魔界都市ブルース 幻夢の章 (ぶゃるゅー)
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プロローグ:幻想行

超絶不定期更新のつもりです


 その日、博麗霊夢は日常が突如混沌へと埋没した事を悟った。

 朝、いつものように境内の掃除をしていると、朝靄の中、外界を向いている鳥居から人間が―― いや、それを人間と言うべきかどうかも分かりはしない。

 輝きであった。

 人の形をしたかがやきが、鳥居から飄然と姿を現したのだ。

 彼の事を知らぬ者なら、そのかがやきを天使か何かと見間違っても仕方が無いだろう。

 顔の形、目鼻立ち、パーツの形や配置、髪の一本一本、耳や眉すらも美しい。

 神々が命を賭して考え抜き、顕現させたとしか思えない造形であった。

 ここに霊夢しかいなかったのは幸運と言って良い。

 並の人間であれば、彼の姿を認めただけで、その美しさの余り卒倒しかねない。

 空を飛ぶ程度の能力を持っているからこそ、彼女はかろうじて平静でいられるのだ。

 それ程までに彼は美しく存在していた。

 ただし、服装は黒ずくめのコートにシャツ、スラックスである。全身黒とはかなり挑戦的なファッションだが、それもまるで彼の為に存在しているかのようで、その美しさを損なうことは無かった。

 

「あれ?」

 

 黒衣の美が最初に口にしたのは疑問だ。

 ちゃんと焼いたはずのせんべいの味が思わしくなかったみたいな、疑念に満ちた――しかしのんびりした声音であった。

 そこに霊夢が遠慮無く近付いてきて言葉をかける。

 こちらも仕舞っておいたせんべいが湿気っていた時のような、少し不機嫌そうではあるが素の口調だった。

 頬がやや赤く染まっているものの、この若者を前にして平然としていられるのは、さすが博麗の巫女としか言い様が無い。

 

「あんた誰」

 

 問われた若者は、辺りを興味深そうに見回し、

 

「ここは幻想郷?」

 

 と質問を返した。

 

「幻想郷の博麗神社よ。あんた妖怪?」

「いえ」

「とても人間には見えない綺麗さだけど。何の用」

「仕事です」

「幻想郷まで仕事に来るの、外の人間は」

「人捜し屋で」

「なにそれ」

「人を探して料金を取ってます」

「妙な商売ねえ」

「はぁ」

「で、結局あんたは誰で、どうやってここに来たの?」

 

 美しき若者は、春霞のような微笑を浮かべつつ名乗った。

 

「秋せつらと言います。方法は――まぁ、知り合いの伝手でして」

「秋? 変な苗字ね。ここはね、外界の人間が観測できる地域じゃないの。あんた怪しいわ」

 

 秋の女神である姉妹が聞いたら激怒しそうな事を言うと、霊夢は懐疑的な視線を目前の美影身へ向けた。

 顔がまだ少し赤いのは、せつらの美貌の前であるし、少女らしい愛嬌と言うべきだろう。

 〈新宿〉のガイドブックに小さな――写真ですら無い――()()()()が載っただけで〈区外〉の人間を狂乱に陥れた美貌の被害者としては、最も軽微な物だ。

 

「あの、決して怪しい者ではありません。僕は〈新宿〉から人を探しに来たんです」

「しんじゅく」

「魔界都市とも言われていますが」

「都市じゃなくて辺境だけど、魔界なら行った事があるわ。じゃあ、あんたは魔界人ってわけ」

 

 せつらは魔界人と言う呼称に疑問符を浮かべたが、〈新宿〉を囲む〈亀裂〉の外ではそんなものかもしれないなと思ったのか、

 

「ええ、まあ」

 

 と曖昧な返事をした。

 

「ふーん。目的があるならさっさとここから出てってよね。参拝者でも無いんなら掃除の邪魔だもん」

「参拝したらお話を聞かせて頂けます?」

「きちんと参拝するって事ならね。素敵なお賽銭箱はあちら」

 

 取り付く島もない紅白の少女の様子に、黒衣の若者は少し考え込んで、財布から5円玉を取り出した。500円や100円でないのは、単にケチっただけである。

 年商3000万を誇るせんべい屋を経営していながらこのケチ臭さと言うのは――否、ケチ臭いからこそ年商3000万なのだろうか。

 賽銭箱にそれを投げ入れると、上機嫌の霊夢が声をかけてくる。

 先程までとは真逆の態度に、中々商魂たくましいな、と若者は感心したようだった。

 

「人捜しって言ってたけど、見つかるものなの」

「一応」

「暖簾に腕押しみたいな人ね」

「はぁ」

 

 確かに、霊夢の周辺では見ないタイプの性格である事は間違い無い。

 いくら綺麗でも、覇気がまるで無く茫洋としているし、返事もつかみ所が無い。彼の「はぁ」は、時と場合によってあらゆる意味に変化する。

 それでも幻想郷で知られている者で例えるなら、男性の西行寺幽々子、眠そうな紅美鈴、やる気の無い永江衣玖、あまり言葉を尽くさないドレミー・スイートと言ったところか。

 

「ところで、こちらの人物を幻想郷で見かけた事はありませんか」

 

 せつらが何枚かの写真を取り出して霊夢に見せてやると、その眼が大きく見開かれる。

 彼女の知る人物だったのだ。

 それを察したせつらは、仕事が思いの外早く片付きそうな気配に、

 

「ツイてる」

 

 と小さな声を発した。

 写真にはそれぞれ、レミリア・スカーレット、アリス・マーガトロイド、八意永琳、そして聖白蓮の姿が映っていた。

 ここで初めて、霊夢の表情に警戒の色が浮かぶ。

 当然だ。彼女達は、ほとんどが過去に起きた異変の首魁、乃至それに準ずる者達だ。

 

「この連中を探してるのは誰?」

「企業秘密です」

 

 黒衣の美しき若者は、殆ど反射の域で即答した。

 一切の間を取らずに放たれた言葉は、余程使い慣れた科白に違いない。

 

「まともな人間なら、こんな奴ら関わるのも嫌だと思う。そして、そいつらを探すあんたもまともじゃない、とこう思うのは偏見かしらね」

「あの、誤解です」

 

 浮気男みたいな弁解をする若者に対し、霊夢はさらに言い募る。

 

「仕事で来てるんなら探さないわけには行かないんでしょ。そっちが何も言わないなら、私も何も言わない」

「参拝はどうなりました?」

 

 確かに参拝したら話をする、と霊夢は口にしてしまっているが、

 

「人間の参拝は嬉しいけど、それ以外の参拝は別」

 

 と斬って捨てた。

 どうした物かと考えたせつらは再び賽銭箱の前に立つと、今度は一万円札を取り出し、霊夢からも見えるようにそれを投げ入れた。

 この若者がケチである事は間違いないが、仕事を完遂する為ならば散財も厭わない。

 喜色半分、困惑半分、と言った表情で霊夢は話しかけた。

 

「わわ、紙幣を入れてくれた人って久々かも」

 

 まさか結界の外と中で貨幣価値が違うと思っていなかったせつらが、

 

「一万円です」

 

 と答えてやると、霊夢はひっく、と息を詰まらせる。

 何かまずい事でもしたか、とせつらが考えていると、腋巫女は「いちまんえ~ん!!!!」と叫んだ後に、バターンと音を立てる勢いで仰向けにブッ倒れた。

 まさか卒倒してしまうとは予期できなかったか、せつらは霊夢を支える事ができなかった。

 参考までに言えば、かつて因幡てゐが射命丸文と言う天狗に情報料を請求した際の金額は1円でり、2円の情報を売ろうとした時の文の返答は「高い」である。

 つまり仮に幻想郷での1円を一万円程度と考えた場合、外の貨幣価値を知らない霊夢から見ると、せつらの行為は賽銭箱に一億円を投入したに等しい。

 情報を得ようとして、その提供者が意識を失ったり命を落としてしまうのは、この若者にとっては日常茶飯事だが、今回のようなケースはさすがに初めてらしく、珍しく――大きく表情を変えるなど奇跡としか思えない――戸惑った顔を霊夢へ向けている。

 普段のせつらなら妖糸で叩き起こして活を入れるところだが、それが今回は無い。

 否、できなかった、と言う方が適切か。

 何も無かったはずの空間から声がかけられたのだ。

 

「ごきげんよう、美しい方」

 

 せつらは霊夢を助け起こそうとした妖糸を即座に声の方へ送るが、そこは空中であり何も手応えが無い。

 手応えが無いのに、妖糸からは何かがいると言う情報が伝わる。

 おかしな感触に首をかしげていると、やはり糸を送った所から声が聞こえた。

 

「怪しい者では無いので、乱暴はやめてくださいましね」

 

 妖糸の何メートルかは、不思議なことに空間の向こう側へ消失していた。

 その空間に裂け目が生じるや、そこから凄絶、とすら言える美女が姿を現したのだ。

 過去せつらがそこまでの感想を持った女は、あの4000年の重みを持つ、『姫』と呼ばれていた吸血鬼、妲己しかいない。

 男女を問わず――否、動物はおろか無機物すらも魅了する美しさが4000年の生を約束したのか、4000年の生がその美を形成したのかは分からないが、あの世界を滅ぼしかねない化け物に近い印象をせつらは抱いた。

 ただし、態度は真逆だ。

『姫』はただ楽しく生きていたいだけであった。美男美女や金持ち、権力者をはべらし、腹が減れば吸血でそれを満たす。他者の都合や暮らしに興味は無い。

 ――その結果、国や世界が滅んでしまおうとも。

 あれは生を謳歌しようとすればするほど周辺が破滅していく、まさに傾国としか言いようのない存在だった。

 しかし、今せつらの目前に現れた魔性は、むしろ自分以外の何かを守ろうとする気概と気迫を持っている。

 裂けた空間が広がると、消失していた妖糸先端の手応えが戻ってきた。

 どうやら異次元だか異空間だかに糸を送り込んでしまったのが、この女性が空間を広げた為にそれを認識できるようになったらしい。

 せつらは茫洋とした空気を崩さぬまま、なんとは無しに質問した。

 

「で、どなた?」

 

 彼女の事を知らぬとは言え、怖い物知らずとはこの事か。

 死んでさえいなければ、どんな病気や怪我も治療してしまう白い医師にヤブなどと言えるメンタルは、ここでも健在のようだった。

 

「八雲紫、と名乗っています。カネの魔力で失神したそこの巫女と同様、幻想郷の管理者です」

「秋と言います。あなたがここの管理者」

「ええ」

「御用は?」

「ここのルールはご存知?」

 

 せつらは首を横に振った。

 ここに来ること自体は知り合い達のおかげで何とかなったが、土地柄や習俗などは、いくら情報屋にあたってもなしのつぶてだったのだ。

 唯一、外谷良子と言う『ぶう』だけが、「〈新宿〉を除けば、大っぴらに妖怪が跋扈しているらしい最後の土地」と言う事を教えてくれたが、それ以上の情報はゼロだった。

 むしろ情報を入手できた、あの外谷という()()が異常なのだ。

 〈新宿〉で一番の情報屋と言っても、結界で認識できない幻想郷の話をどこから仕入れたのか、謎は深まるばかりだ。あの脂肪の中に溜め込んでいるのだろうかと考えたところで、気分が悪くなったせつらは首を振って不快な想像を打ち切った。

 若者が太った女に思いを馳せているとはつゆ知らず、紫は説明を続けた。

 

「ここ幻想郷は、全てを受け入れています。そうなって()()()()います」

「はぁ」

「それはそれは残酷な話ですわ」

「〈新宿〉と同じですね」

 

 魔界都市〈新宿〉も基本的には来る者は拒まない。

 

「しかし〈新宿〉のゲートは地獄門と呼ばれているとか」

「文言だけで、特別な門ではありません」

「この門を潜る者、全ての希望を捨てよ、でしたか。ダンテですね」

「どんな者も生きるのが厳しい所ですが、どんな者でも生きていく事ができます。魔物でも、妖物でも――貴女も含めて」

「ありがたいお話ですが、私は妖怪達がのびのびと暮らせる環境が欲しかったのです」

「〈新宿〉と逆、天国への階段、か」

「そう、言い得て妙ですわね。ここは我々の楽園(エデン)なのです。生き方も死に方も自由、と言うのはそちらと同様ですが」

 

 そちらの話も興味はあったが、今は本題に入って欲しいと、せつらは本筋への修正を図る。

 

「ルールについてですが」

「あら、失礼。こんなに綺麗な男のヒトが幻想郷に入ってくるのは初めてだから、つい話し込んでしまって――ヒト、いえ、男性ですわよね?」

「確認しますか? 免許証か保険証で良ければ、ですが」

「ええ、ええ、そう言う事では無いのですよ。ごめんなさいね、ホホホ。そう、ルールでしたわね。基本この郷では妖怪が人間を襲うこと、人間が妖怪を退治する事が推奨されています」

「はぁ」

「何故かと言えば、妖怪は人の畏れや恐怖から生まれた物だからです。それらが科学的手法で解明され、一般的な認識になれば彼らは()くなってしまうでしょう」

「不確定性原理」

「そう、妖怪は人間からそう言う『者』だと言う解釈を受け、観測されているから存在できている。『現象』として観測されてしまえば、彼らはいなかった事になります。だから対立が必要になる。仲良くなるのは構わないけれど、お互いを理解してはいけない。根っこの所では、起きた事象の影に何者かを感じ取り、畏れていなければならない」

「雷はカミナリ様の仕業と言う事にしておけと」

「仰る通りです。妖怪は人を襲い、その畏怖によって退治されなければならない。同じ時を過ごしても、道が混じり合う事は稀。人との恋愛譚や婚姻譚は、殆どが恐怖に負けた人間との悲恋に終わりますから」

「経験がおありで?」

 

 まさかこのような美しい若者がそんなツッコミを入れてくるとは思わなかったのか、紫は普段の胡散臭さからは想像も出来ない、姿形相応の、少女らしい恥じらいと共に頬を染めた。

 一方のせつらは、〈新宿〉に次々と発生する妖物と違い、古式ゆかしき妖魔達はずいぶん苦労しているなと、吞気な感想を抱いた。

 

「しかし人間と、超常が人格を備えた妖怪では余りに不公平ですわね?」

「ええ」

 

 鬼退治を行った桃太郎や、鵺を敗走させた源某のような怪物染みた人間が、いにしえの時代ならともかく、現代、それも〈新宿〉の外にゴロゴロいるとは思えない。

 

「最終的には英雄や機転の利く何者かが妖怪を祓うでしょうが、普通にやれば大抵の人間は死の河を渡る事になります。人の数は減り、仕舞いにはいなくなり、妖怪は誰からも認識されず、そのまま誰もいなくなる」

「襲わなければ良いのでは?」

「妖怪は恐れから発生した疑心暗鬼のような――いえ、疑心暗鬼その物。怖くもなんともない事象を、いちいち気にする人はいないでしょう。当然、妖怪は認識されるべくも無い。実際、この幻想郷では人を襲うことを控えた時期があったのですが、弱っていく者が続出して問題になりました」

「へぇ」

 

 話している方が怒り出しても仕方が無いような、眠そうとしか見えない態度で返事を返すせつらだったが、この若者は一事が万事、この調子である。

 事実、紫も一瞬毒気を抜かれたような顔を見せた後、改めて話を続けた。

 この春の陽気のような若者の前では、スキマ妖怪もペースが掴みにくいようであった。

 

「そこで我々は人と妖が対等に戦える仕組みを作り出したのです。発案はそこで失神している娘ですわ」

 

 せつらは胡散臭そうに、未だ眼を覚まさない霊夢へ視線をやる。なにせ大金を見たと勘違いして卒倒したような巫女だ。

 紫がせつらの前ではペースを握れないように、さしものせつらも、この不思議な巫女の前ではペースを維持できないようだった。

 普段のせつらを知る者が見たら、どんな相手の前でもペースを崩さない美貌が、ただの少女に戸惑いのような物を感じている姿へ目を剥くに違いなかった。

 そして紫はようやく、その仕組みを宣言した。

 

「それがスペルカードルールです」

 




新しく来る人にスペカの説明すんのクソめんどくさいっすね(素)


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1話:八雲・博麗語り

 この世にあるまじき美貌が大妖怪八雲紫と面会している。

 これだけで、その式の背筋に震えが走った。

 紫がスペルカードの説明をしている現在、神社の周囲に広がる森の中に彼女達は潜んでいた。

 

「いいか、絶対に目を開けるな。開けても直視するな。一年は彼の姿が脳裏から消えなくなるし、まともな思考もできなくなるから。視るのなら私か紫様の視界を使うか、視界をボヤけさせるフィルターを使いなさい。どちらも式の打ち方はわかるね?」

「は、はい。――そんなに危ない人なのかな」

 

 式の傍に控えている式の式が、まぶたを閉じたまま、純粋そうな事を言った。

 

「敵対さえしなければ危なくは無さそうだが、ヤバい事は間違いない。まともな人間が彼を見たら、その綺麗さに耐えられずに発狂するか、あるいは一生彼の事を考えて過ごす事になるか。何にせよロクな事にはならない」

「藍さま――藍さまは大丈夫なんですか」

「どうだろう。私がまともに見える?」

 

 橙は仰天し、閉じていた瞳を開いて己の主に向けた。

 受け答えこそ正常だが、眼が潤んでいるようにも見える。

 

「とんでもなく美しい何かが結界を通り抜けた事は分かっていたんだ。確認して脳ミソが溶けるかと思ったよ。今だって、紫様が私に打った式のデバッグをしていなければ、正気かどうかも怪しいものだ。慌てている紫様が見れたから、それでチャラにしてやるがね」

 

 大妖怪八雲紫の式を、当人で無いとは言え傾国と謳われた九尾を、その美貌だけで籠絡しかけるとは。

 

「それも二人だ。本物の白より白く美しい何かが結界に穴を開け、星空の向こう側を切り取ったような黒く美しい青年が穴を通り抜けた。どちらかだけなら私単独でも耐えられたかもしれないが、両方は無理だ」

「白い何か?」

 

 橙の疑問に、藍は改めて結界に穴を開けた何者かを想起しようとしたが、途端に畏怖の表情を見せてから頭を振って思考を切り替えた。

 

「思い出そうとすると今でも震えが来る。本当にきれいな物を見た時、私達にできる事は何も無いのだ。そこに美しくある事は当然のことだし、それを形容する言葉も無い」

 

 式の式は、「美しい」「綺麗」と形容していたじゃないかと疑問符を浮かべたようだったが、それも藍が懇切丁寧に説明をする。

 

「私、いや、私や紫様がそう言っているのはな、それ以上の言葉を知らないからなんだよ。『美しい』以上の美しさを表現する言葉が無いからそう言ってるだけで、実際にあれらを正しく形容することなど不可能だ」

 

 男をたらし込む事にかけては右に出る者がいないであろう、九尾の同族がこんな評価をしているあの人間は、もはや人間では無いのでは、と実感し、式の式は沈黙するしか無かった。

 一方、言われ放題の当人はスペルカードの説明を聞き終えていた。

 

 基本は1対1。

 自己のアイデンティティを表現し、アピールするための技が要る。

 それを適当なカードに描き、使う際には宣言する。

 その技には逃げ道が無くてはならない。

 ダメージで動けなくなるか、相手の技に感銘を受け敗北を認めるか、全ての技を攻略されたら負け。

 敗者は勝者の言うことを聞く。

 

 要点だけを説明するとこのような感じだ。

 弾幕を使う物が一番の流行りで、優雅さ美しさを競うこの決闘は、特に女怪に人気があるらしい。

 それを快く思わない者は『弾幕ごっこ』等と揶揄したりもするようだが、流行りにノッている者達は、美しさを競う『遊戯』なのだから、ごっこと言うのは適切だ、と積極的にそのスラングを広める始末であった。

 せつらはそこまで聞いて、特殊な事情のある地域には、特殊なローカルルールができあがるのだなと感心しているようだった。

 魔界都市にだってローカルなルールはいくつもある。

 例え人外でも区に申請すれば市民権や公共サービスを受けられるし、護身の為に一般人の武装が許可されている。

 個人でミサイルや戦車を所持している者までいるのだから世も末だ。

 

「大体分かりました」

「左様ですか。私の説明に不備はありませんでしたか?」

「特には」

「それは良かった――そして、私が何故あなたに――いずれ出て行く者にわざわざ説明をしたのかはお分かりでしょうか」

「いえ」

「穏便に動いて欲しいから、ですわ。あなたの来た道にはさぞ多くの生と死が横たわっている事でしょう。しかし、郷に入っては郷に従えと言います。魔界都市に魔界都市のやり方があるように、幻想郷には幻想郷のやり方があると知って欲しかったのです」

 

 いかにも胡散臭い女性だが、その言葉からは、この地を害されたくないと言う本気が感じ取れた。

 この若者としても、「ここは魔界都市です」と言う免罪符を使えない為、穏やかに仕事が終わるならそれに越したことは無い。

 静かに頷いた若者を見て、紫は破顔し、普段の妖しさなど感じられない少女のような笑みを浮かべ、スキマへと身を投じつつ語りかける。

 

「そしてあなたが幻想郷を去るとき、少しでも楽しかったと感じて貰えたなら、それはとても幸せな事なのでしょう。それではご機嫌よう」

 

 そう言い残して、紫は若者の前から姿を消した――と見せかけ、己の式と合流を果たした。

 我慢していた呼吸を再開するような勢いだった。

 

「っぷはぁ!」

 

 そうしてようやく一息ついて、式の式を抱えて撫で繰り回す。

 

「あぁ~落ち着くわぁ」

 

 どうやら精神の安定を図っているらしい。

 橙が迷惑そうな顔をしているのを見かねた藍がそれをねぎらってやる。

 

「お疲れ様です」

「ホントお疲れよ。なんであんなのがここにいるの」

「彼は人捜し屋(マン・サーチャー)ですから」

「それは承知してるわよ。問題はどういう依頼を受けて来たか、でしょ」

「聞いて来なかったんで?」

「余計な事を聞いて彼がヘソを曲げたら()()でしょう。私達に出来るのは、彼が無事に仕事を果たす事を祈るだけね」

「探す対象は無事に済まなさそうなメンバーですが――手伝ってあげればよろしかったのでは」

「それじゃあ、まるでさっさと出て行って欲しいみたいじゃない。幻想郷は全てを受け入れるの!」

 

 大妖怪は駄々っ子みたいな事を言った。

 とうとうボケ始めてしまったか、等と失礼な事を言う者がいないのが救いであった。

 

「それに霊夢はあのままで良かったんですかね」

「あっ!」

 

 失神した霊夢は放置されたままで、紫もそれに対してなんらアクションを起こしていない。

 せめてスペルカードの説明の時に叩き起こして、その場に立ち合わせるべきだったか、と紫は冷や汗を流した。

 

「――ま、まあ大丈夫でしょ、多分」

「手落ちが多くないですか?」

「ならあなたがやってみなさいよ。ハンパな覚悟と集中力で彼の前に立ったら一発でフヌケになっちゃうわ。他のことに気を取られてる余裕なんて無いんだから」

「左様で」

 

 むしろあの美貌を前にして、気合でどうにかなる主人の方が凄いなと藍は思い直した。

 

「あの美しさが幻想郷に何をもたらすか――答えは神のみぞ知る、ね」

 

 問題はその神すらも魅了しかねない事だが、持って生まれた物をどうこうするなど若者にはできないし、またする気も無いため、彼の行動は完全に未知数だ。

 せめて彼の行く道が死と破壊でないことを願うしかあるまい。

 そんなことを考えつつ紫はスキマを開き、式達と一緒に姿を消した。

 

 ◆

 

 霊夢が目を覚ましたとき、そこは神社の境内では無く、母屋の自室だった。

 傍らには狛犬の妖怪が厳かに鎮座している。

 その狛犬――高麗野あうんは、霊夢が気がついたのを見て嬉しそうに声をかけた。

 

「あっ、霊夢さん、起きたんですか」

「ねえ、あの男の人は?」

「そこにいますよ」

「あ?」

 

 隣の部屋を見ると、せつらはちゃぶ台のせんべいを頬張っている所だった。

 お茶が用意されているところを見るに、あうんがもてなしていたのだろうか。

 霊夢はせつらの対面に移動し、腰を落ち着ける。

 

「秋さん、だっけ」

「そうです」

 

 せんべいをつまむ繊手すらも美しい青年は、端的に答えた。

 

「八雲紫さんにお会いしました」

「あいつが出て来たの? 何しに来たのかしら」

「スペルカードの説明を」

「そんな事のために? 何を考えてるのか分かんない奴ね。あいつの事は信用しちゃダメ」

「はぁ」

 

 せつらが聞きたいのはそんな事では無い。

 若者は改めて霊夢に質問をした。

 

「写真の話ですが」

「んー、別に話しても良いけど、目的を教えてもらえる?」

「僕の仕事は探し出すまで。そこから先は関知するところではありません」

「じゃあ、探してる人の目的が悪事だったらどうすんの」

「さて」

「とぼけないでよ。人間同士の話なら私が知ったこっちゃないけど、探してるのは妖怪でしょ。私は人間を妖怪から守る義務があるの」

 

 おや、とせつらは目を丸くした。

 まだ少女にも関わらず、得体の知れない使命感を抱えて生きている。

 アルバイトの主婦、OL、ヤクザのボス、殺し屋、ダンサー、歌手、風俗嬢など、〈新宿〉にもキャリアウーマンと呼べる女性はいるし、仕事に誇りを持っている女性も沢山見てきたが、それを義務とまで言い切る女性はいなかった。

 加えて、若者にとって年端もいかない少女と言うのは、どちらかというと庇護対象だった。

 せつらに魅了されたわけでも無いのに、彼を「守る義務がある」等と考えているのは相当珍しい。

 若者は、依頼者から情報の開示を許可されていたので、特に気にする事も無く話す事にした。

 この地の管理人に親切にしておけば仕事がやりやすくなるかもしれない、と言う打算もあるのがこの青年らしいところだ。

 ちゃぶ台に写真を起きながら説明してやる。

 

「まず、こちらのスカーレット氏を探しているのは、同じ吸血鬼()()です。住所は東京都新宿区戸山町」

「吸血鬼ってそんなに沢山いるの? 退治されたりは?」

「それでも〈区民〉ですから。人権はあります」

「魔界って凄いところね」

「この八意氏を探しているのは医者です。メフィスト病院の院長。こちらもまあ、悪い人間では――いや、人間かどうかは怪しいですが」

「ふーん、お医者様ねえ」

 

 あの薬師の能力から考えれば、医者から声がかかるのも当然だろう、と霊夢は納得した。

 メフィスト病院の院長も普通の医者ではないが、そこまで説明するつもりは無い。

 

「マーガトロイド氏と聖氏については、同一の依頼者ですね。女性でした。名前は分かりません。連絡先は、心の中で呼べば通じると」

「無茶苦茶すぎない?」

「記憶喪失者や幽霊、死人、全裸でやってきた依頼人もいます。自分の背後にいる、どこかの家族を探してくれと言うのも」

「私なら問答無用で帰って貰うけどね。よくわからないけど、わかったわ。秋さんの目から見てその人達はどう?」

「どうとは?」

「何か危ないことを企んでそうに見えた?」

「いえ」

 

 せつらは即答したが、三番目の依頼者については分からない。

 ただ、悪意があろうがなかろうが、頼まれた人物を探すだけだ。

 もし、せつら当人に悪意が向くようなら、それは苛烈な痛苦を伴った形で報復を受ける事になるだろう。

 つまるところ、どうでも良かったので適当な返事をしたらしい。

 霊夢も、その適当さを鋭い勘で以てして感得したのか、疑いの目を向ける。彼女の横に鎮座したあうんも、巫女に倣って疑いの目を向けた。

 普段のせつらなら面倒になって別の情報をあたる所だが、それは地理も法も職種も知り尽くした〈新宿〉だからできるのであって、幻想郷ではそうはいかない。

 

「うーむ」

 

 せつらは顎に手をやって考え込んだ。

 ――どうもこの少女は勝手が違う。

 いつもなら彼の美しさに放心した相手がペラペラ話をしてくれるのだが、この巫女はせつらの美しさを認めてはいるものの、心の底までは魅了されていないようであった。

 

「いくらで話をしてくれます?」

「お金の問題じゃ無いわ」

 

 仕事のスタンスまで似ている。

 せつらもただ金の為に仕事をするのであれば、人捜し屋(マン・サーチャー)などやらずとも、どこぞの富豪でもたらし込んでヒモにでもなれば死ぬまで不自由はすまい。

 いきなり捜査が難航したか、と考えたところへ、バカみたいにでかい声が響き渡る。

 

「そんなもん、決闘で決めりゃあ良いじゃん!」

 

 霊夢は物凄く迷惑そうな表情を浮かべた。

 

 




こいつら全然作者の思い通りに動かねえな(無能)


