Hypocrite (巻波 彩灯)
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Hypocrite

 銀色が一筋流れる。そして、少年を掴もうとした細腕が断ち切られ、地に落ちる。

 日本刀を閃かせたのは、桜色の着物に紺色の女袴を身に着けた少女――九重(ここのえ)八重(やえ)だ。

 八重は少年に一瞥して無事を確認する。幸い、少年は尻餅をついただけで大きな外傷は見られない。

 と、次に襲いかかってくる痩躯の人間が八重の肉を削ろうと爪を伸ばし、突き刺そうとする。

 だが、それはあまりにも鈍重すぎる動きだ。その手を伸ばし切った頃には、頭を背中側に落とされ、体は自由を失い前のめりに倒れるだけ。

 八重は倒した相手に目もくれず、次に倒すべき敵に意識を向けていた。

 眼前にいる痩躯の人間――否、人間にしてはやせ細りすぎており、肉がところどころ腐っているのが見て取れる。そして、彼らの目は虚ろで意味を介さない呻りを発し、開いた口から血や肉がこびり付いた歯を覗かせた。

 恐らくグールか――八重は彼らの正体に見当をつける。

 そして、地面を強く蹴って目の前にいるグールへと突進する。グールも彼女を捉えようと鋭い爪を突き出した。が、やはり遅い。

 八重は難なく躱して刀を肩口から脇下へと走らせる。どす黒い血と腸が飛び出しながら、グールの体は二つに分かれた。

 返り血を浴びて、八重はやや不快そうにするが、こればかりは仕方ない。刀に付着した血と油を振り落とし、次なる相手へと飛び込む。

 桜色の弾丸が次々とグールの頭を切り落とし、体を切り刻んだ。最後の一体が為す術もなく、なで斬られて頽れる。

 それを見届けた八重は、一息吐いた後にもう一度血と油を払い落して納刀した。

「すげぇ……」

 少年はダークブラウンの瞳でただ茫然と彼女を眺めていた。その言葉を背中で受けた八重は声の主の方へ体を向ける。

「大丈夫でござるか?」

 先ほど猛然と戦っていた者とは思えない穏やかな口調だからか、少年は鼻白んだ。

 八重はしばし暴れすぎて少年に引かれてしまったかと内省するが、それは無用の配慮となる。

「ああ、大丈夫だよ。助けてくれて、ありがとう」

「礼には及ばないでござるよ。困っている人を助けるのは当たり前の事でござるからな」

 トンと軽く自身の胸を叩いて何ともないと示す八重。――王都へ向かう途中、偶然グールの群れに襲われていた少年を見かけ、助太刀に入ったのだ。間に合って良かったと今にも思う。

「そっか、“サムライ”はやっぱ違うな」

「“サムライ”?」

 少年の言葉に八重はオウム返しをする。自分の恰好は確かに出身国の特徴をよく表していると思うが、そう呼ばれるとは思わなかったのだ。

「そうだよ、“サムライ”だよ。だって、君は着物に刀を差しているじゃないか」

「ああ、そういう事でござるか」

 八重からするとその認識は少し違うと思うが、他の国の者からすれば着物で佩刀している姿は、皆“サムライ”なんだろう。まぁ、細かいところをこだわったところで仕方ないので、「そういえば」と話題を変えた。

「お主の名前、聞いていなかったでござる」

「オレの名前? オレはマーヴィン・クラレン・リスターだよ。“サムライ”は?」

「拙者は“サムライ”じゃないでござるよ……拙者は九重八重でござる。ヤエが名前でココノエが家名でござるよ」

「やっぱり、八重は“サムライ”じゃないか! イーシェンの人なんだし!」

 だから違うと言いたいところだが、八重はその言葉を飲み込んで苦笑いでごまかす。

 “サムライ”――侍は雇い主に仕える神国イーシェン独特の職業。決して戦いだけが職務ではないが、一度定着した認識というものはそうそう覆らないものである。

 それを再度確認した八重は、マーヴィンと名乗った少年がどうしてこんな険しい山岳地帯に足を踏み入れたのかを問おうと思った。が、腹の虫は主張激しく鳴る。その音の恥ずかしさに八重は赤面し、お腹を押さえた。

 しばしの沈黙が流れた後、マーヴィンが首から提げていた鞄からおもむろにサンドイッチを取り出す。

「そりゃ、あんだけ動いた後だもんな。これ、やるよ」

「いや、拙者は……」

「オレも目の前で困っている人は助けたいんだよ……それに困った時はお互い様って、よく言うだろ?」

「……かたじけない」

 そう言って、八重は彼からサンドイッチを受け取る。場所が場所だけに、留まって食べるのは快くないので、行儀は悪いが歩きながら食べる事にした。

 マーヴィンにその事を伝えると、特にたしなめられる事はなく、一緒に歩いてくれる。そして、彼が向かおうとしている場所へと八重は付いて行く事になった。

 

