、不意を突いて襲撃するのが良いだろう。もはやどちらが盗賊か分からなくなってくるが、こうなってしまえば目には目を、というやつだ。
「私の剣は、狭い屋内で戦うための物ではない。建物の中の連中は、外におびき出して欲しい。」
ルカが店の中で得物を研ぎ始めている。なるほど、確かに今ここでその剣を振り回したとしても、あちこちにぶつかって上手く戦えそうにないな。それよりも、店の用心棒が何か言いたげにこちらを注視しているので、そろそろ剣をしまってくれないだろうか。
「わたし、今日は手加減しないよ。命の保証はしません!」
ぺろみはかなり本気でかかるようだ。トゥースピックの狙いを確かめている。確かに下手な情けは命取りになるだろう。それは前回で懲りているので、私も本気でやるつもりだ。それよりも、店の中でそれを構えるのはやめてくれ。
「あたしは……何をしたらいいかな。包丁ならあるけど。」
人を斬りつけた包丁で作った料理を食べるのは遠慮したいな。全会一致でミバールは留守居に決定した。万が一の場合は、隙を見て我々の救出を試みてくれるように念押しをして。
夜の闇に紛れて、我々は住み処の陰に身を潜める。まずは入り口の二人を始末する段取りだ。一、二の、三で飛び出し、不意討ちを仕掛ける。ルカが勢いに乗せて水平に薙いだ剣は、盗賊の胴体を斬り裂いた。私はその隣で怯んでいる男を袈裟斬りにする。骨を砕いた手応え。おそらく致命傷を与えたはずだ。
そしてルカとぺろみは入り口から素早く距離を取り、盗賊たちが出てくるのを待ち構える。私は再び物陰に身を隠し、息を潜める。外の異変に気が付き、何事かと三人の男が建物から出てきた。ルカが大きく動き、闇の中へと誘い出す。剣を打ち合う音が聞こえ始め、建物の上の見張りも気が付いたようだ。降りて来ないところを見るに、おそらく射手だろう。屋根には照明が置いてあるため、明るい場所から暗がりへの射撃は困難なはずだ。危険は小さいがなるべく早く対処しなくては。
私は静かに住み処へと忍び込む。すると中にはまだ二人の男が座っており、目が合ってしまった。立ち上がる隙を与えず、突きを繰り出す。切っ先は胴体を捉えたが相手が身を逸らせたので、攻撃は胸当てに阻まれた。勢いに任せ剣を横に払うが、刃はそのまま空を切る。飛び退いて息を整える。突きを受けて倒れたのは射手だ。
もう一人の男はゆっくりと立ち上がり、剣を抜いた。この状況に動じる様子もなく、むしろ堂々としているように見える。こいつがこの部隊のリーダーだろう。
「こんな夜更けに来客とはね。盗賊相手に略奪でもするつもりか?」
略奪者から略奪者呼ばわりされる謂れはない。奪ったものを返して貰うぞ、と睨みつける。
「ああ!あの時のお前らか!じゃあ、あの阿婆擦れもいるのか?うちの頭から生け捕りにして来いと言われていてな。」
手ぶらじゃ帰れねえんだよ!そう叫んで斬りかかって来た。応戦する私の太刀筋を巧みな剣さばきでいなし、私は徐々に壁際へと追い詰められつつある。これは手強い。部隊をひとつ任されるからには、それなりの理由があるようだ。倒れた射手も立ち上がり、棍棒を手に隙を見計らっている。堪らず建物の外へ転がり出た。
剣戟の音が闇の中に響き渡る。一本の矢が私の耳を掠め、建物の壁に突き刺ささった。ひやりとしたが、今はぺろみに文句を言っている暇はない。早く片付けないと、そのうち本当に射られてしまいそうだ。しかし私は先程から防戦一方で、なかなか相手の懐へ踏み込む事が出来ない。その間にも、暗闇の向こうから二本、三本と矢が飛んできては壁を穿っている。そして遂に、矢が右腕を貫いた。私が対峙している盗賊の腕を、だ。大きくよろめき、流血する腕を押さえる。もう剣を振ることはできないだろう。
いいぞ!私はこれを好機とばかりに、渾身の力を込めた袈裟斬りを浴びせた。刃は胸と左腕の肉を斬り裂き、血飛沫が飛び散る。盗賊はうめき声を上げながら仰け反って倒れた。後ろで隙を窺う振りをしながら全く手を出して来なかった射手の男は、すでに背を向けて逃走を始めていた。逃げ足が早いのは悪い事ではない。臆病者は長く生きる事が出来る。そして生きてさえいれば、チャンスはある。
そしてこいつには、挽回の機会を与えるつもりはない。
「何か言い残すことはあるか。命乞いを聞くつもりは無いぞ。」
もっとも、伝える相手など居るはずもないか。私は剣を逆手に持ち、ゆっくりと近付く。倒れたまま後ずさる盗賊の男。這いずった地面が湿っている。おそらく初めて味わったであろう敗北と、これから自分の身に訪れる最後の時に恐怖し、失禁しているようだ。
何とも情けない姿。このまま生き恥を晒させるのも忍びない。私は覚悟と決意、そして最大限の慈悲の心を込めて、その首をひと突きにする。
戦いは終わった。我々は盗賊たちの手から住み処を取り戻したのだ。ぺろみだけに手を汚させる訳にはいかない。剣をびゅんと振り、刃に付いた血を払う。辺りは再び静寂に包まれていた。
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捌
「ぺろみ、援護してくれてありがとう。クロスボウ、上手くなったな。何本か私に当たりそうだったけどさ。」
盗賊たちを退けた私は、同じく戦いに勝ったぺろみたちの元に歩み寄る。ぺろみとルカは何やら怪訝な顔をして曰く
「わたし、そっちには撃ってないよ。途中で矢が無くなっちゃったから。」
言われてみればぺろみは刀を握っており、クロスボウは少し離れた所に転がっている。
「我々が相手をしていた奴らにも、矢が飛んで来てな。首を正確に射抜いて、あっという間に片付いてしまった。」
ルカは腕組みをして首を傾げている。それじゃあ、あの矢は一体どこから飛んで来たというのか?周りを見渡しても、他に誰か居るようには見えないが…。
「やあ、驚かせたようですまない。怪我をしていなければ良いが。」
暗闇の向こうから、男の声がした。その声の方向へと目を凝らすと、暗がりの中にぼんやりと人の姿が浮かび上がってくる。
「私たちは大丈夫だ。あんたが矢を…?」
近付いてくる人影に向かって応える。
「ああ、そうだ。俺はジャレッド。趣味であちこち歩き回っている年寄りだよ。」
その姿が次第にはっきりとしてきた。頭のてっぺんから爪先まで黒染めの装束を身に纏っているが、黒いのは身に付けている物だけではない。頭に巻いたターゲルムストの中に見えるその肌の色も、燃え尽きた炭のように黒い。しわがれた声の感じから、そこそこの年配であるような印象だ。体格は小柄で、背丈はぺろみとあまり変わらないように見える。
「屋上の盗賊も俺が撃ったよ。あまり動かないから良い的だった。」
そういえば、と建物の上に目をやると、盗賊たちの姿は見えなくなっていた。あの距離から正確に的を射抜くのは、高い技術を持たなければ難しいはずだ。この男、ただの旅人ではない。
恩人に対しては礼を尽くさなければならない。ジャレッドを住み処に招き入れ、とりあえず水を振る舞う。もっと気の利いた物を出したいのはやまやまなのだが、食糧が入った荷物はハブに置いてきてしまったので、ミバールを迎えに行ったルカが帰ってくるのを待つしかないのだ。部屋の中は散らかってはいるものの、破壊の痕などがないのは幸いだった。
ターゲルムストを外しながら、ジャレッドは事の経緯を話し始めた。旅の途中で偶然にすぐそばを通り掛かったところ、ダスト盗賊と戦う我々が目に入ったので助太刀してくれたのだという。
「スコーチランダーが珍しいかな?」
顔を綻ばせて問い掛ける。ぺろみはまた初対面の相手の顔を、まじまじと観察していたようだ。スコーチランダーという人種は、全身の皮膚が闇のように暗い。表面の細かい陰影は肌の色と同化してしまい、顔をじっくり見ても年齢はおろか男女の別さえも見分けることが難しい。
ぺろみは問いに対し細かく頷いて答える。
「うん。それとね、そのクロスボウがとっても気になる。」
ああこれかい、とジャレッドが壁に立て掛けたクロスボウを手に取る。ぺろみは新しい玩具を与えられた子供のような顔でそれを受け取り、くるくると回して観察を始めた。
「とても軽いだろう?レンジャーという種類の、中距離用のクロスボウだよ。ちょっと手を加えてはあるが、君のトゥースピックの五割増しくらいの飛距離は出るだろうね。俺の頼れる相棒ってやつさ。」
へえ、すごい!構えた姿勢のままその場でぐるぐると回りながら、感嘆の声を洩らすぺろみ。だいぶ気に入った様子だ。
「こういうのはどこに行けば手に入るんだ?」
何気なく浮かんだ疑問を私が口にすると、ぺろみが期待を込めた眼差しをこちらに向けてきた。…しまった。そういう意味で訊いているのではないのだが。
「ワールドエンドにだったら沢山ある。俺はそこに戻る途中だったんだ。テックハンターが稼業でね、色々な場所をうろつくのが仕事なんだ。」
ぺろみの好奇心をくすぐる単語が次々と出てくる。この後しばらく、ジャレッドはぺろみの質問攻めに遭うことになった。
ハブから二人が戻って来たので、ミバールに経緯を説明して食事の用意を頼んだ。スクインで作ったダストウィッチを分けて貰っていたらしく、ジャレッドにも振る舞われた。
「…これは本当にダストウィッチなのか?ううむ……なあ、これに肉を挟んでみたら、もっと旨いんじゃないか?」
意外な提案に我々一同は思わず膝を叩く。早速とばかりにミバールはキッチンで生肉の調理を始めた。肉の焼ける良い薫りに鼻の奥がくすぐられ、私の腹の虫がぐうと鳴く。
やがて皿に乗った料理が出てきた。いつものダストウィッチに、薄切りの生肉を焼いたものを何枚か挟んでみたようだ。
「いただきます!」
テーブルに着き、ぺろみの号令で食事が始まった。新しいダストウィッチを一口囓ってみて、味を確かめる。そしてお互いの顔色を窺い、皆の顔に笑顔がこぼれた。
パンは肉の脂を吸って、いつもよりややしっとりとしている。サボテンの爽やかな苦味とシャキシャキとした歯応えに、肉の旨味が追い討ちをかけてくるのだ。顎に残る心地よい疲労感。やがて食べ終わってしまうのが名残惜しいとさえ思える。まあ、一言で言えば、これは旨い!
「俺たちテックハンターはね、各地の遺跡を捜しては古代の文献や遺物といった物を集めて回ってるんだ。今日のお礼とお近付きの印に、これを差し上げよう。なかなかお目に掛かれない珍しいものだよ。」
ジャレッドは我々のもてなしにだいぶ満足した様子だ。バックパックから数冊の書物を取り出して差し出す。それを嬉々として受け取ろうとするぺろみを、一旦制する。助けて貰った上に貴重な品まで貰う訳には…。ぺろみからの抗議の視線をひしひしと感じる。
「遠慮しないでくれ。元々は拾った物だしね。その代わりと言っちゃあ何だが、また近くに来たときに寄らせて貰えるとありがたい。」
白い歯を見せてにっこりと微笑む。また一人、ミバールの料理で心を掴んだようだ。ぺろみはすでに書物を受け取り、読み始めている。しかし初めの方をぱらぱらとめくったくらいで、よく分からんといった顔をして本をぱたんと閉じた。
「…ま、そのうち分かるようになるよ。役に立ちそうな事が書いてある雰囲気だし!」
書物を腕に抱いて嬉しそうにしているぺろみを、ジャレッドは孫娘を見るかのように目を細めていた。
客人に今夜は泊まっていくように勧めると、二つ返事で喜んだ。旅をしていると、眠るための安全な場所の確保に骨が折れるそうだ。
外からどすんという鈍い音がした。ルカとジャレッドが建物の上で見張りをしていた二人の盗賊を、乱暴に下へ落としている。倒れていた盗賊たちは皆すでに事切れていた。我々は亡骸の硬直が始まってしまう前に身に付けていた物を脱がし、形ばかりの黙祷を捧げる。
「死体は明日ヴェインの森に捨てて来よう。ゴリロかビークシングが食うだろう。しかしこんな事はこの先もあるだろうから、早々に火葬炉を設置することを提案しておく。」
ルカの言う通り、これからは倒した敵の亡骸の処理も考えなくてはならない。放置すれば不衛生であるし、臭いがすれば危険な肉食動物を呼び寄せてしまう恐れもある。何よりもまず見た目がよろしくない。敵が来る度にヴェインへ捨てに行っていては、森に住むハイブたちの心象も悪くなってしまうに違いない。
翌朝、まだ薄暗い内にふと目が醒めたので、屋上に寝袋を敷いて休んだジャレッドの様子を見に上がる。すでに荷物をまとめ終えており、ジョイントを燻らせてひと息ついていた。煙の香りにふと故郷の風景を思い出す。
「早いな。もう発つのか?」
私が朝の挨拶をすると、吸い殻を潰しながらジャレッドは立ち上がる。
「ああ、あまり長居をするのも悪いからね。それに……あのお嬢さん。俺にワールドエンドへ連れて行けと言い出しそうな気がしてならないんだよ。いや、別に迷惑という訳じゃないんだがね?」
そう言ってまたにっこりと笑う。なかなか鋭い洞察力だ。あのお転婆なら確かに言いそうな事ではある。
そっと階下へ降り、旅立つ客人を見送る。皆によろしく、そう言って颯爽と去って行った。旅の達人は去り際も淀みない。
「おや、もう行っちまったのかい?肉入りダストウィッチを持たせてやりたかったね。」
早起きのミバールが起きてきた。
「テックハンターは忙しいみたいだ。まあ、また会えるさ。」
少しずつ日が射してきた。ぺろみは遅くまで読書をしていたようなので、今日はきっと朝寝坊だろう。
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玖
「あ~あ。わたしもワールドエンドに行きたかったな。」
ぺろみは起きてからずっとこの調子だ。ジャレッドの読み通り旅に同行したいと考えていたらしく、別れの挨拶をさせて貰えなかった事もありぶつぶつと不満を漏らしている。
「お前、ヤギですらろくに狩れもしないだろう。そんな小娘の子守りをしながらの旅を強いるつもりなのか?」
やや辛辣なルカの指摘に、ぺろみはぐうの音も出ない様子。しかしやや間を置いて、何か閃いたようだ。やにわにクロスボウを手に取り、戦いの準備を始める。
「ヤギとってくるから!」
唖然とする我々を尻目に、そう言い放って住み処を飛び出して行った。ルカは小さくため息をつく。
「……まあ、やる気があるのは良い事だ。シェクは一人で狩りを出来るようになって、それでもまだ半人前だが。」
ヤギは野生動物の中でも人に懐きやすく温厚だが基本的に群れで行動しており、攻撃を加えれば群れ全体から手痛いしっぺ返しを食う羽目になる。果たしてぺろみは一人でヤギを狩って来れるのだろうか…。
狩人の心配はさておき、我々は新たに鉄鉱石の精錬機を導入するべく建造作業を進めている。設備の建設に鉄板が必要な場合、これまでは外から仕入れてくるしかなかったのだが、精錬機の稼働が始まればその手間と費用を大幅に減らす事が可能だ。そうして出来上がった鉄板は、新たな設備の材料として利用できると目論んでいる。
「ジャグロンガー!見て!」
精錬機の完成まであとひと息といったところで、ぺろみが帰って来た。何か生き物を抱きかかえている。本当にヤギを獲ってきたのか?
「おかえ…り。なあ…それ、まだ生きてるんじゃないか?」
生き物はぺろみの腕の中で大人しくしてはいるが、頭を動かしてきょろきょろと周囲を窺っている。よいしょ、と地面に降ろされた動物をよく見ると、これはヤギではなく、オオカミだ。短い尻尾をぱたぱたと振り、前肢にはぼろぼろの布切れを巻き付けている。おや、こいつは――。
「ねえ!飼ってもいいでしょ?」
狩ってもいい、の間違いじゃないのか?狩るんじゃなくて飼うのか?オオカミを?こいつはサボテンを食えるのか?
「ボーンドッグは賢いし、懐いてしまえば主人に対しては忠実だ。番犬に良いんじゃないか。我々が食い詰めた時には肉にしてしまえば良いしな。」
今日のルカは毒舌が冴えている。肉になんかしないもん!と憤慨するぺろみ。だめだと言って納得するとは思えないので、自分で世話をすることを条件に了承した。
「よし!じゃあ改めて、ヤギとってくるから!おいで!きゅんたろう!」
…また妙な名前を付けたものだ。二人、もとい一人と一匹は再び狩りへと駆け出してゆく。
精錬機の試運転は概ね良好だ。原鉄の塊をがらがらと放り込み操作盤のレバーを下げれば、機械が稼働して圧延された鉄の板が出てくる。ごつごつとした塊がきれいな鉄板になって出てくる様は見ているだけで面白く、延々と眺めていたい気分だ。
鉄板の使い道をあれこれと考える。まずは火葬炉、そしてこの先も電力の需要は増してゆくと思われるので、大型の風力発電機が一つか二つは欲しいところだ。気まぐれな風に頼らない火力発電機といった物もあるが、燃料の調達という課題があるため今はまだ先送りするべきだろう。
さしあたって必要になる鉄板用の保管容器を組み立てていると、狩人が帰って来た。肩にはオオカミ、腕には小さなヤギを抱え、左脚を引きずりながらゆっくりと歩いて来る。
「……ヤギ、とってきた。」
そう言うや否やそのまま前のめりにばったりと倒れてしまった。肩に担がれていたオオカミは半ば投げ出された形になり、地面に叩きつけられて小さな悲鳴を上げる。とりあえず生きているようだ。
ぺろみをゆっくりと抱え上げてベッドに寝かせる。ヤギの頭突きを貰ってしまったのだろう、ズボンを脱がすと左の太腿に大きな痣ができていたが、それ以外の外傷は無いように見える。歩いて戻って来たことから骨は折れていないと判断し、革袋に水を入れて打ち身にあてがう。少しはましになるはずだ。
「オオカミは毛が多くて外からじゃよく分からないね。はらわたをやられてなきゃいいけど。」
ミバールがオオカミを見てくれたようだ。意識はあるようだがぐったりとしている。明日まで生きていられるかは分からないが、座布団の上に寝かせてベッドの脇に置いておくことにした。
「ヤギはまだ小さい子供だな。仔ヤギは食える部分が少ないが身が柔らかくて特有の臭みがない。まあまあ、だな。」
ルカがヤギを捌く支度を始めたので、今夜は仔ヤギ肉が食卓に出るだろうか。それにしてもどうやってヤギを仕留めたのだろう?少なくとも親ヤギが側に居たはずだと思うのだが…。もっとも、群れからはぐれてしまう個体が出るのはよくある事だ。そういった不幸な仔ヤギに運良く遭遇したのかもしれない。
キッチンからヤギ肉を調理する薫りが漂ってきた。肉の焼ける匂いはいつだって良いものだ。否応なしに食欲を刺激されてしまう。横になっていたぺろみがむくりと体を起こした。
「いい匂いがする…。」
お前が獲ってきたヤギだよ、と告げるとぱっと明るい表情になり、ベッドから躍り出る勢いだったが脚を負傷していることを忘れていたようだ。左腿を押さえてううんとうめく。そして下に寝かされていたオオカミに気が付き、ベッドを降りて撫で始めた。
「ヤギ、よく獲って来れたな。親ヤギにやられたのか?」
私はベッドに腰掛け、話題を狩りの成果へと移した。ぺろみは首を横に振って応える。
「白くて毛むくじゃらのでっかいやつだった。腕がこんなに太い!」
両手を顔の前に出して輪を作る。ぺろみの頭くらいの太さがありそうだ。白い毛の獣といえば、この辺りではヴェイン峡谷の森に多く棲息するゴリロしかいない。ヤギを捜してそこまで足を伸ばしたようだ。それにしてもビークシングに出くわさなくて本当に良かった。あれに見つかっていたら、おそらく命を落としていただろう。
ぺろみの話ではゴリロがヤギの群れを襲っており、漁夫の利を得ようと倒れている仔ヤギに近づいたところで、オオカミもろとも殴られたという事だ。こんな小さな身体でゴリロの拳を受けてはひとたまりもないだろう。いよいよ命の心配をしなくてはならなくなってきた。
どうしたものかと思案していると、カンカンと金属を叩く音が聞こえた。食事の用意が出来た合図だ。右脚を軸にして、ぴょんぴょんと跳ねながら部屋を出て行こうとするぺろみを制する。まずは、ズボンを履け。
翌日、朝起きるとオオカミが座布団の上で冷たくなっていた。ぺろみは両目をすっかり泣き腫らし、狩りに連れていった自らを責めている。私はぺろみをそっと抱き締め、慰める事しかできない。一瞬ではあったが確かに我々の仲間だった。私にも小さな刺のような喪失感が去来する。
ある行動や判断が、常に良い結果をもたらすとは限らない。軽はずみな行動は自分や仲間たちの身を危険に晒してしまう事にもなり得る。今回の事で少しでも学んでくれれば良いのだが…。
「火葬炉を造って、荼毘に付してやってからお別れしよう。墓も作るだろう?」
私の腕の中でぺろみは小さく頷いた。
夕暮れ前に完成したばかりの火葬炉に、小さな友の亡骸を収めて火を入れる。初めての稼働が仲間の亡骸を燃やすためになってしまった。いくつかの小さな骨の欠片を残し、オオカミはいなくなった。ぺろみはそれを自分で使っていた焼き物のコップに詰めて木の箱に収め、住み処の裏手にある小高い山の上に作った墓へと葬った。
「ありがとう、ジャグロンガー。……ごめんなさい。」
ぺろみはひどく意気消沈している。無理もないとは思うが、早くいつもの笑顔を見せてくれるようになって欲しいものだ。
「いや、ああ……うん。オオカミは残念だったけど、お前が無事に戻ってくれて良かったよ。」
何か気の利いた言葉を掛けてやりたいが、取って付けたようなものしか出て来ない。惜別の情禁じ難しと見え、ぺろみは墓の前から離れようとしない。今日くらいは気が済むまで好きにさせてやろう。
星が瞬き始める時間になっても、ぺろみはまだ墓の前にしゃがみ込んでいた。空に見える大小二つの月は、まるでぺろみとオオカミのように寄り添っている。
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拾
夕闇の迫る頃、剣を打ち合う音が辺りにこだまする。ぺろみとルカが各々に剣を持ち、激しくぶつかり合っている。ぺろみは完全に力負けしており、守りに徹するので精一杯の様子だ。
ダスト盗賊たちが遺した斬馬刀というサーベルを刃引きして、なまくらにした訓練用の剣をこしらえた。そして戦士であるルカを師と仰ぎ、我々は剣術の手解きを受けているのだ。
初めこそはあっという間に剣を打ち落とされて丸腰にされてしまっていたが、近頃はルカが息を上げるほどの技量に達した。特にぺろみの成長は目覚ましいものがあり、それなりの覚えがあった私でさえもぺろみに対しての模擬戦の勝率は五分五分といったところだ。
キッチンからカンカンという音が聞こえてきたら――これは包丁の背で鍋を叩いているのだそうだ――今日の稽古は終了、の合図だ。
朝からの労働を終えて暫しの休憩を挟んだ後、夕食までは剣の修行の時間となる。一日中酷使された身体は汗と砂埃にまみれてしまい、終わった頃にはどろどろのへとへとだ。我先にと井戸に駆け寄り、水桶に目一杯の水を張って頭からざぶりとかぶる。疲れが一緒に流れ落ちて行くような、至福の一瞬が訪れる。
三人とも着替えを持っていないので、着ている物を洗って干してしまえば、後はほとんど全裸のような格好で食卓につく。ミバールからは軽く顰蹙を買っているようだが、来客でもあった時には慌てふためくしかないのは確かだ。
「こんばんは。あの……すみません。」
半開きの扉の向こうから、声が聞こえた。我々ははっとしてテーブルの陰に身を隠す。ミバールはこちらに冷ややかな視線を投げ掛けつつ、応対へ向かった。
ほどなくして人が入ってきた。砂除けのゴーグルを着けた旅人の格好をしている、グリーンランダーの若い女のようだ。
「むさ苦しいところですまないね。女所帯だからあまり気を使わないでおくれ。そこに座りなよ。」
客人に椅子を促す。我々はやれやれとばかりに元の場所に座り、食事の続きを始める。旅人は俯いたまま促された椅子に座った。
「あんたたち、明日一番で着替えを買ってきなよ。もう恥ずかしいったらありゃしないよ…。」
反論の余地もなく、我々はばつの悪そうな顔を作って茶を濁す。――で、何だっけ?とミバールは女に話を催促する。
「あの……スーといいます。ジャレッドの使いでワールドエンドから来ました。彼から手紙を預かっています。」
荷物袋から取り出しおずおずと差し出されたのは、薄汚れてはいるが蝋で丁寧に封をされた硬い紙の封筒だ。受け取ったぺろみが強引に蝋をむしったので、封筒が少し破れた。中には一宿一飯の礼がしたためられたジャレッドからの手紙と、ワールドエンドまでの道順を示す手書きの地図が入っていた。年長者ならではの細かい気配りに心が和む。
ぺろみはおもむろに封筒の貼り合わせを剥がし始めた。その中にもさらに地図が描いてあったようだ。”REBIRTH”の文字の少し上に赤い×が記してある。ミバールから振る舞われた特製ダストウィッチを頬張りながら、スーが地図を覗き込んできた。
「…これは遺跡の場所を記した地図ですね。この手の地図はテックハンターの間では広く流通している物です。各地を巡って見つけた目ぼしい建物の場所に、印を付けておくんですよ。……わあっ、これすごく美味しいですね。」
見つけただけで中を探索しないのだろうか?私の疑問が透けて見えたのか、スーはさらに続ける。話していて興奮してきたらしく、口調は早くなり舌先は熱を帯びていく。
「建物の周囲に危険生物がいて近寄れなかったり、建物自体が施錠されていて入れない場合もあります。まあ、鍵は専用の工具で壊しちゃうんですけど…。あと建物の中にも危険が潜んでいる場合があるので、迂闊に立ち入ると危ないんです。特に一人旅の場合は!」
スーはもはや立ち上がってしまっている。その迫力に圧倒され、呆気に取られている我々を見て我に返ったようだ。すみません…と小さく呟き、再び椅子に座って縮こまる。
「…なるほどね!じゃあここを探したら、何か良いものが見つかるかもしれないって訳だね。ふーん……ねえ、わたしはもう一人で旅できるくらい強くなったと思う?」
