ガブリアスがガラルに入国してくるってマジ? (またたね)
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ガブリアスがガラルに入国してくるってマジ?

 ただでさえ危うい立ち位置が完全に消え去った彼を忍んで。


 ×××××という存在があった。

 彼らはポケットモンスター、縮めてポケモンと言われる存在であり、人と共存しながら平和な営みの中で過ごしていた。

 

 そんな彼らのコミュニティに、とある噂が駆け巡った。

 

『ガブリアスを連れたトレーナーの姿を見た』、と。

 

 耳を疑った。

 ここガラル地方は独自の生態系を重んじ、この地方の生態系に存在しない生物を外来種として入国を厳しく制限している。ガブリアスはガラル地方において進化前のフカマル・ガバイト共に存在せず、その事実こそが【彼ら】に対してトレーナーが利用価値と存在意義を見出す理由であり、それが彼らのこの地方での安寧を保っていたとも言える。

 しかしガブリアスが存在するとなると話は変わる。

 ガラルで彼ら固有のはずであった『ドラゴン・じめん』というタイプのアイデンティティは失われ、優秀な技範囲による対面能力の高さや無駄のない能力値による型の多さなど、挙げればキリのない利点の数々に、人々の意識はすぐに【彼ら】のことなど忘れてガブリアスへと移ろっていくだろう。何より、そうさせるだけの実績と信頼がガブリアスには存在する。

 

 そんな現状に見舞われた彼らに巣食う感情は。

 

 怒りでもなく、恐れでもなく。

 

 

  『ガブリアスになら、負けても仕方ない』

 

 

 ──()()だった。

 

 

 【彼ら】が輝いていた時代は、我々の言葉で言うRSE(ルビーサファイアエメラルド)FRLG(ファイアレッドリーフグリーン)、即ち『第3世代』までであった。映画でもスポットライトが当てられ、それを見てファンになった人も少なくはないはずだ。それ以降は天敵──一方的ではあるが──ガブリアスの参戦、フェアリータイプの追加などの向かい風に晒され、不遇の時代を過ごしてきた。ガブリアスの消えたガラル地方では一定の需要がある……ように思えるが、残念ながら実際の対戦環境で【彼ら】を見かけることは少ない。それでもまだ、これまでの待遇を考えればまだマシな方と言えた。

 しかし今まさに、その微かな希望すらも絶たれようとしている現状で、声を上げられるものは殆ど居なかった。遠い地方の仲間から伝えられているように、自分達もまたトレーナーに淘汰されゆく定めに堕ちたのだと嘆くこともせず、ただ漠然とした事実としてそれを受け入れることしかできずに居た。むしろこれまでにトレーナーに捕獲された同族たちは、一生日の目を見ることなく小さな檻(モンスターボール )の中で生涯を終えるのだろうと哀れみすら覚える始末だった。

 

 そんな【彼ら】を遠方から眺める、一匹の【彼】が居た。

 

 仲間の話を聞きながら、【彼】は思う。『本当にそれでいいのだろうか』、と。【彼】の中に宿る闘争本能が、血流のように全身を駆け巡る。【彼】を構成する細胞の全てが、否と叫び続けていた。我々がガブリアスに勝てない?そんなこと、誰が決めたというのだ。もっと自分を上手く使ってくれるトレーナーに出会うことさえできれば──。

 そこまで考えて、彼はゆっくり頭を振った。それでは何も変わらない。原因を己ではなく他者に求めている内は、変革など訪れる筈もない。そう思い直し、彼は再び思考の海へと身を落とす。

 これは“革命”だ。それほどのことを今自分は為そうとしているのだと、強く心に言い聞かせる。

 どうすれば倒せる?考えてはみるものの、全くビジョンが浮かばない。事実として、仮想敵は最強の相手だ。自分がガブリアスに勝っている箇所など何も無い。【彼】はそれを既に自覚している。

 

 突然にはなるが、“三値”という言葉をご存知だろうか?無論、SAN値の誤字ではない。非公式の用語ではあるが、ポケモン界隈ではよく耳にする言葉なので知らない方は是非覚えて欲しい。

 三値とは、“種族値・個体値・努力値”の3つの総称を言った言葉である。

 種族値は、ポケモンの種族ごとに定められた能力の値のことである。ピジョットとオニドリル、同じ序盤鳥でタイプが同じでも、彼らの能力の伸び方には差が存在する。

 個体値は、ポケモンの個体ごとに定められた能力の値である。同じピジョットでも、攻撃が伸びやすい個体、素早さが伸びやすい個体と、成長時に伸びる能力に差が存在する。

 そして努力値は、ポケモンに与えられた伸び代である。道具を与える、ポケモンを倒すなどの要因によってポケモンには努力値が与えられ、努力値が一定以上たまると、能力にボーナスが付与されるのだ。これにより、個体値が全く同じピジョットでも、“攻撃が高く素早い”ピジョットや、“体力が多く防御が硬い”ピジョットが存在する。しかし努力値は一体につき与えることのできるポイントの限界が決まっており、トレーナーは与えられた猶予の中で最善の努力値の振り方を考えなければならない。ポケモン対戦においてこの三値は非常に重要であり、この数値を扱う段階からポケモンバトルは始まっていると言っても過言ではない。

 

 では、【彼】とガブリアスにこれを当てはめてみよう。

 

 細かい値は省くが、【彼】の種族値が、ガブリアスの種族値に優っている場所は、“無い”。そもそもとして、種族として【彼】はガブリアスに劣っているのだ。個体値はこの世に生を持った瞬間に定められた数値であり、野生の【彼】がこれに抗うことができない。【彼】の個体値は精々中の上といったところであり、残念ながら即戦力には程遠い。努力値に至っては、野生のポケモンがそれを活用する知識があるはずもなく、完全に腐ってしまっている。そもそも個体値と努力値は知識及び理解のあるトレーナーが適切なコーチングを施した上でのみ、ポケモンバトルで正しく効力を発揮するものであり、現状では考察しても意味のないものである。

 

 そんな【彼】が、トレーナーの力に頼らずに、独力でガブリアスに勝つ方法。

 

 【彼】は考えた。何時間も、何日も考え続けた。そして、ある答えに辿り着いた。

 

 

 ───強くなればいい。

 

 

 そう、強くなればいいのだ。

 

 否、それしかないのだ。

 

 

 種族(うんめい)という壁は越えられなくとも。

 個体(さいのう)という壁は越えられなくとも。

 

 

 ──努力(げんかい)という壁は、越えられる。

 

 

 努力に終わりなどない。そこにあるのは、自分自身で勝手に定めてしまったラインに過ぎない。

 ならば自分は、強くなろう。勝つために、努力をしよう。辛くても、苦しくても、ただ我武者羅に、直向きに。愚直でも、醜くとも、運命に抗い続けよう。

 

 そう決めた【彼】の行動は早かった。

 思い立てばすぐ行動、拷問という言葉すら生温い、血の滲むような努力を始めた。

 

 そんな日々が、何日も、何週間も、何ヶ月も、何年も続き───

 

 

 

 

 

 

 

 ガラル地方のとある街。トレーナーの間で、とある噂が蔓延していた。

 

 

 ──『まどろみの森の奥地に、【龍殺しの竜】が存在する』。

 

 

 ソースは不明、実際に見た者も居ない。だがそんな噂が、トレーナーの好奇心を掻き立てないわけもなく。今宵もまた、噂の真相を求めて、まどろみの森へと足を踏み入れる男がいた。

 

「うっわ、マジで真っ暗だな。霧も深いし……こんなとこにホントにいるのか?」

 

 男はドラゴン使いを自負しており、【龍殺しの竜】と呼ばれるポケモンに大きな興味を抱いていた。その力を己の相棒達の糧とし、あわよくば捕獲して存分に暴れてもらおうと。そんな淡い期待を抱きながら、男は霧の深い夜の森を歩いていた。

 

「ん……?なんだありゃ」

 

 その道すがら、月光の差す箇所を見つけた、霧に満ちた森の中でそこだけは不自然に明るい。男は引き寄せられるように、脇道へと逸れてその明かりを目指し歩く。

 

「! あれは……」

 

 辿り着いたのは、森の中において不自然なほど開けた地形。否、よく見れば“無理やり拓かれた”というのがわかる。根元から倒された切株が多数存在し、その残骸と思わしき葉の枯れ尽くした大木が、まるで闘技場のように六角形に配置されている。まどろみの名に相応しくない程月明かりに照らされて明るいそのリングの中央に。

 

 

 一匹の竜が、瞳を閉じて佇んでいた。

 

 

 その竜の体は、硬質な輝きを放つ黒鉄色と、灰を被ったような白色の鱗に覆われており、羽と尾を縁取るように血のように紅いラインが迸っている。目元は赤黒いカバーのようなものに覆われていて、異常に発達した二本の漆黒の触覚が、腰元を超えて地面にだらりとついた状態でぶら下がっている。

 

 その姿を見た男は、ゆっくりと呟く。

 

 

「──()()()()()()()()()……か……?」

 

 

 その言葉に反応したかのように、目の前の竜、()()()()()はゆっくりと目を開けた。

 

「……ハッ、なんだよ噂はデマか?」

 

 男は嘲笑うように吐き捨てる。事実、拍子抜けだった。【龍殺しの竜】という噂を追い求めて出会った存在が、取るに足らないただの色違いフライゴンだったのだから。

 

「……まぁ良いや。普通の色違いとも違う配色だし、フライゴンなんて雑魚ポケモンでも捕まえて研究施設にでも出せば結構な金になンだろ。さぁ行けッ、リザードン!ジュラルドン!オノノクス!」

 

 そう言った男は、腰に据えたボールから三匹のポケモンを繰り出した。

 どれもガラル地方においてかなりの強さを誇るポケモンであり、それぞれが確かな育成を施されたように通常の個体と比較して大きく、筋肉質な体付きをしていた。

 それを見たフライゴンはゆっくりと腰を上げ、羽を開いて威嚇行動をとる。

 

「悪りぃな、これは野良バトルだ、ルール無用で行かせてもらうぜ……つっても、お前にはわからないだろうがな」

 

 主人である男の臨戦態勢への移行を勘付き、ポケモンたちもまた咆哮をあげ、威嚇を開始する。そして男は、指示を張り上げた。

 

「オノノクス!『ドラゴンク──」

 

 しかしその指示は、最後まで紡がれることはなかった。男はあるモノに意識を奪われてしまったからだ。

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に。

 

 飛ばされていく姿を振り返り、オノノクスが木に衝突したことで折れた木に、オノノクスが潰されたのを見て初めて。

 

 

 ───パンッ!!

 

 

 空気が爆ぜたような音が男の鼓膜を震わせた。

 

「……は?」

 

 男の眼前には、武人のような構えで拳を突き出すフライゴンの姿のみ。まさか。いや、そんなはずはない。しかし、目の前の光景は“その事実”を明確に描き出していた。

 

「……()()()()()()()()()()()()()だと……?」

 

 それは『マッハパンチ』と呼ぶには、あまりにも馬鹿げていた。『マッハパンチ』に有って、『マッハパンチ』に有らず。

それは殴打(パンチ)という概念すらも置き去りにした、音速の拳撃。気の遠くなるような鍛錬により磨かれた、選ばれしポケモンのみが持つことを許される、固有技(ユニークウェポン)

 

 ──名付けるならば、『ジェットフィスト』。

 

「んな馬鹿げたワザありかよ……!」

 

 男が顔を歪めながら吐き捨てる。そして倒れた木の土煙が晴れれば、そこには大木の重量に押し潰され、動かないオノノクスの姿があった。顔面は鉄塊のようなモノで殴られたかのようにひしゃげており、左右バラバラの、視点の定まっていない眼球のうち、左側が顔から外れ、コロリと転がった後に男と目を合わせた。

 

「ヒィ……!!」

 

 ──()()()などではない。()()()である。

 先程男が言っていた、ルール無用という言葉。このルールという枷から解き放たれたとき、有利なのは果たしてトレーナーか野生のポケモンか。

 

 

 ──言うまでもなく、野生のポケモンである。

 

 

 ルールとは、トレーナーを縛る枷であり、トレーナーを守る揺籠でもあるのだ。そもそも野生にルールなど存在しない。生きていく為に、有利に事を動かすのは当たり前。不意打ち、騙し討ち、集団での攻撃、環境操作。なんでもアリで、そこに“ズルい”などという生温い概念はない。殺しもするし、殺されもする。それが生きていく上で当たり前のことであり、それこそが生態系のあるべき形である。それはポケモン同士でも同じことだ。キャタピーなどの虫ポケモンはポッポなどの鳥ポケモンにエサとされ、そのポッポもニューラやアーボの食糧にされている。ポケモン達にも、食物連鎖という概念はあるのだ。これはポケモン図鑑にも書いてあることであり、ポケモントレーナーを志す者ならば、知っているはずの当たり前のこと。そんな“当たり前”が、今現実となって男に牙を剥いている。野生のポケモンに勝負を挑むことへの危険性を、手遅れになってから男は理解した。

 

 黒いフライゴンは、未だに尽きぬ殺意に満ちた瞳で、男を見つめている。

 

「う、ああ、うあああぁぁァァぁあぁ!!!」

 

 殺される。

 錯覚ではなく、実感が襲う。思考が攻撃から、防御へと切り替わる。

 

「ジュラルドン!『ひかりのかべ』、『リフレクター』!リザードン、『げんしのちから』ァ!!」

 

 唐突な仲間の死に動揺していた二匹も、主からの指示に我を取り戻した。ジュラルドンが目の前に二色の壁を貼り終えると、リザードンが原始の力を操り、周囲にあった大量の岩をフライゴンへと投げつけた。

 投擲された岩を見ても、フライゴンは全く動じることはなかった。羽を使うことなく、するりと岩達の間を歩いて抜けた。しかしリザードンは、その回避先へと岩を投擲。このままでは完全に直撃コースだ。

 

(っし!!避けたとしても飛んだところにジュラルドンの『りゅうのはどう』で牽制!リザードンの『そらをとぶ』でこの場を離れるッ!!)