「オレの姉ちゃんは村で一番の地主と結婚する事になっていたんだ」

 マーヴィンは事の経緯を話す。曰く、元々両親もいない貧しい家で姉が一生懸命働き、そのお金で何とか彼だけを学校へ行かせていたとの事。

 そして姉に惚れた地主が求婚し、姉もこれには二つ返事で了承して、これでようやくマーヴィンに楽な暮らしがさせられると語る姉の幸せそうな横顔が忘れられないと言う。

 だが、冒険者崩れのならず者に襲われ、身代金代わりに姉を差し出されたと……。

 聞くだけで眉間に皺が寄ってしまうが、マーヴィンの話はまだ続く。

「その地主は腑抜けた野郎だし、村の連中だって誰も助けに行こうとしない」

「だから、マーヴィン殿が助けにいこうと?」

「そうだよ。オレは八重みたいにズバズバっと倒せる訳じゃないけど、姉ちゃんを逃がせる時間ぐらいは稼げるはずだ」

 ダークブラウンの瞳は静かに怒気を孕んでいた。怒りの矛先は己の非力さや他人の冷たさに対してなのだろうと八重は察する。

 しかし、八重は内心マーヴィンでは無理だと考えていた。理由は明白、先ほどの一戦が証明している。

 グールはモンスターの中でも比較的弱い部類だが、それすら倒せないとなると時間稼ぎもできるはずもないだろう。

 こればかりは正直に告げた方が良いと思い、八重は口を開く。

「マーヴィン殿では、姉上を助ける事はできないでござるよ」

「分かっているよ、そのぐらい。だけど、時間を」

「その時間稼ぎ自体もできないと言っているでござる」

 マーヴィンは目を白黒させる。だが、八重が冗談を言っている様子はなく、彼女の黒瞳はとても真摯に彼を見つめていた。

「正直、姉上の目の前であっさり殺されるだけでござる」

 八重よりマーヴィンの方がやや背が高い為、少し上目になる。そこには真っ直ぐな光が宿っていた。

「…………じゃあ、どうしろって言うんだよ」

 マーヴィンは苛立ちを隠せず、乱暴に言葉をぶつける。唯一の手段すら無くなった今、何に縋れと言うのだと。

「拙者がいる……さっきも言ったでござるよ? 困っている人は放っておけないって」

 八重の言葉にマーヴィンは鳩が豆鉄砲を食らったかのように目をしばたたかせる。

 やがて理解すると今にも泣きだしそうな表情で彼は言う。

「なぁ、八重……オレの姉ちゃん、助けてくれないか?」

 マーヴィンの懇願に八重は「もちろん、任せるでござる」と二つ返事で請け負った。

「そっか……ありがとう」

「礼には及ばないでござる。拙者としては先ほどもらったご飯の恩返しをしたいところでござるし」

「……なんだよ、それ」

 マーヴィンは大した事でもないのに真面目な八重に笑みを零した。

 八重にしてみれば、ご飯を無償で分けてくれた事もかなり大事だ。だから、マーヴィンの反応に「拙者は真面目でござるよ!」と猛抗議する。

「やっぱり八重は“サムライ”じゃん!」

 

 しばらく歩いていると石で建てられた建築物が見えた。今は誰にも使われていない様子だが、野盗やならず者が身を隠すには持ってこいの場所とも言える。

 マーヴィンはその建物に指差し、「あそこが姉ちゃんを連れ去った奴らのアジトだよ」と八重に教えた。

 彼の姉を連れ去った者たちはこの辺りでは有名らしく、アジトの場所も知っている者もいる。だからと言って、抵抗できるほどの勇気もないし、他の冒険者を雇うお金がないというのがマーヴィンが住んでいる村の実情だ。

「なるほどでござるな」

 八重は左手で日差しが目に入るのを防ぎながら、その場所を視認する。そして、違和感を覚えた。

 建物の周りには、見張りらしき人物がいない。それどころか、人気が全くしないのである。

 いくら、ならず者でも一人ぐらいは周囲を警戒する人間がいてもおかしくはないし、ここに住んでいるのであれば一人分の気配がしても良いのだが……。

 その答えは微かに漂ってきた血と腐った肉の臭いが教えてくれた。

「マーヴィン殿、これから先はかなり危ないかもしれないでござる」

「何今さら言ってんだよ? 危険は百も承知だ」

「いや、そうではなく……マーヴィン殿の姉上を攫ったならず者よりも強い者がいるかもしれないでござる」

 マーヴィンは息を呑んだ。まさか、あのならず者たちよりも強い相手がいるなんて想像もしなかったと言わんばかりに強張った顔で八重を見つめる。

 八重もかなり緊張していた。この先、どんな人間に出会うか分からないが、戦う事になれば苦戦を強いられるだろうと推測する。

 そうなるとマーヴィンを守れない可能性も出てくる。彼をここに待たせて、自分だけで行くか……いや、彼はそう簡単に引き下がらないだろう。

「マーヴィン殿、ここで待つでござるか?」

「嫌だ! オレも一緒に行く! 女の子を一人で行かせるなんて、死んでも父さんたちに顔向けできないよ!」

 予想通りの返答に八重は頷き、改めて前を見据えた。これ以上、思案しても仕方ない。だからこそ、前へと一歩踏み出した。

 

 微かだった血の臭いや腐臭は建物に近づく度、強くなる。

 この二つの臭いに八重は顔をしかめた。マーヴィンに至っては、顔色が悪く今にも膝をつきそうだ。

 建物の入り口付近に到達する頃には、その臭いは強大になり、さらには発生源として死体が無残にもあちらこちらへと散らばっていた。

 どの死体も損傷は酷く、頭が潰れた者、腸や骨が飛び出している者……これらはまだ良く、中には原型を留めていていない者さえいる。

 八重はこの惨状を直接目にしても堪える事ができたが、今まで惨状とは無縁の生活を送っていたマーヴィンは堪える事ができず、膝をつき体を二つに折って胃の中身を吐き出してしまう。

