雨の日に生まれた戦士がダンジョンに行こうとするのは間違っているだろうか (柔らかいもち)
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一話 プロローグ

 なるべく世界観を壊さないように作ったつもり。


 そこは地獄だった。正確には地獄としか言えない光景の場所だ。遥か北の大地、世界の果てと呼ばれるここは、今も尋常ではないほどの炎が辺りを覆っている。

 

 かつてそこにあっただろう森の名残は無残に燃え、山脈が存在したと言われても信じられない程度の岩と土くれしか残っていない。大地には底の見えぬ亀裂がいくつも刻まれ、近くにあった川と湖は完全に蒸発した。

 

 極め付きなのは辺り一面に飛び散っている鮮血と肉片、人骨の欠片だ。これを見ても何とも思わないものは心が強すぎるか、どこかおかしい奴だけだろう。

 

 そんな地獄にいるのは凄まじい存在感を放つ竜と、たった一人の少年だ。竜は全身の至る所が漆黒で目が片方しかなく、少年は黒い服で全身を覆っていた。共通しているのはどちらも黒で、傷がない所を見つけるのが難しいほどの重症を負っているところか。

 

 これを見れば誰もが驚くだろう。目の前にいる恐ろしき隻眼の竜を、この少年は一人でここまで追いつめたのだ。世界最強と言われていた二つのファミリアですら成し得なかったことを、長い英雄史の中で『最強の英雄』と謳われた男が命を懸けてもできなかった偉業を、たった一人でやってのけた。

 

 最も驚いているのは隻眼の竜――人類から『黒竜』の名で恐れられているこの竜だろう。昔、二人の男女に率いられてやってきた人間達にも負けなかった己が鱗を砕かれ、角を折られ、腹を焼かれ、肉を抉り取られるなど微塵も考えなかった。飛び散っている血と肉片は全て竜のものだ。

 

 少年だって無事ではない。大小さまざまな傷を負い、今も傷や口から血を吐いている。それでも、竜を睨む眼光と右手の剣を握る力は弱まらない。

 

 竜は少年に背を向け地を蹴った。ズタボロの羽を必死に動かし、空の彼方へ飛んでいく。かつて片目を奪われた時とは異なり、忌々しい恐怖から遠ざかるように。早い話、竜はこの人間と戦っても負ける可能性があると考え、逃げ出した。空高く飛ぶ竜の身体を雷がかすめるが、気にすることなく逃げる。

 

 逃がすかとばかりに雷の魔法を放った少年はこのまま追いかけるか悩んだが、結局追わないことにした。『神の恩恵(ファルナ)』を授かり常人より遥かに頑丈な自分でも、これ以上はきつかった。

 

 少年は残り少ない精神力(マインド)を使って治療を始めた。死闘を生き残ったのに怪我が原因で死ぬなんて、間抜けにもほどがある。

 

 こうして人知れず世界最後の三大冒険者依頼(クエスト)は達成寸前のところで終わった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 人間離れした身体能力を遺憾なく発揮し、少年は拠点としている街の宿に約二日で戻っていた。少年が借りた部屋の中には、ベッドに腰かけて本を読んでいる一人の女性――少年の主神がいた。

 

 少年が部屋に入ってきた音で顔を上げた女神は、少年の顔を見てにっこりと笑う。

 

「お帰り、レイン。目的は達成できたのか?」

「……一応、達成できたと思う。あと一歩のところで逃げられたけど」

 

 不満そうな顔をしている少年がおかしくて、女神は口に手を当てて笑う。凄まじい偉業を成し遂げておきながら不満を持つ人間を、彼女は見たことがない。だから思わず笑ってしまった。

 

「いやー、笑った笑った。マジであの黒竜を殺しかけるとかすごいなぁ。私、それだけは冗談と思っていたのに」

「……笑い終わったなら【ステイタス】を見せてくれ」

「はいはいっと」

 

 ボロボロの上着を脱ぎつつ女神のすぐそばに座った少年の背中に、女神は自分の指を傷つけるとそこから出た血を垂らした。

 

 

 

 レイン

 

 Lv.9

 

 力:I0

 耐久:I0

 器用:I0

 敏捷:I0

 魔力:I0

 

 狩人:A

 耐異常:A

 魔導:B

 治力:C

 精癒:C

 覇気:D

 剣士:D

 逆境:I

 

 《魔法》

 【デストラクション・フロム・ヘブン】

 ・攻撃魔法。・詠唱連結。

 ・第一階位(ナパーム・バースト)。

 ・第二階位(アイスエッジ・ストライク)。

 ・第三階位(デストラクション・フロム・ヘブン)。

 

 【ヒール・ブレッシング】

 ・回復魔法。

 ・使用後一定時間、回復効果持続。

 ・使用時、発展アビリティ『幸運』の一時発現。

 

 【インフィニティ・ブラック】

 ・範囲攻撃魔法。

 ・範囲内の対象の耐久無視。

 ・範囲はLv.に比例

 

 《スキル》

 【???】

 ・成長速度の超高補正。

 ・ステイタス自動更新。スキル及び魔法の発現にのみ主神による更新が必要。

 ・???????

 

 【竜之覇者(ドラゴンスレイヤー)

 ・魔法効果増大、及び詠唱不要。

 ・ステイタスの超高補正。

 ・魔法攻撃被弾時、魔法吸収の結界発現。一定量で消滅。

 ・精神力(マインド)回復速度の超効率化。

 

 【竜戦士化(ドラゴンモード)

 ・任意発動(アクティブトリガー)

 ・竜人化。発動時、全アビリティ超域強化。

 

 

 

 レインが【ステイタス】を見せてくれといった理由。主神に更新してもらわなくても自動的に更新されるスキルがあるからだ。更新したくなくても、勝手に更新されてしまうが……。

 

 前回見た時はLv.8だった少年はLv.9になっている。女神の覚えている限り、このLvになったのは最強最悪(クレイジーサイコ)超絶残虐破壊衝動(ハイパーウルトラヒステリー)女神のファミリアの眷属だけだ。

 

 スキルも増えてる。それも一気に二つも。

 

 女神はステイタスを書き写すとレインに渡した。

 

「新しく発現した発展アビリティは『逆境』。多分だけど、ピンチになった時強くなるんじゃないか?」

「俺もそう思う」

 

 レインは自身の【ステイタス】が書かれた羊皮紙を机に置かれているロウソクで燃やす。【ランクアップ】したというのに、レインはまるで笑わない。女神の顔からも笑みが消えて真剣な表情になっている。

 

「……やっぱり行くのか」

「……すまん。あんたには本当に感謝している。俺の我が儘を受け入れてくれた神はあんただけだ」

「いいよ、そういうのは。なんだかんだこっちも無茶ぶりしたことあるし、お互い様だ」

 

 少年が女神の眷属になった時から決めていたことだ。

 

「オラリオの外でやれることを全部やったら、オラリオに行く。ちゃんと『改宗(コンバージョン)』ができる状態でファミリアをやめる、か……。たった三年でこの約束が履行されることになるとは、さすがの(わたし)でも読めなかったよ」

「……あんたは来ないのか?」

「お前の主神だったら二度とオラリオから出られないでしょうが。私は自由に生きるのが好きなんだよ」

「そうか……」

「私としては眷属でいてほしいけど、レインはオラリオに行きたいだろう? ならここでお別れだ」

 

 言うが早いかまだ服を着ていないレインの背中で、女神の指が特定の動きをする。少年の背中に刻まれた刻印が淡い光を放ちながら明滅を始めた。

 

 レインも何も言わず服を着る。さっきまでのボロボロの服ではなく、綺麗な黒い服だ。そのままレインは扉に向かう。

 

「じゃあな、レイン。またいつかな」

「ああ。あんたも、うっかりバナナの皮を踏んで転倒打撲骨折出血死亡とかすんなよ」

「んなことするかっ!」

 

 枕をぶん投げるも、さっさと出ていった少年には当たらなかった。扉にぶつかった枕が、床にむなしく転がる。

 

 ベッドにだらしなく寝っ転がった女神はそれを拾うことなく一人呟く。少年に見せた怒った顔はすでになく、一柱の神の顔になって。

 

「……いつか、お前が自分を許せるといいな」

 

 その誰かに向けて呟かれた言葉は誰にも聞かれることはなかった。

 




 発展アビリティの『覇気』の解説。
 殺気やら闘気やらに物理性を持たせるアビリティ。代わりに殺気を出すだけでも体力を使うことになる。疲れている時には使えない。

 スキルの【???】はしばらく秘密。?の数が文字数というわけではない。

 この作品は後半はマシですが、前半は根気が必要です。


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二話 厄介な美の女神

 迷宮都市オラリオ。富、名声を求めてたくさんの人々が訪れる『世界の中心』。

 

 数日掛けてやってきたオラリオを目の前にしたレインは腰に佩いてある剣と背嚢に変なところがないか確認し、問題なしと判断。

 

 入国審査の列の最後尾に並ぼうと足を進め――

 

「ちょっといいかしら」

 

 ――ようとしたところで声をかけられた。レインでも聞いたことがないと思えるほどの美しい声だ。

 

 声の主は商人、旅人、吟遊詩人に囲まれていたフードを被った人物だった。人の檻を抜け出すと、レインの目の前までやってくる。

 

「何か用か?」

「ええ、あなたに用があるの」

 

 ――この後、レインは後悔する。聞こえないふりをしてでも、このフードとローブで姿を隠している人物に関わるべきではなかったと。

 

 目の前の人物がフードを取り払う。現れるのは天界随一と呼ばれる美貌をもつ美の女神、フレイヤ。彼女は歌うように告げる。

 

「私とデートをしてくれないかしら?」

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 レインが目を下に向けると、ぎらついた日光を照り返す『砂の海』が流れていくのが分かる。彼が乗っているのは『砂海の船(デザート・シップ)』と呼ばれる砂の上を走る船の甲板だ。

 

 船に乗っている者達がターバンやフードで全身を隠しているにも関わらず、レインの恰好は黒い長袖シャツと黒ズボンだ。それでも違和感がないのはレインの雰囲気のせいか、はたまた他に原因があるのか。

 

「ふふっ、砂漠を船で行くなんて新鮮ね。あなたもそう思わない?」

「……そうだな。無理やり連れて来られていなければ、素直に楽しむことが出来たのだがな」

「あら、厳しいわね」

 

 レインは隣にいる女神が全員の視線を集めきっているからだと考えている。レインの嫌味にもフレイヤは楽しそうに笑い、それがさらに視線を引き付ける。

 

 

 

 

 

 フレイヤに「デートしない?」と誘われたレインだが当然断った。他の人々のように見惚れることもなく、表情をピクリとも動かさず「え、嫌だけど」と断った。

 

 そのまま列に並ぼうとしたが、フレイヤが呟いた言葉に足を止めざるをえなかった。「私が魅了(お願い)したら誰もあなたを助けようとしないわよ」というセリフには、レインがオラリオに入っても食品店、服屋、雑貨屋などに圧力をかけるという意味がふくまれており、それをレインは察した。

 

 

 

 

 

 その結果、こうしてレインはオラリオの南東にある『カイオス砂漠』にいる。フレイヤの言葉ではデート、レインの言葉で言えば雇われた護衛の関係で。

 

 ぼ~っと砂漠を眺めていたら、いつの間にかフレイヤが縦にも横にも太いボフマンとかいうデブ男に揉み手されていた。指紋がなくなるんじゃないかと思うほどの揉み手を見てレインは、自分がやられたら殴るかもしれないと思った。

 

 しゃべり方や笑い方がイラっとする。なんだ「ドゥフフフ」って。どうやったらそんな笑い方になるんだ。フレイヤも若干イラついているのがレインにはわかった。他の奴等にはわからないだろうが。

 

 ボフマンとフレイヤのやり取りを見ているとボフマンが、

 

「フレイヤ様、私も少なくない旅費を捻出している身です。貴方様の旅の目的がかなった暁には、ぜひ『ご寵愛』を賜りたいものですぞ……」

 

 気色悪い欲望丸出し(本人は隠しているつもり)の笑みで、その顔に似合う気色悪いことを言う。下界において『美の神』と同衾できるというのは、最高の栄誉にして快楽だ。中には命や全財産を擲ってでもかなえようとする者がいるほどである。

 

 この気色悪い奴の傍にはいたくないと思ったレインが離れようとすると、フレイヤがレインの腕にそのしなやかな腕を絡め、瑞々しい肢体を隠す薄絹を押し上げる二つの果実でレインの腕を挟みながら、

 

「残念だけれど――今の私はこの人以外に抱かれるつもりはないわ。やっと見つけた『伴侶(オーズ)』になりえる人だもの」

「なっ――」

 

 ボフマンやフレイヤの従僕が絶句する中、レインはフレイヤから腕をほどくと剣を抜いた。唐突なレインの行動に周りの者がギョッとするが、フレイヤだけは目をつむり告げる。

 

「音が聞こえるわね」

「はっ?」

「あまり歓迎したくない『音』が」

 

 船の真側面、地雷のように大量の砂がはじけ飛んだかと思うと、現れたのは巨大な砂色のミミズ。ミミズと違うのは船を見下ろすほどの体躯と頭部の位置に並ぶ円形の大口の醜悪な牙。

 

「あ、あれは『サンド・ワーム』!? しかもでかい! ふ、船を転進させりょ――」

 

 ボフマンが間抜けな声で叫び散らすが、遅すぎる。索敵が間に合わなかったのもあるし、距離も近すぎた。

 

 普通ならモンスターに船を破壊されて終わりだろう。そう、()()()()――

 

『ゲェッッッ!?』

 

 前触れもなく『サンド・ワーム』の()()()()()()()()()()。断末魔の絶叫は、大量の鮮血の音にかき消された。

 

 視界にうっすら残った青の軌跡。それが全てを終わらせていた。ボフマンと船員、みな時間を止めた。

 

 やった張本人であるレインは青白く光る剣を鞘に納め、フレイヤの視線を受け止めながら砂塵の奥に見える八つの影を見る。

 

 四つの小人の影、二人の妖精の影、大剣を肩に担ぐ武人の影、こちらに殺気を飛ばしてくる闘猫の影。最強のファミリアの主神を守る女神の眷属たちだ。

 

 フレイヤが時を止めている船員たちに声をかけると、彼らは慌てて船を操作する。モンスターの死骸を置き去りにして、船は砂の海を進んでいった。

 

「ようやく追いついたが……なんだあいつは。あの方の傍に陣取りやがって」

「羨ましい」

「妬ましい」

「死ねばいいのに」

「ボロクソ言い過ぎだろ、お前ら……」

 

 殺気を放っている闘猫、アレンがモンスターの死骸に唾を吐き、ガリバー四兄弟の弟たちが毒を吐く。それを苦労人の長男がたしなめる。そこでオッタルが口を開く。

 

「行くぞ」

 

 彼の指示を聞くまでもなく、女神の眷属たちは逃がさんとばかりの速さで、遠ざかっていく船を追うのだった。

 




レインがやったこと。

オーラを剣に纏わせて、それを思いっきり振ることで飛ばした。Lv.9の力で振るわれたそれは、Lv.5でも防げない。


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三話 砂漠の町

 タグを追加します。


 レイン達がたどり着いたのは、『リオードの町』といった。オアシスを中心に築かれており、海にポツンと浮かぶ島のような印象を受ける。

 

 フレイヤと共に船から港に降りると、フードと外套を被っているのにもかかわらず、フレイヤの存在に気付いたものは老若男女関係なく目を奪われる。もはや慣れ切ったかのようにレインとフレイヤは、ボフマンとその子飼いを引き連れて港の真ん中を突っ切っていった。

 

「ではフレイヤ様、ここからの護衛はこの町に潜り込んでいる貴方の眷属に任せます。そんなわけで失礼」

 

 レインはおざなりに頭を下げ適当な言葉をまくし立てると、フレイヤの返事を聞くこともなく立ち去ろうとする。周りからの信じられないものを見るような目が癪に障る(ウザい)が、この面倒くさい女神から離れるのが最優先。

 

 だが、そんなことは女神とその眷属が許さない。周りに気付かれることなく現れた猫人(キャットピプール)、アレン・フローメルがレインの背後から銀槍を突き付ける。見えないがここを囲むように他の眷属も潜んでいる。

 

 それに気が付いたレインは顔を思いっきりしかめ、フレイヤはレインの態度に怒ることもなく、むしろ楽しそうに笑い、

 

「もしここで離ればなれになってしまったら、私は世界中に依頼(クエスト)を出さなければならないわね。私の伴侶(オーズ)になりえるかもしれない、レインという少年を見つけてね、と」

「チッ」

「あの方に舌打ちしてんじゃねえ。殺すぞ」

「お前もさっきまで舌打ちしてただろうが……」

 

 結局フレイヤから逃げることは出来ず、レインはこの町――『イスラファン』という国に属する、ボフマン曰く『商人の町』――を探索することになった。フレイヤの『探しもの』――伴侶(オーズ)を探すために。

 

 レインはさっさとフレイヤの目にかなう人物を見つけて、そいつに自分の身代わりになってもらいたいと考えていた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 レイン達を迎えたのは目抜き通りの市場(バザール)だった。幅広の道を埋め尽くさんばかりの多くの店が並んでいる。店の種類は食品・武具・嗜好品と様々だ。

 

 レインがすぐそばにあった焼肉料理(ケバブ)を買って食べ歩く。三口食べたところでフレイヤに一口ねだられたので丸ごと渡したが。「つれないわね」というフレイヤの言葉も、フレイヤに気が付き股間を膨らませた男からの視線も無視する。

 

 そのまま進んでいくと少し空気がひりついてきた。フレイヤもそれに気が付いたのか瞳を細めている。二人の様子に気が付くこともなく頻りに揉み手をしていたボフマンが手で周囲を示す。

 

「ご覧の通り、この町には多くの人と物が集まります。異国の品はもとより――奴隷も」

 

 その言葉に反応したかのように、とある集団が横道から目抜き通りに現れる。同時にこれまでとは異なる喧騒が市場(バザール)に響きわたる。

 

 性別、種族に統一性がない彼らは、一様に服とは言えない襤褸(ぼろ)を纏っていた。その顔は疲弊しきっており、瞳には悲観や絶望が滲んでいる。両手には鉄枷が、首には錆びた首我が付けられ鎖とつながっている。

 

 鎖でつながれ列を作る彼らは、正真正銘『奴隷』だった。

 

 今更奴隷を見てもレインは驚かない。昔の自分なら全ての奴隷を救おうと考えただろうに、今の自分はそういうものだ、奴隷を扱わなければ生きられない者もいる、奴隷にならねば生きられない者もいる、と割り切っている。そんな自分に思わず自嘲の笑みをこぼした。

 

 ボフマンの話に耳を傾けると、このカイオス砂漠では戦争が起こっているらしい。戦っているのは北の『シャルザード』という王国と、東の『ワルサ』という国だ。

 

 いきなり『ワルサ』が宣戦布告し、『シャルザード』は敗北した。敗因は『ワルサ』が強大な傭兵系の【ファミリア】を軍部に引き入れたため、『シャルザード』はまるで歯が立たず、王都は陥落、国内は蹂躙されたそうだ。

 

「つまり国が荒れ、奴隷が生まれやすい環境になっているということね」

「おっしゃる通りですぞ」

 

 フレイヤとボフマンが話をまとめる。奴隷たちは無辜の民だったのだろうが、血と暴力に酔った戦士たちにそんなことは関係なかったのだろう。これで町の空気がどこか物々しかったのかもわかった。

 

「で、ですがご安心を! 『シャルザード』の王都は確かに落ちましたが、軍部は逃げのびた王子を擁護して、今でも各地で抗戦を続けておりますぞ! 『ワルサ』もそれに手一杯でしょうし、こちらに飛び火することはまずないでしょう!」

 

 フレイヤの機嫌を損ねまいと思ったのか、ボフマンが必死に言葉をまくし立てる。とはいえそれに意味はないだろう。フレイヤはそんなことを気にする神ではない。

 

 いつまでも奴隷を見ていたいとは思えないし、さっさと別の場所に行こうと提案しようとしたレインだったが、風が吹いてフレイヤの美貌を隠していたフードが外れたため、提案できなかった。

 

 『美の女神』の美貌に当てられ、彼女に気が付いたものは例外なくぼうっと夢心地のような面持ちとなる。ボフマンもフレイヤの顔に性懲りもなく見惚れている。

 

 レインは表情を微塵も揺るがすことなく、また足止めを喰らうのかと辟易していると、フレイヤがとある方向を凝視していた。それに気が付いたレインはその方向を見てみる。

 

 そこにいたのは褐色の肌にぼさぼさの黒の髪の少女。瞳の色は薄紫で、顔は薄汚れているが、とても整っている。年は十五、十六といったところか。他の奴隷と同じようにその身を襤褸で覆っている。

 

 なぜフレイヤが彼女を見ていたのかがわかった。彼女はレインと同じようにフレイヤを()()()()()()()

 

 正気を取り戻した遣いが鞭を振るい、奴隷の歩みを再開させる中、少女はレインの視界からも見えなくなった。気配でどこにいるのか分かるので特に変わらないが……

 

 フードを被り直し、フレイヤが風のように歩き出す。三日月の形に変わった女神の唇が行き先を告げる。

 

「ボフマン。奴隷市場に連れて行って頂戴」

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 ――数時間後。レインは街の住人から『オアシスの屋敷』と呼ばれる、町一番の豪商のみが住むことを許される『リオードの町』で最も大きい建物の中にいた。この屋敷は現在、とある女神の私物と化していた。

 

 奴隷市場に行ったフレイヤ。ここでこの女神はとんでもないことをしでかしたのだ。

 

 ”目的の奴隷の子を手に入れるために、全ての奴隷を買い取る”という暴挙を。奴隷商が何かを言っても、都市最強派閥(フレイヤ・ファミリア)の名前で黙らせていた。

 

 本人曰く、「汚い魂が目に入るなんて嫌だから、全部買い取って町を綺麗にする」とか言っていたが、奴隷はそんな言葉を聞いても大喜び。レインの視線の先で長ソファーに横たわっている女神に、その奴隷たちが食事を運んだり、大きな団扇で風を送ったりしている。

 

 フレイヤは奴隷を買い取ると同時にこの屋敷も買い取り、奴隷たちに食事をふるまっていた。彼女にとっての最低限の落とし前で、これをしなければ彼女の『品性』が損なわれるらしい。

 

 そんなフレイヤに奴隷たちは心酔していた。自分達を救ってくれた麗しき女神に、深い敬愛と忠心を抱いている。傍に侍っている美男美女の瞳は陶酔の色で濡れていた。

 

『ハーレム? 逆ハー? (ぬる)いわ』などと言わんばかりの光景だった。

 

 フレイヤは小さな子供から老人に至るまで、さまざまな人物たちから感謝の言葉を受け取っていた。フレイヤが慈愛や慈善の精神でやったわけではないことを知っているレインとしては、その光景は言葉にしがたい。偶に送られてくる嫉妬の視線も鬱陶しい。変わってやろうか、本当に。

 

 ちなみにフレイヤの無茶ぶりをやり遂げて戻ってきたボフマンだが、憔悴しきっていた。もし気に入られていなければ、レインもこの扱いだったのかもしれない。

 

 そんなボフマンだが、ポロリと欲望を漏らしたことで音もなく現れた四つの影――ガリバー兄弟のアルフリッグ、ドリヴァン、ベーリング、グレール――によってどこかに連れていかれた。「たっ、助けっンンンアアアアアアアアア!?」という悲鳴に元奴隷たちは驚いていた。

 

 彼等の賢い選択は全てを忘れ、フレイヤへ礼を告げていくことである。

 

「――あら、来たわね」

 

 『その少女』が現れたのは、並んでいた列が終わろうかといった時だった。

 

 美しき薄紫色の瞳を持つ彼女の名は、アリィ。フレイヤが見初めた少女であり――旅の目的である『伴侶(オーズ)』になりうるかもしれない人物。レインにとっては身代わりになってくれそうな少女である。

 

 ぎこちなくお礼を告げた少女に女神は顔を近づけ、何かを呟く。すると少女は後ろによろめくが、その顔を強くゆがめている。それを見てフレイヤの笑みが深まる。ついでにフレイヤを見ていたレインの『フレイヤ、被虐趣味(マゾヒスト)疑惑』も深まる。嫌な顔をされるほど笑うとか……マゾなのか?

 

「夜が来るまでに、身を清めておきなさい。私の寝室に来るのに相応しい、あなたの美しい姿を見せて頂戴」

 

 呆然としているアリィを残してフレイヤは椅子から立ち上がり、レインの前まで来る。

 

「貴方もよ、レイン。今夜は私と寝るのだから、身を清めておいてね」

「!?」

 

 その言葉と微笑に、レインは顔を上げ睨みつける。フレイヤは愉快気にその場を後にした。

 

 フレイヤの眷属たちが見張っているこの屋敷。唯一この屋敷を逃げ出せる力を持っているレインは、本気で逃げるかしばらく悩むことになる。

 

 屋敷の外で日が落ちようとしている。夜はもう、すぐそこだった。




 レインが逃げなかったのは、フレイヤはやると言ったら本当にやるとわかったからです。


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四話 少女の正体

 文を区切るところに♦♦♦を入れてみました。


 レインは(強制的に)浴場に連れていかれ、身体を隅々まで洗い、ボサついていた髪をくしで整えられることになった。他人に身体を洗われるなど恥でしかないので、身体は自分で洗ったが……。

 

 嫌々ながらも用意された砂漠での夜着を身に纏い、この屋敷の最上階にあるフレイヤの部屋に向かう。元奴隷たちからの羨ましそうな視線を振り払うように階段を上っていると、その途中でレインと同じくフレイヤに目をつけられた少女、アリィに出会った。

 

 彼女のボサボサだった髪はくしで整えられ、清楚な砂漠風のドレスを着せられている。身体は隅々まで洗われ、香油もたっぷり使われたのだろう。ほんのりと耶悉茗(ジャスミン)の香りがした。

 

 アリィもレインに気が付き、こちらに目を向けてくる。

 

「貴殿は……確かレイン、だったか? 大分見た目が変わっていて驚いたぞ」

「そうか。そういうあんたも随分綺麗になったな」

「ぶっ!? い、いきなり綺麗とか言うな! 驚くだろうが!」

 

 顔を真っ赤にして怒鳴ってくる。アリィの方が褒めてきたから当たり障りのない返事をしたというのに……解せぬ。

 

 歩き方が若干乱暴になった少女の横に歩幅を合わせて並ぶと、レインは気になっていたことを尋ねてみた。

 

「アリィ。お前は王族、もしくはその関係者か?」

「!!」

 

 変化は劇的だった。アリィはうつむきがちだった顔を上げ、その薄紫の瞳を見開き歩みを止める。ふむ、なるほどな。

 

「そんなに露骨な反応をすれば、図星だと言っているようなものだぞ」

「……なぜ私が王族関係者だと思った?」

 

 警戒心丸出しの目でこちらを見るアリィ。その態度が正体を露見させているようなものなのだが、それは置いておく。

 

「一つ目にしゃべり方。普通の奴隷は人を呼ぶとき『貴殿』なんて呼ばないよ。商人ならその呼び方をしても不自然ではないけど、商人が奴隷になるとは考えにくい」

「考えにくいだけで、なる可能性はあるだろう。私が王族だという証明にはならない」

 

 こいつ自分から王族だと暴露したな……開き直ったのか、おっちょこちょいなのか……真面目な顔から察するに後者だろう。つい喋ってしまった感じだな。

 

「二つ目にアリィ。お前は俺に『貴殿』と言いながらレイン『殿』とは言わなかったな? 商人ならば失礼のないように相手が誰だろうと『殿』か、最低でも敬称をつけるだろう。『貴殿』といいながら呼び捨てにするということは、それだけの権力と立場を持っているか、余程の馬鹿のどちらかだ」

 

 二人ともフレイヤの部屋に向かって進めていた足を止め、その場で向かい合って話す。周りに人は一人もいないので、声を潜める必要もない。

 

「そして三つ目。フレイヤの前でぎこちなく礼をしたことだ。多分だけどあんたは『拝礼』をしようとしてやめたな? だから礼をするのが他の奴らよりぎこちなくなったんだ。これが一番の決め手かな」

「…………」

 

 黙りこくってしまったアリィ。頭の中は自分の迂闊(うかつ)さを攻めているのか、自分のふるまいを見直しているのか……フレイヤの部屋に行くことを忘れているのは確実だろう。

 

「ところでアリィ。あんたは『男装』が似合いそうだな。身なりを整えれば、『一国の王子』に見えなくもないだろう」

 

 その言葉で、アリィの顔が致命的なまでに歪んだ。

 

「俺が聞いた話によると、アラム王子は処刑されたシャルザード王の唯一の子供で、絶世の美男子。年齢は十六で、姉や妹といった人物は存在しない。王は子宝に恵まれなかったらしいな」

「っ……!」

 

 沈黙したまま肩を震わせる少女。レインはアリィ――正体を隠しているアラム王子の秘密を突き付ける。

 

「アラム王子は男児ではなく、『女児』。子宝に恵まれない王が男として育ててきた……そんなありきたりな話だろう」

 

 アリィは目の前の男を恐ろしく思った。この男はわずかなヒントだけで自分の正体にたどり着き、さらに重大な秘密まで見抜いた。どんな思考回路をしているんだ、こいつは!

