(Fate 二次創作) 『臨終編』 (段差滝脈動)
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①結界破り

 重いスーツケースを抱え上げて、人目につかないようにと四時間も暗い山中を歩き回って、ようやく目的のものが見えてきた。月の光も雲に散らされて、1m先も見えないような闇の中に、浮かぶように白い光が帯をなしている。……こちらの行く手を遮るように。

 

 幾分前に感じていた複数の魔力も今は感じないほどに離れて、しばらくは身の危険はないだろうと思う。もちろんあの結界の外側ならば。……白い光で遮られた奥はますます暗く、魔力など探らせてはくれない。

 

 さあどうしようか、試しに投げ込んだ石は…………どうなったのだろう?少なくとも界面で爆発などはしなかった。次は魔力を、と言いたいところだが間違いなく感知される。

 

 いつ仕掛けるべきか、どうしたもんかと結界沿いに歩いていると、前方から少しの魔力を感じる。地脈の末端があるのかもしれない。もう少しだけ近づいて、刺激臭が鼻を突いた。なんとなく予想はついたのだが、それを確かめようと視線を向ける。……木々や茂みの奥には結界の光も届いていない。当然のように見えない。

 

 少し迷って、結局ペンライトを使うことにした。うまくいけば結界を押し通ろうとした者の末路を拝めるかもしれない。

 

 灯りに照らし出された現場はひどく荒らされているように見えた。魔術的守りを仕込んであったと見える紺の外套らしきものは大きく切り裂かれ、そこそこ綺麗に切れている断面からは混ざった中身が……あまり見ないようにしよう。下半身とちぎれとんだ手ぐらいは確認できるのだが、胴体や頭は見えない。持ち去られたのだろうか。傍らに落ちている手提げかばんはファスナーが壊れるほど乱暴に開かれて、中身が散乱している。そこまで確認してペンライトを消した。全体的に現場が魔力でぬれていることから考えると、俺のようなハイエナ魔術師もどきの殺し合いだろう。もしくは結界の中の連中が猟犬でも放っているのか。

 

 ああこの死体だけ漁って帰りてえ。

 

とも言ってられない。何にせよ結界の間際という現在地に危険物があることは確かだ。さっさと結界内に侵入した方がよさそうだ。懐から取り出したルーペ越しに結界を観察する。膨大な魔力が循環しているが、致死性の変なものは仕込まれていない……と信じることにしよう。この程度なら全力で魔力を使えば侵入できないことはないはず。その後は魔力がきれそうだが、その後のことは後で考えよう。どうせダメでもともとなんだから。

 

 魔術回路に魔力を通す。緊張からか魔力の乱れに伴って回路がきしみをあげる。まあ問題はない。結界の光を頼りにメモ帳に目を通す。やはりフローチャートを持ってきたのは正解だった。……変な属性はない。変な物理的な罠との接続もない……はず。大丈夫、大丈夫、俺にはできる。結界に魔力を入れる。慎重な作業、焦ってはいけない。ごうごうと風が鳴るような音が気になる、集中を乱すな。気が付いたら横に吹っ飛んで地面とキスをしていた。

急いで立ち上がって目に入ったのは。

 

 全身魔力ぬれの、いや魔力そのもののような人だった。青い燐光で底上げされている背は、それでも俺の方が高い。服はスタジアムジャンパー、その下から除く脚やまくり上げた袖から除く腕なんて心配になるほど細い。なのに、こいつから感じる圧倒的な魔力はなんだろう。地脈そのものが人の姿をしたような。……どう考えても化け物だ。スーツケースが手元にないので仕方なく懐を探る。そいつは悠長にこちらに頭を向けて観察しているのだろうか。逆光で真っ黒の顔に白い月が現れる。びくっと伸びあがってしまった。歯だ、捕食するつもりなのか?……落ち着いて、落ち着いて、何をすればいいのだろう。考えはまとまらず立ち尽くす。まさに蛇に睨まれた蛙である。何をしても状況を悪くするような気が…

 

「ねえ、あなた。この結界を開けられるよね?」

 

 親し気に話しかけながら、そいつはゆっくりとこちらに近づいてくる。この流れはまずい。先手を取って腹でも見せればよかったか?自然そのもののような強大な存在に対して、こちらの退魔の札はスーツケースにあるし、もうどうしようもない。観念して返答する。

 

「……はい。人一人通れるぐらいなら」

 

 2mほど離れてそいつは立ち止まる。緊張で内臓が縮こまる。命乞いは聞いてくれるだろうか。そいつはこちらの目をまっすぐ視線で射抜いて、一瞬だけ右に、俺の右腕に視線をやった気がした。青い燐光の奥には、黒い髪、黒い服、黒い虹彩。一瞬だけ向いた視線の動きを逃さなかったのは運がよかったのかもしれない。そいつはこちらに一歩二歩と近づいて、伸ばされた指が身動き一つとれない俺の胸を突く。少しぐらつく、生きた心地がしない。

 

「私は、この先に行きたいのだけれど、いくらかかる?」

 

 結界の先に行きたいのだろうか。見逃しては欲しいが、葉っぱのお札など受け取ってもしょうがない。

 

「いえいえ対価なんて……ははは、無料で、ロハで、すぐに結界を破りますよ。ええ本当に」

 

「それじゃあ、お願いしようかな」

 

 愛想のよい返答に油断していたら、そいつの手が俺の襟をつかんで引き寄せる。う、うかつだった。数センチの距離で目が向かい合う。食われるのか、俺は。威嚇するように窺うように視線が鋭く、俺の目を通り抜けて脳にまで刺したようで。

 

 頭の中で小さく弾けるように灯った違和感があった。

 

 怯えるように化け物の顔を見る。幼げな、白く滑らかな肌に丸っこい目。愛嬌があるなと感じないこともなかったかもしれない、その目が細められ、こちらを見定めるように不躾な視線を向けてこなかったのだとしたら。

 

 緊張の中、時間がいくら立ったのかもわからないが、化け物は目を閉じ、口を開けてニッコリと笑った。わき腹から背中へ震えが伝わる。死ぬ。死ぬ。漏れだしそうな情けない悲鳴をかみ殺す。歯が軋みをあげる。

 

 化け物はこちらを弱虫と見て苛立ちを覚えたのか乱暴に鼻を鳴らした。

 

「私が綺麗だからって挨拶を忘れたの?ボク、自分のお名前は言えますか?」

 

 馬鹿にするような軽い調子。

 

「た、……建持、到と申します」

 

 口に出してから気が付く。化け物に名前をわたすなんて!

 

「ふ~ん。到くんだね。……でもどうしようかな。教えちゃおうかな。

到くんは私の名前、聞きたい?」

 

 相手の名前を受け取るかどうか、どっちだ?似ている妖怪の話を聞いていたら正解がわかったかもしれないのに…。

今は相手の機嫌を損ねることが怖かった。

 

「知りたいです。教えてくれますか?」

 

 化け物は口角をあげて笑みを深めた。……何も言わない、沈黙が恐ろしい。

 

「お願いします。教えてください」

 

「よろしい!私は隼。よーく覚えておいて。チャンスは一回よ。それじゃあ到くん。……よろしく」

 

 冷たい息とともに最後に一言残して目が離れていく、襟が解放される。よろめいたが何とか倒れずに踏ん張る。

 

「さて、ただで結界の先に届けてくれるんだよね?」

 

「はい」

 

 黒い瞳の鋭い視線から解放されて一息ついているところ、こちらの外套がわしづかみにされた。そして隼はそのまま俺を引きずるように歩いていこうとする。鬼だろうか、化け物にふさわしいとんでもない力だ。咄嗟にあげた一言は運がよかったのだろうか。

 

「あっ!荷物!」

 

 隼が止まる。そして俺が指さした方向に転がっていたスーツケースを認めて、そちらに進路を変更した。隼はスーツケースを右肩に担ぐと、左手で俺の右腕を握りなおして走り出した。あまりに常識はずれなこのスピード、見た目は人間と変わらない。……精霊か妖怪か、……鬼だろうか、角が小さい。

 

 俺は引きずられ、押しが地面や植物と激しく接触して跳ね上げられる。いくら魔力を使ってもこのままでは全身の骨や肉が折れてしまう。

 

「ストップストップ、死ぬ。死んじまう。

助けて隼。止まって……」

 

 俺の情けない言葉を受けて、隼が止まる。隼はこちらに振り向いて、ごめんごめんと軽く謝って、へたり込んだ俺の膝や靴についた土を手で払っている。なぜ手を使う。俺のハンカチは隼の手を拭いて汚れることになった。

ひと段落して隼は俺の外套の袖口をつかんだ。

 

「到くんは脆いからここからは歩いていこうか」

 

 ゆっくり歩いてくれるらしい。とはいっても、そもそも移動する必要があるのだろうか?

 

「結界の向こうに行きたいだけなら移動する必要はないんじゃ……ないですか」

 

 隼は立ち止まって、こちらの顔を覗き込む。その表情は少し楽しそうだ。

 

「ちょっとやることあってね。……気になる?気になっちゃう?……到くん?」

 

 視線だ。またこの視線で心臓が激しく鳴る。頭がくらくらして、吐き気がする。状態のよくない頭で、どう答えればいいのか。また悩ませる。

 隼は立ち止まっている。はよ歩けや。この化け物との別れがどんどん遠ざかっている気すらする。このままでは話が進まない。このまま隼と一緒にいると恐怖と緊張で頭がおかしくなりそうだ。

 

「……歩きながら聞かせてください。見られていると、……こう、落ち着いて話ができない」

 

 隼はため息をついて、再び歩き出す。俺の手を引いて。その足取りが軽くなった……気がする。

 

 

 

「ここよ、ここ」

 

 隼が立ち止まる。俺は周りを見渡すが、特に気が付いたことはない。何のことはない結界がある深い山中である。最初に隼と出会った場所と大して変わらない。

 

「ここを開けて。到くん。ただでやってくれるよね」

 

 隼は、にこにこと結界を指さしている。なんでわざわざここを開けようというのか。この造りの結界は一定のはず、弱いポイントなんてない。こちら側、結界、どちらでもないならあちら側……考えてもしょうがない。のんびりと時間を使って機嫌を損ねるわけにもいかないので早速取り掛かる。魔力を指先から放つそれを固定して針のように。結界の白い魔力を薄皮に削いで、自分の魔力を刺していく。数千本のコードの束から一本をニッパーで切り飛ばすようなもんだ。難しくはない。結界の主には、すでに侵入を察知されたろうが。……急き立てる緊張感が指先を震わせる。少しづつ魔力を増やして、川の流れに突き出した石のように、俺の魔力を避けて結界の魔力が回りだす。結界の空白をこじ開けて、……うまくいった。結界には1m四方ほどの穴が開いている。にもかかわらず結界の魔力は迷いなく循環している。

 

「出来ました。隼さん。これでいいですよね」

 

 振り返ると、隼は満足そうにうなずいている。

 

「おおー、えらいえらい」

 

 そいつの手のひらが俺の頭頂を撫でる。勢いあまって首が飛ぶんじゃないかと冷汗をかいたが、意外にもその手つきはやわらかだった。自分より幼い存在に頭を撫でられるのは落ち着かない。ある種屈辱的ですらある。

 それよりも時間が無い。異常を察知した中の魔術師が飛んでくるはずだし。

 

「名残惜しいですけど、早くいかないと通れなくなりますよ」

 

「それじゃあ、ありがとね!到くん、また会いましょう」

 

 そいつは軽やかに結界をくぐりぬけて、結界の先で振り返って、一度だけこちらに手を大きく振って、木々の奥へと消えていった。

 別れ際の言葉が不穏すぎる。塩でもまいた方がいいだろうか。……それよりも急いだほうがいい。隼が適当に放り出していたスーツケースを持ち上げて、俺も結界をくぐる。

 侵入成功。任務は次の段階だ。

 



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②旧知の人

 汚れた外套はハンカチを少し使って諦めたが、汗をかいた下着はそのままにしたくない。着替えを早々に使うことになった。土がついたスーツケースは拭いてある。傷ができたが、まあ問題ないだろう。

 それよりも結界の内側は何者か、結界の魔術師のもので間違いないだろう、の使い魔でぎっしりと埋め尽くされているようだ。こちらから使い魔を放っていくらかは始末したが、感じる魔力が、監視の網が緩くなっている気はしない。町一つの全域を使い魔で監視しているとも思えない。はやく結界から離れて身を潜めなければ。

 使い魔か罠か、感知した魔力を避けるように山を下る。

 

 

 

 夜更けて、ようやくたどり着いた県道でコンビニに寄り、温かい飲み物と新聞を買う。このまま使い魔で見張りながら、安宿を確保したい。

 外に出ると、スキンヘッドにスーツの男が近寄って来た。

 

「建持到さん。うちの事務所まで来てもらいましょうか」

 

 突然話しかけられてビックリしてしまったが、冷静に男を観察する。襟のバッチは議会のものだが、顔に見覚えがない。このあたりに来るのは、はじめてである。名前を知っているし、少し顔を合わせて自分が忘れているのかもしれない。

 

「ええ、いいですよ。でも、少し待っていてください」

 

 男をその場に残して、再びコンビニに入る。準備しなければ。

 

 

 

 どこにでもあるようなオフィスビルに案内された。男、日光さん、初対面である、に促されるまま、エレベーターで三階に上がり、奥の部屋の前に案内される。日光さんは踵を返したので、一人で部屋に入る。日光さんの話では半信半疑だったのだが、……想像通りの人物が出迎えてくれた。

 

「到くん。しばらくぶり。今日は私の顔を見に、わざわざ来てくれたの?」

 

「夜遅くにありがとうございます。千里さん。このたびは少し任務があって……奇遇ですね。千里さんも仕事できているとは」

 

 松木千里、地元議会の構成員で少し偉い人、彼女がここにいるのは驚いた。一週間ほど前に仕事で遠出するとは聞いていたけど、行先は教えてくれなかったし。

 忘れないうちに、先ほどコンビニで購入した焼き菓子の詰め合わせを差し出す。

 

「どうぞ、つまらないものですが」

 

「わぁ、ありがとう。座って座って。今お茶を入れてくるからね」

 

 穏やかな印象のたれ目をさらに緩めて千里さんが笑う。遠く一人旅、張り詰めた緊張が切れそうになる。ダメだ気を抜かないようにしないと。

部屋を出ていった千里さんをソファに座って待つ。

 少し部屋を見まわすが、場所が変わっても議会は大きく変わらないらしい。木彫りの置物や墨で書かれたありがたいお言葉が飾ってある。ソファは柔らかいし、部屋は暖房が効いて暖かい。落ち着く。気が緩む。

 

 千里さんが盆を片手に戻って来た。

 

「空調はどうかしら?寒くない?」

 

「ちょうどいいです。おかまいなく」

 

 湯飲みと煎餅が机に置かれる。

 千里さんはそのまま座らずにエアコンのパネルを操作している。

 

「少し温度をあげたから、これでいいかな?ずっと外にいたの?寒かったね」

 

「だ、大丈夫だから」

 

「その手袋、室内でも外さないの?」

 

 !外すと見えてしまうが、外さないのは不自然だ。千里さんは、どこまで知っているのだろうか。考えながら視線を千里さんの手に向けかけて……、慌てて視線を落とす。何も知らないという体の方がいいはず……

 

「ちょっとケガしちゃって、ぶつけたのかも」

 

 そういって手袋を外す。隠しておきたかった傷跡が露わになる。いつ授かったのかはわからない。灯りのある道に出て初めて気が付いたもの。俺の右手の甲に、アルファベットのCが連なったような、鎖のような形に肉が沈み込んで赤黒い痕になっている。

 

「見せてみて、治せるかも」

 

 千里さんが優しく俺の右手をとる。傷跡をゆっくりなでる。魔力が流れる。……さすがに治療だけでないことぐらいわかる。探るような魔力の動き。

 間違いない、千里さんは、この令呪について知っている!……少しでも表情に違和感が出ていないだろうか。

 千里さんは少し考えこんで口を開いた。

 

「到くんは……この町でもうすぐ大規模な、魔術的な儀式が行われることになっているって知っているかな?……知っているよね」

 

「そりゃあ……」

 

 言葉に詰まる。千里さんは議会の一員としてここにいて、俺は独断で家を出てここまで来たということになっている。下手なことは言えない。いや、何を言ってはいけないんだ?

 ……まあ、最低限の知識だけ持っていることにしよう。地元でのことは、俺が聞いていなかった。俺が聞き流していた。これで行くしかない。

 

「聖杯戦争。ずいぶん大規模な儀式をやるらしいね。それで少しやることがあって」

 

「……聖杯戦争については知っているの?どれだけ危険なのか?」

 

 千里さんが向けてきたまっすぐな視線に、ばつが悪くなる。視線をそらさないように気を付けるが、千里さんの首のあたりを頼りなくさまよってしまう。

 本当は儀式の最後で魔力をかすめ取るのが目的なのだが、しらばっくれるしかない。儀式の参加者になんてなるつもりはなかった。

 

「地脈から魔力を集めることは知っているよ。膨大な魔力がたまるらしいね」

 

「それだけではないわ。危険な、とても危険な儀式……なんだけど」

 

 危険か、……出発前に聞いた話だと降霊術で危険物を呼び出してそれをタンクにぶち込んで魔力にするらしい。確かに危険だ。

 

「危険があることは知っているよ。それを承知でここまで来たんだ」

 

「到くんは、何をしにここまで来たの?私には話せない?」

 

 千里さんが心配そうにこちらを覗き込む。当面の目的は、話してもいいだろう。たいしたことでもない。

 

「……儀式で魔力を集めるようなので、なんとかその魔力を拝借しようと思って」

 

 千里さんが息をのんだことがわかる。責められているでもないのに、つい俯いてしまう。

 

「到くん。…………魔力を集めることは諦めてくれる?