 マーヴィンが落ち着くまで、しばし足を止める。八重はマーヴィンの背中をさすりながら、さらに死体の観察していた。

 人ならざるものによる所業……でなければ、相当腕の立つ残虐な人間かのどちらかだろうと冷静に料簡(りょうけん)する。

 少しばかり分が悪い気もしなくはない。だからと言って、引くほど怖気づいている訳でもないが。

「八重……?」

 マーヴィンはひとまず落ち着いたのか八重に声をかける。八重はその声に反応して、彼と顔を合わせた。

「もう大丈夫でござるか?」

「ああ、何とか……」

 短い沈黙が流れる。八重はやはりマーヴィンを下山させた方が良いのではないかと考えていた。

 これ以上、彼に無理をさせてはいけないと――その思考を断ち切るように彼の声が耳朶を打つ。

「オレ、行くよ。姉ちゃん、助けたいんだよ……だから、頼むよ」

 再び泣き出しそうな顔をするマーヴィン。その必死の願いに八重の心は無下にできないと叫ぶ。

「分かったでござる。けれど、もしもの時はマーヴィン殿だけでも逃げるように」

「何でだよ……女の子をさ、盾にして逃げてきただなんて知られたら、笑い者だよ」

「笑われるなら大丈夫でござるよ。生きていれば、また姉上を助けてにいく事だって、できるでござるから」

 我ながら、かなり無責任な発言をしているなと自嘲する八重。もちろん、そういった事態にならないようにするつもりだが、万が一もある。

 だが、それは自信のなさを表しているのも同然だ。どんな事があっても道を切り開いていける確信があれば、こんな事を想定していても口には出さない。

 自分の腕に信用を持てない自分自身をまだまだ弱いなと嘲る。これでは“サムライ”とは程遠いだろう。

「八重……怖いの?」

 マーヴィンは八重の微かな声の震えに気付いたのか、心配そうな目で彼女を見つめる。

「正直、自信がないでござる。自分から助けると言った手前、恥ずかしいところでござるが……」

「……大丈夫だよ。だって、八重は“サムライ”だし、オレなんかより強いもん」

 八重は予想外の言葉に目を白黒させる。そして、苦笑いを浮かべて言葉を返した。

「そうでござるか……なら、弱気になっている場合ではないでござるな」

 自分へ憧憬の眼差しをくれる少年に、これ以上恥ずかしいところは見せられない。そう思い、八重は立ち上がり、覿面の建物へと視線を移した。

 ――この奥に何が待ち構えていようとも己を信じて、マーヴィン殿の姉上を助ける。

 黒瞳に強固な意志を示すかような強い光が宿っていた。

 

「おう、遅かったじゃねえか。待ちくたびれたぜ」

 建物内に入ってすぐに声が聞こえた。目の前に槍を持った長身で細身の男が立っている。声の主は彼だろう。

「必ずもう一波が来るって思っていたんだが……何だ、ガキが二人か」

 男は八重たちを見て嘲笑する。「それで助けに来たつもりかよ……笑えるぜ」とさらに嗤う。

 八重はその男に見覚えがあった。色白の肌に赤紫の長髪と同色の瞳、長身で細身、濃い青緑色のロングコートが特徴的の槍使い……その名を口にする。

「お主は、デイモン・ブラッド・フォード殿か」

「ほう、ガキでも俺の名前を知っているとはな……まっ、光栄だ」

 デイモンと呼ばれた男はおどけた調子で言う。その双眸は猛獣のようにギラつかせていた。

「八重、知っているの?」

 冒険者事情に疎いマーヴィンは八重の背中に問いかける。八重は眉間に皺を寄せて答えた。

「知っているでござるよ。デイモン殿の悪名は、旅をしていれば嫌でも耳にするでござる。気に食わない人間は誰でも殺し、女子(おなご)を無理矢理犯して……その悪行は挙げれば挙げるほど、キリがないでござる」