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2話:鬼去来

「うるっさいわね、静かにしなさいよ」

 

 霊夢が文句を言うと、突然室内に霧が満ちる。

 まともな自然現象でない事は、せつらにも想像がついた。

 しばらくすると霧が収束し――角の生えた少女の形をとる。

 

「ウホッ」

 

 霧が変化した奇妙な少女の第一声がそれだった。

 どうやらせつらをまともに見るのはこれが初めてらしい。

 

「こんな男前は1000年以上生きてきて一度も見たことが無いよ! どうだい兄さん、私にさらわれてみないか? 損も退屈もさせないよ。なんなら一生養ってやっても良い」

「せっかくですが」

「ちぇ、なんだよ」

 

 せつらはとりあえず断った。

 考える暇も無く断られたのが納得いかなかったのか、角の少女は唇を突き出して不満を露わにした。

 しかしせつらは一顧だにする様子も見せず、霊夢に質問を続けようとする。

 萃香は自分を風景か何かとしか見ていないその態度に、怒りよりも驚きを覚えたようだった。

 

「オイオイ、私が何者か気にならないのかい?」

 

 これは放っておくとうるさそうだ。

 尤も、相手にしてもうるさいのだから、彼女が現れた時点で雲行きが怪しくなるのは決定しているのだが。

 

「どなた?」

 

 せつらの質問は、お義理でしかない。

 放置が得策でないと考え、雑に聞いただけだ。

 それでも、角の少女は輝くような笑みを浮かべた。

 

「時の帝にも畏れられた、大江山・伊吹山を根城にする鬼の頭領、酒呑童子の伊吹萃香とは私の事さ」

「へぇ」

 

 相変わらず、人を食ったような茫洋としたリアクションだったが、萃香はそれで満足したらしく、ちゃぶ台に腰掛けて上機嫌に酒をあおり始めた。行儀の悪さに霊夢が顔をしかめる。

 これが並の男ならインネンをつけられてもおかしくなさそうだったが、せつらの美貌ならばこの通りだ。

 居合わせたあうんも、ハンサムは得だなぁ、などと吞気なことを考えていた。

 

「その酒呑童子さんが、なにか御用で?」

「いやね、面倒な会話をしてるなと思ってさ。喋るとか喋らないとか交渉するより、私の方が強い! 吐け! って方がカンタンだし分かり易くない?」

「だ、そうですが」

「萃香、ちょっと」

 

 霊夢に手招きをされて、萃香は酔っ払い特有の千鳥足でヨタヨタと近付いた。

 一体何かと不思議に思っていると、バチンと顔面に護符(アミュレット)が叩きつけられた。

 

「あいた!」

 

 当然、萃香は悲鳴をあげた。

 

「アンタねぇ、人の話に水差すんじゃないわよ」

「いや、だって、まどろっこしいじゃんかさ」

「だからって何でも決闘で解決すれば良いってもんじゃないでしょ。元々スペルカードは人間が妖怪と闘う為のものよ。異変でもあるまいし、人間同士ならまずは話し合いでしょう」

「とっくに決裂してるように見えたし、異変中なら人間相手でもぶっ飛ばして解決ってのは巫女の発想じゃない――」

 

 再びベチンとハデな音がして、今度は萃香の背中に護符(アミュレット)が叩きつけられる。

 

「ギャーン!」

 

 鬼の大将は、およそ大将らしからぬ悲鳴をあげるしか無かった。

 さすがの萃香もこれには抗議せざるを得ない。

 

「注意は口でしてくれるとありがたい」

「そしたら静かにしててくれる?」

「いんにゃ」

「だから嫌々手を出してんのよ」

「嫌々でも鬼に対してこんなツッコミができるのは霊夢だけだよ」

 

 面倒な闖入者ではあったが、黒衣の若者にはそれが天啓と映った。

 

「伊吹さん」

「お? どうした?」

「貴女はこちらの人物達に心当たりは?」

「あー、あるよ。あるある。こいつら皆有名人だから、誰に聞いても知ってるんじゃ無いかな」

「やった」

 

 思いもかけず情報が手に入った。誰に聞いても、と言うことは質問の相手を問わない。

 紅白の少女から情報を引き出せなくても仕事は果たせそうであった。

 せつらは、もうここに用は無いとでもいう風に立ち上がり、縁側にある靴を履いて、神社の境内へと足を進めた。

 

「色々なお話、どーも」

 

 残した言葉はそれだけであった。

 博霊神社はずいぶんと景色が良いから、人がいそうな集落でも探してそちらで聞き込みをしようと言うのだろう。

 霊夢はもうどうでも良いとばかりに嘆息したのみだったが、萃香は違ったらしい。

 鳥居の下から幻想郷を睥睨する若者の眼前に、再び霧が収束する。

 

「何か?」

「いやね、聞くだけ聞いて行っちまおうってのは、ちと薄情じゃないかと思ってね」

「と言われてもねえ」

「お礼に一勝負くらいして行ってもバチは当たらないよ」

「困ったな」

 

 せつらは全然困っていなさそうな口調で言って、ひょいと無造作に後ろへ下がった。

 瞬間、今までせつらが立っていた場所を、暴力の塊が吹き抜ける。

 萃香がフックを繰り出し、せつらはそれをかわしたのだ。

 風圧がその美しい顔を撫で、黒いコートは風にたなびいた。

 

「暴力反対」

「それが決闘の醍醐味だろ」

「幻想郷流ですか?」

「そう、そして全力は出せなくとも、私ら鬼が本気で人間と遊べるのがスペルカードルールって訳」

「迷惑だ」

「襲われて問答無用で食われるよか有情だと思うがね」

「それもそうか」

 

 この若者の神経はイマイチ良くわからない。

 あっさり前言を翻すと、せつらはゆっくりと指を広げた。

 鬼の豪腕は〈新宿〉の魔人に当てられるのか。

 美しき魔人の妖糸は鬼に抗する事ができるのか。

 

「あん?」

 

 萃香が違和感を感じた時、その拳が己自身の顔面に叩きつけられる。

 

「痛ってぇ!」

「ナイス・パンチ」

 

 黒衣の若者はからかうような言葉を口にした。

 と言うことは、今の萃香の不可解な行動は、若者がした事なのか。

 

「綺麗な兄さん、今のは()()糸でやったのか?」

「さて」

 

 萃香は自身の腕を軽く上げて注視する。

 すると、細くきらめく何かが、己の腕に絡みついているのが見えたのだ。

 わずか千分の一ミクロンの妖糸は、普通視認できる物では無い。無いのだが、普通で無ければ割と見破られる代物だったりする。

 とすれば、せつらの“人形使い”を見破る事も、実力者であれば可能と言う事だ。

 

「やっぱり、ただの美丈夫じゃないね」

「今のでお相子と言うのは」

「ここからが面白いんだろ、楽しくやろう。私が勝ったら、兄さんの身柄は私のもんだ。なに、一生とは言わない。一ヶ月――いや、一週間でも良いからさ」

「お礼の相場が高過ぎませんか?」

「もちろん安売りもやってるよ。――3日だな、これ以上は負からないね」

 

 この言葉は「先っちょだけだから」と言ってくる男と同列の話では無いのか。

 まるで女を前にした必死な童貞のようだった。

 妖怪、特に鬼は約束の履行に厳しいが、その時の気分で「あれは無しだ」と言ってきそうな雰囲気もある。

 

「決闘をしたくない場合は?」

「それなら兄さんをさらえば良いだけだから楽とも言える。最近は骨のある奴がいないから、少しは楽しませて欲しい所だけど」

 

 外見は少女でもやはり妖怪だった。

 言葉は通じても、話が通じない。共通言語はスペルカードルールだけだ。ならば仕方が無い。

 せつらもそう思ったに違いない。

 突然萃香の動き、いや、全身が、麻痺したかのように硬直した。

 

「なっ――んじゃこりゃ!!」

 

 萃香が力をこめると、彼女の行動を縛った何かは千々に砕け、粉砕される。

 

「ありゃ」

 

 萃香を拘束した当人は呆気にとられた声をあげた。

 妖糸を切断したり、錆びさせたり、防いだりした者はいるが、()()すると言うのは例が無い。

 ミクロン単位の代物を、どうやって粉々にすると言うのか。

 

「にゃろ、酔夢『施餓鬼縛りの術』!!」

 

 せつらは声のデカさに耳を塞ぎそうになった。

 これがスペルカードルールか、と初体験の戦いに身を投じる。

 先程のお返しとでもいう風に、萃香の手足に身に着けられた鎖がせつらの方へ伸びてきた。

 言動の端々から感じ取れた力押しのイメージとは裏腹に、早く、正確だ。

 スペルカードの説明にあった、自己表現を技とするのが作法と言うからには、捕まったらタダで済むとも思えない。

 せつらは横っ飛びに鎖の先端を避けた後、十数条の糸を駆使してその動きを反転させ――られない。

 妖気か何かで自由に動かすことができるらしい鎖は、妖糸の操作に抵抗を示した。

 ならばと新たな糸で萃香本体を斬りつけるが、そこには赤い痕ができたのみであった。

 何の対策もしていない生身を妖糸で斬断できない相手は、ほぼ例外なく化け物だ。

 せつらは表情には出さない物の、驚愕を覚え、初戦で厄介な相手に当たったなと辟易した。

 しかし驚愕したのは萃香も同様だった。

 

「どうなってんだ、その糸」

「企業秘密です」

 

 一瞬とは言え、鬼の中でもトップクラスのパワーを誇る自身を予備動作も無しに拘束するなど、普通の人間に出来る事では無い。

 何より、糸に縛られた部分は赤く腫れ上がっている。

 ――少しでも脱出が遅ければ、自分の体は輪切りになっていたのでは無いか? 

 そこに思い至った時、久しく感じていなかった戦慄が萃香の全身を駆け抜けた。

 

「やめだ」

「は?」

「糸はともかく、ルールに縛られてちゃ勿体無い。ほんとうの本気で兄さん、あんたと()りたい 。お互いがくたばるまで、誰にも邪魔されず、二人きりで」

 

 これは――告白と言って良いのだろうか。

 あまりにも血生臭い、そして情熱的で殺意に満ちた、熱量のある心情の吐露であった。

 彼女の目は少女らしからぬ欲情に染まっている。

 色欲も勿論あるが、その戦闘欲とでも言うべき欲情が、小鬼の感情を支配していた。

 明らかに普段の萃香では無い。マジトーンだ。

 せつらを最初に目にした時から、鬼の頭領はわずかずつとは言え、この魔人に狂い始めていたのかもしれない。

 悪鬼羅刹のごとき美しさ、冷酷さ、残酷さに。

 

「お断りします」

 

 そして、どんな相手でもせつらの返答はこれ以外に無い。

 萃香は苦笑しながら言った。

 

「はっ、そいつは残念。私をフるとか、あんた大物だよ」

 

 言うなりその姿が、文字通り霧散した。

 霧となって空気に溶けた小鬼は、影も形も無かった。

 自身の告白を思い返し、恥ずかしくなったのだろうか。

 霊夢や紫との会話もこうして聞いていたのかもしれない。

 

「吸血鬼は霧の湖に、薬師は迷いの竹林にいる。残りの奴は人里辺りで聞けば、簡単に居場所が掴めるだろうよ」

「タダの情報ですか?」

「売りつけて欲しいのかい」

「いえ」

「ホント良い度胸だね! 心配しなさんな、ロハで結構。ほら、神社からなら湖も竹林も人里も一望できるよ」

「どーも」

 

 せつらは三カ所を確認し、それをメモした後、神社の石段を降り始めた。

 萃香の最後の台詞は聞こえたかどうか。

 

「兄さん、いや、秋せつら。いつか私は〈新宿〉のアンタの所へ行く。その時こそ全力の勝負を――」

 

 そこまで言って、ふと萃香は自身の周辺に護符(アミュレット)がバラまかれている事に気付く。

 

「何言ってんのよ、境内で好きに暴れちゃってさ。どこも壊してないでしょうね」

「ゲェェー霊夢!」

 

 霧が霊夢の結界に封鎖され、超人みたいな声をあげて萃香は姿を現した。

 

「秋さん、行っちゃったのね」

「私はともかく、霊夢にもお礼が無いなんて酷い奴だよ」

「ま、いずれ幻想郷から出てく人なんでしょ。あの人、結局私の名前も聞かずに行っちゃったんだから。好かれようが嫌われようがどうでも良いのよ、きっと」

 

 そう言った巫女の表情には、憂いが感じられた。

 霊夢達が、賽銭箱の横にぽつりと置かれた“秋せんべい店お徳用セット”に気付くのは、今から30分後の事だった。

 

 ◆

 

 とりあえずどの依頼から片付けようかとせつらは考え、無難に人里を目指す事にした。

 滞在する場所も決めていないのだから当然だ。

 なるべく滞在日数は抑えたいなと考えていたが、見知らぬ土地ではどうなるか分からない。

 いちおう、メフィストから各種古い貨幣を経費として支給されてはいるが、使わないに越したことは無い。

 使わなかった分は、自分の懐に入るからだ。

 メフィストはどこから手に入れたのか、新品同然の古銭を渡している。なので専門店に買い取って貰えばそれなりの収入になる。

 どこまでもケチ臭い若者であった。

 風景を眺めながら畦道を進んでいくと、やけに懐かしい気分になることに気付く。

 せつらは生まれも育ちも〈新宿〉だから、そんなのは思い込みなのだが、それでも懐かしさを感じる。

 山林が遠景にあり、農道が続く、日本人が誰に教えられるでも無く知っている風景だからか。

 誰もがなんとなく覚えていて、心に留めている原風景と言う奴だ。

 春風に吹かれたどこぞの若旦那のような、美しい若者がそこを歩いているとなると、物凄く絵になる。

 幻想郷はただ歩いているだけで妖怪に遭遇してもおかしくない土地なのだが、当の妖怪達はせつらが歩く姿を見て、人を襲うことすら忘れてしまうような美しい光景に見入っていたに違いなかった。

 ――中には自身の姿すら見えないように行動している妖怪や、気に入った相手に相手に悪戯をふっかけるような妖精もいるのだが。

 

 その妖精達は、突如この地に現れた美しき魔人に、自分の存在をアピールしようと画策している所だった。

 情報源は? 

 博霊神社の床下に、地獄から来た妖精が住み着いていると言う事を知らないまま、飄然とせつらは歩き続ける。

 辺りの森から、可愛らしく賑やかな笑い声が響いたような気がした。

 畦道は、どこまでも続いているかのようだった。




書いてて思いましたが、このせんべい屋、想像以上にトラブル体質過ぎる(今更)


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3話:フェアリー・メイズ

 道に迷うは妖精の所為なの、とは誰の言葉だったか。

 もしそれが妖精自身の言葉なら、注意喚起では無く盛大な煽りか、自身がそのまま攻撃される事を考慮していない阿呆のどちらかだ。

 

「迷ったかな」

 

 この世の全ての影を集めて人型を為したような黒衣の美は、深刻な事をのんびりとひとりごちた。

 彼は人里に向かって歩いているはずだったが、一向に辿り着かない。それらしき建物も見えなかった。

 日は既に中天を越え、後は沈むのみだ。

 普段の歩く速度を考慮すれば、とっくに着いていてもおかしくないのに、何故。

 それを考えると、朝方に博霊神社へやって来たこの青年は何時間歩き続けたと言うのだろうか。いくら何でも、のんびりが過ぎる。

 おかしいなと思って妖糸を先へ放ってみたりもしたが、畦道は一向に変化しないし、何者かに出会うことも無かった。

 何にしろ、歩かない事には始まらない。

 食事もしていないせつらはメフィスト病院で販売されている栄養ブロック、“クララ・バー”を口にして、幻想行を再開した。

 クララ・バーの由来は、ドクター・メフィストがアルプスの少女ハイジを観賞していた事から来ているらしい。月が見初めた美貌の医師も、アニメを見る事があるのだ。

 ともあれ、今のせつらは春に浮かれた若旦那の散歩としか見えないし、まさかこれが道に迷っている人間とは思われないだろう。

 この若者は閉鎖空間や異空間、異次元迷路などにやたらと縁がある。

 その経験が、どうせ今回も何とかなるだろうと言う余裕を生み出しているのかもしれなかった。

 そしてさらに時間が経った後、一度戻ってみようかななどと、遅すぎる決心をしかけた時、足下の感触が変化した。

 今、せつらは舗装されていない見通しの良い畦道を歩いているはずだったが、落ち葉の音や、靴が木の根っこを踏みつけたような感覚が残る。

 せつらは目を閉じた。

 視界が当てにならないのだから正しい方法なのかも知れない。しかし暗闇の中、一体どうやって前進を続けると言うのだ。

 だが大方の予想を裏切り、美影身はしっかりとした足取りで、迷い無く歩みを再開する。

 しばらく歩いていると、足下に突然大きな穴が出現した。

 通常、地面がいきなり陥没する訳が無い。

 並の人間であれば、転落して怪我のひとつやふたつは負ったのだろうが、せつらはそのまま空中で縫い止められたマネキンのように静止していた。

 タネはと言えば何のことは無い。靴裏の感覚が変わった辺りで地面を歩くことを止め、彼方へ巻き付けた妖糸の上を歩いていただけだ。目を閉じたまま歩ける理屈も、糸を頼りに歩いていただけの事であった。

 普通に歩けば足が縦に両断されてもおかしくないが、せつらはその神業を以て空中歩行を可能としていた。

 同時に、周囲の風景が変化する。

 見通しの良い畦道は鬱蒼とした森に変わり、今まで歩いてきたのは獣道にも等しい、文字通り道なき道であった。

 特に何もしていないのに迷い道が消えたことに対して、若者は、はて、と首をかしげたが、先程地面に空いた大穴を見下ろしてみると、何かがわたわたとうごめいている。

 その何か達は口々にお互いを罵っているようであったが、不思議なことに音が全く聞こえない。

 疑問に思ったせつらが妖糸を伸ばしてみると、一定の距離まで近付いた辺りでようやく音を拾えるようになった。

 どうやら、特定の領域外に音が届かないように遮音を行っているらしい。

 美しき若者は、それらの頭上から興味深そうに話を聞いていた。

 

 ◆

 

 最初にその話をしたのは地獄の妖精クラウンピースだった。

 

「もうね、なんつーか、サイッコーに地獄だぜって感じの人間が! 人間か? だとしたら地獄だぜ!」

 

 博霊神社裏にある三妖精の住居に慌ててやって来て、突然要領を得ない話を始めたのだ。

 

「どーしたの」

 

 三人は共に寝起きだった。

 なんとかポルノスレスレのネグリジェ達は、無理矢理起こされた為、少々不機嫌だ。

 ピースは幻想郷の風景を見たときより感動したと主張している。たかが人間の男を遠目で見ただけなのに。

 

「とにかく、見て来てウェルカムトゥヘルって感じで」

 

 スターサファイアが、それを懐疑的な視線で見つめながら、サニーミルクへ意見を求める。

 行き詰まったときに行動を決断するのは大抵がサニーの役目だったからだ。

 

「うーん、とりあえず行ってみる? ピースが持ち込んできた話って、大体面白い事だったしさ」

「さすがだぜ!」

「イェーイ!」

 

 まだ何もしていないのに、サニーとピースはハイタッチをかました。

 もうここでこの話は終わってしまっても良いくらいのテンションだったが、とりあえずピースが見た人間と言うのを確認しないと何も始まらない。

 ルナチャイルドが煎れた眠気覚ましのコーヒーを皆で味わってから、いざ出陣。

 さっそく4人は神社までやって来た物の、ピースを狂乱に陥れた当人は既にここにはいなかった。

 鬼の頭領は危険そうな気配を放って陶然としていたし、霊夢も何やら物憂げに大きな袋詰めのせんべいを弄んでいた。

 二人に話を聞くのは何だかはばかられたので、狛犬に話を聞いたところ、彼は人里方面へ向けて歩いて行ったという。

 慌てて追ってみると、行く先々の妖怪や妖精達が妙におとなしい。

 まるで何かに魂を抜かれてしまったかのように呆けている者、顔を赤くして宙を見つめ続ける者、或いはシンプルに気を失っている者と様々だ。

 これはいよいよただごとじゃないぞと察した4人は、全員で固まって、いつものステルス・サイレント・レーダーのフォーメーションで行動を再開した。

 しばらく進むと畦道を一人で行く何者かの反応がスターのレーダーに引っかかった。

 それから4人は念の為、森に入りつつ何者かを追い、その時が訪れた。

 

「ワーオ! ワンダホー!」

「ひゃあ」

「ふえ~」

「あれは――人間?」

 

 黒い天使が太陽の光の下を歩いている。

 4人の眼にはそうとしか映らなかった。

 どんな芸術家の絵画も、どんな雄大な自然も、どんな精微な細工も、彼一人の美しさに比べれば軒並みチャチな物としか感じられない。

 皆揃ってしばらく放心していたが、元々狂気を操るクラウンピースがいち早く忘我の境地から復帰し、三妖精に活を入れる。

 

「見た? 見た? 見た?」

 

 クラウンピースの口調はセレブの追っかけのようになっていた。

 

「綺麗な人だったねえ」

「サニーより光ってたかも」

「なんだと」

 

 キャイキャイといかにも少女らしい会話に終始していた4人だが、それだけで終わっては三妖精 with H(Hell)の名がすたると、すぐに悪戯のプランを練る。

 彼女達が振り向いて欲しい相手をターゲットに選ぶのは、霊夢で証明済みだ。

 あれこれ考えたが、相手はどうやら外来人らしいので、シンプルなプランになった。

 

 道に迷わせる。

 落とし穴にハメる。

 登場して名乗りをあげる。

 

 以上だった。

 三つまでしか物事を記憶できないスタンド攻撃を食らっても遂行可能というシンプルさ。

 とりあえず、サニーが光を屈折させて風景を誤魔化し、辺りをグルグルと歩き回らせる。

 その間に残った三人は落とし穴を掘った。

 迷わせる役のサニーは若者を見ていられるので、役得だと喜んだ。

 準備ができたらそこへ誘導し、それを間近から眺めて笑うのが一連の流れだ。

 妖精ながら恐ろしい能力だが、妖精故に危ない使い方をしないのは愛嬌と言える。

 クラウンピースの妖精とは思えないパワーは、こう言う時、非常に頼りになった。

 落とし穴が完成し、ついにあの美しい若者の注目を一身に受けられると思うと、心が浮き足立ってくる。

 全員がだらしない表情になっていたが、ツッコミをする物がいないのは幸運だった。

 

「おっけーサニー、落とし穴まで誘導して」

「りょうかーい」

 

 サニーは再度光の屈折を操作し、あの若者が森に入るように風景を誤魔化した。

 後は彼が落とし穴にはまるまで、一緒に歩いていけば良い。

 ただ、一度ルナがおかしな事を証言した。

 

「なんかあの人、足音がしないんだけど」

 

 この気付きは、妖精にしては鋭いと言って良い。

 事実、森に入ってからせつらは一度も地面に足をつけていないのだから当然だ。

 音を消す能力を持っているから、相手の音にも敏感だったのかもしれない。

 ただし、相手があの顔であったため、

 

「あんな綺麗な人が足音を立てるなんて、そんなみっともない事ある訳無いじゃん?」

 

 と言うような意見が残りの3人から飛び出し、しかもルナ本人までその論理で納得してしまった。

 これが人外の美貌を持つ魔人達の厄介な所であった。

 ドクター・メフィストも駆け足の際に「あんな美しい人が走るなんて無様な事をするはずが無い」と、目撃者全員、彼が歩いているようにしか見えなかったと言う怪奇現象が起きている。

 とにかく、4人はしくじったのだ。

 彼女達はせつらの殆ど背後を歩いていたが、そろそろ落とし穴か、と言うところまで来ても、歩みに変化は無い。

 

「落とし穴ってこの辺だったよね」

「間違いないわ。ほら、目印があるもん」

「落ちろ~、落ちろ~」

 

 しかしその思いに反して、若者は何事も無く落とし穴が設置された辺りを通過する。

 4人が疑問符を浮かべた瞬間、大地が陥没した。

 

「キャア!」

「うおっ!」

「えぇ!?」

「何でよ!」

 

 四者四様の悲鳴をあげて、穴の中でもみくちゃになる。

 

「ちょっとスター! ルナ! ピース! ちゃんと作ったの!?」

「そっちこそ誘導ミスったんでしょ! ドジ!」

「ドジなのはルナよ!」

「私は関係ないわよ! 穴を掘ったのは殆どピースだし!」

「あたいの所為にする気か! お前らが重いから!」

「重さは関係ないでしょ!」

 

 穴の中できいきいとケンカが始まってしまった。

 ルナは能力を切らすわけにいかないと気を張っていたので、遮音はまだ働いているが、肝心要の光の屈折による幻覚が解けてしまっている事にも気付かず、4人は罵り合っていた。

 興味深そうな視線が頭上から注がれている事にも気付かず。

 加えて、そちらから声をかけられるとは。

 

「はじめまして」

 

 4人のケンカが、ぴたりと治まった。

 

 ◆

 

 外見はミニサイズの小学生と言ったところか。

 せつらは4人をまとめて簀巻きにして、穴からひょいと引っ張り出した。

 揉めている時の会話の内容から、自分を落とし穴にはめようとしていた所までは分かるが、道に迷わされたのもこの小さな娘達の仕業だと知り、若者はふーむ、と唸る。

 妖精と言う奴についての話は全く聞かなかったので、もう少し霊夢に話を聞いておくべきだったか、と今更な事を考えた。

 現在、三妖精と地獄の妖精は、せつらの前で正座を行っていた。さすがに謝り慣れている。

 しかしこの図は成人男性が年端もいかぬ子供に虐待を行っているようにしか見えないので少々危ない。

 とりあえず若者へ「ごめんなさい」をした妖精達に、現在位置を尋ねてみた。

 

「こ、ここですか? 私達は霧の湖の近くとか、そんな感じで呼んでますけど」

 

 スターはレーダーできちんと居場所を把握していたらしい。

 これにほほうと感心したせつらの、

 

「君は地形まで把握してるの?」

 

 と言う素の質問に、自身に興味を持って貰えたと舞い上がったスターは、

 

「いえ! でも、この辺のレーダーの反応は霧の湖の近くの奴らばっかりです!」

 

 とバカ正直な事を言った。

 しかしそれは若者のさらなる興味を惹いたようだった。

 

「どんな奴?」

「この気質は、湖の人魚とか、知り合いの妖精とかです」

「へぇ」

 

 この青年は過去人魚に惚れられて、海に招かれ溺死しそうになった経験があったので一瞬眉を動かしたが、知り合いと聞いてすぐ常態へ戻った。

 湖に知り合いがいるなら――

 

「湖のほとりには紅魔館もあるよね」

「はい」

「そっちに知り合いはいる?」

 

 ピース以外の3人は怯えた表情になった。

 

「紅魔館に行くんですか?」

「入るのは簡単だけど止めた方が良いです」

「あそこの人は皆危ない人ですよ」

 

 どうも苦手意識があるようで、否定的な、と言うか誇張された怖さと言うか、そう言う話ばかりだ。

 もう少し話を聞きたかったが、これ以上は望めなさそうであった。

 せっかくだからと、せつらは当初の予定を変更して紅魔館を訪ねることにした。

 森の向こう側には霧がわだかまっている。つまりそこが目的地なのだろう。

 せつらは歩みを再開した。

 

「あっ! あの!」

 

 それを誰かが呼び止める。

 サニーか。ルナか。スターか。ピースか。

 誰が呼び止めたのかも分からないし、呼びかけた自覚さえ無いかもしれない。

 

「また会えますか?」

 

 恋する乙女のような願いに、黒衣の青年は振り返って曖昧な微笑を浮かべた。

 

「それじゃ、ね」

 

 それだけ言って今度こそ去って行く。

 正面から彼の微笑が直撃した4人は、しばらく蕩けたような顔でその場に釘付けになっていた。

 あの美しさに少しでも浸っていたかったのだ。

 感想も前と同じだ。

 

「綺麗な人だったねえ」

 

 誰ともなくそう口にすると、最後の微笑が誰に向けられた物かについて話し合った。

 全員が自分だと主張し、再びケンカが始まるところだったが、この4人は正座で呆けていたのだ。

 誰一人まともに立ち上がる事ができず、せつらの笑顔争奪戦は5秒で無効試合になった。

 痺れた足をさすりつつ、4人はバカな事をしたと笑い合って、再びせつらの微笑を夢想し、誰かが何度目かの事を口にする。

 

「綺麗な人だったねえ」

 

 4人が自宅に戻るのには、もう少し時間がかかるようだった。




4人全員立てるのはムリ(諦観)
4人をセットにして一人のキャラとして運用すればとっちらからずマシになると分かったのでその辺は収穫
個々で使いたいときは物語の必要に応じてばらす
合体ロボの運用方法みたいやな


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紅魔の章~バンパイアハンター・ハンター
4話:霧氷の路


 (みづ)を渡り (また)水を渡り

 花を() (また)花を看る

 春風 江上の(みち)

 覺えず 君が家に到る

 

 湖は奇妙なまでの静けさに包まれていた。

 スターサファイアも人魚が棲んでいると言っていた以上、少なくとも何もいないと言う事は無いはずだ。

 だと言うのに、水音一つしないし、湖面には波紋すら立たない。

 ――まともな湖では無い。

 それはそうだ。大体、年中霧がかかっている地域など、幻想郷では他に存在しないのだから、ここがまともである訳が無い。

 湖のほとりには紅い館があるはずだが、あまりの濃霧に館どころか目前すら判然としない。

 全てが白い世界。

 その中で、黒衣の美しき魔人が歩みを進める。

 不思議な事に、彼の姿だけは霧の中でも周囲からくっきりと映った。

 まるで、彼の肌に触れるのは大それた事だと、霧が恥じらって避けているかのようだった。

 ふとせつらは、歩き続けてどれだけ経ったかな、と思い携帯で時間を確認してみる。

 時刻は既に15時を回っていた。

 探し人の住居は神社から目に見える範囲にあったと言うのに、未だ接触どころか辿り着くことすらできていない。

 そしてこの霧だ。先程の妖精達の例を考え、幻覚を破るため妖糸で自身に痛みを与えてみたが、白い世界はそのまま変化しなかった。

 つまり、これは幻覚では無い。

 天然、全方位対応型の迷路だった。

 

「今日は迷子の日か」

 

 さすがのせつらも愚痴が出た。

 そもそも何時間も歩かされて、それなりに疲弊しているのだ。タクシーが呼べる都会は便利だなと思いながら少しの間立ち止まり、肩を軽く揉んでから再び若者は歩き出した。

 いくら何も見えないと言っても、湖沿いに歩き続ければいずれ目的地にも着くだろう、と言う訳だ。

 しかし実際歩いてみると、先程の三妖精の時と似たような感覚がある。ゆけどもゆけども終わりのない道を歩かされているようだ。

 ――迷っている。もっと抜本的な対策が必要だと感じられた。

 そもそもこの霧は何故発生しているのだ? 

