女ハーフエルフにts転生して異世界の森で暮らしてたら前世のクラスメイト達が転移してきた件について (アマゾン)
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1.邂逅

群稜高校、二年五組の面々は唖然としていた。

少年少女らの目の前に鎮座するのは、突如見知らぬ森へ飛ばされた自分達を襲ったドラゴン。

全長は優に五メートルを越えるだろうか。刀剣のごとき牙と爪が金属さながら煌めいている。これの前では恐竜でも小型犬と大差無いだろう

……だが、喫驚する彼らの視線の先にいるのはその怪物ではない。

彼らの目線の先には、怪物の脳天に巨杭のような槍を突き立てる騎士の姿があった。

 

「……無事か、貴公ら」

「ぅぇっ!? はっ、はいっ!?」

 

玲瓏(れいろう)な声で話し掛けてきた騎士に、少年はまごつく。

その様子を見た騎士は肩に手を置き、優しい声で『落ち着け』と呟いた。

 

「私は、君の味方だ」

「は、はい……」

 

紳士的な態度の騎士を見て、生徒たちは少しずつ平常心を取り戻していく。

……しかし、彼らは大事な事を知らなかった。

いや、知る(よし)も無かったと言うべきか。

 

(うっわ! マジかよ……!? なんで今になって来るんだよ!? いつもの癖で思いっきり騎士ロールかましちゃったよ! うわ恥ずかし……!)

 

ーーこの騎士の中身が元クラスメイトかつ、内心で滅茶苦茶テンパってる事など知る由も無かったのだ。

 

 

俺、初見 樟葉(はつみ くずは)は転生者である。

前世は普通の高校生で、気付いたら魔法が普通に飛び交ってるファンタジー世界で赤ん坊になってました。

今生の名前はアルシュタリア。あっ、ちなみにハーフエルフです。まだ二十年ぐらいしか生きてないけどね!

 

そんな世界に来ちゃったモンだから、俺は調子に乗った。ヒャッハーしちゃった。魔法の才能もあったし。

故郷であるエルフの里から出て人間の王国に向かい、冒険者ギルドとかに入ったりして鍛え続けた。

 

こう見えて、最高クラスから二番目の階級までいったのだ。そこに到達したのは歴代で十人ぐらいしか居ないらしい……多分もう抹消されてるけど。そして今は森暮らしだ。

なぜそんな事になったのか。理由は勿論、調子に乗りまくった俺がヤバい事をやらかしたからである。

 

伝 説 の 聖 剣 へ し 折 っ ち ゃ っ たZE☆

 

……はい。式典と言うか、パーティーで酔った勢いで、ポキンとやってしまいました。

いやー……ヤバかったですね。だってもう、日本でいう国宝なんて屁でも無いレベルの至宝だからね。なんか過去にヤバい悪魔倒したやつらしいし、俺を信用して見せてくれた王様なんて目んたまひん剥いてたもん。

その結果、英雄から犯罪者へ一気に転落ですよ。スカイツリーのエレベーターも真っ青だよ。ははっ……

 

そんなこんなで国から逃げた俺は、片田舎にある森で静かに暮らしていた。

木の実や獣を食べ、暇な時は読書を嗜む。

定年を迎えた老人みたいな生活だが、これまで生き急ぎ過ぎて若干燃え尽き症候群になっていた俺には意外と合った。

このまま、ハーフエルフの膨大な寿命を静かに消費し続けると思っていたーーのに。

 

「あ、あのっ、ここってどこですかね……? アフリカとかですか?」

「……ふむ」

 

的外れな問いを投げ掛けてくる前世の級友を前にして、俺は頭を抱えそうになっていた。

……こいつは、間宮シンジ。高校での生活は七割以上こいつと一緒に居たんじゃないだろうか。

 

ちなみに中々にヤバい奴で、転校してきた初日でクラスの全員(教師と男子含む)にプロポーズをし、その全員に断られるという伝説を打ち立てた男だ。もちろん孤立した。本人いわく『ウケると思った』らしい。

だが根は良い奴で、向こうがどうかは知らないが俺は親友だと思っていた。

というか他に友達と呼べる人がいなかった気がする。あれ涙が……

 

ちなみに他のクラスメイト達は担任の後ろで俺の様子を伺いながら着いてきている。泣いてる娘もいるな。

あれが普通の反応だ。なんでコイツだけこんな怪しい騎士に話し掛けて来てるんだよ。頭おかしいのか? あぁ頭おかしいのか。(諦め)

 

「貴公の言うアフリカとやらが何かは知らないが……知っての通りこの森は危険だ。私の住処に案内しよう。帰還の目処が立つまでゆっくりしていくと良い」

「そうですか……ありがとうございます」

 

前を向いたまま言った俺に礼を言った後、シンジは顎に手を当てながら『アフリカを知らない……? はっ、まさか。これは流行りのアレでは……っ!?』とか呟いている。

そうだよ。流行りのアレだよ。異世界転移だよ。良かったなお前、前の世界でも『異世界行って無双してぇなぁぁぁ"あ"!』とか言ってたもんな。チートがあるかは分からんけどな。

 

「ところで騎士さん。名前はなんて言うんだ?」

 

少し緊張が抜けた様子のシンジがそう聞いてきた。敬語を使いなさい敬語を。今生含めればお前より二十年ぐらい長く生きてるんだぞ。うやまえ

 

「……アルシュタリアだ」

「おぉぅ、名前カッケェ……」

 

その後シンジは少し迷った素振りをした後、ゴホンゴホンと咳払いしてから口を開く。

……ああ、これは。コイツの『鉄板ギャグ』が来る。

初対面の仲良くなりたい相手にぶちかまし、例外無くドン引きさせる『アレ』が来る。

 

「俺は間宮(マミヤ)シンジ! 気軽にマミーって呼んでくれ! あっ、俺男だった! やっちまったぜ、テヘペロ!」

「毎回思うけどそれつまんないからやめた方が良いぞ」

「えっ」

「な、なんでもない!」

 

思わずツッコミを入れてしまった。

訝しげな目で見てくるシンジを無視し、俺は少し早歩きになった。

……俺の正体がバレるのは、なんとしても避けなければならない。それには二つの理由がある。

 

一つは、単純に恥ずかしいって事。こんだけ暗い過去を背負ってる騎士っぽいキャラを通しといて、実はクラスメイトでしたーなんて、なんか嫌だ。それに変な混乱を招きそう。

そして、もう一つはーー

 

「アルシュタリアさんって呼んで良いですかね? 良いですよね!」

「……ぅうむ」

 

ーー()()()()()()()()()()()

今は鎧を着込んでいるからまだこいつらに性別はバレていないが、今後保護していくにあたって一度も鎧を脱がないなんて無理だろう。エコノミークラス症候群になっちゃうよ。

 

そして万が一、バレた後にボロを出してしまって俺が『ハツミ クズハ』だと察されてしまうのが最悪なパターンだ。

クラスメイトに『女になって異世界で騎士やってた』とか知られたら死んでしまう。主に俺の羞恥心が。

特にシンジは危険だ。こいつは妙に勘が良い。

……それにもしも、気持ち悪いとか言われたら泣いてしまうかもしれない。

ん? メンタル弱すぎだろって? うるさいやい! こちとら社会経験無しに大人になった年増ハーフエルフだぞ! エルフは寿命が長い種族柄、精神の成熟が遅いんだよ! 里の幼馴染なんか二十歳越えてるのに未だにばぶばぶ言ってるんだぞ!

 

「……着いた。すまないが少し外で待っていてくれ」

「あっ、了解っす!」

 

そうこう言ってる内に俺の家に着いた。巨大な土壁に扉が着いている。

クラスの人数は全員で三十人程。一部屋に三人ぐらい入ってもらえばギリギリ大丈夫だ。深夜テンションで作った無駄に多い部屋が活きる日が来るとは思わなかった。

俺は扉に入って大急ぎで掃除をし、全ての部屋に寝具などを設置していく。

……よし、このぐらいで良いか。

扉を開き、外で待つクラスメイト達に『入ってくれ』と言った。

 



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2.不信感

まさかこんなにたくさんの評価とお気に入りを頂けるとは思わなかった……(別作品の箸休めに書いた人)
感想下さった方ありがとうございます!返信出来てなくてすいません。これからは頻繁に返させて頂こうと思うので、ぜひまたご感想ください!


「おぉ、秘密基地感がすげぇ……」

 

我が家(ちょっと立派で部屋の多い防空壕みたいなの)の中を歩く俺の後ろに、距離を置いてクラスメイト達が着いてきている。そして何故かシンジだけはボケッとした顔して横に居る。 やっぱコイツ頭おかしいだろ。

 

「後ろの者たちは戸惑っているようだが、君は大丈夫なのか?」

「あ、大丈夫っす。こーゆー状況は普段からもうそ……シミュレーションしてたんで」

「そ、そうか……」

 

とても良い笑顔で親指を立てるシンジに哀れみの目を向けながら、俺は一つの扉の前で立ち止まった。

……ちょっと、嫌がらせしてやるか。

 

「ん? アルさん。なんで止まっーー」

「すまないが貴公ら、部屋を割り当てるから()()()()()()()()()()()()()()()()。貴公らの状況はそれから聞こう」

「っ……!?」

 

シンジの顔が絶望に染まる。

俺は自分の口角がつり上がるのを感じた。普段飄々としてるだけに、シンジのテンパる姿は珍しい。

いやぁ……こいつも俺も互いに他の友達居なかったもんなぁ……あれ、目からミネラルが。

 

「ま、待てアルさん。考え直そうぜ。こんな状況で俺たちを分断したって不安にさせるだけだ! なぁ、皆……」

 

振り向いたシンジの視線の先にあったのは、ペアを完成させてこちらの様子を伺うクラスメイト達の姿だった。

いつも俺たちと組んでくれていた先生もこんな非常時では生徒に大人気で、多くの女子にすがり付かれていた。心なしか頬がほころんでいる。

 

「……あっれー……?」

「早くしないと貴公もあぶれてしまうぞ」

「……ぁあぁ! ちくしょぉぉぉ!」

 

ヤケになったように叫んでから、シンジは生徒の群れに突撃していった。

だが数分後、意気消沈して帰ってくる。

 

「ん? どうした? ん? ん?」

「……えっと、その」

 

目を泳がせ、顔に冷や汗を浮かべながらシンジが言い淀む。

しかしこちらが見つめ続けていると、唐突に頭を地面に擦り付ける体勢になった。

流れるようなジャンピング土下座。俺じゃなきゃ見逃しちゃうね。

 

「足伸ばして寝れるぐらいの大きさで良いので一人部屋くださぁぁぁい!」

「良いぞ」

「やったぁぁぁ! 嬉しいなぁぁぁ!」

 

ヤケクソになった様子で喜ぶシンジを良い感じの物置に押し込み、俺は他のクラスメイト達を部屋に案内した。

皆の反応は様々で、未だにこの現状をテレビのドッキリだと思っている者、泣いている者など様々だ。

先生なんかは俺を誘拐犯だと勘違いして『あなたを誘拐と監禁罪で訴えます! 理由はもちろんお分かりですねッ!』と、まるで弁護士のように捲し立ててきた。

生徒の前でカッコつけたいのは分かるけど、良い年こいたおっさんが何してるんですかね。

 

「それでは、貴公らのタイミングでこの先の大広間に来てくれ。どういう状況でここに来たのか説明してほしい」

 

そう頼んだが、皆は顔を見合わせて渋い顔をした。

まぁそうか……普通罠だと思うよな。一ヶ所に集めて一網打尽にしようとしてるとか思われてるのかもしれない。

どうにかして安心させる事は出来ないか……

 

「あ、あのっ……い、いい、ですか……?」

 

俺が頭を抱えていると、学級委員の花子さんが手をあげた。

おお、何か妙案があるのか。花子さんは賢いからな。俺なんかよりよっぽどーー

 

「シ、シンジ君だけに行かせて、そこで聞いた事を私たちに話して貰えば良いと思いますっ! もしこれが罠だったとしても、最悪シンジ君ですし……まぁ……」

 

え、えぇ……?

どうすんだシンジお前、あの真面目な花子さんにさえ見捨てられて捨て駒にされようとしてるぞ。俺が居た時はまだここまで嫌われてなかったろ。

い、いや、まだ分からない! 一人ぐらいはシンジの身を案じる奴が……!

 

「さ、賛成だ! 死ぬならアイツだけで良いだろ! 少し経ってシンジが帰ってこなけりゃ逃げればいい!」

「あんな奴生きてても役に立たねぇし!」

「なんかアイツ頭貫かれてもへらへら笑ってそうだし!」

「そういえばさっき、どさくさに紛れてあいつにお尻触られたわ!」

「私も触られた!」

「私も触られたわ!」

「私もあいつに!」

「私は胸よ!」

「せ、拙者も!」

「誰だてめぇ!」

 

ギャーギャー騒ぐクラスメイト達を前に、俺は唖然としていた。

シンジェ……あのセクハラ野郎が。友人として冤罪だと信じたいが、あいつならやりかねない。

前世でいつも父さんが言っていた『人間社会において信用は防具だ』という台詞が脳裏を掠めた。あれってこういう事だったんだな。やっと実感したわ。

 

「わ、わかった! 話はシンジにするから、もう止めてくれ!」

 

そう言うと、やっと言い争いは止んだ。

……さて。アイツに説明するのにどれだけ時間が掛かるか。

シンジは話を反らす天才だからな。前なんてエロ本の話をしていた筈なのに、気が付けば宇宙の真理について語り明かしていたなんて事もある。

時間が無いし、さっさと説明しに行こう。

 

 

「という事で。級友たちではなく君だけに説明する事になった」

「いやいやいや!? 違うんすよアルさん! こ、これは別に俺が嫌われてるとか、そんなんじゃないんですよ!? 信用されてるゆえの人選というか……きっと、たぶん……」

 

先程の出来事を説明すると、シンジは物凄い勢いで首を横に振りだした。

いや、思いっきり嫌われてただろ。これ以上無いってぐらい。

 

「……婦女子たちの尻や胸を触ったのは本当か?」

「えっ……なんで知って、ぁあいや!? 違いますよ!?

あれはマジで偶然って言うか! 確かにラッキーだとは思ったけれどもっ!」

 

必死の形相で言い訳を並べるシンジに冷やかな目線を送っていると、向こうもそれを感じ取ったのか更に早口になる。

 

「あ、アルさんだって男なら分かるだろ……なっ? 」

 

いや、『なっ?』じゃないんですけど。それに今は女ですしー。

きゃーシンジくんサイテーとか言ってやりたいが、キャラが崩れるのでやらない。

 

「……あぁ」

「おぉ、流石アルさん話が分かるぜ! あ、そうだ……友情の証にこれやるよ!」

 

にぱっと笑顔になってから、シンジは手持ちの鞄をゴソゴソあさりだした。

友情の証……? こいつの事だから道端のタンポポとかか?

セミの脱け殻とか出してきたら騎士の演技ほっぽりだしてブチ切れるぞ。

 

「はい! 俺の秘蔵の一冊! この世界って多分カメラとか無いよな? 相当な貴重品だぜそれ!」

「あっ……えっ……」

 

ーー差し出されたもの。端的に言えばそれはエロ本だった。

グラビアアイドルたちが胸を突き出すポーズで微笑んでいる。

どのモデルもかなり質が良く、前世なら喜んで貰っていたかもしれない。

だが、何故か強烈な違和感に襲われた。

 

「そんなに見入っちゃって、やっぱりアルさんも男だなぁ! ちなみにどの娘が好みーー」

「俺の方が良い体してる……」

「えっ」

 

エルフの血が入ってるからか俺の方が腰も細いし、多分顔だって良い。……たぶん。それだからか全く興奮できない。

チョコを食べた後にイチゴを食べると酸っぱく感じるのと似ている気がする。

 

「あ、アルさん? これはですね、そういう筋肉的な観点から読む書物ではなくてですね。あんな大槍持てるんだからアルさんも筋肉凄いんだろうけど……」

 

食い入るように表紙を見つめる俺に、シンジは微妙な表情で説明してくる。

……こいつに今の俺の体見せたらどんな反応するんだろうな。いや、やらないけど。

こんなエロ本で興奮してるなら、鼻血出して失血死するんじゃなかろうか。

 

 

それから、シンジにこの世界についての大雑把な説明をしてから俺は自室に戻った。

ベッドに倒れこみ、深いため息を吐く。

……久々に人と話したから緊張した。ボロとか出さないよう必死だったし。

 

「はぁ……あっつい」

 

騎士の兜を脱ぎ鏡を覗き込んだ。

長らく切っていなかった長い銀色の前髪の向こう側に、THE女騎士という感じのキリッとした蒼い目がチラチラ見える。

そして、ハーフエルフの特徴とも言える常人より少しだけ長い耳。

 

「……不細工では、ないよな……?」

 

生まれ育ったエルフの里に美男美女しか居なかったせいか、今の俺の美的センスは多分ちょっと狂ってる。

もしかしたら向こうの世界の住人からすれば俺の素顔はとんでもなくブサイクかも知れないし、あるいは美人と写るかもしれない。

これも素顔を見せたくない理由の一つだ。

あんなカッコつけといて不細工だったら『えぇ……』ってなるだろ。

 

「……よっし」

 

かぽっと兜を被り直し気合いを入れる。

……演じ切って見せるぞ。少なくともしばらくは。

そう決意して、俺は部屋から出た。



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3.嫌悪する君

「と! 言うわけでっ! ここは異世界、剣と魔法ひしめくファンタジーワールドなワケ! アンダースタァン?」

 

間宮シンジは、クラスメイト達の冷ややかな視線を浴びながら声高々に演説をしていた。

シンジは今、テンションが上がっている。彼にとって他人から必要とされるのは滅多に無い事であり、普段自分の話に耳を傾けてくれる人間がほとんどいないのもそれを後押ししていた。

 

「そ、そのっ、アルシュタリアって奴は信用できそうなのか!?」

「ぁあ! もちもちのろん! 信用金庫もビックリの安心感よ!」

「お、おぅ……」

 

歯を見せてサムズアップするシンジに引きながら、クラスメイトの一人が返事をした。

それからも幾度かの質問と応答が繰り返され、引き出せる情報を全て聞き出したと分かればシンジは、クラスメイトたちに部屋から追い出された。

 