 

 プランを組み立て、次の指示を出そうとした男の目に飛び込んできたのは、予想外の光景だった。

 フライゴンは避ける素振りも、飛び立つ素振りも見せずに、腰を据えて右足を前に出し斜に構えると、自らの尾先を左手で思い切り後ろに引っ張り、右手を添えた。その姿に男は、歴戦の剣豪を錯覚した。

 

 

 

 

 次の瞬間にはもう、岩は真っ二つになってフライゴンの後ろを舞っていた。

 

 

 

 ()()()()()()使()()()()()()()()()()のだと、男はそれから気づいた。

 

 視認することすら難儀な、神速の抜刀術……否、抜()術。名付けるならばそれはまさしく。

 

 

 ───『()()()()()』だった。

 

 

 するとフライゴンは尾を振り切った勢いのまま地面に手を伸ばすと、何かを拾い上げてそのまま真一文字に腕を振るう。それを見て悪寒を感じた男が、顔を庇うように腕で覆うことができたのは僥倖だったと言える。それから一瞬も置かずに、『ひかりのかべ』と『リフレクター』が、()()()()()()()()()()()。そして男の腕に何かが突き刺さり、裂けた皮膚から血が吹き上がる。

 

「ぐがァァあああああああ!?」

 

 余りの痛みに男は絶叫した。フライゴンが投げたのはなんのことはない、ただの“砂”だ。そう、今のはただの『()()()()』に過ぎない。ただし、音を置き去りにする拳を放てるポケモンの腕から振るわれた『すなかけ』である、が。

 

「ク、ソが、ぁぁ……ッ!」

 

 男は怒りのあまり、唇を噛み切る。こんな、こんな低級ドラゴンポケモン如きに遅れを取るなど許されない。恐怖を怒りで上書きし、剥き出しの感情を瞳に乗せてフライゴンを睨み返す。

 

 だがそこにはもう、フライゴンの姿はなかった。

 

 フライゴンの羽ばたく音は、歌声のように美しい。故にフライゴンについた二つ名は、“さばくのせいれい”である。つまりフライゴンが羽ばたいたのならば。気づかないはずがないのだ、聞こえないとおかしいのだ、その歌声のような羽音が。

 

 しかし男の耳に響いた音は、歌声などではなかった。

 

 

 

 

 

 

 ──This way(こっちだ).

 

 

 

 

 

 

 有り得るはずがない。羽音が英語に聞こえるなど。ましてやポケモンが人語を用いるなど。しかし男の体は、その声に導かれるように後ろを振り返る。

 

 そこには全身を闘気──屍に滴る血と深淵の闇をグチャグチャに混ぜたような、赤黒い“竜気”を纏うフライゴンの姿があった。

 

「っ──!!」

 

 反応するも遅い、次の瞬間には男のジュラルドンを象徴する長い首に、風穴が開いていた。ジュラルドンはその場に倒れ伏し、二度と動くことはない。鋼タイプでも最高に近い硬度を誇るジュラルドンの体が拳一つで貫かれたという事実が頭の片隅を流れていくが、腐ってもポケモントレーナー、指示は反射のように口から滑り出た。

 

「リザードンッ!『かえんほうしゃ』ッ!!」

 

 信頼する主の指示に、リザードンは素早く反応する。拳を振り切ったままの体勢で固まるフライゴンに、灼熱が降り注いだ。

 

「やったか!?」

 

 しかして皮肉にも、必然ともいえるが、その灼熱がフライゴンを焼き払うことはなく、気付けばフライゴンはリザードンの足元へと移動していて。そしてしゃがみ込んだタメを利用し、ゴウゥと羽を羽ばたかせながらリザードンの顎を蹴り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凡そ生物を蹴飛ばしたとは思えない、冗談のような音を上げてリザードンが遥か上空を舞う。そしてフライゴンは二度目の羽ばたきで一気にリザードンの上を取ると、ぐるりと一回転してリザードンの無防備な腹に尻尾を垂直に叩きつけた。巻き戻しのように地上へ逆戻りしたリザードン。その衝撃は大地を揺るがし、大きな土煙と轟音を上げた。

 

 ──死んだ。

 

 この短時間で、俺のポケモンが、三匹も。

 

 受け入れられる限界を遥かに超えた喪失感に、男は膝から崩れ落ちる。しかしその目に映ったのは、地に伏しながらも依然上空の敵を睨みつける相棒の姿。

 

「リザードン!!」

 

 生きている。リザードンは生きている。

 歓喜も一瞬に、男は即座にリザードンをボールに戻した。ただ1人となった男の前に、フライゴンはゆっくりと降り立った。

 信頼する相棒達を喪い、残ったのは己のみ。そんな彼の目に宿る感情は。

 

「……さねェ」

 

 恐怖でも、諦めでもなく。

 

「──許さねェッ!!覚悟しろよ、この虫野郎ォッ!!!!」

 

 怒りを超えた、憤怒。

 

 

 

 

「ぶち殺せ、ガブリアァァァァスッ!!!」

 

 

「グギャアアアアアアアアアアアッ!!!」

 

 

 

 

 

 腰にぶら下げられた、唯一のゴージャスボールから繰り出されるは、男の唯一無二のエース。個体値、全値最大(6v)。努力値、攻撃素早さ極振り(ASぶっぱ)。性格いじっぱり(攻撃1.1倍)の圧倒的破壊力を秘めた、第四世代最強かつ最高の龍王が、怒りの咆哮を張り上げてフライゴンの前に顕現した。体格は通常のガブリアスよりもひと回り大きく、牙もより鋭く、鱗もより硬く。男はこのガブリアスと共に、如何なるピンチも乗り越えてきた。

 並の相手なら、その姿を見るだけで竦んでしまうようなその龍王の姿をみて。

 

 

 ──フライゴンは静かに、だが確かに、()()()

 

 

「っ……!ガブリアス、『りゅうのまい』!」

 

 ガブリアスが、己を鼓舞するように、大地を踏みしめながら吠え、舞う。これによって、ただでさえ凶悪なガブリアスの攻撃性能が、さらに跳ね上がった。その舞を止めることもなく、フライゴンは笑ったまま様子を窺っている。

 

「畳み掛けろ、『げきりん』ンンン!!』

 

 ガブリアスが、フライゴンへと飛び掛かる。その速度は、先程のフライゴンに決して引けを取らない。その速度を維持したまま、ガブリアスが右手の羽を振るう。フライゴンはその一撃を片手で受け止めた。衝突の余波だけで暴風が巻き上がり、辺りの木々を揺らした。そこから左羽の袈裟、右羽の水平斬り、右足のローキック、左羽の逆袈裟、返しの左羽。これがポケモンバトルであるならば、レギュレーションを大幅に違反する威力を持つ一撃の、連続コンビネーションがフライゴンを襲う。しかしながら、何れもが致死の威力を持つその連撃は、一つたりとしてフライゴンに当たらない。よく見れば、フライゴンは大地を踏みしめながら、舞うようにガブリアスの攻撃を避け続けている。

 

「まさか、『りゅうのまい』か……?」

 

 そう、あろうことかフライゴンは、避けながら『りゅうのまい』を行っているのだ。速度が上がり、フライゴンの体から溢れ出る竜気もその勢いを増していく、そして当たらない攻撃に業を煮やしたガブリアスの攻撃が、僅かに大振りになった。その瞬間を、フライゴンは見逃さない。

 

 カウンターの右フックが、ガブリアスのこめかみを穿った。一瞬苦悶の表情を浮かべたガブリアスだが、攻撃の手を止めない。しかしその一撃一撃全てに、フライゴンはカウンターを合わせていく。そう、『りゅうのまい』を()()()()()

 

「な……ん……!?」

 

 有り得ない。『りゅうのまい』は変化技の筈だ。舞いながら攻撃するなど、それは決して『りゅうのまい』ではないはずだ。男は心の中で声を荒げる。だがしかし攻撃を繰り返す度、フライゴンの速度は上がり、攻撃の威力が上がっているのだ。

 

 答えは既に男が言い当てている。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 『りゅうのまい』は確かに強力な技だ。自身の攻撃と素早さを同時に上昇させ、上手く使えば相手に致命的被害をもたらすことが出来る。

 しかし、野生同士の戦いにおいて、『りゅうのまい』は()()()()()()()()

 技を交互に打つターン制?一回のターンに使える技は一つだけ?

 そんな生温いルールなど存在しない。

 対面で『りゅうのまい』など打てば、致命的な隙──文字通り、死が待っている──を晒すこととなり、その間は攻撃してくださいと言わんばかりのいい的になる。

 

 だがフライゴンは、この技の有用性に気づいていた。

 

 自らの能力を上げることは、牙をより鋭くし、格上を屠る力になりうると。

 

 だからフライゴンは、“創った”のだ。

 

 攻撃しながら自らの能力を向上させる、なおかつ相手の攻撃を回避することのできる攻防一体の攻撃変化技を。それはさながら“神楽”。龍を殺す竜となる為に神へ祈り、神へ捧げる為のあまりにも美しく、殺意に満ちた神楽だった。

 

 

 ──故に名を、『竜舞神楽(りゅうまいかぐら)』という。

 

 

 攻防の終わりは一瞬だった。

 最初に比べればあまりに遅すぎるガブリアスの攻撃を手で払い、返しのソバットがガブリアスの鳩尾に突き刺さる。体がくの字に折れ、首を差し出す形になったガブリアスに対して、フライゴンが竜気を纏った尻尾を鋭く振り抜いた。

 

 

 それだけで、ガブリアスの首と胴体は切り離され、頭部が空に舞った。

 

 

「ゴオオオオォォォォォオォォォォン!!!」

 

 

 大気を揺るがす、勝利の咆哮。その叫び声は、男には笑い声をあげているようにも聞こえた。

 

「……あ…ぁ……あ……」

 

 最早悲鳴すら上がらない。余りにも隔絶した実力差を前に、怒りで塗りつぶしていた絶望と恐怖が込み上がる。自分が手を出したのは、小さな怪獣(ポケットモンスター)などではなく、埒外の怪物であることに気づくのが、あまりにも遅すぎた。

 

 そんな男に、フライゴンはゆっくりと歩み寄る。自分は死ぬ。散って行った仲間達と同じように。それももう、どうでもよかった。フライゴンが拳を振り上げる。そこで男は、目の前が真っ暗になった。

 

 

 

 

 

 

 

「……ん……ぁ……」

「あっ!やっと目覚めたか、大丈夫か!?」

「ここ、は……」

 

 次に男が目を覚ましたのは、ベッドの上だった。友人のトレーナーが、心配そうにこちらをみている。どうなっているのだろうか。自分はあそこで死んだはずでは。

 

「ポケモンセンターだよ。お前、まどろみの森の前で倒れてたんだ」

「森の……前で?」

「あぁ。ポケモンもリザードンしかいなかったし、何があったんだよ。もしかして、【龍殺しの竜】にでもあったのか?」

「……!!」

 

 そこで初めて気づいた。

 生き残ったのは、リザードンのみ。男が喪ったのは、オノノクス、ジュラルドン、ガブリアス。

 

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「だから……【龍殺しの竜】……?」

「おいどうなんだよ、見たのかよ?」

「……見たよ、この目で。しっかりとな」

「本当か!?正体は何だったんだ!?」

 

 そして同時に悟る。誰も正体を知らない理由を。

 

「……わからない」

「は?」

 

 

 

 

 

「──()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 実際に遭遇した人間が、あの化け物をフライゴンだとは認められないからなのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは、とある竜の復讐の物語ではない。

 

 

 

 

 【龍殺しの竜】と呼ばれたポケモンが心優しき少女と出会い、世界を救う物語だ。

 

 

 

 




読了ありがとうございました。
続きは作っておりますが勢いに任せた作品なのでとりあえず短編ということで。


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その始まり

予想外の好評を頂いたので、少しだけ続きます。
【彼】が【彼】になるまでのお話。
それに伴いタグを一部変更しました。
嫌いな方はブラウザバック!








 

 

 

 

 ──随分と強くなれた。

 

 修行を始めてから幾年、道場破りと言わんばかりに立ち塞がるトレーナーを薙ぎ倒し、遂に念願のガブリアスをも斃すことを成し遂げた【彼】は、『つきのひかり』を浴びて体を癒しながら先程の殺し合い(たたかい)を振り返る。ガブリアスを含めた3匹の龍と竜を、この手で殺した。その事実に対して抱くのは罪悪感などではなく、全身の細胞が満たされるような悦びと高揚感だけ。死んでしまった方が楽だと思えるほどに身体を虐め抜いたあの日々は、決して無駄ではなかったと、【彼】は感慨にふけった。

 

 最初は散々たるものだった。

 

 ガブリアスは愚か、同族のフライゴンにも全くもって歯が立たず、敗戦を繰り返す日々。努力しては負け、負けては努力して、また負けて。無駄にも思える時間を幾度となく経験してきた。『ガブリアスに勝つ』。その決意は、同族には声を上げて嗤われた。無理だ、出来るはずない、時間の無駄だ。そう嘲られ、罵られ、それでも【彼】は、自分を曲げることはなかった。

 

 何が彼をそこまで駆り立てたのか。

 

 何が彼をここまで強くしたのか。

 

 それを知るためには、彼の過去を知る必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『朝起きたら、ナックラーになってガラル地方に転生した件』。

 

 

 

 俺の物語に、タイトルをつけるとしたらこれしかない。何処にでもいるような社会脱落ニートだった俺は、ある夜剣盾のランクマッチで二桁間近というところまで上げた順位を、突如増え始めたパッチラゴンとかいうドラゴンに5桁まで戻されて不貞寝した。そして次目を開いたときにはナックラーになってポケモン世界に迷い込んでしまっていたのだ。何を言っているかわからないと思うが、これが事実なんだから仕方ない。俺だって最初は夢だと思ってた。だが何日経っても夢は醒めず、空腹の余り死にそうになった瞬間、俺はこの世界が“リアル”だということを自覚させられた。

 

 俺は生きながら転生したのだ。ナックラーなどという死ぬほど微妙なポケモンに。

 

 ナックラー。ありじごくポケモン。『フライゴンの進化元』と言えば伝わるだろうか。ビブラーバを間に挟み、最終的にフライゴンへと進化するポケモンであり、愛嬌のある見た目からファンも多い。と、信じたいよ、なってしまったからには。最終進化のフライゴンとかいうポケモンはあまりにも有名だから、知らない人の方が少ないんじゃないかな。

 

 

 ──劣化ガブリアス、なんて呼ばれてるから。

 

 

 『ドラゴン・じめん』という希少な複合タイプだが、その座をガブリアスに奪われ、種族値でも大幅な遅れを取っている。フライゴンができることは、ガブリアスにも大抵できる。片や使用率トップクラスのチート級ポケモン、片や存在価値を奪われた、悲しきマイナーポケモン。対戦環境でフライゴンを目にすることなど極めて稀だ。

 そんなポケモンの進化元に転生した俺は、溜息をついた。幸いにも、近くにアーマーガアが飛んでいたのが見えたことから、ここがガラル地方であるということがわかった。つまり、この地方には()()()()()()()()()()()。最大の怨敵が居ないこの世界でなら、なんとかフライゴンを使ってくれるトレーナーを見つけてくれるかもしれない。元に戻る手段を探すためには人間、即ちトレーナーと接触する必要がある。そしてトレーナーにいい感じに痛めつけられ、ゲットしてもらう必要があるのだ。

 

 この時点で既にハードルがMAXに高い。

 

 ポケモンをゲットする目的には、どのようなものがあるだろう?

