寓意の光景 (紫 李鳥)
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 富山港線の東岩瀬で降りると記憶を辿った。当時の風景を遮るかのように新しいビルが屹立(きつりつ)していたが、その一本道は昔のままにあった。つまりは、あの男の家まで道案内してくれる。うろ覚えの床屋も小学校も、記憶どおりにあった。記憶が正しければ、辻を右に曲がった二、三軒目に、あの男の家があるはずだ。

 

 果たしてそこには、〈柴田〉の表札があった。だが、当人がここに住んでいるとは限らない。純香(すみか)は何一つ下調べをしていなかった。電話や近所の聞き込みで探ることもできるが、仄聞(そくぶん)にせよ、当人にその暗示を悟られてはならない。

 

 “完全な復讐を遂げるために”

 

 

 タイツは穿いているものの、爪先はブーツの中で血行を悪くしていた。アイスバーンの(わだち)に足幅を()めながら逆戻りすると、駅前のビジネスホテルにチェックインした。

 

 暖房をつけると、凍えた体を解凍させた。曇天の窓は純香の暗い胸中を映していた。……さて、どんな方法で復讐するか。ボストンバッグから大学ノートを出すと、考えつく方法を箇条書きにしてみた。

 

・恋人がいたら色仕掛けで奪って、破局にしてやる。

・既婚者なら女房に暴露して、離婚させてやる。

・子供がいたら、――

 

 空腹を覚えた純香は、近くのラーメン屋で夕食を摂ると、〈Hunger is the best sauce.(空腹にまずいものなし)〉そんな(ことわざ)を頭に浮かべながら柴田の家に向かった。

 

 表札灯は消えていたが、小さな庭の竹垣からは明かりが漏れていた。その往来をゆっくりと通り過ぎた。声は無かった。……ダイニングキッチンで食事でもしているのだろう。

 

 ホテルに戻ると、翌日の計画を立てた。その夜は眠れなかった。東京での生活や、この先の不安が純香の神経を過敏にしていた。――母が他界してからは、電気技師の父に育てられ、高校まで富山にいたが、大学からは東京で一人暮らしをした。卒業すると、大手出版社で校正と英訳に携わりながら、人並みに恋愛も経験し、悪くない半生だった。

 

 だが、どれも結婚に至れなかった。その理由は分かっていた。あの男のせいだ。いや、あの男たちが男性不信を植え付けたのだ。

 

 昨年の二月、父は心筋梗塞で逝ってしまった。あの男たちへの復讐心が芽生えたのは、丁度その頃だった。結婚を承諾できなくなってしまった根源を絶たなければ、という使命感のようなものが純香に芽生えた。

 

 翌日、朝食を済ませると、柴田の家の前にある神社の玉垣に身を隠した。積もった雪を足で除けると、顔を出した地面を足場にした。足踏みしながら腕時計を視た。……勤務先が遠ければ、家を出る時間は早くなるし、逆に近ければ遅くなる。さて、どっちだ。

 

 復讐をこの寒い時期にしたのは衝動的だった。半年ほど交際していた彼氏と別れ、気がムシャクシャして、気が付くと、その翌日にはボストンバッグを手にしていた。その別れた彼が、純香に復讐の日時を決めさせる切っ掛けを作ってくれたようなものだ。

 

 もし、その彼と順調に行っていたなら、今回の復讐劇な無かったか、もしくは延期になっていたに違いない。今回の軽はずみな行動を後悔しながらも、後には引けないという意地のようなものが、純香の中にあった。

 

 その時だった、磨りガラスの戸が開く音がした。純香は玉垣の隙間から覗いた。黒いコートの男が出てきた。その顔は歳を重ねていたが、当時の面影があった。柴田だっ!純香は心の中で叫んだ。

 

「行ってくるぞ」

 

「いってらっしゃい!」

 

 女の子の声だ。……子供がいるのか。



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 妻らしき声は無かった。革の(かばん)を提げた柴田は肩を(すぼ)めると、もう一方の手をポケットに突っ込んだ。慣れた足取りで駅の方に向かう柴田の足元は革靴ではなく、ブーツのようだった。

 

「おはようございます」

 

 玄関先の雪かきをしている並びの家の主婦らしき中年の女に声をかけた。

 

「あ、行ってらっしゃい。寒いがぁねぇ」

 

 スコップを持った主婦は腰を曲げたままで顔を上げた。

 

「寒いがぁ」

 

 柴田の横顔が一瞬、白い息を出した。慣れた挨拶を交わし、慣れた足取りで雪道を行く柴田を追っている純香には、周りを見る余裕はなかった。

 

 駅に着くと、柴田は定期を見せていた。純香は急いで終点までの切符を買った。すぐに来た電車には、車両を独占した中学生らが喧々囂々(けんけんごうごう)としていた。遠慮がちに吊革に手を置いた柴田を横目に、純香は様子を窺っていた。

 

 蓮町で中学生らが一斉に降りると、空席が目立つ静かな車両に一変した。柴田は慣れた様子で腰を下ろすと、鞄から新聞を出した。純香は斜め後ろに腰を下ろすと、柴田を視界に入れた。

 

 間もなくして、新聞を読み(ふけ)る柴田の横顔を見ているうちに、純香の中に怒りが込み上げてきた。

 

(母の死を知ってるのか?お前たちが殺したんだ!)

 

 そう、心で叫ぶと柴田を睨み付けた。その、純香の形相があまりにも怖かったのか、目が合った向かいの座席の若い女が慌てて目を逸らした。

 

 柴田が新聞を畳み始めた。次の駅で降りることが予測できた。

 

 富山駅で降りると、柴田は東富山方面に向かい、大通りから路地に入った二軒目の、一階にコンビニがある雑居ビルに入って行った。――柴田を乗せたエレベーターは三階で停まった。一階の郵便受けを見ると、三階は『ドリーム出版』とあった。

 

 ……出版社か。柴田の勤務先を突き止めた以上、もうこっちのものだ。純香はほくそ笑んだ。さて、どんな方法で近づくか。

 

 親戚の不幸を口実にした忌引き休暇を取っている純香にはたっぷり時間があった。その間、バイトでもしようかと求人誌を購入してみた。すると、偶然にも『ドリーム出版』の校正の募集が載っていた。まさに、“順風に帆を揚げる”とはこの事だ。柴田に近づけるチャンスが到来した。早速、三文判を買うと、喫茶店で履歴書を書いた。

 

「はい、ドリーム出版です」

 

 電話に出たのは若い女だった。

 

「あ、校正の求人を見た者ですが、まだ募集していますか?」

 

「え。していますが……」

 

 無愛想な返答だった。

 

「では、面接をお願いしたいのですが」

 

「失礼ですが、年齢は?」

 

 何よ。資格には年齢不問とあったくせに。そう思いながら、純香は渋面を作った。

 

「三十ですけど」

 

「……では、いらしてください」

 

「何時に伺えば?」

 

「何時ごろ来られますか?」

 

 この事務員は、電話の応対に慣れていないと純香は思った。

 

「今近くにいますので、すぐにでも」

 

「では、履歴書を持って来てください。お名前は?」

 

「森と申します」

 

「場所は分かりますよね?」

 

「ええ」

 

「では、いらしてください」

 

 電話は向こうから切れた。感じ悪い女。純香はそう思いながら、電話ボックスを出た。



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 ノックすると、少し間を置いてドアが開いた。二十二、三歳だろうか、気の強そうな女が目を据えていた。

 

「先程電話しました森――」

 

「ああ。どうぞ」

 

 純香の言葉が終わらないうちに口を挟んだ。先刻の電話の女に違いない。

 

 中に入ると、デスクに向かっている数名の男女が純香に視線を向けた。女はノックもしないで、『社長室』とあるドアを開けた。

 

 デスクの前に座った柴田の顔が真っ正面にあった。

 

「応募の方です」

 

 女はそう言うとドアを閉めた。柴田は身動ぎせずに純香を見詰めていた。私に母の面影でも見たの?柴田さん。純香はそう心で呟きながら、目を逸らした。

 

「どうぞ、お座りください」

 

 柴田はそう言って、黒革のソファーに目をやった。

 

「……失礼ですが、富山の方ですか?」

 

 いきなりだった。どうして?富山に私に似た女でも居たの?

 

「出身は富山ですが、大学からは東京です。出版社で校正をしていました」

 

 応募するのに、まさか休暇中とは言えまい。

 

「ほう。東京ですか」

 

 テーブルを挟んだ柴田が、興味深げな目を向けた。

 

「履歴書です」

 

 ショルダーバッグから出すと、柴田に手渡した。

 

「拝見します」

 

 柴田は封筒を手に取ると、履歴書を出した。

 

「……大広田ですか」

 

 真っ先に本籍地を確認した柴田は、その目を素早く上げた。

 

「はい」

 

 純香は本籍地を偽っていた。本籍地である“岩瀬浜”と苗字である“森”では、感づかれるかもしれない。母が死んだ後に、姓名を知り得た可能性もある。ましてや、事件があった“岩瀬浜”となれば、疑われかねない。

 

「……ほう。R出版ですか、スゴいですね。……翻訳もできるんですか」

 

 柴田が期待を込めた目を向けた。

 

「童話ぐらいですけど」

 

 純香が謙遜した。

 

「ぜひ、お願いしたいですね。うちは自費出版や共同企画の童話や絵本の依頼もあるので、海外でも読んでもらいたい。……現在地がホテルになっていますが」

 

「仕事が決まってからアパートを借りようと思って」

 

「そうですか。じゃ、近くを当たってみましょう」

 

「え?近く?」

 

 純香は会社の近くだと思った。

 

「ええ、東岩瀬ですよ。森さんが泊まっているホテルの近くを」

 

「はあ。お世話かけます」

 

「いや。と言うのも、私の自宅の近くなんですよ、このホテル」

 

 純香はハッとした。柴田を探るために近くのホテルにしたことがバレないかと、ハラハラした。

 

「えっ、そうなんですか?」

 

 純香は(とぼ)けた。

 

「近所の不動産屋に聞いてみますよ」

 

「……お世話になります」

 

「あなたのように実績のある方にぜひ、お願いしたいし」

 

「ありがとうございます」

 

「在宅で構いませんから」

 

「えっ?」

 

「あなたほどのキャリアがあれば安心だ。それに、うちはバイト感覚の若いもんばかりだから、何かと気を使うでしょうし」

 

「……ありがとうございます」

 

「……つかぬことを伺いますが、どうして富山に戻ったんですか」

 

「……都会暮らしに疲れたと言うか、故郷(ふるさと)が恋しくなって」

 

 目的は復讐だが、純香のその言葉は偽りではなかった。

 

「……そうですか。とにかく期待してますので、よろしくお願いします」

 

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 頭を下げた。

 

「先ずはアパートを探しましょう。これからご予定は?」

 

「いいえ」

 

「じゃ、善は急げだ。早速、探しましょう」

 

「あ、はい」

 

 慌ただしく腰を上げた柴田に、純香も動きを合わせた。柴田は履歴書を机の引き出しにしまうと、壁のフックからコートを取った。



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「紹介しよう。今度、校正をお願いする森さんだ」

 

 柴田が皆に紹介した。

 

「森純香です。よろしくお願いします」

 

 お辞儀をした。

 

「よろしくお願いします」

 

 皆が一斉に発した。

 

「ちょっと出掛けてくる」

 

 例の女に柴田が告げた。不平そうな顔つきを柴田に向けた女は、その視線を純香にズらした。

 

 二人はデキてる。純香は直感した。

 

 状況は予想外の展開を見せていた。いつの間にか、純香は柴田のペースに引き込まれていた。……どうする。今更、後には引けない。この機会を逃したら復讐できなくなる。――結局、純香は柴田に一任した。

 

 銀行でお金を下ろすと、柴田と東岩瀬に向かった。――車中、柴田は余計なことを聞かなかった。……初めて会った女をそんなに信用していいの?純香の方が心配した。

 

 柴田が一方的に喋ったのは、魚津の蜃気楼や砺波のチューリップなど、観光スポットの魅力と、東京の出版社に六年在籍していたということだけだった。道理で(なまり)がないわけだと純香は思った。

 

 とんとん拍子に事が運び、柴田の家の近くにアパートを借りることになった。翌日には早速、原稿を手にした柴田がやって来て、仕事が始まった。

 

 ボストンバッグには当座の着替えしか詰めていなかった純香は、結局、東京のアパートを引き払うことにした。東京の不動産屋とR出版社に電話をすると、引越しと辞職を告げた。

 

 一ヶ月後、月末までの数日を利用して上京すると、荷造りをした。――運送屋が来た後、不動産屋に鍵を返してから、R出版社に辞表を持って退職の挨拶に行き、その足で富山に向かった。帰途、柴田との会話を思い出していた。

 

「在宅にしてもらって良かったわ。着の身着のままだったから」

 

「荷物はいつ届くの?」

 

「再来週、上京して荷造りしますので、今月の末には」

 

「そう。そしたら落ち着くね」

 

 原稿を交換しながら、柴田が笑顔を向けた。

 

 ――届いた家財道具を置くと、がらんとしていた六畳間もやっと部屋らしくなった。仕事の方も順調だった。それと同時に、復讐を企んでいることも知らず、信頼して原稿を運んでくる柴田に、いつの頃からか、純香は惹かれているのを感じていた。

 

 だが、その都度(つど)、「柴田は母の(かたき)よ」と、自分に言い聞かせていた。しかし、そう言い聞かせながらも、結局、これと言った復讐方法も思いつかず、後回しにしていた。

 

 それから数日が経った頃、公募で最優秀賞を獲得したノンフィクション小説の校正をしていると、不意に電話が鳴った。電話番号は柴田しか知らない。

 

「……はい」

 

「もしもーし、森さん?」

 

「はい」

 

「柴田雅人と言います」

 

 酔っているようだった。

 

「……社長」

 

「社長はイヤだな。できればマサトさんて呼んでほしいな~」

 

「酔ってるんですか?」

 

