愛と真実の悪を貫く!! (柴猫侍)
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Prologue:なんだかんだと聞かれたら

 

 ロケット団。

 かつて、カントー全土に蔓延り裏社会を牛耳っていたポケモンマフィアの名だ。ポケモンの密漁、違法売買、果てにはカジノの運営等と悪事は多岐に渡り、時にはポケモンの殺害にも手を染めるロケット団には市井の人々も恐れ慄いていた。

 

 だが、そんな組織の壊滅は突然の出来事だった。

 

 風の噂によれば、ロケット団の首領が一人のポケモントレーナーに敗北し、自主解散したとのことだ。

 これを機に事件数は目に見えて減った。数年の間は、カントーに隣接するジョウト地方において残党が起こした事件が幾らかあったが、それもまた勇気あるポケモントレーナーによって解決。ラジオ塔占拠事件で残党を率いていた幹部の敗北が決定打となり、ロケット団は事実上の解散となった。

 

 これにて一件落着。

 世間は、悪事を美徳とする反社会勢力が潰えた事実に胸を撫で下ろした。

 

 しかし、だ。

 

───悪の芽は決して潰えてなどいなかった。

 

 まだカントーにてロケット団が跋扈していた時期、在籍していた団員の一人がこう語る。

 

『ロケット団は、腕の立つポケモントレーナーの育成に力を入れていた』

 

『なぜなら、ポケモンリーグの支配も視野に入れていたからだ』

 

『組織に忠誠を誓う尖兵という訳だ。洗脳の手間を考えて、身寄りのない子供が適役だった』

 

『呼ぶとすれば……“ロケットチルドレン”。未来のポケモンリーグチャンピオン……それも『悪の』が付くがな』

 

 詳細を知らない団員はホラ話と信じない。

 けれども、現に警察が制圧した組織の関連施設の中からは拉致されていた子供が何名も見つかり、いずれもロケット団に忠誠を誓うよう教育されていたという。

 その後は精神病院にて心のリハビリをし、家族が居ると判明した者は家へと帰された。

 一方で戸籍のない孤児も居り、そういった者は児童養護施設へと送られ、面倒を見てもらう運びとなったのである。

 

 願わくば、もう悪人の犠牲にならぬ明るい未来を歩んでほしい。

 彼等を保護した誰もが祈る中、ただ一人、虎視眈々ととある計画を練っている少女が居た。

 彼女は聡い子供だった。組織で教育されている間も、勉強、身体能力、ポケモンバトルの腕……いずれにおいても優秀な成績を収め、いずれは“悪のチャンピオン”と教育係からも期待された人材だ。

 だが、組織は潰えた。

 これで彼女も組織の束縛から解放された―――かと思いきや、彼女が目論んでいたのは、

 

(ロケット団を再興させる)

 

 ただ一つ、孤児であった自分を受け入れた場所を取り戻すことだった。

 ただし、周りに言いふらしたところで精神病院に入れられ、長い長い()()を受ける羽目になるだろう。

 だからこそ表面は洗脳が解けた普通の少女を装い、機が熟すのを待っていた。

 通っていたトレーナーズスクールにて、すでに上級生どころか大人をも打ち負かすポケモンバトルの腕を磨きに磨いた。加えて、近場で開かれる大会にも出場し、難なく優勝しては自分の名前を少しずつ……着実にだが知らしめていったのだ。

 そうすれば、「将来を見込んで~」等と金にがめついスポンサーが手厚い支援金を出し、自分のポケモントレーナーとしての将来に出資する訳である。

 

 腕も磨いた。

 金も貰える。

 

 後はさっさとポケモンリーグで優勝し、チャンピオンとして地位を活かし、ポケモンリーグを裏からじわじわと根を回していくだけだ。

 

 周囲の者達は、何の憂いもなく旅に出る自分を見送った。

 旅の目的地として目につけたのは、ジョウト地方の西に存在する田舎。ポケモンリーグも二つの地方を統合し、やっと最近になって運営されるようになった。

 晴れて今年が記念すべき第一回ポケモンリーグ大会が開かれるのだ。

 そこの初代チャンピオンとなれば、知名度もシビルドン上り。あっという間に名声を得られる。

 加えて、カントーやジョウト……または他の地方とも違い、所謂悪の組織が目立って活動した形跡がない点に目をつけた。実際に被害を受けた地方と違い、その地方はポケモンマフィア等の活動に鈍いはず。

 さらに言えば、二つの地方を統合して、やっと一つのリーグとして運営できる脆弱な組織体制。バトルの本場と言えるカントーに比べ、頂点に上り詰めるのはそう難しい話ではない。

 

―――そう思っていた矢先だった。

 

「ルカリオ、“あくのはどう”」

「グワァ!!」

 

 二本足で立ち、蒼き体毛を靡かせる獣が咆哮を上げる。

 鬼気迫った面持ちを浮かべ、掌底から解き放ったのは、どす黒い力―――波動の奔流。

 波動を操るポケモン、ルカリオが繰り出した“あくのはどう”は、すでに無惨な荒地と化してしまったバトルフィールドの地面を抉りながら、対峙する小さい黄色の獣へと迫っていく。

 

「……“アイアンテール”」

「ピッカァ!」

「!?」

 

 刹那、視界を覆い尽くす黒が切り裂かれた。

 目の前で起こった光景を信じられないと目を見開く少女は、茫然と立ち尽くしてしまう。技を繰り出したルカリオでさえ、自分が放った渾身の一撃を破られた事実に立ちすくんだ。

 その一瞬の隙が勝敗を分ける。

 

「ピカチュウ、“ボルテッカー”」

「ピ~カ~……ヂュゥゥゥウウウ!!!」

 

 眩い電光を纏うピカチュウが、光の速度を見間違う勢いのままルカリオに突撃した。

 回避する間も与えられなかった。

 否、例え与えられたとしても、この結果は変わらなかっただろう。

 

「ルカ……リオ……?」

 

 稲妻が爆ぜる音に目を瞑った少女が恐る恐る目を開けば、攻撃の余波たるスパークが体に迸るルカリオが倒れていた。ピクリとも動かぬ様。戦闘不能であることは、誰が見ても明白であった。

 

「……俺の勝ち」

「私の……負け?」

 

 表の世界における初めての敗北。

 それも、ようやく新天地となる地方で繰り広げられたポケモンバトルにて、だ。ジムリーダーでも、ましてやジムトレーナーですらない。

 ただ、目が合ったポケモントレーナーにバトルを吹っ掛けた結果、完膚なきまでの敗北を味わわされたのだ。

 

 見誤っていたか? この地方のポケモントレーナーの腕前を。

 

 肩を落とし、倒れた手持ちをボールに落とす少女は震えていた。

 敗北など―――そうだ、光の差さない裏の世界においても一度きりだったはずなのに。

 そう、ロケット団首領(ボス)、サカキにしか。

 あれから何年も腕を磨いたにも拘わらず届かない相手。彼は一体何者なのだろうか?

 敗北を味わわされた怒りや絶望もある。ただ、何よりも湧き上がってくる感情があった。

 

 “尊敬”

 

 一人のポケモントレーナーとしての、だ。

 純粋な強さへの敬意や羨望が、胸の内で渦巻く負の感情を塗り潰していった。

 そして、これは好機だと悟る。

 

「あのっ……」

「……なに?」

「名前……教えてくれませんか?」

「……レッド」

「レッド……? お願いがあります。私を弟子にしてください」

「……はい?」

 

 弟子入り志願する少女に驚く青年。

 

 この時、彼女は知らなかった。

 目の前に居る青年―――レッドこそが、ロケット団を壊滅に至らしめた立役者であることを。

 そして、カントーポケモンリーグチャンピオンであった事実を。

 

「お願いします」

 

 グイグイと来る少女。

 この押しの強さは、長い間雪山にて人との関わりを断っていたレッドには堪らないものであった。

 ジッと見据える瞳は、こちらが視線を外すことを決して許さない威圧感を覚える。

 

「……あ、あの」

「よろしくお願いします、先生」

「先生……」

「私の名前は―――コスモスです」

「あ……はい」

 

 組織の怨敵と残党。

 生ける伝説(リビング・レジェンド)と駆け出し新米。

 そこに加わるのは、師と弟子の関係。

 

 これは、彼等がポケモン達と一緒に新天地で巻き起こす愉快な冒険譚。

 話の舞台はホウジョウ地方とセトー地方。

 

 ポケットモンスター―――縮めて「ポケモン」。

 この世界に住む不思議な不思議な生き物との物語が、今始まる。

 

 

 

 ***

 

 

 

『───ボンジュール♪ こんな時間に俺様のポケギアにかけてくるなんて、いったいどこの世間知らずだ?』

「……グリーン……」

『ハハッ、冗談だっての。お前から電話なんて珍しいにも程があるぜ。とっくにそっちに到着したとは思ってるがどうかしたのか? まさか山が恋しくなったとか言わないよな』

「……弟子ができた」

『はぁ? ……寝言は寝てから言えよ、このコミュ障無口バトル馬鹿』

「マサラタウンにさよならバイバイさせてやろうか、バイビーカロスかぶれ」

 



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1:答えてあげるが世の情け
№001:天才な馬鹿が二人


◓前回のあらすじ

レッド「旅行先でバトル仕掛けられた」

コスモス「負けた。弟子にして」

レッド「……」


 

 その年、二人のトレーナーがポケモンリーグを賑わせた。

 

 一人はカントー最強の遺伝子を継ぐ男、グリーン。彼の携帯獣学科の権威、オーキド・ユキナリの孫だ。

 今でこそポケモン博士という立場で有名になっているオーキドだが、かつては凄腕のポケモントレーナーとして名を知られていた男。ジョウトリーグと併合する以前のカントーリーグの殿堂入り者の名前には、彼の名前も刻まれている程だ。

 

 故に孫のグリーンに対する期待も大きかった。事実、彼は破竹の勢いでジムバッジを勝ち取り、旅に出てから一年でリーグ挑戦権を獲得するに至り、その飛びぬけた才覚を世に知らしめた。

 

 豊富なポケモンへの知識。

 大人顔負けのバトルの腕。

 

 どれを取っても優秀な才能はリーグ本戦でも十二分に発揮され、その年のチャンピオンを懸けたリーグ本戦では、初戦に四天王最古参・ゴースト使いのキクコ、準決勝では四天王大将・ワタルと激戦を繰り広げ、見事決勝戦への切符を手に入れた。

 一年でジムバッジを集め切ったことも十分に偉業であるが、新人である彼が四天王最強の男を打倒した事実は、スタジアムの観客やテレビの前の人間を狂気的にまで熱くさせた。

 

 誰もが認めるに至った。

 グリーンは“天才”と。

 

 ワタルを負かしたことにより、ほとんどの人間はその年のチャンピオンがグリーンであると信じて疑わなかった。

 

 

 

───しかし、ダークホースがもう一人。

 

 

 

 無名の少年。彼はグリーンのように著名な人物の血筋という訳でもなく、当初は観客の誰からも目に留められていなかった。

 初戦の相手はカンナ。キクコやワタルと同様に、地方最強の一角を担う四天王の一人であり、時にはワタルさえも打ち負かすほどの実力者であった。無論、どこの馬の骨ともわからぬ相手に負けるようなカンナではない。

 

 誰もが彼女の勝利を疑わなかった。

 

 結果、勝者は───少年だった。

 グリーンと同じ、マサラタウン出身のポケモントレーナー・レッド。

 彼もまた、王者の祭典に大波乱を巻き起こす一人だと、当時のジムリーダーたちはあらかじめ予見していたという。

 

 曰く、彼は非常識だった。

 曰く、彼は型破りだった。

 曰く、彼は破天荒だった。

 

 常識に囚われない自由な発想に柔軟な戦術。そして臨機応変なバトルスタイルにより、名立たる8人のジムリーダーは次々に打ち破られた。

 いずれもが紛うことなき激戦であり、記録にも記憶に残る前代未聞の連続。思ってもやらない、やろうとしたところで普通はできない戦法を成し得ていく姿は───伝説の幕開けに他ならなかったという。

 

 その後も少年は順調に本戦を勝ち進み、とうとう準決勝では四天王シバと衝突した。

 ただでさえ優勝候補のワタルが新人に負け、浮足立っているところでのカード。

 運命的とも言うべきタイミングのバトルは、リーグの威信を一身に背負っていたシバを上回る形で、少年の勝利で終わった。

 

 ここまで至り、ようやく観客は気づく。

 彼もまた本物───グリーンに並ぶ“超”のつく天才であると。

 

 しかし、彼らは遂ぞ知ることはなかった。

 

 ポケモンリーグ決勝戦。

 バトルコートが天変地異に見舞われたかの如き焦土に塗り替えられ、その中央には二体のポケモンが佇んでいた。

 

 一体はカメックス。堅牢な守りも形無しと全身が煤塗れになる巨砲は、地に伏せたままピクリとも動かない。

 

 片やもう一体、倒れた相手にも勝るとも劣らない死に体を晒しながらも、瞳に灯る闘志の炎は絶えることはなく、天に向かって猛々しい勝鬨を上げた。

 

 震える。大地が、海が、大空が。

 玉座を争う王者の祭典の最後を飾るに相応しいバトルに、人々の歓声はセキエイ高原中に響き渡った。

 

 一方、王者(チャンピオン)の座を掴み取ったレッドは静かだった。

 放心している訳でも、感動している訳でもなく。表彰を終えても尚、最後まで無言を貫いた彼は───そのままチャンピオンを辞退し、カントーの地から姿を消した。

 

 ある人間は、後にこう語る。

 

 

 

───レッドは“天災”だ。

 

 

 

 拮抗しえる者は誰もなく。

 もはや伝説に意味はなく。

 

 通り過ぎる嵐のように凄惨に。

 覗き込んだ日のように鮮烈に。

 

 歴史に大きな爪痕を残し。

 言葉を残さず消えていく。

 

 彼ある限り伝説は塗り替えられる。

 故に彼こそが伝説そのものなのだ。

 

 

 

 誰かが呼んだ、『リビング・レジェンド』と。

 

 

 

 彼こそがカントー最強のポケモントレーナーだ。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

(どうしてこうなった)

 

 

 

 そして、今に至る(?)。

 

 耳をすませば、穏やかな波の音と賑わう街の活気あふれるやり取りが鼓膜を揺らす。

 燦々と降り注ぐ日の光は熱い程に肌を焼く。そんな体を冷ましてくれるのは、海側から吹き渡る一陣の優しい潮風だ。

 まるで、この土地に訪れた遍く生命を歓迎するかのような喜びに溢れた風は、彼等にも届いていた。

 

「先生、キョウダンタウンにはジムがあるようです」

「挑戦するの?」

「勿論」

 

 互いの距離感を計るように一歩身を引く青年に対し、頭二つ分ほど背の低い少女がグイグイと迫っていく。

 前者の名はレッド、後者の名はコスモス。

 先日、ここキョウダンタウンにて偶然ポケモンバトルに興じて以来、コスモスの熱い頼み込みもあり、師弟関係を結ぶことになった二人だった。

 

(……どうしよう)

 

 レッドは悩んだ。

 悩み、悩み、悩み過ぎて寝不足からの寝坊のダブルアタックを決め、ピカチュウの手痛いモーニングコール(10まんボルト)を受けたのが今朝の出来事。

 

 彼はマサラタウン出身のポケモントレーナー。カントー地方においては、リーグチャンピオンとして殿堂入りを果たした伝説に名を刻むトレーナーの一人でもある。

 そんな彼がどうしてホウジョウ地方等といった片田舎に来たのか―――その理由は至極単純、観光だ。

 幼馴染(グリーン)に、今年初めてリーグ大会が開かれる地方の紹介を受けたのが何よりのきっかけ。今こそ表には出さないが、自他ともに認めるバトル脳である彼は、初代チャンピオンの誕生に大層興味を抱いていた。

 

 好奇心のままに訪れ、船を降り、偶然立ち寄ったバトルコートでポケモンバトルを申し込まれた記憶は新しい。というよりも昨日の出来事だ。

 それがまさか弟子を取る羽目になるとは、人生は思いもよらぬ出会いに溢れている。

 

(―――なんて思わないよ、俺は)

 

 表情にこそ出ないが、内心面倒事に巻き込まれたとげんなりするレッド。

 別に新米トレーナーにあれこれ指導することが嫌いな訳ではない。しかしながら、駆け出しの右も左も分からないトレーナーならばまだしも、自分の目から見て明らかに初心者から逸脱した実力者が相手ともなれば話は違う。

 彼は感覚派の人間。幼馴染のように論理的に強さを追い求める性質ではなく、これまでのポケモンバトルのほとんどを感じるがままに戦い抜いてきた。まったく考えていない訳でもないが、気がついた時には無我夢中であったのだから、結果的にはそうだった、という話なのである。

 

 だからこそ、すでに腕の立つコスモス相手に教えられることはない。

 ―――一流のポケモントレーナーであっても、一流のトレーナーコーチではない。

彼の悩みは、まさにそれだった。

 

「先生」

「どうしたの?」

「先生はどうやってポケモンを鍛えていましたか?」

「ん゛っ」

 

 早速答え辛い質問が来た。

 予想通り過ぎて喉から変な声が出たが、聞こえていないのか大して気に留めた様子のないコスモスは、夜空のような深い藍色を漂わせ、星に似た黄色を煌かせている瞳でジッと見つめてくる。

 “くろいまなざし”―――なるほど、逃げられない。

 今すぐにでも彼女にピッピ人形を投げつけてやりたい衝動に駆られるが、それはできそうもない。

 彼女の手持ち兼ボディーガードでもあるルカリオが、レッドの思考を波動で読み取り、変な動きをさせぬよう監視しているからだ。

 

 しかし、ここまで監視がキツく感じてしまうのも、昨日コスモスが弟子入りした後、手持ちのピカチュウが「おう、新入り。ワレ、レッドの子分っちゅうことならワシにケチャップの一つでも差し入れんかい」と、大層憎たらしくキュートであんちきしょうな笑みを湛えながら差し入れを催促した結果、大喧嘩したのが原因である。

 その一件から、ルカリオは完全にレッド達を敵視。

 主人の目が離れた一瞬でもあれば、牙をむき出しにして「グルルッ!!」と唸り声を上げてくる。それはもう通りすがりの幼女が泣き叫ぶ狂暴な顔で。レッドにしてみれば、いつか喉笛を噛み千切られないかと不安で仕方がない。

 

「(ピカチュウのせいだからね……)」

「ピカァ?」

 

 ぶりっ子しやがって……!

 

 レッドは心から相棒に腹を立てた。今のレッドは、眠っていたカビゴンが飛び起きてメガトンパンチを振り抜いてくるレベルで怒っていた。

 が、叱ったところで自分が返り討ちに合うのは目に見えている。

 主従関係ってなんだろう? レッドはポケモントレーナーの存在意義が分からなくなった。

 

 閑話休題。

 

「ど、どうやって鍛えたか……」

「はい」

 

 真っ先に浮かぶのは山籠もり。

 「えっと~、リーグが認めた実力者しか入れない、と~っても強いポケモンしか住んでない山で数年鍛えてれば強くなれるよ☆」等と宣えたらどれだけ楽になれただろうか。

 寧ろ、軽蔑されても、前述の言葉をそっくりそのままでなくともありのままを伝えられたら良かった。

 

(―――いや、その手があった)

 

 ピカンと閃く妙案。

 そうだ、事実をありのまま伝えればいいのだ。

 そして、それらが常軌を逸した方法であるならば、「あ、この人は関わっちゃいけない」となって自然と距離を置いてくれるはず。それからは師弟関係も自然解消、自分も彼女もそれぞれの道を歩んでハッピーになれる。

 思い立ったが吉日。レッドは、かつてカントー地方を旅していた時、故郷の人間以外に話した時、ドン引きされたエピソードを思い出す。

 

 あ、なんだか涙が溢れてきた、と過去の心の傷を抉られたものの、特に白い目で見られたエピソードが一つ。

 

「イシツブテ……」

「イシツブテ?」

「イシツブテを投げ合えば……強くなれる」

 

 マサラ名物、イシツブテ合戦。

 あの行事があるからこそ、マサラの子供は心身ともに強くなれると老人は声高々に語っている。

 

「……ポケモンがですよね?」

「いや、主に人間が」

 

 決して嘘は吐いていない。

 ポケモンにイシツブテを投げさせ合うのではなく、投げていたのは人間だ。

 

 どこぞの野蛮な部族が繰り広げていそうな内容に目を丸めるコスモス。

 そもそもポケモンを鍛える方法を聞いていたのに、いざ返ってきたのは人間がイシツブテを投げ合うという内容なのだから、彼女の反応も致し方ない。

 しばらく彼女は思考停止したロボットのように固まる。

 ルカリオも、初めて見る主人の様子に慌てふためきながら体を揺らす。

 すると、ふいにコスモスの瞳に光が戻った。

 

「なるほど」

 

 何がなるほどなの? 言った張本人でさえ思った。

 と、レッドが納得したコスモスを前に瞠目していれば、レポート紙を取り出したコスモスが徐にペンを走らせる。

 

「ポケモンバトルはトレーナーも心身体力を使う競技。つまり、ポケモンバトルにとって第一に必要なのはトレーナー自身の体力……そういう訳ですね?」

「……うん」

 

 合点がいった。

 

(この子……アホなのかもしれない)

 

 そう、コスモスはアホなのだ。いや、アホと言っても勉強はできる。トレーナーズスクールのテストでも満点は当たり前の秀才だ。だが、アホというのは価値観の頑迷さ―――つまり、意地っ張りな部分にあった。

 彼女は合理的思考で事を進めるきらいがある。だが、その絶対的な基準となっているのは“強さ”だ。

 勝利こそが“強さ”の絶対的証明。論理の正しさや統計論等よりも、コスモスの中で正しさの答えであった。

 自分(コスモス)先生(レッド)に負けた。ならば、彼の一見非合理で効果の確証を取れない行い一つ一つについても合理的な理由があるはず。そう考えた結果、上述のような推測に至った訳だ。

 

 そこでイシツブテ合戦に見出した合理的価値こそが、トレーナーの体力増強。

 

「流石は先生。コスモスは感銘を受けました。先生を倣って、イシツブテを投げてみます」

「……そっか」

 

 レッドは天を仰いだ。

 離れるどころか感銘を受ける等、予想外に他ならない。

 

(え? なんで納得しちゃうの? 今のどこに納得しちゃう部分があったの? え、お前こそ風習に倣ってイシツブテ投げ合ってただろって? はい、ごもっともです)

 

 恨むのならば、マサラタウンという未開の部族同然の行事が行われる地に生まれ落ちたことだろう。が、感謝こそすれど恨む通りはない―――今のところ。今後の旅次第で変わるとでも言っておこう。

 

「でも、まずはジムの予約をしておきます」

「それがいいね」

「では、参りましょう」

「うん」

 

 話は戻り、ジムについて。

 ホウジョウ地方及びセトー地方のジムは、隣り合ったジョウトやホウエンと形式に差異はない。ガラル地方のようにジム戦が一大エンターテインメントと違い、基本的に一年中開いているジムに挑戦者が挑める形式だ。

 

 ホウジョウ地方の玄関口とも言えるキョウダンタウン。単純に考えれば、ジム巡りを目的に他地方からやって来たトレーナーが最初に訪れる可能性が高い町だ。

 だからこそ、リーグもキョウダンタウンにジムを構えさせた。

 

 コスモスにとってはジム制覇の緒戦を飾ることになるジム戦。

その相手は―――。

 

「竜を唸らすドラゴンレディ、ピタヤ」

「……何見てるの?」

「スマホロトムでホームページを見てます」

「スマホ……ロトム?」

「スポンサーから貰いました」

「スポンサー」

 

 コスモスの腕を高く買い、金銭を支出する団体から旅に際して送られたのがスマホロトム。スマホの名の通り、電話やメール、ウェブ検索は勿論のこと、アプリ次第ではポケモン図鑑の機能も得られる万能機器となっている。無論、コスモスの持っているスマホロトムにはポケモン図鑑の機能が組み込まれている。

 

 一方、世俗から離れていたレッドにとってスマホなど未知の道具。どこぞの青狸がお腹のポケットから取り出すそれにしか見えない。

 彼が持っているポケモン図鑑よりも広い画面には、ボーマンダを従えている豪気に構えた女性の姿が映っている。

 

「文明の……利器」

「何か言いましたか」

「……ううん」

「さいですか。ともかく、リーグのホームページでこう紹介されている以上、ドラゴンタイプを使ってくるでしょう」

 

 リーグ初開催とだけあって、任命されたジムリーダーの情報は他の地方に比べて少ない。

 しかしながら、まったくないという訳でもなく、リーグの宣伝もかねてジムリーダーの紹介はある程度なされている。

 

(ドラゴン……)

 

 考え込むレッド。

 ドラゴン使いと言えば、()が思いつくが―――。

 

「……コスモス」

「はい、先生」

「“はかいこうせん”撃ち込まれない? 大丈夫?」

「相手が繰り出してくる技ですか? そこまで詳しい情報は確認できませんが」

「いや、トレーナーにダイレクトアタックしないかって……」

「はい?」

 

 少なくとも、自分が知っているドラゴン使いは人間に“はかいこうせん”を撃ち込む(と聞いた)。

 素っ頓狂な心配に硬直するコスモス。

 その隣で神妙な面持ちを浮かべるレッドは、やはりマサラの教えが正しいものであったと反省した。

 

「よし……用事が済んだら特訓しよう」

「ジム戦のですか? それでしたら望むところで……」

「ううん、“はかいこうせん”の」

「“はかいこうせん”の?」

「“はかいこうせん”の」

「“はかいこうせん”の……何を?」

 

 だんだん“はかいこうせん”のゲシュタルトが破壊されてきたところで、ようやくレッドはさわりに触れる。

 

「“はかいこうせん”を耐えられる体を……作る」

「………………なるほど」

 

 どこがなるほどなの? とツッコむ者は、この場に誰一人として居なかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 私はコスモス。

 ホウジョウ地方に来る前は、キキョウシティのトレーナーズスクールに通っていたポケモントレーナーである。

 いずれ、敬愛するボスをお迎えに上がるべくロケット団再興の足掛かりとして、片田舎の地方でチャンピオンになろうと思った矢先で苦渋を味わったところだ。

 

 その張本人こそ、今は「先生」と呼び慕っているポケモントレーナー・レッド。あまり饒舌な人間でないのだろう。強さの秘訣を聞き出す為にあれこれ問いかけても大っぴらに語らない。

 だが、軽薄で無駄にお喋り好きであるよりかは好感が持てる。強者としての箔、とでも言っておこうか。口ではなく腕で語る。私にとって理想の強者像でもあった。

 

 と、軽く理由は挙げてみたが、それらは全て私の経験値に―――延いては、ロケット団再興の糧とする為だ。

 

 だからこそ、さっさと強さの秘訣を聞き出してみた。

 まず一番に教えられたのはイシツブテ合戦。どうにも、あのイシツブテを投げ合う訓練法とのことだが、トレーナーズスクールで用いていた教科書や書店で買った参考書にも記載されていた記憶はない。

 しかも、鍛えるのはポケモンでなくトレーナー自身だというではないか。

 

 一瞬、思考が止まった。

 その時、私の目に入ったのは先生の眼差しだった。

 凡人には分かるまい。だが、私ははっきりと理解した。その眼差しが私というトレーナーを値踏みしていることを。

 いわば、今伝えられた訓練の趣旨を理解できるかが、先生のお眼鏡に叶うか否かの分水嶺。つまり試金石だったのだ。

 

 かつて、これほどまで頭を使った経験はない。

 イシツブテを投げ合い、トレーナーを鍛える行いの合理性を見出す為―――この時の頭の回転はフーディンにも負けない、とまで言えば大げさであるが、そう言える程度には考えた自負があった。

 

 足りない頭で必死に考えた答えを口に出す。

 正直、唇は震えていた。

 その時先生は―――笑っていた。さながら春の麗らかな陽気の如く温かな笑みを湛え、私を見下ろしていたのだ。

 

 ホッと胸を撫で下す。重く、それでいて寒い重圧―――まるで氷山でも背負っていた肩はスッと軽くなった。

 とりあえず、何も盗めぬまま破門される事態は避けられたようだ。

 しかし、最初の関門「キョウダンジム」について軽く話すと、みるみるうちに先生の面持ちが険しくなっていた。

 

 私とルカリオの全力を前にしてもピクリとも動かなかった表情が、だ。

 恐らく余程の事態。……いいや、きっと未熟な私のレベルで考えた上で、重大な問題にぶち当たったのだろう。

 肌が粟立つ感覚を覚えた。顔こそ平静を保っていたが、私の感情に敏いルカリオは、その青と黒の体毛をゾワリと逆立たせる。

 

 先生が懸念していたのは“はかいこうせん”という技。

 ノーマルタイプの特殊技。威力は同タイプ中最高峰を誇り、一度放てば反動で動けなくなるデメリットを有す。このようにメリットとデメリットがはっきりとしている技だ。

 

 反動の大きさから、一度撃てば隙ができる。加えて、そもそもルカリオが有すはがねタイプは、ノーマルタイプの技を半減するのだ。一撃喰らったところで痛手は負うまい―――そう楽観視していた私の考えを払拭したのは、他ならぬ先生の雰囲気だった。

 まさか先生程の実力者の世界ともなれば、“はかいこうせん”も世間の認知とはかけ離れた用途や戦術が存在するのだろうか?

 

 肌がヒリヒリと焼ける感覚を覚えたのは、きっと港町の日差しだけが原因ではない。

 いつの間にか乾いていた唇を舐って湿らせ、キョウダンジムにてジム戦の予約を済ませる。念には念を入れて予約を先延ばしにする考えも過ったが、既に一度敗北した身だ。自分のレベルを確かめる意味でも、勝敗はともかく挑むべきだろう。

 

 ……いけない、敗北を合理化する理由(いいわけ)を考えてしまっていた。

 私にもう敗北は許されない。許されるのは、敬愛するボスと先生とのポケモンバトルだけだ。

 

 及び腰になっていた意志を奮い立たせる。

 そうこうしている間、連れられてきたのはキョウダンタウンから少し離れた道路。野生のポケモンが飛び出してくる地域だった。

 

 ここで一体どのような“はかいこうせん”を耐える特訓をするのか。

 自然と身構えていた私に、足を止めた先生はこう告げる。

 

「まずは……ポケモンをゲットだぜ」

「………………なるほど」

 

 どこがなるほどなの?

 そうツッコんでくれる人間は、まだ居ない……。

 

 

 

 




Tips:コスモス

ロケット団の尖兵「ロケットチルドレン」として育てられた少女。
組織崩壊後は、淡々とロケット団再興を虎視眈々と狙いながら、キキョウシティの施設で暮らしていた。
組織で育てられたトレーナーの中でも実力は特に優れており、トレーナーズスクールのテストで満点を取るなど、頭脳明晰な部分を覗かせる。
しかしながら、”強さ”という一点を絶対的価値観として置いていること、加えて合理的思考を優先することから、時折一般的にはありえないと断ずる内容を強引に解釈してしまう頑迷さがある。要するに、馬鹿と天才は紙一重的な人間。
実は甘味が好物。特にチョコレートは迅速なエネルギー補給ができるとして、普段から持ち歩いている
手持ちポケモンはルカリオ。

コスモス(ドット絵)


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№002:会話のジャイロボール

◓前回のあらすじ

レッド「最近の子ってすごい」

コスモス「先生ってすごい」


(こんにちは、弟子ができたレッドです)

 

 冗談を心の中で呟くレッド。

彼等二人は現在キョウダンタウン郊外に来ていた。

 辺りを見渡せば、豊かに映える緑の中にポケモンが佇んでいる光景を窺える。コラッタ、ジグザグマ、ポッポといったポケモンが多いが、もう少し森の中へと踏み入れば、また違った種類を見つけられるだろう。

 

 ホウジョウ地方―――豊穣の土地。カントーやジョウトに比べ、都市間の道のりに数多くの自然を垣間見られるのは、ポケモンとの共存を願った先人たちが悪戯に開拓しなかったから。

 どこぞのフィールドワークに精を出す博士なら、喜んで駆け回りそうな環境の土地だが、大自然が広がっているだけあって生息しているポケモンも多岐に渡る。

 

 そこにレッドの狙いがあった。

 

(流石に手持ち一体でジム戦は……ね?)

 

 戦力不足。

 ヒトカゲとピカチュウだけで挑んだニビジムでの苦い思い出が蘇る。いわタイプを相手に苦手なタイプを繰り出した自分の無知が原因であるが、だからこそ曲がりなりにも弟子であるコスモスには苦労してもらいたくない。

 

(そもそも一番目のジムがドラゴンって……ねえ? だって、大抵ドラゴンって大取務めるタイプじゃないの? ジム然り、四天王然り)

 

 レッドの懸念は尤もだ。

 ドラゴンは種族として強力なポケモンが多く、覚える技の種類や耐性も非常に優秀なのである。

 例え、幾らルカリオが強力だとしても足下を掬われかねない。

 そもそも、この地のポケモンリーグはホウジョウとセトー―――二つの地方からトップトレーナーをそれぞれ四人ずつ召集してジムリーダーを任命したというではないか。

 

―――それ、つまり実質四天王が8人みたいなものじゃないの?

 

 レッドはこの地に詳しくない。

 だが、経緯だけを耳にすれば、そう思わざるを得なかった。

 

(いくら四天王が居ないからって、気合い入れすぎじゃない?)

 

 この辺りの地域では珍しい体制を取るポケモンリーグだ。

 だからこそ、レッドにとっては心配しても足りない懸念材料が多数あった。

 

 が、本題はここから。

 

 四天王(に等しい実力)+ドラゴン使い=?

 

(“はかいこうせん”を生身に撃ってくるかもしれない……!)

 

 ―――レッドの杞憂であることは否めない。

 

 そして、根も葉もない噂に踊られて身構える彼の特訓に付き合わされそうになっていることを、彼女はまだ知らなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 先生に連れられてポケモンの捕獲に来た。

 多くは語らない先生だが、きっと試験の一つなのだろう。

 ならば、その意図は? パッと思いつくのは、手持ちの増強。相性補完や手数を増やす意図が考えられる。

 しかし、それ以外に理由がある可能性も捨てきれない。相対するジムのエキスパートに対抗できるポケモンを探す……いわば、タイプ相性を理解しているかのチェック。これは問題ない。

 

(いや、もしかして……)

 

 茂みを掻き分ける手が止まった。

 

 仮に先生が辺りの生息ポケモンを把握しており、今回のジム戦における最適解とも言えるポケモンが生息していると知っているならば……?

 

(くっ、そういうこと!)

 

 悠長に探している時間はなくなった。

 本当であれば辺りに住む生息ポケモンのリストでも欲しいが、生憎斯様に便利な代物は持ち合わせていない。

 結局のところ自分の足で探す他ない訳だが、捕獲の時間をかければかけるほど、先生に指導してもらえる時間がなくなってしまう。

 だからといって事を急いて走ろうものならば、気配に敏感なポケモンに感づかれて逃げられる。

 

 では、一体どうすれば?

 

「! ルカリオ、波動でポケモンの気配を探して」

「バウッ!」

 

 長い付き合いであり、ロケット団再興の同志でもあるルカリオに指示を飛ばす。

 ルカリオは波動を感じ取る力があり、それらから相手の感情を読み取る芸当さえできるのだ。この力さえあれば、辺りに隠れるポケモンを探す真似など容易いこと。

 だが、それだけでは駄目だ。

 迅速にポケモンを発見、体力を減らし、ボールを投げる。捕まえるだけでもそれだけの工程を経るのだから、一体にかける時間はそれなりになってしまう。

 しかも、遭遇して戦えばバトルの気配に怯えたポケモンが逃げる始末だ。次にポケモンを見つけ出すまでの時間が増えてしまう。

 

(見つからずに体力を減らす……その為には!)

 

 目をつけたのは空。

 

「“はどうだん”を撃ち上げて!」

 

 私の意図を察したルカリオが、両手から無数の“はどうだん”を撃ちあげた。

 蒼に輝く光弾は、花火のようにヒュルヒュル空を上ること数秒、その勢いを衰えさせたかと思いきや、重力に引かれ結構な速度で落ちてくる。

 

 狙い通りだ。

 直後、爆発音が響き渡った。墜落する光弾に触れた木々がざわめき、直撃しなかったポケモン達がイトマルの子を散らすように逃げていくが、私の耳は爆発音に紛れた悲鳴を聞き逃さなかった。

 後はルカリオの案内を頼りに林の中を突き進んでいく。

 案内された先には、空から降り注いだ“はどうだん”を喰らい、瀕死寸前になっているポケモン達が倒れている。

 

「う~ん……コラッタ。スバメ。タネボー。ポチエナ。マンキー。アメタマ。ニドラン」

 

 一気に数体を捕獲寸前まで追い詰めたところで、しっかりと吟味する。

 どれが最初のジムに必要なポケモンか?

 せめて先生を落胆させぬチョイスだけは避けなければならないのだ。私はじっくりと物色を進める。

 

「ん?」

 

 ピクリともしない面々の中、只一体だけ動けるポケモンが居た。

 

「ズバット……」

 

 ズバット、こうもりポケモン。

 目はないものの、超音波で障害物を検知したり仲間と意思疎通を図るどく・ひこうタイプのポケモン。ロケット団員の中には、よくズバットを持っているトレーナーが居た。というのも、ズバットは人目に付かない洞窟で大量に捕まえられる為、戦力増強という意味で組織が大量に捕獲しては団員に支給していたのだ。

 

「……いいだろう、気に入った。お前を捕まえる」

 

 手っ取り早くボールを手に取り、放り投げる。

 施設でもトレーナーズスクールでも百発百中の腕前を誇ったボールの投擲は、寸分の狂いもなくズバットに命中。赤い光に包まれたズバットがボールに中へと吸い込まれていけば、一回、二回、三回と紅白の球体が揺れる。

 

「ズバット……捕獲完了」

 

 揺れが収まったボールを手にし、私は一人呟いた。

ズバットを捕まえたのは、決して組織が良く使っていたポケモンだからという理由ではない。

 ズバットの超音波は暗い場所で障害物の検知に役立つ。それだけならばルカリオの波動で代用できるのだが、波動とは違い超音波―――もとい“ちょうおんぱ”は相手の攪乱に役立つ。

 ついでに言えば、タイプもどく・ひこうとルカリオが苦手なかくとうとじめんを受けられる優秀な耐性を備えているのだ。しっかり育成を施し、クロバットまで進化すれば、ゆくゆくは戦力として期待できる。

 

 さて、こんなところだろう。

 早々に先生の下へと帰り、判断を委ねることにしよう。

 私は僅かな緊張を覚えながら、先生が居る方向へと踵を返したのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

(やだ、あの子怖い)

 

 道路からコスモスが入っていった林を見つめていたレッドは怯えていた。

 それもこれも、急に空へと打ち上げられた光弾が“りゅうせいぐん”のように林の中へ降り注いだからだ。

 ただならぬ気配に辺りもざわついている。鳥ポケモンは慌ただしく翼をはばたかせ、地に足を着けて生きるポケモンは地響きを奏でるように逃げていく。

 

 それから程なくしてコスモスは帰ってきた。捕まえたのはズバットだという。

 「中々渋いポケモンを選んだね」と言えば、彼女は安堵したかのように頬をほころばせ、胸に手を当てた。

 ポケモンの捕獲に成功して喜ぶ少女と見れば微笑ましいが、その手段が「打ち上げた“はどうだん”で見つけたポケモンを手あたり次第倒す」と聞いてから、脚の震えが止まらなくなった。

 

(最近の子って、あんなスタイリッシュな捕獲の仕方するんだ)

 

 刹那、オーキド博士から授かったポケモン図鑑―――それも151匹しか対応していない旧式のものであるが、まったく図鑑を埋めていない事実を思い出し、僅かに申し訳なさを覚える。あくまでほんの僅かだ。謝れと言われれば、多分謝らない。その程度の申し訳なさだ。

 ボール? そりゃあモンスターボール一筋だ。スーパーボールやハイパーボール何ぞ金の無駄―――それがレッドの価値観である。

 

 とまあ、コスモスの捕獲劇に慄いたところで本題だ。

 

「これから“はかいこうせん”を耐えられるよう特訓を始めるよ」

「さいですか」

「準備はよろしい?」

「はい」

 

 淡々と行われるやり取り。

 ただし、

 

ワタられた(トレーナーにダイレクトアタックされた)時の為に人間が耐えられるようにしなきゃ)

(万が一直撃を喰らったポケモンが耐えられるように……一体どんな特訓を?)

 

 決定的に趣旨が食い違っていた。

 しかし、二人の誤解は解かれぬまま、話は進んでいく。

 ただ一人―――否、一体。ルカリオだけは二人から感じ取る波動から妙な齟齬があると察したものの、言葉で伝えられないが故、一先ず様子見に徹していた。

 

「……して、一体どのような(ポケモンが)耐える訓練を?」

「(人間が)耐える訓練……まあ、簡単に言えば守ったり見切ったりだよね」

「なるほど、(ポケモンの)“まもる”だったり“みきり”ですか」

 

 通じた。

 

「でもどうやって覚えるんですか? 生憎(わざ)マシンは持っていなくて……」

「(トレーニング)マシン? あぁ……それだったら俺が教えるから大丈夫」

「先生が? なるほど、教え技もこなせるとは流石です」

 

 通じてしまった。

 

「(人間が)守るとしたら、やっぱり(人間の)防御が堅い方がいいよね」

「(ポケモンの)“まもる”がですか? (ポケモンの)防御でそんなに変わるものでしょうか」

「やっぱり(人間は)鍛えている方が倒れにくいしね」

「(ポケモンって)そういうものですか……肝に銘じておきます」

 

 通じちゃっている。

 

「クワンヌッ!!!」

 

 ルカリオは吼えた。

 この胸のもどかしさをどうすればいいのか悩みに悩んだ末、全てを声帯から迸る雄叫びに込めるしかなかったのだ。

 届いてほしい。欠片でも届いてほしい。どうか、どうか―――。

 

「? ルカリオ、吼えていないでほら。先生の構えを真似して」

「ワフッ」

 

 駄目でした。

 

 その後も、レッドによる(人間の)守りや見切りのレクチャーは続いた。

 それこそコスモスの誤解が解けぬまま……。

 




Tips:ポケモンリーグ

ホウジョウ地方・セトー地方にも設立された公式のポケモンバトルを執り行う組織、または施設。ジョウト地方やホウエン地方に遅れる形でようやく設立されたポケモンリーグは、「ホウジョウ・セトーポケモンリーグ」と呼ばれる他、セ「トー」+「ホウ」ジョウ略して「トーホウポケモンリーグ」とも呼ばれている。
拠点はイリエシティに存在する。
二つの地方を統括しているポケモンリーグだが、表向きには双方の地方の友好の印として、裏向きにはそれぞれの地方からジムリーダーを擁立することで、両地方の対抗心を煽り、ポケモントレーナーの質の底上げを狙っているという目的もある。
選ばれたジムリーダーは各地方から選りすぐり4人と4人であり、もしも二つの地方が統括されていなかった場合は、四天王になっていた逸材と言われることもある。


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№003:押すなよっ! 絶対押すなよ! な女

◓前回のあらすじ

レッド「(人間が)はかいこうせんを耐えられるように鍛えるべし」

コスモス「わかりました」(わかってない)


 日が暮れたキョウダンタウンの空は、昼よりも一層綺麗であった。

 あれほど青かった空と海が、今や夕暮れの朱色を差されたかのように燃えている。澄み渡る空に眩く輝く夕日を遮るものはない。

 群れをなすヤミカラスがドンカラスに引き連れられて鳴く空の下、人々は料理の香ばしい匂いに連れられて帰路につく。間もなく家族団欒の時を過ごそうとする町は、昼とは違った温かみに溢れていた。

 

「ズバット、“ちょうおんぱ”」

「ズバッ!」

 

 だが、ここに精を出してバトルの特訓に勤しむ少女が居た。

 他ならぬコスモスだ。今日捕まえたばかりのズバットと呼吸を合わせるべく、何度も何度も技を指示しては呼吸を合わせようと試みる。

 彼女にとってポケモンとは道具だ。目的を達する為の手段と言い換えることもできる。

 しかしながら、ポケモンを粗雑に扱う真似はしない。道具とは毎日のメンテナンスがあってこそ、100%のパフォーマンスを発揮できるのだ。ポケモンは工具と違い生きているだけで、その点に間違いはない。

 

 いわば彼女は職人だ。

 傍から見れば、ポケモンに対し愛情を注いでいるようにしか見えない。それくらいに彼女はポケモンを大切にはしていた。ただ、世間一般で言う“仲間”や“家族”、“ペット”という認識から外れているだけで……。

 

「……」

 

 コスモスとズバットから少し離れた場所に佇むルカリオ。

 彼女がポケモンを大切にしている証拠でもある存在だ。

 ルカリオの進化前はリオル。未熟な力ながら、波動を読み取る力を備えており、特段他者の感情を読み取る力に優れている。

 そんなリオルが進化するには、リオルが主と定める存在になついている必要があった。

 所謂なつき進化と呼ばれる類。ポケモンとトレーナー―――双方の信頼感により、初めて為される神秘の奇跡。

 

 ポケモンがトレーナーになつく道のりも困難であり、日々の世話は勿論のこと、バトルに負けてばかりいればポケモンがトレーナーへの不信感を覚えてしまう。最悪、手持ちから逃げられてしまうといったケースもテレビでは取り沙汰されていた。

 その点、ここ数年連戦連勝のコスモスはポケモンにとって勝利の女神のような存在だっただろう。ポケモンもバトルで勝つことに大きな喜びを覚える。その点は人間と大差はない。

 

 だからこそ、ルカリオに進化した―――と言えば少し間違いだ。

 お世辞にもコスモスは愛想が良いとは言えない。それは手持ちのポケモンも例外ではなく、もしも臆病な性格のポケモンが加わったとすれば、感情の起伏が表情に出ない彼女を前に及び腰になってしまうだろう。

 

―――感情を読み取れるリオルを除けば、だが。

 

「ワフッ……」

『よう、夕飯食った後なのに精が出るなぁ、あの嬢ちゃん』

『ピカチュウ……さん』

 

 ぬるりと背後から現れたピカチュウ―――レッドが引き連れる歴戦の個体に怯え竦むルカリオ。それもそうだ、自分よりも一回りも二回りも小さい電気ねずみに手も足も出せずやられたのだから、屈辱や恐怖を覚えるのは当然だとも言える。

 だが、身構えるルカリオを前にフランクな雰囲気を放つピカチュウは、構わず隣に腰を下ろした。

 

『まあ、そう固くなるな。前にしばき回したのも、久々に骨のある相手やったから、つい熱が入ってしまってな』

『は、はい……』

『俺がペーペーの頃はイシツブテにひぃひぃ言ってたもんだ、はははっ。誰だって弱い頃はあるっていうのに……あの嬢ちゃん、どうしてあんなに焦ってるんだか』

『!』

『なんだ、図星か。カマかけただけなのに』

『え!?』

『素直だなぁ』

 

 思ったことが表情に出るルカリオ。

ピカチュウはそんな彼をカラカラと愉快そうに笑う。

 

『いいか? バトルは面でも勝負するんだ。表情コロコロ変えてたら足下掬われるぞ?』

『え、えぇ……』

『肝が据わってねえとやってらんねえ。チャンピオンになるって言うなら、意地でも虚勢張ってなきゃならねえ時もある』

『……その必要はありません。自分には主が居ますから』

『なんだ、随分嬢ちゃんに肩入れしてるような口振りだな。どこにそんな魅力感じたんだ?』

『全てです』

『ヒュ~、言うねぇ』

 

 揶揄う雰囲気を漂わせるピカチュウだが、ルカリオの神妙な面持ちは変わらない。

 そこには虚勢を張った素振りもなく、本心からの信頼だと理解できる。

 これを揶揄うのは失礼だ。スッと真剣な表情に戻ったピカチュウは、そのまま話を促すような視線をルカリオに向けた。

 

『……ま、誰に付いていくのも己の勝手だ。俺にとやかく言える資格はないねぇ』

『いえ……しかし』

『それよりもどうだ。俺と一杯ひっかけねえか』

『は?』

 

 目が点となるルカリオの前に取り出したのは、赤い果実が枝の先に生っているクラボのみだった。

 赤い果実はスパイシーな風味がすることで有名であり、カレーの具材にもよく入れられるほどだ。ピリリと舌が痺れる一方、ポケモンが食せば麻痺が回復する効能もある。

 

 そんなクラボのみを、頬にある電気袋から迸らせた電気で軽く熱を通したピカチュウは、どこからか取り出したケチャップを軽くかけてみせた。

 

『うめぇぞ、それ』

『あの……自分、辛いのが苦手でして……』

『安心しろ。火を……もっとも、俺の場合は電気だが、熱を通したクラボのみは生で食うよか辛みがない。それよか、ホクホクになった実はほんのり甘くて、それにフルーティな香りがしてなぁ……これがケチャップとの相性が抜群なんだわ』

 

 「ほらよ」とケチャップをかけたクラボのみを差し出すピカチュウ。

 思わずゴクリと唾を飲み込んだルカリオは、手に取ったクラボのみから目を離せずに居た。

 

『い、いただきます』

 

 堪らず口に運ぶ。

 シャク、と瑞々しい咀嚼音を響かせて味わう。確かに言われた通り、生よりも辛みが少なく、仄かに甘味が広がる一方でフルーティな香りが鼻を抜けていく。そこにケチャップの塩気と酸味が加わることで、辛いものが苦手なルカリオでも、比較的食べやすい―――寧ろどんどん食べ進めてしまいそうな芳醇な味わいと化していた。

 

『美味しい……』

『だろぅ? たまにはこれをつまみに一杯引っかけようや』

『引っかけるって何を……』

『そりゃあお前……おいしい水だよ』

『水ですか、ははっ』

『昔、あの馬鹿(レッド)がアホじゃないかってくらい買い込んだ時期があってなぁ……そりゃあ毎日毎日―――』

 

 勝者と敗者という関係を忘れ、談笑する二体。

 と、内容こそ密なものであったが、

 

「バウッ。ワウワウ、ワフッ。クワンヌ」

「ピカ、ピカチュウ。チュウ、ピカピ~カ。チュァ~」

 

 実際にはこのように聞こえる。

 

「……仲直りできたのかな」

 

 離れた場所にて、カビゴンの上に寝転びながら眺めていたレッドは呑気に呟いた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 日を跨いだ次の日。

 レッドが“10まんボルト”を喰らって叩き起こされはしたが、彼よりも1時間早く起床していたコスモスは、朝食を済ませ、出立の準備も整えていた。

 生活リズムがまったくもって揃わない二人がようやくポケモンセンターを出る頃には、時計の針が8時を指していた。海側から顔を出した太陽も、今や空高くに昇ってしまっている。

 

「ごめんね、待たせちゃって……」

「いいえ、気にしていませんので」

 

 申し訳なさそうにするレッドに対し、コスモスは至って平静。まったく気にしていない様子であった。

 

「それよりもジムへ。9時からですから」

「……眠い」

「ポケモンセンターで寝ていても、私は一向に構いませんよ」

「いや……それは流石に良心が……」

 

 淡々と言い放つコスモス。

 余りにも表情の変化が出ないものだから、それが厚意からなのか、はたまた呆れから出た言葉なのかも分からない。

 もっとも、レッドについては「お前が言うな」とどこかのボンジュール緑がツッコむだろうが。

 

「着きましたね」

「立派な建物……カントーより凄いかも」

「新設された建物が昔に建てられたものに見劣りすれば、リーグの沽券に関わるでしょうから。多少資金に見栄を張っても、リーグの興行収入等、長い目を見て立派な建物を建てるのは妥当かと」

「そうだね、その通りだ」

 

 この男、まったく理解していない。

 コスモスの説明を一片たりとも理解できなかったレッドは、遥か遠くに視線を遣っていた。この様子にはピカチュウも呆れ顔。やれやれと首を振る。

 

 だが、そうこうしている内に彼女はズカズカと建物の中へ足を踏み入れた。

 内装も立派だ。豪華絢爛―――とは種類が違うが、“威”を感じさせるものが、この建物のエントランスには並んでいた。

 規則的に並ぶショーケース。その中にはどうも文書や写真が収められている。

 

「歴史……?」

「ホウジョウ地方……いえ、キョウダンタウンの歴史が収められているようです」

 

 何の気なしに呟くレッドにコスモスが応える。

 内装といい物品といい、さながら博物館だ―――海原で暴れていた巨大なキングドラを仕留めたという漁師やポケモン達が笑って映っている写真を見れば、特にそう思う。

 まだ港町として栄える前から見学すれば、いくら時間があっても足りない。

 ちょうどいい頃合いを見計らい、案内に従って挑戦者用の通路を目指そうとするコスモス。勿論、受付であるジムトレーナーに声を掛けて。

 

「すみません、昨日ジム戦を予約したコスモスです」

「コスモス様ですね。そのぅ……えっと……」

「トラブルですか?」

「うっ、そう面と向かって言われると……あの、まあそれに近いというかなんと言いますか。まだピタヤさん……ジムリーダーが到着していないんですよ」

 

 狼狽しているから何かと思えば、挑戦者と双璧を為すジム戦の主役・ジムリーダーがジムに到着していないとのこと。

 連絡も繋がらないようであり、ジムトレーナーも困り切った様子だ。

 

「遅れるのはいつものことなんですがね……あはは……」

「どうして遅刻をするんですか? 挑戦者を待たせるとはジムリーダーとしての意識が低いのでは? こちらは予約をしているのですよ。ジムリーダーは遅れて、挑戦者は待たされて……非合理極まりない。つきましてはリーグの方へ意見を検討することも―――」

「そこまでにしてあげて……」

 

 止まらぬコスモスの正論(いちゃもん)を制するレッド。

 流石に彼の制止に文句を止めるコスモスであったが、機関銃のような意見に、ジムトレーナーは半泣き状態になってしまった。

 

「ピ、ピタヤさん……お人好しで押しに弱いんです。頼まれたら断れない性格なんですよ……きっと町の人に何か頼まれて……」

「竜を唸らすドラゴンレディ……挑戦者を唸らせてるの間違いでは?」

「関係者も唸らせてるね……」

「貴方達、結構辛辣なこと言いますね……」

 

 ズバズバと物申す二人に一段と肩を落とすジムトレーナー。

 だが、彼を責めてもピタヤが早く来る訳でもない。

 

「仕方がありません。私が迎えに行きます。場所に見当がつきますか?」

「場所ですか……う~ん、基本的に空を飛んできますから、あの人は。でも、遅れているとなると町のどこかに居る可能性が……」

「見当がつかないのと一緒じゃないですか」

 

 やれやれと首を振るコスモス。

 探すとなると一苦労であるが、幸い彼女の手持ちにはルカリオが居た。ジムリーダーともなれば、強い波動を放つポケモンと共に居る可能性が高い。それを踏まえれば、捜索も無理な話ではなくなってくる。

 

「もしも入れ違いになったら連絡を。それでは行ってきます、先生」

「……いや、俺も行くよ」

「ですが、先生のお手を煩わせる訳には……」

「ほら、俺リザードン持ってるから……空から探した方が早いんじゃない?」

「流石は先生。お言葉に甘えさせていただきます」

 

(手の平の返し様)

 

 合理的な提案には滅法弱いコスモスらしく、リザードンに乗っての捜索を快諾した。

 決まれば話が早い。早速レッドのリザードンに二人共乗って、尚且つルカリオにも波動を探ってもらい、絶賛行方不明中のピタヤの波動を探知してもらう。

 二人と一体を背に乗せているリザードン。

 しかしながら、背に圧し掛かる重さを感じさせないはばたきを見せ、町の上空を優雅に飛行する。

 

 空は、街路を歩く時とは違う風が頬を撫でる。

 鳥瞰する街並みは、蒼い屋根があちらこちらに並び、海や空とも違う蒼さに彩られていた。視点を変えればこうも違うか。

三つの蒼を眺めるレッドは、リザードンの背中から眺める絶景に感動を覚えた。

 

 その間、ピタヤを探していたルカリオが何かを見つけたかのように声を上げる。

 

「バウッ!」

「先生、あそこだそうです」

「ん……? どれどれ……」

 

 ルカリオが指さす場所に目を落とす。

 すると、思わず「あぁ……」と声が漏れてしまった。

 

 上空から見ても分かる人だかり。そこに人が集まる()()があるのは容易に想像できるだろう。

 リザードンに指示し、群衆から少し離れた場所に降りるレッド達。

 そこに居たのは―――、

 

「ピタヤちゃん、今日はきのみの特売なのよ! ポケモン達においしいご飯作ってあげるなら、ちょっと買っていったら?」

「え、ホント!? う~ん……じゃあ、これとこれ頂戴!」

「ピタヤさん、今度お食事一緒にいかがっスか!?」

「えぇ~……! ど、どうしよっかなぁ~」

「ピタヤやい、ちょっとばかし荷物を運ぶのを手伝ってくれないかい……?」

「はいはい! お任せーッ!」

 

 人だかりの中心に佇む女性。

 見たことのある紫色のエアリーショートヘアー。シャープな印象を与えるスポーツサングラス。八重歯が覗くチャーミングな笑顔。

 

「ネットに載っていた人相と酷似していますね」

「言い方が指名手配犯のそれ」

 

 と、他愛もないやり取りを経た二人は、早速人だかりに向かって歩を進める。

 集まる人々を邪険にできないのか、一人一人に丁寧な応対を見せるピタヤ。だがしかし、きちんと応対を進める彼女の瞳に二人の姿は映らない。

 

 順番を守ればいずれ目に留まるだろうが、待たされている身で順番を守る程、コスモスは甘い人間ではない。

 ルカリオにアイコンタクトで指示し、無理やり人だかりの中に道を作る。

 強引に押し退かされた人がコスモス達に目を向けるが、それもお構いなしだ。いつの間にか喧騒も止んでは、群衆の視線がコスモスに集まる。

 無論、ピタヤの目も。

 

「うん? 貴方は……」

「今日の朝一のジム戦を予約していたコスモスです。ピタヤさんでよろしいですね?」

「確かにアタシがピタヤだけど……って、あぁー! もうこんな時間!?」

「ですので、迎えに来ました。早々にジムに来てください」

「ごめんね、挑戦者さん! 今すぐ行くから!」

 

 囲んでいた人々に「ごめんなさい!」と謝るピタヤ。

 流石に市民の応対とジム戦では、後者に軍配が上がる―――と思いきや、

 

「ピタヤさん!」

「っ!? ヨースケくん……?」

「今日、貴方に伝えたいことがあって来ました……!」

 

 なんか来た。コスモスとレッドに留まらず、満場一致でそう思った。

 もじもじとするヨースケと呼ばれた男性は、何かを背に隠しているようだった。やや頬を紅潮させ、ピタヤの前に出てくると、背中からリンゴ―――いや、カジッチュを取り出した。

 

「僕は貴方のことが……」

「だ、駄目! そんなこと言われたら、アタシ……アタシ!」

「好」

 

 フライゴンの じごくづき!▼

 

「きゅっ!!?」

「フライゴン!?」

 

 どこからともなく現れたフライゴン―――もとい、ピタヤのフライゴン。

 彼が手加減して繰り出した突きは、愛の告白を口にしようとした男性の声を封じるに至った。

 

「フリャ!」

 

 しっかりしなさい! そう言わんばかりに吼えるフライゴンは、「あ~れ~!」と叫ぶピタヤの首根っこを掴む。それからコスモスを始め住民に頭を下げて、ズリズリと彼女を引き連れていった。

 と、ある意味竜を唸らせている一面を覗いたコスモスは、ふぅ、と一息吐いた。

 

「……“じごくづき”が使えるフライゴン、っと。情報を得られてラッキーですね」

「そこ?」

 

 

 

 ***

 

 

 

 舞台は変わってキョウダンジムに。

 ピタヤを連れてくるだけで心身ともに疲弊したコスモスであったが、ジム戦はこれからだ。

 

「それじゃあ早速ジム戦―――と行きたいけれど、その前に施設の仕掛けを解いてもらうわ!」

 

 群衆に揉みくちゃにされていた時とは一変、ジムリーダーらしく毅然とした立ち振る舞いを見せるピタヤが説明を始める。

 

「奥に来て」

「これは……渦?」

 

 ピタヤに続くように施設の奥へと案内されたコスモスが目にしたのは、巨大な流れるプールだ。ただし、幾条にも描かれる水の道の途中には、キングドラが生み出している“うずしお”によって強制的な方向転換を余儀なくされている箇所も見受けられる。

 

「そう! 貴方にはこの水の迷路を解いてもらうわ! ただし、このままじゃアタシが待ってる場所までは辿り着けないわ。そこで―――」

「キングドラをどうにかして水の流れを変えろ、という訳ですか」

「ご明察。実際にどうなるかは直接目の前まで行って確かめてねっ!」

「さいですか。ところで」

「うん?」

「“なみのり”できるポケモンが居ない場合はどうすれば」

「気合で泳いで!」

「……」

「む、無言の圧力……ッ!」

 

 “くろいまなざし”で見つめられた時とは斯様な感覚なのだろう。

 圧力を感じさせる視線を投げかけるコスモスを前に「じょ、冗談冗談!」と、押され気味なピタヤが声を上げる。

 

(どうしてこんな人がジムリーダーなのか……まあ、案外こういう人間の方が扱いやすいんですかね)

 

 挑戦者ではなく、チャンピオンに―――延いては裏からポケモンリーグを操るロケット団員として思案を巡らせるコスモス。

 いっそ傲慢なまでの考えであるが、そうでもなければ悪の組織の再興など目論まない。

 “初代”チャンピオンとなれば、ただのチャンピオンよりも世間の支持を大きく得られる。それは長い目で見れば、金蔓となるスポンサーを釣る餌にもなる。ロケット団の潤沢な資金の一部となる支援金を多く得る為には、どうしても今年のリーグで優勝するしかない。

 

 今日、この挑戦がその計画の始まり。

 立ち止まってなど居られないのだ。

 

「では……行きます」

 

 悪を貫くべく、コスモスは臨む。

 例え竜が待ち受ける激流の中でも―――。

 

 

 

 

 

「……で、実際のところ何に乗って行くんです?」

「ほら、あそこに泊まってるコイキングボートで」

「“なみのり”もできないしドラゴンでもないじゃないですか」

「う゛っ。で、でも、挑戦者に成長してもらいたいっていう願いから……ね? ほら、登竜門的な意味合いで……」

「進化してもドラゴンじゃないですよね?」

「はう゛っ。……変えた方がいいかな?」

「いいえ。それだけの為に経費を落とすのは無駄なので、やめた方がいいと思います」

「じゃあ始めから言わないで……っ!」

「はい」

 

 

 

 

 

 本当に行けるかは、今のところはまだ不明だ。

 




Tips:レッド

かの有名なカントーリーグチャンピオン、その人。
シロガネ山でのんびりしていた時、たまたまやって来たグリーンに「初めてポケモンリーグ大会が開かれる地方がある」との紹介を受け、まんまと観光目的でホウジョウ地方に来た矢先、ポケモンバトルで負かしたコスモスに弟子入りされた不運な人物。
世俗から離れていた影響か、はたまたマサラタウン出身である為か、世間一般の常識からズレている部分があり、時折コスモスとの会話で齟齬が生まれる時がある。
ポケモンバトルの実力は言わずもがなであり、駆け出しとしては破格の実力を持つコスモスも鎧袖一触と言わんばかりにピカチュウで負かした。
ただ朝に弱く、毎朝ピカチュウの”10まんボルト”なり様々な技でたたき起こされている。
手持ちはピカチュウ、フシギバナ、リザードン、カメックス、カビゴン、ラプラス。


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№004:合理的(菓子を貪りながら)

◓前回のあらすじ

レッド「口説かれてる女性(ジムリーダー)がじごくづきを食らっていた」

コスモス「自分の手持ちにですが」


「でっかいジム……」

「ピ~カァ」

 

 一足先に観戦席へやって来たレッドは、モニターでコスモスの進捗を見守っていた。

 巨大な流れるプール。所々でキングドラが渦潮を起こして進路を変えている為、何かしらのアクションを取らなければ、ジムリーダーの下まで辿り着けないという内容だ。

 それにしても、

 

「アトラクションみたい……俺もやってみたい」

「ピカピ~カ」

「ピカチュウもそう思う?」

 

 遊園地にありそうな仕掛けの数々に、年甲斐もなく心を躍らせるレッド。

 もしも挑戦者として来ていれば、ジム戦そっちのけで楽しんでいたかもしれない。

 

「でも……やっぱりバトルを観る方が、俺は楽しいかな」

「ピッカァ!」

 

 モニターに目を遣り、仕掛けがある部屋で繰り広げられているバトルを観戦する。

 今、コスモスはジムトレーナーと戦っていた。渦潮を解除する為には、キングドラに指示を出しているジムトレーナーに勝たなければならないという寸法だ。

 このジムはドラゴン専門。当然、ジムトレーナーの繰り出すポケモンもドラゴンタイプばかり。

 第一のジムにしては、中々厳しい相手だろう―――新米トレーナーであればの話だが。

 

 モニターの映し出されているバトルは迫力満点。

 強いポケモン同士が戦っている絵面が面白いのではない。

 相対するトレーナーが己の知恵を振り絞り、創意工夫を凝らした戦術を以て、本気で立ち向かってくる相手を打ち負かそうとする熱意が垣間見えることこそが、ポケモントレーナーの心を震わせるのだ。

 

(頑張れ、コスモス……)

 

 最初こそ乗り気でなかったレッドも、今となっては前のめりになりながら、彼女のバトルを応援する。

 

(『この(チャンピオン)、僕の弟子なんですよ』って言えたら気持ちいいだろうなぁ……)

 

 やや邪な考えを抱きながら、だが。

 

 

 

 ***

 

 

 

「シードラ! “みずでっぽう”よ!」

「ドラッ!」

「ズバット、回避」

「ズバッ」

 

 水上を飛び回り、攻撃の機会をうかがっているズバットに対し、シードラが“みずでっぽう”を吐き出す。

 結構な勢いで放たれる水弾は、水飛沫をまき散らしながら、ズバットの小さな体躯を穿たんと宙を疾走する。

 

 だが、鳥ポケモンとは違い忙しなく翼を羽ばたかせるズバットは、正確な狙いをつけたところですぐさま照準がズレてしまう。

 結局、今指示した“みずでっぽう”は一発残らず避けられた。

 

「むむっ! なら、“えんまく”よ!」

 

 作戦を変えるジムトレーナー。

 目晦ましを指示されたシードラは、迷わず口から膨大な黒煙を解き放ち、一気にバトルフィールドを晦冥たる闇へと変貌させる。

 

「これなら貴方も見つけられないんじゃない!?」

「……」

「でも、下手な鉄砲数撃ちゃ当たる! こっちは安全なところから狙わせてもらうわよ! シードラ、“バブルこうせん”!」

 

 視界が不明瞭とあれば、接近戦を主体とするポケモンにとって距離を詰めること自体が難しくなる。

 だが、シードラは遠距離攻撃に富んだ技を有していた。

 安全圏からの狙撃。狙いすました一撃ではなく、ばらまくような広範囲攻撃を仕掛ければ、戦いが有利な方へ運ぶ―――ジムトレーナーはそう考えていた。

 

「……シードラ?」

 

 しかし、出鼻を挫かれた。

 

「ちょっと、シードラ! “バブルこうせん”!」

「ドラドラ~……」

「シードラ!?」

 

 いくら待っても技を出さないパートナー。

 今一度指示を出せば、とても正気とは思えない鳴き声が返ってきた。

 刹那、コスモスが動く。

 

「そこ、“つばさでうつ”!」

「ズバッ!」

 

 乾いた音が響き渡る。

 何が起こったのかとジムトレーナーは身構えた。次の瞬間、彼女の足下に水中に居たはずのシードラが墜落してきたではないか。

 

「んなっ!?」

「私の勝ち、ですよね」

 

 何とも思っていないようなコスモスは、煙幕が滞留している中、迷わず自分の下に戻って来たズバットをボールに戻す。

 まだ試合は終わっていない! と叫びたかったジムトレーナーであるが、目をグルグルと回しているシードラの状態を見れば、その言葉を飲み込まざるを得なくなった。

 

「ふぅ……戦闘不能ね。対戦ありがとう!」

「こちらこそ」

「それにしても、一体何をしたの? ウチだって何も見えなくなる“えんまく”ん中で“つばさをうつ”直撃させるだなんて……」

「……“ちょうおんぱ”です。索敵と混乱に使いました」

「“ちょうおんぱ”? ……あぁ~、なるほど!」

 

 文字通り、超音波を繰り出す技だ。

 ぶつけられた相手は混乱状態に陥り、時には訳も分からず自分を攻撃してしまう場合もある。

 だが、ズバットが繰り出す超音波には二種類存在する。

 一つ目は技としての“ちょうおんぱ”。二つ目は周囲の状況を把握する為、ソナーとして用いられる“ちょうおんぱ”だ。目の見えないズバットにとっては、超音波こそが視覚としての役割を果たす。例え“えんまく”で視界を遮られようが、元々目の見えないズバットには関係のないことであり、寧ろ“ちょうおんぱ”で相手の場所を索敵する真似ですら可能であった。

 

「ありゃりゃ! それじゃあウチのは悪手だったって訳かぁ~……!」

「そろそろよろしいですか?」

「おっと、ごめんごめん! ドラちゃん、“うずしお”止めて!」

「ドラッ!」

 

 表にこそ出さないが痺れを切らそうとしていたコスモスが催促し、ジムトレーナーにキングドラの仕掛けを解かせた。

 普段は深海で暮らし、欠伸で渦潮を発生させるキングドラにとって、渦潮を作り出すのも止めるのもおちゃのこさいさい。海に縁のあるホウジョウ地方やセトー地方にとって、キングドラは切っても切り離せない存在であるのだ。

 

 そうした歴史を踏まえての仕掛けなのだろう。

 

(ですが、維持費がかかりそう)

 

 一刀両断。

 コスモスにはキョウダンジムの仕掛けがお気に召さなかった。

 

(そもそもジムとはポケモンバトルの実力を測る施設。頭脳を確かめるつもりなら、最初からペーパーテストをすればいいんです。まったく……非合理この上ない)

 

 コイキングボートを乗りながら、変化した水の流れに運ばれて次なる場所へと向かいながら思案する。

 彼女は挑戦者でありながら、気分は監査員そのもの。

 将来、己が統べるであろうポケモンリーグや関連施設がどのようなものであるべきか。裏から支配するのであれば、ゆくゆくはジムリーダーもロケット団員であると都合がいい。

 

(渦潮はセキュリティとして貧弱ですね。これだったらヤマブキのワープパネルの方がよっぽどシステムとしては有能です)

 

 どこぞの会社が開発したワープパネル。うっかり設置した側が迷わなければ、セキュリティとして優れていることは把握していた。

 ただ、設置費がかかる。

 世の中金、金、金。何とも世知辛いものだ。

 

(まず掌握すべきは経理部門……)

 

 色々と頭を巡らせていれば、時間が過ぎるのはあっという間だった。

 

「来たなっ! ここを通りたくば……」

「ズバット、GO」

「お……って、最後まで言わせてくれないのかっ……! 行け、チルット!」

 

 立ち塞がるジムトレーナーの口上を遮り、さっさとバトルを始めようとするコスモス。

 

(ルカリオよりも、今はズバットを鍛えたいところ……)

 

 手持ちの強さのバランスを考慮し、ズバットを集中的に育成する方針を固めている彼女は、ジムトレーナーからジムリーダーまで、可能であればズバットだけで突破しようと考えている。

 無論、それが容易い真似ではなく、無策で試みたところで瀕死になる未来が見えていることから、町で購入した傷薬やきのみをリュックに詰め込んでいた。

 

(ゴルバットにはいつぐらいに進化するかな……)

 

 白い雲を彷彿とさせる翼を有すチルットに、“つばさでうつ”を叩き込むズバット。

 ズバットが進化すればゴルバットに、そしてさらに進化すればクロバットに。

 当たり前ではあるが、ポケモンは進化した方が強く成長する。余程の理由がない限り、バトルを生業とするトレーナーのほとんどは手持ちのポケモンを進化させるであろう。

 コスモスも例外ではなく、可能な限り早く最終進化系へと進化させたいと考えていた。

 それまでに何戦バトルを重ねればいいものか……今のところ、学会でも具体的な数字は出ていない。

 しかし、進化条件はある程度明らかになっている。

 ゴルバットへの進化は、単純にズバットが一定のラインまで強くなれば良い。問題はクロバットであるが、こちらはトレーナーに懐いている必要があると言うではないか。

 

(捕まえてから気づいたけれど、なんて面倒なポケモンを捕まえちゃったんだろう……これなら石で進化できるポケモンを捕まえた方が良かった? でも……)

 

 他ならぬ師事するトレーナーのお題として提示され、捕まえたポケモンだ。

 今から逃がし、別のポケモンを捕まえるというのも非合理な話。

 であれば、ちゃっちゃと戦力になるラインまで育て上げ、別のポケモンの育成に取り掛かるのが現実的―――かと思ったが。

 

(……いや、むしろそれがいいのでは?)

 

 良いことを閃いたかのように、顎に手を当てて思案していたコスモスは面を上げた。

 その間にも適宜指示を出し、バトルを優位に進めていく。今、チルットはズバットの“どくどくのキバ”を受け、毒状態と化している。後は黙って回避に徹しているだけで勝負がつく程度に追い詰めている。

 

 ならば、思案に徹しても問題はないと閃いた案を吟味するコスモス。

 彼女が考え付いた案とは、手持ちを“なつき”で進化するポケモンで固めるという方針だった。

 一見、進化に手間がかかり面倒極まりないかと思いきや、そうとも言い切れない。

 

(まさか、なつき進化するポケモンで手持ちを固めたトレーナーを悪の組織とは思わないはず……! カモフラージュとして最適!)

 

 あえて言おう。コスモスは馬鹿だ。

 頭は良いのだが、それとは違ったベクトルで頭が悪い。

 

(そうと決まれば……)

 

 かつてない妙案(と本人は思っている)を閃いて意気揚々としているコスモスは、チルットを下し、目の前まで戻ってきたズバットに面と向かう。

 勝利を喜ぶ様子は見せない。

 昨日捕まえたばかりとは言え、ここまで感情の変化を面に出さないのは、感情の起伏が面に出ない主人に影響されたからか。

 

 だからこそ、

 

「頑張ったね、ズバット! 偉い! ほ~ら、ご褒美にズリのみあげる!」

「ズバッ!?」

 

 突然の変わり身に驚かされた。

 山の如く不動の顔が、今は満面の笑みに彩られ、戦い終えた自分を労うように体中を優しく揉み解してくれている。

 ズバットは困惑しながらも、差し出されたズリのみを頬張る。

 甘く、そして酸っぱい。

 まるで今の自分の心境を表すような味わいだった。

 

 しかし、頭ごなしに突っぱねる程に気持ち悪いものでもなく、ズバットはただただ為されるがまま、身を委ねてしまうのだった。

 

 それを見たジムトレーナーはと言うと、「なんてポケモン想いな子なんだ……!」と感極まる胸を押さえつつほほえみを湛える。

 モニター越しに眺めていたレッドでさえ、「ああいう子だったんだ」と今までの印象を塗り替えるくらい、彼女の演技は迫真であった。

 

 誰もがコスモスをポケモン好きな少女と捉えていく。

 

 ただ一人―――否、一体。ルカリオだけを除いては。

 

「ガウ……」

 

 ボールの中、彼女の真意を読み取る彼は、腹黒い主の浅はかな考えとズバットの満更でもない感情に呆れつつ、彼女がこれからの体裁をどのように取り繕っていくのかについて憂うのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ジム戦専用のバトルコートに佇むピタヤ。

 彼女は、これから始まるであろうジム戦に想いを馳せていた。

 

 そもそも、彼女がジムリーダーになるまでには涙無しでは語れない長い歴史が―――いや、やっぱりそんなに長くはない。

 町で一番強いからというだけで、人格もさほど問題視されなかった故にジムリーダーへと抜擢されただけだ。それこそリーグ関係者の強い頼みもあって断り切れず、だ。

 

(でも、アタシもジムリーダーになった以上、挑戦者(チャレンジャー)の壁でありたい! 壁でなくっちゃならない……はず)

 

 他にもジムリーダーを切望して止まなかった者達は居ただろう。

 それでも自分が選ばれた意味を彼女は探していた。

 お人好しで押しに弱い性格は昔から。自覚してはいるものの、変えるのは容易な話ではなく、昔から損な役回りを演じさせられることは少なくなかった。

 だが、それ以上に感謝もされた。困っている住民の頼みに応え、解決に走るのは嫌いではない。

 例え断固として拒めない姿を晒し、新聞を何刊も勧誘され、男性には告白され、屋台の店主から様々な品を勧められ、ジムトレーナーの反対があっても「地方の文化を取り入れたい!」と訴える町長の頼みから維持費が莫大になったジム施設を作ることになっても。

 

―――いや、それ都合の良い女と思われてるだけですって。

 

 同期のジムリーダーの辛辣な言葉が脳裏を過る。三十路を過ぎ、婚期を気にしている女性ジムリーダーの言葉だ。失礼極まりないが、嫌に胸に響いた。

 

「……ッ」

 

 冷や汗が頬を伝うが、気を取り直すように頭を振る。

 

 何も自分は全部が全部を断れない訳ではない。

 嫌なものは嫌だし、ダメなものはダメだと断る。

 そして何よりも譲れないものは、ポケモンバトルの勝利。自分に自信が持てず過ごした幼少期。誰かの役に立ってこそ自分の存在意義があると考えていた時期、ポケモンだけは見返りなく自分に居場所を与えてくれた。

 そんな彼等の期待を裏切る真似はできない。

 

 正直、自分がジムリーダーとして具体的にどのような役割を担っているか分からない。それでもただ一つ、挑戦者に易々とジムバッジを与えない―――負けないことを貫く意志が固まっている理由は、そうしたポケモンへの想いがあるからこそ。

 

 決意を改める。

 すると、やおら扉が開かれた。

 挑戦者だ。

 これから打ち負かす相手になるか、はたまた自分を下す相手か。

 

「さぁ……白黒つけようじゃない!!」

「もぐもぐ」

「うぇえぇぇええぇええ……?」

「もぐ……」

 

 扉を開けながら、スナックバータイプの菓子を貪るコスモスに仰天するピタヤ。

 まさか、まさかだ。これまで緊張したり好戦的な笑みを湛えたりして挑戦者が入ってきた光景は見たことがある。

 しかし、あろうことか食べ歩きしながら入って来るとは夢にも思っていなかった。

 

「ごきゅごきゅ……ぷはぁ。失礼。ジム戦前に栄養補給をと思いまして」

「あ、あぁ……そうなの?」

「さ、始めましょうか」

 

 雰囲気もへったくれもなかった空気が一変。

 満杯だったペットボトルの中身を飲み干したコスモスは、目の色を変えてボールを構える。

 

 そんな挑戦者を前に、愕然としていたピタヤの顔も引き締まった。

 笑っていれば雑誌にでも載っていそうな絵になる美貌の持ち主の彼女も、今だけは女であることを忘れ、一人のトレーナーと化す。

 張り詰める空気。長方形型のバトルコートの周囲―――否、バトルコートの一部である水場に波紋が広がった。

 

「いいねぇ……燃えるよ、そういうの」

 

 とんだ大物が来たものだ。仕掛けを突破した以上、腕はある程度保障されているようなものだが、だからといって自分を倒せる訳ではない。

 体の底から沸々と湧き上がるような感覚が呼び起こされる。

 そう、これだ。これこそが自分が待ち侘びていたものだと、気づいた時には獰猛な笑みが顔には浮かんでいた。

 

「来なッ!!! 押し負かしてやるッ!!!」

 

 鼓膜をビリビリ震わせる咆哮をゴングに、今、コスモスの初ジム戦が始まる。

 

 

 


ああ

ポケモントレーナー

コスモス

V 

 S

キョウダンジムリーダー

ピタヤ

いい


 

 

 




Tips:(コスモスの)ルカリオ

昔、ロケット団施設で暮らしている時に出会った。
性別は♂、性格は臆病。
リオルの頃は臆病であったが、コスモスの下で強くなっていく内に彼女へ全幅の信頼を置いたことで、普段は気丈に振舞えている。
臆病な性格である分、波動での感知能力は冴えわたっており、索敵やバトルでの応用に存分に利用されている。
甘いものが大好物であり、特に好物なのは主人と同じくチョコレート。
覚えている技は、”はどうだん”、”あくのはどう”、”りゅうのはどう”etc……。


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№005:VSジムリーダー ピタヤ

◓前回のあらすじ

コスモス「一番目のジムリーダー戦、開幕」

レッド「テレレレレテレレレテレレレテレレレー♪」(戦闘! ジムリーダー verカントー)


 戦いの火蓋が切られたバトルコート。

 否応なしに張り付いた空気が張り詰める中、コスモスとピタヤの両者は勢い良くボールを放り投げた。

 

「ズバット、GO」

「オンバット、ぶっ飛ばしてくわよ!」

 

 場に降り立ったのは二体の蝙蝠。

 先発としてズバットを繰り出したコスモスは、ジムリーダーの初手のポケモンに眉を顰めた。

 

「オンバット……」

「その通り! タイプは知ってる?」

「ドラゴンですよね」

「ご名答!」

 

 ズバットに似たようなポケモンであるが、タイプはドラゴンとひこう。

 

(おんぱポケモン、オンバット。進化するとオンバーン……素早さが売りのポケモンだけど、進化前となるとどうだか)

 

 せわしなく翼をはばたかせているオンバットの様子を窺う。

 相手に動く気配はない。どうやら、挑戦者側の出方を窺っているようであった。

 

「なら……“ちょうおんぱ”」

「“かげぶんしん”よ!」

 

 人の耳には捉えられない超音波を口から放つズバット。

 しかし、後から動いたはずのオンバットが、“ちょうおんぱ”が自分の下に届くより早く無数の分身を生み出すように動き出した。

 

(当たらない、か)

 

 回避率を上昇させる技、“かげぶんしん”。

 こうなってしまえば、元々命中率の低い“ちょうおんぱ”はほとんど当たらなくなってしまう。

 

「……ヤな感じ」

「ヤな感じ? いいねいいね! 挑戦者(チャレンジャー)の唸る声! ジムリーダーやってる甲斐があるってもんよ! 続けて“アクロバット”!」

 

 畳みかけるように攻撃を指示したピタヤ。

 好戦的な笑みから鋭い犬歯を覗かせる彼女に従い、本体がどこか分からない影分身の中からオンバットが何体も飛び出した。

 が、

 

「後ろ! “つばさでうつ”ではねのけろ!」

「ズバッ!」

 

 背後から疾走した“エアカッター”を読んだコスモスの声に応じ、華麗に翻ったズバットが、複数のオンバットから本物を見抜いて翼を叩きつけた。

 これにはピタヤも驚き、そして感心したように目を見開く。

 

「ひゅう♪ やるじゃん!」

「似たようなポケモンの対面。どう出てくるか分からないなら勉強不足」

「……なるほど。手の内は読んでるって訳ね」

 

 タイプや種族こそ違えど、超音波を利用し生活するズバットとオンバットは、覚える技が似通っている部分があった。

 つまり、自分が使う技や戦法を相手も使う可能性がある。ならば対策も容易い。

 

 平然と、そして淡々と挑発染みた言葉を投げかけるコスモスに、ピタヤの雰囲気が変わる。

 どうやらただの新米トレーナーではない。

 何人か光るものが見受けられたトレーナーはこれまでにも相まみえてきたが、彼女は一際磨き抜かれたように光り輝いていた。

 

「なら、次にアタシがどう出てくるか予想つく?」

「差別化できる部分で攻勢に転じると」

「半分正解」

 

 半分、とはどういう意味か。

 表情には出さず、あくまで頭の中で思案するコスモス。

 

「ここで問題!」

「?」

「“アクロバット”はどういう技が知ってるかしら?」

「……持ち物を持ってないと威力が上がる。そういう技です」

「しっかり勉強してるね。感心感心」

 

 その時だった。うんうん頷くピタヤの口角が、にやりと吊り上がる。

 

「ちなみに説明したと思うけど、うちのジムは持ち物ありなのよね」

「存じてますよ」

「だったら貴方のズバットが何を持ってたか当ててあげる。ズバリ、オボンのみ」

 

 不意にバトルコートに咀嚼音が響き渡った。

 音源は、ズバットに撃ち落とされたはずのオンバット。凝視してみれば、地にペタンと腰を下ろしながら美味しそうにオボンのみを咀嚼しているではないか。

 

「!」

「いい感じに熟してたみたいだから、うちの子がつい“どろぼう”しちゃったみたい」

「手癖が悪い子ですね」

「ごめんごめん♪」

 

 “つばさでうつ”で減った体力をオボンのみで回復するオンバット。相手からしてみれば、自分の回復手段を強奪された挙句、折角減らした体力も回復されたとあって、踏んだり蹴ったりだ。

 きのみもタダではないのに―――そう心の中で舌打ちしてみせるコスモス。

 対してピタヤは、全快したオンバットに目を遣りながら、それでも落ち着き払った様子の挑戦者を観察する。

 

(“おみとおし”からの“どろぼう”コンボ……もうちょっとビックリすると踏んでたんだけど)

 

 挑戦者からしてみれば、持ち物を奪われるわ、体力を回復させられるわと踏んだり蹴ったりな流れ。

 それでも動じないところを見るからに、打開策があるか、よっぽど肝が据わっていると見て取れる。

 

「でも、こっからはずっとアタシのターンだ!! 覚悟しな!!」

 

 ピタヤの咆哮がバトルコートの周囲に満ちる水面に波紋を刻む。

 すさまじい意気だ。これには思わずコスモスも一歩下がった。

 その瞬間、十分に休息をとったオンバットが動き出す。

 

「“アクロバット”ぉ!!」

 

 何の捻りもない攻撃。

 身軽な動きでズバットに近づき、一撃加えるオンバットは、そのまま距離を取るように飛びのいていく。

 最初の“アクロバット”とは比べ物にならない速度だ。

 これにはコスモスも対応に遅れ、指示を出せなかった。

 

「ッ、ズバット!」

「まだまだァ!! “アクロバット”!!」

「“まもる”!」

 

 柄にもなく語気を強め、守りを固めるよう指示を飛ばす。

 寸前で“アクロバット”を防御するズバット。しかし、この調子では二撃、三撃と続いて飛んでくるのは目に見えていた。

 

「いつまで続くかな!?」

「ッ……」

 

 ピタヤも止めるつもりはないと言わんばかりに攻撃を続けさせた。

 相手に息を吐かせぬ猛攻は嵐のごとくズバットを攻め立てる。

 

 守りに徹し、攻勢に転じる暇もないズバット。

 

「これは……やられるかな」

 

 観戦していたレッドが呟く。

 ただ、視線はオンバットに向けられていた。

 

 直後、機敏に動いていたオンバットがバトルコートの上へ滑り落ちる。

 

「オンバット!?」

「ズバット、よく耐えた」

「一体なにを……!」

 

 反撃を喰らい、吹き飛ばされたようには見えなかった。

 今一度オンバットの状態を確かめんと、パートナーに注視するピタヤ。

 

「これは……毒!?」

「正解―――半分だけど」

「ッ……猛毒!」

 

 意趣返しのように言ったことのあるフレーズをもじられて返される。

 地に置いたオンバットは、体中をめぐる毒素にやられて顔色を悪そうにしていた。

 だが、それだけには見えない。顔色が悪いにも関わらず、どこか恍惚としている瞳を浮かべているオンバット。彼女がズバットに向ける眼差しは、どこか見惚れているようであった。

 

「まさか“メロメロ”も!?」

「ズバット、“ちょうおんぱ”!」

「くっ!?」

 

 猛毒とメロメロにかかるオンバットに対し、追い打ちとして混乱状態に陥れるズバット。

 状態異常の三重苦となってしまったオンバットは、最早真面に戦える状態ではない。

 苦々しい顔を浮かべるピタヤに、鋭い眼光を閃かせるコスモスは、他者の目には捉えられないくらい薄い笑みを浮かべる。

 

「“つばさでうつ”!」

 

 トドメ。そう言わんばかりにバトルコートを駆け抜けた指示は、ズバットの体を澱みなく突き動かし、動けずにたたらを踏んでいたオンバットの体を弾き飛ばした。

 二、三度、バトルコートの上を弾む矮躯は、ようやく動きが止まった後もピクリとも動かない。

 審判であるジムトレーナーが目を凝らして確認すれば、オンバットはグルグルと目を回している。

 

「オンバット、戦闘不能!!」

 

 すぐさま戦闘不能が告げられた。

 悔しそうにするピタヤは、頭をガシガシと掻きながら、「お疲れ様」と労いの言葉をかけてオンバットをボールに戻す。

 

「やってくれんねー! 敵ながら天晴ってとこだよ!」

「ありがとうございます。それでは最後のポケモンをどうぞ」

「挑戦者なのに容赦なく急かしてくれるね……でも」

 

 審判よりも催促するコスモスに呆れの色を隠せないピタヤ。

 だが、文字通り最後の一体となるポケモンが収まったボールを手に取った彼女は、その瞳に獰猛な獣を宿す。

 

「このまま押し切ろうったって、そうは行かない」

 

 投げられたボール。

 ヒュゥウと風を切りながら弧を描くボールは、ちょうどいいところで開かれ、中に佇んでいた切り札を場に繰り出した。

 

 ずるり、と細長い体躯を起こすポケモン。

 向けられる瞳は真っ赤に染まっており、さながら血が滲んでいるようだった。

 その凄みは、ジムリーダーをして肝が据わっていると思わせるコスモスでさえ威圧する。ただならぬ雰囲気には、オンバットとの激闘を制したズバットでさえ、怯えた様子を見せていた。

 

「ドラミドロ。久々に活きがいい子が来たわよ」

「ドラッ」

 

 藻を彷彿とさせる体を有すドラミドロが、ドスの利いた声を発した。

 

(ドラミドロ……実際に見るのは初めて)

 

 凶悪な面を目の当たりにしつつも、落ち着いて図鑑に載っていた情報を思い返す。

 ドラミドロ、クサモドキポケモン。海藻に紛れて獲物を待ち、金属を溶かすほどの毒液を吹きかけて仕留める凶暴なポケモンだ。

 タイプはどく・ドラゴンと珍しい組み合わせである。

 

(ズバットの“どくどく”も通用しないか)

 

 どくを有しているとあれば、毒や猛毒状態にはかからず、オンバットの体をじわじわと蝕んだ元凶“どくどく”も通じない。

 

(なら、状態異常にしてルカリオにつなぐのが無難……!)

 

 方針が決まれば話は早い。

 

「“ちょうおん―――」

「ドラミドロ、“ハイドロポンプ”!!」

「ぱ”……!?」

 

 暴風が真横を駆け抜けた。

 一瞬、何が起こったのか把握できなかったコスモスだが、自身に降りかかる水飛沫から、それが相手の技の余波であると察せた。

 では、何を狙ったのか?

 単純だ。

 

「ズバット、戦闘不能!」

「ッ……!」

「言ったでしょ。押し切ろうったってそうは行かないって」

 

 口から水を垂らすドラミドロの後ろで、不敵な笑みを浮かべるピタヤ。

 何もできぬまま、オンバットを打ち取って得た数の利を無為に帰された。これにはコスモスの眉間に皺が寄る。

 

(大したパワー……タイプ一致でもないくせに)

 

 “ハイドロポンプ”の直撃をもらい、ズバットが激突した壁を見やる。

 無残に凹んだ壁が、ドラミドロの放った技の威力を物語っていた。たとえルカリオと言えど、あのレベルの技を何度も喰らえばタダでは済まない。

 

(なら速攻で決める……勝機はある!)

 

 カッと目を見開く。

 意気込んだコスモス。必要最低限の力で投げられたボールからは、ドラミドロのプレッシャーに臆さないルカリオが現れた。

 

「グルルッ……」

「感情的にならないで。足元を掬われる」

「ワフッ」

 

 ズバットが倒されて気が立っている様子のルカリオであったが、平坦な声色でコスモスが嗜める。

 すぐさま逆立てていた毛を正すルカリオは、精神統一でも図るかのように深呼吸してから、武術染みた構えを取った。

 

 準備は整った。

誰もが場の空気を理解した瞬間、ピタヤとドラミドロが前のめりになる。

 

「“ハイドロポンプ”ッ!!」

「“はどうだん”!」

 

 空気の壁を突き破るように迫りくる激流。

 対して、ルカリオは耳に入った指示通り、構えていた手から蒼色のエネルギー弾を撃ち出した。

 凝縮された波動が渦巻く弾は、轟々と唸る激流と激突し、数秒拮抗してから弾け飛ぶ。それは激流も同じであり、エネルギー弾の霧散と共に、大きな水飛沫となっては技としての体を為さなくなった。

 

 小雨のように降り注ぐ水飛沫。ルカリオの体もあっという間に濡れるが、水滴を払う間もなくドラミドロが第二波を発射する。

 今度は広範囲を薙ぎ払うよう、横薙ぎに解き放たれる“ハイドロポンプ”。

 しかし、指示を出すまでもなく“みきり”で屈んだルカリオは、そのままバトルコートを蹴り、ドラミドロの懐へと飛び込んでいく。

 

「“あくのはどう”!」

 

 漆黒の波動の奔流がドラミドロを包み込む。

 細長い全身を覆う波動は、彼の体を数メートルほど後方へと吹き飛ばしていく。

 しかしドラミドロは、真正面から“あくのはどう”を喰らったにもかかわらず、ケロリとした表情を浮かべていた。

 

「“りゅうのはどう”!」

 

 だが、それだけでは終わらない。

 “あくのはどう”を放ったとは逆の手から、龍の形を模した波動が雄たけびを上げるような音を立て、ドラミドロの体に喰らい付く。

 バチバチと爆ぜる音を響かせていた“りゅうのはどう”は、間もなくして爆発霧散した。

 

 バトルコートにはドラミドロを中心に黒煙が立ち込める。

 連続攻撃を仕掛けたルカリオは、黒煙の中に佇むドラミドロの波動を感じ取りながら身構えた。

 

 刹那、強い力の波動が空を目指す。

 

 何かと目を移した瞬間、今度は黒煙からルカリオを真っすぐ狙って“ハイドロポンプ”が解き放たれた。

 相手からすればルカリオの居場所など目に見えないにも関わらず、寸分の狂いもない正確無比な狙い。

 これには咄嗟に“みきり”を指示してしまうコスモスであったが、それが誤りだと気が付いたのは、光が弾けた光景を目の当たりにしてからだった。

 

「!!」

「ドラミドロ―――“りゅうせいぐん”!!」

「回避!!」

 

 カッと閃く天井。

 爆ぜる光弾を目の当たりにしたコスモスは、怒号にも似た指示を飛ばし、ドラゴンタイプ最強の技を免れんとする。

 放射状に散った光弾が、バトルコート全域に降り注ぐ。

 地表に着弾する度に、目を開いて居られない発光と余波を生み出す“りゅうせいぐん”を前に、“みきり”で“ハイドロポンプ”を避けたばかりのルカリオは、自身の反射神経だけで辛うじて躱していく。

 

 しかしながら、全てを避け切ることは叶わず、無数に降り注ぐ内の一つがルカリオに着弾した。

 

「ルカリオ!」

「まだまだ終わんないよ! “くろいきり”!」

 

 膝をつくルカリオを叱咤するコスモスであったが、優勢に立ったピタヤが次なる指示を飛ばす。

 悠々と佇むドラミドロは、己を中心に場を覆いつくす黒い霧を立ち込めさせていく。

 幸い足元だけが隠れるぐらいの高さであるが、状況は芳しいものでないことはコスモスも把握していた。

 

(“くろいきり”……変化した能力値を元に戻す技。“りゅうせいぐん”の反動で下がったとくこうを……か)

 

 ドラゴンタイプ最強の技“りゅうせいぐん”は、その威力の高さ故、一度繰り出せば後に自身の繰り出す特殊技の威力が下がってしまうというデメリットを有していた。

 そこをカバーするのが“くろいきり”なのだろう。

 これでは一度“りゅうせいぐん”を撃たせても、のちの特殊技の威力半減に期待することもできない。

 

「顔色悪くなってきたんじゃない? だからって止めやしないけど……そうら、“りゅうのはどう”!!」

「“りゅうのはどう”で迎撃!」

 

 挑戦者の精神を追い詰めるように畳みかけるピタヤに、コスモスは相手が繰り出したのと同じ技で応戦する。

 ドラミドロが放つ“りゅうのはどう”と、ルカリオが放つ“りゅうのはどう”。

 どちらの威力が高いかと言われれば、それは前者に違いなかった。

 数秒拮抗していた“りゅうのはどう”は、ドラミドロ側がルカリオ側の龍の喉元を食い破るようにしてエネルギーを爆散させた直後、そのままルカリオの下へと疾走する。

 

「回避!」

「させないよっ! “ハイドロポンプ”!」

「“はどうだん”!」

 

 “りゅうのはどう”から逃れるルカリオを追撃するように放たれる“ハイドロポンプ”に、またもや“はどうだん”で迎撃するが、これでは同じ展開の焼き直しだ。

 相手が技を撃ち尽くすまで回避するといった悠長な真似に出る訳にもいかない。

 かといって無理に押し切ろうとすれば、頑丈なドラミドロに押し負ける未来が待っている。

 

(策が……ない?)

 

 冷静に戦況を分析すればするほど、自分が追い詰められているということを自覚するだけ。これといった打開策も見出せぬまま、ルカリオの体力をすり減らしていくばかりだ。

 

(サレンダーした方が早いか?)

 

 勝ち筋を見いだせないならば、さっさと降参し、次に向けて鍛え直す方が合理的だろうか。

 

 そんなことを考えていた時だった。

 

「あ、危ない!」

 

 ピタヤの声が響く。

 何かと目を遣れば、“ハイドロポンプ”の迎撃に用いた“はどうだん”が、水流の中心から狙いが逸れた為、弾かれるようにして明後日の方向へと飛んでいく。

 その先には観戦席―――もっと正確に言えば、のんびり観戦していたレッドが居た。

 

「先生!」

 

 声を上げ、危険を知らせる。

 サァッと顔が青ざめさせたコスモスであったが、レッドは避ける様子を見せない。

 しかし、腕をしっかりとクロスさせ、“はどうだん”から身を()()

 誰もが口を開けて茫然とする中、煙から現れた彼は―――無傷であった。

 

 

 

「……危な」

 

 

 

 ポケモンが繰り出した技の流れ弾を「危な」で済ますとは何事か。

 痛みを訴えるでもなく、ただ単に危険だったと漏らすだけ。

 

「そ、そこの方! 大丈夫ですか!?」

「まあ」

「ほっ、それなら良かった……」

 

 安堵の息を漏らすピタヤであったが、内心彼の頑丈さに慄いている事実は否めない。

 流れ弾が観客に命中するというハプニング―――当人は無傷だが―――により否応なしに場の空気はリセットされてしまった。

 気を取り直し、立ち位置に戻る二体のポケモン。

 その間、僅かに生まれた束の間のインターバルに、レッドは声を上げる。

 

「コスモス」

「は、はい」

「押せば勝てる。どんどん攻めちゃって」

「!」

 

 師から言葉。

 勝機が薄いとばかり考えていたコスモスにとって、それは一筋の光明だった。

 

(……なるほど。私の考えが及ばぬところで先生は勝ち筋を見出した。それが私に気付けるか否かが、このジム戦の勝敗を分ける分水嶺……という訳ですか)

 

 意気込むコスモス。

 対してレッドは、

 

(なんか適当なこと口走っちゃった気がする)

 

 深く考えず激励を送ったことに内心反省していた。

 それっぽいアドバイスも、結局のところ“当たり前”を告げただけ。攻撃しなければ勝てないなど子供でも分かる。

 一方、聞き耳を立てていたピタヤが鼻を鳴らす。

 

「押せば勝てる……ね。ほんとにそうかしら?」

「先生が言うなら絶対です。勝ってみせます」

「なら、バトルで証明してちょうだいな!」

 

 勘違いで奮い立つコスモスを前に、ピタヤは余裕を崩さない。先ほどまでの試合運びから見る限り、彼女に勝ち筋はないと判断していたからだ。

 

 ただし、彼女に―――そしてレッドにさえ誤算があったとすれば、一つだけ。

 

 

 

 コスモスと言う名のポケモントレーナーが、勘違いだろうが何だろうが窮地に立たされても尚、形勢逆転するだけの知恵と意志に溢れたトレーナーであったこと―――それだけだ。

 




Tips:(コスモスの)ズバット

キョウダンタウン周辺でコスモスが捕まえたポケモン。
性別は♂、性格は陽気。
ちょうど木々の陰にぶら下がっていたところ、空から降ってきた”はどうだん”が直撃し、そのまま地面で伸びているところを無抵抗で捕まえられてしまった。その割にはポケモンバトルにノリ気であり、捕まえられてすぐではあるが、コスモスの指示をなんなくこなす適応力がある。
覚えている技は”つばさでうつ”、”ちょうおんぱ”、”どくどくのキバ”、”どくどく”、”メロメロ”。


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№006:流星群をうちおとせ!!

◓前回のあらすじ

コスモス「一つ目のジムでりゅうせいぐん撃ってくるのはどういう了見ですか?」

レッド「大丈夫。ワタルのカイリューはバリヤー使ってきた」

コスモス(カイリューがバリヤー……?)


 ジムリーダー・ピタヤ。人呼んで「竜を唸らすドラゴンレディ」。

 

 普段押しに弱いと町の住民にも認知されている彼女が、このような通り名を授かった経緯として、一つのエピソードがある。

 

 キョウダンタウン近海にてキングドラが大量発生し、船の行き来が困難になった際、ピタヤは手持ちのドラゴンポケモンを連れて事態の解決に向かった。

 ひどく気が立っていたキングドラの群れは彼女を攻撃。

 それに応戦する形でピタヤも手持ちを繰り出した訳だが、その時の彼女の獅子奮迅たる戦いぶりに慄いたキングドラが尻尾を撒いて逃げたというではないか。

 息を吐かせぬ猛攻だったと住民は語る。逆鱗に触れられた竜の如く豪快な戦いぶりには、例え気が立っていたとしても退かざるを得ない気迫を感じさせたとも。

 

 ポケモンだけではない。

彼女自身がドラゴンポケモンであるかのように戦いに身を投じる。

 それこそが通り名の由来。

 

 一度火が付けば、逆鱗に触れられた竜のように怒涛の攻めは終わらない。

 

「……って、雑誌に書いてあった」

「ピカ……」

 

 ホカホカした顔のレッドが呟いた。

 彼が手にしているのは、ジムリーダーが特集された雑誌だ。中には当然ピタヤについてもつらつらと書き綴られていた。

 大層な内容ではあったが、先ほどまでの試合運びを見るからに、間違いではなさそうだ。

 今まで自身が戦ったジムリーダーに似ているとすれば―――カスミだろうか。得意なタイプで攻めて、攻めて、攻めまくる。勢いづけば止められないタイプだ。

 

(どうやって突破するのかな?)

 

 相手は強敵だ。

 だからこそ、彼女がどうやって戦うかが気になる。

 

 レッドは真剣に、それでいて楽しむようにバトルコートへ目を遣った。

 

 

 

 ***

 

 

 

「“はどうだん”!」

「“りゅうのはどう”!」

 

 ルカリオとドラミドロの技が激突する。

 状況は芳しくない。先ほどまでと同様、技の応酬が繰り広げられているだけだ。

 

(でも勝機はある。なんたって先生が言ったんですから)

 

 それでもコスモスは勘違いであると思い込んでいる勝機を見出さんと、凄まじい集中力で試合に臨んでいた。

 彼女は強い。それこそ通っていたトレーナーズスクールでは比肩する者が居ないほどには。

 

 しかし、だからといって世間に名を轟かせるトレーナーに勝てるかと言われれば疑問が生じる。

 

 彼女は合理主義者とまではいかないが、口癖にする程度には合理性を求める性格だ。

 負けが濃厚と判断すれば、平気で降参する。

 良く言えば潔い、悪く言えば諦めるのが早い。それがコスモスという少女だった。

 

 だが、一方で妄信的な部分もある。

 己が強者と判断した人物の助言に対しては、どれだけぶっ飛んだ内容と言えど、自分なりに合理的な理由を見出しては納得する程度には。

 

(私は勝てる。私は勝てる。私は勝てる)

 

 そうだ、勝てる。コスモスは自分に言い聞かせる。

 今まで通りであれば、敗北濃厚と察し、時間の無駄だと粘りもせずに降参しただろう。

 

 けれども、「勝てる」と言われたからには勝たねばなるまい。

 今のコスモスに生まれたもの。それは諦めない―――勝利を信じる心。

 

 自分を信じない者に勝者の女神が微笑んでくれるはずもない。

ただ機械的に戦ってきたコスモスにとって欠けていたものを、意図せず与えられた瞬間が、今であった。

 

(あの子、雰囲気が変わった……?)

 

 その僅かな心境の変化をピタヤは感じ取っていた。

 どこか無機質だった雰囲気が、今は生き生きとした活力に溢れたものへと変わっている。

 

「んっふっふ! いーじゃない!? そういうの好き!」

 

 ガンガン指示を飛ばしながら、ピタヤは笑みを零す。

 

「でもね、アタシは登竜門なのよっ!! そう易々と超えさせはしない!!」

 

 “りゅうのはどう”が爆ぜる。

 巻き上がる黒煙を突き破り現れたルカリオは、ドラミドロに向かって“あくのはどう”を解き放った。

 轟々と唸る黒い力の奔流。

 それを一身に受けるドラミドロであるが、怯んだ様子は見せず、ゆっくりと正確な照準をルカリオに合わせた。

 

 刹那、寒気が背筋を突き抜ける。

 

「回避!」

「“ハイドロポンプ”!!」

 

 周囲の熱を奪う激流が波動を操る獣を穿たんとする。

 しかし、予め回避を指示していたコスモスの声に反応したルカリオは、紙一重のところで“ハイドロポンプ”を避けてみせた。

 

「やるぅ!! だんだん反応早くなってきたんじゃない!?」

「追撃!」

「もうおしゃべりには付き合ってくれないのかしら?!」

 

 猛毒でダメージを稼ぐ算段だった時と違い、ピタヤの声に応じないコスモス。

 淡々と指示を飛ばす彼女は、レッドに言われた通り攻撃の手を緩めない。

 敵が怯む可能性に賭けて“あくのはどう”を連発するが、守りの堅いドラミドロをなかなか押しのけることは叶わず、反撃の“りゅうのはどう”や“ハイドロポンプ”が飛んでくるばかりだ。

 

(このままじゃダメ。何か……何かが足りない)

 

 しかし、妄信的なコスモスも引っ掛かりを覚えていた。

 それはトレーナーとしての直感。このままでは駄目だと感じる危機察知だった。

 

 単なる削り合いに出れば、耐久力で劣るルカリオが先に落とされる。

 だからといって守りに出れば、相手が勢いづき、そのまま押し切られてしまうだろう。

 

(攻め切るにしても火力が足らない。何か……何か利用できるものは)

 

 バトルコートを隈なく観察する。

 しかし、あるものと言えば攻撃の余波でボロボロになったバトルコートと周囲に張られた水ぐらいだ。とてもではないが状況をひっくり返せるものがあるとは思えない。

 

(サカキ様だったらどうする? この状況……)

 

 必死に思案する内に脳裏を過った尊敬して止まない男を思い返す。

 彼ならば、この状況をどうするか―――必要なのは切っ掛けだ。

 

 だがしかし、彼のバトルスタイルは現状を打開する策の参考にはならなかった。

 サカキは圧倒的であった。どれだけ自分が策を弄しても、地の力でねじ伏せる彼には隙といったようなものは見当たらない。その他を寄せ付けない強さこそ、コスモスが羨望して止まない“力”だった。

 

 地力さえ高めていれば、隙を見せない堅実的な戦い方さえしていれば勝てる―――そう見て学んだ。

 

『咄嗟の小細工が通用するのは拮抗した実力を持つ者同士だけ。分かるな?』

 

 サカキの言葉が頭の中で反芻される。

 

(だけど、もっと……もっと大切なことを言われていたような……)

 

 核心に迫っていると本能が訴える。

 敬愛するトレーナーに教示された言葉があったはずだ。

 それを思い出すべく、必死に頭を回転させる。知恵熱で脳みそが焼き切れるのではと錯覚するくらい考えを巡らせる彼女の表情には鬼気迫るものがあった。

 

『格下を相手取るなら限りなく隙を潰せ。格上を相手取るなら……』

 

 そこから先の言葉を思い出そうとした瞬間、ドラミドロが光弾を打ち上げた。

 “りゅうせいぐん”―――今のルカリオにとっては余りある破壊力を秘めた爆弾に等しい。

 

(どうする? 回避? それとも……)

 

 刹那、天啓が閃かれたようにコスモスの脳天を雷が直撃した。

 思い返すはレッドとの出会い。何気ないポケモンバトルであり、自分の中に生まれていた傲りを粉々に砕いた思い入れの強い野良試合だ。

 

(そうだ、あの時先生は……)

 

 “はどうだん”を空に放ち、時間差で空から降り注ぐ曲芸染みた攻撃は、コスモスにとってお家芸のような技だった。

 

何かしら人の目を惹くパフォーマンスがあれば人気が得られるのではないか。

 そんな打算から生み出した技であったが、あろうことかレッドのピカチュウは“かみなり”で粗方撃ち落としてみせたのだ。

 

 それだけではない。辛うじて撃ち落とされなかった“はどうだん”を、ピカチュウは“アイアンテール”でルカリオ目掛け跳ね返した。

 

 相手の技でさえ利用する等、コスモスにとってはリスクが高い非合理的な戦術だった。

 けれども目を奪われた。圧巻した。自分の予想を遥かに超える戦いぶりに惹かれたのだ。

 

『昔から……かな。『できるかもしれない』って思った時には、俺も相棒も動いてるんだ』

 

 レッドの言葉が頭の中に響く。

 そして、サカキの言葉と重なる。

 

『賭けを増やせ。『勝てるかもしれない』……そんな博打でもな』

 

 世界がスローモーションに見える中、コスモスは考えがまとまるよりも早く体が動いていた。

 視界に捉えるのは、臨界点に達しようとしているエネルギーの塊。

 

 なんだ、似ているではないか。

 気づいてしまえば、最早恐れるものなどない。

 

 柄にもない笑みを湛えたコスモスは叫ぶ。

 

「“りゅうせいぐん”を“はどうだん”で狙撃!!」

「んなっ!?」

 

 土壇場で叫ばれた内容に驚愕の色を隠せないピタヤであるが、明らかに咄嗟の思い付きでしかない作戦に「出来るはずがない」と結論付ける。

 だが、すぐさま地上で閃いた蒼い光が打ち上がり、爆ぜる寸前であった“りゅうせいぐん”に直撃した。

 

 バチバチと音を立てる二つの光弾。

 間もなくして天井付近で衝突していた光弾は、凝縮していた力を球体に留めることができず、大爆発を起こした。

 

 本来降り注ぐはずだった“りゅうせいぐん”は、ルカリオの邪魔もあり、ただ塵や埃を降らせるだけに終わってしまう。

 

「あわ、あわばばばっ!!?」

 

 途端にピタヤは泡を食ったように慌てふためく。毅然と、それでいて猛然としていた姿は見る影もなく、珍妙な声を上げている。

自分のペースを狂わされた影響なのだろうか。

 なんにせよ、ドラミドロも気が動転した主人を前にオロオロとし始める始末だ。

 

 絶好のチャンス。コスモスの眼光が光った。

 

「ルカリオ!」

「バウッ!」

「“ものまね”!」

 

 相手が最後に出した技を模倣する技こそ“ものまね”。

 普段は実用性がないと断じ、滅多に指示を出さないコスモスであるが、今は状況が違った。

 

 相手が打ち損じたドラゴン最強の技―――今こそ、あのドラミドロにぶちまかす時だ。

 

 エネルギーが煮え滾る光弾が打ち上げられ、間もなく爆散する。

 それは迷いなく、立ち尽くすしかないドラミドロへと降り注ぐ。

 

「“りゅうせいぐん”!!!」

 

 力の雨嵐が怒涛の勢いでドラミドロを襲う。

 次々に爆発を起こす光弾を前に、ドラミドロの姿はあっという間に黒煙の中へと隠されていく。

 

 “ものまね”とはいえ“りゅうせいぐん”を放ったルカリオは、反動に顔をしかめているものの、未だ警戒を緩めないコスモスの波動を感じ、疲労を見せぬ毅然とした佇まいを崩さない。

 

 ゆっくりと黒煙が晴れていく。

 コスモスもルカリオの様子から、敵が健在であることを察し、いつでも動けるよう次に備える。

 

 短い時間。しかしながら、当事者にとっては長く感じられた時を経て、ドラミドロの姿が現れる。

 ドラゴンという種族を極めたポケモンが会得できる技は、そのドラゴンにこそ決定打となり得る諸刃の剣でもあったようだ。

 

 直立不動だったドラミドロの体が、ゆっくりと倒れていく。

 微かに漂っていた黒煙を払う風を起こすように倒れたドラミドロは、微動だにしない。

 

 審判が確認を行う間、コスモスはごくりと生唾を飲み込み、行く末を見守る。

 すると、ドラミドロの顔を覗き込んでいた審判が、やおら旗を振り上げた。

 

「ドラミドロ、戦闘不能! よって勝者、挑戦者コスモス!」

「あっちゃ~……負けたかぁ」

「……」

「ふぅ……おめでとう、挑戦者! 貴方の勝ち。こっちにおいで」

「……」

「コスモスちゃん?」

「……あ、はい」

 

 勝利を告げられた後、しばし放心したように固まっていたコスモスは、再三の呼びかけで我に返った。

 駆け足でピタヤの下へ向かう。

 その間、じっと見つめてくるルカリオを前に頬を緩めてしまえば、彼もまたニッと口角を吊り上げた。

 

 柄にもないことを、と反省しながらもジムリーダーの前へ赴いたコスモスは、依然としてバトルコートを満たす熱気に火照りを覚える。

 

 いいや、それだけではない。これはきっと―――。

 

 差し出されたジムバッジに胸の高鳴りを抑えられない。

 なんてことはない計画の第一歩だ。たとえ一度敗北を喫しようとも掴み取るつもりだった代物―――なのに、目の前にした途端、騒がしいほどに鼓動が早鐘を打つ。

 とぐろを巻いた龍を彷彿とさせるバッジは、予想していた以上に光り輝いて見えた。

 

「これがアタシに勝った証……ポケモンリーグ公認、ボルテックスバッジ!」

「ボルテックス……」

「“渦潮”って意味よ! キョウダンジムにぴったりでしょ?」

「それは分かりませんが」

「あ、そう……」

 

 ピタヤはシュンと肩を落とす。

 一方でコスモスは、込み上がる喜びを抑えられぬまま手に入れたバッジを強く握りしめた。

 

 大きな大きな第一歩。

 今だけは、野望を抱くロケット団残党としてではなく、一人の少女として勝利を噛み締める少女として、コスモスは喜びに浸るのであった。

 

 




Tips:キョウダンジム

キョウダンタウンに構えられているポケモンリーグ。
使用ポケモンはジムリーダーであるピタヤのエキスパートに則り、【ドラゴン】である。ただし、一部シードラといったような【ドラゴン】タイプが付属していないドラゴンポケモンも使用されるため、挑戦する際は気を付けるべし。
ジムの仕掛けは、ジムリーダーの居る部屋まで続くよう水流の道を切り替えるものであり、各所に待機している渦潮を発生させるキングドラ近くにいるジムトレーナーに勝利すると正しい道へつながるよう渦潮を止めて貰える。
バトルステージ自体は用意されているものの、移動に関しては完全に水路であるため、”なみのり”を使えるポケモンが居ない場合、コイキングボートが貸し出される。これにはピタヤの挑戦者に成長してもらいたいという「登竜門」的な意図が込められているが、受けに関してはそれほど良くない。


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№007:甘いものを欲しただけなのに……

◓前回のあらすじ

ピタヤ「りゅうせいぐん! くろいきりで特攻ダウンも問題なし!」

コスモス「ものまね」

ピタヤ「そんなのアリ!?」


「ジムバッジゲット、おめでとう」

「ありがとうございます、先生」

 

 定型文のようなやり取りをジムの軒先で行うコスモスとレッド。

 激しいジム戦を制し、見事ジムバッジを獲得した訳であるが、すでにコスモスは切り替えていた。

 

「先生、早速なのですが次の町はどちらにします? 北東に出てオキノタウンを目指すか、南に下ってアサナギタウンを目指すか」

「うーん……」

「私は先生の行きたい方に付いていきます」

「俺はどっちでもいいかな……」

 

 夕食時であれば母親に煙たがられそうなレッドの反応であるが、コスモスはおくびにも出さず、「それでは」と続けた。

 

「アサナギタウンに向かいましょう。どくとフェアリーのジム……じめんを扱うオキノジムより攻略が容易いはずなので」

「あ……そう。じゃあ、そっちに行こっか」

「はい」

 

 ポンポンと話が進んでいき、若干置いてけぼりにされるレッド。

一方でコスモスは、傷ついたポケモンを癒すべくポケモンセンターへと向かう。

 

(最近の子はしっかり者だなぁ……)

 

 先を急ぐ少女の背中を追いかけるレッドは、昔の思い出を振り返る。

 意気揚々とトキワジムへ向かえば開いておらず、ハナダシティからヤマブキシティに向かおうとすれば通行止めを食らい……思えば、散々な旅路であった。

 回り道は回り道で楽しかったとはいえ、のんびり旅を楽しんでいた自分とは違い、コスモスはポケモンリーグ出場という確固たる目標を掲げているようだから、急ぎたい気持ちは分からないでもない。

 

(観光は全部済んでからかな……)

 

 悠々と各地を楽しむのは、リーグが終わってからか。

 そんなことを考えていたレッドだが、不意に立ち止まったコスモスの背中に阻まれ、歩を留めてしまう。

 

 「どうしたの?」と問いかけようとした瞬間、彼女が熱烈な視線を注ぐ看板が目に入った。

 

 

 

『キョウダン名物 ゆずきちソフト!!』

 

 

 

「ごくり……」

 

 コスモスが生唾を飲み込む音が響いた。

 足元を縫い付かれたように立ち止まる彼女に、最早先ほどまでの機敏な歩みは見られない。

 

 食べたいのだろう。彼女も年頃の女の子だ。名物のスイーツの一つや二つ食べたいと思っても、なんら不思議ではない。

 しかし、どうも苦々しい表情を浮かべる彼女は、看板に描かれた美味しそうなアイスクリームの写真と長蛇の列を交互に見遣っていた。

 

「っ……!」

 

 葛藤。レッドでさえ彼女の表情から読み取れた。

 

『栄養さえ摂れていれば、食事にはそこまでこだわるつもりはありません。迅速に摂取できるのであれば尚更良しです』

 

 今朝、眠たげな目を擦りながら朝食を摂るレッドを前に、コスモスが言い放った言葉だ。

 合理性を謳う彼女は食事もさっさと済ませたいと考えているようだが、どうやらあくまで自分の趣向からは外れているらしい。

 ああ言った手前、わざわざ長蛇の列に並んでパフェを買うなど、理性とプライドが許さないのだろう。もしくは並ぶ時間が非合理だとでも考えているのか。今のコスモスは、イシツブテよりも険しい顔を浮かべていた。

 

「っ……くっ!」

 

 彼女にしては長考だった葛藤の末、決断は下された。

 歯を食いしばり顔を逸らす彼女の目じりには、大粒の涙が溜まっているように見えた。

 

「行きましょう……先生」

「あ~あ。なんだかアイスクリームが食べたい気分ダナァー」

「私が買ってきましょうか。買ってきます。買います」

「うん、よろしくね」

 

 手のひら、つのドリルの如し。

 レッドのあからさまな催促を受けたコスモスは、瞳を爛々と輝かせ、行列の最後尾へと向かっていく。

 

(……分かりやすい子)

 

 案外、俗っぽい部分がある。レッドは思った。

 どこか大人びた―――というより、超然とした雰囲気が拭えなかった少女だが、一気に親近感が湧くというものだ。

 今も最後尾で期待を隠しきれずうずうずと落ち着かない様子を見せているコスモスを見つつ、待っている時間を利用して席を確保する。

 

 広場の空いていたベンチに腰をかければ、「ここが俺様の特等席」と言わんばかりに、ピカチュウがど真ん中に飛び降りる。

 彼の小さな体だからいいというものの。

 いやしかし、それにしても態度がデカい所為で、実際よりも面積を多く取られているような気がする。

 

「来たら譲ってあげなよ?」

「ピッカァ!」

「まったく……」

 

 悪びれる様子もなく応答するピカチュウ。

 そんな相棒と共に弟子を待つレッド。朝一番のジム戦が終わった訳だが、太陽もすっかり空に高く昇っていた。燦々と降り注ぐ日光は、帽子のつばで少しは遮られるものの、むき出しになっている腕をこれでもかと照り付けてくる。

 

(あっつ)い……」

「お、貴方は!」

「んんっ?」

 

 弾んだ声に振り返れば、そこにはタイムリーな人間が居た。

 

「ピタヤ……さん?」

「そうそう! そういう貴方は……コスモスちゃんの試合観戦してた方よね?」

「まあ……」

 

 缶ジュースを手に持ったピタヤは、フレンドリーな雰囲気を振りまきながらレッドの隣に腰掛ける。

 ジムの業務はどうしたのか? と問いかけたいところではあるが、こうして出てきている以上、休憩時間か何かなのだろう。深く考えないレッドは、そう結論付けた。

 

「ピカァ」

「あら、ピカチュウ! かわいい~!」

 

 ベンチに座るや否や、ど真ん中に陣取っていたピカチュウがピタヤに声を上げる。

 愛くるしい黄色いあんちきしょうに、ドラゴン使いとは言え、ピタヤはすでに骨抜きの様子。

 

「ピ~カァ」

「え? もしかして……ジュースほしいの?」

「ピッカァ!」

「えぇ、でもぉ……」

「チャァ~?」

「しょ、しょうがないなぁ~……」

 

「コラ」

 

 無垢な眼差しを向け、ピタヤから缶ジュースを頂戴しようとしたピカチュウであったが、押しに弱いピタヤが分けてくれるよりも前にレッドが窘めに入った。

 

「すみません……大丈夫なので」

「えぇ? アタシは構わないんだけど……」

「大丈夫なので」

「そ……そう? それよりも凄い音鳴ってるけど大丈夫……?」

 

 ピカチュウからささやかな抵抗として尻尾の先からスタンガンよろしく電撃を浴びせられているだけの音だが、その程度で屈するほどヤワな肉体はしていない。

 

「はい、しょっちゅう浴びてるので」

「それはそれで由々しき事態じゃない……!?」

「それにもっと威力が高いのを」

「貴方の体は絶縁体製?」

「マサラ製です」

「あ〜……」

 

 何を。この程度のスキンシップは朝飯前だ。

 そろそろ静電気で髪の毛が逆立ち始めてきたが、そこへソフトクリームを携えたコスモスがやって来た。

 

「おや」

「やっほー、コスモスちゃん。さっきぶり!」

「職務はよろしいので?」

「出会い頭に大人の心を抉ってくるゥ。でも大丈夫よっ! この後、午後まで用事は入ってないから」

「なるほど、杞憂でしたか」

 

 ピカチュウが退いてくれた場所に腰を下ろすコスモス。

 彼女の両手には、購入してきたゆずきちソフトクリームが握られている訳だが、片方をレッド―――ではなく、ピカチュウに受け取られる。

主人より先にがっつくピカチュウはさておき、ようやくありつけたスイーツに目を輝かせるコスモスは、早速ソフトクリームにかぶりつく。

 

「んふっ」

 

 口いっぱいに広がる酸味と甘み。

 柑橘の爽やかな香りが鼻を抜けていき、味覚的にも嗅覚的にも満足な味わいだ。それにしても、柑橘にしては酸味がまろやかである。ゆずやカボスとも違った風味だ。

 

「どう? ゆずきちソフトのお味は」

「美味です」

「あの……ゆずきちって何ですか?」

「カボスとかスダチの仲間の果物だよねっ!」

「「へ~」」

 

 その後も、ポケモンセンターへ向かうがてら、地元の名産品や観光名所について熱く語るピタヤ。

 言葉の節々に地元愛が垣間見える彼女の話は十数分にも渡り、二人が食していたソフトクリームは胃袋へと収まっていた。

 

「―――っと、もうポケモンセンターに着いちゃったか!」

「では、私は失礼して……」

「はいはい! 頑張ったパートナーをゆっくり休ませてあげてねっ!」

 

 最終的に見送る形になったピタヤと別れる二人。

 町中とは一変、穏やかな空気が流れるポケモンセンターは一息吐くのにぴったりな空間だ。まさしく癒しの場である。

 傷ついたポケモンを笑顔が眩しいジョーイに預けたコスモスは、空調が利いて絶妙に快適な空間故、抗えぬ睡魔に襲われているレッドの目の前に座る。

 

これにはレッドも目を開かざるを得ず、頭に乗るピカチュウに顔を弄られながら、コスモスの話を聞くことになった。

 

「先生、先ほどのジム戦の反省点についてお伺いしたいのですが」

「あぁ……さっきの……」

 

 ヤベ、と思いつつ、コスモスとピタヤの試合を思い返すレッド。

 最初のジムながら、“りゅうせいぐん”を撃ち落とす芸当を見せて逆転してみせたコスモスには天晴という他ないが、逆に反省点と聞かれると困ってしまう。

 自分が見ているのはあくまで見どころ。良くも悪くも良かった部分しか記憶に残っていないのだ。

 

 ならば、話を切り替えそうではないか。

 

「……逆にコスモスはどこらへんが反省点だったと思う?」

「そうですね。第一にフィジカルでしょうか。ドラミドロは特に素の能力で圧されていた部分がありますので。戦術的な面で言えば、もう少しルカリオの技に幅を持たせるべきであったと。堅実な命中率の技だけを選んで、決定打になり得る強力な技がなかったのが攻めあぐねた要因でした。私のルカリオは特殊技が主体ですが、“わるだくみ”といった変化技を覚えさせるべきでしたね」

「……まさにそれだよ」

「やはりですか、先生」

 

 そこまで自分で反省できるなら、俺いらなくない? とは言わない。

 

(確実に同じぐらいの歳だった頃の俺より考えてるしなぁ……)

 

 一番目のジムと言えば、ニビジムのタケシだ。

 いわをエキスパートの彼にヒトカゲとピカチュウで挑み、散々タイプ相性で喘いだ後、“ひのこ”で火傷を引いたり、施設設備であるスプリンクラーを破壊してしまいずぶ濡れになったイワークに“でんきショック”を浴びせたりと、戦術などあったものではない。運と偶然と根性で乗り切った思い出しかなかった。

 

 しかし、ここで一つそれらしい言葉をかけてやらねば、師匠として立つ瀬がない。

 あれではないこれではないと考えること十秒。

 自分の言葉を待ってくれているコスモスに対し、己の過去を振り返った上で思いついたアドバイスがまとまったレッドは口を開いた。

 

「フィジカルは……そうだね。でも、それはバトルを重ねればいいから」

「はい」

「それよりも俺が伝えたいのは……ポケモンと呼吸を合わせること、かな」

「呼吸を……ですか?」

「言葉を伝えなくったって動いてくれる。そんな関係を築く、っていえばいいかな」

 

 例えばレッドのピカチュウは、指示を出さずともバトル中のほとんどは独断で動き回る。ここぞという時の細かい指示以外、トレーナーもポケモンもたがいの動きや考えを把握しているからこそ可能な芸当だ。

 

 逆にコスモスのルカリオは、彼女に全幅の信頼を置いているものの、逆にそれが足かせになっている部分が散見できた。回避一つを取っても、コスモスからの指示がない限りは勝手に動こうとはしない。

 

 だが、バトル中では僅かな隙も致命的だ。それは高レベルのバトルになるにつれて顕著になっていく。ルカリオは波動で思考を読み取れるからこそ、コスモスの指示が届くまでのタイムラグを極限まで少なくできるが、ズバットはそうもいかない。これから仲間に加わるポケモンについても同様の事柄が言えるだろう。

 

 ポケモンを言葉で手足のように動かす。

 それ自体間違っているとは言えないが、いずれ壁にぶち当たる時がこよう。

 感覚派とは言え、レッドはその点について懸念していた。

 

「では、一体どうすれば?」

「……」

 

 トキワの森で遭難して、一週間スピアーの群れの襲撃に応戦したら、自然とできるようになる―――早々遭難する点で計画性のなさを疑われてしまう。

 

 “フラッシュ”なしのイワヤマトンネルで次々に襲い掛かる野生ポケモンを相手取ればできるようになる―――何故“フラッシュ”を使わなかったか問われれば、口を噤むしかない。

 

 ふたごじままで来て“かいりき”が無いからと、ポケモンの代わりに岩を押している間、背中を手持ちに預けていればできるようになる―――何故自分が岩を押しているか問われれば以下省略。

 

「……そうならざるを得ない極限の状況に身をおけばできるようになる……はず」

「ごくりっ……」

 

 戦慄と畏敬が滲む瞳を向けるコスモスだが、きっと彼女とマサラ人(レッド)では想定している状況が違う。絶対に違う。100%違う。

 

「なるほど……そこまでしなければ先生のようにはなれないと」

「まあ、急ぎ過ぎてでもあれだから、自分のペースでやるのが一番」

「肝に銘じます」

 

 と、苦しいアドバイスであったが納得してくれたようだ。

 聞き耳を立てていたピカチュウが、どこか遠い目を浮かべている。まるで昔を懐かしんでいるような面持ちからは哀愁を感じ取れたであろう。

 だが、ピカチュウの懐古に誰も触れぬまま、コスモスの手持ちが全快した知らせをアナウンスで受ける。

 彼女がちゃっちゃと受け取りに赴く間、酷く疲れた顔のレッドは、待合室に備え付けのテレビに目を向けた。

 

 天気やら最近のニュースやらが代わる代わる報道される訳だが、途中、一つの事件について触れられた。

 

『先日、イリエシティにて複数人の集団がトレーナーを恫喝し、ポケモンを奪い取る事件が発生しました。警察は立て続けに発生する強奪事件から、同グループによる計画的な犯行だと―――』

「やだ、怖い怖い……」

「この前もスナオカタウンの方で似たような事件あったじゃん? 最近治安悪いわぁ~」

「夜道は出歩かない方がいいな、こりゃ」

 

 同じくテレビを見ていた数人のトレーナーが、報道された内容に嫌悪や不安を覚えたような会話を広げていた。

 

 どこの地方でもポケモンを奪い取るチンピラのような輩は居る者らしい。

 ポケモン売買を目的とする組織か、はたまたただのチンピラか。

 

「とりあえず気をつけなきゃ……」

「ピッカァ!」

「ピカチュウがやり過ぎないかを」

「チャ~?」

 

 すっとぼけるピカチュウを、レッドはやや乱暴に撫でまわす。

 正当防衛とは言え、こいつ(ピカチュウ)ならば“ボルテッカー”を叩き込みかねない。そうなればお縄になるのは自分の方だ。

 

 別の意味で冷や汗を流すレッドは、「どうか自分は狙われませんように」と強く念じるのだった。

 

「お待たせしました、先生」

「おかえり」

 

 そこへ帰って来たコスモス。

 ボールの中から出ているルカリオは、ピカチュウを見るなり礼儀正しくお辞儀してみせた。どうやらすでに彼らの間には上下関係が叩き込まれていたようだ。

 

 それはさておき。

 

「これからどうしますか?」

「う~ん……俺はなんでもいいけれど」

「そうですか。では、私は必需品の買い出しに出かけますので、先生はお休みください」

「え? あ……そう」

 

 話の流れで置いてけぼりが決定したレッドが呆気にとられる間、コスモスは早速ポケモンセンターを発った。

 

 旅の必需品と言えば、食料や傷薬といった類だ。前者は兎も角、後者はジム戦でそれなりの数を消費してしまった。

 旅先で何があるかは分からない。しっかり買い込んで、ようやく一人前のポケモントレーナーだろう。

 

(それと……そうだ、チョコも買わなきゃ)

 

 糖分は恋人―――とまではいかないが、甘味を好むコスモスは菓子類、特にチョコレートの購入を頭の中にメモする。

 自分も含め、ルカリオも大好物な菓子がチョコレートなのだ。

 トレーナーズスクールでの差し入れでチョコレートが配られた時は、手あたり次第ポケモンバトルを仕掛け、賞金として獲得した記憶もある。

 

(さてさて、近場のフレンドリィショップはっと……)

 

 スマホロトムを起動し、地図を眺める。

 その時、不意に服の裾を手繰り寄せる感触を覚えた。

 

「ん?」

 

 画面から目をそらし、コスモスの行く手を阻むように立ち尽くしていたのは一人の少年だった。

 

「なんですか?」

「あ、あのッ……」

「用件を早く言ってください。私は急いでいるので」

 

 ひどくオドオドした様子の少年に対しても、他人行儀で淡々とした口調で問いかけるコスモスであったが、この時ばかりはそれが悪手だと後悔せざるを得なかった。

 みるみるうちに目じりに涙を溜める少年。

 コスモスがギョッと目を向いた時には、大粒の涙を頬に伝わせていた。

 

「ひっぐ、ぐすっ……」

「……はぁ、一体なんですか? 誤解を生んだようですから言いますが、私は怒っていません。その点を留意して今一度聞いて下さい。私にどのような用件があって声をかけたんですか?」

「ポ、ポケモン……ッ」

「ポケモン?」

 

 

 

「ぼくのポケモン……どこに行ったか知りませんか?」

 

 

 

 コスモスは察した。

 面倒事に巻き込まれた―――と。

 




Tips:ピタヤ

キョウダンタウンに構えるジムの主である女性。
通り名は「竜を唸らすドラゴンレディ」であり、町の周辺海域を脅かすキングドラを一蹴する覇気や、そのポケモンバトルにおける超攻撃的スタイルが由来となっている。
ただし、私生活では寧ろ押しに弱い一面があり、人の頼み事をほとんど断れない性格をしている。
実は他地方で修業していた時期があり、その時の師匠は四天王である。
エキスパートタイプは【ドラゴン】。挑戦者のジムバッジ所有数にもよるが、オンバットやドラミドロといったドラゴンポケモンの他、フライゴンといったポケモンも使用する。ただし、そのいずれも真の切り札ではないと言われており……?

▼名前の由来はドラゴンフルーツの英名「ピタヤ」。

ピタヤ(ドット絵)


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ピタヤ(立ち絵)(作:ようぐそうとほうとふ様)


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№008:忍び寄る影とピカチュウさん

◓前回のあらすじ

コスモス「地域限定ソフトクリームおいしい」

子供「ぼくのポケモン知りませんか?」

コスモス「知らないと言えたならばどれほど良かったでしょう」


「ピ~カ~ピ~カ~」

「すぅ……すぅ……」

 

 ここはポケモンセンターのホール。

 トレーナーたちが談笑する声が響く中、買い出しに誘われることもなく置いてけぼりをくらったレッドはと言えば、フカフカのソファに背中を任せ、天井を仰ぐ形で昼寝していた。

 一方で、構う相手が居なくなったピカチュウは、ちょっとやそっとでは起きない主人の顔で遊んでいる。

 

 頬を引っ張ったり、逆に押し込んだり。

 昔から悪戯好きな性分としては、最初こそ愉快な気分になっていたピカチュウであったが、数分もすれば反応が返ってこないこともあり飽きてしまう。

 

「ピッ」

 

 ダメだ、こりゃ。

 そんな風に主人で遊ぶ真似をやめたピカチュウは、足早に人が出入りする自動ドアへと向かっていった。

 

 ―――やはり暇を潰すのであれば外だ。

 

 手持ちのポケモンが黙って外出など、トレーナーにしてみれば大慌て必至であるが、レッドのピカチュウは幾度となく一人で町へ繰り出した経験がある。

 あの様子では当分起きない。長い付き合いだからこそ分かる感覚と、今後の予定を考慮すればどのくらいでポケモンセンターに帰ればいいか程度は、ピカチュウにも理解できていた。

 

 ルンルン気分で石畳を踏みしめていく。

 すれ違う少女が「あ、ピカチュウだ!」と喜色に満ちた声を上げれば、気持ちよく鳴き声を返す。自分の愛くるしい顔が憎いぜ……と、中々腹黒な考えを抱きつつ、一匹の電気ねずみは町を見渡した。

 景色がいい場所に行くのも良い。町のポケモンと交流するも良い。出店の店主に愛嬌を売ってサービスしてもらうも良し。思いつくだけでもこれだけやれることもあるのだから、暇つぶしには十分だ。

 

「チュッチュピカピカッ♪ チュッチュピカピカッ♪」

 

 陽気に歌いつつ往来を闊歩するピカチュウ。

 そんな彼を、町の住民は暖かい眼差しを送って見つめているのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「残念だけれど迷子のガーディは預かってないわね……」

「そうですか」

「うぅ……ぼくのガーディ……」

 

 買い出しに出かけたはずだが、現在コスモスが居るのは交番だった。

 話を聞けば、一緒に散歩していたガーディがふと目を放した瞬間に消えたとのこと。曰く、いつもならつかず離れずな性格故、消えたと言っても持ち前の嗅覚で戻ってくるだろう。そう考え待つこと数十分、気ままに構えている余裕もなくなり、町中を探し回っていたという。

 

 コスモスにしてみれば交番のジュンサーに少年を任せ、さっさと本来の目的に戻りたいところではあったが、むやみやたらと邪険にあしらうのもよろしくないと、わざわざこうして付き添いとして来た訳だ。

 しかし、その甲斐もなくガーディは見つからず仕舞い。

 少年も大粒の涙を溜めて俯いてしまう。

 そんな少年を慰めるようにジュンサーは背中を擦る。

 

「大丈夫、きっと見つかるわ。仲間にも連絡して探させてみるから、君はもうちょっとここに居て」

「はい……」

「それでは私はこの辺でお暇させて」

 

 やるだけのことはやった―――必要最低限の責任は果たしたと言わんばかりにコスモスは踵を返す。

 が、

 

「待って!」

「……まだ何か?」

「ぼくのガーディ……見つけたら教えてください……」

「……善処はします」

 

 約束はできかねない。

 そもそも自分一人が居て解決してしまうのだったら警察は要らないのだ。

 喉元まで出かかる言葉を飲み込んだコスモスは、無難な返答を口にし、さっさと交番を後にした。

 将来的には地方の住民に人気を得られるチャンピオンになりたいとは考えているが、今から草の根運動をしようとまでは思わない。精々、義理を売れそうだったら売るくらいの心構えしか持ち合わせてはいなかった。

 

(そもそも目を離した彼が悪いんです。もっと言えばちゃんと躾けていないのも。私はちっとも悪くはありませんから)

 

 例え今から真っすぐ買い出しを済ませて帰路についたとしても自分は悪くない。

己に正当性を見出す真似は容易いことだ。

気負い過ぎない為には、そのくらいのスタンスで行かねばなるまい―――コスモスの持論であった。

 

(そんなことより明日の為にご飯の買い出しです)

 

 不必要な時間の浪費はここまでだ。

 早急に用事を済ませるべく、足早にフレンドリィショップを目指す。

 その隣には、万が一にボディーガードとして動いてくれるルカリオが歩いている訳だが、不意に彼の耳がピクリと動いた。

 

「ルカリオ?」

「ワフッ」

「一体何なんですか」

 

 瞼を閉じ、波動を感知する態勢に入ったルカリオ。

 敵意や悪意を持った人間やポケモンに反応するよう躾けたつもりではあるが、まさかこのような街中で反応するとは、彼女自身予想だにしていなかった。

 視線を気取られぬよう周囲を見渡す。

 往来の激しい街中で視線に気づくのは至難の業だが、ルカリオのような感知に特化した能力を有すポケモンが居るならば話は別だ。

 

「(あそこに居るんですね)」

「ワフッ」

 

 尻尾で指し示すルカリオ。

 如何にも何者かが隠れていそうな裏路地へと続く建物の陰を指し示す彼だが、ここで直接不審者の下へ向かうのは悪手。

 遠回りする形にはなってしまうが、相手の視線が届かぬ場所までコスモスは進む。

 「ここら辺ですね」と周囲に警戒を払った彼女は、ルカリオにお姫様抱っこしてもらいながら、誰にも見られぬ場所から建物の屋根へと飛び移った。

 そのまま向かう先は、先ほどの不審者が居た場所だ。

 音を立てぬよう細心の注意を払って駆け抜けるルカリオは、途中波動が移動していることをそれとなく伝えつつ、町の中でも人気のない裏路地へと入っていった。建物も人が住んでいる気配はない。

 

 町の中心では燦々と降り注ぐ陽光も、ここまで裏路地に入ってしまえば差し込まない。

 心なしか空気もどんよりと湿っている。陰鬱とした雰囲気は、影に紛れて悪事を働く者にとっては絶好の場所だ。コスモスも重々把握している。

 

(さてさて……)

 

 影や物音で気づかれぬよう注意を払いつつ、屋根から身を乗り出すように下を窺う。

 人相がバレにくそうな恰好の数人と小さな貨物用トラック。確認できたものはその二つだ。

 それだけならば、まだ怪しいと決めつけるには早いだろう。

 だがしかし、トラックの荷台からは絶えずポケモンの鳴き声と暴れるような音が響き渡っている。

 

 ここまでくればきな臭さも相当のものだ。

 自然とスマホロトムに手が伸び、動画の撮影を開始するコスモス。

 さりげなくトラックのナンバーを映した後は、直感が怪しいと告げている者たちの会話へと撮影対象が変わる。

 距離が離れている分、聞き取り辛くはあるがまったく聞こえないという訳でもない。

 しっかりと聞き耳を立て、会話の内容の把握に勤しむ。

 

「―――こんなもんか? 命令された数だけのポケモンは捕まえてきたがよぅ」

「バレちゃいないだろうね? こんなおいしい仕事、そうそう持ちかけられたりしないんだから!」

「当たり前だろ。そういうお前こそ後を付かれてないだろうな」

「誰に口聞いてんだ、このスカポンタン!」

 

 小気味いい音を響かせるように、男の頭を叩く女。

 

(察するに、ポケモンを攫う窃盗団のような輩ですか)

 

 その後も話を盗み聞きしつつ、凡その見当をつける。

 ポケモンの窃盗―――一般人からすれば、「野生のポケモンを捕まえればいいのに」と思う他ない蛮行だが、行う側にもそれなりの理由はある。

 

端的に言えば、()()()()のだ。一度ボールで捕まえれば、所持しているトレーナーカードに記載されているIDと併せ、ボール共々ポケモンを登録しなければならない。これにはポケモンセンターでの治療や保険による予防接種といったサービスを受けられる利点がある。

 だが、ポケモンの用途が売買となると話が変わってくる。

 ポケモンの売買には厳しい規制が掛けられており、地方の厳しい審査を受けないと、ポケモンの売買には許可が下りないのだ。

 そこで出てくるのがポケモンの違法売買に関わる裏の専門業者。

 彼らはボールを使って捕まえない。あるいは、すでに他人が捕獲したポケモンを攫うなどして、ポケモンを捕獲する。大抵、登録はポケモンセンターで簡易的に済まされるため、こうした手段の下で捕獲されたポケモンは公的に認知されないことから、違法の取引にはもってこいという訳だ。

 

 ボールを用いない捕獲は当然違法。

 故に、裏の世界では密猟者や違法ポケモンハンターがクライアントの要望に応え、様々な手段で目的のポケモンを捕獲する。場合によっては国際指名手配がなされるほどの重罪であるが、それだけ報酬がうまいのだろう。

 

(それにしてもこんな町中で犯行に及ぶなんて……よっぽど捕まえたいポケモンが居たのか、数だけ揃える為に雇われた使い捨てのチンピラか。まあ、後者か)

 

 プロ意識の欠片も感じさせない犯行。

 徹底的にやるとすれば、ポケモンで辺りに警戒を張り巡らせるものだが、そういったものが散見できない以上、仕事の雑さが透けて見える。

 どうやら悪としても三流。

 自分が雇うとしても、精々捨て駒程度の扱いにとどまるだろう。

 

(さて、さっさと警察に通報するのが吉か……)

 

 自分の安全を第一に考えるならば、後は警察に任せるだけでいい。

 だが、コスモスはコスモスで打算的な考えを抱く少女でもある。

 

 見るからに三流の悪党が三人。奇襲を仕掛ければ簡単に制圧できるだろう。

 

(『お手柄! 駆け出しのトレーナー窃盗団逮捕に一役担う!』と……そうなれば、知名度上昇。……イイ感じ)

 

 名を売るなら早いに越したことはない。

 そうと決まれば奇襲の算段を―――と、考え始めた瞬間だった。

 

 

 

「―――あらあら。こっそり盗み見なんてイケない子」

「!!」

 

 

 

 突如として襲い掛かる浮遊感。そう、屋根から放り出されたのだ。

 

(“サイコキネシス”!? いや、それよりも……)

「ルカリオ!」

「バウッ!」

 

 このまま地面に叩きつけられればただでは済まない。すぐさま、同様に屋根から放り出されたルカリオに呼びかけ、着地を任せる。

 寸前のところで抱き留められる形での着地。

 コスモスは大事に至らなかったものの、まんまと窃盗団の目の前に下りてしまった以上、発見は免れなかった。

 

「な、なんだこの子供!?」

「いつから居たの、ちょっと!」

「知るか!」

 

 慌てふためく窃盗団は、突然飛び降りた子供を前に警戒を最大限まで上げる。

 しかし、当のコスモスが最大限警戒する相手は、自分たちを“サイコキネシス”で放り出した謎の女だった。

 隣に放り出した張本人であろうフーディンを侍らせる謎の女は、深く被ったフードに加え体型が判りづらくなるロングコートと、用心深く身体的特徴を隠して居る。そもそも“女”と判断したとはいえ、そう断ずるに至った声もボイスチェンジャーを使った可能性が否めない。

 

 結局のところ分かった事実は少ないが、確かに言えることがある。

 

(この女の人……できる)

 

 ルカリオの波動感知を掻い潜っての接近。恐らくフーディンの“テレポート”だが、問題はいつから居場所を感づかれていたのかだ。

 波動を感じ取れる場所から監視していたか、あるいは波動感知を無力化する手段を持っていたか。どちらにせよ警戒するに越したことはない相手であることは確かだ。

 

「うぅ……ふざけて屋根に上ってただけなのにぃ……」

「そういうお芝居は無駄なの。分かる?」

「……護衛、いえ、そっちの人たちのクライアントってところですか」

「あら、敏い子ね。なら私からも質問。最近、私たちを嗅ぎまわっている子供が居るって聞いたんだけれど……それって貴方?」

「なるほど。しかし、残念ですが人違いです」

「ふぅん……まあいいわ。聞いてみただけよ。こんなオイタをする子供を見つけたなら、二度とそんな気が起きないよう厳しく躾けてあげるだけって話よ」

 

 そう告げる謎の女からプレッシャーを感じるコスモスは身構えた。

 奇襲の段取りも滅茶苦茶になった今、練度に差があるとは言え多勢に無勢。真正面から戦うのは明らかに不利と言える。

 

「で、どうするんです? 貴方が私とバトルでも?」

「まさか。私はあくまでクライアント。ちゃ~んと下請けが働いているか確認しに来たってだけだから。ねぇ?」

『!!?』

 

 黒い眼差しが三人を射抜く。

 そこには対等な契約関係など微塵も感じさせない―――それこそ従わせる者と従う他ない者といった雰囲気が漂っていた。

 みるみるうちに冷や汗があふれ出てくる窃盗団。

 見るからに焦りに駆られる彼らは、謎の女の機嫌を取り繕うよう言葉を並べる。

 

「ま、待ってくれ! 仕事はちゃんとやり切ってみせる!」

「こんな子供、ウチらだけで何とかなるくらい分かってくれるだろう!?」

「そ、そうだ!」

「でも……私が来るまで気づかなかったのは事実よね?」

『……』

 

 三人はあっという間に顔から血の気が引いていく。

 

「ふふっ、冗談よ。チャンスはあげる。人ってね……過酷な状況を経験してこそ成長するものなのよ。だから、そこの子供を始末して、ちゃんと依頼した物を届けてくれたなら、報酬はきっちりと支払うわ」

「ほ、本当かっ!?」

「その為に()()をあげたの……分かるわよね?」

 

 意味深な言い草に、勘ぐるような視線を三人に向けるコスモス。

 すると彼らは焦燥に駆られていた面持ちから一変、「そうだった」と言わんばかりに下卑た好戦的な笑みを浮かべ始めるではないか。

 やおら腰に下げていたボールに手を掛ける窃盗団たち。

 瞬間、コスモスはルカリオにアイコンタクトで指示を出す―――「ボールを壊せ」と。開閉スイッチさえ壊してしまえばポケモンを出すことは叶わなくなる。それだけで戦力の大幅ダウンを見込める訳だが、

 

「ダメよ、そんなの。させないわ」

「ちっ」

 

 ルカリオから放たれた“はどうだん”は、フーディンが両手に持ったスプーンを掲げた瞬間、目に見えぬ力―――“サイコキネシス”によって軌道を逸らされてしまい、明後日の方向へと打ち上がってしまった。

 

 直接手を下さない謎の女の思惑を図れぬまま、戦いの火蓋はポケモンの鳴き声によって切られる。

 

「行け、フシギソウ!」

「フシャ!」

「焼き尽くしな、リザード!」

「リザァ!」

「痛い目を見せてやるんだよ、カメール!」

「カァメ!」

 

 並び立つ三体のポケモン。

 たねポケモン、フシギソウ。かえんポケモン、リザード。かめポケモン、カメール。

 大して珍しくもないポケモンであり、地方によっては初心者用ポケモンとして配られるポケモンの進化系であることから、一度は手にしたというトレーナーも多い。

 

 だが、目の前に居る三体のポケモンはどうだろうか?

 

(様子が……変?)

 

 ありありと敵意を向けられている。それだけならばいい。

 体に見慣れぬ模様が浮かんでいるものの、それも“個体差”という説明で済む問題だ。

 だがしかし、不自然なまでに赤く染まる瞳だけは見逃せなかった。

 

「グルルルッ……」

「何か見えるの? ルカリオ」

「バウッ!」

 

 コスモスを守るべく一歩前に出ていたルカリオであったが、三体のポケモンが出た途端、全身の毛を逆立てるだけに留まらず、歯をむき出しにして威嚇し始めたではないか。

 ここまで警戒を露わにしたのは、これまででも数えるほどしかない。

 

 そんなルカリオだけに見えていたもの―――それは、赤い瞳を浮かべるポケモンが纏っている禍々しい紫色のオーラであった。

 ルカリオはそれが何か分からない、知らない、読み取れない。故に最大限に警戒を払う。

 

 普通とは違うポケモンの登場に身構えるコスモスとルカリオ。

 一方で、悠々と屋根の上に佇んでいた謎の女は、観戦を決め込もうとするやメタングを出し、椅子代わりに腰を下ろした。

 

「ふふっ。そうよ。油断してたら話にならないもの。私たちが丹精に調整したポケモン……そんじょそこらのポケモンとは違うんだから」

 

―――精々、データが取れる程度には踏ん張ってもらわなきゃ。

 

 妖艶な笑みを浮かべ、女は呟く。

 

「へっへっへ、3対1だ」

「邪魔だけはするんじゃないよ」

「分かってるさ……一斉攻撃だ!」

 

 言葉通り三体のポケモンによる技が繰り出される。

 繰り出されたのは“はっぱカッター”、“はじけるほのお”、“みずでっぽう”だ。一つ一つの威力は大したものではないとはいえ、様子がおかしいポケモンの技だ。用心するに越したことはない。

 

回避(みきり)!」

 

 技の軌道を()()()、全ての攻撃を回避するルカリオ。

 これには三人も驚いたような表情を浮かべる。だが、たかが“みきり”で躱された程度、後の行動に差し支える訳ではない。

 

「ちっ! “あまいかおり”だ! 動きをノロくさせてやる!」

「おっ、気が利くねぇ! だったらウチらは攻撃に集中だ! おらおら、“はじけるほのお”だよ!」

「それなら俺は“あわ”で動きを止めてやるぜ!」

 

 今度は連携して攻撃を仕掛けてくる。

 甘い香りで誘惑し、弾ける炎で広範囲を制圧、加えて撒き散らす泡で動きを抑制。連携としては形になっており、彼らよりも鍛えられているルカリオも、やや苦しい表情を浮かべて対応に追われることとなる。

 

「まだ耐えるの、ルカリオ! “はじけるほのお”を“みずのはどう”で迎撃!」

「おっと、いいのかい!? そう来れば“れいとうビーム”だ、カメール!」

 

 炎を水で鎮めるルカリオであったが、周囲への影響として辺りに水が満ちてきた。

 そんな中、カメールの口腔から解き放たれる一条の冷気が疾走する。

寸前で射線から飛びのいたルカリオであったが、瞬く間に凍結する地面から生える氷の柱は連なる形で上へと伸びていき、空中の彼の足元まで氷の手を伸ばしてく。

 その直前、予め“はどうだん”の発射用意を整えていたルカリオは、蒼いエネルギー弾を迫りくる氷の柱に叩き込んで破砕してみせた―――が、しかし。

 

「へっ、そこだフシギソウ! “つるのムチ”で捕まえな!」

 

 立て続けにフシギソウが、背中に生える蕾の陰から二本の蔓を伸ばし、攻撃直後で隙が生まれたルカリオの両腕を拘束した。

 

「はっはぁ! やってやったぜ!」

「よーしッ、今ね! “はじけるほのお”!」

「“みずでっぽう”で仕留めろ!」

 

 身動きが取れないルカリオに、リザードとカメールの攻撃が叩き込まれる。

 炎と水。相反する二つの技を無防備な体に叩き込まれたルカリオは、ぐったりと(こうべ)を垂らせた。

 戦闘不能―――見るからに体力がなくなったルカリオを前に、三人はあくどい笑みを浮かべる。

 

「へっへっへ、勝負あったな」

「そうね。ま、ウチらが本気を出したらこんなもんよ」

「だなぁ! さぁーて、嬢ちゃん……こっからはバトル抜きのお話と……」

 

「―――ぱ」

 

「ん? なんか言ったか?」

 

 ごにょごにょと口を動かすコスモスに、怪訝な面持ちを浮かべた三人。

 

 刹那、謎の激痛が頭に襲い掛かった。

 

「な、なんだァ!?」

「イイイイイッ!?」

「ひぃー、耳がぁー!?」

 

 総毛立つような甲高い音。

 真面に立つことさえままならなくなった三人が悶絶すれば、彼らの指示で動いていた三体にも動揺が奔った。

 三体が振り返って先―――そこに羽ばたいていたのは一体のこうもりポケモン。

 そう、ズバットだ。“ちょうおんぱ”をまき散らし、直接トレーナーへの妨害を試みているズバットの主は、当然ながら悶え苦しんでいる彼らと敵対する相手。

 

「―――なるほど。普通の個体より動きが良い気がします……が、悪党としての自覚が足りませんでしたね」

 

 揶揄うようにチロッと舌を出すコスモス。

 彼女は本格的にバトルが始まる前に、ベルトからズバットの入ったボールを取り外し、相手の視界に入らぬよう遠くへと転がしていた。

 コロコロと転がるボールはちょうどいい建物の壁にぶつかることで開閉スイッチが押され、中からズバットを繰り出す。

 そうなれば、後は後ろからこっそりと忍び寄らせ、トレーナーへと直接妨害を働けばいいだけだ。

 

 トレーナーへのダイレクトアタックなど、本来許されざる行為だが、()()()()()()()()躊躇う理由など一つもない。

 と、指示系統を混乱させられた三体の内、特にルカリオを拘束しているフシギソウの力が弱まるのをコスモスは見逃さなかった。

 

 瀕死になったフリをしていたルカリオの瞳に光が戻る。

 

「今! “ものまね”!」

「バウッ!」

「フシャ!?」

 

 ピタヤ戦で大金星を上げた技“ものまね”だが、今回繰り出したのは“はじけるほのお”。

 くさを有すフシギソウにとってほのお技は効果抜群。苦手なタイプの技を喰らったフシギソウは、見るからに慌てふためいては、とうとう“つるのムチ”による拘束を解いてしまった。加えて攻撃の余波として飛び散った火の粉が、リザードとカメールにも振りかかり、場は大混乱になってしまう。

 

「あぁ、しまった!?」

「な、なんとかしなさいよー!!」

「無茶言うなァー!?」

 

 ルカリオが動き始めた光景は三人も目の当たりにしていたが、余りにもズバットの妨害が苛烈であったため、ロクに指示を出すことも叶わない。

 謎の女に託された三体のポケモン。特殊な訓練を積んだ強力なポケモンとして受け取った個体であるが、良くも悪くも()()()()()()()

 ここで大雑把でも指示を出せば結果は変わったかもしれない。

 だが、そのような希望を潰すべく、コスモスが動いた。

 

「リザードとカメールに“はどうだん”!!」

「バウッ!」

 

 凍った地面を踏み砕いて駆け出すルカリオ。

 両手には限界まで凝縮した波動の球体を浮かべており、今にも爆発すると言わんばかりに軋んだ音を奏でている。

 

 そんな“はどうだん”を叩き込む相手は、飛び散る火の粉で狼狽していた二体。

 まずはリザードの腹部に叩き込んだルカリオは、吹っ飛ぶ火竜を横目に、寸前で殻に籠ろうとするカメールに肉迫した。

 

 堅牢な甲羅を有すカメールに対し、このまま“はどうだん”を当てても大したダメージにはならない。

 だからこそ、甲羅ではなく頭部や四肢を収納する穴目掛けて押し込んだ。

 強引に押し込み、一拍。次の瞬間、手足を収納する穴から閃光が漏れ出したかと思えば、大きな爆発音を立ててカメールの甲羅から黒煙が噴き出す。

 同時にリザードを吹き飛ばしてた“はどうだん”も爆発した。

 これで二体をノックダウン。残るはフシギソウのみだ。

 

「フ、フッシィー!!」

 

 仲間が二体もやられた光景を目の当たりにしたフシギソウは、半ばやけくそで“つるのムチ”を繰り出す。

 

「掴んで」

「フッシ!?」

 

 だが、それが運の尽きだ。

 さも平然と受け止めるよう指示を出すコスモスに従い、ルカリオは振るわれた蔓を掴んでみせた。

 拘束する側ではなく、今度は拘束される側。真っ赤な瞳に焦りを浮かばせるフシギソウは力任せに引っ張るものの、逆に彼の体の方が引き摺られていた。

 

「引っ張って……“あくのはどう”!」

「グルゥ!!」

「フッシャァァアアア!!?」

 

 膂力に任せてフシギソウを手繰り寄せるルカリオ。

 ポーンと体が浮いたフシギソウは、そのまま彼の眼前まで引き寄せられる。

 そして次の瞬間、視界が真っ黒に染まった。手加減など一切ない“あくのはどう”だ。先ほど“はじけるほのお”を喰らったフシギソウにとって体力を削り切るには十分すぎる威力。

 加えてフルパワーでの“あくのはどう”は、フシギソウのみならず、彼が吹き飛ぶ軌道上に転がっていた三人衆にまで攻撃が及ぼうとしていた。

 

「わああああ! こ、こっちにぃー!?」

「ひやあああ!?」

「ぎゃああっ!? あぶッ!?」

 

 着弾、そして爆発。

 “ちょうおんぱ”でのたうち回っていた三人に回避などできるはずもない。黒煙が晴れれば、ぷすぷすと煤けた姿の三人を確認できた。

 

「ふぅ」

 

 パチパチパチ。

 息を吐くコスモスの耳に届いた拍手の()。当然、それは観戦していた謎の女が奏でたものである。

 

「凄いわね。よく鍛えられたポケモン……それに人を狙うなんて大胆な真似、普通の子にはできないわ」

「それはどうも」

「どう? 私たちの組織に入らない? 幹部候補生として手取り足取りいろはを教えてあげてもいいわよ」

「残念ですが間に合ってますので」

「あら、そう? でもねぇ……」

 

 目にも止まらぬ速さでボールを投げる女。

 すぐさまルカリオとズバットはコスモスを守るよう陣を組むが、そんな彼女の周りを、ヘルガーやラプラス、スリーパー、ニューラといったポケモンが取り囲んでくる。

 

「私も邪魔してくれた子供を見逃すほど優しくないのよね」

「子供に邪魔される程度の組織なら、たかが知れる……と言いたいところですが、安心してください。目の前に居るトレーナーは未来のチャンピオンですから」

「あら、お気遣いどうも。でも、だったら尚更見逃せないわ。だって、宝石の原石みたいにキラキラ輝いているんだもの……ほっといてこれから邪魔されるより、強引にでも連れて帰って手駒にした方が合理的じゃないかしら?」

「私が素直に従うとでも?」

「安心するといいわ。私のスリーパーで洗脳してあげるから」

「うわぁ」

 

 具体的な洗脳方法を聞くや、嫌そうな顔を浮かべるコスモス。

 どうにかしてこの場を切り抜けなければと思案する彼女であるが、中々いい案が浮かばない。スマホロトムは屋根から放り出された際に手放してしまった為、警察に連絡することもできない。だからといって強行突破に出ても、この戦力差では難しいだろう。

 八方塞がりか。しかし、やるしかない。己の野望を叶える為には。

 

「……本音を言わせてもらうと」

「?」

「邪魔なんですよ。先にここで悪の組織面されてるのは」

「それってどういう―――」

 

 

 

―――ピシャァァアン!!!

 

 

 

 それはまさしく青天の霹靂だった。

 突然、眩い電光が辺りを照らす。

 何事かと誰もが振り返る先には、先ほどまで青々と木の葉が茂っていた一本の木が、雷に打たれたかの如く、縦に裂け、炭化した幹に火を灯していた。

 一体何者なのか?

 これだけの威力を有す電気を放てるポケモンは、そう易々とは居ない。それこそ伝説級のポケモンか、あるいは―――。

 

「ピ」

 

 かわいらしい鳴き声が響く。

 雷に打たれた木の天辺に、彼は天を指さしながら立っていた。

 ぴょこぴょこ動く耳。赤く丸いほっぺ。稲妻のような形の尻尾。

 そう、あれはみんなのアイドル。

 

「ピ、ピカチュウ……さん」

 

―――ただし、レッドの。

 

 稲妻の如く現れたピカチュウは、慄くポケモンたちを見下ろし、悠々と腕を組むのだった。

 




Tips:キョウダンタウン

ホウエン地方やほかの地方からやってくる船を迎え入れる、ホウジョウ地方の海の玄関口と言える港町。町の景観としては、青い屋根に白い壁といった建物が多い。
他地方からやってくる人が多く、ホウジョウ地方の観光名所ともいえる町。
ただ、昔他所からやって来たポケモンが周辺に住み着きだし、生態系を書き換えられたという歴史も存在している。
名物は、柑橘の果物である「ゆずきち」。
「キョウダン」とは「響灘」。


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№009:目指せ、オキノタウン

◓前回のあらすじ

コスモス「目がガンギマっているポケモン連れたチンピラに襲われた件」

ピカチュウ「ピッカァ!」

コスモス「あっ」


 

 

 

 気が付いたのは、空に“はどうだん”が打ち上がった時だった。

 道行く住人に体を撫でまわされて悦に浸っていたピカチュウは、それを目の当たりにするや否や、ルカリオ―――延いてはコスモスに異変があったと悟る。

 ルカリオの主の性格からして、「買い出しに出かける」と言った手前、わざわざ街はずれでポケモンバトルに興じるはずがない。

 もっとも打ち上がった“はどうだん”自体がコスモスのルカリオのものだという確証はなかったが、どうせ暇な身だ。野次馬根性も備えているピカチュウは、目にも止まらぬ“でんこうせっか”で赴いたのである。

 

 結果は―――ビンゴ。

 

 こちらを見て驚くコスモスたちは、見るからに怪しい女と彼女の手持ちであろうポケモンたちに取り囲まれていた。

 

「ピ~カァ~」

 

 電気袋が疼く。

 こんな感覚は殿堂入りしてシロガネ山に籠った後、ジムバッジを16個集めてやってきたポケモントレーナーと戦った時以来だ。

 

「……なに、このピカチュウ。まさか貴方の手持ち……じゃあなさそうね」

「さて、どうですかね」

「応援でも呼んでいたのかしら。そうとなれば騒ぎになる前に撤退するのが吉……―――だけど」

 

 刹那、女の横に佇んでいたフーディンの姿が消える。

 次の瞬間、“テレポート”で姿を消したフーディンは、木の天辺に佇むピカチュウの真後ろに浮遊していた。

 

()()()()()だものね」

 

 口に出されるまでもなく、フーディンは“サイコキネシス”でピカチュウに攻撃を仕掛ける。

 

 が、フーディンの視界が一瞬揺らぐ。

 何事か。目を見張るフーディンは、僅かに軽くなった手元に違和感を覚えた。

 スローモーションに映る世界。そこで彼が垣間見たのは、先端がすっぱりと切り落とされているスプーンであった。

 

「!?」

「ピッ、ピッ、ピッ!」

 

 フーディンにとってサイコパワーを制御する道具でもあるのがスプーンだ。

 それの先端を“アイアンテール”で切り落としたピカチュウは、“でんこうせっか”で俊敏に木々を飛び移り、今一度フーディンへと肉迫していく。

 危険を予知したフーディンは、すぐさまピカチュウを叩き落そうと集中する。

 

 しかし、ピカチュウの行動が一歩早かった。

 振り下ろされた“アイアンテール”が脳天を直撃する。

純粋に(はや)く、そして力強い一撃を抑えきれなかったフーディンは、頭部から鈍い音を奏でた直後、真っ逆さまに地上へと墜落していく。

 これには女も瞠目した。

 標的が―――切り替わる。

 

「やれ!」

 

 コスモスを包囲していたポケモンに、ピカチュウを狙うよう指示を飛ばす。

 

 ヘルガーの“かえんほうしゃ”が。

 ラプラスの“ハイドロポンプ”が。

 スリーパーの“サイケこうせん”が。

 ニューラの“こおりのつぶて”が。

 

 見る者を圧倒する一斉攻撃。倒れ伏している三体のポケモンが繰り出したものとはくらべものにならない威力の技の雨が、ピカチュウ目掛けて解き放たれようとする。

 

「させないッ!」

 

 だがしかし、この場に居るのはピカチュウだけではない。

 わざわざ相手が晒した隙を見逃さないコスモスは、相手の標的がピカチュウへと移った瞬間、護衛に回していた二体を攻めに出した。

 

「ルカリオ、ニューラに“しんくうは”! ズバット、スリーパーに“きゅうけつ”!」

 

 素早いニューラの攻撃には、威力よりも技の出の速さを重視し“しんくうは”をぶつけ、スリーパーには効果が抜群なむしタイプの技をぶつける

 これにより四体のポケモンの内、半数がまんまと攻撃を妨害されてしまった。

 当然、それだけ弾幕が薄くなった攻撃を()()ピカチュウが避けられないはずもなく、軽快な身のこなしで技を掻い潜っていく。

 

「チッ。何を梃子摺っているの! ラプラスは“ハイドロポンプ”、ヘルガーは“ふいうち”よ!」

 

 苛立ちを隠せなくなってきた女の口調。

 これには彼女のポケモンもまずいと感じてきたのか、瞳に焦燥と、これまでにない気迫が浮かび上がってきた。

 ヘルガーは鋭い牙を剥き、ピカチュウに一矢報いようと駆け出す。

 これに対しピカチュウは“でんこうせっか”で追いつかれぬようヘルガーから逃げる訳だが、そこへラプラスの“ハイドロポンプ”が次々に放たれる。

 幸いラプラス自身の動きが鈍重であり技の命中率が低いことから直撃は免れているが、このまま鬼ごっこに興じているようでは反撃に打って出られない。

 

 だからこそピカチュウの閃きがピカッと光る。

 百戦錬磨の彼が目をつけたのは、今まさに“ハイドロポンプ”を次々に放ってくるラプラスであった。

 ただ漠然と逃げ回るのではなく、逃げる先をラプラスへと変えるピカチュウは、自身を狙う激流を紙一重で躱しながらラプラスの巨体へと迫っていく。

 それに続くヘルガーも、苦手な水を前に何とか恐怖をねじ伏せながらピカチュウの背中を追う。

 

 みるみるうちにラプラスとの距離が縮まるピカチュウとヘルガー。

 次の瞬間、ラプラスの狙いが自身に定まったことを確認したピカチュウは、勢い良く地面を蹴って飛び上がった。

 

「チャアッ!!」

「プラッ!?」

「ガウッ!!?」

 

 “アイアンテール”がラプラスの顎に振りぬかれる。

 重量級のラプラスにとって、ピカチュウの尻尾での一閃は、体を吹き飛ばすような事態は起こらない。だが、顔を弾く程度の芸当はできる。

 ならば何が起こったか?

 照準を狂わされたラプラスがそのまま“ハイドロポンプ”を放った先には、ピカチュウを追って迫っていたヘルガーが居た。

 突然の事態に回避が間に合わなかったヘルガーは、みずタイプの中でも特に強力な一撃を喰らい、ボールのように地面を何度か跳ねた後、目をグルグルと回して気絶してしまった。

 

「ピッピッピ♪」

 

 してやったと笑うピカチュウは、今度は目の前に佇むラプラスの背中へと飛び乗った。

 レッドの手持ちにも居るラプラス。何度も背中に乗せてもらった上で戦いも見てきた経験があるピカチュウは、どこら辺にラプラスの死角があるかは把握していた。

 まんまと死角に飛び移られたラプラスは、ドタバタとヒレを動かすも、背中からピカチュウを引きはがすことはできない。寧ろピカチュウは揺れるアトラクションに乗っているような気分で楽しんでいるだけだ。

 

 だが、お遊びはここまで。

 

「ピ~カ~……ヂュゥゥゥウウウ!!!」

 

 “10まんボルト”。

 黄色い電光が辺りを照らす中、ラプラスは全身に襲い掛かる強烈な電撃を喰らい、声にならない悲鳴を上げる。

 目を開けて居られない明滅の中、ようやく電撃の音が止んだかと思えば、ラプラスは煤けた体を晒しながらぐったりと倒れていた。

 

「ピカッ!」

 

 ブイ! とピースサインを掲げるピカチュウ。

 その圧倒的な強さを目の前にした者たちは、敵味方関係なく茫然とするより他なかった。

 

「……チッ。とんだ邪魔が入ったわね」

 

 予想だにしない乱入に悪態を吐く他ない女は、瀕死になったポケモンをボールに戻し、そのままメタングに乗って空へと浮かんでいく。

 

「逃げるんですか」

「逃げる? 捉え方は何が目的か次第よね。そもそも私の目的はデータ収集……その任務は遂行できたもの」

「あっちで転がっている三体ですか」

 

 そう言ってコスモスが目を向けたのは、ルカリオが倒したフシギソウ、リザード、カメールの三体だ。

 

「戦闘データとでも?」

「さて、どうかしら?」

「だとしたらデータが取れたか心配ですね。たかが一体に負けたんですから」

「ふふっ、見た目と違って口が回る子。でも、もう時間なの。さようなら。貴方の顔……忘れないわよ」

 

 台詞を吐いて捨てた女は、メタングに乗ったままどこかへと飛んでいく。

 残されたのはコスモスたちと、倒された三人と三体。

 

「いえ、まだありましたね」

 

 すっかり忘れていたトラックの存在。

 立て続けに轟いた戦闘音に臆していたのか、先ほどまではピクリとも動いていなかったトラックの荷台だが、一度静かになってしまった途端、己の所在を周囲に知らしめんと鳴き声や物音を立て始める。

 荷台の扉には鍵がかかっていたが、鍵は当然倒れた三人のいずれかが所有しているはず。

 見当をつけてポケットをまさぐれば、案の定それらしき鍵が見つかったため、早速鍵と扉を開いた。

 

 中に詰め込まれていたのは、小さな檻の中に閉じ込められたポケモンの数々。

 突然現れたコスモスに対し、恐怖を覗かせるポケモンもいれば、牙をむき出すといったように敵対心を丸出しにするポケモンも現れる。

 

「さてさて……」

 

 ルカリオと協力し、檻をトラックの外へと運び出す。

 そうした檻の中には、コスモスのお目当てであった一体のポケモンも閉じ込められていた。

 

「ガーディ、見ぃーつけた」

「クゥーン……」

 

 ポケモンとはぐれ、ベソを掻いていた少年。

 彼が探していたのはガーディだ。

 当然、まったくの別個体という可能性も否めなくないが、町周辺にガーディが生息していないことは図鑑の分布機能で知っている。

 

―――願わくば、このガーディがあの少年の手持ちであらんことを。

 

「さあ。貴方も私の手柄になっていただきましょうか」

「クゥーン?」

 

 酷く打算的な考えの下での事件解決。知れば人は偽善と呼ぶだろう。その通りだ、彼女は善意と偽って悪の道を拓こうとしているのだ。

 手柄には違いないはずだが、彼女の腹積もりを知れば素直に喜べる者は居ない―――もっとも、そうさせないことも彼女の算段の内だが。

 

 こうしてキョウダンタウンで起ころうとしたポケモン誘拐事件が一つ解決された。

 

 

 

 ホウジョウ地方に忍び寄る悪の影を予感させながら……。

 

 

 

 ***

 

 

 

『お手柄! 駆け出しポケモントレーナー、誘拐事件解決!?』

 

 新聞紙の紙面を飾る見出しには、警察から感謝状を渡されるコスモスの写真も載せられていた。

 

「……俺が寝てる間にこんなことしてたのね」

「先生のお手を煩わせる訳にもいきませんでしたから」

「ピカチュウとは一緒だったのに?」

「その節はお世話になりました」

「ピカチュウに?」

「はい」

「真っすぐな答えが俺の心を抉っていく」

「もしも先生が自分のことを役立たずと勘違いなされているようでしたら、この場を以て誤解を解かさせてもらいます。先生は先生でお世話になっていますから」

「そこまで的確に心を読まれるのも……うん」

 

 当初とは大幅に予定が狂い、事件の事後処理のために数日間キョウダンタウンに留まることになったコスモスとレッドの二人。

 しかし、レッドはあくまで「警察に用事があるので滞在します」とだけ説明されていたものだから、まさかこのような事態になっていたとは知らなかった。

 

(なに? 人知れず事件解決って。探偵? 探偵なの? ピカチュウを連れていく名探偵なの? 名探偵ピカチュウなの?)

 

 それではピカチュウの方が名探偵だ。とは、誰もツッコまない。

 ともあれ、レッドにしてみれば知らぬ間に相棒を連れられた挙句、誘拐事件を解決されていたのだ。

 当人は偶然巻き込まれたと主張しているが、実際のところどうなのかは分からない。

 

(まさか国際警察とか? 密かに事件解決を……まさか、そもそも俺に同行するのも俺が何かをやらかしたとか?)

 

 邪推に邪推を重ね、勝手にブルブル震え始めるレッド。

 ここまで震えたのは耐寒装備無しでシロガネ山に登り切った時以来だ。変な悪寒が背筋に走る。

 

「どうなされたんですか、先生。顔色が悪いですよ」

「い、いや……なんでもないよ」

「そうですか?」

 

 やや怯えるレッド。

 コスモスは何故彼に余所余所しい態度を取られているか、その理由を分からぬままポケモンセンターのカウンターへと赴く。

 

「すみません」

「あら、貴方は! どのようなご用件で?」

「この前ここに運び込まれたポケモンについてなんですが……」

「あぁ、あの子たちのことね……」

 

 キョウダンタウンではすっかり有名人になったコスモスに、応対するジョーイも笑顔を咲かせた。

 しかし、問われた内容を察し、彼女の表情にも影が差してしまう。

 「あの子たち」とは、窃盗団が所有していた三体―――もとい、フシギソウ、リザード、カメールの三体である。

 ポケモントレーナーが逮捕された場合、大抵は手持ちだったポケモンは然るべき施設に送られるのだ。

 

 先の三体も定例に則り保護施設に引き取られるはずだった。

 ところが、赤い瞳などが見られる通り、常軌を逸した状態であることが認められた三体は、保護施設よりも先に医療施設へと送られたのだ。

 

「幸い、詳しい専門家の人がこっちの地方に来ているとのことだったので、その人の下で治療を受けることにはなったんだけれども……」

「そうですか……」

「心配してくれてるのね、ありがとう。あの子たちも、きっと治ったら貴方にお礼を言いたいと思っているわ」

 

 俯くコスモスにジョーイが気遣うような言葉をかける。

 傍から見れば、犯罪者に利用された挙句、心身に異常を来したポケモンに心を痛ませている少女に見えたのだろう。

 そのような少女を見れば誰もが同情するだろう。慰めもする。

 だが実際のところは、

 

(中々鍛えられたポケモンだったから即戦力にと思ったんですが……諦めるしかないか)

 

 打算的な考えで頭がいっぱいだっただけである。

 野生に比べればそれなりに強い個体だったことには違いない。自分が一から調整し、最終進化形になれば今後のジム戦、延いてはリーグ大会でも活躍してくれるだろうと踏んでいたことから、引き取れない事実に落胆していた。

 しかし、全てを諦めた訳ではない。

 

「あの……」

「はい?」

「もし元気になったら……私、引き取れてあげたらって……」

「そう……分かった! しっかりと治療してくれる先生にも連絡してあげるわ。だから、心配しないで」

「はい……」

 

 家族として迎え入れようとする心優しい少女を演じ、己の手持ちに加えられるよう便宜を図ってもらおうと画策した。

 案の定ジョーイは心を打たれたような反応を見せ、コスモスの願いを治療する人物へ連絡すると口にする。実際に引き取れるかは施設の判断や手続きといった諸問題があるものの、今できるだけのことはした。

 

 計画通り―――心の中で笑うコスモス。

 隣に佇むルカリオは、彼女から件の三体が纏っていた禍々しいオーラよりもどす黒い波動を感じるのだった。が、割といつものことだ。今更気にはしない。

 

「さて……そろそろ出立と行きますか、先生」

「そうだね。アサナギタウン……だったっけ?」

「はい。南に下り、セトー地方に向かいます」

「セトー地方……船に乗っていくの?」

「いえ、橋が架かっていますので陸路を」

 

 ホウジョウ地方とセトー地方は陸続きでないものの、二つの地方をつなぐ大きな橋が、それぞれ西側と東側に掛かっている。

 西側の橋は「銀色橋」、東側の橋は「虹色橋」と呼ばれており、遥か昔から二つの地方をつなぐ道として多くの人やポケモンが通ってきた。

 何十年、何百年と歴史ある橋は幾度となく修理や改修が行われ、今や木製だった頃の名残はないものの、遥か昔より地方を見守ってきたと言い伝えられるポケモンが住まう海の景色は変わっていないと紹介されている。

 

「橋はそこそこの長さのようですが、電車も走っているようですし、そこまで心配する必要はないかと」

「そっか……電車から海を眺める。乙だね」

「あのぅ……ちょっといいかしら? 知らないみたいだから教えるけれど、今、銀色橋の方は事故があって通れなくなってるの」

「「え」」

 

 予想だにしていなかった内容に二人の声がハモる。

 教えてくれたのは先ほど応対してくれていたジョーイだ。目を丸くする二人の様子に申し訳なさそうにしながら言葉を続ける。

 

「なんでも昨日ポケモンが暴れたか何かで橋の一部が崩落して……しばらく工事と安全確認のために通行禁止になってるの」

「……」

「コスモス、女の子がしちゃいけない顔してる。イシツブテみたいな顔してるよ」

 

 立てていた予定が総崩れになりかけないトラブルが発生したと聞き、顔面を皺くちゃにするコスモス。

 これではアサナギタウンのジムに挑めないではないか。

 生憎、キョウダンタウンからアサナギタウンへ向かう直通の船は出ていない。出ているとすればオキノタウンだが、そっちはタイプ相性から避けたかった方だ。

 

「……でも、背に腹は代えられません」

「オキノタウンに?」

「行きましょう。じめんのエキスパート……オキノジムリーダー制覇に向かいます」

 

 オキノジムリーダー、名をリック。

 通り名は「揺らがぬ地面の大黒柱」。堅牢かつ堅実的なバトルスタイルで挑戦者を撥ね退けると謳われるナイスミドル―――超攻撃的スタイルのピタヤとは正反対の相手だ。

 侮りなどしない。ピタヤとのジム戦でどれだけ苦戦したか経験した以上、心のどこかで「これだけ鍛えたのだから」と考えていた慢心は消し去った。

 

(何よりじめんは……)

 

 敬愛する首領(ボス)が得意としていたタイプ。

 自然と体に力が入るコスモスは、幾度となく相対したサカキとのバトルを思い出す。

 

(今度こそ)

 

 同じじめんのジムリーダーだからと、彼に勝ったところでサカキに勝てる訳ではない。

 それでも、越えなければならない壁だと強く意識するのは当然だと言えた。

 

 意気込むコスモス。

 そんな彼女に、「あっ」と声を上げるジョーイが話しかける。

 

「そうよ、カイキョウタウンの方にさっきの治療してくれる人が居るのよ」

「カイキョウタウン?」

「ホウジョウ地方の一番東にある島ね。ポケモン研究所を構えていて……気が向いたら訪ねてみたらどうかしら?」

「なるほど、分かりました」

 

 ジョーイの後押しもあり、今後の方針が決定したコスモスは踏み出す。

 

「さぁ、先生。次の町へ行きましょう」

「うん。行こっか」

「ピカピ~カ!」

「ワフッ」

 

 目指すはオキノタウン。

 別名―――「神々が集う町」。

 




Tips:ホウジョウ地方 セトー地方

ホウジョウ地方は、東のジョウト地方と西のホウエン地方に挟まれた自然豊かな地方。そんなホウジョウ地方と「銀色橋」と「虹色橋」で繋がるのがセトー地方である。
双方は遥か昔より交流があり、二つの地方をまとめる形でポケモンリーグが設置されたのも、深いつながりを持つ”友好の証”という側面を有しているから。
その一方でそれぞれの地方からジムリーダーを擁立し、リーグ大会において両地方の対抗心を煽り、ポケモンバトルを活発化させ、ポケモントレーナーの質を向上させようという意図もある。
交通の便は航路が発達している一方、銀色橋と虹色橋の間には距離を考慮し鉄道が拓かれている。ゆくゆくは地方全土に線路を張り巡らせる予定とのこと。

マップ


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2:地平線の彼方から
№010:嵐の前の静けさ


◓前回のあらすじ

コスモス「南を目指しましょう」

レッド「橋使えないってさ」

コスモス「ギーッ」


 

 

 ホウジョウ地方とセトー地方の特徴を一つ挙げるとすれば、大抵の町が海沿いに存在することだろう。

 それ故、その気になれば陸路ではなく海路だけを進んで地方を巡るといった旅の方法がある。

 

 無論、旅とは言うものの内容だけで言えば観光目的の旅行のようなものだ。

 ジム巡りを目的とするならば、道中の野生ポケモン捕獲のために陸路を進んだ方が賢明だろう。

 しかし、万が一トラブルがあり陸路を通れない―――あるいは急ぎの用がある場合は、直通の船やサメハダータクシーに乗った方が早い場合もある。

 

 ホウジョウとセトーは海と共に栄えた。

 そう、海とは切っても切り離せない関係なのだ。

 

「キョウダンからオキノまで凡そ一日……今日はゆっくり船の上で過ごしましょう」

「……」

「先生?」

「オレ、フネ、ヨう。トイレ、イく」

「船酔いですか」

 

 船に乗り込んだ矢先、顔色を悪くするレッド。

 山に居た時間が長すぎたか―――本人はそのように推察しているが、なんてことはない。元々そういう体質なだけである。では、カントーからホウジョウに来る間はどうだったのか? PPが切れるまでオーロラビームを吐き出していたに決まっている。

 

 名前とは裏腹に真っ青な顔を浮かべる彼は、今にでも口から自主規制の虹色(オーロラビーム)を吐き出しそうになっていた。

 見るに堪えない情けない姿であるが、他人の体調不良を前にも動じないコスモスはリュックから何かを取り出す。

 

「そんなこともあろうかと酔い止めを購入していました、どうぞ」

「タスかる、オレ、カンシャスる」

「お大事に」

 

 人の優しさに触れた怪物のような口調になるレッドを見送る、コスモスは一人甲板に残される。

 

「さて、一人ではすることもありませんね……」

 

 レッドの体調が良ければバトルの指南でもつけてもらうつもりだったが、胃の中がグラスミキサーされているのでは仕方がない。

 ただ海を眺めて暇を潰す―――時間の無駄だ。

 となれば、やることは一つ。

 大概、暇なポケモントレーナーが行うことと言えば限られる。

 ポケモンが動き回れる広い場所へと赴けば、賑わいを感じさせる歓声が耳に入って来た。

 

「やってますね、ポケモンバトル」

 

 白熱した模様を見せるポケモンバトルが、わざわざ甲板に用意されたバトルコートで繰り広げられていた。

 ジョウトから来る際に搭乗した船も同じであったが、大概旅客船というものにはポケモンバトル用のコートが用意されているものだ。

 己を高めたい者、娯楽として興じる者、ポケモンと友好を深めようとする者など、この場に集う者たちの目的は違うかもしれないが、バトルを挑んで断る者はそうそう居ない。大抵は快く受け入れてくれるものだ。

 

「お? 君もバトルしに来たクチかい?」

「ええ、まあ」

 

 手頃な相手を探そうと物色していたところ、早速一人がコスモスに声をかけてきた。

 

(これは……中々)

 

 弾かれるように振り向けば、そこには中年でガタイの良い男性がワインレッド色のスーツに身を包んで立っていた。

 綺麗に整えられた顎髭からは、そこはかとないこだわりを感じられる。

 体の各所にちりばめられている装飾品は、下品な絢爛さこそないが、決して安くない良質なものであった。

 

 ここまできっちりとした装いをする者となれば、良い役職にでも就いているのだろう。

 などと、失礼な視線を向けていたコスモスは、思考を本題へと戻す。

 

「バトルの申し込みですか?」

「お、話が早いねぇ! でも、バトルしたがっているのはオレじゃなくて……」

「?」

「お~い、リーキ!」

 

 チラリと男性が視線を移す先。

 日陰になる場所に座っていたコスモスと同じぐらいの少女が、男性に呼ばれるや駆け足でやって来た。

 

「オレの娘……リーキって言うんだが、バトルしてやってくれないか? 外交的なオレと違って内気な子でな、わっはっはっは!!」

「パ、パパ……」

「っとぉ、悪い悪い!」

 

 父親である男性の袖を掴む少女が、ジッとコスモスを見つめる。

 確かに外交的―――というよりも豪気そうな性格の父に対し、大人しい性格であるようだ。白いワンピースに茶色い長髪と麦わら帽子が似合っている。

 見るからに育ちが良さそうな少女に一瞬顔をしかめてしまったものの、コスモス自身は売られた喧嘩(バトル)は買う主義だ。野良試合のほとんどは“経験値”として見ている。

 

 断る理由もなく「いいですよ」と二つ返事で了承した後は、「リーキ」と紹介された少女と共にバトルコートが空くまで座って待つことに決めた。

 熱い歓声が聞こえてくる中、日陰を涼やかな海風が吹き抜けていく。

 うっかりすれば寝落ちてしまいそうな心地よさを覚えるコスモスであるが、不意に真横から近づいてくる人影により、自然と意識が覚醒する。

 

「なにか?」

「あ、え、えぇっと……お名前……」

「リーキさんですよね。私はコスモスです」

「コスモスさん……ですね。改めまして、わたしはリーキ……です。生まれはオキノタウンで……す。コスモスさんはどこの生まれで」

「どこの生まれ……ですか。キキョウシティということになってますね」

「キキョウシティ……と言うと、あのマダツボミの塔がある町ですね!?」

 

 突然前のめりに近づいてくるリーキ。

 さっきまでのお淑やかさはどこへやら。フンフンと鼻を鳴らし、頬を紅潮とさせる彼女は明らかに興奮した様子だった。

 その勢いはコスモスのルカリオが咄嗟に割って入る程。

 だが、悪意を一切感じられない彼女を強く押しのける訳にもいかないルカリオは、ほどほどの力で押さえるに留まる。

 

 しかし、それで彼女が引いた訳ではない。

 

「マダツボミの塔と言えばキキョウシティを代表する修行僧の修行場!! ジョウト地方に見られる伝統的な建築方式で建てられた三重塔は文化財のみならず一種の芸術品として評価されています!! 一説によれば30メートルを超えるマダツボミが塔の柱になったとか!! それは定かではありませんが、そのマダツボミの体の如く柱が揺れる柔構造から地震に強いとも言われ、ジョウト地方とも所縁のあるオキノタウンでも似たような建築方式の建物が……はっ?!」

 

 コスモスが硬直している姿に気づき、ハッとしたリーキが恥ずかしさから頬を染める。

 その様子に苦笑を浮かべる父親の男性は、「すまんな」と一言置いてから一方的に話を聞かされていた―――というより叩きつけられていたコスモスに目を向ける。

 

「わっはっは! 急に饒舌になって驚いたろ。うちの娘は所謂歴史オタクって奴でな」

「……何事も造詣が深い分にはイイコトだと」

「お、そうか! 良かったぁ、リーキ!」

「パパ! そういう風に言うのはやめてって……! もう! あっち行って!」

「な、なんだって!? オレはお前のことをこんなにも大事に思っているのに……!」

「距離感が気持ち悪いの! オジサンなのを自覚して! あと最近加齢臭がするから物理的に近いのも無理なの!」

「ん゛っふ!」

 

 娘の罵倒が効いたのか、途端に顔色が悪くなった男は「あとは……任せていいかい?」と死にそうな面持ちで去っていった。

 どの世界でも娘に罵られる男の背中は見るに堪えないものだ。

 こちらまで陰鬱になりそうな―――ルカリオが哀れみの瞳を浮かべる程の哀愁が漂ってくる。

 

「……」

「ご、ごめんなさい……ああでもしないと、パパったらズケズケ話に入ってくるから」

「いえ、気にしませんから」

「ありがとうございます……それにしても順番まだですねぇ」

 

 未だバトルは続いており、中々終わりそうな気配がない。

 コスモスにとっては終わるまで待機するなど苦でもない話だが、やや人見知りなきらいのあるリーキにとってはその限りではなかった。

 会話の間が持たないのを恐れているのか、沈黙が流れた途端焦り始める彼女は、何か話題でも思いついたのか「あっ!」と海岸を指さす。

 

「見て下さい! あそこにはミズゴロウの巣があるんですよ!」

「ミズゴロウですか。……見えませんね」

「あれ、おかしいなぁ。普段ならそんなことないのに……」

 

 普段は巣穴近くで戯れるミズゴロウが窺える観光スポット。

 しかし、今はどうだろう? 巨大な岩に巣穴を覆い隠されており、ミズゴロウ一匹見ることも叶わない。

 折角の話題の種を潰されたリーキは難しそうな顔を浮かべる。

 片やコスモスは、ミズゴロウについてポケモン図鑑で調べていた。

 

「ミズゴロウ、ぬまうおポケモン。頭のヒレはとても敏感なレーダー。水や空気の動きから目を使わずに周りの様子をキャッチすることができる……と」

「そうそう、進化形のラグラージは一際その能力が凄くて。パパのラグラージも嵐を予報したりできるんです!」

「じゃあ、もうすぐ嵐が来ると」

「そ、そんな! 天気予報は晴れでしたし、そうでなければ運航だって……」

 

 困惑するリーキ。

 それもそうだ。予め嵐と分かっているのならば船など出さない。

 しかし、時にポケモンは人の技術では計り知れない自然の変化を感じる。

 

 では、もしかするとあの光景も―――?

 

 胸騒ぎを覚えるコスモス。

 その時、それまで聞こえていた歓声がどよめきへと変わった。

 

「な、なんだアレ……!?」

「おい、空が……」

 

 ただならぬ気配を覚えて振り返れば、海岸と反対側の遠洋の空が暗雲に覆われている光景が見えた。

 これから嵐でも起こるかのような空模様。

 唐突な雲行きの変化は海にも影響をもたらした。みるみるうちに時化と化す海に船体が大きく揺られ、中には体勢を崩し倒れてしまう者も現れ始める。

 

「皆さん! 天気が荒れてまいりましたので、ただちに船の中へと避難してくださぁーい!」

 

 そこへ駆け足でやって来た船員が指示を仰ぐ。

 危険なのは火を見るよりも明らかであり、大抵の者は素直に従って船内へと帰る。

 だが、一部の者は野次馬根性でその場に留まり、荒れる海と空をカメラやスマホで撮影していた。

 

「あの人たち、避難してって言ってるのに……」

「ああいうモラルのない人間にはなりたくないですね。さあ、行きましょうか」

「わたし、ちょっと一声かけてきます」

「そういうのには関わらない方が……」

 

 野次馬へ注意に向かうリーキを止めに掛かったコスモスであったが、一歩制止が間に合わず、彼女はそそくさと向かっていってしまった。

 

「はぁ、まったく……」

 

 止める義理もないが、一緒に居たリーキとはぐれている姿を父親の方に見られるのも都合が悪い―――と、そこまで頭が回った訳でもないが、何の気なしに後を追うコスモス。

 

「……ん、風が……」

 

 だが、突如甲板を吹き抜けた強風に立ち止まった。

 目を開けられないほどの勢いの海風に、髪もバサバサと激しく暴れる。

 あまり髪型に頓着しない性格とは言えば、ボサボサのまま放っておくほど無感心でもない。

 

 コスモスは瞼を閉じたまま指を櫛代わりに梳こうとした―――が、

 

「……歌?」

 

 不意に聞こえてきた歌に手を止めた。

 不可解に思ったコスモスの耳には、すぐさま警戒心を露わにするルカリオの唸り声が入ってくる。

 ただ事ではない。

 すぐさま瞼を開き、見据えた先には()は居た。

 

 

 

―――(しろがね)の巨体が。

 

 

 

 ***

 

 

 

「うぇろろろろろ!!」

 

 レッドの オーロラビーム!▼

 

 と、トイレの個室にレッドは立て籠もっていた。

 酔い止めを処方され、少しは良くなるだろう―――そう踏んでいた矢先での時化だ。船体が大きく揺さぶられる度に、落ち着いていた胃の中が暴れること暴れること。

 気分としては、トキワジムの移動床に乗って高速スピンを決めた時と同じだ。

 

(おかしいな、サント・アンヌ号やシーギャロップ号に乗った時は平気だったのに……)

 

 ワクワクは時に船酔いさえ支配する。が、今はその時ではなかった。

 さながら、胃の中はきのみブレンダーの如くかき混ぜられている。

 またもや吐き気を催して蹲る。

 すると、

 

「おろろろろろ!!」

 

 どうやら他にも()が居たようだ。

 隣の個室からもオーロラビームを出す音が聞こえてくる。

 

「ぜぇ……はぁ……うっぷ!」

「……貴方も……船酔いですか……うっ!」

「おっと……先客が居たか……っぷぉ!」

「船……苦手なんですか……?」

「いやぁ……そこまでじゃ……でも、ちょっと娘に強く当たられたんで、酒を一杯ひっかけたらこの様で……下戸なんでねぇ」

「なるほど……世知辛いですね……」

「まったく……結婚して二十年。妻も娘も愛してきたつもりなんですが、事あるごとに邪険にあしらわれる……フッ……」

「……きっと……分かってくれる時が来ますよ」

「そうですか……何と言いますか、貴方とは気が合いそうだ」

「そうですね……あ、ちょっと失礼」

「ええ、オレも」

「「オロロロロロッ!!」」

 

 何とも情けない後ろ姿を晒す男二匹。

 だが、無情にも船はより大きく揺れるばかりだ。

 しかも刻一刻と揺れが激しくなる。これには流石に二人も「おかしい」と面を上げた。

 

 刹那、妙な浮遊感と共に船体が上下に揺れる。

 内臓がフワッと浮き上がる感覚に、レッドはさらなる吐き気を催すものの、それどころではない状況を察して立ち上がる。

 

 ふん! と腹筋に力を入れれば、自然に食道が塞がる―――ような気がした。

 ともあれ、幾分かマシになったレッドは急いで個室から飛び出し、続けて現れた中年の男性と共に通路へと向かう。

 

「あぁ、どうも」

「こちらこそ……って、そんな場合じゃないようだなぁ、こりゃ! っとぉ!?」

 

 一際大きな揺れが襲い掛かると共に、今度は斜めに傾く船体。

 すると、通路の奥で転がり落ちる人の何人かが、欄干を超えて海へと投げ出されるではないか。

 

 まずい―――頭が理解するよりも早く、レッドと男の二人はボールを投げた。

 

「フシギバナ、“つるのムチ”!」

「マンムー、“つららばり”だ!」

 

 ボールから飛び出た二体のポケモン。

 背中の花を揺らしながら繰り出されたフシギバナは、葉の陰から無数の蔓を伸ばすや、自身の体の固定と遠方に放り出された旅客の回収をこなす。

 一方、マンムーは冷気より生み出した氷の針で、旅客の服()()と船体を貫く形で落下を防ぐ。しかも氷柱よりあふれ出る冷気は、そのまま強固な留め具と化していくではないか。

 

「危ない危ない……」

「いいや、まだみたいだな! 外を見てみな!」

「外?」

 

 言われるがまま視線を移す。

 なんだ、やけに海が遠のいているように見える。気のせいだろうかと今度は陸地の方を向く。

 遠い。というか低い。上から見渡しているからか、普通に海岸から見渡しているだけでは見えなかった森が広がって見えている。それも普通に船に乗っているだけではありえないほどに。

 

「この船……浮いてる……っ!?」

「みたいだ! そもそもなんで浮いてるか確認せにゃ話にならんがな!」

「心当たりは……」

「……あるにはある! が、実際に目で見にゃ何事も分からんさっ!」

 

 そう言うや、男はネンドールを繰り出す。

 辛うじて手すりに掴まっていた男は、ネンドールに指示し、自分を“サイコキネシス”で浮かばせた。

 

「君! 飛べるポケモンは持ってるか!」

「……一体だけなら」

「なら、他にも助けが要りそうな乗客が居ないか飛んで回ってくれ! 頼んだぞ! 俺は甲板の方に行く!」

 

 慣れた口振りで端的に指示を飛ばす男は、そのまま浮遊して去っていった。

 言われるがままリザードンを繰り出すレッド。しかし、その背中に乗ることはせず、あろうことか傾いた船の手すりを雲梯のように用いて進んでいく。

 

「俺のことはいい。他の人を助けるんだ」

「バギュアッ!!」

 

 自分を背に乗せるスペースが惜しい。そういう訳だ。

 だからといって腕力に物を言わせて船にしがみつくのはどうかと思われても仕方がないが、彼に背中を押されたリザードンは、力強く羽ばたくや、あっという間に目の前から飛び去って救助に向かった。

 できることならば、リザードンに加えて別の手持ちも救助に参加させたいところだ。

 だが、残るカメックス、ラプラス、カビゴン、ピカチュウは少なくとも今の状況に適しているとは言い難い。

 

(仕方ない……俺が行くしか)

 

 ポケモンがダメなら人力で。

 素でそう考えるレッドは、自身も並外れた身体能力で人命救助へ向かう。

 その時、

 

『ギャアァース!!』

「ッ……ポケモンの鳴き声?」

 

 甲板から轟く鳴き声。

 聞いたこともない―――それでいて凄まじい重圧(プレッシャー)を覚える鳴き声だ。こんなに離れていても肌がひり付くのだから、目の前に居れば委縮してしまうに違いない。

 

(甲板にはさっきの人が行ったけど……)

 

 脳裏に過るのはコスモスの安否だ。

 先日の一件がある。彼女のことならば、事件の渦中に居てもおかしくない―――不思議と確信があった。

 一瞬の逡巡を経て踵を返すレッド。

 杞憂であればいいと願うものの、どこかぬぐいきれない一抹の不安を覚えつつ、彼は甲板へ向かって突き進む。

 

 

 

 硬い意志に燃える真紅の瞳を煌かせながら。

 

 

 

 ***

 

 

 

 甲板では現在嵐が吹き荒れていた。

 空は黒雲に覆い隠され、海は無数の渦潮で荒れに荒れている。吹きすさぶ強風を前には目を開けることさえもままならない。

 体を打ち付ける土砂降りの雨も降ってくる中、飛ぶようにやって来た男は、泳ぐように宙を舞う銀色の巨体を前にほくそ笑んでいた。

 

「これはこれは……出会えて光栄だな、()()()よ……」

「……」

「ところで一つ聞きたいんだが……うちの娘知らないか? そこに落ちてる麦わら帽子の持ち主なんだがな?」

「……」

「全部が全部あんたの仕業ってんなら……ちょっと手荒な真似くらいじゃ済まなくなるな、()()()!!」

 

 男は叫ぶ。

 その声に瞳を細める銀色の巨体―――ルギアは、一度大きく翼を羽ばたかせる。

 巻き起こされる風は、たまたま柱に引っかかっていた麦わら帽子を吹き飛ばす。

 

 

 

 だが、その持ち主も―――最後まで傍らに居た少女の姿さえ、今はこの甲板の上には居なかった。

 




Tips:リーキ
コスモスと同い年の長い茶髪女の子。
普段は内気な性格で人見知りなきらいがあるが、歴史の話になると話が止まらなくなってしまう熱狂的な一面も備えている。
オキノタウン出身であり、時折善意で余計な口を出してくる父親にはほとほと困り果てている様子。


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№011:銀に集う

◓前回のあらすじ

レッド「レッドは オーロラビームを おぼえたそうにしている……」

コスモス「それよりも船が浮いている件について」


 

―――時はほんの少しだけ遡る。

 

 

 

 彼にとって、海と空の境目など無きに等しかった。

 

 空を泳ぎ、海を()ぶ。

 

 その(しろがね)の姿は、さながら雲であり太陽であった。

 

 陽光が届かぬ深海を照らす白銀は、今、その体を地上へと晒している。

 

「―――ルギア」

 

 ()を目の前にしたコスモスは自然とその名を口にしていた。

 ジョウト地方に伝わる伝説のポケモン、ルギア。

 海の神と呼ばれるポケモンであり、潜水に特化した翼を羽ばたかせれば、嵐を40日も巻き起こすとさえ言われている。その強大な力故、普段は深い海の底に暮らしているとも。

 

 そんな海神が今、こうして目の前に悠々と姿を現していた。

 

(伝説の……ポケモン)

 

 気づけば圧巻していた。

 海も空も統べるような圧倒的存在感に。

 先ほどまで無我夢中で空を撮っていた乗客も、今や撮影を忘れてルギアに目を―――そして心を奪われていた。

 

 しかし、その感動も足元に走る激震で忘れ去られることとなる。

 

「な、なんだ!?」

「船が……浮いてる!」

「きゃあああ!」

 

 轟音と悲鳴が響く中、ルギアの体よりも遥かに巨大な船体が宙に浮かび始める。

 これには野次馬だった者たちも命の危険を感じ取り、我先にと逃げだし始めるが、海と平行でなくやや傾いて浮上していたためか、地面があっという間に傾斜に変貌した。

 

「ルカリオ!」

 

 怒号に似た声を上げ、滑り落ちそうになる自身を掴まらせるコスモス。

 しかし、その真横を見慣れた人影が通り過ぎていった。

 

「いやあああ!!」

「!」

 

 被っていた麦わら帽子が脱げる勢いで滑落するリーキ。

 船体が傾いている以上、安全のために設けられている欄干を飛び越えて海に落ちる姿は想像に難くなかった。

 

 

 

 助ける? ―――無理だ。

 

 武勇伝になるのでは? ―――自分の命が最優先。

 

 助けた時のメリットは? ―――デメリットが大きすぎる。

 

 

 

 と、いつも通りの打算的で合理性を求める思考を巡らせる中、コスモスの視界は線のように映っていた。

 

「バウッ!?」

「っ……チッ!!」

 

 正気に返った時にはルカリオの手を振り払い、落ちていくリーキへと手を伸ばしていた。

 

 柄にもない大博打に出てしまったものだ。彼女一人助けたところで自分が死んでは野望もなにも潰えてしまうというのに。

 

 それでも体が動いてしまった。

 最早退くに退けない状況となった今、やるならば現状の打破しかない。

 

「手を伸ばして!!」

「コスモスさ……!」

「早くっ!!」

「っ……!」

 

 半ばやけくそになるコスモスの怒鳴り声に応じるリーキは精一杯手を伸ばす。

 あとちょっと―――そのようなもどかしい距離感を数度経た後、二人はようやく手を取り合った。

 しかし、その時すでにリーキの体は半分船の外へと放り出されていたではないか。

 全身に襲い掛かる浮遊感に、今にも気を失ってしまいそうなリーキであったが、その意識を繋ぎ止めたのは他でもない。ガクンと体に伝わる衝撃と、しっかりと握ったままのコスモスの手の感触であった。

 

「くうっ……!」

「コスモスさん……!?」

「なんで私がこんな……!」

 

 恨めしそうに悪態を吐くコスモス。

 彼女は今、片手で欄干に掴まり、もう片方の手でリーキを掴んでいるという絶体絶命の危機に瀕していた。

 少しでも力を緩めれば、リーキどころか自身の命さえも危うい。

 まったくもって非合理だ。ルカリオの手を振り払い、救出に向かった過去の自分が恨めしくて仕方がない。

 

 視線を上げればルカリオが降りてくる姿が窺える。

 が、コスモス自身自分ともう一人を支えていられる時間が、彼の救出を待つまでの間持たないことは察していた。

 

「飛べるポケモンは……!」

「え……!?」

「飛べるポケモンは持ってるかと聞いてるんです!」

「わ、わたしは持ってなくて……!」

「じゃあ、私のベルトのボールを開けて! 早く!」

「う、うん……!」

 

 両手が塞がっているコスモスと違い、辛うじて片手が空いているリーキは、宙づりに等しい不安定な状況の中、死に物狂いで言われたボールの開閉スイッチに触れた。

 飛び出てきたポケモンは、二人を容易く持ち上げられる―――はずもなさそうなズバットだ。

 

 これにはリーキも面食らったように言葉を失ってしまう。

 

「ズ、ズバット……!?」

「私たちを持ち上げて!」

「えぇ!?」

 

 そもそも持ち上げる手も足もないではないか―――と思った矢先の指示だった。

 仰天するリーキを横目に、言われるがままコスモスの襟の裏に噛み付き、翼と呼ぶには心もとない翼膜を必死にはばたかせる。

 あくまでこれは延命措置。本命はやはりルカリオだが、それまでに自分たちが落ちては元も子もないのだ。

 

 ズバットの頑張りもあり、手に掛かる負担が楽になる―――気がしたのは一瞬だけ。

 やはり無理があったのか、最初の内は感じ取れた浮遊感も、すでにないに等しい状態へと戻ってしまっている。

 

「ぅぅう……!!」

「コ、コスモスさん……わ、わたしのことはもう……! 貴方だけでも……っ!」

「面倒なので拒否します!」

「面倒っ!?」

 

 コスモスだけでも、と自己犠牲から発した言葉を、あろうことか「面倒」と一刀両断されたリーキ。断るにしても違う答え方があるだろうと思った彼女であったが、こちらに見向きもせずルカリオに視線を向けるコスモスの瞳に、続ける言葉を見失ってしまった。

 真っすぐ―――ひたすらに真っすぐな瞳だ。

 他の何事も眼中にはない。ただ自分の為そうとする事柄以外、目に入らない―――いや、入れないという強い意志を感じさせる。

 

「っ、ぁぁあああ!!」

 

 既に限界寸前の腕に力を込め、二人分の体を引き上げようと試みる。

 腕や肩から嫌な音が聞こえてくるが、それさえも厭わず力を振り絞るコスモスからは、まさしく決死の気迫というものを感じ取れた。

 

 そんな主の気迫を間近で目にしていたズバット。

 すると、突然彼の体に異変が起こった。

 ブルブルと体を震わせるズバットは、みるみるうちに眩い光を放ち始める。小さかった体は時間と共に一回りも二回りも大きくなり、体形さえも元の姿から大きく変貌させるに至っていた。

 

「こ、これは……!」

 

 直に見られないコスモスに対し、一部始終を目の当たりにしていたリーキは、その変化に目を見開いていた。

 

「ズバットが……ゴルバットに!?」

 

 進化。それはポケモンの身にもたらされる神秘の変態。

 ある程度成長、あるいは特定の条件を満たしたポケモンが、今とは全く違う姿へと変わる現象だが、目の前で繰り広げられたのはまさにそれだった。

 ズバットの時よりも大きくなった翼を羽ばたかせれば、力尽きる寸前であったコスモスの体があっという間に引き上げられていく。

 

 そうなれば後はとんとん拍子だ。

 軽快な身のこなしで降りてきたルカリオが、すぐさまコスモスとリーキの二人を引き上げる。

 

「まぷっ!」

「ひゃん! た……助かった……?」

「ひっひっふー……ひっひっふー……!」

「何を産もうとしてるんですか、コスモスさん!?」

 

 引き上げられた先で息せき切るコスモス。

 未だゴルバットの支えがあるからこそ立てている彼女だが、体力だけで言えばすぐにでも倒れてしまいかねない程に疲弊してしまっている。

 

「と、とにかく安全な場所に……」

 

 と、リーキは言うものの、宙を泳ぐ船と化した旅客船に安全な場所など無くなっていた。

 もしもこのまま海面に叩きつけられでもしたら、衝撃で船が壊れ―――その先を考えた途端、ただでさえ血色が悪かったリーキの顔が青ざめる。

 

「ル……」

「ル?」

「ルギアを……捕まえます」

「えぇ!?」

 

 突拍子のない提案には、リーキも仰天せざるを得なかった。

 

「ル、ルギアを捕まえるって……伝説のポケモンですよ!?」

「ルギアが船を浮かせているなら、ルギアに指示を出せば下してくれる……違いますか?」

「た、確かにそれも道理ですけれど……捕まえるとなると……!」

 

 伝説のポケモンを捕まえるなど、並大抵の難易度では済まない。

 伝説が伝説と呼ばれる所以は、その強さに起因する。隔絶した強さや能力があるからこそ、太古の人々は彼らを伝説と謳い、あるいは神として崇めてきたのだ。

 それこそ万全の準備を整えた四天王やチャンピオンクラスでなければ、恐らくルギアを捕まえることはできない。

 

「それでも……やるしかない」

「!」

 

 びっしょりを汗を掻いたコスモスの表情は真剣そのもの。

その表情を見るやリーキは、自分の考えが無理だなんだと否定するものばかりだったと反省した。

 そうだ、やるしかない。一縷の望みを掛けて神を手中に収める。現状を穏便に解決するには、それより他に手段はない。

 

「……わかりました。それしか方法がないのなら!」

 

 リーキはコスモスの訴えを首肯した。

 そもそも彼女は命の恩人なのだ。こんな絶体絶命の事態を前に、彼女が為し遂げたいことがあるというのならば、進んで手を貸すのが義理というものではないのか。

 腹を括ったリーキの面持ちに、コスモスはフッと笑みを零す。

 

(これでルギアをゲットできるなら儲けもの……ジム制覇、リーグ優勝、チャンピオン就任! イイ感じ……)

 

―――打算的な考えが先行しているのはご愛敬。

 

 だがしかし、現状打破にはルギアを捕獲し懐柔するしかない点については確かであった。

 旅客全員を飛べるポケモンやエスパーポケモンで運び出すには相応の時間がかかる。それまでルギアが船を浮かせたままで居てくれる保障など、どこにもないのだ。

 

 伝説を手に入れ、大事件を解決。

 未来のチャンピオンの武勇伝に相応しい経歴ではないか!

 

 と、前向きに考えていたコスモスであったが、不意を衝くように激震が船体を襲った。

 

「あ」

「あ」

「クワンヌッ!?」

 

 手に力が入らないコスモスどころか、余りの衝撃にリーキとルカリオすらも、船体から投げ飛ばされる。

 

「きゃあああ!!?」

「ぐぇ……」

「コスモスさぁ―――んッ!!?」

 

 重力に引かれて墜落するリーキとルカリオに対し、コスモスは必至にはばたくゴルバットにより宙づりにされる。

 が、ゴルバットが掴んでいる場所が悪かった。

 端的に言えば、首つりに近い状態になっている。みるみるうちに顔が真っ赤になっていくコスモスは、最早捕獲どころの話ではない状態だった。

 

 ただ命の危険で言えばリーキとルカリオも同じどころか、もっと危うい。

 一分もしない内に体は海面に叩きつけられる。少なくとも大怪我。一歩間違えれば―――死。

 

「ひぃ!!」

 

 恐怖の余り目を閉じる。

 願わくば、痛みが一瞬で済んでくれますように―――淡い願いだとしりながらも神頼みせずにいられないリーキは、手を組んでは何度も何度も心の中で唱えた。

 

「……あれ?」

 

 落ちない。

 一向に落ちないのだ。

 気づけば妙な浮遊感に包まれており、あれだけ体を吹き付けていた風も感じない。

 恐る恐る目を開いてみる。感覚が恐怖で狂っているだけかとも考えたリーキであったが、いざ辺りを見渡してみても、放り出されてすぐ下の辺りで景色が止まっていた。

 

「これは一体……?」

 

 隣のルカリオも同様に、未知の力で宙に浮いていた。

 吹き荒れる暴風雨の中、どこにも吹き飛ばされないしっかりとした安定感を覚えさせる力には、リーキやルカリオも目を白黒とさせる。

 

「……あっ! コスモスさんが!」

「バウッ! バウバウッ!」

「ぐぇ……」

 

 茫然と居られるのもそこまでだった。

 さすがは進化しただけあって力強いゴルバットにより、コスモスは船まで運ばれていたものの、その間首つり状態になっていた事実は拭えず、今も顔面蒼白だ。

 なんとか彼女の下へ戻ろうとするものの、超常的な力で浮かんでいる今、思うように船へと体は進んでくれない。せめて支えている当事者が分かればいいものの、今はそれさえ分からないのだ。

 

「あ、そうだ! お願いゴルバットさん! わたしたち……を……?」

 

 リーキの声を遮るように風が薙ぐ。

 真後ろで響いた突風はかなりの勢いだった。

 それこそ、大きなポケモンが翼を羽ばたかせたような音が耳を劈いた。

 

「え?」

「グォー!」

「きゃあああ!? リザードン!?」

 

 かえんポケモン、リザードン。

 リザードの進化形であり、翼が生え、大空を自由自在に飛ぶことが叶った火竜だ。

 普段ならば、ここ辺りに生息地はないと冷静な判断を下せるリーキであったが、立て続けに命を落としかねない状況に陥った今、ただただ驚くことしかできない。

 

 サンドのように身を丸まらせて守りを固めるリーキ。

 だが、リザードンは彼女たちを小脇に抱える形で船まで運搬する。

 

「ワフッ」

「グォウ」

 

 運ばれるルカリオは、特段警戒する様子も見せず、恩に着ると言わんばかりの鳴き声を上げ、リザードンも応じてニヤリと口角を上げた。

 まるで知り合いであるかのような振る舞いには、ビクビクと身を震わせていたリーキも首をかしげる。

 

「し、知り合いなんですか……?」

「恐らくは……先生のリザードンです」

「コスモスさん! 大丈夫でしたか?!」

「川の中で踊ってるルンパッパにつられて踊りかけたけど大丈夫」

「それ大丈夫じゃないですよね!? 引きずられかけてましたよね!?」

 

 危うく三途の川を渡りかけたコスモスであったが回復したようだ。

 と、自分の容態はともかく、コスモスは救援に来てくれたリザードンの様子が気がかりであった。

 訴えるような眼差しを送っては、鋭い爪で自身の背中を指さす。

 

 さながら「乗れ」と言わんばかりだ。

 

「……助けに来た、だけではないと?」

「グォウ」

「……」

「コスモスさん?」

 

 顎を抱えて唸るコスモスにリーキが声をかける。

 並々ならぬ事情を抱えていると思しきリザードンであるが、その真意を理解するには、主であるレッド以外では難しい話であった。

 しかし、

 

「……なるほど。そういうことですか」

「コスモスさん? 何か分かったんですか?」

「リザードンに乗りましょう」

「え……ひゃあ!」

 

 リーキを抱きかかえて飛び出したコスモス。

 それを難なくキャッチするリザードンは、慣れた手つきで彼女たちを背中へと移した。

 ある地方では空の移動手段として用いられるリザードン。その乗り心地は遥か昔よりお墨付きだ。

 少女二人と一匹を乗せた火竜は、吹き荒れる暴風雨を物ともせず、尻尾の先にともっている炎の尾を引かせながら機敏に空を舞う。

 

「ひぃぃぃい! ど、どこに行くんですかぁー!」

「うーん……ここら辺。ルカリオ!」

「バウッ!」

 

 悲鳴染みた問いかけに軽く受け答え、コスモスはルカリオを呼ぶ。

 すると彼は、何を言われるまでもなく両手を左右に伸ばし、後頭部の垂れさがった部位をブルブルと震わせながら波動感知を始めた。

 

 鍛えられたルカリオは1キロメートル先の相手の感情さえ読み取れるという。感情に機敏が故にストレスをためやすいという性質を有すポケモンではあるが、その感知能力は目を見張るものがある。

 

 それこそ、船どころか周囲に集まる()()を感じ取れるほどには。

 

「!」

「見つけた?」

「な、なにをですか……?」

「船を浮かばせている犯人」

「えっ!?」

 

 思いもよらぬ答えに驚くリーキは、自然と船尾―――ルギアと出会った方角へと振り返った。

 

「こんなことできるポケモンが他に居るって言うんですか!?」

 

 彼女の声音は『船を浮かばせているのはルギアしかいない』と言わんばかりだ。

 事実、遠い遠い地方ではルギアが貨物船を海から遠く離れた砂漠まで運んだ事件が起こった過去もある。それだけの力があることが実証されている以上、ルギアを疑うなという方が無理な話だ。

 

 だが、コスモスは淡々と反論を始める。

 

「居ないとは言いきれない」

「そうは言っても現に……」

「そもそもルギアが主犯ならルカリオが気づけないはずがない」

「と……言うと?」

「少なくともルギアは()から現れた。でも、船浮かばそうとする()()を持ってるんだったらルカリオが私に教える」

 

 ね? と目配せすれば、ルカリオはコクリと頷いた。

 今後は敵を増やしていく身。自衛の手段として傍に置いているルカリオには、何よりもまず自身に対する敵意や悪意といった感情を察知するように育てていた。

 

 それでは仮にルギアが船を敵対視しているとして、1キロメートル先の感情を感知できるルカリオが気づけないだろうか?

 いいや、そんなはずはない。

 

「ルギアは船を襲ってるんじゃない。船を()()()()

「えっ!?」

「嵐を起こす力を持ったルギアが本気を出す相手……そいつが主犯。ルカリオの感知を抜けて来たポケモンが!」

 

 つい最近経験したばかりだ。“テレポート”を用いて接近した相手を。

 

 もしも、そんな相手が船を弄んでおり、そこへ海神と謳われるルギアが助けに来てくれたのであれば、コスモスの中で全ての辻褄が合う。

 

 語気を強めるコスモスに呼応したルカリオがカッと目を見開く。

 すると、言われるまでもなく両手に波動を収束させたルカリオが“はどうだん”を虚空へ向かって打ち出した。

 空を覆う灰色の中、蒼い光弾は一層輝いて見える。

 二条の軌跡を描く光弾は、大きな弧を描くように上空へ―――船首の上へと疾走した。

 

「さぁ……出てこい!!」

 

 迷うことなく一点へ突き進む“はどうだん”。

 ルカリオ以外の目には何も映らない場所へ向かう光弾であったが、刹那、何もない場所に着弾するや爆発が起こった。

 「当たった!?」と驚くリーキの一方で、ジッと空を漂う黒煙を見つめるコスモス。

 

 次の瞬間だった。

 黒煙を切り裂くように一陣の刃がコスモスたちを襲う。

 

「グォォオオオ!!!」

「きゃあ!!」

「くっ!」

 

 しかし、寸前のところでリザードンが両手で受け止めたため、コスモスたちへの被害は爆発の余波だけにとどまった。

 それでも爆音と振動は凄まじく、庇われたはずのコスモスでさえ眩暈を覚える程の威力だ。

 

 これほどの技を繰り出す相手。

 一体どのようなポケモンが佇んでいるのか。

 いざ、眼を見開いて空を仰ぐ。

 

「あれは……」

「ポケモン……なの?」

 

 晴れゆく黒煙の中に佇む一つの影。

 それは鳥ポケモンのように翼で羽ばたいている訳でもなく、悠々と空に浮いていた。

 

 だが、それ以上に目を引いたのは無機質な鎧だ。800を優に超えるポケモンの種族の中には、まるで人工物のような―――それこそポリゴンのように人間が作ったポケモンさえいる。

 

 数多存在するポケモンの中に、鎧を纏っているように見えるポケモンはいくらか居るだろう。

 しかしながら、現にコスモスたちが目にする存在は次元が違う。

 明らかに人間の手で造られた鎧を身に纏っている―――そうとしか見られない姿があったのだ。

 

「グルルルルッ!!」

「グォォオオ!!」

 

 コスモスとリーキが慄く中、ルカリオは牙を剥き、リザードンは炎を吹きながら雄たけびを上げた。

 一見闘争心を高める行為に見えるが、ふとした既視感にコスモスが問う。

 

「ルカリオ。()()なの?」

「バウッ!」

「そう」

 

 同じ―――それは先日相手した三体を指していた。

 波動を感知するルカリオに、禍々しい紫のオーラを身にまとっているように見えた三体だ。

 

 それと同じであるとは、つまり目の前の存在も。

 

 ただ一つ違う点があるとすれば、

 

「フーッ!! フーッ!!」

「……ルカリオ?」

 

 空が闇に覆われ、地上がその影に隠されると錯覚するオーラの量だ。

 

―――桁違い。

―――次元が違う。

―――あれは本当に同族(ポケモン)なのか?

 

 同じような言葉が幾度もルカリオの脳裏を巡る。

 

 臆病な本能に裸足で逃げだしそうになる恐怖を与える存在に、彼は主への忠誠心だけで自制する。

 それでも平静で居られない現状を察知したコスモスは、一際険しい面持ちを浮かべ、立ち塞がる存在に目を遣った。

 

「リザードン」

「グゥ」

「今だけは私に指示を任せて」

「リザァァア!」

 

 答えはイエス。

 紅蓮の炎を空目掛けて吐き出すリザードンに、コスモスは不敵に微笑んだ。

 

 レッドに託されたリザードンに命を預けることしたコスモスは、同乗していたルカリオをゴルバットに掴ませるようにし、別個の飛行戦力として扱うと決めた。

 

 これで少なくとも2対1。

 船をサイコパワーで浮かせるだけの相手に対して心もとない感は拭えないものの、だからといって尻尾を巻いて逃げるような性格ではない。

 

「どこぞの差し金か分からないけれど……人の予定を狂わせた分は痛めつけてやる」

「コ……コスモスさん。結構物騒なことを……」

「GO! リザードン!」

「きゃあああ!!?」

 

 コスモスの合図で突進するリザードン。

 標的は無論、鎧のポケモン。

 これだけの所業をしでかした存在は、突撃してくるリザードンを目の前に片手を前へ伸ばす。

 次の瞬間、掌から生まれた星型のエネルギーがリザードン目掛けて解き放たれた。

 

「“スピードスター”が!?」

「リザードン、“エアスラッシュ”で迎撃!」

 

 放射状に広がってからリザードンへ収束する“スピードスター”。

 繰り出すポケモンのサイコパワーもあってか、かなり変則的な軌道を描く攻撃に対し、コスモスの指示に応じたリザードンはバレルロールの要領で回転しながら、その際の翼の羽ばたきで生じさせた風の刃で迫りくる星の群れを撃墜する。

 乗っている二人からすれば堪らない変態飛行であるが、今は我慢の時だ。グッと歯を食いしばり、体に襲い掛かる圧に耐える。

 

 そうして迎撃のみならず回転によって加速したリザードンは、一直線に鎧のポケモンへ。

 

 それを許さぬ敵は、もう片方の手から一度繰り出したエネルギーの刃を繰り出そうとする。

 

「あれは……“サイコカッター”です!」

「ルカリオ! “あくのはどう”で援護!」

「バウッ!」

 

 ゴルバットに懸架されるルカリオが漆黒の波動を繰り出し、リザードン目掛けて放たれたサイコパワーで形成された刃と激突する。

 相手は超越したサイコパワーの持ち主。

 しかし、エスパーとあくの拮抗であれば後者に軍配が上がる。

 

 素の力で劣るルカリオであるが、技のタイプ相性で“サイコカッター”を迎撃してみせた。

 そうなれば後はリザードンの番だ。

 

「“だいもんじ”!」

「グオオオオッ!」

 

 瞬時に口腔に火炎が収束する。

 限界まで凝縮された火の玉が鎧のポケモンへと解き放たれるや、それは大の字へと形成される。

 辺りを紅蓮に照らすほどの爆炎。これさえ直撃すればいくら鎧のポケモンとてタダでは済むまいと、コスモスの拳にも力が入った。

 

 しかし、“だいもんじ”が直撃する瞬間に標的の姿が消えた。それも一瞬で、だ。

 

「っ、“テレポート”!?」

「どこに……?」

 

 すぐさま辺りを見渡すコスモス。

 

 こういった瞬間移動の定石は上か下か、はたまた後ろか。

 

 答えは振り返って理解する。

 

「後ろ! ゴルバット、回避!」

「ゴルバッ……!?」

 

 ゴルバットとルカリオの背後。それも間近であった。

 聞こえる指示に従い回避行動をとろうとするゴルバットであったが、もう遅い。

 すでに“サイコカッター”を準備していた鎧のポケモンは、目障りであった二体目掛けてサイコパワーで形成された刃を叩きつける。

 

 ルカリオはともかく、ゴルバットにとってエスパーは致命的だ。

 だが、ゴルバットを倒されてしまえば必然的にルカリオの戦闘続行も叶わなくなるだろう。

 

「ゴルバット!! ルカリオ!!」

 

 手持ちの名を叫び、生じた黒煙に目を凝らすコスモス。

 

 瀕死になればすぐさま回収へ向かう。そんなつもりでリザードンを飛ばしていく。

 

 じわりと冷や汗が頬を伝う感覚を覚えながら数秒待つ。

 すると、間もなくして煙の尾を引くようにして一つの影が飛び出してきた。

 

 が、その姿にコスモスのみならずリーキが目を白黒させる。

 

「あれ……?」

「……クロバット?」

 

 飛び出してきたのはゴルバットではなくクロバット。ゴルバットの進化形だ。

 まさか窮地に追いやられて進化したのか?

 そんな考えが過ったのも束の間、コスモスの目はクロバットに懸架されるルカリオと()()()()()の姿が目に入った。

 

「じゃあ……」

 

―――誰の?

 

 生じた疑問が頭を過った瞬間、次は電光が空に瞬いた。

 

「こ、今度はなに!?」

「あれは……ジバコイル!」

 

 堪らず目を瞑るリーキに対し、コスモスは目を細めながらも鎧のポケモンに攻撃を仕掛ける乱入者を捉えた。

 コイルの最終進化形、ジバコイル。

 前方に突き出た磁石から“10まんボルト”を繰り出すポケモンの上には、電光が瞬く中でもしっかりと人影が見えた。

 

「赤髪……?」

 

 人相や服装よりも目に入った第一の情報が髪色。

 椿のように赤色は非常に鮮やかで、淡白な色合いのジバコイルと共に居ることで一層強調されて見えた。

 

「おい、そこのお前!!」

「?」

 

 そんな髪色のポケモントレーナーが叫んだ。

 声の質感から男……それも若い。少年だろうか。それくらいの年頃だろう。

 やや粗暴な印象を与える口調だが、不思議と敵対心を感じさせない少年はコスモスに向かって告げる。

 

「そいつを倒すなら俺がやる!! 素人は下がってろ!!」

「は?」

「どこぞの馬の骨かも分からない奴に手に負える相手じゃないって言ってるんだよ!! ジバコイル、“マグネットボム”だ!!」

 

 鎧のポケモンが“サイコキネシス”で“10まんボルト”を捻じ曲げ脱出を試みようとする光景を目にした赤髪の少年が、続けざまに強力な磁力を有した弾丸を打ち出すよう指示を出す。

 それを直撃寸前で“テレポート”で回避した鎧のポケモンであったが、“マグネットボム”は鎧に引かれるように追撃し、とうとう着弾して爆発した。

 

「凄い! あのポケモンに命中させました!」

「……」

 

 驚嘆の声を上げるリーキであるが、その傍でコスモスは得も言われぬ面持ちを浮かべる。

 そんな彼女に構わず、赤髪の少年は次なる攻撃を仕掛けんと口を開いた。

 

「ジバコイル! “でんじは”で動きを……」

『!』

「なにッ!? 速い!」

 

 黒煙を“サイコキネシス”で振り払う鎧のポケモンは、突き出した両手から蒼い光弾を撃ち出す。

 “はどうだん”。ジバコイルにとっては致命的なかくとうタイプの技だ。

 すでに“でんじは”の用意をしていたジバコイルは、元の動きが緩慢なこともあり、迎撃態勢も回避行動をとることもできず、ただただ攻撃を喰らう時を待つしかなくなる。

 

「チィ!!」

「“はどうだん”!」

「なっ……!?」

 

 しかし、その光弾を撃ち落とす援護が入った。

 

 クロバットに懸架されていたルカリオ。“サイコカッター”の直撃を喰らっていた彼であったが、食べ終えたオボンのみの芯を吐き捨てる。

 

「誰が馬の骨って?」

「……フンッ! 誰だか知らないが、少しはやるようだな」

「誰ではなく、コスモスです。ゆくゆくはチャンピオンになるポケモントレーナーです」

「チャンピオン? ……そうかよ」

 

 鼻を鳴らす赤髪の少年は、覚えるまでコスモスの顔を凝視した後、鎧のポケモンへと目を向ける。

 未だ堪えた様子を見せないものの、どんなポケモンであれ体力は有限だ。

 勝機はある。

 そう自分に言い聞かせる彼は、再度コスモスに声をかけた。

 

「なら似たようなもんだな。手を貸せ! あれを倒すぞ!」

 

 ()()()()ならばやれる―――ボールの中で奮い立つ相棒に向けて唱える。

 

 

 

「……おれはシルバーだ!! やるからには勝つぞ、コスモス!!」

 

 

 

 

 



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№012:言葉は不要(※ポケモンには)

◓前回のあらすじ

コスモス「銀なのに赤髪の人が参戦しました」

レッド「どうも、赤なのに黒髪の人です」

コスモス「赤色ファッションなのでセーフです」


 

 

 

「ふぃ~……さすがは伝説のポケモン、ってとこかねェ」

 

 ネンドールの上に掴まる男。

 何を隠そうリーキの父親である彼は、手持ちのポケモンを繰り出せるだけ繰り出し、伝説(ルギア)を相手取っていた。

 カバルドン、ドサイドン、ハガネール、グライオン―――凛々しい顔つきのポケモンたちは、どれだけ凄まじい“プレッシャー”を放つ伝説を目の前にしても臆した様子をおくびにも出さない。

 

(しかし、“じこさいせい”か……こりゃ厄介だな)

 

 だが、状況は芳しいとは言い難い。

 並大抵ではないルギアの耐久力に、攻撃を仕掛けているこちら側の体力がつきそうだ。

 なにより、その状況に拍車をかけていたのは体力の半分を回復する“じこさいせい”である。

 

「オレにはちょいと相手が悪いかねェ」

 

 彼のバトルスタイルは持久戦。

 じわりじわりと相手の体力を削り、勝利を手繰り寄せる―――それが定石であったのだが、桁違いの耐久力を有しているルギアには通用していない。

 

(まずは回復手段を封じにゃ始まらんか……!)

 

 活路を拓くべく、対処すべき技に狙いを定める。

 

「グライオン、“ちょうはつ”だ!」

「!」

 

 吹き荒れる暴風を見極め、滑空するようにルギアへと迫っていったグライオンが、ハサミをチョイチョイと動かすようにして煽り始める。

 相手を煽って補助技を封じる“ちょうはつ”は、持久戦を得意とするポケモンにとっては天敵のような技だ。

 

 現にルギアは“ちょうはつ”を目の当たりにし、先ほどまでの冷静さを失うや、怒り心頭といった面持ちで口腔から極太の水流を繰り出す。

 

「おぉっと! ドサイドン!」

「ドンッ!」

 

 疾走する“ハイドロポンプ”を阻むように現れる巨岩。

 頑強なプロテクターを身に纏ったような外皮へと進化したサイドンの進化形、ドサイドンは、苦手なみずタイプの直撃を平然とした面持ちで受け切った。

 

「どうだい? 砂嵐の中にいるドサイドンは、ちょっとやそっとの攻撃じゃ倒れないぜ」

 

 いわタイプのポケモンは、砂嵐の中であれば特殊攻撃に対する防御が上昇する性質がある。加えて、このドサイドンの特性は“ハードロック”。苦手なタイプの攻撃に対する耐久力が上がっているのだ。

 まさしく鉄壁。

 彼というトレーナーを象徴する相棒のような存在だ。

 

「さぁ……こっからが本番だ! ドサイドン、“がんせきほう”を喰らわせてやりな!」

「ドサァア!!」

 

 掌に穿たれている穴をルギアへと向けるドサイドン。

 次の瞬間、穴からは見るからに固そうな角張った岩が発射される。

 いわタイプの中でも最上級の威力を誇る技、“がんせきほう”。ひこうを有すルギアにとっては、例え並外れた耐久力を持ち得ているとしても、喰らえばただでは済まない威力だ。

 

「ッ、ギャアァース!」

 

 しかし、微動だにしないルギアはまんまと“がんせきほう”を喰らってしまった。

 直後、船がグラリと揺れたものの、男はそれが船を浮かばせるルギアの力が弱まっただけだと判断する。

 

「よぅし、このまま畳みかけるぞ!」

 

 船を解放するまでもう少し―――そう意気込んだ男は、ポケモンたちへ指示を飛ばす。

 繰り出される技の数々は、真っすぐルギアの下へ。

 回復手段も封じられたルギアは、ただただ空に座すようにして、迫りくる攻撃に身構えていた―――が、

 

「カメックス!」

「ッ……なんだと!?」

 

 突如として現れた甲羅―――否、カメックスが攻撃からルギアを庇う盾となり、男のポケモンが繰り出した技の数々を受け止める。

 しかも、その方法が斬新だった。五体を甲羅に収納したカメックスが、その穴から凄まじい水流を放ちながら回転。単に頑強な甲羅で受け止めるのではなく、回転することで()()()()。よほど鍛えられたポケモンでなければ為せぬ業だ。

 

―――何と凄まじい堅牢さ。

 

バトルの為に育成している身としては感心するばかりの男であったが、状況が状況であったが為にすぐさま我に返る。

 

「おいおい! お前さんは一体何者だい?! ……って!?」

「あ」

 

 見たことのある顔。もとい、レッドだった。

先ほどまでトイレで同じ時間を過ごしていた顔に、思わず見つめ合ってしまう。

 一瞬、何とも言えない空気が漂う。

 けれども、たった今しでかされた所業に、男の顔が険しくなった。

 

「……どういうつもりだい? こんな時に邪魔なんかしでかしてくれて」

「……分かりませんか?」

「そりゃあ……ははん、なるほど。()()()()()()って捉えていいのか?」

 

 途端に剣呑な空気と化す場。

 ポケモンたちも主が敵対する空気に触発され、睨み合いを始める。

 

 そんな中で振り返ったレッドは、たった今庇ったルギアと視線を交わす。

 澄んだ瞳。その静謐さは、とてもではないが人やポケモンに理由なく危害を与えるとは思えられなかった。

 

 言葉を交わさずとも分かる。

 ルギアは敵ではない、と。

 

(……言葉は不要!)