 スターサファイア達に力を貸して貰えば良かったか、と若者は勝手な感想を抱いた。

 そこで彼女達の言葉に思い至る。

 確か三妖精は()()()()()()()と言っていたはずだ。

 その知り合いとやらがこの近辺にいるのなら、話を聞いてくれるかも知れないし、或いは霧の抜け方や対策を知っているかもしれなかった。

 だがそれも見つかるかどうか。

 ただ選択肢が『紅魔館を発見する』の一択から、『三妖精の知り合いを発見する』と言う二択になっただけであった。

 結局、若者は歩き続ける事を選んだ。

 

「さむ」

 

 こころなしか、気温まで下がってきている。

 彼のコートは耐熱・耐寒・耐電・耐衝撃などが施された特別製だが、それでも体の芯まで凍えるような寒さ、否、冷たさが徐々に辺りを支配していく。

 異変に気付いた。

 先程までは穏やかだった湖面が凍り付いている。

 しかし環境に変化があると言う事は、何かがいるか、何かがあるか、どちらかは分からないが状況が動くと言う事だ。

 元々せつらは必要とあらば、〈新宿〉の最高危険地帯(モースト・デンジャラス・ゾーン)も平気の平左で歩き回るような男だ。

 なればこそ、彼がこの程度で足を止める訳も無かった。

 気温は既に氷点下にまで達しているのでは無いか、とせつらが想像し始めた時、眼前にポンと()()()()が現れた。材質もごく普通の雪や氷であるようだが、不気味である。

 季節はまだ暑くも寒くも無い時期だったはずだし、かまくらなど普通に放置していれば溶けて無くなってしまうだろう。

 それがこうして維持されていて、唐突に低くなった気温と合わせて考えると、何者かの手が入っているに違いない。

 誰かいるかな、と言う期待と共に中を覗いて見ると、青い髪、青いリボン、青いワンピース、青尽くしの少女が足を伸ばしてくつろいでいた。

 

「失礼します」

「うわっ」

 

 せつらは迷い無く接触を図った。

 青い少女は心底ビックリした様子で突然現れた若者を詰問した。

 

「ななな、何だオマエ」

「実は道に迷いまして」

「はぁ? バカなの? どうやったらこんな所で道に迷うってのさ」

「ごもっとも」

 

 そう、普通ならこんな所で迷子になる事など、やはりありえないらしい。

 青い少女の言葉からそれは読み取れた。

 

「ですが、今この辺りは明らかに変です。濃霧が湖を覆い、一部だけ気温が低すぎる」

「この辺が寒いのはあたいのパワーだよ」

「は?」

「暑いのは嫌だし、(ウチ)が溶けても困るし、この辺だけ寒くしてんの」

「お名前を伺っても?」

「チルノだよ。みんなは最強の氷精チルノって呼ぶね」

 

 呼ばない。

 確かに妖精の中においては最強かも知れないが、それ以外では『単純馬鹿の氷精』で名が通っている物の、せつらがそれを類推できる要素は何も無かった。

 何だか分からないが凄い自信だ、くらいの事しか理解できない。

 

「て言うかあんたこそ誰なの」

「失礼しました。僕は秋と言います」

「秋? 冬の前の?」

「まあ、そうです」

「ならあたいの子分も同然ってわけだ。まあ、ゆっくりしていきなよ」

 

 チルノはおかしな事を言った。

 妖精の思考回路が単純なのはよくある話だが、チルノくらいになると単純すぎて複雑化するのかも知れない。

 これにはさすがのせつらも眉を寄せて考え込んだ。

 悩める美青年としか見えないが、考えているのはチルノの謎の論理についてであった。

 

「かき氷食べる?」

 

 微妙に優しいのがまた複雑だ。

 この寒い中でかき氷は嫌がらせとしか思えないが、しかし嫌がらせをするほど頭が回るとも思えない。

 彼女なりの親切であった。

 結果的に嫌がらせなのだ。

 

「僕が子分と言うのは」

「だって強い順だと冬、秋、夏、春の順番だよ」

「春に恨みでも?」

「せっかく気温を下げてる雪女が春眠しちゃうからね。暑くなるのは嫌なの」

 

 チルノは、私怨で季節の強さという訳の分からない物の序列を決めていた。そして序列が下の者は自分より格下で、加えて寒くなり始める季節の秋は子分らしい。

 実に良く分からない。が、主張は分かった。

()()()の秋ふゆはるを紹介したらどう思うかな、等と思いながら、若者はチルノの言葉を整理した。

 せつらは過去、春を迎えるために、冬を探し出して実家に返す依頼を受けたことがあるが、今回のケースはどうすれば良いのか。

 美しき魔人のとった手法は事大主義だった。

 

「親分さん、この辺りに紅魔館と言う建物があると聞きましたが」

「あるような無いような」

 

 自宅の近所に対してこんな曖昧な認識ができる物なのかと、さすがのせつらも驚かざるを得ない。

 表情には出ていないが、普段なら皮肉の一つも口にしていただろう。

 

「あー、でも美鈴の住んでるところって紅魔館じゃなかったっけ」

「めーりん」

「門番だよ。紅魔館の」

 

 何故門番の事を覚えているのに建物の所在が曖昧だったのかは疑問が残る。

 

「『めーりん』さんに面会できます?」

「大胆だなあ。いいよ、すぐ近くだし」

 

 やっぱり知ってるじゃないか、と若者はさらに困惑した。相手がせつらでなければ何を言われてもおかしくない話だった。

 会話が成立しないようで成立しているところも恐ろしい。

 もし()()が三妖精の知り合いなのだとしたら、「友達は選べ」と言わずにおれないかもしれない。

 ともあれ、くつろいでいたチルノは立ち上がって、さっさと来いとでもいう風にアゴをしゃくった。

 

「ちゃんとあたいについて来なよ」

「ひとつ、よろしく」

 

 そうして二人で外に出てみると、即座にチルノが絶叫をあげた。

 

「なんだこりゃあ!」

「どうしました」

「何も見えないじゃん!」

 

 せつらはナチュラルに沈黙し、言葉も無いとはこの事を言うのだなと吞気な感想を抱いた。

 

「ねえラッキー」

「秋です。なんでしょう」

「何で霧が濃くなってるの?」

 

 それはこちらが聞きたい事だった。

 やはり、この霧の濃さは普通では無いらしい。

 

「大ちゃん達が何かやってるのかな」

 

 氷精のフリーダムさに辟易していたせつらも、さすがにその一言は聞き逃さなかった。

 

「あの、『だいちゃん』とは?」

「大妖精の大ちゃん。あたいの友達だよ。まあ、向こうがやたらと世話を焼いてくれるんだけどね」

「へぇ、この濃霧もその大ちゃんが?」

「そりゃそうだ、だって『霧の湖の大妖精』なんだから。ここら一帯の自然現象は、ほとんど全部大ちゃんに依存してるんじゃないかな」

「それはそれは」

 

 妙に遠回りしたようだが、何とか突破口が見えてきた。

 このまま紅魔館が見つかればこんな事象は放置しても良いのだが、どちらにしろこの霧では、周辺の者も困っているのではなかろうかと考え、せつらはこちらを先に解決する事にした。

 別に正義感などでは無い。単純に恩を売るためであった。

 この青年は単なる春うららの若者では無いのだ。

 

「この濃霧を何とかできますか?」

「大ちゃんに聞いてみれば良いんじゃないかな。行ってみる?」

「ええ」

 

 チルノは頷いて、ふわりと宙に身を躍らせた。

 そしてどこへ行くのかと思えば、湖の中央へと進路を向けたではないか。

 

「それで『霧の湖の大妖精』か」

 

 つまり大ちゃんとやらの活動場所は湖上の中央部と言う事なのだろう。

 しかし、せつらには空を飛ぶ手段が無い。

 背の高い建物でもあれば、そこに糸を巻き付けて振り子のように移動する事はできるが、場所が水上ではどうしようも無い。

 どうした物かと考えていると、チルノが何やら『力』を解放しようとしている。

 かまくら、気温低下、氷精。まさかと思い、せつらがチルノ宅の影に身を隠すと同時に、色とりどりの弾丸が広範囲にわたって全方位に撒き散らされた。

 それらは着弾地点を問答無用で凍り付かせている。

 恐ろしい技だ。伊達に最強を名乗っているわけでは無いらしい。大地も草木も湖もまとめて凍結していた。

 

「やるなあ」

 

 ぬーぼーと感心するせつらに、チルノが手招きをしている。

 確かに中々の手際、段取りであった。

 意思の疎通も、ズレてはいるがちゃんと理解できているし、若者が飛べない人間である事を考慮して何も言わずとも足場を作ってくれる。

 加えて気温を変化させる規模の凍気、一瞬で湖の一部を凍結させる技。

 敵対したら侮れない相手になるだろうと思いつつ、美しき魔人は凍結した湖上へ足を踏み出した。

 かなり深いところまで凍っているらしく、割れたりすることも無いし、充分に足場として機能している。

 

「よし行くぞ、ザキ」

 

 チルノが即死魔法を唱える。

 

「秋です、親分さん」

 

 せつらは普通の対応をした。

 冬の前の秋、と自身が言っていたはずなのに名前を覚えていないのはどういう事かと首をひねりはしたが。

 

 ◆

 

 氷精が凍らせた足場を頼りに霧の中央を目指すと、丁度氷が途切れた辺りで、小さな島が出現した。

 島の中央には年季の入った大きな木が一本だけそびえている。

 氷精は遠慮無く近付き、突然その木にケリをくれた。

 

「弾幕の時間だコラァ!」

 

 チルノは何故か喧嘩腰だった。せつらは少し離れた場所でそれを観察している。

 木からは「ヒッ」と声が聞こえたような気がした。

 チルノが続けて蹴りつけようとすると、木の表面にドアが現れ、そこを開けておずおずとチルノと同じくらいのサイズの少女が姿を現した。

 

「な、何か用でも――」

「この霧! どーなってんのさ」

「ええと、これは紅魔館の人に頼まれて」

「また異変でも起こそうってえの?」

「違くて、これは湖周辺を守る為だって、レミリアさんが」

 

 とうとう探し人の名前が出て来た。

 若者は、凄い勢いで大妖精を問い詰める氷精を止める事にする。

 

「親分さん」

「どーしたの」

「僕が話しても?」

「いいだろう」

 

 チルノは何故かクソ偉そうに了承した。

 人間を連れてくるなど、相変わらず変な妖精だなと大妖精は思ったが、その人間を見てなんとなく納得した。

 この若者の美しさは、とても普通の人間が持つ物では無いと感じたからだ。

 彼女が今まで見た綺麗な物を全て集めても、彼一人の前では色褪せたガラクタとしか映らないに違いなかった。

 

「あ、あ」

 

 大妖精は言葉すら出なかった。

 ただ嗚咽とも感嘆ともつかぬ声をあげるだけだ。

 

「この霧を出してるのは君?」

「はいぃっ!」

「止めてもらう事は?」

「それは――む、無理です」

「何故」

「外から、吸血鬼を狙う退治屋が来てて危ないからって」

 

 どうやら自分以外にも結界を超えてくる物はいるらしい、とせつらは納得した。

 八雲紫に放り出されないのかなとも思ったが、彼女は全てを受け入れると言っていたので、その言葉に偽りは無かったと言うことだろうか? 

 氷精がさらに言い募る。

 

「赤い霧を出せば最強なのに、なにやってんだ」

「人里に迷惑がかかっちゃうからって」

 

 三妖精から聞いた話と実情は大分違う。

 どうやらここの吸血鬼も、戸山住宅の住人と同じく、地元住民とそれなりに上手くやっているらしい。

 ご近所トラブルはもってのほかと言う訳だ。

 さりとて、外界のヴァンパイアハンターとやらが諦めるのを待つわけにもいかない。せつらだって仕事で来ているのだ。

 

「霧に迷わない方法はある?」

「そこそこ強力なフィールドを展開してしまったので――」

 

 せつらは腕を組んで思案する様子を見せる。

 

「どうも、うまくないな」

 

 こう言う事象への対策はチェコNo.2の魔女の力が要るかもしれない。また、ドクター・メフィストなら思いもよらない方法で霧を抜けるかもしれない。

 然るに、せつらはと言えば無策であった。

 彼の本領は法、知名度、友人、地形、歴史、ローカル知識など〈新宿〉の環境があってこそだ。

 〈新宿〉の外では十全に力を発揮できるとは言い難い。

 先にこちらへ来たのは失敗だったか、と思い始めた矢先、大妖精が何かを思い付いたらしく、自宅に引っ込む。

 それから再び現れた彼女の手には、棒状の物が握られていた。

 せつらが首をかしげていると、大妖精は真っ赤な顔でそれを手渡してくる。

 

「これは?」

「ローワン――ナナカマドの杖です。これがあると、旅人はあらゆる物に迷わなくなるって」

「へぇ」

「あの、それ、お貸しします」

「良いの?」

「でも、ちゃんと返しに来てください。私、待ってます。それと、これも」

 

 大妖精は、せつらのコートのポケットに、赤い花を飾った。小学生が絵に描いたような、シンプルな意匠の花。

 スカーレットピンパーネル、和名ではアカバナルリハコベと言う奴だった。

 

「赤いルリハコベは、身に着けていると、旅の間はお守りになります」

 

 そう言ってせつらから離れると、その姿を見つめて、

 

「やっぱり。凄くお似合いです」

 

 と、妖精らしく純粋に笑い、喜んだ。

 チルノがそれを見てヒュウと口笛を鳴らす。茶化したつもりか。

 せつらはそれを黙殺し、背をかがめて大妖精と視線を合わせ、微笑した。

 

「ありがとう」

 

 もはや大妖精は天にも昇る気持ちだった。

 ここで自分の存在が無くなってしまっても良いくらい 、幸福の絶頂にあった。

 恍惚とした表情のまま動かなくなってしまった大妖精を尻目に、チルノが若者をからかった。

 

「セキニンとりなさいよね」

「ちゃんと返します」

「そう言う事じゃ無いんだけど――まあいっか」

 

 むしろ、この氷精はせつらの美貌を何とも思っていないのだろうか? 

 今の所、幻想郷に来てから素で若者とコミュニケーションをとれているのはチルノだけだ。それが一番の謎である。

 

「今度こそ『めーりん』さんに面会したいのですが、行けますかね」

「ニャンワンの杖もあるし、大ちゃんのお守りもある。これでダメならあんたは雑魚ね」

「はは」

 

 氷精は猫だか犬だか分からない動物の名を呼び、せつらは面白くも無さそうに笑った。

 とりあえず、他に手も無いのだから行ってみるしかあるまい。

 二人で小島を辞去し、湖を渡って再び紅魔館を捜索する。

 すると今回は、どういう訳かあっさりとそれらしき影が霧の中に映った。

 白い世界に紅が克明に浮かび上がっている。

 何故こんな目立つ建物を見つけられなかったのかが不思議ほどであった。屋根や外壁は勿論、館を囲む壁や門まで紅い。

 

「人まで紅か」

 

 門前の女性は、鳳仙花のように美しく艶やかな紅い髪を垂らし、門柱にもたれかかって腕を組み、茫洋とした表情でこちらを見つめていた。

 チルノが手を振ったが、その眠そうな雰囲気はいっかな変化しない。

 その足下には、いくつか人間の()()が転がっていた。




せつらが歩く以外何もしてなくてビックリ(演者との打ち合わせ不足)
タイトルが路だからタイトルどおりと言えばそうなんだろうけど何もしないってのも変だなとは思う
チルノはノーコメント


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5話:紅銀

 門番の視線がせつらの方へ向き、彼女は一瞬目をしばたたかせ、即座に眼を閉じた。一気に動揺と、女としての本能が沸き上がってくる。

 即ち、この若者の為にどんな事でもしてあげたい、好きにされたい、だ。

 心臓の鼓動を抑えつつ立禅で呼吸を整え、調息の後に震脚を行い、再び目を開かせる。

 開いた眼に色狂いの気配は無く、正気が戻っていた。先の行為は気合を入れ直し、心を律したと言う事か。

 奇妙な構図であった。

 濃霧の中、妖精を連れた黒く美しい何かと、茫とした紅い髪の何かが向かい合っている。

 今の所、せつらに感情と呼べる物は発露していないが、それは表面的な物に違いない。

 

「お見合いやってんじゃないんだぞ」

 

 氷精が格闘試合の視聴者みたいな事を言った。

 そこで初めて、紅い髪の女は彼女の存在に気付いたようであった。

 

「おや、氷精さん。よくここまで来れましたね」

「ふふん、あたいは不可能の文字だからね」

 

 辞書が抜けた為に妙な事になった。

 だとするとチルノ自身が不可能と言う文字そのものであると言う解釈になる。相も変わらずよく分からない妖精であった。

 

「それで、こちらの帅哥(イケメン)は?」

 

 チルノに紹介されるとややこしくなりそうなので、せつらは早めに名乗った。

 

「はじめまして。秋せつらと言います」

「はじめまして、紅美鈴です。紅色の紅に、美しい鈴。当館に何か御用でしょうか」

「こちらにスカーレット氏がお住まいと聞きました」

 

 チルノが保護してきた外来人だと美鈴は判断していたのだが、そうでは無いと聞いて警戒レベルを上げた。

 素性を知っていてここにやって来るのは、ここの住民と友人か、敵対している者のどちらかだ。

 そして今はその友人達が近付けないように、大妖精に頼んで、軒並み迷わせるようにしている。

 それを無理に超えてきたとなれば、この辺りに転がっているバンパイア・ハンターの一味かもしれないのだ。

 そう考え、美鈴は攻撃的な気を発散させてみたが、美影身はまるで意に介している様子が無い。

 それどころかこの美しい若者は、起きたまま夢でも見ているかのように茫洋としている。

 

「あの」

「あ、はい、失礼しました。秋さんはレミリア大小姐(お嬢様)にお会いしたいと?」

「はい」

「失礼ですが――御用件は?」

「戸山住宅の長からの依頼でスカーレット氏を探しに」

「――戸山住宅?」

「〈新宿〉の団地です。現在は吸血鬼達が主な住人ですね」

「へぇ!」

 

 美鈴はそこで初めて関心を示した。

 

「外の世界に残った吸血鬼が、一部暮らしやすい地域に移住したと言う噂は聞いていましたが――長というのはどなたでしょう」

「それも含めてスカーレット氏にお話ししたいと思っています。取り次いで頂けますか」

「ふむ」

 

 美鈴はそこでチルノに目配せを行った。

 

「アキは別に危なくないと思うよ」

 

 氷精の言葉で決心がついたらしい。

 門を開けて、美しき客人を招く事になった。

 紅魔館の庭園――普段は噴水が水をふりまき、花壇の手入れされた瀟洒且つ華やかな庭なのだが、現在、ここは血と死体で館の名に相応しい地獄が形成されていた。

 しかし、その中にあってもせつらの美貌は褪せること無く、当人も氷精も平静を保っている。

 

「すみませんね、今はちょっと客人が多いもので」

「はぁ」

「私は門を長く離れられないので、案内はメイド長が務めます。最後までお世話をしたいのですが、申し訳ありません」

「おかまいなく」

 

 そんな会話をして館のドアを開けると、突然背後からナイフがせつらの首につきつけられた。

 否、突然どころでは無い。文字通りそこに一瞬でナイフと人が現れたのだ。これには黒衣の魔人も驚いたらしい。

 

「わお」

 

 いささか気の抜けた感嘆とともに、せつらが足を止めた。

 せつらの背後に現れたのは銀髪のメイドであった。

 刃物の鋭さをそのまま人の形にしたらこうなるのでは無いかという美人だ。

 

「咲夜さん。お客様です、あとはよろしく」

「こんな時にお客様? 彼の素性は?」

「あ」

 

 確かに美鈴は名前と用件しか聞いていない。咲夜と呼ばれたメイドは嘆息した。

 

「こいつはアキ・ラセツ。あたいの子分だよ」

「悪鬼羅刹?」

「秋せつら、だそうです」

 

 美鈴が訂正したが、惜しい。しかし彼の名の由来としては正しかった。

 バカや天才というのは、論理を無視して何故か正しい答えに辿り着いてしまう事がままある。

 だとすればチルノは紙一重でどちらかである可能性が高い。

 

「素性も知れない相手を通すとかどういう神経してるのかしらね」

「まあ、氷精さんの見立てでも大丈夫って判断でしたし」

「チルノが? ――ふーん、まあ良いでしょう」

 

 この氷精に対する妙な信頼度の高さはなんなのかとせつらは感じたが、今はとりあえず黙っていた。

 

「ところで、貴女は何人始末したの」

「今回門前まで来れたのは8人。6人は片付けましたが残りは通しちゃいました。すいません」

「私が片付けたのは2人だから――とりあえずは掃除完了ね。これで20人は始末したかしら。あと何人いるのやら」

「そもそも迷わずにここまで来れる奴らは何なんです?」

「パチュリー様曰く、ルーン・ガルドゥルとか言うおまじないだかお守りだかを使ってるらしいわ」

「北欧のおまじないですか――神話からバイキングまで結構広く長く使われてるからなあ、効果も保証済みか」

「じゃ、引き続き警戒よろしくね」

「あいあい」

 

 美鈴は雑に返事をしたが、ふと思い出したように咲夜へ注意を促した。

 

「あ、咲夜さん。彼の綺麗さに気をつけて」

「は?」

「彼を見ればわかる――いえ、魅了対策が済むまで彼を見ないようにしてください。バンパイアの魔眼にやられない為の手札、あるんでしょ?」

「まあ、ね」

「厳密にはバンパイアとは違いますが――絶対に無策で秋さんの顔を見ないように」

 

 そう言い残して、美鈴は門前へと引き返す。

 せつらは相変わらずナイフを突きつけられながら吞気な感想を述べた。

 

「お忙しい所すみません」

「いえ、これも仕事ですから。わたくしメイド長の十六夜と申します。秋様は何用でこちらに?」

 

 奇妙な応対であった。

 お客に背後からナイフをつきつけるメイド、それを意に介さず当然のように用件を告げる美しい若者。

 普通に見れば命のやり取りをしているようにしか見えないだろう。

 チルノは頭の後ろで手を組み、それをボーッと眺めている。

 

「僕は〈新宿〉の人捜し屋(マン・サーチャー)です。今、スカーレット氏を捜していました」

「〈新宿〉とやらは知りませんが、そんな仕事があるのですね。ですが現在、面倒事は勘弁して頂きたい所で――」

「そこをなんとか」

「なんとか!」

 

 チルノも一緒に頼んでくる。

 咲夜は少し考え、主の判断を仰ぐ事にした。

 

「分かりました。主人に問い合わせて参りますので、少々お待ちを」

 

 それだけ言うと、銀髪のメイドはその場から消失した。

 

「んー?」

 

 疑問符なのか寝言なのか分からないような声が出た。

 若者も出たり消えたりするメイドの謎は想像できないようであった。

 普通は応接室辺りへ通されるのだろうが、せつらは玄関に待たされていた。余程忙しいらしい。

 暇を持て余したのかチルノが話しかけてくる。

 

「アキ」

「はい」

「ロビーに変な熱源があるんだけど何だろうね」

「僕には何とも」

「そっか」

 

 言われて辺りを見回してみるが、特に異常は無い。

 しかしチルノの力は要所で見せられているので、勘違いと言うこともあるまいと、妖糸を放ってみた。

 すると、正面玄関の上部にあるステンドグラスの裏から、振動と息づかいを感じる。

 これは迷惑な客の方かと考えたが、もし館の住人ならマズいかな、と考え、ある作業を行った後、放置することにした。

 

 ◆

 

 バンパイア・ハンターの一味である男は、特殊な塗料を塗った衣服で、紅魔館の外壁に己の姿をカムフラージュさせ、窓から狙撃タイミングを図っていた。

 まともに相対すれば、この館の連中は誰一人仕留めることが出来そうに無い事が分かったからだ。

 特にあのメイドを何とかしないと、作戦行動は全てが容易く破綻する。

 あのメイドは突然現れ、突然ナイフを振りかざし、突然そこから消失する。

 幽霊でもそこまでの事は出来まい。まるで切り裂き魔(リッパー)のようだ、と死んだ仲間が言い残していた。

 そいつは今庭園で斬新なオブジェと化している。

 自分がああならない為には、あのメイドを始末するのが最優先だ。

 時間を停めているとしか思えない動きを繰り返すメイドだが、一度出現してしまえば通常の法則に準じるし、まさかオートで発動する能力でもあるまい。

 とにかく、次にアレが現れたら狙撃で確実に殺す。

 ハンターはそう思い、未だ息を潜めていた。

 伊達にハンターをやっている訳では無いから気配も殺せるし、装備も厳選してきた。

 客とやらがやって来たのは幸運だった。

 メイドが来客に対応している時を狙って、吸血鬼の前に、銀の弾丸をブチ込んでやる。

 

「お待たせ致しました」

 

 ついにその時が来た。

 メイドが姿を現し、客と向かい合って――しかも、何故か動きを止めている。

 ハンターは引き金を引き、必殺を確信する。

 ――が、次の瞬間そいつは即死した。

 メイドをぶち抜くはずの弾丸が、己の脳天を貫通する等とは、想像はおろか何が起きたのかも分からなかっただろう。

 銃口から糸が何本かガイドのように覗いていて、それがレールの役目を果たし、弾道を射手の脳天にねじ曲げたのだった。

 そいつはそのまま外壁から転落し、仲間と同じように庭園のオブジェの一員と化した。

 

 ◆

 

 銃声で咲夜の意識は戻ってきた。

 客の顔を見て動きを止めてしまうなど、メイド失格だ。

 しかも今の銃声はバンパイアハンターの物だろう。

 誰か、或いは己が撃たれたのかとも思ったが、誰も意に介していない。

 そして改めて美しい若者を見て、ゾッとした。

 彼だ。

 今、彼が何者かを殺害したのだ。

 理屈は分からないが、そうとしか思えなかった。

 人を殺すと言うのは相応に感情の動きがあるはずだが、それでいて尚、平然としている美貌には何の翳りも無かった。

()()が一番恐ろしい。

 人一人を殺しておきながら、今までと何ら変わりないその姿は、人が死ぬというのは青年にとっては取るに足らぬ事なのだと言う事を如実に語っている。

 

「なにか?」

 

 その本人は相も変わらず、春風駘蕩と言った雰囲気を崩さず疑念を呈した。

 

「い――いえ、失礼致しました。お嬢様がお会いになられます。こちらへ」

 

 咲夜は2階へせつらとチルノを誘導すると、ある一室の前で足を止める。

 ノックをすると、中から年端もいかぬ子供の声で「どうぞ」と告げられ、咲夜がドアを開けて入室を促した。

 部屋の中には執務机、数人掛けのソファが二脚、その間にローテーブルが配置されている。

 その片方のソファ――そこにいたのは確かに子供であった。――姿だけは。

 