「うーん、……かも」

 

「どうしたんですか?校正ミスでもありました?」

 

「いや。君の校正はパーフェクトですよ。何も言うことはありませーん」

 

「ありがとうございます」

 

「今、『のんべえ』にいるんだけど、ちょっと来ない?八百屋の隣の隣の隣」

 

「……今、校正中なので」

 

「そんなの明日でいいから。ね?待ってるから。じゃあね」

 

「あっ、あ……」

 

 電話は一方的に切られた。仕方なく、淡いピンクの口紅を引くとハーフコートを羽織った。



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 縄のれんを払うと、止まり木の隅に一人いる柴田がガラス戸から見えた。戸を開けると、

 

「いらっしゃいっ!」

 

 店主らしき威勢のいい声と共に、純香を認めた柴田が手を上げて合図した。

 

「来てくれてありがとう」

 

 頭を下げた。

 

「どうしたんですか?そんなに酔っ払って。お嬢ちゃんが心配しま――」

 

 そこまで言って、純香はアッと思った。娘がいることは柴田から聞かされていない事実だった。

 

「……あれっ、娘がいること言ったっけ」

 

 虚ろな目を向けた。

 

「あ、いえ、一度一緒のところを見掛けたことがあったから」

 

 店主の置いたおしぼりで手を拭きながら、純香は慌てて話を作った。

 

「なんだ、声掛けてくれりゃいいのに」

 

「……遠くだったので」

 

「実はね、娘はいるが、女房はいない。バツイチって奴だ」

 

「……そうだったんですか」

 

 純香は納得した。

 

「チューハイでも飲まない?」

 

「いえ、あまり飲めないから」

 

「じゃ、梅酒ならいいだろ?」

 

「……ええ。じゃ、少し」

 

「オヤジ!梅酒!」

 

 小さな店は混んでいた。騒然とした中で、柴田は大きな声を出した。

 

「はいよっ!」

 

 店主も元気な返事をした。

 

「レディの来るようなとこじゃなくて悪かったね」

 

「いいえ」

 

「この辺ろくな店がないから」

 

 グラスに口をつけた。

 

「何かあったんですか?今夜」

 

「……いや。君の歓迎会をしてないと思って」

 

「そんなこと」

 

「今度、桜木町まで出て、何かうまいもんでも食べよう」

 

「いいですよ、そんな」

 

「いいじゃないか。歓迎会をしたいんだ」

 

「ありがとうございます」

 

「はいっ、お待ち」

 

 店主が純香の前にグラスを置いた。

 

「では、いただきます」

 

 純香がグラスを持った。柴田はそれに自分のグラスを当てると、

 

「よろしく」

 

 と言ってニコッとした。

 

「よろしくお願いします」

 

 笑った目を柴田の視線に合わせると、純香はすぐにその目を逸らした。

 

「……森さん、ご両親は?」

 

 突然のその問いに、純香はギクッとした。

 

「……亡くなりました。……二人とも」

 

 純香は俯いた。

 

「……そうか。寂しいな、それじゃ」

 

「でも、好きな仕事をしてますし、そんなに寂しくありません」

 

「俺も、父を三年前に、母を去年亡くした。女房と別れたのが五年前。母が娘の面倒を見てくれたから助かったけど……」

 

「……」

 

 純香は静かにグラスを傾けた。

 

「男手一つじゃ、何かと心配で。女らしく育ってくれりゃいいが」

 

「大丈夫ですよ。しっかりしたお嬢ちゃんみたいだったし」

 

「そう?ありがとう」

 

 柴田は満面に笑みを浮かべた。

 

「あいつが初潮を迎えるまでには再婚しないとな」

 

 その話の内容と、あの、「行ってらっしゃい」の声から、小学五、六年だと、その顔も知らない娘の年齢を推測した。

 

「社長はモテるでしょうから、再婚話は沢山ありますよ。きっと」

 

「モテやしないさ。好きな女からは好かれないし。それが世の常かな」

 

「そんなこと……」

 

「じゃ、聞くが、君はどうだ?」

 

「えっ?何が」

 

 咄嗟(とっさ)に柴田を視た。

 

「俺のこと、好きか?」

 

 目を伏せた純香の横顔を柴田が見つめていた。〈 Wine in, truth out.

(酒が入ると真実が出る)〉純香は、そんな(ことわざ)を浮かべていた。

 

「……そんなこと、まだ知り合ったばかりで、好きとか嫌いとか……」

 

「当然だな。すまない、野暮(やぼ)なことを聞いた」

 

 柴田は一気に飲み干すと、氷の音を立てた。

 

「さて、帰るか。悪かったね、呼び出して」

 

「いいえ」

 

「じゃ、帰ろ」

 

 腰を上げた。

 

「オヤジ!おあいそ」

 

「はいよっ!」

 

 純香は、少しふらついている柴田の後を行くと、先に外に出た。勘定を終えた柴田が出てくると、戸を閉めてやった。



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「アパートまで送るよ」

 

「私の方が送ります」

 

「いや、君の方が近いんだから、先に送る」

 

 純香は黙って柴田の言うことを聞いた。コートの襟を立てた柴田は背を丸めると、先を歩いた。

 

 ゆっくりと歩く柴田の背中は、何かを考えているようだった。結局、柴田は一言(ひとこと)も喋らなかった。

 

 アパートの近くまで来た時、横顔を向けた柴田が足を止めた。純香が傍らに行くと、突然振り向き、強引に腕を引っ張ると、顎を掴んだ。見詰め合う格好になり、(おもむろ)に唇を重ねてきた。

 

「うっ……」

 

 純香は小さな抵抗をしてみたが、柴田の発するアルコールの匂いが、理性を麻痺させた。そのキスが長かったのか短かったのかは定かではなかった。ゆっくりと純香から離れた柴田は、

 

「……君が好きだ」

 

 酔いしれたように目を閉じた純香の耳元に(ささや)いた。

 

「おやすみ」

 

 柴田はそう言って、背を向けた。

 

「……おやすみなさい」

 

 街灯に照らされた柴田の背中は、やがて路地の(かど)に消えた。

 

 純香はライティングデスクの原稿を前にして、ジーっとしていた。何も考える気になれなかった。ただ、柴田の口の匂いだけが、いつまでも唇に残っているのを感じていた。

 

 翌晩、いつもの顔で原稿を持ってきた柴田は、校正を終えた純香の原稿と交換すると、

 

「……昨夜(ゆうべ)はごめん」

 

 目も合わせないで、一言(ひとこと)そう言って帰っていった。純香は何か物足りなさを感じた。

 

 

 それから数日して、柴田から電話があった。

 

「……食事をしよう」

 

「え?」

 

「Wホテルのロビーで待ってるから。六時頃に来られるだろ?」

 

「あ、……はい」

 

「じゃ、待ってる」

 

 そう言って、柴田は電話を切った。

 

 いよいよ来た、と純香は思った。今夜、本格的に口説くつもりのようだ。どうしよう……。はっきりと拒絶してはいけない。柴田の逆鱗(げきりん)に触れたら、復讐のチャンスを逃してしまう。そのためにも不即不離(ふそくふり)の関係でなくてはいけない。……かと言って、どんな(かわ)し方をすればいいのだ……。純香は悩んだ。

 

 純香は久しぶりにおしゃれをすると、富山駅前のWホテルに向かった。――窓際の柴田が外に目をやっていた。窓ガラスに映った純香に気づくと、目を合わせて笑った。

 

「素敵だね、その服」

 

 純香のパープルのツーピースを褒めた。

 

「ありがとうございます」

 

「カクテルでも飲むかい?」

 

「ええ」

 

 純香は作り笑いをした。

 

 階上のラウンジに行くと、窓際の席に着いた。柴田は手を上げてウェイターを呼ぶと、

 

「ウイスキーの水割りと度数が低いカクテルを何か」

 

 と注文した。

 

「かしこまりました。ウォッカベースの口当たりの良いカクテルをお作りします」

 

 若いウェイターは純香を一瞥(いちべつ)すると、お辞儀をした。柴田は灰皿に置いていた煙草を(くわ)えた。

 

「夜景が綺麗だろ?」

 

 そう柴田に言われた純香は、店内が映った大きな窓ガラスの外に目をやった。

 

「ええ。とっても」

 

 街の灯りと流れるヘッドライトが光彩陸離(こうさいりくり)耀(かがや)いていた。その明かりの中に、白く浮かび上がった粉雪が(たわむ)れていた。

 

 ふと、窓に映った柴田を見ると、それは純香を見詰める横顔だった。純香が柴田と目を合わせると、間もなくウェイターが水割りとカクテルを運んできた。

 

 純香は碧色(へきしょく)のグラスを手にすると、琥珀色(こはくいろ)の柴田のグラスに近づけた。互いは見詰め合うと、グラスを傾けた。



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「……ん、おいしい」

 

「良かった。食事は何がいい?」

 

「お任せします」

 

「じゃ、和食にしよう。この階下(した)(うま)い店があるから」

 

「ええ」

 

 どんな言い訳をして柴田からの誘惑を断ろう……。純香は逃げ道を模索していた。だが、不覚にも柴田に勧められた二杯目のカクテルで、足を取られるまでに酔ってしまった。

 

 酔いが()めたのは、ホテルのベッドの上だった。咄嗟(とっさ)に着衣の確認をした。脱がされた形跡がなかったので、純香は安心した。窓辺を見るとそこには、明かりのない部屋から街明かりを眺めている柴田のシルエットがあった。

 

「寝てたの?私」

 

「ああ。目が覚めた?」

 

 振り返った柴田がベッドのそばに来た。

 

「ごめんなさい」

 

「いや、気にしなくていいよ。お腹は空いてない?」

 

「空いた」

 

「じゃ、行こう」

 

 ベッドから降りた途端、よろけて倒れそうになった純香の体を柴田が支えた。

 

「大丈夫?」

 

「……ええ」

 

 互いは見詰めあった。潤んだ純香の瞳が街灯に煌めいていた。そして、どちらからともなく唇を重ねた。逆光の中で絡み合う二つの影は、やがて、窓辺から消えた。――

 

 ――柴田との情交を後悔しながらも、柴田に惹かれている自分の気持ちを否定することはできなかった。……何が復讐よ。母の(かたき)に抱かれちゃって。純香は、簡単に柴田の手に落ちた自分が悔しかった。

 

「今度、娘のミオに会ってくれないか」

 

 横で煙草をくゆらす柴田が顔を向けた。

 

「ミオちゃんて言うのね。どんな字を書くの?」

 

「美しいに(おと)だ」

 

「綺麗な名前ね」

 

「来月から五年生だ。いろいろ教えてやってほしい」

 

「……私の面接の時、社長室をノックもしないで開けた若い女性とはどうなったの?」

 

「……別れた」

 

 柴田は天井に顔を向けたままで返事をした。

 

 ……やっぱり、付き合ってたんだ。純香の直感は当たっていた。

 

「別れたから次は私ってわけ?」

 

「逆だ」

 

「えっ?」

 

 柴田の横顔を視た。

 

「君の出現で別れたんだ」

 

「どう言うこと?」

 

「君と出会ってから、彼女とは会っていない。……それで気づいたんだろ、君が原因だと。向こうから聞いてきたから、俺も正直に言った。肯定した上で、別れてくれと」

 

「……」

 

「会社も辞めた。バイトの子が電話番と簡単な事務をしてるよ。君に頼むのは虫が良すぎるからな」

 

「……私のせいだったのね」

 

「責任なんか感じるなよ。俺が勝手にしたことだから」

 

 柴田は背を向けると、煙草を消した。

 

「お腹、空いたろ?今度こそホントに食べに行こう」

 

 ボサボサ頭の柴田が少年のような表情をした。――

 

 

「……結婚したことは?」

 

 猪口を手にした柴田が見た。

 

「ううん、ないわ」

 

 理由は聞かないでよ、あなたが原因なんだから。純香は心で呟いた。

 

「君ほどの女が――」

 

 柴田はそこまで言うと、口をつぐんだ。純香の醸し出す雰囲気がそうさせた。

 

「……女房は男を作って出ていった。俺が原因だ。仕事にかまけて、親の面倒も娘の面倒も任せっきりだった。家庭を顧みない亭主じゃ、嫌気が差すだろ」

 

 自分の話に変えた柴田は自嘲(じちょう)するかのように鼻で笑うと、酒を飲み干した。

 

「……」

 

 純香はお茶を飲みながら、握り寿司を食べていた。

 

「もう二度と同じことは繰り返さないよ」

 

 柴田のその言い方は求婚を(ほの)めかしていた。純香は目を合わせなかった。



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「美音ちゃんが心配するわ。帰りましょう」

 

「大丈夫さ。死んだ母から料理を教わってるから。結構、料理作れるんだよ。何か作って食べてるだろ」

 

「同じ過ちは繰り返さないって言ったじゃない。今」

 

 純香が睨んだ。柴田は苦笑すると、

 

「はいはい。帰りましょ」

 

 と、(おもむろ)に腰を上げた。――

 

 

 電車の中で横に座っていた柴田は、向かいの席に人が居ないのをいいことに、純香の手を握った。

 

「娘に会ってくれるだろ?」

 

 酒の匂いをプンプンさせながら、純香の耳元に(ささや)いた。

 

「……ええ」

 

 

 酒屋の角を右に行く柴田を見送って帰宅すると、シャワーを浴びた。満身創痍(まんしんそうい)のごとき赤い斑点が、柴田との情交を証明していた。――満たされた余韻(よいん)に浸りながら、布団に潜った。

 

 翌日、洗濯をしていると電話が鳴った。電話番号を知っているのは柴田だけだ。

 

「はい」

 

 ところが、相手はうんともすんとも言わなかった。

 

「もしもし?」

 

「泥棒猫!」

 

 若い女の声だった。

 

「はあ?」

 

「お前の過去を暴いてやる!」

 

 そう言って電話は切れた。純香は受話器を持ったままで凝然(ぎょうぜん)と立ち尽くしてした。――声はこもっていたが、紛れもなく、柴田が付き合っていたあの女のイントネーションだった。

