エテメンアンキ ~魔法世界は感情化学?~ (久国嵯附)
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1話
午後10:30頃、ある弱冠18歳の少年「米澤夕麻」は坂道を自転車で登っていた。
その日は300年に一度あるかないかといわれる「惑星直列」の最終日であった。「惑星直列」とは太陽系の惑星「水金地火木土天海」としておそらく中学生あたりで暗記させられる、太陽系の惑星「水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星」が太陽から一直線上に並ぶという、とても珍しい現象のことである。
この現象が起こると、世界中の宗教家やオカルト研究家たちが、「世界の終わりだ」とか「ラグナロクの始まりだ」とか騒ぎ出すが、一般の市民としては「太陽系の惑星がたくさん見ることができる天体ショー」でしかない。その少年も一市民として天体観測をしようと、近くの丘の上へと自転車で向かっていた。
上機嫌で丘の上へと向かっている道中、幼い女の子を見つけた。まだ幼稚園児ぐらいだろうか、その女の子の顔はにこやかであった。「こんばんは」と声をかけると、舌足らずな声で返事が返ってきた。少年は深夜にであるいているその女児のことを少々気にかけつつ丘の上へ道を進んでいた。
ブウゥゥゥゥン!!!
坂の下のほうから轟々と鳴り響く車の音が少年の耳に入った。少年が振り返ってみると、煌々と輝く車のヘッドランプの中に、先ほどの女児が呆然と立ち尽くしていた。
どうやらその車を操る主は酒を嗜んでいたようで、女児・少年ともに眼中にはなく、車は一直線に坂を上っていた。
少年は自転車から飛び降り、がむしゃらにその女児へと奔っていった。
「危ないっ!」
ドン!と女児を突き飛ばした少年の目には、イノシシのように迫りくる車の、光り輝くヘッドランプの明かりだけが映し出されていた。
「うわあああぁああぁぁぁ!!」
少年の叫びが、丘のふもとに響き渡った。
その叫びは、それが『1と0の数列の電子上の計算によって擬似的に再現されているもの』であると知っている唯一の存在、その人物の耳にかすかに響いた。
白い、広々とした空間。その中心にはごちゃごちゃと機械が置かれている。
モニターやコンピュータらしきもの、液体の入ったポッド・水槽。
その傍で、ネコの耳をはやした少女が寝息を立てていた。
ピクリと、その少女は特徴的な耳を動かし、もぞもぞと起き上がった。
「 誰じゃぁ、わしの眠りを妨げる者は…」
その見た目に見合わない口調でぼやいた少女は、大きな伸びをしてモニターに歩み寄った。
「さて、なにか面白いデータは取れているかの」
その少女は、宙に漂うたくさんのモニターをせわしなくつつきはじめた。それらのモニターには、グラフやら数値やらがずらりと並び、その様子は映画の司令部のようであった。
「ん? 重力値がおかしいのう…?」
すこしワクワクした様子で、ある一つのモニターを手元に引き寄せ、素早い手つきでそれを操作していく。
「えーっと… そうじゃ!惑星直列じゃ!」
納得のいった表情でしみじみとうなずき、いすに腰掛ける。そして机の上にあったコーヒーを飲み、宙に浮いた半透明のキーボードをたたき始めた。
「変な宗教家とか、終末論者とかがわいてくるかもしれんのう」
モニターが切り替わり、映像が映し出された。大勢で集まってワイワイと天体ショーを楽しむ人々や、二人だけで静かに寄り添って空を見上げるカップル、そして群衆の前に立つ偉そうな男などが映っていた。
「何言ってるんじゃろうか、このおっさん」
少女がキーボードをたたくと、男の尊大そうな声が流れ始めた。
「…いま、私たちの地球に起きている自然災害は、私たちへの警告なのです!しかし、もうどうしようもないのです!この世は終わりなのです!私たち一人ひとりの力では何もなすことはできないのです!だからこそ、今日、天界への扉が開くこの日に、天界へと昇ろうではありませんか!」
男は演説を終えると同時に、銃を取り出した。
「やべぇな、このおっさん」
少女がそう呟いていると、突然モニターに「データ受信中」という通知が現れた。
「なんじゃこれ。発信元は不明、中身は…生体データ?」
突然の出来事に慌てる様子もなく、少女はそのデータを開いた。
「人間のデータか。性別は男、年齢は18歳。うーん、何故こんなものが急に?」
少女は首を傾げつつも、手を止めることはなく、キーボードをたたいていた。
「これは、シミュレータの中の人間じゃの。復元したらなにか聞けるかもしれんのぅ」
少女はキーボードをたたき終えると、部屋の隅にある機械が動き始めた。その様子を眺めながら、少女はその機械に歩いて行った。機械の横にはポッドがあり、なにかが形成されていく様子が見て取れた。しばらくすると、そのポッドには人が出来上がり、機械が止まった。
「ぽちっとな」
少女がポッドの横にあるスイッチを押すと、プシューとポッドの蓋が開いた。なかには、先ほどのデータ通りの少年が横たわっていた。
「聞こえるかの? 少年」
「…ハッ!?」
少年は驚いたように飛び起きた。そして、周りを見渡してとぼけた顔をした。
「どこだ、ここ…」
「騒ぐでない、おちつくんじゃ。ほら、自分の名前を思い出してみるんじゃ」
少年は、少しの間目をつむって考え、口を開いた。
「米澤、夕麻…」
「そうか、そうか。」
少女はそういうと、指を鳴らした。するとキーボードとモニターが現れ、少女はキーボードを操作し、モニターに何かを映し出した。
「米澤夕麻、18歳、性別男、AB型、私立葦名高校3年生、趣味はラノベとゲーム、こんなところかの」
「なんで俺の個人情報がこんなに!?」
「うーん、なにから説明していいやら…」
「まずあんた何者だよ!?」
少女は顎に手を当ててなにかを考え、しばらくすると咳払いをして話し始めた。
「わしはアナナキじゃ! おぬしが18年生きてきた世界の創造主であり、管理者である」
「…ラノベか?」
「ちがう、どちらかというとSFなんじゃ。おぬしが居た世界はシミュレートされた世界なんじゃ。原子レベルで物事をシミュレートすることによって、限りなく現実に近い仮想世界が実現できているんじゃ。それと、今わしらの居るこの空間もシミュレートされたものなんじゃ」
そう言い終えてアナナキがモニターを操作すると、夕麻の前に服が現れた。
「じゃから、こういうこともできるんじゃ。とりあえず服を着るがよい」
「あ、なんかすいません」
夕麻は服を着終えると、アナナキに復元される前のことを思い出していた。
「俺はさっきまで自転車に乗って、丘を登っていたんだ。惑星直列を見ようとして。そこで、ちっちゃい女の子が轢かれそうになって…」
「ふむふむ。そういうことだったら、履歴から見たほうが早いの」
そういってアナナキはモニターを操作した。そこには夜の坂道を自転車で登っている夕麻が映っていた。しばらくするとモニターの中の夕麻は、トラックに轢かれそうになった女児を押し飛ばし、はねられた。
「なるほど。お主は死んだんじゃの。」
「本当にシミュレータなんだな…」
「なんじゃ、まだ信じられんか。それともショックなんか」
「いや、べつに… というよりここもシミュレータの中ってことは、現実はどうなってるんだ?」
「おお、それが気になるか。目の付け所がいいの」
アナナキは大きいモニターを出現させ、説明を始めた。
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2話
モニターには太陽系が映し出されていた。
「わしらの居るこの空間は、量子コンピュータ『エレツ』によってシミュレートされておるのじゃ。エレツは超巨大な量子コンピュータで、地球の衛星軌道上に存在しておる。太陽光発電でその電力はまかなわれておるのじゃ。」
太陽系外から徐々にズームインしていき、地球とその衛星軌道上にある大きな箱と大量のソーラーパネルが現れた。
「メンテナンスも完全自動化されているぞ。エレツは完璧な楽園なのじゃ。」
「ソーラーの電力だけで足りるのか?こんなにでかいコンピュータなんだろ?それにこんなもの誰が作ったんだ?」
夕麻が質問をすると、アナナキはピクピクと耳を動かし、咳払いをした。
「一度に複数聞くでない。まずは電力についてじゃが、量子コンピュータはお主が思っているよりはるかに省エネなんじゃぞ?消費電力は普通のコンピュータの1000分の1以下なんじゃ。」
そう言うと、アナナキはモニターを操作して地球の表面を映し出した。
「誰が作ったかという質問じゃが、それに答えるにはまず今が何年か、というのを知るべきじゃな」
「ん?一体何年なんだ?2019年じゃないのか?」
「それはお主の居た仮想世界の話じゃ」
アナナキはモニターにさきほどの夕麻が轢かれる映像を映した。
「そういうのやめろよ…」
「直感で仮想世界だったということがわかるじゃろう?そもそも、現実世界では2019年には惑星直列はなかったんじゃ。」
「過去形?」
「そうじゃ。今は"西暦2232年"なんじゃ」
夕麻は衝撃が強すぎたのか、しばらくの間固まってしまった。
「お主の年代を基準として説明するぞ。21世紀が進むにつれ、地球の環境はどんどん悪化していったんじゃ。しかし一方で、技術もどんどん進化して、"人間を完全にデータとしてスキャンする"ことができるようになったんじゃ。」