「ようこそ紅魔館へ。外界の美しい人」

 

 声を聞いただけで、その首を差し出したくなるようなトーンだった。これなら吸血相手に困る事はあるまい。

 実際、せつらは無意識に足を踏み出しかけたが、自身に妖糸を巻き付け、痛みを堪える事で何とか踏みとどまった。

 彼女は外見こそ箱入りの幼い少女としか見えないが、キャリアで言えば、あの最悪の吸血鬼である『姫』が封印していた、カズィクル・ベイ将軍と同等の年月を生きた吸血鬼だ。

 基本的に長寿がイコールで力となる妖魔なのだから、当然、油断できる相手では無い。

 

「どうした? 掛けてくれ。座り心地は悪くないはずだ」

「あたいもいるぞ」

「むしろ何でお前がいるんだよ」

 

 チルノの言葉に、レミリアは少しだけくだけた調子でツッコミを入れた。

 

「アキはあたいの子分なんだから、お話が終わるまでは面倒を見るよ」

 

 レミリアは氷精を指差して、怪訝な表情でせつらに問いかけた。

 

「子分?」

「なりゆきで」

「――まあいいや。咲夜、コイツにお菓子出してやんなさい」

「かしこまりました」

 

 咲夜はやはりその場から消失し、チルノは無邪気に喜んだ。

 それを見て嘆息するレミリアだったが、せつらとの用件を済ませなければならない。

 

「それで、あなたがレミリア・スカーレット」

「その通り」

「早速で申し訳ないのですが、ミス・スカーレット。あなたに会って貰いたい人物がいます」

「いちおう話は聞いたが――探偵か、君は?」

人捜し屋(マン・サーチャー)です。秋と言います」

「余り聞いたことの無い商売だ。こう言っては失礼かもしれないが、食べていけるのかな?」

「なんとか」

 

 せつらのとぼけた返事に、レミリアは、声を殺して笑った。

 

「クッククク、すまない。外界にまだこんな面白い人間がいたのかと思うと、嬉しくってね」

「はぁ」

「それで、私を捜しているというのはどこの誰だ?」

「戸山住宅をご存知ですか?」

「外界で()()()()()吸血鬼がいると言う話は聞いてる」

「彼らの長が貴女に面会を求めています」

「何故私に? そもそもそいつは誰だ?」

「夜香と言う吸血鬼です」

「夜香。覚えがあるような、ないような」

 

 頭上にクエスチョンマークを浮かべていそうな雰囲気だったので、せつらは補足をした。

 

「かつてロンドンに留学していたと。戸山住宅の長老からまとめ役を引き継ぎました」

「ん、長老――中国系?」

「そうです」

「なるほど、あの爺様の孫か。ロンドンで黄色人種の吸血鬼は珍しかったから覚えてるけど、あの気取ったガキが長ねえ。爺様は元気? なぜ長を譲った?」

「亡くなりました」

 

 あっさりと告げたせつらに、レミリアはさすがに面食らう。

 言いにくそうな事をこうもあっさり言えるこの若者は、どこかおかしいのではないかと。

 

「我々吸血鬼は不死身がステイタスだぞ。冗談にしちゃ笑えない」

「特定の手順を踏めば殺せます」

「――お前か?」

「いえ」

「じゃあ、誰がやった」

「色々ありまして」

 

 その『色々』の内容を聞いているんだと、レミリアは突っ込まざるを得なかった。

 せつらも、面倒だなあと思いつつも、それを話さない事には納得してくれそうに無いのだから、喋るしか無い。

 かつて魔界都市で吸血鬼のパンデミックが起きた際のことを掻い摘まんで話した。

 長老は命を賭けて『姫』と刺し違えようとしたがその顔を再生できないように焼くに留まった。

 尤も、それがトドメを刺す際の決定打になったのだから、無駄死にでは無い。

 それを聞いて、レミリアはワナワナと震えはじめた。

 

「『姫』の話は私も美鈴から聞いたことがある。4000年近くを生きる吸血鬼が、安息の地を求めてフラフラしてたってな」

「へぇ」

 

 どちらかと言うと、支配できる土地を求めて世界征服だとかを求めていたのは、彼女に付き従う側近の一人だった。

『姫』自身は、楽しければどうでもよかったらしいが、それもレミリアは気にくわなかったようだ。

 

「なにが生を謳歌する、だ。所詮、奴がやった事は分不相応な力を持ったガキが傍若無人に暴れ回るのと同じだ」

「仰るとおりで」

 

 せつらは、ぱちぱちと拍手しながら同意した。

 

「ウチにも()()()()()()がいるからな。それが、それが――」

 

 そこまで言って、震えたまま顔を伏せた。

 一瞬、キレるかな、とせつらに緊張が走ったが、

 

「ぷっははは! だーはははは!」

 

 響き渡ったのは爆笑だった。

 それも良家のお嬢様がやってはいけない笑い方だ。

 内容を要約すると、“男にフラれて首を落とされるとかバカじゃねえの”と言う事らしい。

 

「顔を焼かれ、醜いと言われ、告白を断られて生きる気力を失う程度のメンタルじゃ、どの道どこかでのたれ死んでいたろうさ。咲夜だって私の誘いを断ってるが、私はそれならそれで、最後の瞬間まで咲夜との時間を共に生きてやるつもりだぞ」

「ご立派です」

 

 レミリアの言葉に、せつらは適当にお世辞を使った。

 こう言う話にはとりあえず賛同しておくに越したことは無いと、この若者は経験から学習している。

 傍に控えていた銀髪の少女は、とても悪魔の館のメイドには見えない幸せそうな笑顔をこぼし、一礼した。

 

「結局、『姫』とやらは単なるウスバカゲロウだった訳だ」

 

 そこまで言って、レミリアは紅茶を口にし、唇を湿らせてから仕切り直す。

 せつらは首をかしげた。

 

「で、戸山住宅とやらの話だが」

「はい」

「長老の死にはお悔やみ申し上げる。が、話がしたいならそちらが来い、と伝えてくれ」

「分かりました」

 

 〈新宿〉の魔人は、特に食い下がる事も無く席を立った。

 レミリアは慌ててそれを止める。

 

「ちょちょ、ちょっと」

「まだなにか」

「いや、仕事なんだろう? それで成立する物なのか」

「僕の仕事は探し出すまで。後は当人同士でお話ください。オプションで連れ帰るサービスもやっていますが、この依頼では請けていません」

「こんな所まで来ておいて、仕事熱心なのかそうでないのか分からない奴だ」

「失敬な」

 

 一応不満を述べるせつらだったが、どうも良いとこのお坊ちゃんみたいな雰囲気なので、欠片も迫力が無い。

 

「いや、それで良いというなら口を出すつもりは無いが、ミスター秋。今夜はどこに滞在するつもりだ?」

「とりあえず人里を目指そうかと」

「バカめ。既に日は落ちているぞ。こんな時間に出歩いたら、妖怪どもが大喜びでお前を襲いに来る」

「それが?」

「お前ならいくら襲われようが平気という気もするが、その顔じゃ寄ってくる奴も増えるだろう。里に着く頃には夜が明けてる」

「どうしろと?」

「泊めてやると言ってるんだ。外よりは安全だろう」

 

 せつらは少し考えて、頷いた。

 確かに、土地鑑も無いまま夜に出歩けば、本日三度目の迷子を体験してもおかしくなかった。

 レミリアとせつらが話している間、咲夜がふるまったケーキを食べ終えたチルノも、何故か宿泊を主張する。

 

「お前の家は近所だろうが」

 

 そうレミリアが言外に拒否すると、

 

「今ここは襲われてるんでしょ。あたいの力が必要じゃない?」

 

 と、何やら戦意を高揚させていた。

 

「付近の妖精や妖怪、人間に迷惑をかけない為に霧を濃くするよう頼んだんだがな」

「霧の湖はお前らだけが住んでるわけじゃ無いんだぞ。あたい達だってムカツク人間が来たらぶっ飛ばしてやりたいんだ。手伝うぜ!」

 

 このように熱血キャラみたいな事を言うので、吸血少女も渋々了承する。

 実際、実力に不足は無い。

 一部妖怪や人間はこの氷精を、オツムの程度はともかく、その勇気や強さには一目置いていた。

 チルノはスペルカードルールが成立して以来、常に誰かしらと決闘を行っていると言って良い。

 異変などの激戦が繰り広げられる時にも繰り返し顔を出し、着々と経験を蓄積しているのだ。

 加えて、フラワーマスターや地底の太陽との戦いを見るに、引き際まで心得ている。

 スペルカードのキャリアで言えば、ルールを考案した巫女や、毎回異変を解決しに行く魔女の次くらいには戦闘経験豊富であり、その経験が、チルノを一介の妖精から最強の氷精へと後押しするのに一役買っていた。

 しかも、相手が格上だろうが勝つ気で臨むし、負ければ悔しがる。

 その生き様は、他者から勝負を挑まれる事があまり無い、特に強力な妖怪達から好意的に受け止められていた。

 

「話は決まったね! 無理するなよお前ら!」

 

 何故か仕切りはじめた氷精に、ツッコミを入れる者は誰もいなかった。

 

「ふぁ、あーあ」

 

 せつらは、眠そうにあくびをしながらその様子を見ていた。

 

 ◆

 

 せつらとチルノを来客用の寝室に案内した後、咲夜が何かを言いたそうに戻ってきた。

 

「お嬢様」

「どうした」

「ウスバカゲロウは、ウスラバカの下郎では無く、カゲロウの一種です」

「え!?」




ひどゆき先生は色々な殺し方を見せてくれるけど、面白い殺し方を見せてくれると思う
キン肉王家の殺人技の数より殺しのバリエーションが多そう

レミリアは何でも出来る分、その器の大きさと可愛さとカリスマブレイク成分を同時に表現するのが難しい


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6話:本好きの魔嬢

 客室に案内されたせつらは、ベッドに腰掛けて一息吐く。お高めのホテルみたいだ、と思った。

 

「ここ数日はお客様が泊まる想定をしていなかったので、些か不便かもしれませんがご了承ください」

「どーも」

 

 去ろうとする咲夜は、思い出したように注意だか警告だか分からないような事を言った。

 

「それから、余り館内を動き回らない事をお勧めします。下手をしたらあなたでも死ぬかもしれません」

「はぁ」

「特に、金髪の少女を見かけた場合は逃げた方がよろしいかと」

 

 その注意を促した銀髪のメイドは、微妙に切羽詰まったような不安を塗り固めた表情だった。

 客室に落ち着いたせつらの所へ、来客があった。

 控えめなノックが鳴らされる。

 

「どうぞ」

 

 ガチャリと開いたドアの先には、奇妙な羽を背負った少女がいた。それも注意された金髪である。

 せつらは無言で天を仰いだ。その先には天井しか無かったが。

 このまま黙っているのも客としてまずかろうと、若者は視線を戻して尋ねた。

 

「何か御用でしょうか」

「あなたが秋さん?」

「ええ」

「私はフランドール・スカーレット。どうぞよろしく」

「おや」

 

 スカーレット姓は当然この館の持ち主の家族になる。

 若者はそれが気になったのか、レミリアとの関係を聞いてみた。

 

「スカーレット氏とはどう言ったご関係で?」

「血縁上は私の姉って事になるのでしょうね」

「なるほど」

 

 どうやら、客人がいると言う事も聞いていたらしい。

 だとするとこの少女は、明確にせつらが目的でこの部屋を訪ねたと言う事だ。

 

「話には聞いてたけど本当に綺麗。私と心中しない?」

「何故」

「あなたがあんまり綺麗だから、ずっと私の物にしておきたいなって」

「それで心中ですか?」

「お互いのことはお互いの思い出にのみ残り、それを知る者は時を経れば私達を忘却していく。あなたは正しく私の心にしか残らない」

 

 せつらは少し黙ってから、

 

「カウンセラーを紹介しましょう」

 

 とだけ言った。常識的だが、他に何も言えなかったのも確かだ。

 咲夜の言った通り、この娘は危険であった。

 ひとつ返答を間違えればそのまま殺し合いに発展しそうな雰囲気すらある。

 

「あなたに心配してもらえるのは光栄だけれど、結構。私はもう、こう言う吸血鬼に育っちゃったからね。今更改める気は無いの」

「左様で」

 

 姉は苦労していそうだな、と言う感想を彼は持ったが、フランドールが退室しないので、まだ警戒は解けなかった。

 彼女は相変わらず瞳に感情の読めない光を浮かべ、若者を見つめている。

 

「まだなにか」

 

 相変わらず他人などどうでも良いと言わんばかりの言葉に、フランドールが不満を漏らした。

 

「綺麗だけど()()()()()よね、あなた」

「は?」

「用が無いといちゃいけないの」

「寝るつもりなので」

「ホント、ひとでなしね。レディの気持ちがわかっちゃいないわ」

「はぁ」

 

 あまりにも無味乾燥な返答に、フランドールは一瞬手のひらをせつらに向かってかざそうとした――が、その手は握られたままだ。

 

「あれ? 指が開かない」

「手の疲労かも」

「ふーん。どうみてもあなたの仕業だけど」

 

 金髪の吸血鬼は、やや力の入った目線でせつらを威嚇するが、当人は相変わらず眠そうな表情でそれを見つめていた。

 

「きっと、休めば治ります」

「そうね。そう言うことにしておく」

 

 投げ遣りにそう言って、フランドールは若者の客室を退出した。

 手のひらの様子を確かめてみる。動く。

 何をされたのかと彼女は首をかしげたが、どうやら拳を拘束した千分の一ミクロンの妖糸には気付かなかったらしい。

 願いを断られたのは残念だが、彼の事を考えると頬が緩む。

 想像以上に美しい青年だったし、想像以上に()()()相手だ。

 フランドールは、こんな楽しい気分は久々と言った歩調で自室に戻って行った。

 

 ◆

 

 翌日の事だった。

 時刻は午前中だが、何故かレミリア達も起床している。

 朝食を一緒に、と言われたのでせつらは相伴に預かっていたが、ふとその事について尋ねてみた。

 

「きょうび、昼間に活動しない吸血鬼なんて時代遅れそのものだよ、ミスター秋。早寝早起き、快食快眠が最先端の吸血鬼なのさ」

「含蓄のあるお言葉で」

 

 昼間に出歩けるような強力な吸血鬼ならともかく、日の光を浴びたら即死するか人間以下まで能力の低下するような弱小吸血鬼は流行には乗れないんだなと、どうでも良い知識が得られた。

 そう言えばあの『姫』も、日中に、聖なるエネルギーと生命エネルギーが最大限に発揮される呪的陣形で、心臓に何発も杭を叩き込んだが、ダメージこそ与えたものの滅ぼすには足りなかったらしい。

 強力な吸血鬼と言うのはやはり丈夫、と言うかしぶといのだ。

 それこそ彼女が生きる気力を無くしていなければ、せつらも首を落とす事はできなかっただろう。

 

「ところでミスター、君に質問がある」

「なにか?」

「君の仕事は人捜しだと言っていたが、腕前は〈新宿〉一だそうだね」

「勿論です」

 

 せつらは心なしか胸を張った。

 

「昨日ウチにやって来た愚か者共は見たか?」

「いちおう」

「なら、一つ仕事を頼みたい。連中の親玉を捜してくれないか? いつまでも下らない連中がやって来るとなると、そちらにリソースを取られるし、館の運営もままならん」

「それはごもっともですが――何故僕に」

 

 この館の人材なら敵の捜索など楽勝だろう、と言う意味だ。

 

「それはその通りだが、残念ながらウチには余剰人員がいない。紅魔館の人材はトップが私、メイドが一人、門番が一人、魔女が一人、使い魔が一人、引きこもりが一人。その六名以外は全て妖精とゴブリンだ」

「妖精とゴブリンはダメですか」

「ダメって訳じゃ無いが、少なくとも戦いや捜し物に向いているとは言い難いね。頭の程度も――妖精はチルノと同レベルと言えばわかるだろ」

 

 その言葉には妙な説得力があった。チルノと言う名前だけで察せられるのも凄い。

 これはある種の信仰では無いのかと若者は首をひねったが、深くは考えないことにした。

 

「で、請けるか?」

「レートがどうも外と幻想郷では違うようなので」

「私達は外界のレートも把握してるつもりだが、いくらかかる」

「基本は一日三万円プラス必要経費です。オプションや、特殊な事情がある方、急ぎの方からは割り増し料金を取ってます」

「値段はそれなりだが、結局そちらの胸先三寸って事じゃないか。どうせ気に入らない相手には倍の料金を払わせたりするんだろう」

「さて」

 

 せつらは誤魔化したが、その想像は地味に的中していた。

 しかも、アコギと言われかねない料金を請求した事もある。

 相手に依頼をすること自体を諦めさせたかったり、或いは礼儀を知らない相手だったから、と言うのもあった。

 だとすると、今回は? 

 

「請けてくれるなら、そうだな――期間は三日程度で、見つからなくても構わない。解決が早いか遅いかの差でしか無いからね。現物での支払いになると思うが、一日で仕事を終えても三日分の料金は払うよ。それも全額前払いでね」

「うーむ」

 

 美しき魔人は腕組みをして沈思した。

 せつらは余りダブル・ブッキングだとかを気にしない方だ。片手間で別の依頼を片付けてしまう事も多い。

 しかし、〈新宿〉ならともかく、こちらで新たに依頼を請けることは想定していなかった。

 場所が場所だから、秋せんべい店(オフィス)でしか依頼を請けないとも言い難い。泊めて貰った事もある。

 この若者は、普段から利用できる物は利用してやれ、くらいのノリで活動しているが、かと言って恩知らずと言う訳では無い。

 

「わかりました。ですが幻想郷では勝手が違いますし、仕事の完遂は難しいかもしれません」

「ああ、それで結構。見つけたら美鈴か咲夜に伝えてくれればそれで仕事は完了って事にするよ。部屋は今の客室で良いか?」

「ええ。資料や手がかりなどは――」

「咲夜とウチの魔女にまとめさせたよ。後で案内させる」

「さすが」

 

 手際の良さを褒めた、せつらのお世辞にレミリアは鼻高々であった。普段は余り褒められ慣れていないらしい。

 ともあれ、それで話は終わりだ。

 食事が終わると、早速咲夜がどこからかせつらの隣に出現し、襲撃者の話を聞くことになった。

 

「連中の特徴はパチュリー様――図書館を占有しておられる魔女の方が分析していましたので、まずはそちらに」

「はぁ」

 

 咲夜はせつらを伴って館内を進むが、歩く毎にメイド妖精達が増えていく。

 誘蛾灯に群がる羽虫のように、せつらを一目見た妖精達が、そのままついて来てしまうのだ。

 咲夜はそれを何度か仕事に戻るよう諭したが、戻っていく妖精達はこの世の終わりのような顔をしており、果たしてこの後マトモな仕事になるのかと不安を覚えた。

 肝心の図書館に到着するとメイド妖精達の行進は止まったが、今度はレミリアの言っていた使い魔がしつこい。

 

「わー! わー! こんなカッコイイ男の人は久々! 今夜一晩、どうですか? 私、意外と尽くす女ですよ? 肌もあなた程じゃ無いですけどそこそこ綺麗だし、特にお口のテクには自信があって、いえ! 下の口の締まりだって――」

 

 話に聞くと『小』悪魔だそうだが、殆どナンパ男みたいな勢いであった。

 いや、ナンパ男と言うよりはもはや只の下品な人であったが、一応パチュリーの元までは咲夜と二人で案内してくれる。

 明らかに紅魔館の外観より大きい図書館にせつらは疑問を持ったが、そう言った事はメフィスト病院やヌーレンブルグ邸で慣れているので、特に言及はしなかった。

 しばらくして、図書館の奥まった所にレミリアの物と同じように、大きめの執務机が姿を表す。

 席には、なにやら服も髪も雰囲気もふわふわした少女が静かに本を見つめていた。

 

「パチュリー様」

「んん?」

「この騒ぎの首魁を探ってくれる方をお招きしました」

「昨日招かれたって人?」

「はい。こちら人捜し屋(マン・サーチャー )の、秋せつら様です」

 

 パチュリーは視線を上げ、せつらはその瞳に射竦められて黙礼を返した。

 彼女はふん、と鼻を鳴らして読書に戻ったが、数秒後、今度は目だけで無く顔を跳ね上げた。

 

「――っ、こいつはまた。悪魔の誘惑どころじゃないわね」

「パチュリー様は平気なんです?」

「こんなもん見て平気でいられる奴がこの世に存在する訳が無いでしょうよ。類い希なる、なんて言葉じゃ到底足りない美形ってのは初めて見たわ。この世に彼を表現できる単語が存在するかどうか」

「割と平気そうですが」

「私も魔女だから、悪魔に誘惑されないよう、それなりに手を打ってる。でも至近距離とか、耳元で囁かれるとか、真っ直ぐ見つめられて笑顔でも向けられたら、どうなる事やら。そこのバカ悪魔を見てみなさい」

 

 咲夜が小悪魔に目を向けると、彼女はせつら以外の物が目に入っていないようだった。

 顔を桜色に染めてもじもじしている姿はまるで恋する乙女だ。

 誘惑をする側の悪魔がそんなんで良いのかとも思ったが、悪魔だから欲望に忠実なのかもしれない。

 

「ま、それは良いとして――秋せつら」

「はい」

「協力してくれるの」

「先程、正式にスカーレット氏から依頼を請けました」

「なら結構。定期的に襲ってくるバカがいると、おちおち読書もできやしない」

「お察しします」

 

 せつらの適当な返答に、パチュリーは眉を歪めて不満そうな声をあげた。

 

「その割に心底どうでも良さそうね」

「まさか」

 

 口では否定するが、実際相手の事情など殆ど頓着していないのだから、パチュリーの見立ては慧眼と言えた。

 若者の態度があまり変化しない事に一つ嘆息すると、本題の説明に入る。

 

「話はどこまで聞いてる?」

「外界からバンパイア・ハンターの一団が押しかけてきたと」

「そう、本っ当しつこい連中でウンザリよ。魔女狩り連中も粘着気質だったけど、あいつらはそれ以上ね」

「はぁ」

「で、まあ幻想郷の管理者も何も言ってこないし、こちらで処分しようと考えたんだけど、一向に足取りが掴めない」

「魔女ですよね?」

 

 せつらが何の気なしに呟くと、紫色の魔女は憤慨した。

 

「あのね、魔女だからって何でもできる訳じゃ無いのよ。推測するにしろ、魔法で調べるにしろ、()()が無くっちゃ話にならない」

「知り合いの魔女はできた物で」

 

 若者は全く悪びれずに言った。

 

「何も無くても知りたい事が分かるって、その魔女、何者よ」

「ヌーレンブルグ」

「は?」

 

 さすがのパチュリーも呆気にとられた。

 まさか、現代で世界一と言われる魔女の名前が出て来るとは思わなかったに違いない。

 

「ヌーレンブルグって、魔法都市チェコで一番の魔女? ガレーン・ヌーレンブルグ?」

「残念ながら二番目の方です」

 

 パチュリーは得心がいったようだった。

 納得したのか、咲夜の入れた紅茶に口をつける。

 

「姉じゃなくて()()の方か。なら金次第でどんな無茶もやるかもね」

「アカシック・レコードから答えを読み取りました」

 

 魔女は紅茶を吹き出した。

 

(きたな)っ」

 

 若者に見とれていた小悪魔が正気に返る程度にはハデなリアクションだったらしい。

 魔女は咲夜に掃除を頼んで小悪魔をにらみつけた後、呆れたような口調で述懐した。

 

「無茶ったって程度がある。アカシック・レコードから情報を引き出すなんて、ヘタすりゃ精神が行方不明になって己が無くなり、運が良くて廃人、普通は頓死するわ」

「へぇ」

「チェコ第一、第二の称号は伊達じゃ無いって事か。さすが外に残ってるだけの事はある」

「第一の魔女は亡くなりました」

 

 せつらは何でも無いことのように告げた。が、わずかに声のトーンが低い。

 彼の中でも何か心の動きがあったに違いなかった。

 一方のパチュリーも、信じられない、と言う表情を向けている。

 

「――どうやったらあの妖怪ババアが死ぬのよ」

「吸血鬼の鬼気を受けてしまい、ダメージが抜けずに衰弱死、ですかね」

 

 パチュリーは一瞬絶句した後、神妙な声で悪態をついた。

 

「――ふん、勿体ない。美鈴がいれば治療できた物を。魔女らしい魔女は、これで外にはいなくなったも同然ね」

「チェコ第二の魔女はお嫌いですか?」

「金、金、金。魔女として恥ずかしくないのか、あれは?」

「仰るとおりで」

 

 せつらは先程までと違い、今度は感情を込めて同意する。

 彼もトンブ・ヌーレンブルグには思うところがあるらしかった。

 ただ太った女が苦手なだけかもしれないが。

 

「残念ながら、私は知識に基づいて確実な方法を探る魔女だからね。とりあえず、連中の持ち物や服装、人種程度しか分かってる事は無いのよ」

「一団と言うからには、どこかの組織でしょう」

 

 せつらの言葉に頷いた魔女は、人差し指をピッ、と立てて留意点を話す。

 

「まあね。それもかなり大規模、そして資金に余裕がある連中。バンパイアハンターってのは単独行動が多いから、普通はこんな大量に湧いて出て来る事は無い。何かでかいターゲットがいるとか、ハンターの元締めか影響のでかい誰かがそう言う命令を出したか」

「スカーレット氏は何か恨まれるような事でも?」

「逆よ。むしろ私達は目立たないように目立たないように生きてきた。今のご時世、外界で何かやったらすぐにハンターだの拝み屋だのが嗅ぎつけてやって来るでしょう。わざわざ幻想郷に居を移したって事は、もう外で生きるつもりは無いって宣言みたいなものよ」

「それは、まあ」

「だから、何か私達を討伐することで得があるのかもしれないけど、それは知った事じゃないわ。結局対応の仕方は変わらないし、つっかかって来るなら死んでもらう他無い」

「左様で」

「で、肝心の相手の情報についてだけど、書類にまとめといたわ。なにぶん分かってることが少ないけど、それが仕事だって言うなら期待はして良いのよね、人捜し屋(マン・サーチャー)さん」

「おまかせください」

 

 書類を受け取ったせつらはそう言って胸を叩いた。

 が、あまりにも茫洋としているので、他人からは頼りなく見えるし、これが〈新宿〉一の腕前とは誰も想像できないだろう。

 実際パチュリーと咲夜はそう思ったが、彼ならやる、と言う真逆の確信もあった。

 この美しい若者は、ただそこにいるだけで世界の王になれるかもしれない。

 ならば、この魔人が歩き回ったら、事態は解決してしまうのではないかと。

 一方で、不安もあった。

 彼がその美しさで幻想郷を歩いたとき、自分達は気付かない間に、敵味方関係なく墓の下にいるのではないか、と。




動かない大図書館って二つ名の割に結構動くパチュリー!
咲夜さんのクロスレビューで2点のパチュリー!
語呂の問題で魔女ではなく魔嬢なのがミソ(どうでもいい情報)
決してパチュリーが下克上をする訳では無い

もっとパチュリーに優しい二次創作があろうもん


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7話:いつもの闇景、よくある光景

 再び、せつらは咲夜の案内でレミリアと面会した。

 朝方からテラスでお茶とは、ますます吸血鬼らしからぬ生活習慣であった。起床したらしいチルノが、同席して食事を摂っている。

 ただ、大妖精の発生させた霧が濃いため、景色は白一色だ。

 歩いている内に資料の閲覧は済ませたので、それはバッグの中に仕舞ってあった。

 

「で、見つけられそう?」

「なんとか。調査はこれからですが」

「――もう捜す場所の検討がついたのか。ボーナスも一応考えてはいるが、仕事熱心なのは良いことだ。幻想郷は良い所だが、なにせのんびり屋が多すぎる」

「ははは」

 

 レミリアの言葉に、若者は愛想笑いをした。

 

「ところで、これが料金代わりだ」

 

 そう言ったレミリアがガーデンテーブルの上にハンカチを敷いて置いたのは、赤い宝石だった。ルビーと言う奴だ。

 それも、その名の通り深い赤色と言うか血の色のような石だった。

 

「ピジョンブラッド。小粒だがこれでも2~30万程度の価値はある。安くても10万前後はするだろうし、用は足りるだろう」

 

 せつらはハンカチの上に置かれたそれを手に取り、天に向けてかざした後、バッグの小物入れへ無造作に突っ込んだ。

 

「確かに受け取りました。領収書は要りますか?」

「精算が面倒だ。贈与って事にしとくさ」

 

 せつらは苦笑して片手をあげ、返事の代わりとした。

 食事を終えたのか、それを黙って見ていたチルノが声をあげる。

 