 

「私を脅すつもりか……!」

 

 もしこの男がこの秘密を言いふらすつもりならば、自分はこいつの口をなんとしても封じなければならない。金や権力は今は使えない。同性の自分ですら頬を染めてしまうフレイヤの美貌を鼻で笑うこいつに、色仕掛けが通用するとは思えない。なら、殺すしか――

 

「ないな。脅す気なんて欠片も」

「なっ……」

 

 レインはあっさりと返答した。思わず間抜けな声が漏れる。

 

「強いて言うなら、忠告とフレイヤに対する嫌がらせだ。あいつもあんたの正体に気付いているぞ」

「え!? そ、それは本当か!」

「あの女神の場合、あんたの雰囲気で気付いたんだろうな。あれは奴隷が持つ『威風』じゃないぞ」

 

 初めて見た時、レインはアリィのことを『雌伏して時を待つ虎』だと感じた。『魂』を見ることが出来るフレイヤなら、その時にアリィの本質に気が付いていただろう。

 

「あの女神のことだ。これから部屋に行ったら俺と似たようなことを聞くだろう。それに対するあんたの反応を楽しむ気だろうな」

「そのためだけに、私の正体を考えたのか?」

「ああ。俺はここに無理やり連れて来られたからな。なるべく嫌がらせをしてやるつもりだ」

「……貴方も大変だな」

 

 アリィの目が同情するようなものになった。言葉遣いも若干砕けている。意識して変えたのだろう。

 

「さっさと行くか。待たせすぎると何されるか分からん」

「確かにな。急ごう」

 

 二人の男女は急いでフレイヤの部屋に向かった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 レインの予想通り、フレイヤはアリィの正体に気付いていた。アリィの正体を聞かされることになったボフマンは顔を青ざめさせていたが。

 

 アリィはフレイヤの言葉を聞いても平然としていた。もしレインから忠告されていなければ、動揺を態度に現してしまっていたかもしれないけれど、一度経験すればどうということもない。

 

 フレイヤはアリィの様子につまらなそうにしている。このフレイヤの表情を見れただけでもレインとしては満足だ。

 

 フレイヤが話し終えると、アリィがここから解放して欲しいと言い出した。自分は王だから、救わなければならない民と、自分を待っている兵士たちがいる。貴方への恩は必ず返すから、シャルザードへ行かせてほしい、と。

 

 それをフレイヤはあっさりと快諾。女神に利益がないと判断したボフマンが口を開こうとしていたが、そんなことを気にすることなくフレイヤは、

 

「私は従属する人形が欲しかったわけじゃないし……貴方の言う『恩』は必ず返してもらうわ」

「……感謝します。外の世界の女神よ」

 

 拍子抜けしたような顔をしていたアリィは、その言葉に緊張を纏いなおす。悪魔と禁断の契約を結んだかのような(間違っていない)面持ちで、深く頭を下げ、形ばかりの礼を告げた。

 

 彼女はボフマンに連れられて部屋を出ていき、フレイヤとレインだけが残った。

 

「あの子が私に正体を見抜かれた時、ちっとも『魂』に揺らぎがなかった……。レイン、あなたの仕業ね」

「知らんな。彼女の心があんたの予想より強かったんじゃないのか?」

「……まあいいわ。貴方は絶対に真実を喋らないでしょうし」

 

 来なさい、とフレイヤは人二人など余裕で収まる寝台(ベッド)に座った。レインもこちらの腕が一方的に届く距離をあけて座る。

 

「レイン、貴方の目的は何かしら?」

「あんたに言う必要がないな。話がそれだけなら――」

「私は貴方の『魂』の本質が見たい」

 

 フレイヤがゆっくりとレインの方へ近づいてくる。レインはフレイヤの言葉を聞いて動かない。

 

「貴方の『魂』は美しいわ。盗賊や闇派閥(イヴィルス)達のように不快な”黒”ではなく、つい目を奪われてしまう夜空のような”黒”」

 

 月に例えられることのある(フレイヤ)に相応しいわね、と言いながらフレイヤはレインの顔を両手で挟みこむ。全てを見透かす銀の瞳で、レインの黒い瞳を覗き込む。

 

「そんな夜空に雲が掛かっている。私はその雲を取り払って、月と星々が輝く美しい夜空を見てみたい」

 

 レインは弱弱しくフレイヤの腕を振り払う。レインの瞳を見る時、フレイヤはからかうような笑みではなく、天界(うえ)から子供たちを見守る、まさしく超越存在(デウスデア)の笑みを浮かべていた。その笑顔を見てしまえば、さすがのレインも皮肉を返すことが出来ない。

 

 それを見透かしたかのように、フレイヤは昼間に見せたからかうような笑みを浮かべ、

 

「さあ、私に一夜の夢を見せて頂戴」

「今の俺なら従うと思ったのか。あんたに一瞬でも抱いてしまった俺の尊敬を返せ」

 

 押し倒そうとしてきたフレイヤをレインは容易くかわす。そのまま近くにあったカーテンの紐を取ると、フレイヤを布団で簀巻きにした。神を恐れぬこの所業。こんなことが出来るのはレインか、とある酒場の女将くらいだろう。

 

 簀巻きの美の神という世にも珍しい物体を残してレインは部屋を出る。扉を閉める間際、

 

「……雲が取り払われることなんてない。俺にその意思がないのだから」

 

 呟かれた言葉は誰にも拾われることはなかった。

 

 ーーたった一人の女神を除いて。

 




 レインの魂にかかっている雲とはいったい……

『拝礼』……王族たちが習う、神に対する礼の仕方。


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五話 砂の海を渡る

作者の投稿スタイル。出来たら投稿、それだけ。

今回は長めです。


「寝過ぎた……! 悠長にしている暇はないというのに!」

 

 王子である身分を隠すアリィが飛び起きたのは、日の出からしばらく時間が経った後だった。奴隷になる前も後も移動続きだったので、疲弊しきっていたのだ。今は疲労もほとんど残っておらず、頭もスッキリしているが。

 

 慌ただしく行動を開始し、旅支度を済ませる。フレイヤに借りを作りたくないアリィだが、背に腹は代えられぬとお付きの従僕達に差し出された旅装を着込む。ちなみに旅装は腹立たしいほど着心地がよかった。

 

(何なんだあの女神は……私のことを『本命の一つ』などと言っておきながら、簡単に解放するなど……。恐らく他の『本命』は私と一緒に部屋に呼ばれた……いや、今はそれどころではないか)

 

 もし自分がいなくなれば、フレイヤの興味は完全にあの黒い少年に行くのだろうか? あの面倒くさそうな女神に付き合わされていた少年に同情しながら、アリィはフレイヤが購入した『オアシスの館』を出た。

 

 その間際、門衛よろしくたたずんでいて、何故か片頬が赤く腫れあがっていた猫人(キャットピープル)に、

 

「ちッ」

 

 と露骨な舌打ちをされたが。

 

 身に覚えのない苛立ちをぶつけられ、うろたえたものの――すぐにその疑問は解消されることになる。

 

「……何故、ここにいるのですか?」

 

 屋敷が建つオアシス中心の島から町の北側にかかる、木製の大橋の上。そこには女神と黒い少年が待ち構えていた。アリィの頬が引きつる。

 

 アリィはフレイヤという神の性格を分かってない。フレイヤは確かに『解放する』と言ったが、この神が興味を示したものをむざむざ手放すわけがない。どこへだろうとついて行って、近くで観察するだろう。

 

 ――自分の伴侶(オーズ)に相応しいかどうか。

 

 当然のごとくアリィはついてくるなと拒絶したが、フレイヤに「『路銀(ろぎん)』はあるの?」と言われて黙りこみ、「私の同伴を許可するなら、それで『恩』を返してもらったことにする。支援も最大限する」という言葉に折れた。呻きながら肩を落とし、渋々といった様子で許可を出す。

 

 猫人(アレン)が舌打ちした理由は、こうなることを予想していたからだ。ちなみに頬が腫れていたのはフレイヤを簀巻きにしたレインに怒りを抱き、夜中の内に始末しようとレインを襲撃したが、見向きもせず放たれた裏拳で沈められたからである。

 

 目の前でにっこりと笑う女神(フレイヤ)と不機嫌そうな表情をしている少年(レイン)の後ろを、アリィは諦め半分の思いで歩き出すのだった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 フレイヤの『路銀』(フレイヤ曰くデート資金)の調達方法は、酒場にいた金をたっぷり持っている商人と自分の身体を賭けてゲームをすることだった。美の神の身体を好きにできると思った商人は、すぐさま賭けに乗った。

 

 遊ぶゲームはチェスに似たこの砂漠地帯で主流の『戦盤(ハルヴァン)』と呼ばれる盤上遊戯(ボードゲーム)。フレイヤはこれを一度もやったことがないままゲームを始めた。

 

 結果は――フレイヤの圧勝。いっそアリィの胸がすくぐらいボコボコにしていた。真っ白になっている商人の男の手からフレイヤは財布を受け取る。

 

 フレイヤが圧勝した理由は単純だ。神は地上に降りても『全知零能』。ルールさえ分かってしまえば勝つことは容易い。これを教えられたアリィは、あらためて感じた超越存在(デウスデア)の理不尽さに胸焼けを起こしそうだった。

 

 ちなみにレインはこの酒場にいる間、気配を完全に消し切っていた。フレイヤの傍にいると視線が鬱陶しいからである。

 

 資金を手に入れたアリィだが、買い物でも疲れ果てることになった。フレイヤがあまりにも自由過ぎるからである。食料や水以外の無駄なものを買うなと言っても、女神は様々な魔石製品を買っていた。

 

 砂漠の旅の過酷さをアリィが語っても、フレイヤは「旅をつまらないものにするつもりはないから、私は『嗜好品』を揃える」と言って聞かなかった。それどころかアリィが王宮でもさんざん言われた言葉、「貴方(おうじ)頭が固い(きまじめすぎる)」でたしなめられる。

 

 図星を突かれたアリィが反抗的な態度を取っても、フレイヤはどこ吹く風だった。自由奔放な女神の言動に、アリィは頭を掻きむしりたくなる。そんな少女の様子に、女神はクスクスと笑う。上機嫌に。

 

 見る者が見れば、今のフレイヤの様子に驚いただろう。自分への口答えを許し、むしろ楽しそうに受け入れているのだから。

 

 周囲に散らばり陰から見守る美神の眷属たちは、不愛想な表情を浮かべる者、不機嫌を隠さない者と様々だったが、猪人(ポアズ)の武人だけは僅かに目を細め、気ままな女神の笑顔を眩しそうに見つめた。

 

 レイン? 女神と少女が買った商品を自然と押しつけられて、釈然としない表情で女神が少女を振り回すのを見ていたが。

 

 アリィが何度も叫び、フレイヤが機嫌よく旅支度を進める。その後ろをレインはため息を吐きながらついて行った。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 『リオードの町』に玄関口と呼べるものは四つある。南に設けられた砂海の船(デザート・シップ)の港と、旅人や隊商(キャラバン)が頻繁に出入りする北と東西の門だ。レイン達は北の門から出発した。レインは徒歩、アリィとフレイヤは駱駝(ラクダ)に乗ってだ。

 

「砦は一日二日で行ける距離ではない。いくつか中継点を見繕ってあるから、そこで夜を過ごして出発の繰り返しだ。今日は北のオアシスに向かう」

「好きにして頂戴。私はついて行くだけだから」

 

 レインの意見は聞かれなかった。もとより何かを言うつもりはないが、釈然としない。

 

 荷物を結んだ駱駝にまたがった二人の女性は、視界一面に広がっている砂の海を渡りながらも言い争っている。アリィがフレイヤに対してつっけどんな態度を取っているだけだが。

 

 今の口論の内容は、「本当に護衛を探さなくてもよかったのか?」だった。アリィは何度も探そうと言ったが、自由気ままな女神は「必要ないわ」と言って本当に探さないまま出発した。

 

 レインから見れば、アリィがいつモンスターに襲われるのかと気を揉んでいるのが分かった。Lv.9(レイン)にとってそんなものは杞憂に過ぎない。いきなり目の前にモンスターが出現したとしても、一秒と掛からず葬れる。

 

 それに自分たちの周りには――このカイオス砂漠にも名声が聞こえてくるほどの最強派閥がいる。

 

『――――ッッ!?』

 

 砂漠の大蜥蜴『デザート・リザード』が、断末魔の悲鳴すら許されず()()()()()。五頭いた四M(メドル)を超えるモンスターは、神速の銀槍によって屠られていた。アリィは、その一瞬の出来事を目で追うこともできなかった。

 

「……護衛がいらないとは、こういうことか」

 

 くだらなそうに槍を振り鳴らすアレンを見ながら、アリィが呟く。彼にとってはフレイヤを守っただけで、アリィやレインのことを守ったつもりではないのだろう。アリィのことは無視、レインには微かに殺気が込められた目を向けていた。

 

 アリィはアレンしかいないと思っているが、さほど離れていないところに()()いる。それをフレイヤに教えられて辺りを見渡しているが、恩恵(ファルナ)も授かっていない少女に見つけられるわけがない。アリィは顔を引きつらせた。

 

 一方で、フレイヤは駱駝から下りていた。お尻が痛いし、酔いそうらしい。神を上から見下ろす気になれないアリィは、仕方なしに自分も下りる。駱駝を買った意味がなくなった瞬間である。

 

 体力を消費するから無駄話をしないと言っていたアリィだが、退屈なのか話を振ってきたフレイヤに根負けしたらしい。話す内容はどうして奴隷に堕ちていたか。

 

 答えは敵軍(ワルサ)から逃げるため。どれほどひどい扱いをされようと、王子(アラム)の立場では逃げることが最優先。それ以外は些事に過ぎない。

 

 最後の言葉は、言い切るまで躊躇があった。話を聞いているはずのフレイヤは、特に何も言わなかった。レインも、何も言わなかった。

 

 三人は進む。この地に住まうアリィでさえ、地平線の先でも途切れることがないのではと思うほど、広大な砂の海を。そんな彼女等を、道中、モンスターは何度も襲ってきた。

 

「――シッ」

 

 その全てがアレンの銀槍の餌食となった。大蜥蜴(デザート・リザード)も、砂蠍(サンド・スコーピオン)も、空を飛ぶ狩鷹(バルチャー・ハンター)も全て例外なく全滅する。

 

 まるでとらえることの出来ない闘猫(とうびょう)の影に、アリィは感嘆を禁じえなかった。下界の住人はここまで『規格外』なれるのかと。すぐそばに『規格外中の規格外』がいるとアリィは考えもしなかったが。

 

 アレンしかフレイヤの眷属が姿を見せないのは、アレンが最も速く、効率よく危うげなくフレイヤを守ることが出来るからだ。何度もアレンを見るうちにアリィはそれを察した。

 

「じろじろと見るんじゃねえ、クソガキ。煩わしい。黒い野郎は死ね」

「クソガっ……!?」

「何故俺まで文句を言われねばならん」

 

 【フレイヤ・ファミリア】の凄まじさ、恐ろしさの一端を垣間見て、戦闘を終わらせたアレンの横顔をつい見つめていたアリィに、乱暴な文句が飛んでくる。なにもしていないレインにまで。

 

『あなたの方こそ私と負けず劣らずチビではないか!』と憤ろうとしたアリィ(160C(セルチ))だが……直前でやめた。その言葉は禁句の気がした。あと問答無用で八つ裂きにされそうな気がした。

 

「フッ、お前もアリィ(こいつ)位の身長しかないだろ。チビ猫」

 

 そんなことを恐れないレイン(180センチ半ば)は、容赦なく言い返す。鼻で嗤うおまけ付きで。ぶち殺そうとするアレンだが、レインの覇気(アビリティ)によって動きを封じられる。できるのはレインを睨みつけることだけだ。

 

「もっと言ってやれ」「いい気味だ、あのクソ猫め」「あの方に発情しながら反発する錯乱猫が」「ここの砂を持って帰ってあいつのトイレとして設置しておこう」

 

 アレンによくチビと言われる小人族(パルゥム)達の罵詈雑言に、アレンの額に青筋が刻まれる。黒い少年からウザい四つ子の小人族にターゲットを変更。察したレインが覇気(アビリティ)を解除する。

 

「……貴方は何故、あの女神にそこまで尽くすんだ?」

 

 そんなやり取りを目にしながらもアリィの口から出てきたのは、単なる疑問だった。私だけ何も言い返せないのは癪に障る、というだけで発した疑問だったが。小人族(パルゥム)を仕留めに行こうとしたアレンの足が止まる。

 

「てめえに言う必要がどこにある、間抜け」

「っ……! 貴方は町を出る前も、出てからもずっと不機嫌そうだっ。主神のお守りなど面倒だと、今も思っているのではないのか!?」

 

 返ってきた暴言を前に、声を荒げる。だが、アリィに背を向けていたアレンから帰ってきた言葉は、少なからず少女に衝撃を与えるものだった。

 

「俺は俺であるために、あの方に身も心も捧げている」

「!」

「本音を言えば鎖で縛って閉じ込めておきたいが、それをしたら『あの方』は『あの方』じゃなくなる。俺が俺じゃなくなるようにな。なら……俺が面倒に苛立っている方がうまく回る。それだけのことだ」

 

 態度は最悪、性格は凶暴。しかしこれだけ屈強な眷属を従えていることが、アリィとフレイヤの『王』としての差を提示しているようだった。

 

 片や味方とはぐれ全てを失った自分、片や精鋭に忠誠を誓われ女王のごとく振る舞う女神。それはアリィの劣等感を刺激した。  

 

「……お前達は、何故そこまであの女神に忠誠を誓う?」

「……なに?」

 

 気づけば、アリィの唇はそんな言葉を吐いていた。警備に戻り、ついでに小人族を半殺しにしようとするアレンが立ち止まり、ゆっくりと振り返る。

 

「あの女神は、自分勝手だ。神らしいと言えばそれまでだが、横暴に過ぎる。娯楽だと言って笑い、己の欲を満たすことしか考えていない。王などではなく、まるで妖婦のようにっ」

「おい、口を塞げ。俺はお前の喉を引き裂く許可をもらっちゃいねえ」

「アリィ、流石に言い過ぎだ。フレイヤにイラつくのは分かるが、一旦落ち着け」

 

 フレイヤを侮辱されて、アレンの口調に明確な棘が混じり始める。しかし、それも静かな怒りだった。妖婦は少しひどいと思ったレインもアリィを宥める。それは駄々っ子を慰めるようだった。

 

 前者には歯牙にもかけられず、同類だと思っていた少年にも敵に回られた。レインにそんな気はなかったが、その行動がアリィの頭に血を上らせ、見境を奪った。

 

 一人先を歩いていたフレイヤが振り返り、こちらを見守ってくる中、アリィは叫んでいた。

 

「貴方達は口では文句を言いながらもどうせ女神の美に酔い、体のいい人形に成り下がっているのだろう! あの女が『魅了』したが故に!!」

 

 直後、アリィは()()()()()。不要な言葉を捨て、一筋の純粋な殺意を抱き、アレンは銀の穂先を繰り出した。

 

 それを止めたのは猪人(ポアズ)黒妖精(ダーク・エルフ)白妖精(ホワイト・エルフ)、四つ子の小人族(パルゥム)。彼等は殺生を忌避してアレンを止めたのではない。むしろ彼等もアリィに怒りを抱きつつ、それでも女神のために制止した。

 

「アレン、槍を下げて頂戴」

 

 オッタルの言葉でも、首に刃を突き付けられても少女を殺さんとしていた猫人(キャットピープル)は、その女神の一声を聞いて槍を下ろす。怒りと忠誠心がせめぎ合うのが見て取れる、遅々とした動作だったが。

 

 そんなアレンにフレイヤは微笑み、アレンに倒された少女に歩み寄り、手を伸ばす。衝撃が抜けきらないアリィは無意識にその手を取り、立ち上がっていた。

 

「行きましょう」

 

 武器を下げて音もなく離れていったオッタル達を尻目に、美の神は旅を再開させる。レインは呆然と立ち尽くしているアリィをどうするか悩んだが、フレイヤの近くにいることにした。アリィの傍には未だアレンが残っているが、殺すことはしないだろう。

 

 痛がっていた臀部は回復したのか、駱駝に腰かけていたフレイヤに並ぶと、

 

「あら、私の傍に来るなんて……ようやく私の魅力に気が付いた?」

「別に。アレンがアリィに何か言いたそうだったからな。それだけだ」

「嘘つき」

 

 フレイヤの軽口を適当に返すと、昨日の夜に見せられたあの笑顔で否定された。レインはそれを直視できない。見てしまえば全てを見抜かれてしまいそうで――。

 

「アレンの言葉に思うところがあったんでしょう? だからアリィが殺されそうになっても、貴方は止めようとしなかった」

「…………」

「想像したのでしょう? 貴方の持つ『ナニカ』を否定されたとして……自分が冷静でいられるかを」

「……どこまで見抜いているんだ。あんたは」

「そうねぇ……貴方の魂にかかる雲の正体を教えてくれたら、私も教えてあげるわ」

 

 そこから二人は何も喋ることなく、ようやく追いついてきたアリィと共に砂の海を渡っていった。 

 




 はやく原作に入りたい。


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六話 女神の神意

ダンまちで一番好きなキャラはアルゴノゥト。めっちゃかっこいいので。


「食事にしましょう。私、お腹が空いてしまったわ」

「……ああ」

 

 フレイヤ達がいるのは中継点の一つである小オアシス。既に日は落ちて夜になっているものの、予定より早く辿り着いた。そのことに喜ぶこともなく、アリィは生返事を返す。上の空のアリィと疲れたフレイヤの代わりにレインが駱駝を木につなぐ。

 

 オッタル達は出てこない。フレイヤの言いつけなのか『三人の旅』の域を乱す真似はしないようだ。代わりにオアシス周辺を警戒している。

 

「調理して頂戴。私、料理は上手くないの」

「ああ……」

「(暴君みたいだしな……)」

「干し肉ばかりは嫌。果物が食べたいわ」

「ああ……」

「実は私、パンより重いものを持ったことがないの。だから食べさせて」

「ああ……」

「……アレンって好きな奴には嫌な態度をとる『つんでれ』ってやつだよな」

「ああ……」

「「…………」」

 

 生返事に、上の空。食事の準備を進める少女と会話が成立しない。

 

 フレイヤがわざと我儘(わがまま)を口にしても、生返事を利用してレインがアレンの嫌がりそうなことを言っても、怒ったり叫んだりといった反応がない。フレイヤはつまらないとばかりに、レインはフレイヤが何かをしでかすと察してため息をついた。

 

 そうして、食事を終えた後、レインの予想通り――

 

「アリィ。私、泳ぐわ」

「ああ…………はっ?」

「いきなり何を言い出すんだこの女神(アホ)は」

 

 そう切り出したフレイヤに、生返事しかしなかったアリィは動きを止めた。やるとしてもアリィにキスをするぐらいが精々だろうと予想していたレインは、冷めた目でフレイヤを見た。

 

 二人の男女の反応に、フレイヤは唇の端を吊り上げる。

 

「泳ぐの。このオアシスで」

「なっ、何をいきなり!?」

「だって、あれから貴方、碌に口を利かないじゃない。アレンも悪いけれど、このままじゃ私が退屈で死んでしまうわ。レインは滅多に喋ろうとしないし。だから、泳ぐの」

「おい、あんたが泳いだらここが観光名所になって迷惑がかかるだろうが……」

「そこじゃないだろうっ!! 何寝ぼけたことを言ってるんだ、お前は!」

 

 オアシス周辺で音もなく小人族と小競り合いをしていた猫人(キャットピプール)が鼻を鳴らすのがアリィには聞こえた気がしたが(レインには聞こえた)、すっとぼけたことを言う少年に怒鳴った後、荷物を漁っている女神に食ってかかる。

 

「オ、オアシスは旅人の共同の財産だ! 垢を落として汚していいわけがっ――!」

完全な存在(デウスデア)から老廃物(きたないもの)なんて出ないけれど……気になるなら魔石製品を使いましょう。これで入る前より綺麗になるわ」

「い、今だって寒いのに、水浴びなんてすれば凍えるぞ!」

「それも魔石製品ね」

 

 アリィの言葉の弾幕を、全て『魔石製品』で撃ち落とす美の神。オラリオ万歳とばかりに、レインが持っていた袋から次々と魔石製品が出てくる。浄化柱やいろんな色の暖房機(ストーブ)。砂漠の旅に限りなく必要ない魔石製品(おにもつ)だ。

 

 それを運んでいたレインは、オアシスの岸にそってストーブを設置し、作動させて笑っている女神を呆れた目で見る。アリィはフレイヤがこれを最初からやるつもりだったと悟って、卒倒しそうになった。

 

「――って、本当に脱ぐなぁ!?」

「女同士なのだから、隠す理由はないでしょう?」

「俺がいるんだが」

 

 遠慮なく服を脱ぐ女神にアリィが赤面しながら叫び、フレイヤが服に手をかけた時点で後ろを向いていたレインが存在を主張するが、

 

「私は気にしないわ」

「気にしろよ。不運な誰かがアンタを見て、失明することになったらどうするんだ」

「そ、そうだ。誰かに覗かれたりなんかしたら――」

「オッタル達が見張っているから大丈夫よ」

「だからこそ言ってるのに……」

 

 レインの後ろには、この世のものとは思えない美しすぎる裸体があるのだろう。それを見てしまった者は、【フレイヤ・ファミリア】によって目を潰されるだろう。潰される者が幸運なのか不運なのか、レインにはさっぱりわからないが。

 

「あはっ、冷たいけれど――気持ちいい!」

 

 そんな中、フレイヤは遠慮なくオアシスの中に飛び込んだ。

 

 魔石灯の光にライトアップされた水飛沫(しぶき)が、貴石のようにきらめく。七色に輝く水と戯れる女神は宝石世界の住人のようで、やはり此の世のものとは思えない美しさを誇っていた。

 

 それを見ることなくレインはオアシスの外に足を進める。今も頬を染めて眺めているアリィに自覚はないが、そこは遍く世界の男神と人々がうらやむ特等席だ。

 

 それを()()()()()()と切り捨て、昨日はあまりすることの出来なかった鍛錬をしようとしたが、

 

「レイン――笑っていなさい」

 

 何の脈絡もなく放たれたフレイヤの声に足を止め、振り返る。フレイヤは笑顔で水との戯れを続けたままだった。その相好はレインが見たことのない無邪気な少女のそれだ。

 

「貴方はきっと、私がどれ程言葉を与えても変わらないのでしょう。それだけの『自分』を貴方は持っている」

「……それが笑っていることに、どう関係するんだ」

「『始まりの英雄』」

 

 再び何の脈絡もなく告げられる言葉。その単語は知っている。昔いた本が好きなだけの無力な少年が、この世で最も大切な人と同じのお気に入りの英雄譚に出てくる英雄。その名前は――

 

「彼――アルゴノゥトはどんなにつらかろうと、悲しかろうと、やせ我慢だろうと笑った。周りに笑顔を与え続けた。私が知っている英雄たちでも、彼より心が強い人間(こども)はいないかった。――レイン。貴方が何を抱えているのか(わたし)にも分からない。どうして一度も心から笑わないのかも」

 

 抱えていること自体は分かるんだけどね、と言いながらフレイヤがオアシスから上がる。きめ細やかな肌と美しい銀髪を濡らす水滴は、女神の美貌をより際立たせる装飾品(アクセサリー)だ。フレイヤの裸体を見まいと、レインは背を向ける。

 

 その少年の背をなぞるように指を這わせ、紡がれる女神の神意。それを少年が忘れることはきっとない。

 

「笑っていなさい。貴方が一人で背負うには重すぎるものを背負いたくても、貴方は人を惹きつける。その意志を貫きたいならば、笑っていなさい。周りに心配などされず、希望と勇気を与え続ける、強く気高い――英雄のように」

「…………」

 

 レインが何かを返そうとする前に、フレイヤはオアシスの方へ戻っていった。あのやり取りが休憩ついでに行われたのか、ここに来る前から予定していたものなのか、レインには分からなかった。でも、どちらであろうと少年には関係なかった。

 

 女神の方を見てみると、今度は王子である少女と話していた。彼女等からなるべく離れた場所に設置された魔石灯の傍に近づく。正確にはオアシスに。  

 

 魔石灯の光のおかげで、水面は鏡のようになっている。そこに映るのは瞳に光がなく、感情のかけらもない不愛想な少年だ。少し見るだけでも「何か悲しいことがあります」と言っているように感じられる。というか、それ以外感じられない。

 

 口の端を吊り上げる。しばらく使うことのなかった表情筋は思うように動かなかったが、それでも笑顔と呼べるものが出来た。

 

 この日から少年の日課に、笑顔の練習が加わった。 

 



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七話 少年の嫌いなもの

タイトルを決めるのが結構大変。


「レイン。何故、なんかこう、見る者をイラっとさせるふてぶてしい笑みを浮かべているんだ? フレイヤの言葉に翻弄される私を馬鹿にしたいのか?」

「……そんなつもりはなかったんだが。すぐに作ることができる笑顔がこんなのだったんだ」

「純粋な善意で忠告するが……その笑顔を人前で見せるのはやめておけ」

 

 目指していた国境の隠し砦が見つかったのは、アリィたちが『リオードの町』の町を出発して三日目の夜だった。彼女らが見る国境は、岩盤が露出した岩石砂漠(ハマグ)だった。

 

「あそこだ! シャルザードの隠し砦がある場所は!」

 

 レインとの会話を切り上げたアリィが駱駝の上から指さすのは、山のごとくそびえる岩石群。かつて訪れたことがあるのか、岩の塊にしか見えない場所に確信の笑みを浮かべ、旅の終わりを喜んでいる。

 

「……」

 

 それに対して、レインは眉をひそめた。特に優れたところのない人間(ヒューマン)でも、Lv.9になれば視力に優れた種族である小人族(パルゥム)、嗅覚に優れた獣人よりも五感が優れている。

 

 ()()()()()()の姿が見当たらない。それどころか僅かな魔素の残留と、風に乗った血の匂いがわかる。

 

 オラリオで摩天楼施設(バベル)最上階から『魂』を見ることが出来るフレイヤの視力も優れている。彼女の銀の瞳には、『魂』の輝きが映っていない。

 

「アリィ。血の匂いがする。あの砦ではいつも血の匂いがしているのか?」

「……えっ?」

 

 アリィは最初、何を言っているのかわからない顔を浮かべた。しかしその意味を受け止め、理解すると、彼女は青ざめ駱駝を走らせた。その後をレイン、フレイヤ、フレイヤに砦の様子を確認させられたアルフリッグが追う。

 

 洞穴を利用した砦に足を踏み入れた瞬間、彼女達を迎えたのは、焼き払われた肉の臭い、そして血を吐いて転がる数々の死体だった。

 

「そんな……そんなっ!?」

 

 アリィは悲鳴を上げた。すぐに一人の将校に駆け寄って、その体に手を伸ばす。少女が片腕を失い、胸を穿たれた亡骸を涙を流しながら抱きしめるが、すでに潰えた命は二度と瞼を開けることはなかった。