 

 純香は危惧(きぐ)した。復讐を遂げる前に自分の正体が柴田にバレたら水の泡だ。何もする気になれず、洗濯も途中にしたまま炬燵(こたつ)に入った。履歴書に大広田なんて書かないで、正直に岩瀬浜と書けば良かった。しかし、本籍地を偽ったのは、柴田に気づかれないための手段だった。だが、こうなると、そのことを後悔した。本籍地が違うからと言って、母の件と私を結びつけるとは限らないが……。

 

 でも、どうしてあの女は私の過去に疑惑を抱いたのだろう。単なる(おど)し文句のつもりか?柴田にフラれた腹いせか?……〈 Man proposes, God disposes. (計画するのは人、成敗をつけるのは神 )〉純香はそんな心境だった。

 

 夕食を作っていると、恋人気取りで柴田がやって来た。

 

「……後で来ていい?」

 

 遠慮がちな物腰だった。

 

「……ええ。夕食はいつもどうしてるの?」

 

「早く帰った時は俺が作るけど、じゃない時は娘が作ってる」

 

「今、大根を煮てるの。良かったら持ってって」

 

「助かるよ」

 

「寒いから中で待ってて」

 

「はーい」

 

 柴田は浮かれ調子で返事をしながら、急いでドアを閉めると、ダイニングのテーブルに着いた。

 

「綺麗にしてるね」

 

 感心しながら見回していた。

 

「掃除したばかりだからよ」

 

 菜箸を動かしながら横顔を向けた。柴田がライターの音をさせたので、適当な小皿をテーブルに置いた。

 

「はい」

 

「あ、悪いね」

 

 花柄の小皿に煙草を置いた柴田がニコッとした。純香は例の電話の件は喋るまいと思った。打ち明ければ、余計な憶測を柴田に植え付けることになる。どっちにしても得にはならない。

 

 いか大根と、いんげんのごま和えをタッパーに入れると、

 

「美音ちゃんになんて言うの?」

 

 と聞きながらビニール袋を広げた。

 

「のんべえからのみやげにするさ」

 

「そうね。毎日でもいいわよ。多めに作っとくから」

 

「ホントに?恩に着ます」

 

 柴田は嬉しそうな顔をした。

 

「早く帰って、美音ちゃんと一緒に食事して」

 

「ああ。サンキュー。じゃ、後で」

 

「ええ」

 

 ……私は何をしてるの?母の(かたき)と関係を持った上に、その男の家族の幸せを願っている。私が美音の立場なら、やはり、親と一緒に食事がしたい。一人で食事をするのは寂しいものだ、と純香は思った。



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 十時頃、カーディガンにマフラーをした柴田がやって来た。

 

「美音ちゃん、寝たの?」

 

「ああ。うまい、うまいって、ペロッと食べたよ、君の料理」

 

「良かったわ」

 

 お茶を()れながら、柴田をチラッと見た。

 

 柴田は火をつけた煙草を、炬燵にある先刻の小皿に置いた。

 

「酒はないの?」

 

「飲まないもの」

 

「今度、置いといてくれ。後でお金をやるから」

 

「いいわよ。何がいいの?」

 

「そうだな、……辛口の日本酒でいいよ」

 

「分かったわ。買っとく」

 

 湯飲みを置くと、その手を柴田が握った。

 

「布団に入ろうか」

 

「……ええ」

 

 純香は恥ずかしそうに俯くと、膝を上げた。

 

 

 薔薇(ばら)花弁(はなびら)がスローモーションで開花するように、純香の体は、柴田の指先に素直に応えていた。――

 

 シャワーを使った柴田は、

 

「帰るぞ。おやすみ」

 

 横たわる純香の耳元に囁いた。

 

「うーん……」

 

 純香は気だるさの中にどっぷり浸かっていた。柴田は、下駄箱の上に置いてある鍵を使うと、ドアの郵便受けに戻した。その金属音を耳にした純香は、安心して眠りに就いた。

 

 翌晩も、食事ができた頃に柴田がやって来た。

 

「タッパー、外の郵便受けに入れといて。出勤の時にでも」

 

 豚肉と小松菜の炒め物とほうれん草のおひたしをタッパーに入れながら顔を向けた。

 

「オッケー。じゃ、次からそうする」

 

「ええ。はい、どうぞ」

 

 ビニール袋を手渡した。

 

「十時頃、来るから」

 

「ええ」

 

 微笑むと、ドアを閉めた。

 

 買っておいた陶器の灰皿を炬燵に置くと、酒の(さかな)を作った。――十時頃、昨夜と同じ格好で柴田がやって来た。

 

(かん)にする?」

 

「ああ」

 

 返事をすると、炬燵に入った。灰皿を買う時についでに買った徳利に酒を注ぐと、湯気を立てている鍋に入れた。作っておいた(ふき)(たけのこ)の煮物と蒲鉾(かまぼこ)の素揚げを徳利とセットのぐい呑みと箸、箸置きと一緒に盆に載せた。

 

 煙草を吹かす柴田の前にぐい呑みと箸を置くと、つまみを添えた。

 

「お、うまそう」

 

 柴田が嬉しそうな顔をした。

 

「蒲鉾は少し醤油をつけるとおいしいわよ」

 

「はーい」

 

 柴田は言われた通りに、小皿に入った醤油に蒲鉾をつけて食べた。

 

「ん。うまい」

 

「シンプルだけど、イケるでしょ?」

 

 台所から声をかけた。

 

「うん、イケる」

 

 柴田は煮物にも箸をつけた。

 

「蕗もうまい」

 

「ありがとう」

 

 布巾(ふきん)で拭いた徳利を盆で運んでくると、

 

「どうぞ」

 

 と、お酌をした。

 

「ありがとう。君も飲めよ」

 

「ちょっとだけね」

 

 純香は腰を上げると、セットのぐい呑みを取りに行った。――柴田が酒を注いでくれたぐい呑みを、柴田が手にしたぐい呑みに当てると、互いは笑顔で酌み交わした。

 

「うまい!」

 

 柴田が感激していた。

 

「ホントにおいしそうね」

 

「うまいさ。美人のお酌に、うまい肴。言うことないね」

 

 柴田は本当に満足そうだった。

 

「明日、うちに来ないか」

 

「え?」

 

 突然だった。

 

「娘に会ってほしい」

 

「……」

 

 本当に会っていいのだろうか。純香は決断できずにいた。

 

「早めに帰ってくるから。な?」

 

「……え」

 

 結局、相手に任せるという優柔不断な性格が、そこにあった。これまでもそうだ。相手が引っ張ってくれないと、自分勝手に事を急いで、決まって失敗していた。その挙句(あげく)、自分の進路を相手に決めさせていた。

 

 今回もそうだ。好きになってしまった柴田に依存している。(あだ)も忘れて。いや、忘れているわけではない。ただ、考えないようにしていただけだ。要するに、面倒くさがりの無精者なのだ、と純香は自分の性分を嘆いた。



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10

 

 

 ほろ酔い気味の柴田の、耳元で囁く、呼び捨ての「すみか」に脳が騙されてしまう脆弱(ぜいじゃく)(おのれ)の意志が、純香は情けなかった。

 

 ――惰気を催した純香は布団に横たわったまま、帰っていく柴田の足音を聴いていた。

 

 次の日、雑誌の校正をしていると、柴田がやって来た。

 

「行こう」

 

「着替えないと」

 

「いいよ、それで。カーディガンでも羽織れば」

 

「も。せっかちなんだから」

 

 ――気持ちの焦りからか、柴田は早足だった。……初めて娘に会わせる不安の現れ?純香はそんなふうに考えていた。

 

「あら、早かがぁね」

 

 近所の主婦に声をかけられた。

 

「あ、こんにちは」

 

 柴田が挨拶した。主婦はその後ろの、微笑んで会釈をした純香を興味深げに見ていた。

 

 

「ただいま!」

 

 玄関を開けると、柴田が中に入った。すると、ぽっちゃりした女の子が廊下を走ってきた。想像と違っていたが、

 

「美音ちゃん?」

 

 と聞いてみた。

 

「なぁー、ちがうがぁちゃ」

 

 その返答に、純香はハッとした。一緒に歩いているのを見たと柴田に言った、あの言葉が嘘になってしまう。次の言葉を見つけられずにいると、視野の端に、こっちを向いている柴田の顔があった。戸惑(とまど)っていると、

 

「お父さん、おかえりー!」

 

 と、元気いっぱいの女の子が、廊下の奥から走ってきた。……この子が美音か。美音の目が、微笑(びしょう)を浮かべた純香に向いていた。

 

「帰るがぁちゃ」

 

 女の子がズックを履いた。

 

「じゃあね」

 

 美音が声をかけると、柴田が戸を閉めた。

 

「美音、会社の人で、森さんだ」

 

 柴田が紹介した。

 

「森です。こんにちは」

 

「……こんにちわ」

 

 対応に苦慮してか、美音はモジモジしていた。

 

「さあ、上がって」

 

 柴田の誘導で、純香はサンダルを脱いだ。

 

「お邪魔します」

 

 居間に案内されると、柴田とテーブルを挟んでソファーに座った。美音はソワソワしながら廊下にいた。

 

「美音、横においで」

 

 美音は走ってくると、柴田の横にちょこんと座った。

 

「こうやって、時々遊びに来るけど、歓迎するだろ?」

 

 そう柴田が言うと、美音ははにかみながら(うなず)いた。

 

「よろしくね」

 

「……うん」

 

 笑顔の純香に返事をした。

 

「じゃ、一緒にめしでも食べに行くか」

 

「あ、もし良かったら、私が作りましょうか」

 

「そう?どっちがいい?森さんの手作りと、外食では」

 

「……手作り」

 

 美音が恥ずかしそうに答えた。

 

「じゃ、作るわ。何がいいかな。冷蔵庫見てもいい?」

 

 美音に聞いた。

 

「うん、いいよ」

 

 美音は腰を上げると、台所に案内した。

 

「ここ」

 

 と美音が開けた冷蔵庫を純香が覗いた。

 

「うむ……。野菜もいっぱいあるね。肉もあるし。ごはんは?」

 

 美音を見た。

 

「ある。これ」

 

 保温になっている炊飯器には、三人分は十分にあった。

 

「醤油は流しの下?」

 

「うん。塩とかコショウはここ」

 

 と食器棚の扉を開けた。

 

「うん、分かった。今から作るから、お父さんと一緒に待ってて」

 

「うん」

 

 美音は返事をすると、走っていった。純香は献立を考えると、手際よく料理を始めた。

 

 

 普段着に着替えた柴田がテレビを観ていると、美音がニコニコしながら小走りでやって来た。

 

「どんな感じだ?」

 

 横に腰掛けた美音に聞いた。

 

「キレイな人。髪もキレイ」

 

「それだけじゃないだろ?感じもいいだろ?」

 

「うん」

 

「で、どんな感じだ」

 

「イー感じ」

 

「だろ?」

 

「お父さんのカノジョ?」

 

「彼女はよせよ。恋人ぐらいにしとけ」

 

「じゃ、コイビト?」

 

「そんな感じかな」

 

「お父さん、初めて女の人つれてきたね」

 

「だって、初めて好きになった人だもん」

 

「いくつ?」

 

「女性に(とし)を聞くのは失礼だぞ」

 

「だから、お父さんに聞いたがや」

 

「三十」

 

「若う見えるね」

 

「ああ」

 

「いつからつきおうたが?」

 

「最近」

 

「やさかい夜中にいなんだの?」

 

「あら、知ってたの?」

 

「のんべーにでも行っとるて思うとった」

 

「悪い」

 

「子どもにかくしごとしたらだちかんちゃ」

 

「……分かった」



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11

 

 ――三十分もしないで料理は出来上がった。

 

「お待たせしました」

 

「わあ~」

 

 トレイに載った八宝菜やハムときゅうりの中華風サラダ、かき卵スープに、美音が驚嘆(きょうたん)の声を漏らした。

 

「美音ちゃん、ごはんよそってくれる?」

 

「は~い」

 

 美音が駆けて行った。

 

「早いね」

 

 柴田が感心した。

 

「時間のかからないものを作ったのよ」

 

 皿を置きながら柴田を見た。

 

「うまそうだ」

 

「今、ごはん持ってくるわね」

 

 ――食後、お茶を飲みながらテレビを観ていた。

 

「暖かくなったら、ハイキングでも行くか。美人の森さんにちなんで『美女平』にでも」

 

「うん、行きたい」

 

 美音が即答した。

 

「ね」

 

 柴田が純香に同意を求めた。

 

「……ええ」

 

 明確な返事ができない立場だった。いつなんどき、敵になるか分からない今の状況では、安易な口約束はできない。純香は暗い気持ちになった。

 

「ね、行こう、行こう」

 

 純香と柴田の間に座っている美音が、純香の腕を揺すった。

 

「ええ。行こうね」

 

「うん」

 

「今度、うちに遊びにおいで。学校の帰りにでも」

 

「行ってもいいが?」

 

「うん。校正の仕事はいつでもできるもの」

 

「うん、行く」

 

 美音は嬉しそうな顔を柴田にも向けた。

 

「行ってもいいが、行儀よくしろよ」

 

 柴田が念を押した。

 

「わかっとるって」

 

 

 純香が帰っていった後、

 

「お父さんも一緒に行けばよかったがに」

 

 美音が気を利かせた。

 

「……後にするよ」

 

「ムリししもて」

 

「宿題は?」

 

 柴田が話をすり替えた。

 

「これから。ね、のんべーのみやげはあの人の手作りやったのね」

 

「……ああ」

 

 柴田はテレビを観ながら生返事をした。

 

「きょう、料理を食べてピンときたが」

 

「……そう?」

 

 柴田は上の空だった。

 

「夜中に行かんで、いま行けばいいがに」

 

「そう?では、お言葉に甘えて」

 

 柴田は急いで腰を上げると、マフラーを巻いて、煙草と鍵をポケットに入れた。

 