私の顔をじっと見つめてくる。ぺろみには悪いがこれについては即答できる。黙って首を横に振る私を見て、がっかりした表情に変わった。
「旅をする上で必要なのは、危険を回避する為の知識と能力だ。戦いの技術は二の次だよ。」
スーが深く頷いて同意を表す。私だって伊達にスワンプから一人で出て来ていないのだ。
「えーっ!それじゃあいつまでたってもワールエンドに行けないよー!……んむうー、誰か一緒に行こうよー。」
ぺろみはそれぞれの顔をぐるりと見やり、やがて目を留めた。丁度良い奴がいたぞ、と言わんばかりの顔をしている。
「……わっ、私ですか!?…ええと…まあ、この辺りを少し見て周ってから帰る予定でいるので、その時で良ければ…。」
不意打ちを食らったスーが少し慌てる。同行者が見つかったのでぺろみは嬉しそうだが、それで万事丸く収まった訳ではない。
「なあ、旅は今じゃないと駄目か?ここはどうするんだ?また盗賊がやって来たら、どうやって守る?」
私が当然発生するであろう問題を提示すると、ぺろみはしゅんと肩を落とす。旅に出て欲しくない訳ではないのだが、戻る場所が無くなってしまっては元も子も無い。
ここで沈黙を貫いていたルカが口を開いた。
「…まあ、良いんじゃないか。ここの防衛は、この間の盗賊程度ならば私とジャグロンガーで何とかなるだろう。この場所をもっと発展させたいと考えているなら、新しい知見はいずれ必要になるだろうしな。」
ぺろみは目をきらきらさせてルカの両手を取る。さすが話が分かる!と抱き付かんばかりの勢いだ。
「その代わり、戻って来たら旅の間に休んだ分だけみっちり鍛えるから、覚悟しておけよ?」
不敵な笑みを浮かべるルカの顔を見て、ぺろみは硬直する。私はルカが信頼してくれている事が垣間見えた事が少し嬉しい。気分が良いので、旅立ちについてこれ以上異議を唱えるのはやめる事にした。
例によって客人に宿泊していくように勧める。やはりジャレッドの時と同じ反応が返ってきた。これまでの客人は旅人だったので、宿泊の際は各々が持参した寝袋を使ってもらっているが、そろそろ来客用の小屋とベッドを用意するべきだろうか。
干していた衣服はおおよそ乾いたので、身に付けて寝床に転がる。すると不思議と睡魔に襲われ、気が付くと朝になっているのだ。夢を見たのかどうかもよく分からないまま目が醒め、また一日が始まる。
スーは遅くまでぺろみと話し込んでいたようだ。ぺろみのベッドの脇に寝袋を敷き、二人ともまだ眠っている。ぺろみの旺盛な好奇心は、テックハンターに向いているのかもしれない。いずれはここを出ていって世界中を旅して歩くようになるのだろうか。寝顔を見ながらそんな事を考えていると、スーが目を醒ました。
テックハンターの嗜みなのだろうか、スーはジャレッドと同じように屋上でジョイントを吹かす。
「テックハンターのいろははジャレッドに教えて貰ったんです。彼の真似をしていたら、習慣になっちゃいまして…。ひと仕事終えた時とか、区切りの良いところで一服やるんですよ。……一本どうです?」
少しはにかみながら吸い殻を潰し、私にも勧めてきたが遠慮させて貰った。ハシシは癖になるとなかなか厄介なのだ。
「ぺろみの事だけど、その……迷惑じゃないのか?戦いの腕はまだまだだし、旅に関してはど素人だ。足を引っ張るかもしれないぞ?」
どちらかと言えばぺろみの身を案じて出た言葉だが、スーはこれといって意に介していないようだ。
「大丈夫ですよ!私だって初めはそうでしたし…。ここからであれば、ワールドエンドまでの道のりで気を付けるべきは野盗とオオカミくらいです。街道を通ればパラディンたちが常に巡回していますから、面倒な相手に追われた時は彼らに押し付けて逃げるのも常套手段のひとつです。」
なるほど、さすがジャレッドに師事していただけあって、無用な戦いは避けるべきものと心得ているようだ。きっとテックハンターの基本行動なのだろう。スーに任せておけば、ぺろみは安全に目的地へと辿り着けるように思う。
スーはワールドエンドまでの旅に必要な荷物や食糧の量など、情報が細かく書かれたメモを残して旅立って行った。四、五日ほどで戻って来る予定でいるとの事だ。旅の支度をするには十分な猶予があるが、ぺろみは明日にでも出発するかの勢いで荷造りを始めている。
ぺろみよ、そんなに急がなくてもワールドエンドは逃げはしないぞ。
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拾壱
「大変申し訳ございませんでした!平に…平にお赦しを……!」
我々に向かって土下座で謝ってくる一人の女。私はミバールと顔を見合わせ、どうしたものかと思案している。
――スーはおとといの夕刻に探索行から戻り、その帰りを首を長くして待っていたぺろみを連れ立って、昨日の朝にワールドエンドへと出発して行った。今頃どの辺りまで行っただろうか。まだ寝ているかな。食糧と路銀は十分に持たせてやれただろうか。勝手な行動をしてスーを困らせたりしていやしないだろうか。心配の種は尽きないが、お転婆娘が無事に帰って来てくれる事を願うばかりだ。
今朝、私はミバールと同じくらいに目が醒め、顔を洗うためにまだ薄暗い中を井戸へと歩く。その際キッチンのある小屋の前を通るのだが、夜間施錠されているはずの小屋の扉が半開きになっている事に気が付いた。おかしいな、ミバールが鍵をかけ忘れるなんて。不審に思い中をそっと覗き込むと、人がいるではないか。誰かが椅子に座って、うつらうつらと船を漕いでいるのだ。
物音を立てないように静かに離れ、剣を取りに戻る。
「どうしたんだい?剣なんか持っちゃって……。」
ミバールが怪訝な顔をする。私は唇に人差し指を当てて答える。
「キッチンに誰か居るんだ。泥棒かもしれない。お前はここに居てくれ。」
私は剣を抜き、キッチンの照明を点けた。明かりの下に照らし出されたのは、忍者の恰好をした女だ。なるほど忍者であれば、錠前外しなどは朝飯前といったところか。人が来た事に気が付かず、まだうとうととしている。忍者にしてはずいぶん間が抜けているというか、神経が太いというか――。
私は剣の背でテーブルをコンコンと叩いた。 女はようやく目を醒まし、剣を構えている私を見て大層驚いたようだ。椅子から派手に転げ落ち、私物であろう笠を盾のように持って身を隠す。
「ひあっ!あっあの…怪しい者ではございません!…あっ…怪しいですよね!すみません!」
女は床に正座し、平身低頭して平謝りだ。あまり悪い人間のようには見えないが…。
「どうやって入った?ここで何をしている?」
私の質問に対し、女は姿勢を崩さずに事情を説明し始めた。
「わっわたくし、忍びの者として黒龍党に与しておりましたがこの度、袂を分かち出奔して参りました次第で…。」
黒龍党はダスト盗賊団と同じく、ボーダーゾーンに跋扈する盗賊集団だ。姿を見たことは無かったが、背中に二本の刀を背負い鉄笠をかぶったシノビの姿をしているという話は聞いたことがあり、女の特徴はそれに一致している。この女は黒龍党を抜け出して来たという事か。
「かれこれ三日ほど前の話でございます。水も食糧も持たずにずっと歩き詰めておりましたものですから、飢えと渇きにほとほと参っておりましたところにこちらの建物が目に入りましたもので…。」
盗賊稼業をしていた割には物腰柔らかく、丁寧な話し言葉から思わず信じてしまいそうになる。ここでミバールがツルハシを身構えて恐る恐るキッチンに入って来た。
「大丈夫かい…?こいつが泥棒?」
女を睨み付けて今にも殴りかかりそうな勢いだ。ツルハシを下ろさせて宥め、事情を説明する。女はもはや額を床に擦り付け、命乞いを始める始末だ。
「かっ堪忍してくださいませ!刀は置いてゆきますから何卒、何卒命だけは……!」
我々は溜め息をついて椅子に座る。命を取るまでもないが、何せ元は盗賊の小悪党だ。このまま野放しにすればまたどこかで盗みを働くだろう。
「…それ、旨かったかい?」
ミバールは食糧を盗み食いされた事に気が付いたようだ。女は勢いよく顔を上げて曰く
「…はいっ!お肉の焼き加減が絶妙で…なんと言うか…言葉には尽くし難い美味でございました!」
ミバールは満足した笑みを浮かべる。自分の料理を誉められるのはやはり嬉しいようだ。
「まあ、嘘はついてなさそうだし、どうしようもなく腹が減ってたなら仕方ないかね。あたしも気持ちはよく分かるよ。」
確かに我々が出逢った時の境遇と今の状況は相通ずるものがあり、共感できるところは多々あると見える。許してしまうのは簡単だが、私はまだこの女が黒龍党の斥候である恐れを捨てきれないでいた。なぜ逃げて来たのかをもう少し詳しく訊く必要がある。
「わたくしはもう疲れてしまいました…。生きる為とはいえ、黒龍党は聖王国の無辜な人々を襲って食糧や時には命までをも奪うなど、非道の限りを尽くして参りました。時には手痛い反撃に遭って帰らぬ同胞が出る事もございます。明日は我が身と思えば、生きた心地がしないのです。」
女は俯き、膝の上の拳をぎゅっと握り締める。表面上は綺麗事で取り繕ってはいるが、とどのつまりは明日をも知れぬ盗賊生活に嫌気が差して逃げ出して来た、というところなのだろう。この女も長生きできる類の人間のように思える。
さて、この女の処遇を決めなくてはならない。こんな時、ぺろみなら何て言うかな。あいつはお人好しだから、きっとこう言うに違いない。
「お前、ここで暮らすつもりはないか?大方行く当ても無いまま飛び出して来たんだろう。」
はうえ!?とよく分からない奇妙な声を出して女は頭を上げる。その顔はみるみる紅潮し、目には涙をいっぱいに溜めて今にもこぼれ落ちそうだ。
「…いけません!お気持ちはこの上なく有り難いのですが、わたくしは抜け忍でございます。抜け忍にはその命をもって制裁とするが掟…きっと追っ手がかかっている事でございましょう。皆様にこれ以上ご迷惑を掛ける事など、許されるはずもございません。」
口許を手で覆い隠して首を横に振る。涙の粒がはらはらと落ちた。
「そうか…しかし追っ手から逃げ延びたとして、その先はどうするつもりなんだ?ずっとこそ泥を続けて生きていくのか?」
考え無しに飛び出して、後々苦労するのは私も経験済みだ。あの時ぺろみに拾われなかったら、今頃どうなっていただろうか…。
「追っ手に見つかるかもしれないしね。そしたらどうするんだい?相手は顔見知りだろうけど、やらなくちゃやられてしまうよ。」
ミバールも援護の追い打ちをかけてくる。この女を引き入れる事について異存は無いようだ。
「い、いざという時の覚悟はあります。剣は未熟ですが、刺し違えるつもりでやれば…。」
私は首を横に振る。命を落としてしまっては、何のために逃げ出して来たのか分からない。
この女を捜すために黒龍党の忍者たちがうろつき始めるのならば、この場所が奴らの目に留まるのは時間の問題だ。そうなればここも襲撃の対象になるだろう。我々は何としても撃退しなくてはならない。
「お前が逃げ出した時点で、我々はすでに巻き込まれていると言えるだろう?奴らと刺し違える覚悟があるなら、我々に手を貸してくれないか。戦える人間はいくら居ても困りはしないんだ。」
詭弁とも取れるが、防衛のために人手が欲しいのは事実だ。戦いがなくても、人手があればこの場所の更なる拡張を考える余裕も出てくる。女はしばらく考えた後
「――承知いたしました。不束者ではございますがこの命、皆様でどうぞお預かりくださいませ。」
三つ指をついてこちらをじっと見る。腹が決まった覚悟の眼差しだ。私は女に近付いて手を差し出し、立ち上がるように促す。
「悪いようにはしないさ。我々の仲間として、ここで暮らしてくれれば良いんだ。そうすれば飯と寝床に困ることはないよ。」
女はシオリと名乗った。出自の元を辿れば、貴族に仕えた侍の家系であるらしいと云う。盗賊などに落ちぶれてしまったには理由もあるだろうが、余計な詮索はしないでおく事にする。
ルカが起きてきてキッチンへやって来た。シオリはルカの姿を見るや、緊張した面持ちに変わる。
「ああ、ええと、ルカだ。ルカ、こちらはシオリ。我々の新しい仲間だ。」
ルカは寝起きで反応がやや渋い。腹をぼりぼりと掻きながら、よろしく、とだけ喋った。シオリははっと我に返り、挨拶を返す。
「失礼いたしました…。黒龍党のお頭様にお姿が似ていらっしゃるので、驚いてしまいまして。」
ルカは椅子に腰を下ろし、テーブルに頬杖をつく。シオリの恰好を見て、状況をある程度は飲み込めたようだ。盗賊の親玉に似ていると言われたのが面白くなかったのか、ふんと鼻を鳴らす。
「…黒龍党の頭領はディマクだったな。奴はまだ生きていたのか。」
ルカの話によれば、ディマクという人物はかつてシェク王国の主力部隊、百人衆の一人であったとの事だ。シェクの戦士にあるまじき行為のかどにより、角を落とされて追放されたのだという。元百人衆という事であれば、相当に腕が立つと思われる。厄介な相手を敵に回すことになりそうだ。
会話が途切れ、しんと静まり返るキッチンにミバールが手を叩く乾いた音が響いた。
「さあ!そろそろお開きだよ!食事の支度をしなくちゃね。シオリ、早速だけどあんたも働いて貰うよ。畑からサボテンをいくつか取ってきておくれ。ジャグロンガー、案内してやりなよ。」
ほら、散った散った!と我々はキッチンから追い出される。外はすでに日が昇っており、太陽の光に目が眩む。私はシオリを導いてサボテンの畑へと向かった。
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拾弐
夕食後のキッチンで、シオリが我々の衣服を繕っている。先日ハブで着替えを安く手に入れたのは良いが、それは所々にほつれや破れがある誰かの着古しだ。元々身に付けていた物も、日々の労働や剣の稽古であちこち傷んできており、ひと言で言えばとてもみすぼらしい恰好なのだ。
「作業台と型紙があれば、動物の皮をなめして丈夫な服が仕立てられるのですけど…。とりあえず今はこれで辛抱して頂きたいと存じます。」
シオリは盗賊に身を落とす以前、東の果ての砂漠地帯にある街で鎧鍛冶の見習いとして働いていたと話す。渡りに舟とはまさにこの事だ。設備と材料さえあれば、シオリに頼んで衣服をあつらえて貰う事が出来る。ぼろ布の古着とはようやくおさらば出来るという訳だ。
そういえば、ぺろみが読んでいた書物に革の衣服の製造について書かれたものがあったな。私はぺろみのベッドの周りに乱雑に積まれた本の山をひっくり返し、目的の書物を紐解く。それによれば皮なめし作業台と、革の服を作るための作業台は別々の設備のようだ。どちらもそれなりに大きく、設置には場所を取るだろう。今ある建物にはとても収まりそうにないので、小屋をもうひとつ建ててそれを作業場とするのが良いだろうか。
さっきより稜線の形を変えてなお険しい書物の山脈を眺めながらぼんやりと考えていると、ある書物が目に留まった。金属を使った鎧のための加工技術と鎖帷子について書かれたものだ。ぱらぱらとめくると、板金鎧を作るための鍛冶場についての記述を見つけた。
書物を持ってキッチンへ戻る。シオリはすでに服の修繕を終え、くつろいでいるところだ。
「シオリ、金属の鎧も作ったり出来るのか?」
件の頁を開き、金槌を振りかぶって鎧を作る職人の挿し絵を見せる。シオリは記述をじっくりと読み
「板金については修行の途中でしたが、詳しい製法が分かれば作れると思います。ただ、質につきましては作ってみない事には…。」
設備があれば可能である、という事だな。それならば鎧の製造設備もこれを期に揃えてしまおう。設備の材料として大量の鉄板が必要になるが、備蓄は十分にある。設置場所については、大きな建物をひとつ建ててそれをまるごと工房として利用すればいい。工房の建築に必要な資材は……トレーダーから買い付けるしかないか。隊商が来るまで一旦保留とする事にした。
私は松明を持って外に出る。ツルハシで地面をがりがりとえぐり、線を引いていく。工房では鉄をたくさん使うようになるだろうから、鉄の精錬機に近い方が良いだろう。設備は入り口に近い方から少しずつ設置していって――。
こんな事は明るくなってからやれば良いのだが、ぺろみの影響なのかすぐに行動に起こしたい気分なのだ。単純に計画するという行為そのものを楽しんでいるという部分も否定はできないのだが…。
あらかた線を引き終えて満足した私は、うんと背を伸ばす。その視線の先、遠くの山の斜面に焚き火だろうか、幾つかの明かりが灯っている事に気が付いた。誰かが野宿でもしているのであれば、それなりに大きな規模だ。闇の中を移動するのは危険だし、どこぞかの隊商が休んでいるのかもしれないな。私は大きな欠伸をひとつして、住み処に戻った。
朝食の席でミバールから衝撃の事実が告げられた。特製の肉入りダストウィッチ改め”カクティ・ミーティ”――ミバールの命名による。ぺろみ考案の”さぼにくぱん”は残念ながら却下された――は今日の分で最後なのだと言う。スクインで貰った大量の肉が遂に底をついてしまったのだ。これ以上肉を食べたければ狩りに繰り出すしかない。
「肉なしの食事など考えられないぞ。なぜもっと早く言わなかったんだ!?」
ルカは大きく落胆し、すぐにでも狩りに飛び出して行きそうですらある。私はルカを宥めつつ
「ヤギかガルを探しに行こうか?最近ガルの家族が近くを……」
私の提案を遮り、ルカは鼻息を荒くして曰く
「そんなものを探し回って遠くまで行ってはいられない。ヴェインの森をうろついていれば、獲物は向こうから寄って来るだろう?」
どうやら森に棲息する獰猛な獣を狙っているようだ。確かに獲物の方からこちらに出向いてくれるのであれば話は早いのだが、ヴェインはぺろみが怪我をして帰って来た場所だ。危険だがルカを放っておけば同じように一人でも飛び出してゆくだろう。今ルカに怪我でもされては堪らないので、気が進まないが私も狩りに同行することにした。
「おい!馬鹿どもめ!俺たちが友達になってやりに来たぞ!親友にだ!イェイ!」
騒がしい連中がやって来て外で何やら喚いている。狩りの支度をしていた私とルカはやれやれと腰を上げ、応対へ向かう。
「悪いけど友達は間に合ってるんだ。昨日、向こうの山で野宿していたのはお前たちか?友達同士、仲が良さそうで何よりだ。……それとそこに引いてある線を踏むな。消えてしまっては困る。」
招かれざるダスト盗賊たちの代表者と思しき男は、おっと失礼、と横へぴょんと跳ねる。
「……そうじゃねえ!ふざけやがって…。ビリーをやったのはお前らだな?」
しばらく前にここを占拠していた連中の誰かの事だろうか。向こうは名を名乗らなかったし、私も盗賊の名などには興味もない。大袈裟に肩をすくめて知りません、の仕草で返す。
「おい、どちらにしろやる気なんだろう?四の五の言わずにかかって来ればいい。…命が惜しくなければな。」
ルカは板剣を肩に担いで挑発的な態度を取る。久し振りの戦いの予感で気持ちが昂っている様子だ。あるいは食卓に肉が並ばなくなりそうな状況に対して苛立っているのかもしれない。私は日々の稽古で鍛えた剣の腕を試してみたい気分で、心がわずかに疼いている。
相手は四人の射手を含めた十二人の部隊。二人で相手をするにはいささか数が多いか。
「囲め!思い知らせてやれ!」
男の号令で剣を抜いた盗賊たちは散開し、我々はすぐに包囲されてしまった。
「後ろは任せたぞ、ジャグロンガー。訓練の成果を存分に味わうといい。」
ルカが突出し、盗賊たちを相手に戦いの幕が開ける。
私は斬りかかってきた一人の剣を身を逸らせてかわし、胴体を水平に斬りつける。相手は腹を裂かれて倒れた。二人目の剣を強打して打ち落とし、斬り上げる。相手は飛び退いて転がる。振り向き様に背後の三人目を狙って斬りつけるが、剣で弾かれた。一旦息を整える。
続いて一人の剣士が斬りかかって来たが、相手の太刀筋は一本調子で見切り易い。剣をいなしたその勢いに任せ、膝蹴りを腹に見舞う。みぞおちを強かに打たれ、崩れ落ちてえずく剣士。追い打ちで放った私の蹴りは顎を捉え、相手は昏倒した。このような動きが出来るのも、ひとえに修行の賜物と言える。これはいけるぞ、と思ったその時、右の太腿に鋭い痛みが走った。見るとクロスボウの矢が刺さっており、ズボンに赤黒い染みを作っている。
くそ!忌々しい奴め!私は射手に狙いを変え、矢が刺さったまま摺り足で近付く。射手は私を挑発しながら素早く後退し、次の矢をつがえている。狙いを定め引き金を引くかと思われたその時、 射手の顔はにわかに凍りつき、そのまま両の膝をついて前のめりに倒れた。その後ろでは笠と覆面で顔を隠した忍者が、刀に付いた血糊を払っている。忍者は何も言わずに頷き、機敏な動きで次の相手へと斬りかかってゆく。
その後ろ姿を見ながら私は思わず息を呑んだ。剣の腕は未熟だと言っていたがなかなかどうして、何とも頼もしいじゃないか。そしてこれは黒龍党の忍者たちが戦いにおいて高い練度を持つ事の裏付けでもある。
シオリの活躍により形勢はこちらに傾き、ダスト盗賊たちは多数の重傷者を出して敗走した。こちら側で負傷したのはどうやら私だけのようだ。私は自分の足に包帯を巻いた後、まだ息のある盗賊たちにも応急手当を施す。その代わり身に付けているものは全て頂戴するのだが、武具などは命に比べたら安いものだろう。処置の最中に起き上がろうとする者は拳で黙らせる。
「ありがとう、シオリ。助かったよ。あんなに動けるとは思わなかった。」
私の賛辞に対してシオリは首を横に振る。
「わたくしはここを住み処と決めました。住み処を守るのは当然の務めでございます。やはり戦いは好みませんが、狼藉を働く者があれば成敗する事もやむを得ません。…お怪我は大事ありませんか?」
私は負傷部分の少し横を軽く叩き、軽傷であることを伝える。
「フラットスキンはあの細い矢が刺さっただけでも大騒ぎか。その脚で狩りに出るのは無理だな。戦いで身体も暖まった事だし、私一人で行くとしよう。」
ルカはまだ暴れ足りないようだ。狩りの支度を取りに戻ろうとするその先に、シオリがバックパックを携えて控えていた。
「ルカ様、僭越ながらわたくしもお供させて頂きます。お肉と皮を獲りに参りましょう!」
ルカはシオリを一瞥し、無言で背を向けて歩き出す。そのまま右手を上げて、行くぞ、の仕草をした。それを見て駆け寄っていくシオリ。ルカはルカなりに新たな仲間を歓迎しているのだろう。
じくじくと鈍い痛みを放つ太腿をさすりながら、私はその場に腰を下ろして二人の背中を見送る。ぺろみが戻る前に治ると良いのだが。
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拾参
「ただいまっ!」
甲高くよく通る声が、就寝前のくつろぎの時を過ごすキッチンにこだまする。その聞き覚えのある声に、私の身体は反射的に椅子から立ちあがっていた。声の主の所へ、まっすぐ歩み寄る。
「やあ、おかえり。…少し痩せたか?」
正直なところ少し寂しさを覚えていた私は、きっと誰よりもぺろみの帰りを待ちわびていたに違いない。抱き締めたい気持ちを抑え、少しだけ小さくなったように見える顔を両手で掴んで撫で回す。
「そうかな?食欲はあるよ。お腹ぺこぺこなんだ!」
腹をさすりながらバックパックを床に下ろし、椅子に腰掛けたところで動きが止まった。視線の先には、シオリが立ってかしこまっている。
「ああ、紹介するよ。新しい仲間のシオリだ。」
シオリは深々と頭を下げる。ぺろみは驚きに満ちた笑顔、といった風な表情で私とシオリの顔を交互に見やった。
「すごい!なんで?いつ来たの?」
例によって尋問が始まる。ぺろみが食事を終えて私が就寝を促すまで質問攻めは続いた。
「ねえ!スケルトンって見たことある?」
次の日も朝からぺろみの土産話が止まらない。今回の旅での見聞はぺろみを大いに刺激したようだ。とにかく聞いて欲しくてたまらないのだろう、のべつ幕なしひたすら喋りまくっている。部屋の中が賑やかになり、やっと日常が戻ってきたような気がする。
旅の途中で立ち寄ったホーリーネイションの都市の事。どこも人の往来が多く、ひとつの都市に複数の酒場がある事。武具や雑貨商の品揃えが充実していた事。オオカミの群れから追われて走って逃げた事。ワールドエンドが切り立った岩山の頂にある事。トゥースピックの射程距離を遥かに凌駕する、超長射程のクロスボウの存在。屋内での農耕を可能にする水耕栽培の技術とその関連設備。この世界の成り立ちや歴史を研究する、大学と呼ばれる施設。そしてその施設の長であるフィンチ教授と、助手のイヨというスケルトンの事――。
特にスケルトンに出逢った事は相当な衝撃だったようだ。身体中に電気が走った、とぺろみはそう表現する。私はその存在こそ知ってはいたものの、実際に生きて動いているところをこの目で見た事はない。私が知っているスケルトンは、スワンプにあるシャークという街の酒場の”看板”として、哀れにも文字通り磔にされているものだけだ。
ボーダーゾーンの遥か東、ブラックデザートと呼ばれる地域にはスケルトンたちが住まう街があると聞いたようだ。興奮冷めやらぬ様子で次はそこへ旅をするのだと意気込んでいる。
「でも、スケルトンって危険なんじゃないのかい?ティミーだってひどい目に遭っていたじゃないか。」
元オクラン教徒のミバールは、子供向けの物語を持ち出して眉をひそめる。オクランの民にとってスケルトンは邪神の造り出した悪魔であり、忌むべき存在なのだ。
「そんなことないよ!イヨはわたしたちと何も変わらないよ。姿はちょっと変わってるけど…ちゃんと服も着てるし。あとね、ご飯はいらないみたい。」
ミバールの美味しいご飯が食べられないのは可哀想だね、と笑う。
ジャレッドに会えたのか尋ねると、首を横に振って曰く
「スクインよりずっと南の方にあるクレーター?っていう所に行っちゃったんだって。一人じゃ危ない場所だから何人かと一緒に行ったみたい。」