 

 笑みを消し去ったレインが泣き崩れるアリィを尻目に、砦の奥に足を進める。剣で斬られた痕、槍で貫かれた痕、魔法で焼かれた火痕。鎧をまとった死体が無念を語るように致命傷を晒すその奥から、大量の血の匂いがする。

 

 恐らく司令室だったそこは無残なものだった。壁に掛けられていたシャルザードの国旗、三日月と一輪の耶悉茗(ジャスミン)の紋章が無残に引きはがされ、その代わりに兵士達の血ででかでかと文字が書かれていた。

 

「『名乗り出よ、アラム王子。でなければ、次はイスラファンを火の海に変える』……」

 

 抑揚のない声で、レインは血の文字を読み上げた。レインを追ってきたアリィはおぞましい所業に吐き気をこらえる。商人の密告か、あるいは神の慧眼か、ワルサは王子(アラム)商業国(イスラファン)に身を寄せていることに気付いたらしい。

 

 そして、

 

「『最初の見せしめは、リオード』……」

 

 アリィが引き継いだ言葉を読み上げたところで、レインの姿はその場から消えていた。

 

「えっ……レインが消えたっ?」

「行くわよ。『リオードの町』に」

 

 血の文字を読んで初めて感情を消した女神が、戸惑う少女の手を引いて洞窟を出る。間に合うはずがないと少女は言うが、第一級冒険者の『足』ならば、駱駝で三日かかる行程など()()()で走破出来る。

 

 フレイヤが心配しているのは、もしも自身の予想通りのことが起きていたとすれば、自分はどうやって()()()()()()()()()、だ。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 爆発したかのように砂が舞う。Lv.9の『足』を全力で動かすレインは、()()()()()()で『リオードの町』を視界に捉える。

 

 だが、それでも――遅きに失した。

 

 『リオードの町』は燃えていた。砂漠の夜の下、赤々とした炎と煙が、まるで火葬のごとく立ち上る。

 

 耳をすまさずとも聞こえてくるのは女子供の悲鳴。許しを乞うのは商人達の叫喚か。最も耳に障るのは、黒く濁りはてた欲望を含む、獣以下に堕ちた兵士達の嗤い声。

 

 レインの目を楽しませた市場(バザール)はすでに荒らし回されており、色とりどりの商品がぶちまけられている。死体もそこかしこに転がっている。

 

 生存者の影は見えない。代わりに悲鳴が町の中央から聞こえてくる。そこに向かおうとしたレインは、すぐそばの脇道を見て――体中の血を凍らせた。

 

 目に入るのは鎧をまとった複数の男。その中心で汚されるのは、レインに焼肉料理(ケバブ)を売ってくれた可愛らしかった少女。近くでは手足を斬られ動くこともできず、血涙を流す少年が男たちを睨みつけている。二人の左手薬指にあるのは同じデザインの指輪。

 

 光を失った瞳から尊い雫を流す少女の唇が小さく、それでもハッキリと動く。欲望に身をまかせる男たちは気にも留めない。

 

『にげて、にげて。あなただけでも』と何度も何度も。その口も欲望の満たす道具として酷使され、汚される。

 

 

 

 

 

 

 

 「逃げて」と身体を鋭利な刃物で何度も刺される少女が叫ぶ。彼女は大切な人の無事だけを願っていた。腹を貫かれた少年は身動きすらままならず、少女がただ死にゆくのを眺めていた。無様に、滑稽に……許しがたいほどに。

 

 少年は自分の中で、黒い炎が心を包むのがわかった。

 

 

 

 

 

 

 

 気付けば……本当に気が付けば、足元には兜をまとった男達の首が転がっていた。その顔は下卑た笑みのままだ。それをレインは無感動に()()()()。その手には血の付いた青白い剣が握られている。

 

 少女はこと切れていた。心が死んだことで体も生きることをやめたのか、それとも別の理由なのか。瞳から血の涙を流していた少年も、憤怒の表情で力尽きている。

 

 レインは汚れるのも厭わず、少女を担ぎ上げて少年の隣に並べる。その行為に意味がなかったとしても、せめて天界か来世で一緒になれるようにと願う。

 

「――おや? ラシャプ様より頂いた兵士を殺したのは君かね?」

 

 無駄にでかい声がレインのいる脇道に響く。振り返るとマントを羽織った精悍な(ヒューマン)がいた。そいつは右手に魔導士の杖を、左手にはまだ幼い少年と少女の死体を持っていた。

 

 少年と少女には見覚えがあった。フレイヤに救われ、解放してくれた女神に幼いながらも恩を返そうとしていた子供たちだ。開ききった瞳孔からは血と涙が流れている。

 

 男の声に気付いたのだろう。『リオードの町』を焼いた襲撃者たちが集結する。画一的な武装を纏った武装兵たちだ。

 

「殺した理由は町を焼いた我々に対する義憤に駆られてかな? 残念ながらそれは無意味だ! コレは我が主、ラシャプ様の神意に従ってのこと! それに刃向った君は、この神ラシャプの恩恵を賜いしマルザナの昇華を遂げし炎が焼き尽くす! この身はLv.2――」

「コレをやったのはあいつを――アラムを探し出すためだけか?」

 

 居丈高に己の能力(ステイタス)を誇るマルザナの言葉を遮り、レインが口を開く。口上を遮られたマルザナは顔をしかめたが、レインの言葉に含まれていた人名に、唇を吊り上げる。

 

「さすがラシャプ様!! こうしてアラム王子を知っている者を見つけ出すことができるとは、御身の眼はまさに全てを見通す天眼のごとく!」 

「質問に答えろ」

「いかにもその通り! さて、そんなことはどうでもよい。君にはアラム王子の居場所を教えてもらおうか。正直に答えれば苦しまずに殺してあげ――」

「もういい、黙れ」

 

 地獄の底から響くような低い声に、ワルサ兵の高揚していた気分が一気に消え去る。レインは一瞬で少年と少女の遺体を奪い取ると、包み込むように覇気(アビリティ)を発動させる。巻き込まないために。

 

 レインの瞳に『人間』は映っていない。殺すことすら生ぬるいほどの罪を犯した畜生にも劣る『獣』を、レインは決して許さない。

 

「【我に従え、(いか)れる炎帝(えんてい)】」

 

 呟かれるのは一小節。スキルで必要ないのにもかかわらず唱えられた詠唱は、ワルサ兵には死の宣告のように聞こえた。

 

「【ナパーム・バースト】」

 

 その手から大紅蓮が放たれた。

 




 詠唱した理由。スキルを忘れるくらいキレていた。

 レインが嫌いなものの一つ。幸せに生きることを許されている者から、下劣な欲望で幸せを奪う奴(盗賊とか山賊とか)。レインの過去が関係している。


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八話 統世の魔女

お気に入りが一気に増えてびっくり。


 忌々しそうに少女を担ぐ猫人(キャットピプール)に運ばれたアリィは、荷物も同然の扱いをされて叫び散らしぐったりしていたが、『リオードの町』を視界に捉えれば驚きを隠せなかった。

 

 ここまで本当に僅か数時間で到着したことにも驚いたが、町の外にそこそこの住人が集まっていたことに驚いた。彼等は()()()()()()()()()()()()のだ。今も炎を上げている町を見つめている。

 

「おいっ、ここにはワルサ兵が来たはず! なのに何故逃げようとしないんだ!?」

 

 今も町の中から悲鳴が聞こえる。もしかすると彼等はまだ町の中に残っている住人を見捨てることが出来ないのかと思ったアリィが、慌てるが故に声を荒げてしまう。

 

 その声に反応した住人がアリィ達の方を振り向く。彼等の顔は青ざめ、その手足はガタガタと震えていた。まるで恐ろしいナニかを見たかのように……。

 

「あんた……黒ずくめの少年の知り合いか?」

「レインのことか? 確かに私達はそいつの仲間だが――」

「頼む! あの()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

「……は?」

 

 思わず声が漏れてしまう。化け物からワルサ兵を助ける? ワルサ兵から少年(レイン)を助けるではなく? もしかしてこいつはワルサ兵のスパイか何かなのか? アリィの頭が混乱する。

 

 そんなアリィを置いてフレイヤが町の中に入っていく。それに気が付いたアリィも、慌ててその後を追う。

 

『――ギャァアアアアアア!!??』

 

 三日前に通った北門を再び通ると、町の中央部――フレイヤが買った『オアシスの屋敷』のある方から凄まじい絶叫が響いた。その方角からはここからでも目が眩むほどの光が放たれている。

 

 光に目が慣れると、アリィの眼には鮮血で汚されたオアシスや、ぶちまけられた品々、冗談のように転がる大量の死体が目に入った。あまりの光景にアリィが立ち尽くしていると、フレイヤ達のもとへ駆け寄る影があった。纏う衣装のあちこちを焦がした男、ボフマンである。

 

「フ、フレイヤ様ぁぁぁぁぁぁ!? ど、どうか、どうかお助けをぉ!」

「先に状況を言え」「速やかにだ」「フレイヤ様の『私財』はどうなった」

 

 女神を背にかばって立ちふさがるガリバー兄弟に、折檻をうけたボフマンはびくりと怯えたものの、それ以上の恐怖を保ったまま説明した。

 

「と、突如ワルサの兵が急襲し、防壁を突破っ、問答無用で町に火を! 略奪の限りをつくしながら、『アラム王子はいるか』と問い、答えられぬ者から葬って……!」

「……ァ」

 

 自分がここに身を寄せたせいで、無関係の国の人々が襲われてしまったことにアリィは絶望する。フレイヤは今にも崩れ落ちそうな少女も、膝をついて戦々恐々としながら言葉を絞り出すボフマンも一瞥することがない。

 

「フレイヤ様の『私財』をも……。屋敷にも押し入られ、元奴隷たちは既に……」

 

 フレイヤはボフマンの言葉を最後まで聞かずに進む。その先は『オアシスの屋敷』に続く道。そこに横たわっていたのは、彼女の眷属になりたいと願った、少年と少女だった。その瞳に光はない。

 

「…………」

 

 手を重ねるようにして死んでいる少年と少女の瞼を、フレイヤは汚れるのも厭わず、無言のまま片手で覆い、そっと閉じさせた。

 

 他にも逃げ延びようとしたのだろう。道の奥には多くの奴隷が倒れ伏していた。全てフレイヤが買い取った元奴隷たちだった。例外なく、殺されていた。

 

 女神の相貌には、何の感情も浮かんでいなかった。

 

「やめろ……やめろぉぉぉぉぉ――!?」

 

 

 

 

 

 

 

 その光景に、涙を流すアリィの叫びが(とどろ)くが――それはすぐに途切れることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 どしゃり、と建物の陰から音が響いた。それも複数。少女の悲鳴が敵を呼び寄せたと思った眷属たちは、フレイヤを守るために彼女の前にでる。

 

 『ソレ』が姿を現した途端――歴戦の戦士たちですら目を見張ることになる。

 

「……ダ……ジュゲデ、ェ……」

「アヅぃ……! アジィよォィ……!」

「死ニデぇ……シねネぇ……ェ!」

 

 言葉にするなら『燃え続ける人間』。例外なく火に全身を包まれているソレ等は、第一級冒険者でさえ脅威に感じる火力にも関わらず生きていた。身に纏っていた物は見当たらず、皮膚は見える範囲のすべてが炭化して黒くなっている。

 

「ウプッ、オエェ……! なんだ……なんだ、これはぁ!?」

 

 あまりのおぞましさにアリィが胃液をぶちまける。アレンが面倒くさそうに燃える人間を殺そうと槍を構えるが、ボフマンが慌てて止める。

 

「炎に触れてはなりません! 一度燃え移ったが最後、()()炎で身をあぶられ続けることになります! 水の中に飛び込もうと炎は消えません!」

 

 ボフマンの言葉の意味が分からない。女神の眷属たちがボフマンに目を向けて、答えを吐かせようとする。だがボフマンが答えを口にする前に、フレイヤが歩き出した。他の面々も燃える人間を避けてついて行く。

 

 ついに――『オアシスの屋敷』にたどり着いた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 そこに広がるのは地獄絵図。数えきれないほどの人間が炎に身を焼かれ続け、絶叫を上げている。水を狂ったかのように頭から浴びている者もいるが、炎が弱まる気配はない。時折呟かれる神の名は、炎に焼かれて誰の耳にも届かない。

 

 これが町の外で告げられた言葉の真実。敵に同情してしまうほど、目の前の光景は悲惨過ぎた。

 

 再び吐きそうになったアリィだが……フレイヤの視線の先にあるものに目を見開く。

 

 フレイヤが見ていたのは『オアシスの屋敷』の屋根の上。そこにいるのは全身黒ずくめの少年と、純白の炎を身に纏う大きさ三メートル程の巨鳥。その鳥の姿からは神々しさすら感じられたが、少年の目を見た途端、心の底から震えあがる。

 

 呆れた目でも、バカを見る目でも、怒った目でもない。まるで駆除するべき害虫を見るような――おおよそ普通に生きてきた者の目ではなかった。

 

 アリィは恐怖から目をそらしたが、彼女の目の前にいる女神は――笑った。普段となんら変わらぬ声音で少年に呼びかける。

 

「レイン。この炎は貴方の手によるものかしら?」

「そうだ」

「お願いがあるの。この炎を全て消して頂戴。ついでに傷も治してくれると嬉しいわ」

「……………………わかった」

 

 あっさりと承諾したレインが純白の炎鳥(えんちょう)を見る。鳥が応えるように一声なくと、一瞬ですべての炎が消えた。炎に包まれていた奴等には火傷一つ残っていない。 

 

 炎に焼かれていた奴等――ワルサ兵達の喜びは凄まじかった。全員が涙を流し、女神に感謝を捧げる。神ラシャプから改宗(コンバージョン)すると叫ぶ者も多かった。

 

 誰も気が付かなかった。フレイヤの笑顔の中で自分達を見る目がレインと同じものだと。

 

「お礼はいらないわ――私は貴方達を()()()()()()()()()()()」 

「……?」

 

 最前列でフレイヤに(こうべ)を垂らしていた男――マルザナが首をかしげる。今も続く感謝の声を断ち切るように、女神の声が響く。

 

「ヨナ、ハーラ」

 

 いくつもの名前を、音に変えた。

 

「アンワル、ラティファ―,ムラト、ヒシャム、ハジート――」

 

 滔々(とうとう)と読み上げられる人名にワルサの兵も、マルザナも、アリィでさえも戸惑いを隠せなかった。

 

 終わることのない女神の読み上げに、マルザナが疑問の声を上げようとしたが、区切りをつけたフレイヤは声音を変えた。初めて、そのソプラノの声に威圧を込めた。

 

「貴方達が殺めた、私の子供たちの名よ」

 

 その言葉を聞いた瞬間。アリィの体に、電流が走り抜けた。

 

「町が燃えようと、人が死のうと、戦争の犠牲になんて興味はない。けれど私の子に――『私のもの』手を出した輩は、許しておけない。」

 

 フレイヤは覚えていたのだ。解放した奴隷たちの名を。気紛れで助け、自分の名を呼んだ人々の顔を。()()()()()()()()()()()()()()()!!

 

「な、なにを……」

「誰だって自分の所有物に手を出されるのは嫌でしょう? 財でさえ、想いでさえ……命であっても」

 

 ようやくフレイヤの異常な様子に感付いたのか。マルザナは確かに気圧された。その超常の存在に、怯えた。

 

「だから、相応の報いを受けてもらうわ」

 

 フレイヤは彼等を憐れんでレインから助けたのではない。報復するためにレインから奪ったのだ。それに気付いたレインは大人しく従った。フレイヤもレインと同じように怒りを覚えていたことに、一目で気が付いたから。

 

 フレイヤの眼が見開かれる。銀の瞳が妖しく輝く。その体から、異様な『神威』が立ち昇る。

 

「――――――ッッ!!」

 

 その時、初めてアレンたちが顔色を変えた。いかなる状況にも動じなかった最強の冒険者たちが、焦りをあらわにした。

 

「目を閉じろ!!」

「えっ?」

 

 なりふり構わないアレンの怒号にアリィは動けない。舌打ち交じりに猫人(キャットピプール)は彼女に飛び掛かり目を、そして耳を強引に塞ぐ。

 

 視覚と聴覚が途絶えた世界の中で、けれどアリィは、その女神の『神威』を捉えた。あらゆるものを貫き――『魂』そのものを鷲掴みにせんとしてきた。

 

 そして――レインはフレイヤ(見てはならぬもの)から目をそらさなかった。

 

 

 

 

 

 

『ひれ伏しなさい』

 

 

 

 

 

 

 

 ”すべての人間の鼓動が弾けた”。”あらゆる生命の音が、打ち震えた”。びくりっと全身を痙攣させたアリィは、そう錯覚した。

 

 その『神の声』は一言だった。しかしその一言で――立ち尽くしていたワルサの兵とマルザナは、()()()

 

 一糸乱れぬ動きで、女神の前にひれ伏す。

 

「はははぁ――――――ッ!」

 

 アレンから解放されたアリィは、異様な光景に目を見開いた。

 

 誰もがおかしかった。その頬は上気し、口から垂れる涎を野放しにし、悠然とたたずむ女神を仰ぐ。その眼差しにはもはや好色などの感情は存在しない。あるのは目の前の存在だけを望む『虜』の感情だけ。まさに『魂』を抜かれたように。

 

「私の愛が欲しい?」

「は、はいっ!ぜひっ、どうかっ、何ものにも代えてっ、貴方様のご寵愛をぉ!!」

「そう。でも困ったわ。私は貴方達を許さないと決めたの。報いを受けさせないと気が済まない。そんな子達を、どうして愛せるかしら?」

「そ、そんなぁ……!?」

 

 女神の一言一句に、マルザナと兵は翻弄され、打ちひしがれた。既に笑みを浮かべているフレイヤは、銀の瞳を輝かせながら、魔女の言葉を重ねる。

 

「けれど、そうね。死して天界で待ってくれるなら、あるいは――」

 

 次の瞬間、マルザナ達は狂笑のごとく唇を吊り上げ、落ちている鋭い木片、石、武器を拾い上げる。

 

「畏まりました! 待っております――我が女神!!」

 

 『惨劇』は一瞬だった。兵士達が手にした凶器を眼窩に、首に、あるいは胸へと突き立てる。マルザナは呪文を唱え、喉仏に押し当てた手から『魔法』を発動させた。

 

 閃光と爆音が走り、笑みを貼り付けた男の顔が宙を舞い、天に届くことなく落ちる。フレイヤの神意に従い、全ての敵兵が死んだ。

 

 これがフレイヤの『魅了』。何人たりとも逆らうことを許さず、全てを茶番に成り下げさせる、無敵の力。それは絶対支配。傾国の魔女ならぬ『統世(とうせい)の魔女』。

 

 フレイヤがあらゆるものを支配しようとしないのは、娯楽を楽しむため。何より下界を尊重しているため。己の権能がこの上なく虚しく、これ以上なくつまらないと理解しているから。

 

 だからフレイヤは下界にまつわるものを『魅了』しようとしない。女神の逆鱗に触れられた、その時を除いて。

 

「私が天界に帰って、今日を覚えていたら愛してあげる。覚えていたら、ね」

 

 その時アリィが見たフレイヤの笑みは、無慈悲に魂を弄ぶ女王の笑みだった。

 

 その女王は屋根の上で、()()も変わった様子を見せぬ少年を見つめていた。

 

 少年の女神を見る瞳は、空に浮かぶ月を雲が隠したことで見ることは出来なかった。

 




【ナパーム・バースト】

 炎の攻撃魔法ではなく、炎の精霊を使役するという希少魔法。使役する精霊は炎の大精霊にあたるフェニックス(低級の精霊もいるので、こういう精霊もいるはず。作者の願望)。

 攻撃対象をかすっただけで灰にする超火力から、今回のように永遠に火炙りの刑にすることも可能。自然現象の火も操れる。

 また、火に関する負傷のみ回復させられる……訳ではない。ワルサ兵が死なずに火であぶられたのも、火が消えた途端治ったのも、これが理由。

 この魔法によって生み出された炎は、レインの意思か、最上位の回復魔法でしか消すことが出来ない。防ぐなら『精霊の護符』。

 ボフマンが炎の性質を少し知っていたのは、町の中を逃げ回っている時に、ワルサ兵からワルサ兵に炎が燃え移るのを見たから。それでレインにビビった。

 旅をしている時、レインはこの魔法で火を確保していた。エルフに見られれば誹謗中傷待ったなしである。



レインがフレイヤに『魅了』されなかったのは、スキル【???】が関係しています(どんな感じでこのスキルの正体を書こう……)。


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九話 少女が『力』を求める者は

作者はダンメモとか、ダンまち原作を読んでレインのLv.を9にしたのですが(どんな敵と戦ったのかとかも考えました)、オラリオではどうやったらLv.9になれるんでしょう?

 最高到達階層は58階層。59階層に行ったフィンたちはLv.6止まりですし、オッタルはバロールを半殺しにしてもLv.7のままですし……謎だ。


『ワルサ』の軍が『リオードの町』に火を放った翌日。

 

 レインは一人で焼き払われた町を見て回った。アリィも町の様子を見ようとしていたので一緒に行こうかと思っていたが……彼女の瞳に映る感情を見て、やめた。

 

 賑やかだった商人の町は今や見る影もない。王子の脱出を防ぐために砂漠の船(デザート・シップ)はおろか、港や交易品を保管する倉庫まで焼け落ちている。血で汚れたオアシスは、どれだけの時間をかければ元に戻るのかわからない。

 

 町のあちこちで煤にまみれた身を抱き合い、無事を喜ぶ者達を見かけた。亡骸の側で、涙を流す者達も。

 

 そして、レインに目をむける者達。自分達をひどい目に合わせたワルサを蹂躙した黒い少年(ばけもの)。そんな彼等の瞳には、『オアシスの屋敷』を出る時に見た少女と同じものがあった。

 

 恐怖。不安。嫌悪。ひとつとしてレインに好意的なものはなく、レインを見たものは急いでその場から消えていった。なかにはあらかさまに悲鳴を上げる者も。感謝を告げる者は一人としていなかった。

 

 少年は表情を変えることなく、朝から夜まで町の全てを見て回った。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「レイン」

 

 夜になって、からくも火の手から逃れ、元奴隷たちを失った女神の居城。レインに与えられた一室を訪れたのは、この町が襲われる要因ともなった少女。

 

 レインは素振りをやめ、アリィを見る。少女の顔に怯えはない。あるのは『覚悟』と『決意』だけ。アリィは王子であることを忘れたかのように態度を正し、少年に頭を下げる。

 

「どうか、私に力を貸してほしい。悪族ワルサを討つために」

 

 今の『ワルサ』を止めることはできない。過酷な砂漠世界は多くのLv.2の戦士を生む。とりわけ二度の昇華(ランクアップ)を果たした者は『勇士(カビール)』と呼ばれ、そんな『勇士(カビール)』が【ラシャプ・ファミリア】には何人もいるのだろう。あるいは――それ以上の戦士も。

 

 そんな【ラシャプ・ファミリア】を取り込んだワルサは、この西カイオス世界に衝撃が走り、緊張が高まる中、動じた素振りを見せていない。どれだけの国が徒党を組んでも、自国の戦力が打ち負けることなどないという自信の表れだろう。

 

「身勝手にも程があると分かっている。私のせいで襲われたこの町を救ってくれた貴方に、礼をするどころか恐怖の目を向けた私が縋るなど、虫が良すぎることを理解している」

「……」

「しかし今の私には、貴方しかいない。神フレイヤは私を助けようとはしないだろう。彼女にとって私の国を救うことは面倒事でしかないのだろう」

 

 アリィはフレイヤを理解していた。フレイヤの中では、奴隷たちを殺されたことによる『報復』は終わっている。彼女にはアリィの国を救う義理も義務もない。もしフレイヤに助けを求めればすぐに断られて終わりか、とんだ無理難題を吹っかけてきただろう。

 

「祖国は蹂躙され、民は冒涜され、あまつさえ関係のない他の国にも戦火が及んだ。私が、巻き込んだのだ。これ以上の暴虐を看過することはできない。そのためなら……私はいくらでも道化に堕ちよう。いくらでも『代償』を支払う」

 

『ワルサ』の進撃を跳ね返すには、今、目の前の黒き戦士の力が必要だ。あの銀の女王の戦士すら一蹴するこの戦士の力を借りる以外に方法はない。

 

「私の身を捧げる。私は、次の王が生まれるまでの所詮『中継ぎ』に過ぎない。新たな王位継承者が誕生するのなら、この身はどうなっても構わない。貴方に尽くして見せる。だから!」

 

 あの恐ろしき女神の『魅了』を耐えきった男が、自分の『女』を欲しがるとは思えない。でも、何もないアリィが差し出せるのは自分自身のみ。自分を供物に見立てて、嘆願する。

 

「願わくば、貴方の力をもって――」

 

 敵国を退治して欲しい。そんな少女の願いを、少年はみなまで言わせなかった。

 

「いらんよ。お前の身なんぞ」

 

 はっきりと一蹴する。アリィの顔が悲痛に歪む。レインの協力を得られないのなら、残るはフレイヤしかない。だが、あの女神がやすやすと自分の願いを聞き届けるはずがない。

 

(ならば、どうすれば……)

 

 失意に堕ちるアリィは、視線を床に落とそうとした。

 

 

 

 

 

「お前がここに来た時に、俺の答えは決まっている。――いいだろう。お前の力になろう」

 

 

 

 

 

 少女が顔を上げる。レインの顔に浮かんでいたのは不敵な笑み。少し前にはイラっとさせられたその笑みが、今のアリィにはとても頼もしかった。

 

「次の王が生まれるまでの『中継ぎ』? 関係ない。お前は生真面目に、馬鹿馬鹿しく、正しき『王』としての道を模索していたんだろう? ならばその道を最後まで突き進め」

 

 奇しくもその言葉は、オアシスで水浴びをしていたフレイヤに言われた言葉。目を見開く少女の顔にレインは指を突き付ける。

 

「いかなる王も、『博打』に、『勝負』に挑まなければならない時が来る。お前にとってはそれが今だった」

「……!」

「心底恐怖を覚えた俺に、民と国を救うために力を求めた。身じろぎ一つでも殺されるのではないかと怯えながらも、願いを語った。お前は『勝負』に挑み、それに勝った」

 

 ちょっと準備を済ませてくる、といってレインはアリィの横を通り過ぎる。部屋を出る直前、首だけを少女に向ける。

 

「アリィ。王とは、全てを自分で打開する奴じゃない。自分以外の者に希望を示し、先の栄光を証明する者だ」

 

 緩慢な動きでこちらを見返すアリィを部屋に置いて、レインは部屋を出た。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 レインが部屋を出たのは『ワルサ』を倒す準備のため――ではない。こちらに向かってくる複数の存在の対応をするためである。

 

 レインの部屋から離れた場所にある談話室。そこにいたのはフレイヤとその眷属達。

 

「こんばんは、レイン。こんな夜更けにどこへ行くのかしら」

「あんたに言う義理はないな」

 

 女神はいつものように笑っている。だがその目は笑っていない。彼女の眷属は全員が手に武器を持っている。

 

「レイン。アリィに力を貸すのをやめなさい。これはあの子の『魂』を輝かせるための『試練』。貴方のような存在(チート)がいれば、試練として成り立たない」

「そんなこと知ったこっちゃない。俺はあの子に力を貸すと決めた。あの子は俺に、お前の言う『王』としての在り方を示したんだ。あんたの望む形ではなかったのかもしれないが、俺を動かすには十分だった」

「ふーん……。やめようとしないなら、あの子を『魅了』して――」

 

 瞬間、オッタル達が地に()()()に這いつくばらされる。フレイヤの首には青白く輝く剣が薄皮一枚の距離で突き付けられる。

 

 レインはいつもの無表情ではない。凪いだ水面のように静かで、落ち着き払った表情だった。その黒瞳の奥に、果てしない虚無と哀しみが浮かんでいるような気がする。フレイヤはこれがこの少年の本質なのかと思う。

 

「次、そのセリフを口にしようとするか、実行する素振りを見せてみろ。俺は貴様を殺す」

「私を……脅すつもりかしら?」

「脅しだと?」

 

 あくまで静かに、レインが返す。

 

「脅しというのは、実際にはやる気がない時に使うことが多い。しかしあいにくだが、俺は本気だ」

「……ふ…………ふふふっ………あははははははっ!」

 

 いきなりフレイヤが笑い出した。刃が当たりそうだったので、慌ててフレイヤから離す。

 

「貴方の言うとおりね。アリィは『試練』を与えるまでもなく、『魂』を輝かせようとしている。アリィが貴方に助けを求めたところで納得するべきだった。それに私は従順な人形が欲しいわけではないものね」

 

 一人で喋りだし、一人納得する。機嫌良さそうにオッタル達に声をかける。

 

「もし、レインかアリィが力を求めたら従いなさい。この戦いが終わるまではね」

 

 フレイヤは言い切ると、最上階にある自室に戻る。それを見たレインがオッタル達を押さえていた覇気(アビリティ)を解除すると、彼等はフレイヤの後を追っていった。

 

「なんだったんだ、いったい……」 

 

 レインの思わずといった問いに答える者は誰もいなかった。

 




 原作レインを読んで不思議に思ったこと。レインはなんで王としての心構えを姫王に教えられたのだろうか?

 


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十話 少女の証明

 朝起きたら自分のノートパソコンが開いていた(物理的に)。昨日はちゃんと閉じたはずなのになぜ……。まさか……幽霊?