モニターには太い筒状の装置が映っていた。それは、人がひとり入れるほどの広さで、MRIに近い形をしていた。
「しかし困ったことに、スキャンするときに元のヒトを消してしまうんじゃ」
モニターには、スキャンの様子が映し出されていた。ウィーンと人が横たわった荷台がスライドし、装置に入っていく。グォンと音を立てて装置が稼働し始め、次の瞬間、
「うわぁ… ミンチよりひでぇや」
装置の中の人は跡形もなく消えていた。そして、装置についている画面には【スキャン完了】の文字が浮かんでいた。
「この技術ができたころ、原子レベルでのシミュレータも開発されていたんじゃ。」
「原子レベルってどういうこと?」
「お主の脳内もちゃんと化学反応に基づいてシミュレートされているということじゃ」
アナナキはモニターに脳の立体モデルを映し出した。神経らしき線があちこちに走り、その下地にはシワが無数に刻まれていた。
「お主の意識・感情はすべて脳によって生み出されているものじゃ。じゃが、その脳そのものは根本的には化学反応によって機能しているに過ぎん。」
「つまり、俺の意識自体が化学反応で生み出されているってことか?」
「そういうことじゃ。飲み込みが早いの」
モニターにはいつの間にか、さきほどスキャンされた人が映っていた。しきりに手を握ったり開いたり、足を曲げたりして、居心地悪そうな表情をしている。
「説明した2つのテクノロジーが組み合わさって、仮想現実にヒトを復元することができるようになったわけじゃ。」
「記憶はどうなんだ?そこまで復元できたのか?」
「そのとおりじゃ。脳みその記憶もコンピュータメモリのデータも、等しく物理現象の断片にすぎないというわけじゃ。」
アナナキはモニターを操作して、グラフや数値など統計データのようなものを表示した。そこには急激に上昇していく折れ線グラフが並び、「気温」や、「CO2」、「海水温」といった文字が添えられていた。
「悪化する一方の地球環境を前に、人類はこれらのテクノロジーに望みを託したんじゃ。」
「具体的にはどういうことだ?」
「全人類を仮想空間に移すという大胆な計画を行ったのじゃ。もちろん、全国家共同負担の国際プロジェクトとしての」
次々と打ち上げられていくロケット、大量に並んだ人体スキャナ、宇宙に構築されていく量子コンピュータなど、計画の実行過程らしき映像が映し出された。
「じゃあ、物理的に現実世界に生きている人間はいないのか?」
「宗教的な理由で生身の肉体に固執した人々は地球に残ったんじゃが、今はどうなっているやら…」
アナナキがモニターをつつくと、空から見下ろした映像が映し出された。潜水服のような厚いアーマーを着込み、背中にボンベを背負って街を歩く人々がちらほらと映っていた。
「まだしぶとく生きているようじゃの」
「立派なことじゃないか。そういえば、スキャンした人間のデータを、現実世界に戻すことはできるのか?」
「もちろん、可能じゃ。生体インクを使って、人間のデータを立体印刷するだけじゃからの。エレツのモジュールの一つとして整備されていて、いつでも地球に帰れるぞ。誰もしようとはしないがの」
モニターにはエレツの全体図が表示され、その右寄りの部分がハイライトされていた。
「エレツはただの巨大な量子コンピュータというわけじゃないんだな」
「そうじゃ。もともと全人類を仮想空間に移したのは、”地球が快適な環境に戻るまで生き延びる”というのが目的だったのじゃ。人類を立体印刷で復元して、地球での生活を再建するための資源や設備が、貯蓄モジュールに配備されておる」
全体図の左端には、大きなボールのようなものが描かれていた。
「じゃあ、このモジュールはなんだ?」
「それは乱数変動増幅モジュールじゃ。これの説明はちと難しくなるかのぅ…」
「乱数…?」
アナナキはしばらく考え込み、なにかひらめいたように顔を上げた。
「そうかそうか、あの異常な重力値が原因か…」
「重力がどうかしたのか?」
「まあ、それはあとで説明するのじゃ。まず、おぬしは感情が物理現象に影響を及ぼす、という話を聞いたことあるかの?」
夕麻の記憶にそのような話はなかったようで、首をかしげて話の続きを促した。
「そうか、しらんのか。世の中の研究者が使う道具に、乱数発生器というものがあっての。物理現象をもとに”本当に”ランダムな数値を生成してくれる装置なんじゃ。」
「本当にランダムってどういうことだ?」
「従来のコンピュータが生成する乱数は、実は一定の法則で作られたものであって、ある程度の推測ができてしまうんじゃ」
いつのまにかサイコロを取り出していたアナナキは、それを軽く放り投げた。サイコロは何度かはねて転がり、3の目を上にしてとまった。
「この賽のようなランダム性はないということじゃ。しかし、乱数発生器はこの賽と同じように”本当に”ランダムな数値を生成してくれるんじゃ。」
「それで? 乱数発生器がどうしたっていうんだ?」
「ランダムな数値を生成してくれるはずのこの装置は、なぜか付近の人々が強い感情を表すときに偏った数値を出力するようになるんじゃ」
アナナキは沢山のサイコロを手のひらに出現させ、それを宙に放った。大量のサイコロがジャラジャラと音を立てて床を転がり、そのすべてが1の目を示した。
「こんなふうにの」
「今のはどんなイカサマだよ!こんな綺麗なピンゾロありえねえよ!」
「まぁ、今のはやりすぎじゃが、こんなふうに偏ってしまうのじゃ。」
アナナキが手を横に振ると、床のサイコロが消えた。
「この偏りは、人間の感情が現実の物事に干渉している証拠なんじゃ。」
「偏りがあるからどうしたっていうんだ? 装置が不調になるっていうだけだろ」
「実はこの現象を研究していくと、物理法則を覆してしまう事象にたどり着いたのじゃ」
夕麻は何を言っているのかわからないという表情で、興奮してピョコピョコうごいているアナナキの耳を見つめていた。
「この現象を増幅させる装置が開発されての。世間一般に言う”魔法”に近い現象が起こせるようになったのじゃ。」
「ちょっと話が飛躍しすぎてないか? その装置の方がすごいような気がするんだが」
「その装置こそ、さっきお主が聞いたエレツのモジュールなんじゃ。あれ自体は仮想空間と現実世界、両方に作用する特殊なタイプなんじゃがの」
モニターに再びエレツの全体図が表示され、例のボールのようなモジュールが拡大された。
「ところで、お主は重力が感情に影響を与えるという話はしっているかの?」
「あ、それ聞いたことあるぞ。地球上に重力がおかしな地点が何か所かあって、そこに行くと気分が高揚したり、逆に沈んだりするっていうやつ。」
「そういう変な知識だけはもっておるんじゃのう。そのとおり、重力の強弱は感情に作用するのじゃ。この現象の研究と、感情による影響の研究によって作り出されたのが、乱数変動増幅装置【Numbers Fluctuation Amplificator】、通称[NFA]なのじゃ。」
「そうなのか。じゃあそれがエレツについてるなら、俺も今何か魔法が使えるのか?」
目をキラキラさせながら近寄ってくる夕麻に、アナナキは少し気圧された様子でうなずいた。
「もちろんじゃ。この空間でのNFAを有効化すれば、いつでも魔法が使える。」
「有効化…?なんだかNFAがどういうものか分からなくなってきたぞ…」
「シミュレートする空間ごとに、NFAモジュールの有効無効を切り替えることができるのじゃ。」
アナナキはしょうがないといった様子で、モニターを操作してNFAモジュールの概要を映し出した。
「わしらがおるのは仮想空間じゃから、NFAがなくともそれっぽいことは設定をいじればできるんじゃ。しかしのう、やはりホンモノのNFAを利用したほうが再現度が高いんじゃ。じゃから、物理的なNFAをモジュールとしてエレツに接続しておるわけじゃ」
「つまりあのモジュールは、シミュレータ用のNFAってことか?」
「まぁ、もっぱらそのようなもんなんじゃが、現実での運用もできるんじゃ。わし以外誰も使わないがのう」
そう言ってアナナキが手を振ると、一振りの神々しい剣が出現した。
「なにこれ!? 明らかに強そうなオーラを放ってるこの剣はなんなんだ!?」
「おそらくお主も聞いたことあるじゃろうが、これは【草薙の剣】じゃ。古来から地球上の人々が思い浮かべてきた、草薙の剣への感情をNFAモジュールで増幅させて取り込んだらこうなったのじゃ」
「そんなこともできるのかぁ。ということは、NFAモジュールは仮想と現実両方でつかえるわけか」
アナナキはその言葉に対してうなずくと、草薙の剣を消して夕麻に向き直った。
「ちなみにお主はすでに魔法を一度つかっているはずなんじゃ。」
「は?」
「お主がここにおることこそがその証拠じゃ」
ビシッと夕麻を指差したアナナキは、モニターを操作して夕麻が轢かれる映像を映した。
「またこれかよ…。そういうのつまんないから」
「ちがうんじゃ。お主がこうして轢かれたころ、わしのところにある生体データが流れてきたのじゃ。ほれ、まずここじゃ」
アナナキがクイッと指を回すと、映像の右上に書かれていたタイムスタンプが拡大された。
【仮想世界現地標準時(GMT+9)『西暦2019年12月6日22時30分53秒、現実世界エレツ標準時『西暦2232年9月15日11時23分41秒】