「なるほど……冒険者ギルドを追い出された後も有名なのは辛いもんだぜ」

 まだ嗤うデイモン。「ところで、お嬢さん。こんな所へ何の用かな? 言わなくとも、分かるが」デイモンの言葉は後ろへと流れ、青緑の影として高速で飛来する。

「無論、マーヴィン殿の姉上を助けに来たのでござる」

 八重もまた疾走と同時に抜刀。銀一文字を閃かせた。そして、金属が激しくぶつかり合い、不協和音を奏でていく。

 数合重ねたところで、両者は一旦距離を置いた。八重はその数回のやり取りで左肩と右脇腹の肉を抉られていた。桜色の着物が血で染まる。

「八重!」

「大丈夫でござる!」

 ふらつくこともなくしっかりと自立する八重。そんな八重の様子にマーヴィンはただただ彼女の背中を見ている事しかできない。

「やるねぇ、お嬢ちゃん。さっきやり合った奴らとは大違いだ」

 デイモンは頬から血を流しているだけで特に目立った外傷はない。獲物を狩る肉食獣のように不敵な笑みを浮かべていた。

「入口前にあった死体は、お主がやったものか?」

 八重は痛みで脂汗を額から流しながらも気丈に口を開く。傷は思ったほど深くはない。しかし、痛みはかなりある。

「半分は正解だ」

「なら、その半分は誰でござる?」

「それは俺を倒してからにしろよ」

「そのつもりでござる」

 もう一度、桜と青緑が交差する。技量、リーチともにデイモンの方が上だ。

 高速で突き出される切っ先は、八重の体を今度こそ貫こうと彼女への距離を縮めていく。

 対する八重は目にも止まらぬ速さで飛来する銀色を打ち払い、間合いを詰める。しかし、デイモンが大きく機敏にバックステップをすることで、懐に潜り込む事は叶わない。

 それどころか、所々に傷が増えていくばかりである。

 苦境に立たされた八重の顔には焦りの色はない。むしろ、落ち着いてさえいる。

 その速さに慣れてきたのか、徐々に槍を的確に打ち払っていく。

 これにはデイモンも驚いていたが、すぐさま立て直し、突きの動作を早めた。それに合わせるように八重も疾走する。

 彼女の心臓目掛け繰り出された突きはまた左肩を掠め、通り過ぎていく。八重はデイモンの喉元を斬りつけように横に一つ刀を振るう。

 デイモンの喉から鮮やかな赤が飛び出し、彼の体が仰け反った。たたらを踏んだ後、彼は倒れることなく踏み止まる。

 この光景に八重は鼻白んだ。何せ喉元を切ったのだから、そうそう倒れない訳がない。だからこそ、危機を感じた。

「驚いたか、お嬢ちゃん」

 白い煙をあげながら、みるみる喉元の傷が修復されていく。煙の向こうにはデイモンは口の端を吊り上げ、目を見開いていた。

「お主は一体……」

「ちょいと前にある奴と契約を結んでな……流石にバラバラにされると無理だが、こうして斬られても大丈夫な体にしてもらったんだよ」

「なるほど、眷属になったということでござるか」

「まぁ、その通りだ。人間なんて、限度があってつまらねえからな」

 煙が収まる頃にはデイモンは再び疾風のように槍を突き出した。槍は突きしか有効な攻撃ができないが、その分取り回しが利く。だから、八重の身軽な動きにも対応できたのだ。

 一方で八重は地面を強く蹴り出し、デイモンへ突進する。だが、さらに速さを増した槍の壁が彼女の行く手を阻み、その身を削っていく。

 そして、右手側から襲いかかってきた槍を弾いた一瞬間、その間隙を縫う銀閃に反応できず左肩を貫かれた。

 心臓を貫かれずに済んだのは、八重自身の並外れた反射神経によるもの。しかし、今まで以上の深い傷に八重は苦悶の呻きを上げる。

「元一流ランクの俺にここまで手こずらせるとはね……お嬢ちゃん、あんたもただ者じゃねえな」

 デイモンはさらに槍を押し込み、苦しむ八重の様子を黄ばんだ歯を見せて笑う。

「まぁ、あんたもここで死ぬけどな」

 槍を引き抜き、今度こそ息の根を止めようと渾身の突きを繰り出す。

 痛みで思考が鈍り、動きも重くなる。だからこそ、今の八重には避ける事は不能――けれど、八重もまた人の限界を超えていた。

 先程のダメージを感じさせないほどの軽快な動きで躱し、彼の懐へ肉薄する。そして、刀を振り上げ、全身の力を振り下ろすことに集中させる。

 一閃はまるで稲妻のように神速の速さで奔った。――九重真鳴流、神鳴(かみなり)

 雷が直撃した岩の如く、デイモンの体は頭から股まで真っ二つに爆ぜ割れ、血や構成していた中身をまき散らす。

 八重は返り血を浴びてもなお、その場を動こうとしない。技の反動で動けないのだ。

「八重……」

 マーヴィンは八重に近づこうとする。が、その行為を八重の声で制止させられた。

「まだ終わってないでござる」

 八重がそう言うと、地響きが部屋全体に伝わる。部屋の奥からは八重やマーヴィン、ひいてはデイモンよりも遥かに大きい生き物が姿を現した。

 額に二本の角を生やし、鋭く尖った歯に研ぎ澄まされた爪、筋骨逞しい屈強な体つきの巨人――オーガは次なる獲物を探しているかのように喉元を鳴らして辺りを見渡す。

 八重はその姿を認めるや否や、その巨躯目掛けて疾走。先程の技の影響か、筋肉は悲鳴を上げる。だが、その声を無視して、刀を振るう。

 桜色の影に気付いたオーガは防御態勢を取る。しかし、音も置き去りにするような八重の剣撃に付いて行けず、体中を切り刻まれた。

 それでも切り込んだ傷は浅く、致命傷には至らしめない。八重は着地と同時に地面を強く蹴り出して、弾丸のように飛び出す。

 今度は読んでいたのか、オーガの拳は八重を確実に捉えて突き出されていた。八重は鈍重な拳を躱すことができずに直撃し、壁際に背中から叩き付けられる。

 壁にはぶつかった衝撃の凄まじさを物語るように、壁に大きな亀裂がいくつも走り、陥没していた。

 体が思うように動かない。先程の鈍い攻撃など、普段の八重なら難なく躱せていただろう。しかし、デイモンとの戦闘によるダメージと疲労、神鳴を使った時の反動による筋肉へ負担が彼女の軽快な動きを阻害していのだ。

 八重は立ち上がり、目の前の巨人を睨み付ける。あばらが折れたのか、胸から脇腹あたりに痛みが走っていた。

 けれど、それを気にせず、八重は疾風の如く駆け出す。もう一度、拳が迫って来ても今度は無理矢理体を動かして躱した。

 疾走した勢いを利用して跳躍。オーガの分厚い胸板を足場に駆け上がり、右目側へと躍り出る。

 そこから右目に切っ先を突き刺し、捻じ込む。最初はオーガも暴れて抵抗するが、剣先が脳に到達したのか、やがて動きを止め膝から崩れ落ちた。

 八重は落下に巻き込まれないように素早く刀を引き抜き、オーガから飛び降りる。そして、静寂が訪れた。

 