 

 意思疎通に言葉を交わす必要がないと断じたレッドは、なおもルギアとの戦いに臨もうとする男に立ちふさがる形をとった。

 ルギアを―――延いてはルギアが助ける船の乗客を守るため。

 

 ただ一つ足りなかったことはと言えば、人間との意思疎通にも言葉が不要と断じてしまったおっちょこちょいのすっとこどっこいな点であろう。

 

「ピカチュ?」

 

―――お前マジか?

 

 頭の上に乗るピカチュウが、そんな言葉を投げかけたが、吹き荒れる暴風の所為か、ついぞレッドの耳には届いていなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ジバコイル、“マグネットボム”!」

 

 ジバコイルから解き放たれる磁力の爆弾が、謎のポケモンの鎧に引かれて宙を奔っていく。

 磁力を有しているからこそ、“テレポート”で瞬間移動する相手にも追尾できる。

 まさしく今の状況には打ってつけの技であったと言えよう。

 

 しかし、そう何度も喰らう相手でもない。

 迫りくる“マグネットボム”を迎撃するべく繰り出されたのは“スピードスター”。威力こそ“マグネットボム”に劣るものの、視界を埋め尽くすほどの弾幕の壁に、ジバコイルの攻撃は撃墜されてしまう。

 

「チィ!」

「ルカリオ、“りゅうのはどう”と“あくのはどう”で追撃! リザードン、“だいもんじ”!」

 

 すかさずコスモスが追撃を指示するが、宙を閃く攻撃はいずれも鎧のポケモンのよって軌道をずらされてしまう。

 

「あの“サイコキネシス”……厄介」

「おい、コスモスとやら」

「ん?」

「そのリザードン、随分鍛えられてるな。なんとか相手の懐に潜り込ませられないか?」

 

 浮遊するジバコイルに乗ったシルバーが、コスモスに提言する。

 この中で唯一鎧のポケモンにそれらしいダメージを与えられそうなのは、他ならぬレッドのリザードンであった。

 

「出来たら苦労してない」

「チッ……そりゃそうか」

 

 しかし、コスモスもそこまで馬鹿ではない。

 出来るのならば言われる前にやっていた。

 だが、それを許さぬ程に相手の攻撃が苛烈で、防御が堅牢なのだ。

 

「他にポケモンは?」

「ゲンガーとフーディン、それとマニューラにオーダイルだ」

「ゲンガーは“みちづれ”覚えてないの?」

「生憎な」

「そっか」

 

 一発逆転の手として、自身が戦闘不能になった際に相手も瀕死に陥れる“みちづれ”があれば、格上相手でも難なく倒せただろうが―――それもやはりないものねだりだったようだ。

 やはりリザードンに賭けるしかない。

 それは分かり切っているものの、近付こうとすれば相手が逃げる。これではまさしくいたちごっこ。永遠に終わらないどころか、こちらが先に疲弊してやられてしまう。

 

 シルバーがジバコイルとクロバットに指示して時間を稼いでいる間、コスモスは必死に思考を巡らせる。

 

(どれだけ早く接近しても、きっと距離をとられる……これだからエスパータイプは)

 

 ケーシィを捕まえようと思ったら逃げられた―――そのような手合いの話は、トレナーズスクールでも耳にタコができるくらい聞いたものだ。

 正攻法では話にならない。

 もっと敵の裏を掻くような方法でなければ……。

 

「バウッ!」

「……ルカリオ?」

 

 突然、思案するコスモスに向かってルカリオが吼えた。

 予期せぬ行動に首を傾げつつ顔を向ければ、当のルカリオは何かを訴えるような眼差しをこちらに向けている。

 

(一体何を……?)

 

 しかし、どれだけ見つめられたところで理解できないものは無理なのだ。

 あくまで二人の内、完璧に相手の考えを理解できるのはルカリオだけ。コスモスは思いつくだけの質問を経て答えを絞るしかなかった。真の意思へたどり着く手段は―――。

 

(……いや、こんな時だからこそ)

 

 かぶりを振って過去の自分を否定するコスモス。

 

 そうだ、先生(レッド)に教えられたばかりではないか。

 より強いポケモントレーナーとなるためには、言葉を介さずとも意思疎通を図れるだけの信頼関係を築くべきだと。

 ルカリオは自分を信頼してくれている。コスモスというポケモントレーナーに、だ。

 ならば、彼が信頼するに値したポケモントレーナーとして、彼の要求には自分が答えられるはずだ。

 

「……分かった。ルカリオ、やってみて!」

「バウッ!」

 

 ぶっつけ本番上等と、初動をルカリオに丸投げするコスモス。

 すぐさまルカリオは、自身を懸架していたゴルバットから飛び降りて、コスモスたちが乗るリザードンの背中へと移動した。

 ここからだ。

 ここからルカリオの意図をくみ取れるかどうかが、ポケモントレーナーの高みへと昇る自分の前に立ちはだかる壁を壊せるか否かが決まる。

 

「コスモスさん……」

「何が起こってもいいように掴まって」

「はいッ……!」

 

 ギュッとコスモスの腰に腕を回すリーキ。

 ルカリオだけではない、彼女の信頼も一身に担うコスモスは、柄にもなく緊張した面持ちを浮かべていた。

 

 唇はカサつき、喉は乾く。

それを潤すために生唾をごくりと飲み込む。

 

「合図は任せる」

 

 そう告げるコスモス。

 今までとは違う信頼の感触。それを波動で―――いや、これだけの距離だ。肌身で感じ取ったルカリオは、不思議と心地よさを覚えながら()()()を窺う。

 

「クロバット、“エアスラッシュ”! ジバコイル、“10まんボルト”!」

 

 熱の籠ったシルバーの指示が響き渡る。

 カッと閃く電光の中、鎧のポケモンはまたもや“テレポート”で迫りくる攻撃から難を逃れた。

 

「バウッ!!」

 

―――今だ!!

 

 そう言わんばかりの雄たけびと共に、コスモスたちの視界は一変した。

 あれだけ遠くにいた鎧のポケモンが、今は目の前に居る。それも背中を晒して。

 

 そして全てを理解するコスモス。自然と口角は吊り上がり、あれだけ喉が渇いていたというにも拘わらず、込み上がってきた言葉は風が荒れる音を貫くように迸った。

 

「リザードンッ!!!」

 

―――“ものまね”による“テレポート”の模倣。

―――キョウダンジムでの経験を経た戦法。

―――それを主よりも早く提案したルカリオ。

 

(このチャンス……無駄には()()()()!!)

 

 自分本位ではなく、あくまで信頼に応えるべく。

 その為にコスモスは告げる。

 

 

 

「“ブラストバーン”ッ!!!」

 

 

 

 炎の究極技を。

 

『ッ……!!?』

 

 零距離で放たれる爆炎に全身を包み込まれる鎧のポケモン。

 岩をも溶かす炎を浴びているのだ。身に纏う鎧は瞬く間に熱されていく。

 甲冑の隙間からも苦悶の声が漏れることからも、炎の究極技(ブラストバーン)の威力の凄まじさが物語られていた。

 

 一方で背中に乗る二人は、その余波である熱に顔を顰めていた。

 

「くぅ……!!」

「まだ!! ルカリオ、“ものまね(ブラストバーン)”!! ゴルバット、“ちょうおんぱ”!!」

 

 熱波に堪えるリーキの一方で、コスモスは更なる追撃を二体へ指示する。

 加えて、離れた場所に居たシルバーたちも、一直線に彼女の下へと駆けつけていた。

 

「やるじゃないか!! よし!! ジバコイル、“でんじほう”!! クロバット、“エアスラッシュ”!!」

 

 シルバーたちの追撃も鎧のポケモンへ疾走する。

 

「これで……!!」

「行けぇぇぇえええ!!」

 

 思わず拳を握る二人は、相棒が繰り出した技の行く末を瞬き一つせずに見守る。

 次の瞬間、着弾した技は大爆発を起こし、辺りに嵐に勝るとも劣らない爆風を吹き荒れさせた。

 

 リザードンは巻き添えを喰らわぬように直前で退避し、コスモスは彼の背中越しに着弾した空域に漂う黒煙をジッと見つめる。

 

「!」

「あれは……!」

 

 煙の尾を引いて墜落する影に反応するコスモスたちであったが、すぐさま落下する物体の正体に眉を顰めた。

 

「破片……?」

「まさか……クロバット!」

「クロバッ!」

 

 察したシルバーがクロバットに黒煙を巻き起こした風で払わせる。

 すると、鎧のポケモンが居たはずの空域はもぬけの殻。少なくとも2メートルは超えていた長躯は見る影もなくなっていた。

 

「逃げられたか……クソッ!」

「……」

 

 あくまで墜落している物体は、破壊された鎧の破片。

 襲撃した鎧のポケモンは爆発に紛れて姿を消したのだろう。

 

 シルバーは悔しそうに己の太腿を殴り、コスモスは帽子と深く被り込む。

 

(あのポケモンはやっぱり……)

 

 死闘の熱が冷める中、思考がまとまっていくコスモスは鎧のポケモンの存在が、先日の一件に関連するのではないかと勘繰る。

 謎の組織に改造されたポケモン、そして鎧のポケモン。現状においては全てが繋がっていると考えた方が自然であった。

 

「お……終わったの?」

「え? えぇ……恐らくは」

「はぁ~……こ、怖かったぁ……」

 

 しかし、それもリーキの脱力した声に遮られる。

 成り行きで死闘に巻き込まれた彼女は、今にも死にそうな顔を浮かべながら、尚もコスモスの腰を強く抱きしめていた。

 それも仕方がない……とは思いつつも、流石に苦しくなってきたコスモスは「もう少し緩めてください」と願い出る。

 

 と、その時だ。

 

―――ミシッ。

 

「ん?」

「あれ?」

「お?」

 

 頭上から金属が軋む音が聞こえた。

 弾かれるように見上げれば、ゆっくり―――ゆっくりであるが、空に浮かんでいた船が下りてくる光景が目に入る。

 どうやら“テレポート”を連発する鎧のポケモンを追いかけている間に、三人は船の真下へと移動してきていたようだ。

 

「あ~……」

「えっと……ここに居るとまずくないでしょうか……?」

「下敷きになるな」

「「「よしっ!」」」

 

 

 

 全会一致―――逃げよう。

 

 

 

「GO! リザードン! GO! 後でリップサービスモリモリで先生に便宜を図りますから!」

「お、お願い! 急いで~!」

「ジバコイル! お前は船に引っ張られてくれるなよ!」

 

 途端に三人が慌ただしく撤退を始める。

 落ちてくる巨影は、迫る速度こそゆっくりでこそあるが迫力満点。

 

 二度あることは三度ある―――本日三度目の絶体絶命的危機から逃れつつ、後日巷を騒がせる大事件は収束へと向かい始めるのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……まさかルギアが船を助けてたとは思わなんだ」

 

 壮絶な戦いの痕を残す甲板。

 そこに胡坐を掻いているのはリーキの父親であった。

 直後、彼はゆっくりと頭を下げた。これ以上なく申し訳なさそうに。

 

「済まなかった……!」

 

 誠心誠意の謝罪。

 一方で彼の視線の先―――船尾の最奥に佇むルギアは、知性と優しさを感じさせる眼差しを浮かべていた。

 

「クゥ」

「ピカピ~カ?」

 

 「構わない」と言わんばかりに鳴き声を上げれば、もう一体、甲板に佇んでいたピカチュウが手を振って答える。

 ポケモン同士にしか伝わらない会話が始まるが、そこに流れている穏便な空気が、人間の誤解より生まれた争いの傷跡を癒していく。

 

「……頭を上げてください」

「君は……」

 

 頭を下げていた男の下に歩み寄るレッド。

 

「俺の所為でもあると思うので……」

 

 言葉は不要と自己完結したことを反省する彼は、数年山籠もりして衰退していた自身のコミュニケーション能力を自覚し、痛く反省していた。

 

「いや、君は悪くないさ。地元民の癖に、手前の神様を信用できなかったオレが悪いのさ」

「そんな……」

「それよりもオレを止めてくれてありがとう。危うくルギアどころか船も危険に晒すところだった」

 

 今一度頭を下げ、今度は感謝の意を示す。

 十数秒かけた礼を終えた彼は、先ほどまでの陰気臭い顔はどこへやら。晴れ晴れとした笑みを浮かべ、レッドに手を差し出した。

 

「オキノジムリーダーのリックとして、心から感謝させてくれ」

「オキノジムリーダー……?」

 

「パパぁ~!」

 

 「え?」とレッドが固まった直後、少し離れた場所から一人の少女が駆け寄って来た。

 

「おー、リーキ!! 無事だったのか!?」

「怖かった……怖かったよぅ……!」

「ごめんな、リーキ!! オレが傍に居てやれば……!!」

 

 再会の喜びを分かつに抱き合う親子。

 だが、

 

「……パパ、お酒臭い!? 離れて!」

「なっ!?」

 

 ガーンッ! とショックを受けるリック。

 突き放された代わりにリーキが向かったのは、後ろから現れたもう一人の少女。

 

「あ、コスモス」

「先生。ご無事で」

 

 コスモスは、駆け寄って来たリーキを抱き留めながら、淡々とレッドとの安否確認を済ませた。

 

「大丈夫だった……?」

「先生のリザードンが居てくれたのでなんとか」

「そっか。お疲れ様、リザードン」

「グォウ」

 

 目の届かない場所で奮闘していたリザードンを労う。

 それも全ては相棒に疲弊した色を窺うことができたからだ。自慢ではないが、長い時を経て育て上げた大切な手持ちの一体である。並大抵の相手では負けるはずがないという信頼があった。

 

 だからこそ、ここまでリザードンを疲弊させた相手が気になって仕方がない。

 

「ねえ……一体何と……」

「キュゥゥゥウウン!」

「っと……!?」

 

 突如として吹き荒れる風。

 どうやら、ルギアが海へ帰るために飛び立ったらしい。威風堂々とした銀の巨体は、見る者を圧倒する翼を広げ、甲板に佇んでいたコスモスやレッドたちを見下ろす。

 

「クゥウ……!」

「ルギア……捕まえたかった」

「今ここで言う?」

 

 雰囲気を台無しにするコスモスの言葉にツッコんだレッドであったが、「ピ~カァ~!」と別れを告げるピカチュウに続き、自分もと大きく手を振る。

 

「またね……」

「是非また会いましょう」

「ありがとう、海神様ぁ~!」

「迷惑かけちまった分、今年の捧げものは弾ませてもらうぞぉ~っと!」

 

 各々が別れの言葉を告げ終えるや、満足気な笑みを湛えたルギアは、おもむろに海面へ口を開く。

 次の瞬間、途轍もない爆発音と共に海が穿たれるではないか。

 吹きあがる水飛沫。見送ろうとしていた者全員が圧倒される中、ルギアは翼を折りたたみ、弾丸のような速さで海の中へと潜行していった。

 

 再び轟音が奏でられれば、今度は巨大な水柱が上がる。

 辺りを舞う水飛沫の量は凄まじく、甲板に居た者たちは全員がずぶ濡れになりかねない程であった―――が、いつの間にか晴れ渡っていた空に虹が掛かる光景を目の当たりにし、全員の顔に笑みが浮かんだ。

 

「っぷ」

 

 と、水を差すようにコスモスの顔面に何かが落ちてきた。

 口と鼻にへばりつく、一瞬ではあるが呼吸がままならなくさせる物体。慌てて引きはがせば、それは水に濡れて透き通るような透明感に彩られる一枚の羽根であった。

 

「これは……」

「それは……銀色の羽根!」

「銀色の羽根?」

「はい! ルギアの羽根ですね! ホウジョウ地方とセトー地方じゃ幸運の証とされてるんです! ちなみにジョウト地方の方でも似たように、ホウオウの羽根……虹色の羽根を手にしたら、一生を幸せに過ごせるという迷信もあって……!」

「なるほど」

 

 リーキの力説を受けながら、じっくりと手にした銀色の羽根を眺めるコスモス。

 

(……とっとくとしますか)

 

 捨てる理由はない。むしろ、今の話を聞く限りでは追々過去を語る機会に恵まれた時、エピソードにでも使えるのではないか? ―――と、平常運転な思考が脳裏を過る。

 

 損はないとバッグにしまうコスモス。

 

 これで一件落着。

 全身が鉛のように重く感じるコスモスは、大きなため息を吐いた。

 

「なあ、ちょっといいかい」

「はい?」

 

 そこへ歩み寄ったのはリーキの父親―――もとい、オキノジムリーダーのリックであった。

 

「娘に付いててくれたんだろう? ありがとうな」

「いえ、大したことでは」

「娘も随分君を信頼しているみたいだ。よかったら、これからも仲良くしてやってほしい」

「はぁ……」

「それに付けてなんだが、オレもオキノタウンじゃジムリーダーとして顔が利く方だからな。この船に乗ってたんだから向かってたんじゃないのか? 困ったことがあれば何でも言ってくれ」

「時期が来ればお言葉に甘えて」

 

 この掌の返しようだ。

 と、ここまでは親バカな父親としてのリックの顔つきが、途端に険しいものへと変貌する。

 

「ところでなんだが……()とはどういう関係なんだい?」

 

 チラリと目線を向ける先。

 そこにはブルブルと体を震わせるピカチュウの水滴を顔面に喰らったレッドが、海水に足を滑らせて派手に転倒していた。

 一瞬何とも言えない空気が流れるも、こほんと咳払いしたコスモスは、真摯な眼差しを浮かべて応える。

 

「私は先生の弟子です」

「弟子? 君が?」

「はい」

「ははぁ~ん、そういう……」

 

 含みのある言い方だ。

 思わずコスモスも怪訝そうに眉を顰めるが、思わせぶりな態度もそこそこにリックが踵を返した。

 

「ジムで待ってるよ、挑戦者(チャレンジャー)

「……」

 

 ジムを巡っていることを悟られた。

 しかし、予想の範疇だ。なんら驚くような状況ではない。

 だが、それにしても彼の様子が気がかりであった。ピリピリと肌を突き刺す戦意と言うべきか。流石ジムリーダーを名乗るだけのことはある“圧”を放っていたが、どうにもピタヤの時と()()が違う。

 

「先生」

「ん?」

「先生はあの人に何かしましたか?」

 

 とりあえずレッドに話を聞いてみることにしたコスモス。

 唐突な問いかけに固まるレッドであったが、考えがまとまったのか、「あぁ~」と気の抜けた声を漏らしながら言葉を紡ぎ始めた。

 

「あの人が勘違いでルギアと戦ってたから、それを止めたかな……」

「ポケモンバトルで?」

「うん」

「勝敗は?」

「……俺が勝った……かな」

「もっと詳細に」

「……あの人のポケモン四体をカメックス一体で倒し……ました」

「なるほど」

 

 自然と途中からレッドの口調が畏まる。それだけコスモスが放つオーラが威圧的だったのだろう。

 

(これは警戒されてますね)

 

 ジムリーダーとしてのプライドを叩き潰されたに等しい勝負の結果。

 それだけのポケモントレーナーの弟子ともなれば、挑戦を受ける身としては警戒せざるを得ないだろう。

 

 そう、リックはレッドとのポケモンバトルで敗北を喫し、彼の弟子たるコスモスも強いと断じて警戒していたのだ!

 

「先生……」

「……いや、その……」

「……これも試練という訳ですね」

「え? あ、うん」

「分かりました。では、不肖ながらこのコスモス、先生の用意した試練を突破してご覧に入れましょう」

 

 しかし、コスモスはぽんこつだった。

 不慮の出来事続きで高くなった壁。それを打倒せんと意気込む彼女は、師匠すらも置いてけぼりにしつつ、次なるジムへの気合いを入れるのであった。

 

 そのジムこそオキノジム―――「揺らがぬ地面の大黒柱」、リックが構えるじめんタイプの居城だ。

 

「さぁ、気を取り直して行きましょう。先生」

「……うん、頑張ろうね」

 

 

 

 ***

 

 

 

「……『レッド』に『コスモス』……か」

 

 

 

 二人の名を唱える赤髪の少年は、船から降りてオーダイルの背に乗っていた。

 

「ロケット団を滅ぼしたチャンピオンの弟子……覚えておいて損はないな」

 

 ある種の憧憬さえ抱く偉業を成し遂げた王者と弟子。

 己が抱く目的と、きっとこの先で道が交えると考えつつも、今だけは一人―――いや、ポケモンたちと先を急ぐのだった。

 



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№013:強さこそストロング

◓前回のあらすじ

コスモス「ルギア捕まえたかった」

レッド「代わりにジムリーダーを捕まえた」


 

 

 

 片やエンジュ風建築が立ち並ぶ趣深い風景。

 片や近代的なビル群が立ち並ぶ都会の風景。

 

「おぉ……」

「オキノタウン……やっと到着しましたね」

 

 港に降り立ったレッドとコスモスの二人は、眼前に広がる様々な建物が共存する光景を目の前に、感慨深げそうに町を見渡した。

 

 道中の船への襲撃もあり、先ほどまで船上で事情聴取を受けていた訳であるが、無事に目的地へとたどり着けたのだった。

 様々なトラブルに見舞われ、疲労がない―――と言えば嘘になってしまうが、それらを吹き飛ばしてしまうくらいにオキノタウンの風情溢れる街並みに、今は心を引かれている。

 

「すごいね……」

「ピッカァ!」

「『古来より神々が集うとされるオキノの地は、神を祭る神社といった歴史的建造物を保護する一方、ジムリーダーを兼任するオキノ総合建設会社代表取締役社長・リックの方針により、住民に健やかな衣食住を提供すると共に、景観を損なわぬように“歴史と文明の進化の融合した町”を指針とし、現在のオキノタウンを築き上げた』……とのことです、先生」

 

 スマホロトムの画面に映し出される町の案内書を読み上げるコスモス。

 

「へぇ……ん、社長?」

 

 耳に入れるがままに感心していたレッドであったが、聞き捨てならない肩書を耳にし、弾かれるように振り向いた。

 

「はい。オキノジムリーダー……もとい、リックさんは大手総合建設会社の社長だと」

「シャチョー……」

「ホウジョウ地方一の上場企業ですね」

 

 かなりの上役相手に失礼を働いていたのではないかと怖くなってきたレッドは、ピカチュウを抱きしめながらブルブルと震え始める。

 今までにも社長を相手にしたことが無いと言えば嘘になるが、それもロケット団に占拠されたシルフカンパニーを救い出した時ぐらいだ。公的な場でやり取りした訳でもなかったのだから、当時にしても礼節などあってないようなものだった。

 

 社長(つまり)偉い人。

 

「俺……消されない?」

「何の心配をしているのか分かりませんが、少なくともブラック企業ではなさそうですね」

 

 黒は黒でも別の意味を想像していたレッドは、ホッと胸を撫で下ろす。

 一方でコスモスはと言えば、

 

(棚からぼた餅……偶然とはいえ、良い巡り合いをしたものです)

 

 思わぬ繋がりを得られたことに内心ほくそ笑んでいた。

 地方一の大企業とのコネクションを得られれば、追々役に立ってくれるはずだろう、と。

 

 そんな訳で、安堵するレッドの隣では、真っ黒い腹積もりのコスモスが虎視眈々とあれこれ考えを巡らせているのだった。

 

「それより先生。船の一件で疲れたことですし今日はもう休みましょう」

「……それもそうだね。ポケモンセンターに行って……」

 

「コスモスさぁ~ん!」

 

「ん?」

 

 不意に背後から聞こえてくる声に振り返れば、タクシーの助手席に乗ったリーキが二人の下へと近づいてくるではないか。

 

「間に合って良かったです!」

「リーキ? 一体どういう意味で……」

「パパがお二人のためにホテルを取ったんです! 私はその案内を! ささっ、どうぞ乗ってください!」

 

 彼女が言うや、タクシーの後部座席のドアが一人でに開く。

 直後、見つめ合うコスモスとレッドの二人であったが、大事件に巻き込まれた疲れもあったからか、“断る”という選択肢は頭に浮かばず、「お言葉に甘えて」と乗り込むことになった。

 

「ホテル……ですか、因みにどこの?」

「あそこです! 屋上のムクホーク像が見えますよね?」

「ムクホーク像……」

 

 言われるがままムクホーク像とやらを探すコスモスとレッド。

 一体どこにあるのやらと車窓から町を見渡していた二人であったが、先にピカチュウが見つけたと言わんばかりに鳴き声を上げて指差した。

 それを二人は視線で追う。そして固まった。

 

「お、おぉ……」

「大きいですね」

 

 黒光りする外観の巨大なホテル。

 それはCMやテレビ番組でも良く取り沙汰される超高級ホテルであった。一泊数万は下らない。普通に旅をする上では、絶対に利用する機会に恵まれないであろう。

 そんな予想外の宿泊地に唖然とする二人に、ニコニコと笑みを湛えるリーキは続ける。

 

「はい! パパも『恩人のためなら!』と張り切っていましたので!」

「そ、そう……」

「社長さまさまですね」

 

 慄くレッドに対し、コスモスは早速の得する場面に内心ホクホクだった。

 「ここならきっと疲れも取れますよ!」と純粋な面持ちで語る社長令嬢・リーキであったが、何かを思い出したかのようにコスモスへと振り返る。

 

「コスモスさん、因みに明日のご予定は?」

「予定ですか? ジムの予約をして、後は……」

「観光でもする?」

 

 流石に今日の明日で身体を痛めつけるハードスケジュールは避けたいところだ。

 とりあえずジムの予約だけは済ませたいコスモスは、最低限の用件を口にした後、残りをレッドの裁量に任せると訴える眼差しを向ける。

 それに続いて観光を口にしたレッドであったが、具体的にどこを巡るかまでは考えておらず、二人の口はそこで止まってしまうことになる。

 

「では、私にお任せください! オキノタウンを少しでも好きになってもらえるよう、こちらでスケジュールを組んでお迎えに上がりますから!」

 

 と、そこで思わぬ申し出をするリーキ。

 「いいの?」とレッドがおずおずと問いかけたが、彼女は快く首肯してみせる。

 

「もちろんです! お二方にはたくさんお世話になりましたから! ぜひぜひ遠慮せず! 

あっ、もちろん送迎のお代はこちらが負担しますし、ジムの予約も私から伝えておきます!」

「それもリーキのお父さんの勧めで?」

「! ……鋭いですね、コスモスさん。はい、パパが案内してやれと……あ、でも嫌っていう訳じゃありませんから! オキノタウンはたくさんの寺社仏閣がありますし、美味しいものもたくさん! それ以外にも雑誌に紹介されるお店とかも……それこそ一日じゃめぐり切れないくらい良いところがありますので! で、でも、ちょっと恥ずかしいと言いますか……」

「?」

 

 小声で聞き取り辛かったが「恥ずかしい」とはどういう意味か?

 

 しかし、そこまで気にかけることでもないと断ずるコスモスは、「では、よろしくお願いします」と告げ、明日のスケジュールをリーキに任せることにした。

 

「とりあえず、明日は観光ですね」

「そうだね」

 

 たまにはバトルも忘れて歴史や文化に触れるのも悪くはない。

 表情にこそ出ないものの、実際は浮足立っている師弟コンビは、明日の観光地巡り―――そして何より美味しい名物を楽しみにしつつ、タクシーに揺られるのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 どこまでも晦冥が続いている。

 延々と耳を劈く嵐の音は止む気配を見せず、寧ろ時が経つに連れて荒々しくなる一方だった。

 すると、一つだけ影が現れる。

 翼を広げる影は、空を飛んでいるにも関わらず、まるで泳いでいるかのように優雅な動きでこちらへと近づいた。

 

―――一体何の影?

 

 ロクに光も差さぬ暗黒の中で懸命に目を凝らしていれば、次第に影の輪郭や体色がはっきりと捉えられた。

 黒く塗りつぶされた身体は元の神々しさの見る影もなく、血のように紅く滾る瞳もまた、あの静謐な眼差しとは程遠い。

 

「……ルギア?」

 

 確証を得て名を呼んだ。

 体の至るところ―――もとい、全身の隅から隅まで本来の(しろがね)とはかけ離れた姿だった。

 

 刹那、景色が一変する。

 

―――誰……?

 

 晦冥を抜けた先、グツグツと煮えたぎる……これはマグマだろうか。

 活火山に設けられた施設のような場所に佇む少年と老人が向かい合っている。漆黒の巨体を有すルギアも。

 しかしながら、場面は急速に飛び始めていく。

 

 朧げなシーンを脳裏に焼き付くそうと目を凝らす。

 そして微かに見えた()()

 浮かび上がるのは、大勢のポケモンに囲まれたルギアが純銀を取り戻す姿だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「クイックボール!!!」

「ワフッ!!?」

「……むにゃ?」

 

 目を覚ましたら見知らぬ天井。

 ではなく、昨日泊まったホテルの天井であった。カーテンの隙間からは麗らかな朝日が差し込んでいる。

 コスモスの覚醒し切らない意識の中、突然の寝言に驚いていたルカリオは、寝ぼける主の目を覚ませるべくカーテンを開く。

 

 すると一分も経たずしてコスモスがベッドから起き上がって来た。

 

「……ご苦労様、ルカリオ」

「バウッ」

 

 ゴシゴシと目を擦るコスモス。

 覚束ない足取りで洗面所まで向かった彼女は、冷水で顔を洗い、体の内に籠る温い微睡みを一掃してみせた。

 

「ふぅ……」

 

 すっきりしてきたコスモスは部屋に備え付けの時計を見て、朝食の時間を確認した。

 まだ時間があると分かるや、そのままテキパキと脱衣してバスルームへと移る。洗顔とは一変、熱湯を全身に浴びるコスモスは、先ほどまで見ていた悪夢のような内容で掻いてしまった寝汗を洗い流す。

 

「よし……」

 

 顔も体も清め、一日を爽やかに過ごす準備が整った。

 朝食までもう少しといったところだ。

 

「さて、先生は……」

『ヂュウウウウウウ!!!』

「……起きたことでしょう」

 

 防音はきちんと施されているはず。

 それにも拘わらず、隣室から轟いてくる電撃音と鳴き声を耳にし、師の起床を確信したコスモスは、そのままホテルの食事処へと足を向けた。

 

「……おはよう」

「おはようございます」

 

 それから程なくしてレッドと合流した。

 ピカチュウから強烈な電撃を浴びたことは想像に難くない有様であるが、それにしても今日は一段と煤けた見た目である。

 

「ホテルのベッドって気持ちいいね……いつもより眠りが深くなって……」

「なるほど」

「あれ? 万事を理解されてる?」

 

 彼の凄惨たる有様は、このホテルでの眠りが極上である理由に他ならない。

 

「ワウッ」

「ピカ……」

 

 ルカリオも皺くちゃ顔のピカチュウを労うように礼をする。

 控え目に評してもレッドの耐久力はカビゴン並みだ。起こすには一苦労どころでは済まない。

 しかし、中々起きない子供を起こす母の如き苦労を覚えるピカチュウも、フロアいっぱいに並ぶ料理の数々に、すぐさま機嫌を直したのだった。

 

「流石は高級ホテル」

「……俺の恰好、場違い過ぎて胃が痛くなってきた」

「お金は払ってるんです。堂々としてればいいと思います」

「そういうもの?」

 

 セレブリティな雰囲気に充てられるレッドの横で、ひょいひょいと皿に料理を盛り付けるコスモスであったが、

 

「……それにしても甘いものばかり盛り付けてるね」

「気のせいです」

 

 ここぞとばかりに甘味を盛り付けていた。

 

 閑話休題。

 

 手持ちも含めた大勢での朝餉を済ませた二人は、チェックアウトを済ませてホテルの前へ停まっていた送迎用のタクシーに乗り込んだ。

 

「昨日の子……リーキって言ったっけ? あの子は……」

「現地集合すると言っていました」

「現地?」

「オキノ大社……神社ですね。ほら、あそこの」

 

 タクシーで移動する中、目的地を指で指し示すコスモス。

 指先を辿りレッドが目にしたのは、少し町から外れた海辺に建てられながらも圧倒的な存在感を振りまく高床式の神社であった。

 

 近付くに連れて体感する巨大さ。そして神社が存在する高さ。

 極太の柱の上に在る神社は、下でさざめく波の光景と相まって何とも神々しい威厳に満ち溢れていた。

 蒼い空と海の間に忽然と佇む姿は、その気になれば空に浮かんでいるように見えなくもない。

 

 まさしく、俗世から隔絶された神の社。

 

「祀られてるのは何か知ってたりする?」

「ルギアと三体の伝説の鳥ポケモン……らしいですが、詳しくは神社で聞きましょう」

「うん、それもそうだね」

 

 伝説のポケモン。

 そう聞くだけで二人ともあからさまに浮足立つ。

 

(伝説のポケモン……見てみたい)

(伝説のポケモン……捕まえたい)

 

 と、ご覧の有様ではあるが……。

 

 そうこうしている間にタクシーはオキノ大社へとたどり着く。

 比較的朝早い時間帯にも拘わらず、人通りは多く、敷地内は賑やかな活気に溢れている。

 

「ここのどこかに……」

「コスモスさん! お師匠さん!」

「おはようございます、リーキ……って、その恰好は?」

「えへへ……やっぱり気づかれます?」

 

 溌剌とした声を頼りに目を向けた先には、眩い紅白のコントラストを放つ白衣と緋袴に身を包んだリーキがはにかんでいた。

 記憶にある格好。閃いたレッドが口を開いた。

 

「確か……舞子?」

「巫女です! 神様に仕えて祭祀のお手伝いするお仕事なんですよ! まあ、わたしはバイトですが……」

 

 レッドの解答を訂正したリーキは、長い階段の先に佇む本殿の中へと二人を案内していく。100メートルは下らない距離であるが、歩き慣れている様子のリーキと山籠もりして長いレッドは、すたこらさっさとと進んでいく。

 

 しかし、道中黙々と歩を進める訳ではなく、バイトとして働いているリーキがガイドとして語り始めた。

 

「すでにご存じかもしれませんが、オキノ大社が何を祀っているのかは知っていらっしゃいますか?」

「ルギアと伝説の鳥ポケモン……だっけ」

「はい! この地域では『海神様』と言われているルギア……そしてファイヤー、サンダー、フリーザーの三体を祀ってるんです!」

 

 「見て下さい!」とリーキが指さす神社の屋根には、瓦と同じ素材で作り上げられたポケモンたちが飾られていた。

 それらこそ伝説のポケモンを模った像。

 さらには軒下に浮き彫り細工としても彫られていた。曰く、遥か古来に掘られた浮き彫りと伝えられているが、海と雷、炎、そして氷が荒れ狂う表現は、現代にも通ずる迫力ある仕上がりだ。

 

「そんなに所縁のあるポケモンなんですか?」

「そうですね! 四体のポケモンは大いなる循環にて、ホウジョウ地方に恵みをもたらしていると言い伝えられています」

 

 ファイヤーの訪れが春の温もりと夏の陽光をもたらす。

 サンダーの訪れが雨と稲光を大地に降らせ、秋には豊作をもたらす。

 フリーザーの訪れが冬の厳しい寒波を、やがては雪解け水をもたらす。

 

 そしてルギアは、海へと流れ出た大地の恵みを遍く生命に巡らせる。

 

 これらの大いなる循環により、ここは人とポケモンが住まう豊穣の地と化した。

 

「―――やがてこの地はホウジョウ地方と呼ばれるようになり、太古の人々は恵みをもたらした神々に感謝と祈りを捧げるべく、特に生命の波動が強く感じられるオキノの地に神社を作った……」

「あの……」

「はい、なんでしょう!?」

 

 歴史に関しては人一倍熱があるリーキは、不意に手を上げるコスモスに元気よく聞き返した。

 何でも答える―――そのような空気を滲ませる彼女に対し、コスモスが投げかけた質問とは、

 

「ルギアに関する他の伝説とかは?」

「ルギアの……ですか?」

「体の色が変わったりだとか」

「色?」

 

 うーん、と唸るリーキ。

 

「すみません……体色云々の伝説は特に。色違いとかってことですか?」

「いや、無いなら気にしなくて……」

「いえ! ルギアに関わる伝説……もとい、歴史について知らないなんて、巫女として働く身として働いているのに不甲斐ない! 後で調べてお伝えします!」

 

 バイトにも拘わらず、聞いているこちら一歩引いてしまうような熱を放つリーキ。

 いや、寧ろこれほどの熱意を持っているからこそ、社長令嬢という融通が利く身でありながら巫女のバイトに就いているのだろう。

 コスモスにしてみれば非合理極まりない行いであるが、片や話を聞いていたレッドは「熱心だなぁ」と感心していた。

 

 と、熱烈なガイドを受けている間にも三人は本殿へとたどり着いた。

 遠目から見ても分かった広大な建物だ。いざ足を踏み入れれば、荘厳な雰囲気漂う室内に気が引き締まるような感覚を覚えた。

 潮風と畳の香りが混じる部屋の天井には、これまた大迫力の伝説のポケモンの画が描かれている。

 

「……んんっ?」

「どうかしましたか?」

「これ……画が中途半端じゃ―――」

「よくぞそこに気が付きましたね!!」

「っ!?」

 

 何気ない問いに食い気味にリーキが前のめりになる。

 

「そうなんですっ! オキノ大社の天井に描かれている画……ルギア、ファイヤー、サンダー、フリーザーの四体が描かれていますが、これは全体図ではないことが中途半端に途切れていることが以前から指摘されているんです! では残りの部分は? という話になるんですが、それは未だに解明されてはいないんですね……でも、わたしはきっとホウジョウ地方のどこかに残されていると信じています! 死ぬまでに残りの画を見つけ出す……それがわたしの夢の一つなんです……!」

「は、はぁ……」

「はっ!? ごごご、ごめんなさい! 一人で熱くなっちゃって……」

 

 置いてけぼりにされていた二人を前に、気を取り直すリーキは、オキノ大社の名物ともいえるイベントの紹介を始めた。

 

「この後雅楽隊が演奏を披露するんですよ! わたしもそこで……その、神楽を舞いますので、ぜひご覧になっていただければと……」

「神楽?」

「端的に言えば踊りです、先生」

「やっぱり舞子さん……!」

「違います、先生」

「……」

 

 残業明けのサラリーマンの如き皺くちゃ顔を披露するレッド。今朝のピカチュウの顔の再来である。

 と、下らないやり取りに苦笑を浮かべるリーキは、「準備してきますので!」と去っていった。

 

 緋袴の裾をパタパタと靡かせながら早歩きする様は、大社の内観も相まって非常に風情がある。

 そんな後ろ姿を見送った後は、レッドと二人で演奏が始まるまで見学だ。

 天井の画以外にも、障子や屏風、木彫りの像など興味が移ろう対象には事欠かさない。

 

「……先生」

「うん?」

「先生は伝説のポケモンに会ったことはありますか?」

「……あるね」

「ルギア以外でお願いします」

「ファイヤーとサンダーとフリーザーかな」

「めでたくコンプリートしましたね」

 

 まさかすでに伝説の三鳥と遭遇しているとは思っていなかったコスモスが、淡々としながらも驚きを言葉に滲ませる。

 しかし、だからこそ疑問が生じてきた。

 

「先生は……その、捕まえようと思わなかったんですか?」

「伝説のポケモンを?」

「はい。先生程の実力ともなれば、捕まえるのは無理ではないと思いまして」

「うーん……」

 

 ポケモンバトルの―――勝負の世界で生きていくとなれば、第一に実力が必要とされる。

 そこにはトレーナーの育成能力や指示の的確さ、知識量なども含まれるが、ポケモンの強さも外せない要素の一つだ。

 

 攻撃が、防御が、特攻が、特防が、素早さが、そして体力が。

 他にも技のラインナップの系統や豊富さを決めるのは、他ならぬポケモンの種族だ。

 こう言っては元も子もないが、“強い”ポケモンが“強い”のだ。

 ポケモンバトルは同じ種族同士を戦わせる訳ではない。育成環境や技、そして種族が違うポケモンを戦わせ合うのだ。

 ならば、種族としてバトルに向いていないポケモンよりも、戦闘に特化した―――あるいは時に天災を引き起こす超越した力を持ったポケモンを戦わせた方が良いに決まっている。

 

 それが全てと考えていないにしろ、コスモスはあえて伝説のポケモンを捕まえない理由が見つけられなかった。

 

「教えてください。伝説を目の前にして手に入れなかった理由を」

「……」

 

 黙するレッド。

 彼の悠然たる佇まいを目の前にし、コスモスは生唾を飲みながら答えを待つ。

 その時、レッドが考えていたことは、

 

(バトルに満足して捕まえるの忘れてたなんて言えない……)

 

 おっちょこちょいな顛末を辿った過去だった。

 

(もちろん『ポケモン図鑑のためにゲットしよう』とか、頭の片隅には置いてたけど……!)

 

 結局は捕まえなかった。

 旅路の途中、すでに手持ちが6体揃っていたこともあり、捕まえるか否かは気分次第であったことも要因だ。

 自分たちは伝説にも通用する―――その達成感や充実感染みた恍惚とした感情に胸がいっぱいになり、最後には去り行く伝説のポケモンに手を振って見送った。

 

 だが、ありのままを告げれば幻滅されかねない。

 師匠である以上、「なんかそれは嫌だ」という思考が頭を過ったレッドは、あの手この手で事実をアホに見られないよう、それっぽい内容に変換しようと考える。

 

「……コスモスはなんで伝説のポケモンを捕まえたい?」

「それは……勝ちたいからです。伝説のポケモンは強いですので」

「そっか。でも、強くなるのに必要なのは伝説のポケモンなんかじゃないと思うんだ……」

「と、言いますと?」

「伝説のポケモンに勝てるくらい磨き上げた技とか、築き上げた絆……かな。どのポケモンを使うとかは関係ない……はず」

 

―――一応筋道を立てて話したつもりだ。

 

 内心滝のような汗を流すレッド。

 途端に微動だにせず思考中になっている弟子の様子を確かめる彼は、自分が口にした内容を頭の中で反芻する―――が、緊張していたせいかまったく思い出せない。

 

 まだか、まだか……そうして待つこと数十秒。

 

「……なるほど、真の強者は得物(ポケモン)を選ばないと」

「……そう。寧ろ、どんな風に戦わせるかが重要……みたいな」

「参考になりました。今後とも精進していきます」

 

 どうやら納得したようだ。

 月並みな言葉であることは否定できないが、真実であることも事実。

 レッドの実力に裏打ちされた言葉を鵜呑みにするコスモスは、早速「育成方法が……」とあれこれ考え始める。

 

「……ふぅ」

 

 もっと言葉巧みにならなければなるまい。長期の山籠もりが言語能力に支障を来したのは間違いない―――というよりも、言葉を不要とするポケモンたちと過ごしていたことも相まって、旅に出る前よりも会話に苦手意識が生まれてしまった感がある。

 何とか克服せねば。チャンピオンともあろう者が打倒せんと掲げる目標がトーク力など笑いものであるが、本人にしてみれば大事も大事なのだ。

 

 こうしてレッドとコスモスが各々新たな目標を掲げている間にも、雅楽隊の演奏の準備が整ったようだ。

 

「……まあ、今はバトル以外を楽しんで英気を養おっか」

「はい、先生」

 

 

 ***

 

 

 

 オキノ大社から始まった観光は、やや日が暮れてきた頃に終わりを向かえようとしていた。

 

「お昼に食べた蕎麦……美味しかったね」

「ガレットも中々でした」

「ピカァ!」

「ワフッ」

 

 しかし、花より団子と言わんばかりに食い気を発揮していた二人は、ご当地名物の料理の数々を食べ歩くことで満足感を覚えていたのだった。

 案内役を務めてくれたリーキのおすすめスポットを巡った一日は、実に有意義。今後の旅への英気を十二分に養えたと言えよう。

 

 充実感にポカポカと体の内が温まる感覚を覚えながら帰路につく二人は、昔ながらのビルが並ぶ都市的な場所から、昔ながらの建物を残す通りを進んでいた。

 風情を感じさせる灯篭や石畳、加えて住民やポケモンのために開放されている趣深い庭園なども窺える通りは、まるでタイムスリップしたかのような錯覚に襲われるだろう。

 

「コスモスはジョウトを観光したりはしなかった?」

「大会の遠征で色んな町にこそ寄りましたが、観光はしませんでしたね」

「そっか」

 

 他愛のない会話も交えながら道を進んでいると、広場に隣接した建物が見えてきた。

 これまた大きな庭園を備えた邸宅ではあるが、広場との間に柵が設けられているところを見る限り、広場とは違う施設だと窺える。

 

 何の建物かレッドが凝視する一方、コスモスは淡々とスマホロトムで位置情報から建物を検索しようとした。

 その時だ。

 

「ザァーンッ!!」

「シャーッ!!」

 

 突然、広場の方でけたたましい鳴き声が轟いた。

 何事かと振り返る二人。その目に捉えたのは、紅白の体毛を靡かせるポケモンと、毒々しい色の細長い体をうねらせるポケモンが争う光景だった。

 

「あれは……」

「ザングースとハブネークですね」

「バトル……じゃあなさそう」

 

 剣呑とした雰囲気は、とてもではないが友好的なポケモンバトルには見えない。

 寧ろ野生のポケモンが縄張り争いでもしているかのような物々しさが周囲に漂っている。

 

「それもそのはずです。二体は遺伝子レベルでライバル関係にあるポケモンですから」

「……つまり、本能むき出しでの殴り合いと?」

「はい」

 

 マジか、とレッドが視線を向ける先では、既に各々が技を繰り出し合う激しい闘争へと発展しているではないか。

 それぞれのトレーナーと思しき人が慌てた様子で声をかけているものの、それが耳に届くどころか、無理にでも引き戻そうと放たれているリターンレーザーでさえ、二体の俊敏な動きを捉えることができていなかった。

 

「警察を呼びますか?」

「いや、俺が……」

 

 安全策として警察に対応を任せようとするコスモスを制して一歩前に出る。

 そのままレッドは頭上に乗っていたピカチュウを繰り出そうとした―――その瞬間、一つの影が激烈な闘争の渦中へと飛び込んでいった。

 

「あれは……?」

 

 四本足で軽やかに舞うポケモン。

 白とピンク色が眩い体にリボンのような触角を靡かせながら間に割って入るや、謎のポケモンは触角を争う二体へと巻き付ける。

 

 とてもそれだけでは止まるように見えない。

 誰もがそう思ったが、触角を巻きつけられた二体はみるみるうちに平静を取り戻していき、掲げていた己の武器を下げる。

 

「我に返った……?」

「あのポケモンは……」

 

 傷つけることなく場を治めたポケモンに唖然とするレッドの一方で、コスモスはポケモン図鑑を調べた。

 

「ニンフィア、むすびつきポケモン。リボンのような触角から気持ちを和らげる波動を送り込み戦いをやめさせる……と。ほう」

「ニンフィア?」

「イーブイの進化形ですね」

「え? あれがイーブイの?」

 

 カルチャーショック! とレッドは口をあんぐり開ける。

 まさかブースターやサンダース、シャワーズの他にイーブイの進化形が居るとは思ってもみなかったという面持ちだ。後に彼は更なる別の進化形を知り、仰天する嵌めになるのだが、それはまた別の話。

 

 何はともあれ、争いを治めたニンフィアには通りがかった人やポケモンから惜しみなく拍手と歓声が送られる。

 するとニンフィアは恥ずかしそうに頬を染め、そそくさと柵が設けられた邸宅へと戻っていったではないか。

 

「あそこ……気にならない?」

「気にならない、と言えば嘘になります」

「じゃあ行ってみよう」

 

 ニンフィアを追う形で当初の目的であった邸宅の目の前に訪れた二人。

 そこで彼らが目の当たりにした表札には、こう刻まれていた。

 

「……育て屋……?」

「ほほう」

 

 預けたポケモンを育成してくれる施設、育て屋。

 コスモスにとってはまさに渡りに船。自分の知らない育成方法を熟知していると思しき場を前に、先のレッドの言葉と併せ、彼女の瞳は爛々と光り輝くのであった。

 




tips:オキノタウン
 ホウジョウ地方の北部に存在する町。通称「神々が集う町」であり、ホウジョウ地方に人やポケモンといった命を根付かせるに至った四体の伝説ポケモン、ルギア、ファイヤー、サンダー、フリーザーを祀る「オキノ大社」と呼ばれる巨大な神社もある。
 ホウジョウ地方一の大企業「オキノ総合建設会社」の本社がある場所でもあり、代表取締役社長兼ジムリーダー・リックの指針により、歴史的建造物と近代的な都市風景が融合した街並みに彩られている。
 キョウダンタウンから航路で通じており、道中の水道ではミズゴロウとその進化形の巣が見える。
 ご当地のグルメとしては、オキノ蕎麦やガレットなどが有名。
 また、町には育て屋も存在している。


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№014:結びつきへの助け舟

◓前回のあらすじ

レッド「神社行った後、育て屋を見つけた」

コスモス「自転車に乗っている人は見当たらないです」

レッド「そんな100万もするものをホイホイとは……」

コスモス「え?」

レッド「え?」


「ごめんください」

 

 育て屋の門の前でインターホンを鳴らすコスモス。

 

 実は、昨日はほとんど夕方であったため、こうして日を改めて訪れた訳であるが、しばらく待っていても中々応答は返ってこない。

 特段急ぎの用という訳でもなく、半ば興味本位での来訪だ。

 出かけているか何かで家主が居ないということになれば、さっさとオキノジム攻略のための自主練に戻りたいのがコスモスの考えである。

 

 眠たげに瞼を擦るレッドの様子にも目を遣り、そろそろ引き際かと踵を返そうと振り返った。

 その時、微かに屋敷の方から足音が響いてきたではないか。

 ゆっくりではあるが徐々に近づいてくる。

 二人とも今や今やと待ちかねていれば、ようやく門が開いた。

 

「はい、いらっしゃいませ……お客様でしょうか?」

 

 現れたのは腰の曲がった老爺であった。

 穏やかな笑みを湛えて応対する様は、まさしく好々爺と言うべき印象。門の奥に広がる庭園には、無数のポケモンたちの姿が窺える。

 

「あ、いえ……育て屋に興味があって立ち寄ったんですが……」

「おやおや、そうでしたか。まあ立ち話もなんですし、店の中で」

「それではお邪魔します」

「ちなみに、そちらの方はお兄さんでして?」

「いえ、ポケモンバトルの師です」

「おやまあ……これまた」

 

 特殊な関係だと言いたいのだろうか。

 何はともあれ快く迎え入れられた。

 

(さてさて……)

 

 コスモスはキョロキョロと屋敷のぐるりを見渡す。

 育て屋の育成環境とは如何様か。それを確かめるためであった。

 しかし、これといった特訓場といった場所は見つけられる、ただただ広大で趣深い庭園が広がっているだけだ。

 ポケモンが遊びまわるには十分であろうが、これで強いポケモンが育てられるとは思えない。

 

(う~ん……いえ、屋敷の中にこそ秘密が)

 

 今度は屋敷の中に注目しようとする。

 だが、いざ案内された先は受付があるカウンターだけで、これといった特訓器具も見受けられない。

 

 育て屋とは、いわばブリーダーの一種。

 ポケモン育成に関するイロハを身に着けており、複数体のポケモンを育成する環境も相まって、育て屋を開業するために必要な資格はそれなりに厳しいものとなっている。

 

 もっとも、コスモスにとっては金銭を対価に他人に育成を任せるなど信じられない所業であった。

 というのも、育て屋にもよるが預けられたポケモンが新たな技を覚えることがある。

 それがバトルに用いるポケモンともなれば、当然以前と同じバトルをすることが難しくなるのは想像に難くない。

 

 いちいち返された後に技を把握するなど非合理の極み。

 ならば初めから自分が育てればいい話ではないか。

 

 と、過去の経歴故にそう考えがちであったのがコスモス。

 しかし、こうしてわざわざ育て屋に足を運んだ以上、本やネットには載っていない育成方法の知見を身につけたいところだった。

 

「あの」

「はい?」

「ここは育て屋ですよね? どういった方法でポケモンを育てるんですか?」

 

 「ああ、そういうことですか」と、まるで育て屋に興味を持ってくれた若者に対する喜びに満ちた笑顔を湛える老爺。

 彼―――「タケ」を名乗る彼は、二人を居間まで案内してから育て屋の概要について説明を始めた。

 

「うちの育て屋はそうですねぇ……第一にのびのびと過ごしてもらうことを重要視して、ポケモンを預からせていただいておりますねぇ」

「と、言いますと?」

「預けようか検討なさるお客様から『バトルで活躍できるように!』とご要望を頂くことはありますが、あくまで儂はポケモン自身に任せております」

「……どちらかと言うと預かり屋に近い形で?」

 

 お茶請けの煎餅をピカチュウと仲良く齧っていたレッドが問いかける。

 タケは首肯し、庭先で元気よく駆け回っているポケモンたちへと目を移し、ニコニコと朗らかな笑みを湛えながら続けた。

 

「儂はね、昔はそれなりにポケモンバトルを嗜んでいた方なんですよ……」

 

 どこか懐かしむような、それでいて寂しそうな顔を浮かべるタケは、今度は神棚へと目を移す。

 そこに飾られていたのは一体のポケモンの写真とモンスターボール。

 セピア調の古い写真に加え、ひと昔前の開閉するためにネジが設けられているモンスターボールはかなり年季が入っているように見える。

 

 二人はそれとなく察し、バツの悪そうな顔を浮かべた。

 それに対してタケは、申し訳なさそうに一礼する。

 

「すみませんねぇ。でも、ポケモントレーナーの貴方たちにはぜひとも聞いてもらいたい……」

「……どうぞ」

「ありがとうございます。では……儂のパートナーはね、あるポケモンバトルで怪我をしてしまってね。そりゃあバトルに怪我はいつの時代も付き物ですが、その時ばかりはパートナーも年がいってたもので」

 

 当然だがポケモンも年を重ねる。

 種族ごとに寿命の差はあるが、最終的には―――死ぬ。命の結末としては当然だ。

 

「医者からバトルに復帰するにはリハビリが必要だと。その時儂はね、それでもバトルがしたいと訴えてくるパートナーに余生をゆっくり過ごしてもらいたいと……自分の我儘を押し通してしまったんです。あの子が何をしたかったのかに目をくれず。最期に……起きることもできなかったあの子が浮かべてた瞳を、儂は死ぬまで忘れられませんよ」

「……ッ……ッ」

「……先生、ハンカチをどうぞ」

「あ゛り゛がどう゛」

 

 さめざめと涙を流していたレッド。

 無表情にもかかわらず、涙腺が決壊しているのかと思うくらい大量に落涙する姿はあまりにもシュールであった。しんみりとしていた空気を逆にぶち壊す姿である。

 

 コスモスなりにも多少心に訴える内容だったが、隣で師匠が男泣きしていれば、そんな余韻も台無しだ。

 

 しかも、ピカチュウやルカリオでさえ歯を食いしばって涙を流しているではないか。

 手に持っていた煎餅が涙に濡れて濡れ煎餅にでもならん勢いだ。感受性が豊か過ぎる。

 

「年寄りの話に付き合わせてしまってすみませんねぇ……でも、大切な話だったので」

「後悔する過去があるからこそ、今ではそれを省みた指針で育て屋を経営している……と」

「そうですねぇ……もちろん、バトルが強くなりたいと頑張る気概のあるポケモンには、きちんとその子に合ったメニューを考えます。ですが、バトルが嫌いだったり苦手だったりする子にまで強制するような真似は……」

 

『ブビィー!』

『レッキャァー!』

 

 突如、話を遮るように響きわたる鳴き声。

 庭先から聞こえる喧騒に対し、三人は弾かれるように顔を向けた。

 

 そこに居たのはブビィとエレキッド。見た目は小さく愛らしいものの、どことなく険悪なムードが漂っているせいか、周りに居る取り巻きのポケモンたちは慌てふためいている。

 

「おやおや……」

「喧嘩ですか?」

「みたいですねぇ。あの子たちは血気盛んなのでよく衝突しているのですが……」

 

 座布団から立ち上がるタケは、二体の喧嘩を治めようと庭先へと向かっていく。

 しかし、その途中で見慣れた影が二人の間に割って入った。

 

「あれって昨日の……」

「ニンフィアですね」

 

 昨日、ザングースとハブネークの争いを治めた手腕を持つニンフィア。

 育て屋に帰っていたことから、ここに居ることは想定通りだった。

 

 そんなニンフィアは、短い腕を振るってポカポカと殴り合う二体を触角で押さえてから、淡い色の光を浴びせかける。

 同時に辺りへ不思議な音色が響き渡るではないか。

 心に染み渡るような清らかな音を耳にすれば、争っていた二体も周りに居たポケモンたちもみるみるうちに穏やかな面持ちへと変わっていく。

 

 間もなくして拳を下ろした二体は、照れながら握手を交わし、皆の輪の中へ戻っていった。

 

「“いやしのすず”ですね」

「綺麗な音……眠くなっちゃいそう」

「ピカァ?」

「純真無垢な顔して頬から電撃出すのはやめて」

 

 思わず眠気を覚えてしまったレッドに対し、「わかるよな?」と言わんばかりに首をかしげるピカチュウ―――否、ピカチュウさん。

 眠れば惨状が広がることは必至であるため、レッドは頑張って瞼を開く。

 

 その一方でニンフィアを観察していたコスモスは、ほう、と感心したような声を漏らしていた。

 

(あのニンフィア……動ける。それに腕を押さえる直前に“つぶらなひとみ”で拳の勢いを弱めてた。指示なしであそこまで動けるなんて)

 

 ニンフィアの身のこなしは見事と言う他ない。

 だからこそ気になるのはニンフィアの所有者だ。ここが育て屋である以上、あの個体は何者かが預けたと推測される。

 ただ単に育て屋の主人の手持ちである可能性は否めないが、何者の手持ちか白黒はっきりさせれば、リーグ制覇の障害となるトレーナーの情報を事前に手に入れられたと同義だ。

 個人情報保護という観点から名前まで聞くのは難しいが、コスモスはダメ元で聞いてみることにした。

 

「すみません、あのニンフィアも預かっているポケモンで?」

「ニンフィアですか? まぁ、そう言われればそうなんですが……」

「?」

 

 だがしかし、この問いかけは思いもよらぬ結果を生むことになった。

 何か訳があるのか、目を伏せて口籠るタケ。

 そこには他言しにくい事情があると容易に想像できるものの、このままでは埒が明かないのも明白だ。

 

「……差し支えがないのなら、事情をお聞かせください」

「……えぇ。長くなりますが、それでもよろしいのなら」

「……?」

 

 一人付いていけていないレッドであるが、話が長くなることを予感したのか、タケの了承を取って手持ちのポケモンを庭先に開放する。

 コスモスもまたルカリオとゴルバットを放ち、自由に動き回れるようにしてから、タケの話を聞く態勢へと入った。

 

 コポコポと音を立て、湯呑に茶が注がれる。

 爽やかな緑茶の香りが部屋に立ち昇るや、不意に吹き抜ける一陣の風が、それを奪い去っていく。

 同時に攫っていったのはタケから漂う陰気とした生ぬるさ。決して明るい話でないことを悟らせる雰囲気に、二人は熱い茶を喉に流し、気を引き締める。

 

「あの子はね、ずっと……ずぅ~っとご主人のことを待ってるんですよ―――」

 

 

 

 それは3年ほど前の話だ。

 今と変わらず育て屋家業に精を出していたタケの下に、一人の少女が現れた。彼女はポケモントレーナーであり、わざわざジョウト地方から足を運んで旅を続けていると言った。

 

 そんな彼女が育て屋を訪れた理由はただ一つ。

 

『この子を育ててほしいんです』

 

 そう言って差し出されたポケモンがニンフィアだ。

 ラブラブボール―――所謂、ぼんぐりから作成された貴重なボールであるガンテツボールの類の一つから出てきたニンフィアは、トレーナーと仲睦まじい姿を見せる愛らしい子だった。

 

 しかし、

 

―――曰く、ニンフィアになってから戦わなくなった。

―――曰く、バトルに苦手意識を持つようになった。

―――曰く、曰く、曰く……。

 

 とにかく、バトルをしなくなったニンフィアを何とかバトルしてくれるよう育ててほしい。それがトレーナーの要望だった。

 だがしかし、タケ自身にも矜持がある。それに則った方針で育て上げると説明したものの、トレーナーは『それでも』とニンフィアを預けてきた。

 

 最終的には仕方なく預かった訳だが、すぐに戦わなくなった理由は判明する。

 

 優しい。その一言に尽きる。

 進化した影響か、争いごとの類の気配に機敏になったニンフィアは、育て屋で預かっている間も率先してポケモンたちの衝突を治めるストッパーとしての役割を担うようになった。

 よく育てられているとは一目見て分かる身のこなし。だからこそ、ポケモンバトルに臨まなくなった惜しさも十二分に理解できた。

 

 しかしながら、それがニンフィアの意思と相容れるかは別の問題だ。

 バトルに忌避を覚え、ポケモンたちが仲良く暮らすことに全力を注ぐ彼女をバトルの道に引き戻すことは、タケにはどうしても正しいとは思えなかった。

 それでもトレーナーの要望通り、それとなくバトルへの忌避感を薄れさせるよう努めはしたが、結局のところそれは叶わなかった。

 

 そして迎えた受取日。

 育てのプロとしての矜持からも、トレーナーの要望通りにならなかった以上、代金は受け取らない気概で店に立った。

 しかし、いくら待てどもトレーナーは現れなかった。

 一日、一週間、一か月を過ぎても現れやしない。

 あらかじめ書類に記載していた電話番号にかけても一向に繋がらないのだ。

 

 稀に育て屋で起こる問題。

 それは預けたポケモンを受け取らず、トレーナーと音信不通になるというものだった。

 大抵は『思うように育っていなかった』や『勝手に進化している』といったクレームから始まるものだが、今回に至ってはそのどちらとも判別がつかない。

 これがまた厄介なもので、どのような訳にせよ理由さえはっきりすれば法的手続で簡単に済む問題だ。

 だが、音信不通で相手の居所さえ分からないと、事情を窺うことさえ困難である。

 

 例え嘘であっても、ポケモンを受け取れない事情があるとするならば責任を持って引き取るつもりだ。

 だとしても、一番辛いのは訳も分からぬまま置いていかれたポケモンだ。

 

 別れの言葉もなく今生の別れを経て彼らはどう思うだろう?

 虐待されていたのであれば解放されたと清々しく覚えるだろうが、ニンフィアはトレーナーとの絆を経て進化する姿だ。

 預けられる直前まで、その触角でトレーナーの手を握り締めていた彼女が、まさかそのまま再会することが叶わなくなるとは露ほども思っていなかっただろう。

 

 そうして3年も過ぎた。

 育て屋に関する法律からも、すでにニンフィアの所有者はタケへと譲渡された。

 

 しかし、未だにニンフィアは以前の主人を待ち続けている。

 別のトレーナーがポケモンを預け、そして時が来れば引き取りに来る。

 引き取るトレーナーも引き取られるポケモンも満面の笑みで再会を喜び合う。そんな光景を何十、何百と横目にしながら。

 

 

 

 ずっと、ずっと―――独りで待っている。

 

 

 

「―――儂もね、別にあの子のトレーナーを責めたい訳じゃあない。でも、独りでずっとあの子のことを思うと胸が張り裂けてしまいそうでな」

「ッ……ッ……!!」

「……先生。ティッシュをどうぞ」

 

 目からハイドロポンプの勢いで涙を流すレッド。

 鼻からもクマシュンよろしく鼻水が垂れ流れているという見るに堪えない泣き顔を晒しているためか、コスモスも得も言われぬ面持ちでリュックの中から三つ目のポケットティッシュを差し出す。

 すでに彼の隣には使用済みのちり紙が積もった山が出来上がっているが、それにしても泣き過ぎではないかとため息を漏らすコスモス。

 

「……ん?」

 

 庭先から、これまた鼻を啜るような音が聞こえた。

 振り向くや、コスモスは硬直する。

 先ほどはピカチュウとルカリオだけであったが、今度はボールの外へ出しておいた手持ち全員が涙を流しているではないか。

 ポケモンはトレーナーに似るというが、それにしても凄まじい光景である。

 それは元より、釣られて泣いているルカリオとゴルバットは自分のポケモンではないかと指摘したくもなったが、流石に空気を読んで言葉を飲み込んだコスモスはタケへと視線を戻した。

 

「……では、ニンフィアは今も預かっているという形で?」

「えぇ。一番はあの子の主人が戻って来てくれることですが……」

「誰かに譲るという考えは?」

「一度、考えはしたんですがね……どうもあの子がそれを拒みますので」

 

 タケの顔にはやや諦観の色が見て取れる。

 これだけ長い月日が経ったとなると、元のトレーナーが引き取りに来るのは絶望的。だからといって他人に引き取らせるのもニンフィアの意思に反する。

 

 だからこそ、こうして今も面倒を看ている訳であるのだが、流石に彼にも思うところはあるようだった。

 

「バトルを避けているとは言ってもですね、あの子はバトルが嫌いな訳じゃあないのです。テレビで他の地方のリーグ中継なんかを食い入るように眺めてね……きっとあの子も夢見ていた時期があったんじゃないかと……いえ、今も夢見ているんじゃないかと思っています」

「なるほど」

「でも、だからこそすれ違ったんじゃあないかとねぇ……」

 

 ポケモンリーグを夢見ているならば、きっとトレーナーの目標がそうであったに違いない。

 だからこそバトルに執心したものの、進化してバトルを忌避し始めたニンフィアとの間ですれ違いが起こった。

 

 ポケモンリーグを勝ち進むというのは並大抵の道ではない。

 ポケモンバトルの実力はもちろんのこと、勝ち進めるだけの手持ちを養う財力も必要となってくる。

 スポンサーの居るコスモスのようなトレーナーはともかく、一般家庭の出身であるトレーナーにとって、ポケモン6体を養うのは中々に厳しいものがあるだろう。

 だからこそ、一体でもバトルできないポケモンが出たとなれば、野生に逃がすか他人に譲り渡すなどして手持ちから外す選択肢も視野に入る。

 

 今回の件は、きっとその類ではないか。

 伊達に長いこと育て屋をやっていないタケは当然の如く、コスモスもニンフィアが引き取られない背景について、そう推測を立てていた。

 

「しかしねぇ……当のあの子がバトルを避けているとなると、どうも難しい話でして」

「そうですね。リーグに出たいと思っているのにバトルを避けているなんて、矛盾していますから」

「えぇ、ごもっともでして……」

「でも、当のニンフィアがバトルをするようになって他のトレーナーに付いて行く意思が生まれたなら、譲り渡しても構わないという認識でよろしいですか?」

「はい? まぁ、そうですねぇ……」

「なら」

 

 おもむろに立ち上がるコスモスに、タケとレッドの視線が集まる。

 無表情ながら、どこか強い意志を感じさせる瞳を浮かべる彼女は、ゆっくりと庭先へと目を遣った。

 二人の手持ち以外にもポケモンたちが駆け回る庭の中心には、多くのポケモンに囲まれて笑顔を浮かべるニンフィアがちょこんと座っている。

 

「私がニンフィアに()()()()()()()()

「はい?」

「それなら譲ってもらってよろしいですか?」

 

 突拍子のない提案。

 あんぐりと口を開けるタケであったが、有無を言わせぬ圧を放つ少女を前に、彼の面持ちも神妙なものへと変わった。

 

 育て屋としての矜持が葛藤を生む。

 預かったポケモンに、己が望むまま健やかに育ってほしい。

 しかし、それ故にニンフィアという矛盾した考えを持つポケモンに頭を悩ませてきた。

 それがもし目の前の少女の手により、より良い未来への道を進んでくれるのであれば―――。

 

「……分かりました。ただし、しっかりとニンフィアの意思は尊重してあげるのが条件ですが」

「承知しています」

 

 互いに条件を飲む二人。

 その内、早速コスモスは外へ出るべく玄関へと向かおうとした。

 

「コスモス」

「はい、先生?」

「……あんなこと言ってちゃんと考えはあるの?」

 

 横に並び立ったレッドが、胸に抱く懸念について問いかけてきた。

 まさか引き取る話に発展するなど考えていなかったのだろう。自信満々に身内が言った手前、「できませんでした」と告げて主人を落胆させるのも忍びない。

 だからこそ勝算があるのかを確認したかった。

 

 それに対してコスモスはと言えば、

 

「これから考えます」

「え」

「だって、触れ合ってみないことには解決の糸口は見つかりませんから」

「……ふふっ。それもそっか」

 

 言われてみれば当然だ、とレッドは笑みを零した。

 

 そうだ、何もかもまずは話し合いから。

 例えポケモンが相手だとしても、それは変わらない。

 

(即戦力になりかねないポケモン。それにポケモンとの意思疎通のスキルアップを図るにはいい機会……私の交渉術でニンフィアを引き入れてみましょう!)

 

 

 

 こうしてコスモスとレッドによるニンフィア引き入れ大作戦(仮)が始まるのだった!

 

 

 

 




tips:オキノ大社
オキノタウンにそびえ立つ高床式の巨大な神社。
ホウジョウ地方に所縁ある伝説のポケモンであるルギア、ファイヤー、サンダー、フリーザーを祀っている。
海の上に建っているように見える光景は神々しくも幻想的であり、オキノタウンの有名な観光地として旅雑誌にも掲載されている。
四体の伝説ポケモンを模った浮き彫りがある他、天井絵も存在している。
しかしながら、天井絵は不完全な状態であるという説が学会で唱えられており、残りの部分が探されている。


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№015:結びつけたい理由

◓前回のあらすじ

レッド「目からハイドロポンプを出せるようになった」

コスモス「どちらかと言えばしおみずですね」


 

 

 

 冷涼な風が頬を撫でる。

 特に海辺に存在する町の一角。その開放的な庭園を目の前にすれば、否応なしに足が軽やかに踊ってしまうようだった。

 

 耳を澄ませばポケモンたちが戯れる賑やかな鳴き声が聞こえてくる。

 溌剌とした、あるいは快活とした声からは、生きる活力のような力を貰いながら、逆に眠気を誘われることもあった。

 

 苔むした岩に座っていたニンフィアは、ウトウトと舟を漕ぐ。

 苔はベッドともまた違う柔らかさを有す天然の寝具のようなものだった。そこへ上から降り注ぐ陽光が背中を摩る。まるで優しい主の手に撫でられている温もりだ。

 

 涼しさと暖かさに挟まれたニンフィアは、あっという間に夢の世界へと誘われかけていた。

 

「フィ……フィ……」

 

 健やかな寝息を立て始めれば、最早眠ったも同然。

 しかし、そんなニンフィアの目と鼻の先にポツンと菓子が置かれた。甘く、そして絶妙にほろ苦い味わいを舌に広げるビターチョコレートである。

 きのみのピールが混ざった非売品のチョコレートを設置したのは、こそこそと忍び寄って来たコスモスであった。

 無論、きのみピール入りチョコレートを作ったのも彼女であり、手持ちへの褒美として常にいくらか持ち歩いていたのだ。

 

 それは兎も角、ほとんど鼻っ面の目の前にチョコレートを用意されたニンフィアは、夢の世界にも届く魅惑的な甘い香りに、湿った鼻をヒクヒクと動かし始める。

 美味しいものを食べている夢でも見ているのだろうか。口の端から涎が垂れている。

 だが、夢の世界にまで芳醇な香りを漂わすチョコレートは、次第にニンフィアの意識を覚醒させていった。

 

「フィ……?」

 

 瞼を開けるニンフィア。

 さっきまで食べていたスイーツはどこだ? と言わんばかりに辺りを見渡す。

 と、そこへ目に入るのが目の前に用意されていたチョコレートだ。ごちそうを前に目を爛々と輝かせるニンフィアは、今一度チョコレートを嗅ぎ、しっかりと安全な食べ物か確認してから噛り付いた。

 

「フィア~♪」

 

 大層気に入ったのか、一口食べたニンフィアは、そのまま二口目、三口目と凄まじい勢いでチョコレートを貪っていく。

 

 今回コスモスがセレクトしたのは苦いきのみのピールだ。

 当然ポケモンにも個体ごとに好みの味がある訳であり、好きな味を食べれば満足し、嫌いな味を食べればストレスを覚える。

 栄養バランスだけを考えれば、ポケモンの食事はポケモンフーズで事足りるようにはなっているが、延々と味の変わらない物ばかりを食べさせていれば、それはそれでポケモンは不満を覚える訳だ。

 だからこそ、ポケモン用の食品売り場では、専用のおやつなども販売されている。

 

 味は大抵五種類。辛い、酸っぱい、渋い、苦い、甘いのいずれかである。

 コスモスのルカリオとゴルバットは甘いものが好みであるため、おやつとして与えるものも甘いものに偏っていた。

 しかし、ニンフィアは違う。じっくりとニンフィアを観察したコスモスは、彼女の性格からして苦いものが好みであると判断し、前述のチョコレートを用意した。

 

―――推理は当たっていた。

 

 自分の観察眼にほくそ笑むコスモスは、そのまま建物の陰に隠れて観察を続ける。

 そしてニンフィアがものの数分でチョコレートを食べ終えた頃を見計らい、ヌッと姿を現す。

 

 突如として現れた人影に驚くニンフィア。

 あからさまに驚いたニンフィアは、まじまじとコスモスを眺め―――そして彼女が手に持っている()()に瞳を輝かせた。

 

「おいでおいでー」

「フィ……!」

 

 コスモスは柄でもない猫撫で声を上げる。

 その手に用意されていたのは、たった今ニンフィアが完食した物と同じチョコレートであった。

 

 警戒と食欲の狭間で揺れるニンフィア。

 釣られているとは分かっていても、あの魅惑的な味わいのチョコレートを一度味わってしまった以上、あの芳醇な甘さと舌の上でスッと溶ける食感が理性を蕩けさせていった。

 

 恐る恐るといった足取りでコスモスに近づいたニンフィアは、視線でチョコレートを求める。

 うるうると揺れる円らな瞳。

 これにはコスモスのようにあらかじめ差し出す算段がなかろうが、可愛いもの好きなトレーナーであればおやつをあげてしまうことだろう。

 

「はい、あげる」

「フィア~♪」

「私が作ったチョコレート、しっかり味わって食べるんだよ」

 

 掌にチョコレートを乗せて差し出すコスモスに対し、警戒心などどこへやらと言わんばかりにニンフィアが食い付く。

 尻尾を激しく振り、喜びを全身で表現する様はなんとも愛らしい。

 そのようなニンフィアは、二個目を完食した後、口の周りにべっとりと残ったチョコレートを、余韻を味わうように舌で舐め取る。

 

 その間、計画通り警戒心を取り払ってみせたコスモスは、第二ステップとしてスキンシップを図り始めた。

 なんてことはない、ただただ全身をマッサージするように撫でまわすだけだ。

 だが、たった今絶品のスイーツを食べさせてもらった直後、間髪を入れず心地よい按摩を受けることとなれば、今度こそニンフィアからは警戒心という壁が塵も残らずに消え去った。

 

 最早ニンフィアはチョコレートの虜。

 そしてコスモスに心を掴まれてしまったという訳だ。

 

「さて……ニンフィア。チョコレート美味しかった?」

「フィ~!」

「私と一緒に来れば定期的に食べさせてあげる」

「フィ……?」

 

 しかし、ここで若干雲行きが怪しくなる。

 それもそうだ。ただスイーツを食べさせただけで靡くようであれば、育て屋の店主もあそこまで思い悩むことはないだろう。

 

「どう? ポケモンリーグ制覇の旅……一緒に来る?」

「フィ……」

「嫌?」

「……」

 

 先ほどまでの溌剌とした笑顔とは一変、影が差した面を伏せるニンフィア。

 しかしながら、コスモスとしてはそこまで手ごたえがないとは感じていなかった。

 

(見る限り可もなく不可もなく……明確な拒絶はない、と)

 

 ポケモンとて、提案を拒否するのであればそれなりのアクションを起こすだろう。

 一方でニンフィアは、首を縦に振ることもなければ横に振ることもない。快諾するつもりもないが、頭ごなしに拒絶する意思もないという訳だ。

 であれば、何故そう考えているのかをはっきりさせていく必要がある。

 

「旅はいや?」

「フィ~」

「嫌いじゃないんだ。じゃあ、バトルは好き?」

「……」

「嫌いでもないの?」

「フィ!」

 

 ここに来てコスモスは困ったものだと眉を顰めた。

 聞いていた限り、バトルに苦手意識を抱いているようであったニンフィアであるが、どうにも完全に嫌悪している訳でもないらしい。

 

 では、一体何が彼女に苦手意識を持たせるに至ったのだろうか?

 

 ニンフィアの心を開かせる鍵はそこにある。

 直感ではあるが、半ば確信を抱いたコスモスは、苦手意識を抱くようになった原因について質問していく方針を固めた。

 

「負けるのが嫌だから?」

「フィ~」

「じゃあ、痛いのが嫌い?」

「フィ~」

「相手を傷つけるのが嫌なの?」

「……フィ~」

 

 やや応答に間があった。

 的の中心を射た訳ではないが、確実に近づいているようだ。

 ポケモンの言葉を通訳してくれる存在さえ居れば、このような回りくどい問答をせずとも良いのだが、ないものねだりである以上地道に答えへ近づいていく他、道はない。

 

「うん……自分が勝敗とか痛いのがどうとかの問題じゃない、か。じゃあ、()()って一緒に戦うポケモンのこと?」

「ッ! ……フィ」

 

 ピン! と耳が跳ねたニンフィアが、観念したように頷いた。

 

(敵じゃなくて味方を傷つけることに忌避を覚える、と。言われてみれば、ブビィとエレキッドの喧嘩の時の仲裁も速かったような……)

 

 ここまで来れば、後は思いつくだけの理由を質問として投げかけていくだけだ。

 豊かな想像力が試される訳だが、伊達にコスモスもトレーナーズスクールのテストで満点を取っていない。教科書に記載された知識は当然の如く、自分の野望に活かせそうな知識は優先的に教養として身につけていた。

 

 ポケモンは道具―――職人気質故大切にはしているが―――と考えているコスモスにとって、ポケモンに離反されるなどあってはならない事態だ。

 ポケモンがトレーナーの言うことを聞かなく理由はあらかた把握している。

 

 ならば、ありったけ詰め込んだ教養から類似するケースを抽出し、次から次へと投げつけていけば答えへとたどり着くと、コスモスは質問攻めを始めるのだった。

 

「自分が勝って仲間に嫉妬された?」

「フィ~……」

「そう。じゃあ、仲間とは仲良しだった?」

「フィ!」

「そうだったんだ。でも、バトルが原因で喧嘩したりはしなかった?」

「ッ……」

「あったの?」

「……フィ」

 

 ゆっくり……それはゆっくりと首を縦に振ったニンフィア。

 嫌な思い出だったのかもしれない。見るからに陰気なオーラを放つニンフィアは、肩を落として地面を凝視していた。

 自然と目尻から溢れ出す涙は、地面に点々とした染みをいくつも作る。

 心なしかリボンのような触角も萎み、力なく垂れてしまっていた。

 

 そうしたニンフィアの様子を遠目から見ていたのか、離れた場所でガルーラに見守られて遊んでいたポケモンたちが、一斉にニンフィアの下まで駆け寄って来た。

 ほとんどがコスモスよりも背が低いポケモンたちであったが、数が集まれば中々の迫力である。

 

 コスモスがニンフィアを泣かせたと勘違いするポケモンは、抗議するような眼差しを浮かべては、ニンフィアを庇う陣形を取りつつ威嚇を始めたではないか。

 大した人望……否、ポケ望である。

 しかし、「誤解だ!」と言わんばかりに泣き腫らした顔を浮かべたニンフィアが弁明し、あっという間に場の騒ぎを治めてみせた。

 

 それから彼女は心配するガルーラに連れられ、この場から去っていく。

 残ったのはニンフィアを心配するポケモンと、そんな彼らに囲まれるコスモスだけであった。

 

「う~ん……」

「なにか分かった?」

「先生」

 

 音もなく現れたレッドが、進捗を確かめに来た―――フシギバナの蔓に足を縛られ、逆さ吊りになる形で。

 

「とりあえず、過去に手持ちの仲間とのバトルが原因で喧嘩したことは」

「なるほど……」

「ですが、もっと肝心な内容についてはもう少し精査が必要かと思われます」

「……そうかな?」

「え?」

 

 逆さ吊りになっているレッドは、頭に血が上らぬよう、腹筋を筋繊維一本残すことなくフル活用して上体を起こすや、微振動しながらコスモスに訴えかける。

 

「それだけ分かれば、もう十分だと思うんだけれど……」

「先生……まさか、ここからすでに問題を解決できる答えをお持ちで?」

「まあ……あるには……」

「流石です、先生……! 不肖コスモス、感服いたしました」

「それよりちょっと助けて……ッ」

 

 頭にこそ血は上っていないが、力を込めているがゆえに顔が真っ赤になっているレッドが、消え入るような声で助けを求める。

 コスモスは特に疑問を抱かなかったが、彼の現状は極めて不本意な状態であった。語るには一時間以上前から始まる―――が、大した話ではないためスルーしよう。

 

 加えて消え入る声で発せられた救援は、絶妙なタイミングで電撃を迸らせたピカチュウによって遮られた。

 つまり、コスモスの耳には届かなかった。

 

「して、先生。その答えとは……?」

「あれ、答えなきゃ下ろしてくれない感じ……? そ、それじゃあ……バトルで喧嘩したなら、バトルで解決するしかない……と……俺はね、思うんだ」

「……と、言いますと?」

「苦手は、克服ッ……! 固定観念を、吹き飛ばすッ……! 『できない』を、覆してッ……!」

 

 限界が近いのか、きわめて端的な返答を返すレッド。

 対してコスモスは、そんな答えにしばし熟考を決める。(レッド)の助けを求める声が耳に入らないくらい思案に集中する彼女は、自分がかき集めた情報とレッドの教えを上手く嵌め込まんとした。

 

「うーん……」

「コ、コスモス……そろそろ……」

「ピカッ」

「……ピカチュウ?」

 

 中々考えがまとまらないコスモスに助け舟を出したのはピカチュウであった。

 チャーミングなまんまるほっぺから電光を迸らせる彼は、「嬢ちゃん、俺に任せな」と言わんばかりに彼女の前を行く。

 

 向かう先は、散り散りになっていた育て屋のポケモンたちの下だ。

 すると、やおら空を指さすかの如く腕を掲げた。

 

「チュッピッカァーッ!!」

 

 威勢のいい鳴き声に誰もが反応する。

 驚くポケモン、怯えるポケモン、好奇心を露わにするポケモン……三者三様の様子を見せるポケモンたち全員が、その視線を黄色い体へと向ける。

 

 何が始まるのだろうか。

 コスモスを含めて生唾を飲み込む面々の前で、改まったように大きく息を吸い込んだピカチュウは吼える。

 

「ピッピカチュー! チュピーピッピカァー!」

「ブビッ! ブビッ!」

「レキィー!」

「ピカ! ピカァ!」

 

 何かしらの意味を有す鳴き声を上げた瞬間、一斉に集ってきたポケモンが挙手し始める。

 すると、即座にピカチュウが早かったポケモン二体を指名した。

 ブビィとエレキッド―――両者共にニンフィアに喧嘩を窘められたポケモンだ。ピカチュウに手を引かれた二体は、なぜかコスモスの目の前まで連行されてきた。

 

 やけにやる気に満ち溢れた瞳だ。

 しかも、眼差しを向ける先が自分と来た。

 短時間の集会からの連行と何から何まで理解の外の出来事が連なるコスモスは、しばし思考が停止したように固まる。背後ではレッドも微動だにしていない。

 

「ピカ」

 

 ピカチュウはポンポンと背中を押し、コスモスの下へ二体を送り出す。

 

 はてさて、困ったものだ―――そう困惑していた主人の前へと歩み出たのは、ルカリオとゴルバットの二体である。

 彼らもまたやる気に満ち溢れた面持ちを浮かべており、闘争心をむき出しにするブビィとエレキッドに対し、立ちはだかるようなオーラを放つ。

 

 今にもバトルが始まりそうな空気が場に満ちる。

 ニンフィアが居れば、すぐにでも止めに入る状況であることは否定できないが、周りに屯しているポケモンは一向に止める気配を見せない。

 

 寧ろ、微笑ましそうな眼差しでバトルを臨もうとする二体を見守るばかりだ。

 

「………………あ」

「おやおや……いかがなされたんです?」

「店主さん、ちょっといいですか」

「はい?」

 

 ピカッと閃いた瞬間、ちょっとした騒ぎに何事かと様子を見に来たタケが現れた。

 

 ちょうどいい―――自分の脳裏に過った一つの妙案を為すがためには、兎にも角にも店主の許可が要る。

 そして言質だ。後から自分に責任を被せられぬよう、しっかりとボイスレコーダーで録音しておく準備を取った。あくまで万が一の用意だが、この作戦を執り行う上で賠償金など払わせられたら堪ったものではないからだ。

 

(年齢的に本格的にボケている可能性も否めないし……)

 

 と、それはさておき。

 

「この育て屋……預かったポケモンに意思を尊重するんですよね?」

「えぇ、そうですが……」

「じゃあ、ブビィとエレキッド(この子たち)……鍛えていいですか?」

「……はい?」

 

 

 

 ***

 

 

 

『あっ、かわいいポケモン!』

 

 そう言われた途端、勝負を吹っ掛けられるとは思ってなかった。

 これが私と貴方の出会い。

 そして、一人で生きていた私に家族ができた日。

 

『よろしくね、イーブイ! こっちはあたしのパートナーのポチエナだよ!』

 

 さっきまで戦っていたポチエナが、今度は歓迎ムードを振りまきながら、私のほっぺを舐めてきた。

 複雑だけれど嫌じゃない。

 なんだかくすぐったい感覚だったなぁ。

 

『あたしね、ポケモンリーグに出場してチャンピオンになる! それがずっと夢だったの!』

 

 初めてみんなで囲んだ食卓で、貴方は教えてくれた。

 その頃は、まだニンゲンが生きている世界の仕組みはよく分からなかったよ。

 だけど、貴方がとっても楽しそうな笑顔を浮かべていたから、私も一緒に付いて行きたくなったんだ。

 ポチエナも『一緒に頑張りましょ!』って張り切ってた。

 

『はぁ……負けちゃった』

 

 でも、初めてのジム戦で勝てなくて悔しい思いをした。

 貴方も私もポチエナも、みんなして泣いちゃったんだ。

 泣いて、泣いて、泣いて。それでも泣いて。

 目の下を真っ赤に腫らして、ようやく涙が枯れた頃に貴方が言ったの。

 

『ううん……立ち止まってなんかられない! みんなで特訓だよっ!』

 

 空元気でも明るく見せようとする貴方に、私たちは元気付けられたんだ。

 それからは一生懸命特訓したね。

 技の練習でしょ。立ち回りの練習でしょ。それに、体づくりのために嫌いな物でも食べる練習……。

 挑んでは負けて、挑んでは負けて。

 それでも貴方が諦めなかったから、私たちは付いて行けたんだよ。

 

『ジムバッジ……すごくキラキラして見えるの! みんな、ありがとね!』

 

 ううん、お礼を言うのは私たちの方。

 貴方の言う通り、一丸となってつかみ取ったジムバッジはお日様よりも輝いて見えたね。

 ケースの中に納めると、一段と様になって見えた。

 いつかは『全部埋めよう』って約束したのもはっきり覚えているよ。

 

『賑やかになって毎日楽しいね!』

 

 一緒にご飯を食べるお友達も、最初よりずーっと増えた。

 ポチエナはグラエナに進化して、凛々しい見た目になっちゃったの。

 誰かが強面なんか言ったけれど、私と貴方は気にしなかったもんね。

 確かに特訓を怠けちゃう子には厳しいけれど、貴方のためを思ってだった……でも。

 

『ごめんね……あたしがトレーナーとして不甲斐ないせいで……』

 

 きっかけは、ポケモンバトルの練習で怪我。

 自分にも他人にも厳しいグラエナだったけれど、全員が全員彼女のペースに合わせられる訳じゃない。その子は仲間になったばかりで、彼女の威圧感に慣れていなかったから、人一倍心も体も疲れちゃったらしい。

 それから元々不満を持っていた子が怒って喧嘩が始まった。それこそ貴方も止められないくらいにグラエナも頭に血が上っちゃうような。

 きっと彼女も貴方に頼られているのを自覚していたから、退くに退けなかったんだよ。

 けれど、大喧嘩から始まったバトルでグラエナは倒れて、『弱いやつが偉そうにするな!』って相手に罵られた彼女は……その夜、音もなく貴方の前から姿を消した。

 

『あたし……トレーナーに向いてないんじゃないかな』

 

 何日も探したけれど見つからなくて、諦めた時に貴方はそう言った。

 違う、貴方が悪いんじゃない。

 それでも貴方が自分を責めるなら、きっと私にも責任はある。

 どうにかして喧嘩を止められていたら……ううん、皆がもっと仲良くなれるようにしてあげられたらって何度も思った。

 

『イーブイ? その姿……』

 

 今の姿に進化したのは、そんな時だった。

 もっと貴方の役に立ちたくて。

 もっと皆と仲良くなりたくて。

 その一心で(ニンフィア)に変わったの。

 でも……それが間違いだったのかな?

 

『ニンフィア! どうして言うこと聞いてくれないの……?!』

 

 違うの、私はただ皆に仲良くなってもらいたかっただけなの。

 けれど、あの時のグラエナの悲しそうで辛そうな顔を思い出す度に、特訓だとしても皆と戦わなくちゃならないのが堪らなく怖くなった。

 どんな些細な諍いも宥めて、好きだったバトルも避けて、それでも皆と仲良く一緒に居られるなら……そういう風に考えていた。グラエナと離れ離れになったトラウマで、私はとことん臆病になっていたんだ。

 

 けれど、貴方は違かったのかな?

 夢をずっと見続けていたのかな?

 

『……ニンフィアはあたしのこと好き?』

 

 もちろんだよ。

 何度だってそう答えるつもり。

 

『……あたしも大好き』

 

 貴方は初めて出会った時と同じ笑顔を浮かべた。

 それが……ずっと会えなくなるようになった日の出来事。

 

 私は今でも待っている。

 来る日も来る日も待っている。

 貴方が笑顔で迎えに来てくれる日を。

 もし、貴方が私を置いていった理由が”嫌いになったから”だったら、それこそもう一度会って仲直りしたい。

 

 

 

 それとも……貴方はもう私を忘れちゃった?

 それでも……私は今でも貴方に会いたいよ。



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№016:『握手しよう』

◓前回のあらすじ

コスモス「育て屋ですし、いくら育ててあげても問題はないんでしょう?」

レッド「限度はあると思う」


 育て屋は忙しい。

 

 数多く預かっているポケモンの食事の用意は当然のこと、ブラッシングや体調管理なども含めればとても一人で手が回るような状況ではない。

 そこでスタッフとしてタケが個人的に育てているポケモンが働いている訳だが、ニンフィアも自主的に手を貸していた。

 

 3年も一緒に暮らしているニンフィアにとっては、基本的な一日のスケジュールは頭に入っている。今では育て屋にとっても頼りになる一体であることには違いなかった。

 今日も今日とて店を手伝おうと意気揚々と台所へ足を向ける。

 きっと今頃、主人のタケが美味しくて栄養もあるご飯を作っているはずだ。

 特にベビィポケモンは彼の食事を心待ちにしている節があり、余り遅れるとグズり始めてしまう。

 

 複雑な身の上から疎外感を拭えぬニンフィアにとって、純真無垢な彼らの笑顔は何よりの糧だ。あの笑顔のためならばどれだけ時間がかかろうと元の主人を待つことができる。

 「おぉ、今日も手伝ってくれてありがとう」と礼を言うタケから特製ポケモンフーズが山盛りに入った皿を触角で受け取ったニンフィアは、一かけらも零すことのない絶妙なバランス感覚を以て、皆が待ちかねている庭へと向かう。

 

「……?」

 

 何かがおかしい。

 普段ならば、待ち切れないポケモンの何体かが屋内まで届く催促の声を上げているのだが、今日は誰一人として騒いでおらぬではないか。

 不穏な空気を覚え、自然と足早になる。

 彼女の背中を押すのは一抹の不安と焦燥。数多くのポケモンの面倒を看る内に母性に目覚めていた彼女は、自分の家族にも等しいポケモンにトラブルが起こったのではないかと気が気ではなかった。

 

 次の瞬間、開けた視界に()()が映る。

 

「―――いい加減、決着をつけましょう」

「うん、いいよ」

 

 庭先で対峙する二人のトレーナー。

 感情を読み取り辛い淡白な顔つきをしているが、体から振り撒かれる威圧感は到底拭い去れるものではない。

 そして、それだけの覇気を持ったトレーナーが繰りしポケモンもまた、火花を散らすかの如く睨み合っていた。

 

「ブビィ……!」

「レキィ……!」

 

「フィ!?」

 

 何かにつけては対立していたブビィとエレキッド。

 彼らが、今まさにトレーナーという後ろ盾を得て、燃え上がる闘争心のままにバトルに臨もうとしているではないか。

 

 遠くから見ていても分かる剣呑な雰囲気。取り巻きのポケモンたちも、これからどうなってしまうのかと息を飲んで見守っている。

 

「フィア! フィア!」

 

 しかし、それをニンフィアが見過ごすはずがない。

 バトルがきっかけで取り返しのつかない仲違いをした経験は、今も彼女の心に暗い影を落としている。

 例え、どんなに些細な諍いでも止めなくてはならない―――半ば反射的に駆け出すも桃色の体躯であったが、それを遮って二体のポケモンが現れた。

 

「クワンヌ」

「ゴルバッ!」

「フィ!?」

 

 コスモスの手持ちであるルカリオとゴルバットが、ニンフィアの行く手を阻む。

 二体を前にして彼女は、何とか隙を窺って出し抜こうとするも、堅牢な守りを前にたたらを踏む。

 バトルを避けること、それ即ち力尽くでの強行突破の手段を取れないことと同義であった。

 

 あたふたと狼狽するニンフィアは、つぶらな瞳で二体に退いてもらうよう訴えかける。潤む瞳は、思わず退いてしまいかねない愛嬌に満ちているものの、冷徹さを保つルカリオが前に出た。

 すると、ニンフィアの頭にポフッと肉球が落ちる。

 ルカリオの掌だ。その優しい触れ方に、思わず彼女もルカリオを見上げる。

 

「ワフッ」

「フィ……」

 

―――見ていろ。

 

 そう言わんばかりの真っすぐな視線に射抜かれる。

 とうとうニンフィアは折れ、その場に留まることに決めたが、平静で居られていないのは火を見るよりも明らかだ。普段は悠々と揺れている触角も、今はそわそわと落ち着きなく右へ左へと揺れている。

 

 しかし、これでようやく主役が揃った。

 観客はただ一人―――ニンフィアのみ。

 そう、これは彼女に捧げる一世一代のバトルだった。

 

「いいですか、先生? 勝っても負けても……」

「うん。恨みっこなし」

「それでは……」

「バトルしようぜ……!」

「GO、ブビィ!」

「エレキッド、キミに決めた!」

 

 青空に澄み渡る声が閧の音だ。

 

「ブッビィー!」

「レッキャー!」

 

 木霊が返るよりも早く駆け出すブビィとエレキッド。

 拙い足取りではあるが、全力疾走で相手に肉迫する二体は、そのまま挨拶代わりに“たいあたり”を決めるや、攻撃の反動で大きく後ろへ飛びのいた。

 

「ブビィ、“ひのこ”!」

「エレキッド、“でんきショック”!」

 

 と、そこへ同じタイミングでトレーナーからの指示が飛ぶ。

 片やブビィは体を反らして息を吸い込み、片やエレキッドが両手の間に電気を収束させる。

 

 刹那、渾身の一撃が解き放たれた。

 赤熱の燐光を散らす“ひのこ”が。眩い程に爆ぜる“でんきショック”が。

 狙いは甘い。やはり、まだバトルに慣れていないからだろう。しかし、よもすれば命中する軌道を描いていた技は、ちょうど二体の間で激突して爆発が起こる。

 余波に煽られる二体は、よたよたと足下が覚束なくなったものの、寸前のところで踏みとどまったと思いきや、今一度相手目掛けて駆け出すではないか。

 

 まるで普段抑圧されていた闘争心を爆発させる戦いぶり。

 しかしながら、爽快感すら覚えさせる暴れっぷりに、観戦していたポケモンたちもみるみるうちに観客(ギャラリー)へと変貌していく。

 

 ある時は二体の戦いを讃え、ある時は奮起するよう煽り、ある時は惜しみない声援を送られる。

 

 それを目の当たりにし、ニンフィアは困惑していた。

 

―――どうして皆楽しそうにしているの?

 

―――喧嘩は止めなくちゃいけないのに。

 

―――なのに、なのに、なのに……。

 

 熱狂の坩堝と化す庭先の賑わいは、すぐ近くに広がる町の広場にも轟いていたようだ。

 気になって来た鳥ポケモンが木々の上から様子を窺う他、広場で遊んでいた子供たちも野次馬としてやって来た。

 

「わぁ、ポケモンバトルしてる!」

「ここって育て屋さんだよね? ああやってポケモン育ててるのかなぁ?」

「へぇ~! みんな、こんな風に育ててるんだぁ~! なんか楽しそぉ~!」

 

 白熱したバトルの模様に、集った子供の食い入るように観戦を始める。

 傍から見れば未熟もいいところの二体がバトルしているだけの光景。

 それでもこうして人とポケモンを興奮させるのは、互いに全力を尽くしてバトルしているからだろう。

 

 己の全てを曝け出す―――力も、技も、心も。

 だからこそ通じ合う―――努力も、技術も、想いも。

 

「……」

 

 ぽかんと口を開けるニンフィア。

 まさかブビィとエレキッドが、このようなバトルを演じるとは露ほども思っていなかったのだろう。

 しかし、それ以上に彼女の心を揺るがすものは、他にあった。

 

 瞳。二体が相手を捉える目に宿る意思が、余りにも色鮮やかに映っていたのだ。

 いがみ合うものでも、ましてや嫌悪するものでもない。

 互いの奮闘に悦びさえ抱くような―――それこそ好敵手に送る意思が瞳に宿っている。

 

 自分が止め続けていたら永遠に見られなかったはずの光景が、そこにはあった。

 

「“スピードスター”!」

「レキィ!!」

 

 流れ星と呼ぶには頼りない光が尾を引いて、ブビィへと疾走する。

 

「“はじけるほのお”で迎撃!」

「ブゥ~ビィ~!!」

 

 それを拡散する火の玉を解き放ったブビィが撃墜。

 辺りには飛び散る火の粉と爆散した星の煌きで明るく照らされた。そして、またもやポケモンたちがドッと沸き上がる。

 さながら一つの輪となって盛り上がるポケモンの姿に、ただ一人輪の外に放り出された気分のニンフィアは茫然と立ち尽くしていた。

 

「フィ……」

 

 信じたくない。いや、思い出したくないとでも言おうか。

 面を伏せ、蓋をしていた過去を思い出さぬよう努めるニンフィア。

 だが、そんな彼女の背中を撫でる感触が奔った。

 

 弾かれるよう振り向けば、優しい笑みを湛えたルカリオがジッと彼女を見据えていた。

 

―――大丈夫だ。全部分かっている。だから安心しろ。

 

 ルカリオの掌から迸る波動が、ニンフィアの体へと伝わる。

 優しい波動だ。まるで揺り籠に揺られているかのような安心感が心を満たす。

 “いやしのはどう”―――本来の用途とは違うものの、トラウマが脳裏を過ってパニックに陥りかけていた彼女を安らげるには十分な効果を発揮したようだ。

 そうしたルカリオの助けも入り、何とかバトルへと目を向けられるようになるニンフィア。

 

 認めたくない現実を直視する勇気が生まれる。寄り添われている今……それも、ほんのちょっぴりではあったが、先に進むにはとても大きな一歩。

 

 それを今、彼女は踏み出した。

 

 同時に、ブビィとエレキッドの二体も大きく一歩踏み出す。

 振りぬく拳を相手の顔面に叩き込む。

 すれば、エレキッドの頬からは爆炎が。ブビィの頬からは電撃が爆ぜる。

 “ほのおのパンチ”と“かみなりパンチ”。ついこの間までの二体には使える気配など微塵もなかった技である。

 

 それを最後の一撃として繰り出した二体であったが、数秒硬直した後、グラリと脱力するように後ろに倒れ込んだ。

 ダブルノックアウト。つまり、引き分けだ。

 全身全霊を賭した初めてのポケモンバトルとしては上々の結果。周りのポケモンからも惜しみない拍手と声援が送られる。

 

 それらを力に変えて何とか立ち上がった二体であるが、ふと目の前の相手にガンを飛ばす。

 これはイケない! とニンフィアが飛び出そうとした、その瞬間、満面の笑顔を咲かせる彼らは固い握手を交わした。

 先ほどまで殴るために握っていた拳。それを握手するために解いたのだ。

 てっきり喧嘩が勃発すると懸念したニンフィアは、懸念であったかと疲れた面持ちを浮かべてへたり込む。

 

 が、その時だった。

 

「おや?」

「これって……」

 

 呆気にとられた声を漏らすコスモスとレッド。

 そんな彼らが目の当たりにしていたのは神秘の光だった。

 握手を交わすブビィとエレキッドの体を包み込む神々しい光は、みるみるうちに彼らの体を覆いつくしていく。

 やがて光は膨れ上がり、カッと閃くように花開いた。

 開けた視界の中央。そこに佇んでいたのは、新たな姿へと変貌した二体のポケモンである。

 

「ブーバーとエレブーに……」

「進化したんだね。よかったよかった」

 

 ブビィがブーバーに。エレキッドがエレブーに。

 共に精悍な顔つきとなった彼らは、新たなる力の目覚めを祝福する声を浴び、恥ずかしそうに頭を掻いていた。

 その一部始終を目の当たりにしていたニンフィアはと言えば、

 

「フィ……フィア!」

 

 大粒を涙を零し、二体に抱き着いたのだった。

 

「フィア~! フィア~!」

「ブ、ブバァ……!」

「レブー……!」

 

 触角で頭を撫でまわされる二体は、今まで以上に恥ずかしそうな―――それでいて嬉しそうな顔を浮かべていた。

 まるで母親に褒められる子供のような光景に、レッドもまた死んでいる表情筋を用いて口角を吊り上げる。

 

「進化は、何もトレーナーとポケモンの間にだけで起こる現象じゃないってことだね……」

「二体のニンフィアへの想いが進化に至らせた……と。流石は先生です。私もそこまでは見越していませんでした」

「いや、俺も進化するとまでは……」

「全てはピカチュウを有志に集わせた時から始まっていたとは……私もまだまだ勉強が足りませんね」

「いや、違うからね。あの……いや、うん。後でいいや」

 

 コスモスの当初の予定としては、必要以上にニンフィアに喧嘩(バトル)を禁止され、鬱憤が溜まっている二体を戦わせた後に仲直りさせるというもの。そうすれば彼女の固定観念も覆るという算段であった。

 しかし、結果から見れば成功を超える大成功。

 ブビィとエレキッドがバトルを経て友情を築き、その上でニンフィアへの一途な想いを爆発させるように進化してみせたのだ。

 事実は小説よりも奇と言うが、奇跡は今、目の前で起こった。

 

 コスモスにとっては嬉しい誤算。

 同時に自分なりに考えた作戦もひと段落だった。

 

「さて……ニンフィア」

「フィ?」

「これでもまだ、バトルは苦手?」

 

 ニンフィアと目線を合わせるように屈んだコスモスが問いかける。

 バトルが相手を傷つけるだけではない―――絆を固めるものだと示してみせた。尚も彼女が苦手意識を持ったままであれば連れて行くことは難しいが、だからこそ最終確認を取るように語を継ぐ。

 

「ニンフィアに進化したなら分かるはず。貴方はトレーナーのことが大好きだった……違う?」

「……」

「それにポケモンリーグの中継を見てたって育て屋のご主人に聞いた。ポケモンバトルの祭典……ねえ、ニンフィア。貴方はまだここに居る?」

「フィ……?」

 

 不思議そうな面持ちを浮かべるニンフィア。

 そんな彼女を覗き込んだコスモスは、いたずらっ子のような笑みを湛えてみせる。

 

「ポケモンリーグは全国中継。なら、貴方がポケモンリーグに出たら、テレビ越しに()()()()()()()かもよ?」

「!」

「それじゃあここからが提案。このままずっと育て屋で燻っているか、全国の注目を集める場で輝いてみせるか。選ぶのは二つに一つ」

「……」

「何も私の手持ちになれとは言わない。ただ、貴方のトレーナーが見つかるまでの協力関係。どう? 貴方は将来トレーナーと一緒に来るかもしれないポケモンリーグの予習もできる……悪くない話だと思うよ」

 

 徐に差し伸べられる手。

 対して、ニンフィアは葛藤を内に抱いたまま、恐る恐ると触角で手を握り返した。ゆっくりと絡められた触手からは、相手を落ち着かせる波動が微々と放たれている。

 ニンフィアが触角を絡めるケースは三通り。

 一つ目は、気持ちを和らげる波動を送り込んで戦いをやめさせるため。

 二つ目は、上記の波動で獲物を油断させるため。

 最後に、触覚を絡めさせることでトレーナーの気持ちを推し量るためだ。

 今、ニンフィアはコスモスの気持ちを触角越しに感じ取っていた。並々ならぬ野望を叶えんとひたむきに努力する―――これはやる気だ。

 まさしく以前自分を連れていたトレーナーと同類の気持ちを感じ取ったニンフィアは、腹をくくったと言わんばかりに面を上げる。

 

 瞬間、交差する二人の視線。

 

「交渉成立?」

「フィア!」

 

 長い葛藤の末、コスモスに付いて行くと決めたニンフィアは、やる気に満ちた声を上げる。

 その様子にレッドや、長年付き合ってきたガルーラも優しい笑みを湛えて見つめていた。鬱屈としていた影が払われたニンフィアの表情は実に清々しい。

 そのような彼女の様子に、育て屋から離れてしまうのだと察し抗議の声を上げていたポケモンも押し黙った。

 彼らは結局、ニンフィアのことが大好きな面々だ。居てくれるのであれば寄り添い、彼女自身の意思で発つというならば素直に送り届ける。そうした考えは奇しくもニンフィアが彼らに抱く“家族”という感覚に近かったと言えよう。

 

 

 

 さぁ、旅立ちの時が来た。

 

 

 

 ***

 

 

 

「まさか本当に連れていけるとは思わなんだ……お嬢さんも中々のやり手のようですねぇ」

「お褒めの言葉として受け取っておきます」

「そう言わずとも、褒めておりますよ」

 

 育て屋の店主・タケは、ニンフィアと並んで立っているコスモスを一瞥に、心底嬉しそうな色を瞳に滲ませていた。

 

「もう……いいのかい?」

「フィア!」

「そうかい……それなら行っておいで」

 

 目尻からはらりと一筋の雫が零れ落ちる。

 一人置いてけぼりにされ、延々と主人の帰りを待ち続ける日々を目の当たりにしてきた彼にとっては、こうして自ら先へ進む姿を見られるだけで満足だった。まさしく感涙せざるを得ない光景。

 

 一方、ホッと安堵の息を漏らすタケの周りでは、預けられたポケモンたちがニンフィアとの別れを惜しむような挙動を見せていた。

 特に彼女への想いから進化にまで至ったブーバーとエレブーに至っては、いかつい顔に似合わぬ泣き顔を披露している。

 タケに宥められ、何とか号泣から男泣きまでに収まるものの、しばらくは別れの余韻が後に引きそうだ。

 

「ふぅ……あまり長居すると名残惜しくなりそうですね」

「お気遣いありがとうございますねぇ」

「それでは行きましょう、先生」

「うん、そうだね」

「今後とも、育て屋を利用する際はうちにご贔屓を……」

 

 最後に商魂逞しい宣伝を告げたタケに見送られ、コスモスとレッドの二人は、新たな仲間であるニンフィアを加えて足並みを揃える。

 

「目下の目標はオキノジム攻略……ジムリーダー・リックの撃破です」

「シャチョーさんとのバトルだね……」

「資本力がバトルの腕の決定的差ではないことを知らしめに参りましょうか」

「そこまでは言ってないけれども」

 

「フィア~♪」

 

 歩むコスモスの腕に触角を絡めるニンフィア。

 彼女らの行く先は、新たな門出を祝うかの如く燦燦と降りしきる日光に照らされているのだった。

 



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№017:お風呂と迷子と暴露と

◓前回のあらすじ

コスモス「他人のニンフィアを手に入れた」

レッド「イーブイ系統は他人から授けられる運命にでもあるのだろうか」


 立ち上る湯気を目で追う。

 ふわりと温泉特有の仄かな硫黄の香りが鼻につくが、不快感は全くと言っていいほどない。むしろこれこそが醍醐味だと、夜空にさらけ出す白磁色の肌に湯をかける人影は、ふぅ、と息を吐いた。

 

「い~い湯、だ、なっ」

「ピカチュ♪」

 

 ババンババンと湯に浸かるのは、レッドとピカチュウの二体だった。

 ここはオキノタウンに存在する銭湯。歴史的文化財の方に目が行きがちだが、実は地方有数の温泉街としても有名なのだ。

 日が落ちれば幻想的な雰囲気を醸し出す風情豊かな淡い光で見られるのも、そういった観光名所としての側面もあるからこそである。

 

「シロガネ山にも温泉はあったけど……こういうのもいいね」

「ピカピカ」

 

 手ぬぐいを頭に乗せたピカチュウがうんうんと腕を組んで頷く。

 少し前まではカントー屈指の秘湯に浸かっていたレッド達であるが、やはり山中の天然露天風呂と町中の温泉では、味わいが違うというものだ。

 

「あぁ~……このまましばらく浸かってたい……」

「ピ~カ~……」

「でもコスモスも居るから、いつまでも浸かってる訳にもいかないし……」

 

 いつも傍に付いてくる弟子はと言えば、塀で隔てられた先の女湯でしっぽり浸かっている。

 彼女的にはすぐにでもホテルに帰り、明日のジム戦に向けての作戦会議を行いたがっていたが、どうしても温泉に入りたかったレッドがごねて今に至っていた。

 

「迷惑だったかな?」

「ピ~カ」

「ピカチュウもそう思う? やっぱりあんまり気を張り詰めてもバトルはうまくいかないしね……」

 

 レッドはバトル好きだ。三度の飯よりバトルが好きだ。『仕事と私のどっちが大切なのよ!』と問われたらとりあえずバトルと答えるくらいには好きだ。

 強者に挑む時はいつも緊張よりも前に興奮が先立っていた。初めてのポケモンバトル、ジムリーダーや四天王、果てにはポケモンリーグ決勝戦におけるグリーンとのバトルでさえも、凍りつくように強張る全身を熱く滾る心が凌駕したからこそ、チャンピオンの玉座につくことができた。

 

 程よい緊張も熱いバトルのエッセンスなのは否定しない。

 けれども、より大切なのは緊張すらも楽しむ心の余裕であろうとレッドは温泉でトロトロに蕩けた頭で結論付ける。

 

「ここでリラックスしてって……明日はいい感じに頑張ってくれるといいな……」

「ピッカ~」

 

『温泉卵~』

 

「ん……?」

 

『栄養満点なラッキーの卵を使った温泉卵~、ぜひいかがですか~?』

 

 銭湯の外から聞こえてくる露天商の声だろうか。

 しかし、問題はそこではない。

 温泉卵───しかも、ラッキーの卵を使ったとなれば、それこそホエルオー級の温泉卵に違いない。

 

「買いに……行かなきゃ」

 

 ある種の使命感に駆られるレッドは、先ほどまで顎近くまで身を沈めていた状態から立ち上がり、颯爽と脱衣場へと向かうのだった。

 

 

 

 食べ切れるかなど───眼中にない(アウト・オブ・眼中)

 

 

 

 ***

 

 

 

 かっぽーん、と。

 湯殿からの湯気が流れ込む脱衣場前の休憩所。そこに設置されたベンチに腰掛けるコスモスは、地域限定のフルーツオレに舌鼓を打ちながら作戦会議中だった。

 ルカリオはカフェオレ、ゴルバットはバナナオレ、ニンフィアはいちごオレ───完璧な布陣である。温泉で火照った体に浸み込んでいく冷涼さと糖分は頭を使った作業には不可欠であると断言できよう。

 特にレッドとは対照的に理論派のコスモスは、より脳味噌が糖分を欲する訳である。

 

 閑話休題(それはさておき)

 

「ニンフィアの技は大体把握できた。後は対戦相手の情報……」

 

 携帯端末で挑戦するジムリーダーの情報を映し出す。

 

 揺るがぬ地面の大黒柱、リック。

 前回戦ったピタヤの攻撃的なバトルスタイルとは裏腹に、こちらは守りを固め、堅実的に相手を削る持久戦を得意とする。

 新任されたばかりのジムリーダーとだけあって公式戦の情報は数えるほどだ。得られたのはバトルスタイルと数体の手持ちポケモンくらいか。しかも、当時と今の手持ちが同じという確証はない。

 

「ただ、()()()は堅いか……」

 

 それでもエキスパートタイプとバトルスタイルが判明しているのなら、ある程度の推測は立てられる。ロケットチルドレンとして叩き込まれたバトルの基礎知識は同年代のトレーナーとは比べ物にならない。『ただの下っ端と比べられてもらっては困る』とはコスモスの談だ。

 

 うんうんと考えを巡らせていけば、あっという間に時計の針は進む。

 すっかり体が冷めて瓶の中身も尽きる頃、ようやく明日の方針が固まる。

 

「───うん、後は臨機応変に対応する。それでいくから、バトル中はくれぐれも勝手な行動はとらないように」

 

 淡々とした口調で念を押せば、ルカリオとゴルバットが力強く頷く。

 

「……ニンフィア、聞いてた?」

 

 しかし、ただ一匹───新入りのニンフィアだけは困惑した様子を隠さない。

 育て屋での雰囲気と違う所為か? それにしても煮え切らない表情だ。もしも意思疎通が図れてなければ明日のジム戦に響くと思い至るコスモスは、先ほど口にした内容を繰り返す。

 

「いい? 相手の技を避けたりするのは任せるけど、勝手に技を出したりしたらダメ。特にニンフィアは付き合いが短いから、私の指示だけ聞いて動くように」

「フィ~……?」

「大丈夫。これでも反射神経は良い方だから」

 

 本当に大丈夫なの? という視線に首を縦に振るコスモス。

 いくら優れているトレーナーだとしても、出会ったばかりの───それこそレンタル同然のポケモンを扱って勝利するのは至難の業だ。相手が同じ状況ならばまだしも、今回はあくまでこちらの都合で挑むジム戦であるのだから、ジムリーダーは当然使い慣れたポケモンを用いるだろう。

 それを踏まえても尚、自身のポケモンの動きは逐一制御できるに越した事はない。

 

 コスモスが必要とするのは与えられた役割を忠実にこなす“道具”。

 期待を超える必要も、予想を裏切る必要もない。想定する展開を上手く構築し、勝利への道を辿る───いわば、詰め将棋のような戦略こそ最良だとコスモスは考える。

 

「結果に一喜一憂する必要はない。勝ちも負けも戦略に組み込んで、勝利への道筋を立てるのがトレーナーの役割。周りの目なんか気にしなくていい。バトルにおける貴方の価値は……私だけが決めていいから」

「───面白い考えですね」

 

 反射的に振り向く。

 すれば、そこには開放的な女性が居た。

 

「表の注意書きはご覧になられましたか?」

「実はこれタトゥーじゃないんですよ」

「日焼けですか」

「えぇ」

「じゃあ、せめて下着は着てください」

「これは失敬」

 

 そう言って赤髪の女性は、いそいそと衣服が入っているロッカーを目指す。

 と、ここまで全裸で話しかけていた事案一歩手前の女性は、言われた通り下着を穿いているが、

 

「上もお願いします」

「あちゃあ」

 

 余りにもラインが際どいランジェリーだったが故、念のために上着を着用することも要求する。反応を見る限り、本当に下着だけ身に着けるつもりだったことは想像に難くない。

 

「ぁ」

 

 しかしながら、服を着ても尚布面積に不安を覚えるファッションに悟ったような声が漏れた。

 ほぼビキニなトップスにホットパンツ。そこにパーカーを一枚羽織るだけという、町中を歩くにあたって必要最低限を隠すような装いだ。それを目の当たりにしたコスモスも「どれだけ露出したいのか」と、初めて犯罪者を見るような奇異の眼を隠せなかった。

 

 意図せぬ形で思考を中断されてしまった。

 もうすぐ飲み物もなくなる頃合いだった為、コスモスはちょうどいいと立ち上がる。

 

「───いやぁ、失礼。温泉ってどうも開放的になりがちで」

「……私に何か用事が?」

 

 だが、退室する直前で呼び止められてしまった。

 まだ何かあるのかと辟易するコスモスが振り向いた───瞬間、女性のベルトに並ぶモンスターボールが目に飛び込んだ。

 年季が入った、否、日に焼けた色合いが目を引く。

 例え日光に焼かれたとしても、どれほどの時間晒し続ければここまで色が変わるだろうか。

 

 それだけ長い間、ポケモンを連れて歩いているとすれば……。

 

「キミ、ジムチャレンジャーですよね」

「どうしてそうだと?」

「めでたくトーホウにポケモンリーグが設立された年。そして、新任されて間もないジムリーダーの情報を収集している……これだと不十分?」

「なるほど」

「キミのその画面を見る熱烈な視線。ぜひとも自分にも向けられたいものです。ゾクゾクします」

「もしもし、ジュンサーさん」

「待って」

 

───危うい香りがするが、推理力も中々どうして。

 

 湯煙に乗じる露出狂という評価を覆し、女性の容貌を目に焼き付ける。

 健康的に日焼けした小麦色の肌には、ある種の規則性を感じさせる肌色のラインが幾重にも重なっていた。よくよく観察すれば、それが肌を焼いた時に着ていた水着の跡であろう。

 最早民族の伝統的なボディペイントと言ってしまった方がしっくりくる複雑な日焼け跡は、その装いのせいで隠すどころか、寧ろ見せつけんばかりだ。

 

 一度見たら忘れない、そんな印象を文字通り()()()()()()()

 

「はぁ……おっしゃるとおり私はジムチャレンジャーですよ。ポケモントレーナーのコスモス。以後お見知りおきを」

「ご丁寧にありがとう。自分の名前はヒマワリ」

「しっかりと記憶しておきますよ」

「その必要はありません。キミにはもっと違う形で記憶に焼きつけたいから」

 

 これは餞別です、と瓶のミックスオレを手渡してくる女性───ヒマワリは、颯爽と出口へ向けて歩き出す。

 

「あぁ、そうそう。さっきの価値観云々の話だけれど」

「お気に障りましたか」

「まさか。他人の価値観をどうこう言う見た目に見える?」

 

 説得力の塊だ。これで他人を否定するようだったらミラーコートを叩きつけてやるところだ。

 

「自分、こう見えても人を見る目はあって。だから断言します、キミは強い」

「それは光栄です」

「そういったトレーナーには共通点があるの。それはね───美学があるかどうか」

 

 言い換えるとするならば、ポリシーや信念だろうか。

 プロもアマチュアも関係なくトレーナーが抱いているバトルへの考えを強さと結びつけるヒマワリは、徐にボールを放り投げる。

 

 刹那、彼女の背中より三対の翼が生えた。

 火の粉の鱗粉を振り撒くそれは紛れもなくポケモンのものだが、咄嗟に正体が頭に浮かんでこない当たり、相当珍しい種族であろう。

 背中に掴まるポケモンによって浮遊を始めるヒマワリは、巻き上がる熱風による上昇気流と共にぐんぐん高度を上げていく。

 

 それはまるで、高みより挑戦者を待ち受ける王者のようで───酷く癇に障った。

 

「今度会ったら、キミの美学を見せてくれると嬉しいな。もちろん、ポケモンバトルで」

「必要に迫られれば、やぶさかじゃありません」

「期待───しちゃってもいい?」

「それなら先に謝っておきます。『期待に添えられず、ごめんなさい』」

 

 淡々とした……これは挑発だ。

 なるほど、カワイイ能面の奥には中々に腹を空かせた猛獣を飼わせているものだと女性の口元が吊り上がる。

 

「でも、まずはオキノジムの攻略が先だね」

「観に来ますか?」

「自分は知らない方が楽しめるタチで」

「そうですか、私は逆ですね」

「んふっ……()()()()()

 

 そう言ってヒマワリは去っていった。

 彼女が去るや、コスモスは端末に地図を映し出す。オキノジムを攻略したとして、次に向かう町は、

 

「……スナオカタウン、と」

 

 これからの道を視線で辿り、コスモスは銭湯を後にした。

 

「そんなことより」

 

 暖簾を出たところで()()を発見する。

 

「……先生、どうされたんです?」

 

 お腹がぽっこりと膨れ上がったレッドが、ベンチの上で横たわっていた。

 その隣ではカビゴンが巨大な温泉卵を頬張っている。何とも幸せそうな表情だ。今にも“はきだす”を繰り出そうとしているレッドとは正反対である。

 

「……コスモス」

「はい」

「一回、バトルしようか」

「! ……望むところです」

 

 思わぬ申し込みにコスモスの眼光が閃く。

 片や、レッドの瞳はいつもに増して暗い影がかかっていた。一見すれば冷たく威圧的ともとれる瞳。戦う前から対戦相手を怯えさせるプレッシャーを与える───が、コスモスは奮い立つ。

 師弟共々ハイライトのない死んだ目を爛々と輝かせている彼女は、これより始まる特訓に期待を抱いていたのだ。

 

(このタイミングでの先生から申し出……これにはきっと、明日のジム戦に向けての教示に違いありません!)

 

 一度の経験を経て当初は打算的であった尊敬の念も、徐々に純粋な敬意へと昇華し始めていた。

 妄信? 上等だ。結果が出ている以上、その強さは信ずるに値するのだから。

 サカキがそうであったように、このレッドにも信じられる圧倒的強さがある。

 彼の強さを一つでも我が物とすれば、それだけ早くロケット団再興へと繋がるのだから、コスモスの指導を受けるモチベーションはこの上なく高い。

 

 信ずるべきは強さ。

 強さには理由があり、理由には意味がある。

 

 だからこそ、レッドの特訓には意味があるとコスモスは考えていた───純粋過ぎるが故に。

 

「腹ごなししないと……死ぬっ」

「? 何か言いましたか」

「……ううん、広場の方に行こうか」

「はい。ちょうど明日のジム戦に向けて、最終調整がしたかったところでしたので」

「そう……ちょうど……よかった……」

 

 レッドの目の前は真っ暗になった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 空一面の青色。なんとも清々しい日よりだ。

 しかし、タクシーから降りる挑戦者と同行者の前に聳え立つのは、そんな蒼天を衝かんばかりの高層ビル。

 見上げるだけで首が痛い。定位置に乗っていたピカチュウは思わず「ととと」とバランスを崩し、後ろへ転がり落ちかける。

 だが、寸前でコスモスが受け止めて事なきを得た。

 

「お待ちしていました、コスモスさん! レッドさん!」

 

 と、立ち尽くしていた二人の下へリーキがやってきた。

 

「おはようございます」

「おはようございます! ジム戦ですよね?」

「もしかして案内は貴方が?」

「はい! 実はビルの中にジムがあるんです。案内板はあるんですけれど、よく迷う方がおられるみたいで……折角なので迎えに行ってあげなさいって言われてきました!」

「それはご親切にどうも」

 

 こっちです! と浮足立って先導するリーキの後に続く。

 言われるがままついていくコスモスに対し、レッドは田舎者丸出しで辺りをキョロキョロと見渡す。

 

「シルフカンパニーぐらい大きい……」

「ピカ!」

「でも、お店もいっぱいあるね」

 

 所謂オフィスビルと呼ばれる類の建物内には、飲食店のみならずフレンドリィショップやポケモンセンターといったトレーナー向けの店舗も数多く存在していた。これもビル内にジムを構えている関係だろうか。

 

「目移りする……」

「ピ!」

「ん? どうしたの、ピカチュ……ウ」

 

 相棒の声でハッとする。

 右を見る。居ない。

 左を見る。居ない。

 前も後ろも見てみる。居ない。

 さっきまで前を歩いていたはずの少女二人は、いつの間にか姿を消していた。

 

───いや、

 

「……はぐれた」

 

 ポツンと。

 いい年の青年が一人、ビルの中で迷子になってしまった。

 

 まずい、とレッドは冷や汗を流す。

 お世辞にも方向感覚に長けているとは言えない自分が、果たしてこの迷宮同然のビルで目的地にたどり着けるだろうか?

 案内板を見ろ? 馬鹿を言え、案内板見ても分からないんだよ───心の中のイマジナリー幼馴染(グリーン)と口喧嘩をしたところで、レッドは一度深呼吸をする。

 

「人に……聞こう」

 

 それはレッドにとって一世一代の決意であった。

 しばらくシロガネ山に籠っていた所為か、彼のコミュニケーション能力は底辺まで下がってしまっている。

 聞けばいいとは言ったものの、そもそも誰に聞けばいいかもわからない。

 通りすがりの人に聞くのはなんとなく憚られる。できればスタッフのような人間が望ましいが、生憎周りにはそれらしき姿は見受けられない。

 

「……っスー……」

 

 詰んだ。

 思わず天を仰いで立ち尽くす。しかし、目の前には天井しか映らない。

 

「……いや、まだ早いか」

 

 このままコスモスの試合を見られず仕舞いになってしまうのはレッドにとっても不本意だ。

 思い出せ、イワヤマトンネルで迷った時を。フラッシュもあなぬけのひも持たず強引に入山した結果、一寸先も見えない闇の中を延々と彷徨い続けた思い出と比べれば、この程度どうということはない!

 

「……よし!」

 

 いざ、ジムへ向かわんと駆け出した。

 

 エスカレーターに乗り!

 エレベーターを降り!

 階段を駆け上がり!

 自販機で買ったサイコソーダで一服し!

 扉という扉を開け!

 

 そして!

 

「ここはどこだ」

 

 状況は悪化した。

 

 本当にここはどこだ? 私は誰だ───そう続きそうになるくらい、訳の分からない場所に迷い込んでしまった。最早元の場所に帰ることさえままならない。

 完全なる迷子だ。意気込んで駆け出した過去の自分が呪わしくなり、レッドは両手で顔を覆った。

 

「どうして……どうしてこんなことに……」

「ピカァ……」

「俺を慰めてくれるの?」

 

 よいよいと涙を流すレッドの肩を叩くピカチュウ。その面持ちには悲しみと哀れみが二割、そして呆れが八割を占めていたが、そこまで読み取る余裕は今のレッドにはなかった。

 はてさて、どうしたものか。場所が場所だ。辺りには低層階にあったような店も見当たらない。もしかすると社員だけが立ち入れる場所に来てしまった可能性も否めない。

 そうなってしまえばお縄につくしかなくなるが、再三言うようにこの場から帰還する方法も分からないのが現状だ。まだ自分から警察に連絡してもらった方が帰還できる可能性は高い。

 

 いや、寧ろアリなのではないか? とレッドは半ば混乱状態に陥っていた。

 

「……警察……」

「呼んだかね?」

 

 不意に声が聞こえて振り返る。

 そこには茶色のコートを羽織る壮年の男性が立っていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 やはり緊張するものだ。

 眼前に佇む御仁が何者か知っているからこそ、自然と背筋は伸び、襟元を正さなければならなる衝動に駆られる。

 軽く咳払いをし、男は名乗った。

 

「お初お目にかかるよ、カントーポケモンリーグチャンピオン……レッドくん」

「……名前」

「おっと、自己紹介が遅れてしまったね。私のことは『ハンサム』とでも憶えてください」

「ハン……サム」

「ああ、念の為に言っておくがこれはコードネームでね。私はこういう者で……」

 

 何か言いたげな表情のレッドへ、ハンサムは徐に懐から一冊の手帳を取り出した。

 そこには写真と名前───そして、物々しい雰囲気を漂わせる金のボールのマークが輝いている。

 

「いわゆる、国際警察です」

「……ハンサム」

「こほん、そう何度も口にしないでくれると助かる。こういう身の上なのでね」

 

 ジュンサー等の警察官とは違う括りに含まれる国際警察の身分である事実を念押しし、ハンサムは「さて」と口火を切った。

 

「私が君に会いに来た理由は他でもない。ぜひとも君の耳に入れたい話があって……」

「ジム戦に……」

「! ……成程。既に事情は察しているという事か」

 

 一瞬驚愕の色に彩られたは、すぐさま平静へと返る。

 しかしながら、その内心は未だ地元の警察はおろか、国際警察内部でもごく一部の人間しか知らない案件に関わっている事実を認めているレッドへの驚嘆でいっぱいだった。

 流石はかつてロケット団を壊滅させたポケモントレーナーだ。

 その打ち立てた伝説に恥じぬ正義の炎が瞳の奥に燃え上がっているのを垣間見つつ、ハンサムはハッと飲んだ息を吐き出した。

 

「それなら話が早いですな。ここで立ち話をするのもなんだ。君なら既に見ているかもしれないが、彼女のバトルを観ながらの方が飲み込みやすいでしょう」

 

 言うや、ハンサムの足はとある場所を目指す。

 その迷いない足取りにはレッドも無言でついていく。

 

 しばしの間、沈黙が流れる。

 コツコツと靴底が床を打つ足音だけが響く中、目を伏せたハンサムは独り言つ。

 

「……これも何かの運命か」

 

 誰に言うでもない独り言は沈黙の中に吸い込まれていく間にも、二人は目的地へと近づいていく。

 近づくにつれ伝わる震動───これはバトルの余波だろうか。

 その時、ズシンッ、と腹の底に響く大きい揺れが走る。それからは打って変わって水を打ったように静まり返った。

 

「ここか」

 

 察したように呟きハンサムが扉を開く。

 ここが目的地だ。いや、目的とする人物が居る場所と言った方が正確か。

 重要なのは“場所”ではなく“人”だった。今まさにジム戦に挑んでいる少女こそ、ハンサム───延いては、国際警察が目につけている少女がジムリーダーへの挑戦権を求め、熱いバトルへ身を投じていた。

 

「勝者、挑戦者(チャレンジャー)コスモス!」

 

 勝利を掴んでも、あくまでも平静を崩さない少女。

 ジムトレーナーを難なく下した彼女は、ビルの中層階に堂々と鎮座するバトルコート上で汗を拭う。それも周りに張り巡らされた霧でバトルコートは熱気が籠っているからか。

 

「ム! もうすぐジムリーダーとのバトルに入るようですな」

「……」

「おっと、すみません。どうぞ腰を下ろして」

 

 先にレッドを観戦席に着かせてからハンサムも座る。

 彼が言う通り、観戦席の一角を陣取るモニターを見る限り、あと一勝でコスモスはジムリーダーへの挑戦権を得られるらしい。

 トレーナーによっては挑戦権を得ることさえままならず敗退することも珍しくはない───それがポケモンジム制覇というものだ。

 

 しかしながら、コスモスは難なくあと一歩というところまで迫っている。

 誰も口にこそ出さないが、観戦している人々は皆彼女の挑戦権獲得を信じて疑っていない。それだけの強さを見せられたという訳だ。

 

「流石……というべきですかな」

 

 ハンサムはレッドを一瞥する。

 あくまで視線は気取らせない。彼女の特殊な出生を考慮すれば、やたらと触れるのも気持ちは良くないはずだ、と。

 それでも彼が何を思い、かつての“敵”を傍らに置いているか……理由までは分からずとも、どういった目で見ているかが気になった。

 

 だがしかし、次の瞬間にハンサムは自身の浅薄な振る舞いに固まった。

 少女を見つめる青年の視線。何者にも汚される予知のない真紅の瞳は、じっと戦いに挑んでいるトレーナーとポケモンだけを映している。

 

 その瞳は、まるでかつての自分───ロケット団を壊滅させた頃の面影を重ねているようにも見えた。

 

()()()()()()()と。ですが、いくら彼女が強くとも限界はある)

 

 だからこそ、傍に居る彼へ目をつけた。

 ───いや、ロケット団を壊滅させ、チャンピオンの座から颯爽と下りて姿を眩ませた彼がこうして行動を共にしている以上、彼女の素性を知っていると見て間違いないだろう。

 

「では、早速本題に入らせていただきます。話とはロケット団……いえ、あの少女についてと言った方が早いでしょう」

 

 既に報告は上がっている。

 数年前に壊滅したはず悪の組織の蠢動は、今や遠く離れた地方にまで及んでいると知った。何より組織の犠牲者と言える少女に接触したとなれば、事態が急を要することは言うまでもない。

 

「おそらく奴らは組織の再興を目指し、目ぼしい人間に声をかけていることでしょう。元構成員などもその対象だ」

 

 壊滅した組織だからと侮る事なかれ。

 あらゆる分野に手を出していたロケット団の勢力は根強い。ジョウト地方のラジオ塔占拠事件など、その最たる例だ。各地に散らばった構成員は雌伏の時を過ごして再興の瞬間を待っている。

 

 虎視眈々と力を蓄え───。

 

「……単刀直入に申し上げます。君にあの子───コスモスくんを任せたい」

 

 未来ある少女が、再び奴らの犠牲にならぬように。

 

 

 

「元ロケットチルドレンとして隷属を強いられた、少女の未来を!」

 

 

 

 少女の知らぬ場所で、過去は暴かれる。

 




Tips:ニンフィア
 新たにコスモスの手持ちに加わったポケモン。穏やかであり、喧嘩を好まない心優しい性格。昔育て屋に預けられ、そのまま元の主であるトレーナーに引き取られることなく数年の時を過ごしていた。争いごとと思っていたポケモンバトルに苦手意識を持っていたものの、コスモスとレッドによる“バトルで育まれる友情”を目の当たりにし、バトルを見る目を変え、コスモスの手持ちに加わった。


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№018:話は半分頷いとけば何とかなる

◓前回のあらすじ

コスモス「ジュンサーさーん!!!」(変質者が現れたの意)

レッド「ジュンサーさーん!!!」(道が分からなくなったの意)


 

 

 時はちょっぴり遡る。

 

「先生が居なくなりましたね」

「本当にごめんなさい!」

 

 探しに行ってきます! と涙目ながらにリーキが飛び出ていったのも数分前。

 ただ待つのも時間の無駄だと思い至ったコスモスは、意気揚々とジムへと足を踏み入れた。

 

 すると入口には、キョウダンジム同様アドバイザーの男が待ち構えていた。

 口頭一番放たれる言葉は勿論、

 

「おーす! 未来のチャンピオン!」

「早速進行をお願いします」

「ここはオキノジム! じめんタイプのエキスパート、リックがジムリーダーを務める場所だ!」

「進行をお願いします」

「リックは実業家としても優秀でな、それもあってか堅実な戦い方が」

「進行を」

「うん、ちょっと待ってね」

 

 コスモスの押しに負けたアドバイザーが解説の役目を捨ててジムの説明に移る。

 

「キョウダンジムを攻略したなら、ジムの中での仕掛けを体験しただろう! 実は」

「ここでも仕掛けがあると」

「話が早いね、君。───その通りさ!」

 

 涙目ながらにアドバイザーが指さす先は、ビルの中層階から飛び出した展望デッキに創られたバトルコートであった。

 

「このジムでは一戦ごとにバトルコートの性質が変化する仕様になっているのさ!」

「……草原や岩場、水場といった具合に?」

「チッチッチ! 惜しいね。確かにうちの社長はリーグ建設にも携わったが、スタンダードなフィールドじゃないんだな、これが!」

 

 ようやく説明できるターンが回ってきたと、あからさまにアドバイザーの声音が弾む。

 ポケモンリーグのような大規模な場所では、バトルコートごと入れ替えるといった設備が存在する。

 しかしながら、アドバイザーの言葉を聞く限り、単純な環境が変化すると言った訳でもないらしい。

 

「───となれば、天候や場の状態が変化すると?」

「! ……なるほどね、相当知識はあるみたいだ。確かに他のジムでは天候をコンセプトにしているところもあるけれど、うちは()()だ」

 

 あれを見てくれ、とアドバイザーがモニターを指し示す。

 一つのジムにしては規模感の大きい観客席のど真ん中に堂々と鎮座するモニターには、何やら黄、緑、ピンク、紫と四つの色がついたルーレットが映し出されていた。

 

「オキノジムではバトルが始まる前に、場の状態を四つの内から一つをルーレットで決定する! 黄がエレキフィールド、緑がグラスフィールド、ピンクがミストフィールド、紫がサイコフィールドといった具合だね」

「ルーレットは自動ですか?」

「ああ。だが、場の状態が決まってからポケモンを選出するまでの時間は確保するよ。きちんと考えてから選ぶといいぞ!」

 

 一通りの説明を受けてから、コスモスはフムと唸る。

 場の状態とは地面に立っているポケモンに一定の効果を与える状況を指す。エレキフィールドが展開されていればねむり状態にならないし、グラスフィールドが展開されていれば時間が経つにつれて体力が回復する。

 ポケモンと技次第ではメリットにもデメリットにもなりえる訳だから、バトルメンバーの選出は慎重に行わなければならない。

 

 メリットを利用するか、デメリットを避けるべく浮いているポケモンを選ぶか───。

 

「とりあえず、小手調べといきますか」

 

 ジムリーダーと戦うにはジムトレーナーを四人倒す必要がある。

 ルールは二体選出のシングルバトル。ポケモンの入れ替えは挑戦者のみ認められている。場の状態以外についてはごく一般的なルールと言えよう。

 

 実を言えば、コスモス自身は場の状態を利用した戦法をとった経験はない。あくまで知識として蓄えている程度だ。

 今回のジム戦にあたっては、その知識をどこまで引き出せるかが分水嶺となろう。

 

「───それでは挑戦者(チャレンジャー)コスモスの第一試合を開始します! フィールドは……(グラス)です!」

 

 刹那、コート横に待機していたタネボーが種を射出し、場にグラスフィールドを展開する。

 

(“グラスフィールド”の効果は体力の回復、くさタイプの技の威力上昇、そして一部のじめんタイプの技の威力減少……)

 

 相手のジムトレーナーが出してきたポケモンはディグダ。

 頭からちょこんと毛が生えている点を見る限り、通常種から変化したアローラ地方に生息するリージョンフォームと呼ばれる個体であろう。

 となれば、タイプはじめんとはがね。

 

 対してコスモスの手持ちは三体。場の状態の効果を受けるルカリオとニンフィア、そして飛んでいて影響を受けないゴルバットだ。

 

(と、なれば)

 

───単純なタイプ相性も、場の状態が変化しているならば無視できる。

 

「GO、ルカリオ」

「第一試合───始め!」

 

 

 

 この試練の行方は、大地に揺るがされるだろう。

 

 

 

 ***

 

 

 

 こうしてコスモスがジム戦を進めている間にレッドはジムに辿り着いた。

 それも国際警察を名乗る自称・ハンサムという男に。

 

 まあ、顔の良しあしはさておき。

 

 ジムに案内されたのは僥倖であった。きっと、日頃の行いのお陰だろうとポジティブに捉える。どの行いかは見当がつかないが。

 しかし、問題はそれからだった。

 

(なんか、よく分からない話をされている気がする)

 

 出会ってから延々と難しい話をされている所為で、全然観戦に集中できない。

 上手く話を飲み込めない為に暫く沈黙を貫いていたものの、自称・ハンサムはこちらが理解したかのように捉え、あまつさえ話を進めていくではないか。

 ロケット団───確かに昔、そう名乗る組織にポケモンバトルを繰り広げた記憶はあるが、今の自分には関係のない話だ。

 

 このまま聞き流そう、そうだそうしよう。

……と考えたはいいものの、弟子(コスモス)の名を引き合いに出されてしまえば聞き耳を立ててしまう訳で、

 

「ロケットチルドレンという呼び名からも分かる通り、彼女はロケット団の一員だった訳ですが」

 

(それは知りませんでした)

 

「実態を言えば組織の洗脳教育を施された罪のない子供に他なりません」

 

(それも知りませんでした)

 

「組織が壊滅し保護されてからは、社会復帰ができるよう施設に入れられておりましたが───」

 

 おいおい、この警察ポンポン個人情報暴露してやがるぜ。

 そう心の中で気取ったツッコミを入れてしまうくらい、自称・ハンサムはコスモスの身の上話を続ける。頭の上に乗っかっているピカチュウも呆れ顔だ。

 

「───と、今やバトルの才能を生かせる道に進んでいる彼女ですが、その才能に目を付けたロケット団が彼女を引き戻そうとする可能性は否めないでしょう」

 

 神妙な自称・ハンサム顔がレッドの方を向く。

 

「キョウダンでの一件は記憶に新しいでしょう。逮捕された人間こそどこにでも居るチンピラでしたが、無関係な犯罪者を利用する……ロケット団がよく使う手口です。つまり、図らずもコスモスくんとロケット団は接触してしまったと見るべきだ」

「……」

「しかし、結果としてはご存じの通り彼女は逮捕に貢献した。年端もいかない少女が犯罪者相手に、です」

 

 聞こえはいい美談を口にしつつも、その表情は一層険しくなる。

 

「一部の人間はこう言っております───『かつてのレッドくんを見ているようだ』と。ですが、だからこそ危うい」

 

 バトルコートでは、ジムリーダーとのバトルを懸けた最後の一戦が始まっていた。

 繰り出すポケモンはコスモスがゴルバット、ジムトレーナーがビブラーバだ。空気の刃や青色の息吹が交差する熾烈な空中戦が繰り広げられている。

 すると、“ちょうおんぱ”でゴルバットを混乱状態に陥れたビブラーバが、殺気の如き威圧感を放ちながら、相手目掛けて突撃する。

 

「私は……彼女がかつてロケット団だった過去を償う為に、この地方を訪れたと考えているのです。誰に告げるでもなくこの地方に来ていた()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことが何よりの証拠!」

 

 ビシッ! と語気を強めた自称・ハンサムが指を差してくる。ピカチュウが無邪気に掴もうと手を伸ばすが、レッドはそれを掴んで止めさせた。

 

「無論、我々も目を光らせるつもりですが限界もある。君もロケット団には並々ならぬ思いがあることは承知している……ですが、どうか彼女を───」

「───関係、ない」

「!」

 

 ようやく開かれた口に、頭を下げようとしていた男の瞳が見開かれる。

 その瞳には、変わらずコートで繰り広げられているバトルを見据える一人のポケモントレーナーの姿が映っていた。

 

 直後、バトルコートで爆発音が轟く。

 何事かと振り返れば、ビブラーバの“ドラゴンダイブ”を交代して出てきたルカリオが受け止めたところであった。

 ドラゴンタイプの大技である“ドラゴンダイブ”も、場に満ちる霧───ミストフィールドの効果で威力が減退している。

 

 そこを真正面から受け止めたルカリオは、相手が逃げないようしっかりと組み伏せ、返しの“はどうだん”を叩き込んだ。

 これにはビブラーバも堪らず、一度弧を描いて宙を舞った後、体勢を整える間もなく沈んだ。

 

「勝者、挑戦者(チャレンジャー)コスモス!」

「うおお、すごいぞあの子! 一体も瀕死にせずに勝ち進んだ!」

「ひょっとして、このままジムリーダーも……!?」

「馬鹿言え! 社長がそうそう負けるか!」

「だけど、見ごたえのあるバトルにはなりそうね」

 

 高らかに告げられる勝者に名に、観客は湧き上がっていた。

 誰も彼女へ偏見や嫌悪の感情を乗せた視線を送らない、皆無だ。

 

───自分(レッド)もまたその一人。

 

 そう言わんばかりに、彼は純粋にバトルに臨むトレーナーとポケモンを観る者に努めていた。コスモスという次世代のポケモントレーナーを心の底から信頼する姿を目の当たりにし、ハンサムは自身の懸念がいかに浅薄で無粋であったかを思い知る。

 

「……成程、どうやら私は出過ぎた真似をしてしまったようだ。確かに関係ない話(君の信頼を前には)のようだ」

「……関係ない話(全然知らなかったんで)です」

「君がそこまで言うのなら心配は要らないということでしょうな」

 

 さて、と腰を上げるハンサムは先ほどまでと打って変わって清々しい面持ちを湛えていた。

 

「ロケット団は引き続き、我々警察が足取りを追います。くれぐれも君達も無理はしないように」

「そのつもりです」

「それでは」

 

 綺麗な敬礼を最後に、その背中は遠くへと消えていった。

 遠ざかる足音が聞こえなくなってから、レッドは深々と息を吐く。謎に満ち満ちていた場の緊張感もようやくなくなったと、体はぐにゃりと脱力する。その様はさながらメタモンのようだ。重力に引かれるがまま、彼の体は座席に吸い寄せられていた。

 

「つかれた」

 

 延々と小難しい話を聞かせられ、レッドは疲労困憊だ。

 聞いた内容をまとめようにも、話半分に聞いていた所為で要点しか把握できていない。

 

(えーっと……コスモスは元々ロケット団に居たけど、ロケット団をやっつけて───)

 

 ピカっと頭上に10まんボルトが閃く。

 別にピカチュウが放った訳ではない。

 

 血糖値が不足していそうな顔のレッドは、小難しい話で糖分を消費した脳味噌である一つの答えを導き出したのだ。

 

 かつて悪の組織に肉体を改造されながらも、正義の心に目覚め、相棒と共に敵と戦う特撮ヒーローものがカントーにはある。

 その名も───ポケモン仮面。

 レッドからしてみれば正義のヒーローであり、そんなヒーローと同じ境遇で戦っているとするならば、答えは単純であった。

 

「すごくいい子じゃん」

 

 正解は真逆も真逆。

 だが、このすれ違いを正せる者はこの場に存在しなかった。

 

「あっ、ここに居た~!」

 

 現実にもそんな境遇の人間が居るんだなぁ、と感動していれば、ドタドタと焦った足音が近づいてきた。

 

「あ」

「急に居なくなっちゃったんで探しましたよぉ~」

「ごめん」

 

 それは今の今までレッドを捜索しに向かっていたリーキだ。

 額に汗を浮かべて肩で息をしているところを見るに、相当走り回ったに違いない。迷子になった自覚のあるレッドは電光石火の如き速さで頭を下げる。

 普段の緩慢な口調からは想像できない素早さに有無も言えなくなったリーキは、アハハと乾いた笑いを漏らし、コートへ視線を移す。

 

「何はともあれ、これでコスモスさんのジム戦が観られますね!」

「うん。ワクワクする」

「私もです! いつもはパパを応援してるんですけれど……うーん、コスモスさんにも勝ってもらいたい~!」

 

 悩みます! とリーキが身悶える間に、バトルコートの整備は恙なく終了する。

 すれば、これまでジムトレーナーが現れた通路の奥から、反響するような靴音が響いてきた。

 

 コツーン、コツーン。

 

 高そうな革靴が鳴らす音だ、と言うといやらしいだろうか。

 しかし、漂ってくる威容だけは確かだった。一歩、また一歩と近づいてくる度に覚える重厚感は、歩み寄る男の有様をまざまざと見せつけるようだった。

 

 そして───とうとう現れる。

 ポケモンリーグの玉座を守る柱の一柱が。

 

「───待っていたよ、コスモスちゃん。思っていたよりも随分と早かったな」

 

 オキノジムリーダー、リック。

 人呼んで『揺らがぬ地面の大黒柱』。

 

 相対するコスモスはと言えば、普段と変わらぬ平静を保ったまま、淡々と受け答えてみせる。

 

「何事も早いに越したことはありませんから」

「はっはっは! 確かにそうかもしれないな。けど、バトルも人生も功を急いては上手くいかない場合もある」

「どうでしょう───私に限っては」

「そいつを教えるのが───オレの役目と言う訳さ」

 

 ボールを構え、一拍。

 コスモスがモンスターボールを握るのに対し、リックはハイパーボールを握っている。

 

 ボールから放たれる威圧感は錯覚か、それとも───。

 

 

 

「さて……カワイイ娘と社員の前だ。大人げない大人の戦い方って奴を教えてあげようか」

「……望むところです」

 

 

 


ああす

ポケモントレーナー

コスモス

V 

 S

オキノジムリーダー

リック

ううう





Tips:オキノジム
 オキノタウン一の高さを誇るオキノ総合建設会社のオフィスビル内に存在するポケモンジム。中層階より山腹側へ飛び出る構造をしており、観客席にはよく休憩中の社員が集まってはジム戦を観ている。一番の特徴は場の状態を四種類……グラスフィールド、エレキフィールド、ミストフィールド、サイコフィールドへ変更する設備であり、バトル開始直前にはルーレットによりどの状態で始まるかが決定される。これはジムリーダー・リックの意向であり、ポケモンバトル初心者に対して場の状態について学ぶいい機会になればとの理由がある。


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№019:眠気を覚ますにはカフェイン

◓前回のあらすじ

レッド「自称ハンサムさんから話を聞いたけど、九割九分入ってこなかった」

コスモス「そうこう言ってる間に二つ目のジム戦、開幕」


───じめんとは、安定したタイプだ。

 

 それがコスモスから見た感想だった。

 耐性は平凡。はがねのように多くの耐性を持つ訳でもなければ、くさのように弱点が多い訳でもない。

 ただし、唯一でんきの弱点を突けて、尚且つでんきを受ける側に回れば無力化できるなど他にはない長所がある。

 

 だが、目をつけるのは“守り”ではなく“攻め”に回った時だ。

 飛んでいるポケモンには無効化されやすい技が多いものの、食らった場合に半減できるタイプはそう多くない。

 

 ここで一つ、じめんタイプの技を紹介しよう。

 “じしん”……地面を激しく揺らし、地上に居るポケモンに大ダメージを与える大技だ。じめんタイプのみならず、中~大型以上のポケモンならば大半が覚えられるありふれた攻撃でもあろう。

 

 しかし、“ありふれた”と表現するには実に凶悪な性能だ。汎用的とも言い換えられる。

 でんきを苦手とするひこうタイプでも、これ一つ覚えていれば意気揚々と電撃を放ってくる相手を返り討ちにすることもできよう。

 そうでなくとも、いわやどく、ほのお、果てには堅牢なタイプの代名詞とも言えるはがねにも通用する以上、タイプとしての技範囲の広さは否定できまい。

 

 事実、コスモスの切り札であるルカリオも弱点とするタイプだ。地面を踏みしめる種である以上、その大地の呪縛からは逃れられない。

 選出メンバーを決めるにあたり、やはり重要なのはフィールドだ。

 

()()が来ればルカリオを採用する……さあ、どうだ)

 

 運命のルーレットを見据える。

 時計回りに点滅する光が何週も四つの色を輝かせるが、次第にその速度を緩やかにさせていく。

 

 そして、

 

「フィールドは───(グラス)です!」

 

 よし、と心の中で拳を握る。

 四つの内、コスモスが待ち望んでいたフィールドが目の前に広がった。

 

 それぞれに対応するタイプの技を強化する他、フィールドには様々な効果が隠されている。

 中でもグラスフィールドは“じならし”や“マグニチュード”、そして“じしん”といった地面を揺らすじめんの代名詞を弱体化させるのだ。

 

 カタカタとボールが揺れる。

 仮面の奥に隠れたコスモスの僅かな高ぶりを感じ取ったのだろうか、ルカリオが自身の存在を主張していた。

 

「……わかった」

「───さて! まずはオレのポケモンだな」

「お願いします」

 

 ルカリオの意思を読み取りつつ、コスモスはボールを投げるリックへ眼を遣った。

 豪快なフォームと共に草が生い茂るバトルコートに降り立ったのは───重厚な巨体。次の瞬間、フィールドには激しい砂嵐が吹き荒れる。

 

「“すなおこし”ですか」

「ああ、そうさ。こいつの中じゃあオレのポケモンも元気が出てねェ」

 

 特性“すなおこし”は場に出た瞬間、いわタイプが活性化する砂塵を巻き起こす。効果はそれだけに留まらず、いわを含めたじめん、はがね以外のポケモンの体力をじわじわと削っていく効果は、最早バトルでは常識だ。

 本来ならば技としての“すなあらし”で発生する天候だが、中には自ら持つ特性で空を掌握するポケモンも何体か存在する。

 のしのしと草原を踏みしめ、砂嵐の中に鎮座する巨体は立派な二本のキバを携えた大口を開け、クァ~と欠伸をしてみせた。

 

「なるほど、カバルドンと」

「昔からの相棒さ。呑気なこいつはタフさが売りでな。ちょっとやそっとじゃやられやしない」

 

 カバルドン、じゅうりょうポケモン。

 体内に溜めた砂を全身の穴から噴き上げて竜巻を作る凶暴なポケモンだ。バンギラスやギガイアス以外で、唯一“すなおこし”を宿している種であるが、生育が困難なバンギラスや“すなおこし”を持つ個体数が少ないギガイアスと比べると、比較的入手が簡単な部類に含まれる。

 

 しかし、入手難易度の低さと強さは必ずしも比例しない。

 カバルドン自体の強さはシンオウリーグ四天王・キクノによって大衆に知らしめられている。天候を書き換える特性は勿論のこと、その巨体に見合った守りの堅さには定評があり、生半可な火力では返り討ちにされるのが関の山とも言われる程だ。

 

「それでは挑戦者もポケモンを繰り出してください!」

 

 ゴルバットでは火力が足りない。

 ニンフィアでは相性の得手不得手がない分、長期戦になりかねない。しかも、天候が砂嵐である以上、スリップダメージを受け続けるこちら側が不利だ。

 

 ならば、残された手札はカバルドンの耐久をも打ち砕く火力を持ち、この砂塵の中でも怯む事無い鋼の体を持つポケモンのみ。

 

「GO、ルカリオ」

 

 蒼い体毛を靡かせる獣が、砂塵を切り裂き舞い降りる。

 鋭い眼光は吹き荒れる砂塵の中からでも、しっかりとカバルドンを捉えているように睨みつけた。

 

「ほーう、ルカリオか! よく育てられているな」

「そっちから見えるんですか?」

「なあに、このくらいの砂嵐なんて慣れたもんさ。これでも目はいい方だと自負してる」

 

 何も砂嵐の影響は、持続的なダメージだけではない。

 トレーナーがポケモンへ適切な指示を出す上で、戦況がどうなっているかは逐一把握していなければならない。それがレベルの高いトレーナー、あるいはポケモン同士のバトルであれば尚更だ。

 

 一瞬の判断の遅れが勝敗を分かつ。

 

 それを踏まえた上で、砂嵐の物理的に視界を遮る効果はトレーナーにとって大問題だ。

 

(ルカリオはともかく、私の()は慣れてない)

 

 細めた瞳で砂嵐の吹き荒れるバトルコートを凝視する。

 それでも垣間見えるのはポケモンの曖昧なシルエットのみ。練度を高めた砂嵐の前では、視界のみならず風の音でトレーナーの声すらも遮断する。

 

 外面のいい社長かと思いきや、中々性格のいい戦法だ。

 思い描いていたじめん使いとは毛色が違う感は否めないだろう。ただし、想定外ではない。

 

 故に負けるつもりも───毛頭ない。

 

「それでは……バトル、始めェ!」

 

 審判の声が砂嵐を通り、二人のトレーナーの鼓膜を揺らす。

 

「カバルドン、“ステルスロック”だァ!」

 

 先に指示を飛ばしたのはリックだ。

 力強い声を聞き届け、カバルドンの脚は地面を踏みつける。するや、罅が走った地面から無数の鋭利な岩が浮遊し始めた。

 

「出たぁ! 社長の“ステルスロック”!」

「地面から逃げた飛行ポケモンを追い詰める罠……」

「後々に響く展開ですなぁ」

 

 どこからともなく防塵ゴーグルを取り出した観客が、荒れる砂塵の中に浮かぶ岩石に興奮した様相を呈している。

 

「そんなに凄い技なんですか?」

「凄い技っていうか……いやらしい技?」

「え」

「え?」

 

 と、別の席に座るレッドとリーキは誤解を招くような話を繰り広げていた。

 父親が指示した技をいやらしい呼ばわりされて硬直したリーキであったが、すぐにあたふたとレッドは訂正する。

 

「言い方が悪かったかも」

「で、ですよね!? その、エ……エッチな意味じゃあ……」

「お上手なテクニック……みたいな」

「それはそれで言い方に問題がッ!」

「え?」

 

 語彙が死んでいる青年と、ちょっぴりませた少女のやり取りはさておき。

 

「“ステルスロック”は交代したポケモンにダメージを与えるいわタイプの技。でも、攻撃技じゃないから、しばらくはあのまま」

「えっと……それじゃあ、今出てるポケモンには効果がないってことですか?」

「うん。でも、じめんが苦手なポケモンを牽制したり体力を削ったりできる」

 

 技を無効化されるひこうや弱点を突いてくるこおり等がいい例だ。

 じめん単タイプで見た時に脅威となるタイプに対し、大きなダメージを与えられる“ステルスロック”は設置しておいて損のない出し得の技だ。

 そしてこれらは長期戦───もっと踏み込めば、ポケモンを頻繁に入れ替える試合展開にて真価を発揮する。

 

(コスモスの方は……)

 

 レッドの赤い瞳は、砂嵐の中で弾ける波動を捉えた。

 

 ザッパァン! と水が弾ける轟音。

 砂嵐を穿った波動の力はカバルドンの巨体を弾き飛ばしてみせた。

 

「───ほう、“みずのはどう”か」

 

 感心したようにリックが漏らす。

 伊達に年の功を重ねてはいない。他のタイプは門外漢とはいえ、ある程度習得する技は推測できる。

 はどうポケモンと呼ばれるルカリオは、大抵の波動を扱う技を身に着ける事ができる。“はどうだん”を始めに“あくのはどう”、“りゅうのはどう”……たった今繰り出した“みずのはどう”もその一つだ。

 

 これが()()()()ならばカバルドンと言えど危うかっただろうが、幸いにも“みずのはどう”自体はそこまで威力は高くない。

 カバルドンの耐久力も含め、精々バトルの幕開けを飾る花火が良いところだろう。まだまだカバルドンが倒れる気配はない。

 

「オレのポケモンの弱点を突くか。まあ、トレーナーなら定石だな!」

「すみません、ちょっと聞き取れないです」

「……おっほん! 当然、タイプ相性は理解しているな! それに上手く砂嵐にも対応している!」

 

 自分が描いた絵図とは言え、ズバッと指摘されたら恥ずかしいものだ。

 咳払いをしたリックが砂嵐の中でも響き渡る大声を発し、コスモスへ賛辞を送ってみせる。

 

「それもルカリオを選んだ理由か!? さしずめ、波動で周りの状況を把握していると見た!」

 

 ポケモンにも人間と同じような感覚が備わっている。

 視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚───ポケモンによっては特定の感覚器官が秀でているものの、ルカリオはそれらに当てはまらない第六の感覚が冴え渡っている。

 それこそが波動を感じ取る力。

 これさえあれば、周りで砂嵐が吹き荒れていようと無数の岩石が浮かび上がっていようと、相手の位置を知ることができるという訳だ。

 

「タイプ相性だけじゃない、ポケモンの生態を活かした選出……悪くない! だからこそ、君がオレをどう打ち破るかが楽しみだ!」

「ルカリオ、“みずのはどう”!」

「カバルドン、“あくび”だァ!」

 

 もう一度弱点を突こうと指示を飛ばすコスモスに対し、リックもまた指示を出した。

 先に動いたのはルカリオ。威力が減衰せぬよう俊敏な動きでカバルドンに肉迫すれば、ゴポゴポと渦巻く水を解き放った。

 

 接近するまでの動きと技の出、どちらを取っても『速い』の一言に尽きる。

 見た目通り鈍重な動きしかできないカバルドンはまんまと直撃を貰う。幸いにも混乱状態には陥らずに済んだが、二度も弱点の技を食らったカバルドンには疲労の色が覗き始める。

 

 早速緒戦の決着がついたか? ───と息を飲む面々が居る中、カバルドンが大きな口を開く。

 すぐさまルカリオが飛びのき、カバルドンの噛みつきは失敗に終わる……かに思えた。

 

「───そう、やっぱり」

「すごいです、コスモスさん! このままパパに勝っちゃうんじゃ……!?」

「いや、まだこれから」

「え? ……あれッ!?」

 

 相手から距離を取り着地したルカリオ。

 軽快な身のこなしを観衆にありありと見せつけた彼だったが、途端にふらふらと足取りが覚束なくなる。

 

(やっぱり……“あくび”)

 

「戻れ、ルカリオ!」

 

 すかさずルカリオをボールに戻すコスモスに、リックは意地悪い笑みを湛えながら顎鬚をなぞる。

 

「おや、いいのか?」

「眠ってしまえば、そちらの思うつぼなので」

「おお! あの中で何したか見えたのか。……いや、どちらかと言えば()()()()()()()()()()()風貌だな」

 

 リックの慧眼は、砂嵐越しでも少女のポーカーフェイスの裏側に隠れている算段を見据えている。じめんと共に生きてきた男の目は伊達ではない。

 故に見透かすコスモスの“目”の良さ。

 今までに挑戦してきたトレーナーの大半は、砂嵐で“あくび”を浴びたのも分からずに突っ張り、そのままポケモンを眠りに陥らせてしまっていたというのに。

 

「どこまでオレを視ているのか……気になるなァ!」

 

 リックが指を鳴らせば、相手が交代をする合間にカバルドンが“なまける”で体力を回復する。これで“みずのはどう”を食らった分のダメージを大幅に回復できた。リックにとっては長いバトルの幕開けであり、相手にとっては苦しいバトルを強いられる転換期である。

 

 そんな中、コスモスが選出した二体目のポケモンはと言えば。

 

「GO、ニンフィア」

「フィー!」

 

 フェアリータイプのニンフィアだった。

 と、次の瞬間に浮遊していた岩石が繰り出されたニンフィアに衝突する。登場して早々、手痛いダメージを負ったニンフィアは苦々しい表情を浮かべた。

 

「大丈夫? ニンフィア」

「フィ……フィー!」

「そうこなくっちゃな。ヤワな攻撃じゃオレのカバルドンは倒せないさ」

 

 と、リックが得意げに語ればカバルドンも大きく鼻を鳴らす。その面持ちからは何人もの挑戦者を返り討ちにした自信が垣間見えるようだった。

 しかし、あくまでも冷静に。そして平然に。コスモスはいつもと変わらぬ調子のまま、相手を分析する。

 

(“あくび”で交代を誘発させて、“ステルスロック”でダメージを与える。しかも特定のタイプ以外は砂嵐でじわじわと削りを入れられる……と)

 

 実にいやらしく、初見のトレーナーでは対処できない戦法だ。

 “あくび”によって誘発される眠気は一度ボールに戻ることで解消されるが、すぐさま引っ込めない限りは睡魔に負けて眠りに落ちる。

 だからと言って交代を続ければ、最初に撒かれた“ステルスロック”によって交代先のポケモンが傷を負う。じめんに有利なはずのこおりやひこうならば、寧ろより大きなダメージを受けるのだ。

 

 まさしく初見殺し。一見すれば、ジムを攻略させぬべくなりふり構わなず大人げない戦い方とも捉えられるだろう。

 

 だが、意外にも穴はある戦法だ。

 オキノジム特有のルールにより、最初にエレキフィールドもしくはミストフィールドが展開されれば、そもそも眠りには陥らない。戦略の破綻とまでは言わないが、オキノジムの特殊ルールの上と“あくび”は相性が悪い。

 

 しかしながら、今回展開されているのはグラスフィールド。砂嵐のダメージを回復してプラマイゼロにできるものの、そもそもダメージを負わないカバルドンにとってはプラス寄りだ。

 何より“あくび”を妨げるような効果が存在しない点が、今回のジム戦においては大きな影響を及ぼす。

 

(他のフィールドでも同じ個体を使うのかは知りませんが……仕方ない)

 

「ニンフィア、“マジカルリーフ”!」

「フィアー!」

「おおッ!? くさタイプの技を覚えていたか!」

 

 ニンフィアが繰り出した極彩色の葉は、ドンと身構えているカバルドンへと押し寄せる。

 はじめは余裕を湛えた表情を浮かべていたカバルドンも、砂嵐をものともしない一陣の風が吹き抜けた頃にはやや苦しそうに歯を食い縛っていた。

 必中の“はっぱカッター”とも言うべき“マジカルリーフ”は、同タイプの中では低過ぎもしなければ高くもない威力の技だ。

 

 しかし、

 

「フィールドを味方につけるとは、こういうことですよね?」

「ああ、そうだ! グラスフィールド上では草の力も高まる! あくまでジム対策として覚えさせていたかもしれないが、この盤面では手堅い選択だな! ……だが、それじゃあカバルドンは打倒せない! “あくび”だァ!」

「構うな! “マジカルリーフ”!」

「押し切る気か!? それもいい……が、見縊っては困るな!」

 

 攻撃後の硬直を衝く“あくび”を浴びながらも、ニンフィアは“マジカルリーフ”を叩き込んだ。

 フィールドの恩恵を受けた上での一撃。これで倒せなければ“あくび”による睡魔でニンフィアは眠りにつき、一転して守勢に回らざるを得なくなる。

 

 眠るリスクを冒してでもカバルドン打倒に出たコスモス。

 彼女の瞳は、砂嵐を厭わず牙を剥く極彩色の旋風を見届ける。魔法にでも掛かったような軌道を描き、翻った葉が通り過ぎて数拍───カバルドンの巨体は僅かに揺れ動き、地面を踏みしめる。

 

「よぅし、よく耐えた! この隙に“なまける”だ!」

 

 瀕死寸前で踏み止まったカバルドンは、受けたダメージを回復すべくリラックスする態勢を取った。

 その様相は不沈艦の如く、堂々たる居住まいだ。

 容易く崩せぬ堅牢な第一関門を前に、意志を挫かれたように体が揺れるニンフィア。ウトウトと瞼が半開きになる彼女は、とうとう膝から崩れ落ちてバトルコートに沈んでしまった。

 

「あぁ、眠っちゃった! このままじゃカバルドンにやられちゃう!」

「コスモスを応援してくれてるの?」

「えっ? それは、まあ……はい」

「お父さんの方は?」

「応援してるつもりですけど、う~~~ん……やっぱりパパはいいや! コスモスさん、頑張れー!」

 

「ゔっ」

 

 ▼外野からのやり取りによる精神的ダメージがリックを襲う!

 

 しかし、これで揺らぐような男ではない! と自分に言い聞かせる彼は、大人の余裕を見せつけるようにコスモスへと投げかける。

 

「さて、ここからどうする? 今からルカリオに換えるのもよし。ニンフィアが起きるのを信じて待つもよし。ただし、悠長に構えていられる暇はないけれどな」

「関係ない」

「なに?」

「───ニンフィア!」

 

 砂嵐を突き抜ける声。

 次の瞬間、夢の世界へ沈んでいたはずのニンフィアの瞳が見開かれた。しなやかな四肢で地面を蹴り飛ばし、カバルドンの眼前へと躍り出る。

 

「なんだとっ!?」

「“マジカルリーフ”!!」

「っ……、“なまける”で凌ぐんだ!!」

「させるな、畳みかけろ!!」

 

 驚くリックに構う事無く指示を飛ばすコスモスに応じ、極彩色が砂嵐の目に居座る巨体を切り刻む。

 すかさず“なまける”で回復を試みるも、フィールドの恩恵に与った葉の刃は鋭く、そして鮮やかに踊り狂う。

 

 休息の暇を与えない怒涛の猛攻が延々と続く。

 すると暫くして轟音が響き渡った。砂塵で中々窺い知ることのできなかった光景は、間もなくして砂嵐が止むことで、固唾を飲んで見守っていた観客の目にも届く。

 

「───カバルドン、戦闘不能!」

 

 静寂を破る審判の声に、歓声が沸き起こる。

 

「や、やった! パパのカバルドンを倒しちゃった!」

「……」

「あれ?」

 

 『なんでそんなに静かなんですか?』と尋ねかけるが、咄嗟にリーキは口を噤んだ。

 何故ならば、揃って腕を組むレッドとピカチュウがうんうんと後方師匠面で頷いていたからだ。

 

(先生さんはコスモスさんの勝利を信じて……これじゃあ私がハラハラしてるなんて失礼過ぎる!)

 

 純朴なリーキは彼らの姿に感嘆の声を漏らす。

 

「コスモスさーん! 先生さんも応援してますよー!」

「はっ!?」

「ねっ、先生さ……あれ? あの、目が充血してますけど大丈夫ですか……?」

「……砂が入った」

 

 そう言ってゴシゴシ目を擦るレッドは、リュックから取り出したおいしい水を用い、顔をバシャバシャと洗い流した。

 

(“あくび”で眠らされた……不覚)

 

 隣で舟を漕いでいるピカチュウも同様である。

 

「さて……」

 

 改めて視線をバトルコートへ向ければ、ちょうどカバルドンがボールに戻されたところであった。

 

「ハハッ! いやぁ、まんまとしてやられた。ラムのみだな?」

「ええ」

「『持ち物は有り』。ルールを有意義に使ってもらえるのは、こちらとしても嬉しい限りだ」

 

 それで足を掬われちゃ敵わんがな、とリックは自嘲気味に紡ぐ。

 ラムのみ───状態異常を回復させるきのみの一種だ。様々な種類があるきのみの中でも、一通りの状態異常に対して有効性を持つラムのみは、特に汎用性に秀でている。

 ピンポイントの状態異常を治したい場合を除けば、ありとあらゆる状態異常に対応できる以上、今回のリックが用いた戦法の虚を突く上では非常に有効だろう。

 

「しかし、こうも対策を立てられるとは思ってもみなかった。オレの戦い方を知っていたのかい?」

「ある程度バトルレコードは拝見しました」

「なるほどなぁ……、大したモンだ。その若さでそこまでやるとは、ほとほと頭が下がる思いだよ。つまりオレはまんまとしてやられたって訳か」

「それと、もうひとつ」

「?」

「似た戦法を取るポケモンと特訓を積めたので」

 

───たとえば、大食らいの超重量級ポケモンとか。

 

 コスモスの視線が、一瞬観客席の方へと向けられた。

 そこには何を考えているか読み取れぬ紅い瞳を浮かべる少年が、静かに座ってジム戦を眺めていた。

 

(先生はこれを見越していた訳ですね……流石です)

 

 奇しくも、昨日の特訓が功を奏した。

 カビゴンが相手をしてくれたのも、きっとカバルドンが“あくび”を併用した持久戦を仕掛けてくると見越してのはず。

モリモリと温泉卵を食べていたのは特段関係ないだろうが───。

 

「……ほう。つまり元からそういう相手の為に対策を取っていた訳だ」

「ええ」

「……くくっ、わっはっは!! いいなっ、面白くなってきた!!」

 

 腹を抱え、呵々と笑うリックが新たなボールを手に取った。

 

「だが、オレのやることは変わらんよ。トーホウポケモンリーグの一柱として……他でもないオレの信念の為に、勝ちを掴みに行く!」

 

 挑戦者に勝利を譲るつもりなど───ない。

 ジムリーダーである以前に、一人のポケモントレーナーなのだ。勝利を狙うハングリーな精神は他者に引けを取りはしない。

 

「勝利の美酒も! 敗北の苦渋も! 味わう為にはまだ決着は早いさ!」

「それでも勝つのは私……───二体目を」

「ああ、行くぞぉ! こいつがオレの切り札だァ!!」

 

 逞しい腕が振り抜かれれば、勢いよく放り投げられたボールが美しい弧を描く。

 

(二体目はなんだ? ドサイドン? グライオン? いや、ニンフィアに有利な相性を狙うならハガネールが堅いか)

 

 過去のデータから次なるポケモンを予測する。

 切り札と言うからには、それだけ強力なポケモンが出てくるはず。警戒するに越したことはない。

 

 何が来る───警戒を最大限まで高めた時だ。

 

 

 

 ベタッ。

 

 

 

「ギョ」

 

「……ぎょ?」

 

 間の抜けた声に呆気に取られた。

 

「ぎょ?」

「ぎょ」

「ピカァ?」

 

 そして三度───今度は余りにも平べったい顔と体に、レッドらが呆気に取られた。

 

 まるで地面と同化しているかのように存在感の薄い魚。

 想像していたじめんポケモンとはかけ離れた貧弱そうな見た目には、対峙しているコスモスとニンフィアでさえ暫し固まるばかりであった。

 

 そのポケモンは水辺に生息しているのにみずに弱く。

 そのポケモンはじめんであるのにじめんに弱く。

 

 

「気合いれていくぞ───マッギョ!」

 

 

 切り札と呼ばれながらも、およそそのような話を聞いたことのない、笑い顔が不気味なポケモンであった。

 




Tips:リック
 オキノジムリーダーとオキノ総合建設会社代表取締役社長と二足の草鞋を履く男。娘と奥さんを愛しているが、ややむさ苦しい為に娘から若干距離を取られがちな為、その度にショックを受けては体調を崩しかけている。
 バトルでは、すなあらしやステルスロックを撒いた上で、あくびを用い交換を促すコンボといった持久戦を好む。華やかさには欠けているが、相手からすれば対策必至の強敵には違いない。こういった戦法を取るにはとある経緯があるようだが……?

リック(立ち絵)(作:ようぐそうとほうとふ様)


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№020:疲れた頭には甘い物

◓前回のあらすじ

マッギョ「マッギョ」



 

 

 マッギョ。

 

 

 

 

 

 トラップポケモンとも呼ばれるこのポケモンは非常に高い擬態能力を有している。

 仮にうっかり水辺でマッギョを踏んでしまえば、たちまちに迸る電撃が襲い掛かり、抵抗する間もなく感電してしまうことだろう。

 

 しかし、そんな恐ろしい生態とは裏腹に表情は不気味なまでにのっぺりとしている。一部のトレーナーからは『そこがカワイイところ』『いわゆるブサカワ』『マッギョは神』と、カルト的な人気を博していたりなかったり───。

 

(でも特別強いポケモンじゃないはず)

 

 コスモスは自身の記憶を漁る。

 “トラップ”と分類される以上、マッギョが得意とするのは待ちの戦法───言い換えれば持久戦であり、自分からガンガン攻めていくようなポケモンではない。とてもではないが、ここからニンフィアとルカリオを相手取れるポケモンとは言い難いというのがコスモスの評価だ。

 

(それにしても姿が違うけれど……リージョンフォーム?)

 

 唯一懸念点があるとすれば姿の差異。

 通常、マッギョは地面に溶け込む黄色と茶色を基調とした体色をしているが、目の前に佇んでいる個体はその限りでない。

 むしろ、地面の上ではくっきりと際立つ銀色や鼠色に近い体色だった。

 となれば、リージョンフォームの可能性が視野に入る。環境次第で大きな進化を遂げるポケモンは、時にタイプや特性も大幅に異なる以上、目の前のマッギョも自分の見知るマッギョと違う可能性は大いにあり得るだろう。

 

「どうした、来ないのかい?」

「……」

「……ふふっ、様子見ってところか。勝ちを急いて安易に攻めないのは利口だ。いや、この場合理性的って言うべきかな? キミの様子を見る限り、()()()()()()()()()()()()()()

 

 見透かされた。

 おくびにこそ出さないが、リックに内心を悟られた点はよろしくない。

 

───攻守が裏返る。

 

「知らない相手には冷静に分析から入る……いいトレーナーとしては不可欠な要素だ。だが、知らなかったで許されるほど勝負の世界は甘くないぞ!」

 

 来ないならこっちからだ! とリックが吼える。

 

「マッギョ、“すなあらし”だ!」

「……、っ!」

 

 何の変哲もない砂嵐が再び巻き起こる。

 次の瞬間だ。マッギョの姿が()()()

 

 通常の体色ならばともかく、グラスフィールドも展開されたバトルコートの上で忽然と姿を消したポケモンに観客席はざわめいている。

 

「なに、あれ!? マッギョが見えなくなっちゃった!」

「いや、あそこに居るよ」

「えっ、どこですか?」

「ほら、あそこ」

「あそこってどの辺ですか?」

「あそこだよ、ほら。あの……右らへんの……」

 

「……」

 

 と、レッドとリーキがやり取りに聞き耳を立てたところで砂嵐が吹き荒れる中で聞こえる筈もない。

 

(『すながくれ』? それにしてはマッギョの挙動が見えなかった。いったいどういう……)

 

 思い当たる特性を状況に当てはめるも、しっくりとした答えは出てこない。

 まるで景色と同化したかのように消え、ニンフィアも驚きを隠せない様子で周囲を見回しているも、トレーナー共々不可視のマッギョを見つけるには至らない。

 

 仕方ない、とコスモスは溜め息を呑み込みながら叫ぶ。

 

「───ニンフィア、“マジカルリーフ”!」

「フィー!」

 

 相手を追跡する必中の木葉が、場に潜むマッギョを射抜かんと奔る。

 見えないならば、炙りだすまでだ。

 

 弧を描く刃が風を切る音を響かせる。

 

 すれば、間もなく“マジカルリーフ”は標的が潜む地面へと押し寄せた───ニンフィアの下へ。

 

「フィア!?」

()()! 避けて!」

「気づくのが一足遅いぞッ! “トラバサミ”で逃がすな!」

 

 ハッとしたコスモスが叫ぶも、リックの言う通りマッギョの攻撃の方が早かった。

 飛び跳ねようとするニンフィアの脚をマッギョが挟み込む。続けて、本来相手を狙っていたはずの木葉の群れが、標的の射線上に居たニンフィアに命中する。

 同時に二発の攻撃を食らい、目に見えてニンフィアが苦しい表情を浮かべた。

 

「振りほどけ!」

「マッギョの拘束力を舐めてもらっちゃ困る! そのまま食らいつけ!」

「ッ……、“あまえる”!」

 

 振りほどけないと察するや、コスモスはマッギョの攻撃力を下げる方針に移る。

 苦痛に耐えながらも“あまえる”ニンフィアに拘束が僅かに緩むものの、抜け出すには至らない。

 

「“マジカルリーフ”を叩き込め!」

「少しでも削りを入れようったって、そうは行かん!」

「!」

「“あくび”だァ!」

 

 至近距離からの“マジカルリーフ”を叩き込むニンフィアであるが、少しも怯んだ様子を見せないマッギョがお返しにと“あくび”を浴びせてきた。

 

 瞳はとろんとなり、瞼も半分ほど下りてきている。

 入眠まで時間は残されていない。指示を出す猶予は、精々あと技一つを繰り出す程度だ。

 

(潮時か)

 

 満を持したかのような面持ちのコスモスは、砂嵐の中でもはっきりと伝わるようにあらんばかりの声を張り上げた。

 

「───“ミストフィールド”!!」

「なにッ!?」

 

 刹那、草が生い茂っていたフィールドが塗り替えられる。

 砂嵐で視認し辛いものの、ほんのりと桃色がかった霧をリックは見逃さない。

 

 同時に今にも睡魔に負けそうであったニンフィアも刮目し、食らいついているマッギョを睨み返す。完全に眠気は消え去った瞳は力強い光を宿している。

 その切り返しを目の当たりにしたリックはと言えば、白い歯を覗かせる好戦的な笑みを浮かべていた。

 

(グラス)を上書きにするとは……大したモンだ! そいつもオレ対策って訳かい!?」

「聞こえません」

 

───マジカルリーフ

 

 三度、必中の刃がマッギョに突き立てられる。

 

「ふっ……娘と同じ年頃の女の子に無視されるのは堪えるな。だが、一つ聞いていくといい」

 

 直後、身体を撓らせたマッギョが地面を叩く。

 それは合図。眠りに落ちていた大地が呼び起こされる。

 

───じしん

 

「ニンフィア!」

「フィールドを上書きするってことは、オレのポケモンの得意技を食らうってことさ」

「くっ」

 

 グラグラと地面を揺らす衝撃がニンフィアを襲う。

 じめんタイプの代名詞とも言える技───“じしん”はグラスフィールドの枷を外され、最大限の威力を発揮していた。

 

 直撃を食らうニンフィア。その体はグラリと大きく揺れる。

 コスモスの声により寸前で立て直すものの、今度は体力の面で猶予がなくなってきた。

 

(……予想はできていた。残る問題は───)

 

 集中する。

 周囲の不必要な情報を切り捨て、全ての思考力を目の前のバトルへと注ぎ込む。

 

 集中する。

 一瞬が延びていくような感覚。

 

 集中する。

 緩やかに流れていく世界の中、持ちえる情報を整理する。

 

(なんで突然マッギョの姿が消えた? 『すながくれ』にしては素振りがなかった。“マジカルリーフ”の通りも悪い。じめんと何の複合タイプだ? くさ? はがね? ほのおとひこう、それにむしはありえない。くさか? 色見的には一番可能性が高いけれど───)

 

 熟考に重ねる熟考。

 脳内をグルグルとめぐる思考により、急速にエネルギーを消費する頭が痛み始める。が、そんなことは二の次だ。

 

(最初の攻撃とさっきの攻撃でマッギョの反応が違う。───()()()()()()?)

 

 “すなあらし”による天候変更───違う。

 “あまえる”による攻撃力低下───違う。

 “ミストフィールド”への変化───これだろうか。

 

「仮にそうだとすれば……」

「マッギョ、“じしん”でトドメだ!」

「ニンフィア、“チャームボイス”!」

 

 轟く地震。

 響く咆哮。

 

 両者の攻撃は地を、そして空を駆け抜けていく、互いの身体を衝撃で貫く。

 その結果、鳴動する地面に桃色の体が打ち上げられた。弧を描く体は地面に打ち付けられ、起きることはなかった。

 

「フィ……ィ……」

「ニンフィア、戦闘不能!」

「おつかれさま」

 

 労いの言葉をかけながら、コスモスは瀕死のニンフィアをボールに戻す。

 その表情は同年代のトレーナーと比べると、変化に乏しく、ともすれば冷淡にも見られかねないものだ。

 

 しかし、

 

「最高の仕事をしてくれた」

 

 今のコスモスに外野の視線など、眼中にない。

 

「これで勝つ。───GO、ルカリオ」

「ガァウ!」

 

 ニンフィアの活躍に報いるべく、闘志に奮い立つルカリオが吼えた。

 ビリビリと空気が震える。肌がひり付く感覚にリックの口角も思わず吊り上がった。

 

「真打登場だな。だが、オレのやることは変わらんさ。焦らず揺るがず……勝ちを掴みに地道を行く! マッギョ!」

「ルカリオ!」

「“じしん”だ!」

「跳べ!」

 

 まるで“じしん”が来ることを分かっていたかのようなタイミングで指示を出すコスモス。ルカリオもまたその指示が来ると分かっていたと言わんばかりの速さで跳び上がった。

 

 見事に攻撃を空かされるも、リックに動揺はない。

 

「着地を狙って“じしん”だ!」

「“ステルスロック”を飛び移れ! “はどうだん”で反撃!」

「ほう、面白いな! だったらこっちは“ステルスロック”を盾にしろ!」

 

 一歩間違えれば自分の身を傷つける岩に臆することなく飛び移るルカリオは、地面にとけこんでいるマッギョを波動で探知し、掌に収束したエネルギー弾を解き放つ。

 本来、必中に等しい命中精度を誇る“はどうだん”だが、必ずしも標的に当たるとはニンフィアの一幕からも分かる通りだ。

 景色にとけこむステルスに徹するマッギョは、それでも追跡してくるルカリオの攻撃を撒かんと遮蔽物として“ステルスロック”を利用する。

 

 跳躍。攻撃。防御。跳躍。攻撃。防御───幾度となく繰り返される展開の中でも、ルカリオはコスモスの緻密を指示に従い、些細な変化にも臨機応変に対応している。

 

(以心伝心だな。はどうポケモンと言われるだけはある)

 

 ルカリオの能力は広く知られている。シンオウ地方チャンピオンの手持ちとだけあって、その獅子奮迅たる活躍ぶりはバトルを齧っている者ならばほとんどが目にしている程に、だ。

 その種の顕著な能力は、他者の感情を“波動”によって感じる点にある。

 鍛えれば口に出すまでもなくトレーナーの意思を読み取り行動するように、ルカリオの動きは出だしが早い。

 

(どこかの地方にゃルカリオ以外のポケモンにも、テレパシーで指示を出すトレーナーも居ると聞いたが……彼女はそういった類じゃなさそうだ)

 

 仮にテレパシーで意思疎通を図れるとしたら、それはカントーやイッシュのポケモンリーグに在籍する超能力者に並ぶ才能がある訳だが、コスモスはそういった超人には含まれない。

 

 ただひたすらに優秀である。

 天才ではないが、秀才な───それも“超”がつく───トレーナーだ。

 

 世の中に散在する運命染みた超感覚で勝利の糸を手繰り寄せるタイプではない。

 度重なるバトル経験と蓄えられた膨大な知識により積み上げられた地力があるタイプだ。

 

 世間は二種類の才人を区別せず『天才』と呼ぶが、そこには天と地ほどの違いがあるということを彼らは知らない。

 

 つまり、どういうことかと言えば───。

 

「キミって子はオレ好みのトレーナーだ! トレーナーとしての経験に()()があるッ!」

「それはどうも」

「だが、キミが良くてもルカリオはどうだ!? だんだんと()()()()()()()()!」

「……」

 

 リックの指摘にコスモスの眉尻がほんの少し吊り上がった。

 浮遊する岩を次々に飛び移るルカリオに目を向ければ、荒い息遣いをしている様子が目に入る。

 

 わざわざ触れなくてもよい鋭い岩に触れ続けたのだ。いかにルカリオと言えど無傷で居られる由もない。

 “じしん”の直撃を食らうよりも小さなダメージで済んではいたが、塵も積もれば山となる。

 

 蓄積したダメージにより、それだけ勝敗の天秤はリックの方へと傾き始めていた。

 

 加えて“じしん”から免れる為の“ステルスロック”の数も減っている。

 それは同時にマッギョが“はどうだん”から逃れる術が減っていることを意味するが、決してリックは焦っていない。

 

(必ずマッギョは一発耐える! それから“じしん”を当てれば、形勢はオレに傾く!)

 

 リックには確信があった。

 相棒が相手の攻撃を耐える未来、それを見据えている。

 

 そして、間もなく訪れるであろう未来の分岐点があるとすれば───。

 

 

 

(いわ)がなくなった瞬間だッ!)

 

 

 

 最後の“ステルスロック”がマッギョの“トラバサミ”によって噛み砕かれ、浮力を失い地に沈む。

 

 直前に跳躍したルカリオは、未だ景色にとけこんでいるマッギョに狙いを澄ませ、両手の間にエネルギーを収束させる。

 

(撃ってこい、“はどうだん”を!!)

 

 みるみるうちに球形に圧縮される光弾から鮮烈な光が溢れる。

 

 強い輝きだ。砂嵐の中でも力の収斂がはっきりと分かるようだった。

 極限まで光が極まった時、ここぞとばかりにコスモスの瞳が見開かれる。

 

「───ルカリオ、今!!」

 

 ()()()に瞬くエネルギーは、一条の光線となって甲高い雄たけびを上げた。

 

「“ラスターカノン”!!」

「な……にィ!?」

 

 それはかくとうタイプの“はどうだん”ではなく、はがねタイプの“ラスターカノン”だった。

 研ぎ澄まされた鋼の一矢は、一直線にマッギョを目指す。

 

「避けろ、マッ───」

「ガァアアア!!」

「ギョマー!?」

 

 リックの指示を掻き消す猛々しい咆哮と野太い悲鳴。

 続けて地面を削りゆく“ラスターカノン”の轟音が砂嵐に大穴を穿ち、果てには射線上にあった大岩まで突き進む。

 そこにぶつかることで阻まれた光線の爬行であるが、マッギョはそこに囚われたまま。

 

 間もなく光線が細まって消える。

 すれば、大岩に張り付いたマッギョの平べったい身体が、吹き抜ける弱弱しい風に煽られて地面に落ちた。

 目はグルグルと回っており、とても戦える状態ではなくなっている。

 誰が見ても勝敗は明らか───。

 

「あちゃあ……ハハッ、やっぱり大したモンだッ!」

「───マッギョ、戦闘不能! よって勝者、挑戦者コスモス!」

 

 審判が勝者の名を叫べば、水を打ったように静まり返っていた観客席が沸き立った。

 特にリーキの喜びようは凄まじく、隣で目を伏せていたレッドに抱き着き揺さぶるほどだ。

 

「や……やったぁー!! やりましたよ、先生さん!! コスモスさんがやりました!!」

「……」

「あっ、すすす、すみません!! 急に抱き着いたり……」

「……ぅん」

「せ、先生さん……?」

 

 パッと離れて帽子に隠れた表情を覗き込もうとすれば、不意に零れ落ちる一滴の雫を目撃し、ハッと息を飲んだ。

 

(先生さん……そこまでコスモスさんの勝利を喜んで……!)

 

 あくまで他人である人間の勝利に涙するとは、余程深い関係であることは察するに余りある。

 師弟関係である事実を差し引いても、それだけ弟子を想うには並々ならぬ絆を育んできたのだろう。

 

 思わずリーキもよよよと涙をこさえる。

 

「私が水を差す訳には……!」

「……また“あくび”で……」

「あれ? なにか言いましたか?」

「……ううん。あの、後でバトルレコードとか見れたりする?」

「この試合のですか? はい、もちろんです! ご用意しますよ!」

「ありがとう」

 

 決して眠ってなどいないレッドは、ガン開きでカッサカサになっていた瞳を涙で潤しながら砂嵐が止んだバトルコートへ視線を向けた。

 すっかり晴れ渡った空の下、二人のトレーナーは固い握手を交わし、互いの健闘をたたえ合っていた。

 

「いやぁ、まさかあそこで“ラスターカノン”が来るとはな。まんまとしてやられたなぁ。いつ気づいたんだ?」

「確信を持ったのは“チャームボイス”を命中させた後です」

「ほう?」

「私の目には“マジカルリーフ”より“チャームボイス”の方がダメージが大きいように見えました。ですので、マッギョがグラスフィールドの影響でくさタイプに変化していると考えました。マッギョは“ほごしょく”も覚えますし」

「……ああ、実に見事な推察だ!」

 

 いい線行ってるな! と頷くリックが答え合わせをする。

 

「実はこのマッギョ、ガラル地方に適応した個体でな。普段はじめんとはがねタイプだが、『ぎたい』っていう面白い特性があってだな……」

「それが“ほごしょく”のように場の状態によってタイプが変化すると」

「大正解! いやはや、完敗だ! キミみたいな博識な子に負かされるなら本望だな!」

 

 豪快な笑い声が響き渡る。

 敗北したにも関わらず、斯くも清々しい様子で居られるのは大人の余裕というものか。そんなことを考えるコスモスは、不意に思い出した疑問を投げかけるべく口を開いた。

 

「一ついいですか?」

「ああ、ドンとこい! 今ならなんでも答えちゃうぞ~」

「そういうのは別にいいです」

「え」

「……フィールドを人工的に作り出す設備もそうですが、どうにも貴方の戦術には嚙み合ってないと思いまして」

「と、言うと?」

「仮に最初から展開されていたのがエレキやミストだったら、そもそも“あくび”戦法が成り立たないはずです」

「……フム、そこに目を付けたかい」

 

 先ほどまでの豪放磊落な様子が一変、理知的なジムリーダーが姿を覗かせる。

 

「よしっ、もうジム戦も終わったから話してもいいか。まあ、なんてことはない話だ。肩の力を抜いて気楽に聞いてくれ」

「はい」

「……キミも知っての通り、今年はセトー・ホウジョウリーグが設立されて初めての年だ。今まで旅をしていた子たちが居なかった訳じゃないが、ジムが建てられ、チャンピオンって概念が生まれた以上、旅に出る子の数はグッと増える」

 

 現に今年両地方の旅に出たトレーナーの数は数倍にも昇っている。

 それだけ今回のポケモンリーグ設立は大きな影響を及ぼし、同時に大きな注目を集めていると言えるだろう。

 

「夢を持って旅に出た初心者。今まで地元で息を潜めていた腕利き。果てには他の地方からチャンピオンを狙うトレーナーも居ると来たもんだ。リーグも初めての年ってことで失敗はできんと気合を入れていてな。具体的には……そうだな、レベルの高いトレーナーがリーグに来るように調整してくれって言われたりな。おっと、これオフレコでな?」

「はい」

「まあ、そんな訳なんだが先達として夢を見る子達を必要以上にふるいにかけるような真似はどうにも性に合わなくてな……」

 

 困ったような顔で後頭部を掻くリックは、今まで挑戦に来たトレーナーを思い出すように瞳を瞑る。

 

「前途ある若者の夢を潰すような真似はしちゃイカンと思ってな。オレも若い頃は色々と苦労した……自分で興した会社も中々上手くいかなくってな。今の女房には大分苦労をかけた───ってオレの話はいいか。ともかく、ジムリーダーとしてどんなポリシーを持つべきか考えた時、初心者に明確な問題を提示してやって、それを解決させてもらいたくってな」

 

 それが今回の、そして今までのジム戦の戦法に繋がる。

 “あくび”と“ステルスロック”の戦法も中堅以上のトレーナーならば知っていても、初心者には初見であり、ともすれば手も足も出ないまま敗北を喫する可能性が高い。

 だがしかし、技や特性、場の状態による効果を把握していれば対処のしようはいくらでもある。一度目がダメなら二度、二度目がダメなら三度。何度も何度も敗北を重ねても、いつかは勝利を掴み取れる───そのような壁でありたいと、リックはジムリーダーを務めると決まった日の晩、決意したのである。

 

「PDCAサイクルってあるだろう? Plan(計画)Do(実行)Check(評価)Act(改善)! 社会人が最初に叩き込まれる考え方だが、これはポケモンバトルの道にも通ずる!」

「……なるほど」

「最初から上手くいく方が珍しい! 人生は七転び八起きだ! 転んで地面を味わった者にしか見えてこない景色もある!」

 

 会社を興し。

 社員を養い。

 妻に支えられ。

 

 そうして苦労を重ねてきた男には、やがて簡単には揺るがない芯が───信念が築き上げられていた。

 

「真摯に向き合った努力は決して裏切らない。相応の結果をもたらしてくれるモンさ。それでも勝負の世界は優しくない。時運にも左右されることも勿論ある……が、せめてオレくらいは結べる実になれればいいってな」

「それが……貴方にとってのジムリーダーの在り方、ですか」

 

 ああ、と頷くリックの表情はしみじみとしたものだった。

 

「ま! キミには一発目で攻略された訳だがな!」

「負けたくないので」

「いや、いい! キミぐらい準備してもらえりゃあ、オレからすれば言う事なしだ! 天晴! ってなワケで、これをキミに贈る!」

 

 リックが懐から取り出したのは、一枚のバッジ。

 

「オーシャンバッジ! オレを倒し、オキノジムを制覇した証だ!」

「ありがとうございます」

 

 広大な大海原を象ったジムバッジを受け取り、コスモスは早速バッジケースへ収納する。

 

「これで二個目……」

「まだまだ前半戦だな。だが、キミみたいな真面目な努力家なら八個集めるのも夢じゃない! なんならそのまま初代チャンピオンにでもなってしまえばいいさ」

「そのつもりです」

「ただ───」

 

 不意にそれまでまとっていた大人の雰囲気が、若々しく荒々しい闘志に塗り替えられる。

 

「……ポケモンリーグにゃ、オレ達ジムリーダーも参戦する。そん時は手加減なしのガチンコさ」

「……望むところです」

 

 大胆な宣戦布告に思わず鳥肌が立つ。

 ポーカーフェイスこそ取り繕ったが、そうした機微を察せないほどリックの目は衰えていないだろう。

 

 結局のところ、同じじめんエキスパートでもリックとサカキではスタイルもポリシーも違っていた。リックを倒したところでサカキを超えられたとは言い難い。

 それでも実りあるバトルだった。

 あらかじめ立てていた作戦の成功、“ステルスロック”を足場に用いる咄嗟の機転は良かった点だ。逆にガラル地方のマッギョを知らなかった情報収集の詰めの甘さは反省点だ。

 

 どうにもコスモスが所有しているスマホロトムは、海外の話題になった途端翻訳の都合で検索性が低くなってしまう。ガラルマッギョの情報を仕入れられなかったのも、それが原因だ。

 

(もっと情報収集の手段も考えなくちゃ)

 

 改善点が見えてきたところでコスモスは一息つく。

 

「頭が痛い……」

「お? 大丈夫か?」

「お構いなく。ごはんを食べたら治ります」

「ワッハッハ、そうか! それならこれからランチはいかがかな? ウチの会社は社員食堂にも力を入れていてな。……是非ごちそうさせてくれ!」

「社員ではないんですが」

「デザートも出るぞ!」

「いただきます」

 

 丁寧に一礼して頼み込むコスモス。

 余りの変わり身の早さに面食らったリックは苦笑いだ。

 

 疲れた体には甘い物。

 これ、絶対の理である。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ここはオキノタウンから東に進んだ場所。

 人目に付かない木々の群れのさらに奥。停められているトラックの傍からは、激しい戦闘音が絶え間なく響き───そして止んだ。

 

 折り重なる瀕死になったポケモン。

 指示を出していた複数のトレーナーも、バトルの余波を受けるなりジバコイルの繰り出す“でんじは”の檻に囚われるなり、身動きが取れなくなっていた。

 

「そ、そんな……この数を!」

「大したことはないな。幹部でもなければこんなものか」

「お前は誰だ!? 我々ロケット団に楯突くなら、ただでは……ひぎゃ!?」

 

 手持ちを全て瀕死にされながらも悪態をついていた男───ロケット団の下っ端であったが、唐突に赤髪の少年に胸倉を掴み上げられ、情けない悲鳴が喉から漏れた。

 

「ちょうどそれを聞きたかったんだ。……お前らロケット団の狙いはなんだ?」

「そ、それは……!」

「早めに口を割った方が身のためだぞ? オレはロケット団のこととなると気が短くなってた……」

 

 チラリと横を一瞥する少年。

 すれば、傍らに佇んでいたオーダイルが徐にトラックの荷台を切り裂いた。頑丈なはずだった荷台は容易く裂け、そこからは次々に怯えた様子のポケモンが顔を覗かせる。

 しかし、打って変わって穏やかになったオーダイルの声を聞き、我先にとポケモン達は飛び出していった。

 

「ああっ! そ、そこには!?」

「捕えたポケモンか盗んだポケモンか知らないが、次はお前がああなる番かもな」

「やめろ! 逃がしてくれ! でないと……!」

「?」

 

 異常に怯える団員の様子に、少年も怪訝そうに眉を顰めた。

 次の瞬間、轟音が鳴り響く。咄嗟に振り返れば、トラックの傍に立っていたオーダイルが何者かに突き飛ばされた瞬間だった。

 

「オーダイル!? クソッ、なんだってんだ!」

 

 幸いにも大きなダメージを受けてはいなさそうだ。

 けれども、自身の相棒をああも突き飛ばすパワーを持っているとなると、どうやら相手は油断ならない獲物のようだ。

 

(なんだ、あのポケモンは……?)

 

 オーダイルを突き飛ばした影は、頭部を拘束具のようなヘルメットで覆われた四足歩行のポケモンだ。

 だが、始めこそ拘束具へと向けられていた注目はポケモンの“異常”へと移る。

 

(虫みたいな爪に、魚みたいな尾ヒレ……初めて見たぞ。あんな不自然なポケモンは!)

 

 複数の生物の特徴を合成したような身体は、おおよそ自然界に生息しているとは言い難い歪さを表しているようだった。これだったら、まだポリゴンのように人工的に作られたポケモンだと言われた方が納得できる。

 

(いや、()()()()()()()()()()なのか?)

 

「……だとしたら、ますます見逃せないな。お前らの悪事を暴く証拠として連れ帰る!」

 

 

 

「───そうはいかんぞ」

 

 

 

「! オーダイル、“アクアテール”だッ!」

 

 不意に響く声を聞き、反射的に指示を飛ばす。

 激流を纏った強靭な尾は、声の出どころ目掛けて振るわれる。

 

 だが次の瞬間、電光が爆ぜた。

 オーダイルの攻撃を真正面から受け止める黄色の巨体。丸太のような両腕を持って“アクアテール”を受け止めたポケモンの正体を看破し、少年は舌打ちする。

 

「エレキブルか……」

「中々のパワー……いいポケモンを育てているな。どうだ? お前さんもロケット団に入らないか? その実力があれば幹部に昇進も夢じゃない」

「断る! 昇進だなんだと言っているのも、人材が足りていないからじゃないのか?」

「……ククッ、はははははッ! そうか、残念だ」

 

 聞いてみただけだ、と言葉ほど残念がっていない巨漢は、特徴的に剃られた顎鬚をなぞる。

 そんな巨漢を眺める少年は、一つあたりをつけた。

 

「その風格……幹部だな?」

「お目が高いな。その通り……俺はロケット団幹部、クリフだ」

「フンッ、なにが幹部だ。お前らのボスはずっと行方不明。遂にはラジオ塔で残党も処理されたと来た。残りかすのお前らに組織を名乗るだけの格はあるのか?」

「威勢がいいトレーナーは嫌いじゃない。それに見合うだけの腕があるならなおさらだ。……が、一つ思い違いをしているらしい」

「なんだと?」

 

 子細を詰問しようと一歩踏み出す。

 刹那、視界が白く染め上げられる。光源は───エレキブルだ。

 

───しまった。

 

「“フラッシュ”か!?」

「俺達が忠誠を誓う御方に変わりはない。……ロケット団もロケット団のボスも不滅だ! 今回はカワイイ部下たちを連れて帰らせてもらおうか」

「ま、待て!」

 

 眩い光が瞬く事、数秒。

 ようやく視界が順応し始めた時、すでにクリフも団員の姿も消えてなくなっていた。地面に空いた大穴を見る限り、“あなをほる”で退路を確保したのだろう。

 してやられたと顔を歪めれば、申し訳なさそうなオーダイルが歩み寄ってきた。

 

「気にするな、オレのミスだ。それより……」

 

 今一度周囲を見渡すも、謎のポケモンの姿は見えない。

 

「逃げた、か」

 

 野生に帰れてよかった、などと悠長な考えは抱かない。

 

(まずいな。人工的に作られたポケモンだとしたら、野生にどんな影響を与えるか……)

 

 赤髪の少年───シルバーは逃げ出したポケモンが及ぼす影響に懸念と共に焦燥を抱く。

 人間の管理の下生きていた、言い換えれば自然に慣れていないポケモンが野生に帰ったところで生き延びられる保証はない。仮に生き延びたとして、本来生息していないポケモンが定住することは在来種の保護という観点からもよろしくはない。

 

「……って、なんでオレは柄にもないことに頭悩ませてるんだ」

 

 やれやれと頭を抱えれば、脳裏にバクフーンを連れた少年の顔が過る。どうやら自身も毒された側であるらしいが、未だにそれを認めたくはない気持ちが大半だ。

 

(とりあえずハンサムのおっさんには連絡しておくか。警察なんだ、なんか役に立つだろ)

 

 こちらに来る上で渡された番号に連絡を入れれば、一般人として最低限の責任を果たしたとは言える。

 

 だが、

 

(奴の言い草、まるで()()()がボスに返り咲いたような……いや、まさかな)

 

 息子として、放り出せない因縁がある。

 

 決意を新たにシルバーは歩み出す。

 ロケット団を───根絶するため。

 




Tips:シルバー
 ジョウト地方から渡り歩いてきたポケモントレーナー。目的は各地に潜んでいるロケット団残党の『殲滅』。かつてはポケモンを道具と見て、強さこそ至上だと捉えていたが、ライバルのような存在のトレーナーやジムリーダー、そしてチャンピオンとの出会いを通じ考えを改めるに至った。
 幾分は態度は軟化しているものの、ぶっきらぼうな点に変わりはない。ただし、どこぞのお人好しに感化されて面倒見がよくなった結果、ツンデレと取られかねない言動をするようになったとのこと(ジョウト地方育て屋の孫談)。

 手持ちはオーダイル、クロバット、ゲンガー、ジバコイル、マニューラ、フーディン。


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№021:コガネのおばちゃんは飴を常備している

◓前回のあらすじ

コスモス「マッギョは強敵だった」

レッド「スヤァ……」


 

 

『ずぞぞぞぞ!!!』

 

 

 

 勢いよく麺を啜る音が食堂に響き渡る。

 お昼時、この清潔感を覚える白色を基調とした食堂には、このオフィスビルで働く社員と彼らのパートナーポケモンがこぞって集う。小さなポケモンから大きなポケモンまで一堂に会せる広さは流石というべきだろう。

 そんな中、激闘を繰り広げたコスモスらはリックやリーキと一緒に昼食を取っていたのである。

 

 食すのはオキノ名物のカモネギ蕎麦。実際にカモネギが使用されている訳ではないが、香ばしい焦げ目がついたネギが丸々入った蕎麦からは、食欲をそそる出汁の香りが湯気に乗って立ち上ってくる。

 社員食堂だからと侮ることなかれ。老舗にも負けぬ味わい深さに舌鼓を打っていれば、瞬く間に蕎麦が入っていた容器は空となった。

 

「……ごちそうさまでした」

 

 行儀よく手を合わせてお辞儀するコスモス。

 近くで特製ポケモンフーズを食べていたパートナーたちも、ほぼ同時に食事をとり終えたようだ。

 

「いい食いっぷりだったな。うちの食事は気に入ってくれたかい?」

「ええ、美味しかったです」

「そりゃあ良かった! なんならうちの社員にでもなってみるかい?」

「残念ですが遠慮しておきます。勤める組織は既に決めているので」

「おや、そうなのか?」

 

 そりゃ残念、と答えるリックは一息吐くようにコップに口をつけた。

 

「それならせめて、デザートでも頂いていかないか?」

 

 言うや、配膳役のサンドがお盆を持ってくる。

 乗せられてきたデザートから漂う香ばしい匂いに、コスモスは傍目から見ても分かる程に目を輝かせ、ごくりと喉を鳴らした。

 

「ガレットだ! 召し上がれ」

「いただきます」

「カロスの方じゃミアレガレットのもあるが、こっちのも味は負けてないぞ! なんてったって地域活性化の為にうちの会社で一から監修した一品でな、まずはソバの実の品種から拘って……」

「ごちそうさまでした」

「ちょ、早」

 

 TOD(タイム・オーバー・デス)。リックのプレゼン時間はコスモスのでんこうせっかの如き速さを前に敗北を喫した。

 一方、自分のペースで箸を進めるレッド。その涼しい顔の裏側では、ガレットを奪おうとするピカチュウに徹底抗戦していた。

 

「おいしかった?」

「あと10皿はいけます」

「カビゴン?」

「私の体重は460キロもありませんよ?」

「あったらビックリしちゃう」

 

 そう言っている間にもレッドのガレットは、呼ばれたと勘違いして飛び出てきたカビゴンが気付くや、鈍重な見た目からは想像もできぬ神速の動きで飲み込まれた。その際、ガレットを掴んでいたピカチュウも巻き込まれ、現在上半身をカビゴンに咥えられ、足をじたばたさせている。『ピッカァ~!』と呻き声を漏らしながら“10まんボルト”を放つも、カビゴンにはさほど効いていない様子だ。

 

 その光景をベトベトになった手を拭うレッドが眺め、一言。

 

「……え? カビゴンって460キロなの?」

「一般的にはですが」

「ゴローニャの重さは?」

「だいたい300キロです」

「100キロも……道理で動かせなかった訳だ」

「先生、その言い方だとゴローニャは動かせるように聞こえます」

「え?」

「え?」

 

 

 

まん丸だから

思いのほか

動かせるんだなあ

レッド

 

 

 

 閑話休題。

 

「お二人さん、次はスナオカタウンに向かうのかい?」

 

 デザートも平らげ一息吐いたのを見計らったリックが聞いてくるのは、コスモスらの次なる目的地だった。キョウダンタウンから東に向かってきた今、次のジムを目指すとなれば、必然的にリックが口にしたスナオカタウンが目的地となる。

 名は体を表すと言う通り、スナオカタウンは広大な砂礫地に無数に並ぶ砂丘が名所の町だ。

 

「徒歩で行くつもりならゴーグルでも買っておくといいかもなあ。道中に海岸があるんだが、風の強い日は砂が目に入って痛いのなんの……」

「でも、じめんタイプのポケモンがたくさん居るんですよ!」

 

 ここぞとばかりに口を開いたリーキに、親馬鹿なリックは『その通りだ!』と過剰に声を出す。その所為で周りの視線を集めてしまい、途端に恥ずかしくなったリーキにプイっと顔を逸らし、リックがショックを受けるまでがワンセット。

散々見てきた光景だ。コスモスもレッドもさらりと流し、会話を続ける。

 

「次のジムはほのおタイプみたいですし、じめんタイプを捕まえておくのもいいかもしれませんね」

「……そう言えば、手持ちとかどうするつもりなの?」

「どうとは?」

「六体、どう固めるのかなって」

「そういうことですか」

 

 湯飲みの中に入っていた蕎麦茶を飲み干し、コスモスはバッグに入っていた飴を一つ口に放り込む。ガレット一つでは足りなかった糖分が補給され、バトルで疲弊した頭がスーッと冴え渡る。

 

 元々手持ちについての考えはあった。

 

「六体に固執するつもりはありません。必要に迫られればその都度捕まえて育てます」

「……大丈夫なの?」

「ご心配には及びません」

 

 大抵、トレーナーが連れて歩くポケモンは六体が限界だ。

 それはいつからの風習だったか。しかしながら、何十年も昔のポケモンリーグからすでに六体と決まっていたからか、現在までも“手持ちは六体まで”というルールは続いている。

 バトルに興じぬトレーナーならいざ知らず、リーグを目指す者は大抵六体のフルメンバーを決め、王の玉座を争う頂上決戦に挑むものだ。

 

 どのような構成にするか? これはトレーナーにとって永遠の課題だ。

 ポケモンの種類は、優に数百を超える。この中から最高の組み合わせを選べと言われたところで実際には無理な話だろう。

 例えばチャンピオンが使っているような強力な種族を選出したとしよう。しかし、どのようなポケモンであっても弱点は存在する。となれば、いかに他の手持ちで弱点を補完するかが問題となっていくだろう。

 そして、その弱点を補完するポケモンにも弱点は存在する訳で───と、問題は堂々巡りだ。そもそも弱点補完が出来ていたところで、それはあくまで負けにくくする為の策であり、勝てるかどうかはまた別の話だ。

 

 しかし、世間一般的に強者と謳われるポケモントレーナーにはある共通点が存在する。

 それは手持ちの六体とは別に、他のポケモンも並行して育てているという点だ。

 

 シンオウリーグ現チャンピオン・シロナを例に挙げよう。

 彼女の手持ちはエースのガブリアスを筆頭に、ミカルゲ、ロズレイド、トゲキッス、ルカリオ、ミロカロスが選出されている場合が多い。だが、試合によってはトリトドンやグレイシア、時にはシンオウ地方には生息していないウォーグルやシビルドンを手持ちに加えている時も存在する。

 このようにチャンピオンでさえ手持ちの六体は絶対に不変という訳でもなく、場合によって入れ替わるものなのだ。

 

 であるならば、リーグを目指すトレーナーも多くのポケモンを捕まえるべき───という単純な話でもない。

 

 六体以上のポケモンをリーグ本戦に耐えうるレベルに育てられるのか?

 そもそも、それだけの数のポケモンを養える潤沢な資金源はあるのか?

 

 課題は様々な壁として、駆け出しのポケモントレーナーに現実を突きつけてくる。

 夢のない話だと言われようが、それだけの課題を超えて手に入れられるのが四天王やチャンピオンといった栄光ある立場である。

 

(そんな心配をされてるんでしょうが、私にはスポンサーが居ますしね)

 

 だがしかし、コスモスには過去に手にしたジュニアカップの成績に釣られた企業が名乗りを上げ、今やスポンサーとして後援している。故に資金面には問題はないし、六体以上捕まえた時に育成を任せる育て屋の伝手も確保されているのだ。

 プロともなれば、育成も専門業者に頼むことも少なくない。時間は有限だ。他のジムチャレンジャーを出し抜くには、使えるものは使っておくに越したことはない。

 

 ゆくゆくはありとあらゆるポケモンを育て、鍛え、いかなる相手にも対応できる構成を成し得られるだけのポケモン軍団を作る───それこそがサカキの剣として、ポケモンリーグチャンピオンとなるべくして育てられた意義であると、コスモスは自負している。

 

「先生にはご迷惑をお掛けするつもりはありませんので、ご心配なさらず」

「……うん」

「……?」

 

 しかし、レッドの様子は芳しくない。

 何か不味い受け答えをしてしまったであろうか。途端に冷や汗が止まらなくなるコスモスの脳内では、グルグルと思考が巡る。

 

───そう言えば。

 

 レッドの手持ちはピカチュウをはじめとした六体以外、見たことがない。

 フシギバナ、リザードン、カメックス、カビゴン、ラプラスといずれも強力なポケモンだ。鍛えに鍛えたルカリオでさえ、ただの一度でさえ瀕死にできた試しがない。タイプ相性で有利なカビゴンですら体力を半分も削る前に返り討ちにされるのが関の山だ。

 

 すなわち、彼の手持ちは一体一体の強さが極まっている。

 タイプ相性の優劣さえ覆すレベルの高さ。炎すら押し返す草、水を焼き尽くす炎、草を圧し潰す水───どれもが少女にとって衝撃的な光景であったことは記憶に新しい。

 

 これだけのレベルに鍛え上げるには、気が遠くなる時間をかけたに違いない。

 ある時、育成の真相を探るべく問いかけたコスモスにレッドはこう返した。

 

『……山籠もりしてた』

 

 なんてアナログな。

 けれど、その成果をまざまざと見せつけられた以上、コスモスはこれっぽっちも疑念を抱かなかった。それはもう純粋な眼差しで『なるほど』と声を弾ませていたとな。

 

『なんで!! なんでそんな変な方向に思い切りがいいの!』

 

 かつての教育担当だったロケット団幹部が目にすれば、きっと頭を抱えるだろう。

 

「……先生は、手持ちを入れ替えることには不服でしょうか」

「……ちゃんと育てられる?」

「それは」

 

 この言葉、額面通り受け取ったならばトレーナー失格だ。

 ここで育て屋に預けるなどと甘ったれた考えを抱けば、瞬く間に師から失望を買ってしまうことになるだろう。

 

 おそらく彼が求めているレベルはもっと()

 

「……育てられます」

「……本当に?」

「はい」

 

───やはり、先生は私をトレーナーの“高み”へと導いてくれる。

 

 出会えた幸運に感謝しつつ、コスモスは口の中の飴を呑み込んだ。

 

「昨今、がくしゅうそうちは手持ち全員へと経験が行き渡るよう改良されていますが」

「うん?」

「得られるのはあくまで()()()()()()()()()()()()()()()()()()……実際に控えのポケモンが対峙した場合とでは相手の対応が違います。ですから、控えのポケモンを繰り出した場合のシミュレーションも重ねていくつもりです」

「うん」

 

「わざの構成も十分突き詰めるつもりです。メーカーによってはわざマシンが何度も使えるようになりましたが」

「うん?」

「安易にわざ構成を変更すれば、わざの練度が低くなってしまいますので。今後の課題ですね」

「うん」

 

「課題と言えば、道具もです。近年のルール改正に伴い、大抵の大会では道具を持たせられるようになりましたけれど」

「うん?」

「まだこちらは手持ちが固まっていませんし、探り探りになっていくのは私の至らなさに尽きます」

「うん」

「ですが、ゆくゆくは先生を納得させられるようなベストな組み合わせを突き詰めていきます!」

 

 そう声高々と宣言した頃、傍に座っていたリックやリーキのみならず、聞き耳を立てていた社員らも『おー』と感嘆の声を上げ、力説していた少女へ惜しみない拍手を贈る。

 しかし、周囲の人間を満足させられたとして、目の前の師を満足させられなければ及第点ではないのだ。

 

 恐る恐ると、コスモスは面を伏せたレッドへ問いかける。

 

「……これでは不十分でしょうか、先生」

「……ふふっ」

「!」

 

 レッドが───笑った。

 滅多に笑わない彼が。

 それだけでコスモスの緊張感は一気に高まる。

 

「これが……時代」

「先生……?」

「……うん。今は……それでいいと思う」

「! ……ありがとうございます」

 

 ほっ、と思わず息が漏れる。

 

(ひとまずは、といったところですね)

 

 だが、まだまだ油断できない。

 彼は言った。『今はそれでいい』と。

 それはつまり、現状を打破した先に更なる課題が待ち受けていることを意味する。これだけの育成の果てに、まだ何かやるべきことがあるのだろうか?

 

 その事実に慄く───だがしかし、心の片隅で得も言われぬ疼きが脈動している感覚をコスモスは覚えた。

 

(なに、この感覚……?)

 

 言葉で説明できない不気味さとは裏腹に、不思議と高揚していく気分は悪くはない。

 

(そう言えば)

 

 ()()()だ。

 過去にもう一度、同じ気分に陥った記憶がある。

 

 今となっては懐かしいサカキとの思い出。

 敬愛するボスの傍らで言葉を交わす機会に恵まれた時の───。

 

 

 

『お前にはこれからロケット団の更なる飛躍の為、リーグ関係者として……具体的には四天王やチャンピオンの座を奪ってもらう』

『はい』

『だが、その前段階として一つ指令を出す。心して聞け』

『よろしくお願いいたします』

『───私よりも強くなれ。以上だ』

『……え?』

『それがロケット団の……いや、私の野望を達成する為、お前に遂行してもらわなければならない“過程”なのだからな───』

 

 

 

───そうだ、あの時と同じ。

 

 自分にとっての頂点は当然、ロケット団の首魁であるサカキに他ならなかった。

 彼こそが至上であり至高。それよりも上が居るなどとは、当時夢にも思っていなかった。

 だがしかし、こうして今ロケット団という組織から離れたからこそ理解が及び始める。ロケット団にとっての至上はサカキであっても、彼が最強である必要はない。無論、彼の圧倒的なまでのトレーナーとしての腕に惹かれた団員も数多く居よう。

 それでも護衛すべきボスを守る盾が、誰一人ボスよりも腕が立たないのはなんとも不甲斐ない話だ。

 

「……ふふふっ」

「コスモスさん?」

「いえ、なんでもありません」

「そうですか? でも、すっごい楽しそうな顔してますよ!」

 

 リーキに言われるや、コスモスはスマホロトムで自身の顔を映してみる。

 そこには静謐な瞳の奥に、ギラギラと野望の火を燃え盛らせる自分の顔が映っていた。

 

 なるほど、と、一つ腑に落ちた。

 そして、一つ枷が外れた気分だ。

 

 

 

───私は()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 敬愛するボスやチャンピオンでさえも通過点。

 

(きっと先生は、既にその先を見越しているんですね……)

 

 追っていた背中の一つだったサカキ。

 さらにその先に佇む存在に、コスモスはレッドの背中を幻視するのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……これが……ジェネレーションギャップ」

「先生さん?」

 

 独り言つレッドに、リーキが声をかける。

 随分としみじみとした面持ちであるが、彼は実に穏やかな声音で続けた。

 

「……便利な世の中になったね」

「は、はぁ……?」

 

 ポケモントレーナー、レッド。

 気分はさながら未来に時渡り(タイムスリップ)した古い時代のそれだ。

 

「フッ……」

 

 

 

───知らなかった。

 

 

 

 がくしゅうそうちの機能、わざマシンの仕様、ポケモンの持ち物。

 全部が全部、自分の知っているものとは変わっている事実を他人から聞く様は、さながら孫の話を聞く祖父のようだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「コスモスさん! 先生さん! どうかお達者で!」

「はい、リーキさんもお達者に」

 

 スナオカタウンへと続く道路の目の前で見送られるコスモスとレッド。

 一抹の寂しさに涙を零すリーキの肩を叩きながらも、コスモスは『ポケモンリーグで会えますよ』とこれから向かう目標と共に再会の場を伝える。

 そんな頼もしい言葉の傍ら、レッドはわざわざ運転して送ってくれたリックに頭を下げていた。

 

「送ってくれてありがとうございます。座席がフカフカだったです」

「おっ、そうかい? 折角ならこのまま車で送ってやりたいところだが、余計なおせっかいだろう。ポケモントレーナーの旅は歩いてナンボ! 違うかい?」

「ピッピカチュウ!」

「ピカチュウもそうだそうだと言ってます」

 

 元気よく声を上げるピカチュウ。旅の醍醐味を理解する電気鼠に、リックも『分かるねぇ~』と頷きながら顎鬚をなぞる。

 

「だが、次のジム……スナオカジムリーダーにはくれぐれも気をつけな」

「……どういう意味で?」

「ぶっ飛んだ奴さ。オレも長年トレーナーとして場数を踏んできたが、バトル中にあんなことをしでかす奴は見たことない」

 

 そう述べるリックは頭を抱え、苦々しさを顔で表現した。

 気になったコスモスは単刀直入に訊いてみる。

 

「随分と問題のある方で?」

「問題というか、一歩間違えれば炎上……いや、ジュンサーさんの世話になるな」

「そんな人がジムリーダーなんですか?」

「腕は確かなんだ、腕は」

 

 腕以外に問題がある人物像を抱き、コスモスとレッドの眉間にも皺が寄る。

 

「とりあえず善処はします」

「ああ、気をつけてな。先生くんもコスモスちゃんの指導、よろしく頼むよ」

「俺に指導できることなんて、そんなに……」

「またまた! ……言わなくても分かる。キミこそが彼女をリーグへと導くトレーナーだ」

 

 期待しているよ、と逞しい手がレッドの肩を叩く。一般人ならば大きく体勢を崩すであろう衝撃にも、この青年は微動だにせず直立不動を貫いた。

 並大抵の鍛え方はしていない───と、別れ際にトレーナーの方に慄きつつも、リックとリーキはオキノタウンを発った二人に手を振り続けていた。

 

 それから彼らの姿が見えなくなった頃、見えてきた光景はと言えば。

 

「これが砂丘……」

「……大きい」

「想像以上でした」

 

 丘と言うよりも、最早小山に等しい見上げんばかりの大きさである砂丘が無数に聳え立つ砂礫地。地方最大の砂丘と、無数のじめんポケモンが生息する道路が目の前には広がっていた。

 

「崖の上を行く道もありますが……どうします?」

「砂丘、行こう」

「分かりました」

 

 あからさまに目を輝かせている───と言っても第三者視点では限りなく変化がないように見える違いだが───レッドの様子に、コスモスは言われるがまま砂礫地へと足を踏み入れた。

 

「なるほど……これは随分と足腰を鍛えられそうな……」

「シロガネ山の山中を思い出す……あっちは雪だったけど」

「ふっ……ふっ……!」

「……疲れた?」

「ふっ……なんの、これしき……!」

 

 とは言うものの、コスモスの額にはすでに汗が浮かび上がっている。

 ここには日光を遮る木々もない。燦々と照り付ける太陽の光は、広大な砂丘にこれでもかと熱を与えていく。

 上も熱い、下も熱い。控えめに言って地獄だと、コスモスは内心で呟いた。

 

(ですが、これもなにかしら考えがあってのこと……根を上げるわけには!)

 

 横を一瞥すれば、一滴の汗も窺えないレッドが普段と変わらぬペースで歩いていた。

 

「はひぃ……はひぃ……」

「……コスモス」

「ひぃ……ひぃ……」

「ねえ、コスモス」

「はひぃ?」

「フシギバナ……乗る?」

「乗らせてください」

 

 ここで一句。

 

フシギバナ

陽射し浴びると

元気だナ

 

「ちゅ~……」

「しばらく休んでていいよ」

「ありがとうございます」

 

 のっしのっしと歩くフシギバナの花弁の下。

 その日陰となる場所で、コスモスは水分補給がてら休憩する羽目になっていた。

 片やコスモスを乗せて歩くフシギバナは、燦々と降り注ぐ日光に元気溌剌と言わんばかりの様子である。

 

「少しばかり甘く見ていました。こんなに暑いとは……」

「霰降らす?」

「いえ、それはラプラスにも悪いですし」

「いや、俺が」

「霰乞いは聞いたことないですね」

 

 などと気の抜けた会話を交わしている間にも、涼しい顔を浮かべていたレッドの額にも汗が滲み始める。

 

「流石に暑い……寒いのはどうにかなるんだけどなぁ」

「同感です。私も着込めば何とかなる分、寒い方が……」

「ブルブル震えてれば、なんか体が温かくなるし」

「シバリングはそこまで万能ではないかと」

「そう?」

 

 澱みのない眼差しで振り返ってくるレッドに対し、コスモスは『それよりも』とバッグに手を突っ込んだ。

 

「塩飴はいかがですか? 先生も念のために」

「あー……うん、もらう」

「分かりました。少々お待ちを……」

「そこに飴入ってるの?」

「色々入ってますよ。塩飴に私用の甘い飴、ポケモンの育成用にもふしぎなアメや各種色んな種類の飴を取り揃えて……、……?」

 

 バッグを漁るコスモスの手が止まる。

 能面のような真顔から、次第に怪訝な面持ちへと変わっていくにつれ、辺りは不審な空気に包み込まれていく。

 

「どうしたの?」

「いえ、何か知らない感触がバッグの中に……」

「ピカチュウ……は、そこに居た」

「ピカァ?」

 

 あ゛? とでも言いそうな目つきで睨みつけてくるピカチュウは、自分が犯人ではないとふんぞり返る。

 となれば、なおさらバッグの中に潜む不可思議な感触に説明がつかない。

 

───まさか、野生のポケモンが潜り込んだか?

 

 ルカリオの感知をすり抜け、バッグに潜り込むなど並大抵のポケモンでは為し得られない。余程気配を隠すのが上手いポケモンか、はたまたエスパータイプのようなテレポートを扱えるポケモンか。どちらにせよ、もぞもぞと蠢いている正体を暴かない分には先に進めない。

 

 見つめ合うコスモスとレッド。

 意を決し、少女は綿菓子のような物体をバッグから引き抜いた───!

 

「……ピィ?」

「ピィ?」

「ぴぃ?」

「ピ?」

 

 引き抜いたのはピィ───ではない。

 例えるならば、夜空色の綿菓子。そのガス状らしき体は、手に持っていても欠片程の重さを感じないほどに軽い。

 

「……なんですか、この……ポケモン?」

「ピィ?」

「というより……」

 

 謎の侵入者を引っこ抜いた際、辺りに散らばった飴の包装の数に青ざめるコスモス。

 片手に狼藉者を握りつつ、バッグの中身を確認する彼女の額には、炎天下の行脚よりも多い汗がこれでもかと浮かび上がっていた。

 

「な……ない……ない、ない、ない!」

「ないって……何が?」

「ポケモンの育成に取っておいたふしぎなアメが……ほぼ全部」

「え」

「それと、私が買い溜めておいた飴も……一つ残らず」

「あ」

 

 バッグを逆さにすれば、既に食い尽くされて中身がなくなった包装が虚しい音を奏でて落ちてくる。

 一方、無味に等しいふしぎなアメに比べ、特産品の果汁を使った地域限定の飴を平らげた未知のポケモンは実に満足げな表情を浮かべながら、コロコロと最後の飴を味わっている途中だった。

 

「ピィ♪」

「う……」

「ピ?」

「───」

 

 刹那、どこからともなくモンスターボールを取り出したコスモスが、未知のポケモンへ躊躇いなくボールを投げつけた。

 既に掴まれていたポケモンは抵抗する間もなくボールへ吸い込まれれば、そのまま暴れる様子もなく捕らえられるに至った。

 

 カチッ☆ と鳴り響く捕獲音は、この時ばかりはやけに虚しく響き渡る。

 

 何とも居た堪れない空気だ。

 これにはレッドも見るに見かねて声を掛けようと、意を決して前へと踏み込む。

 

「ねえ、コ」

「あぁーーーーーーーーーーーッッッ!!!」

「すみませんなんでもないです」

 

 慟哭。

 フシギバナの上で蹲りながら、たった今捕獲したポケモンの入っているボールを掲げる姿は、リーグ出場を期待されている新人トレーナーにしては余りにも悲嘆と絶望に彩られたものであったと、後のレッドは語った。

 



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3:光の速さでやってきた
№022:その なまえは つかえません


前回のあらすじ

コスモス「野生のぺリッパーさん、どうかアメをお恵み」

レッド「『あめふらし』ってそういう特性じゃないから」


「ピィ?」

 

 

 

 ガス状のポケモンが可愛らしい鳴き声を漏らす。

 それを取り囲むトレーナー二人とポケモン達。彼らの視線のほとんどが見たことのない未知のポケモンに対する好奇心に満ち満ちていた───コスモスを除けば。

 

「ぶつぶつぶつ……」

 

 コスモスは神妙な面持ちでスマホロトムとにらめっこを続けている。

 ルカリオやゴルバット、そしてニンフィアと手持ちが謎のポケモンと親交を深めようとしているのに、当の主人はまったくと言っていいほど触れ合っていない。

 まるで、どこか壊れてしまったようだ───それが手持ちの飴を全て食べられてしまった大事件(本人にとっては)だと察するレッドは、恐る恐る背後から喋りかける。

 

「……何見てるの?」

「このポケモンについて検索してるんですが、まったくデータがなくて」

「へー」

 

 どうやら、ただ単に謎のポケモンとのふれあいを嫌厭している訳ではなさそうだとホッと胸を撫で下ろす。

 と、同時に一つの期待が湧き上がってきた。

 

「もしかして……新種のポケモン?」

「可能性はなくはありません」

 

 だとすれば大発見だ。

 紙面を賑やかせる時の人となれるのでは? と胸を躍らせるレッドであったが、どうにもコスモスのテンションは低い───否、ピリピリと張り詰めたままであった。

 

(くっ……せめてどういうポケモンか分かれば育成の方針が決まるというのにッ!)

 

 爪を噛み、充血した瞳で画面を食い入るように覗き込む。

 その様子には長年連れ添ったルカリオでさえ、若干距離を取らんばかりだ。

 

 しかし、コスモスが血眼になるのも致し方がない。

 彼のポケモンに食されてしまったふしぎなアメは大変貴重な品である。その理由として非売品である点が挙げられる。これは通常、一般向けには販売されておらず、バトル施設の景品やプロ向けに少数流通しているような代物なのだ。

 それどころかポケモンの能力を鍛えるげんきのアメをはじめとした、育成に用いられる各種アメ。そして何よりも、バトルで疲れた頭を癒すコスモスの楽しみであった様々な飴であった。

 

 それを食い尽くされたのだ。

 被害額で言えばウン万。スポンサーの金で買ったとは言え、無罪放免とするにはあまりにも大きな罪である。

 

(是が非でも役立たせる……絶対にッ!)

 

 どんなに弱いポケモンだとしても使い道を探すのがコスモスのポリシー。

 今はいかにも貧弱そうな見た目でも、コイキングがギャラドスに進化するように後々強大なポケモンに化ける可能性も考えられる。

 

───カントーポケモンリーグ四天王の一人は謳っていた。

 

『強いポケモン。弱いポケモン。そんなの人の勝手。本当に強いトレーナーなら好きなポケモンで勝てるように頑張るべき』

 

 強いトレーナーに必要なのは強いポケモンではない。

 自分が愛情を注いだポケモンを勝たせるようとする気概、そして努力だと。

 

(だとしても、全然検索がヒットしないのはどういうことですか)

 

 だが悲しいほどに努力は実らない。

 

「……どうやって調べてるの?」

「見た目の特徴を手当たり次第に打ち込んで検索してます」

「……俺の図鑑で……」

「ちなみにこちらの図鑑は700体くらいに対応してます」

「はい」

 

 圧倒的性能さを思い知らされ、レッドは潔く手を引いた。

 

「……一応聞くけども、ポケモン図鑑では調べた?」

「? いいえ、図鑑に登録してある分は全部記憶しているので……」

「じゃあ、まだ図鑑では見てないってこと?」

「必要ないと」

 

 言い切るコスモスには揺るがぬ自信が見て取れる。

 以前ポケモンしりとりを誘った折、151の世界をぶち壊される完膚なきまでの敗北を喫した思い出もある為、彼女が記憶力に優れているとは理解していた。

 

「……一応図鑑で調べてみよう。万が一があるかもしれないし……」

「そこまで仰るのなら……」

 

 レッドに諭され、不承不承といった様子で図鑑アプリを起動させ、スマホロトムを謎のポケモンへと翳す。

 直後訪れる長いローディング時間。

 やはり駄目か……そんな空気の流れる場に、ピロリンと響く検索完了の音。咄嗟に顔を上げたコスモスとレッドが目にしたものは、

 

『もしかして:ゴース』

 

「今日から貴方はゴースです」

「ピィ?」

 

「待って」

 

 残念ながら、目の前のポケモンは明らかにゴースではない。図鑑なりに酷似したポケモンを探し出してくれたようだが、それでも正解には辿り着かなかった。

 

「だとすると、どう呼ぶか……」

「そうですね。ドガースの進化前のような見た目ですし、プチドガスでいいんじゃないでしょうか?」

「本当によろしいですか?」

「なぜ敬語です?」

 

 もしも本当に新種のポケモンであった場合、命名権は見つけた&捕えたコスモスのものとなろう。

 その時、コスモスが『プチドガス』を主張すれば有無も言わせずこのポケモンはプチドガスとなるのだ。例えドガースやマタドガスに一切関係なくとも、永遠に『プチドガス』を名乗っていく羽目になるのだ。

 

 それはあまりにもあんまりだと説得すること数分。

 

「せめて、こう……生態的な特徴で名付けるとかでも」

「なるほど。確かにそういう方向性もありますね」

 

 『ピカ』っと光り、『チュウ』と鳴くから『ピカチュウ』と名付けられたように。

 姿かたち以外にも特別な生態があるのならば、それこそ種族としての名前に相応しい命名ができるであろう。

 納得するコスモスは無邪気に笑顔を浮かべている謎のポケモンの前に屈み、淡々とした口調で問いかける。

 

「貴方は何ができるんです?」

「ピィ!」

 

 意気込むポケモンは、コスモスの期待に応えるように満を持して技を繰り出す。

 

 

 

 ???の はねる!