「つぎにこれじゃ。ここのデータ作成日時のところ」
別のモニター引き寄せ、アナナキは日付の書かれた所を指さした。
【2232年9月15日11時23分55秒】
「たしかに時間はほぼ一緒だけど、だからなんだっていうんだ?。というかこのデータって、俺?」
「わしがこのデータを受信して、お主がさっき目を覚ましたポッド… まあ生体プリンターなんじゃが、あれを使って復元したんじゃ。そして生き返ったのがお主だったんじゃ。」
アナナキは、夕麻の居た仮想世界の太陽系をモニターに映し出した。そこに映っていた惑星は、水星から海王星までのすべてが一直線に並んでいた。
「お主の世界で起きていた『惑星直列』、これは惑星が一直線に連なるわけじゃから、個々の重力が重なって地球に影響を及ぼすのじゃ。」
「重力…?ってことは」
「そうじゃ。目に見える影響はなかったじゃろうが、お主らの感情には確実に作用していたはずじゃのう。」
さきほどアナナキが眺めていた仮想世界の様子が、モニターに映し出された。群衆の前の男が演説している映像である。
「あっ、この衣装知ってる。なんていう名前か忘れたけど、変なカルト集団。」
「やっぱりカルトじゃったか」
「ん? 銃出しやがったぞこのオッサン!?」
そこからの惨劇を見て、夕麻は口を抑えて俯いた。
「ちとグロかったかの。まぁ、こんなふうに感情に影響が出るということなんじゃ。お主もなにか影響があったんじゃないかのう?」
「まぁ、ガラにもなく女の子を助けようとしたのは、その影響だったのかもな」
「それもそうじゃの。それともう一つ。お主が登っておった丘、『葦名台』は重力が少し小さい場所だったのじゃ。」
アナナキが手を振ると、モニターに世界地図がうつしだされた。その地図には何箇所か地名とともにマークされた場所があり、『葦名台』もそれの一つだった。
「惑星直列による重力異常、重力の小さい地域、この2つが重なってNFAの効果を起こす可能性があったのじゃ。心当たりはないかのう?」
「あんたのとこにデータが送られてきたっていうやつか?」
「そうじゃ。お主がトラックに轢かれる瞬間、強烈な生きたいという感情とともに人生全体が想起されたはずじゃ。いわゆる走馬灯というやつじゃの」
パッとモニターが切り替わり、再び夕麻のデータが映し出された。
「その走馬灯が、強烈な感情と重力による擬似的なNFA効果によって、こちらに流されてきたというわけじゃな。」
「まぁ、分かったようなわからないような…。でもやっぱり魔法って感じじゃないなぁ。」
「そうかそうか、そういうことなら好きなだけ使わしてやろう」
アナナキはモニターを操作して、地球らしきものを映し出した。
「この星で、じゃがの」
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3話
モニターには地球そっくりの惑星と、その周りを取り巻く【赤色】、【青色】、【黄色】、【白色】の4つの月が映し出されていた。
「使わせてくれるって、今ここでじゃないのか?」
「そうじゃ。ここに映し出した仮想の惑星『ヨルド』は、言わば『魔法の世界』なんじゃ」
アナナキがくるりと手を回して惑星を拡大させていくと、地球とはちがう様子が映し出されていた。
「月が4つもある…?」
「そうじゃ。これらの月には秘密があるんじゃよ。」
4つの月のうち赤い月が拡大され、その断面図とともに映し出された。断面図を見ると、赤い月の内部には大きな装置が埋め込まれていた。
「えっ、魔法の世界なのに機械がある…」
「この巨大な装置はNFAなんじゃ。これとおなじように、他の3つの月にもNFAが埋め込んである。」
そういってアナナキがモニターを操作すると、残り3つの月が拡大され、その内部が表示された。
「これら4つの月は等間隔でヨルドの周りを公転しておる。ヨルド上全体にNFAの影響が行き渡るようにの。」
「じゃあ、ヨルド上のどこでも魔法が使えるのか?」
「そういうことじゃの。そもそもこの仮想の惑星は、『魔法のある世界だと人類はどう進歩するのか』を見るために作ったんじゃからの。これらの月とNFAも、初期設定でわしが置いたものじゃ。それともう一つ」
アナナキがモニターをつつき、地球の太平洋に当たる部分を拡大した。
「あ!ムー大陸がある!」
「その通りじゃ。わしが初期設定で設置したのじゃ。」
「科学的に存在するはずがないんだったな。それで、設置した理由は?」
「まぁ、わしの趣味というのも理由の一つなんじゃが」
夕麻の質問を聞いたアナナキは、モニターを操作して一本の線を引いた。
「それは、赤道か?」
「そう、赤道じゃ。ムー大陸は赤道が通る場所に位置しておる。赤道に近い土地を増やしたかったのじゃ。」
「なんでそんなに赤道にこだわるんだ?」
アナナキがモニターを操作すると、自転する地球が現れた。
「赤道は惑星が自転するときに一番外側にくる点を結んだものじゃ。これは知っておるの?」
「ああ、学校で習ったことあるな」
「実は赤道上の地域は、惑星の自転による遠心力が一番強く働いて、重力が小さくなるという性質があるのじゃ。」
夕麻は少し考え、あっとつぶやいて頷いた。
「葦名台と同じか!」
「あれは重力異常地帯でちょっと例外じゃが… まぁ、似たようなものじゃの。つまり、NFAが強く効く場所なわけじゃ。」
「魔法が強くなるってことか」
「それはどうか知らんが、何かしらの影響があるはずなんじゃ」
アナナキはパンッと手を鳴らして、モニターにヨルドの世界地図を出した。
「さて、話を進めるかの。お主にはヨルドの世界に降り立って、文化や技術を体験してきてもらいたいのじゃ」
「それって、具体的には何するんだ」
「現地の人々と交流、生活、あるいは探索といったところかの」
「交流って、言葉が通じないんじゃないか?」
それを聞いたアナナキは軽く咳払いをし、わけのわからない言葉を話し始めた。
「 =.&##%?#&?」
「なにいってんだお前?」
「 -+-?!&-*/%」
「やめてくれ、言いようのない不安がこみ上げてくる…」
んんっと咳払いをしたアナナキは、今まで通り日本語を話し始めた。
「いったいなにをしたんだ?」
「エレツに搭載されておる翻訳システムを使ったのじゃ。ここで活動している人間はだれとでも会話ができるのじゃぞ。『そんなん無理だろ、文法が全然違う言語だってあるわけだから』と言おうとしたな?」
「えっ… なんでわかったんだ?」
気味の悪そうな顔をして言った夕麻に対し、アナナキは笑いながら言葉をつづけた。
「脳波からどういう意味の言葉を発しようとしているのか、どういったニュアンスを込めているのかといった情報を読み取ったんじゃ。この手法を転用したのが、エレツの翻訳システムなんじゃ。」
「なるほど。そういう仕組みなら、まぁ先に言われたが、文法的問題もないわけか。」
「そうじゃ。試しに使ってみるが良い」
ヒョイとアナナキが手を振ると、夕麻の視界の右上に【日本語】という表記が現れた。
「ん?なんか出たぞ?」
「ちゃんと有効化できたようじゃの。それを切り替えるようなイメージをしてみるがよい」
言われたとおりにその表記を【英語】に置き換えるイメージをすると、そのイメージ通りに切り替わった。
「あー、あー、マイクチェック。本日は晴天なり。ちゃんとなってるか?」
「うむ、日本人らしいイングリッシュが聞こえたぞ」
「あれ?」
夕麻自身としては自分は日本語を発し、自分の耳にも聞き慣れた自分の声が聞こえていた。
「本人には自分が発したとおりの声が聞こえて、周りには指定した言語で伝わるのじゃ。もちろん、本人の声帯の声での」
「無駄に高機能だな」
「聞く側の機能としては、相手が話している言語が表示されて、さらに音として聞こえる言語を翻訳して聞くことができるのじゃ」
よく見ると、アナナキの頭上には【日本語】という文字が出ていた。
他にどんな言語があるのか気になり、一覧を出すイメージをすると、視界いっぱいに項目が現れた。
「うわっ!?」
「お主やらかしたな? 仮想世界で独自に作られた言語も含まれておるから相当数並んだじゃろう。」
夕麻がその一覧を消すイメージをすると、彼の視界はもとのように日本語だけの表示に戻った。
「ふぅ。あと、異世界転生みたいなものだから、やっぱりこれだけは外せないよな」
「ん?なんじゃ?」
「チートな特典はないんですか?」
「はぁ。来ると思っておったわ。」
アナナキはため息を付きながら右手を振り、先ほど見たあの神々しい剣が現れた。
「えっ、草薙の剣をくれるのか!?」
「まぁ、これぐらいあった方が調査もはかどるじゃろう。それともうひとつ。」
草薙の剣を夕麻に手渡したアナナキは、パチン、と指を鳴らした。すると、黒いボールのようなものが先端についた長い杖が現れた。
「杖か。まぁ、魔法の世界には必要だよな」
「ただの杖ではないぞ。この黒い球は小型のNFAなのじゃ」
「ガチの魔法の杖ってことだな」
アナナキが杖を掲げると、先端の黒いボールが少し浮いて回り始めた。
「今、何か魔法が使えるのか?」
「うむ、NFAになれるためにすこし練習してみるがよい」
草薙の剣を机の上に置き、アナナキから杖を受け取った夕麻は、燃え盛る火の玉を思い浮かべた。
ボォッ!!