 バトルで使う為、図鑑を揃える為。その他はあれど大まかに分ければこの二つになると思う。前者はどうだ?『フライゴンをバトルで使うために、ゲットしよう』っていう気持ちになりますか?って話。大多数のトレーナーは、きっと『NO』と答えるだろう。じゃあ後者は?これならばまだ、可能性はあるかもしれない。だが、図鑑集めが目的で捕獲された場合の終着点は?そんなの決まっている、()()()()()()()()だ。手持ちに連れられることもなく、小さなボールに入れられた後、電子化されてボックスの中に収納、その後、日の目を見ることは無くなってしまうだろう。これではせっかく人間と接触したのに何の意味もなく、不自由なまま一生を終えることになるかもしれない。そんなのは絶対にごめんだ。つまり俺は、『フライゴンをバトルで使いたいトレーナーの眼鏡にかなう強さを誇ったフライゴンとなり、そのトレーナーとバトルしてゲットしてから手持ちに加えたまま冒険してもらわなければならない』のだ……え?これなんてクソゲー??

 俺は思わず頭を抱えた……つもりだったが手を短すぎて抱えられなかった。そんなところに、本当にナックラーになってしまったんだという事実を感じて、涙が出そうになる。けど、それしかない。死ぬ気で生きて、強くなって、トレーナーに捕まえてもらうしかない。ガブリアスが居ない、それだけでも僥倖だ。急いだほうがいいだろう、だがそれでも決して焦ることなく、生き抜いて見せる、ナックラーとして、このガラル地方で。

 

 

 

 

 最初の一年は、地獄だった。

 衣食住──衣はそもそもないが──の安定した供給などない野生の恐ろしさが身に染みた。食に関しての問題は様々だった。野生のポケモンは何を食べるのか。考えたことはあるだろうか?ゲームでもわかるポケモンの食べ物として、『きのみ』がある。それから派生してポロックやポフィン、あとはアニメで見るポケモンフーズがある。ガラル地方では、キャンプでカレーを作って食べるなんて文化もある。ただポロック以降の食べ物は全て人の作った加工品であり、野生のナックラーである俺には縁が無い。木の実にしても、ナックラーの生息地は殆どが砂で覆われており、木の実のなる木はごく僅かだ。しかもそれだけを食べて生きていくことなど不可能である。人間がリンゴやぶどうだけを食べて生きていけますか?栄養の偏りで死ぬのがオチだ。ポケモンもなんらそれと変わりない。

 

 だから食べるしかない。

 

 ──()()()()()()()()()()、食べるしかないのだ。

 

 

 この世界では、人間とポケモン以外の生物は()()()()()。というよりも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()節がある。故に肉を食べたければ、ポケモンを食べるしかない。その事実が受け入れられず、俺は何度も死にかけた。ポケモンを食べて生きていく?冗談じゃない。ゲームで見た、お世話になった、青春を彩ったポケモン達を殺して、命の糧にするなど俺には到底耐えられなかった。仲間たちは、捕らえた獲物を食さない俺を不思議そうに見ていた。しかしそんな日々にも限界が訪れる。肉を食わなければ、筋力が落ちる。痩せ細り、非力になっていく。それは転生当初掲げた決意に、大きく反することだ。究極の二律背反、俺は悩みに悩んだ。最後に俺の背を押したのは、『死にたくない』という、生物に備わる醜い本能だった。

 

 初めて食べたポケモンは、力尽きて屍となって残っていた、カジリガメの亡骸だった。

 

 その亡骸は食い荒らされて肉は僅かにしか残っておらず、ほぼ原型を留めていない。近くに転がる甲羅のようなものを見てようやく推測が立つような有様だった。本能に導かれるまま、恐る恐るその屍肉を齧る。ゲキマズだった。筋張っており、ゴムを噛んでいるような食感。腐りかけで変な匂いがする。時折ジャリジャリと砂を噛んだような不快感が口内を襲う。それでも俺は、その肉を食べた。後半は夢中になって、最後は骨の髄までしゃぶり尽くすように食べた。砂の味しかしなかった肉だが、それ以上に『(セイ)』の味を感じた。

 自分で初めて捕らえた獲物は、アオカラスだった。

 俺を捕らえようと襲いかかってきたアオカラスを、自慢の『かいりきバサミ』で足を食いちぎり地に引き摺り下ろすと、そのまま首を噛み切って即死させた。俺の知る鶏肉とは味が全然違ったけど、カジリガメに比べれば遥かに美味しかった。血の滴る生肉を夢中で食べながら、俺は再び『生』の美味しさを感じていた。

 それから何匹もポケモンを殺し、食った。

 狩りの高揚感と生の悦びが、俺の本能を満たした。この時期から俺は、ポケモンとして生きていくことに慣れ始めてきたのだろう。

 

 二年目の夏、俺はビブラーバへと進化した。

 

 この世界では、ゲームのように簡単に進化などしない。狩りを重ね、知恵を学び、それらが自らの血肉となり。それを何度も何度も繰り返して初めて、体は変態を許容する。進化によって翅を得た俺だが、意外とすんなり扱うことができるようになった。ビブラーバの遺伝子にそれの使い方が刻んであったかのように、どう動かせば飛べるのか、考えずとも体は動いた。長時間飛ぶことはできないが、ビブラーバの翅は振動させることで超音波を発生させることが出来る。これによって狩りが遥かに楽になった。

 

 一年間の中で、何匹もの仲間が死んだ。喰われた者、餓死した者、栄養失調、移動中の落石。挙げ出せばキリのない程簡単に、呆気なく死んでいった。住処も全く安定していなかった。巣を作っては襲われて逃げ、新たに作っては襲われて逃げ。心から安心できる時間など訪れはしない。俺はより一層、野生の厳しさを感じた。

 

 ──死にたくない、死にたくない。

 

 ()()()()、強くならなければ。

 

 始まりの決意に、不純な動機(おもい)が混じる。しかし当時の俺は、そんな事を気にしていられないほど、生き残るだけで精一杯だったのだ。

 

 それからさらに二年後、俺は遂にフライゴンへと進化することができた。

 

 翅も羽となり、自由気ままに空を飛ぶ事ができるようになった。群れも新しい個体が生まれ、俺にもナックラーやビブラーバの後輩が出来た。しかし俺はまだひよっこ。群れの長であるフライゴンには、逆立ちしたって敵わない。だから強くなろう。トレーナーに、ゲットしてもらえるように。トレーナーにとって、利用価値のあるフライゴンになる為に。ここにきて決意は、かつての純粋さを取り戻した。焦らなくていい。なんたってここには、()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 フライゴンになり、数ヶ月の月日が流れた。何やら仲間のフライゴンたちが騒がしい。どうしたのだろうと聞き耳を立てていた俺が索敵を終えて戻ってきた一匹のフライゴンから聞いた話は、耳を疑うものだった。

 

 

 

『今日……ガブリアスを連れてるトレーナーを見たんだ』

 

 

 頭が真っ白になった。馬鹿な、そんな筈はない。だってここはガラルだ、登場ポケモンに制限がかかっているはずだ。

 周りのフライゴンたちも、有り得ないと声を荒げて否定する。しかし索敵役の言葉よりも、この世の終わりを見たかのような表情と、生気の抜け落ちた目が、何よりもそれが真実であるということを物語っていた。

 

 ──終わった。

 

 俺の中のナニカが、音を立てて崩れ去っていく。フライゴンの需要?強いフライゴンになって捕まえてもらう?そんな夢も理想も、ガブリアスがいるならば前提として成立していない。

 

 生き残る為に、トレーナーに捕まえてもらう為に、なんだってしてきた。

 

 でもこれは、どうしようもないじゃないか。

 

 

 神様、教えてください。

 

 

 

 

 

 

 ガラル地方にガブリアスが入国してくるってマジ?

 

 

 

 

 俺の物語に名前をつけるなら、こっちの方がいいかもしれないな。

 

 

 

 





過去話はあと数話続きます。
何かしらの形で応援いただけると本気で喜びます。



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決意の境界線


あまりの伸び幅にびっくりです。
感想やお気に入りや評価本当にありがとうございます。






 

 

 

 

 ガブリアスがガラル地方に存在する。

 

 俺の決意を揺るがしたその言葉は、仲間たちにも大きな波紋を生んだ。

 俺たちフライゴンにとって、ガブリアスは恐怖以外の何物でもない。人間がゴキブリに嫌悪を抱くように、猫を見たネズミが一目散に逃げ出すように。潜在的に恐怖が刷り込まれている。それはフライゴンである俺にとっても例外ではなく、見えない何かに後ろから首筋を優しく撫でられたような悪寒が全身を突き抜けた。しかし、“それだけ”でもあった。他の仲間のように阿鼻叫喚とまでは陥っていない。元々人間だった俺は、ガブリアスに対する苦手意識が薄いからだろうか。そう思うと、先程まで感じていた絶望も、少しずつ和らいでいく。そうだ、例えガブリアスが居ようとも、やるしかない。人間にとって価値のあるフライゴンになる。それだけが、俺に残された唯一の希望なのだから。元々ピアノ線だったモノが、裁縫糸になっただけのこと。ならば俺はそれを切らぬように手繰り寄せていくのみ。そんな時、仲間のうちのある個体が声を発する。

 

 

 

『まぁでも、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 その呟きに、周りはうんうんと同調を始めた。

 

『そうだよなぁ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

()()()()()()()()()()()()、人間たちもガブリアスに夢中だろ。俺たちは大人しく野生でヒソヒソと生きようぜ』

『捕まえられた子たちも可哀想ね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 途端に漂う、負の雰囲気。トレーナーの手持ちに比べ遥かに発達した、野生で生きていく為に必要な闘争本能の欠片もない発言が、次から次へと飛び出す。特に最後のメスは、いつかトレーナーに愛されるようなフライゴンになりたいと、瞳を輝かせながら己の夢を語っていたというのに。誰一人として、反対の声はあがらない。負けている、闘う前から、負けている。

 

 ──否、コイツらは、()()()()()

 

 闘争本能の枯れた野生に、生きる資格などない。刻一刻と変化する環境に適応できず、他の生物に淘汰され、何の爪痕も残さず、自然現象の一つとしてその一生を終える。ふざけるな。そんなの、俺は絶対ごめんだ。

 

 ──()()()()()()。俺はまだ、死にたくない。

 

 そうやって“死ぬ”ぐらいなら、精一杯足掻いて、醜く“死にたい”。そんな結末は、絶対に許容しない。

 

 俺の中の、『フライゴン』としての本能が叫ぶ。そしてその言葉は、必然のように口から零れた。

 

 

『──本当に、それでいいのかよ』

 

 

 俺の呟きに、仲間達のざわめきが止む。

 

 

『“勝てない”って諦めて、“しょうがない”って受け入れて、みんな本当にそれでいいのかよ』

『どうしたんだよ。だって相手はあのガブ』

『だからなんだよ、相手は同じポケモンだろ?なんでそんなにビクビクしなきゃいけないんだよ!堂々としてればいいだろ!?ガブリアスがなんだって、見つけたら倒してやるんだって、そんぐらいの気持ちでいればいいじゃないか!!』

『お前……何言ってるんだ?』

 

 俺の必死の叫びも、仲間たちには響かない。それどころか、おかしなものを見るような目で俺を見ている。どうして。どうして伝わらない。そんな風に()()()()()()()()()()ことに、何の意味がある?果敢にガブリアスに挑み、喰い千切られて殺される方がよっぽどマシじゃないのか?そんな思いをいくら力説しようが、仲間たちは首を傾げるのみ。

 

 

『いや、()()()()()()()()()()()()()?』

 

 

 全てはこの言葉で終了。それが彼らにとっての当たり前だというように。頭がおかしい奴だなというように。仲間たちは俺を()()()()で見ている。やめろ、やめろ、やめろやめろやめろ。そんな目で見るな、そんな“汚い目”で、俺を見るな。

 拳を握り、歯を食いしばる。生まれた溝は、あまりにも深すぎた。根底が違う、意識が違う。ここにいても、俺は“死んだまま生きるだけ”だ。

 

 ならば。

 

 

『───ってやる』

『ん?』

 

 

 

 

『──やってやる、俺がガブリアスを、完膚なきまでにぶっ倒してやるッ!!!』

 

 

 

 

 誰もやらないのなら。俺がやる。

 “ガブリアスを倒せるフライゴン”に、俺はなる。あんなサメ野郎がなんだ。ちょっと俺より種族値と特性と技が優秀なだけじゃないか。やる、絶対にやってやる。俺の価値をコイツらに、トレーナーに認めさせてやる。

 

 そんな俺の宣言を聞いて、仲間たちは。

 

 

『ブフッ、クッハハハハハハハハハ!!』

 

 

 声を上げて、嘲笑(わら)い始めた。

 

『倒す?ガブリアスを?ハハハハ!面白すぎるだろそのジョーク!!』

『おう!頑張れよ!俺は応援してるからなー!』

『待って、本当に、お腹、痛いっ、フフフフ!』

 

 誰一人として、本気にしている者など居ない。それでいい。そこがお前たちの限界だ。大人しくそこで()()()()()

 

『……(おさ)。俺は暫く、群れを離れます』

『やめておけ。そんな幻、本気で叶うと思っているのか?』

『違いますよ。叶えるんです、自分の手で』

 

 お世話になりました、と頭を下げ、俺は群れを離れた。それから数時間ほど飛び続け、俺は森の中へと着地した。ここならば、群れとばったり再会して気まずい、なんてこともないだろう。

 

 さて、ガブリアスを倒すと言ったわけだが。

 

 

 

 

 

 

 

 ──え、マジでどうしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここにいくまでの道すがら、正直に言って本気で後悔していた。いや、割とマジで。相手はガブリアス。格上も格上だ。相手は両手で数えられるほどしかいない、選ばれし600族(平均種族値100)。オイオイオイ、死ぬわ俺。

 だがまぁ、目指すべき場所が間違っているというわけでもない。トレーナーにとって価値のあるフライゴンになる。その上で仮想敵をガブリアスに設定することは、悪いことではないはずだ。だが果たして、どうすればあのガブリアスに勝てるのだろうか。

 

 最初はひたすらにそれを考える日々だった。考え続けて、数日が経った。答えは出ない。技を強化する?体を鍛える?どうあがいても、勝てるビジョンは浮かばなかった。そんな俺が、数日間をかけて出した結論。

 

 

 ──いやなんかまぁ頑張るしかないんじゃね?