 足の力が抜け、膝を地面につける八重。彼女を支えようと慌ててマーヴィンが近づく。

「八重……ごめん」

 何もできなかった自分への情けなさが滲み出ているかのようにマーヴィンの声は掠れていて弱弱しい。

「大丈夫でござるよ。これでのんびり、姉上を捜すことができるでござるな」

 そう言うと八重は刀を杖代わりに立ち上がる。だが、上手く踏ん張る事ができず、よろけてしまう。

 よろけた八重をマーヴィンが支える。思いの外、華奢な体躯に彼は驚いた。

「八重って、こんなに細いんだね」

「拙者としては、もう少し線を太くしたいところでござるが……」

 八重は耳を赤くしながら、笑みを零す。もう少しだけ体が大きければ、今の戦いも幾分か楽できたかもしれない。ないものねだりをしても仕方がないし、何とか勝って生きているのだから、そこは悩む必要はない。

 あるとしたら、己の技量の未熟さを省みる事だ。今回はかなり徹底しなければ、ならないだろう。

「八重……大丈夫か? どこかで休もうか? 姉ちゃん捜すのなら、オレ一人でもできるし」

 思索にのめり込んでいた八重のしかめっ面を見て、マーヴィンは怪我や疲労で具合が悪くなったのかと感じて心配に声をかける。

「これぐらい平気でござるよ。拙者もマーヴィン殿の姉上を捜すでござる」

「いや、良いよ。八重は休んでいて……あれだけ、戦って怪我しているんだからさ」

 石柱をもたれかけるように座らされる八重。マーヴィンの言う通り、先程の戦闘で体中傷だらけだ。その故に上品な桜色の着物も今では朱殷色に変化してしまっている。

 刀は鞘に納めず、抜き身のまま八重の近くに置かれた。刃には人やモンスターの油と血がべっとりと付いたまま。このまま放置する訳にいかず、八重はその刀を手に取り、着物の袖で拭った。

 当然ながら着物はさらに汚れる。だけど、今振って払うほどの力が残っていないのだから、仕方がないと割り切る。それに既に着物はボロボロかつ汚れている為、これ以上気にしても意味がない。

 八重は視線をマーヴィンの方へ移す。彼は目を凝らして、姉がいるらしきところへと歩を進めていた。

 時折、姉を名を呼び、反応を確かめる。しかし、手応えはないようだ。

 マーヴィンはめげずに姉の名を呼んでは、歩みを止めない。

「マーヴィン……?」

 マーヴィンがいるところとは反対方向から声がした。八重とマーヴィンは同時に振り向くとそこには茶髪でセミロング、ダークブラウンの瞳……顔立ちがマーヴィンとよく似た女性が立っていた。

「姉ちゃん!」

 マーヴィンは駆け出す。年相応の少年の笑みで姉に抱き着いた。

 八重も姉弟の再会を心から喜び、安堵する。ふと涙が目尻から零れそうになるが、何とか留めた。

 ここで関係のない自分が泣き出して、どうすると自制心を働かせて。

 感動していたのも束の間、気が緩んだせいか痛みがさらに訴え、思わず顔をしかめる。

 その痛み故かはたまた血を大量に失ったせいか、一瞬世界が乱れた。乱れた世界に目の前にいる女性が、別人へと変貌する。異常に痩せ細った体に申し訳程度に残っている髪の毛、鋭く尖った爪……グールだと脳が判断した。

 八重は見間違いだと自分の目を疑ったが、すぐに間違ってはいないと認める。女の腕や体が徐々に痩せ細っていったからだ。

 すぐさま立ち上がった八重は刀を構え、そのまま駛走。マーヴィンは気が付いてないようだが、一向に構わない。

 幸い、女よりもマーヴィンの方が背が低く、八重の技量をもってすれば難なく頭は斬り飛ばせる。だが、思惑通りには進まない。

「炎よ来たれ。赤き速弾、ファイアアロー」

 しわがれた声から詠唱が聞こえ、彼女の周りに出現した魔法陣から多数の炎矢が高速で放たれる。

 八重は躱しつつ肉薄するが、避けることに神経を尖らすあまり、スピードを落としてしまった。

 そこを狙ったかのように「風よ貫け。螺旋の槍刃、スパイラルランス」と続けて詠唱し、風で作りだされた槍が八重の右足へと疾駆する。

 咄嗟の反応で串刺しだけは免れたが、代償は大きく右の太ももからは血が止めどなく溢れ出る。右足に力が入らず、膝をついてしまう。

「や、八重!」

「おっと、坊やは動かないことだね」

 女もといグールの上位種であるガーストは、その鋭い爪をマーヴィンの喉元に当て、いつでも掻き切れると誇示する。マーヴィンはまたもや八重の役に立てない自分に苛立ちとやるせない気持ち、八重を心配する思いが混ぜ合った表情で彼女を見つめていた。