「……はは、ひっでぇ。ありがとうぐらい言ってくれても良いんじゃねぇかな」

 

カラカラと独り笑いしながら、シンジはアルシュタリアに与えられた自室へと戻る。

その足取りは重く、表情も先程までとは程遠い能面のごとき無表情へと変わっていた。

 

「……クズハが、居ればなぁ」

 

ソファに横たわり、今は亡き親友に思いを馳せる。

彼の生涯における唯一の友人。そして、母と同じ『もう会えない人』。

 

「なぁんで死んじまったんだか……」

 

ーー初見 樟葉は、三ヶ月前に事故死している。

帰り道シンジと別れた後、トラックに轢かれて。

即死だったらしい。

 

「……はーあ、今までの人生で慣れてたのに、お前のせいでまた一人が辛くなっちまったよ」

 

クズハが死に、またもや孤独に苛まれるようになった彼はそれを紛らわすため『ピエロ』になった。

常にヘラヘラ笑って、周りにもゲラゲラ(わら)われて、侮蔑の視線に焼かれながら寒い冗談を飛ばし続ける『ピエロ』

そんなのでも、一人で居るよりは遥かにマシだった。

 

話は変わるが"世界五分前理論"という哲学的テーマが存在する。

これをかなり要約すれば、『認識されない者は存在しないに等しい』という理論で、シンジの生き方の根底にあるものでもあった

 

【誰かに見て貰えてる内は、たとえピエロであっても自分を保てる】

 

気が狂いそうな家庭と学校の環境。彼を支え続けた精神的支柱がこれであった。

……ゆえに、クズハという本当の自分をさらけ出せる人が居た内はピエロになる必要は無かったのだ。

だがクズハはもう居ない。孤独な彼が息をするには、再びピエロに戻るしか無かった。

「シンジ、居るか?」

「……お、アルシュタリアさんか」

 

その時、扉がノックされて例の騎士の声が聞こえた。

 

「開いてますよー」

「入るぞ」

 

扉が開くと同時に甘い花の香りがした。

その発生源はアルシュタリアであり、シンジの『良い匂いするとか絶対に陽キャイケメンだろ』という根拠不明の偏見を加速させる。

 

「アルさん女の子みたいな匂いっすね。まさか女でも抱いてきーー」

「っ!?」

 

『女の子みたいな匂い』に異常な反応をしたアルシュタリアを見て、シンジはこの家の中に彼の恋人が居る事を察した。

 

「べっべっべつに!そんな匂いしないと思うけどなっ!?」

「いや、別に良いんすよ。ここアルさんの家だし、邪魔してるのは俺たちの方なんで」

「え……?」

 

困惑するアルシュタリアに心の中で『とぼけんな』とツっこんでからシンジはベッドにボスッと横たわった。

そしてその体勢のままアルシュタリアに目線を写す。

 

「何か、用があって来たんですか?」

「あぁいや……ただ、君と話したかったんだ」

「は?」

 

恥ずかしそうに言ったアルシュタリアに、シンジは自らの顔がしかめられるのが分かった。

ーー俺が1人だから、憐れんでんだろ。

たぶん善意百パーセントでの行動なのだろうが、それは酷くシンジの精神を逆撫でた。

 

「……別に、そういうの良いんで」

「え……?」

「別に、一人でも平気なんで」

 

そう口走ってから、キツイ事を言ってしまったとシンジはハッとした。ーー今のは、ピエロらしくない。

 

「いやぁほら! 見ての通りっ! この不肖間宮シンジ、ぼっちを極めてるので、アルさんがわざわざ時間を割いてくださらなくてもこの通り元気いっぱーー」

 

ベッドから飛び起きて顔に笑顔を張り付ける。大袈裟な身ぶり手振りも忘れずに。

これで大抵の人間は、面白がるか気持ち悪がるか蔑むかしてくれる。たまに拳が飛んでくるが。

この人の反応に合わせた人間を演じれば良い。

そう思って、くしゃくしゃの笑顔にした薄目を開きーー

 

「……すまない」

 

ーーアルシュタリアは、心から悲しそうな声でそう言った。

 

「ぇ……え?」

「迷惑だったな、悪かった」

 

がちゃり、ばたん。と足早に部屋から出ていった。

シンジは唖然とする。

 

「……はっは、心までイケメンってか」

 

ーー急だったから、道化の演技を見破られた。そう結論付ける。

その上で蔑みではなく憐れみを向けてくるのは、あの人が所謂『人格者』だからなのだろう。

シンジが、最も嫌いで苦手な人種。

 

「クソッタレが」

 

心からの悪態を付き、シンジは目を瞑った。

 

 

 

「は、ぁ……!」

 

ーーやばい、吐きそう。

シンジの部屋から出た俺は、荒くなった自らの鼓動を戻すのに苦心していた。

 

『別に、そういうの良いんで』

 

……ずっと一緒に居たから分かる。

あれは、『拒絶』だ。それも明確な。

ーー間違いなく、嫌われてる。

そう自覚した瞬間、今生で一番と言って良いほどに胸が痛んだ。

 

「なんで……」

 

なんで、なんでーー頭の中で疑問符が浮かんでは消えて、数千回。

……わからない。前世より、『初見 樟葉』より間違いなく立場は上なのに、なぜ受け入れてくれない。

そう、思考してーー

 

「ぁ」

 

ーー思考して、気が付いた。

俺は今、確かにアイツの事を下に見ていた。

友人ではなく、庇護すべき弱者として見ていた。

恐らく向こうも俺を、逆らうべきではない絶対者として見ている。

そんな関係に友情など芽生えようもない。

なぜそれに気が付かなかった?

 

「……最低だ」

 

自分への怒りに任せて壁を殴る。

岩の層が大きく抉れた。

……願わくば、もう一度『あの関係』を。

馬鹿話をして笑い会えるあの日々を。

取り戻したいと、思った



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4.『嘘笑い』

「……よし」

 

クラスメイト達と再会してから半日後、鎧を脱いでエプロンを着けた俺はキッチンで肉を捏ねていた。

小分けにされたそれはクラスメイトの人数分、30個。

大きさが均一な事を確認した後、その内の4つ程を油を引いたフライパンに乗せて魔術で火を着ける。

 

「あいつ確かハンバーグ好きだったよな……」

 

一緒にファミレス行った時だっていつもハンバーグしか頼んでなかったし、きっと大好物なのだろう。

焼き上がったミンチ肉に菜箸で穴を明け、火が通っている事を確認してから次の列へ移る。

 

そんな作業を一時間程繰り返し、30個数のハンバーグが完成した。

野菜と一緒に皿に盛り付け、お盆に乗せて魔法で作った即興の台車に乗せる。ガ〇トとかで店員さんが使ってるあれだ

 

「……喜んで、くれるかな」

 

……今の俺は、シンジに嫌われてる。

食い物で好感度が上がる程単純ではないと思うが、それでもまずいのと美味いのとでは大違いだろう。

 

「食堂設備しなきゃ……」

 

テキパキと鎧を着直してキッチンから出た。

……俺が昔ノリと勢いで作った部屋は三つある。

図書館、トレーニングルーム、そして食堂だ。

三つとも今は使ってない。一人暮らしで食堂なんて使うワケ無いし、トレーニングなんて三日坊主で終わった。重力魔法とか仕組んでドラ◯ンボールばりの過酷環境にしたのだが。無駄な苦労だった。

唯一使ってるのは図書館だけど、それも最近は行ってない。

 

食堂へ入り、長机に置いたランタンに魔力を流す。

すると全ての机の上の灯りが連鎖するように点灯した。薄暗かった食堂が一気に明るくなる。

そこに皿と、よく洗ったスプーンやフォークを置いていく。

 

「……よし、皆呼ぶか」

 

クラスメイト達の部屋を巡り、『夕飯の準備が出来たから、早めにこの先の食堂に来てくれ』と言って回った。

……まぁ、来ないだろうけど。シンジに大丈夫だって伝えて貰えば良いか。

 

全ての部屋に行った後、俺は一つの部屋の前で立ち止まる。

……あんな事あった後だから、緊張するな。

なんて声を掛けようかーー

 

「あれ、アルさんなにやってんすか?」

「ひゃいっ!?」

 

後ろから肩を叩かれた。

その声に振り向くと、そこには笑顔のシンジが立っている。

ティッシュで手を拭いてるからトイレに行っていたのだろう。

こ、こいつ、油断してたとは言え俺の背後を取るとはやるじゃねぇか。というか変な声出た。

普段は意識して低い声出してるからか、咄嗟だと素が出るな……

 

「あ、ぁあいや。夕飯の準備が出来てな。君に、伝えようと思って……この廊下の先の食堂に来てくれ」

「おお、どうりで良い匂いしたんですね。じゃあ俺はクラスの連中に安全だったって伝えてきまーす」

「……察しが良くて助かる」

「いえいえ」

 

首筋を掻きながらニコニコ笑い、俺に手を振ってシンジは小走りで去っていく。

まるで嫌われてるとは思えない。だが挙動の端々に、嫌いな人間に対してシンジが無意識に行う動作が含まれていた。

……あいつ、馬鹿な癖に自分の外面繕うのは上手いからな。

 

間宮 シンジは反吐が出る程嫌いな相手とも笑顔で会話できるタイプの人間だ。

あの演技を見抜くのは初見じゃまず不可能。長年付き合ってる俺からしたらバレバレなんだけれども。

あいつが『嘘笑い』する時は、まず右の口角が上がる。それから首を僅かに左へ傾けて顔をくしゃっと『笑み』にする。

さっきの笑顔はそれだった。……前世の俺には、一度も向けてこなかった表情。

 

「……はぁ」

 

食堂に入り、俺は溜め息を吐いた。

……今生じゃ周りにほぼ悪人と狂人しか居なかったせいで忘れていたが、近しい人間に拒絶されるというのはとても苦しい事なのだ。今になって思い出した。

なんと言うか、胸が詰まったみたいに息がしにくい感覚。

 

「アルさーん。みんな連れてきましたよー……って、すげぇ。ここにこんな場所あったのかよ」

 

そんな事を考えてる内に、皆を引き連れてシンジが入ってくる。

クラスの面々は、食堂を見て『おぉ』とか感心したような溜め息を漏らしていた。

 

「好きな席に座ってくれ」

 

そういうと、おずおずと皆は席に着いていく。

シンジは一人で端っこに居たので俺はその横に座った。一瞬だけ『うわなんだコイツ』みたいな顔をされたが、気付かないフリをして前を向く。ちょっと泣きそうになった。

 

「そ、それじゃあ、食べて貰って構わない。飲み物が欲しかったら、後ろの方にある魔術ウォーターサーバーから取ってくれ」

 

だが、皆は一向にハンバーグに手を着けようとはしなかった。

全員がシンジの方を向いて黙っている。

 

「あー、はいはい、毒味しろって事ね……」

 

呆れた顔で言いながら、シンジはフォークでハンバーグを口に運んだ。

何度か咀嚼した後、驚いたように目を見開く。

 

「……美味い」

「そうか。それは良かった」

 

俺に返事をしないまま食べ進めるシンジ。

数分後、ハンバーグを全て食べ終えたシンジが満足したように背もたれへ倒れ込んだ。

そして、こちらを向いて口を開く。

 

「……アルさん、料理も出来るんすね」

「森暮らしに自炊は必須だからな」

「いや、そういう次元のクオリティじゃないでしょこれ……なんでファミレスより美味いんだよ……」

 

食べ終えてもシンジが倒れたりしないのを見て、クラスメイト達もハンバーグを食べ始める。

それを確認してからなんとなくシンジの皿を見ると、付け合わせの野菜が残されていた。

 

こ、こいつ、そう言えば前世の時も俺の皿に自分のニンジンとか移してきてたな。

何回『野菜食わないと健康に悪いぞ』って言っても効果は無かったが。

 

「……おい」

「な、なんすか」

「野菜を残すな」

「……あー、アルさん付け合わせのミックスベジタブル食べるタイプ? あれって俺的には視覚的な彩りを楽しむためのモンだから、食うのは野暮ってか、ニンジン嫌いって言うか……」

「食え」

「……はい」

 

ちびちび野菜を口に運んでいくシンジを見ながら俺は溜め息を吐いた。

 

「"野菜を食べないと健康に悪いぞ"」

「っ……!?」

 

ギョっとしてシンジが振り向いてきた。

な、なんだ? なんか変な事言ったか?

 

「どうした」

「……いや、何でも、ないっす」

 

皿に向き直り、再び野菜を食べ出す。

……何故かその時、俺にはシンジの顔が、少しだけ泣いてしまいそうに見えた。

そんなに野菜を食べたくなかったのか……?

 

 

 

「……なんで」

 

食堂から自室に戻ったシンジは、ベッドに倒れ込みながら小さくそう溢した。

……アルシュタリア。自分が最も嫌う『人格者』という人種。

料理も運動もできる、しかも性格も良い完璧な人間ーーなのに。

 

『野菜を食べないと健康に悪いぞ』

 

「……ぁあクソ」

 

ーーあの瞬間だけ、アルシュタリアが"ハツミ クズハ"に重なって見えた。

優しい声で、呆れながらも自分を心から心配してくれていた親友と、異界の騎士が被ってしまったのだ。

 

「……嫌いに、なれねぇ」

 

シンジがアルシュタリアに対して抱いている感情は、かなり複雑な物だった。

先程までは確かに大嫌いだったーーが、今は一概にそうとは言えない。

 

これはさっき気が付いた事だが、シンジがアルシュタリアに対して好ましくない反応をした時に、アルシュタリアは必ず一瞬動きを止める。

そして次に話し掛けてくる時は、少しだけ弱々しい声になっているのだ。

……まるで、シンジに拒絶されるのが苦しい事であるかのように。

それを見て、アルシュタリアは自分と真剣に向き合おうとしていると分かってしまった。

 

「……ああいうのが、一番やりにくい」

 

ーーやっぱり、嫌いかもしれない。

完璧な人間ほど、不自然かつ気持ち悪い物は存在しないのだから。



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5.魔法

「おぅい、どうしたんだよエブリワン。俺になんか聞きたい事でもあんのか? ぁあ、告白ならバストA以上の女子限定! 今なら漏れなくこのイケメン高校生間宮シンジのハートをプレゼーー」

「うっぜぇ、黙れキモ野郎」

 

この森に転移した翌日、シンジはクラスメイトたちに囲まれていた。

勿論、彼が急に人気者になったわけではない。クラスメイト達の汚物を見るような視線がそれを物語っている。

特にシンジの前に立つ整った顔立ちの男はそれが顕著だった。

 

「……で? 早く本題に移ってくれよタスク。俺は部屋でエロ本読むのに忙しいからな!」

 

くしゃっと笑顔になったシンジを嫌悪する目で見ながら、タスクと呼ばれた青年は口を開く。

着崩された制服と黒混じりの金髪から、素行の悪い生徒だとわかる。

 

「あの……アルシュタリアって男、本当に信用して大丈夫そうなのか? お前、随分仲良さそうだったろ」

「い、いや! 信用してはいけない! ヤツは私たちを誘拐した犯罪者だぞ……」

 

担任教師の男がタスクに叫んだ。

 

「はぁ……現実見えてねぇ馬鹿は黙ってろや!」

「ひぃっ!?」

「うぜぇ……うぜぇけど、現状俺達の庇護者はあのアルシュタリアって奴しか居ねぇんだ。危害を加えてくる心配がねェなら、最高の味方になる」

 

そう言い終えた後、タスクはシンジへ向き直る。

 

「……それによ、あの食堂のランタンおかしくなかったか?」

「は……?」

「空っぽだったんだよ……ただのガラスの箱、そこから火が出てたんだ。しかも、アルシュタリアが手を上げ下げした途端に着いたり消えたりした……科学じゃありえねぇ」

 

シンジはタスクの洞察力に驚いた。

特に調べたりしている様子は無かったのにここまで分析するとは。

 

「お前アルシュタリアに、この世界は『魔法』が存在するって聞いたんだよな」

「あ、あぁ」

「それ……俺たちも、使えるんじゃねぇか? ドラクエみてぇによ。テッテレー!つってな……」

 

整った顔が、ニタリと歪む。

そしてシンジの肩に手を置いた。

 

「……習いに行くぞ。このまま飼い慣らされてるだけじゃ、何も変わらねぇ」

「……は?」

「他にも着いてきてぇ奴は着いてこい! あぁシンジ、お前は強制だ。明らかに気に入られてるからなぁ……お前が居た方がやりやすそうだ」

「はぁっ!?」

「良いか? 外に居たあのドラゴンみてぇな怪物がこの世界には実在すんだ。日本に帰る手段を探すにも、力は必要だろうが」

 

そう言ってタスクは立ち上がり、シンジを無理やり引っ張ってアルシュタリアの部屋に向かう。それに数人の生徒が続いた。

担任の教師は『何かあっても私の責任じゃないからな!』と言って狸寝入りしてしまった。

 

「……アルシュタリアは、ここに居んのか?」

「あ、いや、そうだけど……」

 

シンジにそう確認したタスクはドアの前に立ち、何度か深呼吸をする。

タスクは少し震える手で扉をノックした。

 

「おい、アルシュタリア!」

 

その問い掛けの後、部屋の中からドタバタと慌ただしい物音が聞こえてきた。シンジを除くクラスの面々の緊張感が増す。

一分程そのまま続いていたが、ガチャリとドアが開いた。

灰銀の全身鎧を纏った男、アルシュタリアだった。

 

「……何の用だ?」

 

扉が開き出てきたアルシュタリアは、タスクの顔を見て冷たい声で聞いてきた。

刹那、タスクは心臓を冷えた両手で握り締められたかのような恐怖に襲われる。

不良という性質上一般的な日本人より戦いに身を置く機会の多い彼ではあるがーー近くで見ると、アルシュタリアは別格だと分かった。

銃を持ったヤクザでもここまでの迫力は無い。

 

「……俺たちに、戦う方法を、教えろ」

 

本能が逃げろと警笛を鳴らす中、なんとか絞り出した声。

それを聞いた途端、アルシュタリアから放たれる、場を支配するプレッシャーが更に増した。

 

「戦う方法……?」

「ひっ……」

 