 

 

 そうや、とりあえず頑張って、強くなるしかない。それしかないのだ。種族値はもう仕方ない。個体値も仕方ない。捕まえてもらって王冠でも使ってもらおうそうしよう。俺に残された希望、それはただ一つだけ。

 

 

 努力値だ。

 

 

 ゲームシステムでは、各パラメータ毎に252まで、総じて510まで降ることができる努力値。だがこの世界に、そんな数値的限界があるのだろうか?努力でパラメータを上げることが許されるこのポケモン世界で、限界を超えた努力をし続ければ。上限だって、いつかは超えられるかもしれない。

 

 だから俺は強くなろう。勝つために、努力をしよう。辛くても、苦しくても、ただ我武者羅に、直向きに。愚直でも、醜くとも、運命に抗い続けよう。

 

 俺はこの日、改めて誓った。

 

 

 

 

 

 

 さて、改めて自分の目的を再確認したわけだが、果たしてここからどうするべきか。“強くなる”ということは決まっていても、どうすれば強くなれる?努力をするにしても、ただ闇雲に努力し続けることに意味はない。方向性を定めることが何よりも優先すべきことだ。その為にまずは、仮想(ゲーム)現実(このせかい)の違いを明確にしておくべきだろう。

 

 

 ポケモンとして生活し続けてわかったことは、ゲームとしてプレイするポケモンとは、勝手が全く違うということだ。俗に言えば、()()()()()()()()()()()ということである。

 例を挙げると、まずは技。ポケモンは技を使用することで相手に攻撃する事ができ、四つまで技を覚える事ができる。

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 覚えようと思えば幾つでも覚える事ができるし、技を使わなくとも殴る蹴るの攻撃は可能である。そして技の威力も、ゲームとは違う。考えてみて欲しい。ヒトカゲの放つ『かえんほうしゃ』と、リザードンの放つ『かえんほうしゃ』の威力は、()()()()()()()()()?答えはNOである。個体の能力や技の練度によって威力は大幅に変わるのがこの世界だ。技ごとに威力が一律ということはあり得ない。また覚えることの出来る技も、ゲームに比べて多いのも特徴だ。縛りは緩く、現に群れのフライゴンのなかでも、『だましうち』が使える個体や、『つばさでうつ』を使える個体もいた。従って、覚えようとすれば、俺はきっと『きあいパンチ』だって打てるようになるだろう………いや、覚えるつもりはないけども。つまり努力次第で、俺は無限の可能性を発揮する事ができるのだ。ただ『れいとうビーム』などは体内器官の問題もあり、どうあがいても覚えることはできない。

 次に特性だが、これはこの世界において特性は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ようだ。即ち、ある一定以上の能力に、補正をかけてくれるのが特性ということになる。ナックラーの中でも噛む力の強い個体は『かいりきバサミ』の特性を持ち、強力な蟻地獄を作ることの出来るナックラーは、『ありじごく』の特性を持つというわけだ。

 

 では、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ──解。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう、この世界では()()()()()()()が可能である。特性とはゲームのように先天的に与えられたギフトではなく、自身の能力を表彰する、勝ち取ったメダルなのだから。

 

 そうであるならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 こればかりは仮説の域を出ないが、かなり信憑性は高い筈だ。自分自身が実験台となって確認するしかない。これらを踏まえた上で、自分自身の育成の方向性を考える。その為に、自分を客観視してみた。

 

 俺は間違いなく、同族たちに比べて()()()()()()。人間の意識という不純物が混じっているからか、特殊技の扱いがいまいちしっくりこないのだ。だが逆に、物理技……の中でも直接攻撃は、群れの中でも上位に食い込む。特殊技に比べて、こちらの方が遥かに体に馴染んでいるのがわかる。体力は平均程度、最高速度はやや上位……という風に分析を続け、俺は自身のおおよその個体値を出した。

 

 

 H(体力)A(攻撃)B(防御)C(特攻)D(特防)S(素早さ)

 19(かなりいい)31(さいこう)24(かなりいい)9(ダメかも)14(まあまあ)22(かなりいい)

 

 

『うーん再厳選不可避!ww』

 

 

 草生えたわ。わかってはいたが、なかなかのクズ個体だな俺。だが嘆いてもしょうがない。個体値は拾ってくれたトレーナーに王冠を使ってもらうしかない。足りない分は努力で補う。そう誓ったじゃないか。とにかく方向性は決まった。この個体値を最大限に活かす為、高速物理アタッカーを目指す。努力値は……あるのかはわからないが、攻撃素早さを中心に振ることにしよう。無論、システムの定めた限界なんぞ超えて。体力防御特攻特防方面もしっかりと育てていく。そして覚える技だが。

 

『格闘技だな』

 

 『かくとう』タイプの技を中心に覚えていこうと思う。正直火を吐けとか口から波動出せとか言われても出来る気がしない。それならばまだ見た目でわかりやすい『かくとう』技を覚える方が遥かに建設的だろう。それに『かくとう』技を覚えれば、憎き『こおり』タイプに抜群が取れるようになる。そんな意味でもかくとう技を覚えるのは必然と言えた。

 

『っし!じゃあ修行開始だ!』

 

 覚えたい技もあるし、手に入れたい特性もある。とりあえず、自分に出来ることを、少しずつやっていこう。

 

 こうして俺の、ガブリアスを倒すための修行が始まった。

 

 

 

 





次回から、修行編に入ります。
今はまだ可愛いフライゴンですね()


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臥薪嘗胆、竜日和


短編日刊一位、総合日刊五位、本当に嬉しいです。


 

 

 俺ことフライゴンの朝は早い。午前五時半(体感時間)には起床し、昨日のうちに捉えておいたエサ(ポケモン)を食べる。その後、近くにあった池で口を濯ぐと、ストレッチを始める。そうやってゆっくりと身体中の筋肉を覚醒させていき、ある程度終わったところで始めるのはランニングだ。え?羽あるやんお前。なんてツッコミはよしてくれ、こっちはこっちでちゃんとトレーニングのメニューを組んであるから。羽があるからといって足腰の強化を疎かにするのはナンセンス。『かくとう』タイプの技を覚えようとしてるんだ、その威力を最大限に発揮するには身体中至るところの筋肉を増強する必要がある。毎朝十キロ、森の様子や地形を確認して頭に叩きこみながら、ドシドシと間抜けな音を響かせながら俺は走る。

 

 群れを離れて森に移動したわけだが、結果として功を奏した。環境を変えることは何よりも大切で、自身にとって不利な環境──フライゴンにとって、砂がないことは相当なディスアドバンテージとなる──に身を置くことで、己を極限まで追い込むことができるからだ。この森には雨風を凌げる木末もあるし、水源もある。なんとなくで来た場所だが、改めて修行場所を探す手間が省けたし、この森を選んで本当に良かった。

 ランニングを終えたら、次は筋トレだ。まずは王道中の王道、腕立て伏せ。フライゴンは、胴体に対して腕が短く、あまりにも細い。そんな露骨なウィークポイントを放っておくはずもなく、そして『かくとう』タイプの技の威力を上げる為にも、ココの強化は欠かせない。ただ己の体重を支えきれずに、正直今は三十回が限度だ。まぁ何度もやっていれば筋力もつくだろうし、今はこれでいい。そして近くにあった手頃な石を使って擬似ダンベルカール。徹底的に腕を虐め抜いていく。

 次は腹筋。ただこれは体の構造的に無理。却下。胴体の筋肉は何か別の方法を考える必要があるだろう。

 そして尾筋。これは考えた結果、かの有名なミュウツーさんにトレーニングの着想を得た。尻尾のみで体を支え、腕は組み、足は座禅。このガイナもどきミュウツー立ち(俺が名付けた)のまま、ゆっくりと体を沈め、元の位置に戻す。そう、スクワットだ。これがなかなかに難しく、尻尾でバランスを取りながらスクワットをするなんて行為、人間の時にしたことないからかなり難しい。ただこのキツさのおかげで、自分の血肉となっている実感を感じられ、充実した時間を過ごしているように感じることができた。

 

 ここまで終えたら、狩りに出かける。食わねば死んでしまうし、特に筋肉をつけるなら肉を食べなければならない。そこで狙うのは、高タンパク低カロリーのササミ、即ち鳥ポケモンだ。俺はポケモンの中でも、アオガラスが好物だった。初めて捕らえた獲物という思い出補正もあるが、現実世界の鶏肉とも違った味は、一度食べたら忘れられない。同じようにココガラも好きだがアーマーガア、アイツはダメだ。鎧みたいな甲殻が邪魔して食べにくいし、筋肉まで鎧仕込みで食えたもんじゃない。

 この付近にフライゴンが存在しないことは僥倖だった。ヤツらは俺に対する対策をまともに知らず、ちょいと巣を襲えば入れ食い状態。今日もそんな風にココガラやアオガラスを数匹、簡単に捕らえることができた。これで2,3日は安心だろう。

 狩りを終えれば、次は採集。この森には、木の実の群生地がある。肉だけじゃ栄養偏るし、何よりたまには甘いモノが食べたい。前の住処じゃ、殆ど縁のない代物だったからなぁ木の実。そんなことを考えながら、俺は十分に育った木の実を木から毟り取る。この世界にきて長い時間が経ってしまい、見た目や名前などのかつてプレイしていた頃の木の実の知識は掠れてしまっている。属性半減実なんて有名どころすら怪しい。とりあえず俺は、モモンの実と思わしき物を一つ口に含んだ。

 

『……え、なにこれうま!!』

 

 想像していたよりも甘くはないし、中身はスカスカで身が殆ど詰まっていなかったが、そんなのどうでもいいほどみずみずしい果汁が口中に広がる。肉しか食べてなかった俺からすれば大きなカルチャーショックだった。うまい、うますぎる……!うますぎて、ウマにな(以下自重)。

 それから様々な木の実を試した。対戦で有名どころなラムの実は、不思議な味だったが、体調が少し良くなった気がする。状態異常を完治させる力は、こんな風に発揮されていたのか。そして同じくらい有名どころなオボンの実。こちらはなんというか、凄くまろやかだった。肉付きのいい実は、齧る度に味が変わる。修行で疲れた体が、癒されていくのを感じた。さらに通称『混乱きのみ』と呼ばれる、フィラの実を筆頭とするそれら。これ、上手くいけば自分の性格補正がわかるんじゃね?と思ってとりあえずマゴの実を食べてみたところ、変化は一瞬で訪れた。甘味が舌を撫でた刹那、一瞬で視界がぐるりと回る。そのまま平衡感覚を失い、その場に倒れ落ちてしまった。こ、これが『こんらん』……!そりゃ自分も攻撃しますわ、マジでまともに動けない。まさかの一発ビンゴ、俺は特攻に下降補正がかかっていることがわかりましたとさ。

 注意しなければならなかったのは、『懐き木の実』のザロクの実シリーズ。これは懐き度を大きく上げる反面、努力値を下げてしまうという代物であり、野生の俺にとってデメリットでしかない。ただまぁ、せっかくなので俺は、比較的俺にとって悪影響を及ぼさないロメの実を食してみることにした……うっわ、辛っ!苦っ!渋っ!!数度咀嚼したのち、思わず吐き出してしまった。どうせなら酸っぱくしてTogetherさせろよな、なんてことを考えていると、急に体がだるくなって来た。あぁなるほど、これが“努力値を失う”という感覚か。勉強になったよ、もう二度と食わんがな。俺はラムの実やオボンの実を中心に、たくさんの木の実を持ち帰った。

 

 

 

 

 さて、食事を終え、午後の修行。ここからは基礎トレから実践的なトレーニングに移していこうと思う。

 

『っし、まぁこんなもんかな』

 

 住処から少し離れた、巨大な土壁のある開けた場所に、俺は適当に拾った丸太を担いで移動して来た後、その丸太を抜けなくなるまで壁に突き刺して固定した。これで準備は完了だ。さぁいくぞ。

 

『おぉぉぉおああぁぁぁぁァァ!!!』

 

 叫び声と共に、俺は思い切り丸太を殴りつけた。丸太はびくともせず、衝撃のまま振動だけを伝えている。

 

『痛ったあああああああああ!?』

 

 殴打の衝撃が、腕を通して全身に突き抜ける。あまりの痛みに、思わず声が出た。じんじんとした鈍痛が、未だに拳に残っている。

 

 そう、このトレーニングは、()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 まぁまぁ落ち着いてくれよお兄さん方。これは某ボクシングマンガでも行われていた立派なトレーニングなのだ。まぁ当人は拳が砕けてしまったけどね。ただ彼は拳の骨と引き換えに、自分より遥かに優れた体格を持つ男を、一撃で沈めることのできる“鉄拳”という名の武器を手に入れたのだ。

 

 ──そう、俺が欲しているのは、()()()()()()()()()()

 

 俺の仮説が正しければ、特性は己の優れた技能に補正をかける後付けのものだ。つまりこの修行を通してパンチ力を向上させ、鉄拳と称することのできるパンチを手に入れた暁には、特性『てつのこぶし』を手に入れてさらにパンチ力の底上げができる筈だ。実験台は俺、強くなるならなんだってすると決めた。この理不尽な修行すらもやり遂げてやる……まぁ死ぬほど痛いんですけどね!

 ただ、ポケモンの自然治癒力は人間のそれとは一線を画する。擦り傷程度ならその日の夜には治ってるし、骨折したところで一週間もあれば完治だ。さらに自然治癒力を高める為のラムの実もある。骨折なんて怪我した内に入りはしないのだ……いや嘘です極力したくないです治るとはいえ痛いから。

 

 さぁ改めて目的を確認したらひたすら殴打!殴打!殴打!殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打殴打(オラオラオラオラオラオラオラオラ)ァ!!

 

『……少しは埋まった?か?』

 

 10分ほどそれを続けて、丸太を見てみる。丸太につけておいた印が、若干だが土壁に寄っている。ような気がする。誤差だといってしまえばそれまでだが、確かに動いている。よし、やりすぎは良くない。今日はここまでにしよう。少しずつ数を増やしていけばいい。決して拳の皮が剥けて血が出て来たからだとか、痛みが酷すぎて涙が止まらなくなったからだとかではない。断じてない。

 丸太殴りを終え、次に目指したのは倒木地帯。ここには倒れた木がたくさんある。その中から手頃な物を選び、俺は渾身の力で思い切り。

 

 

『どりゃああああああああああァァ!!』

 

 

 爪を突き立てて引っ掻いた。

 

『痛ああああああああッ!?』

 

 あれ、すごいデジャヴ。その痛みも構わず、引っ掻く。負けそうになる心を奮い立たせ、引っ掻く。爪が剥がれかけて血が出て来ても、引っ掻く。引っ掻く。引っ掻く。引っ掻く引っ掻く引っ掻く引っ掻く引っ掻く引っ掻く引っ掻く引っ掻く引っ掻く、引っ掻く!