 しかし なにもおこらない!

 

 

 

「今日から貴方はガスキングです」

「待って」

「なぜ止めるんです? キングですよ? 威厳ある名前じゃあないですか」

「そんな500円くらいでたたき売りされてそうな威厳は……」

 

 いつになく饒舌な二人である。

 普段ならばコスモスの語彙に敗れるレッドではあるが、光を失った瞳を浮かべる弟子に最後の一線を越えさせる訳にはいかないと、頭も絶賛フル回転中だ。

 

「きっと育てたら色んな技を覚えるはずだから……」

「……わかりました。だとしても、名前がないのは困りますね」

「ニックネームじゃダメ?」

「そういう柄ではないので」

「そっか……」

「であれば、先生が名付けますか?」

「え?」

 

 唐突に命名の権利を渡され、レッドは困惑した声を漏らす。

 

「それは……いいの?」

「どうにも私には名前をつけるセンスがないので」

「……なら、安心して。実は俺、見たことのないポケモンの名前を当てられるっていう特技があって……」

「特技というより超能力では?」

 

 真偽は定かではないが、ここまで豪語するレッドも珍しい。

 自信満々な師匠の姿に疑う素振りすら見せぬコスモスは、プチドガス(仮称)に『運が良かったですね』と言い聞かせる。

 

「それでは、お願いします」

 

 緊張の一瞬である。

 双眸を輝かせているコスモス。

 固唾を飲んで見守るポケモン。

 そんな中、何一つ分かっていないプチドガス(仮称)。

 

 たっぷりと間をおいたレッドが考えた名前とは、ずばり───。

 

「……コスモッグ」

「コスモッグ?」

「ピカピッカ?」

「ピィ?」

 

 拝命───『コスモッグ』。

 宇宙(コスモ)とスモッグを合わせた名前と推察できるが、似たような語感の少女が目の前に居ることを考えると恣意的なものを感じずには居られないものがある。特にルカリオからレッドへ注がれる視線は冷ややかだ。

 

 だが問題はトレーナーであるコスモスがどう思うかに尽きる。

 

「いいですか、今日から貴方はコスモッグです」

「ピィ!」

 

 良かったらしい。

 

 ようやく名前を与えられ、コスモッグは嬉しそうな表情を咲かせる。

 これで強くなる見込みがあったならば、コスモスもここまで神経を苛立たせる羽目には遭わなかった。

 だがしかし、働かざる者食うべからず。食ったからには働いてもらう。野生のポケモン相手に金銭を請求できない以上、その働きぶりを以て償ってもらう他ないとコスモスは心に決めていた。

 

「でも、“はねる”だけしか使えないとなると……はぁ」

「ピィ?」

 

 あれだけふしぎなアメを食べたにも関わらず、進化の兆しは窺えない。

 特殊な進化方法があるのだろうか? だとすれば、役立たせるにも一苦労だと先が思いやられる。

 

『ヴァアアアアアアア!!!』

「ピッ!!?」

 

 その時、耳を劈く咆哮が空に響き渡った。

 

「ん?」

 

 瞠目するコスモス。

 おかしい。砂の空が広がって、海の陸が広がっている───否、これは自分が真っ逆さまになっている証拠だ。

 現在進行形で重力に従って落下している事実を理解するや、コスモスは腕に抱いているポケモンに一瞥をくれる。

 

「なんだ、“テレポート”も使えるじゃないですか」

 

 ひどく落ち着き払ったコスモスは口に指を咥え、すぐに甲高い指笛の音を鳴り響かせた。

 

「ゴルバッ!」

「ありがとう、ゴルバット。さて……」

 

 地上が騒がしくなる中、コスモスは素早く羽搏いてきたゴルバットにキャッチされた。これで一安心……とは行かず、現状宙づり状態だ。掴まれた部分が足首でなければ、このようにサーカスの曲芸染みた状態で飛行する羽目にならず済んだであろうが、不測の事態であったことを踏まえれば及第点だ。

 寧ろ、現状優先すべき問題は他にある───いや、()()()()()

 

()()は貴方のお客さんですか?」

「ピィ……」

「まあ、知らずとも一向に構わないんですが」

 

 見下ろす先で砂塵が巻き上がる。

 激しい戦闘の余波は、上空にまで衝撃となって伝わってきた。“テレポート”で転移していなければ、渦中にいたのは自分達だった。

 これを事前に避けられたのは僥倖だ。最悪ルカリオの波動で探知できたであろうが、コスモッグの危機察知能力には目を見張るものがある。

 

「二つ決めました。貴方は緊急時の脱出手段で……」

 

 砂塵を振り払う風が吹き荒れた。

 クレーター状に抉れた砂地の中央には、主人に牙を剥いた獣に敵意を抱くルカリオと、理性のない、それでいてどこか無機質な冷たさを感じさせる謎の四足歩行のポケモンが組み合っていた。

 マウントを取られるのはルカリオ。されど、すぐさま乗りかかる襲撃者の腹部を脚で蹴り上げたルカリオは、一瞬相手が浮いた隙を見逃さずにその場から飛びのいた。

 対する襲撃者もただ巴投げされる訳でもなく、着地するまでにすぐさま攻撃へと移れる体勢を整えていた。

 

───いい身のこなし。

───パワーも中々だ。

───そして、何よりも知らないポケモンだ。

 

()()も手持ちに加えます」

「ピィ!?」

「怖いなら隠れて」

「ピィ!」

 

 元気よく敬礼染みた腕の上げ方をしてみせたコスモッグは、あろうことかコスモスの服の中へと飛び込んでいった。

 『なんでわざわざ……』と熱くなる胸元にげんなりしながらも、ゴルバットに指示を出し、いざ戦場へと舞い戻る。

 

 合図を出してゴルバットに足を放させる。落ちる先はフカフカなカビゴンのお腹だ。トランポリンのように弾むお腹に着地───したはいいものの、思いの外弾力が凄まじく再び宙へ投げ出されるが、すかさず気づいたフシギバナが蔓で受け止める。

 

「あっ、おかえり」

「ただいま帰りました」

「良かった……急に消えたから、ワープパネルでも踏んじゃったのかと……」

「ご安心を。コスモッグが“テレポート”しただけですので」

 

 斜め上の心配は気にせず、フシギバナに下ろされたコスモスは襲撃者たるポケモンへと再び視線を向ける。

 頭部には拘束具。昆虫のような節足に、魚のような尾びれ。まるでそれぞれのポケモンの特徴を繋ぎ合わせたかの如き姿かたちには、コスモッグの時とは打って変わって興味をそそられる。

 

「……またもや知らないポケモンですね」

「どうする?」

「ゲットします。手出しはご無用です」

「うん」

 

 頑張って、と気の抜けた応援を送るレッドは、ピカチュウらと共に後ろへ下がっていく。見るからに凶暴なポケモンを前にしても大人しく下がる辺り、弟子の強さへの信頼が窺えるというものだ。

 そんな期待に応える目的が1割。残りの9割は打算である少女は、姫を守る騎士のように飛び出したルカリオに謎のポケモンの相手を任せることにした。

 

「いける?」

「バウッ!」

「なら良し」

 

 指を鳴らせば、ルカリオが蒼いエネルギー弾を解き放つ。

 “はどうだん”が砂の大地を抉りながら、襲撃者へと迫っていく。

 

「ヴァアアア!!」

 

 しかし、襲撃者が振り上げる爪が“はどうだん”を切り裂いた。

 直後、爆風が巻き起こる。圧縮された波動が砕け散り、辺りの砂を巻き上げる光景は先のジム戦を髣髴とさせるようだ。

 だが、これはあくまで前座。コスモスが指示するまでもなく、ルカリオは二発目の“はどうだん”の準備を整え、黒煙の中に佇む襲撃者へと技を繰り出した。

 

 波動を感じられるからこその芸当。

 これで手痛い一撃を加えられる───かと思いきや、

 

「ヴァア!!」

 

 一閃。

 刹那、切り返されるもう一閃。

 

 それは迫っていた“はどうだん”を難なく切り裂いてみせた。裂かれた蒼い球体は、襲撃者の後ろへそれぞれ左右に分かれながら飛んでいき、遂には空中で爆散した。

 

(───速い。あの技は“つばめがえし”……ひこうタイプ? 重そうな見た目とは裏腹な身のこなし。ますます気に入った)

 

 即戦力と期待するや、コスモスは後ろに控えている手持ちのポケモンへ振り向いた。

 

「ルカリオ、交代───GO、ゴルバット」

「ゴルバッ!」

「“ちょうおんぱ”で惑わせて」

 

 意気揚々と飛び出すゴルバットは、その身丈に差し迫る大きな口を開き、人間の耳には捉えられない音波を放出する。

 しかし、襲撃者ものんびりと構えてはいない。

 ゴルバットが仕掛けると見るや、その体勢から技の効果範囲を見極めたかの如く、“ちょうおんぱ”の射線から飛びのいてみせた。

 

「逃がすな、“メロメロ”!」

 

 だが、コスモス側も回避されたままでは終わらない。

 絡め手を得意とするゴルバットは、続けざまに異性を虜にする“メロメロ”を繰り出し、様子見を図った。

 生憎と未知のポケモンである以上、雌雄の判別がつかない。これで行動を制限できれば僥倖と思うコスモスであるが、

 

「ヴァア!」

「バッ!?」

 

 どうやら雌ではないらしい。

 当てが外れると共に、手痛い反撃を貰ったゴルバットが砂上をボールのように跳ねるように墜落する。

 それどころか襲撃者は苛烈な敵意を露わにしつつ、墜落したゴルバットを踏みつけた。

 

───これで一体。

 

 標的を目の前に邪魔をする敵を仕留めたと確信する襲撃者は、徐にコスモスへと振り向いた。

 

「ア゛ッ……!?」

 

 が、直後に襲い掛かる眩暈に膝から崩れ落ちる。

 あれほどの攻撃を仕掛けても尚、息切れ一つ見せなかったにも関わらず、この有様。このあまりにもあからさまな変化には、歴戦のトレーナーも即座に見抜いていた。

 

「……“どくどく”」

 

 踏みつけにされたゴルバットの牙から滴る液体を目にしたレッドが呟く。

 相手を猛毒に陥れる技───“どくどく”。毒を相手に仕込む方法は牙なり棘なりポケモンごとに変わるが、今回は地面に注目だ。

 

(上手い……踏みつけにされたのを逆手にとって、牙から滴る猛毒を足元に染み渡らせたんだ)

 

 液体が染み渡りやすい砂場だからこその手法に、レッドは満足そうにうんうんと頷く。

 フィールドに応じて戦法を変える柔軟な発想こそ、バトルの道に生きるトレーナーには肝要だ。

 時にはジムのスプリンクラーを破壊し、時には相手の繰り出した“なみのり”に乗り勝利を手にしてきたレッドだからこそ、発想の柔軟性がいかに重要かは身に染みて理解している。

 

 柔軟性はいくらあってもいい。それこそメタモンくらい柔軟であることが望ましい。

 その点、自分と出会ったばかりのコスモスは『超』が付くほどお手本のようなバトルを見せてくれたものだ。あそこまで再現性が極まっている点は強みに他ならないが、反面足を掬われれば、途端に対応がままならなくなっていたのも記憶に新しい。

 

(コスモスも成長したね……)

 

 弟子の成長を感慨深く思うレッド。

 一方、当の本人もまた拳を握って手応えを感じているようだった。

 

(よし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

───発想力に乏しい? それなら事前に準備(みらいよち)すればいいじゃない。

 

 発想力に喧嘩を売るお馬鹿さんとは、この子供である。

 コスモスの発想の柔軟性はレッドには及ばない。むしろなまじ優秀な頭脳の所為で、あらかじめ決めていた動きしかできないロボットのようなトレーナーである。それはレッドという規格外と相まみえて以降も変わりはない。

 

 しかし、だからこそと言うべき解決策を編み出した。

 その策とやらはゴリゴリのゴリ押しとも言うべき力技。ゴリゴリ具合で言えばごりむちゅうのヒヒダルマぐらいゴリゴリである。もしくはケッキングとゴリランダーとヒヒダルマで組まれたパーティぐらいゴリゴリである。

 

 閑話休題(それはともかくソルロック)

 

 その方法とは至ってシンプル───ありとあらゆるバトルを履修し、あらかじめ考えられ得る()()()()()()()()()()()というもの。

 

 土壇場での発想力や応用力が劣るのであれば、()()()()()()()()()()()()

 勝利に必要な1を0から生み出すのがレッドであるならば、用意した100の中から見つけ出すのがコスモスというトレーナー。今まで弱点であった奇抜な戦法に対しては、その極致とも呼ぶべき師匠の戦いぶりから日夜学び、スポンジのように吸収している。

 

(フシギバナのコンボも真似してみたかったけれど、それはまた今度っと)

 

 コスモスが真似したかった戦法は、フシギバナが鬼のようにばら撒いた“どくのこな”を“はっぱカッター”を撃ち出し、毒塗れになった葉っぱで相手を切り刻むド畜生コンボ。ゴルバットでなければ毒で倒れる二段構えだ! ちなみにゴルバットは毒がどうのこうの以前に急所に食らって倒れた。

 

「さて、どく状態のままで私達を倒せますか?」

「ヴ……、ッ!?」

「まあ、逃がすつもりもないですが」

 

 不利を悟り、引き下がろうとしたポケモンの足が止まる。

 何者かに見つめられるような感触が、彼をその場に縫い付けて逃がさない。

 

───“くろいまなざし”は既に見開かれている。

 

 獲物を逃がさぬ眼差しを向けるゴルバットは、どくで体に力が入らない相手の隙を付いて羽搏く。

 

「“つばさでうつ”!」

 

 太陽を背に翼を広げるゴルバットは、砂地に足を取られる襲撃者へ何度も接近しては、大きな翼を叩きつけて攻撃を仕掛ける。時折“ちょうおんぱ”も織り交ぜてこんらんを誘えば、完全に戦いの流れはコスモス側へと向いてきた。

 

「……そろそろ」

 

 どくでじわじわと体力が減ってきた頃合いを見計らい、空のモンスターボールを手に取った。

 すれば、気配を察した襲撃者がコスモスへと振り向いた。兜の奥に佇む血走った瞳は、とても理性を残しているとは思えない。

 間もなく謎のポケモンはけたたましい咆哮を上げながら、コスモスの方へと駆け出した。

 

「ヴァアアア!」

「ルカリオ」

「バウッ!」

 

 だが、頼もしいボディーガードが少女の前へと躍り出る。

 十全に余力を残したルカリオは、主人には傷一つつけまいとする気概に溢れていた。両手に収束する波動エネルギーがその証拠だ。

 

「攻撃はダメ」

「!」

「分かった?」

「……バウッ!」

 

 しかし、コスモスの指示に攻撃の為に集めていた波動を感知に利用した。

 極限まで研ぎ澄まされた波動は、引き伸ばされた肌や耳のように広く周りを感じ取る。同時に捕獲の為に弱らせられたポケモンの体力をも察し、主人の意図をも読み取った。

 ここで攻撃を叩き込めば、おそらく相手は瀕死に陥る。それでは捕獲できなくなってしまう。

 

 なればこそ、この一撃を凌ぐ必要がある。

 

 導き出される答えは、ただ一つ。

 それを一人と一匹は言葉を介さず伝え合う。

 

(今───“みきり”!)

 

 僅かに波動を纏った手が、飛び掛かるポケモンを横へといなす。

 背後に構えるトレーナーに触れられないギリギリの軌道へと逸らすように、ルカリオは最小限の力を以て受け流したのだった。

 

 コスモスの目論見通り、謎のポケモンの爪は空を切った。

 さらにはあらかじめ予測していたかのように宙へ置いていくように放り投げられたボールが接触した瞬間、

 

「ピィー!!」

「はい?」

 

 服の中でコスモッグが叫び、景色がひっくり返る。

 先ほどまで悠然と構えていたルカリオも、今や目を見開いて主人の方へ振り向いていた。彼の表情は驚愕と焦燥に彩られているが、それも無理はない話だ。

 

「……なるほど。こういう“テレポート”の使い道もありまッブボァ」

 

 仲良く着水するコスモス達。

 “テレポート”で海の上に転移した彼女は、高度の低さも相まって抗う猶予もなく、そこそこ大きな水柱を上げる羽目に遭った。

 

「ぶくぶくぶく……」

「コスモスー!」

 

 海に浮かぶコスモスは、間もなくやって来た赤の救助隊に拾い上げられた。

 

 

 

 謎のポケモンを捕えたボールと共に……。

 



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№023:ルカリオの居ぬ間に物色

前回のあらすじ

コスモス「テレポートは攻撃になりえる」

レッド「自由落下だね」


 野を超え、砂超え、浜を超え。

 うだる炎天下を進み、やっと着いたは色鮮やかな光が躍るガラスの町だった。

 

「ここがスナオカタウン……」

 

 町の入口に当たる門構えに辿り着いたレッドは、見たことのない意匠が凝らされた街並みに興奮を隠せずにウズウズとしていた。

 奥へ奥へと進んでいけば、これまた鮮やかな色の屋根を張った露店が無数に立ち並ぶ。店頭に並ぶのは町の工芸品、ガラスを用いた品物が多くを占める。

 

「見て、コスモス。あそこにポケモンのガラス人形が……」

「……」

「……コスモス?」

「……、はい?」

「大丈夫?」

 

 レスポンスの遅い弟子へ、レッドが心配そうな眼差しを送る。

 何故と聞かれれば、至って単純。

 

「顔真っ赤だよ?」

「ダルマッカ? どこにも見当たりませんが……」

「……うん」

「ずびびっ」

 

 ダメそうだ。

 彼女は今、風邪をこじらせている。原因はプチドガス───ではなく、コスモッグの“テレポート”の所為で海へ落下してずぶ濡れになったからだ。

 いつもの無表情こそ変わりはないものの、目に見えて顔色が悪い。それこそ今彼女が言ったダルマッカのようだ。くれぐれもガラル地方の方ではない。真っ赤な原種の方だ。

 

「さて、先生ゲホッ!!! 早速町に付いたことでし、ジムの予約に向かいまほっほお゛ッ!!! ヴェッ!!!

「いや、予約より休んだ方が……」

んん゛ッ!!! ……休息は不要です。休んでいる時間がもったいないですから───」

 

 そう言い放ったコスモスが消える。

 見渡す。

 居ない。

 

───はて、どこに行った?

 

「ピィ! ピィ!」

 

 するや、少し離れた場所から鳴き声が聞こえてくる。

 これは紛れもなくコスモッグのものだ。彼の定位置がコスモスの服の中となっている以上、“テレポート”をすれば自然と彼女もくっついていく。

 すなわち、彼女もコスモッグと共に居る。

 

「コスモ……」

 

「おぉーい、お嬢ちゃん! あんたのポケモンがうちの商品を頬張ってんだが!? 食べ物じゃないんだから、さっさと吐き出させてくれ!」

「食べ物……今ならゼリーが食べたいです」

「話が通じねえ! ってか、どこ見てるんだい!? ちょっと大丈夫か!? もしかして具合でも悪いんじゃ……」

「具材はリンゴにみかんに桃に……あとはナタデココが入ってると嬉しいです」

「ダメだこりゃ! 誰かぁー! 親御さんは居ないのかぁー!?」

 

「……」

 

 レッドの行動は早かった。

 電光石火の如く歩み寄り、神速の如く頭を下げ、流れるようにコスモスを背負っては小走りで駆けていく。

 

 

 

 めざせポケモンセンター。

 

 

 

 ***

 

 

 

「しばらく休んだ方がいいわね」

 

 『ここは人間の病院じゃないんだけれど……』と言わんばかりの苦笑を浮かべるジョーイに診断を下され、コスモスは徐に項垂れる。

 

「大した風邪じゃありません」

「風邪だからって甘く見ちゃいけません。きっと旅の疲れも出ているのよ。こういう時はじっくり休息を取るのが一番よ」

「ですが……」

「いい? トレーナーの貴方が無理をしていたら、ポケモンも貴方を真似して無理しちゃうわ。そうなったら悪循環。無理が祟って、いつか大きな怪我をしちゃうわ」

「……」

 

 普段ならばもっともらしい反論をしてみせるコスモスも、風邪で頭が回らないのか押し黙る。

 それでもまだ納得していない様子の彼女へ、最後にレッドが一押しをかけた。

 

「……体調が万全じゃなきゃバトルも上手くいかないよ。特訓もジム戦も風邪が治ってからね」

「はい、治します」

「よし、いい子」

 

 変わり身の早さは一級品。

 慕う人間の言葉なら掌がつのドリルになるコスモスは、迷わず休養を取ることに決めたのであった。

 

 場所は変わってポケモンセンターの一室。

 パジャマに着替え、額に冷感シートと病人スタイルを決め込むコスモスは、しきりに鼻水を啜りながら傍らに座って見守っているレッドに目線を向けた。

 

「ご迷惑をおかけします、先生」

「気にしてない」

「ずびっ……まさか、海に落ちたくらいで風邪をこじらせるなんて、私もまだまだですね……」

「大丈夫大丈夫。俺もふたごじまで溺れかけた時は流石に風邪引くと思ったから……」

「さいですか……、ん?」

 

 コスモスは何故だか聞き流してはいけない内容を聞いた気がしたが、上手く頭が回らない為、聞かなかったことにした。

 

「……先生も付きっ切りで看病なさらなくて大丈夫ですよ」

「でも……」

「風邪を移したら大変ですから。それに薬は飲みましたし、一日休めばきっと良くなります。先生は町に観光でも出て、なにか美味しいものでも食べてきてください」

「コスモス……」

「先生……」

「何食べたいの?」

「梨で」

「了解」

 

 そこはかとなくリクエストを貰ったところで、いざ出立の準備。

 

「何かあったら連絡してね」

「わふっ」

 

 ベッドに眠るコスモスは、エプロン姿のルカリオに任せておく事にした。

 他にもゴルバットやニンフィアが傍らに寄り添っている以上、心配は必要ないであろう。

 

 唯一懸念点があるとすれば、

 

「ピィ♪ ピィ♪」

「コスモッグ、こっち」

「ピィ?」

 

 無邪気に遊ぶコスモッグか。

 危険を察するや“テレポート”するこの子を置いていけば、病床の身のコスモスに何が起こるか分からない。

 それに加え、なぜかコスモスの手持ちに加わった新参二体の仲が非常に悪い。やや語弊があるとすれば、兜を被ったポケモン・カブト君(仮称)がコスモッグに対し一方的に敵意を露わにしているのだ。

 どうにか仲を取り持とうとも暴れて乱戦に発展しかねるものだから、風邪を拗らせたコスモスに代わったレッドが、マサラ式ヘッドロックで止めに入った程である。

 

 こういった経緯もあり、下手に一緒にして留守にさせるよりも自分が面倒を看ておく方が何かと都合がいいかもしれない───という訳で、コスモッグは主を差し置いて観光に同行だ。

 

 そしてレッドは『お土産買ってくるからね』と言い残して部屋を去っていった。

 ピシャリと扉が締め切られる。すれば、途端に室内へ静寂が訪れた。壁を隔てた先の談笑や生活音は遠のき、聞こえてくるのは傍に居るポケモンの息遣いばかり。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 少女が夢の世界へ落ちるには、30分と掛からなかった。

 穏やかな寝息を立てている姿を前に、ホッと息を吐くルカリオはゴルバットやニンフィアとアイコンタクトを取り、それぞれ持ち場へと移動する。

 ルカリオは出入口の扉、ゴルバットは窓側の天井、ニンフィアはベッドの真下。まるでコスモスを警護するような警戒態勢は、まるでコスモスが要人であると錯覚させるような光景であった。

 

 安心を絵に描いた状況の中、それを知ってか知らずか少女の寝息は実に穏やか───であった。

 

「……ルカリオ」

 

 徐に呼ばれたルカリオが表を上げる。

 何事かとベッドまで駆けつければ、少女は依然として瞼を閉じたままだ。

 

 寝言だろうか?

 それでも無視はできないと耳を立てるルカリオへ、ほとんど囁きに近い言葉が聞こえてきた。

 

「コイキング焼き買ってきて」

「……」

 

 回れ右(クイックターン)。ルカリオの判断は早い。

 持ち場へ戻ろうとする彼の顔は、目に見えて呆れていた。主人の甘党は既知の事実であるが、寝言にまで口に出すとはいよいよカビゴンに片足を突っ込んでいるとでも愚痴を零しそうだ。

 

「ルカリオ!」

 

 が、直後の怒鳴り声にすかさず翻った。

 何事か? 敵襲か? もしくはそれに比肩する緊急事態か。

 

 一気に緊張感が高まる中、ベッド上のコスモスは続けて言い放つ。

 

「ヒンバス焼きじゃない……私が頼んだのは、コイキング焼き……」

「……」

 

───何が違うんだ。形は大体一緒じゃないか。

 

 呆れを通り越し、ルカリオの瞳には悲しみが宿る。何故自分が怒鳴られなくてはならないのか、そう言いたげな眼差しだった。

 

「今はカスタードの気分じゃない……餡子がいい」

 

───中身の問題だったか。

 

 持ち場に戻ろうとしても、背後から聞こえてくる寝言に延々と足踏みを続ける。早々に無視を決め込んだゴルバットやニンフィアのような神経をしていればいいのだろうが、律儀なルカリオにはそれができない。

 

 そもそもヒンバス焼きがカスタードでコイキング焼きが餡子などという道理、たった今知ったところだ。しかも口走った本人は寝ている以上、真偽のほどは定かではない。

 

「ぅん……だからヒンバス焼きじゃないって……」

 

「ほら……ミロカロスを焼いたら“ふしぎなうろこ”で固くなるから……」

 

「そう……それで不味い」

 

「あっ、じこさいせい……いっぱい食べられる……うっ……渋い……」

 

「すぅ……すぅ……」

 

 ルカリオはそっと毛布を掛け直した。

 そして、瞑想を決め込むことにしたのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 それから少し経ち、日が傾いてきた。

 

「ぅん……」

 

 重たそうな瞼を擦るコスモスが上体を起こす。

 すれば、どこからともなくルカリオが駆けつけた。余りにも颯爽とした登場には、うとうとと船を漕いでいたゴルバットとニンフィアも目を覚ます。

 

「……今何時……」

「わふっ」

「……まだこんな時間……」

 

 ボーっと前を向いていれば、気を利かせたルカリオが時計を掲げてくる。

 なんとも微妙な時間だ。夕飯にはまだ早いが、もうひと眠りするには体が目覚めてしまった。

 大事を取るならばもう一度眠るべきだろうが、かっかと火照る体のお陰で快眠は望めそうにない。

 

「……喉乾いた……」

「わふっ!」

「……ルカリオ?」

 

 外の自販機に飲み物を買いにでも行こうとしたところ、エプロン姿のルカリオが止めに入ってくる。

 

「平気。大分良くなった」

「バウッ」

「……じゃあ、はい」

 

 『ミックスオレで』と付け加えて渋々小銭を渡す。

 受け取ったルカリオは、小走りで飲み物を買いに出かけて行った。

 

(あんなに過保護になるよう育てた覚えはないのに……)

 

 不思議だと首を傾げ、ルカリオが買い物を済ませるまでもう一度横たわる。

 

(ん?)

 

 その時だった。

 ルカリオが出て行ってさほど間を置かず、再び扉が開かれる音が聞こえてきた。流石に買い出しを終わらせるには早いタイミングだ。

 不審に思ったコスモスは布団を被り、息を殺す。

 扉を開いたと思しき気配は徐々に近づいてくる。迷わず一直線にこちらを目指すような足取りから察するに、部屋を間違えたという訳でもなさそうだ。

 

(……止まった)

 

 足音が鳴り止んだ場所は、コスモスの潜むベッドの傍。

 続いて聞こえる漁る音。音源の方向からして、漁られているのは紛れもなくコスモスのバッグであった。今となってはふしぎなアメを食い尽くされて寂しくなってしまった中身だが、貴重品が入っている事実は揺るがない。

 

(今時白昼堂々盗みに入るとは……)

 

 ポケモンセンターといったトレーナーの公共施設へ盗みに入る人間は、昔から後を絶たない。お目当ては大抵強いポケモンや珍しいポケモンだ。育成が難しいポケモンや色違いといった個体は裏ルートにて高値で取引されるのを差し引いても、目先の欲に駆られる人間は幾らでも居る。

 

(でも、今回は相手が悪かったですね)

 

 布団の中でほくそ笑むコスモス。

 このような事態に備え、有事の際には手持ちに警戒態勢を取るように教えているのだ。

 

(ルカリオが戻り次第、一斉に攻撃を仕掛けて縛り上げて……)

 

 

 

「ったく、手間掛けさせやがって……」

 

 

 

(───?)

 

 しかし、コスモスの思考は一旦中断される。

 卑しそうな男の声。盗みを働くような子悪党としてはピッタリではあるが、それが()()()()()()()声ともなれば考え方が変わる。

 

───何故ここに?

 

 何巡も脳内を巡る疑問を適当なところで区切る。

 こうしては居られない。すぐにでも盗人の正体を確かめなければならないと、コスモスは勢いよく被さっていた布団を払いのけた。

 

「うぉおう!?」

「……先生、おかえりなさい」

「へっ? あっ……あ、あぁ。ただいま」

 

 そこに居た人物はなんてことはない。町へ繰り出していたレッドであった。

 余程布団から飛び出したコスモスに驚いたのか、柄にもなく冷や汗を流し、ホッと胸を撫で下ろしている。

 

「お早い帰りでしたね。何か忘れ物でも?」

「そっ……うん。いやぁ、ちょっと忘れ物をしちゃって……」

「先生もうっかりなされることはあるんですね。……あぁ、そうだ。少し頼み事をしてもよろしいですか?」

「……頼み事?」

「ジョーイさんにポケモンの回復を任せたままでした。ですので、そろそろ受け取りに行っていただけたらと」

「な、なんだ……そんなことか」

「どうかよろしくお願いします」

 

 丁寧にお辞儀をするコスモスに、レッドは軽く手を上げて了承の意を見せる。

 レッドは踵を返せば、スタコラサッサのラッタッタと小走りで扉へ向かう。

 

「あっ、待ってください」

「っととと……! まだ何か……」

「トレーナーカードがないと受け取れませんよ」

 

 コスモスの指摘に、レッドは『あちゃー』と言わんばかりにノリ良く額を叩いてみせた。

 

「しまったしまった。そう言えばそうだった」

「やれやれ、いつも詰めが甘いですね」

「いやぁ、はははっ……」

「私はジョーイさんにポケモンなんて預けてないのに」

「ははっ……は?」

 

 ピシリ、とレッドの顔が凍り付く。

 しかし、その硬直も一瞬。レッドの皮を被った何者かの手は、真っすぐベルトのボールへと伸ばされる───が。

 

「ッ!? イダダダダダッ!? な、なんだ!?」

「おかえり、ルカリオ」

「バウッ」

「ル、ルカリオ!? いつの間に……!!」

 

 音もなく部屋に帰還していたルカリオが、レッドの偽物の腕をしっかりと拘束し、ボールに触れられないように極めている。

 取り押さえられた男はじたばたと暴れるも、鍛えられたかくとうポケモンに膂力で勝てる人間は居ない。ルカリオが少しばかり関節を捻ってやれば、すぐさま情けない悲鳴声が響き、抵抗が止まった。

 

「静かにしてください。騒ぎになったら困るのは貴方ですよね」

「タ、タンマ!! 勘違いじゃないか?! 俺様は決してやましいことなんて……」

「ゴルバット、()()

「あっ、ちょ、待っ……!!」

 

 有無を言わす間もなく、ゴルバットの翼が繰り出す真空刃がレッドの面を切り裂いた。

 次の瞬間、無気力な少年を装っていた顔の破片がハラハラと舞い散っていく。すれば、中からはくたびれた中年の顔面が現れ出でたではないか。

 

 化けの皮は剥がれた中年は、悔しそうに歯噛みする。

 

「ち……ちくしょう。一体全体どうしてバレた……?」

「いいえ、変装はお見事でした」

「へ?」

「声帯模写も完璧です。けれど、口調まで演技が回っていないのは相も変わらずと言ったところでしょうか」

 

 まるで自分を知っているかのような口振りに、中年は『お前は一体?』と逆に正体を探ろうとしてくる。

 

「ご安心を。私はロケット団です」

「はぁ? おい、ちょっと待て! 俺様はお前のことなんて知らないぞ!」

「……そうですか」

 

 少しばかり目を伏せるコスモス。

 だがしかし、何か思いついたように面を上げたかと思えば、男の顔面から舞い落ちた覆面の残骸を拾い上げる。

 

「そう言えば昔、貴方がサカキ様の変装をして部下にちょっかいをかけていたのを、私のルカリオが見破ってしまったこともありましたね」

「え」

「それからアポロさんへ報告しようとした私を口止めしようとする度にお菓子を取り寄せて頂いたのは、今でも鮮明に思い出せます」

「あ……ああーっ!!? まさか、お前は!!?」

 

 やっと合点が行った男は瞠目し、大声を上げる。

 同時に蘇る忌々しい記憶に、その表情はどんどん青ざめていく。

 

「サカキ様の鳴り物入りだったジャリガキじゃねえか!!?」

「またお会いできて光栄です。ねっ?」

「は、はははっ……」

 

 人呼んで変装の達人。

 彼こそがロケット団幹部が一人───ラムダその人であった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 かつて、ロケット団には四人の幹部が居た。

 

 頭領たるサカキに次ぐ権力を有すナンバー 2、アポロ。

 幹部の紅一点であり狡猾な頭脳の持ち主の女、アテナ。

 実働部隊として各地で下っ端の指揮を執る男、ランス。

 そして、彼らに並ぶ幹部の地位をサカキより与えられていた男こそ、標的へ潜入し、スパイとして諜報活動をしていた変装のプロ、ラムダであった。

 

 その変装の精巧さに騙され、重大な情報を引き抜かれた企業は数知れず。

 こうした働きぶりをサカキに評価され、見事に幹部へと昇格したラムダであるが、当時の彼には密かな趣味があった。

 

 仕事でヘマをする部下を見た時、あるいはグチグチと同じ幹部に嫌味を言われた時。誰にだって存在する鬱屈とした気分の時は、アジト内で忠誠を誓うサカキの姿へと変装していた。

 

 するとどうだ。

 通路をすれ違う度、下っ端は畏れ多いものを見るように頭を下げてくる。

 それがラムダにとって最高の気分転換であった。自分が目上の人間と扱われることを嫌う人間など居るだろうか?

 幹部とは言うものの、結局のところは中間管理職の一つ。上と下の板挟みになる心労は悪の組織であろうと変わりはない。

 

 ある日、完璧主義なきらいのあるアポロに長々と説教を受けた時があった。

 その時も憂さ晴らしにサカキへと変装し、下っ端にちょっかいをかけようとアジト内に繰り出そうとした───その矢先であった。

 

『どうしてサカキ様の変装をしているんですか?』

 

 自分の腰程度の身長しかない子供が、あろうことか変装を見破ってきた。

 彼女がリーグ掌握の為にポケモンバトルを叩き込まれているとある計画の要員の一人であった少女であることを知ったのは、また後日の話だからこの際どうでもいい。

 ここで一つ問題だったのは、その少女が暗に此度の変装を上に言いつけると伝えてきたことだ。

 

 ただの子供ならば捻り上げ、力で口止めすればいい。

 だがしかし、無垢な瞳を湛える少女のポケモンバトルの腕前が並みではなかったことだ。当時、カントー地方ではほとんど知られていなかったルカリオが彼女のボディーガードを務めていたが、手を出そうとした自分の行く手を阻むや、あろうことか繰り出したドガースやマタドガスが一匹残らず蹴散らされてしまった。

 元々バトルの腕前は自慢できたものではなかったとは言え、一回りも二回りも年下の少女に完敗したともなれば、ラムダの自信がへし折れるのには十分であった。

 

 しかし、そこで終わる彼ではない。

 保身の為ならばこびへつらう真似をも厭わないラムダは、暴力に訴えるのではなく、懐柔する方向へと舵を切ることにした。

 あれこれ必死に言い訳を並べ、最後には少女の欲しい物を買い与えることで買収。何とか大事にはならずに済んだ。

 

 ところがどっこいドテッコツ。

 

 その後の継続的な口止めの為、各地から取り寄せた銘菓を買い与える必要が生まれたのは完全に見通しが甘かった。ニビあられ、いかりまんじゅう、フエンせいべい、もりのようかん、ヒウンアイス、ミアレガレット、シャラサブレ、おおきいマラサダ等々、無駄にご当地の土産には詳しくなった。ラムダの財布の中身も寂しくなった。

 それでもサカキを騙っていた事実が露見することに比べれば、安いものであったと言えよう。

 

 

 こうしてロケット団のコスモスという少女は、ラムダにとって逆らってはいけない人間の一人として、深く心に刻まれるのであった───。

 

(そんなあいつが、何故ここに!?)

 

 ロケット団が一度壊滅してからというものの、リーグ掌握に用意されたロケットチルドレン計画も白紙となった。故に彼の記憶から当時の少年少女らの顔や名前はすっぽりと抜け落ちてしまっていたが、彼女に限っては例外であったらしい。

 いや、むしろここまで忘れていた事実を挙げれば、思い出したくはない記憶として自ら封印していたようだ。

 

「さて……まあ、腰を下ろして話しましょうか」

「あ、あぁ」

 

 彼女の同行者だった男の変装を解き、怪しまれない一般人スタイルに変装したラムダは、コスモスの座るベンチの横に腰を下ろす。

 場所はポケモンセンターの裏側。人通りも少なく、何者かに話を聞かれる危険も少ない。万が一、人が近づこうものなら、索敵に意識を割いているルカリオが逐一報告するだろう。

 

「まずはそうですね……当たり障りのない質問から。何故あなたがここに?」

「……別にお前に話す義理はねえよ。俺には俺の用事があるってこった」

「ふむ、そうですか。では質問を変えましょう」

「?」

()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 淡々とした口調。

 しかし、得体の知れぬ圧力をビシバシと浴びるラムダが横を一瞥すれば───深い夜のように冥い瞳がこちらを覗き込んでおり、思わず喉から空気が抜ける音が漏れた。

 

(だからこのガキは苦手なんだ……!)

 

 当時から素性の知れぬ子供であったが、一度組織が潰れた事実が輪をかけて彼女の立場を分からなくさせる。

 傍目から見ても組織───否、サカキに対し絶対的な忠誠心を抱いていることは明らかであった。

 

 だからこそ、今も尚()()()()()()()()()()()()()()()が判別できない。

 

 ロケット団に忠誠を誓っていれば、組織が存続していたと知れば戻ってくるだろう。

 しかしながら、特定の一人に忠誠を誓っているのなら話は別だ。そう言った人間は、組織ではなく個人に付いていく可能性が高い。その個人が居ない組織に価値はないと切り捨て、組織を去っていく……といった具合にだ。

 

(こいつを味方に引き込めりゃあ、楽に仕事をこなせるんだが……)

 

 ラムダは悩む。

 事情を包み隠さず明かし、彼女を()()に引き入れるべきか否か。ポケモンバトルの腕前に確固たる信用がある分、得られるリターンが目の前をちらつく。

 しかし、素性を明かせばそれだけ自分に危険が降りかかる訳だ。彼女が味方につく確証がない以上、ホイホイと口を割る訳にもいかない。

 

「……そいつは答えられないな。せめて、お前が今もロケット団だってことを証明できない限りは───」

「当然」

「……なに?」

「昔も今もロケット団の一員です。サカキ様の忠実なる剣にして盾。それこそが私の存在意義です」

 

 ゾクリ、と。

 一斉に肌が粟立つ感覚に、ラムダの口角は引き攣るように吊り上がった。

 

(そうだ、こいつはそういうやつだった)

 

 かつてのやり取りが脳裏を過る。

 何故自分の変装を見破れたのか? 隣に連れたルカリオに見破らせたのか?

 その疑問に終止符を打つ質問を投げかけた時、彼女は実に不思議そうな顔でこう言った。

 

『私がサカキ様を間違える訳がありません』

 

 自身の身の振る舞いでも、ポケモンの能力でもない。

 ただただ揺るぎのない自信を以て見抜いただけと謳う少女の言葉は、まさしく狂信者の口振りであった。

 

───イケる。

 

 ラムダは確信した。

 この少女は、サカキさえ居ればロケット団に舞い戻ってくると。

 

 それだけ分かれば十分とラムダは笑えば怪しさ満点の不審者スマイルを浮かべ、固く閉ざしていた口を開いた。

 

「ぐっふっふ、それが分かりゃあ充分だ。いいぜ、答えてやるよ。俺様もさ。いつか帰ってくるサカキ様の為に残党を取りまとめる幹部の一人なのは、数年前のラジオ塔事件からも変わらねえ」

「そうですか、安心しました。もしもこれでロケット団でないとおっしゃるのだったら、私の身の上を明かした以上、口封じをしなければならないところでしたね」

「そ、そうか……そりゃあお互い良かったな」

 

 頬を引き攣らせるラムダの声は若干震えていた。どうやら自分の選択は間違っていなかったらしいと、数秒前の自分の英断に心底胸を撫で下ろしている様子だ。

 

「じゃあ、お互い同志ってことだ。お前についても色々聞かせてもらうぜ?」

「聞くも何も、私は任務を全うしようとしているだけです」

「なんだって? 任務?」

「ポケモンリーグの掌握……その為、内部に潜り込めるようチャンピオンになる。それが私がサカキ様直々に言い渡された任務ですので」

「そ、そうか。そいつは勤勉なこって……」

「こちらからは同じ質問になりますが、どうして貴方がここに? 何か探しているようでしたが」

 

 先刻の振る舞いを見る限り、ラムダが何かを探そうとしていたのは明白だ。

 

「流石に金銭はありえないでしょうから。ポケモンですか?」

「……話が早いじゃねえか」

「まさか、本当に?」

「そのまさかさ」

 

 意図せずして目的を言い当てたコスモスに、ラムダは懐から取り出した一枚の写真を見せつける。

 

「こいつだ」

「これは……カブト君?」

「……まさか、そう呼んでんのか?」

 

 やや引いた声色をラムダが紡ぐも、コスモスは一切気にしない。

 意識は写真に写っていたポケモンに───先日砂浜でゲットした問題児であるカブト君(仮称)に向けられていた。

 

「『タイプ:ヌル』。それがこいつの名前さ」

「タイプ:ヌル? 随分と不思議な名前ですね」

「俺じゃなくて開発部に言ってくれ。ヌルは人間の手で作られたキメラポケモン……らしい」

「複数のポケモンを掛け合わせたと?」

「じゃねえのか? 詳しい話は知らねえけどよ」

 

 『そういうことになるな』とラムダは首を縦に振る。

 つまりは人工のポケモン。シルフカンパニーが作ったポリゴンのような人工ポケモンが居るとは言え、このタイプ:ヌルと呼ばれる個体は生物としての名残が窺える。

 

「少し前、戦闘データ収集の為に移送されてたらしいが、どっかの馬鹿がヘマやらかして逃げ出したんだ。で、俺様はその回収を命じられたってワケだ」

「戦闘データ……このポケモンは強いんですか?」

「たぶんな。なんでも元々はウルトラなんちゃらっつー強いポケモンを倒す為に作られたらしいな。強さは折り紙付きだ。その分、気性が荒くて手に負えねえがな」

 

 やれやれと首を振るラムダは『さて』とあからさまに声色を変える。

 

「そういう訳でだ。ヌルを俺様に寄越せ」

「え、嫌ですが」

「ぐっふっふ、話が分かるじゃ……はあっ!!?」

「嫌ですが」

「聞こえてんだよ!!」

 

 思わぬ返答に愕然とするラムダ。

 それもそのはず。一応彼はコスモスにとって上司に当たる人間であったのだ。口止めの件を差し引いても、ちょっと命令すればポンと渡してくれるだろう───そんな心算をしていたからこそ、この拒否は予想外であった。

 

「いいか!? 俺様はこいつの回収を命じられてんだ!! 持って帰らなきゃ怒られんのは俺様なんだよ!!」

「でも、私がゲットしましたし。強いのでしたらリーグ制覇に使いたいです」

「ぐぬぬぬ……よくもまあそんな図々しいことを言いやがる!! こちとらお前の言うロケット団に言われて働いてんだっつーのに……!!」

「ん? そう言えば」

 

 歯噛みするラムダの前で思い出したかのような口振りでコスモスは尋ねる。

 

「貴方がここに居るということは、もしやロケット団もこの地方に?」

「……あぁ、そうだ。一応な」

「随分歯切れが悪いですね。何か問題でも?」

「……そういうズケズケと聞いてくるところも相変わらずだ、このジャリガキ」

 

 憎たらしそうに吐き捨てるラムダは、『それじゃあ教えてやる』と続ける。

 対するコスモスは、夢にまで見たロケット団の動向を知れるとあって、キラキラと瞳を輝かせていた。

 

 アジトは? 幹部は? 何よりもサカキは?

 聞きたいことなど山ほどある。

 が、ラムダが一番に口にしたのはそのどれでもない。

 

「ロケット団は今……二つの勢力で対立してる」

「……なんですって?」

「まずは、ジョウトから渡ってきた俺やアポロ達が率いる残党勢力さ」

「それでは、もう一方は? まさかアテナさんやランスさんで?」

「まさか、そんな訳ぁねえ。もう一つの勢力、それは───」

 

 突如、喉をクツクツと鳴らしながらニヒルな笑みを浮かべるラムダ。

 しかし、心の底から笑っていないと分かる表情に埋め込まれた双眸は、どこか遠くを見遣るばかりであった。

 

 

 

「───他でもねえ。サカキ様率いる、新生ロケット団さ」

 

 

 

「……なんですと?」

 

 旅がもうすぐ終わるかもしれない。

 




Tips:マサラ式ヘッドロック
 いりょく:100
 タイプ:ノーマル
 4~5ターンの間、相手の首根っこを締め付けて拘束する。その間、ポケモンの交代はできなくなる。初代式マサラ式ヘッドロックになった場合、拘束ターン中相手は行動がとれなくなる。


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№024:暴かれる影の正体

 パンッ。

 

 

 

 虚しく鳴り響く破裂音に遅れ、静寂が辺りを包み込む。

 

「……また、割れた」

 

 音の発生源である筒を携えていたレッドは、先端にくっついていた溶けたガラスを悲しそうに見つめていた。

 

「ドウシテ、ガラス、コワレル。オレ、ソンナツモリ、ナイ……」

「ま、まあ最初はそんなものです。根気よくやってみましょう」

「ハイ……」

 

 力を制御できない怪物めいた台詞を紡ぐレッドはがっくりと項垂れた。

 ここはスナオカタウンに佇むガラス細工の工房。普段は土産品向けのガラス細工を制作している場所であるが、毎日観光客や旅行客をターゲットに体験工房と銘打ち、実際に制作できることで人気であった。

 レッドもまた絶賛体験制作中な訳であるが、如何せん空気を吹き込む力が強すぎる結果、無数のガラスが犠牲となっていた。

 

 この惨状を前に、指導を務めている若い職人も苦笑いを禁じ得ない様子だ。

 

「いいですか? ガラスを膨らませるには息を強く吹きすぎても弱く吹きすぎてもいけません。それに吹き込む量は常に一定じゃなきゃ、形が崩れてしまいます」

「はい」

「さっきの場合、最初の一吹きが強過ぎましたね。最初が一番膨らみにくいでしょうが、だからと言って強く吹き込み過ぎれば、膨らんだ途端に弾けてしまいます。今度はそこを意識してみましょうか」

「分かりました」

 

 再び粘性に溶かされたガラスをくっつけられた筒を渡される。

 レッドはいつになく真剣な眼差しでガラスを見遣り、熱された空気が上り詰めてきそうな筒を咥えた。

 

(イメージは完璧。今度こそ───イケる!)

 

 カッと瞳が見開かれるや、レッドの肺から空気が絞り出される。

 言われた通り、強過ぎず弱過ぎず。それでいて常に一定量を意識した完璧な出だしであった。

 

───勝った。

 

 勝利を確信したレッドが、それを祝う杯となるであろうガラスに熱を、空気を、命を注ぎ込んだ。

 

 パァン!!!

 

 その、次の瞬間だった。

 

「……」

「……」

『だいばくはつが決まったぁ~!!』

 

 爆散。

 どこからともなく聞こえてくるポケモンバトルの実況の音声を背に、見るも無残な惨状を目の当たりにしたレッドのみならず、指導をしていた職人ですら言葉を失い、あまつさえ目を覆い隠した。

 

「……ドウシテ」

「あの……購入していかれる方向けの品が向こうにありますが、そちらは見て行かれますか?」

「ハイ……」

 

 顔を手で覆うレッドは、工房の人に声を掛けられながらも、その気まずさにしばし立ち上がれずに居た。

 ここまでの挫折感、いつぶりだろうか?

 何も作れず、何も生み出せず、ただただ無為に散っていった屍を前に、レッドは手汗で酷く冷え切った掌を見つめるばかりであった。

 

「俺は……何一つ生み出せない……!」

「ピィ! ピィ!」

「ピッカァ!」

 

 その傍ら、ピカチュウやコスモッグらは工房のブーバーの作ってくれたビー玉を手に、無邪気に燥いでいた。

 

 

 

───職人さんって、本当に凄い。

 

 

 

 本日、レッドが身に染みて実感した現実であった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 その頃、ポケモンセンターにて。

 

「……サカキ様が、ロケット団に?」

 

 ラムダから告げられた事実は、まさしく青天の霹靂。

 それでいてコスモスにとっては暗雲の中に一筋差し込んできた光明でもあった。

 

「それは確かなんですね?」

「おいおいおい、近ぇ!! 顔を離せ!!」

「……ごほんっ、失礼しました。少々取り乱してしまって」

 

 軽く咳払いし、コスモスは居住まいを整える。

 

(あ。私風邪を引いてるんでした)

 

 刹那、風邪を移してしまったのでは? と思考が過るものの、この興奮を前には些少の問題だと流した。

 

「……いえ、そう言えば対立勢力だったラムダさん達残党組でしたね?」

「残党組って、お前……いや、間違っちゃいねえがよ」

「額面通り受け取れば、ラムダさん達はサカキ様と対立している形になりますが……そこのところはどうなっているんです?」

 

 ジロリ、とハイライトのない瞳がラムダを射抜いてくる。くろいまなざしも顔負けの目力だ。

 

「待て待て、勘違いすんじゃねえ!! 別に俺達はサカキ様に謀反しようとか、そういう話じゃねーんだよ!!」

「でしたら、どういう訳で?」

「……その新しい方のロケット団、下っ端こそサカキ様がボスだと宣っちゃいるが、本当にサカキ様がトップに居座ってるか分からねえんだよ。……はあ」

 

 深々と溜め息を吐くラムダからは、今日までに積み重なった苦労が滲み出ているようであった。

 

「そもそもおかしいだろ?! ジョウトで俺達がコソコソ活動して、果てにゃあラジオ塔まで占拠してサカキ様に呼びかけた!! なのに、当のサカキ様は別の地方で新しい幹部共をひっ連れてるときた!!」

「つまり、元々自分の立場だった幹部の椅子に、見ず知らずの他人が居座っているのが気に入らないと」

「その通り!! ……って、ちちち、違ぇ!! 俺様はけーっして嫉妬なんか……」

 

 今更取り繕ったところで遅いにも程がある。

 だがしかし、ラムダの言い分に多少なりとも理解を示すコスモスは、シンプルに抱いた疑問を投げかけてみることにした。

 

「そのことをサカキ様には伝えなかったんですか? 元幹部とあらば取り次いでもらうことくらい簡単だと思いますが……」

「だと思うだろぉ? それが会えやしねえ。よっぽど他人に顔を見せたくねえのか、やけにガードが堅えんだ」

「ラムダさんでさえ、ですか」

「ああ。向こうは残党勢力を引き込む気では居るらしいが、俺達を幹部に登用するつもりはさらさらねえってのがあけすけだ。それでアポロは保留してるっつー訳だ」

 

 つまりは、新参に対する古参の疑念こそが対立の理由だ。

 アポロ率いる残党勢力に対し、あくまでもサカキが頭領と謳う新生勢力は、古参の団員にサカキの顔を見せることもなく、ただただ軍門に下るよう訴えかけてくるだけ。

 これでは古参が新参勢力を疑うのもやむなしといった具合だ。

 サカキ居るところへ飛んでいく団員は山ほど存在するが、いくらなんでもサカキとロケット団の名前だけを借りた組織に所属するつもりはない。忠誠よりも自己保身が先を行くラムダでさえ、そこは他の団員らと一緒であった。

 

「でだ! 俺様がアポロの野郎に命令されたのは、こっちのロケット団に居るかもしれねえサカキ様が本物か偽物か見極める為に潜入する任務だ」

「ヌルの回収もその一環で?」

「そういう訳だ。任務をこなせばそれだけ評価が上がる。評価が上がりゃあ幹部なりなんなり昇進して、上の人間にお目通りも叶うだろ?」

「道理ですね」

「じゃあ、ヌルを寄こせ」

「それは嫌ですが」

「こいつっ……!!」

 

 あくまでもヌルの所有権は自分にあると主張するコスモスに、ラムダのこめかみには青筋が浮かび上がる。

 

「それよりラムダさん」

「ああ、なんだぁ?」

「サカキ様が居るにしろ居ないにしろ、実際に指揮を執る幹部ぐらいは居るはずですよね? 潜入しているのなら、名前ぐらいは知っているでしょう」

 

 新生ロケット団のサカキが偶像だとしても、組織として成り立っている以上、事実上のトップが居ると見て間違いはないだろう。

 未だ味方か敵かも判断つかない中、少しでも情報を得ておくに越したことはないと問いかけるコスモスの目は真剣そのものだった。

 

「……ああ、調べはついてるぜ。知りたいか?」

「はい」

「だが、一つ条件がある」

「条件?」

「俺達と組め」

「何故です?」

「何故って……当たりめーだろうがよォ! 情報だってタダじゃねえんだ! おいそれと漏らして堪るか!」

 

 喚くラムダに、コスモスはなるほどと頷いた。

 言われてみれば当然だ。組織にとって最も恐ろしい事態は“裏切り”。敵の内部工作を許すことにより組織は混乱し、弱体化してしまう。そこを狙われてしまえば、いくら天下のロケット団とは言えいともたやすく掌握されてしまうに違いないだろう。

 

 そこでコスモスの立ち位置が重要になってくる。彼女は今も尚ロケット団に忠誠を捧げている身ではあるが、あくまで信奉はサカキへと向いている。

 ここで彼女が嘘か真かサカキが居るとする新参勢力に加わったとしよう。その瞬間、ラムダは敵対勢力に情報を売った裏切り者となる。裏社会に生きる人間にとって、裏切った者の居場所などは存在しない。自然界にルールがあるように、闇には闇の流儀がある訳だ。

 たかが名前、されど名前。いずれ耳にする可能性も高い情報とは言え、売った事実が生まれてしまう以上、コスモスが味方───せめて協力関係であることの保証は欲しい。

 

 そう考えるラムダに対し、少女はあっけらかんと答えた。

 

「構いませんよ」

「!! 本当だな!? 裏切ったらタダじゃ済まさねえぞ!!」

「裏切るも何も、私はサカキ様に従うだけですので。ラムダさん達もそうですよね?」

「そ、そりゃあ……そうだが」

「だったら、こちら側のサカキ様が本物だという確証が得られるまではそちらに付きます。私もサカキ様のネームバリューを利用するような連中に手を貸したくはないですし」

 

 少女の基準は単純明快。

 敬愛する首領の下か否か、それだけだ。

 

 比較的手綱を握りやすい方であると理解したラムダは不敵な笑みを零し、『そうか』と蓄えた顎鬚を撫でる。

 

「じゃあ、教えてやるよ。こっちのロケット団幹部は三人───」

 

 屈強な肉体を持つ大男、クリフ。

 冷酷で妖艶な悪の美女、シエラ。

 嫉妬に燃ゆ狡猾な策士、アルロ。

 

 通称、『三幹部』の彼らこそが現在のロケット団の中核。

 そのいずれもが凶悪で強大なポケモンを従える実力者であると、団員から畏敬の念を集めているとラムダは語った。

 

「はっきり言うが、奴らの腕は化け物だ!! それこそジムリーダー……いや、四天王に勝るとも劣らねえ」

「……随分と腕のいい人材が居たものですね」

「……あん? どうした?」

「いえ、別に」

 

 含みのある言い方が気になったラムダであるが、プイとそっぽを向いたコスモスにそれ以上の追求はできなくなった。

 

「まあいいぜ。けどな、そいつにもしっかりタネがあるんだなコレが」

「タネ?」

「そうだ!! ポケモンって枠を超える、まさしくロケット団に相応しい道具……!!」

 

 

 

 その名も───『シャドウポケモン』。

 

 

 

「詳しい方法は知らねえが、シャドウポケモンにされたポケモンは本来よりも強大な力を発揮する!! 下っ端連中が使うような弱いポケモンも、シャドウポケモンにさえしちまえばあっという間に即戦力だ!!」

「……興味深い話ですね」

「今はまだ試験段階だが、量産体制さえ整っちまえばロケット団は圧倒的な戦力を手に入れることができるってワケだ!!」

 

 面白い話だろ!? と、ラムダは興奮を隠せない様子だった。

 確かに、衰退の一途を辿っていたロケット団にとって、戦力増強は目下の課題だ。簡単にポケモンを強化できるとあれば、まさしく夢のような話と言って過言ではない。

 

 ここでコスモスは勘付く。

 以前、キョウダンタウンで相まみえたチンピラ達。彼らが繰り出してきたポケモンは、どうにも普通の様子に見えなかった。

 

 まさか……、と顎に手を当てるコスモスは、荒く鼻息を鳴らすラムダの方を向いた。

 

「ちなみにシャドウポケモンとは、目が赤くなったりしますか?」

「お? そうだが……なんで知ってんだ?」

「前に一度、それらしきポケモンを使うチンピラとバトルしました」

「なんだとッ!?」

「返り討ちにしてお縄についていただきました」

「なんだとッ!!?」

 

 いよいよロケット団に敵対していると取られかねない所業をしでかしている少女に、ラムダは信じられないものを見るような眼差しを送ってくる。だって仕方ないじゃないか、売られた喧嘩だもの。

 

「となれば、()()()()はシャドウポケモンだったという訳ですか」

「……おい。ちなみにそのシャドウポケモンはどうなった?」

「さあ。普通に考えれば、犯罪者が逮捕された場合と同じ流れだと思いますが」

「余計なことをしてくれやがって!! どうすんだ!? どっかの研究所に流されて解析でもされたりしたら!!」

「でしたら、私が引き取っておきます」

「適当こきやがって!!」

 

 さっきから荒ぶるラムダ。血圧が上がらないか不安だとコスモスはミックスオレを煽る。血糖値はみるみるブチ上がりだ。

 

フシギソウ(くさ)リザード(ほのお)、それにカメール(みず)……手持ちには居ないタイプのポケモンですし、ちょうどいいかも)

 

 口に出した『あの三体』とは、チンピラから押収された目が赤く染まっていた三体だ。

 ラムダの言葉を信じるならば、その三体はロケット団が作ったシャドウポケモン。すなわち戦闘用に能力を強化された個体と言えよう。

 

 ……話は変わるが、ポケモントレーナーも数多しと言え、手持ちに加えるポケモンにこだわりがない者は珍しいだろう。

 かっこいいポケモンやかわいいポケモン。あるいは風土や職業柄という理由で選ぶ者も少なくない。

 

 ここでコスモスの選出基準を紹介するとしよう。

 現在ルカリオ、ゴルバット、ニンフィアときて、コスモッグ、タイプ:ヌルとゲットしてきた彼女だが、その根底にある価値観とはつまり───。

 

(即戦力……強いポケモンは大歓迎……!)

 

 彼女は合理主義。言い換えれば、横着な性格だ。

 好きなポケモンと聞かれれば、真っ先に『強いポケモン』と答える彼女にとって、それほどまでに強さとは絶対的な指標の一つとして君臨している。

 コスモッグが例外だったとは言え、彼女は基本的に有用と思ったポケモンしかゲットしない。捕まえた時点でズバットだったゴルバットも、確かな将来性を見出した上での捕獲だ。

 それを踏まえた上で、リーグ制覇を目指す時間の内、育成にかかる分をそのまま戦略を練る時間に回せることは、それだけで大きな価値を有していた。

 

 叶うならば、ブリーダーから強いポケモンを買うなり借りるなりして手持ちを構成したいと考えていたが、生憎とそこまでの伝手はない。

 だからこそ地道に育成を進めつつも、ニンフィアのようにある程度育ったポケモンを引き取り、戦力の増強を図っていた。

 しかし、ここに来て強さを保障されているポケモンを入手できる可能性があるのなら、是が非でも手に入れたくなってしまうのがコスモスという少女の性だ。

 

(手続きは後で進めるとして……)

 

 今から思索に耽るコスモスであるが、大事なことを思い出す。

 

「私はラムダさん達と協力する側になった訳ですが、具体的に何を協力すればいいんです?」

「あ? そりゃあ……あれだ。ガキはガキンチョらしく強いポケモンでも捕まえておけ」

「戦力の増強と。なるほど」

 

 と、コスモスは納得しているが、正直な話ラムダにとって彼女は手に余る存在に他ならない。ただでさえ自分の仕事で手一杯だというのに、子供の手綱を握れ等という面倒事に首を突っ込みたくはなかったからである。精々、ゲットしたポケモンのおこぼれに与る形で利用するのが無難と言ったところであろう。

 

「そういう訳だ。それにお前にゃあサカキ様直々の命令がまだ残ってるしな。ぐっふっふ、できるもんならリーグチャンピオンにでもなってみるんだな」

 

 揶揄うようにラムダは言い放った。

 と言うのも、チャンピオンとはその地方を巡った何百、何千というポケモントレーナーの頂点に座す最強にのみ許された称号。その玉座を争う猛者達のポケモンはいずれも化け物染みた強さを誇り、当のトレーナー自身でさえ常軌を逸した所業をこなしてみせる。

 

 いわば、()()()()()()のだ。

 

 常識を打ち破る戦法を昇華させ新しい技を生み出す者。

 幾星霜もの年月の果てに本来覚えぬ技を会得させる者。

 尽きぬ探求心より古代のポケモンを再生し手懐ける者。

 絶えない愛と試行錯誤の末に至った進化形を従える者。

 純粋にポケモンを愛する大きな気持ちを力に換える者。

 万人を魅了する美しい絆により更なる進化を遂げる者。

 

 努力するに才能が要ると言わんばかりに、それぞれ地方に名を遺した者は須らく伝説を刻んでいる。

 歴史に名を遺すということは、それだけの才能と努力を求められる訳だ。例えどれだけ才覚がある子供が居るとしても、玉座を争うのは同格の才覚を発揮する同年代や、さらには大人も当然のように存在する。

 

 確かにコスモスは強い。この歳にしては素直に感服する実力と、それに裏打ちされた知識を備えている。

 だがしかし、リーグに集うトレーナーはきっとコスモスでさえ霞む実力者ばかりが集うことだろう。

 

(ガキはガキらしく夢を見てりゃあいいさ。それでおめおめ負けて帰ってきたら、下っ端としてこき使ってやる!)

 

 何とも狡い考えであるが、単純に確率で考えたとしてラムダの考えは間違ってはいない。それがまた何とも小賢しいと言われて然るべき点であるが、同僚や部下がわざわざ伝えるような真似はしない。触らぬビリリダマになんとやらだ。

 

 だがしかし、

 

「当然です」

「あん?」

「私はラムダさんとは違います。この任務は必ずこなしてみせます」

「……おい、喧嘩売ってんのか」

 

 挑発めいたコスモスの言い草に、ラムダがドスの利いた声を漏らした。

 いくらバトルの腕で劣る点が事実だとは言え、こうも面と向かって侮辱されようものならば、例え彼でなくとも気を悪くするだろう。

 一瞬空気が張り詰める。

 それも束の間、コスモスはピクリとも表情を動かさないまま、言葉を返してきた。

 

「いえ、そんなつもりはありません。だってラムダさんは変装と潜入が任務でしょう」

「あ? ……それがどうした」

「私の任務───組織から求められている技能は、ポケモンバトルの強さ。私と貴方とでは、そもそも求められている技能のベクトルが違います」

 

 コスモスは淡々と語る。

 その理屈に次第に怒りが収まっていくラムダは、握っていた拳を徐々に解いた。どうやら怒りに訴えるには時期尚早だったらしい、と。

 

「私の唯一秀でた才と言えばポケモンバトルくらい。ラムダさんのように変装もできなければ、他の幹部の方々のように人を扱うこともできません。だから私は、せめてこれだけでも……サカキ様に目をつけていただいた力で結果を出したいんです」

「……、……そうか。そいつは……殊勝なこった」

「ありがとうございます」

 

 頭を下げるコスモスに、ラムダは得も言われぬ顔で明後日の方を向いた。

 もう、彼女を揶揄う気は起きなかった。大したリアクションもしなければ、面白い返事も返ってこない。ずっと昔に言い渡された任務を未だに遂行しようとする馬鹿正直な奴など、そもそも自分とは相性最悪だ。

 

(けど、まあ……おもしれーガキではあるな)

 

 想像以上に見どころはある。愚図な下っ端よりは遥かにずっと。

 

「はぁ……大分話し込んじまったな。そろそろお開きにしようぜ。こんなところじゃ、誰に聞かれるか分かったもんじゃねえ」

「それもそうですね」

「俺様はとっととドロンするぜ。そ・れ・と……ヌルはお前に預けたままにしといてやるが油断すんな。向こうは血眼で探してるんだからなぁ?」

 

 いいな? と念を押したラムダは席を立つ。

 

「分かっています。私のポケモンを奪われようものなら、力尽くで取り返します」

 

 盗人猛々しいにも程があるが、妙な力強さを感じさせる宣言だった。

 ついにラムダが振り返ることはなかったが、理解は求めても納得までは求めていないコスモスは自己完結に至る。

 

 聞こえなかったのなら、これは自分に対する宣誓だ。

 

「貴方は私が使いこなします……タイプ:ヌル」

 

 取り出したボール。

 その中に収まった獣が睨みつけてくるような視線を、コスモスはひしひしと感じ取るのだった。

 剥き出しの闘争心───決して懐柔せまいとする敵愾心とでも言おうか。今までの手持ちとは明らかに違うスタートラインを垣間見るコスモスは、中々に骨が折れそうだと思索に耽ろうとした。

 

 が、

 

 

 

「……もっかい寝よう」

 

 

 

 すでに瞼が重くて仕方ない。

 『おんぶ……』と口にすれば、すぐさまルカリオが駆けつけ背負ってくれる。

 こうして少女は再びベッドの中へと寝かしつけられるのだが、傍から見ればどちらが面倒を看ているか分からぬ光景だったとな(通りすがりのジョーイ・談)。

 

 

 

 ***

 

 

 

 それからまた時間が経った。

 既に日は傾き、空も鮮やかな朱色に染まっている。

 

「……ただいま」

 

 静かに扉が開かれれば、まるで泥棒のようにこそこそとレッドが部屋に入ってきた。片手に抱えた買い物袋には、風邪を引いた少女に向けた品が数多く揃っている。

 一方、この時間まで連れ回していたコスモッグは疲れのせいか眠っており、買い物袋を持つ方とは逆の腕に抱えられながら夢の世界を見ているようだ。満足そうな笑みを湛えながらの寝顔を見れば、今日一日を楽しく過ごせたと見て取れる。

 

 しかし、あくまで預かったポケモンだ。

 名残惜しいが本来のトレーナーに戻さなければ───という訳で。

 

「コスモス、起きてる?」

「すぅ……すぅ……」

「……」

 

 呼びかけても反応は返ってこないが、代わりに穏やかな寝息が聞こえてくる。

 忍び足で近寄れば、ベッドの中でスヤスヤ眠っているコスモスの姿を窺えた。起こすのも気が引ける熟睡ぶりだ。

 

「……今日は寝かしてあげよう」

「ピカ」

 

 後ろを付いてくるピカチュウにも音を立てぬよう注意しつつも、レッドは腕に抱えたポケモンを、少女のベッドへそっと下ろした。

 

「んっ……」

「ピィ……ピィ……」

「……わたあめ……すぅ……」

 

 すれば、肌に触れる感触から綿菓子とでも勘違いしたのか、コスモスは寝言を呟きながらコスモッグに頬を寄せ、夢の世界で存分に柔らかな感触を楽しむ。

 

 何とも愛くるしい光景だと微笑むレッドとピカチュウは、これまた細心の注意を払いながらコスモスの部屋から退散する。

 

「あとはお願いね、ルカリオ」

「ワフッ」

 

 扉を潜った先に陣取るルカリオに少女を任せ、お邪魔虫はさっさと退散だ。

 何故ならば彼女の傍に居るのはコスモッグだけではない。身を寄せて眠るニンフィアや、ゴルバットに見守られながら心配など欠片もないような寝顔を浮かべる少女には、師と名乗らせてもらっている自分さえ不要だと思えたからだ。

 

「おやすみ、コスモス……」

 

 急ぐばかりが旅ではない。

 休める時はしっかり休む。それが頑張るコツなのだ。

 

 心の中で説いてみせるレッドは、そうして弟子の快眠を願いつつ、自分らも寝床に就こうとするのだった。

 

 

 

「うぅん……このわたあめ、甘くない……」

「ピィ……」

 

 

 

 翌朝、案外食い意地のある主によってコスモッグが涎塗れになっていたのはまた別の話……。

 




Tips:スナオカタウン
 オキノタウンに東に位置する町。ガラス工芸が盛んな町であり、立ち並ぶ建物にはステンドグラス、土産品にポケモンのガラス人形と様々なガラス製品が目に付く。ホウエンほどではないがビードロも作られており、もしかするとポケモンバトルに役立つ道具を買えるかもしれない。また、ほしのすなの産出地としても有名。
 建物の多くは赤茶色のレンガ造りのものが多く、往来を行けばガラス工芸に携わっている多くのほのおポケモンを目にすることができる。
 ポケモンジムとして、ほのおタイプをエキスパートとしているスナオカジムが建つ。


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№025:連絡は時間のゆとりをもって

前回のあらすじ

コスモス「このポケモンはタイプ:ヌルというらしいです」

レッド「……タイプ:ワイルドじゃなくて?」

コスモス「いつのまにかそんな名前にはなってません」


「先生、ご迷惑をお掛けしました」

 

 燦々と降り注ぐ日光の下、すっかり快復したコスモスがレッドに一礼する。

 

「ぜんぜん。気にしてない」

「元々体力に富んだ方ではないと自覚しておりましたが、こうなってしまった以上、日課に体力作りを組み込む必要性が出てきました。……先生は普段何かされておられますか?」

「え? 普段……ピカチュウの電撃なら毎日浴びてるけど」

「なるほど。電撃による筋肉への刺激と……」

「やめた方がいいと思う」

「まだ私には早いと? ……先生がそうおっしゃるのであれば」

 

 確かに早い。今の人類には。

 

 せっかくの指導を実践できないと落ち込むコスモスだが、実践した日には風邪の比ではない日数をベッドの上で過ごす羽目になるだろう。ポケモンの技を喰らえば、常人では無事で済まない。もう一度言おう、常人では無事では済まない。

 

 体力作りの話題も程々に、早速コスモスは次なる目標へ向けての指針を明らかにする。

 彼女の旅の目的からも明白だが、

 

「打倒・スナオカジムリーダー……です」

「予約に行ったけど、ジムの外観すごく綺麗だった」

「その節はお世話になりました」

 

 小学生並みの感想を述べるレッドへ、コスモスは改めて頭を下げる。

 と言うのも、彼女が風邪で休養する際に予約を取るようレッドへと頼んでいたのだ。

 

 現在、ホウジョウ地方とセトー地方、両地方に設立されているジムは連日のように挑戦者で溢れかえっていた。これもひとえにリーグ設立初めての年だからに尽きる。

 

 早めに予約を取らなければ、挑戦できる順番も後ろへ後ろへと回されてしまう。その為、コスモスは風邪が治る見込みも立っていない内に予約を取ろうとしていた。

 結果、コスモスがジムに挑戦できるのは二日後。病み上がりである事実を踏まえれば、少々物足りない時間にも思える。

 

「ですが、負けるつもりは毛頭ありません。挑むからには一発目での攻略を果たす。それが合理性というものですから」

「お~」

 

 弟子の目一杯張られた胸と同じくらい起伏に乏しい声音と共に、レッドはささやかな拍手を送る。

 

「でも、今の手持ち的に有利なポケモンは居ないんじゃ……?」

「問題ありません。居ないなりに策は考えます。そこで先生にはまた助力願いたいのですが……」

「うん。俺でいいなら付き合うよ」

「ありがとうございます」

 

 レッドの手持ちにはリザードンが居る。

 ヒトカゲの最終進化形で、彼にとっては旅の始まりであるマサラタウンからの長い付き合いだ。実力は折り紙付きであり、並みのみずタイプやいわタイプならば返り討ちにするほど。ほのおジム対策特訓の相手としてはこれ以上ない相手と言えよう。

 

「という訳だから、リザードン……キミに決め───」

「グォオオオオオオ!!!」

「たてとぷすっ!」

 

 参上。無情。大炎上。

 繰り出された傍から主人であるレッドに“かえんほうしゃ”を浴びせた橙色の火竜は、雄々しい咆哮を空に轟かせながらの登場を果たした。

 その迫力満点な登場に、流石のコスモスもドン引きだ。

 

「せ、先生……」

「大丈夫。慣れてる」

「それなら良かったです」

 

───良くはない。

 

 だが、いよいよ毒されてきているコスモスは麻痺した己の感覚に気づかぬまま、黒焦げ&アフロになった師匠の姿にホッと胸を撫で下ろす。

 

「しかし先生のリザードンはいつ見ても凄まじい迫力ですね」

「それほどでも」

「今回の特訓相手を務めてくれる訳ですが、何か注意点は?」

「リザードンはね、気分が高ぶった時……つい()っちゃうんだ」

 

 ちょっとした放火魔である。

 トキワの森が無事だったのはまだヒトカゲだったからに違いない。

 

「ちなみに炎を吐くのは先生だけにですか?」

「うん」

「それなら問題ないですね」

「問題……うん、ないね」

 

 師匠への信頼が厚い弟子の図である。

 少なくとも自身が特訓中火達磨になる事態はないと確信を得たコスモスは、早速今回のジム戦に挑む手持ちを呼び出す。

 

「ルカリオ。ゴルバット。ニンフィア」

「バウッ」

「ゴルバッ!」

「フィア!」

 

 出てきた三匹は元気一杯だ。

 だが、まだ場に出てきていないポケモンが居る。

 

「……ヌル」

「ヴルルルルァーッ!!!」

「フォーメーション!」

 

 出てくるや敵意を露わにしてコスモス───正確には彼女のバッグの中に収まっているコスモッグへと飛び掛かろうとするタイプ:ヌルに、あらかじめ場に出ていた三匹が拘束に入った。

 ゴルバットが“いやなおと”を奏でて動きを鈍らせ、ニンフィアが巻き付けた触角より“いやしのはどう”を流し込んで気分を宥め、ルカリオが真正面からタイプ:ヌルを組み伏せる。これでようやくタイプ:ヌルの暴走は落ち着く。少なくとも本能のままにコスモッグを襲おうとする真似は止められるのだ。

 

「……毎度冷や冷やさせてくれますね」

「ヴルルッ……」

「貴方も私の手持ちなんです。しっかりと言う事を聞いてくれないと困ります」

「ヴァアー!」

「……はぁ」

 

 溜め息を禁じ得ないコスモスは、先が思いやられると頭を抱える。

 気性が荒いとはラムダから聞いていた。しかし、仮にもジムバッジを二つ獲得した自分の言う事を聞かないとなると、相応にレベルが高いと思われる。

 

「大丈夫?」

「問題ありません。これも想定の内ですので」

「……そっか」

 

 口ではああ言ったものの、レッドの心配も尤もだと心の中で頷くコスモス。

 ポケモンが言う事を聞かないなど、トレーナーとしては死活問題だ。言う事を聞くまで育てるのもトレーナーの努めと言われればそれまでであるが、如何せんジム戦までの時間が足りない。

 普段であれば今後の活躍に期待と割り切るコスモスであるが、自身の手持ちの大半がほのおタイプに有効打と持たないと話は変わってくる。

 

 ルカリオははがねタイプ。単純にほのお技に弱い。

 ニンフィアの主力技であるフェアリー技の威力は、ほのおポケモンには半減だ。

 ゴルバットもこれと言った有効打はない。

 コスモッグは論外だ。現時点では賑やかし&有事の脱出要員である。

 

 つまり、手持ちを3匹、もしくは4匹以上選出する必要が出てくるならば、タイプ:ヌルの選出もあり得る。

 だが、指示通り動かないポケモンで勝てるほど甘くはない。

 地力に相当の差があれば、ポケモンの独断で勝てるかもしれないが、ジムリーダーともなればそうはいかない。練られた戦術や正確な指示も、すべてはトレーナーとポケモンとの信頼関係があってこそ。

 

(まあ、可能な限り選出しない方針のまま全体的に育成するけれど)

 

 それでも万が一に備えて損はないだろう。

いくらか育成を進めれば、多少なりとも言う事を聞くようになっているかもしれないと希望的観測を抱きながら、特訓は始まる。

 

 メジャーなほのおタイプの技の見取り稽古に始まり、技の解説、回避方法の解説、最終的には実戦形式を行うのがコスモス流のトレーニングだ。

 

「“かえんほうしゃ”は大抵口から放たれます。ですので、攻撃を躱すのであれば相手の顔の向きに注目すること。さすれば、回避すべき方向も自ずと見えてきます。しかし、当然顔の角度が変われば射角も変化する以上……」

 

 チラッ、と自分のポケモンを一瞥する。

 ルカリオやゴルバットは当然ながら、比較的新参のニンフィアもしっかりと講義を聞いている様子だ。

 唯一見向きもしないのはタイプ:ヌルのみ。

 兜で隠れる視線は明後日の方を向いている……ように見える。

 思わず舌打ちを鳴らしたくなるも、寸でのところで我慢するコスモスは淡々と講義を続ける。

 

 それが終われば実践だ。

 実際に“かえんほうしゃ”を放ってもらい、回避の感覚を掴む。初見の技を避けることは難しいだろうが、何度か見なれば技ならば自然と体が覚えるものだ。

 感知に長けたルカリオは当然ながら、最初こそ四苦八苦していたゴルバットやニンフィアも次第に避け方が分かってくる。炎に怯えていたのが嘘のように、軽やかな身のこなしで回避を繰り返す。

 

(ヌルは……)

 

 コスモスは改めてタイプ:ヌルの様子を窺う。

 全くと言って良いほど特訓に参加していないが、一体全体何をしているのだろうか?

 

「ん?」

 

 何やら黄色い物体がタイプ:ヌルの傍に近寄り、もぞもぞと動いている。

 赤いほっぺに黄色いシャツ、極めつけのギザギザ模様。その愛くるしい姿は、紛れもなく皆のベストフレンドである彼のポケモン。

 

「ピカチュ?」

 

 そう、ピカチュウだ。

 昼寝を決め込んでいるタイプ:ヌルに対し、語り掛けるように鳴き声を上げている。最初の内はシカトをされていたものの、それで折れるような性格ではない。

 しばらくの間声を上げ、それでも無視されたのならばと体を軽く叩いてみせる。ポンポンと毛ほどの痛みも感じなさそうなボディタッチだ。

 

 それでもタイプ:ヌルは、フンと一度鼻を鳴らすだけでピカチュウに取り合う様子を見せることはない。

 

 しかしながら、これで諦めるピカチュウさんではない。

 手持ちの輪に入らない彼を慮っているのか、根気強く喋りかけていた。相手は自分より一回り以上大きな体躯を誇っている。

 普通ならば『大した度胸だ』と感心と不安が半々だろうが、レッドのピカチュウに限っては要らぬ心配だと切り捨てられよう。

 

 そう思った矢先だ。

 

 ゴンッ!

 

 鈍い音だ。

 何事かと振り返れば、尻餅をついているピカチュウと、それを見下ろしているタイプ:ヌルの姿が見えた。

 

 つぶらな瞳をまんまると見開くピカチュウ。

 額を両手で押さえているところを見るに、堪忍袋の緒が切らした相手から頭突きを貰ったのだろう。

 

 すると、なんということでしょう。あのキュートなご尊顔が、途端に目を細め、眉間に皺を寄せたしわしわフェイスへと変わるではありませんか。

 

───あ。

 

 刹那、ポケモン達の空気が絶対零度の如く固まった。

 レッドとコスモス、二人の手持ちを併せたヒエラルキーの中でピカチュウは最上位に位置する。誰一人としてピカチュウを無視する真似など許されることはなく、それはレッドの手持ちの最古参であるリザードンも例外ではない。

 

 万が一にも無視すれば、制裁(やつあたり)という名の10まんボルトが閃くと知っているのならば───。

 

「ヂュウウウ!」

「ヴァアアア!?」

 

 バリバリと電光が爆ぜる音に交じり、タイプ:ヌルの悲鳴が響く。

 知っている者が見れば、大分威力を抑えたじゃれ合い用の電撃と分かるが、そのような実情を新参者が知っているはずもない。ましてや、自ら他者を排斥するような性格の個体なら尚更だ。

 

「ヴルルルルッ!!」

 

 そして、当然のように怒り狂うタイプ:ヌルがピカチュウに向けて唸り声を上げる。

 しかし、当の電気鼠はふさふさの毛に覆われたおしりをぺんぺんと叩き、これでもかと相手を挑発した。

 

「ちょ、ピカチュウ……」

「ヌル、戻れ!」

 

「ガアアアアッ!!」

 

 怒りは既に頂点に達している。こうなってしまえば、最早トレーナーの指示を聞くはずもなく、ピカチュウとタイプ:ヌルによる喧嘩が勃発してしまう───が。

 

(力の差は歴然ですね)

 

 開始早々、ピカチュウにあしらわれる手持ちの姿に隔絶した地力の差を悟るコスモス。

 力任せに爪を振るうタイプ:ヌルに対し、ピカチュウは“アイアンテール”で受け流し、時には“でんきショック”を浴びせて相手の動きを鈍らせる。いかなる暴力も卓越した技術には通用しないという訳だ。

 さらにでんき技では威力の低い“でんきショック”も、立て続けに食らえば麻痺は必至だ。敢え無く麻痺に陥ったタイプ:ヌルは、自身を縛る拘束具の重量も相まって、その場から動けなくなってダウンする。

 

「ヴッ……!」

「……格上の相手に挑むガッツは認める。けれど、無策で勝てるような相手ではなかったですね」

「ヴルル……!」

「はいはい。今からまひなおしを使うから」

 

 『じっとしていて』。

 そう言おうとした瞬間だった。

 

「ヴルァ!」

「つッ……!?」

 

 乾いた音が木霊し、放物線を描いてまひなおしが地面に落ちた。

 じんじんと痛む手を抑えるコスモスは、今まさに自身を引っぱたいた尾ヒレを見つめる。

 

「……やってくれますね」

「バウッ! バウバウッ!」

「ルカリオ、いい」

 

 主人に危害を加えられ黙っていられないルカリオを制し、今度は違う道具をバッグから取り出す。

 

「これならどうです」

「!」

 

 コスモスが取り出したのは二股の茎の先に赤い果実が実ったきのみだった。

 

「クラボのみ。これでも麻痺は治りますよ」

「……」

 

 まひなおしのような人の手で生産された道具ではなく、自然由来の効能を有したきのみを見せつけた。

 これにはタイプ:ヌルも興味があるらしい。どうにも彼は人工物を忌避するきらいがあるようだった。事情にはさておき、文明の叡智と言える道具に囲まれる現代のトレーナーにとっては、中々厄介な手合いだ。

 

 そこで出てきた自然の恵み、きのみである。

 道具を忌避するのならば、代替品となるきのみを用いるだけ。

 

(さあ、どうです)

 

 目と目を合わせ、じっと待つ。

 長い呼吸を繰り返される。

 

 どうやら、これ以上の進展を期待するのは無駄なようだった。

 さっきの今で手渡しは逆効果だと、コスモスはタイプ:ヌルの近くへそっと放り投げる。人間を睨みつける不審に染まった眼光が衰えないのを確かめ、静かに踵を返した。

 

(人の目がある中じゃ食べたくない、と。そういうことですか)

 

 人間から施しを受けたくないのか、はたまた別の理由か。

 ともかく、地面に転がしたクラボのみはそのままに、コスモスは特訓へと戻ろうとする───と、その時だった。

 

 ドッ!

 

 ザンッ!

 

 バリバリバリッ!

 

「ヴァアアアッ!!?」

「……なにやってるんです?」

「ヴッ……ウウッ……!」

 

 振り返れば、再び麻痺に陥ったらしきタイプ:ヌルが地に這い蹲っていた。

 地面と一体化している彼の目の前には得意げに腕を組んでふんぞり返っているピカチュウが居る。きのみを食べて麻痺が治るや挑みかかって返り討ちにあったと見るのが。

 

「はぁ……ほら、今度こそまひなおしを」

「ヴルルルルッ!!」

「……やっぱりこっちがいいですか」

 

 やむなしと二個目のクラボのみを取り出し、手で渡そうとする。

 今度こそはと思ったが、やはりタイプ:ヌルは受け取らない。

 早々に結論づけたコスモスは、先ほど同様にきのみを目の前に転がし、その場から立ち去る。

 

「ん?」

 

 デジャブだ、と立ち止まったが時既に遅し。

 

「ヂュウウウ!」

「ヴァアアア!」

 

 リベンジならず。

 電撃で所々が黒焦げになったタイプ:ヌルが、案の定麻痺して倒れている。

 

「……きのみだってタダじゃないんですよ」

「ヴァア!」

「あだッ!」

 

 呆れた顔でクラボのみを取り出せば、あろうことか手に齧りつかれる形できのみを奪われた。

 ジンジンと痛む手を押さえながら復活するタイプ:ヌルを見遣れば、同じ光景の再放送だ。パワーはあるもスピードに劣るタイプ:ヌルがピカチュウに翻弄され、最後には電撃を喰らう。

 

「フーッ! フーッ!」

「……もうクラボのみはありませんよ」

「ヴゥーッ!」

「唸ってもダメです。先生のピカチュウに一矢報いたいなら、せめてトレーナーの私の指示を聞く事ですね」

 

 『それに体力も限界でしょう』と、依然闘志は尽きていないタイプ:ヌルを強引にボールへ戻す。

 ここまでの闘争心には目を見張るものがあるが、戦い方は粗削りという評価が関の山だ。野生的な本能に任せた力押しの戦法。数多の強者が使役するポケモンと鎬を削ったピカチュウ相手には、その立派な爪や牙も鈍ら同然である。

 

(でも、怒りに我を忘れて手から受け取ると……覚えておきますか)

 

 少々手持ちの性格を把握できたところで、噛みつかれた手に目線を向ける。やはり腫れている。ベイビィポケモンの甘噛みならばともかく、あれだけ大きなポケモンに噛まれたとなれば当然の結果か。

 

「まあ、後で薬を塗っとけば大丈夫でしょう」

 

 と呟いていれば、

 

「……手、大丈夫?」

「はい。見た目はこんなですが、問題ありません」

「そっか。でも、化膿したら大変だから……はい」

「? これは……」

 

 レッドに小瓶を渡された。

 一見すれば薬にも見えなくないものの、明らかにお手製と言わんばかりの外観だ。だからこそ怪訝に思ったコスモスは問い返したのだったが、

 

「きずぐすり」

「きずぐすり? ……フレンドリィショップで売ってるものには見えませんけれど」

「作った」

「先生が……これをですか?」

「人にも使える……はず」

「……ありがとうございます」

 

 本当に手作りだった事実に、コスモスは内心驚いた。

 確かに専門書を開けば製法くらいは載っているだろうが、こんな町中で、しかも徒歩五分以内にフレンドリィショップがあるような場所で、手作りを渡されるとは思いもしなかった。

 

 だが、師匠の厚意を受け取らない訳にはいかない。

 小瓶を開けたコスモスは、ハンドクリームの要領で手作りきずぐすりを腫れた手に塗り込んでいく。

 

「ところで先生。きずぐすりの作り方なんて誰に教わったんです?」

「……親切な山男さんに」

「親切な山男さん? 実在するんですか?」

「幻のポケモンか何かだと思ってる?」

 

 ヌリヌリヌリ。

 

「その人には何か別に教えてもらったりは?」

「……原料? とか……。それと山での暮らし方とか」

「そう言えば先生は長い間山籠もりされてたんでしたね」

「あの山男さんが居なきゃ、俺はきっと野垂死んでいたよ……」

 

 ヌリヌリヌリ。

 

「食べてもいい山菜とかきのみとか教えてもらったし……。その人は化石ポケモンを持ってて、バトルも凄く強くて……話は戻るけど、そういうポケモンは今の時代のごはんとか薬が合わなかったりするんだって」

「なるほど……。それは勉強になります」

「ポケモンに合わせたごはんや道具を作ってあげるのも愛情……その山男さんは言ってたなぁ」

 

 ヌリッ……。

 

 このように、その時の言葉はレッドの心に染み渡っていた。

 ポケモンへの愛情の形は人それぞれであるが、あれもまた確かな一つの愛情だ───その時の確信を思い返すレッドは、シロガネ山で出会った山男に思いを馳せていた。

 

「また会いたいなぁ……あの石が好きでバトルの強い山男さん」

「名前とかは聞いてないんですか?」

「たしか……ダ……ダイ……」

「ダイノーズみたいな名前ですか?」

「ごめん。今の名前に記憶全部塗り替えられちゃった」

「すみません」

 

 名前を忘れ去られるとは、親切な山男、大誤算である。

 

───ありがとう、知らない山男さん。

 

 しかし、彼らの感謝の気持ちは海を渡り……多分、西の地方辺りに届いていることだろう。

 

 

 

 スナオカジム挑戦まで、あと二日。

 

 

 

 ***

 

 

 

───それは突然のメッセージだった。

 

 

 

 キョウダンジムにて。

 

「会議の招集? 定例のじゃなくて緊急……ってマジ!? 挑戦者の予約入っちゃってるし! どどど、どうしようドラミドロ!」

「ドラ?」

 

 

 

 ***

 

 

 

 オキノジムにて。

 

「やっぱり……()()()についてか」

「どうしたの、パパ? 仕事の連絡?」

「いや、なんでもないぞリーキ! 今日はせっかく休みだし、パパとのデート楽しもうな♪」

「ちょっと! デートとか言わないで! 気持ち悪い!」

「う゛ッ!」

 

 

 

 ***

 

 

 

 スナオカジムにて。

 

「……あちゃあ」

「ど、どうするんです? ジムリーダーが不在となったら、挑戦者の人に帰ってもらうしか……」

「……いや。残念だけど他の方法についてもメッセージで送られてきたよ」

「え?」

「ホントに残念だけど……はあ」

 

 

 

 ***

 

 

 

 カチョウジムにて。

 

「───馬鹿馬鹿しい」

「リ、リーダー……!」

「『ジムトレーナーで代理を立てろ』? ……ぼくぁはせっかく来た客人に不義理を通すつもりはねえ」

「するってぇと、どうするおつもりで……?!」

「そりゃあ当然───」

 

 

 

 ***

 

 

 

 ユウナギジムにて。

 

「困ったわぁ……。会議くらいテレビ通話でもいいと思わなぁい?」

「ローダ……」

「あらぁ、ごめんなさいジャローダ。貴女に言ってもしょうがないわよねぇ……でもぉ、留守にするとなるとお店を閉めておかないとぉ」

 

 

 

 ***

 

 

 

 ツナミジムにて。

 

「二日後なんて急な話ね~。こっちにだって予定があったのに……」

「姉さん、どうするの?」

「どうするのったって……とりあえず、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、留守は貴方達に任せるわよ!」

 

 

 

 ***

 

 

 

 カルストジムにて。

 

「眠ぃ……昨日ゲームし過ぎたぁ……」

『ちょっと! 話聞いてたロトか!?』

「会議のことっしょ? 絶対寝るやつ……すっぽかしていい?」

『駄目ロト! ちゃんと出席しないと怒られるロト!』

「やっぱりかぁ~……エナドリ買い込んでこ……」

 

 

 

 ***

 

 

 

 アサナギタウンにて。

 

「……このタイミングで……か」

「場所はイリエシティ。トーホウポケモンリーグの所在地ですな。代理の件はさておき、出席は如何様に?」

「ダメ、できない。その日には大事な用があるもの」

「……それでは仰せのままに」

「そう、大事な用が……ね」

 

 

 

 ***

 

 

 

 ホウジョウ地方とセトー地方。

 両地方のポケモンリーグは、カントー地方とジョウト地方がセキエイリーグとして統合されているように一括されている。

 

 トーホウポケモンリーグ───その本拠地は、両地方の中心に存在する町に居を構えている。

 

 その名も『イリエシティ』。

 トーホウにおいて、最も発展していると言って過言ではない都市に、依然空のままである玉座は静かに佇んでいるのであった。

 




Tis:ホウジョウ地方・セトー地方
 ジョウト地方と陸続きの西に位置する地方が、肥沃な大地が拡がるホウジョウ地方。セトー地方はホウジョウ地方に南に位置し、大地から流れ出でた豊かな栄養に溢れている為、おおくの海洋に棲むポケモンの戸口となる関係上から、『瀬戸』から転じセトー地方と呼ばれている。二つの地方の東西に掛かっている巨大な橋は、両地方の友好の証とされている。
 両地方のポケモンリーグである『トーホウポケモンリーグ』は、その中でもホウジョウ地方の南にある『イリエシティ』に居を構えている。

↓タウンマップ

【挿絵表示】


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№026:知れよ、我らが花言葉

前回のあらすじ

???「けっきょく ぼくがいちばん つよくて すごいんだよね」

レッド「やまおとこ(?)って スゲー!」


 香ばしくも甘い香りが立ち上る。

 疲れて体が欲してやまない代物。それはリザードンの尾で炙られた白くてふわふわなお菓子───マシュマロであった。

 おおよそマシュマロに向けるべきではない真剣な眼差しの二人は、表面に焼き目がついた瞬間を見計らい、焼き立てのマシュマロを頬張る。

 

「はふっ……頃合いですね」

「うん、トロトロ」

「時間は少なかったですが、やれるだけのことはやりました。後はジム戦でどれだけ力を発揮できるかです」

 

 マシュマロの方ではなかったらしい。

 もきゅもきゅと咀嚼を続けるレッドは、リザードンとは別に自身の電撃で焼きマシュマロを作るピカチュウを後目に、二個目の製作へと取り掛かる。

 

 現在彼らは、特訓後のデザートタイムを決め込んでいた。

 町の一角に佇むバトルコートを離れれば、青々しい匂いの芝生が広がっている。自然のカーペットとも言うべき地面はフカフカだ。そこに腰掛け横に目をやれば、赤レンガで舗装された小川が流れており、ハスボーやウパーと言った水棲ポケモンが顔を覗かせている。

 耳を澄ませれば、活気あふれた住民の声や鳥ポケモンのさえずりが聞こえる等、一服するには最高の場所でもある。

 

 この休憩の主催者は他でもない、自称・合理主義者のコスモスだ。仮にレッドが主催者となれば、森で拾ったきのみを貪る蛮族染みた宴と化しかねない。

 

 山の民はさておき、飴を常備していることからもわかる通り、この少女は甘党だ。本人は頭を使った分の糖分補給と銘打っているものの、ふと目を向けた瞬間にも何かしら頬張っているところを見る限り、それ以外の目的があると見るのは間違っていない。

 

 バリエーションは実に豊かだ。今回のようなマシュマロやアメは当然のこと、クッキーやチョコレート等々、その小さいバッグのどこに収納しているのかと問いたくなるラインナップを取り揃えている。

 あまつさえ、時には携帯用のポロックキットやポフィンキットを用い、お菓子を自作することにも余念がない。

 

 将来の夢はパティシエか何かだろうか? ───残念、悪の組織の懐刀である。

 

 それはさておき、腹の中は焼きマシュマロのようにドロドロな少女は、淡白な甘味に舌鼓を打ちながら、明日にジム戦を控えた体と頭を労っていた。

 

「フィ……」

「ニンフィアの分もありますよ」

「フィ!」

 

 労うのはトレーナーだけではなく、ポケモンも含めてだ。

 コスモスから焼きマシュマロを受け取ったニンフィアは、外はサクサク、中はトロトロとした摩訶不思議な食感に驚きつつも、味もひっくるめて楽しんでいる様子を浮かべた。

 

 これだけでも幸せそうだが、欲深いのは人間だけに限る話ではない。

 

「……」

「ルカリオ? ……()()が食べたいんですか」

 

 無言のまま頷くルカリオ。

 『仕方ありませんね』と何かを承諾したコスモスは、徐にバッグから新たな材料を取り出した。

 焼きマシュマロを頬張りながら、何事かと様子を窺うニンフィア。

 

 次の瞬間、彼女が目にしたものは桃色のそれはそれは甘くておいしい果実。

 

「モモンのみを軽く炙って……」

「!?」

「焼いたマシュマロと一緒にクラッカーに挟んで、と」

「!?!?」

「はい、きのみとマシュマロのクラッカーサンドです」

「!?!?!?」

 

 禁忌の組み合わせだ。

 表面をほんのりと炙られ、熱が通ったモモンのみの中身はジューシーかつ柔らかな食感に。それをこんがりとした焼きマシュマロと一緒に、塩味が利いたサクサクなクラッカーでサンドした一品など───美味しいに決まっているではないか。

 

「フィ~! フィ~!」

「ニンフィアにも後でチーゴのみで作ってあげますから」

「フィ~!!!」

 

 この気ぶりよう、テンション上々(アゲアゲ)↑↑アゲハントである。

 

 だが、上機嫌なのは彼女だけではなく、たった今特製クラッカーサンドを受け取ったルカリオも例外ではない。

 一見、瞼を閉じつつ黙して食しているルカリオだが、その実口の中に広がる複雑な食感と味わいをじっくりと堪能している。

 

 人間が見ても涎が滴りそうな姿。

 思わずごくりと喉を鳴らしたレッドに、目敏いコスモスが声を上げた。

 

「先生のポケモンにも作りましょうか?」

「ほんと? ありがとう」

「いえ。お世話になっていますから」

 

 言うや、バッグからは様々なきのみが取り出される。

 

「クラボのみ、カゴのみ、モモンのみ、チーゴのみ、ナナシのみ……色々買い込んだね」

「味の好みに対応できるよう一通り揃えてみました」

「使い切れる?」

「ダメになりそうならポロックにします」

 

 ポロックならばきのみのまま保存するよりも長持ちする。生鮮食品よりも少し手を加えた加工食品の方が長持ちするのはきのみも一緒だ。

 

「先生はポロックを作った経験は?」

「……干したことなら」

「無いということでしたら、今度一緒に作りましょう。ポロックは一人より多人数で作った方が高品質な出来に仕上がりますので」

「……ポロック作りって何すればいいの?」

「タイミングよくボタンを押していただければ大丈夫です」

「どういう作り方なの?」

 

 たしかにお菓子作りに反射神経とリズム感覚を求められれば、このような反応にもなろう。

 それはさておき、ドライフルーツよろしく天日干しにするか、砂糖に漬けて脱水するのも保存方法としては有りだ。料理のトッピングであれば干しきのみの方が風味に優れている場合もあるが、ポロックの持ち運びの手軽さと比べれば一長一短である。

 

 ポロックもポロックで削ってトッピングに使う用途もあるが、それはまた別の話。

 

 レッドの手持ち用に次々と焼いたきのみとマシュマロをクラッカーに挟むコスモスは、職人染みた手際の良さで全員に料理を行き届かせる。

 コスモスが『召し上がれ』と一声かければ、歓喜に湧き上がるポケモンは一斉に齧りつく。すれば、三者三様な反応が場を鮮やかに彩る。

 

 ポーイと口の中へと放り込み、一瞬で飲み込んだカビゴン。

 小さな口で一心不乱に貪って、口の周りを汚すピカチュウ。

 ソムリエのようにじっくりと味と香りを楽しむフシギバナ。

 我ながらいい炙り具合だったなあと頷いているリザードン。

 一口食べた途端微動だにしなくなり、感涙するカメックス。

 美味さ余ってヘッドバンキングで喜びを表現するラプラス。

 まだまだお腹が減っていて他人の分に手を伸ばすカビゴン。

 殴られるカビゴン。殴られるカビゴン。殴られるカビゴン。

 

「先生のポケモンは皆仲良しですね」

「そうだね」

 

 ぶ厚い信頼が、カビゴンにはある。

 

 レッドの手持ちはおおむね満足した様子だ。

 ルカリオやゴルバット、ニンフィア、そしてコスモッグも例外ではなく、主人の作ったお菓子片手に和気あいあいとしている。

 

「……」

 

 ただ一人、少し離れた場所に佇むタイプ:ヌルを除いては。

 

「食べないんですか?」

「……」

「出来立てが一番おいしいですよ」

 

 手持ち全員分を用意した以上、タイプ:ヌルの分もきっちりと用意している。挟んだきのみはクラボのみ。いじっぱりな性格のポケモンが好みやすい味の種類だ。

 人慣れしていない野生ポケモンであっても、好みの味の料理を出されれば多少なりとも心は開く。

 

 しかし、やはりと言うべきかタイプ:ヌルはお菓子に手をつけない。

 そっぽを向いたまま、コスモスとは目も合わせようとしない有様だ。

 

 先日はピカチュウに一方的にやられ、本日も喧嘩を吹っかけては返り討ちにされていたが、反抗心は一切衰えてはいない。

 そのためタイプ:ヌルだけはスナオカジム対策の特訓を行えなかった。

 それだけでもコスモスにとっては非合理極まりない時間の浪費であった訳だが、こうも強情なままで居られれば育成どころの話でなくなる。

 

 早急にでも心を開いてもらう、あるいは少なくとも簡単な指示ぐらいは聞いてもらいたいと考えてはいるが、現実はお菓子のように甘くはなかった。

 胃袋を掴んで懐柔しようにも、そもそも口にされなければ作戦は破綻する。

 にらめっこが続くこと数十秒。これ以上は無意味と悟ったコスモスは、深々と溜め息と落としながらお菓子を紙皿ごと地面に置いた。

 

「ここに置いておきます。ポッポやヤミカラスに取られないといいですね」

 

 半ば突き放すように冷めた声音で告げ、その場を離れる。

 すると、

 

「……いいの?」

 

 抑揚のない声音がコスモスへ投げかけられた。

 目の前には指についたお菓子のカスを舐めるレッドの姿があった。その後ろでは仲睦まじい団欒の光景が広がっている。

 笑顔でお菓子を頬張るポケモン。その少し離れた場所にポツンと一匹だけ佇む姿には、ポケモントレーナーとして思うところがあるとは想像に難くはなかった。

 

「いいんです、()()()

 

 だからこそ、コスモスも淡々と答えを返した。

 

「……なら、いいや」

「理由は聞かないんですか?」

「聞くまでもないかな、って……」

「……さいですか」

 

───時折、この人はこちらの心を見透かしたような言葉を口にする。

 

 表情筋は常時瀕死状態だというのに、他人やポケモンの感情の機微には敏い。

 これこそ個性豊かなポケモンをまとめ上げる手腕の大きなウエイトを占めている事は、コスモスもそれとなく感じ取っていた。

 

 だからといって真似できるものではない。

 彼には彼の、自分には自分の育て方がある。

 

 情緒豊かになんてなれはしない。

 激しい高ぶりも、暗く深く沈みもしない。

 そういうものだと割り切っている。

 

 事実に即し、知識に即し。

 最後に自分が見つけたセオリーに則って実現できれば至上。

 

 常々の理想としては、最も優れた理論こそが勝利を掴むことが望ましい。

 しかしながら、現実は───ポケモンが生き物である以上、思い通りに事が進まない。種としての習性があり、個としての性格があり、だからこそ現実は度し難いほど複雑怪奇に絡み合う。

 ポケモンがコンピュータのプログラムのように思いのまま動いてくれれば、こんなに頭を悩ませる必要はないのにと思った経験は一度や二度ではない。

 

 

 

『───じゃあコスモスちゃんは、なんでポケモンバトルするの?』

 

 

 

「……、」

 

 思わず唇が尖る。

 

 そうだ。いつだって後々役に立つのは、失敗や敗北等の苦々しい経験の方だ。ジュニアカップ等の無敗で勝ち進んで掴んだ勝利よりも、師と仰ぐポケモントレーナーとのバトルで喫した敗北の方が、得られるものは格段に多かった。

 しかし、それよりも前───具代的にはロケット団再興を夢見てから、初めての負けで得るに至った考えがある。

 

「……独りが好ましいというなら」

 

 ふと、振り返る。

 すでに居眠りを決め込むポケモンの前に置いてあった紙皿の上には、何一つとして乗っていない。

 

───随分と行儀よく平らげたものだ。

───そのくせ、周りの輪に入らない。

───まるで……。

 

「……私はそれを、否定しません」

 

 それ以上は上手く紡げず、自ら蓋をするようにマシュマロを口へと詰め込む。

 

 甘い物は好きだ。

 けれど、それを合理的に説明しようとするとなると、途端に説明が難しくなってしまう。

 

 

 

 口に残る甘さだけは、どうにもすっきりしなかった

 

 

 

 ***

 

 

 

 日を跨げば、あっという間にジム挑戦の時間がやって来た。

 

 目の前には『ヤッテキマッシャー!!』と言わんばかりの堂々たる煙突の門構えが佇む。

 それを抜ければ、あら不思議。色鮮やかなステンドグラスの窓がはめ込まれた、赤レンガの建物が目に飛び込んできたではないか。

 

 得も言われぬ荘厳な雰囲気に押されつつも、黒いリザードンと三本角のリザードンが太極図を描くステンドグラスが眩い輝きを放っている扉を開く。

 すれば、受付まで至る時の余韻を感じさせるカーペットを進んだ後、見上げる壁には一枚の風景画が飾られていた。

 

「おぉ……」

 

 柄にもなく感嘆の息を漏らすコスモス。

 芸術の『げ』の心得もない少女にも理解できる作品の名は───『星の砂浜』。

 

「青い海に……赤い砂浜……」

「ね? 綺麗でしょ」

「……はい」

 

 普段ならいくらでも言葉を取り繕えるが、この時ばかりは下手な感想を口にするべきではないと考えた。

 これを言い表すには、自分の持ちえる語彙は余りにも稚拙で不足している。

 文字通り、言葉では言い表せない美しさと力強さが、この切り抜かれた風景には宿っていた。

 

 興味が湧き、すぐ下の壁に貼り付けられた説明文に目を通す。

 

「なるほど、私達がスナオカタウンに来る途中に通った砂浜の名前なんですね」

「一年に一度見られるかもって景色みたいだけれど……見てみたいなぁ」

()()()()()()()()()()()()()()現象……実に興味深いですね」

 

 ほしのすな、という道具がある。

 見た目はただの綺麗な赤い砂。それ単体では役に立たず、トレーナーの間では専ら換金用のアイテムとして知られている。土地によっては邪気払いのお守りの材料として使われるが、それもメジャーな用途とは言い難い。

 

 言ってしまえば宝石の類だ。綺麗───それだけで人の心を魅了し、それこそが価値を生み出す存在。

 世界各地で採取されているほしのすなだが、一時、世界最大の産出地として名をはせた土地がある。

 

 それこそがスナオカタウンであり、別名『星の砂浜』と呼ばれた砂浜海岸だった。

 

 このステンドグラスの風景画は、年に一度見られればいいとされる自然現象を描いたもの。地平線まで続く透き通った青い海に対し、陸地は幻想的な赤に染め上げられている。ただし単なる赤色という訳ではなく、ほんの少し光の差す角度が変われば、ほしのすなの淡い青の煌めきを再現するではないか。

 作者のこだわりが随所に見られる作品だ。これだけでもジムに来た価値があると思わせる素晴らしい芸術に、しばし二人は時間を忘れて見とれていた。

 

「あ、あのぅ……」

 

 そんな二人を現実に引き戻したのは、受付に立っていた気弱そうな女性。

 

「ちょ、挑戦者の方……ですか?」

「あ、はい」

「ひゃい!? か、かか、かしこまりましたっ! ごっ、ご予約の方……ですかっ!?」

「コスモスです」

「あ、コしゅ……コスモスしゃんでしゅね!? 確認いたしますので、今しばらくお待ちをっ、コポォ!」

 

((『コポォ』……?))

 

 なんとも不安を掻き立てられるあがり具合だ。見てるこっちが恥ずかしそうになるくらい、受付を務めていた女性はてんやわんやのヤンヤンマである。

 

「コスモスさん、たしかにご予約を確認いたしました! つきましては、ジム挑戦となります……けど、その、えっと……うちのリーダーが留守にしておると言いますか……」

「? 予約を確認したって言いませんでした?」

「あ、はいィ! 確認してます!」

「挑戦はできるんですよね?」

「で、で、で、できます! も、問題の方は特にないかもしれないはずです……」

 

 尻すぼみになる受付の女性であったが、一先ず挑戦できると知ってコスモスは一安心する。

 

(最後の方が聞き取れなかったけど……まあ、いっか)

 

「コスモス」

「先生?」

「……ファイト」

 

 案内されるコスモスへ親指を立てるレッド(とピカチュウ)。

 無表情でのサムズアップはシュール極まりないが、師からのエールを素直に受け取るコスモスもまた、傍目からは窺えぬ機微を覗かせながら親指を立て返す。

 彼女もまた無表情。シュールだ。シュールさ倍プッシュである。

 通りすがりのジムトレーナーが(あの人ら、どういう関係……?)と訝しむ程度には、彼らの間には不思議な空気が流れていた。

 

 閑話休題(それはさておきキリンリキ)

 

「ただいまより、挑戦者(チャレンジャー)コスモスによるジムチャレンジを開始します!」

 

 声高々に宣言される開始の合図。

帽子を深く被って身構えるコスモスは、バトルコートに現れる溶接工の風体をした女性を見据える。

 

「かわいいお嬢さんだね! あたしのポケモンに火傷しちゃっても知らないよ!」

「望むところです」

「いい度胸さね。精々口だけじゃないことを期待してるよ!」

 

 ルールは手持ち一体を選出してのシングルバトル。

 ごくごく普通な形式───かと思いきや、スナオカジム最大の特徴である天窓のステンドグラスが回転し始める。

 絢爛な赤、青、白、茶の四色に彩られた天窓が回れば、一色にだけ日光が差し込み、バトルコートを照らし上げた。

 

 色は───茶色。

 

 次の瞬間、バトルコートの四隅に設置されていたポワルン像が起動する。

 景色は一瞬にして激しい砂嵐へと変貌した。互いに睨みを利かせていたコスモス達も、堪らず細目になって砂が目に入らないようにする。

 

(オキノジムでも似たような設備がありましたね……)

 

 あちらがフィールドを展開したのに対し、こちらのジムが行ったのは“天候の変更”。

 

「一戦目……天候は砂嵐! それでは両者、ポケモンをバトルコートへ!」

「行っちゃいな、マグカルゴ!」

「GO、ルカリオ」

 

 砂嵐をものともしない頑強な岩の殻。

 溶岩の如く煮え滾る超高温の肉体は、それそのものが触れる相手に大火傷を負わせる灼熱の鎧に等しい。

 

 ようがんポケモン、マグカルゴ。

 緒戦を飾る相手の名だ。

 

(特性は“マグマのよろい”か“ほのおのからだ”。稀に“くだけるよろい”の個体も居るけれど、今は考えなくていい。それよりも今は……)

 

 激しい砂嵐の中、マグカルゴは心なしか元気そうに火を噴いている。

 ほのおの他にいわタイプを含む溶岩の蝸牛は、この吹き荒ぶ砂塵の中において、こと守りが堅牢になるだろう。

 ヤワな攻撃では受けきられ、手痛い反撃を喰らう光景は想像に難くない。

 

「ほら、どうしたの?! もうバトルは始まってるよ!」

「……」

「来ないならこっちから! マグカルゴ、“ふんえん”だ!」

 

 荒れ狂う砂塵を振り払うように、爆炎がバトルコートに広がる。

 当然照準を定められたルカリオへも、猛烈な熱風と爆炎は押し寄せていく。

 

 はがねタイプのポケモンが喰らえばひとたまりもない攻撃。

 しかしながら、攻撃が正面から迫ってきているというのに、ルカリオの落ち着き払った様子は変わらない。

 

(早速()()()が活きる瞬間が来ましたね)

 

 コスモスが口にするまでもなく、ルカリオは動き出す。

 (天候)(フィールド)、どちらもポケモンバトルにおいては勝敗を分かつに足りる大きな要因。

 

 なら、わざわざ相手が用意した天候に支配される必要など───ない。

 

(いわを活かすなら砂の中。ほのおを活かすなら晴の中。みずを活かすなら……)

 

「やれ」

「バウッ!」

 

 刹那、ルカリオの姿が白煙に包まれる。

 それは殺到する爆炎が、瞬く間に熱を奪い去られていった証拠に他ならない。

 空気が温く、否、急激に冷えていく。マグカルゴの体を打つ物体が蒸発し、辺りには白い靄も現れ始める。

 

「! これは……雨!? まさか……!」

「“あまごい”の中じゃ、ほのおもマグマも形無しです」

「ッ……やってくれるじゃない! それなら“いわなだれ”よ!」

「“みずのはどう”で押し流せ!」

 

 マグカルゴが吹き飛ばす溶岩が、空気に晒され、噴出岩となってルカリオへと降り注ぐ。

 しかし、対するルカリオが繰り出した水の振動は、降りしきる大雨の恩恵を一身に受けるかの如く、大気中に漂う水分に比例した破壊力と範囲を以て“いわなだれ”を吹き飛ばす。

 最早相手も止める術はないようであり、最後の悪あがきに殻に籠ってやり過ごそうとするが焼け石に水だった。

 

「マグォオ!!?」

「マグカルゴ!? っ、きゃあ!!」

 

 ドッパォ!! と壁に叩きつけられたマグカルゴ。

 攻撃の余波である波濤が水飛沫と化し、傍に居たジムトレーナーを水浸しにする。そうして閉じた瞼を開いた頃、地面に転がる溶岩の肉体は温く冷め切ってしまっていた。

 

「マグカルゴ、戦闘不能! 勝者、挑戦者コスモス!」

「うっそ~! 一撃ィ~!?」

「お疲れ、ルカリオ」

 

 ガシガシと髪を搔き乱すジムトレーナーに一瞥もくれず、コスモスはルカリオに労いの言葉を投げかける。

 

(バトルの流れは上々。さて……これがどこまで通用するか)

 

 コスモスが行った作戦の一つは“天候の上書き”。

 相手に有利な天候を展開されたとして、後から自分が有利な天候に変更すれば、盤面は大きくひっくり返るだろう。

 

 ほのおポケモンに有利な天候は“晴”。

 逆に不利な天候を挙げるとするならば、それは苦手とするみずタイプの技が大幅に上昇し、ほのお技の威力も減少する“雨”となる。

 少しばかり天候について学べば得られる基本的な知識だが、バトルに組み込むとなれば少々慣れが必要だ。

 

 天候をわざわざギミックに組み込んでくるジムの仕掛けを思えば、スナオカジムのコンセプトは“天候をどう活かすか”に尽きる。

 

───天に任せて突っ切るか、あえて逆らって地道を行くか。

 

 一定以上の力量があるトレーナーと相対せば、天候を展開するタイミングも読み合いの内に入るのは必至。

 ジムトレーナーはともかく、ジムリーダーレベルともなれば必ずそういった読み合いを強いられる試合運びになるとコスモスは推測している。

 

(ジムリーダーとのバトルまでに感覚を掴まなければ、ですね)

 

 挑戦はまだまだ始まったばかり。

 伝う汗を拭うコスモスは、持ち込んだミックスオレのプルタブに指をかけるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 イリエシティ。

 ホウジョウ・セトー地方最大の都市は、かつてないほどの期待と活気に溢れている。

 

 その理由は当然、念願のポケモンリーグが設置されたことだ。

 二つの地方を巻き込んだ最強の座を争うスタジアムも町の目に付く土地に建てられている。今はただ静かに佇むだけだが、それは今か今かと遠くない未来にやって来る数多のポケモントレーナーを待ちかねているようにも窺えた。

 

 そんなスタジアムの近くにリーグ本部も存在する。

 リーグの運営、企画、問題の対応と、こなすべき仕事は両手の指では数え切れない。まさにニャースの手も借りたい日々を送る運営委員会であるが、今日はいつもと違った雰囲気が流れていた。

 

 普段は職員しか通らない通路を歩むラフな姿の女性。

 傍らに連れたドラゴンは、珍しいものを見る視線を辺りに撒き散らし、すれ違う職員らを意図せず威圧する。

 すれば、室内にも関わらずかけていたサングラスを外す女性が、眉尻を下げて注意の言葉を投げかけた。

 

「オンバーン、あんまりジロジロ見ないの。みんな驚いちゃうから」

「オーン……」

「そ、そんな目したって駄目なんだから……!」

「バーン……?」

「う……し、仕方ないなぁ……会議室に着くまでだからね、もー!」

 

 相も変わらず押しに弱い彼女は、竜の爪で拵えた耳飾りをいじりながら目的地を目指す。

 

 

 

キョウダンジムリーダー

ピタヤ

 

 

 

 と、平静を装う彼女であるが、実際はその正反対だった。

 こうしてリーグ本部を訪れる経験など数えるほど。精々ジムリーダー就任に当たっての面接や試験、そしてオープニングセレモニー時の顔合わせぐらいか。

 滝のような汗を流す背中はすでにぐっしょりと湿っている。

 服が汗を吸って重くなるにつれ、会議室を目指す足取りは重くなっていく。

 

「はぁ……緊急会議っていったい何事~? って感じ……」

「オォン……」

「もしもアタシがなんかやらかしてたら……うっ」

 

 キリキリと胃が痛み始める。

 そんな胃痛がピークに達したのは、物々しい雰囲気を醸し出す扉───招集場として通達されていた会議室の目の前に辿り着いた瞬間だった。

 取っ手に手を掛けようとした瞬間、込み上がる不安が躊躇いを生む。

 

 特段不始末に心当たりはない───いや、もしかするとジムを開いてからジムバッジを授与した数が多過ぎるとか、そういった話かもしれない。

 

「他の人らが凄いから、気後れするんだよなぁ……」

「おっと! もしかして、そいつにゃオレも含まれてたりするか?」

「ひゃ!?」

 

 唐突に背後から声を掛けられ、驚きの余り短い悲鳴を上がる。

 

「び、びっくりしたァ~!」

「ハハハッ、すまんすまん!」

 

 快活に笑う男性は、隣に連れたドサイドンに飽きられた視線を向けられながら言葉を続ける。

 

「中々入ろうとしないもんだから、集合場所を間違えたのかと思ったぞ」

「だからって急に声掛けないでくださいよ、リックさん! アタシ、寿命が縮むかと……」

「そうか? う~む、たしかにリーキにもやってみたら反応が悪かったが……もしや、これってウケ悪いのか?」

 

 自分で気づき、勝手に落ち込み始める。

 この自己完結に終わった男性こそ、ホウジョウ地方とセトー地方、両地方の建設業界を支える柱。

 

 

 

オキノジムリーダー

リック

 

 

 

「ま、まぁ、ウケが悪いかはさておきだ。もう何人か着いてるみたいだからな、オレ達も合流しようか」

「は、はい!」

「っつー訳で失礼するぞー!」

「わっ! そんな自分の庭みたいに……」

「だって、オレの会社が作ったんだぜ?」

 

 自慢げに語るリックが会議室に一歩踏み込めば、中に待機していた数名の視線が、入口に立つ二人へと集中した。

 ただならぬプレッシャー。各々の纏う雰囲気のみならず、傍らに連れたパートナーポケモンからも値踏みするかのような視線を向けられる。どのポケモンも百戦錬磨の威厳を漂わせており、気弱な野生ポケモンであればすぐにでも逃げだす空気が、この会議室には満ち満ちていた。

 

「ひぇ……」

「ピタヤ、こっちこっち」

「ヒマ! もう着いてたの?」

「とっくの前に。ほら、この席に座ってください。ジブンが温めてあげておいたので」

「サンキュ! 席温めてた意味はわかんないけど」

 

 何とも際どい恰好をした女性と代わる形で席に座るピタヤ。

 当の席交換を果たした女性はと言えば、空いていた隣の席へと移動するや、深いため息を吐いた。

 

「……ワンチャンあると思って早めに着いたはいいものの、結局は定刻通りに始まりそうな予感……」

「なに? なんかあった?」

「今日に限って面白そうな挑戦者が来る予定だったのに……」

「あー、そういう……」

 

 ガックリと肩を落とす友人へ、ピタヤは憐れむ視線を向けた。

 全員が新規ジムリーダーとだけあって、顔馴染みと言える間柄の人間はほとんどいない。そんな中、年が近く同性の人間が居れば自然と距離が縮まっていく。

 会議室の中でも一際異彩を放つ日焼け跡の彼女は、ピタヤにとってそのような間柄であった。

 

 

 

スナオカジムリーダー

ヒマワリ

 

 

 

 人呼んで、『太陽が振り向く晴女』。

 しかし、今に至っては太陽も陰りそうな鬱屈具合。余程ジム挑戦に来る相手とやらが気になっていたらしい。

 

 それも致し方ない。各地方に存在するポケモンリーグだが、各年の参加者はそもそもの競技人口や注目度で上下する。

 特に後者は無視できるものではなく、ポケモンリーグ開催初年度となるトーホウリーグの注目度も今や界隈ではトップクラスだ。したがって、チャンピオンを夢見るポケモントレーナーが我こそはと新たなバトルフロンティアへと足を運んでくる。

 

 当然、中には既に実績のあるトレーナーも居る以上、ジムリーダーの目に留まる可能性は十分あり得る話だ。

 

(にしても、ヒマが『面白そう』なんて……どんな人が来る予定だったんだろ?)

 

 無難なところで言えばポケモンリーグ常連者。

 もしくは、それに準ずる著名なトレーナーだ。

 

 どちらにせよ『ジムリーダーの代理を立てろ』との指示があった以上、今日に限ってはジムトレーナーが挑戦者の相手を務める。

 留守を任せられる信用のあるトレーナーを選んだものの、やはりリーグが精査に精査を重ねて抜擢したジムリーダーと比べれば腕前は一歩劣る。仮に本日挑戦するトレーナーが居るとして、ジムリーダーを相手にしない事情から突破率は普段を上回るだろう。

 

 運が良いのか悪いのか。

 少なくとも今日という日を心待ちにしていた友人にとっては後者のようだ。

 

「ま、まあ……こう言っちゃなんだけど、普通に再挑戦する可能性もあるし」

「───くだらねえ」

「え……」

 

 突如、割って入ってきた言葉に固まるピタヤ。

 錆びついたギアルの如くギギギと振り返れば、ウェーブがかった藍色の総髪を垂らす流し目の青年が、筋肉質な腕を組みながら鋭い眼光を閃かせていた。

 

「残念がるぐらいならドンとヤってくりゃあ良かったじゃねえか。そっちの方がお互い後腐れなくていい」

「いや、会議に呼び出されたんだし来るのが当たり前っていうか……」

「そんなら会議にも来りゃいい!」

「ギルガルドか、アンタは」

 

 矛盾とも言う。

 ピタヤの冷静なツッコミを受ける青年は、タンクトップの下にギャラドスをはじめとしたみずポケモンの描かれたタトゥースリーブを着込んでいることから、一見威圧感が凄まじい。

 しかしながら、その人柄を知っているからこそ、押し負けやすいピタヤでも問題なく応答できていた。

 

 と、ここでジト目のヒマワリが問い返す。

 

「……そういうキミはどうなんです? 代理を立てて来たんじゃ?」

「馬鹿言え。()()()()()()()()()()()()に決まってる!」

「はあ!?」

 

 予想外の言葉に座っていたピタヤが立ち上がる。

 

「ちょっと待って! その口振りじゃあ、ジムの人間に預けた訳でもなくポケモンだけでジム戦やらせるつもり……ってこと!?」

「彼らとぼくぁ以心伝心。指示がなくとも十二分に実力は発揮できらぁ」

 

 ポケモンに対する凄まじいまでの信頼。

 ここまで堂々と胸を張って言われれば感心しかないが、やはり常軌を逸した行動にピタヤは眩暈を覚えた。

 

「なんていう力業を……」

「ポケモンとの絆がありゃあ大概のことは押し通る。そいつが世の常だ」

 

 

 

カチョウジムリーダー

キュウ

 

 

 

「それにしたって……まあいいや。それよりもまだ来てない人は……」

「ここに居ない面子なら、さっき喫煙室に……」

 

「あらぁ? もうこんなに集まってたのぉ?」

 

「……噂をすればなんとやら」

 

 間延びした声が響く。すれば、リーフィアを連れた妙齢の女性が入室してきた。

 白いシャツに黒いスラックスパンツときっちりした服装とは裏腹に、口元のほくろや色っぽい目つき等、重ねた年月が深みを生み出す妖艶な色香までは隠せない。

 大人の女性───彼女の為にあるような言葉を会議室に居る全員が脳裏に過らせたところで、女性は足を組みながらピタヤの隣に腰を掛けた。

 

「煙臭かったらごめんなさいねぇ。ちょっと今一服してきたからぁ」

「だからってリーフィアを空気清浄機扱いはどうなんですか……」

「大丈夫よぉ。この子、わたくしがハッパ決めるの好きみたいだからぁ」

「いや、言い方。色々と危ない!」

「どの辺りがぁ? ウフッ」

 

 傍らに佇むリーフィアは、確かに心地よさそうな表情で首をもたげていた。

 このように煙草と危ない香りを漂わせる女性は、自分よりも若いピタヤの様子を楽しむように、長い睫毛を湛えた瞳を細める。

 

 

 

ユウナギジムリーダー

タバコ

 

 

 

「タバコの姉御。一服してきたのは構やしねえんだが、一人で戻ってきたのか?」

「えぇ?」

 

 キュウの問いに小首を傾げるタバコ。

 しかし次の瞬間、扉の向こう側からドタドタと騒がしい、それでいて重量を感じられない軽い足音が聞こえてくる。

 

 バターン! と開かれる扉。

 

 現れたのは肩で息をするナース服の少女───。

 

「ちょっと! 勝手に置いて行かないでよ!」

「ごめんなさぁい、一服吹かしたら全部飛んじゃって忘れちゃってたぁ」

「合法的な奴よね、それ?」

「吸ってみるぅ?」

「いい。わたしは死ぬまで煙草は吸わないから」

「つれなぁい……」

 

 一本差し出してみるタバコであったが、案の定といった様子で少女には断られる。

 そこへ口を出すのはこの男、リックだった。

 

「そうだぜ、タバコ。いくらなんでもみんなのジョーイさんに煙草勧めるのはダメだろ。イメージが崩れる」

「ちょっと、それは偏見よ。みんなのジョーイさんだって煙草くらい吸いますぅ~。ハードボイルドなジョーイさんは居まぁす!」

「お、そうか? じゃあそうだ、子供に煙草勧めるのはダメだろ」

「そうそう、未成年の喫煙は法律で禁じられて……って、わたしは29よ!! ふざけんな!! 誰が悲しくてこんな訂正しなきゃいけないのよ!!」

 

「もうすぐ三十路ねぇ」

 

「みなまで言うなァ!!」

 

 『年上だからって……』と弄ってくる二人へ恨みがましく吐き捨てる少女───否、顔も体も未成年同然の容姿をした女性は、こめかみに青筋を立てながらポスンッ! と勢いよく席に腰掛けた。悲しいね、揺れない。何がとは言わないが。

 

「ったく、どうしてこんなイライラさせられなきゃいけないのよ。ただでさえ同期がどんどん結婚してくってのに……」

「働き盛りの1年はあっという間だぞ」

「そうよぉ。逃した青春も婚期も取り戻せないわぁ」

「年上のそういう経験談みたいなの、ホント怖いからやめて」

 

 唸るリトル・ジョーイはガシガシと頭を掻き毟る。

 ジョーイさんだって結婚をする。ただし、全員が全員結婚相手が居るとは限らない現実を、目の前の白衣の天使は悲しいほどに表していた。

 

 

 

ツナミジムリーダー

シナモン

 

 

 

「はぁ、ドンと疲れた……わたしもさっさと帰りたいから会議始めましょ。あと来てないの誰? カルストとアサナギんところは?」

「う~っす……」

「うわぉ!? いつの間に!」

 

 まさに今姿が見えなかった人物からの応答に、シナモンの体は大きく飛び跳ねた。

 淡緑色のおかっぱ頭をした少年は、目の下に濃い隈を浮かばせている。睡眠不足だろうかと思えば、突っ伏していた机の下から取り出す飲み物───エナジードリンクをストローで飲み始めた。

 

「俺様はあんたが来た時から居ましたよ。昨日も挑戦者という挑戦者を打ち倒したはいいものの、睡眠時間が……」

『嘘は良くないロト! 夜更かししてゲームに熱中してただけロト!』

「いいや、ロトム。ポケモンバトルもネトゲも立派なゲーム……どちらの挑戦者にも貴賤なく迎え撃つのは、ジムリーダーとして当然の……」

『違うだロ!』

 

 ベチン! と自分のパートナーに頭を叩かれ、寝不足だった少年は撃沈する。

 ここまで流暢に人間と言葉を交わしていたポケモンはロトムだ。機械に入り込んで悪戯する種族だが、つい最近になって専用の機械に入り込むことにより、人間と言葉での対話が可能になった革新的発明は記憶に新しい。

 

 まさしく最先端。

 流通数も少ない中、自分用にカスタムしたスマホロトムを携える少年は、ガンガンと鐘が鳴っている頭を抱えながら盛大に欠伸をする。

 

「ふわぁ……どうしてご主人様にこんな辛辣なんだか」

 

 

 

カルストジムリーダー

アップル

 

 

 

 彼を含めれば7人。

 大抵、どのリーグにもジムリーダーは8人居るものだ。トーホウリーグもその例外ではない。

 改めて室内を一瞥し、誰一人として見落としていないと確認したシナモンは怪訝そうに眉を顰めた。

 

「ってことは、来てないのは一人だけ?」

「あの子ねぇ。アサナギジムの」

「トラブルでもあったのかしら?」

 

「───いや、リリーは所用で欠席だ」

 

 シナモンとタバコの会話に、何者かが割って入る。

 自然と年の功を感じさせる声だった。弾かれるように皆が振り向く先には、初老の男性が秘書を傍らに引き連れながら立っていた。後ろへと流した白髪交じりの髪は、ゆるやかに訪れる老いに負けん気概を覚えるようにオイルで輝いていた。パリッと糊の利いた白スーツに対し、首から下げたストールは真っ赤に燃え上がっている。

 最たるはサングラスの奥だ。目元の小皺こそ隠せているが、ギラギラと輝く眼光までは隠し切れない。

 

 彼の到着だけで会議室の空気が重くなる。

 まるで組織の重鎮が現れたかのように───否、事実現れたのだ。

 ジムリーダーよりも()ともなれば、役職は自ずと限られる。四天王やチャンピオン、あるいは───。

 

()()()()()()()、ご無沙汰しております」

「ああ。みな壮健で何よりだ」

 

 リーグとは別に組織のトップに立つリックが、社会人の礼儀として席を立って頭を下げる。

 そのまま理事長と呼ばれた男性が向かうは、8人目のジムリーダーが座るはずだった空席。まるで初めから座るつもりだったと言わんばかりの所作に、予期せず重役の隣になってしまった若衆───ピタヤとアップル二人の頬には滝のような汗が伝う。

 

((よ、よりにもよって……!))

 

 脳裏に過る感想───社会人に限らず、よくある話だ。

 緊張感が高まるのを感じたモッコクは薄い笑み浮かべるばかり。むしろ状況を楽しんでいる様子だった。

 

 しかし、若い者を揶揄うのも程々にと咳払いした。

 

「さて、急な招集に応じてくれたこと改めて感謝する」

 

 ぐるりと錚々たる面子を一望し、モッコクの力強い声は会議室の空気を。

 そして、集った強者達の鼓膜を微かに揺らす。

 

「これから話す内容はリーグの威信……いや、地方の平和に関わるものだ」

 

 心して聞くように、と付け足すモッコク。

 すると、ジムリーダーから数分前までの和気藹々とした雰囲気はなくなる。全員が責任感に火をともされたような凛々しい顔つきを浮かべていた。

 

 口火を切ったのはタバコだ。

 

「それで今回の議題って何かしらぁ?」

「君達も小耳には挟んでいるだろう。各地で起こる事件についてを」

「う~ん、心当たりはあるけれどぉ」

 

 口に出す彼女以外にも、思い当たる節がありそうな者はちらほら居るようだ。

 そこへ、

 

「───『ロケット団』」

『!!』

「全員一度は聞いたことのある名だろう。ジョウトのラジオ塔占拠事件以来、これといった音沙汰はなかったが……あるタレコミを捜査当局が入手してな」

 

 深く息を吸うモッコク。

 長い一瞬を経て、宣告される真実。

 

 

 

「奴ら───ロケット団は、復活した。ここ、トーホウの地でな」

 

 

 

 光があれば闇もある。

 そして悪は闇に紛れて動くものだということを、彼らは改めて知るのだった。

 

 

 

───今年は、一波乱ありそうだ。

 




Tips;ジムリーダー
 リーグよりポケモンジムを任された腕利きのポケモントレーナー。トーホウポケモンリーグはオーソドックスなリーグに倣い、ジムリーダーの人数は8名となっている。ホウジョウ地方側に4名、セトー地方側に4名と分かれていることから、それぞれ『ホウジョウジムリーダー』や『セトージムリーダー』と分けて呼ばれるケースもある。
 全員がポケモンリーグによる厳正な審査の下に選び抜かれたトレーナーであり、各々のバトルスタイルに則った異名を持っている。
 現在、ジムリーダーの顔ぶれはホウジョウ地方側にピタヤ、リック、ヒマワリ、キュウ。セトー地方側にタバコ、シナモン、アップル、リリーとなっている。

◓オマケ 名前の由来(ジムリーダーver)◓
ピタヤ→ドラゴンフルーツの異名『ピタヤ』
リック→ガー『リック』(にんにく)
ヒマワリ→向日葵(ヒマワリ)
キュウ→胡瓜(『キュウ』リ)
タバコ→煙草の原材料となる植物『タバコ』
シナモン→香辛料で有名な『シナモン』
アップル→リンゴの英名『アップル』
リリー→百合の英名『リリー』


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№027:『ジムリーダーじゃない』

前回のあらすじ

ピタヤ「ジムリーダー、全員集合……できてない」

コスモス「いつジムリーダーと戦えるんでしょう?」


 

 

 

「奴ら───ロケット団は、復活した。ここ、トーホウの地でな」

 

 

 

 理事長の言葉で静まり返る視界。

 誰もが神妙な面持ちを湛える中、幾ばくかの沈黙が流れる。

 

「……それで? ただそれだけを伝える為に集めた訳じゃないでしょう」

 

 恐る恐る、といった挙動で手を上げたのはアップルだった。

 彼の顔は怪訝そのもの。わざわざ口頭で伝えなくとも良い話だと訴える瞳は、この議題の隠れた真の目的の方を見据えている。

 

 反応するのはモッコク。

 『その通りだ』と頷き、傍らに佇ませた秘書に資料を渡すよう目配せをする。

 

「無論、それだけの為に多忙な君達を集めるような真似はせん。ここに来てもらったのは盗聴を防ぐにはうってつけだったからだ」

「盗聴? それじゃあ普段からアタシたちが盗み聞きされてるように聞こえますけど」

「それも事実だ」

『!』

 

 動揺が走るが、即座にモッコクが視線で制す。

 

「ロケット団は我々が想像しているよりもこの地に広く蔓延っている。元より水面下で国際警察が調査していてくれたが、思うように足取りを掴むには至らなかった」

「ふ~ん、よっぽど上手く隠れていたってワケね。小賢しいことこの上ないわ」

「シナモンの言う通りだ。だが、奴らが再起した事実に変わりない。諸君らジムリーダーには一層治安維持に努めてもらいたいというのが一点……」

 

 二点目は、とまで言ったところでモッコクが面々を見渡す。

 まるで、一人一人を見定めるかのような鋭い眼光だった。若年を始め、老成しているであろうリックやタバコすらもゾワリと総毛立つ寒気を覚える。

 

 これほどの威圧感をジムリーダーに向ける理由。

 それは、

 

「……リーグ関係者に潜む、内通者を炙りだす為だ」

『!!?』

「これを内通者がロケット団そのものか、はたまた金で雇われた協力者であるかは問わん。だが、どちらにせよ犯罪行為に手を染めている以上、みすみすのさばらせる訳には───」

「ちょっといいかしらぁ?」

 

 理事長の話を遮るタバコは、向けられる眼光にも怯むことなく言葉を紡ぐ。

 

「この話でいうリーグ関係者っていうのは、リーグ職員とかジムトレーナーの他にぃ……ジムリーダー(あたくしたち)も含まれるってことかしらぁ?」

「無論だ」

「そんなっ!? ジムリーダーの中に居るだなんて!」

 

 にべもなく肯定するモッコク。

 これに声を荒げるのはピタヤである。一瞬、周囲から向けられる視線に圧されつつも、最終的には屈することなく自分の意見を言い放つ。

 

「いくらなんでもそんなのありえない……じゃなかった、ありえないです!」

「どうしてそう言い切れる? ロケット団首領だったサカキは他でもないトキワジムリーダーだったのだぞ?」

「うっ……そ、それは……」

 

 残念ながらジムリーダーが悪の組織と結託───否、組織のトップとして君臨していた前例はある。

 トキワジムリーダー・サカキ。

 彼の裏の顔こそが、地方中を脅かしていた悪の秘密結社であるロケット団のボスだ。タマムシシティに存在していたゲームコーナー地下にアジトを構えていた事実は、今でも記憶に残っている。

 

 故に誰が裏で繋がっていてもおかしくはない。

 職員は勿論のこと、ジム運営に携わるジムトレーナー、そして他ならぬジムリーダーすらも内密者である可能性は拭えない。

 

 否定できないピタヤは口を噤み、席に腰を下ろした。

 しかし、彼女の言わんがすることを理解している者達が手を上げる。

 

「ヒマワリ、リック。何か言いたいことでも?」

「はい、まあ。とりあえずリックさん、パス」

「えっ? いや……そこでオレに回すか!? まあ、別にいいんだが……」

 

 こほんと咳払いし、リックは語る。

 

「理事長、オレ達は()()()()()()()()()()()()()()()()でもあります。貴方の言い分も尤もですが、その事実だけではオレ達に信用はないと?」

 

 ジムリーダーの選定基準はまちまちだ。

 それこそリーグごとに基準は変わる。志望者を募り試験を受けさせたり、リーグ関係者からの推薦で選ばれたりする中、トーホウリーグにおいてはモッコク本人がスカウトしたトレーナーがジムリーダーを務めていた。

 ある種、前二つより理事長からの信用が厚いと思ってもおかしくはない経緯だ。にも関わらず、面と向かって内密者疑惑を拭ってもらえなければ、リックのように不信感を抱くのはやむを得ない話だ。

 

 するや、乱暴に席を立つ音が会議室に響いた。

 

「───くだらねえ」

「ちょっと、どこ行くのよ!?」

 

 止めるシナモンも厭わず、不機嫌を隠さないキュウが出口を目指す。

 

「キュウ」

「話は済んだろ、理事長さんよ」

「……分かっているなら構わん」

 

 そのまま鼻を鳴らし、キュウは退室していこうとする。

 てっきり呼び止めるかと思いきや、彼が立ち去るのを認めたモッコクに呆然とするのも束の間。

 

 すぐさま我に返ったシナモンは『ちょっと!』と声を張り上げた。

 

「まだ話は終わってないっての! むしろ、ここからが本題でしょーが!」

「いいや、終わったね。理事長さんが言いたいことは、チルッとズバッとおみとおしよ」

「いや、言ってる意味わかんないんだけど」

 

 至極真面な返答だ。

 しかし、彼女を始めとしたピンと来ていない面々に溜め息を吐いた青年は、仕方ないと言わんばかりに踵を返す。

 

「要するに、行動で示せってこった。御上が今の今まで捜査して見つからなかった悪党を、ぼくらがここで話し込んだところで犯人は見つからめぇ。そんならぼくらはジムリーダーらしく、ジムと町を守れってこった」

「そりゃあ……そうかもしれないけど! もっと、こう……あるでしょう!」

「生憎ないね」

 

 キュウは良い顔で言い切ってみせる。

 その上『もっとも?』と不敵な笑みを浮かべる彼は、ヒラヒラと手を振りながら背中越しで続けた。

 

「悪党がのさばってると知った以上、手をこまねてるつもりはねぇ。ジム……いーや、町総出でとっ捕まえてやらぁ。ぼくの故郷で好き勝手はさせねぇ」

 

 次の瞬間、出入り口の扉から吹き込む突風と水飛沫が会議室を襲う。

 思わず目を閉じる面々だが、ゆっくりと瞼を見開いた先には開けっ放しになった窓と、遥か空高くを羽ばたくペリッパーの姿があった。

 

「……あの地元馬鹿め」

 

「キュウ、地元のポケモン。特性、じもとあい」

「住民の数だけ攻撃を加える」

 

「誰よ、今ふざけた奴」

 

 シナモンのジト目がアップルとヒマワリの方を向いた。当人らはそっぽを向き容疑を否定しているが、近くで聞いていたピタヤが苦笑いしている以上、犯行は確実と思われる。

 

 それはさておきと、彼のおかげで説明の手間が省けたとモッコクは頷いていた。

 

「キュウが言ったように今すぐ君らの潔白を証明しろというのは土台無理な話だ。当然、それは私にも言えるがね」

「理事長……」

「だが、一つ誤解を招いたことは謝らなければならん」

 

 するや、モッコクの口元には薄い笑みが浮かぶ。

 あんなにも巌のように堅い表情に覗いた僅かな柔らかさだ。それを目の当たりにし、空気が程よく弛んだのを見計らい、トーホウリーグを導く男は言い放った。

 

「先に内通者はジムリーダーの可能性もあると言ったな。……あれはあくまで組織を運営し健全なリーグ運営を進める者として、フラットな観点から口にしたに過ぎん」

「つまりぃ?」

「そう心配せずとも、君達以上に信頼も信用もできる人間は居らん。私個人としては、そう思っている」

 

 だからこそ呼び集めた。

 最後に全幅の信頼を確約している旨も付け加え、男は改めて全員を見渡す。

 

「トーホウリーグを設立するにあたって、私はジムを担う強者を己が目で見極めんと各地を渡り歩いたという自負がある」

 

 言い切る声は力強い。

 これも、それだけの期待を8人には抱いているからこそ。

 

「皆の実力は勿論のこと、トーホウに四天王が居ない事実を踏まえても、各々の経歴は勝るとも劣らんものがある」

「そう……ですかね?」

「君は自分を過小評価するきらいがあるな、ピタヤ。それではドラセナの面子も立つまい」

「は、はい!! お師匠の名前を出されると弱いなぁ……たははっ」

「他の皆も同じだ」

 

 ()()の名前を出された途端、おっかなびっくりであったピタヤの背筋がピンと伸びる。

 

 こう言ってしまえば元も子もないが、ポケモンバトルの世界は()()()()狭い。

 とある界隈で活躍するトレーナーが、別の界隈で活躍するトレーナーの血縁や関係者であるケースは少なくない。例えばジョウトジムリーダー・イブキも、セキエイリーグチャンピオン・ワタルとは従兄妹の間柄だ。

 才能が血筋と因果関係がある───とまでは言わないが、優れたトレーナーと共に競い合って過ごす、あるいは師弟関係として過ごすことで、トレーナーとしての才能に芽が出る速さや確率は段違いだ。

 

 そういった筋の推薦を受け、集った精鋭こそこの8人。

 

 

 カロス四天王・ドラセナの弟子───ピタヤ。

 

 

 ホドモエジムリーダー・ヤーコンのライバル───リック。

 

 

 フエンジムリーダー・アスナの兄弟弟子───ヒマワリ。

 

 

 パレスガーディアン・ウコンの弟子───キュウ。

 

 

 サンヨウジムリーダー・デントの先達───タバコ。

 

 

 名門・ジョーイ家出身の元ジム監査官───シナモン。

 

 

 ミアレジムリーダー・シトロンの旧友───アップル。

 

 

 ホウエンチャンピオン・ミクリの弟子───リリー。

 

 

「君達の背負っているものはリーグの威信や地方の安寧だけではない。推薦してくれた者達の信頼と信用がある」

 

 だからこそ、真っ先に内通者の件を告げられた。

 そう語ったモッコクに集められる視線に、最早懐疑的なものは混じっていない。あるのは己が背負う責務と信用に報いらんとする純然たる闘志だった。

 

「さて、ここまで話した上で君達に任せたいことはシンプルだ」

 

 一つ、引き続きの治安維持行為。

 一つ、ジム内部に内通者が居ないかの調査。

 

 この二点が、今回伝えられた大まかな指示だ。内容は単純そのものだが、課せられた任務は重大に他ならない。

 

「リーグ内部に居ると分かったのも、リーグのデータベースから情報を抜き出されたわずかな痕跡からだ。それをロケット団がどう活用するかまでは分からんが、今から用心するに越したことはない」

「国際警察からの情報によれば、他の地方から来訪した組織との接触も確認されているとのことです」

「……大勢の力を合わせることで大きな力を生み出す、それが組織というもの。今こそ我々は一つになって事に当たるべきだ。頼んだぞ!」

 

 力強い声と共に、ジムリーダーは立ち上がる。

 

 ある者は任せられた大役を果たそうと。

 ある者はいつも通りの日常へ帰ろうと。

 

 各々の想いを抱きながら、会議を去るのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「じゃあ、今から皆でご飯でも行くってのはどぉ?」

「なんで?」

 

 タバコの間延びした提案を聞き返したのはシナモンだった。

 リーグ本部を出て、これから持ち場に帰る矢先の出来事だ。

 

「だってぇ。どうせ今日はジムお休みにしたし、仲を深める意味合いの決起集会的なぁ?」

「いや……流石にあの締め方からのごはんって……」

「嫌ぁ?」

「別に嫌って訳じゃないけど……」

「じゃあ、シナモンは決まりねぇ」

「なんでわたしゃ強制参加なのよ!」

 

 『別にいいけど!』と食事に同行することが決まったシナモンは、半ばやけくそ気味に承諾した。

 

 残るはピタヤ、ヒマワリ、アップルの若者三人と、妻帯者のリックだが、

 

「スマンがオレはパスだ。早く帰れたら家族で飯食いに行く約束してるんでな」

「自分も。先約がある」

「あっ、じゃあアタシも……」

「右に同じく」

 

「ん全員不参加ぁ!」

 

 シナモンの叫びは虚しく空に響き渡る。

 

「ちょっと待って! 一人くらい来ないの?! これじゃいつもの飲みと変わらないんだけど!」

 

「それじゃあな」

「あ、待ちなさいリック! あんた年長者でしょ! これ見よがしに奥さんと娘さんを免罪符にしやがって! わたしを前に許されると思うな!」

 

「お誘いはまた今度で」

「ヒマワリ! あんたは誘ってもこないでしょ! わたしポケスタグラム見て知ってるんだからね! 大抵焼いてるでしょーが、肌を!」

 

「お気持ちは嬉しいんですけど、アタシだけじゃお二人と話が合うか不安で……ごめんなさい!」

「ピタヤ? あぁ……そ、そう? それなら仕方な……え? いや、ちょっと待って。話合わないかもって、そんなに歳離れてると思われてる? だってわたし29よ? そんなに離れてなくない?」

 

「ゲームやりたいんで」

「そこまで正直だといっそ清々しいわ。でもこの拳を振り翳したい衝動を止められない」

「パワハラ反対」

 

 ヒョイとシナモンのマッハパンチを避け、アップルはロトムの電力で動く電動自転車に乗って逃げ去る。

 その他の面子も各々の手持ちに乗っては、ジムのある町へと帰っていった。

 残されたのはシナモンとタバコの二人。やけに虚しく鳴り響く風の音は、シナモンの耳に張り付いていた。

 

「……タバコ」

「なにかしらぁ?」

「今夜は……飲み明かすわよぉーっ!」

「ご注文承ったわぁ」

 

 一致団結には、もう少し時間が掛かりそうなトーホウジムリーダーだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ガラガラ、“ボーンラッシュ”!」

「ガラァ!」

 

 おどろおどろしい炎を宿す骨を振り回し、暗い体色のガラガラ───アローラ地方に適応したリージョンフォーム───が、ルカリオに肉迫する。

 

「“みずの……」

「キャッハハハ、遅ぉーい! ド派手にぶっ飛ばしちゃいなァ!」

「っ!」

 

 一瞬反応が遅れたコスモスにシンクロするように身動きが止まったルカリオへ、“ボーンラッシュ”の一撃目が叩き込まれた。

 歯を食い縛り、なんとか堪えてみせるルカリオであるがこれは連続技だ。すかさず二撃目、三撃目が守りの薄い箇所を的確に狙ってくる。

 辛うじて四撃目を見切って躱すも、ルカリオの息が上がるのが見えた。弱点とあって、流石に無視はできないダメージを負ったようだ。

 

「ようやく骨のあるトレーナーが出てきましたね」

「バウッ!」

 

 コスモスの言葉に、ルカリオは力強く頷いた。

 今のバトルを含めれば通算5戦目だ。ルカリオ以外も使用しているとは言え、流石に疲労が見え隠れし始めた。それでも一戦一戦を迅速に終わらせてきた分、余力はまだまだ残していると言えよう。

 

 となれば、単純に相手の質が上がってきたと捉えるべきか。

 チラッと目線をずらせば、ガラガラの奥に立つジムトレーナーの姿が窺える。その容姿は紛れもなく受付対応をしてくれた気弱そうな女性だったのだが……。

 

「ガラガラァ!! 燃やせ燃やせ燃やせェ!! 燃えろ燃えろ燃えろぉ!! 熱く熱く焼き尽くせぇー!!」

「ガルルルルルルルルルァアー!!」

()ャッッッハー!!」

 

「……」

 

 いかんせんキャラが違い過ぎる。

 メタモンもびっくりの変貌ぶりに、コスモスでさえ何とも言えない表情でバトルに挑んでいる有様だ。

 

(あんまり見たことないトレーナー……ちょっと調子が崩れたかもしれない)

 

 一呼吸置き、コスモスは現状を再確認する。

 相手のガラガラはリージョンフォームの個体。通常のガラガラがじめんタイプであるのに対し、リージョンフォームとなればほのお・ゴーストと通常種とはまるっきり変わったタイプとなるのが特徴だ。

 幸いにも両方みずタイプが弱点であることに変わりはない。これまで通り“あまごい”からの“みずのはどう”で攻めれば堅実に勝利を掴める───はずだった。

 

「ガラガラ、“ボーンラッシュ”!! “ボーンラッシュ”!! “ボーンラッシュ”ゥッ!!」

「回避!」

「か~ら~の~、“シャドーボーン”!!」

 

 息も吐かせぬ猛攻を繰り出すガラガラに、ルカリオは防戦一方だった。

 回避に徹し、次々に紙一重のところで攻撃を躱し続ける。

 

 しかし、単調なラッシュパターンの合間に割り込まれた渾身の一撃が、ルカリオの立っていた地面を叩き割ってみせた。

 これにより足場は不安定に。

 虚を突かれたルカリオが瞠目する間も、ガラガラは骨を振り回すことを止めない。地面を叩いた反動で跳ね上がった太い骨をキャッチするや、そのまま体を捻った勢いで振るった一撃を相手へと見舞ってみせた。

 

 寸前で腕を交差し、受け止めたルカリオ。

 だが、数メートルほど吹き飛ばされた勢いから見ても分かる通り、ルカリオの体力は確実に削られてきている。

 

(“あまごい”をする暇がない、か……)

 

 事実を客観的に見ていたコスモスが下す結論だった。

 今回のジム対策として覚えさせた“あまごい”であるが、とどのつまり急場しのぎの付け焼刃だ。普段から“あまごい”を使っているポケモンと比べた時、初動の速さで遅れは出る。

 技も慣れているかそうでないかで、繰り出すまでに時間は変わるものだ。

 慣れた技であれば素早く繰り出せるし、逆に覚えたてともなれば少々手間取る場合もあろう。

 

 その二つの内、ルカリオの“あまごい”は後者だ。一日二日で習得したにしては十分な練度でこそあるが、それ以上の速さで攻撃を加えられようものなら、()()()()()()()()()()()()()()

 

 現在の天候は霰。

 タイプ上、双方有利とも不利とも言い難い天候でこそあるが、防戦一方となれば話が違う。じわじわと体力を削られる以上、ダメージレースで負ける光景が目に見える。

 

(下手に固執すれば後手を取る。こうなったら……)

 

 吹き飛ばされ距離を取ったのを機に、コスモスは体勢を立て直したルカリオへ、思念によって今後の展開についての指示を送る。

 正確にはルカリオが波動で思念を読み取る訳だが、それこそ慣れたものだとルカリオの読心は一瞬で済んだ。

 

「───GO」

「バウッ!」

 

 声に出せば、明確な合図を受け取ったルカリオが疾駆する。

 しかし、これにジムトレーナーの女性は笑みを吊り上げた。

 

「真正面から来たところで……飛んで火に入るアゴジムシってねェ!! “かえんぐるま”で迎撃ッ!!」

「ガラァ!!」

 

 吼えるトレーナーに呼応し、奮い立つガラガラが自身の体の前に骨を構え、円を描くように高速で振り回し始める。

 すれば骨の両端に灯った蒼炎が走り出すガラガラの全身を包み、たちまちにバトルコートに焦げた轍を刻む火車となった。

 

 このガラガラに限っては生半可な攻撃では前面で振り回す骨に弾き飛ばされる攻防一体の突進技。降り注ぐ霰も“かえんぐるま”の熱によって小さく溶け、ガラガラに与えるダメージを小さくなっている。ほくそ笑むトレーナーの表情から分かる通り、この技を繰り出して負けたことはないという自信が目に見えるようだ。

 

───だが、それはお互い様。

 

 コスモスの瞳が、勝機を見極める。

 

 

 

「───今!!」

 

 

 

『技は四つ同時に出せる』

『なんですって?』

『だってほら。リザードン見て』

『……ああ、なるほど。そういう訳ですね』

『でしょ?』

 

 

 

 脳裏にレッドとの会話が過るのも束の間、ルカリオの両手には()()()()()()()()()()

 

 その光景を目の当たりにしたジムトレーナーの顔には驚愕が浮かぶ。

 

「なッ!? ……いや、そんな猫騙しでッ!!」

「“みずのはどう”、連結(チェイン)

「“かえんぐるま”は破れない!!」

「───“あくのはどう”!!」

 

 右手から解き放たれた波紋が“かえんぐるま”に衝突し、燃え盛る火勢を削り落とす。

 その間隙を縫うかの如く、悪意に満ちたオーラが炎の壁が突き刺さる。するとゴーストタイプのガラガラはとうとう耐え切れず僅かながら怯み、突進の勢いを殺されてしまった。

 

「ガラガラ!?」

「追撃!」

「やってくれる……!! けど、火力は低ぅい!!」

 

 燃えろ!! とその一言でガラガラは立ち上がり、先ほどを上回る速さで骨を振り回す。

 さながら“ほのおのうず”を纏うが如し。自傷も厭わぬ烈しい火勢を以て守りを固めるガラガラが不敵な眼差しをルカリオへと送る間、トレーナーの女性もまた同様の眼差しをコスモスへと送っていた。

 

「両手を使って技を連発するなんて……!! よっぽど練度を高めなきゃ一発限りの不意打ちにしかならないってのォ!!」

「じゃあ、試しましょうか」

「望むところッ!! ガラガラ、もう一度“かえんぐるま”だよッ!!」

 

 再び火車と化したガラガラがルカリオへと肉迫を仕掛ける。

 すかさずルカリオは、先ほどと同様それぞれの手に“みずのはどう”と“あくのはどう”を準備する。そのまま相手が近づけば、タイミングを見極めて“みずのはどう”から順に繰り出していった。

 

 次も火炎の鎧を剥がし、遅れてやって来る“あくのはどう”がガラガラに叩き込まれる。

 今度は意表を突かれなかった分、その場に踏み止まれこそはしたが、力押しで突破できないと悟ったジムトレーナーの表情は優れない。

 

(付け入る隙が……ないっ!)

 

 想像以上の練度。思わずジムトレーナーも歯噛みする。

 

───『連結技(れんけつわざ)』。

 

 一時期、ポケモンバトル界隈で流行った技術の一つだ。

 簡単に説明すれば、複数の技をあたかも一つの技であるかのように連続で繰り出すというもの。それまで基本的に一つの技を繰り出した後、相手から返しの攻撃が繰り出されていたポケモンバトル界隈では、初めての相手の意表を突ける速攻戦法として多用されていた。

 

 しかし、流行はほんの一瞬で終わりを迎えた。

 

 なにせこの連結技、習得まで多大な時間を要する。中途半端な連結技は威力はお粗末、技の出は遅い、ポケモンのスタミナの減りが早い、それに加えて隙が大きいと来たものだ。

 完全な“技”として昇華させるには、それこそエリートトレーナーやベテラントレーナーレベルの腕がなければ難しい。仮に通用するレベルに至ったところで、ポケモンリーグ級の舞台では分かりやすい大技など事前に研究され、対処されてしまう。

 やがて連結技はバトルとは関係のないコンテスト界隈へと活躍の舞台を移し、ポケモンバトルでは少数の使用者を除き、姿を消すのであった。

 

(けど、なんなのこのルカリオ!?)

 

 依然としてルカリオの動きに乱れはない。

 一糸乱れぬ波動の波濤は、とどまることを知らずにガラガラへと押し寄せる。

 

 “かえんぐるま”と骨の防御のおかげで受けるダメージは最小限に食い止められているが、塵も積もれば山となる、だ。霰のダメージも加えれば、すでに序盤の優勢がチャラになってしまうほどにガラガラの体力は削られてしまっているではないか。

 

「このまま押し切られる!? そんな!!」

「ルカリオ、今!」

「しまっ……!!」

 

 ジムトレーナーの動揺に動きが乱れるガラガラ。

 その隙を見逃さなかったコスモスの合図と共に、トドメと言わんばかりの鬼気迫った形相のルカリオが両手の波動を解放する。

 

 水が炎を剥がし、悪が霊を穿つ。

 技のタイプとポケモンのタイプ。二つの弱点を突いての攻撃がガラガラへと衝突するや、渦を巻いていた炎が爆散する。

 

「ガラガラっ!?」

 

 爆発によって発生した黒煙は、ガラガラの姿を隠すように地表に滞留する。

 未だガラガラの姿は窺えない。トレーナーも審判も、ガラガラがどうなったのか固唾を飲んで見守っている。

 

 黒煙が晴れる、その時まで───。

 

「ガ……ラァ!!」

「よぉぉぉおっしゃ!! よく耐えたガラガラァ!! “ホネブーメラン”をお見舞いだぁぁぁあああ!!」

「ラアアアアッ!!」

 

 自然に煙が消えるのを待たずして雄々しい咆哮で健在を知らしめるガラガラ。

 そんなパートナーの執念に燃え上がったジムトレーナーの指示が飛び、続けて太い骨がルカリオ目掛けて飛んでいった。

 

 当のルカリオはと言えば、事前に攻撃が来るのを察知していたかのように飛来する骨を跳躍で回避する。

 

「避けたか!!」

「ルカリオ!」

「ッ……バウッ!」

「でも、まだまだァ!! “かえんぐるま”で追撃ィ!!」

 

 コスモスとルカリオが意思疎通を図る間、ジムトレーナーは“かえんぐるま”を指示。

 炎を身に纏うガラガラは、身一つでルカリオへトドメを刺さんと突進する。対するルカリオもまた、両手に“みずのはどう”と“あくのはどう”を溜め、肉迫するガラガラを迎え撃たんと身構える。

 これまでの結果を考慮すれば、骨による防御のない分、ルカリオの連結技はガラガラの“かえんぐるま”を突破する可能性は高い。

 

(負ける? ───訳ゃないってのォ!!)

 

 ほくそ笑むジムトレーナーが見据えていたのは、ルカリオの背後に迫る“ホネブーメラン”。

 ルカリオの武器が連結技なら、ガラガラの武器は連続技。遅れてやって来る攻撃は勝利を確信したトレーナー相手ほど虚をつくには持ってこい。

 今、ガラガラが突進している間にも弧を描いて戻ってきた“ホネブーメラン”はルカリオの背後へと差し迫る。ルカリオは完全にガラガラを見据えており、後ろの攻撃に気づいた様子はない。

 

「そこォ!!」

 

 確信を口に出した直後、炎と骨が交差する。

 直後、中心に居たルカリオの両手のエネルギーは弾け飛び、同時にルカリオの体も宙に舞った。

 

「今だ、“ボーンラッシュ”!!」

「ガ……ガラァ!?」

「どうしたの、ガラガラ!? 畳みかけるんだ……よ……?」

 

 困惑して立ち止まるガラガラに声を飛ばしていたジムトレーナーだが、徐々に覚える違和感に声の熱量が冷めていく。

 

 何か、ない。

 何が、ない?

 ()が、ない。

 

「骨……ほ、ね、ぇええええっ!!?」

「ルカリオ」

「バウッ!」

 

 コスモスの声に応じ、宙を舞っていたルカリオは体勢を立て直し、華麗に着地してみせる。

 その手に握られているのは太い骨。両端に灯る炎からして、元の所持者がガラガラであることは明白。

 にも関わらず、ルカリオは使い慣れた得物であるかのように自由自在に振り回している。

 

 そうして感触を確かめられている間、ジムトレーナーはガラガラと骨が交差した瞬間を思い出す。

 

 あの時、爆散した波動エネルギー。

 あれはもしや、攻撃を受けて分散してしまったのではなく、寧ろ予定調和だったのではなかろうか?

 

「まさか……波動で“ホネブーメラン”の勢いを殺したっていうの!?」

「背後からの攻撃だろうが、ルカリオに死角はありません」

「くっ!?」

「これで終わりですね」

「っ……まだ負けてなァい!! “かえんぐるま”で燃え上がれええええ!!」

 

 奪った得物を振り回すルカリオへ、ガラガラは特攻を仕掛ける。

 烈しい炎で降り注ぐ霰を物ともせず、はがねタイプのルカリオへ一発逆転を狙っていくが、静かに骨を高く構えた。

 

 使う技は、

 

「───“ものまね(ボーンラッシュ)”」

 

 ルカリオの、()()()だ。

 

「バウッ!」

「ガッ!?」

 

 上段から喉への突き。

 急所へのヒットに、ガラガラの動きが止まる。

 

「バウッ! バウッ!」

「ガラ、ガッ!?」

 

 そのまま上へ振り上げ、顎にヒット。

 完全に立ち止まったところへ、今度はその場で回転した勢いで振り回し、ルカリオは一撃叩き込んだ。

 流れるような連撃だった。これには分厚い頭蓋骨で頭部を守られているガラガラも、衝撃で脳を揺さぶられ、足元が覚束なくなる。

 

 勝機は今、と。

 時同じくしてコスモスとルカリオの思考はシンクロし、現実も動き出す。

 

 ルカリオの重ね合わせた掌から溢れる漆黒の本流は、たちまちにバトルコートを暗く照らし上げた。

 

「ルカリオ!」

「バウッ!」

「“あくのはどう”ッ!」

 

 渾身の一撃がガラガラの全身を呑み込んだ。

 『ガラガラァ!?』とトレーナーから上がる悲鳴をも掻き消すこと数秒。吹き飛ばされたガラガラは、二、三回ほど地面を後転し、最後にはでんぐり返しの状態で目を回していた。

 

「ガ……ラァ……」

「ぁ……ガラガラ……」

「ガラガラ、戦闘不能! 勝者、挑戦者コスモス!」

 

 審判がコスモス側の旗を振り上げる。

 それこそが明確な勝者の証明。ほのおジムの苛烈な激闘を制した勝利を称えるかの如く、今まで彼女に負けてきたジムトレーナーも観客席から拍手を送っていた。

 

「これで5勝……ルカリオ、よくやった」

 

 額に浮かんでいた汗を拭いながら、コスモスは労いの言葉をルカリオへかける。

 

(流石に疲れてきた……一体いつまで続くのやら)

 

 ここまでの連戦は久しぶりのコスモスは、顔に疲労が浮かび上がっていた。

 すかさずバッグから取り出した一口チョコの包装を破り、口に放り込んで糖分補給を図る。

 

「あ、あのぅ……」

「ふぁい?」

 

 するとそこへ、バトルしたばかりのジムトレーナーがやって来た。

 さっきとは打って変わっておどおどした様子。その温度差には風邪を引いてしまいそうだ。

 

「なんでしょうか?」

「そ、その……ジム戦についてなんですけれども……」

「ああ、そのことについてなんですが、あと何戦くらいしたらジムリーダーと戦えるんです?」

「ひゃ!? い、いえ、実は、そのぉ……これででジム戦は終了で……」

「はい?」

 

 聞き間違えだろうか?

 思わず唖然としてしまったコスモスは、ルカリオと一度見つめ合ってから、今一度ジムトレーナーの方を向く。

 

「今なんて言いました?」

「はぅ! ですので、きょ、今日はジムリーダーが不在で……ぁ……ひ、ひとまず、受付の方でお話しいたします! すみません!」

 

 という訳で場所を移動(テレポート)

 

「お疲れさま」

「とんでもない」

 

 と、観客席で見守っていたレッドとも合流。

 こうして未だ釈然としない受付兼ジムトレーナーの女性への尋問タイムへと突入した。

 

「ジムリーダーが不在とはどういうことですか?」

「すすす、すみませぇん! 最初にご説明するべきだったんですが、私が上手に伝えられなくて……先程お伝え通り、ジムリーダーは今日不在なんですぅ……」

「でも挑戦は受けられると……」

「で、ですので、その代理を私が……」

「……なるほど」

 

 ようやくコスモスは腑に落ちる。

 

(私がさっさと挑戦を催促したせいですね、これは)

 

 自覚はある。

 極端に弱気な性格相手に説明途中でグイグイ挑戦を促した結果がコレだ。

 

 しかし、悪気もなければ反省する様子も見せない。

 何故ならば、

 

(ジムリーダーが居なかったということは、つまり普段より楽にジムを攻略できたということでは?)

 

 合理主義者だ、この少女は。

 現実的な話、いくら代理を任されようがジムトレーナーがジムリーダーを勝るケースはない。その点から言って、ジムリーダー不在が挑戦者にとって有利に働くのは当然と言える。

 

 なんて得をしたのだろう! と真顔の裏で歓喜に沸き立つコスモスは、すかさずジムトレーナーへと問いかけてみた。

 

「では、ジムバッジは貰えるんですか?」

「そ、それはもちろん! こちらにスナオカジムを突破した証である、デューンバッジをご用意いたしまたので……」

 

 

 

「……ジムリーダーじゃない」

 

 

 

「!」

 

 不意に聞こえた声に振り返る。

 そこには普段と変わらぬ無表情ながら、どこか重々しい空気を纏っているレッドの姿があった。

 何かを訴えかけるような様子に、コスモスは嬉々としてバッジへ伸ばそうとした手を一旦止める。

 

「すぅ……はぁー」

 

 深呼吸を挟み、コスモスは自分に言い聞かせる。

 確かにジムリーダーとは戦えなかった。だが、ジムが用意した形式の挑戦を真正面から突破してみせたではないか。バトルには正々堂々打ち勝った。どこにも後ろめたい要素などない。ならばこのジムバッジを受け取る資格が自分にはあるはずだ───。

 

「……ごくり」

「ジムリーダーじゃ……ない」

「!」

 

 ピタッ、と。

 今度は完全に静止するコスモス。ジムバッジを差し出していたジムトレーナーも、何事かと俯いている少女の異変に気が付く。

 

「ど、どうかしましたか……?」

「あの、ここでバッジを受け取らず、後日ジムリーダーに挑戦させてもらうことは可能ですか?」

「え? ……え、えええッ!?」

「お願いします」

 

 深々と頭を下げて頼み込むコスモスに、対応していたジムトレーナーどころか、様子を窺いに来た他の人々も目を丸くしている。

 なにせ挑戦者側からバッジを受け取らない事態など、スナオカジム始まって以来、初めての出来事だからだ。

 

「ど、どどど、どうしましょう……!?」

「規則ということでしたら最初から挑戦し直します。予約も改めて取り直しますので……」

「さ、流石にそこまでは……で、でも分かりました! 貴方のその心意気に私、心に火が……火が点いてきたあああ! なんとかジムリーダーだけに挑戦できるよう頼み込んでおきますんで、ご心配なくッ!」

「ありがとうございます」

 

 痛く感心した様子のジムトレーナーは、これまたバトル中の性格へと変貌を遂げ、コスモスの頼みを快く引き受けた。

 一安心したコスモスは、そのまま背後に立っていたレッドの方を向いて様子を窺う。

 師匠の男の表情に変化は見られないが、どことなく雰囲気から重々しさは消えている……ような気がした。

 

(これでいいんですよね、先生……!)

 

 心でサムズアップを送るコスモスは、レッドからのサインを無事にやり遂げたと言わんばかりの達成感に満ち溢れていた。

 

(ジムリーダーを突破せずしてジムバッジを受け取ることなかれ……近道ばかりに目が向いて、危うく先生を失望させてしまうところでした)

 

 自身にとって最終目的がリーグチャンピオンである以上、通過点であるポケモンジムはさほど重要とは言い難かった。

 

 しかし! レッドの瞳を見て、コスモスは自分の甘さを悔い改めた。

 彼はジムの突破ではなく、ジムリーダーの攻略を望んでいる……と。代理として立てられたジムトレーナーに勝利するのみでは、レッドの望んでいる強者への道のりから大きく外れてしまう。

 

 それをコスモスは自分に向けられた視線から受け取ったのであった。

 

(挑戦はまた後日。その時まで、先生には失望されぬよう特訓しなくては)

 

 コスモスのリーグチャンピオンへの道はまだまだ長そうだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ジムリーダーじゃないって……もしかして、予約の時に聞き逃してた?」

「ピカァ?」

「いや……うん……説明を聞いたような……気がしないでも……ない」

「チュウ……」

「もしかしてやっちゃったのかも……それにしても、コスモスはよっぽどジムリーダーと戦いたかったんだなぁ」

 

 師弟のすれ違い、未だ改善する気配はない。

 




Tips:スナオカジム
 スナオカタウンに建つポケモンジム。エキスパートタイプはほのお。建物は赤レンガメインに、ところどころにステンドガラスの装飾が施された、一見美術館のような綺麗な建物である。
 ジムのコンセプトとしては『天候への対応』を掲げており、特定の天候に対する挑戦者の対応力に着眼している。その為、バトル開始前にバトルコートの四角に設置されたポワルン像の機能により天候を『晴』、『雨』、『霰』、『砂嵐』のいずれかに変更される。
 ジムリーダーを務めるのはヒマワリ。


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№028:日曜朝で分かるジェネレーションギャップ

前回のあらすじ

コスモス「先生がジムリーダーを倒せと言うままに」

レッド「言ってない」


───チュン、チュン。

 

 

 

 窓の外から鳥ポケモンの囀りが聞こえてくる。これはオニスズメのものだ、と。そう認識した時には既にコスモスの瞳はパッチリと開いていた。

 

「んっ……」

 

 ゴシゴシと目を擦るコスモス。

 設定したアラームが鳴るよりも前に解除すれば、今日も今日とてロケット団再興の一日が始まりだ。

 

 まずは眠気を覚ます為にカーテンを開く。眩しい。

 次に洗面台へと赴いて手際よく顔を洗う。冷たい。

 最後にモモン風味の歯磨き粉で歯を磨く。美味い。

 

「よしっ」

 

 すっかり眠気は吹き飛んだ。

 身支度を整えれば、泊まっていた部屋を後にして食堂へと向かう。コスモスとレッドがスナオカタウンで寝泊まりしている場所は、ポケモントレーナー御用達のポケモンセンターに併設された宿泊施設だ。流石に泊まり心地は高級ホテルには及ばないとは言え、トレーナーカードを持っていれば格安となる宿泊料を思えば、十分すぎるほどに設備が整っている。

 

 宿泊客のみが利用できる食堂も、年若く旅に出る子どもにも利用しやすいようにと値段は良心的だ。町ごとに内装に違いはあるのはポケモンセンターと同様であるが、広々とした間取りと手持ちのポケモンとの団欒を楽しめるだけの間隔のゆとりは共通している。

 

 確保するのは程よい朝日に暖められ、なおかつ涼やかな風が吹き込んでくる窓際の席。そこを自分と遅れて来るもう一名分を確保する。

 

「すみません、これを」

「はぁ~い!」

 

 購入した食券を渡せば、あとは朝食が来るのを待つばかりだ。

 その間、自分は手持ちの分の朝食を用意する。献立は勿論、ポケモンにとっての完全食ことポケモンフーズだ。ポケモンの種族によっては違う種類を買う必要も出てはくるが、今のところコスモスの手持ちはその必要に迫られてはいない。

 

「みんな、ごはん」

 

 器に注がれたポケモンフーズを差し出せば、手持ちの一部は『わーい!』と言わんばかりに歓喜に沸き立ちながら、がっつき始める。

 

 丁寧に一つずつ手に取って食べるルカリオ。翼を器用に使って口に運ぶゴルバット。リボンのような触角で掴み上げるニンフィア。寧ろ自分からごはんへと突っ込むコスモッグ等々……たった四体のポケモンであっても食べ方は十人十色である。

 

(問題は……)

 

 ちらりと視線を後ろへ。

 やや離れた場所に佇んでいる大きな体躯。頭部に着けた兜は、通りがかるトレーナーの誰もが二度見し、トレーナーである少女へ怪訝な視線を送るほどだ。

 

 しかし、当の少女は気にした様子は見せない。

 食堂の一角に備え付けられたテレビを観つつ、時折様子を窺うように一瞥をやるばかりだ。

 

(食事は……やっぱりきのみだけ)

 

 タイプ:ヌルにも当然朝食は出している。

 が、彼は頑ななまでにポケモンフーズには手を出さないのだ。ドライフードでもウェットフードでもダメ。唯一口にするものはと言えば、それこそ取り立てたばかりの姿をしたきのみぐらいである。

 本日もポケモンフーズの中にきのみを入れてはみたが、フーズだけ綺麗に除けられていた。

 

(マスクをしたままで、よくもまあ器用に……)

 

 コスモスが呆れている間にも、きのみだけ食い漁ったタイプ:ヌルは残されたポケモンフーズには手を出さず、そのまま床の上で寝息を立て始めた。

 すれば、物陰からこっそりと余ったポケモンフーズへ忍び寄る食い意地の張ったコソ泥が一匹。

 

「ピィ?」

「……コスモッグ。()()、食べる?」

「ピィ! モッグ、モッグ!」

 

 綿あめのような身体を弾ませ、コスモッグはポケモンフーズの山へと覆い被さる。

 先ほど自身の分まで食べたというのに、その小さな図体のどこに収まっているのかと問いたくなる量を貪るコスモッグは、ものの数分で器の中身を平らげてみせた。

 

「ピュ~! ……モッグ!」

「もうダメ」

「ピ!? ピィ、ピィ~!」

「アメあげるから我慢」

「ピィ! モッ……」

「“ほしがる”も覚えている可能性あり、と……」

「?」

 

 二人前平らげた挙句、まだ要求してくるコスモッグをアメで懐柔するコスモスは、呼び出し鈴の報せを受けて持ってきた朝食のサンドイッチを頬張りつつ、日曜朝に集中している子供番組へと目を向ける。

 すると流れてくる明るいメロディ。

 

『ブイキュア♪ ブイキュア♪ ブイキュア♪ ブイキュア♪ イーブイで♪ キュアキュア♪ ふたりはブイッキュア~♪』

 

「……」

 

『朝の陽射しは命の輝き……ブイシャイン!』

『月の光は心の煌めき……ブイムーン!』

 

 女児向けアニメの変身バンクだったようだ。

 しかしながら、コスモスは娯楽アニメに興味のない人種。その所為でキキョウシティのポケモン塾ではクラスメイトと話が合わなかったが、そもそも合わせるつもりもなかった。

 懐かしくもなんともない思い出だ───そのようなことを考えつつ、スマホロトムを取り出し本日のトップニュースに目を通す。

 だが、その間も共用のテレビのチャンネルは変わらず、延々とアニメの音声は聞こえてくる。

 

『貴方の悪だくみもそこまでよ、ダー・クラ・クライ!』

『ダーッカッカッカ! ようやく現れたか、ブイキュアよ! キッサキの雪の如く積もりに積もった雪辱……今日という今日こそはメッタメタのメルメタルにして晴らしてやるぞ!』

『望むところよ! みんなに悪い夢を見せるオイタは許せないんだから! クレセリアに代わってオシオキよ!』

 

 

「『イッシュリーグチャンピオン・アデク引退?! 後任はソウリュウジムリーダーか』。あそこのジムリーダーはシャガとアイリス……」

 

 

『ゆけい! 我がしもべ、ペンドラ・ローラーよ! ブイキュアをぺっちゃんこにしてしまえい!』

『くっ、なんていう大きさなの……!』

『シャイン! ここはあたしが時間を稼ぐわ! その間に瞑想でパワーを溜めて!』

『わかった!』

 

 

「『コンテストアイドル・ルチア、トーホウ進出?! 全国ツアー決定!』。コンテスト……なるほど、そっちのメディア進出も……」

 

 

『無駄無駄、ハードローラーをくらえい!』

『はああああ!』

『な、なにィー!? 加速したペンドラ・ローラーのあの巨体を受け止めただと!?』

『シャイン、今だよ!』

 

 

「新番組『ミカンとスモモの同席食堂』。……バラエティの宣伝か」

 

 

『ブイキュア、がんばれー!』

『! みんなの応援がわたしのパワーに……食らえ! ブイキュア・カルム・マインド・アシストパワー!』

『ぐわあああ!? そ、そんなバカな! 大枚叩いて造ったペンドラ・ローラーが消し炭に!? うぐ、ぐーっ! 覚えてろぉー!』

 

 

「……」

 

 思わずチラッとテレビに目を移す。しかし、すでに画面はエンディング冒頭。ブイシャイン“めいそう”を積んで“アシストパワー”の披露する雄姿を、この目で見届けることは終にできなかった。

 

『続いての番組はコレ! 『超合体戦士 タウリナーΩ(オメガ)』! みんな、絶対見てくれよな!』

「あ、タウリナーΩだ……」

 

 次なる番組紹介に入った瞬間、眠そうな目を擦って現れる青年が現れた。

 

「先生、おはようございます」

「ボンジュール、コスモス」

「先生はああいったアニメは観られるんですか?」

「……昔は観てたなぁ」

 

 華麗なカロス流の挨拶をスルーされたレッドは、悲しみも程々に幼少時代に浸る。

 まだポケモンを持てなかった頃の話。当時は、家に帰ればテレビで流れるポケモンに関する番組を食い入るように眺めていたものだ。

 

「昔のタウリナーはα(アルファ)だったし、特撮ヒーローはまだ怪傑ズバットだったし、ブイキュアも最初は2人だけだったんだ……」

「時代ですね」

「……ね」

 

『かけろ大地を♬ はばたけ大空を~~♬ 今だ、合体♬ タウリナーΩァ♬』

 

 時の流れに打ちのめされるのもほどほどにする。でなければ、訳も分からず涙が出そうになるレッドであった。

 

「……で、今日することだけど……」

「ジム戦の疲労を取る休養にしようかと」

 

 コスモスの提案に『それがいいよ』と頷くレッド。

 ポケモンも生き物だ。どんなにタフなポケモンであろうとも、連日連夜バトルを繰り返していればいつかガタは来る。これが趣味の範疇ならまだしも、バトルを生業とする職種であるならばけっして無視できない。ましてやチャンピオンを目指すならばなおさらだ。

 現状、数多くのポケモンを育成できる環境は整っていない。すなわち、ある程度限られた数のポケモンだけでジムを制覇し、リーグを勝ち進む必要がある訳であるからして、ゲットするポケモンも慎重に選定していかなければならない───はずだったのだが。

 

「モッグ♪ モッグ♪」

(どうしてこんなポケモンを捕まえてしまったのか)

「ピィ?」

 

 一心不乱に残り物のポケモンフーズにがっつく綿あめに遠い目を浮かべる。

 

 あの時は冷静でなかったとは言え、将来性を見定められぬ内に未知のポケモンを捕まえることは賢いとは言い難い行動だ。

 しかし、『後悔先に立たずのケーシィ後に発たず』とも言う。終わったことを悔やんでも仕方なければ、捕まえようとしたケーシィにさっさと逃げられたことを引きずってもいけない。ケーシィが逃げた時、すでにこちらを危機として気づいているのだから、次に生かすしかないという(ことわざ)だ。

 

 要するに前向きに生きろという意味合いであるからして、

 

「いいですか? 今日から貴方はケーシィです」

「ピィ?」

 

「テレポートはするけども……」

 

 ゆくゆくはフーディンのような強いエスパータイプに育つといいな。

 そんな淡い期待を抱くコスモスの言い聞かせに、やんわりとしたレッドのツッコミが入るのだった。

 

「さて……休養を取るにしても色々物が足りません。ので、ちょっとだけ買い出しに出かけようと思います。先生はどうなされますか?」

「……どこまで行くの?」

「近場のフレンドリィショップまで。帰ってくるのに30分も掛からないと思います」

「じゃあ、俺は皆で朝ごはん食べて待ってる。朝ごはんは大事って言うからね……朝ごはんを食べないとお腹減っちゃうから……朝ごはんは食べさせないと……」

 

 さもなければ、自分がカビゴンの胃袋に収まっているかもしれない。

 

 朝食は命よりも大切だと教えてくれた相棒が居るからこそ、レッドは朝食を取るという選択を選んだ。

 小刻みに震えている青年の様子には気付かないコスモスは『そういうことでしたら』と了承し、一人買い出しへと向かっていった。

 

「さて……」

 

 一人きり───正確には手持ちのポケモンと一緒に緩やかなモーニングタイムを過ごすこととなったレッドは、朝食に選んだエネココアに口を付けながらテレビへと目を向けた。

 戦隊ヒーローものの後に流れる番組は特撮ヒーロー系と記憶していた。

 当時の系譜を継ぐのなら、このままそういった類の番組が流れるはずなのだが、

 

(今はどんなヒーローなのかな)

 

 

 

『ジュジュベさん! 愛してます!』

『そんな、いきなり……』

 

 

 

「ぶっ」

 

 知り合い(ナツメ)が告白される予告シーンに虚を突かれ、口に含んだエネココアを噴き出してしまった。

 

『魔法の国の不思議な扉! このあとすぐ!』

 

 

───不思議な扉、開けたんだぁ……。

 

 

 思いもよらぬ方面からの近況報告に、変な感想を心に抱くレッドであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ポケモンは生きている。

 

 これは至極当前の事実ではあるが、バトルばかりに目が行きがちになってしまっている子供が時折忘れていることもまた事実。故にポケモンの手入れがおろそかになってしまっているトレーナーが居る実態も、昔から社会問題の一つとして取り上げられるほどであった。

 

 しかしながら、ポケモンの種類は多様だ。

 種族ごとに大きく姿が異なれば、当然手入れの方法も変わってくる。同じねずみポケモンのピカチュウとコラッタでさえ、ベストな生育環境を整えるとした時に差異が出てくるのだから、それこそ手持ち六体を世話するともなれば苦労は想像を絶する。

 だからこそ、違う種族でも生育環境が似たり寄ったりとなる同タイプを育成するタイプエキスパートが登場する訳だが、今その話は置いておこう。

 

「ピカチュウ、気持ちいい?」

「ピカァ~……」

 

 現在、絶賛ピカチュウのブラッシング中である。

 コスモスが帰ってくるまでの間、食事も済ませて暇を持て余していたことから、レッドも一人のポケモントレーナーとして手持ちの手入れに勤しんでいた。

 

(にしても、このグローブ……随分長いこと使ってるなぁ)

 

 市販のブラシを握るレッド。その手には細かな作業にも使えるよう指ぬきとなったグローブが嵌められていた。

 でんきポケモンとの生活、その上で切っても切り離せない問題は静電気だ。普段から気を付けていたとしても冬のような乾燥した時期には触れる度に悲鳴を上げる羽目になる。

 

 そこで電気を通さない絶縁グローブの出番だ。

 これさえあれば、今まで静電気で痺れていた生活が一変。モコモコなメリープを撫でまわしても感電卒倒緊急搬送な生活からおさらばだ!

 

(でも、そろそろ替え時かな……)

 

「ピカァン♪」

「あびっ!」

「チャア?」

 

 しかし、過信は禁物。

 所詮は指ぬきグローブ。利便性を追求した代償として、時折許容量を超えた電気に痺れるのはご愛敬である。

 

「今日はいい天気だね、フシギバナ」

「バナバ~ナ」

 

 続いてフシギバナだ。

 巨大な花弁を背負ったポケモンのフシギバナに、近くの蛇口からホースで引っ張ってきた水をシャワーのように浴びせかける。一見雑に見える水やりも、巨体と共に花弁と葉っぱを揺らすフシギバナは心地よさそうにしていた。

 

「風も吹いてて良い日和……たくさん日光浴していいからね」

「バ~ナ」

 

 水浴びをさせた後は、濡れた体を乾かすのと光合成の為の日光浴だ。

 植物ポケモンの性と言うべきか、彼らは適度に日光を浴びなければ活力を失い、やがて病気に罹ってしまう。特に花や葉といった部位は、普通の植物となんら変わりない植物病を患うことから、毎日の体調チェックは欠かせない日課だ。

 

「カメックスも甲羅干しが捗るね」

「ガ~メ」

「クゥ~!」

「ラプラスも次に洗ってあげるから……」

 

 次にみずタイプの二体、カメックスとラプラスだ。

 一概にみずタイプとは言え、姿かたちは多種多様。故に手入れの仕方も千差万別な訳だが、カメックスとラプラスには似通った部位が存在する───それは甲羅だ。

 

 ゴシゴシゴシ。

 

 レッドは今、水を撒きながらカメックスの巨大な甲羅を一生懸命ブラシで擦っていた。溝や隙間に溜まった汚れを掻き出し、それを水で洗い流す。基本的にはこの流れだ。

 彼らにとって身を守る術である甲羅も、きちんと清潔に保っていなければ病気の本だ。自然界ならば仲間の毛づくろいや環境に応じた手入れの仕方があるが、ヒトの社会に順応したポケモンとの場合、手入れは飼っているヒトの責任だ。

 

「ふぅ……」

 

 巨体を有す二体のポケモンを洗い終えたところで、レッドはいつの間にか額に浮かんでいた大粒の汗を拭った。

 

「バギャア」

「待って、リザードン……あった」

 

 次は自分の番だと訴えかけるリザードンに対し、レッドが取り出したのは柄付きブラシだ。

 

「リザードンは本当おっきくなったね。ヒトカゲの頃はあんなにちっちゃかったのに……」

「グルゥ」

「あっ、はい。そこ痒いんだ……」

 

 大きくなったのは体だけではないらしい。

 リザードンが指差す場所をブラシで強く擦ってやれば、凛々しい顔つきもどこへやら。トロけ顔のリザードンの出来上がりだ。

 基本的にリザードンは水浴びをしない。他のほのおポケモンにも通ずるが、不用意に水を浴びせようものなら憤怒の炎を買う羽目となる。

 

 そこでブラシの登場だ。これで体表の汚れを落とす。

 それでもまだ汚れが気になるというのであれば、濡らした布巾で拭えば十分だ。実はほのおポケモン、大抵は自分の炎や熱で雑菌を自然と焼き殺している。だからこそ、水やぬるま湯で洗うのにそれなりの“慣らし”が必要な点を踏まえても、これだけの労力で済むとも言えるのだ。

 

(ポケモン色々、手入れも色々……と)

 

 リザードンの世話も済んだところで、最後に待ち構えているのは巨大な壁───ではなく、

 

「カァー……カァー……」

「……起きそうに、ない」

「カァー……カァー……」

 

 どうしたものかと頬を掻くレッドの前に聳え立つのは、いびきをかきながら仰向きに眠る食いしん坊ことカビゴンだ。

 

 巨大な体格。全身の体毛。食べたらすぐ眠る寝穢さ───スリーアウトだ。

 

 たくさん食べては体を汚す。特に口の周りや顎の下は、食べ物のカスや汁で汚れている場合も多い。その場合、生え揃った体毛の関係から雑菌が繁殖しやすいのだが、元よりそういう生態であるからと言うべきか、カビゴンの免疫機能の前ではさしたる問題ではない。

 

 しかし、カビゴンが良くても自分は許せない。なぜならば、カビゴンの上で寝っ転がることができないからだ。

 

 という訳で、いざ洗浄。

 

 カメックスやラプラスに使ったホースで、大雑把に水を撒いて掛ける。

 普通の神経をしていれば既にこの段階で目を覚ますだろうが、生憎とカビゴンはこの程度では揺るがない。

 体を濡らされても起きてこない。ならばと次は市販のシャンプーを手に取り、濡らした体毛をワシャワシャと撫でまわして泡を立てていく。

 

 一心不乱に泡を立てること数分。ようやく体の前面が泡塗れとなったところで、再び水をかけて泡を洗い流す。

 そうすれば食事後の汚れは大抵綺麗さっぱりと落ちる。

 大きなバスタオルを手にし、濡れた体毛を拭うレッド。気分としては車一台を丸洗いしているようなものであり、通りがかる住民やトレーナーも、思わず足を止めて圧巻なカビゴン洗浄に目を向けていた。

 

「ふぅ……こんなもんかな。リザードン、“ねっぷう”で乾かしてあげて」

「バギャア!」

 

 最後に仕上げとして、濡れた体毛をリザードンという名のドライヤーで乾かす。

 口から吐き出す炎を翼で羽搏かせて起こす風で調節し、熱すぎない“ねっぷう”を繰り出しているのだ。これさえあれば電源のない山の中で野宿しても大丈夫である。ただし、きちんと“ねっぷう”を調節できるよう練習しておかねば、もれなく頭がゴウカザルになるので注意だ。

 

「さて……」

 

 外からポケモンセンターの中へと戻ってきたレッドは、空いていた椅子に腰かけた。

 

 ふと時計を見る。

 もう1時間経つ。

 

「コスモス帰ってこないね……」

「ピ~カ」

 

 30分程度で帰ると言っていたはずの少女が、未だ帰還していない。

 旅や買い物の寄り道は醍醐味とは言え、几帳面な彼女の性格を思い返してみれば遅刻すると決まった時点で連絡の一つでも入れてきておかしくはない気してならない。

 

「なにかあったのかな……」

 

 こんな時のポケギアだ。

 今のところ幼馴染二人と母親、そしてコスモスの番号しか入っていない寂しい電話帳欄から一瞬で少女の電話番号を探し出す。

 

「……電話にも出ない」

 

 通話中や電源を切っている訳でもなさそうだ。

 ただ延々とコール音が鳴り続くばかり。となれば、電話に出られない事情がある───バスや電車の中や、単純に電話に出られないくらい忙しい───と考えられる。

 

(でも、なにかあってからじゃ大変だしなぁ……)

 

 腕を組みうんうん唸るレッドは、これは親心だと思い至る。

 これまで一緒に旅をする中で育まれた感覚に自覚はあったが、なるほど、自分は彼女の保護者の立場から見守っているらしい。

 

 そうとなれば黙って座っている必要もない。

 

 連絡手段がある以上、どこかですれ違っても何とかなるという思考の下、レッドは席を立った。

 

「ん……?」

 

 すると、どこからともなくサイレンの音が聞こえてくる。

 

「……事故でもあったのかな?」

『ニュース速報です。ただいま、市内の百貨店で立てこもり事件が発生したとのことです。現地からの情報によると、犯行グループ百貨店の中に居た客を人質に取っており───』

「……ヤダ、怖い」

 

 思っていたよりも深刻な事件が発生していた。

 思わず口に手を当てるレッドは、手持ちの手入れの間見向きもしていなかったテレビへと目を向ける。それは偶然ポケモンセンターを訪れていた利用客も同様であり、立てこもり事件などという穏やかではない事件に、場はどよめき始めていた。

 

『犯行グループは目撃者から提供された情報によると、角の生えた赤いフードを被った装いとのことですが、詳細は今のところ不明です』

「ピカッ!」

「……行けって? ダメだよ、ピカチュウ……こういうのはジュンサーさんに任せないと」

 

 報道を受け、なぜかやる気に溢れるピカチュウをレッドが諫める。

 昔の話だ。かつてシルフカンパニーと呼ばれるカントー一の大企業の本社が、ロケット団に占拠された事件があった。町全体を驚愕と恐怖の渦に叩き込んだ事件、それを解決したのが当時無名のポケモントレーナーであったレッドに他ならない。

 しかし、当時は半ば被害者として巻き込まれたからこそ事件に関わったものの、今回は完全に無関係。いかにチャンピオンに輝いた過去があるとはいえ、むやみやたらと事件に関わるのはお門違いというものだ。

 

「現場に居たらなんとかしてただろうけど……今から行っても邪魔になるだけ……」

『───き、緊急続報です! ただいま百貨店の一部で爆発が起こりました! 爆発で壊れた壁からは火の手が上がり、内部では火災が発生している可能性があるとのことです!』

「……」

 

 緊迫した音声が聞こえてくるテレビ画面には、報道通り穴が開いた壁から黒煙と激しい炎を噴き出している百貨店の様子が映っていた。

 爆発の衝撃からか、一面ガラス張りになっていた箇所は砕け散り、中の光景が丸見えとなる。

 

「ピッカ!」

「うん? ……あ」

 

 黒煙が天井を這う中、不意に筒抜けとなったガラス窓の下へ走り寄る人影が映し出される。

 手持ちと思しきゴルバットに背負ってきた少女を掴ませ、迅速に外へと運び出す。遅れて煙から逃げていた人々も我先にと窓際へ押し寄せたが、すかさずニンフィアの放つ波動が焦燥を宥め、円滑な救助を遂行していく。

 途中、少女は何かを思い出したかのようにポケモン二体に場を任せて中へと戻るが、緊迫した状況下での救助劇に、テレビ画面に食いついていた一部からは歓声が上がった。

 

 だがしかし、打って変わって平静でいられなくなったレッドは立ち上がる。

 

「……ピカチュウ」

「チュ!」

「急ごう」

 

 次の瞬間、ポケモンセンターの出入り口に現れたリザードンが飛び乗るレッドを背に、黒煙が立ち上る百貨店目掛けて飛翔した。

 雲一つない天気の下では、火事が起こっている場所など一目見てわかる。

 あそこ、と。口にこそ出さないまま現場を目指すレッドは、テレビに映っていた少女の身を案じていた。

 

「……コスモスって、結構トラブルに巻き込まれる体質だよね」

「ピ~カ……」

「……なんでそんな呆れた顔するの?」

 

 特性『トラブルメイカー』な師弟である。

 

 

 

 ポケモン、(レッド)の救助隊───始動。

 

 

 

 ***

 

 

 

「───ようやく見つけました」

 

 対峙するは燃え盛る火の中。

 

 一刻を争う状況で、両者は敵意を宿した眼差しを相手に向けていた。

 その内、煤けた頬を手の甲で拭うコスモスは、目の前に佇む人物へと語り掛ける。

 

「……万事において私の邪魔をする存在は排除すると決めています。例えそれがどんな組織であれ……です」

 

 一瞬の沈黙。

 その間、パチパチと火花を上げる火の手は収まらない。

 

「……時間もないことですから、早急に事を済ませるとしましょう」

「……」

「でしょう? ───マグマ団」

 

 揺らめく炎。

 その奥に潜む黒いMの文字は、グラグラと煮え滾っているように見えた。

 




Tips:ふたりはブイキュア

「私たちが……」
「ブイキュアに~!?」

 私は恋に悩むお年頃の女の子、マヒル! 中学生で幼馴染のツキノと遊園地に遊びに来たら、『ダー・クラ・クライ』なんていう悪い組織とバッタリ遭遇!? なんでも皆の夢見る気持ち『ドリームエナジー』を奪うのが目的らしいけど、そんなことをさせたら皆が夢を失って元気を失っちゃうんだって! そんな時、あいつらの野望を阻止する為に不思議な世界・ポケワンダーランドからやって来た使者・クレセリアからブイキュアに変身できるアイテム『EVロッド』を受け取っちゃった!?
 戦うのは怖いけれど、皆の夢を奪われたら未来への希望も失っちゃう……そんなこと私たちが許さないんだから!
 どんなに怖い相手だって、瞑想六積アシストパワーで一撃!? 前代未聞の超火力・超耐久のヒロイン爆誕!?
 『ふたりはブイキュア』、皆観てね!


 ……と、テレビカントー系列にて日曜朝に放送されている子供向け番組の内、男児向け合体ロボットアニメ『タウリナー』シリーズ、同じく男児向け特撮ヒーローもの『ポケモン仮面』シリーズに対し、女児向け変身アニメとして放送されているシリーズ。エーフィモチーフの『ブイシャイン』とブラッキーモチーフの『ブイムーン』を主軸に据えた初代『ふたりはブイキュア』で人気を博した後、続く『ふたりはブイキュア DynaMaxHeart(ダイマックスハート)』、『ふたりはブイキュア Speed(スピード)Star(スター)』で人気を盤石のものとした。また、同系列の外伝『Yes! ブイキュア5』においてはそれぞれブースター、シャワーズ、サンダース、グレイシア、リーフィアモチーフのキャラが主人公として活躍。女児のみならず、意外にも実際のポケモンバトルに通ずる理論を取り入れていることから、大きなお友達にも人気の秘密らしい。
 キャッチコピーは『誰にだって無限の進化の可能性!』。


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№029:たとえでも火の中は無理

 

「お買い上げありがとうございマース! こちら福引券デース!」

 

 

 

 満面の営業スマイルを浮かべる店員。

 ここはフレンドリィショップ。レッドに伝えたようにコスモスが買い出しに着ていた店舗となるが、手にした思わぬ副産物が事の始まり。

 

「福引、ですか」

「はい、ただいまスナオカタウンでやっているキャンペーンなんですよ! 500円以上の買い物につき一枚発行されて、こちらをスナオカ百貨店に持って福引をすれば豪華景品が当たるかもデス!」

「具体的な景品はどのようなものですか?」

「三等で各種きのみのいずれか、二等でボール、一等でわざマシンが当たりマッス!」

「……わざマシン」

 

 手に握られているのは五枚の福引券。

 総額にして2500円以上の買い物をして手に入れた訳だが、もしもこれでわざマシンを手に入れられれば大きい。わざマシンには使い捨て───いわゆるわざレコードと呼ばれる骨董品と、半永久的に使用できる買い切りタイプの二種類がある。両者を比べた際、前者に比べて後者は何度も使える分、そこそこに値段が張る。

 コスモスもいくらかわざマシンは所持してはいるが、あくまで汎用的で幅広いポケモンに覚えられるものばかりだ。

 

(福引で当たる確率なんてたかが知れてるけれど、ここで引きにいかないのは非合理的……)

 

 などと脳内で思案するが、とどのつまりは『もったいない』と考える貧乏性なだけ。福引券などの類は、さっさと使わなければ財布の中でずっと眠っているのが関の山だ。

 

(来てしまいましたね、結局)

 

 急遽予定を変更し、言われたスナオカ百貨店なるデパートへとやって来たコスモス。

 やや年季の入った風情ある建物は、長年住民に愛されたであろう歴史を感じられる。出入りする親子連れや年配の客の顔を見れば、自然とそう見て取れる。

 

「さて……福引は、と」

 

 案内を頼りに百貨店の二階を目指す。

 雑踏を縫うように進み、いざ辿り着けば火を見るよりも明らかな行列が並んでいた。

 

(……しまった。そう言えば先生に連絡をしてなかった)

 

 そこで気が付く。

 30分で帰ると言ったはずだが、ここに来る時点で既にその時間を超えていた。近場だろうと無意識に高を括って時間管理を甘く見ていたのが原因だ。

 自分で伝えた手前、遅れるならば遅れるなりに連絡するのが礼儀。気付くや電話を掛けようと番号一覧からレッドを探し、通話を試みる───が。

 

『お掛けになった電話番号は、電波の届かない場所にあるか、現在使用されておりません』

「……ん?」

 

 繋がらない。

 何度掛けても、一向に。

 

 不審に思って画面に目をやれば、アンテナが一本たりとも立っていない。電波が届いていないようだ。

 

「いくらなんでもこんな町中で……誰かレアコイルでも連れてるんでしょうかね?」

「グルル……」

「……? どうしたの、ルカリオ」

 

 どこか落ち着きない様子のルカリオが辺りを見渡している。

 普段からボディーガードとして傍に置いているが、このような時は大抵悪意を持った人間が近くに居る場合だ。それがちんけなチンピラや大きな事をしでかそうとするテロリストに至るまで───しかし、こうも挙動不審なルカリオは珍しい。

 まるで、気配は感じられているが居場所だけを探知できていないと言わんばかりだ。あちらこちらに目をやる姿は、せめてものと肉眼で確かめようとしているのかもしれない。

 

(私への明確な敵意なら、ここまでルカリオが察知できないことなんてない……となると、あくまでルカリオが感じ取ったものは別の対象への……)

 

 と、色々思案を巡らせている間にも福引の列は進んでおり、とうとうガラガラ───ポケモンではなく回転抽選器の方───の目の前まで辿り着いていた。

 

(まあ、さっさと福引して退散すれば問題なし……)

 

「すみません、お客様……福引の間はポケモンをボールの中に戻していただいてもよろしいでしょうか?」

「はい?」

 

 いざ福引と意気込んだ矢先で制止され、手持ちをボールに戻すよう指示されてしまう。

 

「なぜです?」

「過去にポケモンで不正をする方が居りまして……」

「……」

「申し訳ございませんが、どうかご了承ください」

「……わかりました」

 

 ひたすらに面倒臭いと思うコスモスだが、ルールならば仕方がないと頷く。ルールを破ることに忌避感はないが、守る方が追々面倒を見ずに済む。破るのはここぞという時だ。例えば景品がマスターボールだとか、そのくらいのリターンがあればリスクを冒す価値はある。

 

 しかし、今回はわざマシンだ。当たれば僥倖と言ったところだろう。

 言われた通りにルカリオをボールに戻す。その際、先ほどの気配もあってか少しばかり躊躇う顔を見せたが、福引なんてたかが5分も掛からずに終わるはずだ。

 一瞬守りが手薄になるのも承知で福引に挑むコスモス。

 ガラガラの柄を握る彼女に、周囲の客が息を飲む音が聞こえてくる。

 

(わざマシン来いわざマシン来いわざマシン来い……)

 

 凄まじいまでの念をガラガラに注ぐコスモスは、穴が開きそうなくらいに睨みつける。その余りにも力強い眼力が生み出す緊張感は、近くでクラボソフトクリームをパチリスとシェアしていた少女がトッピングのきのみを落としてしまうレベル。

 

「よしっ……」

 

 手に力を込め、いざ回し始める。

 白がスカ、青が3等、赤が2等、そして金が1等だ。お望みの色が出るようにと祈りながら回すコスモスは、上へ下へと向く排出口をじっと見つめていた。

 何周しただろうか?

 そろそろ出てもおかしくはないと誰もが思った時、キラリと穴から覗く色が。

 

 その色とは、一切の穢れを知らぬように磨かれた、それはそれは美しい───。

 

(あ)

 

───白色が、首の皮をピンと張らせる。

 

「動くな」

 

 首筋に当たる感触と同じ冷たさ。

 その声色に寒気を覚えたコスモスは、目の前の福引担当の店員の様子を窺った。見事なまでの顔面蒼白。続けて、なるほど、と心底溜め息を吐きたくなる。

 

(悪戯ではなさそうですね)

 

 一体全体どういうタイミングなのだ、と問い質したくなる衝動を呑み込む。

 コスモスは今、エアームドの刃のように鋭い翼を突き付けられていた。

 

 よろいどりポケモン、エアームド。鋼の甲殻で身を包むエアームドの羽根は、加工すれば刀にも勝るとも劣らない切れ味を誇る刃物と化す。

 

(動かない方が賢明、と)

 

 間違っても強行突破などという愚行は避けるべきだ。さもなければ、スナオカ百貨店が凄惨な殺人現場になりかない。

 

(はてさて、どうしたものか)

 

「ひっぐ……ママ、怖いよぉ……!」

「大丈夫よ、だから泣かないで……」

 

「そこ! 静かにしろ!」

 

 子どもの鳴き声を掻き消す怒号が百貨店のホールに響き渡った。

 コスモス以外にも連れてこられた客や店員は居る。のべ、十名ほどがまんまと人質にされた今、蜘蛛の子を散らしたように客が逃げ帰った百貨店内には人質と正体不明の犯行グループの姿だけとなった。

 

「よし……持っていたボールは回収したな」

「頃合いだな、始めるぞ」

『───聞け!! 我々はマグマ団!! 人類にとっての理想の世界を追求する崇高な組織である!!』

 

 店内放送をジャックしたのか、犯行グループの声明が店内のみならず外に集まる野次馬や警察にまで響き渡る。

 

『我々の目的はただひとつ!! 人類の恒久的な繁栄に他ならない!! 故に人類の叡智たる科学の進歩を遅らせるポケモンは不要とし、手始めとしてこの場に居る者達のポケモンを止むを得ず回収させてもらった!!』

「そ、そんな……! 自分はポケモンを連れてるくせに……!」

『黙れ!! ……加えて、我々の目的遂行の礎とし、ここに金銭を要求する!! 猶予は30分だ!! もし仮に用意できなかったとすれば、人類の叡智が生み出した文明の利器を欠いた生活を体験してもらうべく、真に不本意ではあるがこの場を爆破させてもらう……人質諸共だ、いいか!!』

 

 無茶苦茶な言い分だ。誰もがそう思った。

 明確な命の危険を感じた者達の顔色は悪い。金が用意できなければ、爆破される建物と運命と共にするのだ。平静で居ろという方が無理な話である。

 

 しかしだ。

 

(エアームド一体、グラエナ一体、ヤミラミ一体、デルビルが二体……数はそうでもないですね)

 

 意気消沈する人質を演じながら、マグマ団と名乗った犯行グループの戦力を分析するコスモス。冷える肝がないかと問いたくなるほどの胆力だ。

 だが、これもロケット団時代より培われた観察力や洞察力、そして積み重ねてきた知識があるからこそ。

 

 分析の結果、バトルさえできれば高確率で勝利を掴めると見た。

 けれども、そもそもの問題がある。

 

(さて、どうボールをどう取り返すか……)

 

───もぞもぞ。

 

(ボールは一人が抱え込んでる形だから、隙を見れば取り返せそうな気もするけど……)

 

───もぞもぞ。

 

(そこまで近づくのに一苦労ですね。今は隙を見計らって……)

 

───もぞもぞ。

 

「(……ちょっと静かにしてください)」

「ん? 今誰か喋ったか」

「……」

「……気のせいか」

「(ふぅ、だから言ったじゃないですか……ん?)」

 

 安堵の息を吐くのも束の間、見張りの男とは別の視線を感じるコスモスは、音を立てずに振り返る。

 そこには母親に抱かれる顔を泣き腫らしていた幼女が居り、信じられないものを見たかのような瞳を浮かべていた。

 

 まじまじと、真っすぐに。

 視線はコスモスの胸へと吸い込まれていた。

 

「……おっぱい……うごいた」

「え? なんて?」

「ねえ、ママ。おっぱいうごいたよ?」

「動いてないから! 静かにしてなさい」

「でも、うごいたんだもん!」

 

 

「うるさいぞ! 子供を静かにさせろ!」

 

 

「……」

 

 指を差されるコスモスは、ひたすらにあらぬ方向を見つめて無言を貫く。

 

(……まだ、今じゃない。間違いなく今では……)

 

 この状況を打破するには、もう少しタイミングを見計らう必要がありそうだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 時は少し巻き戻る。

 

 

 

 一度目、終わりの大地が人々を焼き尽くそうとした。

 二度目、巨大な隕石が星に破壊をもたらそうとした。

 

 短期間の内に訪れた地方の危機より数年。

 否応なしに流れる時。年端もいかない子供に砕かれた野望と、まざまざと見せつけられた信仰の正体を前にし、かつてホウエン地方にて暗躍していた組織の片翼もまた変化を迎えていた。

 

「我々はこれよりホウジョウ地方のジャンボマウンテンへと赴く。再生可能エネルギー開発事業の分野において我々は雛鳥に過ぎんのだからな」

「うん……」

「カガリよ、だからこそお前に任せたい。他でもない、私が信頼を置くマグマ団幹部としてな」

「! わかった……ボク、リーダーの為にインヴェスティゲーション……頑張る……!」

 

 心酔するリーダーの為と心躍らせてやってきた新天地。

 目的はとある火山の調査。延いては、地熱エネルギーを発電に利用できないかの情報収集だ。

 

 かつて、マグマ団は伝説のポケモン・グラードンを蘇らせて陸を増やし、人類にとっての理想の世界を追求することを目的としていた。

 しかしながら、結果から言えば計画は頓挫。超古代ポケモンのグラードン───その大いなる原始の力は人間に制御し得るものではなく、ホウエン地方の半分が生命の息吹が尽きる大地に渇く一歩手前に陥った。

 

 以降、考えを改めたリーダーによりマグマ団は方針転換。

 今度は真っ当な手段で人類の理想、そしてポケモンとの共存を実現するべく、再生可能エネルギーへと目を付けたのであった。

 

 マグマ団を見る世間の目は厳しい。それも過去の悪行の積み重ねである以上、目を背けてはならない事実だ。

 だからこそ、心を入れ替えたリーダーに倣い、団員もコツコツと信頼獲得に向けて努力していた。

 その甲斐もあってか、ホウエン一の大企業ことデボンコーポレーションより直々の依頼として、本件がやってきた訳である。

 

 まさしくマグマ団にとって転換点。

 調査結果はどうあれ、しっかりと依頼をこなせばデボンコーポレーションとのつながりを確保できる───そのはずだった。

 

『部下は預かった。彼らの命が惜しければ、指定した場所に手に入れた物を持ってくることです。ただし、他の団員や警察にこの取引を漏らせば……部下の命の保証がないことは念頭に置きなさい』

 

 それはジャンボマウンテンの調査を終え、すぐの出来事。

 分かれた班の内、片方が帰ってこないと訝しんだカガリの下へ掛けられた電話。もとい、脅迫だ。

 

 それを受け、カガリは悩んだ。

 他人に話せば部下の命の保証がない。である以上、自分一人で解決に当たったとリーダーが知れば、彼の信用を裏切る行為となる。

 地方を揺るがす二度目の大事件以降、彼女は心を入れ替えたつもりだ。ただただリーダーを心酔し、崇拝し、狂信するのではなく、信頼し、信用し、何よりも互いの心の内を明かすことが大切だと知った。

 

 だから、裏切れない。

 けれど、伝えられない。

 

 リーダーへの信頼か、部下の命か。

 一晩中悩み、悩み、悩んだ結果───カガリは部下を拉致した人間の指定した場所に、その華奢な体で持ってくるには一苦労の石を抱えて赴いた。

 

 場所はスナオカ百貨店の地下道。かつては地下街として地上も合わせて活気に溢れていた場所だが、過去に中心市街地を襲った大火事をきっかけに閉鎖。地上へと繋がる出入口の処置は規制線で軽く塞がれるだけに留まり、今では不良や野生ポケモンが居座る不気味な場所と化していた。

 時間の流れと共に栄えた地上とは裏腹に、ここだけは時間が切り離されたような静寂が満ちている。

 

 まず一般人ならば近づかない場所。

 裏を返せば、人の目を気にせず取引をするにはもってこいの場所という訳だ。

 

「……キミが……ボクを呼び出したの?」

「ええ、その通りです。約束を反故にされずに済んでホッとしましたよ」

 

 わざとらしい言い回しが癪に障りながらも、寸でのところで言葉を呑み込む、相手を観察する。

 

「……その恰好……どういうつもり……?」

 

 カガリは不可解そうに、それでいて苛立った口調で問いかけた。

 それもそのはずだ。待ち構えていた人物が、自分と同じ組織の制服を身に纏っていたと言うのだから。

 

 どういう魂胆か、その真意を探るべく眼光は閃く。

 それを一蹴するかのように、拉致犯は不敵に笑った。

 

「恰好は気にしなくて結構です。それより」

「トランザクション……シタイなら……早く見せて……」

「……フンッ、いいでしょう。では、どうぞご覧あれ」

 

 要求が何か知っている拉致犯は、さっさと物陰から捕まえたマグマ団員を引っ張り出す。

 手足を縛られ、口には喋れないように猿轡を噛ませられている。だが、しっかりと見開かれた瞳がカガリに向けられている以上、最低限の無事は確認できた。

 けれども、まだ安心はできないとカガリは唾を呑み込んだ。

 油断すれば骨の髄までしゃぶられそうな暗いオーラを放つ相手に、弱腰を見せれば一気につけ込まれるだろうと気丈に振る舞うことを決意した。

 

「さて、貴方が求めているものは彼らの命でしょうが……そういう貴方も用意は整っていますか?」

「……コレ……言われた通り……」

「そうそう、それです。それが欲しかったんですよ」

 

 クツクツと喉を鳴らす拉致犯は、カガリが抱え上げる石を要求するように手招きする。

 

「早速取引と行きましょう。さあ、それをお渡しなさい」

「……拒絶……それよりも、そっちが先に───」

「お前たちに拒否権があると思うのか!?」

 

 拉致犯の怒号が轟き、カガリの瞳が見開かれる。

 

「っと、失礼。しかし、貴方の言い分も理解しますよ。たしかに人質を引き渡すより前に()()を渡してしまえば、貴方は僕との交渉材料がなくなる……その前に人質だけは確保したいとね」

「……せめて、一人ずつ……」

「……まあ、いいでしょう。こんなこともあろうかと数人捕まえた自分の優秀さが恐ろしいばかりだ」

 

 自画自賛する拉致犯は、カガリの要求を呑み込むこととした。

 

「では、こうしましょう。まずは僕が人質を一人そちらに渡します。それから貴方は置き石を寄こし、それが本物だと確証を持てたら、最後の人質も解放します。これでは不十分ですか?」

「……ノープロブレム」

「交渉成立ですね」

 

 そう言って取引相手は拘束していた団員の一人の縄を解いた。

 

「さあ、お行きなさい」

「……、……!」

 

 躊躇した様子の女性団員へ、カガリは努めて穏やかな声で呼び寄せる。

 

「大丈夫。ボクが、なんとかする」

 

 そこまで言い切れば、涙目の女性団員がゆっくりとした歩みでカガリの下を目指す。

 やはり、どこか躊躇いを覚えた挙動だ。『手持ちのポケモンでも奪われたのだろうか?』と思案を巡らせるも、結局のところ猿轡をしたままでは聞くに聞けない。

 それでも人質の確保が最優先に変わりはない。

 

「さあ、こっちに……」

 

 恐る恐る歩み寄る女性団員へ、カガリは手を伸ばす。

 そのまま震える腕を掴んで引き寄せ、自分の背中へと避難させる。

 

「……確かに一人」

「さて、次はそちらの番です。渡してもらいましょうか」

「……分かった」

 

 言われるがまま、持参した石を持っていこうとする。

 

「おっと、言い忘れていましたが渡す場所はそこでお願いしますよ」

「……どうして?」

「不満ですか?」

「……いや……わかった」

 

 近づければ……、と考えていたカガリであるが、寸前で絵に描いた餅となってしまった。

 不承不承ながら、乱雑に放置されていた木箱の上へ石を置く。随分と朽ちていた木箱は石を置いただけにも関わらず、今にも崩れてしまいそうな軋む音を奏でる。

 

「……これで……いい……?」

「ええ。それでは元の場所に戻ってください。本物だと確証が持て次第、残りの人質を解放しますよ」

「……さっさとシて……」

「そう焦らずとも」

 

 取引相手はカガリが所定の位置に戻ったのを見計らい、交渉材料であった石を手に取ってじっくり眺め始めた。

 溶岩を押し固めたような美しい橙色は、薄暗い中でも微かな伝統の光を反射し、鮮やかな光沢を放ってみせる。

 

(あれは結局何……? 何の価値がある……?)

 

 品定めをする男の様子を注意深く観察するカガリ。

 彼に渡した石はジャンボマウンテンの奥地で偶然拾った代物だ。調査に資料になると考えて手元に置いたが、まさかそれを狙われるとは思ってもみなかった。

 あの石には自分の至り知らぬ価値があるようだ。どんなに綺麗で高価な宝石でも、興味のない人間からすれば無価値でしかない。

 

しかし、あの石の秘めたる“何か”こそ、人質を取ってまで奪おうとした価値に他ならない事実は疑いようがなかった。

 

「……ふむ。たしかに本物のようだ。いいでしょう、人質を解放します」

 

 一通り調べて結果に満足した男が、もう一人の人質の縄を解いた。

 これで足が自由になった男性団員は、拉致犯に睥睨をくれながら、急いでカガリの下へ駆け寄った。

 

(よしっ、これで……───っ!?)

 

 と、身構えたカガリに駆け抜ける衝撃。

 

 瞬間、カガリの目の前は───真っ暗になった。

 

 

 

 ***

 

 

 

(もうそろそろ30分……)

 

 悠長に店内の時計を見つめていたコスモスは、今一度周囲を見渡した。

 あれから特段状況は変化していない。自分を含めた人質は囚われたままであり、マグマ団を名乗る立てこもり犯も当初の位置から動かぬまま。

 変わったことと言えば、コスモスの頭に蓄積した情報と、それにより組み立てられた作戦があること程度。

 

(……そろそろ動く頃合いですか)

 

 身代金を持ってくる猶予までほとんど時間はない。

 人質も立てこもり犯も気もそぞろになっている様子が見て取れる。たかが30分、されど30分。人が深い集中力を発揮できる時間は15分程度だ。最初こそ立てこもり犯全員が気を張っていただろうが、今となっては付け入る隙が生まれている。

 

 今こそが、打って出る好機。

 

(人質救出。感謝状授与。新聞一面活躍の記事……うん、イイ感じ)

 

 脳内シミュレーションは完璧だ。

 しかしながら、手持ちが入っているボールは全て立てこもり犯に取り上げられてしまっている。

 

 では、どうすれば撃退できるだろうか?

 

───もぞもぞ。

 

「ん? 今何か動かなかったか……?」

 

 人質を見張っていた一人がコスモスの下へやってくる。

 

「おい、服の下に何か隠してないだろうな?」

「なんのことですか?」

「見せてみろ。確認する」

「変態」

「は?」

「少女に服を脱いで見せろだなんて……とんだ趣味ですね」

「……いや、違うぞッ!? 誤解だ! 俺はそんなつもりで言った訳じゃない!」

「どう違うんです? こちらが抵抗できないことをいいことに自分の欲望を発散しようとする魂胆なんじゃないですか?」

 

 コスモスとちょっとした言い合いになる男に、次々と白い目が向けられる。まるでゴミを見るかのような視線。人質を取って身代金を要求する輩は人として底辺もいいところだが、底辺も突き抜ければ立場も関係なく蔑まれる訳だ。

 

 あらぬ誤解を植え付けられ、堪らず男は弁明を図る。

 

「やめろ! 違うって言ってるじゃん!? こ、こいつぅ……お前確信犯だろ!」

 

 

「モッグ!」

 

 

「……は?」

「コスモッグ、あそこに“テレポート”」

「モグ!」

「は……あぁ!?」

 

 一瞬。

 襟から飛び出した小さなポケモンに動揺を突かれて呆気に取られたが、男の前からコスモスの姿を消した。

 動揺が伝播し、周りを見張っていた共犯者も一斉に振り返る。

 

 しかし、こうして視線を一点に集まる状況をコスモスは狙っていた。

 転移した先は、回収されたボールが入っているケース。しまった瞬間はバッチリと見ており、開け方も完璧に記憶している。

 流れるような動きで開き、似たようなボールの数々から自分のボールを手に取る。この間僅か10秒にも満たない。

 

「させるな! 袋叩きにしろ!」

 

 リーダーと思しき男の一声で、ポケモンのみならず人間も少女へと押し寄せた。子供相手に寄ってたかる光景に、人質の中には目を覆う者も現れる。

 しかし、

 

「───ふん」

 

 鼻を鳴らすコスモスが開閉スイッチを押した瞬間、光が押し広がった。

 

「ギャン!?」

「アオーン!?」

 

 雄々しい咆哮と共に放たれたエネルギー弾が、飛び掛かろうとしたグラエナとデルビルを吹き飛ばす。

 

「な……なんだと!?」

「ありゃあルカリオだ! 手強いぞ!」

「くそ! 残りの手持ちも出せ!」

 

 “はどうだん”で二体ものポケモンを撃破する勇姿を見せたのはルカリオだ。

 その風格は素人目から見ても分かるのか、警戒する悪漢は控えのポケモンも続々と繰り出していく。

 

(ヘルガーにドガース、ベトベター、コイルまで……なるほど)

 

 数の差は圧倒的だ。

 いかにルカリオと言えど、劣勢を強いられる状況に違いない。

 

「かかれェー!」

「───GO、ゴルバット。ニンフィア」

「ん、……なァ!?」

 

 だからこそ、残りの手持ちも現れる。

 

 ゴルバットが“つばさでうつ”を、ニンフィアが“ようせいのかぜ”で接近してきたポケモンを迎え撃てば、突っ込んできたドガースは叩き落され、爪を振り翳していたヤミラミも風に煽られて商品棚に突っ込む。

 

「お……、おぉ……?」

「うっ……やれ! 囲め! 数ならこっちが有利だ!」

 

「ルカリオ、“はどうだん”。ゴルバット、“どくどくのキバ”。ニンフィア、“ドレインキッス”」

 

「有利じゃあなかったァー!」

「なんだこいつぅ!? つ、強いぞぉ!」

 

 店内はあっという間に技が入り乱れる戦場と化す。

 しかし、眼前に広がるのは限りなく一方的な蹂躙に等しい。コスモス‘sパーティは、不埒な輩相手にちぎっては投げちぎっては投げちきゅう投げな獅子奮迅振りを演じる。

 

(この程度の数、先生のフシギバナによる『パワーウィップコース』に比べればなんてことないですね)

 

 比較対象は数十本の蔓と数百枚の葉の猛攻。効果が半減でも数十発喰らえばポケモンは倒れる。そういった真理を垣間見る特訓である。ちなみに最上級は『ハードプラントコース』らしい。

 

 それはさておき両手から波動技を繰り出すルカリオ、素早い身のこなしで相手を毒で犯すゴルバット、戦意を削ぐや骨抜きにするニンフィアと荒ぶる三体。

 とてもではないが烏合の衆では歯が立たない連携であり、立てこもり犯の焦燥をみるみるうちに煽っていく。

 

「くっ……こ、こうなったら! ドガース、あの子供に“とっしん”だ!」

「グラエナ、お前もだ!」

 

 すれば、手段を択ばなくなった数名がトレーナー───コスモスへの直接攻撃を指示した。ポケモンバトルにおいてタブーな行為も、犯罪者からすれば知ったこっちゃないルールでしかない。

 猛スピードで左右からコスモスを挟み込む二体のポケモン。

 手持ちのポケモンが自分から離れて戦う中、悠長に立っているコスモスはその場から動かない。

 

「あぶない!」

 

 人質の子供の叫び声が響く。

が、最早間に合わないことは誰の目から見ても明白だった。

 

 万事休すか───。

 

「“テレポート”」

「モッグ♪」

 

 と思うのは当のコスモス以外。

 消えるコスモス。標的を見失ったドガースとグラエナの二体は、突っ込んでいく速度を殺せぬままに頭から正面衝突。

 

「ドガッ!?」

「ア゛ン!?」

「ドガースぅー!?」

「グラエナ! んなアホな!?」

 

 当然、不幸な事故が起こった。

 互いに与えたダメージの他に反動が返ってくるのを併せれば、体力は一瞬にして持っていかれる。

 

(技も使いようです)

 

 二体のポケモンが倒れたのを横目に、人質が集められた場所へと転移したコスモスは戦況を見守る。

 

(大抵のポケモンは格下。油断しなければ制圧は簡単……)

 

「キィー!!」

「───とは行かなそうですね」

 

 甲高い衝突音が、激戦の騒音のど真ん中を劈いた。

 音の発信源へ目をやれば、鋼の翼と体がぶつかり合っている。ルカリオとエアームド、共にはがねタイプのポケモンだ。

 

「どいつもこいつも子供一人に手間取りやがって……いい、オレがやる!」

 

 トレーナーと思しき男も前へと踏み出し、コスモスへ敵意に満ちた眼差しを向けてきた。

 

「我々の邪魔をしてただで済むと思うなよ……!」

「そうですか。───“みずのはどう”」

「エアームド、“ボディパージ”だ!」

 

 鍔迫り合いする片手間に水を収束させるルカリオを目の前に、何やら羽根を数枚振り落としたエアームドが高速で離脱する。

 

(速い……!)

 

 自身の甲殻や装甲を切り離すことで身軽になる技、“ボディパージ”。

 その見た目に反して元より素早いエアームドが使用すれば、その飛行速度は段違いとなる。

 

「ルカリオ、落ち着いて狙え」

「させるか、“ドリルくちばし”!」

 

 コスモスの落ち着くような指示に対し、男は攻撃を指示する。

 間もなく飛行しながら旋回を始めるエアームド。みるみるうちに回転速度を高める鋼の鳥は、あっという間に通り過ぎた傍にある物を切り刻む弾丸と化す。

 そのまま何をするかと思えば、目にも止まらぬ速さでルカリオへと突進を仕掛ける。

 すかさず掌に溜めていたエネルギーを捨て、防御態勢へと移るルカリオ。おかげで回避はできたものの、折角の攻撃の準備がおじゃんとなった。

 

「あ、あのままじゃやられちゃうよ!」

「ゴルバットとニンフィアじゃエアームドに不利だし……」

「頑張って、お姉ちゃん! ルカリオ!」

 

 狼狽えるのは人質の客。彼らから見ても、現在のルカリオは押され気味であった。

 事実、どうしても攻撃に溜めの動作が入る遠距離型のルカリオに対し、高速で動き続ける相手はやりづらいことこの上ない。波動による探知で背後からの不意こそ突かれないが、飛び回る標的を狙撃できるかは、結局のところルカリオの腕に依存する。

 

(あのルカリオさえ対処できてしまえばこちらのものだ!)

 

 じわじわとルカリオを追い詰めていくにつれ、男の笑みも鋭く吊り上がる。

 何度も何度も攻撃を掠め、反撃を許さぬ猛攻で攻め立てていく。やがてルカリオの体力が摩耗し、集中力が切れたと見えたその時こそ───。

 

「今だ、やれ! “ブレイブバード”!」

 

 刹那、回転しながら飛行を続けていたエアームドが、いよいよ翼を大きく広げてルカリオへ叩き込まんと飛び込む。

 対するルカリオは両手に波動を溜めることさえままならない。

 

「───受け止めろ」

 

 コスモスが取った手は“こらえる”。

 直後、轟音が鳴り響くと共に床が砕け散った。それほどまでの威力、スタミナはあれど耐久力に秀でた訳ではないルカリオが真面に食らえばひとたまりもない。

 あらかじめ身構えてこそ、やっと受け止められる攻撃もある。

 そう言わんばかりに、晴れていく砂煙の中からはエアームドの翼を掴むルカリオの姿が現れた。

 

「なんだと……!? だ、だが、あれではルカリオも攻撃できまい! そのまま“ドリルくちばし”を叩き込……」

「遅い」

「なん、……だとォ!?」

 

 男が指示するよりも早く閃く閃光。

 それは見間違えようもなく、ルカリオの開かれた()より迸っていた。

 

(連結技の成果が活きましたね)

 

 何もルカリオの技を繰り出せる部位が手とは限らない。

 個体によっては口や足からも繰り出せる“はどうだん”だが、同じ種族である以上、他のルカリオにできてコスモスのルカリオにできない道理はない。

 練習(ものまね)を繰り返せば、いずれは自分のものにできる───これこそがコスモスのルカリオの強みだ。

 

「ぬ、抜け出せ!」

 

 男の叫びも虚しく、エアームドが暴れたところで抜け出せはしなかった。

 間もなく“わるだくみ”を閃いたルカリオが、凝縮させた波動エネルギーを眼前の鋼鉄へ───解放。

 

「ギャース!!?」

「エアーム、ドぅお!!?」

 

 “はどうだん”で吹き飛ばされたポケモン。その先に立っていた男も巻き込まれ、既に倒れていた商品棚の中へと突っ込んでいく。

 いかに身軽になったとは言えはがねポケモン。勢いよく飛来した鉄の塊にぶつかったと思えば、大の大人でもすぐには立ち上がれないだろう。

 

(これで粗方片付きましたか)

 

 リーダー格のエアームドを倒した今、警戒すべき相手はほとんど居なくなった。

 

(あとは適当にあしらって───)

 

「バウッ!」

「とは行きませんか」

 

 背後より飛来する音を耳にし、手元に残していた最後のボールを開く。

 赤い閃光が瞬けば、コスモスへ体当たりを仕掛けようとしていたドガースが床へと叩きつけられる。

 

「ド、ドガァ……」

「ヴルルッ……!」

「ヌル、やり過ぎるのはダメ」

「フシュー!」

 

 奥の手───と言うには完璧に手綱を握った訳ではないポケモン、タイプ:ヌルが日頃の鬱憤を晴らすかの如くドガースを蹴飛ばした。

 その乱暴な振る舞いにはコスモスも呆れるばかりだ。

 

「……これではどちらがヒールか分かったものじゃない」

「フーッ! フーッ!」

「(私に仕掛けてこないだけ進歩と見るべきか……)」

 

「……ぞ……」

 

「!」

 

 掠れた声が鼓膜を揺らす。

 声の主は、たった今エアームドに巻き込まれた男。

 

「このままじゃ……終わらんぞ……!」

「……何?」

「お前だけでも……道連れにしてくれるゥ! ドガース、“だいばくはつ”だ!」

「!!」

 

 刹那、瀕死になったと思い込んでいたドガースが鮮烈な光を放ち始める。

 紛れもない自爆技の予兆にコスモスも身構えた。“だいばくはつ”───自身諸共相手に大ダメージを与える最後で最強の技。同系列の“じばく”を上回る威力は目を見張るものがあり、バトルで使えば余程実力差がない限り相手を瀕死に追い込む。

 

 それを、よもや生身の人間へ。

 

(“テレポート”、間に合うか!?)

 

 脱出手段はコスモッグの“テレポート”。

 少しでもタイミングが遅れれば、自分は“だいばくはつ”に巻き込まれる目に遭う。喰らえば大怪我は必至、当たり所が悪ければ最悪死に至るかもしれない。

 

(いや、私はともかく)

 

 後ろを振り返る。

 思い出してみよう、自分の位置を。コスモッグの“テレポート”で転移を繰り返し、現在居る場所は人質が集まる近く。

 つまり、今ここで“だいばくはつ”されてしまえば直撃や余波が諸に人質を襲う。

 “テレポート”が成功すれば少なくとも自分は助かる。だが、人質への被害は押さえられない。

 

 その時、コスモスの脳内で一つの論理が導き出された。

 このバトルを始めたのは自分。すなわち、自分が行動に出なければ“だいばくはつ”の被害はなかった可能性がある。

 

(これ私の責任になりますかね)

 

 少々飛躍した部分もあるが、まったく無関係でも居られはしない。

 自分一人だけでの脱出は容易いが、後々悪評を被るのは自分なのだから、ゆくゆくメディア出演した際に差し支えが出そうだ。

 

 困った。自分は人質を見捨てられない。なんなら自分も爆破の被害に遭った方がいいまである。

 

 思い至ったコスモスの行動は早かった。

 彼女はコスモッグへ“テレポート”を指示するよりも早く駆け出し、床に転がるドガース目掛けてその華奢な足を振り抜こうとする。

 そう、キックだ。彼女はドガースを蹴り飛ばし、“だいばくはつ”の射程を強引に突き放そうとしていた。

 爆発数秒前のドガース相手に飛び込む等、並大抵の胆の太さではない。

 見ていた人質も目玉を飛び出させ、少女が取った強硬手段に悲鳴を上げる。

 

(ここ!)

 

 イメージは完璧。

 後は足の甲でドガースの丸い身体を捉えるだけ───のはずだったが、

 

 ゴンッ!