最後尾に立っていた少女が悲鳴を挙げる。

タスクも足が震えないよう必死だった。まるで鉄格子無しに猛獣と向かい合うような威圧感。

 

「そうだ、俺たちに、戦う力を……」

「君のような人間にそれを教えるつもりは無い。帰ってくれないか」

 

冷たい、嫌悪すら感じさせる声色。何故だかアルシュタリアはタスクが気に食わないようだった。

言い残して部屋に戻りかけるアルシュタリアに焦り、タスクはイチかバチかの手段に出る。

 

「シ、シンジが、お前に習いたいって言ってたぞ!」

 

アルシュタリアの動きがピタリと止まる。

シンジは『いやいや何言ってんの!?』という表情でタスクを見た。

だが、場を支配していた呼吸に支障をきたす程のプレッシャーは幾らか緩和する。

アルシュタリアは後ろの方に居るシンジを凝視しており、初めて彼の存在に気がついたのだと分かった。

 

「……シンジ、居たのか」

「あ、アルさん、いやですね……これは別にそういう事じゃなくて……」

「良いぞ」

「へっ?」

「戦う方法を教えよう。部屋に入ってくれ」

 

心無しか嬉しそうな声でアルシュタリアが言った。

一同はポカンと立ちすくんだ後、おずおず部屋に入っていく。

 

「……おいシンジ。お前なんでアイツにこんな好かれてんだ。異常だぞこれ」

「いやマジで知らねえって……」

 

アルシュタリアの部屋に入ったシンジが真っ先に抱いた感想は、『良い香りがする』だった。小学生の頃に遊びに行った女子の部屋に近い香り。こちらの方が数段は上品な感じがするが。

内装は以外と普通で、整えられたベッドと未知の文字で書かれた何冊かの本が積まれた机、クローゼットらしき物の隙間から何かピンク色の物体が見えた気がしたがきっと気のせいだろう。

 

「その紙に向けて血を垂らしてくれ。一滴で良い」

 

引き出しの中をゴソゴソしていたアルシュタリアが、クラスメイト計五人に一枚ずつ羊皮紙のようなザラついた乳白色の紙を渡す。

 

「……アルさん、なんすかこれ?」

「魔法属性の適性を調べるための物だ」

「ぉおう……テンプレっすね……」

 

指示された通りに、五人は制服に入っていたシャープペンシルなどを指先に突き立てて血を垂らした。

付着した血は、紙の表面を焦がしたり湿らせたりして様々な反応を見せる。

 

「……あれ、アルさん。なんか俺だけ何も起こらないんですけど」

「あぁ。才能が無いんだろう。そもそも魔法に適正がある人間自体珍しいから落ち込まなくて良い。大丈夫だ」

「マジかよ……?」

「おいアルシュタリア。俺のは火が出て……なんか茶色くなった。なんだこれ」

 

ガックリと肩を落とすシンジに優しい声で言ったアルシュタリアに、タスクが質問を投げ掛けた。

 

「……火と土、二属性だ」

「なんでムカついた声なんだよ」

「チッ……はぁ」

「おい! 今舌打ちしたかっ!? おい!?」

 

クラスの面々は、一通り適性を調べ終えた。

完全な適正無しはシンジのみであり、タスクを除いて一属性。

 

「ちなみにアルシュタリアは何属性使えるんだ?」

「私は基本属性なら全て使えるが? お前より私の方が上だ。あと呼び捨てにするな。ぶつぞ」

「おぉ……全属性ってアルさん凄いですね」

「そうだろう! ふふっ……シンジだって、魔法が使えなくても戦う方法は幾らでもあるから大丈夫だぞ」

「おかしいだろ! 俺と明らかに対応が違う!」

 

ギャーギャー騒ぐタスクを無視し、アルシュタリアは右手を掲げた。

 

「初級魔法は、基本的に師となる術師の魔法を模倣する事で研鑽される」

 

掲げた手の平の上に、五色の球体が発生する。

赤く燃え上がるもの、青く流れるもの、蒼く生い茂るもの、黄色く弾け飛ぶもの、見えざる渦巻くもの。

その光景に彼らは圧倒された。

 

「しっかり見ておけ……私の得意属性が水である以上、多少の差異はあるが気にするな」

 

ーー活性化した五色の珠が、部屋中を駆け巡る。

火花を散らす、水がひらめく、木々がうねる、雷鳴が爆ぜる、時空が歪む。

小規模な天変地異とも呼ぶべき光景が五人の網膜に焼き付いた。

 

「このぐらいで良いか」

 

パチン

 

その音と同時に魔法たちは綺麗さっぱり消え去る。

唖然としていた彼らが我に帰ると、アルシュタリアが指を鳴らして術を解除したらしかった。

 

「すっ、げぇ」

「……何よ、あれ」

「拙者死ぬかと思ったでござる……」

 

口々にクラスの面々が漏らした。

中でもタスクは、この力に魅入られたが如く無言で目を見開いている。

 

「あれをイメージに反復練習すると良い。あとシンジは後でもう一度来い。魔法は教えられないが、他にもっと良いものを教えてやる」

 

放心したまま頷き五人は部屋から出た。

しばらくそのままだったが、ボソリとタスクが口を開く。

 

「……越えてやる」

 

震える拳を握りしめ、そう言った。

ズカズカと自分達の部屋へと戻っていくその背中を見ながら、シンジは溜め息を吐いた。

 

「……元の世界もこの世界も変わんないし、別にどうでも良いんだけどなぁ……」

 

ーーどうせ、一人だ。

でもまあ……美味いハンバーグが食える分、ほんの少しだけ、こっちの方がマシかもしれない。



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6.君はとても強い人

「……なんであいつと、シンジが」

 

一部のクラスメイトたちに魔法を教え、部屋から追い出した後。

顔と体のラインを隠すために急いで着た全身鎧を脱いでから、俺は自室の壁にへたり込むようにもたれ掛かっていた。

心の奥から涌き出てくる、困惑や悔しさや悲しさの入り交じった感情を抑えるため必死に深呼吸をする。服がくしゃくしゃになるまで握りしめた胸部から激しい鼓動が聞こえてきた。

 

ーー佐原 (タスク)。奴はかつての俺にとって恐怖の象徴だった。

 

……高校一年の前半まで、俺はあいつにいじめられていた。

毎日、毎日、毎日、人としての尊厳を踏みにじられて、肉体的にも精神的にも限界まで追い詰められて。

でもあの時は周りに頼れる人なんて居なくて、ずっと死ぬことばかり考えてた。

……だけど、そんな時ーー

 

『はは、泣いてんのかお前?』

 

ーーあの地獄から救い出してくれたのは、お前だろ。

なのに、どうして。タスクとシンジが一緒に行動している。

 

「……しんじ」

 

肩まである銀色の髪をしゃくしゃにして、沸騰しそうになる脳を落ち着かせた。

ふと横にある鏡台へ目を写すと、翡翠色の瞳をした泣きそうな女ハーフエルフが床にへたり込んでいた。エルフ性質ゆえかその外見的成長は18才程で止まっている。

 

鏡に映る自分が男でない事に違和感を覚えなくなったのはいつの頃だったか、きっと凄く前だ。

……それに『お前はもうシンジの友人だったクズハじゃない』と伝えられている気がした。

いや、そもそもーー

 

「ぁ……」

 

ーーそもそも、シンジは『初見 樟葉』の事なんかとっくに忘れているのかもしれない。

俺が勝手に親友だと勘違いしていただけで、向こうにとってはありふれた有象無象のひとりで。

俺が居なくなったって、さして悲しまなかったのかもしれないーー

 

「違う、違う、違う……っ!」

 

そう思考した途端俺の口は勝手に、自分で組み立てた仮説を否定していた。

そうしないと壊れてしまいそうだったから。

ボロボロ溢れる涙に、この二十年で自分が人間として全く成長していない事を痛感させられた。

こっちの世界では『最強の騎士(アルシュタリア)』として戦うだけで良かったのに。シンジに『弱い自分(ハツミ クズハ)』を引きずり出された。

……こうなる、ぐらいなら、再会なんてしなかった方がーー

 

「おーい、アルさん。さっき後で来いって言われたから来たけどー」

「にぁいっ!?」

 

ノックと共に聞こえたその声に、俺は悲鳴を上げる。

あぁそうだ……そんな事言ったっけ。忘れてた。

急いで全身の鎧を着直して、最後に冑を被って顔を隠す。

……『アルシュタリア』だ。

 

「……大丈夫、大丈夫」

 

震える手を抑えて、ドアノブに手を掛ける。

キィと軋みながら開いた扉の先には当然だがシンジがいた。

その顔に張り付いたのがくしゃっとした『嘘笑い』なのが分かって、また泣きそうになる。

 

「よく、来てくれた」

 

異様に乾いた喉からかろうじて絞り出した言葉。

 

「いやいやっ! なんか俺にもカッコいい必殺技みたいなの教えてくれるんですよね! いやーまぁ、一番弱そうなヤツが実は最強ってのは異世界モノのテンプレっすし?」

 

それにシンジは、大げさな身ぶり手振りを以て答えた。

あぁ……そうだった。それを口実に呼び出したんだったな。

ならばしっかりと教えてやらなければ。無駄に呼んだと思われてこれ以上嫌われたらもうどうしようも無い。

 

「……あぁ。少し待っていてくれ」

 

俺は腰に装着した小袋へ手を入れた。

そこから取り出したのは、黒い泥のような液体がちゃぷちゃぷと揺れる透明な瓶。

 

「……なんすか、それ」

 

それから異様な雰囲気を感じ取ったのか、シンジが小声でいう。

この世界は、基本的に典型的なファンタジーの法則が適応されている。

火炎や激流を意のままに操る魔法使いたちがいて、それとやりあえる程の卓越した力を持つ戦士たちも存在する、テンプレな世界。

ーーだが、一つだけ、明らかに異彩を放つ概念がある。

 

「これは"龍因子"だ」

 

ーー龍因子。そう呼ばれるこの黒い泥の厳密な正体は不明だ。

一説には『大昔に異界から召喚された勇者たちの血液』だの騒がれているが、所詮は眉唾。証拠もクソも無い。

……かつての勇者たちは、全員が"固有スキル"とかいう化物じみた身体能力を持っていたという。

この黒い泥が勇者の血液だなんて噂されているのは、これを取り込んだ際の効果に由来する。

 

ーー『曰く、その泥は使用者の人間性を写し出す鏡となろう』

 

この泥……龍因子を呑み込むと、飲み込んだ者の性質に由来する能力が発現する。まるで神話の勇者たちが如く。

伝承によれば、かつての勇者の一人には『肉体を変質させる能力』を得て自らの醜い姿を作り変える事を求めた結果、失敗し怪物に成り果てた愚者も居たらしい。この世界じゃ有名な説話だ。

 

「えぇ……これを、どうするんですか?」

「飲め」

「えっ」

「飲め」

 

シンジが『うわマジかこいつ』みたいな顔でこちらを見てくる。俺は目を背けた。

龍因子は少ない量であれば特に害は無い、多すぎると発狂するけど。そうやっておかしくなった人間を何人狩ったか分からない。

 

「えっと、いや、これ泥っすよね?」

「龍因子だ。これを取り込めば力が手に入る」

「泥団子?」

「似てるけど違う。龍因子だ」

「いや、だから」

「龍因子だ」

「……はい」

 

観念したようにシンジは瓶の蓋を開け、目を強く瞑りながら飲み込んだ。

舌先が泥に触れた途端、目が見開かれて咳き込む。

 

「お"ぇ"っ! まっ、ずぅっ!?」

「大丈夫か」

 

吐き出しそうに噎せるシンジの背中を優しくさすりながら、ベッドの上に座らせた。

 

「おっ、ふぅ……、飲ん、だっ!」

「よく頑張った」

 

ゴクリと音を立てて龍因子はシンジの体の中へと入って行った。

さて、どんな能力が発現するか……こいつの事だから戦闘向けじゃないかもしれないな。

この方法によって覚えた能力は、人間に尻尾や翼が生えたみたいな物で、違和感はあれど扱い方は本能的に分かる。

 

 

「……で?」

「なに?」

「何も起こんないっすけど……」

「は……?」

 

 

困惑した様子のシンジに、俺はもっと困惑した。

……なぜだ。今まで何人もこれを飲んだ人間を見てきたが、こんな事は無かった。

全員がその瞬間から自らに根付いた異能を自覚する。空間をねじ曲げたり、凄まじい強度の防壁を発生させたり。

ふとシンジへ視線をやると、恨めしそうな目でこちらを見ていた。

「……アルさん」

「い、いや、違うんだぞっ? 私が君に嘘をついたとか、そういうのじゃなくて……」

「俺に才能が無いって事っすか……」

「……そうだ」

 

いや、これに関しては才能とかそういう問題じゃないんだけど……地球から来たからか?

龍因子は異世界人にしか適応しないのかもしれない。

 

「シンジ」

「なんすか」

「筋トレ、頑張ろうか」

「……はい」

 

がっくり肩を落としたシンジを慰めながら、俺は何故か笑ってしまった。

……前世でも一時期こいつが格闘漫画に影響されたせいで、一緒に走ったりしたっけ。俺は根性無かったからすぐ自転車で追いかけるだけになったけどーー

 

『とりあえずさ、熊は片腕だけで倒せるようになりたいよな』

『馬鹿じゃないの……?』

『いいや! マッチョになればそのぐらい出来るね!』

 

ーーふと、『あの日々』の記憶が蘇ってきた。

 

「……ふっ」

「いやなんで笑ったんすか。馬鹿にしてるでしょ」

 

ーー生憎、俺が死んでしまったせいでこいつがマッチョになれたかどうかは分からないけど。

でも、こいつは、『俺の英雄』は。

 

「君は、きっと強くなる。他の誰よりも……私よりも、ずーっとね」

 

俺の言葉にシンジはパチクリと目をしばしばさせた後、『……変な事、言うんですね』と呟いた。

 

「……俺にそうやって期待してくれるの、母さんとあいつ以外じゃ初めてだよ」

 

ぼそりとしたその声はよく聞こえなかったが、シンジの本心から放たれた言葉のように思えた。それに嬉しくなってしまう。

……もし、こいつが『初見 樟葉』の事を忘れていたって、関係ない。

 

「この世界で初めて出会った時に言ったはずだ。『私は君の味方だ』と」

 

ーーたとえ世界中が敵に回ったって、今度は俺がこいつの味方であり続けよう。

だって、親友なんだから。

何かの感情に揺らめくシンジの瞳を見ながら、俺はそう誓った。

 

 



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7.『佐原 タスク』

「ら、ァ"っ!!!」

 

ーー粘性を持つ土に保護されたタスクの拳が、爆炎を纏いながら振りかぶられた。

その先にあるのは別のクラスメイトの魔法により作成された氷の壁。

拳が氷壁にインパクトした途端、金切り音を上げながら氷が砕け散った。

アルシュタリアから与えられた『トレーニングルーム』とやらの床に水が滴る。

タンクトップ一枚のタスクは、疲れ果てたように倒れ込んだ。

 

「はぁ、はぁっ……」

「凄いじゃーんタスク。もうアルシュタリアより強いんじゃない?」

 

肩で息をするタスクに先程の氷壁を作った女子生徒……荒木 春奈がタオルを渡した。

それを乱暴に奪い取りタスクはぽつりと呟く。

 

「……駄目だ」

「えっ?」

「駄目なんだよ……こんなんじゃアイツには勝てねぇ……!」

 

ギリ、と砕け散りそうな程に歯を噛みしめながら言ったタスクに、ハルナは少し後ずさった。

 

「……糞が」

 

ーー強くなる程に、アルシュタリアがどれだけ化物か思い知らさせる。

自分は今小高い丘に立っているが、向こうは未だ雲の上。

勝てるビジョンが見えなかった。

 

今まで、心のどこかで自分が一番強いのだと勘違いしていた。

それを確認するために歯向かってくる奴等を屈服させて……果てには弱者を虐げるような真似までして。

自分という人間がどれだけ弱く情けなかったのか、絶対的な壁にぶつかって初めて痛感した。

 

「……『火炎付与(エンチャントファイア)』『身体強化』」

 

この三日で覚えた二つの魔法を自らへかけ直し、再び立ち上がる。両拳に炎が再燃し、全身の血管に"魔力"が巡る。

そうしてタスクは拳を構えた。

 

「おーい、アルさんが飯だって」

 

その時、扉が開いてシンジの声が聞こえた。いつものくしゃっとした気味の悪い笑顔を浮かべている。

それに返事をし、タスクは汗を吹いて制服を着直した。

 

「今日はなんだ?」

「野菜炒めだって……」

 

食堂へ着くと、他のクラスメイトたちは皆座っていた。

目の前には料理の乗った皿が置かれているが、誰も手を着けていない。『毒味役』が来るのを待っていたのだろう。

前までの自分と同じその様にタスクは舌打ちをした。

 

「はーいはい。そいじゃあ、この間宮シンジ唯一の仕事、毒味をーー」

「良い。俺が食う」

 

シンジより先に口をつけたタスクに、クラスメイトたちは騒然とする。特に教師はパクパクと口を開閉させながらタスクを指差していた。注意したいがアルシュタリアの手前ビビっているのだろう。この教師はそういう人間だ。

 

「……うっぜぇ」

 

ーーアルシュタリアが本気で殺そうとしたら、俺たちなんて数秒で肉塊に変わってる。

 

この数日で嫌と言うほどそれを理解した。人間が数匹のアリを殺すのに毒なんて使わないだろう。踏み潰して終わり。それと同じだ。

アルシュタリアの方を見ると、食事しているシンジに明るい声色で話し掛けていた。シンジは、異様な量の野菜を前に戦慄したように固まっている。

 

「沢山あるからな! おかわりするか……? 成長期なんだからしっかり食べないと駄目だぞ」

「いや良いっす……もう既に相撲部屋かってぐらいあるんで……うぷっ」

「おいアルシュタリア、もう一杯くれ」

「……」

「おいっ!? いまっ、今俺に中指立てただろ!」

 

無言でファックのジェスチャーをしてから不機嫌そうな雰囲気で皿に野菜をよそってくるアルシュタリアに、タスクは少しだけ眉を寄せた。

自分はアルシュタリアに嫌われている。とっても。

最初に疑い過ぎたせいではないだろう。それなら他のクラスメイトへの対応も辛辣でなければおかしい。

好感度で言えばタスクはマイナス、クラスメイトたちはゼロ、シンジだけプラス側に上限を振り切ってると言うところか。

 