本当に危ないの。魔術協会だけじゃない。連合も議会も儀式には干渉しないことに決まっていて、そこで魔力をなんて言ったらどうなるかわからないわ」

 

 魔力を集め終わるまで帰ってくるなとは言われていない。でも、まだ始まってもいないのに諦めるつもりもない。俺が黙っていると千里さんは、彼女にしては珍しく力強く言った。

 

「私に任せて」

 

「何を?」

 

「とにかく術師さん達に話を通さないと。ここを動かないで、待っていてね。……だめだからね。ここにいてよ」

 

 千里さんが出ていく。大きく一息つく。右手に視線を向ければ、令呪という傷跡が残っている。これは例の儀式で必要となる貴重なものらしいが、なぜ自分に現れたのか。これさえなければ、儀式が終わったころに地脈から魔力をくすねて帰るぐらいで終わったかもしれない。議会と連合、協会、儀式はどうにも自分が考えていたよりも大規模らしい。……どうなるのだろうか?この右手一つで魔力は集まるだろうか。……右手を失うぐらいで済めばいい方かもしれない。

 

 

 

「到くん。今から鳥箱さん、ええと術師さんのお宅に伺うことになりました。すぐに出発したいのだけれど大丈夫?」

 

 千里さんが部屋に戻ってきて、急かされるままに夜の街を行くことになった。自動車で山中の家まで15分ほど、運転してくれたおじさんは華丹さんと名乗った。娘さんが大学受験を控えているらしい。

 

 たどり着いた家は、うちの三倍ぐらいはありそうで、漏れ出す橙の灯りと赤茶の壁は品がよいものに見えた。今まで縁が無かったので洋風で豪華な造りの建物は緊張してしまう。

 千里さんがインターホンを押すと、ほどなくして門がひとりでに奥に開いた。さして気にした風でもない千里さんに先導されて石畳を屋敷に向かって歩いていく。後ろを振り返ると、門は閉まっていて、その奥でこちらに気づいた華丹さんが少し頭を下げていた。

 

 館の扉を開いて出迎えてくれた兄さんに案内されて10人は座れそうな食堂のような場所に通された。もちろん食事は置いてないが、案内してくれた俺と同年代ぐらいの兄さんがコーヒーを出してくれた。

 しばらく待っていると、よれたスーツに身を包んだノッポの男が入って来た。

 

「やあ、お待たせしました。松木さん建持君。こんな夜中にすいません。ご足労ありがとうございます。私は、鳥箱参代と申します」

 

 鳥箱さんが向かいに座る。両肩のあたりに魔力刻印だろうか、本当に魔術師のようだ。彼がマスターなら令呪を持っているはず……手袋をしている。

 気持ち丁寧に頭を下げて簡単に自己紹介すると、鳥箱さんが少しこちらに身を乗り出して

「それで、ええと建持君、きみの手に令呪が現れたと聞いたんだが」

 

 右手の手袋を外して突き出す。

 

「令呪って、これのことですよね。鳥箱さん」

 

「ふむ」

 

 鳥箱さんがこちらの顔をそして千里さんの顔を窺って、考え込む。それも数秒のこと、鳥箱さんが人のよさそうな笑みを向けてきた。

 

「この度は大変ご迷惑をおかけしました。我らが現在ある種のプロジェクトを進めていることはご存じかと思います。いえ、そこで何かの手違いがあったのかもしれません。建持君に影響が出てしまった」

 

「影響が出てしまった、とはどういうことでしょうか。ご説明いただけますか?」

 

 千里さんにしては珍しい非難するような声音に、ちらりと左隣に目を向けると千里さんはニコニコとしている。こういう時が一番怖いんだ。

 

「ああしかしご心配なく。私が責任をもってご対応します。無事そちらの令呪を解消することをお約束しましょう」

 

 鳥箱さんは、悪びれる風もなく力強く断言する。儀式に便乗して魔力を奪おうとしている俺が言えた事じゃないが、無関係の人を巻き込んですぐに対応してくれるのは術師にしては優しい気がする。……たぶん千里さんと議会のおかげだろう。助かるな。

 我関せずで黙っていると鳥箱さんと千里さんの話し合いの雲行きが怪しくなる。

 

「……少し他の家と話し合いますが…、本日はもう遅い。客室を準備させます」

 

「いえおかまいなく。お手を煩わせるのは申し訳ないです。一度帰ります。準備でき次第ご連絡ください」

 

 鳥箱さんが困ったように頬をかいた。

 

「う~む、……危険が、危険があるのです。この町への侵入者がいる。そして……そして、隠してもしょうがないので話しますが、……令呪いくつかの所在は不明」

 

「侵入者に議会が後れを取るとおっしゃるのですか?それよりも令呪が危険なのでは?こちらにいることで安全が保障されると?」

 

「落ち着いてください。侵入者はおそらく連合からのはぐれ者、それもかなりの腕利きです。令呪もどんな存在にわたったかわからない」

 

「ご忠告ありがとうございます。しかし、議会よりもこちらの方が安全だとおっしゃるのですか?」

 

「見ていただいた方がはやいかもしれませんね。頼もしいボディーガードを……出てきてくれ、セイバー」

 

 鳥箱さんがそういうと、その後ろの空間、何もないはずのそこから男が姿を現した。土器に見られるような形の鎧を着込んだ、ともすれば笑ってしまいそうなその姿。しかし、今まで見てきた化け物連中を凌駕するような濃密な魔力の塊、それが人の姿をなしている。その姿にノイズが走るように、脳裏に浮かぶ情報がある。

 

セイバー、筋力A、耐久B、……なんだこれは?

 思考が追いつかない展開に、緊張で押し固められた心が耐え切れずに割れてしまいそうだ。震えながらもゆっくり息を吐く。そのとき意識したでもないのに、自分の魔力が大気中に弾ける。危機を感じたのだろうか。俺の魔術は魔力の分解。確かに膨大な魔力を前にして魔術をとっさに使うことはおかしくない。しかし、それにしては多すぎる魔力が右腕の回路に流れこんだ。そしてその先へ…

 

 魔力が暴風のように広がる。波のようにはねて、しぶきが広がった。なんともったいない。

 魔力の噴出の中心、そこには黒い、いや白黒の人影?があるような……それが俺に向かってきた。

 

「待っ!」

 

 それはだれの言葉だったのだろう?視界が向かってくる黒い影で埋まって、魔力が、意識が急速に吸い尽くされた。

 




登場したセイバーです。

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③昔

 暗がりに一人立ち尽くしている。湿気た匂いが鼻に入る。積る葉も濡れた、冷たい土の上だろうか?ああでも、目に入る光景を確かめてみたら簡単にわかる。これは夢だ。目の前に自分がいるのだから。

 歳は五歳を超えていくらかだろうか、母の腰にしがみついて、そう記憶の通りに今にも泣きだしそうだ。

 

「お母さん。僕は出来損ないなの?」

 

 母はそう、しゃがんで俺を抱きしめた。母は震えて、泣いているのだろうか。幼い俺に返される言葉はない。この後はどうだったのだろう。思い出した日もあったかもしれない。

 この日も淀む。忘れたい思い出として、しっかり堆積する。上から別の日が降って来た。

 歳は十の頃。兄さんと向き合っている俺だ。

 

「お兄ちゃん。僕は死ななきゃいけないの?いやだよ。怖いよ」

 

 兄さんが何かに耐えるように手のひらを強く握りこむ。兄さんの顔ばかり窺っていた、あの日の自分は気が付いていたのだろうか。

 

「父さんも爺さんも婆さんも同じように死んでいった。怖がってはいなかった。大丈夫だよ。怖がらなくていい。到だけじゃない。母さんも俺もそして今はいない子供たちも、同じように死んでいく。すぐに俺が到のところに行くさ。だから父さんと待っていてくれないか。怖くない、みんなが一緒だ」

 

 あの日の自分は、その言葉に少しでも救われたのだろうか。納得できたのだろうか。それすらも無意識の大岩の下に封じ込めてしまっているのだろう。

 忘れない。思い出さない。思い出したくない。そんな日々が降り積もって自分を形作る。忘れもしない、思い出しもしない、だから前に進めもしないのだろうか。幼い自分は変わることができたのだろうか。目の前の自分は一人取り残されて、ふてくされて膝を抱えて座ったところだった。今の自分も、あのような姿なのか。

 

 力なく下に垂らしていた右手をつかんだ手の感触がある。誰が今の自分に寄り添ったのだろうか。見たくないからと過去送りにし続けた。たまりにたまった、よどんだ奥の奥に。誰にもたどり着かせていないのに。暖かい手の感触に引かれて、右に目を向けたが、そこはただ黒いだけだった。それでも、その姿は黒い記憶の奥に隠れてしまっているけれど、目に見えなくても感じる輪郭がある。

「ありがとう。あなたは

 

 

 

 夢から覚めて飛び起きる。その勢いで胃の中身が出そうになるので口を押えた。吐き気がする。頭痛がひどい。くらくらする

 

「マスター…、建持到様、マスター!」

 

 自分の名前を呼ぶかすれた声がかけられた。見上げると長い毛の塊が、いや髪が長いだけだ。膝までの髪の毛にぶかぶかの白く長い服。見たことない妖怪だ。それに今まで目にしたことがないほどの魔力を感じる。符を探さないと。外套は着ていないし、ポケットを探ろうが役に立ちそうなものはない。スーツケースはどうしたんだったか…

 頭は働かないが、妖怪を見ていると浮かぶ言葉がある。

 

「アーチャー?」

 

「はい、あなたのサーヴァント、アーチャーです」

 

 サーヴァント!危険な使い魔。そんなものが目の前にいる。目の前にいるのに、なぜか焦るような気持ちはない。むしろ落ち着くような。

 

「んっ?あなたの?」

 

「はいあなたが令呪で私を呼びました。私はあなたに仕えるサーヴァントです。大丈夫ですか?危険だと思って、その場を脱するために呪術を使いましたが、マスターの魔力を使いすぎてしまったようで」

 

 アーチャーはしゃがみこんでこちらの顔を見ている。見えているのだろうか?アーチャーの顔は長い髪の毛の奥に隠れている。その姿は少し怖い。

 

「脱した、ってそういえばここは?千里さんは?」

 

 立ち上がって見まわす。上下左右、全てが灰色の暗いかすれた壁となっている。色はともかくこの構造には見覚えがある。薄汚れているが学校の廊下だろうか。壁に並ぶ窓の奥をのぞくが上から下まで曇り空が広がっている。これは幻覚?

 

「私が召喚されたときに他のサーヴァントもいました。その場での交戦を避けるため、私たちは手ごろな場所に転移してきたのです」

 

 ここはどこかの廃墟だろうか。俺と召喚されたアーチャーだけがここに……。それよりも、アーチャーはあの場が危険だと判断して離脱したことが問題だ。そこには千里さんがいた。

 

「アーチャーさん。知り合いがあの場にいたんです。戻らないと」

 

 アーチャーが指で自身の髪の毛をかき分ける。それに呼応して、アーチャーの黒い眼が露わになる。黒い眼。切れ長で白目が存在しないかのようなそれは、視線を示すものというよりも、白い顔に空いた穴か傷跡のような……

 

 頭がぼんやりとする

 

「マスターは魔力を使ってお疲れのようです。すでにいくぶん眠っていらっしゃいましたが、もう一度お眠りになってはいかがですか?」

 

「いや、もういいかな。ちゃんと起きているよ」

 

「もう会話はできそうですか?いくつかお話しておきたいこともあります」

 

「はい……」

 

 話か……なんでこんな状況になっているんだろう。選択一つで簡単に命を落としかねない苦境に立たされている。

 俯きがちに眺めていた右手をアーチャーが両手で包んだ。纏った魔力が少しだけ冷たい。はっとしてアーチャーの方を向く。相変わらず髪の毛の塊しか見えないが、その奥から落ち着いた声をかけてくれた。

 

「落ち着いて、大きく息を吸ってください。……まだお疲れなんですよ。休憩しましょう」

 

「ありがとう、アーチャーさん。大丈夫。大丈夫です。もう少しだけ、呼吸が落ち着くまで」

 

 大きく息をはく。いつのまにか意識せずに恐怖心や緊張感に支配されていたのかもしれない。難しい任務を預かって、化け物に立て続けに遭遇して、すっかり参ってしまっていた。触れあうだけではない。右手の甲の令呪から自分以外の何かと、アーチャーと魔力がつながっていると感じる。魔力が流れる温いつながりが安心感を与えてくれる。思い返せば千里さんがいつくしむように令呪を撫でた、指先の温かさも蘇ってくる。右手は暖かく、一転して頭は冷たく思考が戻ってくる。俺は大丈夫。そのはずだ。

 

「アーチャーさん。もう大丈夫です」

 

「わかりました。マスター」

 

 アーチャーの手が離れる。それを名残惜しく目で追ってしまう。……これでは寂しがりの子供じゃないか。自分の内心にカツを入れる。

 

「それで、アーチャーさんは話があるんでしたっけ」

 

「さんはつけなくとも、アーチャーで結構ですよ」

 

「アーチャーさんの方がとしう…目上ですから」

 

 アーチャーは何を思ったか、足で二度三度と床を擦る。…ん?

 

「アーチャーさん。なんで靴をはいてないんですか?」

 

「私は常に少し浮いているので靴は必要ないです」

 

「そうですか……すごいです」

 

 アーチャーは咳払い一つして、

 

「そろそろ本題に入りましょう。マスターは聖杯戦争について、どれぐらい知っていますか?」

 

 さすがに君たちサーヴァントを呼び出して、それをつぶして魔力に変換する儀式だよとは言いかねた。

 

「魔力を集める儀式だとは知っているよ」

 

「サーヴァントについてはどうでしょうか?」

 

「降霊術で呼び出した使い魔と聞いているよ。アーチャーさんもそうなんですよね?」

 

「降霊とは……少し違うかもしれませんが、おおむねその認識でいいかと思います。問題なのは、サーヴァントは強い力を持つ存在で、呼び出された七体が最期の一人になるまで争う。マスターも無関係ではいられません。巻き込まれてしまいます」

 

「最後の一人?」

 

 呼び出したサーヴァントをつぶして魔力にしたいマスターと抵抗するサーヴァントの争いかと思っていたが、そうではないのだろうか。サーヴァント同士も争っている?

 

「はい。最後まで生き残ったサーヴァントとそのマスターは聖杯を得る。それによりサーヴァントは受肉の権利を得て、マスターは膨大な魔力の使用権を得ることになります。つまり私たちは私たち以外の六組を排除する必要があります」

 

「魔力はともかくサーヴァントは受肉が欲しいと?」

 

 この辺りは聞いたことがない話だった。

 

「受肉、過去の記録であるサーヴァントが新たに肉体を得ることです。私含め全てのサーヴァントは受肉を目指している」

 

 受肉というが、アーチャーのようなとんでもない存在がほいほい肉体を得ているとするとこの世界がぶっ壊れてしまうのではないだろうか?まあ、そんな心配今はいい。それよりも自分のことだ。

 

「まあアーチャーさんの話がその通りだとしたら、俺は他の六人のマスター集団から狙われることになるんじゃないか?勝ち目なんてないような気が……」

 

「いえ、そんな的確にこちらが不利になる確率は低いのでは……」

 

「他の六人のマスターは多分グルだ。同じ家の出のはずだし。……ん?いや待てよ生き残るのが一人ならマスターはほとんど死ぬのが確定する?」

 

 そこに付け入るスキがあるかもしれない。それとも術師達はすでに死ぬのが確定したマスターを五人用意して、勝者まで決めているのだろうか。意識を失ったホムンクルスなんかをマスターにしたのか?

 

「いえ、必要なのは六体のサーヴァントの犠牲。マスターが命を落とす必要はありません。サーヴァントを失ったマスターが他の参加者から見逃されるかはわかりません」

 

 ますます、この儀式に俺が参加している意味がない。命があるうちに儀式から抜けなければ。しかし、アーチャーはどうなるのだろうか?いや、そもそも他の六人のサーヴァントも受肉を目指しているとすれば。談合なんて実現するのだろうか…

 

「俺はどうしたらいいのだろう、アーチャーさん」

 

「現状では様子見に徹しましょう。さいわい、私は潜伏に向いています。マスターも守りやすい」

 

 アーチャーさんの言葉は妥当な気がするが、それはそれとして少しだけ気がかりがある。

 

「千里さんが心配だから、少しだけ見てきたいんだけど」

 

「危険です。罠です」

 

 アーチャーが俺に詰め寄る。少し圧倒された。目線を合わせるようにアーチャーが少し頭を下げた。

 

「アーチャーさん……」

 

 アーチャーが手で髪をかき分ける。露わになった黒い右眼がまっすぐにこちらの右目を射抜く。

 

 




登場人物、アーチャー。

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④アーチャー

 

……

………

 

 マスターやサーヴァントであっても千里さんのバックにつく議会を簡単に敵に回すような真似はしないだろう。千里さんは安全なはず。安全なはず。

 それと同じくらい任務が重要だ。そうだ、魔力を得ないと。魔力を得て、術を起動する。自分が家の役に立てる機会は、後にも先にもこれだけなのだから。

 

「マスター、マスター」

 

 アーチャーの言葉で我に返る。

 

「大丈夫、聞いているよ」

 

「私たちの今後の方針は……、そういえばマスターは、サーヴァントのクラスについてはご存知でしょうか」

 

 多少知っているけど、アーチャーが知っているなら聞いておいた方がいいかもしれない。

 

「説明お願いします」

 

「はい。七体のサーヴァントはそれぞれ異なる七つのクラスが呼び出されます。バランスよく暴力に秀でた者となるセイバー、遠距離を間合いとするアーチャー、私です。オリンピック五種競技の優勝者から選抜される身体能力に優れたランサー、宝具を三つまで持ち込むことができ乗り物を扱うライダー、魔力や魔術に優れた者がなるキャスター、古の暗殺者から選ばれるアサシン、理性を失うかわりにトップクラスの身体能力を持つバーサーカー、以上七つです」

 

 長い長い長い。クラスの名前ぐらいは聞いたことある。でも一度につらつら言われても覚えきれない。

 

「ありがとう。後でまた同じこと聞くかも。それはそれとして、つまりアーチャーさんは本名じゃない?っあ、いや、クラスの名前なんだから本名のわけないよね。今の質問なしで、聞かなかったことにしてください」

 

 アーチャーが首をかしげる。しまった。髪の毛で隠れて顔はよく見えないが嫌に思ったかもしれない。

 

「私に名前はありません。サーヴァントは過去の記録。名前まで残っているのは、とても恵まれた者だけです」

 

 やっぱり触れない方がいい話題じゃないか。

 

「そっか、それじゃあこれからもアーチャーさんと呼びます」

 

「はい。しかし、名前となると……私のステータスは見えていませんか?マスターがサーヴァントを見た時は、その情報が多少なり見えてくると聞きますが」

 

 見えている。アーチャーを見ていると文字が頭に浮かぶ。それのことだろう。

 

「見えていますけど……」

 

「それならよかった。私はマスターに全て見える設定にしていますから」

 

 アーチャーは何でもないように言う。しかし、ステータスである。アーチャーは女性?ステータスが見えていてよかったのだろうか。筋力が体重と関係がある?少しさばを読んだ方がいいのだろうか。

 

「私のステータスはどうなっていますか?持ち込む宝具やスキルは自分で選んでいますが、ランクは状況によって多少ばらつくのでマスターから聞いておきたいです」

 

「ええと……クラス名はアーチャーだよね。なんかCとかDとかある。バーもある」

 

「見えたものをそのまま読み上げてください。しかし、私のステータスは低いので、改めて伝えられるのは恥ずかしいですね」

 

 アーチャーが頭をかく。ステータスが低いと恥ずかしい。高い方が優秀と単純に考えていいのだろうか。

 

「いやステータスが低いのって、俺から見た……俺がアーチャーさんを侮っているからじゃ…」

 

「マスターが見たステータスは完全に正しいです。私はどんなステータスを伝えられても気にしません。聞かせてください」

 

 話が進まないので見た内容を伝える。

クラス名アーチャー、筋力C、耐久C、敏捷D、魔力C、幸運B、宝具‘デッドエンド’E、スキル耐魔力A、単独行動A、呪術A、物理耐性C、気配遮断B。

(各項目性能が高い順番にABCDEでランク分けされている。)

 アーチャーはうなずいて聞いていた。

 

 耐魔力、Aランクもあるそれによって現代の魔術でアーチャーに干渉することは不可能に近いようだ。……既に諦めていたことではあるが、魔術でサーヴァントを魔力に変換しようという試みはうまくいきそうにない。魔力を集める聖杯戦争でサーヴァントを競い合わせるのはここら辺に理由があるのかもしれない。それはそうと疑問もある。

 

「アーチャーさん、宝具ってどのような意味でしょうか?」

 

「宝具はそのサーヴァントを象徴する切り札です。例えば、広範囲を破壊する一撃であったり、便利な道具であったり、様々なタイプがあります。いま私たちがいるこの空間も宝具です。私の宝具は、結界なんですよ」

 

 広範囲を破壊か。千里さんも巻き込まれる可能性があるような、ないような。大丈夫だろうか、大丈夫だろうな……。

 気がかりではあるけれども、とりあえず自分が生き残らなければ。まずはアーチャーの宝具についてもっと知っておいた方がいいだろう。

 

「アーチャーさんの宝具は何ができるのですか?結界というと召喚直後にやったという離脱ができる……とか?」

 

「離脱は、スキルの呪術です。魔力の消費が多いので、召喚直後のマスターに負担をかけてしまい申し訳ありません。もう少し消費魔力が少ないと使いやすいのですが……。お眠りになってマスターの魔力がある程度回復したようですが二回ほどしか使えないと思います。