信頼できる仲間と一緒ならば、危険な土地を旅するのも悪くなさそうだな。私の相槌にぺろみが食いついた。
「でしょ!?わたしもまたみんなで旅したい!だから…ブラックデザートにみんなで行こう?」
…迂闊だった。話題を変えなくては。私は工房の計画を思い出し、ぺろみを外に連れ出す。
あれからやや時間が経ってしまったので、地面に引いた線はところどころ消えてしまっていたが、ぺろみからは上々の反応が返ってきた。あとは資材商のトレーダーがやって来るのを待つばかりだが…。
「たまに来るハイブの人たちでしょ?いつ来るか分からないし、こっちから呼びに行こうよ。村の場所知ってるから!」
ボーダーゾーンの西の端、我々の住み処がある丘の下にはヴェイン峡谷の森が広がっている。時折行商にやって来るウェスタンハイブのトレーダーたちは、森のどこかにある集落からやって来るらしい。ぺろみに導かれ、私は初めてハイブたちの縄張りへとやって来た。
まず気になるのは、集落に近付くにつれて濃くなってゆく独特の臭いだ。古くなった肉のような鼻をつく異臭が立ち込めており、思わず咳込む。そして目に入って来たのは巨大な岩のような構造物。地面より少し高いところに階段の付いた穴があり、そこからハイブたちが出入りしているので何らかの建物であると分かる。この集落で五棟ほどあるその建物の全体をよく見ると、高いところに看板が掲げられているものがある。天秤の図柄が描かれた馴染みのある看板の建物を目指し、足早に歩を進める。
集落の一角で何か獣を解体しているようだ。大きさから見てビークシングではないだろうか。作業に従事しているハイブたちがまるで獣の死骸にたかる虫のように見える。
「ニンゲン!ニンゲン!」
グリーンランダーが珍しいのか、ひとりのハイブが近寄ってきた。四角い頭に付いた黒光りする大きな瞳で我々の姿をしげしげと眺め、気が済んだのか無言で去って行った。ハイブは表情の変化に乏しく、大半は個性が希薄で何を考えているのかよく分からない。
「今のやつ、ぺろみみたいだったな。」
ふらふらと離れてゆくハイブを一瞥して軽口を叩く。抗議の視線が私の横顔に突き刺さる。
ハイブは大きく分けて三つの種に分かれており、頭の形で見分けることができる。ひとつは縦長の角張った頭をしたワーカーと呼ばれる種で、主に単純労働を担当するようだ。もうひとつは横に幅広い頭をした種でソルジャーと呼ばれる。ワーカーよりも屈強で戦いを得意とする。そして最も我々に近い頭の形をした――とはいえハイブ然とした見た目ではある――プリンスと呼ばれる種だ。知能が高く社交性に富み、ハイブの集落以外の場所でも商店などを営んでいる個体を見掛けることがある。
「ニンゲン!よく来たな。取引をしに来たんだろう?」
建物に辿り着き中を覗くと、外にいる者たちとは明らかに違う雰囲気のハイブがカウンターの向こうから我々を出迎えた。商人の服を身に付けたハイブプリンスは、この店の主のようだ。私はカウンターに歩み寄る。
「建築用の資材を届けて欲しいんだ。隊商を寄越してくれないか?」
必要な量の物資を伝えると、店主は紙に走り書きをする。
「…まあ、いいだろう。十日のうちには届けよう。他には?」
他には特にない…いや、待てよ。
「外でビークシングを解体していたな。あれは自分たちで食べるのか?」
店主は腕組みをして頷く。
「ああ…まあ、食べるには食べるが。あれはここに入り込んで来たやつをバラしているのさ。あいつら、ブリキ頭以外の動くものは何でも食べようとするからな。」
ブリキ頭とはスケルトンの事を言っているのだろうか。確かに食べるところは無さそうだが、あまりの謂われ様に思わず苦笑いする。
「滅多にはないが、日に三頭くらい来ることもあるぞ。肉は余るほど取れるし、皮は捨てる事もある。」
私はその言葉を待ってましたとばかりに食い付く。
「それは勿体ない!捨てるくらいなら我々に譲ってくれないか?勿論ただとは言わない。ハイブはラムを飲んだりするのか?」
カウンターに片肘をついて身を乗り出す店主。
「飲むさ!私はグロッグよりもラムの方が好きだね。あの焼けるような喉ごしがたまらん。」
なるほど、ハイブにも酒の好みはあるらしい。
「なら取引しないか?獣の皮を五頭分でラムの大樽ひとつ。ものはなるべく傷みなしで頼むよ。どうかな?」
店主はしばらく考えて、開いた手のひらをこちらに向けた。
「三頭分だ。ただし肉を付けよう。ニンゲンは新鮮な物じゃないと食べられないのだろう?」
私は右手を差し出す。握手を交わし、交渉成立だ。 隊商に持たせてくれる手筈になった。
「ジャグロンガー、見て!」
商談の間、店の中をうろうろしていたぺろみが何かを持って来た。眩しいほどの強い光を放っており、目が眩んだ私は光を手で遮る。
「光のランタンだ。持っている者を霧から護ってくれる。品質は我が女王のお墨付きだぞ。200キャット掛け値なし、土産にどうだ?」
店主が提示した価格はずいぶん良心的だ。ひとつ貰っていこうか。私はポケットからキャットを取り出し、店主に支払う。ぺろみは嬉しそうにランタンを腰紐に通したが、重みでスボンがずり落ちそうになっている。諦めてバックパックにぶら下げる事にしたようだ。
「何か他に目ぼしいものはあったか?」
ぺろみは店内を見渡す私を手招きして、ある棚の前で何かを広げて見せた。革ズボンの太腿部分に鉄の装甲板が施してあり、中は鎖帷子になっている防具のようだ。ずっしりと重いが、防具としての性能は悪くなさそうに思える。
「これなら脚に矢が刺さっても怪我しないよ!」
…さっきの仕返しか?なかなか痛い所を突いてくるじゃないか!私はぺろみの頭をくしゃくしゃと撫で回す。
幸いにも装甲付きズボンを含めた革の衣服の製法を記した書物が売られていたので、それらも買って帰ることにした。
店の外に出ると辺りはもう薄暗くなっていた。ぺろみがランタンに灯を入れると、地面が明るく照らし出される。思ったよりも広い範囲を照らす事が出来るようだが、これは暗闇の中でもその外側から容易に視認できるようになるという事だ。旅をする上では一長一短だろう。
「危険な獣が寄ってきたら大変だ。今は消してくれないか?」
はっとした顔で辺りを見回したぺろみは、ランタンの灯を消す。周囲は再び闇の中に沈む。
我々はハイブの集落を後にし、住み処に向かって歩き出した。明日はサボテンの畑を拡張して、ラムの製造を始める準備をしなくてはならないな。そんな事をぼんやりと考えていると、隣を歩いているぺろみがやにわに私の左腕に抱き付いてきた。腕が柔らかい感触に包まれて、私の胸の鼓動が速くなる。
「ねえ、寂しくなかった?わたしが居なくて。」
私の顔を、目を、笑顔でじっと見つめてくる。私は思わず目を逸らす。
「…いや、まあ。盗賊が来たりして毎日忙しかったし、それほどでも――」
腕の締め付けが強くなり、ぺろみはますます私の顔を覗き込む。私の鼓動が腕から伝わってしまわないか心配になる。
いたたまれなくなった私は立ち止まり、右手でぺろみの両の頬をぎゅうと掴む。うぎい…と妙な呻き声を洩らし、ぺろみは突き出た唇をぱくぱくさせる。愛らしい、変な顔。私は右手を引き寄せ、その唇を――。
人差し指を使って開かないように押さえつける。左腕の束縛が緩くなった隙を突き、左手で小さな鼻をつまんで完璧な拘束が完成した。どうだ、苦しいだろう。
「……むわあっ!なんだよ!…もう!」
息ができなくなったぺろみは私の両手を振り払い、平手で私の身体を叩いてきた。こんな風にじゃれ合うのも久し振りだ。私は笑いながらぺろみを抱き寄せる。
「寂しかったさ!いつ帰ってくるのか毎日心配だった。無事に帰って来てくれて嬉しいよ。」
もうどこにも行かないでくれ、という言葉は飲み込んだ。そんなもので縛れるような女ではないし、かえって刺激してしまう気がしたのだ。
残りの道のりは手を繋いで歩いた。こんな生活がずっと続いてほしい。そう強く願う夜になった。
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拾肆
「そこのお前、止まれ。荷物をあらためさせてもらう。」
要壁の門の前で呼び止められ、バックパックの中身を見せるように求められた。私は要求に応じて荷物を降ろし、中をよく見えるように開く。難癖を付けられたら厄介だがやましいものは何も持っていないし、今日は重たい教典だって携えて来たのだ。
「これは何だ?」
顎髭をたくわえ、浅黒く屈強そうな身体つきをした衛兵は、荷物の大半を占めている陶器の瓶を指差す。
「ラムだよ。行商に来たんだ。良かったら飲んでみるかい?」
瓶に手を伸ばそうとした私を、首を横に振って軽く制する。
「いや、結構だ。行っていいぞ。オクランのご加護を、兄弟。」
衛兵に軽く礼を言ってそそくさと門を抜ける。
オクラン・ガルフと呼ばれる乾いた土地にある、スタックという街に私はやって来た。我々の住処から見て北に位置するこの街は、ホーリーネイションの主要な都市のひとつだ。ハイブとの取引のために造ったサボテンのラムが思ったよりもたくさん出来たので、近隣の酒場に売り込みに行くついでに衣服や鎧の型紙を物色するつもりだ。市中にはそこそこの人通りがあり、ぺろみの話は間違っていない事が分かる。
街の人々は私の事を特に警戒する様子もない。私はオクランの民ですらないが、街の風景に違和感なく溶け込めているように思える。シオリに作ってもらった布の服は、その見た目こそみすぼらしく貧しい商人のように見えるが、人々の目を欺くのには一役買っているようだ。私の身の丈に合わせてあるので着心地が良く、何より誰かの着古しでない服を着るのは気分がいい。
「こんにちは。ラムを売って歩いているんだけど、良ければ買ってくれないか?」
酒場の扉をくぐり、主人に話し掛ける。なるべく愛想の良い商人らしく振る舞うように心掛けて。
「ラムぅ?…ラムねぇ。丁度切らしているが……味見できるか?」
もちろんさ、と試飲用の瓶を差し出す。主人は戸棚から小さなコップを出すと、それの半分ほどまで注ぎ入れた。コップに口を付けた顔を天井に勢いよく向け、一気に流し込む。そしてしばらく口の中で転がしてから静かに飲み込んだ。私はその様子をじっと見つめている。
主人は左の眉毛をくいと上げ、小さく頷いて私の顔を見た。
「……ふむ、悪くない。三つ貰おうか。もっと買ってやりたいが、正直なところラムはあまり動かないからな。ここじゃグロッグの方がよく出るよ。グロッグを持って来たらあるだけ買おう。」
思っていたよりも良い評価を得られた事に満足する。このサボテンのラムは、サボテンの絞り汁を蒸留する工程を何度か行った後に樽で発酵させる事で、かなり強い酒になる。やや酸味のある青臭い香りが特徴だ。ぺろみはこれを気に入ったようで、醸造の作業中に盗み飲みしてへべれけになっていた事もあった。
グロッグとは麦の汁を蒸留して造る酒の事だが、あいにく麦はサボテンよりも栽培が難しく、現在の収量では我々が食べるためのパンを作る分だけで精一杯だ。畑を拡張するだけの人手もない。
ラムの代金を受け取り、握手をしてカウンターを離れた。改めて店の中を見渡すと、まだ外は明るい事もあってか客はほとんど居ない。店を出た私は、街の構造を観察しつつ次の酒場へと向かう。
二軒目では相手にされずに店を出た。付き合いのある商人からしか買わないと言われたのだ。確かに飛び込みで物を売ってくるような商人の扱う品は、出所も品質も定かではないし信用できないのは無理もないように思う。
とはいえ三軒目の酒場でラムは全て売れ、バックパックには聖火の教典と旅の荷物だけが残った。思ったよりも好調な売れ行きに胸が軽くなる。酒場の出口へと体を向けた私に、声を掛けてくる者があった。
「御機嫌よう、商人の方。少し話せるかな。」
声の方に目をやると、体格の良い一人の男が立っている。外の衛兵たちと比べても遜色のない身体つきだ。
「俺はグリフィン。パラディンとして聖王様に長く仕えてきたが訳あって退役してね。見たところ一人のようだが、連れはいるのかな?」
一人で来ている事を伝えると、男は表情を明るくして続ける。
「なるほど!一人旅はさぞかし心細いだろう、腕の立つ護衛などはご入り用ではないかな?」
傭兵の売り込みのようだ。本物の元パラディンが守ってくれるならば、これほど頼もしい話はないが…もう少し話が聞きたい。
「まずは契約金として…」
グリフィンが何かを言いかけたところで、別の男が声を掛けてきた。
「旦那ァ~、まぁた就職活動ですかい?」
なんだか酒臭い。どうやら昼間から酔っ払っているようだ。ふらふらと近寄り、右の肘をグリフィンの肩の上に乗せて絡み始める。
「あ、この人ねえ、すごい額のキャットを吹っ掛けてくるんで気を付けなさいよ!それに比べてオレなんかねえ、三千キャットも貰えればどこまでも着いてって歌も歌っちゃうよ!」
男は酒臭い息を吐き散らしながらフニャフニャと何かを歌い始めた。グリフィンは相当うんざりした様子で天を仰いでいる。
「フンフフン…フガッ…ぶぁっくしょい!…うんぐ、鼻に虫が…。」
私がこの急展開に着いて行けずに身動きできないでいると、グリフィンがとうとう怒り出した。
「お前!売れない吟遊詩人の分際で俺の邪魔をするなよ!」
吟遊詩人と呼ばれた男は、胸ぐらを掴まれゆさゆさと揺さぶられてなおヘラヘラとしている。何となくグリフィンの人となりを察した私は、ゆっくりとその場を離れて静かに店を出た。途中何度か後ろを振り返ったが、追いかけて来る様子はなかった。
さて、次の目的は防具の型紙だ。三軒目への途中で見かけた服の看板を掲げた店に入ると、中には様々な衣類や鎧が並んでいた。やはり大国ともあってなかなかの品揃えだ。外の衛兵たちが身に付けているような板金鎧もあったが、片方の籠手だけでも相当な重さがある。衛兵たちの鍛え上げられた体躯も納得といったところか。
既製品の品揃えから型紙の棚へと目を移す。ここにも様々な種類の型紙が並んでいる。適当に手に取り、軽く叩いて埃を払う。これは革の服に金属の装甲を施した鎧の型紙のようだ。
「これの実物があったら見せてくれないか?」
興味が湧いたので店主に訪ねると、店の棚から木の箱を下ろしてきた。箱の蓋を取ると、辺りはやおら黴臭くなる。
「うっ、ゴホッ…こいつはプレートジャケット。それなりに金を持ってる傭兵とかテックハンターなんかがよく使うようだね。」
中身を手に取って広げてみる。胸と両腕に装甲板が宛てがわれており、それなりの重量だ。試しに着てみたいところだが今はあまり上着を脱ぎたくないし、何よりも鼻を突く黴の臭いが気になる。スワンプも大概黴臭い場所だが、故郷のそれとは何となくにおいが違うのだ。
装甲が体捌きにどれ程の影響があるかは分からないが、重さについては身に付けてしまえばきっと気にならないだろう。ハイブの村で型紙を手に入れた装甲付きズボンと組み合わせれば、ダスト盗賊くらいなら怖い相手ではなくなるかもしれない。信頼できる防具に身を包めば、今よりも大胆に踏み込めるようになる気がするからだ。
実物を見て気に入ったので、型紙を購入する事にした。これでラムの売り上げは全て無くなってしまったが、帰ったらシオリに新しい防具を作ってもらう事ができる。そうと決まれば長居は無用だ。私は足早に街を後にした。
帰り道、遠くにダスト盗賊の集団を発見してやり過ごすのに時間がかかった。住み処に辿り着いたのは、辺りがすっかり暗くなってからだ。私と同時に出発し南のスクインで行商をしてきたぺろみは、すでに帰って来て夕食にありついていた。カクティ・ミーティを頬張りながら私に向かって手を振る。
「早いじゃないか。ラムはどれくらい売れた?」
椅子に腰を下ろして、バックパックから型紙を取り出しながら問いかける。
「全部売れた!前に泊まった酒場のマスターがたくさん買ってくれたんだ。それでね、鉄の鎧の作り方の本を買って来たよ。」
ぺろみが差し出してきた書物を受け取って目を通す。胴体をすっかり覆う板金鎧の製法のようだ。かなりの重さがありそうだが、シェク達が使う分には問題ないのだろう。
「なるほど、それは良かった。街や道中で変な連中に絡まれなかったか?」
酒場での出来事を思い出して何気なく聞いたつもりだったが、ぺろみの表情が少し曇ったのを私は見逃さなかった。
「ジャグロンガー、その話なんだけど…。」
ああ、ちょっと待って。私はぺろみが話し始めようとするのを遮り、目の前に出された食事に手を付ける。
「食事が不味くなりそうな話だろう。食べ終わってから聞く事にするよ。」
話によれば、ぺろみはスクイン近郊で負傷して倒れているシェクの戦士を助けたそうだ。しかしルカに言わせれば、それはシェク王国の兵士ではなさそうだとの事だ。
「我々は戦いの中で死ぬ事は厭わないし、最後の一人になったとしても敵に背を向けて逃げ出したりはしない。しかしぺろみが助けたのは一人だけで、周りには他に死体も無かったという話だ。」
ルカはテーブルに頬杖をついて続ける。
「おそらくバンドオブボーンズの戦士だろう。ダスト盗賊如きに遅れを取るとも思えんから、百人衆の巡廻部隊と小競り合いでも起こしたんだろう。」
聞いたことのある名前が出てきた。スワンプにも時折現れて、誰彼構わず喧嘩を吹っ掛けてくる厄介な連中だ。スクインよりも南の地域、ステン砂漠からやって来ていると聞いた事はある。
「――で、その厄介者を助けたと。お人好しのぺろみらしいじゃないか。それが何か都合が悪い事でもあるのか?」
ぺろみの方に目をやると、中空を見たままそわそわしている。
「どこから来たのか問われて、教えたんだそうだ。この場所をな。」
ああ、そういう事か。するとそれはつまり――。
「腹を空かせたシェクの荒くれ共がここへやって来るぞ。この辺りをうろついているフラットスキンの野盗共よりも、ずっと骨のある連中だ。良かったな、近頃はダスト盗賊辺りじゃ物足りなくなってきただろう?」
ふん、と鼻で笑ってルカは話を締めくくった。私はため息をひとつ。
「…まあ、仕方ないさ。見返りがなくても、誰かを助けようとするのはぺろみの良い所だ。私も同じようにしたかもしれない。もっとも、素性の知れない相手にわざわざ住み処を教えるような真似は避けるけどね。」
ぺろみはうなだれてしょんぼりしている。いささか可哀相な物言いだっただろうか。胸の辺りがちくりとした気がした。シオリがぺろみの両の肩に手を置いて口を開く。
「まあまあ、あまりぺろみ様をいじめないでくださいませ。わたくしが急いで鎧を仕立てますから、皆様は一層気を引き締めて日々の修練を怠らぬようになさってくださいまし。」
思わぬ助け船に感激したのか、ぺろみはシオリの手を取る。
「うーっ、ありがとお~…!何でも手伝うから言ってね!」
やれやれ、調子の良いものだな。かくいう私も素性の良く分からないシオリを仲間に引き入れたりしているから、あまりぺろみを責める事は出来ないのだが。
バンドオブボーンズの連中が本当にやって来るかは分からないが、さしあたって鎧に使う為の鉄鉱石をたくさん採らなくてはならないな。今日のところは早めに床に就いて、明日に備えよう。私はラムを一杯ひっかけて、ベッドに横になった。
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拾伍
プレートジャケットの試作品の出来にはおおむね満足している。装甲板による防御もさることながら、革の部分も丈夫でありながら動きを阻害しないようになっている。これを手掛けた鎧職人に云わせれば、まだまだ改良の余地ありと見ているらしい。ルカのための板金鎧もじきに完成するとの事だ。
シオリはここのところずっと工房に籠りっきりで、防具製作に専念している。ひとつの防具が出来上がるまでには多数の工程を踏まなくてはならない。獣の皮をなめし革に加工してから服を作り、鉄の塊から装甲板を叩き出してそれを縫い付けるか、或いは鋲で打ち付けたりする。必要なそれら素材の製造も私たちには手が出せない領域であり、手伝える事といえば原材料の鉄をひたすら集める事くらいだ。そして鎖帷子を製造するための設備については資料や文献が足りず、まだ導入出来ないでいる。
「見て!これはもう傑作と呼べる出来だよ。」
近頃は私たちの溜まり場になりつつある工房にいつの間にか作業台がひとつ増えていると思ったら、ぺろみがクロスボウをいじるためのものだった。加工前の装甲板をテーブルの上に立て掛けて”傑作”のトゥースピックを構えて狙いを定め、引き金を引く。決して軽いとは言えない鉄の板は、鈍い音を立てて弾き飛ばされた。拾い上げた板には矢が突き刺さっており、わずかに貫通して裏側から先端を覗かせていた。
「今のは至近距離からだったけど、ちょっとだけ貫通した!すごいでしょ?ダスト盗賊の薄いヘルメットだったら遠くからでも穴が空いちゃうと思うな。」
ぺろみは満足した様子で作業台にトゥースピックを置き、小さくため息をついた。椅子の背もたれに体を預け、天井を見つめてぽつりと呟く。
「…ワールドエンドで見た、あのクロスボウが欲しいな。」
ぺろみはクロスボウという武器を大いに気に入っている様子だ。私もサーベルについては斬馬刀以外にも色々な種類を試してみたいと思っているので、気持ちは分からなくもない。
「前に言っていた、矢が遠くまで飛ぶやつだろう?そんなにすごいのか。」
ルカが珍しくぺろみの話に食い付いた。ぺろみはルカの方へ向き直る。
「すごいんだよ!人が石ころみたいに見える距離の所までビュンって飛ぶの。矢も普通のより長いんだよ。」
ぺろみは右手の親指と人差指で輪を作り、その穴からルカ――そして私を覗く。その視線に
「武器もそろそろ新しい物が欲しいな。いつまでもなまくらを振り回している訳にはいかない。シェクの身体を切り裂くのは簡単ではないぞ。」
ルカの言う通り、私たちの武器はダスト盗賊のお下がりで、お世辞にも品質の良い物とは言えない。ハイブのトレーダーも武器は扱っていないので、また街にでも行って買ってくるしかないだろうか。
「ハブのシノビ盗賊に掛け合ってみましょうか?
シオリが作業の手を止めて会話に混ざって来た。聞けば黒龍党とシノビ盗賊は提携関係にあり、物資のやり取りをする事があるらしい。故買商とは顔馴染みであるとの事なので、ここはシオリに一肌脱いで貰う事にした。ずっと工房に詰めていたから、外に出て気分転換をする事はシオリにとっても悪くないはずだ。
思い立ったが吉日とばかりに、シオリと私、そしてぺろみの三人でハブへとやって来た。街外れにある、一際背の高い塔のような建物がシノビ盗賊の根城だ。彼らのネットワークに”加盟”していない者はまず相手にされないせいか、付近には塔の前で見張りをしているシノビ以外の人影はない。
シオリが一人で故買商と接触し取引をする間、私たちは酒場で待機する。私たちの”顔馴染み”である店主にラムを売り付け、幾らかの稼ぎを得る事が出来た。取引の足しに出来ると良いが。
しばらくしてシオリが戻って来たが、浮かない顔をしている。申し訳ありません、と前置きし
「わたくしが黒龍党を抜けた事がすでに先方の耳にも入っておりまして、取引は出来ないと…。」
盗賊にも盗賊のルールがあるという事か。顔馴染みであってもルールを曲げる事は自らの信用を傷付け、立場を危うくする事になる。物事というものは、思い描いた通りに都合良くは進まないものだな。諦めて帰ろうとしたところで、ぺろみが口を開いた。
「ねえ、シノビ盗賊の仲間になれば、取引出来るようになるの?」
シオリは意外な提案に細い目を丸くして応える。
「え、ええ。でも、大丈夫なのですか?盗賊団の看板を掲げるようなものですよ?」
ぺろみは笑いながら
「平気だよ。こっちから襲ったり盗みに行かないだけで、実際は半分盗賊みたいなものだし。」
言われてみれば襲ってきた相手の身ぐるみを剥いで売ったりしているし、確かに中身は盗賊に近いものはあるな、と私は妙に納得してしまった。盗賊として名乗りを上げることについてはいささかの抵抗はあるが…。
シオリとはあくまで無関係を装うため、私とぺろみでシノビ盗賊の所へ赴き外の見張りに声を掛ける。
「ここで質の良い武器が手に入ると聞いた。誰と話せばいい?」
シノビの覆面を付けた見張りは私とぺろみを舐めるように見た後、待つように告げて建物に入っていった。しばらくして出てきたのは、同じように覆面をしたスコーチランダーの男だ。
「俺たちと取引をお望みかな?悪いんだが”仲間”として認められた人間としか取引しない決まりでね。」
どうやら顔役のようだ。どうすれば仲間になれる?私の問いに対して男は答える。
「一万キャット。はじめにそれだけ貰えれば、後は自由にやってくれればいい。テストもノルマもない。物の融通はするが、そっちで起こしたトラブルについては一切関与しない。」
”加盟料”を支払いさえすれば仲間になれるという事か。決して安い額ではないが……私がぺろみの方に目をやると、地面にしゃがみ込んでキャットを数え始めていた。
「お若いの、ずいぶん稼いでるようだが、同業者か?」
まだキャットを数え終わらないぺろみに代わって返答する。
「ああ、いや、ちょっと商売をやっていてね。近頃物騒だから、身を守るための武器があれば都合して貰いたいんだ。」
なるほど、と腕組みをする男に、キャットの束を差し出すぺろみ。
「はい!一万キャットあるよ。これでいい?」
男は部下を呼び、キャットを数えるように指示する。
「シノビ盗賊へようこそ。ところで、何という組織だ?個人じゃないだろ?」
組織…?私とぺろみは顔を見合わせる。組織かと云われれば確かに組織ではあるだろうが、名前など考えた事もなかった。
「
名前…名前ねえ。拘るようなものでもないし、判り易ければ何だって良いけれど。
「……まろやか……村!」
―――!?!?