 

「ッ、~~~!?」

 

 えらく硬いものを蹴った。

 

「むぎゃ!」

 

 悶絶するコスモスは、無様にも顔面から床に転倒。その間にもドガースが放つ光はみるみる強まっていく。

 

 これは、まずい。

 

 顔面を強く打った痛みも忘れるコスモスは、こんな窮状を生み出すに至った眼前のポケモンを見上げる。

 邪魔をしたのは敵のポケモンでも野生のポケモンでもない。

 今日の今日までロクに命令を聞いたことのない問題児こと、タイプ:ヌルに他ならなかった。

 

「ヌル!! なんてことをしてくれるんです!!」

「ヴルル……」

「こうなったら……!!」

 

 ひしっ、と藁にも縋る思いでタイプ:ヌルへと抱き着くコスモスに、人質の面々に驚愕が奔った。

 

「あの子! まさか自分のポケモンを見捨てずに……!?」

「ダメだ、いくらなんでも危険だ!」

「キミだけでも逃げるんだァー!」

 

 なにやら盛大な勘違いが後方で繰り広げられているが、そんなことお構いなしのコスモスが血走った瞳を浮かべたままタイプ:ヌルに耳打ちする。

 

「(これで貴方と私は運命共同体!! 生きるも死ぬも一緒です!!)」

「ヴル……」

「(“テレポート”で逃げます!! このままこの場から……)」

「ヴァア!!」

「あだッ!?」

 

 なりふり構わず“テレポート”で逃げようとしたコスモスを、あろうことかタイプ:ヌルは振り落とした。

 いよいよお終いだ。ゴチン、と後頭部を打ってのた打ち回るコスモスの脳裏に、包帯を巻かれた姿のまま病院で寝込む未来が過った。

 

(ああ、私も先生くらい強かったら……)

 

 (肉体的な意味で)強さを欲するまま、コスモスは爆発に巻き込まれる覚悟を決め、ギュッと瞼を閉じた。

 

 一秒、二秒、三秒……。

 頭の中でチクタク進む秒針の幻聴を耳にしてから十秒ほど経った頃、ようやく異変に気が付いた。

 爆発が一向に来ない。

 臨界直前までエネルギーを高めていたドガース。技を出すのに長い時間は掛からないはずだ。

 

 一体全体どういうことだと上体を起こす。

 目の前の状況は先ほどとさして変わらない。変わらないからこそおかしいのだ。

 

「バ、バカな……ドガース! どうして“だいばくはつ”しない!」

「ド、ドガァ……」

「ええい、この役立たず!! 肝心な時に仕事をこなせない愚図が!! 使えない道具に価値なんてないというのに!!」

 

 床を舐める姿勢のまま罵倒を投げかける男。

 一矢報いることもできぬ悔しさのままに床を殴りつけるも、彼が言い放った言葉が癇に障ったのだろう。マスクの影に隠れたタイプ:ヌルの眼光がギラリと光る。

 

「ヴルル……ルァ!!」

「なっ……!? こ、こっちに蹴───ぎゃあああ!!?」

 

 前脚を振り抜き、ドガースを男の下へとシュートしたタイプ:ヌル。

 次の瞬間、爆発の兆候が収まっていたドガースがみるみる輝きを増していく。そのまま男の下へと着いたと思えば、けたたましい轟音を鳴り響かせる見事な“だいばくはつ”が巻き起こった。

 

 まるで直前までなんらかの力が働き、爆発が抑え込まれていたかのような顛末。

 

「───“ふういん”? “だいばくはつ”を覚えてたんですか?」

 

 特性が『しめりけ』でもない限り、自爆技を防ぐことなどできない。

 となれば、必然的に“だいばくはつ”を抑制出来ていた手段は自ずと限られる。

 

 自分が覚えている技を相手にだけ使えなくさせる技“ふういん”。

 使い時が限られる技ではあるが、そのおかげで九死に一生を得たコスモスは、緊張の糸が切れたように気の抜けた息を漏らす。

 

「はぁ……とりあえず助かりました。ありがとう」

「ヴルルッ……」

「(これでちゃんと言う事を聞いてくれたら文句はないんですが)」

「フンッ!」

 

 コスモスの愚痴が聞こえたと言わんばかりに鼻を鳴らしたタイプ:ヌルは、あろうことかその場に居座り不貞寝を決め込む。

 『なんと悠長な……』と呆れはするが、最早戦いの趨勢は決まったようなものだ。

 あっという間に数を減らしていく立てこもり犯のポケモン。数こそ多かったが、一体一体の練度も高くなければ、連携を取れる程の統率も取れてはいない。

 

「さて、そろそろ〆にしましょうか」

『うっ……!』

 

 リーダー格も倒れ、ほとんどの手持ちを倒された立てこもり犯の顔色は悪い。

 じりじりと詰め寄られる分、後退りしては脱出路を探すように辺りを見渡していた。

 

「ど、どうするよ……!?」

「クソ、想定外だ! 警察共が乗り込んでくる前に逃げるぞ!」

「どこから逃げるって言うんだ! 外は包囲されてるに決まってる!」

「落ち着け! ()()()は脱出手段を用意したと言っていただろ! オレ達ゃ向こうの合図があるまで時間を稼げれば……」

 

 コソコソと話し合う立てこもり犯も、とうとう壁際まで追い詰められる。

 

「……逃がしませんよ」

『くっ!?』

 

 

「───ウヒョヒョヒョ! お待たせいたしました!」

 

 

「ん?」

『は?』

 

 いよいよ、といった瞬間に現れた人影。

 

(……マクノシタ。いえ、ハリテヤマ?)

 

 相撲が得意そうなポケモンと見間違えるが、どちらも違う。

 しかしながら、似たようなふくよかな体型で細目の男性は、立てこもり犯と(サイズこそ大きく違うが)似たマグマ団の制服に身を包んでいた。

 

 導かれる答えは一つ。

 

「……新手」

 

「だ、誰だか知らねえが応援か!? その恰好してるってことはそうなんだろ!?」

「ウヒョヒョ! その通~り! マグマ団と聞いて馳せ参じましたよ!」

「助かったぜ! あの小娘、やたら腕が立って……」

「ほうほう、なるほど! そういう訳ですか! でしたら……」

 

 巨漢が繰り出したのはコータス。

 頑強な甲羅から煙幕を噴き上げるポケモンは、主人を似たような細目で一瞥。アイコンタクトを取った後、手足を引っ込めて回転し始める。

 

「それではこうするとしましょう。コータス……この不届き者らに“こうそくスピン”!」

『は? ───ぎゃあああ!!?』

「からの、“ふんえん”!」

『おぎゃあああ!!?』

 

 まさかのフレンドリーファイア。

 マグマ団のマグマ団によるマグマ的同士討ちが敢行され、窮地に陥っていた立てこもり犯は困惑しながら地に伏せる羽目に遭った。

 

「成・敗! まったく……我々マグマ団の名を騙るなど万死に値する! やれやれ、リーダー・マツブサにどう報告しようか……」

「ルカリオ、“はどうだん”」

「って、ちょおおお!!?」

 

 難しそうな顔を浮かべて腕を組んでいた巨漢へ、“はどうだん”を掌に収束させたルカリオが飛び掛かる。

 辛うじてコータスが盾となって防ぎはしたものの、突然のダイレクトアタックに困惑を隠せない巨漢は抗議の声を上げた。

 

「いきなり何をする、そこのチャイルドぉ!! 馬鹿ですか!? ひょっとして馬鹿なんですか!?」

「いや、でも」

「『でも』もアチャモもあるかい!! 人に技を出したらダメとトレーナーズスクールで教わらなかったか!!」

 

 真っ当な意見ではある。

 

「見た目がそこの人達と一緒だったので」

「うーん、正論。であれば弁明をば……いいですか、チャイルド? そこのマグマ団と名乗った連中は偽物。このホムラさんこそが真のマグマ団員であり、誉あるマグマ団幹部なのです!」

「じゃあ尚更危ないのでは?」

 

 真っ当な意見である。

 

「待て待て待て待て待たんかい!! だ~か~ら~!! 組織はとうの昔にそういった事から足を洗ったし、危害を加えるつもりもないと言っている!!」

「どうやって証明できますか?」

「うぐっ……そうだ! チャイルドのルカリオ、確か他者の心を感じ取れるとか! このホムラさんの敵意も悪意もない穢れなき心を読み取れるのなら、身の潔白も証明できましょう!?」

「自覚が無くておかしな人が一番怖いと思うんですよ」

「ストップストップ! あ、だからさっきわざわざ攻撃指示したのか!」

 

 合点がいく巨漢・ホムラは『最近のチャイルド怖い!』とビビりまくっていた。

 眼前で“はどうだん”を用意するルカリオに滝のような汗を流しながら止めようとする姿は、どうにも人質を取ったマグマ団とは気色が違う。

 

「ルカリオ、もういい」

「ホッ……やれやれ、随分と胆が冷えた。アナタはホムラさんが出会ったチャイルドの中で最もデンジャラスでクレイジー……」

「どうも。それよりもこの人らの説明を」

「急かすチャイルドですね。どれどれ……」

 

 気絶するマグマ団員を覗き込み、ホムラは『フム……』と唸り声を上げた。

 

「やはり見覚えのない顔ぶれだ」

「模倣犯と?」

「ええ。カガリ……同行していた団員と急に連絡が取れなくなった時から嫌な予感はしていましたが、まさかこのような事態になるとは……。───ッ!!?」

 

 流れていた不穏な空気を吹き飛ばす爆風。

 広がる衝撃波にホムラが身を挺してコスモスを庇えば、内と外とを隔てる窓ガラスが一斉に割れる。

 

「くっ、なんだ!?」

「まさか、予告通りに……」

 

 

 

 

 

「あ、あの野郎……本当に爆破しやがったのか!?」

 

 

 

 

 

「「!」」

 

 当初の爆破予告通りかと思えば、先ほどの攻撃で気を失っていた一人が目を覚まし、うわ言のように何かを呟いていた。

 

「オイ、そこのお前! 何か知っているのか!?」

「ぎゃ!? な、なにしやがる!! 紛らわしい恰好の奴しやがって……お前のせいで!!」

「それはこっちの台詞だァ!! せっかくコツコツとクリーンなイメージを定着させていたというのに、我々の努力をよくも水の泡に……!!」

「ひぃー!?」

 

「それよりも聞きたいことが」

 

 鬼のような形相で男の胸倉を掴み上げていたホムラをコスモスが押し退けて代わった。

 

「今、『本当に爆破しやがったのか』と言いましたね。つまり本当に爆破するつもりはなかったと」

「うっ……お前に話す義理なんて……!」

「ゴルバットは一瞬で300㏄の血液を吸い取れます」

「は……?」

「これはあくまで一瞬という短い間で、という仮定の話。その気になれば獲物の血液が無くなるまで吸い続けるのがゴルバットの生態です」

「ひっ」

「ちなみにヒトが失血死する血の量は1.5リットル。ゴルバットの吸血5回分ですが……おっと、こんなところに最近ポケモンフーズばかりで血に飢えている私のゴルバットが」

「ひぃぃいいい!!? そうですそうです!! 本当に爆破するつもりなんてなかったんだ!!」

 

 牙を剥いて舌なめずりするゴルバットの姿に心が折れた偽マグマ団員が血を抜かれる以前に顔面蒼白になりながら白状した。

 

「では、本当の目的は?」

「オレらは金で雇われてマグマ団を演じてただけなんだ!! 人質を取って警察の注目を集めろって……」

「注目を集める理由は?」

「取引だよ、取引! ブツまでは知らねえが、その間だけって……あの野郎! 退路は確保するって言ってやがったのに! 前金たんまり貰って騙されちまった、クソォ!」

 

 床を叩いて嘆く偽マグマ団員。

 他の面子も同じなのか、往々にして似た反応を見せている。

 

「……まずいですね」

 

 ぽつりとコスモスが零す。

 爆破の際、どこかに火が燃え移ったのか黒煙が天井を這い始めている。早急に脱出を試みなければ火事に巻き込まれるだろう。

 ご丁寧に地上階へと続く階段とエスカレーターも破壊されている以上、悠長にしていられる時間は一秒たりともない。

 

「チャイルド! とにかく脱出ですよ!」

「……」

「我々は汚名を被らされたまま口封じされるなど御免だ! 無実を証明する為にも、誰一人として犠牲者は出すつもりは───」

「それなら、実行犯の首も必要ですか?」

「は?」

 

 予想外の返答にホムラが素っ頓狂な声を上げた。

 怪訝に眉尻を下げれば、火中においても精神を研ぎ澄ますルカリオが、ピコッと耳を立てて地面を差し示した。

 

「どうやらルカリオが感知できたみたいです」

「なんですとッ!?」

「あれを見てください。瀕死になったレアコイル……きっと電波障害が起こってたのはあれが理由。けれど、“じばく”なり“だいばくはつ”なりで瀕死になった今、妨害電波も消えたみたいです」

「だから波動で探れたと? それはビッグなニュース! チャイルド、大手柄です!」

 

 嬉々とした様子を見せるホムラ。

 だが、

 

「いえ、貴方は人命救助に当たってください」

「ヒョ? いやいやいや、わざわざ探り当てたことを明かしてまで!?」

「汚名返上なら人命救助の方が良いのでは?」

「それは……その通りだ」

「なら、迷う必要はないんじゃないですか?」

 

 解放した人質を窓際まで案内し、ゴルバットで外に運び出しつつ、待っている間はニンフィアが“ひかりのかべ”を張って炎の侵攻を食い止める。

 

「ぐっ……しかし! 未だにカガリに連絡がつかんのです!」

「……誰なんです、そのカガリって人は」

「同志ですよ、同志! 一緒にジャンボマウンテンに調査に来てからというもの、連絡が途絶えてしまったのが先日の出来事!」

 

 喚くように声を荒げながら、人命救助に勤しむホムラは頬に冷や汗を伝わせていた。

 

「そして今日の偽マグマ団! 奴らは取引の時間稼ぎと言った!」

「ですね」

「本当のマグマ団員が姿を消し、偽物が事件を起こした! しかも後者は口封じされようとしている! ならば、下手人が取引しようとしている相手は!? なぜホムラさんにカガリは連絡しないのか!?」

「───取引相手が、そのカガリという人だから。ですか?」

 

 少々飛躍した発想だが、その可能性を拭いきれないと感じるホムラだからこそ、ここまで焦燥に煽られているとも言える。

 

「チャイルド! これはあくまで推測でしかないが、偽物を口封じにしようとする輩が取引を終えた相手を無事で帰す理由は……」

「ないですね」

「事は一刻を争う! この爆破が取引完了の合図を示すのであれば、取引相手かもしれないカガリの身がデンジャラス! そこで」

「引き受けますよ」

 

 言葉を待たずして返ってきた答えに、ホムラはコスモスの方へと目をやった。

 

「よろしいんです? チャイルドに引き受ける義理は……」

「その代わり、見返りはきちんと求めます」

「……ウヒョヒョヒョヒョ! そちらの方が信用できる! 安心なさい、ホムラさんの名に懸けて褒美を授けることを約束しましょう」

「交渉成立ですね」

 

 踵を返すコスモス。

 即座にルカリオに抱きかかえられた彼女は現場から離脱し、取引現場と思しき悪意を感じられる場所を目指していった。

 

(まったく……えらく可愛げのないチャイルドだ。だが)

 

 火中を厭わず悪事を働く輩の下へと向かう少女。

 その後ろ姿にはかつてマグマ団と事を構えたポケモントレーナーを髣髴とさせるようだった。

 

 今や、ホウエンの舞姫と謳われる少女を。

 

(遥か遠くの地方にも、勇気あるポケモントレーナーは居ると……)

 

 彼女ならば、ともすれば。

 

「ウヒョ! さっさと人質を避難させて、ホムラさんも加勢に行かなくては!」

 

 この地にも、確かに新風は吹き込んでいた。

 

 

 

 




Tips:ジャンボマウンテン
 スナオカタウンから南西に進んだ先にある死火山。過去には活火山として活動していたものの、今では鳴りを潜めるかのように静寂に包まれており、いわタイプやじめんタイプの巣窟となっている。
 活火山であった頃はファイヤーが休息に赴く地という伝承もあったが、突然死火山になった理由は誰にも分からない。


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№030:ビリリダマとボール間違える奴いる?

前回のあらすじ

コスモス「マグマ団の マクノシタが 飛び出してきた」

ホムラ「せめてハリテヤマと呼ばんかい!」

コスモス「訂正はそこでいいんですか」


───ナニが……起こった……?

 

 

 

「う……くぅっ……!?」

 

 明滅する視界。

 それでも意識を保つカガリは、倒れながらも自分以外の団員へと目を向けた。どうやら同様に彼らも呻き声を上げながら苦しんでいるようだ。

 

 全員が全員地に伏せるのを見届けるや、フードで隠れた男の口角は鋭く吊り上がる。

 

「フ、フフフ、ハーッハッハッハ! まんまと引っかかってくれましたね!」

「いったい……ナニを……!?」

「自分の目でごらんなさい」

「? ……!」

 

 霞む視界が映す影。

 女性団員の裾の陰。モンスターボールが装着されているベルトを見てみれば、不意にボールがぐりんと振り向き、こちらを睨んだではないか。

 

(ビリリダマ……!)

 

 してやられた! とカガリは歯噛みした。

 ボールポケモン、ビリリダマ。その球体に赤と白のコントラストは、まさしくモンスターボールの姿そのものだ。

 

 世間では『ビリリダマの大きさでどうボールと見間違うのか?』と疑念の声を上げる人々が居るが、それは見当違いだ。ビリリダマやマルマインによる感電事故のほとんどは、ポケモン固有である『体を縮める』という生態に起因するものである。

 ボールに入れるほど縮んだビリリダマは、スリープモードのボールと見比べてもパッと見では分からない。それ故に落とし物のボールと見間違えた人による感電事故が多発するのだ。

 

 ボールが先か、ビリリダマか先か。

 その議論はさておき、仕込まれていたビリリダマの擬態を見破れずに、カガリたちはまずい状況へと追いやられてしまった。

 

 そして陥れた側である男は、してやったと言わんばかりに満足げそうな笑みを浮かべていたのだった。

 

「どうです、“でんじは”の味は? 小さかろうがヒトを痺れさせる程度訳がないんですよ!」

「最初から……このつもりで……!」

「その通り! さて、まずはと……」

「っ……、返せ!」

「おっと! そんな大声を出せるとは意外です」

 

 モンスターボールを取り上げられて叫ぶカガリ。

 そのボールには、かつてリーダーの男より与えられた思い出のポケモンが入れられている。カガリにとってポケモンは目的を遂行する道具でしかない。しかしながら、道具は道具でも宝物なのだ。他人に奪われることは到底見過ごせない。

 

 だが、男の方はと言えば当然返すつもりはない。クツクツと喉を鳴らしながら倒れるカガリ達を見下(みお)ろし───否、見下(みくだ)していた。

 

「これじゃあ立ち向かうこともできませんね。ははっ、ご愁傷様ですね!」

「目的は……ナニ……?!」

「……わざわざ話してやる義理もないですが、いいでしょう。今は気分がいいのでね! ───材料ですよ、取引の」

「取、引……!?」

「そう! マグマ団を我々の組織に吸収するんですよ! いくら堅物の頭目であっても、カワイイ部下の命を引き合いに出されれば頷かざるをえないでしょう。……今の貴方のようにね」

 

───ぎりぎりぎりぃ……!

 

 高笑いする男に憤慨する余り、歯軋りを響かせるカガリ。

 これほどまでに腹の底が怒りに煮え滾りながらも、痺れた体の指一本を動かすこともなならない。認めたくはないが、状況は向こうが優勢だ。

 

「……卑怯者……!」

「卑怯? 甘いですね。まんまと野望を打ち砕かれた挙句、単なる一企業に成り下がった貴方達小悪党風情とは格が違うんですよ」

「……、……」

「さて、この後は予定が詰まってるんです。さっさと回収させてもらいます」

 

 一方的に話を切り上げた男は、ウインディとハッサムを繰り出すや痺れて動けないカガリ達を運び始める。

 

「……った」

 

 微かに響く声。

 思わずピタリと男の足が止まった。

 

「……今、何か言いましたか? 初めに言っておきますが、これ以上貴方に構っている時間はないんです」

「よか……った」

「はぁ?」

「……キミを……デリート、シテも……マツブサは───怒らない!」

 

 刹那、天井の通気口から黒煙が噴き出す。

 

「! これはっ!?」

「マグマラシ!!」

「なんだとっ!?」

 

 不意の攻撃に驚愕するも束の間、通気口の入口を破って下りてきた火達磨が男の手から奪ったボールを弾き飛ばす。

 そのまま壁と床を転がったボールは偶発的かつ計画的に開閉スイッチが押され、中に収まっていたポケモンを外の世界へと導き出した。

 

 一体はバクーダ。

 火山の如きコブを背負った巨体を揺らし、ウインディへと“とっしん”を喰らわせる。背中に乗せられていたカガリや団員は反動で宙を舞ったものの、すかさず飛び出てきたもう一体───キュウコンがクッションになって救い出された。

 

「しまった!?」

「バクーダ、“ふんえん”!」

「ブモオオオ!」

 

 怒りに焠ぐバクーダは、言われるがままに背中から辺り一面を焼き尽くす爆炎を噴き上げる。それは敵であるウインディやハッサムは勿論、カガリ達を助けたマグマラシも同様だ。

 しかしながら、爆炎に怯む様子を見せる二体に対し、マグマラシは毛ほども堪えていない。

 

 むしろ浴びせられる炎を頭部にある炎の噴出口から吸収するではないか。

 

「マグマラシ、“かえんほうしゃ”!」

「マグゥー!」

 

 次の瞬間、体内に溜め込んだ炎を爆発させるように、マグマラシの口から一条の炎が迸った。凄まじい火力だ。赤や白を超え、青に染まる炎は射線上に居たハッサムへと襲い掛かる。

 その間、キュウコンによって縄と猿轡を外された団員は、目の前に広がる灼熱の光景に感嘆の息を漏らしていた。

 

「す、すごい火力……!」

「へへっ、あれを喰らっちゃハッサムなら一たまりも……」

 

「……いや……マダ」

 

「え?」

 

 一体仕留めたと沸く部下に対し、カガリはひどく冷静だ。

 やがて炎が霧散し、その奥より敵の姿が現れる。

 

「……腐っても幹部ということですか。少々侮っていたようですね」

 

 怒りに震える声を発する男。

 彼の体には傷一つついていない。それも全ては真紅の鋏を交差させ、烈しい炎を防ぎ切ったポケモンが居るからだ。

 

「だからといって準備を怠った訳ではありません……連行する手間が増えただけであり、決して失敗などではない!」

 

 ハッサム、健在。

 あれだけの火力をその身に受けながらも、ハッサムはしっかりと地面を踏みしめて立っている。

 

「……アンビリーバブル……」

 

 文字通り信じられない結果に、カガリは柄にもなく冷や汗を流す。

 カガリのマグマラシの特性は『もらいび』。バクーダの“ふんえん”を受けた上での火力は『もうか』が発動した時に匹敵する。

 加えてハッサムの唯一で最大である弱点はほのおタイプ。余程実力差がない限り特殊攻撃である“かえんほうしゃ”は受けきれないはず───だが、

 

「理解……不能」

「フンッ。同じ道具(ポケモン)でもボクが発明した究極のポケモン───シャドウポケモンは貴方達が使うそれとは一線を画す! 兵器なんですよ、これは!」

「んっ……!」

 

 カガリへ飛び掛かってくるハッサムに対し、バクーダが盾となって割って入る。

 まんまと攻撃を受け止めるバクーダ。が、想像以上の威力であったのか、僅かに地面から足が浮かんだバクーダがカガリの真横に倒れ込んだ。

 瀕死にこそ陥っていないが、歯を食い縛るバクーダを見るからに少なくないダメージを負ったことは事実。

 

「バクーダ……!」

「どうです、見ましたか!? これこそがポケモンの潜在能力を人為的に限界まで引き上げる究極の発明! 育成? 信頼? 馬鹿馬鹿しい! ご高説垂れて時間をかける非効率なトレーナーの手に掛からずとも、我々は最強のポケモンを手に入れられるんですよ!」

 

 得意げに語る男はウインディに“フレアドライブ”を指示する。

 負けじとカガリもマグマラシに“かえんぐるま”を指示するが、諸々のスペックが違い過ぎた。

 

 真正面からぶつかり合う炎と炎。

 一瞬の拮抗も許すことなく、ウインディはマグマラシを弾き飛ばした。弧を描きながら墜落するマグマラシ。体力が風前の灯火であることを示すように、臨戦態勢を示す頭部の炎は弱弱しい。

 

「……!」

「早速一体。貴方の中ではボクを倒す算段だったでしょうが……ボクと勝負できると思うなんて愚かな考えだ。この勝利は必然。潔く敗北を認めた方が身の為ですよ」

「答えは……ノー!」

 

 カガリが語気を強めて抵抗を口に出せば、瓦礫に埋もれていたバクーダが刮目し、背中のコブから爆炎を噴き上げた。

 瞬く間に邪魔な瓦礫を消し炭するのも束の間、地震かと錯覚するようなけたたましい咆哮を地下道中に響き渡らせ、その身体より眩い光を解き放つ。

 

「バクーダ……スタンバイ」

「バァァアクォォオオオ!!」

 

 痺れた体に鞭を打ち、カガリは左腕のバングルを掲げた。

 そこに嵌められていたのは一つの宝石。

 

「それは……まさか!」

 

 訝しんでいた男の瞳が見開かれる。

 そうこうしている間にもカガリとバクーダの光は結び合い、薄暗い地下道を塗り替えるほどの輝きを生み出す。

 

 光は殻へ。

 縦横無尽に暴れまわっていた力が凝縮される果ては、さらなるモンスターが産み落とされる光景だ。

 

 やがてバクーダの身体に変化が───否、進化が訪れる。

 元より頑強な肉体がより強く、より逞しい不動の山と化すかの如く、シルエットが著しく肥大化していくではないか。

 

 そのままカガリの前へと躍り出た瞬間、真価の顕現は完成する。

 彼女を映すカガリの瞳は決意に、そして相対する男の瞳は好奇と興奮に湛えられていた。

 

「───シンクロナイズ、パーフェクト」

「キーストーンとメガストーンの共鳴……これは間違いない!」

「メガシンカ……コンプリート」

「よもやこんなところでお目に掛かれるとはッ!」

 

 

 

「メガバクーダッ!!」

 

 

 

「バアアアアッ!!! クオオオオッ!!!」

 

 荒い鼻息を鳴らすバクーダが前脚を振り下ろす。

 地面に硬い蹄が突き刺さった───間もなくして激震が地下道全体を襲いかかった。

 

 これには男も堪らず姿勢を崩し、床に膝を付けた。

 

「ぐぅッ!? これが『メガシンカ』……なるほど、確かに凄まじいパワー……!! だが……」

 

 急激に増大したバクーダに興奮しながらも、男は埃や破片が降ってくる天井を見上げた。

 これは“じしん”の影響だ。じめんタイプの技の代表格に相応しい超絶とした威力であるが、その真髄は地中に居る相手にも伝わる震動にこそある。

 

 だからこそ、今の状況は非常にまずい。

 

「正気じゃないですね!! こんな地下に居る中で“じしん”なんて心中でもするつもりか!?」

「ァハア♪ そう……キミもボクも、ここで……」

 

 今も尚“じしん”は続いている。

 このままではいずれ地下道が崩壊し、この場に居る者たち全員が生き埋めとなるだろう。

 

 人質を取るつもりが共倒れになっては仕方ない───すでに目的の代物を手に入れた男は、万が一崩落に巻き込まれてもいいようにとボールを手に取った。

 

 その瞬間を狙っていた眼光が輝く。

 

「───“いわなだれ”」

 

 メガバクーダがマグマ零れる背中の噴出口を男へと向けた。

 すれば、鼓膜が破れんばかりの発射音と共に、冷え切っておらず赫々と燃え滾る無数の岩が噴き出されるではないか。

 

 虚を突かれ驚愕に目を見開く男へ、カガリは嘲笑うような笑みを湛えてみせる。

 

「キッ……サマァ!!」

「バイバイ……♪」

「このまま逃がすと───」

 

 男の言葉は地下道を満たす“いわなだれ”の轟音で遮られる。

 

 ものの数秒で、カガリたちと男を隔てる岩壁は完成した。

 一部の岩壁は固まらずドロドロと赤熱に染まっているが、そのおかげで不用意に触れられない隔壁と化しているのだった。

 

 いくら人為的に強化されたハッサムやウインディでも、これほどの物量と熱量を前にすれば時間は稼げる。

 しかし、真に驚嘆すべきはこれほどの芸当をこなしてみせたメガバクーダそのものに他ならない。

 

 目の前の死闘を見届けていた下っ端は、余りにもハイレベルなポケモンバトルに半ば呆然自失となっていた。

 

「これがカガリ様のメガバクーダ……は、ハンパねぇ」

「……ふぅ、ぅん……んっ……」

「あ……戻った」

 

 しかし、奇跡は長く続かない。

 劣勢を覆す活躍を見せたバクーダは、カガリが辛そうに首を垂れた途端に元の姿へと戻ってしまう。主同様、バクーダもまたその威容を保てなくなったのだった。

 

「……帰る」

「へ? あ、……はい! って、イデデデデ! まだ体が痺びれれれ……!」

「……キュウコン」

 

 カガリの一声で退散しようとするも全員“でんじは”が尾を引いていた。

 自分一人では歩くこともままならない為、したっぱ二人はキュウコンに引き摺られ、カガリ自身はバクーダにもたれ掛かりながらの移動となる。

 九死に一生を得た面々。したっぱ二人は人質にされた経緯もあり、生きた心地がしないと言わんばかりの表情を浮かべていた。

 

 だからといって労うカガリではないが、継続的に後方へ警戒を払ったままだ。

 

(……追手は……)

 

 今のところは、ない。

 このまま退避さえできれば、同じ団員と連絡を取り合って回収を頼めるだろう。それが自身らに残された現実的な希望。

 

 

 

「───このまま逃がすと……思わないことだと言ったァッ!!」

 

 

 

「……ッ……!?」

 

 の、はずだった。

 鳴動する岩壁があろうことか噛み砕かれる。ガラガラと崩れ落ちる岩壁の奥より現れ出るのは巨大な岩蛇のように見えるが……。

 

「いや……違う……!」

 

 真っ先に否定したのはカガリ自身だ。

 高熱の岩壁を砕けるポケモンは一握り。たとえ地中を時速80キロで掘り進められるイワークでさえ、あの熱量の前には火傷を引き起こして掘削どころではなくなる。

 

 しかし、その進化形ならば。

 地中の熱と圧力で鍛えられた鋼の肉体を持つ鉄蛇ならば、あるいは。

 

「ハ……ハガネールだってェ!?」

「カガリ様早く逃げましょう! あんなデカブツ、相手にするだけ損です!」

 

 猛スピードで接近してくるハガネールに、したっぱ二人が逃げるようにカガリを諭す。

 

「……イヤ」

 

 が、当のカガリは迫りくる鉄蛇の方を向く。

 バクーダに“とっしん”を指示し、地下道の壁面を抉りながらやって来るハガネールの迎撃に当たる。

 鈍い衝突音と共に地面が激しく揺れた。

 しかし、拮抗も束の間にじりじりとバクーダは押し負かされる。地面に敷かれたレンガを踏み砕く勢いで踏ん張ろうとも、ポケモン屈指の超重量を誇る鋼鉄の塊を前には劣勢を強いられざるを得ない。

 

 そんなポケモンたちの激突を前に、なんとか壁にもたれかかって体を支えるカガリはしたっぱ二人を咥えるキュウコンを見た。

 

「……イけ……!」

「! コーンッ!」

 

 意図を汲み取ったキュウコンが、颯爽と地下道を駆け抜けるように去っていく。

 

「逃がすな、ウインディ!」

「させ……ナイッ……!」

 

 キュウコンに連れ去られるしたっぱを追おうと仕向けられるウインディでったが、すぐさまマグマラシの放つ“スピードスター”に阻まれ、睨み合いに陥る。

 刹那の攻防の間、己の俊足を発揮したキュウコンの姿は完全に見えなくなった。

 

「チッ!」

「……ァハ♪ キミの……負け」

「……すぅー……、まあ、いいでしょう。重要なのは寧ろアナタの方だ。したっぱ程度いくらでもくれてやりましょう」

「……負ケ惜チミ……♪」

「ッ……フン、それは一体どちらのことでしょうね!」

 

 ゴウッ! と地下道を吹き抜ける突風。

 堪らずカガリが尻餅をつけば、先ほど以上の痛々しい姿になったマグマラシとバクーダが目の前に転がってくる。

 

 下手人は無論、眼前の男が操るポケモン。

 いずれも血走った───否、それ以上の真紅に染まる瞳は普通と言い切るにはあまりにも異常であった。

 

 加えて異常は純粋なパワーにも通ずる。

 形勢は未だ変わらずカガリが不利。男の絶対的優位は覆っていない。

 

「そろそろこちらの騒ぎも嗅ぎつかれる頃合いだ。潔く抵抗を止めた方が痛い目を見ずに済みますよ?」

「……、……」

「黙っているのならこちらから行かせてもらおうか!」

「ッ───!」

 

 ハガネールが牙を。

 ウインディが爪を。

 そしてハッサムが鋏を掲げ、カガリのポケモンへと襲い掛かる。

 

 彼女たちに残された力は皆無に等しい。

 ボロボロになったバクーダとマグマラシでは、この異常な強化を施されたであろうポケモンを倒すことはできないだろう。

 

 諦めが視界に暗闇を下ろす。

 

───まただ。

───また、迷惑をかけてしまった。

 

───今度は許してもらえるかな?

───……今度も許してもらえるだろうな。

 

───でも、

───今度は、許してもらいたく……ない。

 

「……ごめんなさい」

 

 未来を見越すのを諦めた瞳では、先のヴィジョンを見ることは叶わない。

 

 

 

 

 

「───“はどうだん”!」

 

 

 

 

 

 だからこそ、次の瞬間を見逃した。

 

「ッサ……!?」

「ハッサム!? ええい、一体誰だ!」

 

「……え?」

 

 焦燥に駆られた男の声で目を開ける。

 すれば、真紅の鎧に身を包むハッサムが、どこからともなく飛来した蒼い光弾に弾き飛ばされる光景が飛び込んできたではないか。

 

「大丈夫ですか」

「……あ……」

 

 呆然とするカガリであったが、忽然と隣に現れた少女に目を見開いた。

 

「キミ……は?」

「ホムラという人に頼まれてきました。通りすがりのポケモントレーナーです」

「!」

「貴方がカガリという人ですね?」

 

 瞬間、記憶に焼き付いた少女の面影が重なる。

 

 ちっとも似ていないはずなのに。

 なのに、どうしようもないほどのデジャブがカガリの思考を揺さぶる。

 

(………………予想外)

 

 訪れたのは敗北でも、ましてや勝利でもない。

 未来を不確定に塗り替える、新たな希望の芽に他ならなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 薄暗い地下道の先。

 そこで繰り広げられていた激震に次ぐ激震の震源地に辿り着いたコスモスとルカリオは、じっと身構えているポケモンを凝視する。

 

「見える?」

「グルゥ……」

「そう」

 

 傍らに立つルカリオとの端的なやり取り。

 しかしながら、それだけでコスモスは相手の正体を看破する。

 

(───シャドウポケモン)

 

 ルカリオにしか見えぬ禍々しいオーラ。

 ラムダが語っていた人為的な強化を施された改造ポケモン、それがシャドウポケモン。かつては似たような改造個体を利用した組織が遠い地方で暗躍していたが、今となっては一つの組織に限られる。

 

「なるほど、そういう訳ですか」

「……誰です? いくら子供だからと言って、ボクの計画を邪魔する存在には容赦しませんよ」

 

 問いかける男は倒れたハッサムをボールに戻す。

 どうやら外見以上にダメージを負っていたらしいと理解するコスモスは、やれやれと首を振る。

 

 ここまで来るのに大分苦労した。

 地下道へと続く道を探すのもそうだが、立て続けに襲い掛かってきた揺れにバランスを崩し、体をぶつけてしまうこと数回。

 

 控えめに言って全身が痛い。

 肩が痛い。

 腕も痛い。

 足も痛い。

 ついでに上から降ってきた破片が脳天に直撃して、頭も痛い。

 

───よくも私をこんな目に。

 

 見返りを求めて安請け合いしたのは自分だが、そんなことは関係ない。当然のように棚に上げる。

 

 自分は悪くない。

 悪いのはこんな目に遭わせた相手にある。

 

 そうした怒りを沸々と湧き上がらせるコスモスは、ジトッ……と細めた瞳で相手に睨みを利かせる。

 

「ようやく見つけました」

「誰だと聞いているんです」

「万事において私の邪魔をする存在は排除すると決めています。例えそれがどんな組織であれ……です」

「!」

 

 ガラガラと音を立てて天井より瓦礫が降り注ぐ。

 ルカリオが小さな“はどうだん”で撃ち落とす一方、ハガネールは自分の体を以て男の屋根に努める。

 

「……時間もないことですから、早急に事を済ませるとしましょう」

「……」

「でしょう? マグマ団……いえ、ロケット団」

「……本当に誰だ、キミは? しかし、正体を見破られてしまった以上、こんな格好をしていても仕方ありませんね」

 

 徐に衣服へ手を掛ける男が、マグマ団を騙る必要がなくなったと変装を解く。

 現れたのはメガネをかけた優男風の青年。後頭部で結った黒髪の一部には赤いメッシュが混じっており、知的な印象とは裏腹な激情を匂わせるようであった。

 

「ご明察。ロケット団幹部の一人、アルロとはボクのこと!」

「ロケット団……? ……ウソを」

「ウソ? 馬鹿も休み休み言うことですね。現に! ボクが! ここに居る!」

 

 仰々しく両腕を広げて叫ぶ青年───アルロは、否定するカガリの方を向く。

 

「ロケット団は復活したんですよ! 完璧で崇高なるサカキ様の下、我々はより強固な組織へと再編された! ロケット団は、今や過去のロケット団を超えた!」

 

 嬉々として語るアルロ。

 その様子は狂気こそ孕んでいれど、正気を失ったようには窺えない。

 

 

 だからこそ否応なしに認めてしまいそうになる───ロケット団の復活を。

 

 

「……本当に……」

「どうです!? 恐れろ! 慄け! 今回の作戦も正体がバレたところで一向に問題はないんですよ! 強いて言えば、ボクたちが欲していた物をキミたちが所持していたからこそ、体よく利用する方へ舵を切っただけのことだ」

「……よくも……!」

 

 利用された理由が半ば偶然と知り、カガリが顔を紅潮させる。リーダーが償いの為、そして新たなる夢の為に築き上げてきた信頼を無に帰す非道だ。憤慨するのも当然だろう。

 

「こんな……ヤツに……!」

「フン、ゆくゆくは世界征服を遂げる我々ロケット団と手を結べるかもしれない機会を得られるんだ。むしろ感謝してほしいくらいですよ」

「───少しいいですか?」

「うん?」

 

 傲岸不遜な態度を取るアルロへ、不意にコスモスが投げかける。

 

「一つ確認ですが」

「なんだ?」

「ロケット団のボスは、本当にサカキという名前なんですか?」

「……どういう意味です? まさかキミもロケット団は解散しているはずとほざくクチか」

 

 訝しむアルロの眼光が三割増しで鋭く閃いた。

 対するコスモスは淡々と。変わらぬ口調で受け応える。

 

「いえ、単純な疑問です」

「子供に……ましてや、我々に歯向かう邪魔者に答える義理はないと言ったら?」

「───実力行使に出ます」

 

 刹那、蒼い光が瞬いた。

 

「ハガネール!」

「ルカリオ、続けて“みずのはどう”」

「ウインディ、“しんそく”で攻め立てろ!」

 

 牽制用に放たれた小型の“はどうだん”をハガネールが受け止める。

 その隙を突き、“みずのはどう”の準備をしていたルカリオの懐へ、目にも止まらぬ速さで肉迫するウインディが牙を剥いてきた。

 

 これにはルカリオも攻撃を中断し、ウインディの猛攻を凌ぐ態勢に入る。

 迸る“ほのおのキバ”はルカリオに対して効果は抜群。一撃でも喰らえば怯みは必至。

 

(ここは落ち着いて様子を……)

 

「ヴァアアア!!」

「え」

 

 突如としてウインディの攻撃を阻むように現れる影。

 タイプ:ヌル───普段に増して敵意を露わにする人工ポケモンは、ウインディの巨体を掬い上げるように体当たりをぶちかます。

 不意を突いた攻撃に、宙に浮かぶウインディも天井に激突した後、苦痛に顔を歪めながら距離を取るべく飛び退いた。

 

「勝手に出てこない」

「フーッ……フーッ……!」

「……聞いてないですね」

 

 どうしていつもこうなのか、と頭を抱えるコスモス。

 しかし、ふと自分に向けられた視線の感触が違うことに気が付く。改めて相手の方を向けば、そこには眉間に皺を寄せるアルロの姿があった。

 

 彼は紛れもなく、タイプ:ヌルへと視線を注いでいる。

 

「どうしてそのポケモンを……一体どこで手に入れた!」

「答える義理はないと言ったら?」

「……おごった考えが引き起こすのは敗北ということを、存分に思い知らせてやる!」

 

 アルロが指示を飛ばすや、地下道をハガネールとウインディが猛進してきた。

 広いとは言い難い地下道の中、二体の巨体が動くだけでも轟音は反響し、耳朶の奥をガンガンと打ち鳴らす。

 

 まずは彼らの進行を止められなければ話にならないだろう。

 鼓膜の痛みに顔を歪めながら、コスモスが声を上げる。

 

「ヌル、ウインディに“ブレイク……」

「ヴァアアア!」

「……ルカリオ、フォロー! ハガネールの頭上に“はどうだん”!」

「バウッ!」

 

 コスモスの指示を聞く前に飛び出すタイプ:ヌル。

 これでは1体と1体VS2体だと呆れつつも、すかさずルカリオに援護に入るよう求める。ハガネールを相手取るにはタイプ:ヌルでは荷が重いと、特殊攻撃である“はどうだん”による援護射撃が巨大な鉄蛇へと襲い掛かる。

 

 一つ一つの大きさはそこまでであり、ダメージも小さい。

 しかし、本当の狙いは天井にあった。ただでさえ戦闘の余波でもろくなっている天井を撃ち抜けば、必然的に天井が瓦礫となって降り注ぐ。

 そうなってしまえばハガネールもアルロ(トレーナー)を守らざるを得なくなり、派手な動きができなくなる訳だ。

 

 降り注ぐ瓦礫に身の危険を覚えたアルロは、すぐさまハガネールを呼び戻す。

 

「小癪な……! ……だが」

 

 目を細めるアルロは、ウインディと取っ組み合いになっているタイプ:ヌルを見遣り、ニヤリと口角を吊り上げた。

 

「命令も聞かないポケモンを仕向けるなど傲慢で浅はかな考えですね! まずはそちらを崩そうか!」

「ヌル! 回避!」

「遅い!」

 

 相手の動きを察知して呼びかけるコスモスであったが、我を忘れて暴れるタイプ:ヌルに声は届かない。

 その異変には見覚えがあった。

 

(理性を失っている? こんな時に……!)

 

 初邂逅の記憶が脳裏を過る。

 コスモッグを狙い、一心不乱に襲い掛かってきたタイプ:ヌル。ザングースとハブネークが本能のまま闘うかの如く、あの時のタイプ:ヌルは理性が欠落したと言わんばかりの戦いぶりだった。

 

───どうして、今?

 

 何かが。

 本能に近しいタイプ:ヌルの根底が、衝動となって縛られた体を突き動かしている───コスモスの目にはそう見えた。

 

 しかし、野生同士の戦いならばともかく、トレーナーが介在するポケモンバトルにおいて無我夢中に戦うなど愚策中の愚策。

 案の定、タイプ:ヌルはウインディに懐へ潜り込まれる。

 

 そして、

 

「ウインディ、“インファイト”!」

「グォアアア!!!」

 

 獰猛な肉食獣の形相を湛えたウインディが、その丸太のように太い前脚をタイプ:ヌルへと叩き込む。

 苦しそうな呻き声が、直後に響く。

 けれども“インファイト”はそれだけで終わる技ではない。前脚から流れるように体当たり、頭突き、尻尾を叩き込み、最後に後ろ脚で蹴り上げる。

 

───こうかは ばつぐんだ

 

「ヴッ……!?」

「───ほう、今の猛攻(インファイト)を喰らっても倒れませんか」

 

 目にも止まらぬ連撃を叩き込まれるも、辛うじて四つの脚で踏ん張ってみせるタイプ:ヌルに、感心したかのようなアルロの呟きが漏れて聞こえる。

 

「まあ、我々の兵器として生み出された以上、このくらい耐えてもらわなくては話にならない」

「フーッ……フーッ……」

「だが限界みたいですね。それも失敗作ならば是非もない。タイプ:フルの出来損ない……タイプ:『ヌル』」

「ヴァアアア!!」

 

 今にもマスクを破らんとする勢いで吼えるタイプ:ヌル。奥に佇む瞳からは、恐ろしいまでの敵意と憎悪がありありと窺えるようだ。

 

(ヌルはまだ戦える……けど、それだけじゃ)

 

 戦意が折れていない限り、負けとは決まった訳ではない。

 それでも芳しいとは言い難い状況には違いないからこそ、コスモスは頭を悩ませていた。

 

(スペックだけならウインディと戦えるとみたけれど、こうも言うことを聞かないとなると退かせるべきか。でも、流石に二体相手じゃルカリオの負担も……)

 

「───ちょっと……イイ……?」

「はい?」

 

 コンピュータも斯くやという速さで思案を巡らせていたコスモスへ呼びかける声。

 

「ボクが……サポート……」

「大丈夫ですか?」

「まだ……ヤれる……!」

 

 僅かながら痺れが抜けてきたカガリが、壁に指を食い込ませながら立ち上がった。

 ほぼ同じタイミングで、地べたに這い蹲っていたバクーダとマグマラシも起きる。メラメラと揺らめく炎は彼女たちの怒りそのものだろう。風景が揺らめくほど熱く、そして赤々と燃え盛っている。

 

「分かりました。ルカリオをウインディにあてがいます」

「! ……了解」

 

 たったそれだけのやり取りで意思疎通を図った二人の指示は早かった。

 

「ルカリオ、ウインディに“みずのはどう”!」

「なに? なら……ハガネール、ウインディの盾になれ!」

 

 照準をウインディへ向けるルカリオ。

 そこへ地下道の壁や天井を抉りながら爬行してくる鋼鉄の巨体が割って入ろうとすれば、

 

「させ……ない! “いわなだれ”」

 

 行く手を阻む岩壁が降り注いだ。

 はがね・じめんタイプのハガネールに対し、いわタイプの技───それも物理攻撃など痛くも痒くもない攻撃だ。

 しかし、これだけの質量と物量が降り注いだとすれば、どれだけパワー自慢なポケモンでも動きを阻害される。時には怯むことだってあり得るだろう。

 

 結果から言えば、“いわなだれ”はハガネールに対し十分な働きを見せた。

 爬行する鉄蛇の動きをほんの僅かに遅延させる。

 

 その間、ルカリオは目にも止まらぬ早業で“みずのはどう”を発射した。

 タイプ:ヌルと睨み合っていたウインディは、みずタイプの技が迫っている光景にどうするべきか指示を求めてアルロの方を一瞥する。

 

「構うんじゃない! “フレアドライブ”で確実に仕留めろ!」

 

 気炎を吐くかの如き命令に、ウインディの目から迷いが消える。

 刹那、鮮やかな火の粉が舞ったかと思えば、地下道を真っ赤に照らし上げる爆炎がウインディの身を包んだ。

 

 その直後に“みずのはどう”が着弾し、水飛沫が上がる。

 水を被った炎は若干火勢を衰えさせる───が、弱った相手にトドメを刺すだけの威力は保持したままだ。

 

 焼き尽くす具材は他でもない、タイプ:ヌルだ。

 太ましい足で地面を踏み砕き、爆炎と化したウインディが駆け出した。“インファイト”を喰らった今、これほどの高火力を受けて無事で居られるほど、タイプ:ヌルには体力は残されていない。

 

「マグマラシ!」

 

 しかし、巨体と巨体に割って入る火影が一つ。

 『今更なにを……』と口走ろうとしたアルロであったが、次の瞬間、思い立った彼が冷や汗を流した。

 

「しまった! “もらいび”か!」

 

 一度は目にしていた。

 にも関わらず、この瞬間まで忘れていたのは無意識の内に功を急いていたからに尽きる。騒ぎを嗅ぎつかれるまで───地下道が崩れるまで───それ以外にも───懸念は思い起こせばいくらでもあった。

 

 失態に毒づく間もなく、“でんこうせっか”でウインディに肉迫したマグマラシは、彼が身に纏っていた炎を()()()

 そうするや、“フレアドライブ”の火勢がみるみるうちに衰える。相手のほのお技を自身の火力に転換する“もらいび”の本領発揮だ。

 

「これでは……!」

「ヌル! ()!」

 

 火勢が衰えた瞬間をコスモスが報せる。

 

 それは技を叫ぶでもなく、作戦を伝えるでもなく。

 ただただタイミングだけを報せ、後の事を全て委ねる、コスモス自身にとってもありえないと感じる究極の放任であり、

 

「ヴァアアア!!!」

「グ、ォアア!!?」

 

───最適解だった。

 

 逆襲の一撃は、ウインディの鼻っ面に叩き込まれる。

 徹底的に威力を殺された“フレアドライブ”の綻びを見抜いての攻撃は、的確にウインディの急所を捉えていた。

 これにはウインディも面食らい、一歩、二歩と後退りする。

 

「その程度で怯むな! たかが一発に……!」

「誰が一発と言いました?」

「な……にィ!?」

 

 叱咤するアルロの目に飛び込んだ、怯んだウインディへ叩き込まれる()()()

 

「───“ダブルアタック”」

 

 一撃目が鼻っ面へと叩き込んで怯みを誘ったとするならば、二撃目は生み出した隙を利用した本命。

 体を大きく捻って振り返るタイプ:ヌルは、全力で尾ひれをウインディの横顔を叩き───否、殴りつけた。

 

 ウインディほどの体格を以てしても、ほぼ同じ体格に、それも態勢を整える間もなくもらった重い一撃には足が地面を離れ、大きな亀裂が広がった壁へと叩きつけられる。

 

「グ、ルゥ……!」

「なにをしている! お前はボクが手ずから仕上げたシャドウポケモンなんだぞ! これしきの攻撃で倒れるのは許されないと思え!」

「ル……、ォアアア!!」

 

 アルロの怒声に刮目したウインディが、重い体に鞭を打って“とおぼえ”を上げる。

 同調するハガネールも重機に似た咆哮を上げれば、足止めに一役買っていた“いわなだれ”が次々に噛み砕かれ無力化されてしまった。

 

 一矢こそ報いたが、状況としては火に油を注いだようだ。

 気炎を吐きながら牙を剥く二体のシャドウポケモンに、カガリも心底辟易したように吐き捨てる。

 

「……タフ……」

「いえ、そうでもないみたいです」

「……?」

 

 コスモスが言うや、ウインディが膝から崩れ落ちた。

 

「どうした、ウインディ! くっ……やはり消耗が激しいのがネックか……」

 

 青筋を立てるアルロは、何かを納得したように独り言つや『もういい、戻れ』とウインディにリターンレーザーを照射する。

 

「これで4対1ですね」

「4対1? まさか! ボクの手持ちがこれだけとでも……うん?」

「……何の音?」

 

 新たなボールにアルロが手を掛ける───その動静を注視していた全員が耳にした微かな音。やけに甲高く、音が反響しやすい地下道では頭の奥にキンキンと響いてくる蒸気機関にも似た異音に、各々は周囲を警戒して見渡している。

 

「野生のポケモンですかね?」

「……分からない……でも、近づいてくる……!」

「……バウッ!」

「───そっち!」

 

 ふと後ろに吼えるルカリオに、コスモスも続いて視線を向けた。

 

 

 つられて誰もが目を向ける。

 その瞬間に現れたのは、

 

 

「コォー――――ッ!!!」

 

 

───ビュンッ!!!

 

 

「ッ!?」

「げほっ」

「うわあ!? な、なんです!?」

 

 と、コスモスの後方から風を切って現れる謎の円盤が、三人の傍を通り過ぎていく。

 余りにも早く、そして煙たい未確認飛行物体Aは何事もなかったかのように地下道の角を曲がっていく……寸前で、切り返してきた。

 

「一体なんなんだ、煩わしい! ハガネール、噛み砕け!」

 

 切り返してくれば、今度はアルロ側から飛来する。

 何度も邪魔されてはバトルに支障が出ると、アルロが選択したのは迎撃。ハガネールの頑丈な顎さえあればひと思いに仕留められると“かみくだく”を指示する。

 

 次の瞬間に聞こえてくるのは、ハガネールが噛み砕いた挟異音。

 

 

───ガギンッ!!!

 

 

 ではなかった。

 

「ガッ……!?」

「~~~、コォーーーッ!!」

「ガッ、ハァ!?」

 

「ハガネール!?」

 

 飛来物に牙を立てていたハガネール。その口腔から、あろうことか赫々と燃え上がる爆炎が噴き上がった。

 当然、ハガネールはここまでのほのお技を覚えない。

 するとなれば必然的に噛み砕かれそうになった謎の飛来物による反撃と見る方が可能性としては高く、現に堪らず解放されるや正体を露わにしたポケモンが威嚇の白煙を吐き出した。

 

「コータスッ!? こんな場所に誰のポケモンだ……!」

「……ホムラ……?」

 

 地下道に住み着いている野生ポケモンとは気色の違うポケモン、コータス。

 故に何者かの手持ちと推察したカガリが知り合いの名前を挙げるが、見知ったポケモンならば警戒を解くはずのルカリオが、現れたコータスに対しては違った様子を見せていた。

 

「マグマ団のではないと?」

「ワフッ」

 

 すなわち、ホムラのコータスとは個体が違う。

 そうコスモスに確信を持たせたのは何よりも戦い方だった。

 

(“こうそくスピン”でああまで素早さを上げるなんて。普通だったら平衡感覚を失いかねないのに……やる)

 

 “こうそくスピン”は威力こそ低いが、場に仕掛けられたトラップ解除や、鈍重なポケモンが自身の素早さを高める効果を持つ有用な技の一つだ。

 しかしながら、素早く動けるのは回転している間だけ。裏を返せば回り続けている間は俊敏に動けるものの、逆に速度が高まり過ぎれば制御が難しくなる一長一短な一面もある。

 

 それをあのコータスは完全に制御していた。

 トレーナー───それも『凄腕の』がつく腕利きに育成されたことは明白の事実だった。

 

 

 

 

 

「───ここが、火の元?」

 

 

 

 

 

 ブワリと。

 その瞬間、熱気が地下道に満ちた。

 

 瞬間的に高まった気温に全身から汗が噴き出す。

 熱い───なのに、寒い。

 相反する、今度は寒気が身を襲った。

 

 圧し掛かるプレッシャーを肌身に覚える面々は、じっとりと汗が張り付く不快感に眉を顰めながら、うだるような熱さの元へ振り向いた。

 

「チッ……来たか」

 

 半ば予想していたようなアルロの口振りに対し、ユラユラと不定形のシルエットを描いたまま歩み寄ってくる女性。

 傍には陽炎を生み出す熱量を宿すほのおポケモンの姿がある。

 スナオカタウン。ほのおポケモン。その二つのピースがピタリとはまる凄腕のトレーナーと言われれば、答えは自然と導き出される。

 

「フンッ……今更ノコノコやって来たか」

「日陰はやっぱり好ましくないです。気分がジメジメするから」

 

 

「───スナオカジムリーダー、ヒマワリ!」

 

 

 鮮やかな赤髪が熱波に揺らされ、薄い微笑みを湛えた口元が露わとなった。

 刹那、腰の後ろで握られていたボールが開かれる。赤い光と共に参上したのは、燃ゆる白兎のポケモン。

 

「エースバーン」

「ファニィィイイイ!!!」

 

「ッ、ハガネール!!」

 

「───“かえんボール”」

 

 ドッ、ギュゥゥウン!!!

 

 周囲の空気を巻き込んで産声を上げた炎弾が、さながらビームの如く一直線に蹴り飛ばされる。

 攻撃の予兆を見抜いていたアルロはハガネールに注意を促す───が、すでに直撃をもらった直後だった。

 

 鋼鉄の巨体が上体を反らし、そのまま後方へと倒れ込む。

 倒れたハガネールの頭部を見れば、一部だけ赤熱した部分が存在し、間もなく冷え固まっては煤のついた跡と化す。

 単にほのおタイプの技を受けただけではない。“かえんボール”の元となったであろう石ころが衝突し、その回転で生まれた摩擦熱がハガネールの肉体を一部鉄粉へと還したのだろう。

 

 ハガネールに一瞥をくれたアルロは、今も尚小石をリフティングするポケモンの動静に注意を払いつつ、ジリッ……と後ずさった。

 

「……やってくれる」

「はがねに負けてはほのおタイプの面目丸つぶれですので」

「どうしてここが分かったんです?」

「熱い陽射しに呼ばれて」

「は?」

 

「ポワッ♪」

 

「そのポケモンは……!」

 

 要領を得ない答えに目が点となるアルロだったが、不意にヒマワリの背後より顔を覗かせる太陽に似たシルエットに合点がいく。

 

「ポワルン……! ……そうか、“ひでり”」

()()()()()()()()()()()()()()。不自然に思ってきてみれば激しいバトルの余波……来ない方がおかしいじゃない?」

「チッ!」

 

 やはりあの時キュウコンを追えていればとアルロは振り返る。

 “てんきや”の特性を持つポワルンは、簡単に言えば天気に対応した姿を顕現させるフォルムチェンジする種族の中でも多くの姿を有すポケモンだ。

 カガリの下から離れたキュウコン。あの時は特性が分からなかったが、おそらくは“ひでり”だ。それが外の天候に影響し、地上のポワルンへと作用したに違いない。

 

「それに偶然すれ違ったキュウコンが連れていた人たちから子細は聞いた。ロケット団……随分と好き勝手やっちゃってくれて」

「わざわざこんなアンダーグラウンドへご苦労ですね。殊勝なことだ」

「アナタに褒められても嬉しくないわ」

「それはそうでしょう。褒めたつもりは───ない!!」

 

 広がる赤い三日月。

 アルロの背後に現れる影に、誰もが目を見開く。

 

「ボーマンダ……!」

「ルカリオ! “りゅうの……」

 

 『はどう』と言い切る前に、突き刺す冷気がコスモスの頬を撫でる。

 

「グアアッ!!?」

「なっ……ボーマンダ!?」

 

 堅牢な肉体をも凍てつかせる冷気にボーマンダは苦しんでいる。

 流石にボーマンダほどの強力なポケモンを仕留めるにはいかない一撃。しかし、牽制とするならば十分すぎるほどに体力を削った。

 

(ポワルンの“れいとうビーム”……なるほど、普通のほのおタイプでは中々覚えられない技ですね)

 

 目にも止まらぬ早業の持ち主はポワルンだ。

 今のポワルンは『たいようのすがた』。強い陽射しの影響を受け、身体全身が熱を帯びている太陽の化身に等しい状態である。

 にも関わらず、熱気とは正反対に位置する冷気を操るポワルンは、ほのおタイプのポケモンという括りで見れば異質な立ち位置だ。

 

(ドラゴン対策ですかね。持ち物はたつじんのおび……的確に弱点を射抜くバトルスタイルと)

 

 しめしめと戦法を頭に入れるコスモスを横目に、ヒマワリはじりじりとアルロを追い詰めていく。

 

「どうする? このままバトルしてもいいけれど」

「くっ……弱点を突いたぐらいでイイ気になって!」

 

 アルロが一歩退く。

 すると、ヒマワリが一歩寄る。

 

「イイ気……って言うと違うかも。今のジブンの気分はカンカン。こうも故郷で好き勝手やられちゃあ陽気にお日様にも当たれない」

「……」

 

 また一歩退く。

 すると、また一歩寄る。

 

「自首するなら今の内ですが……どうします?」

「───フッ……、ハハハハハ! ハーッハッハッハ!」

 

 顔を俯かせていたアルロの唐突な高笑いが地下道をワンワンと反響する。これにはヒマワリも顔を訝しめた。

 

「『自首をするなら今の内』? 馬鹿も休み休み言え! それは勝利を確信するおごった人間の言葉です!」

「違うって主張するなら力尽くで教えてあげるけど」

「ほう、それは結構なことだ! だが、身をもって敗北を教えられるのは……キサマたちの方だァアアア!」

 

 怒りに焠ぐ形相を浮かべ、アルロが取り出したのは一つのボール。

 だがしかし、それを目の当たりにした面々に途轍もない衝撃が突き抜けた。

 

 モンスターボールも多種多様だ。『ポケモンを捕まえられる』という一点を除けば、デザインも違えば性能も違ってくる。

 その中でもボールに求められるのはポケモンの捕まえやすさだ。ほとんどのポケモントレーナーは一期一会の運命的な出会いをものにすべく、確実にポケモンを捕まえられるボールを求めていた。

 

 しかし、現在販売されているボールはせいぜい捕獲できる可能性を高められる程度に留まる。

 

 絶対に捕まえられるボールなど、夢のまた夢の話───かと思いきや、実は存在していた。

 

 必ず。絶対。確実に。

 どんな強くて凶悪なポケモンの抵抗に遭ったとしても。

 それこそ伝説のポケモンでさえ捕まえられると噂される究極のモンスターボール、その名を。

 

 

 

()()()()()()()!!?」

 

 

 

 コスモスが柄にもなく叫ぶ。

 嘘か真かと眼を擦るも、アルロが手にした紫色に刻まれたMの字は、紛れもなくトレーナーの願望の塊と言える代物に間違いはなかった。

 

 それを手にした途端、ロケット団の青年は理知的な雰囲気をかなぐり捨て、打って変わったように激情をぶちまける。

 

「どいつもこいつもボクを見下したような目で見て……ふざけるなァ! ボクは天才なんだ! 最高の科学者なんだ! だからサカキ様に見初められた! シャドウポケモンも開発してみせた! そして成果を買われて幹部にも成り上がって……()()()()()()も託された!」

 

 地面に叩きつけるようにマスターボールが投げつけられる。

 次の瞬間、地下道を禍々しい色の炎が吹き抜けた。身の毛もよだつ重圧(プレッシャー)を覚え、ヒマワリはとっさにコスモスとカガリを庇う。

 

「下がって!」

「これはっ……炎、じゃない……!?」

 

 肌を焼き付けるような熱さを覚えるコスモスであるが、純粋な炎とも違う悍ましい感覚に違和感を覚える。

 一体どのようなポケモンが現れたのかと面を上げるも、依然、黒々しい火炎は吹き荒れていて姿を拝むことは叶わない。

 

 並みの攻撃では破れないと察するや、ヒマワリは場に出た三体とアイコンタクトを取って仕掛ける。

 

「一斉攻撃!」

 

「ファニィイ!!!」

「コォーーー!!!」

「ポワァ!!!」

 

 エースバーンの“かえんボール”、コータスの“オーバーヒート”、ポワルンの“だいもんじ”とほのお技のオンパレードが昏く燃え上がる炎の壁に突き刺さる。

 

 目の前に居るだけで息が詰まりそうだ。

 吸い込んだ空気で肺が焼けそうになる感覚を覚えながら、コスモスは烈しく入り乱れるほのお技を食い入るように見つめる。

 

「───ダメ、か」

 

 次の瞬間、炎の三重奏が弾け飛んだ。

 飛び散る火の粉。弾き返された炎は余波だけでも凄まじく、コスモスらを守ろうとするルカリオや立ち向かわんとしていたタイプ:ヌルを熱風で煽るように吹き飛ばす。

 

 未だに渦を巻く苛烈な炎は収まらず、ただでさえ脆くなっていた地下道の崩壊を加速させていく。

 

 退き際か───幹部であるアルロに問い詰めたい疑問があったコスモスも、流石に食い下がることを止めた。

 

「ジムリーダーさん、ここは退きましょう。命あっての物種です」

「……そう。でも、それは向こうも一緒みたい」

 

 

「ハハハハハ! ボクとキミたちとでは撤退の意味合いが違う!」

 

 

 反論するアルロの足元では土煙が上がっていた。

 先ほどまで倒れていたハガネールの姿はない。しかしながら、地下道が崩壊する音とは別に鳴り響く掘削音が腹の底に延々と響いていた。

 

「ボクの方は既に目的を達した! すなわちこれはボクの一人勝ちだ! そしてキミたちの敗走でもある!」

「っ……」

「ボクは一足先に地上へ抜けますが……果たしてキミたちは間に合いますかね? もっともロケット団に楯突いた以上、今後の命の保証は無きに等しいですがね!」

 

 最後にもうひと笑い響かせるや、アルロの姿は土煙に紛れて消えた。恐らくは地中から逃げたのだろう。

 

「ボクたちも逃げなきゃ……!」

「こちらへ。地下道のことならジブンがよく知っています」

 

「いえ、その必要はありません」

 

「「え?」」

 

 瓦礫が降り注ぐ地下道の中、やけに落ちついたコスモスが二人に語り掛けた。

 なぜこうも冷静で居られるのか。

 少女の考えていることが分からず思わず唖然としてしまった二人を前に、どこからか明るい鳴き声が上がる。

 

それも少女の服の中から。

 

「この子……コスモッグが“テレポート”を使えます」

「モッグ!」

 

 小さな救世主が、ひょっこり顔を覗かせた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「───まったく。余計な邪魔が入った……!」

 

 地下道から少し離れた場所。

 元より逃走経路として想定していた地点に“あなをほる”で到着したアルロは、先刻までのバトルを思い出してチーゴのみを嚙み潰したような表情を湛えていた。

 迎えたのは当初の計画から大きく逸れてしまった結末。こうしてアルロの苛立ちが募るのも無理はない話だった。

 

───あの子供のせいだ……。

───あの子供さえ居なければ……!

 

 誘き寄せたカガリの抵抗は想定内だった。

 だからこそ、ビリリダマを仕込んだりシャドウポケモンを用立てたりした。

 

 問題だったのはその後だ。

 誰にも邪魔されまいと選んだ入り組んだ地下道にやって来た少女。彼女の参上から歯車が狂い始めた。

 

 たんなる有象無象ならばこうも手間取らなかった。

 現れた少女が紛れもない異才だったからこそ抵抗を許した。時間を稼がれた。結果、ジムリーダーがやって来て奥の手を見せるに至った。

 

「……ふぅ~~~……。落ち着きなさい、当初の目的は果たしたと言った。()()さえあれば作戦に支障はない」

 

 自分を宥めながらアルロが手にしたのは、カガリより奪取した鮮やかな置石。

 

「すぐにでもジャンボマウンテンに向かいますか……ここに居ては腸が煮えくり返って仕方ない」

 

 そこまで言ってから『そうだ』とアルロは思い出した。

 

(百貨店の方はどうなった?)

 

 『今頃大騒ぎでしょうね』と悪辣な笑みを湛えるアルロは、カイリューを繰り出し上空へと羽搏いた。

 その間脳裏に浮かべたのは百貨店の惨状。マグマ団に罪を着せるべく、あれこれ手を回し、あまつさえ爆弾代わりのポケモンをあちこちに仕掛けたのだ。

 

 爆弾とは“だいばくはつ”を使うレアコイルやマルマインだけではない。かつてロケット団が開発した怪電波。それを利用し最終進化形まで強制的に進化させられた野生ポケモンは、有り余る力に暴走し、警察を大いに引き付けていることだろう。

 

(我ながら完璧な作戦ですね)

 

 これ以上なく注意を地上へと集められる作戦だ。

 どこにも失敗する要素などないとしたり顔のアルロは、少しばかり阿鼻叫喚の様相を呈しているであろう百貨店を見ようと地上を見下ろした。

 

「なっ……!!?」

 

 そして、絶句する。

 

「な、なんだ、あれは……!? 建物が……()()()()……?」

 

 数多の爆発でボロボロになっている予定だったスナオカ百貨店。

 住民の憩いの場所であった建物は、遠目から見ても分かる規模の氷塊に覆い尽くされていたのだ。

 

───いったい誰が?

 

 考えられるのは伝説のポケモン・フリーザー。

 ホウジョウの地では『冬の神』とも称される彼の氷鳥ならば、建物一棟を氷漬けにするなど容易いだろう。

 

 しかし、いくらなんでも都合が良すぎる。

 

「どういうことだ!? ええい、自分の目で確かめるしか……」

 

 居ても立っても居られなくなったアルロは懐よりお手製の望遠スコープを取り出す。

 遠方のポケモンをも映し出す特製品だ。数キロ離れていても鮮明に映し出すことのできるスコープを頼りに状況を把握しようとしたアルロは───目が合った。

 

 

(───あ?)

 

 

 こちらを覗き込んでいる青年が、ポツンと百貨店の中腹に立っていた。

 

 傍にはラプラスが。そして壊れた窓から地上へと続くなだらかな氷の滑り台がある。

 地上へと目を向ければ無事を喜び合う人々が歓喜に沸き立っていた。

 どうやら百貨店に取り残された客は地上へと逃げ延びたようだ。

 顔こそ煤で薄汚れてはいるが、凶暴なポケモンに襲われたような怪我を負っている人間は誰一人として居ない。

 

 それどころか、怪電波で強制進化させたと思しきポケモンたちが青年を中心に倒れているではないか。

 

 なんだ、ヤツは。

 どういうことだ。

 どうして倒れている?

 どうして負けている?

 誰もかれも勝てなかった?

 誰もかれも負かせなかった?

 たった一人に?

 たった一人のポケモントレーナーに?

 

 

 ()()は───いったいなんなんだ!!?

 

 

「ぐっ……!? クソォ!!」

 

 現実を直視する気も失せたアルロは望遠スコープから目を背ける。

 

 

 

「このままでは済ませない……ロケット団の恐怖はこれからだァ!!」

 

 

 

 腰に携えるマスターボール。

 それより溢れ出すのは、尽きる事のない嫉妬と怒りの炎か。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あ、カイリュー……」

「クゥ~?」

「ワタルのカイリュー思い出すなぁ……“バリヤー”使ってくるの」

 

 

 

 




オマケ(作:柴猫侍)

コスモス


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ピタヤ


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№031:かもしれない運転は大切

◓前回のあらすじ

レッド「なんかデパートにたくさんポケモン湧いて出てきた」

コスモス「それを全部倒すなんて流石です」

ホムラ「えぇ……」


 青い空。

 白い雲。

 耳朶を打つさざ波の音は自然の清涼剤だ。乱れた心を穏やかにしてくれる不思議な力がある。

 

 ここはスナオカタウン───の一角にあるプライベートビーチ。

 小粋な柄のビーチパラソルが差された砂浜には、二人の人間の背中が見える。

 

「どう、日光浴? ポカポカしてきません?」

「私には暑いですが」

「太陽と炎は似てるの。強過ぎれば傷つけてしまうけれど、こうして皆を温めてもくれる」

「私には暑いですが」

「ジブンは太陽みたいな人間になりたいんです。皆に温もりを与えられるような、優しい炎に……」

「私には暑いですが」

 

 と、ある意味我が道を行く者同士のポケモントレーナーたちは会話を繰り広げていた。

 

 片や普段よりラフな格好にも関わらず晴天の暑さにやられて汗だくだくのコスモスと、片や女児の眼前でマイクロビキニ&サングラスという破廉恥極まりない恰好を披露するスナオカジムリーダー・ヒマワリである。

 

「……お気には召さない?」

「暑いのは苦手です」

「あちゃあ。それは残念」

 

 口ほど残念がってはいないヒマワリがサングラスを外す。

 

「あんなこともあったから気分転換になると思ったんだけど」

「私にとっては些細な事件ですので」

「メンタル強いんだ」

「割り切れる方だと自負はあります」

「そっか」

 

 緩く言葉を交わしながら、持ってきたクーラーボックスを開く。

 

「何飲む?」

「……ドクター・ペリッパーで」

「美味しいよね、それ。杏仁豆腐みたいで」

「杏仁豆腐とは思いませんが」

「あちゃあ」

 

 違ったか、とはにかむヒマワリはサイコソーダを手に取る。

 キャップを回せばソーダの風味が炭酸と共に溢れ出、潮風に交じった爽快な香りが鼻腔を吹き抜けた。

 続いてコスモスも受け取ったドクター・ペリッパーを開ける。ヒマワリが言った通り、味わいや香りは杏仁豆腐に近い。人によって好みが分かれる風味であるが、杏仁豆腐の好き嫌い以前に時たま飲んでいるコスモスにとっては些事であった。

 

 チビチビと口に含み、一服。

 クーラーボックス内でキンキンに冷えていた液体が喉を通過し、体の内側へと降りていけば、心なしか体温がいくらか下がった気がする。

 

(……なんで私はここに……)

 

 熱でボーっとしていた思考が冷静になっていく。

 

(そういえば───)

 

 

 

「……事情聴取が済んで疲れた時に、助けてくれたジムリーダーの人が自宅のビーチでリフレッシュしたらどうかって提案してくれたけど休めてる……?」

 

 

 

「先生」

 

 コスモスが全部説明してくれた声の方へと振り向けば、ピカチュウの手によって砂へ埋められたレッドが頭部だけを覗かせていた。一瞬ディグダと見間違う野ざらし生首状態だ。何も知らない者が見れば通報案件でしかない。

 

 そんな状況をゆるりとスルーするコスモスは、首を横に振りながら応答した。

 

「疲れてらっしゃるのは先生の方かと。人質の脱出と暴れていたポケモンの鎮圧をされたんですから」

「俺は別に……手持ちの皆が頑張ってくれた」

「その手持ちを育てたのは他でもない先生です」

「……そっか」

 

 事件を振り返るレッドが『どっこいしょ』と砂から腕を出すや、地面に手を突けて一気に上へと抜け出した。

 

(縦に埋まってたんですね)

 

 抜け出す際、バゴォ!!! とやけに勢いのいい音を立てていたのはその所為かとコスモスは納得する。ピカチュウの姿が一瞬で消えたのも、その深い穴に滑り落ちたからだろう。穴の奥からは恨めしげな鳴き声が聞こえてくる。

 

 救助はフシギバナに任せ、全身についた砂を手で払うレッドは、じっとコスモスへと目を向けた。

 

「それにしても……無事で良かった」

「ご迷惑をお掛けしてすみません」

「ううん。謝ることじゃないから……」

 

 人に言えた義理じゃない。

 ぷいとそっぽを向いたレッドの顔は、そう言わんとするばかりであった。

 

 共に表情の変化はない。

 ただ、互いの感情の機微はしっかりと伝わっている為、わざわざ口に出して確かめるまでもないとそれ以上の問答は行わない。

 

 それを見たヒマワリが一言。

 

「似た者同士。なんだか兄妹みたい」

「「いや、そんな」」

「んふっ」

 

 見事なハモりに思わず吹き出したヒマワリは、二人に温かな眼差しを向ける。

 

「息もピッタリ。ちょっと違うけれど、ホウエンに居る兄弟弟子のことを思い出します」

「……フエンジムリーダーのアスナさんですか?」

「物知りですね」

「調べましたので」

「興味を持ってもらえたってことですか? 嬉しい」

 

 当時を懐古するヒマワリには自然と笑みが零れていた。

 ホウジョウ地方の西に位置する自然豊かな土地、ホウエン地方。かつてヒマワリがポケモントレーナーとして腕を磨く為に留学していた場所だ。

 当然ポケモンリーグは存在しており、関門として公認ジムも8つある。そのうちの1つのジムリーダーを務める女性こそ、ヒマワリの兄弟弟子・アスナである。

 

「フエンタウンは温泉が有名でね。毎日熱い中汗水垂らしてね、最後はいつも露天風呂に入ってさっぱりして……上がった後のモーモーミルクがこれまた美味しいの」

 

 〆の一杯は何物にも勝る至福のひと時であり、色褪せぬ美しい思い出だ。

 

「だから温泉が好きなんですか」

「人もポケモンも心の距離を縮めるなら裸の付き合いが一番。アスナとも最初は衝突していたけど、一緒に入る内に仲良くなりました。だから、身も心もさらけ出すような開放感が気持ちイイ───ではなく、気持ちの理解に繋がるとジブンは思っています」

「だから温泉が好きなんですか」

 

 少しばかり雑念が垣間見えた気がする。

 それでも至って真剣な表情のヒマワリは続けた。

 

「ええ、好きです。けど、それ以上に誰かと心を通い合わせられることはもっと好き。自分を見てくれる相手が居ること……人にはきっと、自分だけじゃ気づけない一面を見出してくれるはず。だからたくさんの人にジブンを見てもらって、自分の知らないジブンを知りたいんです」

「客観視してくれる相手……ですか」

「そうですね。それは人もポケモンも関係ない。色んな人やポケモンにも見てもらってジブンは成長し───ジムリーダーになりましたから」

 

 さて、とサイコソーダを飲み干したヒマワリは徐に立ち上がった。

 

「ジブン、そろそろ行きます」

「ジムにですか?」

「挑戦者が来る予定でして。ジブンは離れますが、ここは好きに使っちゃってください。元々バトルのトレーニングに使っている場所なので」

 

 そう言ってヒマワリはリザードンを繰り出した。オキノタウンの銭湯でも見たウルガモスとはまた別の飛行要員なのか。

 思案を巡らせるコスモスに対し、脱いでいたパーカーを羽織るヒマワリ。

すると彼女は不意に『そうだ』と振り返る。

 

「そう言えばコスモスちゃん。聞きましたよ」

「再戦のことですか?」

「そうそう、それそれ。ジブン、聞いてびっくりしました。それと……嬉しかったです」

 

 直後、ヒマワリの顔には挑戦者の来訪を喜ぶジムリーダーの一面が覗いた。

 小麦色の肌を震わせ、白い歯を剥き出しにして笑っている。それは獰猛な肉食獣を髣髴とさせるような表情だった。

 

 じりじりと肌を焼く熱量は錯覚か?

 ツーっと頬に汗を伝わせるコスモスは、一変したジムリーダーの様子を満遍なく観察した上で口を開く。

 

「そんな顔をされるんですね」

「どんな顔に見えてる?」

「飢えたカエンジシと言ったところでしょうか」

「そう言われたのは初めて」

 

───これだからやめられない。

 

 そう言いたげな口振りのヒマワリは軽やかにリザードンの背中に飛び乗った。

 

「約束の日取りは任せてください。ぜひとも当日は万全の状態でジムに……折角だったら全力を尽くしてバトルをしたいですから」

「言われなくともそのつもりです」

「ふふっ……楽しみにしてます」

 

 ヒラリと掌を振ったヒマワリ。

 直後にビーチの砂が舞い、彼女を乗せたリザードンの姿はあっという間に空高くへと上昇していった。

 

「……行っちゃった」

「……先生、よろしいですか?」

「うん?」

 

 去り行くヒマワリを見届けていたレッドであったが、コスモスの声に呼ばれて視線を戻す。

 

「早速トレーニングへと移りたいんですが構いませんか?」

「いいよ」

「ありがとうございます」

 

 友達感覚での了承である。これが師弟の間柄とは驚いたものだが、それを互いにおかしいとは思っていないところこそ似通った感性をありありと証明しているようだった。

 

 それはさておき、

 

「何する? またリザードンが相手する……?」

「いいえ。まず、前提として今回のジムリーダーの手持ちにはコータスが居ます」

「うん」

「私が見た限り、コータスは“こうそくスピン”を用いてかなりの速さで動けます」

「うん」

「攻撃を受ける寸前まで甲羅に籠っており、速度・防御の両方で隙がありません」

「うん」

「そこでなのですが、先生のカメックスであれば真似できるのではないかと……」

「いいよ」

 

 即答である。

 というのも、コスモスの話を聞いている間、レッドは童心に帰ったかのように瞳をキラキラと輝かせていた。

 『面白そう』と口に漏らすレッドの姿は、初めて見聞きしたものを自分でも真似できないものかと心躍らせる子供そのもの。

 

「試してみよう……カメックス~」

 

 波打ち際でラプラスと戯れていたカメックスを気の抜ける声で呼ぶ。

 気づいたカメックスが振り向き、すぐさまレッドの下へと駆け寄ろうとしたが、今こそコスモスが伝えた移動方法を実践してみるタイミングだ。

 

「ちょっと“こうそくスピン”で回りながらこっちに来て~……」

「ガメェ!」

 

 応答するカメックス。

 するや、青い巨体が側転でもするかのように横向きになった。

 

 おや? カメックスのようすが……。

 

───ドッパゴォオオン!!!

 

 刹那、轟音を響かせたカメックスが回転しつつ爆速で迫ってくる。

 

「ちょ、思いの外速っ───」

「あ」

 

 直後、赤い人影が撥ねられた。

 眼前で人一人が奇天烈兵器と化したカメックスに撥ねられる衝撃的な事故現場。

 それを目の当たりにしたコスモスは、信じられないものを見たように瞳を見開いていた。

 

「……なるほど、カメックスは手足を収納した穴から水を噴出して加速できると……コータスも炎で代替できそうですね。これは新たな発見……」

「う゛ッ」

「先生、大丈夫ですか」

「……下が砂で助かった」

 

 ムクリと起き上がるレッドの体には傷一つついていない。

 

(流石です、先生)

 

 きっと、しっかり受け身を取ったのだろう。

 コスモスはそう理解した。理解すると決めている。

 

「それでは今回カメックスに協力してもらい、ジムリーダー攻略に向けてトレーニングしたいと思います」

「うん……頑張って」

「先生のご期待に添えられるよう頑張ります」

 

 その為にも手持ちを全員繰り出す。

 ルカリオ、ゴルバット、ニンフィア、タイプ:ヌル。この四体がスナオカジムリーダー戦の全戦力だ。

 

「モッグ!」

「コスモッグは応援を頼みます」

「モッグ!」

 

 自分は!? と砂から飛び出してきたコスモッグを撫で回して落ち着かせるコスモスは、ところかまわず眠ろうとするタイプ:ヌルへと視線を向けた。

 

「貴方にも頑張ってもらいますよ、ヌル」

「ヴル……」

「この前のことを忘れましたか? 自分一人で戦っても、トレーナー相手には……」

「フンッ!」

 

 やはりタイプ:ヌルは鼻を鳴らし、そっぽを向いてしまう。

 それどころかようやく穴から這い出てきたピカチュウを発見し、一目散に襲い掛かる始末だ。

 

「ヴァアアア!」

「チュ!? ピッカァ!」

「ヴッ!?」

 

 ズバゴォン! とピカチュウの手刀が叩き込まれ、ものの数秒でタイプ:ヌルは倒れた。ついでに地面にぽっかり空いていた穴に頭部が埋まった。完全敗北である。

 

 “でんこうせっか”で回避してから脳天目掛けて“アイアンテール”を振り下ろし、怯んだところへトドメの“かわらわり”という連結技。怒涛の猛攻は凄まじさを超えて美しくすら見えてくる。

 そして、世界広しと言えど地面よりも低い高さに頭を下げる土下座は中々見られぬ光景だろう。

 

 そんなタイプ:ヌルへと歩み寄り、よっこいしょと引き抜くコスモス。

 マスクの間からオボンのみを与えながら、少女は慈しみに満ちたように優しい声音で囁きかける。

 

「格の違いを思い知りましたか?」

「それ自分の手持ちに言う言葉?」

「まず身の程を教えてあげないと」

「それ自分の手持ちに言う言葉?」

 

 コスモスの ダブルアタック!

 思わず レッドも 二回繰り返した!

 

 しかし、コスモスもただイラついたからとポケモンを傷つける言葉は口にしない。

 

「ヌル、このピカチュウのように貴方より強いポケモンは山ほど居ます。そんな相手に勝つには戦略を練り、戦況を正しく把握できるトレーナーの助力が要ります」

「ヴルゥ……」

「今の貴方にとって、そのトレーナーとは私のことです」

「ヴァルゥ!!」

「気に入りませんか? では、こう考えましょう。私は貴方にとって、敵に勝つ為の道具です」

 

 そこまで語り、タイプ:ヌルの放っていた空気が変わった。

 敵意しかなかった雰囲気に困惑が滲み始めたのを見計らい、コスモスは語を継いだ。

 

「敵に勝つ為なら使えるものは全て利用する。それが私の信条です。美学とも言えます」

「……」

「全てを利用しないのは怠慢です。やれることは全部やる。でなければ勝利は遠のき、敗北も意味のないものとなる。……わかりますか? あの時貴方がウインディに勝てなかったのは()()()()()()()()()()()()()

 

 至って理性と知性に溢れた瞳で。

 しかしながら、どことなく狂気も覗かせる瞳を向けてくるコスモスに、タイプ:ヌルも黙して話に耳を傾けていた。

 

「……お互い割り切りましょう。私は貴方が倒したい相手を倒す為の道具。貴方も私がバトルに勝つ為の道具。指示をする側と聞く側にこそ分かれますが、私たちは対等な立場です。道具同士、互いに利用し合う協力関係になろうじゃありませんか」

 

 タイプ:ヌルが成し遂げたい目的など、コスモスは知らない。

 ただ、自分の指示さえ聞いていれば地下道でのバトルの時、もっと有利に状況を進められたはずだという確信があるからこそ訴える。

 

「一回くらいは私を使ってみてください、ヌル。それでも使えないと思ったのなら私から離れていけばいい。……それでどうですか?」

「……フンッ!」

 

 再びそっぽを向くタイプ:ヌル。

 しかし、オボンのみを食べて体力を回復した彼は、今一度ピカチュウに面と向かう。当の電気鼠はと言えば、急襲を受けた腹いせに『あっかんべー』と顔を縦に引っ張って挑発し、タイプ:ヌルを煽っている。

 次の瞬間には先ほどの再放送だ。ピカチュウに襲い掛かるタイプ:ヌルが、あの手この手でいなされては返り討ちに遭う。

 

「ヌル……」

「ヴァウッ!!」

「貴方も懲りないですね」

 

 何かを急かすような咆哮にオボンのみを取り出すコスモス。

 それにがっつくタイプ:ヌルは、またまたピカチュウへと挑んでは反撃に遭う。

 

「ヴルァ!!」

「私はパシリじゃないんですが」

「ヴゥ……!!」

 

 ここまでくると面倒になって倒れるタイプ:ヌルの口へ直接オボンのみを突っ込んだ。

 

 がっつく手持ちに噛まれる前に手を引き抜くコスモス。

 そこへ砂を踏みしめる音が近づいてきた。

 

「コスモス」

「すみません、先生。すぐに終わりますので」

「……分かるよ」

「はい?」

「……俺も気に入ってる釣り竿は大事に使ってる……」

「?」

「……」

「……」

「……トレーニング、始めよっか」

「はい。よろしくお願いします」

 

 ニュアンスが伝わらず微妙な空気感のまま、打倒・スナオカジムリーダーのトレーニングは始まるのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ポケモンジムには観戦席が設けられている。

 勿論ジムにもよるが、大抵は普段から開放されている場所がほとんど。

 観戦できる基準はジムごとに違うものの、挑戦者が許可を出せばOKという緩いルールである。

 

 そうして観戦にやって来る人間のほとんどは、ジムの情報収集に来るトレーナーか応援に来た人ばかり。

 

 

 しかし、今日に限っては気色の違う集団がロビーに立っていた。

 

「……なんだか賑やか」

「なんの集まりですか?」

「お祭り?」

「ではないと思いますが」

 

 と、本日特例でジムリーダーに即挑戦できる予定のコスモスだったが、なぜか集まっていたマグマ団の面々に首を傾げる。

 服装は流石にあの奇抜な制服ではなく私服だ。

 それでも一度見たら忘れられないインパクトのある容姿は見間違えない。

 

 まずは紫髪の小柄な女性だ。

 

「カガリさん」

「……また……会った」

 

 間を置いた喋り方をする彼女は、マグマ団幹部ことカガリ。

 彼女だけ制服のインナーである赤いセーターを着ての来訪だ。下には何かしら穿いているのだろうが、如何せん短いのかセーターの裾に隠れて見えない。中々に際どい恰好である。

 

 そんな彼女を覆い隠す恰幅のいい男性。

 思わずコスモスも見上げながら名前を呼んだ。

 

「マクノシタさん」

「先日ぶりですね、チャイルド。あの時は世話に───って、違ァう! 誰がマクノシタだ! せめてハリテヤマと呼ばんかい!」

「わかりました、ハリテヤマさん」

「そうそうワタシはハリテヤマ……って、素直ですか!! ホムラですよ、ホムラ!! マグマ団のチーフサブリーダー候補の!!」

 

「……団員からは……ホムホムって呼ばれてる……」

 

「カガリ!! 余計なことは言わない!!」

「なるほど。わかりました、ホムホムさん」

「ほら!! このチャイルドはすーぐそういうのに乗っかってくるだから!!」

 

 ホムホム改め、マグマ団幹部(チーフサブリーダーこうほ)ホムラは年下に舐められている現状にご立腹なのかぎゃんぎゃんと喚いているが、後ろに控えている団員らは皆微笑ましいものを見るかのような眼差しを送っている。どうやら身内には愛されている存在らしい。

 

「ところで、どうしてマグマ団の皆さんはここに?」

「そう! 本題はそこなんです、チャイルド!」

「ちなみに私はこれからジム戦なので用件次第では後に回していただけると助かりますが」

「ズバッと言ってくる人間、ワタシは嫌いじゃないですよ」

 

 かなり早口で急かされたホムラであるが、彼の不敵な笑みは紙一重で崩れない。

 

「チャイルド、実は……本日アナタの為にスペシャルゲストが会いに来られたのです!」

「それではまた後で」

「待ちなさいってば! ちょっとだけだから!」

「……まだこの前のお礼、貰ってないんですが」

 

 恨めしい視線をホムラへと送るコスモス。

 というのも、以前の立てこもり事件にてカガリを助ける代わりに見返りを貰うホムラと約束した。

 

 しかしながら、今日の今日まで事情聴取や何やらでマグマ団とは会えず仕舞いに。

 音沙汰もなかったものだから、約束が自然消滅したと思い、骨折り損のくたびれ儲けとコスモスは肩を落としていたのだったが、

 

「それも込みでの話です!」

「用件を聞きましょう」

「(……随分と現金なチャイルドですね)」

 

 ここまであからさまだといっそ清々しい。接してきた子供の中でも特に小憎らしさと可愛さが共存した───否、小憎らしさがマシマシのタイプは新しいと、ホムラは頬が引き攣るのを禁じ得なかった。

 

「とにかく、会ってみなければ話は進まない! という訳で、この方の登場です!」

 

 どうぞォ! と賑やかなホムラの掛け声が響き渡ると同時に、どこからともなく現れたランプラーがスポットライトを照射し始める。

 靴底が反響した音を奏でたのは、直後の出来事だった。

 ゆっくりと、それでいて威厳を感じさせるような重々しい歩み。

 近づいてくる中年の男性は、その知的な佇まいを一助する眼鏡を押し上げながら、コスモスの下へとやって来る。

 

 対するコスモスは『やはり』と心の中で納得した。

 

───この男が、マグマ団の頭領。

 

「その目に焼き付けなさい、チャイルド! マグマ団リーダーとはこの御方!」

「……仰々しい紹介はよせ、ホムラ」

「おっと、これは失礼!」

 

 現れた男がホムラを窘めて下がらせれば、すぐに目の前の少女を見下ろした。

 

「……君か。コスモスというポケモントレーナーは」

「はい。そういう貴方がマツブサさんで?」

「知っていたのか」

「ちゃんとした企業なら、ちょっと調べれば組織のトップの名前くらいは出てきますので」

「フッ……わざわざおかしな子供だ」

 

 特段有名な組織でもないのに、という自嘲が半分。

 もう半分も、悪名はそこそこに高いかという自嘲。

 

 しかしながら、決して理念や気位を捨てた訳ではない威風堂々な姿勢は崩さない。

 そうした彼こそ、マグマ団のトップを務めるマツブサという人間だった。

 

「君がカガリや団員を助けてくれたことは聞いた」

 

 マツブサは早速本題へと移る。

 

「警察への証言についても、あれは非常に助かった。状況証拠から言って、君が居なければ我々が無実の罪を被るところだった。マグマ団を代表し、改めて感謝の言葉を伝えさせてくれ」

「当然の事をしたまでです」

「……」

「なにか?」

「……いや、なんでもない」

 

 何か言いたげだったマツブサも、じっと見上げてくるコスモスを前に過った思考を振り払うように軽く首を振った。

 

「それで、礼の品の件についてだが……」

「!」

「君はこれからジム戦なのだろう? ジム側を待たせるのもそうだが、君自身の都合もあるだろうからな。ついては、ジム戦の後でというのはどうだ?」

「それで構いません」

「決まりだな」

 

 マツブサの性格もあってか、二人の間での話は淡々と進んでまとまる。

 

「それでは我々はジムの外で待って───」

「見ていかないんですか?」

「む?」

 

 出口へと踵を返すマツブサであったが、不意に呼び止められ足を止める。

 声の主は、それまで沈黙を保っていた若い男。少年とも青年とも見て取れる赤い帽子の男は、真紅の双眸でマツブサをその場に縫い留めていた。

 

「君は……」

「私の先生です」

「先生……というと、ポケモンバトルのか?」

「はい。とても強いです」

「ほう……」

 

 本人が名乗るより前にコスモスの紹介が入り、マツブサは興味深そうに赤い帽子の男───レッドを頭のてっぺんからつま先までじっくりと眺める。

 まるで値踏みをする動き。

 人によっては忌避感を覚えられ視線だが、これっぽっちも気にした様子の見せないレッドに胆力を垣間見たところで口を開いた。

 

「君も挑戦する訳ではないのかね?」

「いや……観る側で……」

「生徒の挑戦を見守ると。なるほど……」

 

 思案するように目を伏せるマツブサ。

 しかしそれも一瞬で終わり、徐にコスモスの方を向く。

 

「気が変わった。君が了承すると言うのなら、我々も観戦してもいいだろうか?」

「構いません」

「ならば、遠慮なく観させて頂こう」

 

 そう言って眼鏡を直すマツブサは部下に『マナーを守るように』と釘を刺す。対する部下も、事前に打ち合わせでもしていたのかと思われかねないほど、一糸乱れぬ統一感で返事をする。

 

「……なるほど」

 

 かくして、前回を超える観衆の目に晒される訳になったコスモスだが、何かを察知したかのような言葉を漏らしてはレッドの方へ振り向いた。

 

()()()()()()ですね、先生)

 

 コスモスの熱烈な視線が、レッドを射抜く。

 

「……?」

 

 しかし、本人が気付くとは限らない。

 

「あ、あのぉ~……」

 

 そこへオドオドとした声が割って入る。

 これは間違いなく、スナオカジムの受付兼リーダー代理だったジムトレーナーのものだ。

 

「そ、そろそろ挑戦なされるでしょうか……? うちのジムリーダーの準備は完了しておりますが……」

「わかりました」

 

 長々と立ち話をしている間にも、ジム側の準備は整っていたようだ。

 すぐさまコスモスは話を切り上げ、颯爽とバトルコートのある方へと向かっていく。

 

 小さな少女の背中を見送ったレッドとマグマ団は、受付の案内で観覧席へぞろぞろと歩いて行くが、その途中。

 

「リーダー・マツブサ」

「どうした、ホムラ?」

「いえ、アナタが急にジム戦を観たいだなんてどういう心変わりかと思いまして」

「珍しいものを見たと。そう言いたげだな」

「まあ、そうなりますな」

「……なに、」

 

 そこで一度区切り、最後尾を行くレッドを見遣るマツブサは独り言つ声量で続ける。

 

「ロケット団……赤い帽子のポケモントレーナー……ある種、語り草だからな」

「む? なんですと?」

「フフフ、私も人並みにはポケモンバトルに興味があるという話だ」

「はぁ……?」

 

 やや納得しかねているホムラだが、彼自身コスモスのジム戦には興味があった。周りを見てみれば、そもそもカガリや他の団員はマツブサの変心に疑問を抱いてはいない。

 自分だけ気にしていてもしょうがない───そう結論付けたホムラは、それ以上の追求はせずにマツブサの背中を追う。

 

 

 

 今日、最も熱いバトルの火蓋が切られる瞬間は、目前まで迫っていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 コスモスにとっては二度目の来訪だ。

 ジムリーダーが不在の時だったとは言え、特段景観が変わる訳でもない。

 

 しかしながら、薄暗い通路の奥からは熱波のようにピリピリと肌を焼きつける緊張感が押し寄せてくる。

 ───居る。隠し切れぬ威圧感に強者の存在を確信しつつ、コスモスはようやく通路を抜けて目撃する。

 

「───待ち焦がれてたよ」

 

 視線の先。

 不自然なまで一点に降り注ぐ陽射しの中央に佇んでいたヒマワリは、被っていたリザードを模したフードを上げ、白い歯を覗かせるような笑みを浮かべた。

 

「準備万端? コスモスちゃん」

「ええ」

「なら良かった。それならルール確認といきましょう」

 

 パチンと指を鳴らすヒマワリ。

 次の瞬間、観覧席とは逆側の壁に備え付けられていたモニターに映像が映し出される。

 

「使用ポケモンは三体。途中、ポケモンの交換は挑戦者のみに認められる。トレーナーの道具の使用は禁止だけれど、あらかじめポケモンに持たせていた道具の使用は可……ってところ」

「一ついいですか?」

「どうぞ」

「今回もバトル開始時に天候は変わりますか?」

「うん。そこはまあ……ジムトレーナーの時と一緒」

「わかりました」

 

 一瞬間を置いたヒマワリを怪訝に思いつつも、ルール確認を済ませたコスモスはボールを手に取った。

 

「それじゃあ早速」

「ちょっと待って。あと一つ、見せたいものがあります」

「……なんですか?」

 

 出鼻を挫かれたコスモスだが、得意げに笑っていたヒマワリは唐突に屋根を指差した。

 

「オープン!」

 

 溌剌とした声が天井に当たって反響した瞬間、コスモスの頭上で異変が起こった。

 色とりどりのステンドガラスが嵌め込まれていた屋根が、突如として動き出したのだ。左右へ分かれて収納されていく屋根。間もなく何物にも阻まれなくなった陽の光が、燦々とバトルコートを照らし上げる。

 

 当然、バトルコートに立っている二人は直射日光を浴びる羽目に遭い、コスモスの額には早速汗が滲み始めた。

 

「……暑い」

「そう?」

 

 あちゃあ、と額に手を当てるヒマワリであるが、どうにも屋根を閉じるつもりはなさそうだ。

 

「ごめんなさい。でも、こうしなきゃダメなの」

「……本当にですか?」

「うん。だって───」

 

 この一見ジムリーダーの趣味全開な機能。

 だが、これにはれっきとした理由が存在した。

 

「閉め切ってたら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……」

「今なら飲み物買ってきてもいいけど、大丈夫?」

 

 水分補給用の飲み物を購入するという異例の催促に、コスモスはやや面食らったように目を見開いた。

 が、しかし。

 

「なるほど。それなら心配は無用です」

 

 上着を脱ぎ、白いTシャツ一枚になったコスモスは、徐にバッグの中を漁り始める。

 すると、そこからは次々に飲み物が出てくるではないか。おいしい水、サイコソーダ、ミックスオレ、その他各種清涼飲料水……さながら休日に部活へ持ち込むクーラーボックスに並ぶラインナップである。

 

「へぇ……確かに準備万端みたい」

「ええ」

「もしかして、この後手持ちと祝勝会でもする予定だった?」

 

 軽口を言い放つヒマワリに対し、コスモスはどうとでも取れる微笑を返すばかり。

 

 その真意は、

 

(全部私の分でしたがね)

 

 ただの卑しんぼであった。

 

 その中からスポーツドリンクをチョイスして手に取るコスモス。

 程よい甘味で喉を潤す彼女は、マグマ団に混じって観覧席に座るレッドを一瞥した。

 

 今日も今日とて何を考えているか分からない真顔を浮かべているものの、コスモスは先ほどのロビーでのやり取りを思い返す。

 

(先生がわざわざマグマ団を引き留めて観衆に加えた理由……私には伝わっていますよ)

 

 我ながら勘が冴えている、とコスモスは内心得意げになった。

 なんてったってバトルは洞察力が重要だ。つぶさに指示や動きを観察し、相手の一手二手先を読まなければ勝利を掴めない。

 手練れのポケモントレーナーほど無駄を省く。裏を返せば、彼らの一挙手一投足には意味がある。

 

 レッドというトレーナーは、この自分がサカキに勝るとも劣らないと認めるほどのトレーナーであるのだから、今回の勧誘には当然意味があるのだろう。

 

 そして導き出されたコスモスの答えこそ───。

 

(ゆくゆくリーグの大舞台でバトルするのを見越して、観客に見られる感覚に慣れさせようという魂胆ですね)

 

 筋は通っている。

 正解とは限らないが。

 

 とにかく複数人の視線に晒されれば緊張するのが普通の人間である。

コスモス自身、人前で緊張する性格ではないという自覚こそあれ、実際に緊張しない確証はない。むしろ無自覚であった場合が厄介だ。

 リーグ本戦で緊張して実力を発揮できず醜態を晒すなどもってのほかだ。笑い話にもなりはしない。

 

(私は思いもしなかったトレーニング……何事も経験とは言いますが、いい機会かもしれない)

 

 これぞ先見の明と言うべきか。

 ほとほと先生には頭が上がらない───と感銘を受ければ話は早い。後は期待に応えるだけだ。

 

 手段は単純。

 合理的、かつ迅速に勝利を掴み取る。

 

(さて)

 

 一拍置き、対戦相手に向き合う。

 

「始めていただいて結構です」

「そ」

 

 それじゃ始めよっか、とヒマワリは審判へ合図を送る。

 

 ヒリヒリと。

 着実に、場の熱気は高まっていく。

 

「それでは、ただいまより挑戦者コスモス対ジムリーダー・ヒマワリによるジム戦を開始いたします! つきましては、スナオカジム特別ルールに則り場の天気の決定に入ります!」

 

(来たか)

 

 知る人ぞ知るスナオカジム名物の天候発生装置。

 晴、雨、霰、砂嵐のどれか一つが選ばれるかは、まさに天のみぞ知ると言ったところ。

 

(狙うのはもちろん……)

 

「決定いたしました! 今回のバトルは……『雨』です!」

 

(!)

 

 天の恵みは言い過ぎか。

 それでも運はこちらに傾いているには違いない。天秤の秤になみなみと注がれていた水がひっくり返るように、コスモスらの頭上からは雨が降り注いでくる。

 無論、人工的な雨雲など作れない以上、室内の設備を総動員して天候を再現しているだけではあるが、恩恵に与るには十分な完成度だ。

 

「あちゃあ……雨かぁー」

 

 これを苦々しく呟くのはヒマワリだ。

 この雨中ではほのお技の威力も減衰する。ほのお使いの彼女としては苦しい展開に間違いない。

 

「……ふふっ。でも、嫌いじゃないかな」

「……?」

 

 意味深な呟きは雨音に吸い込まれ、ついにはコスモスの耳には届かないまま、審判の進行の声が響き渡る。

 

「両者、一体目のポケモンの選出はよろしいでしょうか!?」

「問題ありません」

「ジブンもオッケーです」

 

 選び取ったボールを握りしめ、両者は睨み合う。

 それを確かめ、審判は続けて宣言する。

 

「それでは───バトル開始!!」

 

 

 


ああす

ポケモントレーナー

コスモス

V 

 S

スナオカジムリーダー

ヒマワリ

あああ


 

 

 ***

 

 

 

 轟々と降り注ぐ雨も、屋根のついた観覧席にまでは及ばない。

 

「ウヒョヒョ、見物ですな」

「……する……アナライズ……」

 

 優雅に腰掛けるマグマ団の内、最前列に陣取るホムラとカガリは食い入るようにバトルコートを眺めていた。

 

「フム……」

 

 そんな彼らを両隣に置くマツブサもまた同じだった。

 繰り出されるポケモンが何か───等という生産性のない思考の段階ではない。この状況下であるならば、()()()()()()()()()というワンステップ先をマツブサは行く。

 

(挑戦者側としては雨を利用すべく、みずタイプ……もしくはみずタイプの技を覚えているポケモンで速攻を仕掛けるのが無難だろう)

 

 では逆に、ジムリーダー側に立った時を考えよう。

 

(繰り出すポケモンをほのおタイプに限定すると仮定して、優先すべきは二点。一点は天候に左右されないほのおタイプ以外の技を備えていることだ)

 

 技のタイプは何でもいい、とも言い難い。

 

(タイプエキスパートの心理として、自身を打倒する為に用意されたであろうタイプの弱点を突けた方が合理的だ。となれば、必然的にみず、いわ、じめん全ての弱点であるくさタイプの技……特に“ソーラービーム”といった強力な技が候補に挙がってくるだろう)

 

 弱点を補完する技構成というのも、バトルの勝敗を大きく分ける要因の一つであることは間違いない。

 その点、ほのおタイプにとってのくさ技は、弱点を突かれてしまうタイプ全てを返り討ちにできる優秀なシナジーを誇っている。

 

(だが、幅広いほのおポケモンが覚える“ソーラービーム”に弱点がある以上、それを克服する為の手段として、()()()()の方が優先度的には高いだろう……)

 

 一見万能にも見える“ソーラービーム”には、明確なデメリットが存在する。

 それは攻撃を繰り出す直前の溜め動作だ。“ソーラービーム”は“だいもんじ”や“ハイドロポンプ”等、他の強力な技が威力の代わりに命中精度を犠牲にしているように、こちらはそもそも発射できるまでに時間が掛かる。

 

 ただし、一つだけ抜け道はある。

 

 それは、日差しが強い時のみに限り、エネルギーの収束時間が極端に早まるという特性。

 

(すなわち、天候を変える技を持っているポケモンか。はたまた……)

 

 

───天候を変える()()を持っているポケモン。

 

 

「コータス、バーンアップ」

「コォーーー!」

 

 けたたましい蒸気機関車のドラフト音にも似た雄たけびが雨音を貫いて響く。

 次の瞬間、あれほどまでに激しく降り注いでいた雨が降り止み、今度は肌を焼く強い日差しが濡れた地面へと降り注ぐ。

 

「やはりな……“ひでり”!」

 

 ポケモンの中には、臨戦態勢に入るや否や天候を書き換える特性を持った種類がちらほら居り、コータスもその中の一体に数えられる。

 

(なるほど。最初に天候を強制するルールを提示しておきながら、自ら前提を覆すポケモンを選ぶとは。あのジムリーダー……とんだ食わせ物だな)

 

 そう評するマツブサの視線の先では、雨を吸って重くなったパーカーを脱ぎ捨てるヒマワリの姿があった。湿気で気持ち悪いというのもあるだろうが、何よりも急激に室温が上昇する中、長袖などは着ていられないのだろう。

 

(対する挑戦者側は、)

 

「GO、ルカリオ」

「バウッ!」

 

(───……)

 

 タイプははがね・かくとう。

 日照りの下に居るほのおタイプと戦うには、余りにも拙い選出だ。出し負けたと言わざるを得ない。

 

(一撃でも攻撃を喰らえば致命傷は免れんが……)

 

 初動がバトルの流れを決定づけると確信するマツブサは、一瞬視線をバトルコートから外す。

 

(……様子は変わらず、か)

 

 マグマ団を誘った張本人であるレッドは、団体らしく固まって座っているマツブサらからはやや離れた場所に位置取っている。

 見た目の若々しさとは裏腹に、老練し切ったように落ち着き払った姿勢は崩れていない。

 

(余程信頼しているのか。それとも、これを見据えた秘策でもあるのか)

 

 あるとすれば期待通り。

 ないのならば期待外れ。

 

(さて。どう出る?)

 

 再び視線をバトルコートへ戻した瞬間、盤面は動き出す。

 

「ルカリオ、“あまごい”!」

「コータス、“ステルスロック”!」

 

 ルカリオが空に向かって祈る一方で、コータスの堅牢な甲羅に穿たれた噴出口から鋭利な岩が撒き散らされる。

 

「……してやられた……」

「ウヒョ! ひょっとしてチャイルド、先手を打たれましたかな?」

「いや、そうとも言えんぞ」

 

 カガリとホムラにマツブサが反論する。

 

「確かに“あまごい”を見越して安易にほのお技を打たず、罠を設置したジムリーダーの方が上手に見える……が、後続が炎の餌食にならんよう雨に変えただけでも意味はある」

 

 長い目で見れば被ダメージは減らせる。その見解に、カガリとホムラは納得するように頷いた。

 しかし、他に覚えている技のラインナップでどうとでも転がることは念頭に置かねばならない。

 

「“みずのはどう”!」

 

 そうこうしているうちに雨の恩恵を受けるルカリオが掌から水流弾を解き放った。

 鈍足なコータスでは避け切れない速度で攻撃は疾走する。

 

 このまま直撃を貰うか───誰もがそう思った時、ヒマワリの顔に笑みが浮かんだ。

 

「見せてあげて、コータス! “こうそくスピン”!」

「コォーーー!!」

 

 またもやコータスから白い煙が上がる。

 だが、先ほどとは打って変わって違う音だ。断続的に蒸気を噴出する、いわばブラスト音。雨中だからこそ際立つ熱量を解放するコータスは、目にも止まらぬ速さで頭部と四肢を甲羅へと収納し、回転を始める。

 

「ッ……あれは……!」

 

 心当たりがあるカガリが僅かに目を見開いた。

 

───脳裏に過る地下道を駆け抜ける黒曜の円盤。

 

 次の瞬間、手足を収納した穴からも噴出する蒸気が、寸前で“みずのはどう”の勢いを抑える。それどころかコータスは白煙に紛れ、忽然と姿を消した。

 それを見てマツブサは『速いな』と声を漏らす。

 

「攻撃手段ではなく、完全に回避方面へと技術を磨いたか」

「しかし、リーダー。いくらなんでもあれは早すぎませんか……!?」

「ああ、確かにな」

「このホムラが手ずから育てたコータスと言えど、あそこまでは……」

 

 自身が育成した個体と比較するホムラは、バトルコートを縦横無尽に駆け巡るベーゴマと化したコータスに戦慄する。

 対峙するルカリオは持ち前の波動探知を用い、背後に回り込まれたところにも反応して攻撃を仕掛けるも、中々捉えることはできない。

 加えて撒き散らされた“ステルスロック”が“こうそくスピン”によって弾かれ、どんどんルカリオの方へと密集するではないか。

 

 刻一刻と逃げ場は狭くなっていき、辻斬り同然に肉迫された際は、紙一重で避けたところに散逸した鋭利な岩が掠ってダメージを負ってしまう。

 

「うぐぐぐ……、チャイルド! 悠長にしている暇はありませんぞ! このままでは雨が上がってしまうというのに!」

 

 しかも雨が続く時間は有限だ。

 早々に決着を付けなければ、炎の勢いを衰えさせる雨も止んでしまう。

 

「……リーダー……」

「気づいたか、カガリ」

「うん……」

 

 喚くホムラの傍ら、神妙な面持ちで観戦していたカガリがマツブサと同じ答えに辿り着いたのは、やや遅れたタイミングであった。

 

「“ニトロチャージ”……」

「そうだ。“こうそくスピン”以外にも“ニトロチャージ”を併用しているからこそ、あれだけの加速を実現させているのだろう」

「……クレイジー……」

 

 端的にカガリが感想を述べる。

 火力を上げて自身の素早さを上昇させる“ニトロチャージ”を併用しているとするならば、確かにあの加速性に納得がいく。

 だからといって制御し切れるとはまた別の話だ。ただでさえ習得が難しい技の同時発動に加え、回転という平衡感覚を失いかねない移動方法である。

 

(フエンジムリーダーとは正反対の戦い方だな)

 

 海を渡った先でジムを構える同門のほのお使いとは、似ても似つかないトリッキーなバトルスタイル。仮にアスナを例に対策を立ててきたとすれば、水泡に帰す可能性が非常に高い。

 

 今も尚、“みずのはどう”を連射するルカリオであるが、一発たりともコータスには命中してはいなかった。

 反面、コータスは遅々とした速度ではあるが、確実にルカリオにダメージを負わせている。“ステルスロック”もそうだが、水を吸ってぬかるんだ地面を飛び跳ねさせれば“どろかけ”のように目くらましにも成り得る。相手がルカリオでなければ、躱し切れず“こうそくスピン”とニトロチャージ“でトップスピードまで加速した状態のタックルを喰らい、もっと疲弊していただろう。

 

(ここまではジムリーダーが優勢か。そろそろ打って出なければ磨り潰されるのが関の山だが……)

 

 とマツブサが思い至ったところで、コスモス側に動きが見えた。

 

「“はどうだん”!」

「アオオオオッ!」

 

 雄たけびを上げながら両手にエネルギーを収束させるルカリオだったが、ヒマワリの余裕を湛えた表情に変化はない。

 

「命中精度の高い“はどうだん”ね……それで? どうするの」

「よく狙え!」

「ふふっ……このスピードの前じゃ!」

 

 コスモスの命令を遂行するべく、しっかりと照準をコータスに合わせて“はどうだん”を繰り出したルカリオ。

 蒼い光弾は暴走機関車と化したコータスに向けて疾走するが、

 

「やはり……当たらない!」

 

───焼け石に水だ。

 

 最早、“はどうだん”の弾速よりもコータスの移動速度が上回る状態。

 こうなってしまえば進路を先読みでもしない限り、命中させることは不可能だ。

 

「……タイム、オーバー……」

「しまったッ!? もう雨が……!」

 

 カガリにつられ空を仰ぐホムラは、次第に勢力が衰えていく雨雲が消えゆく瞬間を目撃した。

 

 かくして鋼の肉体を守っていた雨の衣は剥がされた。

 残されたのはぬかるんだ地面と鋭利な岩の罠、そして最高速度まで達したコータスである。

 

 待ち焦がれていた瞬間。

 彼女の指示は、早かった。

 

「そのまま……“ニトロチャージ”!!」

「コォーーーーーッ!!!」

 

 ポッポー! と汽笛を鳴らし、コータスは猛進する。

 当然、標的はルカリオだ。

 しかしながら、ルカリオも黙ってやられる玉ではない。

 

「“はどうだん”で狙え!」

 

「チャイルド、受けて立つ気か!?」

 

 回避ではなく迎撃を指示するコスモスに、ホムラたちの顔が強張る。

 あれほどまでの速度だ。いかにコータスへ直撃させたところで、殺せる勢いは微々たるものだろう。

むしろ、回転の勢いで弾かれる光景が目に見える。

 

「血迷ったか!?」

「……ッ……!」

「───……、いや」

 

 蒼い閃光が閃いた瞬間、マツブサの眼光が鋭く輝いた。

 

()()()()()()()

 

 真っすぐ。

 迎撃を物ともせぬ勢いで突っ込んでくるコータスへ、渦を巻いてエネルギーを収束させられていた“はどうだん”も直線の光の尾を描いて突き進む。

 間もなく衝突する両者。しかし、拮抗と呼ぶにも烏滸がましいほどに短い激突の末、甲羅の上半分に命中した“はどうだん”は、真上へ───開放された屋根の外へと飛び出していった。

 

「コ、コォーーーッ!!?」

「コータス!?」

 

 それに悲鳴を上げたのはコータスだ。

 何故? と誰もが疑問を浮かべるよりも早く、高速回転するコータスは制御を失ってあらぬ方向へ滑っていく。

当然ルカリオには辿り着かず、最後には壁へと激突し、ジム全体に及ぶかのような激震を巻き起こした。

 

「んなっ!? 一体全体どういうことです!?」

「フフフ……」

「……リーダー……?」

 

 今だ理解の及んでいないホムラの傍ら、クツクツと喉を鳴らすマツブサへ、不思議そうに首を傾げるカガリが声を掛けた。

 

「なに。腑に落ちただけだ、気にするな」

「……何が……?」

「カガリよ、車の免許は持っているな?」

 

 何を突然、と呆気に取られるカガリであるが、彼女の明晰な頭脳はものの数秒でマツブサが言わんがすることに思い至った。

 

「……()()()()()()()()()()……?」

「そうだ。あの子供は始めからそっちを狙っていた訳だな」

「……アハッ、オモチロ……♪」

 

───よもや、ポケモンバトルに組み込むとは。

 

 感心や驚愕が一周回って呆れへと変わる感覚を覚えつつ、マツブサは未だ疑問符を浮かべている団員らに解説する。

 

「ハイドロプレーニング……またはアクアプレーニングとも言うな。これは本来、自動車等のタイヤと路面の間に水が入り込むことで摩擦力を失い、ありとあらゆる動作の制御ができなくなる現象だ」

「あぁ、言われてみれば聞き覚えが───って、それをチャイルドが狙っていたとは?」

「“あまごい”だ。あれはほのお技を封じる為ではなく、コータスの高速移動を封じる手段として使われていたのだ」

 

 ハイドロプレーニングはタイヤと路面の間に水が入り込む状況───つまり、雨の日によく起こる現象だ。それを再現する為に、そもそも雨を呼ぶ行為自体に不自然はない。

 

「ウーム、流石に偶然では?」

「理由は一つではない。決定的なのは最後に繰り出した“はどうだん”だ」

「え、あれが?」

「あの角度、実に絶妙だった」

 

 一見ただ弾かれたように見える攻撃を『絶妙』と称賛するマツブサに、ホムラのマクノシタよろしく細められた糸目が見開かれる。

 どういう訳かと目で訴えれば、不敵な笑みを湛えるマツブサは語り始めた。

 

「先も話した通り、ハイドロプレーニングは移動する物体と地面の間に水がなければならない……が、そもそも移動する物体が接地していない場合、この現象は起こり得ない訳だ」

「それはそうですな。……うん? では、なにゆえコータスはあんなにも早く回れていたのです? 話を聞く限りじゃもっと早い段階で制御不能に陥ってもおかしくはないはずでは」

「だからこそ()()()()()

 

 『見ろ』とマツブサが指差す先。

 そこはちょうど“はどうだん”とコータスが衝突した地点であった。

 

「あれは……地面が抉れている?」

「そうだ。“こうそくスピン”を移動方法として使用している以上、減速せぬよう接地面積は限りなく小さくした方が合理的だ」

「確かにフィールドに移動した跡はほとんど残っておりませんな」

「あのコータス、内部で生み出した蒸気を噴出し、ほぼ浮遊に等しい状態を生み出していたのだろう」

「なるほど! そこへ“はどうだん”で強引に地面へ叩き落し……ほほう、あのチャイルド随分クレバーな真似をしてくれますね」

 

 合点がいったホムラが楽しそうに口角を吊り上げた。笑った顔が悪人面なのはご愛敬である。

 まんまと観客を掌の上で転がした試合展開。

しかしながら、マツブサはたった今説明以上に計算し尽くされた戦略であることを理解していた。

 

(繰り出された“はどうだん”は、“こうそくスピン”で簡単に弾かれないようコータスの回転方向に対し逆回転していた……しかも、直角に弾かれたということは、余すところなく真下へ軌道を逸らすだけのエネルギーを伝えた訳だ)

 

 恐ろしいまでの正確無比な狙撃。

 何より、多くを語らずままそれを実行し得たコスモスとルカリオの信頼関係に、マツブサは脱帽と言わんばかりの心境であった。

 

(成程……あの師にして、この弟子ありといったところだな)

 

 秘策と呼ぶにはあまりに奇策。

 思いもよらない方面から突破口を切り開く型破りな戦いぶりも、すべてはポケモンとの強い信頼関係を得てこそ。

 

 ああ、本物だ───彼女はあの赤い帽子の少年の系譜を継いでいると言わざるを得ない。

 

「我々の予想を裏切っても尚、期待は裏切らない……やはり、見間違いではなかったか」

 

 まだ名前も聞いていなかったマツブサだが、同じ観客としてバトルを眺める赤い帽子の少年の正体に確信を得る。

 

(カントーリーグチャンピオン・レッド……齢10でロケット団を滅ぼした生ける伝説。君にとって、あの子供こそが()の担い手だと言うのかね?)

 

 向けられるマツブサの威圧的な視線にも一瞥もくれず、終始レッドは無言でバトルコートを眺めている。

 

───バトル以外、眼中にはないということか。

 

 そう言わんばかりの様子に笑みを零すマツブサは、自分も目の前のジム戦に集中することにした。

 いつまでも気もそぞろに観戦していたらもったいない。沸々と熱くなる胸の内が、そう囁きかけていたのだ。

 

「フフフ……私もポケモントレーナーということか。たかがバトル一つを前にして、こうも昂揚した感覚を覚えるとはな」

 

 いくつになっても衰えることのない興奮が、そこにはあった。

 

 

 

 ***

 

 

 

(やっと目を放してくれた)

 

 一方その頃、横から猛烈に注がれていた視線から解放されたレッドがホッと息を吐く。

 

───生きた心地がしなかった。

 

 というのも、特に理由はなく誘ってみた団体様のリーダーっぽい人間に凝視されれば、誰でも粗相でもしてしまったかと勘繰るだろう。

 気を紛らわせようとジム戦に集中しようとしたが、何やら詳細な解説も間に挟まれてくるものだから、ついつい意識がマグマ団の方へと向いてしまったのも原因だ。

 

(やけにカメックス相手に練習してたけど、そういうことだったのか)

 

 ハイドロプレーニング現象───当然、レッドには初耳だったとさ。

 

(今度色々試してみよ……!)

 

 結果、ワクワクが止まらなくなったレッドによりカメックスに魔改造が施されるのだが、そのことを弟子の少女(コスモス)はまだ知らない。壁はまだまだ高くなる。ご愁傷様である。

 

 と、マサラ人の血が滾っている間にも、ルカリオは二度目の“あまごい”を終えていた。“こうそくスピン”と“ニトロチャージ”で加速していたコータスの目の前でやろうものならまんまと阻害されていただろうが、当の炎亀は衝突した壁の傍でたどたどしい足取りをするばかりであり、とても横やりを入れられる状態ではない。

 

 やがて、ぽつりぽつりと降る雨粒。

 

 

 

 雨が、降り続いている。

 

 

 

 ***

 

 

 

 コータスが撒き散らした蒸気によって一層蒸し暑くなったバトルコート。そんな熱を少しばかり冷やす雨の中、ヒマワリは額に張り付いた髪を掻き上げる。

 

「最初から狙ってたの?」

「はい。貴方の手持ちにコータスが居ると知った時から、先発はコータスになる可能性が高いと思って対策を練ってきました」

「やるじゃん♪ まんまとしてやられたって訳かァ……」

 

 ガシガシと頭を掻くヒマワリであるが、そこに後悔する様子は窺えない。

 むしろ、見事にコータスを封じてみせた作戦を讃える喜びに打ち震えているようだった。

 

 バトルの熱で紅潮した頬を緩ませ、ヒマワリは続ける。

 

「こんな方法で突破されたのは貴方が初めてです。自分で考えたの?」

「ええ……とは言うものの、ここまでモノにできたのはお付き合いしていただいた先生の指導の賜物です」

「コスモスちゃんも先生さんも凄いですね。やっぱりジブンの目に狂いはなかった」

 

 ヒマワリが純粋な賞賛を述べ終える頃、ようやくコータスが態勢を立て直す。

 

「もっと……もっともっと熱くさせて! コータス!」

「───させません」

「っ!」

 

 しかし、それはルカリオにも言えることだ。いつでも技を繰り出せるようにと収束させていたエネルギーが、その完了を報せる眩い光を拡散させる。

 片やコータスと言えば、反撃の狼煙を上げんと全身に力を込めるが、途端にへにゃりと脱力した顔を浮かべた。甲羅からは煙こそ立ち上っているが、そこには当初ほどの量も勢いもない。

 

「……これは」

「コータスは甲羅の中に溜め込んだ石炭を燃やすことで力を得るポケモンです。最初こそ“こうそくスピン”と“ニトロチャージ”で湿気を近寄らせてなかったでしょうが、一旦足を止めて雨を吸った以上、さっきまでの加速性は再現できませんよ」

「……あちゃあ……」

 

 ここまで対策されたとなると、一周回って笑いが込み上がってくる。

 ポケモントレーナーを教え導く存在である立場として、百点満点の花丸を付けてあげたくなるような徹底的な戦略を挑戦者が携えてきたのだ。それも無理はない話である。

 

「敵を知り己を知れば百戦危うからず、っては言うけども……」

「情報こそがトレーナーの武器で、作戦の立案が義務です。知っているのに何も対策をしないなんて、私には許し難い怠慢ですので」

「ストイックなんだね。こっちとしても背筋が伸びる気分です」

「ジムリーダーが何を言いますか」

 

 コスモスはあっけらかんと答える。

 ポケモンバトルの世界において、対策に対策を重ね、日夜頭を抱えて悩む研鑽を積んだ強者───それこそがジムリーダーだと考える彼女にとって、彼らを攻略するべくその上手をいく案を考えることは最早日課と言っても過言ではなかった。

 

 しかして、努力は実を結んだ。

 コータスは完全に封殺した。後は身動きのとれぬ鈍い亀と化した相手を倒し切れば、一歩リードを掴める。

 

「ルカリオ、最大パワーで“みずのはどう”!」

 

 この機を逃すはずもなく、コスモスが指示を飛ばす。

 呼応するルカリオの眼光が閃き、前方へと突き出した手掌からは大量の雨の恩恵を受けた水の波紋が解き放たれた。

 いかにほのおポケモンとは言え、並みの炎では押し返すこともままならない威力だ。

 

 それが真っすぐと、壁際に追い詰められていたコータスへと向かう。

 

(これで、)

 

 勝利を確信したコスモスであるが、彼女の瞳が異変を捉える。

 それは違和感とも言えた些細な変化。

 

(煙が───白く)

 

 コータスの甲羅より立ち上る煙が、黒から白へと変わっていたのである。

 傍目からすれば───しかも雨の中で見えにくい状況だ───気にも留めぬような変化であるが、コスモスは妙な胸騒ぎを覚えた。

 

 この時、一瞬ばかり彼女の思考より彼方へ消えていた考えが呼び戻される。

 

 

 

───勝利を確信した瞬間こそ、最も反撃に注意すべきである。

 

 

 

 それは自分にも相手にも通じる訳であり、

 

「ルカリオ!! 退避!!」

「コォーーーッ!!!」

 

 迫りくる“みずのはどう”を前に雄たけびを上げるコータス。

 噴き上げる白煙はみるみるうちに濃度を高め、ついには、

 

 

 

 

 

「コータス───“だいばくはつ”」

 

 

 

 

 

 鮮烈な閃光と衝撃を解き放ち、バトルコートを熱波で覆い尽くした。

 




Tips:ヒマワリ
 スナオカジムのジムリーダーを務める赤髪で日焼けした小麦色の肌が眩い女性。タイプエキスパートはほのお。慇懃な口調で喋り、物腰は丁寧でこそあるが、服装からも分かる通り若干露出癖が見られる。その実、自分を包み隠さず他人に見てもらうことで、新たな自分を発見してもらいたいとう考えがが根底にある。ただし、肌を焼いているのは完全に趣味。出身はスナオカタウンであるが、かつてはホウエン地方に住んでいた時期があり、その時に後々フエンジムリーダーとなるアスナと同じ師匠(アスナの祖父)に師事し、ポケモンバトルの腕を磨いた。温泉が好きであるのも、特訓の日々の合間に温泉に浸かっていたからである。本人曰く『アスナの胸はジブンが育てました』とのこと。
 手持ちはコータス、ポワルン、ウルガモス、リザードン、エースバーン等。

↓ヒマワリ(立ち絵)(作:ようぐそうとほうとふ様)

【挿絵表示】


◓オマケ◓
ゆーぼ様(ID:387072)に本作の主人公、コスモスの支援絵をいただきました!

https://syosetu.org/?mode=img_view&uid=387072&imgid=94441

キュートな顔とダークな背景色と、コスモスにぴったりの雰囲気を再現していただき、感謝感激であります!
本作はオリジナル地方ものとあり、出てくるキャラクターもオリジナルである場合が多々見受けられると思い、私自身から設定画などを発信してはおりますが、こうして描いていただけると創作者冥利に尽きます。
読者の方々の温かい感想、評価、および支援絵等は執筆活動の上で大変励みになります。
今後とも『愛と真実の悪を貫く!!』の更新を頑張ってまいりますが、もしも『支援絵を描いてみた!』という方が居られましたら、気兼ねなくメッセージ等でお知らせ頂ければ嬉しい限りですので、何卒宜しくお願い致します。


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№032:晴のち雨のち風のち霧のち……。

前回のあらすじ

コータス「芸術は爆発だァー!!!」(抉れる地面)(飛散する破片)(削られる壁)(埃を被る観客席)

整備担当のジムトレーナー「ああああああバトルコートおおおおおお!!!」


 

 爆風が湿った空気を蒸発させる。

 

「くっ……」

 

 気を抜けば後ろへひっくり返りかねない勢いを前に、必死になって踏ん張るコスモス。

 ようやく彼女が瞼を開いた頃には、フィールドの光景は一変していた。ぬかるんだ地面に大きく穿たれたクレーター。そこには完全燃焼して目を回すコータスと、膝をつきながらも辛うじて倒れていないルカリオの姿があった。

 

「コータス、戦闘不能!」

「お疲れ様、コータス。芸術的な爆発でした」

 

 爆風で荒れた髪を掻き上げるヒマワリは、そう労いの言葉を投げかけながらコータスをボールに戻す。手持ちが瀕死になった事実をおくびにも出さない姿からは、まるで既定路線であったとでも言わんばかりだ。

 

 特性の“ひでり”や設置技の“ステルスロック”。

 それに加えての“だいばくはつ”と来れば、答えは自ずと導かれる。

 

()()()ですか」

「そ。驚いた?」

「……少なくとも過去の記録では“だいばくはつ”を使っていませんでした」

「でしょ。覚えさせておいて正解だった」

「次はありません」

 

 強かに笑うジムリーダーに対し、コスモスは少しばかり眉を顰めた。

 

(私が過去のバトルを履修した上で対抗策を用意したような口振り……これは)

 

───相手の方が一手先に進んでいる。

 

「少し……見通しを変える必要がありそうです」

「ふふっ」

 

 モニターに点灯していた光が一つ消える。

 これで手持ちの数はコスモス側が3つで、ヒマワリが2つ。

 しかしながら、“だいばくはつ”でルカリオがダメージを負った事実を考慮すれば、実際はそこまで差はないと言えよう。

 肝心なのは、次に出てくる相手のポケモンだ。

 コスモスはボールに手を添えながら、ヒマワリが繰り出す二体目に意識を向ける。

 

(相手によっては───)

 

 

「次はこの子、ポワルン!」

 

 

「ルカリオ、戻れ!」

 

 雫型の小さなポケモンが姿を現した瞬間、照射されたリターンレーザーがルカリオの体を包み込む。

 直後、放り投げられた愛らしいデザインのボール───ラブラブボールからは、リボンのような触角を靡かせる四足歩行が舞い降りる。

 

「GO、ニンフィア」

「ん、カワイイポケモン……!」

 

 そう来るんだ、と、ヒマワリは交代先のポケモンにやや興奮気味に瞳を見開く。

 

「どんな戦法で来るか楽しみ。でも、まずは……“おいかぜ”!」

「ポワァー!」

 

 ふよふよと浮遊するポワルンが声を上げれば、一方向に風が吹き抜け始める。

 突風と見紛うような強風にコスモスとニンフィアは目を細めつつ、意気揚々と動き回るポワルンを見据えた。

 

 相手にとっての追い風が自分達の逆風となるか否か、コスモスはしかとその目で見届けようと思考を巡らせる。

 

 してやられたとはいえ、勝負はまだまだ序盤もいいところだ。

 用意した一手をひっくり返されただけで狼狽するほど、準備がおろそかであるつもりはない。確固たる自信を胸に、コスモスは濡れた帽子のつばを摘み、風から目を守るように深く被り込んだ。

 

「バトルは───ここから」

 

 自分に言い聞かせるように、コスモスは前を向いた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ポワルン、か」

 

 やけに重々しい声色を言い放ったマツブサに団員の視線が集まる。

 次の瞬間、口を開いたのはホムラであった。

 

「あのジムリーダー、これまたトリッキーなポケモンを繰り出しましたな」

「うむ、そうだな」

 

 同意するマツブサであるが、団員の一部はその意図を汲み取れず、怪訝そうに首を傾げた。

 そんな団員達に説明するかの如く、得意げにホムラが人差し指を立てながら解説を始める。

 

「てんきポケモンのポワルンは、文字通り天気によってフォルムチェンジする珍しいポケモン! チェリムのように天気を味方にするポケモンは居るにしても、ポワルンほど多種多様な天気に順応できるポケモンは皆無なワケですね!」

「それが利点でもあり欠点でもあるがな」

 

 神妙な顔でマツブサは補足する。

 

「天候に順応できると言えば聞こえはいいが、複数のフォルムの立ち回りを把握するには相当な経験が必要だ。それにポワルン自体、フォルムチェンジ以外突出した能力のないポケモンだ」

 

 そこまで付け加えると、団員達が感心する声を上げる。

 遅れて『ぐぬぬ』と悔しがるホムラの呻き声が聞こえてくる為、バツを悪そうにしたマツブサは、こほんと一度咳払いした。

 

「……私なりに総評すると、器用貧乏になりやすい上級者向けのポケモンというワケだ。ホムラの言うことも間違っているワケではない。興味深いのは、この選出タイミングだ」

「……どういう意味?」

「考えてみろ、カガリ。ポワルンは天候を味方にしてこそ真価を発揮するポケモンだ。しかし、今のフィールドはどうだ?」

 

 言われるがままフィールドに目をやるカガリとその他大勢。

 雨上がりに加え“だいばくはつ”の熱波に煽られたフィールドは、なんとも蒸し暑い。

 しかしながら、晴天にも雨天にも属さない天候であることの証明に、ポワルンのフォルムは『ポワルンのすがた』のままであった。

 

「初手に“ひでり”のコータスを選出した以上、本来は『たいようのすがた』で運用すると仮定して……今はほのおタイプですらないタイプエキスパートにあるまじき状態だ」

「まあ、それはなくはない話なのでは?」

 

 一トレーナーとしての意見を口にするホムラに、何人かが頷く。

 タイプエキスパートを自称していても、専門とするタイプ以外のポケモンをパーティに組み込むトレーナーは少なからず存在する。それが時折一部から批判を買うこともあるが、結局のところは外野からの評価に関わるだけで、実際のバトルにおいてルール違反になることもない。

 しかし、マツブサは『そうではない』と口にする。

 

「なにも私はエキスパートタイプ以外を選出したことを相応しくないと糾弾したいワケではない。ほのおジムリーダーがポワルンを選出する……その意図が興味深いと言っているのだ」

「つまり……別の役割」

「その通りだ、カガリ」

 

 一足早く答えに辿り着いたカガリに、面白そうに口角を吊り上げるマツブサが、動きを見せ始めるフィールドを見据えながら続ける。

 

「答え合わせといこう」

 

「ポワルン、“でんじは”!」

「ニンフィア、“ミストフィールド”!」

 

 “おいかぜ”を受けて俊敏に動くポワルンが、ニンフィア目がけて微弱な電撃を浴びせかける。

 遅れて動くニンフィアは、全身を襲う痺れに歯を食い縛り───即座に何かを咀嚼したかと思えば、問題なくフィールドにピンク色の霧を充満させた。

 

「こ、これは!」

「“おいかぜ”に“でんじは”……なるほど、あのポワルンはサポートに特化した型か」

 

 驚くホムラに対し、マツブサは納得したように頷いた。

 基本的にバトルにおいてポケモンがメインとして使用できる技の個数は4つ。その半数を控えの味方にも有利に働く補助技で埋めているとなると、必然的にマツブサの答えへとたどり着く。

 

「しかし、今度はジムリーダーの方がしてやられたな。挑戦者は事前にラムのみを持たせ、それでいて“ミストフィールド”ときた。状態異常に対して万全を期していたか」

 

 マツブサはピンク色の霧へと落ちた緑色の欠片を見逃さなかった。

 食したポケモン状態異常を回復するきのみ、ラムのみだ。加えて足下に満ちる“ミストフィールド”もまた地面に居るポケモンを状態異常から守る効果を有している。

 まるでこれから状態異常が来るとわかっていたかのような展開に、マツブサは思わずほくそ笑む。ふとジムリーダーの方へと目をやれば、今度は彼女の方がしてやられたと頭を抱えていた。

 

「あちゃあ……ニンフィアで来たのはそういう意味だったかぁ」

「フェアリータイプのニンフィアでも、スタンダードなポワルンであれば問題なく立ち回れますので」

「本当にそれだけ? 私が天気を変える可能性とかは考えなかった?」

 

 問いかけるヒマワリに、コスモスは頭を振り───不意に一つの技名を口にした。

 

「───“れいとうビーム”」

「!」

「地下通路で見せてもらったポワルンの技です。一目見て相当な練度だとわかりました。それをわざわざ外してくるなんて考えられませんでした」

「……へぇ」

「技の採用理由は……そうですね、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言ったところでしょうか。ポワルンをほのおタイプという括りに入れた時、数少ないこおりタイプの技を覚えるポケモンですから」

 

 故に、ゴルバットを選出しなかった。

 

 ここでフェアリータイプではほのおタイプに有効打が突けないとゴルバットを選出していれば、鍛錬された“れいとうビーム”に撃ち抜かれてみすみす瀕死に陥らせていただろう。

 ポワルンが強力な物理技を覚えない点を考慮しても、とくぼうが高いニンフィアを選出する方が、結論から言えば賢明であった。

 

「ほのおに弱点を突けるいわ、じめん、みずには“ソーラービーム”で返り討ちにはできますが、ほのおを半減するタイプを考えた時にネックとなるのがドラゴンタイプ……そこで“れいとうビーム”が火を噴く、と。違いますか?」

「……うん、だいたい正解。すごいね、そこまで考えついたなんて」

「別に大したことじゃありません」

 

 感心して拍手を送るヒマワリに、仏頂面を通り越して真顔のコスモスは淡々と言葉を返す。

 

「どんなポケモンにも強みや活躍のさせ方があります。それは技然り、特性然りです。そこから見えてくる戦法を知り、自分でも組み立ててみる……それこそがバトルに望む前の私なりの準備です」

「……それができるのは極少数なんだけどなぁ」

「だからこそと言いますか、私は、自分が思い至らないような戦略や技術……それらを持つトレーナーを強く尊敬します」

「───そう」

 

 少女が言わんとしているトレーナーが誰か。

 それに思い至った瞬間、ヒマワリの顔にはギラギラと眩い───それでいて好戦的な笑顔が咲いていた。

 

「ますます燃えてきた……! 今まで何人も挑戦者を迎え撃ってきたけれど、コスモスちゃんほど理を詰めてくるような子は居なかったから」

「詰めるだけなら簡単です。もっとも───それを踏まえての実戦以上に勝る経験はないですが」

「同感」

 

 パチンッ、とヒマワリが指を鳴らせば、ポワルンが冷気を凝縮した一条の光線を解き放つ。

 それに迎え撃つのは、ニンフィアの触角から溢れ出す燦々とした輝きだ。真正面からぶつかり合う“れいとうビーム”と“マジカルシャイン”は、数秒凌ぎ合った後、眩い閃光と共にエネルギーを霧散させる。

 

───威力はほぼ互角。

 

「……()()()()()()()()()()()。ニンフィア、“マジカルフレイム”!」

「ほのお技で来るの? それなら……“かみなり”!」

 

 ニンフィアが鮮やかな炎を吹くのと同時に、ポワルンもまた激しい雷鳴を轟かせ、鮮烈な電光を相手目掛けて繰り出した。

 炎と雷が交差したのは一瞬。

 通り過ぎた各々の攻撃は、そのまま技を繰り出した直後で無防備な体へと着弾した。

 

「フィ、フィ~……!」

「ポワワ~……!」

「もう一度“マジカルフレイム”!」

「へぇ……付け焼刃じゃない威力! それなら作戦変更、地面に向かって“れいとうビーム”!」

 

 再び特別熱い炎を吐き出すニンフィアに、ヒマワリは防戦へ転じるようポワルンへ指示を出す。

 その内容は“れいとうビーム”で地面を氷結させ、即席の氷の盾を生み出すというもの。

 “マジカルフレイム”を受ければものの数秒で溶かされてしまうものの、“おいかぜ”の恩恵を受けているポワルンであれば、その間に炎の射線上から退避することは容易い。

 

 その動きに唸り声を上げたのはホムラであった。

 

「ムムム。あのジムリーダー、“マジカルフレイム”の効果を恐れましたか」

「賢明だろうな。ミストフィールド下では“れいとうビーム”や“かみなり”の追加効果も期待できん。そこをムキになって応戦したところで、一方的にとくこうを下げられ続けるだけだ」

 

 マツブサが言及したように、ニンフィアの放つ“マジカルフレイム”は、相手のとくこうを下げる効果を持った技だ。

 ポワルンの“れいとうビーム”も“かみなり”も特殊技である以上、何度も喰らえば威力の減衰は必至。そうなればルール上ポケモンを入れ替えできないジムリーダー側にとっては、非常に痛い展開になることは目に見えている。

 

「ジムリーダーとしてはミストフィールドの効力が切れる合間を狙いたいところだろうが……」

 

 マツブサは忘れていない。

 そして、ジム戦に臨んでいる二人にとっては尚の事。

 

「───風が止む」

 

 刹那、ポワルンの動きが瞬く間に緩やかなものと化す。

 “おいかぜ”が、止んだ。

 その瞬間を狙っていたかのようにコスモスの眼光と共に、眩い輝きがフィールドを満たす。

 

「今! “マジカルシャイン”!」

 

 妖しい霧に乱反射する光は、みるみるうちにその輝きを増幅させ、即席で生み出した氷の盾諸共ポワルンの体を包み込む。

 元々攻撃範囲の広い“マジカルシャイン”だ。それに加えてミストフィールドの効果が上乗せされれば、完全に避け切るのは至難の業。

 

 それゆえ、直撃を貰ったポワルンはと言えば、ふよふよと宙を漂って間もなく力なく地面へと落下した。

 

「ポワルン、戦闘不能!」

 

 審判の宣言に観客である団員が沸く。

 

「やりますね、あのチャイルド!」

「これで……3対1……」

 

 鼻息を荒げるホムラはコスモスの勝利を確信したと言わんばかりに拳を掲げている。

 彼とは対照的に落ち着き払っているカガリも同様の考えだ。コスモス側も消耗しているとはいえ、数の利は無視できる要素ではない。

 

「これは勝ったも同然! このまま3体目もちょちょいのチョンチーで倒してしまいなさい!」

「……そううまく進めばいいのだがな」

「うん? 何をおっしゃるんです、リーダー・マツブサ! いくらなんでもこの戦力差ですよ!?」

 

 小難しい表情を浮かべるマツブサはホムラに反論を始める。

 

「コータスにポワルン……どちらも使ってくる技は後続に続くようなものが多かった。この意味がわかるか?」

「? 使えるのなら使っておくというのがトレーナーとして普通の心情では?」

「戦略的にはそうだろう。だが、私はもっと根本的な部分であると考えている」

 

 後続の為の補助技を使う。それ自体は何もおかしい話ではない。

 着眼すべきは()()それを用いるか、だ。

 

「盤面を整えたところで、それを活かせるポケモンが居なければ意味をなさん」

 

 意味を理解したような吐息が響く。

 

 

「……()()()が……来る」

 

 

 身を乗り出すホムラの横で、カガリが告げた。

 彼女は目撃している。薄暗い地下通路で鋼の巨体を焦げ付かせた炎のストライカーを。

 

 フッと口元を緩めたヒマワリがモンスターボールを掲げる。

 次の瞬間、広がる光が火球へと変貌してバトルコートに向かう。間もなく球体を形成する炎が霧散すれば、中に潜んでいたモンスターが燃え上がる闘志を宿す眼光を閃かせた。

 

「エースバーン、バーンアップ」

「ファニーッ!!!」

 

 炎のような赤い体毛を逆立たせ、長い耳と携えた白兎が吼える。

 

「……ストライカーポケモン、エースバーン」

 

 やはり来た、と言わんばかりにコスモスは目の前のポケモンの名を呼んだ。

 地下通路でハガネールを圧倒したヒマワリの手持ち。その威風からして、自身にとってのルカリオのようなエース格であると踏んでいたが、予想通りの登場であった。

 

(主な生息域はガラル地方。加えて、少数の個体がスナオカタウン近辺に棲んでいる……でしたね)

 

 下調べした際に得た知識を振り返りつつ、コスモスは難儀そうに顔を顰めた。

 というのも、このエースバーン。主な生息域が遠く離れた地方というだけあって、中々に情報を集められなかったのだ。

 必死になってバトルレコードを漁った結果、辛うじて基本的な技や戦法を頭に入れることはできたが、ジムリーダーほどの実力者が鍛えた個体ともなると依然として不安の種は残る。

 

(情報不足がネックではありますが、こちらの残りは3体。無理に1体で勝とうとしない方が賢明ですね)

 

 コスモスの残る手持ちはルカリオとニンフィアに、さらにもう1体。

 前者の体力が削られてこそいるが、戦況的にはこれまでにないレベルで優勢だ。存分にこのアドバンテージを利用してこそ、盤石な勝利を得られるというものだ。

 

 逸る気持ちを抑えるように息を整えれば、場に揃ったポケモンを確認してバトルを再開するように審判が合図を出したところであった。

 

(集中しろ、(コスモス)

 

 自分に言い聞かせるコスモスの視線は、バトルコートに散らばった破片を足で拾い上げてリフティングを始めるエースバーンの一挙手一投足へ注がれていた。

 

───一瞬でも見逃せば、射抜かれる。

 

 そのような確信を持っているコスモスは、リフティングされる破片に火が灯った瞬間、誰よりも早く動き出した。

 

「ニンフィア、伏せろ!」

 

 余りの勢いに身が硬直しそうな声にも、ニンフィアの体は言われた通りその場で伏せてみせる。普段からのトレーニングの賜物である反応だ。

 しかしながら、ニンフィア本人も何が来るかわからない状況に変わりはない。

 だが、直後にその指示が正しかったと納得せざるを得ない烈火がバトルコートを駆け抜けた。

 

「エースバーン」

 

───ドォン!!!

 

「……の、“かえんボール”」

 

 揺れる大気に遅れて、ヒマワリが技の名を口にした。

 

「これは……」

「ごめんね。ジブンのエースバーン、まだまだやんちゃ盛りで」

「……強力ですね」

「言い切る前に動くのは、まあ……ご愛想ってことで」

 

 苦笑するヒマワリに対し、コスモスは自身の背後にそびえる壁を見遣った。

 ポケモンが繰り出す攻撃にも耐えられるよう頑丈に作られた代物。にも関わらず、たった今飛んできた破片が衝突した部分は焦げ付きつつ陥没していた。

 

(ハガネールを倒すだけのことはある)

 

 直撃すれば瀕死は免れない。

 一瞬の判断ミスが敗北に繋がると理解したコスモスは、即座に指示を飛ばす。

 

「近づけさせるな! 距離を取る!」

「様子見? そんな悠長なことをしてる暇はあげない!」

 

 後方へ下がるニンフィアに対し、エースバーンは足元の破片をキープしつつ上がり始める。

 

(また“かえんボール”?)

 

───いいや、違う。

 

 そう頭を振ったコスモスは、ニンフィアの眼前まで迫り来るや、エースバーンが頭上で破片を蹴りつけようと宙へと舞い上がった。

 

(あれは、)

 

 小さな破片がつま先に宿る炎に熱せられる。

 するや、それは有毒なガスを発生させるようにグズグズと溶解を始めた。その瞬間を見逃さなかったコスモスは、ほぼ反射的に叫んでいた。

 

「右に躱せ!」

「エースバーン───“ダストシュート”!」

 

 インパクトの轟音とニンフィアの体が動いたのはほぼ同時。

 直後、バトルコートの一部が舞い上がる砂煙に覆われる。

 

 目視もままならない状況だ。そんな中、コスモスは甲高い指笛を鳴らした。

 それに怪訝そうな目を浮かべているのはヒマワリだった。確信したように彼女は呟く。

 

「……良い反応速度」

「ニンフィア、光で攪乱!」

 

 砂煙から飛び出るや、絢爛な光を浴びせかけようとニンフィアが息吹く。

 

「ふふっ、そんな炎じゃジブン達の目は誤魔化せない! “かえんボール”で貫け!」

 

 対抗するエースバーンは華麗に着地を決めた瞬間、目にも止まらぬ早業で足元の破片を火球に変え、相手目掛けて蹴り飛ばした。

 光VS炎。目が眩む光景の中、勝敗は一瞬で決する。

 視界を遮るように広がる光。それを貫いた火球が、奥に身構えていたニンフィアの胴体に命中した。

 

「フィアッ!!?」

 

 弾き飛ばされる体は、数度ほどコート上をバウンドして沈黙。

 そのままピクリとも動かないことを確認した審判が旗を上げる。

 

「ニンフィア、戦闘不能!」

「ご苦労様」

 

 観客席から悔しがる声が響く中、倒れたニンフィアはボールに戻る。

 そのまま次のボールへと選ぼうとするコスモス。だが、手は不意に止まる。

 

「……」

「ゆっくり選んでいいよ。ジブンは待ってあげますから」

「いえ、その必要はありません」

 

 彷徨う指先を見透かすような言葉に、心理的なプレッシャーを覚えないと言えば嘘になる。

 だが、それで動揺するのは二流。

かつて尊敬するポケモントレーナーに教えられたことだった。

 

「GO、ルカリオ」

 

 繰り出したポケモンはルカリオ。

 傷ついた体を奮い立たせ、不敵な笑みを湛えるエースバーンを睨みつける。

 

 両雄が揃い立つや、バトルコートは蒼と赤の光に照らされた。

 

「ルカリオ、“はどうだん”!」

「エースバーン、“かえんボール”!」

 

 凝縮された波動エネルギーと回転する火球が激突する。

 間もなく二つの球体は爆散。同時に2体も健在であった。

 

「おおっ、相殺した!」

「……いや、それだけではないようだな」

 

 歓喜に沸くホムラの隣で、マツブサが淡い光に包まれるルカリオを確認した。

 

「───“ねがいごと”。ニンフィアが最後に繰り出した技のようだな」

「! なるほど、あれは攻撃じゃなかったと!」

 

 やりおるチャイルド……、とホムラは感心して頷く。

 直接的にコスモスが技名を口にしていない以上、指示をした可能性があるとすれば指笛を鳴らした瞬間だろう。なんにせよ事前によく教え込まなければ不可能な芸当だ。

 

「だが……勝負はこれからだ」

 

 それでも尚、バトルを眺めるマツブサの表情は硬い。

 

(あのエースバーン、かなり鍛えられている。となれば、チャレンジャー側も苦戦は必至……3体目も視野に入れた方が得策だろう。それに、)

 

 マツブサはバトルコートに穿たれた大穴に目をやった。

 それはエースバーンの“ダストシュート”によって生み出されたものだが、得も言われぬ違和感が胸を過る。

 

「フム……」

「どく……」

「……ん?」

 

 声援に紛れて聞こえてくる声の方を向けば、赤い帽子の青年が小さく唇を動かしていた。

 

「エスパー、じめん……」

「……」

 

 なぜかタイプを口にしては、悩むように顎に手を添える。

 まったくもって理解できないマツブサであったが、わざわざ今この場で本人に尋ねる必要はないと視線を戻す。

 

 すると、眩い蒼い光が視界を襲う。

 スッと目を細めれば、両手に光弾を収束させるルカリオの姿が見えた。

 

「ほう……()()か」

 

 光弾の大きさからして、威力は据え置きと見える。

 感心したようにマツブサが溜め息を漏らせば、ルカリオは機敏な動きで左腕を前方へ突き出した。

 

「ルカリオ、“はどうだん”!」

 

 二つ同時でなく、あくまで片方だけを発射するルカリオ。

 これならば一発凌がれても二発目が残っている───それを理解しているからこそ、ヒマワリの指示は単純な回避や防御ではなく、

 

「“しねんのずつき”で跳ね返して!」

 

 直後、上体を大きく仰け反らせるエースバーン。その額には神秘的な光が収束し、強固なエネルギー場を形成するに至る。

 

「ファニー!」

 

 気合いの一喝が響き渡る。

 そうして大きく頭を振ったエースバーンは、あろうことか“はどうだん”を頭突きで跳ね返すではないか。

 

「ルカリオ、撃ち落とせ!」

「バウッ!」

 

 一直線に自分の下へ帰ってきていると身構えるルカリオへ、以心伝心の指示が念と声に重なりながら飛んできた。

 すぐさま残していた“はどうだん”で撃墜し、押し寄せる爆風から身を守る。

 視界は黒煙一色。肉眼で相手を望むことはできないが、

 

「───! バウッ!」

「“みずのはどう”!」

 

 見透かしたように狙いを定めるルカリオが、黒煙の中目掛けて波動を解き放つ。

 攻撃の勢いで黒煙が打ち払われた。晴れた空中には片膝を折ったエースバーンの姿があり、その表情はやや痛がったように歪んでいた。

 

 『当たった!』とホムラが興奮する。

しかし、それも束の間の喜びだった。

 

 “みずのはどう”を喰らっても尚、エースバーンの蹴撃が崩れる気配はない。

 対するルカリオは、攻撃直後で身動きが取れない状態だ。

 

「ルカリオ!」

「エースバーン、“とびひざげり”!」

 

 コスモスの叫びも虚しく、鋭い膝蹴りがルカリオの体を弾き飛ばす。

 やられたか───そう愕然とした観客席であったが、地面を転がるルカリオは間を置かずに立ち上がるではないか。

 

「外れたか!?」

 

 と、叫ばれる横でマツブサが目を細める。

 注目したのは左腕。脱力した腕は、ひどく重そうに垂れ下がっている。

 

 恐らくは“とびひざげり”を受けたダメージによるものだ。

 そう分析したマツブサは、直撃を免れた要因が直前の“みずのはどう”によるものだと、すぐに思い至った。

 

(瀕死だけは免れたか。だが、あのルカリオにとって片腕が使えなくなるのは痛いな)

 

 一度両腕から技を繰り出している場面を目撃したからこそ、尚更惜しく感じられた。

 手数を封じられれば、当然守勢に回らざるを得なくなる。裏を返せば、相手の攻勢がより激しさを増す訳であり───。

 

「“しねんのずつき”!」

 

 ルカリオの状態を把握し、接近戦が吉と判断したヒマワリの指示が飛ぶ。

 それを聞いたエースバーンは、相手にヘッドバッドをかまそうと飛び跳ねる。

 

「むむむっ、なんと軽い身のこなしか……!」

 

 唸るホムラ。

 頭突きと聞けば、上体を勢いよく反らす隙が大きそうな技に聞こえるが、ヒマワリのエースバーンは一味違った。隙の大きさを自覚してか、エースバーンは相手の周囲を不規則に飛び跳ね、ふとした瞬間にすれ違う───その短い間に繰り出しているではないか。

 

 これにはルカリオも対応には四苦八苦だ。

 いかに波動で背後からの攻撃に強かろうと、動かせない左腕が足かせとなり、普段通りの俊敏な身のこなしは叶わない。そして鈍重になった動きで、身軽なエースバーンの攻撃を捌き切ることもまた同じ。

 

「今は躱せているが長くは続くまい」

 

 それこそがマツブサの見解であった。

 

「それ故に───勝負に出るとするなら、そろそろだ」

 

 

「ルカリオ、スタンバイ!」

「バァウ!」

 

 

 ルカリオの残された右手に光弾が生み出された。

 守勢から攻勢に転じようとする動きに、ヒマワリの口角は吊り上がる。

 

「わかります、コスモスちゃん。アナタは勝算もなく動くトレーナーじゃないってことは」

 

 一文字に口を結ぶコスモスからの返答はないが、それで構わないと言葉は続く。

 

()()が作戦か、それとも信頼か。どちらにせよ……ジブンたちは真っ向から受けて立ちましょう!」

 

 エースバーン! と叫ぶヒマワリ。

 刹那、跳ねまわっていたエースバーンの足下に火が点いた。気づけばエースバーンはルカリオの傍まで迫っていた。

 

 それまでと比べ物にならない高速移動に、観戦していた者達から驚愕の声が上がる。

 

「炎を推進力にしたか……!」

 

 刮目するマツブサは、踏み砕かれた地面に残る焦げ跡に注目していた。

 あれはエースバーンの肉球───そこより生み出される高熱が火を噴き、推進力を生み出した何よりの証拠だ。跳躍と同時に発動することで、瞬間的なスピードを高める()()でもある。

 

 しかも、背後からの急襲だ。

 正面に対し、相手に振り向くまでの一拍がある分、その速度は致命的なものであった───はずだった。

 

「グルルッ……!」

「ファッ!?」

 

 思念を頭部に集中させるエースバーンに、ルカリオは()()()()()()()()()()

 低い唸り声を響かせながら相手を見据える眼光は肉食獣のそれだ。

 

これにはエースバーンも驚いたように瞳を見開いた。

 だが、ここまで来て退くという選択肢はなかった。

 むしろ、より大きく体を反り返す。ギリギリと。その様はまるで限界まで引き絞られた弓のようだった。

 

 キンッ、とエネルギーが収斂された甲高い音が響く。

 

「───“はどうだん”!」

「───“しねんのずつき”!」

 

 下から突き上げるようにして繰り出される“はどうだん”が、全力の“しねんのずつき”と激突する。

 先ほどは真正面から跳ね返されたが、今回は威力の減衰もないゼロ距離での攻撃。

 バチバチと収斂したエネルギーが拡散すること数秒、互いの攻撃に耐え切れなくなった光弾が爆発を起こす。

 

 しかし、間もなく二体が煙の中から姿を現した。

 広がる光景とは裏腹に互いに軽傷。決定打には至っていない様子だ。

 

 虚を突かれたエースバーンも、技を相殺してから華麗な宙返りを披露し、着地を決めてみせる。

 

 体勢を立て直すのはルカリオも同様───かに思えた、その瞬間だった。

 

「ルカリオ、今!」

「なっ」

 

───左腕は使えないはず。

 

 驚いたヒマワリだが、すぐに彼女は答えを目撃した。

 

()()()……!?」

 

 

「“あくのはどう”!」

 

 

「っ───エースバーン、“とびひざげり”!」

 

 不意を突いて放たれた黒い波動であったが、俊敏なエースバーンの繰り出した“とびひざげり”の前に霧散した。

 ああ、と残念がる声が観客席から上がる。ここまで先読みしたにも関わらず、決定的なダメージを与えられなかったとなれば、こうなるのも無理はないだろう。

 

 現にコスモスは、得も言われぬ表情を浮かべたまま固まっている。

 

「……」

「ふぅ……まさか、逆に意表を突かれるとは。中々胆が冷えました、コスモスちゃん」

「そうですか」

 

 褒めるような口振りのヒマワリに対しても、最低限の返答を返すだけだ。

 そして、

 

 

「それなら───こうします」

 

 

 最早口に出すまでもなくルカリオが動き出す。

 右手からは“はどうだん”。

 口からは“あくのはどう”。

 時間を置かずに解き放たれた二つの技は、一斉にエースバーンへと襲い掛かる。

 

 それを見たヒマワリはほんの僅かに目を見開きながらも、冷静に指示を飛ばす。

 

「撃ち落とします! “ダストシュート”!」

 

 素早く蹴り出された“ダストシュート”は、ヒマワリの指示通り“はどうだん”と“あくのはどう”の同時攻撃を迎撃する。

 そのまま相殺するかと思いきや、強烈なシュートは波動の壁を突き破ってルカリオの眼前まで押し迫る。

 

「弾いて“はどうだん”!」

 

 それを器用に手の甲で弾いたルカリオが、そのまま掌に波動エネルギーを収束させる。

 チャージに掛かった時間はものの数秒。

 しかし、それを見たホムラが立ち上がった。

 

「ダメです、チャイルド! それでは威力がっ……!」

 

 

「───“しねんのずつき”!」

 

 

「ああっ! やっぱり!」

 

 熱が入った反応を見せるホムラが、“しねんのずつき”で跳ね返された“はどうだん”を見て頭を抱えた。

 ここまで回避や迎撃で上手く直撃を免れたはいいものの、体力低下の影響は顕在化していた。

 

(倒れるのは時間の問題か……だが)

 

 解せんな、とマツブサが眉を顰めた。

 

(なぜこの場面で“はどうだん”を……?)

 

 跳ね返される結果は、先の攻防を見ていれば分かっていたはずだ。

 それを理解しないまま二の轍を踏むなど───あの少女に限ってはないように思えて仕方がない。

 

 そう思わせるだけのオーラが、挑戦者である少女にはあった。

 

(いったい何を企んでいるというのだ?)

 

 

「ルカリオ、“あくのはどう”!」

「エースバーン、“とびひざげり”!」

 

 

 跳ね返された“はどうだん”を避け、ルカリオが“あくのはどう”を口から放つ。

 それを待ち侘びていたかのようにエースバーンは跳ぶ。軽やかだった。そして、それ以上に速かった。

 迫りくる漆黒の波濤を前に物怖じせず、空を切り裂く膝蹴りを前方へと叩き込む。

 すれば、押し寄せていた波濤は一文字に薙ぎ払われ、奥に佇んでいたルカリオへと押し迫り、

 

「ガッ───!!?」

 

 鈍い音がバトルコート中に響き渡った。

 直後、青毛の体躯が宙を舞う。弧を描きながら、最後には重力に抱き寄せられて地に沈む。

 

 シンッ、と室内全体が静まり返った。

 それから間もなくして、勢いよく旗が振り上げられる。

 

「ルカリオ、戦闘不能!」

 

 ニンフィアに続いて二体目の瀕死だ。

 ジムリーダー同様、後がなくなるコスモス。帽子のつばで目元を隠しつつ、ルカリオをボールへと戻した彼女の表情は誰にも窺えない。

 

 一段と高まる緊張感。

 数分前とは違い、挑戦者側の数的有利がなくなった今、どちらが勝ったとしてもおかしくはない状況だ。多少なりともエースバーンの体力が削られているとはいえ、二体連続で倒した“流れ”は無視できるものではない。

 

「さあ、コスモスちゃん。3体目は何を出す?」

「……」

「選ぶなら熱が冷めない内に……ね?」

 

 ヒマワリの催促を受け、コスモスの手がボールへと伸びる。

 勝負の行方を決定づける最後の1体の選出に、観客席は固唾を飲んで見守る。それはマツブサも例外ではなかった。

 

「あの少女は───」

「コスモスは───」

 

 不意に声が重なった。

 その主は少し離れた席に座る赤い帽子の青年。

 

迷いなく、澱みなく。

彼は一つの未来を予言した。

 

「───ヌルを繰り出そうとしている」

 

 

「GO、ヌル!」

「ヴァアアア!!!」

 

 

「なに……!?」

 

 現れたのは見たこともないポケモンだった。

 けたたましい雄たけびを上げて参上した存在に、観客席からはどよめきの声が上がる。

 

「あのポケモン……」

「知っているのですか、カガリ?」

「うん……でも……」

 

 地下通路でのバトルを目の当たりにしていたカガリは思わず口籠った。

 

 あのポケモンが強いことは紛れもない事実だ。

 だがしかし、無視しようにもできない懸念点が一つ浮かび上がってくる。

 

 それは───。

 

「! 地下通路の……やっぱり知らないポケモン。でも、そういう相手だからこそむしろ燃えますね! エースバーン、油断せずにいきましょう」

「ヌル。私の指示に合わせて───」

 

「ヴァア!!!」

 

「……はぁ」

 

 言い切るより前にヌルが飛び出し、コスモスも溜め息を吐く。

 これにはヒマワリも予想外だったのか、ギョッと目を見開いている。

 

「迎え撃ちます! “かえんボール”!」

 

 しかし、そこはやはりジムリーダーだ。

 突然の攻撃にも、即座に声を上げてみせた。

 

 そうして飛び掛かるヌルへと“かえんボール”は飛んでいく。猛烈な勢いで迫りくる火球を前にし、野獣のような眼光を閃かせていたヌルは本能的に射線から飛びのく。が、重い兜のせいか避け切れず火球が身体の側面を掠る。

 

 直撃には至らなかったが、じりじりと焼き付くような痛みにヌルは唸り声を上げる。

 

「ヴルルッ……」

「人の言うことを聞かないからです。さあ、仕切り直し」

「ヴァア!!!」

「ですよ……」

 

 コスモスの指示も虚しく、聞く耳を持たないヌルは再びエースバーンへと向かう。

 

「ヌル! まったく……それなら“ブレイククロー”!」

「エースバーン、相手は動きの出だしが遅いです! “しねんのずつき”で攻めていきます! まずは躱して───」

 

「ファニー!?」

 

「え?」

 

 疾走するヌルがエースバーン目掛けて鋭い爪を振り下ろした───かに思えた次の瞬間、今度は逆側の爪を振り上げ、回避しようとしたエースバーンへ一閃を喰らわせた。

 

 明らかに“ブレイククロー”とは違う挙動に、ホムラは自身の目を疑うようにゴシゴシと擦る。

 

「あの技は⁉」

「アナライズします。あの技は……“つばめがえし”……」

「チャイルドの言っていた技とは別じゃありませんか!」

 

 そう、この場に居る者が気にする問題はそこであった。

 

「……トレーナーを無視している可能性……85%」

「ほぼ100%じゃないかい!」

「……85%と100%……違う」

「ほぼと言ったでしょーが! 揚げ足取らない!」

「了解。85%と100%はどすこいどすこい」

「そうです! どすこいどすこい……ん?」

 

 2人がマクノシタに引っ張られている間、バトルコートでは瑞々しい咀嚼音が響いていた。

 

 すると間もなくしてエースバーンが立ち上がり、追撃を仕掛けようとするヌルから逃れるべく飛び退いた。

 振り向く顔立ちは勇ましく、そこには不意の一撃を貰った苦痛など微塵も窺わせてはいなかった。

 

「オボンのみ、ですか」

「正解! ジムリーダー側も持ち物は禁止されてませんから」

 

 放り投げられたきのみの芯を見て、コスモスが言い当てる。

 口にすれば体力を回復する効果を持つオボンのみ。その回復量はオレンのみを超える。

 

「それよりも……ここに来て言うことを聞かないポケモンを選ぶなんて、それで勝てると?」

 

 一般的な感性から言えば『考えられない』の一言に尽きるが、

 

「思っていなければ、この子は選出しません」

「……なるほど」

 

 ヒマワリの目も伊達ではない。

 初撃のキレを見れば、ヌルが相当の強さを有したポケモンであることは見抜ける。スペックだけを見るのであれば、自身のエースポケモンにも差し迫るとも断言できた。

 

 けど、と言葉は継がれる。

 

 

()()()()()()()同然の相手に負ける程、ジムリーダーは弱くはない」

 

 

 毅然と言い放つヒマワリ。

 溢れる熱気に揺らめく彼女の姿は、分厚く高い炎の壁を幻視させるものだった。

 

「……使いこなしてみせろ」

 

 その光景を前に、コスモスはうわ言のように呟く。

 

 

 

 バトルは佳境を、迎えようとしていた。

 




Tips:ヒマワリの手持ち
・コータス(♀)
 性格:のんき
 特性:ひでり
 技:こうそくスピン、ニトロチャージ、ステルスロック、だいばくはつ等
 晴パの始動要員①。特性でフィールドを晴れにし、ステルスロックを撒く役割を担ってる。しかし、こうそくスピンとニトロチャージの組み合わせでフィールドを猛スピードで縦横無尽に駆け回ることができ、相手を翻弄する。今回はコスモスが対策してくることを先読みし、退場技にだいばくはつを採用。普段はがんせきふうじやじならしなども使っている。
 かつてホウエン地方に留学した際、フエンタウン近くで捕まえた。

・ポワルン(♀)
 性格:ひかえめ
 特性:てんきや
 技:れいとうビーム、かみなり、おいかぜ、でんじは等
 こおりタイプ4倍弱点のドラゴンタイプメタ要因。晴れ以外ではほのおタイプにこそならないが、それゆえの特殊な立ち回りでパーティをサポートする役目を担っている。基本的にはこおりタイプが弱点のドラゴンにれいとうビームを放ち、それ以外の相手にはでんじはを撃って麻痺にしたり、おいかぜで後続のサポートに徹する。かみなりは天候を雨にされた際、みずタイプを返り討ちにする用の技。
 かつてホウエン地方に留学した際、野生だった個体を捕まえた。

・エースバーン(♂)
 性格:いじっぱり
 特性:???
 技:ダストシュート、とびひざげり、しねんのずつき、かえんボール等
 現ヒマワリパーティのエースポケモン。正確無比なシュート攻撃と、軽快な身のこなしで相手を翻弄する。足裏に蓄積した炎エネルギーを爆発させ、不意打ちのように相手へ急接近し、攻撃を仕掛けることも可能。本来打たれ弱いはずのポケモンだが、バトル中はみずタイプの攻撃を喰らっても怯まなかったりと……?
 スナオカタウン近辺で出会った野生のヒバニーが進化した個体。


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№033:ヌルと道具は使いよう

前回のあらすじ

ホムラ「最近カガリからの扱いが雑なのですが」

カガリ「……親しみ……」

ホムラ「ならば良し!」

カガリ「流石……お腹が大きい……」

ホムラ「そうでしょうそうでしょう! ワタクシはお腹が大きい……ん?」

マツブサ(口は出さずに居るか……)


 

 熱気がバトルコートを渦巻いている。

 

 というのも、現在コート上ではヌルとエースバーンによる熾烈な追いかけっこが繰り広げられていた。

 しかしながら、ヒマワリの自信を裏付けるようにヌルはエースバーンの俊敏な跳躍の連続を前に中々追いつけずにいた。

 

 状況は互角……とは言い難い。

 ジムリーダーが手ずから育成したポケモンと、未だ言う事を聞かないポケモンとの間では、発揮できる力に大きな隔たりが生まれる。

 

「ぐぬぬ……! チャイルドはいったい何を考えている! これならゴルバットの方がまだ戦えたろうに……」

「……同意……」

 

 観客席の大半もジムリーダー側を優勢と見ている。

 やはり、いかに優れたトレーナーと言えど、ポケモン側が指示を聞かないという点は致命的なハンディキャップに成り得るのだ。

 

(それを覚悟の上で選んだとは言っていたけれど……)

 

 対峙するヒマワリも、現状コスモスとヌルが自分を負かすビジョンは想像できていない。

 何かしら秘策があると警戒する方が賢明か───火照る肉体とは裏腹に冴える思考を巡らせる。

 

 だが、生憎とジムリーダー側がそれを待つ義理はない。

 バトルの理論を発表して褒められるのはスクールまで。実践では勝ち得た実績こそがものを言う世界だ。そこには当然理論を実現するまでの過程も含まれる。

 

「帰るまでが遠足、勝つまでがジム戦! どんな策を練ろうとも、ジブンに勝たない限りジムバッジは差し上げられません!」

 

 そして、とヒマワリはほくそ笑む。

 短い間ではあるが、直線的なヌルの攻撃を幾度となく観察した今、ある程度の分析が完了していた。

 

「見た限り、そのポケモンは近接攻撃を得意とするショートレンジ主体型。それなら距離を取って戦うのが定石……エースバーン、見せてあげましょう!」

「ファニー!」

 

 ヒマワリのハンドサインを見たエースバーンが動く。

 小石を蹴り上げる。火が灯る。何度も見た光景にこれから来る攻撃は安易に想像がつく。

 

 エースバーンが炎の弾丸を蹴り飛ばす寸前、コスモスの瞳はカッと見開いた。

 

「ヌル!」

「!」

 

 解き放たれる弾丸は弧を描いている。

 これまでの正確無比かつ直線的な軌道を見ていたならば、まず外れるであろうと思い込んでしまう一発だった。

 しかしながら、バトルコートに響いた声に突き動かされる形でヌルは大きく前へと飛び出ていった。

 

 直後、火球の軌道は大きく曲がる。

 だが、直前に回避へ移っていたおかげか、火球はヌルの体表を掠るだけに留まった。

 

「! あちゃあ……それなら次!」

 

 再び小石に火を灯すエースバーン。

 発火の瞬間、目が眩むような光がバトルコートを照らす。加えて、キックのインパクトによる轟音も空気を震わせるが、

 

「ヌル!」

 

 負けじと響く大声。

 すぐさまそれは爆音に掻き消され、視界も舞い上がった砂煙と黒煙に覆われる。

 

 これではヌルの安否を確認できないか。

 

 と、観客席の思考が固まった瞬間に飛び出す影が、エースバーンに爪を振るう。

 

「ヴァア!!!」

「ファッ!!?」

「エースバーン、バック!」

 

 驚愕するエースバーンへ、ヒマワリが後退を指示する。

 

 寸前で飛び退く白兎。

 その鼻先を鋭利な爪が掠った。

 

「ッ……!」

「冷静に、エースバーン」

「ファニィ……!」

「貴方のシュートは完璧。だから、距離を保っていれば貴方の勝利は揺るがない……違う?」

 

 ジンジンと痛む鼻先を苛立ちながら撫でるエースへ、すかさずヒマワリは宥めすかす。

 そうすれば、頭に血が上っていたエースバーンもみるみるうちに落ち着きを取り戻していく。

 

「……準備はいい?」

「ファニー!」

 

 気合十分とエースバーンが雄たけびを上げる。

 それを見たヒマワリは、流れるように相手の方を見遣った。

 

「ヴルルッ!」

「……」

 

 コスモスとヌルは、依然として意思疎通が図れていない様子だ。

 以心伝心な関係を築いているヒマワリとエースバーンを相手取るには、とてもではないが不安を拭えない空気が漂っている。

 

「───ふふっ、()()()()()()()()()()()()()。だって、まだまだこれから燃えるんですよね?」

 

 しかし、それを見たヒマワリは楽しそうに笑みを深くするばかりであった。

 

「ジブンはジムリーダーとしての役目を全うします。チャレンジャーにとって大きな“壁”として!」

 

 ヒマワリが合図を出せば、エースバーンが軽快に飛び跳ね始める。

 

「あの動きは……」

「ルカリオの時の!? これはいかんですぞ! ルカリオならまだしも、あんな懐いてないポケモンでは……!」

 

 見覚えのある動きに各々の対照的な反応を見せるカガリとホムラ。

 しかしながら、彼らの頭に過った結論は奇しくも同じであった。

 

───避けられない。

 

 いち早く相手の居場所を読み取れるルカリオと、兜のせいで動きが遅く、ましてや言う事を聞かないヌルとでは、回避に移るまでの時間に雲泥の差がある。

 

 現にヌルは周囲を飛び跳ねるエースバーンの動きについていけず、重い頭をあちらこちらへと向けるばかり。攻撃に移っている暇はなかった。

 そうこうしている内に後ろを取られ、エースバーンはキックモーションへと移行する。ヌルは未だ振り向くことさえ叶わない。

 

───万事休すか。

 

 そう思った時、ポツリと紡がれた一言が重なる。

 

「「───6()()」!」

「! ヴァルゥ!!!」

 

 大声と共に放たれる“ダストシュート”。

 死角からの攻撃に直撃は免れないと思われていたヌルだが、すかさず斜め前へと飛び込む。紫毒の弾丸は回避と同時にしゃがみ込んだヌルの兜を掠るだけに留まり、やがては推力を失って地に沈む。

 

 おおっ、と歓声が上がるも束の間、攻撃の手を緩めないエースバーンの技は続く。

 

「“しねんのずつき”!」

「3時!」

「ヴルゥ!!!」

 

「“ダストシュート”!」

「10時!」

「ヴァア!!!」

 

「“かえんボール”!」

「12時!」

「ヴァアウ!!!」

 

 攻撃に次ぐ攻撃に回避に回らざるを得ないヌル。その体にはどんどん傷が増えていく。

 しかし、ダメージは表面上のものだけに留まらない。いつぞやの“かえんボール”で負った火傷が、ヌルの動きからキレを奪っていた。

 

 これではいよいよ回避もままならなくなる。

 誰もがそう思い始めた頃、突如として場の空気が凍る行動をヌルが取った。

 

「なっ……倒れた!?」

「……瀕死? いや……」

 

 

「スー……スー……」

 

 

「……状態、眠りと判断」

「ね……眠りおったァ!!?」

 

 今!? と思わず古風な喋り方になるホムラ。

 だが、顔を蒼褪めるのは当然だ。苛烈な攻撃を受けている中、いかにトレーナーに懐いていないからといって惰眠を貪るような真似など、『狙ってくれ』と言っているようなものである。

 

「エースバーン!」

 

 そこへ当然の如く指示が飛ぶ。

 

「一撃でと欲張りはしませんが、決勝点はいただきます!」

 

 足裏から灼熱が集中し、地面が焼き焦げる音が聞こえてくる。そのまま解放すれば爆発が巻き起こり、一発で肉迫できる凄まじい推進力が発生する。そうしてほとんど一直線の軌道で宙を突き進めば、標的までの距離は瞬時に詰められるであろう。

 

 勝利に王手をかける確信を得たヒマワリ。

しかし、そんな彼女の鼓膜をとある音が震わせた。

 

───シャク、シャク。

 

(……きのみ?)

 

 瑞々しさを感じられる咀嚼音から、新鮮なきのみだとは判別できる。

 問題はどこから聞こえてくるか、だ。

 観客席になど見向きもせず、ヒマワリは沈黙している兜の方へ目を向けた。

 

僅かに上下する頭部。それは悠長に舟を漕いでいるワケではなく、

 

「ヌル」

「───ッ!!!」

「6時! “とびひざげり”!」

 

 ()()()()の欠片を吐き捨て、覚醒するヌル。

 次の瞬間、瞬いた烈火の炎が身体の横を通過する───否、エースバーンの“とびひざげり”が躱された。

 

「ファニッ!?」

 

 勢いを殺せず、そのまま地面に激突するエースバーン。

 かくとう技の中でも指折りの破壊力を誇る“とびひざげり”。だがしかし、回避された場合のリスクは、ある程度知識を蓄えてきたトレーナーの間では最早常識だ。

 少なくないダメージが反動として襲い掛かった瞬間、エースバーンは即座に両腕を用いて受け身を取り、飛び込み前転の要領でヌルから距離を取る。

 

「なんと身軽な!?」

「止まれば……負ける」

 

 体勢を立て直したことへ驚くホムラに対し、カガリは淡々と呟いた。

 

「その通りだ」

 

 それに対し、マツブサはほくそ笑んで続けた。

 

 

 

「風向きが変わってきたな」

 

 

 

 ***

 

 

 

 妙な違和感はあった。

 

「エースバーン!」

「2時! “ダストシュート”!」

「“ダスッ……!?」

 

 自分が告げるよりも早く技名を叫ぶコスモスに、思わず口を噤んだ。

 反応が早い、と言うには早過ぎる。まるでこちらがどう動くか、始めから分かっているとでも言わんばかりの指示だった。

 読まれている以上、別の技を指示した方がいいものの、すでに攻撃モーションへ移っているエースバーンは止まれない。

 

 当然、そのまま攻撃は放たれる───が。

 

「ヴルァ!!!」

「ファッ!!?」

 

(また避けられた)

 

 先ほどよりも動き出しの速いヌルに対し、“ダストシュート”は標的の居なくなった虚空を貫くことになった。

 元々命中精度に難がある技ではあるが、それを知っているからこそ何百、何千という回数の特訓を経て百発百中に等しい練度に磨き上げた。

 

 しかし、それはあくまで相手が動かない物体に限る話だ。

 

 相手もポケモンである以上、動く。避ける。そして時には迎え撃つ。

 だからこそ直線的な軌道だけではなく、回転を掛けて変化をつけたりあえて無回転で攻撃したりもしているワケだ。

 

 

 だが、あの少女はどうだ?

 

 

「9時! “かえんボール!」

 

 

「7時! “しねんのずつき”!!」

 

 

「2時! ───“ダストシュート”ッ!!!」

 

 

 ()()は分かる。全体を見ているトレーナーであるならば、さほど難しくはない話だ。それを端的に、しかもクロックポジション*1でポケモンへ伝えるには、多少の意思疎通と特訓を経なければならないが、まだ理解できる範疇である。

 

(けれど、これは……!)

 

 ポケモンを繰り出す技を言い当てるなど、それこそ未来予知できるサイキッカー───あるいは、とある地方に存在するバトルフロンティアと呼ばれるバトル施設。そこに聳え立つバトルタワーの守護者“タワータイクーン”を冠するトレーナーぐらいだ。

 

 無論、チャレンジャーの少女はサイキッカーの類ではない。

 実際にバトルした当初の感想は、時折現れる将来有望なトレーナーの一人……そのぐらいのものであった。

 

 だと言うのに。

 超える。

 超える。

 超えてくるのだ。

 

 用意した壁を。

 立てた見立てを。

 それらを次々に、驚異的な速度で。

 

(なんて末恐ろしい……!)

 

 そう言葉にすれば簡単だった。

 世に知れ渡っている著名なポケモントレーナーは、他人には真似できない芸の1つや

2つを持っていることもざらなのだから。

 

 彼女の()()もその1つ───だとは、ヒマワリは思わない。

 

「まだまだっ、熱くなれますね……!」

「ふーっ……!」

 

 見据える先には尋常でない汗を流すコスモスの姿があった。

 時折思い出したかのようにまばたきする瞳は、広がる熱波に煽られて血走っている。滴る汗が入ることも厭わない。むしろまばたきする手間が省けると言わんばかりの覇気を迸らせている。

 

───なんていう熱の入りよう。

 

 とても若干12歳とは思えない。

 しかし、これだけの動きを為せられるとするならば納得せざるを得ない。

 

「やはり、ジブンの見立ては間違いじゃありませんでした! このジムを預かる者として、攻略にそれほどまで“情熱”を注がれるなんて、ジムリーダー冥利に尽きるもの!」

「そんなもの……当然!」

()()()()()()()()()!」

 

 そしてこれからも強くなる───そんな確信を抱くヒマワリは吹き抜けの先に広がる空へ手を翳し、振り下ろす。

 

「エースバーン、勝負をかけます!! 最大パワーで“かえんボール”!!」

「ファニーッ!!」

 

 気炎を吐きながら蹴り上げた破片に炎を灯すエースバーン。

 最大パワーの指示に偽りはなく、けたまたしい轟音を響かせて蹴り飛ばされた破片───転じて火球となった攻撃は、ヌルへ目掛けて突き進む。

 

 誰の目から見ても剛速球。

 加えて正直すぎる直進軌道にコスモスの瞳は見開く。

 

「ヌル!」

「させない!」

「!?」

 

 何かヌルに伝えようとしたコスモスであったが、突如として火球の軌道が下がる。

 失速し、地面に追突───ではない。速度はそのままに、加えられた回転のみで地面へと突き刺さった火球は、大きな爆炎と黒煙を巻き上げてバトルコートを覆い隠す。

 

「のわぁ、外れた!?」

「これじゃ中が……!」

 

 外野で飛び交う言葉にほくそ笑むヒマワリ。

 ここまではむしろ狙い通り。コスモスの“目”がある限り回避される飛び道具には最早攻撃手段として期待はできない。

 

 ならば、視界を塞ぐ手段にすればいい。

 

 トレーナーの視界を塞ぐのも立派な戦術の一つ。雨や砂嵐といった天候、“えんまく”といった技はそういった戦術の手段として用いられる場合もある。

 相手にとって不利な状況を作り出す───本来、オキノジムリーダーなどが得意とする戦術を、ヒマワリは即席で再現してみせた。

 

 黒煙に包まれたヌルの居場所は誰にも分からない。

 裏を返せば、ヌルからも相手の居場所は分からない。

 

 今回はそれを利用するのだ。

 

「エースバーン、高く跳べ!!!」

「ファニーーーッ!!!」

 

 黒煙よりも高く。

 劈く破砕音を轟かせるエースバーンが宙を舞う。バトルコート全体を見渡せる程の高度。ともすれば、観客席に座る者達と同じ目線に至っていた。

 

 その高さから繰り出される技と言えば───。

 

「“とびひざげり”!!!」

 

 相手の姿も見えない状態では、大博打とも受け取れる大技。

 外れる確率も高いが、絶対に外れないという保証もない。むしろここまで自信ありげに指示を出す以上、何かしらの手段で補足しているという疑念も過るはずだ。

 

「ヌル!!」

 

 コスモスのヌルを呼ぶ声が聞こえるが、それ以上の指示が聞こえないことから察するに、向こうがエースバーンの位置を図りかねていると見て間違いない。

 

 そこへエースバーンの“とびひざげり”が突き刺さる───ことはない。

 

 黒煙に飛び込んだエースバーンは、“とびひざげり”にあるまじき柔らかい着地を決める。

 するや、耳をピコピコ動かす。うさぎポケモンとしてヒバニーの頃から特徴的な大きな耳は、周囲の状況を探る為の集音器としての力を発揮する。

 

(最初の指示はフェイク……本命は次の奇襲です!)

 

 そう───エースバーンに煙へ突入する直前にサインは送っていた。

 相手側はいつ“とびひざげり”が来るかと身構えただろうが、元より煙に飛び込むなどという大博打を打つつもりはない。

 

 そこで煙の中からの奇襲だ。

 使える相手も限定される一度限りの不意打ちだが、それを加味しても有効な戦術。

 

「ヴルァ!!!」

 

───の、はずが。

 

「煙が……晴れた!!?」

 

 突如として霧散する黒煙。

 否、縦に切り裂かれた煙の中からは、耳を澄ませていたエースバーンが露わになる。

 

 その奥には爪を振り下ろした直後のヌルが佇んでいた。

 立ち位置を見るに、煙の中から攻撃を仕掛けたにしては()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(まさか、最初から……!?)

 

 タイミングがあったとするならば、黒煙にバトルコートが包まれた直後。まさにエースバーンが奇襲を仕掛けようとしていた時に他ならない。

 よくよく観察すれば、ヌルが飛び出したと思しき足跡がコスモスの目の前に刻まれているが、流石にヒマワリの立っている場所からは見えない。

 

(周囲が見えなくなった瞬間に戻るなんて……それも指示もなしに!)

 

 指示を聞かず、攻撃は自分の判断で行う。

 しかしながら、逐次もたらされる情報には耳を貸し、回避に用いている。

 それどころか視界を潰されるや、トレーナーの目が届く位置まで立ち戻ることを鑑みるに、ヌルがコスモスに懐いていないとは口が裂けても言えないだろう。

 

(見誤っていたのはジブンの方と……なるほど、少し見通しが甘かった)

 

 

「けど、それでも勝つのはジブンです!!! エースバーン、ファイア!!!」

「ファニーッ!!!」

 

 

 ドンッ、とエースバーンの足裏が爆ぜ、ヌルへ押し迫る。

 今度こそ正真正銘の“とびひざげり”だ。これを避けられれば敗色は濃厚となる。

 

 だが、ヒマワリには勝算があった。

 ヌルは黒煙を払う為に技を繰り出した。その直後とあって、現在のヌルは硬直して動けない。

 

 まさに大技を喰らわせるには絶好のタイミングだった。

 

 エースバーンとヌルの距離が縮まる。

 ヒマワリにとって与り知らぬが、ノーマルタイプのヌルにかくとう技は弱点だ。決まれば勝利の天秤は大きく傾く。

 

 2体の距離がなくなった瞬間こそ、勝負は決する。

 

 多くの者はグングン距離を詰めてくるエースバーンに気を取られていた。誰もが焦ったように顔を強張らせている。

 

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「───決まった」

 

 レッドが呟いた直後、固まっていた巨体がゆらりと沈む。

 

「っ……しまった!」

 

 失念していた、とヒマワリは歯噛みする。

 一度は()()()を目の当たりにしていた以上、この瞬間まで警戒すべきだったというのに。

 

「───いえ、まったくもって完敗です。燃える尽きるほどホットなバトルでした」

 

 称賛の言葉を贈りながら、ヒマワリはその目に焼き付ける。

 

 

「ヌル、今!!!」

「ヴァアアア!!!」

「───“つばめがえし”!!!」

 

 

 トレーナーとポケモン。

 彼女達二つの心が通じ合った、その瞬間を。

 

 すれ違いざまに鋭い爪が閃いた。

 対して膝蹴りが外れたエースバーンは、滑るように地面へと落ちていった。

 

 

 

「エースバーン、戦闘不能! 勝者、チャレンジャー・コスモス!」

 

 

 

『おおおおお!!!』

 

 歓喜が噴火する。

 そう形容するより他ない歓声が、ジムを中心にスナオカタウン全体に少女の勝利を知らしめるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ヌル、お疲れ様」

 

 傍らに歩み寄ってくる少女はそう告げた。

 自分のおかげで勝利できたというのに、相も変わらず愛想のない仏頂面を浮かべたトレーナーだ。

 

「……何か言いたげですね」

 

 今まで“おや”と騙ってきた人間よりこの少女は敏いと認めよう。

だが、他ののように懐柔されるつもりは毛ほどもない。

 

 忌々しい記憶が、蘇る限りは……。

 

『───どうだ、サンプルの調子は?』

『この個体は駄目ですね。スペックはともかく、凶暴過ぎてとても手がつけられません。これでは……』

『フム……他のポケモンと違って、折檻程度では従わないか。やはり性格云々より、最初からシャドウポケモンとして運用した方が良さそうだ』

()()は如何致します?』

『拘束した後、戦闘データの収集へ回せ。戦力として使えないんだ、それぐらいにしか役に立たないだろうからな』

 

───使えない道具は不要だ。

 

 その時の言葉は、今も忘れてはいない。

 

 人間は勝手だ。

 

 決めつけられた役割なんて理解できなかった。納得もできなかった。

 

「最後の技は私の指示で動いたんじゃないと?」

 

 だから、この人間と接していると妙な違和感を覚える。

 

「別に構いませんよ。私もあれが最善手だったと思います」

 

 付かず離れずの距離で好き勝手情報だけを垂れ流してくる。

 その情報を元に動くことだけは癪だが、負かしたい相手が居る以上、使える道具は何でも利用する。

 

 それを教えたのは他でもない。目の前の少女だ。

 憎たらしい人間の一人。

 

「それはそれとして……どうでした?」

 

 だが、今まで出会ってきた人間とは少し違う。

 同じ“目線”に、彼女は立っていた。

 

 

 

「私は、使()()()()()()()?」

 

 

 

 見限るのはもう少し先にしよう。

 今は、そう思えた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「どうしてボクがアナタと……」

 

 ブツブツ独り言を呟く眼鏡の男が、暗い洞窟の中を進んでいた。

 とても洞窟内を歩くには不適当な団服に身を包んだ彼だが、後ろに付いている部下らしき面々も似たような恰好である以上、それを咎められる者はいない。

 

 ある一人を除いては。

 

「ハッハッハ! そう言ってくれるな、アルロ。オレはお前と仕事ができるのが楽しみなんだぜ?」

 

 黒い団服に身を包む者達の中でも、一際筋骨隆々な偉丈夫が洞窟内にワンワンと反響する笑い声を上げる。

 直後、騒ぎに反応したズバットやコロモリが一斉に飛び立ち始め、彼らの頭上を通り過ぎていく。

 

 その間身を竦めていた眼鏡の男・アルロは、咎めるような視線を偉丈夫へ向ける。

 

「クリフ……アナタはそうかもしれませんがね。そもそもこの任務はボク一人に任されたものだというのに……」

「万が一にもカワイイ部下に何かあっちゃならないっていう我らがボスの優しさだ。そう不貞腐れるな」

「不貞腐れてなんかいませんよ」

 

 唇を尖らせるアルロの隣で、もう一度クリフは大声で笑う。

 同じ幹部という立場故に軽口を叩き合う二人。その背後には少数の下っ端が居る。

 揃いも揃って洞窟内を歩んでいく彼らだが、無論、浪漫を求めた探検の為に訪れている訳ではない。

 

「で? 目的地ってのはこの先で合ってるのか?」

「なんです、ボクのナビゲートが信じられませんか?」

「いいや。血が滾って……な?」

「そう浮足立たなくとも、もうすぐ着きますよ」

 

 ほら、と不意にアルロが足を止める。

 そこには広い空間が広がっていた。一見して天然の空洞に見える空間だが、地面には人為的に配置されたと思しき岩が並んでいる。

 

 そして中央にある窪みは、まるで何かを待ち望んでいるかのような存在感を放っていた。

 

「おお……! ここがそうなのか?」

「ええ、間違いありません」

「ようし、そうと聞けば……おい! ()()を持ってきてくれ!」

 

『は!』

 

 言われるや否や動き出す下っ端の団員。

 重そうに抱えられていたトランクケースをクリフに渡せば、彼は大事に仕舞われていた()()を取り出し、一笑。

 

「この“かざんのおきいし”を置けば、伝説のポケモンが復活するって寸法だな」

 

 大の大人でも抱えるのに一苦労しそうなサイズの石。

 それを片手で持ち上げるクリフは、まじまじと“かざんのおきいし”と称した代物を眺めた。黒光りの中に不思議な真紅の光沢を放つ石だが、何の知識もなければただの石と一蹴してしまいそうな外見である。

 

「大切に取り扱ってくださいよ。ボクがわざわざマグマ団から取り返した物なんですから」

「ああっ、分かってるよ。にしても、こんなものがな……」

「偶然先に回収された時はどうしたものかと思いましたが、向こうがこれの真の価値を知らなかったのが幸いでしたね。フフンッ、やっぱり世の中モノの価値を知らない連中が馬鹿を見るんだ……」

「で、ここに置けばいいのか?」

「そこ!! 勝手に置こうとしない!!」

 

 一人先走り置き石を設置しようとする男へ、アルロが大急ぎで駆け寄る。

 

「はぁ……はぁ……まったく!! ボクが取り返したと言ったでしょう!!」

「別に誰が置いても同じだろう?」

「それを扱う権利はボクにあると言ってるんです!!」

 

 凄まじい剣幕で捲し立てる同僚に苦笑いを浮かべるクリフは、『わかったよ』と置き石を手渡す。

 

「それじゃあ、早いとこさっさとおっ始めてくれ」

「言われなくとも。迅速な任務遂行こそ、ボクのモットーです」

「違いない」

 

 そう言うや、アルロは置き石を部屋の中心に設置する。

 見事なまでに窪みに嵌まる置き石。束の間の静寂の後、彼らの居る部屋は揺れに襲われる。最初は小さなものが、数秒、そして数十秒後には地震と呼んで差し支えのない震動は、この部屋を中心にジャンボマウンテン全体を大きく揺るがす。

 

「……来るか」

 

 手に持った端末を眺めるアルロが呟く。

 すると、

 

───ゴボ、ゴボボ……ゴボッ。

 

 まるで何かが湧き上がるような音が天井から響いてくる。

 その唸り声に導かれて顔を上げれば───居た。

 

「ほう……()()が」

「ええ。蘇りましたよ、伝説のポケモンがね」

 

 暗い洞窟の天井を這いまわる紅い身体。

 やがて地面へ降ってきた巨体は、溶岩の泡を飛ばしながら咆哮を上げる。それだけで周囲の温度が数度上昇したかのような熱波が部屋に満ちていく。

 長居すれば命の危険がある。

 この一瞬だけでそう錯覚させる存在感を前に、アルロの口角は鋭く吊り上がった。

 

「かこうポケモン、ヒードラン!! 伝説として語り継がれるお前を手中に収めることで、ロケット団の戦力は盤石なものとなるでしょう!!」

「ゴゴボッ、ゴボボボボ!!」

「くっくっく!! 抵抗は無駄だ!! なぜなら……」

 

 勝ち誇った風にボールを取り出すアルロ。

 それを見たクリフも察し、一個のボールを取り出した。

 

「───“伝説”は、すでに我々の手に収まっている!!」

 

 開かれるボールから、2体のポケモンが飛び出した。

 

 

 

 その日、休火山とされてたジャンボマウンテンは数百年ぶりの噴火を起こす。

 

 

 

 噴き上がる火山灰の下では、数度の雷鳴が響いていた。

 

*1
観測者を水平なアナログ時計の中心に置き、観測者の正面を「12時方向」とした時、対象が時計の「何時方向」であるかの方位を提示する手法




Tips:コスモスの手持ち
・タイプ:ヌル
 性格:いじっぱり
 特性:シェルアーマー
 技:つばめがえし、ブレイククロー、ねむる、ふういん等
 星の砂浜で出会い、捕獲。スペックはルカリオに匹敵するレベルだが、言う事を聞かない点が玉に瑕。反抗心も強く、当初はトレーナーであるコスモスにも襲い掛かり、その度に他の手持ちから制止を喰らっていた。よくレッドのピカチュウにからかわれ、その度に喧嘩を売っているが、今のところ全敗。それでも尚トレーナーを全面的に信頼するつもりはないが、コスモスに使える道具は使うよう諭され、妥協案として伝えられる技の情報だけは聞くようになった。今のところ、どう動くかやどの技を繰り出すかは自分の意思で決めているものの、ゆくゆくはトレーナーの指示を聞く日が来るかもしれない……。
 爪を活かした物理攻撃を得意とするが、特殊攻撃もある程度扱える為、コスモスはスポンサーの財力に物を言わせて、ジム戦ごとに技マシンなどで技を入れ替えるつもりである。


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№034:プレゼントで喜ぶかは物次第

前回のあらすじ

レッド「アプリとかであるポケモンのタイプを当てるクイズ……どのくらいでクリアできる?」

コスモス「長くて10秒です」

レッド「……そう」


 

 

 

 山。

 それは周囲より高く聳え立つ地形や場所を言い表す言葉だ。一般的に100m標高が高くなるごとに気温が1℃程度下がるとされている。

 標高が高ければ高い程、高所の気温は地上よりも低くなり、一年中雪が覆い被さっていることも珍しくない。

 

 すると当然生息するポケモンは地上とは大きく様変わりする。

 麓から中腹辺りまではいわタイプ等が多く生息しているジャンボマウンテンも、頂上付近ではこおりタイプが観測できるようになる。

 

 主な種類としてニューラやユキカブリ、デリバード、またはその進化形らだ。

 しかし、極々少ない個体数ではあるが、他にジャンボマウンテンに根付いている種も存在している。

 

 例えば───。

 

「モッ……モッ……」

 

 雪原を這う小さなポケモン。

 透き通った氷の簑に覆われる体を引きずった跡は、白い雪原の上に延々と続いている。

 

「モッ……モッ……」

 

 それでも彼は雪を食む。

 雪こそが彼らの主食であり、外敵から身を守る氷の簑の材料となる、まさに必要不可欠な存在であった。

 まさに雪が命というポケモンだが、これも火山活動が止まり休火山となったジャンボマウンテンが、長い年月をかけて形成した環境が呼び込んだ結果である。

 

「モッ……モッ……ュ?」

 

 突然襲い掛かる地響きに、雪を食んでいた口が止まる。

 小さな体を起こしたところで自身より背の高い植物ばかりの森の中では何も見渡せない。

 

「ミ……」

 

 地響きは止まない。

 

「ュ? ……モッ」

 

 止まないから、再び雪を食み始める。

 

「モッ……モッ……」

 

 食み始めた───そんな時だ。

 

 

 

───ドォーン!!!

 

 

 

「ミッ!?」

 

 突如、山頂の方から聞こえる轟音。

 尋常ではない山の異変に身の危険を覚えるや、山のあちこちがざわめき出す。生息している野生のポケモンが一斉に山から下りるように逃げ始めているのだ。

 

「ュ、ミ~~ッ!」

 

 呑気に食事をしようとしていた彼も、ただならぬ雰囲気に山から降りようと駆け出すも───悲しいかな。元の足の遅さはどうにもならない。

 次々に先を越されながら山を降りるポケモン。

 しかしながら、降りた先に餌があるとは夢にも思っていない。

 だが、空を覆い始める火山灰に混じり、あちこちに降り注ぐ噴石の脅威を目の当たりにすれば、今まで平穏な山の姿しか知らない彼らではただただ逃げ惑うことしかできなかった。

 

「デ、デリバ~!」

 

 すると、逃げながらも落ちている物を拾い上げるポケモンが近づいてくる。

 はこびやポケモン、デリバードだ。一日中エサを拾い集める習性のある彼は、このような時でも───否、このような時だからこそ、辺りに散らばっているエサを拾い集めながら下山しているのだろう。

 

 拾い集めるラインナップは山に自生しているきのみやマメ、スナハマダイコン。

 そして、

 

「ュ?」

「デリバ~!」

「ュミ~⁉」

 

 地面を這っていった彼もまた、デリバードの尻尾の中へ詰め込まれる。

 雑食であるデリバード。時にはむしポケモンも食す彼だからこそ、遅々とした歩みで逃げ惑うポケモンもエサとみなしたのだろう。

 

「ミ~~!」

 

 意図せずデリバードに拾われれば、あれよあれよという間に山頂が遠のいていく。

 

 

 

 本来一生を過ごすはずだった故郷。

 その土地に別れを告げる間もなく……。

 

 

 

 ***

 

 

 

『───続報です。先日未明に発生した噴火したジャンボマウンテンについでですが』

 

 

「昨日からこのニュースばかりですね」

「……ね」

 

 ポケモンセンター付属の食堂。

 朝食をとるコスモスとレッドは、二人並んでテレビを眺めていた。

 

「噴火で一時オキノ・スナオカ間の道路は通行禁止……先に到着していたのが幸いでしたね」

 

 情報収集に余念のないコスモスは、今回の噴火での影響も把握済みだ。

 主な影響と言えば、既に口述した道路の通行規制。及び、当面の間ジャンボマウンテンへの入山規制と言ったものだ。

 ほぼほぼ死火山とされていた山の突然の噴火───当然周辺住民の驚きは大きく、ポケモンセンターだけでも聞こえてくる話題はそればかりである。

 

 とはいえ、コスモスからしてみれば今からオキノ方面へ戻る予定もない。

 これと言った影響もないことから、実に穏やかな心持ちで味噌汁を啜るのであった。

 

「ふぅ。朝のお味噌汁は頭が覚めます」

「……大根が入ってるね」

「スナオカ名産、スナハマダイコンらしいです」

「スナハマ……」

「別に砂浜には生えていないようですが」

「……」

 

 レッドの眉間に皺が寄る。

 摘み上げた大根の一かけらを見つめる瞳は、怪訝と言う他ない程に細められていた。

 

「スナハマなのに……」

 

 そう言って一口パクり。

 するや、表情はみるみるうちに綻んでいく。

 

 味はお気に召したようだ。めでたしめでたし。

 

 程なくして朝食を食べ終えた二人は広間に移り、ソファーに腰掛けて食休みを取っていた。

 

「ときに先生」

「うん」

「次に目指す町ですが、カチョウタウンにしようと考えています」

「ジムがあるんだ」

「はい」

 

 スナオカタウン南方に存在する町、そこがカチョウタウンだ。

 コスモスにとって最大の目的であるポケモンジムは勿論のこと、さらに南下してセトー地方へと足を踏み入れる為には無視できない場所である。

 

「近くには有名な湿原もあるみたいですし、色々なポケモンを見られるかもしれませんね」

「それは……無視できないね」

「私も先生のお眼鏡に叶うようなポケモンを見つけられるよう努力します」

 

 純粋に見知らぬポケモンとの出会いを心待ちにするレッドとは対照的に、コスモスは有用なポケモンを手持ちに加えることしか頭にない。

 

「俺の……? 俺は別になんでも……」

「なるほど。先生ほどのトレーナーであればポケモン(得物として)は選ばないと……」

「まあ、ポケモン(観察対象として)ならなんでも」

 

 会話のすれ違いはヒウンシティの人波の如し。平常運転である。

 

 行き先も決まり、食事を済んだ二人はポケモン達の様子を窺う。

 皆朝から溌剌としており、ジム戦で活躍した三体も山盛りのポケモンフーズを口に運んでいる。

 

「あれ」

「どうしました?」

「ポケモンフーズ食べるようになったんだ」

「ああ、ヌルのことですか」

 

 そう言ってコスモスが視線を移せば、フードボウルに盛られていたポケモンフーズを兜の中で貪っていた口が止まる。

 兜の奥からは、人間に対して抱く警戒心がひしひしと感じられるような眼光が輝いていた───と言えば刺々しいが、俗に例えるのであれば不良のメンチを切る行為のそれだ。

 

「あまり見られたくないようです」

「そうみたいだね」

「ですが、しっかり進歩しているようで助かります」

 

 『きのみだけでは食費がかかりますから』と締めくくり、コスモスはヌルから視線を外した。

 そうすればヌルの食事が再び始まる。きのみでなくともしっかりと口にしている事実は、以前と比べれば確実な進歩であろう。

 

 前はと言えば、

 

『いいですか? ポケモンフーズは完全食なんです。きのみよりこっちの方が……』

『ヴルル!』

『食費だってただじゃないですよ。保存できる期間にも限りがあるんですから、生ものよりこっちを───』

『ヴァ!』

『もしかしてご飯に毒が入ってるとでも? まったく馬鹿馬鹿しい……見ていてください。あむっ……もぐっ……ほら、毒なんかヴェッ!!』

 

 わざわざヌルの目の前でポケモンフーズを実食し、危険がないと証明した行為は涙なしには語れまい。

 

(実食して余計にヌルが嫌がってた気もするけど……気のせいだったんだろうなぁ)

 

 涙なしには……語れない。

 

 なにはともあれカプ・レヒレ。

 

 つつがなく朝食を取り終えた一同は、食休みついでにニュースの続きに目を向けていた。地方色が色濃く現れるニュース番組を見るのも旅の醍醐味である。

 しかし、朝のニュース番組で外せないコーナーと言えば星座占いだ。どこの番組にもあるコーナーだが、だからこそ目に付き、いつの間にか日課になっている人も少なくはない。

 

「何座?」

「私ですか? 私は……」

 

『今日最も運勢の良い方は……おめでとうございます、ゼニガメ座の貴方~!』

 

「あ」

「ゼニガメ座ですか?」

「うん」

 

 自分の星座が紹介されたレッドはテレビ画面をじっと見つめる。相も変わらず表情に乏しいものの、心なしかその瞳は期待に溢れているかのように輝いていた。

 肝心の内容はと言えば、

 

『突然の贈り物にハッピーな気分になれるかも!?』

「……だって」

「私、占いには興味がなくて……」

『今日のラッキーポイントは、貰った贈り物をおすそ分けすること! ハッピーな気持ちを共有しましょう!』

 

 早速貰い物をリュックから取り出そうとするレッド。

 それをコスモスは『お構いなく』と制止する。

 

 と、そんなことをしている間にも、

 

『今日の最下位は……ごめんなさ~い! メェークル座の貴方!』

「あ」

「……メェークル座?」

「はい」

『心当たりのない届け物にたじたじ?! 慌てず他人に相談するのが吉かも!? 今日のラッキーポイントはアイスクリーム! 甘い物を食べて落ち着けば、いい案が浮かぶかも!』

 

「「……」」

 

 対極的な占い結果に、二人の視線は自然と合う。

 

「……先生」

「うん」

「アイスクリームを頂く当てはありますか?」

「そこに合理性を求めちゃう?」

 

 当然なことにアイスクリームを貰う予定はない。

 すなわち、本日のコスモスは運勢をひっくり返す当てがなくなった訳だ。

 

「まあ別に気にしていませんので。そもそも星座如きで運勢を判断しようとすること自体が非合理的なんです。『人事を尽くして天命を待つ』という言葉があるように、まずは自分にできる最大限の努力をして一日を過ごすあるべきでして───」

「誰も何も聞いてないよ?」

「お構いなく。自分に言い聞かせているだけですので」

「……そう」

 

 それはそれで怖い。

 

 レッドは心の底から思った。

 現実から目を背けようと窓の外へと目を向ける。今日も今日とていい天気だ。昨日の噴火で火山灰の被害こそ懸念されているが、こうして室内から眺めている分には普段と何ら変わらないように見える。

 

 青い空に白い雲。

 そして、褐色肌に黒いビキニ。

 

「これはこれは。お早いですね、先生さんにコスモスちゃん」

 

 みずぎのおねえさんの ヒマワリが

 しょうぶ(?)を しかけてきた!

 

 そう錯覚させる女性は他でもない、公共の場でもビキニとパーカーという際を攻める霞顔負けなスナオカジムリーダーである。彼女は今、法律に勝負を仕掛けていると言っても過言ではない。

 

「今日は色違いバージョンです」

 

 と、聞かれてもないのに自分のリザードン風ビキニを指して宣うヒマワリに、レッドは思わずたじたじだ。

 しかし、その傍らで眉ひとつ動かさなかったコスモスは淡々と挨拶を返す。

 

「おはようございます、ヒマワリさん。ポケモンセンターには何用で?」

「いやあ、大した用事じゃ……普通にポケモンを回復させに来たんだけれど、ジムよりこっちの方が近かったから」

「というと、何かの帰りなんですか?」

 

 コスモスの問いに、ヒマワリは『そう』と頷く。

 

「昨日の噴火がらみでね。ジャンボマウンテンから逃げてきたポケモンが町の近くまで来てて……警察やポケモンレンジャーも対応してるんだけれど、なにぶん数が多いからジブンの方にも要請が」

「なるほど。それはお疲れ様です」

「お気遣いどうも」

 

 ヒマワリは昨日からの疲れを感じさせない笑顔を浮かべてみせる。

 やはりポケモントレーナーは体が資本。ただ指示を飛ばすだけがトレーナーの仕事ではない。バトルに関することからポケモンの世話に関してまで、こなさなければならないタスクは山ほどある。相応にも体力を要する訳であり、プロになればなるほどポケモントレーナーという職業の過酷を知るのも世の常だ。

 ジムリーダー程にもなれば、とりわけ他人よりもタフでなければならない───そういうワケだ。

 

 そのような事実をそこはかとなく感じさせるヒマワリは、不意にコスモスに向けて頭を下げる。

 

「昨日はすみません。噴火の件もあったとはいえ、ジム戦の総評も伝えられませんでしたね」

「いえ、それについてはやむをえないと言うか……自分でも反省は済んでますし」

「そう?」

 

 じゃあ、とヒマワリと両手を合わせた。

 

「聞きたいこととかは? 何でも答えちゃう♪ 先生さんもご質問があればどうぞ」

「「あっ、じゃあ」」

 

 重なる声の正体はコスモスとレッドの二人だ。

 思わずパッと見つめ合う二人は、互いに沈黙の中で語り合う。『お先にどうぞ』『いえ、そちらこそ』───流れた時間は数秒であれど、交わされたアイコンタクトは数知れず。

 そうして互いに譲り合い、とうとう決着がついた。

 

「「あの」」

 

 また重なった。

 得も言われぬ空気が場に流れる。

 

「……じゃあ、コスモスちゃんから。先生さんはその後で」

「はい」

 

 シュンと肩を竦めるレッドはあっという間に小さくなった。肩身が狭いとはまさにこの状態を指すのだろうが、わざわざソファーの隅っこにまで寄って体育座りする光景はシュール以外の何物でもない。

 

 一抹の申し訳なさを覚えるコスモス。

だが、自分自身気になっている疑問がある以上、先に聞かせてもらえるのであればそれに越したことはないとありがたく感じた。

 

 その質問とはすなわち、

 

「エースバーンについてなんですがよろしいですか?」

「うん、もちろん」

「バトル中、ずっと気になっていた点がありまして……もしかして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 例えばカクレオンの“へんしょく”のような……」

「───!」

 

「それ俺も気になってた」

 

 レッドが超速で帰還し、会話に加わる。

 奇しくもコスモスと質問が同じだったと、わざわざ順番を後に回してもらう必要もなくなったヒマワリは『ちょうどよかった』と胸を撫で下ろす。

 

「鋭いですね、コスモスちゃん……その推察はまさしく正解です」

「というと」

「“リベロ”。それこそがジブンのエースバーンが持っている特性の名前なのです」

 

 今更語るほどでもないが、ポケモンには個体ごとに特性が違うケースが存在する。

 通説では2つ───それが種として持ち得る特性の限界だと考えられていた。

 だがしかし、近年の研究によって極々まれに通常の個体とは異なる特性を持つ個体も確認されてきた。

 

 エースバーンの“リベロ”も、そんな希少な特性の一つだ。

 

「“リベロ”は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。“かえんボール”を繰り出すならほのおに。“とびひざげり”を繰り出すならかくとうに、って感じで」

「だから不思議なタイミングで技の指示を出してたんですね」

「あちゃあ……そう思った? これが中々タイミングがシビアで……」

 

───自分のタイミングでタイプを変えられる。

 

 それだけ聞けば無敵と思える“リベロ”だが、実際はそうではない。

 

 前提として、タイプが変わるタイミングは技を繰り出す直前。それまでは元のタイプか、その直前に繰り出した技のタイプのままだ。

 

 つまり、元とは違うタイプの耐性にも気に掛けなければならない。

 

 『何を当然なことを』と思われるかもしれないが、実戦で考えてみれば、その難しさは大いに理解できよう。

 

 リアルタイムで変化する戦況。

 相手にはターン制ゲームのような猶予を与える道理はない。

 加えて、最初は技構成も不明の中で戦わなければならないのだ。

 

 相手が繰り出す技に一瞬でタイプ相性を導き出さなければならない上、場合によっては相性を捨て置いた選択を取らなければならない。

 基本的にタイプが不変のポケモンに比べると、“リベロ”はバトル中に考えなければならないことが多くなる。

 結論を言えば、その攻防一体の強力な特性という利点の反面、使いこなすにはかなりの反射神経と頭の回転を求められるピーキーな特性なのだ。

 

「───つまり相手のポケモンの周りを飛び回らせる立ち回りは、序盤の様子見と回避を兼ねた行動。遠距離攻撃は相手からの技が来るまでのラグを作る為で、近接攻撃が高火力なのは短期決戦を狙って……と」

「そこまでお見通しなら、ジブンから語ることはありません」

 

 ヒマワリは腕を組んで頷いている。

 特性の詳細を知った途端、語るまでもなく戦法と技構成の理由を察していた。それは当人の中では技構成と立ち回りに意味を見出していたことになる。

 

「それでこそエースバーンをあてがった甲斐がある。差し上げたデューンバッジも一段と輝いて見えます」

 

 言われるや、コスモスは懐にしまったバッジケースの中身を思い出した。

 受け取った3つ目のバッジ───内に灼熱を秘めた砂丘をモチーフにしたデューンバッジは、確かにそこに収められている。

 

 瞼を閉じれば、鮮明に当時のジム戦を思い出せる。

 それほどまでに脳裏に焼き付いた激戦の印象は強い。変幻自在にタイプが変化する相手にする経験など、早々巡り合えるものではない。

 今後も自身にバトルの糧となるであろうと確信するコスモスは、獲得したバッジの重みを感じつつ、『その節はお世話になりました』とヒマワリへ頭を下げる。

 

「───でも、次はあそこまで苦戦するつもりはありませんので」

「こっちこそ」

 

 正面からの宣戦布告にもヒマワリは一切動じない。

 

「次にバトルする機会があるとするならポケモンリーグ本戦? まだ先の話だけれど、楽しみに待ってる」

「ジムリーダーもリーグに出るんですね」

「そ。ホウジョウとセトー、両方のリーダーが4名ずつ出場する。そのほかに予選を勝ち抜いたチャレンジャー8人も合わせて、合計16人で栄えある初代チャンピオンを争う……」

 

 当然、ジムリーダー側はジム戦のように手加減はしない。

 正真正銘のガチンコ勝負だ。各々の育成、戦略、そしてポケモンとの絆がものを言う、まさしくポケモンバトルの最高峰。

 

「その為にはまずバッジを8つ集めるところから。……でも、コスモスちゃんなら心配ないか」

 

 ヒマワリは踵を返し、本来の目的に向かって進む。

 振り返りはしない。それは少女がいずれ自身の目の前に現れると確信している───そう言わんばかりの後姿だった。

 

「ヒマワリさん……」

「ふふっ、楽しみにしてる」

「ちなみになんですけれど」

「うん?」

「お金を差し上げるのでアイスクリームを先生に買って頂くことは可能でしょうか?」

 

 ヒマワリは爆速で振り返った。

 

 

 

 ***

 

 

 

 テン テン テテテン♪

 

 

 

「おまちどおさま! お預かりしたポケモンは皆元気になりました! またいつでもご利用くださいませ!」

 

 いつも通りという安心感がポケモンセンターにはある。

 ジョーイからポケモンを受け取ったヒマワリは、帰路につく足で自販機へと向かった。小銭を入れてからラインナップを確かめたヒマワリは、疲れた頭をリフレッシュさせる()()を求めていた。

 

「サイコソーダ、サイコソーダっと……」

「───俺様のおすすめはこっちのエナドリ」

「あっ」

 

 突如、横から現れた手にボタンを押される。

 取り出し口からは無情にもジュースが落下する音が鳴り響く。透明なカバー越しに確認しても、出てきたジュースがサイコソーダではないことは明白であった。

 

「あ、あぁ……!」

「最近新発売された奴なんだけど中々うまいよ、それ」

「なんたる非道……許されざる所業……後でキュウコンの尻尾を掴ませる……!」

「末代ってレベルじゃねーぞ」

 

 それほどまでにサイコソーダの恨みは深かった。

 

「まあ、たまにはいいけど……で、何の用? アップル」

「いやー、実は気になっちゃってさー」

 

 カルストジムリーダー・アップルはそう口にした。

 本来セトー地方にジムを構える彼だ。普段顔を合わす機会は皆無に等しく、それでいて先日の招集で顔を合わせたばかり。彼が自身の下を訪れる理由が思い当たらないヒマワリは、お手上げとジェスチャーしてから買わされたエナジードリンクを一口煽る。

 

 すると、

 

「───『ジム戦』って言えば?」

「……誰か気になる子でも?」

「招集された時。ピタヤに話してたろ?」

 

 なるほど、とヒマワリはもう一口煽る。

 

「ジブンだけが目をつけようと思っていたのに……」

「俺様、こう見えても公式記録のジム戦は全部目ェ通すクチでさ」

「はぁ……じゃあ秘密のままにはできないか」

「そらそうよ。ピカピカ光る原石見逃すようじゃジムリーダー務まらないっしょ」

 

 得意げに語るアップルは、徐に懐からスマホロトムを取り出す。

 画面には昨日アップロードされたばかりのバトルレコード───ヒマワリとコスモスのジム戦が映し出されていた。

 

「コスモスだっけ? ジョウトから来たトレーナーで、公式戦の主な成績は地方のジュニア大会で何度か優勝。すでにスポンサーもついてて将来の活躍を望まれてる有望株ってワケだ」

「へぇ、道理で」

「感想としちゃあ、流石は新人よりしっかりしてる。ジョウトから来た中じゃ、シルバーってのと並んで今年の注目株の一人だ」

「それでわざわざここに?」

「実物は一目見ないとな。ついでに直接バトルした感想聞こうと思って」

 

 端末を操作するアップルは見たこともないアプリを起動する。

 次の瞬間、コスモスの顔写真つきのページが開かれると同時に、画面を埋め尽くす文字が現れるではないか。

 一見すると分からないが、内容を追ってみればコスモスに関する情報だと理解できる。

 すなわちこれはアップル自身が作成したトレーナーのデータということになるだろう。ページにはご丁寧に該当トレーナーのバトルレコードへのリンクも貼り付けてある。

 

「対戦相手の戦法を事前に調べて対抗策を用意。初見の相手にもあの手この手で対抗策を打ち出して、相手の情報を吐き出させる……データ主義としちゃ優秀なトレーナーだ」

「まるで()()()()()()()

 

 ため息交じりに言い放たれたヒマワリの言葉に、数拍間を置いたアップルは、はっ、と噴き出した。

 毎晩趣味に勤しんでできた隈は、新たな獲物を見つけた証拠に他ならない。昨晩はきっと彼だけで視聴回数を大いに伸ばしたことであろう。

 

(厄介な人に目をつけられましたね、コスモスちゃん)

 

 心の中で一人の少女にお悔やみ申し上げるヒマワリ。

 しかし、その口元もどこか愉快そうに吊り上がっていた。

 

「───俺様としちゃ、一番気になるのは手持ちだな」

 

 流れで出た話題に、ほう、とヒマワリは相槌を打つ。

 

「あのヌルってポケモンは見たことがない……いや、ホントあれなに?」

「知らない。遠い地方のポケモンなんじゃ?」

「バトルレコード見た感じじゃノーマルタイプっぽいが、全通り検証しなきゃ気が済まない……ああ、じれったい! 今すぐにでも全部試さなきゃ気が済まない! ってか、なんでもっと色んなタイプぶつけなかった!?」

「無理言わないで」

 

 公式戦で実験染みた真似をできるはずもない。ヒマワリはそう反論する。

 しかし、それでもどかしさが収まるアップルではない。すでに今から自分の下に挑戦に来た時をシミュレートし、ああでもないこうでもないとブツブツ呟き始める。

 その姿は傍から見れば不審者でしかなく、冷めた視線を送るヒマワリはやれやれと口を開いた。

 

「でも、次に挑むとしたら……」

「───それだ。確かあいつんとこゲッコウガ居たよな?」

「特性まで()()かは保証しないけど」

 

 『キタコレ』とアップルは上機嫌に指を鳴らす。

 

「じゃあ、あのホープトレーナーのジム挑戦待ちか。にしても……」

「どうかした?」

「今年のジム巡り、あいつのとこ突破できるトレーナー居るの?」

「あー……」

 

 何とも言えぬ反応を見せるヒマワリは、辛うじて答える。

 

「誰にも突破させなさそうと言えばなさそうだけど、誰にも突破させそうと言えばさせそう……」

「どっちもあり得そうなのが怖い」

「下手に実力がある分ね」

 

 うんうんと二人は頷く。

 彼らの脳裏に過るのは、かつて開かれたジムリーダー選抜試験の光景。数多くのトレーナーと鎬を削り、ジムリーダーという立場を勝ち取った彼らであるが、その中でも力の序列というものはある。

 

 当然、一概に誰が最強と決められる訳でもない。

 だがしかし、バトルをこなせばこなす程に結果は現れる。

 

 それは特徴であり、戦法であり、勝率であり───。

 

「爆発力ならピタヤ。堅実性ならリックさん。ヒマワリは晴れてる時のバ火力」

「『バ』は余計」

「じゃあ晴れてる時のクソ火力」

「ねえ、どんな気持ちだった? “ひでり”のコータス倒した後“ひでり”のキュウコン出てきた時、どんな気持ちだった?」

「頭ン中“にほんばれ”かと思った」

 

 当人の苦い思い出はさておき。

 

「───勝率だけ挙げるならキュウ……つまり、カキョウジムがホウジョウ地方最強だ」

「……まあ、否定はしない」

「今年のジムチャレンジャーがふるいに掛けられるとすればあそこだ」

 

 個人の所感、というレベルの話ではない。

 公式、有志、そしてアップル独自で収集したデータを基に算出した結果だ。

 

「半端な情報で挑もうもんなら確実に痛い目見る。ひゃー、チャレンジャーかわいそう」

「まあ、結局リーグでぶつかるんなら……」

 

 地方によっては挑戦するジムに順番があるが、ホウジョウ地方とセトー地方はその限りではない。

 手持ちが揃うなり育ってから挑戦するのも一つの“道”である。

 

 極論、ジムで勝てないならジムリーダーも参戦するポケモンリーグで勝てる由はない───延いては、チャンピオンの座に輝く可能性は0に等しい。

 

 ならば、登竜門的なジムの1つや2つ存在してもいいのではないか?

 これがジムリーダーとしてのヒマワリの所感だった。

 

 そこへアップルは投げつける。

 

「───ぶっちゃけ勝算は?」

「……エースバーンとの経験(バトル)がある以上、()()()()()が来ても十分勝てる。けど、」

「けど?」

 

 もったいぶったように間を置いた彼女は、こう断言する。

 

 

 

「あの子は使う側に回った方が───化ける」

 

 

 

 その声色は弾んでいた。

 ポケモンバトルにおいて、恐怖と好奇は紙一重だ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「そう言えば」

 

 スナオカタウンの通り。

 露店で買ったアイスを頬張っていたレッドとコスモスであったが、思い出したようにレッドが声を上げた。

 

「なんでしょう、先生?」

「あの赤い人達」

「マグマ団ですか?」

「そう、それ」

 

 赤い人なら目の前に居るが、赤い人()と表現された以上、出てくる答えはマグマ団しか居ないであろう。

 

「マグマ団がどうかしたんですか?」

「ほら、何かお礼くれるって言ってたから……」

「ああ、そのことですか」

「……何貰った?」

 

 他人の貰い物が気になってしまうのが人の性というもの。

 それも“人助けの”とつけば、否応なしに期待してしまうものだろう。

 

 物によっては言いづらい場合もあるが、コスモスは『それにつきましては』と一切躊躇う様子を見せず───。

 

「スポンサーになってもらいました」

「……うん?」

「いえ、なのでスポンサーに……」

「スポンサー……」

「あ、スポンサー料の方ですか? それでしたら1年契約で、」

「いや、そこは大丈夫」

 

 やや食い気味に制止をかけたレッドに、コスモスは『そうですか』とあっさり話を止め、今日のラッキーアイテムであるアイスクリームを口にする。フレーバーはベリーのみだ。

 

(スポンサー……スポンサー?)

 

 頭の中で『スポンサー』の単語が堂々巡りするレッド。

 しかし、脳内再生されるのはテレビコマーシャルに入る直前に聞こえてくる『ゴランノスポンサー』というナレーションばかり。

 

 広告主といった意味はこれっぽっちのバニプッチも浮かんではこなかった。

 

(先生の反応が芳しくない。もしや、スポンサーにあまり良い印象を持たれてない……?)

 

 一方、レッドの考え込んでいる雰囲気をひしひしと感じるコスモスもまた、やってしまったのではないかとマツブサとのやり取りを思い返す。

 

 

 

『───スポンサーだと?』

『はい。同じ金額なら、金一封よりもそちらの方が嬉しいです。そちら(マグマ団)としても宣伝になって双方にメリットがあると思います』

『フム……。だが』

『勿論、継続して契約しろとは言いません。まずは同額で一年単位の契約で。その後も継続すると仰るのであれば、そのまま続けてくださると助かります』

『自分で言うのもなんだが、我々の会社の印象は良いものではない……それでもいいのか?』

『でしたら、ちょうどよかったです』

『なんだと?』

()()()()()()()()、更生を世間に知ら占めるのであればこれ以上ない組み合わせかと』

『……成程。よく分かった───実に面白い。いいだろう、交渉成立だ』

『今後、良きパートナーとしてどうぞよろしく』

『こちらこそ』

 

 

 

 等と、自身の境遇を利用して契約に漕ぎつけた。

 ちなみにコスモスに更生するつもりはない。完全に口から出まかせである。

 しかし、ポケモントレーナーとしてポケモンを育成していく以上、金銭の工面は切実な悩みであるのだ。元々のスポンサーがある程度出してくれているとはいえ、使える金銭が多いに越したことはない。技マシンに道具、エサ等々……購入したい物を挙げればキリがない。

 

(しかし、それをあまりよろしく思わないとは……もしや先生は完全なる無頼派?)

 

 世の中にはスポンサーなどつけず、ファイトマネーだけで生計を立てているトレーナーが居るとされるが、そのようなことができるのは真に実力のある極々一部のみだ。

 だが、ポケモントレーナーはスポーツに似た競技。しかも、金銭が設備だけでなく手持ちのポケモン───最低6体───に費やされるのだから、競技者として生計を立てるには、多くのスポンサーを獲得することが現実的なのだ。

 

「やっぱりスポンサーよりも金一封の方が……」

「ゴランノスポンサーの提供で……」

 

 完全に思案モードに入る二人。

 その間、溶けて滴るアイスをピカチュウが舐めとり、それをルカリオが白い目で眺めていた。

 

 やがて、アイスの表面が熱で蕩け切った頃だった。

 

「デリバ、デリバ!」

「「うん?」」

 

 前方から聞こえてくる声に意識を引き戻される。

 視線を遣れば、前方から紅白の鳥ポケモンが道行く住民に色々差し出しているではないか。

 

「あのポケモン……」

「デリバードですね。昨日の噴火で逃げてきたんでしょうか?」

「へぇ……」

 

「デリバ!」

 

「うん?」

 

 忙しないデリバードとは真逆に呑気を込めこんでいたレッドだが、突然近寄ってきたデリバードから贈り物をもらう。

 

 その代物にレッドは目を見開いた。

 

「……あの……これ……」

「とけないこおりですね。ポケモンに持たせるとこおりタイプの技の威力が上がります」

「いや……氷……なんで?」

「デリバードは蓄えたエサなどを人にプレゼントする習性がありますね」

「……あぁ……これはどうも」

 

「デリバ!」

 

 お礼を言えば、デリバードは屈託のない笑顔を返してくれる。

 こんなにもカワイイ笑顔を見れば、突然氷を渡された衝撃などどこへやら。薄氷のように薄い笑顔を以てレッドは応えてみせた。

 するや、今度はコスモスの前に立つデリバード。彼は尾を丸めて作った袋の中身を漁り始める。

 

「今度は私に?」

「何貰えるかな」

「実用性があるならなんでも……」

 

「デリバッ!」

 

「あ、どうも」

 

 差し出された白い物体を手にするコスモス。

 その瞬間、

 

───モニュ。

 

「モニュ?」

 

 何とも言えない感触が指先に伝わってきた。

 

 なんだこれは?