 誤字の報告をしてくださった方、ありがとうございました。


『アリィ。お前が国の平和を望むなら、今回取るべき手段は敵の『撃退』ではなく『殲滅』だ』

『!!』

『決して比喩じゃない。敵軍の数割を削って大損害、とかの一般的な話をしている訳ではないんだ。中途半端に敵を残せば泥沼化は避けられない。絶対に将来の禍根になる』

 

 月を僅かな雲が隠し、砂漠の夜はいつにも増して暗い。原始的恐怖を呼び起こす闇の中を歩くのはレイン。彼は少し前の会議を思い出しながら進む。

 

『ボフマンに集めさせた情報によると、ワルサの軍勢はおよそ八万。この数と戦う上で一つ問題がある』

『……やはり、戦力が足りないか……』

『いや、それは十分すぎるくらいある。何なら俺一人でも皆殺しにできる』

『はぁっ!? い、いくらなんでも冗談だろう?』

 

 嘘であってほしいと願うように、少女が同じ部屋にいる【フレイヤ・ファミリア】を見渡す。だが現実は無情だ。彼等は一切表情を変えなかった。アリィの頬が引きつる。

 

 ここ数日でアリィの中の常識が何度も破壊される。常識ってなんだっけ、と思考放棄しそうな少女を軽くはたいて会話を続ける。

 

『問題なのは敵があちこちに散らばっていることだ。討ち漏らしを出さないためには、全軍を一か所に集める必要がある。変な気を二度と起こせないよう徹底的に叩き潰すために』

 

 淡々としたレインの言葉。自分とさして生きた年月は変わらないはずの少年の言葉に、アリィは喉を鳴らし、ひたすらにうろたえる。

 

『だから、お前にも働いてもらう』

『……!』

『お前には、敵も味方もおびき寄せる『餌』になってもらう。……できるか?』

 

 澄み切った黒の双眸がアリィを見つめる。彼だけではない。オッタルやアレン達、みなが彼女に目を向けていた。値踏みするような眼差しに――アリィはぎゅっと手を握りしめた。

 

『やるさ! やってやるとも! 私を使え、レイン! 到底信じられないお前の戯言(たわごと)が、現実に叶うというのなら!』

 

 王子(アラム)の顔となって偽りなき思いをぶつける。アリィは王として、一人の少女として、まだ言っていなかったことを彼等に言い放った。

 

『どうか私の国を救ってくれ! 勇敢なる戦士達!』

 

 『王』の気迫を纏って、言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

 レインが向かっているのは一つの遺跡。そこには連絡の途絶えた先遣隊の消息を確かめるための部隊が休息を取っていた。レインの目的はその部隊の皆殺し。正確には――『リオードの町』から5K(キルロ)圏内に侵入するワルサの部隊の駆逐だ。

 

 白妖精(ホワイト・エルフ)の参謀は、黒妖精(ダーク・エルフ)と四つ子の小人族(パルゥム)を使って駆逐するつもりだったが、レインが町にいると住人が不安になって作戦がうまくいかなくなると考え、レインが駆逐担当になった。

 

 町から出て一分とかからずレインはワルサの部隊を見つける。派手な魔法は使わない。【ナパーム・バースト】などを使えば、発動時の光で他のワルサの部隊にばれてしまう。

 

 よって……発動するのは二つ目の魔法。こちらは威力を絞ればそれほど目立つことはない。

 

「――【アイスエッジ・ストライク】」

 

 次の瞬間、()()()()が氷で包まれる。遺跡が氷で覆われたのならば、その内部にいる兵士達がどうなったのかは想像に難くない。運が悪い者は自分が氷に包まれて死んでいくことを認識し、抗うことが出来ないことに絶望する。

 

 ワルサにとって悪夢が襲い掛かり始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「ひいいいいいいいいっ!?」

 

 ワルサの部隊が声を上げて逃げ出していく。彼等が必死に逃げようとしているのは、部隊一つを丸ごと()()した怪物だ。その怪物とは当然レイン。

 

 レインの持つ青白い長剣の名は《ルナティック》。『精神力(マインド)と引き換えに、本人の意思で威力と対象を調整できる不可視の斬撃を放つ』という、もはや砕けぬ魔剣と言っても過言ではない武器だ。

 

 だがこの武器は呪剣(カースウェポン)。呪いの内容は『使用者に狂乱状態を引き起こす』という恐ろしい呪い。この呪いのせいでメリットが完全に帳消しされてしまい、まともに扱える者はいなかった。

 

 現所有者であるレインはその強靭すぎる意志でその呪いをねじ伏せる。というか……そんな呪いがあること自体に気付いていない。

 

 恐ろしき魔剣によって砂漠は大量の鮮血を吸い、赤く染まっていた。そんなものを見てしまえば誰だって逃げ出すだろう。

 

 視線の先で南下していくワルサ兵。その先にあるのは『リオードの町』だ。痛めつけられた獣が、見境なく餌に喰いつくことを知っているはずのレインは、そのまま追うことをやめる。

 

 レインとヘディンで考えた作戦。それを実行するには、誰が見ても本気で襲ってきていると思う敵がいる。

 

 やるべきことをやった少年は、防衛線を通ってしまったワルサの兵を全滅させるために駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 アレンは不機嫌の極みにあった。

 

「ワルサの兵がまた攻めてきたー!!」

「でも尋常じゃないほどべらぼうに強い猫人(キャットピプール)猪人(ポアズ)がゴミ虫のように蹴散らしてるー!!」

「そんな彼等に命令を出す、あの高貴なお方は誰なんだー!!」

 

 歓声を上げる民衆の前で、『芝居』を打たされていたからである。現在の時刻はちょうど町の人々が起きだす時間帯だ。見計らったように現れたワルサ兵を、アレンは苛立ちも合わさっていつもより雑に、派手派手しく倒している。

 

 レインとヘディンの考えた作戦(マッチポンプ)。再びやってきた悪夢(ワルサ兵)に絶望するリオードの町の住人。その窮地を救う謎の一団。その一団はアレンとオッタル、そしてアリィだった。

 

 生き残った住人及び多くの商人は強き戦士に感激し、それを率いる一人の『王』に感謝と敬意を抱く――というのがこの計画(シナリオ)である。

 

 あらかじめレインは町の住人が見ている中で『リオードの町』を出ていっていた。恐ろしかった少年がいなくなったところに自分達を救ってくれる者達が現れれば、反動でアリィ達を簡単に信用する。

 

 住人は思惑通りに感激に打ち震えていた――ちなみに最初の説明臭い声援はファズ―ル商会の偽民衆(サクラ)である――。

 

 アレンが苛立っているのはこの『茶番』に付き合わされているのも原因だが、その前にレインに言われたことも苛立ちを増長することになっている。

 

 この計画(シナリオ)を話された時、アレンは当然反発した。自分の力は無力な小娘をつけあがらせるための道具ではないと。苛立ちを隠さないアレンに告げられたレインの言葉は、アレンのプライドを大きく傷つけた。

 

『じゃあ、お前の代わりはヘグニにやってもらおう。お前は砂遊びでもして、民衆の好感度を稼いでろ。砂で遊ぶの好きだろ、チビ猫』

 

 いちいち反発して話を止めるアレンに苛立っていたレインの暴言の威力はすさまじかった。部屋に響きわたるほど強く歯を食いしばることでなんとかその場にとどまった。そのまま立ち去っていれば、レインに言い負かされたことになるため、とどまるしかなかった。

 

 前夜のことを思い出してアレンの不快数値(ゲージ)が見る見るうちに上昇していく。

 

「やめろ、アレン! 殺生はするな!」

 

 うるせぇ、潰すぞ。背後から飛んでくる少女の声に、更に不快+殺意の数値(ゲージ)が上がる。

 

 微妙に気が入らない顔を浮かべたオッタルと共に、アレンは泣き喚くワルサ兵を豪快に薙ぎ払うのだった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 住人達の熱い歓迎をかわした翌日。その日のカイオス砂漠は、いつにも増して暑かった。

 

 アリィがいるのは普段は市場(バザール)として利用されている広場。見渡せば『リオードの町』の住人全員がいるのではないかと錯覚するほど、多くの人々が集まっていた。

 

 重要な話があると言って、アリィが――正確にはヘディンが――この場を設けさせた。町を救った『英雄』の頼みを、『リオードの町』の住人は快く聞き入れた。

 

 今からアリィは演説をする。それはシャルザード全軍への号令であると同時に、ワルサの軍勢を呼び寄せるための『餌』でもある。つまり自分の演説次第で、この砂漠の運命が決まる。

 

「フ、フフ……今こそ聖なる号砲を鳴らすとき……これは――」

「お前は喋るな、ヘグニ。……()()()()()、ここが貴方の戦場です。ご武運を」

 

 アリィに【フレイヤ・ファミリア】のヘグニとヘディンが声をかけてくる。ヘグニの言葉はヘディンに遮られてよく分からなかったが……。

 

 二人の言葉を聞き、アリィはふと自覚する。

 

――そうか、ここが私の戦場か。

 

 同時に思い出すのは昨晩のこと。アリィはヘディンに身支度を整えられたり、王としての心構えを教えられたりした。そして彼が去り際に告げたのが、

 

『仮初の主、貴方に多くは求めません。……しかしどうか、私達を失望させないでください。女神に選ばれたのなら』

 

 その言葉を思い出しながら、王である少女は叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 覚悟を決めた少女の宣誓は素晴らしかった。群衆が歓声を上げ、希望を託して熱砂の砂漠を討ち揺るがした。商人たちの覚悟と声が砂の風に乗り、カイオスの空へ羽ばたいた。

 

 それを見て、【フレイヤ・ファミリア】の面々も、その『王』たる少女を認めるのだった。

 

 姿形は見えずとも、風に乗って聞こえてきた少女の声に、住人に見つからないよう砂漠にいた少年は、目的以上の働きをしてくれた少女に心からの称賛を送った。

 




 あと二・三話で砂漠の話を終わらせたい。


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十一話 砂漠の旅の終わり

 レインの言動の書き方が難しすぎる。

 今回で砂漠編は終わりです。雑かもしれませんが許して。


「レイン」

 

 自室で鍛錬をしていたレインの所へ訪れたのは、前回来た時よりも晴れやかな顔をした少女。レインを見る少女の瞳に、怯えの色は残っていない。

 

 レインや【フレイヤ・ファミリア】はまだ『リオードの町』に留まっている。オッタル達ならものの数時間、レインならそれ以下の時間で『決戦の場所』につく。ここにとどまっているのは、自分が演説をすることでここにワルサが手出しをするかもしれないから、ギリギリまで守っていたい、というアリィの我儘だった。

 

「まずは謝らせてくれ。この町を救ってくれた貴方に失礼な感情を向けてすまなかった」

「気にするな。あの時は俺にも非がある」

「そうか……でもこれは、私のケジメのようなものだと思ってほしい」

 

 そう言ってアリィは頭を下げる。すぐに顔を上げるとレインの瞳と目を合わせ、偽りのない言葉を告げる。

 

「次に礼を言わせてほしい。私に力を貸してくれて。アレン達が力を貸してくれたのも貴方のおかげだろう。気が早いと思うが……この感謝の想いを伝えたい。だから――ありがとう」

「……こちらこそありがとう」

 

 レインの言葉は小さくて、アリィの耳に届かなかった。アリィは知る由もないが、救った人々から嫌悪の目で見られていたレインにとって、アリィの言葉はとても救いになった。それこそ彼女が頼んでこなければ、自分の方から力を貸しに行こうと思っていたほどに。

 

「明日も早いんだからさっさと寝ておけよ」

「分かっている。……なあ、レイン。私が……私が国を……」

「国を、なんだ?」

「……いや、なんでもない。これで用事は終わった」

 

 何かを告げようとして迷っていた少女は、それ以上何も言わないまま部屋から去っていった。しばらく彼女が何を言おうとしていたのか考えていたレインだったが、本人が喋らなかったのだから、自分が気にすることではないと思考を止め、鍛錬を再開した。

 

 集中しすぎて、深夜の屋敷に響きわたった二つの『あぁーーーーーーーーー!?』に気付くことはなかった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 その日も、カイオス砂漠は乾燥し、よく晴れていた。

 

 アリィが演説で指定した戦場である『ガブーズの荒原』は見晴らしの良い大地で、大軍の合戦にうってつけの場所であった。今日この日、シャルザード軍も、ワルサ軍もこの地を目指している。

 

 アラム王子の自分の身を顧みず打った号令はシャルザード軍の胸を震わせ、およそ二万もの兵が集まろうとしていた。全員の士気が高まっていた。

 

 だが。

 

 意気揚々と集まったシャルザード軍は、肝心のアリィやワルサ軍が『ガブーズの荒原』に見当たらなかったことで、石のように固まった。兵士たちの間を砂漠の乾いた風が吹いた。カサカサと枯草の塊(タンブルウィード)が通り抜ける。

 

 ――彼等どころか、誰も見抜けなかったであろう。

 

 『ガブーズの荒原』に集めさせたシャルザード軍は『餌』で。『決戦の場』はワルサ軍が五つの部隊に分かれて移動している砂漠地帯で。八万の軍を相手にするのがたった『八人の眷属』であることを。

 

「下準備はすべて終えた。後は一人も残さず――殲滅しろ」

 

 全てを考案したヘディンが眼鏡を押し上げ、告げる。満ちるのは冒険者たちの戦意。

 

 直後、『蹂躙』が始まった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「うん。気持ちいいぐらいボコボコにしてるな」

 

 甲板の上でそんな発言をするのはレイン。彼はフレイヤと共にファズール商会の『砂海の船(デザート・シップ)』に乗船していた。遠く離れた戦場が見える位置で、ゆるりと巡航している。

 

 最初はレインが魔法を使って、小分けにされる前のワルサ軍をまとめて消し飛ばすつもりだったのだが、それに【フレイヤ・ファミリア】が待ったをかけた。ヘディンは「お前ばかりに負担をかけるわけにはいかない」と言っていたが、レインの予想では彼等もワルサ兵にイラついていたので自分たちが殲滅したかったのだろう。

 

 証拠に、レインの視線の先でヘディンが無数の雷弾と一条の迅雷を放ってワルサ兵を蹂躙し、ヘグニが気弱な表情から目の吊り上がった戦士の形相となって死体を量産する。

 

 ガリバー兄弟は後に『たった四人で行う画期的な包囲殲滅陣』と呼ばれるようになる当人たちにとってはただの連携で二万の兵を駆逐し、アレンがその人外の疾駆で風を巻き上げ砂嵐を引き連れ、標的である師団を文字通り『全滅』させた。

 

 そしてオッタル。彼は無駄な殺生をせず、ただ悠然と敵本隊に向かっていった。しばらくすると敵の補給部隊の方角から体長二〇M(メドル)を超える巨蛇の魔物、『バジリスク』が現れたが、オッタルはたったひと振りの斬撃で、()()()()()()()()()()

 

 オッタルの斬撃は戦場全域を揺るがす衝撃を発生させ、ワルサ軍はおろかシャルザード軍、遠くで見守っていたアリィにも届いた。

 

「こんなもの見せられれば、当然心折れるよな」

「レイン殿は平気なのですか? 私には見ているだけでも恐ろしかったのですが」

 

 敵の本隊から何本も上げられる白旗を見て、レインが呟く。その言葉に律義に反応したのは用意された椅子の上で足を組むフレイヤの横にいた、褐色の偉丈夫である。

 

「俺に怖いものなんてない。それより……お前、誰だ」

 

 あまりにも自然に話しかけてきたから突っ込むのが少し遅れたが、レインはこの偉丈夫を知らない。褐色の偉丈夫はごく普通に答えた。

 

「ボフマンでございます」

「……冗談だろ?」

本当(マジ)でございます」

 

 レインの知っているボフマンはデブだ。間違っても筋骨隆々のちっちゃいオッタルみたいな奴ではない。昨日までは肥え太った肉の塊だったのに、一晩で何があったんだ。

 

 一夜の変身にびっくりしていたレインだが、見逃せない奴を見つけて意識を切り替える。そいつは『リオードの町』が蹂躙された時、必ず始末すると決めていた。

 

 誰かが止める間もなく、レインは『砂海の船(デザート・シップ)』から飛び降りた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 地平線に日が傾き、西の空が暮れなずむ。戦場から遠く離れた砂漠との境界線の森に潜むのは、先の尖った帽子を被った小柄な神。戦火を拡大させた張本人である神ラシャプである。

 

 彼は相手が【フレイヤ・ファミリア】と分かった途端戦場から離脱し、いかなる手段を用いたのかこの森まで逃げ出していた。

 

「いや~、フレイヤ様が出てくるとか予想外にもほどがあるでしょ。おかげで眷属み~んな死んじゃった。眷属だったみんな、君たちのことは忘れるまで忘れない☆」

 

 眷属が死んだというのに、神々にありがちな軽薄な態度を崩さぬまま笑う。彼にとっては眷属の死より、これからどうやって下界を楽しむかが重要だった。

 

「どうしよっかな~。王国(ラキア)に行って遊ぶのも面白そうだけど、アレスが面倒くさそうだし――」

「お前に今後を考える必要はない」

 

 ラシャプは後ろを振り返ろうとして、()()()()()()。声に反応した瞬間、ラシャプの身体は()()()()()()()()()包まれ、何もできぬまま意識は消えていった。

 

 その日――神が天界に送還される際に発生する光の柱が確認された。

 

 そして今回の戦争以降、暗躍していたとされる【ラシャプ・ファミリア】はシャルザードを脅かすどころか、どこにも姿を見せることはなかった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 やるべきことをやったレインがフレイヤと合流したのは、シャルザードから遠く離れ、オラリオに近い砂漠地帯だった。砂漠といっても少し歩けば緑の大地になるが。空は夜のカーテンに包まれ、月が輝いている。

 

 フレイヤの近くにアリィの姿はなかった。女神に惹かれ、少女自身も女神に惹かれていたというのに、少女は『王』としての道を選んだらしい。フレイヤの顔は大分不満そうだった。

 

「かなり不満そうな顔をしているな」

「……あの子は『王』だからこそ美しかった。なら私は美しく輝く方を選ぶわ」

 

 互いに言葉が少なくとも、言いたいことは伝わった。レインは少女と最後に話した時、彼女が悩んでいたことに答えを出せたことを喜んだ。

 

 しばらく無言で歩き続けていると、レインの目的地であるオラリオの外壁が見えてきた。予定より数日遅れて入ることになるが、レインは今回の砂漠での旅を無駄とは思わなかった。

 

 時間が時間だけに門に並ぶ人の列はない。レインは砂漠の旅に無理矢理突き合せた女神に向き直る。表情は砂漠の旅の間に身に着けた不敵な笑顔ではなく、柔らかな微笑だった。

 

「フレイヤ、最初は無理矢理付き合わされて嫌々だったが、楽しい旅だった。礼を言う」

「あら、喜んでもらえると嬉しいわね」

「今後関わることはほとんどないと思うが、あんたの『伴侶(オーズ)』が見つかることを祈ってるよ」

 

 そこまで告げるとレインは門に向かう。しかし、どこの【ファミリア】に入ろうかと考えるレインに、聞き捨てならない声が聞こえた。

 

「貴方はもう私の【ファミリア】に入っているから、関わらないことはできないと思うわよ?」

「おい今なんて言った」

 

 月の光を浴びて笑うフレイヤはとても美しい。そんな笑顔の美の神に詰め寄るレインはさっきの微笑が嘘のように無表情だ。フレイヤはいたずらが成功した子供のように、無邪気に笑う。

 

「貴方は既に私の眷属。オラリオに入ったら私達の『本拠地(ホーム)』に行くことになるわ」

「待て。俺はお前に背中を見せた覚えは――」

「知らなかった? 神血(イコル)は服の上からでも効果があるのよ」

 

 レインの脳裏によぎるのはフレイヤが水浴びをしたオアシスでの夜。あの時、フレイヤはレインに助言をしながら背中を指でなぞっていた。あれは【ステイタス】を刻むための行動だったのか!  

 

「……は、ハメやがったなクソ女神!!」

 

 夜空に少年の怒号が響き渡った。こいつ(フレイヤ)もやっぱり神だったということを改めて認識したレインであった。

 




 最後のやり取りを書くためにこの砂漠編を書いたと言っても過言ではない。

 ラシャプを始末したのは魔法。どの魔法を使ったのかは大体みんな分かってると思う。


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十二話 冒険者登録

 ついにあのスキル【???】の正体が……!?


フレイヤがいるのは珍しいことに『バベル』の最上階ではなく、本拠地(ホーム)の神室だった。彼女の手にある羊皮紙に書かれているのは、新たな彼女の眷属の【ステイタス】。

 

 

 

 レイン

 

 Lv.9

 

 力:G254

 耐久:I32

 器用:E461

 敏捷:E441

 魔力:F389

 

 狩人:A

 対異常:A

 魔導:B

 治力:C

 精癒:C

 覇気:D

 剣士:D

 逆境:I

 

 《魔法》

 【デストラクション・フロム・ヘブン】

 ・攻撃魔法。・詠唱連結。

 ・第一階位(ナパーム・バースト)。

 ・第二階位(アイスエッジ・ストライク)。

 ・第三階位(デストラクション・フロム・ヘブン)。

 

 【ヒール・ブレッシング】

 ・回復魔法。

 ・使用後一定時間、回復効果持続。

 ・使用時、発展アビリティ『幸運』の一時発現。

 

 【インフィニティ・ブラック】

 ・範囲攻撃魔法。

 ・範囲内の対象の耐久無視。

 ・範囲はLv.に比例

 

 《スキル》

 【???】

 ・成長速度の超高補正。

 ・ステイタス自動更新。スキルのみ主神による更新が必要。

 ・???????

 

 【竜之覇者(ドラゴンスレイヤー)

 ・魔法効果増大、及び詠唱不要。

 ・ステイタスの超高補正。

 ・魔法攻撃被弾時、魔法吸収の結界発現。一定量で消滅。

 ・精神力(マインド)回復速度の超効率化。

 

 【竜戦士化(ドラゴンモード)

 ・任意発動(アクティブトリガー)

 ・竜人化。発動時、全アビリティ超域強化。

 

 

 

 初めてフレイヤがレインのステイタスを見た時、耐久以外の能力値(アビリティ)はそれぞれ100~200は低かった。それがたった数日で恐ろしいほど高くなっている。異常すぎる成長速度。

 

 だが、フレイヤの目を引き付けるのは能力値(アビリティ)やLv.ではなく、一つのスキル。それはレインの『魂』を輝かせたいフレイヤにとって、最も重要な項目だった。

 

 

 

 【憎己魂刻(カオスブランド)

 ・成長速度の超高補正。

 ・ステイタス自動更新。スキルのみ主神による更新が必要。

 ・効果及び詠唱を完全把握した魔法の模倣(コピー)。魔法効果は自身の魔力に比例。

 ・自身への憎悪が続く限り効果持続。

 

 

 

 同じ魔法を持つ者が二人以上いることはまずあり得ない。魔法は本人の在り方を表しているようなもの。だからこそロキの所にいる【千の妖精(サウザンド・エルフ)】は反則(チート)と言ってもいい存在なのだ。同胞(エルフ)限定とはいえ、他者の魔法を行使できるのだから。

 

 それ以上の効果を持つスキル。どれほどの憎しみを持てばこれだけのスキルが発現するのか、フレイヤには分からなかった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 時刻は昼。冒険者はダンジョンに潜っているか、ご飯を食べているかで、ギルドにはほとんど人がいなかった。そんな中、ギルド職員の興味は、一つの窓口に引き付けられていた。その窓口には新たに冒険者になろうとする人物がおり、冒険者になるための書類に羽ペンを走らせている。

 

「――書けた。冒険者登録を頼む」

「はい。かしこまりま……した?」

 

 ギルドの窓口で受付をしていたハーフエルフ、エイナはマニュアル通りの対応をしようとして動きを止めた。原因は自身の手元にある登録申請書。そこに書かれている情報がオカシイ。

 

 名前はレイン。種族はヒューマン。年齢は彼女と同じ十八歳。字はミミズがのたうち回っているのかと思うくらい汚かったが、そこまでは別に問題ではなかった。問題は次からだ。

 

 所属ファミリアは【フレイヤ・ファミリア】。もし、都市外でLv.を上げていた人だった場合書いてもらうことになっている欄に書かれているLv.は――――――()。ファミリアの名前も重要だったが、その後の数字の方が重要過ぎた。

 

 顔を上げて目の前の人物を見る。ところどころが跳ねている漆黒の髪。いたずらっぽい光がちらついている黒い瞳。その顔には緊張とは無縁だと言わんばかりの不敵な笑みが浮かんでいる。背は椅子に座っているエイナが見上げなければならないほど高い。

 

 もう一度書類を見る。もしかしたら2を5と見間違えたのかもしれないし。いや、きっとそうだ。そんなことを考えながらLv.を見ると――やっぱりLv.5.

 

 次の可能性として高いもの。目の前の男が読み書きが得意ではなく、間違って5と書いた可能性。だが、男は書類を渡す際、「読み書きはできるか」と尋ねると「問題ない」と答えた。実際、名前などはちゃんと書けている。

 

 エイナの中で残ったのは二つの答え。一つは目の前の男が本当にLv.5で正直に書いたこと。もう一つは男が自分をからかうつもりで書いたこと。少しの思考時間を挟んで選んだのは後者。

 

 エイナの常識、というか世間の常識では都市外でLv.5まで上げるのは不可能。Lv.5やLv.6を生み出すことができるのはオラリオだけだから、強くなろうとする者はオラリオにやってくるのだ。それに目の前の男からは誠実さが感じられない。

 

 そんなわけでエイナは新たな書類を取り出し、目の前の青年――レインに差し出す。いくらかの圧を含んだ声も添えて。

 

「レイン氏。もう一度書き直してくれませんか?」

「なんでだ? どこか間違っていたところでもあったのか?」

「ありました。それはもう凄い書き損じが」

 

 そう言って細い指先が示すのはLv.の欄。それを見たレインは一つ頷き、一から記入し直していく。再び渡された登録用紙を受け取ったエイナは――その額に青筋を浮かべた。Lv.の欄には無駄に綺麗に記入された『5』があった。どうやらこの男、意地でもこの嘘を続けるつもりらしい。

 

 エイナは後で書き換えておこうと心に決め、笑顔で腰を曲げた。

 

「今日から貴方は迷宮都市の冒険者です。これからの活躍に期待しています」

「ああ、期待していろ。この天才が打ち立てる偉業に腰を抜かさないようにする準備もな」

 

 この日、ギルドの職員の間でレインのあだ名は『早死に野郎』になった。エイナは呼びこそしなかったものの、それを止めることをしなかった。彼女もレインが早死にすると思っていたから。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 翌日。エイナは昨日冒険者を舐め切った発言をした男と一緒に面談用ボックスの中にいた。理由はダンジョンの知識を教えるためである。

 

 腹立たしい男ではあるが、関わった人が死んでほしいとエイナは思わない。この男を死なせないためにも――ついでに鬱憤を晴らすためにも――多くの冒険者に鬼畜(スパルタ)と恐れられるエイナの座学を受けさせるのだ。レインの意志は関係なかった。というかレインはダンジョンに行こうとしたら、「座学を最低限受けなければ、ダンジョンに入れさせない」と無理やり連れて来られた。

 

 レインの恰好は冒険者登録をした時と変わらなかった。ただの黒一色の服に腰に差してある長剣一本。防具は全くない。そこそこの大きさの背嚢を背負っているが、エイナからすればダンジョンをどれだけ馬鹿にしてるのかと言いたくなる恰好だった。

 

 とりあえずレインに持ってきておいた分厚い教本の内の一冊を渡す。Lv.5を自称するなら『深層』の項目まで覚えてもらう。そして冒険者がどれだけ大変なのか身をもって知ってもらうのだ。

 

「本日から貴方のアドバイザーを務めさせていただくことになりました。エイナ・チュールです。今日からよろしくお願いします」

 

 分厚い教本を無表情で読み始めた男に、エイナは笑みを浮かべた。

 

 

  

 

 

 

 

 およそ数時間で『上層』から『深層』の地形や出現するモンスターの特徴まで覚えられることを、エイナはまだ知らない。

 




 レインの態度って知らない人から見れば、冒険者を舐めているようにしか見えないよね。もしくはやられ役とか。主人公に絡んで、あっさり負けたりするタイプの。


 エイナの年齢は一つ下げました。今の時系列は原作開始の数か月前なので、まだ十九歳になっていないだろうと作者は思いました。


 レインがLv.5と記入しているのは、Lv.9とか記入すれば面倒なことになると思ったから。Lv.5なのは『深層』まで潜っても問題ないから。

 ここからはレインは「青年」扱いになります。理由としては心機一転。軽い態度が大人に見せるという皮肉。今までは静かすぎて大人びた子供に見られがちだった。


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十三話 もう一つの目的

 地上では太陽が若干西に傾いている時刻。

 

 エイナの座学を終えたレインが歩くのは、ダンジョンの12階層。まだレインをLv.1の無駄な自信家と思っているエイナからは4階層までしか潜ってはいけないと言われているが、当然のようにレインは無視した。

 

 レインがこの迷宮都市(オラリオ)に行きたかった理由は()()ある。一つは強くなるため。もう一つは届け物だ。届け物は預かってから一年以上が過ぎてしまっている。預かったのは傷ついたモンスターの爪。それはレインの背嚢の中に入っている。

 

 渡さなければいけない相手――同胞とやらは()()()()()()()にいるということしか分かっていない。具体的な居場所を教えてもらう前に依頼主は力尽きてしまったが、レインならばしらみつぶしに探すことで何とかなる。

 

 レインは霧が濃い所に入り、周りからの視線が途絶えた瞬間、Lv.9の身体能力をフルに使って迷宮を下へ下へと潜っていった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「ここか」

 

 レインの現在地は20階層の正規ルートを大きく外れた場所に位置する長方形の広間(ルーム)。壁や天井は樹皮と発光する青光苔(アカリゴケ)に覆われ、広間の随所に美しい花畑が広がっていた。

 

 何より目を引くのは石英(クオーツ)。地上では見ることのない美しい濃緑の石英(クオーツ)広間(ルーム)の至るところから生えていた。その光景にレインも僅かに感動した。「きれいだなー」位にしか思っていないが。

 

 レインがここに来たのは覇気(アビリティ)を使った結果だ。覇気(アビリティ)は闘気などに物理性を持たせるほかに、壁などの障害物を無視して生物や無機物の場所を探ることが出来る探知機(レーダー)としても使用できる。レインは階層を下りるごとに階層全域を調べていた。

 

 とはいえ、探ることが出来る範囲に制限がないわけではなく、正直21階層までが限界だった。それでも広大な20階層全域を調べることが出来る時点で破格の性能だが。

 