聞き間違いだろうか?たった今ぺろみの口から突拍子もない単語が飛び出したような気がしたが…。
「まろやか村ぁ?」
顔役の男は驚いた顔で聞き返してきた。聞き間違いではなかった事に私も驚く。そして男は俯いて肩を小刻みに震わせ始めた。笑いを噛み殺すなら、もう少し上手くやって欲しいものだ。ぺろみは私と男の顔を交互に見て、なにやら憤慨し始めた。
「…なんだよ!いま決めたの!いいでしょ!」
ほらっ!早く武器見せてよ!ぺろみの迫力に
塔の一階に故買商はいた。私に目配せだけをして、顔役は去っていった。
「――で、今日は何を探している?」
故買商の男は静かに問いかける。
「武器が欲しい。出来れば状態の良い物があれば嬉しいんだけど。」
なるほどと呟き、故買商は壁際に据え付けられた保管庫の扉を開く。
「今あるのはこれだけだ。自由に見てくれ。」
中には鞘に収まった二振りの剣が立て掛けてあるだけだった。ひとつを手に取り鞘から静かに引き抜く。形は斬馬刀に似ているが、刀身に丸い穴がひとつ開けてある。一方ぺろみが眺めているもうひとつの剣は、ジャラジャラと耳障りな音がする小さな輪が幾つも付いている。そしてどちらの剣も錆がなく、刃もしっかり付いているようだ。ひと目で品質の良い物である事が窺えるが、残りのキャットで買える額なのだろうか…。
「それぞれ四千キャットは貰いたい所だが……ふむ、二本とも買ってくれるなら七千キャットでいいぞ。この辺りは金払いの渋い連中ばかりだから、金持ちは大歓迎だ。」
少し迷ったが結局二つとも購入し、今日のところは引き上げる事にした。これで完全に素寒貧だ。もはやひと切れの肉さえ買えそうにない。
「また来い。それと、
故買商の男は別れ際にそう呟いた。
住み処に戻り、食事の席で顛末を話す。私たちが”まろやか村”として名乗りを上げた事に、ミバールは手を叩いて笑った。ルカはしばらく無言だったが、新しい剣が手に入ったので機嫌は悪くなさそうだ。シオリは取引の役に立てなかった事を気にしている様子だが、あの提案があったからこその今日の収穫であり、むしろ感謝している。そして”村長”ことぺろみは、次の探索行への計画を練っていた。目標はジャレッドから贈られた地図に記された場所だ。ホーリーネイションの所有するリバース鉱山の周辺にあるようだが、詳しい場所を地図から読み解くことは出来ない。
シオリは食事が済めば、また仕事へと戻ってゆく。工房の床に寝袋を敷き、ずっとそこで寝泊まりしているのだ。熱心な働きぶりに頭が下がる思いだ。
就寝前の挨拶をしようと工房の扉をくぐろうとした時、微かな話し声が耳に入ってきた。工房の中を覗いてみたが人影はない。外だろうか?建物の裏へ行こうと、角を回るところで誰かと鉢合わせした。相手はひゃっ!という小さな悲鳴を上げる。
「すっ、すみません!…どうかされましたか?」
シオリは胸元に手を当てて息を整える。
「何か話し声が聞こえたような気がしてね。誰かいたのか?」
シオリの後方を覗くようにしてみたが、闇が広がるばかりで誰かが居るような様子はない。
「あっあの…わたくしも声が聞こえましたので工房の周りを見て回ったのですが、誰もおりませんでした。不気味ですね。」
シオリは身震いする仕草でひょうきんに振る舞う。とりあえず戸締まりを確かにするように告げて、私は建物の周りをぐるりと見て回る。特に異状は認められなかったので、私はそのままベッドへと向かった。
横になって昼間の出来事をしみじみと思い返してみる。私たちの住み処は今日から”まろやか村”になった。ぺろみはいつも独特の感性で名付けを行う。”ぺろみ”という名前自体も聞いた事がない響きだし、一体どこからやって来たのだろうか。空に浮かぶ二つの月のどちらかから落ちてきたのかな。そんな空想をしているうちに、私はいつの間にか眠りに落ちていた。
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拾陸
朝早く、ミバールに揺り起こされた。慌てた様子で何やら喚いているので、落ち着かせようとベッドに座らせて宥める。
「キッチンの鍵が破られてパンと肉が無くなってるんだよ!」
ぼんやりと聞いていたが、その意味を理解して一気に目が覚めた。それは確かに一大事だ。私は跳ねるように寝床から降り、ミバールと共に外へ出る。キッチンに荒らされた様子はないがパン籠と肉の保存容器は蓋が開いており、中身はすっかり空になっていた。ラム樽のそばに置かれていたはずの商売道具のバックパックも見当たらない。
「昨日の夕飯の残りも無くなってるんだ。食べるものが何もないよ。」
やれやれ、困った事になった。小麦粉は手付かずの状態のようだから、とりあえずパンを作る事にしよう。ルカとぺろみを起こし、事情を伝えてパン作りの手伝いをさせる。そして私はシオリの様子を見に工房へと向かった。こっちの鍵もやられたのか、扉は施錠されていなかった。急いで中に入ったがシオリの姿は見えない。
外へ出て工房の周りをぐるりと一周する。キッチンと母屋の周辺も確認したが、外に誰かがいる様子はない。背中がやおら湿ってゆき、胸の鼓動が早くなる。まずは一旦冷静になろう――私は工房に戻り椅子にゆっくりと腰掛けた。作業場を見渡すと、資材や作っていた物はそのままだ。ぺろみのクロスボウは……無くなっている。
考えられる状況は幾つかある。シオリは食糧を盗んだ泥棒の侵入に気が付き、押っ取り刀でクロスボウを持ち出して追いかけた。或いは泥棒に誘拐されてしまったのかもしれない。そして……いや、まさか。これまでのシオリの献身を考えれば最も遠く、そして最も考えたくない状況だ。頭の中を色々な思いがぐるぐると巡る。
「ジャグロンガー!手伝ってよお!」
ぺろみが工房に入って来た。その声で私は我に返る。あれ、シオリは?きょろきょろしているぺろみに、シオリがいない、とだけ返す。私とぺろみは目を合わせたまま、しばらく動けないでいた。そしてぺろみが沈黙を破る。
「……シオリが食べ物を持っていなくなったの?」
やはりそう思うだろう。この状況からその考えに辿り着くのは、ごく自然な流れだ。
「そうじゃないと思いたいけど、有り得ない訳じゃない。それと…お前のクロスボウも無くなってる。」
えっ!?ぺろみは作業台に駆け寄る。小麦粉まみれの真っ白い手で、引き出しをひとつずつ開けていく。
「なんで…?なんでクロスボぉ……っくしょい!」
豪快にくしゃみを放った。手の甲で鼻を拭うと、鼻の下が白くなる。
「……とりあえず、ごはんを食べよう。考えるのは、それから。」
シオリが何処へ行ったのか見当も付かないが、まずは付近を捜してみる事になった。ぺろみはハブへ、ルカは狩りを兼ねてヴェインの森へ。私は盗賊たちの根城があると噂される、北東の方角へと向かった。シオリを仲間に引き入れたのは私だ。最悪の場合、始末は自分で付けなければならないと考えていた。
ボーダーゾーンの東の端は、高低差の大きな険しい場所だ。山道をしばらく歩いて、川が流れる谷底に辿り着いた。人影はおろか、動くものの気配すら――いや、何かいる。大きい影がひとつと小さい影がふたつ、斜面をこちらへ向かって降りて来るのが見える。ヤギよりも大きいがブルよりは少し小さい、草食動物のガルの親子だ。もしこの場にルカが居たら喜んで飛び掛かっていただろうけれど、今は狩りをしている場合ではない。刺激しないように距離を取ってやり過ごそうとしたその時
「ぐるるるがあああぁぁぁぁ!!」
親ガルが突如咆哮を上げて突進してきた。その迫力に怯んでしまい、私は硬直する。ぶつかる直前で間一髪身を反らせてかわしたが、バランスを崩して転倒してしまった。向きを変えてまたも突進してきたガルの頭が目前に迫る。身体を横へと転がしてかわし、なんとか体勢を立て直した。ガルは再度こちらへ向き直り、頭を低くして突進の構えだ。こうなったらやるしかない。真っ向勝負で太刀打ちできる相手ではないが……私は新しい得物”穿孔環刀”を抜いて攻撃に備える。
一直線に突っ込んでくる肉の塊をかわし、横腹の辺りを水平に斬りつけた。軽く振ったつもりだったが、確かな手応えが剣の持ち手から伝わってくる。身体に体毛を殆ど持たないガルの皮膚は深く裂け、血が噴き出していた。なまくらではない、本物の切れ味――もしこの剣で人を斬ったら――恐怖に似た何かを感じて思わずたじろぐ。
ガルは低い呻き声を洩らしながらも、攻撃をやめるつもりは無いようだ。私は身構える。また突進――かと思いきや直前で軽く跳び、前肢を高く上げて倒れ込もうとしてきた。腹部が大きく露呈したのを見逃さず、一気に踏み込み渾身の力を込めて斬りつける。柔らかい腹の肉に
地面に出来た血溜まりの大きさから見ても長くはないだろうが、喉を裂いてとどめを刺してやる。そして剣に付いた血を振り払い、尻餅を突いてひと休みだ。二頭いた仔ガルたちの姿はもうどこにもない。幼いガルが親を失くして生きていけるかは分からない。
予定してはいなかったが、せっかくガルを狩ったのだから何とかして住み処まで持って帰らなくては。誰かを呼びに戻っていては獲物を盗られてしまうだろうから、今日のところはシオリを捜すのは諦めてもう帰る事にしよう。そもそも何処へ行ったのかも全く分からないのだから、闇雲に歩き回ったところで見つかる訳もないのだ――と考える事にした。
重たいガルの脚を掴んで川べりまで引きずってゆき、流水にさらして血抜きを済ませる。頭と内蔵は重いからここに棄てていこう。
「……っぬんおおおおお!!」
気合いを込めた掛け声と共にガルを担ぎ上げたが、立ち上がるのが精一杯だ。一歩ずつ地面を踏み締めながら、私は歩き始めた。
住み処へと辿り着いた頃には、日がすっかり落ちてしまっていた。ぺろみとルカは特に収穫もなく戻って来たようだった。私が大きなガルを獲ってきたのを見て、ルカは喜びと悔しさが入り交じったような微妙な態度。これで食糧についての心配はひとまず無くなった。
そろそろ住み処の防衛についても考え始めなくてはならないな。建築資材や鉄板を使って、間に合わせでも防護壁のような物で囲ってしまうのが良いだろうか。背の高い壁と堅牢な門があれば、侵入者もそう易々と入っては来られないだろう。
そしてシオリについて…。この件に関してはもはや無事を祈る事しか出来ない。仮に私たちを裏切ったのだとしても被害は肉とパン、それにぺろみのクロスボウと微々たるもので、シオリが私たちにしてくれた事を考えればむしろ釣りを寄越さなくてはならない程だ。
私は工房を訪れ、シオリの作業場にある腰掛けに座って物思いに耽る。ラックには私のプレートジャケットとルカの鎧が掛けてあり、もう出来上がっているように見える。作業台の上には装甲付きズボンの試作品と思われるものが置いてあった。中に入るはずの鎖帷子が付いていないが、これはこれで防具として完成しているような出来具合だ。試しに履いてみたがきちんと仕上がっていて違和感は感じられない。明日からはこれを履く事にしよう。
シオリは私たちのためにこれ程までに尽くしてくれているのだ。ここから出ていくつもりで食糧を盗み行方をくらましたとは、やはり考えられない。
「シオリは悪くないと思うよ。」
背後から突然声がしたのでぎょっとして振り返ると、ぺろみが工房に入って来た。鉄板の束を作業台に置き、クロスボウの部品を作り始める。
「きっと何か理由があるよ。あれだけたくさんあったお肉を全部持って行ったんだよ?それにパンも。ひとりで出て行くだけなら食べきれないし、それに――」
ぺろみは人差し指を前に出して何かを指し示した。その先には、シオリが使っていた寝袋が置かれていた。
「もう戻って来ないつもりなら、わたしだったら寝袋は持っていくと思うな。」
なるほど、確かに言いたい事は分かるが…。私だって今はわずかな可能性に
私はふと昨晩の出来事を思い出した。工房の外で聞こえた話し声――やはりシオリは外で誰かと会っていたのではないだろうか。あの時”誰も居なかった”とシオリは言ったが、嘘をついたのであれば余程隠したい事柄だろう。例えば古巣の元仲間が密かに接触を図ってきたのだとしたら……。私はぺろみに向かって切り出した。
「黒龍党のアジトを見つけ出そう。」
どちらに転んでも可能性があるとすれば、今はそこに見い出すしかない。私は決意を固めた。
「そう来なくっちゃ!」
ぺろみはにっこりと微笑む。
ぺろみはハブのシノビ盗賊から、黒龍党の根城の大まかな位置を聞き出していた。噂の通りボーダーゾーンの北東方面にそれはあるという話だ。しかし私たちが正面切って戦える相手ではない。まずは場所を割り出して探りを入れるのが無難だろう。
抜け忍は見つかったら命を取られるとは云うが、シオリ程の人材はそう簡単には見つからないのではないだろうか。黒龍党の首領がどのような人物かは知らないが、多少の目こぼしがあっても不思議ではないように思える。何にせよあまり猶予はないだろうから、すぐにでも出発したいところだ。
次の日は朝から強い砂嵐が吹き荒れていた。旅の支度を始めた私は、プレートジャケットと装甲付きズボンを身に付けて少し動き回ってみる。何となく強くなったような気がしてとても良い感じだ。ぺろみは大慌てで新しいトゥースピックを組み立てていたが、どうやら納得のいく仕上がりではないようだ。
「お前たち、準備しているところ悪いんだが、旅は後回しだ。」
ルカが外から戻るなり慌ただしく戦いの支度を始めた。ミバールに鎧を着るのを手伝うように言っている。その様子から只事ではないと感じた私は、砂避けのゴーグルを掴んで外へ出た。砂で煙る景色のその向こうから、何者かの集団が向かって来るのが見える。ダスト盗賊とは少し雰囲気が違うようだ。
「バンドオブボーンズだ。」
ルカの声を背中で受ける。ルカは緊張しているのか表情は固く言葉少なだ。当初の読み通り、シェクのはみ出し者たちがこの場所へ現れたという事か。
「せっかく助けて貰ったのに、恩知らずも甚だしいじゃないか。」
私は苛立ちを隠す事が出来ない。シオリを捜しに行かなくてはならないのに、とんだ邪魔が入ったものだ。
「あちゃー……やっぱり来ちゃったんだね。ごめんね、わたしのせいだ。」
遅れてやって来たぺろみの肩を抱き、お前のせいじゃないよと慰める。
少しずつ近付いて来るにつれ次第にその全貌がはっきりとしてきた。十人ほどのシェクたちで構成された集団だ。ゆっくりと、しかし確実に歩を進め迫りつつある。
「たくさんいるね。ルカよりも強い?」
ぺろみの無邪気な問いに対し、ルカは表情を崩す事なく答える。
「一対一なら負ける気はしないが、なにせあの数だろう。一筋縄ではいかないだろうな。覚悟した方がいい。」
ルカは小さな輪の付いた剣”九環刀”をぺろみに手渡した。
「それはカタンの職人が造った剣でよく切れる。今回はお前が使え。そんな細い矢で簡単に捩じ伏せられるような相手じゃないぞ。」
やがてシェクの戦士たちは私たちのすぐ目の前に立ち並び、一人の男が一歩前に踏み出す。
「ご機嫌よう。先だっては俺たちの仲間を助けてくれたそうだな。まずは礼を言いたい。」
男は胸に手を当てて軽く頭を下げる。
「さて、ここからが本題だが、ご覧の通り俺たちは遠くステン砂漠からやって来た。何故か分かるか?」
男は背負っていた剣を抜いた。私たちは身構える。
「俺たちは飢えているんだ。食い物と……血の匂いに。」
剣を頭上に高々と掲げる。控えていた戦士たちはそれをきっかけに一斉に剣を掲げ、雄叫びを上げる。それは戦いの始まりを告げる合図のようだった。
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拾漆
シェクの戦士たちは散開し、距離を取るようにしてこちらを取り囲む。ダスト盗賊のように一様ではなく、胸当てを着けている者、サラシを巻いている者、下履きのみの者など思い思いの恰好をしているようだ。相手の出方を窺っていると、初めにルカが仕掛けた。前進しながら板剣を大きく振りかぶり、勢いよく振り下ろす。相手は正面から剣で受ける姿勢を取ったが、板剣自体の重さと遠心力で生まれた破壊力には勝てなかったようだ。板剣は勢いのまま額にめり込み、相手は崩れ落ちる。仲間を一撃で倒され、戦士たちはわずかにどよめく。
余所見をしていられたのはここまでだった。いきり立ったサラシの戦士が私に斬りかかって来る。手から取り落としそうになる程の凄まじい衝撃が、刃を防いだ剣の持ち手から全身に響く。私が一気に踏み込んで斬り上げた剣は弾かれ、そこに出来た僅かな隙に攻撃を捩じ込んでくる。ぎりぎりで身を反らせてかわし、跳び退いて息を整える。そこへ別の戦士がさらに斬りつけて来た。剣で受けたがそのまま弾き飛ばされ、私は転倒した。飛び起きて再び構えながら、口に入った砂を吐き棄てる。
息つく暇もないとはまさにこの事だな。バンドオブボーンズの戦士たちは確かにダスト盗賊よりは強いが、このくらいはルカとの稽古で慣れたものだ。しかし打ち合いを続けていては体力がもたない。早く斬り伏せてぺろみたちに加勢しなくては…。
お互いににじり寄って距離を詰める。相手の間合いは私よりも広く、先には仕掛けてくるのは向こうだ。太刀筋は大体読めてきた。振り下ろされた剣を刀身でいなして体勢を崩し、首元を狙って袈裟斬りを浴びせる。刃は左肩を捉え、骨を砕いた手応え。サラシの戦士は倒れてのたうち回る。息を整える暇もなく次の相手、顔に
意識が遠のいた気がした。動けない。斬られたのだろうか……にしては、痛みはあまりない。次第に呼吸が戻り、私は起き上がる。胸の装甲板が刃を受け止めたようだ。助かった…私は剣を握り直し、立ち上がる。それほど動いていないはずだが、相手はもう肩で息をしている。ここに来るまでの旅路で消耗してしまっているのだろうか。疲れているなら早いところ倒れてしまえばいい。素早く攻撃を繰り出し、畳み掛ける。痣の戦士は凌ぎきれず、剣を打ち落とされた。そして斬り上げた剣は胴体を捉え、横腹を切り裂く。
直後、右腕に強い衝撃を受け、私はよろめいて膝をついた。背後から二の腕を斬りつけられた私は剣を取り落としてしまう。振り向くと相手は次のひと太刀を今にも振り下ろす瞬間だった。これはよけられない……致命傷を避けようと反射的に身を反らせる。その攻撃は胸の装甲に当たって防がれた。危ない、もう二度も致命的な一撃を貰っている。プレートジャケットが無かったら命があったか分からない。横に転がる勢いで剣を拾い、私の頭を狙った横薙ぎを間一髪で防いだ。その衝撃でまた弾き飛ばされる。
強い。一太刀の重みがダスト盗賊とは段違いの力の強さだ。その
右腕は辛うじてまだ動く。正眼の構えを取る。相手が仕掛けてきた剣を刀身で受け流す。懐に踏み込んで胴斬りを放ったが、相手が身を捻って繰り出した肘打ちが私の鼻柱を痛打した。私はまたも地面に転がって悶える。血がぼたぼたと勢いよく垂れ落ち、地面に染みを作った。鼻が折れたかもしれない。頭を上げた時には、もはや目の前まで詰め寄られていた。その顔は笑みすら浮かべている。楽しいのだろうな、敵を打ち負かす瞬間というのは。
相手がとどめの一撃を振り上げた時、一陣、ひときわ強い風が吹いた。砂つぶてがちくちくと横顔に当たる。と同時に、相手が怯んだ。瞬間、私は立ち上がりながら胴斬りを浴びせる。刃は正面から下腹に食い込み、確かな手応えをこの手に伝える。膝から崩れ落ち、前のめりに倒れる首謀者の戦士。次からは砂避けのゴーグルを着けて来るといい。
私は地面に突き立てた剣を支えに膝をつき、口の中に溜まった血を唾吐く。周りを見渡すと、シェクの戦士たちは敗走を始めていた。ぺろみとルカは立っている。二人の無事を確認して、私はようやく戦いの終わりを確信した。
「ジャグロンガー!大丈夫!?鼻血が出てる!」
ぺろみが
「二人とも、あの人数を相手によく戦い抜いたな。誇らしいぞ。」
ルカが労いの言葉を述べながらやって来た。鎧と手甲に幾つかの傷があるが、負傷はしていないように見える。
「名誉の負傷だな、ジャグロンガー。私が直してやろうか?」
ルカは戦いに勝利して上機嫌だが、私は鼻が折れていてそれどころではない。
「あのね!ハブのシノビ盗賊にお医者さんがいるんだよ。はやく行って診てもらおう!はやく!」
ぺろみは私の手を引き、ハブに連れて行こうとする。その左手の甲にべっとりと血糊が付いているのに気が付いた。
「ぺろみ、お前だって怪我してるじゃないか。腕は大丈夫なのか?」
ぺろみは怪訝な顔をして袖を捲り上げ、わっ!と小さく悲鳴を上げた。二の腕に受けた傷から垂れてきている。
「確かに斬りつけられたけど服は破れてないし、こんなのかすり傷だよ。……この服、すごく丈夫なんだね。」
ぺろみとルカもまた、シオリの造った防具に守られたようだった。……そうだ、シオリ。早くシオリを捜しに――行きたいが顔が痛くて堪らない。ぺろみに従ってシノビ盗賊の塔に赴き、私は治療を受けた。治療と言っても折れた骨を掴んで乱暴に元の位置へ戻すというもので、私は再び激痛に悶絶する羽目になったのだ。もう二度とこのヤブ医者の世話にはならない、と心に誓った。
住み処へと戻ると、倒れていた戦士たちは息を吹き返したのか殆どがいなくなっていた。大した生命力だな…とため息をついたところで、ゆっくりと地面を這いずるひとりのシェクが目に留まる。脚を負傷して歩けないようだ。私とぺろみは歩み寄る。
「はぁ、はぁ……なんだっ!てめえ!見せもんじゃねえぞ!うっ…」
息も絶え絶えに腕の力だけで進んでいく。おそらくルカの剣で打たれたのだろう、左の脛に関節がひとつ増えている。痛々しい見た目に顔をしかめる。
「ねえ。その脚じゃ帰れないよ。きっと途中でオオカミにかじられるよ。ちょっと休んでいったら?」
また始まった…ぺろみのお人好しだ。さっきまで命のやり取りをしていた相手の身体を気遣っている。この切り替えどころが私には今ひとつ掴めないのだ。するとぺろみは母屋へ向かって駆け出して行く。
「脚がちぎれなくて良かったじゃないか。でも機械の脚も結構良く出来てるらしいぞ?」
仕返しとばかりに敗者へ向かって嫌味をぶつける。私は彼らを許した訳ではないが、もはや満足に動けない相手を斬りつけるまでに無慈悲ではないつもりだ。やがてぺろみが添え木を持って戻って来た。
「んなっ、何してやがる!触るんじゃねえ!……痛っっってえって!!ももももげる!もげちまうよ!!ああーーーっ!!!」
ぺろみはシノビ盗賊の医者が私にやったのを真似て、折れた骨を乱暴に戻し添え木で処置を始める。脚が本当にもげてしまわないか、私はシェクの肩を地べたに押さえつけながら見守る。大声で喚いていたシェクは処置が進むにつれて大人しくなっていった。
「あんたぁ、なんで俺を助けるんだ?とどめを刺す事だって出来たじゃねえか。」
もっともな疑問を口に出すシェク。それは私も大いに知りたいところだ。
「とどめ刺して欲しかったの?わたしが助けたいんだからいいんだよ。あんまりうるさいともう片方もおんなじくするよ?」
ぺろみは処置の終わった脚をぴしゃりと叩いた。シェクは痛みに悶えて呻く。
「…あ、あんたらに頼みがある。目の周りに黒い痣がある奴が居たはずだ。その辺にまだぶっ倒れてたら、助けてやってくれねえか。俺の姉貴なんだ……後生だ、頼む。」
顔に痣のある戦士……私が相手をした気がするが、結構な深手を負っているはずだ。私が戦っていた辺りに戻ってみると、痣の戦士はまだ倒れており意識は戻っていない。出血がひどいな……助けてやれるだろうか。シェクの身体の事はシェクに聞けばいい、とルカに助言を求める。ルカは傷口を観察して曰く
「見たところ
ルカの助言通り傷口を洗って縫合し、包帯を巻いた。シオリがいたらもう少し丁寧に縫ってやれたかもしれないが、今は無い物ねだりでしかない。とりあえず工房に二人分の寝袋を敷き、シェクたちを寝かせておく事にした。
シオリ捜索の計画は仕切り直しだ――と思いきや、ぺろみは支度を整えて出発しようとしている。
「ジャグロンガーは怪我してるしここで待ってて。大丈夫、場所を確かめるだけにするから。」
もうじき日が傾き始める。明日に伸ばせないのか?私の問いに対しぺろみは
「暗い時間の方が都合がいいよ。ダスト盗賊も夜中はうろうろしないでしょ。」
そう答えて出ていってしまった。やれやれ……一度決めたら簡単には曲げない性格だから、止めたところで同じ結果になっていただろうけれど。
右腕は擦り傷で済んだが何をするにも顔が痛いし、今日のところは夕食を取れば後はもう横になってしまうばかりだ。そういえば、シェクの戦士たちにも食事を出してやらなくてはならないな、と気がついてキッチンへ行くと、ミバールは丁度よく食事の支度を終えるところだった。
「あ、そうか!ぺろみとシオリは居ないんだったね!…ジャグロンガー、これ、余るからさ。あいつらに持って行ってやりなよ。」
ミバールはカクティ・ミーティの乗った皿を二枚、私に手渡す。やや芝居がかったような、上ずった口ぶりだったのは気のせいではないはずだ。
工房へ入ると、脚の折れたシェクが身体を起こして姉の様子をじっと見ているようだった。
「腹が減っているだろう、これを食べるといい。そっちはまだ目を覚まさないか?」
シェクは心配そうな顔で私を見る。ルカが見せた事がないような、沈痛な面持ちだ。その感情を是非他人にも向けて貰いたいものなのだが――。
「止血は済んでいるし脈拍もある。
それを聞いて安心したのか、シェクはカクティ・ミーティを掴んでひと口頬張り、やがて硬直する。
「……うめえ。」
シェクは啜り泣きを始めた。涙を流し鼻を啜りながら食べ物を頬張るその姿は、余りにも憐れで胸を打つ。情が移りそうになった私は、姉の分を食うなよ、と釘を刺してその場を離れた。
さて、私たちも勝利の晩餐にありつこうではないか。酒も欲しいところだが、折れた所が痛みそうなのでやめておく事にしよう。
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拾捌
ベッドから降りた私はまだ痛む顔を細心の注意を払って洗い、その足で工房を覗く。扉は開け放ってあるので出入りは自由だ。シェクたちが逃げたくなったならばいつでも出て行けば良いという配慮からなのだが、二人はまだそこに居るようだった。もっとも武器は取り上げたし二人とも重傷のはずだから、満足に動き回れる状態でないのは分かっているのだけれど。
ずっと昏倒していた痣のあるシェクが身体を起こしていた。自分でやっておいてこんな事を云うのもおかしな話だが、大事に至らなかったのは何よりだ。
「…あんたが手当てしてくれたのか?」
痣のシェクは真っ直ぐに私の顔を見た。私は大袈裟に肩をすくめる。
「
痣のシェクはまだ隣で寝息を立てているシェクの顔を見やり、額にそっと手を触れた。
「別にこいつとは血が繋がってる訳じゃないよ。姉貴姉貴って妙に懐いてくるもんだから、私も悪い気はしないってだけさ。……馬鹿な妹だよ。」
元は赤の他人であっても家族のような絆で結ばれている――私たちもいつかこんな関係性になれるのだろうか、と少し羨ましくなる。そういえば、と食事の感想を聞いてみると、姉のシェクは周りをきょろきょろと見渡し、首を振った。二枚あるはずの皿を探したが見当たらない。こいつ……二人分を平らげた上に、まさか皿まで食べてしまったのか?
「おい!起きろジュラニ!」
姉は叫ぶなり、寝ているシェクの頭を拳で思い切り殴りつけた。鈍い打撃音が静かな工房の中にこだまする。さっきまでの優しい姉といった風体からの豹変ぶりに、私は息を呑んだ。
「…痛ってえ!…っんだよお!」
ジュラニと呼ばれたシェクは突然眠りを妨げられ、額をさすりながら身体を起こした。
「…姉貴い!やっと起きた!もういいのか?痛くないのか!?」
抱き付こうとするジュラニの額を、姉は手のひらで押し退ける。
「まだ痛てえよ!それよりお前、私の分の飯どうした!?」
はっとした顔をしてから、いや、知らねえなあ…とジュラニは虚空を見つめる。しらを切る構えだろうが、そうは問屋が卸さない。
「姉の分を残しておけと言っただろ。皿はどうしたんだ?」
私から早々に犯行を暴露されたジュラニは、ばつの悪そうな顔で寝袋の下から皿を二枚取り出した。
「姉貴、悪りい!こんな旨いもん目の前にぶら下げられたまんまお預け食らってるなんて、我慢できなくってよう!」
ジュラニは再び姉の拳骨に見舞われたが、その顔はなんだか嬉しそうだ。それにしても困った奴だな。ずっと食い詰めていたせいで食い意地が張っているのだろうか。
「立てるか?包帯を取り替えたら食事を出そう。名前を聞いても?」
姉は差し伸べられた私の手をおずおずと掴む。
「あ、ありがとう……私はビシュマ……ぶふっ!」
何か可笑しかったのか、吹き出すと当時に腹の傷を押さえる。
「痛てて……悪りいね、こういうのは慣れてないんだよ。私に優しく接してくる奴なんて、シェクにだって今まで居なかったからさ。」
ビシュマの傷の様子を確認すると、もうほとんど塞がっているようだった。やはりルカの言う通りにグリーンランダーとは身体の作りが違うようだ。ミバールの食事にひとしきり感動した後、ビシュマは工房へと戻って行く。
ぺろみの気まぐれから端を発するとはいえ、襲撃者に対する待遇としては至れり尽くせりだな。皆ぺろみの影響を受けてお人好しになりつつあるのかもしれない。こんな慈善事業を続けていたらその噂が広まって、いつか野盗あたりが物乞いにやって来やしないかという心配が頭をもたげてくる。
そしてその事業主はもうそろそろ戻って来てもいい頃だ。何か余計な事に首を突っ込んでいなければ、の話だが……。手持ち無沙汰も手伝って、私は捜索の準備を再開する事にした。
おおよその荷物をまとめ終えたところで、ルカの呼ぶ声に私は手を止める。シェクの姉妹が話をしたいらしい。もう出ていくのだろうか?礼が言いたいのなら聞いてやらなくもないと工房へ足を踏み入れると、ふたりのシェクは
「旦那、姉貴を救ってくれて感謝の言葉もねえ。それに旨い飯までご馳走になっちまって、あんたらは俺らの命の恩人だ。」
ジュラニは初めに比べれば、随分と晴れやかな顔をしている。そして同じく明るい表情のビシュマが続ける。
「何も返せない上にこんな事を言うのは心苦しいんだけど、あんたをボスと見込んで頼みが――」
…待て待て、ちょっと待て。まず呼び方が気に食わないし、そもそもここのボスは私じゃない。首を横に振って言葉を遮ると、二人は顔を見合わせる。
「ここのボスはぺろみだ。お前の脚に添え木した金髪の女だよ。」
あの小せえお嬢が!?とジュラニは目を丸くする。
「……この際誰でもいいや。あの…私らをここに置いてくれないかな。喧嘩しか取り柄がないけど、きっと役に立つからさ。」
なるほどそう来たか。仲間が増えるのは歓迎すべき事だし、ぺろみが異を唱えることはしないだろうけど――。シオリの件がまた頭を掠めて逡巡していると、雰囲気を察したビシュマが口を開く。
「まあ、いきなりこんな事を言われても迷うだろうね。私らも今夜には一旦巣に戻るから、次また会った時に返事を聞かせてくれよ。」
また襲撃に来るつもりなのか?私が疑問を口にすると、ジュラニは首を横に振る。
「いやいや、俺らはバンドオブボーンズを抜けるつもりだ。死なない程度に食わせてもらった恩もあるし、そこはけじめを付けなきゃならねえ。」