「マーヴィン殿、心配は無用でござる……」

「でも、足じゃ……!」

「これぐらい何ともないでござるよ。すぐに助けるから、ちょっと待つでござる」

 八重の発言にガーストは鼻で笑う。「自慢の足の速さは発揮できないってのに、何ができると思っているのさ」双眸は侮蔑の色を表していた。

「拙者は昔から根性だけは褒められている身でござるからな……これぐらい乗り越えてみせるでござる」

「何をアホな事を抜かしているんだい。そこのバカ鬼がやったようにバラバラにならないと気が済まないのかい?」

 ガーストは右手奥側で横たわるオーガを指差す。彼女が言った事は恐らく入口前の死体の事だろう。

 デイモンが言っていた半分はオーガによる仕業だったのだ。

 だが、今はその事実などどうでも良い。八重はオーガを一瞥した後、ガーストを睨つけ口を開く。

「バラバラになるのは、お主の方でござる」

「ふん、小娘にしてはよく言う方だね。だけど、あたしにゃ、この坊やがいる事を忘れるんじゃないよ!」

 マーヴィンの呻きが漏れる。もう少し爪が食い込めば、確実に彼の喉から鮮血の滝が生まれるだろう。

 ガーストは勝ち誇った顔で「だから、小娘には勝ち目が無いんだよ」と八重を見下す。

 こればかりは確かに分が悪いと判断した八重は、ゆっくりと立ち上がり、女に問いかけた。

「では、どうすればマーヴィン殿を解放してくれるでござるか?」

「そうだねぇ、まずは武器を捨てる事だね。その手に持っているヤツと脇に差しているものも」

「なるほど、承知したでござる」

 八重があっさりと承諾し、言われた通りに打刀と脇差を床に置く。打刀は抜き身のままだ。

 ガーストは打刀が抜き身である事よりも先に、気丈な返しをした少女があっけなく思惑通りに動いた事が愉快でたまらない。

「ふん、物分かりの良い小娘は長生きするよ……もっとも、ここから出られればの話だけどねぇ」

 口の端を歪め、自分の勝利を信じてやまないガースト。そのわずかな気の緩みが、彼女に悲劇を生む。

 マーヴィンが喉元にあった手が緩んだ隙に、噛みつき脱出を試みたのだ。痛みに怯んだガーストは意識を八重から外す。

 八重はその機会を逃す訳がなく、抜き身の刀をすぐさま回収しては桜色――否、朱殷色の弾丸となってガーストへ猛襲。右足の傷はさらに開き、筋肉が悲痛な叫び声で限界を訴えかけるが、それらは全て無視して疾風となる。

 八重が銀閃を走らせた時、ガーストは即座にマーヴィンを捨てて、体を八重の左側へと捌いて爪を突出。

 刀がガーストの右腕を断ち切り、爪は八重の頬を掠めた。

 両者、立ち位置が入れ替わると距離を置く。そして息を吐いた。

「有言実行したでござるよ……まだもう少し足りないでござるが」

「意外とやるようだね、小娘。あの槍使いを倒しただけの事はある……実力は素直に認めようじゃないか」

 ガーストは人間である八重が自分たちのようなモンスターに勝てる筈がないと確信を得ているのか、八重をせせら笑う。腕一本切り落とされていてもまだ体力的には余裕があるとも示していた。

 対する八重は歯を食いしばり、今にも倒れそうな体に鞭を打って、辛うじて立っているだけ。先程の連戦で体力をかなり消耗している事もあり、限界と言っても差し支えない。

 けれど、彼女の瞳は強い光が宿ったままだ。マーヴィンを守り、彼の姉を助けるという強固な意志は潰えない。

「……“サムライソウル”」

 マーヴィンの言葉が場に残る頃には、八重は再び駆け出した。

 限界はとっくの昔に迎えている。だが、限界を超えていく彼女は、果たして人間だろうか。

「まだそんな元気があったとはねぇ……けど、所詮は人間。あたしにゃ勝てない!」

 ガーストは左腕を突き出し、もう一度詠唱する。「風よ貫け! 螺旋の槍刃、スパイラルランス!」空気が唸りを上げ、疾風の槍が八重を突き刺さんとばかりに勢いよく放たれた。

 八重は咆哮とも呼べる叫びを発し、息もつかせぬ剣捌きで強烈な剣風を生み出し、疾風の槍をかき消す。

 これには流石のガーストも驚き、動揺した。まさか力業で魔法を打ち消されるとは思わなかっただろう。

 八重もまた躱す余裕がなかったが為にイチかバチかで賭けてみた結果、成功したのだから内心自分でも驚いていた。

 だが、それとは別に彼女の体は疾駆する事は止めず、ガーストの懐へと迫る。

 ガーストは詠唱が間に合わないと即断し、鋭い爪を再び八重へと向け、自らも突撃した。

 交差する二つの影。果たして、どちらが勝ったか――。

「勝って兜の緒を締めろ……お主の兜の緒は大分緩かったでござるな」

 そう言って八重は背後にいるガーストへと呼びかける。額から頬にかけて右目に傷が走り、血に塗れていた。

「小娘……あんたはあたしらと同じ化け物だよ……」

 ガーストは膝から崩れ落ち、地に伏せる。まだ息があるようだが、八重の剣撃による体の傷は深く、思うように動けない様子だ。

 八重は迷いのない足取りでガーストの眼前へと立ち塞がる。そして、切っ先を突き付けた。

「お主に二つほど聞きたいことがあるでござる。本当の答えを言えば、命だけは助けるでござる」

 八重らしくもない言い様にマーヴィンは困惑した。けれど、彼女の真剣な表情を見て、心中を察する。

 一方のガーストは、小娘の要求を呑むのはかなり癪だと言わんばかりに八重を睨み付けた。

 それでも今すぐに真っ二つにされてしまうよりかはマシだと判断したのか、素直に応じる。「……で、何を聞きたいんだい?」濁った瞳は八重への侮蔑が消えることなく彼女に向けられた。

「まずはデイモン殿の眷属化についてでござるが……」

「それなら、あの男と利害が一致したから、そうしただけだよ。あの男は自分が人間である必要を感じてなかったからねぇ……あたしの用心棒として置く代わりに力を与えただけさ」

「なるほど、理解したでござる。それで次の質問でござるが……」

 八重の目尻が吊り上がり、自身が持つ刀の切っ先のように鋭い眼差しを向け、「一番重要でござるから、きちんと答えるでござるよ」と語気を強める。

「マーヴィン殿の姉上はどこにいるでござるか?」

「知らないね。そんなヤツの名はッ!」

 言葉が途中で止まったのは、八重が切っ先を背中へと突き刺したからだ。八重は怒気を発しながら、「しらばっくれるのもいい加減にするでござる」と先程よりも語気を荒くし、目つきを鋭くさせる。