 レインが捉えたのは複数のモンスターの気配。だがその気配が人間を見るなり襲ってくる普通のモンスターと大きく異なっていた。これが自分の探している奴等だと判断したレインは、モンスターを蹴散らしながらここに来た。

 

 レインは今も気配を感じる方向にある壁を探ってみる。そこは広間(ルーム)最奥に位置しており、壮麗な石英(クオーツ)の塊があった。一見何の変哲もないように見えるが……一箇所、発光の弱い水晶がある。そこを蹴り砕くと、塞がれていた穴が露出した。

 

「……金にがめつい奴が来たら見つかりそうだな」

 

 隠れていた樹穴にレインが厳しい言葉(コメント)を呟く。地上ではとある小人族(パルゥム)の少女が安宿の部屋の中でくしゃみをした。

 

 通常より速い速度で修復が始まっている石英(クオーツ)の壁を跨ぎ、素早く身を滑り込ませたレインの視線の先には清冽な蒼い泉があった。奥行きと横幅、深さともに五M(メドル)といったところで、池と呼べる程度のものだ。

 

 レインは躊躇なく泉に飛び込む。すると水面上では行き止まりとなっている壁の奥へ続く、横穴があった。剣の重みで水底を歩いて進んだレインは横穴の突き当りまで進み、緑光が差し込む真上を仰いだ。水底を蹴り、一気に浮上する。

 

 水面から顔を出したレインの視界に飛び込んでくるのは、樹洞から様変わりした鍾乳洞に似た洞窟。そこには奥へと続く岩盤の通路があった。……複数のモンスターの気配もその先から感じられる。

 

 レインはいつもと変わらぬ調子で歩き始めた。つまるところ、なんら警戒することなく暗闇の穴に進み始めたのである。暗闇だろうと昼間と変わらない景色が見えるレインは魔石灯を使わない。光源と呼べるのはほとんど見当たらなくなった、石英(クオーツ)の僅かな光だけだった。

 

 一分も歩けば、細い通路は終わりを迎えた。奥にあったのは特大の広間(ルーム)。もし魔石灯があったとしても細部まで光が届かないほど広く、そして暗かった。完璧な闇がこの広間(ルーム)を支配している。

 

 レインが見える範囲ではモンスターはいない。なので、向こう側から自主的に出てきてもらうことにする。背嚢から届け物――モンスターの『ドロップアイテム』である『ラミアの爪』を取り出す。

 

 すると、次の瞬間。

 

 濃厚な『殺意』が膨れ上がった。

 

 ザザザザザザザッ!! といくつもの足音が周囲から接近してくる。同時に、ばさっという複数の羽を打つ音も宙を舞った。

 

 最も速く近づいてくる存在にレインは視線を向ける。その正体は赤緋の鱗を持つ蜥蜴のモンスター『リザードマン』。

 

『――ルォオオオオオオオオオッ!!』

 

 咆哮する蜥蜴の戦士は双眼を血走らせ、左手に持つ銀の光――曲刀(シミター)――を豪速の勢いで薙いだ。その太刀筋はレインの首を正確に狙っている。

 

 レインはその攻撃を首を後ろに傾けるだけで回避する。刃が通り過ぎていった瞬間、レインは蜥蜴人(リザードマン)の左腕を掴み取り、強引にぶん投げる。

 

『グァッッ!?』

 

 その先にいたのは羽根の弾丸を放とうとしていた半人半鳥(ハーピィ)。ぶつけられた蜥蜴人(リザードマン)と一緒に苦悶の声を上げながら吹っ飛んでいく。

 

 それが開戦の合図(ゴング)だったかのように、石竜(ガーゴイル)鷲獅子(グリフォン)半人半蛇(ラミア)一角兎(アルミラージ)獣蛮族(フォモール)戦影(ウォーシャドウ)人蜘蛛(アラクネ)一角獣(ユニコーン)……『上層』『中層』『下層』『深層』、あらゆる階層域から集まった多種多様なモンスターの群れが、一人の人間に襲い掛かった。

 

 種族の異なるモンスター達の間で共通していることは、曲刀(シミター)手斧(ハンドアックス)、鎧や盾を装備していることだった。

 

 明らかに通常種ではないモンスター達を、レインは剣を抜くことなく迎え撃つ。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 戦いは一方的な蹂躙だった。蹂躙されるモンスター達は目の前の人間――レインがどれだけ強いのか見当もつかない。

 

 獣蛮族(フォモール)が振るう鎚矛(メイス)をレインは真正面から受け止める。当たればひき肉になること間違いなしの一撃をあろうことか片手で受け止め、周りのモンスターを巻き込むようにして投げ飛ばす。

 

 空を飛ぶ石竜(ガーゴイル)鷲獅子(グリフォン)などのモンスターは、レインが壁を蹴って凄まじい速さで飛び上がり、接近されることで叩き落されるか、不可思議な力で叩き落されるかのどちらかだ。

 

 『ゴブリン』などの小型のモンスターはデコピンで沈められた。彼等は基本的に一発で意識を失った。

 

 今も戦っているのは二刀流の蜥蜴人(リザードマン)のみ。それ以外のモンスターは気を失っているか、意識はあるが戦意を折られたのか動かなくなっている。

 

 そしてついに蜥蜴人(リザードマン)も膝をついた。動けることには動けるが、得物である長直剣と曲刀(シミター)を持てるほど腕に力が入らない。身に纏う防具はベッコベコにへこんでいる。レインが重点的に防具のある所を殴ったからだ。

 

 レインは殺意や敵意は向けてきても襲い掛かってくるモンスターがいないことを確認すると、目の前の蜥蜴人(リザードマン)に話しかける。

 

「おい。お前らの仲間の遺品を持ってきてやった恩人に対する仕打ちがこれか? ん?」

『……ギャ?』

 

 間抜けな声を漏らす蜥蜴人(リザードマン)。その反応にレインは笑いながら、

 

「何知性のないモンスターぶってんだ。喋れるんだろうが、貴様等。今更言葉が分からんふりしても遅いんだよ、コラ!」

「――いっ、イダダダダダァアア!? す、すまん! すいませんでしたぁ!?」

 

 容赦なく蜥蜴人(リザードマン)の頭を掴み、力を籠める。痛みにジタバタしながら謝る蜥蜴人(リザードマン)――リド。

 

 こうしてレインと喋るモンスター『異端児(ゼノス)』は出会った。

 




 レインがゼノスの一人に出会ったのは、オラリオの外。闇派閥が怪物趣味の貴族にゼノスのラミアを売り払いに向かっている時、ラミアが入れられていた檻を破り脱走。ラミアが逃げた先にレインがいて、ゼノスを見られた闇派閥が口封じのためにレインを殺そうとする。


 最初はラミアを即殺しようとしたレインだが、敵意がなかったのと闇派閥が殺そうとしてきたので後回しに。


 闇派閥を殺した後、逃げ出す際に重傷を負っていたラミアがレインにドロップアイテムを届けてほしいと依頼。それをレインは引き受けた。傷は呪武器でつけられていたため、治せなかった。



 ちなみに今回の戦いでレインは一匹も殺していない。


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十四話 異端児

 進むごとに文が雑になっている気がする……。だれか文才を恵んでくれ。

あと目が痛いので、一週間くらい連載が止まるかも。


「すまなかった! てっきり同胞を殺した奴だと勘違いしちまった」

 

 現在、レインは異端児(ゼノス)達から謝罪を受けていた。リド曰く、同胞の遺品を見た時、レインのことを同胞を攫う奴らの仲間だと思い、自分達のことも攫いに来たと考えたらしい。

 

 他にも地上に自分達の味方をしてくれる者がおり、そいつが自分達の『隠れ里』に来る人間がいれば連絡をくれるらしいのだが、今回は連絡がなく、そのこともレインが自分達に敵対する人間だと思った原因のようだ。

 

「リド、謝ル必要ナドナイ! ソイツガ同胞ヲ殺シテイナイトイウ証拠モ、奴等ノ仲間デハナイトイウ証拠モナイダロウ!」

 

 今も石竜(ガーゴイル)のグロスなどはレインを警戒するように睨みつけ、毒づいた言葉を投じている。彼等は今まで人間に何度も裏切られ、人間を信用できなくなっているのだ。むしろ、今もレインに友好的に接しようとしている異端児(ゼノス)の方が危機感がなさすぎるのか……

 

 他者からの負の感情に敏感なレインはグロスの心情を察し、甘んじてその誹りを受け止める――ようなことを今のレインがするわけない。今のレインは(オス)にキビシイ。

 

「黙れこの石頭が! もし俺がお前等を攫う奴らの仲間だったとしたら、見た目がいい奴を除いて皆殺しだ! お前等が誰一人として殺されていないことをよく考えてから喋れ、ハゲ!」

 

 グロスの特徴を捉えた的確な暴言を投げ返す。これはレインにとって苛立ちに任せて声にした言葉だったが、『一匹』ではなく『一人』と数えていたことは異端児(ゼノス)にとってはとても嬉しいことだった。グロスも言い返そうとしていたが、そこに気付き押し黙る。

 

「確かに石頭だ」「石頭だな」「グロスは頭が固い」「毛もないからハゲだな」「言い返す隙がない」『ボエボエ(そうだそうだ)

「貴様ラアァァァァァァ!!」

 

 照れ隠しのように自分の悪口を口にする同胞を追い回す。その光景を見て留飲を下げたレインは今も頭を下げている蜥蜴人(リザードマン)に、顔を上げさせる。

 

「お前らの事情も事情だし、殺しに来たことはもう気にしていない。ただ、俺がお前らに敵対する意思がないことを理解してもらいたい」

「分かった。――なぁ、これから『レインっち』って呼んでもいいか?」

「気が抜けるから却下だ」

 

 冗談のつもりだったのか真剣だったのか分からないが、リドの提案をバッサリ却下する。肩を落として露骨にがっかりした蜥蜴人(リザードマン)だったが、レインに向き直り獣の眼を弓なりに細める――本人は笑っているつもりだが、獲物を前に舌なめずりしているようにしか見えない。

 

「オレッちは、リド。――レイン。握手」

「これでいいのか?」

 

 自己紹介とともに、怪物の手を差し出す。それをレインは怯えも躊躇いも見せずに握り返す。リドはその雄黄の双眸を瞬かせる。

 

「……え? レイン、オレッちの手を握るの早すぎないか?」

「時間をかけてほしかったのか? それとも怯えてお前の手を振り払った方がよかったのか?」

「……い、いや、そうじゃねぇけどよ……」

 

 『怪物』は自分の手を握っている『人間』の手を見つめる。これまで自分達と対面して手を振り払った人間はたくさんいた。握ってくれた人間も僅かにいたが、終始怯えたままで自分の意志というより、恐怖に突き動かされてといった様子だった。

 

 初めてだった。自分達に嫌な目を向けず、真っ直ぐに向き合い、欠片も恐怖を見せない人間に出会ったのは。レインの手から顔へ視線を移し、まじまじと眺めていると、レインが露骨に顔をしかめた。

 

「おい、いつまで手を握っているつもりだ。俺はあっちにいる綺麗な歌人鳥(セイレーン)になら手を握ったり顔を見つめてもらってもいいが、(オス)にされるとムカつくんだが」

「えェッ!?」

「レインって(おとこ)に対して扱いがひどすぎないか!?」

「俺が公平無私と縁があると思うなよ。……とりあえず、よろしくな」

「! ――ああ、よろしくな!」

 

 顔をしかめた理由にリドは思わず吠え、歌人鳥(セイレーン)は頬を赤く染める。だがその後の言葉にリドは牙を剝いて、確かに破顔する。

 

 

 

 

 

 次の瞬間――わっっ!! と。

 

 

 

 

 

 まだ姿を隠していたモンスター達や、リドとレインの周りで固唾を呑んで見守っていたモンスター達が歓声を上げた。あらゆるモンスター達の喝采が止まらない。

 

 まるで人との親交を――記念すべき一歩を喜ぶように沸き立った。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「レインって強すぎだろ。フェルズには【フレイヤ・ファミリア】や【ロキ・ファミリア】には気をつけろって言われてたけど、そいつらもレイン並みに強ぇのか?」

「そんなわけないだろ。俺は間違いなく世界最強。オラリオの冒険者全員が攻めてきても無傷で勝てるね」

 

 広間(ルーム)では『宴』が開かれていた。振る舞われるのはダンジョン産の果実や木の実に薬草、ボロボロの酒樽だ。先程までレインは多くの異端児(ゼノス)に握手を迫られ、ようやく一息ついているところだ。そこに話しかけてきたのはリド。

 

 自分達が異端児(ゼノス)と呼ばれていることやギルドと協力していること、つまり自分達がどのような存在なのかをレインに話し、特に喋ることがなくなるとレインの強さに関しての話になった。

 

 傲岸不遜に自分を指さし、堂々と宣言する。ちょっと前なら冗談だろうと笑ったかもしれないが、あの戦いぶりを見せられれば笑えない。この集団で一番強い自分がボコボコにされたのでなおさら。

 

 レインはすぐにこの集団に馴染んでいた。まだ警戒して近づかない異端児(ゼノス)もいるが、他の異端児(ゼノス)には気に入られている。それの理由はきっと、レインが彼等に全く恐れを見せないからだろう。

 

「レインに怖いものとかあるのか? ここにいるのはレインを除けば皆『怪物(モンスター)』なのに全く怖がらないし」

「はっ、俺に怖いものなんて存在しない。精々口うるさい女や料理が下手な女が苦手なてい……ど……」

「どうしたんだ、レイン?」

 

 急に黙り込んだレインを心配するリド。それに答えずレインは急いで背嚢に手を伸ばし、中から時計を取り出す。ダンジョンに入る時十二の数字を刺していた短針は変わらず十二を刺している。

 

 秒針が動いているためこの時計は壊れていない。レインは覇気(アビリティ)異端児(ゼノス)を探しながらも、各階層を念入りに探し回っていた。おまけにここでの戦いも長引いた。

 

 つまり……時計の短針が一周、もしくは二周回るほどの時間は優に過ぎている訳で……。レインの頭に目の笑っていないハーフエルフのギルド職員が浮かび上がる。

 

「すまん、リド。俺は帰る!」

「急にどうした? フェルズに会わせようと連絡しちまったし、まだレインに言っておきたいことが――」

「また今度な!」

 

 蜥蜴人(リザードマン)の呼び止める声を振り払い、レインは姿を消した。レインの頭の中は、急いで戻らなければあのハーフエルフから長ったらしい説教を受けることになる! という思いでいっぱいだった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 上る。上る。上る。

 

 レインは全力で走る。18階層の一番大きい結晶が明るかったことを見なかったことにして走る。進行方向に現れたモンスターをすれ違いざまに魔石を切り裂き、灰に変化させながら走る。

 

 一時間と掛からず、5階層にたどり着く。ここからは下級冒険者も多いため、Lv.5程度の速さで走る。Lv.9の速さでLv.1の隣を通り過ぎれば、それだけでLv.1の冒険者は死にかねない。

 

 最短距離を走り、4階層へ続く階段が姿を現す。階段の方から金髪の剣士と山吹色の魔導士がやって来る。特に気にすることなくレインはその横を通り抜けようとする。

 

 金髪の剣士の横を通ろうとした瞬間――銀のサーベルがレインに迫ってきた。 

 




 レインはフェルズにまだ会わない。


 18階層の大きな結晶は地上と連動している。明るければ地上は朝。


 レインの苦手なのは料理のできない女、口うるさい女、人の言うことを聞かない女。つまりどっかの酒場の看板娘は苦手ということに……。


 Lv.9とかになると、音速になるんじゃないだろうか? Lv.2でも10メートルの距離を一瞬で潰せるし。


 最後の金髪の剣士……いったいヴァレン何某なんだ……!?


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十五話 金の剣士と黒い戦士

レインのマンガ18巻を見て書きたくなってしまった。やっぱりレインはかっこいい!


 アイズがダンジョンに潜ろうとした理由は資金稼ぎのためだった。近いうちに遠征があるため、遠征用の資金と武器の整備代を稼がなければならなかった。アイズの武器は特殊武装(スペリオルズ)なので整備代も普通の武器より高いのだ。

 

 団長であるフィンにダンジョンに行くことを伝え、いざダンジョンへ向かおうとするとレフィーヤと偶然出会った。彼女もダンジョンに回復薬(ポーション)代を稼ぐために潜るつもりだったらしい。でも服装がダンジョン用じゃなかったので着替えさせた。Lv.3でもダンジョンを甘く見てはいけないのに……自分が言えることではないが。

 

 後輩のエルフが自分と一緒にいたいがために嘘をついたことに、麗しき金髪の剣士はちっとも気が付かなかった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 アイズとレフィーヤはどのあたりまで潜るかを話しながらダンジョンを進んでいた。アイズが提案することをレフィーヤは全て賛成する。崇拝する少女の意見を否定することなどレフィーヤの頭になかった。アイズに集まる視線の主を、レフィーヤはエルフとしてしてはいけない眼光をもって威嚇しながら進む。

 

 たいして時間をかけることなく5階層にたどり着く。そろそろ速度を上げて進もうとアイズが提案しようとした時だった。進行方向に全身黒ずくめの男が現れたのは。

 

 Lv.5の自分だからこそ現れたことを認識できた。それほどの速さで男は移動していた。男はそのままのスピードでこちらに向かってくる。足の向きからして自分(アイズ)の横を通るつもりのようだ。

 

 アイズはそのまま進んだ。強者の名前と顔は憶えているはずの自分がどちらも全く記憶にないことも気になったが、新たにLv.5にでもなった人かと自己完結する。それに身体をずらさなくとも、男と接触する様子はない。

 

 男が横を通り過ぎる。本当に、ただ通り過ぎようとした。

 

 が、そこでアイズの肌が粟立(あわだ)った。体内に氷柱が生じたようなぞくりとする感覚……圧倒的な威圧感。思わず手が腰の銀のサーベル《デスペレート》に伸びる。

 

 同時に……隠しようのない黒い炎が背中で燃え上がる。相手が人間だと認識していたはずなのに、隣にいるのがあの黒い竜としか思えなくなる。剣が鞘から引き抜かれる。金の瞳と銀の刃が殺意を纏う。

 

 アイズは何の躊躇も見せず、男の首に斬りかかった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 レフィーヤはかつてないほどの驚愕に襲われた。アイズがいきなり殺気立ったかと思えば、視認することもかなわない速さで剣を振るったのだ。

 

 そこでようやく気が付いたが、アイズのすぐ横に男がいた。それもとんでもない状態で。

 

 男はアイズの剣を左手で防いでいた。なんと彼は指の腹で剣腹を掴み、見事に止めていたのだ。そして男の右手には青白い剣が握られており、その剣先はアイズの喉元に突き付けられている。

 

(ありえない!? アイズさんの剣を片手で止めるなんて……!)

 

 アイズの信者(ストーカー)であるレフィーヤだからこそ断言できる。男とアイズの配役が逆なら納得できるが、今の状態は認められない。

 

 アイズの剣はLv.6であるフィンやガレスでも、避けるか防ぐしかできない。リヴェリアとの座学を忘れるほど彼等とアイズの訓練の様子を盗み見しまくっていたレフィーヤはそれを知っていた(リヴェリアに叱られることも知っていた。それでもアイズを見る)。

 

 思考の海に沈んでいたレフィーヤだったが、アイズの首に剣が突き付けられていることで我に返る。杖を振りかぶり剣を突き付ける男に振り下ろす。が、男はそれを一歩下がることでやり過ごした。

 

「なんですか、貴方は!? アイズさんに剣を向けるなど無礼にも程がありますよ!」

「……恐ろしい」

「え?」

 

 男が急に俯いて震えだした。レフィーヤは慌てた。思わず怒鳴り声を出してしまったが、こんなにビビらせるつもりはなかったのだ。震える男に罪悪感を覚えたレフィーヤは謝罪しようと声をかける。

 

「あ、あの、怒鳴ってしまってすいま――」

「初めて使うはずの『片手白刃取り』を容易く成功させてしまうとは――」

「……はい?」

 

 なんか変な言葉が聞こえた。男は長々と息を吐きだし、陶酔の表情で首を振る。それを見てレフィーヤの中から罪悪感がすっぱり消える。

 

「――さすが天才(オレ)! 自分の才能が怖い!!」

「!?」

 

 ひょっとして「恐ろしい」って自分(レフィーヤ)のことではなく、自慢するために口にしたんですか? この男は? 髪をさらりとかきあげる男にどっと緊張がゆるんだ。

 

 

 男は急に素に戻って、アイズとレフィーヤを睨みつける。ただごとではない迫力に、レフィーヤも男を睨んでいたアイズもビクッと震える。

 

「イキナリ何なんだお前らは!! 通りすがりの善良な天才に何の恨みがあるってんだ!!」

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいぃぃ……」

 

 恥も外聞もなく頭を下げるレフィーヤ。アイズの方は若干涙目になっている。というか思わず後ずさって……石に躓いて尻もちまでついた。

 

「特に金髪のお前! いきなり斬りかかって来るとはどういう了見だっ。もしお前が女じゃなかったら、今頃鼻血を噴きながら10M(メドル)は吹っ飛んでる――」

 

 そこで男は恫喝のセリフを中断し、へたり込んでいるアイズを見下ろした。不機嫌そうな顔がごく真面目な表情になる。

 

 レフィーヤはなんとなく、自分達の前に大型のモンスターがいて、品定めをしているような気がした。こいつら、昼飯になりそうかな……みたいな。

 

 男は剣を収めると、ある一点に目を落としたまま舌打ちをする。

 

「ちっ、スパッツか……」

「どこ見てるんですかぁっ、貴方は!」

 

 顔を真っ赤にしてレフィーヤは吠える。この男、アイズの下着を見ようとしたことを隠そうともしていない!

 

「普通そこは見ないようにするとか、注意するとかでしょう! 何堂々と見ようとしているんですか! この変態っ」

「馬鹿抜かせ!」

 

 憤慨したように、男は大喝した。

 

「なんかの拍子に女の下着が見えそうだったら、そりゃ見るに決まってるだろっ。注意する馬鹿がどこにいるんだっ」

 

 あまりの迫力に、一瞬気を呑まれた。足を止めて見ていた冒険者も、戦っていた冒険者も、それどころかモンスターも動きをぷつりと止めるほどの主張だった。表情に一点のやましさもなく、自分の主張に疑問すら持っていないのが分かる。

 

 アイズは思わず頷いてしまう。レフィーヤも頷きそうだったが、何とか留まる。

 

「だいたいだ」

 

 男の主張はまだまだ続く。

 

「俺がガキの頃なんかお前、そういうチャンスがなければ自分から作ったもんだぞ!」

「――それはただのスカートめくりじゃないですかっ」

 

 自分達の主神が「これはセクハラやないー!」と言いながら繰り出してくる伝家の宝刀(スカートめくり)を思い出し、流石に言い返す。

 

 しかし男は歯牙にもかけず、

 

「なんであろうと、それが男だ。おい、お前だって、そう思うだろっ」

 

 いきなりビシッと、冒険者の一人を指さす。

 

「……俺か?」

 

 指さされたのは、極東の戦闘衣(バトルクロス)をまとった大男。

 

「そうだよ。お前だ。チャンスは見逃さないよな、男なら」

「いや……そういうのは不誠実だと俺は――」

「おい、おまえ」

 

 パーティメンバーであろう前髪で目が隠れた小柄な少女を見下ろし、黒ずくめの男の言葉を否定しようとした大男だったが、いつの間にか男が目の前に現れ、肩をがっちりつかむ。

 

「お前も、女の下着が見えるチャンスがあれば、見逃さないよな?」

「いや、だから俺は」

 

 突如、肩からミシリッという音がした。同時に激痛も。痛みのせいで言葉を封じられる。男はじっと見つめてくる。

 

「見逃さないよな?」

「…………」

 

 汗を流して黙秘しても、肩にかかる圧力は徐々に強くなっていく。大男は近くの少女の顔を見られない。

 

「三秒で答えろ。さもないとお前の肩はコナゴナになる」

「当然見逃さんっ。お前の言う通りだっ」

 

 ヤケクソに大男は叫ぶ。それを聞いて満足そうに頷いた男は、レフィーヤ達の所へ戻ってくると、髪をかきあげる。

 

「な? 俺の言ったことは間違ってないだろう?」

「ただの恐喝じゃないですかっ」

 

 『桜花……』「やめてくれっ、俺をそんな目で見ないでくれ!」と可哀想なことになっているパーティを指さし、レフィーヤは叫んだ。

 

 そんなことを男は一切気にせず、

 

「というか、こんなことしている場合じゃないな。お前らのせいで説教される羽目になったぞ、どうしてくれる」

「私達のせいなんですか!? 絶対私達関係ないですよね! 最初から叱られること決まっていたけれど、私達に責任転嫁するつもりですよねぇ!」

「どっちにしろお前らがいきなり襲ってきたことに変わりはないんだよっ。つべこべ言ってないで大人しくついて来い」

「うぐぐぐぐっ!」

 

 傍若無人な男の言葉に反論する材料をレフィーヤは持っていなかった。出来るのはうめき声を漏らすことだけ……。

 

(せっかくアイズさんと二人きりだったのにぃぃぃ……!!!)

 




 ヴァレン何某はレインの中に何を感じたんでしょうね?


 レインに巻き込まれた【タケミカヅチ・ファミリア】かもしれない大男は可哀想としか。


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十六話 言い訳という名のデマ

 レインがギルドに入り受付に並ぶと、問答無用でエイナにボックス室に連れ込まれた。

 

 防音設備が整っている部屋に入った途端、エイナはレインを怒鳴りつけた。

 

「正直に話しなさい! なんで君は昨日帰ってこなかったの!?」

「中層まで潜っていたからな。そりゃあ帰ってこられないだろ」

「嘘を言わないで! Lv.1の君が中層まで行けるわけないでしょう!」

 

 エイナは未だレインがLv.1の自信家だと思っていた。だから本当に心配していたのだ。レインが調子に乗って5階層に潜って死んでしまわないか、ダンジョン内で冒険者同士のトラブルを起こしたりしないか……。

 

 そのため、本当のことを話してくれないと感じて悲しかった。いっそのこと、「娼館で遊びすぎて時間を忘れていた」とでも言ってくれれば長時間のお説教と軽蔑の眼差しで済ませることができたのに。

 

 いつか彼は足元をすくわれて死んでしまう。今も不敵に笑っているレインを見て、エイナはそう思った。実際はエイナの思い込みのせいでこんなことになっているのだが。

 

「レイン君、本当にダンジョンは危ないんだよ。今は大丈夫かもしれないけど、下層になるほど危険度はグッと跳ね上がるの。お願いだから――」

「なんだ、まだ俺がLv.5だと信じていなかったのか」

 

 エイナがレインにダンジョンの危険性を分からせようとすると、レインはそれをぶった切るように遮った。

 

「俺がLv.5じゃないと思っているからそんなに怒っているんだろ? ならLv.5であることを証明しようじゃないか」

「えっ?」

 

 許可を出す前にレインは部屋を出る。そして一分もしないうちに二人の人物を引き連れて戻ってきた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「……ヴァレンシュタイン氏の本気の攻撃を、片手で止めた……?」

「はい……。正確には、レインは私の攻撃が届く直前まで、動いてない、です……」

「……本当ですか、ウィリディス氏?」

「私はよく見えませんでしたが、アイズさんが言うなら間違いないと思います」

 

 レインが連れてきたのはアイズとレフィーヤ。エイナはたどたどしく喋るアイズの言葉が信じられなくてレフィーヤにも確認をするが、帰ってくるのは無情の肯定。

 

「じゃあ……レイン君は本当にLv.5?」

「嘘をついても仕方ないだろう?」

 

 思いっきり嘘をついているが、それを一切悟らせずふんぞり返るレイン。エイナはようやく自分が疑っていたことが原因だと気づき、素早く頭を下げる。

 

「本当にごめん! 都市の外からくる人でLv.5なんて今まで見たことなかったから、全然信じられなくて……本当にごめんなさい!」

「信じられないのも無理はない。この天才である俺だからこそできたことだからな! ま、俺の言ったことが本当だと分かってくれればそれでいい」

「……本当にごめんなさい」

 

 レインの言葉がエイナの心を抉る。レインの事を全く信じておらず、勝手にLv.の項目をいじってしまったことがエイナの良心を責め立てる。いつかレインが困ったときは全力で助けようと、エイナは密かに誓う。

 

 ここで話は終わるかと思いきや、エイナは余計なことを口にしてしまう。

 

「そういえば、どうしてヴァレンシュタイン氏がレイン君に攻撃することになったの? 下手すれば【フレイヤ・ファミリア】に【ロキ・ファミリア】が宣戦布告したことになっちゃうけど……」

 

 

 そう、レインがLv.5であることを証明するにはアイズとのやり取りを説明しなければならなかった。必然的にアイズがいきなりレインに襲い掛かったこともバレる。

 

 とはいえ、そのことを指摘されるのはレインにとって想定内だ。ここに来るまでに考えていたシナリオ(デマカセ)を伝える。

 

「……なるほど。ヴァレンシュタイン氏とウィリディス氏は中層域でモンスターを倒すことに夢中になりすぎてしまい、ついレイン君に襲い掛かってしまったと。本当ですか?」

「ああ。もう目が血走って狂戦士(バーサーカー)みたいになっていてな。おそらく血を見過ぎて気分がハイになったんだろう。そうだよな、レフィーヤ?」

「……ハイ、ソウデス」

 

 確かめるようにアイズとレフィーヤを見れば、二人とも素直にうなずく。レフィーヤは若干引きつった笑みだったが。

 

 実はダンジョンから地上に戻る時、レフィーヤはごねたのだ。レインが説教を回避するために作り上げた嘘があまりにもひどすぎたので。

 

『なんですかそれは!? 私もアイズさんもそんなに血の気多くありませんよ!』

 

 レフィーヤとアイズを馬鹿にするような作り話にレフィーヤは憤慨したが、レインの見せたもので一気に青ざめた。レインが見せたのは【フレイヤ・ファミリア】のエンブレム。

 

『お前らのやったことは【フレイヤ・ファミリア】に喧嘩を売ったようなものだ。それをなかったことにしてやるんだから文句言うな』

『ふぐぅ……ッ!』

 