わざわざ古巣へ挨拶をしに戻るとは大した心掛けだ。誰にも告げずに故郷を飛び出してきた私に比べれば、ずっとまともな人間に思えてくる。
夜の帳が降りる頃、旅立つ姉妹に武器を返し食糧を持たせて見送る。ジュラニは支えがあればなんとか歩ける状態に回復していたので、畑仕事に使う鍬の柄の部分を外して渡してやった。ビシュマが肩を貸し、姉妹はゆっくりと立ち去ってゆく。
それにしてもぺろみがまだ戻って来ないな。それほど遠い場所には思えないが、どこかで道草でも
夜中、寝床で
中に戻ろうとした時、私は何者かに後ろから組み付かれた。
「命が惜しければ動くな。黙ってそのまま聞け。」
喉元には刃を当てられている。少しでも動けば、喉を掻き斬られてしまうかもしれない。声にどすを利かせてはいるが、声色は女のそれのように聞こえる。
「シオリがここに居た事は知ってる。昨日、うちの本拠地に忍び込んだ金髪の女を捕らえた。ここの人間か?」
ぺろみだ…まさかまた面倒事をしでかしたのか?場所を確かめるだけと言っていたのに。やはり私も同行するべきだった――深い後悔の念に
「あたいに協力すれば、女を助けてやる。それともこのまま斬られて死ぬか、選べ。」
選択の余地はない。私は大きく頷く。
「よし、よく聞けよ。明日、明るくなってからうちの塔の周りを目立つようにうろつけ。あたいが外で見張りをしてるから、追っ手が掛かったら逃げろ。なるべく遠くまで引き付けろよ。上手くやらないと女の命はないぞ。」
私がまた頷くと忍者は武器を納め、私のズボンのポケットに何かを差し込んだ。
「…シオリはそっちにいるのか?」
私の質問に忍者は動きを止めた。しばしの沈黙の後に、黙れと言っただろ、とだけ喋った。そして拘束の手を離し、私の背中を強く突き飛ばす。つんのめりながらも持ち堪えて振り向くと、すでに姿は見えなくなっていた。まるで初めから誰も居なかったかのように、辺りは静寂に包まれている。
ポケットの中をまさぐると、一片の紙切れが出てきた。キッチンの明かりを点けて紙切れを照らすと、そこには黒龍党のアジトまでの詳細な道筋が記されていた。これがあればアジトを捜し回る必要はない。私は居ても立ってもいられず、荷物と剣を取りに寝床まで戻る。
物音にルカとミバールが目を覚ました。かいつまんで状況を説明すると、罠じゃないのか?とルカは腕組みをする。確かにそうかもしれないが、ぺろみの命がかかっているからには約束通りに動かなくてはならないのだ。
「ジャグロンガー、ちょっと来ておくれ。」
ミバールが私をキッチンへと促した。おもむろに肉の調理を始め、カクティ・ミーティを作って包んでいる。
「食事を出されているとは思えないから、これを食べさせてやっとくれよ。きっと腹を空かせているよ。」
いつもより重い食糧の包みを受け取り、私は住み処を後にした。
ガルの頭骨が転がっているのを横目に険しい山道を越え、空が白み始めた頃にようやく崖の上にある塔が見えてきた。岩陰に身を潜めて様子を窺うと、入り口には見張りが二人、塔の上にも人がいるように見える。下の二人のどちらかが、住み処に現れた忍者のはずだが……。
陽が上りきるのを待ち、行動を始める。緊張で早足になってしまいそうになるのを抑えながら、ゆっくりと塔へ近寄ってゆく。入り口の一人が何かを喚いた。すると少しの間を置いて、塔の中から数人の忍者がぞろぞろと出てくる。私は立ち止まり、じりじりと後ずさる。
魚が餌に食い付いた。釣り糸を手繰り寄せる時だ。さあ来い、どこまでも追って来い。付かず離れずの距離を保ちながら、私は山道を駆け抜ける。何度も転びそうになりながら谷底付近まで降りてきたが、忍者たちは追跡の手を緩めない。そろそろ走り疲れてきた。あの女忍者は上手くやってくれたのだろうか。
行く手の方向から集団がやって来るのが見える。まずい、ダスト盗賊だ。向こうも私に気付いて剣を抜いた。しかしここで止まる訳にはいかない…このまま突っ込むしかない。ここで私は賭けに出る事にした。
「追われている!助けてくれ!」
集団の先頭を歩いていた男に駆け寄り、後方を指差す。
「あぁん?」
男は面食らって気の抜けた返事をする。忍者たちはすぐ側まで接近して来ていた。男の肩を叩き、呆気に取られる盗賊たちを横目に私は再び駆け出す。
「なんだてめえらああ!!」
怒号が私の耳まで届いた。振り返ると、盗賊と忍者の斬り合いが始まっていた。上手くいった、後は頼んだぞ!私はダスト盗賊に初めての感謝の気持ちを抱きながら、その場を走り去った。
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拾玖
岩肌に身体を預けて息を整える。こんなに長い距離を走ったのは、スワンプで蟲の群れから逃げおおせた時以来だ。あの時は本当に死ぬかと思ったな。
そろそろ戦いが終わった頃だろうか。来た道をまた戻ると、ダスト盗賊たちが倒れているのが見えた。忍者が倒れている様子がないことから、どうやら共倒れとまではいかなかったようだ。名も知らぬ友よ、お前たちの犠牲は無駄にしないと誓うよ。
ここで私ははたと気が付いた。もしぺろみが首尾よく脱出できて私と同じ道を逃げて来るとすれば、アジトへ戻ってゆく忍者たちと鉢合わせてしまう。それでは私がここまで逃げてきた意味がない。女忍者に渡された紙によれば、アジトまでの道は一本ではないようだ。私が逃げた方向は分かっているはずだから、別の道に誘導してくれていると思いたいが……。少し迷って、回り道をする事にした。
空にはタカだろうか、大きな鳥が弧を描いている。私にも翼があれば、すぐにでもぺろみを見つけ出せるのにな。そんな事を考えてから行く手に目を戻すと、その先に人影を見つけた。二人、こちらへ向かってくる。胸が高鳴って来た。走り出したい気持ちを抑えて少しずつ近づく。
二人は手を繋いでいる。別人だろうか?いや、あれは――。
「ぺろみ!!」
私は叫び、走り出していた。ぺろみも私に気が付き、両腕を広げてゆっくりと近寄ってくる。ぺろみを強く抱き締め、私は大きくため息をつく。その隣にへたり込み、すすり泣いているのは――。
「…シオリ、心配した。」
私はぺろみと同じくらい強く、シオリを抱き締める。シオリはますます強く泣き始めた。
「も゙ゔじわ゙げござい゙ま゙ぜん゙ん゙」
いいんだ、もう良いんだよ。おいおいと泣きすがるシオリの頭をそっと撫でる。シオリはぺろみの着ていた革の上着を肩に羽織っている以外には、何も身に付けていなかった。肌は至るところが赤黒く腫れ上がっており、受けた仕打ちの
「ぺろみ、なんだってこんな無茶をしたんだ?場所を確かめるだけだと――」
だって!!とぺろみは私の言葉を強く遮る。目に涙を溜め、その表情は怒りに満ちていた。
「シオリが外で裸にされて、縛られて鞭で叩かれるのを見た!!大勢に囲まれて棒で小突き回されるのを見た!絶対に許さないって思った。…でも戦っても勝てそうじゃなかったから、暗くなってから――」
ぺろみは下を向き唇を噛み締めた。私はぺろみの手を取る。
「分かった、もういいよ。……おいで。」
左腕にシオリ、右腕にぺろみの頭を抱えてゆっくりと撫でる。腕の中に感じる温もりで、心の中をうねり狂っていた波が少しずつ引いてゆく。
「とにかく二人が生きていて良かった。今はそれだけで十分だ。――そうだ。」
私は荷物袋を漁り、食糧の包みを開ける。焼けた肉の良い香りがほんのりと辺りを満たした。
「……お゙い゙じい゙でずゔゔ」
普段より肉が多めに入ったカクティ・ミーティを頬張りながら、シオリはまた泣き始める。
「夜中に忍者が来たんだ、ぺろみを助けてくれるって。あいつにも礼を言わなくちゃな。」
シオリの動きがぴたりと止まり、強張った表情で私を見る。
「…アビィ。アビィをお助けください!どうか!」
シオリはうわ言のようにアビィ、アビィがと繰り返すばかりで要領を得ない。ぺろみに顛末を尋ねると、アジトから人が出払った隙にシオリを解放した忍者が居た。そしてシオリがぺろみの拘束を解くのに手間取っている間に人が来てしまったため、忍者はやむなく応戦。二人はその隙に逃げ出したという流れのようだ。
「分かった。私が様子を見てくるから、二人は先に住み処に戻っていてくれ。」
ぺろみたちが来た道を
誰かが仰向けに倒れている。近寄って確認すると、この姿は黒龍党の忍者だ。まだ息はあるが酷く出血している。放っておけば長くはないだろう。私は包帯を取り出し、応急処置を始めた。
「……誰だ。放っといてくれ、あたいはもうだめだ…。」
まだ意識が残っていた。聞き覚えのある声に私はふと気が付く。
「…アビィか?昨日の夜更けにうちに来たのはお前だな?」
忍者は少し頭を動かし、私の方を見た。
「はっ…気安く呼ぶんじゃねえよ。あたいにはアビゲイルって名前がちゃんとあんだよ…。」
腹部の刺し傷が深刻だ。これは素人では対処できない。医者に見せなくては……。私はアビゲイルをゆっくりと背負い、歩き出す。
「お前には借りがある。ハブにいる
シオリの名に反応して、アビゲイルはぴくりと動いた。
「姉さん……シオリ姉さんは無事なのか。」
シオリは住み処に戻った事を伝えると、アビゲイルの身体が急に重くなった。――気を失ったようだ。
ハブの街へ辿り着き、急いでシノビ盗賊の拠点へと向かう。医者はアビゲイルの容態を診て曰く
「ああ~こりゃまた酷いねえ。どこまでやれるか分からんが、まあやってみよう。明日また来てくれ。」
このヤブ医者は信用ならないが、今頼れるのはこいつしかいない。アビゲイルを預け、絶対に助けろ、と念押しをして私はハブを後にした。
住み処ではシオリがぺろみとミバールから怪我の治療を受けていた。身体中を包帯でぐるぐる巻きにされて、随分と動き難そうだ。その滑稽な姿に思わず吹き出す。
「アビゲイルを医者に預けて来た。明日になったら様子を見に行くといい。」
私の言葉にシオリは安堵の表情を浮かべる。
「お頭様はわたくしを手放すのは惜しいと思われていたようです。命を取られる覚悟でおりましたが、見せしめに皆の前で叩かれた以上に酷い事はなされませんでした。七日間耐え抜いたら放逐してやるとのお言葉でしたが、どうなっていたか分かりませんね。」
シオリはそう言って苦笑いする。それを聞いて私も安堵のため息をついた。心に深い傷跡が残らなければいいが…。ぺろみは両手でシオリの頬に触れ、じっと目を見る。
「シオリ、困った事があったら何でも言っていいんだよ。わたしたち、家族なんだからね?」
シオリは黙って俯き、小さく頷いた。ぺろみの腕がシオリの首に絡み付き、涙の粒がその肩に落ちる。そうか、私たちはもう、家族になっていたんだな。心の中にかかっていたもやが少しだけ晴れた気がした。
やはりあの夜、シオリは黒龍党の斥候と接触していたのだ。食糧を持ち去ったのは、仲間たちが飢えて苦しんでいると嘘の情報を掴まされたためだった。ぺろみのクロスボウは護身用に持ち出したとの事だが、シオリがそれを使う事はなかったように思う。
翌日、シオリと連れ立ってシノビ盗賊の元へ赴く。処置は上手くいったとの事で、アビゲイルは薬で眠っているようだった。ありがとう、と固い握手を交わし、この医者への評価は”信頼できるヤブ医者”に変わった。
「患者は連れて帰って貰って構わないが、しばらくは安静にするように。それと治療代だが…ちょっと値の張る薬を使わせて貰った。しめて三千五百キャット頂戴するよ。
料金を請求されてはっとする。今は全く持ち合わせがないのだ。酒場の店主にあるだけのラムを売り付けてもまだ足りない。仕方がないな…あいにく金目の物はこれくらいしか持ち合わせていない――私は穿孔環刀を医者に差し出す。
医者は面食らった顔をし、近くにいた故買商に目配せをした。故買商は小さく肩をすくめる仕草で応え、それを見た医者は剣を受け取った。交渉成立だ。シオリはアビゲイルを静かに背負い、私たちは街を出た。
「申し訳ございません…せっかく良い剣が手に入りましたのに、わたくしのせいで二つとも失ってしまいましたね……。」
ぺろみが持って行った九環刀も取られてしまったし、得物は錆び付いた斬馬刀に逆戻りだ。しかしそれで大事な仲間が戻って来たのならば、安い買い物だと言える。あの剣には買い手は付かないだろうから、資金ができたらまた買い戻せばいいさ。
「見て!ベッドを作った!」
私たちの帰りを待ち構えていたぺろみに手を引かれ工房へ入ると、奥の空いていた所に二床のベッドが並んでいた。なかなか用意が良いじゃないか。そのひとつにアビゲイルを寝かせる。
「ルカがベッドがあった方が良いからって、二人で急いで作ったんだ。もうひとつはシオリのやつだよ。もう床に寝なくても大丈夫だから!」
シオリは深々と頭を下げ、また涙をこぼしている。もう泣かなくていいの!とぺろみが笑う。
「そこまで気が回らなかったよ。ありがとう、ルカ。」
ルカは大袈裟に肩をすくめる仕草をした。シオリの事を責める者は誰もいない。私たちは助け合って生きていく家族なんだ、と改めてその意味を噛み締める。
夜、アビゲイルの様子を見に工房へ行くと、シオリは仕立ての作業中だ。その奥ではぺろみが難しい顔をしてトゥースピックの調整をしている。
「そのズボン…何もそんな見掛け倒しのままお使いにならなくても……。」
シオリは私の装甲付きズボンを見て恐縮している。
「いや、装甲板があるだけでもただの革ズボンよりずっとましだよ。それにプレートジャケットにも助けられた。あれが無かったら大怪我じゃ済まなかったんだ。ありがとう、シオリ。」
シオリは赤面して俯く。
「そうだよ!シェクのおっきな剣で斬りつけられても破れなかったし。ルカもあの鎧ずっと着てるもんね。何も言わないけどあれは相当気に入ってるね。うんうん。」
シオリはいよいよ耳を真っ赤にし、両手で顔を覆ってしまった。ぺろみに目配せすると、笑顔で片目を瞑る。
「わたくし、革の服をたくさん造って精一杯ご恩返ししようと思います。それを取引に使って頂いて懐事情が少しでも良くなれば、皆様の生活も潤いますものね。」
ぺろみが大きく目を見開いて食い付く。
「それがいい!わたしがそれを持って色んな所で売ってくるよ。そのお金でまた珍しい本を買ってきて、出来ることを増やしていきたいな。」
お前は出歩く口実が欲しいだけだろう?ぺろみの頭を指先で小突く。小さく舌を出して肩をすくめるぺろみに、それを見て笑顔になるシオリ。穏やかな時が過ぎてゆく。私が求めているものは全てここにあるような気がした。
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弐拾
漆黒の暗闇の中で、明々と燃え盛る家。私はその熱気をわずかに感じられる所に立ち尽くしていた。皆が水桶を持ち寄って水を掛けているが、火の勢いが衰えることはない。
「ホ……ロン…スはどう…た!」
誰かが私の肩を乱暴に掴んだ。私は黙って燃えている家を指差す。皆が次々と燃え盛る炎の中へ飛び込んでゆく。その光景に背を向け、暗闇の中へと私は走り出す。ずっと、ずっと走ってゆく。急に脚がもつれ、そのままうつ伏せに転んで胸を打った。苦しい、息ができない…。助けてくれ…誰か……助けて!
はっと目を見開き、私はベッドの上で目覚めた。夢だったか…ゆっくりと深呼吸をする。しかし身体が重くて息苦しい…。
「……ぺろみ、お前の寝床はここじゃないよ。」
私に覆い被さり胸を枕にして眠っているぺろみを揺り起こす。ううん、と唸りはしたが起きる様子はない。なんだか酒臭い…また深酒をしたようだ。仕方のないやつだな……私はぺろみを抱き上げて本人のベッドまで運ぼうとして、違和感を覚えた。
体格の割りにずいぶんと軽い気がしたのだ。身体の中に空気でも詰まっているかのような頼りない手応えに、私はふと言い知れぬ不安に苛まれた。ベッドに横たえて、長い睫毛にかかった亜麻色の髪をかき分ける。少女のような寝顔をしげしげと眺めて頬を撫で、額に小さく口づけをして私は自分のベッドに戻った。
朝、ぺろみは夢見が良かったと言って何だか機嫌が良さそうだ。一方で私は昨日の夢を思い出し、少し嫌な気分になった。……昨日の事と云えば
「ぺろみ、あまりラムをやり過ぎない方がいい。毒で目が見えなくなるぞ。」
機嫌が良いところに水を差したい訳ではないが、ぺろみがラムを飲み過ぎているのは事実だ。視力を失ってはもはや何をする事も出来ない。
「クロスボウを持てなくなるだけじゃない、歩くのだって難しくなるからには旅も出来なくなる。残りの一生を何も見えない暗闇の中で過ごす事になっても良いのかな?」
それは困る!とぺろみはやや慌てた様子だ。しかしまだ納得がいかないのか、ミバールに真偽を確かめている。
「確かにラムやグロッグを飲み過ぎて、目が見えなくなったって話は聞いたことがあるよ。でもスワンプの“サケ”じゃあそういった話は聞かないねえ。」
ああ、また余計な話を……。ぺろみの興味がサケに移ってしまったのが分かった。
「サケ…いいね!ここで作れるようにならないかな?」
サケの原料は米だ。米の栽培には、多過ぎても足りない位の水が必要になる。あちこち水浸しのスワンプでならば容易に栽培出来る作物だが、大地が渇ききっているこの辺りでは、まず育てる事は叶わないだろう。土壌を常に水浸しにしていられるのならば、或いは可能かもしれないけれど……。
――といった内容の話を噛み砕いて聞かせる。ぺろみは少し考えて、何かを閃いたようだ。
「それじゃあ、水耕栽培でお米を作ろうよ。ワールドエンドで見たあの設備でなら、きっと出来るはずだよ。」
ぺろみは次の旅への計画を具体的に練り始めた。シオリの造った衣服を持って出発し、スタックとその先にあるホーリーネイションの首都、ブリスターヒルへ立ち寄って取り引きをする。そしてその足でリバースの遺跡を探索し、最終的にはワールドエンドで水耕栽培の施設を見学する、という目論見のようだ。旅の道のりに無駄が少なく、テックハンターのスーと共にした旅で多くの経験を得られた事が窺える。きっと今回の旅も首尾よくいく事だろう。
シオリはあれから布の服や革のサンダルなど、あまり手間の掛からない衣類を作ってはハブの街で安価に売り歩き、その売り上げで米を買って帰ってくるという日々を送っている。それをミバールに預けて
「あんたのお陰でシオリ姉さんもあたいも命拾いした…礼を言うよ。姉さんは黒龍党なんかよりもここに居る方がずっと幸せだ。これからも姉さんをよろしく頼む。」
母屋に現れたアビゲイルは笠を持って刀を背負った姿だ。出ていくのか?私の問いに無言で頷く。
「なんで?ずっとここに居ればいいのに。あなたがいなくなったらまたシオリが泣くから、行かないで欲しいな。もしかして黒龍党に戻るの?」
ぺろみの問いに対してアビゲイルは答えない。ぺろみは少し苛立ち、感情に熱を帯び始めた。
「刺されて殺されそうになったのに、これ以上どんな筋を通す必要があるの?…あなた死ぬつもりでしょう?せっかく助かった命を粗末にしないでよ!」
アビゲイルが声を荒らげる。
「うるせえな!あたいの勝手だろ!…ブザンが許せねえ。姉さんを酷い目に遭わせたブザンに一矢報いてやんねえと気が済まねえんだよ!」
そう言い捨てて
「……何処へ行こうというのですか?」
少しずつ表情が険しくなる。アビゲイルは少したじろいだ様子を見せた。
「…ブザンに落とし前を付けさせる。姉さん、元気で。」
出て行こうとするアビゲイルの腕を、強く掴むシオリ。
「やめなさい!…あなたに何が出来るというのですか?一度破れた相手にまた挑むなんて、馬鹿者のする事です。」
でも…と言い淀んだアビゲイルの左の頬を、シオリは平手で強かに打った。
「思い上がらないで!下忍の分際で頭領とやり合おうなんて、思い違いも甚だしい!」
アビゲイルを睨む。普段のシオリからは想像も出来ない、その鋭い眼光に私は息を呑む。
「……どうしても行くと言うのなら、わたくしを打ち負かしてからになさい。」
私たちがいつも剣の稽古をしている広い場所で、シオリとアビゲイルが少し距離を取って対峙している。アビゲイルが鉄の棒を持っているのに対して、シオリは丸腰だ。どうやって戦うと云うのだろうか…。
シオリは直立したまま動こうとしない。それどころか構えを取ることもせずにただ、立っている。シオリが微動だにしない事に業を煮やしたのか、アビゲイルは少しずつにじり寄ってゆく。やがて間合いに入ったが、シオリは尚も立ち尽くしたままだ。
鉄の棒を頭上に振りかぶった。野盗たちが武器として好んで使う、あの鉄の棒だ。力を込めて真っ直ぐに振り下ろせば、シオリの頭を容易く打ち砕くだろう。
しかし、アビゲイルは動かない――いや、動けないのだ。シオリの放つ気迫に圧倒されているのだろうか。その光景を
どのくらい時が経ったのか分からないが、長いことその光景が続いた気がする。やがてアビゲイルはゆっくりと腕を降ろし、両膝を突いた。無音の戦いに雌雄が決したのだ。
「……出来ないよ、姉さん。」
アビゲイルは、泣いていた。ぽろぽろと溢れる涙を懸命に拭っている。シオリは立った姿勢のまま、真っ直ぐにアビゲイルを見据える。
「あなたには覚悟が足りないのです、アビゲイル。
しゃがんでアビゲイルを抱き締める。その瞬間、私たちを縛っていた鎖も解き放たれ、身体が軽くなった気がした。
「ああ……アビィ、ごめんなさい。あなたは優しいから、誰かを傷つけるなんて出来っこない。あなた、一度だってその刀で人を斬った事がないでしょう?」
アビゲイルは小さく頷いた。
「…姉さんには敵わないよ……何でもお見通しだ。」
シオリに頭を下げられては断れる訳もない。アビゲイルはまろやか村の一員として迎えられる事になった。しばらくはシオリの小間使いとして働いて貰う事にしよう。
「まろやか村に上下関係はない。皆対等の立場だから…ああ、でもここのボスはぺろみだから、ぺろみの言う事は聞けよ?」
ぺろみは複雑そうな表情を私に向けた。そんな顔をされても、ここを拓いたのがお前なら名前を決めたのもお前なのだから仕方がない。頼りにしてるよ、ボス。私はぺろみの肩にぽんと手を乗せる。
「はあ…しょうがないな。わたしの言う事を聞かないと……どうなっちゃうの?…怖いねえ!うふふ!」
ぺろみはそう言っておどけて見せる。そろそろまろやか村という組織の長としての自覚を、少しで良いから持って欲しいものだ。
「ところで……“ブザン”とは何者なんだ?シオリは“頭領”と言っていたけど、黒龍党の頭領はディマクのはずだろう?」
ふとした疑問を投げ掛けてみると、わたくしがお話ししましょう、とシオリが昔話を始めた。ブザン本人から聞いた話だとして語ったところによれば――。
むかしむかし、あるところにスコーチランダーの男がいた。一介の泥棒に過ぎなかった男は、ホーリーネイションの農村などを中心に盗みを働く小悪党だった。しかしながら狡猾で盗みの技術に長けた男は捕まる様な下手を打つ事もなく、指名手配書が出回るようになるとその名も広く知られてゆく。
男はやがて集まってきた同業の輩たちと共に、盗賊の一団を築き上げた。街や農村に留まらず、パラディンたちの詰めている砦や奴隷の強制労働施設にまで所構わず盗みに入り、その度に懸賞額も膨れ上がって男は得意の絶頂にあった。
そんなところへふらりと現れたのが、現首領のディマクだ。シェク王国を追われた元百人衆のディマクは、その腕っぷしで盗賊団をいとも簡単に蹴散らした。所詮は泥棒が集まっただけの烏合の衆だ、束になったところで百人衆をどうにか出来るはずもないだろう。男はその強さに大層惚れ込み、盗賊団の首領の座を明け渡したのだ。“メイトウ”と呼ばれる一振りの刀と共に――。
そうして首領に担ぎ上げられたディマクは一味と共に“黒龍党”として蜂起した。戦士としては優れた力を持ったディマクによって戦いの訓練を施された盗賊たちは“忍者”を自称し、いよいよ暴力をもって物資の強奪に乗り出した。そして首領ディマクの傍らに控えて襲撃の指示を出しているのが、その男“ブザン”なのである。
――おしまい。
「なるほど…人に歴史ありといった具合の話だな。黒龍党にそんな経緯があったとは私も知らなかった。」
ルカは感心した様子で深く頷く。
「この場所はもうブザンの知るところとなっているだろうから、いずれ忍者たちがやって来るに違いない。これは面白くなってきたぞ。」
近頃はダスト盗賊ですらあまり近寄らなくなってきた事もあり、ルカは新たな戦いの予感に喜びを隠す様子もない。
「戦いになったらあたい、ちゃんとやれるか分からないな…。」
アビゲイルは弱音を吐いている。戦いの経験が無いというのはあながち嘘でもないらしい。
「私に組み付いて死ぬか生きるかの選択を迫ったあの時の勢いはどうした?」
私のちょっかいにアビゲイルは赤面する。
「ありゃあハッタリだよ!あん時はあれしか思い付かなかったんだ。もちろん、命を取る気なんか全く無かったけどさ……。」
ずいぶんと弱腰じゃないか…。アビゲイルを戦いの
そしてルカの予感した状況は、もはや目睫に迫りつつあるのだった。
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弐拾壱
鉄板と廃材で間に合わせた囲いは強い砂嵐に倒れる事もなく、まろやか村を外敵から守ってくれている…と信じてやまない。堅牢な門を作るだけの材料が無かったのは悔やまれるが、敵の侵入経路を絞れる事は住み処を防衛する上で都合が良いと思っている。
アビゲイルは高い所が好きなようだ。風力発電機の鉄塔を登って、遠くを眺めている姿をよく見かけるようになった。その日、いつものように鉄塔に登っていたアビゲイルが、鉄の製錬機を動かしている私たちの所へ息を切らせてやって来た。
「北東から集団が近づいて来てる。あれは多分…黒龍党の忍者たちだ。」
工房へ知らせると言ってまた走り出す。
「ついにお出ましか!待ちかねたぞ……。」
ルカは張り切った様子で板剣を手に取る。敵襲とあらば私も戦いの支度をしなくてはならない。作業の手を止めて工房へと向かう。
「相手を選ばないと痛い目に遭うって、教えてあげないとね。」
「ジャグロンガー、一番強そうに見えるね。ルカよりも戦士みたいだよ。」
ぺろみが私の姿をからかう。私はバンドオブボーンズとの戦いで顔面を負傷した事がトラウマになり、動きが鈍くなっている事をルカに指摘されていた。相手に肉薄するとつい守りに入ってしまい、攻撃の手が疎かになるのだ。
そこでシオリが作ってくれたのが、フェイスプレートという防具だ。顔の下半分から鎖骨の辺りまでを覆ってくれる金属製の覆面で、多少の打撃なら痛みを感じる事はない。実戦での効果の程はまだ分からないが、心理的な負担が減る事は私にとってこの上なく大きい。
フェイスプレートとプレートジャケット、そして装甲付きズボン。上から下まで鉄の装甲に覆われているからには、皆よりも前に出て戦わなければならない。一対多の戦いでどこまでやれるだろうか……。
「それ、良さそうだな。私も後で作って貰う事にしよう。肘鉄で鼻を折られてはたまらん。」
ぺろみに便乗してフェイスプレートを
「その辺で勘弁してくれよ。戦いの前に心が折れてしまう。」
私は仕返しにルカの鎧を拳で小突く。
敵をわざわざ囲いの中へ通してやる事もない。外に出て待ち構えるのはルカとシオリ、そして私。ぺろみは射手として少し離れた所にいる。
「稽古の通りに戦えば何とかなるはずです。突きの間合いにはくれぐれもお気をつけくださいませ。」
私たちは
「所詮はフラットスキンどもがディマクの付け焼き刃を振り回しているだけに過ぎない。そんなものに我々が勝てない訳がないだろう?」
強者の余裕かはたまた油断か、ルカはそう
しかし訓練でのシオリの強さは、ダスト盗賊の比ではなかった。戦いに及び腰のアビゲイルでさえ、棒で打ち合うだけと割り切ればシオリにもひけを取らない動きを見せたのだ。あれが大挙してやって来るのかと思うと、私は強い緊張感から脱する事が出来ないでいた。
しかし相手は待ってはくれない。やがて到着した忍者の集団が、私たちから少し離れた所に立ち並んだ。二十人くらいはいるだろうか――四人で相手をするには些か数が多すぎやしないだろうか。
武器を手に身構える私たちを前に、忍者たちは襲って来るでもなく何やら話を始めた。内容は聞き取れないが、時おり笑いが起こっている辺り雑談でもしているのだろうか。随分とふてぶてしい連中だ。
私が眉をひそめたその時、耳のすぐそばを風を切る音と共に何かが掠めていった。と同時に一人の忍者が崩れ落ちて悶える。その喉元からは、親指ほどの長さの矢筈が頭を覗かせていた。
振り向くとぺろみはトゥースピックの狙いを定め、今まさに次の矢を射掛けようとするところだ。そしてすぐさま放たれた矢は、別の忍者の鉄笠に突き刺さった。一瞬の出来事に忍者たちは大きくどよめく。
「はっは!我らがボスは大層
隙を突いてルカが詰め寄り、板剣を横に薙ぐ。しかしそれは忍者の塊に当たって勢いが殺がれ、固まっていた前の方の数人を転倒させるに終わった。
ここでようやく相手が刀を抜き始め、戦いの幕が開ける。
「ジャグロンガー、どちらが多く倒せるか勝負だ!もたもたしていると私が全て倒してしまうぞ!」
ルカが大きく動きながら少しずつ離れ、忍者は散開を始める。私は厚い装甲に守られている、大丈夫だ!――自分自身を鼓舞しながら、忍者に対峙する。
敵の使う得物は“忍者刀”と呼ばれる、いわゆる“刀”よりも刃渡りが短く反りのない直刀だ。重量も軽く邪魔になりにくいため隠密行動には向くと思われるが、ひとたび戦いとなればその軽さは仇となる。攻撃に武器自体の重さを利用できないので、鋭い刀身に加え己自身の腕力がなければ相手に傷を負わせる事は難しい。黒龍党で使用している忍者刀はそのほとんどが拾い物のなまくらであるという事から、斬撃の脅威はそれほど高くないと考えられる。
つまり、斬りつけられても負傷するおそれは少ないという事だ。私は大胆に踏み込み、力に任せて斬馬刀を振り回す。しかし忍者は軽快な動きで攻撃をかわしてゆく。まともに打ち合っても太刀打ち出来ない事が分かっているのだ。一旦、手を引いて上がってきた息を整える。やはり一筋縄ではいかないようだ。
その時、視界の端で動きがあったのを私は見逃さなかった。身を翻して攻撃をかわす――その動きは予習済みだ!
相手は突きを繰り出してきた。忍者刀の切れ味はいまひとつだが切っ先は細く鋭いため、革の鎧でも容易に刺し貫く事が出来る。シオリたちとの訓練でも、この突き技には特に警戒するように言われていたのだ。
突きをかわされた相手は、勢いのまま私の目の前に背中を晒してしまった。この好機を逃すはずもなく、渾身の力を込めて振るった刃は胴体の右側面を捉え、肉を切り裂いた。
まずは一人、しかし、まだ一人だ。忍者たちは一定の距離を保ち、不用意に踏み込んで来るような真似はしない。ルカの方は間合いを広く取られて
状況が長引けば、数に劣るこちらがどんどん消耗して不利になる。目の前の相手に手こずっている場合ではない――打ち合いに持ち込めばこちらに分があるはずだ。私は一気に肉薄して刀を叩き落とし、右腕を斬りつけ、体勢が崩れたところに蹴りを見舞った。相手は仰向けに倒れる。
次の敵に目を向けると、私を囲んでいた数人の忍者たちは背を向けて走り去るところだ。その先には、がら空きになった囲いの入口がある。
しまった…!