 

 勘の良い方ならもうお分かりだろう。そう、これは特性『かたいツメ』を手に入れるための修行だ。

 

 特性の複数所持が許され、後付けで特性を付与することができるのなら。『てつのこぶし×かたいツメ』なんていう物理火力のロマンに溢れた特性にすることも可能なはずだ。これを狙わない手はない。だから俺は木を引っ掻き続ける。痛みに耐えて泣きながら。

 

 

 

 両拳と両指から血が垂れ流され続け、真っ赤に染まった引っ掻き傷のできた木を見て我に帰った俺は、そっとその場から飛び去った。

 

 

 

 

 

 

『うう……痛すぎてたまらん』

 

 その日の夜。夕飯と食後のデザート(ラム&オボン)を済ませた後、傷ついた手にオボンの実を握りつぶした果汁をかけていた。どれほどの効果があるのかはわからないが、何もしないよりかはマシだろう。そしてさらに、ちょっとした実験をしてみることにする。

 

『……よし、これでいいかな』

 

 尻尾をスコップ代わりに掘り返した土の中に、ラムの実とオボンの実をそれぞれ離して入れ、そこに適当にかき集めて来たポケモンのフンを混ぜて土で蓋をする。そして池から組んできた水を適当にかけて土を湿らせた。

 

 そう、『きのみのなる木』の育成である。

 

 フライゴン初登場と同時に、RSE(ルビーサファイアエメラルド)で登場した、『きのみ』というシステム。最近はご無沙汰だが、当初はふかふかの土に木の実を埋め、ホエルコじょうろで水をやることにより木の実を育成することができた。それも、最大48時間という極めて短いスパンで。まぁ流石にそこまでの短時間では無理だろうが、木の実を栽培できるようになれば、最悪の場合非常食にもなる。特にラムの実やオボンの実は治療や健康維持の面でも今後も必須になっていくだろう。欲を言えば、三ヶ月に一回ペースで実ってほしい。だが現実的に考えてそれは難しいだろう。精々一年に一回とかそんなペースになると思われる。

 

『ん……くあぁ……』

 

 そこまで終えると、思わず欠伸が出た。疲労が溜まっているのだろう。オボンとラムに助けられてるとはいえ、やはり寝ないことには体力は回復しない。早寝早起き、体づくりには必要不可欠だ。落ち葉と藁をかき集めて作った特製のベットに体を沈めながら。そっと瞳を閉じた。

 

『……強くなる』

 

 改めて、口にした。

 今後何があろうとも忘れぬように、自分を曲げずに済むように。そしてそのまま数分もせずに、俺は深い眠りへと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

『いや嘘やん』

 

 次の日。目を覚まして体の状態を確認した俺は呟いた。惨たらしい有様になっていた拳と爪の傷が、()()()()()()()()()。まるで何もなかったかのようにスベスベの皮膚。鋭く生え揃った爪。いやヤベェなオボンの実!今までお盆とか言ってごめんな!オボン様々だわ、ボン様だわ、冬のソナタだわ!

 しかも食後のデザートに食したラムの実とオボンの実のおかげか、昨日の疲労が全くない!寧ろ身体中の調子がいい!この世界に来てから1番の快適な目覚めだった。

 ルンルン気分で寝床を抜け出し、外へと向かう。だがそんな俺の目に飛び込んできたのは、あまりにも衝撃的な光景だった。

 

『いや嘘やん』

 

 本日二度目のそれも、この光景の前では仕方がない。何故なら、昨日木の実を埋めた場所から、()()()()()()()()()()()()()()。芽ではない、木である。苗木ではない、木である。もう一度言おう、()()()()()()()()()()()()()()。いやどんな成長速度だよ、まさかのゲーム仕様!?どうなってるんだこの世界の土は!?だが、嬉しい誤算である。これで木の実が枯渇する心配は無くなった。今は春だから、これからの季節……特に冬にどうなるかはわからないが。

 

 幸先の良い修行の滑り出しに、気持ちが高揚する。良い兆候だ、さあ今日も鍛えるぞ!昂った気持ちはそのままに、修行は二日目へと突入した。

 

 

 

 修行開始二日目。朝の日課を終えて昼食も取り終えた。今日の午後の修行のメニューは、昨日とは変えてみようと思う。そう、昨日は鍛えなかった羽の強化。今よりも長く、遠くに飛べるように。そして何よりも、(はや)く飛ぶことができるように。

 俺は周りから、漬物石のような形の石、出来るだけ同じ重さの石を二つ探し始めた。しばらくして、片方2kgちょいくらいのいい感じの石を見つけた俺はそれを両足で掴み、上空へと羽ばたいた。過剰にならない程度に負担をかけ、2時間ほど連続して飛び続けた。言うならばこれは、人間で言う足に重りをつけたマラソンである。心肺機能と、羽の機能強化が目的だ。

 それが終わると小休憩を挟み、インターバル飛行に移る。50m程全力で飛び、急ブレーキをかけて急停止。これをひたすらに繰り返すのだ。もちろん、石は持ったままで。このトレーニングには、羽の筋力増強による最大速度の上昇と、羽の巧緻性を上げてより細やかな飛行を可能にする目的がある。

 十回×十セットほど終え、俺は森へと戻る。しかし羽のトレーニングはまだ終わらない。最後は森の木々の間を、極力最大速度で飛行しながら抜けていく訓練だ。これは前二つのトレーニングの成果の確かめの意味合いが強い。

 

 

 ここまでのトレーニングを終えた感想。

 

 ──正直昨日の何倍もキツい!

 

 

 昨日はキツいというより、痛かった。物理的に体を虐め抜いたのが昨日のトレーニングならば、今日のトレーニングは筋肉に負担をかけ続けるトレーニングだった。学生時代、運動部で経験したような疲労感に懐かしさを覚えつつも、少々センチメンタルな気持ちになった。アイツら、元気にしてるかなぁ。今頃社会に出て、頑張ってるんだろうな?え、俺?俺はニートになった後フライゴンになったよ、ハハッ。

 いかんいかん、意味のない時間を過ごした。俺は住処に戻り、池で水浴びをした後食事を取った。勿論、デザートのオボンとラムも欠かさない。もうすっかりコイツらの虜ですわ。これがないと生きていける気がしないぜ。今日のトレーニングの隠れた目的として、メニューを組んだ当初は特性『はやてのつばさ』の習得があった。しかしまぁ、正直これはかなり望み薄だろう。『ひこう』タイプの技を覚えるかどうかもわからないし、何より俺の背中にあるのは翼ではなく羽だ。それを狙ってトレーニングするよりも、能力向上の為と割り切ってやる方が気が楽かもしれないな。

 デザートを食べ終えた途端、猛烈な睡魔に襲われる。やはり過酷なトレーニングに、まだ体が慣れていないのだろう。とりあえず、暫くはこの二種類のトレーニングを一日置きにやって行こう。で、サイクルが三回回ったら一日オフの日を作ろう。その日に、技を考えたりとかすれば筋肉の回復もできて一石二鳥だ。方向性を改めて定め直した俺は、泥のように深く眠った。

 

 

 

 

 

 

 それから半年が経った。

 自分で定めたサイクルを守り、雨の日も風の日も己を鍛え続けた。それを半年も続ければ、効果は目に見えて表れる。

 

 まずは丸太殴り。最初は一週間かけて一センチ埋められるかどうかだったが、今では一週間で三十センチは埋められるようになった。拳も昔ほど出血しなくなり、丈夫になった。“鉄拳”と呼ぶにはまだ烏滸がましい出来だが、それでも最初期に比べれば遥かに成長したと言える。そして腕にも変化が現れ、何とびっくり、()()()()()()()()()()。システムメタ的な話をすれば、俺の攻撃のステータスに合わせて、それに伴った威力の打撃を繰り出せるようにする為に骨格が変化したのではないかと考察できる。実に不思議だ。女子小学生みたいなか弱い細腕も、今では立派に土木業の偉丈夫のよう。弛まぬ努力は俺の体をここまで変化させた。

 爪も剥がれる度により丈夫に、より鋭く生え変わっていった。生爪を繰り返したあの日々を思い返して涙が出そうになるが、こうなってくれたのなら御の字である。

 羽も一回り大きくなり、最高速度も、持続距離も遥かに向上した。そしてそれまでは身体についているなぁくらいの感覚だった羽が、自分の筋肉の一部としてしっかり馴染むようになった。今では小指の第一関節だけを曲げるように、自分の羽を繊細に動かすことができる。

 少しずつ、だが確かに成長している。この俺の努力がパラメータに反映されているのならば、今は体力攻撃素早さ(HAS)に努力値が振られているはずだ。それがどこで頭打になるかはわからない。だが例えその時が来たとしても、伸び代が途絶える時が来たとしても、俺は努力を続けていくだろう。

 

 そんな日々が、ずっと続いた。

 

 心が折れそうになっても、狂ったように努力をし続けた。

 

 そしてついに、その日は訪れた。

 

 

 

 

 





修行編はあと二話、かな……?


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画竜点睛、音速拳

 

 

 修行を始めてから、四季が一周した。

 

 それを二度、経験した。

 

 

 

 目の前に、土壁がある。

 

 その土壁には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その全てが、俺が拳のみで二年をかけて打ち付けたものだ。

 

 俺の正面にあるのは、一本の丸太。まだ土壁に刺さっているだけで、埋まりきってはいない。その前に立ち、()()()()。二年の鍛錬の果てに辿り着いた俺だけの、俺専用の型。左足を前に出し、右足を下げて斜に構える。左手は正面に、右手は腰に。そのまま一気に──()()()()()()()()

 余計な力は不要、無駄な力みはかえって打撃の威力を削ぐ。100%を発揮するのは、着弾(インパクト)の一瞬だけ。最低限かつ最小の力で体を動かす為に、心を無にする。拳は弾丸だ。全身は、拳という弾丸を放つ為の銃口。足の親指の、母子球の、足首の、膝の、腰の、肩の、腕の、肘の、首の、全ての運動エネルギーを拳に収束させるイメージで──!

 

 

 

『────ンン゛ッ!!』

 

 

 

 

 ──放たれた(弾丸)()()()()()()()()

 

 

 

 着弾と同時にパァン!という音を立て、丸太の中心へと拳は吸い込まれた。次の瞬間には、()()()()()()()()()()()()()()()。衝撃の余波で、土壁が大きくひび割れる。丸太の中心には、拳の後がくっきりと残っていた。()()()()()()を振るった残心のまま、俺は声高に叫ぶ。

 

 

『よっしゃぁぁぁぁ!!』

 

 

 遂に、遂に完成したぞ!長かった……ここに至るまで二年、マジで長かった。本当に覚えられるのか、心配になることもあった。それでも愚直に拳を奮い続けた。その成果が、今ここに現れた。

 

 

 ──()()()()()()、此処に成る。

 

 

 念願の格闘物理技に、心が躍る。それに二年間拳を奮い続けたおかげで、念願であった特性『てつのこぶし』を得ることもできた。あれは一年と少し経ってからだったかな、ある日を境に、それまではあった成長の過程を素っ飛ばして急にパンチの威力が増したのだ。まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その頃には傷を負わずに岩を殴って破壊できるようになってたから、俺は『てつのこぶし』の習得を確信した。これによって俺の仮説が見事立証されたことになる。それからも鍛錬を続け、自らの爪が漆黒に染まり、黒曜石のような輝きを帯びてから暫くして。もう一度壁を乗り越えたような感覚が訪れた。そう、『かたいツメ』の習得である。これにより、俺の物理攻撃の火力が更に底上げされた。

 身体面の変化で言えば、まず体が一回り大きくなった。フライゴンの平均体長を大幅に上回り、四メートル近くまで身体が成長した。腕も奇形に見えてもおかしくないほど成長し、俺最大のメインウェポンとなっている。羽は筋肉がより凝縮され、増えた体積によって生み出される空気抵抗を少しでも減らすために、薄く進化した。それにより今までとは比べ物にならない速度を生み出すことが可能となった。動作の方も完全に身体に馴染み、より精密性と巧緻性が増した。

 ただその過程で、俺は『ふゆう』を失った。俺の拳は全身の筋肉の動きを利用して威力を高めてある。回避もステップを主に用いるし、加速も初速を稼ぐために足を使っている。故に地に足をつけている時間の方が長く、体が不要と判断したのかある日を境に、それまでは自然にできていた羽を用いない浮遊が、出来なくなってしまったのだ。まぁ『ふゆう』を失うデメリットよりも、得たメリットの方が大きいのでこれは正直あまり気にしていない。

 

『──少しは強く、なれたかな』

 

 これまでの日々を振り返る。俺は近くの水たまりに映った自身の体を観察した。

 パッと見何の変哲もない、()()()調()()()()()()()のフライゴン。しかしよく見てみれば、他のフライゴンと違った点はいくつもある。そして遠い昔のように感じる、己の身一つで不利な環境に身を置いて過ごした二年間。順風満帆とは言い難く、訓練とは別に何度も死にかけた。食糧にしていたココガラ系列の群れは、冬季になると暖かい場所を目指して森から姿を消した。目に見えて外に出ている野生のポケモンは数を減らし、貯蓄などしていなかった俺は木の実だけで飢えを凌ぐ羽目になってしまい、空腹に耐え忍ぶ冬を過ごした。さらに育てていた木の実が原因で、住処が野生のポケモンに夜襲を受けることもあった。訓練から戻ってきた後に大切に育てた木の実が荒片喰い荒らされていたこともあった。まさに、生きるか死ぬかの生存競争、俺はわかっていたつもかりの野生の厳しさを改めて認識しなおした。それでも俺が生き残ることができたのはしっかりと己を鍛えていたおかげで、この森に住む個体の中で卓越した実力を持っていたからであり、()()()()()()()()()()()()()()()()()からであった。戦闘技術や勘で大幅に遅れをとっていても、純粋な力でそれを翻して勝ちを納め続けた。今では俺に喧嘩を売る奴は余程自分の力を過信している命知らずか、この森にきて日の浅い世間知らずのどちらかだ。まぁ俺も最初期ほど生きるのに必死ではないので、軽く捻って送り返してあげているが。

 

 さて、感傷に浸るのはこれくらいでいい。偉大な進歩ではあったが、『マッハパンチ』一つ覚えたくらいでは、ガブリアスに敵うわけもない。これからも鍛錬を続けて技を習得し、磨いていかなければ。

 

 

 

 

 それから更に二年。

 

 俺の住処に、激しい戦闘音が響き渡る。木々を揺らすような衝撃、拳が空を切るごとに吹き上がる風、足を踏み締める度に鳴り響く地響き。周囲のポケモン達も、一体何事かと集まり始めている。騒ぎの中心にいるのは、二匹のポケモン。片方は勿論俺ことフライゴンであり、もう一匹のポケモンは、体長3m後半の恵まれた体格を持つゴロンダだった。

 相手の超接近状態での『インファイト』を去なし、俺は一度大きく距離を取る。一瞬の溜めの後、超高速低高度滑空で開いた距離を一気に詰めた。その速度を維持したまま、俺はゴロンダの顔目掛けて拳を繰り出す。それをゴロンダは、十字に腕をクロスさせることで守ろうとする……予想通りだ。