「……アルシュタリア」

「なんだ」

 

ふと、といった感じに語りかけたタスクに、アルシュタリアの良く通る無機質な声が返ってきた。

タスクはその甲冑の目部分に広がる暗闇を睨み付けながら、口を開く。

 

「俺に、稽古を付けてくれ」

 

タスクには、今の自分が停滞しているという自覚があった。

それを崩すためには大きな波紋が必要であるのも分かっている。ーー圧倒的格上に挑めば、解決するかもしれない。

食堂が一瞬だけ騒然とした後、静まり返る。

それからノータイムでアルシュタリアは溜め息混じりに手をひらひら振った。魔法の時と同じで断るつもりだろう。

 

「君にそんな事をする義理はーー」

「俺と一緒にシンジもやりたいって言ってたぞ」

「良いだろう! 私に挑んだ愚行を後悔させてやる! 行くぞシンジ!」

「はぁぁぁっ!?」

 

ーーあれ、もしかしてこいつ意外と単純なんじゃないか。

アルシュタリアにヘッドロックされながらトレーニングルームの方へ引きずられるシンジを見ながら、タスクは内心そう思った。

 

 

 

トレーニングルームには、五人が集まった。

ウキウキした様子のアルシュタリア、ヘッドロックされていた箇所を押さえて冷や汗ダラダラのシンジ、入念に準備運動をするタスク、タスクが心配で着いてきたハルナ、そして『キタコレ……強化イベントキタコレ……』とうわ言のように呟いている分厚い男子。

マトモにやる気があるのは最早アルシュタリアとタスクだけで、しかしアルシュタリアはシンジとふれあうのが目当てと言う中々にどうしようも無い面子(メンツ)だった。

 

「……あのー、アルさん。俺やんないんで」

「駄目だ」

「アルシュタリア、私はやらないから」

「分かった」

「俺に拒否権は無いんですか……?」

 

死んだ目で部屋のすみに移動するシンジを尻目に、準備運動を終えたタスクは土魔法で両手に粘性の泥を纏わせ、そこに炎魔法を付与する。そして魔力で全身の筋肉を強化した。

この数日でタスクが辿り着いた自分なりの戦法。

 

「……行くぞ、アルシュタリア」

「あーーあぁ」

 

拳を構えるタスクを見て、アルシュタリアは一瞬だけ怯んだようにビクッと肩を跳ねさせた。まるで怖がってるみたいに。

それを挑発と受け取ったタスクはより一層闘気を滾らせる。

ーー馬鹿に、すんじゃねぇ。

 

「ラ"ァ"ァ"ァ"ア"ッッッ!!!」

 

獣のごとき咆哮と共にタスクが動き出す。

魔力により強化された筋繊維の生む推進力は凄まじく、たった一度の踏み込みで十メートル以上はある間合いを瞬時に詰めた。あまりの速さに周りの生徒たちには煌めく炎の残滓しか認識できないーーが。

 

「遅い」

「うぼぁあっ!?」

 

ーーアルシュタリアの虫を払いのける様な動作で、タスクは硬い地面に叩きつけられた。

 

「大口を叩くからどれだけやれるのかと思ったがーーただの素人だ。大方、平和な国で弱者を(ほふ)ってツケ上がったクチだろう」

「っ……!」

 

心底嫌悪した口ぶりで倒れる自分を見下してくるアルシュタリアに、タスクは反論できなかった。

ーー図星、だったからだ。

言葉で反論できない、ゆえに地面に寝転がった体勢のまま蹴りを繰り出す。

 

「私もかつて、君のような『暫定強者(ニセモノ)』のクズに虐げられてきた」

「ぐおっ!?」

 

それを僅かに上体を反らして回避したアルシュタリアが、タスクの首根っこを掴んで持ち上げた。

 

「はっ、なせ、やぁっ!」

「君は、吐き気を催す外道やおぞましい狂人たちと殺し合った事など無いだろう……闘争に人生を賭けた末、個人で大国を揺るがす程の極致に至った本物の化け物どもと得物を交えた事など無いだろう」

 

無感情な、しかしどこか遠くを見るような目でアルシュタリアがタスクへ問う。

 

「ーーそして、そいつらを全員殺してきた怪物(わたし)など想像した事さえ無いだろう」

「ぁ、あ……!」

 

ーータスクは、その騎士の背後に無数の黒影を見たような気がした。

殺してきた狂人たちの怨念か、あるいはアルシュタリア自身の持つ狂気か。

どちらにせよ、それは平和な日本で生きてきたタスクから戦意を奪うには充分過ぎた。

 

「……私も君も、他者を傷付けてきた事で言えばクズだ。だが決定的に違う要素がある」

 

追い討ちを掛けるが如く、アルシュタリアは呆然自失のタスクへ口を開く。

 

「ーー私は本物のクズで、君は偽物のクズだという事だ」

 

胸元から手が離れ、足に力が入らなくなったタスクはどちゃりと地面に崩れ落ちる。

アルシュタリアが『他にやりたい者は居るか?』と聞いたが名乗り出る者は居なかった。

 

「……て……る」

「なに?」

 

かに、思えた。

 

「ぜってぇっ! いつか! ブチ殺してやるからなぁぁぁ!」

 

震える足で立ち上がり、涙声で叫びながらタスクは自室へと走り去った。

てっきり心が折れたものだと思っていたアルシュタリアは、ほうと息を漏らす。心の中で、タスクへの評価を少しだけ上げた。

 

「……根性あるじゃないか」

「じゃ、じゃあアルさん。俺たちはこの辺で……」

「シンジはこれから私とスペシャル特訓コースだぞ」

「うそぉん……」

 



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8.『初見 クズハ』

ーー下腹部に凄まじい鈍痛を感じて目を覚ました。

まるでトゲの付いた鉄球が体内で暴れまわっているかの如き感触。腰骨に至っては巨人の腕力で軋ませられてるような痛みを感じる。

 

「……ぁあ」

 

"この日"が来てしまったか。

元男としては直接的に口にするのは憚られる。しかし言わせて貰うとすれば、中身はどうあれこの体はある程度成熟した女の子なわけで。

つまり、その機能を維持するために月に一度"ソレ"は来る。

しかも俺はどうやら"ソレ"がかなり重たいタイプらしかった。

薬を飲まなければまともに動けないぐらいに。

 

「こんな時に生理来るなよ……」

 

パジャマのままベッドから降りて、薬を取るため這いずるように棚へ向かう。立ち上がるのさえ億劫。

昨日ナプキンを付け忘れたせいでパジャマの股の辺りが赤く染まっている。やってしまった……血は落ちにくいのに。

昨日から兆候はあった。なんか無性にイライラしてタスクに当たっちゃったし。だが後悔はしてない。

前世いじめられてた鬱憤を今になって晴らすのもダサイと思うが、向こう側から挑んできたからノーカウントである。……うん。やり過ぎた感はあるけど。ノーカン! ノーカン!

 

「よしっ、着いた、これで勝つる……」

 

そうこう言いながら這いずり、二段目の棚を開けて瓶を探す。

無駄に長い前髪が鬱陶しくて何度も払った。

 

「ぁ……あぁあ……っ!?」

 

ーーしかし、俺はそこで絶望を味わう事になる。

生理薬が、無い。尽きてる。1錠も無い。

そして、そこで思い出した。そもそもクラスメイトの奴らと遭遇したのも、近場の村へ薬を補充しに向かう為だった事を。

 

「終わった……完全に終わった……」

 

ぺたんと地面に崩れ落ちる。

こんな腰ガクガクな状態じゃ森を抜けられない。

いや死ぬ事は無いだろうが、間違いなくどこかで倒れる自信がある。

 

ーーこの状況で、三日以上?

 

「ぁあう……」

 

シンジのご飯は誰が作るのだ。ついでに他の奴のも。

洗濯もしなければいけない。森で食材となる魔獣を狩る事も出来ないだろう。

クラスの女子の誰か、ロキ○ニンSとか持ってないかな。いや持ってたとしても俺じゃ貰えないか。シンジならもっと無理だろうし。

 

「おいアルシュタリア! トレーニングルームに来い! 昨日の俺とは違うぞ!」

 

その時、扉の外側から例の戦闘民族の声が聞こえてきた。

うるさいな……人がどれだけ大変かも知らずに。

こいつは戦闘センスに関しては凄まじい。メンタルも強い。いや嫌いだけど。

現時点でも外の魔獣ぐらいなら充分相手にできそうーー

 

「……あれ」

「おい! 無視すんな!」

 

その時、脳裏に妙案が浮かんだ。

こいつに協力してもらえば森を抜けて村まで辿り着けるんじゃないか?

タスクに頼るのはかなり癪だが……背に腹は変えられない。

 

「開けろやぁぁぁ! アルシュタリアァァァ!」

「はぁぁ……!」

 

俺はどうにか立ち上がり、鎧を着た。

普段は問題無い重量の筈が、恐ろしく重たい。どのぐらい重たく感じるかって言うと、一瞬でも気を抜いた瞬間に女の子座りでへにゃへにゃになっちゃうぐらい重たい。

俺は扉に寄りかかるように体重を掛けて、やっとドアを開けた。

 

「ど、どうしたんだよ。なんか元気ねぇな」

「……おい、今日は、特別訓練だ」

「お、おう?」

 

重苦しい息を吐き、俺はタスクの肩に手を乗せた。

タスクの口が緊張したように一文字に結ばれる。

 

「村まで、行くぞ」

 

 

「で、今こうして外に来てるってワケすか」

「そうだ」

「タスクの修行で?」

「そ、そうだ」

「……いや、それは良いんですけど」

 

息も絶え絶えになりながら森を歩く俺の横で、死んだ目のシンジが聞いてくる。

昨日やった俺との特訓で全身が筋肉痛のようだ。

 

「それに、なんで俺が連れてこられてんのかなぁ……!?」

「なんか今日アルシュタリア不機嫌っぽいからな。俺一人だとちょっとした拍子に殺されそうだからだ」

「それは分かるけどさ……」

 

いや分かるなよ。俺はどれだけ物騒な人間だと思われてるんだ……あぁ、そういや昨日『国を揺るがすほどの化け物を何人も殺してきた……』とか脅したっけ。嘘じゃないけど。

でもシンジにそう思われるのは何か嫌だった。

 

「……うぅ」

「どうしたんすかアルさん……なんか滅茶苦茶に具合悪そうですけど」

「大丈夫だ。何があってもシンジだけは死んでも守るから……タスクは頑張ってくれ」

「おいっ!」

 

槍を杖代わりにしながら歩き続ける。

ふと空を見上げると、岩石みたいな雲が(そび)えていた。

……もうすぐ、冬季か。食料の貯蔵はしっかりしないとな。

 

「待て、なんか変な音しないか?」

 

急に立ち止まったタスクが、口許に人差し指を添えながら言った。

言われて耳を済ますと、微かに茂みの草同士がずれる音が聞こえる。

その方向を向くと、ガサガサと揺れる背の高い草むらがあった。

 

「……下がってろ。俺がやる」

 

両拳に炎を付与しながらタスクが前に出た。森火事にならないと良いが。

俺のそんな不安をよそに、植物を掻き分けて一体の獣が姿を表す。

 

「ガァァァァッ!」

 

その獣は、四本腕の熊の形をしていた。

一本一本が丸太のような太さで、隆起する膨大な筋繊維は毛皮越しでも伺える程に凄まじい。

 

「っ……! く、熊、かっ?」

「『グレーターベア』だ。大丈夫。そこまで強い奴じゃない。腕の凪ぎ払いは威力が高いが、注意すれば問題ない」

「どのぐらいの威力なんだ!?」

「一振りで大木を幹ごと抉り飛ばせるぐらいだ」

「やべぇヤツじゃねぇかぁぁぁぁぁっ!!!」

 

グレーターベアの腕を紙一重で回避したタスクが、その胴へ炎の拳を叩き込んだ。

しかし毛皮に触れた途端、拳に宿っていた爆炎が掻き消える。

 

「はっ!?」

「グレーターベアの毛皮は魔力を散らすから倒したいなら肉弾戦しか無いぞ」

「先に言えやぁぁぁっっっ!!!」

 

振るわれた腕の風圧にシンジは『うおっ!?』と悲鳴を漏らした。

それを間近で避けたタスクはもう一度拳をぶつけるーーが、体格差がありすぎて効いていない。

……ちょっと、まずいか? 助けに入るか。

 

「っ、はっ、ははァ! アホがぁ!『土塊生成(アース・クリエイト)』!」

「ガァッ!?」

 

ーータスクの掌が、グレーターベアの口に当てられる。

そしてそこから溢れ出た土が、牙と唾液にまみれた口内へ入り込んでいった。

 

「窒息しろやぁぁぁ!」

「ゴ、ァアァァァッ……」

 

グレーターベアが苦しげに暴れた後、動きを止めて倒れた。近寄って確かめると死んでいる。

……力じゃ勝てないから、土魔法で気管を塞いで窒息死させたのか。

無駄に頭の回転が速い。それを実行できる度胸も才能もある。

ちゃんと鍛えたら相当化けそうだ。

 

「はっ、ははは! おい! やったぞアルシュタリア! 見ろ!」

「あぁ。良くやった」

「っ、普通に、誉めんのな……」

 

素直に誉めてやったらやったでタスクは変な顔をした。俺にどうしろと言うんだ。

それから数十分歩き、やっと村の門が見えてくる。

門番の青年がこちらに気付くと、ぶんぶん手を振ってきた。

 

「来てくれたんですねアルシュタリアさん……って、その二人は?」

「あぁ、こいつらは私の連れだ。村に入らせてくれ」

 

そう言うと門番の青年は笑顔で通してくれた。

俺はこの村を何度も魔獣の侵攻から守っているからそれなりに信用がある。

村に入ると、沢山の人に声をかけられた。

子供も多く寄ってくる。

 

「……アルさん人気者なんすね」

 

笑顔でじゃれついてくる子供を意外そうな顔で見ながらシンジは言った。

 

「それじゃあ、私は用事があるから待っててくれ……っと、腹が減ったりしたらこれで何か食べるといい」

 

俺は薬屋に向かうためシンジとタスクにそう言い含めてから、二人に幾ばくかの金銭を渡した。ちょっとした小遣いだ。

雑貨屋とかで暇を潰す分には十分な額だろう。

そして二人の目線から逃れるように、とある建物に入った。

ここは空き家で、初めて村を助けた時の礼で俺が使うのを許可されている。

俺はその部屋の隅にあるタンスを開けて、女物の服を取り出した。

 

「……ふぅ」

 

これはリアル中世でもあった風習らしいが、この世界では女性の生理というのは穢らわしい物として扱われている。ゆえに薬師なども堂々と店先に生理用の薬を置く事はしない。

入手するためには()()()()()、薬師と取引して譲って貰うしか無い。

つまり俺も鎧を脱いだーー女として、買いにいかねばならないということだ。

 

鎧の留め具を外して、地面にドチャリと降ろした。素晴らしい解放感。

下着姿になってから伸びをし、わざわざこのためだけに買ってある女物の服へと袖を通していく。

 

「はぁ……」

 

胸が痛くなるから下着とかは仕方なく付けてるが、女物の服を普段は絶対に着ない。

なんか、そうしてしまうと自分が『ハツミ クズハ』じゃなくなってしまったみたいな感覚に襲われるからだ。

身も心も女ハーフエルフの『アルシュタリア』に変わってしまう気がして、凄く嫌だ。

 

「……よし」

 

着替え終えて、鏡を見る。

そこには少しキツイ目付きのハーフエルフが立っていた。鎧は上げ底にしてあったから先程よりかなり視点が低い。160ちょいしか無いんじゃなかろうか。

膝丈までスカートの付いたひらひらの白い服を着て不快そうな顔をしており、銀髪を掻き分けて見える長めの耳がぴこぴこ揺れた。

エルフゆえに若くはあるが、どこかくたびれたOLのような雰囲気。

伸び放題の髪を纏めるため、持ってきたゴムでポニーテールを作る。……うん。良い感じだ。少なくとも不潔な感じはしない。

 

 

「……いぇいっ」

 

きゃぴっ☆

試しに鏡に向けてウィンクをしてみる。死にたくなった。

 

…………

 

誰にも見られていない事を確認してから、俺は外に出た。

ええと……薬屋は、たしか村の端にあったよな。

痛む下腹部を抑えながら、足早に向かう。

 

「おわっ!」

「にあゃっ!?」

 

ーーが、曲がり角で誰かにぶつかる。急だったから止まれず弾き飛ばしてしまった。

 

「ぉおおっ!?」

「だ、大丈夫かっ! すまなかっ……」

 

急いで駆け寄って、俺は驚く。

だって、そこに居たのは。

 

「おぇぅぼあっ!? えっあの! うわ胸触っちゃったよ……いや、セクハラとかじゃなくてっ!? 完全な不可抗力ってゆーか! えと、……はっ? 耳、ながい、エル、フ……っ!? かわいっ……つか居んのかよっ! 流石異世界だなオイ……!」

 

ーーアホみたいにテンパる、シンジだった。

最悪なタイミングだ。どうする。声とかでバレないよな……?

 

「……だ、だいじょぶっ?」

 

俺は普段出してる低い声でなく、出来るだけ鼻に掛かった女の子っぽい声で手を差し出す。

シンジは俺の顔を見て唖然としていたが、少しするとまるで機械が再起動するみたいにテンパりを再開した。

顔を真っ赤にして『違うんだよ!』『あー!』とか叫んでいる。

しかし俺が不思議そうに見ていると、我に返ったのか何度か咳払いをしてから俺の差し出した手を取った。

20年ぶりに握った親友の手は、俺が小さくなってしまったせいか前よりずっと大きく感じる。

それがおかしくて、少し目が細まってしまった。

 

「すまない」

「おわっ!?、手柔らかっ……ち、力、凄いね?」

 

男の自分を一気に引き起こしたのに驚いたのか、シンジは目を見開きながら言った。

だが、すぐにバツが悪そうな顔になって頭を下げた。

な、なんだ?