 八重の尋常ならぬ反応にガーストは肌で感じると無言で部屋の隅を指し示す。

 そこを視認した八重は、一度目をきつく閉じた。後悔や苦悶の感情が込み上げてくるのを必死に抑えながら、再度目を見開いてガーストを睨む。そして、できるだけ感情を表に出さないように告げた。

「すまない、拙者は嘘をついたでござる」

 その死刑宣告と同時に刀をさらに押し込み、心臓を貫く。ガーストは眷属にしたデイモン程の回復力を持ち合わせていなかったせいか、はたまた元々の生命力が弱かったせいなのか、そのまま絶命した。

 八重は刀を引き抜き、血振いをして、ゆっくりと納刀する。その現実を少しづつ受け止めるかのように。

「八重、姉ちゃんはあそこにいるんだよな?」

 今のやり取りで場所だけを把握したマーヴィンは近づき、彼女に確認を取る。八重は一瞬迷ったが、正直に答えた方が良いと判断し、首肯した。

 マーヴィンは恐る恐るガーストが指差した方へと歩みを進める。先には厳重な扉があった。傍らにいくつもの死体が折り重なり、扉の奥に何があるかという答えを示している。――彼らの食糧庫、つまり死体を保管する部屋だ。近くに死体の山が築かれているのは、部屋に収まりきらないからだろう。

 その死体の山にはマーヴィンの姉らしき女性が一番上に積まれていた。着衣は激しく乱れ、胸元に一つ風穴が空いていた。

 八重はそれを先程発見したのだ。目の良さはそれなりに自信があったが、今は目の良さなどいらぬと自噴している。

 泣き崩れる彼の背に「拙者は本当に嘘つきでだったでござるな」とか弱い言葉を投げかけた。

 

 村中が騒然としている。それもそのはず、死体を背負っている少年と全身血まみれの少女が一緒に歩いてのだから、平然とできる訳がない。

 本人たちは村人たちの視線など気にせず、ある場所へと真っ直ぐ進む。辿り着いた場所は村の中では一番大きく瀟洒(しょうしゃ)な家屋――マーヴィンが言っていた村一番の地主の家だ。

 マーヴィンは呼び鈴を鳴らす。扉の奥から召使いと思わしき女性が、出てくると否や悲鳴を上げた。

 しかし、マーヴィンは構わず家の中へと入り、主がいるであろう一室へと向かう。八重も彼の背を追いかけるように後を付いた。

 乱暴に開けられた扉の先には、男が書斎机に肘をついて両手を握り、神に祈っているかのように顔を俯かせている。

 やがて訪問者に気付くと顔を上げ、視線を合わせた。男はそれなりに年を重ねており、着ている服も村の中で一番上等そうなシャツとベストを身に着けている。

「マーヴィンくん……?」

 男は目を丸くして、マーヴィンの名を言う。マーヴィンは無言で頷いた。

「その背中に背負っている人は……」

 男は立ち上がり、マーヴィンへ近づく。マーヴィンは男を睨み付け、一言。

「姉ちゃんだよ……お前のせいで死んだ」

 男に向けた一言だが、八重の胸にも突き刺さった。助けると言った手前、その約束が果たせなかったのだから、自分もまた原因の一旦だろう。その後悔の念に拳を握る力が強くなる。

「私のせいで……?」

「ああ、そうだよ! お前が姉ちゃんを差し出さなければ、死なずに済んだんだよ!」

 マーヴィンは男へ怒りの全てを叩き付けた。その言葉はいつもにも増して鋭く刺々しい。

「ああ……私が……やはり私が彼女を……」

 男は両膝を屈し、両手で顔面を覆う。男の声音には後悔と深い悲しみの色が滲み出ていた。

「お前は姉ちゃんを愛していなかった! だから、こんなにも簡単に差し出したんだ! 違うか?!」

 まくし立てるようにマーヴィンは言葉を続ける。その声には自分の無力さへの苛立ちも含まれていた。

「違う、違うんだ……私は彼女を愛していた! それだけは信じてくれ……」

 男は両手を下ろし、悲痛な表情でマーヴィンを見つめる。沈黙が生まれた。

 マーヴィンは右手側にあったソファへ姉を丁寧に寝かせる。彼女の両手を絡ませ、着衣の乱れを直せるところだけ直した。

 そして、男に背を向け、マーヴィンは何も言わず部屋を足早に立ち去る。残されたのは八重と男だけ。

「私は……何て愚かな事を……」

 男は再び顔面を両手で覆う。声がかなり震えていた。

 八重はマーヴィンの姉に目を移す。マーヴィンとよく似た顔立ちの女性が穏やかに眠っていた。

「君は……私を嗤うかね? 自分の命欲しさに愛している人を差し出した男を」

 むしろ、嗤ってくれと言わんばかりに男の口調には自嘲が含まれていた。その言葉に八重は首を緩く横に振り、「拙者にはその資格がないでござる」と告げる。

 男は八重の一言で顔を上げ、じっと彼女を見つめる。深緑の瞳が断罪の時を待っていた。

「……拙者は嘘をついてしまったでござる。助けると言って助けられなかったでござるからな」

「君が……? そうか、君も彼女を助けようと……」

 八重は首肯する。男は八重の反応を見て、さらに言葉を紡いだ。

「私には戦う力がない。だから、この一帯の腕が立つ者たちを雇って、彼らに救助に行かせた」

 男の話に八重は山岳にあった建物の入り口付近の事を思い出す。デイモンが言っていた第一波とは彼らの事だろう。無残な死体となり果ててしまったが。

「君のその様子だと恐らく失敗に終わってしまったようだね」

 男は八重の脳内を読み取ったのか、作戦の失敗を悟った。八重も特に否定はしない。

「私は槍を持った男に切っ先を向けられた時、恐怖で動けなかった。そんな私を救ってくれたのは彼女だった」

 男の眼差しはソファで眠っている女性へと向けられる。「彼女は自分の事は何でもして良いから、私を解放しろと言って男に連れ去られた」静かに語る男の目には涙が浮かんでいた。