そこをどけ!一人に斬りかかるが、刀を使って巧みにいなされてしまう。少し出来る奴のようだ……囲いの中の事はぺろみに任せるしかないだろう。私は腰を落として身構える。
そして踏み出そうとしたその時、背中に強い衝撃を受けた私はそのまま前のめりに倒れた。
「あっ!悪りい!力入れすぎた!」
誰だ…?状況が飲み込めないまま身体を起こす。身体に痛みはない…突きを貰ってしまった訳ではなさそうだ。すぐ
「やってんねえ!俺らも混ぜてくんなきゃ困るぜ、旦那あ!」
大振りの剣を携えたシェクが二人、立っていた。
「だから言っただろ!私らを置いといた方がいいってよ!」
ビシュマとジュラニ――かつて助けたバンドオブボーンズの戦士たちが再びやって来たのだ。
「ジュラニ、こっちの奴やれ。私はあっちのをやる。どっちが多くやれるか、勝負だ。」
ビシュマは飛ぶように駆け、ルカの戦っている方へと向かう。
「はっはあ!負ける訳ねえだろ!俺が!」
ジュラニが嬉々として忍者へと躍り掛かった。
――その後の事は、“血の惨劇”とでも言い表すのが相応しいだろうか。二人のシェクは刀で斬りつけられるのも
「ジュラニ、何人やった?」
敵を退けてこちらにやって来たビシュマの問いに、ジュラニは指折り数える。
「いち、にい、さん……四人だな。五人目は逃げた。」
ビシュマは両の拳を握り締めて勝ち誇る。
「よし!私の勝ちだな!五人目もちゃんと仕留めたからよ!」
顔を歪めて悔しがるジュラニ。そう言えば、私もルカと数を競っていたっけな。向こうは何人倒したのだろう?勝負の行方は少し気になるが、私は囲いの中へと急いだ。
キッチンの小屋の前でシオリとアビゲイルがしゃがみ込み、倒れている誰かを見ているようだ。背筋が凍りついた私は、無意識に駆け出していた。
「わっ!びっくりしたあ。ジャグロンガー、大丈夫?」
母屋から急に現れたぺろみと鉢合わせた。……ああ、良かった、倒れているのがぺろみじゃなくて。私は深くため息をつく。
「…どう?シオリ。」
ぺろみは母屋から医療品を抱えて持って来たのだった。シオリは首を横に振る。
「ありがとうございます、ぺろみ様。……先ほど、いってしまいました。」
それを聞いたぺろみは落胆の表情。シオリは最期を看取った相手の頭を撫でている。
「この子はケイリーと申します。戦いの腕はまずまずながら、鍵開けが得意で素直な性格の娘でございました。」
顔を上げたその向こうにも、二人の忍者が倒れていた。おそらくはもう、動かないだろう。
「覚悟は出来ていたつもりでおりましたが、一度は同じ釜の飯を食った者同士……殺し合いはやはり辛いものでございますね。」
運命は時に苛酷な現実を突きつける。組織に属するからには、組織の掟に従わなければならない。裏切り者の始末もまた、忍者たちに課せられた掟なのだった。お互いに、苦しい選択だったに違いない。
戦いで命を落とした忍者たちの亡骸は、シオリの希望により工房の裏に作られた墓に丁寧に葬られた。
「掟に縛られて死んじまったんじゃあ、どうにも締まらねえなあ。その辺、俺らは楽でいいや、なあ姉貴?」
シオリたちの前でもこれといって悪びれる様子もないジュラニに、ビシュマは例によって拳骨制裁で応える。
「まろやか村にも掟はあるよ。“生きるのを諦めないこと”だよ。みんな、忘れないでね。」
ぺろみの言葉を、私は胸の内で
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弐拾弐
「まいったあ!全然勝てる気がしねえよ!」
ジュラニが尻餅をついて降参の構えだ。シェクの姉妹を相手に打ち合いの訓練をしていたルカは、剣の背で自分の肩を軽く叩きながら不満げな表情を見せた。
「…ふん、まるで子供を相手にしているみたいだ。黒龍党の連中にはそれで良かったかもしれないが、私には通用しないぞ。」
そして右手に握った
「それにしても……うむ、悪くない。これを拾って来てくれた事については、感謝しなくてはならないな。」
黒龍党の忍者たちとの戦いで、ルカは一人も倒す事が出来なかった。結局、間合いの外から包囲されたまま牽制されるばかりで終わってしまったのだ。
板剣での一撃は強烈なものがあるが、いかんせん動きが重く見切られ易いのが難点だ。シェクの王はルカの板剣より何倍も重い武器を片手で振り回すそうだが、さすがに眉に唾を付けるような話でしかない。
ビシュマとジュラニがここへやって来る途中で見つけた廃墟から、大量の古びた武器を持ち帰ったのは昨日の話だ。刀、大鉈、棍棒……そのほとんどは風化していて鉄屑以下の代物だったが、使える状態の物が無かった訳でもない。ルカが握っている“
大鉈と呼ばれる種類の剣はサーベルよりも刃渡りが長くだいぶ重量があるが、それでも板剣の重さに比べれば可愛いものだ。切っ先は平らで刺すことは出来ず、切れ味よりも質量で叩き割るようにして使う。間合いも重さも、サーベルと板剣の間くらいの丁度良い取り回しと思える。私が振り回すにはいささか重すぎるが、シェクの筋力をもってすれば扱いは容易だろう。
先の戦果とシェクの姉妹の活躍ぶりを省み、ルカは大鉈を得物とする事に決めたのだった。一見こだわりが強そうなルカだが、思ったよりもすんなりと切り替えた事に私は少し驚いた。あくまでも勝利への近道として最良の選択をするだけ、とはルカの弁。
そのルカは姉妹たちに“隊長”とあだ名され慕われているようだ。そして姉妹もルカと同じ“傭兵の板金鎧”と呼ばれる防具を作って貰い御満悦の様子。皆すっかり“まろやか村の戦士”が板に付いてきている。
「音がしないように、金具をなるべく少なくして欲しいんだ。あと出来れば黒く染めて欲しいな。暗闇に紛れるためにね。」
工房に入ると、ぺろみが次の探索行に身に付ける新しい服の採寸をしている最中だった。自身の要望を採り入れた服を新しく作って欲しいという事のようだが、仕立ての良いものを実際に着て人目に付かせる事で、売り物の品質を知らしめる目的もあるらしい。“
シオリが巻尺を使って、ぺろみの身体の寸法を細かく測ってゆく。下着以外に何も身に付けていないぺろみは、シオリに言われゆっくりと回りながらやがてこちらへと身体を向けた。その肢体は細身でやや筋肉質だが、全体的に女らしく程好い丸みを帯びている。露わになっている胸は小ぶりながら形よく膨らんで、二つの
ふと我に返ると、ぺろみがこちらを見ているのに気が付き目と目が合った。
「…ジャグロンガー、あんまりじろじろ見ないで。恥ずかしいから。」
ああ、ごめんごめん…つい見入ってしまった。慌てて目を逸らすと、シオリがくすりと笑ってぺろみの後ろからひょいと顔を覗かせた。
「ぺろみ様はお顔立ちも愛らしくていらっしゃいますし、見惚れてしまうのは無理もございませんよねえ。旅先で殿方に声を掛けられたりなど、なさらなかったのですか?」
採寸が終わったぺろみは、衣服を身に付けながら問いに答える。
「この間はスタックの酒場で酔っ払いに絡まれたけど、スーが一緒だったから大丈夫だった。…やっぱり一人だと危ないのかなあ?」
「スタックといえば……酒場に傭兵稼業の元パラディンが居たな。雇って同行して貰うのはどうだ?まだ売れ残っていれば、の話だけど。」
リバース鉱山の方へ行くなら地理に明るい人間の方がいいし、元パラディンという事であれば戦いもそれなりに経験がある事だろう。悪くない提案だと思ったが、ぺろみはやや微妙な面持ち。
「う~ん……でもそれお金が掛かるやつでしょ?わたしお金持ってないしね。」
…まあ、それもそうか。革の衣服が売れれば幾らかの金は手に入るだろうけど、その額で雇えるかどうかはまた別の話だ。そうかと云って遺跡への一人旅は、ぺろみにはまだ危険だと思うのだが…。
「お金が掛からない用心棒なら、そこにいらっしゃるではありませんか…ねえ?
再びひょいと顔を出してこちらを見やるシオリ。……私の事を言っているのか?そりゃあ一緒に行きたいのはやまやまだけど、まろやか村の守りだって疎かにする訳にはいかないだろう。いつまた黒龍党の忍者たちが襲ってくるかも分からない。
「ここの守りはシェクの皆様にお任せして大丈夫かと存じます。もうじき門も出来上がりますし、この間のように易々とは入って来られないはずですから。」
それを聞いてぺろみは小さく拍手をしながらぴょんぴょんと跳ねる。
「そうだよ!ルカもお気に入りの武器を見つけてやる気まんまんだし、みんな強いから大丈夫!それにわたしが居ない間、また寂しいの
勝ち誇ったような笑みを浮かべ、私の胸元を指でぐいと押すぺろみ。私は図星を突かれて言い返す言葉が出て来ない。なんだか上手い事やり込められた気分だ。しかしながらぺろみと一緒に旅に出られる運びとなり、胸が踊ってもいるのが正直なところでもある。
「……仕方ないな。それじゃあラムも持って行こうか。売れる物は多い方がいいだろう?」
まずは拠点の門を完成させなくては話が進まない。私は大いに発奮し、建設作業を急いだ。そしてようやくの完成を見たのは、ハンドルを手でぐるぐると回して落とし格子の昇降を行う、スワンプの集落でもよく見る形の簡素な門だ。井戸の汲み上げポンプに使っているモーターを使って自動で開閉させる案もあったが、残念ながら力が足りず門が持ち上がらなかったために今回は見送りとなった。ハブにあるような立派な壁で囲ってみたくもあるが、とりあえずは拠点としての体裁が整った事に満足している。
「戦いの最中に敵の侵入を警戒しなくて良くなるのは結構な事だ。次の戦いが待ち遠しいな。」
ルカは雪辱を果たす事に執念を燃やしているようだが、今の状況であればすぐに成就するに違いない。後は旅の支度をしながら、ぺろみの服が出来上がるのを待つばかりだ。
――そして数日の後に、闇に溶け込むような黒色に染められた放浪者の装束が出来上がった。上下に合わせて黒いブーツも
「まるで忍者みたいだねえ。でも明るい所に居ると、かえって目立つね。物売りにはその方が都合が良いんだろうけどさ。」
ミバールがぺろみの髪を
「これに似合う素敵な帽子なんかがあったらいいな。ワールドエンドに着いたらまずは帽子屋さんに行かなくちゃ!」
やれやれ、すっかり観光をしに行くような気分でいるようだ。遺跡に辿り着けるかどうかもまだ分からないというのに…。
旅の荷造りをあらかた終えて、いよいよ明日には出発する段取りになった。スワンプから出奔して来た時とは違い、不安よりも希望に満ちた旅立ちの予感だ。
いつもより早めに横になったが、なんだか気分が
「あまりたくさん作らなくて大丈夫だよ。ある程度は旅先で何とかするさ。」
ラムをコップに注ぎながら声を掛けると、ミバールはぴたりと手を止めた。
「あら、そうかい?保存が利くパンと乾燥肉を多めにしてあるから、少しずつお食べよ。咬み棒もあるよ。」
ミバールは椅子に座ってひと息つく。
「ぺろみが居ないのは慣れたけど、あんたが居ないのは初めてだから、なんだか心配だよ。」
そう言われてみれば、何をするにもぺろみか私の決定で進めてきたから、リーダーが不在という状況は皆にとっても初めての経験だ。
「戦いは戦士たちに任せればいいし、何か困った事があったらルカとシオリに相談して決めればいい。…ああ、もしトレーダーが来たら、米の苗を少し分けて貰っておいてくれ。」
ミバールは不安を吐き出して少し楽になったようだ。相談してくれてありがとう、と告げて私は寝床に戻った。
旅立ちの朝、相変わらず晴れてはいるが風力発電機の羽根は勢い良く回転している。じきに一帯は砂嵐に見舞われるだろう。
「それじゃあ留守を頼むよ。ルカ、ここの守りは任せた。」
ルカは無言で腕組みをして頷く。
「お土産たくさん持って帰るから!アビィ、シオリを手伝ってあげてね。」
分かってるよ、とアビゲイルは頭を掻く。
「よし、行こうか!」
門の前まで見送りに来てくれた皆に手を振り、私たちは出発した。最初の目的地、スタックへと向けた足取りは軽い。
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弐拾参
しばらくぶりにやって来たスタックは、今も変わらず
「こんにちは。この間はありがとう。またラムを持ってきたんだけど、どうかな。」
酒場の
「この間って…ああ、ええと、いつ会ったんだったかな?」
それほど長い時間が経っている訳でもないと思うが、もう忘れてしまったのか…?もっとも一度会ったきりだし、人の出入りが多いであろう酒場でいちいち相手の顔を覚えている訳もないか。胸に抱いた一抹の寂しさを振り払うように、私は商談を切り出す。
「はは…まあいいよ。ラムを売って歩いているんだけど、良ければ買ってくれないかな?」
私はバックパックを床に降ろし、試飲用の瓶を取り出してみせる。
「ラムは……丁度切れてるな。ひと口試させてくれ。」
主は前と同じように棚から小さなコップを取り出し、同じように注いでぐいとひと息に飲み干した。そして同じように左の眉をくいと上げて曰く
「……ああ、この間の!いやすまんね!前とは恰好がすっかり違うもんだから、気が付かなかったよ。」
ああ…言われてみれば、確かに前回来た時は頭にターバンを巻いた商人の装いだったのを思い出した。それにしてもラムの味で思い出すとは……私たちのラムは他と何が違うのだろう?
「ずいぶん物々しい恰好だが、やっぱり物騒なのかい?ボーダーゾーンの辺りは――。」
主と少しばかりの世間話をして、円満に取引を終えた私たちは酒場を後にする。
「ラム、全部売れて良かったね。割とすぐに無くなったって言ってたし、お得意様になって貰ってもいいかも。」
「まろやか村のラムは交易の種として通用するって事さ。ハイブからの引き合いも変わらずだし、もっと本格的に作り始めてもいいかもしれない。」
その前にサケだよ、サ~ケ!ぺろみは未体験のサケにずいぶんと期待を寄せているようだ。ワールドエンドに着いたら酒場でサケを試してみようか。
「――こんなに丁寧に作ってある服が五千キャットなわけないでしょ!二万だって安いくらいなのに!」
興奮したぺろみがカウンターを叩く。衣料品店に革の服を売り込みに来たは良いが、ぺろみに商談を任せたところいきなりとんでもない値段を吹っ掛けたのだ。横で聞いている私は冷や汗が止まらない。
「そうは言うがねお嬢ちゃん……。確かに品は良い物だよ。熟練した職人の技で作られた逸品のようだ。だけどそれを二万で仕入れた俺は、幾らの値を付けて並べればいいんだ?いくら物が良くったって、ここには一枚の革シャツに二万も三万も出す客は居ないんだよ。」
それを聞いてますます噴け上がりそうなぺろみ。店主は助けを求めるような視線を私に送ってくる。……やれやれ。
「ぺろみ、高く買って欲しいのは分かるけど、さすがにその値段で売り付けるのは無茶だよ。物には相場ってものがある。このシャツを店に並べるなら、そうだな……少し高いけど一万六千キャットくらいだろう?どうかな?」
店主は小さく頷く。そうなればこちらとしては一枚あたりの卸値が五千キャットでも御の字といったところだ。私に続いて店主が相槌を打ってくる。
「しかしその値段だと街の人たちはおろか、一般のパラディンでも手が出ないね。上級パラディンか審問官殿の目に留まって気に入れば、ってところだよ。皆つつましく暮らしているから、服に掛けられる額なんてたかが知れているのさ。」
ぺろみはまだ納得がいかない様子だが、店主の方からこれ以上の譲歩を引き出すのは難しいと思える。この辺りが引き際だと思うが……。
「大きな商売がしたけりゃ、ブリスターヒルに行けばいい。聖王様のお膝元で上級パラディンも審問官殿もたくさん居るからね。良い物はそれなりの値段で売れるだろうよ。ただ、それだけに目は厳しいぞ。」
ぺろみの目の色が変わったのが分かった。これは大変な事になりそうだぞ……。
「よし、それならブリスターヒルに行こう。今から行けば、夜には着くから。おじさん、ありがと。」
こういう時の決断は躊躇がなく、そして強引に進めるのがぺろみの性格だ。革シャツをてきぱきと畳んでバックパックにしまい、くるりと踵を返して店を出てゆくぺろみ。私は呆気に取られる店主に軽く礼を言って、その後を追う。
「あのやり方はちょっと褒められないな、ぺろみ。一方的過ぎるし、相手の心証も良くはない。またスタックで取引をするつもりなら――。」
スタックを慌ただしく発ち、街道を歩きながらぺろみをたしなめる。
「えへ、ちょっとやり過ぎだったかな。値段を聞くだけのつもりだったんだけど……。」
小さく舌を出して決まり悪そうにするぺろみ。次は上手にやるから、と軽く返されてしまった。普段から愛想の良いぺろみだが、商売人としての適性はそれほど高くないのかもしれない。
道中は滞りなくブリスターヒルへと辿り着く事が出来たが、元々はスタックで一泊の予定を急遽変更して移動を強行した為に、到着したのは夜がだいぶ更けてからの事だ。私たちは街に着くなり酒場の二階に宿を取り、ベッドに倒れ込むようにして横になった。
翌朝、ぺろみはけろりとした顔で朝食を済ませ衣料品の店へと向かっていった。私はといえば、両足の筋肉が張ってしまって歩くのがやっとの状態だ。重い装備を身に付けているせいもあると思うが、この先のぺろみの旅に着いてゆく為にも更なる鍛練をしなくてはならないだろう。
「ご機嫌よう、旅の人。少し話せるかな?」
酒場の奥の席でぺろみの帰りを待つ私に、誰かが声を掛けてきた。その方向へと顔を向けると、一人の男が近づいて来る。……ん?何か以前にも似たような事があったような――。
「俺はグリフィン。パラディンとして聖王様に長く仕えてきたが訳あって退役してね。見たところ一人のようだが、連れはいるのかな?」
元パラディンのグリフィン――前にスタックであった傭兵稼業の男だ。私は挨拶を返す。
「…スタックで一度会ったね。ご友人は元気なのかな?」
グリフィンは少したじろいだ様子を見せたが、すぐに落ち着きを取り戻すと
「――さあね、あいつはただの顔見知りで特に親しい訳ではないよ。もしかして……ラム売りの?」
どうやら私を覚えていたようだ。親しげな笑みを浮かべて向かいの椅子に座り、私の装いをしげしげと見る。
「…ずいぶん本格的な装備だ。テックハンターか傭兵のような出で立ちだな……。」
まあ似たようなものだよ、と返した言葉はグリフィンの興味を引いたようだ。目的地、日程、同行者の事などを矢継ぎ早に質問してくるが、まるでパラディンに尋問されているようであまり気分が良くない。私はどう答えたものかと言い淀む。
「――おっと、つい歩哨だった時の癖が出てしまった。気分を害したなら申し訳ない。」
思ったより礼儀正しく好感が持てる人物だ。少し興味が湧いてきた私は、彼がなぜここに居るのかを聞いてみる。
「スタックから戻る隊商の護衛をしていたんだ。ここで解散になったから、またスタックかバッドティース辺りに行く隊商を捕まえられたら、と考えているよ。」
傭兵として主に護衛の仕事を請け負っているが、ずっとその日暮らしの生活が続いているのだと話す。そして頃合いを見て本題を切り出してきた。
「もし良かったら俺を雇ってみないか?戦いの経験はもちろん有るし、旅の邪魔はしないつもりだ。目的地は?」
あまり気乗りしなかったがリバース鉱山の周辺に存在するらしい遺跡の話をすると、グリフィンは少し表情を曇らせる。
「…なるほど、ナルコの遺した建造物の調査か。確かに古い建物があるのは知ってる。…うむ…よし、案内しよう。」
やはり地元の人間はこういう時に頼りになる。話に乗りかけたが、私はひとつ大事な事を思い出した。
「ところで、あんたを雇うには幾ら出せばいい?もっとも
グリフィンはその言葉を待ってましたとばかりに身を乗り出し、取引の話を始める。
「一日あたり三千キャット。あるいは前金で一万…いや、九千キャットも貰えれば、旅の終わりまで付き合おう。」
日に三千キャット?あんたひとりで!?考えるよりも先に口から言葉が飛び出す。スワンプでなら五、六人ほどの傭兵隊を雇っても釣りが来る金額だ。一人で六人分の働きが出来る程の相当な手練れなのか、ただ吹っ掛けて来ているだけなのか……。どちらにしてもラムの売り上げだけで支払える額ではない。私は二の句が継げず、テーブルに頬杖を突く。やがて訪れた微妙な雰囲気に今すぐ席を立ちたい気分だ。
「おまたせ、ジャグロンガー。」
――助かった。取引を終えて戻って来た革の衣類商が、澱んだ空気を打ち払ってくれた。そしていつもの癖で私の向かいに座っている男の顔をじっと見る。
「おかえり。彼が前に話した元パラディンの傭兵だよ。…グリフィン、彼女はぺろみ。私のボ……友人だ。」
突如現れたぺろみに
「……へえ。わたし、ぺろみ。よろしくね、傭兵さん。」
シャツの裾で一度拭いてからおずおずと伸ばした手で、ぺろみが差し出した小さな右手の先の方を摘むようにして握手を交わすグリフィン。額にうっすらと汗をかき、緊張しているように見える。もしかして女が苦手なのだろうか……?
「聞いて!やっぱり“聖王様のお膝元”のお店は見る目が違うね。献上品にしてもいい位の代物だ、って一枚八千キャットで買ってくれたんだよ!すごくない!?」
私の方へ向き直り、戦果を報告してくるぺろみ。商いが上手くいって上機嫌のようだ。機嫌を良くしている今の内に、グリフィンの事を
「ん~……高いなあ。そんな大金に見合うだけの働きが本当に出来るの?」
腕組みをして首を傾げるぺろみ。グリフィンには悪いが、ぺろみの金銭感覚がまともで良かった。
「革シャツが何枚か売れたからお金はあるし、道案内は助かるけど……あ、そうだ。」
バックパックを降ろして中から売り物のシャツを一枚取り出したぺろみは、グリフィンの目の前に広げて見せる。
「お金は出せないけど、これと交換っていうのはどう?ブリスターヒルの専門店が唸った
グリフィンは半ば押し付けられるようにしてシャツを受け取り、肌触りを確かめ、裏地を見たり、掲げるようにしてみたり、せわしなく動いて品定めをする。
「…確かにこの辺りではなかなかお目に掛かれない上等品だ。…し、しかし戦いの時に着ていて傷めてしまうのが惜しい。やはり俺には――。」
ぺろみはグリフィンの言葉を遮る。
「心配いらないよ。この服、ビークシングのなめし革で出来ててすごく丈夫だから。あなた、シェクの大鉈で斬りつけられた事、ある?」
グリフィンは目を丸くしてぺろみ、そして私の顔を見る。私は大袈裟に肩をすくめる仕草で返した。そしてしばらくの沈黙の後
「……分かった、その条件で
再び立ち上がり、今度は真っ直ぐにこちらへと伸ばして来たグリフィンの手を、私は固く握り締めた。
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弐拾肆
“聖王フェニックス六十二世陛下”の住まう宮殿の前を通りすがる際には、宮殿に向かって一礼するのがここブリスターヒルでの作法だそうだ。そして街の北側の門を抜けると、山の登り口がすぐ目の前にあった。なんとも話が早くて大いに助かる。
「リバースの山道は複雑に入り組んでいる。獣が餌を探して迷い込んだりしている事もあるから、気を付けてくれ。」
グリフィンが道すがら色々と説明してくれるのだが、そういう事は重い足を引きずるように歩いている私によりも、ずっと前の方を歩いているぺろみに伝えてくれないだろうか……という言葉をぐっと呑み込んでいる。やがて分かれ道で待っているぺろみに追い付き、進む方向を示されればぺろみはまた先に行ってしまう。そんな事を幾度か繰り返しながら山道を登り続け、私たちは道の左側が
「ここはリバース鉱山の全貌が望める絶景ポイントってやつだ。いい眺めだろう?」
グリフィンも立ち止まり毛糸の帽子を脱いで汗をぬぐい始めたので、私もひと休みとばかりに地面に腰を下ろした。わずかに湿り気を帯びた緩やかな風が吹いており、火照った身体に心地よい。ずいぶん高いところまで登って来たものだ、とブーツの上から脚を揉みながら景色をよく眺める。
すり鉢状に窪んだ谷底の中央に天を衝くような巨大な石像が屹立しており、周辺には幾つもの塔や建物が点在している。岩壁にはたくさんの足場が組まれ、ここから反対側の崖の上には門のような建造物も見える。この岩山を人の手だけでここまで拓いたのだとすれば、相当な年月と人手が必要だったはずだ。実際に今もたくさんの人影が、そこかしこで労働に従事しているように見える。
「ここでは建材に使う石を切り出している。高い塔は兵舎、低い建物は奴隷商の詰める宿舎だ。奴隷の檻もたくさんある。あの石像は見ての通り、聖王様を
ぺろみが振り返り、グリフィンに問う。
「奴隷って、何か悪い事をした人たちなの?」
グリフィンはまた少し緊張した様子で口を開く。
「あ、ああ…まあ重い罪を負った者が来る事もあるにはあるが、大抵はオクランの教えに背いた女や異端者、或いはシェクやスティックマン…ええと…ハイブのような
必ずしも悪人が連れて来られるという訳でもないという事か。オクラン教と無関係な者にしてみれば、不当な理由で拘束されている場合も少なからずあるのかもしれない。幼少の頃に散々聞かされた“リバース送り”にされた者たちの末路を、私は目の当たりにしている。
「……ふ~ん……さて、そろそろ行こ。傭兵さん、あとどれくらいで着きそう?」
グリフィンは帽子をかぶり直して曰く
「この地点でおよそ半分といったところだ。日暮れまでには到着出来るだろう。」
グリフィンの言った通り、日没を迎える前には幾つもの崩れ落ちた建造物が見える所までやって来た。周辺はだいぶ荒れ果てているが、たったひとつだけ辛うじて建物としての役割を留めていそうなものがある。
「わっ!すごい!早く行こう!」
今まさに走り出そうとしたぺろみのバックパックを、すんでのところで掴まえた。
「――待てって!スーが何て言ってたのか忘れたのか?古代の遺跡にはどんな危険があるのか分からないんだぞ。…頼むからもう少し慎重になってくれ。」
ぺろみはややむくれたような表情を見せたが、好奇心には勝てないようだ。私の手を引いて下り坂を早足で進み、建物の残骸に近付いてゆく。そして坂道の終わりで一旦立ち止まり周囲をぐるりと見渡したぺろみは、人差し指を前方へと真っ直ぐに差し出す。
「ねえ、誰か倒れてるよ。」
その手が示す方に目を凝らすと、確かに何か武器を背負った人影が横たわっているようだった。私は再びぺろみのバックパックを掴み、さらに注意深く観察する。――人影の周りを何かがうごめいている。それは血のように赤く小さな何か。私は全身が総毛立つのを感じ、少しずつ静かに後ずさる。
「ちょちょちょっと、引っ張らないで!」
不意に引っ張られたぺろみがバランスを崩して後ろに転びかけた。私はとっさにぺろみを支えて耳打ちする。
「――静かに…ブラッドスパイダーの群れだ。赤いのが動いているのが見えるか?」
まさかこんな場所であの忌々しい姿を目にするとは思っていなかった。毒々しい赤色をした小さな生き物は、鋭い爪と強靭な顎を持つ肉食性の獰猛な蟲だ。基本的に群れを成して這い回り、獲物を見つけると執拗にどこまででも追いかけてくる。ひとつ間違ってあの群れに
「残念だけど倒れているやつは手遅れだ。でもここを探索したいなら、あの群れは一匹残らず始末しなくちゃならない。……どうする?」
私と目が合ったぺろみはにやりと微笑んでバックパックを下ろし、トゥースピックを手に取った。当然ながらそういう事になってしまうよな……私はサーベルを鞘から静かに引き抜く。
少し遅れて追い付いたグリフィンに状況を説明し、蟲どもを排除するための作戦を立てる。あの群れに突っ込んで剣を振り回すのは下策もいいところだ。まずはぺろみがクロスボウの射程ぎりぎりまで接近、近い個体から狙いをつけて矢を射る。当たればまず動かなくなるだろうし、当たらなければ気付かれてこちらに近寄って来るはずだ。そうなればぺろみは一旦後退して、私とグリフィンの剣で始末する。その繰り返しで少しずつ数を減らしていこう。
「準備できた?じゃ、始めるよ。」
ぺろみが前に出て射掛けた矢は勢いよく風を切り、真っ直ぐ蟲の胴体に突き刺さって息の根を止める。間を置かず二本、三本と放った矢はいずれも命中し、射抜かれた蟲どもはひっくり返って少しもがいた後に動かなくなった。よし、いいぞ。あの動き回る小さな的に命中させるなんて大した腕前だ。
「…俺たちの出番は無さそうだな。」
グリフィンが軽口を叩く。しかし次の瞬間、弾けるように駆け出して得物の大鉈を地面に叩きつけた。ぺろみの右側面から接近していた蟲は、体を前後に分断されて息絶える。気が付くと私の近くにも蟲が近寄って来ていた。振り下ろしたサーベルがその背面を斬り裂く。
「ぺろみ!前に出過ぎている、戻れ!」
クロスボウの狙いに集中するあまり、少しずつ群れの方へ近付いていたぺろみ。その足元にはすでに三匹の蟲が這い寄り、今まさに飛び掛かろうとするところだ。…まずい!私はぺろみの方へと向かって駆け出す。同時にグリフィンも駆け出し、私と一、二歩の差でぺろみを担ぎ上げて後方へと走り抜けた。すると私はぺろみと入れ替わりで、自然と三匹の蟲に対峙する形になった。
………おや?おかしいな。私がぺろみを担いで
「こいつ……!!」
私は腰のベルトに着けていた短剣を抜き、両足に咬み付いている蟲にめった刺しを見舞う。穴だらけにされた蟲は、鋭い顎で咬みついたままの形で絶命した。くそ!まったく忌々しい生き物だ。私はその場に尻餅をつき、まだしつこく食いついている顎の間に短剣を差し込んで抉じ開けた。咬まれたブーツには小さな穴が開いてしまっている。
「ジャグロンガー!ごめんね、大丈夫!?」
ぺろみが私の元に飛んできた。
「大丈夫だよ、軽傷だ。蟲はもう片付いたか?」
周辺を見渡してみたが、まだ蟲がうごめいている様子はなさそうだ。
「俺が少し辺りを見て来よう。これですぐに怪我の手当てを。」
グリフィンがバックパックから医療品を取り出して置いて行った。脱脂綿、消毒薬、軟膏、そして包帯…どれも私たちが持ち歩いている物より品質が良さそうだ。ありがたく使わせて貰おう。
ゆっくりとブーツを脱ぐと、血まみれの足が出て来た。負傷するのはいつだって私だ…もっとも、ぺろみが怪我をするよりはずっと良いと思うけれど。
咬まれて出血している三ヵ所を水で洗い流し、脱脂綿に消毒薬を含ませて拭う。そして襲い来る猛烈な痛みに呻きながら奥歯を噛み締めた。ちくしょう!なにもこんなに沁みなくたっていいじゃないか!