 冷たい。でも、雪や氷にしては弾力もあるしスベスベしている。

 そしてこのモチモチ感は、まるでアイス大福のような───。

 

「ユキュウ……」

「うん?」

 

 突然、手に持った白い物体から音が鳴った。

 よくよく目を凝らす。一見雪と氷が合わさったような物体は、柔らかな白い身体と氷の簑であった。

 

 そして手前の方に打たれた二つの点は、こちらを覗き込む円らな瞳であり、

 

「あ……これポケモン?」

「……」

「虫ポケモンかな……キャタピーみたいでカワ───」

 

 

 

「~~~~~ッッッ!!!」

 

 

 

 後に、レッドはこう語った。

 

『……いきなり瀕死の虫ポケモン渡されたら、女の子じゃなくても驚くよね』

 

 ちなみにデリバードの餌には、虫ポケモンも該当する。

 

 

 

 




Tips:ジャンボマウンテン②
 遥か昔は山に棲みついていた伝説のポケモンにより活火山であるが、度重なる噴火によって立ち上がった人間とウルガモスの手によって伝説のポケモンは封印され、休火山となったと言い伝えられている。
 以降、山の天辺には雪が降り積もるようにもなり、活火山時代とは大きく変わった生態系を築くようになった。
 代表的なポケモンとしてはユキカブリやニューラといった寒冷地帯に棲むポケモンであり、時折山の麓に現れては地方のニュースに取り上げられたりする。
 そして極々限られた高地には雪を主食にする虫ポケモンも生息しているとされているが、山から去ったウルガモスとは打って変わって純白の身体を持ったポケモンとされ、目撃例は数えるほどしかないという。


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4:我らを呼んでる声がする
№035:フィーリング・ポケモン・ネーミング


前回のあらすじ

コスモス「その頃ヒードランは」

レッド「天井に十字の鉤爪を喰い込ませて……」

ヒードラン「ごぼ ごぼぼ!」


 

「もっ……もっ……もっ……」

 

 山のように積もったポケモンフーズが減っていく。これほどまでに食欲旺盛なポケモンは、未だかつてコスモスの手持ちに存在したことはなかった。

 

「……食費」

「ユ?」

「いいんですよ、これも必要経費……」

 

 怪訝そうに向けられるつぶらな瞳だったが、尻すぼみになっていくコスモスの言葉を受け、小っちゃい白い生物は食事を進める。

 特に良い子にしていた訳でもなく、聖夜でもない日中に手渡された謎のプレゼント。

 その正体は紛れもなくポケモンであった。

 

「『ユキハミ、いもむしポケモン。地面に積もった雪を食べる。たくさん食べれば食べるほど、背中の棘は立派に育つ』……と。むし・こおりタイプとは中々珍しいですね」

「……キャタピーみたい」

 

 図鑑を確認する少女の傍ら、観察していたユキハミのほっぺをレッドが指でつつく。感触はさながら大福のようだ。モチモチとして弾力がある。甲殻の発達していない幼虫だからこその感触は中々に癖になるものだった。

 

「ずっと触っていられる……」

「ユ?」

「……それはオレの指。エサじゃないだだだだっ」

 

 指に吸い付かれたレッドから控えめな悲鳴が上がる。

 やれやれ仕方のない奴だ……、と歩み出るピカチュウがユキハミを掴んだ。が、いくら引っ張ってもユキハミは外れない。ともすれば狂気的にも見えるつぶらな瞳に見据えられたまま、レッドの指はちゅうちゅう吸い続けられる。

 

「どうしよう外れない」

「先生」

「あ、何かいい方法でも……」

「この子は進化したら『きゅうけつ』を覚えられるみたいです」

「待って」

 

 そういう情報は聞きたくなかった。

 サァッ……、と顔が青ざめていくレッド。けして血を吸われているからではない。

 

「ピカチュウ助けて」

「ピィッ……カッ!!?」

「目゛っ」

 

 ツルーン、ドグシャ!! と、氷の棘がレッドの眼球に突き刺さった。ピカチュウの手が滑り、勢いよく解き放たれた様相は『ロケットずつき』そのもの。

 余りにも鮮烈な事故現場を目撃し、真顔であったコスモスも瞠目した。

 

「先生!」

「シロガネ山に引きこも……山籠もりしていなかったら危なかった」

「先生!」

 

 しかし、無駄に山籠もりで得た耐久力が功を奏したようだ。

 この程度霰のスリップダメージにも及ばないと言わんばかりのレッドに、コスモスも終には感嘆の声を漏らしていた。

 

(なるほど。あえて自分の身を悪天候の環境下に置くことで、いざ実戦で視界が悪い中でも戦況を把握できるよう目を鍛えているという訳ですね。流石は先生です)

 

 勝手に合理的に解釈して尊敬を募らせる。これを彼女の美点と捉えるべきか、唯一心の声を読み取れるルカリオの悩みは尽きない。

 

 閑話休題(それはともかくソルロック)

 

 山盛りだったポケモンフーズを食べ終え、ご満悦のユキハミが穏やかな寝息を立て始める。ほぼほぼ初対面な者たちの中心で堂々眠りに入るとは中々に図太い性格だ。

 そんなユキハミへ、コスモスが雑にモンスターボールを投げる。

 弧を描いたボールはコツン、とユキハミに命中し、ほとんど揺れることなく捕獲完了の合図を出した。

 

「手持ちに?」

「はい。むしタイプは早熟ですので。手持ちの層を厚くするにはもってこいです」

 

 それに現在の手持ちにはむしとこおり、どちらのタイプも在籍していない。

 タイプエキスパートでもない限り、手持ちのタイプをバランスよく散らばせるのはパーティ構築として無難だ。

 

(活躍させるとしたらユウナギジムですかね)

 

 目標は二つ先に見据えているジム。くさタイプを扱う場所だ。

 それまでになんとか十分に育てておかねばと脳内で予定を組む。何せむしタイプのポケモンは早熟でこそあるが、成虫に至っていない段階では戦力として不安が残る。

 

(まあ、鍛えるのは後にするとして)

 

 昼食ついでの休憩を終え、コスモスは眼前に広がる光景を見渡す。

 あちこちに存在する池を囲む鮮やかな緑色。それは一見草むらに見えるが、実際に近づいてみれば別物であると分かる。

 水面の動きに合わせて波打つ緑色、それらは水草であった。

 

「湿原なんて初めて来た」

「先生の出身はカントーでしたね。確かに向こうじゃ湿原なんて見かけませんか」

「サファリゾーンともまた違うし……」

「セキチクサファリゾーンより、ノモセの大湿原に近いですね」

 

 辺りを一瞥すれば、野生のウパーやハスボーが悠々と水場の近くで戯れている。

 そこへ草むらから飛び出したアーボが大口を開ける。が、池の中からのそのそと這い出てきたヌオーの『マッドショット』で返り討ちに遭う。

 

 愉快な自然の風景が望める、ここはその名も『コイノクチ湿原』。

 周囲の土地との高低差により、まるでコイキングの口が生えている───『鯉の口』のような盆地であることが由来だ。

 映える緑を証拠に、盆地には周囲の山から流れ込んでくる栄養豊富な水と肥沃な泥のおかげで多種多様な生態系が育まれている。

 

「『主に生息しているポケモンはみず、くさ、じめんタイプが多い』、と」

「どれどれ」

 

 掌で(ひさし)を作ったレッドは、ぐるりと周囲を見渡した。

 確かにニョロモやマダツボミが散見できる辺り、みずやくさタイプは多いのだろう。

 

「……スナオカジムに挑む前に来れば良かった?」

「まあ、私たちの順路的に仕方ない部分です」

 

 時計回りでなく反時計回りにジムを巡っていれば、ジムリーダーに有利なタイプのポケモンを捕まえられたかもしれないが、後のお祭りオドリドリである。

 

「それもそっか」

「先生もご経験が?」

「最初にもらったポケモンがヒトカゲ(ほのおタイプ)だったのに、最初のジム二つがいわタイプとみずタイプだった」

「……それを先生は、」

「頑張って勝った」

 

 流石は先生です、と今日も今日とて株はストップ高だ。

 

「話は戻るけど何か捕まえたりする予定とかは?」

「目ぼしいポケモンが居たらですね」

 

 チラッとコスモスが目を遣った先ではマリルとマリルリが腹を叩いている。

 

「見て、マリルとマリルリが踊ってるよ。カワイイね」

「あっ、ウツボットが」

 

『ツボォォォオオ!!』

『ルリィィイイイ!!』

『ツボァ!?』

 

 残念、獲物のマリルリは『ちからもち』だった。

 『はらだいこ』を積んでパワー全開になったマリルリの『アクアジェット』を喰らい、ウツボットは溶解液を撒き散らしながら遠くの水溜まりへと吹っ飛んでいく。

 

「マリルリ……悪くありませんね」

「ルリ!?」

「あっ」

 

 コスモスがボールを構えた途端、悪寒を覚えたマリルリが水中へ飛び込み逃げていく。つられるように近場に居たマリルやウパー達も姿を消す。

 

「くっ。まんまと逃げられた」

「またチャンスはあるよ」

「そうだといいですが……ん?」

 

 今度は別方向から喧噪が聞こえてくる。

 そこでは大柄なカエルポケモンが二体殴り合っていた。

 

「ニョロボンと……ゲロノウミが居る」

「ガマゲロゲですね」

 

 イッシュ方面に居るポケモンです、と即座に補足がついた。

 どうやらフィーリングでポケモンの名前を言い当てるのは至難の業のようだ。

 

「ゲロゲロゲロ!!」

 

 結果、オーディエンスだった野生のニョロトノに指を差されて大声で笑われた。

 常時真顔のレッドであるが、この時ばかりは僅かに唇を噛んだ。

 

───なんだろう、この敗北感。

 

 いつの間にかレッドは拳を握りしめ、震えていた。

 

「あのニョロトノ、カチョウジムのデモンストレーションにちょうど良さそうですね」

「待って」

「止めないでください先生。これはただのポケモンバトルです」

「じゃあ手持ち全員出そうとするのやめたげて。リンチになるから」

「『ふくろだたき』のわざマシンなら持ってます」

「あれそういう技じゃないから」

 

 が、今にも砕け散りそうな勢いでボールを握りしめるコスモスに、敗北感は遥か彼方へと消えていった。

 

「野生のニョロトノ風情が……先生を指差して笑うなんて10000光年早い……!」

「ニョロトノも悪気はない……はず。それに光年は時間じゃない、距離だ」

「理解しました。あのニョロトノが先生に遠く及ばないという事実を叩き込んでやればいいんですね」

「うん、違う。なんでそんなに今日血の気が多いの?」

 

 普段より3割増しで好戦的だ。きっと虫の居所が悪いのだろう。

そんな彼女を宥めるべく取り出した最終兵器は───ユキハミだ。未だ食後のお昼寝中ではあるが、背ひんやり冷たい氷の簑を持つユキハミをコスモスの頭の上にそっと置く。

 すると時間が経つにつれ頭が冷えてきたのか、やや荒々しかったコスモスの息遣いが落ち着いてくる。

 

「……見苦しいところをお見せしてしまいました」

「ほっ」

「すみません。尊敬している人を馬鹿にされるのはどうにも我慢ならなくて」

「それ自体は嬉しいけども」

 

さもなければ、いつかユキハミが丸裸にされてしまいそうだ。

 現に暑さで寝苦しそうにするユキハミが、コスモスの頭の上でもぞもぞ蠢いている。その都度コスモスの首は不安定に前後するが、それも致し方のないことだ。ユキハミの体重はおよそ3.8㎏。2リットルペットボトルより重い物体を頭に乗せて歩くなど、マダツボミのような身体の少女には不可能である。

 

 首を痛める前にさっさとユキハミをボールに戻し、コスモスは改めて物色を開始した。なんだかんだと言ったところでみずタイプは汎用性の高いタイプだ。一体ぐらい手持ちに組み込んで損はない。

 

「いいポケモンは居ないですかね……」

「あ。見て、あそこにもポケモンが居る」

「本当ですか?」

 

 シュバッ! と言われるがままレッドの指差す方角を凝視する。が、そこに居たのは水面を滑る四本足の虫ポケモン。

 

「……アメタマですか」

「あれアメタマって言うの?」

「はい。確かにアメタマはみずタイプですけど、進化してアメモースになるとむし・ひこうタイプになるので」

「え。あんなにカエルっぽい見た目なのに?」

「おや?」

 

 二人の間に認識の齟齬が生まれる。その瞬間にメガネ(勉強する時用)を取り出したコスモスは、再度レッドが指差した方向を見遣った。

 視線はアメタマを超え、さらに遠くへ向けられる。

 ジッと遠くに焦点を合わせれば……かすかに()()が見えた。しかし、それをカエルポケモンと断定できるほど輪郭は浮かび上がってこない。そもそもあれはポケモンなのか? ただのゴミという可能性も否めない。

 

「それは水色ですか?」

「うん」

「カエルの形ですか?」

「うん」

「それはニョロモのような幼体の形ではないという意味ですか?」

「うん」

 

 まるでカメテテのスープのような問答であったが、おかげで正体が絞り込めてきた。

 

「水色のカエルポケモンとなるとケロマツ辺りになりますけど、この辺に野生が生息してたんですね」

「どんなポケモン?」

「忍者っぽいカエルです」

 

 キョウ辺りが好きそうなポケモンだ、とレッドが思ったその時。

 

───ごぽ、ごぽごぽ、ごぽぽ。

 

 粘着質な泡が沼から湧き上がる、そんな音だった。

 咄嗟に二人が振り返れば、背の高い草むらが不気味に揺れている。やがて草むらを掻き分けて現れたのは、頬袋を膨らませるこれまたカエルのポケモンであった。

 ニョロボンのように精悍でもなければ、ニョロトノのように愛嬌のある顔つきでもない。どちらかと言えばガマゲロゲに近いガラの悪い面構えであった。

 

「グレッグルですね」

「ごぽごぽ言ってる」

「頬袋を膨らませて鳴くのは、テリトリーへの侵入者に対する威嚇ですね。あの頬袋の中に毒液を溜めてるはずです」

「どくタイプ?」

「はい」

 

 キョウ辺りが好きそうなポケモンだ(2回目)、と思ったレッドがピカチュウに目配せする。すれば、出番が来たかとピカチュウは首に手を添え、ポキポキ鳴らしながら前へと歩み出た。

 

 しかし、その勇み足も不意に止まった。

 次々に揺れる草むら。同時に粘着質な泡の音。耳を澄ませれば四方八方から聞こえてくる立体音響染みた不協和音に、レッドとコスモスは眉を顰めた。

 

「……囲まれてますね」

 

 おかれた状況ほど焦った様子が窺えないコスモスは、次々に姿を現れたグレッグルが群れであることを確認した。

 数は優に十を超える。一人で旅をしているトレーナーならば驚異的な数だ。

 

「ピカチュウ行ける?」

「ピッ」

 

 ピカチュウは呆れたように鼻を鳴らした。この程度何ともないとでも言わんばかりのふてぶてしさだ。

 

「じゃあお願い」

「いえ、先生の手を煩わせるまでもありません。ここは経験値稼ぎに私が、」

 

 言いかけたところで全員の動きが止まった。

 まるで時が止まったような状況。だが、その静寂がより不自然に鳴り響く地響きを際立たせるに至った。

 全員の視線は自然と水辺の方を向く。直感的にそちらが震源だと悟ったからだ。

 今も尚轟く地響きに、水辺に佇んでいた野生のポケモンたちは草むらや水中へ飛び込むなりして身を隠す。それはこれから訪れる脅威を知っているかのような振る舞いであった。

 

 次の瞬間、脅威は水鏡を割って現れる。

 突如として不自然に盛り上がる水面。直後、空に向かって突き上がった水柱は、重力に逆らう水のヴェールを巨体の身動ぎで振り払い、中に潜んでいた凶悪な正体を晒すに至った。

 

「ギャアアア!!!」

 

 今度こそ湿原一帯を震え上がらせる咆哮が、諍いを始めようとしていた者たちの身に叩きつけられた。

 これにはグレッグルも身を翻し、我先にと尻尾を巻いて逃げ始める。

 一方、二人のトレーナーは頭上から降り注ぐ水飛沫に普段よりジト目を二割増しで細めることで対処しつつ、聳え立つ青い巨塔を見上げていた。

 

 威圧感満載の強面。

“竜”と呼ぶよりは“龍”に相応しい長い体躯。

遺伝子レベルで狂暴とされ、一度怒り狂えば辺り一帯を焼け野原にするとされている。

 

 そのポケモンの名は、

 

「ギャラドスですね」

「わあ」

 

 緊張感もへったくれもない反応だった。新人トレーナーが遭遇すれば腰を抜かして失禁しかねない危機的状況にも関わらず、二人の反応はあっさり過ぎた。あっさりうすしおコジオ味である。

 

「こんなとこにも生息してるんだ」

()()ノクチ湿原ですからね。コイキングの進化形が居たとしても不自然ではないかと」

「それもそっか」

 

 基本どのような水質でも生きていける程にしぶといコイキングだ。自然界でギャラドスまで至れる個体数こそ少ないが、生息している以上可能性はある。

 

 しかし、それにしても大きかった。

 

「10メートル以上ありそうですね」

「それって大きいの?」

「平均が6.5メートルなので」

 

 現在水中から出ている部分だけでも5メートルは超えている。つまり、水中に隠れている胴体も含めれば平均サイズなど優に超える巨体だ。

 

「……よし、決まり」

 

 コスモスは空のモンスターボールを手に取る。

 ギャラドスはかのセキエイリーグチャンピオン・ワタルや、各地方のジムリーダーも手持ちに持っているケースも多いポケモンだ。その実績から実力は裏打ちされているだろう。手綱を握るまでが大変ではあるが、従えた時の有能さや懐柔させている事実そのものがトレーナーとしてのステータス足り得る。

 

「先生、あのギャラドスは私がゲットします」

「そう?」

 

 頑張ってね、とレッドは快く送り出す。

 が、それは裏を返せば戦う気満々であったピカチュウの出番がなくなることを意味する。

 

「ピァ~~カァ~~!」

 

 そんなことってあるかよ!

そう言わんばかりに喚くピカチュウであったが、両手を万歳させられるように引き摺られていくピカチュウは間もなくコスモスの視界からフェードアウトしていった。

 

「さて」

「グルル……」

「無差別に襲い掛からないだけの理性はあるみたいですね」

 

 未だ目の前の存在を威嚇するだけに留まっているギャラドスに、コスモスは好感触を覚えた。基本的に狂暴なギャラドスは、自身の縄張りに侵入者が近づこうものなら問答無用で『はかいこうせん』だ。それをしないだけでも目の前のギャラドスが理性的であると断ずるに値する。

 

「ますます欲しいですね。ルカリオ、バトルスタンバイ」

「グル……」

「ルカリオ?」

 

 バトルを始めようとしたところで出鼻を挫かれる。

 普段はあんなにも忠実なルカリオが、コスモスの指示に反してまったく別の方に体を向けていた。何かを警戒しているようだ。

 怪訝そうにコスモスが目を細めた、次の瞬間。

 がさがさがさ! と草むらが大きく揺れ、四足歩行のシルエットが三つほど浮かび上がった。

 

「バウッ、バウバウ!!」

「アォーン!!」

「ギャン!! ギャン!!」

 

 飛び出したシルエットはちょうどコスモスたちとギャラドスの間に割って入り、聳え立つ青い巨塔に向かって臆せず吠え立てる。

 

「グル……」

「あ、」

 

 すると、大して争う間もなくギャラドスが水中へと戻っていった。

 波打つ水面が落ち着きを取り戻せば、圧巻の巨体はどこへやら。暗い水底を覗き込んだところで、一切の痕跡もなくなっていった。

 放心の余りあんぐり口を開けるコスモスは、ギャラドスを追い払った黒い毛並みを持つポケモンへと目を向ける。

 

「……おのれ、グラエナ」

 

 静かな口調に怒りを滲ませながら、一仕事終えたと言わんばかりの諸悪の根源を睨みつける。

 かみつきポケモン、グラエナ。ポチエナの進化形であり、群れで狩りを行う統率力に優れたポケモンだ。野生で遭遇した場合は囲まれる前に逃げるべきポケモンであるが……。

 

「よくも私のギャラドスを……!」

 

 コスモスとしてターゲットを追い払われた怒りが真っ先に来た。

 逃した魚……もとい、ギャラドスは大きかった。あれほどの獲物を捕まえられる機会は早々訪れない。それを野生のポケモンに横槍を入れられてゲットできなかったとなれば、拳を握る理由としては十分だった。

 

「ルカリオ、GO!」

「ワフッ……」

「……ルカリオ? GO! 『はどうだん』!」

 

 鼻息を荒げる主人をルカリオはどうどうと宥める。

 一方グラエナの下へ歩み寄るレッドは徐に手を差し出した。普通に考えれば危険な行為だが、何の考えもなしに触れようとしている訳ではない。

 

「人慣れしてる……誰かのポケモン?」

「アォン」

 

 グラエナの こおりのキバ!

 レッドは せいしんりょくで ひるまない!

 

「うん。やっぱり甘噛み……となるとこっちの子もトレーナーのポケモンかな」

「ワフッ」

 

 グラエナの ほのおのキバ!

 レッドは せいしんりょくで ひるまない!

 

「毛並みから見て逃がされたポケモンでもなさそうだし近場に誰かいそうだ」

「ガウッ」

 

 グラエナの かみなりのキバ!

 レッドは せいしんりょくで ひるまない!

 

「よしよし、イイ子だからそんなにじゃれつかないで」

「先生。こっちから見ると襲われているようにしか見えません」

 

 グラエナ三体を手玉に取った(?)レッドはわちゃわちゃとした黒い毛玉に取り囲まれている。優れたトレーナーしかリーダーと認めない習性のあるグラエナにすぐなつかれる辺り、彼のトレーナーとしての優れたカリスマのようなものが滲み出ているのかもしれない。もしくは山の主的なオーラだろう。

 

『おーい、どこまで行ったんだ』

「「ん?」」

 

 レッドにグラエナがじゃれついていると、不意に離れた場所から声が聞こえてきた。

 途端にじゃれつくのを止めたグラエナは、居所を報せるような遠吠えを上げる。

 

『そっちに居たか! 待ってろ、今向かうからな……っとォ』

 

 がさがさと背の高い草むらを掻き分ける音が近づいてくる。

 野太い男の声だった。続けて妙齢の女とさらに野太い男の声も聞こえてきた。きっとグラエナたちのトレーナーなのだろう。そこまで思い至ると同時に、目の前の草むらが豪快に押し退けられた。

 

「お? 先客が居やがったか」

「オウホウ! 密猟者か!?」

「バカおっしゃい。どっからどう見ても旅のトレーナーじゃないかい」

 

 浅黒い肌の上に青いダイバースーツを着た偉丈夫の後ろからは、これまた似たような意匠の服を着た大男と女性が現れる。とても堅気の人間とは思えない強面な面子だ。

 

「ポケモンハンターですか?」

「ハハハ、随分な言い草だな! 安心しろ、嬢ちゃん。オレ達はポケモンハンターなんかじゃねえ」

「では?」

 

 胸元に下げた錨型のネックレスを揺らしながら、偉丈夫は答える。

 

 

 

「───アオギリ。海をこよなく愛するアクア団って組織のリーダーさ」

 

 

 

 ***

 

 

 

「───ふぅ。機材はこんなところか」

「アルロー、この機材はここでいいっスかー?」

「そこ、呼び捨てにしない」

 

 気の抜けた声を上げる部下を軽く叱責する男が、てきぱきと運び込まれる機材の配置を指示する。

 おおよそ自然の中には溶け込まない機材の数々だが、それを見た男の顔には自然と笑みが零れる。

 

「ふふふ、これさえあれば……」

「でも、これで何するんスかー? 何するか全然想像つかないんスけどー」

「お前は一回資料を読み直してこい! 何から何まで僕が現場で説明してやると思うなよ!?」

「えー? もしかしてアルロも今回何するか分かってないんスかー?」

「バカを言え! 誰主導の実験だと思ってる?」

 

 そこまで言うなら分かったさ! と半ば男はヤケクソ気味に、

 

「バカなお前でも理解できるよう簡潔に説明してやる! いいか、よく聞け!? 今から組み立てるこの機材からは特殊な怪電波が発信される! それを特定のポケモンに照射し、効果を確認した後に捕獲チームにバトンタッチ! どうだ、分かりやすいだろう?」

「怪電波照射するとどうなるんスかー?」

 

 気だるげに問い返す部下であったが、今度は男が額に青筋を立てることはなかった。

 寧ろ『よく聞いてくれた』と言わんばかりにクツクツと喉を鳴らす。

 

「お前、確かジョウト出身だったな?」

「そっスよー? 舞子のお稽古とかマジ無理ー、って感じでェー。それでロケット団に入団ー? 的なー」

「……ごほん。じゃあ、あの土地の事件ぐらいは知っているだろう」

 

 メガネを指で押し上げる男は、暗い嫉妬に燃え上がるままに邪悪な笑みを顔面に浮かべてみせる。

 

 

 

()()()()()()()()……ここまで言えば分かるだろう?」

 

 

 

 それはチョウジタウンの傍に存在する湖。

 かつて、そこで繰り広げられた事件とは───無論、()()だ。

 

 

 

「えー? なんスかー。マジわからないっスけどー」

「こんの情報弱者がっ! 誰だ、こいつを僕の下につけた奴は⁉」

「シエラ先輩っスけどー」

「あんのマフォクシーめぇー!」

 

 帰ったら覚えてろー! という叫びは、湿原に静寂に呑み込まれていくのだった。

 




Tips:コイノクチ湿原
 スナオカタウンとカチョウタウンの間に存在する湿原。ジャンボマウンテンより流れてくる栄養豊富な水と土が肥沃な泥を生み、多様な生態系を築いている。ニョロモやウパーといった両生類ポケモンや、マダツボミやマスキッパ等の食虫植物系のポケモン。他にもヌメラのような多湿な環境を好むポケモンが多く生息している。
 地名の由来はコイキングがエサを求めて水面から顔を出しているような盆地の形状にあるとされ、当然のようにコイキングも多く棲みついている。金色のコイキングを見つけたら幸せが訪れるという言い伝えもあるが、真偽の程は定かではない。


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№036:アイスクリームシンドローム(病名)

前回のあらすじ

コスモス「くろいまなざしさえあれば逃げられなかったのに……」

レッド「だからサファリゾーンは初っ端ボールが正解」


 

 

 

「ハッハッハ、そうかそうか! あのギャラドスを捕まえようとするなんざ、随分と胆が据わった嬢ちゃんじゃねえか!」

 

 

 

 偉丈夫の笑いごとで、ただでさえ揺れる車内が一段と大きく揺れる。

 

「だから言ったじゃないですか。逃げられたって」

「随分腕に実力に自信があるんだな。ポケモンリーグにでも挑戦するクチか?」

「その為にあのギャラドスが欲しかったんですが」

 

 大の大人でも圧倒されそうな強面の偉丈夫に対してもコスモスは平常運転だった。

 

 それはさておき偉丈夫───アオギリと名乗った男は、少女の豪胆な様子にもう一度呵々と笑ってから言葉を紡ぐ。

 

「確かにあんな大物滅多にお目に掛かれねえ。手に入れりゃあって気持ちは分かるが……そいつはやめておいてもらいてえもんだ」

「何故です?」

「そりゃあ、あいつがこの湿原の()()だからさ」

 

 団体向けのワンボックスワゴンの中には、他にも存在するアクア団の面々が和気藹々と談笑していた。中でも成り行きでコスモスと共に同乗したレッドは、膝に置いたピカチュウを女性団員に可愛がられ、やや肩身が狭そうに角に追いやられていた。

 

 各々が別の話題で盛り上がる中、アオギリはこう語る。

 

「どこもそうだ。そこにはそこの生態系ってもんがあって成り立っている。この湿原なんかは特に顕著さ。ジャンボマウンテンから流れてくる綺麗な雪解け水が、道中の土やら何やらから栄養を運んで、この盆地に溜まって肥沃な泥を生み出している。それが他とは違う独自の環境を生み出してる訳だ」

「独自の環境にはそれに適応したポケモンが集まると」

「そうだ! だが、何も環境だけが自然を形成してる訳じゃねえ。そこに棲むポケモンもまた自然の一部……むしろポケモンの方が環境を変えちまう場合だってざらにある」

 

 ほんの少し声色が重くなったのは、気のせいではないだろう。

 

「カビ臭い本をひっくり返しゃあ、そこら一帯を支配するヌシが外敵を追い払っていたなんていう記述はいくらでも見かける。その逆もまた然りだな」

「……つまり、あのギャラドスを捕まえたら湿原の生態系が崩れると」

 

 アオギリの力説を聞き終えたコスモスは、長いため息を吐いた。

 どうにも先のギャラドスはコイノクチ湿原において影響力の大きい個体らしい。考えなしに捕獲すれば、外敵の侵入をみすみす許すことで生態系を大きく変える───延いては湿原の環境を変えかねない。

 

「それもそれで自然の摂理だと思いますが」

「達観が凄いな嬢ちゃん。いくつだ?」

 

 12歳である。

 

「……まあ、おれ達アクア団は土地に根付いたポケモンが健やかに暮らしていけるよう、そうした環境を調査・保全する自然保護団体ってワケだ。モットーは『ポケモンにとっての理想郷を』だ」

「それはまた、」

 

 つい最近スポンサーになってもらったマグマ団と真逆の信条ですね、という感想は心の中だけで完結させた。

 

 さてさて。

 そもそもどうしてコスモスとレッドがアクア団の運転する車に乗っているのだろうか? 理由は車窓の外に見えてくる町にある。

 湿原から響くカエルのコーラスを背に、コスモスは隅に追いやられていたレッドの方を向く。未だに膝の上のピカチュウを女性団員に可愛がられ、当の主人である彼は限りなく存在感を消すよう努めていた。差し込んでくる光の角度の関係からやけに濃い影がかかっており、ちょっとした心霊写真っぽくなっている。

 

「先生、見えてきました。カチョウタウンです」

「……もう着く?」

 

「あと10分くらいさね。着いたら起こしてやるから、寝ちゃってくれても構わないよ」

 

 ハンドルを握る男勝りな口調の女性が割って入ってきた。

自己紹介に際して『イズミ』と名乗った彼女は、現アクア団の幹部であり、過去にはデボンコーポレーションにも勤めていた才女でもある。

 

「……おかまいなく」

「あら、そう? 気分悪くなったら言いなよ」

 

 イズミに気を遣われつつ、再びレッドは存在感を消す。

 そのまま眠りに入るのかと思われたが、反響してくる黄色い声が睡眠という現実逃避を許さなかった。

 

 

「きゃ~、かわいい~!」

「ピカチュウ触るなんてこの前行ったポケモンカフェ以来だわ!」

「……え? なにそれ知らない。アタイ呼ばれてないんだけど」

「ア、アンポンターン! どうでもいいのよ、そんなこと!」

「ポロック食べる? 何味が好きかな?」

 

 ピカチュウの前に並ぶ瓜二つな顔───が、五つ。

 ここまでくると最早壮観な光景を目の前にしつつもみくちゃにされるピカチュウは、喜びとも戸惑いとも取れる微妙な表情を浮かべていた。

 光が輝きを増す程に影も濃くなっていくとは言うが、まさにそれを体現しているかのような光景だ。

 

 それを見ていたコスモスは、

 

「……なるほど」

 

 なにが? と問いかけたくも、問いかけられないレッドなのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 豊かな恵みの坩堝、カチョウタウン。

 コイノクチ湿原より河口へ流れる水には豊富な栄養が含まれており、海辺にやって来るポケモンの種類が多岐に渡ることから、古くより水産業の町として栄えている町でもある。

 

 北は湿地、南は海と水とは切っても切り離せない立地にこそあるが、ジメジメとした気候とは打って変わって住民は快活だ。あちこちで溌剌とした競りの声が行き交っている。

 

「それじゃあこの辺でおさらばだな。新鮮な話が聞けて楽しかったぜ」

「こちらこそ。アオギリさんはまだカチョウタウンに居られるんですか?」

「まだしばらくはな。なんせ最近噴火があったろう?」

 

 ジャンボマウンテンか、とはすぐにあたりがついた。

 コイノクチ湿原はジャンボマウンテンの下流。噴火の影響が少なからずあることは想像に難くはない。

 

「生態系が丸々変わるかもしれませんね」

「まあな。だが、だからって何もしねェのも違うだろ?」

 

 やはり堅気とは思えない笑みを浮かべながらも続ける。

 

「オレ達はオレ達にやれることをするのみよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……って、こりゃあ嬢ちゃんには難しい話か?」

「いいえ、同感です」

「お?」

「まあ、理想論がそのまま実現できることに越したことはありませんが」

「違ェねえや!」

 

 ガハハッ! とアオギリは一頻り笑う。

 

「それじゃあここらへんでお暇させてもらうぜ! ジム戦頑張れよ、嬢ちゃん。なんでもこの町のジムリーダーは随分腕が立つらしいからな」

「みずタイプを使ってくるらしいですね」

「おう。だから、特訓するなら湿原がピッタリだ。オレ達はしばらくここに滞在してるから、また顔を会わせるかもしれねえな!」

 

 『そん時はよろしく頼むぜ!』とアオギリは団員を連れていった。中にはピカチュウとの別れを惜しむ五つ子団員も居たが、姉御肌なイズミに尻を引っぱたかれて泣く泣く去っていった。

 

 こうしてコスモスとレッドは二人っきりになった。

 するとレッドが、

 

「……疲れた」

「車酔いですか?」

「人酔い」

「酔い止めならありますが」

「効く? 人酔いに」

 

 五つ子の圧にやられたレッドは心なしか萎びていた。まるで塩漬けにされたナゾノクサのように頬が痩せこけている。

 

「私達もどこかで休憩しましょう」

「かたじけない」

「カカピカピ」

 

 同様に疲れ切ったピカチュウも連れ、二人は町中を散策することにした。

 アオギリ達に下ろしてもらった場所は商店街の近くだったのか、夕暮れ時にも関わらず人で溢れかえっていた。あるいは外食に来た家族連れ、あるいは仕事帰りのサラリーマンだ。

 しかし、二人がやって来た場所は少し開けた広場。中央に設置されている噴水周りには小鳥ポケモンの他に、道中見かけたウパーやニョロモといったみずポケモンが水遊びしている。

 

 なんとも癒される光景だ。

しかし、視覚的に癒されたところで肉体的に癒されないのが現実の悲しい部分である。

 

「……」

「先生、飲み物でも買ってきましょうか?」

「……おいしいみずを……」

「了解しました」

 

 息絶え絶えの師の姿に、コスモスは全力で自動販売機へと向かい購入する。

 それから水を受け取ったレッドはちびちびとおいしいみずを煽り始めた。

 

「染みる……」

「そんなにですか」

「シロガネ山でとれた水だからかもしれない」

 

 故郷(?)の水が体に合う赤帽子は、ゆっくりと財布から小銭を取り出す。

 

「これ……おいしいみずのお代」

「はい。じゃあおつりの250円───」

「おつりはあげる。何か買ってきていいよ。俺はもう少しここで休んでるから」

「ありがとうございます」

 

 現金な彼女の辞書に遠慮なんて言葉は存在しない。

 小銭を受け取るや否や、少女は一直線に屋台の列へと突っ込んでいく。思いがけない収入を手にしつつ屋台を物色する瞳は、綺羅星の如く爛々と光り輝いていた。

 

「むむむ……」

 

 屋台のラインナップはより取り見取りだ。軽食系のサンドイッチを始めとし、デザートのアイスやクレープを売りに出しているところもある。

 

 しかし、甘党のコスモスは自然と後者の屋台が並ぶ方へと視線が向く。

 すると、屋台の一つから溌剌とした売り子の女性の声が聞こえてくる。

 

「ひんやり美味しいアイスはいかがですかー!? ただいまバイバニラチャレンジを開催中でーす!」

「ん?」

「チャレンジャーの方は手持ちからポケモンを一体選抜し、店員との勝ち抜き戦を行ってもらいまーす! 店員の手持ちを一体倒す度にアイスクリームを一段追加! 最大六段追加の七段虹色アイスクリームをゲットできちゃうかも!?」

「……おぉ」

「六体全員倒したらなんと無料(タダ)! ただし、途中で負けた場合は挑戦料として1000円頂きまーす!」

「……」

 

 チラッ。

 

 視線を向ければ若干乗り気でないルカリオが佇んでいるが、最早是非はなかった。

 

「ルカリオ、GO」

「……クワンヌ」

 

 合理的という言葉など、甘味の前にはただの建前だ。

 

 

 

 いざ戦地へ赴かん。

 少女の足取りは勇ましかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

(───長かった)

 

 今日ここに至るまでの道程を思い返す男は、それはしみじみと感慨に耽っていた。

 男の出身はイッシュ地方だった。そして、一年中景色に白銀という色彩が映り込むような寒冷地であった。

 子供の頃は人並みにポケモントレーナーに憧れ、近所で捕まえたポケモンを相棒にし、ジム制覇を喧伝して旅に繰り出したものだ。それが夢見事であると気付いたのは四つ目のジムで挫折した時である。

 同世代では他人よりも秀でたバトルの才能も、一度町の外に出てみればありふれた凡才程度でしかない。同じジムで三度目の敗北を喫してベンチで黄昏れていた時、去り際にすれ違った少年がさほど時間もかからずジムを制覇し出てきた姿を目撃した瞬間、それを痛いほどに理解してしまった。

 

 それからはしばらくひどい有様だった。

 実家に帰ってからは一日中ボーっとテレビを眺め、無為に時間を費やしていた。今となってはなんと無駄な時間を過ごしたことかと後悔するばかりであるが、当時はそれほどまでに明確な初めての挫折の衝撃が大きかった。世間では夢半ばで旅から帰還し、その反動で無気力になった子供を『ギガインパクト・チャイルド』などと揶揄していたが、まさか自分もその一員になってしまうとは。

 

 だからか、通っていた中学も高校も中の下クラスの学校だった。

 在学中に内定も決まらず、卒業後はバイトを転々とする日々。無垢な少年時代だった自分に『将来はフリーター』なんて伝えれば、きっとショックのあまり近くの湖に身を投げかねないだろう。

 

 だが、暗澹たる日々にも光明は差すものだ。

 転機はヒウンシティからやってきたアイスの出張販売だった。なんでも世間で大流行の『ヒウンアイス』とかいうブランドらしく、バイトも休みで暇だった自分は家族のお使いで買いに向かわせられた。

 わざわざこんな肌寒い地域まで出張販売だなんて御足労なことだ……そんな卑屈は、アイスを一口食べた傍から爆散した。

 

「なんだ、この……なんていうか……えーと……こうッ、旨いのはァーーーッ!?」

 

 偏差値の低さが露呈する感想を叫んでしまった。

 けれど、鬱屈とした日々をリフレッシュするには十分なインパクトであった。

 その日の内に今のバイトを辞める連絡をした。惰性で続けていた仕事に未練なんてものはないと、あれよあれよという間にヒウンシティまで飛び出した。

 

 それからは熱意と気合でヒウンアイスを売り出すバイトに受かり、数年の雇用期間と正社員採用の試験に合格した。

 さらに時を経て、今やイッシュ地方という枠を超えた土地でヒウンアイスを販売するに至っている───その道程を思えば、目尻からほろりと一粒涙が溢れる感慨も理解してもらえるだろう。

 

(こういう海外から進出した店は最初のインパクトが大事だ。話題性で客を呼び込んでから、まずは一定数の固定客化を狙う。そこからが勝負だ! 注目されるキャンペーンで人の目を呼び込み、新規の顧客を開拓する!)

 

 その第一弾としてのバイバニラチャレンジ。

 人間は無料という言葉に弱い。例えそれが一定の条件に当てはまることが必要だとわかっていても、無料という魔力には抗えないのだ。事実、無料キャンペーンを実施したチェーン店に長蛇の列が並び、あっという間に無料分が完売したケースが往々にして存在する。

 バイバニラチャレンジは全勝すれば無料だが、途中で負ければ1000円徴収。一個当たり通常100円であることを考えれば、全勝したところで300円の利益しかない。

 そもそもチャレンジャー側の使用ポケモンが一体なのに対し、店側は六体のフルパーティだ。余程の腕の立つトレーナーでなければ───今のところの敗北は偶然通りがかったアイスに目がないシンオウチャンピオンだけだ───成功を掴み取ることは限りなく低い。

 

 しかし、それでも挑む人間は挑む。

 なぜならば、ゲームコーナーのUFOキャッチャーと同じ理屈だ。誰も彼もが絶対に得をして景品が取れるからとUFOキャッチャーをしている訳ではない。『取れたらいいな』とは思えど、大抵は失敗しても『まあ、いい退屈凌ぎにはなったな』と納得するだけだ。

 

 そして、ことポケモントレーナーにおいてはバトルに関するイベントは嬉々として挑戦する統計結果が出ている(自社調べ)。

 

(そういうトレーナーに限って大抵は一、二体倒したところで倒される……こっちとしては出費も抑えられるし、SNSでのPRで注目を集められる!)

 

「……ついでに俺も勝てて気分はウハウハ。これぞまさに一石三鳥って寸法よ! ふふふふ……ふはははは、ふはーっはっはっは!! ひゃーーーーーッ↑↑↑!!」

 

 5分後。

 

「バイバニラ戦闘不能ぉー! 勝者、チャレンジャー!」

「あぴゃーーーッ!!?」

 

 一体につき1分も掛からなかった。

 広場近くの公共バトルフィールドには相棒のバイバニラが倒れていた。そんな相棒が物言わぬ骸……いや、道端に落ちたアイスクリームのように無惨な姿で倒れる光景は、過去の挫折を掘り返されるようだった。

 

「うぎぐぐぎぐぅ……な、なんで……!?」

 

「チャレンジ達成おめでとうございまーす! 六タテなんてビックリ! お若いのにとってもお強いんですねー!?」

「相手がそんなに強くなかったので……」

 

「あぱぁ!?」

 

 『おいうち』を喰らい、今度こそ目の前が真っ暗になった。

 

 そんな無様な屍を晒す店員など眼中にないコスモスは、意気揚々とアイスのショーウインドウを覗き込む。ここからが楽しい時間だ。

 

「まずはバニラ。チョコは外せない。果物系もいいけれど、きのみ系のフレーバーもおいしいし……」

「ワフッ……」

 

 六連戦でお疲れのルカリオであるが、七種類のフレーバーを選ぶウキウキルンルン☆ルンパッパなご主人に水を差すような真似はできない。

かつて通わされていたスクールでしばしば巻き起こっていた、給食の余りデザート争奪戦を制していた暴君は他でもない、この少女なのである。負かした男子に『雌ゴンべ』と陰口を叩かれても尚、何食わぬ顔でデザートはしっかりと食らっていた実績は伊達ではない。

 

「それじゃあこれとこれと、あとそれも。あっ、食べにくいので積み重ねないで一個ずつ別のカップに入れてください」

「はーい! かしこまりましたー!」

 

 七段が完全否定される。食べにくいなら仕方がない。

 

「広場に戻ってから……むふふ」

 

 目はジト目のまま、口角だけは吊り上がるコスモスはカップに入ったアイスクリームを片手に凱旋する。残りの六個は、ルカリオが持つ紙のトレーの窪みにすっぽり収まっている。

 ちょうどトレーナーと手持ち六体分があるのだ。折角ならば友好を深める場として、全員顔を合わせながらのアイスパーティも悪くない。

 

「みんな、出ておいで」

 

「ゴルバッ!」

「フィア!」

「ヴァアアア!」

「モッグ! モッグ!」

「……ユ?」

 

 ルカリオ以外の五体がボールから姿を現す。いつのまにやら六体のフルパーティだ。構築の完成度はまだまだではあるが、調整は都度行えばいいと長い目で見ればいいだろう。

 

「配るから並んで。はい、ゴルバットは桃で、ニンフィアは抹茶。ヌルはクラボ味ね。ゆっくり食べて」

 

 手持ちの好きな味は大方把握しているコスモスは、てきぱきとそれぞれの好きなフレーバーのアイスを配っていく。

 嬉々として舌で舐めるゴルバットとニンフィアの傍ら、小首を傾げてからふんだくるように受け取ったヌルは、普段のきのみと同じく勢いに任せて喰らった。その結果、ガッキーン! と脳天を凍て刺す痛みがヌルを襲った。一撃必殺!

 

「ヴァ、アアア……!?」

「人の言うことを聞かないからそうなる」

「モッグ!」

「ユ……!」

「二人にはこっち」

 

 と、悶絶しているヌルを横目にミニマムな二体にもアイスを配る。

 

「コスモッグにはパチパチ弾ける奴が入ってるプラズマシャワー・フレーバーで、ユキハミには……このオーロラベール・フレーバーね」

 

 前者はオレンジとソーダ系のミックスらしいが、後者は色々と混ざり過ぎて最早何味か想像することも難しい代物であった。

 が、トレーナーに負けず劣らず食べ盛りの二体には、未知のフレーバーであっても魅力的に見えたのだろう。コスモスの手に握られたアイスに目を爛々と輝かせている。

 今にも飛びついてきそうな二体をどうどうと制しつつ、零しても大丈夫なように紙皿を地面に置く。

 

「ゆっくり食べるんだよ」

 

 鎮座するカラフルなアイスを前に二体は小さな口を大きく開ける。

 あと少しでも顔を寄せれば甘味のパラダイスに辿り着く。食べる前から、ひんやりとした冷気が爽快なフレーバーの芳香を漂わせてくる以上、もう我慢は限界だった。

 

「モ───!」

「ユ───!」

 

「レロンッ」

 

「……ッグ?」

「……ハミ?」

 

 満面の笑みでアイスに食いついた───にも関わらず、口の中は虚無の味だった。味も匂いもあったもんではない。

 

「……ピ、ピィー!」

「ユッ……ミュ……」

「ルカリオにはチョコ味で、私はバニラ味……むふふ」

「ピィ―! ピィー!」

「ん? さっきから何を騒いで───ぶっ!?」

 

 ちょうど自身の分を手に取る為に背を向けていたコスモスだが、振り返るや否や泣き喚くコスモッグの体当たりを喰らった。

 頭に対して体は貧弱なコスモスは危うく王道バニラ味を落としかけるが、気合いと執念で崩れかけた体勢を持ちこたえ、アイスを死守してみせた。

 

「な、何事……あれ? もうアイス食べた?」

「ピィ、ピィー!」

「……ュ……」

「……流石に早過ぎるか」

 

 動と静の泣きっ面を晒す二体に考えを改める。

 いかに食いしん坊な二体でも一瞬でアイスを完食するなど不可能だ。ましてやカップごとなどありえない。そんなお行儀の悪い───もとい、ぶっ飛んだしつけをした覚えはない。

 となれば、人間なりポケモンなりに盗られたと見る方が自然な流れだ。

 優雅なアイスパーティに水を差す不届き者はどこの誰だ? 沸々と怒りが湧き上がってくるコスモスは他人が泥棒に物を盗まれたところでどうも思わないが、自分の物を盗まれたとなれば『げきりん』を繰り出すドラゴンポケモンのように怒り狂う女だ。

 

 ましてや甘くておいしいデザートともなれば、怒りのボルテージはのっけからクライマックスである。

 

「私の戦利品のアイスを……よくも!」

「バウッ!」

 

 波動で気配を感じ取ったルカリオが指し示す方に振り向く。

 人間なら即刻ジュンサーさんに突き出す。ポケモンであれば、法に触れない程度にバトルで打ちのめす腹積もりだが、

 

「ァアーン……ゲコッ」

 

 街灯の上。

ポケモンが、居た。

ちょうどオーロラベール・フレーバーを頬張った青色のカエルポケモンが、ゲップのような音を響かせる。

 

「ュ」

「フィアー!?」

 

その光景を目の当たりにしたユキハミがショックの余り白目を剥いて倒れた。『もうやめて、ユキハミのHPはゼロよ!』とニンフィアが駆け寄ってくるが、再起不能は確定的だ。

 

「……ゲッコウガか」

 

 こちらを嘲笑っているカエルポケモンを見たコスモスが呟く。

 しのびポケモン、ゲッコウガ。コイノクチ湿原でレッドが見かけたというケロマツの最終進化形である。素早い動きで敵を翻弄し、時には圧縮した水の手裏剣で鉄をも両断する戦い方は、同じカエルポケモンのニョロボンやガマゲロゲと比べてもスピードやテクニックに比重を置いている。

 

 だが、そんなこと知ったこっちゃない。

 

「……野生であろうが人のポケモンであろうが、まずはあそこから引き摺り落とす。ゴルバット!」

「ゴ、ゴバッ!?」

「『くろいまなざし』!」

「バ、バット!」

 

 剣呑な声色にビビりつつも、ゴルバットはゲッコウガの元まで飛翔して刮目する。

 刹那、目が合ったゲッコウガの瞳が深い暗闇の底を覗き込んだかの如く、瞳孔が大きく広がった。

 

「これでもう逃げられない。大義名分を得た正義の恐ろしさを思い知らせてくれる! ゴルバット、『きゅうけつ』!」

 

 鬼気迫る表情で指示を飛ばすコスモスに、ゴルバットも鋭い牙を携えた口を開いて応える。

 ゲッコウガはみず・あくタイプ。むしタイプの技である『きゅうけつ』は効果が抜群だ。一撃でも叩き込めばあのにやけ面を崩すには十分。

 

 そう思った、次の瞬間だった。

 

「コウガッ!」

「な、」

 

 飛び掛かってきたゴルバットを華麗に宙返りで回避するゲッコウガ。

 あの不安定な足場からよくもあれほどまでの跳躍をできるものだ。

そう驚いたのも束の間、ゴルバットのがら空きの背中目掛けて凍て刺す冷気が解き放たれる。

 

「バァ!?」

「ゴルバット!?」

「ゲコゲコゲコ!」

 

 予想よりもできる相手にコスモスは歯噛みする。

 視界には『れいとうビーム』を喰らい墜落するゴルバットが見えていた。しかし、その間にも思考は既に次の段階へと移っている。

 

「着地を狙う! ルカリオ、『はどうだん』!」

「バァウ!」

 

 着地。

 その足で大地を踏みしめる生き物であるならば、大部分に該当する明確な隙。

 そこさえ狙えばあの不届き千万な盗人カエルに一泡吹かせられるはずだ。紙トレーを片手にエネルギーを収束させているルカリオは、ものの数秒で攻撃の準備を終えた。

青々とした光を撒き散らす光弾を前に、未だ地に足を着けられていないゲッコウガは目を丸くしている。

 

 だが、もう遅い。

 満を持して手から離れた光弾の軌道は、ゲッコウガの着地点と見事重なっている。これでゲッコウガの運命は二つに一つになった。

 一つは直撃。

そして、もう一つは辛うじて避けつつも爆風に煽られるかだ。どちらにせよコスモス達の優位に働く未来は確実───。

 

「そこ!」

「ゲッ───コウガァ!」

「なっ……」

 

 の、はずだった。

 刹那、空中で制止したゲッコウガが地面に着弾した『はどうだん』の爆風に煽られ、一瞬宙に舞い上がる。

 何故───と思考を巡らせるコスモスの視界に飛び込んだ物体は、長く伸びるピンク色の、

 

()()()()()()()()()……!?)

 

 ロープ代わりに絡まっていた舌が街灯から離れる。即席の命綱となっていた長い舌は、今度は頭を振ったゲッコウガに合わせて勢いよく前方へと突き出された。

 狙いはルカリオ。

 しかし、相手の感情を読み取れるルカリオの反応は早い。予知していたかの如くその場から一歩分横に逸れて舌を回避する。思いつきの不意打ちが通じる程、コスモスのルカリオの危機感知能力はお粗末ではない。

 

「バウァ!?」

「なに……!?」

 

 にも関わらずだ。

 ルカリオは悲鳴を上げながら吹き飛ばされていた。舌は当たっていない。外野から横槍を入れられた訳でもない。

 

「『かげうち』……!?」

 

 攻撃は地面から。

 もっと正確に言うのであれば、ルカリオの真横を通り過ぎていた()()()からだった。

 

 それこそ『はどうだん』が爆発した光を背に受け、普段よりも色濃く浮かび上がって影こそが暗器であり本命。

結果、目の前の舌だけを攻撃と捉えていたルカリオの意表を完全に突いた。

 

「あっ」

 

 そして、それはルカリオが守っていたアイスが手を離れることも意味する。

 

「レロン」

「ちょ、待っ」

 

 宙を舞うアイス→戻っていく舌→巻き取られていくアイス→ゲッコウガの手に収まる。

 一連の流れを目の当たりにしていたコスモスは、思わず前のめりになりながらアイスへと手を伸ばした。待ってくれ。そいつは(店員の)血と汗と涙を流して手に入れたアイスなのだ。無料だからいいという話じゃない。無料にしてみせたのは紛れもなく自分達なのだから、無料というスパイスも加えて美味しい思いをしていい権利は自分にある訳であって、とにもかくにも返してくださいお願いしま───

 

 パクンッ。

 ゴクンッ。

 ゲプッ。

 

「ゲコゲコゲコゲコwwwww」

「   」

 

 笑った。

 いいや、嘲笑いやがった。しかも明確に指を差しながら。

 呆然と立ち尽くすコスモスを一頻り笑った泥棒ガエルは、青空に響き渡る高らかな笑い声を上げながら遁走を始めた。

 

 しばし、コスモスはその背中を遠巻きに見つめる事しかできなかった。

 伸ばす先を見失った手は脱力するようにゆっくりと下ろされていく。その間、おずおずと傍に近寄ってくるのは彼女の手持ちであった。してやられて申し訳なさそうにするルカリオやゴルバット、アイスを奪われ涙目のコスモッグとユキハミ、そして困惑するニンフィアとヌルと反応はそれぞれだ。

 だが、彼らには一つ共通していた気持ちがあった。

 

「……す……」

 

 力なく開かれていた手が、軋む音を奏でレベルで固く握りしめられた。

 思わずギョッとする面々。それでも視線は上へとは向けられない。

 頑なだった。普段はしっかり目を見て話を聞くルカリオでさえも、この時ばかりは耳を垂れ下げ、尻尾を股下の間に潜らせて震えていた。

 

 理由は、目の前にあった。

 

「───あの盗人ガエルが私のアイスを奪ってタダで済むと思うなよ挙句私を嘲笑うなんてよっぽど痛い目を見たいようだいいだろうそっちがその気ならこっちも本気だよ私を誰だと思ってる地の果てまで追いかけてでもツケは返させてもらうぞ捕まえる算段なんていくらでも立てられるんだ私の持ちうる全てを行使してでもとっちめてやるからな具体的には〇〇〇して×××して△△△からの□□□で

 

 雌ゴンベが怒り狂っていた。

 大至急、糖分の補給が求められていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ふぅー……」

 

 ジャバー、と水洗のバックミュージックと共に公衆トイレから一つの人影が練り歩いてくる。

 

「すっきりした……」

「チュピカー」

「待たせてごめん」

 

 用を足してきたレッドを出迎えたのは、タンッタンッと足でリズムを刻むピカチュウであった。

プニプニな腕の手首を指で叩きながら『遅い!』と身振りテブリムで訴えてくる彼を定位置(かた)に乗せつつ、ゆっくりと広場を見渡す。

 

「……騒がしいけど、何かあった?」

「カァ?」

「分からないっか」

 

 まあいいや、と早々に思考を中断した彼は広場へと戻る。

 何事もそうだ、耳で聞くより目で見た方が早い。『事件は現場で起こっているんだ!』とは、一世を風靡した映画でも言っていたセリフだ。

 

「『ゴールデンボールブリッジを封鎖せよ!』だっけ……」

「なあ、そこのあんた。ちょっくらいいか」

「?」

 

 声につられて振り向けば、ウェーブ掛かった藍色の総髪を垂らす流し目の青年が、腕を組みながら立っていた。タンクトップの下にギャラドスのようなみずポケモンが描かれたタトゥースリーブを着込んでおり、筋肉質な肉体も相まって初見のインパクトは中々大きい。

 

「……」

「なんで無言でボールを構えるんでぃ。別に()り合う気ぁねェよ」

 

 あ、そう……と手にしたボールを定位置に戻すレッドはどこかしょんぼりしていた。とことんバトル脳だ。もしくはカツアゲしてくる輩が揃いも揃ってポケモンバトルを仕掛けてくるカントー地方の風土の所為だ。

 

「じゃあ何の用で?」

「人探し……いや、ポケモン探しだな」

「ポケモン……」

 

 さてさて、151匹を超えると怪しくなってくるぞとピカチュウと見つめ合う。

 

「ちなみにどんなポケモン?」

「ああ、済まねえな。なに、そんなに見つけにくいポケモンってワケでもねぇ。ぼくよりちっと小さめのカエルみてぇなポケモンなんだが……」

「……ガマゲロゲ?」

「いや、惜しいな。ガタイが良い方じゃなくて、どっちかっつったら細身の方でェ……」

 

 溜め息を一つ零し、青年は告げる。

 

 

 

()()()()()ってポケモンなんだが、」

 

 

 

───ドォン!!!

 

 

 

 言葉を遮るように爆発音が轟いた。

 ただならぬ雰囲気。瞬く間にどよめきは二人が居る広場まで波及してきた。

 

「……」

「……そっちか、あのすっとこどっこぉぉぉおおおおおおおい!!!!!!」

 

 刹那、青年は風となった。

 あるいは電光石火。あるいはアクアジェット。とにもかくにも目にも止まらぬ速さで駆けだした青年の姿は、すでにレッドの目の届かぬ場所へと消えていた。

 

「……そういえばコスモスは?」

「ピカァ?」

 

 まさか爆心地が連れの少女の近くなど、この時は夢にも思わない。

 

 

 

 




Tips:アクア団
 アオギリがリーダーを務めるホウエンに拠点を置く組織。『ポケモンにとっての理想郷を作る』という信条の下、かつては悪事紛いの事件をしでかしてきた経緯があるが、今では過去を省みて人間とポケモンが共生できるような環境保全活動を中心とした企業として社会貢献に勤しんでいる。
 ホウエンに拠点を置く組織として、かつて敵対関係であった組織とは今でもライバル視し火花を散らし合うような間柄である。


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№037:カエルがピョンピョンするんじゃ~

前回のあらすじ

コスモス「ニンジャ死すべし」


 

 カチョウタウンは今日も賑やかだった。

 ホウジョウ地方とセトー地方の東側を結ぶ『虹色橋』が架かっており、人や物の流れが活発であるのがその要因の一つだ。

 物流の中心こそイリエシティに軍配は上がるが、あそこはあくまで貿易港として栄えた町。やはり物理的な土地の繋がりというものは無視できるものではなく、単純な人の往来という点で言えばカチョウタウンが勝っているだろう。

 虹色橋の下に広がる海では大きな渦潮が唸り声を上げているが、この町の威勢のいい喧噪に比べれば些細なものだ。

 

「ゲコゲコゲコ!!」

 

 そして、今日もまた一際ド派手な喧嘩が巻き起ころうとしていた。

 

「バウッ!!」

「おぉっと!? なんだなんだァ!?」

 

 道を歩いていた中年男性の横をルカリオが駆け抜けていく。

 どうやら屋根を飛び移るゲッコウガを猛追しているようであった。二体の後ろ姿はすぐに見えなくなってしまう。

 代わりに、

 

「ひぃ……ひぃ……ひぃ……」

「ど、どうしたんだ嬢ちゃん? そんな息を切らしやがって」

「あ、あのゲッコウガ……追いかけ……げほっ!」

「あー、じゃああの追っかけてったポケモンは嬢ちゃんのかい」

「はい……ゔぇっほ!!」

 

 激しく咳き込む少女、もといコスモスは堪らずその場に蹲った。

 

「ひぃ……ひぃ……」

「だ、大丈夫かぁ? あんま無理しねぇ方がいいと思うが」

「お構いなく。あのカエル畜生、私達の戦利品(アイス)を奪って……」

 

 絶対に許さない、と今なら視線だけで人を殺せそうな少女が呪詛を吐いたが、男性は同情するような視線を投げかける。

 

「あー、嬢ちゃん。そいつぁ残念だが諦めた方がいいと思うぜ」

「……どうしてですか?」

「あのゲッコウガ、ここいらじゃ有名な奴なんだよ」

「詳しく」

「他人の食い物取るなんて序の口。大抵標的にされんのは嬢ちゃんみたいな余所から来たトレーナーだが、追いかけっこしたところであの足の速さだ。でもって、追いついたところでまあ強ェの何の」

 

 返り討ちにされちまうのさ! と、男性は呵々と笑った。

 

「笑いごとじゃありませんが」

「お、おぉ、そうか。そりゃ悪かったな」

 

 しかし、当人にとっては笑い話で済まないらしい。

 放たれるオーラにあてられた男性の笑顔はみるみるうちに苦々しく歪んだ。

 

「しかしまぁ、強ェのは事実だ。いくら嬢ちゃんが腕に自信があるからっつったって、こんなとこで息切れしてるようじゃ永遠に追いつけねえぞ?」

「……追いつけないなら、追い詰めるだけです」

「?」

「ゴルバット!」

 

 瞬間、背中から一対の翼が生えたコスモスの体が浮かび上がる。

 ギョッとした男性であったが、すぐさまそれが背中に張り付いたゴルバットのものであると気付いた。

 

「まさか……空から追い詰めるつもりかい!?」

「地上に波動で位置を感知できるルカリオが居る以上、奴は迂闊に地面に降りられないはず。それなら空から見渡して挟み撃ちにします」

「いや、そこまですんのかって意味なんだが!!?」

 

 たかがアイスだろう。

 そう思っていた男性であったが───見誤った。

 

「しますが、それが? あのカエル畜生は私達の戦利品を奪ったのみならず私のことを嘲笑ってきたんですよこの屈辱が貴方に分かりますか分からないでしょうねそもそも価値観というものは人それぞれという前提はありますがそれを差し引いても私から物を奪うということはそれだけで万死に値することなんですよこれは何かしらの形にして償ってもらわなければ気が済みません少なくとも私が費やした金銭や時間に見合うだけのものは見繕ってもらいますそれが奴が野生であれ誰かの手持ちであれ───」

「ヒッ」

「……というのは半分冗談として、私には私なりの考えがあります」

(ほ、本当に冗談だったのか……?)

 

 顔面蒼白で怯え切った男性に対し、コスモスは淡々と続ける。

 

「理解してもらうつもりはありません。ただ、その為にはあのゲッコウガに勝つ必要があるとだけ」

「お、おぉ……そうか」

「くれぐれもジュンサーさんには通報しないでください。町に迷惑を掛けるつもりはありませんが、そもそもの被害者は私ですので。通報する権利は私にこそあります」

 

 有無を言わせぬ覇気を放ちながら、少女の体は宙高くまで舞い上がった。

 本当に空から追い詰めるつもりらしく、背中のゴルバットに指示を出しあっという間に二体が消えていった方角へと飛び去って行く。

 呆気に取られる男性。それまでは()()()()()を愉しむ一観客として決め込もうとしていた腹積もりであったが、しばしうーんと唸ってから息を吐き出した。

 

「……一応、()()()に連絡しておくかぁ」

 

───このままではあのゲッコウガがボコボコにされてしまう。

 

 危うい予感をひしひしと覚えつつ、ポケギアを取り出す男性であった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 走る、走る、走る。

 ゲッコウガはひたすらに走る。

 刹那、背後でゴポゴポと水が弾けた音を確認し、跳躍と共に体を180度翻する。その手には圧縮された水の手裏剣が生み出されており、迫りくる『みずのはどう』に対し躊躇なく放り投げる。

 『みずしゅりけん』。圧縮された水の飛び道具は、正確無比な狙いで向かってきた波動をこれまた正確無比な狙いで撃ち落としてみせた。

 

「ゲコゲコ!!」

 

 嘲笑うような鳴き声を上げ、ゲッコウガは再び前を向く。

 先ほどから追いかけて来るルカリオだが、決して屋根に上がってこようとはしない。後ろにビッタリと付いてきはするものの、時々今のような攻撃を繰り出すだけだ。

 

 それだけならば十分逃げ切れる。

 

「……ゲコッ?」

 

 目敏くバサッ、と聞こえてきた羽搏く音に目を向ける。

 

「ルカリオ! 『あくのはどう』!」

 

 空から現れたのは奪ったアイスの持ち主だ。

 顔こそ平静を取り繕ってはいるが、ジッと自身を見つめてくる絶対零度の視線にゲッコウガは思わず背筋が凍ったような感覚を覚える。

 それが現実にとなったのか、背後のルカリオが今度は悍ましいオーラが解放された。

 やはりこれも狙いは正確だ。

 

───それ故に迎撃も容易い。

 

 ゲッコウガはほくそ笑み、その場に両手をついて逆立ちになる。そのまま腰を捻れば、細く長い脚を振り抜いた。

 

 パァン!! と、漆黒の波動が蹴り砕かれる。

 

(『けたぐり』か)

 

 本来は体重の重い相手ほど威力を発揮するかくとう技だ。

 しかし、まるでそれで事足りるとでも言わんばかりだった判断の速さだった。途中話を交えたおじさんも言っていた通りだが、

 

()()()()()()。繰り出された技の威力を見抜いている以上、相当経験値のあるゲッコウガだ)

 

 相手のポテンシャルの高さは既に見抜いていた。最初こそ憤怒で我を忘れていたが、頭が冷えてきた今となっては認めざるを得ない段階に入っていた。

 少なくともルカリオとの一対一であれば勝機は五分といったところか。

 現状ルカリオをエースに置いているコスモスにとっては、最大の賛辞と捉えても過言ではない評価だ。

 

(野生なら捕まえよう。どこか誰かのポケモンなら……負かして賠償金をふんだくろう)

 

 そうだ、そうしよう。

 コスモスの中で方針が固まるや、思考は完全にゲッコウガとのバトルへと注がれる。

 

「ルカリオ、とにかく手を休めないで攻撃!」

「バウ!」

 

 言うやルカリオが鬼気迫る表情のまま、次々に波動系の技を繰り出してくる。

 『はどうだん』に『あくのはどう』、そして『みずのはどう』。いずれも元々命中精度の高い技であることからコスモスの絶対に外さない意思が垣間見えるようだが、いずれにもゲッコウガは難なく対処してみせる。

 

(まずは技を暴く。話はそれからだ)

 

 ポケモンバトルにおいて情報のアドバンテージは軽視できるものではない。

 

「ゲコゲコゲコw」

「……ッ」

 

 観察を続ける自分に挑発する相手に苛立ちつつも、コスモスは出揃った情報を整理する。

 

(使ってくる技は『かげうち』、『けたぐり』、『れいとうビーム』、そして『みずしゅりけん』、と。気になるのはどの技を多用するかだけれど)

 

 ポケモンには個性がある。

 最たる例は性格だが、それを差し引いた部分でもポケモンごとの特徴があるだろう。

 あるいは技の傾向。

 あるいは技の頻度。

 統計を取る。それが情報を得る為の初歩の初歩なのだから。

 

 そしてコスモスもまた得た。

 勝利へと繋がる一つの道筋を。

 

(あのゲッコウガ……()()()()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 にわかには信じ難かった。

 すぐ西方に位置するホウエン地方のバトル施設では、トレーナーの指示なくポケモン自身の判断のみで戦う施設がある。攻撃的なポケモンならば攻撃技を、逆に慎重なポケモンならば補助技を好んで使用する傾向といった具合にだ。

 しかし、このゲッコウは少しばかり違う。

 トレーナーの指示なく戦うポケモンには、とある共通が存在する。それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というものだ。

 

 意識して技を使う、とは意外と難しい。

 特に切迫した状況であればあるほど無意識に同じ技を選択してしまうのは、初心者だった頃の格闘ゲームを想像すれば分かりやすいだろう。

 だからこそ、緊迫した状況の中における冷静なトレーナーの指示が輝く訳だが、それを目の前のポケモンはいとも容易く行ってきている。

 

(『はどうだん』には『かげうち』、『あくのはどう』には『けたぐり』、『みずのはどう』には『みずしゅりけん』、『りゅうのはどう』には『れいとうビーム』と……)

 

 少なくともタイプ相性を理解しているように見える。

 

(でも、どうして『みずのはどう』に『みずしゅりけん』を?)

 

 しかし、だからこそ際立つ違和感があった。

 『かくとう』に『ゴースト』。

 『あく』に『かくとう』。

 そして『ドラゴン』に『こおり』と、タイプ相性上有利なタイプを選んで技を繰り出している。

 にも関わらず、唯一『みず』に『みず』を選び取っている。

 

(単純に迎撃できるから? いいや、違う。実際には迎撃できないまま余波を食らってる。なのに頑なに『みずしゅりけん』を使う理由は?)

 

 ポケモンのタイプは18タイプ。

 それぞれに攻めと受けの相性が存在しており、バトルに精通していない一般人であれば暗記するのもままならないことを、一部バトル脳なポケモントレーナーは知らない。

 だが、そのタイプ相性こそ相手の思考を浮き彫りにする情報に成り得るのだ。

 

(『かくとう』は『ゴースト』に無効だが、逆に普通。『あく』は『かくとう』に半減だが、逆は有効。『ドラゴン』に『こおり』は普通だが、これも逆は有効。『みず』は『みず』に半減……)

 

 コスモスは直感派ではない。

 あくまで一つ一つの情報を整理して答えを導き出す論理派だ。故に途中で組み立てられる仮定が結果として正解であろうと不正解であろうと、一つの情報として当人の頭に蓄えられていく。

 これは直感派の人間よりも将来的な勝ちを見込めるという意味では、論理派が直感派に勝る点だと断言できよう。

 

(仮説は立てた。だからまずは()()

 

 人が人である所以。

 それを証明すると言わんばかりに、コスモスはようやく口を開いた。

 

「ルカリオ! 『()()()()()()()()()()()()』!」

 

 ルカリオの両手から迸る蒼と黒の輝き。

 連結技。その“技”を始めて目にしたゲッコウガは、驚愕に瞳を大きく見開いた。だが、驚いたところで攻撃が止まってくれるはずもなく、同時に解き放たれた二種類の攻撃は真っすぐゲッコウガに向かって突き進んでくる。

 

「ゲッ!? ───コォ!!」

 

 逡巡は一瞬。

 次の瞬間には『けたぐり』を繰り出したゲッコウガが、『はどうだん』と『あくのはどう』を迎撃してみせる。

 

「次! 『あくのはどう』と『みずのはどう』!」

「ゲッ!?」

 

 まだまだ攻撃は終わらない。

 

(これには『みずしゅりけん』、と)

 

「次! 『みずのはどう』と『りゅうのはどう』!」

 

 これには『みずしゅりけん』。

 

「『りゅうのはどう』と『はどうだん』!」

 

 これには『かげうち』。

 

「『あくのはどう』と『りゅうのはどう』!」

 

 『けたぐり』だった。

 

「『はどうだん』と『みずのはどう』!」

 

 『かげうち』だ。

 

「───なるほど」

 

 しばらく攻防を繰り広げ、コスモスの中に一つの推論が浮かび上がった。

 この推論が当たっているのであれば……間もなくこのバトルは終わる。

 

「じゃあ、答え合わせの時間だ」

「ゲコッ!?」

 

 攻撃を回避しようと跳躍したゲッコウガ。

 が、回避に必死になる余り跳んだ先に屋根がないことに気がつく。

 

 不味い、と思ったところでもう遅かった。

 仕方なく地面に着地したゲッコウガは、苦々しい表情を浮かべながら背後から迫りくるルカリオに目を向ける。

 ルカリオもルカリオでかなり疲弊している。一見、怒涛の猛攻撃でゲッコウガを追い詰めたようにも見るが、全力疾走しながら技を繰り出していたのだ。疲弊具合で言えば逃げに徹していたゲッコウガとほとんど大差はない。

 

 しかし、ゲッコウガの注意が向けられたのは空からゆっくり降りて来る一人の少女であった。

 

「まんまと誘導されてくれましたね。おかげでさっさと事を済ませられそうです」

「……ゲコッ?」

「まさか、たまたまここに追い詰められたとでも? そんなはずないでしょう。別に倒すだけならどこでもできました。わざわざ場所を変えたのは……そうですね、しがらみを無くしたかったからとでも」

 

 役者染みた台詞回しのまま、少女は地面に足を着けた。

 

「『準備ができていなかったから負けた』。『場所が悪かったから負けた』。そんなもの本当の勝負の世界じゃ通用しない言い訳です。だから事前に準備する。情報を仕入れる。勝負は戦う前から始まってる訳です」

「……」

「でも、私はポケモントレーナー。ポケモンバトルのルールに則った上で勝負をしたい訳であって、まずは全力で戦える公平な場が必要な訳です」

 

 一度言葉区切ったコスモスは辺りを見渡す。

 ここは公共用に開放されているバトルコート。建物が連なる街並みの中にぽっかりと切り開かれた平地のあちこちで、平日の昼間からバトルに勤しむポケモントレーナー達の姿が窺える。

 しかし、突如コートの一角に舞い降りたゲッコウガとコスモスらに注目が向いているようだった。

 

「なあ、あのゲッコウガって……」

「もしかして!?」

「今日は追いつかれたのか!?」

「オレ達も見に行こうぜ!」

 

 わぁ、と野次馬が集まるのに時間は掛からなかった。

 ベンチに座っていた保護者や散歩していた住民、それに窓から眺めていた者達の視線もこぞって対峙する二体と一人に向いていた。

 

 観衆の目に晒されるゲッコウガの頬には汗が伝う。

 今までに幾度となく人の目に晒されてきたゲッコウガだが、今日この時ばかりは尻尾を巻いて逃げられない雰囲気を感じていた。

 

───『逃げれば勝ち』など許されない。

 

 小さな熱狂は、まるで渦だった。

 技ではないまったく別の要素を、ゲッコウガから逃げ道を潰す。ポケモンでも逃げれば後はないという感覚ぐらいは覚える。むしろ勝負から逃げる=縄張りから追われる野生の世界なら、持っていて当然の感覚だ。

 

「……ゲコッ」

 

 この日、初めて。

 

「───ようやく、やる気が出たらしい」

 

 ゲッコウガが。

 

「そう来なきゃ、私が言い訳全部潰した甲斐がないですからね」

 

 自分から───相手の方へ踏み込んだ。

 

 それは明確な戦闘の意思。

 ルカリオを。いや、その後ろに構えるコスモスをも挫き、勝利を掴まんとする強い意志をも目に宿し、彼はゆっくりと間合いを図っていた。

 

 ゆっくりと。

 ルカリオも構えを取った。

 

 それまでのチェイスが嘘かのように、緩やかな動きの二体が睨み合う。こぞって駆けつけた観客も、思わぬ展開に呼吸を忘れて見入っていた。

 

 激しい技の応酬はそこにはない。

 互いに手の内を晒した以上、下手に攻勢に出れば反撃されると分かっているからだ。故に迂闊には動けない。

 

 もしも仮に先に動いたとするのなら、それは───。

 

「『はどうだん』!!」

「───!!」

 

 ルカリオがエネルギーを収束し始めた瞬間、ゲッコウガも動き始めた。

 舌を相手の方に伸ばす遠距離攻撃。しかし、これの真の狙いは伸びた影にこそある。

 

 『かげうち』。ゴーストタイプの先制技だった。

 素早い影からの魔の手は、ルカリオの『はどうだん』が自身に着弾するより早く、相手に確実なダメージを、

 

「今」

 

 与えるはずだった。

 次の瞬間、瞬いた光は蒼ではなく───黒。

 

「『あくのはどう』ッ!!」

「ゲッ……コォ!?」

 

  大きく振り上げられた拳に宿る漆黒の奔流は、迷わず地面より這い寄ってきた影に叩きつけるように解き放たれた。

 舌に奔る鮮烈な衝撃に、ゲッコウガは身動きが取れなくなっていた。身体が怯んでしまっていたのだ。

 

 不味い、動かなくては。

 と、そう思い至った時には王手が済んでいた。

 

()()()()()()()()()()()

 

 勝ち誇ったようにほくそ笑む少女が告げる。

 

「気づけば単純だった。()()()()()()()()()()()()()()……そっちの動きはとことんそれに則っていた」

 

 例えば『かくとう』に『ゴースト』。

 例えば『あく』に『かくとう』。

 例えば『みず』に『みず』。

 

 いずれも無効か半減にできるタイプの組み合わせだった。

 本来、ゲッコウガは素早い反面打たれ弱いポケモンだ。そんな彼が苛烈なルカリオの猛攻を凌いでいた事実には、それを裏付ける秘密があったのである。

 

「───()()()()()()()()()()()()()()()と推察しましたが、」

 

 さて、結果はどうだろう?

 

「ゲ……ゲゲゲッ!?」

 

 ルカリオは叩きつけた方の手で舌を掴んでいた。

 伸びきった舌は『あくのはどう』の衝撃で弛緩しており、とても引き寄せられる状態ではなかった。

 空いた手にもう一度漆黒の波動が収束していく光景に、運命を悟ったゲッコウガは涙目を浮かべていた。やめて! と腕をクロスさせているが、最早焼け石に水だろう。

 

「ゲコォ~~~⁉」

「……そっちの敗因があるとするなら、やっぱり経験値の差」

 

 だって、と勝ち誇った笑みを浮かべるコスモスは付け加える。

 

「こっちはルカリオと私の二人分……ポケモントレーナーを舐めるなよ」

「ゲ───」

「ルカリオ、『あくのはどう』!!」

「コォォオオオーーー!!?」

 

 黒の波濤が青い体を呑み込んだ。

 バトルコートを揺るがす轟音が鳴り響いた後、地面には伸びたゲッコウガの姿があった。目は回り、四肢はピクピクと痙攣している。誰の目から見ても戦闘不能だった。

 

『お───ぉぉおおお!!』

 

 直後、周囲から歓声が沸き起こった。

 

「すごい、お姉ちゃん!!」

「あのゲッコウガに勝っちまいやがった!!」

「こいつはいいモン見れたぜ!!」

 

 あまつさえ拍手までも巻き起こる始末。

 いくら衆目の目に晒して逃げ場を封じたコスモスでも、これは予想外の結果であった。

 

(よっぽど悪さをしていたみたいですね)

 

 もっともロケット団再興を目標に掲げている彼女にすれば、大抵の悪事は子供の悪戯程度に過ぎないが。

 

「まあ、結局のところどう落とし前をつけてくれるかという話ですが」

「ゲッ!?」

 

 コスモスの覇気に当てられゲッコウガが目を覚ます。

 すぐさま逃走を図ろうとするものの、周囲には怒りの炎を目に宿したコスモスの手持ちが立ちはだかっていた。

 

「ゲッ……コ……」

 

 愛想笑いを浮かべるものの、怒りの火は鎮まらず。

 

───井の中の蛙、タイカイデンを知らず*1

 

 今日、ゲッコウガは井戸の外の世界を知った。

 

 

 

 ***

 

 

 

「はっ……はっ……!!」

 

 走る。走る。走る。

 

「はっ……はっ……!!」

 

 雑踏を目印にしつつ、それらを掻き分けて進む人影が駆け抜けていく。

 全速力で走ったのが目に見えて分かる程に滝の汗を流す人物は、何かを探すように周囲をつぶさに見渡す。

 

(はっ……───居た!!)

 

 そして、ようやく見つけた。

 公共のバトルコートに集う人だかり。中でも、一人の少女とポケモンに取り囲まれる一体のポケモンの姿を。

 

 次の瞬間、一人分のシルエットが宙に駆け上がった。

 比喩ではなく、車止めの杭を踏みつけて大きく跳躍したのだ。踏みつけた瞬間の音は人だかりまで届いたらしく、何事かと一斉に視線が集中する。

 だが、構わず跳躍した人間は騒ぎの中心部へと突っ込んだ。観衆(もしくは野次馬ともいう)は突っ込んでくる人間に驚き、慌ててその場から離れていく。

 

その場に唯一残っていたのは当事者と思しきポケモンと少女達だけ。

 

(なるほど。そーいうことかっ)

 

 その光景で全てを察した()()は、倒れたゲッコウガの隣に着地し、

 

「誠にっ!!!!! すみませんでしたぁぁぁあああああ!!!!!」

 

 流れで華麗な土下座を決め込んだ。

 

「……はい?」

 

 今度こそ呆気に取られるコスモスなのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「モッグ!」

「ハミハミ……」

 

 ベンチに腰掛けたコスモスの膝の上で、コスモッグとユキハミが念願のアイスクリームを頬張っている。

 それは主人であるコスモスも同じだ。

 横取りされたバニラ味のアイスは、今まさに彼女の右手に収まっている。

 が、少女の表情は純粋にアイスを楽しんでいるようなものでなかった。値段は同じだとは言え、屋台で勝ち得た物と自販機で買った物とでは味わいが違うからとも考えられそうだが、実はそうではない。

 

 理由は目の前の地面で土下座する少女にあった。

 

「あの、」

「いえ、みなまで言わずとも分かります!!! この度はご迷惑をお掛けして、誠にすみませんでしたっ!!! 手持ちの責任はトレーナーの責任!!! そちらのお気が済むまで頭をお下げし続けますので、何卒……!!!」

「じゃあもう気が済んだので頭を上げてください」

「えっ? で、でも……」

「とにもかくにも話は頭を上げてからです」

 

 ただでさえ最近は世間の目が厳しいのだ。いくら相手側に非があろうと、土下座させていると人の目に映ればバッシングを受けるのはこちら側である。リーグチャンピオンとなった暁にはメディアにも出演するだろう。その時、『過去に人に土下座させていた』と悪質なマスコミに切り抜かれれば堪ったものではない。

 

 個人的な打算も込みで相手を許したコスモスに、地面に額を擦り付けていた少女が面を上げた。その際、左側頭部でまとめていた藍色の長髪が揺れる。

 ひどく申し訳なさそうな様子は変わらずだが、コスモスとさほど歳が変わらなさそうなあどけない顔にはいくらか安堵が浮かんでいた。

 

「っ……本当に、すみませんでした!!!」

「……」

()()()()!!! アンタも謝るんだよ!!!」

「ゲゲェッ!!?」

 

 そっぽを向いて不貞腐れていたゲッコウガが、後頭部に添えられた少女の手によって強制的に頭を下げさせられる。ゴンッ! と結構な勢いで叩きつけられたからか、潰れたカエルの鳴き声がバトルコート中に木霊した。

 

 その様子を無言で眺めていたコスモスは、ポツリと漏らす。

 

「本当にトレーナーなんですか?」

「うぐぅ!!?」

 

 痛いところを突かれたと言わんばかりに少女の肩が跳ね上がる。

 

「そ、それは、そのぅ……おっしゃる通りで、ウチなんかはポケモントレーナーを名乗るのも烏滸がましいくらいまだまだで……」

「いや、別に詰っている訳じゃなくて」

 

 どんよりとしたオーラをまとう涙目の少女に、一拍間を置いたコスモスが続ける。

 

「そのゲッコウガ、貴方の言うことを聞いてなさそうなので……誰かから譲られたんです?」

「! そこに気づくとは……な、なんという慧眼! 流石は兄貴のゲッコウを倒すだけのトレーナー……」

 

 やっぱり、とコスモスは目が細まった。

 あからさまに舐められている様子を見るからに、トレーナー側のレベルが低いことは明白であった。

 直近ではヌルの事例が記憶に新しいが、それでも実戦レベルまで引き上げるまでにはさほど時間を要しなかった。

 

(誰が譲ったかは知らないけれど)

 

 これだけ高レベルのゲッコウガを手に余らせるなんてもったいないと思った。

 しかし、これはあくまでポケモンバトルに興じる者としてのもの。どのような経緯があってゲッコウガが少女へ譲渡されたかは知らない。

 

(ゲットしたかったけれど仕方がない)

 

 他人のものを盗ったら泥棒だ。

 トレーナーズスクールでも最初の最初に教えられる。

 

 なので、

 

「すみません、お名前を伺っても」

「え? あ、あああっ!? そう言えば名乗ってませんでしたね! ウチは『ウリ』って言います! こっちはウチの手持ちのゲッコウガで、ニックネームは『ゲッコウ』っつって───」

 

「ゲロゲロゲ~!」

 

「人が謝ってるのになんだその態度!! すみませんすみませんホント後できつく叱っておきますんで!!」

 

「……」

 

 有り余る長い舌をチロチロ上下させて挑発していたゲッコウガだが、本日二度目の強制土下座で地面に叩きつけられる。『わるあがき』は反動ダメージの方が大きいと学べるいい教材だとコスモスは思った。

 

 それはさておき、

 

「私はコスモスです」

「コスモスさんですね! この度はウチのゲッコウが大変ご迷惑をお掛けしました! おわびにウチに出来る範囲でしたらなんでもしますんで! だ、だから、ジュンサーさんの方には……」

「じゃあそのゲッコウガください」

「……はい?」

 

 五体投地で懇願していたウリがゆっくり面を上げる。

 

「今、なんて……?」

「そのゲッコウガください」

「えっと……ちなみに、それって特定のゲッコウガを指していたりー……しないですよね?」

「目の前に居るゲッコウガですが」

「え、

 

───えええええッッッ!?!?!?」

 

 町全体に轟く勢いの絶叫がウリの口から上がった。

 あわあわと泡を食い、最終的には泡を噴いて倒れそうになる。寸前でゲッコウガが支えに入り我に返るが、依然として平静には程遠い様子だ。

 

「な、ななな、なんでウチのゲッコウガを!?」

「出来る範囲ならなんでもするって言ってましたので」

「そっ!? それは言葉の綾というか……じゃなくて!!」

 

 響き渡る声に木の枝に止まっていたポッポの群れが飛び立った。

 

「出来る出来ないとかの話抜きにして、そっちがこの子を欲しがる理由が知りたいんですが!?」

「強かったので」

「端的!?」

 

 ほとんどチンピラと同じ理屈に、少女はまた別の理由で泡を食う。

 泣きを入れた相手が善良な人間ならともかく、性質の悪い人間なら搾れるだけ搾り取られる……今まさにそんな事例を目の当たりにしている気分になっていた。

 

「さ、流石にそれは……。このゲッコウガは兄貴から託してもらったポケモンで……」

「じゃあ、お兄さんを説得できればいいですか?」

「へ? ま、まあ兄貴が納得するなら……って、いやいやいや!? ウチも納得させて!? まずそこがスタートラインだから!!」

 

 余りにも傍若無人と感じたコスモスの言動に、次第にウリの言葉遣いも崩れていく。

 

「いくらウチでも譲れない手前の信念ってもんがあんよ!! 『強かった』ってそれだけで大切な手持ちを渡す程、ウチもトレーナーを辞めた訳じゃ……」

「───私には両親が居ません」

「……へ?」

「生みの親の顔は知りません。ずっと施設で暮らしてきました」

 

 予想外のタイミングで切り込まれた話題に、鼻息を荒げていたウリが硬まった。

 それをチラリと確認したコスモスは続ける。

 

「唯一家族と呼べるのは一緒に育ってきたポケモンだけでした。そんな家族も一時は施設の人の手で離れ離れにされかけましたが、幸いポケモンバトルの才能はあったみたいでして。ジュニアのバトル大会で実績を積んで、スポンサーがついた頃には引き離そうとする大人は居なくなってました」

「……」

「そんな私にも夢があります」

「……夢?」

「その為に()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ゴールではなく、スタートラインだと。

 そうコスモスが強調すれば、少女の瞳が見開かれた。

 

「チャンピオンって……この地方で?」

「はい。今もあちこちジムを巡っている最中です。残りは5つ。勿論、この町のジムにも挑むつもりです」

 

 ゴクリ、と固唾を飲む音はウリの喉からだった。

 少女の視線は釘付けであった。自分よりも前に立っているにも関わらず、まだスタートラインにすら立っていないと言い張るポケモントレーナー───その背中が目指す野望の先に。

 

「現状、私の手持ちは未完成です。今後も育成は続けていきますが、私みたいな新参が一から育てたポケモンでリーグを勝ち進むのは困難な道のりでしょう。そして時間が有限である以上、手持ちに加えたいポケモンも限られてきます。それは実際にこの目で見て、戦って、確かな手応えを感じ取れたポケモンです」

「……じゃあ、」

「言葉が足りなかったことは謝ります」

 

 合理性を求めるのが性分なもので、と付け加えた上でコスモスは口にする。

 

「では改めて……私にそのゲッコウガを()()()()させてください。私は、貴方のゲッコウガの強さに惚れこみました。どうか共にリーグチャンピオンを目指してもらえませんか?」

「っ───!!」

「身勝手なお願いだとは承知の上ですが、貴方の……いえ、ウリさんのゲッコウガだからこそチャンピオンの座を勝ち取れる。そんな予感がするんです」

 

 話が締め括られれば、しばし静寂がバトルコートを包んだ。

 しかく、間もなく動きがあった。

 

「ッ~~~、感動じまじだっ!!!」

「あ」

「まさかウチのゲッコウガにそこまで入れ込んでくださっていただなんて……!!! ウチの目は節穴でじだっ!!!」

 

 『ありがとうございます』と言い切る前に涙声で捲し立てるウリに、そうなるよう仕向けたコスモス側が気圧されていた。

 

(物は言いようと言うけれど)

 

 ウソは言っていない。

 ただ、いい感じに聞こえがいいよう変換させてみただけであったが、予想以上の効果があったらしい。目の前で滝のような涙と鼻水を流す少女の姿が現在進行形で証明している。

 

「じゃあ、」

「はい゛っ!!! そこまで熱い夢を抱いた人に託せるのなら、喜んでゲッコウをお譲りします!!!」

「ゲコッ!!?」

「兄貴の方もウチが説得します!!! きっと兄貴も納得してくれるはずです!!! いや、納得させてみせます!!! ウチにコスモスさんの夢の後押しをさせてください!!!」

 

 勝手に譲られることに決まり、驚愕と困惑を面に出して抗議の声を上げるゲッコウガ。

 堪らず主である少女の肩に手をおいて揺らすが、むしろ逆に肩を掴まれて揺さぶれる始末だ。

 

「良かったねェ、ゲッコウ!!! こんな良いトレーナーがアンタの強さに惚れこんでくれたんだよ!!? うぅ、ウチぁ嬉しいよ!!! がんばりやな癖に競争心が剥き出しだから兄貴んとこじゃ馴染めなかったアンタだけど、きっとこの人の所なら上手くやれるよ!!! ウチぁ不器用だからアンタのこと扱いきれなくて足を引っ張りまくってたけど、アンタを負かした人にだったらそんなことなくなる!!! アンタだって勝てるようになるさ!!!」

「コウガッ!!!」

「ひぢぇぶ!!?」

 

 ガックンガックン揺さぶられていたゲッコウガが、堪忍袋の緒が切れたとウリの両頬に『はたく』を繰り出した。

 平たい掌に挟み込まれたウリは左右から襲い掛かる衝撃に堪らずノックダウン。その場に力なく崩れ落ちた。

 

「大丈夫です?」

「にゃ、にゃんとか……」

 

「ゲコゲコゲコ!!」

 

「あっ!? どこに行くのゲッコウ!? 待て、待てったらー!!」

 

 ウリの制止も聞かぬままにゲッコウガはその場から逃げ去る。

 この場に残ったものは気まずい空気。あれだけ感極まっていたウリも、途端にすんとした顔でコスモスの方に振り返った。

 

「……ホントにあの子でいいの?」

「……そこがポケモントレーナーの腕の見せ所です」

 

 若干間をおいてしまったが、これでほとんど約束は取り繕ったようなものである。

 

「それじゃあ連絡先でも交換しておきますか」

「うん! 兄貴のことも説得できたら連絡するから待ってて! ……早い方がいいよね?」

「まあ」

 

 コスモス自身長々と同じ町に滞在するつもりはない。

 譲渡の為だけに長期滞在してジム廻りに間に合わなくなっては本末転倒だ。

 

「最悪パソコンで渡してもらってもいいですが……」

「……いいや、直接渡す!」

「いえ、別に」

「兄貴のことだ! 良くも悪くも頑固だから絶対どっかで話が拗れる! それぐらいの気概で行かなきゃ説得なんてできやしない!」

「……まあ、方法はお任せしますが」

 

 自分に面倒さえ降りかからなければ、ウリが如何様にして兄を説得しても関係ない話だ。

 

「さてと。話も粗方まとまりましたし私は帰りますね」

「今日はホントにごめんね。またお詫びはするから……」

「約束してもらった以上のお詫びはありませんので」

 

 よろしくお願いしますね、とコスモスが別れの言葉を告げようとした。

 その時であった。

 

───ドォン!!!

 

「ッ───何?」

 

 腹の底が震える爆音に、周囲にどよめきが走った。

 音は大分近い。そう遠くない場所で爆発が起こったらしく、近隣住民が窓から顔を覗かせている光景もちらちら窺える。

 

「何事!? テロ!?」

「調べます。ゴルバット!」

 

 呼びつけるやコスモスの背中に張り付くゴルバットが、彼女を空中へと連れだした。

 

「……あそこか!」

 

『ひいいいい!?』

 

 よく耳を澄ませれば、アパートのゴミ捨て場の方から情けない声が聞こえてくる。

 

『誰だ⁉ ガス抜きしてないスプレー缶捨てた奴はぁー!?』

(たまたま引火したってところですか)

『うっかりビリリダマを蹴っちゃったから、『じばく』で引火しちゃったじゃないかぁー!!』

(……)

 

 不幸と見るべきか、迂闊と見るべきか。

 しかし、今日が燃えるごみの日であった為か火の手はみるみるうちにゴミ捨て場一帯に広がり、建物にも及ぼうとしている。黙って見ている間にも被害は広がってしまうことだろう。

 

(仕方ありませんね)

 

 スマホロトムを取り出し消防に連絡しようとする片手間、コスモスはルカリオに向かって声を張り上げる。

 

「ルカリオ!! 『みずのはどう』で火の手を抑え───」

『お、おい! なんかすごい勢いで屋根の上走ってくるポケモンが居るぞ!?』

『速いぞォ!』

『あれ、ゲッコウガじゃ……うわっ、急に雨降ってきた!?』

「ん? ……うわっ」

 

 足元のどよめきは真だったのか、突如として降り出した雨がコスモスの体を濡らす。

 だが、まるで局所的な通り雨のように高速で移動する雨脚は、あっという間に黒煙を立ち上げる火の元へと辿り着いた。

 次の瞬間、屋根の上を疾走していた三つの輪郭が雨の中に浮かび上がる。

 

()()()()()?」

 

───戻ってきた?

 

「ニョロトノとガマゲロゲ……まさか!?」

 

 ウリのゲッコウガだと推察したコスモスであったが、当のウリの反応はそれを否定していた。現に火災現場に向かう三位一体のカエルポケモンの内、音頭を取るゲッコウガはアイスを盗んで嘲笑していた個体とは雰囲気が違う。

 

「ゲコッ! ゲコゲコッ!」

「グワッ、グワッ、グワッ!」

「ケロッ!」

 

 喧しい程の鳴き声を上げるや、三体は一斉に動き出す。

 ニョロトノが口腔から『ハイドロポンプ』を、ガマゲロゲが『マッドショット』を繰り出し暴れる炎を呑み込んだかと思えば、ゲッコウガの『れいとうビーム』がトドメと言わんばかりに突き刺さった。

 

 あっという間の消火劇に消防どころか、コスモスの出る幕すらなくなった。

 

(───強い。あの三体)

 

特にゲッコウガ。

 三体の中でも際立って洗練されている動きは、ウリが手に余らせていたゲッコウの上を行く強さだと断言できる。

 

「なるほど。そういう訳か」

 

 

 

「あーーーっらよぉっとッ!!!!!」

 

 

 

「ゔっ」

 

 一人納得して独り言ちていたコスモスの耳に、溌剌とした雄たけびが突き刺さった。

 うるさい。正直さっき輪唱していたカエルポケモン三体よりも、遥かに。

 それほどの声量を発しながら空を飛ぶペリッパーから飛び降りた青年は、鎮火どころか凍結した火災現場を指差して確認していた。

 

「火の元良ぉし!!!!! 鎮火完了!!!!! 皆、もう大丈夫だぜェ!!!!!」

 

 それは火事を目の当たりにし不安に駆られていた住民を安心させる一言だった。

 次の瞬間には消火してみせた青年とそのポケモン達に惜しみない拍手が送られた。

 

「いよっ、流石だぜ大将!」

「流石はカチョウタウン一のトレーナー! みずポケモンを使わせりゃ、アンタが一番だ!」

「ゲッコウガも皆もカッコよかったぞー!」

 

 どうやら住民の間では有名人らしい。

 というのも、

 

「あ、兄貴ぃー!!?」

「あん? なんでぃ、ウリじゃねえか。手前ェ……こんなとこで油売ってる場合か」

「な、何の話?」

 

 青年を『兄貴』と呼んだウリは目を泳がせるが、凄まじい威圧感を放つ青年は白を切るのをヨシとしなかった。

 

「何もパモもあるかァ!!! 道中、またゲッコウが悪さ働いたって聞いたぞ!!!」

「ひーッ!!?」

「姿が見えねえところを見る限り、まだ逃げてんじゃねえか!!?」

「ごめんよ兄貴ィー!!!」

 

 びえええん!! と目からハイドロポンプを流すウリに、青年は頭を抱える。

 

「ったく……今はもう手前ェの手持ちなんだぞ? 手前ェがしっかりしなきゃなんねえだろうが」

「ぐすん……兄貴、実はそれについてなんだけど」

「あん?」

「ゲッコウが欲しいって言う人が居るから譲ろうかなって……」

「……なに?」

 

 青年のトーンが一段低くなる。

 

「手前ェ……まさか面倒が見切れねえからって他人に押し付けようって魂胆じゃあねえだろうなァ?」

「ち、違うよ!!? その子が言ってくれたんだよ、ゲッコウの強さに惚れこんだって!!! チャンピオンを目指してるトレーナーなんだけど、実際にゲッコウを負かして───」

「こんの……馬鹿野郎!!!」

「ひぃーーーッッッ!!?」

 

 青年の怒気にやられて激流の如き涙を流すウリ。

 その姿を神妙な面持ちで眺めていたコスモスだが、これでは埒が明かないと地面に降りる。

 

「失礼します」

「あん? お宅ははどちらさんでぃ?」

「私が今の話に出てきたゲッコウガを譲り受けたいトレーナーですが」

 

 臆せず名乗り出れば、青年の眉がピクリと動いた。

 

「ほぉ、手前がかい?」

「コスモスです。ジムバッジは3つ。キョウダンとオキノ、スナオカのバッジは獲得済みです」

「……カチョウ以外は制覇済みか」

 

 突拍子もなく獲得したバッジ数を申告すれば、青年の怒気は収められた。

 

「ゲッコウが負かされるのも道理だな。あいつだって弱かねェが、ヒマワリんとこのエースバーンとやり合ってちゃあ手の内がバレてるみたいなもんだ」

「それをバトル中に推理するのはトレーナーの実力です」

「違ぇねえ」

 

 ハッ! と今日ここで初めて笑ってみせた青年はやおら腕を組んだ。

 

「奴の強さを見抜いて手に入れてェって気は分からなくねえ。むしろ、お目が高ェと誇らしい気分だ」

「じゃあ、」

「だがッッッ!!! 譲るかどうかはまた別の話ィ!!!!!」

 

 バクオング顔負けの大声量がバトルコートを震わせる。

 コスモスが女の子がしてはいけない───具体的にはイシツブテが力んでいるような───表情で耳を抑える眼前で、青年はドンッ!!! と胸を叩いて吼える。

 

 

 

「ぼくぁカチョウジムリーダー、キュウ!!!!! ホウジョウ最強の番人が手塩に掛けて育てたポケモン……欲しいというなら手前ェの力で手に入れてみせなッッッ!!!!!」

 

 

 

 ビリビリと。

 肌がひり付く声を浴びながら、コスモスは悟った。

 

 

 

───これ、面倒な奴だ。

 

 

 

 

*1
狭い見識に囚われる様を、井戸の中で威張りくさるカエルポケモンがでんきタイプのタイカイデンにボコボコにされることに例えたことわざ




Tips:カチョウタウン
 ホウジョウ地方の南東に位置する町。北に湿原、南に海と水にゆかりのある土地であるが、暮らしている住民はじめじめとした湿気とは裏腹に快活とした人が多い。古くは水産業で栄えた町であり、虹色橋を通じてセトー地方とも交流が盛んであり、人が集まる町と呼ばれていたことも。
 近くにコイノクチ湿原からは夜にカエルポケモンの合唱が響き、渦を巻く荒々しい海の光景もあって夜には幻想的な一面を覗かせる。ただし旅行客は音に慣れておらず夜に眠れないと苦情が入る為、個室は基本的に防音仕様。また、お年寄りに対して声を大きくして喋るようになる要領で、環境音に掻き消されぬよう声が大きい人が多いのも特徴。大声を出されても怒られている訳ではないので泣かないようにしよう。
 ジムも構えており、リーダーを務めるのはみずタイプのエキスパートである青年、キュウである。


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№038:最強ゲッコウガ計画

前回のあらすじ

キュウ「ぼくぁ兄でジムリーダーの方だぁ!!!!!」

ウリ「ウチぁ妹の方ッ!!!!!」

コスモス「ステレオでうるさい」


 

 

 

───カチャ、カチャ。

 

 

 

 料理の乗った食器が並ぶ音をBGMに、コスモスとレッドの二人は座っていた。

 ここはポケモンセンター───とは程遠い内装のどこにでもあるやや年季の入った一軒家だった。

 畳の香りが漂う居間から庭の方を向けば、トサキントとアズマオウが優雅に泳ぐ池が見える。池の縁には数匹のニョロモが腰かけているが野生らしい。人の目に気づいた途端、ピューっと走って逃げていく。

 

「……」

「……」

 

 無言で正座する二人が見つめ合う。

 何か口にするべきか。

 そう思った瞬間、ドシン! と大盛の料理が食卓の上に参上した。

 

「はい! たんと食べてってね!」

「どうも」

「……ありがとうございます」

 

 料理を運んできたウリに端的に礼を言うコスモスに一拍遅れ、レッドも手を合わせる。

 彼ら以外にも、手持ちのポケモン達の為にわざわざ用意してもらったエサ皿には山盛りのポケモンフーズが鎮座していた。規模はまさしくシロガネ級。その量には常識人(?)枠のルカリオも慄くサイズであった。

 

「さぁてと! メシも出揃ったことだし、頂くとしようかぁ!」

 

 勢いよく座布団に腰を掛けたのは、藍色の長髪をポニーテールにまとめる青年だ。

 寝巻を思しき襦袢を羽織っており、客人の目の前で肌がはだけるのも気にしていない様子。そして手を合わせるや否や、凄まじい勢いで料理を口に運び始める。

 白米に味噌汁、漬物、玉子焼き、そしてカチョウの磯で採れたアオサで作った海苔が並ぶ食卓は、THE・朝食と評して過言ではないラインナップであった。

 

「ん? どうしたんだぁアンタら? もしかして朝は食わねぇタイプか?」

「いえ。別にそういう訳では」

「……じゃあ、オレ達も頂こっか」

「そうですね」

 

 しばし圧巻されていた二人も手を合わせて食事を取り始める。

 どれもこれも山盛りに盛られてはいるが、家主のキュウのペースを見るからに少しでも目を離している間に消えてなくなっていそうだ。

 

「あっ、足りなそうだったら言っちゃって! 兄貴ったら大食いでいっつも平らげちゃうから!」

「メシは体の資本でぃ。食える時に食っときゃねえとトレーナーも消防士もやってらんねぇっての」

 

 そう言うキュウは白米をおかわりする。今どき中々見かけないおひつに詰め込まれた白米を山のようによそい、再び電光石火の勢いで掻き込んでいく。

 

「大食漢ですね」

「ね」

 

 キュウの食べっぷりを眺めながら、コスモスとレッドはもっきゅもっきゅと口にした料理を咀嚼していた。

 

───さて、そもそも何故二人がキュウの家に居るのか?

───それは昨日まで遡るが……、

 

「アンタらも遠慮しねぇでおかわりしてくれよ。ウチのモンが迷惑かけたんだ。詫びとして無理くり泊まってもらったようなもんだが、メシぐらいたらふく食わせねえとぼくぁ面目丸つぶれだからな」

 

 説明終了。

 

 たくあんをパリポリ貪るキュウは、次はきゅうりの浅漬けへと狙いをつけた。

 その間、コスモスは大根おろしとしょうゆが掛かった玉子焼きを掴み取る。

 

「まあ、私達としては食費が浮いて嬉しいですので」

「だね」

 

 しみじみと頷くレッドは熱々の味噌汁を啜った。具はわかめと豆腐だ。出汁が良く利いている優しい塩味が口に広がる。

 

「それにしてもコスモスさんにお師匠が居ただなんて……道理で強い訳だね! もしかして有名な人だったり?」

「やめろぃ、ウリ。師匠に肩書もクソもねぇ。後進に何か一つでも教えられたら、そいつぁそれだけで立派な師匠なんだからな」

 

 不用意な妹の発言を窘めつつ、キュウはレッドの方を見た。

 ちなみにレッドはホシガリスよろしく頬に料理を詰め込んでいる最中であった。あれ? もう山盛りだった白米がないぞ? とウリが訝しめば、ハッと何かに気づいたようにレッドが口を開いた。

 

「この海苔美味しいよ。食べな」

「ありがとうございます、先生。しっかりと味わって食べます」

 

 弟子の少女に海苔を勧めただけだった。白米がまるっとなくなっている辺り、よほど気に入ったのだろう。

 

「あの……おかわりよそいますか?」

「あ、じゃあお言葉に甘えて」

「私もいいですか?」

「え、早っ!? あ、あぁ! コスモスさんもだね!」

 

 茶碗そこに置いといて! とウリは慌てて白米をよそう。そして、すぐなくならないように先ほどよりも多めに盛っておく。

 

「ふぅ……ごちそうさん」

 

 すると、先ほど二杯目をよそってもらったばかりのキュウが席を立った。

 

「兄貴、もう出てくの?」

「おう。今日も早いんでな」

 

 そう言って居間を出て行くキュウ。

 しかし、彼の分の料理がよそわれていた茶碗や小鉢は既に空だった。早食いここに極まれりだが、口述したように朝から忙しいのであろう。

 食卓を共にしていた彼の手持ちも食事を終えており、整然と彼の背中を追って居間を立ち去っていく。

 

 残ったのはウリと客人であるコスモス達だ。

 アウェーの数の方が多い珍妙な光景が広がっている。

 

「この大根おろしおいしいですね。スナハマダイコンを使ってます?」

「お、分かっちゃう? ここいらだとスナハマダイコン使うのがメジャーでさぁ。あ! まだおかわりあるよ。持ってくる?」

「お願いします」

 

 と、コスモスがおかわりを要求する一方で事件は起こった。

 

「ヴァア!!」

「ゲコゲコゲコ!!」

 

 キレ散らかしたヌルの声の後に、耳に障る笑い声が聞こえてくる。

 慌てて戻ってくるウリ。彼女が視線を向けた先には、ヌルのエサ皿を奪い取り、松の頂上を陣取るゲッコウガの姿があった。

 

「コラ、ゲッコウ!! そのご飯を返してあげな!!」

「ゲーコゲコゲコ!!」

「あんにゃろう……」

 

「ここは私に任せてください」

 

 スッ……、とウリの前に歩み出るコスモス。

 頬っぺたにご飯粒をくっつける彼女は、それでも尚怜悧な眼差しを庭先へと送る。ヌルとゲッコウガの喧嘩は、ゲッコウガがやや優勢。特性でタイプが逐一変化する相手に俊敏性で劣るヌルが手玉に取られている形であった。

 そこでポケモントレーナーの出番だ。

 

「ヌル。0時、『かげうち』」

「!! ───ヴァア!!」

「ゴケッコンッ!?」

 

 『かげうち』でヌルの『ブレイククロー』を躱す腹積もりだったゲッコウガに、地面に伸びる影を掻き上げるようにして生まれた影の爪がクリーンヒットした。急所に当たったらしく、ゲッコウガは素っ頓狂な悲鳴を上げてから身動きも取れず庭の池に落水した。

 同じく落水したポケモンフーズは池のトサキント達のエサになるが、ヌルの分は青い顔を浮かべているゴルバットが差し出してきた食べ残しで事足りそうな雰囲気だ。

 

「『シャドークロー』?」

「はい。覚えさせておきました」

 

 カブの漬物をパリポリ食べるレッドの問いにコスモスが頷く。

 影から生み出した爪で相手を切り裂く技、『シャドークロー』。レッドのリザードンも覚えているゴーストタイプの物理技だ。

 

「え? でもコスモス『かげうち』って……?」

「ヌルは私の言うことを聞きませんからね。でも、『相手の繰り出す技が何か?』くらいは聞く耳はもってくれるんでそれを教えました」

「へー、そうなんだー……ってならないよ普通?! じゃあ何!? 今あの子技名だけで相手が何タイプが弱点か理解したってこと!?」

 

 はい、と何でもないようなコスモスの返答が返ってくる。

 

「スナオカジムのエースバーンを倒したのもヌルなので。あの手合いになら遅れは取りません」

「そ、そうなんだ……」

「あ、おかわりください」

「え? もう!?」

 

 席に戻るや否や白米を掻き込み、おかわりを要求するコスモスに色んな意味で引いてしまうウリ。いったいあの小柄な体のどこに食べた物が収まっているか不思議でならない。

 

「やっぱり凄いトレーナーってたくさん食べたりする……? 頭使う的な意味で」

「……オレもおかわりもらっていい?」

「お師匠さんもっ!?」

 

 この師弟、どちらも大食いだ。

 だが摂取したカロリーの向かう先は別々かもしれない。

 

 

 

 ***

 

 

 

「それではジムリーダー・キュウとチャレンジャーによるジム戦を開始します!!」

 

 威勢のいい審判の声がバトルコートに轟いた。

 時刻はまだ朝8時を回っていないというのに、双方のポケモントレーナーはやる気に満ち溢れていた。

 

「それでは、バトル開始!!」

 

 バトルコートを駆け抜けるのはニョロトノとウツドン。

 途端にフィールドには雨が降りしきり、固い地面がぬかるみに変貌していく。

 

「なるほど。特性は『あめふらし』、と……」

 

 それをコスモスは観客席で眺めていた。

 右手にはポテトチップス(ヤドンのしっぽ味)、左手にはサイコソーダ。観戦する気が満々過ぎる布陣の傍ら、彼女はスマホロトムでバトルを録画していた。

 要するに敵情視察。

敵を知り己を知れば百戦危うからず───コスモスの好きな言葉だ。

 

「にしても、わざわざ録画する必要あったかなぁ?」

「自分の目で見ることに意味があるんです。あくまで録画(これ)は見返す用ですし」

「見返すだけならバトルレコーダーもあるでしょ? 公式戦ならいくらでも載ってるんじゃなかったっけ」

「過去分はもう視聴しました」

 

 『え?』と呆気に取られるウリを置いてけぼりに、コスモスは真剣な眼差しをバトルコートに向ける。

 

「でも、バトルレコーダーは定点カメラなんで肝心なところが見れなかったりするんですよ」

「へー……そういうこだわりがあると勝てるのかぁ」

「……むっ、この味中々イケる。先生、どうぞご賞味ください」

「絵面……! 説得力に欠ける……っ!」

 

 片やバトルを録画し、片やポテチの味を共有している。

 ストイックなトレーナーが見たら『真面目にやれ!』と怒りそうな光景ではあるが、ウリは自分にどうこう言えるだけの実力はないと自重した。

 

 しかし、そんな緩い雰囲気も一変する。

 

「キュウさん、緊急です!」

 

 ジム戦中にも関わらず、泡を食った様子のスタッフが駆け寄ってくる。

 対するキュウは背中を向けたまま問いかける。

 

「用件は?」

「広場の野生コイキングが3匹! 同時にギャラドスに進化して暴れてるみてぇで!」

「何?」

「ジュンサーさんらも出動しちゃあいるんですが、手ぇこまねいてる状況です!」

「分かった」

 

 短く返すや、キュウは突然踵を返した。

 バトル中、ましてや公式戦であるジム戦の最中に背中を見せるなどあってはならない事態だ。

 だがしかし、困惑するチャレンジャーに説明する間もなく、キュウは審判へ指示を飛ばした。

 

「ジム戦は続行ぉ!! ぼくぁ現場に急行する!! 後ぁそいつらに任せとく!! 細けぇ采配は手前ぇがやってくれ!!」

「へい、リーダー!!」

「任せたぞ、手前ぇら!!」

 

 そう叫んだキュウは、既にバトル中だったニョロトノの他に2体。ガマゲロゲとゲッコウガを繰り出し、颯爽とバトルコートから去っていった。

 残されるポケモンとチャレンジャー。

 しかしながら、バトルコートを縦横無尽に跳ね回るニョロトノは立ち止まる素振りを見せず、苦手なタイプであるウツドン相手に互角以上の立ち回りを見せていた。

 

「兄貴はいつもああなんですよ」

 

 ウリは苦笑しながら二人に事情を説明することにした。

 

「元々消防士の方が本職で……。ジムリーダーをやるのも、理事長に『消防士の方を優先させてもらう!!』って啖呵切って条件を取り揃えさせたぐらいでさぁ」

「……それでポケモンに後を任せたと?」

「兄貴はそれで問題ないって考えてて」

 

 実際、問題があるかどうかは火を見るよりも明らかだった。

 

「ニョローッ!」

「ウドッ!?」

「ああっ、ウツドン!?」

「ウツドン、戦闘不能!!」

 

 雨の恩恵を得た『ハイドロポンプ』で撃ち抜かれ、ウツドンが瀕死に追いやられた。

 

「……兄貴のお師匠さん、ウコンって名前のおじいちゃんでさ」

「確かホウエン地方で活躍されてるトレーナーですね。フロンティアブレーンだったかと」

 

 バトルフロンティア───ホウエン地方にはポケモンバトルをこよなく愛するトレーナー達の為の殿堂が存在する。

 その中に一つ、バトルパレスと呼ばれる施設がある。

 そこではポケモンに指示を出すことは許されない。トレーナーはただ見守り、勝負の行く末を見守ることしかできないという、全7つある施設の中でも特に変わったルールが敷かれている場所であった。

 

 そこで頭を務める男こそ、先に話した『ウコン』なる老爺だ。

 

「兄貴は小さい頃、ウコンじいちゃんに死ぬほど扱かれてさ。そのせいだか、普通のトレーナーみたいにバトル中に指示を出さないんだよ。基本、黙って突っ立ってるだけで……」

「だからバトルレコーダーで一言もしゃべってなかったんですか」

「でも強い。だから兄貴はジムリーダーなんだ」

 

 ここでようやく機材の故障だと考えていたコスモスの疑問が一つ解決した。

 ジム対策の為に視聴した戦いの記録、その全てにおいてキュウは一言も指示を出していなかった。映像を見るだけでは編集だと疑ってかかっていた光景だが、いざウリから経歴を聞かされれば単純な話であったという訳だ。

 

「エレブー、戦闘不能!! 勝者、ジムリーダー・キュウ!!」

「嘘だぁー!?」

 

 そんなことってあるかよー!! と泣き叫ぶチャレンジャーは風のようにジムから去っていった。よほどトレーナーの指示がない相手に負けたのが悔しかったのだろう。

 

「なるほど。貴方のゲッコウガが強い理由が分かりました」

「でしょでしょ!? 兄貴が手塩に掛けて育てたゲッコウは、指示がなくったってウチぐらいになら楽勝よ!!」

 

───それを自分で言って悲しくはならないんだろうか?

 

 コスモスは口をついて出そうになった言葉を寸前で呑み込んだ。

 

「……でも、そうなると不思議ですね」

「ん? 何が?」

「そんなに強いならどうしてその子を手放したんでしょう」

 

 自分ならあり得ない選択だ、と。

 そう言わんばかりに呟いたコスモスであったが、次の瞬間、隣から隙間風のような音が聞こえてきた。おもむろにスマホロトムの画面から目を離して確認すれば、それが深呼吸して呼吸を整えるウリから発せられたと理解できた。

 そのまま口を開こうとしたウリだが、喉の辺りで詰まった言葉は上手く連ねられない。

 まごまご、まごまごと。

言葉にするのも躊躇われる。彼女の態度が何よりもそう訴えていた。

 

 その時だった。

 

「コウガァ!!!」

「ゲッ」

「ゲッコウ!? 急に出てきてどうしたの……って、アンタまさか!?」

 

 突拍子もなくボールから飛び出したゲッコウガ、もといゲッコウはチャレンジャーの居なくなったバトルコートに降り立つ。

 そのまま何をするかと思えば、青い指先はゆっくりと本来ジムリーダーが待ち構えている側を差したではないか。

 

「コウガ」

「……ゲコ」

 

 ゆらり、と。

 一歩前に歩み出たのはキュウが置き残したゲッコウガ。

 

()()()とやり合うつもり!? アンタ、チャレンジャーじゃないでしょ!?」

 

 兄貴に怒られるよ!! と制止の声も虚しく、両者はバトルコートで相対する。

 審判も止めるつもりはさらさらないらしく、むしろ率先して審判を務めんと静かに旗を掲げた。

 

「……」

「……」

 

 不気味なまでの静寂が場を包んだ。

 緊張の一瞬。

 が、その一瞬が破られるのもまた刹那だ。

 

「コウガ!!」

「ゲッコウ!!」

 

 共に両手に水を圧縮し形勢した手裏剣を投擲する。

 先に動いたのはゲッコウの方だ。

にも関わらず、後から動き始めたコウガの方が技を繰り出すまでが早い。ゲッコウが投擲した『みずしゅりけん』の全てがコウガの後出しに撃ち落とされる。

 ゲッコウの表情(かお)が苦渋に歪む。

 しかし、バトルはまだ始まったばかり。

 

「コウガァァアアア!!!」

 

 気を取り直したゲッコウが舌を突き出す。

 これを当然躱したコウガだが、本命は舌の影。初見では影の中へ引きずり込まんとする魔の手にも見える『かげうち』がコウガを襲い掛かる。

 だが、次の瞬間にコウガの姿はそこには居なかった。

 

「ガッ!?」

 

 悲鳴を上げたのはゲッコウだ。

 彼の背後には、既に手刀を振り抜いた後のコウガが佇んでいた。

 さながら辻斬りのように流れのままに繰り出された動きだった。

 

(『かげうち』を『でんこうせっか』で避けてから『つじぎり』……向こう側は完全にこちら側を見切ってる)

 

 ポテチを食い漁る手も止まり観戦に没頭するコスモスの思考は、今の一連の流れを整理していた。

 ゲッコウの特性は『へんげんじざい』。ヒマワリのエースバーンの特性『リベロ』と同様、直前に繰り出す技のタイプに変化するトリッキーを体現する珍しい特性だった。そもそも存在を知らなければ技の数だけタイプが変化する得体の知れないポケモンを相手取る訳になるのだが、コウガはそんなゲッコウを歯牙にもかけぬと言わんばかりに軽くあしらっていた。

 

(実力は向こうの方が上。これでは……)

 

「アアアッ!!!」

 

 急所に効果抜群の技を命中させられたゲッコウが、吼える。

 それは今にも倒れそうな自分を奮い立たせる為に必要な儀式。誰の後ろ盾も得ず、一人 立ち向かうことを決めた漢が最後の意地を見せる合図でもあった。

 

 立つ。

 駆ける。

 向かう先は未だ傷一つ負わぬ同じ姿をしたポケモン。

 

「コウガアアアアッ!!!」

「……ゲッコウ」

 

 持ち前の俊足でコウガの懐に潜り込んだゲッコウが、細くしなる脚を振るう。

 『けたぐり』。体重が重い相手ほど威力の高まるかくとう技だが、元よりあくタイプを有すゲッコウガ相手にはそれなりの威力を発揮する。

 対するコウガもまた右手で手刀の形を作り、振りかぶる。

 交差する影。

 刹那の間───振り下ろした手刀は空振り、振り上げられた蹴りがコウガの脚へ迫る。

 

 ザンッ!!!

 

 鋭く乾いた音が響いたのは、まさに今ゲッコウの技が命中する寸前。

 

「ガッ……!!?」

 

 瞳を見開くゲッコウ。

 彼の胴体には袈裟斬りのような痕が浮かんでいた。

 

───『つばめがえし』。

 

 素早い動きで相手を翻弄し切りつける、必中の剣法。タイプはひこう。()()()()()()()()()()()ゲッコウには抜群の効果を発揮した。

コウガの脚を払おうとした『けたぐり』もみるみるうちに勢いが衰えていく。

 ようやっとコウガの肌に触れる頃、その威力はほとんど死んでいた。

 最早、ただの蹴り以下。撫でるように触れてくる脚を受け止めたコウガは、そのまま掴んだ脚諸共ゲッコウを突き放した。

 

 戦意が残っているならすぐにでも体勢を立て直す状況。

 しかし、突き放されたゲッコウはと言えば受け身一つ取れぬ間に地面に転がった。

 

「ゲッコウ……ゲッコウ!!」

 

 傷つき倒れたパートナーを見るに見かねたウリが観客席から飛び降りて駆け寄る。

 

「よく……よく頑張ったな」

 

 今は休んで。

 そう労ったウリはゲッコウをボールに戻し、バトルコートを去った。その足でジムに併設された回復装置の下へ向かおうとしたウリであったが、途中、観客席から降りてきたコスモスとレッドが道中に待っている姿が見えた。

 ここはエントランスとバトルコートを繋ぐ薄暗い通路。

チャレンジャーは緊張を胸にこの道を通り、ある者は歓喜し、ある者は悔しさを抱えて帰路につくことになる。

 

 今のウリは───後者だった。

 

「……誰が悪いとか、そういうんじゃないんだ」

 

 ぽつりと。

 まるで水滴のように零れた言葉には、万感の思いが滲んでいた。

 

「ただ、努力しても超えられない壁を前にして……こいつはそれでも必死に足掻いてる」

 

 それだけなんだよ、と。

 歴史は、紡がれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ゲッコウとコウガは兄弟だった。

 親が同じとか、そういう意味ではない。

 ただ同じ日に生まれ、同じ土地で育ち、同じトレーナーに育てられた。生まれた時から共に過ごした……そういう間柄だ。

 兄弟仲は良好。毎日毎日トレーナー共々扱かれながらも、互いに切磋琢磨して技を磨き合っていた姿は、むしろただ血が繋がっているよりも強い繋がりがあると他者の目には映っていただろう。

 

 多少性格は違えど向かうべき先は同じ。

 主が師に教えられていた『心身常にポケモンと在り』の言葉通り、二体共キュウとは以心伝心───いや、それ以上だったと言っても過言ではない。

 指示がないことを不服に思うことはない。それが常だから。

 言葉がないことを不服に思うことはない。それが常だから。

 ただ信ずるがまま戦地へ送られ、自由な意思の下でバトルに身を投じる。そうして得られた勝利は二体にとって格別の幸福であった。

 それはキュウがジムリーダーへと抜擢され、自然とリーグへの参戦権を得てチャンピオンの座も視野に入ってからも変わらなかった。

 

 今も昔も変わらぬ形で戦い続ける。

 そしてこれからも───そんなゲッコウの想いが絶ち切られるのは、一つのきっかけだった。

 

『ゲッコウガ、戦闘不能!! 勝者、チャレンジャー!!』

 

 ある日のジム戦、ゲッコウは倒れた。

 勝負の世界だ。勝ち負けなんて当然ある。

 だがしかし、その日のゲッコウはトリを務めていた。挑戦者に勝利を譲るか、ジムリーダーとしての矜持を見せるか。その瀬戸際を担う大役だった。

 

 だが、負けた。

 

 主は『気にするな』と慰めてくれた。

 しかし。それでも。だが。どうしても。

 ゲッコウは、自分を許せなかった。

 

 そしてすぐ、また敗北(それ)は訪れた。

 負けに慣れていない訳ではない。負けなんて、主が師事をしてもらっていた時期に億千万と経験した。

 しかし、これは毛色が違う。

 敗北を喫し肩を落とすゲッコウ。彼がその当日目の当たりにした光景は、最後の一体に追い詰められても尚、そこから大逆転を演じるコウガの姿であった。

 

 また別の日、ゲッコウは負けた。

 同じ日、コウガは勝った。

 別の日、ゲッコウは負けた。

 また同じ日、コウガは勝った。

 別の日、同じ日、別の日、同じ日……それを繰り返していく内に見えた“壁”が、どうしようもないほどゲッコウの前に大きく聳え立っていた。

 

 同じポケモンなのに。

 同じ練習をしたのに。

 同じ状況だったのに。

 

───どうして自分だけ負けるのだろう?

 

 きっと、膝を折ったあの日。

 ゲッコウは別の大切なものも折れてしまったのだろう。

 

「それからだよ。ゲッコウが誰彼構わずバトルを吹っかけるようになったのは」

 

 回復装置に収まったボールを見遣るウリは、沈痛な面持ちで今日までの出来事を思い返す。

 

「きっと、コウガと同じことをするだけじゃダメだって思ったんだろうね。強そうな相手を見つけたらちょっかいかけて野良バトル三昧! ……兄貴に迷惑かけるのもお構いなしでね」

 

 それがいつしか風物詩となった頃。

 兄は自分にゲッコウを託した、と。

 ウリはそう話を締めくくった。

 

「ゲッコウは弱くない。だけど、ちょっと間が悪かっただけなんだ! 今はそのせいで不貞腐れちゃってるけど、こいつの『勝ちたい!』って想いだけは本物だ! こんな中途半端なトレーナーのウチでも、それだけぁ断言できる!」

 

 不甲斐ない己への怒りは全て相棒を再起させる熱意へと転化させろ。

 兄が自分に託した理由は、きっとそこだ。

是が非でもゲッコウを立ち直らせ、彼の在るべき場所へと返す。それをウリは自分の使命だと考えていた。

 

「結局はバトルするどころか、言うことも聞かせられなかった……けど! こいつがまたバトルコートで輝けるようになるんだったらなんだってする!」

「その役目を他人に託しても、ですか」

「ウチのプライドなんてどうだっていい! 大事なのは……こいつがなんだッ……!」

 

 口さがない者は『責任転嫁』と呼ぶかもしれない。

 他人に自分の役目を押し付けるなんて無責任だ、と。

 

 だが、真に譲れないものがあるからこそ、彼女は己のトレーナーとしてのプライドを捨て置いてまで役目を果たそうとしていた。

 

「……コスモスさん。兄貴の言ってた言葉、覚えてる?」

「もちろん」

 

 それは昨日、家に招待される前のやり取り。

 

「『ゲッコウはもう手前ぇの手持ちだ。ぼくぁ関与しねえ。だから、納得させなきゃならねえのは()()()だ』、って」

 

 次の瞬間、コスモスの方に振り向いたウリが頭を下げた。

 腰を90度曲げた最敬礼。思わず礼をされた方が一歩後退ってしまうような勢いだった。

 

「頼みます!! どうか……コスモスさんの手で、()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 それが暗に提示されたキュウからの条件。

 コスモスがゲッコウを認めるのではない。

 むしろ、逆。

ゲッコウがコスモスを認めてこそ、新たなパートナー関係は祝福されて然るべき───と。

 

「身勝手なのはわかってる!! でも、ゲッコウはいつまでも燻ってていいタマじゃねぇんだ!! たとえウチの下でも立ち直れるとしても、それはずっとずっと先の話になっちまう!! それじゃダメなんだ!!」

 

 今年はセトー・ホウジョウ地方初のポケモンリーグ開催年。初めてのチャンピオンが決定される大切な年だ。

 

「こんな時期に油売ってるくらいなら……いっそ、コスモスさんみたいなトレーナーに引き取られるべきだ!! アンタがゲッコウを引き取ってチャンピオンになってくれ!!」

 

 『頼む!!』と改めて深く頭を下げるウリ。

 程なくして床に点々と水滴が落ち始める。彼女が今日まで秘めてきた想いの一欠けらは、それでも床に大きく染みを広げていく。

 

───これではどちらが頼んでいる側か分かったものではない。

 

「……どうするの?」

 

 無言を貫いていたレッドが口を開いた。

 彼にとっては知らぬ間に始まっていた話だが、弟子が関与している以上、無関係では居られないといった様子であった。

 

「……先生。少し確認してもいいですか?」

「なに?」

「先生のラプラスはどうやって手に入れたんでしたっけ」

「……シルフカンパニーの人から貰った」

 

 ロケット団が占拠中の、という冠詞は除いた。

 

「じゃあ、フシギバナは?」

「……フシギダネの頃、ハナダシティで貰った」

「カメックスは?」

「ゼニガメの頃、クチバシティで貰った」

「そうですか」

 

 コスモスはうんうんと頷く。

 彼女の中では問題児も問題児なゲッコウガを引き受けるか否かで考えあぐねていたところであった。

 

 だが、偉大なる先達の経験談を聞いて、ようやく決心が固まった。

 

「……他人から譲ってもらったポケモンでも実力を十二分に発揮させてこそのポケモントレーナー、と」

 

 彼女の解釈は、理論を超越する───。

 

「分かりました、引き受けましょう」

「!! ホント!?」

「ただし、立ち直らせるだけなんて中途半端なことはしません」

 

 半開きの瞼の奥に、窺い知れぬ光を宿すコスモスは宣言する。

 

「目指すなら()()()()()()()()です。発揮し得る実力を120%まで引き上げる……他ならぬ私の手で。それを成し遂げてみせます」

「お、おぉ……なんだかすごいやる気だ!?」

「その第一歩が───そうですね」

 

 振り返った先から放たれるプレッシャー。

 これは間違いなく()のものだ。

 ゲッコウを容易くあしらい、勝利を我が物とした片割れ。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 それなら誰も文句は言わないでしょう、と。

 勝利の女神は、不敵に笑った。

 




Tips:ポテトチップス(ヤドンのしっぽ味)
 ジョウト地方方面で販売されている地域限定味のポテチ。食べた人曰く『旨味が効いた塩味』とのこと。パッケージ裏のヤドンマークを5枚集めて応募するとヤドンのぬいぐるみ(実物大)が当たる可能性がある。コスモスも応募したが外れた(当たったら売るつもりだった)。


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№039:言うことを聞かない? それなら勝てばいいじゃない!

前回のあらすじ

ウリ「二人で白米4合平らげた……」

レッド「栄養は体に行きます」

コスモス「栄養は頭に行きます」


 

 

 

 時刻はすっかり昼下がり。

 

「それじゃあ、いつもの()()をやりましょう」

 

 言い放ったのはコスモスだった。

 一通りジム戦を録画した一向がやって来たのは、公共のバトルコートの一角だ。

 今日も今日とて無邪気な少年少女や、血気盛んなポケモントレーナー達で賑わっており、視線が合えばすぐにでも野良バトルが勃発しそうなくらいの熱気に包まれている。

 

()()をやるんだね」

 

 対して、常時真顔のレッドは得心した口振りで頷いた。

 しかし、如何に師弟間が以心伝心であったとしても、第三者が加わればまた別の話となる訳で、

 

「ごめん。ウチに詳細が一切伝わってこないんだけども」

 

「……()()ですよ?」

()()だよね」

「そう、()()です」

「うん、()()で間違いない」

 

「前提の共有ッ!!」

 

 あれよあれよという間にジムから連れてこられたウリは困惑の色を隠せないでいた。

 すっかり回復し切ったゲッコウはボールの外に出ているが、どこぞへ逃げられぬようきょうせいギプスを装着された上、あなぬけのひもで雁字搦めにされている。

 だが、そんな状態のゲッコウは一旦スルーして解説に移ろう。

 

「私なりのトレーニング方法をこの場で実践してみせます。ゲッコウガに加わってもらう形で」

「それをやったらゲッコウがコスモスさんを認めてくれるんだね!! よし、やろう!!」

「判断が早い」

 

 ダーテングがこの場に居たらビンタしてきそうな勢いだった。

 しかしながら、当人が提示する以上一定の効果が期待されていることに違いはない。

 

「別に難しい話じゃないです。手持ちのポケモン同士を戦わせるだけです」

「え? それだけ……?」

「はい」

 

 ただし、とコスモスは付け加える。

 

「片方は私が指示を出します。もう片方は自分の思考だけで戦う訳ですね。野生のポケモンとのバトルが近いでしょう」

「ははー。でも、それなら普通に野生のポケモンと戦った方が良くない?」

「経験値を得るだけならそれでいいでしょうがね」

 

 思わせぶりなコスモスの言い草に、ウリが険しい顔つきになる。

 いったいこのトレーニング方法のどこが重要なのか? それを見極めようと必死に思案している様子だ。

 だが、合理性を求める進行役(コスモス)は解答者が答えるより前に正解を発表する。

 

「肝心な部分は、()()()()()()()()()()()()()()にあります」

「???」

「要するに認識の擦り込みがメインなんです」

 

 宇宙ニャスパーのような顔だったウリには懇切丁寧に説明してあげよう。コスモスはそう心に留めた。

 

「ポケモンがトレーナーの言う事を聞かないのは大抵トレーナー側が軽視されているからです。ウリさんの話を聞く限り、ゲッコウガは『トレーナーの指示がない方が上手くやれる』と思っているようです」

「まあ、兄貴のバトルスタイルがあれだからね……」

「前任者のバトルスタイルはさておき、問題はそれで私の言うことまで無視されたら敵わないという点に尽きます。なので、まずは『私の指示に従った方が勝てる』という認識を擦り込む訳です。裏を返せば───」

「あぁ、そーゆー?!」

「だから野生のポケモンではなく、手持ち同士で戦わせるんですよ」

 

 やっと話が繋がった。

 確かに勝ちの経験だけなら野生のポケモン相手でも積み重ねられるが、負けの経験はその限りではない。何故なら、普通に戦わせるだけであれば、基本的にポケモンはトレーナーの指示を聞いている状態だからだ。『敗北』が『トレーナーの無能』と=で繋がれてしまってもおかしくはない。

 

「このトレーニングは『私の指示がなかったから負けた』という認識を効率的に擦り込ませられます。もっとも、私が指示を出した上で負ければ元の子もないですが」

 

 そうは言うものの、彼女の統率のとれた手持ちを見れば一目瞭然だ。

 言う事を聞かないと豪語していたヌルでさえ、バトル中は彼女の指示に耳を傾けている。こうしてトレーナーの指示を聞くに値すると認めさせた時点で、このトレーニングには一定の価値があると言えよう。

 

「という訳で、私のトレーニングに付き合ってもらいますよ」

「ゲコォ……」

「……まあ、説明だけして『信用しろ』で通るならこんな拗れた話にならないでしょう」

 

 とどのつまり、実践だ。

 その為にはまず過剰なまでに拘束されたゲッコウガを解放しなければならない。話を聞いていたウリが早速解きに掛かろうとした、その瞬間だ。

 

「ゲコォ!!」

「あっ、ゲッコウ!? アンタ、いつの間に縄抜けを……!?」

「ゲコゲコゲコ!!」

 

 既に緩んでいた縄から抜け出したゲッコウが飛び跳ねた。

 まるで『トレーニングなんざ御免だ!』とでも言わんばかりの様子で背を向けて逃げるが、

 

「ゴルバット、『くろいまなざし』」

「ゲコッ!?」

 

 あらかじめボールの外に出していたゴルバットが睨みで、なんとかその場に縫い留めた。

 しかし、こうなってしまえばゲッコウが実力行使に出るのは前日のやり取りから明白。目の色を変えたゲッコウが、『れいとうビーム』を繰り出す構えを取った。

 

「そう来ると思ってました」

 

 余りにあっけらかんと。

 読み勝ったと主張するコスモスに対し、ゴルバットは直線軌道の冷気をその身にくらう。しかし倒れない。弱点のタイプを受けても尚、ゴルバットは宙を羽搏いたままだった。

 すると、その大きく開かれた口から何かのきのみの残骸と思われるヘタが吐き出された。

 僅かに残る果肉を包むのは水色の皮。

 

「あれはヤチェの───!?」

「ゴルバット、『あやしいひかり』」

 

 刹那、硬直しているゲッコウを幻惑の光が襲い掛かった。

 これにはたまらずゲッコウも足取りが覚束なくなる。

 

「ゲコゲコ~??」

「ゴルバット、『かげぶんしん』。『かげぶんしん』。『かげぶんしん』……」

「うわぁ……ッ!?」

 

 ゲッコウが混乱している間、コスモスの口から飛ばされるえげつない指示にウリは戦慄していた。

 いつの時代でも嫌われる戦術はある。

 たとえば陰湿的な戦法。具体的な手法は数えればキリがないが、ことポケモンバトルにおいて『回避に徹する』戦法は爽快感に欠けると選手や観客からも嫌われ易い。だが、嫌われるのはそれだけ有用であることの裏返しだ。

 

「さて、そろそろ……」

「ゲ、ゲコ……ゲェッ!!?」

「『アクロバット』」

「ゲコォーーーッ⁉」

 

 目を覚ましたゲッコウの目の前には、数十匹にも分身したように見えるゴルバットが飛び交っていた。

 どれが本物かと見極めようとするのも束の間、一斉に襲い掛かってくるゴルバットの大群にゲッコウは返り討ちにされる。

 

「ゲッコウぅーーー!!?」

「昨日のリベンジ達成です」

「ゴルバッ!」

 

 コスモスの頭上を飛び回るゴルバットは非常にご満悦な様子だ。

リベンジが嬉しいのは人間もポケモンも同じことである。

 

「さあ、私の言うことを聞く気になりましたか?」

「ゲーコゲコゲコッ!」

「……そうですか」

 

 まんたんのくすりで回復したゲッコウだが、まだコスモスの指示を聞く気はないらしい。

 べろべろばぁ! と長い舌をちろちろさせておちょくってくるゲッコウに、コスモスは深々と溜め息を吐いた。

 

「それなら望むところです。どちらが先に根負けするか……白黒つけようじゃありませんか」

 

 バチバチと両者の間に火花が散る。

 とてもではないがこれからパートナー関係を結ぼうとするトレーナーとポケモンの光景には見えない。良くてバトル、悪くてもバトルな一触即発な雰囲気である。

 

「え、えっと……コスモスさぁん? 一応ゲッコウは負け込んで落ち込んでる最中だから、負かすのも程々にね……?」

「その辺りは弁えてますので」

「あ、そう……」

 

 それなら心配いらないだろう。

 

───そう思っていたのが30分前。

 

「ニンフィア、『マジカルフレイム』」

「ゲコォー!?」

 

「ヌル、『けたぐり(つばめがえし)』」

「コゲェー!?」

 

「ルカリオ、『はどうだん』」

「ガッコォー!?」

 

「モッグ! モッグ!」

「ハミハミ」

 

 コスモッグとユキハミが戯れている傍で繰り広げられる激闘は、全てゲッコウガの敗北に終わっていた。

 

「ふぅ……激しい戦いでした」

「───いやいやいやいや待って待って待って!!?」

「どうしました?」

「『どうしました?』じゃなくて!!? 手加減!!! 手心!!! 思いやり!!!」

「知らない企業のキャッチコピーですね」

「違うんだってばぁーーー!!!」

 

 いよいよ我慢できなくなったウリがコスモスに詰め寄る。

 

「負けが込んで落ち込みまっ最中の相手を徹底的に負かしてどうすんのさぁ!!? これじゃあ立ち直るモンも立ち直らんでしょうよぉ!!?」

「そそそそんなにゆゆ揺らさないでくだださい」

「揺らすよぉ!!! そりゃあ揺らすよぉ!!!」

 

 心が揺れるまで揺らすよぉ!!! とウリの実力行使はコスモスが顔面蒼白なるまで続いた。

 

「おぇっぷ……そんなにゲッコウガを負かすのが不服ですか?」

「そりゃそうでしょ!! だってッ……!!」

「……そもそも私は、立ち直る立ち直らないは問題じゃないと思いますがね」

「え?」

「見てください」

 

 そうコスモスが指差した先にはルカリオに負かされたばかりのゲッコウが佇んでいた。

 ただし、彼の瞳から闘志は消えていなかった。膝をついても尚燃え盛る炎は、敗北すらも糧にして激しさを増しているように見える。

 

「もしも、きっかけが敗北だったとして───それでスランプになっていたのならあそこまで強くはありません。()()()()()()()()。声を大にして認めましょう。私が指示を出してようやく勝てる()()なんです」

「ッ……!」

「だから、実力を発揮できないとかそういう問題は既に過去。ゲッコウガが今直面している課題は……おそらく、貴方が認識していたものからもうかけ離れているみたいですね」

 

 そこまで説明され、ウリはコスモスの肩を掴む手を放した。

 

「じゃあ……ゲッコウは今何を見てるの?」

「月並みな言葉かもしれませんが……」

 

───超えるべき存在。

 

 ここまで説明されてもピンとこないウリではない。

 ただ、それはあくまでもコスモスの目から見たゲッコウの姿でしかない。本当は別のことを見ているかもしれない。

 けれど、ゲッコウもむやみやたらに勝負を吹っかけている訳ではない。明確な目的意識を持って勝負に挑んでいる。

 

「ゲッコウ……アンタは、コウガに勝ちたいの……?」

「……」

 

 返ってきたのは沈黙。

 ポケモンと通じ合える言語はない。一方で通じ合う言葉は確かに存在する。

 ポケモンと人間の間で共通する感情がある以上、行動や所作には必ず意味がある。それを齟齬なく読み取れるかもまた優秀なトレーナーとしての資質であり、永遠の課題だ。

 コスモスの認識が正しいとも限らないし、ウリの認識が正しいとも限らない。

 

 だからこそ、少しでも長く寄り添う必要があるのだとしたら───。

 

「……わかった! ウチはアンタを応援するから!」

 

 今にも倒れそうなゲッコウに肩を貸し、ウリは持ってきたきずぐすりの一つを取り出す。

 

「コウガに勝つでもジム戦で勝つでも何でもいい!! アンタがホントにやりたいことがあるんなら、ウチはなんだって応援する!!」

「……ゲコ……」

「今はまだウチがアンタのトレーナーだ!! アンタがやりたいことはウチも支えてやらなくちゃ、トレーナーの名が廃るってモンよ!! 二人三脚だ!! 二人で……二人でやり遂げるぞ!!」

「……コウガ!」

 

 きずぐすりでの治療を受けたゲッコウガが立ち上がる。

 だが、それまで前しか見ていなかった瞳にはしっかりとウリの姿も映っていた。肩を抱え合う二人の支えは強固であり、それまでどこか不安が拭えなかった危うさは見る影もなくなっていた。

 

「やるぞ、ゲッコウ!! 打倒コウガ!! 打倒兄貴!!」

「コウガッ!!」

「頑張るぞ!! 頑張るぞ!! 頑張るぞぉーーーッ!!!」

「コウガァーーーッ!!!」

 

「(……手持ちはトレーナーに似ると言うけれど)」

 

「ん? 何か言った?」

「いえ」

 

───一応後々譲り渡す予定を彼女は理解しているのだろうか?

 

 少々不安になるコスモスであったが、当人がやる気を出したところに水を出すような真似はしない。

 むしろ、これは僥倖だった。

 どういう理由にしろやる気になった相手は、とことん乗せるに尽きる。

 ゲッコウの目標が兄弟分の撃破───延いてはカチョウジム攻略にあるのなら、コスモスも方針変更は厭わない。

 

「さて、どうプランを変更しようか……」

「……!」

「ルカリオ?」

 

 ピクッと耳を立てるルカリオがどこかへ視線を向けた。

 何かを感じ取ったのかもしれない。そう思って同じ方向を見たはいいものの、特に変わった点は見受けられなかった。

 

「……気のせい? まあ敵意がない相手なら無視でいいよ」

「……」

 

 しかし、明確な悪意がない相手までに気を向け続けるほど暇ではない。

 コスモスの命令にこくりと頷いたルカリオは、半ば感知した存在の敵意を否定する形でトレーニングへと戻るのであった。

 

『……』

 

 ただ、こちらを見る人影が消えず。

 じっとりとした視線は、コスモス達を眺め続けていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 トレーニング2日目。

 

「うおお、頑張れゲッコウぅーーーッ!!!」

「ゲコォーーーッ!!!」

 

「ルカリオ、『あくのはどう』

 

「ウゲェーーーッ!!?」

「ゲッコウぅーーーッ!!?」

 

 『かげうち』で先制攻撃を仕掛けたゲッコウに、ルカリオがカウンターに繰り出した『あくのはどう』が直撃する。

 特性でゴーストタイプに変化していたゲッコウにあくタイプは効果抜群。たった一発の直撃であったが、元より耐久力に秀でている訳ではないゲッコウガというポケモンにとっては致命的なダメージだった。

 

「死ぬな、ゲッコウ!!! アンタはこんなところで死ぬポケモンじゃない!!!」

「別に死にませんから」

 

 こんなやり取りも通算10回目だろうか。

 

「それよりウリさん」

「んっ!? なんだい?」

「最初に私は『応援してくれると助かる』と伝えました」

「うん! だから応援してるよ!」

 

 親指を立て、ウリは良い笑顔を浮かべている。

 

「それじゃあ傷ついたゲッコウガを治療していただいてもらってもよろしいですか?」

「よし、任せて!」

 

 しっかり治療するから! と意気込むウリは、取り出したきずぐすりをゲッコウの体に吹きかけていく。

 

「痛いとこがあったら言いな。これで治してやるから」

「ゲッ!?」

「そこか! 沁みるけど我慢しなよ。あっ、こんなとこにも擦り傷が!? ここにも吹きかけて……あぁ!? こんなところにも!」

 

 プシュー、プシュー、プシュー、プシュー。

 

「ここも! そこも! ああ、これも!? これ、は……傷なのか? いいや、とりあえず掛けとけ!」

「ウリさん」

「え?」

「その辺で」

「あ、そう……」

 

 コスモスストップが掛かり、おずおずと引き下がっていくウリ。

 しかし、止めるには少々タイミングが遅かったらしい。おかげさまでゲッコウは全身薬液でベトベトだ。今なら傷ついたポケモンを抱きしめるだけで傷を癒せそうだ。それで癒してもらいたいかは別として。

 

「クゥ~ン……」

 

 ルカリオも鼻を押さえている辺り、相当量吹きかけたことは窺える。

 だが、薬も過ぎれば毒となる。

 

「あんまり掛け過ぎても皮膚に異常が出る場合もありますし、次からは程々にしましょう」

「うっ、ごめん……」

「分かってもらえればいいんです」

 

 とは言ったが。

 

「水分補給しましょう。ポケモンも脱水症状が出たら大変ですしね」

「よし、ゲッコウ! おいしいみずがたんまりあるから、たくさん飲んでよ!」

「ゲポゲボボボッ……!!」

「水にも致死量はあるんですよ?」

 

「もうお昼ですね。疲れていても何か口にするのは大切です」

「よし、ゲッコウ! ゼリー状のポケモンフーズがあるから、たくさん食べなよ!」

「ンゲッ、ンゲッ、ンゲッ!」

「腹八分目という言葉はご存じで?」

 

「折角ですし技の幅が欲しいですね。わざマシンで何か覚えさせましょう」

「よし、ゲッコウ! ここにあるわざマシン全部覚えてみるぞ!」

「ゲコッ!」

「『過ぎたるは猶及ばざるが如し』を身をもって知りたいですか?」

 

───基本、こんな有様だった。

 

「ンゴゴゴッ……ンゴゴゴッ……」

 

 昼の3時を回り、ゲッコウは芝生の上で爆睡していた。

 何をさせても全力投球なトレーナーに似たのか、ゲッコウ自身頑張り過ぎるきらいがあった。

 

 なので、こうして休憩を挟んだ訳であるが、

 

「いいですか? 何事もやり過ぎなのは良くないんです。オーバーワークは非効率の極みというところをまず理解してですね───」

「はい……。はい……」

 

 その間、コスモスによる個別トレーナーズスクールが開催されていた。

 どういう絵面? という疑問がベンチに座っていたレッドの脳裏に過るが、言ってることに間違いがない以上、ウリを擁護する余地は介在し得なかった。

 しかも、いつの間にやらちびっ子達が集まっており、青空教室は大盛況の様相を呈していた。正座させられる馬鹿(ウリ)にも理解できるよう噛み砕いたコスモスの授業は、ちびっ子にも分かりやすい内容であったらしい。

 

(あれ? オレより先生してる?)

 

 レッドは己の存在意義を疑った。

 仮に自身が彼女の立場だったとして、今集まっているちびっ子にも分かりやすい授業ができるだろうか? ───いや、できない。

 

「……適材適所って言うよね」

「先生のおっしゃる通りです」

「お」

 

 現実から逃避しようとした途端、隣に腰掛けていたコスモスに話しかけられて硬直する。吃驚して飛び上がるのでもなく身を固めて防御に徹する辺り、レッドの習性というものがよく理解できるであろう。

 

「先生?」

「……なんでもない」

「さいですか」

「進捗どう?」

「ぼちぼち……と言いたいところですが」

 

 彼女にしては珍しく言葉が詰まっていた。

 

「あのゲッコウガ、中々に反骨精神が強くて」

「根性あるよね」

「何度も立ち上がってくるのはいいんですが、一向に私に従う気配が見られません」

「うん。……うん? それ……ダメじゃないの?」

「はい」

 

 ダメですね、とにべもない返事が返ってきた。

 

「むしろウリさんとの仲が深くなっていくばかりで、私との溝が広がっている一方な気がします」

「ダメだね」

「ダメですよね」

「どうする?」

「どうすればいいでしょうかね」

「なるほど。それでオレのところに」

 

 とどのつまり、助言を求めにやって来たという訳だ。

 いかに同年代より優れた才能や知識があったとしても、その実態は年端も行かない少女に過ぎない。ベテラントレーナーでさえポケモンとの信頼関係を築くには時間を要するのだ。それを未成年に求めよという方が無理な話である。

 だが、条件で言えばレッドも大概だ。

 一度チャンピオンの座に座ったとはいえ、手持ちのポケモンは基本的に波長の合う───要するに、気が合う面子で固まっている。

 

(そもそもオレってどうやって皆と仲良くなったっけ……)

 

 ほわほわと脳内にイメージ出力される過去の情景。

 今ほどフシギダネやゼニガメが懐いていなかった時代、打ち解けるきっかけになった出来事を必死に思い出そうとする。

 

「……」

「先生、何かいい方法はありますかね?」

「……バトル」

「ん」

「ポケモンバトルしか……道は残されていない」

 

 『しかしそれは』とコスモスが口を開きかけた瞬間だった。

 

「今の自分達じゃ勝てないような強敵……そんな相手とのバトル、かな」

 

 例えばハナダジムのスターミー。

 例えばクチバジムのライチュウ。

 例えばロケット団ボスのニドキング。

 

 他人から貰ったばかりで懐いていなかったポケモンとの絆は、往々にして強敵とのバトルの中で芽生えたものだった。

 独りよがりでは倒せない。

 しかし、すぐ隣には敵ではなくとも味方とも言い切れない微妙な間柄の存在が居る。ただし相手はこちらと手を組もうとする意思を見せている。ならば手を結ばない道理はない、と。そうしてレッドとポケモンの間には確固たる信頼関係が生れ落ちたのだ───!

 

「! ……なるほど。そういう訳ですか」

「だからコスモスとゲッコウガも……」

「それなら話が早いですね。先生、ご助力をば」

「……うん?」

 

 立ち上がるコスモスは普段と変わらぬジト目ながら、その奥に爛々と輝く期待を滲ませながらレッドに語り掛ける。

 

「私にとって未だ勝てぬ強敵……それは先生をおいて他にありません。この若輩者に胸を貸していただけませんか?」

「……そっか」

 

 そう来たか。

 

 だが、言われてみればそうだ。

 今日に至るまで50戦50敗。それがコスモスとレッドによるポケモンバトルの結果だ。当然、負け越している方がコスモスである。

 常人ならこれだけ負ければ戦意を喪失し、人によってはポケモントレーナーを引退しそうな戦績ではあるが、コスモスはこの通り自分が負け越している相手に喜んでバトルを申し込んでいる。

 

「……オレも、実は戦ってみたかったんだ」

「先生……」

「特性でタイプが変わるポケモン……望むところ」

「先生……!」

 

───だって、楽しそうだもの。

 

 この師にして、この弟子あり。

 

「やろうか。オレとポケモンバトル」

「ありがとうございます。……あと、それとはまた別件なんですが」

「うん?」

 

 話題を変えたコスモスの視線が、レッドの隣に向いた。

 

「その差し入れ、どうしたんですか?」

 

 度々登場してきたおいしいみずやゼリー状のポケモンフーズ、そしてゲッコウガに使えそうなわざマシンがギッチギチに詰め込まれた段ボールの山。

 いつの間に用意した? そもそも自分とのトレーニングでは貰った覚えのない量の差し入れだ、と疑問でならなかったコスモスは、胸の中でモヤモヤとする謎を解き明かすべく問いかけたのであった。

 

「あぁ、これ? これはね、キ───」

「ヂュウウウッ!!!」

 

 刹那、バトルコートに雷が落ちた。

 

 突然の落雷に目が眩むコスモス。

 彼女がようやく視力を取り戻した頃、目の前にはプスプスと黒煙を上げ、愉快なバッフロンヘアーへとイメチェンしたレッドの姿があった。

 

「先生? 雷の音で耳がキンキンするんですが、なんて仰られました?」

「……近隣住民からの差し入れだよ」

「? さいですか」

 

───親切な人も居るものだ。

───それなら利用しない道理もない。

 

 望外の差し入れに内心しめしめと思いつつ、コスモスはバトルコートへと戻る。

 そんな彼女の背中を視線で追いかけるレッドを、ピカチュウは小さな足でゲシゲシと蹴りつけていた。

 

「ごめんってば」

「チュウピ!」

「はい、注意します」

 

 お怒りなピカチュウさんに頭を下げるレッドは、足早にバトルコートに向かった。

 後ろから突き刺さる痛い視線は、未だ消えることはない。

 

 

 

 ***

 

 

 

 かくして、レッドも本格的にトレーニングに参戦する運びとなった。

 その成果であるが、

 

「ピカチュウ、『でんこうせっか』」

「ゲッコウガ! 速さで勝負しない! 『かげうち』で透かしてもすぐ二撃目が来る!」

 

「『けたぐり』を繰り出したまま止まらない! 体力が多い相手からは反撃が来る!」

「ラプラス、『サイコキネシス』」

 

「フシギバナ、『ハードプラント』」

「やけになって『れいとうビーム』で相殺しようとしない! 見た目に惑わされずに、確実に回避に徹して!」

 

「カビゴン、『ギガインパクト』」

「一か八かで『けたぐり』を仕掛けない! 避けて、相手の隙を作ってから反撃に移る!」

 

「リザードン、『ブラストバーン』」

「半減だからって受けようとしない! 避けるの優先!」

 

「カメックス、『ハイドロカノン』」

「(以下同上)ーーーッ!」

 

 戦績───全敗。

 未だコスモスの指示を聞かずに戦うゲッコウであったが、案の定、レッドの手勢を前に手も足も出なかった。

 真顔のまま叫び続けコスモスも返り討ちにされたゲッコウを手当するウリも疲労困憊の様子だ。バトルコートに寝転ぶ彼女達は、中央に倒れるゲッコウも合わせて川の字になっていた。

 

「はぁ……はぁ……今日は、このくらいにしておきますか……」

「ぜぇ……ぜぇ……そうだね。ねぇ、コスモスさん……」

「はい?」

「どう? ゲッコウと一緒に戦ってみて……勝てそう……?」

 

 顔だけこちらに向けてきたウリに、コスモスはフッと笑みを零した。

 

「えぇ……───全然勝てる気がしません」

「嘘ぉ!!? じゃあ何の為のトレーニングだったの!!?」

 

 叫んだ勢いで跳び起きるウリ。寝転んだ状態から反動を使わないとは、中々鍛えられた腹筋の持ち主のようだ。

 対して腹筋だけで起き上がろうとすればプルプル震えるだけのコスモスは、えいしょよいしょと手を突きながら、やっとの思いで上体を起こした。

 

「逆に訊きますが、遥かに格上の相手に指示もなしで勝てるとお思いですか?」

「それは……ッ! そりゃあ、勝てるはずないと思うけど……」

「まあ、仮に指示が全部通ったところで地力が違い過ぎて負けるとは思いますが」

「尚更トレーニングの意味!!?」

「ウリさん……一つ勘違いしていませんか?」

 

 嘆くウリに対し、コスモスは至って平静な様子だった。

 それも当然だ。普段からレッドに勝負を仕掛け、何度も何度も───それこそ全てを返り討ちにされているのだ。今日一日分の敗北でへたるような経験はしていない。

 

「最初に話したように、私はこのトレーニングにおいて勝利にだけ意味を見出している訳じゃありません。無論、勝てればそれは紛れもない進歩と喜びますが、何も敗北したからといってトレーニングが無価値な訳でもありませんから」

「う、うん……?」

「負けるには理由があります。その理由を一つずつ潰して、ようやくたった一つの勝利へと繋がるんです」

 

───百の勝利よりも、一の敗北にこそ価値がある。

 

 勝利した要因を一つずつ分析するのも、確かに勝利への道筋だろう。

 しかし、それには限界がある。結局は自分が持ち得る力量の範囲内で勝ち得てしまったのだから。

 

 一方で敗北は違う。

 敗北に繋がった要因を確かな命題を自分に提示してくる。得られる命題はたった一つかもしれない。

 だが、それを超えれば着実に一歩前へと進むことができる。

 その先に待ち構えていたものが新たな敗北だったとしても、それすらも新たな命題だと受け入れて解決する。

 

「負けにもきちんと意味がある。価値がある。敗北こそが得難い経験値……私はそう考えています」

「……」

「まあ、負けは負けなので相応に悔しいですが」

 

 表情にこそ現れないが、コスモスは黒々しいオーラを渦巻かせていた。

 その様子にウリは圧倒される。

 ただし、悔しさの余りリベンジに燃えるコスモスにではない。

 

(どこまで考えて───)

 

 博識だとは思っていたがよもやここまでとは、という驚きだ。

 単に頭が良いだけではない。目の前の現実に理屈を設け、飲み下す。そんな大人でも一部の人間には難しそうな考え方で、この少女はポケモンバトルに臨んでいるのか───。

 ウリは近日中の考えなしだった行動を思い出し、顔から火が噴き出そうになっていた。トレーナーとしての最低限の知識も持ち得ず、何がパートナーだ。相棒だ。

 

(そう言えば、兄貴には頼りっぱなしだったなぁ……)

 

 小さい頃まで記憶を遡れば、いつも傍には兄が居た。

 どんな時でも面倒を看て、妹とポケモンを導いてくれる兄。尊敬していた。だから、ゲッコウを託された時は驚きこそしたが、嬉しさが勝っていた。

 

(でも、)

 

───まだ自分にやれることはなんだろう?

 

 たとえ、このままゲッコウをコスモスに譲り渡すとしても。

 最後の一瞬まで尽くせることはないだろうか?

 きっと、今パートナーを託した後の心残りはそれだ。

 まだ、やるべきことは残っているはず───。

 

「……ねぇ、コスモスさん。ウチさ、要領も悪いし他人に言われなきゃ右も左も分からないような駄目トレーナーだけど……他にやれることってある?」

「……そうですね……」

「なんでもする。そう言ったの、嘘じゃないからさ」

「じゃあ、」

 

 コスモスはリュックから取り出したノートを、バトルコートに叩きつけた。

 状況を呑み込めず首を傾げるウリ。

 そんな彼女へ、コスモスはえんぴつと消しゴムを押し渡してきた。

 

「私が今日一日分のフィードバックを話すので、ウリさん伝手に内容をゲッコウガに伝えてください」

「ん???」

「長くなりますから、分からない部分があったらその都度聞き直してくださいね」

「ちょちょちょ、ちょっと待って!!? こーゆーのって、コスモスさんが言うべき話じゃないの!!?」

 

 そうは言うものの取り出された筆記用具は抱きかかえている。

 やる気は十分。残り必要なのは納得できる理由だけのようだ。

 

「私が言っても聞かないんですから、ゲッコウガのトレーナーのウリさんが言った方が効果的でしょう?」

「……()()()()()()……?」

「違いますか? 自分で言ってたじゃないですか」

「あっ」

 

 確かに『駄目トレーナー』と公言していた。

 公言した以上、自分で認めているようなものだ───いいや、認めたくなかったのかもしれない。

 

 『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』なんて現実は。

 

「まあ、別に上手くバトルさせられるトレーナーだけが優れてるって話じゃありませんけど」

 

 コスモスはあっけらかんと。

 

「育てるのが得意なトレーナーが居れば、面倒を看るのが得意なトレーナーも居ます。別に得意じゃなくても家族や友達として不足なく暮らせていれば、それも立派なトレーナーです」

 

 それでいて、少女を元気づけるように紡いだ。

 

「だったら、ポケモンに寄り添って応援する人も立派なトレーナーじゃないですか?」

「っ……! うん!」

 

 もう一度『うん!』と頷いたウリは、涙ながらにえんぴつを手に取った。

 

「さあ、ドンと来い! ちゃんと分かるまで質問するから面倒掛けるかもしれないけどよろしく!」

 

 意気込みは十分なようだ。

 コスモスも上手い具合に着火できたと頷いているが、そっと背後霊のように現れたレッドが耳打ちしてくる。

 

「(コスモス)」

「(なんでしょう先生)」

「(ウリとゲッコウ、仲良くなりそうだね)」

「(ですね)」

「(大丈夫?)」

 

 譲渡してもらう予定を立てておいて、現トレーナーとポケモンを強固な関係にするのは矛盾していないだろうか?

 

「(ご心配なく。これで大丈夫です)」

「(おぉ)」

「(とにもかくにも、まずはジムリーダーに勝たなきゃ話は始まりません)」

「(だから言うことを聞かせようとしてるんじゃなくて?)」

「(それは追々で構いません。最悪、勝ってさえくれればいいんです)」

 

 ポク、ポク、ポク。

 

 三度、レッドの脳内で木魚が鳴り響いた。

 

「ああっ」

「そういうことです」

 

「どうしたの? いつでもノートをとる準備はできてるよ!」

 

「少し休憩を挟んでから始めましょう。そっちの方が効率がいいです」

「そっか! じゃあ、始める時は言ってね!」

 

 いつでも全力投球なウリは休憩も全力だ。

 ピューッと休憩に去っていく彼女を後目に、コスモスは今も尚倒れているゲッコウを見遣った。

 

「……まずは、()()()()()()ですね」

 

 ここには言うことを聞かないポケモンが居る。

 ただし、これはジムリーダーが手塩に掛けて育てた、自身の判断で実力を発揮できるポケモンだとする。

 

 以上より何かを悟ったレッドに、コスモスはこう告げる。

 

 

 

「私、使えるものは全部使う性質ですので」

 

 

 

 ***

 

 

 

 同時刻・コイノクチ湿原にて。

 

「兄ィ……こいつァ……」

 

 神妙な声色で地面を見つめる大男・ウシオ。

 彼の傍には、同じように湿地帯の地面を見て眉間に皺を寄せるアオギリが佇んでいた。元の強面もあって、皺の寄った顔は一段と凶悪さを増している。

 

「ああ、分かってるぜウシオ。デケェ……それに相当の数が争ったみてェだ」

 

 彼は周囲一帯に刻まれた這いずり跡を一頻り観察し、深いため息を吐いた。

 いや、這いずり跡と呼ぶには痕跡が荒れ過ぎている。ところどころに作られた不自然な水溜まりや焼け跡は、この場で起こった事態の深刻さを物語っていた。

 

「こいつァギャラドスに違いねェ」

「だがよ、兄ィ……!」

 

「こんなに暴れた痕跡があるのに、当のギャラドスが見当たらないってのも不思議な話よねェ」

 

「イズミ!」

 

 別の場所を調査していた女幹部は、引き連れて戻ったしたっぱ達に何か指示を出す。

 呼ばれたしたっぱ達が取り出したものは、何かの部品の欠片らしき物体だった。それをアオギリが手に取り、じっくりと観察してみる。

 

「金属か? だが、こんな湿地で錆びてねェとなれば……」

「十中八九、最近落ちたものだろうね」

「それが落ちてた近くにも、似たような金属の破片が散らばってました!」

 

 誇らしげに胸を張るしたっぱ達。

 傍には実際に破片を見つけたグラエナが『褒めて!』と尻尾をブンブン振り回している。

 

「なるほどなぁ」

「何か分かるかい? アオギリ」

「これだけじゃな。だが、嫌な予感がする」

 

 手に取った金属の破片。

 それだけでは元の形を想像するのも難しいが、得も言われぬ不穏な雰囲気を感じ取ったアオギリの決断は速かった。

 

「よし、網を張るぞ! イズミ! ウシオ! てめェらはしたっぱを引き連れて不審な輩が居ねェか探せ!」

「密猟者でも居るって言うのかい?」

「密猟者ならカワイイもんだ。もっと怖ぇのは……」

「怖いのは……なんだい?」

 

 もったいぶったように間を置いたアオギリは、声のトーンを一段落として告げる。

 

 

 

「───ポケモンを利用して碌でもねェことやらかそうとする大馬鹿野郎共だよ」

 

 

 

 かつて自分がそうであったように。

 自然という名のポケモンを見誤った時の人の罪は、時に大きな災禍と化して牙を剥いてくる。

 




Tips:ウリ
 カチョウタウンに住むポケモントレーナーの少女。藍色の髪をサイドテールにまとめている。カチョウジムリーダーであるキュウは兄であり尊敬はしているが、当の彼女のポケモンバトルの腕前は素人もいいところ。ゲッコウを託される以前は、庭で飼っているトサキントやアズマオウの面倒を看ていた。
 何事にも全力投球で勢いのある性格だが、それが祟って止め時を見失い、人に言われるまで同じことをやり続けてしまう欠点がある。現在もその性格は直らないままである。
 だが、ポケモンに対する情熱は本物であり、託されたゲッコウに対しても迷惑を掛ければ謝り回り、助力を他人に願い出る際は土下座する程までに覚悟が決まっている。その甲斐もあって多少ゲッコウは言うことを聞く兆しを見せているが、彼女自身のバトルの腕がない為、ゲッコウ自身に任せて戦った方が100%良い結果が出るであろう。ただ、それでゲッコウが喜ぶのであればそれで良しと考えている。


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№040:前から来たものを後ろへ受け流す

前回のあらすじ

コスモス「私だけの時は差し入れはないのに先生は何故……ぶつぶつ」

レッド(今度は差し入れしてあげよう)


 

 トレーニング3日目を飛んで4日目。

 空は快晴。燦々と降り注ぐ日光がポカポカと体を温める日和であった。

 

「カメックス、『ハイドロポンプ』」

「ガメェーッ!!」

「ガガゲゲココウウガガガッ!!?」

 

 訂正。

 降り注ぐ水飛沫で涼やかな日和であった。

 

 カメックスの二門の砲塔。それに加えて口からも発射された水流を躱し切れず、ルンパッパの川流れのようにゲッコウが押し流される。

 

「ゲッコウぅーッ!!?」

「砲塔の向きだけに気を取られましたね。口の動きにも気を付けないとやられます……と伝えてあげてください」

「おう! ゲッコウ、砲塔にだけ気にしないで口の動きにも気をつけるんだ! 一発でももらったら一たまりもないんだからな!」

「ゲ……ゲコッ……」

 

 コスモスから直接ではなく、ウリを経由して伝えられるアドバイスにゲッコウは頷いた。

 いずれ手持ちになるポケモン相手にそれでいいのか? となるような光景ではあるが、幸か不幸かこの場に異を唱える人間は居ない。

 フィードバックの役目を割り振られて疑問に思っていたウリも、今となっては慣れた様子だ。自身の激励も付け加えた上で、コスモスの言葉をゲッコウに言い聞かせている。

 

 きずぐすりもまともに使えず薬液漬けのカエルを生み出していた彼女はもはや過去の存在だ。度重なるバトルの傷を手当することで、自然と彼女の手際も良くなってきている。

 

(やはり反復練習は正義。反復練習は全てを解決する……)

 

 頭で覚えられない人間もポケモンも、体に覚えさせればどうとでもなるのだ。

 ここでコスモスがウリをポケモンと同列に扱っている疑惑が浮上するが、当人に気づかれなければ問題はない。犯罪もそうだ、バレなければいいのだ。

 

「───にしても、お師匠さんのポケモン滅茶苦茶強いねぇ……」

 

 ゲッコウを手当するウリが、苦笑しながら漏らした。

 彼女が思い出していたのは先のカメックスとのバトル。一見カメックスに圧倒されただけに見えたが、内容に関しては着実に進歩していた。

 

「昨日とかは『きあいだま』を諸に食らっちゃってたけど、今回はゲッコウもじゃんじゃか避けてたから『イケる!』って思ったんだけどなぁ」

「単発の大技を避けられるだけじゃまだスタートラインにも立ててませんよ。口からの放水を凌げば、次は手足を収納して水を出しながら回転。最大七門の放水口から水やら氷やら吐き出しながら、バトルコートを『アクアジェット』並みに高速で回りながら縦横無尽に迫ってきます」

「またまたぁ~! いくらなんでもそれが冗談だってのは分かるよ? ウチだって兄貴のこと盛って話しちゃうことはあるけどさー……あ、あれ、なんでずっと黙ってるの? ちょっと、怖いよ! なんか喋ってよ、ねえ!?」

 

 事実をありのままに語っただけなのに、人はどうして分かり合えないのだろう。

 そんな永遠に続く人類の課題はさておき、コスモスは腕を組んで唸った。

 

「そろそろマンネリしてきましたね。新しい刺激が必要ですね」

「刺激の感覚が死んじゃった?」

「そういう意味じゃなくてですね」

 

 トレーニングであっても定期的な内容変更は必須。

 上達にとっての天敵は“飽き”だ。それを上手くコントロールしてこそ、トレーナーとして一段上のステップへと進められる。

 

「町の外に繰り出すとしますか」

「町の外って……もしかして」

「コイノクチ湿原です」

 

 

 

 ***

 

 

 

「毎度ありがとうございました~」

 

 陸路で数時間かかる湿原へも、そらをとぶタクシーを利用すればあら不思議。30分と経たず目的地へと到着だ。

 

「うーん、青い空! 映える緑! そして!」

「すみません、沼に脚を取られました」

「早速水難事故!」

 

 早速コスモスが沼に嵌まり、身動きが取れなくなった。

 

「今引き抜くね」

「ゔっ」

 

 『足首の関節が……』と訴えるコスモスであったが、レッドの手によってものの数秒で救い出された。

 という訳で、3人がやって来たのはカチョウタウン北に位置するコイノクチ湿原。

 みずタイプが数多く生息し、ジム攻略を目論むチャレンジャーの多くは特訓に訪れる場所でもある為、

 

「今日はここでみずタイプをたくさん倒して、ジム戦への経験値を稼ごうってことだね!?」

「そういう訳ですね」

「やったやった! ウチもだんだんコスモスさんの考えてることが分かるようになってきた!」

 

 一つ上のトレーナーになれたと喜ぶウリは、ゲッコウの手を取ってピョンピョン跳ねる。

 今までコスモスのトレーニングの意図を汲み取れて来なかったからこそだろう。こうして他者と考えが同調することこそ、自分がトレーナーとして成長できていると実感できる瞬間なのであった。

 

「そこ足下ぬかるんでますよ」

「ゔっ!!」

 

 ただ、素の迂闊さまで成長できる訳ではない。

 

「引き抜くね」

「あぁ、お師匠さんありがとうございまぁぁああ!!? 待って、待ってくださぁい!! ズボン!? ズボンが脱げていくぅー!!」

「あっ……じゃあ一旦放すね」

「急に放されたら再び沼のなぶぁ!!?」

 

 開幕から泥塗れになる一行だが、今帰ってはそらをとぶタクシー代が無駄になるだけだ。

 

(元が取れるまではお目当てのポケモンを倒し続けるとしますか)

 

 そんな腹積もりの自称合理主義な少女であったが、早速出鼻を挫かれることとなった。

 

「野生のポケモンが……」

「全然見当たらない……」

「ね」

 

 360度、どこを見渡してもポケモンが見当たらない。

 本当に見当たらない。

 ナゾノクサ一匹すら見当たらない。

 

「むしよけスプレーとか使ってないですか」

「使ってない、ウチ使ってない!! だからそんな目で見ないで!! 予知した未来に絶望したネイティオみたいな目は!!」

 

 それはそれでどんな目なんだろう。

 気になったレッドが確かめようとするが、師匠には見せられないと悟った彼女が寸前で凝視を止めた為、結局見られず終いになった。

 

 しかし、このようなやり取りをしている間にも野生のポケモンが現れる気配はない。

 

「おかしいですね。前に通りがかった時はそこら中に居るのを見かけたんですが。何か心当たりはありませんか?」

「うーん……ウチもこんなこと初めてかも。昔は兄貴とよく来てたんだけど、その時もこんなことはなかったし」

「そうですか」

 

 地元住民なら知っている現象かとも考えたが、どうも当てが外れたようだ。

 これでは折角湿原に足を運んだ甲斐がなくなってしまう。つまり、そらをとぶタクシーに使ったお金もパァだ。

 

「ぐぐぎぎぎぎ」

「どこから出してるのそんな錆びたギギギアルみたいな声?」

「……俺のリザードンが乗せてけばよかったね」

「いえ、そんな先生のリザードンの手を煩わせる訳には」

 

 コスモスの変わり身の早さに慄いたところで現状は打開されない。

 ここまで野生のポケモンが出現しないとなると、何かしら原因があると考えるのが自然だ。一帯からポケモンが姿を消す等、それこそ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……」

 

 とにもかくにもオニシズクモ。

 野生のポケモンと出くわさなければトレーニングできない以上、コスモスには散策する以上の道は残されていなかった。

 

 その中で見つけたものこそ、湿地に残された巨大な轍である。

 しかし、タイヤにしては随分大きい。これではまるで細長い巨体が這いずったような跡にも見える。

 それが複数個所に。加えてあちこちに不自然な泥濘が存在している。元々そこに生えていた草が浸っている。これでは程なく浸った植物は腐ってしまうことだろう。

 

(余程規模の大きいみず技を繰り出したか。湿原に生息しているポケモンは一通り確認したけど、こんな戦闘痕が残るポケモンは……)

 

 瞼を閉じて、嗅覚を研ぎ澄ませる。

 すれば、だんだんと感じる。

 何かが焼かれたような焦げ臭さ。そこへ、加わる甘い香りは───。

 

「……先生、何をしておられるんですか?」

 

 思わず瞼を開ければ、そこにはフシギバナの背中に乗って、どこから取り出したか分からない扇子でパタパタ扇ぐレッドの姿があった。『あまいかおり』の出どころはフシギバナの背中の花だったらしい。

 律儀(?)に正座して『あまいかおり』を漂わせるレッドは、真っすぐな瞳をコスモスへと向けた。

 

「野生のポケモン、これで出てこないかなって」

 

 それは苦心する事態に陥っている弟子に向けた師匠の愛。

 言葉ではなく、まずは行動で示す。

 そんな弟子を思いやる師の優しさに溢れた思いは、甘い香りを伴って湿原に広がっていく───が。

 

「……出てきませんね」

「……だね」

 

 一向に成果は現れず。

肩を落とすレッドは、ジャングルに生えてそうなフシギバナの背の花からゆっくりと降りて来る。その背中には悲しみが滲んでいた。木に登ってみたはいいものの、お目当てのきのみが見つからなかったヒコザルを彷彿とさせる背中であった。

 

 と、そこへ空気を読まないカエルが一歩前へ出る。

 

「ゲコゲコゲコw」

「先生に売られた喧嘩は私が買います。表に出ろ」

「やめなゲッコウ、誰彼構わず喧嘩を売るのは!! それにコスモスさん、ここもうこの上なく表!!」

 

───これ以上表って、どこ?

 

 等と、毒にも薬にもならぬ考えを抱くほど辺りは静寂に包まれていた。

そんな時、ルカリオの耳がピンと立った。

 

「ワフッ!」

「……ウリさん、下がっていてください」

「え? 急にどうしたの───ぎゃあ!?」

 

 突如として辺りを襲う激震にウリが足を取られる。

 咄嗟にゲッコウが支えに入ったものの揺れが収まる気配はなく、瞬く間に不穏な空気が辺りを覆い尽くしていく。

 

「なに、この揺れ……?」

「答え合わせの時間みたいです」

「え?」

「不自然なまでに野生ポケモンが居ないのは、それだけ周囲を圧倒し威圧する存在が居るから。加えてあれだけの戦闘痕を残せるポケモンと来れば、必然的に択は絞られます」

 

 たとえば『いかく』という特性。

これは相手のこうげきを下げる他、周囲を威圧して野生ポケモンを追い払う効果がある。

 

「水辺から離れた方がいいですよ」

 

 コスモスの忠告に間髪入れず、水面が盛り上がる。

 天を突くような水柱。

 その中にぼんやりと浮かぶ輪郭は、突き上がった水が流れ落ちると共に露わとなる。

 

「ギャアアアッ!!!」

「ぎゃあああっ!!?」

「───やっぱり」

 

 きょうぼうポケモン、ギャラドス。

 戦乱が巻き起こる度に姿を現し、野山を焼き払ったという伝承が残る彼の水龍ならば、この現状にも説明がつく。

 驚愕して腰を抜かすウリの横で身構えていたコスモスはルカリオに目配せする。

 直後、ルカリオはギャラドスの『いかく』をものともせず駆け出す。繰り出される『かみつく』を回避し、『わるだくみ』で自身の能力を高めていく。

 

(大きさからして前とは違う個体。それに動きも大雑把。歴戦でないのなら、恐るるに足らない)

 

 これがヌシであれば悠長に準備している暇はなかったであろうが、まだ戦い慣れていない個体であれば話は別だ。

 

「反撃の暇は与えない。『あくのはどう』!」

「ガゥアアア!」

「ギャアッ!?」

 

 ギャラドスの脳天目掛けて漆黒の奔流が解き放たれる。

 いかに激流に逆らい滝登りするギャラドスであろうと、ほとんど死角から喰らわせられた攻撃には無力だった。

 強烈な一撃を貰い、ギャラドスの巨体は水分を含み緩んだ地面へ倒れ込む。体力が尽きたのか、その巨体はピクピクと痙攣するばかりで起き上がることはなかった。

 

 流れるような一幕。

 圧倒されていたウリは、バトルが終わったと理解するまで長い間を要した。

 

「た、倒れたの……?」

「どうやら進化して日が浅い個体だったようですね。動きも無駄が多かったです」

 

 下したギャラドスをそう評しながら、コスモスは再び水面へ目を向ける。

 短い戦闘であったが、ギャラドスが倒れた余波で水面は荒波立っている。

 が、一向に波が収まる気配は見られない。寧ろ時間が経つにつれ、ますます高さを増しているように窺えた。

 

「……少し困りました」

「え? もしかしてこのギャラドス、倒しちゃいけないような子だったり……?」

「いえ、別にそういう訳じゃないですけれど」

 

 ザパァン!!! と。

 再び巻き上がる水飛沫に、ウリの目が点となる。

 彼女の瞳に映り込むのはギャラドス───が五体。すべて今倒れているギャラドスとは別の個体が、鬼のような形相でこちらを睨みつけていた。

 

「……はえ?」

「別にギャラドス目当てで来た訳じゃないんですが」

 

 腰のボールに手をつけたコスモスが言う。

 そんな彼女の方にレッドは顔を向ける。

交差する視線。直後、レッドの唇が僅かに動く。

 

「お」

「分かりました、先生。あのギャラドスはすべて私が倒します」

「……」

 

 まだ何も言ってない。

 正確には『お』しか言えていない。

 シュンと肩を落とすレッドを横に、コスモスは一斉にポケモンを繰り出した。

 

「ゴルバット、ニンフィア、ヌル。それに───ゲッコウガ」

「ゲコッ?」

「貴方も参戦するんですよ」

 

 今のままではルカリオも加えて4対5。

 しかし、ゲッコウも加われば同数という場面だ。ギャラドスという凶暴なポケモンに万全を期すのであればせめて同数の戦力で立ち向かいたいところではあるが、だ。

 

「……ゲコッ!」

「あっ、ゲッコウ!? あんた一人で!!」

「構いません。全員、GO」

 

 一人突っ込んでいくゲッコウを追う形で4体もギャラドスへと向かう。

 これで数だけなら同数になったが、やはりと言うべきか目に映る光景の圧力は変わらない。

 

「お、大きさが違い過ぎるよ! それもあんな数を!?」

 

 ポケモンバトルにおける勝敗が体格で決まるという訳ではないが、だからといって無視できる要素でもない。

 たとえ同じ種族同士のバトルであれば体格の大きい方がパワーで勝る。これくらいウリにでも分かる理屈だ。

 

 それを踏まえた上でコスモスの手持ちはどうだ?

 誰も彼もがギャラドスに劣る体格のポケモンばかり。仮にあの巨体に圧し掛かられようものなら一たまりもないはずだ。

 

「いえ、そうでもありません」

 

 静かに語り掛けられた。自分に向けられた言葉だとウリが気づいたのは、一拍遅れてからであった。

 

「ギャラドスは基本的に単独で行動するポケモン。集団で狩りをするような生態は持ち合わせていません」

 

 普段は平穏に満ち溢れた湿地が一変、凶竜が跋扈するバトルフィールドと化した光景から目を逸らさぬままに少女は続ける。

 

「これが訓練された個体ならともかく、野生ともなれば連携の『れ』の文字もない烏合の衆。それをあんなに狭い水辺で屯しようものなら……」

 

 コスモスからの波動を感じ取ったルカリオが吼えれば、ギャラドスに向かっていた手持ちが突如としてばらける。

一部言うことを聞かないポケモンもいるが、それも加味した上で散開したポケモン達に、ギャラドスは巨体を揺らしてルカリオ達を追おうとした。

 

 だが次の瞬間、ギャラドス達の巨体が大きく揺れる。

 まだコスモス側は何も攻撃を加えていない。ただポケモン界の中でも屈指の巨体を誇るギャラドスの巨体が、意思疎通のないまま動いたことで干渉を起こしたのだ。

 不意の衝突事故にギャラドス達の体勢は大きく崩れる。中には堪らず倒れ込み、水面に大きな波を立てる個体も居た。

 

 たった一手で崩れる巨体。

 そんな圧巻の光景を前にウリは思わず息を飲んだ。

 

(最初からこれを見越して!?)

 

 あとはもう蹂躙だ。

 コスモスが指示を出すまでもなく、各々のポケモンが自分の判断で倒れたギャラドスに攻撃を加えていく。ルカリオは『あくのはどう』で怯ませ、ゴルバットは『どくどくのキバ』で毒に侵し、ニンフィアは『あまえる』で攻撃の手を緩めさせ、ヌルは『ブレイククロー』で攻め立てていく。

 ゲッコウもゲッコウでギャラドス相手に上手く立ちまわっており、戦況は完全にコスモス側に傾いていた。

 

 それでも根性のあるギャラドスは、水辺に居ては良いようにやられると悟ったのか、ぬかるんだ陸地に乗り上がる。

 迫ってくる強面。ついでに大きく顎が開かれたのを見て、目にも止まらぬ速さでウリが回れ右をした。

 

「ぎゃあああ、こっちに来たァー!?」

「まな板の上のコイキングですね」

「へ?」

 

 間の抜けた声を漏らすウリであったが、直後に倒れ込むギャラドスの姿にもう一発同じ声が漏れる。

 グネグネと身動ぎするギャラドス。全身を泥まみれにしながらも一向に襲い掛かってこない凶竜を前にして、逃げようとしていたウリも足を止める。

 

「なに、あれ……起き上がれない?」

「地面が緩いですからね。体重の重いポケモンが迂闊に足を付けようものなら、泥に足を取られます」

 

 ギャラドスの体重は優に200㎏を超える。

これはポケモン界の中でも屈指の重さだ。

 

「確かにポケモンの重量は勝利の左右する要素の一つ。例えばカビゴンの『ヘビーボンバー』……あれは自分が相手より重ければ重いほど威力の上がる技です」

 

 ウリの脳裏に過る光景は、レッドのカビゴンが『ヘビーボンバー』を繰り出す姿。

 あれを食らったゲッコウは、文字通り潰れたカエルとなった訳であり、だからこそ巨体を有するポケモンに対して恐れを抱いていた訳だ。

 

「ですが、逆に相手の体重が重いほど威力を発揮する技もあります。ギャラドスぐらいの重さともなれば威力は絶大」

 

 解説する間、不意に二人に影が差す。

 聞き入っていたウリが反射的に振り向けば、そこには泥まみれになりながらも起き上がったギャラドスが牙を剥いていた。

 それどころか何やら突撃しようとでもしているのか、長い身体を大きく反らし、勢いをつけようとしているではないか。

 

「あのー、ギャラドスは一体何をしようとしてるんで?」

「『たきのぼり』ですね。狙いは私達ですね」

「むしよけスプレー持ってる?」

「ライターを使って火炎放射器みたいに使っても効果は薄いでしょうね」

「そんなバイオレンスな使い方するつもりはさらさらない!」

 

 『逃げるのぉ!』と涙目のウリ。

 しかし次の瞬間、2人の前に一つの影が飛び降りてくる。

 

「ゲッコウ!?」

「好きに戦ってください。貴方ならこのレベルの相手を倒すなんて訳がないはずです」

「……コウガッ!」

 

 オドオドするウリの一方、コスモスはバトルを一任するような口振りをした。

 面白くなさそうに瞳を細めたゲッコウであったが、一度頬を膨らませ喉を鳴らせば、タンッ! と軽やかに駆け出した。

 ぬかるんだ地面に足を取られることもなく突き進むゲッコウ。対するギャラドスは、そんなゲッコウ諸共吹き飛ばそうと『たきのぼり』を繰り出した。

 

 勢いも体格差も向こうが圧倒的に有利。

 そして、目に浮かぶ光景と実際の光景が重なった。『たきのぼり』で突撃してくるギャラドスに跳ね飛ばされ、ゲッコウの体が宙を舞った。

 

「ゲ、ゲッコウぅー!?」

「───いいタイミング」

 

 ポツリとコスモスが呟いた。

 その間もギャラドスは彼女達へと向かってくる。

 迫り、迫り、そこまで差し迫り───そして、途端に宙に舞い上がった。

 

 声を失い、頭上を飛び越えていく巨体を見上げるウリ。

 10秒にも満たない時間であっただろう。ただ体感はもっと長く感じられた。そのまま落ちてくれば潰れたマトマのみにもなりかねない巨体なのだからそれも致し方ない。

 けれども、結局ギャラドスは2人に圧し掛かってくることもせず、反対側の地面から背中を打たれるようにして墜落した。ピクピクと痙攣して動かない姿から、大きなダメージを負ったことは一目瞭然だ。

 

 少し遅れてから着地する音が鳴り響いた。

 ウリが振り返れば、ゲッコウが草むらの上に立っていた。しかも体は無傷。『たきのぼり』を食らったようには窺えない。

 

「ア、アンタがやったの……?」

「『くさむすび』。『けたぐり』と同じく、体重の重い相手ほどよく効くくさタイプの技です」

「……あ、」

「わざマシンで覚えさせていましたが、ひこうタイプを持つギャラドス相手には『けたぐり』よりも有効でしたね」

 

 言われてからゲッコウの足下の異変に気がついた。

 不自然に結び目が作られている草、それが罠のようにギャラドスの進路上に設置されていたのだ。

 

 それにしたってウリは驚きを隠せない。

 

「あの一瞬で……?」

「先生のカメックスに比べたら技の出も遅いですし」

「確かに」

 

 ウリは激しく同意した。あの変態軌道高速回転円盤に比べれば、ギャラドスの動きは単調極まりないという評価がしっくりくる。

 

───連日の連敗も無駄ではなかった。

 

そんな実感が胸に過る間にも激しかった戦闘音がみるみる止んでいく。水辺で暴れていたギャラドスは、今や暴れる体力もなくなり静かに伸びていた。

 

「す、凄い。あんなに居たギャラドスが一瞬で……」

「……まだ、」

「そうです、まだ終わっていません」

 

 レッドの言葉をコスモスが遮った。

 

「そもそもどうしてギャラドスが大量発生しているのか、です。ウリさん、心当たりはありますか?」

「え? い、いや……ずっとカチョウタウンに住んでるけど、こんなのは見たことがないかも」

「そういうことです」

 

 すなわち、異常事態。

 3人の目つきが変わった。

 

「通常、生態系ヒエラルキーの上位に位置するギャラドスが大量発生するなんてあってはならないことです。大量発生したが最後、その地域一帯から弱いポケモンは淘汰されて生態系は一変してしまう」

「! じゃ、じゃあコイノクチ湿原はどうなっちゃうの……?」

「最悪気軽に立ち寄れるような場所ではなくなる可能性が高いですね」

 

かつて、いかりのみずうみで起こったギャラドスの大量発生に、セキエイリーグチャンピオン・ワタルが出動し事態の解決に奔走したように───。

 

「それ以外にも問題があります」

「? この辺りに立ち寄れなくなる以外に?」

「このままじゃ私がしたかったトレーニングができません。私はジムリーダーの手持ちと同じポケモンと戦えると踏んでここに来たんです」

 

 ここに来てまで自己中心。

 我が道を突き進むコスモスの言いぶりに呆気に取られるウリであったが、遠くで鳥ポケモンが羽搏くのを耳にしてハッとする。

 

「でも、だからって何をすればいいのかさっぱりだよ。ウチだってこんなこと初めてだし」

「ちょうどここ最近湿原を調査している人達に心当たりがあります。その人達なら何か知っているかもしれません」

「その人達って……?」

 

『だ、誰かァー!!』

 

 難しい顔を浮かべていた一行の下に届く声。

 切羽詰まったような声色の方に向けば、どこかで見たことのある青いバンダナを頭に被った女性が声を上げて走っていた。

 

「あ」

「あの装い……アクア団の人ですね」

「アクア団?」

 

『し、死んじゃうゥー! 粘液塗れにされちゃうー!』

 

「「「……」」」

 

 そこはかとない官能の気配を感じるセリフだ。

 が、しかし。

 

「ヌメェーッ!!」

「メルゴンッ!!」

「メラァーッ!!」

 

 ドタバキグァッシャーン! と。

 轟音を鳴り響かせて現れるポケモンの群れに、悠長な考えは一瞬にして掻き消されてしまった。

 粘液を纏う角を振り回すのは、唯一このコイノクチ湿原でギャラドスとタメを晴れるドラゴンポケモンの一角。

 

「ヌ、ヌメルゴン!?」

「ッ」

「先生!?」

 

 ウリが驚く間もなく、レッドは一目散にアクア団女性団員の下へと向かう。

 女性団員へ押し寄せるヌメルゴンは7体。1体だけでも強力であるのに、一斉に襲われようものなら───。

 

「みんな」

 

 レッドは既に外に出ているピカチュウを除き、残り五体の手持ちを一斉に繰り出した。

 指示を出すまでもなく己がすべきことを理解している手持ちは、暴走車の如く突進してくるヌメルゴンを真正面から迎撃する。

 だが、向こうは7体。6体の手持ちで迎撃しても、どうしても1体余りが出る。

 迫りくる1体が女性団員へと向かってくる。迷わずレッドは間に割って入った。

 

「先生、危険です!」

「ヌメェーッ!」

「───フンッ」

 

 ズンッ、と足を踏ん張った。

 ズポッ、と足が地面に刺さった。

 

「あ、」

「メルゴンッ!?」

 

 ニュル、とレッドにぶつかってきたヌメルゴンがジャンプ台から跳躍するように宙を舞った。ヌメルゴンも予想外だったのだろう。目をまんまると見開き、真下にへたり込む女性団員と目が合った。

 しかし、ヌメルゴンに空中でどうこうする手段はなかった。

 じたばたと足をばたつかせてはみるものの、数秒後には重力に引っ張られて背中から地面に叩きつけられる。

 

「メゴッ!? ゴ……ン……」

「決まり手は『ちきゅうなげ』ですか」

「倒しちゃったの!?」

 

 倒しちゃったのだ。

 『ちきゅうなげ』は地球の引力を使い相手を投げ飛ばす技。人間が使えたとしてもおかしくはない。威力は使った当人のレベルの高さに比例する為、理論上ヌメルゴンを倒しちゃったとしても問題はない。理論上は、問題ない。

 

「……大丈夫?」

「ひっ」

「……」

「こ、この度は危ないところを救っていただきありがとうございました……」

 

 手を差し伸べた瞬間怪物を見るような目を向けられた。

 

(シロガネやまのバンギラスみたく止められると思ったけど、ヌメヌメで滑ったとはいえ投げちゃうみたいになったのは怖かったかな)

 

 真正面から受け止められれば、怖い思いをさせずヌメルゴンにも不必要に傷を与えずに済ませられたのに───心優しい怪物はいたく反省した。

 

「先生っ」

 

 とコスモスが駆け寄ってくる間にヌメルゴンの鎮圧は済んだ。

 当初は興奮状態だったヌメルゴンも一発食らって頭が冷えたのか、落ち着いた様子で腰を下ろしていた。

 

「お見事な手際でした。まだまだ先生の早業には敵いそうにありません」

「……そう」

「ところで貴方はアクア団の人ですね。他の方達はご一緒ではないんですか?」

 

 さらりと話を切り替えるコスモスに、放心状態であった女性団員が『あっ!』と我に返った。

 

「そうそう、それなのよ! アオギリ様達が大変なのよーっ!」

「具体的にどう大変なんです」

「ギャラドスがたくさんワーッ、って! それで変な黒ずくめが機械でビビー、って! 極めつけにはギャラドスがドギャギャー、って強くなって!」

「道案内を頼めますか」

「渡りに船ってこのことだね。話が早くて助かるー!」

 

 ただし話を理解したとは言っていない。

現場に行った方が早いと考えたコスモスは、今の説明を前に表情を動かさず、それでいてぬかるみに嵌った脚を引き抜くレッドの方を向いた。

 

「先生も如何されます?」

「……行く」

「ありがとうございます。不肖の生徒ですが、先生のお手を煩わせぬよう全力を尽くします」

 

 仰々しい言い回しに『あれ? 今遠回しに手を出すなって言われた?』とレッドが思い至ったのは、切迫した女性団員が喚き立てた直後であった。

 

「それじゃ駄目なの! アタシ達ったらギャラドスに追い回されて散り散りになっちゃってさ。アオギリ様の他にイズミ様やウシオ様が他の子守ってるけど、悠長に一人ずつ助けに行ってる暇なんてないのよーっ!」

 

 だから、命からがらでも逃げだしてきた。

 少なくとも三組に分かれてしまったアクア団を救う為には、3人の強力なポケモントレーナーが必要だ。

 

「ちょうどここには3人居ますけど……」

「……え? そ、それってウチも含まれたりする!?」

 

 だらだらと冷や汗を流すウリであるが、すぐさまコスモスが首を横に振った。

 

「流石に1体だけで助けに行くのは無謀かと」

「そ、そうだよね……」

「……俺が手持ちを二つに分ければ……」

 

 ホッと胸を撫で下ろしたはいいものの、言いようのない気持ちが胸に押し寄せる。

 モヤモヤと、霧が掛かっているようにいつまで経っても心の中が晴れない。きっと人命救助を生業とする兄の下で過ごしたからだろう。

 けれども、世の中には正義感ではどうにもならないこともある。

 強いポケモンと戦えるのは強いポケモンだけであるし、そのポケモンを従えられるのもまた強いポケモントレーナーなのだから。

 

(ウチが行ったところで……)

 

 できることは、ない。

 そう自分に言い聞かせながらも、

 

「あの!」

「?」

「ウチにできること……何かある?」

 

 何でも言って! と。

 ウリは真っ先に他人に頼った。

 

「ウチにできることなんてたかが知れてるだろうけどさ……」

 

 この数日の間に学び得たことがある。

 他人に頼るのは悪ではない。教えを乞うのも悪ではない。

 ただ、我武者羅に頑張るだけで進展がないのは()()()()()。自分だけならまだしも、他人の時間を無為に費やすことは悪も悪だ。

 目の前に居る効率主義で合理主義な少女に、そう教えられた。

 ならば、無責任に投げるのではなく、委ねる形で。

 

「でも、ウチにやれることがあるならなんでもするよ! ……そうだ、ゲッコウ!」

「ゲコ?」

「アンタ、コスモスさんに付いていきな」

「ゲコッ!?」

 

 目を見開くゲッコウが詰め寄ってくる。

 が、ウリもまた退かなかった。むしろ掴みかかるようにゲッコウの眼前に顔を寄せる。

 

「文句言わない! ウチの指示なしでもアンタは十分戦えるでしょ!」

「ゲ、ゲコ……」

「でももゲコもない!」

 

 空のボールを手に取り、ゲッコウの胸へと押し付けるウリ。

 それは他でもない、ゲッコウの───元を辿れば兄から託されたボールであった。

 直後、カチリと音を立てればゼロ距離で照射されたリターンレーザーが、やがてゲッコウの全身を包み込んでいく。強制的にボールへ戻されるゲッコウは、今にも泣きそうな目でウリを見つめていたが。

 

「ウチは信じてるよ、アンタの強さ」

「!」

「んでもって、ウチはコスモスさんを信じてる。だから、アンタもコスモスさんを信じてみなよ……ウチの信じたコスモスさんをさ」

 

───ウチを信じてくれるなら。

 

 その言葉を伝えると同時に、ゲッコウはボールの中へと吸い込まれていった。

 迷わず、今度はコスモスへとボールを押し付ける。

 

「託したよ、コスモスさん」

「いいんですか?」

「いいも何も、ウチの肚は決まってるよ。これで言うことを聞かなかったら……ウチの誠意が足りなかっただけさ。言うことを聞くまで付き合うよ。ただ、今はウチの手持ちに居るべきじゃない」

 

 寂しさを隠せない笑顔を張り付けながらも、悟ったように彼女は言い放つ。

 

()()として……ゲッコウを頼みます」

「ウリさん」

 

 ガタガタと。

 コスモスの手に握らせられたボールが震えた。

 

 

 

「───その心意気がありゃあ充分だ」

 

 

 

「……え?」

 

 不意の出来事だった。

ポン、とウリの頭に手を置かれる。

 コスモスやレッド、ましてや女性団員でもない。

 しかしながら、覚えのある温もりだった。昔から何事にも挑戦して、その度失敗したとしても最後には褒めてくれた、家族の掌。

 

「兄、貴……?」

「ぼくぁカチョウの火消しだぜ?」

「な───っ!?」

 

 何でここに? と聞くのは無粋も無粋。

 何故なら彼は町の荒事を洗い流す激流。地震雷火事親父、何でも御座れの火消し野郎なのだ。地元の危機……ましてや妹が関わっているとなれば、北風よりも早く駆けつけてくる。

 

 カチョウジムリーダー・キュウ。

 

 人呼んで『水が沸き立つファイアファイター』。

 

「さぁて、コスモスさんよォ」

「はい?」

「ゲッコウのこと……頼んだ」

 

 軽くコスモスの肩に手を置くキュウ。

 声は至って平坦。そこにどれだけの想いが込められているかなど、コスモスには推し量りようもない。

 

 だからこそ、彼女はありのままを打ち明ける。

 

「バトルに限ってなら心配いりません」

「ほォ……?」

「私の目標はチャンピオン。延いては最強のポケモントレーナー……どんなポケモンであろうと、バトルに限っては最高のパフォーマンスをさせてみせます」

「そいつァとんだ大口だぜ。『どんなポケモンであろうとも』って、夢はポケモンマスターってかァ?」

 

 揶揄うようにキュウは言う。

 が、鼻についた様子も見せずにコスモスは告げる。

 

「それを最強と呼ぶのであれば」

 

 キュウは閉口した。ウリは絶句した。

 そして、最後には戦慄した。

 

 どうやらこの少女にとってチャンピオンもポケモンマスターも終点ではないらしい。

 むしろスタートライン。どんな野望を胸の内に抱いているかは知らないが、世の中のポケモントレーナーの夢をも踏み台にする以上、常人の想像を優に超えていくスケールなのだろう。

 

「ほォ……」

 

 感嘆するような息を吐き、キュウの口角が鋭く吊り上がる。

 

「そいつァ楽しみだ」

 

 宣戦布告にもとれる発言。

 ただし、向けられた相手はコスモスだけとは限らない。

 

 カタカタと。

 もう一度、コスモスの手の中のボールが震えた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ポツリポツリと水面を打つ雨粒。

 一分と経たず、それらは辺り一帯を覆い尽くす豪雨と化した。

 

「チッ、こんな時に面倒だぜ」

「おっと、意外だな。アクア団ともあろう組織なら、むしろ喜んでくれると思ったんだが……」

「……過ぎた雨は、生命をも洗い流す。こちとら身に染みてわかってんだよ」

 

 忌々しい顔で言い放ったアオギリは、豪雨の中でも宙を羽搏いているボーマンダの上に乗る研究者らしき装いの男を睨みつけた。

 次の瞬間、轟音が迸った。

 落雷と錯覚する振動が伝播するが、あくまでそれは生き物の声帯から発せられた声に過ぎない。

 

 波立つ水辺で、2体のポケモンが睨み合っていた。

 片や鮫。全身に痛々しい傷跡が浮かび上がり、鋭い牙を剥いている。

 片や龍。黒色と化した胴体は膨れ上がり、広がった背びれは翼のようだった。

 

 どちらも凶暴。

 どちらも凶悪。

 ただ、唯一違うとすれば対峙する数だ。

 

「ったく……どういうカラクリだァ? ()()()3()()()()()()()()()()()なんざ……」

「見るからに科学に疎そうなお前には語るのは無駄そうだ。ただ、分かりやすく説明するなら、ロケット団の技術を以てすればこの程度序の口というだけの話さ。どうだ? 我々の軍門に下る気にはなったか?」

「ヘッ! くだらねえなァ……テメェにはポケモンの苦しんでる声が聞こえねえのか?」

「……交渉決裂、という訳か?」

「ご自慢の頭脳とやらに聞いてみるこったな」

 

 相対する二種のポケモン。

 片やメガサメハダー。

 片やメガギャラドス。

 『メガシンカ』と呼ばれる進化を超えた進化を遂げたメガシンカポケモンは、己が悪を貫く為の牙を剥いている。

 

 刹那、雷鳴が轟いた。

 それが鬨の声となり、メガサメハダーとメガギャラドスは互いに相手へ飛び掛かる。メガシンカポケモン同士の激闘は、コイノクチ湿原全体に激震を奔らせるのであった。

 




オマケ:登場人物ドット絵(32×32)

コスモス

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ピタヤ(キョウダンジムリーダー)

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リック(オキノジムリーダー)

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ヒマワリ(スナオカジムリーダー)

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キュウ(カチョウジムリーダー)

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タバコ(ユウナギジムリーダー)

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シナモン(ツナミジムリーダー)

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アップル(カルストジムリーダー)

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シエラ(ロケット団幹部)

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アルロ(ロケット団幹部)

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クリフ(ロケット団幹部)

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ウリ

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№041:激闘! コイノクチ湿原①

前回のあらすじ

コスモス「先生のレベルを100と仮定すると、HP最高個体値の基礎ポイント無振りのヌメルゴンLv.29ならちきゅうなげで確定一発です」

レッド「仮定しないで」


 

 空はすっかり分厚い雨雲に覆われていた。

 間もなくざあざあと強い雨が降り始める。普段は大地に恵みをもたらす雨も、今だけは生命の温もりが奪われていかれるような冷たさが滲んでいた。

 

「ひぃいいい、お助けェー!?」

 

 悲鳴を上げた女性団員に1体のギャラドスが牙を剥く。

 異様に興奮したギャラドスは、手持ちも倒され抵抗もままならない人間をそのまま噛み砕こうとしたが、

 

「マリルリ、『アクアジェット』ダぁ!」

「ルリィ!」

「ギャアアアッ!?」

 

 横から激流の如く突っ込んで来たマリルリに横っ面を殴られる。

 それだけでは瀕死に至らないギャラドスは乱入者に『かみくだく』で反撃を試みるも、どうにも相手が悪かった。力持ちなマリルリはギャラドスの顎の上下を両手で押さえるどころか、そのまま6メートル超の巨体を難なく投げ飛ばす。

 轟音を鳴り響かせ水面に叩きつけられるギャラドス。それからはピクリとも動くことなく、荒波立つ水面をプカプカと漂っていた。

 

 ギャラドスが沈黙すれば、今度は筋骨隆々な体を揺らした幹部が団員の下へと駆け寄ってくる。

 

「オウホウッ! 無事カ?!」

「ヴジオ゛様゛ァ゛ーッ!!  助けてくれてありがとうございますゥー!」

「イイってコトよ! したっぱを守るのがオレッちの役目だからナ!」

 

 ニカッと白い歯を覗かせる豪快な笑顔に、したっぱの女性団員は瞳を輝かせる。

 

「……でも、アオギリ様とかイズミ様達とはぐれちゃいましたね。うう、アタシぁ姉妹が無事か心配だーッ!」

「ナァニ! アニィがついてるなら心配いらねえサ!」

「そ、そうですかねぇ……?」

「アタリマエだろうガッ! アニィがどこぞのポニータの骨ともわからねえヤツらに負けるなんざありえねェ!」

 

 とは言うものの、実際ウシオもアオギリ達の安否が気になって仕方なかった。

 会敵した謎の組織。

 突如として進化を遂げ対峙してきたポケモンの群れ。

 多勢に無勢だった。正直、アオギリが殿を担ってくれなければ態勢を整える間もなく蹂躙されていたはずだ。

 

 しかし、このまま敬愛するアオギリを見捨てるなどウシオにはできない。

 

「オウッホウッ! こうなったら、オレッち達ではぐれたヤツらを助けて回るゾ! 安心しな、相手は全部オレッちでナントカしてやる!」

「わ、わかりました!」

 

「───グロッ」

 

「!!」

 

 突如、茂みの中から響く鳴き声に振り返る。

 

「ひぃ、誰の声!?」

「コイツァ……ちっと不味いナ」

 

「グロッ、グロッ、グロッ」

「ドクロッ」

「ロッグ、ロッグ」

 

 不協和音染みた輪唱を奏でながら現れたのはドクロッグの群れだ。

 元より集団で相手を追い詰める習性がある為、結構な数が揃っている。

 

 しかし、問題はそこではない。

 

「ドイツモコイツも正気じゃねえ目ェしやがっテ……」

 

 異様なまでに血走った瞳が、一斉にウシオ達に殺到する。

 あれは決して獲物を仕留める目ではない。長年自然と共に生き、野生のポケモン達と触れ合ってきたアクア団の幹部だからこそ分かる。

 

「オレッちをブッ壊さなきゃ気が済まねえッテ顔だナ」

「どどど、どうしましょ~⁉」

「コウイウ時はだナ……ブン殴って目ェ覚まさせるに限ル! マ~~~リルリィ!」

「ルリリリリリッ!」

 

 ドムドムドムッ! とお腹を打ち鳴らすマリルリが、鬼気迫る表情でドクロッグの群れに突っ込んでいく。

 『はらだいこ』を奏でたマリルリは、体格で劣るドクロッグを相手に一歩も退かぬ肉弾戦を繰り広げている。パワー全開の『じゃれつく』や『アクアジェット』は、次々にドクロッグを吹き飛ばす。

 

 だがしかし、

 

「ルリィ!」

「グロッ!? ……ログォ!」

「マリッ!?」

 

「マリルリィ!? チィ、『かんそうはだ』カ……!」

 

 特性でみず技を無力化したドクロッグの1体が、マリルリに『どくづき』で反撃する。

 すぐさまマリルリは別の技で反撃しドクロッグを返り討ちにしたが、みるみるうちに顔色が悪くなっていく。

 

(毒ヲもらっちまったカ……!)

 

 弱点を食らうどころか、毒も食らっていたらしいマリルリの動きがどんどん乱れていく。

 フェアリータイプを有するマリルリにとって、どくタイプのドクロッグは本来不利な相手。だからこそ『はらだいこ』で短期決戦を試みたのだが、特性でみず技も無力化されてしまう可能性まで思考が及んでいなかった。

 

「チクショウ! モウ他の手持ちはギャラドスを相手して限界ダ……」

「逃げましょう、ウシオ様! こんな状態じゃ助けに向かっても無理ですって! 一旦町に戻りましょう!」

「バカヤロウッ! その間にアニィに何かあったらドウスル!?」

「そう言われたって~⁉」

 

 進むも地獄、退くも地獄。

 ただ、悩んでいる間も時間は進む。

 

「ル、ルリィ……」

「マリルリ!?」

 

 とうとう蓄積した毒で瀕死に陥ったマリルリが倒れる。

 すれば当然、ドクロッグ達の標的はウシオ達の方へと向く。じろり、とへばりつくような視線だ。思わずウシオも全身が総毛立つ。

 次の瞬間、1体のドクロッグがウシオ達へ飛び掛かってきた。

 高く跳躍したドクロッグは、腕に生えた爪を振りかぶる。爪先から滴るのはおそらく猛毒の汁。掠れば一巻の終わりだ。

 

 それでもウシオは団員を庇うように前に出た。

 

「クッ……来るならキヤガレ!! オレッちが相手してやるヨ!!」

 

 男の意地を見せる時だ。

 ウシオは固く握った拳を振り上げた。狙うは眼前に迫るドクロッグだ。

 

「ウオオオオッ!」

「ゴルバット、『つばさでうつ』」

「オオオ───オォ!?」

 

 バシンッ! と叩かれたドクロッグが、跳ね返されるように軌道を変えた。

 が、振り抜かれたウシオの拳に殴った感触は伝わってこない。

 

 それも当然だ。

 何故なら、ドクロッグを返り討ちにしたのは颯爽と現れた目の前のコウモリなのだから。

 

「オ、オマエは……!?」

「ちょうどいいタイミングだったようですね」

 

 今度はウシオを庇うように躍り出る人影があった。

 ただしそれは、巨躯を誇る彼に比べてみれば余りにも小さい。

 けれども、その小さな背中にウシオはデジャブを覚えた。これは“壁”だ。何度も何度も自分に立ちはだかったことのある“壁”に似ている。

 今度はそれが自分を守る為に聳え立っている。ならば、頼りなさを覚える理由は一欠けらも存在しなかった。

 

「嬢チャン!」

「どうも」

 

 手短に挨拶を済ませたコスモスに遅れ、バタバタと足音が複数近づいてくる。

 女性団員が振り返れば、途端にパァッと顔が晴れていく。

 

「姉よ~!」

「妹よ~!」

 

(そっちが姉でそっちが妹だったんだ……)

 

 コスモス達を案内した五つ子団員の一人が、姉妹を見つけるや感動的なムードを放ちながら抱きしめ合う。ただし、レッドはどれだけ凝視したところで姉妹の違いは見分けられなかった。難易度で言えばジョーイさんを見分けるのと同等の難しさである。

 

 ところで、一人お忘れではないだろうか?

 

 感動的な再会にもジメジメと殺伐した視線を向けるドクロッグの群れ───その中心に、恰幅の言い青色のカエルがドシィン! と跳び下りた。

 宙から降ってきたガマゲロゲ。彼の頭上ではトレーナーであるキュウがペリッパーに懸架されていた。

 

空中から様子を把握するキュウ。

 群れの規模の確認は一瞥で済ませる。

 ただし、この程度口に出すまでもなかった。

 

───『じしん』

 

 両腕を振り上げたガマゲロゲが地面を殴れば、縦揺れの激震がドクロッグの群れを襲う。

 直下型の揺れは正気を失っていたドクロッグの意識を次々に奪っていく。範囲を絞っての攻撃ではあるが、攻撃の余波だけでも近くの水面が荒波立つ威力だ。

 

「ゆゆゆ揺れれれれ」

「おおお俺につつつ捕まってててて」

 

 震動で立つのもままならないコスモスがレッドの腕にがっしりと捕まる。

 ようやくやり過ごした頃、ドクロッグの群れは完全に沈黙していた。一掃と呼ぶに相応しい光景だ。

 

「一丁上がり、っとォ」

 

 その光景の、まさにど真ん中にキュウは降り立った。

 何をするかと思えば『じしん』でひっくり返ったドクロッグに歩み寄り、何かを観察する。

 

「ふぅむ……」

「何かわかりましたか?」

「ぼくぁ医者じゃねェから詳細はわからねえ。だが、こいつらが平静じゃなかったことだけはわかる」

 

 今度は瞼を開き、血走った瞳の観察に移る。

 すると、突然赤みがかっていた瞳が元の黄色へと戻っていくではないか。それを見たキュウはぺたぺたと全身を触る。相手がどくタイプでもお構いなしだ。

 

「……脈拍は正常。呼吸も落ち着いてきたな」

「……グロッ?」

「おう、目ェ覚めたか」

 

 ドクロッグの意識が戻った。キュウはそのまま背中に手を添え、ゆっくりとドクロッグを起き上がらせた。その間、ドクロッグは襲う素振りを見せず、為されるがままであった。

 

「落ち着いたんだったら家に帰れ。こっから先ぁぼくらの領分でぃ」

 

 一度は倒した野生ポケモンを労いつつ、縄張りへ戻るよう背中を押す。

 キュウに敵意がないことを悟ったドクロッグ達は、次々に木々の生い茂る湿原の奥地へと姿を消していった。

 

「……おかしいですね」

 

 口を開いたのはコスモスだった。

 

「このドクロッグ、どうもギャラドスとは様子が違います」

「するってえと?」

「ギャラドスは進化したてて興奮しているようでした。でも、ドクロッグはそうじゃない」

 

 何か別の要因がある。

 そしてコスモスには心当たりがあった。

 

(───シャドウポケモン。ロケット団を騙る組織はそう言っていましたが、これも同じ……?)

 

 しかし、キョウダンタウンやスナオカタウンで戦ったシャドウポケモンとは何かが違う。詳細なシステムがわからない以上迂闊に断言もできないが、

 

()()()()()()?)

 

 少なくともキョウダンタウンで迎え撃ったポケモンは、倒した傍から異常が改善されるような変化はなかった。

 

「……ですが、少なくとも相手の目ぼしは付きました。自称ロケット団。よくもまあ私の行く先々でトラブルを起こしてくれて」

「ロケット団ぅ? ロケット団っつったら数年前に解散されたんじゃねえのかい?」

「だから“自称”なんですよ。私も迷惑してます」

 

 迷惑の意味合いが世間一般とかけ離れているのはご愛敬。

 そろそろコスモス的にも自称ロケット団へのヘイトが溜まりに溜まってきている頃合いだ。

 

「……もう許せません。一度お灸を据えてやらなければ気が済みません」

「同感だぁ。どうせ湿原に来たのもろくでもねえ目的に違いねえ」

「……俺も」

 

 将来有望の新米ポケモントレーナー。

 ホウジョウ地方最強のジムリーダー。

 そして、一度はロケット団を壊滅させた伝説のポケモントレーナー。

 

 即席の戦力としては後ろ2人で十分過ぎる布陣だ。

 ただし、目先の敵に囚われて目的を失念する訳にはいかない。

 

「はじめに言っておくが最優先事項は人命の救助。ロケット団やら暴れてるポケモンやらは二の次だ」

「振り分けはどうするんですか?」

「本当なら一般人のアンタらを巻き込むのぁご法度なんだが、状況が状況だ。ぼくぁ1人で人を探す。アンタら2人はルカリオの波動を頼りにして探知を頼むぜ」

 

「あ、兄貴!」

 

「ウリィ! お前ェはこの人達を町まで案内してやれ」

 

 実質的な手持ちの居ないウリを危険地帯に連れていく訳にはいかない。

 彼女に手持ちの1体を託したキュウは、ウシオとしたっぱ2人を町まで案内するように指示し、ウリもまたそれを承服した。

 脚に怪我を負った団員の1人に肩を貸し、数歩進んだところで立ち止まる。

 

「兄貴」

「なんだ」

「無事に帰ってこいよ」

「たりめェだ」

 

 誰に言ってんだ、と。

 ぶっきらぼうに言い放ったキュウは、次の瞬間、残りの手持ちを一斉に繰り出した。

 現れたカエルポケモンは指示を出す間もなく軽快な動きで飛び跳ね、一斉にして湿原中に散らばっていく。

 

「……あれで見つかるんですか?」

「おうとも」

 

 怪訝な問いかけにキュウは短く答えた。

 半信半疑ながらも即答した以上、それなりの手段が確立されているのだろう。

 

「それではこっちはルカリオを頼りに探索しましょう」

 

 波動はこういう時に便利だ。

 引率の役割を担っているレッドも賛成と頷いている。

 

「そっちは頼んだぜ。くれぐれも無理はするなよ」

 

 キュウが忠告したところで遠くからゲコゲコと鳴き声が上がる。

 それを聞いたキュウは、迷わず鳴き声の方へとペリッパーに捕まり向かっていく。

 

「なるほど。鳴き声と……」

「俺達も行こう」

「はい、先生」

 

 キュウの連絡手段に感心するのも程々に、疲弊したアクア団をウリに任せたコスモスとレッドも救出に動き出す。

 波動だけでなく鼻も利くルカリオは、アクア団がやって来た道程を辿ることである程度はぐれた場所を推察する。

 

 そんな最中だ。

 

「ロケット団……」

「どうされました先生?」

「……いや」

 

 ふとレッドが口にした単語、もといロケット団の名にコスモスは思案する。

 

(そう言えば先生からロケット団の心証を聞いたことありませんね)

 

 わざわざ訊くきっかけもなかったが、彼の心証次第では自身が元ロケット団であった過去を隠匿しなければなるまい。ちょうどいい機会だった。

 

「先生。先生はロケット団をどのように思っていますか?」

「ロケット団を?」

 

 もっとも、世間一般で言うところの犯罪組織に心証を尋ねたところで悪いイメージしか出てこないだろうが。

 しかし、しばし俯いたレッドは沈黙に沈黙を重ねる。

 まさか口に出すのも憚られる想いがあるのかと勘繰った瞬間、レッドは顔を上げた。

 

「……また、」

「また?」

「また、会ってみたい」

「!」

 

 それは、まさしく予想外の言葉だった。

いや、もしくは望外の言葉と言うべきか。

 

 どちらにせよレッドの言葉を聞いたコスモスは、柄にもなく胸が内側から熱くなる感覚を覚えた。心なしか目の奥も熱い。今が激しい雨の中でなければ、目尻に浮かび上がる水滴も露見してしまっていたかもしれない。

 

(先生はロケット団復活を望んでいる……?)

 

 世間ではシルフカンパニー占拠の年に解散し、その3年後にラジオ塔占拠で果たした復活宣言も失敗した扱いだ。

 今も各地では残党が細々とロケット団復活の瞬間を待ち望んでいる。事実、コスモスのその一人だ。

 

 だがしかし、一般人がロケット団復活を望むなどとは考えもしなかった。一体全体どういう理由で復活を望んでいるか、その理由なんて皆目見当がつかなかった。

 

(いや、そんなことどうでもいいです)

 

 問題なのはレッドがロケット団に会いたがっている、その一つ。

 そして、それは紛れもなく数年前までカントーやジョウトを震え上がらせていた悪のカリスマ、サカキ率いるロケット団に他ならない。断じて首領がサカキだと騙る自称ロケット団なんかではないのだ!

 

「……わかりました。先生の望み、私が叶えて差し上げます」

「? うん」

 

 ピカチュウと共にコテンと首を傾げるレッド。

 だが、その所作に気づかぬ程に興奮したコスモスは、ふんふんと鼻を鳴らしながら歩幅を広げるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

───ロケット団をどう思っていますか?

 

 その言葉を投げかけられた瞬間、レッドはとても困ってしまった。

 

(確か国際警察の……ハッサムさんが言ってたっけ?)

 

 残念ながらハンサムというコードネームも印象も残らなかった国際警察の言葉を思い返せば、コスモスは元々ロケット団の一員だったらしい。

 レッド自身、ポケモンを悪用するロケット団に思うところはあるものの、元ロケット団の少女相手にあけすけ言うのも憚られる。

 

(なにか……なにか当たり障りのないこと……)

 

 レッドは自他共に認める口下手だ(他の部分には親友のグリーンしか居ないとか言ってはいけない)。当たり障りのないことを言おうとしても、中々上手い言葉は出てこない。そもそも悪の組織に良い印象なんて持つはずがない。たとえ持っていたとして、好印象を口にするのも違うだろう。

 

(そうだ)

 

 良い思い出とは決して口には出せないが、それでも印象深いやり取りなら憶えている。

 それはトキワジム───トキワジムリーダーであり、ロケット団ボス・サカキとの最後のバトルを終えた後に告げられた言葉があった。

 

『いつの日か……また会おう!』

 

 部下達に示しがつかないからとロケット団を解散させ、直後に告げた言葉だ。

 その言葉を前に、自身は間違いなく楽しみに思ったとレッドは振り返る。けっしてロケット団が復活してほしいとか、そういう訳ではない。

 ただ、最強のトレーナーを自称し、それに違わぬ実力で熱いバトルを繰り広げたポケモントレーナーとの再戦を心から望んだ。

 

 だからこそ、この言葉が口をついて出た。

 

「また、会ってみたい」

 

 サカキは修行し直すと言っていた。

 あれから数年。順当に考えれば昔よりもはるかに強くなっているに違いない。

 ならば、と。

 

───もう一度、サカキと戦ってみたい。

 

 どこまで言ってもバトル脳だからこそ、一歩間違えれば不謹慎な願いが口に出てしまった。

 いや、これもダメじゃない? と失言を反省するのも束の間、隣からはふんふんと興奮した鼻息が聞こえてくる。

 

「わかりました。先生の望み、私が叶えて差し上げます」

 

 それからズカズカと前に突き進んでいくコスモス。

 まるで目的の品物を一秒でも早く見つけたいと言わんばかりの足取りに、レッドはこう思った。

 

(いや……確かに今からロケット団と会うかもしれない)

 

 張り切ると命中率が下がるのは人間も同じかもしれない。

 そういう意味じゃないんだけどなぁ、とは思いつつも、張り切るコスモスに訂正するのも憚れた口下手チャンピオンは口を紡ぐことに決めてしまった。

 

 レッドがロケット団復活を望んでいると勘違いするコスモス。

コスモスがロケット団の下に案内していると勘違いするレッド。

 

 ウルトラCよりも難しそうな勘違いを決め込んだ2人。

それでもとある一点に限っては、本当の意味で同じ願いを胸に抱えていることは、お互い知る由もない。

 

 

 

 ***

 

 

 降りしきる雨の中、ぐしゃりと泥に膝が突かれた。

 崩れ落ちたのは青いバンダナの偉丈夫。先ほどまで光り輝いていた錨に収められていた石も、すっかりその輝きを失ってしまっていた。

 

「ぐぅ……はぁ……!」

「ふぅ……やれやれ。ようやく倒れたか。見た目に違わぬタフさは褒めてやろう」

 

 憮然と言い放つアルロ。彼の下では瀕死になったギャラドスが2体水面に浮かんでいるが、最後の1体は健在。

一方、アオギリのサメハダーもまた瀕死に陥っていた。野性味溢れる傷跡は消え去り、力なく水辺にもたれ掛かっている。

アオギリは相棒にリターンレーザーを照射しつつ、反抗心を隠さぬ瞳で睨み返した。

 

「ケッ……! テメェも大したタマだぜ。同時に3体もメガシンカさせるなんざ、オレでもやれる自信はねェぜ?」

 

 アオギリの呼吸は不自然なまでに荒い。

 激しいポケモンバトルともなれば、熱の入ったトレーナーが息切れするのもあり得る。

 だが、それを加味してもアオギリの疲弊具合は常軌を逸していた。

 

「フッフッフ。ステレオタイプのお前達ならそうでしょうよ。ポケモンと心を通い合わせることで発現する絆の力? まったくもってナンセンス! 絆なんてものがなくったって、メガシンカくらいできるとも!」

 

 ボーマンダの上で高らかに嗤うアルロは、左腕に装着した端末を掲げる。

 

「このボクが開発した機械より発せられる『メガウェーブ』は、特定の波長に合わせることでポケモンを強制メガシンカさせる! キーストーンやメガストーンなんて原始的な道具なんて最早必要としないんですよ!」

「……テメェ、目の前のギャラドスをよーく見てみろ」

「なに?」

 

 アオギリに言われた通り、水辺に佇むギャラドス───正確にはメガギャラドスに目を落とす。

 激しい戦闘で体力が減ったのか、メガギャラドスはぜえぜえと息を切らしている。

 しかし、アオギリはそれが戦闘による疲弊でないことを見抜いていた。

 

「メガシンカはトレーナーとポケモンの絆があってこその力だ! テメェの都合でメガシンカさせられたギャラドスが苦しんでるのが見えねえのか!?」

「フンッ、何を言うかと思えば……。負け惜しみにしか聞こえないですねぇ!」

「ぐおっ!?」

 

 メガギャラドスが尾を一振りすれば、広がった波紋が大きな津波へと変貌し、陸地に立っているアオギリへと襲い掛かる。

 何とか堪えようと踏ん張ろうとはするものの、たった1メートルの津波ですら人を押し流すのは容易だ。瞬く間に波に足を攫われ、アオギリは背後にあった木の幹へと背中を叩きつけられる。

 

「がはっ!」

「ハーッハッハッハ! 苦しんでようがなんだろうが利用できればそれでいいんですよ! 事実、絆なんてものがなくともメガシンカの力は引き出せる!」

「いったい……どうやって……!?」

「波長と言ったでしょう。特定のポケモンは特定のエネルギー、そして特定の波長を受ければ真価を発揮する。それが進化であれなんであれ、ね」

「! 湿原のコイキングを無理やり進化させやがったのもテメェらか!」

 

 怒気に満ちた顔でアオギリが食ってかかる。

 すると返ってきたのは愉悦を湛えた笑みだった。

 

「ご明察。いやー、科学の力って素晴らしいですねえ! ちまちま育てるなんかよりずっと効率がいい!」

「メガシンカだけじゃねえ……普通の進化だって、急に姿が変わって驚くポケモンが居るんだ! それをテメェは!」

「ご安心を。後々従順になるよう処置を施しますよ」

 

 ニタニタと笑みを張り付けるアルロは、おもむろに懐から一本の試験官を取り出す。

 毒々しい色合いの液体か何かに満ちた見た目は、とてもではないが安全な薬品には見られない。

 

「見えますか、これ? ボクの発明品なんですよ」

 

 キュポン、と小気味いい音を響かせてゴム栓を抜いたアルロは、そのまま試験官を逆さまにすることで中身をメガギャラドスに振りかける。

 液体、というよりは空気よりも比重が重いガスのようだった。

 もくもくと広がる紫色のガスは、ゆっくりとギャラドスの体表を撫でるように拡がっていく。

 

「遠い地方でも中々面白い事件がありましてね。例えばオーレ地方なんかじゃあ、ポケモンの心を閉ざして戦闘兵器にする……ダークポケモンとやらが発明されたり」

 

 次の瞬間、メガギャラドスに異変が訪れる。

 ただでさえ強制メガシンカで暴走気味だったメガギャラドス、そのポケモンの瞳がみるみるうちに紅く染まっていくではないか。

 

「また別の地方……たしかライムシティとか言いましたっけ? そこでもポケモンを凶暴化させるガスが開発されていたとか」

 

 ガスが霧散し風景に溶け込んでいく。

 一見何事も起きなかったように見えたのも束の間、動きの止まっていたギャラドスの口腔が光に満たされる。

 『はかいこうせん』。射線上に佇む障害物を消し飛ばす暴力の奔流は、何の躊躇いもなく目の前で膝を突いている男に向けて解き放たれた。

 

「おおおっ!?」

「ハハハハ! どうです、メガシンカしたシャドウポケモンの力は!」

 

 寸前で躱しながらも後方で起きた爆発に煽られ、アオギリは前のめりに転倒した。

 ただでさえメガギャラドスを2体倒す為に限界までメガシンカを行使したのだ。疲弊し切った体では、立ち上がることもままならない。

 

「ク、ソォ……!」

「ボクが発明したシャドウポケモンはポケモンの潜在能力を限界まで引き出す! ダークポケモンとやらとはまるで完成度が違うんですよ!」

「違う? 馬鹿言え! ポケモンを道具みてェに扱いやがって!」

「そうですよ?」

 

 あっけらかんと言い放つ相手に、アオギリは一瞬呆気にとられた。

 しかし、構わずアルロは続ける。

 

「我々ロケット団にとってポケモンは道具。ありとあらゆる悪事を遂行し、やがては世界を征服する為に用いられる便利な存在……それ以上でもそれ以下でもありません」

「テ、メェ……!」

「君も同じ穴のジグザグマでしょうに。カイオーガを利用しようとした挙句、掌握し切れなかったなんて……その見通しの甘さには呆れを通り越して笑いが出てきますよ」

 

 ハッ、と鼻で笑い飛ばしながら、アルロは濡れた前髪を掻き上げる。

 

「ポケモンを利用する。そんなのポケモントレーナーなら誰でもやっていることでしょう。それを多少のスタンスの違い程度で文句を言われる筋合いはない」

「……いつか痛い目を見るぜ」

「面白い忠告だ。ですが、」

 

 指を鳴らしたアルロの下では、未だにメガギャラドスが我を忘れたまま暴れ狂っている。

 凶竜から狂竜へと変貌したポケモンの矛先は、アオギリのすぐ傍まで迫っていた。

 

「少なくとも、キミにはここで退場してもらう」

「!」

「路傍の砂利程度の組織とはいえ、邪魔されるのは不愉快だ」

 

 暴れ狂うメガギャラドスがアオギリ目掛けて尾を振るう。

 『アクアテール』───激流を彷彿とさせる極太の尻尾を目の前に、為す術のないアオギリはせめてものとばかりに全身に力を込めて受け止めようとする。

 土台無謀な行動だとはわかっているが、無抵抗でやられろと言う方が無理な話だ。

 

「オオオオゥ!! 来ォい!!」

「無駄な真似を……いいでしょう、蹴散らしてやれ!!」

 

 尾が空気を裂く音が響いた。

 何者にも阻まれず振り抜かれた、そんな轟音が。

 

「ん?」

 

 なにかがおかしい。

 

「あの男はどこだ……!?」

「ボアア!!」

「なっ───!?」

 

 驚く間もなく、悲鳴を上げたボーマンダが墜落を始める。

 

「なんだとォ⁉」

 

 努めて平静を取り繕うアルロは、ボーマンダの体の一部が凍り付いているのを目撃した。

 狙撃された? 誰に?

 巡りに巡る思考の中、もう一度アオギリが居た場所を見遣れば、不自然にぽっかりと開いた穴があるのを見つけた。つい先程まで、そこに穴なんてものはなかったはずなのに。

 

「一体誰が……!?」

「ニョロトノぉ!!」

「!! ハ、ハガネール!!」

 

 落下の途中、咄嗟に繰り出したハガネールが足場……そして盾となり、アルロを狙った『ハイドロポンプ』から防いでみせる。

 ただ弱点の攻撃を食らったことでハガネールの体力は大幅に削れてしまった。目に見えて動きが鈍くなっている手持ちに、アルロは舌打ちを隠さない。

 

「誰だ⁉」

「ウチのシマに手ェ出してんだ。ぼくの顔を知らないたぁ言わせないぜ」

 

 草むらの中から堂々と。

 ニョロトノをはじめとしたカエルポケモンを引き連れ現れた青年は、直後に足下に空いた穴からゲッコウガによって運び出されるアオギリの無事を確認する。

 

「無事だな」

「ふぅ、胆が冷えたぜ……助かったぜ、あんちゃんよ」

「こっからはぼくの仕事だ」

「いいのか? あの陰険メガネ、あんなナリして強敵だぜ」

「問題ねぇ」

 

 短く応える青年に確かな自信を見出したのか、ゲッコウガの手を離れて立ち上がるアオギリは背を向ける。

 

「後で礼言わせてくれや」

「ジムでならいつでも」

 

 その言葉で察する者は察する。

 

「貴様……カチョウジムリーダー・キュウ!?」

 

 雨に濡れた藍色の髪を揺らす青年、ホウジョウ地方最強のジムリーダーと謳われるポケモントレーナーはそこに佇んでいた。

 

「名答」

「……おのれ、ジムリーダー。行く先々でボク達の邪魔をして!」

「堅気に迷惑かけてんのぁ手前ェの方だろうよォ。神妙にお縄につきやがれ」

「誰が!!」

 

 アルロが端末を弄れば、何か指示を出されたと思しきメガギャラドスがキュウの方を向いた。どうやら標的が変わったようだ。

 

「たかがジムリーダー如きにボクのメガシンカしたシャドウポケモンは止められない!! 隔絶した力の差というものを思い知らせてやる!!」

 

 周囲の泥を巻き上げながらメガギャラドスが突撃する。狙いはもちろんキュウ達だ。

 

「ほぉ、メガシンカか」

「ハッハッハ、キミ達にはなじみがないだろう!! 一説には伝説のポケモンにも匹敵すると言われるパワーを獲得する『メガシンカ』だ!! シャドウポケモンとなり潜在パワーを引き出した今、並大抵のポケモンで打ち勝つことなど不可能だァー!!」

「いんや、リリーが使ってるのぁ見たことあるぜ」

 

 なに? と相手が小首を傾げているのも構わず、キュウは隣に立っていたゲッコウガ───コウガに目配せする。

 

「そして……真正面からガチったこともある」

 

 だから、と。

 

「バトルぁ別だが、人命救助に手加減なんてねェ。手前ェらがそいつを邪魔するってんならぁ……コウガぁ!!」

「ゲコッ!!」

「ゼンリョクで行くぜィ!!」

「ゲコぉーーーッ!!」

 

 吼えるキュウにコウガが呼応する。

 刹那、天に向かって吼えたコウガの全身を逆巻く激流が覆い尽くす。

 

「手前ェがどうやってメガシンカ使ってるかは知らねェが……手前ェのそれぁリリーの足下にも及ばねえ」

「な、なんだとぉ……!?」

「ポケモンの力を最大限に発揮するもの……そいつぁいつの時代だって同じよ」

 

 激流を纏うコウガ目掛けて突き進むメガギャラドス。

 しかし次の瞬間、水柱が弾けて中から飛び出したシルエットが、全速力で突っ込んで来たメガギャラドスを真正面から受け止めたではないか。

 

「なぁ!!?」

()を使わねえメガシンカがある。そいつぁ結構。だが、そいつを使えるのが何も手前ェだけとぁ限らねえだろうがよ」

 

 メガギャラドスを受け止めてみせたコウガは、その姿を変えていた。

 頭部を彩る赤と黒のコントラストもそうだが、何よりも背中に背負う巨大な水手裏剣だ。1メートルは優に超えるであろう水手裏剣を背負うコウガは、威風堂々、一歩も退かずにメガシンカポケモンの凶行を食い止めた。

 

「ば、バカな……!! ゲッコウガがメガシンカするなんて話は聞いたことがない……!?」

「知らねえんなら教えといてやる」

 

 メガギャラドスを片手間に押さえながら、コウガは背中の巨大水手裏剣に手を掛ける。

 固く、鋭利に研ぎ澄ませられた水手裏剣。その威力を推し測ろうと思うだけで背中に冷たい汗が伝うような代物であるが、コウガは難なく持ち上げてみせた。

 

「『きずなへんげ』。巷じゃそう呼ばれてはいるがな……こいつもメガシンカと似たようなもんよ」

「馬鹿な!! メガストーンも共鳴石も使わないメガシンカなんて!?」

「科学の力がどうたらこうたら言うのは勝手だが……手前ェの物差しでなんでも理屈付けられると思ってんじゃねえやい!!」

 

 大気を震わせる怒声。

 それすらも切り裂く刃の音が、閃いた。

 

「コウガ!! 『みずしゅりけん』!!」

「ゲッ……コウガァ!!」

 

 水の爆ぜる轟音は、開戦の合図となった。

 

 

 

 コイノクチ湿原を舞台としたロケット団との激闘が今、幕を上げた。

 




Tips:キュウ
 カチョウタウンのジムリーダーを務める青年。地元の消防士として活躍する正義漢であり、人呼んで『水も沸き立つファイアファイター』。口から飛び出すべらんめえ口調と鋭い流し目故、初見では威圧されそうな見た目をしているが、地元住民からは慕われている。
 過去にパレスガーディアン・ウコンに師事していた時期もあり、バトルの腕は一級品。特にウコンを師事した影響で養われた指示なしで行動するポケモンの動きは相手にとって予測不可能であり、リーグ関係者の中ではホウジョウ地方最強ジムリーダーとして名が上がる程。
 妹にウリが居り、よくやり過ぎてやらかす妹には声を大にして注意しているものの、兄妹仲自体は良好。妹には尊敬されており、キュウ自身ウリのことは大切に思っている。
 小さい頃からの相棒の1体でもあるゲッコウを手持ちに加えていたが、ある時を境にスランプに陥った彼をウリに預ける。その真意こそ定かではないが、もう1体の相棒でもあるコウガとは『きずなへんげ』を発動させるほど心を通い合わせている為、どうしてゲッコウをウリに預けたかは現段階では謎のままである。

↓【立ち絵】キュウ(作:ようぐそうとほうとふ様)

【挿絵表示】


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№042:激闘! コイノクチ湿原②

前回のあらすじ

コスモス「キュウさんのゲッコウガがきずなへんげした姿はなんて呼ぶんですか?」

キュウ「知らん」


 

 

 

「っつーかぁー」

「……」

「……」

「いや、なんか喋れよ!? 今お前から喋る雰囲気だったろ!!」

 

 黒い制服に身を包んだしたっぱ2人の内、トラックの運転席に座る男の方が声を荒げてツッコんだ。

 だが、ダウナーな女の方は大して面食らった様子も見せず、ポチポチとタブレット端末を弄っている。

 

「アルロ来るのおっそいしー。いつまで待たせるのって感じー」

「お前な……」

 

 一応上司なんだぞ? と言いかけたところで男は言葉を呑み込む。

 『一応』と言ってしまいかけたところで、本心では自分もアルロを舐めて見ていると自覚してしまったからだ。

 幹部の中では年若く、古参団員からもよく呼び捨てにされる男。新参者の中には、そういう扱いから舐めていい相手だと見られがちではあるが、実態は寧ろ逆だ。

 

「そんな舐めた態度取って実験材料にされても知らんぞ? あの人ほど研究に熱心で、しかも冷酷な人なんて居ないからな」

「えー、マジ困るー」

「本当にそう思ってるのかよ……」

「マジマジー。マジマジのムウマージって感じー」

「やっぱお前ふざけてるだろ!」

 

 運転席中に響き渡る声を出したところで、この女の眉はピクリとも動かない。しかしこれが平常運転なのだからどうしようもない。

 

「はぁ……アルロさんがどこの馬の骨かもわからない奴等相手にデータ収集するとは言ってたが、そろそろ出発時間だぞ?」

「別にいいんじゃねー? 命令したの向こうだしー。間に合わなくてもあっちの責任って感じー」

「……あとで怒られても知らんぞ」

 

 とは言うものの、彼女の言い分も正しい。

 いつまでも同じ場所に留まるなど、悪事を働く者としては愚の骨頂。すでに騒ぎが起きてしまっている以上、万が一にも増援がやって来る可能性も捨てきれない。

 

「だって、アタシ達の仕事って怪電波で進化したポケモンの捕獲だしィー。捕まえられる分捕まえたらノルマ達成って言うかァー?」

「……それもそうだな。折角捕えたポケモンを本部に送り届けられんのも本末転倒か」

「ぶっちゃけアルロなら一人で帰ってこられるっしょー。アタシらはさっさとポケモン届けなーい?」

 

 彼らが乗るトラックの荷台───無機質なコンテナの中には、数多くの捕えられたポケモンが格納されている。

 本来はもう少し捕える手筈であったが、強制進化したポケモンの暴走の余波を受け、機材が破壊されてしまうトラブルに見舞われてしまった。

 その所為で予定していた数を確保できなかったが、最重要事項はデータ収集だと不機嫌な顔をしていたアルロを思い出す。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、だったかぁ? 別に戦力補充なら施設でやりゃあいいのに)

 

 自身も組織からシャドウポケモンを受け取っている身の上だ。シャドウポケモンの有用性は理解している。

 だが、シャドウ化の処置をするのであればわざわざ現地で行うのではなく、捕獲の後にアジト内で行った方が確実ではなかろうか?