「鍵して、宿題しとけ」

 

「わかった。お父さん、きらわれんようにシンシテキにせんにゃね」

 

 美音がアドバイスした。

 

「あいよ!」

 

 柴田は急ぎ足で、純香のアパートに向かった。――

 

 

 純香は柴田に抱かれることに罪悪感を抱きながらも、その(ゆる)されない情事を見限(みかぎ)るだけの(かたく)なな信念は無かった。

 

 これといった復讐方法も見出だせぬままに、事の成り行きに身を委ねているというのが現状だった。復讐はいつでもできる。この愛が冷めた後でもいいじゃないか。いや、復讐なんて、もうどうでもいい。というのが正直な気持ちだった。……この愛に浸っていたい。……永遠に。

 

 

 翌日、美音を伴って柴田がやって来た。来る予感がしていた純香は、多めに作っておいた夕食を一緒に食べた。「おいしい」と言って頬張る美音の笑顔を見ながら、純香は幸せを感じていた。

 

 

 ――ところが、予期せぬ事態が発生した。その次の日、丸一日、柴田からなんの連絡も無かったのだ。夕刻はおろか、二十二時を過ぎてもやって来なかった。三人で夕食を摂るという純香の計画は空振りに終わった。

 

 不吉な予感の中で、柴田に電話をするのが怖かった。電話の向こうで、思いがけない出来事が起きてるようで、胸騒ぎがした。その思わぬ事態を抱えた柴田がドアをノックするまで、何も行動しないで、ただ、じっと待つしかないと思った。

 

 そこにも、相手の判断に任せるという、純香の卑怯(ひきょう)な一面が垣間見えた。柴田のことなど気にしてないわ、と装う自分の卑劣(ひれつ)さを認めながらも、それでも、「どうしたの?心配したのよ」と、会社や自宅に電話する素直な気持ちにはなれなかった。

 

 当夜、悪い結果ばかりが頭を(よぎ)り、寝付けなかった。――そして、浅い眠りの中で、その早朝のノックは不安を的中させた。



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12

「お姉ちゃん!美音っ!」

 

 ただ事ではないその美音の叫びは、純香の心臓の音を激しく打った。急いで開けたドアの向こうには、普通ではない美音の顔があった。(おのの)きのあまり、純香は目を丸くしたまま言葉が出なかった。

 

「お父さん、いっけ?」

 

「ううん、来てない。どうしたの?」

 

「お父さん、帰って来なんだ」

 

 美音は今にも泣き出しそうだった。

 

「入って」

 

 美音を中に入れると、急いで炬燵と電気ストーブのスイッチをオンにした。

 

「電話もなかったの?」

 

「うん」

 

 炬燵に入った美音が暗い顔で俯いていた。

 

「こんなこと初めて?」

 

「うん」

 

「……何があったのかしら」

 

 純香は長大息(ちょうたいそく)をつくと、台所に行った。――

 

 美音に湯煎(ゆせん)で温めた牛乳を飲ませると、チキンライスを作って食べさせた。「後で会社に電話してみるから」と美音を安心させて帰した。

 

 事故にでも遭ったのではと思い、朝刊とテレビのニュースを見た。……柴田の身に何があったのだろう?電話一本できない事情とは?何か事件に巻き込まれたのだろうか……。

 

 柴田の出勤時間まで仮眠しようと横になってみたが、結局眠れなかった。――焦燥感からか、九時前からその誰も居ない会社に何度も電話をしていた。その度に、呼出音だけが空しく鳴っていた。――九時ジャスト。五回のコールで繋がった。

 

「はい、ドリーム出版です」

 

 若い女の声だった。

 

「在宅校正の森ですが」

 

「あ、はい」

 

「社長は?」

 

「いえ、まだ出勤していませんが」

 

「昨日は何時頃帰りました?」

 

「えーと、五時前です。急用ができたからと言って」

 

「その時、誰かから電話があって出掛けたのかしら」

 

「さあ……。あったとしたら、社長に直通だと思います。私は受けてないので」

 

「そう。社長からはその後なんの連絡も?」

 

「ええ。ありません」

 

「ありがとう……」

 

 受話器を持ったまま(たたず)んでいた。心配で(たま)らなかった。柴田の声が聞きたい、顔が見たい。寝不足と不安で、食欲が無かった。テレビを点けてみたが、内容など耳に入っていなかった。何をすればいいのか、気持ちの整理もつかず、無駄な動きばかりをしていた。

 

 ――その電話の音にギクッとしたのは、コーヒーを淹れている時だった。これほどまでに電話のベルを大きく感じたことは、(かつ)て無かった。慌てて受話器を取った。黙っていると、

 

「……もしもし」

 

 声が聞こえた。柴田だった。

 

「はいっ」

 

 純香は昂奮(こうふん)していた。

 

「……すまなかった。詳しいことは後で話すから」

 

「それより、美音ちゃんに連絡して。留守電にでも」

 

 柴田が無事だった安心感と、心配させた怒りで、純香にそんな無感情な言い方をさせた。

 

「分かった」

 

「心配して、うちに来たのよ」

 

「そうか。悪かったな、心配かけて」

 

「……ううん。何事も無くて良かったわ」

 

「……今夜、行くから」

 

「……ええ」

 

 柴田の声が聞けた安堵感から、純香は俄然(がぜん)食欲が湧いた。だが、柴田の雰囲気から何か深刻な事情を感じた。本当は開口一番に連絡できなかった理由を問い(ただ)したかったが、後で話すと言われた以上、柴田の意思に任せるほかなかった。

 

 三人で食事をする予定の純香は、食材を買ってくると、ついでにドアの郵便受けから夕刊を抜き取った。食材を冷蔵庫に入れると、新聞の社会面を広げた。――そこに、気になる記事があった。



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13

【×日、午前10時5分ごろ、新富町のWホテルの客室で、川島真結美(かわしままゆみ)さん(23)が死んでいるのが発見された。第一発見者は、ホテルのフロントで、チェックアウトの時間が過ぎたため電話をしたが電話に出なかったので、鍵を使ってドアを開けると、下着姿の川島さんが仰向けで死んでいたとのこと。死因は首を絞められたことによる窒息死。警察は殺人事件として、川島さんが以前勤めていた出版社の社長である、連れの男性から事情を聴いている――】

 

 ……出版社の社長?純香は嫌な予感がして、すぐに柴田の会社に電話をした。事務員の対応から、騒然とした社内の様子が(うかが)えた。編集長に柴田のことを聞くと、案の定、まだ警察だという返事だった。……やはり、三面記事にあった出版社の社長は柴田のことだった。ついでに川島真結美のことも聞いてみた。――

 

 柴田は、別れたと言っていた真結美と会っていたのだ。柴田に裏切られたという思いと、真結美に対するジェラシーとが混ざり合った汚泥のようなものが、白いドレスに付着した。純香はそんな心境だった。

 

 だが、真結美を殺したのは柴田では無い。純香はそう、確信した。それは、話の内容にあった。仮に殺したとしたら、「詳しいことは後で話すから」とか「今夜行くから」とは言わないはずだ。それに美音のことに関してもそうだ。自分が逮捕されることが分かっているなら、「美音のことを頼む」必ずそう言うはずだ。

 

 そして、電話の様子からは、何か深い事情は汲み取れたが、動揺や狼狽(ろうばい)(うかが)えなかった。つまり、電話をくれた時はまだ、真結美が死んだことを知らなかったのではないか。――真犯人は別に居る!純香は自分の推理を信じた。

 

 富山△署では、柴田が取り調べられていた。

 

「――あんたと被害者が一緒やったのは、フロントが確認しとるがやちゃ。殺したんはあんたでないがけ」

 

 脂ぎった禿頭(とくとう)の刑事が威光を放った。

 

「……確かに一緒に部屋に入りました。しかし、私が部屋を出た九時半には、まだ生きていた」

 

 柴田は困惑の色を隠せなかった。

 

「十時五分に発見された時、被害者はもう死んどったがやちゃ。あんたが部屋を出たんが、九時半なら、その三十五分の間に誰か他の人間が殺したって言うがけ」

 

「……そうしか考えられません」

 

「そんなに都合よう、別の人間が殺せるもんかね」

 

「……」

 

「被害者とはいつからの関係やちゃ」

 

「……一年ぐらい前からです。でも、一ヶ月以上前に別れました」

 

「別れた女とよりを戻したがか」

 

「いいえ。昨日の夕方、五時前に突然電話が来て。会ってくれなければ死ぬと言われて、彼女の言う通りにしました」

 

「そしてまた関係を持ったがか」

 

「……いえ。なだめながら拒みました」

 

「ほう、拒んだ。若い女の裸を目の前にして、拒んだがか」

 

「……」

 

「柴田さん。そもそも、容疑者をあんたにしたのは、どうしてやと思う」

 

「……さぁ」

 

「△日、あんた、他の女とあのホテルに入っとるやろ」

 

「……!」

 

「フロントがよう覚えとったがやちゃ 。二十七、八の美人と入ったがを。そん時、あんたが持っとった茶封筒に、『ドリーム出版』とあったがを」

 

「……」

 

「その女が新しい彼女やけ」

 

「……」

 

「それで邪魔になって、殺したがか」

 

「……私は殺してません」

 

 柴田は落ち着いて答えると、ゆっくりと刑事を視た。――

 

 

 柴田の身の潔白をどう証明すればいいのだ。純香はそのことばかりを考えていた。夕食が出来上がる頃、電話で美音を呼んだ。元気がない美音をいつもの明るい美音にしてやりたかった。――

 

「お父さん、なんて?」

 

「急用で電話できんでかんにて留守電に入っとった」

 

 寂しそうな顔をしながらも、旨そうにハンバーグを頬張っていた。

 

「そう。……で、言い忘れたんだけど、もう少し時間がかかるって。東京に行ってるみたい」

 

 柴田が自宅の留守電に伝言を残したのは、私に電話をしてすぐだろう。柴田が警察にいることは美音は知らないはずだ。だから、(しばら)く会えない理由を作った。

 

「二人で待ってようね」

 

「うん」

 

 (ようや)く笑顔になった。――純香は、柴田が帰るまで美音を預かることにした。



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14

 

 翌朝、美音が登校すると、開店時間を見計らって、昨日、編集長から聞き出した、退職後の真結美の勤め先に向かった。――桜木町にある『Hレコード店』に行くと、若い客でごった返していたが、会計をしている客はいなかったので、レジに立っている若い店員に話を聞いてみることにした。

 

「すいません。ここで働いていた川島さんを知ってますか?」

 

「えっ?……えー」

 

 男は驚いたように、落としていた視線を上げた。

 

「私、川島さんが以前勤めていた出版社の者ですが、今回の事件を記事にするんで、ちょっとお話を伺いたいんですが」

 

「……何やけ」

 

 男は露骨に嫌な顔をした。純香は手帳とペンを出すと、

 

「勤務態度はどうでしたか?」

 

 と、男を視た。

 

「別に普通ですけど」

 

「客とトラブったとかありませんか?」

 

「なーん、別に」

 

「恋人はいましたか?」

 

 その純香の質問に、男は突然狼狽(うろた)えて、客から受け取ったレコードを落としかけた。男のその挙動に驚いて、純香は咄嗟(とっさ)に顔を上げた。すると、レコードを手にした男の指先が小刻みに震えていた。そして、その表情は鬼瓦のように強張(こわば)っていた。

 

(……怪しい)

 

 店を出て、二、三歩歩いた瞬間だった。純香にグッドアイデアが(ひら)いた。――レンタルショップで借りた超望遠カメラで、その店員を撮ると、写真を手にWホテルのフロントを訪ねた。

 

「――この写真の男性に見覚えはありませんか?」

 

 主任クラスの男に見せた。

 

「……さぁ」

 

 首を(かし)げた。

 

(……駄目か)

 

 諦めかけていると、目を丸くしながら純香の顔を視ている別のフロントがやって来た。

 

「あ、矢木。この男を見てないか」

 

 主任クラスから手渡された写真を見た途端、

 

「この男ですよ!」

 

 矢木が声を上げた。

 

「何が」

 

「部屋を516の隣にしてくれと指定した男です。結局、両隣が塞がっていたので、506になった」

 

「……あぁ。例の」

 

「野球帽を目深に被っていたが、この男に間違いない。口元が確かにあの男だ」

 

 疑惑が確信に変わった瞬間だった。純香は興奮で震えた。

 

「506というのは?」

 

 純香は間髪を()れずに聞いた。

 

「事件があった客室の真向かいの客室です」

 

 矢木が直視して答えた。

 

(……なるほど。そこに身を隠して、真結美を殺すチャンスを窺っていたわけだ)

 

「私が受付を担当したんですが、チェックインをする時、やって来たのは外からではなく、ホテルのエレベーターから降りてきたんです。変だなと思って。それに客室を指定したんで、益々おかしいと思って、印象に残ってたんです」

 

「ありがとうございます。それだけ聞けば十分です」

 

 純香は矢木の手から写真を受け取ると、

 

「とても参考になりました。ありがとうございます」

 

 そう言って、深々と頭を下げると、背を向けた。

 

「主任、あの人ですよ。△日、ドリーム出版の封筒を持った男とうちのホテルに入ったのは」

 

「ほう、あの人か」

 

「でも、どうして刑事みたいなことをしてるんでしょ。写真なんか見せて」

 

「彼の“濡れ衣”を脱がせるためだろう」

 

「……なるほど。それで自分で探ってるんですね」

 

「あぁ。たぶんな」

 

 

 これだけの証拠があれば、柴田は無罪放免になるはずだ。収集した情報を整理するために、純香はアパートに急いだ。――帰宅すると早速、富山△署に手紙を書いた。

 

【Wホテル殺人事件で取り調べられているドリーム出版の社長は無罪です。事件当日、506号室に泊まっていた、Hレコード店の店員の男(写真同封)を取り調べてください。その男が真犯人です】

 