「沁みる?もう少し我慢して…ジャグロンガーは強い子だから!」
まるで母親のような言葉を私に投げ掛けながら軟膏を傷口に塗り付け、脱脂綿の上から包帯を巻く。
「……はい、おしまい!我慢できてえらい!」
手当てを終えたぺろみが、私の頭に優しく腕を絡めてゆっくりと撫でる。なんだか子供扱いされているようで恥ずかしいな……。
「ありがとう、少し楽になったよ。…うん……あの……。……そろそろ離してくれ。」
血糊でぬめっているブーツの中をきれいに拭いて、再び足を入れて立ち上がる。……よし、歩くには問題無さそうだ。
さてグリフィンは、と辺りを見回すと、彼は蟲の犠牲者の傍らに佇んでいた。敬虔なオクランの
「人間じゃない……これは…スケルトンだ。」
グリフィンは棒立ちのままで亡骸には触ろうともしない。私とぺろみはどれどれとしゃがみ込み、亡骸の観察を始めた。
革で出来た長いコートに身を包んではいるがその中身――人間の骨格を模した金属の
「この刀だけでも貰っちゃおっか。もう使わないもんね。」
ぺろみがスケルトンから失敬しているのは“野太刀”と呼ばれる大振りの刀だ。ぺろみが振り回すにはいささか長すぎるように思う。
「……野蛮だな。いくらスケルトン相手でも略奪は感心しない。俺がまだパラディンでいたなら、即刻捕まえているところだ。」
グリフィンは気分を悪くしたようだが、ぺろみはそれを気に病む様子もない。
「でも、今はお客さんに雇われてる傭兵だもんね。旅の邪魔はしない約束だし、堅い事言わないで。ね?」
にっこりと微笑んで遺跡の方へと歩き出すぺろみ。私はグリフィンに小さく肩をすくめる仕草を見せ、後を追う。
遺跡の扉は施錠されていて開く事が出来なかった。小さな鍵穴のようなものが付いてはいるが、これは普通の錠前のようにこじ開ける事は可能なのだろうか?
ぺろみは早速とばかりに錠前外しを試みる。時間が掛かりそうだしそろそろ日が落ちてくる頃だ。暗くなる前に野宿の支度を始めるとしようか。私は目に付いた
「まだ掛かりそうか?そろそろ休憩して食事にしないか?」
ぺろみはランタンの灯りを頼りにまだ奮闘している。私とグリフィンは焚き火の脇に座り込んで、ミバールが持たせてくれた咬み棒を喰む。
「初めの契約の通り、遺跡までは案内した。怪我をさせてしまったのは申し訳ないが、護衛は遺跡の調査終了までという事にして貰いたい。」
グリフィンがやや堅い表情で切り出してきた。スケルトンから物を盗んだ事で心証を悪くしただろうか?まあ、こちらとしてはここまで迷わず無事に辿り着けたのだから御の字だ。それで構わない旨を伝えるとグリフィンは少し表情を和らげたが、すぐにまた眉間にしわを寄せ背後を気にする素振りを見せた。
「……いま何か音がしなかったか?何かが破裂するような乾いた音だ。」
焚き火の音じゃないのか?私には聞こえなかったが、グリフィンが立ち上がったので私も同行する事にした。
「ぺろみ、向こうの様子を見て来るからランタンを貸して欲しい。その間ちょっと火の様子を見ながら食事でもしていてくれ。」
ぺろみの返事は意外にも、わたしも行く!だった。二人でグリフィンの後を付いて行くと、またもや誰かが倒れているのが見えて来る。ランタンの灯りに照らし出されたその姿は、私たちを驚嘆させずにはおかなかった。
「……向こうに倒れてたスケルトン……じゃないよね。二人組だった…のかな?」
全く同じ姿をしたスケルトンの亡骸がもうひとつ。そしてその傍らには一匹の蟲が逆さまになって転がっていた。周辺は僅かに焦げ臭い。一体ここで何が――。
〔おい、そいつに触れるな。〕
背後から、声がした。
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弐拾伍
声の聞こえた方向へと灯りを向けると、暗闇の中に浮かび上がったのは長いコートを身に付けたスケルトンだ。同じ姿をしたスケルトンが一体あと何人居るというんだ…?
〔あの蟲を排除してくれたのは君たちだな。ありがとう、助かったよ。〕
人間の声とは少し違う…何と言うか、頭に箱か何かををかぶっているような、ややくぐもった音で流暢に喋る。
〔それはそれとして、私の刀を返して貰えると非常に有り難いのだがね。〕
私とぺろみは顔を見合わせる。この人物は向こうに倒れていた
「ごめんなさい!てっきりもう動かないと思って……!」
ぺろみは手を合わせて平謝りだ。私もすでに事切れているものだとばかり思っていた。
「こっ…ここは我が聖王陛下の土地なるぞ!ナルコの生み出した悪魔め……一体どこから入り込んだ?」
グリフィンが剣に手を掛けて尋問を始めた。態度がすっかりパラディンのそれになってしまっているが、スケルトンは意に介する様子もなく淡々と応じる。
〔オクランの使徒よ、そう怖がらなくてもいい。我々はオクランの
あの橋か……!グリフィンは唇を噛む。
「あなたもあの遺跡に何かを探しに来たの?」
ぺろみの質問に、スケルトンは深く頷く。
〔古代の遺跡にはスケルトンの部品が残されている事がある。私はそれに用があるんだ。ところで――。〕
倒れているスケルトンを指差して曰く
〔そろそろそいつの様子を見させて貰えないだろうか。仲間なんだ。〕
私たちが一歩退いて道を空けると、スケルトンは仲間の身体と蟲の様子を詳しく調べ始めた。
〔ずいぶんと食い意地の張った個体に狙われたな。頭を食い破ってそこに前肢を突っ込んだと見える。回路を短絡させて感電したんだろう。〕
おもむろに仲間の背負っていた刀を抜き、蟲に突き立てた。蟲は小さく痙攣してやがて動かなくなった。
〔こいつはもう駄目だ。エーアイコアが焼損している。――残念だ。〕
スケルトンはゆっくりと立ち上がり、こちらに向き直る。
〔自己紹介が遅れてすまないね。私はクリプト。そこに倒れているのはフロップ……という名だったが、最早ただの機械の塊だ。〕
そして声を上げてどこかに呼び掛け始めた。
〔ケイオス、居るんだろう。そろそろ出て来い。〕
少しの間を置いて、もう一人のスケルトンが暗闇からぬらりと現れた。
〔マーベラス!流石だねえクリプト。どうして分かカカカカカカったんだい?〕
やはり長いコートに身を包んだスケルトン“ケイオス”をクリプトが小突く。
〔お前は一番最初に逃げ出しただろう。どうしてフロップを助けてやらなかったんだ。〕
ケイオスはフロップの傍らに座り込み、泣き縋るような仕草をしてみせた。
〔ごめんなあフロロロロロロロロップ!見えてはいたんだけど、どうしてテテテテテテテも足が前に出なくってえ!〕
クリプトはケイオスを押し退け、フロップの亡骸を担ぎ上げて曰く
〔お前の部品を探しに来た代償は大きい。次はちゃんと働いて貰うからな。〕
釘を刺されたケイオスは大袈裟な身振りでそれに応える。
〔アイノウ!まマママママずはこの遺跡を調査しないとね!〕
そう言ってケイオスは遺跡の入り口の方へと向かって軽やかに歩いて行ってしまった。
〔――ご覧の有り様でね。我々はあいつの交換用部品を探しに来たんだ。しかし君たちも目的は同じように見える。ここはひとつ協力しないか。〕
遺跡の扉の前でケイオスが鍵開けを試みていた。ぺろみと同じようにして鍵穴に金属の細い棒を突っ込んで弄り回すと、程なくして扉の開錠に成功したようだ。こちらを向いて親指を立ててみせる。
「すごい!どうやって開けたの?わたしがずっとやっても開かなかったのに!」
ぺろみが食い付くと、ケイオスは得意げに胸を張る仕草で応える。
〔へへ!それレレレレレレレほどでもないよ。割とポピュラーなシリリリリリリリリンダーキーだからね。後でコツを教えてあげるよ。〕
ケイオスは、ひらけ~ごま!と言いながらレバーに手を掛ける。すると扉は鈍い金属音を立ててゆっくりと上にせり上がり、ついに遺跡の入口が開いた。
ちょっと待ってて、とケイオスが無警戒に中に入って行った。覗き込んでみたが中は闇に包まれていて何も分からない。そしてぺろみがじっと待って居られるはずもなく、ランタンを手に少しずつ踏み入る。私は更にその後ろを静かに付いてゆく。勿論ぺろみのバックパックはしっかりと掴んだ上で――。
たくさんの棚が並べてあり、金属で出来た床には大きな箱も置いてある。棚の上には書物が乱雑に散らばっていて、すでに荒らされた後のようにも見える。私はもっと仰々しく遺跡然としたものを期待していたのだが、ここは少し広い書物の店のようですらある。とはいえこの場所は、ぺろみの目には宝の山のように映っているはずだ。
〔敵性ユニットの検知なナナナナナし!どうやらここはライブラリーのようだね。安全だよ。〕
階段を降りて来たケイオスの報告を受けて、クリプトも中へと入って来た。グリフィンは入り口の前でまたも棒立ちになっている。
〔――警備のロボットが居なかったのは幸いだが、期待薄だな。〕
クリプトはフロップを壁にもたれるように下ろし、中を見回す。灯りが無くても周りが見えているようだ。
〔パラディンの御仁、遠慮しないで君も中に入るといい。なあに、我々は君たちを捕って食いやしない。そもそも有機物を摂取出来るように創られていない。当然ながら危害を加える理由もない。――今の所は、だがね。〕
グリフィンはなおも黙り込み、入り口から動こうとしない。ナルコの遺した建物と悪魔たちがそれ程までに恐ろしいのだろうか?
〔ボクはこの故障したボイスココココココントロールユニットが手に入れレレレば満足なんだ。それ以外のノノノノノノ物はキミたちの好きにしていいよ。〕
ランタンを持っているぺろみと、夜目が利くスケルトンたちが部品を探し始めた。手持ち無沙汰になった私はグリフィンに声を掛ける。
「なあ…彼らはあんたが考えてる程危険じゃないと思うんだけど。」
グリフィンは表情を変えずに答える。
「奴らはああやって友好的な振りをして近付いて来るんだ……今に化けの皮が剥がれる。スケルトンは危険だ。北のフラッドランドには、人を襲うスケルトンがうろついているという報告もある。」
スケルトンは危険なんだ――とぶつぶつと繰り返すグリフィン。まるで自身にそう言い聞かせているようにも見えたが、そろそろ面倒になって来た私は放っておく事にした。
調査隊はやがて幾つかの小さな部品を発見したようだ。台の上に並べてひとつずつ確認してゆくスケルトンたち。
〔これはサーモスタット、これはアククククククチュエータ、こっちはサーボドライバ……う~ん、残ねネネネネネネん!〕
何に使う部品なのかは全く見当もつかないが、ケイオスの落胆の仕草から期待に沿うものではなかった事が窺える。
〔仕方がないな。フロップの部品を取り外して使わせて貰おう。この際使える部品は全て貰ってオーバーホールするべきだ。ワールドエンドに戻らなくてはならないな。〕
ぺろみはその言葉を聞き逃さずに食い付いた。
「ワールドエンドに行くの?それじゃあ一緒に行こうよ。わたしたちもここを調べ終わったらワールドエンドに行くんだ。」
ケイオスはぺろみの言葉に小躍りして応える。
〔スウィート!それレレレレレはいいね!それじゃ早速行こうか!〕
そう言って遺跡を出ようとするケイオスのコートの襟を、むんずと掴むクリプト。
〔待て。人間は暗闇では自由に動けない。それにもう休息が必要な時間だ。ここの調査もまだ終わっていないだろう。出発はその後だ。〕
そう言われてみればまだ食事もしていなかったな。建物の二階に程好い空間があったとの話だから、今日はそこで寝泊まりする事にしよう。残り物の品定めは明るくなってからでも良いだろう。
「グリフィン、そろそろ扉を閉めたい。中に入ってくれ。……まさか外で寝るとか言い出さないよな?」
まだスケルトンを睨んでいる朴念仁を中へと促すと、渋々ながらようやく建物へ足を踏み入れた。私は階下でスケルトンたちと話し込んでいるぺろみに、早く寝るように念押しをして二階の寝床に横になった。
翌朝、目を覚ますとぺろみは私の隣でまだ眠っている。しかしグリフィンの姿は見えない。二階には居ないようだ。
下に降りると、三人に出迎えられて朝の挨拶をされる。
〔おはよう。よく眠れていればいいが。〕
お陰様で快眠出来たと伝える。やはり寝るのは屋根の下に限ると思う。
〔キミたタタタタタタちが寝てる間に価値がありそうな物をピックアップしてテテテテテテテおいたよ。後でチェキラウ!〕
それは手間を掛けさせて申し訳なかった。探す手間が省けたのはそれだけで有り難い。そしてグリフィンが晴れやかな笑顔で声を掛けて来た。昨日までの仏頂面は一体どこへ…?
「ジャグロンガー、昨日は済まなかった。俺はスケルトンに対する先入観が捨てきれていなかった。」
グリフィンはスケルトンたちと同じ長いコートに身を包んでいた。どういう風の吹き回しだと云うのか、にわかには信じ難い光景が目の前に広がっている。
「昨日の夜、思い切って話を聞いてみたんだ。彼らの歴史、第二帝国の盛衰……。教義には反するが、やはり俺はこの世界の過去についてもっと知りたい。」
昨日の約束を覆し、ワールドエンドまで同行すると言うグリフィン。何にせよスケルトンへのわだかまりが解けたのは好ましいと思える。
〔ボクのコート、彼にジャストトトトトフィットでしょ!友達になった記念にニニニニニあげたんだ!最高にイカしてるよね!〕
なるほど、それじゃ今ケイオスが着ているコートは――壁にもたれている裸のフロップが目に付いた。
ぺろみが起き出してきたので戦利品を見せる。大部分は棚にあった書物や地図の類いだ。
〔箱の中に興味深い物があった。古い地図だが、きっと気に入るはずだ。〕
Ashland Domeの文字とバツ印――クリプトが差し出したのは、遥か南東にあるというアッシュランドの地図だ。かの地を目指して旅立った者たちのそのほとんどが、二度と戻る事はないと噂される場所だ。
「へえ、何があるんだろうね。いつか行けるようになるかな?」
あまりにも遠過ぎて現実味に欠けるのか、意外にもぺろみはさほど興味を示さなかった――もっとも行きたいなどと言われでもすれば、私は全力で止めに掛かるつもりだけれど――。その他の地図も工廠跡や書庫といった遺跡の場所を示すもので、主に南西方面の遺跡が多く北西や東の方の地図が数枚、といったところだ。住み処から近い場所であれば、きっと足を伸ばしてみる事だろう。
ぺろみは見つけた書物や地図を全て
「怪我人には重すぎるかな。わたしが持つから、貸して。」
私の不安が透けて見えたのか、ぺろみは私からバックパックを奪って勢いよく背負い込んだ――までは良かったが、流石に重過ぎたのか歩き出す事が出来ないでいる。両脚を小刻みに震わせながら摺り足で前に進もうとする姿は、強く胸を打ち思わず目頭が熱くなる……よな?傭兵殿?
「……分かった分かった、俺が持つよ。いつもは別料金だが今回は特別だぞ。」
私とぺろみの熱視線を浴びて空気を読んだグリフィンが、荷物持ちを買って出た。そういう事なら君のバックパックは私が背負っていってあげようじゃないか。
グリフィンを先頭に列を作り、私たちはワールドエンドへの道のりを歩き始めた。ジャレッドやスーにまた会えるだろうか?
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弐拾陸
〔――ってなワケさ!まったくルルルルルルルナティックだと思わないかい?〕
ケイオスは道中で静かになる隙がない。ぺろみやグリフィンが相手をしてくれているので私は大いに助かっているのだが、その一方でクリプトは必要のない会話をあまり好まないようだ。
〔あれはいつもあの感じでね。熱心に聞いてくれる相手がいるおかげで、いつもより饒舌だがね。音声装置が損耗してしまったのもあのお喋りのせいだろう。〕
スケルトンも人間と同じように、性格のあり方は多様であるようだ。しかし二人は命を落とした仲間に対しても淡々としていて、心から嘆くような様子を見せない。たまたま二人がそういう性格の持ち主なのか、或いはこれがスケルトンという存在なのだろうか。物言わぬ残骸に成り果てたフロップは、生前どんな性格だったのだろう――スケルトンに対する興味が、私にも少し芽生えつつあった。
〔太古のスケルトンは音声を出さなくとも無線通信で会話できたらしいのだがね。現代の技術でも無線装置を作る事は自体は可能だが、スケルトンの身体に納まるように小型化するのは不可能だ。どうしても大きくなってしまう。〕
クリプトは世間話よりも歴史や技術に関する話になると、途端に口数が多くなる。あまりケイオスの事をとやかく言えないと思うが、もちろん私は黙って相槌を打つ。
無線通信…それにしても興味深い技術だ。住み処に居ながらにして遠くの相手とやり取り出来るならば、それほど便利な事はない。将来的な研究対象として、頭の隅に留め置くことにしよう。
私たちが歩みを進めるオクランの
そして尾根伝いに歩いたその道の終着点、岩山の天辺に見えて来たのが今回の旅の目的地、テックハンターたちの集う街――ワールドエンド。
〔諸君、我々は一旦ここでお別れだが、縁があればまた
クリプト、そしてケイオスと握手を交わし、私たちは街の入口で別れた。
「君たちに出逢わなければ、この街に来る機会なんか無かったに違いない。礼を言わせてくれ。」
グリフィンとも握手を交わし、互いの荷物を交換する。またのご用命をお待ちしているよ――そう言い残すとグリフィンは真っ直ぐに街の奥へと歩き去った。
そして取り残された私たち二人。ようやく辿り着いた街の景色を私はじっくりと眺める。オクランに
ぺろみは早く街に入りたくてそわそわしているが、私の肩にはずっしりと重い荷物がのしかかっている。これを持ったまま歩き回るのは難しい。
「ぺろみ、まずは宿を取って荷物の整理をしよう。必要な書物とそうでない物を分けてくれ。不用品は処分しないと、このままではお土産を持って帰れないよ。」
ぺろみは二つ返事で納得し、私たちは酒場へと向かう。
半分以上の書物は既に読んだ事があるか、似たような内容の物だったので雑貨商に売り払った。テックハンターの出入りする場所柄、書物が持ち込まれる事は少なくないようで売値は二束三文だったが、今は荷物が減ってくれればそれでいい。
「こんにちは!ブラックデザートに行くのにおすすめの帽子、ある?」
兜専門店に入るなり並べてある商品には目もくれず、まっすぐに
「ねえちゃん、あんな所に何しに行くってんだい?四六時中酸の雨が降ってて、熟練のテックハンターでさえ近寄りたがらない場所だぜ。」
ぺろみはクリプトたちからスケルトンの街の話を聞き、ブラックデザートへの興味がいよいよもって増してきたのだ。
「あの酸の雨の中を歩き回りたいってんなら、酸に強い革の帽子が必要だぜ。こういうのはどうだ。」
そう言って主が出してきたのは、アッシュランドの帽子と呼ばれる広いつばの付いた黒い帽子だ。彼の地から生還した冒険者が身に付けていたという由来のある代物だが、その噂が果たして本当なのかは怪しいところだ。
ぺろみが頭に乗せてみると、顔の半分が隠れてしまう程に大きい。もっと小さい物はないのか?
「……悪いけどうちで一番小せえやつだぞ、それ。もっと小せえのがお望みなら、作るしかねえよ。うちで承っても構わねえが、
シオリに頼んだ方が良い物が出来そうだ。ここは主の言う通りに型紙を買って帰ろう。
「マスクもあった方がいいと思うぜ。酸の雨が降ってるって事は、空気にも酸が混じってるって事だ。肺をやられて息が出来なくなっちまう。」
主は棚から取り出した二種類のマスクをカウンターに並べる。
「こっちはフォグマスク。金属で出来てて頑丈だがその分だけ重てえんだ。ねえちゃんが使うならこっちの三号防護マスクがいいんじゃねえかな。革張りで軽いし、機能は変わらねえ。ガスとか砂嵐なんかからも守ってくれるぜ。」
鏡の前に立ち帽子とマスクを合わせてかぶってみると、なかなかの怪しい見た目に二人とも笑いを堪えられない。この恰好ではどこの街に行こうとも、入り口で止められて尋問を受ける事は請け合いだ。そしてぺろみに合う大きさの物はやはり揃っていないらしい。製法を記した書物は安価だから、それを二種類貰う事にしようか。
衣料品店、武器店、クロスボウの店とはしごして、ぺろみはようやく満足したのか水耕栽培の施設を見学する気になったようだ。外に大きな貯水槽が置いてある建物に私たちは足を踏み入れた。
扉を縦にひとつ半くらいの広さがある浅い桶には水が張られ、上から照明を当てるための架台が組まれている。そうして昼夜問わず光を当て続ける事で、日没の後も作物が生長を続けるのだそうだ。水耕栽培に不向きなサボテンや綿花以外の作物ならほとんど何でも栽培出来るらしく、この建物ではグリーンフルーツがその枝に小さな実を付けている。
なるほどこの設備であれば米を作る事は可能であるように思える。ボーダーゾーンでは作れない米やその他の作物も収穫出来るようになれば、まろやか村の食卓も彩り豊かなものになるに違いない。もっとも料理をするのはミバールだから、彼女の手間がそれだけ増えてしまう事にもなるのだけれど。
管理者から運用に関しての諸注意などを事細かく尋ねては、メモに記してゆく。さしあたって必要になるのは設備を収められるだけの広い建物と、大量の水を蓄えておける貯水槽だ。これは帰ったらまた建物を造る日々が始まりそうだな…。礼を述べて建物を後にし、この街での目的を一通り終えた私たちは再び酒場へと足を向けた。
それにしても、街の人々がぺろみへと熱い視線を注いで来るように見えるのは、気のせいではないはずだ。すれ違う者は必ず振り返るし、離れた所で井戸端会議に興ずる者たちもぺろみを見ながら何か話しているような気がするのだ。愛らしい顔立ちだから目を引くのは分かるが、あまりにも黒々としている姿はやはり目立つのだろうか?私は旅立つ前のミバールの言葉を思い出す。
「サケはあるかな。二杯貰いたい。」
コップに波々と
「強い酒だから少しずつやるんだ。きっと気に入ると思うよ。」
私自身も口にするのはだいぶ久しぶりだ。一口含んで香りを確かめると、故郷の風景がありありと脳裏に浮かび上がって来た。飲み込めば舌に残るやや強い辛味、喉は熱くなり、そして鼻を抜けてゆく余韻――ああ、これだ。私はやはり米のサケが一番好きだな。
「喉が、かーってなるね。でも、おいしいかも。」
ぺろみはすでに半分くらい飲んでしまっているが、気に入ってくれたようで何よりだ。これからは住み処でもサケが楽しめるようになるかもしれないと思うと、少し嬉しい気分になってきた。続いてやって来たのは茹でたグリーンフルーツとミートラップ。
「これはあまり味がしないけど、サボテンよりは食べやすくていいね。わたしこれ好きだよ。」
薄切りのグリーンフルーツはしゃきしゃきとした歯応えで、サボテンのような強いえぐみもなく確かに食べやすい。ミートラップは肉をパンで巻いてから焼いたもので、丁度カクティ・ミーティからサボテンを抜いたような料理だ。これが美味しくない訳もなく、二人ともあっという間に平らげてしまった。
住み処では食べた事のない食事で腹も心もすっかり満たされた私は、ぺろみに出逢う前の日々を思い返していた。そして出逢ったあの日の事も。そういえば――。
「ハブに来る前の事を、何か思い出したりはしないのか?何かの拍子に記憶が蘇ったりとか、よくある話だと思うけど。」
ぺろみは黙って首を横に振る。
「ツルハシがずいぶん手に馴染むな、って事くらいかな。でも、いいんだよ、昔の事なんか。わたしはみんなと一緒にいる今がとても楽しいから。」
酒で良い気分になっているせいもあるが、ぺろみの言葉は胸に深く沁みてくる。誰かと一緒に居て楽しいなんて、ぺろみに会う前の私の人生では想像も出来なかった事だ。ここで私の良くない癖が頭をもたげて来た。
「ぺろみ…もし…もしもだけど、私が戦いで深く傷付いて、その…命を――」
そう言いかけたところで、ぺろみが私の後ろに視線を投げているのに気が付いて振り向く。
「……ぺろみさん?」
その声にぺろみは立ち上がり、二人は相擁する。声の主はぺろみの旅に同行してくれた、テックハンターのスーだったのだ。
「良かった!近くそちらに伺おうと思っていたんですよ。お二人ともお元気そうで何よりです。ぺろみさんと、ええと……」
…ジャグロンガー。私も立ち上がって握手を交わす。
「街で噂の的になってますよ、ぺろみさん。“ジャレッドが帰って来たのか!?”って。私もはっとしちゃいましたよ、その装い。」
視線の原因はやはりぺろみの姿だったのが分かったのだが、その理由は思いもよらないものだった。背丈もあまり変わらなければクロスボウを背負ってもいるし、この街ではどうやら“小柄で黒ずくめの人物はジャレッド”という共通認識が形成されているようだ。さぞかし有名な人物であるに違いない。
「丁度良かったです。お渡ししたい物があったので。」
スーは右肩に掛けていたクロスボウをテーブルに置き、バックパックを降ろしてその中から黒い布のような物を取り出した。近くで見ると鈍い光沢を放っているそれは、テーブルに置かれると微かに金属のような音を立てる。顔を近付けてよくよく見れば、これは黒染めの鎖帷子だ。
見た事のある形のクロスボウを前に、ぺろみは怪訝な顔をする。
「これ…レンジャーだよね。スーのやつじゃないでしょ?」
スーは僅かに微笑みをたたえたまま深く頷き、静かに口を開いた。
「父の形見です。父は……ジャレッドは、亡くなりました。」
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弐拾漆
私とぺろみはスーの顔を見たまま凍り付いている。あまりにも唐突に知らされたジャレッドの訃報に対して、理解が追い付かない…いや、全く信じられないのだ。
「先日、クレーター調査の遠征隊が戻って来たんですけど、七人で出発した隊が三人に減っていて……その三人の中にジャレッドは居なかったんです。」
スーは生還した隊員からの話を、とつとつと語り始める。
――クレーターまでの道のりは相当厳しいものであったと聞きました。ステン砂漠周辺は、人間よりも大きいスキンスパイダーという蟲が群れを成して闊歩しているとか…。そして危険な蟲たちの目を掻い潜りながら辿り着いたその先の地は、多数のガッターが棲息する更に恐ろしい場所だったそうです。
運悪くガッターの群れに追われた調査隊は、すでに見えていた遺跡に向かって走りました。ガッター…ビークシングとも言うんですけど、この生き物は恐ろしく足が速いんです。…まずそこで一人が犠牲になりました。逃げ込んだ先の遺跡は研究所跡のような建物でしたが、この中にも次の脅威――アイアンスパイダーと呼ばれる機械仕掛けの巨大な蟲が警備していて……。
外にはガッターが徘徊していて逃げ出せませんから、調査隊は建物を制圧すべく奮戦しました。しかしながら次々と這い出してくる鉄の蟲たちを相手に二人が命を落とし、ジャレッドもこの時に深手を負いました。すぐに応急処置を施されましたが状態は芳しくなく……一行は調査を断念して南東のクラウンステディへと急ぎました。ですが…残念ながらその道中で息を引き取ったそうです。ジャレッドはそのままクラウンステディで
スーは上着のポケットから小さな包みを取り出し、テーブルの上で広げ始めた。白い欠片と白い繊維が、布の上で音も無く転がる。
「ジャレッドの遺灰と遺髪です。親交の深かった人たちに配られました。果てるならば旅のどこかで、とよく言ってましたから、彼も本望だと思います。」
旅の達人は去り際も淀みない。ふと、ぺろみが連れ帰ったオオカミの事を思い出す。あいつもこんな風に白い欠片だけを残して、あっけなく居なくなったんだっけ。
「ジャレッドがスーのお父さんっていうのは初めて聞いたけど、本当なの…?」
ぺろみの疑問に答えるように、スーは続けて自身の身の上を話し始めた。
――子供の頃、故郷のデッドキャットがカニバルの襲撃に遭いました…その時に家族と生き別れになったんです。皆うまく逃げおおせて何処かで生きているのか、それとももう居ないのかは…今も分かりません。
逃げ延びた先は海の側で、一緒に逃げた大人たちはそこに漁村を興しました。幼かった私は、同じように身寄りを失くした子供たちと一緒に暮らす事になって…。私は両親が恋しくて、毎日泣いて過ごしました。そんな時、私が給仕として働いていた酒場に現れたのが、テックハンターとして旅をしていたジャレッドでした。
ジャレッドはしばらく村に滞在していたんですけど、店は暇でしたから私はジャレッドの話し相手をして過ごしました。そして世界を旅するテックハンターという職業がある事を知って、私は閃いたんです。テックハンターになれば、旅をしながら両親を探せる!って……ふふっ、子供の考えですよね。
それから私は毎日のように、ジャレッドに連れて行ってくれるように頼みました。ひとつも真面目に取り合って貰えませんでしたけど、どうしてもテックハンターになりたかった私は、彼が村を発つ前の晩に泣いて頼み込んだんです。…結局聞き入れて貰えませんでしたけどね。
でも、私は子供ながらに勘を働かせていました。きっとジャレッドは私が眠っている間に、黙って居なくなるに違いないって…。まだ薄暗いうちに寝床を抜け出して外に出ると、丁度ジャレッドが村の門を出てゆくところでした。私は彼に
やがて私たちは森に差し掛かりました。木々に紛れて見失わないようにするのが精一杯で周りが見えていなかった私は、ラプターの巣に足を踏み入れてしまったんです。丁度繁殖の時期で気が立っていたラプターたちに追い掛けられた私は、もうなりふり構わずジャレッドに助けを求めました。ジャレッドはたいそう驚いた顔をしていましたね……ふふっ、あの時の顔は今でも忘れられません。……私を担ぎ上げたジャレッドは、森の中を風みたいに駆け抜けました。すごく速かったんですよ、本当に。そして私たちはとある集落に辿り着いたんです。
オクランの
そして私の背丈がジャレッドを追い越した頃にようやく…私を連れて旅をしながらテックハンターのいろはを教えてくれるようになったんです。
だから……本当の両親よりも長く一緒に居たジャレッドは私の父で、母はモールさんなんです。二人にそれを言っても断固として認めてくれませんけどね、ふふっ。…あ、モールさんは女性なんですよ。聡明で芯の強い方で、村の皆の憧れなんです。
ひとしきり話して満足したのか、スーは深いため息をついて大人しくなった。
「――すみません!私の話ばっかり……ええと…そういう訳ですので、これは形見分けの品として是非受け取って頂きたいと思うんです。特にレンジャーはジャレッドの体格や癖に合わせて調整されているので、私には少し使いにくいんですよね。」
ぺろみはクロスボウを手に取ってじっと見つめる。私も黒い鎖帷子を手に取り、広げてみた。すると…あの日の記憶、ダスト盗賊と戦いジャレッドと出逢ったあの晩の様子が鮮やかに蘇る。
「これは…ジャレッドが頭に巻いていたターゲルムストじゃないか。自分で使わなくていいのか?貰ってしまうのは……」
スーは少し苦笑いを浮かべて頷く。
「ええ、ええ…いいんです。私はジャレッドの思い出が
胸元に手を当てて微笑む。黒染めの鎖で編まれたターゲルムストは裏側に布が宛ててあり、顔を近付けると仄かにジョイントの煙の匂いがした。
「スー…ありがと。大事にするね。」
ぺろみとスーは再び相擁する。ジャレッドが私たちの所へスーを寄越したのは、ぺろみならばスーの良き友人になってくれると考えたからじゃないだろうか?今となってはもう尋ねる事も叶わないが、私はジャレッドの親心に深く感じ入る。
「そうだ、スー、あのね――」
ぺろみはジャレッドに貰った地図に記されていた、遺跡での出来事を話し始めた。スーは身を乗り出して聞き入る姿勢を見せる。きっと長くなるだろう――私は給仕に追加の酒と肴を注文した。
「――またいつでも遊びに来て!まろやか村はどんどん大きくなってるから、きっとびっくりするよ。」
お喋りが終わって外がすっかり暗くなった頃、私たちは酒場の前で別れた。そして宿に戻り、私はベッドに腰掛けて足の傷に新しい包帯を巻き直す。
「明日はどうする?大学に顔を出していくのか?」
スーと別れた後、ぺろみはずっとぼんやりとしている。
「…ううん。そんな気分じゃないし、特に用もないからもう帰ろう。」
そう言うとぺろみは静かに私の隣に座り、頭をもたれて寄り掛かって来た。私の右手を握り締めてぽつりと呟く。
「…ジャグロンガー、いなくならないでね。ずっと一緒に居てくれなきゃ
……ずいぶんと一方的な物言いをするじゃないか。片時も離れずにいたいのは私だって同じなんだ。むしろお前の方こそが、すぐにどこかへ消えてしまいそうに
「――大丈夫だよ、私はいつでもお前の側に居るから。」
ぺろみの肩を抱いて小さな頭をゆっくりと撫でる。ずっとこうしていられたら良いのに。避けて通れない戦いの中に身を置く私たちは、いつ誰が居なくなってもおかしくはない。留守番の皆は無事でいるだろうか。盗賊や黒龍党の襲撃に見舞われてなければ良いけど……。
良くない考えが巡って来るようになってきたな。もう寝てしまおう。まだ私の肩にもたれ掛かっているそのこめかみに口づけをして就寝を促すと、ぺろみはその場でブーツを脱いでそのままベッドに横になった。
「……ああ、ええと、うん。まあ…いいか。」
私も防具を外し、ぺろみの隣に身を横たえる。
翌日、ぺろみはいつもの様子に戻っていた。まろやか村の皆の為にと、サケの瓶とグリーンフルーツの実を荷物に詰め込んでいる。
「忘れ物ない?じゃあ、行こっか。」
揚々と宿の外へと出ると、もうだいぶ日が高くなっていた。日差しに目が眩んだ私は左手を目の上にかざす。空気はひんやりとしているが、風は無く心地好い天気だ。ぺろみは貰ったターゲルムストを早速頭に巻いている。しかしこの街でその恰好は目を引き過ぎるから、出来ればよした方が良いと思うのだけど。
門をくぐって街を出てしまえば、帰りは道なりに山を降りてゆくだけでオクラン・プライドへと出られるようだ。寄り道さえしなければ、明るいうちにブリスターヒルへと辿り着けるだろう。
「戻ったら水耕栽培の設備のために建物を作らないとならないな。何か考えはあるのか?」
私の問いに対して、あるよ!との返事。それならばぜひ拝聴させて貰おうじゃないか。
「キッチンは今の人数だともう狭いから、ご飯を食べるための建物を作りたいな。ワールドエンドで泊まった酒場みたいな、二階建ての大きいやつだよ。」
ぺろみが語るところによれば、広い建物の中に調理場と水耕栽培の設備をまとめて収めてしまおうと考えているようだ。一階で野菜、二階で米とサケを作り、運搬の手間をなるべく減らそうと目論んでいるらしい。
「なるほどね…でも肝心の水はどうするんだ?やっぱり逐一井戸から汲んで運ぶしかないのか?」
それについても何か腹案があるようだが、まだ秘密!として教えてくれなかった。ぺろみは何かを企んでいる時に、妙に勿体ぶるのが好きだ。
「あとね、発電機も欲しいんだ。水耕栽培って、電気をたくさん使うみたいなの。大きい火力発電機を置くための建物も作りたいと思ってるよ。」
それはいい考えだ。しかし火力発電を始めるとなると、燃料の安定供給という最大の課題がある。それについてはどう考えている?