 宝具の結界は燃費がよくて、一二週間出したままでも大丈夫でしょう。結界の機能としては、いま私たちがいるような建物の中に取り込んで迷わせたり精神的負荷をかけたりすることができます。まあ、人間相手はともかくサーヴァント相手には有効打にならないEランク宝具です」

 

 アーチャーは幾分自虐的に説明してくれたがスキルも宝具も優秀と考えて間違いなさそうだ。

 

「アーチャーさん、今の話を聞いていると……、アーチャーのクラスは遠距離戦を得意としているし、隠れながら不意打ちで戦えば六対一でも勝機があるんじゃないかな?単独行動や気配遮断のスキルもある」

 

 アーチャーが優秀なので、光明が見えてきたかもしれない。六人のサーヴァントを魔力にして任務達成。夢ではないかもしれないな。

 浮かれかける俺をよそに、アーチャーは沈黙している。表情はわからないが俺の意見には同意しかねるということだろうか、やはり六組を相手取るのは無理かもしれない。

 

「そういえば私が召喚される時に敵のサーヴァントがいたはずですが、ステータスは確認しましたか?」

 

 アーチャーが話題を変えてくれた。俺がアーチャーを召喚した前後、その時にセイバークラスのサーヴァントを見たのは数秒だったが、なんとか覚えている。ステータスは確か……

クラス名セイバー、筋力A、耐久B、敏捷B、魔力B、幸運A、宝具C、スキル耐魔力EX、騎乗E。

 アーチャーと比較すると、……これは……

 

「……六対一どころか、セイバー相手じゃ勝ち目がないのでは……」

 

「まともにぶつかりあえば勝つことは難しいと思います。それに相手に私の情報が渡るほど勝つことが難しくなる。さすがに他の六体全てに打ち勝てるとも思いません。一度しか戦わないという幸運に見舞われるとは考えない方がいいのでしょうが、敵が一枚岩でないことを祈りましょう。やはり先ほども言ったように、当分は潜伏して様子を見るしかないでしょう」

 

 当分は待機することに決まったので、教室に入ってアーチャーと座りながら世間話でもすることにした。なんで今までずっと立っていたのだろう。まあいいや、何を話そうか。

 

……

………

 

 長い黒髪に白い服、アーチャーは妖怪の仲間かと思って、天狗の鼻や猫又、大牙のジョークやあるあるネタを披露したのだが、あまりピンときてないらしい。気まずくなりかけて、普通の話題を振ったら話が弾んだ。特に食事の話で盛り上がった。アーチャーの生前の記録はプリンが好きだったらしい。俺も好き。スーツケースは議会の事務所において来てしまったが、今身に着けている外套にも多少のお金は入っている。後でコンビニに寄ろう。

 

 話をしていると、アーチャーに対して昔の人が生き返ったかのような印象を受ける。しかし、サーヴァントは現代の記録から過去にあったかもしれないものをでっちあげて作る使い魔だと聞いている。幽霊なのに幽霊でない?なんとも変な感じだ。アーチャーはこんなにも生きている感じがするのに。

 ふいにアーチャーが会話を切り上げた。

 

「マスター侵入者です」

 

 アーチャーの声は雑談と打って変わって鋭くなる。

 

「サーヴァント?」

 

「……人間のようです。始末しますか?」

 

「結界に一般人が迷い込むことはあり得るんですか?人間ということはマスター?」

 

 アーチャーは答えずに、椅子から立ち上がって、……また座った。

 

「ええと、マスターが私を召喚したときに近くにいた女性」

 

「千里さん!」

 

「彼女がマスターの名前を呼びながら歩いてきますね」

 

 千里さんは無事か!よかった。……しかし話がうますぎると言えばいいのか、おかしいと言えばいいのか。この結界はサーヴァント、すごい魔力の持ち主、の切り札である。あの千里さんとはいえ、こんなにすぐ侵入できるのだろうか。……すぐ?

 俺は慌てて腕時計を確認する。なんで今まで時間を確認しようともしなかったんだ。俺のバカ野郎。時計は10時を示している。鳥箱さんの家にお邪魔したのが深夜の1時過ぎぐらいだったはずなので、……俺はすごく寝ていたらしい。

 それほどの時間経過があったとしても千里さんがここを発見するなんて偶然は起こりうるのだろうか。いや偶然といっても、現に千里さんはここにたどり着いているらしい。

 とりあえずアーチャーと一緒に千里さんを迎えに行こうか。

 

「マスター、私だけで行くべきではないですか?彼女の無事が確認できたのですから、私たちは安心して聖杯戦争に臨むことができる。彼女には説明をして帰っていただくだけです」

 

 一理ある。

 

「俺もいくよ。話をしたいから」

 

「危険ですマスター。そもそも彼女がここにたどり着いたことはおかしい」

 

「そこをなんとか」

 

 顔の前で手を合わせて頭を下げる。

 

「……」

 

「また危なくなったら、スキルを使って逃げればいいと思う……思います」

 

「……確かにそのような手段もありますが」

 

「アーチャーさん、だめですか?」

 

「…………いいでしょう。それでは行きましょう」

 



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⑤聖杯戦争への参加

 

 千里さんの姿が目に入って、俺は大きく手を振った。

 

「千里さーん!千里さーん!ここですー」

 

 駆けよってくる千里さんとの間にアーチャーが割って入る。

 

「止まってください!それ以上近づかないで!」

 

 千里さんが立ち止まる。……アーチャーの懸念はもっともではある。千里さんにかかれば俺なんて簡単に塵にできるだろうし。だから距離が少し離れたぐらいでは何も変わらないんだけども。

 

「……サーヴァントですか。わかりました。到くん。無事でよかった。心配したわ」

 

 千里さんの穏やかな目線を受け止めて、ほっと息をはいた。

 

「千里さんも無事でよかった」

 

「千里様。なぜこちらの場所がわかったのですか?」

 

 アーチャーの言葉に千里さんは少し顔を傾けて、頬に人差し指を当てて、その後に自分の右手の甲を指でたたいた。右手の甲といえば、俺の令呪である。令呪があると居場所がわかるのか?

 アーチャーが俺の右手をつかんで令呪を撫でる。何か魔力が散っていった。何かの術式が仕込んであったのだろうか。そういえば千里さんが俺の令呪に触って何かしていた記憶がある。

 

「……あなたを信用できるのか、私は迷っています」

 

「何かをするべきでしょうか?」

 

 千里さんとアーチャーの間に緊張した空気が漂っている。今はそんなことよりも、

「場所を変えません?座って話をしましょうよ。千里さんはここまで来てくれて疲れているだろうし」

 

 

 

 教室の一つに場所をかえた。アーチャーがしつこいので千里さんとは離れて座っている。

 

「まずは……鳥箱さんの話をしましょうか。彼は私たちとの話し合いで急にサーヴァントを実体化した考えなしだけど、こちらを害そうとは思っていないと言っていました」

 

 アーチャーの方から小さい舌打ちが聞こえた……気がする。

 

「鳥箱さんは儀式の進行に問題が出たと言っていたのだけれど……マスター権が三つ、彼らの手から離れて、サーヴァントもすでに召喚されたみたい。到くんもその一人ね。あと間が悪いことに、連合から外れた危険な吸血鬼が結界を越えて入って来たみたいで大変そうだったわ」

 

 これはまずいかもしれないですね。話に出た危険な吸血鬼って俺を脅して結界の中に入ったやつなんじゃ?

 

「不運は重なるのか、鳥箱さんが用意していたうちの一人、ライダーのマスターが死亡して、ライダーは消滅しているらしいんだけど……これは議会の人が持ってきた情報だから他の人には秘密にしておいてね」

 

 なんか大変なことになっているらしい。ライダーが負けたってことは吸血鬼はそんなに強いのだろうか?確かに実際に目にして、今までで一番の魔力を持つ化け物だとは思った。

 

“マスター、彼女の言葉を信じますか”

 

 アーチャーが俺だけに意思を伝える念話を使ったようだ。少しアーチャーの方を見るがアーチャーはまっすぐ千里さんを見ている気がする。確かに念話をしているということは。ばれない方がいいか。念話は俺も使える。今はアーチャーと令呪でつながっているし。

 

“俺は千里さんを信じているよ。でもアーチャーが聞きたいような証拠はないです。そもそも俺はアーチャーとずっと一緒にいたし、使い魔もスーツケースの中において来てしまったし”

 

「到くん?難しい話が続いているけど大丈夫?とにかく到くんがとても危険な状態にあることは理解してほしい。議会が、私があなたを守らないと」

 

「マスターは私が守り切ります」

 

 アーチャーと千里さんがやり取りしている間に考える。千里さんの言葉によると、これはもしかしたら、もしかするかもしれない。箱鳥さんの側にはマスター、サーヴァントが三人しか残っていない。つまりそれ以外でぶつかれば三対三。サーヴァントのつぶし合いも起こるだろう。吸血鬼もいる。俺の任務にサーヴァント何体分の魔力が必要かはわからないけど、儀式の途中でも魔力を奪って任務達成できるかもしれない。

 

「マスターさすがに彼女にはお帰りいただきましょう」

 

 会話がこちらに向いた。

 

「到くん。鳥箱さんは協力して欲しいと言っていたけれど、まずは議会の方に来てくれないかな?」

 

 アーチャーの舌打ちが……千里さんには聞こえていないといいな。

 

“アーチャーさん。どうしよう?”

 

 勝の目が出てきた以上、アーチャーの意見もとても重要となる。アーチャーは勝ち残って、受肉したいと考えているはず。この提案には乗らないで潜伏してくれと言うだろう。しかし、俺は千里さんを信じている。術師の味方をするかはともかく、議会の庇護には入るべきだろう。

 

“彼女を……味方につけたほうがいいかもしれません。マスターは何を望んでいますか?”

 

“いいの?アーチャーさん。……それなら千里さんについて行こうか。危なくなったら転移を使ってくださいよ“

 

“……”

 

“アーチャーさん?”

 

“今に限ったことではありませんが、呼ばれた恩もあります。令呪を一つ使用するまでは基本的にマスターに従います。しかし私にも受肉という望みがあることを忘れないよう”

 

“ありがとう!アーチャーさん!”

 

“次の離脱は本当に魔力が切れますよ。危険なことは避けること。それよりも私のそばを離れないようにしてくださいよ。絶対ですよ”

 

“わかりました”

 

「千里さん!」

 

 千里さんは、不自然に黙り込んだこちら二人を待っていてくれた。念話をしていたことに加え、その内容もばれていそうである。

 

「お世話になります。千里さん、よろしくお願いします」

 

 頭を下げた。

 

 

 

 近くに止めてあった議会の車でオフィスまで移動した。おいていったスーツケースを回収した俺は、霊体化したアーチャーに見守られながらいろいろ仕込みをしていた。今後はスーツケースを持ち歩くのはやめて、最低限を外套に仕込んでおこう。

 

 仮眠をとっていたら起こされた。鳥箱さんが訪ねてきたらしい。

応接室で待っていた鳥箱さんは本日もスーツを着込み、きっちりした大人という印象だ。

 俺と千里さんが向かいに座ると、鳥箱さんが頭を下げたのでビックリしてしまった。

 

「松木さん。建持君。すまないね。君たちには迷惑をかけてしまった」

 

「いえいえ、それよりもこれからの話をしましょう」

 

「……現在この町には大きな脅威が潜んでいることはご存知かと思います。我らの手から離れた三体のサーヴァント。連合が御しきれていない吸血鬼。結界周辺を中心にすでに死傷者が発見されてきています。そのため……我ら魔術師と連合、そして議会が手を取り合って、これら脅威の排除にあたることを提案したい。もちろん、このような取り決めがなくとも、我らは問題の解決に全力で当たるとお約束します」

 

「この町で無用な血が流れることは私たちも望むところではありません。しかし、手を取り合ってとは具体的にどのような協力を考えているのでしょうか?」

 

 議会として……か。俺が話に入る余地はないかもしれない。

 

「……具体的には建持君とそのサーヴァントには、こちらの魔術師およびサーヴァントとの協力体制を築いてほしいのです。その上で協力して野に放たれたサーヴァントと吸血鬼の排除を行いたい。……連合にも令呪を授かった者がいまして、連合との調整の末に彼はこちらに一時的に出向しています。議会にも建持君にも同様に協力していただければと考えています。もちろん、見返りについては後程お話しさせていただきます」

 

「なるほど……」

 

 千里さんが考え込む。俺はこのまま議会で保護してもらって儀式の推移を見守りながら魔力をかすめ取るすきを窺おう、と考えていたが……。鳥箱さんの側に立つのは俺の得になるだろうか。

 

“罠ですよ。マスター。彼らは私を脱落させたいだけだ”

 

 アーチャーは乗り気ではないらしい。俺も怪しい話だと思う。しかし、これはチャンスでもありそうだ。

 

“アーチャーさんは転移が可能です。いざとなったら逃げることができる。それに聖杯や他のサーヴァントについて探ることができるんじゃないですか。話に乗ってみてもいいのではないですか。今なら俺の後ろに議会という大きなものが控えた状態で話ができる”

 

“一度見せた転移術式は対策されていると考えた方がいいのですが……。相手も対策をとってくることは心には留めておいてください。私は、マスターの決定に従います”

 

“それじゃあ、潜入作戦に決定ってことで”

 

“くれぐれも慎重にですよ、マスター”

 

「到くん。あなたはどう思う?」

 

 いいところで千里さんがこちらに意見を求めてきた。

 

「鳥箱さん。…私は微力ながらこの町の平和に力を尽くしたいと思います。よろしくお願いします」

 

「ありがとう建持君。とても助かるよ。早速で申し訳ないが、準備ができたら表にとめてある私の車まで来てくれないかな」

 

 鳥箱さんが足早に出ていく。少しして千里さんがこちらに戸惑うような視線を向けてきた。

 

「よかったの?到くん。間違いなく危険があるわ」

 

「頼もしいアーチャーさんもいるし、俺ちょっと頑張ってくるよ。無理はしないから」

 

 千里さんはため息をついて、それ以上何も言わずに、持ってきた護符をわたしてくれた。それを大切にしまい込む。別れ際に千里さんは、

「何かあったら、どんな些細な危険でも、議会の場所に逃げ込んで。約束、してくれる?」

 

 未来の自分は危なくなって逃げるだろうかと疑問に思いながら千里さんと小指を絡ませる。千里さんは約束の指切りにも術式を仕込んだのだろうか。

 



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⑥筆川さんの屋敷

 

 表に出ると、止めてある車のわきで鳥箱さんが手をあげている。駆け寄って、助手席に乗り込む。鳥箱さんの運転で、鳥箱さんの屋敷とは別の魔術師の屋敷に向かうらしい。道中で話を聞くと、筆川さんのお宅らしい。とりあえずそこにいるマスターと協力してほしいと言われた。また、鳥箱さんは建設会社で働いているらしい。話が難しくて、うまく会話が弾まなかった。

 

 十七時ごろに目的地に着いた。これまた長々と高い塀が続いている大きな屋敷である。鳥箱さんがインターホンを押すと、しばらくして同年代くらいのジャージを着た女の子が中から門を開けてくれた。鳥箱さんの車は帰っていく。俺は少女に先導されて屋敷に足を踏み入れた。

 

「初めまして。鳥箱さんから話を伺っていると思います。建持到といいます。よろしくお願いします」

 

「筆川留です。……何歳?」

 

「十八」

 

「私は十七」

 

「はあ、そうですか。同年代ですね。学校には行っているんですか?」

 

「当たり前じゃ……建持くんは行ってないの?」

 

「行ってないです」

 

「…普段何してんの?」

 

「もっぱら議会か連合に出入りしていろいろやってますね」

 

「ああ。そういうこと」

 

 筆川が振り返り口を開く。

 

「令呪」

 

 令呪?つい右手の甲を確かめる。

 

「まあ、ある…か、なんで私じゃなくてあなたに宿ったのやら」

 

 筆川が入り口の扉を開く。

 

「まあ、ようこそ建持くん。貧乏くじ引いて大変だろうけど、がんばって」

 

「これからよろしくお願いします」

 

 

 

 この部屋を使ってくれと筆山に案内された部屋で寝転んでいる。場所はえらく遠回りしてたどり着いた一角である。罠なんかもあるだろうし、案内された時の道順を毎回たどらなければいけないだろう。忘れないか不安だ。

 

“マスター、先ほどの少女はマスターではないようですが…”

 

“そうみたいだ。今明らかになっているマスターは、俺、鳥箱さん、死んだ人の三人だけ。千里さんや鳥箱さんの話を信用すると、魔術師が四人、うち一人死亡。残りは、俺と連合の人と、…よくわからない一人”

 

“魔術師たちが失った三つのマスター権、それをすでに二つ傘下に収めたとすると吸血鬼に頑張ってもらうほかないですね”

 

 面従腹背、状況によっては俺たちが魔術師側の足を引っ張ってもいいのだが、わざわざ口にしない。

 

“そういえば受肉に必要な魔力はどれぐらいなの?アーチャーさん。サーヴァントがいくつ脱落したら十分たまる?”

 

“私の知識では、六体のサーヴァントが脱落するまで聖杯は使用できません”

 

 ……そうなのか。アーチャーの受肉を諦めて、俺の任務だけ達成するならやりようもありどうだが……。

 

 ノックの音が聞こえた。扉を開けると金属でできた毛玉のような使い魔がいた。使い魔から聞いたことがない人の声が聞こえる。

 

「建持さん。お話があるので、ついてきてくれるかな」

 

「わかりました」

 

 使い魔の先導で上へ下へ、どう考えても遠回りをして進んでいく。途中で同じ場所を何回も通る。これは罠を避けるという感じじゃない。歩くことで術式が反応して目的地に行けるようになるパターンだろうか。覚えるのが厳しくなってきたので、こっそりハンカチに道順を焼きつけながらついて行く。

 

 こじんまりした談話室に先ほどの少女とワンピースの女性が待っていた。暖炉に火が入っていないのに部屋の中が暖かい。

 

「建持さん。筆川平と申します。鳥箱のおじさんから話を聞いていると思うけど、しばらくはこの屋敷で生活してもらいます」

 

 筆川さんがにこにことしながら手を差し出してきたので握手を交わす。

 

「よろしくお願いします。お世話になります」

 

 先ほど少し話をした留も手を差し出してきた。

 

「筆川留です。よろしく」

 

「よろしくお願いします」

 

 はじめに筆川さんが紅茶を注いでくれる。タイミングを考えて準備をしてくれていたのだろう。まだ熱いぐらいだった。ありがたくいただく。ミルクと砂糖は多めにする。

 俺がカップを置いたタイミングで筆川さんが話を切り出した。

 

「建持くん。協力を申し出てくれたこと、とても感謝しています。これからいくつもお願いすると思うけれどよろしくね。あ、でも安心して。建持くんはこの屋敷の中で過ごしてもらうつもりだから。吸血鬼や制御をはずれたサーヴァントは入ってこれないから、屋敷では安心して過ごしてくださいね」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 いくつものお願いか、吸血鬼やサーヴァントに対して鉄砲玉になる役割だろうな。

 

「早速ですが、私は何をすればいいですか?あまり期待されても困ってしまうのですが」

 

「ん~、建持くんというよりも、あなたのサーヴァントにお願いすることになると思うのだけれど、今はのんびりしていて。私たちが使い魔を出して吸血鬼を探してはいるのだけれど、さすがにすぐに成果は出ないと思うわ」

 

 その言葉に緊張がゆるむ。筆川さんとの会話がたわいもないものになる。屋敷もでかいし鳥箱さんは資産家らしい。たぶん筆川さんも。鳥箱さんはどうして働いているのだろう。筆川さんは仕事を持ってないみたいだし。

 

 少し懸念なのは、筆川妹、留に話を向けても一言二言で止まってしまうことだ。時折非難するようなきつめの視線を向けられるし。これは嫌われましたね間違いない。

 会話を切り上げて、退出するところに筆川さんから声がかかった。

 

「まだ潜んでいるアサシンのサーヴァントもいます。極力屋敷の外には出ないで。常にサーヴァントと行動してくださいね」

 

 その声に送られて退室する。ここから預かった部屋に戻らなければ。俺は道順を記録しておいたハンカチを取り出した。

 

 あれから何もなく。やることもないし居室でアーチャーと時折会話していたら二十時になった。こんな生活がいつまで続くのだろうか、退屈すぎて死んでしまわないか心配だ。

 ノックがしたので扉を開けると、先ほども見た使い魔が浮いている。

 

「建持くん。食事を作るなら、調理場に案内するけど」

 

 留の声だ。

 

「自分で作るの?」

 

「なっ、何?当たり前でしょ」

 

「何人分?」

 

「私たちは食べないけど……」

 

「そっか。案内お願いします」

 

 のろのろと使い魔について行く。

 

“食事といえばサーヴァントは魔力の摂取とか必要なの?”