「うわぁっ!? マジで出たよすげぇ!」
「まだ信用してなかったんか、お主は…」
「そりゃぁ、あんな説明で理解するのは無理があるわ」
初めて発動させた魔法に感動している夕麻に、アナナキは真剣そうな表情で話しかけた。
「一つだけ注意することがあるんじゃ」
「ん? なんだ?」
「さっきも言った通り、その杖は小型のNFAがついておるわけじゃが、NFAの特性上周りのやつにも効果が出てしまうんじゃ」
アナナキがパチンと指を鳴らすと、一筋の光が放たれた。それはビュゥンと音を立てながら一瞬にして壁に当たり、壁に深い傷を残して消えた。
「うむ。相変わらずわしのフィンガースナップは好調じゃの」
「あっぶねぇなあ!なんだよ今のは!」
「ん?わしがNFAをつかってフィンガースナップを披露しただけじゃが?」
今度は夕麻にその手を向けたアナナキは、不敵にわらって指を鳴らした。夕麻は咄嗟に強固な壁を思い浮かべ、床を強くたたいた。
ゴゴゴゴッ! バシュッ! ガラガラガラ...
「なんじゃ、つまらんのぅ…」
「人に向かって打つんじゃねぇよ!俺がうまくガードできたから大丈夫だったけどよ」
「魔法のセンスはあるみたじゃの。じゃがそれを確かめるために、お主に真空波を飛ばしたわけではないのじゃ」
アナナキは一つ咳ばらいをしてモニターを出現させ、NFAの画像を表示した。
「さっきも言った通り、NFAの効果は装置の周囲にドーム状に波及し、距離によって減衰する。お主に渡した杖でもそれは変わらん。わしがフィンガースナップで真空波を飛ばすことができたのも、NFAの効果があったからなのじゃ。」
「さっきのって、あんたがシステムでなにかやったとかじゃなかったのか?」
「システムなぞつかっておらん、NFAでの魔法じゃ。つまりお主がその杖を使うとき、周囲の者も魔法が使えてしまう、もしくは魔法が強化されてしまうということじゃ。」
スタスタと夕麻に近寄ったアナナキは、彼の手から杖を奪った。そして杖の上側、ボールが乗っている皿のあたりを指さした。
「ここをよく見るんじゃ。NFAのギアを調節するツマミがついておる。場合によって使い分けることじゃの。」
「最大ギアだとなにが起きるんだ?」
「さぁ、何が起こるかはわからんのう。わしは試したことがないんじゃ。ヨルドで試してみることじゃな。」
アナナキは手を振って分厚い本と肩掛けカバンを出現させ、杖と一緒に夕麻に渡した。
「ヨルドの世界の地図と各国の簡単な説明がかいてある。さらに、自分の現在地が表示される魔法の本じゃ。まぁ、システム設定を利用したまがい物の魔法なんじゃが。旅の参考にするとよい。」
「え、どうやって調べたんだ?」
「仮想世界のこれぐらいのレベルの情報なら、システム上で収集できるんじゃよ。」
夕麻が本を開いてみると、世界地図から地域の地図、地形図にいたるまでヨルドの完璧な地理データが記されていた。さらにページをめくると、様々な国とその政治体制、公用語などがつづられていた。まさに、ヨルドの資料集である。
「いや、これはありがたいけど…、なんだかなぁ」
「お主がするのはあくまでも文化や技術の体験・収集じゃからの。」
「でもさぁ…」
「うるさいのぅ。説明も装備の提供もすんだわけじゃから、さっさといくんじゃ。ほれ、あそこから」
アナナキが指さした先には、先ほどまではなかった、『ヨルド☆』というプレートが掛かったドアがあった。
「なんか子供部屋のドアみたいなんだが、あんなのでちゃんとつながってるのか?」
「もちろんじゃ。そのドアの先はムー大陸のとある山奥につづいておる。」
「そうか…。なんか味気ないが。じゃあ、そろそろ出発するか。」
夕麻は、資料集をカバンに入れて背負い、机に置いていた草薙の剣と杖を腰に携えた。そしてドアへと足を進め、そのドアノブを握った。その刹那...
「いってらっしゃい、なのじゃ!」
パチン! ガコン! ウワァァァァァ...
アナナキが挨拶とともに指を鳴らすと、ドアの前の床がガバッと開き、夕麻は奈落の底へと落ちていった。
設定の説明のような話が続いていましたが、これで一応準備の話は終わりです。
また、次話は少し遅れるかもしれません...
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4話
ビュウウウゥゥゥ…
数秒前、夕麻の体は「ガコン!」という音とともに、真っ暗な虚空へと投げ出された。不測の事象に体はこわばり、嫌な汗が服を濡らしていく。
「チクショウ!あの猫女め、性根腐ってやがる!何が管理者だ、何が創造主だ、ただの性格の悪いコスプレババァじゃねえか!てか、これどこまで落ちるんだ!?あああああもおおお!!」
真っ暗な空間をしばらく落ち続けていると、急に視界に美しい青と緑が広がった。どうやら、地上のはるか上空に抜け出たようだ。おそらく、ヨルドの空だろう。なぜなら、夕麻の落ちている眼下には、太平洋らしき場所に横たわる、巨大な大陸が広がっているからである。
「ファンタジーを冒険する前にゲームオーバーじゃねえかよおおおお!!!クソォ、こうなったらイチかバチか魔法で乗り切るしか!」
夕麻は杖を腰から抜き、ギアをぐるりと最大まで回し、自分の背中に大きな羽が生える様子を強く思い描いた。
バッサアアアァァァァァ!!
生命の危機による強い思念も相乗したのか、背中には見事な翼が現れた。背中周辺に意識を集中させ、飛ぼうと動かそうとしてみると、バサバサと意図した通りに動き始め、翼の大きな面積により生み出される揚力で、体は徐々に宙に固定され始めた。
「チュートリアルにしては、ちょっとハードなんじゃないか?」
ゆっくりと高度を下げていくにつれ、アナナキの言っていた通り、眼下には大きな山が見え始めた。その山は、ムー大陸の中央のあたりに位置し、広大な面積と自然とを有しており、資料集なしでは迷子になることは間違いないというほど広く、「緑の海」という表現が似合う様相を呈していた。
「ちょうど町とかから離れてそうだな。人とか居なそうだし、魔法の練習をするには都合がいいか」
羽の操縦にも徐々になれてきたころ、森の木の頭あたりに到達し、羽を大きく広げてゆっくりと滑空し、コケのはえた地面に着地した。
「この羽、ちゃんと消すことできんのかな...」
手に握っていた杖のギアを少し緩め、羽が消える様子を思い浮かべると、パァァァと光とともに背中の違和感と重さが消えた。背中に意識を集中させても、何かが動く様子もない。
「さて、異世界チートを始めますかね」
ギアを少し上げ、杖を構えて周囲の物を「把握する」イメージを思い浮かべ、強く念じた。
「やっぱり鑑定が安定でしょ。何もわからずに動くのはさすがに危険だし。」
ピカッと視界に光が走り、周囲の情報が流れ込んできた。まず、夕麻がいるこの大きな山は「アララト山」というようだ。周りにはいろんな植物、木、野生動物が存在し、人の手が及んでいない現代社会では考えられない豊かな緑が広がっている。
「人は...いないようだ。魔法の練習にはちょうどいいな」
杖をしっかりと握り直し、魔法の練習をしようとしたその時、
「あれ?、そういえば詠唱とか構えとかって必要じゃないはずだよな?」
この世界、というよりNFAによってもたらされる魔法は、あくまでも感情による物理現象への干渉、それが増幅されておきる現象なのである。そのため、ゲームや小説にあるような詠唱や予備動作、構えなどは必要なものではないはずである。
「でも、アナナキは指パッチンしてたし、俺もそれをガードした時に地面をなぐってたし... なんか無意識的にそれっぽいことしちゃうみたいだな」
夕麻は杖を構えず、棒立ちの状態で火の玉のイメージを思い浮かべ、念じた。
ボッ...