「あたいも欲しい」

 

 レミリアとせつらは、一瞬顔を見合わせた。

 生活費など必要なさそうな妖精に、報酬を要求された事に驚いたらしい。ましてチルノは金銭とかに無頓着な印象であった。

 ただ、事実は違う。

 むしろチルノは経済的な感覚を備えている方だ。

 祭りでも積極的に屋台を出しているし、時には人里で氷を作る商売をする事もあった。

 計算なども得意では無いが、お金はあった方が良い、と言う判断に到るのは経験のたまものだ。

 ――と見せかけて、せつらが貰っていたから自分も、と言うシンプルな推測が捨てきれないのもチルノがチルノたる所以である。

 どちらにせよ、チルノも報酬を欲しがった。これが全てだ。

 

「あたいも」

 

 黙して語らぬ二人に声が聞こえていないと思ったのか、再びチルノがそう言った。聞き間違えとかでは無いらしい。

 無責任極まる若者は対応をレミリアに投げた。

 

「ミス・スカーレット」

「どうしろっての」

 

 豚に真珠では無いが、妖精に価値のある物を与えてもムダとしか思えない。が、能動的にトラブルバスターを請け負う先日の心意気は評価したい。

 いかにも扱いに困った、と言う表情を浮かべたレミリアだったが、

 

「わかった、お前にはコレをやる」

 

 そう言って、懐から青い宝石を取り出して、チルノに持たせた。

 

「人魚が流した涙って触れ込みの宝石だ」

「すげえ! 綺麗!」

「この青さは私も気に入っていたんだがな。お前にこそ似合う石だろう」

「サンキュー、レミリア!」

 

 チルノはその石を手にしてくるくると踊った。

 そうしていると、やはり規格外とは言え、妖精らしい姿だ。

 せつらがこっそりと聞いた。

 

「良いんです?」

 

 至近距離で囁かれると、吸血鬼ですら一瞬意識が蕩けそうになるものの、見栄っ張りのレミリアは何でも無い事のように応対した。

 ある意味で鋼の精神力と言えるかもしれない。

 

「良いんだよ。どうせあれはアクアマリンのクズ石を集めて、錬金術で整形した人造の宝石って事らしい。価値なんかあるはずも無い」

「しかしあなたはそれを身に着けていた」

「言ったろ、青さが気に入ってたって。青と言うのは私達吸血鬼にとっては憧れの色なのさ」

 

 ずいぶんセンチな事を言うな、と言う感想を若者は持ったが、そこは言及せずに黙っていた。

 

「それじゃ、後は頼んだ。最強の妖精に、〈新宿〉一の人捜し屋(マン・サーチャー)くん」

 

 そう言い残して、レミリアはテラスから屋内へと姿を消した。

 せつらとチルノは、再び連れ立って紅魔館の門をくぐった。

 

「親分さんはどうします」

「悪者退治。アキもやるんでしょ」

「僕は捜すだけです」

「悪者捜しなんて、適当な誰かをイケニエにしてワルモノに仕立て上げれば簡単だって、()()とか()()とか()()が言ってた」

「付き合う相手は選びましょう」

「えー?」

 

 そんな事を言っていると、既に門前で勤務を始めていた美鈴が、ほがらかな挨拶をした。

 尤も、ここ数日の出来事で、門の周辺は地面が血に染まり黒く変色している為、その落差が恐ろしい。

 

「おはようございます。秋先生(さん)、これから仕事ですか」

「ええ」

「今の所()()()()は来ていませんが、警戒が続くのも面倒です。早く昼寝がしたいですよ」

「なんとかします」

 

 美鈴の緊張感の無い台詞に、若者はこれまた気楽に言い放った。

 いつも眠そうとしか見えない茫たる風情のせつらと、昼寝が趣味の門番は案外気が合うのかもしれなかった。

 

「で、調査の目処は立っているので?」

「一応、人里方面へ向かってみようかと」

「あんな所に見慣れない集団が現れたら目立つと思いますが――なにか気になる事でも」

「資料には、()()()と記されていました。では、幻想郷に来た人間が、最初に目指すべき所はどこでしょう」

「そりゃ、人里でしょうけど――咲夜さんは買い出しなどで里には出入りしていますし、私もたまに里へ出る事があります。そんなあからさまに外来人でござい、って連中を見落とす物ですかね?」

「これは〈新宿〉の話ですが、生粋の〈区民〉と、〈区外〉から来た人間では、空気や雰囲気など、染みついた物が違います。元々、外の人だった十六夜さんは――いえ、あなた達は、連中が幻想郷の人間に擬態を行った場合、判断する術が無いのでは、と」

 

 美鈴はなるほど、と頷いた。

 自分達はもはや完全に幻想郷の民として溶け込んでいるし、住民もそう思っているだろうが、話題性や唐突なバカ騒ぎ、文化的には未だ台風の目であると言う自覚があった。

 こちらから幻想郷に対して何かをアプローチするのは慣れていても、幻想郷側の文化を積極的に摂取しているとは言い難い。

 せいぜいが決闘ルール、食事くらいか。

 

「しかし、秋先生(さん)も条件は一緒に見えますが」

「仕事なので」

 

 それはそうだろう、と美鈴はせつらに懐疑的な視線を向けたが、結局彼を見ていると、何とかなりそうな気がしてしまう。

 その春風駘蕩を体現したような落ち着き――否、のんびりした雰囲気が不安を払拭してしまうのだろうかと、美鈴は首をひねった。

 

「それでは」

 

 せつらはそれだけを言い残し、チルノを伴ってさっさと歩き出した。

 あの若者の前では、多少なりとも気合を入れてかからねばマトモに顔を見る事すら困難だというのに、あの氷精は平然と行動を共にしている。

 美鈴はアレを大物か大馬鹿のどちらかだと断定していたが、どちらかではなく、()()では無いのかと新たな疑いを生じさせる事になった。

 

 ◆

 

 来る時は迷う羽目になったが、出る時はすぐだった。

 まあ、妖精の物に限らず、迷路など大抵そんなものだ。

 

「こっちが人里だよ」

「助かります」

 

 せつらはチルノの案内で再び農道だか畦道だかを歩く事になった。

 外見上はやはり、のどかと言うか古き良き日本を思い出させる行程だったが、この地には妖怪が跋扈している。

 子供と優男の二人組など、あっという間に食われてしまいかねないが、この二人にそんな事は有り得なかった。

 妖精はチルノとの実力差を自覚していたし、大抵の妖怪はせつらが歩く姿を見ただけで自失し、襲いかかる事すら忘れてその姿に見入った。

 

「おや」

 

 せつらは不思議そうな声をあげた。自分達と反対の方向から黒い球体がやって来ている。

 妖糸を送り込んで見ると、それ自体に実態は無いようだが、その中には人型の何かの手応えがあった。

 

「あ、ルーミア」

「お知り合いで?」

「あたいと同じで色々な所に居んの」

「妖精?」

「妖怪」

 

 そんな会話をしていると、その闇とすれ違う時に声をかけられた。

 

「私に何かを巻き付けたのはだあれ?」

 

 まさか声をかけられるとは思わなかったせつらが応答する。

 

「僕です」

「気になるから外してくれない」

「失敬」

 

 若者が糸を引っこめると、黒い塊は再び先へと進んで行った。

 

「目が悪くなる」

「ルーミアの事? どうせ見えてないから一緒だよ。いつもの事、いつもの事」

 

 それを聞いて、自身も見えていないのかと呆れた若者だったが、だから触覚が敏感だったのだ、と納得した。

 千分の一ミクロンの糸は、糸をかけられたと言う感触すら捉えられないのが普通だからだ。

 それに、ずいぶん余裕のある妖怪だった。どこかの大物だろうかと思ったものの、今の所はお互いに通りすがっただけなので、それを知っても仕方が無い。

 若者と氷精は、再び畦道を歩き出した。

 しばらくして、ようやく里とそれ以外を隔てる門が見えて来る。

 大きいな、と言う感想を若者は抱いた。門から横に伸びる防壁はどこまで続いているのか先が見えない。

 人里、と言う言葉からは少数人口の村落しか想像できなかったが、せつらから観る限り、これは一つの小都市だった。

 勿論30万人前後が暮らす魔界都市〈新宿〉に比べれば規模は小さいだろうが、それでも一万や二万の人口では足りないかもしれない。

 

「――幻想都市は語呂が悪いか」

 

 そんな毒にも薬にもならない事を口にして、せつらはチルノの後をついて行く。

 門には門番だか見張りだかがいるものの、黒ずくめの青年と有名な妖精、と言う珍妙なコンビを誰何する事も無く、あっさり中に通してもらえる。

 もっとも、彼ら彼女らはせつらを目にした時点で見張り番の職務など忘却の彼方であろうが。

 

「アキはあいつらが気になるの?」

「ええ」

「何もしなきゃ何も言われないよ」

 

 チルノは当たり前の事を言った。

 

「妖怪も?」

「うん。里で危ない事したら袋叩きに合うだけだもん。中立地帯だから、お互い悪さしたり争っちゃいけないんだって」

「へぇ」

 

 ルール作りと遵守が徹底されているな、とせつらは感心した。

 

「もう凄いよ。前後左右全部から妖怪退治できる人とそうでない人と妖怪が集まってきてさ、もうボッコボコにされんの」

 

 どうやらチルノ自身がやらかした経験談らしい。

 しかも妖怪退治できる人とできない人全てと言うのは、要するに、そこら辺をうろついている者全員ではなかろうか。

 魔界都市でも、犯罪者が警察と一般市民の両方からタコ殴りに合う姿を見かける事があるが、それに近いようだ。

 正当防衛がどうとかはあるが、〈新宿〉の場合は害意があると判断した時点で防衛――()()()()をしても問題が無い。

 それが幻想郷では、自分が仲間だと疑われるのが嫌なのか、はたまた軽挙妄動への制裁か、妖怪まで参加しているらしい。

 

「文も通りかかった時は一緒に蹴ってるよ」

()()?」

「ブン屋の文。アイツはネタ探しとかで飛び回ってるしね。よくその辺にいるんだ」

「はぁ」

 

 道端の昆虫みたいな扱いを受けている()()とやらに興味は無いらしく、せつらは適当な返事をした。

 

「あ、ちょうどやってるね」

 

 チルノが指差した方を見ると、何やらケンカ沙汰――と言うよりも一方的な折檻を受ける何者かが、大通りに面した飲食店から蹴り出されていた。

 

「妖怪の分際でセコいマネしやがって!」

「イマドキ、飯にゴキブリが入ってたなんて騒ぐ阿呆がいるか、この野郎」

「お前みたいなのがいるから私達みたいな妖怪は里に来にくいんだよ!」

 

 その妖怪とやらは種族も知れぬ人型だったが、周りの人や妖魔は殴る蹴るは勿論、錫杖でブッ叩くわ、囲んで念仏を唱えるわ、妖気の弾丸でハチの巣にするわ、好き放題であった。

 

「ゆ、許し」

「うるせぇ! 里で妖怪が悪さしたらこうなるんだ新米!」

 

 許しを請う暇も無く、ベタベタと護符だか御札だかが貼られ、そいつは身動きがとれなくなる。

 人間はともかく、本来同じ立場である、退治される側の妖怪までが自分に襲いかかるって来るとは、彼も思わなかっただろう。

 そいつは行動を封じられたまま、里の門へ向かって連行された。そのまま外へ叩き出されるに違いない。

 

「過激だ」

 

 魔界都市でも似たような物だが、此処もそうだとは思わなかったせつらは、妙な郷愁を感じた。

 

「よくある事だよ」

 

 チルノの言葉に、若者は曖昧に頷く。そこにどんな感情があるのかは分からない。

 

「で、これからアキはどうやって敵を捜すの」

「わからない」

「どーゆーこと?」

「とりあえず来てみれば何とかなるかもしれないと思って来ましたが――思っていたより人が多い、と言うより人里の規模が大きい」

「ダメダメじゃん」

「面目ない」

 

 美しき青年は、珍しく殊勝な雰囲気で頭を掻いた。傍目には殆ど変化が無いように見えるが、彼なりに反省でもしているのだろうか。

 さてどうするか、と二人は足を止めることになった。

 これが〈新宿〉なら、太った情報屋に適宜連絡を入れて、その情報を指針に動くところだが――。

 

「太っ――里の事情に詳しい人に心当たりは?」

 

 外谷の事を考えていた若者は、危うく人里の()()の存在を問うところだった。

 太った人間と言うだけならいくらでも見つかる。

 

「うーん、そう言うのあんまり興味なかったし」

「ですか」

「だからあたいの知り合いだと、知ってそうだなって思えるのはスキマか()()()かな。()()も細かい事に興味なさそう」

「スキマは八雲さんとして、けーねさんと言うのは」

「寺子屋で訓導やってる妖怪――いや、人間、でもないし――妖怪人間?」

 

 若者は数秒間その言葉について悩んだ後、ああ、と閃いて手を打った。

 

「ハーフ?」

「半妖ってのはそうだけど、ちょっと違うカンジ。人間と妖怪の()()()()とかじゃなくて、人間で妖怪なんだよ」

 

 チルノの言葉は分かりづらい事この上ないが、的確であった。やはりこの氷精は只者では無い。

 せつらは「人間で妖怪」とオウム返しの生返事をして、考えるのを一旦止めた。

 情報屋すら頼れない今は、とにかく足で稼ぐしか無い。

 

「で、そのけーねさんの勤める寺子屋はどちらに」

「あっちの方だよ」

 

 この氷精は何でも知っているな、と感心しつつ、せつらは改めてチルノに追従した。

 彼女の行動範囲は殆ど幻想郷全土に及ぶため、その顔の広さが偲ばれる。ツテが無いのは冥界と天界くらいしか無さそうだ。

 

「交通機関は無いか」

 

 人里に着けば少しは一息つけるかと思っていたが、結局は徒歩だ。

 昨日から歩きづめでウンザリしてきたが、この地には高層ビルやタワー等も無いため、高所に糸を巻き付け、振り子のように飛翔すると言う手段も使えない。

 

「あたいが抱えて飛んであげよっか」

「できますか」

「無理かも」

 

 じゃあ何故提案したのか、とせつらは思ったが、チルノは体格差を今この瞬間に初めて意識したらしいと言うことが見て取れた。

 

「里の人はどうやって移動を?」

「歩き、自転車、それに人力車、牛車だね」

「へぇ」

 

 せつらは唸った。印象としては中世から近世までの日本だが、この地では現役らしい。

 馬はどうした、と思わなくは無いが、捜してみればあるのかもしれない。

 せつらはさっそく、人を乗せる為にむき出しの座席と車輪をくっつけたような車を大通りで見つけ、傍で煙草の煙をくゆらせながら休憩をしているらしい馬丁、もとい牛方をつかまえた。

 座席は箱型では無いらしく、観光地のそれに近い造りだ。

 タクシーのようにすぐに連絡がつかないのは不便だが、歩きよりはマシと、若者は妥協した。

 休んでいた牛方の男は声を掛けると一瞬迷惑そうな顔をするが、若者の顔を見ると一瞬でそれが喜色に変化する。

 彼の美しさは性差すらも超越し、それを目にした人間をいとも容易く虜にしてしまう。

 

「どちらまで?」

 

 いかにも男らしい太い声だが、猫なで声だ。頬も赤く染まっていて、初恋を覚えた少年の如き様相であった。

 チルノはそれを見ておえ、と舌を突き出した。

 

「あっちの方にある寺子屋まで」

 

 一方せつらは、チルノが示した方角を指さして、適当極まりない目的地を告げる。

 

「綺麗な兄ちゃん、妖精も乗せるのかい?」

「ダメですか」

「いや、アンタが良いなら良いんだが――とにかく乗ってくれ。あんたみたいな男前を乗せりゃあ、俺の仕事にも箔がつく」

「はぁ」

 

 せつらの気のない返答を、利用するかしないかを迷っていると判断したのか、牛方の男は焦り気味に告げた。

 

「なあ、乗ってくれるなら料金はタダでも良いよ。ついでにお茶でも付き合ってくれりゃあ一生の思い出にもなる」

「遠慮します」

「そんな事言わねえでよ、頼む。乗れ。乗りやがれ」

「アキ、このおっちゃん気持ち悪いよ」

「んだと、この妖精のガキが」

 

 チルノが端的な拒否感を口にする。

 それはせつらも同感だったが、別の交通手段を捜すのも面倒な話だった。

 

「一体何のつもりで連れてるのか知らないがね、そいつは妖精の中でも指折りで危険な奴だよ。自警団を呼んで引き取ってもらった方が――」

「大きなお世話」

 

 そう言って若者が指を僅かに曲げると、男の口が強制的に閉ざされる。

 そのまま彼は何かに操られるかのような、不自然な動きで御者台へ向かった。

 せつらはチルノを伴って座席へ腰かけ、肩を揉んで一息吐く。

 疲れ果てた老人のような仕草だったが、それもこの若者がやるとサマになっているから不思議だ。

 

「このおっちゃん急におとなしくなったね」

「親分さんはこれに乗るのは嫌では無いんです?」

「座れるのは楽じゃん」

「それは、まあ」

「あとさ、アキと一緒に歩いてると、周りの奴があたいを憎しみの目で見んだよね。なら歩くよりはコイツに乗ってる方が良いかな」

「はは」

 

 やはりこの妖精は侮れない。

 単純な思考ではあるが、えらく論理的な帰結だった。

 牛車と言うくらいだから、文字通りの牛歩かとも思えるが、人の足で歩くよりは断然早い。

 牛車はチルノが示した方角へと進み始める。

 

「寺子屋は里にいくつあります」

「結構あるみたいだけど、あたいはけーねの働いてる所しか知らない」

「有名?」

「どっちかって言うと、けーねの方がね。あ、そこの辻を右、いや、左――右ってどっちの手だっけ」

「こっちです」

 

 若者は右手を軽く上げて答えた。

 じゃあ右だ、とチルノが確信したようなので、牛方の御者も()()()()()()()()()()進路を変える。

 里の中心にまだ遠いこの辺りでは、空き地や広い土地も多々あるようだった。

 その閑散とした地域の一部に、目的地の寺子屋がある。

 規模としては余り大きくない。竹の柵に囲まれた平屋で、縁側に面した広めの床張りの部屋があり、座布団と文机が10人分ばかり置かれていた。

 若者と氷精が牛車を降りて料金を払うと、牛方の男はぎくしゃくとした動きで進路を変え、再び大通りの方へ戻っていく。

 まだ生徒は登校していないらしく、教師か用務員か管理人かは分からないが、和装の老紳士が玄関前を掃き清めている。

 

「あのう」

 

 せつらが声をかけると、その老人はたちまち自失した。

 呆然とした表情を見せた後、絞り出すような声で尋ねる。

 

「これは――お迎えか? あんた、死神かね?」

「いえ」

「そうか。死神は美人だと言うし、あんたに看取られるならそれも有りだとは思ったが――残念だ」

 

 それを聞いたチルノが注釈を入れた。

 

「死神はおっぱいがでかいだけだよ」

「それはそれで有りだがね」

「けーねはまだ来てないの?」

「今、来たところみたいだよ、ほら」

 

 老紳士はせつら達の背後を指差した。

 確かに、手提げのバッグを肩に掛けて、おかしなデザインの帽子をかぶった青みがかった銀髪の女がこちらへやって来る。

 身長は余り高くないが、バストとヒップが強烈な主張をしているキャリアウーマン風の女性だ。

 彼女は玄関前で話をしている一同を、否、せつらを見て立ちすくみ、バッグを取り落とした。

 浮かんでいた表情は、恍惚のそれでは無く、恐怖をみなぎらせたような顔だった。




闇に隠れて生きる(ルーミア)
俺たちゃ妖怪人間なのさ(慧音)


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8話:史跡探訪

 最初に黒ずくめの青年が目に入った時、上白沢慧音がまず感じたのは、目がくらむほどの美に対する憧憬――或いは放心だったかもしれないが、妖怪としての本能が待ったをかけた。

 この若者は普通では無い。

 その美しさもそうだが、警告を発する本能に従って彼の歴史を探ろうとすると、なにかおかしい。

 ――彼の他に彼がいる。

 それも二人だ。彼は確かに一人しかいないのに。

 一瞬これは何だと困惑し、さらに奥深くまで探ろうとすると、恐ろしい鬼気が吹き付けた。

 死神でもここまで死と言う物を感じさせる事はあるまい、という位に濃厚な気配だった。

 恐怖でバッグを取り落とした慧音に、()()()()()()が声をかける。

 

「私を測るか?」

 

 その一言で空気が、否、世界全てが凝結したような寒気を慧音は感じた。

 チルノですらも困惑した表情で先程までせつらだった、別のせつらを見つめている。

 

「誰だオマエ」

 

 目の前にいるのは秋せつらだ。しかし今までのせつらではない。

 別の秋せつらに対して、氷精は月へ乗り込んだ霧雨魔理沙のような口調で尋ねた。

 

「どう見える――私が?」

「アキだけどアキとは違うアキだね。まあ同じだけど」

 

 真理であった。突如別人に変貌しても、せつらはせつらだろうと言う事だ。

 それを聞くと、『僕』ではなく『私』と名乗るせつらは僅かに頷いて、チルノから慧音の方へ向き直った。

 

「あなたはどうする」

「どう、とは」

 

 慧音の声はかすれていた。

 

「世の中には知らない方が良い事もある」

「しかしあなた達のうち、さらにもう一人は――」

 

 そこまで口にした時、慧音は死を意識した。

 彼の言うとおりだ。ヤブをつついて蛇どころでは無い。

『私』は普段の『僕』よりも苛烈な人間であり、さらに『三番目』のせつらは魔界都市も滅ぼしかねない、あのドクター・メフィストですら手出しができないような恐ろしい存在であった。

 そんなのに言及しようとしていたのだ、慧音は。

 

「い――いや、すまなかった。こんな綺麗な人間は見た事がなかったから。悪戯に他人のプライバシーを探るつもりは無いんだ。ただ、確認せずにはおれなかった、それだけの話で。君が嫌だというなら、もう二度としない」

 

 幻想郷で何年生きたかも分からないが、慧音は生まれて初めて命乞いのような事を口にした。

 彼の返事はと言うと――

 

「そうですか」

「――!?」

 

 終息は唐突に訪れた。

 先程の恐ろしい気配はいつの間にか消え失せ、目の前の魔人は、春眠から目覚めたばかりのような、美しくのんびりとした雰囲気に戻っていた。

 死神は去ったのだ。

 緊張で硬直していた老紳士が言葉をかける。

 

「上白沢先生、あんたのお客さんだよ」

 

 慧音は自身が助かったと言う事を自覚すると、大きく息を吐いてから用件を問いただした。

 先程の恐怖が尾を引いているのか、言葉はやや怪しかったが。

 

「あ、挨拶が遅れて失礼しました。私はこの寺子屋で教師を勤めている上白沢慧音です。御用はなんでしょう」

「僕は秋と言います。人を探しているのですが、最近里におかしな集団が現れませんでしたか」

「おかしな集団?」

 

 オウム返しに慧音が問うと、吸血鬼を狙うハンターが、大人数で外界からやって来ていると説明をされる。

 

「もしくは、最近やってきた外来人と言う条件で該当する人はいないか、それが知りたいのです」

「と言われてもですね――そも、この人里には正体不明の人間や妖怪がいつの間にか住み着いていたと言うのは珍しくないのですよ」

「戸籍とかそう言うのは」

「あるにはありますが、アテにはなりません」

 

 何故、とせつらが問いかける前に、慧音は答えを予測していたかの如く、淀みの無い回答を行う。

 

「里には妖怪が人間の振りをして住んでいる事もありますし、そのものズバリ妖怪も潜んでいます。彼らは自身の露出や正体を探られることを嫌がりますから、里の人間でも把握していない何者かと言うのは、殊の外多い」

「ヒトの出入りはいちいち記録していないし、気にも留めていない、それが住人の感覚だ、と?」

「そういう事になります」

「でもけーねなら、そう言うのも調べられるんじゃないのー?」

 

 横から口を出してきた氷精に、慧音は眉をしかめ、静かにしていなさいと親のような事を言った。

 せつらがその言葉を看過するはずが無い。

 

「よろしければ、調べていただけますか」

 

 遠慮も何も無いお願いだった。

 

「調べて何をしようと? それこそプライバシーがどうのと言う話になります」

「仕事です」

 

 端的だが説明不足も甚だしい言葉に、慧音は問いを重ねた。

 

「――仕事。失礼ですが、ご職業は」

「せんべい屋の経営ですが」

「せんべい屋が、何故そんな事を」

 

 当然の疑問に、せつらは揉み手をしながら、

 

「副業で」

 

 と弁解した。

 先程恐ろしい鬼気を発していたとは思えない、良家の若旦那みたいな態度に慧音は困惑しながらも、せつらへ探るような質問をぶつけた。

 

「その――おかしな連中がいたとして、どうするおつもりで?」

「依頼主に伝えます」

 

 それだけ言ってせつらは言葉を打ち切った。

 驚いたのは慧音だ。

 てっきり八つ裂きにするとか皆殺しにするとか、血生臭い話かと構えていたのだ。

 

「なんと言うか――変わった仕事ですね」

「はぁ」

「チルノ、そのハンターと言うのはどういう連中だ?」

「わかんないけど、レミリアが迷惑してるってんならあたいが退治してやろうと思って」

 

 慧音は氷精の反応を見て、協力を決めた。

 基本正義漢なのだ、慧音は。チルノが悪戯好きであっても、熱い心を持った妖精でもある、その点を彼女は信用していた。

 そして現在は比較的穏当に暮らしているレミリアが『迷惑』と判断した連中となると、普通に暮らす人々にとっては有害ですらある、と判じたらしい。

 

「――わかりました、と言いたい所ですが、私はこれから授業があります。幸い今日は半ドンですので、午後にまた来て頂けますか。なんと言うか、その――あなたがいると、とても授業になりそうもありません」

「わかりました」

 

 若者は大した逡巡も無く返答し、氷精を伴って、来た道を戻り始めた。

 余りにもあっさりとした彼の行動に、慧音は自分が夢でも見ていたのでは無いかと頬をつねってみたが、そこに残ったのは赤い痕と痛みだけであった。

 

 ◆

 

 せつらは、チルノを伴って昼食をとる事にした。

 テレビゲームなどの酒場で情報を集めるのは定番だが、食事処や盛り場で人の噂が広く集まるというのは現実でも同じだから、と言うことらしい。

 

「食べたい物はありますか?」

 

 若者がなにげなく氷精に問うと、はたして、

 

「熱くて冷たいモノ」

 

 と言う返答があった。

 コイツは何を言っているんだ、と言う感情があったかどうかは分からないが、せつらは真剣に悩む。

 なぞなぞみたいな要望なら、こちらもそれっぽい答えで良いだろうと、麺をゆでるときは熱いが料理は冷たい、と言うことで、季節問わず冷やし中華を出している店を選んだ。

 

「いらっしゃ――」

 

 お団子ヘアにチャイナドレス、いかにも本物の中華を提供していますみたいな店主が、せつらを見て押し黙った。

 それでも美しき来客に見惚れそうになったか、厨房を出て後ろ向きに近付いてくる。

 店主はせつらの前に来て――背中を向けたままだが――ひとこと、出て行け、と告げた。

 

「一見お断り?」

「違うね」

 

 店主の声には拒否感がにじみ出ている。

 

「数日前にも綺麗な客が来たね」

「へぇ」

「おかげで今ウチは人手不足。ウェイトレスは皆ボーッとして使い物にならない。ウェイターは注文を間違えるし、コックは砂糖と塩の区別もつかなくなった。私の旦那も一日中虚空を見つめて過ごしてる」

 

 せつらは無言でチルノと視線を交わした。

 

「被害にあってない従業員までそうなったらたまらない。出てけ、第2の疫病神」

 

 そう言えば〈新宿〉でも似たようなことがあったなと思いつつ、若者は氷精と共にその中華料理店を辞した。

 しかし、ここ幻想郷には、せつらに匹敵する美貌を持つ白い医師は来ていない。

 ――いるのだ。幻想郷にも、〈新宿〉の魔人に劣らぬ美しさを持つ者が。

 ただ、現在のせつらの仕事とは関係が無いため、その事は心に留めつつ、他の店を探した。

 結局二人が選んだのは何の変哲も無いそば屋で、赤い髪の給仕がせつらを見て腰を抜かしたりという一幕はあったが他に問題は無く、日替わり定食をたいらげた後、再び慧音の寺子屋を訪れた。

 子供達がきゃあきゃあと元気よく帰宅の途を辿っている。

 見送りに出ていた慧音は、せつらとチルノを中へと案内しながら言った。

 

「秋さん、準備はできてます。さっそく始めますか?」

「始める?」

「その、私はワーハクタクでして、その能力で不審なモノを探してみようかと」

「はぁ」

 