 

(それにいつまでに荷台に()()()()乗せたままなんて気が気がじゃねえし)

 

「……ま、おれ達したっぱが考えても仕方ないか」

「ねー。そろそろ予定時間回るし帰っちゃおー」

「……それもそうだなぁ」

 

 アルロに指示された時間をちょうど回った。

 これ以上待機すると逆に叱られそうだと思った男は、サイドブレーキを解除してアクセルペダルを踏み込む。

 ブロロンと排気音を鳴らしたトラックは、泥を巻き上げながら発進した。

 

「あー」

「なんだ? 忘れ物なら取りに戻らんぞ」

「見て見てー、前にルンパッパ居るー。かわいー」

「あん? ……ホントだな」

 

 進路上で巨大なパイナップルのようなシルエットがステップを刻んでいる。

 何とも珍妙な姿をしたポケモン、ルンパッパだ。降りしきる雨を浴びて元気溌剌なのか、能天気に腰を振っている。

 

「邪魔だな。クラクションでも鳴らして退かし、て……?」

「てー?」

「ぉ、おおおおお!!?」

 

 グリン、と目の前が回った瞬間、男がハンドルを握るトラックは制御を失った。何とか体勢を戻そうとハンドルを回した努力も虚しく、トラックは雨でぬかるんだ泥の上に横転する。

 

「い、いづづ……?」

「ちょ、マジあり得ないー! 何いきなりハンドル切ってんだしー!?」

「急に目の前が回り始めたんだよ! クソ、一体なんだったんだ⁉」

 

「そいつは『フラフラダンス』さ」

 

「「!?」」

 

 ダンッ! と何者かが横転したトラックの扉に足を乗せてくる。

 したっぱ2人を逃さぬべく、まるで蓋でもするように。

 

「お、お前は……!?」

「アタシの顔、忘れたとは言わせないよ。さっきはよくもやってくれたね」

「アクア団か!」

「つれないねえ。アタシにゃイズミって名前があんのさ」

 

 青いインナーカラーの入った長髪を揺らし、雨に濡れた妙齢の女性はそう告げた。

 離れた場所で踊っていたルンパッパも、いつのまにやらイズミの傍までステップを踏みながら近づいてきている。どうやら彼女の手持ちらしい。

 

「ま、待ち伏せしてやがったのか……!」

「見つけたのはたまたまだけどね。……けど、今ウチの大将が色々頑張ってくれてるんだ。アイツを助ける為だったら、ちょいとぐらい過激になっても……ねえ?」

「ぐっ……!?」

「おっと、変な動きしようとするんじゃないよ。うっかりしたら運転席が水没するかもしれないからねぇ」

「マジやばーい」

 

 イズミからギャラドス顔負けの威圧感で脅迫されるしたっぱ達は、無抵抗のまま運転席で縮こまる。流石に先手を打たれた状況でどうこうできるとは思っていないらしい。

 

(さて、こいつらを交渉材料にでもできればいいんだけど……)

 

「イズミ様ぁー!」

「なんだい?」

「見てください、これ! 荷台から転がってきたモンっす!」

 

 そう言って駆け寄ってきたのは五つ子の女したっぱの一人だ。

 何やら手には珍妙な形状のボールが握られている。

 

「なんだい、不気味なデザインだね。目玉?」

「ですよねー。ホント、気持ち悪いったらありゃしない!」

 

 おおよそフレンドリィショップには並んでいなさそうな黒いボールだった。

 形状としてはスーパーボールに近いものの、本来の開閉スイッチに当たる場所にあしらわれた目玉のデザインが何とも強烈である。

 元デボンコーポレーション社員でもあり、モンスターボールについても造詣が深いイズミは形のいい眉を歪ませる。

 

(オリジナルのボール? まさか普通のとは違う機構でも……)

「んでも、こん中に捕まったポケモン達が居るはずですよ! 早くボール開けて解放してあげましょう!」

「……フッ、それもそうだね」

 

 爛々と目を輝かせるしたっぱに、イズミは僅かに頬を緩ませる。

 そうだ、元々自分達はこういう集団だったはずだ。海を愛し、命を愛し、ポケモンを愛す。その為、無辜のポケモンをポケモンハンターと言った輩から何度も守ったことは一度や二度ではない。

 しかし、いつからだろう? ポケモンを愛する気持ちよりも、人間の愚かさに対する怒りの方が勝ってしまうようになったのは。

 それからアクア団の舵は逸れた。逸れて、逸れて、逸れて。カイオーガが降らす浄罪の雨こそがポケモンの為になると妄信し───そして、失敗した。

 

 自然をコントロールできると驕った人間の野望の終わりは、実に呆気ないものだった。

 

(人のふり見てなんとやらってね)

 

 今となっては初心に還り地道な保全活動に勤しんでいるが、目の前に居るロケット団のような密猟者を相手取る度に、自分達の愚行を振り返らされるようだった。

 けっして見ていて気持ちがいいものではない。

 けれども、これを見過ごしてしまっては悪の組織と評されていた時代から進めない。本当の意味でポケモンにとって理想の世界を創るアクア団には、いつまで経っても辿り着けやしない。

 

「さ・て・と。ポケモンを助ける前に、だ……ケジメの時間だよ。手を上げて出てきな。手持ちのボールはアタシ達の方で回収する。無駄な抵抗はお止し。こんな天気の中じゃあ、アタシのルンパッパのみず技は強烈だよ?」

「わ、わかったよ! わかったから!」

「マジだるーい……」

 

 言われた通り手を上げ、のろのろと運転席から出てくるしたっぱ達。

 その際、女の方は車内で弄っていたタブレット端末を握ったままだった。下手な動きを見せたら強力なみず技が飛んでくる以上、迂闊に捨てる真似もできないのかもしれない。

 故に、

 

「アンタ、その端末寄こしな。下手な真似されちゃ敵わないからね」

「……」

「だんまりかい? そーかい、そいつをオシャカにされたいみたいだねえ」

「止めといた方がいっスよー」

「……なに?」

 

 意味深な言葉にイズミが訝しむ。

 すかさずしたっぱの女は続けた。

 

「別にアタシ達に人質の価値はないっていうかー。あのアルロのことだしー」

「……薄情な上司だね」

「ほんとそれなー。んでー、逆にそんなアタシ達に大事な荷物任せるかって話でー」

「……?」

 

 徐々に。

 徐々にだが、何かがずれていくような感覚に、イズミは得も言われぬ怖気を覚えて顔を顰めた。

 

 そこでしたっぱの女が言い放つ。

 引き攣った笑みを浮かべて。そして、今が雨でなければ大量の冷や汗を流していたことだろう。

 

「だからさーねー? そもそもの話―、アタシ達に制御権限がないっていうかー?」

 

 ギチギチギチ、と。

 トラックのコンテナの壁が拉げ、丸め込まれていく。

 突如として起こった事態に目を丸くするイズミが目撃したものは、

 

「なんだい……あれは……!?」

「危なくなったら勝手に動きます……的なー?」

 

 手を上げたしたっぱの女が、手に持っていたタブレット端末の画面を翻す。

 まるで、見せつけるように。

 

 映し出されていたのは謎の波形と数値だった。

 そして最後にもう一つ。

 

「ポケモン、なのかい……()()()!?」

 

 コンテナから現れた二メートル越えの巨体と同じ3Dモデルだった。

 全体的なシルエットは細身であったと推察できるものの、身に纏う人工的な鎧のせいでどうしても厳つく見えてしまう。

 いや、それだけではない。

 事実、そのポケモンが自然体が振り撒く『プレッシャー』だけで背筋が凍える感覚がイズミ達を襲った。

 

「っ、ルンパッパ!! 『ハイドロポンプ』だよ!!」

「ルンパァーッ!!」

 

 危機感に煽られるまま最も強力な技を指示する。

 直後、ルンパッパの口から放たれた極太の水流が、鎧のポケモン目掛けて宙を駆け抜けていく。

 

『───』

 

 ゆらり、とゆるやかな動きで振り返る鎧のポケモン。

 迫りくる攻撃を目視した存在は、そのまま右手を掲げてみせる。

 

───受け止める気かい?!

 

 雨天の中、みずタイプの技は威力を増す。

 それを片腕一本で止めるつもりなど、舐められているにも程がある……そう考えていたイズミの目の前で、信じられない光景が広がった。

 

『───』

「な……()()()()()()()ァ!?」

 

 掲げられた右手に『ハイドロポンプ』が衝突しようとした、その瞬間に水が横へと流れた。

 真正面から攻撃で相殺されるなら理解は速かっただろう。しかし、こうも滑らかに攻撃を受け流されるとなると、一瞬ではあったが思考に間が生まれてしまった。

 

『───』

「ルンパッ!!?」

「ルンパッパ!? チィ……戻ってお休み!!」

 

 間隙を突かれ、鎧のポケモンが右手から放った力にルンパッパが吹き飛ばされる。

 たったの一撃だった。それだけでルンパッパは瀕死に陥ってしまった。

 

(『攻撃を逸らす』。『触れずに攻撃する』。そうなるとこいつのタイプは……)

 

「エスパータイプかい!!」

 

 それならとイズミは別のボールを手に取り、

 

「行きな、アメモース!!」

「アモッ!」

「『むしのさざめき』だよっ!!」

 

 ボールから繰り出されるや俊敏な動きで宙を動き回るアメモース。

 高速で羽搏く翅の振動で音波を起こし、エスパータイプに有効打となるむし技を繰り出す。仮に相手が本当にエスパータイプなら怯む様子を一つぐらい見られるだろう。

 

『───ッ───』

(どうだっ!?)

 

 音波攻撃を食らう鎧のポケモンは、一瞬身動きを止める。

 直撃は確かだ。問題なのはダメージの方であるが、

 

『……───』

「アモッ!?」

「これでもダメかい!!」

 

 戻れアメモース! と再び超能力で弾き飛ばされたアメモースをボールに戻す。

 2体共一撃。まるで悪夢でも見ているかのような状況に、イズミは頭が痛い顔を浮かべた。

 

「仕方ない……逃げるよ!!」

「イズミ様!?」

次元(レベル)が違い過ぎる!! アタシ達で太刀打ちできる相手じゃない!!」

 

 そもそもの目的は人質を取り、危機的状況のアオギリを救う交渉材料とするものだった。

 しかし、ともすれば向こう側よりも強大な敵を相手取らなければならなくなるなど本末転倒だ。

 

「命あっての物種ってね!! 出てきなオクタン、『えんまく』!!」

「ブフゥーー!!」

 

 繰り出されたオクタンが『えんまく』で辺りを煙で覆っていく。

 古典的な目潰しであるが、シンプルだからこそ効果的な手段でもある。特殊な機械でもなければ相手の居場所を悟られない以上、この窮状においては最善の策───のはずだった。

 

『───』

「オグッ!?」

 

 煙の中に隠れていたオクタンの悲鳴が響き、直後、その体が煙幕の外へと弾き出された。

 

(あの煙の中を正確に……!? マズイ!!)

 

 目を見開くイズミは背筋に寒気を覚えた。

 技か道具か、特性か。何にせよ相手は視界が悪い中であろうと正確無比な攻撃を繰り出せる。つまり、目くらましをしたところで時間は稼げないという訳だ。

 

「藪を突いちまったってワケかい……!」

「イズミ様!」

「アンタは先に行きな! ここはアタシが食い止める!」

「で、でも……」

「アンタが逃げないとアタシが逃げられないんだよ! アタシを殺すつもりかい!?」

「は、はい~!」

 

 ベトベトンを繰り出した瞬間、視界が一気に晴れる。

 それは漂う煙幕も降りしきる雨粒をも、サイコパワーで弾き飛ばした鎧のポケモンによる所業だ。

 

(……変に冷静で居られるのは一度カイオーガをこの目で見たからかねぇ。ま、冷静で居られたところでって感じだけど)

 

 自嘲気味に口角を吊り上げ、イズミは鎧のポケモンに対峙する。

 

「さぁ……かかってきな!!」

『───』

 

 

 

「ピカチュウ、『10まんボルト』」

「ルカリオ、『はどうだん』」

 

 

 

『───!』

 

 突如、雨天の薄闇を切り裂く青い閃光が瞬いた。

 先に電撃。バリバリと空気を裂いて駆け抜ける稲光は、鎧のポケモンが動くよりも早くその全身を痺れさせる。

 その一瞬の隙に、今度は光弾。正確無比な狙撃を思わせる直線軌道の弾丸は、麻痺で無防備な胴体にまんまと着弾した。

 

「なっ……!?」

 

「……強い」

「先生がそう仰られますか。私も同感ですが」

「……そう」

 

「ア、 アンタ達は……」

 

 いつのまにやら後方から現れた者達───否、ポケモントレーナー達。

 レッド、そしてコスモスは各々の相棒を引き連れ、イズミの前へと歩み出る。その際、コスモスはイズミの方に目配せした。

 

「救援です。後はお任せを」

「あの時の嬢ちゃんに兄ちゃん……! アンタ達、わざわざアタシ達を助ける為に!?」

 

『───』

「ヂュア!!」

 

「「!!」」

 

 2人が会話を終える間もなく、鎧のポケモンが繰り出した技をピカチュウが『アイアンテール』で打ち砕く。

 

「『サイコカッター』……エスパータイプですか」

「あぁ……それもかなり強力な、ね。アタシのポケモンも一撃でやられちまったよ」

「知っています。一度戦いましたから」

「は?」

 

 呆気に取られたイズミの前で、今度は鎧のポケモンが無数の星型エネルギー弾を繰り出す。目にも止まらぬ速さの『スピードスター』であったが、これはルカリオの『はどうだん』によって撃ち落とされる。

 攻撃が失敗に終わり、鎧のポケモンは次なる攻撃の準備に移る。

 だがしかし、1対2では明らかに手数が変わってくる。ましてや、片やリーグチャンピオン。秒どころかコンマの世界で指示を出す彼にとって、ほんの僅かな空白ですら攻撃のチャンス足り得る。

 

「ピカチュウ、『ボルテッカー』」

「ピカピカピカピカ───ピッカァ!!」

『ッ───!!』

 

 電光を纏ったピカチュウの突進が、相手の腹に突き刺さった。

 今日、初めて鎧のポケモンから苦悶の声が漏れる。兜のせいでくぐもってこそいたが、確かにダメージを食らった証に他ならない。

 

(相手もポケモン。それなら負ける道理なんて……ない!)

 

「『あくのはどう』で畳みかけろ!」

「バウァアア!」

 

 ピカチュウが作った隙を狙い、ルカリオが合わせた掌の内に黒々とした波動の濁流を渦巻かせる。相手がエスパータイプであるならば、あくタイプの技で攻めれば間違いはない。

 以前は空中でのバトルともあり苦戦を強いられた。

 しかし今は地上。それにあの頃から幾分か強くなった。

 

 今こそ一矢報いるべき───そんな意志の下、解き放たれた漆黒の濁流であったが、

 

「バリヤード、『ひかりのかべ』出しちゃってー!」

「バリリッ!」

 

 直前に展開されたバリヤーに阻まれ、瞬く間に威力が減衰してしまった。

 辛うじて貫通した分の威力は微々たるもの。『あくのはどう』を浴びた鎧のポケモンは、埃でも払うように波動の残滓を消し飛ばす。

 

「チッ」

「アタシらまだ居るしー。邪魔されたら困るから、むしろこっちが邪魔するしー」

「そういう訳だ、こちとら任務なんでな。ガキンチョの出る幕じゃねえ! 行けスリーパー、『サイコカッター』だ!」

「バリヤードも『サイケこうせん』だしー」

 

 ロケット団が繰り出した血走った瞳の───シャドウポケモンのスリーパーとバリヤードが、それぞれ念力を用いた斬撃と光線を繰り出してくる。

 

 しかし、

 

「遅い」

 

 コスモスが指示を出すまでもなく、ルカリオは迫りくる二つの攻撃を回避する。

 斬撃が木を切り倒し、光線が地面を穿とうともルカリオは怯まない。むしろその間、両手に再び漆黒の波動をチャージしているではないか。

 

「あ、これヤバイ感じ?」

「言ってる場合かァ!」

 

 喚いたところでもう遅い。

 

「シャドウポケモン……聞いて呆れますね。要するにポケモンに無理強いしてる訳なんでしょうが、その所為でポケモン側の動きが繊細さを欠いている」

 

 だから、避けられる。

 威力だけ大きかろうと、当たらなければ意味がない。ポケモンの技でも言えることだが、威力と命中率は反比例する。それはポケモンの能力にも言えるというだけのことだ。

 

「子供だましですね。()()()()()()()()()

「バウァア!!」

「ルカリオ、『あくのはどう』で一掃しろ!」

 

「「ぎゃあああ!?」」

 

 決着は一瞬だった。

 インファイトまで潜り込んだルカリオが、避けられない距離で『あくのはどう』を叩き込む。それだけで数で勝っていたエスパーポケモンは、後ろに構えていたしたっぱ諸共泥の上に転がることとなった。

 一連の流れを眺めていたイズミとしたっぱは『大したもんだね』や『最近の子供こわぁ……』と、その戦いぶりに戦々恐々する。かつて相まみえた子供と比べた時、随分と容赦がないからだ。

 

 要するに、無慈悲。

 その餌食となったロケット団は、瀕死になったポケモンの下敷きになったまま歯噛みしていた。

 

「うぐぐ。あ、あの砂利ガキめ……! 人に向かってポケモンの技撃つとか馬鹿なんじゃないか?!」

「いやー、別にポケモン吹っ飛ばした先にアタシら居ただけだしー。それは違くねー?」

「おみゃーはどっちの味方じゃあ⁉」

「アタシは強い方の味方ー。的なー?」

「それ一番信用ならん奴だぞ……?!」

 

 とうとう同僚にまで懐疑心を抱かれたところで、ダウナー系ギャル語女したっぱは手に持っていたタブレット端末を弄り始める。

 

()()()()()()()()()()()……まー、足りんじゃねー?」

「っ! あいつ、何かするつもりだよ!」

「今更止めたとこでもう遅いしー」

 

 怪しげな動きにイズミが注意を飛ばしたが、すでにしたっぱの女は操作を終えていた。その証拠に、ピカチュウの放つ電撃をサイコパワーで捻じ曲げる鎧のポケモン、その兜の目元部分が電波を受信したようにチカチカと瞬いていたのだ。

 

「あの端末が指示を……ルカリオ! あの端末を壊せ」

「きゃ!? ッ……でも、」

 

 手元の端末が『はどうだん』で破壊される。

 けれども、したっぱの女は勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 

 次の瞬間、横転したトラックの荷台からいくつかの球体が飛来した。掌に収まるぐらいの球体は、どうにも鎧のポケモンの力で浮遊しているようだった。

 だが、その球体のデザインにイズミは見覚えがあった。

 

「あのボール……湿原の野生ポケモンを捕まえていたのと同じ!?」

「もう止めらんないしー。APEX-1(エイペックスワン)、やっちゃっえしー!」

『───』

 

 女の言葉を聞いた訳ではない。

 しかしながら、最後に端末から送られた命令を遂行せんとばかりに鎧のポケモン───APEX-1と呼ばれたポケモンは動き出す。

 まず手始めに、サイコパワーで浮かばせたボールを迫りくるピカチュウ目掛けて向かわせた。

 

「ピカチュウ」

「ピッカァ!」

 

 指示を出すまでもなく、ピカチュウは迫りくる未知のボールを『10まんボルト』で迎撃する。得体の知れない攻撃に触れるのは下策だと思っての行動だろう。

 しかし、不気味な目玉のデザインがあしらわれたボールが壊される気配は見られない。

 普通のボールであれば、激しいポケモンの抵抗によって破壊されるケースはしばしばみられるのにも関わらず、だ。

 

 こんな時こそコスモスの観察眼が光る。

 

「先生! ボールにバリヤーが張られてます!」

「……そういう」

『───』

「!」

 

 ピカチュウを襲うボールの群れの内、その半数が狙いをルカリオへと変えた。

 

(───いや、違う)

 

 ボールは、あろうことかルカリオの横を通り抜けた。

 

「狙いは……私!?」

「! バウァ!」

「来るな!」

 

 標的がルカリオでなく自分自身であると見るや否や、残りの手持ちで迎撃を試みようとするコスモス。

 けれども主を第一とするルカリオは、コスモスの制止を受けながらも彼女の下へと駆け寄る。指示を無視されたこと、そして無視をしてまで駆け寄らなければならないと思われるほど動揺が伝わった事態にコスモスは歯噛みする。

 

 自身の未熟さに眩暈を覚える。

 だが、その次の瞬間だった。

 

(!? 軌道が)

 

 ぐりんっ! と六つ迫ってくるボールの内、一つがルカリオの下へと迫る。

 これにはルカリオに掌に溜めていた『はどうだん』を叩きつけんとするが、何分標的が小さい。それ以上に主の危機で普段よりも平静さを欠いている状態であった。

 迎撃も虚しくボールはルカリオの胸元へと飛び込んでくる。

 受け止めることもできずボールとの接触を許すルカリオ。その体は瞬く間に赤い光に包まれ、数秒後には……。

 

「ボールに……!?」

「入った!?」

「んなアホなぁー!?」

 

 信じられないと目を剥くコスモスの余所で、イズミとアクア団のしたっぱも驚愕する。

 それもそのはず。ここ最近はボールのID認証システム等により、他人のポケモンをゲットできぬようボール側で制限が掛かっているのだ。

 

(だから自作のボールを……!?)

 

 ようやく合点がいったイズミが危機感を覚えたところで、時すでに遅し。

 ルカリオを収めたボールは二、三度激しく揺れ、

 

───カチッ!

 

「ッ……!」

「逃げな、嬢ちゃん!!!」

「ですが……!」

 

 出したところで奪取(ゲット)されるとわかった以上、迂闊にボールから出せる訳がない。

 蹈鞴を踏むコスモスであったが、迫りくる謎のボールは最悪な方で彼女の期待を裏切った。

 

 残る五つの凶弾。それらが少女を取り囲んだかと思えば、腰に備わったボールに狙いを澄ませた。ハッとするも束の間、サイコパワーで動く謎のボールは標的に接触。

 何が起こったかも理解できぬまま、コスモスの手持ちは得体の知れないボールの中へと吸い込まれていった。

 

 一、二、三、四、そして五個。

 ベルトに装着していた分のボールは、数える間もなくロケット団に奪取されたどころか、サイコパワーでロケット団員の元まで引き寄せられてしまう。

 

「マジゲットー」

 

 したっぱの女はしたり顔でコスモスを見遣る。

 想定外の事態に歯噛みする少女。仕事道具であるポケモンが奪われてしまった以上、彼女はただの非力な女の子に過ぎない。

 

 そうだ、ポケモンが居なければの話だ。

 例外は、存在する。

 

「コスモッグ!!!」

「モッグ!」

 

「「「なっ!?」」

 

「『テレポート』!!!」

 

 ここに伏兵が一匹。

 服の中が定位置であるが故に難を逃れたコスモッグが元気よく姿を表せば、忽然と少女がその場から消え去った。

 完全に不意を衝かれた形のロケット団は、いくら周囲を見渡せど少女を発見することはできない。完全に雲隠れされてしまった。

 

「あんの砂利ガキめぇ……!!」

「ぶっちゃけー、もーどーでもいいしー。どうせー、手持ちはこっちの手にあるんだしー?」

 

 歯噛みする男とは裏腹に、女団員の余裕は崩れない。

 何故ならば、依然として少女の手持ちはロケット団が手にしたままだからだ。

 

「ちょっと! あの子平気なのかい!?」

「大丈夫」

 

 心配するイズミの一方で、レッドは毛ほども少女の安否を心配する素振りを見せない。

 

「大丈夫って……あの綿あめみたいなポケモンは戦えんのかい!?」

「……コイキングぐらい」

「はねるしか能がないじゃないかい!!」

 

 あんまりな言い草である。

 だが、実際コスモスが大丈夫だと確信を抱いているレッドは、静かに相手を見据えていた。

 

(今はあいつを……)

 

 謎のボールは執拗にピカチュウを追いかけ回している。

 一度目撃した以上、その目的がピカチュウを捕獲し、無力化・奪取することにあるとは予想がつく。

 

「……なら、『アイアンテール』!」

「チャアッ!!」

 

 その場で宙返りし、硬質化した尻尾をボールへと叩きつけるピカチュウ。

 すると尻尾は薄く膜を張っていたサイコパワーを破り、ボールそのものに強烈な一撃を叩き込むことに成功する。

バキンッ、と大きな亀裂が入る。

そのままボールは不規則に明滅を繰り返し、力なく地面へと墜落した。

 

(直接ボールに攻撃できれば……)

 

「兄ちゃん、そっち行ったよ!」

「!」

 

 光明を見出すも束の間、ピカチュウを追うのを止めた謎のボールはレッドを取り囲んだ。

 

「ピッカ!?」

「ピカチュウ」

「!」

 

 最早間に合わないという段階でも仲間を気に掛けたピカチュウ。

 だが、その瞬間に()と目が合った。

 

「勝てるよな?」

 

 驚くほどに平然と。

 その傲慢とも捉えられかねない言い草の問いを聞くや、ピカチュウの体は180度回転する。

 当然、何者の妨害も受けなければ謎のボールはレッドの手持ちを攫っていく。

 しかし、レッドは抵抗する素振りを見せない。微動だにせず、ひたすらに前を見据えている。

 

 これにはイズミも絶句した。彼が強いトレーナーであることは重々承知している。

けれども正体不明かつ強大なポケモン相手取るには、手持ちが多いに越したことはないはずだ。

にも関わらず奪い取られるのを見過ごした。案の定、苦楽を共にした相棒達が捕らえられたボールはロケット団の下へ集められてしまう。

 

「アンタ……!?」

「ピカチュウが勝てるって言った」

「え?」

「それで十分」

 

「ヂュウウウッ!!!」

『───ッ!!!』

 

 刹那、電光が薄闇を切り裂いた。

 仲間を捕えようとするボールには目もくれず、電光を纏ったピカチュウの突進がAPEX-1に突き刺さる。

 鉄が拉げる音と共に、いくつか破片が宙を舞う。

 それほどの衝撃だ。ボールの操作に気取られていたAPEX-1はトラックのコンテナが陥没する勢いで叩きつけられ、その場によろよろと膝を突く。

 

「うっそ、めちゃくちゃダメージ受けてる感じー?」

「お、おいおい大丈夫なのか!? もしもやられでもしたら……!!」

 

 垣間見えた敗色に顔面蒼白となるロケット団のしたっぱ達。

 一方レッドは毛ほども顔色も変えず、APEX-1を吹っ飛ばしたピカチュウの縞々な背中を見つめていた。

 仲間を見捨てた訳ではない。仲間どころかこの場に居る全員を救うという大役を担う選択をピカチュウは選んだのだ。

 

 そして、レッドは彼の選択を尊重した。

 

───パートナーが勝てると頷いた。

───ならば、それを信じるだけだ。

 

 ピカチュウはAPEX-1に、たった1体で勝つつもりだ。

 カビゴンも、ラプラスも、フシギバナも、リザードンも、カメックスも居ない中で。

 

「ピカチュウ」

 

 否。

 

「……キミに決めた」

「ピッカ!!!」

 

 ピカチュウにとって欠いてはならぬものがあるとすれば、彼の存在が唯一だ。

 

 ピカチュウは笑う。

 レッドも笑う。

 彼らに浮かぶ不敵な笑みは、久しく現れなかった強者に喜びを覚えていると言わんばかりだ。

 

 さあ、今こそあのポケモンに知らしめてやろうではないか。

 ポケモントレーナーがポケモントレーナーと呼ばれる由縁を。

 

 

 

 そして、この日。

 ホウジョウ地方において、二つの頂点がぶつかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ゴルバット……ニンフィア……」

 

 少し、いや、かなり寂しくなったベルトをなぞるコスモスが唱える。

 

「ヌル……ユキハミまで……」

 

 なくなったボールの位置から、奪われた手持ちは把握できる。

 捕まえたばかりで戦力外のユキハミはともかくとして、それ以外を丸々奪取されてしまった事実は重く圧し掛かってくる。

 

(よくも私のポケモンを……あそこまで育てるのに一体どれだけの費用と時間をかけたかわかってるんですかね?)

 

 もしも仮に雑に扱われて傷がつこうものなら慰謝料をふんだくってやろう。

 もしくは潜入しているラムダ辺りにでも金をちょろまかしてもらおうか……という、拾わぬジグザグマの物拾い算用的な思考は一旦中断する。

 まずは現状を打開せねば───正確には奪われた手持ちを奪還しなければ話にならない。

 

(あの謎のポケモンは先生が相手してるでしょうが……まあ、先生が負けることはないでしょう)

 

 厚い信頼をレッドに抱くコスモスだが、彼の手持ちの大半が奪取されている事実を知らない。師に対する株は今日もストップ高である。

 しかしながら、全てをレッドに任せようとするつもりは毛頭ない。何せ自身の手持ちを奪われているのだ。士気としてはあり過ぎて恐ろしいくらいである。

 

「……フッフッフ」

「モッグ?」

「悪の組織とあろうものが詰めが甘いですね。やはり所詮はバッタものという訳ですか……」

 

 黒い笑みを浮かべる主に、コスモッグは首を傾げる。

 彼女が何故このような状況でも笑っていられるのか。その理由はリュックから取り出した代物にあった。

 

()()()()6()()()()()()()()()()()()()、ねえ?」

 

 そうだ。ウリに託された最後の一体が、ここには居る。

 

「───GO、ゲッコウガ」

「ゲコ!」

 

 開閉スイッチを押せば、勢いよくゲッコウが飛び出す。

 軽い身のこなしで枝に掴めば、そのまま細い足場に足を乗せる。実力としてはルカリオやヌルと同等。完璧に指示を遂行すれば、自身の主戦力と変わりない活躍を期待できるとコスモスは踏んでいた。

 

 その上で、だ。

 

「晴れて私の手持ちになった貴方に早速ですが命令します」

「ゲコ?」

「私をここから下ろしてください」

 

 プラーン、と。

 

 ゲッコウに指示を出したコスモスは、上着が枝に引っ掛かる形で宙吊りになっていた。

 

 はっきり言おう。

 無様この上ない。

 

「ゲコゲコゲコw」

「おまえ あとで おぼえてろ」

「ゲーコゲコゲコゲコッ!!w」

「チッッッ!!!」

 

 これにはコスモスちゃんも盛大な舌打ちで出ちゃった。

 

(テレポートの場所が悪くなければ、こうは……)

 

 一刻も早くあの場から撤退しイニシアチブを確保する必要があったと理路整然とした事情で自身を宥めつつ、コスモスはじたばたと手足をばたつかせる。

 しかし、体重が軽い彼女がばたついたところで枝が外れる気配はない。

 誠に不服ではあるが、やはり目の前のカエルに救出を求めなければならぬようだ。

 

「ほら、早く私を助けてください。元々は消防士の手持ちでしょうに」

「ゲコゲコゲコw」

「貴方は困ってる人やポケモンを見て助けようとは思わないんですか? はぁ、なんて薄情者なんでしょう……キュウさんやウリさんが見たら哀しむことやら」

「ゲコゲコゲコw」

「……ほら、笑うのもいい加減にしてください。今は一刻も争う事態なんです。先生があのヘンテコなポケモンを倒した後の後詰は必要なんですから、私達は私達のやるべきことをですね……」

 

 そこまで言ったところでコスモスはゲッコウの変化に気づく。

 それまでコスモスを笑い者にしていた彼が、レッドのことを口にした途端、神妙な面持ちとなって笑うのを止めた。半目になってこちらを見据える瞳には、どこかギラギラとした対抗心が燃え上がっているようだった。

 

 すると、次の瞬間。

 

「!? ゲッコウガ、貴方どこに行くつもりです? もしや先生のところに行こうとしてるんじゃないでしょうね? やめてください考えなしに参戦したところで先生の邪魔になるだけなんですからこういうのは綿密な計画を立ててですね───」

「……コウガッ!」

「あ、ちょっ、……私を置いていくなぁー!! 待てぇえええ!! 私宙吊りのままってどうやって降りろって言うんです!? 自慢じゃないですが私はそんなに運動得意じゃないんだぞぉぉおおお!! これっ、もしも落ちたら……」

 

───痛いでしょうがぁぁあああ……!!

───痛いでしょうがぁぁあああ……!!

───痛いでしょうがぁぁあああ……!!

 

 しかし、木霊する必死の制止も虚しくゲッコウの背中は草むらの中へ消えていった。

 取り残されるコスモス。依然、宙づりのままの彼女は胸元のコスモッグと見つめ合う。

 

「……さて、どうしましょう」

「モッグ?」

「…………………………はぁ」

 

 レッツ、テレポートチャレンジ。

 ただし、行き先はランダムである。

 

 

 

 この時、コスモスは本気でクーリングオフを検討するのだった。

 

 

 

 




Tips;手持ちの数
 世間一般では手持ちの数は6体とされているが、実はこれには明確な決まりがある訳ではない。経緯を紐解けば、公式戦のフルバトルが6体である為に慣習と化しているという実情だ。罰則等もない為、7体持とうが8体持とうがジュンサーさんにしょっぴかれることはない。
 ただし、大半のトレーナー向けの道具───主にボールを携行する為のベルトなどは6個携行を想定しているデザインであり、ポケモンセンターでも回復装置にセットする為のケースは6個1セット仕様であるので、なにかと不便は被るかもしれない。


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№043:激闘! コイノクチ湿原③

前回のあらすじ

コスモス「テレポートを悪用して詰みセーブを作るのはやめましょう」




 

 

 

「ピカチュウ、『アイアンテール』」

「ピッカァ!」

 

 ッギャァン!! と耳を劈くような衝突音が響き渡る。

 ピカチュウの『アイアンテール』がAPEX-1の装甲を抉る音だ。この雨の中でも赤白い火花が飛び散っている。

 

『───』

「ピッ!?」

 

 強烈な一撃を前に硬直するも束の間、APEX-1が反撃に打って出る。

 それは武器と呼ぶには家庭的な代物だった。

 しかし、サイズがけた違いだ。子供の身長は優に超えるであろうサイズのスプーンを手に握ったAPEX-1は、サイコパワーの補助をつけて全力で振り抜く。

 すれば、ピカチュウ程の身体であれば吹っ飛んでしまう暴風が巻き起こる。

 案の定、風で煽られたピカチュウは距離を離されてしまう。

すかさず『でんこうせっか』で接近を試みこそするが、再び巻き起こされる念動波の竜巻が行く手を阻んだ。

 

(接近戦を嫌ってる)

 

 敵の様子を観察していたレッドが結論づける。

 ピカチュウの立ち回りに慄いたか、もしくは元々そういう技が得意なだけか。どちらにせよ自分の距離で戦おうとする敵は、執拗なまでにピカチュウを寄せ付けようとしない。

 

(なんとかして近づきたいけれど)

 

 口にするまでもなく、ピカチュウは接近戦を仕掛けようと奮闘している。

 それでも苛烈な抵抗が懐に潜り込むのを許してくれない。

 

(なら、)

 

───攻め方を変えるまでだ。

 

 レッドがアイコンタクトを取った瞬間、手をこまねいていた様子のピカチュウが意図を汲んだと言わんばかりに口角を吊り上げた。

 

「チャア!!」

 

 次の瞬間、鋼鉄の如く硬い尻尾の一撃が地面を割り砕いた。

 蜘蛛の巣状に広がる亀裂。同時に泥や水飛沫が舞い上がる。

 

「目くらまし!? ……いや、」

 

 違う、とイズミが口にするより早く、ピカチュウの姿はその場から消えていた。

 一瞬の出来事だった。神隠しにでも遭ったように消え失せた相手をAPEX-1も捉え切れなかったのか、キョロキョロと辺りを見渡している。

 

 しかし、再会は間もなく訪れた。

 

「そこ」

「ピッカ!」

 

 バゴンッ! と、三度地面が砕ける音が響く。

 音の方向はAPEX-1の背後から。

 そう、ピカチュウは『アイアンテール』で割った地面を潜行し、相手の背後まで回り込んだのだ。

 

『───!!』

「ピ~カ~……チュウウウッ!!」

『───!?』

 

 すかさず迎撃しようとするAPEX-1であったが、突如として瞬いた閃光に視界を奪われる。

薄闇に慣れていた目に、その光は強烈過ぎた。

追い払わんと振るわれたスプーンも虚空を薙ぎ払う。空振りだった。

 

「ヂュウッ!!」

 

 それを見逃すピカチュウではない。

 意地の悪い笑みを浮かべた電気鼠は、振り抜かれたスプーン目掛けて『アイアンテール』を繰り出す。

 研ぎ澄まされた一閃が外れることはない。

 次の瞬間、甲高い悲鳴が上がった。ヒュルヒュルと何かが宙を舞っている。鈍い銀色を放つ物体の正体は、取っ手の部分から切り離されたボウル状の部分だった。

 

『───!?』

「ピカチュウ、『10まんボルト』」

「チュウウウッ!!」

『───ッ!!』

 

 無防備なところへ打ちこまれる全力の電撃。

 バリバリとAPEX-1を覆う電撃は、終わるまでにたっぷりと10秒もの時間を要した。

 

『───!!』

「ピッ!」

「……まだ、」

 

 倒れないのか。

 相棒の全身全霊を食らっても尚、片膝を突くだけに留まるAPEX-1は戦う姿勢を崩さない。それどころか淡い光が装甲の間から漏れだすではないか。

 鮮烈な電光とは違う、優しい温もりに満ちた光だった。

 それが収まる頃、ダメージを負っていたAPEX-1は力強く立ち上がった。

 

(『じこさいせい』……)

 

 回復技も兼ね備えているとは厄介極まりない。

 ピカチュウは本来打たれ強いポケモンではない。長期戦になればなるほど、種族としての貧弱さが露呈しまうようなポケモンだ。それはレッドのピカチュウとて例外ではない。

 

(『ボルテッカー』はダメだな)

 

 回復技を持つ相手に反動の重い技で攻めるのは論外だ。

 『高威力の技で速攻を仕掛ける』なんて言葉は、聞こえはいいがリスクが高すぎる。確信を得られない段階で打って出るのは単なる博打だ。レッドは勝負は好きだが勝負師ではない。

 

(となると……)

 

()()で行く、ピカチュウ」

「ピッカ!」

 

 以心伝心と、ピカチュウは動き出す。

 果敢にもAPEX-1に突撃するピカチュウに、敗北を恐れる様子はない。その証拠にと、一撃でも喰らえば致命傷は必至の念動波の嵐に自ら飛び込んでいく。

 ただし、一発たりとも攻撃は喰らわない。

 神業的なタイミングでちょこまかと回避しつつ、激しい技の応酬を繰り広げている。

 

「な、なんだあのピカチュウ……!?」

「APEX-1とやり合ってるとか、マジヤバー……」

 

 戦々恐々とするのは観戦していた者達。

 特にAPEX-1と呼ばれるポケモンの恐ろしさを知っている側だからこそ、ロケット団は互角の戦いを繰り広げる電気鼠に青ざめていた。

 

「でも、結局有利なのはこっちだしー」

 

 したっぱの女はニタニタと強がるように笑みを作る。

 案外、状況分析は冷静なようだ。

 このまま長期戦に持ち込めば有利であると分かっている様子の敵に、眺めることしかできないイズミは歯噛みする。

 

(くっ! 手持ちが残ってさえいれば加勢してやるんだけれど……)

 

 生憎と手持ちは全員返り討ちにされてしまった。

 残る手立てと言えば、生身でロケット団の下へ行き、奪われた手持ちを取り返すぐらい だが、ここまで激しい戦闘の中を突っ切っていくのは不可能に近い。

 

 結局のところ傍観するしかない。

 

「───コウガッ!!」

 

 そんな時、不意に響いた声に全員の視線が向く。

 

「ゲッコウガ、だと? トレーナーが居ない……野生のポケモンかい?」

「……オー……」

 

 ゴシゴシと眼を擦ったレッドが思わず唸った。

バトル中だったピカチュウさえ、なんとも味わい深いシワシワフェイスを浮かべて、忍ばず木の天辺に堂々と参上したカエル忍者を見つめていた。

 

「コウガッ!!」

 

 己に向けられる呆れた視線など露知らずと言わんばかりにゲッコウガ───もとい、ゲッコウは華麗に跳躍する。

 

『───』

 

 ゲッコウを敵と認識したAPEX-1が右腕を突き出す。

 直後、ドゥン……! と鈍い音が虚空を殴りつける。それがAPEX-1の繰り出した『サイコウェーブ』だと見抜くや、ゲッコウは水かきのついた掌を構える。

 すると、掌からドロドロとした黒い波動が滲み出す。

 

───『あくのはどう』

 

 ルカリオから盗んだ技の一つが、『サイコウェーブ』と真正面からぶつかる。

 しかし、余程威力に差があったのだろう。衝突した『あくのはどう』は一瞬にして霧散してしまう。

 

「ダメだ!」

「……ダメだ」

 

 イズミとレッドがそれぞれに危機を唱える。

 このまま行けばゲッコウは『サイコウェーブ』に吹き飛ばされてしまう───かに思えたが、

 

「ゲコォ!」

『? ───ッ!』

 

 念動波を打ち砕くゲッコウが舌を伸ばす。

 あらぬ方向へ伸びていった舌を警戒していたAPEX-1であったが、攻撃は()……正確には()()()からやって来た。

 

「!? あれは……」

「……『かげうち』」

 

 APEX-1の胴体を突き上げる影の舌。

 ゲッコウの十八番の一つ、『かげうち』だった。『へんげんじざい』であくタイプとなり、エスパー技を空かした上での不意打ち。

 相手が仮にエスパータイプならば効果は抜群だ。

 そして、その仮定を理解しているからこそ、ゲッコウもこの技をチョイスした。

 『してやった』とゲッコウもキメ顔を浮かべている。

 

 が、しかし。

 

「ゴッ!?」

 

 ガシィ!! と伸びた舌を掴む圧があった。

 何かが物理的に触れている訳ではないが、確実に何かが掴んでいる。いくら舌を戻そうとしたところで、その場に固定されたかのように微動だにしない舌により、ゲッコウはそのまま宙吊りにされる。

 

 一体なぜ?

 

 思い当たる節に、ゲッコウはすかさず視線を地面へ落とす。

 そこには自身の一撃を喰らい、崩れ落ちているはずのポケモンが───何事もなく立って、捕えた獲物を兜の奥から睨みつけていた。

 

『───』

「ガッ……アァ!?」

 

「チッ!! 仕留めきれなかったか!?」

「ピカチュウ!」

「ピッ!」

 

 このままではやられるとイズミが声を上げれば、間を置かずピカチュウが救援に入る。

 全身から迸る電撃が、まさに今解放されようとした───その瞬間だ。サイコパワーで浮遊していたゲッコウの身体が、ピカチュウの眼前に放り投げられる。

 

「あのポケモン、盾にする気かい!?」

 

 同士討ちをさせるような所業に、思わずイズミも声を荒げた。

 真意は何にせよ、このまま電撃を放てばゲッコウが巻き添えを食らう。曲がりなりにもコスモスの手持ちと判っているゲッコウを巻き込むのは下策だ。

 

「ゴー」

「ヂュウウウ!!」

「ガガガガガッ!?!?!?」

 

「「「「()()いったァ!!?」」」」

 

 ……と思っていたのは周りの人間だけ。

 手心なんてものはない。全身全霊の『10まんボルト』はゲッコウガを基点に、四方八方へと電気を撒き散らす。

 見事に撃ち落とされた焼きガエルは水溜まりに沈み、ピカチュウとAPEX-1のバトルは仕切り直しとなった。

 

「いや、アンタはオニゴーリかい!?」

「……そう言われても……」

「『そう言われても』って!? ハッキリ『ゴー』って言ってたじゃないかい!!」

 

 しかも悩む素振りも見せず、だ。

 ともすれば相手以上の非道に憤慨するイズミがレッドに詰め寄ろうとする。

 

「いえ、構いません」

 

 そこへ少女の声が響く。

 

「!? 嬢ちゃん、アンタ無事、で……?」

()()は少々痛い目を見た方が薬になります」

「……なんでそんな全身泥塗れなんだい?」

 

 聞かないでください、と泥遊びをしてきた風貌のコスモスが答えた。心なしか語気が強いような気もするが、豪雨の中を歩いてきてこの有様なのだ。当初はどれだけ汚れていたかなど想像もつかないが、誰もわざわざ見えた地雷を踏む気にはなれない。

 

「こっちに来い、ゲッコウガ」

 

 お冠なコスモスがゲッコウをボールに戻すも、すぐさまその場に繰り出す。

 

「いいですか? しっかり見ておくことですね」

「……ゲコッ?」

 

 少女の言葉にゲッコウの思考が追い付くよりも早く、火花は散った。

 

「ヂュウ!! ヂュウウッ!!」

『───!!』

 

 目にも止まらぬ速さで肉迫して尻尾を振るうピカチュウ。

 対峙するAPEX-1は、今度は念をナイフの形に形成し、刃物のように鋭い『アイアンテール』と打ち合っている。

 

 スプーンの二の轍は踏まない。

 そんな相手の意思をひしひしと感じる念のナイフは、ピカチュウの『アイアンテール』に勝るとも劣らず、空振った刃の先にある木々を切り倒す程の切れ味を誇っていた。

 

「具現化するほど高密度の『サイコカッター』……!? なんていうポケモンだい……あんなレベルのエスパーポケモンなんて、見たことも聞いたこともないよ……!?」

 

 冷静に分析すればするほど相手のレベルの高さにイズミ慄いた。

 一方で、コスモスはリュックから取り出したまひなおしときずぐすりでゲッコウの手当を開始する。観戦はあくまで片手間だ。

 これほど高次元のバトルを前にしても、彼女の心は目の前に倒れているポケモンの方へと向いていた。

 

「分かりますか? 貴方と先生のピカチュウの違いが」

「ゲコ……?」

「別に経験値(レベル)とかフィジカルとか、そういう話はしていません」

 

 信頼ですよ、と少女は告げた。

 

「先生は最低限の指示しか出していません。けれど、ピカチュウはそれを完璧に読み取って立ち回っています」

 

 よく観察すれば、ピカチュウの耳が小刻みに動いているのが見える。

 

「最初の頃は先生のピカチュウも独断で動いていました。ですが、最近になってようやく指示を出すぐらいには私達も成長したんです。だから分かるんです。名前を呼ぶ……ただそれだけでも、きちんとした意味が込められてると」

 

 たとえば、口に出した声のトーン。

 たとえば、口に出した言葉の速さ。

 

 たったそれだけの情報の中にも、当人達の間だけに伝わる幾千もの情報が詰まっている。コスモスはそう語った。

 

 これにはゲッコウも目が点になった。

 言われなければ気づかない。だが、言われたところで判別するのも難しい。相手がどのような技を繰り出すかある程度予測するゲッコウですら、レッドの指示から読み取れる情報は皆無だ。

 

 それを、この少女は欠片ほどだが掴んでいる。

 

「勿論、それが一番とか言うつもりはありません。バトルスタイルは人それぞれですからね。でも、相手の言葉に耳を傾ける……これができるとできないとじゃ雲泥の差です」

 

 何もバトルに限った話ではない。

 すべてのポケモントレーナーが通る永遠の課題なのだから。

 

「トレーナーの言葉に耳を傾けずに戦うポケモンは野生と一緒です。あそこで暴れてるポケモンと同じ」

 

 ゲッコウを容易く追い詰めた相手は、ピカチュウと熾烈な斬り合いを演じている。

 

「ハッキリ言ってあの二体の中じゃ敵の方が強いでしょう」

「ゲコ?」

「でも、実際にはピカチュウが押している」

 

 突如、斬り合いの音が止んだ。

 すると、空から何かが降ってきた。ザクッ、と落下物が地面に突き刺さる。

 

『───ッ───!』

 

 それは手元から弾かれたナイフだった。

 APEX-1は拾おうと手を伸ばすが、ぎこちない動きの彼が武器を手にする余裕はなかった。

 

「なっ……麻痺したのかッ!?」

「マジー? やばー」

 

 驚愕するしたっぱは、APEX-1の装甲上を迸る電光を見逃さなかった。

 『せいでんき』。珍しくもなんともない特性だ。触れた相手を時折まひ状態にする、ただそれだけの特性。

 

 しかし、レッドとピカチュウからすれば待望の瞬間だった。

 『じこさいせい』で体力を回復できるとしても、状態異常はまた別の話。わざわざ危険な接近戦を仕掛けていた理由は、回復されようがそれよりも早く削り切るだけの大技をぶち込む猶予を得る為だ。

 

「ピカチュウ!」

「ピ~~~カ~~~……ヂュウウウッ!!」

 

『───ッッッ!!!』

 

 刹那、空を覆う雨雲が吼える。

 

 ピカッ!! と閃光が瞬いた瞬間、空気を裂く轟音と共に一条の電光がAPEX-1を貫いた。

 でんきタイプ最高峰の技、『かみなり』。

雨天の中なら必中にして必殺に等しい大技である。

 

『───ッ……!!』

「エ、APEX-1!? 何してる!? 立て、立って奴等をぶっ倒せー!!」

「ちょっとー、マジヤバい感じー……!?」

 

 直撃を食らって膝を突くAPEX-1。

 装甲の各所からは黒煙が上がっており、本体のみならず、装甲自体にも甚大なダメージが入っていると目に見えて分かる様子だった。

 いくら本体が回復できたところで鎧は別だ。単なる鉄の塊ならともかく、工学的な機構が組み込まれている代物なら尚の事。

 

『───……』

 

「と、止まった……?」

「倒しちゃったってワケ……? あのバケモノを……ピカチュウで……!?」

 

 敵の沈黙を目の当たりにし、イズミとアクア団のしたっぱが呆然と呟いた。

 いくら待ってもAPEX-1が動く素振りは見られない。

 

 完全沈黙だ。

 機能停止したAPEX-1は天を仰ぐような体勢で、地べたに両膝を突いたままだった。

 

「……やったね」

「ピッカ!」

 

 微笑むレッドに対し、ピカチュウは小さなおててをVサインにする。

 ともすれば仲間を失うかもしれない局面での勝負が終わったばかりとは思えぬ無邪気さであった。

 

 その光景を前にしたゲッコウは、しばし声を失う。

 

 圧倒的だとは思っていた。

 だが、ここまでとは想像もつかなかった。

 

 単に地力が違うと。自分が経験さえ積めば勝てる相手だと。今の今までの認識、それを丸ごとひっくり返されたような気分にゲッコウは陥った。

 

 呆然自失とするゲッコウ。

 対して、傍らに佇む少女が口を開く。

 

「あれが信頼を築いたポケモンとトレーナー……私が目指すポケモントレーナーの形です」

「……」

「さて……一つ訊きますが、貴方とキュウさんの関係はどうだったんです?」

 

 掘り返すような声色に、思わずゲッコウは俯いた。

 

 だが、しかし。

 

「貴方と彼は信頼し合ってなかったんですか? 負けが込んだ時、本当にあの人は貴方に何も言わなかったんですか?」

「……」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 地面の水溜まりに己の顔が映り込む。

 泥に汚れ、涙に濡れ、クシャクシャに歪んだ惨めな顔だ。

 

 だけど、どこか懐かしい感覚を覚えた。

 

『───なあ、ゲッコウ』

 

 不意に声が響いた。

 どこからともなく聞こえた声は、つい最近の記憶の中から。

 

『お前ェは───よ』

 

 思い出したい。

 思い出したいのに、上手く思い出せない。

 降りしきる雨がノイズのように、記憶の声に曇りを掛ける。大切な言葉のようだった気がするのに、曇りが晴れる気配はない。

 相棒と信じてきたトレーナーの言葉も思い出せない事実に、ゲッコウは項垂れる。

 これでは手持ちから外されるのも道理だ。いくら他人のところで強さを磨こうとも、意思疎通を図れなければポケモントレーナーの下で力を揮うポケモンとしては不適合。

 

 それを自覚した瞬間、ゲッコウは己の咎に涙を流す。

 しかし、

 

「……この数日間、貴方の人となりは見てきましたがね」

 

 突拍子もない話に小首を傾げながらも、ゲッコウはコスモスの言葉に耳を傾けた。

 

「貴方はウリさんと似て頑張り屋です」

「……ゲコッ?」

「というか、限度を知らないです。人が止めてもやり過ぎるんですから、筋金入りの努力家なんでしょうね」

 

 手当を終えたコスモスが背中に手を添える。

 冷たい雨の中で冷え切った身体だからこそ、じんわりと広がる温もりが際立つ。

 

 その温もりにも憶えがあった。

 ただ、少女のものではない。

 もっと遠い記憶……まだ小さくて弱かった時代に、二人三脚で歩んできたトレーナーが添えてくれた手と似ている。

 

「そして、人に頼るのが絶望的に不器用です」

「ゲコ?」

「何事もまず自分で解決しようとする。私にしてみれば不合理極まりないことこの上ない。トレーナーとポケモンは似ると言いますが、貴方とウリさんがそうなんですから、お兄さんの方も似たような性格なんでしょうね」

 

 当人が居れば否定しそうな言葉を吐きながらも、コスモスはゲッコウに肩を貸す。

 

「そこはかとない他人の入れ知恵の気配を感じますが……この際どうでもいいです。貴方に私を認めさせてカチョウジムを制覇する。今の今まで、その点について変更はありません。私の指示がなくたって一人で勝てるよう、必要な努力も重ねさせてきたつもりです」

「ゲ!?」

「だってそうでしょう? 言うこと聞かないんだから」

 

 さも当然と言わんばかりに言い放つ少女だが、こう続ける。

 

「まあ、私の言うことを聞いてくれるんだったらもっと簡単に目にもの見せてやれるでしょうに……」

「……」

「あ~あ、どこかの誰かが言うこと聞いてくれないですしね~」

 

 チラッと横を見るコスモス。

 彼女にしてわざとらしい口調だったが───効果はてきめんだった。

 

「コウガ……!!」

(フッ)

 

 気取られない程度に口角を吊り上げ、焚き付けに成功したと確信する。

 この数日間でゲッコウというポケモンの性格は、粗方把握し切っていた。

 

 頑張り屋で、熱が入ると他の物が目に入らなくなり、他人に頼るのが下手。

 

 そして何より───負けず嫌いだった。

 

(あとはそれを良い方向へ持っていけるか……トレーナーの腕の見せ所ですね)

 

 それにつけても、

 

(流石先生です……やはり先生はすべてを解決する)

 

 生徒の盲目具合もまた加速していくのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 雨脚は酷くなる一方だった。

 ただでさえ泥濘の多い地面が、より水分を吸って柔らかくなってきている。これでは踏ん張るのもままならない───慣れていない者であればの話だが。

 

「ギャアアアッ!!!」

 

 悲鳴にも似た咆哮が響き渡る。

 直後、橙色の光を撒き散らす『はかいこうせん』が湿原の肥沃な土壌を抉る。遅れて起こる爆発も合わせ、宙には無数の泥が舞い上がっていた。

 

「おいおい、あんまし暴れるんじゃねぇよ……」

 

 苦々しい顔でキュウが不満を漏らす。

 いかに対峙するメガギャラドスが元々この土地に住んでいたコイキングだったとはいえ、ここまで暴れ回られては生態系への被害は無視できない。

 

「ちっとばかしオイタが過ぎんじゃねぇか?」

「ええい、うるさい!! キサマはさっさと研究成果の餌食になればいいんだ!!」

 

 一方、メガギャラドスを操るアルロの方は怒り心頭といった様子だ。

 その怒りの根源は、目の前で繰り広げられるバトルにあった。アルロの怒りを体現するかのような暴れっぷりを見せるメガギャラドスの一方、不思議な姿のゲッコウガ───もとい、コウガは軽快かつ俊敏な身のこなしで相手を翻弄している。

 

 ただの一度の被弾も許さない。

 それでいて強烈な攻撃を何度も叩き込んでいる。体力を削られているのはメガギャラドスばかりだった。

 

「こんな、こんなはずじゃあ……!! ええい、薬剤の量が足りなかったか!? それともメガウェーブの調整が不完全? ええい、何が足りないと言うんだ……!?」

「御託は済んだか?」

「!!」

 

 アルロが目を見開いた瞬間、コウガは風となってメガギャラドスに肉迫する。

 あっという間に懐に潜り込んだコウガは、両手を手刀の形へ整えた。

そして、黒々と鈍い光を放つ胴体へ一閃。

 

「『つばめがえし』」

「ギャアアッ!!?」

「グッ……!? 何を怯んでいる!! さっさと反撃を……!!」

 

 のた打ち回るメガギャラドスに指示を飛ばすアルロ。

 しかし、キュウとコウガの動きは速く、

 

「『つじぎり』」

「コウガッ! コウガァッ!」

 

「ギャア!? ギャアア!?」

「何を一方的にやられている!? 何でもいいから攻撃を……」

 

「『みずしゅりけん』」

「コウガァァアアアッ!!!」

 

 息も吐かせぬ連撃の締めに、巨大水手裏剣がメガギャラドスへと叩き込まれた。

 雨の恩恵も得た一撃はメガギャラドスの巨体を垂直に浮かび上がらせ、受け身を取らせる余力を残すことも許さなかった。

 着地の地響きが鳴り響いてから少しして、メガギャラドスの肉体に異変が起こる。

 メガウェーブからの怪電波を浴びてメガシンカしていた姿から、元の細長いシルエットへと逆戻りし始めた。

 

「な、ぁ……!?」

「一丁上がり」

「馬鹿な……ボクのシャドウポケモンが、いとも簡単に……!?」

 

 自身の成果物を倒され、大いにショックを受けるアルロ。

 しかしながら、すぐさま背後から喉元へ添えられる冷たい感触が、彼を現実へと呼び戻す。

 

「くっ!?」

「年貢の納め時だぜ、ロケット団。お天道様が見過ごしても、ぼくぁ見逃さねぇぜ」

「……おのれ、忌々しいジムリーダーめ……!」

 

 音も無く背後に立っていたコウガ、彼の『みずしゅりけん』を喉に添えられたアルロは黙って両手を上げる。背後を取られた以上、迂闊に動くことさえままならない。敗色濃厚の気配にアルロの頬には一筋の汗が伝う。

 

「さて。そんじゃあジュンサーさんに連れてくがてら洗いざらい吐いてもらおうかぃ」

「吐く? 一体何を? 主語は明確にしてほしいものだな」

「……ぼくぁ、ここいらで育ってきた。ひと様ん故郷で好き勝手ポケモン密漁するに留まらず、無理やり進化させた理由を訊いてんだ」

 

 目の前まで近づいてきたキュウがガンを飛ばす。

 余りにも凄まじい形相に、睨まれたアルロも思わずゴクリと生唾を飲み込んだが、そこはやはり悪の組織の幹部だ。これしきの威圧感で押し黙る胆力ではない。

 

「フン、流石はポケモンリーグのガーディ……ジュンサー共々殊勝なことだ」

「痛い目見てぇようだ。なァ、コウガぁ!!」

「待て待て!! 公務員がすぐさま暴力に訴えようとするな!! わかった、話す!! 話すから手裏剣を喰い込ませるのはやめろ!!」

 

 しかし、明確な命の危機を前にすれば胆力など無きに等しい。

 

「チッ……見ての通りさ。我々は戦力の補充、そしてデータ収集の為にこの湿原に訪れた」

「データ収集だぁ?」

「見ただろう? メガストーンを使わぬポケモンのメガシンカ現象。そして、即効性の薬剤を用いたシャドウポケモン化……どれもロケット団の悲願を果たすには必要な手立てなんですよ」

()()がねぇ……」

 

 反吐が出ると言わんばかりにキュウは顔を顰めた。

 ポケモンとの絆を重んじる彼としては、そのどちらもポケモンに無理を強いる手段は許しがたい外道に他ならない。

 益々怒りを顔に滲ませる彼は、ほとんど鼻先が触れ合うような距離感でアルロに詰め寄った。

 

「言え。ロケット団の悲願とやらはなんだ? 手前ェらの根城はどこにある?」

「それは……」

「言えねェってんなら次目ェ覚ますのァ檻ん中になるだけだが」

 

 身も竦む威圧感で詰れば、俯いたアルロもプルプルと震え始める。

 恐怖で怯えているのだろうか?

 何にせよ、これ以上口を割ることはないと悟ったキュウが一旦引き下がったが、そこで違和感を覚えた。

 

「……クククッ」

「? 手前ェ、何笑って……」

「いくら勝利を確信したからと……油断したな!!」

 

 恐怖など微塵も見られぬ顔を上げたアルロ。

 『ハッサム!!』と彼がどこへともなく呼びかければ、真紅の虫はアルロの足下から出現し、コウガが構えていた手裏剣を引き剥がした。

 

(しまった! ハガネールが落ちた時に穴でも掘ってやがったか……!?)

 

 確信めいた推測を巡らせている間にも、突如として現れたハッサムは自慢の鋏でコウガの手裏剣と切り結んでいる。

 実力はコウガの方が上ではあるが、短時間でも稼げれば逆転の手を打つには十分だった。

 

「こんな場所で使うつもりはなかったが致し方ない……」

「手前ェ、させるか!!」

「ボクに奥の手を使わせたこと……後悔するがいい!!」

 

 憤怒の形相を湛えるアルロが取り出したのは、一個のマスターボール。

 必ずポケモンを捕まえられると豪語しつつも、その性能から市場への流通は極端に制限された最強のボールだ。

 

(そいつを使ってるなんざ……野郎、何を出すつもりだ⁉)

 

 キュウの、そしてコウガの警戒も極限まで高まる。

 彼らの視線は、アルロの手によって高く掲げられた挙句、勢いよく地面へと叩きつけられるボールを追った。

 

「出てこい……そして、全てを焼き尽くせ!!! ファイヤー!!!」

「なッ!!?」

 

───ファイヤー

 

 その言葉を、キュウは()()()()()

 一度目。ファイヤーはホウジョウ地方の伝承にも残る伝説の火の鳥。それをロケット団が捕獲しているはずがないという考えから。

 二度目。もしも本当に奴がファイヤーを手中に収めていたとして、目の前に現れた火の鳥は伝承とは余りにも───。

 

「黒い……ファイヤーだァ!!?」

 

 そうだ。

 黒い。黒かった。

 

 想像していたファイヤーは色鮮やかな炎を翼とする、それこそ一目見ただけで神聖視してしまうような美しいポケモンだ。

 それがどうだ? 暴風を巻き起こしながら眼前に現れた鳥ポケモンは、とても神聖なイメージとはかけ離れた姿をしているではないか。禍々しい黒い体色に、燃え盛っている紅い炎の翼。どれもが見知っているファイヤーとは大きく異なっている。

 

「一体全体どういうこった……!!? こんなファイヤー、居るはずがねぇ……!!」

「残念!! 居るんだな、これが!!」

 

 勝ち誇ったように高笑いするアルロは、飛翔する黒いファイヤーの脚に捕まり空へ飛ぶ。

 まずい、とキュウは焦った。ペリッパーは避難者に同行させている為、空に逃げられてしまえば追う手立てがない。

 

───完全に飛び立たれる前に叩き落さねば。

 

 その一心でキュウはコウガに攻撃を指示しようとする。

 が、しかし。

 

「自分の杓子定規で測ろうとするから固定観念に囚われるんですよ!! こいつは紛れもない伝説のポケモン、ファイヤーそのもの!! まあ、ゲットしたのは余所の地方ですが……伝説の実力、とくとその目に焼き付けるがいい!!」

「『みずしゅりけん』ッ!!」

「ファイヤー、『もえあがるいかり』!!」

「なにッ!?」

 

 放り投げた『みずしゅりけん』が、ファイヤーの吐き出した炎とも言えぬ黒炎によって蒸発させられる。『きずなへんげ』でメガシンカ同然のパワーアップを果たしたコウガの攻撃が、だ。

 

「伝説の名にゃ偽りなしってか……!?」

「ハハハ!! ボク達を侮ったな!! そうさ、我々ロケット団はすでに伝説をも手中に収めるほど戦力を拡大させている!!」

 

みるみる高度を高めていくアルロはおもむろに懐からいくつかの試験官を取り出す。

紛れもなくギャラドスをシャドウポケモン化させたものと同じ代物だ。『まさか!』と目を見開くキュウを余所に、勝ち誇った笑みを湛えるアルロであったが、試験官を握る手にはやけに力が籠っていた。

 

「このまま相手してやってもいいですが……どうにも()()()でトラブルが起きたようだ。キサマの相手はまた今度にしてあげましょう」

「待ちなッ!! チィ……!!」

「そう怖い顔をせずとも、ボクの気持ちはキサマと同じだ……ただの一度でもしてやられた屈辱と怒りは、そう易々と拭い去れるものじゃあない……!!」

 

 ギリギリと歯を食い縛り、怒りを露わにするアルロ。

 直後、彼が握っていた試験官が手に込められた力に耐え切れず砕け散る。

 

「な、」

「在庫処分だ。改善点が浮き彫りになった以上、失敗作を手元に置いておく道理はないでしょう」

「手前ェ!!」

「キサマは精々故郷のポケモンと遊んでもらうことだ!!」

 

 そのまま中身は破片と共に地面へ向かう。

 ポケモンを凶暴化させると明らかになった危険な薬が、だ。

 

(まずい……!!)

 

 アルロの追跡など二の次だ。

 自身が真っ先にやるべきことを順位づけたキュウの思考にシンクロし、コウガは己の俊足で駆けだした。

 

「あの霧を封じ込めるぞ!! 『たたみがえし』だ!!」

「ゲコォッ!!」

 

 勢いよく地面に両手を突き刺すコウガ。

 その直後、バリバリと地中に張り巡らされる植物の根ごと地面を捲り上げたコウガが、刻一刻と広がっていく毒々しい霧を封じ込めんと立ち塞がる。

 

「コウガッ!! コウガッ!!」

 

 二度や三度では済まない。

 霧が完全に封殺されるまで、コウガは何度も何度も地面に両手を突き立てては、その度に地面を捲り上げていく。

 本来は絶妙なタイミングと技術によって成り立つ『たたみがえし』。それを連続で繰り出すのは、技を繰り出すコウガにとって大きな負担を強いている。

 

「コウガァーッ!!」

 

 それでも彼が一心不乱に霧を堰き止めようとする理由はただ一つ。

 ここが彼の生まれ故郷であり、相棒と共に育った思い出の地に他ならないからだ。

 

「コウ……ガァッ!!」

 

 ドゥッバン!! と、最後の地面が捲り上げられる。

 最後の方は技と呼ぶのも烏滸がましい出来ではあったが、聳え立つ土壁はコイノクチ湿原を侵そうとしていた病魔の霧を見事に食い止めていた。

 土壁の中で滞留する霧を確認したところでキュウは一先ず胸を撫で下ろす。

 

(野郎は───流石に逃げられたか)

 

 どさくさに紛れ、黒いファイヤーに捕まっていたアルロの姿は消えていた。

 

「逃げ足の速ぇ野郎だ。次出くわしたらただじゃ済まさねぇ……!」

「……」

「っとォ、切り替えていかねェとなァ。追っ払えただけでも上等ォって、他んトコに助け船出しに───」

 

 そこまで口にした、まさにその瞬間だった。

 雨を吸って重くなった地面の拘泥など気にもしない豪快な足取りが、不意にピタリと止まってしまう。

微動だにしないキュウとコウガは、まるで時間でも止まっているかのようだった。

 しかしながら彼らの不動も長くは続かない。

 ゆらりと。一歩だけ前へと踏み出しては、足裏が濡れた泥を踏みつけにした。

 

そして、

 

「グ……うぅ!?」

「コウ、ガッ……!!」

「なん、だ、こりゃあ……!?」

 

 酷い眩暈が2人を襲った。

 堪らず地に膝を突くも、それだけ眩暈が収まることはなく、もう片方の膝どころか両手も地面について倒れそうになる全身を支える。

 

(まさ、か……吸っちまったっての、か……!?)

 

 心当たりがあるとすれば、コウガが『たたみがえし』で霧を封じ込めようとした時。

 万が一に備えてキュウは距離を取っていたし、コウガも薬を吸わぬよう立ち回っていた。けれども物事に絶対はない。あの薬が強力で、少量でも精神に異常をきたす代物であるとするなら───。

 

(まずい……『きずなへんげ』してる時に……!!)

 

 コウガが有す特性『きずなへんげ』は、特別な石を介在せずとも、トレーナーとの絆でメガシンカ以上の力を得る奇跡だ。反面、完璧に力を発揮するには誇張でもなくポケモンと一心同体になるより他ない。

 

 身も心も通じ合い、痛みすらも共に感じた先にある極地……それがこの時ばかりは裏目に出てしまった。

 

(もしも薬がポケモンだけじゃなく人間にも効く薬だとするなら……!?)

『──ハ──ダ? ──シ─ダ──?』

(ッ!? この声は……)

『──シ──ン──メ───レタ?』

(ぼくの……いや、こいつぁコウガん中に入り込んでくる……)

『─レ──ンデ───タノ──!!』

()()、なのか……?)

 

 頭の中に響く声は、時間と共に大きくなっていく。

 

(ぐっ!? これ以上は……!!)

 

 フィードバックされる負荷に耐えかねたキュウが、コウガとの同調を切った。

 頭は依然として鈍い痛みを発している。あのまま同調を続けていれば、どこからともなく湧き上がってくる破壊衝動で狂っていてもおかしくはなかった。

 

 だからこそ、だ。

 

「コウガ! お前ェ大丈夫か……」

「───ガァァァアアアッ!!!」

 

 堰を切ったような暴力の波動が、コウガから溢れ出した。

 

 それは歩み寄ろうとしたキュウを。

 そして、湿原を守ろうとして建てた防壁すらも打ち砕き、濁流となって溢れ出す。

 

 

 

 嵐は、まだこれからだ。

 

 

 

 

 




Tips:きずなへんげ
 一部のゲッコウガが有す特別な特性。心が通い合ったトレーナーとシンクロした時、メガシンカ以上の力を発揮する姿へと変貌する。カチョウタウン周辺でもまれにきずなへんげを持ったケロマツが生まれることがあり、そのケロマツは自身と心を通い合わせるに相応しいトレーナーを自ら選ぶとされている。
 古くはカイキョウタウンよりやって来たホウジョウ地方の危機を救った人間の連れていたゲッコウガとされており、その人間の名に則って『サトシゲッコウガ』と呼ばれている。


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№044:激闘! コイノクチ湿原④

前回のあらすじ

コスモス「先生のピカチュウの『かみなり』は、電圧どれくらいなんです?」

レッド「……1000まんボルトぐらい?」

Zクリスタル「え」


 

 

 

 けたたましいパトカーのサイレンが鳴り響いている。

 ドップラー効果と言ったか。すぐ横を通り過ぎる瞬間だけ甲高く聞こえたサイレンは、それからどんどん低く重いトーンへ落ちていく。

 

(大丈夫かな、兄貴……)

 

 ウリからしてみれば、それがまるで事態の重さを彷彿とさせるようで、気が気ではなかった。

 アクア団のしたっぱと共に町に辿り着き、ジュンサーへと助けを求めたのがつい先程の出来事。通報から出動まで、まさにでんこうせっかの如き速さだ。

 

 しかし、どうにも雲行きが怪しい。

 湿原から帰ってくるよりも分厚くなった雨雲も、今や雷光を奔らせる雷雲と化している。そう時を経ず嵐が来るだろうという予感に、ウリは一抹の不安を過らせた。

 

(やっぱり、ウチも何かしに行った方がいいんじゃ……)

 

 そこまで思い至ったところで、ウリはパァン! と頬を張る。

 

(いけないいけない! 何でもかんでも自分で解決しようとするのがウチの悪いとこだってコスモスさんにも言われたろ!)

 

 戒めるように二、三度頬を叩けば、綺麗な紅葉が出来上がる。

 傍から見てもやり過ぎなきつけであったが、これでも本人からしてみれば自制した方だ。本気でやったら? 『ドクロッグみたいですね』と最近知り合いになった少女にドン引きされるだろう。てか、された。

 

(今は信じて待つ! ウチがやるべきことはそれだ!)

 

 今にも動き出してしまいそうな足を押さえ、兄やコスモス達の無事をひたすらに祈る。

 以前なら、無理やりでも理由をつけて自分で向かっていただろう。

 

 だが、今日は違う。

 

(頼んだぞ、ゲッコウ……ウチの分までみんなを守ってやってくれ!)

 

 想いを託した相棒が居るからこそ踏み止まれる。

 踏み止まって、見守ることができる。

 自分にはそれしかできない。でも、それしかできないトレーナーが居てもいいじゃないかと諭された。

 

(アンタの『おや』は兄貴で、コスモスさんで……んでも、ウチだって『おや』なんだからな! ちゃんとウチの()()をこなしてくれよ)

 

 応援しかすることはできなかったけれども、一度は『おや』となった身の上だ。

 もしも叶うとするなら、託した指示の一つだけでもやり遂げてくれれば、『おや』として誇らしいことこの上ない。

 

 ウリは、ただその一心で願う。

 

「神様仏様! どうかみんなを無事に……きゃっ!?」

 

 刹那、猛烈な強風がウリの傍を通り抜けた。

 余りの勢いに目も開けられず、強風が収まるのを耐えるウリ。けれども、思いの外すぐに止んだ強風に彼女が目を開ければ、

 

「……北風?」

 

───この時期に?

 

 と、季節外れの突風を怪訝に思ったウリが天を仰ぐ。

 するとそこには目を疑うような景色が広がっていた。

 

「あれって……虹? オーロラ?」

 

 どっちつかずの七色が、空に向かって伸びている。

 すぐに鮮やかな色彩は空気に溶けてなくなってしまったが、目に焼き付いた光景は早々に消えてしまうものではない。

 しばし目を奪われていたウリであったが、七色が伸びていった方角には心当たりがある。

 

「湿原に……?」

 

 北風は三度、勇ましく吹き抜けていった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「お。私のボール」

 

 実に平坦な声だった。

 奪取されたモンスターボールを手に取ったコスモスは、それからテキパキと自身とレッドのボールを仕分けていく。

 

「く、くっそー……」

「マジきちー……」

 

 などと、フシギバナの蔓に縛り上げられたロケット団が呻いているが無視する。

 

「こっちが先生のですね」

「ありがとう」

「お礼を言うのはこちらの方です。先生のおかげで私の手持ちが返って来たんですから」

「ピッカッチュ~~~!」

 

 いそいそとレッドの肩によじ登っていたピカチュウが、これ見よがしにVサインを掲げ、自身の活躍を主張する。

 当然、彼も今回の立役者の一人だ。

 コスモスはこれでもかとピカチュウの頭を撫で回す。

 

「後でお礼のケチャップを買ってあげますからね」

「チャア~♪」

「減塩の奴でお願いね……」

 

 主でありながら頬を足蹴にされるレッドは、ポツリと独り言ちていた。

 一方その頃。

 

「さぁて……こいつらはどうしてやろうかねェ」

「「ひっ」」

「とりあえず身ぐるみ引っぺがしてやるところから始めるかい?」

「「ひぃ~⁉」」

 

 恐ろしい剣幕で詰め寄るイズミに、ロケット団が悲鳴を上げる。

 流石は元悪の組織の女幹部。滲み出るオーラはしたっぱとは比べ物にならない。隣で『どうケジメつけてくれるんじゃオラー!』と喚いているアクア団のしたっぱなど、ポチエナにしか見えない。

 

(けど、ホントにどうしたもんかねぇ……)

 

 しかし、怖い顔を浮かべる裏側でイズミは悩んでいた。

 

 いくら人質を手に入れたところで、手持ちが壊滅状態では話にならない。

 相手がポケモンを利用する悪党である限り、戦えるポケモンが居ないことは致命的だ。さらに言えば、ポケモンに得体の知れない鎧を着させて戦わせる相手に、人並みの倫理感を期待するのも馬鹿馬鹿しい。

 

「はぁ……結局、おとなしく町に帰って応援を呼ぶしかないかねぇ」

 

 

 

「───その必要はないですよ」

 

 

 

「!!」

 

 不意に上から声が聞こえてきた。

 咄嗟に全員が降り注ぐ雨も厭わず空を仰いだ。そこに佇んでいたのは漆黒の太陽と形容すべき火の鳥だった。

 炎の美しさと恐ろしさを同居させたような赤と黒。

 この豪雨の中でもメラメラと燃ゆる翼を羽搏かせる火の鳥は、背中に一人の人間を乗せていた。

 

 誰にとっても見覚えのある顔。

 真っ先に食って掛かったのはイズミだった。

 

「アンタ、あの時のロケット団!?」

「さっきぶりですね、アクア団の諸君。頭領と離れ離れになってさぞ寂しかったことでしょうね」

「っ……アオギリはどうしたんだい!?」

 

 ネチネチと嫌味ったらしい言い草のロケット団───もとい、アルロはやれやれと首を振った。

 

「フンッ!! なんだかんだと聞かれても、ボクに答えてやる道理はない!!」

 

「とか言ってますけど、どうしたか素直に喋らないあたり逃げられたと推察できます。嘘が吐けない人ですよ、あの人は。私には分かります」

「へ~……」

 

「おい、そこの。聞こえてるぞ」

 

 ひそひそ話をしていたコスモスとレッドであったが、アルロの地獄耳(装着型集音デバイス)に拾われてしまったようだ。見るからに火に油を注いだかの如く怒りに燃えるアルロが、額に浮かべた青筋を痙攣させている。

 

「見覚えがあるぞ、お前達……スナオカタウンでボクの邪魔をしてくれた奴等だな!?」

 

「……………………?」

「先生、あれです。デパートでたくさん倒したポケモンの」

「……………………あー」

 

「なんだその薄い反応!? 覚えるまでもないとでも言いたいのか!?」

 

 きぃー!! とヒステリックに叫ぶアルロは、最早怒り心頭オコリザルだ。

 このままでは憤死してコノヨザルに進化しかねない怒り狂い様であるが、幸いにもざあざあと叩きつける雨風が血の上った頭を冷やしてくれる。

 一息を置いたアルロは、黒い火の鳥の背中から地上を見下ろす。

 

 フシギバナに捕らえられているしたっぱは、まあいい。

 必然的に運搬トラックが横転している理由も分かる。

 ただ、地に膝を突いて沈黙している存在だけは理解し難かった。受け入れるまでたっぷり数秒用いる間にも、業火に等しかった怒りはすっかり鎮火してしまっていた。

 

「……よもや『M2バイン』を装着しているとはいえ、APEX-1が倒されるとは……」

(M2バイン?)

 

 聞き慣れぬ単語にコスモスが小首を傾げるも、すぐさま鎧のポケモンが鎧と印象付けられた所以の装甲に目を向けた。

 

 ただ、一つ疑問点が浮かぶ。

 目の前の科学者……彼の口振りから察するに『M2バイン』と呼ばれる代物は、予想していた用途とは、まったく逆にニュアンスを孕んでいるように窺えた。

 

「やはりM2バインにプログラミングされた戦闘AIがまだまだ不完全か……ええい、あれでも過去数十年分のトレーナーのデータは学習させたのに。いったい何が悪かったと言うんだ? 戦闘データを解析して改良する必要があるな……」

「……まさか、」

「───その為にも、お前達には早急にリタイアしてもらおう」

 

 アルロの目が変わった瞬間、周囲の空気が一変した。

 雰囲気とか、そういう次元ではない。物理的な圧を押し付けられるような気流の変化とでも言おうか。

 

「先生!」

「うん」

 

 振り向くよりも早く口を動かすコスモス。

 しかし、レッドはそれよりも早くにピカチュウへ視線を送っており、言わんがすることをほとんど伝えきっていた。

 

 肩から飛び降りたピカチュウ。彼は一目散に目標へと突っ走る。

 狙いを澄ませた視線の先ではAPEX-1が沈黙していた。多大なダメージを負って戦闘不能になったポケモンだ。

 だが、おかしい点が一つある。

 ポケットモンスター───縮めて『ポケモン』と称される生き物に共通し、その呼称の起源となった生態とはなんだったか?

 

(本当に瀕死になったポケモンなら、縮んで身を隠していてもおかしくない───なのに!)

 

 未だにAPEX-1の身体はそのままだ。

 その姿が意味することは至ってシンプル。

 

「『10まんボルト』……いや、『かみなり』!」

「再起動だ、APEX-1!」

『───』

「!」

 

 爆ぜる電撃が命中する、まさにその寸前だった。

 突如、兜の隙間から人工的な光を迸らせた存在が立ち上がるや、片手を突き出した。それだけでピカチュウの電撃はいとも容易く弾かれ、辺りの木々に落雷のような焦げ痕を刻む。今が雨でなければ炎上してもおかしくはなかっただろう。

 

 だが、ここまで高電圧・高威力であっても貫けない。

 途中でレッドが技を言い換えたのも、その技では倒せないと判断したからこそだ。

 

 すなわち、APEX-1という存在にコスモスは勘違いしていた。

 

()()()()()()()()()()()()()()……?」

「当然でしょう」

 

 戦慄するような少女の呟きに、アルロが得意げに答えた。

 

「今まではM2バインに組み込んだAIによるオートバトルでしかない。規定値以上のダメージを食らって緊急停止(エマージェンシーストップ)したのは想定外だったが……オートからマニュアルに切り替えればボクの方から操作は可能だ」

 

 『全部が全部をしたっぱに任せるはずがないでしょう』と、さも当然と言わんばかりの口調だった。

 こう言われると、捕えられているしたっぱ達もバツの悪そうな顔を浮かべていた。

 しかし、ここで口を開くのがダウナーな女の方だった。

 

「まあ、それはそれとしてさー。助けてよアルロー」

「お前はもう少し人に物を頼む態度というものを覚えた方がいいぞ……!」

「おねがーい。このとーり頭下げるしさー」

「よし。帰ったらお前の頭に学習装置を取り付けてやる。ボクは本気だからな?」

「マジやばーい」

 

 したっぱの態度に辟易しつつも、一応は回収する気はあるのか、左腕の端末を操作してAPEX-1に指示を送っている。

 

「下手に口を割られたら堪ったものじゃないからな。人員を消すのも補充するのも面倒なんだ。そこのしたっぱもトラックの積み荷も回収させてもらいますよ」

「……させない」

 

 しかし、ここで出てくるのがこの男レッドだ。

 すぐさま隣に鼻息を荒くするコスモスが並び立ち、バラバラになったボールの破片をこれ見よがしに放り捨てる。

 

「残念でしたね。ポケモンを奪う機能のあるボールは破壊済みです。在庫は……もうないんでしょう?」

「……チッ、つくづく人をムカつかせてくれる子供ですね……!」

「そのファイアーもどきは奥の手でしょう。つまり貴方にはロクに手持ちが残されていないはず」

 

 となると、アルロ側の戦力はAPEX-1と黒いファイアーのみ。

 確かに強大な戦力であるとは認めざるを得ないが、それを補って余りある戦力もまた、レッドは取り戻していた。

 

「相手なら……俺がする」

 

 戦意を漲らせたレッドがボールを手にする。

 フシギバナは捕縛に用いているが、ピカチュウも除いた残り4体は体力満タン。いかに伝説級のポケモンが相手だろうが負けるつもりはないと───滲み出る王者の風格が、そう告げていた。

 

「……チッ」

 

 舌打ちを隠さず、アルロは左腕の端末の操作を止めた。

 

「ここでキサマと真っ向からやり合うのは分が悪そうだ……」

「……逃げる気?」

「戦略的撤退、と言ってもらおうか」

 

 負け惜しみ染みた言葉を吐くアルロ。

 異変は、直後に訪れた。

 

「……なんだい、この揺れは?」

「えっ、地震? 洪水? それとも……土砂崩れ!?」

 

 不穏な地響きに気づいた瞬間から、次第に音は大きくなっていく。

 振り続けた雨による自然災害だろうか? イズミとアクア団のしたっぱがキョロキョロと見渡しているが、コスモスはむしろ目を閉じて耳を澄ませていた。

 

 すれば、()()()()が分かってくる。

 

「これは……地震じゃない! ()()です!」

「足音? これが? ……いや、まさか!?」

「構えてください! 湿原中のポケモンがこちらに向かってきています!!」

 

 ドドドドッ!! と連なる轟音はますます近づいてくる。

 集中して聞いてみれば、地響きに似た足音の合間に木々がなぎ倒され、水溜まりを踏みつける音も聞こえてくるではないか。

 

「そのまさかだ!!」

 

 答え合わせのように嬉々とした科学者の声が木霊した。

 不意に彼が懐から一本の試験官を取り出す。そのままおもむろに蓋のゴム栓を指で弾いたかと思えば、毒々しい紫色のガスが辺りに溢れ出した。

 どう見ても危険なヴィジュアルの薬品にコスモス達が警戒すれば、地面に滞留するガスは雨風に吹かれてどこかに攫われる。

 

 次の瞬間、『ギッ!?』と何かの鳴き声が聞こえた。

 

「ここに来るまでの途中、ボクの開発したポケモンをシャドウ化する為の薬───その名も『R』!! こいつを散布してきたのだッ!!」

 

───ドドドッ……。

 

「本来は然るべき施設で処置を施すシャドウポケモン化の第一段階……ポケモンの凶暴化を可能とする薬品、その改良型だ!!」

 

───ドドドドッ……!!

 

「効果はあくまでも一時的だが、こいつには特定の脳波の感度を上げる副作用がありましてね……」

 

───ドドドドドッ!!

 

「そいつを利用した精神汚染でポケモンを洗脳するなんて芸当もできるんですよっ!!」

 

───ドドドッ、ドゴバキグシャアッ!!

 

 耳を押さえたくなるような暴力的な音の正体が、まさに今、コスモス達の目の前に現れた。

 

「グロッ!! グロロロッ!!」

「ギキーッ!!」

「グワッグワッグワッ!!」

「ギャアアアッ!!」

「ヌメェエ!!」

 

 血相を変えた野生のポケモンの群れだった。

 ドクロッグ、ウツボット、ガマゲロゲ、ギャラドス、そしてヌメルゴン。未進化や中間進化の個体も合わせれば、種類はもっともっと多かった。

 それこそ十や二十では収まり切らない数の軍勢が、あっという間にコスモス達を取り囲む。

 

「この数は……!!」

「ハハハハハッ、これで形勢逆転だ!!」

「っ……!!」

 

 高笑いするアルロにコスモスは歯噛みする。

 ある程度なら覆せる戦力差も、これでは多勢に無勢だ。ともすると10倍にも届きかねない数の暴力を前に、柄でもない冷や汗が頬を伝ってくる。

 しかし、悩んでいる暇などない。

 精神汚染による洗脳で我を失った野生ポケモンは、一斉にコスモス達へと襲い掛かってくる。

 

「くっ!! ルカリオ、『はどうだん』!! ゴルバット、『つばさでうつ』!! ニンフィア、『マジカルシャイン』!! ヌル、『つばめがえし』!! ユキハミ、『むしのていこう』!!」

 

 咄嗟に繰り出した手持ちで応戦するコスモス。

 だが、それぞれ一体ずつ倒したところで押し寄せてくる壁が崩れる様子は見られない。

 

(まずい……圧し潰される!)

 

 

 

「───『ハードプラント』」

 

 

 

 ゴゴゴッ!!! と地面が隆起し、何かが天を覆い尽くした。

 

「……あ」

 

 コスモスが息をするのも思い出した頃には、既に眼前の軍勢は行く手を阻まれていた。幾重にも折り重なる極太の根っこ。数百年生きる大木を彷彿とさせる根っこは、たとえ凶暴なポケモンにぶつかられても容易くは千切れない頑丈さを誇っていた。

 

 ふと、甘い香りが鼻腔に漂ってくる。

 

「……フシギバナ?」

「バナバァナ」

「大丈夫?」

「先生っ」

 

 コスモスが振り返った先では、とうに激闘の幕が下ろされていた。

 地から足を離し、宙に浮かんでいるAPEX-1。その傍らには蔓に捕縛されていたはずのロケット団のしたっぱやトラック、その積み荷でもあったボールが大量に浮遊している。

 彼らの足下ではいつの間にやら繰り出されていたリザードンやカメックス達も、野生のポケモンと組み合っていた。雨の中、泥まみれになりながら凶暴化したポケモンを次々に組み伏せる。

 

 しかしながら、余りにも敵勢が多かった。

コスモスが視線を移せば、イズミやしたっぱを守る為にカビゴンやラプラスが奮闘している姿が見える。

 

「よかった」

「っ……すみません、先生」

 

 庇われた結果、まんまと確保した人と物を取り返させてしまった。

 謝罪するコスモスに、レッドは『気にしないで』と答える。そうこうしている間にも目的を果たしたアルロ達の高度は高くなっていく。

 

「さて、これでボク達は帰らせてもらう。少々トラブルこそあれど、実戦データを取れたと思えば僥倖……フフフ、キサマ達は我々ロケット団が更なる高みへ踏み出す礎になれたことを光栄に思うがいい!」

「待て!」

「待たない! 帰ると言ったら帰るんですよ! キサマ達は精々野生のポケモンと戯れているがいい!」

 

 あくどい笑みを浮かべた後、アルロ達の姿は一瞬にして消え失せる。恐らくは『テレポート』であるが、オキノ沿岸でのバトルを思い出し、やはり下手人はAPEX-1であるという確信を得る。

 

(ルギアが敵対心を持って海から出てくるほどのエスパーポケモン……次に戦う時まで情報収集しなければ。でも今は───)

 

 優先すべきは、消えた相手よりも目の前の相手だ。

 とにもかくにも、血走った瞳の野生ポケモン達を倒さなければ明日は訪れない。

 

「とんだトレーニングになりそうです。まあ、いい経験になると前向きに捉えますか」

「こういう機会はあんまりないからね」

「ですね……うん?」

 

 あんまり?

 若干レッドの言葉に引っ掛かるコスモスであるが、まあそこは言葉の綾だろうと納得することにした。数十体にも及ぶ野生ポケモンに襲われる機会など、何度もあっては堪ったものではないからだ。

 

(シロガネ山に来たばかりの時を思い出すなぁ)

 

 ……と、レッドが懐かしそうにしているが、表情筋がガッチガチの彼の機微は遠目からでは判別困難であった。仕方ない。

 

「先生の足手まといになるワケにはいきません。全力で事に当たります」

「───ゲコッ!」

「ゲッコウガ? 貴方どこを見て……」

 

 混戦を極める湿原に立ち尽くすゲッコウが、とある方向に視線を向ける。

 誰も存在しないからっぽの空間。しかし、だからこそ浮かび上がる極大の違和感。

 

 何故誰もあそこに居ない?

 

 四方八方から押し寄せてくる野生の軍勢が、一方向からだけ来ていない。崖や穴といった地理的な問題があるのなら理解できるが、それがないとなれば不自然極まりない。

 

 ここで一つ仮説を立ててみよう。

 一方向からだけポケモンがやって来ない理由、それがもし()()()()()()()()()()()()()だとするのなら。

 

───ザザザザッ……。

 

(なにか……来る!?)

 

 草木をかき分ける音が猛スピードで迫る。

 刹那、音が途切れた。

 得体の知れない存在の気配が消え、緊張が一気に高まる。

 

「バウッ!」

「上か!」

 

 いの一番に居場所を探り当てたルカリオが空に向かって吼え、コスモスが相手の正体を目撃する。

 

「あれは……ゲッコウガ!?」

「コウガッ!」

 

 落ちてくるゲッコウガに対し、突如屈んだゲッコウが空へ跳んだ。

 2体のゲッコウガが空中で交差する。ズバンッ! と切り裂く音が耳を劈くや、そのまま2体は地面へと着地する。

 

「……ガッ!?」

「ゲッコウガ!」

 

 膝を突いたのはゲッコウの方。

 仮にも手練れの彼が野生のポケモンに後れを取るとは思えない。そのくらいにはゲッコウを評価しているコスモスは、真っ先に一つの可能性に思い至った。

 

(あの身のこなし、技のキレ……考えられる個体は()()()の)

 

 

 

「コウガ、やめろッ……!!」

 

 

 

「キュウさん!」

 

 そのタイミングは、示し合わせたように絶妙であった。木陰から脇腹を押さえたキュウが表れる。傍らには肩を貸すアオギリと、護衛を務めているガマゲロゲやニョロトノが立っていた。

 

「これは一体……」

「コウガの奴、ロケット団がばら撒いた妙ちきりんなガスを吸い込んじまった……! なんとか抑えようとはしたんだが……ぐっ!」

「無理に喋んな! ったく、退いてる途中追いつかれたかと思えば……あの黒ずくめめ! 余計な置き土産残しやがって!」

 

 偶然コウガを追っていたキュウと合流したアオギリが憤慨した様子を見せる。

 アクア団にとって重要なアオギリの安否も確認できたことだが、一方で対峙するゲッコウガの正体が判明し、コスモスは顔を強張らせた。

 

(マズい。まだゲッコウガのトレーニングは完璧じゃないのに)

 

 ウリに宣誓したゲッコウでコウガに勝つという約束。

 しかし、それは本来然るべきトレーニングを積んだ後に達成する予定だ。ましてや、不測の事態に巻き込まれている最中などもっての外!

 

「ゲッコウガ、今の貴方じゃ……!」

「ゲコッ!!」

「!」

 

 笑う膝を地面から離し、ゲッコウが立ち上がる。

 空中ですれ違いざまに喰らわされた『つじぎり』のダメージは小さくない。コウガが一時的にでもシャドウポケモンと化し、フィジカルを強化されている影響もあるだろう。

 

 それでもゲッコウは立つ。

 立って、コスモスの言葉を手で制した。

 

「ゲッコウガ……」

「ゲコォ……!!」

 

 少女の方を流し目で見た彼が訴える。

 

───止めてくれるな。

 

 たとえ勝てる見込みが0に近いとしても。

 それでも、立ち向かうべき瞬間があるとするなら───それは今だ。

 

 くだらないと罵倒されたところで揺るがない意地を背負い、ゲッコウは大地に。いや、戦場に立っている。

 

───正気を失った()()と戦うべき相手は己にしか務まらない。

 

 背中で語るゲッコウに、ほとほと呆れたコスモスは額に手を当てるような仕草を見せる。

 

「……はぁ。まったく───本当に人の言葉に耳を貸すのが下手ですね」

「ゲコッ?」

 

 予想外だと言わんばかりに目を見開くゲッコウ。

 その様子にコスモスは、仕返しが成功した悪童のような笑みを湛えた。

 

「確かに貴方はコウガに勝てません。でもそれは、貴方1人で戦うならの話です」

「……!」

「私と一緒に戦えば……みなまでは言いませんよ」

 

 そう。

 コスモスは当初より、ゲッコウが『自分の指示を聞かず、独断で戦う』ことを想定し、トレーニングの必勝チャートを組んでいた。

 

 しかし、もしも前提が覆るのであれば。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()───。

 

「でも、大切なことは何度でも言ってあげます」

 

 喧しい雨音の中、力強い少女の声が澄み渡る。

 やけに開けた空間に2人佇むゲッコウとコウガ。睨み合っていた彼らは次の瞬間、強靭な脚で水溜まりを蹴ったかと思えば、すでに目と鼻の先というところまで距離を詰めていた。

 

 猶予はないに等しい。

 けれど、音は秒速340m。

 声は猶予を飛び越えて、ゲッコウの下まで届く。

 

「私と!! 一緒に戦え!!」

「コウガッ!!」

「『つばめがえし』!!」

 

 力強く答えるゲッコウが構えを取る。

 それを見たコウガもまた手刀を作る。

 

(マズイ、あの構えは……!?)

 

 直後、2人の対面を見守っていたキュウが焦燥を面に出す。

 

「待て、ゲッコウ!! その技じゃ……!!」

 

 しかし、ここまで来て技を中断することなどできない。

 踏み込んだゲッコウの脚が振り抜かれようとする。その瞬間を狙うように、コウガの手刀───『つばめがえし』が潜り込もうとする。

 

 『けたぐり』のタイミングに合わせた『つばめがえし』。

 かくとうタイプに変わった瞬間を狙ったひこうタイプ技。その結末は、以前のバトルが答えを出してしまっている。

 

(間に合わねェ!?)

 

───返り討ちにされる。

 

 と、一人の『おや』が諦めかけた瞬間だった。

 

 ズパァン!! と抉り込む鋭い斬撃音が先に奏でられる。

 

「!?」

 

 驚愕の余り、キュウは目を見開いた。

()()()()()()()()()()()

 なんなら、ゲッコウもまだ倒れていない。もらったダメージは少なくないものの、それでも余裕を持って耐えられるだけの体力は残しているようだった。

 

(『へんげんじざい』がまだ発動していねェ!!?)

 

 かくとうタイプに変化しているならあり得ない光景。

 いや、そもそもおかしい点があった。

 コスモスが指示した技は『つばめがえし』。にも関わらず、ゲッコウが取っている構えはそれとはかけ離れたもの。

 

(まさかあの子……()()()()()()!!?)

 

 予報したのは相手の技。

 事前に来る技が分かれば対処はできる。

 故に、ゲッコウは反撃に打って出る。

 

 今日という日に新しく『おや』と認めた少女の期待に応えるべく。

 一歩、彼は前へと踏み出した。

 

 

 

「『カウンター』!!」

「コウガァァァアアアアアッッッ!!!!!」

 

 

 

 全身全霊。

 そして、全力を振り絞った『カウンター』がコウガの顔面を捕えた。

 

「ガッ……ァァアアアッ!!?」

 

 『つばめがえし』を繰り出した直後で無防備だったところへの反撃。

 これにはコウガも受け身を取るのもままならず吹き飛ばされる。暴れていた野生のポケモンをも巻き込み、聳え立っていた木の幹に叩きつけられた。

 

「ガ……ガッ……」

 

 ガクンッ、と地べたに倒れたコウガが気絶する。

 戦闘不能。勝敗は火を見るよりも明らかだ。

 

「だから言ったでしょう」

 

 フッと不敵な笑みを浮かべる勝利の女神が思い返す。

 

 それはとあるトレーニングでの一幕───。

 

 

 

『───ゲガッ!!?』

『フーッ!!』

『はい、ヌルの勝ち。何で負けたか今ここで考えてください、ウリさん』

『えっ……ウチ!? そ、そりゃあ……『けたぐり』出した瞬間に『つばめがえし』打たれたから?』

『正解です。弱点のかくとうタイプを繰り出して変化するとわかっている以上、返しにひこう技を繰り出すのは当然でしょう』

『あー……そっかー。前にそれで負けたもんなー』

『そこで、このわざマシンです』

『ん?』

『相手に攻撃を読まれてると分かっているなら、それを逆手にとってやるだけです』

『お、おぉ……なんか強そうなセリフ! それで兄貴に勝つんだな!?』

『それと……このわざマシンも使いましょう。これも、これも、あとこれも……』

『ちょ、ちょ、ちょ!? どんだけ使う気!? そんなに覚えても使いこなせなきゃ意味ないんじゃ……』

『使いこなせますよ』

『え?』

『きっと、使いこなせます。だって───』

 

 

 

───その時は確証もなかった言葉かもしれない。

───けれども、結果が出た今ならば分かる。

 

「ははっ……こいつァ……」

 

 乾いた笑みを浮かべるキュウ。

 しかし、その双眸は無邪気な子供のように爛々と輝いていた。今目の前に広がっている光景を焼きつけんと、瞬きを忘れたまま───。

 

「グロッ、グロッ!」

 

 そこへ空気を読まずドクロッグが飛び込んでくる。

 我を失ったドクロッグは、毒液滴る爪をゲッコウ目掛けて振り下ろそうと腕を掲げた。

 

「ゲッコウガ、『じんつうりき』!」

「ゲコ!」

 

 が、そこはコスモスの視界の中。

 澱みなく言い放たれた指示に、ゲッコウも迷わず不可視の力でドクロッグを迎撃する。

 どくにもかくとうにも抜群なエスパー技。これにはドクロッグも堪らず一撃で沈む。流れるような一連の攻撃には、キュウに肩を貸すアオギリも感嘆の息を漏らすほどだった。

 

 これにて一件落着───とは行かない。

 

「ゲロゲロ……!」

「ヌメェ!」

「ギャオオオ!」

 

「……まだまだ敵が多いですね」

 

 未だにポケモンの波が押し寄せてきている。

 これを如何こうしない内には勝利の余韻にも浸れない。と、こんな窮状に追いやられているというにも関わらず、コスモスとゲッコウはおくびにも出さない。

 

「予定を変更します。今日のトレーニングの遅れ、是非ともここで取り返していきましょう」

 

 準備はいいですか? と問いかける少女に、ゲッコウはニヤリと口角を吊り上げる。

 

「では……」

「ゲコ……」

 

 

 

「GO、ゲッコウガ!」

「コウガッ!」

 

 

 

 コスモスの合図と共に、ゲッコウが飛び出す。

 向かっていく先は我を失ったポケモンが犇めくバトルフィールド。ほんの少しでも気圧されれば、瞬く間に呑み込まれてしまう暴の坩堝だ。

 まさに渦中へと飛び込んだゲッコウは、周囲から咆哮という咆哮を浴びせられ、僅かに顔を顰めた。ビリビリと肌が震え、腹の底も揺れる。

 

 だがしかし、後ろに立つ『おや』の声だけは聞き逃すまいと耳を澄ませていた。

 

「ゲッコウガ、『くさむすび』!」

「ゲコ!」

 

 襲い掛かろうとする野生のガマゲロゲの脚に、いつの間にやら仕掛けられていた草の輪が掛けられる。

 走ってきた勢いを殺せず、派手に転倒するガマゲロゲ。そんな相手を踏み台にして、押し寄せるポケモン達からすり抜けたゲッコウは、別のポケモンの背後を取ってみせる。

 

「『つばめがえし』!」

「コウガッ!」

「キィー!?」

 

 マスキッパが振り返るよりも早く、高速の手刀が背中を切りつけた。

 効果は抜群だ。鋭く的確な攻撃に切り伏せられたマスキッパが倒れれば、息も吐かせぬ間に奥から新手のウツボットがやって来る。

 

「ゲッコウガ、『れいとうビーム』!」

「ゲッコォ!」

 

 オーロットが。

 

「『かげうち』!」

「ゲコッ!」

 

 ルンパッパが。

 

「『ダストシュート』!!」

「コーガッ!!」

 

 カラマネロが

 

「『とんぼがえり』!!」

「ゲロォ!!」

 

 パラセクトが。

 

「『がんせきふうじ』!!!」

「ウガァ!!!」

 

 ドラピオンが。

 

「『あなをほる』!!!」

「ゲッ……コォー!!!」

 

 迫りくるポケモンを千切っては投げ、千切っては投げるゲッコウ。

 獅子奮迅という評が正しい戦いぶりに見惚れていれば、あれだけ居た野生ポケモンの数も目に見えて少なくなってきている。

 無論、奮闘しているのはゲッコウだけではない。ルカリオやゴルバットといったコスモスの手持ちや、レッドのフルメンバーが一騎当千の活躍を見せているからでもある。

 

 心なしか敵勢も衰えてきている。

 これが常に格上とのバトル経験があるポケモンならまだしも、洗脳されているポケモンはもっぱら野生の個体。

 

 本能で実力差を思い知ってしまった最後、生き死にが勝負の結果に現れる彼らにとって、負けるとわかってしまったバトルに臨むことなどできやしなかった。

 

「これで粗方片づけましたか」

「うん……うん?」

 

 一度は頷いたレッドが、今度は怪訝な声を上げた。

 地面が揺れている。

 第二陣が迫っている轟音かとも思ったが、どうにも様子が違う。途端に野生のポケモンが怯え始め、蜘蛛の子を散らしたように逃げ始めるではないか。

 

 凄まじい威圧感が迫ってくるのを感じる。

 

「この地響き……いえ、海鳴りにも近い音は……」

 

 

「水辺から来るぞ、気を付けろォ!!」

 

 

「───ギャラドスか!!」

 

 ドッパァン!! と近くに流れていた川面が盛り上がり、特大の水柱が天を衝いた。

 通常のギャラドスより一回りも二回りも巨大な個体。身体のあちこちに刻まれた傷跡は、まさしく歴戦の証に他ならない。

 

「ヌシのギャラドスですか……」

「いつもと様子が違ェ!! まさかアイツも……!?」

 

 だが、普段であれば秘めたる暴力も感じさせぬ理性的な瞳が、この時は赤く血に染まっていた。

 

「ギャアアアアアアッ!!!」

 

「ッ……平和的に解決するのは難しそうですね」

「やるよ?」

「いえ」

 

 名乗り出ようとするレッドを制し、コスモスは一歩踏み出した。

 

「私が───()()がやります」

 

 ザッ、と。

 次の瞬間、6体のポケモンがコスモスの前に揃い踏みとなった。大小も種族もバラバラな彼らであるが、誰もが立派な少女の手持ちである。

 

「ルカリオ、ゴルバット、ニンフィア、ヌル、ユキハミ、ゲッコウガ」

「モッグ!」

「ゔッ! ……コスモッグも」

 

 非戦闘員の7体目に顎の下から綿あめアッパーを食らったが、コスモスは仰け反らない。

 頑として、彼らへ向ける視線を逸らしはしない。

 

「……大勢の力を組み合わせることで大きな力を生み出す」

 

 それは誰に向けて言った訳ではない独り言。

 だがしかし、コスモスというポケモントレーナーを作る土台となった、ある人間からの教えでもあった。

 

「ここまで揃って、どこまで高みに昇れるか」

 

───試させてもらうとしましょう。

 

 その一言を皮切りにルカリオが動き出す。残りの5体も遅れる形で続く。

 

「ニンフィア、『てだすけ』! ゴルバット、『どくどくのキバ』!」

「フィ~ア♪ フィ~ア♪」

「ゴバッ!」

 

 声援を送るニンフィアから活力を貰い、ゴルバットが毒液滴る牙をギャラドスに突き立てる。これだけでは微々たるダメージかもしれないが、重要なのは相手を毒で侵すことにある。

 

「続けて『ベノムトラップ』!」

「ゴ~……バッ!」

 

「ギャアアッ!?」

 

 去り際に毒液を吐きかけるゴルバット。

 避ける間もなく毒液を浴びてしまったギャラドスは、体内に注入された毒と吐きかけられた毒の化学反応により、加速度的に症状が悪化していく。

 これで攻撃と特攻、素早さを下げ、格段に攻めやすくなったという訳だ。

 

「ユキハミは『こごえるかぜ』! ヌル、0時! 『アクアテール』!」

「ハミュ」

「ヴァウア!!」

 

 さらにユキハミが凍てつく冷たさの風を浴びせる一方、のた打ち回るギャラドスの繰り出した『アクアテール』を、ヌルが華麗に横へ跳んで躱す。

 そして、返す太刀で振るわれる『ブレイククロー』。ギャラドスの堅牢な鱗を前にしても、鋭利な爪が弾かれることはない。むしろ切れ味の主張にいくつもの爪痕を残し、ギャラドスの守りを崩していく。

 

「ルカリオ、『わるだくみ』!」

「バウァ!」

「ゲッコウガ、『ものまね』!」

「ゲコッ!」

 

 ここぞと言わんばかりにコスモスが声を上げれば、ルカリオが不敵な笑みを浮かべる。

 それを隣で並走するゲッコウも真似すれば、最早準備は整ったに等しかった。

 

 一方、迫りくる謀策を予感したギャラドスが反撃に打って出る。

 凶悪な顎が限界まで開かれた。噛みつくだけでも強力な顎だが、それをあろうことか一つの砲塔へと転用する。みるみるうちに口腔にはエネルギーが収束されていき、2体が目の前に辿り着いた頃には臨界点に達していた。

 

「『はかいこうせん』が来る!」

 

 とうとう臨界点を超えた光球が破壊の光芒となり、前方へと解き放れた。

 

「横に跳べェ!」

「バウッ!」

「ゲコッ!」

 

 しかし、ルカリオとゲッコウはコスモスの掛け声に合わせ、技を避けた。

 片や右へ、片や左へ。阿吽の呼吸で射線から飛びのいた2体は、一切スピードを緩めることもせずに突っ込んでいく。

 これにはギャラドスも目を見開き、迎撃に移ろうと身動ぎする。

 だが、強大な攻撃を放った矢先、反動で動けない。今も尚吐き出し続ける『はかいこうせん』を打ち終えるまでは、迂闊に動けば自身の身体ごと吹き飛ばされてしまいかねない体。

 

 すなわち、無防備。

 

「ふっ……ちゃんと学習できてますね」

 

 それを見たコスモスは満足そうに笑った。

 彼女の視線の先には、最早無理やり攻撃を打ち負かそうとする無謀な手持ちは存在しない。確実に攻撃を見極め、堅実に回避し、大胆に反撃に出る。それこそがコスモスの基本戦術の一つ。

 

「散々言い聞かせた甲斐があるというものです」

 

 ちょっと感慨に耽ったが、油断は禁物と気持ちを切り替える。

 

 喜ぶのは、きちんと勝利を掴んでからだ。

 

「今だ! ルカリオ! ゲッコウガ!」

「バウァ!」

「ゲコォ!」

 

 

「『あくのはどう』ッ!!」

 

 

「ガアアアアッ!!」

「コウガアアッ!!」

 

 ギャラドスに飛び掛かる2人が、黒い閃きをそのまま波動の力へと変換させる。

 波打つドス黒い漆黒の波動。見るだけで怖気を覚える技を構えた2人は、これ以上なく口角を吊り上げた邪悪な笑みを湛え───解き放つ。

 

「ギャ、ァアアアアッ!!?」

 

 避ける間などは存在しない。

 破壊の光芒を吐き散らす頭部目掛け、叩きつけられるように漆黒の波動が襲い掛かった。脳を揺らし、果てには射線を真下にずらされた『はかいこうせん』が地面に刺さり、巻き起こった爆発の余波を浴びる。

 

「アァ……アア……」

 

 攻撃が終息した瞬間、ギャラドスの巨体が揺れる。

 支えを失った青い巨塔は直後、地響きを湿原中に鳴り響かせるように倒れた。湿原の絶対王者は白目を剥き、それからは起きる素振りも見せない。

 

「お、おぉ……やりやがった……! あのヌシのギャラドスを……!」

 

 完全勝利。

 目の前に広がる光景に、アオギリはいつぞや自分に立ちはだかった子供のトレーナーを思い出し、感動に打ち震えていた。

 

 だがしかし、それも長くは続かない。

 

「どうやら……感動するのはまだ早ェようだ」

「なんだと?」

「湿原のヌシが倒されて、次のヌシにすげ変わろうとする血気盛んな奴等が残っていやがる」

 

 ザッとコスモスを取り囲む足音があった。

 

「そいつらにとっちゃ、今ほどの好機ァ他にねェ……なにせ、あの子を倒しゃあ次のヌシは手前ェらになるワケだからな……!」

 

 洗脳されても尚、衰えることのない野心の炎を胸に抱く野生ポケモン達。

彼らはヌシのギャラドスを負かしたコスモスを倒そうと躍起になっていた。野生のルールに公平はない。ただ勝った方が強く、縄張りを支配する資格がある。それだけだ。

 

「───心外ですね」

 

 己を取り囲むポケモン達を一瞥し、コスモスは吐き捨てた。

 

「今のバトルを見ても勝てると思われるとは。……望むところですよ。一時のドーピングで気分が高揚してるのかもしれませんが、それなら頭が冷えるまで付き合ってあげます」

 

『……!』

 

 ジロッ……、と睨めつける少女の威圧感に、血気盛んな野生ポケモンの一部が気圧される。

 それでも戦意が衰えない個体が居る辺り、『R』と称された薬品による闘争心の向上は本物なのだろう。

 

 最後の一体まで残らず倒さなければ、この闘争に終わりは訪れない。

 

 覚悟した両者の間で緊張感が走る。

 ピリピリと張り詰めた糸を彷彿とさせる、一触即発な雰囲気だ。どちらかがピクリとでも動けば爆発しかねない危うさが、時間が経つにつれて膨れ上がる。

 

 闘争への熱狂に歯止めは利かない。

 どちらかが倒れるまで───そう思っていた時だった。

 

 

───コォン……。

 

 

「……これは……?」

 

 不意に鳴り響いた澄んだ音色にコスモスが振り返る。

 それは少女だけでなく、他のポケモン達も同じ。

 

 彼らは全員同じ方向を───いや、()()を目にしていた。

 

「あのポケモンは……?」

「スイクンだァ……!?」

「なに?」

 

 あの伝説の? とアオギリが、隣のキュウへ聞き返す。

 神々しい雰囲気は、まるでオーロラのようだった。背中を波打つようにたなびく鬣や、冠の如く聳え立つ水晶、そのどれをとっても美しいという一言に限る。

 

「あれが……スイクン?」

 

 さも当然という顔で流動する川面を歩むポケモン。

彼こそが伝説に名を連ねる存在、スイクンであった。

 

 熱狂に包まれていた場が、途端に冷え行く感覚を覚える。それがスイクンが放つ凍て刺すような冷気か、はたまた彼の静穏な雰囲気にあてられかは定かではない。

 

「クゥ」

 

 コォン、と。

 また、水晶を爪で弾くような澄んだ音色が木霊する。

 

 スイクンが一歩進む度に鳴り響く音色が鼓膜を揺らす度、あれだけ高まっていた闘争心が鎮まっていくような感覚をコスモスは覚えた。

 どうやらそれは野生のポケモンも同じだったようだ。

 

 コォン、と。

 波紋が広がるように、音色が響き渡る。

 

 直後、変化は訪れた。

 

「! 目の色が……」

 

 シャドウポケモン特有の血に染まった瞳から、瞬く間に赤が抜けていく。

 すると、我に返った野生のポケモンは呆けた顔で辺りを見渡した後、いそいそと湿原の奥深くへと姿を消していく。

 一体、また一体と。汚染された精神を浄化されていくポケモン達は列を成し、元通りへの日常へと帰っていった。

 

「これが……スイクンの力?」

「……なるほどな。スイクンにゃ水を浄化する力があると聞いたが、どうやら土地そのものに流れ出していた異物を浄化してくれたみてェだ」

 

 呆然とするアオギリの傍ら、キュウは伝承に違わぬ力を見せつけたスイクンの方を見遣る。

 

「かたじけねェ」

「……クゥ」

「あ……」

 

 一言礼を告げた瞬間、鳴き声を発したスイクンはどこかへ去っていった。

 

 まるで『自分の為すことは終わった』と。

 そう言わんばかりに。

 

「……とんでもねェもんを見ちまったぜ」

「ああ、まったくだ」

 

 伝説のポケモンを間近で見るなど、人生に一度にあるかないかだ。

 それも踏まえても、今日はとんでもないことが起こり続けた。いい加減疲れた顔を一同が浮かべる中、

 

「あ!」

 

 突如、コスモスが柄にもない声を上げた。

 

「し……しまった……」

 

「どうした、嬢ちゃん!?」

「新手か!?」

「それともロケット団に大切なものでも奪られたままなのかい?」

「……コスモス?」

 

「私としたことが……」

 

 わなわなと震え、頭を抱えるコスモスが零す。

 

 

 

「伝説のポケモン……せっかくゲットするチャンスだったのに……!」

 

 

 

「「「「「……」」」」」

 

 どんな時でもマイペース。

 ある意味、一番強いポケモントレーナーに必要なものかもしれない。

 

 

 

 そうして一同は、やっとこさ力なく笑うのだった。

 

 

 

 これにてコイノクチ湿原を揺るがす大激戦───閉幕。

 

 

 

 

 




Tips:シャドウポケモン

 アルロの作り出した薬品『R』を摂取し、特定の処置を施されることで作成戦闘用ポケモン。特徴として真っ赤に染まった瞳、滲み出す紫色のオーラ等があるが、最たる特徴は戦闘能力の向上にある。闘争本能を刺激され、凶暴化したシャドウポケモンは同種族・同レベルの個体と比べても能力が各段に強化されている。これは『R』に含まれる材料が作用しているものと推察されるが、未だその材料の正体は不明。
 シャドウポケモンを作る為には専用の施設で処置を施すことが必要だが、薬品の改良で現場で摂取させることでシャドウポケモン化の第一段階である凶暴化までは可能。加えて、特定の脳波の感受性を高めるという副作用から、とあるエスパーポケモンの脳波による一時的な洗脳も可能となった。
 しかし、第一段階においては効果が長続きすることはなく、戦闘不能による長時間の気絶やスイクンの浄化能力にて薬品の長時間摂取を阻害することにより洗脳が解除されることが確認されている。


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№045:メガシンカはポケモンだけの特権じゃねぇぜ!

前回のあらすじ

ウリ「ちなみにゲッコウにわざマシンどのくらい使ったの……?」

コスモス「? ありったけは覚えさせましたが(30枚ぐらい)」

レッド「ありったけを……!?」(わざマシン使い捨て世代)


 

「ゲーコゲコゲコ!w」

「ヴァウァ!」

 

「……」

 

 今日も今日とて喧噪が騒がしい。

 カチョウタウンに在留する間、世話になっているキュウとウリの家に寝泊まりするのも一週間が経つ。

 

「止めないの?」

「もう終わりますので」

「……そう」

 

 庭先でバチバチと火花を散らす───というより、ヌルがゲッコウにおちょくられている光景を横目に、コスモスは淡々と山盛りの白米を口に運んでいた。頭脳労働に糖分は欠かせないのだ。

 小さな身体のどこに詰め込んでいるか疑問になるような量だが、これだけ食べても身長は平均以下だった。現実は残酷である。

 

「ゲコゲコ!w」

「ヴルル……ヴァア!」

「ゲッゲッゲ!」

 

 とうとう堪忍袋の緒が切れたヌルが攻撃態勢に移る。

 それを見るや、ゲッコウは『カウンター』の構えを取った。今までの経験上、ヌルは『けたぐり』でかくとうタイプに変化するタイミングに合わせ『つばめがえし』を繰り出す。それを逆手に取り、タイプ変化のタイミングをずらし、『カウンター』を決めるという算段であった。

 

「ヴァア!」

「ゲ? ───ウゲェ!?」

「フンッ!」

 

「ほら」

 

 だが、現実はそうはいかなかった。

 

 反撃の構えを取るゲッコウに、ヌルは距離を保ったまま爪を振り抜く。

 予想外の出来事に目を見開くゲッコウ。迫りくる空気の刃(エアスラッシュ)を目にしたが最後、避ける間もなく彼は一太刀で切り伏せられることとなった。

 

「ウ、ウゲゲ……ッ」

「まだまだ変化技を繰り出すタイミングが甘いですね。相手がどんな技を覚えているかも分からない内に反射技を仕掛けるのは悪手です」

 

 しかも、相手は自分側の手札を知っているときた。

 

「せめて物理技を繰り出さざるを得ない状況まで追い詰めてから仕掛けることですね」

「ゲ、ゲコォ……」

 

「あの……バトルについて熱く語るのは構わないんだけどさ、あんまりうちの庭は荒らさないでくれると嬉しいなァ……」

 

 食事の片手間に指導するコスモスに、ウリは苦笑を浮かべながらご飯をよそう。

 こうして指摘できるだけコスモスと打ち解けたとも取れるが、それでも少し余所余所しさを感じるのは今日が特別な日だからだろうか。

 

「今日だな。兄貴とのジム戦」

「当然勝ちますよ」

 

 固い表情を浮かべるウリに、コスモスはあっさりと言い放った。

 

「少々予定が狂いましたが、準備は万全です。ゲッコウガのスペックは完全に把握しましたし、相手が繰り出す技の予習、それに対抗し得る技の習得……私に出来得る全てをゲッコウガに詰め込みました」

「……一度は湿原で勝ったんだよな」

「ええ」

 

 ウリが言及しているのは、コイノクチ湿原での一幕。

 シャドウポケモンと化したコウガとゲッコウの一戦を指していた。単純にそのバトルの結果を見るのであれば、ゲッコウはコウガに高確率で勝てるだろう。

 

「だったらジム戦も安心だな! その時みたいにガツンと一発……」

「楽観はいけません」

「へ?」

「確かにあの時は、向こうのゲッコウガがこちらのゲッコウガの読んでいるのを逆手に取れましたが、今回は強力な手札を一枚明かした状態で戦う訳ですからね」

「うっ……言われてみれば」

 

 一度通用した技が、二度目も通用するとは限らない。

 ましてや相手はジムリーダー。一度嵌められた戦法には徹底して対策を練っているというのがコスモスの見立てであった。

 

「ポケモンバトルに絶対はありません。日々戦術を研究し、バトルはアップデートされています。昨日勝てた戦術が明日勝てるとは限らないです」

「そ、そうだよな……ごめん」

「……ですが、だからこそ付け入る隙も生まれます」

「うん?」

「戦術が増えれば増えるほど、トレーナーも考えることが増えます。今戦っている相手が以前使った戦術を使うとも限りませんし、同じなようで少し違った戦術を使ってくるかもしれない……そう思わせられるだけでも、ポケモンバトルにおいては大きなアドバンテージになります」

 

 お、おぉ……? とウリが要領を得ない声を上げたのを見て、コスモスは自分が小難しい言い回しをしたと反省する。

 

「つまり、情報を知られているからこそ勝てる勝負もある、ということです」

「……ごめん。ほっぺたに一合ぐらい米粒付いてて頭に話入ってこない

「失礼」

 

 話に一区切りつけたところで、コスモスは頬に張り付いた米を一粒残らず口へと運んだ。お米は残さない。それがコスモスの流儀だ。ほっぺたをホシガリスのように膨らませつつしっかり咀嚼し、ゴクンと呑み込む。

 

「ふぅ……ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした。あ、先生さんはどうする? おかわりいる?」

「いや……」

 

 ちゃぶ台を囲む一人・レッドは、合わせていた掌をそっと下ろした。

 

「オレはもういいかな……」

「そっか……それとさ」

「うん?」

「その寝ぐせ……何がどーなってそーなった?」

 

 ウリの瞳に映り込むレッドの寝ぐせ。

 パンクロッカー顔負けの重力に逆らったボンバーヘッドだが、心なしかパリパリと静電気が爆ぜているようにも見え、色んな意味で触れづらい雰囲気を醸し出していた。

 

 とうとう触れられてしまったか。

 そう言わんばかり目を伏せたレッドは、庭先でシャドーボクシングに勤しむ相棒のピカチュウを一瞥。

 やたら気が立っているが、それもそのはず。湿原で対峙した強敵。一度は負かしたとはいえ、相手が全力でなかったと分かるや、それがピカチュウのプライドを大いに傷をつけた。

 

 おかげで昨日は一晩中スパーリングに付き合わされた。

 比喩ではない、実際にレッドが相手に登用されていた。

 何故かって? 体格が最も近いから、ただそれだけだ。

 

 そんなこんなで静電気がバッチバチ。なおかつ疲労困憊のレッドは、いつもより稼働率が三割低下している脳味噌を回転させ、ようやく答えをねじり出す。

 

 

 

「……ちょっと、激しい怒りに目覚めて……」

 

 

 

「大丈夫それ? スーパーなんとか人とかにならない?」

 

 どちらかというと、2になりそうな勢いだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 朝食と腹ごなしを済ませれば準備万端。

 向かうはホウジョウ地方最後のジム、カチョウジムだ。連日挑戦者が絶えないこのジムだが、突破できた挑戦者の数は中々低い。

 ジム攻略が地方の一大イベントであるガラル地方とは違い、攻略順に明確な順序が設けられていないセトー・ホウジョウリーグであるが、それを加味してもカチョウジムの攻略難易度は高い部類に分けられるだろう。

 

 まさにホウジョウ地方最後にして最強の関門。ここを超えなければ、チャンピオンなど夢のまた夢である。

 

 そしてジム戦の概要であるが、これがまたいたってシンプル。

 用意されたジムトレーナー2人を撃破後、ジムリーダーを倒せばOK。晴れてジムバッジを獲得。

 道中凝ったギミックがない以上、純粋なバトルの腕が試される内容ではあるが、裏を返せば運に左右されない実力勝負な訳であり───。

 

───コスモスの得意分野だ。

 

「ハスブレロ、『ねこだまし』ィ!」

「利きませんよ。『きゅうけつ』」

「にゃにィ!?」

 

 バトル開始直後、ゴルバットの目の前で両手を叩いたハスブレロ。

 しかし、『せいしんりょく』で怯まないゴルバットに噛みつかれ、逆にチュウチュウと体力を吸われる目に遭う。

 

「あぁ、ハスブレロぉ!?」

「そのまま『どくどくのキバ』!」

 

「ゴバッ!」

「グワァー!!?」

 

「ハスブレローんッ!!?」

 

 血を吸われるどころか毒を注入され、凄絶な断末魔を上げるハスブレロ。

 弱点タイプの技を立て続けに食らい、流石に耐え切れなくなったハスブレロは目を回して倒れる。

 

「ゴプッ」

「吸血は程々にね」

「勝者、チャレンジャー・コスモス!」

 

 心行くまで吸血を堪能したゴルバットとコスモス側に、審判が旗を掲げた。

 それを見ていた観客席のウリはガッツポーズを掲げる。

 

「いよぉし! これで二連勝!」

「……いよいよ」

「次は兄貴とのバトル……」

 

 ウリはゴクリと唾を呑み込む。

 自分が戦う訳でないにも関わらず、妙な緊張感が体を強張らせる。

 

 今日までの一週間、その全てが次のバトルの為にあったと言っても過言ではない。

 

(もうゲッコウはあの頃のアイツじゃない。今ならきっと兄貴とコウガにだって……!)

 

 毎日付き合っていた。

 体を動かし、頭を働かせ、何度も何度も試してみる。ただそれだけを繰り返していただけであったが、それだけをこなす大変さも、こなして得られた経験も積み重ねも、今ならば実感を得られていた。

 

 これは漠然と『おや』を務めていた頃なら永遠に分からなかっただろう。

 だが、ポケモントレーナーとして真摯にポケモンと向き合ってきた今だからこそ分かる。

 

(頑張れ、ゲッコウ! コスモスさん! 今のアンタ達なら……!)

 

 興奮のあまり口角が吊り上がるのを収められぬ内に、どこからともなく足音が近づいてくる。

 

「いよォ、待たせたな」

 

 ぶっきらぼうな挨拶。

 しかしながら、声に滲み出る興奮を隠せないのは兄妹の性か。

 

 好戦的な笑みを湛えたカチョウジムリーダーがバトルコートに参上した。

 

「今日は都合がついたんですね」

「そりゃあなァ。何もなきゃあジムリーダーとしての責任はきっちり果たす」

「それもそうですね」

 

 ただジムリーダーと人命救助を比べた時、後者の方が優先されるというだけの話だ。

 もしも後者を優先しなくてはならない場合は、独断で戦えるポケモンにジム戦を任せる───それはそれでぶっ飛んだ解決方法であるが、コスモスにとっては大して重要ではない。

 

「きみにゃあ随分と世話になった。ゲッコウのことも湿原の事件も…………が、それとこれとは別の話だ」

「元よりこちらもそのつもりです」

「話が早くて助かるぜ───ジャッジぃ!! 早ェとこ始めようや!!」

 

 キュウが審判に合図を出せば、『押忍!!』と気合の入った返事が響き渡る。

 

「それではただいまより、挑戦者(チャレンジャー)コスモスとジムリーダー・キュウによるジム戦を始めま───」

 

「コウガッ!!」

 

「げ」

「ゲッ……!」

「ゲッ……!?」

 

 突如、一体のポケモンが開始の合図を待たずに飛び出した。

 青い体表、長い舌のマフラー。どこからどう見ても間違えようがない。

 

「ゲッコウ!! アンタ、何勝手に出てきて……」

「───ゲコゥ!」

「えぁ!? コウガまで!?」

 

 しかし、居ても立っても居られないのは彼だけではない。

 キュウの腰から下げたボールからも同じ姿かたちをしたポケモンが参上し、ウリが驚愕の声を上げた。凛とした居住まいながらも、湧き上がる闘志を隠し切れず、武者震いしているのが見て取れるコウガだ。

 

 ゲッコウガが二体、バトルコートで向かい合う。

 これには審判も判断に困っている。

 

「えーと……リーダー?」

「……ハハッ、ハハハハ!」

「いや、笑ってる場合じゃなくてですね」

 

 耐え切れずといった様子で噴き出すキュウ。

 一頻り笑った彼は、いよいよ立ち尽くすしかなくなった審判の方へと振り返った。

 

「いやァ、悪い悪い。やっぱアイツら似たモン同士だと思ってよォ」

「そういう問題じゃありやせんぜ……挑戦者も困ってやすし」

「だなァ。だが、このまま()()()()ってことで始めて問題ねェだろ?」

 

 なぁ? とキュウが話を振れば、ここまで無言を貫いていたコスモスが一拍置いてから口を開いた。

 

「───まあ、たまにはいい経験ですね。私は構いませんが」

「だとよォ。ってな訳でジャッジ、このままおっ始めようぜ」

「それはそれとしてゲッコウガ」

「ゲコ?」

 

「(お ぼ え て ろ)」

 

「ゲッ……!?」

 

 背後から物凄い圧を感じ、ゲッコウは背筋を縮み上がらせる。

 このプレッシャー、ともすれば湿原で相まみえたAPEX-1に並ぶ……かもしれない。

 

 と、ゲッコウの独断行動への対応が固まりつつある中、すぐさま戻さない辺り彼の選出自体に異はないとコスモスは示す。

 

「どうせ選出は決めてました。遅いか早いかの違いです」

「そうかい」

 

 一息吐き、キュウがコスモスへ向き直す。

 

「バッジは3つだったな」

「はい」

「シングルとダブル、どっちがいい」

「シングルで」

「シングルなら使用ポケモンは1~3体まで選べるぜ」

「……1体で行きましょう」

「サシをご所望かァ。いいぜ。持ち物はどうする?」

「有りでお願いします」

「おうよ」

 

 一つ一つ丁寧にルールを確認していく。

 他のジムとは違い、ジム自体にギミックがある訳ではない。

 だが、このバトルルールのカスタム性にこそカチョウジムの特徴が表れていると言えよう。公式戦に存在するルールを元に、可能な限り挑戦者の希望に沿う形に整える。

 人によってはダブルバトルになる場合もあれば、6体使用のフルバトルになる場合もある。

 

 挑戦者が最も戦いやすい環境を作る───それこそがカチョウジム唯一の仕掛け(ルール)

 

 言い訳なんて許さない、正真正銘全力のガチンコ勝負だ。

 

「それじゃあ……準備はいいか?」

「ええ、とっくに」

 

 確認を取るや、キュウが審判に目で訴える。

 その意味を汲み取った審判は、すぐさま両手に握っていた旗を掲げた。

 

 鬨の声は、もうすぐ。

 

「それでは───バトル開始ィ!!」

 

 

 


ポケモントレーナー

コスモス

V 

 S

カチョウジムリーダー

キュウ


 

 

 

 ***

 

 

 

 衝突は、直後に起こった。

 

「ゲコッ……!」

「コォッ……!」

 

 開始の合図と共に駆け出した二体が、コートの中央で腕をぶつけ合っている。

 じりじりと睨み合う二体。どちらも一歩も退かぬという気迫に満ち溢れているが、すぐさま均衡は崩れる。

 

 僅かに、ゲッコウ側が押される───。

 

「下がれ、ゲッコウガ!」

「ゲコッ!」

 

 コスモスの声が響き、ゲッコウが無理せず後方へ跳んで逃げる。

 直後、空を裂く音が鳴り響いた。コート中央に堂々と立つコウガ。彼は作った手刀の解かぬまま、下がったゲッコウをじっと見つめている。

 

「コォ……」

 

(避けなきゃ『つじぎり』の餌食だったな)

 

 一瞬の攻防をキュウが分析する。

 コウガは冷静な性格だ。冷静に相手の動きを見極め、反撃の一手を繰り出す戦法を好んでいる。技の初動こそ相手に遅れてしまうものの、後手に回るが故に適切な対応を取る───それこそが強みだった。

 

(頑張り屋で何でもかんでも鍛えようとするゲッコウとは真逆……コウガは、素早さを犠牲にしてでも堅実な一手で相手を打ち崩そうとする。性格が違うだけで育成方針もガラリと変わる。ポケモン勝負の面白れェとこ……まさに醍醐味だぜ)

 

 誰よりも2体の育成に携わってきたからこその感慨に浸る。

 

(だからこそ気になるぜ。ゲッコウ、お前ェの全力がどんなモンかな)

 

 終ぞ自分の手持ちに居る間は叶わなかった対決。

 よくよく考えればそれもそのはず。トレーナーが指示を出す以上、手持ちのポケモン同士を戦わせたところで片方は指示がない状態で戦うのだ。それでフルスペックを発揮できると言うのは少々無理がある。基本的にバトル中分かりやすい指示を出さぬキュウにしても同じ話だ。

 

(奇妙な話だよなァ。『おや』じゃなくなってようやくお互い全力でやり合えるなんざよォ……)

 

 だが、いざこの対戦カードを前にした時、かつてないほど己の心が熱く燃え滾るのを感じた。

火消しが生業の癖して何を、と師には頭を小突かれそうな衝動だ。けれども、生来の気質というものはどうにも変えられない。

 

「ゲッコウガ、『かげぶんしん』!」

「ゲコッ!」

 

 沸々と闘志が熱を帯びていく感覚を覚える傍ら、コスモス側が攻め方を変えた。

 無数の分身を生み出し、相手を翻弄する技『かげぶんしん』を繰り出すゲッコウ。四方八方へと生み出される分身に、コウガは掌に生み出した『みずしゅりけん』を次々に投げつける。

 

 しかし、これが中々当たらない。

 たとえ当たったところで単発火力の低い『みずしゅりけん』では大したダメージにならず、ゲッコウはどんどん分身の数を増やしていく。

 そうして十分に『かげぶんしん』を展開したところで、ゲッコウは果敢に突っ込んでくる。繰り出してくる技は『とんぼがえり』。攻撃後、すぐさま距離を取って離れるこの技は手持ちと入れ替わる効果抜きにも『かげぶんしん』とのシナジーが高い。

 コウガもただやられるままではないが、にっちもさっちもいかぬ状況に攻めあぐねている様子だった。

 

(なるほどなァ……)

 

───上手い。

 

(お前ェ……強くなったなァ、ゲッコウ)

 

 コウガを翻弄し、あまつさえ圧倒しているゲッコウの勇姿。

それを目の当たりにしたキュウの目頭は、次第にジンジンと熱を帯びていく。

 

(前までのスランプが嘘みてェだ。……きっと、これで()()だったんだなァ)

 

 純粋な喜びの他に覚える一抹の寂しさ。

 この感情はきっと()()に近いのだろうと……キュウは、ゲッコウの挫折から再起する今までを大雑把に振り返った。

 

 

───ある時はホウエンに居る師と電話した時のことを。

 

 

『───ほぉ、それで儂のとこに相談とはのぉ』

『頼む、師匠。頼れるのはアンタだけなんだ。どうにも今のゲッコウにゃあぼくの言葉が届かねェ……昔っからよくあったんだが、今回は一際性質が悪ィ。……なんとかならねェか?』

『ぐわはっはっ!! 兄弟同然のお前らにもそういう時期が来たか!! いい機会だ、これを機にお互い()()離れしてみぃ!!』

『お、()()離れェ……?』

『そうだ!! 時には離れてこそ見えてくる絆もある……そうだのぉ、しばしの間お前の妹にでも世話を頼めば良かろう。ただし!!』

『な、なんでィ?』

『必要以上に口出しはしてやるなよ? たまには自分で考えさせてやるというのも愛情だ。せめて、陰から見守ってやるくらいに止めておけぃ』

『お、応……』

『他人に頼れぬお前のことだ。先に言っておくが、町の住民ぐらいには見守ってもらうよう頼んでおけ。いいな!?』

 

 

───ある時は住民に謝罪した時のことを。

 

 

『───その節は、妹とゲッコウが大変ご迷惑をおかけいたしました』

『い、いやぁ。別にキュウ君にゃあ世話になってるし、このくらいどうってことないんだがな……いいのかい?』

『……なんのことで?』

『ウリちゃんのことだよ。こちとら詮索するつもりぁないが、傍から見てもゲッコウに振り回されてるのを見てるとねぇ……』

『ぼくぁ、アイツらの為にも余計な口出しぁしないつもりです。……厚かましいようですが、ぼくの代わりにアイツらを見守ってもらえたらと……』

『……んまぁ、キミにそこまで言われちゃあな。わかった! ウリちゃんとゲッコウは町のみんなで見守ってやる!』

『……ありがとうございます───!』

 

 

───ある時はレッドの下へ訪ねた時のことを。

 

 

『先生さん先生さん。ちょいといいかい』

『! ……ウリのお兄さん? どうしてここに……そしてどうしてそんな物陰に隠れて……?』

『やむにやまれぬ事情って奴でな。……こいつをウリとコスモスちゃんに差し入れしてくれねェか?』

『いいけど……ここまで来たら直接渡せば───』

『それじゃダメなんでぃ! ぼくが渡したら手ェ出さねェって努力が水の泡に……!』

『……なんだかよく分からないけど、そこまで言うなら……』

『頼むぜ、先生さん!! それじゃあな!!』

『……これで5回目なんだけどなぁ……』

 

 

 

 斯くして、愚直に師の言いつけを守ってきた成果が目の前に現れている。

 『おや』として、こんなに嬉しいことがあるだろうか?

 同時に、自分という『おや』を離れてから真価を発揮する兄弟同然の相棒に、寂しさを覚えるのも否定できない。

 

(絆やら根性で突っ走ってきたぼくじゃあ、終ぞお前ェの力の底まで引き出せなかったかもしれねェが……)

 

 眼前のゲッコウはどうだろう?

 ピーキーで扱いの難しい特性を生かし、相手に圧力を掛ける。それは相手の繰り出す技を正確に予測・予見できるトレーナーの眼があってこそだ。

 これぞまさしく変幻自在。これから経験を積み重ねれば積み重ねる程、彼の強みは磨かれてゆき、何者に対しても臨機応変に立ち回る千変万化のゲッコウガが誕生するだろう。

 

 ゆくゆくはタイプエキスパートという括りに収まらない逸材へと───。

 

(……ぼくぁ、)

 

 元『おや』として何が出来るか。

 一瞬思考を巡らせた時、不意にこちらを見つめる視線があることに気づいた。

 

(コウガ?)

 

 展開される分身の渦中に居ながらも、未だ致命傷は避けているコウガ。

 一瞬でも目を離せない状況だというのに、力強い瞳で何かを訴えている。

 

───もう、いいんじゃないか?

 

 しかし、彼らには通じる。

 

「……そう、だよなァ」

 

 頭をボリボリ掻き毟るキュウが、ふぅー、と息を吐いた。

 

「アイツの強さはお前ェもよく知ってるモンなァ」

 

 ぶつぶつと独り言ちるキュウに、向かい側のコスモスが怪訝そうに眉を顰めている。

 バトル中に指示を出さない───その情報を耳にしていたからこそ、今の様子が不思議だったのだろう。

 

 と、推測を立てたところで。

 

「全力で来ないんですか?」

「……なんだって?」

 

 思わぬ質問だった。

 

「全力も何も、ぼくぁ端っから本気だぜ」

「本気なのは分かります。ですが、本気と全力は違います」

「だなァ。けど、こいつァジム戦だ。バッジの数と挑戦者の力量に合わせて試験するのが筋ってモンだ」

「『準備ができていなかったから負けた』。『場所が悪かったから負けた』」

「……?」

「そんなもの本当の勝負の世界じゃ通用しない言い訳です」

 

 だから事前に準備する。情報を仕入れる。

 勝負は戦う前から始まっているのだ。

 

 いつぞや、目の前のポケモンへ告げた言葉だ。

 

「バッジの数に合わせる? 道理です。挑戦者の力量に合わせる? これも適当でしょう。でも、それならどうして手加減するんです?」

 

 心底不満そうな声色を少女はぶつける。

 そんな彼女の背中を見つめる赤い瞳。後方から生徒を見守る“先生”は、少女の言葉に静かに頷いていた。

 

「『おや』なら理解しているはずです。このゲッコウガの強さを」

 

 分かっている。

 

「それを踏まえた上で、ジム戦であるとは言え手加減する……この意味がお分かりで?」

 

 分かっている。

 

「だとしたら無意味です」

 

 分かって───。

 

「……? 何してる」

「仕切り直しですよ」

 

 突然の出来事に瞠目するキュウ。

 彼が垣間見た光景、それは展開していた分身を消し去り、体一つでバトルコートに降り立つゲッコウの姿だ。

 あれだけ優位を保っていたにも関わらず、それを自らドブに捨てるような所業。

 

「貴方1人で納得してもらっても困るんです」

 

 少なくとも1人と1体。

 

「ここには全力で来てもらわないと納得できないトレーナーとポケモンが居ます」

「……」

「それとも信じられませんか?」

 

───貴方が育てたゲッコウガの強さが。

 

「……」

 

 その一言は、まさしく。

 

「……く、」

「……兄貴」

「くくっ、くくく、ははははは!!」

 

───殺し文句だった。

 

 室内を揺らす哄笑に、観客席に座っていたウリや審判が目を丸くする。

 一方で、バトルコートに佇む2体のゲッコウガは笑っていた。鋭い眼光はそのままに、口角だけ吊り上げるような不敵な笑みだ。

 

「ハッハッハ……!! まいった、それを言われちゃあな」

「やる気になりましたか?」

「ああ、ホントによォ。……きみァとんだ好き物だぜ」

 

 依然クツクツと喉を鳴らしながら、キュウはゆっくりと息を整える。

 

「わざわざ全力のジムリーダーに挑みたいだなんてよォ。あれかい? 手前から困難にぶつかっていきたい性質か?」

「いいえ。こうでもしないと()()()が納得してくれませんので」

「……そォかい」

「それにゆくゆくはリーグで戦う相手。経験しておいて損はありません」

「……なるほどなァ。きみの魂胆は見えた」

 

 いずれは超えなければならぬ壁。

 その一つとして聳え立つ『全力のジムリーダー』。仮にリーグ本戦でぶつかり、一度は勝ったからと少しでも気を抜いて戦えば、ジム戦とのギャップを前に為す術もなくやられると言う話も珍しくはない。

 

 だからこそ、今。

 ジムリーダーが手塩に掛けて育てたポケモンを用い、全力のジムリーダーとバトルする。替え難い経験を得る為に。

 

「とどのつまり、持ちつ持たれつってヤツかぃ」

「……お受けしてもらっても?」

「いーや」

 

 頭を振るキュウは、カッと眼光を鋭くする。

 

「ぼくが、きみの胸を借りるとしよォか」

 

 空気が、変わる。

 沸々と鍋の底で揺らめいていた泡が、一気に沸騰して上ってくるように。

 

───ここからが本番だ。

 

 バトルコートに立つコスモスは、空気が変わったのを肌で感じ取っていた。

 投げ入れた火種は───焚き付けた闘志は、どうやら無駄にはならないようだ。

 

 ジム戦の枠を超えた激闘が始まる予感に、コスモスは一旦呼吸を整える。それから視線を遣ったのは、呑気に腕を組んで仁王立ちしているゲッコウの方だ。

 

「(これでいいんでしょう、まったく)」

 

 困ったものだと言わんばかりに少女の眉尻は下がる。

 それから、いい加減視線を戻す。

 

 視界が、揺らいでいる。

 まるで熱気が吹き零れる寸前であるように。

 

「さて……来ますよ」

 

 

 

 ジムリーダーの キュウが

 勝負を 仕掛けてきた!

 

 

 

 そして、景色が真っ二つに裂ける。

 コスモスの視界を左右に切り分けたのは、一本の水柱。逆巻きながら天井を衝く激流は、コウガを中心に巻き起こっていた。

 

「……これが、」

「『きずなへんげ』」

 

 腕を組み、堂々と仁王立ちするキュウが言い放った。

 

「今のぼくとコウガは一心同体。原理ァ、カロス地方のメガシンカやらフェルム地方の共鳴バーストとやらに似てるみてェだが……こいつに“石”は使わねェ」

 

 ドンッ! と。

 キュウは己の胸を拳で叩き示す。

 

「要るのァ“意思”、これだけよ」

 

 刹那、あれだけ高く巻き上っていた水柱が弾け飛んだ。

 高まる熱気を冷ますように、水飛沫はバトルコートに降り注ぐ。

 

 だが、直後に吹き抜けたのは冷涼な風などではない。

 喉元過ぎれば熱さを忘れるとは言うが、これはそんな比ではない。

 背筋が凍る絶対零度。巨大な水手裏剣を背負い、紅い戦化粧を施したゲッコウガが垂れ流す濃密な強者のオーラが、そう錯覚させる。

 

「───なるほど」

 

 コスモスは流れるように視線を観客席の方へと向けた。

 直後、滝の汗を垂れ流しながらアワアワと泡を食っているウリと目が合う。

 

 

 

「(これは聞いてませんが?)」

「(ごめんなさいーーーーーッ!!!)」

 

 

 

 二人の間だけ通じる会話がそこにはあった。

 しかし次の瞬間、空気が乱れた。

 

「屈め!」

 

 咄嗟に叫ぶコスモス。

 間髪入れずゲッコウが屈んだのは、ほぼ反射であった。

 

「よく避けたッ!」

「『かげぶんしん』!」

 

 称賛の言葉を受け取る暇もなく、コスモスは指示を飛ばす。

 ゲッコウの動きは速かった。コウガが二撃目を繰り出すよりも前に次々と分身を作り出し、凄絶な攻撃を回避する準備を整える。

 

(思っていた全力と違うんですが)

 

───もっと、こう……心意気的なものだと思っていた。

 

 とどのつまり、想定外。

 過去のバトルレコードにも、ウリからの情報にもなかった情報の姿である。すなわちまったく情報がないまま、あの姿のコウガと戦わなければならないらしい。

 

 スッ……とハイライトが消えた瞳で、コスモスはゲッコウの方を見遣る。

 

「(お ぼ え て ろ)」

「ゲコッ!?」

「おいおい、よそ見なんかしてる場合かァ?」

 

 無言だった時とは打って変わって楽しそうになった声色のキュウが口を開く。

 

「悪ィな、ぼくァやることが極端でよォ。ジム戦だって気づいたらすーぐ全力出しちまう。だからよォ、今まで指示なしでやらせてもらってたワケさ!」

 

 本当にやると決めたら全力な兄妹だ。

 いや、この場合はやらないと決めても全力と言うべきか。

 

「つまり、指示のあるとなしとじゃ天と地の差があると?」

「たりめェよ!! 今のぼくぁコウガと一心同体」

 

 滑らかにコウガが背中の水手裏剣を手に取った。

 無数の分身を前には、ただの一発でも当てるのは困難な技。

 だがしかし、コウガはあちこちに視線を泳がせる訳でもなく、あろうことか静かに瞼を閉じた。

 

 まさか、精神統一で当てるとでも言うのだろうか?

 

(───いや、違う!)

 

 自分で自分の考えを否定するまでに一瞬も掛からなかった。

 

「右に跳べ!!」

「そォら……行くぜィ!!!」

 

 ビュン!! と風を切り飛来する円盤。

 それが高速回転する『みずしゅりけん』だと分かったのは、コスモスの声に合わせて技を避けたゲッコウの後ろで、激しい水飛沫が散ってからだった。

 

「まだだ! 上に跳ねろ!」

 

 しかし、息を吐く間もなく二撃目がやって来る。

 指示がなければ食らっていた攻撃を跳んで回避するゲッコウだが、すでにコウガは三発目をその手に構えていた。

 

「ゲッ───!?」

()()! 天井に捕まれ!」

「!」

 

 被弾を覚悟していたところへ飛び込む打開策に、すぐさまゲッコウは対応する。

 言われるがままに舌を伸ばして天井の梁に捕まれば、あとは曲芸の如く身を捩り、迫りくる巨大な『みずしゅりけん』を紙一重で躱す。

 

「やるッ!! 機転が利いてるなァ!!」

「そういうのが得意って元々知ってただけですよっ」

「そォかい!! それならうちのコウガを倒す算段も用意してんのかい!?」

 

 質問されるが、コスモスは口を噤む。

 当然だ、相手を倒す算段をわざわざ答えるはずがない───だが、

 

「ぼくが察するに『カウンター』が狙いか?」

「ッ……」

 

 回避してくる相手にはどうしても『つばめがえし』のような命中率の高い技を繰り出したくなるものだ。

 けれども、そこに『カウンター』の罠がある。

 食らったダメージの倍は返すこの攻撃、元より打たれ弱いゲッコウガには致命的なダメージを与える。しかも同じ種族と来れば、食らうダメージ量も大方予想はつくだろう。

 

「となりゃあ一発でもってきてェところだが……きみァ持ち物有りを選んだな」

「それが何か?」

「きあいのタスキ。……こいつを持たせてんじゃねェか?」

「ッ!」

 

 ここに来て、コスモスがあからさまに険しい表情を浮かべる。

 『カウンター』を発動させない方法は主に二つある。その内の一つが、そもそも技を出せぬよう一撃で瀕死にすることだ。

 しかし、世の中には便利な道具が存在する。

 きあいのタスキ───これは体力が全快の時に限り、どんな攻撃でも耐えてくれるという優れモノだ。

 

 仮にゲッコウがきあいのタスキを持っていたとしよう。

 『かげぶんしん』を展開するゲッコウに、コウガは全力で『つばめがえし』を繰り出す訳だが、きあいのタスキを持っているゲッコウにはたとえ急所に命中しても倒せない。それどころか渾身の『カウンター』が飛んでくる。きあいのタスキを持っている以上、一撃で倒せないのだから確実にそうなる。

 

「だからまずはこいつ(みずしゅりけん)をブチ当てる」

 

 再び水を手裏剣上に凝縮するコウガ。

 きあいのタスキは繊細な道具だ。少しでも攻撃を受けて損傷しようものなら、持ちうる効果を発揮しなくなってしまう。

 

 そこに脅威を覚え、ゲッコウは再び『かげぶんしん』を展開するが、これまたコウガは瞼を閉じる。

 

 先も見たこの精神統一だが、これは見掛け倒しなどではない。

 

「そうか、『こころのめ』!!」

「明答ォ!!」

 

 敵の動きを心で感じ、次に繰り出す技を命中させる変化技『こころのめ』。

 普通のゲッコウガが自然に覚える技ではないものの、ニョロボンやニョロトノといったポケモンと生活しているのなら話は別。覚えていてもなんら不思議ではない技の一つだ。

 

 これではカウンター戦法の根幹である『かげぶんしん』が機能しない。何故なら『こころのめ』で本体を探り当てられているのだから。

 

「ッ───ゲッコウガ、下!!」

 

 そうなってくると、ゲッコウは自力で攻撃を回避しなくてはならない。

 指示を受けて飛び降りるゲッコウの真上を『みずしゅりけん』が通過する。

 

 続けて、落下を考慮した狙いをつけたコウガが二撃目を繰り出す。

 しかし、ゲッコウは体を大の字に広げて空気抵抗を増やすことで落下速度を緩め、速過ぎる手裏剣から逃れることに成功した。

 

「いい動きだ、ゲッコウ!! 前より避けるのが上手くなってるじゃねェか!!」

 

 皮肉でもなく純粋に称賛の言葉を送るキュウであるが、次弾は装填済みだ。

 

「こいつァ避けれるか!!?」

「ゲッコウガ!!」

「三発目、行くぜぇぇえええ!!」

 

 空気を切り裂き、音を置き去りにする。

 着地した瞬間を正確無比に狙った一発は、何者にも遮られることもなくゲッコウへ迫った。

 

 そして、

 

「ウ───ゲェ!?」

「ゲッコウガ!!」

 

 着弾。

 激しい水飛沫を撒き散らしながら地面を転がるゲッコウ。それでも次撃に備えて立て直せたのは日頃のトレーニングの賜物だろう。

 けれども、これで状況は芳しいものと言えなくなってしまった。

 

「アワワ……!! 兄貴の言う通りなら、今のできあいのタスキが潰れちゃったんじゃないの!?」

 

 これじゃカウンター戦法が使えないィー! と、ウリは悲鳴を上げる。

 

「……」

 

 その傍ら、レッドは依然として沈黙を貫き通していた。

 顎に手を当て、何かを思案するような佇まい。ジッとゲッコウを見つめる瞳は何かを探っているようにも見受けられるが、それを尋ねる者はこの場には居ない。

 

「……そうか……」

 

 

 

「さァて、どうする?」

「……」

「これで迂闊に『カウンター』も撃てねェだろうよ」

 

 弾んだ声色でキュウが言い放つ。

 それは人によれば勝ち誇ったようにも聞こえるが、事実、戦況はジムリーダー側へと傾き始めていた。

 

「どォする? このまま尻尾巻いて逃げるかい?」

「……まさか」

 

 しかし、コスモスは退かない。

 カッと見開いた瞳は、一秒たりともバトルコートから外れることはない。瞬きを忘れる程の凝視が相手に突き刺さっている。

 

 蛇に睨まれた蛙? いや、逆だ。

 蛇を睨み殺そうとする蛙が、そこには居た。

 

「……よく言った。それでこそだ、挑戦者(チャレンジャー)!!」

 

 喜色を隠さぬ声でキュウが叫ぶ。

 

「どんな苦境に立たされようがポケモンと共に乗り越える!! その意思こそがポケモンバトルにゃあ肝要だ!!」

 

 大きく腕を振りかぶるキュウに連動し、コウガもまた振り被った。

 

「さァ!! 存分に見せてくれや、きみとゲッコウの絆ってヤツをよォ!!」

「絆、ですか」

「そォだろ!? 未来のチャンピオン!!」

「左に跳べ、ゲッコウガ!!」

 

 三度、手裏剣の軌道がバトルコートに閃いた。

 その度コスモスの怒号の如き声が響き渡る、突き動かされるようにゲッコウが飛び跳ねる。

 

「上!!」

「ゲコォ!!」

「屈め!!」

「ゲコッ!!」

「そこから下がれ!!」

「ゲッ……コォ!!」

(次は───避けれない!!)

「ゲガァ!?」

 

 避けて、避けて、避けて。

 何度もギリギリの回避を繰り返していたが、無理な回避を続ける程に第二撃への対応が疎かになり、結果的に被弾まで漕ぎつかれてしまう。

 最早緒戦のゲッコウ優勢の戦況ではなくなっていた。

 コウガが追い詰める側で、ゲッコウが追い詰められる側。

 この窮状で如何ともし難きは、後者が既に全力を絞り出しているという点にあろう。ジャイアントキリングを狙おうにも、頼みの綱である『カウンター』は相手側にバレてしまっている。

 

「どうしよう、このままじゃゲッコウが……!!」

 

 狼狽するウリを余所に、ゲッコウは避ける。

 

「ゲッコウが……!!」

 

 避ける。

 

「ゲッコウ、が……」

 

 避ける。

 

「ゲッコウが……!?」

 

 避ける。避ける。避ける。

 

「下ッ!!!」

「ゲコッ!!!」

「上ッ!!!」

「ゲコォ!!!」

「右!!! 左!!!」

「ゲコォーッ!!!」

 

 避けて避けて避けて避けて───避けまくる。

 

 そこには当初の余裕なく逃げ回る姿はなく、トレーナーの声に合わせて完璧なタイミングで攻撃を見切るゲッコウの姿があった。

 息が合い始めてからは被弾ゼロ。時々危ない場面は見受けられるものの、それも十分二撃目までに立て直せる範疇である。

 

「見切ったって言うの? この短時間で……一体どうやって……!?」

「……いいや」

「! ……先生さん?」

「姿が変わっても()は変わらない」

 

 とうとうレッドが沈黙を破った。

 

「技を出す時の癖……構えとか、目線とか。そういうところまでは意識しないと変わらない……」

「でも、今日戦ったばかりでそんなの見切るなんて達人ぐらいじゃなきゃ……」

「だから事前に調べてる」

 

 言い放った言葉に呆けるウリを余所に、レッドはつい最近の記憶を思い返す。

 

『ねえ、コスモス』

『なんでしょう、先生』

『昨日深夜に目が覚めてトイレに行ったんだけど、襖から光が漏れてて……その時まだ起きてた?』

『基本0時まで起きてますよ』

『……眠くならない?』

『0時になった瞬間泥のように眠れます』

『一般的にはそれを気絶と呼ぶと思う』

『ですが、その日のバトルのレポートとかをまとめなきゃですし……それに、』

『それに?』

 

 

 

『───私より強い人に勝つ為には、その人達以上に努力しなきゃ追いつけませんから』

 

 

 

 そう言った彼女のスマホロトムの画面では、リスト化されたバトルレコードの内の一つが再生されていた。

 リスト名は『キュウ ゲッコウガ』。

 短くも、明確な目的がありありと窺える名称だった。

 

(それにスナオカジムでもエースバーンの技を見抜いてたし)

 

 別に彼女の技を見抜く目は今に始まったことではない。

 それにしたって今日は切れていると言えよう。何せ一段と素早さが増したコウガの、それも特段攻撃の出が早い『みずしゅりけん』を見切っている。

いかに癖を把握しているとはいえ、伝達から行動に移るまでの時間を考慮すれば、相応の動体視力を養わなければ不可能だ。

 

(そこまで鍛えてるなんて……)

 

 

 

『───カメックス、『こうそくスピン』』

『なっ、速い……!! この出力はまさか『ハイドロカノン』!? 反動を恐れないとなるとここまで早くなるなんて!! 目で……目で追えない!?』

『なんだか最近気に入っちゃったみたいで……』

『くっ、先生もう一度お願いします。あれを目で追えるようになるまでは今日は眠れません……!!』

『うん、いいよ』

『おおお、右へ左へ……追いつけ、私の目───!! あ、これ明日目が筋肉痛になりそう』

『……目って筋肉痛になるの?』

 

 

 

(……きっと、凄く頑張ったんだろうなぁ……)

 

 トレーナーの目が進化したという形ではあるが、まあ事実だろう。

 

 ともあれ、特撮の大怪獣よろしくジェット噴射の高速移動で鍛えられたお陰か、コスモスの目はコウガの動きにも付いていけていた。

 ギョロギョロと右へ左へバタフライする眼球がホラーではあるが、それを除けば速さへの順応は完璧だ。

 

「っ……やるなァ!! ぼくとコウガの速さに追いつけるなんざ!!」

「それほどでもッ……!!」

「けど、そろそろ限界が近ェと見た。その集中力だっていつまでも続かねェだろ!!」

 

 汗水を垂らすキュウが吼える。

 『こころのめ』を終えるや彼が構えたのと連動し、コウガも巨大な水の手裏剣を振りかぶった。

 

「きみも大した根性見せてくれた……が、これで終いと行こォか!!」

「ッ……ゲッコウガ!!」

「遅ェ!!」

 

 『みずしゅりけん』と。

 叫び終えるよりも早く、流水の如き一閃がバトルコートを薙いだ。

 

 パァンと水が弾ける音が遅れて響く。

 

「ゲ、コォ……!?」

「ゲッコウガ、『かげぶんしん』!!」

「ォ、……ォォォオオオオオ!!」

 

 『みずしゅりけん』を食らいながらも、自分に活を入れるように吼えるゲッコウが無数の分身を展開する。

 一手遅れての巻き返しを図ろうとする策に見えるが、それを見たキュウとコウガはほくそ笑む。

 

「そうだよなァ。迂闊に近づけねェ以上、そうやって回避を続けるしかねェもんなァ……だがなァ!!」

 

 突如、それまで保たれていた距離の壁を飛び越えるようにコウガが踏み込む。

 瞬く間に分身の群れに肉迫したコウガ。本来なら無数のゲッコウの姿に翻弄されるところであるが、コウガの動きはそれ以上に機敏だった。

 

「もうゲッコウに『カウンター』でこっちを仕留めるだけの体力は残されちゃいねェ!! ならこっからはよォ、得意の肉弾戦で仕留めさせてもらう!!」

「ッ……!!」

「ひとォつ!! ふたァつ!!」

 

 振り抜かれる手刀───『つばめがえし』が次々に分身を撃ち抜いていく。

 そして、

 

「みィっつ!!」

 

───ズパァン!!

 

「ゲ、ガ……ッ!?」

「……手応えあり」

 

 コウガの、そして自身も振り抜いた拳に伝わる感触に、キュウは確信を得る。

 

 『命中』だ。

 間違いない、確かに当たった。

 

「ガ、ハァ……」

「ゲッコウガ!!」

 

 ゆっくりと拳が引き抜かれれば、支えを失ったゲッコウの体が前へと崩れ落ちる。コスモスの叫びが響いたのは程なくしての出来事であった。

 

 片や、キュウは拳に残った感触を改めて感じ取っていた。

 確かな『命中』、そして『勝利』。

 

「これァ……」

 

 

 

───それらがふっと霧散する感触を。

 

 

 

「これァ───『みがわり』!?!?!?」

 

 

 

 倒れるゲッコウの体が途端に透ける。

 それと同時に向かい側のコスモスの姿ははっきりと見えるようになった。

 

 すると少女は何を思ったのか、

 

 

 

「んべっ」

 

 

 

「ッ!!? こいつァ……!!!」

「ンゲッ!?」

「コウガ!?」

 

───してやられた。

 

 舌を出す少女は、それまでの狼狽する様が嘘だったかのような真顔だった。

 それが演技であり───そして指示であると気づいた時にはコウガの胴体を簀巻きのようにするピンク色の物体が巻き付けられていた。ゲッコウの舌だ。姿勢を低く、低く……それこそ地べたに這うような姿勢で待ち受けていたゲッコウは、虚を衝かれて慌てふためくコウガを睨み上げていた。

 

 武器でもあり移動手段でもある舌。それをわざわざ相手に巻き付けるという行為は、ゲッコウガにとって自殺手段に等しい。

 それでも実行した───その意味を成すことは、ただひとつ。

 

「まさか……ずっとこの瞬間を狙ってたってのかッ!?!?!?」

「当初より予定が随分狂いましたが」

 

 否定はせず、コスモスは指を鳴らす。

 

「……こういうのはタイミングが重要ですからね」

 

 ギュォン!! と捩れる光があった。

 ゲッコウの口腔で強烈な光が瞬いている。『ハイドロポンプ』や『れいとうビーム』ではない、もっと強烈で荒々しい光だ。

 

───コトンッ。

 

 その時不意に聞こえた何かが転がる音に、キュウの視線が地面の方へ向かう。

 ゲッコウの足下だった。そこにはタスキとは別物の、まるで植物の膨らんだ根っこのような物体があった。

 見間違いでなければあれは、

 

()()()()()だァ⁉)

 

 みずタイプの技を受けた時、特攻が上昇する道具だ。

 使いどころが限られる、という評価が適当であろう道具は勿論コウガの持ち物でない。

 

(となりゃあ、あれはゲッコウの……)

 

 持ち物がきあいのタスキでなかったとすると、今までの推測が覆される。

 

「……いや、違ェのか」

 

 『カウンター』を一度見せてしまったことを利用し、『かげぶんしん』を展開することで必中技を誘い『カウンター』を仕掛けようと考えていると圧力を掛けていることも。

 きあいのタスキを持っていると警戒させ、連続技であり単発なら威力の低い『みずしゅりけん』を引き出したことも。

 切羽詰まった演技で後がないと騙し、『こころのめ』を使い切った自身に『つばめがえし』を繰り出すよう仕向けたことも。

 

「全部計画通り、ってか……!!?」

 

 驚愕と戦慄に塗れるキュウの顔面を、暴力的なまでの光が照らし上げる。

 ゲッコウの口腔で瞬いていた光が、とうとう臨界点を迎えた瞬間だった。

 

 破壊の光芒が、動けぬコウガに殺到する。

 

 

 

「───『はかいこうせん』」

「ゲコォォォォオオオ!!!」

 

 

 

 咆哮と共に放たれた光芒は、悲鳴さえも焼き尽くした。

 技巧もへったくれもない暴力の波を叩きつけられること数秒、舌から解かれたコウガの体は宙を舞った。

 

「がっ……!!?」

 

 膝を突いたのはキュウだった。

 キズナ現象でコウガとシンクロする彼には、膨大なダメージがフィードバックされていた。

 

「こいつァ……耐えられねェか……」

「ゲ……」

「なァ……コウガ」

「コ───ッ」

 

 ドシャリと力なく地面に落下したコウガ。

 直後、その勇ましい変身は解かれることとなった。

 審判が顔を覗き込んでも、仰向けになったコウガはピクリとも動かない。

 間もなく審判が宣言するよりも前に、コウガの体を赤い光が包み込んだ。キュウが向けるボールから放たれたリターンレーザーだった。

 

「……一つ、訊いてもいいかィ?」

「なんでしょう?」

「ぼくがタスキを警戒して『みずしゅりけん』を選ぶのァ読めたとして……そっから先ァどうするつもりだったんでィ?」

 

 あくまで心理的圧力が通用するとするならそこまで。

 それ以降は戦略と言うにはあまりにもフィジカル頼みの立ち回りだった。トレーナーの声に合わせて攻撃を避け続けるなど、ロジカルな戦略を好むトレーナーからしてみれば卒倒もののガバガバ戦略なはず。

 

「あぁ、それは……」

 

 そこで、この合理主義を主張している少女はと言えば、

 

「予習して、学習して、練習して、実習して、演習して、教習して、復習して……やれるだけのことをやった先は───」

「やった先は?」

「根性です」

「……は、」

 

 答えを聞いた瞬間、キュウはへにゃりと頬を緩めた。

 

「はは、なんだァそりゃあ……」

「先生のお言葉を借りただけですが、なにか問題でも?」

「いーやッ」

 

 顔どころか全身脱力したキュウは地面に大の字に寝転ぶ。

 

「ねェよ……文句なんて一つも……」

 

 結局のところ、此度のジム戦の勝敗を分けた要因は一つ。

 

「ったく……大した根性だぜェ!!! なァ、ゲッコウ!!?」

「……ゲコ!」

 

 笑顔で負けを認める敗者(キュウ)に、勝者(ゲッコウ)もまた満面の笑みで以て笑い返す。

 

 欠片ほどの曇りもない、実に晴れやかな笑顔で。

 

「ははっ!」

「ゲコゲコ!」

 

 

 

 兄弟喧嘩───これにて決着。

 

 

 

 




Tips:(コスモスの)ゲッコウガ(NN:ゲッコウ)♂ 特性:へんげんじざい
 おやはキュウ→ウリ→コスモス。キュウ兄妹からは『ゲッコウ』と呼ばれているが、コスモスからは頑なに『ゲッコウガ』と呼ばれている。
 頑張り屋を越えた超頑張り屋な性格であり、他人に喧嘩を売ってでも自分を高めようとするストイックさを持ち合わせている。ただし、挑発が全力過ぎるあまり相手から怒りを買うことが多々ある。特に強い相手にはリベンジ目的に何度も挑発を繰り返し、その度に返り討ちに遭っている。
 元々のおやであったキュウ同様やることなす事0か100か全力投球な性格が祟り、ジム戦という縛られたバトル方式の中で手加減し過ぎてしまい連敗。結果、スランプに陥ってしまうこととなる。
 以降、キュウが師の助言を受けてウリに譲渡されるも、手綱を握り切れない彼女の下でバトル三昧の日々を送ることとなった。

 コスモスの手持ちとなってからはレッドとのトレーニングの他、技を見直され、ありったけのわざマシンや手持ちからの教え技を駆使して様々な技を覚えるようになった。
 それまでは攻撃技一辺倒だったレパートリーに変化技が加わることで戦い方の幅が広がり、絡め手という強い手札を得る。
 相手を徹底的に分析しメタを張るコスモスのバトルスタイルと『へんげんじざい』は相性が良い為、今後は手持ちの主戦力として期待される一体である。


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№046:アクアとマグマがバッチバチ

前回のあらすじ

Q.コスモスの身長が低いのは夜更かししてるからじゃないんですか?

A.コスモス「<●><●>」

レッド「……これが三徹したネイティオの目……」


 

 

 

───トゥルルル……ブツッ。

 

 

 

『……お前から掛けてくるとはな。明日は雨か?』

 

 取り繕ったように不機嫌な声がポケギアから聞こえてくる。

 

「久々だってのに随分な言い草じゃねェか」

『……さっさと要件を言え』

「ったく、せわしい野郎だぜ。……大方、こっちの事件は耳にしてるだろ?」

 

 一拍、考え込むような間があった。

 

『当然だ。一時はキサマがまたやらかしたかと頭を抱えたぞ』

「テメェがオレのことを言えるかよ」

『それは……それもそうだな』

「ハッ! 経緯はどうあれ身内を危険に晒されたんだ。テメェだって内心はらわた煮えくりかえってるんじゃねェか?」

『フンッ』

 

 おっさんのツンデレなんぞ今どき需要がないぞと言いたいところであるが、何にしても例外は居るものだ。たとえば熱心な女幹部だったりとか。

 

 それはさておき、

 

「……こいつは、同じ“敵”にやられたオマエにだからこそ頼めることだ。あるブツを解析してほしい。ポケモンを洗脳して兵器化しよーっつー胸糞悪い機械だ」

『なるほどな。それで科学分野に長けている我々にと』

「イズミをそっちに寄越す。詳細はアイツから聞いてくれ」

『まだやるとは言っていないが?』

「じゃあやらねェのか?」

『……ホムラには伝えておく。同じデボンコーポレーションだった仲だ、上手くやってくれるだろう』

「恩に着るぜ」

『……キサマに礼を言われるとはな。やはり明日は雨が降りそうだ』

 

 隙を見せたらすぐこの言い様だ。

 

「ったく、口を開けば嫌味が出てくる野郎だ。たまにはジメジメしたラボから出かけたらどうだ? 面白いものでも見つかるかもしれねえぜ」

『結構だ』

「つれねェな……オレなんかは事件に首突っ込んできた嬢ちゃんがやたらめったら強くてな。ゲッコウガが特に凄かったが、ルカリオも随分鍛えられてて───」

 

 今すぐにでも電話を切りたい雰囲気を醸し出していた相手方から『ム?』と怪訝な声が上がった。

 

『……今『嬢ちゃん』と言ったか? それもルカリオを連れた』

「あぁ? そうだが、それがどうした?」

『名は『コスモス・S(スペース)・ユニバース』か?』

「苗字までは知らねえが……なんだァ? 実は有名人だったりしたか」

『有名人も何も……フッ、我々は彼女のスポンサーだからな』

 

 思いもよらぬ事実だった。

 あぁん!? と辺り一帯にハイパーなボイスが轟いた。羽休めしていたキャモメが吃驚して大慌てで逃げていく。

 

「スポンサーって……そんな話ァ聞いてねえぞ!?」

『……フフフッ、そうかそうか。恐らくはキサマらの貧相な風体を見て遠慮してしまったんだろうな。だが、我々には正面から頼まれたのでな、快く引き受けてやったぞ』

「ぬ、ぬぐぐ……!? オイ、いくらだ⁉ いくら渡した!?」

『品のない言い方をするな。そんな言動だから彼女の目にも止まらんのだ』

 

 ハッハッハ、と勝ち誇ったような笑い声が次第に遠のいていく。

向こうは完全に通話を切る気が満々のようだ。

 

「おい、待てマツブサ!!」

『きっと彼女がリーグで活躍する頃には、マグマ団の名は地方全土に広がっていることだろう。お前は指をくわえて眺めていることだな、アオギリ。ブツッ、ツーツー……』

「アァ!? あの野郎切りやがった……!!」

 

 怒りに震えた手で『通話終了』の文字が浮かんでいる画面を睨みつける男───アオギリ。強面の顔にさらに青筋を浮かべて凶悪さを増す顔面は、さながらサメハダーの如き近寄り難さだった。

 

「マァ~ツゥ~ブゥ~サァ~!! アイツめ、最後の最後で嫌な煽りをしてきやがってェ……!!」

「リーダー、リーダー! アオギリのリーダー!」

「なんだァ!?」

「ひょお!? なんかご立腹っスか!?」

 

 タイミング悪くやってきたしたっぱが、アオギリの怖い顔の餌食に遭った。

 

「おっと、悪ィ悪ィ。あの陰険メガネと話してたもんでな」

「陰険メガネ……あぁ、もしかしてマグマ団のボスさんとスか?」

「それよりどうした? 慌てて来やがって」

 

 言われてからしたっぱは思い出したように口を開く。

 

「そうっした! コスモスちゃんのことスけど、無事ジム戦に勝ったみたいっスよ! 観戦に行ってたやつらが教えてくれたっス! なんだかスゲーバトルだったみたいで!」

「コスモスだァ……?」

「ど、どうしたんスか? そんな怖い顔して……」

「今すぐ案内しろ! オレぁあの嬢ちゃんに用事ができた!」

 

 グルリィンッ!!! と勢いよく踵を返すアオギリに、したっぱは流されるまま『ウ、ウス!』と彼の背中を追っていく。

 

 

 

「マツブサに負けちゃいられねェ!!! あの嬢ちゃんをチャンピオンにする立役者はオレ達アクア団だ!!!」

 

 

 

 やけに気合いが入っているが、どういう経緯かはとても訊き出せる様子ではなかった───後のしたっぱはそう語るのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「へぷちっ」

 

 かわいいくしゃみをがバトルコートに響く。

 誰かに噂でもされたかと勘繰るコスモスであるが、ジム戦に勝利した直後だと思い返し、すぐさま頭を切り替える。

 

 眼前には晴れやかな笑みを浮かべたキュウが佇んでいる。

 どちらかというと仏頂面なイメージが強かった彼だが、いざジムリーダーという重責から解き放たれれば、気のいい好青年だったということだろう。

 

 そんな彼は今、手に握っているものがあった。

 

「よくやった、挑戦者(チャレンジャー)。ここにきみとポケモンの強さと絆を讃え、ぼくに勝った証……『ストリームバッジ』を渡す!!!」

 

 激しい荒波をイメージしたバッジを受け取る。

 それは鮮やかな青色に彩られている一方、光に当てれば白波の部分が眩い輝きを放つよう作られていた。

 

「ありがとうございます」

 

 これでジムバッジは四つ。

 バッジケースに残る空白もちょうど半分。

 

「これで折り返し地点だな。いいペースじゃあねェか?」

「前半で躓いている暇はありませんから」

「言うねェ。まァ、そんぐらい強気に行った方が案外上手く行くのかもなァ」

 

 事実、全力のジムリーダーにも勝ってみせた。

 

「きみの強さはぼくが保証してやる。今度ァリーグで戦えんのを楽しみにしてるぜ」

「こちらこそ。チームで戦うとなると、中々に骨が折れそうな相手ではありますがね」

「ケッ、言ってくれるじゃあねェか」

 

 生意気な物言いには、キュウも砕けた雰囲気で言い返してみせる。

 というのも、コスモスが口述した通り、今回のジム戦でキュウが本領を発揮できたかと言えばそうではない。

 ポケモンバトルは手持ちのチーム戦。彼の場合で言えば、ニョロトノの特性で雨を降らしたり、他のポケモンでサポートをしたりなど、エースであるコウガを後押しする方法はいくらでもあっただろう。

 

(チーム戦じゃ押し負けそうだから1対1を選んだ訳ですが……結局のところギリギリでしたね)

 

 それがポケモンバトルというもの。

 コスモスはこの一戦で得た経験を胸に刻み、今一度キュウと握手を交わす。

 

 その傍らでは、

 

「コウガ……」

「ゲッコウ……」

 

 見つめ合う2体のゲッコウガ。

 ゲッコウとコウガは、互いに何か言いたげな様子を醸し出していた。

 しかし、長考の末にコウガが手を差し出した。余計な言葉など発せず、ただただ真っすぐな視線を兄弟へと送り、握手を求める。ただしそれは兄弟に対するものではない。

 

「ゲコッ」

「コウガ……」

 

 兄弟ではなく、好敵手として。

 初めて真正面から全力でぶつかり合った相手に対する最大の賛辞として、コウガは擦り傷だらけの己の手を差し出していたのだ。

 これを理解したゲッコウは感極まったように上を向く。目頭は沸騰したように熱い。気を抜けば今すぐにでも色んな液体が流れて来そうであったが、何とか寸前でグッと耐え忍ぶ。

 

「ゲコッ!」

 

 そうしてゲッコウも手を差し出し、固い固い握手が交わされた。

 

 この光景を眺めていたキュウは、優しい眼差しを2体へ送る。

 小さい時から育ててきた兄弟同然の相棒。彼らが互いを好敵手と認めることは、すなわち、別れを意味することでもあり───。

 

「ゲッコウ……」

「ウゲ?」

「アンタ……ホンッッットに頑張ったなァ!!!」

 

 いつのまにやら観客席から降りていたウリがゲッコウを抱きしめる。

 

「こんな傷だらけになってッ……やっぱアンタは凄いよっ!!! 流石だ!!!」

「ゲ、ゲコォ……」

 

 真正面から褒められ、ゲッコウは頬を染めて照れる。

 

「これで思い残すこたァない。ウチァ、胸を張ってアンタを送りだせる!!!」

「……ゲコ?」

「だってそうだろ?」

 

 元々そういう約束だ。

 ウリは目だけを動かし、コスモスの方を見遣る。

 

「アンタの『おや』はこれからコスモスさんだ。しっかり頑張ってきな。応援してるよ」

「ゲ、ゲコォ……」

「なぁにウダウダしてんだッ!!! 『おや』がウチじゃあ宝の持ち腐れだろ。……アンタにはアンタに相応しい場所があるだろ」

 

 ドンッ、と。

 抱きしめていたゲッコウを放すや、ウリはその背中を押し飛ばした。

 

「行ってこい。アンタは未来のチャンピオンのパートナーだ」

「ゲ……!?」

「……小さい頃から家族みたいに一緒だったけどさ、こうして一時でもアンタの『おや』になれたこと、誇りに思うよ。でもアンタの『おや』はもう───」

 

 

 

「───それは違います」

 

 

 

「「!」」

 

 震えた声で紡ごうとしていた言葉を遮ったのはコスモスであった。

 相も変わらず感情を読み取れない表情であるが、その声色はどこか優しく慰めるように穏やかであった。

 

「別に私の手持ちになったからってウリさんが『おや』だった過去は消えません。一時だったとしても……それでもゲッコウガの、ゲッコウの『おや』はウリさんです」

「コスモス、さん……」

「この子の『おや』は3人。キュウさん、ウリさん、そして私。3人分の愛情やら何やらが詰まっていて、今のこの子の強さは成り立ってます」

「っ……!」

「だから、『自分が『おや』じゃなくなった』なんて言わないであげてください」

 

───折角なら温かく送り届けてください。

 

 淡々と言い放つ少女に、ウリの頬は次第に赤くなる。

 しかし、それはけして羞恥から来るものではなかった。みるみるうちに耳や鼻っ面も赤くなる。それどころか顔全体がイシツブテの如くしわくちゃになったかと思えば、トージョウのたきもビックリの涙がドバドバと溢れ始めた。

 

「う、うぅ~~……ゲッコォ~~~……!!!」

「ゲ、ゲコ……!?」

「ぶっちゃけ……ぶっちゃけ寂じい゛よ゛ぉ゛~~~!!!」

 

 ここまで来たら恥も外聞もなくウリは大声で泣き喚く。

 

「今だから言うけどッ、ウチ、アンタを兄貴から貰って嬉しかったんだッ……!!! これで一人前のトレーナーだとか、このままチャンピオンにでもなれちゃうんじゃとか、期待で胸がいっぱいになってざ……!!!」

 

 鼻水を垂れ流しながら抱き着くも、ゲッコウは嫌がった様子を見せない。

 それどころか、大泣きする少女の姿が何かに触れたのか、じわじわと目尻には大粒の涙が浮かぶ。当然、視界は涙で歪む。

 すると不思議なことが起こった。歪んだ視界に何かが映し出されていくではないか。

 

 

───これは、きっと……。

 

 

 

『よォーし!!! 今日からウチがアンタのトレーナーだ、よろしくなァ!!!』

『最初っから兄貴みたいにゃ行かないだろうけどさ……2人で頑張ろうなっ!!!』

 

 

『コラぁー!!! 何してんだゲッコウ!!! またひと様に迷惑かけてェ~……!!!』

『はぁ~……ほら、謝りに行くぞ』

 

 

『……なに素っ頓狂な面してんのさ。迷惑掛けたら謝るのは当然だろ』

『ウチはアンタのトレーナーなんだ。アンタの責任はウチの責任だッ!!!』

 

 

『……まるでダメなトレーナーかもしれないけどさ、そのぐらいはしなくっちゃな』

『アンタの強さはよく知ってる。だから、それまででもいいからさ……アンタの『おや』で居させてほしいんだよ』

 

 

───な? ゲッコウ……。

 

 確かに彼女はトレーナーとしては半人前だったかもしれない。

 だが、半人前なりに努力していた。半ば自暴自棄になり喧嘩を売り続け、その度に迷惑を掛けていた自分を見捨てず、根気よく傍に寄り添い続けてくれた。

 もしも彼女が途中で諦め、自分を見捨てていたと思うと───だが、結局最後まで彼女はそうしなかった。自身の手に負えないと自覚した上で、最善を尽くそうとしてくれていた。

 

 その姿がどれだけ嬉しく、

 その姿がどれだけ温かく、

 その姿にどれだけ勇気づけられたことか。

 

 それを思うだけで、ゲッコウは易々と我慢の限界を迎えてしまった。

 

「ゲ、コ……ゲコォ……!!!」

「うぁあぁんあんあんあん……!!!」

「グワァグワッグワッ……!!!」

「うあああああんあん……!!!」

「グワアアアアアアアアアア……!!!」

「うあああああああああああ……!!!」

 

 堰を切ったように涙を流すゲッコウもまたウリを抱きしめ、室内に大反響する泣き声を上げる。

 そんな2人の時間を邪魔する者はなく、コスモスでさえ『仕方ないですね』と泣き終えるまで待つことにした。

 

「?」

 

 すると、不意に少女の肩に何者かの手が置かれた。

 

「先生?」

「……」

「……はい、分かりました」

 

 レッドもまた観客席から下りてきた後、口を結んだまま沈黙を貫いていた。

 これは彼も静かに待つべきと訴えているのだろう。

 そう受け取ったコスモスは眼前の光景を、終わるまでいつまでもいつまでも待ち続けていた。

 

───ブルルルルルッ。

 

(……マナーモード?)

 

 その間、小刻みに揺れ続けるレッドの振動にクエスチョンマークを浮かべていたが、それが今にも貰い泣きしそうな師の我慢の表れであるとは終ぞ気づけなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 場所を変えエントランスに来た一同。

 

「大変長らくお待たせいたしました……」

「かしこまり方が司会者のそれですね」

 

 深々と頭を下げるウリにコスモスがツッコむ。

 しかし、尚も謝罪の姿勢を崩さない少女はそれは至極、大変、と~~~っても申し訳なさそうな声色で続ける。

 

「いや……だって、一時間ぐらい待たせちゃったし」

「そうですね。私としてはそちらが枯死しないか冷や冷やしましたが」

 

───人って一時間泣けるものなんですね。

 

 こうしてコスモスは新たな知識を得た。

 

「まあ、ゲッコウガの方は枯れたみたいですが」

「食卓から零れ落ちて忘れ去られた切り干し大根みてェでィ」

「ケッ……コッ……」

 

「おいしいみず飲む?」

 

 キュウが辛辣な比喩を用いる程度にはミイラになっているゲッコウに、レッドによる給水が入る。

『リュックに入れてたらそれ3分の1ぐらいスペース占めるんじゃねぇの?』サイズのおいしいみずが、惜しげもなくゲッコウの口の中へ注ぎ込まれる。

 

 すると、あ~ら不思議!

 あんなにカラカラだった体表があっという間に瑞々しく……!

 

「コウガッ!!!」

「よし、復活」

 

「乾燥わかめみたいですね」

 

 これからの手持ちに容赦のない比喩が突き刺さる。

 すぐさまゲッコウも主に向かってガンを飛ばすも、これで狼狽えるようでは彼のトレーナーは務まらない。三徹したネイティオのような眼力で見つめ返せば、大抵数十秒後には相手の方から目を逸らす。

 

「(改めてなんだが、本当にあれで上手くやってけんのかィ?)」

「(心配し過ぎだって。喧嘩するほど仲が良いって言うだろ?)」

「(眼球カッサカサになるまでメンチ切るのァまた別の話じゃねェか?)」

 

 閑話休題(それはともかくゴルダック)

 

「コスモスさん! ホントにお世話になったね! 恩に切るよ!」

「そんなかしこまらなくったって構いませんよ。また連絡します」

「うん! 次に行くならツナミタウン? 近いもんな!」

「私もそのつもりですね」

 

 カチョウタウンから南。

 ホウジョウ地方とセトー地方を繋ぐ橋の一つ『虹色橋』を渡れば、次なるジムが待ち構えている町まであっという間だ。

 

「ツナミジムはくさタイプだったっけか……でも、コスモスさんなら大丈夫だろ! めちゃくちゃ頑張ってるし、次だって勝てるさ!」

「当然です。まあ、今日のところはジム戦したばかりなので出発は後日にしようかと考えていますが───」

「あっ、そうだ! ちなみにツナミジムはお洒落なダイニングバー? みたいなお店でさ! 出てくる料理がおいしかったんだよなァ……」

 

 カチョウジムとは違った雰囲気だなぁと感想を抱いたところで、ウリの口から耳寄りな情報が飛び込んで来た。

 

「特にきのみとか使ったジュースが凝ってて!」

「ジュース」

「あとさ、スイーツも出てくるんだよ! あれも甘くて美味しかったなァ……」

「スイーツ」

 

 ジュースやらスイーツといった単語を耳にした瞬間、コスモスの脳味噌が活発に動き始める。この少女、甘い物には目がないのだ。ズバットぐらい目がない。

 甘露な響きを聞いた途端、頭蓋の中では脳汁が溢れるやら、口の中では唾液が溢れるやら大洪水だ。

 

「なるほど……まあ、私には関係ないことですがジム戦の前に自分の目で実物を見てみたいことですしね。用意ができ次第すぐにでも出発しようかと思います」

「え? 今出発は後日って言わなかったっけ?」

「聞き間違いでしょう膳は急げとも言います名残惜しいですがまた会えるのを心より楽しみにしています」

「心より楽しみにしているにしては早口じゃないかっ!? 倍速音声ぐらい早かったよ!?」

 

 

 

「あ~……ちっと言いにくいんだがなァ」

 

 

 

 今すぐにでも出発しそうなコスモスをウリが抑える中、苦笑を浮かべるキュウが口を開いた。

 

「今な、虹色橋に交通規制が掛かっててんだ。しばらくは渡れねえぞ」

「え」

「何でもポケモンが暴れたとかなんとかでな。橋が一部崩落してるみたいなんでィ。結構な大事にもなってるみてェで、今もジュンサーさん達が現場で色々やってんだ」

 

 少なくとも二、三日で通れるようにはならないらしいとのこと。

 その情報を聞き終えるや否や、コスモスは無表情のまま膝を折り、大地に頭を垂れた。

 

「私が一体何をしたッッッ」

 

「お、おぉお、そこまで落ち込むか……」

 

 西の橋でも渡れず仕舞い。

 この少女、橋に関して呪いにでも掛かっている可能性が否めない。

 

 全員が憐みの視線を送る中、常時無表情のレッドが何かを思いついたように一歩前へ出た。

 

「おれがポケモンに乗せて行くよ」

「せ、先生……」

「海なり空なり、好きな方を選んで」

 

「いや、海も空も交通規制が掛かってんだって」

 

 ガクッ。

 

 ザッ。

 

「レッドよ、こういうものには使い時があるのじゃ」

 

「自分で自分に言うセリフかィ?」

 

 事が事である為、海路も空路も規制が掛かるのはよくある。

 ポケモンに乗って移動すればいいじゃない! とお姫様が言っても、そうは御上が許さない。

 絶望に打ちひしがれる師弟。

 そんな彼らを見かねたキュウは助け舟を出す。

 

「旦那達が構わねェならイリエシティにでも立ち寄ったらどうだ?」

「イリエシティ……とは?」

「リーグがある町のことですね」

 

 首を傾げるレッドに対し、コスモスが補足を入れる。

 

「ホウジョウ地方……それどころかセトー地方を含めた二つの地方の中でも最大級の都市です。それを踏まえてポケモンリーグが設立されていますし、なんならコンテストとか色んな施設が揃っています」

「へぇ」

「とりあえずホウジョウ地方へ観光に来るならここ、といった町ですね」

 

 一頻り補足を入れ終えたところで、再びキュウが口を開く。

 

「時間を潰すにゃちょうどいい。それに交通規制が終わりゃ、あそこから出てる船の定期便でツナミに直行できるしな」

「確かに足には困らなさそうですね」

「それに」

 

 好青年からジムリーダー───否。

 一人のポケモントレーナーへと表情を変えたキュウが、不敵な笑みを湛えてこう告げた。

 

「一度ァ自分の立つ大舞台……その目で見んのも悪かねェだろ?」

「……なるほど」

「イベントでもやってりゃ中にゃ入れる。今の時期ァ……あー、悪ィ。何やってるかまでは覚えてねェが、運が良けりゃ立ち入れるかもな」

「ありがとうございます」

 

 情報をくれたキュウに礼を伝えながら、コスモスはレッドの方を向いた。

 

「それでは次はイリエシティに向かう、ということでよろしいでしょうか?」

「うん。おれはいいよ」

「出発も明日以降で良さそうですね」

「それならさッ! 今日は送迎会ってことでごちそう作るよ!」

「いいんですか?」

「いいもなにも、『おや』としてゲッコウをお見送りしなくちゃだしな!」

 

 吹っ切れたように晴れやかな笑顔を浮かべるウリは、『腕によりをかけるよ!』と胸を張る。

 

「それじゃあ今日のところはゆっくり休息を───」

『おーい!!』

「うん……?」

 

 帰途につこうとした、まさにその瞬間だった。

 遠方より聞こえてくる声に振り返れば、何やら見たことのあるダイバースーツを着た偉丈夫が走ってくるのが見える。

 

「アオギリさんですね」

「用事でもあるのかな」

「さあ?」

 

「いよぉし、間に合ったな嬢ちゃん!!!」

 

 あれだけの全力疾走を息切れせずにやってきたアオギリは、コスモスの眼前に立つや、にかりと白い歯を覗かせる。これでもまだ泣く子がもっと泣き喚く凶悪スマイルになるというのだから、世の中は理不尽だ。

 

 それはさておき、

 

「そんなに急いでどうされたんですか?」

「なに、ちょっとした野暮用よ」

「じゃあ私は失礼した方が良さそうですね」

「重要な用事だ! それも嬢ちゃんにだ!」

「私に?」

 

 無表情でこそあるがひしひしと溢れ出る面倒臭いオーラは、機微に敏い人間には誤魔化せない。

 アオギリも大勢の上に立つ人間だ、人を見る目はある。コスモスの反応がよろしくないと理解した上で、早速と言わんばかりに本題に移った。

 

「嬢ちゃん、なんでもマグマ団の奴等がスポンサーになってるってな」

「? どうしてそのことを」

「経緯はどうだっていい。そこでだ……オレらも一つ噛ませちゃくれねェか?」

「……ほぅ」

 

 コスモスの目の色が変わった。

 そしてアオギリもまた、ここぞと言わんばかりに畳みかける。

 

「こいつは投資って奴だ。そうだな……マグマ団より色を付けるのも吝かじゃねえ。そこでだ!」

 

 途端に声量を押さえたアオギリがコスモスに耳打ちを始める。

 

「(正直な話、いくらぐらい貰ってるんだ?)」

「(そうですね……ごにょごにょ……ぐらいですかね)」

「(なんだとッ!? アイツらそんなに出してやがるのか……!?)」

「(これでも企業がバックに居る身の上ですので。まあこういうのは気持ちですから、金額なんてさほど問題ではありませんよ。お名前を貸していただけるだけでもこちらとしてはありがたい限りです、ええ)」

「(ぐぬぬ……いや、男に二言はねえ。だったら……ぐらいでどうだ?)」

「(……実のところ、お世話になっている施設に仕送りなどもしているので苦しかったり……)」

「(ぬ、ぬぬぬ……!? ……わ、分かった。じゃあ……だ!)」

「(……ありがとうございます)」

 

 商談成立。

 他人には大っぴらに明かせない話が終わるや否や、コスモスはホクホクとした顔でレッド達の話の輪に戻ってきた。

 

「お待たせいたしました」

「話済んだの?」

「はい。なんでもトレーナーとしての資金援助をしてくださるとかで」

「……そっか」

 

 本当に。

 本当に極僅かではあったが、少女の口角が吊り上がっていることに気づいたレッドはこう思う。

 

(……よっぽどたくさんお金貰えるのかな?)

 

───そりゃあまあ、ふっかけましたもの。

 

 答え合わせはないまま、真相は闇の中へ沈む。

 後に秘密裏にアクア団のスポンサー料を調べ上げたマグマ団が、対抗意識を燃やし値段を吊り上げ、今度はアクア団が……というオタチごっこを繰り返し、少女がウハウハな想いをするのはまた別の話。

 

 

 

 ***

 

 

 

 夕空が赤く燃えている。

 地平線まで燃える赤に、照らされている頬もまるで照っているかのように紅潮している

 だが、青年の頬が赤く染まっている理由は、単に空の色を反射しているからではない。内より湧き上がる熱情に従っていたからとでも言おうか。

 

「ふぅー……っとォ」

 

 全身の隅々まで行き渡る疲労感に逆らわず後ろから倒れ込めば、砂浜の冷たい感触が一気に背中全体に広がった。

 自主トレーニングで火照った身体には何とも心地よい清涼感だ。

 しかし、青年───キュウは未だに胸の内に渦巻くものを取り除けぬままでいた。

 

(なんだァ、この胸のざわめきは)

 

 一時は久方ぶりの敗北に思うところがあったのかと考えはしたが、勝負事には熱くなり易い反面、敗北をいつまでも引き摺る性質でもなかった。

 

(となりゃあ、こいつァ一体……?)

 

「───ラプラス、『こおりのつぶて』!」

「!? ───コウガァ!!」

「ゲコッ!!」

 

 突如として聞こえてきた攻撃指令。

 キュウと彼の隣に寝転がっていたコウガが飛び起きれば、技を指示せずとも繰り出された『みずしゅりけん』が飛来する小さな氷塊を撃ち落とす。

 

「誰だッ!?」

「ぐわはっはっ!! ジムで挑戦者に負けたと聞いてしょぼくれてると思ったが、心配はなさそうだの」

「しッ……!?」

 

 キュウが下手人を目にした瞬間、敵対心に満ちていた表情は一変、驚愕一色に染まった。

 彼に攻撃をしたラプラスには老爺が乗っていた。日に焼けた小麦色の肌に、豊かに蓄えた白髪の髭。それだけを見れば健康的な老人にしか見えないが、両肩に入れられた藍色の刺青が得も言われぬ厳格さを漂わせている。

 

 キュウは彼を知っていた。

 何を隠そう、彼こそがコスモスにとってのレッドのような存在───。

 

「師匠ォ⁉」

「久しいな、キュウ。直接会うのは一年ぶりか」

「直接って……施設はどうしてきたんだァ⁉」

「施設? 馬鹿言え!! まだまだ施設の世話になるほど耄碌しとらんわい!!」

「いや、そっちの施設じゃなくってよォ……!!」

 

 実にツッコみ辛いボケだった。

 仮に乗っかったとして、後でどのような仕返しが来るか分かったものではないだろう。

 

 そんなこんなで普段の居住まいからは想像もできないような狼狽えぶりを披露するキュウに、茶目っ気を見せた老爺は今一度高らかに笑い声を上げる。

 

「冗談冗談!! バトルパレスなら任せてきたわ。お前と違って信頼に足る人間にな」

「ッ……!」

「キュウよ、これを機に人に頼ることを覚えたらいい。責任とは何も自分で全てをこなさなければならんという意味ではない。信頼に値する人間を育てる、そして任せる……これもまた責任だ。いいな?」

「……わァってるよ」

「ぐわはっはっ!! 分かっておるつもりだったのだろう。だから挑戦者に足元を掬われたんだろうに」

 

 そこまで言われたところで、キュウはチーゴのみを嚙み潰したような表情へと変わる。痛いところを突かれたのは明白だった。

 ここまで彼に物言えるのは広い世界でも有数。

 中でも師匠の───そして、ホウエン地方ではパレスガーディアンを務める───ウコンぐらいしか、ズケズケと言うことは許されないだろう。

 

 再会してすぐ有難~い説教を受けて辟易した様子の弟子、その隣にウコンは腰を下ろす。

 つられてキュウも腰を下ろせば、怪訝そうに彼は問いかける。

 

「んで? わざわざ隣の地方まで説教しに来たってワケかよ?」

「久しぶりにお前の顔を拝みに来たのは真実だ。だが用事はそれだけではない」

 

 夕焼けを拝むウコンに、一拍置いたキュウが心当たりがあると口火を切った。

 

「……虹色橋の件か」

「然り」

 

 先日崩落したばかりの橋。

 それに師が言及したのを皮切りに、キュウは自身が抱いていた違和感をつらつらと口にし始めた。

 

「橋が崩落したからって海と空、両方の道が封鎖されるなんざ普通はねェ」

「そうだ。お前も未熟とは言えジムリーダーの一人。何も聞いとらんはずはないだろう?」

 

 あァ、とキュウは首肯する。

 

「橋は自然に崩れたんじゃねェ。()()()()()()()()、ってのが御上の見立てだ」

「やはりか」

「やはりって……師匠は何か知ってんのかァ?」

「なに。ちとわしの肩が疼いただけよ」

 

 そう言ってウコンは自身の刺青をなぞった。

 知らぬ人間にはただの紋様にしか見えぬが、一部の人間───特に、ある超古代ポケモンを目にした者からすれば大きな意味を持つ。

 だからこそ、聞きかじりではあるがその意味を知っているキュウは大きく瞳を見開いた。

 

「肩って……カイオーガの件は終わったんじゃねェのか!?」

「そうだ。ホウエンを襲った未曽有の大災害は、勇気ある少年と少女の手によって鎮められた」

「だろう!?」

「だが、今回はまたそれとは別」

 

 一拍置き、夕暮れの方を向いていたウコンの瞳孔が弟子の方を向く。

 

「キュウよ、ホウジョウの地のこんな言い伝えは知っているか? ありとあらゆる───八百万の神々が、一年に一度、このホウジョウの地に集うという伝承だ」

「知ってるも何も、『カミアリの月』のことだろォ? ここいらの人間にゃ耳にたこができるほど聞かされる伝承だ」

 

 先の説教とは違った意味で辟易した様子で首を傾げるキュウ。

 ウコンが何を言わんとしているのか、その意図を図りかねていた。

 

 しかし、ウコンは努めて神妙な面持ちを崩さずに言葉を口にした。

 

「───もしも、もしもだ。その伝説が嘘偽りのないものだったとしたら、お前はどう思う?」

「どうって……スゲェなって───……まさか!?」

「そのまさかだ」

 

 淡々と、だが重みのある声でウコンは続ける。

 

「集いし神々のポケモンを手中に収めんとする悪意が今、このホウジョウ……いや、セトーをも巻き込み蠢動している」

「……根拠は?」

 

 必要なのは情報の精査だ。いかに師の口から出た情報とは言え、町をも守るジムリーダーとして出所が曖昧なものを考えなしに信じる訳にはいかない。

 そんな思いを目で訴える弟子を前にしたウコンは、蓄えた白髭を撫でながら満足そうに頷く。

 

「……ところでキュウよ、『蒼海(うみ)の王子』という言葉は聞いたことがあるか?」

「蒼海の王子ィ? いや……」

「どんなポケモンとでも心を通い合わせる力を持ち、海を住処とするポケモンを連れ従わせる姿から『海の王冠』とも呼ばれるポケモンでな」

「……マナフィか!」

 

 分類は『かいゆうポケモン』。

 冷たい海の底で生まれ、広い海を泳ぎまわっては、自分の生まれた海へ戻るとされる幻のポケモンである。

 生まれた瞬間から他者と心を通い合わせる能力を持ち、一説には海を広げたとされる超古代ポケモン・カイオーガとも心を通い合わせられた伝承さえある。

 

 しかし、幻と称されるだけあり目撃情報は極僅か。数少ない伝承も主にシンオウ地方に集中しているポケモンであり、一見ホウジョウ地方には関係ないと思われるポケモンだが───。

 

「なんでも聞くところによればカチョウとツナミを繋ぐ虹色橋近辺で、度々マナフィの目撃情報があったようでな……」

「待ってくれ、師匠! マナフィの目撃情報だって? ぼくも長いことカチョウに住んじゃあいるが、んな噂聞いたことなんざねェ!」

 

 地元民でも知らない目撃情報なぞ、信憑性に欠ける。

 しかしながら、師の言葉を頭ごなしに一蹴する訳にもいかず、キュウはウコンに詰め寄った、まさにその瞬間だ。

 

「カイキョウだ」

「!? カイキョウっつったら……」

「ああ……───『狭間の地』だ」

 

 地図で言えば、カチョウタウンの南東。ツナミタウンから見て北東。

 陸路はなく、海路しか存在しない孤立した島は、かつてどの地にも根付けなかった者達が集まって作られた集落とされる。

 そうした経緯から昨今に至るまでどことなく排他的な空気が抜けず、閉鎖的と周知されていた場所だが……。

 

「少なからず余所との交流が増えた今だからこそだろう。そこにだけ言い伝えられていた伝承を耳にした輩が、マナフィを捕えようと動き出した」

「それが虹色橋の崩落に繋がった、って……ちと飛躍し過ぎじゃあねェか?」

「お前の言うことも一理ある。だが、行き過ぎた飛躍と吐き捨てるにはここ最近色々と起き過ぎた」

「……ロケット団か」

 

 記憶に新しいロケット団のコイノクチ湿原での悪事。

 野生のポケモンを根こそぎ捕獲し、兵器として利用しようとした奴等の企みは今思い返しても腸が煮えくり返ると。

 そう言わんばかりに歯を食いしばるキュウに、ウコンが言葉を続けた。

 

「わしも探りを入れる。なにせカイキョウは『時と空に忘れ去られた地』とも称される場所……我々も知らん伝承がいくつ転がっていてもおかしくはない。それを求めようとする人間についても、な」

「……任せていいのか?」

「他人に頼れと言ったばかりだろう。師匠にぐらい素直に頼れ!」

 

 呵々大笑いするウコンがキュウの背中をバンバンと叩く。老人とは思えないパワーだ。叩かれるキュウの口から空気と共にうめき声が漏れる。

 

「……任せた師匠。ぼくぁ中々カチョウ(ここ)から離れられないからよォ」

「いい、いい。誰にも根を下ろし、自分を育むに相応しい地とはあるものだ。お前にとってはここがそうなだけで、離れづらいのも道理だろう」

「……恩に着る!」

「今更お前に着せる恩が一つや二つ増えたところで変わらんわい!」

 

 ぐわはっはっ、と。

 沈み始めていた夕日が半分ほど隠れたところで、ウコンは腰を上げる。

 

「さて……そろそろ宿に泊まるとするか。お前はこれから夕餉なのだろう?」

「そうだけどよォ。なんだ? 師匠は一緒に食ってかねェのか?」

「先客が居るんだろう? いきなり知らんジジイが来たら困るに決まっとるわい!」

 

 『それにまだ用事もあるでな』とウコンは背を向け歩き始める。

 

「達者でな。お前の元気な顔を見れて満足だわい」

「師匠……そちらこそお達者で!」

 

 深々と頭を下げる弟子に対し、師はフランクに手を上げるだけで去っていく。

 そうしてウコンの背中が見えなくなった頃、ようやくキュウは頭を上げた。夕日はすっかり沈み切っていた。ウリに遅れるかもとは伝えていたから、今頃先に送別会が始まっているかもしれない。

 

「そろそろ帰るか……なァ? コウガ」

「ゲコッ」

 

 なにせ兄弟の新たなる門出だ、顔を出さない訳にもいくまい。

 そう思い一歩踏み出そうとした、その瞬間だった。

 

「……いや、待てよ」

「ゲコッ?」

「そんなはずは……だが……」

 

 ブツブツと独り言を呟き始める主に、コウガが怪訝な声を上げる。

 

「ゲコッ!」

「っと!? 悪ィ、ちと考え事をしちまってな……」

「ゲコ?」

「なんでもねェ、ただの邪推さ。さっさと帰ってメシにしようぜ」

 

 そう自分に言い聞かせ、キュウはそそくさと歩を進める。

 コウガも納得はしていない様子だったが、深い詮索は野暮とでも考えたのだろう。瞼を閉じ、もう一度刮目した時には黙って主の背中に付き従っていた。

 

(悪ィな、コウガ。だが、変な邪推口走って心配させるのもあれだしよ)

 

 この不安に明確な根拠はない。

 単なる偶然と言い切ってしまった方がずっと楽には違いない、にも関わらず、心のどこかでそれを良しとしない自分が居るのをキュウは否定できなかった。

 

(『カミアリの月』がリーグ大会と被ってるからってよォ……心配し過ぎだぜ、ったく)

 

 神々が集う月とリーグ本戦の日。

 その両方が重なるなど単なる偶然に過ぎない。

 たとえ重なったところで何の意味を持つのかなど、その事実に気づいたキュウでさえ思い至らなかった。

 

 

 

───その日に至るまでは。

 

 

 

 




Tips:カミアリの月
 ホウジョウ地方に言い伝えられる伝承であり、ありとあらゆる地方に散らばる神と呼ばれるポケモン達が年に一度ホウジョウの地に集うとされている。
 神と呼ばれるポケモンは定義があいまいだが、少なくとも火の神と呼ばれるファイヤー、氷の神と呼ばれるフリーザー、雷の神と呼ばれるサンダー、そして海の神と呼ばれるルギアが集うとされていることは確認されている。
 また、カイキョウタウンにのみ虹色橋周辺に『蒼海の王子』『海の王冠』と呼ばれるマナフィが出現するのも確認されており、何かしら強大な力を持ったポケモンがホウジョウの地周辺に現れること自体には信憑性が高いと考えられる。


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5:親しき仲にも小判輝く悪の星
№047:ファッションは人を表す


前回のあらすじ

レッド「フルネームそんな名前だったんだね」

コスモス・S(スペース)・ユニバース「小宇宙(コスモ)を感じる名前ってよく言われます」


 

───その別れは突然訪れた。

 

「先生……私はもう……ダメです」

「コスモス、もうちょっとだから……!」

 

 崩れ落ちる弟子。

 それに駆け寄る師の顔は、この上ないほど切迫したものであった。

 

 ああ、どうして現実はこうも非情であるのだろう。

 理不尽な別れを前に震える少女は、自分の足下に視線を落とす。

 どうか夢であってほしいと。一縷の望みを託して瞼を開いた。

 

 しかし、やはり現実は変わらなかった。

 

「……ご臨終です」

 

 少女は、改めて自分の靴を目の当たりにするや、そう呟いた。

 ソールとアッパーの境目がぱっくりと裂け、エサを求めて口を開くコイキングのような有様だった。

 恐らくはコイノクチ湿原の折、水を吸った重い泥の中を走り回ったことが決定打だったのだろう。長年蓄積したダメージが相まり、遂にトドメを刺されてしまった。

 

「……」

 

 てと。

 

 ブビィ!

 

「ん゛ッ」

 

 試しに一歩踏み出したコスモス。

 刹那、喪に服したベビーシューズのような音が鳴り響いた。それにしても汚ぇ断末魔であった。横でそれを聞いていたレッドは腹を抱えて小刻みに震え始めてしまう。

 

「ふっ……ぐっ……」

「……」

 

 ブビィ! ブビィ!

 

「んぐっ、ふっ」

 

 ブビィ! ブゥバァ!

 

「あぐっ、ん゛ッ、ひっ」

 

 ブゥバァン!

 

「んふふふふふふッ」

 

 歩く度に進化していくサウンドに、とうとうレッドが崩れ落ちた。

 ───そんなに面白いのだろうか? やや理解できぬまま足音を鳴らし回したコスモスであったが、師がかつてないほど爆笑している姿に得も言われぬ喜びを覚えていた。

 

「それはさておき……新しい靴が必要になりましたね。これでは歩くのも一苦労です」

「そ、それもそうだね」

「さて、それでは次の町に向かいましょう」

 

 ブビィ! ブビィ!

 

「んふっふ」

 

 ブゥバァン!

 

「ぶっふぉ」

 

 まだまだ道程は長そうだ。

 ここはカチョウタウンとイリエシティを繋ぐ道路。今までの道と違いやけに舗装が整っているのも、これから向かう行き先が影響しているからであろう。

 

 今まさに2人はホウジョウ地方最大の都市へ向かっている最中。

 目的地はイリエシティ。『人の波を受け入れる 地方の入り江』と紹介される、まさに人と物の流れの中心地であった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「すみません、先生。わざわざ私をおぶっていただいてもらって」

「ううん、気にしないで……んふっ」

 

 思い出し笑いが止まらないレッドに、おんぶされているコスモスも揺れる。

 

 ここに辿り着くまでには苦難の連続があった。

 まず人の目。

 次に人の目。

 最後の人の目だ。

 

 常時ブービートラップのような音源を撒き散らす少女が衆目を集めるのは必然。

 そこで四足歩行のヌルに乗せてもらおうと考えたコスモスであったが、現在進行形で反抗期の奴に頼ろうとしたのが間違いだった。

 

『ヴルァ!!』

『うごふっ』

 

 人を背中に乗せぬプログラミングでもされていたのかもしれない。

 そう邪推してしまう程、ものの数秒で振り落とされたコスモスは見事地面に背中を打ち、数分間地面で悶絶する羽目に遭うのだった。

 

 珍しく涙目になった少女は、今度はルカリオに背負ってもらうこととなったが。

 

『あっ、待ってスバメ!』

『スバァ!』

『バウッ!』

『あ、ちょっと急に下ろされたら───うぐぅ!』

 

 悪意のない事故の対応に追われたルカリオ。

 その際、コスモスのもやしのような腕ではルカリオの素早い動きに耐え切れず、ポーンッ、と背中から振り落とされ、お尻を固い地面に強打する羽目に遭った。

 

 ヌルもダメ。ルカリオもダメ。

 となれば、残るはレッドぐらいしか居なかった。

 

 師に背負われるという不甲斐なさに俯くコスモスは、ブツブツと独り言を呟く。

 

「もっと……もっと私に力があれば……」

「摂ろうか、プロテイン」

「そうですね。どこのメーカーのがいいんでしょうか」

 

 しかし、今はタンパク質より靴だ。いや、最悪筋肉(タンパク質)さえあればどこにでも行けるかもしれないが、この現代社会においては靴が無ければどこにも出かけられない。

 逃げ込むように入店した先は、青い屋根が目印のフレンドリィショップ───の都会仕様である超大型店だ。

 中に入れば、あるわあるわ。トレーナー向けに用意された品物の数々が。

 案内板に従う2人が向かった先は当然靴コーナーだ。

 ポケモンを引き連れながら買い物を楽しむ家族連れなどの横を、仲の良い兄妹のようにおんぶ&おぶわれて突き進むレッドとコスモスは───見つけた。

 

「ここですね、先生」

「おぉ……たくさんシューズがある……」

「ありがとうございます。ここら辺まで来れば大丈夫です」

「そう? じゃあ下ろすね」

「はい」

 

 ブビィ!

 

「んふっ」

「聞き苦しい音を失礼しました」

「だ、大丈夫……」

 

 やはり来る途中、雨に降られたのがイケなかったのだろう。

 水を吸った死に体の靴からは、面白いほど愉快な音が鳴り響く。近くを通りがかっていた家族連れの幼児も『ぶーぶー!』と指を差している始末。屈辱の極みである。

 

(さっさと済ませよう)

 

 これ以上レッドの腹筋を鍛えぬ為、彼には別の場所を見て回ってもらい、その間にコスモスは買い物を済ませようとする。

 和気藹々とした空気と陽気な音楽が流れる中、抜き足差し足でシューズを物色する少女。控えめに言って謎の光景である。まるで自分が透明だと信じているカクレオンの如き立ち振る舞いだった。

 目立ちたくないのに、結果目立ってしまっている。やはり現実というものは非情である。

 

(さっさと選んでしまいたいところですけど、こうも品揃えが多いとなると流石に悩みますね)

 

 ファッションにはそこまで興味のないコスモスであるが、長く使う物であれば納得できる品がいいという考えはある。

 

「む、あのモデル……」

 

 良さそうな品を見つけ、手を伸ばしたところでコスモスが硬直する。

 

───届かない。

 

 いくら手を伸ばしても、壁に並んでいるシューズに手が届かない。

 

「……なるほど」

 

 モーモーミルクに相談案件だ。

 

 それはさておき、

 

「ニンフィア」

「フィア!」

「あの靴取って」

 

 ボールから繰り出したのはニンフィア。

 いつもと違う人も物も多い場所に瞳を輝かせていた彼女は、主のお願いを聞くや、リボンのような触手を器用に扱いシューズを棚から下ろす。

 それを受け取ったコスモスは『ありがとう』と一言添え、試し履き用に設けられている椅子に腰を掛ける。

 

「むぅ、ちょっと大きい……もう一回り小さいサイズはっと……」

「フィア~」

「ニンフィア、あんまりあっちこっち行ったらダメですからね」

 

 多種多様なラインナップに目を奪われるニンフィアにコスモスが注意を促す。

 しかし、これまで訪れてきた町とは比べ物にならない品揃えの数々は、ニンフィアの好奇心を刺激するには十分過ぎた。少女が二足、三足と気になったシューズを試し履きしている間に、だんだんとニンフィアの集中力も途切れてくる。

 子供向けに取り揃えられたカラフルなシューズに目移りしていく内に、ニンフィアの脚はどこへともなくフラフラと向かってしまう。

 

「フィ~……」

「んー……」

「フィア?」

「どっちにしよっかなぁ~。こっちのモデルもカワイイんだけど、こっちも捨てがたいなぁ~……むむむ」

「!」

 

 コスモスの他にもシューズを物色する客が居た。女の子向けの可愛らしいデザインのシューズを見比べるのは、天使の輪が掛かったような艶のある濡羽色をボブカットに揃える子供だった。

 インナーカラーを鮮やかなピンクに染めていることや中性的な容姿から少女に見えなくもない。

 だが首や鎖骨、その他諸々の部位を確認すれば、その子供の性別が男性であると見抜くことはできただろう。

 

 けれども、ニンフィアにはそれが出来なかった。

 

「フィア! フィア!」

「わわっ、なになに!?」

 

 次の瞬間だった。

一瞬、驚愕と歓喜に彩られる瞳を浮かべたニンフィアは、内なる衝動のままにシューズを見比べる子供へ駆け寄り、その懐へと突っ込んだ。

 思いがけぬ出来事にその子供も、ようやくニンフィアが離れていることに気がついたコスモスも目が点になる。

 

「ニンフィア?! コラ、他のお客さんに迷惑かけない」

「フィア~!」

「ぐっ……ひ、引き剥がせない……!? 一体どこからそんな力が……!?」

 

 リボンのような触手を少年に絡め、頑として離れないニンフィア。

 そんな面食いに育てた覚えはありませんよ、と窘めながら引き剥がそうとするコスモスであったが、悲しいかな。筋肉は一日にしてならず。ましてやプロテインをも摂らぬ内にポケモンに力で対抗することは、この貧弱少女には叶わなかった。

 

「あはは……この子、キミのニンフィア?」

「えぇ……! 普段はもっと聞き分けのいい子なんですが、どうして今日はこうも……!? すみません、今すぐボールに戻しますので……」

「ううん、大丈夫だよ」

「?」

 

 とうとう体力が尽きたコスモスが手を離すや、今度は少年の方がニンフィアに触れる。

 自身に絡みつく触手を指でなぞり、そのまま首、胴と全身を毛並みに沿って撫でていく。

 

「……うん、とても良い()()()だ。毎日バランスのいい食事と適度な運動をして汗を流しているんだね。それにこの肉の付き方……引き締まっててしなやかな筋肉だ。美しくバトルに興じる姿を想像できるようだよ」

「!」

 

 少年の言葉に、コスモスのみならずニンフィアも瞳を見開く。

 そして、

 

「とても大切に育てているんだね! 見てるこっちまで嬉しくなっちゃうよ!」

「……フィア」

 

 少年が笑顔を弾けさせたのとほぼ同じタイミングであった。

 力なく触手をダラリと垂らしたニンフィアが、何を思ったのか自分から開閉スイッチに触り、そのままボールの中へと戻っていった。

 この不自然な挙動には少年のみならず、トレーナーであるコスモスでさえ困惑していた。

 

「……ボク、何か嫌われるようなこと言っちゃったかな?」

「いえ、特段そんなことは……」

「うーん、ポケモンの性格にも色々あるからね……あの子の気を悪くさせちゃうようなことを言ったなら謝るよ」

 

 ごめんね、と少年は申し訳なさそうな顔で謝罪を口にし、頭を下げた。

 

「それにしても……」

「はい?」

「靴……凄いことになってるね。チョボマキの殻みたいになってるよ」

 

 ちょうど頭を下げた時に見えたのだろう。

 靴は靴でも、最早先鋭的なデザインなサンダルと言った方が通じる状態だ。ぱっくり裂けた先っぽから靴下がコンニチハしている。ちなみに今日は厚手の黒い靴下だった。女っ気の欠片など微塵もない。

 

「何をどうしたらそうなるの? マスキッパに足でも挟まれた?」

「まあ一回は挟まれましたけども」

「ホントに挟まれてた!?」

 

 噓から実が出てしまい愕然とする少年を余所に、コスモスはやれやれと首を振った。

 

「おかげさまで愛用のシューズが喪に服しましたよ」

「はぁ~……ま、まあそこまで使い込まれたらシューズも本望だと思うよ」

「まだ履き始めて5年だったんですけどね。あと5年は履く予定だったのに……」

「ホントに相当使い込んでたね。本懐は遂げたと思うからそのまま成仏させてあげて」

「まだ修理したらワンチャンあるとは思っていますが」

「それを蘇生したら多分ゾンビとかそういう系統の蘇り方をすると思うんだ」

 

 というか、5年も履き続けるなど足のサイズは平気だったのだろうか?

 色々と謎が湧き上がっていたところで、笑いを堪えきれなくなった少年は噴き出した。

 

「ふふっ、キミってなんだか面白い子だね」

「褒められている気がしませんが」

「そんな! ボクは相手を褒めはしても貶したりはしない主義なんだ。どんな人にもポケモンにも素敵な美点がある。その中は他人の言葉でようやく光り輝くものだってあるからね」

「それなら結構です。ゆくゆくは最強のトレーナーになるという自負がありますので」

「見習いたい自己肯定感の塊」

 

 自己肯定感がマントルでグツグツ煮え滾っているようだ。

 そう感じさせる物言いの少女に今一度噴き出した少年は、ゆっくりと右手を差し出す。

 

「そう言えば自己紹介がまだだったね。ボクは『リウム』。よろしくね」

「コスモスです。貴方もトレーナーで?」

「まあね。普段は余所の町に住んでるんだけど……」

 

 くるりとその場で翻ったリウムは、壁一面の商品棚を前に、ピンクダイヤモンドを彷彿とさせる瞳をさらに輝かせる。

 

「この品揃え! やっぱり買い物するならイリエシティに限るよね! 今月の最新モデルの発売日だったから速攻買い物に来ちゃったよね!」

「そうですか。それではまた」

「え、このタイミング?」

 

 あまりにもあんまりなタイミングで去ろうとする少女にリウムは狼狽えた。これはサファリゾーンで石やエサを投げるだけ投げて逃げるような暴挙に等しい。いや、やはり違うかもしれない。

 

「そう言われても……この瀕死のブビィをどうにかしないとですし」

「凄い誤解を招く言い方」

 

 しかし、少女にも一理あることからリウムは考え込む。

 

「そっか……そうだ! 折角だし、ボクがコーディネートしてあげるよ!」

「丁重にお断りさせていただきます」

「お断りのレスポンスが速過ぎてピッチャーライナーを食らった気分になったのは初めてだよ」

 

 いくらなんでも早過ぎない? と提案した少年は、若干泣き出しそうになっている。

 

「だって……初対面の人間に『コーディネートしてあげよう』だなんて、『ソーナンデス』のファッションコーナーみたいに私服を散々罵られた挙句、個人的なセンスで押し付けられた高い服を買わせられるだけじゃないですか」

「偏見が穿ちに穿ってる! そんなにあくどいコーナーじゃないよ、あれ!?」

 

 ※実際はもっと配慮したコメントをしております。

 

「それに服の費用だって番組持ちだから!」

「あ、そうなんですか? じゃあ羨ましいですね。丸々一式費用を持ってもらって」

「観点が金銭面にしか向かってない……って、そうじゃなくて!」

 

 鼻息を荒くする少年は、ファッションに無関心な少女に向かって力説を始める。

 

「ファッションは確かに自由さ! でもね、時には今までの自分から離れた装いに身を包むことで新しい自分に出会える……そうボクは信じてるんだ。男の子がカワイイ服を着てもいいし、女の子がカッコいい服を着たっていい!」

 

 そう語るリウムもまた、女の子向けのファッションに身を包んでいる。

 ゆるふわのパーカーや、その裾で隠れてしまう丈のホットパンツ、女児向けモデルのスニーカー等々……しかし、それらを違和感なく着こなす彼は、恥ずかしがる様子も見せず堂々と胸を張っていた。

 

「ボクも昔は引っ込み思案だったけど、オシャレを覚えるようになってからは自信を持って人前に出られるようになった……それに似たような経験をキミにも体験してほしいんだ!」

「人前に出る度胸でしたら間に合っていますよ」

「そっか……折角フレンドリィショップで使えるお得なクーポン券があったから、それを使ってあげようと思ったんだけど」

「たまには人のセンスに身を任せてみるのも悪くはありませんね。いい機会ですしお願いします」

「よっしゃあッ!!!」

 

 大・勝・利。

 かくしてリウムはコスモスの着せ替え権利を得るのであった。

 

「わー、ワクワクするなー! コスモスちゃんカワイイからなんでも似合っちゃって困るー☆」

「本来の目的を忘れないでくださいね」

「分かってるってば! あくまでキミが納得してくれる服を選ぶよ!」

 

 浮足立つリウムに対し、コスモスのテンションは凪だ。無風。平時と変わらぬテンションで、あれもいいこれもいいと物色するリウムの後ろを付いていく。

 

「あ、このスニーカーなんてどう? ポップな色合いだけど、流線ラインがスタイリッシュだよね!」

「うーん……」

「あれ……お気に召さない?」

 

 唸るコスモスはチラッと値札を見る。

 

「高いです」

「おっふ。で、でもいいデザインだし、たまには奮発してみるってのも……」

「安くて丈夫で履き心地が良い物が欲しいです」

「揺るがないね。確固たる価値観があるのは素晴らしいと思うよ」

 

 とは言うものの、12歳の金銭事情からすれば中々の高額であることは事実。スポンサーに作ってもらったクレジットカードがあるとはいえ、使用限度が設けられている以上、そうそう高い物をホイホイと買い漁る訳にもいかないという事情もある。

 

「子供の懐事情を舐めないでください」

「でもこのクーポン50%オフだよ?」

「候補には入れましょう」

 

 許容ラインが一気に低くなった。

 そうと来ればファッションリーダー・リウムのセンスが黙るはずがない。とりあえず目に付いた品物を買い物かごに放り込んでは、コスモスを試着室へと放り込む。

 

『……これを着るんですか?』

「うん! 絶対似合うから! 着るだけならタダだよ?」

『……(これで安く済ませられるなら、まあ)』

 

 カーテンの向こう側でブツブツと呟くも、半額の魔力に逆らえない少女は用意された衣服に袖を通していく。

 

『着ましたよ』

「よし! じゃあ見せてごらん!」

『……どうしてそこまでテンションが高いのか、理解に苦しみます……』

 

 ガラガラと音を立て、試着室のカーテンが開かれる。

 そこに立っていたのは普段の女っけの欠片もない服を身に包んだコスモスではなく───。

 

「ワォ……! とってもキュート♡ エクセレントだよ! やっぱりボクの見立てに間違いはなかった!」

「スカートがひらひらして落ち着かないんですが……」

「最初の内は誰だってそんなものだよ! うーん、後ろ髪をまとめるだけでも大分印象が変わるね!」

「はぁ」

 

 リウムのテンションに追いつけずにいるコスモス。

 彼女はこれまでのボーイッシュだった装いとは正反対に、フリル付きのスカートやパステルカラーのカチューシャ等、ガーリッシュな衣服や小物に身を包んでいた。

 

「脱いでいいですか?」

「お気に召さなかった? じゃあ、次はそっち! 着てみて!」

「……」

 

 不承不承といった表情でコスモスがカーテンを閉める。

 次に彼女が姿を現した時には、先ほどとまた違った装いに身を包んだ少女誕生の瞬間を目撃することとなった。

 

「ヒュウ☆ 打って変わってクールでスタイリッシュ! レザージャケットも全然イケるね!」

「意外と動きやすいですね」

「でしょでしょ!?」

「でも、洗濯したらすぐ痛みそうですね」

「そう? それが味になって良いって人も居たりするよ」

 

 まあ無理強いはしないけど、とリウムに次の試着を促されるがまま、コスモスは別の衣装に着替える。

 

「メガネが入ってたんですが」

「伊達メガネだよ。そこはかとないインテリジェンスを演出できるし、もしもの時は目の保護にもなるよ!」

「違和感が凄いです」

 

 合理性を求める少女としては、オシャレ以上の意義がない伊達メガネは理解に苦しむ代物だ。これがサングラスやゴーグルであればまだ購入を検討したが、今のところ特段必要なものとは思えぬ為に見送る結果となる。

 

 その後も一人の少女をモデルとしたファッションショーは延々と続いていく。

 

「ゆるふわワンピースで森ガールを演出したよ! くさポケモンとの組み合わせがグッドなグラデーションさ!」

 

「オーバーオールとカウボーイハットでカウガール風ファッションだよ! 三つ編みのエクステでエネルギッシュな可愛さもぐーんと上がるね!」

 

「ブレザーできっちり固めるのもフォーマルでカッコいいよね! 素材が良いとなんでも似合っちゃうね……う~、困る~!」

 

 

 

「……」

「モッグ?」

 

 

 

 試着室の中で燃え尽きる少女を、普段服の中に隠れているコスモッグがツンツン突く。

 しかし反応は芳しくなかった。無表情のまま口から溢れ出す魂のようなものをコスモッグが押し込んだところで、ようやく少女は再起動する。

 

「はっ……いけないいけない。普段とまるっきり違うことを続けた余りオーバーヒートしてしまった……」

「モグ?」

「……一生分の試着をした気がします」

 

 それは言い過ぎだろう───とも言い切れないことが、この少女のファッションへの無頓着さの証拠。なにせ普段は同じ衣服を二、三着常備し、ダメになった物から順次似たようなデザインの物を仕入れていくスタイルだ。

 

(このまま付き合っていたら夜になる……)

 

 実際は30分も経っていないが、コスモスの体感としては数時間以上経っている。

 これ以上時間を引き延ばされるのは精神衛生的によろしくない───そこでコスモスが目に着けたのは。

 

『ねえ着れたー?』

「はい……これにします」

『お? とうとうお気に入りのコーディネート発見!?』

 

 『見せて見せてー!』と自身を呼ぶ声に、コスモスは決心を固めてカーテンを開く。

 

「お、おぉお……!?」

「どうですか?」

「うん、すっごく似合ってるよ! でもそれ……」

 

 黒いジャケットに赤いTシャツ。

 そして、極めつけの白いパンツだ。全てが最新モデルで、以前の物とは若干デザインに差異はあれど、全体的なシルエットにほとんど変化はない。

 

「……前とほとんど同じだけど……?」

「これでいいです。私のフォーマルはこれに決めました」

「……そっか! 自分が好きならそれに越したことはないもんね」

「冠婚葬祭もこれで十分です」

「それはフォーマルのラインを攻め過ぎてるね」

 

 『流石にやめといた方がいいよ』と助言を貰ったところで、コスモスは購入を決断した品物を買い物かごに突っ込んでいく。

 

「そうだ。後は帽子が欲しいです」

「帽子? それならあっちにあるよ。見に行こっか」

 

 慣れた足取りで案内するリウムに付いていけば、あっという間に帽子売り場に到着だ。

 いかにも男の子向けのカッコいいデザインから、女の子向けのハット帽子など、種類はパッチールの模様並みに取り揃えられていると言っても過言ではない。いや、パッチールの模様並みは過言だった。

 冗談を差し引いたとしても、納得いく一品を見つけるには十分過ぎる品揃えであることに違いはない。

 

「こうも色々あると一つ決めるのも面倒ですね。もう一番近くにある奴でいいんじゃないですか」

「ちょっと待ったァ! 折角こんなにあるんだから、せめて全体を見てみてビビーンと来た奴を選ぶ感じでもよくない?」

「ビビーンと来た奴と言われても」

 

 そんな抽象的な感覚で。

言いかけた、まさにその瞬間だった。

 

「!!!」

「え……速ッ!!? なになに、何見つけたの!!?」

 

 色違いの幻ポケモンでも見つけたのかと思う程の俊足で駆け抜けていったコスモス。

遅れてリウムが追い付けば、少女はとある帽子を手に取っていた。

 

「……これに決めました」

「それ? えっと、ここって確か……」

 

 ジャンルごとに並んでいる品揃えが変わる商品棚であるが、ここは中でも実用性や機能性とはかけ離れた品物ばかりのコーナー。

 

「ベースボールキャップって……キミ、野球好きなの?」

「いえ、別に」

「ピッチャーライナー並みの速度で否定したね」

 

───いや、そう言えば一度同じレスポンス速度で断られていた。

 

「どこが気に入ったの? デザイン?」

「ええ」

 

 目を輝かせていたコスモスは、手に持っていた黒い帽子を180度回転させ、リウムに正面側を見せてきた。

 

「この赤い『R』が気に入りました」

 

 黒いベースに赤いR。

 そう、ロケット団のマークだ。知っている人からすれば『どうしてそんな商品がここに?』と首を傾げそうだが、ここはベースボールキャップ売り場。

 

「あ~、確か色違いのリザードンをシンボルにしてる球団がどこかにあったなぁ~。う~ん、ボクも野球はあんまり詳しくないから思い出せないけど……」

「どこの球団かなんて知ったこっちゃありません。私はこれに決めました。これを買います」

「お、おぉ……なんてすごい圧なんだ……!?」

 

 そこまで言われれば否定する方が無粋というものだ。

 好きなファッションに身を包むべき派のリウムとしては、コスモスのデザインに固執する理由など二の次。

 

「じゃあ帽子はそれにしよっか! 一通り揃ったしレジに行く?」

「はい。よろしくお願……あ」

「どうしたの?」

 

 明後日の方向を向いて固まるコスモスに、リウムも反射的に振り返る。

 そこには赤を基調とした装いに身を包み、ピカチュウを両肩に乗せた上で小脇にも抱えた青年が無言で立っていた。

 

(いや、ほとんどぬいぐるみだアレ)

 

 ピカチュウ大好き人間かと思いきや、実際はクレーンゲームの商品と思しきぬいぐるみばかりであった。いや、本物だったにせよピカチュウ大好き青年には間違いないかもしれないが。

 

「知り合い?」

「先生……」

 

 先生? とリウムが聞き返せば、『先生』と呼ばれた青年が恐る恐ると言った様子で指差す。

 

 

 

「その帽子は……?」

 

 

 

 ***

 

 

 

 時は30分ぐらい前から遡る。

 コスモスがリウムの着せ替え人形にされている頃、特段服に用事のないレッドは、別フロアにあるゲームコーナーを訪れていた。

 

「おぉ……ゲームがたくさん……」

 

 ゲームコーナーと言えばタマムシシティを思い出すが、あちらはスロットが多く、どちらかと言えばパチンコ店に近いイメージである。

 しかしながら、ここのゲームコーナーは家族連れが多いこともあり、取り揃えられているゲームはクレーンゲームやレースゲームなど、若い世代向けがワイワイ楽しめるラインナップだった。

 

「ここで時間潰そうか」

「ピッカ!」

 

 久方ぶりの大衆娯楽にピカチュウもハイテンションとなる。

 それからは目に付いたものを片っ端から遊び回っていたレッド達。時にはピカチュウにせがまれてクレーンゲームでぬいぐるみを獲得したり、時にはカイリキーを模した機械と腕相撲で勝負するゲームに興じて架台を壊してしまったりと、それはもう様々な出来事があった。

 

 そうこうしている内に良い具合に時間が経ち、一旦様子を見に戻ってきた訳であったが……。

 

(コスモスが持っているあの帽子は一体……?)

 

 黒のベースに赤いR。

 間違いない、ロケット団のマークである。

 

(まさか()()もロケット団の……?)

 

 以前壊滅させたロケット団アジトも、タマムシゲームコーナーの地下に存在していた。

 あからさまなロゴマークの入ったグッズ販売をしているかは怪しいところであるが、万が一にも本当に繋がりがあったとするならば一大事に違いない。

 ここまで懸念するにも理由がある。

 生徒───コスモスの真剣な眼差しだ。ジッと赤いRのマークを見つめる彼女の瞳は、付き合いの短い人間には読み取れぬほどの機微が窺える。

 

 あんなにも燃え上がる感情を瞳に滲ませていることは滅多にない。

 だからこそ、その真意を定かにしなければならない。

 景品のぬいぐるみを捨て置けぬまま、全てを抱きかかえたレッドは意をけっしてコスモスに問いかけた。

 

「その帽子は……」

「こ、これは……」

 

 しどろもどろになるコスモス。

 やはり、何かある。

 

 無理に促す訳でもなく、静かに佇み答えを待っていたレッド。

 そんな彼に帰ってきた答え(弁明)が───これだ。

 

 

 

 

 

「……先生(RED)へのリスペクトを込めて」

(!?!?!?!?)

 

 

 

 

 

 予想が斜め上の次元を行った。

 ビックリし過ぎてピカチュウを落っことした。本物も落っこちた。

 そして、衝撃の余り腰を抜かしていた。

 

「……本当に?」

「先生の名前のイニシャルは『R』で合ってますよね?」

 

 合っている。

 合ってはいるけども。

 

「それ……本当に買うの」

「はい」

「ホントのホントに?」

「はい。これを買うと心に決めました」

「オレへのリスペクトを込めた帽子を?」

「先生へのリスペクトを込めた帽子を」

「……そう」

 

 天を、いや、天井を仰ぐレッド。

 かつてないほど思いつめた色を滲ませながら、やはり無表情のまま彼はたっぷり一分間の沈黙に入った。

 

「先生?」

「……どうしても買うなら、オレが出すよ」

「え……しかし、」

「オレが出すよ」

 

 ここまで頑ななレッドも初めてである為、流石のコスモスは『でしたらお言葉に甘えて……』と帽子を差し出す。

 それをレジのカウンターに置いたレッドは、思いの外高かった値段に硬直しながらも、無事購入を済ませて欲しがっていた当人に引き渡す。

 

「……どうぞ」

「ありがとうございます、先生。ですが本当に支払っていただいても……?」

「気にしないから」

 

 青年はそそくさと散らばったぬいぐるみの回収に移る。

 

「……」

 

 無言で全て拾い終えた後、レッドはもう一度天井を仰いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(なんか…………………………恥ずかし)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 年下の少女が自分のイニシャル入り帽子を被る。

 この名状しがたい羞恥心の晴らし方は、今のレッドには分からなかった。

 




Tips:イリエシティ
 ホウジョウ地方最大の都市。セトー・ホウジョウポケモンリーグ本部があり、町の中心にはイベント用の巨大スタジアムが佇んでいる。
 海辺に行けば人や物の流通の要である港があり、かつて貿易で栄えていた歴史を彷彿とさせる光景が広がっている。
 港から町の中心に向かって様々な種類の店舗が構えており、『ホウジョウ地方で買い物するならイリエシティ』とまで言われ、トレンドの発信地にもなっている。特にイリエシティにしかない超大型フレンドリィショップはトレーナー向けの品物が数多く取り揃えられており、この地方で旅に出るトレーナーなら一度は訪れる場所にもなっている。


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№048:たまに会ったかと思えば金を無心する知人

前回のあらすじ

コスモス(とっさに言い訳を思いついてよかった)

レッド(自分のイニシャル入った帽子被らせるの恥ずかしい)

リウム(この人、そんなにこの球団嫌いなのかな……?)