「あれ? さっきよりも弱い気がするぞ...?」
今度は杖を構え、振りかざし、強く燃え盛る炎のイメージとともに適当な呪文を唱えた。
「カグツチ!」
その詠唱に自分の感情、思念がスッと入った感触ともに、地面がほのかに揺れ始め、同時に眼前に巨大な火柱がうねりを上げながら立ち昇った。
「はぇぇ? こんなに強力に作用するものなのか… 中二病であればあるほど強くなるって感じみたいだな。 というよりも今のは流石に人に見られたんじゃないか?」
人に見られてないかと考えていると、ふと資料集のことを思い出した。そして杖のギアを切って腰に収め、カバンから分厚い本を取り出した。
「う〜ん、やっぱゴツすぎだな。どうやって捜し当てるか…」
しばし考えた後、背表紙側から開いて大量の索引を当てに、アララト山の地図らしきページにたどり着いた。アナナキの言っていたとおり、現在地表していると思しき矢印マークが浮き出ていた。
「これじゃまるでナビじゃないか。一番近くの街はどこですかー、なんてな」
すると、ページが勝手にパラパラとめくられ、ムー大陸中心部を見下ろした図のある一点が点滅し始めた。その図の大部分は緑に覆われたアララト山に占められていて、やはり自分の現在地を表す矢印マークが浮かび上がっていた。点が指し示している場所は、現在地からだいたい西の方角に位置していた。
「うぉっ!? 機能つけ過ぎなんじゃないか…? まぁいいや、とりあえずこの街目指していくか」
夕麻は資料集を片手に、街の方向へ歩き始めた。しかし、資料集はずっしりと重く、彼の腕に負荷をかけ続け、夕麻は程なくして立ち止まることとなった。
「これ重たいなぁ。俺が方向音痴なのが悪いだけなんだけど、何とかなんないかなぁ」
しばらく考えていると、魔法で浮遊させるという案が浮かんだ。さっそく腰から杖を抜いてギアを回し、手に持っていた資料集が浮かび上がる様を想像した。するとにわかに浮遊感を持ち、手から浮かび始めた。
スッ… フワァァ
「おぉ、ちょうどいい高さに浮かんでくれたぞ。でもこれって、魔法の効果は持続するものなのか?」
資料集に向けていた杖をおろし、ギアを切って腰に収めた。すると空中でフワフワと上下していた資料集は、一瞬、空中で加速度が0となりピタッと静止したかと思うと、急速に落下し、ドサッと音を立てて苔むした地面に落ちてしまった。
「うーん… 効果系の魔法はずっと唱えていないとだめなのか? ていうことはさっきの羽は物理的に体にはやして、神経をつないでいたってことになるのか?」
落下中のことを思い出していると、ギアを最大まで上げていたことが頭をよぎった。あることを思い立ち、杖を構えて、ギアを0にしたままでさっきのように浮遊させるイメージを想像した。すると、ギアをかけて使用したさっきとは違い、もたついた様子でゆっくりゆっくりと資料集は持ち上がり始めた。
「やっぱり月にあるNFAだけじゃあ弱いってことか、それとも単に俺のセンスがないってことか、どっちなのやら…」
センスがないかもというセルフ突っ込みになぜか腹が立ち、少し乱暴な様子で杖を振り回しながら、資料集が吹っ飛ぶ様をイメージし、現実に重ねるように強烈に念じた。すると…
ググググ… バシュゥゥゥゥン!
突然ブルブルと震えたかと思うと、爆発にさらされたかのように吹き飛び、山奥へと消えて行ってしまった。
「あちゃー、やっちまったかな。 杖なしだとさじ加減が難しそうだ」
夕麻は少しイライラした様子で頭を掻きながら、資料集が飛んで行った方向へ歩き始めた。
街のほうへ向かおうかと考えていた本来の意図とは違い、資料集を探しに山奥へ向かっていった夕麻は、杖のギアをやや高めに上げ、鑑定を常駐させながら奥へと進んでいた。
「カグツチ!とか調子に乗ってでっかい火柱起こしちゃったから、さっきの場所は絶対誰か来てる気がするんだよなぁ」
周りの植物が全体的にデカくなっていっていることに気付く様子もなく、夕麻はどんどんと足を進めている。また、鑑定をかけっぱなしにして愚痴をこぼすようなマルチタスクは一種の才能であり、「センスがない」というセルフ突っ込みは当てはまらない、ということにも気づく様子はない。
「一応、あの資料集は日本語で書いてあるから、ここらの人が拾っても読めないだろうけど…」
しばらく足を進めていると、少し開けた場所に出た。それと同時に視界に見覚えのある本が入り、鑑定の結果に「アナナキお手製資料集☆取扱注意」と表示された。夕麻は杖のギアを切らずに腰に収め、ため息をつきながら資料集に歩み寄った。
「やれやれ、やっと見つかったぞ…」
そう言いつつ資料集に近づいて拾い上げ、現在地のページを開いた。すると、ページに表示されている自分の矢印マークの周囲は、自分の目に映る通りに開けた土地のように描かれていたが、一か所だけ気になるところがあった。
「アロン世界樹…?」
『世界樹』という、何やら壮大な文字列が今いる開けた土地の一か所に存在すると、資料集は言っているのである。この開けた場所に入ってきたときはこの資料集目指してまっしぐらに駆け寄ったため、周りを見ていなかったようだ。
「俺が向いている方向から左…?」
資料集から顔を上げ、ゆっくりと件の方向を向いてみる。すると、そこには天を掠めるように勇ましく聳え立ち、この世界を支えているかのような大樹があった。
「……ほぉ~」
世界樹という存在はゲームや映画などでよく出てくる、同じみなファンタジー要素ではある。しかし、現実の質量をともなって眼前に現れたそれは、夕麻の持っていた先入観をふきとばし、畏敬の念を与えていた。夕麻は持っていた資料集を鞄にしまい、思わず感嘆の声をこぼしながら世界樹に歩いていく。
「いったい樹齢何年なのやら…」
「この世界が生まれた時から、といえば分かるかな?」
「!?」
どこからともなく声が聞こえ、夕麻は驚いて周りを見渡した。するとどこから現れたのか、世界樹のそばに大きなライオンがたっていた。明らかにこちらをじっと見つめている様子で、しばらくすると夕麻のほうに歩き始めた。
「この場所に不浄な人間がくるのは久しぶりだ、穢れた者どもは我の信者たちが払ってくれているからな…」
なぜか人の言葉を話しながら近づいてくるそのライオンは、途轍もない威圧感とオーラを放っていた。
感想お待ちしてます。
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5話
世界樹の影から突然現れた、明らかな「強キャラ」オーラを放つライオンに対し、夕麻はゲームオーバーの危機にあった。
(あー、やばいなー。しょっぱなから裏ボスに出会っちまったよ…)
徐々に近づいてくるライオンを前に、夕麻はやけくそ気味に杖を抜き、構えた。
「ほう、その杖が源泉だったか…」
スッと、周囲に充満していた威圧感がなくなり、ライオンから発せられていたオーラが引いていった。なんとか生き延びたと、夕麻は肩をおろす。そして何気なくライオンの頭上を見ると、【古代ヘブル語】と表示されていた。夕麻は、視界の端にある翻訳機能のカーソルをそれに合わせた。
「我がこうして顕在化したのは何年ぶりであろうか。」
なぜか杖を見るなり牙を収めてくれたライオンは、何かを懐かしむようにあたりを見渡していた。流れについていけない夕麻は、とりあえず杖を収めた。もたつきながら資料集をカバンから取り出し、最初の方のページをパラパラとめくると、「樹暦2680年」とあった。
「えーっと、2680年みたいだな」
「お主、我の言葉が分かるのか?不浄な者ながら博学なようだな。…そうか、もう130年も立つのか」
ライオンは、遠い日のことをを思い出すように空を見上げた。夕麻は状況を把握するべく、資料集に小声で問いかけた。
「樹暦2550年の出来事は?」
パラパラとページがめくられ、ヨルドで起きた出来事の年表が表れた。
"樹暦2550 : ムー侵攻(2545~)終結。"
(戦争かぁ。魔法世界での戦争なんて、想像もつかないなぁ…)
「若いお主は知らないのだろうな、我の力を求め、世界中の数多の人が争った歴史を」
「世界中が求めるって、あんたはいったいどんな力を持っているんだ?」
夕麻はそういいつつ、索引から世界樹を探し、ページを開いた。
「我は世界樹、名をアロンという。世界樹はこの『ヨルド』上すべての生命そのものだ。それ故、我には命を司る力がある。生老病死の苦、すべての与奪を握っていると言えよう。この力に惹かれ、己が欲のために争うものが絶えぬのである。」
ライオンはアロンと名乗ったが、どこかおかしい。世界樹と言っているが、喋っているのはライオンなのである。
「ちょっと待ってくれ。じゃあ、喋っているあんた自身はなんなんだ?」
「この獅子の体か?これは、我が意識が顕在化した姿だ。この姿として現れたのは寸刻前に言った通り、実に130年ぶりだ」
「どうして長い間顕在化してなかったんだ?」
アロンは空を見上げてしばし考えた後、困惑気味に話し始めた。
「実態のない、木の意識の状態が本来のあり方なのだ。顕在化はやろうと思ってできること、というわけではないのだ。本当にごく稀に、我が身の内から力が湧き上がるような時がある。その時にのみ、顕在化することができるのだ。」
「あっ、そういうことか…」
夕麻は顕在化の詳細を聞き、あることに気がついた。腰に収めてある杖に目をおろし、悟る。
(この杖の影響だな〜。そういえばさっき、【源泉】とかなんとかって言ってたなぁ)
「そう、そういうことだ少年よ。久方ぶりの顕在化、礼を言うとしよう」
「あ、どうも…。それよりも、最初に言ってた不浄な人間って、どういう意味なんだ?」
「我の敬虔な信者ではない、ということだ。敬虔であると我が認めた信者ではない時点で、不浄なのだ」
手元の資料集になんとなく見ると、先程開いたページに、「世界樹の信仰」についての記述があった。
『アロン世界樹は、世界中の人々から熱い信仰を集める、樹齢約2600年の大木である。
この世界樹に対する信仰は【アロン教】と呼ばれており、現実世界における3大宗教を凌ぐ規模を誇る。教徒たちはこの世界樹に認められるべく、アロン教の名の下での善行や奉仕活動等を行う。それにより名声や人徳を集め、世界樹に敬虔さを訴えるのである。』
(認められることがそんなに大事なのか?それで何になるんだ?)