 

“いえ、必要ないです”

 

 そういうことらしい。料理か、材料や器具はどうなっているのだろうか。もちろん持ってはいないので、この屋敷のものをあてにするほかない。

 

「……いつもはあんな感じじゃないの?」

 

 留が唐突によくわからないことを言ってきた。

 

「あんな感じってどんな感じを言っているんですか?」

 

「下で話をしたときに、なんかしつこかった……ナンパのつもり?姉さんが困ってた」

 

 これからお世話になるし、誰もが沈黙している気まずい時間を作らないようにという心遣いなんだけど……まあ、少しわかってきた。鳥箱さんも筆川さんも、ここの魔術師は話好きじゃないな。

 

「別に……緊張して何か話さなければいけないなと焦ってしまっただけだよ。これからは気を付けるから」

 

「そう」

 

「そうそう」

 

「…っく」

 

 ツボにでも入ったのだろうか、使い魔越しでも押し殺した笑い声が聞こえる。魔術師ってよくわからない。

 

“アーチャー。俺ここでうまくやっていけるかな?”

 

“……立派な心掛けですが、最終的には敵ですよ。あまり心を許さないように”

 

“まあ筆川さんはともかく、留の方はね。刻印がないから俺みたいなものだし、マスターでもないし”

 

 アーチャーは黙り込んでしまった。俺だって、今は敵陣の中にいるってことを忘れてはいない。だから、会話ぐらいは頭を使わない他愛もないものにしようと考えているのに、会話一つとってもシリアスにいかなければいけないかもしれない。心が重くなる。

 

「ここ使って。あるものは好きに使って食べていいから」

 

「ありがとう」

 

 使い魔がどっか行ったので、案内された扉を開ける。部屋一個分が調理スペースとは羨ましい。ガス水道電気問題なし。調理器具もそろっている……表に出ていた物は埃被ってるけど。冷蔵庫を開けると、真空パックされたでかい肉の塊と手のひらサイズの金属缶ぐらいしか入ってない。肉はともかく缶には何が入っているんだろう。ラベルと中身を確かめたが、タバコの葉にしか思えない。なんでタバコが冷蔵庫に入っているんだろうか。諦めて戸棚をあさるが、他の場所に食料はなかった。

 一通りチェックしたが、この部屋がまともに使われているようには思えない。この屋敷の人間は霞でも食べて生きているんだろうか。それとも他にも調理スペースがあって、こちらはサブなのかもしれない。

 時間をいくらか浪費して、ここにはまともな食糧が無いことはわかった。スーパーマーケット行くか。

 

“アーチャー。買い物に行こう”

 

“お供します。……文句の一つぐらい言ってもいいのでは”

 

“そうだね”

 

 廊下に出たがどのように進めばわからない。かろうじてわかるのは借りた部屋への戻り方。そこからなら玄関まで戻れる。しかし、さすがに面倒くさい。大きな声で呼びかけていると使い魔がやってきた。

 

「食材届いたから運んで」

 

 開口一番そんなことを言う。渡りに船ではあるが釈然としない。ここから玄関に案内してくれるらしい。

 玄関には段ボールがいくつか積んである。

 

「それじゃあ任せた」

 

 使い魔は玄関の電灯の上にとまって動かなくなった。留は、見ているだけらしい。

 実体化してもらったアーチャーと協力して調理スペースまで段ボールを運び込む。アーチャーはサーヴァントだけあって力が強い。助かる。

 段ボールの中には調味料に肉や野菜、米もある。別の段ボールの中には冷凍食品の山だ。俺が訪ねることが決まってから急いで手配してくれたのだろうか。俺の心が感謝で満たされる。アーチャーと二人、せっせと食材をしまう。

 

「アーチャー、後で筆川さんたちにお礼をいわないといけないね」

 

“ええ、忘れないようにしてください”

 

 食材を片付け終えたアーチャーは霊体に戻ってしまっていた。魔力を節約したい気持ちはわかるが、少し寂しい。

 

“アーチャーは料理得意?”

 

“知識はあっても経験はないですね”

 

“……やってみたい?”

 

“遠慮します”

 

 結局一人で料理に取り掛かることになった。よく作る肉野菜煮込みにしよう。米はインスタントでいい。

 

 ネギを切っていると、前触れなく留が入って来た。

 

「どもー。私の分も作ってー」

 

「なんで使い魔じゃないの?」

 

「暇だからね。同居人の料理スキルも気になるし」

 

 留は何を考えているのだろう。心配だから見に来てくれたのだろうか。

 

「料理はそれなりに作っているよ。留さんはどうなのさ?はじめはこの部屋に食べるものなかったけど」

 

「毎食届けてもらっているのさ」

 

 金持ち魔術師は、みんなこんな生活なんだろうか。それはさておき、会話は好きな方であるが、俺は料理中に話しかけられるのが嫌いだ。なんで留は話しかけてくる。適当に相槌を打っていたが、俺はなんで学校生活の愚痴を聞かされているのだろうか。

 

“アーチャー、話し相手になってあげて”

 

“嫌です。…私が留さんを退出させましょうか?”

 

“そこまでは嫌がってないから大丈夫”

 

 ようやく鍋に食材を入れて煮込む段階まで進んだ。

 

「手際いいじゃん。毎日料理やってるんだ」

 

「家では母さんが作ってくれるけど、議会や連合の集まりで食事の準備することが多いから。……俺の料理、天狗や大牙のチビ達からは結構評判いいんだぞ」

 

 後は待っているだけなので俺も椅子に座る。

 

「炊き出し係だったのね」

 

「言われてみればその通りな気もする。まあ、そんな経験があるから、出来は期待していていいよ」

 

 得意げに自分の胸を叩く。それを見て留は目を細めた。

 

「自信満々ね。まあ食べてみるまで信じないけど。あなたの味覚」

 

 め、面倒くさい。確かに大口が過ぎた気もするけど。

 

「さて、そろそろいいかな。さっさと味見して自分の部屋に持って帰るか決めてくれ。食べないなら俺が二人分食べるから」

 

「ごめんごめん。怒らないでよ。一緒に食べましょう。一緒に」

 

 話の流れで留をこの場から排除しようとしたのに、

 

「ここで食べるのか……」

 

 仕方ないので食器を取り出して食事の準備を行う。留は食事中もしつこく話しかけてくる。相槌が適当になりすぎないように気を付けないと。……なんとなく留のことは嫌いだが、嫌いの理由は金持ちだからと嫉妬しているのかもしれない。こういうのはよくない。食材ももらっているのに、少し優しくしなければ。

 

「食事係は俺にお任せを。朝は何が食べたい?」

 

「いや遠慮しとく。普段食べてるものの方が……舌に合うし。あっ、夕食だけお願いするわ」

 

 ……やっぱり留とは気が合う気がしない。それとも慣れない環境で俺の気が立っているだけなんだろうか。落ち着け。落ち着け。

 

「……思ったより美味しかった。ありがとう。じゃあね」

 

 食事が終わって、留は早口に言って足早に去っていった。魔術刻印がないという共通点だけではなく、俺と留は同じかもしれない。食器の片づけはアーチャーが手伝ってくれた。助かる。

 

 



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⑦昔2

 

 食事の片づけをして部屋に戻ってすぐ、ノックされたので扉を開けたら使い魔がいた。留の声が聞こえる。

 

「情報を持ってきてやったぞ」

 

 まだ留と会話しなきゃいけないのかよ……。

 

「もう十時なんですけど。ああ、いや、ありがとうございます。でも早く寝たほうがいいですよ」

 

「言われなくてもそのつもり」

 

 使い魔は備え付けの机に降り立った。俺はベッドに腰かける。

 

「一応一通り全部伝えておくね。質問があるならなるだけ答えるから。

まず、私たちは聖杯戦争という儀式をやっています。サーヴァントは七騎。ライダーは脱落しました。鳥箱にはセイバーとバーサーカーがいます。この屋敷にはランサーとあなたのサーヴァン……

「アーチャー」

 

「アーチャーがいます。ここまでの私たちが把握しているサーヴァントは五騎。残りのアサシンとキャスターは召喚されているそうだけど情報がないです。ええと後は、危ない吸血鬼もいます。それ以外の脅威は結界が機能しているからこの町に入ってきていないと思う」

 

「問題山積みですね……」

 

「その通り。なのでアサシン、キャスター、吸血鬼を何とかする必要があります。私が聞いた話だと、どれかの居場所が割れたらあなた達に突っ込んでもらうみたいだから、それまではのんびりしてたらいいんじゃない」

 

 俺たち捨て石っぽいっすね。

 

「そういえば、そもそもなんで令呪やサーヴァントがうまくいかなかったんだ?令呪が俺なんかに宿っているし」

 

「議会や連合にも話を通して、魔術回路が起きているようなのは全員結界の外に出したはずなんだけど。まあ、うまくはいかなかったみたい。誰に令呪が宿るかなんてよくわかってないし」

 

 よくわかってないのに何で儀式始めたんだろうね……。

 

「他に聞きたいことは?」

 

「う~ん。ないかな」

 

“マスター連合のマスターについて、彼女は触れていませんね”

 

“ありがとうアーチャー”

 

 そういえば、鳥箱さんは連合にもマスターがいて、協力すると言っていた。そのマスターがアサシンかキャスターを召喚したのだろうか。それについて、留は聞かされていないのか、俺に明かす必要はないと判断しているのか、鳥箱さんが嘘をついたとは考えたくないが……。何にせよ情報はあればあるほどいい。マスターについて質問してみよう。

 

「待って。マスターについて聞きたいんだけど?」

 

「何よ」

 

「マスターって、俺と鳥箱の……参代さん、筆川平さんだよね?」

 

「そうよ」

 

「他はだれがいるの?」

 

「聞きたいの?」

 

 留の声のトーンが下がる。ただの興味本位以上の理由が出せないので、これ以上の話は聞けないかもしれない。

 

「聞きたい」

 

「まあいいけど、協力するかもしれないって聞いてるし。鳥箱にいるバーサーカーのマスターは連合から来た子供らしいよ。私も詳しくは聞いてないけど。後は……死んだライダーのマスターは鳥箱さんちの未来って名前の子。まあ、あなたと会うことはもうないけど」

 

「なるほど、そうなんですね」

 

「なんか反応薄いね。まあ、あなたが聞きたいのは姉さんのことじゃない?」

 

「はあ、教えてくれるならありがたいけど」

 

 筆川さんが実践しているお金の稼ぎ方とか教えてくれるのだろうか。

 

「ああやっぱり。態度違いすぎるもん。わかるわー。女の私から見ても姉さんは綺麗だもんねー」

 

「まあ綺麗だとは思うけど……」

 

「ほらほら、顔を赤くしちゃって、カワイー」

 

 ここぞとばかりにからかってくる。留はこういうタイプだったか。……俺の顔、本当に赤くなってないよな?

 

“うるさい口を閉じさせますか?マスター”

 

“気にしないでよ。アーチャー”

 

 留は、こちらをひとしきりからかって後、満足したのか使い魔が帰っていった。去り際に風呂場への生き方を聞いておいた。風呂に入ってから寝よう。

 

 

 

 ベッドに向かう。

 

「おやすみ、アーチャー」

 

「マスター」

 

 なぜか霊体化していたはずのアーチャーが実体化している。

 

「敵?」

 

 アーチャーが髪をかき分けて、そのうつろな黒い眼でこちらを……突然胸に焼ける熱さを感じて膝をついた。

 

「痛っ、ててて、……何なんだ」

 

 服の下から熱を帯びたものを引っ張り出す。それは千里さんからもらった護符だった。何らかの干渉を受けたのか、大きく焼け焦げて破れている。何らかの干渉を自分が受けたんだ。

 

「なにがあった?アーチャー?」

 

 アーチャーに駆け寄って、その背に隠れるように背中合わせになる。

 

「いえ……」

 

 アーチャーの歯切れが悪い。確かアサシンのサーヴァントはアーチャーと同じく気配遮断スキルを持つはず。まだ近くで様子をうかがっているのだろうか。しかし、いくらサーヴァントといっても、まったく感知されずにここまで侵入できるものなのだろうか。何か兆候があれば留あたりが教えてくれても……見殺しにされる可能性もあるな。しばらくたってもアーチャーは動かない。そもそも、この部屋に脅威なんて……ないのか?今部屋にいるのは…

 

「アーチャー。今俺の護符が反応したんだけど。あ、いや、そもそもなんで実体化したの?敵に気が付いたから?」

 

「……この部屋から少し離れたところにサーヴァントの反応を感じました」

 

 アーチャーはこちらを向かない。サーヴァントの反応?なんでアーチャーはすぐに俺に知らせなかった?転移術式を使わない?

 

「何をされたんだろう、アーチャー?」

 

「私にはわかりかねます」

 

 わからないのに、まだここで無防備に立っているのか?何か、とてもよくない疑念が腹の中にたまる。否定したい頭が言語化を必死に阻んでいるのに。いやその結果、アーチャーに詰め寄りながら、とても率直な思いが口をついて出てしまった。

 

「本当のことを言ってよ。アーチャー!」

 

 俺の右手の甲から一瞬だけ赤い光が部屋全体に広がった。慌てて令呪を確認すると、令呪の一部が輝きを失っている。

俺の目の前でアーチャーが口を開く。

 

「づっ……、マスター。私はマスターに呪術を使いました」

 

 その言葉に、アーチャーとの距離を詰めていた俺は、逆にじりじりと後退して、ベッドの端に足がぶつかって尻もちをつく。

 

「なんで?理由がないよね、アーチャー。俺が何かした?」

 

「……マスターは平静を欠いていました。敵地では命を落としかねません。冷静な判断ができるように呪術を用いました」

 

 息が荒くなる。落ち着け。落ち着け。今みたいに慌てやすいのが……いけないの?

 

「それだけ?俺が冷静じゃなかったから?それで護符が壊れる?」

 

「……マスターに暗示をかけました。積極的に聖杯戦争に参加するように。私の悲願、受肉を果たすためにはマスターが勝利する必要がありますから」

 

 俺の弱腰がアーチャーに呪術を使わせたのだろうか。いや、アーチャーは裏切……もうやめてほしいのに。気持ちは言葉は口から漏れ出てしまう。

 

「他には?何かしたの?」

 

「いえ、今申し上げた通りです」

 

 視界がぼやけてくる。泣くな。俺はもう泣き虫じゃ……

 

「なんで?……アーチャー?」

 

「……マスターを勝者にしたい。もちろん私も勝ち残りたいと切望していますから」

 

「ううっ……ぐっ……」

 

 俺たちは、はじめから絶望的なほどすれ違っていたのだろう。もう手遅れなのか?白々しい。俺はそんなことに気が付いているくせに。もう言葉にもならない。涙も止まらない。止まれ。頼むから止まってくれ。

 

「この期に及んで信じてくださいとは言いません。令呪で自害を命じれば従います。ただ、これからもマスターを守ります。私たちが勝者になるために全力を尽くします」

 

 令呪、そういえばアーチャーは令呪を一つ失うまではこちらの言うことを聞いてくれると話していた。その令呪一つが今はない。アーチャーは、もう俺の味方じゃないのか?そもそも、はじめからアーチャーは受肉が目的で俺とは……もう無理だ。もうたくさんだ。もう耐えられないんだ。いつも通りだ。今日の俺も深い記憶の底に積まれて、出てくることがないのだろう。もう何も考えたくない。

 

「夢だった!本当は何も起きてない!俺はもう寝てる!夢の中だ!」

 

「マスター…」

 

「おやすみアーチャー、また明日」

 

 ベッドにもぐりこんだ。黒い雲のように不快感が回って、寝ているのかもあいまいに、不快感の中に意識が落ちていった。

 

 

 

 廃墟に佇んでいる。見捨てられ草木の奥に沈んだ廃校の中だ。たまに人の訪れがある。学生が肝試しできた時は、黒い影が見えた。侵入者を窺うように、暗がりで身じろぎする。若者が酒盛りした時は、床を走る小さな影が目撃された。ネズミがいるのだろうと若者たちは考えたようだ。若い二人連れが来たときは、首を吊る遺体を目撃した。白い服に長い黒髪、

若者は逃げ帰った。しばらく後に地元の人が遺体を再発見して警察に連絡した。その人は、不気味な雰囲気を感じ取ったという。警察が現場周りを調べた時には、教室の窓を横切る人影や建物の屋上から飛び立つ大きな鳥が目撃された。

 

 その後、当分は人の訪れもない。その悠長な時間の経過が、人々の残していった恐怖心を一つの形に結実させる。その姿は変わることがなく。長い時とたまに訪れる人々の恐怖で、十分に廃校に馴染むのだと理解した。

 

 ああ、ようやくわかった。夢が覚めるまでの少しの間でも、一人で過ごすのは寂しいだろうと、駆け寄ろうとして、右手をつかまれる。……右を向いても誰も見えない。目には映らなくとも、存在を感じさせる温もりを確かに感じる。落ち着いてきた、眠ってしまいそうだ。夢の中でも夢に落ちるだろうか。その前に、言わなければいけないことがある。自分の勝手な思い込みを断ち切るために。

 

 この夢の中でも、言葉が音に乗って相手に届くのだろうかと不安があった。意を決して紡いだ言葉が伝わるものと信じて、

 

「アーチャーはあの時に生まれたの?それとも……

 



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⑧大牙の少年

 

 跳ねるように飛び起きる。びっしょりと肌着を濡らした汗が気持ち悪い。服の下に手を入れてみる。肌着の上には……護符はもうない。

 

「……おはよう。アーチャー」

 

“おはようございます”

 

「アーチャー」

 

“……なんでしょう?マスター”

 

「……これからもよろしく」

 

“もちろんです。マスター。この身にかけても、あなたを勝者にします”

 

 アーチャーと普段通りに話せてよかった。とりあえず汗を流してこよう。

 

 日も昇って来たころ、筆川さんが使い魔をよこした。

 

「建持くん。ちょっといいかしら」

 

「なんでしょうか?何でも言ってください!」

 

「バーサーカーのマスター、田桐久雄っていう子なんだけど。彼が来てくれたわ。少しお話してあげてくれる?」

 

 そんなわけで談話室に来た。大きな椅子に不釣り合いの少年が待っていた。こちらに気が付いた少年は椅子から飛び降りて頭を下げる。

 

「大牙の田桐久雄です…」

 

 妖怪連中の見た目の幼さは全くあてにならないもの。俺の肩までの背丈で俺の何倍も年を取っている大牙の友人が一人二人いる。しかし、目の前の少年の年齢は計りかねた。人見知りなのか恥ずかしそうにしていて、幼い印象を受ける。

 

「どうも久雄くん!俺は建持到です。名前で呼んで!」

 

「よろしくお願いします。到…さん」

 

 なるほどなるほど。それなら地元で使いやすかった話題で行ってみよう。

 

「しかし大牙ね。ちょっとイーってしてみてよ。ほらイー」

 

 俺が笑って歯を見せる。

 

「い、いーっ」

 

 少年は少し戸惑いながらやってくれた。何か素直だなこの少年。

 

「ふむふむ、なるほど。どれだけ使い込んだかわかりませんが、犬歯がかなりすり減ってますね。お兄さん!すごい!歴戦の勇士って感じですよ!」

 

 牙を見た感じ年上である。とりあえず褒めてみる。彼は両手で口を隠した。

 

「僕は混血だから。牙とか……その、人間と変わらないです。だからすり減ったとかじゃ、ないです。僕は十四歳なので、お兄さんの方が年上ですよね」

 

「ま、まあそうだね。でもそうか。へー、大牙の友達は何人かいるけど混血は始めて見たよ。牙がそうなると、尻尾とか耳はどんな感じなの?」

 

「尻尾はその……、耳はこんな感じです」

 

 少年がふわふわのくせ毛をかき上げて耳を見せる。大牙の横に伸びた耳ではなく人間と違いがない。恥ずかしいのか耳が真っ赤だ。恥かしいなら見せなけりゃいいのに。

 

「おー。初めて見たよ。ありがとう!帰ったら友達に自慢してやろう」

 

 少年と楽しく話していると、後ろから苦々しいような声が割り込んできた。

 

「なに?議会の坊主見習いだと思ってたのだけれど。あなたも妖怪か何かなの?」

 

 振り返ると留が居たので、ひらひらと手を振る。

 

「いんや、俺は人間。地元で連合に友達が多いだけ。でもどうしたよ?」

 

「別に……あなたは、力が強い人の方が好きって妖怪然とした考え方を持ってるって気が付いただけ」

 

 どう考えても勘違いしているんだが……俺の留に対する扱いがぞんざいだって気が付いてしまったのだろうか。これからは敬語を使おうか。

 

「使い魔から姉さんの声がするときだけデレデレしちゃってさ」

 

 何で知ってんの?