 アイズとの二人っきりの時間を奪われまいとしたエルフの抵抗は、あっさりと封じ込まれた。   

 

 レインの話を信じたエイナは、アイズとレフィーヤに向き直り、

 

「ヴァレンシュタイン氏とウィリディス氏はもうこんなことがないように気を付けてください。次は罰則(ペナルティ)をつけます」

「ハイ、気ヲ付ケマス……」

 

 こうしてレインの危惧していた説教はなくなった。【ロキ・ファミリア】の一部の団員の信用と引き換えに。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 レイン達が部屋から出っていった後、エイナは部屋の鍵をもとあった場所に戻し、受付に戻った。

 

 書類処理などのやることをすませたら、上司に冒険者のLv.を偽装して提出してしまったことを謝りにいかねばならない。事情が事情だけに同情してもらえるかもしれないが、自分がレインを信用しなかったことが原因だ。どんな罰でも受け止めよう……。

 

「やあっ、エイナちゃん! そんなに暗い顔してどうしたんだい?」

 

 ついため息を零すと、たった今ギルドに入ってきた優男に声をかけられた。その人物はギルドの受付嬢なら全員が知っている。主に悪い意味で。

 

「ヘルメス様ですか……いつお帰りになられたんですか?」

「今日だよ! いや~、エイナちゃんは優しいなぁ。他の子に声をかけると無視されるか汚物でも見るような目で見られるかだからねぇ!」

「それはヘルメス様がしつこくデートに誘ったりするからだと思いますよ」

「エイナちゃんも厳しいね……。ところでどうして暗い顔してたんだい?」

 

 聞き上手な神に尋ねられ、エイナは素直に話す。今回の出来事は自分が悪かったと分かっていても、愚痴を零さずにはいられなかったのもある。

 

「もう何日かすれば分かると思いますが……都市外からLv.5の人が来たんですよ。でも、その人の態度が軽すぎて……Lv.5というのを信じられなくて……」

「俺でも信じられないね、それは! ところでそのLv.5の子の名前はなんていうんだい?」

「レインという男の人ですよ。いつもふてぶてしい笑みを浮かべています」

「――へえ」

 

 男神の目が細められたことにハーフエルフは気が付かなかった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

戦いの野(フォールクヴァング)

 

 都市最大派閥の広大な原野は昼間にも関わらず、激しい『殺し合い』が繰り広げられている。女神の力にならんとするために、同派閥の人間としのぎを削り合う。  

 

 そんな中、レインは飛び交う血と雄叫びに一瞥もくれず、素早く広大な庭を突っ切っていく。

 

 レインに飛び掛かる者はいない。しかし、フレイヤ命といっても過言ではない団員達が、レインのフレイヤを全く敬っていない態度を見て何も思わないはずもない。

 

 団員達がレインに襲い掛からないのはその実力を理解しているからだ。レインのフレイヤに対する態度にキレたほぼ全ての団員達が襲い掛かったが、それをレインは返り討ちにした。アイズに言ったように10M以上吹っ飛ばした。

 

 戦士たちの荒野を通り抜けたレインは丘の上の屋敷に入り、そのまま真っ直ぐ主神の神室に向かう。ここ最近、フレイヤはバベルではなく本拠地(ホーム)にいることが多い。

 

 彼女は一人で本を読んでいた。常に傍らにいるはずの猪人(ポアズ)の姿は見当たらない。

 

「珍しいな、あんたが一人っきりなんて。あの脳筋はどこに行ったんだ?」

「ダンジョンよ。限界まで潜るつもりらしいわ」

 

 ページをめくる手を止め、フレイヤが応える。ちなみにオッタルが今回ダンジョンに向かった理由は、鍛錬のためとレインを越えるためである。レインの本当のLv.は幹部たちにのみ伝えられている。

 

「フレイヤ、俺もしばらくダンジョンに籠るから、何日か帰ってこないと思う」

「あら、どこまで進むつもりなの?」

「37階層。あそこには面白い領域(エリア)があるらしいからな。そこに向かう」

 

 フレイヤの返事を待たずレインは扉に向かう。もしフレイヤに行くことを止められてもレインは無視したし、フレイヤには止める気はさらさらなかった。

 

 が、一つ聞いておかねばならないことがある。 

 

「ところでレイン。ロキのお気に入りの眷属(こども)から攻撃されたって本当?」

 

 アイズがレインに斬りかかったのは5階層。『上層』なので目撃者は当然多い。目撃者に口止めをしたわけではないので、彼等は遠慮なく周りに話を広げるだろう。そしてこの女神は噂を集めるのが非常に速い。

 

「あっちは攻撃したつもりかもしれんが、俺にとってあんなもん攻撃にならん」

「これを理由に【ロキ・ファミリア】と戦えるかもしれないわよ? 貴方の目的は強者と戦うことでしょう」

 

 純粋なフレイヤの疑問。それにレインは真顔で、

 

()()()()。あのアイズ・ヴァレンシュタインが都市最強の一角なら、それ以外もたかが知れてる。そいつらと戦う意味なんてない」

 

 今度こそレインは神室から出ていった。




 ベル君はステイタスの限界を突破しますよね? レインも当然の如く突破しています。

 レインは既にLv.9の範疇に収まっているのでしょうか?


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十七話 こんにちは深層

一気に時間を進めて、次の話で原作に入ろうと思っています。原作に入るまでの話も幕間として書こうと思っています。

 とはいっても、原作に入るまでレインはひたすら鍛錬してるでしょうがね。


(つけられているな……)

 

 数時間かけてダンジョン18階層までたどり着いたレインは、複数の視線が自身に向けられていることに気付いていた。全てダンジョンの入り口からついてきている。

 

 今すぐ視線の主のところに接近して目的を洗いざらい吐かせてもいいが、偶然行き先が重なったと相手に言い訳をされても面倒だ(地上に連れ帰って神を使う手段もあるが、面倒くさい)。なら……勝手に自爆してもらおう。

 

 レインは一気に加速し19階層へ下っていく。それを尾行する者達も全力で追いかける。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 レインのやったことは単純だ。中層域で発生するモンスターを全て殺さず後ろに流す。レインの速さに追いつけないモンスター達は、レインを諦め他の獲物へと向かっていく。

 

 尾行者達は慌てに慌てた。なにせレインは囲まれようと道がモンスターで塞がれようと殺さない。普通ならモンスターを倒して進むだろうに、地を蹴り壁を蹴り、挙句の果てには天井まで蹴って進んでいく。そんな人間離れしたことをできない彼等はモンスターを始末するしかない。

 

 だが彼等はレインに気付かれないように後を付けなければならないのだ。魔法は使えず派手な攻撃もできず、ひたすら相手の急所を狙って一撃で殺さなければならない。そうこうしている内に、レインはどんどん遠ざかる。

 

(次、顔を見たら絶対にぶん殴りますからね、()()()()()……ッ!!)

 

 視覚的には姿を完全に消している水色の髪の女性は、『黒ずくめの男がどこに行くのか調べて~』と気楽に笑っていた主神に対して、心の中で盛大に報復してやることを誓った。

 

 もうレインが追跡できる距離から外れてしまったことにも気付かず、彼女は目の前の蜂型のモンスター、『デッドリー・ホーネット』に鬱憤を叩き付けるように短剣を振り下ろした。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 途切れることのない滝の音が響いている。

 

 25階層から始まる『水の迷都(みやこ)』に辿り着くなり迷宮最大の瀑布、『巨蒼の滝(グレート・フォール)』の横の断崖絶壁を駆け下りたレインは、終着点である27階層の滝壺に着陸する。

 

 立ち上がると同時にレインは両手を上げる。次の瞬間、緋色の斜線が走ったと思えば、それぞれの指の隙間には緋色の燕のくちばしが挟まっている。その正体は『イグアス』。『不可視のモンスター』とも呼ばれる下層最速のモンスターを、レインは容易くつかみ取る。

 

 そして捕まえた『イグアス』を、空中に飛び交う幾筋もの斜線に向かって投げ飛ばした。それだけで投げた数と同数以上の『イグアス』が息絶え、発生していた緋燕(つばめ)の群れは全滅した。

 

 レインとしては大量の『イグアス』が発生していて、それを全て剣で殲滅したかったのだが、そううまい話はないかと28階層への連絡路へ足を進める。

 

 26階層の連絡路方面にある滝口の中から視線を感じていたが、害意もなかったため気にしなかった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 ダンジョンを単独(ソロ)で進もうとする人間はほとんどいない。『上層』ならソロでも問題ないが、『中層』、『下層』にもなればその数は激減し、『深層』に至っては第一級冒険者でもパーティを組む。

 

 だが一部の者は単独でも『深層』を動き回ることが出来る。主な代表としては【フレイヤ・ファミリア】の筋肉猪などがそうだ。次点で『じゃが丸くん』に目がない金髪の女剣士。

 

 そんな強者(イカレ)等でも近づこうとしない場所が37階層にはある。そこがレインの目的地。

 

 赤から青に変わった皮膚をもつ蜥蜴人(リザードマン)、『リザードマン・エリート』達が白濁色の石斧を振り下ろしてくる。骨だけの羊、『スカル・シープ』の群れがその醜悪な牙で哀れな侵入者を骨も残さず食い尽くそうとする。

 

 レインのいる広間(ルーム)に存在するモンスターは五十を超え、交戦回数は二十を超えている。ギルドがLv.3からLv.4と定めるモンスターの群れが何度も襲い掛かってくる。それは『深層』では異常事態(イレギュラー)でもなく日常(ベーシック)。これを聞いた冒険者は絶対に『深層』へ潜ろうとしなくなるだろう。

 

 壁にも見えるモンスター達は、青い軌跡が宙に走ると例外なく灰になる。もしくは紅蓮の炎に焼かれて灰すらも残らない。

 

 足を止めることなく目の前に現れるモンスターを屠り、レインは目的地へ進んでいく。金が目的ではないので、容赦なく魔石も『ドロップアイテム』も消滅させて進む。仮にここに来るまでに発生した魔石等を換金すれば、第一等級武装を買えるだけの金が手に入っただろう。

 

 しばらく走り続けたレインが辿り着いたのは特大の広間(ルーム)。そこはダンジョン内にも関わらず巨大な『構造物』があり、数えきれないほどの『数』があった。

 

 ()()の名は『闘技場(コロシアム)』。レインの目的の場所にして、モンスターを無限に産み落とす殺戮の空間。第一級冒険者のパーティも近づけないダンジョン最大の危険度を誇る死地(デッド・スポット)

 

 レインは膝を曲げると、勢いよく跳躍し……巨大な円を形を描く死の闘技場中央へ降り立った。

 

 同時に叫ぶ。

 

「いくぞ、モンスター共! 俺は貴様らに挑戦する!」

 

 そして、右手に持つ《ルナティック》の遠隔攻撃をぶっ放した。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 レインの予想では『闘技場(コロシアム)』はさほど苦労することなく一対多の練習ができるはずだった。レインと37階層に出現するモンスターとの間には単純に見てもLv.5分の差がある。

 

 だが厄介だったのが骸骨の人型モンスター『スパルトイ』。厄介なのは強さでも攻撃手段でもなく、出現方法。『スパルトイ』は必ず地面から出てくるのだ。それも狙ったかのようにレインの足元へ。足を掴もうとする骨の手を避けるため、レインは地に足をつけられない。

 

 『闘技場(コロシアム)』ではモンスターが一匹でも減れば、すぐさま補充される。決められた上限を決して割らないのがここの真の恐ろしさ。補充されるモンスターはランダムだ。

 

 レインはモンスターを凄まじい勢いで減らしていく。『スパルトイ』だろうが『リザードマン・エリート』だろうが『ルー・ガルー』だろうが関係ない。全て何の抵抗もできず死ぬ。

 

 しかし補充されるモンスターの大半が『スパルトイ』のため、レインは足を地面につけている時間がない。腕力だけでもモンスターは殺せるが、避ける方に限界がある。

 

 約一日戦い続け、レインは久しぶりにかすり傷を付けられた。Lv.9になって初めての負傷。

 

 かすり傷でももらえば地上に戻ると決めていたレインは地に足が付いた瞬間、跳躍。剣を持っていない左手を下に向け、魔法を放つ。

 

「【アイスエッジ・ストライク】」

 

 次の瞬間、『闘技場(コロシアム)』全体が凍り付いた。モンスターを産み続けるこの場所も、産むために壁や地面を壊せなければ産みようがない。それだけ分厚い氷で覆われている。

 

 レインは邪魔なモンスターの氷像を砕きながら地上へ戻り始める。青年の頭の中では、誰もやろうとはしない鍛錬方法が考えられていた。

 




 地面に足がついてない状態でどうやって躱すんだろうね? 身体を捻ったり、モンスターを足場にしたのかな……。

 魔法を使っていなかったのは縛りです。



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十八話 誰が助けたのか?

目が痛い……


『ヴヴォオオオオオオオオオオオオッ!!』

「ほぁあああああああああああああっ!?」

 

 ダンジョン5階層にモンスターの雄叫びと少年の悲鳴が響き渡っている。ダンジョンでそういった光景は珍しくないが、おかしいのは『上層』である5階層に『中層』のモンスターである『ミノタウロス』がいるところだ。

 

 追いかけられている白髪の少年は不運と言う他ない。とはいえ少年はギルドの受付嬢から5階層に潜るなと言いつけられていたにもかかわらず、美少女に出会うことに目がくらんでこんなことになっているので、自業自得とも言えるかもしれない。

 

 ひたすら逃げ回る少年にミノタウロスの(ひづめ)が振り下ろされる。その一撃は過去に戻って自分を殴ってやりたいと現実逃避していた少年を捉えることはなかったものの、土の地面を砕き、少年の足場を巻き込んだ。

 

 足を取られた少年はダンジョンの床を転がり、壁際に追いつめられる。

 

 涙を流しながら恐怖で不細工な笑みを浮かべる少年に、ミノタウロスは荒く臭い鼻息を吐き出しながら少年をひき肉にするために蹄を振り上げる。

 

 だが次の瞬間、尻もちをついている少年の頭上に亀裂が刻まれた。一拍遅れて怪物の胴体に銀の光の線が刻み込まれ、ただの肉塊に成り下がる。

 

『グブゥ!? ヴゥ、ヴゥモオオオオオオオオオオオォォォオォ――!?』

 

 断末魔を響かせながらミノタウロスの体はずれ落ちていき、赤黒い液体を噴出して一気に崩れ落ちた。大量の血のシャワーは目の前にいた少年に降りかかる。

 

「……大丈夫ですか?」

 

 時を止めていた少年はその声で動き出すものの、声のした方ではなく自分が背を着けていた壁を見る。そこには大剣を叩き込んだんじゃないかと思うサイズの斬撃痕があった。

 

 戦々恐々をしながら少年は振り返る。自分を救ってくれたのはどんな化け物なのかと。

 

 牛の怪物に変わって現れたのは、筋肉もりもりマッチョマン――ではなく、女神と見紛うような少女だった。どんな筋肉の怪物がいるのかと内心怯えていた少年だったが、そんな怯えは消し飛んだ。

 

 今にも爆発しそうな心臓。じわじわと赤くなっていく頬。相手の姿を映す潤んだ瞳。

 

 早い話……少年は一目惚れしたのだ。目の前の金眼金髪の女剣士。最強の一角と言われるLv.5の冒険者。【剣姫(けんき)】アイズ・ヴァレンシュタインに。

 

「立てますか?」

 

 少年を心配したアイズが剣を収め、手を差し伸べる。少年は何事もなかったように爽やかに笑い、少女の手を取って立ち上がる――

 

「だっ――」

「だ?」

 

 ――ような真似ができるはずもなく。アイズが首を傾げる暇も与えず、少年はがばっと跳ね起き、

 

「だぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 

 全速力で、アイズから逃げ出した。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「……」

 

 ぽかんと、アイズは目を見開いて立ち尽くす。彼女はあまりの出来事に、誰にも見せたことがないような呆けた表情を作った。

 

「……っ、……くくっ!」

 

 後ろを振り返れば、灰色の狼人(ウェアウルフ)が震えながら腹を抱え、必死に笑いをこらえていた。ひーっひーっと言いながら笑いをこらえる男に頬を赤らめたアイズは、年相応の少女のように、きっと獣人の青年を睨みつけた。

 

 この出来事のせいで、少女はいつの間にか壁にあった斬撃の痕について話すことを忘れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その二人がいる壁越しに、()()()()()()の男が青白く輝く剣をゆっくりと鞘に納めた。

 

「……ゴフッ」

 

 男は喉元からせり上がってきた血の塊を吐き出し、急いで地上へ足を進めた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「アミッドー、お前に頼まれた依頼(クエスト)のアイテムを持ってき――げぶばっ」

「今度はなにをやらかしたんですかこの人はぁああああ!?」

 

 清潔な白一色の石材で造られた建物、【ディアンケヒト・ファミリア】に笑顔で入り、すぐさま大量に吐血して白い建物を赤く染める男に聖女や精緻な人形と称えられる少女、アミッド・テアサナーレが額に青筋を浮かべて吠える。

 

 血を吐いたにも関わらず笑っている男の手を引っ張り、奥の診療室に連れていく。男が吐いた血は慣れたように【ディアンケヒト・ファミリア】の団員が拭いて綺麗にしていく。

 

「これよく見たら全部剣で刺した跡ですよね! 急所はきちんと避けていますが、なんでこんなに剣で刺されているのか説明してもらえますか――レインさん!!」

 

 急いで回復魔法を施し、怒っていることを隠そうともせずに、アミッドは目の前でヘラヘラ笑う人物――都市最強の一角と呼ばれるL()v().()()の剣士、レインに詰め寄る。

 

「いや、Lv.6になった時に手に入れた『発展アビリティ』が瀕死の時にしか使えないものでな? 最初は一人で58階層まで行けば嫌でも瀕死になると考えていたんだが、担当のアドバイザーに情報を制限されて50階層から下は道が分からん。ならやることは限られてくるだろう?」

「……まさかとは思いますけど、自分で自分の身体に剣をグサグサ刺した、とか言いませんよね?」

「なんだ、分かってるじゃないか」

「『分かってるじゃないか』じゃありません!」

 

 昔、がめつい性格をした客に嫌がらせで回復薬(ポーション)を割られても表情を変えることがなかったアミッドだが、レインにだけは本気で怒る。もしこの部屋が防音でなければ外にまで響くであろう声の大きさだ。

 

「三年前貴方に助けられた時にお願いしましたよねっ。『自分を大切にしてほしい』と、『貴方は死んでもいい人じゃないんだ』と!」

 

 ――アミッドは昔のレインを知っている数少ない人物だ。三年前、アミッドがオラリオの遠方に所用で出かけた時、彼女は野盗に襲われた。戦いが専門ではなくてもアミッドはLv.2、問題はないはずだった。

 

 だが、その野盗たち四十人余りが軒並みLv.2。四人いた幹部はLv.3で、頭目はなんとLv.4というオラリオの外で最強クラスの野党と言っても過言ではない強さを誇っていた。

 

 彼等は自分達がオラリオの冒険者を除けば強いと理解していたため、好き放題に暴れていた。アミッドが乗っていた馬車を襲ったのもそこに欲望を満たすことの出来る美少女がいて、たとえ護衛がいたとしても自分達に勝てるはずがないと思っていたから。

 

 野盗達にしても乗客にしても予想外だったのは……その馬車にいた黒衣の少年がLv.5だった事だろう。誰も馬車にLv.5が乗っているとは思わなかった――

 

 

 

 

 

 

 

「あの時はそれが最善だったっだろう?」

「小さな子供を守るために魔法をその身でかばったこと自体は責めません。でも貴方は魔法で迎撃するもできたはずです」

 

 野盗の頭目は『魔剣』を持っていた。そして魔剣はレインにではなく、レインが強いと分かって遠くに避難することもせず見学していた乗客に振るわれた。

 

「貴方の目を見て分かりました。貴方は全く自分のことを大事にしていない」

「今では俺の命が最も価値があると思っているんだが?」

「知ってますか? 私は職業柄、人の嘘や変化が分かるんです。貴方は初めて出会った時から変わっていません」

 

 オラリオで久しぶりに出会った時、アミッドはレインが自分を大切にしてくれるようになったと思って喜んだ。だからこそ、内面が微塵も変わってないことを知って悲しかった。

 

 アミッドはレインに死んでほしくない。この黒衣の青年がとても優しい人だと知っているから。

 

「これだけは忘れないでください。もし貴方が死んだら、最低でも一人泣く人がいるんです。その人を泣かせたくなかったら自分を大切にしてくださいね」

「……俺が死ぬことなんぞ天地がひっくり返ってもありえんがな」 

 

 依頼の品が入っているバックパックをアミッドに押しつけて、レインはギルドに向かった。 

 

 少女はレインに自分を大切にしてほしいと願ったが、そんなことはできない。

 

 

 

 

 

 

 

 何度も傷ついて何度も痛みを味わって、もう誰も失わず守れるように強くなる。それだけがレインの生きる理由なのだから。 

 




 レインの訓練。全身をめった刺しにして適当に魔法を使い、精神力疲労(マインドダウン)一歩手前の状態で戦う。このせいで自分で回復できなかった(治力は血を作ってくれるアビリティなんじゃないかと作者は思ってる)。


 他にも片腕をもいで戦ったりとかしたこともある。その時アミッドのお世話になった。


 アミッドと出会った時、レインは16歳になったばかり。Lv.5としては最上位だった。


 今レインがLv.6ということになっているのは、ウダイオスを一人で倒したから。瞬殺したため、ウダイオスが黒大剣を使うことを知らない。


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十九話 いろいろアブナイ

PCがくっそカクつく


 【ディアンケヒト・ファミリア】からギルドへ向かうと、『エイナさん、大好きー!!』という大声が聞こえてきた。それを叫んだらしき白髪の少年がレインの横を通り過ぎ、街の雑踏へ消えていく。何だったんだ、あいつ……。

 

 ギルドの出入り口にはエイナが顔を真っ赤にして立っている。

 

「エイナ、なんだその学区に入ったばかりの奴が告白されたみたいな反応は?」

「っ、レイン君!? 気配を消して近づくのはやめてって言ってるでしょ!」

「そんなことしてないぞ。俺の接近に気付けないくらいあの白髪の子供に好きと言われたのが嬉しかったのか?」

「ち、違うよ!? 単にあんなに真っ直ぐに好きって言われたことがなくて、びっくりしただけだから! 本当だから!」

 

 その反応が誤解を招くのだが……それに突っ込む者は誰もいない。顔をまだ赤くしているエイナは受付に戻り、その後ろをレインがついていく。

 

 ちなみに二人はかなりの注目を浴びている。ギルドでの人気ナンバーワンの受付嬢であるエイナと第一級冒険者のレインが一緒にいれば、自然と視線を集めることになる。慣れているので二人は気にしない。

 

「で、あの白髪(しらが)はなんでお前に告白することになったんだ?」

「あれはあの子が私をからかっただけだから! だってあの子――ベル君はヴァレンシュタイン氏の事を好きになってるし……」

 

 一瞬、あの男、二股してるのかと思ったがどうやら違うようだ。

 

「アイズを好きになった? 確かにあいつは見た目はいいがそれ以外がダメだろ。絶対に料理とかできないぞ。それに中身はクソガキだしな」

「クソガキって……レイン君はヴァレンシュタイン氏のこと嫌いなの? いつも綺麗な女の人がいるお店には必ず入るくらい、女の人が好きなのに」

「あいつ、俺を見るたびに睨みつけてくるし、近づけば本気で斬りかかってくるんだぞ。そんな奴、好きになる方が難しい」

 

 何もした覚えがないのに何度も斬りかかられれば、さすがのレインも辟易とする。一応、謝罪の手紙のような物は受け取っているが、レインはアイズとなるべく関わらないようにしている。

 

「本当に何もしてないの? 君、やたらと【ロキ・ファミリア】の人達から嫌われているじゃない。特にエルフの人達から」

「それに関しては思い当たるふしがあるが、アイズはそれに関係してないぞ。そもそもアイズは俺と初めて出会った時から斬りかかってきた」

 

 未だにアイズがレインを嫌う(?)理由が分からない。【ロキ・ファミリア】に尋ねに行こうにも、『あの』出来事があるため門前払いになるのがオチだ。下手すればオラリオ中のエルフから命を狙われることにもなっていたからな……。

 

「俺が嫌われているとかはどうでもいい。それより『上層』にミノタウロスが現れてた。おそらくどっかのパーティが逃がしたんだろうが、一応報告しておく。あと、ミノタウロスは始末しておいたぞ」

「……ねえ、そのミノタウロスがいたのは5階層?」

「そうだ。何か問題でもあるのか?」

「え、え~っとね――」

 

 エイナはベルがミノタウロスに襲われ、殺される寸前でアイズに助けられたことを話す。それに対するレインの反応は、

 

「配役が逆だろ。というか血まみれにされておいてよく好きになったな」

「ア、アハハ……あの子は素直過ぎて思い込みが激しい所もあるし、好きになっちゃったから血まみれにされたことなんて気にしてないと思う」

「それにアイズは間に合ってない。俺が仕留めてなかったら、あのガキは今頃ひき肉になってるところだ」

「レイン君、そのことを絶対にベル君に教えないでね……」

 

 勘違いで好きになったとかベルが知ったら、恥ずかしくて死にそうになるだろう。知ったとしてもアイズを嫌いになることはないだろうが、少年の名誉のためにエイナは釘を刺しておく。

 

「ベル君の話はここまで! レイン君は魔石の換金をするためにギルドに来たんでしょう。一緒に換金所まで行こうよ」

「…………………………………あっ」

「あれ? そういえばレイン君、ダンジョンに潜るときにいつも背負ってるバックパックがないけど、どうしたの?」

 

 ……少女(アミッド)の言葉を聞くことができなくて、それを誤魔化すように依頼(クエスト)の品以外に、魔石やドロップアイテムも入っているバックパックを押し付けたなんて言えない。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「とっくにこちらで換金させてもらいましたよ。昨日気付いたところで戻ってきていれば問題ありませんでしたが!」

「いや、あのやり取りをしておいてすぐに戻るとか、気まずいにも程があるだろ」

「そうですねっ、私のお願いに『もちろんだ』と頷くこともせず曖昧に濁して、一日経ってからやって来る方が気まずいと思いますけどね!」

「……とりあえず、換金した分をくれないか?」

「どうぞ!」

 

 時刻は朝の九時を回ったころ。【ディアンケヒト・ファミリア】にバックパックとその中身を返してもらおうとやってきたのだが、入った途端アミッドの人形のような表情が微かに変化した。精々眉が吊り上がったくらいだが。

 

 棘のある言葉と一緒にカウンターに置かれるのは複数の万能薬(エリクサー)精神力回復薬(マジック・ポーション)、及びレインのバックパック。怒っているのに回復薬(ポーション)を叩き付けないところがアミッドの治療師(ヒーラー)としての矜持が垣間見えるが、

 

「できれば現金をくれた方がいいんだけど……」

「ご安心を。全部換金してその半分が用意した回復薬(ポーション)です。残りの半分は貴方の望み通りにしてあります」

「俺に回復薬(ポーション)は必要ないんだけどな……」

「何か文句がありますか!?」

 

 アミッドがギロリという音がしそうな目でレインを見る。勝手に金の使う用途を決められたことに思うところはあるが、彼女の想いも分かるため文句は言わない。今は結構な額の金が必要なのだが、またダンジョンに潜ればいいかと考えをまとめる。

 

「アミッド……お前は笑っていた方が美人だと思うぞ」

「今は笑う気分ではないですね。誰のせいで笑えないと思いますか?」

「それは――」

 

 適当にはぐらかそうとしたが、店の外におぼえのある気配を感じて商品棚に身を隠す。入ってくるのは有名派閥の少女達。アマゾネスの双子は別にいい。嫌なのは金髪の剣士と山吹色の妖精……!!

 

「いらっしゃいませ、【ロキ・ファミリア】の皆様」

「アミッド、久しぶりー」

 

 胸回りが主神同様まな板に似ているアマゾネスがアミッドに手を上げる。その行動に大体の人間の意識があつまった瞬間、レインは音もたてず外へ出る。

 

「ん? 今、ドア開いた?」

「気のせいではないですか?」

 

 勘の鋭い第一級冒険者は振り返るが、アミッドに言われてそっかー、と納得する。

 

 ただ一人、金髪の少女は何かを感じ取ったかのように目を細めていた。




 レインがかっこよく助けていたら、ベルクンはどうなっていたんだろう? エイナさんは無意識に知り合いがボーイズなラブにならないようにとおもったのかも?


 エルフ云々に関しては近いうちに書きます。


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二十話 怖い話

PCが重い!