 それを速達で送った。これで柴田は釈放されるはずだ。純香はホッと息をつくと、使命を果たし終えたような安堵感に浸った。一日も早く、柴田を美音のもとに帰してやりたい。純香はただ、そんな思いだった。――



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15

 

 柴田が帰ってきたのは、翌日の夕方、美音と食事をしている時だった。そのノックに純香は美音と目を合わせると、急いで玄関に走った。ドアを開けたそこには、悄気(しょげ)返った無精髭の柴田の顔があった。

 

「お父さん!」

 

 美音が抱きついた。

 

「心配かけてごめんな」

 

 柴田は精一杯の笑顔を作った。

 

「東京の面倒な仕事は片付きました?」

 

「ん?……あぁ、やっと片付いた」

 

 純香の計らいに、柴田は感謝の笑顔を向けた。

 

「今、食事中。一緒に食べて。さあ」

 

 柴田を招いた。

 

「ああ。いただきます」

 

「ちゃんこ鍋やちゃ」

 

 美音が教えてやった。

 

「おう、うまそうだな」

 

 炬燵に入った柴田が鍋を覗いて、顔を(ほころ)ばせた。――

 

 美音が布団に入って間もなく、柴田が重い口を開いた。

 

「……五時前だ。彼女から電話があって、会ってくれと言われた。別れたはずだと断ると、今すぐ会わなければ死ぬと言われて」

 

「……」

 

「仕方なく、指定されたWホテルのロビーに行った。彼女は勝手に部屋を取ると、ルームキーホルダーを俺の目の前にぶら下げて、薄ら笑いを浮かべながら、『拒絶したら死ぬわよ』と脅した。部屋に入ると抱きついてきた。よりを戻したいと言う彼女を拒みながら、終わりのない押し問答が続いた。疲れ果てて、いつの間にかソファーで眠っていた。目が覚めると、彼女はベッドで熟睡していた。チャンスだと思い、急いで部屋を出た。そしてすぐに君に電話し、自宅の留守電に伝言を残すと会社に行った。間もなくして、刑事がやって来た。それが全貌だ」

 

 柴田は大きなため息をついた。

 

「……シャワーでも浴びて、さっぱりして」

 

「……あぁ」

 

 柴田が目を笑わせた。――純香は柴田の話を鵜呑みにしているわけではなかった。一年足らずと言え、愛し合った仲だ。「抱いてくれなければ死ぬ」と言われたら、どんな男でも抱くだろう。もしかして抱いたかもしれない。いや、きっと抱いただろう。でも、恋人同士だったんだ。致し方ない。殺人を犯してないだけでも儲けもんだと思うことにした。

 

 シャワーを浴びた柴田は、純香が脱衣所に置いたパジャマを着ていた。寝息を立てている美音と純香の間に入ると、純香の手を握り、「……すまなかった」そう一言(ひとこと)言って、(おもむろ)に目を閉じた。その“すまなかった”は、どういう意味なのか。心配かけてすまなかったなのか、美音の面倒を見てくれてすまなかったなのか、真結美を抱いてしまってすまなかったなのか……。純香は一人、悶々としていた。だが、今は(とが)めるのはよそう。ぐっすり寝かせてやりたい。そう思いながら、純香も目を閉じた。

 

 翌日、朝食を終えた二人は帰って行った。――朝刊に容疑者逮捕の記事があった。

 

【――逮捕されたのは、レコード店店員、笹沢保(ささざわたもつ)容疑者(25)で、川島さんに横恋慕しての犯行だった。川島さんを尾行すると、川島さんが男性と一緒に入った客室を確認し、その真向かいに客室を取った笹沢容疑者は、男性が客室から出たのをドアスコープで見届け、川島さんの客室のドアをノックした。すぐにドアが開いたので、すかさず侵入すると、いきなり川島さんにののしられ、カーッとなって首を絞めたとのこと。川島さんがどうして相手の確認もしないで、ドアを開けたのかは、客室を出た男性が戻ってきたのだと勘違いしたのではないかと警察は見ている。――】

 

 午後、随筆の校正をしていると、刑事がやって来た。……タレコミの件だろう。Wホテルで情報を得て、私に漕ぎ着いたのだろうと、純香は推測した。



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16

 脂ぎった禿頭の刑事と、三十半ばの刑事に目礼すると、禿頭の方が、

 

「森純香さんですね?」

 

 と、鋭い視線を向けた。

 

「はい、そうです」

 

「Wホテルの事件のことでちょっこし話を伺いたいんですが」

 

 禿頭が続けた。

 

「はい。あ、どうぞ、お入りください」

 

 禿頭の刑事は、内ポケットから封筒を出すと、

 

「こー書いたのはあんたですね?」

 

 と単刀直入に訊いたので、純香は素直に認めた。次に、なぜ柴田が犯人では無いと確信したのかと訊いたので、柴田の話の内容で判断したと答えた。レコード店やWホテルに行って探偵みたいなことをしたのは、真犯人を探すためかと訊いたので肯定した。

 

「そこまでしたのは、柴田さんへの愛やけ?」

 

「……というより、一日も早く娘さんのもとへ帰してやりたいと思ったんです。私も親のない寂しさを経験してますので」

 

 純香は俯いた。

 

「……親御さんがおらんがやけ? 」

 

「はい。父は昨年、転勤先の石川県で倒れて、心筋梗塞でした。母は、私が十歳の時に死にました」

 

「病気で?」

 

「……いえ。自殺です」

 

 二人の刑事は目を合わせた。

 

「原因は?」

 

「さぁ……。遺書も無かったので分かりません」

 

「苦労したがやちゃ」

 

「……」

 

「話ちゃ変わるが履歴書によると、本籍地が大広田になっとるが」

 

「本当は、岩瀬浜です。でも、岩瀬浜には嫌な思い出があって、故意(こい)に本籍地を偽りました」

 

「東京の大手出版社におって、なんでまた富山に?」

 

「富山には嫌な思い出だけじゃなく、いい思い出もいっぱいあります。都会暮らしに疲れた時、潮の香りが呼び起こしてくれたんです。それで、懐かしくなって」

 

 一欠片(ひとかけら)の作り話を包含(ほうがん)しながら、純香は懐古を重点に熱く語った。復讐の画策を悟られないために。だが、――

 

「あの女、何かあるな」

 

 禿頭の刑事が呟いた。

 

「富山に戻ったことですか?」

 

「それと、母親の自殺の件だ。自殺の原因を知っとるような気がするんだが。あえてそー隠しとるように見えたんだが」

 

「なんのためでしょ」

 

「……もう一つ気になることが」

 

「え?」

 

「あれだけの女がわざわざコブつきの男と付き合いろーけ?」

 

「でも、柴田の方もなかなかいい男だし、好きになってもおかしくないでしょ」

 

「お前ちゃ東京に住んどったさかいハイカラなものの考えだが、俺にはあの女が意図的に柴田に接近したように感じるがやちゃ」

 

「まさか、復讐?」

 

「あー」

 

「でも、彼女は柴田を助けてますよ、タレコミで」

 

「そこやちゃ。復讐が目的で接近したが、いつの間にか好きになっしもたんでないやろうか」

 

「……なるほど。その復讐というのは母親の自殺に関係があるということですね」

 

「そうだ。おい、母親の自殺の経緯(けいい)を探ってみようでないけ」

 

「はいっ!」

 

 若い方の刑事は歯切れのいい返事をすると、大きくハンドルを切った。――

 

 

 夕方、柴田が来た。

 

「今日、会社に刑事が来たよ。君とWホテルを使ったのをフロントが覚えていて、逮捕された男との関わりの有無を確認しに来たのだろう。履歴書も見せた。ここにも来た?」

 

「ええ」

 

「悪かったな、迷惑かけて」

 

「迷惑なんかしてないわよ。夕食は?」

 

「ん?たまには俺の手料理を食べさせるよ。あいつに」

 

「……そう」

 

「それじゃ」

 

 柴田は背を向けた。純香は引き留めなかった。柴田の背中が言葉を待っていたのは分かっていた。だが、あえて何も言わなかった。このまま、自然消滅しても仕方ない。事件があった日、真結美を抱いたのは、柴田の態度を見れば察しがつく。しかし、私に柴田を責める資格はない。そもそも、復讐が目的で近づいた男だ。責める資格はないが、かといって、柴田の過ちを許す心の広さも持ち合わせてはいない。……純香は柴田との別離を考えていた。



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17

 その日の夜、柴田が帰宅していないという電話が美音からあった。美音からも遠慮のようなものが窺えた。本来なら、下校時に私のアパートに寄って、夕食を共にする期待もあったに違いない。仮に図々しいと思い、アパートに寄るのを躊躇(ためら)ったとしても、私からの食事の誘いを待っていたに違いない。

 

 純香は心で美音に詫びながらも、柴田との関係がギクシャクしてしまった以上、積極的な関わりは避けようと思っていた。

 

「何か食べた?」

 

「うん、食べた」

 

「のんべえにでも行ってるのかも。心配しないで。分かった?」

 

「うん、わかった」

 

「じゃあね」

 

「……うん」

 

「……」

 

 純香は、美音が電話を切るのを待った。間もなく置かれた受話器の音は、気持ちの隅にある、美音の不平のように聞こえた。――

 

 そのノックがあったのは、純香が寝付いた時分だった。柴田なのは見当がついた。泥酔した柴田は、純香の開けたドアから倒れるように入ってきた。

 

「大丈夫?」

 

「すまない、水を一杯くれ」

 

 柴田は玄関のマットに腰を下ろすと、純香が手渡したグラスの水を一気に飲み干した。

 

「……俺はバカな男さ」

 

 柴田の背中が()いていた。

 

「……」

 

「許してくれとは言わないよ。だが、君を失いたくない」

 

 肩を落として項垂(うなだ)れた柴田の背中が(あわ)れだった。

 

「君なしの人生なんて、もう俺には考えられない。虫がいいのは分かってる。責められても何も反論できない。自業自得さ。酒の力を借りなきゃ何も言えない、情けない俺さ。……純香。こんな男、嫌いになったか」

 

「……」

 

「嫌いだろな。弱くてだらしない男だからな。……君と居る時、心が安らいだ。こんな女房が欲しいと思った。いや、面接で初めて会った時から好きだった。一目惚(ひとめぼ)れって奴だ。フン。四十男がガキみたいに恋するなんて、滑稽(こっけい)だろ?……そして、いつの頃からか求婚しようと思っていた。……その矢先だ。バカなことをしちまった。ハア~」

 

 柴田はため息をついた。

 

「……明日、会社の帰りに寄っていいか?……もしいいなら、俺の肩に手を置いてくれ。……それで、俺もケジメをつけるよ」

 

「……」

 

 純香は迷っていた。一度別れを決めながらも、それほどの固い意志ではなかった。そこにはまた、相手次第という純香の(ずる)さが顔を出していた。頭を垂れた柴田は荒い鼻息をさせながら、純香の返事を待っていた。間もなくして、純香は柴田の肩に手を置いた。柴田はホッとしたのか、肩の力を抜くと、純香の手を強く握った。

 

「……おやすみ」

 

 柴田は一度も顔を向けずに帰って行った。――

 

 柴田の肩に手を置いたのは間違いではないか、と後悔しながらも、柴田と別れたくない、というのが純香の正直な気持ちだった。

 

 翌日の夕刻、三人分の食事を用意して待っていた。予想通りの時刻に、そのノックはあった。柴田は照れ隠しのような弱い視線を向けていた。

 

「食事、美音ちゃんを呼ぶ?」

 

「いや、今日はいいよ」

 

「じゃ、持ってって。多めに作ったの」

 

「じゃ、いただく」

 

「中で待ってて」

 

「あぁ」

 

 柴田は気兼ねをするかのように靴を脱ぐと、炬燵に入った。

 

「……昨夜(ゆうべ)は悪かったな」

 

「ううん」

 

「久しぶりに飲み過ぎた」

 

「……」

 

 酢豚とツナサラダをタッパーに入れながら、

 

「フライパンでサッと火を通して。酢豚」

 

 と付け加えた。

 

「分かった。……後で来るから」

 

「……ええ」

 

「あいつ、喜ぶな。君の料理の大ファンだから」

 

 柴田は照れを隠すかのようにお世辞を言って帰って行った。――

 

 純香が食事を終えた頃、柴田がやって来た。

 

「あいつ、ペロッと食べやがって、俺は残りを少しいただいただけ」

 

「美音ちゃん、食べ盛りだもの。今度から、もう少し多めに作るわ――」

 

 と言った後、純香はハッと思った。それはまるで、柴田との関係をこのまま続けることを示唆(しさ)していたからだ。



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18

 ――純香は、柴田に勧められた酒をたしなみながら、許し切ってない柴田に対する自分の挙措(きょそ)に迷っていた。思い切り甘えられない歯痒(はがゆ)さ、思い切り責められないもどかしさ。それらのものが、アルコールで麻痺(まひ)してきた脳をぐじゃぐじゃにしていた。

 

「……眠い。……寝る」

 

 純香はそう呟くと、少しふらつきながら寝室に行き、布団に潜った。

 

「着替えないと風邪引くぞ」

 

 柴田はそう言いながらカーディガンを脱がしてやった。

 

「……バカ。雅人の……バカ」

 

 純香が譫言(うわごと)のように呟いた。カーディガンを畳んでいた柴田の手が止まった。そして、目頭を熱くした。感情を抑えていた純香の本音を知ったからだ。

 

「……ごめんな、純香」

 

 

 ――純香が目を覚ますと、柴田は炬燵で寝ていた。

 

「風邪引くわよ」

 

「……ん」

 

「寝てたの?」

 

「君が寝たから」

 

「帰って寝ないと」

 

「泊まっていいだろ?」

 

「だって、美音ちゃんが」

 

「あいつが言ったんだ。明日は休みだから泊まってくればって」

 

「じゃ、ちゃんと布団に入って」

 

「はーい」

 

 

 ――布団の中で、柴田は純香の手を握っていた。

 