 

「何で知ってんの?」

 

「ここが誰の屋敷か考えてみたら?」

 

「そりゃあ、……考えが足りなかった…です」

 

「今度は、また敬語を使うことにしたの?それで不機嫌のつもり?到くん」

 

 なんでここまで喧嘩を売られなければいけないんだ。こういう時は、まともに組み合わない。この世の心理だな。

 

「留さんこそ私に突っかかってきて、降ってわいた同居人が不愉快なのはわかります。でも事情もあるので、しばらく我慢していただくことはできますか?」

 

「考えとく」

 

 不愉快なのは否定しないんすね。なんだこの女。薄々話の流れが怪しかったが、やっぱり姉への劣等感こじらせて俺に矛先向けてんじゃないだろうな。いろいろ言ってやりたいことはあるが、相手は家主。下手なことは言わないほうがいい。

 ちくしょう。このままじゃ不利だ!俺の好きなプリンの話題に無理やり持って行ってやる。そう決意して久雄くんに話を振った。

 

 

 

 久雄くんは鳥箱さんが車で迎えに来るまでこの屋敷にいるらしい。鳥箱さんは吸血鬼を探しているとか。鳥箱さんのサーヴァント、セイバーが優秀であることはステータスからわかっているが、こんなにマスターがいるのに一組だけで動くのは少し心配になる。

 久雄くんは俺の隣の部屋を使うことになったので、早速遊びにいく。ノックに返事が聞こえたので中に入った。

 

「久雄くん。何か予定はあるのかい?」

 

 部屋には久雄くんと粗末な服を着た男がいた。サーヴァントだ。ステータスが見える。

クラス名バーサーカー、筋力C、耐久C、敏捷C、魔力C、幸運D、宝具D、狂化-。

 とりあえず挨拶しないと。

 

「久雄くん、お邪魔します。初めまして、バーサーカーさん。建持到です。よろしくお願いします」

 

「いらっしゃいませ……到さん」

 

「よろしく。建持くん。歳も近いようだし、マスターと仲良くしてやってほしい。ああ後、今まで霊体化していて挨拶もできなかったが、気を悪くしないでくれ。」

 

 常識的な気がするぞ。これこれ、こういう人たちと仲良くしたいんだよ。

 

「バーサーカーっていうぐらいなので身構えてましたが、むしろ穏やかなぐらいで驚いています。やっぱり前評判はあてにならないですね」

 

「今はまだ話もできるさ。狂化の話は聞いているだろう?まあ、話ができるのもこの機会だけだろうからね。挨拶だけでも、と思って出てきたんだ」

 

 今は……か、吸血鬼の所在が割れれば俺と久雄くんで狩りに行くのかもしれない。

 

「それでは失礼するよ。二人とも仲良くな」

 

 バーサーカーが霊体化して消えた。後は若い二人で仲良くやって、というあれなのだろうか。確かに吸血鬼戦を控えていると考えると、今のうちに仲良くしておいたほうがいい。それにこの屋敷で俺以外の住人というと家主である筆川の二人なのだ。同じ部外者同士だし、久雄くんには俺が優しくしないと。

 そうはいっても、バーサーカーさんがすぐ引っ込んでしまったのは少し悲しい。俺は机のわきにあった椅子に、久雄くんはベッドに座った。

 

「バーサーカーさん、なんか慌ただしかったね」

 

「僕は魔力が多くないので……」

 

 久雄くんがぽつりと聞き逃してはいけないことを言っている。確かに久雄くんから魔力をあまり感じないが、

 

「バーサーカーは魔力消費が多いって聞いているんだけど、久雄くん魔力少ないの?」

 

「はい。でも僕、魔術師じゃないので魔術とかでは魔力を使わないので……」

 

 全然大丈夫そうじゃない。何か対策を考えてやりたいが、久雄くんは魔術師でもないらしい。魔力をコントロールできないということだろうか。ああ、何で君みたいな善良な一般人がここにいるんだ?

 

「外部から魔力を持ってこれるようにした方がいいかもしれないね。どうしようか……」

 

 久雄くんが慌てて両方の掌を振っている。

 

「大丈夫……だと思います。鳥箱さんが作戦を考えてくれました。一度しか戦えないけど。令呪を使ってバーサーカーの魔力を補って、同時に契約も破棄するように言われています。それなら大丈夫じゃないですか?」

 

 一回しか戦えないのは大丈夫じゃないだろうとは言えなかった。吸血鬼はしぶといらしい。バーサーカーさんが優勢であっても、決着の前に消えてしまったら死ぬのは久雄くんである。

 

「鳥箱さんは他に何か言っていた?吸血鬼と戦う時のこととか」

 

「まだ決定じゃないけど、僕と到さんとサーヴァントで責めるんじゃないかって、そう言っていました」

 

 勝ち目あるのかな?この子押しに弱そうだし、騙されているんじゃないだろうな。いや、弱みを握られているのだろうか。

 鳥箱さんは連合と何かやり取りをして、連合のマスター、久雄くんを味方につけたと言っていた。連合との兼ね合いがあるので、久雄くんを危険にさらすのはためらいそうなものだけど。俺の考えすぎだろうか?

 

「それなら、次は俺と君、そしてサーヴァントのできることと、どうやって戦うかについて話をしておきたいな」

 

「はい、わかりました」

 

 久雄くんは、小さめのリュックからノートとシャーペンを取り出して持ってきた。俺も何か持ってきた方がよかったかもしれない。

 話をしていくと俺たちマスターは、ただの弱点。戦うにしてもサーヴァントだよりになりそうだとわかった。わかったというよりも当たり前。そもそも人が簡単に強力な化け物やサーヴァントに対抗できる方がおかしい。

 作戦会議と意気込んでも、すぐにやることが無くなった。

 昨日久雄くんがプリン好きだと言っていたことを思い出したので、プリンを作ることにした。準備は昨日からしている。久雄くんは手伝ってくれた。留のやつとは違う。……筆川さんはまっとうだし、文句を言いたくなる留にもお世話になっている。彼女たちの分のプリンには果物を添えて、留の使い魔に渡しておいた。

 



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⑨準備

 

 昼寝やアーチャーとの雑談で時間をつぶしていると、夕方ごろに筆川さんが使い魔が情報を伝えてきた。

 鳥箱さんが吸血鬼の居場所を突き止めたらしい。さっそく乗り込みたいところだが、何か確認することがあるらしい。俺はまだしばらく待機していてくれと言われた。

 今日の朝から、なんとなく避けようとしていたのかもしれない。この時間になってしまったがアーチャーと話をしよう。勝利を目指すための話を。

 

“アーチャー。本当はもっと早く話さなければいけないことがあるんだけど”

 

“なんでしょうか?

 

“アーチャーは俺が令呪一個を使うまでは従うと言ってくれたけど。もう使っちゃったんだよね。……もう俺に対する愛想は尽きた?”

 

“マスター。前言を撤回します。今でもマスターにお仕えする方針をかえようとは思いません。……それでは、さらに一つ令呪を使用するまで私は基本的にマスターに従う。そう宣言しておきます”

 

“ありがとう、アーチャー。あと、アーチャーの方から俺に指示することもあるだろうから、俺にできそうなことを伝えておくよ”

 

“私からマスターに指示とは……”

 

“よくない?”

 

“いえ、素晴らしい考えです。必要になることがあるかもしれません”

 

“ええと、それじゃあ俺にあるのは……令呪に加えて、監視ぐらいはできる使い魔二体。持ち込んだ術式を使えば、普通の結界や術式は十ぐらいは破れそうだけど、サーヴァントの魔術に効果があるかわからないな。時間をかければ地脈から魔力を吸うこともできる。転移術式を使ったら魔力の消費が大きいから、それを補えると思う”

 

“なるほど、……折を見て再び久雄様と相談した方がいいかもしれませんね”

 

“忘れないようにするよ”

 

 話しておくべきことは、こんなところだろう。緊張をといてベッドに寝っ転がる。話しておきたいことは、いくつか思いついた。

 

“あと、戦うことになる吸血鬼、知り合いかもしれない”

 

“私も、その吸血鬼だと思います”

 

“俺の記憶を見た?”

 

“……はい。マスターが寝ているときに無意識下で流れてきたためか、見えました”

 

“俺もアーチャーの記憶を見たかもしれない。……それで少し気になったことがあるんだけど。今日のプリンはカウントしないで、それ以前にプリンを食べたことはある?”

 

 アーチャーはプリンが好きだと言っていた。しかし、俺が夢に見たものがアーチャーの記憶だとしたら、アーチャーはおそらくプリンを食べたことがない。

 

“私は、……あなたのアーチャーは食べたことがありません。しかし、私はいくつかの減少や故人がまとめられて形作られています。そのためか、プリンに対しては好きだと感じています”

 

 アーチャーも思うところがあったのか、やたら丁寧に答えてくれた。

 ……どうも真剣な話題が続いて疲れる。俺は少し仮眠をとることにした。

 

 

 

 その後、久雄くんと夕食を作って食べた。食事の時だけ留が来た。人数分準備をしといてよかった。留が来なかったら、俺が食えばいいだけだったけど。

 ……今日は早く寝よう。

 

 

 

 何も夢に見なかった。しばらくぶりに爽やかに目覚めることができた気がする。

 

 

 

 朝、筆川さんに談話室に集められた。俺とアーチャー、久雄くんとバーサーカーさんで吸血鬼を打ち取ってくるように言われた。その上で問題が、

「その吸血鬼が令呪を持っていて、サーヴァントを召喚しているみたい。それに死体から魔術刻印をはぎ取って所持しているみたいで、それを回収してほしいの。……筆川のおじさんは、そう言っていたけど。当たり前だけど、自分の命を優先して。吸血鬼が従えているサーヴァントはアサシンかキャスター。何がおこるかわからないわ」

 

 筆川さんの言葉に久雄くんと顔を見合わせる。

 

「留も二人に協力してあげて。私はやることがあるので何かあれば使い魔に話しかけてね」

 

 俺たちが困惑している間に筆川さんは出ていってしまう。事態について行けない。落ち着いて一息入れるために、お茶でも入れようか。給湯室を借りてお湯を沸かす。

 でかいやかんで麦茶を入れて、久雄くんと留の前にコップを置く。

 

「ありがとうございます」

 

「ありがと。あんまり考えたくないけど、吸血鬼を何とかする話を始める?できれば今日中に決着をつけたいところだけど」

 

 留はいきなり本題に入った。麦茶に一口つけてからでもいいじゃないか。……まあ別にいいけど。

 

「筆川さんは何も協力してくれないの?」

 

「結界や使い魔での監視があるから動けないみたい。聖杯を守らなければいけないし」

 

 聖杯!この屋敷にあるのか?

 

「吸血鬼がどこにいるかは私が知っている。使い魔で今も監視しているし。問題は移動かな。自転車使って片方は二人乗りしてもらうとして、……山の中に入ると歩きになるし、移動に一時間はかかるかな」

 

「僕、自転車乗れないです」

 

「俺がこぐよ。大丈夫。それと留は守るサーヴァントがいないし、とりあえずこの屋敷に居てよ。念話はできるようにしてほしいけど」

 

「私が同行しないとまずいでしょ」

 

「使い魔をつけてくれ。吸血鬼まで先導してもらうから」

 

「……、私の言うことに従うならそれでもいいかな」

 

 ありがたいことにアーチャーが問題を指摘してくれた。

 

“マスター、魔術刻印の回収を行う必要がありますが”

 

“……アーチャーありがとう”

 

「いや、全員で一緒に行動しよう。俺たちじゃ魔術刻印を扱えない」

 

 二人が不思議そうな視線を向けてくる。

 

「本当に回収を狙うの?……私はそれでいいけど」

 

「まあ、はじめから諦めることはないじゃないか」

 

「わかりました。いつ出発しますか?」

 

「……留さんはいつがいい?」

 

「一時間後に出発しましょう」

 

 話がまとまったので、一度分かれて荷物の準備を行う。使い魔、術式、護符。後は、令呪と……

 

“アーチャーの転移は何人まで運べる?”

 

“令呪でつながっているマスターの他に一人だけしか運べません”

 

“そっか。アーチャーは自分の判断で行動して、俺は吸血鬼やサーヴァント相手じゃ役に立たないだろうし”

 

“承知しました”

 

 後は……話すべきだろうか?……悩むぐらいなら行ったほうがいい。

 

“アーチャー。留や久雄くんが危険な状態になっても、いざとなったら俺とアーチャーを優先してくれ。その時に俺が何を言っても無視していいし、何なら殴って黙らせてもいい”

 

“……表現に問題がありますね。その言葉は、……マスターが私のことを信頼しているとおっしゃったのだと受け取ることにします”

 

 これでいいだろうか。

 

 十分余裕をもって玄関に行くと、既に久雄くんが待っていた。

 

「はやいね、久雄くん。そう言えば久雄くんは、何か持っていくものはあるの?」

 

「いいえ、だから準備もすぐに終わってしまって」

 

 ソファに座っている久雄くんの横に座る。

 

「それなら、俺ももっと早く来たほうがよかったかな」

 

「僕も今来たところなので……」

 

 あったばかりの時は久雄くんに視線をそらされることもあったが、今日あたりからようやく目を合わせて話をしてくれるようになった。少し嬉しい。

 

「何もないってのも不安じゃないか?荷物を片づけたら、まじない除けの護符が二つあったから、一つ持っておいてくれよ」

 

 手のひらサイズの護符を久雄くんに押し付ける。

 

「ありがとうございます。……嬉しいです……留さんにもあげるんですか?」

 

「あー、そっか。まあ渡したほうがいいか」

 

 留のことは考えてなかった。俺よりよっぽど装備が充実していそうだし。でも、サーヴァントはいないのか。

 残りの護符に魔力を使い、指で守の字を書いてやる。何の意味もないおまじないみたいなものだ。

 

「……到さんは僕たちのこと考えてくれますね。頼りになります」

 

「そうそう、年上には格好つけさせてくれよー。どんどん頼りにしてくれていいからな」

 

「は、はい」

 

「久雄くんにがっかりされないように、無事に帰れるように、俺も頑張るさ」

 

“マスター。冗談はほどほどに”

 

“わかっているよ、アーチャー。話せるのも、仲良く話せるのも最後かもしれないじゃないか、少しぐらい見栄を張ってもおおめに見てほしいな”

 

“勝利を諦めるようなことが無ければ、私から言うことは何もありません”

 

“俺にも目的があるし……諦めるなんてそれこそ無い話だよ”

 

“失礼しました。夢を経た今、私があなたに疑念を抱く、ということもおかしな話でした”

 

“俺も見ているから、アーチャーの疑いはもっともだと思うよ。俺も少しは発言に気を遣うようにする”

 

「あのう、……到さん?」

 

 俺がアーチャーと念話するために黙り込んだので、久雄くんに心配されてしまった。念話はほどほどにしないと。

 意図せず放置する形になってしまった久雄くんに、あれこれ話題を振ってみる。久雄くんは丁寧に答えてくれた。そうこうしていると、留がやってきた。

 

「渡しとく。周りの金属をはがすと三分ぐらい私に話しかけられるから」

 

 そういって、留が久雄くんと俺に金属線を巻いたガラス球のようなものを渡してきた。ありがたく受け取る。

 お礼に護符を留に渡す。

 

「なにこれ?」

 

「まじない除けの護符、無いよりかはましだろうと思う」

 

「?……ありがとう」

 

 怪訝な顔をされた。

 



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⑩吸血鬼

 昼前の暑くなってくる時分、今日は曇りがちなので日射が厳しくはない。自転車をこいで、山の中には入る。藪が深いわけでもなく、まばらに木が生えている山なので、そこまで苦労せず進んでいく。

 いくらか歩いて、先導する留が止まった。

 

「二人とも気を付けて!」

 

“魔力です。マスター”

 

 警告の言葉と同時に視覚からも異常が伝わって来た。地面からしみだしてきたと感じられるほど唐突に、濃い霧が視界を埋める。

 幻術か?誰かが俺の右手を握った。驚いて息が詰まるが、この感触には覚えがある。

 

“マスター分断されたようです。いえ、魔力や気配を感じないだけで、すぐ近くにいるのかもしれませんが”

 

“なるほど……どうすべきだろう?”

 

“下手に呪術を使えませんし、……今の声、何か感じましたか?護符は?”

 

 確かに笛の音のような、遠吠えのような音が聞こえた。俺には何の影響もない。

 

“何もない、と思う”

 

 少しまずいかもしれない、平衡感覚も地面に立っている感覚もなくなってきた。アーチャーは大丈夫だろうか?令呪を使うか、離脱すべきだろうか…

 

“これほどの異常、キャスターでしょうか?”