 

「そ、その、ごめん」

「え?」

「いや、胸、さわっちゃった、から」

 

おどおどして顔を赤くしながら震える右手を見つめるシンジに、俺は思わず吹き出した。

なんでこういう時はTHE童貞な反応なんだよ。こいつの事だから笑って誤魔化すとかだと思ってた。そういう時こそ『嘘笑い』の出番だろうに。

 

「あっ、ははは!」

「なんで笑ってるんだよ……」

「い、いや、面白くって……あっははは」

 

まずい、ツボった。そういやコイツ前世でも女に対してはコミュ障全開だっけ。

宗教の勧誘してるお姉さんに話しかけられた時にテンパり過ぎて、逆に向こうがビビって撤退した事もあったか。

どうやらそれは治っていないらしい。

そんな下らない面影が、どうしようも無いぐらい嬉しかった。

 

「はぁー……、君、名前はなんて言うんだ?」

「ぁ、あぁ。俺は間宮シンジ。気軽にマミーって……いや、何でもない」

「そうか、マミー・シンジか、くくくっ……」

「魔王みたいな笑い方するね……? と言うかなんかそれマギー審司みたいで嫌なんだけど」

 

クツクツ笑う俺を不安そうに見るシンジを薄目で見た。

その目線は『アルシュタリア』を見る物ではなかった。

……今なら、もう一度、できる気がする。

 

「……シンジ」

「なに?」

「あの、私、とっ」

 

心臓が早鐘の如く脈打ってうるさい。

……緊張してるのか、俺は。いや、大丈夫だ、前世では、向こうから言ってきただろ。

意を決して、シンジとしっかり目を合わせながら言葉を紡ぐ。

 

「ーー私と、友達になってくれないか」

 

その言葉に、シンジはまるで奇妙な生物を見るような顔になった。

目をぎゅっと瞑って返答を待つ。暗闇の向こう側で、息を吸い込む音が聞こえる。

 

「俺の何がそんなに気に入ったか知らないけど、良いぜ」

「ぅ、あっ……」

 

ーーその言葉は、闇を切り裂いた。

目を開くと、そこには笑顔でサムズアップするシンジが居る。

それは、かつて向けてくれた微笑みに近いもので。

 

「シンジ……シンジ、シンジ!」

「おわっ……!? ちょっ、当たってるから! やめて! どこがとは言わないけどバーストしちゃうからぁっ!? つか抱き締めないで!? 肩ミシミシいってる! 」

 

暖かな涙が、目から溢れそうになる。

ーーああ、大切な人に認めて貰えるというのは、こうも救われるものなのか。

まるで、この世界で初めて色を見たような感覚だった。

 

ーー『初見 樟葉』として生きて十七年。

ーー『アルシュタリア』として戦って二十余年。

 

止まっていた初見 樟葉の時間が、ようやく動き出したような気がした。




二日連続投稿だぜぇぇぇっ!そして評価平均が七を切って泣きそうだぜぇぇぇっ!


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9.『私』はずっと一人で

「シンジ、シンジっ! ほら、焼き鳥いるか? 成長期なんだからしっかり食べないと駄目だぞっ!」

 

村の広場、ベンチの上。

店で買った串焼きを嬉しそうに自分へ差し出してくるのは、まるで至高の芸術品が如き美貌の少女。

プラチナを練り上げたような白銀の頭髪を後ろに束ね、宝石を嵌め込んだと言われても信じてしまいそうな翡翠の瞳が猫のように細まっている。自分に押し付けられてくる肌は磁器と見紛うまでに白く良い匂いがした。すべすべもちもち。

にまにまとだらしなく緩んだ口元とそこから流れ出る鼻唄が、彼女がすこぶる上機嫌だということをシンジに伝えてくる。

 

「……うめぇ」

「ふふふ! そうだろう、そうだろう! この村では私が考案したんだ!」

「はー、すごいすごーい。料理うまいんだねー」

「ふははは!」

 

ーー『異世界の村で出会った美少女銀髪エルフが何故か好感度マックスな件について』。

そんなラノベのタイトルみたいな状況が今、シンジを襲っていた。

にこにこ無防備にじゃれついてくる傾国とかそういう次元を遥かに越えた美少女をシンジは横目で見た。

肩に何度も感じた柔らかい物体が、何かの拍子にまた当たらないかビクビクする。

 

「……あの、おっぱい当たってるんですけど」

「知らない!」

「知れよ」

「私達には関係ないだろうっ!」

 

何故かドヤ顔でびしっと指差してくる少女に『関係あるだろ』とシンジは心の中でつっこんだ。

 

「はぁ」

「ため息を吐くと幸せが逃げるぞ」

「半分ぐらい君のせいだよ……」

 

元々、間宮シンジという人間は母親以外の女性に好かれる経験が皆無である。彼の女性に対する苦手意識もそこが由縁なのかもしれない。

そんな彼が、なぜ急にこんな絶世の美少女にガチ恋距離で迫られているのか。異世界に来た途端、前まで冴えなかった奴がモテ始めるのはラノベではお馴染みの展開だが、この少女の自分への態度はそういう次元ではない。

言うなれば、忠犬が10年ぶりに飼い主と再開したような込み上げるモノを感じさせた。ぴこぴこ上下する長耳が尻尾のよう。

その裏表の無い純粋な好意を向けてくる少女に、シンジは『嘘笑い』でない、ぎこちない笑みを返す。

 

「シンジ、次はどこに行くっ!?」

 

……弾んだ声で問い掛けてくるこの少女に対してシンジが『嘘笑い』を行使できないのは、容姿とは別の理由があった。

 

「そう、だな……」

 

ーー似ているのだ。『親友』に。とてつもなく。

初見 樟葉(くずは)と、この少女は容姿を除いてそっくりだった。仕草も、何もかも。

 

樟葉は、料理が上手かった。

樟葉は、自分と遊ぶ時とにかく楽しそうだった。

樟葉は、笑うと猫みたいに目が細まった。

樟葉はーー

 

「っ……」

「ど、どうした? 頭でも痛いのか?」

 

ーーそこまで考えて、やめる。

樟葉はもう居ないのだから。

心配そうに自分を覗き込んでくるこの少女にその面影を感じたとしても、それらきっと錯覚に過ぎないのだから。

 

「はっ……はは、何でも、ないよ」

「そうか、じゃあ次はあの雑貨屋さんに行こう! 私が作ったこの村のゆるキャラのアクセサリーが置いてあってな……」

 

少女は腰を抑えながら立ち上がり、一瞬だけ痛みに耐えるように眉を寄せる。しかしすぐ、にぱっとした笑顔になった。

柔らかく小さい(てのひら)がシンジの右手を掴んで、ぐいぐい引っ張ってくる。

しかし、心なしか顔色が悪い。

 

「……具合悪い?」

「っ、いや、別にっ」

 

良く見ると、肌寒いのに少女の額には冷や汗が浮かんでいた。

先程からしきりに腰を抑えたりもしている。

……もしかして、とシンジは恐る恐る口を開いた。

 

「トイレ?」

 

言ってからハッとする。デリカシー無かったか。

ミルクに浮かべた桜花弁のように白い頬を赤くする少女を見てシンジは思った。

 

「っ、はぁっ!? いや、違うし……ハーフエルフはトイレなんてしないしっ」

「そんな昭和のアイドルみたいな種族存在しないだろ……と言うかハーフなのね……」

 

言われてみれば、創作などで一般的に見られるエルフよりすこし短い耳。人間より多少長いぐらいだろう。

少女は何かを耐えるように腰を動かしていたが、少しすると観念したように口を開いた。

 

「……あの、生理なんだ。薬を買いに薬局に向かっていたんだが君と話してたらテンション上がっちゃってな。忘れてた」

「俺なんかと話して楽しい?」

「ここ二十年で一番楽しいぞ!」

「か、変わってるね……じゃ、俺はこれで。多分アルさん待ってるし」

 

シンジは少女に背を向けて歩き出そうとするが、何か強い力で押さえられて動けなかった。

恐る恐る振り向くと、そこには俯いたままこちらの手首を掴む少女の姿がある。

 

「……てきて」

「え?」

「その、ついて、来てくれ……もう少しだけ、こうして君と話していたいんだ」

 

頬を掻きながら恥ずかしそうに言う彼女に、シンジは訝かし気な顔となった。

ーー流石に、馴れ馴れしすぎる。もしかして新手の美人局(つつもたせ)か何かなのだろうか。

そうだった場合アルシュタリアに迷惑を掛けそうだから、何としても回避しなければならない。

樟葉に似ているだけにキツイ言い方はしにくいが。

 

「なんで俺にそんな固執すんだよ……君みたいな可愛い子ならもっとイケイケな男捕まえられると思うぜ? ほら、俺とか三枚目どころか六枚目ぐらいだし」

「かわっ……? い、いや、君じゃなきゃ駄目なんだ!」

「いや、だから」

「さっき友達だって言ってくれただろ!」

「それは、そうだけど……」

 

透き通る翡翠の瞳を涙に濡らしながら言う少女。

……すぐ泣きそうになるのも、樟葉そっくりだ。

でもその癖無駄に行動力があって、何度も助けられたっけ。

 

シンジの父親はアルコール中毒で、酒が入るとよく暴力や罵詈雑言を浴びせてきた。それに慣れていたシンジは何も感じなかったが。

だが彼の全身にできた青痣を見て、樟葉は何を思ったのか家まで着いてきた事があった。『秘策がある』などと(のたま)って。

以前、家の前で待っていた樟葉に父親の怒号と酒瓶の割れる音が何度も聞こえていたらしいからそれと結び付いたのかもしれない。

 

『シンジの事殴るなら、俺の事殴ってください』

 

それは、土下座だった。あまりにも情けない『秘策』とやらに思わず笑ってしまったのを覚えている。

玄関先で近所の目も(はばか)らずに半泣きで頭を下げる樟葉に父親は面食らっていた。

樟葉が男子高校生の癖して無駄に綺麗な顔立ちをしていたのも周囲の同情を煽ったのだろう。近隣住民の通報により、母の死んだ小学生から続いていた父親の虐待は明るみとなった。

絶対的な支配者であった父へ逆らう事を無意識に恐怖していたシンジは、警察に連行される父親見てその時初めて目を開けたような気分になったのを覚えている。

 

一人になったシンジの家に、樟葉はよく朝飯や夕飯を作りに来た。『お前一人だと餓死しそうだから』と。

初めは焦げていた卵焼きも次第に整っていき、しばらくするとレシピ本と同等のクオリティになった。

当時は弁当含めてほぼ毎日樟葉の料理を食べていたのではないだろうか。

……でも、そんな時。樟葉はーー死

 

「ーーおい、シンジ、シンジ……? 無視しないでくれ……」

「あっ、ああ! ご、ごめん」

 

回顧に浸っていたシンジを、鈴の転がるような美声が呼び戻した。

目の前に意識を戻せば、そこには例の樟葉に似た少女が。

半泣きと言うかもはや八割泣きで、立っていた。

 

「……分かった。もう少し、話そうか?」

「っ、あ、あぁっ! それが良い……!」

 

着いてこいと言いながら嬉しそうに前をとことこ走っていく少女に、シンジはちょっとだけ笑いながら溜め息を吐いた。

少し歩いてたどり着いたのは、十字のマークが付いた建物。ここが恐らく薬局なのだろう。

少女は少し待っててくれと言ってから、そこへ入っていく。

 

「……こほん、すまないご老人。例の薬を。」

「あらアルちゃん。今月は遅いと思ってたけど」

「あ、アルちゃんって呼ばないでくれっ! 今はちょっと事情があって……」

 

店内で何やら談笑している少女をシンジは横目で見た。

店主らしき老婆から何やら小瓶を渡されている。そこから丸薬を一粒取り出して口に押し込んだ。

白い喉がコクンと震える。少しほっとした様な顔になって店から出てきた。

 

「それじゃあ、行こう?」

 

先程より幾らか余裕のある様子で少女が手を差し伸べてくる。

シンジは、その手を取った。

 

 

それから、シンジと少女は村の色々な場所へ行った。主に食べ物。少女はシンジが食べるのをとても嬉しそうに眺めていた。

君は食べないのかと聞いたが、『私はこれ以上成長できないから、ちょっとで良いんだ』と少しだけ寂しそうに言ってきた。

 

少女はこの村でかなり親しまれているようで、子供達に耳をぐにぐにされたりして遊ばれていた。なぜか名前を呼ばれそうになると『あー!あー!』と叫んで掻き消していたが。

 

「君、名前なんて言うの?」

「……ずは」

「え?」

「な、なんでもないっ! 秘密だ秘密!」

「ははは、なんだよそれ」

 

そんなこんなで、気が付けば夕暮れ。夜になると森を抜けるのも危ないだろうからもう帰らなければならない。

少女もそれを直感したようで、悲しそうに笑いながら、ずっと握っていたシンジの手を放した。

 

「今日は楽しかったよ」

 

それはシンジの本心であった。

自分でも驚くぐらい、この少女と行動を共にすることは楽しかったのだ。

少女はそれを聞いて、今日一番の『にぱっ』とした笑顔になる。

 

「そう、か……それは、よかった。本当に」

「っ、あの、さ」

 

少女の言葉を遮るようにして、シンジは口を開いた。

……言うか言うまいか、ずっと悩んでいた言葉。一瞬だけ躊躇する。

だが、ここで言わなければきっと後悔するという確信があった。

 

「君、この村に住んでるんだろ? もし俺が次村に来たら、またこうやって遊ばないか」

 

少女は呆けたようにポカンとする。

ーーこんな男が、身の程知らずだと思われたか?

シンジはそういった情欲的な、男女的な理由で言ったわけではないのだが向こうからはそう思われるかもしれない。

言い方を間違えたか、そう後悔して。

 

「ーーああ、遊ぼう! 次も、そのまた次もっ……何十年先もっ!」

 

が、先程の記録を塗り替える満面の笑みを浮かべた少女によって、そんな不安は一掃された。

手を振りながら去っていく少女へゆらゆら振り返すと、細い腕が千切れるんじゃないかってぐらいブンブン振ってくる。

それは、彼女の姿が見えなくなるまで続いた。

 

「……ふっ」

 

ーーああ、楽しかった。本当に。

久々に心の底から笑った気がする。

ベンチに腰掛けながら眺めるオレンジ色の夕焼けが、とても綺麗に見えた。

 

「おい、シンジ」

「おわっ!? ……って、アルさんすか」

 

背後から声を掛けられて振り向くと、そこには見馴れた全身鎧が佇んでいた。

 

「用事終わったんですか」

「あぁ……ちょっとな。大切な、とても大切な友達に会ってきたんだ」

 

いつもより暖かい声色で、アルシュタリアは告げた。

それになぜか嫌な予感がしてシンジの頬に冷や汗が伝う。

 

「……アルさんの彼女って、銀髪のハーフエルフだったりしませんよね?」

「は……?」

 

 



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10.訪れる波紋

「アルさん。俺を強くしてください。一人であの森を抜けられるぐらいに」

 

村に行った次の日のトレーニングルーム、シンジが俺に頭を下げてきていた。

横でタスクが『やっぱりな』みたいな顔をしている。どういう事だ。

 

「……どういう風の吹き回しだ?」

「はは、あの村で女と良い感じになったんだとよ。で、自分だけでも会いに行けるようになりてぇから力が欲しい。そうだろ?」

「いや、そういう感じじゃないから……普通に、友達だ」

 

は、はぁ!? シンジと良い感じになった女!? どこのどいつだーーって……俺か。昨日は楽しかったな……いやそうじゃなくて。

シンジだけで村に行けるようになっても、中身が俺なわけだから銀髪ハーフエルフとは会えないぞ。

まぁやる気を出してくれたのは嬉しいけど、なんかなぁ……

 

「構わない。だがシンジは魔法が使えないから……少し待っていろ」

 

俺は魔法で作り出したゲートを武器庫に繋げて、そこから何本かの武器を引っ張り出した。

シンジとタスクとが目を見開くのが分かる。やはり男はこういうのが好きだろう。

剣、槍、槌、刀、ナイフ、メイス、よりどりみどりだ。

 

「おぉ……! すげぇ、刀とかあるのかよ……」

 

シンジは地面に置かれた刀の柄に手をかけた。

あれは最高品質の魔導銀(マギアライト)を高密度に圧縮して刀の形に押し留めた逸品だ。ドワーフの名工に特注して、細いのに大剣とも平気で打ち合えちゃう凄いやつ。刃零れなんて滅多にしない。

 

「……あれ、」

 

しかしシンジは、刀を持ち上げようとした体勢のまま冷や汗だらだらでフリーズしている。

 

「ど、どうした?」

「これ、床にくっついてません? 全く持ち上がらないんですけど」

「は……? いやどんな武器だよ。貸してみろ」

 

不思議な顔をしてタスクが刀に手を掛けて持ち上げようとする。が、顔を真っ赤にしてぷるぷるしたまま動かない。

『身体強化』を使ったのか腕に青い線が走り初めてようやく持ち上がった。しかし振れそうにはない。

 

「はぁ、はぁ……! んだよこれ! どんだけ重いんだ!?」

「えぇと……私10人分ぐらいの重さだな」

「持てるかぁ!」

 

くわっ! とぶちギレるタスクに俺はハッとした。

そ、そうだよな。400キロぐらいあるもんなあの刀。今生じゃ皆普通に振るってたから忘れてた。

シンジはちょっぴり筋肉質ではあるが普通の高校生だ。武器として振るうなら10キロでもキツイだろう。

俺はそれを考慮しながら、一本のナイフを取り出してシンジの前にゴトリと置いた。

煌めく銀の刃には幾つもの魔方陣が彫り込まれている。

 

「……これは?」

「普通のナイフ……だが、私の魔法で強化してある」

 

元々は投擲するためのスローイングナイフ。ゆえに軽く作られている。付加された効果は単純で、特定の行動をすると一瞬だけライトセーバーみたいに魔力の大剣が発生して、相手の不意をつく事が出来たりする。ようするに間合い無視の斬撃だ。

とことん実践向けな武器。俺はそれをシンジに持たせた。

『三秒間に二回以上まばたきする』を条件に指定している。

不自然に思われず術式を起動させるにはそれぐらいがちょうど良い。

 