 現在、面倒な奴等(アイズとレフィーヤ)から逃げたレインがいるのはとある平屋造りの建物――工房。掃除もされておらず(すす)だらけの工房の中で、レインはまた面倒な奴に捕まったいた。

 

「ふはははは! 何度見ても狂っているとしか思えん武器だな、これは! だが至高の領域に最も近いと言っても過言ではないところが悔しいな!」

「おい、整備が終わったんなら返せ。いつまで振り回しながらブツブツ喋れば気が済むんだ」

呪武器(カースウェポン)だからこそこの領域に辿り着いている……。ならば手前は誰だろうと使える武器としてこの剣を超える作品を作ってやろうではないか!」

「……………」

「やめなさい、レイン。気持ちは痛いほど分かるけど、その振り上げている大剣を下ろして頂戴。椿もいい加減にしなさい」

 

 レインの武器をジーッと眺め続けるのは、左目を眼帯で覆う女鍛冶師、椿・コルブランド。上半身は胸を隠すさらし一枚、下半身は真っ赤な袴という格好で武器を見続ける彼女は、いろんな意味で変態と見られてもおかしくなかった。

 

 ここに来る時、空は青かったというのに、既に太陽は西の空へと沈もうとしている。昼ご飯を食べたり工房内にある武器を手に取ったりと時間をつぶしていたレインだったが、拘束され過ぎて我慢の限界が来た。椿を気絶させて帰ろうと近くにあった大剣を振りかぶる。

 

 それを止めたのは艶やかな紅髪の女神、ヘファイストス。鍛冶師として今の椿の行動も理解できるのだが、そうではないレインにこれ以上付き合わせるのは失礼だと考え、自由気ままな眷属をたしなめる。

 

「なんじゃー、主神様よ。減るものではないし、よいではないかー」

「俺の時間が減っているんだよ馬鹿! 『手前が剣を触っている間に呪いが発動するかもしれないからどこにも行くな』とか言って、どんだけ時間を取らせるつもりだ!」

「まだ半日も経っておらんではないかー。武器を作る時は一日二日は簡単に過ぎるものだぞ?」

変態鍛冶師(おまえ)と一緒にするなっ。さっさと頼んでいた物をよこせ」

 

 整備代をタダにする代わりに武器を見せろという提案に頷いたのは失敗だった、と思いながら《ルナティック》を奪い返す。

 

「むぅ……器の小さい男だなぁ、お主は」

「……………」

「レイン、本当にごめんなさい。椿に頼んでいた物の代金は私が半分負担するから、その振りかぶっている戦鎚(せんつい)を下ろして」

 

 工房の奥の方へ引っ込んだ椿にぶん投げてやろうと2M(メドル)を超える戦鎚を持ち上げるが、再びヘファイストスに止められる。主神に振り回される【フレイヤ・ファミリア】とは完全に逆の主従関係だとレインは思った。

 

「ほれ! これが注文されていた品……『不壊属性(デュランダル)』の薙刀、《紅閻魔(べにえんま)》だ」

 

 椿が持ってきた白い布に包まれていたのは、刃先は不壊属性(デュランダル)特有の銀色、持ち手は真紅で彩られている薙刀。持ち手が紅なのは薙刀は一番紅が似合うかららしい。レインは黒にするよう頼んだのだが、無視したようだ。それでいいのか、最上級鍛冶師(マスター・スミス)

 

「第一等級武装並みの威力が出るように作るのは骨が折れたぞ。しかし……レイン、お主は薙刀が使えるのか? 普段から使っている長剣と似たようなものの方がよかったのではないか?」

「ふっ、そこらの凡人と違って俺は何でもできるんだよ。薙刀にしたのは、ただ突くだけの槍と違って斬ることもできるからだな」

 

 調子を確かめるように軽く薙刀を振り回す。試し斬りだけでLv.5になるほど武器を使ったことのある椿から見ても、レインの動きは全く淀みがなかった。

 

「いい武器だ。代金は近いうちに払う」

「あいわかった。ところでレインよ、なぜ不壊属性(デュランダル)で作らなければならなかったのだ? 他の材料を使えば、威力は桁違いのものが作れたぞ?」

 

 椿の疑問に、工房の扉に手をかけていたレインは振り返り、

 

「最近、深層で何でも溶かす気色悪いモンスターが出るからだよ」

 

 と答えた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「いらっしゃいませー……なんだ、レインさんですか……」

「人の顔を見て露骨にため息をつくな」

 

 晩御飯を食べるために常連の酒場、『豊饒の女主人』に入るなりウェイトレス失格の対応をするのは薄鈍色の髪の少女、シル。

 

「せっかく素直で可愛い兎さんと話していい気分だったのに、偏食狼さんのせいで台無しです」

「俺に毒を食う趣味はないんでな」

「ひどーい! レインさん以外の人は食べてくれますよ! 謝ってください!」

 

 両手を上げて怒っているアピールをしているシルを無視して店のカウンター席の隅へ向かう。普段そこに席は一つしかないのだが、何故か二つあったためその内の一つに座る。もう片方に座っていた人物はレインに挨拶でもしようと思ったのか、顔を横に向ける。

 

「あ、どうも……って、ええっ!?」

「人の顔を見るなり大袈裟なリアクションをするの流行っているのか」

 

 レインの定位置に座っていたのは白髪の少年。どっかで見たことがある顔に名前はなんだったかを思い出そうとするが、

 

「Lv.6の冒険者、【美神の伴侶(ヴァナディース・オーズ)】――」

「なあベル・クラネル。ちょっと怖い話をしてやろう。俺の聞いた中でいっとう怖い話だ」

 

 いきなり名前を口にされ、ベルは二回驚いた。いまだLv.1である自分の名前を知っていたことと、そんな自分にまるで親友を見るかのような笑顔を向けてきたことにだ。

 

「れ、Lv.6のレインさんが怖がる話ですか?」

「ああ、俺の知っている冒険者の話でな。そいつを仮にウサギとしとくが……そいつはある時、自分の二つ名を嫌っている第一級冒険の二つ名でその冒険者を呼んでしまったんだ」

「そ、それで、どうなったんですか、そのウサギは?」

 

 ベルは変な汗が止まらない。さっき飲んだお酒が全部流れ出たような気がする。レインは沈みきった悲壮な声で大仰に首を振り、

 

「そりゃもう悲劇だね。何度もモンスターを押し付けられるだろ、どっかから魔法が飛んできたりするだろ、獲物を横取りされるだろ、しかも好きな人に自分の悪い噂を流されるんだ。どうだ、怖いだろう?」

「む、むちゃくちゃ怖いです。怖すぎます」

 

 がくがくと頷くベル。顔色は青を通り越して白っぽくなり、泣きそうになっている。レインはその目をじいっと覗き込み、低い声でのたまう。

 

「で、お前はなんて俺を呼ぼうとしたんだ?」

「レインさんです! 僕、アイズさんくらいしか二つ名を知りません!」

「わかればいいんだ、わかれば。未来の第一級冒険者はお前だ、ウサギ!」

 

 バシッ、バシッと景気よく肩をレインに叩かれる。何事もなかったかのようにレインは機嫌よく注文する。

 

(……僕は、とんでもない人に目をつけられたのかもしれない)

 

 雲の上の存在である第一級冒険者を見ながら、ベルは唯一の癒し(ヘスティア)に助けを求めた。

 

 その祈りは、現在不機嫌なロリ巨乳女神には届かなかった。




 シルの料理の話を書きたいなぁ、と思っています。


 レインは自分の二つ名が嫌いです。この二つ名になると予想していた人はいますか?


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二十一話 理想と現実

信じられるか? 俺のPC、平仮名を漢字に変換するのに、大体30秒かかるんだぜ?

今回、最後のまとめが雑。


「ほお……オラリオに来たのはダンジョンでかっこよく美少女を助けて、助けた美少女はあっさりお前を好きになる予定。それを何回も繰り返すことでハーレムを作りたかったから、ねぇ……。馬鹿なのか?」

「は、ハーレムは男の浪漫(ロマン)なんです! おじいちゃんも『男はハーレムを作ってこそ真の男になる』って言ってました! いくらレインさんでも馬鹿にするなら許しませ――」

「いや、なんでダンジョンでハーレムを作ろうと思ったんだ。そもそもお前好みの美少女がホイホイダンジョンにいると思ってんのか?」

「ふぐぅっ!?」

 

 レインとベルが話しているのは『どうしてオラリオに来たのか』である。レインの方は「強くなるため」「すごいです!」で終わったのだが、ベルのダンジョンを舐め切った理由にレインが酷評しだした。

 

「それにお前は冒険者になって半月なんだろう? なら潜れるのは精々4、5階層、そこのモンスターなら攻撃をもろに喰らったとしても『痛い』で終わるぞ。どうやったら命の危機に晒される美少女が生まれるんだ」

「ぐはぁっ!?」

「ダンジョンに潜る女は基本的に蛮族……アマゾネスみたいな奴が多い。お前の望むような生娘は数えるほどしかいない」

「ぺぐぅっ!?」

 

 レインの急所を抉るような現実(ブロー)が、夢見るベルの理想(いたいところ)に突き刺さる。ベルのライフは残り僅かだ。

 

「ハーレム作るならいっそのこと娼館で娼婦を買った方が早い。まあ、買うにしても大量の金がいるからお前には無理だが」

「しょ、娼婦を買うつもりなんてありませんよっ。僕は運命の出会いで恋をしたいんです! それは既に叶っています!」

 

 レインの言葉がフィニッシュブローとなってベルに叩き込まれるが、カウンターとばかりに自分の夢は不可能じゃなかったことを叫ぶ。周りに聞こえないように小声で。

 

「お前の妄想とは配役が逆の恋のことか?」

「何で知ってるんですかぁ!? 僕、誰にも言った覚えありませんけど!?」

「見てた。お前がアイズに助けられて奇声を上げて逃げていく所まで、一部始終」

「かはっ……もう生きていけない……」

 

 カウンターはあっさり封じられ、ベルは死んだ。もともと白い髪がさらに白くなっている気がする。カウンター席に伏せてしくしく泣き始めたベルを見て、レインは慰めることなく酒を飲む。若干言い過ぎた気もするが、ダンジョンを甘く見ていたこいつにはいい薬だろう。

 

「ベルさん、そんなに悲しそうにしてどうしたんですか?」

「し、シルさぁん……。僕はもう生きていく自信がないですぅ……」

「重症ですね。意地悪な狼にいじめられた可哀想なベルさんには、私の胸を貸してあげましょう」

「誰が狼だって?」

 

 が、優しい娘を装ってやってきた魔女(シル)によって、ベルはあっさり生き返った。ディスられたレインの言葉は(ベル)を胸に閉じ込めたシルと、真っ赤になりながらも閉じ込められているベルに無視された。

 

 もっと容赦なく言葉責めをすればよかったかとレインが思っていると、どっと十数人規模の団体が酒場に入店してきた。その団体はレインとベルのいる位置とは対角線上の席に案内される。

 

 レインはその団体が店に入った瞬間、極限まで気配を消した。隣にいたベルが思わず目をこすってしまうほどの気配の消しっぷりだ。店から出ないのは、出たら負けな気がするからである。

 

 彼等は種族の統一されていない冒険者達だった。代わりに全員が生半可じゃない実力を漂わせていた。その中には整った眉を微動だにさせず、静かな表情で落ち着き払った美少女――アイズ・ヴァレンシュタインがいた。

 

 その少女にレインは顔をしかめ、ベルは心臓を飛び跳ねさせる。他の客もその団体――【ロキ・ファミリア】に様々な反応をみせた。

 

 そこからのレインとベルの行動は似ていたが違った。どちらもカウンター席の前だけを見ているが、前者は【ロキ・ファミリア】を見向きもせず酒を飲み、後者は狩人のように息をひそめ【ロキ・ファミリア】の動向を頻繫に窺う。

 

「よっしゃあ、ダンジョン遠征みんなごくろうさん! 今日は宴や! 飲めぇ!」

 

 朱色の髪の人物が立ち上がって音頭をとり、それから【ロキ・ファミリア】のメンバーは騒ぎ出した。アマゾネスが尋常じゃないペースで小人族(パルゥム)に酒を飲ませ、酔っぱらった男性団員を中心にハイエルフの胸を景品にした飲み比べが始まる。

 

 レインはここが【ロキ・ファミリア】のお気に入りということは知っていたが、自分が場所を変えるのは癪なのでそのまま居座り続けた。だが隣にいるベルのアイズを盗み見る真似が気持ち悪いことこの上ないし、今飲んでいる酒を飲んだら店を出ることを決める。

 

 周囲の客から笑い声が途絶えない中、レインがジョッキの酒を半分まで飲み干したところで、一際大きい酔っぱらった声が聞こえた。声の主は【凶狼(ヴァナルガンド)】――Lv.5の狼人(ウェアウルフ)、ベート・ローガ。レインが嫌いな男だった。

 

「そうだ、アイズ! あの話聞かせてやれよ! 5階層にいたトマト野郎の!」

「あの話……?」

 

 昨日見た光景を思い出させる単語がある。隣を見てみるとベルが顔を真っ赤にして震えている。

 

「帰る途中で何匹かミノタウロスが逃げただろ!? その最後の一匹を始末する時いたんだよ、いかにも駆け出しっていうひょろくせえガキが!」

 

 綺麗な女性であるシルに声をかけられているにも関わらず、ベルは反応せず俯いている。いつもなら必ず返事はするのに。

 

 そこからもベートのトマト野郎(ベル)を嗤う話は続く。その話を聞く他のメンバーは失笑し、他のテーブルの部外者は必死に笑いを嚙み殺す。

 

 レインは笑わなかった。ただ、止めることもしなかった。

 

「――雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ」

 

 ベートがその言葉を言い終わると同時に、ベルが椅子を飛ばして立ち上がり、夜の街へ消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 レインがベートの話を止めなかった理由は二つ。あの言葉に耐えきらなければこの先冒険者をやっていけないし、止めればベルがよりみじめになるからだ。

 

 それにベルのいい薬になったと思う。これで完全に夢見気分ではなくなるだろう。あのままだと近いうちにダンジョンで死んでいた。

 

 まあ……胸糞悪くなったことに対する報復はするが。レインは空になったジョッキに水を入れ、いまだ何が起きたか把握できてない者の一人――ベートに向けて投擲した。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 恐らく今日あったことを忘れることの出来る客はいない。

 

「ガッッッ!?」

 

 誰かが食い逃げをしたかと思えば、轟音と共に【凶狼(ヴァナルガンド)】が吹っ飛んだのだ。それも鼻から大量出血しながらである!

 

 辛うじてベートとは反対方向から何かが飛んできたことを確認できた第一級冒険者はそちらを振り向き……硬直する。

 

「発情した犬を大人しくするには、水をかけるか衝撃を与えるといいらしいから同時にやってみたが、本当に大人しくなったな」

 

 そこには疚しさのかけらもない清々しい笑みを浮かべた男がいた。その男がどのような人物かを【ロキ・ファミリア】は知っている。

 

 アイズの剣を片手で止めた事実からフィン、リヴェリア、ガレスが手出しすることを禁止するほど警戒する男だ。『最強派閥の最高幹部』が、だ。

 

「てめぇ、いきなり何しやがる!?」

「失恋した狼を大人しくさせただけだが? 酔った勢いで告白してフラれて、今どんな気分なんだ?」

「ぶっ殺す!!」

 

 レインの『フラれた』という言葉に激昂したベートが床を砕く勢いで走り出す。誰かが止める間もなくレインの傍まで接近し、深層域のモンスターを即殺する足刀を繰り出す。

 

「――お前みたいな『雑魚』にできるわけないだろう」

 

 ベートの攻撃はレインの残像を切り裂き、反応することを許さない速度で放たれた拳はベートの顎を的確に打ち抜き、意識を容易く刈り取った。ベートは受け身も取れず床に叩きつけられる。

 

 まあまあスッキリしたレインはこれ以上面倒なことになる前に店を出ようとするが、その肩を掴むのは笑みの消えた道化の神(ロキ)

 

「ちょい待ちぃや。うちの眷属()を傷つけといて謝罪の一言もないんか?」

「人を殺しそうになったのに、それを笑うような奴に謝る必要性を感じない」

 

 ロキの手を振り払い、会計カウンターにヴァリス金貨の詰まった袋を放り込んで店を出る。

 

 足を進めるのは本拠地(ホーム)ではなくバベル。ダンジョンがあるその方向からは、悔し涙を流していた少年の気配がしていた。




レインがイラついたところ。

自分達が人を殺しそうになったのに、それを反省せずあまつさえ死にかけた人を笑ったこと。


レインがベートのことが嫌いな理由。

レインはベートの『雑魚』の意味を理解しています。しているからこそ嫌いです。



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二十二話 残念な妖精

 今回はレインが下手したらオラリオ中のエルフに狙われたかもしれない理由が分かります。ネタ回です。


 レフィーヤって、残念なところがありますよね。人の話を聞かないとか。


 ダンジョン6階層。レインのいる正方形の広間の中央部には多種多様の『ドロップアイテム』が転がっており、その『ドロップアイテム』に囲まれるようにして白髪の少年――ベルが倒れている。全身傷だらけで、気を失っていた。

 

 レインはベルがダンジョンに入る前に追いついていたのだが、鬱憤を晴らさせるためにも止めなかった。怒りに身を任せて6階層に突っ込んだ時には、「こいつ、やっぱり馬鹿だ」と自暴自棄な行為をするベルの評価を下げたが。

 

 このまま放っておけばモンスターに襲われ死ぬだろう。正直なところ、レインはベルが死のうが知ったこっちゃない。ダンジョンは常に死と隣り合わせ。非情と言う者もいるだろうが、友人でも何でもない少年が死んでもどうでもいいのだ。

 

 それなのに気配を辿ってまでベルを追いかけたのは、ベルの事を気にかけているエイナや、酒場でベルを追いかけたシルが悲しむだろうと思ったからだ。彼女らの存在がなければレインはここにいない。感情に振り回されて死にに行く馬鹿を助けるほどレインは聖人ではない。

 

 ――というわけで、アミッドに強制的に買わされた高等回復薬(ハイ・ポーション)を乱雑に振りかける。それだけで少年のすべての傷は瞬く間に治った。治療すれば目を覚ますかとベルの様子を見るが、瞼も指もピクリとも動かない。

 

 仕方なくベルを荷物のように担ぎ上げ、バベルの医療施設まで連れていく。職員に自分が運んだことを伝えないように頼み、とある書き置きと一緒にベルを引き渡した。

 

 レインの肩でぶらぶら揺れているベルを見て、職員は頬をひきつらせていた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 ベルを医療施設に送り届けた二日後。新たな武器である《紅閻魔》に慣れるためダンジョンで丸一日、モンスターを灰に変えまくったレインは目立たぬよう路地裏を歩いていたのだが、

 

「結局、ヒューマンのお店の服が一番似合ってるねー」

「ごめん……他の服が似合わなくて……」

「いえいえいえっ、アイズさんは謝らなくていいんですよ! それに他の服も抜群に似合っていましたし、一番似合っているのがその服だってティオナさんは言ったんです!」

「入り口の前で喋るのはやめなさい。他の客が入れないでしょうが」

「あー、そうだね。――あれ? この人、あの狼をひっくり返した人じゃない?」 

 

 ちょうど通り過ぎようとした服飾店から、すんごく見覚えのある四人組が出てきた。逃げる間もなく双子のアマゾネスの妹の方に補足される。つられるようにして他の三人もレインに視線を向ける。

 

「あぁーーー!!! 畏れ多くもリヴェリア様のらたぶっ!?」

「周りに人がいるところで何ぶちまけようとしてんだ、お前は」

 

 レインを見るなり目を吊り上げたレフィーヤが、指をレインに突き付けながらとんでもないことを叫ぼうとする。何を叫ぼうとしたのか察したレインは、リヴェリアの名誉を守るために右手に握っていた薙刀をレフィーヤの頭部に振り下ろした。

 

 ガツンッ! という鈍い音がした。レフィーヤは頭を押さえ、涙目になる。

 

「あ、頭がっ、頭が割れるように痛いぃっ!? なんてもので殴るんですか!」

「やかましい! 考えなしに馬鹿な真似をしようとしたお前を止めてやったんだから文句言うな、むしろ感謝しろ愚か者め!」

「武器で殴る必要はないですよね! 口を押さえるとかじゃ駄目だったんですか!?」

「止めるついでに酒場での胸糞話の鬱憤を晴らしておこうかと」

「ベートさんにやってくださいっ!」

 

 出会って十秒もしないうちに始まるヒューマンとエルフの醜い言い争い。それに終止符を打ったのは、

 

「店の前で喧嘩すんなぁ!!」

 

 腹が減って少しイラついていた双子のアマゾネスの姉だった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 落ち着いて話そうよー、というティオナの提案の下、レイン達五人はカフェの丸テーブルに座る。レインの隣にはティオナとティオネが座り、その隣にアイズとレフィーヤが座る。

 

 いつもレインを睨みつけてくるアイズは無表情で机を見続け、レフィーヤは隠そうともせずレインに怒りの視線を向ける。基本的に笑っている後輩エルフの怒りに、双子のアマゾネスは困惑していた。

 

「レフィーヤ、結構前からエルフの団員と一部の男性団員がレインを敵視してるけど、どうしてなの?」

「あたしも気になって聞いてみたけど、だーれも教えてくれなかったんだよねー」

 

 ティオネとティオナの疑問に、レフィーヤはどす黒いオーラを纏いながら俯く。第一級冒険者をビビらせる圧力のせいで周りから客はいなくなった、

 

「……たんです……」

「え~っと? 小さくて聞こえないんだけど……」

「リヴェリア様の裸体を見やがったんです」

「……本当に見たの?」

「確かに見たが、わざとではないからな。リヴェリア本人には許してもらっているのに、それをこいつらが勝手に騒いでいるだけだ」

 

 ティオナの確認にレインが肯定すると、レフィーヤは机を叩き、

 

「じゃあその後抱きしめたのもわざとじゃないって言うんですか!?」

「あれはお前らが我を失ってリヴェリアごと巻き込む魔法をぶっ放したせいだろ……」

「聞く耳持ちません! たとえ命と引き換えにしてでも、今ここで貴方に天誅を下します!」

 

 護身用に持ってきていた杖を構え、詠唱を始めた。足元に魔法円(マジックサークル)が展開される。このエルフ、本気(ガチ)だ。

 

「レフィーヤ落ち着いてぇ!? お店の中で魔法は使っちゃだめだから!」

「後生ですティオナさん! この変態真っ黒ヒューマンに天誅を下すのを止めないでください!」

「レフィーヤ……お前らのやってることはリヴェリアの恥をバラまいているようなものだからな?」

「ウガァアアァアアァアアアアア!!」

 

 本当に魔導士なのかと思うほどの力でレフィーヤが暴れる。気を抜けば振りほどかれそうになる力に、ティオナは割と必死でレフィーヤを抑え込む。

 

「あ、リヴェリアの抱き心地はよかったぞ」

「キシャアアァアアァアアアアアッッッ!!!」

「挑発してんじゃないわよ! レフィーヤがモンスターみたいな顔になったでしょうが!」

 

 笑いながらのレインの言葉にレフィーヤの力がより強まっていく。もうエルフどころか女の子がしてはいけない形相を見て、ティオネがキレ気味になった。

 

「じゃ、俺は帰るぞ。店に迷惑料は払っておくから、頑張ってそいつを宥めるんだな」

「おいコラ逃げんなてめぇ!」

 

 一人店の出口に向かうレインにティオネの罵声が投げつけられるが、ヴァリス金貨の入った袋を店員に渡したレインは足を止めることなく出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 その後、レフィーヤを止めたのはアイズの抱擁だった。止めるのに一時間近くかかり、彼女たちはこのカフェを出入り禁止になった。




 ティオナはレインの名前をしっかり覚えていませんでした。


 アイズがレインに突っかからなかったのは、ベルに逃げられて落ち込んでいたから。


 リヴェリアの裸を見ることになったのは、18階層天井付近のクリスタルを回収する依頼を受け、クリスタルを回収して飛び降りたら、水浴びをしていたリヴェリアのいる水場に着地。


 ティオナやティオネがこのことを知らなかったのは、エルフの団員が他の団員に話そうとしなかったから。

 一部の男性団員が知っている理由? なんでだろうね?


 


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二十三話 怪物祭

 これでソード・オラトリアとダンまち一巻分が終了。正直、あまり一巻のことは考えていなかった。2巻からは考えてたんだけどね。


 これからもよろしくお願いします。


 『怪物祭(モンスターフィリア)

 

 年に一度、闘技場で【ガネーシャ・ファミリア】が行う催し。迷宮から連れてきた凶暴なモンスターを【ガネーシャ・ファミリア】の調教師(テイマー)が相手取り、倒すのではなく、手懐けるまでの一連の流れを客に披露する。

 

 ギルドが企画するこの催しは問題視する者も多いが、これを見るために都市外から足を運ぶ者がいるほど人気でもある。

 

 今年のオラリオ名物の祭りはどうなっているのかというと――

 

 

 

 

 

 

 

『ウオオオオオオオオオオオ!?』

 

 大盛況だった。基本的に大観衆の拍手や喝采が万雷のように鳴り響くのだが、今回は都市東端に築き上げられた円形闘技場(アンフィテアトルム)を揺るがさんばかりの興奮の渦に包まれている。

 

 闘技場内のアリーナには漆黒の衣装を身に纏い、顔を仮面で隠している男がいた。その男の傍にはすっかり大人しくなった全長十M(メドル)以上の竜がいる。

 

 怪物祭(モンスターフィリア)の観戦に来ていたティオナ、レフィーヤ、ティオネはとても驚いている。それだけ男のやったことは凄かった。

 

「あれどう見ても木竜(グリーンドラゴン)だよねっ? あの竜もオラリオの外にいたやつかな?」

「いや、あの竜はダンジョンの産まれね。調教(テイム)の様子から見ても間違いないわ」

「ガネーシャのとこに、あんな凄い人いたんだねー」

 

 Lv.4相当の竜種のモンスターを手懐けた男の手並みに、ティオナとティオネが素直に舌を巻く。

 

「ただでさえ成功率は低いのに、こんな大舞台で成功させちゃうあの人は誰なんでしょう……?」

 

 レフィーヤは「ブラック仮面様ー!」「俺のファミリアに来てくれー!」「最後に素顔を見せてほしい!」という声援を浴びて退場していく男を見つめる。どこかで見た覚えがあるその後ろ姿に、彼女は【ガネーシャ・ファミリア】のメンバーの顔を思い出そうとしていたが、

 

「さっきから【ガネーシャ・ファミリア】の連中が慌ただしいわね。何かあったのかしら?」

「あ、やっぱりそう思う?」

 

 第一級冒険者達が何かしらの非常事態が起きていることを感じ取り、観客席から立ち上がる。それについて行こうとするレフィーヤは、もう調教師(テイマー)の正体を考えるのをやめていた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「捕獲していたモンスターが逃げ出した?」

「ああ、何者かによってモンスターが外に出された。逃げ出したのは九匹。中には『深層』のモンスターもいる。急いで鎮圧して欲しい」

 

 木竜を手懐けた謎の凄腕調教師(テイマー)――レインは仮面を外し、見目を意識した衣装から着替えながら【ガネーシャ・ファミリア】団長、シャクティ・ヴァルマからトラブルが発生したことを告げられる。

 

 レインが怪物祭(モンスターフィリア)に参加しているのは、この祭りの()()()()を知っているから。調教(テイム)は端的に言えば、実力差を分からせて服従させることなので、レインにとっては容易いことだ。

 

「お前等の所の団員が見張っているはずなのに、なんでモンスターが逃げ出すことになるんだよ?」

 

 自分が正体をバレないようにしているとはいえ、衆人環視の中で『スキル』の力を使ってまで目的を達成しようとしているのだ。それを邪魔する行為をあっさり許した団員に対する苛立ち交じりにシャクティを見ると、

 

「団員達は何らかの手段で再起不能に(おちい)っていた。魂を抜かれたような状態だ。そのせいで犯人を聞きだすこともできん」

 

 レインの脳裏に『欲しい子ができちゃった♪』と可愛く微笑んでいた容疑者(フレイヤ)の姿がよぎる。一歩間違えなくとも都市への破壊行為ととれることを平然とやる女神を思い出し、レインは『帰ったら一発殴ってやる!』と誓う。

 

「既に【剣姫】が殲滅に移っているから、お前には彼女のいる場所とは反対側を捜索してもらいたい」

「わかった。とは言っても、アイズがいればもう全滅して――」

 

 そこまで口にしたところで地面が揺れ、何かが爆発したかのような轟音が響いた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「アイズ、魔法を解きなさい! 追いかけまわされるわよ!」

「でも……」

「一人一匹くらい何とかするって!」

 

 ただならぬ様子を察して闘技場の外に出たティオナ、ティオネ、レフィーヤは居合わせたロキから詳しく事情を聞き、先にモンスターを殲滅しにかかっていたアイズが討ち漏らした時のために備えていた。

 

 討ち漏らすどころか的確にモンスターを屠る金髪の少女に、三人が手持ち無沙汰になりかけている時、()()は石畳を粉砕し、地面の下から出現する。

 

 現れたのは顔の無い蛇、と形容するのが最もふさわしい黄緑色の長大な怪物。そのモンスターの危険性を肌で感じたティオナとティオネは急いで始末しようと渾身の一撃を叩き込むが、あっさりと阻まれる。

 

 並のモンスターならば素手だろうと肉体を破砕する第一級冒険者の攻撃を、凄まじい硬度を誇る滑らかな体皮は僅かばかり陥没するのみで耐えきり、逆にティオナ達の手足にダメージを与えてきた。

 

 魔法で狙い撃とうとしていたレフィーヤは腹部から血を流し、倒れ伏している。今は食人花の姿になっているモンスターの『魔力』に反応する性質によって、狙い撃たれ腹部を触手で貫かれたせいだ。

 

 間一髪のところで急行したアイズがレフィーヤに襲い掛かろうとしていた食人花の首を断ち切り、エルフの少女の命を救ったが、アイズを取り囲むように三匹の食人花が現れ、追い打ちをかけるかのように少女の手の中でレイピアが砕け散った。

 

 防戦を強いられることになったティオナ達は、一人一匹ずつ相手を出来るようにアイズに魔法を解除するように呼びかけ、止むをえず魔法を解除しようとした。

 

 その時だった。アイズの視界に逃げ遅れた獣人の子供が映りこむ。巻き込むまいと一瞬で判断し、無茶な回避を行い――

 

 醜悪な牙が無数に生えている大口に捕まった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

(いつまで倒れているつもりなの、私は!)

 

 痛みに悶えながらレフィーヤは立ち上がろうとする。通りの奥では弱い自分をいつも守ってくれるあの心優しく、遥かに強い冒険者達の前に死が迫っている。

 

(わかってるよ! 自分が弱いことなんて! あの人達に相応しくないことなんて!)

 

 自分を介抱してくれていたギルド職員に避難するように制される。ここから目を背けて全てを他の強者に委ねてしまえ、と体の痛みも囁きかけてくる。

 

 レフィーヤは知っている。自分が死力を尽くして助けようとしても、優しく遠ざけられる。自分が弱いから、側にいることを許されない。

 

 それでも助けたい。追いつきたい。力になりたい。

 

 ずっと、一緒にいたい。

 

(動いて、動いてよ!)

 

 現実は無情だ。どれほど身体を動かそうとしても、痛みが、失ってしまった血がエルフの少女の願いを拒絶する。

 

 モンスターの牙が風の結界を突破し、金髪の少女の肌に傷をつけた。

 

(動け――!!)