 

 確かに吸血鬼がここまでやるとは……吸血鬼ならおかしくない気もする。急に前方の霧が薄れて、次第に木や茂みの影が見えてくる。

 さらに霧が晴れて、そこには少し前に顔を合わせた吸血鬼、隼が立っている。予想はしていたが、彼女が件の吸血鬼だったのだろう。

 

「やあ、到くん。また会いに来てくれたんだね。会えてうれしいよ」

 

 一度目の邂逅はこちらから会いに行ったつもりはない。アーチャーが握る手に力を込めた。逃げるつもりだろうか?しかし、今は確認することがある。

 

「隼さん。私も会えてうれしいです。数日ぶりですね」

 

「あの時はありがとう。結界を通してくれたから、簡単に欲しいものが手に入ったよ」

 

 アーチャーを連れているこちらを警戒してか、隼は以前あった時のように距離を詰めてこない。

 

「それは良かったです。それで、欲しいものとは何だったんですか?」

 

「え~、気になる?気になっちゃう?」

 

「はい。すごく興味があります」

 

「ほら、これよこれ」

 

 隼が着ているパーカーの袖をまくり上げる。右腕の表面が、銀色のあみだくじの線のように光っている。おそらく筆川さんに回収してほしいと頼まれた魔術刻印だろう。しかし、こちらの油断を誘うためか、簡単に見せびらかしてくる。吸血鬼の見掛け上の幼さに油断してはいけない。

 

「隼さんは魔術師になりたかったんですね」

 

「んんっ、到くんもバカなことを言うんだ。……ああ、でも、ふっ、…くっ…、ふふ」

 

 隼は震えだして、耐えきれなかったのか笑いだした。

 

「ああもう、うまいこと言うんだもん。そう。私は魔術師になりたかったの」

 

「夢がかなったんですね?」

 

「うんうん。だから今はとっても機嫌がいいの。……機嫌が……ね」

 

 その表情は柔らかいものであるが、隼の黒い虹彩は俺の目を強く射抜く。俺の頭の中で弾けて燃える何かがあるような……

 そろそろ本題に入ってもいいかもしれない。

 

「隼さんは……令呪を持っていますか?」

 

「令呪?ほら」

 

 隼が右手の甲を見せつけてくる。確かに令呪がある。

 

「あなたのアーチャーと違って、うちのキャスターは隠れてしまったわ。ごめんなさい。あの子は怖がりだから、許してあげて」

 

「はぁ、はい」

 

 サーヴァントの話までしてくれるとは思わなかった。しかしキャスターか。この霧、そして隼。勝ち目がないかもしれない。

 

「隼さんは魔術師になりました。その上で、聖杯戦争に参加しようと考えているのですか?」

 

 隼は目を細めて笑った。アーチャーが俺の一歩前にでる。

 

「ごめんなさいね。あの子が勝ちたがっているから、自分からリタイアはしないつもり。でも、私が手助けしたら簡単に勝っちゃうから、私はキャスターを手伝ったりしないわ。安心して」

 

 隼の真意がよくわからない。困惑していると自分の周りに目で確認できるほどの魔力が広がっている。それが俺の方に急速に集まってくる。アーチャーに手を引かれて走り出す。俺の背中にかけられた声があった。

 

「ブルーローズ」

 

“マスター!”

 

 アーチャーの緊迫した声が耳に刺さる。

 

「キャスター。到くんは死なないように、遊んであげて」

 

 隼の令呪の赤い光に送られるように、魔力の奔流に呑まれた。

 

 

 

 視界が白く染まる。無意識で呼吸しようとして、水を飲みこんでせき込む。それも自分温体から空気が奪われる結果にしかならない。水の中だ!

気が付けば荒波に呑まれたようだ。上も下もない。大きな洗濯機の中に入ったかのように、あらゆる方向に体がもっていかれる。

 令呪を使わなければ!……令呪に何を命じればこの状況を脱出できる?

 

“マスター!宝具を使います”

 

 念話で届いた声に安心する。

 

「デッドエンド」

 

 重い水が耳をふさいでいる中でも、アーチャーの毅然とした言葉が耳に届いた気がした。

 ステータスを見た時から思っていた。ああ、なんて自分にぴったりなのだと。視界が切り替わる。もう少し勝ち続けて、魔力を手にすることができたら、そのときもここにたどり着くのかもしれない。アーチャーと一緒に薄暗い廃校の中にたどり着く。

 

 激しくせき込んで、飲み込んだ水をなんとか吐き出す。めまいがして、視界が真っ黒になる。何かの破壊音に気が付いて顔をあげると、……視界がかすれているが、アーチャーが何かを床に押さえつけている。

 ようやく見えてきた、あれは絵でしか見たことがない人魚だ。あの人魚がキャスターのサーヴァントだった。ステータスが見える。

クラス名キャスター、筋力E、耐久E、敏捷E、魔力A、幸運B、宝具B、陣地作成A、道具作成C。

 キャスターが何かをしたのか、俺の近くで髪を裂くような音が響く。俺が身に着けていた護符が破られる音だ。

 

「やっぱり、マスターがはずれだったなぁ」

 

 キャスターの美しい声が聞こえる。続いて、アーチャーの手がキャスターの胴体を貫く鈍い音がした。耳をふさいどけばよかった。

 護符を確かめる。半分ほどは焼き付いてダメになっていた。キャスターを消滅させたアーチャーが駆け寄ってくる。

 

「マスター、大事ありませんか?」

 

「大丈夫だよ。ありがとうアーチャー。でもアーチャーの宝具は強かった。ごめん、少し低く見ていたかも」

 

 宝具ランクEのアーチャーがランクBのキャスターに宝具の打ち合いで勝利した。宝具のランクは高い方が勝つものでもないようだ。

 

「運がよかった。それだけです。宝具はどちらも結界だった。こちらが先に魔力を使っていたら勝てはしなかったでしょう」

 

 確かに魔力をだいぶ消費した実感がある。この勝利は運がよかったのか、隼もやる気がなかった。それに、別れ際の隼の令呪、あれは……

 アーチャーがこちらと顔の高さを合わせる。嫌な予感がする。

 

「アーチャー、何を?」

 

「いえ、なんでもありません」

 

 アーチャーが離れていく。いや、戻って来た。

 

「マスター、宝具の結界を解きます。あの吸血鬼がどう動くかわかりませんし、所在不明のアサシンもいます。帰るまで油断しないように、お願いしますね」

 

「ありがとう、気を付けるよ」

 

 アーチャーの結界である廃校の景色が消えて、山の中に戻って来た。

 視界に突然、隼と黒い影を被ったような人間?が現れた。とんでもない速度で戦闘している。あの影を被ったように上半身が黒いのは、サーヴァントだ。

クラス名バーサーカー、筋力A、耐久A、敏捷A、魔力C、幸運D、宝具D、狂化A。

 見えたステータスに、知っている存在だと一瞬だけ油断した。相手はバーサーカー、理性を放棄した獣のサーヴァントであるのに。バーサーカーは見開いた眼で突然現れた俺たちを一瞥し、そして矛先をこちらに向けた。躊躇なくこちらに一直線に向かってくる。速すぎる!

 アーチャーが何かをしたのかバーサーカーに黒い軌跡が走る。バーサーカーはそれを簡単に避けて、一度距離をとって、進路を変えて俺に迫ってくる。バーサーカーが俺にたどり着くよりも早く、アーチャーがヘッドスライディングをするような前傾姿勢で俺の目の前に走りこむ。それよりも前にバーサーカーの振り下ろした腕の前に、隼が割って入った。隼を構成していた青く輝く魔力が飛び散り、そして少し遅れて血が……。バーサーカーが目の前にいて、再び腕を振るっているのに、隼は肩越しに俺を流し見て、言葉を漏らした。

 

「えへへ、よかった。到くん」

 

 弱弱しい声は、そう聞こえたような気がした。気のせいだろうか。気のせいであってくれ。まさか、吸血鬼が自分を庇ったなんて。そんなことが……あるわけがない。庇ってないと信じたいのか?それとも庇ったと信じたいのだろうか?バーサーカーの右腕が隼の体を切り裂き。左手は隼の右腕を掴んで肩口の肉ごと引きちぎる。派手に飛んだ血や肉片が俺の頬や手にまでかかる。お願いだ。もうやめてくれ。

 アーチャーが俺を向かい合わせで抱きかかえるようにして、走り出す。俺は手を伸ばして、隼がバラバラにさせるところを見ていることしかできない。

 

「戻って、戻ってくれ、アーチャー」

 

 おかしい、おかしい。はじめから吸血鬼は、隼は退治してしまえと考えていたはずだ。なんでこんなにも心乱される。言葉を交わすんじゃなかった。……アーチャーは冷静さを失った俺を無視して、冷静にバーサーカーから距離をとってくれていた。

 

「ごめん。アーチャー、なんでもないよ」

 

 隼を解体して、散らかしたバーサーカーがこちらに向かってくる。アーチャーも十分早く走っているはずなのに、バーサーカーの姿はどんどん近づいてくる。アーチャーが俺という荷物を抱えていなければよかった。このままでは追い付かれる。

 バーサーカーは急に立ち止まると、自分の体をむしりはじめた。そして自分の体を腕で引き裂いて、霧散した

 

 




登場人物、キャスター。

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バーサーカー。

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⑪大牙の少年2

 

 バーサーカーが消滅し、アーチャーが立ち止まる。

 

「バーサーカーは明らかに制御できる状態にはありませんでした。久雄様が令呪で自害させたのではないでしょうか」

 

「そうか。ありがとうアーチャー。アーチャーが適切に助けてくれなかったら死んでいたよ」

 

 そして、隼にも助けられた。

 

「いえ、お気になさらず」

 

「とりあえず、戻ろうか」

 

 隼の遺骸がある方を指さす。そちらには留が立っている。

 

 歩いて近づくと、留はしゃがんで何かをしている。隼の体の一部をいじくりまわしていることに気が付いて、つい声を荒げてしまった。

 

「留!何をして

「うるさい!見てわかんないの。刻印だよ、刻印」

 

 すっかり忘れていた。筆川さんも魔術刻印の回収をしてほしいと言っていたじゃないか。留はそのために同行したようなものだし。留に頭を下げる。

 

「ごめん」

 

「落ち込まないでよ。確かに死体をあさっているのは印象よくないと思うから」

 

 留は魔力で何かをした布で隼の腕などを包み、ベルトで固定した。

見当たらないので、少し心配になってあたりを見渡すと、久雄くんは少し離れた場所に座りこんでいた。

 

「お疲れ様。久雄くん。ケガとかしてない?」

 

「……はい」

 

 なんとなく久雄くんの顔色が悪いような気がする。声をかけても顔をこちらに向けるぐらいでぐったりしている。

 

“マスター、久雄様は魔力を消費しすぎたのではないでしょうか?バーサーカーが暴れていましたし”

 

 なるほど、久雄くんが立ち上がろうとして、前に倒れこんでしまう。俺が受け止めるが、久雄くんは力なく体をこちらに完全に預けている。呼吸が弱く目を閉じている。

 なるほど。魔力切れか。俺が足を延ばして座り、その上に膝枕するように久雄くんを仰向けに寝かせる。久雄くんはされるがままだ。意識が薄いのだろうか、これは深刻な魔力切れかもしれない。

 懐から取り出した折り畳みナイフの刃を出して、左手のひらに切れ目を入れる。少しずつじんわりと熱くしびれて、染み出した血は玉になる。それを落とさないように久雄くんの口に持っていく。血が噴き出しているわけでもないので、血を与えるために久雄くんの口を開いて、その唇で血を拭うように血を与える。少しして久雄くんの赤い舌が口の外へと先端を出した。舌が傷口に沿うように手のひらをあてる。久雄くんが俺の左手のひらをなめる。傷口からはゆっくりと血が伝って。久雄くんは待ちきれないように下で傷口を押し広げようと……痛い。こいつ意識してやっているんじゃないだろうな。少しつねってやろうか。ほじくるというほど荒々しくはないが、唾液で傷口がしみるぐらいには久雄くんの舌が俺の傷口を蹂躙する。傷が痛む。違和感がある。気持ちが悪い。なるだけ乱暴にならないように久雄くんの頭を抑えた。手のひらを舌が届かない高さまで持ち上げる。血は上から落とせばいい。

 大分血を流して、久雄くんの顔色がよくなった気がする。……よくなってもらわないと困る。

 

 魔術刻印にも鮮度がありそうなので、久雄くんはアーチャーに背負ってもらい、急いで筆川さんの屋敷に戻った。幸い無事に帰りつくことができた。

 皆疲れ果てていたので、たっぷりと休養をとった後、久雄くんと鍋を作って夕食にした。留はやることがあるらしく食事に来なかった。

 

 

 

 穏当に睡眠をとり翌日。朝食を食べて少ししたぐらいの時間、筆川さんに使い魔で、久雄くんと一緒に鳥箱さんの屋敷へ行くことになると伝えられた。

 留とは会えなかった。筆川さんに話を聞くと、留は魔術関連で手を離せず、この屋敷にはいないので会うことができないらしい。留の行先は教えてもらえなかった。

 鳥箱さんの屋敷に行って、もうこちらには戻ってこないだろうか?そもそも次の機会まで俺が無事でいられる保証はない。少し迷ったが、隼に会いに行くときに受け取っておいた道具を使うことにした。外側の金属線をはがして、包まれていたガラスのようなたまに語り掛ける。

 

「建持到です。少しだけ話がしたい。今大丈夫かな」

 

“何があったの?

 

「もうすぐ鳥箱さんの屋敷に移動することになって……いつ戻るかわからないから」

 

“緊急……じゃないの?

 

「お礼だけ言っておこうと思って」

 

“……切るよ”

 

「ごめん、謝るからもう少しだけ、お願いします」

 

 寝起きだったのかもしれない。それともこの道具の特徴だろうか。会話における留の反応が遅いし、普段に比べて口数が圧倒的に少ない。手が離せないと聞いているし、お疲れなのだろうか。

 

「ごめん。お礼を言う機会があるかもわからないから……。ありがとうございます。本当にお世話になったし、助かった。留も体に気を付けて……機会があれば恩を返したいと思っているよ」

 

“何?もうすぐ……死ぬ……の?”

 

「そんなことはないさ。……お元気で」

 

 気まずくなって道具の術式を砕いた。嘘はつきたくなかったが仕方がない。

 

 荷物などの準備を終えて筆川さんに別れを告げて、久雄くんと一緒にタクシーに乗り込んだ。鳥箱さんの屋敷について、はじめは館の中を鳥箱さんの使い魔が案内してくれた。

 鳥箱さんの屋敷での生活も部屋の中に閉じこもってやることがない。食料はビスケットや干し肉、漬物など保存食が中心になりそうだった。

鳥箱さんはやることがあるらしく、会話もできないので、引き続き久雄くんと雑談して時間をつぶす。

 

「なーんか待ち時間多いよね、久雄くん。外にも出れないし」

 

「今は平和ですけど……まだ戦わなくちゃいけないんですか?」

 

「バーサーカーいないし、久雄くんは屋敷にこもってもらうことになるんじゃない」

 

「到さんはアーチャーと一緒に戦うんですよね」

 

 久雄くんは真剣な表情だ。シリアスな話か、雑談しようと思ってたのに。

 

「そうなるね」

 

「到さんも屋敷に残って居たほうがいいんじゃないですか。アーチャーだけで行ってもらうとか……その方がよくないですか?」

 

 久雄くんはこちらの心配をしているらしい。

 

「まあ俺はアーチャーに守ってもらうだけだけど、令呪を使うタイミングとか現場にいないと難しいから。まあ覚悟してるよ」

 

 久雄くんは俯いて考え込んだ。吸血鬼と相対して何か思うところがあったのかもしれない。

 

「後はアサシンだけだから。アサシンが消えれば終わる。こちらの方が数が多いしどうにかなるさ」

 

 ということになっている。そう、アサシンが負けたら俺たちも終わりだ。俺がアサシンの側につけば二体二になるが……。うまく漁夫の利を狙うしかない。爆発か何かで全滅するところを俺たちだけ転移するとか。

 

「到さん!」

 

「なっ、なにかな?」

 

 久雄くんが急に大声を出したので驚いてしまった。久雄くんは力強くこぶしを握って、こちらを真摯に見つめている。

 

「僕に手伝えることはありますか。何か準備をするとか、何かないですか」

 

「特にないかな」

 

 強いて言うならアーチャーと今後について相談したいが、それなら久雄くんがいないときのほうがいい。

 

「そうですか」

 

 久雄くんが残念そうな顔をする。

 

「といってもなー」

 

 先日に護符の多くを失った。サーヴァント相手には焼け石に水でもある方が安心できる。材料があれば護符でも作るんだが、墨はあっても紙がない。用意した紙は全て消費してしまった。

 

「お守りみたいなもん、護符っていうんだけど。俺は自分で作ることもあるんだよね。今は材料ないけど、書き方の練習でもするか?いつか手伝ってもらうかもしれないし、俺が教えるよ」

 

 せっかくだから久雄くんに護符の書き方でも教えてみるか。久雄くんはメモ帳とペンを持ってきていたはずだ。

 

「はい、教えてください」

 

「じゃあ紙とペン持ってきて」

 

 久雄くんが持ってきたノートにシャーペンで決まった図形を書いていく。筆と違って線が細いから塗りつぶすのに時間がかかる。

 

「これが炉、こっちの紋は河、この端のは明って名前なんだよね。光るとか、まじない除けとか、きつけとか効果もいろいろあるよ」

 

「形が似てて、違いが判らないです…。あっ、でもこの見本をよく見て、自分で書くときは頑張りますから」

 

 久雄くんがノートの図形を一生懸命見ている。なんか申し訳ない。わかりづらいのは、俺が描いた図がきたないのが理由な気がする。実際に作る時も五分の一ぐらいしか成功しないし。

 

「到さん。でもこれを書くだけで、効果があるんですね。すごいです」

 

「魔力とか術式も必要だけどね。そっちは興味あったら実際に作る時に説明するよ。機会があれば」

 

 機会があれば。

 

「はい。ありがとうございます」

 

 久雄くんのまっすぐな笑顔がまぶしい。そのほほえましさに俺が頬を緩めていると、久雄くんが服の下から、首にかけたきんちゃく袋を取り出した。大牙は全員同じような気がする。地域性はないのかも。

 

「そ、その、到さん。お守りとして、これをもらってくれますか……」

 

 久雄くんがおずおずと、生え変わったものであろう自分の犬歯を差し出してくる。これはちょっと良くないかもしれない。ああ、久雄くんはハーフだと言っていた。知らないのかもしれない。地域性かも。確認しよう。

 

「う~ん、これ犬歯じゃないかな?」

 

「えっ、……はい……」

 

「犬歯は、あとは臼歯も、取っておいてくれよ。絶対にいつか渡すことになるはず。一番小さい……この歯をもらっとくよ」

 

 地元では犬歯は家族に、それ以外の歯で大きな臼歯あたりは親友に送ると聞いている。今もらうのは適切ではない。俺は久雄くんのきんちゃく袋の中を確認して、一番小さい歯を取り出す。久雄くんは俺の手首を控えめがちにつかんだ。

 

「それで、その……到さんは、僕に血をくれました。その歯よりも別の歯の方がいいものなら、そっちをもらってください」

 

「いーや、これがいいんだ」

 

 俺は摘まみ上げた歯を自分の首から下げているきんちゃく袋にいれる。そして外套に貼り付けていた護符の一つを持ってきた。それを久雄くんに手渡す。

 

「お礼にこれを渡そう。この護符の効果は虫除けだから。喜んでもらえると思う」

 

 久雄くんが驚いて固まってしまう。心配ない、大牙なら嬉しいはず。

 恐縮しきってしまい、護符をつき返そうとする久雄くんにいくらか言葉をかけてなだめた後に、疲れていると適当な理由をつけて自室に戻った。ベッドに寝っ転がりアーチャーに話しかける。

 

“アーチャー、この状況からどうやって勝ちに行く?”

 

“アサシンとぶつかる時にどれだけ脱落するかが勝負ですね。できれば最後は一騎打ちが望ましい。一対一なら勝機を生み出して見せます。”

 

“セイバー相手でも?”

 

“やりようはあります”

 

“そっか。まあ今日はのんびりしてようか”

 

 所在不明な最後のサーヴァントがアサシンというのが不気味だ。筆川さんや鳥箱さんが探しているのだろうが、気配遮断のスキルを持つアサシンは発見できない気がする。もちろん俺も見つけられない。長期戦になった場合、どうだろうか。

 目をつぶると、睡魔が襲ってきた。

 

 



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⑫強風

 轟音が響いてたたき起こされる。地震か?揺れが強い。

 

“マスター、魔力を感じました”

 

“何が起こっている?”