「見ておけ」

「うわっ」

「おわぁっ!?」

 

シンジからナイフを一瞬で奪い取り、タスクへ向ける。

そして兜の中で素早く二回まばたきする。

すると、反応する間も無くタスクの数センチ横の壁へナイフから突き出た青い半透明の刃がドスっと突き刺さった。この間コンマ0,2秒。

タスクは僅かに震えながらそれを横目で見ている。

 

「つまりこういうことだ。ちなみに三秒間に二回以上まばたきすれば起動する」

「おいっ! いま、いま完っ全に()りに来てたよな!? なぁ!?」

「君なら避けれると信じていた……!」

「良い話にしようとすんじゃねえ!」

 

騒ぐタスクを無視し、シンジに『どうだ?』と聞く。

手に持ったナイフをまじまじと見つめていた。気に入ってくれたのだろうか。

 

「……アルさん」

「どうしたしんじ。お腹空いたのか」

「いや、そうじゃなくて」

 

気まずそうに、シンジが口を開く。

 

「これ多分5キロはありますよね? 持てるけど満足に振れないっす。米袋とかと同じ重さですからね」

「あ」

 

ーーこの後めちゃくちゃ筋トレした。

 

 

「あー……全身痛い。アルさんマジで容赦ねぇな……」

「ひ、酷いヤツだなっ! そのアルシュタリアってやつは!」

「ほんとだよ。ああいう体育会系は筋肉増やせば人間やめられると思ってるからね。いやあの人は実際やめてるか……脳のリミッターとか司ってる部位まで筋肉が敷き詰まってんだろうな」

「そ、そこまで言わなくても……っ」

「なんで泣きそうになってんだよ」

 

村に来て鎧を脱いだ俺は、顔をしかめながらグリグリ肩を回すシンジの横を歩いていた。

……脳まで筋肉が敷き詰まってるって、そんな事思われてたのか。流石に傷つく。魔力で強化してるだけだから体はそんなに筋肉無いぞ。腹とかうっすら縦に割れてる程度だし。いや並の女よりは引き締まってる自信あるけど。

国には小さい山脈みたいに膨張した筋肉を持つ女戦士もいた。脳筋ってのはああいう奴の事を言うんだ。

 

「……シンジは、筋肉の多い女は嫌いか」

「へっ? はっ!? いや別に君の事とか言ってるわけじゃ無いよ!? むしろ大好物だから!」

「そ、そうか、良かった……? はい、あーんしろ。焼き鳥だ」

「いや自分で食うよ……焼き鳥あーんされても串が喉に刺さりそうで危ないし」

 

そうこう言いながら村を歩いていると、シンジの目線がある者に止まった。その方向を見ると、出店らしきものがある。

 

「……あれは」

「ど、どうしたシンジ?」

 

まるで吸い寄せられるようにゆらゆらとそちらへ向かうシンジに着いていく。

そして、店先に置いてある一冊の本を手に取った。俺は背中に寄り掛かるようにして覗き込む。

幾人かの女性が絡み合い、肌色の多い絵が表紙になっている。

これは……

 

【女騎士とハーフエルフ姫、禁断の恋~『私の王子になってくれませんか?』超ボリューム120ページフルカラー。伝説の官能絵師:エロスグィテ=インジャネの超絶美麗絵に、あの傾国級冒険者『"堕ちる蒼天"アルシュタリア叙事詩』を書いた文学会の星、銀髪美少女ハーフエルフ大好きさんの書き下ろしストーリーを添えたバリスヒルド王国出版界、珠玉の一冊ーー】

 

「……おいシンジ。エロ本だぞこれ」

「異世界も捨てたもんじゃないな……エロ本評論家としての血が騒ぐぜ」

「シンジ、おい帰ってこい」

「2000か、買える」

「ハーフエルフなら本物がここに居るぞ。おい。無視するな」

 

感嘆したように溜め息を吐くシンジへ呼び掛けながら肩をガクガク揺さぶるが、本に夢中なのか反応が無い。

というかこの作者……『銀髪ハーフエルフ大好きさん』って。知り合いなんだけど。俺の素顔を知る数少ない人間。変態だ。

俺が国から追放された後もこのペンネーム貫いてるのか……

いや、それはどうでも良いんだけど。

俺が居るのにこんなのに手を出すとか、なんか敗北感が凄い。

飼い犬が居るのに犬のぬいぐるみで遊ぶみたいな。ハーフエルフとしてのプライドが傷付く。

 

「すいません。これ買います」

「あいよ」

「やめろ、ハーフエルフは私で充分だろう……っ! なんなら女騎士もやれるぞ! だからそんなモノに手を出すな! というか文字読めるのか!?」

「いや、三次元と二次元は違うから。それに絵を楽しめる」

「ぐぐ……じゃあその絵と私どっちが可愛い!?」

「そりゃ君だけど」

「そ、そうか、ふふ……って違う!」

 

すたすた歩いていって、シンジはベンチに腰掛けた。

そしてエロ本を熟読する。こんな広場でこれ読むとかこいつのメンタルどうなってんだよ。そういや前世でも『エロ本評論家』とか自称してたっけ。

試しにふとともをぴとっとくっつけてみるが、全く反応が無い。前は手を握っただけであんなテンパったのに。悔しい。

 

「……シンジー?」

「中々の構図だな……それに、全盛期の鳥山明を思わせるダイナミックなコマ使いだ」

「シンジ」

「胸の躍動感も素晴らしい、エロ本なのにも関わらず思いを告げているであろうシーンに二ページも使ってるのもポイント高いな……」

「ほ、ほら、本物のハーフエルフのおっぱいだぞー、今なら揉ませてあげても良いかなーなんて」

「ごめん今良いとこだから黙ってて」

「なっ……!?」

 

背中の方から肉を寄せて大きくした胸を押し付けるが、素っ気ない態度を返される。

くそ、こうなったら脱ぐしかーー

 

「……あれ、なんか騒がしいな」

 

俺がズボンの裾に手を掛けた時、村の門の方を見ながらシンジが言った。俺もその視線を追う。

そこには人だかりが出来ており、中心には一人の男が居た。

 

「っ……!?」

 

そいつは、俺の良く知る人物だった。

俺と同等の冒険者階級……傾国級(Aランク)冒険者にして、通り名は"聖剣の勇者"。

魔王の再来とまで呼ばれた魔族を単身で葬り、その首級を持ち帰った事によって傾国級と定められた。

いまやあの国では一つ例外を除いて最強と言える人物。……その、名はーー

 

「なんだあのイケメン……?」

「駄目だシンジ、目を会わすな……! "奪われる"ぞ!」

「何が……?」

「記憶も、経験も、能力も……! 奴にはそれが出来るんだ!」

 

ーーアンドレア・バスター・ルシウス。

トップクラスに厄介な相手が、俺たちの元へとやって来た。

とりあえずシンジを連れて家の中に隠れる。ルシウスは村の連中に見せ掛けの甘いマスクで笑顔を振り撒きながら、森へと入っていった。

……俺を、連れ戻しに来たのか?



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11.『堕ちる蒼天』

「おい、タスク、タスク……っ! やべぇ! やべぇよ!」

「あぁ……? ボキャ貧かおめぇは。何があった」

 

トレーニングルームで一人腕立て伏せをしていたタスクの元へ、顔を様々な液体に濡らしたクラスメイトがやってきた。

震える口で『やべぇ、やべぇ……』と繰り返している。恐怖に染まったその目に、タスクは事態の異様さを認識した。

 

「変な、奴が来てんだ。急に壁がぶっ壊れて……! とにかく着いてきてくれ!」

「……分かった」

 

タスクは心の中で悪態をつく。アルシュタリアがシンジと村へ行っていて不在だからだ。その『変な奴』とやらがアルシュタリアクラスの怪物だった場合、自分では手も足も出ない。

覚悟を決めて同級生の案内に着いていく。

しばらく進んでいると、見慣れない人影が確認できた。

 

「……誰だあいつ」

 

クラスメイトの言うとおり壁をブチ破って入ってきたのだろう。瓦礫の山に腰掛け、肩には青白く輝く剣を携えている。

年齢は二十半ば程か、白髪の隙間から見える赤目が爛々と輝いていて、それが品定めするようにタスクを見詰めていた。

 

「こんにちは」

 

白髪の男はにっこり笑ってタスクへ挨拶をした。

整った顔立ちだが粘着質な笑顔。シンジがいつも浮かべている表情にどことなく似ていた。タスクが最も嫌いなタイプの人間。

 

「……何モンだ」

「僕かい? 僕はルシウス。今日は君たちに会いに来たんだ」

 

ルシウスは立ち上がり、優美な一礼をした。

 

「昨日、僕の国で異界の人間……"勇者"を召喚する儀式が行われてね」

「へえ……それがどうしたってんだ? 俺らは関係ねぇから帰れよ」

「儀式は失敗した。いや……正確には"ズレた"とでも表現するべきかな。儀式が行われたのと同時刻に、この森の座標から凄まじい魔力が観測されたんだ」

「……」

「で、命令されて来たらビンゴってワケ。黒髪黒目がこぉんなに……でも連れてくのは一人で良いんだよね。むしろ一人じゃなきゃマズイってか。僕が個人的に飼っても良いけど上にバレたらめんどいし。だから間引かなきゃならないんだよねぇ」

 

ルシウスは剣の切っ先をタスクへ向け、ニタリと笑う。

間引くーー1人を除いて殺すという事か。

眉をしかめたタスクの両拳に炎が宿った。身体強化による青い線が葉脈のように全身へ走り臨戦態勢となる。

ルシウスの笑みがより一層深くなった。

 

「やらせねぇよ……!」

「じゃあさーー()ろうぜ、勇者様(ブレイバー)

「っ……!」

 

ーー瞬間、ルシウスの踏み込みに硬質な床が蜘蛛の巣状に陥没した。

間合いが潰れタスクに肉薄する。遅れて空気の弾ける音が聞こえた。

まるで見えない。いつかのアルシュタリアより速いかもしれない。

こいつは格上だーー刹那の思考で、そう認識した。……だが、タスクには『秘策』があった。

 

「お、おおぉっ!?」

「ら、ァ"ッ!」

 

ーー右拳の炎を膨張させ、ルシウスの視界を塞ぐ。

突き出された剣の軌道がほんの僅かに外れ、タスクは回避に成功した。

 

「その綺麗な顔面に風穴空けてやるよ……!」

 

両腕を重ね、ルシウスヘ向ける。腕に纏わせた土塊がギチギチと蠢いた。

昨日アルシュタリアが見せたあのナイフーー魔力の大剣とやらを打ち出す代物だったかーーを魔術で再現する。対アルシュタリアの秘策として考案した技だが、出し惜しみして良い相手ではない。

目をつむり、腕に土の槍を形成する。そしてそれを打ち出す機構を土魔法で必死に練り上げる。

 

「っぅ……目眩ましかい……っておわぁっ!?」

「パイルバンカー……」

 

ーー発射準備完了。

すぐに撃たねば回避されるだろう、照準を合わせる事はしない。向こうに対応する余裕を与えてはいけないから。

ハナから、地道にやって勝てる相手ではないのだ。

 

「死に晒せやぁぁぁ!!!」

 

炎熱を帯びた巨槍がルシウスへと打ち出される。

螺旋回転しながら弾丸を優に越える速度で迫るそれは、万物を融解させながら全てを貫くだろう。

勝利を確信したタスクの表情が喜色に染まるーー

 

「うーん……良い動きだ。惜しいなぁ……もし同格だったら最高に楽しめただろうに。流石に遅すぎるよ。当たってやる事さえ出来ないや」

「っ……!?」

 

ーー槍は、ルシウスの二本指で挟み止められていた。

落胆したように溜め息を吐きながら、くいっと手首を曲げる。

それだけの動作で土槍は、飴細工の如く砕け散った。

 

「クソ、がぁ……!」

「君の行動に落ち度は無かった。だから君がこうして敗北するのは純然たる格の差だよ。……でも、合格点だ。()()()()()

「……は?」

 

ルシウスは天に右手を掲げた。そこからバチバチと雷鳴が迸る。

タスクは、そのにたっとした笑みに底無しの嫌な予感がした。

 

「やめろ」

「僕の魔法は、『電』だ。血流を極限まで活性化させる事で、人体に溢れる生体電気を増大させて打ち出す……まぁでも一般人には使えない。それが何故かって言うとねーー」

「まて、おい、まだ決着は着いてねぇぞ! 俺を倒してから……っ!?」

 

ルシウスから発せられる雷が土壁を焼き焦がし抉る。

まるで意思を持っているかのようにのたうつそれは、逃げ惑うクラスメイトたちに食らいついた。

 

「ーー知ってるかい。雷って体に悪いんだぜ」

「やめろぉぉぉぉぉ!」

 

雷に呑まれたクラスメイトの眼球が弾け飛んだ。

ある者は頭蓋が砕け散り、ある者は全身の血管を焼き焦がされ、ある者は脳味噌が沸騰して死に至る。

級友たちの最期をタスクは呆然と見詰めていた。

 

「ぁ、あ……」

「ふぃー……これで異世界人は減ったね。後はプチプチ潰すか。あ、君は別だよ異界の勇者さま? 召喚から一日でこれとか素晴らしいよ……!」

 

満足そうに頷き、ルシウスは地に伏せるタスクの肩をぽんぽん叩いた。

 

「てん、めぇぇぇぇぇえ!!!」

「だーかぁーらぁー……効かねぇっての。格の違いぐらい察せよ」

 

怒りに任せて振りかぶられたタスクの拳は、ルシウスの顎を殴打した。しかしダメージどころか脳を揺さぶる事さえ出来ていない。これが奴の言う『格の差』とやらなのだろう。

……まるで、生物としてのステージが違うみたいだ。テントウ虫がグリズリーに挑むようなもの。

勝ちの目は無いに等しいだろうーーが。シンジ絶望していなかった。

それは、"彼が本物の怪物"と対峙した事があるから。

 

「アルシュタリア見た後じゃ、てめぇなんてチワワ同然なんだよ……!」

「……君、今なんて言った?」

 

キッと睨みながら立ち上がるタスクの言葉に、今日初めてルシウスの顔から笑顔が消えた。

 

「あぁ? てめぇなんてゴミだって言ったんだよ」

「……アルシュタリア」

「は?」

「お前アルシュタリアがどこ居るか知ってるのか」

 

先程までとは別人のような、冷静さを欠いたどこか焦燥さえ感じさせる声色。

 

「あの()は、あの娘は、僕が……!」

「……あの子? 何言ってんだてめぇ」

 

頭を抱えぶつぶつと独り言を言うルシウス。タスクは少しずつ後ずさり、距離を取る。

……逃げるためではない。最後の反撃に出るために。

タスクとて、殺されたクラスメイト達に対して一定以上の情はあった。敵討ちぐらいはせねば死んでも死にきれない。

ーー刺し違えてでもこいつだけは倒す。そう決意し、土魔法を装填した。

 

「……アースクリエイト、『粉塵』」

 

タスクの詠唱で、室内に土煙が立ち込める。それは土魔法で生成した植物や土の微粒子が散布されたもの。

……彼の捻り出せる、現時点で最高火力の一撃。

拳、蹴り、槍ーーそのいずれでもない。思惑通りに炸裂すれば、巨大なビルでさえ倒壊させる一度きりの攻撃。

 

「おいお前……っ! アルシュタリアの居場所を教えろ! 知ってるんだろ!? じゃれ合いは一旦終わりだ! 速くしないと……!」

「はっ……そんなに知りたきゃ教えてやるよ……! 二人仲良く、地獄に落ちた後でなぁぁぁぁ!?」

 

ーー『エンチャント・ファイア』。

タスクの全身が発火する、と同時に室内に蔓延した粉塵がピカッと光った。

 

「っう!? なんだよ、これ……!?」

「馬鹿は黙って死ねや……!」

 

【粉塵爆発】

 

急激な圧力膨張変化によって発生するその科学現象は、コンクリート製の建造物さえいとも容易く粉砕する。

爆炎がタスクとルシウス両方を平等に包み込んだ。ルシウスの悲痛な断末魔が爆発音と共に響き渡る。

どちらのか分からない腕や肉片が飛び散る光景を最後に、タスクは瞼を閉じた。

 

 

「ぁ、あ?」

 

ーー闇に包まれた意識の中、タスクは自分の指が動く事に気がついた。

立ち上がろうと地面に手を突くが、力が入らない。真っ赤な液体に濡れる地面が鉄の香りを放っている。

 

「これ……全部、俺の血かよ」

 

腕や足の二、三本確実にもげたと思っていたが、どうやら死に損なったらしい。

ふと横を見れば、腕を突き出した状態の焼死体が転がっている。前方には、氷の壁の残骸が散乱していた。

……クラスメイトの一人、ハルナが咄嗟に氷魔法を使ってタスクを守ったのだろう。自らの身を犠牲にして。

それが本来なら即死の衝撃を重症程度まで減衰させたのだろう。

 

「……余計な事、しやがって……」

 

壁に寄りかかりながら、息も絶え絶えなタスクが立ち上がる。

肋骨がガラガラに砕けているのか胸が痛い。臓器に突き刺さっているかもしれない。

ルシウスの姿を探せば、遠くの方にビクビク痙攣する赤い塊があった。

 

「ひゅー……、ひ、ゅー……ぁ、で、ぅ、で、ぇ"ぇ"ぇ"、……」

「おうおう、随分ちっこくなったなぁ……? ルシウスさんよ」

 

手足が半ばでもげ、横腹が抉れて臓物が飛び出ている。艶やかな腸からの出血が激しい。

顔面はその右半分が失われており、辛うじて原型を留めている方も歪み砕けている。

満身創痍、なんて表現ではまるで足りない。あと数十秒で死ぬだろう。

傷口から()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……りゅう、いんし、かいほう」

「……ぁあ、何因子だって? もう諦めーー」

「ガァ"ァ"ァ"ア"ァ"ア"ァ"ァ"ァ"ッ"ッ"ッ"!!!」

 

ーールシウスの体内から溢れた黒泥がボコリと膨張し、巨大な何かを形作っていく。

それはまるで、お伽噺に登場する龍の腕のようだった。

 

「は、は……第二形態、ってかぁ……?」

 