「なあ、あんたが認めるってのは、一体どういうことを表すんだ?」
「我が認めるという事は、我の【生命を司る】という使命と、それを果たすための力を任せる、という事を意味する。敬虔な者、清らかな者にこそ、任せられる使命なのだ。」
(なるほどなぁ。認められれば、永遠の命も夢じゃないってことか)
「その力って、具体的にどんなものなんだ?」
「我の一枝に力を注ぎ、杖として与えるのだ。この杖こそ、我に対する献身の証であり、生きとし生ける物を救う使命の証【アロンの杖】なのである。
しかし、お主の持っているその杖は、アロンの杖を凌駕する力を持っているようだ。お主、いったい何者だ?」
不審なものを見る目で尋ねてくるアロンに対し、夕麻の胸中は穏やかではなかった。
(やべぇぞ、一番聞かれちゃいけないやつだ。どう切り抜けるかねぇ…)
冷や汗が背中を伝い、ごまかせない状況に目が泳ぐ。己を偽るために、脳が海馬を漁り、シナプスが火事を起こす。
刹那の間に、脳は自分の起こした火柱を思い出していた。
(そうだ!あの火柱で下り立ったとか、そんな感じにしよう。どこからにしよう……。月にするか)
夕麻は、実にコンマ1秒ほどの間に下された解によって、アロンという神聖な存在を欺き始めた。
「あんた、さっき近くに火柱が立ったのが見えたか?」
「ああ、しかと見たぞ。誰かは知らんが、我が聖域で火遊びをするとは、愚かなことだな」
「あれ、俺が降り立つときの天のハシゴだったんだ。許してくれ」
アロンはそれを聞いた瞬間、更に困惑した表情を浮かべた。
「天からの使者、という訳か。しかし羽がどこにもないようだが?」
「羽なら仕舞っているからな。ちょっと待ってくれ」
そう言って夕麻は杖を腰に収めたまま、ヨルドの上空から落ちてきた時のように、羽を生やす像を強く描いた。
バッサアアァァァ!
ギアの関係で、落下時ほどの大きさではなかったが、十分に立派な羽が夕麻の背中に現れた。
「どうだ、これで信じてくれるか?」
「…もう一つ聞こう。天の使者であるお主が、なぜ我を知らなかったのだ?」
「俺は天、といっても赤い月から来たからな。地上のことはよく知らないんだ」
「赤い月…。ネルガルのことか。」
どうやら、赤い月はネルガルと呼ばれているようだ。再びアロンが考え事を始めたため、夕麻はとりあえず羽を消し、月の情報を集めるべく、資料集に小声で問いかけた。
「月の情報をだしてくれ」
ページがパラパラとめくられ、4つの月の写真が現れる。それらとともに、ヨルドの人々による月の信仰に近い価値観が綴られていた。
『ヨルドの空に浮かぶ4つの月は、世界樹に次ぐ信仰を集めている。しかし信仰といっても、宗教的なものではない。ヨルドの人々は月を【魔法の源】と考え、信仰しているのである。また、
赤い月は火を司る【ネルガル】、
青い月は水を司る【トト】、
黄色い月は土を司る【イシュタル】、
白い月は風を司る【マルドゥーク】
と呼ばれている。』
(なるほどなぁ。月が魔法に関係あるってことは、なんとなく分かっていると…。)
「そうか、月の使者ならばその杖の存在もおかしくはないな。では、降り立った理由を聞くとしようか」
アロンがそう言い終えたとき、夕麻の後ろから何者かの声が聞こえてきた。
「アロン様!アロン様!ご無事ですか!」
夕麻が振り向くと、声が聞こえてきた方向の林から、白い衣装を身に着けた若い男が息を乱しながら現れた。そして夕麻を見るなり、男は手に持っていた杖を構え、キッと睨みつけた。
「貴様だな、さっきの火柱は!」
「ちょっと待ってくれ!確かにさっきの火柱は俺が原因だが、話を聞いてくれ」
夕麻はそう言いつつ、徐々に男から後ずさる。杖の効果が男に及ばないようにするためである。
「貴様何を言っている、よくわからない言葉を使って!さては、帝国民ではないな!?」
その言葉にハッとなり、男の頭上を見てみると、【東部ムー語】とあった。夕麻は焦りながら言語のカーソルをそれに合わせた。しかし、慌ててカーソルを動かしたため、実際は【西部ムー語】となってしまっていた。
(こいつ白い服着てるし、アロン様って言ってたし、たぶん敬虔な教徒ってやつだよな…。それなのに、アロンが喋る古代ヘブル語もわかんないのか)
アロンに助けを求め夕麻は後ろを向くと、そこにはライオンの姿はなかった。慌てて鑑定をフル稼働させて探してみると、世界樹の陰に【アロン(透明化)】と表示が出た。
(俺を試すっていうのか!?まだ信用されてないってわけか…仕方ない、俺自身で場を収めるしかないか)
「なぁ、ちょっと落ち着いてくれよ」
夕麻が喋ったとたん、男は目をクワッと開いて顔を真っ赤にし、憤怒の表情を露わにした。
「貴様ァ!王国民かァ!!」
男は怒声を上げるとともに杖を振りかざし、無数のツララを出現させた。
「アロン様の前で死ねぇ!」
強烈な殺意のこもった咆哮とともに、男は夕麻に向かって杖を振り下ろした。
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6話
白い衣装を身にまとった男は怒声とともに、無数のツララを夕麻に向けて放った。
(ちょっ、いきなりかよ!アナナキの真空波の比じゃねぇぞ!)
夕麻は資料集を手に持ったまま両手を前に突き出し、可能な限り強固な壁をイメージした。
ズズ… ゴゴッッ!!
夕麻の前に赤い壁が一瞬にして現れ、
ガコッ!、ガキッ!、バリバリバリ…
その壁の向こうから、物騒な音が鳴り響くのが聞こえてきた。
「私の氷戟を防ぐとは、なかなか腕のある奴のようだな。この程度では王国民には生ぬるいということか?」
ぼそぼそと壁の向こうから聞こえ、再び魔法を放とうとしている様子が感じ取れる。
(この状況、どうすればいいんだ…。まだ魔法の加減が難しいし、下手するとこの辺一帯焼いちゃうかもしれないし…。あっ、そうだ!)
その時、夕麻は草薙の剣の存在を思い出した。夕麻は草薙の剣の鞘に左手を、柄に右手を置き、抜き放った。それと同時にあたり一面に霧が漂い始めた。
「何を企んでいるんだ貴様、こんな霧で逃げられるとでも思っているのか?」
男が何か言っているが、そんなものは夕麻の耳には入っていなかった。草薙の剣のオーラと美しさ、そして湧き上がる力の奔流に、夕麻はしばし動けなくなっていた。
人類が思い描いてきた理想・感情・憧憬から生み出されたその剣は、まさしく「最強」であった。
(すげぇぞ、てかやべぇぞコレ!チカラが、高まる…溢れる…!でも刀じゃないのがちょっと残念なんだよなぁ。)
夕麻は柄をしっかりと握りしめ、壁を見据えて構えた。戦う意気が整うとともに、剣からはさらなる力が漲ってくる。
「魔法に対して剣で挑むとは、貴様はこの私を侮っているのか?」
左から聞こえてきた声に夕麻が振り向くと、顔の横を大きなツララが掠めていった。
(剣道も何もした事ねぇけど、なんとかなるか…!)
グッと足に力を入れ、地を蹴って夕麻は走り出す。杖をこちらに向けた男を目掛け、草薙の剣を構えて突貫していく。
「そうか、私を侮辱しようというのか。ならば私の切り札の前になすすべなく死ぬが良い!」
そういって男は、夕麻に向けた杖を呪文とともに振った。
「氷獄!」
ゴゴゴ……バキバキバキッ!