「私はあの時、一体どうすれば良かっただろうか?」再び視線は八重に戻される。そして、一筋の涙が頬を伝っていた。

「……拙者には分からぬでござる」

「そうか……」

「けれど、お主が今何をすれば良いのかは、何となく分かる気がするでござるよ」

 八重はおもむろに口を開き、重苦しい空気に抗おうと言葉を発する。彼らの行動は果たして正しいのか、それは八重自身が判断するところではない。だからこそ、今はやるべき事をやるべきだと思うのだ。

「それは……?」

「それは拙者が言わなくとも分かるはずでござるよ」

 そう告げた後、八重も踵を返して部屋を退出した。

 

 家の外に出るとマーヴィンが外壁に寄りかかり、気難しい顔で一点を見ていた。

「マーヴィン殿」

「オレ、何を信じれば良いのか分かんなくなっちゃった」

 マーヴィンの声に力がない。瞳もどこか虚ろだ。

「……あの殿方と一緒に姉上を弔うべきでござる」

「何でだよ、あの男は姉ちゃんを売った人間なんだぞ。姉ちゃんの事なんて、愛していたはずなんてないだろ」

「そう思えないから、何を信じれば分からぬのではござらぬか? マーヴィン殿は確かめるべきでござるよ」

 八重は泰然とした態度でマーヴィンへ力強い言葉を投げかける。黒瞳はブレない芯の強さを示しているかのように強く真っ直ぐな光を灯していた。

 少なくとも彼には、その権利――いや、義務があるだろう。それだけ相手の事を言ったのだから、本当に真偽を確かめる必要がある。八重はそう考えていた。

「……そう、だよな。本当に愛していたのかは、確かめないと分かんないもんな」

 ようやくマーヴィンは笑う。その笑みに八重はひとまず決着したと安堵した。「マーヴィン殿に一つ聞きたい事があるでござる」今度は自分が断罪される番だ。

「何?」

「何故、拙者を責めないでござるか? 助けると言って、助けられなかったござるよ」

「何言ってんだよ。そんだけ体張った人に、オレが責める資格なんてないよ。むしろ、姉ちゃんとまた会えたのは八重のおかげなんだし……」

 その答えに八重はそれ以上は追及しなかった。これは、自分で背負うべき罪かと改めて認識して。

 自分の中でも決着がついた瞬間、八重の膝は力を失い、無抵抗のまま地に倒れようと体が前のめりになる。もう既に立っている事さえ奇跡と言えるほどのダメージと疲労は一瞬の気の緩みで昏倒させるには十分すぎる。

 マーヴィンが八重の体を受け止めた時には、彼女は意識を手放していた。

 

 目が覚めると見慣れない白い天井が見えた。さらに右半分が何かに覆われているのか真っ暗で見えない。

 八重はここがどこかなのか分からず、確かめる為に勢いよく上体を起こす。が、体中に痛みが走り、苦悶の呻きを発した。

「急に体を起こしてはダメですよ。傷口が開いてしまいますから」

 左手側から聞こえた声に目を向けると白衣を身に纏った看護師らしき女が立っていた。八重は一呼吸おいて、彼女に尋ねた。

「ここはどこでござるか?」

「ここは病院ですよ。あなたは二日ぐらい前に運ばれてきたんです」

 二日という単語に驚きを隠せない八重。それぐらい寝ていたのだから、マーヴィンに迷惑を……と、周りを見回しても彼らしき人物が見当たらない。彼は一体どうしているだろうか?

「あなたを運んできた男の子から手紙を預かっています。起きたら、渡してくれと」

 八重の慌てた様子を察したのか、看護師は白衣のポケットから便箋を一つ差し出した。八重はそれを受け取り、中身を読む。

 そこには姉の婚約者と和解して彼女を丁重に弔った事、彼と姉の思い出話や姉の遺書とも呼べる手紙を読んで自分がまだまだ子供だった事、これから村を出て冒険者ギルドがある街へ行く事などマーヴィン自身の近況が綴られていた。

 手紙の最後辺りには『オレは八重のように強い“サムライ”になって、オレみたいな悲しい思いをする子を一人でも多く減らしたい。だから、オレ強くなるよ。もう絶対、大切なものを失くさない為に』と書かれ、『いつかまた会う時は八重の背中を守れるようになるからな、またな!』と締めくくられていた。

 八重はふと笑みを零した。マーヴィンはもう既に前を向いている。しかも、自分を目標としてくれているのだ。ここで立ち止まってしまったのなら“サムライ”の名折れだろう。

 ――今度また会う時までに、彼に恥じぬ強い“サムライ”となろうと心に誓った。




 どうも、初めましての方は初めまして。巻波です。

 現在連載中の作品の執筆が息詰まり、その息抜きとしてイセスマのヒロインの一人・九重八重を主役にした短編を書く事にしました。
 あんまり出来の良いものではなかったと思いますが、最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

 ほのぼの冒険ファンタジーとは一体……そして、チート無双やイチャイチャを期待していた方はごめんなさい。
 巻波って奴は、どうしてもこういうのを書きたがる人間です()

 では、この辺りで筆を休めます。感想の方、気長にお待ちしています。


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