 

 護符が入っている外套を羽織る。窓から外を見ると揺れている以外に異常なものは見えない。鳥箱さんが魔術の実験かなんかに失敗したのか?しかし、このタイミングでそれは考えづらい。部屋の外に出ようと扉に向かうと、俺を制するようにアーチャーが実体化した。

 

「マスター、私が先行します。絶対に離れないように」

 

「了解」

 

 アーチャーが扉を引くと、強風が流れ込んできた。思わず膝をつく。カーテンが激しくはためいて、いやそれ以外も荒らされて、大きな音が続く。

少しして風がやんだ。

 

「アーチャー、隣の部屋だ」

 

 廊下を突っ走って行こうとするアーチャーを呼び止める。隣の部屋には久雄くんがいる。安全は確かめておきたい。

 

「流石に久雄様までは守り切れません」

 

 戻って来たアーチャーが苦言を呈する。

 

「無事かどうか確認するだけだから。一緒にはいかないよ」

 

 扉を開く。俺の姿を認めると、机の下に潜り込んでいた久雄くんが這い出てきた。

 

「到さん。なにがあったんですか?地震?それにしては……」

 

「いや、俺にもわからないんだ。とりあえず無事でよかった。俺たちは様子を見てくるから。ここで待っていてくれ」

 

「はい」

 

 久雄くんがまだ何か言いたそうにこちらをチラチラ見てきたが、無視しておいていくことにする。アーチャーと一緒に廊下に出ると、廊下の先から鳥箱さんの使い魔が飛んできた。

 

「建持君。アサシンを絶対に逃がすな!聖杯を奪われた!」

 

 使い魔から聞いたことないような鳥箱さんの声が響いた。相当焦っている。それ以上に言葉の内容に驚いた。アサシンが侵入して、聖杯を奪って逃げたのか?

 

「アーチャー!アサシンの場所はわかる?」

 

「わかりません。大きな魔力の反応を感じますが、これはセイバーでしょう。アサシンの可能性もないではないですが……そちらに向かいますか?」

 

 慌てて焦っている俺の言葉に、アーチャーは冷静に返す。俺も落ち着いてきた。

 

「いや、アサシンが聖杯を所持しているなら一番魔力が大きい反応がアサシンじゃないかな?」

 

「私がこの場で召喚された時から、セイバー以外に大きな魔力の反応は感じていません。聖杯は検知できるようなものではない可能性があります」

 

 流石に聖杯は隠ぺいをしているようだ。そしてアサシンも気配遮断がある。

 

「そっか。……ええと、セイバーがアサシンを追っているなら。セイバーの進路に先回りできないかな?」

 

「屋敷の外に出ることになりますが……」

 

「とりあえず窓から出る?」

 

 近くの窓を開いて、少しやっておくことを思いついた。手早くメールを打って、聖杯がアサシンに盗まれたらしいことを筆川さんに送る。その後、俺をお姫様抱っこで抱えたアーチャーが窓から飛び降りる。ここは三階だったので少し肝が冷えた。

 飛び降りた先は茂みと木ばかりの、どこもおかしいところはない庭である。広い。気配遮断を持つアサシンを肉眼でとらえられるのかはわからないが、目を皿にして周りを警戒する。

 

「アーチャー。アサシンは?」

 

「静かに!もう見られているかもしれません」

 

 アサシンが近くに潜んでいるかもしれない。嫌な緊張感に包まれて、ついアーチャーに近づいてその袖を握ってしまう。

 

「あっ、ごめん」

 

「いえ、なるだけ近くに」

 

 俺は袖を放したが、すぐにでも転移するためか、アーチャーが俺の手を握る。

 力強い足音がするのでそちらを見ると、アーチャーを召喚した時にちらっと見たセイバーがこちらに走ってくる。思ったより遅いのは後ろに見える鳥箱さんと距離を放さないようにするためだろうか。

 そして、気が付いてしまった。セイバーと鳥箱さんよりさらに遠く。高い木の上に明らかな異様がある。外套を風ではためかせたそれは……

クラス名アサシン、筋力D、耐久C、敏捷A、魔力D、幸運C、宝具C、気配遮断A、単独行動A。

 外套が切り抜いたような黒い闇に白い面が丸く浮かんでいる。白い面には黒い丸が二つ浮かぶ。位置からして目だと思うのだが光を反射していない。表情も読み取れず不気味である。アーチャーには悪いが、アーチャーのように見た目はホラー作品の怪物のようだ。そういえばアーチャーも気配遮断と単独行動を持っている。

 

「鳥箱さん!後ろ!」

 

 俺はアサシンを指さして叫ぶ。鳥箱さんとセイバーは振り返って、アサシンを発見する。それと同時にセイバーが手にした剣を振るう。振るう。また振るう。硬質な音がここまで響いてくる。アサシンが何かを飛ばしているようだ。

 アーチャーが俺の前に出る。

 

“マスター、私の後ろに”

 

 アーチャーに隠れるようにして様子をうかがうが、アサシンはこちらを狙ってこないようだ。……アーチャーはアサシンに対して攻撃しないでいいのだろうか。

 

“アーチャー、アサシンに対して……いや、どうすべきかな?”

 

“様子を見ましょう。マスターに何かあったらそれで終わりですし、距離をとっている現状は望ましい展開です”

 

 確かにアサシンとセイバーの共倒れを狙うなら、望ましい展開といえるかもしれない。しかし、聖杯を確保したらしいのに逃げないアサシンが不気味である。アサシンはセイバーと対峙を続けている。つまり勝算があるということなんだが。

 

 アサシンは移動しない。時折動いて何かを飛ばしているだけだ。その何かもセイバーに弾かれている。セイバーと鳥箱さんがアサシンとの距離を少しずつ詰めていく。突然、あたりに暴風が吹き荒れる。落ち葉が巻き上げられて視界が悪くなる。その中で必死にセイバーとアサシンの動きを追う。セイバーと鳥箱さんは、風を受けて一か所に縫い留められている。足止めしている間にアサシンが逃げるのだろうか。その思考に沿うようにアサシンが梢から飛び降りたが、逃げるのではなくセイバーの方に向かって、不可解に移動していた。風に巻き上げられて上昇したかと思うと不自然に空中にとどまって、予測できないタイミングで落下する。アサシンの魔術だろうか、それともマスターか。アサシンの予測不可能な動きとなんらかの投擲物によって、セイバーは攻撃をしのぐので精一杯に見える。

 セイバーが翻弄されている。アーチャーが介入すべきだろうか。

 

“アーチャー、セイバーに手をかす?”

 

“もう少し考えましょう”

 

 アーチャーは少しも動かない。俺を守るように俺の前に立っている。

 セイバーの方を見ると、状況は変わらない。絶え間ない投擲の合間を縫って、セイバーがアサシンとの距離を詰め、迎え撃とうとすれば風に乗って上空に逃げる。かと思えば地面に降りたアサシンが虫のように這い進みマスターを狙う。マスターの側を離れられないセイバーは有効な手を打てないでいた。

 しかしそれはアサシンの側も同じこと。この暴風、マスターとサーヴァントどちらの力だとしても、マスターの消費魔力が膨大なはず。いつまでも続くはずがない。風が消えた時、決着がつくはずだ。鳥箱さんとセイバーもそのことはわかっているのか、落ち着いているように思う。横槍を入れるか?

 しかし、その眼前に敗北が迫る状況下でアサシンが動くとすれば……。

 

 風にあおられたアサシンが木の頂上に舞い戻り、梢の上で静止する。そして、己の右腕を誇示するかのように、外套から出して上に伸ばした。アサシンの筋肉質な右腕、その肘の上あたりからガラスのように透明なチューブのようなものが何本も伸びている。チューブのようなものが次第にまっすぐに右腕の先の方へ張り、チューブの間に膜が張った。蝙蝠の羽根のようだと思った。一応サーヴァントは人間の形をしていると聞いているが、アサシンの姿は化け物にしか見えない。

 一瞬だけアサシンが赤く輝き、ここから感じ取れるほど膨大な魔力が集まる。そして、目にもとまらぬ速さで飛び降りセイバーに向かって落下しながら、アサシンが自身の宝具名を告げる。

 

「ザバーニーヤ」

 

 暴風吹き荒れる轟音の中、その厳かな宣明は他のどんな音にも妨害されずに俺の耳まで届いた。それに呼応してアサシンのマントの下、右腕から伸びた蝙蝠の被膜のように透明な棘と膜がさらに長さと鋭さを増した。アサシンは右腕をセイバーに振り下ろす。

 

 正面から叩きつける暴風をものともせずセイバーは数歩進み出て、手にする剣で迎え撃つ。暴風を背にして加速するアサシンと暴風で押し留められているセイバーが激突した。ガラスが砕けるような甲高い音が響く。

 

 勝利したのはセイバーであった。アサシンの右腕が切断され。付属していた羽のような透明の宝具が破砕される。細かく砕けたアサシンの腕の宝具の残骸は、無情にも味方であった暴風が様々な方向へ運んで散らしていく。

 俺がセイバーの勝利を確信したその時。アサシンの宝具、その効果が発動した。

 

 セイバーの背後に立っていた鳥箱さんが少し前かがみになり……目を疑う。鳥箱さんが裂けて、赤黒い何かが這い出したように見えた。目を凝らして、状況を確認して、そのおぞましさに呼吸をすることも忘れる。鳥箱さんの中から出てきたものは、その通り鳥箱さんの中にあった体だ。ところどころ白い膜が張った、人体模型のような、皮膚を失った姿。一方で残された皮膚は大きく形を損なわず、スーツを着たまま崩れ落ちる。

 アーチャーの宝具はただの結界だった、宝具はこんなこともできるのかと恐ろしくなる。

 俺はその凄惨な光景に目と意識を奪われたが、セイバーは振り向かない。自分のマスターが討たれたことに動揺を見せずに、マスターの仇を討たんと、絶え間ない剣げきでアサシンを追い詰める。アサシンは逃げようとしたのか前進するセイバーよりも速く、後ろ向きに後退する。

 一瞬赤い光を放ったアサシンが怒号をあげて、セイバーから逃げるどころか直進して迎え撃つ。しかし無謀だ。片腕を失ったアサシンが正面からセイバーに対抗できるはずがない。セイバーの一刀でアサシンが両断され消滅する。時を置かずして、セイバーも。その場には。無残な鳥箱さんの遺体とアサシンが持ち出した聖杯だろうか?それにしては魔力を感じない底の浅い皿のような物だけが残されている。とりあえず回収だ。

 

「これが聖杯?」

 

「とりあえず、筆川様に連絡を取ってはどうでしょう」

 

 アーチャーに促されて筆川さんに電話を掛けた。留が出た。メールを見て、今こちらに向かっているところのようだ。電話を切る。

 鳥箱さんの遺体が目に入る。死んでいる。少し前には隼もだ。俺は、久雄くんは運がよかったのだろうか。これから、筆川さんと俺のどちらかは死んでしまうのだろうか。……今は意識して考えないようにした。

 

「アーチャー、聖杯どうしよう?」

 

 よくよく考えてみたら今の状況は、とても幸運なんだ。これで残るのはランサーのみ、聖杯もこちらにある。筆川さんはこちらに来るはずだ。ランサーとともに。いつ仕掛ける?

 

“奇襲でランサーを退場させれば私たちが勝者になりますが……そもそも聖杯はどのように使用すればいいのか私は知りません。”

 

 確かにその通りだ。今は簡単に片付く懸念を確かめたほうがいい。

 

“考えながら久雄くんを迎えに行こうか”

 

 




登場人物、アサシン。

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⑬聖杯と魔力

 久雄くんは律義に部屋の中で待っていた。何が起こったのか、アーチャーが説明する。

 

「アサシンが仕掛けてきました。私たちとセイバーで迎撃したのですが、宝具によって、鳥箱さんが犠牲になりました。セイバーは消滅。代わりと言っては何ですがアサシンはセイバーが打ち取りました」

 

 久雄くんが驚愕の表情で固まってしまう。

 

「そんな……鳥箱さんが?」

 

 俺は顔を伏せた。強力なセイバーはさっさと脱落してほしかったが、鳥箱さんに死んでほしかったわけじゃない。もちろん隼に対してもそう思っていた。

 アーチャーが現場に行こうとする久雄くんをなだめている。

 

「久雄様は見ない方がいいでしょう。遺体の損傷が激しいのもありますが、魔術師の遺体なので筆川様に任せた方がいいと思います。」

 

「……わかりました」

 

 全員が黙り込む。沈黙に耐えられなかった俺は、お茶を入れるために台所に向かった。

 

 インターホンが鳴る。玄関まで迎えに行くと留が立っていた。しばらくぶりに見た留は記憶と違っていた。見た目は変わらない。今着ているコートも一度見たものだ。しかし、待とう魔力が全く違う。……今は気にしないことにした。

 

「どーも、到くん。災難だったね」

 

「留さん。来てくれてありがとう」

 

「鳥箱さんは私が回収して、処置をしておいたからもう片付けは必要ないわ」

 

 留に動揺は見られない。

 

「急ぎの話があるんだけど、アーチャーと三人だけで話せる?」

 

“アーチャー”

 

“大丈夫です”

 

「わかった。久雄くんには少し待っていてもらうよ」

 

 久雄くんに一声かけて談話室に移動する。俺と実体化したアーチャーに対面して留が座る。空気が重い。留が口を開いた。

 

「大変だったね。到くん。あなた達が無事でよかったわ」

 

「久雄くんに話せない急ぎの話ってのは?」

 

 さっさと本題に入ってもらいたい。

 

「到くん、メールではアサシンに盗まれてみたいだけど、聖杯は?」

 

 俺は懐から皿のようなものを出して、自分の目の前に置いた。留が目を輝かせる。

 

「よしよし。すごい順調ね」

 

 順調?俺が黙っていると、留は俺の顔をじろじろと見ながら口を開いた。

 

「到くん、あなた聖杯を使ってみたくない?」

 

 何を考えている?俺の驚きは表情に出ていなかっただろうか。アーチャーが続きを促す。

 

「留様、何をお考えなのでしょうか?」

 

 留はアーチャーを一瞥して、俺の目をまっすぐ見つめる。

 

「あなたにランサーを倒してもらって、勝者として聖杯を使ってもらいたいの」

 

「留さん。正気なのか?いくら姉が嫌いだからって、そんな儀式を無に帰すようなこと」

 

 留は半眼でため息をついた。俺の言葉は的外れだったろうか。

 

「そんな好き嫌いの問題じゃないわ。出来るなら姉さんには聖杯を手にしてほしくないだけ。私にも立場があるから、その方が都合いいし」

 

 ますますおかしい話だ。

 

「聖杯を使った人間は死ぬのか?」

 

 よせばいいのにそう聞いてしまった。

 

「そんなわけないでしょ。ただ魔力が沢山あるだけなんだから。まあ、魔力なんだから使い方を間違ったらどうなるかわからないけど」

 

「……姉が疎ましい?」

 

「そう思うことも……ああ、そういうこと。勘違いしないでね。姉さんが死んだら、あなたのことを許さないかも」

 

 思い当たる可能性がどんどんつぶされていく気がする。留が正直に話をする保証なんて存在しないが。

 

「あんまり深刻に考えないでよ。ちょっとチャレンジしてほしいだけ。それに、まあ……失敗しても大丈夫だから。姉さんも命までは取らないと思うし。議会と縁を切られても、私の家で……コックか何かとして雇ってあげるわ」

 

 とりあえず留の家の話は置いておくことにする。

 

「それで、俺に聖杯で何をさせたい?」

 

「特にないけど。とりあえず聖杯は好きに使ってみて、大したことできないと思うけど」

 

 話がうますぎておかしい。おかしくないところがない。留は俺と同じだ。同じところもある。なのに、わざわざ姉の邪魔をするか?考えるほどわからなくなってきた。

 

“アーチャー、どう思う”

 

“細かい契約など必要ありません。聖杯の使い方を教えてもらって、その後ランサーを始末しに行けばいいのでは”

 

 なるほど。

 

「留さん。この皿をどうやって使うのさ?」

 

「……」

 

 留が黙る。教えてくれない気がする。

 

「それは鍵みたいなもの。私たちの屋敷につながる地脈が聖杯に加工してあって、そこに魔力が溜まっているから。その鍵を使えば、魔力を取り出せる」

 

 教えてくれた。もう留と話をすることもないだろうか。とりあえず、筆川さんに話をしに行くか。罠だったらアーチャーに転移してもらおう。

 

「とりあえず、棚ぼただと思って筆川さんと戦ってくるよ。どうなるかわからないけど、ケガが無いように祈っていてくれ」

 

 留の話と聖杯のカギを俺が持っていることを伝えたら、筆川さんは勝負に付き合ってくれないだろうか。サーヴァントはともかくマスターの差が大きいし。……先のことなんて考える必要ないし、奇襲で決めるか?筆川さんは傷つけたくないけど。

 

「ちょっと待って、慌てないでよ。到くんだけじゃ勝負するにしても、魔力が足りないんじゃない」

 

 留が身を乗り出してくる。何だろうこの押しの強さ。

 

「まあ、確かに」

 

「そこで!私の魔力も使えるように経路をつなげるのはどうかな?」

 

 なんとなくやろうとしていることはわかるが、何でそんなことを言いだしたのかがわからない。

 

“アーチャー?”

 

“うまい話には……と思ってしまいますね”

 

「留さん。そんなことすると、留さんが筆川さんににらまれると思うけど」

 

「到くん。私は姉さんに勝たれると困っちゃうの。人助けだと思って手を貸してくれないかな」

 

 人助けと言われても。

 

“……嘘は行っていないようですが。……契約に乗じて何らかの呪詛を仕込むつもりなら、私が返します。最悪、私の術で留様を操ります。とりあえず、やってもらいましょうか。……後で私が確認を行います”

 

 髪を除けて留を見ていたアーチャーが念話で伝えてくる。

 

“留さんの魔力があれば勝てる?”

 

“……なくても勝ちますが、助かることは事実です”

 

「留さん。それじゃあお願いします」

 

「やった。では早速」

 

 留が俺の右手を両手で包み、何らかの術を刻む。留の魔力とのつながりを感じる。特におかしなところはないと思った。

 

“アーチャー?どうかな?”

 

“……ただ魔力の経路をつないだだけのようですね。魔力を引き出せますか?”