 接触する寸前、俺は拳を開いてゴロンダの腕を掴んだ。滑空の慣性で身体が流れるまま、しっかりと地面を掴み、全身の筋力と滑空で生まれた力のベクトルを利用し、ゴロンダを持ち上げて、地面に叩き付ける。しかしゴロンダは、驚異的な反射神経で空中で体勢を変えると、足から着地することに成功、さらにあろうことかそのまま、『ばかぢから』を発揮して俺を叩きつけ返して来たのだ。途中まで予想通りに事が運んだだけに、反応が遅れた。先程の意趣返しのように宙を舞った俺は、受け身もままならずに背中から地面へと叩きつけられてしまう。だが、タダでやられたわけじゃない。

 

 攻撃の後で無防備を晒していたゴロンダの顔の側面を、倒れながらも放たれた俺の尻尾が強かに穿った。

 

 脳を揺らされ、ゴロンダは蹈鞴を踏みながら後退する。その隙に、俺は再びゴロンダから距離を取る。睨み合う俺とゴロンダ、しばらく睨み合い──

 

 

 ──両者共に、一礼を交わした。

 

 

 そしてゆっくりと歩み寄り、固い握手。周囲のポケモンからは、歓声が沸いた。

 

 

 何を隠そう、このゴロンダは、俺の()()()()()()()()()()()である。

 

 

 修行開始から三年、身体はほぼ完成し、それまでのトレーニングは終わりを告げた。最初10kmのランニングを50kmに増やしたり、腕立てを指立てで千回にしたり、長距離飛行の時間を丸一日に変えたりしてみたが、成長は感じられなかった。前々から懸念していた成長の頭打が来たのかもしれない。だがそう決めつけてしまうのは早計であった。この三年間、俺が殆ど得られなかったものがある。

 

 

 ──そう、()()()だ。

 

 

 努力値は、それを手に入れるだけではステータスにすぐに影響を及ぼさない。努力値の恩恵をしっかりと受けるためには、経験値を得て、()()()()()()()()()()()()のだ。経験値を得るために手っ取り早いのは、まぁここガラル地方ではアメというシステムがあるが、やはり戦闘をこなすことだろう。

 しかし俺には、その戦闘という経験が圧倒的に欠如している。これまで行って来たのはあくまでも狩りや害敵を追い払うだけで、凄く端的に言い切って仕舞えば“ヨワイモノイジメ”であり、そこに技術の差込合いや、力のぶつかり合いなどは存在していなかった。つまりゲーム的に言えば今の俺は、“努力値振りがほぼ終わり、進化できるレベル程度には育ってはいる素体”というわけだ。そこまで考えて、天啓が降る。そうだ、どうしてこんな事実を見落としていたのだろう。何も個体の強さを証明するのは、三値だけではないではないか。

 

 ──()()()

 

 ポケモンに、1から100間で存在するその数値もまた、強さを表す重要なものだ。そう、俺が今から為すべきこと、それは()()()()()。戦闘を繰り返し、経験値を得て、レベルを上げる必要がある。そうすることで初めて、鍛えた基礎が技術へと昇華し、俺はまた一つ強くなることができる。そうであるならば、戦闘するしかない。道が開いた俺は、大いに喜んだ。しかし同時に、悩みも生まれた。

 

 ──俺は、()()()()()()()()()()()()()

 

 勿論、これまで沢山のポケモン達を殺して来た。しかしそれは生きるためであり、限度を超える殺生はしたくないというのが本音だ。ナックラーに転生して数年、もうすっかり身も心もフライゴンに染まってしまった俺だが、そこだけは揺るがなかった。綺麗事を、と言われるかもしれないがここだけは曲げるつもりはない。意味もなく殺戮を繰り返すようなら、それはポケモンではなく()()()である。

 そして俺は探し始めた。自分と渡り合うことのできる実力を持ち、かつ理性のある、殺し合いではなく、スパーリングのように手合わせできる相手を。そして見つけたのが、さっき手合わせをしていたゴロンダというわけだ。

 

『お疲れ様、()()()()()。今日もありがとう。コレみんなで食べてくれ』

『グルルゥ』

 

 ゴロンダに草の茎で作ったネットに包んだ、沢山のオボンの実を渡すと、満足そうに親指をサムズアップして、彼は自分の巣へと帰っていった。こんな感じで、バンチョーとは週に一回、多ければ二回のペースでスパーリングを行っている。

 

 それは一目惚れに近かった。巣に襲いかかって来たドラピオンの群れを、()()()()()()()()()()()()()()()追い返し、怯えるヤンチャム達を抱っこして安心させているゴロンダの姿を見て、こいつしかいないと思った。

 その日の夜、俺はこのゴロンダの巣へと訪れた。ありったけの貢物(オボンとラム)を添えて。最初はかなり警戒している様子だったが、幾度に渡る接触を経て、俺はバンチョーとスパーリングを行う関係になったのだ。

 俺はゴロンダことバンチョーの言葉はわからない。向こうも同じはずだ。意外な事に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ようなのだ。俺にとって言葉が理解できるポケモンと、理解できないポケモンがいる。正確に言えば、同じ言語で話せていないような感覚。でもまぁこれは少し考えれば当たり前のことだ。人間だって、全ての人間と会話できるわけではない。日本語を用いる人間もいれば、英語で話す人間もいる。ポケモン間にだって、言語の違いはあるのだ。では、どのような共通点が有れば会話が成立するのか。俺は()()()()()()()が関係しているのではないかと睨んでいるが、正確な事はわからない。しかしバンチョーとは身振り手振りや声のトーンを通して、コミュニケーションをとる事ができていた。

 最初は全く勝てなかった。パワーはほぼ同じ、ともすれば俺の方が強い。スピードに至っては俺のほうに圧倒的に利がある、にも関わらずだ。俺の攻撃は、バンチョーに一つたりとして有効打になり得なかったのだ。しかもバンチョーは、左手で俺の攻撃をあしらいながら、右手でオボンの実を美味しそうに食べている始末。文字通り片手間に、体勢変換と体重移動を巧みに組み合わせて俺を赤子のように扱っていた。戦闘技術の無さを、ひたすら痛感させられる日々だった。それでも俺は、歓喜に震えた。

 

 嬉しい。まだ終わりじゃない。俺はまだ、強くなれるんだ。

 

 そんな日々が、一年続いた。

 

 元々鍛え続けていた基礎に、戦闘技術が噛み合う。俺に起こった変化はたったそれだけ。しかしそれだけのことで、俺の勝ち星は飛躍的に上昇した。具体的に、本気を出したバンチョーに四割勝ちを拾えるくらいには。順調にレベルが上がっている証拠だろう。

 そうなると、確かめたくなる。自分がフライゴンの中で、どれほど強くなれたのか。前々から考えていたことだ。一度群れに戻り、今までの非礼を詫びようと。そしてその環境の中で、己を見つめ直そうと。

 

 次の日俺は、住処にあった木の実を全てバンチョーに引き渡し、森を離れる旨を彼に伝えた。バンチョーは泣きながら俺との別れを惜しみ、肩をバンバンと叩いた。その様子に苦笑しつつ、俺は群れを探して飛び立つべく、羽を一度大きく羽ばたかせた。

 

 

 

 

 ──それだけで、バンチョーから俺の姿は見えなくなっていた。

 

 

 





たくさんの感想本当に感謝です。
全部返信しきれてないですが、励みになります。


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顕現せし死神

ゴンさん、最初の試練。


 

 かつて数時間かけて飛んだ道のりは、十分もかからなかった。群れを離れて四年、探すのにはもう少し難儀するかと思ったが、幸いにもそう遠くには離れていなかった。俺がいた頃は何度も住処の移動を余儀なくされていたが、漸く永住できそうな土地を見つけたのだろうか。

 速度を殺しながらゆっくりと、群れへと降り立つ。何事かと様子を見ていたフライゴン達が、驚いたように声を出した。

 

(おさ)。お久しぶりです』

 

 俺たちの群れの長は、驚きのあまり目を見開いた。俺たちの中で最も大きかった長を見下ろす事ができるようになるほど大きくなったのだなぁと、感慨深さがこみ上げる。

 

『お前は……!生きていたのか』

『この通り、元気ですよ。長もお変わりないようで何よりです』

『おぉ、おぉ……よく無事でいてくれたな。して、用件は?』

『いえ、恥を承知で申し上げますが、俺を群れに戻してくれないかと思いまして』

『……!そう、か。時にお前、まだ幻想を追っているのか?』

『……はい。必ずガブリアスを、倒してませます。その過程で自分を見つめ直すために、群れに戻りたいと考えております』

『……そうか。そうであるのならば』

 

 長は苦しそうに、残念そうに首を横に振る。

 

『……お前を、受け入れる事はできない』

『……そう、ですか。それは残念です』

『何故だ、とは言うまいな』

『えぇ。嫌でもわかりますよ』

 

 俺と長の会話の様子を見聞きしている、周りのフライゴン達。目を合わせずともわかる程、嫌悪と嘲笑を帯びた視線で俺を見ている。

 今更何をしに来た。気持ち悪い体になって。大方夢から覚めたんだろう、敗北者が。

 そんな思いが、透けて見える。そうなると、理解せざるを得ない。ここは既に、俺の居場所では無くなってしまったのだと。僅かに燻っていた郷愁の火種が、ジュッと燃え尽きたのを感じた。

 

『……申し訳ありません、迷惑をかけてしまうようなことを言って』

『済まないな。私個人としては非常に喜ばしいことなのだが、私は群れを預かる身。私情を挟むわけにはいかないのだ』

『心得ております。それではお元気で──』

『おい待てよお前』

 

 謝辞を述べて、群れを離れようとしていた俺に、第三者からの声がかかる。

 

『……なんだ?』

『なんだじゃねぇよ負け犬。今更ノコノコ帰って来てんじゃねぇ』

『いや、もう今から出ていくけど。気を悪くしたなら謝るよ』

『んなこと関係ない。俺と勝負しやがれ』

『は?』

『いいから勝負しろって。俺に勝てたら、群れに戻るのを認めてやるよ』

 

 何だコイツ。自信満々に薄ら笑いを浮かべ、俺を挑発するかのように中指を立てる一匹のフライゴン。大方俺が諦めて泣く泣く群れに戻ろうとしてきたとでも思ったのだろうか。だとしたら見当違いもいいところだ。

 

『……長。コイツは……』

『……最近先代の代わりに索敵係に就いた奴だ。実力に問題はないが、性格面にやや難ありなところが如何ともし難い。』

『なるほど、ねぇ……』

 

 “索敵係”とは、群れの中で最も優秀な個体が任命される。単身で外敵と渡り合える戦闘力を持ち、不利を察すれば一目散に逃走し、群れに危険を知らせる飛行技能を持っていなければ索敵係を夢見ることすら許されない。索敵係の死は、それ即ち群れの壊滅を意味するからだ。俺も群れに身を寄せていた当初は、索敵係に憧れた。その“わかりやすい強さ”こそ俺の理想であり、現にトレーナーにゲットされるのも索敵係の個体が多かったからだ。性格も勇敢かつ優しさを兼ね備えており、まさしく理想のフライゴンだったと言えるだろう。しかし。今の索敵係であるコイツはどうだろう。索敵係の称号の意味を履き違え、横暴かつ調子に乗った言動を繰り返す。いかにも幼稚だ。唾を吐きかけたくなる。

 

『……わかった、その勝負受けるよ』

『偉そうに上から言ってんじゃねぇよ!こっちが提案してやってるんだ、せいぜいありがたく──』

 

 

『──ごちゃごちゃうるせぇんだよ、雑魚が』

 

 

『アァ!?』

『お前なんかコイキングのフン以下だっつってんの。聞こえなかったのか?雑魚』

『テ、テメエ……!』

『お、おいお前達……!』

 

 見かねた長が、仲裁に入る。しかし俺は長へと優しく笑いかける。

 

『心配なさらず。危害は加えませんよ。少々痛い目を見てもらうだけです……少々、ね』

『ほ、本当か……?』

『長はそこで見ていてください』

 

 話し終えると、俺は索敵係の個体を連れて、すぐ横の広場へと移動した。

 

『吠え面かく覚悟はできてんだろうな?』

『御託はいいからかかってこいよワンコロ。テキトーに遊んでやるから』

『……ブチ殺す!!』

 

 叫んだ相手のフライゴンの右腕に、緑色のオーラが顕現した。それは右手に纏われ、三十センチほどの爪の形を為す。そう、『ドラゴンクロー』だ。

 

『……デカいな』

『怖気付いたのか?あぁん!?』

 

 フライゴンの『ドラゴンクロー』は平均して十五センチほどが基本だ。それの二倍となると、口だけではない実力があるのだろうということが見てとれる。

 

 ──だが、()()()()だろう。

 

『まさか。さっさとかかって来な』

『後悔しても……知らねェぞッ!!』

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 羽を大きく振動させて、相手が飛びかかってくる。その勢いのまま振るわれた『ドラゴンクロー』を、俺は笑みを浮かべたまま上体の移動だけで避けて見せた。それから続け様に繰り出される『ドラゴンクロー』の連撃も、俺を捕らえる事はない。

 その間隙を縫って、俺は掌底を繰り出す。それは強かに相手の眉間を打ち抜き、衝撃に攻撃の手が止まった。俺はその顎を羽を器用に使いサマーソルトキックで蹴り飛ばし、その反動を用いて再び相手と距離を取る。一瞬の硬直(スタン)から我に帰った相手は、如何にも怒り心頭といった様子で俺に殺意を込めた眼差しを向けている。そうだ、それでいい。もっと怒れ、もっと動揺しろ。怒りは冷静さを失わせる。動揺は思考に迷いを生む。迷いは踏み込みに躊躇を生みだし、挙動が僅かに遅れる。

 

 その瞬間を──俺は待っていた。

 

『な────ッ』

 

 相手の驚きが、手に取るようにわかる。アイツには今、俺がまるで消えたように見えたはずだ。

 

『──こっちだワンコロ』

 

 動揺を隠せない相手に、俺は後ろから声を掛ける。その振り向き様、足払いを決めて体幹を泳がせると、右手で頭を掴んでそのまま地面へと叩きつけた。そして開いた左手に力を込める。

 

 ──顕現するは、全長()()()()()程の、巨大な『ドラゴンクロー』。

 

 

 

 

 

 

『死ね』

 

 

 

 

 

 

 

『ひぃっ、っあぁあぁああああ!!!』

 

 そしてその爪先を、相手の顔面目掛けて突き立てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 衝撃に土煙が舞い上がり、観ていた周りのフライゴン達が、息を呑む。

 

 そこには顔の真横に殺戮の竜爪を突きつけられ、顔を青ざめさせてガクガク震えるフライゴンの姿があった。

 