夕麻の周りを囲う高い氷の壁が現れ、走っていた夕麻は危うくそれにぶつかりかけた。壁の表面には小さなトゲが無数に生え、少しずつ伸びているようだ。
(アイアンメイデンならぬ、フロストメイデンってか?このままハリネズミになるつもりはないぞ)
剣を右手に持ち、左手を刀身にかざし火を纏わせる様子を脳裏に走らせる。すると赤い炎が刃に宿り、壁から伸びるトゲを溶かし始める。その様子を見て夕麻は壁に向き直り、剣を両手で横に振りぬいた。
ジュウウゥゥゥ…
氷の壁は一瞬にして氷から蒸気へと昇華し、目の前にはおかしいものを見たという表情の男がいた。
「これが切り札なのか?今度はこっちの切り札でいくぞ」
柄を強く握りしめ、すべての力を剣へと流し込む様を心に描く。胸の内で像が鮮明になるにつれ、剣は光を帯び、纏わる炎は青く揺らめく焔へと変わり行く。
(これでよし… さっきまでのお返しといくか)
先ほどのように壁で行く手を阻まれないよう、自分が加速するイメージを浮かべて走り出す。すると、夕麻の体は急激に速度を上げ、一気に男の前にたどり着いた。
「そいや!」
軽い掛け声とともに夕麻は腕を振り、
ボォォッ!
剣は青い尾を引きながら、男の「杖」を消し炭にした。そして夕麻は鎮火する像を剣に重ね、軽く振って鞘に収めた。それとともに、周囲に立ち込めていた霧が晴れていった。
武器を失い呆然と立ち尽くす男に対し、夕麻は翻訳器のカーソルを『東部ムー語』に合わせて語りかけた。
「この程度で許しておくか。アロン様の従順な教徒を、その目の前で燃えカスにするのは気が引けるしな…」
そう言いつつ夕麻は、透明化したアロンの方に視線を向けた。
「なぁ、隠れてないで出てきてくれ」
「我のことか?」
夕麻が登場を促すと、世界樹の陰から透明化を解除したアロンが歩み出てきた。男はその姿を見た瞬間、驚愕の表情を浮かべるとともにサッと地面にひれ伏した。そしてややおかしな敬語でアロンに尋ねた。
「あ、あ、アロン様で、あらせられますでしょうか?」
「うむ、我こそは全生命の主である世界樹、アロンである。先の戦闘、しかと見ておったぞ。お主は何が故、そこの少年の命を奪おうとしたのだ?」
「そ、それはもちろん、この聖域で愚かにも炎を放ち、アロン様に危害を加えようとした不浄なる者だったが故です」
いつの間にか『東部ムー語』を話しているアロンだったが、その男の回答を聞くと顔をしかめ、『西部ムー語』で男に問いかけた。
「本当にそれが理由であると、お主の敬虔にかけて誓えるか?」
「!? なぜアロン様とあろう方が裏切り者共の言葉を話されるのですか?」
男は、夕麻が間違えて『西部ムー語』で喋ってしまったときのように、憤怒の表情を露にした。アロンは言葉を『東部ムー語』に戻し、男に諭すように語りかけた。
「敬虔なる者である以上、すべての生命に対して平等でなければならない。これは我が敬虔なる者と認めたすべての教徒に課された使命でもあると、お主も熟知しているはずであろう?」
「はい!八方が魂、主とともにあり。もちろん存じております。しかし…」
「たとえそれが、かつての争いで我を支配しようとした国の者であっても、それは変わらぬぞ。かつてのその国の指導者が犯した罪を、今を生きる国の民が償う必要はないであろう?」
男はそれを聞き、突然顔を上げて語気を強めていった。
「アロン様はそれで良いのですか!?」
「もう一世紀以上前のこと、我は寛大に許そうと思って居るぞ」
「もしかしてその恩赦のために、わざわざ姿を現されたのですか?」
うむ、という風にアロンは頷いた。男は少し納得いかないといった様子で、しばらくそのままひれ伏していた。
(はぇ~、男の様子からしてよっぽど凄惨な戦争だったんだろうなぁ。っていうか顕在化したのは俺の、というよりこの杖の影響のはずじゃ…)
夕麻がなにかを言おうとすると、アロンは目線をちらりと夕麻に向け、無言の圧力を放った。
(言わない方が神秘性を保てるってことか?教徒を従えるのは大変だな〜)
「ところでお主、その顔はもしや、シャドラクではないか?」
「えぇ!そのとおりで御座います」
「やはりそうか、昔と変わっておらんようだな」
「…ん?どういうこと?」
シャドラクと呼ばれた男とアロンとが互いに面識あることに、夕麻は混乱した。もし、自分が考えていることが正しいなら、男はとんでもない長寿ということになるからだ。
「なぁ、あんた何歳だ?」
「150歳だ。次からは口を慎むんだな、少年」
(おじいちゃんだったか〜。それにしては若すぎるよなぁ。)
どう見ても20代にしか見えないシャドラクを見ながら、自分の考察が正しかったのだと確信する。男は『ムー侵攻』の時、顕在化したアロンの姿を見たのだ。
「どう見ても20代の見た目じゃないか?」
「それはもちろん、アロン様の力のおかげだ。さっき、お前が消し飛ばした杖を覚えているだろう?」
「あ〜、なるほど」
少し嫌味げにシャドラクは返答したが、夕麻はそれを聞いてただ納得していた。
「お前は自分がしたことをわかってないようだな。アロンの杖という尊い物を、この世界から一つ失ったのだぞ?」
「いや、また頼んだらもらえるんじゃないのか?」
「そういう問題ではないのだがな…」
二人がやり取りをしているところへ、アロンは静かに近づいてきた。
「ところでシャドラクよ、この少年はネルガルからの使者だというのだが…」
「使者、ですか?歴史書でしか見たことがない存在ですし、羽も見当たらないようですが…」
それを聞いていた夕麻は、見せつけるように羽をバサッと出現させた。
「大きくて場所を取るから、普段は仕舞っているんでね」
「ええぇっ!!?本物の使者様で御座いましたか、これは大変な無礼を働いてしまいました。それで、どのような使命ではるばるこの地まで降りてこられたのでしょう?」
(えっ、どうしよう。ここまでは考えてなかったなぁ〜。アナナキの言葉をそのまま話そうか)
「ヨルドに降り立って、文化や技術を体験して来ること、だな。具体的には、現地の人々と交流、生活、あるいは探索といったことをして報告するという具合だ」
「私達のことをもっと見てもらえるチャンスというわけですか。
しかし、なぜ最初に西部ムー語で私に語りかけたのでしょう?私が帝国民であることは、全知全能であるはずの天からの使者様であれば、分かっておられるはず」
シャドラクは胸中に生じた疑問を素直に投げかけたのだろうが、夕麻にとっては嫌味にしか聞こえなかった。
「使者といっても、さっきアロンの言ったとおりネルガルから来た使者だからな。ヨルドのことはよく知らないんだ。
どうして言葉が通じているか、とかその辺りはちょっと言えないが、理解してくれ」
アロンへの説明の時より、夕麻は少し言い訳多めに返答した。
「それなら仕方がないかもしれないですね…」
「まぁ、そういう訳だ。良ければ近い街か都市か、どこか人のいる場所に連れていってくれないか?」
案内してくれる人がいたほうが、現地の事情とかが分かりやすいと思い、夕麻はついでに依頼した。
「お言葉に答えたいとは思うのですが、私はこの聖域を警備するという任がありますので…。私の知り合いを代わりに遣わせましょう」
そう言うとシャドラクは右手を天に向け、固まった。
「杖がなかったか…」
そう言ってシャドラクは手をおろし、気まずそうな顔をこちらに向けた。
少し遅れてしまいました。
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7話
杖を失っていたことに気付いたシャドラクは、頭をガクッとうなだれ、小さく言葉を漏らした。
「俺はこれからどうするんだろうか…。アロン様の杖をなくした自分には、もう居場所など…」
まるでこの世の終わりといった様子で震えるシャドラクに対し、アロンは静かに語りかけた。
「お主は我が敬虔とみとめた者である。その故にお主が25歳の時、我が一枝を杖として授けた。我が与えた使命、お主は杖によって忠実に果たしてきた。その使命が故に、今、杖を失ってしまったのであろう?」
アロンはシャドラクを讃えつつ、世界樹に歩み寄っていった。
「ならば、お主の敬虔と献身を認め、ここに再び杖を授けることとしよう」
世界樹の足元に来たアロンは、その幹に右前足でやさしく触れた。するとあたり一面がまばゆい光に覆われ、かすかに風が流れてきた。
ポトリ…
光が収まり夕麻が目を開けてみると、アロンは一本の杖を咥えていた。
「さぁ、シャドラクよ。我が力を享受するのだ」
(あれ、物を咥えてしゃべってる?やっぱりテレパシー的なものでしゃべってるのか?)