 職員用の部屋に通されたせつらが問うと、慧音はその疑問符にきちんと解説を入れた。

 あまり公言する事でも無いが、いかにも実直な彼女らしくもある。

 若者は奇妙な種族の半人半妖と聞いても、いつも通りだ。

 慧音はその辺が気になったらしい。

 

「あまり驚かれないようで」

「知り合いに、人からパンサーに変身できる用心棒(バンサー)がいるもので」

「パンサーがバンサーですか」

「ええ」

 

 人が獣に変身する程度の事、〈新宿〉ではありふれた光景だと、黒衣の魔人は言外にそう語っている。

 それを聞いて白沢の半人は諦念したたる微笑をこぼした。

 

「私は半分妖怪である事に少し負い目を持っていましたが、〈新宿〉とやらであれば、何も気にせず暮らせそうですね」

 

 自嘲気味のそんなセリフに、せつらが何でもない事のように言葉をつけ加える。

 

「〈新宿〉のゲートはいつでも誰にでも開いていますが、おやめになった方が良い」

「ほう、何故です?」

「ここに通う子供達は、皆笑っていました。あなたには向いていない」

 

 慧音は、それが自分を元気づける言葉だと気付き、今度は女性らしい本心からの笑顔を見せた。

 だが、せつらはその感慨をぶち壊すように続きを促す。

 

「で、どうやって?」

 

 これが普通の男性なら女性に対する気遣いが足りないと総ツッコミを受けるところだが、慧音を慰めたかったのか、気まぐれにフォローをしたのか、それすらも曖昧。

 これこそが、秋せつらが秋せつらたる所以であった。

 慧音は続きを促され、頬を桜色に染めつつ説明を再開した。

 

「私は不完全とは言え、白沢の知を活用できます」

「時の皇帝に知を授けた力の一端、と言うことですか?」

「仰るとおりです。知や歴史を能力として引き出し、活用することができる。例えば――」

 

 言葉を切ると、慧音の手の中に古風な()()()が生み出される。

 

「これは三種の神器のひとつです」

「ヤマタノオロチから出た?」

「ええ、もちろん実物ではありませんが、歴史から引き出した、まがい物の本物、と言うことになります」

「まがい物の本物」

「今ここで作り出したまがい物ではありますが、これは真実歴史の中に存在した本物であるのです」

「それと住人の把握をする事に、なにか関係が?」

「失礼、私の話は長くて分かりにくいとよく言われるのですが――つまり、この人里の歴史も、同じように知として引き出すことが可能になります」

「へぇ」

 

 普通ならこれが人間に可能な事かと、彼女に畏怖を覚えても仕方ないだろうが、せつらの反応はあくまで淡白であった。否、淡白どころか無関心とすら言える。

 しかし慧音はその薄いリアクションを見て、この若者は本当に半人だとか半妖だとかを気にしていないのだなと、逆に感心したようだった。

 ともあれ、せつらは普段通りに情報料を提示した。

 慌てたのは慧音だ。

 

「い、いやいや! お金など結構です」

 

 元々が善意で協力を引き受けたのだ。

 どこまでもこの教師は生真面目であった。

 

「見つかるとも限らないわけですから。里にそのハンターとやらがいなければ、秋さんが損ではないですか」

「経費で落ちますので。スカーレット氏も承認済みです」

「しかし」

「ではこうしましょう。上白沢さんの協力をスカーレット氏に伝えておきますので、彼女がそれを価値のある事だったと判断した時は紅魔館から情報料を届けさせます。重ねて言いますが、経費なので僕に損失はありません」

 

 自分は払わないのだから後は知ったこっちゃねーと言う態度であった。

 この美しい若者が支払いにこだわるのは、幻想郷における情報の希少さを痛感したからと言うのと、貸し借りを作りたくない為であった。

 借りになれば今後似たような事を頼みづらいし、貸しになれば相手は萎縮して能力を十全に発揮できなくなるかもしれない、と言う懸念からだ。

 知り合いも情報屋もいない幻想郷でそれを得る手段は死活問題なのである。

 せつらが引き下がる様子を見せなかったので、慧音は仕方なくそこを落としどころとした。

 

「――わかりました。紅魔館から何か支払われた場合、それは受け取る事にします」

「はい。ひとつ、よろしく」

 

 若者はぺこりと頭をさげると、そのまま慧音の行動を黙って見つめた。

 彼女は小さく畳まれた紙を床の上に広げている。

 ――地図だ。

 人里の地図を広げ、その前に座した慧音は目を閉じて何やら集中していた。

 その口から呪――否、詩歌のように言葉が紡がれる。

 

「西暦2xxx年度幻想郷にて、人の住むところxxx期――『しろがねに』『紅き華咲く廃園を』『けふも群れに生者死者あり』」

 

 すると地図上に毛筆で書きなぐったようなバツが一瞬だけ出現し、再び妖気のチリとなって霧散した。

 慧音は閉じていた目を開いてその箇所に目印をつけ、驚愕の表情を見せた。

 

「どんなもんです?」

 

 若者が適当すぎる質問をなげかけると、半妖の教師は難問を目の当たりにした学者のような声で返答する。

 

「いるはずの者がいない」

「それは人里の住人と考えてよろしい?」

「あ、ああ――そして――」

「その逆も当然あったと」

 

 慧音は頷いた。その顔は疲労の色が濃い。

 

「――正直に言うと、里の中で神隠しと言うのは無い事もない。しかし、ひい、ふう、みい――多くの棟にわたって住人がまるごと消え、そこにまた別の住人がいる」

「それはどこでしょう」

「貧民向けの長屋が集まっているところです」

「貧民街――スラムのような所ですか」

 

 定番と言えば定番だったなと考え、せつらは嘆息した。

 シンプルな話で助かったとも。

 

「忌憚の無い言い方をすればそうですね。そう言った場所には訳ありの人間や、場合によっては妖怪が住んでいたりするので、近所の付き合いは薄いでしょう」

「多くの人間が一斉に入れ替わって気付かないのも幻想郷流だと?」

「いくら付き合いが薄いと言っても、住人もそこまでマヌケでは無い。なにかがあった」

「その()()()の内容についてはどうです」

「そこまではさすがに私でも難しい。満月ならともかく――とりあえず自警団や寄り合いにこの話を持っていって調査しなければ」

 

 勢い込んで立ちあがろうとする慧音を、てのひらをかざしたせつらが止めた。

 

「僕の調査が終わるまで保留にしてもらえますか」

「な、なにか問題でも」

「邪魔になるから、ですね」

 

 せつらは身も蓋もない事を告げ、慧音は絶句した。

 

「保留と言っても一日だけで構いません。後はお好きなように」

「そう言われても」

 

 半妖の教師の逡巡を無視するように立ち上がったせつらは、隣で眠りこけていた氷精を起こして、寺子屋を去って行った。

 呆然とした慧音のみがその空間に残されたが、彼女は頬を叩いて喝を入れると、これも寺子屋を飛び出して里の外へと駆け出した。




『私』は良く分からないところに沸点があるのでこれで良いのかよくわかりません(適当


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9話:氷舞足の踏み所をしらず

 貧民街は、寺子屋との対角線上に存在した。

 おそらく、得体の知れない者達が多数居住している地域付近に、子供達の学び舎を用意することを慧音が嫌ったのだろう。

 とは言っても人里は人里だ。明確に安全地帯だ。

 表立って危険なマネをする者はほとんどいまい。

 ――だと言うのに、一部の住人がまるごと入れ替わっていると言う。

 黒いコートの若者と青いワンピースの氷精は、慧音が示した長屋が連なっている辺りまで来ていた。

 せつらが適当な戸を選びノックをすると、可愛らしい声で返事があった。

 

「はぁい」

 

 戸を開けて姿を表したのは年端もいかぬ少女であった。

 衣服は幻想郷特有の和洋折衷で、ちらりと見える部屋の隅には、外から流れ着いた中古品か、プリキュアの汚いバッグが置いてある。

 少女は訪ねてきた美貌を前にし、当然のように顔を赤くして動きを止めた。

 

「お父さんとお母さんはお仕事?」

 

 若者の質問に、少女は首を縦に振った。

 

「ここで待たせてもらっても良い?」

 

 遠慮呵責の無い要望に、少女は心底困ったような様子で、突然訪ねてきた美しい若者へ問いかける。

 

「あの――両親になにか」

「ちょっと聞きたい事があって。君でも構わないけど、情報は多い方が依頼人(クライアント)に伝えやすい」

「く、くらいあんと? 一体何を聞きたいんですか」

「君達のボスはどこにいる?」

 

 途端に少女は凶悪な表情になり、背後の窓際へ跳んだ。

 間髪入れずに銀製のナイフを右手で五本、左手でも同数投げつけてくるが、そこに十六夜咲夜ほどのキレは無い。見てからでも防御が間に合う。

 事実、二人に投げつけたナイフは空中で凍り付いた空気に弾き飛ばされた。

 チルノは自信満々の表情で、せつらは相も変わらぬ春の日差しのような茫洋とした表情で、少女と対峙する。

 

「何だ貴様ら」

「バンパイアハンターを退治しに来たバンパイアハンター・ハンターさ! 神妙にお縄につけ!」

 

 舌を噛みそうな事を一息に言ってのけたチルノは、大地から体を浮かせ、腕を組んで軽く足を開き仁王立ちの姿勢を作る。

 その気迫から、この奇妙な構えが氷精の臨戦態勢であると知れた。

 

「俺のナイフを凌ぐとは、ただのガキと色男じゃなさそうだな」

「ふん、咲夜のナイフはもっと早いし沢山飛んでくるんだ。お前なんかのナイフに当たるわけないね。それに()()()()()()()()()お前があたいに勝てると思ってんのか」

 

 チルノは差別発言スレスレの事を言っているものの、これは人体改造の結果であった。

 〈新宿〉の犯罪者にもいる手合いだが、自らの肉体を子供の着ぐるみだか皮だかに詰め込んで、年齢や体格を偽装する輩だ。

 新宿警察署で暴力を受けている子供を見てそれを咎める者がいるのだが、そいつが子供にカムフラージュした連続殺人犯だった、などと言うことはザラにある。

 しかし彼女はそれを大人だと見抜いた。〈新宿〉の区民並の察知能力は、せつらを再び感心させた。

 

「バンパイアハンター・ハンターと言ったな? 吸血鬼の眷属か」

「企業秘密です」

「ならば無理矢理にでも吐いてもらうぞ」

「どうぞご自由に」

 

 その言葉を挑発と受け取ったか、少女の姿をしたハンターは無言で手を振った。

 その袖口から、空気を裂いて蛇のような物が飛び出す。

()()だ。

 丈夫な革を編み込んで金属で補強し、儀式で聖別されたムチが二人を強襲した。

 速度は軽く音速を超えている――のだが、相手がなにか行動を起こしたのを見た瞬間、チルノは反射的に、ほぼ同じタイミングで腕を振っていた。

 バンパイア・キラーと名付けられ、彼らの組織で量産されていた特殊なムチは、アイシクルソードの一振りであっさりと断ち切られた。

 

「な!?」

 

 ハンターが驚愕している間に、氷精は既に懐に入り込んでいる。

 今なら背後の窓から飛び出して仲間を呼べると、思いきり大地を蹴るが、その足はもはや機能していなかった。

 懐に入った時点で、チルノは氷の剣を地面に突き立て、相手の足ごと床と大地を凍結させていた。

 

「こーゆーの何て言うんだっけ。()()に教えて貰った気がするけど――ああそうだ、ウスノロ?」

「――バカな」

「ふふん、その通り。あたいと1対1でやろうなんてバカな奴」

 

 美しい若者の事をナチュラルに除外した氷精に、2対1だろうと反論する前に、追い詰められて壁についた両腕が氷でガッチリと固められる。氷の(はりつけ)だ。

 この少女姿のハンターは拠点の保守をメインに行っていたが、こんな未知の地域への遠征に参加するくらいだから、決して弱くは無い。

 この氷精の動きが異常だったのだ。あきらかに戦い慣れている。

 相手がナメくさっている間隙を縫って、すみやかに決着をつけたその手際は、せつらをして彼女なら〈新宿〉でもやっていけるかもな、と評価する程度には洗練されていた。

 そもそも隠していた武器での奇襲にあっさり対応した時点で、この氷精がどれだけの修羅場をくぐってきたのかが偲ばれる。

 あれは妖精の身では、体が勝手に反応するレベルでなくては応戦できまい。

 

「あざやか」

 

 せつらはかけ値無しの賞賛を送り、チルノも「最強だからね!」と機嫌を良くした。

 お互い視線をハンターから切る事も無く、残心も完璧。

 ならば、今度はせつらが仕事をする番だ。

 両手両足を凍らされたハンターに、再び問いかける。

 

「君達のボスはどこにいる?」

 

 最初の質問と一言一句変わらない言葉だった。

 先程の交戦など、この若者にとっては何か特別なことが起きたわけではなく、あっても無くても同じ出来事だったのだと言わんばかりの態度だ。

 美しき若者を直視した少女姿のハンターは、手足の凍傷も忘れ、赤面するしか無かった。

 だが、やはり吸血鬼を狙ってきただけあり、魂まで魅了されたわけでは無い。

 無言のハンターを見て、せつらは吐息がかかる程の至近距離まで顔を寄せてささやいた。

 

「君達の、ボスは、どこに?」

 

 その顔だけでも恍惚として何でも喋りたくなるのに、これではおかしくなっても仕方の無い状況だ。

 もはやこれは甘美な拷問と言って良かった。

 意識が別世界へ遠のいてゆく事を自覚したハンターは、口をモゴモゴと動かした後、小さく「三秒前」と呟く。

 瞬間、せつらとチルノの体は不自然な姿勢で背後へすっ飛び――否、せつらは妖糸を使って自身とチルノを屋外へと引っ張り出したのだ。

 のみならず、二人が長屋から離れたところまで糸に引っ張られた時、爆発が起きた。

 爆心地は言うまでも無く、あのハンターであろう。

 歯か舌に小型の爆弾か、或いは爆発物のスイッチだかを仕込んでいたに違いなかった。

 

「あちゃあ」

 

 横着せずに妖糸で口も舌も縛っておくべきだったと、若者は悔恨の声をのんびりと挙げた。

 

「爆発するとか、意外と根性あったね」

「まあ、足跡が途切れたわけでも無し、人が集まってくる前に次へ行きます」

 

 言葉とは裏腹に、至極面倒そうな態度でせつらがぼやく。

 

「次ってどうすんのさ」

「彼女は『三秒前』と。僕たちを道連れにしたいなら、そんな事は予告しない」

「誰かに爆発することを知らせたってえの?」

「そうです。巻き込まれかねない近所――同じ長屋の別のお宅に居た仲間とか」

「そいつらの家が無くなった今なら、そこらをうろついてる怪しいやつをとっ捕まえれば解決するってわけね!」

「理解が早くて助かります。問題は――」

 

 若者がそう呟いた時、声がかかった。

 

「お前達、ここで何してる」

「この通り、僕たちが一番怪しいことですね」

 

 何者かに声をかけられた事を、せつらは皮肉げに揶揄った。

 空を見上げると、そこには白い髪の、これまた少女が浮いている。

 ワイシャツにサスペンダーで赤い雪袴を吊っており、その袴には護符や呪符の類がベタベタと貼られていた。

 

「あ、ダシガラのもこ」

 

 チルノがそれを見て声をかけた――のだが、どうやらこれも名前を間違えているらしく、少女は不機嫌そうに訂正した。

 

「藤原だ、藤原。藤原妹紅」

「そうだった。ふじわらのもこ」

「そうそう。んで、そいつは?」

 

 その言葉は当然、せつらの事を指している。

 

「あたいの子分で、アキ、アキ――アキ、せつらって言うんだって」

 

 氷精はとうとう若者のフルネームを記憶したらしい。

 まあ、せつらも人と会う度に名乗っているので、さすがに覚えたか。

 

「あんたが秋せつら、ね――さっきの爆発はなんだ?」

「不審者が自爆しました」

「自爆だ? 里の中でなにやってるんだ――あんたは無関係か?」

「企業秘密です。すみません、急いでいるので――」

「ああ、慧音から事情は聞いてるから警戒しなくて良いよ。むしろ、私も解決に動いてくれって頼まれてる」

「――上白沢さんから?」

「ああ。部外者のあんた一人で調査させる訳にも行かないからね。おっと、自警団や寄り合いの関与は邪魔だってことだが、私はいち個人だからな。慧音にクレームはつけるなよ」

「個人であろうと集団であろうと邪魔は邪魔です」

 

 若者が抗弁すると、妹紅が氷精について言及した。

 

「じゃあ、なんでチルノは同行してる?」

「それはまあ、親分さんなので」

「理由になってないな。どうせ、あんたの行動に疑問を持たない奴を案内役に使ってるだけだろう」

「半分は本当です」

 

 実際、この親分気取りの氷精は、様々な場面でせつらの助けになっている。

 チルノがいなかったら、ただ道を歩くにしても、紅魔館での話も、先程の交戦でも面倒なことになっていたかもしれない。

 むしろ先程ミスを犯したのはせつらの方なので、この美しい若者は建前でなく本当に氷精を親分として扱いたいのかもしれなかった。

 

「じゃあもう半分は?」

「ついてくるなと説得できそうな気がしません」

「――なるほど。なら、私も説得はできないと考えて貰おうか。死んでも同行させてもらう。慧音には借りが山ほどあるから、こう言う時に返していかないと」

「借金はよくない」

「うるさい、真面目な話だ。とりあえず、邪魔にはならないよ。少なくとも普通の人間よりはね」

「はぁ」

 

 面倒な事になってきたな、と嘆息した所に、チルノから補足が入る。

 

「もこは死なない人間だし、あたいほどじゃないけど、まあまあ使えるんじゃないの」

「は?」

 

 〈新宿〉にも、再生能力自慢を不死身だと標榜している輩は腐るほどいるので、比喩か? とせつらは疑念を抱いたが、この氷精が比喩などと言うモノを使うとも思えなかった。

 むしろ事実を端的に口にしている可能性が高い。

 せつらが懐疑的な目を向けると、当人はさらりとその視線をかわした。

 

「気にしない方が良い。ほれ、さっさと動かないと、どんどん人が集まってくる」

 

 その言葉に、若者は不承不承と言った雰囲気で歩き出した。

 だが、周りからは悩める彫刻のような美しさとしか見えないに違いない。

 

「上白沢さん本人はどうしました?」

「あんたの要求通り、邪魔にならない事をしてるよ」

「へぇ」

「能力で里の外の痕跡を調べるのは邪魔な事じゃないだろ?」

「お手数おかけします」

「ねぎらいなら、次に会った時に言ってやりな」

 

 目的は先程爆発した長屋一帯だ。

 どうやら、中途半端な時間だったのが幸いして、人通りも自宅に居る人間もほとんどいなかったらしい。

 野次馬が増えてきているので、さっさと調査を終えたいところだ。

 

「親分さん、この辺りに不自然な人はいますか?」

「気になる熱源は無いかな」

「ここから離れようとしている人は?」

「それも無いね」

 

 既に他のハンターは逃げ散った後か、或いはあえてこの場に残っているか、その判断はできそうになかった。

 引き続き辺りを探っていると、悲鳴のような声が響いた。

 爆心地となった長屋の一室があったところで騒ぎが起きている。

 せつらが野次馬の後ろからのぞき込むと、爆発でえぐれた地面から、人の体が三つのぞいていた。

 つまり、入れ替わった本来の住人だろう。一見すると夫婦に子供一人、三人家族のようだった。

 冷たい床の下に埋められていたのであろうその体は、既に朽ちる寸前だった。

 死体程度で騒ぎになるほど、幻想郷の人間はヤワな性根では無いが、やはり人里で、となると動揺もするらしい。

 それよりなにより、遺体の顔の皮が剥がされている。

 この所業には、まともな人間なら恐怖を覚えて当然だろう。

 その一つは、おそらく自爆したハンターの顔となった女の子のモノだ。

 どこの誰かも分からぬ人間に殺され、顔の皮を剥がされ、埋められ、挙げ句放置されていた。

 氷精が前に出て、遺体を氷付けにする。

 あとは誰かが弔ってくれるだろう。

 せつらは焼け残ったプリキュアの汚いバッグを持ち出した。

 

「おい」

 

 遺品だ。妹紅がとがめるような声をあげるが、せつらはそれを無視して中身を(あらた)める。

 

「なるほどね」

 

 茫洋としているが、こころなしか普段より静かなトーンで若者は呟いた。

 バッグの中には、暗号らしき、一見ただの怪文が記された書類が、燃え尽きずに残されていた。

 カムフラージュの為に、遺品までもをハンターの道具として使っていたのか。

 

「行きましょう」

「うん」

「あ、ああ」

 

 奇妙な三人組は、この後に再び人里を離れた。

 妹紅がせつらに声をかける。

 

「怒ってヤバい真似するなよ」

「なにが?」

 

 この時のせつらは、普段と何も変わりが無かった。

 それなのに何故か寒気を感じたと、妹紅は後に述懐している。

 




一般人も敵も平等に酷い目に合うのが魔界都市的(他人事


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10話:大図書館小休止

 せつらは一度紅魔館への帰還を選択した。

 おまじないや魔法でなければどうにもならない霧の次は、暗号と来た。

 〈新宿〉ならば、適当な情報屋や技術屋にカネを払えば復号が可能だろうが、人材にアテが無い以上は紅魔(スカーレット)の一族を頼るしか無かった。

 門番は相変わらず霧の中に佇んでいて、人数が増えていることを疑問に思ったようだが、知り合いだからと簡単に中へ通す。

 咲夜の出迎えもあったが、ホワイトブリムに血痕が残っている。

 身だしなみを整える余裕も無く、ブリムを取り替える間も惜しんで働いているらしい事がうかがえた。

 パーフェクトメイドとしては痛恨の極みだろうが、実際、庭園や中庭の死体はいくらか片付いており、景観がまともになって来ている、イコール、咲夜が働き続けていると言うことなのだろう。

 適当に咲夜をねぎらってから向かう先は、当然知者のいる図書館だった。

 

「なにかあったの。一人増えてるようだけど」

「まあ、色々ありまして」

 

 まともな返答が来るとは考えていなかったが、やはり曖昧な答えだった。

 今の面会でパチュリーはメガネをかけており、その視線はしっかりと美しい若者を見据えていた。

 つまりこれはただのメガネでは無く、()()()()とでも言うべき、美貌の虜にされない為の対策がそれなのだろう。

 

「それで?」

「暗号を解読できそうな人に心当たりは?」

 

 大図書館とまで言われている者の所まで来て、言うことが「専門家を教えてくれ」であった。

 パチュリーは、もしや自分はバカにされているのではないかと言う危惧を覚えたが、これは美しき魔人の常態である。

 

「チューリングに関する本でも読め、と言いたいところだけど――良いわ。私がやりましょう」

「助かります」

 

 それだけ言うと、せつらは例の怪文が記された書類の束を提出した。

 普段のゆったりとした動きを微塵も感じさせないスピードで書類に目を通した魔女は、メガネのズレを指でくいと直してから、進学校の教師みたいな面持ちで告げる。

 

「まあ、普通の暗号。特別なアルゴリズムも無いし、乱数でパターンを誤魔化しても居ない、簡単な奴よ。文字を置き換えただから、頻出する文字を絞れば素人でも一日で解ける。現場で使うからシンプルな方が使い易いと判断したのでしょうね」

「へぇ。すぐに解けますか?」

 

 パチュリーはむきゅっと言葉に詰まり、嫌な予感を覚えた。

 これ、肯定したら要求がエスカレートする奴だ、と。

 レミリアの無茶ぶりに日々応える魔女の勘は、苦労をさせられて磨き上げられたモノらしい。

 

「あなたね――いくら簡単って言っても人力で暗号の解読ってのは写本しろってのと手間は変わらないわけよ」

「ノーレッジさんでも? 参考までにかかりそうな時間は」

「1時間ってとこね。生き急いでもロクな事は無いわ」

「同感ですが、今日はもう一度調査に出る時間がありそうです。5分でお願いします」

「むぎゅおっ」

 

 パチュリーは、普段のパチュリーが絶対に出さないような声でうめき声をあげた。

 いきなり時間が十分の一まで値切られている。

 

「ぐぶへっ」

 

 妹紅はそのやり取りに思わず吹き出した。

 この若者は美しいが、その分だけ遠慮とか思いやりとかが欠如しているのでは無いかと言う疑いが出てきた。

 

「腱鞘炎でページがめくれなくなったらどうするの。50分」

「たまには手に休日があっても良いかと。15分」

「私は体が弱いから休日が長期休暇になる。45分」

「休暇の間に散歩でもして改善してみては。20分」

「刻むな!」

「なにやってんだこいつら」

 

 妹紅がこめかみを抑えながらツッコみ、チルノがぼやいた。

 確かにこんな交渉はそれこそ時間の無駄である。

 せつらは一計を案じた。

 

「夜光がスカーレット氏に会いに来る場合、手土産に魔界都市の書籍をいくつか持たせるように進言しておきますか?」

「オーケー、そう言うことなら30分ね」

「では30分後に」

 

 スムーズに話がついたのを見て、最初からそうしろよ、と思ったのは妹紅とチルノだけではあるまい。

 しかし、これはあくまで夜光と言う吸血鬼が紅魔館を訪ねようとしていた場合なので、来なければパチュリーの強制労働であり、保障も無いせつらの口約束だ。

 いずれ誰かがこの暗号の解読をしなければならなくても、不要な労力を強いられたと言う点で。

 とりあえず三人は共通スペースに設置されたテーブルの席に着いた。

 さてどうやって時間を潰したものかと考えていると、小悪魔が紅茶を運んでくる。

 

「どうぞ」

「どーも」

 

 適当な礼を言って口をつけるが、せつらはそれを飲んで、珍しく眉を歪めて不満そうな表情を見せた。

 不手際があったかと小悪魔がオロオロし始めたので、妹紅がとりなしてやる。

 

「何が気に入らない?」

「お茶は緑茶、お茶請けはせんべいに限ります」

「紅茶は専門外か。しかしワインにも和食に合う組み合わせがあるらしいぞ。紅茶がせんべいに合わないかどうか試してみるのも良いんじゃないの」

「やだね」

 

 せんべいに関しては意外と頑なな所を見せるせつらに、周囲の者はもちろん――解読を行っているパチュリーですら、興味深そうな表情を作った。

 

「顔が良いだけで、ポリシーも信念も無いヘロヘロな人かと思ってたけど、そうでも無い?」

「あと29分です」

「知ってるわ。正確には28分30秒ね」

 

 魔女の中々の毒舌に、せつらは仕事しろ、と言ったつもりだが、それは余裕で受け流された。

 

「魔界都市〈新宿〉のせんべい屋ね――あなたならもっと良い稼ぎ口があるでしょうに」

「大きなお世話」

「そう、悪かったわね。で、せんべい屋さんと氷屋さんはともかく、焼き鳥屋さんはこんな所で油を売ってて良いの」

「この騒ぎの調査と、被害が拡大しないよう、秋についてろって慧音から頼まれたんだ。あんたこそ無駄口が叩いてないで働いて欲しいね、2点の魔女さん」

 

 焼き鳥屋さんは魔女よりもさらに辛辣な言葉を口にした。

 この2点と言うのは、幻想郷で発行された「弾幕クロスレビュー」におけるパチュリーの点数であった。

 おまけに身内――それもメイド長から――の評価だったものだから、実は紅魔館の食客とメイド長は仲が悪いのでは無いか? などと言う風評被害が発生している。

 実際は咲夜はただ仕事をしただけで他意はなかったし、パチュリー自身も蛙の面に小便だった訳なのだが。

 訳なのだが、他人に言われるとそれはそれで鬱陶しいモノがある。

 元はと言えば咲夜が忖度もクソも無しに2点をつけた事が発端だったので、あの天然メイド、と言う感情も無いでは無い。

 パチュリーは溜息をこらえながら言った。

 

「マルチタスクは慣れてるからね。手はちゃんと動かしてるもの。不死身と言うだけじゃ、私の作業の領域(レベル)はわからないか」

「ぜんぜんわっかんない」

「あなたの事じゃないのよ」

 

 返ってきた妹紅では無くチルノの言葉に、パチュリーは苦笑した。

 妖精は、シングルタスクの極みと言える思考回路なので、論ずるまでも無いだろう。

 そして彼女らが会話をしている間、せつらは虚空を見つめてボケッとしているようにしか見えない。

 この美しさでは厄介事が津波のように押し寄せてきても不思議ではあるまいに、このような茫たる性質と態度を維持していられるのが、魔女にとっては不思議でならなかった。

 一体どんな経験をすればこんな男が出来上がるのか。

 まあ、付き合いが深まれば、お茶の話のように別の顔も見せるようになるだろうと結論づけて、パチュリーは話題の転換をはかる。

 