「泊まるの初めてだから、初夜みたいだな」

 

「こないだ泊まったじゃない」

 

「あの時は、美音が居たじゃないか。一人で泊まるのは初めてだよ」

 

「ええ、そうね」

 

「新郎は何もできず、ただ、天井を仰いでいたのだった」

 

「ふふふ。バカみたい」

 

「あっ。バカと言えば、さっき寝言言ってたぞ」

 

「嘘。なんて?」

 

「雅人、愛してるわって」

 

「嘘よ」

 

「嘘じゃない」

 

 柴田は純香に重なると、唇を奪った。

 

「うっ」

 

 不完全な抵抗の後、やがて、純香から余計な力が抜けていた。間もなく、撹拌(かくはん)された柴田に対する愛と憎しみの液体は、グラスの中で二層に分かれた。憎悪は沈澱(ちんでん)し、愛という名の鮮やかな色を(たた)えていた。純香は、柴田の指に操られる人形になりながら、そこにはもう、理性の一欠片(ひとかけら)も無かった。――

 

 

「……うちで一緒に暮らさないか」

 

「……嬉しいけど、このままがいい」

 

「どうして?子供がいるから?」

 

「ううん。美音ちゃんのことは好きよ。可愛いもの」

 

「じゃ、どうして」

 

「美音ちゃんのお母さんになんかなれないもの」

 

「母親になんかならなくていいさ。友達感覚でいいんだ。いろいろ教えてやってくれ。妹みたいに思ってくれてもいいし、生徒みたいに思ってくれてもいい。な?」

 

「だったら尚更(なおさら)、このままの方がいいわ。美音ちゃんが好きな時に遊びに来て、私も好きな時に遊びに行ける形の方が」

 

「だが、隣近所の目があるだろ。君はそれでも平気なのか?」

 

「私は平気よ。でも、美音ちゃんがどうか」

 

「あいつの気持ちは分かってるさ。はっきり言ったよ、君にお母さんになってほしいって」

 

「……」

 

「ただ、その後に言った。『コブつきじゃ来てくれないだろう』って。あいつも子供なりによく分かってる。……あいつが、明日の休み、どこか一緒に遊びに行きたいって」

 

「……」

 

「行くだろ?」

 

 柴田が顔を向けた。

 

「……ええ」

 

「どこに行くか。映画でも観るか。ん?」

 

 柴田は煙草をくゆらしながら、純香を見た。

 

「……そうね」

 

 純香は、明確な返答ができない自分の立場が()れったかった。“母の件”さえ無ければ、感情のままに、その喜怒哀楽を素直に表現できるのに。柴田との(わだかま)りが無ければ、その胸に飛び込めるのに……。事実が明らかになるまでは、復讐の件は保留にするしかない。そう結論付ける度に、〈Never put off till tomorrow what you can do today. (今日できることを明日に延ばすな)〉そんな(ことわざ)を頭に浮かべた。



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19

 

 しかし、どうやって、それを明らかにすればいいのだ?直接、尋ねれば簡単だろう。だが、それをすれば、その瞬間に柴田との別れが決定してしまう。純香はそれが怖かった。だから、嫌なことを後回しするかのように、〈Haste makes waste.( 急がばまわれ)〉と言い訳をしていた。

 

 ――そして、柴田との関係が数ヶ月ほど続いた頃、事態が変わった。柴田の子を宿したのだ。そのことを知った時、純香は、“因果応報(いんがおうほう)”という、文字通りの意味を思い浮かべた。()ろすこともできた。だが、それをしなかった。産むことで、柴田への復讐を兼ねたのだ。復讐の実現を後回しにしていた純香は、偶然に遭った懐妊(かいにん)を復讐の手段にした。

 

 (みごも)ったことを告げると、柴田は少年のような初々しい笑顔を見せた。――入籍したのは、それから間もなくのことだった。柴田は早速、ベッドを買い替えると、家財道具を売り払った純香を迎えた。そして、仮祝言を挙げた。

 

 母親ができたことと、来年には“お姉さん”になる喜びを、美音は素直に表現していた。

 

「この子が生まれたら、美音ちゃんと一回り違いになるから、同じ干支(えと)よ」

 

 お腹に手を当てながら純香が微笑んだ。

 

「エトって?」

 

「えーとって考えてみろ」

 

 柴田がつまらない駄洒落(だじゃれ)を言った。

 

「美音ちゃんはウサギ年でしょ?」

 

「うん」

 

「この子も美音ちゃんと同じウサギ年よ」

 

「ホントにぃ?」

 

「そう。どっちが欲しい?弟と妹」

 

「んとね……どっちもほしい」

 

「ふふふ……」

 

「お前、欲張りだな。そしたら母さん、双子を産まなきゃいけないんだぞ。男の子と女の子の」

 

 柴田が口を挟んだ。

 

「だって、どっちもほしいもん」

 

「財政も考えろよ。そんな子沢山じゃ、満足な食事もできないぞ」

 

 柴田が大袈裟に言った。

 

「そしたら、美音が自分のを半分こにしてやるもん」

 

「美音ちゃんは優しいのね」

 

 純香のその言葉に、美音が恥ずかしそうに笑った。

 

 

 ――梅雨明けして間もなく、純香は自慢の黒髪を短くカットした。それは、蒸し暑い時期のせいもあるが、お腹の子に集中するためでもあった。

 

 夏休みに入ったその日、美音は友達の家に遊びに、柴田は煙草を買いに出ていた。純香は居間の掃除をしていた。――

 

 例の禿頭の刑事は、(すで)に純香の母親の自殺の真相を掴んでいた。だが、そのことをわざわざ純香の耳に入れる必要もないと思い、そのままにしていた。しかし、二人が結婚したことを知り、祝いがてら訪ねてみようと思った。

 

 煙草を手にした柴田は、我が家の小さな庭の竹垣に伸びた朝顔に目をやりながら、その隙間から窓の開いた居間を覗くと、ミニスカートの純香が掃除機を動かしていた。柴田はその光景に見覚えがあった。――アッ!二十年前の光景が甦った。

 

 ――あれは夏休みだった。大学が東京だった俺は、休みを利用して帰省していた。そして、高校の時の友達で、富山の大学に行っていた松崎と、岩瀬浜の海岸に遊びに行った。その浜辺の近くにあった家の竹垣には、朝顔の(つる)が絡まっていた。植物が好きだった松崎は、その家の背の低い竹垣に向かっていた。

 

「おい、行くぞ」

 

 俺はそう言いながら、松崎の後をついていた。すると、窓を開放した家の中に、掃除機を動かすショートヘアにミニスカートの女の後ろ姿があった。

 

「おい、早く行くぞ」

 

 俺はそう言って、松崎を置いて海辺に向かった。ところが、松崎はやって来なかった。――

 

 

「……君はあの人の」

 

 掃除機の音で、純香は柴田の言ったことが聞き取れなかった。

 

「何?」

 

 そう聞き返して、掃除機のスイッチを切った。

 

「……君はあの人の、……娘さんだったのか」

 

 そこには、柴田の(ただ)ならぬ顔があった。純香は自分の正体がバレたことを知った。

 

「岩瀬浜の……」

 

「……」

 

 髪を切ったのも、ミニスカートで掃除をしたのも、意図的なものではなかった。偶然に重なった条件だった。だが、その偶然は皮肉にも寓意(ぐうい)として、柴田の知るところとなった。



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20

 

「そうよ!あなたにレイプされて自殺したバカな女の娘よ」

 

 純香は憎しみを込めて言い放った。

 

「俺だと?俺は何もしてないぞ」

 

「嘘をつかないでっ!私は見たのよ。夏休みだった。私は二階で宿題をしていた。下では掃除機の音がしていた。ところが突然、その音が一定になった。掃除機を動かさず、そのまま放置しているような音がずっとしていた。変だと思って、階段から一階を覗いてみた。すると、足首までショーツを下ろした仰向けの母の足元に、ジーパンと白いスニーカーの男の足が見えた。

 

 その時、『シバタ、行くぞ』ともう一人の男の声がした。あなた達が立ち去ってすぐ、私は台所にある買い物カゴから財布を鷲掴(わしづか)みすると、急いで後を追った。あなた達は何やら口喧嘩しながら、逃げるように早足で歩いていた。私は〈白いスニーカー〉を目標に後を追った。そして、白いスニーカーの男は東岩瀬で降りると、〈柴田〉と表札のある、この家に入ったのよ。あなたの家を確かめると、急いで家に戻った。

 

 すると、そこで見たのは、身動(みじろ)ぎもせず畳に座っている母の後ろ姿だった。そのことがあってから両親はうまくいかなくなって、数ヶ月後、母は家を出ていった。それから半年足らずで母は自殺したわ。岩瀬浜のあの海に身を投げたのよ。そして、母が妊娠していたことを後で知ったわ。

 

 あの頃、父は単身赴任で家に居なかった。父の子で無いのは明らかだわ。あなた達にレイプされ、どっちの子か分からない子を宿したのよ。そんな子を産めるわけないでしょ?たった一人で悩んで、そして、自らの命を絶ったのよ。――あなた達は人殺しよ!」

 

 これまで抑えていた感情が噴き出した。

 

「……純香。俺はレイプなんかしてないぞ」

 

 柴田は冷静に答えた。

 

「嘘つかないで!母の足元に立っていたのは、白いスニーカーのあなただったわ」

 

「あの時、君の家の中を覗いたのは確かだ。だが、俺はすぐにその場を離れた。俺が海辺から戻ってきた時には手遅れだった。そこで見たのは、仰向けの君のお母さんから離れる寸前の松崎だった。俺はどうしていいか分からず、咄嗟(とっさ)にお母さんのとこに走った。天井を見詰めて呆然としているお母さんに、『……すいません』と小さな声で謝った。その時だ、『柴田、行くぞ』と松崎が声をかけたんだ」

 

「嘘よ!あなたはその松崎という男に責任転嫁するつもり?」

 

「嘘じゃない。俺は何もしてない」

 

「そんなこと信じられないわ」

 

 その時、玄関の戸が開いた。

 

「奥さん、ご主人が言うのは本当ですちゃ」

 

 そう言って顔を出したのは、例の禿頭の刑事だった。

 

「すいません。話が聞こえたでですさかい。奥さん。実はね、あんたの挙動に不審を抱いたがでちょっこし調べさせてもろうた。ご実家のお隣さんに話を訊いたところ、その重い口を開いた。お隣さんは、その一部始終を見とった。

 

 だが、そのことを誰にも言わなんだ。のぞきは軽犯罪やし、助けることもできたのに、そーせなんだことで、長年罪の意識に(さいな)まれとったらしいや。お隣の板垣さんは、はっきりこう言うた。「シバタ、行くぞ」て言うた男がレイプしたと。つまり、ご主人ちゃ無実や」

 

 純香は黙って俯いていた。

 

「奥さん、ご主人を信じてやられ。それじゃ、これで。あ」

 

 刑事は玄関マットに置いていた真紅(しんく)薔薇(ばら)の花束を抱えると、

 

「ご結婚、おめでとう」

 

 と、純香に手渡した。

 

「……ありがとうございます」

 

 花束を抱いた純香は哀しげな目を向けた。

 

「花嫁さんがそんな悲しい顔して。柴田さん、お嫁さんを幸せにしてやらんにゃだちかんちゃ」

 

「……はい」

 

「それじゃ、お幸せに」

 

「わざわざ、ありがとうございました」

 

 柴田が見送ると刑事は戸を閉めた。純香は花束を抱えたままで俯いていた。

 

「……俺を許せないか?」

 

「……」

 

「君のお母さんを助けられなかったのを後悔してる」

 

「……あなたのせいじゃないわ。あなたを責めることなんてできない。……私の勘違いだったのね」

 

 純香はそう言って、柴田を見た。

 

「純香。……例え復讐が目的で俺に近づいたとしても構わない。こうやって君に出会えたことに感謝してる」

 

「……あなた」

 

 純香は柴田の胸に顔を埋めた。柴田の洗いざらしのシャツの匂いと、抱いていた薔薇の香りに包まれて、うっとりしていると、玄関の戸が開いた。

 

「お母さん、お腹空いた!」

 

 美音の元気な声がした。純香は柴田と目を合わせて笑った。

 

 私の勘違いだったのか……。柴田の命に関わるような復讐を決行しなくて良かった、と純香は胸を撫で下ろした。



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21

 

 数日後、家族で岩瀬浜の海水浴場に行った。十二年ぶりに目にする故郷の海だった。柴田と美音が泳いでいる間、実家のあった場所に行ってみた。純香の家は跡形もなく、そこにはもう、当時の原風景は無かった。物悲しさの中で、雑草に覆われた空き地を見ている時だった。ハッとした。隣の板垣の家も無かったのだ。……あの刑事は、板垣とどこで話をしたのだろう。純香は、斜向かいの橋本を訪ねた。

 

 戸を開けたのは、皺を刻んだ女だった。

 

「こんにちは。お向かいの板垣さんは今、どこに?」

 

 麦わら帽子の(つば)を持ち上げて尋ねた。

 

「板垣さんは、十年ほど前に引っ越されたちゃ」

 

「どちらに?」

 

「さあ……。聞いてませんが」

 

「……そうですか。最近、刑事さんが訪ねて来ませんでしたか?」

 

「ケイジ?警察の?」

 

「え」

 

「なーん、そんな人ちゃ来てませんが」

 

「そうですか。どうも失礼しました」

 

「あんた、どっかで会うてませんか 」

 

 橋本が顔を覗き込んだ。

 

「……さあ」

 

 目と鼻の先に住んでいる橋本夫人のことは、子供の頃から知っていた。だが、根掘り葉掘り訊かれたくなかった純香は、あえて面識のない振りをした。

 

 はて、あの刑事は板垣の引っ越し先を突き止めて、そこで話を訊いたのだろうか……。釈然とせぬままに、海水浴場に戻った。

 

 ――それから数日後、美音と一緒に桜木町までショッピングに出掛けた時だった。

 

「あれっ。こんにちは」

 

 すれ違った三十半ばの男に声をかけられた。誰なのか思い出せずにいると、

 

「一度、お宅にお邪魔した刑事の津久井です」

 

 と、本人が教えてくれた。

 

「――ああ。あの時の」

 

 純香はやっと思い出すと、表情を緩めた。

 

「その節はどうも。もう一人の刑事さんはお元気ですか」

 

 先日、花束を持って結婚の祝いをしに来てくれたが、ついでのように聞いてみた。

 

「あ、松崎さんですか」

 

(エッ!松崎?)