 

「コスモスちゃんの先生だったんですね! ボクはリウムって言います」

「……レッドです」

「あー、なるほど! だから赤いRで───」

「それ以上はイケない」

「?」

 

 場所は変わってフードコーナー。

 広大な一階のスペースを丸々使った憩いの場に、買い物を終えたコスモス達はやって来ていた。

 ハンバーガー片手に自己紹介を済ませるリウムとレッド。途中、少女の帽子に言及したリウムへストップが掛かったりしたものの、他愛のない談笑はゆるゆると続く。

 

「へー、レッドさんはカントーから来たんですね! 観光ですか?」

「……そんな感じ」

「それならイリエシティは見て回る場所がたくさんあっていいですよ! このデパートもそうですし、美味しいお店や施設もいっぱいありますから!」

 

 流石はホウジョウ地方の中心都市とだけあり、リウムがスマホロトムで見せてくるタウンマップには数多くの店舗情報が記載されていた。

 

「全部回ったら一日あっても足らないですよ! お二人はいつぐらいまで滞在する予定で?」

「元々はツナミタウンに行く予定だったので。交通規制が解けたらすぐ出発するつもりです」

 

 レッドに代わり答えるコスモスに、リウムが困った顔を浮かべる。

 

「あー、そっかぁ。ここ最近色々あったもんね。もうちょいで規制は緩和するって言ってたけど、旅してる人達にしてみれば堪ったもんじゃないよね」

「まったくです。人の迷惑を考えて崩落してほしいです」

「橋自らが望んで崩落した訳じゃないとは思うけども」

 

 ズココココッ、とバニラシェイクを吸うコスモスは不満を口に出す。

 その際ほっぺたが丸々と膨れ上がったが、それが不満の表れかバニラシェイクが詰まっているだけかは謎のままであった。

 と、コスモスが口いっぱいに糖分の塊を詰め込んでいる間、フライドポテトを摘んでいたレッドが口を開く。

 

「……船が出るまでの間、おすすめの観光地ってある?」

 

 無難な質問だった。

 しかし、これに強く反応したのは他ならぬリウムである。

 

「よくぞお聞きになりましたね! ボクでよろしければお二人の旅行プランをコーディネートしますが!?」

「おぉ……」

 

 どうでしょう!? と強めの圧で迫ってくる美少年に、レッドは思わず頷いた。その間、フライドポテト用のケチャップは根こそぎピカチュウに持っていかれていたが、鼻の先まで迫ってきたリウムを前に気づけなかった。

 

「何と言ってもまずはコンテスト! お二人はコンテストはご存じで?」

「「いえ」」

「えっ」

 

 直後、リウムから信じられないものを見るような目で見つめられる。

 

「コ、コンテストを知らない……? そんな人が居るだなんて……」

「そうは言われましても」

「カントーとジョウトにあったっけ……?」

「な、なるほど。これが他の地方とのギャップ……!」

 

 まるで未開の地からやって来た野蛮人を見たかの如し。

 しかし、片や組織のアジトで地下暮らし。片や人里離れた地で山籠もりだ。あながち間違いでもない環境での生活が、この天然師弟の世間知らずに拍車を掛けていた。

 一見知識量があるように見えるコスモスも、バトル以外についてはからっきしだ。コンテストに対する造詣はレッドと同レベルである。

 

「そもそもコンテストとは何をするものなんですか?」

「よく聞いてくれたねッ!」

 

 絶望顔から一変。瞳を輝かせて立ち上がるリウムは、嬉々とした声色でコンテストに対して説明を始める。

 

「コンテストとはすなわち、己のポケモン愛を観衆にお届けする大舞台のことさ!」

「具体的には何をする訳で?」

「そうだね……地方ごとに多少違いはあるけれども、大まかなルールは変わらないかな。簡単に言えば、ポケモンのコンディションとアピールでどのポケモンが一番素敵だったかを競う競技だね」

 

 特にポケモンコンテストが盛んなのは、お隣のホウエン地方と北上した場所にあるシンオウ地方であるが、この『コンディション』と『アピール』の審査項目については両方存在する。

 

 と、ここでレッドが手を上げた。

 

「……バトルはしないの?」

「基本的にはないですね。元々『バトルなんて怪我させるような可哀そうな真似はさせられない! でも私のカワイイポケモンちゃんをたくさんの人に見てもらいたい!』っていうのが発端なので」

 

 これに発信した御仁こそがポケモンだいすきクラブの結構お偉いさん。

 それ故に当初は各所で細々と執り行われていたお披露目会が競技性を得た結果、今のポケモンコンテストに繋がった。

 

「自分のポケモンを愛でるだけじゃなく、たくさんの人に魅力を届けたい……すべてはそこから始まった訳だね」

「リウムさんもコンテストはやっておられるんですか?」

「もっちろん! なんたってボクのポケモンはかしこく、たくましく、かわいく、かっこよく、うつくしく……そして何よりも強くがモットーだからね」

 

 キラキラと瞳を輝かせるリウムは『そうだ』とコスモス達に詰め寄る。

 

「2人もどうですか、ポケモンコンテスト! きっと楽しいですよ?」

「怪しい壺はちょっと」

「どこの宗教勧誘?」

 

 そもそも怪しい壺は売りつけていない。

 心外だと言わんばかりにリウムは悲壮な表情を浮かべた。

 

「そ、そんなぁ……2人を見たら絶対楽しんでくれると思ったのに……」

「何を根拠にそう言ってるんですか?」

「そりゃあもちろんポケモンさ!」

 

 颯爽と席を立ったリウムは、コスモスの隣に立っていたルカリオの下へと歩み寄る。

 まるで姫の手を取る騎士のように柔らかな所作で腕を持ち上げたかと思えば、一方向に流れる毛並みに感嘆の息を漏らしていた。

 

「ああ、なんて美しいけづやなんだ……それに毛皮の上からでも分かる均整の取れた筋肉の隆起。けれど身体には泥一つ汚れがない! きっと毎日丁寧にお手入れしてるんだよね?」

「……まあ、毎日手入れはしていますが」

「流石! でも、それをできるトレーナーがどれだけ居るんだろう? ポケモンに深い愛情がなきゃ毎日お手入れなんて普通のトレーナーでも億劫になってしまうものさ……けれど! このルカリオは違う!」

 

 ほぅ、と今一度感嘆の息を漏らす少年はルカリオの顎に手を添えた。

 見知らぬ人間に顎を触れられるなど、他者の感情を読み取れるルカリオでさえ反射的に突っぱねてしまいそうな所業である。

 しかしながら、うっとりと頬を赤らめて見つめてくる少年を前に、不思議なまでに引き剥がそうという考えは浮かび上がってこない。

 むしろ、今も尚触れさせ続けていることを許している自分に困惑しているまであったルカリオは、くぅんと情けない声を漏らす。

 

「はぁ……そんな悩まし気なキミの凛々しい顔も綺麗だよ。かっこよさは言わずもがな、これならうつくしさ部門だって優勝間違いなしさ。それでいて溢れんばかりの野性味と、それに相反する知性……たくましさ部門とかしこさ部門制覇だって夢じゃない!」

「いや、私はコンテストに挑戦するつもりは」

「こんな逸材を育てあげるなんて、一体どんなに素晴らしいトレーナーなんだろう! 末はチャンピオン? いや、チャンピオンだってここまで素敵なポケモンを育て上げるのは難しいよ!」

「まあ私ぐらいになればこれぐらい片手間ですよね」

「フフッ☆」

 

 褒めた傍からこれである。

 満更でもないコスモスがホクホク顔でバニラシェイクを啜る。

 その内に標的はレッドの方へと向いた。彼が外に出しているポケモンと言えば───そう、ピカチュウである。

 ただいまほっぺに汚れを付けながらケチャップにしゃぶりついている最中。

 ちょっとでも機嫌を損なえば電撃が飛んでくる爆弾のような存在を前に、リウムは微塵も恐れた様子を見せず背後に回ったかと思えば、

 

「このピカチュウだって……ほら☆」

「ピ?」

「この通りさ!」

 

 目にも止まらぬ早業だった。

 どこからともなく衣装を取り出したかと思えば、手品のように一瞬でピカチュウにパンクロッカー風の衣装を着させる。

 

「う~ん! 激しい稲妻のような音色がかき鳴らされる光景が目に浮かんでくるよ。こんなにかっこいいピカチュウが出てきちゃったら、女の子にモテちゃうかもッ!」

「ピカ?」

 

 『そう?』と言わんばかりにキメ顔を浮かべるピカチュウ。

 これを見て好感触だったと察したリウムは、すかさず次の衣装を取り出し、一瞬にして着替えさせる。

 

「このマダム風な衣装だってイケてるよ! 気品……って言うのかな? ポケモンだって同じさ。そういう心の美しさは滲み出ちゃうからね……」

 

「逆にアイドルに突き抜けるっていうのもいいよね! 普段の凛々しい顔つきから一変、愛嬌ある仕草を見せれば観客だってメロメロさ!」

 

「ドクターも悪くないね……。イチオシはこのおさげ! ポケモンにエクステなんて無粋っていう人も居るけれど、知性っていうのは道具を使いこなすことも含むと思うんだ。メガネからチラリと覗く閃きの眼光……ああ、堪らない!」

 

「逆にマスクを隠してみるとしよう。すると、あら不思議! 隠してるのにピッタリと密着する衣装が、むしろ鍛え上げられた肉体美が強調するんだ! カワイイ顔を隠した先に見え隠れするたくましさ……これもまたギャップ。かみなりの如きインパクトを感じるよね☆」

 

 止まらぬ着せ替えとマシンガントーク。

 圧倒されるコスモスとレッドに対し、着せ替えさせられていた当人はと言えば、浴びせ続けられた誉め言葉に満更でもない様子だ。今もプロレスラー風の衣装を身に纏いながら力こぶを作ってみせている。

 

「どうです? 自慢のポケモンでコンテスト全部門制覇! ポケモンコーディネーターなら一度は夢見る偉業だけれども、お二人のポケモンなら夢じゃないですよ!」

「……ちょっと興味湧いてきたかも」

「先生?」

 

 凝視してくる弟子に、レッドは『ちょっとだけだよ?』と弁明してみせる。

 だがしかし、彼もまたポケモンを愛するトレーナーの一人。ポケモンに関するイベントであれば一回くらいは体験してみようと思うハングリー精神は持ち合わせている。

 こうしてレッドのポケモン愛が興味を指し示すや否や、これ見よがしにリウムはピカチュウに着せていた衣装をテーブルに並べた。

 

「興味を持っていただけたんですね!? それじゃあここにあるピカチュウ用の衣装は差し上げます!」

「……タダで?」

「もちろん! 元々コンテストの布教用に持ち歩いてたものなので」

「後で請求したりとかしない?」

「怪しい宗教の勧誘だと思われてますコレ?」

 

 熱量と押しの強さなら負けていないと断言できよう。

 

「まあ……貰えるなら貰っておこう。ありがとう」

「いえいえ。じゃあ、折角ですし早速ノーマルランクのコンテストを───」

『ブイキュア、ブイキュア♪』

 

 と、言いかけたらところで流れた歌にリウムの話が遮られる。

 明るい曲調のアニメソングと思しき曲だった。しかし、どうにも店内に流れるBGMではないらしく、音源はすぐ近くにあるようだ。

 

『ブイキュア~、ブイキュア~♪ イーブイで~、キュアキュア~♪ 二人は~───』

「あっ……ごめんなさい、ボクのです。もしもし……」

 

((今のこの人の着信音だったんだ……))

 

 サビに入る直前で通話ボタンを押した少年が席を立った。

 自然と席を離れていくリウム。その間、コスモスとレッドは声量控えめの会話を続ける。

 

「(今の曲知ってる?)」

「(『二人はブイキュア』のオープニング曲ですね)」

「(有名?)」

「(長寿シリーズの一作目ですので、多分)」

 

「えぇ!? ミカンちゃん来られなくなったァ!?」

 

 突然の大ボリューム。

これには2人のみならず近くを通りがかっていた客の視線をも集めてしまい、声を上げた当人のリウムは『しまった』と声量を押さえる。

 

「どうして? うん……うん……えぇ、このタイミングかぁ……」

 

「(何の話でしょう?)」

「(大事な話かな?)」

 

「うん、それはしょうがないよ……え? いや、そんな気を遣わなくっても……どうしても? うん、うん……プリンプリン? え、なにそれ」

 

「(何の話でしょう?)」

「(大事な話かな?)」

 

「へぇー、カワイイね。……え? 容器から出すと目玉飛び出るの? 怖いよッ!? それで一キロあるの!? いや、まあ皆で食べるなら……え、ミカンちゃん一人で食べてるの!? 砂糖の致死量って一キロだよ!? 大丈夫!? 死なない!?」

 

───本当に何の話なんだろう。

 

 そんなことを考えつつ、待つこと数分。

 一頻り話が終わったのか、ゆっくりとリウムが通話ボタンを切る。

 そのまま彼が振り返れば、実に申し訳なさそうに眉尻を下げる表情が飛び込んで来た。

 

「あー、ごめんなさい……ちょっと急用ができてしまって。コンテストの案内はまた今度ってことで……」

「そんなに急ぎの用なんですか?」

「まあ……うん」

 

 色々と準備があるから、とリウムは肩を落としながら答える。

 

「ぐぅう……! ホントに残念でならない……新たなコンテストマスターになるコーディネーター誕生の日だったかもしれないのに……!」

「まあ、また機会があるかもしれませんので、その時にでも……」

「うん、そうだね。お二人のコンテストデビューはまた今度の楽しみにしておくとするよ」

 

 慌ただしくテーブルを片付けながら、それでもリウムは最後には笑顔を浮かべていた。

 

「それじゃあね! コスモスちゃん、ジム巡り頑張って!」

「はい」

「……気を付けて」

「先生さんもピカチュウもお達者で!」

 

 爽やかに別れを告げるや否や、少年はピュ~っと二人の前から去っていった。

 とんでもない俊足だ、余程急ぎの用だったことは想像に難くない。

 

 取り残されたコスモスとレッドは、残っていたハンバーガーやポテトの余りに手を付けながら、一人居なくなって生まれた空白の席を見つめる。

 

「……行っちゃったね」

「押しの強い人でしたね」

「ポケモンだいすきクラブの人と同じ空気を感じる」

「ああいう人達ばかりなんですか? ポケモンだいすきクラブって」

「たぶん」

 

 己のポケモン愛を語るだけ語った後、傾聴した礼として100万もする自転車の引換券をくれるような人間が会長を務める集会───それがポケモンだいすきクラブだ。それと比べればコンテストを語るだけ語り、ピカチュウ用の衣装を譲渡するぐらいカワイイものである。

 

「……」

「どうします、先生? あの人は行っちゃいましたけれど、コンテストに参加しますか?」

「……見るぐらいなら」

 

 どうやらそこそこ心が傾いていたらしいレッド。

 彼からの一声にはコスモスも進んで賛同する。

 

(きっと先生のことです。コンテストから新たなる着想を得ようと……!)

 

 師の一挙手一投足に意味があると思い込むからこその妄信と妄想だ。それらしい理論をこじつけられる点が厄介さを極めているが、それについては未だ当人の与り知らぬ部分である。

 

 という訳で。

 

「コンテスト会場に来てみたはいいものの……」

「……うっぷ」

「酔い止め要りますか?」

「いや……」

 

 『大丈夫』とは口にするものの、尋常ではない人波にもみくちゃにされるレッドは、顔を蒼褪めさせながら口を手で押さえていた。

 そのまま人波に流されれば、いつの間にか会場の入り口から少し離れた場所まで押し戻された。依然、会場へ駆け込む人の勢いは留まることを知らず、とても中には入れなさそうな雰囲気が漂っている。

 入口だけでもこれなのだ。時折会場内から響いてくる黄色い歓声を聞く限り、相当大盛況なことが窺える。

 

「これでは中に入るのもままならないですね」

「コンテスト……恐ろしい」

 

 競技とはまた別の部分で恐ろしさを知ったレッドがベンチで燃え尽きている。片手に握られた飲みかけのおいしいみずが、どこか哀愁を漂わせていた。

 

「思い立ったが吉日とは言いますが、また日を改めましょう」

「そうだね」

「ふぅ……人に揉まれて喉も乾きましたね。ちょっとジュースを買いに行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 

 大人数が集まった熱気にやられたコスモスがジュースを買いに行っている間、レッドは今一度飲みかけのおいしいみずに口をつける。

 大分温くはなってきたが、それでもないよりはマシだ。

 コクコクと喉を鳴らし、残りの分を一気に煽ったレッドは視線を正面に戻す。

 すると、

 

「……」

「……コスモス?」

 

 ついさっき買い出しに出たばかりの少女が目の前に立っていた。

 

「どうかした?」

「……」

 

 終始無言で見つめてくるコスモス。

 普段から無表情な彼女ではあるが、ああ見えて結構言葉は多い方である。こうして無言で凝視され続けているとなると、途端に圧力のようなものを感じてしまう。

 

「……もしかして小銭がないとか?」

「……」

「待って。今財布出すから……」

 

 無言の催促を受けていると考えたレッドが、本日二度目の奢りの為に使い古した財布を取り出す。すでに服で結構な額を負担してはいるものの、それに比べればジュース代など誤差の範疇である。

 

「はい。これくらいあれば足りる?」

「……」

「あ、そうだ。ついでにもう一本おいしいみずを───」

 

 そう言いながら硬貨を手渡した、その瞬間だった。

 

 硬貨が、

 掌に、

 ズズッ、と、

 埋もれて、

 消えてなくなった。

 

「……───ッ!?!?!?」

 

 二度見した。三度見も行った。四度見もすれば五度見も行く。

 野生のミネズミよろしく何度も少女の顔と掌を見つめたところで、今度はコスモスの全身がぐにゃりと歪み始めた。

 新品の装いに身を包んでいた少女は一変、不定形のピンク色なシルエットへと早変わりする。このスライムのような身体と、取って付けたような目と口はレッドも良く知っている。

 

「……メタモン?」

「モンモン」

 

 うねうねと体をくねらせるポケモン───へんしんポケモンのメタモンは、レッドから渡された硬貨を片手に嬉しそうに踊っている。

 

「……いや、コスモスじゃないなら返して」

「モン」

「モンじゃなくて」

「モン!」

「だからモンじゃなくて」

「モンモン!」

「それ俺のだもん」

「モーン!」

 

 レッドが硬貨を取り返そうとすると、すっかり自分の物だと思い込んだメタモンが奪われまいと鳴き声を上げている。

 何とか硬貨だけを摘み上げようとするも、器用に肉体を変形させるメタモンを前に、中々奪還することは叶わない。不定形プニプニボディを前に、シロガネ山から下りてきた雪男はただただ翻弄され続けるばかりであった。

 

「かえして……かえして……」

「───先生?」

「!」

 

 どうされました? と声が聞こえたかと思えば、エネココアを片手にコスモスが戻ってきていた。

 

「メタモン相手に何をされてるんです? 野生の個体ですか?」

「分からない……でも、コスモスに変身してたからうっかりお金を───」

「私に? それは聞き捨てなりませんね」

 

 持っていたエネココアをバッグにしまい、代わりにボールを手に取るコスモス。

 

「勝手に私を騙り悪事を働こうなんて迷惑もいいところです。二度と私に変身しようなんて考えが浮かばないようにしなくては」

「法には?」

「触れませんのでご心配なく」

 

 それはそれで穏便に済む方法ではなさそうだ。

 しかし、すでにコスモスは臨戦態勢に入っている。今すぐにでもボールからポケモンを繰り出し、メタモンと一戦交えようとする意思は背後で燃え盛っていた。

 

───このままバトルが始まるのか。

 

 そんな空気が流れた途端、辺りの人波はコスモス達を避けるように円を描く。

 レッドも思わず止めようと身を乗り出した───しかし。

 

「おー! こんなところに居たのかい、モンちゃん!」

 

 空気を読まずか、一触即発の場に一人の女性が歩み寄ってくる。

 

「モン!」

「まったく、ワタシに似て好奇心旺盛なのはいいけれど勝手に離れたらダメだろう? 探すのだって大変なんだぞー? ……ん? なんだいこのお金?」

「モンモン」

「まさか……拾ったのかい?! やったなモンちゃん、これなら五日は食いつなげるぞ!」

 

「あの……」

 

「うん?」

 

 勝手に話を完結させようとする女性に、堪らずレッドが割って入る。

 

「それ、俺のお金……」

「……なんだってェー!? モンちゃん、まさかまさか! あんまりにもひもじいからって窃盗を働いたとでも言うのかい!?」

「いや……」

「ああ、なんていうことだ! いや、モンちゃんは悪くない。キミにひもじい思いをさせてしまったワタシが悪いんだ! こんな情けない飼い主を許しておくれ……」

 

 レッドが訂正を入れようとするものの、マシンガンの如く次々に言葉を並び立てる女性とは絶望的相性が悪いのか、たたらを踏んでいた。

 

 すると、ここでコスモスが切り出す。

 

「……もしかして、テリア博士ですか?」

 

 うん? と。

 女性が初めてその存在を認知したのか、視線をコスモスの方へと向けた。

 作業用と思しき厳ついゴーグルを取り外せば、特徴的なグルグルと渦巻いた瞳が露わとなる。後頭部で結い上げても足首まである長髪と同じ藤色だ。

 色素の薄い瞳でジッと見つめること10秒。

 

「ん~? その小宇宙を感じさせる瞳……もしやコスモス氏かい?」

「ご無沙汰しています、博士」

 

 ペコリと丁寧にお辞儀をすれば、博士と呼ばれた女性は弾んだ声を上げる。

 

「いやぁー、久しぶり久しぶり! 何年ぶり? こんなに大きくなっちゃて! 20センチは伸びたかい?」

 

 さながら親戚の成長を喜ぶ叔母の反応だ。

 この様子から二人が知り合いであるという点は察せるが、それ以外にも気になる点はある。

 

(……博士?)

 

 博士、もとい『テリア』と呼ばれた彼女の恰好だ。

 薄汚れたツナギの上半身を脱ぎ、タンクトップが露わになった姿。どこからどう見ても現場作業員にしか見えない風貌である。

 

 しかし、そんなレッドの疑問を余所にテリアは嬉々として語ろうとする。

 

「懐かしいねぇー! まさかこんなところで再会できるとは! いつも一緒に居た愉快なチルドレンはどうしたんだい? 一緒じゃないの?」

「……あれ以降めっきりですよ。私は違う施設に入れられましたので」

()()? ああ、タマムシのロケッ───」

「ところで喉は乾いてませんかッ」

「むぐっ!?」

 

 うっかり口走りそうになった博士の口へ、買ったばかりでキンキンに冷えたエネココアを流し込むコスモス。

 最初の内はそのまま喋ろうとしていたテリアであったが、流し込まれる甘味には逆らえなかったのか、途中から静かにゴクゴクと喉を鳴らしていた。

 

 その間にコスモスは彼女の耳に口を寄せる。

 

「(博士。私達がロケット団だったことはご内密に……)」

「ングッ、ングッ……ぷはぁ! そーだったそーだった! キミもそういうことを気にする年頃になったってことだね?」

 

 そうではあるがそうではない。

 ややズレた回答を口にしたテリアは、口の端から零れるエネココアをペロリと舐めとった。

 

「んー、実に人工甘味料って感じの味わい! ワタシは嫌いじゃないよ。やっぱり人間頭を動かすなら糖分が必要だね!」

「……ところで博士」

「うん、なんだい?」

「さっき五日は食いつなげると仰ってましたけれど───」

「ああ、そーだったそーだった!」

 

 少女が言い切るよりも前に声を上げるテリア。

 満面の笑みを浮かべる彼女はペロッと舌を出したかと思えば、片目をウインクさせながら両手を合わせる。

 

 

 

「コスモス氏、ちょっと船代貸してくれない?」

 

 

 

……は?」

 

───……カビゴンってたまに目を見開くんだけど、それと同じ怖さを感じた。

 

 後にレッドはそう語った。

 




Tips:自動販売機
 町中を探せば見つかるジュースの無人販売機。以下、ラインナップ。

・おいしいみず
 シロガネやまから採取した天然水。飲み口が軽く、身体に澄み渡るようなおいしさ。

・サイコソーダ
 シュワっと弾ける炭酸飲料。最近ナツメがCMをやっていた。

・パイルジュース
 飲み物にあるまじき甘辛いきのみジュースの一種。しかい意外にも人気。一部の界隈では依存性の高い成分でも入ってるんじゃないかと疑われている。

・ミックスオレ
 色んな果物を混ぜたオーソドックスなジュース。時たま悪ふざけとしか思えない期間限定フレーバーが発売される。

・マトマトマ
 トマトとマトマのみを使ったトマトジュース。トマトの酸味にマトマのみの辛味が合わさった、一見地獄のような味わい。しかし、一部の界隈でカルト的な人気を博している。

・エネココア
 エネコのしっぽのマークがかわいらしいココア。大人向けのビターフレーバーの方にはエネコロロがデザインされている。

DONN(ドン)
 ドンカラスがデザインされている有名な缶コーヒーブランド。思いの外カフェイン含有量が多く、飲むと目がギンギンになって不眠になる。道具として使うとねむり状態が治る。

FIRE(ファイヤー)
 ファイヤーがデザインされている有名な缶コーヒーブランド。思いの外カフェイン含有量が多く、飲むと目がギンギンになって他人をにらみつけるような目つきになる。道具として使うとねむり状態が治る。


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№049:物の価値は人それぞれ

前回のあらすじ

コスモス「久しぶりに会った知り合いから金を無心されました」

レッド「ろくでもない人間の予感が凄まじい」


 

 

 

 ここは海上。

 編隊飛行を組むキャモメやペリッパーを追い抜く高速船は、ホウジョウとセトーの荒波にも負けず突き進む。

 

「いやぁー、爽快爽快! やっぱり潮風は気持ちイイねぇー!」

 

 『髪やら肌がベタつくのがアレだけど……』と付け加え、女性が大きく伸びをする。

 足首ぐらいまである藤色の髪は、吹き付ける潮風以外にも荒々しい波に右へ左へと揺れていた。

 

「博士」

「うん? なんだい、コスモス氏!」

「ちゃんとお金は返していただけるんですよね?」

 

 やや不機嫌そうな声の主・コスモスは、旅客用に設置された椅子の上に座っていた。日差しが暑いのか、熱を吸収する黒色の上着は脱いでいる。

 隣ではルカリオが団扇を仰いでおり、主を涼ませようと努力していた。

 しかし、それでも主の少女の機嫌は直らない。

 

 と、言うのも。

 

「もちろんもちろん! 家に帰ったらちゃんとあるから!」

「住所不定無職のはぐれ研究員なのにですか?」

「うーん、言葉の切れ味がいあいぎり級。だが一つ訂正してほしい。ワタシは住所不定ではないよ!」

「無職は否定しないんですね」

「アッハッハ! パトロンのいない研究者なんて無職も同然さ! 今は知り合いの手伝いで小銭を稼ぐ日々さ」

 

───無職を隠さないこの人間に果たして返済能力があるか?

 

 コスモスにとってはそれだけが心配だった。

 こんな憂慮を抱く彼女は今、カイキョウタウンへと向かう船の上に居た。無事交通規制も解け、晴れて航路を使用できる───そんな矢先での寄り道だった。

 全ては目の前のはぐれ研究員が帰りの船代を持ち合わせていないが故の悲劇である。

 

「せめてキャッシュカードは携帯してなかったんですか?」

「キャッシュカード持ってるとさ、ワタシったら余計な物まで買っちゃうからさ! だったら必要な分だけ持って出かけようって。そう思って帰ろうとした矢先、交通規制だろぉー? いやぁー、笑っちゃうよね!」

「笑えませんが」

「コスモス氏、目が怖いよぉー」

 

 そうは言いつつも、テリアはケタケタと笑っている。

 

「ところで」

「はい?」

「キミの先生なる青年はいずこへ?」

「先生でしたら部屋で休まれています」

「なるほどなるほど。トーホウの荒波に揉まれて胃の内容物をシェイクされている訳だね」

 

 要するに船酔いだ。

 キョウダンからオキノへと向かう船でも酔っていたのだ。それがホウジョウ地方とセトー地方の海峡ともなれば次元が違う。マグニチュードで言えば10、効果は抜群だ。

 

「じゃあ、ここで大っぴらに話してもオーケーだね!」

「……あまり大っぴらにはしてほしくはありませんが」

 

 レッドが居ないのを確認した二人は場所を移す。

 見晴らしのいい窓まで移動すれば、そのまま窓枠に手を置く。

 切り出したのはテリアの方からだった。

 

「いやぁ……ホントに懐かしいね。キミを見てるとロケット団に居た頃を思い出すよ」

「今はもう組織とは?」

「連絡は取ってないさ。所詮雇われの身だしねぇー、向こうからお声が掛からない限り取るつもりはないよ」

 

 彼女───テリアは元ロケット団だ。

 コスモスとの面識もそこからである。

 

 当時を振り返るテリアは、どこか楽しそうな声色で語る。

 

「タマムシの一斉検挙があったろ? あん時は逃げるのに必死でさぁー。そのせいで資料も電話も持てずじまい! まあ、今となっちゃ警察にも組織にも追われず正解だったと思うけど」

「じゃあ、今カイキョウタウンに居を構えているのは……」

「ムッフッフ、その通りさ」

 

 ロケット団解散の一因となったタマムシゲームコーナーの一斉検挙。

 その際、団員は散り散りとなった。ボスからの命令もない中では独断で動くしかなく、ある者はカントーに留まり、ある者は地方を渡った。

 

 その内、テリアは後者だった。

 

「やはり身を潜める為に───」

「そうとも!! なんせカイキョウタウンは研究者魂をくすぐる謎に満ち溢れているからね!!」

「……は?」

 

 思わず呆気にとられた声が出る。

 

「……今、何と?」

「興味があるかい!? そーかいそーかい!! やはりキミも知的欲求を持ち得し人間の一人!! 謎があれば答えを導き出したい性質だろう!?」

「いえ、そういう意味ではなくて」

 

───ああ、なんかダメな流れになっている。

 

 そうは思いつつも、ここからの訂正には相当の労力を要すると知っているからこそコスモスは止めない。流れに身を任せる。

 

「陸とは断絶された未開の孤島! うーん、なんとも浪漫がある響き! 未開とは、すなわち誰の手にも調べられていない場所! これほど研究者の心をくすぐる言葉があるだろうか!?」

「それで? 成果はあったんですか?」

「もちろん! ワタシのラボまで来てくれればいくらでも見せてあげるよ!」

「それは楽しみです」

 

 少女の声が限りなく平坦であったが、テリアは一向に気にする様子を見せずにつらつらと自身の言葉を並べていく。

 

 そうしてコスモスの意識が飛びかけた頃。

 

「お……見るんだ、コスモス氏!」

「ふぁ?」

 

 限りなく閉じていた瞼がゆっくりと開く。

 次第に開けていく視界、その先には何やら島のような影が見えてくる。遠目ではほとんど緑一色の無人島にしか見えないものの、近づくにつれちらほらと住居の屋根と思しき点が見えてくる。

 

「あれが……」

「そうとも、カイキョウタウン! 時と空に忘れ去られた地……うーん、いつ聞いても浪漫を感じる響きだ!」

「なんだか仰々しい響きですね」

「そうとも言い切れないさ」

 

 口をついて出た言葉への返答にコスモスが首を傾げる。

 それを満足そうに見つめていたテリア。彼女は何を思ったのか、こんな問いを投げかけてきた。

 

 

 

「なあ、コスモス氏。キミは『オーパーツ』って信じるかい?」

 

 

 

 ***

 

 

 

 カイキョウタウン───時と空に忘れ去られた地。

 そう聞くと寂れた村の印象を抱くが、事実として閑散とした光景が広がっていた。家と家が隣接している場所などない。古ぼけた民家を取り囲む生垣は苔むしており、長い時が経っていることを見る者に想像させる。

 人が通る道はアスファルトで舗装されてなどいない。精々石畳が敷かれている程度だ。

 そもそも人通りが少なかった。港とも言えぬ港の桟橋に降り目的地に向かっている間も、誰一人としてすれ違うことはなかった。

 海の方から聞こえる波の音と、陸地を進んでいった先にある森の方から聞こえる葉擦れの音。そして、島に生息するポケモンの鳴き声ばかりが耳につく。

 

 まるで人の気配を感じられない。

 気分としては無人島に上陸したようなものだった。

 

「さぁー、着いたぞ着いたぞ! ここがワタシの城! そして、このカイキョウの秘密を解き明かす最前線のラボ……名付けて『テリア研究所』さ!」

「はあ……」

「おぉ……」

 

 ハイテンションのテリアに手招かれるコスモスとレッドだが、中々一歩を踏み出せない。

 というのも、先を行く女博士の言葉にギャップを覚えていたからだ。

 

 最前線のラボ。何とも聞こえがいい。

 しかし、現実の光景はどうだろうか。

 

「納屋ですね」

「うん、納屋」

 

 研究所と聞けば、普通は何を想像するだろう。

 最先端の機材や資料に溢れたハイテクな建物、この辺が固いであろう。

 

 しかしながら、目の前の建物は違う。

 ただの一軒家……の横にある納屋である。それもそこそこ年季が入っている。つくりも中々古く、一軒家とひっくるめて『古民家』と評するのが正しい風体であった。

 『研究所』という文字も表札の木の板に油性ペンで付け足されているだけであり、ハイテク感は皆無である。

 

───研究所、とは?

 

 オーキド研究所って立派なんだったんだなぁ、と今更ながらに思うレッドはやっと研究所の敷居を跨いだ。

 

 序盤から特大の不安に駆られるが、ここを越えていかなければ当初の目的は達せない。

 中に立ち入れば、古風な外観とは打って変わって研究機材と思しき機器がいくつも並べられていた。一応研究所としての体は保っていそうであるが、乱雑に伸びたケーブルは気を付けないとうっかり足を引っかけてしまいそうだ。

 

「えーっと、この辺に~……」

 

 ボロボロのデスクを漁るテリアは突き出した尻を右へ左へと揺らしている。が、色気なんてものは一切ない。期待なんてするだけ無駄である。

 

「ひーふーみー……ヨシッ! コスモス氏、これで足りるかい?」

「はい。それでは帰ります」

「あれ? もう帰っちゃうのかい? お茶ぐらい出すのに」

「お茶を出してもらうのも憚られますので」

「んー、それは残念だなぁー」

 

 実際、お茶もタダではない。

 無職の人間にとっては安くない出費になるだろう───というのは建前で、コスモスは一刻も早くセトー地方へと渡りたかった。

 航路が復活しているのであれば、次なるジムへと挑みたい。

 

 その一心で踵を返したコスモスであったが、

 

「折角コスモス氏へのお礼にスペシャルな贈り物をしようと思ったんだけどなぁー」

 

 ピタリ、と足が止まったところで博士の知的な眼光が閃く。

 

「それに今日の船の便はもう出てないと思うよ?」

「!? ……本当ですね」

「ド田舎を舐めちゃいかんよ、コスモス氏」

 

 スマホロトムで確認したコスモスが、諦めたように椅子へ腰を下ろす。

 カイキョウタウンへと立ち寄る船の便は一週間に一度。

 その為、一度上陸したが最後。次にホウジョウ地方なりセトー地方なりに降り立てるのは一週間先となる。

 最悪『なみのり』できるポケモンに乗せてもらうという手もあるが、波の荒いトーホウの海峡を渡るのは骨が折れる話だ。船で行けるのであれば船に乗っていくに越したことはない。

 

「つまり、一週間はここで泊まるってこと?」

「……まあ、次のジムへのトレーニングぐらいはここでもできますし……」

 

「───ホントにそれだけでいいのかい?」

 

「「?」」

 

 意味深な問いかけだった。

 思わず二人が振り返れば、そこには急須から茶を注ぐテリアの姿があった。

 しかし、重要なのはそこではない。先んじてモンちゃんに指示を出していたようであり、間もなく資料を持ってきたモンちゃんが、二人の前に分厚い紙の束を置く。

 

「博士、これは一体なんですか?」

「この島についてまとめた研究データだよ。見てみるかい?」

「はあ」

 

 要領を得ない返事をしてから紙を捲り始めるコスモス。

 汚い走り書きの字は読み取るのも困難だ。目を凝らせど凝らせど理解できぬ内容に、とうとう少女は痺れを切らす。

 

「つまり、何が書いてあるんでしょうか?」

「言っちゃえば、このカイキョウの地で発見された遺物についてだね」

「遺物?」

「ちょい待ち。画像で見てもらった方が早いね。あ、粗茶だけどどうぞ」

「ありがとうございます」

「その辺で採ったヨモギを使ったお茶だけど、味は保証するよ」

「ぶふーっ!」

 

 オーノー。ディス・イズ・野草茶。

 お腹を壊したらどうしてくれるのだ、と口の端から垂れる液体を拭いつつ、コスモスは差し出されたパソコンを閲覧する。

 画面に映し出されていた画像は、どれも人工物に見える物ばかりだ。それもここ最近市場で見られるようになった進化アイテム───具体的にはアップグレードやエレキブースター、プロテクター、その他諸々だ。

 ただひとつ共通している点があるとすれば、どれもこれもがかなりの歳月を経たかの如く苔むしたり古ぼけたりしていることだろうか。

 

 これに首を傾げたのはレッドだ。

 

「なんというか……ちぐはぐ」

「その通りさ、赤先生」

(赤先生?)

 

 突拍子のないヘンテコな呼び名にレッドが困惑している間、テリアは瞳を爛々と輝かせながら続きを口にする。

 

「実はこれ……どれも1()0()0()()()()()()()()()()()()()()()()()()()代物なんだよ」

「「!」」

 

 もしもこの地が他よりも進んだ文明を築いているならばともかく、カイキョウタウンは何の変哲もない田舎だ。

 ならば、そもそも存在していること自体がおかしい。

 

「ありえないです。村おこしでやらせでもしているんじゃないでしょうか?」

「チッチッチ! 浪漫が足りないよ、コスモス氏。こういう時に必要なのは頭ごなしに夢物語と突き放すんじゃなく、現状存在し得る技術や情報の中でどうすれば実現可能か理論を組み立てることさ!」

 

『キミも得意だろう?』と女博士は辞書程もある紙の束を捲り、とあるデータをまとめた資料に辿り着く。

 

「過去に存在しないものが存在していた。これすなわち、このカイキョウという土地においてタイムトラベルが発生していたことを裏付ける証拠になるのではなかろうか!? ……と、ワタシは考えているよ」

「……タイムマシン的な?」

「おお! いいねいいね、赤先生! 人間の技術力が遂にタイムトラベルをも可能とした……それもまた浪漫のある話! だがワタシはこれらのポケモンの能力説を推しているよ!」

 

 バンッ! と古ぼけた床に叩きつけられた紙には、それぞれにポケモンの画像が張り付けられていた。

 どれも実物ではない───本に描かれていた挿絵や、遺跡に建てられていた銅像の写真であるが、下には『セレビィ』と『ディアルガ』という名が記されていた。

 

「まずセレビィ! こっちはウバメの森なんかで目撃例のある幻のポケモンだね。平和な時代に姿を現す森の神様さ!」

「言われてみれば、授業で話を聞いたことがある気がします」

「ジョウト地方じゃ有名なおとぎ話にもなっているもんね。だがしかぁし! ジョウト以外じゃオーレ地方でも目撃例がある! そこじゃあ聖なる力で悪しき力を浄化するなんて伝説もあって祠も建てられてるって話さ。うーん、興味深い!」

 

 そこでいったん区切るようにセレビィについて資料が退かされる。

 

「さて、次にディアルガだ! これはシンオウ地方の伝説に出てくる時を司る神様でね、こっちはよりビッグなスケールさ! セレビィと違って時間の流れそのものを操る!」

「……セレビィと同じじゃ?」

「そこが違うんだよ、赤先生。セレビィが個人スケールで、ディアルガが世界スケールと表現した方が分かりやすいかな? なんたってディアルガは時の化身とも呼ばれているからね。力のスケールが一個人とじゃ大違いなのさ」

 

 簡潔な解説を受け、レッドから『おー』と緩い納得の声が上がる。

 ここまででセレビィとディアルガの能力について大方把握できた。確かに彼らの能力を以てすればば、カイキョウタウンに流れ着いたオーパーツを説明することができるだろう。

 

 しかし、未だに見えてこない。

 

「すみません、結局博士は私達と何をしたいんですか?」

「遺物調査さ」

 

 聞かれるや、テリアははっきり言い放った。

 

「カイキョウタウンに流れ着いた遺物……暫定未来からやって来たオーパーツについて調査を進めたい」

「? 別におひとりでもできるのでは……?」

「そうは問屋が卸さないのさ。でもだね、キミのルカリオが居ると随分助かるんだが───」

 

 

 

「……帰ってきていたか」

 

 

 

 突如として聞こえた声に全員が振り返る。

 納屋の入口───ちょうど日光が差し込んでくる場所で、逆光が人型の輪郭を描き上げていた。

 

「おぉ、ジー氏! おかえりおかえり! 出かけてたんです?」

「……客か」

「そーそー! 昔の知り合いとそのティーチャーですよぉー」

 

 『ジー』と呼ばれた相手は、中年の男性であった。

 白髪交じりの逆立った青髪と三白眼が特徴的だ。顔の彫が深いのも相まって、異様な威圧感を与えてくる印象があった。

 

(なんと言うか)

(サカキっぽい)

 

 この時、天然師弟の思考はシンクロしていた。

 時折居るだろう。ただの一般人でしかないにも関わらず、ヤのつく職業をしているか刺青を彫っていそうなインパクトのある強面の人が。

 そういった類の印象を受けるのも束の間、コスモスはペコリと頭を下げる。

 

「お邪魔しています」

「お」

「勝手にするといい」

 

 レッドが挨拶キャンセルを食らう間に、不愛想に言い放ったジーは研究所(納屋)から立ち去っていく。

 そんな後ろ姿を見送ったコスモスは、至極当然な質問を投げかける。

 

「どちらさまですか?」

「あの人かい? ほら、そっちの家。そこの家主さ」

「じゃあ、この納屋も?」

「そうそう! 間借りさせてもらってる訳さ! ああ見えてジー氏は親切だよ? なんたって流れ者のワタシを家に住まわせてくれてるんだから!」

「……それって私達がこの島に居る間、あの人のお世話になるって意味では?」

「そーなるね」

 

 何か問題でも? と首を傾げるテリア。

 頭の上にそれはそれは純粋なクエスチョンマークが浮かんでいるが、同じタイミングで眉間に皺を寄せたコスモスとレッドが見つめ合い。

 

(あの不愛想な人の家に……?)

(あの怖そうな人の家に……?)

 

 だったら野宿の方が気楽そうだ。

 

 なんてことを考えていると、またしても足音が近づいてくる。

 今度はあらかじめ扉の方を向いておく。

 すると、先ほど離れていったばかりのジーが、三つほどモンスターボールを携えて戻って来たではないか。

 

「面倒は看ておいた」

「おー、申し訳ない! 助かるよ、ジー氏!」

 

 テリアがボールを受け取れば、今度こそジーは研究所を後にした。

 完全に足音が離れるのを見計らい少女が質問する。

 

「そのボールはなんですか?」

「これかい? そうだなぁー、口で説明する前にまずは見せた方が早いか」

 

 『出ておいで』とテリアがボールを開けば、三体のポケモンが飛び出す。

 

「フッシァア!」

「リザァ!」

「カメェ……」

 

 フシギソウにリザード、カメール───別に珍しくもないポケモンの登場であったが、なぜかコスモスとルカリオは大きく目を見開いた。

 

「この三体、まさか……」

「フッフッフ。見たまえ、この子達の目を! ギンギラギンに紅く染まった瞳……普通じゃないだろう? 何故ならこの子達は───」

「シャドウポケモンだから、ですか?」

 

 意気揚々と言葉を続けようとしていたテリアが小首を傾げる。

 

「あり? コスモス氏、この子達のこと知ってるのかい?」

「知ってるも何もこの三体をキョウダンで倒したのは私です」

「そうだったのかい? なんだいなんだい、世間って狭いねぇー」

 

 そうぼやきながらテリアは身近に居たリザードの頭を撫でる。

 しかしながら、瞳が紅く染まったリザードはこれといった反応を見せることはしなかった。心ここにあらずと。まるでそう言わんばかりの様子だ。

 と、ここでレッドが疑問を抱く。

 

「……どうして博士がシャドウポケモンを?」

「そう言えば赤先生には言ってなかったね。ワタシが知り合いの伝手で仕事紹介してもらってる話。これがそれ」

 

 これがそれと言われてもだ。

 

「博士、端折り過ぎです」

「そーかい? じゃ、要点だけまとめて説明しよっか」

 

 事の発端は数か月前にさかのぼる。

 その頃、テリアはカイキョウタウンで一人研究に明け暮れていた。しかし、所詮はカントー地方から着の身着のまま逃げおおせてきた身。研究に必要な機材や道具などはなく、そもそも購入する為のお金もない。

 どうやって金銭を工面するか───悩みに悩んだ結果、テリアは古くの友人を頼ることにした。

 

 無論、経緯はそれとなく隠した。

 すると、程なくしてとある大学の同窓生から連絡があった。

 

『キミにこの子達のデータを取ってもらいたいんだ』

 

 そう言われて送られてきたポケモンが前述の三体である。

 なんでも戦闘用に改造された疑惑のあるポケモンだが、具体的な施術方法がはっきりとしていないと言うではないか。

 方法が分からないとなると治療のしようもなく、現在はどうやって施術されたかを探る段階とのこと。

 

「そこでワタシにお鉢が回ってきたってワケさ」

「確か博士は遺伝子工学専門でしたよね」

「おー、よく覚えていてくれたね!」

 

 ご褒美におやつをあげよう、とテリアがせんべいを取り出したところで、

 

「遺伝子工学?」

「おや、赤先生はあんまり聞き馴染みない? じゃあそうだ、お菓子の原材料名とか見たことない?」

「あんまり」

「先生、ここに」

 

 あらかじめ用意していたかのような速度でコスモスがお菓子の箱を取り出す。

 どこでも見るポテトチップスの箱。キャッチーなロゴの裏側を見れば、四角く囲われた枠内に原材料名がずらりと記載されている。

 

「身近な例で言うとポテトかな。よく『遺伝子組み換えでない』とか見るだろ? あれは逆説的に遺伝子組み換えのポテトがあるって意味になるよね!」

「……遺伝子を組み変える意味は?」

「それはもう多種多様さ! 野菜で言ったら美味しくなったり、病気に強くなって育てやすくなったりとか! そういう理想を遺伝子を組み変えることで実現しようとするのが遺伝子工学だと思ってくれていいね」

 

 これもまた社会を陰ながら支えている学問の一つ。

 

「じゃあ、博士もお野菜の品種改良を?」

「いや、ワタシはもっぱらポケモンの方の……」

「博士、本題の方へ」

「おっと、済まない済まない!」

 

 本題から逸れて危うく過去の所業を暴露しそうになるテリアを止める。

 内心冷や冷やのコスモスがジト目を向ければ、女博士は大して反省してなさそうな表情で頬を掻いていた。元々彼女はこういう人間だ。探求心や好奇心が強過ぎて、善悪の概念が頭からすっぽり抜け落ちてしまっている。

 良い意味で純粋、悪い意味でも純粋。自分の欲求を満たす為であれば、どんな組織にでも所属するのを躊躇わないような人間であり、だからこそロケット団に所属していた。

 

 そんな彼女の過去の逸話を語り始めれば、いつまで経っても本題に入らない。

 故に強引に話を引き戻したコスモスは、こう続ける。

 

「つまり、博士は遺伝子方面からシャドウポケモンの正体を明らかにしようと?」

「その通りさ! ワタシ自身、人為的にポケモンを強化するシャドウポケモンにはヒッジョ~~~に興味がそそられたからねッ! まさにウィンウィンの仕事ってワケさ!」

「じゃあ、オーパーツ研究とは一切関係ないんですか?」

「ない!」

 

 ハッキリ言いよる、この研究キチは。

 

「……本島で調べようとかは考えなかったんですか? こんな離島より本島の方が色々都合が良いと思うんですが」

「何を言ってるんだい? 本島に移ったらオーパーツの研究ができないじゃないか! 仕事は仕事、研究は研究! 公私は区別するのが大人というものだよ、コスモス氏!」

「あ、はい」

 

 どっちも研究なのでは? という疑問は寸でのところで呑み込む。

 

 仕事としてシャドウポケモンの研究。

 趣味としてオーパーツの研究。

 研究において二足の草鞋を履いているテリアに、コスモスは感心半分呆れ半分の感情を抱く。

 

「まあ、シャドウポケモンは博士個人の仕事ですので置いておくとして……私のルカリオが居ると助かるとはどういう意味で?」

「おっと、そうだったね!」

 

 思い出したように研究資料を漁るテリアは『あったあった!』と一枚の写真を手に持った。

 

「これを見てくれ!」

 

 勢いよくテーブルに叩きつけられる写真に写っていたのは、青紫のグラデーションが幻想的な楕円形の物体であった。

 

「……結晶?」

「私には花に見えますが」

 

 しかし、レッドとコスモスの反応はそれぞれ別であった。

 見ようによっては不思議な形をした結晶に見えるが、地面についた花葉らしき物体を見ると植物にも見える。

 まだ宝石を削って作り上げた彫刻と言われた方が信じられる。

 それほどまでに自然物とはかけ離れた造形に、自然と目を奪われていると、

 

「実はそれ、カントーにもあるのさ」

「これがカントーに?」

「……見たことありませんね」

 

 思いもよらぬ事実に驚愕を覚えていると、発言した博士がこう続ける。

 

「まー、おつきみやまとかシロガネやまのさらに北の方……『ロータ』って街は知ってる?」

 

 やはり聞いたことがないとコスモスとレッドの二人が目を合わせる。

 ただ一人、ルカリオだけが訝し気に耳を動かしたが、彼の反応もそれっきりであった。

 すると、知らない態度に残念がるどころか、むしろテリアは嬉々としながら話を続けていく。

 

「この花はそのロータって街周辺に自生するものでね、『時間の花』って呼んでるみたいだね。なんでも、波導の力で時間の奇跡を見せてくれるとか!」

「時間の奇跡? ……とは、また遠回しな表現ですね」

「そうかい? ワタシ的には大いに浪漫を感じる言い回しだけれど……」

 

 まあそれはいい。

 即座に切り替えるテリアは、釈然としていないコスモスに詰め寄る。

 

「コスモス氏! キミのルカリオの協力さえあれば、この島に自生する時間の花を咲かせることができる! それすなわち、この島で起こった過去を解き明かすことができるかもしれない! ……ということなのさ」

「……」

「おっと、芳しくない反応」

 

 閉口し沈黙を続ける少女を前に、博士は顎に手を添え思案する様子を見せる。

 

「そう言えばキミは合理主義だったね。時を超えた浪漫というものは琴線に触れなかったか……」

「過去より今ですので」

「ウムム……! では、ワタシが収集したオーパーツの中から気に入った物を譲ろうじゃないか! モンちゃん、カモン!」

 

「モンモン!」

 

 パッチィーン! と指を鳴らせば、どこからともなく現れたモンちゃんことメタモンが、棚の中に収納されていた収集物を持ってくる。

 いずれもコスモスからすれば価値の分からない骨董品にしか見えない物ばかり。

 

 だが、閉口する弟子とは裏腹に瞳を輝かせている者が居た。

 

「これは?」

「おぉ、よくぞ聞いてくれたね赤先生! これは波導グローブと呼ばれる波導使いが自身の波導を増幅させる為に使う道具でね! ロータでも高名な波導使いが使っていた逸品さ!」

「こっちは?」

「こいつはピートブロックだね! 泥のような性質を有する石炭の塊さ! 昔はシンオウ地方でよく採れていたらしいんだけれど、こんな離島で拾えるなんて不思議な話だよね」

「この石は?」

「お目が高いね! それはポケモンの力を増幅させる波長を放つ特殊な石さ! まだ詳しくは調べていないからこれから何か分かるかもね」

 

 レッドは次々に収集物の詳細を尋ねる。

 よほど、時を超えてやって来たオーパーツに心魅かれたのだろう。少年のように純粋な瞳を湛えながら、時には実物を手に取って観察している。

 最初の内はコスモスも怪訝な視線を送っていたが、熱心に観察を続ける師の姿を見ている内に心境の変化が訪れる。

 

(もしや先生は……)

 

「コスモス」

「はい?」

「これとかどう?」

「!」

 

 レッドが不意に差し出してきた。

 それはテリアもまだ詳細不明と言っていた謎の石。不思議な模様こそ中央に浮かんでいるが、ただそれだけで用途は一切不明だ。

 普段のコスモスならば利用価値はないと切り捨てているであろう代物であるが、この時ばかりはコスモスも目を輝かせて差し出された石を手に取った。

 

「先生がそうおっしゃるのであれば……いただきます」

 

 恭しく目礼をするコスモス。

 疑問符を浮かべるレッドが何か聞きたそうにしていたが、それよりも早くテリアが大声を張り上げた。

 

「おぉ!? それはつまりワタシの研究に付き合ってくれるということだね!?」

「ここに滞在する間だけにはなりますが」

「いいよいいよ! それで十分さ! あぁ……いざ了承を得られたとなると居ても立っても居られないぞ!」

 

 言い出してからはあっという間だった。

 大急ぎで調査に必要な道具をまとめあげるや、パンパンに膨れ上がったリュックを背負うテリアが研究所の入口に立つ。

 

「さぁ、いざ『時間の森』へ行こう! 過去と現在を繋ぐ奇跡の真相を明らかにしようではないかぁー!」

「「おー」」

 

 コスモスとレッドの緩い掛け声が上げる。

 かくして、彼らはテリアの研究に手を貸すこととなったが、それが決定的となった答えを返したコスモスはというと、レッドから手渡された石を握りしめていた。

 

(先生が差し出されたからには、これにも何かの意味があるはず……)

 

 少女は合理的で論理的で利己的であるが、その一方で妄信的でもあった。

 

「先生のご厚意、深く痛み入ります」

「? ……どういたしまして」

 

 石ころ一つに価値を見出す。

 そういう意味では彼女もまた、石マニアになれる素養を持つ……と言えなくもない。

 

 

 

 ***

 

 

 

 島に近づく影が一つ。

 それは小さな船。より詳細には、数人が乗れるサイズのモーターボートであった。

 

「まったく……本当にこんな辺鄙な場所にターゲットは居るんですの?」

『上からの確かな情報だよ』

 

 ぶつくさと文句を垂れる緑髪の少女へ、全身黒ずくめ───それどころか肌の露出が一切ないフードの人物が機械音声で答えた。

 

『シャドウポケモンの調査を委託されたのは、元ロケット団研究員のテリア博士だ』

「聞き覚えのあるお方ですわね」

『そうだね。まあ、昔のよしみとは言え止めておくに越したことはないからね』

「それでワタクシ達の出番、と……」

 

 波に揺られながら、緑髪の少女は眼前にある島を睨みつける。

 つい最近までホウジョウ地方やセトー地方の本島ともほとんど交流のなかった離島。排他的な空気を漂わせながらも流れ者を受け入れると評される不思議な土地ではあるが、裏社会から逃げ出してきた一研究員にとっては確かに居心地のいい場所かもしれない。

 

「ですが、ワタクシ達が送られてきたが最後ですわ」

 

 ニヤリ、と少女が好戦的な笑みを浮かべる。

 背後では男性とも女性とも取れる中性的な美貌を持つ人間が遠くの方を眺めていた。まるで何かに思いを馳せている様子であったが、緑髪の少女は構わず言葉を続ける。

 

「たとえどんな相手であろうともワタクシ達───『ロケットチルドレン』の前には木っ端も同然。今回も華麗に、優美に……そして完璧に任務をこなして差し上げますわ!!!」

 

 

 

───オーッホッホッホッホ!!!

 

 

 

 山であれば木霊しそうな高笑いが、モーターボートの上から響き渡る。

 幸いにも波の音が激しくそこまで遠くには届かなかったものの、聞き覚えのある人間が耳にすれば一瞬で判別がつく声量と声音であった。

 

 ロケットチルドレン───少女が口にした言葉は、かつて企てられていたロケット団のとある計画の為に用意された子供達を意味する。ポケモンリーグを内部から掌握する為だけにチャンピオンになることを求められた存在。

 

 それ故に強さを求められ、それ故に強さを身に着けた。

 

 

 

 悪の申し子達がやってくるまであと少し。

 

 

 

 そして───。

 




Tips:テリア
 かつてロケット団に所属していたことのある女博士。探求心と好奇心が凄まじく、表社会では中々進められない研究を行う為にロケット団に入っていた。
 最終学歴はタマムシ大学院であり、専攻は遺伝子方面。特に大学院時代は『優秀なおやの才能が子のポケモンに引き継がれるか』や『おやが色違いであった場合、子供が色違いとして生まれる確率はどれほどか』のような研究を進めており、実践しようとするたびに周囲から止められていた。そこそこ論文も発表していたが、どれも尖り過ぎており教授が陰ながら処分していたり根拠が薄いと信用されていなかった。
 ただし研究者としては優秀であり、ロケット団にもその才能を見込まれてのスカウトであった。良くも悪くも自身の欲求に素直であり、それを満たす為であれば善悪は二の次となるきらいがある。
 ロケット団解散後は身を隠そうと各地を転々としていたが、面白い伝承があるカイキョウタウンに目をつけ、そこに住まうジーの家に住み込みながら研究を始めるようになった。
 相棒はメタモンの『モンちゃん』。現在、友人から紹介された仕事でシャドウポケモンのフシギソウ、リザード、カメールも預かっている最中。


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№050:誰だって一度は手から“波”を出してみたい

前回のあらすじ

テリア「テリア研究所、スタッフ募集中! 初心者大歓迎! アットホームな研究所だよ! フレンドリーな博士がキミを待ってるよ!」

コスモス「手頃に使える助手が欲しいだけでは?」


 

 

 

「それじゃあまずは村長さんに挨拶しようか!」

 

 開口一番、準備を終えたテリアが言い放った。

 

「村長さんにですか?」

「そうとも! 時間の森はカイキョウタウンにとっても特別な場所だからね。ちゃんと森に入る際は許可をもらってるのさ」

 

 考えてみれば至極当然だ。

 だがしかし、その当たり前が眼前の女博士の口から出てきたとなると、彼女を知っているコスモスからしてみれば驚きは一入である。

 

「ちゃんとしてるんですね」

「コスモス氏はワタシをサイホーンかなんかだと思ってないかい?」

「二本足のサイホーンだと思っています」

「それだとサイドンだね」

「いえ、二本足のサイホーンです」

「頑なだね」

 

 何を以て線引きしているのか気になるところである。

 

 ド失礼な物言いだが、テリアは気にも留めない。

 村長の家へと向かう足取りは軽やかだ。浮足立つ心境を隠しもしない彼女は、慣れた様子で田舎特有の傾斜がキツイ坂道をズンズン進んでいく。

 離島に比べれば十分都会であった町で暮らしていたコスモスにとって、それは余りにも厳しい試練。気づけば額には大粒の汗が滲み出しており、

 

「ひっ、ひっ、ふぅー! ひっ、ひっ、ふぅー!」

「何か生まれる?」

「く、口から昼に食べたゆでたまごが……」

「おぶるよ」

 

 このままではどこぞの魔族よろしく口から『たまごうみ』をしてしまいそうだった。

 仕方なく少女を背負うレッド。

それを眺めていたテリアは『アハハー』と緩い笑い声を上げる。

 

「コスモス氏は相変わらず貧弱だなぁー。さっすが、体力テスト万年最下位だっただけのことはあるねぇー」

「私は私が生きられる場所でしか生きられないんです」

「自然じゃ真っ先に淘汰されそうだなぁー。自分を環境に適応させるのは大切だよ? 自然は強い種が生き残るんじゃない。適応できたものが生き残るんだからねぇー」

 

 研究者らしい話を交えながら道を進んでいれば、次第に島の中でも大きな屋根が見えてくる。立派な門と屋根には魔よけと思しきウインディの像が飾られている。

 しかし、それを目にした途端レッドが足を止めた。

 

「……」

「どうされました、先生?」

「あのウインディ……角がある」

「角?」

 

 言われてコスモスも目を凝らす。

 レッドの言う通り、確かに飾られているウインディ像には一本の角が生えている。勿論、普通ウインディに角は生えていない。だからといって、ウインディ以外のポケモンであるかと言えぬ程ウインディに酷似している。

 

「不思議な造形ですね。この島特有の文化なんでしょうか?」

「……強そう」

「角技が増える分、戦略は広がりそうですね」

 

「コスモス氏ぃー、赤先生ぇー。こっちこっちー!」

 

 バトル脳共の先を行くテリアが屋敷の敷地内で手招きしていた。

 招かれるがまま立ち入れば、立派な庭先と縁側に腰掛けている人影が目に飛び込んでくる。

 

「フム? またぞろ騒がしいのが来たと思ったら……そなたに客人とは珍しい」

「どーもどーも! 来たよ村長さん!」

 

 縁側のティーテーブルに佇んでいた女性にテリアが歩み寄る。

 『村長』と呼ばれたのは壮年の女性であった。光を吸い込むような漆黒の着物に対し、落ち着いた色の銀髪が特徴的だ。総じて美魔女と呼ぶに相応しい女性は、ゆっくりと立ち上がるコスモス達の方を見るや、『ほぅ』と吐息を漏らした。

 

「これはまた随分と赤い人よのう」

「……おれ?」

「それにそっちは黄……いや、青も随分と強い。固い意志の下、燦然と瞬く知識……まるで夜空のようじゃ。フムフム、久方ぶりに面白い客人がやって来たのう」

 

 自分のことを言われたのかと立ち止まるレッドに対し、要領の得ない言い回しにコスモスは首を傾げた。

 

「貴方がこの村の村長さんで?」

「おっと、すまぬ。年甲斐もなく一人ではしゃいでしまった。そなたの言う通り、わしがこの村の村長じゃ」

 

 銀髪銀眼、それでいて黒ずくめの美女が言い切った。

 直後、レッドとコスモスが顔を見合わせる。

 

「(村長って言うからもっとこう髭を生やしたお爺さんを想像したけど)」

「(お綺麗な方ですね)」

「(いくつぐらいだと思う?)」

「(30後半から40代ぐらいが難いでしょうね)

 

「これ、聞こえておるぞ」

 

 『おなごの歳は詮索するものじゃない』と続ける村長は、言うほど大して気にした様子もなくクツクツと笑っていた。

 軽い挨拶を終え、一同はそのままティーテーブルへと腰を掛ける。ただ、椅子が三つまでしかなかった為、一番小さいコスモスは自然とレッドのおひざ元へと収まった。

 

「さて……用件は察しておる。どうせまた時間の森に行きたいと言うのじゃろう?」

「話が早いね、村長! 今度は心強い助っ人がやって来ましたからねぇー!」

「そのようじゃのう。まあ、調査に行くのは止めん。わらわの許可が要るとは言え、どうせ島の人間以外じゃ道に迷って危ないからぐらいの理由だからのぅ」

 

 そう言って村長は空のティーカップに紅茶を注ぎ始めた。

 緑茶とも違う香ばしい匂いがフワリと立ち上る。テーブルに鎮座するアフタヌーンティースタンド───そこに並ぶクッキーやスコーンといったお菓子の数々も合わせてみれば、思わずコスモスもごくりと唾を飲んだ。

 

「食べるか?」

「いただきます」

「遠慮がないねぇー」

 

 テリアにはこう言われたが、家主に勧められれば断る理由はない。

 すぐさま少女は気になっていたお菓子を手に取り、淹れたてホヤホヤの紅茶と共にティータイムを満喫し始める。

 

 傍らに佇むルカリオは、はじめこそ現金な主の姿にげんなりとしていたものの、『おぬしもどうじゃ?』とスコーン───それもきのみ入りの───を勧められ、まんまと誘惑に負けることとなる。

 

 それは他のポケモン達も同じ。スコーンにかぶりついたルカリオを皮切りに、服の中に隠れていたコスモッグやボールの中のポケモン達まで良い匂いにつられて飛び出してくる。

 あっという間に大所帯と化す場に、村長はわざわざ台所から追加の茶菓子を、皆が食べられるよう大きなバスケットへと詰め込んでやって来た。

 

 ここまで来れば後はお分かりのことだろう。自分の好きな味のきのみ入りの茶菓子を貪り始めるティーパーティーの開幕だ。

 先ほどまでの静寂は一体どこへやらといった騒ぎ具合だ。場所が場所ならちょっとしたご近所迷惑にもなりかねない盛り上がりである。

 

 しかし、それを村長は孫を見るかの如く穏やかな眼差しで眺めている。

 まるで遠い過去でも思い出しているかのようだが、懐古の情に浸るのも程々と言わんばかりに村長が口を開く。

 

「さて、童が菓子を食べ終えるまで暇じゃしのう、何か話の一つでもしてやろうか。なあ、そこの赤い人」

「……赤い人」

「何か聞きたそうな顔をしていたからのぅ。なんでもいいぞ、歳以外はな」

 

 すっかり『赤い人』呼ばわりのレッド。彼は釈然とはしないながらも、疑問を抱いていたのは事実でもあった為、これ幸いとぶつけてみることにした。

 

「じゃあ、この辺で見つかるオーパーツについて何か知ってることは?」

「フム、テリアが研究していることについてか。既知の事実は粗方そやつに話したんじゃがのぅ」

 

 そう前置きをした村長は紅茶を一口含んだ。

 生きた歳月を思わせる唇をほんのり潤し、語りの準備は整う。

 

「その話をするにはまず里の興りから話さねばな。今でこそ『カイキョウタウン』なぞ大層な名のついた土地じゃが、元々はあたしが隠居の地として移り住んだ隠れ里だったのじゃ」

「ご隠居様……?」

「印籠は持っておらぬぞ」

 

 冗談を挟みつつ、村長は続ける。

 庭先ではカビゴンの茶菓子を盗んだゲッコウガがしばき倒されているが、誰も気にしない。

 

「わしが住み着いて幾年月……ある時、本島から人がやってきた。それこそ、かつてのシンオウ地方開拓に出張って来たギンガ団のようにのぅ」

「……それにしては人が」

「少ないじゃろう?」

 

 言葉の先が分かっていた口振りだった。

 

「それもそうじゃろう。この地にやって来た人間は暮らしやすい住処を作ろうと森の開拓を進めようとした。だが、そうはいかなかった……何故だか分かるか?」

「……森に棲むポケモンに襲われたから?」

「然りじゃ」

 

 今となっては人とポケモンが共生していることは当たり前だが、ずっと前の時代はその限りではなかった。今よりも人慣れしていないポケモン達は、縄張りに押し入ったと捉えた開拓団へと襲い掛かったのだ。当然、開拓団もあの手この手で対策を講じはしたものの、結果として先に折れたのは人間の方だった。

 

「元々、こんな辺鄙な土地に来る人間なんぞ脛に疵を持った者も少なくない。無暗に騒ぎ立てようともせず、今の時代までひっそり暮らしてきたという訳じゃ」

「……ということは、森には当時の人達じゃ敵わなかったポケモンがたくさん?」

「そなた、何故そんなに楽しそうな声色なのじゃ?」

 

 普通は怖がるところだろうに、強力な野生ポケモンが住み着く山に籠っていた男にしてみればその限りでない。

 連日バンギラスやリングマが襲い掛かってはきたが、結局のところ野生ポケモンのラインナップは変わらないのだ。三食カレーでも飽きないガラル人でない以上、戦う野生ポケモンにも変化が欲しいと思うのは不思議ではない。不思議ではないのだ。不思議じゃない、いいね?

 

 一方、話を聞いていたコスモスはザクザク鳴り響く頬を動かしながら相槌を打った。

 

「なうふぉろ、へいあははへはふぇおほはへいへひうほほまふぁひふぁひは」

「口の中の物を飲み込んでから話せ」

「んぐっ……ふぅ。なるほど、テリア博士が手をこまねいているのも分かりました」

「菓子はどうじゃった?」

「とても美味でした」

「それは良かった」

 

 高燃費少女の腹が満たされたところで、村長の話はとうとう本題へと移る。

 

「それでも人間は自らの住処を確保すべく、少ない土地を何とか切り開き、恐ろしいポケモンが済む森の中へも食料を確保しに赴いた」

「そこで見つけたのがオーパーツという訳さッ!!」

 

 堪らずといった様子で口を開いたテリアの声が響き渡る。

 余りの声量に村長も目を細め、鬱陶しそうにはしゃぐ女博士を見遣る始末だ。

 

 しかしながら、語らなければその先の話は明らかにならない。

 今度は隣の喧しい研究者に注意しつつ、村長は語りを再開した。

 

「……こやつの言う通り、時折森から帰って来た者達の中に得体のしれぬガラクタを持って帰る者が居た。結局皆大した使い道も分からず、最後にはその辺に放り捨てておったんじゃがのう……」

「中にはそれらを集める御仁が居た!! ですよね、村長!?」

「少し静かにせぬか。これでも食っておけ」

「んごふッ!?」

 

 余りにも声量が大きいテリアの口に、村長はスコーンを詰め込んで黙らせる。中々のビッグサイズだ。スコーン単品では口がパサつくし、これを見越してか彼女に紅茶は淹れられていなかった。

 斯くして、巨大スコーンに悪戦苦闘する羽目に遭うテリア。続きを話すなら今しかあるまい。

 

「で、どこまで話しておったかのぅ? ……おぉ、そうじゃ。ガラクタを蒐集していた数奇者の話じゃったのぅ」

「どなたなんです?」

「そなた達、こやつの研究所に立ち入ったじゃろう? なら、そこの家主には会ったか?」

「……ジーさんですか?」

 

 コスモスの回答に、村長はこくりと頷いた。

 

「あやつもふらりとこの島にやって来てのぅ。それから20年くらいに経つか……その間、誰も見向きもしなかったガラクタを集め回っておったのじゃ」

「ふごふッ……そうそう! だからワタシはジーさんのお家ゴバッフ! げほっ、げほぉ!?」

「茶でも飲んでおれ」

「んぐっ!?」

 

 無理にスコーンを飲み込んで乱入してきたテリアだが、案の定口の水分を持っていかれていた彼女は激しく咽た。そこへ今度はティーカップ……ではなく、ティーポッドの注ぎ口を丸々突っ込んで黙らせる。

 中々の量が残っていたのか口の端からダバダバと高級そうな紅茶が溢れ出しているが、村長は一切気にしない。

 

「じゃから、この島でオーパーツに詳しいのはこやつを抜けばあやつが詳しい……はずなんじゃがのぅ」

「何か問題でも?」

「あやつ自身、集めている理由を知らんと言うじゃないか」

 

 村長の言葉に、コスモスとレッドは同じ方向へ首を傾げた。

 

「本人が集めてるのに?」

「なんでもここに来る前の記憶を失くしておるようでのぅ」

「え」

 

 ここに来て別のとんでもない爆弾発言が飛んできた。

 記憶喪失。フィクションの世界ではよく聞く単語ではあるが、いざ現実で遭遇する機会などほとんどありはしない。

 しかし、だからこその疑問をコスモスがぶつける。

 

「記憶喪失なのに集め回ってるんですか?」

「そうじゃ。まったく異な事と思うじゃろう? 記憶を失くし、理由も分からない。けれどああやって集めて回っている。きっと、記憶なんぞよりもっと深い……心に刻まれたものにでも従っておるのかのぅ」

「心、ですか」

「何か釈然とせぬ様子じゃな」

 

 顎に手を当てて考え込むコスモスに、村長はそれとなく返答を促した。

 思案は数秒。言うことが定まった少女は、真っすぐな瞳を湛えてから切り出した。

 

「心が憶えているから、というのは非論理的だと思います。それなら体に染みついた……習慣の方が納得できます」

「フム、なるほどな。心ではなく体に刻まれたものだと。そなたはそう思うのじゃな」

「おかしいでしょうか?」

「いや、そなたの考えも一理ある」

 

 村長は穏やかな微笑を湛えながらティーカップを傾ける。

 琥珀色の液体は波紋を広げながら、純白の陶器を駆け上がるように村長の口元へ吸い込まれていく。飲み干されたティーカップの中には最早何も存在しない。そこに紅茶があったことも証明できぬ光景は、まるで何かの暗喩であった。

 

「元よりこの問答に正解なぞ存在せぬ。それこそ当人にしか知る由もなかろう。もっとも、尋ねるべき相手は今のあやつか過去のあやつか……今語る理由もまた真実なれば、過去のあやつが語る理由もまた真実」

「そんなもの、記憶を失う前の理由が正解ではないんですか?」

「そうとも言い切れぬ。そもそも記憶を失う前と後とで己という存在は同一か? はたまた別人か? 自己の存在証明とはげに難しき命題なのじゃ」

「むぅ……」

「童には難しい話じゃったか」

 

 哲学染みた話にコスモスが口を噤むのを見て、村長は下がった眉尻をそのままに微笑んだ。

 

「じゃが、もしもそなた達に波導の力があるとするならば……時間の花が手掛かりになるやもしれぬ」

「波導の力?」

「そなたのルカリオならば使える。鍛錬すれば人間とて例外ではない」

 

 『まあ今の時代わざわざ身に着けるものではないじゃろうが』と付け加え、最後に村長はこう語った。

 

「じゃが、何よりも大切なのは正しく疑う心。それさえあれば道に迷いはせぬ。特に、自分の道にはのぅ」

 

 さあお行き、と。

 年の功を感じさせる微笑に妙な説得力を覚えつつも、コスモスはひとまず彼女の言葉を胸に止めることにした。

 結局大した情報は得られなかった。精々、テリアが言述通りルカリオが探索の要になるという確認が取れたぐらいだ。しかしながら、それ自体も未だ眉唾レベルの口伝である。

 

(やはり現場に向かうより他ないですね)

 

 百聞は一見に如かず。

 ここで長々で話を聞くよりも直接森に出張った方が早いと考えたコスモスは、レッドのひざ元から立ち上がった。

 

「貴重なお話ありがとうございました」

「構わぬ。伝承を言い伝えるのは慣れておるでのぅ。また暇になったら来るといい」

「……茶菓子が出るのなら」

「それなら、たんまり用意せねばのぅ」

 

 クツクツと喉を鳴らす村長。

 隠居している身とは言ったが、それでも一人は退屈らしい。

 

「それならまた来ます」

「土産話、楽しみにしておるぞ」

 

 こうして三人は村長の屋敷を発った。

 向かう先は時間の森。人・物問わず、時空を超えて渡って来た漂流者の流れ着く最後の場所であり、

 

 

 

───時と空に忘れ去られたが故、取り残されたポケモン達の住処でもあった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「さあさあ! ここが目的地の森だよ!」

 

 意気揚々と両手を広げるテリアの後ろに生い茂る木、木、木。

 この森こそが目指していた『時間の森』と呼ばれる森林である。とは言うものの、外観はただの森。入口らしき場所に風化した鳥居が建てられている以外は、これといった人の手は加えられていない。

 ポケモンの姿もほとんど確認できず、鳴き声一つ聞こえない静寂は、まるでこの空間を外界と切り離しているかのようだった。

 

「なんというか不気味ですね」

「フッフッフ! 不気味と神秘は紙一重さ、コスモス氏! ワタシにはこの森がスペシャルな謎に満ち溢れている宝の山に見えるよ!」

「林業者にはそう見えるかもしれませんね」

 

 しかし、目の前の女は林業者ではない。一歩間違えればマッドサイエンティストに踏み入りかねないイカレ研究者である。そんな女に目をつけられるとはこの森も不幸だ。

 

「それじゃあ早速案内するよ、二人共!」

「ルカリオの力が必要なんじゃないんですか?」

「いいや、手を借りるのはもう少し後さ!」

 

 それまでは何度もフィールドワークに赴いたテリアの領分と、コスモスとレッドの二人は素直に案内に従うことにした。彼女の背中を見失わないように気を付けつつ、変わらない景色へと目を送る。

 奥へ奥へと進んでいく内に、ちらほらとポケモンの姿が窺えるようになってきた。しかしながら、見つけたのはホーホーやヨルノズクばかり。拍子抜けするほどバリエーションがない。

 

(こっちをジッと見つめて来て気味が悪いですね)

 

 しかも、森へ立ち入る人間が余程珍しいのか、執拗なまでに自分達の方を凝視してくるではないか。

 

 その事実に居心地の悪さを覚えるコスモスの一方、レッドはと言えば。

 

「……空気がおいしい」

「ピ~カ~……」

「トキワのもりを思い出すね」

 

「トキワのもりと言えば!!」

 

「!?」

 

 突然大声を出すテリアに野生のヨルノズク達が驚いて逃げる。

 バサバサと飛び去る音が止んでから、思わず身構えていたレッドとピカチュウは話したそうにウズウズとしている博士に聞き返す。

 

「……トキワのもりと言えば?」

「村長さんの家で『波導』の話について聞いたろう? それに関連する話で面白い伝承があってね」

「伝承?」

「トキワのもりには10年に一度、ポケモンを癒すことのできる能力者が生まれる。ワタシはこれを『先天的な波導使いなのでは?』と仮説を立てていてね! 周囲の気……つまり、波動を導くことでポケモンにエネルギーを与える───疑似的な『いやしのはどう』を人の身で行っているのでは!? ってワケだね」

 

 『波導使い』と聞けば中々とっつきにくいが、『サイキッカー』と呼ばれる人種ならしばしばテレビでも話題になっている。それこそヤマブキジムリーダー・ナツメや、セキエイリーグ四天王・イツキがその最たる例である。

 意外にも世の中に偏在する特殊能力者……それらが先天的な『波導』を使える者達の一部ではないか、というのがテリアの主張である。

 

「……そもそも波導使いって?」

「あれ、説明してなかったっけ?」

「まったく」

「そっかー。じゃ、軽く説明しようかな」

 

 『波導使い』とは呼んで字の如く、『波導』を操れる者を指す言葉だ。

 

「まず『波導とはなんぞや?』って話なんだけど、村長氏いわく『物体が放つ波動を読み取ることで、物の探知から相手の思考を読んだりする万能能力』らしいんだよ!」

「おぉ……なんかすごそう」

「ルカリオはその能力で『はどうだん』を撃ってる訳なんだけど」

「!」

「赤先生、急に構えてどうしたんだい?」

 

 話を聞くや否や何か“波”的なものを繰り出そうと構えを取るレッドに、テリアはいまいちピンと来ていなかった。この女博士、どうやら浪漫は浪漫でも男子小学生的な浪漫には疎いらしい。

 

 それはさておきダイケンキ。

 

「ま、実際どういう理屈なのかは村長氏もさっぱりらしくてね。手慰みレベルでは使えるらしいけど、人に教えられるまでとはいかないみたいだ。詳細な理論をまとめられないのが残念でならないよ」

「……そう」

「だがしかぁし! この島の研究が終わり次第、波導(そっち)方面の研究を進めるのも吝かじゃあないッ! ゆくゆくは波導についての論文も書くつもりさ!」

 

 と、テリアはやる気満々である。

 これを聞いたレッドもまた、自分の手から“波”を出せるようになるのではないかと目に光を取り戻していた。

 一方、コスモスはと言えば、

 

(ポケモンの技を自分の身に着ける……なるほど。自分が身に着ければより経験に即した指導ができるようになる、と……)

 

 流石は先生。略して『さす先』。

 少女も少女で平常運転が暴走している。これでは暴走族だ。終わりである、この世紀末師弟は。

 

「お? 見えてきた見えてきた!」

「何がですか?」

「ここから先が未踏の地! まさに未知の領域って寸法さ!」

 

 浮足立っていたテリアの足が止まる。

 彼女の目の前に佇んでいるのは苔むした祠だった。鬱蒼と木々が生い茂る森の中、か細く差し込む木漏れ日に照らされて佇む光景は神秘的と言うより他ない。

 

 まさに日常から隔絶された空間。

 そこに祀られている祠の中にこそ、一輪の花が咲いていた。螺旋状に花弁を閉じる姿は一種の彫刻にも見える。しかし、これが自然より生まれ出でたものだというのだから驚きだ。

 実物を目の前に言葉を失っていたコスモスが、ようやく口開いた。

 

「これが……時間の花」

「さぁ~てさってさて~♪ コスモス氏、出番だよぉー!」

「分かりました。ルカリオ」

 

 呼ばれるがまま前に出るルカリオ。

 そのまま灯篭の下へ歩み寄った彼の手をとり、テリアは灯篭へと掌を翳すような体勢へと持っていく。

 

「さあ、今こそ波導の力を解き放つ時だ! さあ! さあっ!!」

 

「……」

「ルカリオ、あとでチョコあげますから」

「……ワフッ」

 

 何に対しての餌付けであるかは皆まで言うまい。

 溜め息一つ零したルカリオは、やれやれといった面持ちで精神集中を始める。すると掌を中心に鮮やかな蒼い光が満ち始めた。波動、あるいは波導と呼ばれる力の塊である。

 この力の扱うにあたって、『はどうポケモン』と称されるルカリオの右に出る存在は居ない。

 

 みるみるうちに波導は一点に収束する。

 『おぉ!』と目を輝かせるテリアだが、見慣れているコスモスはこれといった新鮮味もない光景。

 

(今日のところは早いところ切り上げて、ジムに向けてのトレーニングを考えたいですが……)

 

 半ば上の空で突っ立っていれば、不意に歓声が沸き起こる。

 

「見たまえ! 時間の花が!」

 

 テリアの声に意識を引き戻されれば、ちょうど花に変化が訪れた瞬間だった。

 刹那、彫刻のように佇んでいた一輪の花から七色の波動が解き放たれた。鮮やかな光の波は辺りを包み込み、文字通り周囲の光景を()()()()()()

 具体的に言えば、先ほどまで目にしていた森と景色が変わっていた。

 生い茂る木の数や祠を覆う苔の面積。ここが森の中であるが故にこれだけの変化で済んでいるが、違う場所ならば瞭然とした差異が目に見えてくるはずだ。

 

「おぉ、これが時間の奇跡……! すごい、すごいぞ! これはいつぐらいの景色だ? さっきまであったはずの木が無いところを見るにそれなりの時間が経っているはずだ! いや、それよりも写真は撮れるのか? もしも撮れるんなら後々の考証の為にありったけ撮って───うん?」

 

 捲し立てるように垂れ流していた独り言が止まった。

 過去より蘇った景色の中、現在に存在していなかった人影がそこにあったからだ。黒い中折れハットに、黒いロングコート。暗い森の中ではあまりにも不自然な格好だった。

 ふらふらと覚束ない足取りでこちらへと向かってくる。

 しかし、どうにも向こうはこちらに気づいていない様子だ。まるで三人の存在が元からないとでも言わんばかりだ。

 

「こ、これは……もしや過去にこの森を訪れた人間!? おっほー! いいねいいね! ワタシはそういうのを求めてたんだよ!」

「……あ、」

「どうしたんだい、コスモス氏! ようやくキミも過ぎ去った過去を蘇らせる浪漫に目覚めたのかい? それなら大歓迎だよ! だがしかし、もうちょっと待ってくれないかな! ワタシはまだこの興奮を抑えられそうにないからねぇ! 感想はこの光景をしっかり目に焼き付けた後、ゆっくりと……って、あぁー!?」

 

 カメラを構えシャッターを押そうとした、まさにその瞬間だった。

 不意にフラフラと歩き出したコスモスが、フレームの中へと立ち入ってしまう。

 

「ちょっと待ってくれたまえよ、コスモス氏ィ!? そっちに行かれたら折角のシャッターチャンスがぁー!」

「サ……」

「サ?」

 

 誰の声も届かず。

 けれども、ゆっくりと近づいてくる人影を───その帽子の陰に隠れた目元を見上げた瞬間、少女の瞳はこれでもかと大きく見開かれた。

 

 目に映った幻を、しかし、確かに過去に存在した景色を。

 唇が震えている。

 そして、手を伸ばした先には、

 

 

 

 

 

「サカキ、さま……?」

 

 

 

 

 

「バウッ!!」

 

 突如響き渡った咆哮と共に、コスモスの意識は現実へと引き戻される。

 

「ゔっ!?」

「コスモス氏、上! 上ぇー!」

「上……? んんっ……!?」

 

 言われた通り上を見る。

 

 木の幹、

 目の前、

 倒れて、

 

「『アイアンテール』!」

「チャア!」

 

 気合いの入った掛け声が飛んできた瞬間、鋭く風を切る音と共に倒れてきた木が横へ弾き飛ばされる。

 間一髪倒木の下敷きになることを免れ、コスモスはようやく呼吸を思い出す。随分長く息を忘れていたらしい。呼吸は荒く、吸い込んだ空気が冷たいと感じて、自身の体の火照りも知った。

 

(いや、それよりも)

 

「っ、敵襲!? 『はどうだん』!!」

「グルァア!!」

 

 すぐさま意識を切り替えたコスモスは迎撃に打って出る。

 指示を受けたルカリオは、先ほどとは打って変わって攻撃的な閃光を掌に集めて固める。それが限界まで凝縮され切った時、光弾は寸分の狂いもなく主へと襲い掛かった敵影目掛けて発射された。

 

 しかし、

 

───ザンッ!!!

 

「なっ……!」

 

 あっけなく両断された光弾が左右へ軌道を逸らしていく。

 光が瞬いたのはその直後。背後の木々に着弾した光弾が爆発を起こせば、否が応でもコスモス達に襲い掛かった敵のシルエットを浮かび上がらせる。

 

「ストライク……ッ!?」

「いや、違う」

「先生?」

 

 否定を入れたのはレッド。

 カントー地方で何度も見かけたポケモンだからこそ、彼のポケモンがストライクでないことを見破った。

 爆炎が収まり、黒煙が風に流されていく。

 そうして森が本来の色彩を取り戻せば、初めて襲撃者の鮮明な姿を見ることが叶った。注目すべきは両腕の刃物。ストライクであれば鋭い鎌を持ちうる部分を、その襲撃者が携えていたのは別の物。

 

「あれは……斧ぉ!?」

 

 テリアが驚愕の声を上げる。

 次の瞬間、襲撃者は振り下ろした斧を容易く持ち上げる。ズッ……、と地面から引き抜かれる重厚感のある音が、その武器の重さを想像させ、コスモスは背中に汗が滲み出るのを覚えた。

 

(こんなポケモン、見たことない)

 

 どんなに強いポケモンであろうが知識があるならば冷静に対処できる自信のあるコスモスだが、まったく未知の相手ともなれば話は別。

 斧を携えた襲撃者は鋭い眼光を光らせ、強張った表情のコスモスを睨みつける。

 

「……」

「……どうやら歓迎されていないようですね」

 

 ですが、とコスモスは立ち上がる。

 

「私にも退くに退けない事情ができました」

 

 襲撃者に勝るとも劣らない眼光を迸らせ、少女は睨み返す。

 一触即発。いや、臨界点はすでに超えていた。それほどまでにピリついた空気の中、両者は向かい合っていた。

 

 時間の森。

 そこで繰り広げられる“過去”を追い求める戦いは、とうに始まっていたのであった。

 




Tips:時間の森
 カイキョウタウンに広がる広大な森林。
 当時はまだカイキョウタウンとさえ呼ばれない時代、開拓団が拓こうとしたものの、生息する危険な野生ポケモンを前に断念したという過去がある。
 一説にはセレビィが生息しているとされており、時折食料調達に赴いた人間がオーパーツを発見するという事例も確認されている。
 また各所には時間の花を祀る祠も建てられていが、これらを作成した人間は不明であり、いったいいつの時代に建てられたかも不明である。

 また、セレビィが出現する事実の裏付けか、時折森の中では見たこともないポケモンが姿を現すというが、その存在は現在まで明らかにされてはいない。


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№051:石ってとってもワンダフル

前回のあらすじ

コスモス「先生、何をされてるんですか?」

レッド「……『はどうだん』の練習……」

コスモス「私もお付き合いします」

村長「おぬし達は何を目指しておるのじゃ?」


 

 静穏な時が流れていたはずの森。

 そこは今や、激戦の予感を覚えさせる戦場へと移り変わろうとしていた。

 

(ストライクに似た見た目……でも違う)

 

 対峙する相手を観察するコスモスが判断を下す。

 眼前のポケモンはストライクであり、ストライクではないポケモン。1000種を超えるポケモンの中には当然似たような見た目をしている者達も居り、理由も様々だ。

 

 たとえば、図鑑上の分類が同じである為。

 たとえば、似たような環境で収斂進化を遂げた為。

 だがしかし、もっともシンプルな理由が一つある。

 

(このポケモンはストライクの進化形? あるいは進化前か……どちらにせよ、生物学上近い種であるには間違いないはずです!)

 

 ストライクの進化形は現在ハッサムだけとされているが、ポケモンは得てして環境の影響を受けやすいポケモン。イーブイなどがその最たる例である。

 長年特殊な環境に身を置いている内に独自の進化を遂げた可能性はゼロではない。それこそリージョンフォームのようなケースもあるだろう。

 

 そして、眼前の敵をストライクの近縁種だと仮定した場合───。

 

「むしタイプである可能性は高いはずですね。GO、ゴルバット」

「ゴルバッ!」

「『つばさでうつ』!」

 

 むしタイプに有利なのはひこうタイプ。

 コスモスは繰り出したゴルバットに迷いなく『つばさでうつ』を指示した。

 ゴルバットもまた、信頼できる主人の命令ならばと颯爽と動き出し、刃物のように鋭利な翼を閃かせる。いかに堅牢なむしポケモンの甲殻であろうとも、この攻撃を前には無傷では居られまい。

 

「───!」

「バッ!?」

 

 が、しかし。

 

「後ろ!」

「ゴ? ───ルバッ!?」

「ゴルバット!?」

 

(ッ、速い!!)

 

 予想をはるかに上回る俊敏な動きを前に攻撃が空振りに終わる。

 そう思ったのも束の間、背後に回った襲撃者の斧がゴルバットの背中へと叩きつけられた。鋭く重い一撃。ビュオ! と風を切る音が鳴り響けば、すでにゴルバットの体は地面に叩きつけられていた。

 

(素早さはストライク譲り? いや、そう決めつけるのは尚早です。ストライクの近縁種である可能性も、まったく別種の可能性も考慮して立ち回らなくてはっ!)

 

 ゴルバットが一撃で地に沈むも、冷静な思考を務めようとするコスモス。

 そんな彼女は『やはり』と言った面持ちで身構えていたパートナーを呼んだ。

 

「GO、ルカリオ!」

「バウッ!」

 

 どれだけ素早い相手であろうと『波導』を前には形無しだ。

 信頼と実績の相棒・ルカリオであるならば、未知のポケモンであろうと良い勝負を演じてくれるはずだ。

 そんなコスモスの信頼の波動を感じ取るルカリオは、気炎を吐くような息遣いと共に躍り出た。

 

「たとえ“未知”が相手だろうと、それが負けていい道理になることはありません。その正体を暴いてやる……!」

「ワフッ!」

「まずは『はどうだん』!」

 

 小手調べに繰り出す技は『はどうだん』。

 先の一撃は容易く切り裂かれてしまったが、あれは不意打ちに対応した最低限の威力だけの代物。しかしながら、今回は正真正銘の最大威力。両手の掌で押さえ込むようにして限界までエネルギーを押し固め、凝縮する。

そうして今にも弾け飛びそうな力の奔流を光弾へと昇華させれば、後は照準を相手に定めるだけ。

 

「やれッ!」

「グォオウ!」

 

「───!」

 

 迫りくる波動の光弾を前に、襲撃者は目を見開く。

 流石に先ほどと威力がけた違いであることは見抜いたのだろう。険しい表情を浮かべたまま、両手の斧の交差させるように防御態勢を取る。

 

 そして、

 

 

「───ッ」

 

 

「なっ……!」

 

 着弾。しかし、霧散。

 盾のように構えられた斧に命中した途端、シャボン玉でも弾けるかのように飛び散った光余りにも呆気ない光景であった。

 

(『はどうだん』が効いていない? そんなっ)

 

 思考が一拍遅れる。

 その間にも『はどうだん』を無傷でやり過ごした襲撃者は、その鋭利な斧を軽々と振り回しルカリオへと迫る。

 

「くっ! 木の陰に隠れて!」

 

 後手に回ったことを自覚しながらも、コスモスは回避を指示した。

 ルカリオはすぐさま言われた通り、あちこちに生い茂る木陰へと回り込む。これで一安心───と済むはずもなく、盾となるはずだった木は切り倒される。

 こうなってしまうといつまでも同じ場所に佇んでいる訳にもいかない。今度はコスモスの指示も待たず、ルカリオは次々に繰り出される鋭い一閃を躱していく。

 その度に長い月日を思わせる木が倒れていくが、そちらに気を配るほどの余裕はない。

 

「話は聞いていましたが、ここまでとは……!」

「ウヒョー! すごいすごい、大迫力のバトルだよ! 未知のポケモンとのバトルなんて、こんな歴史的瞬間はしっかりカメラに収めなくては! コスモス氏、そのまま続けちゃってー!」

「そっちは呑気でいいですね」

 

 少女が大敵を前に苦心する一方、欲望に忠実な女博士と言えば平常運転の暴走機関車であった。まだトロッゴンの方が安全に配慮してくれるだろう。

 そんなこんなで激闘の最中忙しなくシャッター音が鳴り響く状況が続く。

 

「うほほほほ! いいぞーいいぞー! これは学術的にも大発見だぞー! ワタシの中の探求心が火を上げて唸っているよ、うおォン!」

「……」

「どうしたんだい、赤先生!? もっとはしゃいでくれたまえよ! キミは今、歴史的瞬間に立ち会っているのかもしれないんだぞー!?」

「……いや」

「なんだいなんだい一体どうしたっていうんだい!?」

 

 平時にも増してローテンションなレッドに、カメラを構えたままのテリアは怪訝な声色を上げる。

 すると、これまた怪訝な面持ちで目の前のバトルを眺めていたレッドは、細めた瞳で何かを凝視したままこう答えた。

 

()()()……()……?」

「? 何が変だって?」

「うーん」

 

 やけに歯切れが悪い。

 まるで自分でも確信が持てていない、そう言わんばかりの様子だった。

 

「なるほど! 赤先生が不審に思う点も気にはなる……だ・け・れ・ど・も! 今はこのカメラの容量がはち切れんばかりに写真を撮るので忙しい! 赤先生は赤先生で観察を進めてくれたまえ!」

「わかった」

「いい返事だねぇ! さぁて、ワタシはワタシでと……にゅるふふふふ! あ、やべ。涎垂れてきた。いかんいかん、流石にそれは女としてどうかと……いや、今はそれどころではないぞぅ!」

 

 涎を垂らしながらシャッターを切るテリア。

 彼女は未知のポケモンの全体像を撮影すべく、バトルフィールドとなっているエリアを中心に歩き回る。

 

 バトルを繰り広げるコスモスやルカリオからすれば堪ったものではないが、今は注意を飛ばす時間も惜しかった。

 

「『みずのはどう』!」

「バウッ!」

 

「───!」

 

「ッ、これも……」

 

 繰り出した波濤も襲撃者の斧に切り裂かれる。

 

(このポケモン、一体何タイプだ? 私の見立てではむしと……それからいわのはずだったんですがね)

 

 チャンピオンを志すトレーナーとして、本来相手ポケモンのタイプなど既知でなければならないはず。

 しかし、相手は今まで眺めてきたどのポケモン図鑑にも載っていない存在。それならばと身体的特徴からタイプを推察したはいいものの、今の今まで芳しい結果は得られていない。

 

(そんなにも私と相手の力の差が隔絶している……? そんな馬鹿な!)

 

 一瞬脳裏に過った考えを、かぶりを振って否定する。

 真に隔絶した実力者と対峙したからこそ知っている。本当に相手と力量差が離れていれば、ここまで喰らい付けていられるはずもない。

 

(何か理由があるはず。それこそ特性か道具か……)

 

「その為にも、まずは可能性を一つずつ潰す! 『あくのはどう』!」

「バウァ!」

 

 ルカリオより解き放たれる漆黒の波濤。

 おどろおどろしい力の奔流は真っすぐ襲撃者の下へと突き進む。威力としては『はどうだん』や『みずのはどう』とはそこまで大差ない威力だ。コスモスとしてもこれまでの経験上、これが相手に防がれるのは織り込み済み。

 相手がどのように動いても対応できるよう、カチョウジムに向けて鍛えた動体視力で見逃さぬよう集中する───が、しかし。

 

「!? ───ッ!」

 

 斧で防ぐ訳でもなく堅牢な甲殻で受け止める訳でもなく、()()退()()()

 

(避けた?)

 

───どうして?

 

 それまで抱いていた格上の相手というイメージに綻びが生まれた瞬間だった。

 

(やはり()がある。相手は無敵でも、遥か格上の相手でもない。どうにかして私達の攻撃を受け流していたと見るべき……)

 

「おおおおッ!?」

「!? 今度は何事……ッ!」

 

 突然の悲鳴に視線を移すコスモス。

 そこではカメラを持っていたテリアが、今まさにポケモンに襲われようとしているところであった。

 見覚えのあるシルエットだった。ジョウト地方ではさほど珍しくもないポケモンだ。

 

「あれはオドシシ……じゃ、ない?!」

 

 しかし、現れたポケモンはオドシシとは少し違っていた。

 全体的な色合いもそうであるが、胸元の豊かな体毛や立派に生えている角の角度が、どうにもオドシシのそれとは違う。オドシシであり、オドシシでないポケモン。これもまた襲撃者と類似している点である。

 

「なんだいなんだい! 今日は新発見が山ほどやってくるねぇ~! ぬほほほほッ!」

「圧倒的危機感の欠如ッ」

 

 傍に居れば張り倒してでも黙らせたいところであるが、いかんせん手を放せない状況だ。

 

「危ないのでさっさと離れてください!」

「なんの! こういう時の為の戦力はしっかり用意しているよ!」

 

『出てきたまえ!』とボールを放り投げるテリア。

そこから飛び出てきたのは研究所で見たシャドウポケモン、フシギソウ、リザード、カメールの三体であった。

 

「さあ! シャドウポケモンの強さ、とくとご覧あれ!」

「「「……」」」

「……あれ? おーい、みんな! キミ達の強さをあのジェネリックオドシシに見せつけるんだ!」

 

 そうは言うものの、繰り出された三体は一向にオドシシ擬きに立ち向かおうとしない。

 一貫して無視の態度を取り、あろうことかテリアの下から去っていくではないか。人望、いや、ポケ望0である。

 

「フム、なるほど。これはワタシの言うこと聞いてないな!」

「今すぐ博士号返上してきてくれませんか?」

「アッハッハ! アーッハッハッハッハ!」

「笑って誤魔化そうとしないでくださいそれ以上笑おうものならいかりのみずうみに投げ捨てますよ」

「ぴえん」

 

 子供に怒られる大人の図である。子供怖いね。

 これにはテリアの掛けているゴーグルにもしょんぼりした顔文字が映し出される。

 

そんな機能が付いているなど初耳のコスモス達であるが、馬鹿博士が戦力に数えられないと見るや、レッドとピカチュウが助太刀に入る。

 

「『10まんボルト』!」

「ピッカァ!」

 

「───!」

 

「チャア!?」

 

 はあ!? とでも言わんばかりに顔を顰めるピカチュウ。

 それもそのはずだ。確実に電撃が直撃したと思しきオドシシ擬きが、まったくの無傷でピカチュウを睨みつけているのだ。

 

 これにはトレーナーのレッドも目を見張った。

 自身の相棒の強さは彼が一番よく知っている。野山で鍛え上げた相棒の攻撃を受け、無傷で居られる存在などありはしない。これは傲慢ではない、純然たる事実だ。

 しかしながら、現に眼前のポケモンは無傷。

 電撃を受けても無傷となれば、それこそタイプや特性で無効にしていると考えられるが───。

 

「コスモス、これは……」

「一旦退きましょう、先生」

 

 何かを察した様子のレッドに対し、コスモスは先読みした上での答えを告げた。

 

「先生の手をお借りすれば強引に突破するのは容易いでしょうが、それではこの場が更地になってしまいます」

「流石に更地にするのはちょっと……」

「私としてもこの場が荒れるのは本意じゃありません。ですので、態勢を整えます。今ある情報を整理する……それが現状を打破する正道です」

 

 本来ここには遺物調査にやって来た。

 それを更地にする規模のバトルでも繰り広げてみるのを想像しよう。折角の遺物がバトルの余波で破壊されてしまっては元も子もない。

 

「……わかった。任せる」

「ありがとうございます、先生。……テリア博士!」

「うん? なんだいなんだい!?」

 

 依然として激写を続けているテリアへ、コスモスがありったけの声量で呼びかける。

 

「三体をボールに戻してください、撤退します!」

「えーーーッ!!?」

「そのゴーグル、『かわらわり』の練習にちょうどよさそうですね」

「やめたまえェエ!? ワタシのスペシャルなカスタムを施したシルフスコープを壊すのはぁ!」

「じゃあ帰りますよ!」

 

 これではどっちが保護者か分からない。

 

 何はともあれカプ・レヒレ。

 

 渋々ながらもテリアに撤退案を認めさせたコスモスは、この場から背を向けて逃げ始める。

 同じくレッドもであるが、

 

「おれが背を向けて逃げるなんて」

「すみません、先生。こんなことを強いてしまって……」

「博士の研究所で高そうな研究道具壊して以来だ」

「あ、はい」

「あの時の博士、めちゃくちゃ足速かった……」

 

 このポケモントレーナーの背に、一切の逃げ傷なし。

さりとて、拳骨なら何度も落とされた過去があったのもまた事実。

 

 いや、それはどうでもいい。

 

「ぜぇ! それに、しても……向こうも……はぁ、しつこいですね……ッ!」

「大丈夫?」

「い、胃の中の紅茶とクッキーが……マリアージュしてます……うっぷ!」

 

 このままでは『ゲップ』ではなく『はきだす』が繰り出されそうな様子だ。

 けれども野生のポケモンがこちらの事情を汲んでくれる道理はない。剥き出しの敵対心を放ちながら追いかけてくる。

 

「何か気を逸らせる道具があればいいんだけど……あっ」

「せ、先生? なにかいい道具がっ……?」

「ピッピにんぎょうがあった」

 

 乱雑にリュックから取り出したのは、トレーナーなら一度は見かけたことのあるお役立ちアイテムことピッピにんぎょうを取り出した。

 

 用途は至って単純だ。

 

「そーれっ」

「「───!」」

 

 適当に後ろへ放り投げられるピッピにんぎょう。

 それに追走していたポケモン達が気づき、ピタリと足を止める。どうやら効果はあったようだ───が、しかし。

 

「「───!」」

 

「……また来た」

「せ、先生……他に似たような道具は?」

「ちょっと待って……あっ」

 

 今度レッドが取り出したのはポケモンの尻尾のような道具であった。

 

「エネコのしっぽなら」

「そ、それを投げてくだ、さ、ぃ……早くっ……」

「うん」

 

 弟子の顔色が悪くなってきたのを目の当たりにし、レッドはその強肩を以てエネコのしっぽを放り投げる。自然界では中々お目に掛かれない主張の激しいピンク色だ。追いかけてきていたポケモン達の視線も、一瞬はエネコのしっぽに釘付けとなる。

 

 だが、やはりそれも少しの間。

 

「「───!!」」

 

「……まだ来る」

「せ、せんせぇ……!」

「待って。まだ何か……あっ」

 

 と、今度レッドが取り出した代物は黄色くて愛くるしいあのポケモンを模した一品。

 

「ピカチュウのぬいぐるみなら」

「赤先生、どうやってそのリュックにそんな体積の物体が収納されていたんだい?」

「……気合い?」

 

 気合いがあればなんでもできる。

そう、この窮地だって気合いさえあればなんとだってできるのだ!

 

「いけ、ピカチュウのぬいぐるみ!」

 

「「───!!!」」

 

 

 

 ザンッ!!!

 

 

 

「ピガヂュァアルルルァァアアアアア!?!?!?!?!?」

「ピカチュウ、ステイ! ステイッ!」

 

 先の道具同様囮に使われたぬいぐるみであったが、なぜか今回に限ってはストライク擬きの方に両断された。中身の綿も飛び散り、上下に分かたれたぬいぐるみは無惨に風に吹かれていく。

 

 そんな自分にそっくりなぬいぐるみを切り裂かれ、レッドの肩に乗っていたピカチュウ(本物)は大激怒であった。今にでも切り裂いた張本人を殴りに行きかねない剣幕で牙を剥き出しにするが、そこは主が全身全霊を以て制止に入る。

 

「は、早く逃げよう。ピカチュウがあのポケモンを倒しに行く前にびりびりびりッ!?」

「わ、わかりまひたッ……ひぃ……!」

「アッハッハ! キミ達と居ると退屈しないねぇー! アーッハッハッハ!」

 

 懸命に逃走を図る三名(内一名は電撃を浴びながら)は何とか森の外を目指す。

 

 侵入者を拒む未知のポケモンの洗礼をその身で味わいつつも、どうやって先へ進むか───それだけを頭に置いて。

 

 

 

 ***

 

 

 

「いやぁ~、今日は災難だったねぇ!」

 

 嬉々とした声色でテリアは語る。

 ここはテリア研究所、もといジーの家の離れだ。

 

 結果的に森から逃げ帰ることとなった三人だが、研究キチとマサラ人は別として、コスモスは今にも倒れそうな顔色でテリアに訴えかける。

 

「……調査は明日にしましょう。もう日が暮れてきていますし……」

「そうだね。今日のところは撮影した写真の整理に勤しむとするよ、ぐふふふふ!」

「ふぅ……」

 

 今日のところはこれ以上振り回されることはないと分かり、思わず安堵の息が漏れる。

 しかし、ここに来てコスモスは思い出す。

 

(お世話にならなきゃいけないのがあの不愛想な男の人でしたね……)

 

 ここはあくまでテリアの家ではない。家主は別に居る。

 これが優しそうなおばあちゃんなどであれば気苦労など持たずに済んだであろうが、生憎と家主は気難しそうな中年男性。気安さとは程遠い相手だ。

 

(……何事もなければいいんですが)

 

 だが、そんな心配も杞憂だった。

 

「……夕食は作っておいた。勝手に食べるといい」

「寝床はこの部屋を使え。誰も使っていないのでな」

「薪風呂は使ったことがあるか? ……それならいい」

 

 不愛想には違いなかったが、これといったトラブルはなかった。

 現在、コスモスは初の薪風呂体験中だ。余りにも古いタイプの風呂に最初はおっかなびっくりではあったが、途中からはしっぽりと湯船に浸かっていた。

 

「ふぅ……いいお湯加減でした」

「そうか」

 

 浴室から寝床へ向かう際、すれ違った家主にペコリと頭を下げるコスモス。

 これにもジーは不愛想ながら反応を返すも、さっさと自室へと向かって行ってしまった。

 

「さてと」

 

 入浴も済ませ、寝巻に着替えたコスモス。

 このまま寝床に入ればさぞ心地よく眠れるであろうが、そんな睡魔の誘惑に負けず、コスモスは誰も居ない縁側へと向かう。

 ロクに電気も通っていない田舎では、夜中は月の光が光源だ。テリアが整備した離れならば電気は通っているであろうが、あのマッドサイエンティストの隣では落ち着いて調べ物もできない。

 

「まずはストライクの論文から攻めてみますか」

 

 結局のところ、スマホロトムの画面自体が光っている為、さほど気にする問題でもなかったかもしれない。

 そうは思いつつも、火照った体を撫でる夜風の心地よさは代えがたいものがある。

 

「うーん、これも当てが外れた……目新しい方は全滅。むしろ古い方に手掛かりがあるのかも……」

「何してるの?」

 

 調べ物に没頭していれば背後から呼びかけられた。

 その声からも分かる通り、声の主はレッドである。湯上りだった為か、濡れた髪をタオルで吹いている最中であった。隣では同様に体を拭いているピカチュウが、どこから持ってきたのかフルーツ牛乳の瓶を手にしていた。

 

「ごくり……ごほんっ。昼に戦ったポケモンの情報収集です。何か手掛かりがあると思いまして」

「どうだった?」

「今のところは何も。ポケモン図鑑に反応しないところを見るにまったくの新種と見るべきでしょうか……」

 

 そう、新種。

 学術的には大発見であっても、実際に戦わなければならない立場としてはこの上なくやり辛い相手だ。

 珍しさで言えば、スナオカジムで戦ったエースバーンの特性の件もある。しかしあちらはエースバーンが現存種ということもあり、海外の論文であろうが情報を探すことはそれほど難しくなかった。

 

 しかしながら、今回ばかりは情報を集め得るだけの取っ掛かりもない状態。

 流石にお手上げか───と、半ば諦めかけていたコスモスであるが、湯上りホカホカで頭もしゃっきりしていたレッドは、唐突にこんなことを言い出した。

 

「……これって昔のポケモンにも対応してる?」

「いえ、対応してないと思いますが……どうしてですか?」

「結構前に山で石に詳しい山男さんに会ったことがあって」

「???」

「その時、化石について教えてもらったんだけど───」

 

 

 

『いやー、石って本当に素晴らしいものだよ。古代のロマンが詰まっている! これはまさしく太古からのタイムカプセルと言ってもいいね!』

 

 

 

 と、当時山籠もりしていた際、偶然出会った山男は熱く語っていた。わざわざシロガネ山にまでやって来るとは生粋のアルピニストだと思ったが、実際には山に眠る石の蒐集が目的のストーン変人らしく、それから半日以上石トークに付き合わされたものだ。

 途中、記憶がおぼろげにはなったものの、中でもレッドの心をくすぐった話題こそポケモンの化石だ。

 

「今の技術だと化石の復元もできるみたいだし、あれって……」

「……なるほど、そういうことですか」

 

今の話から天啓を得たように目を見開くコスモス。

 次の瞬間、師弟の視線が交わった。『目は口程に物を言う』というが、この時見つめ合う師弟の瞳には一切の混じりけがなかった。

 真に通じ合う間柄に言葉は不要。そう言わんばかりの沈黙が数秒流れた後、答え合わせをするようにレッドの口が開かれる。

 

「ストライクの化石を復元したらあんな感じに───」

「分かりました、先生。今から絶滅種について片っ端から調べてみます!」

 

 おや?

 

「それにしても盲点でした。絶滅種にまでは気が回らないとは私もまだまだのようです。となると、調べなくちゃならないのは古生物学でしょうか?」

「……」

「ともあれ、方針が決まって重畳……折角先生に気づかせていただいた以上、今日は寝る間も惜しんで調べ上げてみせます。ご期待ください」

「……うん。頑張ってね」

「?」

 

 どこか悲しい眼差しを浮かべるレッド。

 その瞳は真っすぐなコスモスの視線とやや逸れた方を向いていたが、目は口ほどに物を言う。言いまくっている。

 

 その後、とぼとぼと寝室へと向かうレッドを見送り、調べ物を再開するコスモス。

 師からの期待もある今、彼女の内心のテンションはシビルドン上り。眠気など、ミナモシティに沈む海の夕日よりも彼方へと飛んでいく勢いだ。

 

 ホー、ホーとホーホーの鳴き声が深夜のカイキョウタウンに響く。

 夜の静寂は心地よい。気に留まらない程度の環境音が集中力を増してくれる。冷えた空気に撫でられた木々のざわめき、漂う淡い青臭さも、都会とは違った雰囲気に一役買っている。

 

「ふーむ。流石のポケモン図鑑と言えど、絶滅種までは網羅してない……それもそうか。むしろ昔のポケモン図鑑を参考にした方がいいかも?」

「……」

「図鑑は図鑑でも古過ぎない方がいいですか。となると……これか。『ヒスイポケモン図鑑』。著者は……ラベン博士?」

「……おい」

「ん?」

 

 時間も忘れてレポートをまとめていた途中、不意に背後から呼びかけてきた声に振り返った。隣に座っていたルカリオも気づかなかった辺り、敵意は感じられなかったらしい。

 それでも驚いたようにコスモス達が視線を向ける先……そこに立っていたのはこの家の家主だった。

 

「こんばんは、ジーさん。どうかされましたか?」

「……こんな夜中まで何をしている?」

 

 暗がりの為、よく表情は窺えない。

 

「すみません。迷惑でしたでしょうか?」

「いや。だが、子供はもう寝る時間だ」

 

 『連れの方は寝ているぞ』と言われ、時刻を確認すれば22時を回ったところだった。

 

「もうこんな時間でしたか」

「他人の就寝時間にとやかく言うつもりはないが、勉強するならせめて明るい場所でするといい」

「ですが……」

「居間ならテリアの奴が電気を通している。電灯ぐらいは付けられるはずだ」

 

 そう言って少女を案内したジーは、後付けしたのが丸分かりな配線で繋がっている電灯の紐を引っ張る。

 次の瞬間、古ぼけた居間が明るい光に満ち溢れた。

 今の今まで縁側に佇んでいたコスモスにとっては眩しい光だった。思わず細めた目が順応した頃、ようやく彼女は自分を招き入れてくれたジーに問いかける。

 

「いいんですか? ここだと電力を用意するのも大変でしょうし……」

「構わない。()()が太陽光やら小水力やらで発電したのをバッテリーに溜めているらしいからな。宿賃としていくらか使わせてもらっているが、わたしはそこまで使う機会がない」

 

 要するに宝の持ち腐れになってしまっている。

 しかし、それにしても慣れたような口振りだった。電気とは無縁そうな暮らしをしているというのに、ジーの説明には言い淀みというものがない。

 ともすれば、電気や機械の造詣が深いように思えるが、コスモスにとってはわざわざ訊く程もない違和感でしかなかった。

 

「それでは、お言葉に甘えて」

「寝る時には消せ。虫ポケモンが寄ってくるからな」

「分かりました」

 

 淡々とした受け答えの後、ジーは踵を返して居間から去ろうとする。

 それから早速と調査に戻ろうとするコスモスであったが、すぐ背後の足音がピタリと止まったことに気づく。

 

「どうかしましたか?」

「いや……」

 

 そうは言ったものの、奥歯に物が挟まった声色だった。

 僅かな逡巡の後、落ち窪んだ目元を上げたジーはコスモスの方をジッと見つめる。

 

「……なぜ、そこまで熱心になる?」

「と言うと?」

「キミにとってあの森はそれほどまでに重要なのか?」

 

 あの森、というと時間の森を指すのだろう。

 

(そう言えばジーさんも森に行ってオーパーツを集めてるという話でしたね……)

 

 彼がこうも興味を示している理由はそこにあるのかもしれない。

 どのような理由があって遺物蒐集に勤しんでいるかは不明だが、下手に隠して疑わせるのも後々の関係に不便が生じる可能性がある。

 そこまで考えたコスモスはサカキの姿を見た点だけ隠し、ありのままを告げることにした。

 

「重要と言えば重要です。私も過去を知りたくなりました」

「テリアのようにか?」

「はい」

「だが、キミの様子からどうにも別の感情が混じっているようにも見える。本当に過去を知りたいだけか?」

「……」

 

 意外と機微に敏い人だ、と直接口にするのは失礼だろう。

 けれども、サカキに繋がる手掛かりを得られるかもしれないこと以外のモチベーションがあるのも事実だった。

 

「まあ、他に理由があるとすれば……先生の期待に応えたいからです。先生の期待に応えるのは、生徒の私にとっては当然のこと。失望させたくはありませんので」

「先生とは、あの連れの青年か?」

「ええ」

 

 すると、またジーが落ち窪んだ目元を伏せる。

 今度は随分と長かった。長考だ。

 再び面を上げた時、その目元に掛かる影は先ほどよりも暗かった。

 

「……どうして期待に応えたいと思う?」

「は?」

「キミにとって期待に応えることは、それほどまでに重要なのか?」

 

 声色もどことなくトーンが落ちていた。

 気分が落ち込んでいることは明白だった。けれども、コスモスにとってはその理由がさっぱり分からなかった。

 精々何か気に障ったのだろうと推測を立てたところで、少女は心なしかカッカと身体を火照らせながら口を開く。

 

「───はい。先生は私にとって、ただ一人を除いて唯一尊敬に値するポケモントレーナーです」

「……ほう?」

「これが赤の他人だったら期待に応えようなんて思いません。期待に応えたいと思える相手だからこそ、私も全霊を尽くして努力するんです」

「……期待に応えたいと思える相手、か」

「ジーさんにはそういう相手はいらっしゃらないんですか?」

 

 言ってからムキになっていたとコスモスは気づく。

 ジーの問いかけに、レッドという尊敬する人間を貶されたと感じたからだ。

 ならば、と記憶喪失の相手にとっては意趣返しとなる質問を投げ返してしまった。それからジーはただでさえ険しい顔つきに深い皺を刻み長考を始める。

 地雷でも踏んでしまったかと剣呑な空気が漂い始めるが、部屋を照らしていた電灯がチカリと点滅したところで、ジーの硬く結ばれていた口が開いた。

 

「そう言えば……いなかったかもしれないな」

「え?」

「わたしの人生に期待に応えたいと思うような人間は……いなかったと思う」

「それは……」

「はっきりとは思い出せんがな」

 

 その言葉にコスモスは思わず目を見開く。

 次の瞬間、彼女は目にした。

 

()()()……?)

 

「だが、ポケモン相手なら居た気がする」

 

 コスモスが驚くも束の間、瞭然とした口ぶりのジーは僅かな微笑みを湛えたままに続けた。

 

「……私はキミが羨ましいよ」

「羨ましい、ですか」

「何故だろうな。はっきりと言葉にできないはずなのに、そう思わずにはいられないのだ」

 

 自分の掌を見つめるジー。

 まるで、手から零れ落ちてしまった“何か”を思い出しているようにも見えるが、コスモスにその心の中を見つめる術はない。

 

「ジーさん……」

「……済まない。感傷に浸っていた。記憶もない癖に、わたしらしくもなかった」

「こちらこそすみません。不用心でした。過去なんてデリケートなことを」

「気にする必要はない。先に仕掛けてしまったのはこちらの方だ」

「……重ね重ねすみませんでした」

「だが、納得した」

 

 優しい声音だった。

 

「期待に応えたいと思える存在が居ればこそ直向きになれる。そういう理論があることに」

「人によるとは思いますが」

「それでもだ」

 

コスモスに頭を上げるよう促すジーは、憑き物が落ちたように晴れやかな雰囲気を纏うようになっていた。

 

「……そうだ、礼と言ってはなんだが手を貸そう。わたしにできる範囲で構わないのであればの話だが」

「本当ですか?」

 

 話が軟着陸を済ませたところでジーが切り出す。

 こんな申し出に遠慮するコスモスではなく、すぐさま『それなら』と質問を投げかける。

 

「ジーさんは何度も森に出向いてるんですよね? そこに棲んでいるポケモンについて知っていることを教えて欲しいです」

「ポケモンについてか。具体的にはどのポケモンだ」

「斧を持ったストライクのようなポケモン。それとオドシシに似たポケモンを」

 

 手に持っていたスマホロトムにストライクとオドシシを映し出し、ジーの前に差し出す。

 

「ふむ……」

「心当たりはありますか?」

「ある」

「!」

「だが、相手にしない方が賢明だ」

 

 しかし、期待とは裏腹な答えが返ってきた。

 

「……どういう意味でしょう?」

「キミ達の実力を軽んじている訳ではない……が、倒そうにも倒せないのだ」

「倒せない?」

 

 ジーはこう語る。

 

「煙に巻かれたような感覚だ。いくら攻撃を加えたところで手応えがない」

「そんな……でも、あの時は確かに手応えはありました」

「戦っている最中はな。だが、一時その場から離れれば奴らは消える。精々、己が何者かに抗おうとした痕跡が残るだけだ」

「ふぅむ……」

「わたしから言えることは『目に頼るな』……それくらいだ。あの森で視覚ほど役に立たないものはない」

 

 含蓄のある重みの声色が耳朶を打つ。

 散々彼も悩まされたのだろう。苦労が滲み出ているのを感じ取ったコスモスは、その話にしばし黙り込んだ。

 

「……いや、待ってください。ルカリオならもしかしたら……いいえ、だからこそ……?」

「どうした? 何か分かったか?」

「分かったというと語弊はありますが、手掛かりは得られました。それとジーさん、もう一度お伺いしますが、確かに現場に残された痕跡は自分らが残した戦闘痕だけなんですよね?」

「? ああ、そうだが」

「なるほど。となると……ぶつぶつ」

 

 改めて確認を取った後、独り言を始めるコスモス。

 その姿に呆然と立ち尽くすジーであったが、申し訳なさそうに頭を下げるルカリオの姿に意識を引き戻される。

 

「……何か役に立てたのなら幸いだ。わたしは寝る」

「ぶつぶつ……あっ。おやすみなさい、ジーさん。色々とありがとうございました」

 

『また何かあれば言え』と言い残し、ジーは就寝へと向かった。

それからコスモスはと言えば、時間の森について唯一の有識者からの情報も元手にした調査を始めていた。

情報とは、パズルで言えばピースに値するもの。いくつものピースを組み合わせることで、ようやく正解の全体像が見えてくる。

察しの良い人間であれば空白が点在しようが、途中の段階で正解を導き出せる。少々小賢しい手法ではあるが、途中式を求められる証明問題でないのだから問題はない。

 

 必要なのは『この推理が有力だ』と一つでも仮説を立てられることだ。

 

(その為にもまずは一つ確証を得たいところですが……)

 

「おー、コスモス氏! 児童にはディープな夜中に勤勉だねぇー! キミも調べ物の最中かい?」

「テリア博士ですか。ちょうどよかったです」

「うん?」

「写真の確認はすみましたか? よければ見せてほしいんですが」

「もちろんさ! とっくにパソコンにデータは取り込み済みだからね!」

 

 一度口にすれば話はとんとん拍子だ。

 研究経過も成果を披露したくてたまらないテリアの案内に従い研究所へと踏み入り、パソコン画面に映し出された戦闘中の風景を確認する。

 そこには確かに敵対したポケモンと、倒れた木々に抉れた地面といった戦闘痕が映し出されていた。とても隠蔽はできるとは思えない規模である。

 

「ふむ……」

「何か気になるところでもあるかい?」

「いえ、これだけでは。それより博士、この写真を私のスマホロトムにも転送してくれませんか?」

「データでいいのかい? 必要なら現像もしてあげるけど」

「いえ、データで十分です。現場で見比べたいだけですから」

 

 ものの数秒で送られてきた写真データを眺めながらコスモスは言う。

 そんな少女の様子を面白そうに眺めていたのは他でもない、目の前の女博士だ。

 

「ほうほう……コスモス氏、キミの知的探求心が並外れていることは既知の事実だが、今回もズバッとチルッとゴルバッと解決する算段がついたという訳だねっ!?」

「クロバッと解決するかは知りませんが、あの正体不明ポケモンの化けの皮を剥がせるかもしれない、とだけは」

「うーん、なんという頼もしい言葉の響き! つまるところ、ワタシは明日の調査を楽しみに待てということだね!?」

 

 危険なテンションとなるテリアだが、最早制止の言葉は届きそうにない。

 『あの計測器が必要だな……そうだ! あれも持って行こう!』と自分の世界に入り込んでしまったテリアは、この場に居る少女の存在など忘れてしまったかのように背を向けて機材の物色を始めてしまう。

 

 しかし、コスモスもコスモスで自分の用は済んだ為、さっさとその場から立ち去った。背後から何かが崩れ『ぎゃー!?』という悲鳴が聞こえてきたような気がするが気にしない。気にしたら負けだ。

 

(謎のポケモン……消える戦闘痕……そして、この写真……)

 

 一見不自然な点はないように見える写真。

 だが、コスモスは見逃さない。

 倒れた木に刻まれた切れ口に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……明日が待ち遠しいですね」

「ワフッ」

 

 準備というものは大切だ。

 不十分であれば不安を煽るが、逆に万全を期せば楽しさを感じさせる。

 

 そしてコスモスは今、眠れぬほどに心が浮足立つのを自覚していた。

 バラバラだったピースがカチリと嵌った幻聴が聞こえる。

 

 

 

 不完全なパズルの全体像が、おぼろげながら見えた気分だった。

 

 

 

 




*オマケ*
 めあり愛子(TwitterID:meariako)さんよりコスモスのイラストを頂戴いたしました!


【挿絵表示】


Tips:波導使い
 波導を扱う力を持った人を指す言葉。特に有名な波導使いが知られているのは、『ロータ』と呼ばれる地であり、『波導の勇者』伝説がその最たる例である。
 物には元よりそれぞれ固有の波動を放っており、波導使いはそれを感じ取り、あるいは操ることで目を使わずとも周囲の地形や存在を感じ取れたという。また、ロータにて目撃される時間の花も波導の力を使うことで『時の奇跡』と呼ばれる現象を引き起こし、過去にその場所で起こった事柄を映し出すことができる。
 波導使いとなるにはある程度生まれ持った才能が必要ではあるが、一人前の波導使いとなるにはそれ以上に鍛錬が重要と見なされている。
 しかし、時には鍛錬せずとも十分に波導を扱える人間も生まれることもあるとされている。

 波導使いと同一かは定かではないが、トキワ出身の人間には周囲の気やオーラを操りポケモンを癒す能力者が生まれるとされているが、これは持ち前の波導の力で『いやしのはどう』を発動しているのではないかとテリアは推測を立てている。


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№052:招かれざる客人

前回のあらすじ

コスモス「この家、電力通ってますけど家電はないんですか?」

ジー「森で拾ったオーブントースターと洗濯機と扇風機と冷蔵庫と草刈り機ならあるぞ」

レッド「意外と揃ってる……」


 

 早朝。

 襖の隙間からは朝日が差し込むと共に、小鳥ポケモンの囀りも聞こえてくる。

 いかにも清々しい一日の始まりを予感させるシチュエーションだ。こんな日には朝ごはんをしっかり食べて精をつけるに限る。

 

 と、そこへ。

 

「やーやー、ジー氏! おはようおはよう! このお味噌汁のいい匂い……さては朝ごはんができていると見たよ!」

「テリアか。自分の分は勝手によそえ」

「もちろん! いやぁー、毎日おいしいご飯を作ってもらって助かるよぉー!」

 

 バタンッ! と勢いよく襖が開かれれば、朝から無駄にハイテンションなテリアが飛び込んで来た。よほど空腹であったのか、腹からバクオングの鳴き声にも劣らない音を響かせており、すでに食卓に着いていた少女も思わず顔を顰めた。

 

「……おはようございます、テリア博士」

「おはよう、コスモス氏……って、なんだいその()()は⁉」

「ああ、これですか」

 

 ギョッと驚くテリアの目の前には、目の下の大きな()()を作ったコスモスが朝ごはんに手をつけていた。

 

「別に……調べ物をしていたら、普段より遅い時間に寝ることになっただけです」

 

 大きな欠伸をするコスモスに、テリアは『なるほど』と頷く。

 

「しかしだねぇー、夜更かしは成長の大敵だよ? 成長ホルモンが分泌されるのは夜の10時から2時までの間とされているからね。コスモス氏はただでさえ背が低いんだから、あんまり夜更かしし過ぎると……」

「……そういう博士もクマを作っているのは何故ですか?」

「これかい? それは───徹夜したからさッ!!」

 

 『ちなみに完徹さ!!』と開き直る始末だ。

 そんなテリアを、コスモスは普段より三割ほど閉じたジト目で見つめる。

 

「……だから博士は成長できなかったんですね」

「うん? ひょっとしてワタシ今物凄く失礼なセリフ吐かれた?」

「気のせいです」

 

 気のせいならば仕方ない。

 完徹して変なアドレナリンが分泌されているテリアは、カラッカラの胃袋に凄まじい勢いで味噌汁を流し込んでいく。

 

「ぶはぁー! 今日も今日とて味噌汁が旨い!」

「そうですね」

「もぉー、コスモス氏はいつだってクールなんだなぁー……あれ? そう言えば」

「どうかしましたか?」

 

 何かを探すように辺りを見渡すテリアがコスモスに問いかける。

 

「赤先生はどうしたんだい? まだ夢の中?」

「……先生ならとっくに起きて、今は散歩中です」

「へー、そうだったのかぁ」

 

 早朝に起きて散歩など、お年寄りの日課を彷彿とさせる。

 

「そろそろ帰ってくるとは思いますが……」

『……ふぅー』

 

 噂をすればなんとやら。

 縁側の方から物音がするや、コスモスは食器を下ろし、そそくさと出迎えに向かって行く。こんなにも甲斐甲斐しい生徒を持っているとなれば、こんなにも先生として嬉しいことはないだろうとテリアも微笑ましい眼差しを向ける。

 

「おかえりなさい、先せ……」

 

 だがしかし、襖を開けた途端コスモスが硬直する。

 突然の出来事にホシガリスばりに朝ごはんを頬に詰め込んでいたテリアも立ち上がる。

 

「どうしたんだい、コスモス氏?」

「……クマです」

 

 言っている意味が分からない。

 埒が明かないと怪訝な面持ちで縁側まで向かうテリアであったが、そこで彼女が見たものは、

 

「……クマだね」

 

 レッドに背負われているリングマとヒメグマ。

 なるほど、確かにクマだ。

 

「グマー」

「クマー」

 

 リングマとヒメグマも『そうだそうだ』と言っている。

 

 

 

 ***

 

 

 

「散歩してる途中に出会って……」

「それで怪我してたのを見過ごせずわざわざ連れてきたの? 赤先生も律儀だなぁー」

 

 二体のクマに手を振ってさよならした後、レッドは居間で一服決め込んでいた。

 

「それにしてもよく背負いましたね」

「リングマの扱いなら慣れてるから」

「なるほど。流石は先生です」

 

 『慣れている』の意味が違う気がしなくもない。

 というか、なんなら『背負う』の方も違う可能性がある。柔道的な意味合いの方で。

 

 なにはともあれ、このクマトリオが揃った以上向かう先は一つ。

 

「今日こそ時間の森を隅という隅まで調べ尽くすよ!! 準備は万端!! 現地での泊まり込みも織り込み済みさ!!」

「最後の一つは私達の中に織り込まれていないんですが」

 

 できる限りは家に戻りたいところであるが、野宿しなければならない可能性はゼロとは言い切れない。

 渋々といった面持ちでバッグの中へ荷物を詰め込んでいくコスモス。

 前日に準備を整えていたテリアを玄関に待たせる間も、少女はぶつぶつと文句を垂れ流し、平静を保たんと試みていた。

 

「まったく、そういうことはあらかじめ先に言ってほしいです……」

「だが、それに応える義務はないだろう」

 

 何者かが独り言に応答する。

 コスモスが振り返った先には、目元が落ち窪んだ中年男性が、隠しきれぬ存在感を放ちながら腰の後ろで手を組んでいた。

 

「キミも特別あれを尊敬しているようには見えないが」

「ジーさん」

「昨日の言葉を借りれば、だが」

 

 昨夜のやり取りを思い出すように目を伏せるジー。

 彼の言わんとすることを察したコスモスは、作業を止めぬまま受け応える。

 

「別に矛盾はしていませんよ。私にも目的があるから森に向かうんです」

「フム……」

「それに、理由なら他にもあります」

 

 荷物を詰め終えたコスモスが面を上げれば、彼女の瞳が一人の人影を捉える。

 テリアが連れるシャドウポケモンにポケモンフーズをあげようと試みる青年。

 

「先生の期待に応える。それが生徒としてあるべき姿ですから」

「……あくまで『尊敬する』教師なら、か」

「ええ」

 

 彼がただの学校や塾の教師ならば話は違う。

 あくまで期待に応える相手は、自身が期待に応えたいと思う相手。そこだけは決して揺るがないと言外に訴える少女に、ジーはしばしの間を置いた。

 

「……そうか。ならば、これ以上訊くのも非合理か」

「そういうことです」

 

 納得を得られたところでコスモスは出立の為に立ち上がる。

 

「ああ、そうだ」

「む?」

「先んじての伝言ですが……」

 

 振り返った少女は淡々と。

 それでいながら瞳の奥に闘志の炎を滾らせ、こう告げた。

 

 

 

「今日の夕飯は結構ですよ」

 

 

 

 控えめと呼ぶには、いささか不遜な勝利宣言だ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ふんたかふんたったったったー♪ ふんたかふんたったったったー♪」

 

「……楽しそうだね」

「徹夜明けの博士はあんなものですよ。楽しそうというより、楽しいと脳が誤認してるだけです」

「……そう」

 

 昨日の今日というにも関わらず意気揚々と鼻歌を歌うテリア先頭に、コスモスとレッドもまた時間の森へと踏み込んでいた。

 先日は襲撃してきたポケモンを前に撤退を余儀なくされた三人であるが、今日の方針はコスモスの方針に則っていた。

 

「まずは昨日の襲撃地点まで向かいましょう」

 

 少女に従うがまま現場へと到着。

 

「おぉ、派手に倒れてるねぇー! 森の神様の罰にでも当たりそうだよ」

「縁起でもないことを言わないでください」

 

 祠の周りに倒れる木々を一瞥し、呑気に言葉を漏らすテリア。

 危機感ゼロの彼女に呆れる間、コスモスは手元に数枚の写真を取り出し、忙しなく視線をあちこちに移す。

 

「……何見てるの?」

「昨日撮った写真と現場を見比べています」

「へぇ」

 

 熱心に写真と見比べる生徒に、余り邪魔するのも悪いと思ったのか、レッドは他の倒木の下まで歩み寄る。

 

「……うん?」

「どうしたんだい、赤先生? 世紀の大発見でもあったかい?」

「これ……」

 

 膝を落としたレッドが指でなぞったのは、昨日襲撃者によって切り倒された樹木の断面。

 ざらざらと硬い繊維が逆立った断面を見つめるや、レッドはじっとその場から動かなくなってしまった。

 

「なんだいなんだい? その木の断面がどうかしたのかい?」

「……博士。この断面、何で切ったと思う?」

「これかい? ワタシの記憶が確かなら、昨日のストライクっぽいポケモンが切っていたと思うが……」

「でもこれ……()()()()()()()()()()()

「えー? ……あぁー、確かに!」

 

 言われてみればとテリアは納得する。

 前日の襲撃者の得物は斧。それも相当の切れ味だった記憶がある。

 しかしこの断面はどうだ? 切った、と言うよりも何かで抉ったと表現した方が正しい痕である。

 

「となると、これは別のポケモンが切り倒した木かい? 一応リングマとかも生息してるし……」

「その可能性は低いでしょうね」

 

 と、そこへ割って入ったのは少女が続ける。

 

「リングマは縄張りの証として木に爪痕こそ残すものの、切り裂いて倒すまでのことはしません」

「じゃあ、この爪痕は別のポケモンのだってのかい?」

「その通りです。そして、その下手人こそ昨日のポケモンです」

 

 ここで『うん?』とテリアが首を傾げる。

 

「待ちたまえよ、コスモス氏。昨日って言ったら、それこそあのジェネリックストライク君のことだろう? ワタシだってポケモンの得物から断面を判別するくらい訳ないさ」

「ええ。確かにあの姿のままであるならばこの断面はおかしいです。でも、あのポケモン───バサギリが、別のポケモンが化けた姿だとするなら?」

「バサギリ?」

 

 言われるや否や、コスモスはスマホロトムにとある文献の表紙を映し出す。

 かなり年季を感じる表紙だ。電子データとしてスキャンされた画像だとは判るが、それを差し引いても余りある時の流れを感じられるようだった。

 著者の部分には『ラベン』と記されており、隅には何やら『G』をあしらったマークのような文字も刻まれている。

 

「『ヒスイポケモン図鑑』。これには今よりも昔のシンオウ地方───ヒスイ地方に住んでいたとされるポケモンが記載されています」

「ヒスイ地方?」

「その中に記されたポケモンの中に一体が……このポケモンです」

 

 あらかじめ用意していたと言わんばかりの動きだ。

 滑らかに画像をスクロールする少女が見せつけたのは、まさに先日出くわしたストライクに酷似したポケモンであった。

 手書きの挿絵やモノクロに近い写真の横には、著者の手書きと思しき説明文もつらつらと書き綴られている。

 

「『バサギリ、まさかりポケモン。硬き岩で身を守り、無骨な斧は大木を切り倒す。気性荒々しく、荒地にて遭遇しときは逃げの一手』……とあります」

「おぉ……おぉ~~~⁉ 素っ晴らしい!! エクセレントだよ、コスモス氏!! 昨日の今日で調べてくるなんて!! やはりキミは知的欲求の申し子だよ!!」

「待ってください。これはあくまで前提知識の共有です」

「うんにゃ?」

 

 バサギリの写真を見た上で、今度は倒れた木々の下へと向かうコスモスは断面の傍で腰を下ろした。

 

「もしも本当に昨日戦ったのがバサギリであれば、こんな風になることはありません。最低限、刃を叩き込まれた方は潰れたようになるはず……でも、これは何かで抉ったような断面です」

「むむむ? 訳が分からなくなってきたぞ……? 襲って来たのは確かにバサギリだけれど、木を切り倒したのは別のポケモン……?」

「だから言ったでしょう。別のポケモンが化けた姿とするなら、って」

「あ!」

 

 大声を上げるテリアは、慌ててコスモスの下まで駆け寄っていく。

 そのまま無遠慮に彼女の懐をまさぐったかと思えば、まさに自分が現像した写真を手に持ち、辺りの光景と見比べ始めた。

 

「違う……違う!? あれも!? これも!?」

 

 一つ一つ、間違い探しのように写真と現実の食い違いを見つけていく。

 倒れた木の本数。残っているはずの戦闘痕。よく見比べなければ分からないが、一度気づけば違うと断言できる点がいくつも見つかっていく。

 

「これは一体……!? 写真には写っているのに……まさかあの時ホログラムでも見せられていたとでもいうのかい!?」

「いい線をいっていると思います」

「うん!?」

「たとえあの時、私達が偽物の光景を見せられていたとして……写真に残っている以上、それは機械に干渉する現象でなければなりません」

 

 光学なりなんなり、写真にも写る幻の類を挙げれば数は限られる。

 だが、このような森の奥で人間の機械が生み出すようなホログラムが投影されている可能性は限りなく低い。

 

 すればだんだん見えてくる。

 幻の奥に潜んだ影、その正体が。

 

「機械にも干渉できる幻を操る能力。そして、切り倒した木の断面の痕。ここまで証拠が残っているのなら、答えは一つ」

 

『───!!!』

 

───来た。

 

「ルカリオ!!」

「ガウァ!!」

「『あくのはどう』!!」

 

 まるで来るのを予見していたかのようにコスモスの対応は早かった。

 どこからともなく舞い降りてきた襲撃者───否、バサギリの方を向き、迷わず『あくのはどう』を指示した。

 

『ッ!!』

 

 対応の早さもあり、漆黒の波濤は瞬く間にバサギリを飲み込んだ。

 怯んだ様子を見せるバサギリ。しかし次の瞬間にはその場から飛びのき、鬱蒼と生い茂る木々の群れの中へ身を隠す。

 体色が茶色よりバサギリであるが、木の幹自体も茶色。加えて日光も遮られて薄暗い森の中では相手の視認は困難だ。

 

「ルカリオ、目に頼るな!」

「バウッ!」

 

 そんな中、ルカリオはあろうことか目を閉じる。

 これでは視認どころの話ではない。両手を前にこそ突き出してはいるが、見えていなければ狙いを定めることもままならないはずだ。

 

「いや……そういうことかっ!」

 

 得心した声がテリアから上がる。

 

「“波導”! 相手が幻を見せるポケモンであっても、ルカリオなら……!」

 

 目を閉じたのには理由があった。

 波導の発動。その精神統一の為に不必要な感覚を遮断したのだ。

 

 視覚に頼れば相手の思うまま。幻を見せられ、現実を見失いばかり。

 だが、波動は違う。生物や物体が放つ波動にまで、この幻は干渉できない。

 創り上げられた幻影(こうけい)の中、ただ一人、ルカリオにだけは真の輪郭が浮かび上がっていた。

 

「───バウッ!」

『───ッ!?』

 

 波動に導かれるまま、ルカリオは再び漆黒の波動エネルギーを解き放つ。

 ちょうど自分の背後。闇に乗じて奇襲を仕掛けるには絶好のポジションではあるが、ルカリオの波導を前には無意味であった。

 襲撃者諸共生い茂る木々を飲み込む『あくのはどう』。

 

 轟音が森を駆け抜けた後、場に訪れたのは不気味なまでの静寂。

 

「……やった?」

「いえ」

 

 ルカリオが技を繰り出した場所に赴いたコスモスが告げた。

 

「どうやら取り逃がしたようです」

「えぇっ、本当かい?!」

「ですが、牽制にはなったでしょう。迂闊にこちらを襲う気にはならなくなったはずです」

 

 その証拠に、一向に相手が襲い掛かって来る気配がない。

 恐らくは逃げたか───ルカリオの波導にも探知できぬ場所まで逃げたと分かれば、腰を据えて調査を始められるというものだ。

 

「これでようやく本格的に着手できますね」

「……フフッ、アーッハッハッハ!! 素晴らしい、素晴らしいよコスモス氏!! やはりキミを連れてきたワタシの目に狂いはなかった!!」

 

 テリアは大層ご機嫌な笑い声を上げながら、ルンルンと辺りの調査を開始する。

 写真から映像、自前のカスタムシルフスコープを用いての観察など手早くサンプルを回収する彼女は、興奮気味に鼻を鳴らしながらコスモスに呼びかける。

 

「なあ、コスモス氏! またルカリオに時間の花を再生してもらっても構わないかい?」

 

 断る理由もなく承諾すれば、ルカリオも慣れた様子で波動エネルギーを掌に集中させる。

 すれば、一度は視た───森の奥からサカキらしき人影が現れる映像が周囲に映し出された。

 

「フムフム……周りの様子と比べても、随分昔のように見えるなぁ~。あっ、この苗とかもろこの位置に生えてたやつじゃない!?」

 

 キャピキャピはしゃぐテリアに対し、コスモスは一貫して口を噤んでいた。

 先日は余りにも衝撃的な光景につい口に出してしまったものの、本来自身とロケット団の関わりは秘匿しなくてはならない事実。

 

 今度はうっかりおくびに出さぬよう意識しつつ、コスモスは思考を巡りに巡らせた。

 

(この映像は過去? となると、サカキ様がこの森に訪れたのも相応の時間が経っているはず……だけど、)

 

 胸の内で渦巻く違和感がどうにも拭いきれない。

 時間の花が再生する奇跡は明瞭とは言い難い。当時の景色をそのまま映し出しているが為、全体的に薄暗く不鮮明であったのだ。

 これでは違和感を確かめようにも確かめられない。いくら過去を照らし上げようとも、現実から干渉することはできないのだ。

 

「もっと他の映像を確認できればいいんですが」

「それなら……」

「はい?」

 

 何か言いたげな声音だったレッド。

 そんな彼の方へコスモスが面を上げれば、彼はとある方向を指差していた。

 

「……過去の人がやって来た方に……」

「……なるほど。それはいい案ですね」

 

 まさしく、足取りを辿る訳だ。

 もしも過去のサカキ(仮)がやって来た方角に時間の花が咲いていれば、過去の映像を再生できるかもしれない。

 しかし、この鬱蒼とした森の中で一輪の花を探せというのも無茶な話であろう───あるポケモンを除けば。

 

「となると、貴方の力が頼りです。ルカリオ」

「ワフッ」

 

 再び精神統一し、波導の力を解放するルカリオ。

 優れた個体であるならば数キロ先の波動をも読み取ることができるルカリオというポケモンに頼れば、一見無理に思える調査にも一縷の望みが生まれる。

 

「(苦労を掛けますが、これは私達にとって重要なファクターです。何が何でもあの人物の影を明かしてみせますよ)」

「バウッ!」

 

 強く意気込むコスモスに応じ、ルカリオも気炎を吐く勢いで吼える。

 そのままルカリオの案内に従い、森の奥へ奥へと突き進む一行。時に、森に棲む野生ポケモンに襲わる場面こそあったが、ことバトルにおいては無法な強さを誇る赤色が居る為、まったく問題ではなかった。

 

 そうして森を歩くこと数十分。

 

「お? お~? おおお~~っ!? 見つけた見つけた! 時間の花だぁー!」

 

 お目当ての物体を見つけるや否や、バビュン! と飛び出していくテリア。

 地面を舐めるような体勢でまじまじと観察を続ける彼女は、二、三枚ほど現物を写真に収め、興奮冷めやらぬ間にコスモスの方へ視線を投げかける。

 ここまでくればわざわざ問いかける必要もない。

 軽くルカリオの方を見遣れば、意図を汲んだ彼が波動エネルギーで時間の花に呼びかける。

 

 すれば───開花した。

 

「おおおぉ……! 何度見てもエキセントリックな光景だ! 研究者魂がくすぐられるくすぐられるぅー!」

 

(……人の影は)

 

 テリアがはしゃいでいる一方、コスモスは周囲に人影がないかを確認する。

 

「……あ」

「む! 何か見つけたかいコスモス氏!?」

「あっちに……」

 

 コスモスが指差す方には確かに何者かの影があった。

 だが、最初に見た場所よりも暗がりであるせいか、今見た人影が同一人物であるかどうかはっきりと判別できない。

 人影はさらに森の奥から歩いてきたようだ。

 

「やはり、人が歩いてきた方を辿っていくのが無難でしょうか」

「そうだねぇー。あ、待ちたまえ。こういうのはきちんと整理しておかなくちゃ」

 

 テリアは『衛星写真を刷ってきました!』と言わんばかりに森々(もりもり)している地図にバツ印を付ける。

 自前の計器で算出した緯度と経度もメモする辺り、彼女にもマメな部分があるのだろう。ただそれ以外の全てが行き当たりばったりの適当サイホーンなだけで。

 

「ヨッシ! この調子でどんどん次行こォー!」

「報酬は出来高制ですか?」

 

「おっと、なんだか怪しい単語が出てきたぞー?」

 

「……おれ達も頑張ろうか」

「ピカッ」

 

「あれれれ? もしかしてそっちもやる気かい?」

 

 などと、同行者に報酬の内容に言及されつつも調査は進んでいく。

 さらに一つ、二つ……三つ目を越えた頃、時刻はちょうど昼時を越えていた。

 一先ず休憩を取ることにした一行は、森の中でも僅かに日当たりのいい場所に陣取り、昼食の準備を進めていく。

 まずはリザードンの尻尾の上に飯盒を吊るし、水を沸騰させる。

 そこへ半分に折ったパスタを投入し、十分茹だった頃合いを見計らい、乾燥野菜とスープの素を投入する。

 

 すると、あら簡単。スープパスタの出来上がりだ。

 

「おほぉ~、美味しそうな香り……腹のコロトックが鳴いて仕方がないねぇ!」

「ィヒヒヒヒィン、フォ~エ!」

「いや、どこから出てきたんですかそのコロトック」

 

「ふぐっ、ふふふっ……」

 

「先生?」

 

 コスモスが指摘する傍ら、コロトックに変身したモンちゃんの鳴き声がツボに入ったレッドは腹を抱えて地面に蹲っていた。

 

 閑話休題。

 

「それにしても、時間の花こそ見つかりはするけど目ぼしいオーパーツは見つからないなぁ」

 

 昼食に舌鼓を打ちつつテリアは、調査の経過報告を口にする。

 これまで見てきた時間の花───過去の光景にはいずれも何者かの人影が映っていた。しかし、それらをタイムトラベルの証拠とするには弱すぎる。もう少し決定的な場面が欲しいというのが、テリアとしての本音であった。

 

「……いや、待ちたまえよ? ひょっとしたら……」

はひふぁほほほははひふぁ(何か心当たりが)?」

「───ある。一つだけねっ!」

 

 ヨクバリスよろしく頬に食べ物を詰め込むコスモスへ、テリアは懐に仕舞っていたメモ帳を取り出し、ページをめくり始めた。

 

「えーっと……あったあった! 『ゲンエイじま』だ!」

「……似たような島を聞いたことがあるようなないような……」

「おそらくそれはホウエンのマボロシじまのことだね!」

 

 記憶の中から探し出そうとするレッドに、テリアが先んじて答えを出す。

 

「普段は誰の目にも……それこそ衛星写真でも見えないにも関わらず、忽然と姿を現す不思議な島のことさ! そのマボロシじまに似たような島が、ここら辺にもあるって村長氏から聞いてたんだ!」

「ごくんっ! ……ふぅ、それはまた不思議な話ですね」

「そうなんだよそうなんだよ! 曰く、特別な気象条件とか! 曰く、そこに生息するポケモンの能力とか!」

 

 『説は色々あるんだけど』と前置きするテリアは、ニヨニヨと言いたく辛抱堪らないといった表情で言い放つ。

 

「なんでもこのゲンエイじま───森の中から見知らぬ人が現れた時にだけ姿を現すって話なんだと」

 

 ヒュウッ、と。

 肌寒い風が森の中を駆け抜けた。

 

「……それってつまり」

「ワタシは、ゲンエイじまの出現とタイムトラベル……この二つの事象に何らかの関連があると見ているよ」

 

 ありえない話ではない。

 再びリザードンの尻尾でお湯を沸かしたコスモスは、自前のマグカップにティーパックとたっぷりの砂糖を入れた紅茶を煽り、テリアの仮説に思考を巡らせる。

 疲れた体に染み渡る紅茶の温みと糖分が一巡し、活力が湧いたところでコスモスは立ち上がった。

 

「結局のところ、タイムトラベルが発生しない限りはゲンエイじまは現れないってことですか」

「そーなんだよなぁー。そこをどうにかできないものか……」

「まあ、見つけること自体は不可能じゃないと思いますが」

 

 サラッと。

 余りにも軽い口調であった為、思わずテリアも一時は聞き流してしまった。

 

 しかし、そこへ食後のデザートを準備していたレッドが反応する。どうやら枝にぶっ刺したオレンのみをリザードンの尻尾の炎で炙っているようだ。爽やかな柑橘系の匂いと甘く香ばしい匂いが漂ってくる。

 

「……ホント?」

「ごくりっ……はい。私の見立てが正しければ、の話ですが」

 

 答えはすでに、目の前まで近づいている段階であった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 キャンプなどで、よく木の枝にマシュマロを刺して炙るだろう。

 だが、四六時中マシュマロを携えている人間などそう居ない。居るとすればそいつはとんだマシュマロ狂いのマシュマロボディな輩だろう。

 けれども、マシュマロでなくとも甘味は自然の中に存在する。きのみなどがいい例だ。モモンのみを代表として、オレンのみなんかも炙れば甘味が引き立ち非常に味わい深くなる。

 

「はぐはぐ……そもそもの話、海の中から島が現れるとかいうトンチキな現象じゃない限り、これはポケモンの仕業です」

「ほほう、興味深いねぇ! そんなポケモンが居るなんて……やはりブレイクスルーというものは専門外の部分に転がっているものなんだなっづぁっつ!? 果汁がっ、熱い!?」

「そんな大口で齧るから……」

 

 木の枝に刺して炙ったオレンのみを齧る一行は、昼食を終えた後も調査を続けていた。

 依然ルカリオの波導の力を頼る形ではあるが、結局これが一番効率のいい方法である。慣れと休憩を挟んだ甲斐もあってか、午前中よりもルカリオが時間の花を見つけ出すまでの間隔は短くなっていた。

 また一つ、また一つと時間の花が祀られている祠を見つけては、過去の光景を呼び起こす。そうして過去の人間がやって来た方角へと足を進めること数時間、辿り着いたのは───。

 

「ややっ? なんだいなんだい、海辺まで出て来ちゃったよ」

「太陽が……眩しい……」

 

 常時スコープを身に着けているテリアの反面、突然の明るさに目が慣れていないレッドはマクノシタよろしく細目になり、ざあざあと波の音を奏でている砂浜の方を見遣っていた。

 

 けれど、真っ先に注目すべきはそこではない。

 

「お? おおおっ!? コスモス氏コスモス氏! ここにも時間の花があるよ!」

 

 『キャッホホーイイッ!』といい歳こいて砂浜を駆けまわるテリアが、時間の花が祀られる祠の目の前へ飛び込む。

 

「さてさて、そろそろ核心へと迫る光景を目にしたいけれど……!」

 

「……貴方もよくあのテンションの主人に付いていけますね」

「モ~ン?」

 

「コッスモッスっ氏~~~!! カモ~~~ン!! キミの出番がやって来たぁ~~~!!」

 

「待ってください、はぁ……」

 

 コスモスは長時間森の中を散策した疲労を隠さず、テリアの前に佇む時間の花へと赴く。しかしテリアが口にしたように、何かしら核心に至る為の手掛かりが欲しい頃合いだ。

 ルカリオが翳す掌に集まる波動に釘付けとなる一行は、過去の光景が呼び起こされる瞬間を今か今かと待ち侘びる。

 

 期待は半分。あまり希望を持ち過ぎてはダメだった時の反動が大きいと、コスモスはこれまで通りの姿勢を貫いていた。

 

 だが、彼女の表情が崩れたのはその直後の出来事。何者かの人影が自分と重なり、通り過ぎた瞬間だった。

 

「! ……っとと!?」

「大丈夫かい? 過去の光景だよ」

「分かってます……けど」

 

 過ぎ去る人影の後ろ姿には、どこか見覚えがあった。

 服装こそ現代でも通じるようなデザインとセンスであったが、あの逆立った青髪には懐かしさを覚えた。

 素直に既視感を覚えたのは、それが“今”よりも過去の姿と理解していたからかもしれない。

 

「……ジーさん?」

 

 コスモスが漏らした声に、過去の幻影は振り返ることなく過ぎ去っていく。

 幻影が消えた方角には、現在地より一つ前に見つけた時間の花が咲いている。フラフラと覚束ない足取りでありながらも、何者かの導かれるように進んでいく後ろ姿には、これまでにも視てきた過去の人々に通ずる“何か”があると感じられた。

 

「それが……()()()()……」

 

 コスモスは振り返る。

 その先に広がっていたのは、

 

「……おや? 海しかないぞ?」

 

 小首を傾げるテリアの前には、やはり海しかない。

 遠くを見つめたところで多少岩礁が覗いている程度で、とてもではないがこれまでのように時間の花が祀られている祠のような物体は見られない。

 だからといって遠くの方に目を遣っても結果は同じだ。広大な海原には白波が立つばかりで、島らしき影はこれっぽっちも見当たらない。

 

───一体どういうことだ?

 

 時間の花が映し出した光景が意味するものとは。

 思案を巡らせること数秒、閃きの稲妻が三人の脳裏を過り、そのまま口から言い放たれた。

 

「ジー氏は……!!?」

「……ジーさんは」

「あの人はおそらく……」

 

 

 

 

 

「海底人だった!!?」

「浦島太郎だった……?」

「あの方角にゲンエイじまが───ちょっと待ってもらっていいですか?」

 

 

 

 

 

「「ん???」」

 

 約二名、トリッキーな解答が出たところでコスモスが待ったを掛けた。

 そして始まる小会議の様子が以下である。

 

「コスモス氏……いいかい? 思考を柔軟にすることこそ真相の究明には何よりも肝要なんだよ。今ある定説ばかりだけに囚われてしまったら新発見というものは───」

「だとしても力業が過ぎると私は主張します」

「困ったな、反論の余地がない」

 

「……浦島太郎じゃないんだ……」

「いえ、どちらかと言えば先生の方は私の仮説に近いですが」

「ホント?」

 

「ウソォ⁉」

 

「モンちゃん黙ってください」

 

 黙れと言われたモンちゃん(ウソッキーに変身済)がトボトボと退場する間、コスモスは過去の光景の中でジーがやって来た方角を指差す。

 すれば言われるまでもなくルカリオが波導による探知を試みる。

 それが数秒、数十秒と続いてからどれだけ経っただろうか。かつてないほど長時間波動を探っていたルカリオは、遂に瞳を見開いた。

 

「ワフッ!」

「やっぱりですか……先生、博士。ゲンエイじまはこの先にあります」

 

 何もない場所を指差し所在不明の島があると豪語するコスモスに、テリアは驚愕の形に表情を固めたまま、自前のシルフスコープの望遠機能を起動する。

 

「なんだってぇ!? ムムム……? シルフスコープでも見えないとなると霊的なものでもないしなぁ……」

「でしょうね。シルフスコープ然りデボンスコープ然り、スコープ系の類は明確な対象が決まっていますから」

「……そうだったんだ……」

 

 そう言えばとレッドも自前のシルフスコープを取り出したはいいが、やはりテリアの物と同様、ゲンエイじまを見つけ出すことは叶わない。

 それも道理というべきか、姿を隠すポケモンでもその方法は千差万別だ。姿を見破る為にはそれこそポケモンごとの能力に応じた機器を用意しなければならない。

 

とどのつまり、今回の相手はシルフスコープで見破れる相手ではなかった───それだけのことである。

 

「前日の写真然り、現場に残らない戦闘痕。あまつさえ機械にも干渉できる幻影を森単位で見せられるポケモンなんて現代にも過去にも一種類しか居ません───ルカリオッ!!」

「バウァ!!」

 

 予見していたかのように叫ぶコスモスへ、ルカリオはすかさず反応する。

 こと時間の森において、視覚に頼ることは悪手だ。コスモス自身、そのことは散々思い知らされているからこそ、一見何の変哲もない平穏そのものの風景にも常々注意を払っていた。

 

 何故ならば───。

 

「私の仮説が正しければ、時間の森はそのポケモンの縄張り。そしてゲンエイじまは“巣”。反撃に出られて撤退した彼らも、いざ巣の目の前まで来られたら後にも引けず反撃に打って出てくるのは当然のことです」

 

 ザザザザザザザッ。

 

 波の音とも違う足音が迫って来る。

 しかし、景色に変化は見られない。目に見えぬこそ恐ろしい異変が迫ってきているという事実が一行の緊張感を一気に高める。

 

 そして突如、足音が消えた。

 

「バウァ!」

「───上かッ!」

 

 不可視の幻影も、波導の前には形無し……いや、形在りというべきか。

 襲撃者が居る方を見据えるルカリオへ、彼の頭脳に等しい少女もまた目を向ける。

 彼女の目には見えていた。周囲のピースを組み合わせることにより、ようやく浮かび上がった最後のパズルピースのような答えが。

 

「その幻影を切り裂け!! 『あくのはどう』!!」

「ガアアアアッ!!」

 

 蒼穹を穿つように、黒が迸った。

 

 

 

「ロアアアアッ!!」

 

 

 

 刹那、空白を裂くように現れた影の爪が『あくのはどう』を切り裂く。

 黒の中より現れ出でたのは白。さながら雲のように真っ白な塊が、砂を巻き上げん勢いで着地し、コスモス達をじろりと()めつけた。

 血を吸ったように赤く染まる毛先が揺れている。風が吹いている訳でもなく揺れる様は、まるで毛先自体が意思を持っているかのようだ。

 

「あれが森のヌシ!? けれど、()()姿()()……!?」

「……なるほど。これでどうしてヒスイポケモンの幻影ばかりを見せていたのかも合点がいきました」

 

「ロァアア……!」

 

 怨嗟にも似た唸り声を上げるポケモンは、あるポケモンに酷似していた。

 曰く、そのポケモンは相手を化かす。

 曰く、そのポケモンは幻の景色を見せる。

 曰く、そのポケモンは───激しい怨讐にて転生した成れの果て。

 

 

 

「ばけぎつねポケモン、ゾロアーク……そのヒスイ種! 私達に襲い掛かったのはお前の仕業だ!」

「ロアアアッ!!」

 

 血走った瞳でゾロアークが吼える。

 だがしかし、その悍ましい姿を前にしてもコスモスは一歩も引き下がらない。

 

(きっとこの先にゲンエイじまが……サカキ様に繋がる手掛かりがある!)

 

「それを見つけるまでは引き下がれない! 邪魔をするなら押し通るまで! GO、ルカリオ!」

「ガアアアアッ!!」

 

「ロアアアアッ!!」

 

 直後、両者の足下の砂が爆ぜた。

 強靭な脚力を以ての跳躍、突撃、そして激突。

 

 

 

 波導の勇者(ルカリオ)VS幻影の覇者(ゾロアーク)

 

 

 

  かくして、幻影に隠された島へと至る為の勝負の幕が切って落とされた。

 

 

 

───一方その頃。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ごめんあそばせ」

 

 カイキョウタウンのとある一軒家。

 世俗とは切り離された村の、さらに人との関わりを切って暮らす男の家の戸が開かれた。

 逆光を背負って立つのは一人の子供。長い緑髪を後頭部で結い上げる、赤いツリ目が印象的な少女であった。両側には極端な意味で男か女かも定かでない者───中性的な外見の青髪と、顔を含めて全身黒ずくめの人間───を侍らせており、穏やかでない空気をこれでもかと漂わせている。

 

「こちらにテリア博士が居られると伺ったのですが……あら?」

「……誰だ、キミ達は?」

 

 少女と目が合ったのは家主の男───ジーであった。

 一般人からすれば近寄り難い雰囲気の彼だが、そんなジーにも動じぬ少女はクツクツと喉を鳴らしながら、優雅な所作で一礼する。

 

「これはこれは失礼。ワタクシ、『ベガ』と申しますの。以後、お見知りおきを」

「それで? 彼女(テリア)に何か用なのか?」

「ええ、それはもう。出来ればすぐにでもお会いしたんですけれども……今はお出かけ中で?」

「ああ。夕方に戻ってくるかどうかも分からない」

「それはそれは……少々困ってしまいますわね」

 

 実に役者ぶった口振りであったが、『ベガ』と名乗った少女はチラリとジーの方を一瞥する。

 

「どなたかが行き先を教えてくれれば非常に助かるんですが……はぁ、どこかに親切な殿方は居ないものかしら?」

「……期待しているようで済まないが、()()の具体的な行き先はわたしにも分からない。そして、いつ戻るかもな」

「……ふぅん?」

 

 じろり、と。

 蛇のように細い眼光がジーを射抜く。

 これに対し微動だにしないジーは、むしろ逆に威圧せんと鈍い眼光を返してみせる。

だがしかし、これで慄くようであれば彼女もここまで話を続けられなかったであろう。一つ溜め息を零す少女は不敵な笑みを顔に張り付け、ジーの家の敷居を跨いだ。

 

 

 

「そうなってしまわれますと、少々強引な手段を取らざるを得なくなりますが……よろしくて?」

 

 

 

 ベガの細い指先が自身の腰をなぞる。

 ゆっくりと降りた指先が触れるのは───一つのモンスターボール。長年使い込まれたそれには小さい傷が無数に付いていた。

 

「……」

 

 

 

 長年の付き合いを想像させるそれを目撃したジーは、そして───。

 

 

 

 

 




Tips:時間の森
出現ポケモンレベル出現ポケモンレベル
ヒメグマ10~15リングマ30~45
オドシシ35~37カクレオン30~33
ホーホー15~25ヨルノズク25~40
ヤミカラス22~24ドンカラス39~42
ウソハチ17~19ウソッキー34~42
ストライク35~40ヘラクロス36~38
ミツハニー22~24ビークイン25~45
ヌメラ27~30ヌメイル30~42
チュリネ20~26ドレディア33~44
???15~20???50


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№053:たとえ宇宙が変わっても

前回のあらすじ

テリア「ジー氏が海底人って考察は当てが外れたかもしれないけれどイッシュ地方の海には興味深い遺跡が海に沈んでいてねあんまりにも深い場所にあるものだからそれこそ海底人が作ったんじゃないか疑惑がワタシの中じゃ濃厚でねそもそもシンオウ地方にもかつて古代シンオウ人っていう超長命な人種が居たともされているし現代では想像もできないような異能を持った人間がかつて存在したとしても不思議では───」ペチャクチャペチャクチャ

レッド「へー」(思考停止)

コスモス「よくもまあ専門外のことをそこまで調べてますね」


 

 ばけぎつねポケモン、ゾロアーク。

 ゾロアの進化形であり、幻を見せる能力で棲み処を守る仲間想いのポケモンだ。通常、黒い体色として広く知られているゾロアークであるが、ある一部の地域・時代においてはその真逆───雪の如き純白の毛並みを携えたポケモンとして記録されていた。

 

(それが、ヒスイ地方のゾロアーク!)

 

 主に雪深い地域にて確認されたヒスイゾロアークは、原種よりも遥かに狂暴で攻撃的な性格であるとラベン博士著『ヒスイポケモン図鑑』にも記されている。

 

(『はどうだん』が効かなかったのは、ヒスイの地に適応できなかった原種が怨讐の念で転生したゴーストポケモンだから。『あくのはどう』を恐れたのは、まさにそれが理由!)

 

 原種のゾロアークはあくタイプだが、ヒスイゾロアークはかくとう技を無力化したことからゴーストタイプを持っていると見て間違いない。似たケースではガラル地方のサニーゴが当てはまるだろう。あれもまた太古のサニーゴが環境に適応できず絶滅し、ゴーストポケモンとして生まれ変わった種である。

 

(どのような理由で現代まで生き残ったか知りませんが、種さえ割れれば戦い方は原種に通ずるはず!)

 

「ルカリオ、貴方の波導が頼りです! 奴の幻影を引き剥がしてやれ!」

「バウァ!」

 

 力強く応答するルカリオが『あくのはどう』を解き放つ。

 しかし、これを食らうほどゾロアークも馬鹿なポケモンではない。自身にとって致命的な攻撃と分かっている為か、軽やかな跳躍で押し寄せる漆黒の波濤を回避した。

 

「流石にそう簡単にはいきませんか」

「ロァ……!」

 

 僅かに眉間に皺を寄せるコスモスに対し、ゾロアークが牙を剥き出しにして威嚇する。

 相手にとっては、ここが己らの巣の最終防衛ラインに等しいのだろう。湛える獰猛な表情にも鬼気迫るものがある。

 

「……だからといってこちらも退くつもりはありませんよ。目的の為なら強行突破もやむなし。少々痛い目を見てもらいましょう」

「ッヒャ~、怖ぁ~」

 

 言葉に反して大して怖がっていない様子のテリアは、性懲りもなくカメラを構えていた。被写体は当然ゾロアークだ。絶滅したと思われていた種が現存していた等、学会からしてみれば大発見である。それを差し引いても知的欲求が人の形をしているテリアにとって、眼前のゾロアークは興味の対象として十二分に魅力があった。

 

「それにしてもどうしてヒスイ種のゾロアークがカイキョウタウンに? 時間の森の環境は原種を変化させてしまうほど苛烈な環境だった可能性が? いやいや、過去にヒスイ種がこちらに移り住んできて細々と種を繋いでいたという可能性も……」

 

「……」

 

 自分の世界に入り込んでしまう女博士の傍ら、置いてけぼりを食らったレッドは一人砂浜の上で体育座りを決め込む。

 テリアの推論に耳を傾けるのもいいが、彼としては眼前で繰り広げられるバトルの方が興味を惹かれる。

 『あくのはどう』をくり出すルカリオに対し、ゾロアークは負けじと『シャドーボール』をくり出す。互いに距離を取っての打ち合い。両者共に素早いポケモンであるが故、いずれも決定打にはなりえないものの激しい技の応酬は見ごたえ抜群だ。

 

「それにしても幻を見せるポケモンなんてすごいね、ピカチュウ」

「チャア」

「おれも戦ってみたいなあ……」

「ピッカ!」

「チュウチュウ!」

「だよね。今はコスモスが相手してるし、順番は守らなきゃ……うん?」

 

 視線を隣に座り込むピカチュウへ向ける。

 居た。黄色いしましま模様のベストフレンドが───二体。

 

「……」

 

 ゴシゴシ、ゴシゴシ。

 

「……ピカチュウ?」

「ピカ?」

「チャア?」

「カチュウ」

「っ!?」

 

 増えた。

 三体に増えたピカチュウはいずれも目を見開いているレッドに対し、小首を傾げて不思議がっている。

 別に今更説明する必要もないと思われるが、レッドのピカチュウはただの一匹だけだ。けして三匹などではない。

 

「……『かげぶんしん』じゃないよな……」

「チャウチャウ」

「っ!?」

 

 明らかな否定が入った……ような気がした。

 それどころか三匹のピカチュウ達が意気投合したのか、縦一列に並んだ上で右手をグルグル回しながらダンスし始める始末だ。さながら、直列つなぎのチュウチュウトレインである。

 

 いよいよ眩暈を覚え始めたレッドは、現実から逃げるようにコスモス達の方へ視線を戻した。

 

 と、その瞬間目の前の砂浜が爆ぜる。

 

「……」

 

 攻撃の余波で巻き上がった砂は避ける間もなかったレッドへと降りかかった。

 一瞬にして全身砂まみれのレッド。一方、陽気に踊っていたピカチュウ共はと言えば、

 

「チュー……」

「……いい性格してんね」

 

 レッドを盾にし、背中の陰で一息。それが三匹揃いも揃ってなのだから、どれが本物のピカチュウなのか判別もできない。

 

 しかし、その安寧も次の瞬間には終わる。

 

「ルカリオ、『みずのはどう』!!」

 

 『あくのはどう』とは打って変わって澄んだ水を掌から滴らせるルカリオ。

 海辺である為か普段よりもさほど時を経ず溜めを終えれば、流麗な動きで重ねた両手を前方へ構え、ドッパォ!! と空気を叩くような水のリングが解き放たれる。

 

 

 

「ロァッ!!」

 

 

 

「わっぶ」

 

 それをいとも容易くはたき落すゾロアーク。

 あえなく霧散した『みずのはどう』は、そのまま周囲に水飛沫となって降り注ぎ、案の定レッドやピカチュウ達にも降りかかった。

 

「……しょっぱい」

 

 きっと海水が混じっているのだろう。けして散々な目に合ったせいで目尻から零れ落ちた雫の味ではない。レッドは自分に言い聞かせた。

 

「中々やる……ッ」

 

 一方、このような状況の師へ意識が行かないコスモスは、相手の実力を前に内心歯噛みしていた。油断していた訳ではないが、ここまで手こずってしまえば心のどこかで『たかが野生』と高を括っていたと認めざるを得ない。

 

(攻撃はそこまで強烈な訳じゃない。けれど、ここまで避けてくるとは……!)

 

 長期戦となった要因はただひとつ、ゾロアークの回避能力の高さだ。

 だが、その回避能力も単に素早いとかそういう話ではない。早いだけの相手ならごまんと相手してきたのだから。

 けれども、眼前の化け狐はそういった類とはベクトルが違う。

 

「バウァ!!」

「ロァ!!」

 

 いい加減痺れが切れそうになりながら技をくり出すルカリオに対し、ゾロアークは挑発的な笑みを湛えながら軽やかに跳躍する。

 ルカリオの技は確かにゾロアークを捉えていた。

 しかし、いざ直撃したかと思った技はそのままゾロアークの体をすり抜け、まんまと後ろへと飛んで行ってしまう。

 反面、お返しにとゾロアークがくり出した技については、一瞬反応が遅れたルカリオの体を掠る。

 

「落ち着け、ルカリオ!」

「フーッ、フーッ……!」

 

(こうも『ちょうはつ』を食らうと、冷静に対処できないか……)

 

 柄にもなく落ち着きがない手持ちの姿にコスモスは思考する。

 

(ただの幻ならルカリオが見間違うはずはない。それなのに外れるのは、あのゾロアークが特殊なエネルギーを放っているから……?)

 

 原種もヒスイ種も幻を見せるという点では共通している。

 だがしかし、後者に関しては超自然的な現象を引き起こすゴーストタイプ(を含んでいると思われる)だ。原種とは何かしら違ったエネルギーを利用し、幻影を生み出している可能性は否めない。

 

(なんにせよ、その幻のせいでルカリオは実体から外れた場所を狙ってしまっている……それを何とかしないことには!)

 

───事実、コスモスの見立ては間違っていなかった。

 

 ヒスイ種のゾロアークは無念と怨讐の念が転生して生まれた存在。

 故に、彼のポケモンは我が身に宿った積年の怨みを操る力を持っている。この“怨み”という感情は、特に相手の感情を読み取る力に長けているルカリオの探知能力にとって厄介極まりない存在であった。

 全身にまとわりつく大きな怨念は、波導を以てしても本体を探り当てるには標的を余分に感知してしまい、結果的に照準を狂わされてしまう。その上肉眼で確認しようとしても幻影を展開されている以上、有効な打開策にはなり得ない。

 

(となると……()()がいいか)

 

 しかし、少女の目には既に見えていた。

 

「ルカリオ、『あまごい』!」

「バウァ!」

 

「あ……『あまごい』ぃ~~~⁉」

 

 コスモスの指示に声を荒げたのはテリアだった。

 間もなく空には暗雲が立ち込め、ぽつりぽつりと雨粒が砂浜を打ち始める。それはやがて激しい豪雨へと変貌し、この場に居る全員を濡れ鼠へと変えてしまった。

 

「困るよぉ、コスモス氏ぃ~!! 濡れたらカメラが壊れるじゃんかぁ~~~!!」

「……ここに入ります?」

「おっ、赤先生ナイス!! ちょうどいい葉っぱがあるじゃないかぁ」

 

 いそいそとテリアが潜り込んだのは、レッドがくり出したフシギバナの背中の葉っぱの陰である。傘など持ち合わせていない身からすれば、避難場所としてこの上なく上等な場所であろう。

 

「ファイト~」

「草葉の陰から見守ってるよぉ~!!」

 

 などという声援を背に受けるコスモスは、いちいちツッコんでいたらキリがないとスルーする。

 

「『みずのはどう』です!」

 

 雨の恩恵を受けた衝撃波が宙を奔る。

 より強烈になった『みずのはどう』に目を剥くゾロアーク。それでもやはり攻撃はほくそ笑む標的を捉えるには至らず、長い髪を振り乱す化け狐はルカリオの懐へと飛び込む。

 

「ロァ!!」

「ガァッ……!?」

 

 刹那、くり出される鋭い一閃がルカリオに直撃した。

 積もりに積もった恨みつらみを吐き出すかのような重い一撃に、ルカリオの細い身体は海の方へと投げ出される。

 受け身を取ることもままならず、次の瞬間には水飛沫が上がっていた。

 

「ああっ、あれでもダメかぁ~!!」

「……あそこじゃない?」

「ピカ」

「うん? 赤先生、何話してるんだい?」

 

 と、テリアがあらぬ場所を指差すレッドに問いかけた時。

 

「ッ───ロァア!!?」

 

 劈くような悲鳴と共にゾロアークの体が宙を舞った。

 

「お……おぉお~~~⁉」

「……やっぱり」

「ピカチュ」

 

 驚愕するテリアの傍ら、レッドは解答が合っていたと言わんばかりに満足げだ。ピカチュウもうんうんと頷き、そんな主を『及第点だな』と認めているご様子。何様であろうか? ピカ様である。

 

「一体どうやって攻撃を当てたんだい!? ワタシにはさっぱりだったぞ!?」

「だって、足下……」

「足下ぉ?」

「濡れてないから……」

「……あぁ~? ……あぁ~!」

 

 納得! とテリアが手を叩いた。

 しかし、未だ何が起こったか理解が追い付いていないゾロアークは、気が動転した様子で自身とルカリオの方へ視線を泳がせていた。

 

「理屈は案外単純ですよ」

「!?」

 

 そんなゾロアークへ少女の声が届く。

 激しいバトル中とは思えない平坦な声色であるが、それは相手からしてみればむしろ不気味に思えた。

 

「ルカリオの“波導”は物体が放つ波動を感じ取り、地形や感情を読み取っています。ですが、どうにも貴方相手では独特な波動のせいで読み取りにくいらしい。なので、それを逆に利用させてもらいました」

「?」

「貴方の周りを雨で満たすことで()()()()()()()()()()()()()()()()()()……それだけのことですよ」

「ッ……!?」

 

───ゾロアーク本体が放つ波動。

───それを覆い隠す怨念の波動。

───降り注ぐ雨から感じる波動。

 

 ネックなのは二つ目。

 だが、三つ目があることにより本体を覆い隠していた怨念の内からも、雨の波動を感じ取れるようになる。

 裏を返せば、サイズ感を誤魔化している怨念の波動の中でも、雨の波動を感じられない場所にゾロアークの本体は存在する───そういう理屈だ。

 

 ゾロアークにどこまで言葉が通じたかは分からない。

 それでも彼なりに相手が自身の幻影を暴き、本体の場所を探り当てる術を確立したという状況は理解したようだ。

 途端に険しい顔つきになるゾロアークへ、コスモスはさらに続ける。

 

「あと、さっき突然吹き飛んだのを不思議がっていたようですが、別に大したことはしていませんよ。あれも『みずのはどう』です」

「……?」

「『みずのはどう』はそもそも大気中の水分に与えた衝撃を伝播させる技。少々見栄えに気を遣えば、不可視の攻撃に昇華させることだってできます」

「!!」

 

───もっとも、威力の減衰に目を瞑ればの話だが。

───だが、それを込みでの雨による威力の強化だ。

 

「どんなイリュージョンであろうと、種さえ分かってしまえば後は簡単です」

 

 雨に打たれる少女が、重そうに髪を揺らすゾロアークを見据える。

 

「ッ!!」

「ルカリオ、『はどうだん』!!」

 

 警戒して飛び退くゾロアークに対し、ルカリオが波動エネルギーを押し固めた光弾を撃ち出すが、着弾した場所はやや手前。

 狙いを外したか。そう目を見開くも束の間、爆発と共に巻き上がった砂が雨と共に降り注いでくる。

 

 これにはゾロアークも咄嗟に顔を背けようとするが、砂と雨の壁の先で漆黒が閃いたのを垣間見るや真横へと飛び込んだ。

 

「───機械を欺くほどの幻影。仮に整合性を保ったままバトルに臨もうなら、相当の集中力が必要でしょうね」

 

 ある意味で讃えるような感想だった。

 

「そして、相手に自分がどう見えているかも考えて立ち回るのであれば、貴方自身相手を常に注目せざるを得ない」

「……? ───ロァ!!?」

「だからこそ、一瞬でも目を離したのが貴方の敗因です」

 

 結局迫りくる黒い波動は届かず、空中で霧散した。

 その代わり、逃げ込んだ眼前で再び漆黒が閃いた。すでに射出態勢に入っているルカリオが、飛び込んでくる形で迫る標的を見据えている。

 まるであらかじめ来ることを分かっていたかのような立ち回りだ。咄嗟に飛び込んだ以上、ゾロアークも方向転換はできない。

 

「詰みです、『あくのはどう』!!」

「ガアアアアッ!!」

「ロ、ァァアアアッ!!?」

 

 回避もままならぬゾロアークを真っ黒な激流が呑み込んでいく。

 誰がどう見ても直撃。見事なまでの放物線を描き砂浜へと落下したゾロアークは、目を回したままピクリとも動かなくなった。

 

「ふぅー……中々いい経験値をもらいました」

「ピッカ!」

「うん?」

 

 一息吐いたコスモスの目の前にピカチュウがやって来る。

 レッドの手持ちかと思ったが、すぐさま二体、三体と続く。常識の範疇を超えるレッドのピカチュウであるが、流石に増えたりはできない。

 別個体だろうと予測がついたところで、やはりコスモスは首を傾げた。

 なぜならば、集ったピカチュウ達が倒れたゾロアークを庇うように立ちはだかったからだ。

 

「貴方達は……?」

「ピ、ピ、ピ───ロア!」

「わっ」

 

 ボフンッ! と幻影を生み出すエネルギーが弾ける音だろうか。

 気が抜けるような音と共に現れたのは複数体の小さなゾロアーク───もとい、進化前であるゾロアであった。原種の黒い個体から、ヒスイ種の白い個体も居る。なんともちぐはぐな集団ではあるが、互いを仲間と認識している為か、陣を組んでコスモスらを進ませないように威嚇している。

 

「なるほど。仲間を守る為、と……」

「グルルルッ……!」

 

「ピ~カ」

 

「……ピカチュウさん?」

 

 一触即発な空気の中、間に割って入ったのは本物のピカチュウだ。

 

「ピカ、ピ~カ」

「ロァ?」

「ピカピカ、ピカ、チュウチュウ」

「ゾロァ……?」

「チャア」

「ロァ……ロァ!」

 

 何やら話し込んでいた両者であったが、ピカチュウの説得を受け入れたのか、見るからにゾロア達の戦意が消えていくのが分かる。

 

「おお、これは歴史的和解!」

「……波長、合ったんだ」

 

 つい先ほどまで一緒に踊っておいて波長が合わない方がどうかしている。

 ともあれ、これ以上のバトルは避けられそうだ。戦意を収めたゾロアはいそいそと倒れたゾロアークを数体掛かりで背に乗せる。

 

 そして、

 

「コンッ」

 

 短く鳴くや、一斉に海へ向かって歩み始めた。

 当然このまま進めば海中へ沈むこととなる。

 しかしながら、ゾロア達の集団が押し寄せる波に呑み込まれたかと思えば、海上をさも当然のように進んでいく後ろ姿が目に映った。

 

「お……おぉお~~~!!? 確かそっちは……」

「……付いてこいと行ってたんですかね?」

「なるほどぉ!! そりゃあ願ったり叶ったりだ!!」

「おそらく、幻で見えなくなってる道があるんだと思います。そこを通れば……」

「つまり、あの子達の後を追えばいいって話だろぅ? アハハハ、そんなの簡単かんたブベァ!!?」

 

 スキップしながらゾロアの後を追うテリア。

 だが直後、彼女は派手に水飛沫を上げながら転倒した。顔面から派手に突っ込んだ彼女は、唖然とするコスモスとレッドの視線を浴びつつ、ひたひたと海水を滴らせながら立ち上がる。見るからにテンションはがた落ちだ。

 

「……こっちの道の幅はゆとりがなかったみたいだ。二人共、気を付けたまえよ」

「博士はもう私の後ろに付いててください」

「じゃあ、そっちは任せるりりッ」

「先生っ!!?」

 

 左を行くレッドもビシャーン!! と転倒。

 立ち上がった頃には海水で保湿が済んだうるおいボディの完成だ。これによりコスモスは右からも左からも磯臭い香りが漂ってくる状況に置かれることとなった。

 

「せ、先生……」

「……しんじゅ拾ったけど要る?」

「先生……!」

 

 実に1000円の収穫だ。

 転んでもただは起きぬレッドのおかげで、随分と道が狭いことも判明した。コスモスは二の轍を踏まぬようにとルカリオに先導を任せる。

 人一人が通るのもやっとな海の散歩道を進むこと十数分。

 不意に目の前に霧が広がったかと思えば、先を行くゾロア達の背中がまったく見えなくなってしまった。

 

「ルカリオ、追える?」

「ワフッ」

 

 しかし、この程度ルカリオには些少の問題にもならない。

 波導で確実に道を確認しつつ、一歩一歩歩みを進めていく。そうやって一寸先も見えぬ濃霧を突き進んでいけば───。

 

「お? 霧が晴れたぞぉー!」

「……ここは……」

 

 白む景色から霧が拭い去られれば、()()は忽然と目の前に現れた。

 

「社……ですか?」

 

 呆気に取られた声色を漏らすコスモスが目撃したのは、いつの間にやら辿り着いた森の奥に佇む一柱の社だった。

 その外観は刹那にして悠久の時の流れを感じさせた。特に古ぼけた屋根などはすっかり苔に覆われており、元の木材など欠片も覗くことができない。

 一体何年、何十年の時を経ればこれほどまでの緑に覆われるのだろう。少なくとも自分が生まれるより前からこの社は存在していたと、コスモスは何となく感じ取った。

 

 だがしかし、それ以上に目を引いたのは社を取り込むように伸びる一本の大樹だ。

 

───どうやって隠れていたんだ?

 

 たとえゾロアークの幻であろうと、ここまでの圧倒的存在感が覆い隠されていた事実に驚愕せざるを得なかった。同時に感動すら覚えた。ただそこに居るだけでひしひしと伝わってくる生命力は、これまで見てきた自然の中でも飛びぬけて雄大であった。

 これは生きている、と。

 ただの木を目の前にしてそのような感想を抱いた自分に、コスモスは三度驚いた。

 

 一方……。

 

「ご利益ありそう」

「ピーカ……」

「待つんだピカチュウ。どうしてオレの財布に手を突っ込もうとする」

 

 ご縁があるように五円を投げようとするピカチュウをレッドが全力で制止する。御賽銭も賽銭箱が無ければただの不法投棄だ。そこはトレーナーとしてきちんとしつける。そしてなによりも、勝手にお金を使われようものなら明日の飯に困る。ポケモントレーナーの悩みは切実なのだ。

 

 そんなレッド達のやり取りを横目に、コスモスは聳え立つ大樹に包まれる社の下へ、苔の絨毯を踏みしめながら歩み寄る。

 途中、横へと視線を向ければ茂みの中からゾロアがこちらを窺っているのが見えた。人もポケモンも滅多に訪れない奥地に棲み処を構える彼らだ。物珍しさで集まっていると見て取れた。

 

 そのまま社の前まで近づけば、これまた苔むした階段に足を乗せる。腐っていて踏み抜いてしまわないか不安であったが、それもすぐさま杞憂に終わった。大樹の根に支えられた階段は、少女が乗った程度で踏み抜かれるほどヤワではなかったらしい。

 

「……ふぅー……」

 

 階段を上り終え、苔むした扉の取っ手に手を掛ける。

 予想が正しければ、きっとこの先に求めている物があるはずだ。期待と不安に心臓が早鐘を打つ中、コスモスは『いざ』と扉を勢いよく開いた。

 長い間開かれていなかったのだろう。最初、苔やら蔓やらで固着した扉はビクともしなかったが、それでも尚力を込める少女に観念したのか、ある時を境に不思議なほど滑らかに開いたではないか。

 

「……ここにも」

 

 あった。

 ここにも、時間の花が。

 

「大きい……」

 

 けれども、予想外であったのはそのサイズ。

 今まで見てきた物よりも一回りも二回りも巨大な花は、大輪と呼ぶに相応しい存在感を放っていた。

しかも外から差し込む光を収束し、反射しているのか、室内であるというのにさほど暗さを感じられなかった。それどころか瑞々しい可憐な花が時間の花の周りに咲き乱れている。

 

 正しく外とは隔絶された空間が広がっていた。

 後からやって来たテリアとレッドも、この非現実的な光景を目の前にして言葉を失っていた。

 

「おぉ……これはなんとも……」

「……ん?」

 

 しばし見惚れていたレッドであるが、不意に部屋の奥に鎮座する物体に気がついた。

 神棚にも見える台座に祀られていたのは、一枚の木の板。僅かに苔が剥がれている部分は彫ったような溝が刻まれているものの、状態が状態である為それが何なのか判別することはできない。

 

「文字……?」

「なんだって!? どれどれ……う~ん、でも流石にこのままじゃあ読めないなぁ。最低限苔を剥がさなきゃ」

「剥がす……!?」

「しないよしないよ。一番手っ取り早い方法がそれってだけさ。無暗に重要そうな遺物を弄るほど、良識を捨ててはないさ」

「ホッ」

「ただ、溝が彫られているんなら機材で非破壊検査ができるかもしれないなぁ。フフフ、大枚叩いて機材を取りそろえた甲斐があるってものだよ!」

 

 想像するだけでもワクワクが止まらない。

 そう言わんばかりに浮足立つテリアであったが、思い出したかのようにコスモスの方を向く。

 

「コスモス氏ぃ~。こっちもこっちでヒッジョ~~~に興味をそそられるけ・れ・ど・も……まずは()()でしょ!!」

「言わなくてもわかってます」

「話が早くて助かるぅ~!」

 

 『そんじゃあヨロ!』と軽いノリで頼まれるが、コスモスが指示するまでもなくルカリオが歩み出てくる。

 社の中央に鎮座する時間の花。自然と敬意を表そうと思わせる存在感を前に、ルカリオはいつの間にか膝を着いていた。

 

 そのままゆっくりと掌を向ける。

 淡く、そして青く輝く波動が集まり始めた。直後、時間の花にも変化が訪れる。全体に走る葉脈のような紋様がチカチカと瞬き始め、過去の光景を呼び起こそうとしているようだった。

 しかし、花弁の大きさの問題か再生までに少しばかり時間を要した。実際の時間はこれまでのものと数分程度しか変わらなかったであろう。

 

 けれども、この時ばかりは。

少女にとっては、気が遠くなるほど時の流れが緩やかになったように思えて仕方なかった。

 

 そして、遂に───光が咲いた。

 

 

 

 ***

 

 

 

『こ、ここは……?』

 

 虚空に穿たれた謎の空間から現れた男は、重そうに頭を抱えながら周囲を見渡していた。

 

『私は確かにあの子供を下し、ラジオ塔へ向かおうとしたはず……だが、』

 

 黒ずくめの服装に身を包んだ男は、傍らに倒れている一体のポケモンへと目を遣った。

 淡い緑色に透き通った羽を持った、まるで妖精のようなポケモン。しかしながら、その全身は激しい戦いの後であるかのようにボロボロであった。

 

『お前の仕業か、()()()()……!』

 

 忌々しそうに、男はポケモンの名を吐き捨てる。

 そして、懐にしまっていたモンスターボールからくり出したガルーラに、瀕死のセレビィを抱かせる。傷ついたセレビィを労わるというよりは、むしろ逃げられぬよう拘束する意図がひしひしと感じられた。

 

『……ここがどこであろうと関係ない。ロケット団を復活させるまで、私は止まるつもりはない!』

 

 断固たる決意を口にしつつ、男はその場から去っていった。

 古ぼけた社の中から外へ。鬱蒼と木々が生い茂る森を目の当たりにしても尚、彼の堂々たる歩みに迷いはなかった。

 

 そうして、男は消えた。

 遠い過去の幻影の中に───。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……」

「眠れにゃいのかぃ、コスモス氏ぃ~」

「博士……」

 

 日も落ち、時刻はすっかり深夜を回っていた。

 普段であればコスモスもレポートなり調べ物なりをやめ、気絶するように眠りにつく時間帯であったが、今日ばかりはどうにも寝付けず、あまつさえ目がガン決まっているテリアに声を掛けられてしまった。

 

「まぁ仕方ないっか、あんな映像見せられちゃあねぇ~」

「……先生が近くで寝てますので」

「大丈夫大丈夫、聞こえちゃないよ。それに、キミの先生が紳士なら乙女の深夜トークにを盗み聞きなんてしないさ」

「乙女……」

「おや? 怪訝な目をされてしまったよ」

 

 女子組がテントで眠っている一方、レッドは社の中で眠っている。

 室内と室外では流石に距離も離れている為、それこそテントの傍まで近づかないことには話は聞こえてこないはずだ。それを抜きにしてもルカリオが居る以上、盗み聞きなどという狼藉は不可能に等しい。

 

「まあ、キミの気持ちは分からないでもないよ。あれを見ちゃあねぇ……」

「……」

 

 テリアの言葉を聞くや、コスモスは口を一文字に結んだまま反対方向へと寝返りを打った。

しかし、いくら瞼を閉じようとしたところで一向に眠れそうもない。

 むしろ、瞼を閉じてしまうことで黒一色に染まった視界に、あの映像が鮮明に呼び起こされてしまう。

 

 セレビィと共に現れた黒ずくめの男。

 今度こそ、はっきりとその顔を見ることが叶った。

 

 あれは───。

 

(あれは確かにサカキ様だった……)

 

 ロケット団ボス、サカキ。

 シルフカンパニー占拠事件以降、表立った姿を見ることが叶わなくなり、それっきり音沙汰もなくなった、コスモスにとって敬愛し崇拝する存在だ。

 そんな彼が時を渡ってきたセレビィと共に現れた。

 これは最早、アイデンティティが揺らぐどころか、消失しかねない重大事実に他ならなかった。

 

(それじゃあ、私が見てきたサカキ様は一体……?)

 

 いつまで経っても思考がグルグルと回り続けている。

 いい加減頭も痛くなってきて、心なしか吐き気も催してきた。

 

(落ち着け、私。たとえ()()だったとしても、ロケット団を創設したのはサカキ様で間違いない。問題なのは……)

 

 一つずつ考えを整理し、平静を保とうとする。

 そうだ、問題の本質はもっと別の部分にある。サカキがどこからやって来たかなど、そもそも大して重要ではないのだ。

 

(だとすると、やはり……)

 

 そこまで考えが至ったところで、ようやく動悸が収まってきた。

 しかし、色々と考えを巡らせ冴えてしまった頭ではどうも上手く寝付けそうにない。

きっと明日の朝は最悪なコンディションで起床する羽目になるだろう。若干憂鬱になりながら、それでも眠ろうと瞼を閉じようとした───そんな時だった。

 

「モッグ!」

「……コスモッグ?」

 

 真夜中なのに元気いっぱいのコスモッグが、コスモスの眼前に飛び出してくる。

 

「……貴方も早く眠った方がいいですよ。明日もきっと早いでしょうし……」

「モッグー!」

「んぶぶぶぶっ」

 

 眠りを催促すれば、途端のわたあめのような両手で顔面をポコポコ殴られる。

 

「ちょ、やめっ……!」

「モッグ!」

「あっ、コラ! どこに行くつもりです!」

 

 テントから飛び出していくコスモッグを追う形で、寝袋に包まれたままのコスモスも外に出る。

幸いにも、コスモッグはテントから出てすぐの場所に立っていた。

 クルマユスタイルで飛び跳ねていくコスモスは、そのまま何かに気を取られた様子のコスモッグを抱きかかえる。

 

「まったく、貴方というポケモンは。そろそろ私の手持ちという自覚をですね……」

「モッグ!」

「うん? 空がなん……」

 

 振り上げられた手の先を見上げる。

 鬱蒼と生い茂る木々の合間だった。僅かに開かれた自然の天窓を望めば、そこには満天の星がちりばめられていた。

 空気が澄んでいる為か、町で見るよりずっと煌めいて見える。

 見事という他ない光景に、しばし言葉を失うコスモス。そんな彼女であったが、目の前で小さな星雲が横切ったために我に返る。

 

「モッグ! モッグ!」

「……まさか、あれを金平糖とでも思ってるんじゃないでしょうね」

「モッグ!」

「貴方が辿り着くには一万光年早いですよ」

 

 食べることは否定せず、コスモスはそのままコスモッグを懐へと押し込む。

 しかし、外の涼やかな風に当てられて随分火照りが落ち着いてきた。深部体温が下がってくれば眠くなるというが、彼女はまさにその状態だ。

 テントに戻らず、そのまま腰を下ろすコスモス。うつらうつらと舟を漕ぐ彼女は今にも眠ってしまいそうだ。起床時を思えばテント内に戻った方が快適に違いないが、今のコスモスにはそれを考慮するだけの体力も残されていない。

 次第に寝息も深くなっていく。瞼は半分ほど閉じているが、視界にはほぼ何も映っていなかった。

 

「すぅ……すぅ……」

「……」

 

 そんな少女の隣に腰を下ろす影があった。

 

「ワフッ……」

 

 ルカリオだ。

 彼は外で眠りに落ちた主に困った表情を浮かべ、どうしようものかと悩んでいた。このまま抱きかかえて運んでもいいが、それで起こしてしまう事態は避けたい。主を思うが故のジレンマだ。

 

「クゥーン……」

「ルバッ!」

「フィア」

「! シィー……!」

 

 と、そこへ唐突に二体のポケモンが現れる。

 ゴルバットとニンフィアだ。寝ぼけた後者は兎も角、前者に至っては夜中だからか昼間よりも元気そうな様子で飛び出してきた為、咄嗟にルカリオも口の前に指を立てて静かにさせる。

 『しまった!』とそれぞれ翼なり触角なりで二体は口を押さえる。

 一体何をしに出てきたのかとルカリオが怪訝な視線を送れば、サムズアップでもするように翼を掲げたゴルバットが、そのままコスモスへと抱き着いた。

 

───これで姉さんが体を冷やさなくて済みやすぜ……!

 

 そう言わんばかりに誇らしげな表情だった。

 

「フィ~ア……」

 

 続けて寝ぼけたニンフィアもコスモスに抱き着く。

 こちらはうっかり離れてしまわぬよう、触角を苦しくならない絶妙な力加減で少女の体に巻き付けた。

 これで朝になっても体が冷えずに済むだろう。

 わざわざボールから出てきてまでの殊勝な行いに感心するルカリオは、今となっては古株に位置する仲間達へ微笑みを送った。

 

 そんな時だった。

 社の方から扉の開く音がする。

 

「チャァ~~~……」

 

 大あくびをし、どこから引っ張ってきたタオルを引き摺るピカチュウが階段をピョンピョン飛び降りてくる。

 そしてテントの外で屯する面子を見るや否や、一切の迷いなくコスモスの太腿の間に座り、自身にタオルを被せかけた。

 

「……」

 

 大概自由人……否、自由モンなピカチュウに何とも言えぬ表情となるルカリオであるが、これだけのポケモンに囲まれれば寒い思いはしなくなるだろう。

 一先ず安堵の息を吐き、ルカリオはその場から離れて警備に戻ろうとした───が。

 

「ルカリオ……」

「!」

 

 呼ばれて振り返る。

 けれども、自身を呼んだはずの主が起きている様子は見られない。

 寝言だったのだろう。今もすやすやと穏やかな寝息を立て、早速太腿に乗っかっていたピカチュウを抱き枕にしている。

 

 寝言であるならば反応する必要もない。

 しかし、そのまま前を向き直そうとしたルカリオは、逡巡するようにその場にとどまった。

 

 寝言には明確な意思を宿っているだろうか?

 大半の人間は、この問いに『NO』を突きつけるであろう。

 

 ならば、眠っている人間は感情を持っていないだろうか?

 これについて、ルカリオであれば『NO』と突きつける。

 たとえ感知し難い微弱な波動とは言え、主から流れ出る感情の波は、ルカリオをそれ以上前へと進ませなかった。

 

「……」

 

 そして、踵を返したルカリオはコスモスの隣へやって来る。

 穏やかな寝息を立てる主。どこか不安そうにも見えるあどけない表情を見るや否や、彼は音を立てぬよう細心の注意を払い、そのまま少女の隣に腰を下ろした。

 

 すると、間もなく少女が身動ぎする。

 目を覚ましたかと一同に緊張が走った。

 だが、少女は『う~ん』と声を漏らしながらルカリオの体毛に顔を埋めたっきり、微動だにしなくなる。

 まるでお気に入りの毛布を抱く幼児のようだった。ルカリオは寝息が体表をくすぐるこそばゆい感覚を覚えながらも、ほんの少し険の取れた面持ちにフッと微笑を零した。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 それから夜空の星は廻った。

 とうとう朝になり、空も白み始める。

 

 

 

 それでもルカリオは、主から離れることはなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「体がバキバキです」

 

 寝ぐせで爆発した髪形を帽子で覆い隠すコスモスが呟いた。

 ここは時間の森の道中。一度通った道とだけあり、進む面々の足取りに迷いはなかった。

 

「早く家に帰って湯船に浸かりたいです……」

「コスモス氏も乙女だねぇ」

「あとお腹が空きました……所詮持ち運べる量。あの程度じゃ私のお腹は満たされない……腹八分目なんてダストシュートくらえ……」

「おっとっとォ? 乙女力がぐぐーんと下がる発言来ちゃったよ」

 

「……拾っといたきのみだけど食べる?」

「いただきます」

 

「おやおや、コスモス氏の野生児力が上がってってるなぁ~」

 

 と、コスモスがレッドからもらったきのみを貪っているのはさておき。

 

 朝ごはんも済ませた一行は、村へ帰還するべくゲンエイじまを発っていた。調査に重要そうな社を発見したとはいえ、人間が持ち運べる機材や物資の数には限りがある。留まって調査するには相応の用意が必要になるのは必然であった。

 そこで今回は発見できただけでも御の字とし、次なる本格調査に向けて一旦戻る判断を下したのである。

 

「ゾロア達も敵じゃないと分かってくれたら友好そうでしたし、次はスムーズに調査できるんじゃないですか?」

「そうだね。こうなったらあそこに住み込みで調査するなんてのはどうだい! 妙案だろう!?」

「博士に森で暮らしていくポテンシャルがあるようには見えませんが」

 

 一年後ぐらいに骨になって見つかりそうだ。

 こうも年下にハッキリ言われ、テリアはがっくり肩を落とす。しかし、くよくよタイムなんてものは五秒で十分だと言わんばかりに彼女は奮起した。

 

「そこまで言われたら仕方がない! せめて一秒でも研究できる時間を早くするよう、すぐにでもラボへ帰還するとしよう! いざ行こう、コスモス氏! 赤先生!」

 

「えー、走りたくないです」

「……森を走るのは危ない」

 

「多数決は一対二でそちらが優勢だね。だがしかし、ワタシは行くぞぉー!」

 

 多数決で負けたなら敗北を認めなさい。

 そう制止する間もなく駆け出したテリアであったが、直後に足元にあった木の根に引っ掛かり転倒する。

 

「あびゃー!?」

「言わんこっちゃないです」

「イテテテ……ぐっ、ワタシとしたことが抜かった。若い頃はもっと派手に動き回れたのに……うん?」

 

 立ち上がったテリアは頭に違和感を覚えた。

 なにかヌルりとした液体。まさか出血したかと血の気が引いたが、手に取ってみたところまったくの別物であった。

 黄色く半透明な色合い。液体と呼ぶには粘性が強く、指にくっつければ糸を引く程であった。

 

「くんくん……なんだか甘い匂いがするぞ?」

「……博士」

「おーい、コスモス氏~。キミはなんだか知ってるかい?」

「……ビークイン」

「うん?」

 

 コスモスはテリアを───正確には彼女の後方を指差した。

 直後、無数の羽音が聞こえる。ヴヴヴヴヴと。数は一つや二つではなかった。

 そんな中、一際重い羽音を奏でる影がテリアの頭上に回り込んだ。

 

「───ビィィイイイ!!!」

 

「……ビークイン達が集めたあまいミツじゃないですかね」

「あー、なるほど!」

「逃げましょうか」

「それ正解」

 

 パッチーン☆ と指を鳴らすテリア。

 直後、三人は全力疾走でその場から離れた。

 しかし、それを逃がすほどビークイン達の怒りは小さなものではない。大切な食糧を奪ったと認識した人間達を兵隊であるミツハニーと共に追走し始めるではないか。

 

「走れ走れ走れぇー!! 捕まったらオクタン部屋よろしく、一生ミツ集めさせられるぞぉー!!」

「ひぃ、ひぃ、ひぃ……どの口が……!!」

(……トキワのもりでスピアーに追いかけられた時を思い出すなぁ……)

 

 三者三様の反応を見せながら、三人は時間の森を駆け抜ける。

 予定では夕方までに帰還するはずであったが、三人が森を抜けたのは昼過ぎであった。ただし森を抜けてから一名脇腹の痛みでぶっ倒れ、近くの村長宅で世話を受ける羽目となった。

 

 結局、動けるようになったのは日が暮れてからだ。

 

「まったくひどい目に遭いました……」

「そういう割には村長氏ん家でお菓子死ぬほど食べてたね」

「今日の分のノルマを達成しただけです」

 

(ノルマとかあるんだ……)

 

 謎のノルマ制度を課している生徒にレッドが唖然としている間にも、見知った家の屋根が見えてくる。

しかし、だんだん近づくにつれて不審な音───否、声が聞こえてきた。

 

『───!』

 

「……誰でしょう」

「来客かな? でも珍しいこともあるんだなぁ。ジー氏の家にお客さんなんて村長氏が来るぐらいなのに……」

「でも、村長の声じゃない」

 

 人一倍耳が良いレッドが言い切る。

 確かに近づいて聞いてみれば、響いてくるのは女性……それも年若い少女の声だ。

 村の住民事情は知らないが、少なくともテリアは若い少女の客人に心当たりはないようだった。

 

 ますます不思議がるテリアを先頭に二人は家に到着した。

 正直に玄関から上がるよりも縁側に回った方が、居間を確認するには手っ取り早い。傍から見ればコソ泥にも視られかねない態勢で三人が覗き込む。

 

 するとそこには信じられない光景が広がっていた。

 

 

 

「───オーッホッホッホ!! このケムリイモの煮っころがし、とっても美味ですわ!! どんどん箸が進んで止まりませんわぁ~~~!!」

「……そうか。おかわりもあるぞ」

「本当ですの!? それではお言葉に甘えさせていただきますわぁ~!!」

 

 

 

「あ」

「おやおや?」

「?」

 

 何かに気づく二人。反面、レッドは依然として疑問符を頭上に浮かべた。

 彼女らが目撃したのは紛うことなき普通の食卓を囲む光景。当然、ジーが独り身である事情を考慮した時、謎の少女が同席している点に不審を覚えるであろう。

 だが、むしろ知っていたからこそコスモスは固まった。

 そんな彼女の息遣いを耳にしたのか、ケムリイモの煮っころがしを笑顔のまま大口で食べようとしていた緑髪の少女が気づいた。

 

「……あ、」

 

 思わず箸から芋が転がり落ちた。

 床の上に煮汁が浸み込んだ芋が転々と転がっていく。

 

「! パクッ、もぐもぐもぐ……!」

「食べるんですね、それ」

 

 しかし、少女は落ちた芋を三秒の内に拾い上げ、口に運び込む。

 口調に似合わず意地汚い面を見せた少女であったが、そもそも知っていたと言わんばかりにコスモスは納得した反応を見せる。

 

 

 

「───相変わらずですね、ベガ」

「これはこれは……お久ぶりですわね、コスモスさん。ご機嫌いかが?」

 

 出会って三秒。

 にも関わらず、一触即発バチバチな空気が出来上がる。

 

「……なにこれ。どういう状況?」

「ありゃりゃ、懐かしい顔だこと」

 

「おい、テリア。知り合いか?」

「あ、ジー氏。ただいま帰りましたよぅ」

 

 火花を散らす少女達にレッドが困惑するのと同じく、ジーもまた食事の席を共にしていた少女がただちに険悪なムードを作り上げたことに少なからず戸惑っていた。

 

「どんな御用でこちらにいらっしゃるかは知りませんが、ここで会ったが百年目ですわ……!」

「ヤるというなら付き合いますが」

「望むところですわ! あちらに行って白黒つけましょう!」

 

 と、外野が困惑している間に当人達で話がまとまってしまう。

 何やらこれから一戦交えようという雰囲気だ。誰も居ない平地へと向かうべく、縁側に並んだ靴を履こうと緑髪の少女が腰を下ろした。

 

「……コスモス?」

 

 不意に聞こえた声の方へ、全員の視線が集まった。

 そこには湯上りらしき容姿端麗な人物が立っていた。濡れた青髪をタオルで拭う人物は、外から自身を見つめている少女を見るや否や、みるみるうちに怜悧そうに細められていた瞳を見開かせた。

 一方、コスモスの方はと言えば逆にギュゥゥウ! と目を絞るように細めた。まるで嫌なものでも見た反応であり、そのまま彼女はその場から一歩引き下がった。

 

 しかし、次の瞬間だった。

 

 

 

 

 

「オー、コスモースッ!! ロング・タイム・ノー・シー!! 会いたかったデーーース!!」

 

 

 

 

 

「待ってくださいデネブ私今日歩き通しで疲れてるので───ぐぇぶ!!?」

 

 湯上りを厭わず一直線に飛び込んでくる相手。

 そんな知り合いを突然受け止められるはずもなく、コスモスはジー家の庭に倒れ込んだ。余程の勢いだった所為もあり、ゴチンッ! と後頭部を打つ音が鳴り響く。

 それっきりコスモスは白目を剥いたまま動かなくなる。

 享年(気絶)12歳であった。

 

 だが、飛び込んで来た相手はそんなことにも気づかずコスモスを強く抱きしめる。

 

「コスモス!! ミーはずっとずっとユーに会いたかったデスよ!! ハァ……久しぶりに会ってもチョコレートなフレグランスは変わらないデース。トッテモ落ち着きマース……」

「デ、デネブ……とりあえず放してさしあげませんこと? コスモスも気を失っておられますわ」

「ホワッツ!? ……オー、ベリーベリー疲れてましたかネ?」

「いや、十中八九アナタのせいだと思いますが……」

 

『何事?』

 

 騒がしくなってきた庭先に、また一つ声が加わった。

 

「……ポケモン図鑑?」

 

 これにはレッドが反応した。

 その声は紛うことなきポケモン図鑑の音声だった。図鑑説明を読み上げてくれるお兄さん風なアレだ。

 

 だがしかし、その声を発していたのはデネブがやって来た扉の奥に立つ、これまた不思議な装いの人物だった。全身黒ずくめに身を包んでおり、加えて顔もバイザーや襟で隠している為か、まったく素顔を拝むことができない。

 

 そんな人物は、見知らぬ来客に庭先で気絶している知人、それを抱きかかえる仲間を見て一言。

 

 

 

『いや、何事?』

 

 

 

───こっちが訊きたいよ。

 

 全員の思いが繋がった瞬間だった。

 




Tips:ゲンエイじま
 時間の森から続く砂浜の散歩道を辿っていくと着く島。普段は島の姿が見えないとされているが、それは生息するゾロアークがここを棲み処とし、外敵が侵入できぬよう幻影で景色を誤魔化している為である。
 島内には多くのゾロアやヒスイゾロアが繁殖している。
 一見それ以外は時間の森とさほど違いのない景色が広がっているが、最奥に位置する場所には大きな大樹に包まれた社と巨大な時間の花が存在する。過去の映像から、この社にセレビィと共に時渡りしてきた人間が確認されているが、それ以上は詳細不明。


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№054:ケンカするほどなんとやら

前回のあらすじ

ベガ「……博士、帰ってきませんわ……」

ジー「……上がって何か食べていくか?」

ベガ「いただきますわぁー!」

コスモス「何いただいているですか」


 

 ホーホーが鳴き止む明朝。

 

「おい。寂しい独り身に客が来てやったぞ」

 

 と、大層なご挨拶を口にするご客人が一人、ジー宅を訪れた。

 客人は麗しい銀髪が目を引くカイキョウタウンの村長だ。この村で不愛想なジーを訪れようとする住民は、彼女を除いてほとんど存在しない。

 たまにこうして訪れては世間話をするのも、娯楽の少ない離島にとっては十分な趣味になり得る。

 

 そんな訳でやって来た村長であるが、

 

「……なんじゃ、誰も居らんのか?」

 

 いいや、そんなはずはない。

 現に居間の方からはカチャカチャと食器がぶつかる音が聞こえてくる。となれば、食事中でたまたま聞こえなかったと取るべきだろう。

 

「まったく……それにしてもそろそろ耳が遠くなる歳か?」

 

 『寄る年波には逆らえんのぅ……』と勝手に哀れみながら、ゆっくりとした足取りで縁側の方へと回り込む。

 

「お~い、客人が来たぞ~い。もてなしの一つでも───」

 

「あぁ~~~!!! コスモスさん、今ワタクシのおかずを奪いましたわね!!?」

「気のせいじゃないですか? このケムリイモの煮っころがし美味しいですね、ヒョイパクッ」

「あぁ!? また! また奪いやがりましたわね!? 昔っからワタクシの分をあの手この手で奪っては食べ、奪っては食べ……もう我慢なりませんわ!! 堪忍袋の緒がプッツーンですわよ!!」

 

 なんか、増えてた。

 

「二人とも、喧嘩は駄目デース。皆で久しぶりのブレイクファスト、仲良くしまショウ!」

『うっ……もうお腹いっぱい……トイレ……』

 

「茶碗一杯食べただけなのに?」

「キミは相変わらず胃がちっこいねぇー」

 

 しかも一人だけではない。

 見慣れない子供が三人増えていた。気の強そうな緑髪娘、片言な青髪美少年(?)、全身黒ずくめの電子音声と、タマムシデパートも真っ青なレパートリーだ。どちらかと言えばヤマブキシティの一角に集うサブカルチャーなお店に出てきそうな雰囲気がある。

 

「ほう……これはこれは。一体全体どういう集まりじゃ?」

「あ、村長……おはようございます」

「おお、赤いの。これはそなたの生徒の知り合いか?」

「一応……」

 

 自信がなさそうに答えるレッドであるが、その原因が今目の前でくり広げられている攻防にあった。

 

「語弊ですね。私は毎回貴方に約束を取り付けていただいていたはずですが?」

「だとしてもですわ!! 毎回毎回給食のデザートを奪いやがりまして……食べ物の怨みは恐ろしいですわよッ!!」

「じゃんけんで負ける貴方が悪いです、あむっ」

「あ゛ぁ~~~!!? そ、それはワタクシが食べようとしていたころころマメの煮つけ……!!」

「別に小皿に取り分けられてる訳じゃないでしょうに。素直に他のマメを食べればいいじゃないですか」

「それが一番大きくて食べ応えがありそうでしたのっ!!」

 

 誰が言ったか、食卓は戦争だ。

 バッチバチに火花を散らすコスモスと緑髪の少女に、食事を作ったジーは終始沈黙を貫いていた。かつてないほどの喧噪をくり広げる中でも、黙々と自分で作った料理に手をつけている。

 

 一見すると騒がしくする少女達に不快感を覚えているように見えなくもない。

 が、しかし。

 

「そもそも貴方達一体なんですか。私が居ない間にこの家にやって来て……もっとタダ飯を食べているという自覚を持って食べる量を減らしたらどうです?」

「食べた量が増えたのは、そもそもアナタ達が森に行ってずっと帰って来なかったからでしょう!!」

「別に貴方達が来るって聞いてた訳じゃないですし」

「それにしてもですわ!! 夕方に帰って来るって聞いたから大人しく玄関に居座らせてもらったというのに!! おかげさまで朝昼晩ときっちり三食ごちそうになってしまったじゃないですの!!」

 

「わたしは別に構わない」

 

「あら、誤解なさらないで家主様。ワタクシの箸が進んでしまうのは、ただアナタの料理が絶品と呼ぶ他ないからですわ!!」

「ただたくさん食べた言い訳してるだけじゃないですか」

「お黙り!!」

 

 自身の料理を含むところなく食べ進める子供達を見る眼差しが、村長にはどこか柔らかなものに見えた。

 

(なんじゃ、存外悪い気はしてなさそうじゃのう)

 

 それにしても、子供が増えた理由はさっぱり分からなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「つまり、あやつらはテリアに用事があって来たという訳か」

「そうみたいです」

 

 縁側に腰掛けた村長とレッドは茶を啜っていた。

 騒がしい朝食を終えれば、当の新参者らは『おい、表出ろよ』と昔の不良を彷彿とさせるスピーディーさでコスモスに連れて行かれた。

今頃彼女達は近場のバトルできそうな平地にでも向かっているだろう。

 

「青春じゃな」

「青春……?」

 

 まあ青春か。

 そう納得することにしたレッドは湯飲みに入っていた茶を飲み干した。

 

「よし……」

「む? どこか行くのか?」

「ちょっと様子を見に……」

 

 健全なポケモンバトルで済めばいいが、今朝の様子を見るからに約一名は自身の生徒とピカチュウのせいでんきばりにバッチバチな間柄らしい。

 賢明なコスモスのことだ。自ら仕掛ける真似こそしなさそうではあるが、相手の沸点次第では仕掛けられ、リアルファイトに発展しても不思議ではない。ソースは自分と幼馴染(グリーン)だ。

 

(あの頃は若かった……)

 

 直接的な殴り合いに発展したのは、後にも先にもあれっきりだ。

 オーキド博士が止めても喧嘩は止まらず、最終的にはもう一人の幼馴染に海に背負い投げされてようやく終息した。危うく21ばんすいどうの藻屑となるところだったのは今でも鮮明に思い出せる。

 

 そんな青い時代に青い名前に投げられた思い出を振り返り、万が一の仲裁役としてコスモスの下へ赴こうと考えていたレッドであったが、

 

「ああ、ちょっと待て」

「ほわっつ?」

「外国被れが移ったのぅ」

 

 それはいいとして。

 

「実はそなたに頼みたいことがあってのぅ。男手が欲しいのじゃ」

「? おれで良ければ……」

「話が早くて助かる。では、わしの家の蔵に付いて来てくれぬか」

 

 そう言って村長は腰を上げる。

 

「でもそうすると……」

「心配するのは構わんが、それではあやつも親離れできぬじゃろう」

「親……?」

「もののたとえじゃ。ともかく、今は自分の弟子を信じてみろい」

 

 滅多なことは起こらぬじゃろう、とやや楽観的なセリフを吐きながら村長は自宅がある方角を向いた。

 このまま彼女に付いていけば、自然とコスモスの下に行くのは後になってしまうが───。

 

(……まあ、大丈夫か)

 

 なんやかんや生徒のことは信じている。

 村長が言うように滅多なことは起きないはず。

 そう自分に言い聞かせ、レッドは頼まれ事をさっさと終わらせるべく村長に付いていくのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ここならゆっくり話せそうですね」

 

 村から少し離れた場所。

 開拓時代、少々の樹林を切り倒したところで野生ポケモンの妨害に遭いそれっきり手つかずの平地にコスモス達はやって来ていた。

 

「そうですわね。ここでしたら邪魔も入りませんわ」

 

 コスモスに同意するのは緑髪の少女だった。

 長い髪をハーフアップに結い上げ、オデコにはどこぞのジムリーダーを彷彿とさせる赤いカチューシャを身に着けている。しかし、ツリ目気味な赤い瞳がどうしようもなくキツさを印象付ける。

 黒を基調とした着物ドレスも、和洋折衷ではなくどっちつかずといったちぐはぐな印象だ。どうしようもなく服に着られている感がある。

 

 それでも少女は自信満々といった面持ちで続ける。

 

「ワタクシとアナタ……共にロケットチルドレンであった同胞として、我々の“お話”に横槍を入れられたら堪ったものではありませんもの」

「ベガ……」

「でしょう? コスモスさん」

「どちらかと言えば、貴方達がうっかりにでも私がロケット団関係者だって言い振り撒かれたくないだけですけど」

「……ひ、人の神経を逆なでるような物言いは昔と変わらなくって。オ、オホホッ、今となってはむしろ懐かしさと愛しささえ覚えますことよ」

 

「ベガ、青筋ピクピクデース」

 

「おだまり、デネブ!!」

 

 緑髪の少女───ベガは、余計な一言を投げかけてきた青髪の方に怒鳴った。

 この場に居る中で誰よりも背が高い、そして中性的な容姿をした人物であった。服装も拍車を掛けている。上下黒に染まったシャツとパンツで揃えた上に、白いベストを身に纏っている。

 喋らなければ男性か女性かも分からぬ美貌も分からぬ持ち主だが、そのスタイリッシュな風貌とは裏腹に、長い睫毛を揺らしながら溌剌とした笑顔をコスモスへと投げかける。

 

「積もるトークはたくさんありマスけど、こうして皆揃ったんデス! 仲良しが一番デース!」

「デネブも随分こっちの言葉が馴染みましたね」

「おかげさまデース!」

 

 ああ、なんという模範的なサムズアップなのだろう。覗く白い歯が眩しい。

 これで彼女もロケット団員だったというのだから、人は見た目で判断できないと言えよう。

 

「で」

『……なんだよ』

「アルタイルは相変わらずその服装なんですね。脱いでくれませんか?」

『いきなり何言ってんの?』

「こんな晴れた日にそんな全身黒ずくめ……見てるだけで暑くなってくるんですよ」

『とんでもない暴論。いや、これ見た目ほど暑くないから。空調服だし。むしろ冷却装置(ラジエーター)付いてるから快適だし』

「よこせ」

『最早ただの強盗じゃん』

 

 会話しているとポケモン図鑑と話している気分になってくるこの黒ずくめもまた、れっきとしたロケット団員の一人だ。

 

 ベガ。

 デネブ。

 アルタイル。

 

 今、この場に揃った三人こそコスモスと同じロケットチルドレンであった者達なのだ。

 

「それにしても奇遇でしたわね。こんな辺鄙な場所でアナタにお会いできるだなんて」

「こっちの台詞です。ラジオ塔の件以降、施設から姿を消したとは聞いていましたが」

 

 アジトの一つであったタマムシゲームコーナーの検挙以降、彼女達もコスモスと同様に養護施設へと引き渡された経緯がある。

 ただし、ロケット団の洗脳教育を受けていたという理由で、万が一にも結束して悪事を働かぬよう、引き渡された施設はそれぞれ別であった。

 もっとも、その見通しが正解であったのか、一部の元チルドレンはラジオ塔の呼びかけに応じたと風の噂で耳にしていたのである。それが他でもない、彼女達だ。

 

「そうでしょうとも!! ロケット団復活はワタクシ達の宿願!! あの放送を聞いて駆け付けないなんて、ロケット団の風上にも置けませんわ!!」

『元々組織以外に行く当てなんてないし』

「とりあえずミーはミンナと会えてハッピーデース。でも、コスモスに会えなくてアンハッピーデース……」

 

 前後の温度差が激しい。

 

「……で、三人は一緒に居たってことですか」

「その通り!! ……だというのに、アナタと来たら!」

「はい?」

「一向に姿を見せないとはどういう了見ですの!?」

 

 案の定怒鳴られ、コスモスはしかめっ面を浮かべる。

 

「だって……」

「だってもフラエッテもありませんわ! アナタともあろう方が───ごほんっ。曲がりなりにもロケット団に忠誠を誓った身である以上、何が何でも合流するのが筋というものではなくて!?」

「その日修学旅行でしたもん」

「しゅ、しゅしゅしゅ、修学旅行!? ……それなら仕方ありませんわね」

 

『それは仕方ない判定なんだ』

 

 人生に数度しかない学校行事だ。

 これにはベガも納得せざるを得ないという表情であるが、すかさずアルタイルがツッコんだ。

 

 と、冗談はさておきと言った様子でコスモスが反論に打って出る。

 

「はぁ……そもそも、筋を通していないのは貴方達の方ではないんですか?」

「な、なんですって!?」

「サカキ様が私達に下した命令は、チャンピオンとなりリーグ内部に潜入すること。わざわざ施設から脱走して組織に合流するなんて、愚行中の愚行じゃないですか」

「うぐっ!?」

 

 痛いところを突かれたと言わんばかりにベガが歯噛みする。彼女自身、己の行動に思うところはあるようだった。

 

「し、しかし、現にワタクシ達はロケット団に合流を果たし、任務をこなしている最中ですの! これを組織への貢献と呼ばずして何と呼ぶおつもりで!?」

「雑用?」

「ぐぎぐッ!?」

 

 図星を突いてしまったらしい。

 ますますベガの表情がお嬢様口調とは正反対の方へと向かってしまっている。

 

「ふ……ふーんですわ!! そんな風におっしゃられたって、ワタクシ達が組織に貢献している事実に変わりありません!!」

「体のいい厄介払いではなくて?」

「ぎがぎがふんふん、ががががが!!?」

 

「オー、ベガ壊れちゃったデース」

『コスモス、その辺にしてあげて』

 

「えー……」

 

 もうちょっと遊べそうであったが、他二人に止められてしまった以上弄る訳にはいかない。コスモスは仕方なく話に集中することにした。

 

「で? その任務とは一体なんなんです?」

「ふーッ!! ……よくぞ聞いてくださいましたわね!! ワタクシ達に与えられた使命、それは……テリア博士の確保ですわ!!」

「博士の?」

 

 現在博士は自分のラボに引きこもっている。今頃、先日の調査で入手し成果に、奇声を上げながら喜んでいるところだろう。

 

───まさか、時間の森での?

 

 そこまで考え至り、コスモスは頭を振った。

 あくまであれはテリアの個人的研究。偶然サカキらしき人物を目撃はしてしまったものの、あれも自分達が合流してから見た光景のはずだ。

 となると、考えられる可能性は一つ。

 自分の中でのあたりを付けながら、あえてコスモスは問いかける。

 

「どうして博士を?」

「『シャドウポケモン』。ご存じでいらっしゃって?」

 

───やはりか。

 

「……博士が預かっている戦闘用に改造されたポケモンのことですか?」

「あら、お耳が早いこと。シャドウポケモンはロケット団が開発した次世代の兵器! ポケモンの潜在能力を限界まで引き出したその戦闘力は筆舌に尽くしがたいほど!」

 

 『で・す・が』とベガはもったいぶるように間を置いた。

 

「……そんなロケット団肝いりの兵器を、易々と解明されてしまっては困りますの」

「それで“確保”と。一体どこから情報を仕入れたんでしょうね」

「ロケット団のシンパは各地に存在しますの。この程度の情報、易々と手に入れられましてよ!」

 

 何故かベガが得意そうにするが、事実それだけの力をロケット団が持っていたのも事実だ。解散して以降、そういった情報収集力が持続しているかは定かではないが、嘘と断じるには各地でロケット団が跋扈している。

 

「それで? 博士にはもう?」

「ええ。予定より少々遅れてはしまいましたが、おおむね好意的な反応はいただけましたわ。やはり彼女もまたロケット団の一員……ワタクシ達と志を共にする同志ですわぁー!!」

 

「最初結構渋ってたデース」

『でもお金の話したらすぐOKしたよね』

 

「そこ!! うるさいですわ!!」

 

 やはりと言ってはなんだが、お金には勝てなかったようだ。

 あの万年金欠マッドサイエンティストのことだ。資金援助を中心にあれこれ言いくるめられた結果、ロケット団に復帰することを合意したと見ていいだろう。

 そうした場合、シャドウポケモンの研究は進まなくなり、結果的にロケット団へ有利に事が進むだろう。

 

 一見、ロケット団であるコスモスにとっては利に繋がる展開である。

 しかし、

 

「その話、待ってください」

「……なんですって?」

 

 思わぬ言葉にベガが訝しげに眉を吊り上げた。

 

「今なんと……?」

「待ってくださいと言ったんです。博士を貴方達に合流させる訳にはいきません」

 

 今度こそベガの表情に怒りが滲み出る。

 

「なぜです!? アナタともあろう方がワタクシ達の邪魔をするんですの!?」

「一つ訊きたいんですが、貴方達が合流したロケット団……幹部の一人にアルロという人が居るのでは?」

「? 確かに彼はロケット団に在籍しておりますが……まさか、彼が気に食わないとかそんな子供染みた理由ではございませんわよね?」

「まさか」

「では、どうしてっ!?」

 

 納得がいかない。

 そんな表情をしているのはベガだけではない。少し離れた場所に佇むデネブやアルタイルも、コスモスの言動に違和感を抱き困惑している様子だった。

 対して、コスモスは息を整える。

 

───二分化するロケット団。

───頑なに姿を現さない首領。

───そして、時間の森で見た光景。

 

「私は……」

 

 一瞬、言葉が喉で詰まった。

 それでも意を決し、遂に吐き出した。

 

「私は……今のロケット団に疑念を抱いています」

『───!』

 

 衝撃。

 そう呼ぶより他ない感情の波紋が荒波立って広がる。動揺は目に見えて現れ、ベガは二、三度ほど仲間である二人の方を向いた。

 

「……それは……」

「言葉通りの意味です。そして、これは貴方達が所属するロケット団の根幹を揺るがしかねない問題でもあります。私の思い違いで済むのならまだしも、もしもこの懸念が真実であるのなら……私が今、貴方達と対立するのに十分過ぎる大義を得ます」

「アナタがそこまで言うなんて、いったいどんな疑念なんですの?!」

 

 当然の質問を投げかけてくるベガ。

 それにコスモスは、

 

「まだ敵である貴方達には伝えられません」

「っ……!!」

 

 毅然と言い放った。

 これにはベガも下唇を噛み、凄絶な表情を浮かべている。怒りと困惑、それと少しばかりの悲嘆を滲ませながら。

 

 しばし流れる沈黙。

 遠くからは海鳴りが響き、より一層この場の静寂が際立つ。

 

「……そう、ですか……」

 

 口火を切ったのはベガだった。

 握っていた拳を解き、凄まじい眼光をコスモスへと向ける。

 

「ですが、ワタクシとて組織に忠誠を誓った身。理由を明かされない内に組織へ牙を剥くほど落ちぶれたつもりはありませんわ」

「まあ、道理でしょうね」

 

 カチャ、と。

 ベルトに着けたボールが揺れる音が聞こえた。

 

 目が合った。二人の視線が交差したのだ。

 それは紛れもない、バトルの合図だった。

 

「交渉決裂、ということでよろしくて?」

「ええ」

「となると───結局のところ、アナタがワタクシ達の任務にとって最大の障害になる訳ですわね」

 

 ベガはとうとうボールを手に取って、それをまざまざと見せつけてくる。

 しかし、コスモスはと言えば、

 

「フッ」

「……何が可笑しくて?」

「いえ、別に」

 

 鼻で笑ったコスモスは、柄でもない軽い口振りでこう言い放った。

 

「私如きを『最大の障害』と称している内は、貴方達の任務は達成されませんよ」

「っ……昔に比べて随分おしゃべりになりましたわね……! 寡黙だった頃の方がワタクシの好みでしてよ!」

「過去の私を求めているようでは、やっぱり貴方は私に勝てませんね」

 

 舌戦はここまでだ。

 ベガは積もりに積もった怒りを晴らすように、ボールを地面へと叩きつける。飛び出してきたのは巨大な食虫植物といった姿のポケモンは、甲高い雄たけびを青天井に向かって轟かせる。

 

「キシャーーーッ!!」

 

(ウツボット───当然、進化はさせていましたか)

 

 かつてのベガの手持ちを思い出し、コスモスもポケモンをくり出した。

 

「GO、ゲッコウガ」

「ゲコォ!」

 

 参上した忍者蛙は早速身構える。

 お互い臨戦態勢は整っている。いつバトルが勃発してもおかしくはなかった。

 

 そんな中、散々煽られて怒り心頭のベガが甲高い声を響かせた。

 

「そういうアナタこそ、昔のワタクシと同じだとお思いなら大間違いでしてよ!! いいでしょう……実力で黙らせてさしあげますわ!!」

「一度でも私に勝てたことがありますか?」

「でしたら、今日が土の味を知る日ですわね!!」

 

 ベガの吐いた気炎を皮切りに、戦場と化した平地でゲッコウガとウツボットが激突する。

 共に元ロケットチルドレン。チャンピオンになることを義務付けられた子供達───計画が頓挫し、数年経った今でも実力が衰えていることはない。

 

 むしろ、研ぎ澄まされて今に至る。

 

『あーあ、こんなこったろうとは思ってたけどさ』

「昔ながらの味わいデス」

『それはちょっと意味違うと思うけど』

 

 そして、外野は呑気に見物を決め込む。

 

 

 ロケットチルドレンVSロケットチルドレン。

 

 

 壮絶な内輪もめが、今始まる。

 




Tips:ロケットチルドレン
 かつてロケット団にて、ポケモンリーグ掌握計画の中枢を担う人材を育成するべく用意された子供。ほとんどが身寄りのない子供であり、教育段階でロケット団への忠誠を誓わせている。
 具体的な育成方針はとにかく強いポケモントレーナーへと育て上げること。チャンピオンへと上り詰めることが潜入の手段としては最短であるが、良い功績を残すことで、将来的な四天王やジムリーダー候補に選ばれることも視野に入れている。
 しかし、タマムシゲームコーナーアジトの一斉検挙により、ロケットチルドレンは解体。子供達は各地の養護施設へと引き渡された。
 その内、ラジオ塔占拠に乗じて施設を脱走、ロケット団へと合流したのがベガ、デネブ、アルタイルの三名である。彼女達も訓練を積むことで同年代と比べた時、抜きんでた実力を発揮していたトレーナーであったが、そんな彼女達でも勝てなかったのがコスモスだとされている。


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№055:本のタイトルが思い出せない現象

前回のあらすじ

ベガ「久しぶりにキレちまいましたわ……表出て決着つけませんこと?」

コスモス「そのエセお嬢様口調どうにかなりませんか?」

アルタイル『今更無理でしょ』

デネブ「デース」


 

「ハクションォラァイッ!!」

 

 舞い上がる埃を吹き飛ばすくしゃみが轟く。

 直後、蔵に潜んでいた野生ポケモンがドタドタと慌ただしく逃げていく足音が続いた。余程長い間手入れされていなかったのだろう。足音はしばらくの間鳴り響いた。

 

「……ずびっ」

「おーおー、随分埃を被っておるのぅ」

 

 レッドが呆然と蔵の入口で立ち尽くす一方、村長は少し離れた場所に立っていた。

 完全に安全地帯へ避難していやがった、あの年齢不詳の美魔女は。

 思わず恨みがましい視線を送るレッドであったが、当の村長は毛ほども気にしていない様子だ。むしろクツクツと埃を被った彼を見て、愉快そうに笑うばかりである。

 

「大分長いこと整理しておらんかったからのぅ。見ての通りじゃ」

「……それで、おれにどうしろと……」

「まな板じゃ」

「……まな板?」

 

 まな板というと、あれだろうか?

 

「料理を切るのに使う……」

「それ以外に何がある。そいつを探してほしくての」

 

 『たしかあったはずなんじゃが……』と悩む素振りを見せる村長だが、これに難色を示したのは他でもないレッドだ。

 

「……他のまな板じゃ……」

「ダメだ。あのまな板を使うと味が良くなった気がしてのぅ。最近使ってたまな板が壊れて、ちょうどそんなのがあったと思い出したのじゃ。是非ともあれをまた使いたいのぅ」

「……そう」

 

 ぶっちゃけその辺の適当な板を加工すれば済むのでは? と考えたが、どうにもそういう訳にもいかないらしい。

 

「この中を……」

 

 今一度見つめる蔵の奥。

 未だに埃が立ち込めており、一歩踏み入れば反射でくしゃみが出てきそうだ。それでまた埃が舞い上がるというのだから救いようがない。詰みだ。今すぐ帰りたい衝動に駆られる。

 しかし、手伝うと言った手前何もせず帰るのも心苦しい。

 ここは若者として年長者の代わりに骨を折ってあげようではないか。そう自分に言い聞かせたレッドは頼もしい仲間達を呼び寄せる。

 

「皆、出てきて」

 

「ピッカ!」

「バァナ」

「リザァ!」

「ガァーメ!」

「キュウン?」

「ゴ~ン」

 

 セキエイリーグを共に制覇した心強い仲間(ポケモン)達の登場だ。彼らが居れば百人力。探し物だってすぐに見つかるはずだ。

 

「よし……皆でまな板を探し───」

「チュピ」

 

 ピシャ、と。

 最後まで言い切るのを待たずして、蔵と外を隔てる扉は閉め切られた。

 蔵にただ一人残されるレッド。僅かに隙間から差し込む光に手を伸ばし、直後に彼は膝から崩れ落ちた。

 

「この……裏切り者ぉぉおおおぉぉ……!」

 

───裏切り者ぉぉおおおぉぉ……!

───裏切り者ぉぉおおおぉぉ……!

───裏切り者ぉぉおおおぉぉ……!

 

 魂からの叫びが、カイキョウタウンの空に木霊した。

 仲間であっても無理なものは無理。

 そんな当たり前のことを、レッドはこの日改めて思い知らされるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

───裏切り者ぉぉおおおぉぉ……!