「そういえば、あなた達は彼の顔を見ても、あまり動揺が無いわね」

 

 今までのチルノもそうだが、妹紅もだった。

 さすがに妹紅は長時間視線をせつらに固定したり、迂闊に近付いたりしない事を心掛けているようだが――チルノに関しては良く分からない。

 妹紅は渋面をこしらえた後、竹林が全焼したみたいな仏頂面で言い捨てた。

 

「自慢じゃないが――ほんとうに自慢にならない上に超ムカツクんだが――綺麗な顔ってのは、こちとら散々見慣れてるんだよ」

 

 某女子高生サイキッカーから覚えたのであろう「超ムカツク」などと言う言葉を使う平安の元貴族は、嫌悪を隠そうともせずに言う。

 

「私だって最初は信じられない美しさに放心したもんさ。純なところもあったんだよ、信じられないだろうけどね。だけどそいつは殺してやろうと探し求めた相手だ。その辺はお前さん達、紅魔館の連中だって知ってるだろ」

「まあね」

「最初にやった事は眼を潰して自爆覚悟での特攻だよ。簡単にあしらわれたがね。次にヤツの顔を見ないように戦う方法を考えたが、これも全力で戦うのに向いてないし、忌々しいことにあの野郎、声まで綺麗だから話しかけられると幸福感すら感じる。ならどうする? もうこれは慣れるしか無い」

 

 恨み骨髄と言った風に妹紅は思いの丈を吐き出した。

 文字通り、妹紅は人外の美しさに慣れたのだ。

 加えてそれを上手くいなす方法も確立した。

 こればかりは気の遠くなるような年月を掛けねば到達できない境地だろう。

 せつらの美貌の影響を受けないようなふるまいは、彼女が敵視している相手のおかげと言う事だ。

 チルノはピンと来ない顔で妹紅の説明を聞いていた。

 

「チルノはまた別の理由かしらね」

 

 パチュリーが水を向けると、当人は不思議そうに首をかしげた。

 

「アキとか、かぐやが綺麗ってのがよく」

「妖精ってそうなのかしら。美的感覚にも違いがある?」

 

 魔女の感想に、妹紅はある種の懸念を覚えた。

 

「おい、まさか――チルノ、私達の顔を覚えてないとか言わないよな」

「なんとなくはわかるよ」

「なんとなくってお前」

 

 それを茫洋と聞いていたせつらも興味を惹かれたらしい。

 

「妖精は単純なんですか、ノーレッジさん」

「まあ、複数の事を同時にさせるには向いてないわね」

「しかし、親分さんはどうみても複数のことを同時に認識してこなしています」

 

 せつらはバンパイア・ハンターとの戦いの事を話した。

 チルノは攻防を高いレベルで複合的にこなしている。

 あれは単純バカにはできない程度には洗練されていたと。

 

「やはり、経験でしょうか?」

「経験だけじゃどうにもならない事はあると思うけどね――反射行動だけならともかく、全体の流れを掌握するような戦い方は――」

 

 そこまでパチュリーが話すと、得たりという風にせつらと妹紅が納得した。

 

「なるほど」

「そう言うことか!」

 

 魔女と氷精本人は視線を交わして、二人に説明を求めた。

 

「つまり、チルノは物事を見ているが物は見ていなかったんだ」

「論理の徒としては詳しい説明を求めるわ」

 

 要領を得ないどころか矛盾したことを妹紅が言い出したので、パチュリーはせつらに続きを促した。

 

「これは推測ですが、親分さんは自身の単純さを補うために、視点の焦点を合わせていないのでは無いかと」

 

 それを聞いて、さすがにパチュリーも結論に達したようだった。

 

「そう言うことなら理解できるわ。つまり、こいつはどこにも視線を置かずに、常に視界全体を見て情報として取り入れていると。あれとこれにいちいち焦点を置いて二つの出来事として捉えるのでは無く、なんとなく全体像を一枚絵として、一つの出来事として認識している。それならシングルタスクでも複数の事を意識できる」

 

 氷精は、己の視点を特定のモノに固定していなかった。

 試してみるとわかるが、これは意外と難しい。

 何も見ずに視界全体のモノを見て把握する、と言うのはどちらかと言うと武の境地であった。

 後頭部の斜め後方に浮いているミカンを想定しろ、と言う奴だ。

 そうする事で、おぼろげではあるものの、現在のチルノの視界を想像できる。

 特定のモノに焦点を合わせないとなると、確かに全体を見ることができるが、そこから得られる情報を把握するのが難しい。

 人がいると言う事は理解できても、上手く判別はできまい。

 すなわち、チルノは人を見ているが細かくは見ていない。

 複数の出来事があっても、それを一枚の絵画で表せば、一つの出来事となる。

 

「お前、普段からそうなのか」

「わかんない」

「他人の顔がわからないのはどんな時だ?」

「命名決闘の時とか、戦いの時とか、後はなんか危なそうな雰囲気の時かな」

「最近は?」

「霧が濃くなってからずっと」

 

 なるほど、チルノはせつらの顔を最初から認識していなかったのだ。

 ならばその美貌の被害者になる事も無いだろう。

 実際、近眼の娘がメガネを失って、黒衣の魔人と白い医師、双方と相対したが、まともに会話できていたと言う例がある。

 それがわかって、妹紅は心底感心した。

 

「私だってそれを意識するのは――いや、意識したら焦点が合いそうになるからダメなんだが――とにかく、常にそんな状態でいるのは難しいぞ。常在戦場ってやつだ。どういう集中力してんだか」

「別に集中してないよ」

 

 氷精はさらに驚くようなことをあっけらかんと告げた。

 

「おい――だとしたら、さらにとんでもない奴だな。自然体でそれは達人どころの話じゃない」

「最強?」

「少なくともそこらの奴じゃ相手にもならんだろ」

「まっ、当然ね」

 

 チルノは自身の凄さを理解せずに、自身は最強と言う認識を深めた。

 

「実際、親分さんより上は幻想郷にいますか?」

 

 今度はせつらが妹紅に尋ねた。

 

「それはいくらでもいるよ。主立った殆どの奴がそうだろうさ。ただ、今の話を聞くと、純粋な技量のみでこいつの上を行く奴は10人いるかどうかってとこ。実際、ルールに従って戦うスペルカードなら幻想郷でも上から数えた方が早そうだ」

 

 殺し合いなら自分達が上だと言外に匂わせつつ、妹紅はかなりの高評価をチルノに与えた。

 

「親分さん凄いですね」

「それほどでもない」

 

 かき氷を奢ってやろう、と言い出したので、若者はやんわりと断った。

 ついでの情報収集も忘れない。

 

「では、親分さんの上を行く技量の持ち主と言うのは」

「まず私――と言いたい所だけど、大分なまってるし、今の話を聞いた後だと自信は無い。確実に上だって言えるのは、ここの門番、人形使い、花の妖怪、秋の女神の姉の方、クソ烏天狗、妖怪寺の貫首――それくらいか」

「へぇ」

 

 せつらは一応その人物(?)達の事を頭に入れた。

 幻想郷ではどこでどんな者と出会うのかが分からない以上、危険そうな相手は把握するに越したことはない。

 

「あら、うちの門番の評価が高いわね」

「むしろお前達の評価が不当に低いんだと思うが」

「言いがかりね。紅魔館の住人は、門番が弱いなんて一言も言ってないわ」

 

 そう言えば、昼寝をしているとか、武芸をやってるただの妖怪だとかの話は良く出るが、確かにその実力については取り沙汰されていない。

 意図的に紅魔館が情報を隠蔽しているのかもしれなかった。

 そもそも狂っていると言う噂のフランドールからして、わりかし会話が成立する。

 これらの事にはレミリア・スカーレットの作為が感じられた。

 

「ふうん。ま、お前達が何を企んでいようと、私達には関係の無い話だ」

「そういうこと。気にしない方が身の為よ。たとえ蓬莱人と言えどもね」

 

 そう話をまとめて、パチュリーは羽ペンを置いた。

 それから冷めた紅茶を一口すすって、指をすい、と前に振ると、紙切れが一枚せつらの元へ向かって宙を滑った。

 

「お代の事は忘れないでよね」

「必ず伝えます」

 

 自分が払うわけでも無いし、損をする訳でも無いので、せつらは安請け合いをした。

 手土産に本を持っていけと言われて悩むのは、どうせ夜光なのだ。

 その辺の無責任さは、どうやったらこんな性格になるのかとパチュリーが思案した通りだ。

 無責任男は解読された暗号に目を通す。

 そうしてからひとこと、

 

「面倒な」

 

 と愚痴った。

 パチュリーも同意するように頷く。

 

「でも、ここまでくれば仕事は終わりでも良いと思うけどね。レミィも文句は言わないでしょう」

「本人の意志を確認していませんので」

「本人って、ハンターのボスの意志? 確認してどうなるの?」

「会うと言うなら、引き合わせる日時や場所をセッティングしても良いですし、会わないと言うならスカーレット氏にその言葉と居場所だけ伝えます」

「いちおう敵対してる相手なんだけど」

「僕にはただの探し人です」

 

 妙な所で頑固なのは仕事に対する姿勢もそうらしい。

 

「まあ、あなたがそうしたいと言うのなら止めないわ。引き続き、よろしく頼むわね」

「ええ」

 

 せつらが席を立つと、チルノと妹紅も追従する。

 チルノは素朴な疑問を口にした。

 

「ボスの場所はわかった?」

「この暗号は、彼らが潜伏している場所の地形や植生、危険度などが、現地で資料としてまとめられたものでした」

「ふーん。じゃ、連中が隠れてる場所が載ってたの?」

「そう言う事になります。藤原さん、調査はこれで充分だと思いますが」

 

 必要なことは教えるからさっさと帰れと言う事だろう。

 だが、妹紅も慧音に頼まれた以上、できる限りの事はしておきたかった。

 

「私が頼まれたのは調査だけじゃない。言葉を飾らずに言えば、秋、アンタがやり過ぎないように監視も兼ねてる。それに親玉のツラも拝んでみたいしね」

「左様で」

 

 せつらは軽い口調で返して、歩みを進めた。

 

「で、連中の潜伏場所ってのはどこにある」

「資料には人里、風穴入り口、無縁塚と記されていましたね。無縁塚の拠点はあまりに妖怪の襲撃が続くので放棄したそうですが」

「風穴ね――地底の入り口か?」

「僕にはなんとも。地底なんて場所があるんです?」

「ああ。いちおう地上と地底は不可侵の約定があるから、その境界線に近付く奴は少ないだろうな」

「へぇ」

 

 相も変わらず興味があるのか無いのか分からない態度で、若者は相槌を打った。

 とにかく、次の目標らしきものが決まる。

 夜までに終われば良いな、などと、せつらは暢気な事を考えていた。

 




せつらの事を抜きにしても珍しいメンツだなと自分で思いました(てきとう)


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11話:羅刹幻想

「――いるな」

 

 妹紅は木立に身を隠しながら呟いた。

 地底への入り口。

 かつて博霊の巫女と普通の魔法使いが、怨霊を鎮めに向かった、旧地獄への通路だ。

 その入り口付近には、総重量わずか5キロの組み立て式の小型コテージや、ポケットにも収納できると言うふれ込みの折りたたみ式テントがいくつか設営されていた。

 魔界都市〈新宿〉以外でも、この程度の技術はあるらしい。

 いや、もしかしたら〈新宿〉が〈区外〉に輸出したものかもしれないが。

 バンパイアハンター達は、どうやらあらかたここに揃っているようだ。

 新たなテントを設営しているので、おそらく人里から脱出した者達も合流したのだろう。

 

「アキ、どうすんの。10人ぐらいいるよ」

「お二人はここで待っていてください」

 

 そう言ってすたすたと普通に歩いて行く。

 

「あ、おい!」

「なにやってんだ、ばか」

 

 不死人と氷精は当然それをとがめたが、黒衣の魔人はまるで散歩にでも出かけるような気軽さで近付いていった。

 

「ようやく終わるか」

 

 そんな不遜な事を呟きながら。

 当然、無防備に近付けば相手も気付く。

 

「誰だ」

 

 多目的迷彩スーツを着込んだ大柄な男が、せつらの前に立ちふさがった。

 周囲のハンターらしき者達は呆気にとられている。

 この青年は異常なまでに美しいが、どこかおかしいのでは無いかと。

 せつらに話しかけた男も、彼の顔を見て頬を染めていた。

 

「バンパイアハンターの本隊はここですか?」

「何だと? 何を知ってる? 幻想郷の人間じゃ無いな、お前――いや、こんな綺麗な人間がこの世に存在するのか」

人捜し屋(マン・サーチャー)です」

 

 せつらはいつもの調子で、こともなげに言った。

 

「人捜し屋がなぜこんな所に」

「あなたがたのリーダーを探せと依頼されました」

「そんな事はどうでも良い。我々は吸血鬼を滅する為に身命を賭してこの地にやって来た。邪魔立てするなら死んでもらうぞ」

 

 そう言って、男は銀の弾丸が装填されているであろう拳銃をせつらに向けるが、そのまま動きを止めた。

 不審に思った仲間が男に近付いてみると、その顔は苦痛に歪んでいる。

 何が起きたのだ。

 美しい若者はやって来たハンターその2に向き直ると、再び質問を飛ばした。

 

「リーダーはどちらに?」

「素直に言うと思ってるのか?」

「はい」

「ふざけるな! 全員でやってしまえ!」

 

 ハンターその2は号令をかけたが、しかし後には静けさのみが残った。

 普通なら、人とは思えない美しさを持った青年がミンチのようになっているはずだ。

 なのに、何故か彼は無事で、背後からは物音一つ聞こえない。

 恐る恐るハンターが振り向くと、他の仲間も武器を構えたまま、困惑――或いは驚愕の表情で固まっている。

 彼らの不幸はせつらの妖糸を知らなかった事では無く、〈新宿〉の魔人に危害を加えようとした事だった。

 

「お前ら何をやってるんだ!?」

「へ、変なんです、体が、体が動かねえ――ぐ」

 

 最後の「ぐ」は、舌が縛られた事による喘鳴だった。

 再びせつらが声をかける。

 

「リーダーはどちら?」

「なんだ、どうなってる? 動け! 何故動かん!」

 

 何者だ、この優男は。

 考えようとするが、あまりの美しさに考えもまとまらない。

 おぼろな理性で自身も拳銃を抜いたが、それも当然のように動きが硬直した。

 結局、彼のとった次の行動は、破滅への一歩目となる愚かな選択でしか無かった。

 

「クソが、やるならやれ。どんな拷問にかけられても俺は喋らんぞ」

「ふーん」

 

 せつらに向けた銃口が、いかなる力を持ってか、仲間の方へねじ曲げられる。

 引き金にかかった指は勝手に動いた。

 

「ぎゃっ!」

 

 足を撃たれたハンターは悲鳴をあげたが、倒れることは許されなかった。

 どくどくと溢れる血潮が地面に広がっていく。

 ハンターは勝手に引き金を絞った自身の指を見て混乱した。

 

「よく狙わないと」

 

 あくまでのんびりと告げられる非道な言葉に、操られたハンターは恐怖で歯を噛み合わせるしか無い。

 さらに二発、三発と弾丸が発射されるにあたって、的にされたハンターは何かから解放されるように崩れ落ちたが、とっくにこと切れている。

 銃口は次の仲間に狙いが向いていた。

 せつらが何も動かず、平然と立っているようにしか見えないのが恐ろしさを助長した。

 

「次は誰が良いかなあ」

「やめろ!」

「リーダーはどちら?」

「い、言えるか」

 

 同じ質問を続けるせつらだが、断れば誰かが死ぬ。

 再び銃声が鳴り響き、無抵抗の仲間が苦鳴とともに倒れ伏す。

 マガジンの交換すらも、何かに操られるように自動的に行われる。

 それが五人目になったところで、ハンターが()をあげた。

 

「頼む! やめてくれ!!」

「じゃあ、もう一度聞くよ」

「洞窟入り口だ!」

 

 せつらは旧地獄入り口を眺めてから、再び視線を戻した。

 ただそこにはゴツゴツとした岩肌があるのみだったからだ。

 

「どこに?」

「縦横5メートル程度のでかい岩盤がある。そこを削って作った空間が本隊の要だ。入り口は3D映像で偽装した」

「ご苦労さま」

 

 若者がそう言って指を捻ると、ハンター達は解放された。

 その一部始終を目撃していたチルノと妹紅は、戦慄を覚えている。

 

「もこはさぁ」

「秋に勝てるかって?」

「うん」

「やってやれない事は無いだろうが――捕まったらどうすれば良いのか。それが腕や足なら捨てれば良いんだろうけどな」

「糸の事?」

 

 氷精の言葉にも妹紅は驚いた。

 

「お前も見えたのか」

「アキが指動かすと、なんか目がチカチカするじゃん。よく見ると細長い糸が出てるんだよ」

「――凄いな。ホントに妖精か? お前」

 

 今のところ妖糸に対応できた者は、攻防共に鬼の頭領だけだ。

 妹紅の手持ちの武器や術であれをどうにかできるかは、試してみないと何とも言えなかった。

 一方、ハンター達は力尽きたように放心していた。

 後に残されたものは得体の知れない出来事への恐怖と反発であった。

 若者は洞窟入り口に向かって歩いて行き、残ったハンター達に背を向けている。

 今ならば彼を始末することができる、と考えた者がいても不思議な事では無い。

 生き残ったハンターの一人が、せつらの背後へ忍び寄った。

 銃を使わないのは、先程の恐怖が尾を引いているからだ。

 そいつは数メートルの距離まで音も立てずに近づくと、一息に襲いかかった――のだが。

 一体何事か、目標のせつらの横を通り過ぎてそのまま進んでいく。

 やがてその首に赤く線が走り、首が落ちた。

 せつらはハンター達を解放したが、糸はほどいていなかったのだ。

 

「あーあ」

 

 それを見たせつらの声は、手元が狂ってお茶をこぼしてしまった、その程度のニュアンスだった。

 これでハンターの生き残りは完全に折れた。

 不意打ちを仕掛けたにも関わらず、末路は生首ゴロリである。

 そんな目に合うのなら、関わらない方が賢い、と肌で感じたのだろう。

 せつらは示された岩盤の前まで来て妖糸を伸ばしてみた。

 糸は苦も無く岩の向こうへ消える。

 確かに目の前にあるのは物理的な壁で無く、立体映像かなにかによる物らしい。

 中に入ってみると、簡素な寝台とテーブル、椅子が一組設置されていて、女性が一人佇んでいた。

 只の女性では無い。修道女、いわゆるシスターと言う奴だった。

 年の頃20過ぎと言った風体の、美女と言って良かった。

 

「あなたがハンターのまとめ役ですか」

「――おお、主よ――あなたが悪魔の使いを招いたのですか」

 

 シスターは、当然の如くせつらに相対して心の平衡を失った。

 手に持った十字架はブルブルと震えている。

 

「しかし何という――教えに反する、と言うも愚かな美しさ」

「あの」

「お黙りなさい」

 

 話をしようとすると、シスターがぴしゃりとはねのけた。

 

「あなたは信徒を暴力で排除しましたね」

「は?」

「私達は悪魔祓いと言う崇高な使命を背負ってこの地にやって来ました。あわよくば神を信じる者を増やすことができれば良いと思っておりましたが、その為の人里の拠点は、今日、尊い犠牲とともに無くなりました」

「いや、あのね」

 

 話にならないとせつらも察したのか、言葉を挟む。

 

「あなた達は何故この地まで来てスカーレット氏を狙った?」

「主立った吸血鬼が退治され尽くしたからです」

「外にはまだいくらでも吸血鬼が溢れていますが」

 

 少なくとも〈新宿〉では。

 世界の存亡を左右するような騒ぎを起こす奴もいたし、ひっそりと人を消して暮らしている吸血鬼もいた。

 戸山住宅団地の吸血鬼達は夜警などで収入を得、その金で直接血を購入したり、献血に頼るなどして生活している。

 

「小者では私達の活動が認められません」

「活動――あなた達の来歴は?」

「私達はヘルシング教授の管理下にあったハンターの一派、その末裔です」

「へぇ」

 

 そこでせつらは初めて関心を持った。

 

「私自身は、ヘルシング教授の生徒の弟子の妹の息子の従兄弟の妻の弟の娘でしかありませんが」

 

 それは他人では無いのか、と野暮なことは言わない。

 

「しかし今の時代、吸血鬼を狩るのは時代遅れにも等しい評価を受けています。話の通じる吸血鬼を退治すれば人権だの何だのと言われ、強力な吸血鬼はなかなか人前に姿を見せない」

「でしょうね」

「私達バンパイアハンターは、時の流れに取り残されようとしているのです。昔のように悪鬼を退治し、地位と名誉と金を得ようとしてもそれはかなわない」

「それとスカーレット氏にどういう関係が?」

「この地にやってきた吸血鬼は、ヴラドの末裔だとか。原初の吸血鬼の末裔と、ヘルシング教授の末裔。どうせ役目を終えるならば、最後に因縁のある、大きい獲物を狩って誉れとしたい」

 

 なるほどね、と若者は頷いた。

 レミリア達は外に嫌気が差してこの地にやって来た。

 そして、このハンター達は最後に一花咲かせようとしてこの地にやって来た。

 いや、バンパイアハンターは過去の者として忘れ去られようとしている。

 それが彼女達をこの幻想郷に引き寄せたのかもしれなかった。

 

「しかし、スカーレット氏はこの地で平和に暮らしています。あなたとの面会申し込みがありますが、どうなさいますか」

「本当に悪魔の使いだなんて」

「誤解です。僕は人捜し屋の秋と言います。これはあくまで仕事の一つでしかありません」

「拒否します。話し合う余地は無いとお考えください」

「そうですか」

 

 せつらはシスターに背を向けて、その場を後にする。

 どちらにしろ、残りのハンターは、あのシスターを含めて5人も居ない。

 壊滅状態も良いところだ。もうできる事は殆どあるまい。

 これでできる事は玉砕のみだろう。

 一度だけせつらは振り向いて確認した。

 

「〈新宿〉なら働き口はいくらでもありますよ」

「悪徳の街、魔界都市ですか。私達はハンターですが、神の子でもあります。あんな所で布教をしても神は喜ばないでしょう」

「そちらの神父さんも同じ考えでよろしいですか?」

「えっ!?」

 

 バレていた、と言うシスターの驚愕の声を尻目に、せつらは岩盤の空間のさらに奥に視線をやった。

 これだけの規模でやってきた集団の長がシスターではどうも締まらない。

 シスターはいわゆる助祭なので、せつらの感性から言えば、集団の頭とするには不足がある気がした。

 妖糸で壁を走査(スキャン)してみれば、偽装されたこの空間の奥に、さらに偽装された空間があったのだ。

 壁から、キャソック姿の神父が姿を現す。

 こちらはシスターとは違い、初老のダンディな紳士と言う感じの男だった。

 

「悪魔の使者、いや、悪魔め――吸血鬼なんぞに使われおって」

「あ」

 

 彼の顔には見覚えがあった。

 人里で埋めらていた家族の、父親の顔だ。

 あの家族と入れ替わった父親役がこの神父か。

 

「あなたが人里でのまとめ役?」

「そうだ。さては潜伏拠点を調べに来たと言うのはお前か、余計な事をしおって」

「里に入るのに、一家を皆殺しにする必要がありましたか?」

「あった。我々が来てすぐに不穏な事件が起こったとなれば、疑いが向くは必定。手っ取り早くコミュニティに入り込みたくば、既に居る人間になるのが手っ取り早い」

「なぜあの家族を?」

「理由など無い。強いて言えば、丁度良かった。もしくは運が悪かった、それだけだ」

「そうか」

 

 声が――否、人が変わった。

 そうとしか言いようが無い。

 声も姿も変わらないが、せつらの姿をした別人が顕現した。

 

 

 

「私に出会ってしまったな」

 

 

 

 声が恐怖を無理矢理に想起させる。

 先程までのせつらとは、完全に人が違っていた。

 

「ぐえっ!」

 

 神父の苦鳴が響いた。

 妖糸による遠慮呵責の無い締め付けが、神経をこすられるような痛苦を与える。

 発狂寸前の痛みの中、神父は別人と化したせつらの声を、遠くなりそうな意識で聞いた。

 

「疑いどころか、実際にお前達は不穏な事件の犯人というわけだ。ならここで殺されても文句はあるまい?」

「た、すけ、――おおおお」

「弁解はあるか。聞いてやっても良い」

「な、何故、お前が、あんな、ちっぽけな家族を気にする」

「あの子供は顔を奪われた。そして、その顔をした者を私に殺させた。顔は戻ってこなかった」

「そんな、そんな事で、ぐおお」

 

 神父は、そのまま岩盤に作られた空間の外に、妖糸で引きずり出される。

 痛みを与えながら歩かせる程度の事は朝飯前だ。

 神父の顔は恐怖と痛みで歪み、涙と脂汗でドロドロになっていた。

 

「助けて――助けてくれ」

「お前に、あの少女に勝る好条件をやる。レミリア・スカーレットにはスカーレット・デビルと言う異名があり、この洞窟は地獄に続いているそうだ」

「――」

「――洞窟の奥と紅魔館、どちらに行く? 大地の下で朽ちる道しか選べなかったあの娘には許されなかった事だ」

「い、いやだ」

「そうか。まあ正直なところ、私にとってはどちらでも良い。お前の答えも、それもどうでも良い。行き着く先は同じだ」

「そんな――金を払う、女も世話する、だから助け、ぐええあ」

 

 神父が痛みで悶えていると、洞窟の天井から突如何かが落ちてきた。

 桶だ。

 桶が落ちてきて、グチャリと言う濡れた音を立てて神父の頭を潰した。かと思うと、中から少女が顔と手を出し、その首をねじり切った。

 神父は悲鳴すらあげる事も無く絶命し、桶に入った少女は、振り子のように洞窟の奥へと逃げ去った。

 わずか数秒の出来事だ。

 何が起きたのかと呆然とするハンターやシスター、妹紅達を尻目に、せつらから鬼気は失われていた。

 

「因果応報」

 

 春のさなかのような声でのんびりと呟くせつらは、いつものせつらだ。

 

「しまった。親玉がいなくなった」

 

 この状況で気にする事がそれとは、この青年は、やはりどこかズレているに違いない。

 

 

 ◆

 

 

 翌日、紅魔館のレミリア・スカーレットの私室にて。

 

「で、ハンターのボスの居場所はあの世と」

 

 レミリアの言葉に、せつらは沈黙するしか無かった。

 

「一応、首から下は持って来ています」

 

 虫も殺さぬような美しい顔で、若者は残酷な所業を告白した。

 例によってチルノに凍らせて貰い、後は妖糸で妹紅にくくりつけ、せつら自身も妹紅に運んで貰った。

 帰りは楽ができて良かったと、せつらは暢気な事を考えていた。

 

「クックック、クククハハハ、ハァーッハッハッハ!」

 

 レミリアは悪役の笑い三段活用を完璧にやり終えると、テーブル向かいのせつらに、仕事は終わりだ、と告げる。

 霧も大妖精に頼んでいつもの濃度に戻して貰っていて、紅魔館の庭園は美しさを取り戻した。

 

「ま、私の目的も親玉を消す事が一番の目的だったし? 相手がこの世から居なくなったんなら、それはそれで目的は果たされた訳だ、秋せつら君」

「僕は殺し屋では無いので」

「ああ、それはもちろん、そうだろうとも。ただ、こちらの目的を、探すついでに、勝手に達成してしまったと言うだけの話だろう? 会う手間が省けたと言う物さ」

 

 レミリアは屈託が無かった。

 人里の出来事を話したときも、長屋の爆発など、ハンター絡みの被害、その補償をある程度持って欲しいと妹紅が話した為、これは怒るかなと思ったが、この吸血少女は笑顔で快諾し、慧音への情報料も、経費として快く支払われた。

 生き残ったシスターとハンターは、このまま幻想入りしてしまうつもりらしい事をせつらに話した。

 忘れられた者が暮らす世界なら、自分達にふさわしい場所だと。

 まずは罪をどうにかして償わなくてはならないが、妖怪だらけの幻想郷で、吸血鬼狩りの力は重宝されるだろう。

 

「しかしほんとうに一日で解決するとはね。さすが〈新宿〉一だ。また仕事を頼む事もあるかもしれないが、いつまで幻想郷に滞在するつもりかな?」

「元々の仕事の進捗によります。ミス・スカーレット、つまり貴女は探し終わったので、後の3人を探し終えれば、帰ることになります」

 

 そこまでせつらが話すと、レミリアが封筒を差し出してきた。

 かなり分厚い。

 

「こいつはボーナスだ」

 

 せつらは封筒を受け取って苦笑した。

 

「少しばかり多いようですね」

「気にするな。なにせそれは金の成る木――いや、紙だからな」

 

 金では無いのか? 