「水耕栽培で麻を育てるんだよ。バイオマスプラントの設備があれば、麻を分解して燃料にできるってクリプトから聞いたんだ。それと麻って布地にもなるでしょ?麻から薬も作れるから、包帯とか傷薬を作ったり出来るようになると思うよ。」
なるほど…ぺろみの頭の中には、もうすでに周到な計画が練られてあるようだ。麻の生産が軌道に乗るまでの間、発電機の燃料はハイブのトレーダーと取引すればいいだろう。
幾つもの計画が歯車のように上手く噛み合って、まろやか村はまた一つ大きな発展を遂げつつある。果たして人手が足りるのか心配になって来るくらいだ。さしあたり必要な資材のために、またハイブの集落に出向いて隊商を手配しなくてはならないな。私の頭の中でも、計画の実現に向けて
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弐拾捌
ホーリーネイションの勢力圏において主要部分を占めるオクラン・プライドと呼ばれる地域は、ウェンドからの川の流れに沿って草原地帯が広がっている。農業を営む集落が点在している事からも、肥沃な土壌を持っている事は明らかだろう。
大地が豊かであるという事は、獣たちの棲息にも適しているという事だ。ブリスターヒルを発ってスタックまで伸びる街道へと入り、左手に広がる川の流れを眺めながら歩いていると、獣の群れが川沿いをのそのそと移動しているのが目に入った。ぺろみは群れを指差して曰く
「見て、ラプターだよ。たくさんいるね。畑の野菜を食べちゃうから、この辺じゃ嫌われてるみたい。」
…ラプター?あのずんぐりとした見た目は確かにラプターのように見えるが、ラプターっていうのはもっとこう、背中が
厄介な獣の群れを見送ってしばらく歩くと川の流れは次第に街道から離れてゆき、やがて荒涼とした大地ばかりが目に入るようになる。すると今度は厄介な人間の群れが目の前からやって来た。
「あれは何ていう獣かな?」
冗談めかして尋ねてみると、ぺろみはくすりと笑って曰く
「あれは野盗っていう獣だよ。いつも腹ぺこで目に入った生き物は何でも襲う悪いやつだよ。」
向こうも私たちに気が付き、足を早めて近寄って来た。なるほど、ぺろみの言う通り何にでも絡んで来るようだ。
「食事の時間だ。食糧を奪え!」
ホーリーネイションの歩哨たちが巡回しているこの街道で、白昼堂々の盗賊行為とは恐れ入る。しかし走って逃げようにも荷物は重いし、私は足を負傷していて速く走れない。やれやれ――バックパックを降ろして剣を抜く私を見て、ぺろみがレンジャーを構えた。
相手は十人ほどの集団。それぞれ鉄の棒で一応の武装をしてはいるが、ぼろを巻いただけの痩せこけた身体だ。数で勝るとはいえ、それなりの装備を身に着けている私たちとやり合おうとするのは無謀もいいところじゃないか?私は両腕を広げて制止する仕草をしてみせた。
「待て、悪いけど食糧はない。それと長生きしたければ見逃してくれないか。お前たち、ダスト盗賊たちと戦った事はあるか?バンドオブボーンズの戦士たちを見た事は?黒龍党の忍者に襲われた事は?」
野盗たちはたじろいだ様子でお互いの顔を見る。無用な戦いは避けるべきだ。そのまま
「ハッタリかますんじゃねえ!たった二人で何が出来るってんだ!」
男が剣を振り上げた瞬間、その腕にクロスボウの矢が突き刺さった。矢は見事なまでに腕を貫通し、男は剣を取り落とす。振り向くと、ぺろみは慌てた様子でレンジャーを弄っている。まさかまた暴発させたのか?私は指を振ってや・め・ろ、の仕草を見せ、野盗たちに向き直る。
「あの女は私のボスなんだが……ご覧の通り血の気が多くてね。新しい
野盗たちは一層怯んで後ずさる。これはしめたものだ…と思っていたら、ぺろみが私の横に立っていた。抗議の視線と共に私の肩を叩く。
「ひどい言い草!私がやばい奴みたいに言わないでよ!」
おっと、聞こえてしまっていたか。これは失礼。
「…でも試し撃ちはしてみたいな。あなたたち、的になってくれる?」
「私の交渉術も大したものだろう?」
バックパックを拾い上げる私へと向けたぺろみの視線は冷たい。
スタックに到着したのは日が落ちてからの事だ。夜警の衛兵に軽く挨拶をして門をくぐる。野盗たちに食糧がないと言ったのは本当の事だ。すっかり腹ぺこになっていた私は酒場へと急ぐ。
「ぺろみ、ミートラップでいいか?私が買っておくから、先にベッドの手配をしておいてくれないか。」
返事がないのでぺろみの方へ目をやると、さっきまで確かに隣に居たはずの姿がない。振り返っても目の届く範囲には居ないようだ。まったく…どこへ消えたんだ?私は来た道を引き返す。
門をくぐった壁の内側、街へと降りる階段の陰に大きな黒い塊が見えた。私は小さく溜息をつき、それに歩み寄る。
「どうした、何か見つけたのか?腹が減っているのは分かるけど、拾い食いだけはするなよ。」
しゃがみ込んでいるぺろみの横に並んで身を屈めてみると、そこに居る誰かに話し掛けているようだった。細い腕で膝を抱えて
「何を聞いても首を振るばっかりなの。…ねえ、あなた、お腹空いてるでしょ?」
相手はぺろみの問いには答えず、顔を膝に
「そこで何をしている。」
声に振り返ると、一人のパラディンがこちらに近付いて来るところだった。これは丁度良い…私は右手を軽く上げて応える。
「子供が一人でここに座り込んでいるんだ。保護して貰う事は出来るか?」
助けを求めると、パラディンは子供をちらりと見やる。
「…ああ、その子供は…。両親に異端者の疑いがかかって連行されたのだ。その子はまだ幼いから、聖王様の寛大なる御慈悲により
ぺろみは険しい表情で立ち上がった。…おっと、ここでパラディンと揉めるのはまずい。私はぺろみの肩に手を置いてなだめる。
「それじゃあ要するに
パラディンは腕を組み、顎を
「その子が暮らしていた農家には新しい入植者が数名入ったはずだ。なのにここに居るという事は、逃げ出したか追い出されたんだろう。まあ、その……口が利けんだろう、その子。」
そんな…と言いかけた私よりも先にぺろみが口を開いた。
「そんなの可哀想だよ。誰も面倒見てくれないなら、うちに連れて帰るから。」
…ああ、やっぱりこの流れになったか。私がハブの酒場で声を掛けられた時を思い出す。
「おい待て、孤児だろうと宿無しだろうと聖王陛下の臣民だ。同意なく連れ去る事は誘拐の罪に問われるぞ。」
パラディンの咎めるような言葉に対し、ぺろみは子供の方へと向き直る。行くよね?と問い掛けるが返事はない。全くの無気力、といった具合だ。ハブに居た頃の私は、きっとこんな風に見えたのだろうか。
「ああ……分かったよ、待ってくれ。実は俺もその子が気になっていたんだ。」
パラディンは急に態度を崩し、周囲を気にしながら子供の様子を見るようにしゃがみ込んだ。手を伸ばして子供の頭をゆっくりと撫でると、その太い腕に付けた赤い組紐の腕飾りが揺れる。
「あんたたち、奴隷商なんかと繋がってないだろうな?」
――奴隷商?勘弁してくれ。例え食い詰めたとしても人身売買に手を染めるつもりはないぞ。私は大袈裟に腕を広げて否定の意を示す。
「本当か?信じるぞ。……なあ、お前。この人たちに連れて行って貰え。きっと悪いようにはしないはずだ。昔から俺の勘はよく当たるんだ。」
パラディンの言葉に対しても子供は何も答えない。ここまでの絶望に苛まれる程の、何がその身に起こったのだろうか。するとぺろみはおもむろにターゲルムストを外し、子供を抱き締めて頭を撫で始めた。
「心配しないで。帰って皆で一緒にご飯を食べようよ。ベッドもあるから並んで一緒に寝よう。一人で居なくても良いんだよ。ね?」
ようやくぺろみの気持ちが伝わったのだろうか、啜り泣く声が小さく聞こえて来る。
「あんたたちの恰好だと
脱出の手助けをしてくれるのは有り難いが、こんな事が露見すれば懲罰どころでは済まないのではないか?
「なあに、上手くやるさ。昔から誤魔化すのは得意なんだ。」
私の心配をよそにパラディンはにやりと歯を見せる。
南側の門の近くで待機し、照明が消えた隙を見計らって素早く通り抜ける手はずだ。自身の
「ぺろみ、私が警備の気を引くから、その子を抱いて素早く通り抜けるんだ。街から離れたらランタンを灯して待っていてくれると嬉しいな。」
えっ、でも…。ぺろみが何かを言いかけたところで門の照明が消えた。さあ、行くぞ!ぺろみの肩を叩き、私は門へ向かって移動を始める。
案の定、衛兵たちは色めき立っている様子だ。一人が持ち場を離れて走るのが見える。
「どうかしたのか?なんだか暗いようだけど。通ってもいいかな?」
無関係を装って衛兵に話し掛けると、全員が一斉に私に注目したのが分かった。ぺろみ、通り抜けるなら今だぞ…!
「照明の故障のようだ。通ってもいいぞ。」
そうかい、ありがとう。私は衛兵に礼を言って離れ――
「待て。お前、この暗い中を明かりも持たずに出歩くのか?」
一人の衛兵の鋭い指摘。何か言い訳をしなくては……。
「……いやあ、路銀をどこかで落としてしまったらしくてね。大した額ではないけど、そういう訳で今は文無しなのさ。宿には泊まれないし食糧もないときてる。それに街の中で野宿は御法度だろう?一旦外に出て寝袋を敷くさ。」
それを聞いた衛兵は自分の腰に付けたポーチをまさぐり始める。そして取り出した包みを私に手渡そうとして来た。
「それは災難だったな。金は出してやれないが、これを持って行くといい。今夜の分の
いや、そこまでして貰わなくても…。私は断ったが衛兵は包みをぐいと押し付けてくる。
「気にしなくていい。気を付けて旅を続けてくれ、兄弟。」
やむを得ず受け取り、衛兵に礼を言ってその場を離れた。何だか少し後ろめたい気分だが、実のところ食糧は買いそびれたので丁度良かった。あの子供に食べさせてやろう。ふと振り返ってみると、門の照明はもう復旧しているようだった。あのパラディンが上手くやり過ごせていれば良いが。
ホーリーネイションのパラディンたちは常に四角四面としていて融通が利かない印象だったが、思いのほか人情に
そんな事を考えていると、離れた所にぽつりと明かりが灯っているのに気が付いた。あそこでぺろみが待ってくれている――私の足取りは自然と早くなってゆく。
「やあ、待たせたね。パラディンに食糧を貰ったから、まずは野宿の支度をしようじゃないか。」
岩陰に陣を張って寝袋を敷く。包みの中には二片のドライミートと四角い箱型のパンのような物が入っていた。パンを小さく割って口に入れてみる……何だかパサパサしていてあまり美味しくないな。口の中が乾いて水が欲しくなる。
「無いよりはまし!毒がなければ食べられるよ。」
ぺろみがパンを三つに割って私と子供の手に乗せる。子供はそれをさらに小さく割って口に入れた。もぐもぐと口を動かしているが表情は固い。
「……な。これ、あまり旨くないよな。」
私の問い掛けにしばし考えたが、とても小さな頷きを返してきた。良かった、意思の疎通は出来そうだ。
食事を終えればあとは横になるばかりだ。もうすっかり気を許しているのか、子供はぺろみに
あの時ぺろみの目に留まらなかったら、この子はどうなってしまっていたのだろうか。私たちが引き合わされたのは運命の
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弐拾玖
「ほら、見て!私たちあそこに住んでるんだよ。」
ぺろみは子供の手を引き、行く手の向こうに見える集落を指差した。囲いの上から建物が顔を覗かせ、朝から吹いている西向きの風が大きな
囲いに沿ってぐるりと東側に周ると、門の格子はすでに上がり、中から誰かが出てくるところだ。
「おう!帰って来たな。無事で何よりだ。」
ジュラニが門を開けて待っていてくれたようだ。門番が板に付いて来ているじゃないか。子供に気が付いて身を屈め、顔を近付ける。
「……ああん?どこで拾って来たんだいその汚ったねえガキは。ガリガリで食うところはなさそうだな……
ぺろみが無言で繰り出した手刀はジュラニの額に炸裂した。子供はぺろみの後ろに身を隠す。
「子供を怯えさせるのが仕事か?……留守番ご苦労さん。何か変わった事は?」
ジュラニは額を
「別にねえかな。旦那たちがここを出たすぐ後と、きのう忍者どもがまた来たくらいか。いい運動になったぜ、へへ。」
ああ、そういえば――と続けたジュラニの声をかき消したのは、慌てた様子で飛んで来たミバール。
「ジャグロンガー!大変だよ!」
息を切らしているミバールの背中を撫でる。何があったんだ?
「はぁ…はぁ、ま…また来たんだよ、あいつらが……!」
ああ、黒龍党の忍者たちが来たんだろう。それも二回も。しつこい連中だと思うよ。
「オクランの宣教師が来たんだよ!」
言葉の意味を理解して、私は息を呑んだ。迂闊だった…この世界で関わり合いたくないのは、襲撃者だけではないのを全く失念していた。
「それで……どうしたんだ?」
ミバールは横にいるジュラニの方を見た。
「……えっ?いやあ……フラットスキンどもが門の外でなんか喚いてるからよ。帰れ!っつって追い返した。案外すんなり帰ったぜ。」
……なるほど。よりにもよってシェクに追い返されたとあれば、宣教師殿は大層ご立腹であった事だろう。
「あたしが後から追っ掛けてって、一応とりなしてはおいたんだけどさ……納得はしてないみたいだったよ。次は異端審問官を連れて来るかもしれない。」
ボーダーゾーンくんだりまでわざわざやって来て、やる事が異端裁きとは何ともご苦労千万な話だ。まあ、起きてしまった事をいくら嘆いても仕方がない。何か対策を考えなくてはならないだろう。
「……どうしたんだい?その子。」
子供に気が付いたミバールが、しゃがんで顔を覗き込んだ。実はかくかくと経緯を聞かせると、おやまあ、と子供の頭を撫でる。
「ミバール、この子の身体を拭いてあげたいから、お湯を沸かしてくれる?」
ぺろみの催促に、はいよと返事をしてミバールは立ち上がり、キッチンへと促した。
革の防具は丈夫だが、ずっと着けていると蒸れてしまうのが玉に
「ブーツにも装甲を施した方が良いかもしれませんね…検討してみます。後で採寸をさせてくださいませ。」
ありがとう、頼むよ。私は工房を後にした足で井戸に向かい、頭から勢い良く水をかぶった。汗と疲れがきれいに流れ落ちてゆくような感覚に思わず身震いする。さっぱりして身軽になったら何だか腹が減ってきたな。
キッチンの扉をくぐると、裸の子供をぺろみが丁寧に拭いているところだ。水桶の中の湯がかなり濁っている。きっと綺麗にして貰えた事だろう。しかし背中や脚に打たれたような痕があるのはどうした事だ…?まじまじと見る私の視線に気が付いたのか、ぺろみは私に向かって小さく首を横に振った。――そうか、まだこんなに小さいのにずいぶん苦労したんだな。
「気持ち良いか?綺麗にして貰えて良かったな。」
子供の頭をわしわしと撫でると、私の視線を避けるようにもじもじとし始める。……おや?
「…お前、女の子だったのか。」
ぺろみは不思議そうに私をしばし見やり、そして何かを閃いたような顔を見せて少女に耳打ちを始める。すると少女は驚いたような顔でぺろみを、そして私を見た。……また何か余計な事を吹き込んでいるな?
「あなた、名前は何ていうの?読み書きは出来る?」
ぶかぶかのお下がりを着せて貰った少女は少し考えてぺろみの手を取り、その手の平に指先で文字を書き始めた。細い指でなぞられてくすぐったいのか、ぺろみは小さく声を上げて身をよじる。
「M…a…r…g…i…n…a……。マーギナ?マギーナかな。」
少女は口をぱくぱくさせて名前を伝えようとするが、ぺろみには上手く伝わらない。すると隣で聞いていたミバールが口を開く。
「マルジナ、じゃないのかい。あたしのおばあちゃんと同じ名前だよ。」
少女は首を何度も縦に振り、正しい事を伝えて来た。
「へえ、マルジナ!よろしくねマルジナ。わたしぺろみっていうの。ご飯を作ってくれるのはミバール。この人はジャグロンガーだよ。」
よろしく。私は指先でマルジナの小さな手を掴んで握手を交わす。
「ぺろみはこのまろやか村のボスだ。他の皆も頼りになる連中ばかりだから、何でも相談してくれよ。」
マルジナは少し微笑んで小さく頷いた。
食事の支度を待つ間に、シオリに採寸をして貰う事にしよう。キッチンを出ようとする私をミバールが呼び止める。
「シオリに会っただろう?どんな様子だった?」
どんなって……いつもと変わらないように見えたけど。言葉の意味を量りかねている私にミバールは続けた。
「ほら…黒龍党が二回も来ただろう?どうしたって戦いだからさ、毎回向こうの何人かが命を落としちまうんだよ。」
そうだな…こっちだって遊びじゃないから、そういう事もあるだろう。シェクの戦士たちは戦う為に生まれてきたようなものだし、そこに手を抜くような真似はしないと思う。
「みんな古巣の顔見知りだからさ、何人も墓送りにしちまってあの子もだいぶ参ってるみたいなんだよ。食欲もあまり無いみたいでねえ…。」
それはあまり良い状態ではないな。シオリは優しいから、きっと誰にも言わずに抱え込んでいるんだろう。私はミバールに礼を言って工房へ向かった。
作業場にシオリは居ないようだ。建物の裏手に回ってみると、三つに増えた塚の前でシオリは手を合わせて黙祷を捧げているようだった。そっと肩に手を置くと、私に気が付いてこちらに顔を向ける。
「あっ…すみません。お身体の採寸ですね、すぐに支度を。」
シオリは私の横をそそくさと通り抜け、工房へと行ってしまった。確かにあまり元気が無いように見えるな。何と言って声を掛ければ良いだろうか…。
巻尺を持って待っているシオリの前に服を脱いで立つと、慣れた手つきで脚の方から細かく寸法を測ってゆく。
「シオリ…その……何もしてやれる事がなくてすまない。向こうも早いところ諦めてくれると良いんだけど…。」
シオリは手を止めて立ち上がる。
「いえ…こればかりは仕方のない事でございますから。わたくしも腹を括っておりますので……あら…?」
私の背中に指で触れるシオリ。少し冷たい指先の感触が上から下へゆっくりと伝う。
「少し
…そうかな?ずっと重い荷物を背負って歩いていたから、幾らか筋肉が付いたかもしれないな。右腕に力こぶを作ってみると、シオリが腕に触れて来た。
「もうこんなに太く……次は少し大きめに仕立てる方が良さそうですね。」
そうだな…次も上等なプレートジャケットを是非頼むよ。続けてシオリは後ろから胴体に手を回して来る。腹の辺りもなかなか引き締まって来たのではないかと自負しているところだ。
「旦那様……わたくし…あなたが無事に戻られるのを待ち焦がれておりました。」
吐息が背骨に掛かるのを感じる。そしてシオリは両腕で私の身体を締め付け、背中に密着して来た。これは採寸ではない…私は額の辺りがじっとりと湿る感覚を覚えた。
「お出掛けの間、ずっとお顔を見られないのがこんなに寂しいなんて……。」
ひんやりとした手の平は次第に胸元まで登って来た。身体はなぜか縛られたように硬直して動けない。やがて露わになっている胸の先端に指先が触れると、甘い刺激が頭の奥の方をじりじりと焦がす。思わず漏れた小さな溜息で硬直から解放された私は、咄嗟にシオリの手を掴む。
振り返ると顔を紅潮させたシオリと目が合った。シオリの思い詰めたような表情は、ぺろみとはまた違った雰囲気の美しさを備えている。切れ長の目の奥に覗く瞳は少し潤んでいるように見えた。そんな目で私を見ないでくれ……思いとは相反して、左手は無意識にシオリの頬を撫でている。
そして気が付くと私たちは唇を重ねていた。正確にはシオリに唇を奪われたのだが、私はそれを強く拒む気にもなれず流れに身を委ねてしまった。そのままだいぶ長い間抱き合っていた気がするが、一瞬の出来事だったような気もする。工房の扉が開く音で我に返り、私たちは反射的に身体を離した。
入って来たのはぺろみだった。一連の
ぺろみはシオリに駆け寄るなり、ひしと抱き付いて曰く
「シオリ!シオリの革のシャツ、すごく高く売れたんだよ。ありがと!」
ぺろみの弾けんばかりの満面の笑顔に、シオリも顔を綻ばせる。
「それは何よりでございました。お出掛けの間にまた何着か仕立てましたので、お役立てくださいましね。」
ぺろみは嬉しそうにシオリの頬に口づけをして感謝の意を示した。また顔を紅潮させ、困り顔のシオリにぺろみは続ける。
「黒龍党の事も何とかするから。ひとつ作戦を思い付いたんだ。みんなにも協力して欲しいから、用が済んだらキッチンに集合ね!」
そう言い残すと、ぺろみは踵を返して工房を出て行ってしまった。嵐が過ぎた後のような静けさと、電灯の明かりだけが残った二人を包んでいる。
「……ぺろみを待たせたくない。採寸はまた後にしよう。」
私は脱いだ服を手に取り、袖を通す。どんな顔でシオリと向き合えば良いのか分からず、一刻も早くこの場から逃げ出したかった。
「あっあの……申し訳ございませんでした。」
シオリが頭を下げる。
「旦那様がぺろみ様を憎からずお想いになっている事は、わたくしも承知してございます。……でも……。」
言葉を詰まらせ黙ってしまうシオリ。少しの沈黙の後で、私は小さく溜息をつく。
「…気に病む事はないさ。私たちは家族だ。お前の気持ちは嬉しく思うよ。…うん、まあ、だから…あまり抱え込まないでくれ。」
曖昧な返事でその場を取り繕い、行くぞ、の仕草でシオリを促して私たちは工房を出た。
キッチンに入ったのは私たちで最後のようだ。テーブルに着席して待ち構えていたぺろみは、部屋を見渡して皆が揃った事を確認して頷く。そして軽く咳払いをして会議は始まった。
「…まろやか村諸君!黒龍党の度重なる暴挙に対して、わたしたちは反撃に打って出るべきだと考えます!」
何やら演説めいた調子で話を切り出した。そうだ!ぶっつぶせ!ビシュマとジュラニが調子に乗って合いの手を入れる。一体何が始まるんだ…?
「なるべく小さい犠牲で、相手がこちらに手を出せなくするにはどうすれば良いか!そこでわたしは思い付きました!」
勢いよく立ち上がる。弁舌は熱を帯び、会議…もといぺろみの演説はいよいよ最高潮を迎える。
「黒龍党のディマクを、誘拐します!!」
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