 

「松崎さんて(おっしゃ)るんですか?あの刑事さん」

 

「そうですよ。定年で退職しました。例のあの事件が最後の仕事だったわけです」

 

「あの刑事さん、息子さんはいらっしゃいます?」

 

「……ええ。いますよ。でも、どうして?」

 

 津久井が眉をひそめた。

 

「あ、いいえ。私の知り合いにも松崎っているんで、ご親戚かと思って」

 

「もう四十歳ぐらいになるかな、『越中中島』で産婦人科を()ってます」

 

 仮に、あの刑事が、母を犯した松崎という男の父親だとしたら……。純香はこの時、新たな復讐を予感した。

 

「……そうですか。じゃ、違う人だわ」

 

「そうそう。今だから話すけど、実はあの時、あなたに不審を抱いて、あなたのお母さんの自殺の真相を調べてたんですが、途中で打ち止めになって――」

 

「お母さん、早く行こ」

 

 美音が純香の手を引っ張った。

 

「その子は?」

 

「柴田の子供です」

 

「結婚なさったんですか」

 

「……ええ」

 

「それは、おめでとうございます。でもまさか、柴田さんと結婚するとは――」

 

「どういう意味でしょ」

 

 純香は不愉快な顔をした。

 

「あ、いえ。復讐目的で柴田さんに近づいたんだと、私どもは考えてたもんですから」

 

「はぁ?」

 

 純香は露骨に嫌な顔をしてやった。

 

「そうじゃなかったんですね。どうも失礼しました。お幸せに」

 

 津久井は(さげす)むような目で見て、背を向けた。それはまるで、「殺された若い女と肉体関係があった、コブつきの中年男と、よくまぁ結婚したな」そんな野卑(やひ)な言葉を吐き捨てられた思いだった。



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22

 

 ――果たして、松崎という刑事は、母を犯した松崎の父親なのだろうか……。それと、柴田だ。松崎と友達だったら、父親が刑事だということを知らないはずがない。なのに、そんな話は一度もなかった。自分の潔白が証明されればそれで良かったのか……。純香の頭は混乱して、収拾がつかなかった。だが、松崎刑事の息子と、柴田の友人の松崎が同一人物とは限らない。純香は自分の目で確かめることにした。

 

 翌日、美音が友達の家に遊びに行くと、越中中島に向かった。――駅前で尋ねた『松崎産婦人科』は、駅裏の路地を入った雑居ビルの二階にあった。待合室には、お腹を抱えた若い妊婦が一人居るだけだった。

 

「柴田さーん」

 

 看護婦に呼ばれた純香は、恐る恐る診察室に入った。そこに居たのは、柴田と同年輩の、医者らしくないスポーツ刈りの男だった。

 

「はい、どうぞ。初めてやけ?」

 

「え?」

 

「うちの病院ですちゃ」

 

 ペンを動かしていた松崎は、純香を視た途端、目を丸くした。

 

(私に母の面影でも見たの?)

 

 この瞬間、この医師が柴田の友人の松崎だと、純香は確信した。

 

「あ、はい。この近くに用事があって。帰る途中、すごく汗をかいたので、なんだか心配になって。この病院が見えたので、診てもらおうと思って」

 

「……初めてやけ?」

 

「え?」

 

「出産経験ですちゃ」

 

「え」

 

 松崎は聴診器を腹部に当てると、落としていた視線を徐々に上げ、純香の横顔を見つめていた。不意を突いて純香が顔を向けると、松崎は慌てて目を逸らした。今度は逆に純香の方が松崎の横顔を見つめた。

 

(この男が母をレイプしたのか……。雅人の名前を出したらどんな反応をするだろう。岩瀬浜の話でもしてみようかしら……)

 

「岩瀬浜に行ったら駄目でしょうか」

 

「えっ?」

 

 咄嗟(とっさ)に松崎が驚いた顔を向けた。

 

「海辺を散歩したくて」

 

「……まだ、危険な時期ですさかい、やめた方がいいですちゃ。順調ですよ、お腹の赤ちゃん」

 

 松崎はそう言って、聴診器を耳から外した。――帰り際、松崎の鋭い視線を背中に感じていた。松崎は必ず、父親とコンタクトを取るはずだ。

 

 だがそれは、以外な方向に向かっていた。

 

 ――数日後、柴田は会社に、美音は学校のプールに行っていた。郵便受けを開けると、『柴田純香様』と書かれた差出人のない一通の手紙があった。その、切手を貼っていない封書は、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が潜む、闇に包まれた深い森を連想させた。封筒の中を覗くのが怖かった純香は、封筒の端をハサミで丁寧に切ると、逆さにしてその中身をテーブルの上に出した。

 

 出てきた四つ折りの一枚の紙を広げると、封筒の宛名同様に、ワープロで打たれた短い文章があった。

 

【あなたの母親の自殺の原因はレイプではない。

 あなたの父親が原因だ。あなたの父親には他に女がいた。

 そのことを悩んで、あなたの母親は自殺した。】

 

 この手紙の内容は、果たして事実なのだろうか……。そして、これを郵便受けに()れたのは誰だ?予想はつく。私の住所を知り、()つ、(つまび)らかな情報を提供できる立場にある人物。つまりは、松崎刑事しかいない。

 

 松崎刑事に直接会って確かめるしかない。だが、どうやって。……アッ!今日は土曜日だ。診療は午前のみだ。美音のために昼食の作り置きをすると、純香は越中中島に急いだ。――松崎産婦人科の前の物陰に隠れると、松崎医師が出てくるのを待った。

 

 間もなく、ライトブルーのポロシャツを着た松崎医師が出てきた。純香はストローハットを目深に被ると、後を追った。松崎医師は定期で改札を抜けた。純香は急いで終点までの切符を買った。松崎医師のアイボリーのメッシュシューズを目印にすると、帽子の(つば)で隠した視線をその目印に据えた。



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23

 松崎医師が降りたのは、大広田だった。松崎医師は駅前の路地を右に左にと曲がると、木造の一軒家に入った。純香はゆっくりと通り過ぎると、表札を視た。〈松崎〉ではなく、〈炭谷〉とあった。……誰の家だ?

 

 そもそも、松崎医師を尾行したのは、松崎刑事の住居を知るためだった。松崎医師が長男なら、父親と同居していると考えたからだ。だが、目論見(もくろみ)が外れた。もしかして、婿養子?いや。だったら、『炭谷産婦人科』となるはずだ。……愛人宅?それにしては、堂々と入って行った。

 

 ちょっと待てよ。その前に、松崎医師は独身?既婚者?年齢的には既婚者と見る方が妥当だが。……さて、どうしよう。近所で聞き込みでもしようか、と思った時だった。駅の方からやって来た二十歳前後の男が、〈炭谷〉の門扉を開けた。男がチャイムを押すと、開いた扉から松崎医師の顔が覗いた。

 

「おかえり」

 

「ただいま」

 

 そんなやり取りで扉が閉まった。その男同士の関係が純香には理解できなかった。親子?兄弟?従兄弟(いとこ)?……。どれひとつとってもピンと来なかった。

 

 釈然としないまま帰宅した。純香の頭の中は、足の踏み場もないほどに散らかっていた。松崎刑事の住まいを知る方法は?……津久井に訊くしかないか。

 

 純香は、富山△署に電話すると、捜査一課の津久井を呼び出した。

 

「――その節はどうも。すみませんが、松崎さんの住所を教えていただけないでしょうか」

 

「え?どうして」

 

「実は、柴田と結婚した後に、一度お祝いにいらしてくださったんですが、ろくにお礼もしてなくて。ご挨拶を兼ねて菓子折りでもと思って」

 

「……そうだったんですか。今、見てきますので、ちょっと待ってください」

 

 ――松崎刑事の住所を入手した純香は、松崎刑事の息子が独身かどうかと、兄弟の有無もついでに訊いてみた。津久井の返事は、“独身”と“一人っ子”だった。ということは、あの二十歳前後の男は、従兄弟か(おい)の類いだろう……。

 

 津久井が教えてくれた松崎刑事の住所は、『下奥井』だった。途中で買った水羊羹(みずようかん)手土産(てみやげ)にすると、〈松崎〉と表札のある、古い平屋のブザーを押した。

 

「はいはい」

 

 愛想良く曇りガラスの引き戸を開けたのは、紛れもなく脂ぎった禿頭の男だった。ストローハットを脱いだ純香の顔を認めた途端、松崎刑事は禿筆(ちびふで)のような眉毛を上げると、垂れた目蓋(まぶた)を引っ張った。

 

「突然に申し訳ありません」

 

 純香はお辞儀をすると、

 

「刑事さんにお花をいただいたのに、なんのお礼もしてなくて」

 

 と、笑みを作った。

 

「いやいや、何も気にすることはないのに」

 

 純香の挨拶の常套句(じょうとうく)にホッとしたのか、松崎刑事は慌てて表情を緩めた。

 

「これ、ほんの気持ちです」

 

 水羊羹が入った紙袋を差し出した。

 

「こりゃこりゃ、わざわざ。どうぞ入られ。男所帯で散らかしとるが」

 

 松崎刑事は袋を受け取ると、快く招いた。……寡夫(やもめ)か。例の話をしない限り、松崎刑事が機嫌を損ねることはないだろう。純香は刹那(せつな)にそう思った。

 

 松崎刑事は、い草の座布団を押入れから出すと、丸い卓袱台(ちゃぶだい)の脇に置いた。

 

「今、冷たい麦茶を持ってくるがで」

 

「どうぞ、お構いなく」

 

 片付いた六畳ほどの茶の間を見回したが、古い調度品が(あるじ)のように居座っているだけで、何一つ、医師との同居を知る手がかりになる物は無かった。

 

「津久井君に聞いたがやけ?」

 

 松崎刑事が台所から声をかけた。

 

「え?」

 

「住所ですちゃ」

 

「ええ。街でバッタリお会いして、刑事さんが退職されたことを知りました。お礼がしたくて、津久井さんに教えてもらったんです」

 

「そうやけ。わざわざすまなんだですね。どうぞ」

 

 純香の前に麦茶が入ったコップを置いた。

 

「いいえ」

 

 あまり長居もできない純香は、本題に入った。



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24

 

「実は、ご相談が」

 

「えっ?どうした」

 

「先日、変な手紙が――」

 

 そこまで言って、すぐに松崎刑事を視た。すると、その顔は途端に硬直した。

 

「私の母の自殺の原因は、レイプされたからではないって――」

 

 そこまで言って松崎刑事を視ると、その続きを代読できると言わんばかりに、すべてを把握(はあく)した面持ちだった。

 

「父の浮気が原因だと。……誰が寄越したのかしら。刑事さん、どう思います?」

 

「わしはもう引退した人間やさかいなんとも言えんが、だっか若いもんの悪戯(いたずら)でないがけ」

 

(若いもん?どうして若い者だと決めつける?つまり、ワープロで打った文章だということを知っているからだ。『わしはワープロなんかできん。だから、手紙を書いたのはわしじゃない』それを言いたくて、ワープロの手紙にしたんだ。でも、ワープロは息子に頼むこともできるわよ、刑事さん)

 

 だが、それを口にすれば殺されかねない、という恐怖感に純香は突然襲われた。すぐにこの場から立ち去らなければ。

 

「あら、もうこんな時間」

 

 純香は腕時計に目をやって、大袈裟にそう言うと、

 

「どうも、お邪魔しました」

 

 松崎刑事に物も言わせず、考える隙も与えまいとするかのように、急いで腰を上げた。恐怖心で松崎刑事の顔を直視できなかった。その無言のままでいる松崎刑事が無気味だった。松崎刑事の鋭い視線を感じながら、ミュールに爪先を入れた瞬間だった、下駄箱の下にある、白っぽい靴が視界に入った。確認すると、それはアイボリーのメッシュシューズだった。

 

(あの医者の靴だ。思った通り、松崎医師は松崎刑事の息子で、ここに一緒に住んでいる……)

 

 純香は、背中に粟肌(とりはだ)を立てながら、必死の思いで戸を開けた。そして、やっと外に出た。外に出るまでがどれほどに長く感じられたか……。今にも腕を掴まれるのではないかと、純香はビクビクしていた。解放されたらこっちのものだ。

 

「では、お元気で」

 

 会釈して、松崎刑事と目を合わせた。純香に浴びせたその眼光は鋭かった。純香はギクッとすると、慌てて戸を閉め、逃げるように立ち去った。……来なければ良かった。〈The last drop makes the cup run over. (過ぎたるは及ばざるが如し)〉そんな格言が頭を過った。純香は、傷口を広げてしまったのではないかと、悔やんだ。

 

 ……だが、どうして松崎刑事は真偽の区別もつかないあんな内容の手紙を私に寄越したのだろう。単に息子を助けるためだけだろうか。

 

 単独行動に不安を覚えた純香は、柴田に助け船を出してもらうことにした。――美音が寝た後、冷酒を味わっている柴田に手紙の件を話した。

 

「ね、あの刑事が松崎さんのお父さんだって知ってた」

 

「いや。松崎の父親は確かサラリーマンだったはずだよ」

 

「エーッ!」

 

 純香は自分の耳を疑った。

 

「住まいは『下奥井』だよね」

 

「いや。『城川原』だ。『蓮町』の次の」

 

「エーッ!どういうこと?じゃ、あの二人は親子じゃないの?」

 

「うむ……そうなるな」

 

「でも、同じ靴が」

 