タスクの頬に冷や汗が伝う。

枯渇しかけた魔力を絞り出し、みそっかすのような残り火を両拳に燃焼させる。身体強化を使おうとしたが、力を巡らせようとすると全身に痛みが走る。明らかな過負荷(オーバーワーク)だった。

 

「アル、っしゅ……だ、ぁア"ァ"あ"ァ"ア"ァ"ア"ア"!!!」

「ちぃ……っ!」

 

巨大な泥が、地面をのたうつ蛇の如くタスクへと這い寄る。

鞭のようにしなるソレを辛うじて回避するが、満身創痍ゆえに足をもつらせてしまい転倒した。

無防備なタスクへ二発目が迫る。

 

ーー万事、休すか。

 

思えば情けない人生だった。

弱いやつを虐げて、勝手に自分が最強だと勘違いして。それを確かめるため無為に誰かを傷付けて。

だからこそ、アルシュタリアを初めて見た時。タスクはまるで初めて目を開けたみたいな気分になったのだ。

俺はこいつを打ち倒す、こいつ以外は路傍の石ころなのだと。

究極の目標があるから努力できた。

 

……そうだ。俺はあいつをぶっ倒す。この命はそのために使うと決めた。

ーーだったら。

 

「俺はァ……てめぇなんか眼中にねぇんだよぉぉぉぉ!!!」

「グラ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ッ"!」

 

ーーだったら、最期まで全力で。

命を燃やすかのような紅蓮がタスクから迸る。

泥と炎が、ぶつかりーー

 

「そこまでだ」

 

ーー上空から割り込んできた"騎士"によって、霧散した。

 

「アルシュ、タリア……」

「……こいつをここまで追い詰めるとはな。少しだけ君を見直したよ。気に食わないけどな」

「はっ……ははは。一言多いんだよ、お前は」

 

真っ直ぐに槍を構えたアルシュタリアが、ルシウスを睨む。

ルシウスは対称的に、泥に置き換わった両手を横に広げて笑っていた。

 

「ァる、アルシュタリア……! ボくは、君を、ずっと探してたんだ!」

「私は二度と会いたくなかったがな。……まぁとにかく。私はこいつらに微塵も情など覚えてはいないが、守っていたものを傷つけられるのは気分が良くないものだ。だから、私はお前を殺そうと思う」

「ハッハッハァ……! いいよォ……!? 久々に二人でヤリ合おうじゃないかぁあぁあっはハはァっっっ!!!」

 

タスクとの戦闘時とは比べ物にならない速度でルシウスがアルシュタリアへ突進する。

アルシュタリアは、小さく何かを呟いた。同時にルシウスが、何かに強い力に押さえ付けられるようにして地面へと叩き付けられた。

床に発生した馬鹿でかいクレーターがその力の強大さを物語っている。

 

「ふっぅうぅ……重力魔法かい……?」

「あぁ。丁度よく部屋の天井が無くなってるんだ。望む通り全力で殺してやろう……水魔法の極致をその目に焼き付けると良い」

 

アルシュタリアは、自分の横に現れた黒い裂け目から大きな杖を取り出した。それを天に向ければ、曇り空に極大の青い魔方陣が発生した。

 

「詠唱、『堕ちる蒼天(エナリオス)』」

 

ーー見渡す限りの曇り空が、()()()()()()へと変わった。

まるで空と海が入れ替わったような光景。

空から、ザァザァと波のさざめく音が聞こえる。

 

「……空を覆う水魔法とか。相変わらずイカれた魔力量してんねぇ……?」

「死ね」

 

ーー『蒼』が、落ちる。

空が降ってくるようなその光景に、ルシウスは静かに目を閉じた。



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12.捻れる日常

「……ははぁ。おかしいよほんとに。本気出せば、王都丸ごと押し流せるでしょ、君……」

 

俺は、四肢をもがれ水浸しになったルシウスの前に立っていた。手足を形成していた『龍因子』の泥は水魔法で削がれ、地に倒れ伏している。

……本来なら、万全のルシウスはかなり厄介な相手だ。

格下相手に舐めプしてたんだろうが、タスクが追い詰めていてくれて助かった。

ルシウスの胸に槍を突き立てる。

 

「あ……そうだ、僕の事殺すのは別に良いんだけどさ。最後に一つ……いや、二つだけ言わせて。これを言わなきゃって、ずっと……」

 

突き立てた槍に力を籠めようとした時、ルシウスがそう言った。

 

「なんだ。一分以内で済ませるなら構わないが」

「うん……ありがと。一つはね、君の『父上』が君を探してるって事……あのバケモンの事だからもう大まかには特定してんじゃないかなぁ……? 逃げた、方が良いよぉ……」

 

ーーその言葉に、俺は冷えた手で心臓を鷲掴みにされたような感覚を覚えた。

……俺の父親、あの怪物に居場所を特定されている。

それが本当なら一刻も速く行動を起こさなければならない。

 

「……あと、もう一つはね」

 

ルシウスが、震える声で何かを言おうとする。

 

「きみの、ナか、にーーっ、ぐ、ガァッッ!?」

「っ……!?」

 

ーー言おうとして、ルシウスの頭部が爆散した。

真っ赤な脳漿と肉を撒き散らし、頭蓋の破片が俺の鎧に叩き付けられる。反射的に目を細めてしまう。

……何が、どうなってーー

 

【久しぶりですね。アル。元気そうで私は嬉しいです】

 

ーーその声はルシウスの残骸から聞こえて来た。

聞き覚えのある声。俺は首筋から汗が吹き出るのを感じた。

良く見ると、ルシウスの脊椎の辺りに魔方陣の浮かんだ青い宝石が埋めこまれている。。

……あの魔法陣は通信(パケット)か。ヤツが開発した魔術。その性能は電話と大差無い。

だとしたら……この声の先に居るのは。

 

【お父さんは最近"ビジネス"が軌道に乗っていましてね。もうすぐ長年の夢が叶いそうですよ】

 

ーー"捻れ騎士"アルスバーヴン。

俺の今生に於ける父親であり、王国最強……いや、もしかすると世界最強かもしれない怪物。

……そして、現存する最高位冒険者『叙勲騎士』の一人。

どうやったかは知らないが、ルシウスの脳に何らかの仕組みを施していたのだろう。こいつなら何をやっても不思議じゃない。

 

「……はい、お久しぶりです。お父さん」

「おいアルシュタリア……? 誰だこの声」

【おや、そこに居るのはアルの"お友達"ですか。私はアルスバーヴン。王国で個人事業主を営んでいます。名刺でも渡させて頂きたいのですが……生憎この魔術で送れるのは音だけですので。無礼を許してください】

「う、うっす……」

 

おずおずと頭を下げるタスクを後ろに下がらせ、俺は早鐘の如く脈打つ心臓を意識しながら口を開く。

 

「……それで、此度(こたび)は私に何のご用でしょうか」

【あぁそうでした! 君の声で嬉しくなって忘れてましたよ! 実はまたアルに、お父さんの仕事を手伝って欲しくてですね】

 

ーーああ、またか。

こいつの言う『仕事』で、俺はロクな目にあった試しが無い。

……だが、断ればどうなるか。それも良く知っている。

 

「……分かりました」

【いつもありがとう、アル。君の国際指名手配は圧力で解除させておきましょう。大手を振って私たちの家まで帰って来てください。待っていますよ】

 

ブツン、と音を立てて通信が切れる。と同時に、膝に力が入らなくなって地面に崩れ落ちた。思わず奥歯が震える。

……"捻れ騎士"、または"湾曲王"アルスバーヴン。この大陸でその名を知らぬ者は居ない。奴の発明品の数々は人類に多くの恩恵をもたらした。

強く優しく、そして賢い。典型的な大英雄。

 

……しかしそれは上辺だけの話。奴の本質はただのサイコパスだ。タガの外れた天才としか言いようが無い。そして何故か、ハーフエルフという種族に対して強い関心を抱いている。

だから自分の子供として俺を作ったんだろう。

幼少期……俺も奴に色々と"弄られ"た。その記憶がフラッシュバックし、思わず吐きそうになる。

 

「はぁ、はぁ……っ! アルさん、これどうなってすか……!?」

「……シンジ」

 

俺の通った後を追ってきたのか、シンジが息を切らしながら家の残骸に入ってくる。そしてクラスメイトたちの死体を見て顔から表情が消えた。

「まずい、事になった」

 

震える声でシンジにそう伝える。

……本当に、まずい事になった。

正直、国を敵に回す事なんかより奴に居場所を捕捉された事の方が何百倍も面倒だ。たとえ世界の端まで逃げようとも奴なら指先一つで俺に攻撃できる。

 

「……この森から出るぞ」

「へっ……?」

「おい説明しろ……まるで状況が見えねぇ……」

 

困惑した様子の二人を尻目に、俺は頭を抱える。

……出来ればシンジを王都には連れて行きたくないが、森に待機させておいて何かあったら目も当てられない。

ぜったいに、絶対に俺の目と手が届く所に居て貰わなければ。

シンジとタスクへ向き直り、俺は口を開く。

 

「……簡潔に言うのならば、私は『家出』をしていたんだ。怪物みたいな父親に嫌気が差してな。……それが今、呼び戻された。それだけだ」

「父親に呼び戻された……お前の実家に帰るって事か?」

「着いてきてくれても構わないが。二人はどうする」

 

その問いに対して、タスクは二つ返事で『着いていく』と返した。ルシウスに殺されたであろうクラスメイトたちを悼ましい表情で見ながら拳を握り締めている。

 

「……シンジは、どうする」

「俺、は」

「状況が分からないだろうが、それは追々説明する。私としては君に着いてきて貰いたい。……きみが、いやと言うなら、強要はしないが」

 

シンジは、少しだけ迷う素振りをする。

 

「……俺はアルさんに命を助けられました。だから、アルさんがそう言ってくれるなら一緒に行きます」

 

そう言った後、『……でも』とシンジは付け足した。

 

「もし良かったら、ちょくちょくあの村に行っても良いですか? ……会いたい人が、居て」

「……分かった、構わない」

 

その後俺達は、ルシウスに殺された生徒たちの遺骸を埋葬して外に出た。

……特に情があったわけでも無いし、こいつらとの学校生活なんかは断片的な物を除いてほぼ記憶の彼方へ消え去ってしまっている。しかし、見知った人間の死体を弔うというのは、何度やっても慣れないものだ。

静かに手を合わせながら、俺は鎧の内側で顔をしかめた。

 

 

「……それで、そのルシウスって奴に皆は殺されたのか」

「あぁ、そのせいで俺はこんな怪我してるし、あいつらは死んじまったし……色々と、めんどくせぇ事になった」

「あぁ。本当に、本当に面倒な事になったな」

 

俺たち()()は、俺の用意した馬車で都への道を疾走していた。

便宜上は馬車と言えど、車体を引くのは召喚した中型竜。馬力も速度も馬を遥かに上回っているから、一日もあれば王都に到着するだろう。

 

「……はぁっ」

「なんでイライラしてるんですかアルさん……怖がってるからやめてあげてくださいよ」

 

御者台でせわしなく足を踏み鳴らす俺に、シンジがたしなめるような声で言った。

……ルシウスに殲滅されたと思われていた生徒たちだがーータスクとシンジを除いた生き残りが一人だけ居たのだ。

ルシウスとタスクの殺気に当てられたせいだろう、酷く怯えた

様子なその『生き残り』は、消去法で戦闘能力の低いシンジに抱き着いていた。

心に傷を負った時に人の温もりを求めるのは当然な事なのだろうが……その矛先がシンジなせいで、とてもむかむかする。

シンジに引っ付いてカタカタ震えている小柄な女を尻目に、俺は舌打ちを抑えるのに必死だった。

 

……綾羅木 詩音(あやらぎ しおん)

この女の事は前世からあまり好きじゃない。

こいつは男に取り入るのが凄まじく上手い。学校では女王蜂のような地位で、クラスの中心と言っても過言ではなかった。男子のトップがタスクなら女子のトップはこいつだ。二人ともロクな奴じゃない。

シオンはタスクに何度か告白して振られているらしく、この二人の関係は良くないが。

 

「……遠くにでけぇ門みたいなのが見えてきたな。あれが都か?」

「あぁ。王都アイムール……かつて私の活動拠点だった場所だ」

 

しばらく走り、馬車を門の前で停める。

守衛が駆け寄ってくる。

 

「立派な竜車だな……商人か? 通行証か冒険者カードを出せ」

「こういう者だ。急いでいる」

「ん? 黒い、冒険者カード……? えっ、はっ!? アルシュっっっ!? 帰ってくるってマジだったんですか……! し、失礼しました! おい開門しろ! 今すぐだ!」

「すまないな」

「あ、あの、サイン良いですか? 嫁と娘がファンなんです」

「……あぁ」

 

門番をしていた守衛兵たちに騒がれながら、俺達は王都へと足を踏み入れた。

小窓から外を見ながら、タスクは驚いたような顔をしている。

 

「……有名人なのか? お前」

「まあ、多少はな」

 

馬車を預け、地に足を着ける。

辺りを見回せば、そこには見知った都会の光景が広がっていた。出店が立ち並び、吟遊詩人の声が響き、人々の活力に溢れた街。乾いた気候のため、噴水も多くある。

 

「凄い、所ですね」

「……あぁ」

 

今生の俺……『アルシュタリア』が半生を過ごした場所だ。

悪い記憶ばかりだが、楽しかった記憶もそれなりにある。思い出自体は強い。

それから俺は宿をとり、そこに三人を待機させて目的の場所へと向かう事にした。

この都でも一際目立つ豪邸ーーアルスバーヴンの、邸宅へと。

 



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13.『叙勲騎士』

人混みを掻き分けながら進み、やっと俺は目的の白亜の屋敷の前まで辿り着いた。

荘厳な扉に着いた金色の龍に触れると、カチャリという音と共に門のロックが外れた。と、同時に屋敷の中からメイドたちが何十人も出てくる。先頭の老女はボロボロと大粒の涙を流していた。

 

「……メイド長」

「お、お嬢様……っ! 帰って来て下さったのですね!? 」

 

その人は、幼少期に俺への世話や教育を担当した待女だった。

かつては艶やかだった金髪は白髪が混じり始め、顔に刻まれた皺は深い。

実の母は俺が産まれてすぐ死んでしまったし父に関してはアレだから、俺の実質的な育ての親だ。昔はエルフの里に居た筈だが、今はここで働いているのか。

 

「さぁ、旦那様がお待ちですよ……あぁいえ、そんな無骨な格好では駄目です。ドレスを用意しておりますからお着替えください」

「……女の服は嫌だ」

「貴女ももう大人の女性なのです。そんな事を言って婆めを困らせないでくださいまし」

「むぅ……」

 

館の扉をくぐるなり、俺は巨大な鏡のある部屋に通された。

数人のメイドたちが手早く鎧の留め具を外してくる、一分程で全てを脱され俺は一糸纏わぬ姿になった。

メイド長を含めた皆は、そんな俺を見て驚いたように目を見開いている。中には何故か頬を赤らめている者も居た。

一応同性なのにと、疑問に思う。

 

「どうした」

「……お美しく、なられましたね」

「身内の色眼鏡だろう。寒いから早く着させてくれ」

「ふふ、そういう所、お母様にそっくりですよ」

 

ひらひらした純白のドレスを着せられながら溜め息を吐く。脱ぐのが大変な奴だ。昔は無理やり着せられてトイレなどに苦労した覚えがある。

あの父親の趣味なのだろうかもしれない。怖くて聞けないが。

 

「さぁ、旦那様のお部屋へ向かいましょう」

 

メイド長に着いていく。広い廊下の先に、巨大な鉄の扉が設置されていた。あそこが奴の寝室かつ研究室だ。

内部から、歯車同士が噛み合うようなギシギシという音が聞こえてくる。

 

「旦那様、お嬢様がお見えになりました」

 

ノックしながらメイド長が呼び掛けるが、返答が無い。恐らく作業に集中して聴こえていないのだろう。

メイドたちは困った顔をする。あの扉は特に施錠されていない筈だが、単純にクソ重たい。並の女の腕力では数人がかりでも動かすことさえ出来ないだろう。

まあ俺は並みではないのだけど。全身に魔力を巡らせながら、扉を軽く小突いた。

 

「……どいててくれ」

「お、お嬢ーー? わっ!?」

 

鉄製の重厚な扉が地面を擦りながら開いた。表面が少しだけ指の形に歪んだが許容範囲だろう。

奴は滅多な事では怒らない。素の状態がイカれてるからかもしれないが。

 

「お父様」

 

呼び掛けてから、中に入る。

そこには『部屋』と呼ぶのが適切なのかどうか疑問を抱くほどの光景が広がっていた。

一言で言うのならば、工場だ。蒸気が立ちこめ、鉄が犇めいている。

そして、その中央にある安楽椅子にはいつも奴が……

 

「……あれ」

 

アルスバーヴンが、居ない。メイド長もポカンとしている。

どういう事ーー

 

「いやはや、いやはやいやはやいやはや……娘が力強く育ってくれて私は嬉しいですよ、アル。親にとって子供の成長は幾つになっても至上の幸福です」

 

ーーその声は、俺の背後から聞こえてきていた。

咄嗟に振り向くと、メイドの一人が顔に手を当てながらクツクツ笑っている。

そしてそのまま、メイド服を脱ぎ捨てながら指をパチンと鳴らす。

 

変貌解除(デザイン・オフ)

 

メイドの肉体が粘土のようにぐにゃぐにゃになり、そのまま鈍い銀色へ塗り変わっていく。

次第にその姿は、俺の見知った物へと完全に変化した。

……まさか。

 

「だ、旦那様っ!? 一体いつから……!?」

「昨日からですよ、メイドとしての業務は中々に有意義でした疲れました」

「急に仕事が速くなったと思ったら……気がつけず申し訳ございません」

「いえ、君に落ち度はありません。頭を上げて下さい。……さて」

 

流線形の、どこか生物的な印象を感じる鎧に身を包んだ男は呆然とする俺に対して優美な一礼をした。

フルフェイス冑のせいで表情は伺えない。

 

「三年ぶりでしょうか」

「……はい、お父様」

 

と言っても、こいつはずっと俺を監視していたのだろう。

捻れ騎士アルスバーヴン……こいつには『兵器』がある。

この星に居る限り、この狂人の目から逃れるのは不可能だ。

 

「お友達はできましたか?」

「はい、一人ですが」

「おぉ、それは素晴らしい! 今度ぜひ連れてきて下さい。歓迎しますよ」

 

何分か世間話をした後で、アルスバーヴンはふと気が付いたように『あぁそうだ』と言った。

 

「実は、君に紹介したいものがありましてね」

 

俺は思わず身構えた。……恐らくこれが本題だろう。

意図せずして、緊張で身体がぎくしゃくしてしまう。

 

「なんでしょうか」

「こちらですよ……おい、来なさい"09(ゼロナイン)"」

 

アルスバーヴンが呼ぶと、歯車部屋の奥からのっそりと一人の青年が現れた。

虚ろな瞳、口端から溢れた唾液、明らかに薬漬けの廃人といった風体。だが特筆すべきはそこではないーー()()()()なのだ。良く見れば顔もこの大陸には居ないアジア系。

ーー異世界人?