 怪訝な表情でせつらが封筒を開けると、そこには手紙の山が収められていた。

 

「これは」

「いやね、ミスター秋、君のことを色々なところで話題にしたらね、是非会ってみたい、仕事を依頼したい、と言う声が引きを切らなくてね。手紙だけでもと私が受け取ったのさ」

「いや、あのですね」

「気に入った仕事があれば受けても良いし、気に入らなければ放置すれば良い。まあ頑張ってくれたまえ、秋君」

 

 そうして、ハッハッハと高笑いをあげながらレミリアは退出した。

 せつらは一人残された室内で呆気にとられ、吸血鬼からの報酬であるルビーを見つめて独りごちる。

 

「これじゃ割に合わない」

 

 最後の最後、この事件で一番やり手だったのはレミリア・スカーレットだったのかもしれなかった。

 




バンパイアハンター編は紅魔編でした
次は妖々夢編と行きたい所ですが、よく見たらルーミアすれ違っただけで何も良いシーンが無ぇ
まあフランもそんなに出番無かったし…妹紅も殆ど何もしてないし…ラストは何故かキスメが持っていくし(生首を)…私いじけちゃうし…


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閑話1:魔女会

魔女会(約二名+二名)


「久しぶりに世話になるわ」

 

 霧の湖が、霧の迷路を解消して以来、久々の来客だった。

 それでもパチュリーの日常は普段と何も変わらないから、少しだけ視線をやって頷くのみだ。

 パワー偏重の魔法使いのように、泥棒をせず、図書館でうるさくしなければ何でも良い。

 

「霧が元に戻ったって事は、解決したのね」

「まあね」

 

 来客は話しかけてきた。

 大図書館にもオープンな物とは言えキャレルがあるんだから、そっちへ行けと思わなくも無かったが、普段一人で研究を重ねているタイプだから、他人と会う機会に会話への餓えを解消するタイプなのかもしれない。

 小さな人形が相手をしろ、とパチュリーに寄ってくる。

 主に似た、金髪碧眼の美しい造形であった。

 

「結局何があったの?」

 

 人形の主である魔女、アリス・マーガトロイドは、本を抱えながら共通スペースまでやって来て、それに目を通しながら端的な質問をした。

 パチュリーも同じく「ながら読み」だが、ページをめくる手は止まることが無い。

 アリスはそれに加えて人形の操作まで行っているのだから、魔法使いにとって高レベルのマルチタスクは必修――否、魔法使いをやっていれば自然と身につくのかもしれない。

 

「単純な話よ。外から敵がやって来て、それを解決した。特別なことは何も無い」

「ふーん」

「――自分から話を振っておいてその反応?」

 

 この淡白さ加減は、あの美しい人捜し屋に通じる物を感じる。

 魔界の人って皆こうなのかしら、と風評被害が発生した。

 

「その話しぶりじゃ詳しく説明する気は無いんでしょ」

「まあね」

「なら、このリアクションでも良い――と言いたいところだけど、もうちょっと聞かせてもらえない」

「何を?」

 

 特筆すべき事はあったか、とパチュリーは眉を動かした。

 

「里で爆発事故があったんだけど」

「そうみたいね」

 

 里の一件は、事故と言うことで解決されていた。

 あれが事件だった場合、紅魔館がやり玉にあげられる可能性がある。

 地元住民との軋轢は、比較的新参の紅魔館としては回避しておきたい。

 レミリアはそう考え、爆発の被害の補償をいくらか受け持つ代わりに、自分達との関連や痕跡を慧音に始末してもらったらしい。

 

「そこから不可解な死体が出た」

「爆発に巻き込まれたんじゃないの」

「顔面だけ綺麗に吹っ飛ぶ事ってありえる?」

「さて。どんな死体か知らないけど、私は検死官じゃないからね」

 

 実際パチュリーは顛末を報告されただけで、それらを見ていた訳では無いのだから、本当のことだ。

 嘘というのは事実があってこそ成立する物だから、これは上手い話し方と言えた。

 

「そんな事を気にして、あなたこそ何かあるの」

「いえね、嫌な予感がするの。魔界の一部がどっかの街と繋がっちゃった時以来ね、これ」

「それで?」

「その事件と私の予感には関係があるような気がしてならない」

「関係ね――悩みも少なく楽しく生きてるあなたらしくない杞憂じゃなくて? アリス・マーガトロイド」

「パチュリー・ノーレッジらしくない言い分ね。勘や予感と言うのは根拠の無い物ではなく、無意識下における情報の取捨選択が発露したものだって、あなたも結論づけていたでしょう」

 

 ――だとすれば、その予感とは十中八九、〈新宿〉からやって来たあの魔人の事だろう。

 バンパイアハンターなど、アリスとは何の関連も無いのだ。

 なら、もう一つの異物が関係しているであろう事は、簡単に推測できた。

 

「情報の取捨選択って言うけど、個人のフィルターを通しているわけだから、当然その選択は主観による物でしか無く、ブレもハズレもある。気にしても仕方ないと思うけどね」

 

 正しい情報だけを無意識に選べる物がいるとすれば、それはもうこの世の者では無い。

 

「でも、良い予感もするの」

「あなた、大丈夫?」

 

 さすがにパチュリーもアリスを心配した。

 嫌な予感と良い予感を同時に感じているらしい。

 自律神経失調症か躁鬱かな、とあたりをつけるが、アリスの表情には、そう言った者特有の不安定さを感じない。

 アリスはあくまでも自然体であった。

 

「それも研究テーマに関係しそうな感じ」

 

 パチュリーは何と言った物かわからず、

 

「それはおめでとう」

 

 とまともな返答を放棄した。

 なげやりになったとも言う。

 

「完全自律人形ねえ――夢物語だと思うけど、良い予感って事は研究に進展があるのかしらね」

「関係しそうってだけだから、進展するとは限らないけど、ちょっと期待してる。幻想郷ではモノに生命(いのち)が――魂が宿ってしまうケースが多い。『自律人形』なのだから、そこに命があってはいけない」

 

 アリスは上海人形をくるくると踊らせて、残念そうにそれを見つめた。

 この人形はアリスが一番力を入れた作品だが、結果として魂が宿ってしまったかのような挙動をとる事がある。

 自分で考えて動く人形と考えれば凄いのだろうが、それは決して『自律』人形では無い。

 

「哲学のゾンビなんて、実現方法はもちろん、検証が不可能なんだから当然じゃない」

「それがそうでも無い。幻想郷だからこそ、魂の在処を検証できる人材がいる」

「――冥界」

「ご名答」

「協力はしてくれるの?」

「最悪、西行寺幽々子に勝負でも仕掛けて人形を死に誘ってもらう。それで尚、生者と同じ動きを人形が見せたなら――」

「自律して動いている人形という証明になると」

「そ」

 

 アリスは頷いた。幻想郷に移住した事は間違いでは無かった。

 ならば後はモノを完成させるだけだ。

 嫌な予感は消えてくれないが、それでも研究が進むならば充分に元はとれる。

 

「研究が完成したら?」

「また別にテーマでも探す。魔法使いだもの」

「あなたにも故郷があるでしょう。帰省とか考えないわけ?」

 

 そうパチュリーが言及すると、アリスは珍しくその美麗な顔を歪めて吐き捨てた。

 

「絶対にゴメンね」

 

 そこでこの会話は終了となった。

 

 

 ◆

 

 

「でく人形、出ておいで」

「あまり下品な呼び方はしないでくださいませ」

 

 一方〈新宿〉の高田馬場、通称魔法街に住むある魔道士が、助手の娘を呼び出した。

 こちらも金髪碧眼、磁器(ビスク)のようなつるりとした肌を持つ美しい少女だが、彼女は今は亡きガレーン・ヌーレンブルグの作り出した人形であった。

 ガレーン亡き後、人形娘はその妹であるトンブ・ヌーレンブルグの助手を務めている。

 

「御用はなんでしょうか? 食料は切らしていないはずですけれど」

「あんた、旅行をする気はあるかい」

「は?」

「いや、今までの忠勤を評価して休暇を与えようって話だわさ」

 

 この太った魔道士は、金銭への執着についても太っている。

 タダでこき使っている人形のために、そんな提案をすること自体がおかしい。

 人形娘自身も、それはきちんと把握しているので、一つ溜息をついた。

 

「今度は何を企んでいらっしゃいますの?」

「人聞きが悪いことを言うんじゃないよ、性格の悪い」

「主の性格がこれですので」

「口の減らない奴だね。そうだよ、儲け話になるかもしれない話さ」

 

 チェコno.2の魔道士はあっさり開き直った。

 性格までもが太っているらしい。

 

「伺いましょう」

「あのドクターからの依頼だよ」

「ドクター・メフィストですか?」

「他にドクターなんて呼べる奴がこの世にいるかい」

「いませんわね。しかし、ドクター絡みの依頼と言うことは、医療関係でしょうか」

 

 可愛らしく首をかしげる人形娘に、トンブも首をかしげようとして――首の肉がありすぎた為、頬が贅肉に埋もれるような仕草をした。

 

「それはそうなんだけど、ドクター自身が動けない件って話さね」

「ドクターが動けないなど、そんな事が?」

「そこの所は分からないよ。動けないと言うよりは、動きたくないような印象だったわさ。月に見初められたら面倒だとか」

「月より美しい方ですもの」

「ま、そう言うことだわさ。で、その仕事はせつらに依頼したそうなんだけどね」

「まあ」

 

 人形娘は喜色を露わにした。

 これが人間なら、頬は可愛らしく桜色に染まっていたに違いなかった。

 

「秋さんに依頼しているのなら、後は黙って待てば結果はついてきますわ。トンブ様にも依頼を出す理由は何です?」

「そのせつら自身が、どうもクワドラプル・ブッキングをやらかしてるらしくてね。それも〈区外〉に出るような内容だから、未だに帰ってきてないわさ」

 

 人形娘はさすがに唖然とした。

 一体どれだけの依頼をかけもちしているのか。

 二つ程度なら彼にとっては朝飯前だろうし、三つでも何とかするだろうと言う信頼もあるが、四つとは。

 

「やはり、慣れない〈区外〉で苦労していらっしゃるのかしら」

「かもしれないね。アレは〈新宿〉でなら無敵も良いところだけど、〈区外〉じゃタダのハンサムでしかないわさ。そこでアンタの出番って訳だ」

「秋さんにドクターの依頼を優先させて、それを持ち帰れと」

「わかってるじゃないか。さっさと準備してお行き」

「そんな仕事なら誰でも良いではありませんか。なぜトンブ様にそんな話が来るんですの?」

 

 トンブはぐっと言葉に詰まり、視線をあちこちに泳がせた。

 

「トンブ様が自ら売り込んだとか」

「ぐむむ、そうだよ」

「要するに、ドクターが求めた何かを、ドクターに渡す前に解析して一儲けしようと言う魂胆ですわね」

「わかってるじゃないか、こん畜生」

「その何かをネコババしようとしていないだけ、ひん曲がった根性がまともになったと考えます」

「いちいちうるさい人形だね、さっさと行きな。既に結界への入り口は用意してあるわさ」

「空間跳躍で結界の中に直接飛び込む術なんて、怖いことをなさいますわね」

「私を誰だと思ってるんだい。世界二の魔法使いだよ」

「はいはい」

 

 トンブ、研究室の窓にあるカーテンをがばちょとめくり、そこに何かの薬品をぶっかける。

 すると、窓は発光し始め、不可思議な光の漏れる入り口となった。

 

「出口は入り口だよ。これは帰りも同じだわさ。向こうにも妖物はいるらしいから、せいぜい気をつけな」

「承知致しました」

 

 人形娘がさして力もこめずに地面を蹴ると、その小さな体はふわりと窓辺を乗り越え、光の中へとその姿が消える。

 人形の身だから、眩しさはどうと言う事も無いが、見知らぬ土地へ飛び込むのは不安があった。

 そんな事を考えていて、気付けば風景は大自然に変化している。

 鈴蘭が一面に広がる、どこか寂しげな場所だった。

 




紅魔の補完と、妖夢(作品名)へのプロローグみたいな
妖々の章ってのも変だし、妖夢だと人名になるし
どうしようか困るタイトルっすね妖々夢
かっこいいタイトルではあるんですけどね妖々夢
もうそのままでいいじゃん(いいじゃん)


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妖夢の章~オラトリオ・ドールズ
12話:不思議の郷の何某


 〈新宿〉の魔人、秋せつらが幻想郷に滞在して四日目、朝。

 どこに滞在しているのかと言えば、悪魔の住む館、紅魔館である。

 特に理由があってここにいる訳では無いのだが、先方――レミリア・スカーレットの厚意だった。

 せつらとしては、依頼の一つと宿の問題を同時に解決できたため、僥倖だったと言えるが、予定にない仕事も片付けたので、滞在時間が延びている。

 見知らぬ土地での行動で疲労を溜めていたせつらは、一日を休息に費やした。

 待遇自体はお客様だから快適とすら言え、文句などあろうはずも無い。

 唯一不満があるとすれば、この館の住人は全員が紅茶党なので、せつらに出されるお茶も紅茶になってしまう事か。

 寝間着としてバスローブを提供されていたせつらは、洗濯済みの衣服を咲夜から受け取った。

 咲夜としては、ただでさえ美しい青年が、一枚布で身を覆っただけの姿をしているのだから、目の毒と言う物だ。

 

「どーも」

「朝食はいかが致しましょう」

「スカーレットさんにお付き合いしなくても?」

「お嬢様は実のところ、生活時間が不規則なのですよ」

「へぇ」

 

 早寝早起きが新時代の吸血鬼だと放言していたのは何だったのかと思ったが、とりあえずメニューを聞いてみることにする。

 

「米飯、納豆、味付け海苔、豆腐とネギの味噌汁、焼き魚、大根おろし、漬け物、以上です」

 

 洋風の館にそぐわぬメニューに、若者が疑念を呈した。

 

「なぜ和食を」

「お嬢様の好物ですので、紅魔館では定期的に和食が提供されます。今日がその日と言うだけでございますわ」

 

 せつらは何とも言い難い表情で衣服を着替え、レミリアの私室では無く食堂へ向かう。

 食堂と言っても下働きの集う所ではなく、正規の住人が集まって会食をするための部屋だ。

 咲夜の言葉通りレミリアの姿は無かったが、美鈴とパチュリーが席に着いている。

 加えて咲夜自身も席に着く。

 どうやら咲夜は使用人でもあり一族でもあると言う特殊な立場から、レミリアがいない時に限り食事に同席するらしい。

 さらに奇妙な事に、この館の食前の挨拶は「いただきます」であった。

 せつらは日本にかぶれた外国人を想起しながら朝食を終わらせた。

 何故ここまで和食なのに、お茶は紅茶なのかと疑問に思いながら。

 全員が食事を終えたところで、せつらからの質問があった。

 

「皆さん、アリス・マーガトロイド、八意永琳、聖白蓮。この名前に心当たりはありませんか?」

 

 三人は顔を見合わせた。

 咲夜が代表して質問に答える。

 

「その三人は、我々紅魔館も含めて、主だったコミュニティで名前を知らない者がいない――と思われます」

「詳細を伺っても?」

「では僭越ながら。アリスは魔法の森在住の、人形使いと言われる魔女です。人里へ人形のテストで人形劇を行いに来るので、会うのは容易いでしょう」

「人形使い」

「はい。興味がおありで?」

 

 興味が無いと言えば嘘になるだろう。

 なにせ、せつらの技術も「人形使い」「死人使い」などと呼ばれる事があるからだ。

 それは似たような技術を会得している事実を意味する。

 と言っても、せつらの表情の変化は誰にも読み取れなかった。わずかに眉を動かした程度で、続きを促す。

 

「八意永琳は、宇宙人ですね」

「は?」

 

 聞き間違いかと、もう一度尋ねてみるが、答えは変わらなかった。

 

「幻想郷に、宇宙人が」

「ええ、どうも月から亡命してきたらしくて」

 

 月。確かに宇宙と言えば宇宙だろうが、神話やおとぎ話の関連だろうかと、せつらは訝しんだ。

 

「亡命と言うと、テロリストかなにかで?」

「いえ。かぐや姫の犯罪を幇助し、月の使者を皆殺しにしたそうです」

 

 月にかぐや姫と言う幻想的な固有名詞にそぐわぬ、血生臭い背景が出てきた。

 

「それはそれは――もしかして、そのかぐや姫もご一緒で?」

「仰るとおりです」

 

 どうもスケールが大きすぎて、せつらは説得が難しくなるような雰囲気を感じた。

 そも、かぐや姫がいると言われても全然ピンと来ない。

 

「お住まいはどちらに」

「迷いの竹林と呼ばれる地域に、永遠亭と言う屋敷を確保して住んでいますね。人里でも評判の医者です。竹林に関して方位磁石は役に立たず、地形は絶妙に歪んでいて真っ直ぐ歩くことも適わず、光波をいじられているせいで景色もアテにならない上、多数の妖怪がうろついています」

「そんな医者にどうやって通うんです?」

「案内人がいるのですよ。竹林の入り口付近に藤原妹紅と言う娘の住居があるので、彼女を頼れば問題ないでしょう。先の騒ぎで妹紅とは面識ができたと聞きました」

「一応、ですが」

 

 永遠亭を訪ねるだけなら何とかなりそうであった。

 持つべき者は現地に詳しい知り合いである。

 いよいよとなれば、またチルノを頼ろうかなとも思ったが、あの妖精は能力こそ高いものの、なにかあった時にこちらの要望を受け付けるとは思えない。

 世話になっておいて酷い言い草かもしれないが、せつらとしては地雷を持ち運ぶわけにもいかなかった。

 

「聖白蓮は、妖怪寺の貫首ですね。命蓮寺と言うお寺を、人里付近に建立してそこで暮らしているようです」

「妖怪寺と言うことは、人間では無い?」

「白蓮自身は、元人間だそうです。ただし、本尊や弟子達は皆妖怪ですわね」

「妖怪が仏教徒だと仰る」

「私もそれは疑問なのですが、そう言う事らしいですね」

「凄いところだ」

 

 せつらの素の感想に、咲夜はもちろん、美鈴やパチュリーも一瞬笑いをこぼした。

 その笑いの中にはせつらが自身を棚上げにした一言であると言う理由もあった。

 お前も凄いところに住んでるだろ、とそんな感じだ。

 

「秋様は彼女達を〈新宿〉とやらまで連れて行くと?」

「基本的にはアポをとり、居場所を依頼人(クライアント)に報告して終わりですが、オプションの有無や居住地を頻繁に変える場合は、確保して同行も有り得ます。アフターサービスは、その時の気分ですね」

 

 気分次第でアフターサービスを決めるとは、どんだけ殿様商売なんだと、三人は苦笑する。

 レミリアが彼のことを面白がる理由もその辺りにあるのかもしれないと、メイドや魔女、門番は妙な納得を覚えていた。

 美鈴は別のことに興味があったようで、それについて聞いてくる。

 

「お嬢様が色んな所から持ち込んだ依頼は請けられないんですか?」

「あれですか――都合とスケジュールが合えば請けても構わないとは思っていますが、相手次第です」

 

 せつらが前回の事件の最後に受け取った、手紙の山の事だ。

 あの封筒には、条件の良い物から悪い物、良く分からない物まで幅広い依頼がひしめいていた。

 曰く、妹を探してくれ。

 曰く、祖父を探してくれ。

 曰く、天の邪鬼を探してくれ。

 酷いのになると、食べて良い人間を探してくれとか、信者になってくれる人を探せとか、宝を探せとか、人体実験に付き合えとか、バンドメンバー募集とか、店番募集とか、もはや人探しと関係ない依頼が混じっていたりした。

 例えば「私を探してください」は〈新宿〉でも過去にあった依頼だが、これは面倒そうな気配がする。しかも二通あるので、別々の人間(?)が自分捜しをしている。

 剣呑なのが「誰もいなくなるので探してください」と言う物で、何故かレミリアからお勧めの依頼としてピックアップされた。殺害予告としか思えない。

 意味不明な物には「弥勒を探してください」と言うのがあった。なにかを勘違いしている上、仏の教えが正しければ56億年後、自動的に会える。

 他にも、この〈新宿〉の魔人をして()()()と感じたのが「説教をするから来なさい」と言う物だった。

 やめて欲しい。

 そんなシンプルな感想しか持てなかった程度にはやばい。

 一体レミリアはどれだけの人(?)にせつらの事を吹聴したのか。

 これらの依頼に手をつけるかどうかは、まだ決めかねている。

 悩んでいる様子の――傍目には呆けているようにしか見えない――せつらを見かねたパチュリーは、アドバイスらしきものを提言した。

 

「レミィは何日でも此処に滞在しても良いと言っていた。さしあたって、まずはあなたが今抱えている仕事を片付ける方が建設的じゃない」

「それは、まあ」

「ふん、アリスに関して言うなら、彼女、昨日図書館に来てたわ」

「昨日?」

「あなたが客室でのんびりしてた時ね」

「あちゃ」

 

 既にニアミスしていたとは、寝耳に水の話だった。

 この魔女にアリスを探している事を告げておけば、楽に仕事が片付いたかもしれないが、それを後悔しても仕方が無い。

 

「まずは誰を探すの? 探すと言っても所在は知れてるから、交渉が主になるのだろうけど」

「――さて。皆さんのおすすめは?」

 

 せつらの何気ない言葉に、

 

「アリスさん、ですかね」

「アリスね」

「アリスが無難だと思いますわ」

 

 我の強い個性を持った三人の意見が、満場の一致を見た。

 理由を問いただすと、アリスが一番接触しやすいと言うのもあるが、何より個人で活動していて、人間関係のしがらみなども無いからと言う事だった。

 せつらは納得して、次の目的を人形使いへ定める事にした。

 ふと、一つだけ気になる依頼があった事を思い出す。

 

「阿修羅の持ち主を探してください」

 

 

 ◆

 

 

「あなたは食べても良い人類?」

「困ります」

 

 それはそうだろうとルーミア自身も心中でツッコんだ。

 食べられて良いことなど何も無い。

 美しい青年のとぼけた返答に、ルーミアは興味深さを見出したようだった。

 せつらが霧の湖経由で魔法の森に入って、すぐに出くわしたのが彼女だ。

 鉢合わせるなりそんな事を言う物だから、せつらの返答も、どこかズレた物となった。

 

「んー、前に会ったことある?」

「はて」

 

 まるで下手くそなナンパみたいな事を言い出したので、せつらは首をかしげた。

 

「声に聞き覚えがあるんだよね」

 

 せつらにも聞き覚えがある。

 先日、畦道ですれ違った()()だった。

 

「ああ、あの真っ黒な」

「やっぱり。ねえ、食べて良い?」

「ダメですね」

「ちぇー」

 

 ルーミアは至極あっさり諦めて踵を返した。

 彼女の目的は人間その物と言うより、それを襲うことによって発生する畏れや恐怖だった。

 然るに、この美しい青年はどこかおかしいのでは無いかと言うくらいにその手の感情が見受けられない。

 ルーミアが諦めるのも当然であった。

 せつらはその背に向かって一言だけ添えた。

 

「あなたはアリス・マーガトロイドさんの自宅をご存知ありませんか」

 

 ルーミアは億劫そうに振り向いて、森の奥を指差す。

 

「どーも」

 

 簡単に礼を言うと、再びせつらは鬱蒼とした森の中を歩き始めた。

 糸を森の外周の木に巻き付けてあるので、迷子になる心配は無いが、本当にこんな森の中に家屋が存在するのかは疑わしい所だった。

 この森は瘴気がわだかまっているので、まともな人間の立ち入りは危険だが、せつらの故郷である魔界都市は瘴気で形成された街と言って過言では無い。

 むしろこんな自然の中なのに、懐かしさすら感じる程だった。

 既に右も左もわからないような深部に入り込んでいるせつらの前に、突然人為的に切り開かれたような空間が姿を現した。

 日の光もまばらな森の中と違い、太陽光が降り注ぎ、小鳥がさえずる。

 そこにメルヘンチックな住宅がぽつんと一軒だけ存在していた。

 森の中に住む魔女。どことなく童話の1ページのような風景。

 せつらは一つ息をついてから、洋風の住宅の玄関ドアをノックした。

 返答は無かった。不躾に窓から中を窺おうとするが、カーテンが閉まっているため、確認ができない。

 留守かな、と思い、アリスの帰宅を待つかどうかを決めあぐねていると、いつの間にか玄関前に小さな人形が出現していた。

 人形は玄関のドアを開け、せつらに手招きをしている。

 普通なら恐怖を覚えるところだが、この若者にそんな繊細さは期待できまい。

 むしろこの若者はラッキー、とばかりに招きに預かった。

 中の調度も、いかにもメルヘンな住宅のイメージに沿った優美なものだった。

 貴族的ではあるが真っ赤な紅魔館とは違う趣がある。

 ふと人形に視線を戻すと、その人形は勝手に火を起こしてお茶を入れていた。

 席とお茶を勧められたせつらは何と言ったものか分からず、とりあえず謙遜するしかなかった。

 

「おかまいなく」

 

 その言葉に、人形は手を振って「気にするな」と言う意志を表したようだった。

 せつらはなんとはなしに、トンブ・ヌーレンブルグと人形娘の事を思い浮かべる。

 これでアリスが太っていて金にがめついタイプなら面倒だな、などと失礼な事を考えていると、玄関のドアが開いた。

 姿を表したのは(ひな)にも稀な美少女であった。

 陽光にきらめく金髪、汚れの無い海のような青い瞳、スッと通った鼻筋、桜色の艶を持つ唇。

 それらが完成された配置で一人の人間の中に収められている。

 せつらの魔性とは違い、誰もが正気のままに認められるであろう美しさであった。

 衣服のトリコロールカラーも彼女の魅力を引き出している。

 そこには一片の瑕疵も無く、まさしく本から飛び出してきたような、典型的な『アリス』。

 欧米人の少女としてのイメージが固められている、あの『アリス』だ。

 ならば、彼女がアリス・マーガトロイドに違いないと、せつらも無言のうちに理解した。

 

「どなた?」

 

 アリスの言葉に、せつらも立ち上がって挨拶をした。

 それぞれ異なる美を備えた者が、向かい合って言葉を交わす。

 この場に芸術家を放り込めば、命を懸けてもこの現場を作品として残したがるだろう。

 

「お邪魔しています。僕は秋せつらと言います」

「ふーん、あなたが秋せつら。ふーん。ふーん」

 

 要領を得ない感嘆を、アリスは何度も繰り返した。

 

「私はアリス・マーガトロイド。ふーん、あなたがね」

 

 レミリアからせつらの事を聞いた内の一人だろうか。

 アリスはせつらの向かいの席に腰かけると、じろじろと無遠慮な視線を向けてから言った。

 

「蓬莱人形は失礼が無かった?」

「僕を招いてくれた人形のことなら、ええ、お茶まで頂いてしまって」

「ふーん、なら結構。で、あなたの仕事からすると、私を探しに来たと考えても良いの?」

「仰るとおりで」

 

 ここからが本題だ。

 せつらは心なしか表情を引き締めた。

 傍目には表情の変化は見られず、春の宵に惹かれたような青年のままでしか無かったが。

 

「私を探しているのは誰?」

「分かりません」

「は?」

 

 アリスの視線は当然のようにキツくなった。

 その表情すらも美しく愛らしいのが複雑なところだ。

 

「名前は明かせないそうですが、是非会いたいので、無理にでもアポをとって欲しいと、大金を用意されまして」

「そんな怪しい人に私が会いたがると?」

「いえ」

 

 やはりネックなのは、依頼人(クライアント)が「確実に会いたい」と伝えてきていることであった。

 普段の依頼のように、居場所だけ伝えて「会いたくないそうです」と終わらせる事ができない。

 面会できるまで続けてくれと依頼人(クライアント)が料金を払っているのだから、なんとしても会ってもらわないと契約が履行できないのだ。

 とは言っても、やはり何もかも不明というのは旗色が悪く、どう説得すれば良いやら、シンプルに難しい依頼なのかもしれなかった。

 若者はせめてもの起死回生を図る。

 依頼人(クライアント)の人物像を伝えれば少しは状況が変わるだろうかと。

 

「容姿は若い女性です。白く縁取られた赤いワンピースの上に同じく赤いケープをまとっていて、ロングヘア。色は銀っぽい寒色で髪の毛をひとふさ縛っていました」

 

 反応は劇的な物があった。

 ただし、それが良い反応とは限らない。

 アリスは突然椅子を蹴倒して立ち上がり怒声を浴びせた。

 

「帰って! 二度と来るな!!」

 




アリスはかわいい
ふーんふーんってアリスもかわいい
パチュリーの場合は海馬みたいに「ふん、」と鼻を鳴らす仕草です
癖の話です
白蓮は「あら」と目を丸くする仕草です
おばさんみたいな、いや、マダム、いやいや、おっごおおごっごご


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