「靴なんて似たり寄ったりだよ」

 

「……だけど」

 

「おっちょこちょいなんだから」

 

「……でも、そんなことって」

 

 私の勝手な推測が辻褄(つじつま)を合わせるために二人を親子にしていたのだろうか。確かに顔は似ていない。……だが、あの二人は無関係ではない。

 

「親戚に刑事は?聞いてない?」

 

「いや、そこまでは知らん。あれ以来(・・・・)絶交状態だからな。……とにかく、もう探偵みたいなことはよせ。お腹の子に何かあったらどうするんだ」

 

「……はい」



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25

 

 最初から柴田に聞けば良かった。だが、あの時点では確証があったわけではなかった。まず、自分で探ってから話そうと思っていた。だが、やっぱりあの靴が気になる。アッ!もしかしてあの時、あの家に松崎医師が居たのでは?松崎医師と柴田の友人の松崎が同一人物かを確かめるには。……あっ、そうか。

 

「ね、松崎なんて言うの?名前」

 

「まだ、踏ん切れないのか?トオルだ。貫徹の徹。……医者の名前と照合するつもりか?」

 

「当たり」

 

 純香は照れ隠しのように舌を出した。

 

「ったく。困ったお嬢さんだ。確かに松崎は医学部だったが、松崎なんて珍しい苗字でもないだろ?偶然の一致だ。……まだ、納得いかないようだね。じゃ、電話帳を持っておいで」

 

 柴田はそう言いながら、塩辛を口に運んだ。

 

「は~い」

 

 純香は子供のような返事をした。――だが、松崎徹では掲載がなかった。

 

明日(あす)にでも、松崎の実家に寄って確かめてみるから」

 

「お願いしま~す」

 

「世話の焼ける女房だね」

 

 純香をチラッと見て、冷酒を飲んだ。

 

「だって、釈然としないんだもん」

 

 口を尖らせた。

 

「分かったよ。俺がバトンタッチするから、君は校正でもやって、家で大人しくしてなさい」

 

「……は~い」

 

 

 だが、その翌日、事態は急変した。再び、切手のない分厚い手紙が郵便受けにあったのだ。差出人の名は、『松崎徳郎』。……松崎刑事に違いない。純香は急いで開封した。

 

【この度は、貴女様を悩ませ、苦しめた事と存じます。大変申し訳なく思っております。

 できれば、徹の事は伏せておきたかったのです。

 しかし、退職した今、すべてを打ち明ける覚悟をしました。

 徹は、私とは母の異なる兄の子供です。

 十五年前、徹の実家が火事に遭い、両親が焼死しました。

 徹は研修医で寮生活をしていたので不在でした。

 一度に両親を亡くした徹を不憫に思い、子供が無かった私共は、徹を養子に貰いました。

 四年前に妻を亡くしてからも、徹は本当の親のように大切にしてくれています。

 開業してまだ二年足らずですが、医院の方も軌道に乗って、親子共々、安泰の日々でした。

 そんな時です。貴女様の母上の自殺と、ご主人との関わりを調べていくうちに、徹が関わっている事が判明したのです。

 私は途中で捜査を打ち切りました。続行すれば津久井君の知るところとなるからです。

 そして、私は一人、捜査を続けました。

 板垣夫人の転居先で話を訊いたり、徹本人にも訊きました。

 すると、徹はレイプの件を認めました。

 ところが、純香さん、話はこれで終わらないのです。

 言い忘れましたが、ワープロの手紙は、お察しの通り、私です。徹に打ってもらったものです。

 若者からの手紙に思わせるためと、あれを読めば、この事件から手を引くと思ったからです。

 しかし、私のした事が裏目に出たようですね。

 貴女は納得がいくまで諦めそうもないので、ここに真実を書きます。

 どうか、驚かないでください。

 貴女の母上は、徹の子を産んでいたのです。】

 

 嘘よっ!純香は心で叫んだ。

 

【貴女の母上は、レイプ事件から数ヶ月して、別居を理由に半年ほど不在だったはずです。友人宅に居候すると言って。

 しかし、事実は異なります。

 母上は、伯母の、炭谷啓子さんの家に居たのです。】

 

 アッ!〈炭谷〉は、徹が入った家だ。

 

【そして、産んだその子を炭谷さん夫婦の養子にしたのです。

 その事を知らなかったのは、当時小学生だった貴女だけです。

 そして、産む事を望んだのも、貴女の母上です。

 考えられないでしょうが、たった一度の関係で、母上と徹は愛し合ってしまったのです。

 徹は、母上に謝罪をしようと、何度も足を運んだそうです。

 しかし、詫びる事もできず、遠くから見守っていたそうです。

 そして、炭谷家に子供を養子にした事を知った徹は、いつの日か、自分のした事をその子に打ち明け、謝罪しようと思っていたそうです。

 その子は、二十歳になります。名前を炭谷晴樹と言います。】

 

 あの時見た、あの若い男が母と徹の間に産まれた子?

 

【そして、母上は自ら命を絶ちました。貴女の父上に背き、不義の子を産んでしまった罪を背負って。

 純香さん、一度、晴樹に会ってやってください。貴女の弟さんに。】



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26

 純香は、背筋に悪寒が走るのを感じた。そこには、予想だにしなかった真実が赤裸々に綴られていた。純香は、探偵気分で調子に乗っていた自分を恥ずかしく思った。母の自殺の原因は全く違うところにあったのだ。父は何も教えてくれなかった。父は一人、その屈辱に耐えていたのか……。

 

 ――純香は、帰宅した柴田に無言で抱きついた。

 

「……どうしたんだよ」

 

 不意に抱きつかれて、柴田は当惑した。

 

「……ううん、なんでもない。おかえりなさい」

 

「お母さん、子どもの前やちゃ」

 

 美音が呆れた顔をした。

 

「あら、いたの?」

 

 純香がとぼけた。

 

「ずっといたわちゃ」

 

「どうしたんだ?二人とも」

 

 ネクタイを緩めながら美音を見た。

 

「私はいつもと変わらんわちゃ。お母さんがおかしいのちゃ 」

 

「イッヒヒヒ……」

 

 純香が変な笑い方をした。嬉しかった。幸せだった。純香は、柴田と美音との、この生活が天国に思えた。

 

「お父さん。きょう、すき焼きやちゃ」

 

「おう、うまそうだな」

 

「美音、卵持ってきて」

 

「は~い」

 

「松崎んちに寄ってきたよ」

 

 ジャケットを手渡した。

 

「……」

 

「家は無かった。火事に遭ったんだと。お隣に聞いたら」

 

「えー?」

 

 純香は、初耳の振りをして驚いてみせた。

 

「ご両親が亡くなって、親戚の家に引っ越したんだと」

 

「あのね、例の医者だけど、名前、徹じゃなかった」

 

 この件は終わりにしようと思い、純香は嘘をついた。

 

「だろ?ったく、早とちりなんだから」

 

「お父さん、卵二つ入れたちゃ」

 

 美音が、卵を入れた呑水(とんすい)を盆に載せて運んできた。

 

「お、サービスがいいな」

 

「元気で働いてもらわんにゃ。四人家族になるんやさかい」

 

 美音はそう言いながら、大きな牛肉を選んで自分の呑水に入れた。それを見て、純香と柴田は目を合わせて笑った。

 

 

 ――夏休みが終わる頃、意外な人物から電話があった。……徹だった。

 

「…… ひょつんとすみません。父からの手紙ちゃ読んどっただいたでしょうけ 」

 

 へりくだった言い方だった。

 

「あ、はい」

 

「晴樹に会うてもらえませんか」

 

「……ええ」

 

 宿敵だった徹が、今は味方になった。……そう。仮に母と入籍していれば、継父(けいふ)になるのだ。純香は、待ち合わせ場所を、母と徹が出会った実家跡にした。

 

 

 約束の時間より少し遅れて行くと、同じ背丈の二人の男が神妙な面持ちで浜辺に(たたず)んでいた。日傘を片手に小走りでやって来た純香に、二人はお辞儀をした。例の医者が松崎徹で、例の青年が炭谷晴樹だということが、目の前で明らかになった。

 

「……ハルキです」

 

 徹の紹介に、晴樹は謹厳実直(きんげんじっちょく)な面持ちでお辞儀をした。

 

「……スミカです」

 

 自己紹介しながら、繁々と晴樹の顔を見つめた。あの時は遠目で判断できなかったが、目の前の晴樹は、私の容貌(ようぼう)と、徹のクールな眼差しを受け継いでいた。それはつまり、母と徹の子供であることを証明していた。

 

「晴樹が来週には東京に帰るんで。東京の大学に行っとるがで」

 

「……そうなんですか」

 

「晴樹、ちょっこし向こうに行っとって」

 

「はい」

 

 晴樹は純香に軽く一礼すると、ゆっくりと(なぎ)の海に向かった。

 

「……僕を恨んどるでしょうね」

 

 暗い目を向けた。

 

「……あなたのお父様から手紙をいただくまでは」

 

「当然や。お母さんを彷彿(ほうふつ)とさせるあんたが病院に来られた時から分かっとった。お母さんの自殺の原因ちゃ僕にあるて思うて、探りに来たんやと。僕のしたことは恥ずかしいことや。弁解はしません。

 

 僕はあの時、理性を失い、お母さんを犯した。あの光景が眩しかったがや。ミニスカートから伸びた綺麗な脚が……。無我夢中でした。背後から口を押さえると、激しゅう抵抗するお母さんを力ずくで……。

 

 しかし、……信じてもらえんでしょうが、途中から互いに求め合うたがや。その一度の行為で、僕たちは愛し合うたがや。互いに見つめ合い、そして唇を重ねた。恋人同士のように……。僕は、あんたのお母さんを愛ししもたがや。理解できんでしょうが、嘘じゃありません」

 

 徹は想いを込めて、熱く語った。



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27

「……もう、いいんです。松崎さんの気持ち、よく分かりました。それが証拠に、弟のそばに居てくれてるんですもの」

 

「……純香さん」

 

 徹は徐に上げた顔を純香に向けた。

 

「弟には、いつ打ち明けたんですか」

 

「あいつが大学に入って間ものうや。お母さんの伯母さんにあたる炭谷さんに真実を話した。最初のうちは門前払いをされたが、そのうち分かってくれて。

 

 晴樹も最初のうちはなかなか受け入れてくれませんでしたが、そのうち仲良しになって。一緒に暮らすかと聞くと、炭谷のお父さんとお母さんが悲しむさかいて言うて。結局、僕が炭谷さんの家に遊びに行く形を取った――」

 

「松崎さん」

 

「え?」

 

「柴田に会ってくれませんか」

 

「……」

 

 徹は考えるように俯いた。

 

「あれから、仲違いしてるみたいですね?あなたが開業したことも、実家が火事に遭ったことも柴田は知らなかった。あなたのことを誤解してます。でも、弟の件を知れば、誤解も解けるはずです」

 

「いや、一度嫌われた人間や。今更……」

 

「私は母の件で、柴田を疑いました。正確に言うと、母を犯したのは柴田だと思い込んでいたんです。柴田に復讐するために富山に戻ってきたんです。

 

 でも、柴田と接しているうちに、いつの間にか惹かれていました。そして到頭、愛してしまったんです。それと同様に、柴田と会って話をすれば、きっと分かり合えると思うんです」

 

「……考えてみます」

 

「お願いします」

 

 ふと気づくと、晴樹が波打ち際を歩いていた。

 

「晴樹!」

 

 徹が呼ぶと、駆けてきた。

 

「……晴樹君。私はあなたのお姉ちゃんなんだから、たまには遊びに来てね……」

 

 純香はそう言いながら、目頭を熱くした。

 

「はい」

 

 晴樹ははっきりと返事をした。

 

「……純香さん、ありがとう」

 

 徹が深々と頭を下げた。純香は徹に向けた笑顔を海辺にずらした。「海の家」の〈氷〉ののぼり旗が潮風に揺れていた。

 

 

 このこと知ったら、柴田はどんな顔をするだろう……。あなたの(かつ)ての友人には子供がいるのよ。そしてその子は私の弟でもあるのよ。その瞬間の、エッ!とたまげる柴田の顔が想像できた。

 

 二人が元通りの友人に戻れるのは必至だ。レイプしたことは軽蔑(けいべつ)に値するが、その後の徹の行いを(とが)める道理はない。ましてや、その子は私の弟にあたるのだ。女房の弟を足蹴(あしげ)にするはずがない。二人が握手する光景が目に浮かんだ。

 

 徹自らの意思で訪ねてくるまでは、柴田には何も語るまい、と純香は思った。私に年の離れた弟がいたと同様に、美音にも年の離れた弟か妹ができるのだ。この時また、〈因果応報〉という言葉を思った。母が遺した弟も、私が産もうとしている子も、どちらも、母の想いがこもった、私への贈り物だ。

 

 柴田に復讐する目的から始まった今回のことは、意外な展開を遂げたが、それは喜ばしい結果だった。天涯孤独だと思っていた私に弟がいたのだ。そして、結婚も出産も諦めていた私に子ができるのだ。これ以上の幸せが他にあろうか?……いや、無い!純香は自分に言い切った。

 

 私を愛してくれた柴田に感謝し、弟を産んでくれた母に感謝し、弟を見守ってくれた徹に感謝し、私を受け入れてくれた美音に感謝し、そして、柴田に会わせてくれた神様に感謝した。〈All is well that ends well. (終わりよければ全てよし )〉。純香はそんな心境だった。

 

 そんな折、柴田から絵本の翻訳を頼まれた。タイトルは、『Family bonds(家族の(きずな))』。母親のお腹にいる子に対する、五歳になる長女の気持ちと母親の想いを描いた作品で、同じ立場の母親の想いに共感を覚えた。

 

 

 

 

 

 果然(かぜん)、一升瓶をぶら下げた徹が、晴樹を伴ってやって来たのは、庭先に咲く薄桃色の小菊が、そよぐ風に芳香を放つ頃だった。――

 

 

 

 

    完



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