俺は冷や汗が吹き出るのが分かった。

 

「……なん、で」

「珍しい民族でしょう? おや……酷い顔をしていますよアル。単に未発見の人種を入手しただけです。何も不明な点は無い。それともーー何か、心当たりがあるのですか?」

 

アルスバーヴンの問いに、俺は反射的に首を横に振った。

シンジが危ない、そう直感したから。

 

「あぁ……そう言えば、昨日見たアルの"お友達"もこれと似通った容姿をしていましたね。やはり、ぜひ会いたいものです……」

「……っ、お父様! それで、本題はなんでしょうかっ!? 私を呼びつけた、目的は……!」

「おや失礼。すぐ興味が逸れてしまうのは私の悪い癖です。……そうですね、単刀直入に言いましょうか」

 

アルスバーヴンは、ゼロナインの手を引っ張って無理やり俺の前に立たせた。

何がくる……殺しか、破壊工作かーーはたまた、国落としか。シンジを守るためなら全てやってやれる覚悟がある。

……あの日、あいつが手を差し伸べてくれた瞬間から。俺達は一蓮托生の関係になったのだ。

だから、なんだってーー

 

「アルには、これとセックスをして欲しいのです」

 

ーー頭が、真っ白になるのが分かった。

 

「……え?」

「厳密には子作りです。もちろん性的快楽を(むね)としたものでなくとも結構。優秀な赤子が私の事業に必要でしてね。生殖機能を残したままここまで人間性を削ぎ落とすのには中々苦労しました」

 

思わずゼロナインの方へ向く。

だが、やはり白痴なようで明後日の方向を見たままポケっとしている。

 

「まぁ……性行の際は君にも"これ"にも強い媚薬と投与しますから、苦痛は伴わないでしょう。安心してください。どんな女傑も丸三日は雌猫のように盛り続ける妙薬ですので。君もきっと楽しめる」

 

アルスバーヴンは俺の肩に手を置き言った。

まるで生物とは思えない、金属のような冷たい手だった。

 

「なぜ……」

「この民族は、龍因子への耐性がかなり強いようでしてね。それも少量では効果が表面に出ない程に。しかし魔力量などは極めて少ない。だから品種改良を施そうと思いまして。君との子なら、その問題はクリア出来る」

「で、ですが」

「あぁ、安心してください! 君が育てる必要はありませんよ。産まれてすぐ薬漬けにして、これと同じ状態にしますので」

 

ーー絶句、する。

メイド長の方を振り向けば、沈痛な面持ちで俯いていた。

……メイド長は昔、孤児の自分をアルスバーヴンが拾ってくれたのだと言っていた。だからこそ、逆らえないのだろう。

 

「決行は一週間後です。それまでに君も体調を整えておいて下さい」

 

俺は自分の下腹部に手を当てた。

……俺のこれ程度で、シンジを守れるなら安いものだ。だが、自分の指とかならまだしも男のものを自分の中に入れられるのは流石に抵抗があった。

腹の奥が、きゅっと縮むような感覚を覚える。

心音がバクバクとうるさい。初めて人を殺した時と似た感じだ。

異様に渇いた喉から、何とかして肯定の言葉を絞り出す。

 

「……分かり、ました」

「おぉ、ありがたい……協力的な娘を持ててお父さんは幸せ者です」

 

それから、何も考えられなくなってしまった俺はメイド長が止めるのも聞かず逃げるようにして屋外へ出た。

外はもうすぐ夜のようで、肌寒い。

ふらふらと、薄暗くなった街を歩く。

夕暮れの琥珀色、そこに暗雲が迫ってきている。

 

「……ぁ」

 

その時俺は、重要な事に気がつく。

あの家に、鎧を忘れて来てしまったのだ。

 

ーーこれじゃ強い自分(アルシュタリア)になれない。

 

「あっ、ははは……」

 

ぺたんと、路傍の石畳に座り込んでしまう。

メイドたちに結られた銀色の髪をくしゃくしゃにして、頭を抱える。

だがすぐに、近づいてくる何者かの気配に気が付いた。

ほんの少しの期待と警戒を籠めて、顔を上げる。

 

「シン……」

「ね、ねえっ、君、俺らと遊ばねぇ……? すげぇタイプでさ……! 退屈はさせねぇよ!」

 

ーー当たり前と言うべきか、そこに立っていたのは求めていた人ではなく三人組の若い男たちだった。

口角をだらしなく吊り上げ、俺の方へ手を伸ばしてくる。

 

「……今は私に話しかけないでくれ。殺してしまいそうなんだ」

「嬢ちゃん、おもしれぇ事言うな。続きは宿で話そうぜ、へへ……」

 

男の一人が俺の手首を掴み、引っ張ろうとしてくる。

……人混みでの戦闘は面倒だ。手早く済ませよう。右腕に魔力を巡らせようとする。

 

「あ、やっぱり……! おーい! 宿の窓から見えてさ! 村のっ……! 君だよな!? 大丈夫かよ!?」

「……?」

 

間の抜けた声の方向を見ると、そこにはこちらへ走ってくるシンジの姿があった。

……ここ、シンジたちを待機させた宿の近くだ。

 

「あぁ? んだテメェ!?」

「うぉぅ……ナマの荒くれ者とか初めて見たよ……マジで居んだなこういうの……」

「何ぼそぼそ言ってんだ!? ナメてんじゃねぇぞおめぇよぉ!」

 

胸ぐらを掴まれシンジが持ち上げられる。

筋骨隆々な男三人に囲まれ、シンジの表情には珍しく焦りが見えた。いつもの不自然な笑いは張り付いたままだが。

 

「え、ぇー……いやー、えっと、その子嫌がってるだろ! みたいな?」

「ッチ……決めた、てめぇはボコす。半殺しにしてやるよ」

「よ、よーし、おい君! ここは俺に任せて逃げぐぼぉっ!?」

 

男の拳がシンジに顔面を抉った。自分の顔が引きつるのが分かる。

ーー殺すか。

処理は面倒だが、ゴロツキの二、三人程度なら簡単に隠蔽できる。

右手に水弾を装填した。小規模だがこいつらの頭蓋程度なら破裂させられる程度の威力はあるーー指先でピストルを形作って男へ向ける。

だがその時、割り込んできた何者かの拳が三人の男の内一人を殴り飛ばした。

……今度は、誰だ。

 

「ふぅ……こんな所に昔馴染みが一人。王都に来て早々、運命とは数奇な物さね」

「な、なんだっ……!? おいババアよくもこいつをーー」

 

ーーそこに立っていたのは、黒いボロボロのマントを纏った女だった。

魔女のようなとんがり帽子を深く被り、全身にジャラジャラとした銀の十字架をぶら下げている。

背中にはクロスするようにして戦斧と杖が装備されていて、魔女の皮を被った戦士、といった印象を受ける。

 

「……アラバツガリィ」

「あんた今、殺そうとしただろう。駄目だよ……命ってのは星より重たいんだ」

 

ーー"砦騎士"、あるいは"魔女狩りの王"アラバツガリィ。

アルスバーヴンと同等の冒険者階級、『叙勲騎士』クラスの人物が、そこには立っていた。

 



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14.軋む情景

「……私を助けてくれてありがとう、アラバツガリィ」

「何言ってるんだ、わたしが助けたのはあのゴロツキ共と、この坊主の方さね……なんでアンタみたいな怪物の助太刀に入らなきゃならないんだい」

「冷たい事を言わないでくれーー師匠」

 

先程の男たちを追い払ったアラバツガリィは、カラカラ笑いながらそう言った。

"砦騎士"アラバツガリィは、戦闘技術における俺の師でもある。魔法と武器術を併用するバトルスタイルはこいつが源流だ。

 

「ふん……『叙勲騎士』なんて大層な肩書はあるけど、わたしゃきっともうアンタには勝てないよ。流石はあのアルスバーヴンの娘さね」

「……そうか」

「あ、あのー、君と、あと……アラバツガリィ、さん? 二人はどういう関係で……」

 

横で話に入るタイミングを伺っていたシンジが、おどおどしながらそう聞いてきた。

 

「ガリィで良いよ、坊主……この馬鹿弟子とは腐れ縁さ。ところで、そっちこそこいつとどういう関係なんだい」

「どうって……友達?」

「んなワケあるかい。こいつの対人能力で友達なんか出来るか」

「おい」

「事実さね」

 

俺のコミュ力が貧弱なんじゃなくて、周りの人間がおかしかったんだ。きっと。

そう自分に言い聞かせながら歩いていると、アラバツガリィは一件の店の前で足を止めた。あまり目立たない、地味な雰囲気の店。バーっぽい。

 

「久々に会ったんだ……積もる話もあるだろう」

 

そう言って扉をくぐるアラバツガリィ、俺もその後に続こうとする。だが、シンジはバツの悪そうな顔で帰ろうとしていた。

俺たちが仲良さげに話していたから、気を使っているのかもしれない。

 

「シンジ」

「いや、俺はいいって」

「……シンジっ」

「だからそんな叱るみたいな声で言われても……あだだだっ!? 分かった、分かったから引っ張んないでって!」

 

ぐいぐい引っ張って店にシンジを引きずり込んだ。そんな俺にアラバツガリィが吹き出していた。なぜだ。

カウンター形式の席に無理やり座らせ、その横に俺も座った。

 

「……随分と、柔らかくなったじゃないか。六年前に初めて会った時は冷たい殺人機械みたいな風体だったのに」

 

とんがり帽子の隙間から僅かに覗くアラバツガリィの目が、優しげに細まっている。

……かつての俺は、ほとんどアルスバーヴンの操り人形だった。あの頃だけで何十万人殺してしまったか分からない。

殺戮に次ぐ殺戮、血に濡れて乾きひび割れた精神。アラバツガリィと出会ったのも、小国を一つ潰した直後だった。そこで俺は初めて敗北を知ったのだ。

 

「あん時は……アンタ、確か十五才ぐらいだったか。恐ろしいよ。最終的に勝ったとはいえ、そんなガキにわたしはボロボロにされたんだから」

「……ははは」

「じゃあ、なんか注文するか。坊主、酒は飲めるかい?」

「え、いや、酒は……」

 

アラバツガリィは、二人分の酒とシンジの果実ジュースを注文した。

カウンターの向こう側でコップに液体を注ぐ店主をボーッと眺めながら、俺は口を開く。

 

「……もし、の話だが。私とアラバツガリィが本気で不意討ちすれば、アルスバーヴンを倒せる思うか?」

 

その言葉に、アラバツガリィは分かりやすく顔をしかめた。そしてその後に大きなため息を吐き出す。

バツが悪そうに頭を掻きながら、心底忌々しそうに言葉を紡ぐ。

 

「無理だよ。白兵戦ならわたし一人でもやってられなくは無いが……あの怪物の真価はそこじゃない。あいつ以外の叙勲騎士クラスが総出で掛かっても怪しい」

「分かってる、言ってみただけだ」

「……また、何か命令されたのかい。あいつも昔はマトモだったんだがねぇ」

 

カウンターに置かれた酒をぐびぐび煽りながら、アラバツガリィは呆れた声で言った。

まともなアルスバーヴンなんて想像出来ないな。少なくとも、俺に物心が付いた頃には既にイカれていた。

 

「そうなのか?」

「ああ……真っ直ぐな奴でねぇ。でもある時から、龍に魅入られちまった。あんな泥のどこが良いんだかっ」

 

既に酔いが回ってきているのか、アラバツガリィらしくない、少しだけ感情が先走ったように口調だった。

 

「……わたしが殺してやれたら、どれだけ良かったか」

「……アラバツガリィ」

「さっ、わたしの話は終わりさね。アンタも飲みな。わたしゃそっちの話に興味があるのさ」

「もがっ、ちょっ、待て、おい」

 

アラバツガリィが、俺の口元にグラスを持ってきて無理やり酒を注ぎ込んできた。つい咄嗟に飲み込んでしまう。

まずい、俺はかなり酒に弱い。酒が入ると記憶が飛んで、意識が戻ると大抵の場合はとんでもない事になってる。"聖剣"とやらをへし追って国を追放されたのも酒のせいだ。

それが分かっているのかいないのか、アラバツガリィはニヤニヤ笑っていた。

ーーあ、目が据わってる。なんも考えてないわこいつ。ただの酔っぱらいだ。

 

かなりアルコール度数が高い酒なのか、口腔を流れた途端に喉が焼けつくような感覚が走る。腹の辺りから吹き出た熱い蒸気に脳を熱されているみたいだ。頭がぽーっとする。

しこう、が、まとまらない。

 

「しっ、しんじぃっ! みしぇ、からっ、んっ……でぇ、ろっ!」

「え、ミシェランジェロ……?」

 

『店から出ろ』と言ったつもりがまるで伝わっていない。

ろれつのまわってくれない舌がうざったい。

まずい、視界がぼやけてきた。瞼が重たい、世界が遠退く。

 

「お、おい!? 大丈夫か!?」

 

俺が最後に見た光景は、心配そうな顔で俺に肩を貸してくるシンジと、ゲラゲラ笑うアラバツガリィの姿だった。

 

 

「お、おーい……? あの、アラバツガリィさん? 病院連れてった方が良いんじゃ……急性アルコール中毒とか怖いし……」

「ははははは! 大丈夫さね! そいつが酒ぐらいで死ぬか!」

「でも意識無いっぽ……あ、起きた。大丈夫ー?」

 

アラバツガリィに酒を飲まされ、数回たたらを踏んだ後に少女は膝から地面へ崩れ落ちた。咄嗟に抱き起こすが意識が無いよう。顔だけでなくその長耳まで真っ赤に染め、僅かに開いた瞼から覗く銀色の瞳は虚ろで、潤んでいる。

 

「しん、じぃ……」

「なに……? ばっ!?」

 

ゆらゆらと伸びてきた細腕が、シンジの胴に巻き付いた。

そして凄まじい力で抱き寄せる。顔面に押し付けられる軟らかな感触。アルコールの匂いに混じって甘い香りがした。ちょう胸に顔を埋めた格好だ。

その柔らかい物体が何かを察し、シンジは離れようとする。

 

「あー、れぇ……なんでシンジが居るんだ。俺はてんせいしてー? それでぇー……あぁ、ちがうんです、おとーさま、泥は、いや、です、やめて、もう俺って、いいませんからぁ……っ!」

 

両手でシンジをがっちりホールドし、少女はぶつぶつとうわ言のように何かを呟きだした。耳元ですんすんという音が聞こえる。顔を見ると、ぼろぼろ涙を流していた。

 

「ぁ、あん……しんじぃ……もう、殺したくない。もうずうっと、あいつら、あたまのなかでぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるわめいてるんだ。『ころさないで』って……でもおれ、わたしは殺したんだ。あるすばぁーぐ、あいつがこわくて。だんだん、殺して。どんどん、殺して。命がわかんなくなるぐらぁい……えへへぇ……」

 

先程までの理路整然とした態度とは真逆の様相。

まるで情緒が不安定な幼子のような。あるいは心の壊れた廃人のようなーーあるいは、()る辺を喪ったかつての自分のような。

分厚い仮面を被った人間が何かの拍子にそれを剥がされると、今まで溜め込んでいた情動が爆発してしまう。今の少女は正にそうだった。

喜怒哀楽でさえない。綺麗に言語化する事など到底不可能な膨大でドス黒い感情が、その瞳の裏側で渦巻いている。

 

「きみ、は」

「……ばけもの、なんだ。わたしはぁー……血まみれ、でぇ……鉄の匂いが、ずっと染み付いて……」

 

その瞳は、出会ったあの日のクズハとそっくりだった。

 

寒空の校舎裏。世界と人間に絶望していた、あの時と。

目があって。すぐに自分と同じだと分かった、あの時と。

 

「……だれか、たすけて」

 

最後にぼそりと、密着しているシンジにしか聞こえないぐらいの小さい声で少女は言った。

……そんな彼女に、シンジは。

 

「……君が何に傷つけられて、誰に助けを求めてるのか俺は知らないし、それはきっと俺なんかじゃないんだとは思う」

 

でも、だから。『これはただの節介で、自己満足だ』

そう伝えてから、シンジは少女を強く抱き締めた。

こういう時は人の温もりが良く効くのだ。それをシンジはよく知っていた。

 

「ぁ……」

 

ぎくしゃくと、シンジの腕の中で居心地が悪そうに少女は体を震わせる。

しかしそれから数秒後、猫のように目が細まった。

 

「……しんじ」

「なに?」

「ずぅっと……わたしと、いっしょ、に……ん、ぅ……」

 

何かを言いかけて眠ってしまった少女をそっとカウンターに寄り掛からせて、その小さい背に自分の上着を被せる。

穏やかに寝息を立てるその姿を見て、安堵の溜め息を吐く。

 

「……幸せそうな、顔してるねぇ」

 

アラバツガリィは、眠りこける少女の頬を撫でながら言った。

 

「坊主……こいつの事、大事にしてやってくれよ。こう見えて、弱い奴なんだ」

 

ちびちび酒を啜るアラバツガリィに返事をせず、少女の横に座る。

ガラスのコップを透過した証明の灯火を浴び、銀糸のような髪が煌めいて見えた。

 

「……ほんとに、似てる」

 

その寝顔に、亡き友の面影を見ながら。

シンジは、ぎくしゃくとした下手くそな笑みを顔に作った。



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