 

 そんな叫び声がどこからか聞こえてきた。

 それを幻聴だと切って捨てるコスモスは、目の前の()を見据える。

 

(ウツボット……カントーやジョウトではメジャーなポケモンですね)

 

 ハエとりポケモン、ウツボット。

 大きな口から甘い香りを漂わせ、匂いに引き寄せられたポケモンを捕食するという、マスキッパに似た生態を持つポケモンだ。

 進化前のウツドン、マダツボミ共々、カントー地方やジョウト地方においてよく見かけるポケモンでもあり、くさタイプを得意とするトレーナーの手持ちに加わっているケースは珍しくない。他でもないベガの尊敬するトレーナー、タマムシジムリーダー・エリカもまた使用するポケモンだ。

 

「最後に戦った時はウツドンだったのに……進化させられたんですね」

「ええ、おかげさまで」

 

 綽々とした笑みを湛えながらベガはこう答える。

 

「離れ離れになることになった()()()から、ワタクシは一日たりともアナタを忘れたことはありません」

 

 しかし、話していくにつれて拳に力が込められていく。

 

「幾度となく味わわされた屈辱……それを晴らす為にワタクシは力を磨いたんですの!!」

 

 握った拳が振り上げられる。

 

「ウツボット、『リーフストーム』!!」

「キシャー!!」

 

 甲高い雄たけびを上げながらウツボットが回転する。

 すれば、どんどん勢いを増していく木の葉の竜巻が、意思を持った龍のようにゲッコウガ目掛けて襲い掛かってくる。

 

「ゲッコウガ、『かげぶんしん』!」

「ゲコォ!」

 

 だが、これを黙って見過ごすコスモスではない。

 彼女が『かげぶんしん』を指示すれば、タンッ、と軽やかに跳躍したゲッコウガが10、20と己の分身を生み出した。

 これには対峙するベガも目を剥いた。刹那にしてこの分身の数。場慣れしたトレーナーであればまずたたらを踏む光景だ。

 

「猪口才な、薙ぎ払いなさい!!」

 

 しかし、面食らいはしたもののベガの判断は迅速だった。

 標的に向けて一直線だった攻撃を横薙ぎにし、無数の分身を一蹴する。威力も範囲も申し分ない大技であればこその力業だ。

 みるみるうちに分身の数が減っていく。

 そうなってしまえば本体が見つかるのも時間の問題だった。

 

「そこですわ、『つるのムチ』!!」

 

 空を切り裂く音が響いた直後、空中に跳んでいたゲッコウガが幾重にも巻き付かれた蔓によって捕らえられていた。

 捕縛されてしまったゲッコウガに対し、コスモスは平静を保ったまま瞳を向けた。

 すると、何やらパラパラと風に乗って運ばれてくる粉が目に映った。

 

「ただの『つるのムチ』じゃありませんね」

「ご名答。た~っぷり『しびれごな』をまぶした鞭のお味はいかがかしら?」

 

 ベガは勝ち誇った笑みを浮かべ、身動きが取れないゲッコウガを一瞥した。

 

「それにしても……ワタクシが得意とするくさタイプ相手にみずタイプをくり出すなんて、どういう了見ですの?」

 

 だが、浮かべる笑みに対し、言葉の節々には分かりやすいほどの苛立ちが滲み出ていた。

 それが何なのかは聞くまでもない。

 

「まさかとは思いますがワタクシを舐めていらっしゃって?」

「……初手からバトルを決定づける大技の中に小技を仕込んでおく。貴方の得意とする戦法でしたね」

「フフッ、それを分かっていて避けられなければ───」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 ボフンッ! と。

 刹那、ゲッコウガの姿がその場から消え失せた。

 

「んなッ……!?」

「『つばめがえし』!」

 

「ゲコォ!」

「キ、シャーン!?」

 

「ウツボット!!」

 

 ゲッコウガが現れたのは地面。反撃に出る間もなく、土煙を上げながら出現したゲッコウガの手刀がウツボットに叩き込まれた。

 効果はバツグン。宙に打ち上げられたウツボットは、それから受け身を取ることもできぬ間に地面へと墜落した。

 

「ぐっ……『あなをほる』!? 最初から地面に潜んでいたと!?」

「技を透かしたのは『みがわり』です。貴方が何をしてくるかは大体察していましたので」

「やってくれる……!」

 

 瀕死になったウツボットをボールに戻しつつ、ベガは次なるモンスターボールを手に取った。

くり出したのはラフレシア。こちらもくさタイプとしては広く知られているポケモンだ。

 一方、コスモスはゲッコウガを続投する。これにはベガもチーゴのみを噛み潰したような面持ちを湛える。一見するとゲッコウガはみずタイプだ。それをくさタイプを前にくり出されるなど、当人からしてみれば尊厳破壊されているに等しい。

 

「どこまでも舐めて……!」

「舐めているのかはこっちの台詞です」

「……なんですって?」

「何度も同じ手を食らうようでは、チャンピオンなんて夢のまた夢……違いますか?」

「!」

 

 ここまで言われ、ようやく自身の浅慮を思い知る。

 同時に、顔には自然と笑みが零れ出た。

 

 そうだ。

 自分の知っている彼女は、考えもなしに手を抜くポケモントレーナーではない。そこには必ず何かしらの意味を持っているということを散々体験してきたではないか。

 

「……フフフ、オーッホッホッホ! それでこそ……それでこそですわ! やはりアナタはそうでなくては!」

 

 口元に手を遣りながら高笑いするベガに、ラフレシアも似たようなポーズをとって笑う。

 

「やはりアナタこそワタクシが超えるべき壁……いえ、頂点! アナタを打ち倒してこそ、ワタクシのサクセスストーリーは幕を開けるんですわ!」

「サクセスストーリー?」

「そう物欲しげな顔をなさらなくとも教えて差し上げますわ!」

「いえ、別に……」

「教えて差し上げますわッ!!」

 

 有無も言わせて貰えなかった。

 ゲッコウガとラフレシアが互いに牽制の技を打ち合う最中、ベガは一方的に語り始める。

 

「ワタクシの家が貧しかったのは存じ上げているでしょう? 父が賭け事に没頭する余り、いつも家計は火の車! 遂には母に見捨てられ、そんな父の下に置き去りにされたワタクシはまさに底も底! どん底でしたわ!」

 

 徐々にヒートアップする語り口に呼応し、『はなびらのまい』をくり出すラフレシアの動きも激しさを増していく。

 

「しかし、そんなワタクシをロケット団は拾い上げてくださった! バトルの才能を見出し、底辺を這いずり回ることしかできなかったワタクシに夢を見せてくれたんですわ!」

 

 『だというのに』と、ベガの鋭い視線がコスモスに突き刺さる。

 

「アナタというお邪魔虫が、ワタクシのサクセスストーリーのことごとくを躓かせたんですのよ!?」

「躓かせた覚えはありませんけど……」

「ワタクシは大ありですわ!!」

「……私にバトルで勝てた経験が一回もないことがですか?」

「きいいいい!!」

 

 当てれば当てたで憤死しそうなほどベガは喚きたてる。

 余程敗北の経験が屈辱的だったのだろう。思い出す内に涙目になるベガは、どこからか取り出したハンカチを噛み締めて自身の怒りを鎮めようとしていた。

 そうしてようやく落ち着いてきた頃、ビシィ! と音が聞こえてきそうなくらいキレのいい動きで、コスモスの方に指を差してくる。

 

「アナタさえ! アナタさえいなければ、サカキ様の寵愛を一身に受けられていたのはワタクシだったはずなのに!」

「……」

「ただ一人、純粋な敗北感をワタクシに味わわせたのはアナタだけには! 何が何でも勝たなくては気が収まらなくってよ!」

 

 相手を寄せ付けぬ『はなびらのまい』をくり出しながら、ラフレシアはゲッコウガへ突撃する。乱れる花弁の範囲を見れば、避けるのも打ち合うのも骨が折れるだろう。

 そう見たコスモスは即座に声を飛ばす。

 

「ゲッコウガ、『とんぼがえり』!」

「なにッ!?」

「GO、ゴルバット。『つばさでうつ』!」

 

「ゴルバッ!」

「レシャア!?」

 

「ラフレシア!?」

 

 ゲッコウガに代わって飛び出てきたゴルバット。

 くさタイプに滅法強い彼は、果敢にも『はなびらのまい』の渦中へ飛び込んでいく。そのまま花弁の壁を突き破れば、踊り疲れてきたラフレシアに向かって翼を一閃。

 振り抜かれれば、そのままラフレシアの身体は後方へと吹き飛ばされる。

 『ラフレシア!』と手持ちの身を案じるベガの声が響き渡る。辛うじて瀕死に陥ってこそいなかったが、息も絶え絶えで混乱もしている。

 

「どうします? まだ続けますか?」

「くっ……まだですわ!」

 

 食ってかかるベガも無策ではなかった。

 ガリガリと何かを咀嚼する音が聞こえてくれば、フラフラと足取りが覚束なかったラフレシアがしゃっきりした表情で復活した。混乱を回復するきのみを持たせていたのだろう。

 しかし、混乱が回復したからといって体力まで回復したとは言い難い。

 

「貴方も学習しているようですね。感心しました」

「ほざきやがりなさい! 今だからこそハッキリ言わせてもらいますけれど、ワタクシはアナタのそういう上から目線な物言いが大ッッッ嫌いだったんですわよ!!」

「(まあ、それはわざとですし……)」

 

『(ボクらされたことないよね?)』

「(ないデース)」

 

 と、後ろの二人がひそひそ話している間にも、ベガは怒りが頂点に達した。これでは冷静に物事を判断するなんて不可能だ。

 このようにものの見事にコスモスの策略に嵌まっているベガであるが、彼女はここぞとばかりに積年の鬱憤を晴らさんと捲し立てる。

 

「確かに成績はアナタの方が良かったのかもしれませんけれど、ワタクシだってアナタに追いつけるよう寝る間も惜しんで頑張ったんですわよ! もっとも、アナタの眼中には入ってなかったようですけれど!」

「別に眼中になかったとは言ってませんが」

「じゃあワタクシのことどう思ってたんですの!? 言ってみなさいな!!」

「……友達?」

コスモスさん……ハッ!?」

 

 危うく絆されそうになったところでラフレシアが吹き飛ばされ、ベガは我に返る。

 

「ひ、卑怯ですわよ! 友人だと言ってワタクシをその気にさせて!」

「その気ってどの気ですか」

「もう許しませんわ! こうなったら……」

 

 倒れたラフレシアを戻し、ベガは三つ目のボールを取り出す。

 刹那、コスモスの隣に控えていたルカリオの耳がピンと立つ。見開いた双眸の瞳孔も小さくなり、全身の毛も逆立った。

 殺気だったルカリオの様子に、コスモスは『なるほど』と得心した。

 

「それが噂の秘密兵器ですか?」

「ご明察。ですが、それだけじゃありませんことよ」

「……?」

「しかし、その前に……アル! デネブ!」

 

 離れた場所に佇んでいた仲間二人にベガが呼びかける。

 

「全員でやりますわよっ!」

『え、ボクらも?』

「3対1は卑怯デス」

「アナタ達何の為に付いてきたんですのッ!?」

 

 ともすれば『バカンス』とでも言い出しそうな二人に、ベガは鋭い視線が突き刺さる。

 

「ロケット団に拾われた恩義……忘れたとは言わせませんわよ」

『「!」』

 

 ここに来て初めて二人の目の色が変わった。

 反応は上々。しかし、まだ友人と争うことへの忌避の色が覗いている。

そこへベガは畳みかけるように続けた。

 

「……形はどうであれ、現状コスモスさんがロケット団に敵対していることは事実。みすみす見過ごして組織が損害を被ろうものなら、その責任はワタクシ達にあるのではなくて?」

『うーん、でもなー……』

「しかし、今さえどうにかしてしまえば後はどうとでもなりますわ。なんせ彼女はサカキ様の命令を実直に遂行していただけ……それなら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そんなベガの言葉に反応したのは二人だけではない。

コスモスもまた静かな反応を見せ、ジッと二人に目を遣っていた。

 

「どうします? 穏便に彼女を組織に迎え入れるなら、今をおいて他にないと思いますが……」

「……オーケー。やりまショウ」

『デネブ!?』

 

 先にベガの意見に頷いたのは、三人の中でもコスモスに最も友好的な態度を取っていたデネブであった。

 

「コスモスが居なくちゃ、ロケット団に居る理由もナッシングデース」

「アナタならそう言ってくれると思っていましたわ……それで?」

 

 これで2対1。

 ベガに睨みつけられたアルタイルは、渋々という言葉がピッタリな鈍い動きで重い腰を上げた。

 

『……分かったよ。二人がそうするんなら』

 

 そう言ってアルタイルもまたボールを取り出した。

 3対1。普通であれば多勢に無勢な状況であるが、コスモスは取り乱さずボールを一つ手に取った。

 

「GO、ゲッコウガ」

「ゲコッ?」

「もっかい出番です」

「ゲェ~……」

「ここで頑張ったら今日のおやつを増やしてあげます」

「コウガッ!!」

 

 再登場のゲッコウガだが、やる気は十分だ。

『おやに似て現金な……』と感想が聞こえてきたが、コスモスは気にしない。

 

「ルカリオもお願い」

「ワフッ」

 

 そして最後に前に出たルカリオ。

 ゴルバットも合わせ、コスモス側には三体のポケモンが出揃った。

 

「フッ……降参するつもりはさらさらないようですわね」

「はい。それに三人同時に掛かってきてくれた方が助かりますので」

「……それは、どういう意味で?」

「全員倒すのに手っ取り早く済みます」

「上・等・ですわっ!!!」

 

 コノヨザルも真っ青なキレ顔を晒しながら、ベガがポケモンをくり出した。

 二人も続く。場には新たに三体のポケモンが現れた。

 

 一体は淡い緑色の体表をし、左右の椀に刃を携えるポケモン。

 一体は燃える色合いの羽毛を靡かせ、二本足で立つポケモン。

 一体は大地に四つん這いとなり、頭のヒレを動かすポケモン。

 

「お行きなさいな、ジュカイン!!」

『よろしく、バシャーモ』

「ファイトデース、ラグラージ!!」

 

「ジュラァァア!!」

「バッシャアー!!」

「グラァアジッ!!」

 

 けたたましい咆哮を上げる三体。

 共に、()()()だった。

 

(やっぱりシャドウポケモンでしたか)

 

 ルカリオの様子から大方予想はついていた。

 故に驚きはせず、

 

(問題はどの程度の強さなのか……三人の戦術自体は頭に入っていますが)

 

 冷静に思考を開始した、その次の瞬間だった。

 おもむろに三人が腕の裾を捲り、見慣れぬ装置を露わにした。どういった用途で使用するか判別できず小首を傾げていると、その様子にご満悦と言わんばかりの不敵な笑みをベガが浮かべた。

 

「それではご覧に入れて差し上げましょう……ワタクシ達ロケット団、その科学技術の粋の結集を!!」

 

 刹那、瞬いたのは暗色の七色だった。

 

「ジュカイン!!」

『バシャーモ』

「ラグラージ!!」

 

 

 

『メガシンカッ!!』

 

 

 

 腕の装置から伸びる光が三体のシャドウポケモンを包み込む。

 瞠目するコスモスが目撃したのは、まさに進化を越えた進化であった。

 

 ジュカインはより全体的が刺々しく鋭利になり。

 バシャーモは手首からより猛烈な炎を噴き上げ。

 ラグラージは肥大化した筋肉の鎧に身を包んだ。

 

「っ……!」

「オーッホッホッホ!! どうです、この溢れ出るパワーは!! 才能だけでは辿り着けない領域の力に恐れ戦き跪くといいですわ!!」

 

 吹き荒れる進化の余波が暴風を巻き起こす。

 荒ぶる前髪を押さえながら、コスモスは細めた瞳で立ちはだかった敵を観察する。彼女も聞いたことがない訳ではない。ホウエンやカロスでは、特殊な石を用いることで更なる進化を遂げるポケモン達が居るということを。

 

「あれがメガシンカ……なるほど。実物を見るのは初めてですね」

「余裕を保っていられるのも今の内ですわ!! メガシンカしたシャドウポケモン!! 潜在能力を100%以上引き出したこの子とワタクシ達には、向かうところ敵なしですわぁーーー!!」

 

 高らかにベガは笑う。

 それもそのはず。メガシンカとは、本来トレーナーが持つキーストーン、そしてポケモン側が持つ特定のメガストーンがなければ起こり得ぬ奇跡の現象。

 引き出される力は伝説のポケモンにも匹敵するとされており、その有り余るパワーは通常のポケモンと一線を画す。

 

 これをシャドウポケモンに引き起こしたとすれば───その戦闘力は想像を絶することとなるだろう。

 

「……本当にそうですかね」

 

 コスモスの言葉に、ベガの恍惚とした表情に影が差す。

 

「……なんですって?」

「ようは私達が限界以上に力を引き出した貴方達を上回ればいいだけの話です」

「っ───!! そう簡単に行くとでも?」

「はい」

 

 舐められたと感じ声色に棘が覗くベガ。

 だが、コスモスはそれに動じることはなかった。

 

 否定せず、そして、毅然と言い放つ。

 

「私達の強さを見誤っているようでは……ね」

「言わせておけば……!! それなら才能ではどうしようもない圧倒的パワーがあるということ、教えて差し上げましょう!!」

 

 ピリついた一触即発の空気。

 それは岩壁を削る荒波の音で弾け、直後に爆ぜるような衝突音を轟かせた。

 

 ここに始まるのは小さな頂上決戦だった。

 ロケットチルドレンという小さな世界で競っていた、そんな子供達のバトルが───。

 

 

 

 ***

 

 

 

(なんかあっちの方が騒がしいな)

 

 蔵の中でまな板を探すレッドは、遠方で轟く音を捉えていた。

 

───どこかで野生のポケモンが戦っているのだろうか。

 

 半ば現実逃避するような思考を巡らせつつ、レッドは未だに見つからないまな板を探し回る。

 

「どうだ、見つかりそうか?」

「いえ、まだ……というか、実在するもの?」

 

 とうとう存在すら疑わしくなり問いかけてみれば、蔵の外で呑気に茶をしばいていた村長がうーんと唸る。

 

「あったはずなんだがのぅ。まあ、なにせしまったのが随分昔のことだし、あたしも記憶がおぼろげじゃが」

「し、信憑性……」

「まあまあ、そう肩を落とすな。そうだ、見つけ出した暁には礼に何かくれてやろう。蔵の中にあるものならなんでもいいぞ?」

「え?」

 

 本当? とレッドが訊けば、村長は鷹揚に頷いた。

 

「どうせ長年使っておらんからのぅ。本当に持って行かれて困るものはない」

「おぉ……太っ腹……」

「これ。女に向かって太っ腹などと言うな」

「すみませんでした」

「うむ、それでよい」

 

 笑顔で注意する村長に、レッドは即座に頭を下げた。

 

(目が笑ってなかった)

 

 『女の人って怖い……』と怯えつつ探し物を再開するレッド。お礼が出ると聞いたおかげか、心なしか探し物に対するモチベーションは高まっている。

 

「これも違う……これは……鏡? まな板じゃない……」

 

 骨董品らしき鏡を見つけはしたものの、食指が働かなかったレッドは静かに棚に戻す。

 売れば高いのだろうが、生憎そういった類のものには興味がない。

 

(貰うなら、もっとこう……秘伝の巻物的な……)

 

 そうして埃を被った棚を漁っている時だった。

 

「……うん?」

「どうした? まな板は見つかったか?」

「いや……」

 

 レッドが取り上げたのは一冊の書物だった。

 随分と古ぼけており、表紙も埃を被って題名を読むことさえままならない。

 しかし、何かに惹かれるように軽く埃を叩いて払ったレッドは、達筆に書かれた題名を声に出して読んだ。

 

「『大地の奥義』……?」

「はぁ、なんじゃ。まな板じゃなかったではないか」

「……」

「どうした? 熱心に中身を読み漁ってからに」

「これ、貰っても……?」

 

 軽く中身を流し読みしたレッドであったが、途中ピタリと動きが止まる否や、おもむろに村長へそう頼み込んだ。

 これに村長は面食らったような表情を浮かべていた。

 

「その書物が欲しいのか? まあ、持って行くのは構わんがのぅ……その代わりまな板探しは頼んだぞ」

 

 書物を譲ってもらう約束を取り付けてもらったレッドは、意気揚々にまな板探しへと戻っていく。

 『そんなに面白い中身じゃったのかのぅ』と小首を傾げる村長であるが、やはり中身を思い出せず、記憶に残らないようであれば大事な物ではないと決め込んだ。

 

(ウーム……しかし、書物なんて傷みそうなものをあんな風に野ざらしで保管しておったかのぅ?)

 

 己がいつもしている保管方法との齟齬を覚えながらも、譲ると決めた以上、これ以上考えても仕方がないと思考を止める。

 ようは読めればいいのだ。

 うんうんと頷く村長は、立ち上る紅茶の香りでつられてティーカップを持ち上げる。

 

「それでは頼んだぞ」

「がってん」

「ピッチュウ」

 

 その頃ピカチュウは横になってくつろいでいた。

 何だこの格差は。

 




Tips:ベガ
 ロケットチルドレンの一人である少女。
 コスモス達とは同期であり、タマムシゲームコーナーの地下アジトで暮らしている間は、コスモスを含めたデネブ、アルタイルとよくつるんでいた。
 漫画に出てくるようなお嬢様口調であるが、実家は貧乏。ギャンブルで借金漬けになった父親を見限った母親に連れて行かれなかった為、極貧生活を強いられていた。ロケット団に入団した経緯も、父親が借金していた金融会社がロケット団と繋がりを持った会社であったため、借金の肩としてロケット団に連れて行かれた。
 だが、本人的には借金まみれの父親に呆れていた為、むしろロケット団に引き取られることをチャンスとしてとらえ、成り上がる機会を窺っていた。
 バトルの腕は優秀であり、コスモスを除いてはロケットチルドレンの中でも優秀な成績を収めていた。しかし、その分自分よりも強いコスモスを一方的にライバル視しており、何度も勝負を吹っかけては敗北を喫し、配給される食事のデザートをぶんどられていた。
 ただ、コスモスとはけっして仲が悪いという訳でもなく、普段の日常であれば行動を共にするなど、屈折した憧憬の念を抱いていた。
 得意とするタイプはくさタイプであり、これはタマムシジムリーダー・エリカへの憧れから。頭に着けているカチューシャもエリカリスペクト。ただし、正規品ではなく手作りの非売品である。
緑茶をティーカップで飲んでいる。

手持ちポケモン
・ウツボット(♀)
・ラフレシア(♀)
・ジュカイン(♀)(シャドウポケモン)

↓【立ち絵】ベガ(作:柴猫侍)

【挿絵表示】


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№056:『努力は才能を凌駕し得るか』

前回のあらすじ

ベガ「(コスモスさんがワタクシを友人だと思ってくれていたなんて……なら、あの時のあれもこれも───!?)湧き上がる友情がとどまるところを知りませんわぁ~~~!!」

コスモス「何言ってるんですかね」

アルタイル『思春期なんじゃない?』

デネブ「ミーはコスモスに言われなくたって大切なフレンドだと思ってマスよ!」


 

「ゴルバット、『きゅうけつ』!」

「ゴルバッ!」

 

 ゴルバットが牙を剥き出し、飛翔する。

 標的は直線状に居た。素早いゴルバットの攻撃だ。大抵の相手には避け切れないはずだった。

 しかし、忽然と標的の姿が消える。

 ゴルバットが驚愕に目を剥いた直後、声が響き渡った。

 

「上!」

「遅いですわ! ジュカイン、『リーフブレード』!」

 

「ジュラァ!!」

「ルバッ!?」

 

 頭上より爪を振り下ろしてきたジュカイン。

 その強靭な腕力より繰り出された一閃は強烈の一言に尽き、ゴルバットの身体は宙で二転、三転と回ることとなった。

 

「掠っただけです! 距離を取って立て直せ!」

「ゴ……ルバッ!」

 

 だが、幸いにも直撃はしていなかったようだ。

 地面に墜落する直前で体勢を立て直したゴルバットは、急いでジュカインから逃げるように高度を稼ぐ。

 これなら飛ぶ手段を持たないジュカインは接近できないが、だからといって手出しできない訳でもなかった。

 

「臆病風に吹かれましたか?! 『アイアンテール』ですわ!」

「ジュルルルァ!!」

 

 おもむろに背中を向けるジュカイン。すると、尻尾の付け根に実っていたタネが爆発する。

 次の瞬間、弾丸のガンパウダーが炸裂するようにジュカインの硬質化した尻尾が発射された。

 

「後ろに躱せ!」

「ゴバッ!」

 

 猛スピードで迫って来る尻尾を紙一重というところで回避するゴルバット。

 直撃すれば瀕死に陥っていただろう一撃に、これにはコスモスは内心冷や汗を掻いた。しかしながら、今の一撃でジュカインの尻尾はなくなった。これで次の攻撃には注意しなくていい───そう思いきや。

 

「ちょこまかと……! フンッ、構いませんわ。それなら撃ち落とすまで続けるだけですわ───ジュカイン!」

「ジュラァ!」

 

 断面を晒していた尻尾が瞬く間に生え変わる。

 

(……弾切れは期待しない方が良さそうですね)

 

 通常のジュカインであればあり得ない再生速度。

 しかし、現在ベガが繰り出したジュカインはメガシンカを果たした個体。『メガジュカイン』と称される存在を前には、メガシンカ前の常識など通用しないと見るべきであろう。

 そうなってくると他の二体にも注意しなければならないだろう。

 

『バシャーモ、『ブレイズキック』!』

「バッシャア!!」

 

 烈火を纏ったハイキックをくり出すのはバシャーモ───否、メガバシャーモ。

 バシャーモがメガシンカを遂げ、より強靭になった脚力より放たれる足技は大気を焼き焦がす速度、そして威力だ。

 波動によって攻撃を先読みしているルカリオですら回避するのがやっと。

 

「『みずのはどう』で迎撃!」

『そんな威力の技じゃあね』

 

 辛うじて見つけた隙で応戦したところで、だ。

 

「バウァ!!」

「シャイヤ!!」

「ッ!!」

 

 くり出した『みずのはどう』が『ブレイズキック』によって打ち砕かれる。

 正しく“焼け石に水”な状況だ。しかも、悪いニュースはそれだけに留まらない。

 

「シャモ!! シャモ!!」

「バゥ……!?」

 

(バシャーモの動きが速くなっている?)

 

「これは……『かそく』!!」

『お。気づく?』

 

 『まあ、気づいたところで止まらないんだけどね』とアルタイルの緩い声は続いた。

 テッカニンなどが代名詞である『かそく』は時間が経つにつれ、どんどん素早さが上昇していく特性だ。ポケモンバトルにおける素早さの重要性は言わずもがな。基本的に相手よりも早く動ければ有利に事を進められると言っても過言ではない。

 これではいずれルカリオの先読みも通じなくなる。

 何とか打開したい状況ではあるが、ほのおタイプへの有効打が『みずのはどう』しかないルカリオではメガバシャーモを相手取るのは厳しいだろう。

 

(となると、ゲッコウガを回したいところだけど……)

 

「ラグラージ、『アームハンマー』デース!」

 

「グラアアア!!」

「ゲコォ!?」

 

 振り下ろされる鉄槌が地面を蜘蛛の巣状に砕く。

 伝播する振動で思わず倒れそうになるものの、どうにか持ちこたえたコスモスはデネブが指示を出すラグラージの方を見遣る。

 メガラグラージの武器は、通常時よりもあからさまに肥大化した筋肉にあると見て間違いないだろう。今はただデネブの奔放な指示に従い、圧倒的な暴力を振り回しているに留まっているが、ただのそれだけでゲッコウガも攻めきれずにたたらを踏む有様になっていた。

 

「怯むな! 『かげうち』!」

「ゲ、ゲコォ!」

「そんなソフトな攻撃は効きまセーン!」

 

「ラグラッ!!」

 

 両腕を振り上げポージングを決めるメガラグラージに、ゲッコウガの伸びた舌から忍び寄る『かげうち』が直撃する。

 が、しかし、メガラグラージは直撃を食らったに一切動じなかった。

 不動の構えを解かぬまま、ジッとゲッコウガを睨みつけている。そんな山を目の前にしたかのような圧倒的存在感を前に、ゲッコウガも自然と距離を取った。

 

「攻撃面だけじゃなく、防御面も強くなっているようですね……」

「イエス! ちょっとやそっとじゃミーのラグラージは倒れないデース!」

「なるほど、正面からじゃ分が悪そうですね。ふむ……」

 

「オーッホッホッホ!」

 

 コスモスが思案顔を浮かべるや否や、得意げな高笑いが辺りに響き渡る。

 声の主は当然のようにベガだった。

 

「あらあら~? コスモスさん、顔色が優れないようですわね~? あれだけ大口を叩いていたっていうのにこのザマなんですの~?」

「……」

「アナタさっきなんて言ってましたかしら? たしか『全員倒すのに手っ取り早く済みます』……だったかしら~?!」

 

 今の彼女の顔、品があるかないかで言えば圧倒的後者であった。それほどまでに得意げな顔を浮かべている。正直に言えばムカつく顔だ。

 しかし、そんな彼女からの煽りを受けても尚沈黙を保つコスモス。

 それを舌戦で勝ったと捉えたベガは、ますます気分を良さそうに弾んだ声音を響かせた。

 

「オーッホッホッホ!! これじゃあ先に全員倒されるのはアナタの方ですわねェ~~~⁉ もしかしてあの時のお言葉、敗北宣言だったのかしらァ~~~⁉」

「……」

「ホホ、ホホホホホ、オーッホッホッホ!! 口ほどにもないですわぁ~~~!! 最早アナタも過去の人!! 新たな力を得たワタクシ達を前には、ロケットチルドレン最強だったアナタも形無しという訳ですわねェ~~~!!」

 

『喋らないことが品性だってどこかの誰かが言ったけども』

 

「そこ!! おだまり!!」

 

 気分がいいところに水を差されつつも、ベガの余裕を湛えた笑みは崩れない。

 

「さて、どうします? このまま続けても勝敗は見えてると思いますが……」

 

 降参するなら今の内だ。

 ベガは言外にそう告げていた。

 

「……そうですか」

「今ならまだ穏便に事を済ませてもよくってよ? 自分のパートナーが傷つく姿を見るのは、アナタも見かねるでしょうに」

「気遣いなら結構です」

「強がりも過ぎれば滑稽でしてよ」

「強がりだと思いますか?」

 

 強者の余裕を見せたつもりであったが、コスモスの頑なな態度にベガの眉が吊り上がる。

 戦況は誰がどう見てもベガ達三人の方が優勢だ。シャドウポケモンとして基礎的な戦闘力を向上させているに留まらず、メガシンカすらしているのだ。戦闘力だけを見ても、コスモス側が負けていることは明らかである。

 

(腑に落ちませんわ……)

 

 押しているのはこちら。それは間違いない。

 だのに、どうして自分は冷や汗を流しているのだろう?

 いつの間にかこめかみより垂れていた一雫の汗に、ベガは言いようのない恐れを抱いていることを自覚した。

 

(ッ───そんなはずありませんわ! ()()()()()はまやかし! ワタクシの想像が生み出した虚像に過ぎません!)

 

 かつて一度も勝てたことがない相手。

 故に、相手の少女を必要以上に恐れてしまっているだけだ。ベガは自分にそう言い聞かせ、己を奮い立たせることにした。

 

「フーンッ! 口でならなんとでも言えますわ! ようは結果が全て! ワタクシ達が華麗な勝利を収めることは決定事項ですわァーーー!」

 

「ルカリオ、『コーチング』!」

「バウッ!」

 

「ッ……なんですって!?」

 

 聞き慣れない技名に困惑するベガ。

 直後、メガバシャーモとやり合っていたルカリオが、ゴルバット相手に指示をする仕草を見せた。

 

「ゴルバッ!」

 

 対して、指示を受けたゴルバットと共にゲッコウガも、真っすぐルカリオの下へ集った。『かそく』で素早さを増すメガバシャーモ相手に、それぞれ横槍を入れてルカリオを援護する。

 流石に一対三では厳しかったのか、メガバシャーモも一旦飛び退いて距離を取った。

 これで一対一の状況が三か所でくり広げられていた状況は終わった。そして、正真正銘三対三の状況が幕を開けた。

 

「何をするつもりですの!?」

「ゲッコウガ、『こごえるかぜ』!」

「コウガッ!」

 

 直後、先頭を陣取っていたゲッコウガが跳躍し、口から総毛立つような冷気を吐き出した。食らえば寒さで動きが鈍ることは必至。特に寒さに弱いくさポケモンにとっては死活問題だ。

 

「クッ、猪口才な!」

「リーブ・イット・トゥー・ミー! ラグラージ、『ワイドガード』!」

 

「ラグアアア!!」

 

 しかし、すかさず前へ躍り出たラグラージが迫りくる冷気を堰き止める防壁を作り出す。頑強な防壁は迫りくる冷気を完全に受け流し、見事味方を守り切ってみせた。

 

「助かりましたわ、デネブ!」

「ユア・ウェルカム♪」

「オーッホッホッホ! 残念でしたわね、コスモスさぁーん! コンビネーションで負かそうとしたって、そうは問屋が卸しませんことよ! むしろそっちこそワタクシ達の本領! この麗しい連携に恐れおののくといいですわァーーー!」

 

 行きますわよ! とベガが声を掛ければ、デネブとアルタイルも動き出す。

 三体横並びになって迫って来るメガシンカポケモン。そのプレッシャーはただの巨大なポケモンとはレベルが違う。

 

 だが、コスモスに気圧される様子もなくルカリオに目配せをする。

 それに頷いたルカリオはと言えば、三体の中でも最後尾に陣取り、前衛をゲッコウガとゴルバットに任せるフォーメーションを組んだ。

 

「フンッ、エースのルカリオを大事に取っておくつもりでして!? そんな甘い考えが通用するとでも!?」

「ゲッコウガ、『こごえるかぜ』!」

「何度も同じ手を……デネブ!」

「オーライ!」

 

 ベガの呼びかけに、デネブが再び『ワイドガード』を指示する。

 その間にも肉迫してくるジュカインとバシャーモ。『リーフブレード』と『ブレイズキック』の準備をした二体は、それぞれゲッコウガとゴルバットに狙いを定めていた。

 

「まずは一体仕留めますわよ! ワタクシはそっちのカエルさんをやりますわ!」

『じゃあボクはゴルバットね』

 

「バウァ!!」

 

『「!!」』

 

 各々の標的を決めた二人であったが、直後に飛来した『りゅうのはどう』が二体の行く手を阻む。

 

「ルカリオ……! 邪魔をしてくれるッ!」

『どうするの?』

「ッ……このまま行きますわ!」

 

 結局、相性が有利な相手に仕掛けた方が早く片が付く。そう踏んだベガは飛来する『りゅうのはどう』を避ける指示を出し、再度ゲッコウガへ狙いを定めた。

 

「お覚悟! ジュカイン、『リーフブレード』!」

「ラグラージもゴー・フォー・イット! 『アームハンマー』デース!」

 

 ジュカインだけでなく、ラグラージもゲッコウガに向けてその巨腕を振り下ろそうと拳を掲げた。

 完全に挟まれた状態。逃げ場はない───。

 

「ゲッコウガ、『あなをほる』!」

「ゲコォ!」

 

「んなッ!?」

「ワォ」

 

───そう、下以外は。

 

 瞬時に地面へ潜り込むゲッコウガ。

 一方、完全に腕を振り抜くつもりだった二体は急に止まることもできなかった。

 

「ジュ……ルルァ!?」

「ラグゥ!?」

 

 『リーフブレード』がラグラージの胴体を一閃し、逆に『アームハンマー』がジュカインを上から叩き潰す。

 見事なまでの同士討ちだった。戦闘不能にこそ陥らなかったが、苦悶の表情を浮かべる二体から察するに相当のダメージを負ったことは間違いない。

 

「な、なんて卑劣な戦い方ですの!? 味方に攻撃させるなんて!!」

「それなら『じしん』デース!」

「あっ、デネブ!! ちょっとお待ちなさ……!!」

 

 先走るデネブを止めようとするが遅かった。

 すでにラグラージは両腕を振り上げており、今すぐにでも地面を叩きつけて『じしん』を起こす段階だった。『じしん』は地中に居る相手に対し、絶大な威力を誇るじめんタイプの大技。反面、範囲が広すぎて対象を選べない欠点がある。

 

 それはつまり、

 

「ワタクシのジュカインに当たるじゃありませんのォ~~~⁉」

 

 振り下ろした拳が地面を叩いた瞬間、間近に居たジュカインの身体が跳ね上がった。

 震源地に最も近い場所に佇んでいたジュカインが()()だ。もし仮にゲッコウガも近くに地中に潜んでいれば一たまりもない。ともすれば、二度と地上へ這いあがれないダメージを負うことになるだろう。

 

 だが、コスモスの瞳に焦りの色は窺えない。

 

「バシャーモを狙え!!」

 

「バウッ!」

「ゴルバッ!」

 

 指示を口にすれば、力強く吠えたルカリオとゴルバットが動き出す。

 ルカリオが掌に波動をチャージしている間、ゴルバットが猛スピードで駆けまわるバシャーモに『つばさでうつ』を放たんと接近する。

 ただし、問題があるとすればバシャーモの速さであろうか。このまま迂闊に近づいたところで速さが極まったバシャーモ相手に蹴り落とされるのが関の山だ。

 

 それはアルタイルも理解していた。

 

『飛んで火に居る何とやら。返り討ちにしてあげるよ!』

 

「ゲッコウガ、今!」

「ゲコォ!」

 

『えっ!?』

 

 だが、突如として地面から伸びてきた手がバシャーモの振り上げようとしていた脚を掴んだ。まさか自分の方を狙っていたとは夢にも思っていなかったアルタイルからは驚愕と困惑……そして焦燥の声が上がった。

 

『ちょ……それは洒落にならないって!!』

 

 何故ならば未だに()()は未だに収まっていなかったから。

 

「バ……シャアアア!?」

「ゲ……コォ!!」

 

 次の瞬間、激震が二体を襲った。

 たとえメガシンカポケモンといえど一たまりもない一撃。地中に半身を埋めていたはずのゲッコウガが跳ね上げられるほどの『じしん』には、バシャーモも立ってはいられなかった。

 

『デ~~ネ~~ブ~~!!』

「よそ見してていいんですか?」

『え……あぁ!?』

 

 アルタイルが怒りの声を上げる間、乾いた音が青空に響き渡った。

 

「バシャ……!?」

「ゴルバルバルバァ~~~ッ♪」

「シャア~……!!」

 

 打ち据えられた胸を痛そうに抑えるバシャーモ。

 一方で空中を自在に飛び回るゴルバットは、長い舌をベロリンガよろしく振り回し、相手を挑発していた。味方なのに見ていてイラつくとは相当だ。

 

『ああもうっ、ゴルバットのこと忘れてた!』

 

(でも、ゲッコウガがダウンしてる今がチャンスだ……)

 

 真っ当に苛立ちながらも状況を分析するアルタイルは、落ち着いて標的をゴルバットに定める。

 

『今度こそ返り討ちにしてやる! 『かみなりパンチ』!』

「バッシャアアア!!」

 

 火炎ではなく雷電を拳にまとわせるバシャーモ。

 腰を下ろし、正拳突きの構えを取りながら向かってくるゴルバットをジッと見据える。横槍さえ入らなければゴルバットとの真正面からの打ち合いに負ける道理はない。

 

『よし……今だ!』

 

 そして、充電を済ませた拳がゴルバットを捉える───はずだった。

 

「……バシャ?」

『え……どうして電気が消えてくの!?』

 

 いくら待っても拳に電撃が溜まらない。

 まるでどこかに引っ張られているかのように電気は別の場所へと流れ出て行っていた。

 

 電気の流れを追えば、そこには味方の森トカゲが居た。

 今度はゆ~っくりトレーナーの方へと視線を移す。普段は強気な緑髪の少女が、この時ばかりは忙しなく目が泳いでいた。汗もダラダラと流れている。夏場のコオリッポかな?

 

『ベガ?』

「……そ、そう言えばメガシンカすると特性が『ひらいしん』になったような……」

『それ先に言ってよ!?』

 

 当然の結果だった。

 場に居る限り問答無用ででんき技を吸収する『ひらいしん』持ちが居れば、味方の技と言えど無力化されてしまうのは必然。

 

「で、ですがおかげさまでジュカインのパワーが高まりましたわ! これこそコンビネーションというべきではなくって!?」

『でもそのジュカイン物理型じゃん』

「はぐっ!?」

 

 『ひらいしん』で高まるのはあくまで“とくこう”。

 ご愁傷様である。

 

「ゴルバッ!」

「バシャア!?」

 

『ああっ!? ベガが馬鹿言ってる間に!』

 

 トレーナー側の揉め事など知ることかと、ゴルバットの羽がバシャーモを打ち据える。

 立て続けに弱点タイプを食らったバシャーモの表情は実に辛そうだ。息も上がっており、『かそく』で得られた素早さを生かそうにも先に体力が尽きそうに見える。

 

『どうしてくれんのさ!』

「で、ですが、向こうのカエルさんだってラグラージの攻撃で満身創痍ですわ! バシャーモが倒れたとしてもワタクシ達でフォローして……」

「あっ、もう立ってマスよ?」

「はぁん!?」

 

 あっけらかんと言い放つデネブに、ベガも思わず素っ頓狂な声を上げた。

 すぐさま限界まで見開いた瞳をゲッコウガへと向ける。すると、そこにはルカリオより放たれる淡い光に包まれるゲッコウガの姿があった。『じしん』で受けた傷もどんどん癒えている。

 

「い……『いやしのはどう』……!?」

 

 完全に予想外であった。

 てっきりルカリオが溜めていた波動を攻撃用と断定し、味方を回復させる為の技とは露ほども思わなかった。

 

(ですがコスモスさんがそんな技を指示した覚えは……───はっ!?)

 

 どのタイミングで仕込んでいたかと思い返してみれば、とある違和感に気がついた。

 

(そう言えば途中からルカリオとゴルバットには指示を出していなかったような───)

 

 具体的には、ルカリオに『コーチング』を命令して以降。

 それっきりコスモスはゲッコウガにだけ指示を出していた。

 

 ならばルカリオとゴルバットは誰の指示も受けずに戦っていたか?

 

───いいや、違う。

 

「ゴルバットはルカリオの……アナタまさか?!」

「今更気づいても遅いですよ」

 

 『いやしのはどう』で回復したゲッコウガは、颯爽とラグラージの下へ向かうや『こごえるかぜ』をくり出す。

 それを再度『ワイドガード』で防ぐラグラージであるが、ゲッコウガは構わず同じ技をぶつける。

 

 守るラグラージ。

 攻めるゲッコウガ。

 

 一見、メガシンカの恩恵に与りフィジカル強者となったラグラージに軍配が上がると思いきや、先に崩れたのはラグラージの方だ。

 とうとう守り切れなくなった冷気が襲い掛かり、身を震わせるラグラージとジュカイン。特に後者はあからさまに堪えた表情となる。

 

 その間、ルカリオとゴルバットの方はと言えばコスモスの指示がなくとも連携を取ってバシャーモを追い詰めていた。肉迫するゴルバットに合わせ、ルカリオの狙撃が飛んでくるといった具合に……だ。

 

 これだけ見ればトレーナーの指示がなくとも戦えるポケモンという感想を抱くだろう。

 だが、事実はまったくの別物。

 それを理解していたのは、彼女を最大の敵と見做すベガに他ならなかった。

 

()()()()()()()()()()()……ですって!?」

「ようは合理化ですよ」

 

 カラクリはこうだ。

 相手が一体に一人の指示役が付いているのに対し、コスモス側は一人で三体に指示を出さなければならない。そうなってしまうと、どうしても指示を出す段階で相手に遅れを取ることになる。

 

 だからこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 指示を出す対象が三から二に減るだけでも負担は大幅に減る。必要なのは誰にどう指示を出すか、この一点に尽きた。

 

 そこで『へんげんじざい』で対応力の高く、場を引っ掻き回せるゲッコウガには直接口を出す形を取った。

 ではルカリオには? と問われれば、彼には人の感情や思考を読み取る波導の力がある。皆まで言わずとも主の作戦は読み取れる。後はそれに従いゴルバットに指示を出してもらえばいい。

 

「っ……ありえないですわ!! アナタの強さは、完璧な分析とそこから緻密に組み立てられた戦術によるもの!! アナタ自身が指示を出すのではなくポケモンに任せるなんて……そんな大味な作戦で倒されるほど、シャドウポケモンは弱くないはずですわ!!」

「それこそ思い違いです」

「なんですって!?」

 

 熱くなるベガの反面、コスモスの冷たく感じられるほど平坦な声が場に響いた。

 

「個人的な感想ですが、貴方が思っているほどシャドウポケモンは万能じゃありません」

「な、なにを根拠にそんなことを!!」

「経験です」

「!!」

「あくまで対峙した側の、ですけれど」

 

 経験を貴び、自らに活かす少女だからこそ、その言葉には“重み”があった。

 三度、羽で打ち据える音が青空に響き渡る。弾き飛ばされたバシャーモはゴロゴロと地面を転がり、ベガ達の前まで戻された。

 時を同じくして、バシャーモを相手に互角以上の戦いを繰り広げていたゴルバットが主の隣へ舞い戻る。

 

「ゴルバッ!」

「……それにです。どうやら貴方はポケモンバトルにおいて何が重要か……それを忘れてしまったみたいですね」

 

「なっ……!?」

 

 ベガの口から驚愕の声が漏れ出る。

 それは敵から告げられた事実があまりにも衝撃的であったからではない。

 

 コスモスの隣に佇むゴルバット。

 その力強く羽搏く姿に変化───否、()()が起こり始めた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「アァ~~~ン、めんどくちぃ~~~」

 

 バッターン! とラボの机に頭突きを食らわせるテリアが呻く。

 寝不足の証拠と言わんばかりの隈を目元に浮かべる彼女は、机に突っ伏したまま器用にキーボードを叩いて文字を打ち込んでいる様子だった。

 

「……珍しいな。お前が研究に文句を口にしている姿は」

「お? この目が覚めるような香りはカゴのみ茶……!」

 

 ジー氏! と目を輝かせるテリアが体を起こせば、入口に淹れたてのカゴのみ茶をお盆に乗せてきた男性が立っていた。

 そんな彼から湯飲みを受け取り一気に茶を煽る。すると、全身にまとわりついた眠気という眠気が、恐ろしいまでの渋みによって搔き消えるような感覚が走って鳥肌が立った。

 

「っかァ~~~!! やっぱこれこれ!! 眠い時にはこれに限るよォ!!」

 

 目がガン決まりになりながら主張するテリアに、ジーは『程々にしておけ』と忠告を入れる。そのまま視線をモニターに移した彼は、綴られていた文面に目を通した。

 

「……定期報告か?」

「そうそう。この報告書を送らにゃお賃金もらえませんからねェ」

 

 真っ当に稼ぐ手段が少ない自分にとって、研究者仲間に紹介されたシャドウポケモンの研究はちょうどいいシノギだ。

 しかし、だからと言ってモチベーションに繋がるかはまた別の話である。

 

「何が不服だ? 元々の専攻分野だったんだろう?」

「ん~、別に不服とかそういうんじゃなくてねェ。むしろワタシ的にはそそられる依頼ではあったんだけど、いざ答えがなんなのか察しがついてくると冷めてくるっていうか……」

「なんだと?」

 

 その口振り、まるでシャドウポケモンの正体を看破したようではないか。

 そう言わんばかりの視線を背中に浴びたテリアは、次の言葉を待たずしてモニターへとある画像を映し出した。

 

「これは……遺伝子か?」

「そうそう。これね、シャドウポケモンから検出された共通の遺伝子」

「共通だと?」

 

 ありえない。ジーは言葉に出さずとも、そう訴えていた。

 たとえ近い種族のポケモンであろうと、別種であるならば採取された遺伝子には違いがあるはずだ。

 これがまったく同じものだとするなら、それは一つの可能性を示唆する。

 

()()()()()()()()()()()、って言うべきかな? ともかく、ワタシに預けられた三体全員からこの遺伝子が確認されたことは確かさ」

「フム……それで、この遺伝子に心当たりは?」

「ある。ってか、あった」

 

 あっけらかんと言い放つテリアは、軽快な指使いでキーボードを叩く。

 次にモニターに映し出されたのは、とあるポケモンの画像であった。薄い桃色の体色に長い尻尾が特徴的だった。そんなピッピやプリンのようなカワイイ印象を受けるポケモンに、ジーは眉尻を下げる。

 

「このポケモンは?」

「ミュウ」

「ミュウ?」

「知らない? 昔の研究者が見つけた、全てのポケモンの先祖って言われてるポケモンなんだけど……」

 

 次にテリアは先程の画像をミュウの遺伝子と比較するように並べてみせた。

 

「分かる? 照合してみるとね、この遺伝情報はミュウのものと99%以上合致するんだよ」

「100%じゃないのか」

「鋭いね、ジー氏。そこがミソなのさ」

 

 テリアがマウスを弄れば、次々に映し出されるポケモンと遺伝子画像が映し出され、先の謎の遺伝子と比較されていく。

 しかし、どれの合致率もミュウのものには遠く及ばない。

 食い入るようにモニターを見つめるのはテリアだけではなかった。辺鄙な土地に暮らし、コンピューターに疎そうなジーですら、流れていく結果をジッと凝視していた。

 

「遺伝子ってのは面白いものでさ、たった1%の違いでも発現する特徴ってのは大分違ってくる訳でさ。でも逆に、どのくらい違うかでも推察することが可能だとは思わないかい?」

「……分かったという訳か。この遺伝子の持ち主が」

()()()()()

 

 あっさりとテリアは告げた。

 一瞬ジーも反応が遅れた。告げられた名がミュウでないと理解して、ようやく彼の思考は再び動いた。

 

「……ミュウツーだと?」

「何十年も昔、そりゃあマッドなサイエンティストがミュウの遺伝子をどんどん組み変えて作った最強のポケモンさ。あ、これあんまり言いふらしちゃダメだよ?」

 

 仲間内でもトップシークレットだからさ、と。

 そう、悪戯っ子のような笑みを浮かべるテリアの目には光が宿っていた。実に澄んだ光だ。一切の濁りもない。故に何色にも染まりそうな純白だった。

 

「ワタシも研究テーマの手前、興味本位で調べていた時期があったのさ。だからすぐピーンと来ちゃった訳よ」

「研究テーマだと?」

「あれ、言ってなかったっけ?」

 

 じゃあちょうどいいや、と。

 そう漏らしながら、テリアは椅子を回転させてジーに向かい合った。

 

「ワタシの研究テーマはズバリ、『最強のポケモンはどうやったら作れるか』さ!」

「穏やかじゃないな」

「ハッキリ言ってくれるねェ~。まあ落ち着き給えよ、ジー氏。まだギリ法には触れてないから」

 

 つまり、あと少しで法に触れるラインまで踏み込んでいる訳だ。

 話せば話すほどボロが出そうな気配がビンビン感じられるものの、喋りたくて堪らない様子のテリアは、訊かれるまでもなく語り始める。

 

「話は戻るけど、ミュウツーってのはとことん戦闘力に特化した遺伝子組み換えがされててさ。そりゃあもう製作者も手に負えないくらい凶暴になって、最後は研究所をボカーンッ!」

「……それで? そのミュウツーとやらの遺伝子とシャドウポケモンに何の関係がある」

「後年の研究で分かったんだけど、ミュウツーの遺伝子には摂取したポケモンを凶暴化させる効能が確認されていてね。表沙汰にはされていないけど、過去にはそいつを利用してテロを起こそうとした輩が出てきたこともあるんだよ」

 

 ここまで来ればシャドウポケモンに精通していないジーであっても、大体の流れを把握することができる。

 

「つまり、シャドウポケモンはミュウツーの遺伝子を用いて製造されている……ということか?」

「ピンポンピンポーン! まあ、流石に直接『遺伝子注入!』って訳でもないだろうし、上手~く効能だけ抽出したおクスリ作ってるんだろうけど、そっちまでは専門外だしなぁー」

 

 あくまでテリアに分かるのはシャドウポケモンに何が用いられたかまでだ。用いられた代物をどのように利用したかまでは、製造者でもない以上知りようもない。料理にどのような調味料が加えられているかは分かっても、その調味料の製造方法までは分からない……といった具合だ。

 

「こっから先はワタシもお役御免だね。あとは余所の……そうだなぁー、ウィロー博士かオーレのクレイン所長辺りが適任なんじゃないかな?」

「お前はもう手をつけないのか?」

「治すとこまでは依頼に含まれてないしねぇ~?」

 

 あくまでも興味をそそられていたのは、ポケモンのシャドウ化という強化方法について。その手法さえ判明してしまえば、残りはテリアにとってさほど興味がない部分となる。

 

「勿論、まったく興味がないって訳でもないんだけどねェー」

「お眼鏡には叶わなかったという訳か」

「……」

 

 テリアは不敵な笑みを浮かべる。

 寝不足故、眉間に皺が寄る彼女の表情からは、どことなく落胆の色が窺えたような気がした。

 

「ジー氏。今主流になっている学説が提唱するポケモンの能力分類が何か……知ってる?」

「『HP(体力)』、『こうげき』、『ぼうぎょ』、『とくこう』、『とくぼう』、『すばやさ』の六つじゃないのか?」

「そう。んでね、シャドウポケモンは全体的に強化されている訳なんだけど……」

「何が不服だった?」

「しいて言えば()()()()()()()かな」

 

 『バイモユリ実験って言ってね』、とテリアは切り出した。

 

「トレーナーによる育成がどれくらいポケモンの能力に影響するかって実験さ。半世紀以上も昔にタマムシ大学で行われたんだよ」

 

 当時、実験の為に用意されたのは数十体のコラッタ。

 コラッタをいくつかのグループに分けた後、それぞれに別々の育成方法を試す。そうして各グループの能力の伸び幅を計測・比較したのがこの実験だ。

 

「結論から言えば、トレーナーが育成したグループの個体は野生と同じ環境下で飼育した個体に比べて大きく能力値が成長した」

「だろうな」

「けれど、面白いのはここからさ。同グループ内でも当然能力には個体差があった訳なんだけど、最終的にこの個体差……どうなったと思う?」

「……同じ育成を施した以上、元々優れた個体の方が劣った個体より秀でたままと考えるべきだ。生まれ持った才能の差は覆らない」

「そう思うよね。でもさ、()()()()()()()()()

 

 その言葉にジーの瞳が驚愕に見開かれた。

 

「……なに?」

「同じも同じ。もちろん体格の問題とかあるけど、それを加味してもホンット~~~に微々たる差。ほぼ同値。これがどういう意味か分かる?」

「……種族として定められた到達点、か」

「そう」

 

 パチンと指を鳴らした音が反響する。

 

「もっと過程を詳細に説明すれば、他のグループと比較した時点では同グループ内でも格差はあった。でもね、その後教授が思いつきで同グループ内の優秀な個体と劣等な個体を分けて実験を再開したんだよ」

 

 当初、劣等グループは優秀なグループのトレーニング量をこなせなかった。

 このトレーニングは優秀なグループがこなし得る限界量を参考に、都度更新し続けたとされる。こうすることでたとえ劣等グループが優秀なグループのトレーニングをこなしたとしても、その頃には優秀なグループはさらに上を行ったトレーニング量をこなすというオタチごっこな状況を作り上げた。

 

 しかし、ある日を境に優秀なグループのトレーニング量は頭打ちとなった。

 こうなってしまえば近い内に劣等グループも、そのトレーニング量を下回るところで頭打ちとなるだろう……実験に携わった研究者は誰もがそう思った。事実、劣等グループの能力の伸びはなだらかになっていた。

 

 けれども、一向に能力の伸びは止まらない。

 測定項目の一つであった50m走でも、やがて劣等グループは優秀なグループに並ぶ記録を出すようになった。

 

 そして、最終的には劣等グループは優秀なグループと同じトレーニングをこなせるようになった。測定項目の記録についてもそうだ。バトルに至っては勝率が五分と、ほぼほぼ互角という結果が出た。

 

「この実験は非常に有意義で夢があるとは思わない?」

「……才能を努力で覆せるのなら、凡人にしてみれば夢のある話だ」

「でもね、遺伝子方面をお勉強したワタシからしてみたら残念極まりない話でねェ~。どれだけ優秀な『おや』を掛け合わせたところで『能力には限界がありますよ』なんて言われた日には……」

 

 へにゃへにゃと脱力するテリアは、開いた自身の脚の間に頭を埋める勢いで項垂れる。

 

「っとォ、失礼! んで話は戻る訳なんだけどォ、シャドウポケモンはそうしたポケモンごとの潜在的な能力を解放してるんだよね。どんなに弱いポケモンだとしても、めっっっちゃくちゃ優秀でハッッッチャメチャに努力を積んだポケモン並みの力を発揮できる! って感じ?」

「戦闘用のポケモンとしてはこの上ないな」

「でもさ、それってようは努力詰んだポケモンと同じぐらいの強さって訳じゃん?」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「……それは、」

「ワタシ的にはそこがなァー。折角倫理的に問題ある方法でパワーアップさせてるんだから、才能や努力じゃどうにもできない外法のパワー! 的なのを手に入れてほしかったんだよねェ~」

「……つまり、なんだ。一定のレベル以上のポケモン相手には微々たる能力の差しかないという訳か」

「うんうん。というか、トレーナーの存在も加味したらほぼ皆無じゃないの?」

 

 『ワタシにトレーナーのことは分からないけど』と注釈を入れつつも、テリアはそう締めくくった。

 

 無論、彼女の提唱した説にも問題点はある。

 通常、その誤差に至るまで努力を積めるトレーナーが全体の一割にも満たないということだ。そうなってしまった場合、仮にシャドウポケモンと対峙した際には相手ポケモンとの能力差に大いに苦しめられることとなるだろう。

 

 だがしかし、彼女の言うような凄まじい努力を───すごい特訓を積み重ねたポケモンを持つトレーナーであれば。

 当然トレーナーとしてのレベルは高いだろう。ポケモンのレベルも高いはずだ。

 となると、むしろシャドウポケモンの性能に胡坐をかいているトレーナー相手など、歯牙にもかけぬパフォーマンスを発揮するとは考えられないだろうか?

 

 

 

 そして、事実として。

 その説を立証するポケモントレーナーが、この辺境の地に居た。

 

 

 

 ***

 

 

 

一対だった羽は二対へと。体色はズバットの頃からの薄い青色から、そこへ血の赤を足した紫へと変貌を遂げた。

 全体的なシルエットはゴルバットの時よりも一回り大きい。

 にも関わらず、素早く羽搏かせる羽の音はほとんど響いてはいなかった。闇の静寂に紛れ、獲物を捕食する為の進化を遂げたという訳だ。

 

───そのポケモンの名は、

 

「クロバット……!」

 

 ズバットの最終進化形であり、トレーナーに強い信頼をおいたゴルバットしか到達し得ない姿。

 今となっては古参になる手持ちの進化を見届けたコスモスは、優しい手つきでクロバットの頭を一撫でする。それを満足げに受け入れたクロバットはそそくさとバトルに戻っていく。自分の居るべき場所へと戻るように。

 

 その後ろ姿を見送ったコスモスは、静かに口を開いた。

 

「貴方達はサカキ様の言葉を覚えてませんか?」

「な……サカキ様の、ですって……?」

「『信頼はしても信用するな』、です」

「……あっ」

 

 思い当たる節でもあるかのような反応を見せるベガに、コスモスは続ける。

 

「過去の実績や成果に対しての評価が『信用』で、未来の行動や感情についての期待が『信頼』。ポケモン相手に留まらず組織という集団の集まりを円滑に運用する為に必要と……私はそう教わりました」

「それがなんだって言うんですの!? ワタクシ達はこの子の強さを信じておりますわ!! それにアナタがポケモンを信じているのと何の違いが……」

「違いならあります」

 

 コスモスは断言した。

 それから自身の手持ちを一体ずつ見渡す。ルカリオ、ゲッコウガ、そして進化したばかりのクロバットを。

 

「……私はこの子達の強さを信じています。ですが、それは『信頼』であって『信用』ではありません。なぜか分かりますか?」

「なぜ……?」

「この子達が感情を持つ生き物だからです」

「!」

 

 言われるや否や、ベガはジュカインの方を見た。

 度重なる攻撃で満身創痍のジュカインだが、どうにも疲弊した理由はそれだけに留まらないようにも見えた。

 それもそのはずだ。シャドウ化という潜在能力を解放する施術を施された彼らであるが、それは本来長い時間をかけて築きあげていく基礎をすっ飛ばしてのドーピングに過ぎない。加えてポケモンに多大な負荷を掛けるメガシンカも併用しているのだ。一時は本来のステータスを凌駕する力を発揮すれど、バトルが長引けば長引くほど体力を消耗するのは当然の結果であった。

 

 しかしジュカインは対峙する敵を見据えるばかりで、トレーナーであるベガの方を見向きする気配は微塵もなかった。

 ただただ辛そうに息を繰り返し、下された命令をこなそうとする戦闘兵器。それがシャドウポケモンであるが、果たして彼らに感情はないのだろうか───その答えはノーだ。

 

 重大な事実に気がついたかの如く絶句するベガに、コスモスは畳みかける。

 

「たしかに貴方達はそのポケモンの強さを『信用』しているのかもしれない。けれどポケモンが生き物である以上、発揮されるパフォーマンスは感情や体調に大きく左右される。もちろんミスをする時だってある……違いますか?」

「それは……!?」

「だからこそ『信頼』です。過去の活躍があってもそれはそれ、これはこれ。私達ポケモントレーナーの目の前に居るのは、()()この子達なんですから」

 

 その言葉に力強く頷いたのは少女の手持ち達だった。

 たとえ信用していないと告げられても、全幅の信頼を置かれている彼らは()()()()()。相手がシャドウポケモンであろうとメガシンカポケモンであろうと関係ない。

 

「ようは危機管理の問題です。『信用』しているからといって丸投げにしない。トレーナーがポケモンをフォローし、時にはポケモンがトレーナーをフォローする。それこそがポケモンとトレーナーのあるべき姿……『信頼』の形です」

 

 長々と語ったコスモスは一呼吸置いて呼吸を整えた。

 視線をベガの方へと向ければ口をパクパクと喘ぐ姿が見えた。上手く返す言葉が見つからないのだろう。隣に並び立っているデネブとアルタイルはと言えば、両手を挙げてやれやれと首を振っていた。呆れが半分、諦めが半分といったところか。

 

「───反論がないなら、これで終わらせます」

 

 コスモスの意思を読み取った三体が動き出す。ルカリオの波導を介するまでもなかった。

 

「っ……だとしても!! ワタクシはこの子の力を信じますわ!!」

 

 ジュカイン! と呼べば、それまで蹲っていたポケモンが動き出す。

 時を同じくして二人も各々のポケモンに呼びかけ、先行するジュカインの後を追わせた。同僚のよしみとして最後まで付き合うつもりなのだろう。

 

「ジュカイン、『リーフブレード』ですわ!!」

『バシャーモ、『ブレイズキック』!!』

「ラグラージ、『だくりゅう』デース!!」

 

「ジュラアアア!!」

「バッシャアア!!」

「ラグアアアア!!」

 

 雄たけびを上げながら迫りくる三体。

 それに対しコスモスは、

 

「クロバット、『アクロバット』!!」

「クロバッ!!」

 

「ルカリオ、『はどうだん』!!」

「バウァ!!」

 

「ゲッコウガ、『くさむすび』!!」

「ゲコッ!!」

 

 誰に、と指示するまでもなかった。

 まず先頭のジュカインに対し、俊敏な動きで肉迫したクロバットの攻撃が炸裂する。

 次に飛来した正確無比な蒼の光弾がバシャーモの胴体に着弾し、その背後より押し寄せた濁った激流の一部を穿つ。

 そして最後にゲッコウガだ。『はどうだん』で一部穿たれた『だくりゅう』を飛び越え、あっという間にラグラージの懐へと潜り込んだ。

 

 すかさず豪腕を振り回すラグラージだが、咄嗟に身を屈めたゲッコウガには命中しない。それどころかラグラージの方が不自然にバランスを崩した。足下に目を遣れば、不自然に結ばれた草の輪がラグラージに足に引っ掛かっていた。

 

 この時ばかりは見事な逆三角形体型が仇となった。普段より重心が上となったラグラージは振り回した『アームハンマー』の勢いもあってか派手に転倒。100キロ越えの巨体を自ら地面に打ち付ける羽目になった。

 

「そ、そんなおバカな……ッ!?」

 

 瞠目するベガの目の前に広がっていた光景は、勝者がどちらかを証明する揺るがない証拠だった。

 そして、仲良く目を回していた三体のシャドウポケモンは一斉に元の姿へと戻る。

 

「勝負、決まりましたね」

「ヒィッ!?」

 

 勝者となった少女の眼光に、手持ちを全員倒されたベガは萎縮する。

 一応取り巻きの二人にも目を向けたが、彼女達は『どうぞどうぞ』と早々に生贄を出す姿勢を見せていた。随分と手慣れた様子だ。

 

 というのも、これが彼女達にとっての様式美であった。

 勝負を吹っかけるベガ。巻き込まれるデネブとアルタイル。そして、難なく返り討ちにするコスモス。背が伸び手持ちが増えたとしても、構図はあの時のままだ。

 

 地面に女の子座りするベガ。その目にはたっぷりと涙が浮かび上がっていた。

 同情を誘う体勢の彼女へ歩み寄るコスモスだが、見下ろす視線には温情を掛けようという色が一切窺えず、尚の事ベガは震えることになった。

 

「コ、コスモスさん? ワタクシ達、お友達ですわよね……?」

「ええ、そうですね」

「で、ですわよね!? ねっ!? ですから、そのぉ~……ちょ~~~っとばかし調子に乗ってしまいましたけれども、ここは友人のよしみで許してくれたりは~……?」

「ベガ」

「ひゃい!?」

「私が賭けで勝ち取ったデザート……貰わなかったことがありますか?」

 

 瞬間、過去を振り返ったベガが悟った表情を浮かべる。

 かつて自身が勝負を持ちかけた際、承諾する代わりとして賭けていた給食のデザートがある。実家が貧乏だったベガからしてみれば、それは目が輝かんばかりに貴重なブツであった。だからこそ賭けの対象として抜擢された訳だが、

 

「……無いですわ」

 

 一度たりとも。

 

「そういうことです。さて、どうしてくれましょう?」

「ひぃ~~~⁉」

 

 それは死刑宣告に等しかった。

 咄嗟に後ろに引き下がろうとするベガであったが、そこへ背後に待ち構えていた仲間である二人が腕を抱え込んでくる。土壇場での裏切りであった。

 

 最早逃げ場を失ったベガは、せめてもの抵抗にとあらんばかりの声で叫ぶ。

 

 

 

「お、お許しをぉ~~~!?!?!?」

 

 

 

 仲間を呼んだ。

 しかし、助けは来なかった。

 

 

 

「あひゃひゃ~~~~~!?!?!?」

 

 

 

 その後、しばらくの間少女の笑い声とも取れぬ悲鳴が島中に響き渡った。

 

 

 

 

 




Tips:デネブ
 ロケットチルドレンの一人である青髪の少女。同年代に比べ背も高く容姿も整っている為、しばしば美少年に間違われることが多い。黙っていれば知的な雰囲気を纏うクールビューティそのものだが、一度口を開けばハツラツとした喋り方と共に外国式の距離が近いスキンシップが飛び出てくるイヌヌワン系である。
 出身がカントー地方ではない為、こちら側の言葉はやや片言。元々は良家のお嬢様であったらしいが、色々あった結果家が没落して高飛びせざるを得なくなり今に至る。
 当初はこちら側の言葉を話せなかったものの、同室だったコスモスがを通訳と勉強を手伝ってくれた(当人は海外の論文を翻訳してもらおうという打算があった)為、面倒を看てくれた彼女に対し異常なまで懐いている。優先度で言えばコスモス>ロケット団であり、ベガ達と行動を共にしていたのもいずれコスモスがロケット団に戻って来るだろうという考えから。
 ふとした瞬間にネイティブな話し方になって怖い。(アルタイル談)

手持ちポケモン
・パルシェン(♂)
・スターミ―
・ラグラージ(♂)(シャドウポケモン)

【立ち絵】デネブ(絵:柴猫侍)

【挿絵表示】


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№057:歴史の整合性を取るのって難しい

前回のあらすじ

Q.チャンピオンの持ってるポケモンはどうして他の同種族より強いんですか?

コスモス「ものすごく特訓してるからじゃないですか?」

ベガ「も、元も子もない……」

アルタイル『でも真理』


 

 

 

 ヤミカラスもお家へ帰る夕暮れ時。

 海の方を見ればホエルオーの潮吹いているが、そんなエモーショナルな光景に背を向け帰路に就く四人が居た。

 

「ただいま帰りました」

「おかえり」

 

 家に着けば家主よりも前に、自身と同じ居候の身である青年が出迎えてくる。

 今日も今日とて赤い装いの男・レッドは、湯飲みに手を添えながら縁側に座っていた。まるでずっとこの家で暮らしてきたかのような落ち着きぶりである。

 

「今日は遅かったね」

「はい。色々ありました」

「色々……?」

 

 コスモスの言い回しに首を傾げるレッドが、彼女の背後へ目を向ける。

 するとそこには、

 

「ひ、ひぃ……もう許ひて……」

「ベガ、しっかりするデース」

 

 デネブに背負われるベガがうわごとを繰り返していた。

 ほんのり上気して汗ばんだ肌と荒い息遣いは、見る人が見ればよからぬ想像を膨らませる姿ではあるが───。

 

「耳と首と脇とお腹と背中と腿と足の裏をくすぐるのだけは……」

『弱点の多さがナッシーじゃん』

 

 色気を期待した者。ナッシーの大爆発に巻き込まれるといい。

 だが、純粋に気になったレッドはコスモスに直接問いかける。

 

「何してきたの?」

「ポケモンバトルです」

「ポケモンバトルかぁ」

 

 それなら納得だ。

 レッドはうんうんと頷いた。一方コスモスの斜め後ろに立つルカリオは、信じられないものを見る目を浮かべながら『いやいやいやいや』と手と首を振っていた。

 

「あ、そうだ」

「先生、どうかしましたか?」

「これ」

 

 突然レッドが思い出したかのように古ぼけた書物を取り出した。

 

「はい、コスモス」

「私に?」

 

 コスモスは受け取った書物の表題に目を落とした。

 そして達筆な文字で書かれていた題名を見るや否や、コスモスの瞳が大きく見開かれた。興奮を隠さぬ様子でページを最後まで捲った後、確信を持った少女は大事そうに書物を掲げた。

 

「これは……『大地の奥義』……!」

「大事にね」

「はい! わざわざ名前まで書いていただいて……」

「え?」

「え?」

「……」

「……」

「ありがとうございます、先生」

「どういたしまして」

 

 一瞬謎の間があったものの、受け取って嬉しい物には違いない。

 丁寧に頭を下げるコスモスだが、これに疑問を抱いたのは旧知の友人である。

 

『何それ? 随分古そうな本だけど欲しかったの?』

「そうですね。この『大地の奥義』はサカキさ───ごほんっ。かのトキワジムリーダーがしたためた知る人ぞ知る名著で……」

『あー……』

 

 淡々とした口調ながらも熱く語るコスモス。

 それもそのはずであり、この『大地の奥義』という書物はまだサカキがトキワジムリーダーを務めていた頃に出版された著書である。歴代でも最強と名高いジムリーダーの大地を制する髄が記されており、ポケモントレーナーならば一見の価値があるとされている。

 しかし、元々の発行部数が少ないことに加え、サカキがロケット団首領と判明して以降、出版社による自主回収が行われてしまった。それにより現在市場には流通しておらず、限られた数だけがやり取りされるコレクターアイテムと化してしまった経緯がある。

 

(アジトに置いてあった一冊は行方知らずになってましたし、なんたる僥倖! もう一度これを手に入れられるとは!)

 

 ただし、コスモスにとっては単なるコレクターアイテムには留まらない。

 ポケモンバトルを極める者として頭に入れておくべき知識が、この一冊には詰め込まれている。

 

(これはまさしくサカキ様の教えです! 手持ちが充実してきた今なら、あれもこれも……あれだって試せます)

 

 当然今までに何度読み明かした書物ではあるが、当時はまだ実践まで至らなかった戦術や技も数多く存在する。

 だが、これでようやく実践に移せる。

 サカキの著書を読みながら、サカキの教えを実行する。これすなわちサカキに指導されているのに等しい。そう思うと自然と笑みも零れるというものだ。

 

「ふふ、ふふふふふ、ふふふふふふふふっ……」

「コスモス、笑い方が怖いデース」

「おっと」

 

 友人の言葉にハッとしたコスモスが自身の頬を叩く。

 

「まあ、日も暮れてきましたし実践は明日にしますか」

「そうだね」

「ダネダネ」

「「うん?」」

 

 謎の相槌が入り振り返るコスモスとレッド。

 二人が振り向いた視線の先には、見慣れぬフシギダネが一体佇んでいた。

 

「このフシギダネは……モンちゃんですね」

「ソォオオオオオナンスッ!!!」

「いや、緩急」

 

 シームレスにソーナンスへと『へんしん』したモンちゃんこと、テリアのメタモンが正解を盛大に祝福してくれる。

 そんなモンちゃんが来ているとすると、四六時中行動を共にしている彼女も近くに居ることとなる。

 

「いやぁ~、腹がペッコペコのモルペコだよォ~。夕ご飯も盛るペコで頼むよォ」

「テリア博士……ずっと研究してたんですか?」

「う~ん? ……おォ、帰って来てたのかいコスモス氏!」

 

 ゾンビのような顔色をして出てきたテリアは『当然じゃないか』と答える。

 

「とりあえずシャドウポケモンについてのレポートはまとめたかな。これでワタシはお役御免さ。適当にレポート送ってお金貰ったら……」

「元鞘に収まる訳ですね」

「あれ? コスモス氏に言ってたっけ?」

「仔細ならあっちから」

「あっち?」

 

 目線をあっちに向ける。

 そこに居たのは未だ死に体のベガ。どこからどう見ても何かあったようにしか見えない。

 

「……音楽性の違いで喧嘩でもした?」

「別に喧嘩はしてません。まあ、少しいざこざはありましたけれど、話はもうまとまりました」

「あ、そう?」

 

 ならばこれ以上の詮索は必要なかろう。テリアはそう自分に言い聞かせることにした。お互い脛に疵を持つ者同士、()()()()()()を含め余計な詮索はなしだ。

 

「それなら……おーい、ジー氏ぃ~~~!! そろそろ夕ご飯の時間にしよぉ~~~!?」

 

「居候の癖に家主に対して厚かましいことこの上ないですね」

『同意』

「ディナーの支度、ミー達も手伝ってあげまショウ!」

「おれも」

「ワ、ワタクシも……一宿一飯の恩を返さないのは流儀に反しますわ……!」

 

 辛辣な評価を下したコスモスを先頭に、テリアを除いた五人が家の中へと入っていく。

 きっとこれから夕食の準備を手伝うのだろう。

 

 次の瞬間、一人取り残されたテリアには、海から吹き付けてくる生温い風が叩きつけられた。これは世間から向けられる視線の温度に似ているような気がした。

 

「……あれ? これってワタシが非常識?」

「ソォオオオオオオナンスッ!!!」

 

 夕焼けの空に肯定の声が木霊した。

 

 

 

 ***

 

 

 

 お手を合わせて合掌。

 

『いただきます!』

 

 数日前よりも格段に人口密度が高まった居間で夕食が始まった。

 

「ああっ!? コスモスさん、それはワタクシが狙っていたお芋さんですわよ!!」

「別に誰のものでもないでしょうに。あむっ」

「あああっ!? ころころマメの甘露煮まで!? ぐぬぬぬぬッ……!!」

 

「アルにはミーがごはんをよそってあげるデース!」

『い、いや……もうお腹いっぱい……』

「まだ茶碗の半分もよそってまセーン」

 

「お、おおお?! 赤先生赤先生! 今日のご飯はなんだか青いね!? オレンのみと一緒に炊き込みでもしたのかい!? なんたる挑戦……食への冒涜……しかしその精神誉れ高い……!!」

「シルフスコープを着けてるからじゃ?」

「あ」

 

「……」

 

 随分と賑やかになった食卓。

 すると不意にジーの箸が止まったことにコスモスが気づいた。

 

「すみません、騒がしかったですか?」

「む? ……いや」

「ほら、うるさいって言われてますよ───ベガ」

「えっ、ワタクシですの!? そ、それはだってコスモスさんが……!!」

「急に上がり込んできてタダ飯を食らっていて厚かましいとも言いたげです」

「う、ぎぐッ!? そ、それは……」

 

 痛いところを突かれたと言わんばかりにベガが苦々しい表情を浮かべる。

 普通に考えて一人暮らしのところに居候が一人だけでも手間が増えるというのに、居候が連れてきた二人に加え、予期せず上がり込んで来た三人も増えたとなると、人数分の食事を用意するだけでもかなりの労力を要するだろう。

 

「くっ……ご、ごもっともな意見ですわ。それなら、これを……」

「……この1000円は?」

「ワタクシのポケットマネーでよろしければ、どうぞお納めください……」

 

『1000円で済まそうとする方が面の皮厚いと思うんだけど』

 

 至極真っ当なツッコミが横から入った。

 しかし、それに異を唱えるのはベガであった。

 

「何を仰るんですの!? 1000円あったら三食分足りるんじゃなくって!?」

『金銭感覚が貧乏のそれ』

「ワタクシにデネブ、そしてアル……ついでにコスモスさん、テリア博士、先生と、少なくとも六人×三食、計十八食分はあるはずですわ!!」

『一人何円換算?』

 

 約55円だ。

 こんな金額では精々もやし生活が限界である。

 

「……子供のキミが気にすることではない」

 

 これにはジーも哀れみの目を浮かべ、1000円をそっとベガへと突き返す。

 この大人な対応には少女も五体投地で感謝の意を伝える。衣食住の有難みに関しては、彼女がこの中で一番理解していよう。

 

「この御恩は一生忘れませんわ……!」

「でも、ごちそうになってばかりで申し訳ないですね。何かしてほしいことがあったら遠慮せずに言ってください」

 

 貧乏な友人の代わりに気を利かせようとするコスモスに、しばしジーが唸る。

 当初の通り、子供に気を遣わせるのを良しとしていなかった彼であるが、このまま親切心を無下にするのも悪いと考えたのだろう。

 

 思案すること数秒。

 言の葉を発さぬまま、パクパクと口を動かすジー。それが何かの“味”を思い出す仕草であると気付いたのは、彼の頼みを聞いてからだった。

 

「……それなら、採って来てほしい食材がある」

「食材ですか?」

「きらきらミツだ。ビークインやミツハニーの巣で採れるんだが……」

「ビークインですか……」

 

 昨日の思い出が蘇る。

 あの時はテリアの不注意が原因であったが、それを差し引いてもミツを狙ってビークイン達に追いかけ回されるのは懲り懲りのオニゴーリだ。

 

「……本当にきらきらミツじゃなきゃダメですか?」

「あれがあったらもりのヨウカンを作れるのだが……」

「どれぐらい瓶詰めすれば足りるでしょうか?」

 

 デザートマフィアのお出ましである。

 彼女が通った後にはデザート一つ残らない。さながらカビゴンの如き食欲を前に、トレーナーズスクールで付けられたあだ名は『メスゴンべ』である。

 

「流石コスモス氏。ワタシの研究室に来てはお茶請けを搔っ攫っていっただけのことはあるね」

「えっ、あれ博士のお茶請けだったんですの?」

 

「人聞きの悪いことを言わないでください。もうすぐ賞味期限が切れてたのを確認して譲ってもらってただけじゃないですか」

「あれ賞味期限切れてたんですの!?」

 

 予期せず衝撃の事実が発覚し、一時愕然としていたベガが怒りの形相でコスモスへと詰め寄った。

 

「いつもどこから頂いてくるのかと思っていたら!! 通りでお腹を壊す訳ですわ!! ……アルが」

「それを言うならそっちだって人の事は言えないんじゃないですか? 雑草茶を飲まされてお腹を壊したことは忘れてませんよ。……アルが」

 

『キミらさぁ』

 

「でもミーはお腹壊してまセンよ?」

 

 口を開けば騒がしくなる四人により、食卓が静かになる気配は微塵も感じられなかった。

 

「……」

 

 一方、レッドはこの光景に微笑ましそうな眼差しを送っていた。

 そう言えばコスモスとはそれなりの時間を共に過ごしていた訳であったが、彼女の交友関係には言及したことがなかった。

 彼女から話す機会がないというのもそうだが、大抵の話題がポケモンバトルについてだったのも原因だろう。

 トレーナーは皆、ポケモンが友達、あるいはそれに近しい関係といったスタンスである為か、レッドのような極端に周囲と接触が少ない人間であっても寂しさを感じにくい点はある。

 

 しかし、だからといって人間の友達を無下にしていい訳でもない。

 言葉を交わし、時には喧嘩し、そして仲直りする。ポケモンよりも明瞭な言葉のやり取りを介在するからこそ、特に切磋琢磨する間柄としてはこれ以上ない存在となるだろう。

 

 レッドにも少なからずそういった友人は居た。

 何をするにも先を行き、競争心と闘争心を煽ってくる姿は正しくライバル。

 だがしかし、今になって考えてみるとやはり挑発的な物言いが過ぎると思うし、特にフーディンが進化した際に『オレの他に友達が居ないレッド君には進化させられないよな、ププーッ!』と煽ってきた時には殺意の波動に目覚めた。

 

「……やはり緑は敵」

「殺気!?」

 

 『しまった』と漏れ出た殺気を収めた頃には、すでに全然関係のない緑髪の少女が震え上がっていた。

 まだまだ修行が足りないな───反省するレッドは、謝罪の意を込めてケムリイモの煮っころがしを一つ皿の上に贈呈する。ベガは終始困惑の色を浮かべていたが、貰える物は貰っておく主義の彼女は有難く芋を口へと放り込んだ。

 

 だが、その時だった。

 視線を戻す最中、家主の得も言われぬ面持ちを目撃してしまった。

 レッドも人の事を言えた義理ではないが、彼も彼で感情の機微が読み取りにくい人間である。もしかすると騒がしい食卓に辟易しているのではないかと考えたレッドは、無理やりではあるが話題を戻すことにした。

 

「もりのヨウカンが好きで?」

「……いいや」

「じゃあ、手持ちのポケモンが?」

「……なぜ、そう思う?」

「あ」

 

 じろりとした視線がレッドへと突き刺さる。周りの人間は気づいていなかったが、その目には懐疑心が滲み出ていた。まるで詰るように自身を睨めつけてくるジーに対し、レッドは投げかけられた『なぜ』の意味を考えた。

 

 一つ目は、単純にジーの手持ちがもりのヨウカンを好む理由。

 二つ目は、そもそもどうして()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 ここに来て数日、ジーは自身に手持ちが居るなどとは一言も喋っていない。それなのにも関わらず『手持ちが居る』と断定されてしまえば、当人が不審に思うのは至極当然であると言えよう。

 

 とすると、彼の問いかけは後者だろう。

 

「……五体」

「!」

「空を飛んでいるクロバットにドンカラス……家の周りを見張ってるマニューラにヘルガー……それに、海を泳いでいるギャラドス」

「……」

「全員がこの家を見守っているように見えたから」

 

 レッドが言い切るのを待っていたかのように感嘆の息が漏れ出る。

 そのままジーが視線を庭の方へと向ければ、夕闇に双眸が二つほど浮かんでいた。どちらもレッドの方に向き、警戒心を露わにしているようだった。

 

 だが、ジーはそれを目で制する。

 スッと夕闇に浮かぶ双眸が消えた。代わりにガサガサと茂みを掻き分ける音が響いてくる。

 どこかへ去ったのだろう。ただ、この家を見守っていることだけは確かだとレッドには思えた。

 

 消えゆく音を聞き届けたジーはゆっくりと振り返る。

 

()()()()()()……か。キミにはそう見えたのだな?」

「違いました?」

「……正直、わたしにも分からない」

 

 その答えにレッドは疑問符を浮かべた。

 分からないとはまた珍妙な答えだ、と。

 しかし、続く言葉を耳にすれば彼の答えにも納得いった。

 

()()はわたしがこの島に来た時から一緒に居たようだ」

「……というと?」

「わたしにあれらとの記憶はない」

 

 溜め息を吐かんばかりの口振りだった。

 その様子が落胆にこそ見えはしたが、何に対しての落胆かまで推し測るには、今はまだ早計だろう。レッドは沈黙を守ることで続きを促した。

 

「なぜわたしと一緒に居たのか? なぜわたしから離れようとしないのか? その理由を論理的に説明できるとすれば……やはりキミの言う通り、わたしの手持ちだからなのだろうな」

「一緒に暮らそうとは?」

「思わないし、必要もない」

 

 ジーは断言した。

 

「共に居る理由が分からないからな。元々人間とポケモンは違う世界を生きてきたはずだ。必ずしも一緒でなければならない必要性もないだろう」

「……」

「納得できないというのであれば、それはキミの価値観の問題だ」

 

 価値観とは非常にデリケートな問題だ。

 同じ社会で暮らしているからと言って、誰しもが同じ価値観で生きているとは限らない。生まれた時からポケモンと一緒に暮らすことが当たり前であるという価値観もあれば、逆にポケモンと極力触れ合わずに生きていこうとする価値観があっても不思議ではない。特に今ほどポケモンとの距離感が近くない時代まで遡れば、そちらの方がスタンダードと言い切っても間違いではない。

 

「わたしは今の生活を……好ましくないとは思っていない。世俗のしがらみから解き放たれ、一人静かに暮らすこの平穏は何物にも代えがたい価値がある」

「……そう」

「別に理解してもらわなくても構わない。きっと、わたしとキミの価値観は大きく違うだろうからな」

「でも……」

「?」

 

 押し黙っていた青年が口を開こうとするのを見て、ジーが反応した。

 

「おれは、ポケモンと一緒の方が楽しいです」

「……」

「……あ、別にこれ以上は……」

 

 反論されるかと身構えていたが、返ってきたのは反論とも言えぬような個人的な感想。論理的な議論を展開する上で、根拠とするには余りにも弱い主張だ。

 しかし、そもそもレッドは議論するつもりがなかったのだろう。

 ただただ自分の思いの丈を打ち明けただけ。一人が好きというジーに対し、ポケモンと共に居る方が楽しいと告げただけ。その主張に相手の論理を打ち崩すような意図もなければ、自分の価値観を押し付けようとする意図もない。

 

「……そうか」

 

 肩の力を抜き、ジーは空になった茶碗に箸を置いた。

 ふと庭の方へ目を向ければ、居間には入り切らなかったレッドやコスモス達のポケモンが集まり、ガヤガヤと騒ぎながら食事に手をつけていた。

 

 ルカリオが中心となる同窓組。

 進化したクロバットを祝福する面々。

 群れず一人黙々と食事を進める者。

 

 食事一つを見てもグループはいくつも存在していた。

 だが、不思議とそれらは互いに適度な距離感を保ち、時には周囲を巻き込みながらも楽しそうな声を響かせていた。

 そこへ視線を送るジー。けれども、レッドにはその瞳はもっと遠くを見つめているような気がしてならなかった。

 きっと物理的なものではないのだろう。遠い……それこそ二度とは届かぬ距離まで離れてしまったものを見ようとしていたのかもしれない。

 

「ポケモンと一緒の方が楽しい、か……」

 

 やがてジーは目を伏せた。

 陰になった目元を望むことはできないが、吐き出した声は俯いたせいで押し潰されていた。

 

「それもまた、間違ってはいないのだろうな」

 

 辛うじて紡がれた声は、酷く寂し気に聞こえた。

 

 

 

「あっ。それは私が狙っていたお芋……!」

「フフーンですわ! これでワタクシの気持ちがよく分かったでしょう!? これに懲りたなら二度と人の獲物は狙わないように……」

「よくも……上等です。その喧嘩買いましょう」

「あれ? コ、コスモスさん……何をそんな怖い顔をなさって……」

「食べ物の恨みが恐ろしいということ、骨の髄まで叩き込んであげますよ。表に出てください。10回ほどバトルしようじゃあありませんか」

「じゅじゅじゅじゅじゅ、10回!? この時間から!? 良い子はもうお風呂に入って眠る準備を済ませる時間ですわよ!?」

「問題ありません。30分で終わります」

「一試合3分計算!? それって確実にワタクシが一方的に負かされる計算じゃありませんのォ~~~⁉」

「よく分かりましたね。ちょうど次のジムがくさタイプでして……そういうことです」

「どういうことですの!? いやぁーーー、負かされるぅーーー!! ワタクシの尊厳という尊厳がバッキバキにへし折られるゥーーー!!」

「今更じゃないですか」

「ひどい!? うわーん、コスモスさんがいじめるぅーーー!!」

 

 

 

 そんな声も、目の前の姦しい喧噪の中へと消え入くのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 そろそろホーホーが鳴き始める空色。

 

「ぎゃひー!?」

 

 泣いたのは一人の少女だった。

 

「ふぅ。いい汗を掻きました」

「うっ、うぅ……ひどい……ホントに10連戦もするなんて……」

 

 無事10連敗を喫したベガは地に崩れ、袖で溢れる涙を拭っていた。なつき度ストップ安である。

 片やコスモスはと言えば勝利を掴み取ったユキハミの頭を撫でている。ポムポムとあやすように撫でれば、ユキハミも満足そうに目を細めた。

 

 一方、惨敗を喫したベガは人の呪い殺せそうな視線をこれでもかとコスモスに送っていた。

 

「というか、一体なんなんですのッ!?」

「なんなんですのと言われても……主語は明確にしてください」

「昔に増して強くなってるじゃありませんの!? ルカリオならともかく、そんな雪ん子キャタピーに負けるなんて思いもしませんでしたわ!!」

「先生の教えの賜物ですね」

「先生って……あの薄ぼんやりした御方のことですの? あんな方がアナタを指導できるなんて思えませんが……」

「言葉は選んだ方がいいですよ。でなければ、先生直伝の『ふぶき』をお見舞いしなければならなくなります」

 

「ユキュ……」

 

「ひぃー!? む、虫だけは……」

 

 ズイッと差し出されるユキハミのジト目に晒されるベガ。

 まるで銃口を突き付けられたかの如くむしポケモンに震える姿からは、悪の組織の尖兵たる威厳は微塵も感じられなかった。

 

「ふんっ、他愛もない……」

 

 かくして次なるジムへの経験値を溜められたところで、コスモスは堂々とした足取りで帰宅した。

 そして玄関で靴を脱いだ時、後ろから溌剌とした声が聞こえてきた。

 

「ヘイ、コスモース! バトルは終わったデスか?」

「はい。ところでデネブはこれから何を?」

「テイク・ア・バス! お風呂デース!」

 

 外国語混じりの台詞に似合わず、古き時代を思わせる風呂桶と手ぬぐいを抱えるデネブはサムズアップする。

 

「オオ、そうデス! ひさしぶりデスし、一緒にどうデス? 裸のド突き合いデース!」

「それを言うなら裸の付き合いですね」

「そうトモ言う!」

「それが正なんですよ」

 

 だが、断る理由もない。

『まあ構いませんが』と頷くコスモスはさっさと準備を済ませて風呂場へと直行する。その頃、すでに湯船ではデネブがのほほんとした顔で浸かっていた。

 

「じゃあ失礼します」

 

 本来一人用の浴槽に二人が収まった。

 当然お湯は溢れる。しかし、コスモスの身体が小さいこともあり、溢れたお湯は最小限で済んだ。

 それはそれとして浴槽の水位は最大限まで上昇した為、湯船はタプタプであった。少し身動ぎするだけでも波打つお湯が流れそうである。

 

「ふぃ~~~っぷ……」

「イイ湯加減デスね……」

 

 都会では味わえぬ薪風呂を堪能する二人。

 少し開けた窓の外から入り込んでくる森の香りやパチパチと爆ぜる薪の音が、これまた乙なものであった。

 しばし、まったりとした時間が流れる。

 

「良かったんですか?」

「ン?」

「今日のバトルの勝敗です」

 

 口火を切ったのはコスモスであった。

 唐突な話の切り出し方に、当然のようにデネブは小首を傾げる。だが、そんな彼女を後目にするコスモスの瞳にはどうにも懐疑的な光が宿っていた。

 

「私を負かしてでも組織に戻したかったんじゃないですか?」

 

 結果的にはコスモスが勝ち、テリアの扱いについても話はまとまった。

 しかしながら、元々三対一という状況に至った経緯はベガの提案に依るところが大きい。『コスモスをロケット団に引き戻す』───それを聞いて真っ先に動いたのは他でもない、デネブである。

 

 ルリリがマリルへと進化する程度にはコスモスに懐いている彼女としては、連れ戻せなくて残念がっているかと思っていたが、

 

「そうでもないデスよ? ミーは何があってもコスモスの味方デス!」

「……じゃあ、()()()『じしん』を指示したのも?」

「……フフッ。ミーは難しい言葉分かりまセーン」

 

 背中からコスモスに抱き着くデネブが、耳元でそう囁いた。

 茶化かすような語調であったが、やけに耳を撫でる吐息はしっとりとしている。

 

 これではほとんど自白しているようなものだ。

 やれやれと溜め息を吐いたコスモスは、やや不貞腐れた表情を浮かべ、

 

「……私だけでも勝てました」

「そんなこと言われなくたって知ってマース!」

「……貴方も大概いい性格してますね」

「どういたしマシテ☆」

 

 デネブの楽しそうな笑い声は、ピチャピチャと跳ねる水の音と共に弾んでいた。

 

 

 

(……なんか、えらい話聞いちゃったなぁ)

 

 

 

 今の話を偶然通りがかった廊下でアルタイルは聞いていた。

 その腕には風呂桶が抱えられ、中には一通りの着替えが用意されている。

 

(ぼちぼち上がってくるかなって来てみたけど……ベガが来なくて正解だった)

 

 当人が耳にすれば烈火の如く怒り狂いそうな案件だ。

 だが、どちらかと言えば日和見主義のアルタイルにしてみれば、わざわざ見つけた火種に油を注ぐつもりはない。

 

(今のは聞かなかったことにして、もうちょっと時間置いてから来よう───)

 

 

 

「ア~~~ル~~~?」

『ヒッッッ!!?』

 

 

 

 今まさに引き戻ろうと踵を返した瞬間だった。

 真後ろから聞こえてきた少女の声に、肝という肝が縮み上がった。すでにもう胃が痛い。

 キリキリと壊れた機械のように振り返れば、しっとり濡れた青髪から水滴を垂らす全裸の少女がそこには立っていた。

 それこそ人形のように整った顔立ちが湛える笑みが美しい。だからこそ、恐ろしい。

 そのまま動けぬアルタイルを背後から抱くデネブは、フード越しの耳元にそっと囁いた。

 

「聞いてマシタよね?」

『な……なんの話? ボク今来たばっかりだから何のことやら……』

「集音器、新調したんデスよね? 壁越しでもよく聞こえそうデスね」

『……聞いたとは限らないし……』

「これでアルも共犯デスね☆」

 

 有無も言わさないとはこのことだ。

 

 かくして共犯にされたアルタイルもまた風呂場へズリズリと引き摺られていく。

 

『やめろー! 死にたくなーい! 死にたくなぁーい!』

「一名様ご案内デース☆」

『死にたくなあああああい!!』

 

 そして、アルタイルは深淵(風呂)へと引きずり込まれるのであった。

 

 

 

「いや、流石に三人は狭いんですが?」

 

 

 

 ***

 

 

 

───死にたくなあああああい!!

 

「おん? なにやら不穏な悲鳴が聞こえるぞ?」

「キノキノ。キノ、セィ」

「気のせいかァ」

 

 キノココからセレビィへの『へんしん』を遂げたモンちゃんに、テリアは『そうかそうか』と頷いた。

 相も変わらずラボに引き籠る彼女は、今日も今日とて研究に没頭していた。

 湯飲みに淹れたカゴのみ茶をストローで啜りつつ、忙しなくキーボードを指で叩く。プロのピアニストよろしく凄まじい速さで文字を入力していく彼女は、最早瞬きするのも忘れて資料をまとめている最中であった。

 

「次の定期便でここ出てくって言ってたしなァ~。今の内にやれることはやっておかないと……」

「……出ていくのか?」

「おぉっと!?」

 

 突然背後から話しかけられた驚きで湯飲みを倒しかけるも、機材を濡らすまいと何とかストローで支える。オーダイルも称賛を送る交合力、いや、口輪筋だ。

 そこからそっと湯飲みを立て直すテリア。

 ふぅ、と安堵の息吐いたところで、彼女は後ろに立っていた人物の方へ不満の意を露わにする。

 

「ちょっとジー氏ィ~~~! 急に後ろから話しかけないでくれたまえよォ~~~! ワタシの研究資料がダメになったらどうしてくれるんだい!?」

「……すまない」

「ま、こんなこともあろうかと機材自体は防水仕様にしているからね。今までに何度飲み物を零して上司や教授に叱られたか……そこらへんは抜かりないから安心したまえ☆」

「……」

 

 じゃあ謝り損では?

 そんな胸の内をおくびにも出さず、ジーは改めて当初の質問を繰り返すことにした。

 

「ここから出ていくのか?」

「うん? あぁ、そう言えばジー氏にはまだ言ってなかったね。ワタシ、スカウトされたから五日後にここ出てくことになりまして……今までお世話になりました!」

「……そうか」

 

 素直に『それは良かった』と告げるジー。

 自分のように隠居生活を好き好んでしているのならばともかく、研究者の彼女にとっては不都合が勝っていたように見えていた。

 

「荷物も持って行くのか?」

「まあね。でも、持って行くのは最低限でいいかなァ~。どうする? 機材とか使う?」

「わたしが?」

 

 思いもよらぬ提案にジーは面食らう。とは言っても、傍から見ても分からない程度の変化ではあるが。

 

「……わたしが貰ったところで宝の持ち腐れだ」

「そうかなァ? だってジー氏って相当機械詳しいでしょ?」

「どうしてそう思う?」

 

───片田舎に住む中年がどうして機械に詳しいのか?

 

 そう問い返すような論調だった。

 しかし、テリアはケロッとした表情で答える。

 

「だって、物置に置いてあった家電……あれ修理したのジー氏でしょ?」

「……」

「家電と言えど直すにはそれなりの知識が要ると思うよ? それをセンスか、はたまた昔の知識で直したっていうんなら……ちゃんと機材揃えたら色々出来ると思うんだけどなァ~」

 

 少なくとも、辺鄙な離島で文明的な生活を営める程度には。

 テリアは実にもったいないと言わんばかりだ。対するジーは、ラボに所狭しと並んでいる機材にジッと目を遣る。

 

「……そうか」

「ま、要らないって言うんならこっちで片づけるけども」

 

 無理強いはしないスタンスのテリアは再びパソコンのモニターへと向かう。

 

「……シャドウポケモンのレポートは終わったんじゃないのか?」

「そうそう。だからね、今はオーパーツの方の調査メインなのさ! ここを出てくまでの間に、ちょっとでも進めておきたいからさ」

 

 そう言いながら手を進めるテリアが向かうモニターには、板らしき物体を3Dスキャンしたと思しき画像が映し出されていた。

 一見すると何の変哲もない板だが、一瞥したジーは眉を顰める。

 

「木簡か?」

「お、鋭いね! そうとも、これがゲンエイ島で見つけたタイムトラベルに繋がる証拠……になるかもしれない代物の一つさ!」

「何と書いてある?」

「ちょっと待ってくれたまえェ~……」

 

 急かされるテリアは滑らかなタイピングでキーボードを叩けば、何かのソフトウェアが起動されたらしい音が鳴り響く。

 

「紙や木簡みたいな素材に書かれた文字は風化で消えている可能性が高いけれど、こういう時は赤外線センサーの出番さ!」

「読み取れるのか?」

「勿論だとも! ムフフ……過去の人間が書き記した文字を解き明かす。これはまるで他人の恋文を読むかのようなドキドキ感があって堪らないねェ……!」

 

 その感覚に同意できるかはさておき。

 

 テリアがマウスで操作を続けると、最初は不鮮明であった木簡から読み取られた模様が、みるみるうちに文字として浮かび上がってくる。

 

「……なんだ、この文字は?」

「ん~? なんだか二つの文字が重なってるなァ……? 一つはよくある古文だとして……こっちは古代文明の文字かな?」

 

 一つは何の変哲もない墨で書かれた文字であった。

 しかし、記されていた文字はもう一つ。サイコロの目のように規則性がありそうな点が彫られた溝のような文字だった。

 

「カントーやホウエンの古代遺跡で見かける文字っぽいし……もしかすると、そっち系と何か関係あるのかもしれないねェ!」

「読めるのか?」

「まあね」

 

 書き記された文は、こうだった。

 

 

 

 

 

ワレ ロータ ヨリ キタリシ ハドウツカイ

ココニ トキヲ コエタ デアイニ

カンシャノ イヲ ヒョウシ

コノ トキノ ヤシロニ

ユウジョウノ シルシヲ マツルモノトスル

 

 

 

 

「……どういう意味だ?」

「……」

「……? どうした、どこか具合でも───」

「ここここ、これは……大大大大大発見だよォ~~~!!!」

 

 直後、黄色い声がラボ中に響き渡った。

 そのドゴーム顔負けの声量には、堪らずジーの仏頂面もしかめっ面になる。モンちゃんに至ってはマネネに『へんしん』して耳を塞ぐ始末だ。

 

「……何が大発見なんだ?」

「おっと、失礼! いやァ、つい興奮して……」

「興奮したのは見て分かる」

 

 聞きたいのは何に興奮したか、だ。

 暗にジーが催促すると、血走った眼を浮かべるテリアが鼻息を荒くし、モニターにズイッと顔を近づける。ブルーライトで目が悪くなりそうな距離だが、注意するのも今更だろう。

 止めなければ勝手に話し始める。彼女のことを知っている者ならばその性質を理解している為、ジーは何も言わずに聞く態勢へと入った。

 

「そうだよねそうだよね!! 気になるよねェ!? この文書には二つの大発見があるのさ!! 一つはまず『トキヲ コエタ デアイニ』っていう部分……これがゲンエイ島で見た時間の花の奇跡と照合すると、セレビィとの出会いを示唆しているものに他ならない!! すなわち、これは過去にあの社で何者かがセレビィとの邂逅を果たした証拠なのさ!!」

「二つ目はなんだ?」

「ここ!!」

 

 ドンッ! とテリアがモニターに指を突きつける。

 

「この一文!! 『ロータ ヨリ キタリシ ハドウツカイ』の部分さ!!」

「ハドウツカイ……ああ、前に話していたサイキッカーのことか」

「まあ、波導使いに関してはその認識でいいけれど……重要なのはむしろこっち!! 『ロータ』の部分さ!!」

 

 ロータとはカントー地方に存在する地名。地理的にはシロガネやまの北で、なおかつオツキミやまの北西に位置する山岳地帯である。カントー百景にも選ばれた湖に囲まれた城・オルドラン城では、毎年女王の前で今年の波導の勇者を決める御前試合が執り行われている。

 

 とどのつまり、波導使いゆかりの地であるという訳だが。

 

「史実を振り返ってみても、ロータ出身のルカリオをパートナーとする波導使いなんて一人しか居ない!! 大昔、赤軍と緑軍が正面衝突しようとした際、世界のはじまり大樹に赴き戦争を止めたとされる伝説の波導の勇者!!」

 

 その名も『アーロン』。

 伝説の中の偉人の足跡が、今まさに目の前に記されていた訳だ。

 

「ウッヒョ~~~!! これだから研究はやめられないねェ!! アドレナリンドバドバだよォ!! 学会に報告したら大騒ぎ間違いなし!! あ、でもワタシこれからしばらく学会出れないんだった。ックゥ~~~、残念だねェ~~~!! この感動を各界の学者先生方に共有できないなんて!! 独り占めしてしまって悪いねェ!!」

「……」

「……あり? でも確かアーロンってロータから出た記録ないな。生涯リーン女王に仕えたとか見たような……ありり? あぁ~~~歴史の整合性を取ることの難しさァ~~~!! うっ」

 

 一人でテンションが急上昇し、そして急降下を果たすテリア。

すると次の瞬間、彼女は突然目の前がブラックアウトしたように気絶する。ここ最近の疲れと感動で体が限界を迎えたのか、余りにも突然なシャットダウンであった。

 

 一人取り残されたジーは困惑の色を隠さぬまま、モニターへと目を移す。

 モニターには、まだ木簡に刻まれた文字が映し出されていた。額面通りに受け取るのであれば感謝と友情を記したとされる古文書であるが───。

 

「……」

 

 不意に歩み出したジーが、手放されていたマウスを手に取った。

 そのまま慣れた手つきでホイールとクリックを繰り返せば、これまでの彼女がまとめた研究資料のデータが次々に展開される。

 

 時間の花。

 ゾロアーク。

 ゲンエイじま。

 そして───。

 

 流れるような目の動きでデータを閲覧していくジーだが、不意に彼が手を止めるデータが存在した。

 

「……セレビィ……か」

 

 ときわたりポケモン、セレビィ。

 時を超えて豊かな森へ訪れては、草木に活力を与えるとされる幻のポケモンだ。過去に出現が確認された地域は数少なく、その一つがゲンエイ島と判明しただけでも世間的には大発見と言えるが、

 

「……」

 

 その落ち窪んで影が掛かった瞳は……もっと別のものを見つめていた。

 

 

 

 

 




Tips:アルタイル
 ロケットチルドレンの一人。全身黒づくめのコートにフードと、熱中症まっしぐらな恰好をしているが、コートに備わった冷却ファンでむしろ快適状態を保っている文明の利器に頼り切った人間。電源が切れた時は死あるのみ。
 会話に初代ポケモン図鑑を改造した電子音声を使用しているが、これは本人が吃音気味で、なおかつ声量が余りにも小さくフードに声が籠る為。音声機器はかつて同室だったコスモスがコミュニケーションが滞るとテリアに依頼して作ってもらったものである。製作に携わった二人が試しに特殊コマンドに『ナパーム弾』しか喋れなくなるモードを搭載しているが、本人はまだその事実を知らない。
 機械いじりが得意であり、同期の中では常識的な感性を持っているが、その為に個性的な周囲の面々に振り回される苦労人でもある。加えて非常に小食である為、大抵給食は残しており、その度に残った分はベガやコスモスに処理してもらっていた。
 両親がどちらもロケット団関係の科学者であり、半ば流れで自身もロケットチルドレンとして選ばれはしたが、元々周囲の人間と関わらない内向的でコミュニケーション能力に難があった性格であった為、対人関係で苦労していた。だが、良くも悪くもドライで淡々とした性格のコスモスとは上手く交友でき、その関係でベガとデネブとも仲良くなれた。そんな経緯もあってか内心はコスモスに感謝しているが、時折振り回されているのも事実である為、プラマイゼロだと考えている。
 中身は小柄でそばかすがチャームポイントの赤髪の少女。四六時中フードとゴーグルで顔を隠しているのは人と面と向かって話せないのと、体質的に日に弱い為。
 ロケットチルドレン四人の中でも一番小柄だが、一番胸が大きい。

手持ちポケモン
・キュウコン(♀)
・ウインディ(♂)
・バシャーモ(♀)(シャドウポケモン)

【立ち絵】アルタイル(絵:柴猫侍)


【挿絵表示】


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№058:時を超えた遭遇

前回のあらすじ

コスモス「フーズ・ザット・ポケモ~ン」

デネブ「It`s Pikachu!!!」

コスモス「イッツ・メタモ~ン」

デネブ「Fuuuuuuuuuu○k!!!!!」


 

 

 

「オーッホッホッホ! コスモスさん、今日という今日はアナ」

「ユキハミ、『こごえるかぜ』」

レリゴォ(少しも寒くないわ)ーーー⁉」

 

 セリフを遮った為に現れた雪の王女が繰り出したかのように、凍て刺す風が吹き抜けていく。

 標的は背中に立派な蕾を背負うフシギソウ。血走ったような紅い瞳は依然として変化がないシャドウポケモンの彼は、直後に襲い掛かる『こごえるかぜ』に堪らず身を縮こまらせた。

 

 そこへ大急ぎで駆け寄るベガ。

 彼女は震えるフシギソウを擦って温めながら、ユキハミに指示を出していたコスモパワーエネコ顔のコスモスを睨みつける。

 

「ちょっと、ワタクシのフシギソウになにするんですの!?」

「なにって……バトルしてるんだから技くらい食らわせるでしょう」

「くさポケモンにこおり技は御法度でしょうに!!」

「バトルしてるんだから弱点くらい狙うでしょう」

「こんなに震えてしまって……なんて可哀そうなんでしょう!! よしよし、後でワタクシが淹れたお茶で身も心も温めて差し上げますわ!!」

「貴方シャドウポケモン使うの向いてないんじゃないですか?」

 

 凍えるフシギソウに寄り添うベガを見て、コスモスが呆れた声を漏らす。

 

 ロケットチルドレン同士の抗争から数日。

 とうにテリアの処遇についての話はまとまり、元々の目的も達したコスモスは本島へと帰る定期便を待つ日々を送っていた。

 その間、コスモスは次なるジム戦に向けて特訓三昧の日々。相手はもっぱらくさタイプを得意とするベガと、それなりに有意義な時間を過ごしていた。

 

「まあ、それで強くなるのなら構いませんけど。特訓相手はある程度強くなきゃ話になりませんからね」

「ぐぬぬ……! 勝者にのみ許された高慢……恨めしいや……!」

「もっと先生を見習ってほしいです。先生のフシギバナだったら『つるのムチ』で縦横無尽に飛び回って空から『どくのこな』やら『しびれごな』の絨毯爆撃で攻めて来るというのに」

「コスモスさんはワタクシに何を求めてるんですの……ッ!?」

 

 嘘か真か定かではない内容に慄くベガであるが、当人の瞳は真剣(マジ)であった。それが尚の事恐ろしかったのは言うまでもない。

 

 

「……」

 

 

 そして、その元凶の男はちょっと離れた場所にちょこんと座っていた。

 ここ最近『赤先生』『赤いの』などと、まともに名前で呼ばれていない男・レッドである。その後ろ姿もどこか哀愁が漂っている。

 しかし、漂うのは何も哀愁だけではない。

 不意にそよ風が温かく香ってくる。

 

「そなたもどうじゃ?」

 

 そう訊いてくるのは、今となっては顔なじみの村長だ。

 白銀に染まった気品溢れる髪を結い上げる彼女は、紅茶が淹れられたティーカップを差し出してきていた。

 

「今日はいつもと趣向を変えてのぅ。いつもの茶葉に乾燥させたオレンのみの皮を入れてある」

「……いただきます」

 

 受け取ったティーカップに口を付けてみれば、確かに紅茶の後から複雑な風味が見え隠れする。この様々な味が入り乱れるフレーバーは確かにオレンのみにしか演出できない。

 

 しかし、美味しいかどうかはまた別の話。

 

(甘いようで苦いようで酸っぱいようで渋いようで辛いようで……こ、これは)

 

「味はどうだ」

「お……いしい、です」

「そうか……わしはあんまり良い味とは思わんが」

 

───気遣いの意味。

 

 レッドは心の中でそう思いつつ、余ったオレンティーを横で眠っていたカビゴンの口へ注いだ。

 村長も自分で注いだオレンティーを口に含むが、やはり口には合わなかったのだろう。口に含んだ分だけを飲み込んだかと思えば、持参した茶菓子を口直しに頬張る。

 

「今回は失敗じゃったのぅ」

「他のきのみでも試したことが?」

「うむ。甘いきのみだったら大概成功するんだが、時々こうして他のきのみにも手を伸ばしてる訳じゃ」

 

 そしてこのザマである。

 中々思うようにはならないといういい例だ。

 

 残念な仕上がりのオレンティーはカビゴンに飲み干してもらうことにし、村長はまた新たな茶葉をティーポッドに入れていく。

 お湯はあらかじめリザードンの尾の炎を用いた沸かしたものを使う。

 ティーポッドへ沸き立てのお湯を注げば、みるみるうちに華やかな香りが辺りへと広がっていく。

 

 この時すでに美しい琥珀色の液体は出来上がっていた。

 しかし、まだ完成の時ではない。

 

「紅茶は蒸らしの時間が肝要じゃ。じっくりと茶葉の旨味や香りがお湯へと移る時を待つ……短過ぎれば満足に引き出し切れず、長過ぎても今度は雑味まで抽出してしまう。紅茶の世界というのは奥深いものじゃ」

 

 時間が経つにつれ、紅茶の芳醇な香りは増してくる。

 時間にして3分ほどだろうか。十分に蒸らし終えた紅茶をカップに注げば、最初の琥珀色からさらに美しい赤みを帯びた───まるで紅玉のような輝きを放っていた。

 

 それに口を付けた村長は満足そうに微笑む。

 

「ふむ……やはり紅茶はティーカップで飲むに限るのぅ」

「他のカップと違いが……?」

「当然じゃ。器の形状から厚みに至るまで……すべてが紅茶を楽しめるよう趣向が凝らされておる。古くから紅茶を嗜んできた者達の知識の賜物じゃ」

「おぉ」

「正しい時間に正しい空間。それら二つが合わさることで、ようやく真価は発揮される」

 

 何事にも言える話じゃのぅ、と。

 

 そう言いながら村長は紅く澄んだ水面を覗き込んだ。

 真似してレッドもティーカップを覗き込むも、先ほどカビゴンにオレンティーを飲ませたばかりだった。

 当然、器には何も入っていない。紅茶の香りを楽しむこともできなければ、彼女のように彩りを見て楽しむこともできない。

 

 ただただ空っぽな器の底を見つめ込み、虚しい気持ちになるばかりだった。

 

「それ、器を貸せ。そなたにも淹れてやる」

 

 しかし、今度は村長が気を利かせてくれる番であった。

 空っぽの器が真紅の液体で満たされる。何の気なしに覗き込めば、自分の顔がはっきりと映り込むのが見えた。

 

「……」

「見えるか? それがそなたの内側じゃ」

「つまり……血と臓物の色?」

「違う」

 

 臓物て、と。

 これには村長も苦笑交じりにせせら笑う。

 解答を否定されてシュンとするレッドであるが、答えは間もなく彼女の口より語られた。

 

「その紅茶は己が身を映し出す鏡……映し出されしは、いわばそなたの心よ」

「ふーーーー……むぅ?」

「たっぷり間を取ったところで分かっておらんのが丸分かりじゃのう。まあ無理もない。あたしたち一族が伝承してきた小難しい神話の一節を例えてみただけじゃ」

「神話?」

 

 聞き返すレッドに、村長は紅茶が入った器に目を遣りながら説く。

 

「時間と空間、両方があってこそ宇宙は成り立つ。宇宙とはわらわ達が住む世界のこと。そして、世界を正しく認識する為には心が欠かせぬ……そういう話じゃ」

「ちゃんと蒸らして良い器に注いだら美味しい紅茶ができるけど、どう思うかはその人次第……ということ?」

「噛み砕いたらそうなるのう」

 

 そう言って村長はもう一口紅茶を含み、小休止を挟んだ。

 その紅茶を味わいながら青天井を仰いだ彼女の横顔は、とても絵になっていた。しかし、彼女は生きた人間であった。どこかの美術館から額縁に入れられた一枚絵などではない、今を生きる人間としての感情の移ろいが見えた。

 

「ふぅ……随分昔にも聞かせた話じゃ。あの時はいい例えが思い浮かばなかったが、身近な物で例えようとしたら紅茶(これ)ぐらいしか思いつかなくてな。どうじゃ、理解できたか?」

「元の神話を知ったらなんとか」

「重畳。暇な時に考えた甲斐があったな」

「今までにも他の人に聞かせる機会が?」

 

 レッドが何気ない質問を投げかければ、『そりゃあなあ』と気の抜けた返事が返ってくる。

 

「人に言い伝えてこその神話じゃ。まだ文字すらもない古の時代より後世を想って神話を伝承することを使命とする一族もいるくらいじゃ。まったく……どうせなら口伝なんぞではなく、もっと楽な方法で遺してほしいものだがのう」

「……時間の花?」

「そうじゃなあ。あれがあったら良かったんだがのう」

 

 

 

「クロバット、『クロスポイズン』」

「ジュカイーーーンッ!!?」

 

 

 

「お、また勝負がついたのう」

 

 村長が視線を向ける先では、クロバットの毒々しい翼に打ち据えられたジュカインがノックダウンされていた。

 気絶するジュカインに寄り添うベガの一方で、クロバットの頭を撫でるコスモスは指折り数え、

 

「島に来てからこれで私が50戦50勝ですね」

「ぐ、ぐぬぬぬぬ! 次こそは……次こそは……!」

「いえ、今日はもうおしまいにします。ハードワークは非効率なので」

「むっきー! そ、そうやって勝ち逃げするんですのね!? 勝ち逃げするんですのねぇーーーッ!?」

「せめて勝ち星が競ってからそのセリフを吐いてください」

「ぐぎーッ!?」

 

 ポケモンバトルでもトークバトルでも負かされたベガは、どこからともなく取り出したハンカチを思いっきり噛み締める。

 

 その光景にレッドは布地が破れないかと心配するが、村長の方はと言えば呆れ憐れむような視線を投げかけていた。

 

「やれやれ。シャドウポケモンなぞと言いおってからに……心を縛って過ぎた力を得ようとしたところでたかが知れておるわ。のう、ポケモン使い?」

「……ポケモン使い?」

「おっと、今風に言えばポケモントレーナーだったな。人とポケモンは写し鏡のような存在。どちらかが欠けても真価は発揮できんということは、そなた達の方がよく知っているだろう」

 

 ちょうど先ほど話した宇宙の関係に近いのだろう。

 時間と空間、両方があってこその宇宙。どちらか一つでも欠けてしまえば宇宙そのものが成り立たなくなる。

 

 それはポケモントレーナーにも言える話だ。

 トレーナーとポケモンなくしてポケモントレーナーは成立しない。そして、互いが互いをパートナーと認め合う心を欠いてもいけない。

 

 たったそれだけ。

 それだけだというのに、

 

「シャドウポケモンとやらを作った人間は何を考えているんだか」

 

───いつの時代にも気が知れん輩はいるものじゃのう。

 

 しみじみと、彼女はそう締め括った。

 

「……村長」

「おっと、すまんな。年寄りの長話に付き合わせてしまって。しかしなんだ、今のそなた達のようなポケモントレーナーを見ていると、時代が正しく前へと流れているものだと実感できるのう。やはり人もポケモンも収まるべきところに収まってこそじゃのう。そなた達に会えて良かったわ」

「……どういたしまして?」

「ふっ。そこはもっと自信を持って頷いておけ」

 

 クツクツと笑いながら、その視線はコスモスの方に向けられた。

 

「あの娘は、そなたの下で何色に染まるのだろうな。朱に交われば赤くなるとは言うが、黒は何を混ぜても黒じゃしのう」

「……」

 

 意味深な言葉にレッドが黙り込んだ。

 まさにその時だった。

 

 

 

『Yeah!!』

 

 

 

「む? なんじゃ、森の方が騒がしいのう……」

 

 ちょうど真後ろ。

 時間の森が広がる木々の隙間を抜けてくるように、溌剌とした声が響き渡ってくる。

 

 やけにネイティブな発音であるが、そうなってくると心当たりのある人物はただ一人だ。

 

「きらきらミツ、ゲットデース! これでデリシャスなヨウカンもクッキングできマース!」

『ハァ……ハァ……し、死ぬ……!』

 

 輝く汗を頬に伝わせる少女───デネブが採取したきらきらミツの入った瓶を高々と掲げて現れる。その後を追ってくるようにアルタイルも現れたが、彼女に関しては中々に物騒な言葉を漏らしていたような気がする。

 

「ほほう、元気な童達じゃ。見ていて退屈しないのう」

「村長村長」

「なんじゃ? そんなテリアのように繰り返さんでも聞こえてとるわ」

「奥」

「む?」

 

 能面の如き無表情ながら眉間に皺を寄せるレッドに、村長は小首を傾げた。

 直後、デネブ達がやって来た森側から何やヴヴヴヴヴッと小刻みに震える重低音が鳴り響いてくる。耳にするだけで危機感を煽る振動音であるが、その正体はまさに今森の中から飛び出てきた。

 

 

 

「ビィーーーーッ!!」

 

 

 

『ぎゃあああ、まだ追ってきてるぅー!? だから無理に採るのやめようって言ったのにぃーーー!?』

「HAHA! Nice joke!」

『ジョークで済んでないんだってば! 殴る、絶対後で殴る!』

「コスモース! ヘルプ・ミー!」

『助けてほしいのはこっちだってのぉおおああすぐ後ろに居るぅううう!? 助けてコスモスゥーーー!!』

 

 仔細把握。

 ハニーハンターがハニーにハントされようとしていた。

 

 当然というべきか、ビークインだけでなく取り巻きのミツハニーらも鬼のような形相でデネブとアルタイルを追いかけていた。

 

 まるでこんな風に叫びながら───。

 

(おう、よくも)(うちの組からミツ)(持ってってくれたのう)!」

ハニー(舐めとんのか、ワレェ)!」

ハニー(おらぁ、しっかりケジメつけんかぃ)!」

 

 流石に誇張し過ぎたかもしれない。

 だが、野生で暮らす彼らにとってミツが重要であるのもまた事実。追われることは当然の結果であった。

 

「やれやれ、すごいことをしたのう。さて、逃げるか」

「はい」

 

 このあとめちゃくちゃ逃げ回った。

 

 

 

「ぎゃーーー!? なんでこっちに来るんですの!? ワタクシ虫が苦手なんですってばァー!! 生理的にもタイプ的にも!!」

「その言葉、ユキハミが聞いたらどう思うでしょうか?」

「ちょ……どうしてユキハミをくり出したんですの? やめて、近づけないでェー!!」

 

 

 

 ***

 

 

 

 その日の夕食の席。

 

「これがもりのヨウカンだ」

『おぉー!』

 

 食卓の上に黒い光沢が輝く四角い物体が鎮座する。

 歓声に囲まれながら差し出されたこれこそ、シンオウ地方にて銘菓として知られている一品、もりのヨウカンだ。

 

「きみ達が材料を集めてくれたおかげで作ることができた。遠慮なく食べてくれ」

 

 普段通りの仏頂面ながら、ほんの僅かに声色を和らげるジーの申し出。

 これをわざわざ断る理由のない居候共は、我先にと切り分けられた羊羹へ虫のように群がり始める。

 

「いただきます」

「あっ!? コスモスさんったら、ワタクシが狙っていた一番大きいのを取りましたね!?」

 

「アルは今日一日お疲れ様で賞としてミーの分もあげマース♪」

『うぷ……つ、疲れて胃が受け付けないから一口でいい……』

 

「あー、疲れた頭に糖分が染み渡るよ~! やっぱり頭を使った後は甘い物だよね~!」

「……おいしい」

 

 各所から返ってくる好意的な反応に、ジーは黙って目を細める。微笑むような、あるいは観察するような目つきだった。

 そんな視線を投げかけられたコスモスはふとした疑問を投げかける。

 

「ジーさんは食べないんですか?」

「わたしか?」

「作った本人だけ食べていないのはちょっと気が引けるので」

 

 次の瞬間、欲望のままに羊羹を貪り食らっていた面々の動きが止まる。

 

───思ってもみなかった。

 

 辺鄙な離島で食す絶品の甘味に遠慮を忘れていた面々は、気まずそうにゆっくりとお茶を啜る。しかし羊羹の甘みとお茶の渋みがまた合うんだな、これが。

 

「……いや、わたしのことは気にしないでいい」

「そうですか?」

「最近甘い物が受け付けないのでな。きみ達だけで食べてくれれば……それで嬉しい」

「そういうことでしたらあむあむ」

 

『言い切ってから口に入れる速さ』

 

 遠慮が要らないと分かった時のコスモスの動きは速かった。

 ねっとりと舌に絡みつく甘みを熱いお茶で溶かしながら、口全体に広がる優しい甘味を十二分に堪能する。

 

「ふぅ……前にももりのヨウカンを食べたことがありますけど、こっちの方が濃厚で美味しいです」

「……そうか」

 

 『それなら良かった』と漏らすジーは、タイミングを見計らっていたかのように全員を見渡す。

 

「……全員、明日にここを発つのだろう? 朝も早いことだ。今日は早めに床に就くと良い」

「ワタクシ達はともかく、コスモスさん達は定期便の船で帰りますものね」

「はい。最悪乗り遅れた時にはクロバットに空を飛んでもらいます」

 

 庭先でもりのヨウカンを味わっていたクロバットが『え? マジすか?』と振り返ってくる。齧りついていた羊羹を口から落とす程の衝撃だったらしいが、未だ主から冗談だというネタバラシはされない。その間、羊羹はユキハミに喰い尽くされた。

 

「……帰る手段はきみ達に任せるにしても、長距離を移動するんだ。しっかりと休んだ方がいいだろう。風呂は早めに沸かしておく」

「そんなお気遣いしていただかなくても……」

 

「いいや、コスモス氏。ジー氏はワタシに早く出て行ってもらいたいのかもしれないよ?」

「それを自分で言うということは、相手に一方的な不利益を被らせている穀潰しという自覚があるんですね」

「うんうん。思いの外辛辣な言葉が返ってきてワタシは年甲斐もなく泣きそうさ」

 

 自虐に想像以上の火力を上乗せされたテリアは若干涙目になった。

 が、その時。

 

「……ふっ」

 

『!』

 

 どこからともなく聞こえてきた含み笑いに、当人以外の全員の視線が一人に集まった。

 笑みの主は他でもない。

 

「……どうした?」

「ジ、ジー氏が笑った……?」

「やっぱり博士って大概失礼ですよね」

 

 ジーの含み笑いに言及するテリアを、これまた遠慮のないコスモスがツッコんだ。

 

「だが、こんなことは初めてだよ! なるほどなるほど、ジー氏の笑いのツボはこういう感じなのか。メモメモ、っと」

「メモしたところでいつ使うんですか」

「んー、お歳暮持ってお邪魔した時とか?」

「お歳暮……」

 

 一番持ってこなさそうな人間から出てきた一言に、(特に)ロケットチルドレンの面々が信じられないものを見る表情を浮かべる。

 

「……気にしなくていい」

 

 だが、テリアの贈答にもジーは辞退を申し出た。

 

「全部わたしが勝手にしてやったことだ」

「おぉー! ジー氏ったら太っ腹ぁ! いよっ、器が大きいねぇー」

 

「これがダメな大人ですか」

「他人の優しさにかまける……こんな大人にはなりたくありませんわね」

「ディス・イズ・バッド・エグザンプル。反面教師デース」

『人間の恥』

 

「ジー氏、絶対お歳暮贈るからね。要らないって言われても贈るから」

 

 冷たい視線に背中を刺されて涙目となるテリア。

 流石に不憫に思ったのか、ジーからも『……勝手にしろ』と彼女の申し出を受け入れる言葉が出てきた。ここまで来ると逆に情けなくなる気がする。

 しかし、変なところで図々しいのがこの女博士だ。一時の面目を保てさえすれば、後のことはどうでもいいのだろう。

 

「さぁーて、今日は皆でチャチャッと寝ちゃおうか! 効率的な労働には十分な睡眠が必要不可欠だからね!」

「鏡要りますか? お古でいいなら」

「っくぅー! 辛辣ぅー!」

 

 そんな言葉を皮切りに、全員が夕食の後片付けに手をつけた。

 

「皆でゴシゴシ皿洗いデース!」

「皿が一枚、二枚……───九枚……あれ? 一枚足りないですわぁ~⁉」

「作ればいいんじゃないですか?」

『コスモスの無茶振りが過ぎる』

 

 狭い台所でミッチミチになりながら皿洗いをした後は、

 

「皆で裸の付き合いデース!」

「いや狭い狭い狭い狭い! 四人は狭いですって!? ドバドバ溢れてますわ、湯水のごとく!」

「まあ湯水ですしね」

「……熱い……きゅう……」

 

 狭い浴槽でミッチミチになりながら湯浴みを済ませ、そして、

 

「こうして四人で寝ていると、アジトに居た頃を思い出しマース」

「そうですわね。まあ流石にあの時は各々のベッドで寝てましたけれどッ!」

「ちょっと二人共、私の布団から出てってください。暑苦しいです」

『なんで皆頑なに布団で寝ようとしてるの?』

 

 客室に用意された一組の布団のスペースを奪い合うように、ミッチミチになりながら横になっていた。あくまでこの家は独身の中年男性が住む家だ。来客用の布団が用意されているとしても数には限りがある。

 

 一つだけの布団を奪い合う少女達。

 そこから彼女達が寝付くまでの一時間、閑静な離島の一軒家から喧噪は絶えなかった。

 

 しかし、時間が経つにつれて島の静寂は増していく。

 ホーホーやヤミカラスの鳴き声だけが響く夜闇が暗さを色濃くなり、吹き抜ける風が奏でる木々のざわめきや海岸に打ち寄せるさざ波だけがよく聞こえるようになった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 時計の針が頂点を指していた。

 最早島内は完全に静まり返り、人の気配などこれっぽっちも消え失せていた。

 

「……」

 

 そんな中だった。

 ただ一軒だけより物音が発せられる。眠りを妨げぬよう細心の注意を払われた音量であったが、静寂の離島の宵闇には不気味なくらい響き渡っていた。

 

 だが、その人影は構わず歩を進めていく。

 街頭などというものは存在しない。月明かりだけが頼りの暗闇が延々と続いている中で、だ。

 

 しばし舗装されていない道を進む砂利の音が響く。

 その次には湿った落ち葉が踏み潰される音、そして細かな浜の砂が踏みしめられる音と続いた。

 

 真夜中の散歩にしては随分と長い道だった。

 目の前には広大な海原が広がっている。夜になろうとも眠りを忘れぬ潮流が荒々しく唸り声を上げるそれは、ともするとこの先に進もうとする者を拒んでいるようにも見えた。

 

「……」

 

 が、人影は前へと向かう。

 一見すると身投げにも捉えられかねない行動。

 しかし、一向に人影が海中へ沈んでいく様子は見られなかった。荒れる水面の上をさも当然かのように渡り歩いているではないか。

 

 人影は進む。後ろを振り返ることはない。

 足元では波が寄せては返すを繰り返している。前進と後退の光景が延々と繰り返されていた。

 

 けれども突き進む人影は目をくれることもない。

 もはや自分が前に進んでいるのか後ろに戻っているのか定かでない中、それでも思う方へと足を進めていた。

 

「……ここが、」

 

 いつしか人影は辿り着いていた。

 巨木に埋もれる一軒の社。息を飲むような神々しい雰囲気は、木漏れ日となって差し込んでくる月光により、尚の事妖しい存在感を際立たせていた。

 

 一瞬、その人影は目を奪われたように立ち尽くす。

 しかし、新たに現れた足音に意識を引き戻されることになる。

 

「グルゥ……」

 

 木陰よりゆらりと現れる影が唸る。

 ゲンエイじまを巣とするポケモン・ゾロアーク。仲間に対する情が厚い一方、敵対者には容赦しない苛烈な攻撃性を有するポケモン───その原種とヒスイ種の二体は、招かざる来訪者に対し明確な敵意を見せていた。

 

「ロォ……!」

「ゾォオオオ!!」

 

 すぐさま白い───ヒスイ種のゾロアークが飛び出した。

 血に濡れたような体毛を靡かせ、鋭利な爪を侵入者目掛けて振りかぶる。人間が食らえば一たまりもないのは言うまでもない。

 

 ザンッ、と。

 

 肉を切りつける音が暗闇に響いた。

 ぐらりとシルエットが揺れる。

 

「ガッ……!?」

 

 直後、最初に仕掛けたゾロアークが倒れた。

 長い体毛が倒れる身体と共に大きく揺れれば、ちょうど陰になっていた場所に立っていた存在が露わになる。

 

「マニュ……」

 

 鋭利な鉤爪の具合を確かめるポケモン。

 扇子を彷彿とさせる赤い鬣とは対照的に、暗い体毛は闇に溶け込んでいた。

 

 まるで闇に乗じることを宿命づけられたかのような姿。

 そのポケモンが繰り出した『つじぎり』こそ、ゾロアークを切り伏せた一撃に他ならなかった。

 

「……マニューラ」

 

 呟かれた声にマニューラが振り返る。

 僅かに吊り上がる目尻は、久しく紡がれなかった自分の名を呼ばれたことへの喜びが窺えた。

 

「ロァアアア!」

 

 が、しかし、間髪入れず仲間をやられたことに憤るゾロアークが仕掛けてくる。

 繰り出された『ナイトバースト』は地面を抉りながら敵対者へと迫る。これまた強烈な攻撃であり、お世辞にも打たれ強いとは言い難いマニューラでは防ぎきれぬ攻撃であった。

 

 そして、いざ目に前まで迫った瞬間だった。

 

「ガアアアッ!」

 

 突如燃え盛る紅蓮の炎が衝撃波を迎え撃つ。

 宵闇を真っ赤に照らす火炎は荒々しい衝撃波を留めたかと思えば、数秒の拮抗の後、みるみるゾロアークの方へと押し返していく。

 これには目を見張るゾロアークであったが、攻撃を途中で止めることはできない。たとえできたとしてもあっという間に周囲を炎に巻かれ、瞬く間に全身を炙られて終わっていたことだろう。

 

 それだけ隔絶した実力差は、当然の結果をもたらす。

 

「ロァアアアッ!?」

 

 抵抗虚しく攻撃を押し返されたゾロアークは、苛烈な炎に全身を焼かれる。

 

 決着は一瞬だった。

 全身を灼熱で焼かれたゾロアークが倒れる。すぐさま仲間を心配するように飛び出してくるゾロア達の中には尚も抵抗心を見せる個体も居たが、()()はゆっくりと陰から姿を現し───。

 

「アォオオン!」

「!!」

 

 直後、遠くまで響き渡る悍ましい遠吠えにゾロア達が逃げ帰っていく。

 一目散に巣へと逃げていくゾロア達からは、最早抵抗の意思は消え失せていた。

 

 その様子に満足するでもない視線を送っていた侵入者は、隣に並ぶよう姿を現したポケモンへ目を落とす。

 

「ヘルガーか」

「グルルルッ……」

 

 反り返る二本角の曲線が妙に禍々しいポケモン、ヘルガーだ。

 本来群れで狩りをする彼の周りに居るはずのデルビルは見受けられない。

 しかし、だからといってこのヘルガーが群れから外れた個体である訳ではない。ただ一人、唯一付服従するに値する存在の隣と付かず離れずの距離を保つ。

 

 それが群れの()()()()に従う子分としてあるべき姿と言わんばかりにだ。

 

「……」

 

 周りに目を遣れば、続々と別の気配がやって来ているのが分かる。

 

 森から。

 空から。

 そして、海からも。

 

 呼ばれた訳でもなく結集した強大な気配は、ただ一人へと静謐な───それでいて熱烈な視線を送りながら言葉を待っていた。

 

「……そこで待て」

 

 低い言葉が響いた。

 集まったポケモンは静かに頷き、じっとその場に佇む。

 

 月明かりの下へ歩み出す人影。

 逆立った青髪に白髪が混じり始めた男は、年季の入った奇怪な衣装の服装に身を纏いながら社の階段を上っていく。

 つい人の出入りがあったことを示す足跡を新たに刻みながら、とうとう男は社の扉に手を掛ける。

 

「……ふぅ……」

 

 一瞬の間があった。

 まるで躊躇するかのような無音が流れたが、深く息を吸い込んだ男は意を決したような強い眼差しの下、勢いよく扉を開いたのだった。

 

 そして、そこには───。

 

「……」

 

 古ぼけた社の中は幻想的だった。

 中央に鎮座する時間の花は、屋根に空いた穴から差し込んでくる月の光に照らされ、室内を淡い光で満たしていた。

 

「……」

 

 しかし、それ以外には特にこれといって何もない。

 男はしばし室内を散策する。物色するまでもない殺風景な空間を一周し、元の場所へと立ち戻った男はその場に立ち尽くし、

 

「……フン」

 

 鼻を鳴らし、一度社の外へと赴く。

 

「子供はもう眠る時間のはずだが?」

 

 新たに現れた人影があった。

 巨大な翼を生やす子供の影───それが彼女の所有するクロバットのものでないと分からなければ、おとぎ話にでも出る幻獣と見紛うであろう姿だ。

 二対の翼を羽搏かせながらゆっくりと舞い降りるコスモスは、社の前に佇む男───ジーを見下ろしていた。

 

「子供が全員寝ているとは限りませんよ。それはポケモンにも言えます」

「……敏い子供だ、君は」

「何を。私が追っていることは気づいていましたよね」

「さてな」

「それで? 目当ての物は見つかりましたか?」

 

 単刀直入なコスモスの物言いに、一瞬ジーの眉が動く。

 

「……それも把握していたのか?」

「憶測ではありますが、なんとなくは」

「なるほどな」

 

 大した行動力だ、とジーが感嘆したような息を漏らす。

 それも実際どう思ったかまでは定かではない。あくまでコスモスの目にはそう映っただけという話だ。

 

 若干瞼が重い目を擦るコスモスは、悠然と立ち尽くす男を視界から離さない。

 こんな時間にまで目を覚まし社の下まで赴いた理由……それはゾロアークを退けてまでゲンエイじままでやって来たジーを追う為だ。

 

 気づいたのはルカリオであった。

 夜分も警戒を怠らなかった彼の波導は、とある感情を抱きながら森へと赴くジーの波動を感じ取った。

 そしてルカリオは就寝中の主人を起こした。当初は深夜に出かけるジーに対し、不審半分心配半分で跡をつけていたが、それはゾロアークを撃破するジーの姿勢で不審に大きく傾いた。

 

 尾行中、様々な憶測が脳裏を過った。

 これまでのジーの言動、村長の話から察するに考え得る可能性は絞られるが、

 

(彼は何かとんでもないことをしでかそうとしているのでは?)

 

 それが自分の利益に寄与しない領分であればいいが、そうでないとも断言できなければ無視できないのがコスモスである。

 

 自然と身構えるコスモス。

 しかし次の瞬間、一呼吸置いたジーは柄にもない微笑を口元に湛えた。

 

「手掛かりは……私の記憶は見つからなかった」

「……」

「まあ、予想はしていたことだが」

 

 思いの外、さっぱりとした態度だった。

 これにはコスモスも毒気を抜かれる。

 

 ゾロアークを打ち倒してでも社へ侵入した男のものとは思えない表情(それ)を浮かべたジーは、両手を後ろに組みながら目を伏せた。

 

「ふふっ……昔着ていた服を引っ張り出してはみたものの、こんなものに縋ってまで過去を追い求めようとするのは私らしくもない」

 

 ワッペンのように堂々とデザインされた『G』の文字。

 それが何を意味するのか、コスモスには知る由もない。

 だがしかし、端々に見受けられる生地のほつれや色褪せは、否応なしに流れた歳月を想起させてくる。

 

「所詮、過去は過去。過ぎ去ったものに立ち戻ることは不可能という訳だ」

 

 クツクツとした、まるで自嘲染みた笑い声が静寂の中に響き渡る。

 一頻り笑い終えたのか、ジーはゆっくりと面を上げてコスモスへと視線を戻す。

 

 そして、

 

 

 

「私は、恐らくはタイムトラベラーだ」

「!」

 

 

 

 告白は突然だった。

 

「断定しないのはそもそも私に記憶がないからだが……それでも薄ぼんやりとだが、記憶していることはある」

 

 思い出を語る口振りに反し、表情は歪んだものへと変貌する。それが彼の過去に対し苦々しい感情の表れであることは火を見るよりも明らかであった。

 

「以前の私が親というものに諦観していたこと。私から何かを奪っていく大人に対し、強い憎悪を覚えていたこと……そして、そう感じる心というものをひどく疎ましく思っていたこと」

「……」

「私は……心さえなければと常々考えていた」

 

 ギリッ、と軋む音が鳴り響いた。

 

「そして私は心を消そうと考えた。その為にした所業も……うっすらとだが憶えている」

「一体何を?」

「今の世界を壊し、新たな世界を創り出そうとした」

「……」

 

 余りにも突飛な内容に、コスモスも思わず目が点とならざるを得なかった。

 しかし、目を凝らせば暗闇の中でも彼の後ろで組まれた両腕が震えているのが見え、それが嘘ではないということを思い知らされる。

 

 何故ならば、無感情を謳うには大き過ぎる激情がそこにはあった。

月明かりを背負い、陰に隠れた表情には滲むような苦心がありありと現れていた。

 

「……思えば、私はひどく感情的な人間だったようだ」

「……他人事みたいに言いますね」

「ああ」

 

 搾り出したような声色が続く。

 

「そもそも、記憶を失う前と後の私は同一の存在であると言えるのだろうか? 側だけが同じの違う存在と言えるのではなかろうか?」

 

 同じコンピューターでも、インプットされたプログラムが違えば挙動が違うように。

 

 中身が違えば別物と言えるものがこの世にはごまんとある。それは人間とて例外ではないと言わんばかりだった。

 

 けれど、とジーは持論に否を入れる。

 

「今だからこそ言えるが、記憶が消えるとは言っても全てが消える訳ではない」

「……つまり、何を言いたい訳ですか?」

「今の私が過去の私と連続性のある存在と仮定するならば……私にはやりたいことがあった」

「やりたいこと?」

「心を完全に消すことだ」

 

 淡々と告げられた真意。

 これにはコスモスも予想の斜め上を行ったようで、面食らった表情を浮かべる。

 

「心を……消すですって?」

「ああ。私はこの島に来てから感情とは無縁の生活を送ってきた。それはある種、かつての私が望んでいた一つの世界に近しいものだっただろう」

 

 それは必要以上に人と接することなく、ポケモンとすら触れ合うことを必要としない生活を指す。

 昨今の社会からしてみればおおよそ考えられない生活ではあるが、ジーはそれこそ追い求めていた世界だと力強く語った。

 

 誰にも干渉されることのない孤独な世界。

 必要以上に踏み込むこともなければ、必要以上に踏み込まれることのない時間と空間自体は、孤独を愛する者にしてみれば心地の良いものなのだろう。

 これにはコスモスも特段否定するつもりはない。人には人の生き方があるのだから。

 

「だが、いかに安寧と平穏の中に生き様とも……この胸に埋もれたままの歯車は、いつまで経っても軋む音を立てていた」

「歯車?」

「これを私は───過去の自分の呼び声だと思った」

 

 ジーは己の胸に手を当てる。

 

「……それでも私はそれがいったい何なのか、一向に思い出せなかった。途方に暮れた。何か手掛かりを得られないかと森にも赴いた」

 

 それが彼の時間の森でのオーパーツ探しに繋がっていた。

 過去の記憶を思い出す手掛かり。理由はそれに尽きた。

 

 そして、いつの間にか時は流れた。流れ過ぎた。

 最初は一年。それが数年。やがては十数年と。あるかも分からない手掛かりを探しに森を行ったり来たりしては、得られぬ成果に落胆し、自身が落胆しているという事実にさらに落胆する……そのような日々を送っていたのだった。

 

「私は……いい加減疲れた。自分にも分からぬ心の靄の正体に。それならいっそ、何も感じないようになれればいい」

「……」

「心を……なくせばいいとな」

 

 長い独白を経て、ジーは息を吐いた。

 空気が重い。きっとこれは夜の湿気を服が吸ったからだけではないと、沈黙を誤魔化すようにコスモスは自分でそう結論付けた。

 

 そうしている内にも息が整ったジーはゆっくりと後ろへ振り返る。

 そこには依然として社が鎮座していた。悠久の時を思わせる巨木と社。神聖な空気を漂わせる建物を前にして、ジーはどうしようもないものを見る視線を送った。

 

「せめて……せめて今度こそ完全に記憶を消し去れればいいと、その手掛かりを探しに来たつもりだったがな」

「……記憶を取り戻したいとは思わないんですか?」

 

 ひどく安直な質問は、一拍の沈黙すら気まずいと思う少女なりの抵抗だった。

 対して質問を受けたジーは、ほんの少しの間だけ思案顔を浮かべた。

 

「……不要だ。逆に訊くが、世界を憎むが余りに心を消し去ろうと目論んだ男が必要とされているか? 私はそうは思わない」

「その割には、過去の貴方は復讐にこだわっていないように思えますが」

 

 この時。

 この時、初めてだ。

 初めて、ジーの瞳に光が差した。

 

 大きく見開かれた瞳は『呆気に取られた』を体現していた。

 思いもよらない言葉に衝撃を受けたジーは、その強面な表情を無防備に弛緩させながら唇を震わせる。

 

「……なんだと?」

「分かりませんか? 『心を消す』……今も過去も、貴方はそればかりに固執しています」

「それのどこがおかしい?」

「私には、()()()()()()()()()()()()()()()に重きを置いているように聞こえますが」

 

 淡々とした口調で語るコスモス。

 ジーは『別の……』と譫言のように呟いた。

 

 彼の脳内では今、過去から現在までの自分を立ち返る思考が巡らされていた。

 

 どうして心を消したがるのか?

 どうして心を疎ましく思うのか?

 どうして───。

 

「苦痛」

 

 その瞬間、二人の間には紛れもない空白が過ぎ去った。

 流れる時間も、今居る空間さえも忘れ去ってしまうような正真正銘の無の時間。一瞬にも満たない刹那の“間”ではあったが、それはあてもなくフラフラと彷徨っていたジーを現実に引き戻すには十分過ぎる引力を持っていた。

 

 そして、引き寄せられた視線を一身に受ける少女はあくまでも個人的な所感を続ける。

 

「貴方はそこから逃げたかったんじゃないですか? 何かを奪われた苦しみを……奪い返すでも取り戻そうとするでもなく。ただ、逃げようとした」

「私が……逃げようと?」

「でなければ、感情的と自称した貴方の行動に道理が通らないです。察するに、貴方は奪われたことに怒りや憎しみを抱けど、結局諦めた」

「……」

「そもそも何を諦めたか……諦めざるを得ない理由があったかは知りませんが」

 

 『もっとも、これはあくまで憶測ですが』───そうコスモスは締め括った。

 今ある事実を組み合わせてそれらしい憶測を語ることなどいくらでもできる。実際には判明していない事実の方が多いのだから、真実とは程遠い荒唐無稽な推論になっていてもおかしくはない。

 

 コスモスにジーの過去など知る由もない。

 ただ、復讐よりも心を消す方へと舵を取った彼の心情を想像した時、そのような考えが脳裏を過ったのだった。

 

「まあ、あまり真に受けない方がいいかと」

「いいや、腑に落ちた」

「?」

「やはり君は賢い子供だ。私にはない客観的な視点からの意見をくれる」

「実際他人ですので」

「真理だな」

 

 他人だから客観的になるのは当然だ。

 オブラートにも包まずに言い切ったコスモスに、ジーの声色は和らいでいた。

 

「ふぅ……結局は何も得られなかったが、無駄足ではなかった。手に入らないとさえ分かってしまえば、醜く足掻く理由もなくなる」

「……記憶を取り戻すことは諦めると?」

「ああ。私にはもう過去など必要ない。残りの人生を植物のように……波に揺さぶられることもない静穏な暮らしに費やそう」

 

 そう告げたジーは階段を降り始めた。

 そんな彼の肩が落ちているように見えたコスモスではあったが、だからといって掛ける言葉も見つかりはしなかった。

 

 落胆の色を隠さず、社から降りるジー。

 その、まるで人生の舞台から降りるかの如き悲壮な空気を前には、彼の半分の人生すら生きていない小娘にはとても───。

 

「……ジーさん」

「心配は無用だ。それよりもゾロアーク達には悪いことをしてしまった。きずぐすりでもあればいいんだが」

「良ければ使いますか?」

「……すまない。また貸しができてしまったな」

 

 先とは打って変わって穏やかな空気が流れ始める。

 今まで溜めに溜め込んだものを吐き出したジーは、いくらか気が晴れた表情を湛えていた。

 

「いえ、むしろこれで借りた分をお返しできます。一週間も寝泊まりさせていただいたんですから」

「……生真面目なんだな、君は」

「それはお互い様かと」

「……それも……そうか」

 

 自分で倒したポケモンを治療するなど、まさに生真面目さが為す行いだろう。

 これまた自嘲気味に鼻を鳴らしたジーは、そうして少女が差し出したきずぐすりに手を伸ばす。

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ビィー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時空が歪み、一匹のポケモンの姿が現れた。

 植物のような瑞々しい生命力に満ち溢れるポケモンは、小さな羽を忙しなく羽搏かせながら社を抱きかかえる大樹の周りを飛び回る。

 

 まるで妖精のダンスであった。

 無邪気な笑顔を湛えながら、月明かりの下をゆらゆらと舞い続ける。

 

 そのなんとも幻想的な光景には、コスモスもジーも目を奪われていた。

 

()()()()()()()───ッ!!?)

 

 刹那、コスモスの全身が総毛だった。

 何も突然現れたポケモンに怯えたからではない。その程度で恐怖するほど彼女の肝は小さくもなかった。

 

 だが。

 

「───」

 

 今。

 まさに今、目の前でそのポケモンに凄絶な視線を送る男から溢れ出る感情の濁流に圧倒されたのだ。

 差し出していたきずぐすりなど後に回すかのように、彼の手は宙を舞う一匹の妖精の方へと向かう。

 

 そして、その名を紡ぐ。

 

「……()()()()……」

「ビィ?」

「私の───!」

 

「クロバット、『アクロバット』!!」

 

 直後、乾いた音が打ち鳴らされる。

 何かを打ち据える音は痛いほどに鼓膜を震わせ、遠くまで響き渡っていった。

 

「……何を、」

「何をするつもりですか?」

 

 セレビィの舞う空中では、二体のクロバットが翼を交差させていた。しばし鍔迫り合いの形で翼を押し合っていた二体であったが、力に押されたコスモスのクロバットが一足先に後退することで一旦は仕切り直しとなる。

 

「ビィー!」

「わぷっ」

 

 直後、訳も分からずキョトンとしていたセレビィが、コスモスを見るや否や笑顔を咲かせて彼女の胸へと飛び込んでいく。

 これにはコスモスも驚くも、だからといって幻とも謳われるポケモンを懐に抱えた喜びは浮かび上がってこない。

 

 むしろ、向けられる凄絶な視線に全身が強張る思いをしていた。

 あれは明らかに友好的な者に対する視線ではない。邪魔者───己の計画を阻む者に対するそれだ。

 降り立った直後からボールから出ていたルカリオも、いつの間にやら彼女の前へと歩み出していた。激情の奔流に当てられた所為か、彼の全身の毛を棘のように逆立っていた。

 

(こんなルカリオは今まで見たことが……)

 

 すなわち、それほどまでの事態だということ。コスモスも否応なしに緊張した面持ちを浮かべる。

 対するあくまでジーは淡々と、

 

「セレビィを捕まえる」

「何の為にです?」

「己の過去に戻る為に」

「そうやって記憶を取り戻した後は?」

「事の次第によっては───」

 

 

 

───また新たに世界を創り出す。

 

 

 

 取り繕うこともせず言い切ったジーに、コスモスは気取られぬ程度の溜め息を吐いた。

 

「……今のジーさんは冷静じゃないです」

「そうかもしれないな」

「それなら引き下がるつもりは?」

「ない」

「そう、ですか」

 

 じりじりと。

 じりじりとコスモスはジーから距離を置くように引き下がる。

 

 しかし、ジーもまた少女の───彼女が抱きかかえるセレビィを手にせんと前へ歩を進めていった。

 ある程度まで進んでいったところで、今度はコスモスのクロバットが前を阻むように下りてくる。時を同じくしてジーのクロバットも、眼前の邪魔者を打破すべく舞い降りた。

 

 二体のクロバットがにらみ合う。

 その二体を挟みつつ、二人のトレーナーの視線もかち合った。

 

「……どうやら、穏便に済む雰囲気じゃなさそうですね」

「君には手荒な真似はしたくない。悪いことは言わん、セレビィを置いて退くんだ」

「それはできません」

「……退くんだ」

「できません」

 

 たとえ、彼の掲げる野望が荒唐無稽な話に聞こえたとしても。

 0.01%でも自分の、組織の、そして首領(サカキ)の不利益に繋がる可能性があるとするならば───。

 

「私は、貴方の野望を止めなければなりません」

「……ならばやむなしか」

 

 指を鳴らすジー。

 すると、少し離れた場所に待機していたポケモン達が彼を囲むように姿を現した。マニューラ、ヘルガー、クロバット、ドンカラス、そしてギャラドス。

 誰も彼もが立ちはだかる少女にドス黒い戦意を向け、主の野望を遂げさせようと奮い立っていた。

 

 しかし、誰よりも戦意に満ちていたのは当のトレーナー自身だ。

 

 

 

 

 

「私の正義……誰にも邪魔はさせない」

 

 

 

 

 

 その瞳に宿っていた感情は、過去に対する怒りと、憎しみと、憤りと。

 そして、もう一つ───。

 




Tips:ジー
 カイキョウタウンに住む男性。落ち窪んだ瞳に、白髪交じりの逆立った青髪と威圧的な風貌をしている。口調は淡々と一見不愛想に受け取られる人間であるが、居候であるテリアの面倒を看るなど意外にも面倒見がいい。
 20年ほどまえにカイキョウタウンにやってきて以降、家と時間の森を行き来しながらオーパーツを拾い集める生活を送っていたが、その理由は自分の消えた記憶を取り戻す為。曰く、自分がタイムトラベラーであることは薄々感じ取っており、ほんのわずかに過去を憶えてはいるものの、あまり良い記憶ではないらしい。
 過去の自身の本懐が「心を消す」というものは理解しているが、その結論に至った経緯までは思い出せていない。

 ゲンエイじまを訪れて過去への手掛かりがないと一旦諦めはつき、以後平穏な生活を送ろうと心に決めたが、その時に時渡りの力を持つセレビィが現れて改心。
 セレビィを我が物とし、過去へと戻るべくコスモスと対峙することとなった。
 彼の手持ちは長年放し飼いにされていたらしいが、どのポケモンをとっても野生のそれとは比べ物にならないほど鍛え上げられており───。



 全力で立ち向かわなければ、コスモスに勝機はないだろう。


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№059:未来へ

前回のあらすじ

コスモス「すぴー、すぴー」

ベガ「あだだだだッ!? コスモスさん、キマってますわ!! 寝相で4の字固めが綺麗にキマってますわ!! 起きてくださいまし!!」

アルタイル(うるさ……)

デネブ「zzz……」


 

 

 

「チュー……ピー……」

「うーん……」

 

 一つ屋根の下、レッドとピカチュウは眠りについていた。

 凄まじい寝相をくり出すピカチュウに顔を足蹴にされていることを除けば、仲睦まじいと称して差し支えない光景だ。

 

「むにゃむにゃ……うん?」

 

 だが、不意に鳴り響いたポケギアの着信音にパッチリ目が覚める。

 

「……誰……?」

 

 寝起きで頭が回らない中、のそのそとポケギアの元まで這ってゆく。

 『(グリーン)だったら許さない』と心に固く誓いつつも、いざ画面を開いたレッドは思わぬ差出人に三度目を擦った。

 

「コスモス……?」

 

 思いもよらぬ差出人。

 しかも、電話などではなくメールに必要最低限座標を記しているだけだった。

 

「……ピカチュウ」

「ピ?」

「出かけるよ」

「……ピッカ!」

 

 数秒固まっていたレッドだが、不意に何かを悟ったように機敏に紅い帽子を被る。

 その際、眠っていたピカチュウも起こされるが、掛けられた声色が普段とは違う───有事に当たる真摯な声色を聞き、パンパンッ! と頬の電気袋を叩いて即座に気合を入れる。

 

 玄関に赴けば、やはり少女の靴は見当たらない。

 同様に家主である男性の物もないことを確認したレッドは、手持ちからリザードンをくり出し、颯爽とその背に飛び乗った。

 

「リザードン、ゲンエイじままでお願い」

「グォオウ!」

 

 真夜中に呼び出されることにも疑問を抱かず、リザードンはその両翼を力強く羽搏かせ、レッドを夜の空へと連れ出す。

 赤い炎は尾を引いて、夜の帳の中に一直線の軌跡を描いていく。

 迷いなく伸びる光は時を経るにつれて大きく、さらには加速する。

 

 火急の事態を前には時間は関係ない。

 ましてやそれが身近な人間の危機だとするならば、尚の事。

 

 

 

 ***

 

 

 

「クロバット、『アクロバット』!」

「『いかりのまえば』だ」

(速い!)

 

 闇に紛れる色を纏う二体の影が重なる。

 次の瞬間、重なった地面の影にコスモスのクロバットが叩きつけられた。

 

「ク、クロバッ……!」

「攪乱しろ! 『あやしいひかり』!」

「躱して『しねんのずつき』」

 

 『いかりのまえば』で大きく体力を削られながらも、何とか飛び上がったコスモスのクロバットが幻惑の光を目から照射する。

 しかし、ジーのクロバットは速かった。

 照射される光を掻い潜り、一瞬の間にコスモスのクロバットの懐へ肉迫しては、悍ましい思念の力を集中させた頭突きを叩き込む。

 

 鈍い音が響いた直後、地面に蜘蛛の巣のような亀裂が走る。

 

「クロバット! っ……戻れ!」

「これで一体」

「GO、ゲッコウガ!」

 

「ゲコォ!」

 

「『シザークロス』だ」

「『あなをほる』!」

 

 息を吐く間もなく駆り出されたゲッコウガに空気の刃が迫る。

 それを地面に潜ることでゲッコウガは回避する。

 地面に潜られては空中を主戦場とするクロバットには為す術がない。しかし、ジーの表情には毛ほどの動揺も見受けられなかった。

 

 というのも、

 

「地面に潜ったところで無駄だ。どうしてクロバットが暗闇の中でも相手を捉えられるか、君も知らない訳ではないだろう?」

 

 僅かに地面を移動する僅かな音が聞こえる。

 しかし、クロバットのような()()()()()()()を扱うポケモンにとっては、相手が地中に居ようが捕捉に支障はない。

 

───反響定位

 

 音波の反射により物体の位置を知る方法。

 空気中であれば340㎧。水中ならば1500㎧。土中ならばそれすらも上回る。

 

「そこだクロバット、『クロスポイズン』!」

「クロバッ!」

 

 毒々しい液体を帯びた鋭利な翼が畝のように盛り上がった地面を切りつける。

 滴る毒液は凶悪であり、刻まれた地面の断面からはジュウウウと土の灼ける音が鳴り響く。

 

「……何?」

 

「ゲッコウガ、『れいとうビーム』!」

「コウガァ!」

 

「クロバッ!?」

 

 『クロスポイズン』を放った場所とはまったくの別の場所。

 ちょうどクロバットの背後を取る形の場所から飛び出すゲッコウガ。その土に塗れた舌は収める素振りも見せず、凍て刺す冷気の光線を相手の背中に叩き込んだ。

 

 完全に不意を衝いた一撃。

 何よりも『へんげんじざい』でこおりタイプとなり、威力を増したこうかバツグンとなった技を前に、ジーのクロバットはそのまま地に堕ちることとなる。

 

「……」

「逆にですが」

「?」

 

 無言でクロバットを眺めるジーへ、セレビィを抱きかかえるコスモスが言い放つ。

 

「同じクロバット使いである以上、()()を予想していなかったとお思いで?」

「……なるほど。舌を囮に使ったか」

 

 道理だな、と。

 納得したジーは淡々とクロバットをボールへと戻す。

 

「やはり君は敏く、強く───だからこそ厄介だ。マニューラ」

「マニュゥウッ!」

「『かわらわり』」

 

「『つばめがえし』!」

「ゲコッ!」

 

 威勢のいい雄たけびを上げながら鉤爪を振り翳すマニューラへ、両手に手刀を作るゲッコウガが応戦を開始する。

 

(このマニューラ……強い!)

 

「……どうにも効果が薄いな。なるほど、条件次第でタイプが変わる特性か」

 

(それに付け加えて……)

 

「マニュウッ!!」

「ゲコォ!!?」

 

 互角の攻防を繰り広げていた両者であったが、間隙を突いて腹部に叩き込まれた拳にゲッコウガが崩れ落ちた。

 直撃を貰った部位を注視すれば、微かに白い冷気が漂っていたのが見える。

 その源を辿ればマニューラの拳へと行き着く。

 

(『れいとうパンチ』! 即座にこっちの特性を逆手に取られた……!)

 

「マニューラ、追撃だ」

「『とんぼがえり』! GO、ユキハミ!」

 

「ユ……ミ゛ュ!?」

 

 文字通りとんぼ返りしたゲッコウガに代わり、交代先のユキハミに『れいとうパンチ』が突き刺さる。

 こうかがいまひとつでなければ瀕死になっていたであろう強烈な一撃に、パーティの中では依然育成途中のユキハミは辛そうな表情となる。

 

 だが、それが反撃に出ない理由にはならない。

 

「『とびかかる』!」

「ハミ!」

 

 顔面に叩き込まれた拳から抜け出し、ユキハミはマニューラの顔面へと飛び掛かった。

 反撃は予測していたものの、それが顔面を覆い視界を奪うものとなるとマニューラも驚いたのか、その場でタジタジと足踏みをしていた。

 

「振り払え、『つじぎり』だ」

「マニュ……ラァ!!」

 

「ユミューーー!?」

 

「よくやった、ユキハミ! GO、ニンフィア!」

「フィアアア!」

 

 引き剥がされた矢先に『つじぎり』で弾き飛ばされたユキハミ。

 それに代わってくり出されたニンフィアは、長い触角を頭上へと掲げ、みるみるうちに眩い光球を生み出していく。

 

 月明かりを帯び、加速度的に収束されていくエネルギー。

 それが満月の如く真球の輪郭を描いた時、月光よりも眩い閃光が辺りを照らし上げた。

 

「『ムーンフォース』!!」

「フィイイイアアアアアッ!!」

 

「マニューラ、『れいとうパンチ』で……」

 

 いや、とジーが頭を振った。

 それでも尚、冷気を纏った拳で『ムーンフォース』を殴りつけるマニューラ。だがしかし、ユキハミの反撃で態勢を立て直し切れなかった彼の一撃に、真正面から受け止められるだけの力は込められていなかった

 

「マッ!? ニュウ、ルァアアアッッ!?」

 

 拳を覆う氷が砕け散る。

 次の瞬間、満月と見紛うエネルギー弾はマニューラの全身を覆い、キラキラとした輝きからは想像もつかない痛恨の衝撃を叩き込んだのだ。

 直撃を貰ったマニューラは背後に生えていた木の幹へと体を叩きつけられ、そのまま戦闘不能へと陥る。

 

「……『ムーンフォース』。月の力を借りて解き放つ技か。遠い星の放つ力の波動を利用するとは興味深い技だ」

 

 倒れたマニューラをボールに戻しつつ、ジーはドンカラスへ目配せする。

 するや、鷹揚に翼を羽搏かせるドンカラスが戦場へと舞い降りた。本来ヤミカラスの群れの首領を務めるだけあり、放たれる威風は並々ならぬものがある。

 

「だが……だからこそ脆い。目に見えるものは揺らぎ、消えてしまうものなのだからな───ドンカラス」

「何を根拠に……ニンフィア、もう一度『ムーンフォース』!」

 

 ドンカラスの翼が眩い輝きを纏ったのと時を同じくし、ニンフィアも再び『ムーンフォース』を解き放つべくエネルギーを収束させる。

 広範囲に照射する『マジカルシャイン』ではなく『ムーンフォース』に固執する理由、それは偏に相手の強さにあった。

 

(この人……強い!)

 

 今までにも強敵と呼べるトレーナーとは何度か戦ってきた。ジムリーダーなどが最たる例だ。

 それでも彼らはジム戦の為に手加減せざるを得ないディスアドバンテージを背負っている。本気は出しても全力を出しているとは程遠い状態だ。故にコスモスも勝利への道筋が見えていた。

 

 だが、今回ばかりは違う。

 相手の手の内を知らないという次元の話ではない。

 放たれるオーラが、圧し掛かるプレッシャーが。

 その何もかもが今までのポケモンバトルを上回っていた。

 

(ひょっとすると、先生やサカキ様に次ぐ……!)

 

 コスモスはジーに未だかつて勝てたことのないトレーナーの影を重ねる。それほどまでに強大な相手だという認識があった。

 

 故に威力の劣る『マジカルシャイン』ではなく、最大火力の『ムーンフォース』を選んだ。

 様子見などしている隙もない。一手のミスが敗北に繋がるという緊張感を前に、掌には自然と汗が滲み出してくる。

 

「フィアアアッ!!」

 

 そんな主の気迫に感化されてか、一足早くエネルギーの充填が完了したニンフィアが雄たけびを上げる。

 愛らしい見た目に反し、雄々しい咆哮を上げて放つニンフィアの『ムーンフォース』はドンカラス目掛けて一直線に飛んでいく。

 

(これで!)

 

「───『ゴッドバード』」

 

「カアアアアッ!!」

 

 マニューラを一撃で屠った光弾を、光を纏ったドンカラスの翼が切り裂く。

 弱点のタイプを厭わず攻撃を無力化する様にニンフィアのみならず、コスモスさえも瞠目して言葉を失う。

 

 その一瞬の隙にドンカラスは駆け抜ける。

 標的はニンフィア───その懐。

 

 一瞬の軌跡は逸れることなく相手の下まで届く。

 直後、爆発染みた盛大な轟音が夜空に響いたかと思えば、すでにニンフィアの身体は背後の木の根元まで弾き飛ばされていた。

 

「ニンフィア!」

「周囲の力を利用する……そう言ってしまえば聞こえはいいが、それでは自身の弱みを露呈しているようなものだ。すなわち、不完全な強さだ。真の強さとは自己で完結すべき……君もそうは思わないかね?」

「っ……私はそうは思いませんが」

 

 未だニンフィアは立ち上がることがない。

 強烈な攻撃であったが故……いや、それだけではない。

 

(おそらくあのドンカラスは『きょううん』! 急所にもらったか……!)

 

 当たり所が悪かったニンフィアは瀕死だった。

 立ち上がる体力もないのを見て相手の特性を察するや、コスモスは未だ手をつけていないボールに手を伸ばす。

 

「GO、ヌル!」

「ヴァアアアッ!」

 

「っ……」

 

 見慣れぬポケモンに、ジーの眉間の皺が深くなる。

 しかし、それも一瞬の出来事。余計な感情は振り払うとでも言わんばかりに頭を振れば、冷徹な眼光がコスモスとヌルに突き刺さった。

 

「やれ、ドンカラス」

「12時! 『つじぎり』!」

 

 その巨躯に似合わぬ速度で突撃してくるドンカラスへ、ヌルも鋭利な爪を振り上げて迎撃の態勢へと移った。

 

 翼を叩きつける乾いた音が鳴ったのは間もなくの出来事。

 まるで鞭でも叩きつけたかのように、音は遥か遠くまで木霊する───が、しかし。

 

「……なに?」

 

 これに疑問を抱いたのはジーであった。

 

───倒れていない。

 

 依然、ヌルは健在であった。

 ジーの予測では、今の『つじぎり』で完全に仕留められるはずだった。

 にも関わらず、計算が狂った。理由を探すジーは、すぐさまヌルの被る重厚な兜……もとい、拘束具に目をつけた。

 

「そのポケモン、『カブトアーマー』か。どうりで急所を免れた訳だ」

 

 ポケモンバトルにおける不安要素、『急所』。

 時にはたった一度の急所で勝敗が逆転する場面もある中で、急所を封殺する特性もまた存在する。奇しくもヌルの有する特性は、ドンカラスの急所戦法に対するメタヒューリスティックであった訳だ。

 

「実に合理的な判断だ。機械のように無駄のない論理的な試合運び……やはり君からは私と同じ感触を覚える」

 

 片手を上げながらジーはコスモスへと語り掛ける。

 一方でドンカラスは技をくり出す構えを取った。

 

「11時、『ゴッドバード』!」

「だからこそ解せない。どうして君がポケモンの方に合わせる必要がある? 君ほどの手腕があれば手ずから育て上げた方が、ポケモンを手足のように動かすのにも都合がいいだろうに」

「私にはやるべきことがあります。それを為す為には、必ずしも最速や最短の道を選ぶ必要はないというだけの話です」

「ほう」

 

 力説するコスモスに、ジーからは理解を示す相槌が返ってきた。

 時を同じくし、再びヌルとドンカラスがすれ違う。強力無比な翼での一撃を叩き込むドンカラスに対し、爪を振り翳していたヌルは怯みかける。

 

 だが、数メートルほど後ろへ押し返されながらも、虫ポケモンのような甲殻に覆われた爪はドンカラスの背中へと振り下ろされた。

 予想を大きく上回る強烈な攻撃にドンカラスは目を剥く。

 続けざまに放たれる二撃目も、まるで意趣返しの如く急所である後頭部へと叩き込まれた。

 

 頭を揺さぶる痛烈な衝撃。

 世界は揺れ、瞬く間に白く染まり上がる。

 

 辛うじて繋いでいた意識の中、ドンカラスは最後の抵抗を試みたものの、両の翼を踏みつけてくるヌルを前に残された体力もついには無くなった。

 

「……この力、『つるぎのまい』か」

 

 タイミングがあったとすれば先の『つじぎり』。

 リスクを甘んじても自身の力を高め、短期決戦を狙ってきたのだろう。実際は一撃必殺には及ばなかったものの、連撃によって生まれる攻撃回数を急所へ命中させるチャンスへと変換し、ものの見事ものにしてきた。

 

「どうやら運も君に傾いているらしいな」

 

 度し難いことだ、とジーはドンカラスをボールへ戻す。

 

「ならば、時運に左右されないほど圧倒的な力を揮うだけだ───ギャラドス」

「ギャアアアッ!!」

 

 満を持して登場する水色の巨体。

 その凶暴な顔面はコイノクチ湿原で嫌と言うほど見たものだ。

 

 にも関わらず、放たれるプレッシャーは湿原のヌシを上回るほどに重い。

 ギャラドスを従えているというだけでも、ポケモントレーナーにとしては上澄み。さらに、その凶暴性を遺憾なく発揮できようものなら、従えるトレーナーはもちろん、ポケモン自身のレベルも相当なものであり───。

 

「っ……ヌル!!」

 

 放たれるプレッシャーが一際強大となる。

 本能が訴えるレベルの危機感を覚えたコスモスは、迎撃の態勢をとるヌルの姿にすかさず待ったをかける。

 

「違う!! 回避を……」

 

 

 

「───『ギガインパクト』」

 

 

 

 突風、遅れて轟音。

 直後、身に襲いかかる猛烈な勢いの風に煽られたコスモスは、堪らず二転、三転と後ろへ転がっていく。

 そうやって土まみれになりながらなんとか身を起こした頃、すでに舞い上がっていた砂塵は薄れていく最中であった。

 

「っ……戻れ、ヌル……!」

 

 無数の木々をなぎ倒した先に出来ていたクレーター。

 その中央に力なく倒れるヌルに、コスモスは苦々しい表情を隠すことができぬままボールを構えたのだった。

 

(相手の手持ちはあと二体。それに対してこっちは……)

 

 残る手持ち非戦闘員を除き、ルカリオ、ゲッコウガの二体。

 しかし、ゲッコウガはマニューラとの攻防で体力が削られている。万全と呼べるのはルカリオのみだ。

 

(私は勝てるのか?)

 

 ここまで何度も策を弄して綺麗に罠に嵌めてきた。

 だが、運に助けられた場面があったのも事実。

 それに付け加え、尚も状況は相手に優位を譲ったままである。これを窮地と呼ばずして何と呼ぶのか。

 

(……いや、まだです。何を弱気になっているんですか、私は)

 

「GO、ゲッコウガ! 『がんせきふうじ』!」

「ゲコォ!」

 

 エース(ルカリオ)は最後まで控えさせる。それがコスモスの判断。

 代わりに現れたゲッコウガは、『ギガインパクト』の反動で動けぬギャラドス目掛け、岩石を放り投げて囲い込む。

 

 これは避けられないギャラドスではあるが、致命傷と呼ぶには微々たるダメージだった。

 次の瞬間には、周囲を覆う岩石のほとんどがのた打ち回るような激しい動きで弾き飛ばされる。

 

(あれは……『りゅうのまい』!)

 

「やれ、ギャラドス。『ギガインパクト』」

「ッ……『はかいこうせん』!」

 

「ギャアアアッ!!」

「ゲコオオオッ!!」

 

 夜空を震わせる咆哮と共に、両者の大技が激突する。

 地面を抉るような爬行で突撃するギャラドス。それを迎え撃つようにゲッコウガの口からは眩い光線が解き放たれる。

 

 共に最大級の威力を誇る技だ。

 『はかいこうせん』がギャラドスに直撃した瞬間、先程よりも猛烈な暴風が周囲一帯の草木を激しく揺さぶった。

 が、押し勝ったのはギャラドスの方だった。

 『りゅうのまい』で底上げされた暴力的なまでのパワーで『はかいこうせん』を真正面から押し退け、ほぼほぼミサイルの如くゲッコウガの立っていた場所へと着弾する。

 

 広がる激震にコスモスは膝を着く。

 歯噛みする彼女は晴れ行く砂煙の中、仰向けになって倒れるゲッコウガの姿を垣間見る。

 

「……戻れ、ゲッコウガ……!」

「───残りは一体か」

「それはこっちの台詞です、ルカリオ!」

 

「ルガアアアッ!!」

 

「『かみなりパンチ』!!」

「!」

 

 最後までギャラドスに抗ったゲッコウガからバトンを受け継いだルカリオが、その拳に眩い電光を纏わせる。

 そして、大技直後の隙を狙っての正拳突きがギャラドスの額に突き刺さる。

 爆ぜるスパークと共に雷鳴が轟いた。

 全身を駆け抜ける痺れと衝撃、それらを統合した痛みは暴竜の意識を刈り取るに十分だった。

 

 暴竜の巨体が地に伏せれば、地響きが辺りに木霊する。

 

「……やってくれる」

 

 これでジーの手持ちも残りは一体。

 ただでさえ鋭い眼光は、ルカリオを見るやさらに鋭さを増した。

 

「ルカリオか……ああ、そうだ。そうだったな。少しだけ思い出した」

 

 ゆっくりとヘルガーが歩み出てくる。

 まるでこの瞬間を待ちかねていたかのように。

 

()()()も、()()()()もそうだった。私はどうにもルカリオ使いに縁があるらしい」

「……良縁ではなかったように聞こえますが」

「ああ。私の野望を阻む悪縁だ」

 

 『だが、これが最後だ』と。

 威嚇するようにヘルガーは口から炎を噴く。

 

 ダークポケモン、ヘルガー。体内の毒素を燃やした炎は、普通の炎とは違い焼かれた場所に延々と疼くような苦痛を与え続ける。

 

 はがねタイプを有するルカリオにとって、ほのおタイプのヘルガーはまさに天敵。相手のあくタイプこそかくとうタイプで有利を取れるが、それでも一度の被弾も許されない対面であった。

 

「ヘルガー、『かえんほうしゃ』」

「ルカリオ、『はどうだん』!」

 

 紅蓮の炎を吐くヘルガーに対し、ルカリオは蒼い波動の塊を解き放つ。

 両者の技がぶつかる。威力は互角、いや、持続力という一点でわずかにヘルガーが上回った。

 

 先に波動の塊が瓦解し、猛烈な火炎がルカリオへと襲い掛かる。

 先も述べたように一度の被弾が敗北へと繋がる場面だ。コスモスもそれを重々理解し集中していたおかげか、すかさず指示を飛ばしていた。

 

「回避して『みずのはどう』!」

「バウッ!」

「そのまま燃やし尽くせ。逃げ場を与えるな」

「ガアアッ!」

 

 純粋な火力に劣ると判断してくり出された『みずのはどう』。当たれば特殊な衝撃波で混乱を期待でき、何よりも炎技を前にはただの波動技よりも有効に働く可能性がある。

 だがしかし、それすらもヘルガーの炎を前には焼け石に水であった。

 ツンと鼻を刺す臭いを撒き散らす火炎は、愚かにも炎を鎮めようとする波濤をむしろ蒸発させる。

 

「まだまだ! 『みずのはどう』!」

「無意義だな。これ以上時間を引き延ばしてどうしようというのだ」

 

 それでも同じ技を指示するコスモスに、ジーは理解しかねるような声色だった。

 何度もくり出される『みずのはどう』。その度に火力を増す『かえんほうしゃ』により一瞬で蒸発させられていく。

 

 しかし、その回数が10回に近くなった頃だった。

 

「? ……これは……」

 

 ジーが辺りに満ちる白い靄に眉をひそめた。

 

「なるほど、水蒸気か」

 

 湯気に混じる毒素に視界を滲ませながら、即座にジーは看破した。

 

 『みずのはどう』に固執していた理由はまさにこれ。炎によって生まれた水蒸気で、相手の視界を封じる為だ。

 力押しでは勝てない相手に攻撃を当てるには、まずは隙がなければ話にならない。隙を見つけるもよし、今回のように自ら隙を生み出すのも立派な戦法の一つだ。

 

(視界を塞がれた状況ならルカリオに分がある)

 

 視覚や嗅覚といった五感の他に備わったルカリオの第六感。

 『波導』と呼ばれる能力を用いれば、この白い闇の中でも相手を捕捉することができる。

 

(これで決めます……決めなきゃ、負ける!)

 

「ルカリオ!」

「バウッ!」

「『はどうだ……」

 

 技を紡ぐ、その口が止まる。

 

 ルカリオが掌に溜めた波動を解き放つ、まさにその瞬間の出来事だった。

 あれだけ周囲に満ち満ちていた湯気が一瞬にして消え失せる。代わりに視界を覆い尽くしたのは紅蓮に燃え盛る獄炎の嵐。

 これはルカリオも読み切れなかったのか、回避を取る間もなく迫ってきた炎に前へ突き出した波動の塊が焼かれ、目の前で盛大に暴発してしまった。

 

「ガ、アアアッ!?」

「ルカリオ!?」

 

 ほとんど自爆のような形。

 しかし、むしろそれは幸運であった。

 

 周囲一帯の湯気を焼き払った炎を出し尽くし、地獄の番犬のように佇むヘルガーが一呼吸置いていた。

 

 その数歩下がった場所で、手を後ろに組んでいた男が目を見開いた。

 

「瞬時にこちらの炎を利用したのは流石だった。だが、湯気など水蒸気が凝結した代物。再び気化させられるだけの火力で熱してしまえば、消し飛ばすことは容易い」

 

───『れんごく』

 

 激しい炎で相手を焼き尽くす、ほのおタイプの大技だ。

 仮に直撃を貰っていたのなら、ルカリオは二度と立ち上がれはしなかっただろう。くり出す寸前の技が破壊されたことによって起こる爆発が、辛うじて『れんごく』の射程からルカリオを逃していたのだ。

 

 けれども、それで状況が好転する訳ではない。

 技が分かったところで打開できる話ではなかった。何とか立ち上がったルカリオも、掠った『れんごく』で両手に火傷を負っていた。

 あれではうまく狙いを付けるのも難しい。

 

「……」

「勝敗は決した。これ以上のバトルは……無意義だ」

「……そう、ですね」

 

 俯くコスモスは、弱弱しく取り出したボールにルカリオを戻す。

 それを見たジーは鷹揚に頷いた。

 

「そうだ、それで───」

「非常に遺憾ではありますが……勝ち方には拘らずに行かせてもらいます」

「……なに?」

「コスモッグ!」

 

「モッグ!」

 

 突如、コスモスの胸元から一体のポケモンが飛び出してくる。

 星空を映した綿雲のようなポケモン、コスモッグ。とてもではないが強そうには見えぬポケモンであるが、そもそもこのポケモンの用途はポケモンバトルではない。

 

「『テレポート』!」

 

 パッ、と。

 セレビィを抱きかかえたコスモスの姿が、一瞬にしてその場から消え失せる。一頻り周囲を見渡すが、少女は影も形もなくなっていた。

 

「……そうか」

 

 長い嘆息を挟み、ジーはゆっくりと歩を前へと進めた。

 

「それが、君の答えだな」

 

 

 

 ***

 

 

 

(……危なかった)

 

 どこぞとも知れぬ木の枝に引っ掛かり宙ぶらりんのコスモスは心の中で独白した。

 

(まさかジーさんがあそこまで強いとは……あのまま戦っていれば、十中八九私が負けていた)

 

 なけなしの腹筋に力を込めること数分、結局はセレビィに背中を押し上げられて起き上がる。

 

「私も……まだまだですね、ぜぇ……」

「ビィビィ!」

 

 セレビィもそうだそうだと言っている。

 しかし、それにコスモスは異を唱える視線を返す。

 

「……そもそも貴方があの時出てこなければ、こんなことにはならなかったんですよ。TPOを弁えてください、TPOを」

「ビィ?」

 

 さながらネイティの如き眼差しではあったが、このタマネギ頭にTPOを理解することはできなかったらしい。純真無垢な瞳を湛えられたまま、こてんと首を傾げられた。

 思わず長~い溜め息が出てしまうコスモスであったが、即座に頭を切り替える。

 

(もしもの時にと先生には位置情報を送っておきましたけれど、ここからどうすべきか……跡をつけられないよう『テレポート』を使った以上、早々追いつけないとは思いますが)

 

 救援を待つのなら動かないのが鉄則。

 なによりここはゾロアやゾロアークの巣であるゲンエイじまだ。常に島全体が幻に覆われている為、身を隠すにはこの上なく好都合だ。

 

「……やっぱり、動かないでおくべきですね。手持ちを回復させながら先生を待ちましょう」

「ビィ?」

「貴方には関係のない話です。それより話を聞いてる暇があるんだったら元の時代に帰ってください」

「ビィ! ビィビィ~~~!」

「ちょ……なんです!? その変な小汚い袋を押し付けないでください!」

 

 帰れと言われて憤慨するセレビィが、持っていた袋をコスモスの顔面に押し付けてくる。というより、中身を見せつけてくる。

 ほぼほぼ顔面を袋で覆われる形になるものの、こんな暗がりの中では見える物も見えない。

 

「分かりました、分かりましたから! その袋の中身を受け取ればいいんですか!?」

「ビィ~♪」

「はぁ……まったく、一体なんなんですか。こんな時にいつの時代の物かも分からない物を……」

 

 博士(テリア)なら喜んでいたかもしれないが、と思いながらコスモスは渋々袋を受け取る。これにセレビィは非常にご満悦な様子だった。

 

(そもそもどうして私にこんなに懐いてるんですか?)

 

「初対面なのに……うん?」

 

 怪訝に思いながら袋の中に手を入れたコスモス。

 そんな少女の指に伝わったのは、ひんやりと冷たく丸い感触だった。

 

(この力の波動は……───ッ!?)

 

 取り出されたのは美しい橙色の宝石。

 透き通った球体の中には螺旋を描くように赤と青が絡み合っていた。

 

 一見すると人の手によって作られたように見える代物だが、手に取った瞬間に高鳴った鼓動が目の前の“石”がただの宝石ではないと訴える。

 しかも異変はそれだけではなかった。

 

「? 先生から貰った石が……」

 

 背負っていたリュックから漏れる光があった。

 何事かと漁ってみてみれば、光の正体は先日レッドから手渡された石であった。

 テリアが見つけたオーパーツでもある石だが、その白く曇っていた表面は時が経つにつれて透明になっていき、瞬く間にセレビィに渡された石と同じ螺旋の内包した宝石へと変貌する。

 

 コスモスの鼓動に合わせ、光は明滅を繰り返す。

 

 しばしそれを眺めていると、片方の“石”が自身の鼓動とは別のリズムを刻んでいることに気づいた。

 

(まさか───)

 

 自然と手を伸びる。

 すると、不意に何かが流れ込んでくる。

 

(この感覚……いや、()()……?)

 

 散りばめられていた黄色い感情が、燃えるような赤と沈むような青に上塗りにされていくとでも形容すべきか。

 その暗澹たる感情の波に少し触れただけでも、未来に希望を持てぬような無力感に苛まれてしまいそうになる。

 

 だが同時に、これが自分やルカリオのものではないと気がついたコスモスは、その時初めて核心に触れたのだった。

 

(これはあの人の───)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───見つけたぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ!? しまっ……」

 

 振り向くよりも早く衝撃が全身を襲う。

 すぐ傍で起こった爆発にも関わらず、爆音はやけに遠くで響いているように聞こえた。黒い光線だった。きっとヘルガーの放った『あくのはどう』だろう。

 現実逃避染みた思考が脳裏を過るが、コスモスは頭を振って我に返る。

 ここから逃れる方法は一つしか残されていなかった。

 

「『テレポ……!」

 

「ヘルガー、『おいうち』」

 

「ガアアッ!!」

「モグッ!?」

 

 再び転移しようと力を漲らせたコスモッグであったが、そんなエスパーパワーを霧散させる凶悪な一撃が綿雲のような身体に叩き込まれた。

 

「コスモッ───うぐっ!!?」

「君は私がゲンエイじまに辿り着く手段をポケモンに頼っていたと考えていたようだが……半分は正解だ」

「どう、して……ここが……!?」

 

 地面に叩きつけられた痛みに悶えながら、コスモスは目の前に佇む追跡者を見上げる。

 すると、彼は右手から一台の装置を投げ捨てた。見慣れぬ機械だ。テリアの研究室でも見たことがない代物であった。

 

「それ、は……?」

「ゾロアークの幻影を解除する装置だ。私が作った」

「!?」

「原理さえ分かっていれば、後は機材の問題だ。材料さえ揃えば作ることは容易い」

 

 無感情な声色が淡々と続く。

 

「何も扱う力がポケモンのものだけとは限らない。どうやらそこは読み違えたようだ」

「ぐっ……!」

「私は世のトレーナーのようにポケモンをパートナーとはしない。君のようにポケモンを道具にもしない。私はポケモンの力を私自身の力とする。で、あるからして……私自身の能力を把握している以上、何が最も効率的かは分かっているつもりだ」

 

 その言葉でコスモスは理解した。

 この男───ジーは天才だ。機械的な分野は勿論のこと、バトルや他の分野においても論理的な思考から導かれる正解を選び出す天与の質が備えられている。

 レッドと同じだ。思いついた時には形にしてしまえるような生まれ持ったセンスや思考回路が、彼の言動の節々から垣間見えていた。

 

(まずい、このままじゃ……)

 

「さて……」

「待っ……!」

「用があるのは……お前だ、セレビィ」

 

「ビィ!?」

 

 倒れるコスモスに右往左往としていたセレビィの首根っこを掴むジー。

 セレビィはなんとか逃れようとじたばたしているが、万力のように力が込められた手はそう易々とは振り解けなかった。

 

「さあ、私を連れて行け。忌々しい過去を……この不完全な心を取り除く。その術を思い出さなければならないのだ!」

「ビ、ビィ……!」

 

 血眼になりながら男は訴える。

 苦しむセレビィに、尚も声を荒げて。

 

「さあ! さあっ!!」

「ビィ~~~!!」

「そこに……そこにきっと、私の望みが!!! 私の求める世界があるのだ!!!」

 

 

 

 

 

「本当に……そうですか?」

 

 

 

 

 

 弱弱しい声に、ジーは振り返る。

 

「君は、まだ立ち上がってくる気か」

 

 そこに立っていたのは一人の少女と一匹のポケモン。

 

 痛みに顔を歪めている少女。

気絶したコスモッグを抱きかかえる彼女の隣にはルカリオが並び立ち、今にも倒れそうな少女の身体を支えていた。

 

「……やめてくれ。これ以上君を痛めつけるのは不本意だ」

「……」

「この世界に害を為されるのが恐ろしいというのなら約束しよう。もしも仮に私が記憶を取り戻し、心を消す手段を思い出したとしても、私はこの世界に手は出さない。それならどうだ?」

「そう言い訳して、また逃げるつもりですか?」

「?」

 

 不可解な言葉を耳にし、ジーの表情に険が増す。

 

「逃げる……? この私が? 何からだ?」

「私との勝負から」

「……異なことを言う。君との勝敗は決したはずだ」

「確かに私は一度貴方に負けたでしょう。だから、ここからはリベンジです」

 

 身構えるルカリオ。

 回復させる暇などなく、失った体力は未だ取り戻されないままだ。未だ万全の状態を保つヘルガーとどちらが優勢かは火を見るよりも明らかであった。

 

 それでも、

 

「負けなんて何度も経験しています。でも、それが再び立ち向かわない理由になんてならない」

 

 妙な違和感があった。

 平静を取り戻したはずの水面が、次第に波立つような。

 

「何度負けたって、勝つまで私は立ち上がる」

 

 それが苛立ちだと理解した時、すでに感情は堰を切ったように溢れ出していた。

 最早、自制することもままならない。さながら激流の如く頭へと押し寄せた血液が、思考を沸騰させていく。

 

「負けの回数なんて問題じゃないんです」

「……れ……」

「そこにはバトルの勝ち負けなんかより、ずっと大切な価値があるんです」

「黙れ……」

「それを忘れない限り、私のスタンスは変わりませんよ。今までも……そして、これからも」

「黙れっ!!」

 

 一喝。

 しかし、周囲の空気を固まらせるほどの勢いを伴った声は、そのまま夜の静けさを突き破っていった。

 

「はぁ……はぁ……!!」

「……ジーさん」

「もういい、たくさんだ……!! だから立ち向かってくるというのか!? そんな曖昧で不完全なものの為に!! 私の野望の邪魔をしようというのか!?」

「……私じゃありませんよ」

「なんだと……!?」

「貴方を止めようとしているのは()()()です」

 

 そう言われて送り出されたポケモンは、蒼い体毛を夜風に靡かせながら前へ出る。

 

「ワフッ」

 

「……ルカリオが、だと?」

 

 『訳が分からないぞ』とジーは頭を振った。

 

「どうしてそういう話になる。君自身の意思ならばまだ分かる。だのに何故、君の方がポケモンの意思によって動かされているのだ?」

「知りたいですか?」

「……いや、いい。これ以上の問答は時間の無駄だ。邪魔をされぬよう、早々に君達を打ち倒すことに決めた」

 

 憤怒の形相を隠さぬまま、ジーは左手を上げる。

 攻撃の指示を受け取ったヘルガーは、間もなく体内の毒素を燃やし、炎の息吹を口から漏らし始めた。こうなってしまえば紅蓮の炎が森を照らし上げるのも時間の問題だ。

 

 そして、コスモスとルカリオにヘルガーの攻撃を真正面からいなす手立てはない。

 以前のままであればの話だが。

 

「ルカリオ、行くよ」

「バウ」

 

 コスモスはルカリオの掌の上に一つの“いし”を手渡した。

 赤と青、二重の螺旋が絡まり合った美しい宝石。それは持つべき者の手に渡った瞬間、より一層強い輝きが溢れ出した。

 

 これにはジーもまったくの予想外であったのか、両の眼を見開いて驚愕していた。

 

「何だこの光は……まさか、進化の……!?」

 

 コスモスが手にした石と、ルカリオが手にした石。

 双方の放つ光は、やがて引かれるようにして結び合った。

 

 直後だ。

 ルカリオの全身を眩い光が包み込み、()()が始まった。

 

(この贈り物が偶然か必然かは知ったことじゃありませんが、使えるものは有難く使わせてもらいます)

 

 稲妻が迸る。それはルカリオの身体から溢れ出る波動エネルギーそのものだった。

 そして、肉体に収まり切らない膨大な波動は全身に黒い模様を刻むだけに留まらない。進化を超えた進化の輝きが臨界点を突破すれば───殻が割れる。

 

 それは自己の限界という名の殻。

 破って生れるのは、いわば新たなる自分。

 

 

 

「ルカリオ───メガシンカ!」

「バウァアアアアアアッ!!!」

 

 

 

「ぐぅッ───!?」

 

 進化の余波たる波動が吹き抜けていく。

 それはこの場だけに留まらず、ゲンエイじま全域を駆け抜けていった。

 

 

 

 

 

 そして、誰にも知られることのない場所で。

 時の奇跡が───花開いた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

『───よし、ここに遺すとしよう。ルカリオ』

 

 

 

 

 

 



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№060:ぼくのベストフレンドへ

 

 

 

 その時が映し出すは、まだモンスターボールも存在していない時代。

 

 

 

 深緑に覆われる森林の奥深くに、一人と一匹が居た。

 彼らの前に在るのは、つい最近建てられたばかりであろう社。けっして豪華な装飾が施されている訳ではないが、むしろそれがより一層神々しさを醸し出していた。

 

『───よし、ここに遺すとしよう。ルカリオ』

 

 社の前に立つ男がそう言い放つ。

 彼の傍らに立っていたルカリオは、眉尻を下げながら男の方を見た。その顔は『本当にいいのか?』と問うていた。

 

 だが、男は柔和な笑みを湛える。

 すると、おもむろにグローブの手の甲に嵌められていた宝石を取り外す。

 

『ああ、これでいい。()()は本来私達が持つべき物ではない』

 

 感慨深そうに瞼を閉じる男の脳裏には、ここまでの旅路の光景が蘇っていたのだろう。

 仄かに眉間に刻まれた皺が、その苦難をありありと窺わせる。

 

 しかし、それ以上に滲む感謝の色があったのもまた事実。

 

『とんだ贈り物だったが……そのお陰で今はこうしてお前と居ることができる。私にとっては、それが何者にも勝る贈り物だ』

 

 傍らに立つ友に向けて言い放つ男。

 当の友はと言えば、真正面から向けられる言葉と波動に面食らった後、照れたようにそっぽを向いた。

 

 とはいえ、彼らは波導使い。

 後の世では『波導の勇者』と呼ばれる彼らにとっては、どんな隠し事も筒抜けであったと言える。

 

『なあ、ルカリオ。()は何を思ってこれを我々に託してくれたんだろうな』

 

 取り外した宝玉を太陽に翳しながら、男は語る。

 

『私はな、私とお前が───人とポケモンが共に在れるようにと。そう願い、託してくれたのだと思わずにはいられないんだ』

 

 ルカリオの手を見れば、やはり似たような赤と青の二重螺旋が浮かぶ宝玉が手甲に嵌められていた。

 

 その宝玉こそ、人とポケモンの心を繋ぐ石。

 人間だけでも、ポケモンだけでも成り立たない。

 両者が心を通い合わせることでようやく奇跡を発現させる力は、まさしく人とポケモンの共存を願う代物と呼ぶ他ないだろうと男は考えた。

 

『だからな、ルカリオ。()()()()()()()()()()

 

 社の中へと立ち入り、最奥に鎮座していた神棚に宝玉を祀る男。

 その後を追いかけたルカリオもまた、噛み締めるように宝玉へ思いを馳せた後、自らも宝玉を神棚へと祀った。

 

 神棚の両隣に備えられた榊は、青々とその葉を揺らしていた。

 

『ここはゾロアークの幻影に守られし地。たとえ悪しき心の持ち主がセレビィを利用しようと思っても、我々と同じ波導使いか……』

 

『お前を───ルカリオを友とする者しか辿り着けはしない』

 

『私はお前達が高潔な精神を持つ一族だということは重々理解している』

 

『だからこそ、いつかここに辿り着く者があるとするならば……これはそんな正しい心を持つ彼らの手にこそ在るべきだ』

 

『過去の我々よりも、未来の彼らの為に……な』

 

 語り終える男。

 胸の内の思いはすべて言葉にした。

 

 それでも最後に決めるのは(ルカリオ)だ。

 自分達の絆と奇跡の証を、未来の誰とも分からぬ者の為に遺すべきか───それは一口に言っても簡単な決断ではなかった。

 

 しかし、友は決断する。

 

 ゆっくりと。

 それまでの旅路に思いを馳せながら宝玉に触れたルカリオは、そのまま手甲を外したかと思えば、男と同じく神棚にそれを置いた。

 

『……ありがとう、ルカリオ』

 

 友が自分と同じ思いを抱いてくれた。

 その事実が何よりも嬉しいと染み入ったような声色だった。

 

 そして、今一度神棚に供えられた石に祈りを捧げる。

 

『このキーストーンとメガストーンを手にする者達に波動の導きがあらんことを』

 

 

 

───波導は我にあり。

 

 

 

 最後の手向けに言葉を遺し、彼らはこの場を去った。

 以降、ここを訪れる人間は居なかった。

 それこそ零れ落ちた種が芽を出し、やがては社全体を抱きかかえる大樹にまで育つ永い時の間。

 

 されど遭遇(であ)った。

 

 

 

 時空を超えて───“いし”は託された。

 

 

 

 ***

 

 

 

(なんだ、この光は)

 

 冥い闇を照らす眩い光にジーは立ち尽くす。

 ただの進化の光ではないことはすぐに理解できた。溢れる力の波動の大きさも、時を経るにつれて強大に膨れ上がっていく。

 

 だからこそ理解できなかった。

 目の前のポケモンがどのような手段で力を増しているのか、その理由が。

 

(あの石か? セレビィが渡した、あの───)

 

 心当たりがあるとすれば、やはりコスモスとルカリオを繋ぐ光の大元だろう。

 

 二重螺旋の赤と青。

 ジーにはそれが遺伝子に見えた。遺伝子とは生命の設計図。正反対の性質を有する二本の鎖が互いをコピーすることで、欠けた方を修復する機能がある。

 

 互いを模倣し、時には支え合う。

 

───まるでトレーナーとポケモンのようではないか。

 

「っ……いいや、そんなはずはない!」

 

 だが、ジーは頭を振った。

 声を荒げながら、目の前の光景を否定しようとした。

 

「人とポケモンが力を合わせて強くなる? 馬鹿馬鹿しい!! そんな現象は認めない、認めてなるものか!!」

 

 握る拳にも自然と力がこもる。

 それほどまでに彼の拒絶の意思は大きく、そして強かった。

 

「君のルカリオが何を感じたのかは知らないが……他人の感情如きに突き動かされた程度で、今の私を止められはしない!!」

 

 片手を上げる合図を出せば、ヘルガーの口から紅蓮の炎が迸った。

 加速度的に熱気が広がっていき、男の唇も乾燥してひび割れた。しかし、そのまま激しく口を動かすものだから、必然的にじわりと血が滲み出してくる。

 

「そんなもので……そんなもので……!!」

 

 些少の痛みなど厭わない。

 ただ自分の正義こそ至上とする姿が、そこにはあった。

 

(……痛い)

 

 それを目の当たりにしていたコスモスは、おもむろに自身の胸に手を当てた。

 鼓動が高鳴る度、全身を掻き毟りたくなるような熱さが広がっていく。ほとんど苦痛にも等しい熱に、思わずクラリと眩暈も覚えた。

 

(違う。これは()()()()()()

 

 だが、断絶しそうになる意識を寸前で踏み止まらせる。

 そして、この苦痛の所在を明らかにしようと、瞼を閉じて集中を始めた。

 

(ルカリオ。これが貴方の感じる波動なんですね)

 

 おもむろに隣を見遣れば、未だ光に包まれる相棒の姿があった。

 進化の殻は破られ、今はその身に宿った力により肉体が変形している最中である。にも関わらず、溢れる強大な波動は石を通じてコスモスへと逆流し、彼の感じる感情をこれでもかと伝えてきていた。

 

 そして、

 

「そういう訳ですか」

 

 全てを理解したコスモスが瞼を開く。

 すると隣には完全なる変身を遂げた相棒が居た。

 

 平時の蒼に加え、手足の先が赤き闘魂の色に染まった立ち姿は勇猛そのもの。

 当初は体表を淡く照らす波動も激しく荒ぶっていたが、次第に落ち着きを取り戻すルカリオの精神を表すかのように鎮まっていく。

 

「ルカリオ……いえ、メガルカリオ」

「───バウッ」

「撃ち方始め」

 

「!!」

 

 目の前で行われる攻撃の予兆。

 それを見逃すはずもないジーは、その落ち窪んだ眼窩に収まった三白眼をヘルガーの方へ向けた。

 余程切羽詰まった表情だったのであろう。主の見慣れぬ表情に一瞬瞠目したヘルガーであったが、すぐさま彼の思考を汲み取って動き始めた。

 

 腹の中で暴れる炎を今一度燃え盛らせる。

 そうして我が身をも焼き尽くす勢いの炎は、夜の森を紅蓮に染め上げる苛烈な業火へと昇華した。

 

───あとはコイツをぶつけるだけだ。

 

「私は……私は世界から、心という不完全で曖昧なものを消し去り完全な世界を生み出す!!」

「それが貴方の正義ですか」

「誰にも邪魔はさせない!! 何もかも燃え尽きてしまえ!!」

「それならこちらも───貫かせてもらいます」

 

 蒼と紅の光が臨界に達する。

 そして、

 

 

 

「ヘルガー、『れんごく』!!」

「ルカリオ、『きあいだま』!!」

 

 

 

「ガアアアアッ!!!」

「ルァアアアッ!!!」

 

 

 

 小細工なしの真っ向勝負だった。右も左もない、真正面からの撃ち合い。

 

「おおおおおっ!!!」

「はああああっ!!!」

 

 互いに柄にもない雄たけびを上げながら、激突する技の背中を押していく。

 

「やれ!! やるんだ、ヘルガー!!」

 

 吹き付けてくる熱気に瞬きもせず、ジーは眼前で繰り広げられる激突を凝視し続けた。

 瞳が渇き、自然と視界が滲み始める。

 極々生理的な身体の反応であった。乾いたものには潤いを。そうして潤いを与えられたはずのジーであったが、彼の視界は一向に晴れはしなかった。

 

「お前の力は私自身の力だ!! 私は負けぬ!! どんなポケモンにも!! この下らない世界にも!!」

 

 拳どころか、声も震える。

 心なしか息遣いも不安定にブレ始める。

 

「そうでなければ……私は……!!」

 

 揺れる、揺れる、揺れる。

 全てが目の前の陽炎のように。

 

「私の人生は……ッ!!」

「ガ、アアアッ……!?」

「ヘルガー!?」

 

 拮抗していたかに思えた激突であったが、とうとう天秤は傾いた。

 紅蓮の業火と真っ向からぶつかり合っていた渾身の波動は、火の粉を撒き散らすように炎のど真ん中を食い破り、突き進む。

 

「まだだ!! ヘルガー!!」

「ガッ……アア……!!」

「まだ終わってくれるな!! 私にはまだ為すべきことが───」

 

 それより先の言葉は紡ぐことができなかった。

 業火の熱気に喉をやられた───だけではない。

 力尽くで押し返される『れんごく』がヘルガーの口まで辿り着いた瞬間、体内からの供給量に放出量が間に合わなくなり、炎の逆流現象が巻き起こった。

 

 とどのつまり、フラッシュバックだ。

 

「ガッ───アアアアアッ!!?」

「ヘルッ……ぐああっ!!?」

 

 ヘルガーの絶叫と共に巻き起こる眼前での爆発に、爆風に煽られたジーは後頭部から地面に倒れ込んだ。

 強い衝撃が全身を、特に頭を襲う。

 次の瞬間、視界が真っ白に染まった。あれほど炎の赤に照らされていた世界が、今度は一変の穢れのない白い世界へと塗り替えされる。

 

(これ、は……)

 

 その瞬間だった。

 フラッシュバックは彼の中でも起こった。

 

 真っ先に蘇った記憶は、失う直前の景色。

 

(そうだ、私は)

 

 瞳を見開いた知識の神がこちらを覗き込んでいた。

 

(ユクシー……お前が、私の───)

 

 奪われた知識が。

 失われた記憶が。

 忌々しい過去が、全て。

 

 

 

 蘇る。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

───■■■、いいですか? 貴方はとても賢い子。

───だから、その頭脳を一族に還元できるよう精進なさい。

───私達の祖先がそうであったように。

 

 

 

『……どうしても、ダメなのかな?』

『ご先祖様がそうだったからって、ボクも頑張らなきゃって……』

()()も……そう思うかい?』

 

 

 

───最近の貴方は目に余ります。

───どうしてもと強請るからポケモンを与えたというのに……。

───それでこのザマなら……私にも考えがあります。

 

 

 

『ねえ、■■■は?』

『引き渡した……? ポケモンを研究してるところに?』

『どうして……ねえ、どうして!?』

 

 

 

───無意味だからです。

───ポケモンと遊んでいる時間があるのなら、もっともっと勉強なさい。

───その方が貴方の人生の為になるのだから。

 

 

 

『……』

『……』

『そっ……か……』

 

 

 

───ご覧ください! 新たなシンオウチャンピオンの誕生だぁー!

───それでは史上最年少のチャンピオンにインタビューです!

───()()()()()! 決勝戦を制した今の心境はどうですか!?

───はい! とっても嬉しいです!

───でも、一番は頑張ってくれたポケモンへの感謝です。

───正直、私自身『もうダメだ』って思う瞬間がありました。

───そんな時、ポケモンが諦めないでいてくれたから。

───だから、最後の最後までやり遂げることができました!

 

 

 

『……』

『……、……』

『………………ッ』

 

 

 

───『ギンガ団は、かつてヒスイ地方開拓に関わった組織である。』

───『争いのない新天地を求めた入植者で構成された彼らは、』

───『今のシンオウ地方の発展に大きく貢献したと言えよう。』

 

 

 

『……ギンガ団』

『私の祖先の功績に興味はないが』

『争いのない新天地……か』

『もっと早くその場所を知れていたのなら』

『私にも───』

 

 

 

 ***

 

 

 

(……悪夢だな)

 

 目が覚めて一番に抱いた感想だ。

 酷く重い頭に顔を歪ませながら上体を起こせば、捕えていたはずのセレビィが手から居なくなっていることに気がついた。

 

「……当然か」

「ジーさん」

 

 呼ばれる声に振り向けば、居なくなっていたセレビィを抱きかかえる少女が居た。

 超絶した力を発揮していたルカリオも同様だ。姿こそ元に戻っていたが、戦えるだけの体力は残しているとでも言わんばかりの気迫を放っていた。

 

「……安心しろ。もう手は出さん」

 

 そんなルカリオを宥めたところで、ジーは項垂れる。

 

「私の……負けだ」

 

 ゲンエイじまに、静寂が舞い戻った瞬間だった。

 冷えた夜風がバトルで火照った頬を撫でるように吹き抜ける。

 

 しばらくの間、魂が抜けていたように沈黙を保っていたジーであったが、不意によろよろと立ち上がった。

 

「私は……もう、行く」

「どこにです?」

「私という存在を望まぬ世界の外まで」

 

 おもむろにコスモスに背を向けるジー。まるで過去の自分と決別するとでも言わんばかりの振る舞いであった。

 しかし、悲壮感と呼ぶには余りにも弱弱しい。

 終の場所でも探すかのように、踏み出した足取りは不安定で覚束なかった。

 

「待ってくださ……」

「『この世界が憎いなら自分一人誰も居ない世界に行けばいい』」

「っ……?」

「昔、ある人間に言われた言葉だ。結局、そういうことだったんだろう。この世界に私の居場所はなかった……」

 

 よろよろと。

 倒れぬよう、辛うじて木に寄りかかりながら彼は続ける。

 

「私の望みは、最後まで世界に許容されないという訳だ」

「それは違うと思います」

「……なんだと?」

 

 諦観の境地に達していた歩みを止めたのは、他でもない彼の野望を挫いた少女だった。

 

「貴方の望みはもっと別のものだったんじゃないですか?」

「……どうしてそう言える?」

「感じたんです、貴方から」

 

 少女は胸に当てながら言った。

 すると、腕の中にセレビィを抱きかかえたままジーを追いかける。

 ともすれば、敗者を残酷なまでに追い詰める所業だったかもしれない。それでも少女には逃げるように去っていく男を黙って見送る気にはなれなかった。

 

 なぜならば───。

 

「復讐なんかじゃない……ましてや、新世界の創造でもない。もっと根っこの部分にある望みが」

「……それが分かったところで、今更」

 

 

「ビィ!」

 

 

「……?」

 

 追いかけてくる少女を振り払うつもりの男であったが、突如として挟まってきた天真爛漫な鳴き声に反射的に振り返る。

 視線の先には、ついさっき乱暴を働いたにも関わらずセレビィが笑顔を咲かせていた。

 

 そして、その小さな手に握った()()を差し出した。

 色褪せた赤と白。ところどころ擦れているのはそれだけ年季が入っているからだとは想像に難くはなかった。

 

 だが。

 

「こ、れは……」

「ビィビィ!」

 

 押し付けるように差し出されたモンスターボールを受け取るや否や、おもむろにひっくり返してみる。

 

()()()()……ッ!!?」

 

 今となってはどこにでも売られているモンスターボール。

 個々の特徴などないに等しい大量生産品だ。だが、底に見覚えのある傷を見つけた時、男の時間は一気に過去へと飛んだ。

 

 そして、次の瞬間だった。

 

 

 

 

 

「───ケテッ!!」

 

 

 

 

 

 オレンジ色の身体に、それを纏う青白いプラズマ。

 

「───あ」

「ケテ?」

「お前、は……」

「ケテ……ケテ!」

()()()……ッ!」

「ケテテ! ケ~テテテテ!」

 

 ジーが縋るように歩み寄るより前に、ボールから飛び出したポケモンは彼の周囲を嬉しそうに飛び回る。

 

 まるで、()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「───ロトム……!!」

「ケテッ!!」

 

 

 

 ジーの呼び声に、ロトムは力強く頷いた。

 最早男に立てるほどの力は膝に入らず、ほぼほぼ倒れ込むような形で最愛の友人を抱き着いた。プラズマで構成された身体を抱きしめても重みなどなく、むしろピリピリと肌を突き刺す感触が流れてくるが、それすらも今となっては愛おしかった。

 

「会いたかった……きみに……!!!」

 

 恥も外聞も、取り繕う体裁もない。

 ただ二人の間だけに流れる時間と空間が、世界があった。

 

「ずっと……ずっと会いたかったんだ!!!」

 

 ()()は泣きながら笑っていた。

 

 抑圧されていた願望を晴らすように。

 憎むほど抱いた羨望を叶えるように。

 

 大切な友人を二度と放すまいと、ずっと抱きしめ続けていた。

 

「……これはあくまで個人的な意見ですが、」

「っ……?」

 

 嗚咽に割り込んだ少女の声色には包み込むような優しさがあった。

 

「きっと、わざわざ世界を壊す必要なんてなかった」

「……なんだと?」

「貴方には貴方の世界があって、ポケモンにはポケモンの世界がある。宇宙というマクロな世界の中には、国や組織といったミクロな世界が無数に存在する。私達が住んでいる世界なんてその中の一部に過ぎません」

 

 だから、と少女は続ける。

 

「『世界が一つ』なんて極端に割り切る必要はなかったんだと思うんです。トレーナーとポケモンという関係も立派な一つの世界なんですから」

 

「クゥン……」

「っ……ヘルガー?」

 

 耳を傾けていたジーの頬を伝う涙を拭う者が居た。

 ゆるゆると彼が向いた先には、ボロボロのヘルガーが悲しそうな面持ちを湛えて舌を出していた。その表情からは負けてしまったことと、それで主を泣かせてしまったと思い込んだ罪悪感に溢れていた。

 

 だが、ヘルガーだけではない。

 瀕死に陥りボールの中に居たはずの手持ちが、続々とジーの周りを囲うように飛び出してくる。誰も彼もが涙を流す男を前に悲痛な表情を浮かべていた。

 

 彼らの中心に佇むジーは、まるで衛星のように輪を描く手持ちを見渡して呆ける。

 

「お前達……」

「……人でもポケモンでも『この人と居たい』『このポケモンと居たい』って気持ちは唯一無二だと思うんです」

「!」

「だからこの子達はどんな世界よりも貴方の傍を選ぶ……違いますか?」

 

 その言葉がトドメだった。

 呆けていた男の顔がくしゃりと歪んだ。

 

「お、おぉお、おおおぉぉぉ……!!!」

 

 一度は枯れ尽くしたと思い込んでいた涙が決壊したように溢れ出してくる。

 それを聞いたポケモン達は、再び心配するように男の傍へと駆け寄った。

 いつまでも響く嗚咽に貰い泣きしながらも、彼の涙が止まるまで傍らに居ようという意思はありありと見えていた。

 

「……」

「ビィ!」

「セレビィ?」

 

 静かに眺めていたコスモスの腕をするりと抜け出すセレビィ。

 

「ビィビィ!」

「……行くんですか」

 

 去ろうとするセレビィにとある思考が脳裏を過るが、限界まで酷使した頭と体では空のボールを取り出すのもままならない。ポケモンバトルなんてもってのほかだ。

 

「分かりました……お達者で」

「ビィー!」

 

 簡潔な別れの言葉を聞き、セレビィは虚空に時空へと続く穴に飛び込んだ。

 色々ととんだ贈り物をしてくれたトラブルメーカーではあったが……差し引きプラスといったところだろうか。

 

「でも、今度はTPOを考えてくださいね……」

 

 

「おーい」

 

 

「むっ」

 

 時渡りしたセレビィと入れ違いになって近づいてくる声は海の方から聞こえた。

 残された力で機敏に振り向けば、赤い炎が尾を引いているのが見える。

 

「先生!」

「これは……何事?」

 

 ゲンエイじまに降り立ったレッドは、周囲の光景を一瞥するや否や問いかけてきた。

 それも当然だろう。激しいバトル跡に、嗚咽を上げるジー。それにコスモス自身も泥まみれの汗まみれときた。

 

「これは……」

「うん」

「全力のポケモンバトルに……勝った、ところ、で……すぅ───」

 

 そして、遂にコスモスが限界を迎えた。

 本来就寝時間であることに加え、命の危機をも覚える熾烈なポケモンバトルを繰り広げた。さらには初めてのメガシンカ。ポケモンのみならず、トレーナーにも多大な負担を強いる奇跡の現象は、ヒンバスレベルの体力しか持ち合わせていない少女を気絶に至らしめるに十分だった。

 

「コスモス!?」

「ピ!?」

 

 糸が切れたように倒れ込む少女。

 すかさずレッドは彼女と地面の間に身体を滑り込ませ、我が身をクッションにする。その甲斐あって少女が地面とあくまのキッスをする事態は避けられた。

 

「ふぅ……間一髪」

「チュ……ヂュウウゥ……」

「二次災害!」

 

 コスモスとレッドにサンドイッチされたピカチュウ、救出。

 

「すぴー……すぴー……」

「寝ちゃった……」

 

 レッドに抱きかかえられながら眠るコスモス。

 始めはどうしたものかと困惑していたレッドであったが、疲労困憊ながらも満足そうな少女の寝顔から悟ったのか、フッと口元を緩ませる。

 

「おやすみ……」

「ピチュピチュ」

「じゃ、帰ろっか」

「ピッカ!」

 

 かくして、ゲンエイじまの激闘は幕を下ろした。

 得られたものは多く、この出来事は忘れることない記憶として少女の人生に強く刻まれたことだろう。

 

 

 

 たとえそれが、()()()()()()()()()()()───。

 

 

 

 



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№061:輝く金剛、煌めく真珠

前回のあらすじ

 出会いは突然だったよ。
 僕がなくしたおもちゃのロボットを見つけたとき、芝刈り機のモーターからポケモンが飛び出してきたんだ

 不思議そうに僕に近寄ってきた

 ポケモンは笑ったように見えた。
 そのとき分かったんだ、僕たちは友達になれるって。
 不思議なポケモンをロトムって呼ぶことにした……。


 

 それは、ゲンエイじまでの激戦から一夜明けた朝での出来事だった。

 

 

 

「名残惜しいですわぁ~~~!」

 

 

 

 およよ、と今日日珍しい泣き方をする貧乏似非お嬢様ことベガが別れを惜しんでいた。

 

『結局ベガが一番寂しがってんじゃん』

「べ、別に寂しがってなんかいませんわ! こ、これは……男泣きですわぁ~~~!」

『魂の性別可変式?』

 

 波止場に止まったボートの前にたむろする少女達。

 彼女達にしてみれば数年ぶりの再会からのひと時であったのだから、こうなってしまうのも無理はなかろう。

 

「ミーも寂しいデース、コスモース!」

「ぐる゛じい゛です」

 

 無理があった。

 

「デネブ氏、オちる。コスモス氏、オちちゃうから」

 

 だから放してあげて、と熱烈なハグを交わしていたデネブであったが、ごくごくまれに常識人になるテリアによってコスモスから引き剥がされる。

 

「し、死ぬかと思った……」

「確かに今のコスモス氏、死にそうな顔してるもんねェ~。徹夜でもした?」

「博士と違って徹夜に耐えられる体作りはしてないので」

「アッハッハ! 別にワタシだってそんな体作りはしてないさっ!」

「夜勤の人は普通の人より10年早死にするらしいですね」

「急にほろびのうた並みの余命宣告してくるじゃん?」

 

 徹夜もほどほどに、だ。

 

「……それについては済まなかった」

 

 ここで心底申し訳なさそうに頭を下げたのは、約一週間彼らに衣食住を提供したジーであった。

 彼が言う『それ』とは紛れもなく昨夜の一戦。

 文字通り死力を尽くしてのバトルであった為、マダツボミ並みに貧弱なコスモスが疲労で気絶してしまったのも当然の帰結であった。

 

「いえ。あれはあれでいい経験になりましたので」

「……配慮、感謝する」

 

「……あのお二人、どうされたんですの?」

『ボク知らない』

「オー……蜜月の時を過ごしたって奴デスかね?」

『それ意味分かって言ってる?』

 

 分かっていたら犯罪事だ。

 しかし彼らは犯罪者であった。問題ないね。

 

「それでは皆様、ごきげんよう! この御恩は忘れませんわぁ~!」

『今度来る時は菓子折りとか持って来るので』

「シー・ユー・アゲイ~ン!」

「ま~たねぇ~! ジー氏ィ~! お金貰ったら渡しに来るよ~ん!」

 

 別れの言葉を告げた四人がボートに乗り込み、陸地から遠ざかっていく。

 それを海岸から見送っていたコスモス、レッド、ジーの内、寝不足の少女がこんな言葉を吐いた。

 

「うるさいのが居なくなりましたね」

「急に辛辣過ぎてビックリした」

 

───この弟子、たまに辛辣になる。

 師匠であるレッドはいつか反抗期が来ないかと自分の肩を抱いて震えた。ブルブル震え過ぎて頭に乗っかっていたピカチュウもブルブルマシーンに乗ったかの如く震えていた。

 

 だがそんなことをしていると、今度は違う船が海の向こう側からやってくる。

 

「私達の船も来たみたいですね」

「ホントだ」

 

 週に一回カイキョウタウンを訪れる定期便だった。

 あの船に乗れば、橋が壊れて向かえなかったユウナギタウンまで向かえるという寸法だ。

 

「一度ならず二度までも橋で足止めを食らうとは。私は橋を渡れない呪いにでも掛かっているのでしょうか?」

「そんなことは……あ」

 

───12ばんどうろと16ばんどうろ

───道を塞ぐカビゴン

───追い求めたポケモンのふえ

───町から町へたらい回しの日々

 

「……キットチガウヨ」

「まあ、でしょうね。呪いなんて非科学的なものがある訳ありませんし……」

「ソーダソーダ」

「……先生。どうしてさっきから片言なんですか?」

「サイコソーダ飲む?」

「飲みます」

 

 まるで心当たりでもあるかのような反応だったが、唐突に差し出された賄賂(サイコソーダ)により、コスモスの口は封じられることとなった。チョロい。

 

 そんな緩いやり取りはさておき、いよいよ着岸した定期船に乗り込んだコスモスは、おもむろに波止場に立つジーの方へと振り返った。

 

「ジーさんは乗らないんですか?」

「……なに?」

 

 予想だにしていなかったのか、ジーの両目は大きく見開かれる。

 

「どうしてそんな質問を?」

「いえ。ただ、何となく」

「……そうか」

 

───社交辞令のようなものか。

 

 そう受け取ったジーはつい昨日増えたボールを手に眺め、懐古に浸りながら口元を緩めた。

 

「実に魅力的な提案だが……断っておこう」

「どうしてです?」

「私はもう外の世界を望んではいない。今はただ自分を受け入れてくれる世界が傍にあるだけで満足だ」

「……そうですか」

 

 ジーの言葉に納得したような反応を返したコスモスであったが、不意に自身の財布から一枚の名刺のような紙を取り出した。

 

「どうぞ」

「……これは?」

「私の連絡先です」

「連絡先、か……フッ。私のような男に渡しても利益などないだろうに」

「違いますよ?」

 

 即座に否定したコスモスは、きょとんとした顔で告げる。

 

「何か困ったことがあれば連絡をください。ものによりますが、力になりますよ」

「……君がか?」

「ええ。その代わり私も困ったことがあったら連絡するかもしれません」

「……だが、私は連絡手段など持っていないぞ」

「だから、先に頼ってほしいんです」

 

 眠たい目を擦る少女はフンスと鼻を鳴らし、

 

「先に貸しを作りたくない主義なので」

「……そうか」

 

 覚えておこう、と。

 そう言ってジーは懐に彼女の名刺を大事にしまった。

 

 そうこうしているとコスモス達の乗った定期船から出発の合図が鳴り響く。

 もうそろそろカイキョウタウンともお別れの時間だ。ジムこそなかったが、普通の旅では得られぬ代えがたい経験を得られた島ともサヨナラしなくてはならない。

 

「それではジーさん、ご達者で」

「村長さんにもよろしく伝えてください」

「ピッピカチュウ!」

 

「……ああ」

 

 遠ざかる船の上から手を振る一行を見送り、ジーは波止場の上に一人佇んでいた。

 

「……さて」

 

 船が見えなくなった頃、ようやく男は動き出した。

 すると、続々と周囲から隠れていたポケモン達が集まってくる。

 

「クロバット、マニューラ、ドンカラス、ギャラドス、ヘルガー」

 

 どうにも強面なポケモンばかりであるが、中心に立つ主に向ける表情はどこか柔らかい。

 そんな十年来の付き合いの手持ち達に加え、新たに───否。()()手持ちに加わったポケモンも飛び出してくる。

 

「ケテ!」

「……ロトム」

 

 これで6体。

 今まで欠けていた1体も集い、男の手持ちは全て揃った。

 

 どれほどこの瞬間を待ち侘びただろう?

 同年代の子供がチャンピオンに輝く光景をテレビ越しにしか望むことのできなかった時から、随分と長い時間が掛かってしまったものだ。

 

 それでもあの瞬間抱いていた嫉妬は、純粋な羨望へと立ち返ることができた。

 

───今ならば……。

 

「……行くぞ、お前達」

 

 男はゆっくりと踏み出した。

 数十年前、歩み出せなかった一歩を。

 

 

 

 今、ようやく。

 

 

 

 ***

 

 

 

「それにしても随分長いことお世話になってしまいましたわぁ~」

 

 船上で優雅に茶をしばくベガがぼやく。

 

『……それはずっとベガがコスモスにバトル仕掛けてたからでしょ』

「んなっ!? ちちち、違いますわよ!! ワタクシはコスモスさんがどうしてもというから……ッ!!」

「バトルするほどフレンドリーというヤツデース!」

「おだまりデネブ!」

 

 などと、同年代の気安い会話をくり広げている一方。

 

「ン~フフフフ~ン♪」

 

 唯一後部座席でくつろぐテリアは、R印のタブレット端末を弄りながら鼻歌を歌っていた。

 

「ほほ~ん? つまり、ワタシはロケット団の研究者チームに入ればいいってことね?」

「モン、モン!」

「お? モンちゃんも気になるかい?」

「モ~ン!」

「そうかそうか! そりゃあ気になるよねェ~!」

 

 隣で楽しそうに声を上げるモンちゃんに、テリアは同意する。

 

「メインの研究はシャドウポケモンの『強化』と『制御』! それに並行してのクローン作製! 折角やるんだったらトコトン、だよねェ~!」

「ミュ~~~!」

「コラコラ、モンちゃん。興奮し過ぎ♪」

 

 ピンクの不定形が小動物型になったところでテリアが宥める。

 

「あら? 今の声……野生のポケモンでも乗り込みましたの?」

「いんや。いつものモンちゃんの『へんしん』さ♪」

「モ~ン!」

 

 怪訝に思ったベガが振り返ったものの、そこにはグネグネピンクスライムのメタモンしか確認できない。

 ベガは釈然としない表情でティーカップに注がれた緑茶を一口含む。

 

「……気のせいだったかしら」

「そうそう。気のせい気のせい♪」

「モンモ~ン♪」

 

 グネグネと身体を変形させるメタモン。

 そんなパートナーを撫で回すテリアが眺めていたのは、とあるポケモンのデータだった。

 

「ミュウツーかぁ」

 

 いでんしポケモンの名を冠すとある科学者の狂気の産物。

 テリアはそれを爛々と輝く好奇を宿した瞳で眺めながら、隣に浮かぶモンちゃんの頭を撫でる。

 

()()()()()()()より強いポケモン造れるかなァ~?」

「ミュ~~~!」

「コラコラ。また『へんしん』解けちゃってるゾ♪」

 

 

 

 へんしんポケモン、メタモン。

 見たものに変身する。

 ただし()()()()()()()()()()()()()、記憶次第なので()()()()()

 

 

 

 ***

 

 

 

 荒れる波を切り裂くようにして定期便の船は進んでいく。

 馬力は十分。時折跳ねるよう上下する船の動きはさながらアトラクションだった。スリルは満点である。

 

「うぇっぷ」

「酔い止め飲みますか?」

「はい」

 

 そして、胃の内容物は回転である。

 

 朝食が胃の中で『じごくぐるま』を食らっているレッドは、当然の如くドクロッグのようにグロッキーになっていた。

 いかに船が揺れようと微動だにしない体幹を有していたとしても、胃の内容物まで制御する術を人間は持っていない。持っていたとしたらエスパーだ。

 

 しかし、こうして船に揺られるレッドはとある人物のことを思い返していた

 

(これがサント・アンヌ号の船長が見ていた世界……!)

 

 豪華客船サント・アンヌ号を操舵していた船長。

 船乗りなのにも関わらず船酔いしていた彼を思い出すと、自然とお礼に教えてもらった『いあいぎり』も思い出す。

 

「ぐっ……ちょっと精神統一の為に『いあいぎり』してくる」

「さいですか。ここで待ってます」

「すぐ戻ってくるから」

 

 そう言ってレッドは席を立っていった。

 少しすると扉の先から『お客様!? 現在船内は大変揺れておりますのでご着席……えっ? 『いあいぎり』をしたい? どういうことですかお客様!? 困ります!! 困ります!! お客様!! あーっ!! 困りますお客様!! あーっ!! お(ry』と聞こえてくるが、コスモスは一向に気にした素振りを見せない。

 

(……あの時のセレビィ)

 

 少女の視線は指で摘み上げたメガストーンに注がれていた。

 時渡りしてきたセレビィが渡してくれたこの石がなくば、恐らくはジーに勝てなかったと断言できるであろう代物だ。

 

 だが、考えれば考えるほど都合が良過ぎるとコスモスは思った。

 ジーの手に渡ったボール───ロトムもだ。彼の反応を察するに、あのロトムは元々ジーの手持ちだったと思われる一体であり、そんなポケモンと再会できたからこそジーの凶行を止められた。

 

 全てが結果論。

 だからこそ、次第に違和感が浮かび上がってくる。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……)

 

───考え過ぎだろうか?

 

 一方でこのような考えに至ってしまうほど、あの一連の流れは()()()()()()()

 もしも仮にセレビィ───未来と過去を行き来する彼のポケモンに、今回の一件を関わらせられるとすれば何者か。

 

(それこそ()()()───)

 

『困ります!! お客様!! いくらキャモメの群れに襲われてるからといって応戦しないでください!! あーっ!! 困ります!! お客様!! お客様!! 『いあいぎり』で迎え撃たないでください!! あーっ!! お客様!!』

 

(……流石先生。生身一つでポケモンに迎え撃つなんて)

 

 船上でもブレぬ体幹。ポケモンの技で激しく揺れる場合もあるポケモンバトルにおいて、体幹は決して無視できぬ要素の一つであろう。

 そんな体幹の鍛錬を積んでいる(?)レッドに感服を受けたコスモスは、一旦それまでの思考を脇に置いて己も甲板へと向かって行く。

 

「先生、見学してもよろしいでしょうか?」

「え? あ、うん」

「お客様!? 困ります!! これを見学しても何も学べることはありません!!」

「そんなことはありません。先生はいつだって私に素晴らしい学びを得させて……」

「……あ。今度はペリッパーが来た」

 

 キャモメ達が『いあいぎり』でやられて怒った群れの強者共が、こぞってレッドを狙っていく。特性の『あめふらし』で周囲一帯の海域に激しい雨が降り注ぐ。足場は濡れて瞬く間に滑りやすくなった。

 

「なるほど。あえて足場を滑りやすくした上で体幹を鍛えるという訳ですね」

「お客様!! 納得しないでください!! 体幹を鍛えたいのでしたらジムに行ってください!!」

「言われなくとも私達はジムに向かっています。そこで勝つ為にこうして体幹を……」

「ジムはジムでもポケモンジムじゃありません!! 人間ジムですお客様!!」

「人間ジム……ふふっ」

「笑ってる場合じゃありませんお客様!! 早く船内に戻らないと投げますよお客様!!」

 

 強硬手段に打って出る船員に船内へ投げ込まれるレッド&コスモス。

 一方で襲い掛かってきたペリッパーも荒波の如く荒ぶる船員に海へと投げ込まれ、戦線離脱させられていく。

 

 やはり体幹を鍛えた人間は強い。

 

 コスモスは今日もまた一つ学びを得るのであった。

 そして、次なるジムがある町───ユウナギタウンは目前に迫っていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 カイキョウタウンの一角に佇む家があった。

 つい最近まで図々しく住み込んでいた居候と喧しい来客が屯していたとは思えぬほどに、シンと静まり返っている。

 

「……」

 

 本来の静けさを取り戻したというべき光景。

 しかしながら、それを見つめる男の瞳はどこか名残惜しんでいるようだった。

 

「フッ」

 

 以前の自分ならばありえない───いや、認めない感情だったと男は自嘲する。

 思い返すほどもない代わり映えのない日々を20年も続けていた。何も感じない、何も考えない日々はある意味では自分にとって理想の生活ではあった。

 ただし、それもあくまで『以前の自分なら』の話。

 

 今は、違う。

 

「もう行くか」

 

 女性の声だった。

 同時に、唯一この島で聞き慣れているといってもいい相手だと理解し、振り返る。

 

「おまえも自分の使命を見つけたのじゃのう」

「……見送りにでも来たか」

「そう訊き返すとは、やはりここを発つつもりなのじゃのう」

 

 名残惜しいのぅ、と漏らすのはカイキョウタウンの村長だった。

 しかし、その口振りとは裏腹に彼女の表情には喜色が滲み出ていた。

 

「……厄介者が出て行って嬉しいか」

「何をたわけたことを。そんなに性格が悪いように見えるか?」

「……ああ」

「冗談を言えるようになったか。フフッ、人間いくつになって成長するか分からんもんじゃのぅ」

 

 クツクツと喉を鳴らす村長は、男の横に並ぶや共に住処を見上げた。

 すっかり年季が入り、あちこちにガタが見えてボロ家同然だ。家主が居なくなればあっという間に朽ち果ててしまいそうな危うさが漂っている。

 

「おまえの代わりに手入れする人間が要る。まあ、しばらくはわしが面倒を看てやろう」

「帰ってくる保証はない」

「元より気長に待つつもりじゃ」

 

 鷹揚に頷き、村長は男の方を向いた。

 

「いつの時代も人には帰る場所が必要じゃ。おまえが自分の在るべき場所を見つけたと言いに来るまでは、わしがここを守っておく」

「……すまない」

「なあに、待つのは慣れっこじゃ。見送るのもな」

 

 万感を込めたような声音だった。

 彼女がいくつであるのかは知らないが、けっして若くはない自分よりも年上なのだろうという確信を、男は抱いていた。

 

 ただ抱いたまま、男は瞼を閉じる。

 眉間に寄った皺の数は、彼女に対する申し訳なさの表れだっただろう。理由は続く言葉だ。

 

「長い旅になる」

「そうか。人生を賭してでも為すべき使命があることは、ある意味幸せじゃのぅ」

「……だが」

「なんじゃ? 歯切れを悪くしおってからに」

「他人に迷惑を掛けてでも為すべきか……まだ私は決断しかねている」

 

 ここに来て、男は悩んでいた。

 だが、それは真っ当な苦悩であった。

 彼の人生はけっして褒められたものではない。いかに苦痛を強いられたからとはいえ、そこから逃げる為に強いた罪は数知れずだ。

 今更一つ増えたところで……とは思わない。

 ()()()()()()()()()からこそ、罪の重さとは圧し掛かってくるものだ。

 かつての友達と奇跡的な再会を果たした今だからこそ、過去に犯した罪の一つ一つを男は悔いていた。

 

「フム……なるほどのう。あたしが家守を買って出たから旅に赴けんと。そう言っておるのじゃな?」

「いいや、そういう訳では……」

「なら安心するといい。わらわは別に迷惑とは思っておらん」

「……すまない」

「ふぅ、旅立ちだというのに陰気臭い顔じゃのう」

 

 やれやれと首を振る村長だが、その口元は微笑みを湛えていた。

 

「じゃが、それも感情があるからこそ。感情なくば意志を発さず、意思なくば知識を求めず、知識なくば感情を判らず。どれを欠いても心とは成り立たん。ここは一先ず、おまえが心を尊ぶようになったことを喜ぼう。しかし───」

 

 村長は不意に語気を強めた。

 否応なしに男の視線は彼女の方へ向いた。そこには懐かしいものを見るような瞳が佇んでいた。

 

 まるで、男を通して誰かを見ているようだった。

 同時に彼女の瞳に映る自分の姿から、()()()()()()()()が自身を向いていると感じた。

 

 そして、

 

「誹謗も賞賛も所詮は他人の感情。重要なのはオマエ自身がどうあるべきかを強く持つことじゃ」

「!」

「オマエの道には苦難が多くなるだろう。だからこそ腐らず、驕らず、現実にドッシリと構えて立ち向かえ」

 

 それから村長は『受け売りじゃがのう~』と呑気な声音を発し、踵を返した。

 

「……待て」

「む、なんじゃ?」

「……礼を」

「ほう?」

「礼を、言わせてくれ」

 

 ぎこちなくだが、男は真っすぐに村長の方を見据える。

 落ち窪んだ双眸には光が宿っていた。太陽にも負けぬ眩い光だった。

 

 それは、本当に光り輝く大切なものを取り戻したように。

それは、本当に美しく輝く幸せを思い出したかのように。

 

 純粋だったあの頃の光を宿した瞳は、まるで綺羅星だった。

 

 

 

「ありがとう───コギト」

 

 

 

 はっきりと告げられた感謝の言葉に、コギトと呼ばれた女性は柔らかな笑みを湛えながら呟く。

 

 

 

「……達者でな、()()()

 

 

 

 かくして男は旅立つ。

 時空の狭間の地より、新世界に向かって。

 

 彼の歩みに恐れはない。

 何故ならば、すぐ隣に自分を受け入れてくれる小さな世界があるからだ。

 

 社会なんて、世界なんてそんなものだ。

 新しい世界は、常に新しい出会いと共にある。

 

 それがこの世界、ポケットモンスターが生きる世界だ。

 

 




Tips:コギト
 カイキョウタウンの村長を務める女性。見目麗しい壮年に見える美魔女であるが、本来の年齢がいくつであるかは島民の誰も把握していない。ただひとつはっきりとしていることは、彼女が誰よりも長くカイキョウタウンに居を構えているという事実だけである。
 シンオウ地方に構えているとある写真館の一枚に、彼女によく似た女性が写っているが詳細は不明。


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