『降参……だよな?』

 

 俺の問いかけに、ぶんぶんと首を縦に振り続ける相手。その様子を見て満足した俺は笑みを浮かべながら『ドラゴンクロー』を解除。手を差し伸べて倒れた相手を立たせた。

 

『自分の態度、見直した方がいいと思うぜ。索敵係に選ばれて嬉しいのはわかるけど、そんなんじゃみんなに感謝なんてされないだろ。誰よりも強いからこそ、誰よりも人格者でないとな』

『……はい』

『返事が小さい!!』

『はいッ!!!』

 

 はい、矯正終了っと。

 やっぱり性根を叩き直すには、臨死体験をするしかないな(過激派)。まぁコイツが図に乗ってたのは自分が一番強いフライゴンだという自負から来るものだろうから、そこをちょいと崩してやれば後は勝手にいい方向に向かっていくだろう。すると相手のフライゴンが、去ろうとする俺に声をかけた。

 

『あ、あの……!』

『ん、何?』

『どうやってやったんですか、あの、瞬間移動みたいな……』

『あぁあれか……先に言っておくけど、真似しようと思ってるならやめとけよ?絶対出来ないから』

『うぅ、はい……』

 

 簡単に出来そうとか思われても癪なので、軽く釘を刺しておく。そして俺は先程見せた手品のカラクリを話し始めた。

 

 まぁ俺がやったことをまとめると、跳んで滑空して後ろに回った。それだけのことだ。ただそこに幾つかの技巧を挟んだだけに過ぎない。

 

 まず一つ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということ。

 

 何言ってんだコイツと思った方もいるだろう。しかしこの技術は、実際に存在する。一般的なカウンターといえば、どのようなものを想像するだろうか。ボクシングを例に挙げれば、相手のパンチに合わせて自分もパンチを繰り出し、こちらに向かってくる力と自身のパンチの威力を上乗せして返す技術のことをカウンターという。つまり相手の攻撃を利用して、自身の攻撃をより効果的に演出するのがカウンターという技術だ。

 ところで、このカウンターには複数の種類が存在するのをご存知だろうか。

 俺が今ボクシングを例に挙げて説明したカウンターは、『後の先(ごのせん)』と言われているものだ。相手の行動を予期し、起こった行動を利用して自身の攻撃の威力を増幅させることができる。それに対して、俺が行ったのは『先の先(せんのせん)』と言われるカウンター。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というものだ。言うなれば、()()()()()()()()()()()()()である。俺は相手の視野と意識を攻撃一辺倒にさせるため、怒りと動揺で相手の心を支配させた。そして俺に飛びかかろうとした瞬間に、視界から消えるように真横に高速で跳んだ。やったことはただそれだけのことである。

 そして真横に向かった移動のベクトルを、羽を緻密に動かして半月を描くようなベクトルへ変換、跳躍からそのまま滑空へ移行し、最短距離で背後への移動を実現させた。これが瞬間移動もどきのカラクリである。

 

『……まぁこんな感じかな。わかった?』

『いや、正直全く。え?先の先?羽を動かして滑空のベクトルを変える??えっ、えっ??』

 

 俺の説明を聞いた索敵係のフライゴンは、頭を抱え始める。その様子に苦笑しながら、今度こそこの場を後にしようとする。

 

『待ってくれ!いや、待ってください!』

『まだ何か?』

『その技術、もっと詳しく教えてくれ…ださい!群れに残れば、時間は沢山あるでしょう!?』

『え……いや、俺はどうせ受け入れてもらえないし』

『そんなことありません!そうだろみんな!』

 

 索敵係の呼び掛けに対して、皆は拍手で応じた。

 

『感動したぞ今の動き!』

『一人でずっと頑張ってたんだな!』

『お前なら、きっとガブリアスだって倒せるようになるさ!』

 

 湧き上がる歓声が、耳を割らんとするように。一度は拒絶された群れの皆からの温かな声と思いに。俺は呆気に取られた。調子の良い奴らだ、今更何を言われても。そんな後ろ向きな思いをかき消してしまうほどに、皆の笑顔が、歓声が、確かな温もりと共に全身へ染み込んでいく。

 あぁそうか。俺はずっと、寂しかったのか。

 滲み始めた視界の意味を、俺は漸く悟った。

 

 

 

 

 それから俺は群れに合流することが決まり、穏やかな時を過ごした。索敵係や幼いフライゴンに、俺が得た技術の伝授も試みた。流石に丸太殴りみたいなアホなことはさせなかったが、滑空時のベクトル操作や、羽の疲労を減らす飛行法など、伝えられることはたくさんあった。そのほとんどが理解不能だったようだが、それでもフライゴン達は、楽しそうに修行に励んでいた。あとは狩りの仕方や美味しいエサ、不味いエサなど、様々なことを伝えていった。実践ではなく、順を追って説明をすることで自分の中でも整理が付き、今まで感覚で行っていたことが理論的に頭にインプットされていくような気がして、改めて、群れに戻ってよかったなという思いを感じていた。それと同時に、夜は群れから少し離れて、技の修練を重ねた。そんな日々が、数ヶ月続き。

 

 

 ──俺にとって、運命の日が訪れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぎゃああああああああああァァァァアああ!!

 

 

『っ────!?』

 

 

 それは夏を間近に控えた、蒸し暑い深夜に起きた。修練の後、疲れ果てて枯れかけた木に寄りかかりながら仮眠を取っていた俺は、声帯が張り裂けるのではないかと言うほどの悲鳴で目覚めた。

 

 群れから少し離れているこの場所にすら聞こえるほどのその悲鳴。耳を澄ませば、その声は一つや二つではないことがわかった。明らかに尋常ならざる事態に、俺の脳は一気に覚醒する。

 

『クソッ!間に合ってくれよ──!』

 

 跳躍からそのまま飛行に移行し、群れへと最短距離を駆け抜ける。時間にして三十秒ほどで、群れが根城にしている巣の入り口へと辿り着いたが、その三十秒の間で。

 

 

 

 ──(おびただ)しいほどの、フライゴンの死体の山が築き上がっていた。

 

 

『……は?』

 

 夜警をしていた筈の個体の、首から先がなくなった亡骸。その個体の妻である個体は、羽を捥がれ、右足と両腕が無くなっていた。その他も、辺り一面に死が転がっており、そこにはあの索敵係のフライゴンの姿もあった。

 

『なん……だ、コレ……!』

 

 心臓の鼓動が暴れだす。あまりの突然の出来事に、思考がうまく纏まらない。

 

『っ……みんな!!』

 

 それでも俺は、仲間達の死を飛び越えながら、一目散に皆が就寝していた群れの奥へと飛び出した。

 

 

 

 

 そこには、入り口など生温い程の死が敷き詰められていた。

 右も死、左も死、成体、幼体、進化前、進化後、その全てが入り混じって咲いた赤い赤い紅いあかいアカイ死、死、シ、死シ死死シシ死シ死死死シシシ死シシ死死死死、死!!

 

『ぁ……あ……あぁ……』

 

 何が起きた?どうしてこうなった?

 視界を埋め尽くす赤を感じながら、心で呟く。するとその中央に、呻き声を上げながら震える一匹の竜を見つけた。

 

『っ!長ァ!!』

 

 駆け寄りながら見た長の姿は、最早死に体だった。片腕を失い、右目は潰されている。左羽は穴だらけでボロボロ、右足はあり得ない方向へと捻じ曲がっている。近づいてくる俺に対して、長は言葉を発する。掠れて小さな声だったが、その声は鮮明に俺の耳へと届いた。

 

 

 

『────に……逃げ』

 

 

 その言葉は最後まで紡がれることはなかった。

 

 

 長の顔が、()()()

 

 

 何者かによって顔を踏み潰され、飛び散った長の肉片と血飛沫が俺の顔へとへばり付く。

 

 

 

 ──それは『黒』だった。

 

 

 怒髪天(を突くように渦巻き、逆立った黒い甲殻と鱗。全身から黒い闘気が吹き出し、我は竜であると主張し続けている。ただの闘気ではない、最早『竜気』と表現する方が正しい。その竜の、闇の底から深淵だけをくり抜いたような瞳孔のない黒い瞳と目が合った刹那、俺は思わず失禁した。全身の毛穴から汗が吹き出し、尿と合わせて大地を濡らしていく。

 

 

 

 ──それは『赤』だった。

 

 

 

 竜気に覆われた体をよく見れば、足から顔にかけて、べったりと赤い何かが付着している。考えるまでもなく、それは仲間たちの返り血であると容易に想像がついた。とりわけ牙と爪は未だに血が滴っており、元から紅蓮に染まった二つの牙と両手足の爪をぬらりと艶かしく煌びかせる。

 

 

 

 ──それは『恐怖』だった。

 

 

 

 それが近づくだけで、死を受け入れてしまうような圧倒的威圧感。文字通り次元が違う。俺の瞳に、それは死神のように映っていた。

 

 

 

 これら全てを総じるのならば。

 

 

 

 ──それは紛れもなく、『竜』だった。

 

 

 

『グルオォォォォァァアアアアアァァァァ!!!!』

 

 

 

 心臓を握り潰すような咆哮に当てられ、意識が飛びそうになる。それでも深く根付いた生存本能が俺の体を勝手に動かし、黒い竜から距離を取ることを選んだ。そしてその竜の名を、俺は呟く。

 

 

 

 

『──()()()()()()()()()……?』

 

 

 

 

 その名を呼んだ瞬間。竜、オノノクスは一気に駆け出してこちらへと飛びかかってきた。その絶死の飛び掛かりを、俺は寸前で回避することに成功した。飛び掛かりの余波が大気を揺らし、俺の肌に振動を伝える。

 

 

 死ぬ。死ぬ。死ぬ。

 

 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!

 

 

 首を喰い千切られて死ぬ、爪で胸を裂かれて死ぬ、足で頭を踏み潰されて死ぬ、腕を引き千切られて死ぬ、脊髄を抉り出されて死ぬ、心臓を微塵にされて死ぬ。

 濃密な死の気配が具体例を想起させながら、俺の脳を支配する。それは俺に戦う事を許さず、全力の逃走を選ばせようとしていた。

 

 

 ──でも。

 

 それでも。

 

 

『ハ、ハハ……ハハハッ』

 

 俺は不敵に笑う。それが強がりだろうと虚勢だろうと関係ない。そうだ、俺はガブリアスを倒すんだ。その為に何年も己を鍛え続けてきた。そんな俺が、()()()()()()()()()()に背を向けて逃走するだと?

 

 

 

 

『──巫山戯(ふざけ)るなァァァッ!!!!』

 

 

 

 

 吠え、怒りで体を無理矢理奮い立たせる。ここで逃げるのは、それこそあの日と同じだ。ガブリアスに淘汰される事を受け入れ、死にながら生き続けるのとなんら変わりはない!ここで立たねば、逃げる事を受け入れて座り込んでしまえば、俺はきっと一生立ち上がれない!ガブリアスを倒すなんて、それこそ夢のまた夢ッ!!

 

 これは()()ではない、()()だ。俺が俺であるための、命と存在意義を賭けた闘争だ!!

 

 

『ぅぁああぁああああァァァァ!!!!』

 

 

 拳を握り締め立ち上がると、俺はオノノクスへと突撃していった。

 

 

 



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凡人と天災

 

 

 

 

 それはオノノクスにとって予想外の行動だったのだろう。

 

 現に悲鳴を上げながら突進してきた俺に対して、オノノクスは動くことができていなかった。

 

 

『ぅラァあああァァァァァ!!』

 

 その無防備な顔面に、拳を叩き込む。

 その衝撃にオノノクスは十数メートル後方まで吹き飛ばされた。

 

『チィィッ、浅いッ!!』

 

 しかし致命打にはなっていないだろう。着弾の瞬間、相手の全身から吹き出す竜気に当てられた体が硬直し、腰が引けた。パンチは手打ちになり、本来の半分も威力が出せていないだろう。だがダメージは与えられた筈だ。

 

『ハァ……フゥゥゥ────』

 

 深く息を吐いて、呼吸を整える。一瞬たりとも気を抜くことは許されない。それをしてしまえば、俺は横に転がっているフライゴン達と同じ運命を辿ることになるだろう。

 いつだ。いつ起き上がってくる?オノノクスが飛んでいった方向を凝視し、巻き上がった砂煙から目を離さず、いつでも行動に移せるように、俺は全神経を張り巡らせたまま脱力した。十秒経っただろうか、一分経っただろうか、十分経っただろうか。極限の緊張状態は、俺の時間感覚を容易に狂わ

 

 

 

 

『グガァァァア!!』

 

 

 

 

 ──それが聞こえた時には、オノノクスは既に眼前に居た。

 

『ッ!!!』

 

 反応できたのは、最早奇跡だった。振り抜かれた腕を、ダッキングし(しゃがみ)ながらスウェーし(のけぞっ)て避ける。顔のわずか数センチ上を相手の腕がすり抜け、纏われた暴風が顔を撫でる。そのまま宙返りで空中へと退避した。

 

『ハァ……っ、ハァ……畜っ、生……』

 

 整えた息が、一瞬で暴れだす。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その事実が俺から冷静さを奪うのに時間はかからなかった。今のだって、本能に身を任せて勘で避けられたに過ぎない。次は俺の顔面を切り裂いていくかも知れない。

 遥か上空に逃げ出した俺に、オノノクスはゆっくりと顔を向ける。

 

 

 ──その表情は、確かに()()()()()

 

 面白い、と言わんばかりに。ふざけんなよ、こちとらそれどころじゃねぇ、死なないことで精一杯だ。一生近づきたくない。しかしそうもいかない。俺が勝つには、近接戦闘しかない。遠距離から相手を倒せる手段を、生憎と俺は持ち合わせていない。しかしそれは、絶死の間合い。一つのミスで命を落とす、ライフベットのダンスフロア。

 

『──上等だ黒蜥蜴』

 

 お望み通り踊ってやるよ。勝つ、俺は勝つ、絶対に勝つ!勝って生き残ってやる!!

 

『おおぉぉぉぉぉぉォォォォッ!!』

 

 上空から急加速、即座に最大速度へと移行。一気にオノノクスへと接近する。

 それを見たオノノクスが、俺へと左爪を振りかざす──瞬間。

 

 ──()()()

 

 驚きに、オノノクスが目を見開く。速度は100から急激な0へ。予測しても対応できない、究極のチェンジオブペース。四年間、インターバル飛行で鍛えたこの技術は、決して無駄ではなかった。俺は止まるが、向こうは止まれない。振り抜いた腕が、無防備を晒している。落ち着け、焦るな。仕掛けるのはここじゃない。

 俺はそのまま十八番である真横への跳躍からの半月滑空──命名、『スプリントムーン』──へと移行、一気に背後を取る。神速の移動に、オノノクスの視界から俺が消える。それでも尚オノノクスは本能と直感を駆使し、後ろを振り返った。しかしそれも想定内!