 

 こっそりアーチャーと念話していると、留が俺の顔を覗き込んでくる。

 

「うまくいってる?魔力を引き出してみて」

 

「問題ないよ。うまくできてるみたい」

 

 右手の令呪を見る。何の偶然かこれを授かってから短期間で様々なことがあった。そして、たくさんのつながりを思い出す。ただ話をしただけではない。千里さん、アーチャー、留、この右手をとって手助けしてくれた。

 留さんに向き直る。

 

「ありがとう。留さん。これで筆川さんに一戦挑んでみるよ」

 

 聖杯のカギを懐に戻して、筆川さんの屋敷を目指す。

 

 

 

 筆川さんの屋敷の入り口でインターホンを押す。とりあえず正面から筆川さんとそのサーヴァント、ランサーを補足する。アーチャーと相談した作戦はそこから始める。

 筆川さんからの返答は、門の上の使い魔からすぐに帰って来た。

 

「建持くん。大変だったみたいね。お疲れ様。

……ええと……他の人は?」

 

「やることがあるらしく、鳥箱さんの屋敷に残っています」

 

「……そう……わかりました。建持くん。帰ってすぐで悪いのだけど、少し話をできないかな?」

 

 筆川さんの声は平静そのものだ。最後の一戦を前にして、何を話すつもりなのだろうか。それとも屋敷の罠やランサーがすぐに牙をむくのか。

 

“アーチャー、何があってもいいように警戒しておいて”

 

“わかりました。マスターもお気をつけて”

 

 広い庭を進み、入り口から使い魔に先導されて談話室に入る。なるだけ緊張していないようにふるまわないと。そう考えるだけで緊張してしまう。俺の手は震えていないだろうか。立ち上がった筆川さんは穏やかにほほ笑んでいる。

 

「お帰りなさい。建持くん」

 

 俺は頭を下げて椅子に座った。筆川さんが紅茶を入れてくれる。

 

「少しお話しましょうか」

 

「はい。何でしょうか?」

 

「焦らないで、一息つきましょう」

 

 筆川さんが紅茶を含む。俺も紅茶に口をつける。緊張で味がわからない。温度はちょうどいい。筆川さんの紅茶は、いつもちょうどいいタイミングで準備されている。それだけ気を使われている。……今から筆川さんとだまし討ち同然で袂を分かつのか。

 

「大変だったわね。でも、あなたが無事でよかったわ」

 

「はい……」

 

 筆川さんの表情はどこまでも優しげだ。顔を合わせづらくてうつむいてしまう。筆川さんに俺の姿はどう映っているだろうか。

 沈黙の時間がたっぶりと続いた。

 

「……状況は留から聞きました。聖杯は建持くんが持っているみたいだけど、今も持っているの?」

 

「はい」

 

 隣の椅子の上に置いていた外套から聖杯のカギを取り出す。

 俺はそれを持ったまま……

 

「?……聖杯を渡してくれないかな?」

 

 心苦しいが切り出すしかない。決意を込めて、筆川さんの目をまっすぐ見つめる。

 

「私も聖杯に興味があります。筆川さん、聖杯をかけて最後のサーヴァントの勝負をしませんか?」

 

 俺の理解できないような提案に、筆川さんは口元をこわばらせた。……やはり申し訳ない気持ちでいっぱいになる。まあ、ここまで来たので引くこともできないのだが。

 筆川さんは困ったように視線をさまよわせて、なんとか口を開いた。

 

「そういうわけにも、いかないのだけれど……。どうしたの?何か目的があるの?」

 

「聖杯を使ってみたいです」

 

「……そう……」

 

 筆川さんがため息をつく。困ったような、悲しんでいるような表情で黙ってしまった。……そもそも会話を続ける必要もなかった。それはわかっていた。俺は、とんでもない考えだと筆川さんにきっぱり否定してほしかったのだろうか。さすがにもう限界だ。この沈黙にもう耐えられない。俺がかけるべき言葉も思いつかない。

 

「アーチャー」

 

「デッドエンド!」

 

 俺の言葉と同時にアーチャーが宝具を使いつつ実体化する。俺は立ち上がりつつ、隣の椅子に乗せていた外套を掴んだ。それと同時に筆川さんの右後方に何かが現れて、動いたと思ったら、景色が一瞬で変わる。

 

 

 



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⑭魔力絞り

 アーチャーの転移で宝具の結界の中の廃墟にたどり着く。魔力が急速に吸い出されて頭が痛い中、外套を羽織る。

 廃墟に不釣り合いな、いや警告灯のような赤い閃光が一瞬だけ現れ、半裸の巨漢が目の前に現れた。

クラス名ランサー、筋力B、耐久A、敏捷A、魔力E、幸運E、宝具D、耐魔力E。

 サーヴァント、令呪だ。反射的に令呪を使った。

 

「逃げて!アーチャー!」

 

 赤い光が走り、アーチャーが俺の腕をつかんで令呪で転移した。息つく暇もなく、再び筆川さんの令呪でランサーが飛んでくる。アーチャーが令呪を使わずに転移する。

 貧血のように目の前が真っ黒になる。魔力切れだ。右手につながる先、留の方から魔力を吸い出す。

 

「マスター、魔力を使いました。大丈夫ですか?」

 

 すぐにはアーチャーに応えられない。留から魔力を融通してもらい俺に魔力が戻って来た。そして、完全といえるまでに回復する。すぐに留から預かった術具から留の声が聞こえた。

 

「ごめん。到くん。私の魔力は限界。後は自分で何とかして」

 

「了解」

 

 それだけ言って深呼吸を何回もして呼吸を整える。目の前にはアーチャーがいる。

 

「アーチャー、魔力は回復したよ。ランサーの方はどう?」

 

「大分引き離しました。少し休憩しましょう」

 

 アーチャーが言うなら休んだほうがいいかもしれない。しかし、ここはどこだろう?ベッドが並んでいて、カーテンが多い。病院である。アーチャーの宝具からは出たのか?

 

「アーチャー、ここは?」

 

「私の宝具……そういえばこのエリアには入ったことがありませんでしたね」

 

 ここも結界の中か、廃校だけでなく病院。アーチャーの宝具の中にはほかにどんな場所が入っているんだろう。アーチャーが俺の袖を引いて歩き出す。

 

「思ったよりも速いです。妨害がうまくいっていません」

 

「ランサーがもうすぐ来る?」

 

「いえ、数分はかかると思います」

 

 アーチャーに引かれて走り出す。病院の廊下を走るのは少し嫌な感じだ。

 

 十分以上も走っている。階段の上り下りがつらい。最初はかすかに聞こえていた音が気のせいではなかったと気が付く。工事現場のような音と振動を感じる。

 

「アーチャー、音がするけど、あれがランサー?」

 

「はい」

 

 少し気になって、後ろを振り向いた。廊下のはるか先で、床や壁が沈んだり現れたりしている。破壊の音はそのさらに奥から聞こえている。そのとき廊下の先で壁が崩壊した。その区画が瞬時に横方向に消え、新しい壁が上から降りてきた。

 

「マスター、私は迎え撃ちます。なるだけ私の姿が見える範囲で遠くに行ってください」

 

「わかった」

 

 足を止めたアーチャーを置いて、俺はそのまま進む。よくよく考えたらアーチャーが転移で離脱するなら俺も近くにいなければいけない気がする。……アーチャーもそんなことはわかっているはず、特に理由もなくアーチャーの指示に従う。

 轟音がとうとうアーチャーに近づいて、その前方の床が崩壊する。下の方から何かが床を破壊しながら貫通していったように見えた。天井には黒っぽい塊が突き刺さっている。アーチャーが後ろ、俺に近づくようにとぶ。二十メートルは離れているが、俺ももっと逃げたほうがよさそうだ。視線はそのままに後ろに走る。少し前までアーチャーがいた位置の床が崩壊し、下方向から残像しか残さないすさまじい速さで影が飛び出した。その影は急速に速度を落とし、昇って来た時とは対照的に、やけにゆっくりと床に降り立った。その姿は、前掛けとふんどしのみ身に着けた筋肉質の男性。ランサーだ。露出が多すぎる。

 

 どこから生じたのかわからないが、いつの間にか存在していた熊や蛇、犬がランサーに襲いかかった。おそらくアーチャーの呪術なのだろうが、あまりに荒唐無稽な光景だ。ランサーは特に慌てる様子も見せず、いつの間にか手にした長い棒状の槍を振り回して脅威を退ける。流れるようにランサーが放り投げた槍を、下からせりあがって来た壁が防ぐ。振動がここまで伝わってくる。槍を防ぎ切った壁も数秒持たずに崩壊する。現れたランサーがその場で回転して、何かを放り投げた。右の方に飛んだそれは、壁を簡単に破壊しながら進み、俺の右の方まで到達する。もっと遠くへ行かないと。

 

“マスター、転移します。私の近くに来てください”

 

 アーチャーの言葉を聞いて、踵を返す。アーチャーがこちらに走ってくる。ランサーが槍を持った腕をおおきく振りかぶった。前に走る。もっとはやく。……ダメだ。俺は遅い。ランサーが前転するように腕を振りぬいて、放たれた槍がアーチャーにあたったように見えた。アーチャーと俺がお互い前に倒れるようにして、ようやくアーチャーの転移が決まる。

 

 転移しても体勢は変わらない。前のめりに、そのままくすんだ灰色の床に倒れこむ。起き上がると、アーチャーの姿が目に入る。悲鳴をあげそうだ。アーチャーの下半身を覆っていた白い服は大きく裂け、片足の膝から先を失い、血のように魔力が散っている。戸惑ったり考えたりしている余裕はない令呪から魔力を注ぐ。その魔力が形を成し、失われていたアーチャーの脚と服が復活する。一安心といったところだが、魔力があまり残っていない。あと一回の転移もできるかどうか。

 倒れこんでいたアーチャーが起き上がってくる。

 

「マスター、ご無事ですか?」

 

「ありがとう、アーチャーのおかげでケガもないよ。でも、……ランサーはいつまで戦える?このままじゃ魔力切れを狙う前にこちらが力尽きるよ。せっかく魔力Eランクのランサーをマスターから切り離したのに」

 

「ランサーは、既に表面がほどけてきていました。もう半分も魔力は残っていないと思います。それにランサーは、魔力で武器をつくり使い捨てるタイプです。先ほどまでのような苛烈な攻めランサー自身の首を絞める。焦らずに時間を稼ぎましょう」

 

 半分……。あと二回は転移ができるだろうか。魔力が足りない。

 魔力。心のうちに決意がともる。どうせ崖から飛び降りるような道行き、それまでに何を捨てようが悲しまなくてもいいのかもしれないと思った。今までアーチャー、千里さんや他のマスターの世話になるばかりで俺自身はマスターとして役には立たなかった。しかし、今だけはマスターとしてアーチャーに格好をつけられる気がする。

 

「アーチャー。勝とう。魔力は俺が何とかするよ」

 

「はい」

 

 外套から折り畳み式のナイフを取り出して、刃を開く。後ろで一つにまとめていた自分の髪を切り落とす。少ない魔力でなんとか俺の魔術回路を起動し、術式で髪から魔力を抽出する。とても足りない。外套に仕込んでいた護符を全て魔力に変換する。魔力は七割ほどまで回復しただろうか。足りない。残っているのは、お守り代わりに持ち込んだ思い出の品だけ……

 勝とうが負けようが、どちらにせよ俺の人生に今後はない。にもかかわらず、いくぶん迷ってしまった。首に下げていたきんちゃく袋をひっくり返す。親しい人たちから一筆ずつもらった護符、大牙の友達からもらった歯、命運が描かれているという開いたこともないお守り、……いくつもある思い出の品々は、そこに込められた思いほどに魔力をためている。今までの全てが自分の背を押すのだと心に刻んで、罪悪感を誤魔化して、残らず分解する。

 完璧だ。全快を越えて俺の体に魔力が張る。心は幾分落ち着きを取り戻した。これならば負けない気がする。

黙ってみていたアーチャーが俺の右手をとって、口を開いた。

 

「マスター、最後まで信じていてください。必ず聖杯を勝ち取って見せます」

 

「信じてる」

 

 俺の言葉にうなずいて、絶対この場から動かないようにと言って、アーチャーは廊下にある窓から飛び降りていった。慌てて窓を除くと木と茂みしか見えない。

 この大一番でアーチャーの考えがわからないが、もう俺にできることはない。廊下の壁にへ背を預け、胡坐をかく。

 

 振動が響いてくる。この感じは間違いない。ランサーだ。ひときわ大きな破壊の音とともに、俺が座っていた床にひびが入る。立ち上がった時には乗っていた破片が既に落下を始めていて、俺はそのまま下のフロアに落ちていった。

 尻から落ちてしまった。自分の尻を撫でながら周りを見ると、ランサーが五メートルぐらいの距離に立っている。今まではアーチャーが近くにいてくれたが、今はそうではない。そう思うと体の震えが止まらなくなった。足が震えて立っていられなくなる。尻もちをついた。

 ランサーが困ったように眉を寄せて、低く落ち着いた声を漏らす。

 

「やっぱり坊主だけか。おうアーチャーのマスター!アーチャーはどこにいる?」

 

「し、知らない」

 

 あまりの緊張に、つい返事をしてしまった。無言でいたほうがよかったかもしれない。

 

「坊主には手を出すなって話だったが」

 

 ランサーが魔力で槍を作り出し、切っ先を俺の方に向ける。

 

「手のひら一つなら安いだろう。悪いな坊主、令呪をつぶすだけだ」

 

 ランサーから逃げるように走り出す。足が言うことを聞かなくて、転んでしまう。それでも走る。その努力もサーヴァント相手には何の意味もなかった。肩を掴まれる。

 

「あっ」

 

 ランサーが俺の右手首を掴み上げる。絶望して見た先には、右の手の甲にある一画だけの最後の令呪。

 その瞬間に周りの景色が一変した。これは森の中か。魔力の消費が、この企てがアーチャーによるものに間違いがないことを教えてくれる。

 ランサーがなぜか俺を放した。そちらを見ると、ランサーの視線の先にはアーチャーがいる。しかし、その姿は……

 

「首を?」

 

 アーチャーは木の枝に結ばれたロープで吊るされていた。意味が分からない光景に、それでも冷静でいられたのは、右手の令呪にアーチャーとの確かなつながりを感じたままだからだと思う。

 

「オオォー!う、オー!」

 

 不自然に突っ立っていたランサーが、不意に力を籠めて雄たけびを上げた。ランサーの体が細かく振るえる。そして走り出し、アーチャーの横を通り抜け森の奥へと入っていった。

 周りの景色が書き換わり、もう見慣れてきた廃校の床にたどり着く。令呪に魔力が吸われる。もう魔力が切れそうだ。座り込んだ。

 

「マスター」

 

 見上げるとアーチャーが歩いてきている。大きく息をついたところで、大きな音と振動がして、ビックリしてしまう。爆音は断続的に響いている。

 

「ランサーの最後のあがきでしょう。この結界の中なのでわかります。じきにランサーは消滅します。いえ、もう消えてきている」

 

「そっか」

 

 アーチャーが俺の右手を引いて立ち上がらせる。

 

「ランサーの消滅を確認しました。帰りますよ」

 

 アーチャーの結界が消えていく。

 

 

 

 アーチャーが宝具を使用した場所。筆川さんの屋敷の一室に戻って来た。そこには、筆川さんではなく留が居る。留は笑顔で俺たちに手を振る。

 

「うまくやってくれたみたいね。想像以上よ。……ああ、姉さんはへそを曲げて部屋にこもっただけだから心配しないで」

 

 疲れていた俺は確認も取らずに椅子に座る。

 

「留さん。確認をしたい。俺とアーチャーが聖杯を使用していいんだよな?」

 

「ええ、どうぞお使いください」

 

 留は機嫌がよさそうだ。しかし、この段階になっても俺が聖杯を使用するということに違和感がある。

 

「それなら、急ぎたい。場所はどこだろう?」

 

 留は屋敷の奥まった場所にある一室に案内してくれた。部屋の中には、目視で簡単にわかるほどの魔力が通っている道管が走っている。

 

「到くんが持っている聖杯のカギを使えば魔力が引き出せるようになるわ。それでは、ごゆっくり」

 

「えっ?行っちゃうの?」

 

 俺の困惑をよそに留は出ていってしまった。見ている必要もない?のか?

 すごく嫌な予感がする。でももう疲れた。今更、騙されていても俺にできることはない。外套にしまっていた聖杯のカギを取り出す。少しして、部屋の中心に魔力が集まってくる。今まで想像もしたことがないような大量の魔力。……もう使えるのだろうか?

 

「マスター、私の受肉を先に済ませてよろしいでしょうか?」

 

「あ、ああ、いいよ」

 

 俺の後ろにいたアーチャーが魔力の渦に進む。そして、手で触れた。アーチャーの姿が横に引き伸ばされ……気のせいか?アーチャーの体、魔力がほどけて……なおった?アーチャーの体が左右に揺れて、アーチャーがしゃがみこんだ。

 

「アーチャー、うまくいったのか?」

 

 俯いたアーチャーは息も絶え絶えといった様子だ。とりあえず壁際にある椅子に座らせる。アーチャーの受肉は成功したのだろうか?既に俺の右手の令呪から、アーチャーとのつながりは感じない。それでもアーチャーの姿が消えていないことが答えだと思うことにした。アーチャーの悲願は達成したのだと。

 俺は外套のポケットの奥にしまっていた、紙をまいた櫛を彼女に押し付けるようにして渡す。この世界に生まれておめでとう、そしてありがとうを伝えるだけの手紙だ。恥ずかしいから、できるなら俺が消えた後に見てほしい。

 俺は彼女から離れて、部屋の中に依然として鎮座している魔力の塊に触れる。その瞬間、膨大な魔力が令呪に流れ込んだ。そして実感したことで、目の前の魔力がどれほどのものであるか、ようやくわかって来た。現実のものとは思えない状況に興奮する。計り知れない幸運で、ここまで来てしまった。後は俺の魔術回路に仕組んでいた術式に大量の魔力を流し込んで発動させるだけ。それで、俺の悲願は達成される。ようやく俺の人生は終着点についたのだ。

 

Fate 二次創作 臨終編 終了




登場人物、ランサー。

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切望抜き

Fate 二次創作 臨終編 終了

 

 

 

 聖杯と呼ばれる魔力の塊と俺の令呪がつながってから数分、魔力はなおも令呪へと流れ続けている。いつまで待てばいいのだろう。魔力は聖杯、令呪、俺という経路で伝わるのだろうか。それにしては俺にはまだ少しの魔力も供給されていない。少し心配になって来た。

 俺の心配をよそに、大量の魔力が俺の方まで流れ込んでくる。俺一人の人生では到達できないほどの魔力を必要とする術式だが、じきに魔力で満たされるだろう。

 落ち着こうとして、呼吸を整えている間に必要な魔力が集まった。聖杯には魔力がまだ残っているが、……まあ留あたりが何とかするだろう。後のことは俺の知ったことじゃない。それよりも最終確認だ。術式が遠く離れた地にいる兄とつながっていることを確かめる。……問題ない。後は使うだけ。

 

 俺は自身の魔術回路に魔力を流し込んだ。その魔力の奔流は、俺の魔術回路を通過して、俺が大切に準備していた術式を食い破るように通過した。ちょっと待て!何が起こった!失敗?

 異常事態に俺の頭に様々な考えが浮かんだが、それを眼球の奥の痛みが塗りつぶす。何が起こったのかもわからないまま、俺が集めた魔力は右の手のひらに集まって、俺から生れ落ちるかのように一つの姿をとった。

 

 俺の右手からしみだすように出現したのは、その姿は、見覚えがある。

 

「ナイス!到くん。あなたのおかげでこんなに早く戻ってこれたわ」

 

 少し前に死んだはずの吸血鬼、隼が目の前に出現した。意味が分からない。それよりも目の奥が痛い。膨大な魔力を無理やり流したためか、俺の魔術回路が焼き付いていて、魔力と触れ合ってざらついて気持ち悪い。吐きそうだ

 

「早速なんだけど、一緒に行くぞ!到くん」

 

 ぐったりした俺を肩に担いで、隼が扉を蹴り破って廊下に出る。隼は屋敷に仕掛けられた罠をものともせず進んでいく。それはどうでもいい。もうどうでもいい。

 だめだ。泣くな。…………でも、……もう……。涙が止まらない。

俺は、こんな……ところで。目前で、……本当に指かけたところで、失敗したんだ。

 兄の期待を裏切ったんだ。

 

 あふれ出た涙は止まってくれない。

 視界に広がる青空が少しづつぼやけていった。

 

「到様!」

 

 声が聞こえた。その声も薄れていく。

 

 もうどうすればいいんだ。もうどうでもいい。

 

 

………

 

 

 変哲もない駅近くの貸し会議室の中。長机を囲むように人が座っている。作業着の男、つまらなそうにコーヒーが入ったペットボトルを空中に浮かべている少女、落ち着きのない少年、鼻が長い天狗のような面をつけた有翼の異形、長い黒髪を後ろでまとめた陰気な女性、怪しげな五名だ。

新たに一人、フード付きのコートに身を包んだ女性が入って来た。座っていた人々の視線を受けて口を開く。

 

「それでは吸血鬼に攫われた建持到くんの奪還について話をしましょうか」

 

 

 



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