厳かな空気のなか、夕麻はふざけた疑問を浮かべていた。アロンに名を呼ばれたシャドラクは、感極まった面持ちでアロンの前に跪き頭を垂れ、両手を差し出した。
「八方が魂、主とともにあり…」
「よろしい。面を上げよ」
アロンは杖の授与を終えると、夕麻に向き直った。
「お主は慈悲深く、賢いようだな。少し疑いがあった故、先のように試すような真似をしたのだ。すまなかったな」
「いやいや、もう済んだことだろ?お前が俺を直接傷つけたわけじゃないし、杖一本で許すぞ?」
「ぬ?」
夕麻が提示した高望みな要求に、アロンはポカンとした顔で声を漏らした。そんなアロンに対して夕麻は雰囲気を一転させ、杖をおねだりし始めた。
「死にかけたんだよ?お前の信者さんにハリネズミにされそうになったんだよ?」
「しかしお主にはその魔力あふれる杖と剣で返り討ちにしたではないか、それも完膚なきまでに…」
「これは別なんだって。使者としての道具なんだって。ねぇ、一本くらいさぁ。あんなに枝たくさんあるし減るもんじゃないだろ?」
目の前でゴネている少年が、寸時前に自分を圧倒した少年と同じとは思いたくない。そんな様子で、シャドラクはしばらく頭を抱えていた。
しばらく夕麻とアロンの応酬は続いたが、その間にシャドラクは新しい杖で信号を送り、仲間の到着を待っていた。
「駄目なものは駄目なのだ。お主は我が信者ですら無いではないか。シャドラク、代わりの案内役はまだなのか?」
「もうすぐ来るはずなのですが。何ぶん、方向音痴な奴でして…」
「ケチ〜ケチ〜…。もういいや、疲れた…」
ゴネ得とは行かなかった夕麻は、地面に座り込んで草薙の剣を取り出した。戦っている時や腰に携えている時はそんなに気にならないのだが、今はその重さが両腕に感じられる。
「やっぱ刀が良かったなぁ〜。刀で居合とかしてみたかったな〜」
「ん?カタナとは何でしょう?」
シャドラクは手持ち無沙汰だからか、夕麻の横に腰を下ろし、気になった言葉について聞いてきた。
「あ、敬語はもういいぞ、キモいし。」
「そ、そうか。それより、そんな立派な剣を前にしてもお前が求めるという、そのカタナというのは?」
「刀ってのは俺の故郷で作られている剣なんだ。反りのある片刃の剣で、強くて、美しくて、カッコいい。俺にとっては憧れの武器だ。」
夕麻はそう言いつつ、草薙の剣が刀だったとしたらどんな形だっただろうと、想像を手元のそれに重ねていた。するといつの間にか、脳内にしか無いはずの刀が手元にあった。
「そうそうこんな感じの……!!??」
「いま、剣が一瞬歪んだような…」
おそるおそる柄を握って鞘から抜いてみると、反りを持つ刀身が現れ、先程と同じように霧が漂い始めた。
「これ、草薙の剣…だよな?変形能力持ちだったのか?」
「俺に聞かないでくれ。それより人に刃を向けるな」
「ああ、すまんな」
夕麻は初めて見る真剣を前に興奮していた。まっすぐな両刃だった刀身は、反りのある片刃へと変わり、切先からハバキにかけて美しい波が漂っていた。
「これがカタナと言うものか?」
「そう、これこそまさしく刀というモノだ。突くことも斬ることもできるし、居合って言う必殺の一撃も出せるんだぞ。」
「なるほど、機能美という言葉が相応しいな。それで、居合っていうのはどんなものなんだ?」
インドア少年である夕麻が、剣術など修めているはずがない。もちろん、そのロマンに惹かれて、メディアを通して見たことはある。しかし、素人の見様見真似でできるようなものではない。
「あれは剣の達人にしかできないシロモノだからな。俺は剣に関しては素人だし…」
「そうなのか。じゃあ、さっき俺に切りかかってきた時はどうなんだ?素人にしてはしっかり振れてたんじゃないか?」
「う〜ん…?」
そう言われてみれば、素人にしてはキレイに剣を振れていた気がしてくる。あの時は剣の気に触れて少し昂ぶっていたからか、気付いていなかったようだ。何かしらの補助機能でもついているのか、はたまた夕麻の才能なのか。
「居合、ちょっとやってみるか」
先ほどとは違い反りのついている鞘に左手を置き、右手で柄をしっかりと握る。そして、自宅のパソコン画面で厨二心を委ねていた、あの素早い剣捌きを思い出す。
「それが居合の構えなのか」
「ちょっと黙っててくれ、集中してるんだ」
夕麻はそう言って、集中するべく目を閉じた。視覚を遮断し、それっぽく感覚を研ぎ澄ましていく。
すると突然、居合を実現するためのイメージが鮮明に浮かび上がってきた。彼は目を開け、そのイメージに沿って腕を動かそうとした。
次の瞬間、
チャキッ…ヒュゴオォッ!
「うおっ!?」
夕麻の体はイメージをトレースするように、目にも止まらぬ斬撃を放っていた。
「今のが居合と言うやつなのか!?全く反応できなかったぞ…」
「あっ、まぁ、今のが居合という技だ。居合なんだが…おかしいなぁ。できるわけが無いんだけどなぁ。」
(アシスト付みたいだな。変形ありのアシスト付って…。人類の空想を固めた剣だから何でもアリってところか。)
しかし夕麻のヒキメンボディは、高速の一閃をしたことにより悲鳴を上げていた。
「イテテテ…。肩が少しズキッとしたぞ…」
「おいおい、大丈夫か」
「ああ、普段の運動不足が響いたようだな…」
「おーい!シャドラクー!」
遠くからシャドラクを呼ぶ声が聞こえてくる。どうやら、シャドラクが呼んだ人物が来たようだ。
「こっちだぞー!ミリアムー!」
「ミリアム…?ああ、シャドラク、お主の玄孫だったか?」
「はい、私の玄孫でございます。お陰様でこの間17になりました」
「やしゃご…」
玄孫【やしゃご】とはひ孫の子供、つまり孫の孫のことである。しかしシャドラクの外観は、どう見ても夕麻より少し年上くらいの青年である。そんな彼が遠い子孫を持っている様子には、尋常でない違和感を感じざるを得ない。
「ひいひいひいおじーちゃん?」
「そんな面倒くさい代名詞は使う必要ないぞ。ジジイの自覚は全くないからな」
そう話していると、
ガサガサガサッ!!
すぐそばの森から金髪の少女が現れた。やはり彼女もシャドラクと同様、白い衣装を身に着けていた。
「シャドラクが呼び出すなんて珍しいから急いできちゃった。何か凄いことでもあったの?」
「ああ、凄いことだ。アロン様が姿を表わされたぞ」
「え!?本当!?」
シャドラクが道をあけると、彼女からもアロンが見えるようになった。彼女はその姿を見つけると、不思議そうにシャドラクに尋ねた。
「へ?アロン様って、ライオンだったっけ?」
「ミリアム。アロン様がライオンの姿をしておられることは、前にも教えただろう?」
「そ、そうだったね、ハハ…」
半ば呆れた様子のシャドラクは、アロンにミリアムを紹介し始めた。
「こちらが私の玄孫、ミリアムでございます。私のひ孫が出産して、報告のために連れてきた時以来の顔合わせでしょうか。」
「そうだな。赤子の時の姿しか我は知らぬが、健やかに成長したようだな。」
「ほら、お前もちゃんと挨拶しろ」
シャドラクに促されたミリアムは、ペコリと頭を下げて自己紹介をした。
「ミズラハ魔法学校2年生、ミリアムです!」
「ほう、学徒であるか…」
「はい!シャドラクみたいなすごい魔術師になるのが夢なんです!」
ミリアムが発した固有名詞が気になり、夕麻はこっそりカバンから資料集を取り出した。
「ミズラハ魔法学校てなに?」
小声で資料集に問いかけると、パラパラとページがめくられていき、巨大なゴシック調の建築物が現れた。
[ミズラハ魔法学校:高度な魔法技術を持つ魔術師を養成する教育機関。要調査対象。
アナナキの一言:
【シェオル魔術】とか言うものを研究・教育しているようなのじゃ。見てきてちょーだい☆]
(なるほど、俺が来た目的が一つ見つかったわけだ。それにしても魔術か…)
【魔術】という言葉のファンタジーな響きに夕麻はワクワクしつつ、資料集をカバンにしまい込んだ。その時、アロンが声をかけてきた。
「そういえば、少年よ。名前をまだ聞いていなかったな。」
「名前?ああ、夕麻だ」
「ユウマ、か。名前としては聞かない響きだな」
そういってアロンはミリアムに向き直った。
「ミリアムよ、ユウマというこの少年はネルガルから来た使者である。ヨルドの人々について知るため、降り立ったというのだ。シャドラクの代わりに彼をラモトまで連れてってやってくれ」
「使者…?」
ミリアムはきょとんとした表情で夕麻の顔を見ると、シャドラクに質問をした。
「使者ってなんだっけ?」
「ハァ~~…私の子孫であるというのに情けないぞ。自分で調べる事だな」
「はーい、分かりましたー。」
無知なミリアムに呆れ、シャドラクは手をひらひらと振って出発を促した。
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