 オノノクスが完全に振り返る前に、俺はそのまま真上へと跳躍し、そのベクトルを半月状へ移行、再びその背後を取る。『スプリントムーン・下弦』。成功率六割程度の俺の切札。が、しかしそれでもオノノクスの予測は超えられていない。奴は振り向く時に尻尾を伸ばすことで、俺に再び背後を取られても反応できるように、センサーとして機能させていたのだ。伸ばした尻尾が俺へと触れ、位置がバレる。クソ、これでもダメか……!諦めるな、コイツの読みを上回るまで、何度だってやってやる!!

 尻尾の回転の向きに合わせ、再び『スプリントムーン』。三度背後を取った。オノノクスはそれにも惑わされない、しっかりと俺のいる背後へ振り向こうとする。それに合わせ、俺は四度目の『スプリントムーン』で今度は平面で背後を奪いにかかる。しかし数度繰り返されたそれを、オノノクスは完璧に読んでいた。振り返りを途中で止め、逆方向へと回転する。『スプリントムーン』後で無防備な俺を捉え、今度こそ仕留める為に──!

 

 しかし振り向いた先に、俺は存在していない。

 

 オノノクスが再び驚きに目を見開く。馬鹿が、そう思わせる為に『スプリントムーン』を繰り返して布石を打っておいたんだよ──!

 

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 百八十度動く筈のそれを、九十度で強制終了させる。これによりオノノクスは、完全に俺を見失った。視界から消えるという物理的隙と、予想外の事態という心理的隙。この状況こそ、俺が狙っていたモノ!

 

『──ンン゛ン゛ッッッ!!』

 

 乾坤一擲、千載一遇。渾身の『マッハパンチ』がオノノクスの脇腹を目掛けて走る。直撃を確信した。しかしオノノクスはこの攻撃にすら対応してみせる。回避は流石に出来なかったようだが、脇腹に腕を畳んで割り込み、ダメージを減らすことに成功した様子。先程より威力は上がっているにもかかわらず、吹き飛ばずに踏みとどまって見せたオノノクス。今ので仕留められなかったのは相当痛い。だが怯むな、一気に畳み掛けろ!

 両手に『ドラゴンクロー』を顕現させ、未だ体勢の整っていないオノノクスへと詰め寄る。その無防備な体に向けて右爪を振り下ろした。オノノクスはそれを地面に転がりなから、直撃を回避する。回転の勢いのまま立ち上がると、オノノクスもまた、両手に『ドラゴンクロー』を顕現させた。俺の『ドラゴンクロー』が緑色なのに対して、オノノクスのそれは竜気で象ったかのように漆黒に染まっている。

 

『ぅルァァァァァッ!!』

 

 裂哮し、右爪を振りかぶる。それに応じるかのように、オノノクスもまた右爪を振りかぶり、互いの『ドラゴンクロー』が衝突。鍔迫り合いが起こ──らなかった。

 

 

 一瞬の拮抗すらせず、俺の『ドラゴンクロー』が消滅した。

 

『な……!?』

 

 信じられなかった。『かたいツメ』補正ありの、『ドラゴンクロー』だぞ?四年間鍛錬してきた、俺の腕から放たれる『ドラゴンクロー』だぞ!?なす術なし。この距離で俺にできる事は迫りくる竜爪を受け入れる事のみ。近接戦闘でもまるで歯が立たない、次元が違いすぎる。

 

 ──ならば。

 

『ぐ……がぁああぁ!!』

 

 ──近接戦闘を超える、()()()()()に持ち込むしかない。

 俺はオノノクスへと突っ込み、『ドラゴンクロー』の()()()()()()()()へと入る。『ドラゴンクロー』の攻撃範囲は手首より先、つまりそれの内側へと接近すれば当たることはない!俺はオノノクスの右の二の腕を、無理矢理掴んで止めた。そして掴んだまま羽で浮遊し相手の腹を蹴る、蹴る、蹴る蹴る蹴る!それを嫌がったオノノクスが左手の『ドラゴンクロー』で迎撃するのを見て、『後の先』を取って顎へとサマーソルトキック。カウンターとなったそれはオノノクスの頭をかち上げた。ここしかない。

 腕を離し着陸すると、『マッハパンチ』の構えに入る。勝ち取ったチャンス、無駄にはしない──!

 

『ンン゛、ァァ!!』

 

 

 

 

 渾身の、()()()()()()『マッハパンチ』。

 

 

 ──それは放った瞬間に、()()()()と悟った。

 

 

 

 

 

 見えた勝機に焦った。恐怖で勝ちを急いだ。故に力が入った、()()()()()。無駄な力みが速度を殺し、威力を殺した。

 

 ──故に俺の拳は触れる事なく、手首をオノノクスに握り締められ、不発に終わった。

 

 そして返しの『ドラゴンクロー』が、俺の両肩へと突き刺さった。

 

 

『が……は…………』

 

 

 嗚呼、畜生、畜生。

 最初に感じたのは、悔しさだった。次に感じたのは、それら全てを塗り潰すような激痛だった。無様に宙を舞い、地面に叩けつけられながら二度、三度と転がる。体から噴水のように湧き上がる血が、大地を濡らした。

 

『ぅ………ぁ………』

 

 わかっていた、わかっていたのだ。心の底で、こうなることが、こうなってしまうことが。それでも諦められなかった。愚直に戦いを挑み続けた。その結果がこれだ。俺にとってこの敗北が何よりも、死よりも耐えがたい。経験したことのない出血量に、意識が朦朧としている。視界が歪み、全身に力が入らない。それは臨戦態勢を取ることを許さず、無様に這いつくばることを強制する。

 

 ──()()()()

 

 そう、思ってしまった。一撃で獲物を屠る圧倒的攻撃力。タイプ相性があるとはいえ俺の、岩すら破壊し、丸太を土壁に一撃で埋める程の威力を持つ拳を、不完全ながらも余裕を持って二度耐えてしまう圧倒的耐久力。

 

 ──()()()()

 

 そう、理解してしまった。努力だけでは届かない、才能の壁。生まれながらにして持った天性の身体技能(ステータス)殺戮技能(キリングセンス)。それはまさしく天才、否、天災(6v)だった。

 

 ──()()()()

 

 そう、悟ってしまった。凡人の努力の限界を、身を以て痛感した。憧憬を抱くことすら烏滸がましい、圧倒的強者の背中。

 

 

(……俺、は、死ぬ、の、か)

 

 疑問というよりも、客観的事実だった。何も為せず、何も残さず、夢は夢のまま。有象無象と変わらず、負けられない戦いで敗北し、生涯を終える。

 

『……畜生』

 

 最後にそう呟き、迫ってくるオノノクスの足音を感じながら、俺は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

『ここまでの ぼうけんを 

 

       レポートに きろくしますか?』

 

 

 

 

 

『レポートを かいています

 

      でんげんを きらないでください』

 

 

 

『───は しっかりと レポートに

 

         きろくを かきのこした!』

 

 

 

 

『         はじめから

 

          つづきから      』

 

 

 

 

 

 

『…………』

 

 奇妙な夢を、見ていた気がする。薄ぼんやりと滲む視界、気怠く、鉛のように重い全身。それらを知覚して初めて、俺は自分が生きているということに気づいた。

 

『ここ……は……』

 

 ──知らない天井だ。いや青空だけれども。天井なんてないけれども。こういう時のテンプレだ。そんなジョークはさておき、上空には、澄み渡る青空が広がっていた。倒れた状態から上体を起こし、俺は自分の体の傷が癒えていることに気づいた。

 

 そしてそれと同時に、数メートル先に切り株を椅子がわりにして座っている、黒いオノノクスの存在にも気付いた。

 

『ひぁ───ッ』

 

 根性で、迫り上がる悲鳴を押し留める。オノノクスは目覚めた俺を見ても襲い掛かることなく、俺をじっと見つめている。客観的に考えれば、オノノクスが俺の治療をしてくれたのだろうか。だが、どうして?

 

 

 

『目が覚めたか?』

 

 

 思ったよりも高い声。そこで初めてこのオノノクスが()()()()()ということを理解した。

 

 

『あ……』

『そう怖がるな。お前を治したのは(ワタシ)だ。急に襲って殺したりはしないさ』

 

 いや俺の仲間ぶち殺したのアンタなんですけど。そう思うものの口が裂けてもそんなことは言えない。

 

『……どうして、助けたんですか』

『ほんの気まぐれだ。我をあそこまで昂らせたのは、お前が初めてだったからな。しかもそれがただのフライゴンときた。お前に興味を抱くのも、仕方あるまい』

『……恐縮です。じゃあ』

 

 そこで言葉を切り、ゴクリと唾を飲み込む。俺の空気の変化を感じたのだろう、オノノクスの瞳に真剣さが宿った。それにやや萎縮しながらも、俺は意を決して口を開いた。

 

 

『……どうして、()()()()()()()

 

 

 何を、とは言わない。そんなこと、俺もオノノクスもわかりきっていることだからだ。極力感情を殺して告げたつもりだったが、それでも怒りは隠しきれなかった。仲間を無惨に殺されたこと、俺だけが情けをかけられて生かされたこと。

 

 ──そのことに安堵している自分がいること。

 

 許せない。この現状の全てが気にくわない。そんな思いが、言葉尻に滲み出てしまった。

 俺の問いかけに、オノノクスは退屈そうに鼻を鳴らす。

 

 

『……それに答えてやる道理はないな』

 

 そう呟くと切り株から立ち上がり、オノノクスは俺に背を向ける。そして再び、呟いた。

 

 

 

『──強くなれ』

 

 

 

『え……』

『強くなって、我を殺しに来い。それが我がお前を生かした意味であり、これからのお前の生きる理由だ。我が憎いだろう?憎くてたまらないだろう?ならば強くなれ。それだけがお前に残された道だ』

 

 そう言い残し、オノノクスはゆっくりと去っていった。

 

 

 

      ──『──強くなれ』───

 

 

 その言葉が、頭に響いて離れない。俺はあのオノノクスに負けた。惜敗などではない、完敗した。それは俺が弱かったからだ。四年間地獄のように鍛え、強くなり、それでも負けた。凡人(没個体)の努力を歯牙にも掛けない、天災(6v)。今まで過ごした日々に何一つ意味などないという事実を突きつけられたようだった。この手に残ったものなど何もない。どうすればいい、どうすればいい。

 

 ──その答えは既に、黒い竜が示していた。

 

 

 

『……強くなる』

 

 

 

 口に出して、呟く。遠い昔のように感じて、それでもなお昨日のことのように思い出せる、修行を始めたあの日に立てた誓い。今後何があろうとも忘れぬようにと、自分を曲げずに済むようにと。そうだ、あまりにも愚かしい、鼻で笑い飛ばせてしまう漠然としたこの思いこそが、俺の原点(オリジン)

 

 ならば俺は──強くなろう。一からまた、努力をしよう。

 

 オノノクスも言っていたではないか。元より俺には、それしか残されていないのだから。

 

『っ──!』

 

 気づいた時には、飛び出していた。

 

 

 

 

 その背中は、すぐに見つけることができた。

 

 

『待ってください!!』

 

 俺の呼び掛けに、黒いオノノクスの足が止まる。彼女はゆっくりと振り返ると、退屈そうな、それでいてどこか驚いたような、複雑な表情で俺を見た。

 

『……何だ』

『強くなれって……そう言いましたよね』

『それがなにか?』

『だったら──』

 

 そこで言葉を切り、俺は声高に叫ぶ。

 

 

 

『──俺を弟子にしてくださいッ!!』

 

 

 

『……………………は?』

『アンタには、責任がある……!俺を生かした、責任がある!強くなれというのなら、そう望んで俺を生かしたのなら!()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……ッ!』

 

 意味がわからない、といった様子のオノノクスに、俺は震える声で告げた。そんなの、俺だってわかってる。コイツは(かたき)だ。俺の群れを殺した最悪の敵だ。怒り、憎悪、怨恨、俺の中に巣食う様々な負の感情が、今すぐ取り消せと叫んでいる。

 

 ──それ以上に抱くのは、()()

 

 その圧倒的な強さに、美しさすら感じてしまった。強くなりたい、こうなりたいという心の叫びを無視することができなかった。

 

『……狂っているな、お前。我はお前の仲間を殺した復讐の対象ではないのか?』

『……そうです、その通りです。本音を言えば、今すぐにでも復讐してやりたい。でも、それはできません。()()()()()()()()()()()()()。だから俺は、強くなります。()()()()()()()()()()()

『……冗談も大概にしてくれ。我は誰かに教えるような柄じゃないし、どうしてお前に倒されるためにお前を強くせねばならない。そもそも我はお前の仲間を殺した身だ、いつ寝首を掻かれるかわかったもので』

『ごちゃごちゃ言ってないでよォッ!!!』

『っ……!?』

 

 

 

 

『──俺を強くしてみろよ、自殺志願者(死にたがり)。ご期待に応えて、すぐにアンタをぶっ倒してやるからさ』

 

 

 

 会心の笑顔で、中指を立てて挑発。そんな俺の姿を見たオノノクスは、呆気にとられたような顔をしていた。それからしばらく互いに無言となる。重苦しい沈黙が空気を支配する。その沈黙を破ったのは。

 

『フフ、フハハハハハハハ!!』

 

 オノノクスが声を上げて笑った。さも楽しそうに、嬉しそうに。

 

『ハハハハ! ……ハァ。笑ったのは久しぶりだよ』

 

 いや俺と戦ってる時思っくそ笑ってましたけど。内心で呟き、俺は言葉の続きを待った。

 

 

『……お前を生かしておいて良かった。心の底からそう思った』

 

 オノノクスが笑顔で呟く。

 

『……我はお前に()()()()()()。知りたければ、自分で学べ。それでもいいと言うのならば、勝手についてこい』

『……!ありがとうございます、師匠!』

『師匠はやめろ。それに敬語もだ、気持ち悪い。さっき啖呵を切って見せただろう?アレで一向に構わないから』

『……わかったよ、ありがとう、オノノクス』

 

 そう呼ぶと、オノノクスは一瞬何かに思いを馳せるような表情をした後、ゆっくりと告げた。

 

 

 

『──()()()、だ』

 

 

 

『え?』

『クスハ。それが我の名だ。そう呼ぶといい。わかったらついてこい』

『……あぁ。あぁ、よろしく頼む、クスハ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──きっと、最後の分岐点はここだった。

 

 

 この選択が、今後の俺の運命を大きく歪めたのだと、今だからそう言える。

 

 

 強くなると言う健気な誓いが捩れて醜く歪み。

 

 強さの魔性に取り憑かれた()()()が生まれる、その時は近い。

 

 

 

 

 

 

 

 



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