 

 次の瞬間、黒い風がレフィーヤの横を通り過ぎた。風は青い光と共に食人花の間を通り過ぎ、瞬く間に灰へと変化させ、レフィーヤの前に戻ってきた。

 

 風は人だった。いつもふてぶてしい笑みを浮かべ、レフィーヤが大嫌いな、彼女達の隣に立つことを許された男だった。

 

「悔しいか? 自分の大切な人を守れないことが」

 

 まるで心の中を読んだかのような問いに、レフィーヤは目を見開く。

 

「アイズ達の力になりたいなら、強くなりたいならその悔しさを二度と忘れるな」

 

 それだけを言い残し、レインはどこかへ行ってしまった。馬鹿にするようなことを一切言われず、レフィーヤはただ困惑する。 

 

 

 

 

 

 

 

 この日からレフィーヤは、あまりレインを嫌いではなくなった。




 ベルは普通にシルバーバックを倒しています。レインの書き置きは別の所で。


 ふと思ったけど、アイズの風が強いからって、巨大なモンスターののしかかりに耐えれるんですかね?

 あとレフィーヤ。腹を貫かれてよく立てたな……。ここでは立てませんでしたが。



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二十四話 リヴィラの街での殺人

 短めです。


 怪物祭(モンスターフィリア)から二日後。

 

 フィン、リヴェリア、アイズ、ティオナ、ティオネ、レフィーヤという五人も第一級冒険者がいる豪華なパーティは、アイズとティオナの借金(ローン)返済のためにダンジョンに潜ることになった。

 

 このパーティにとって稼ぎどころは『深層』に入ってから。そのため18階層に来るまでに集めた『ドロップアイテム』を売り払い荷物を軽くしようと、ダンジョン内に存在する『街』へと進路を取った。

 

 換金をしたらすぐに19階層に向かおうとしていた一行の予定は、上級冒険者の経営するダンジョンの宿場街――『リヴィラの街』に入って()()があったことを確認したため、一時中断された。

 

 死体があったらしい宿へ向かうと人だかりで中の様子は分かりそうになかったが、ティオネが怒鳴ったり、フィンが丸め込むことであっさりと中に入ることが出来た。

 

 その時現場検証をしていた男と一悶着あったものの、殺された人物の正体や犯人が女だろうと分かった時にとある冒険者が、

 

「そ、それらしいこと言ってるけどっ!! お前らの誰かがやったんじゃないか!?」

 

 と、半狂乱でアイズ達に指を指した際に起きた騒動に比べればかわいいものだった。まあ、悪いのはティオネを(ねぶ)るような目で見た冒険者だが(怒りで床を踏み砕いたティオネもどうかと思うが)。

 

 そんなこんなで自分の手に負えないと判断した男がフィンに現場の権利を譲った時、宿の外が騒がしくなった。騒ぎは次第に奥に位置するこの部屋に近づいてくる。

 

「――よおっ! すごく強い美女が現れたって本当か!?」

 

 宿に入るのを止めようとしたらしき冒険者を腰にくっつけたまま、長身黒衣の男は何事もなかったかのように手を上げたが、誰もがあっけにとられて男を眺めている。

 

「ふむ、唐突な天才の登場に驚きを隠せんようだな。で、美女はどこだ?」

「……レイン、貴様がどんな噂を聞いたのか知らんが一発殴らせろ」

「ん? もしかしてリヴェリアが男を腹上死させた女だったのか?」

「ふんっっっ!!!」

 

 ハイエルフの魔導士とは思えない黄金の右ストレートは、言いたい放題の男の顔に突き刺さることなく防がれた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「――なるほど。今街で流れているべらぼうに強く美しい女に男が一人腹上死させられ、死んでもいいから抱かれたいと思う男が宿に集まっているという噂は嘘だったのか」

「いろいろツッコミどころはあるけど、その噂は誰から聞いたんだい?」

「たしかモルドとかいう冴えないオッサンだ」

 

 お前らー、モルドの野郎をシメてこいー、という野太い声が外から響いてくる。フィンとレインは遺体の周りを整理しながら情報を交換していた。

 

「しっかし……ハシャーナもアホだな。色事に夢中になって抵抗することも出来ず死ぬとか」

「おい、どうして色事に夢中になっていたと断言できる。Lv.4を殺せるほどの力を備えている女の可能性が高いだろうに」

 

 リヴェリアが鋭くレインの発言を指摘する。レインは抵抗の痕が見当たらない男の死体を指さし、

 

「それも考えられるがオラリオにそこまで強い女冒険者はいるのか? それもリヴェリアみたいにスタイルもいい美女だぞ。そんな奴いるのか?」

「び……!? そ、それもそうか……」

 

 女性の冒険者でLv.4以上の者は数えるほどしかいない。それも男がむしゃぶりつきたくなるような体つきとなればなおさらだとレインは話す。たまにいるナンパ野郎のような軽い調子ではなく、淡々とした言葉故に本気で言っていると分かり、リヴェリアだけではなくティオナ達も頬を染める。

 

「でも見た感じ情事に至った形跡もないし、強い女がいた可能性も確かにある。フィンはどう思う?」

「僕も同意見だよ。それと、この殺人とは関係ないけど一ついいかい?」

「なんだ?」

「女性がいる時に遺体とはいえ局部を見るのはどうなんだい……」

 

 ハシャーナの遺体の下半身にあった衣服を脱がせたレインに、フィンは疲れたように伏し目になった。女性陣も別の意味で顔を赤くしている。目を手で隠したままレフィーヤが吠える。

 

「なんで私達がいることを考えないんですかぁ!? この変態っ!」

「? 別に初めて見るわけじゃないだろ? なにガキみたいな反応してんだ」

「そうじゃなくて、デリカシーというものが――」

「フィン、どうやらハシャーナは犯人に狙われる『何か』を極秘で30階層まで取りに行っていたらしいぞ」

「話を聞けえぇぇぇぇぇ!!!」

 

 荷物を漁り血まみれの羊皮紙を取り出したレインはフィンに情報を告げる。無視(シカト)されたレフィーヤが爆発し、アイズに取り押さえられた。

 

 しばらくレインとフィン、リヴェリアが話し合い最終的にフィンの勘によってまだ犯人が『リヴィラの街』にいるだろうと判断し、街全体を封鎖することになった。

 

 リヴィラの住人達が慌ただしく動き出す中、アイズ達はそっと目を伏せ追悼の念を抱く。絶対に犯人を捕まえてやろうと顔を上げ、行動を始める。

 

 

 

 

 

 

 

 外から既に()()の怪しい気配を感じ取りながら、レインも遺体に向かって軽く目をつむり部屋を出た。

 




 レインも資金稼ぎのために『深層』に潜っていました。

 なんというか「愛してる」とかの類の言葉って、自分と関係なくても恥ずかしくなりません?


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二十五話 犯人捜し

次は小話とかを書こうと思っています。シルさんの料理の腕前とかね。


よければ(高)評価、お気に入り登録お願いします。モチベーションが上がるので。


 場所は水晶広場。『リヴィラの街』の中心地であり、広場の中央には大きな白水晶と青水晶の柱が双子のように寄り添っており、見通しのいい開けた空間は街中でも最も広い。周囲に水晶や出店が並ぶこの広場で、冒険者一同は集結していた。

 

「集まるのが早かったね」

「呼びかけに応じねえ奴は、街の要注意人物一覧(ブラックリスト)に載せるとも脅したからな。この要所(まち)を今後も利用してえ奴等は、嫌々でも従うってもんよ」

「それに、一人でいるのは恐ろしい、か」

 

 ああ、とフィンのフィンのつぶやきに頷くボールス。そのやりとりをすぐ近くで見ていたレインが本気で驚いたように目を見開き、

 

「ボールス……お前にそんなことを考える知能があったんだな」

「どういう意味だてめぇっ!!」

「だってお前……いつも暴力でしか人を従わせることのできないガキ大将みたいな言動ばかりしてるじゃないか」

「黙りやがれ! くそっ、てめぇなんぞ殺人犯に殺されちまえ!」

「ボールス。周りの不安を煽るような発言は控えてくれ」

「うっ……すまねぇ、フィン」

 

 レインの馬鹿にするような言葉にボールスが声を荒げたが、自分達の視線の先で揺れ動いている人だかりのそれぞれの顔にあった不安と恐怖が大きくなったのを見つけたフィンにたしなめられる。

 

 既にボールスの口からLv.4のハシャーナが殺されたことは伝えられている。第一級冒険者に匹敵する殺人鬼が潜んでいることに対する不安を増長させるボールスの後先考えない行動に、フィンは微かに苛立ちを滲ませていた。

 

「全くだ! もうちょっと頭を使えよ、ボールスの脳筋」

「もうお前は黙っていてくれないか?」

 

 口の減らないレインをリヴェリアが双子水晶の後ろに連れていこうとするが、素早く動くレインを捕まえることは出来なかった。ボールスの額には青筋が広がりメロンのようになっている。

 

「さて、他に第一級冒険者がいれば楽だったが、相手も馬鹿じゃないか」

「最初から騒動を起こすつもりだったのだろう。Lv.を偽る、または変装……安易に疑われない対策の一つや二つは取っているだろうな」

 

 双子水晶の下で集まった冒険者達を見回すレインとリヴェリア。ざっと数えても、五百人に届いている。ちなみにボールスは怒りでどうにかなりそうだということで、フィンが水晶の後ろに連れて行ってしまった。つくづく貧乏くじを引く少年である。

 

「とりあえず男と女の冒険者を分けるとして……Lv.を確認させてもらえればよいのだがな」

「我が物顔で調査をすれば、都市中の【ファミリア】から反感を買ってしまいますしね」

 

 女性冒険者が一箇所に集められ、多くの男性冒険者に囲まれる様子を見ながらのリヴェリアの言葉に、レフィーヤが相槌を打つ。二人の言う通り【ステイタス】を確認するのが一番手っ取り早いが、情報秘匿の規律に違反してしまう。

 

「まずは無難に、身体検査や荷物検査といったところかな」

「よし、そういうことなら……」

 

 ボールスを連れて行って帰ってきたフィンが、犯人特定の助言をする。それに真面目な顔で頷いたレインは一つの小屋の前に立つと、顔を上げて女性冒険者達に叫んだ。

 

「女は一人ずつこの小屋に入れーっ! この中で体の隅々まで調べてやる! …………ここにいるフィンが!」

『キャアアアアアアアアアアアアアアアッッ!?』

 

 レインのその大声を聞き、全ての女性冒険者が黄色い歓声を上げた。我先にと小屋の前に殺到し、中には直接フィンの前に並ぶ者もいる。ふざけんなーっ! もげろーっ! ちねーっ! とモテない男性冒険者から大顰蹙(だいひんしゅく)の声々が飛んだ。

 

『フィン、早く調べて!?』『お願い!』『体の隅々まで!』『なんならそのまま押し倒してもらっても!』

「…………」

 

 多くの少年趣味(おんな)に詰め寄られる、遠い目をした【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナ。オラリオにおける女性冒険者人気の一、二を争う第一級冒険者だ。

 

「うーん、これは笑える。見ろよ、あのフィンの顔」

「てめぇ何言ってんだ……ッ!? 団長は私のものなんだぞ!」

「ちょっとぉ、ティオネー!?」

「離しなさいっ!? 団長が変態共に狙われてんのよ!?」

 

 フィンに殺到する女性陣とレインのふざけた発言にブチ切れるティオネ。暴走しようとする姉を必死に羽交い絞めするティオナは「鏡見なよー!」と叫び散らす。

 

『フィンが押し倒されたぞー!』

『いや、お持ち帰りされたー!』

『精力剤持ってる奴がいるー!』

「――うがァああああああああああああああ!!」

 

 怒り狂ったティオネが妹の拘束を振りほどき、街の広場は大混乱に陥った。下手すればこの時、フィンの子供ができていたかもしれない。そのくらい女たちの顔は真剣だった。

 

「見ろ、ティオネがまとめて四人吹っ飛ばしたぞ。恋する乙女(笑)の力は凄いな」

「どの口でぇ……!?」

「急いで、止めないと……」

 

 乱闘騒ぎを見てせせら笑う元凶(レイン)に、レフィーヤとアイズは頭を痛めた。リヴェリアとティオナが慌てて乱闘を止めようと介入する。

 

「……?」

 

 ふと、そこで。アイズの瞳が人込みの中から、犬人(シアンスロープ)の少女を捉える。その少女は病気かと見紛うほど顔を青白く染め、震え、怯え、後ずさりした後、集団の混乱を利用するように、素早く広間から逃げ出した。

 

 不審な行動を放置する選択肢のないアイズとレフィーヤは、急いで少女の後を追った。

 

 レインはそれに気付き――追わなかった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 その瞳は少女達の動向を追っていた。その人物は偶然、ただならぬ雰囲気の三人の少女を見つけ、こっそりと後をつけていた。薄闇に包まれる街壁の上に立つその人物は、ハシャーナを殺した者だった。

 

 眼下、視線の先では、巨大なカーゴが乱雑に置かれる倉庫の一角で、ヒューマン、エルフ、獣人の少女が向かい合って会話を交わしている。しばらく観察を続けていると、獣人の少女が動き、宝玉が現れた。

 

 睨みつけるように(まなじり)を吊り上げり、その宝玉――緑色の胎児を瞳の中心に収めた。一瞬、多くの者がひしめく街の中心部に目をやり、殺すのに手間取りそうだと思った金髪の少女を見下ろす。

 

 やがて、懐に伸ばされた手が草笛を取り出す。唇と草の間から生まれる高い笛の音。

 

「――出ろ」

「何が出るんだ?」

「決まっているだろう。食人花(ヴィオラス)だ」

「その草笛を吹けば誰でも呼べるのか?」

「でなければ道具の意味がない…………!? 何者だ!?」

 

 ナチュラルにかけられた声につい応じてしまったが、すぐさま我に返り振り向いた瞬間目に入ったのは、霞むような速さで振りぬかれる黒い足。街の上空を渡るはずの笛の声は、途方もない衝撃音にかき消された。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「うわあっ!? こ、今度はなんなんだよお……!?」

「ぼ、冒険者……?」

 

 エルフと獣人の少女、レフィーヤとルルネが進む群晶街路(クラスターストリート)。街が襲われたり、自分の荷物が気色悪いものだったりと動揺しまくるルルネの目の前の結晶に、上から降ってきた手足の先から胸元まで漆黒の鎧に包まれている男性冒険者が叩きつけられた。

 

 レフィーヤが咄嗟に駆け寄ろうとするが、上空からレインが現れ彼女の前に立ちふさがる。

 

「レインさん、どいてください。あの男の人を治療しないと……」

「必要ない。そうだろ、ハシャーナを殺した女」

「え?……ひっ」

 

 レインの言葉に耳を疑う。水晶にめり込んでいる身体を引き抜いている目の前の人物はどう見ても男だ。いや……顔に巻かれている包帯の隙間から、不気味に歪んだ男の顔が見えている。水晶に叩きつけられた際の衝撃で仮面(マスク)――被っていた顔の皮がずれたのだろう。

 

「貴様……いつから気が付いていた?」

「この街に来た時からだ。まるでモンスターと人間が混じったような気配がすれば、警戒するのは当然だろう」

「チッ……無駄に勘の鋭い奴め」

 

 目の前の人物から本当に女の声がしたことにも驚いたが、レフィーヤはレインが最初から殺人鬼の正体に気が付いていたことが信じられなかった。

 

「どうして広場にいる時に教えてくれなかったんですか!? あの時は団長やリヴェリア様もいたのに!」

「アホか。こいつは最低でも第一級冒険者の実力を持ってるんだぞ。周りの弱い奴を人質に取られでもすれば面倒だろうが」

「それは、そうですけど……。私だけにでもこっそり教えておいてくれてもいいじゃないですか……」

 

 後半の言葉は近くにいたルルネにのみ聞きとられた。殺人鬼の女はレインにのみ目を向けたまま鎧と肉の仮面(マスク)を強引に剥がし、兜、膝当て、籠手のみを残した軽装の状態で、腰に佩いている長剣を抜き放った。

 

「大分予定が狂ったが……いい加減、宝玉(たね)を渡してもらう」

「人殺しにくれてやるものなどない。負け犬のように尻尾をまいて手ぶらで帰れ」

 

 女がセリフと共に一気に襲い掛かり、レインの剣と衝突した。




 レインが感じていた気配。犯人の女の気配と宝玉の胎児の気配です。


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小話 孤児を守る冒険者達

 ネタ回です。シルさん(の料理)が酷く書かれていたり、キャラ崩壊があったりします(これは今更か……)。別に見なくても本編に影響はありません。


 レインが酒場でシルさんの料理を毒と言っていた理由が明らかに。


 評価とお気に入り登録をしてくださった方、ありがとうございます!これからも頑張ります!


【フレイヤ・ファミリア】所属の世界最強のLv.9、レイン(公式Lv.は6)。彼はLv.9になってから自分が万全の状態であればかすり傷すら滅多に負うことはなかった。

 

 これは、そんなレインが死にかけた話である。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

【フレイヤ・ファミリア】の幹部のみが入室を許された円卓の間。そこに団長オッタルをはじめとした幹部たちと新幹部であるレインが巨大な円卓に集まっていた。

 

「オッタル、話ってのはなんだ」

 

 アレンが鋭い眼差しをオッタルに向ける。いつもなら他の幹部たちによるオッタルへの意見……という名の悪口が始まるのだが、今回は様子が違った。

 

「招集をかけたのは他でもない……シル様の試食会のことだ」

 

 面々を見渡したオッタルが、重々しく口を開く。彼は端的に今日の主題を説明した。シルが、何度目かも知れない『お食事会』を開くことを。

 

『……本当か、それは?』

 

 アレンを含めた団員達は静まり返り、割と本気(ガチ)深刻(シリアス)な表情を帯びた。昔、フレイヤが『発作』を迎えた時に並ぶほどの深刻さだ。彼等は額に例外なく汗を滲ませている。

 

「前回気持ちだけで結構ですと伝えたのに……」

「なぜ今になって……ヘルンの奴が毒味――味見をしているだろう」

「つべこべ言っても仕方がない。今回も逃げることは不可能……ならばどうやって耐えきるか」

万能薬(エリクサー)はどうやって持ち込む? そろそろミックスジュースに混ぜるのも限界だぞ。破壊力も上がってきている」

「「「それな」」」

 

 とても料理を食べる話とは思えない内容を繰り広げるガリバー兄弟。なんだ毒味って。なんだ破壊力って。そもそも万能薬(エリクサー)は料理のお供に飲む物ではない。

 

「オッタル。そのシルとやらの料理はそんなにヤバいのか?」

「…………見れば、分かる」

 

 巌のような表情のまま頭部の両耳がへたり込んでいるオッタルを見て、レインからいつも浮かべている笑みが消え去った。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 後日。再び円卓の間に集まった彼等の前には、顔を青くしているヒューマンの女性団員によって運び込まれた銀色の鍋があった。信じがたいことにその鍋は加工超硬金属(ディル・アダマンタイト)で出来ていた

 

 団員と一緒に来た薄鈍色の髪が結わえられた少女――シルが笑顔で鍋の蓋を開ける。すると鍋からなぜか光が溢れた。この中で最も本を読むヘディンは、よりにもよってシルの料理で美味な料理特有の表現を見ることになるなんて……と目を覆う。

 

 レインが鍋を覗き込む。鍋の中身は薄く輝く虹色の液体だった。小瓶に入っていれば万能薬(エリクサー)と間違えてしまうほど無駄に綺麗な虹色だ。

 

「……確かにすごいな。まさか料理に五〇万ヴァリスもする薬品を使うとか想像もできん」

「ふふふ。すごいでしょう? なんとこのシチュー、万能薬(エリクサー)なんて一滴も使ってないのにこんなに綺麗な虹色なんですよ!」

 

 むしろ使っていろよ、というかこれシチューなのか? とレインは心の中で絶叫する。口にしないのは事前にオッタルから「改善点があっても口にするな。口にすれば予想の斜め上に改造……改良された物を食すことになる」と止められているからだ。

 

 その言葉を聞いたヘグニが「気のせいか……死神の鎌が振りかぶられる気配がしたぞ……ク、クク……」「それが遺言になってもいいのか、ヘグニ」と隣のヘディンとシャレにならないことを話している。しかし、二人を咎める者は誰もいなかった。

 

「どうぞ、召し上がれ。皆さんに対する感謝を込めて作ったのでたくさんありますよ」

 

 幹部達に加えて、毒味役のヘルンの前に虹色のシチュー? が入った食器が置かれる。当然食器も加工超硬金属(ディル・アダマンタイト)だ。アレンは心の中で、「込めているのは感謝ではなく殺意ですか……」と敬意を払わなければならない少女に毒を吐いた。

 

 それぞれ無表情でスプーンを手に取り、具を掬い取る。……ドクロのような模様の浮いたジャガイモや、どう見ても魚の類ではない眼球が掬い取れた。レインは何事もなかったようにシチューの中に沈める。 

 

(おい毒味役……シルって女が料理しているところは見たのか?)

(見ていません……シル様は「レシピは知られたくないの!」と言って食材すら教えてくれませんから)

(なんだその無駄なプライドは。本当に普通の食材使ってい……ねえだろ、なんだこの目玉!?)

(……巨黒魚(ドドバス)の目ではないでしょうか?)

(違うだろ。百歩譲ってそうだとしても、オッタルの方を見てみろ。なんで虹色の液体の中から紫色のキノコが出てくるんだ! 普通虹色になるだろうが!?)

(……そんな奇怪な現象を料理で引き起こすのがシル様です。もはやこれは神の御業ですね……)

 

 隣同士のレインとヘルンの小声の会話は続く。

 

(なんであの女に味見をさせないんだ!)

(愚問ですね。我々ですら死にかける劇物(りょうり)が一般人であるシル様に耐えきれると思いますか?)

(思えんな! そうだ、別に残せばいいだろ。既に満腹と言えば――)

(残せばシル様は孤児院に残りを持っていきます。誰だって悲劇なんて見たくないでしょう)

(シルがいなくなったら庭にでも捨てるのはどうだ?)

(シル様は感想をもらうまで帰ろうとしません)

 

 この時ほど極東のことわざ、「ありがためいわく」を体現している状況はない。誰も逃げようとしないのは、シルの料理で子供の命を危険にさらさせないためなのだろう。見知らぬ子供を守るくらいの優しさは、彼等にもあるのだ。

 

 背中に刻まれているアビリティ評価Aの『耐異常』を信じることにしたレインも覚悟を決め、青いジャガイモを掬い取る。謎の目玉より遥かにマシだと、口の中に放り込み咀嚼(そしゃく)した。

 

 

 

 

 

 

 

 ……『耐異常』はアルコールなどには作用してくれない。誰が見ても料理ではないと思っても、料理にカテゴライズされていれば『耐異常』は意味がないのだ。

 

 レインは亡くなった恋人がにこやかに手を振る走馬灯を見た。それでもオラリオで孤児が料理によって大惨事になる事件が起きなかったのは、とある第一級冒険者達のおかげだろう。

 

 これは迷宮都市に兎のような少年が来る前、結果的に少年のお腹を守ることになる冒険者達のお話。




 シルの料理……万能薬(エリクサー)とLv.4並の頑丈さがなければ耐えられないレベル。


 加工超硬金属(ディル・アダマンタイト)で鍋や食器が作られているのは、市販品だと溶けてしまうからです。それを見てもシルさんは自分の料理の腕前が壊滅的とは考えない。

 ベル君がモンスターに丸呑みにされた時耐えられたのはLv.4の頑丈さがあったからと書かれていたのを見て、この話を書こうと思いました。

 味見役のヘルンさん……気の毒に。


PCと目の調子が悪いので、少し更新が止まるかもしれません。


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二十六話 ふてぶてしい男

 執筆終了間際にいきなりPCが再起動し始める恐怖よ……。今回ほど自動保存機能に感謝したことはなかった。


 それぞれに第○○話ってつけましたがどうでしょう?


 この作品が気に入れば、お気に入り登録、評価お願いします。


「クソッ、よりによってLv.7か!」

「そのセリフでお前の目が節穴ということがよく分かるな。残念ながら俺はLv.6だ。相手の力量を見極める力をもっと鍛えろ。もしかしてそのスタイルを磨くために疎かにしてしまったのか? ならダンジョンではなく娼館にでもいた方がいいぞ」

「――殺す」

 

 血のように赤い髪と緑色の瞳を持つ女はレインと激しく剣と剣を打ち鳴らしながら忌々しそうに吐き捨てたが、Lv.6相当の【ステイタス】しか使っていないレインは敏感に反応して煽る。互いの姿が霞むほどの速さで、決して広くない道で何度も立ち位置を入れ替えながら命だけではなく言葉のやり取りをする二人には、明確な格差があった。

 

 レインは無傷だが、女の全身は細かい傷でいっぱいだった。いつもならばこの程度の傷は瞬きする間に治るはずが、今も不敵な笑みを消さない男の持つ剣でつけられた傷は、治るのが()()()()()。これだけでも腹立たしいが、他にも苛立ちを助長させることがある。

 

 女は剣だけでなく拳と蹴りも使っている。頭部を粉砕してやろうと凄絶な威力をはらむ拳撃が黒い残像を生み、体を両断してやろうと足刀が弧を描く。その全てをレインは体さばきだけでやり過ごす。

 

 ならばと食人花(ヴィオラス)に死角から襲わせても見向きもせず斬り捨てられ、道の隅に避難しているレフィーヤとルルネに向かわせれば、女が辛うじて視認できる速さで消え失せ、向かわせた食人花(ヴィオラス)が一瞬で灰に変えられる。

 

 出せる限りの力と速度をもってしても、レインの服にすらかすりもしない。しかもその表情には全く緊張感がないのである。まだまだ全然余裕なのだと、女は嫌でも思い知り怒りで奥歯を砕くほど歯を食いしばった。

 

 頭の冷静な部分でメリットとデメリットを計算し、奥の手を使ってでも目の前の男は殺すべきだと女が判断した時、レインの背後――街の倉庫がある場所から風の咆哮が巻き起こった。レフィーヤ達を逃がすために食人花の相手をしていたアイズが、引き付けるための逃走から殲滅に移り、魔法を使用したのだ。

 

「今の風……そうか、あの女が『アリア』――」

『――ァァァァァアアアアアアアアアアアッ!!』

 

 急に動きを止めた女がアイズのいる方向を見ながら呟いたかと思えば、レフィーヤの抱えていた宝玉――(おんな)の胎児が突如叫喚を上げる。鼓膜が破れると感じるほど甲高い叫び声にレフィーヤが宝玉を取り落とした瞬間、

 

『アァァァァッ!!』

 

 胎児は緑色の膜を突き破り、自身の総身の何倍以上もの飛距離を礫のように飛び、アイズのいる所へ飛んでいった。すぐにそちらへ向かおうとしたレインだが、女がレフィーヤ達を狙ったため断念する。

 

 数合女と剣を交えていると――

 

『オオオオオオオオオオオオオオオオッ!?』

 

 唾液まみれの汚い悲鳴と共におぞましい超大型級のモンスター、極彩色の女体を象った上半身と蛸のような下半身を持つ、まるで半人半蛸(スキュラ)のような怪物が現れた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「お前らは水晶広場に行ってフィン達と合流しろ、こいつは俺が始末する」

「こんな狭い場所じゃ無理ですよ! それにあのモンスター、アイズさんが魔法を使ってようやく倒せたくらい強いんです!」

「アイズにできたことがこの天才(オレ)にできないわけないだろっ。なめてんのか!」

「あのモンスターがたくさん魔石を食べてるのが見えないんですかぁ!? しかも階層主の魔石まで食べていたでしょうがっ。舐めているのはどっちですか!」

 

 もりもりと魔石を食べる女体型を前にレフィーヤとレインの口論は続く。

 

 あの女体型が現れたところで赤髪の女は盛大な舌打ちを放ちこの場から離脱した。女体型のモンスターは最初魔法を使っているアイズを追いかけていたが、彼女が魔法を解除したため足下にあるカーゴに詰められている中身――魔石を食べ始めた。大中小様々な大きさの魔石の中には、階層主のものと思わしき巨大な魔石もあった。

 

 魔石換金所を経営し魔石を管理するためにこの倉庫を使っていた眼帯の大男が血涙を流す勢いで泣き喚きそうな光景だが、レフィーヤ達にとってはどうでもいい。彼女等にとって重要なのは、どうやってこの男を説得するかだ。

 

 アイズは口下手、ルルネは早く逃げたいのに誰も逃げようとしないためひたすらビビるだけで口論に参加できなかった。

 

「ぐちぐち言ってないでサッサと行け。理由は分からんがあの赤髪の女はアイズに興味を示していた。もしかしたら狙われるかもしれん」

「それならレインさんも一緒にいたほうがより安全じゃ――」

「レフィーヤ、お前は()()()()()()()?」

「――――――」

 

 笑みを消したレインの言葉にレフィーヤは頭を殴られたような衝撃を受けた。そうだ、あの時誓ったではないか。大切な人を守れるように、助けられるように、側にいることを許してもらえる程に強くなると。何もできない

悔しさを決して忘れないと!

 

 誓いを忘れただ楽な方へ逃げようとしていた自分への戒めとして、赤く腫れるほどの強さで頬を叩く。レフィーヤの突然の奇行にアイズとルルネがギョッとしたが、レインは他者の心を暖かくするような、今まで見たことのない笑みを浮かべた。思わずレフィーヤはその笑顔に見惚れた。

 

 一瞬でいつもの夢にでてきそうなふてぶてしい笑みになったが。

 

「まっ、俺より弱いとはいえ第一級冒険者が五人いるんだ。お前が何もしなくても返り討ちにできるだろうよ」

「~~~ッ! 相変わらず一言多い人ですね! アイズさん、ルルネさん、団長の所まで急ぎましょう!」

「お、おう……」

「レフィーヤ、こわい……」

 

 顔を真っ赤にして指示をだすレフィーヤに、ヒューマンと獣人の少女は「そんなにレインの言葉がムカついたのか……」と若干ビビりながら従う。果たしてレフィーヤの顔が赤かったのは本当に怒りが原因だったのか……それは本人にも分からない。

 

 水晶の道から三人の少女の姿が見えなくなったところでようやく女体型は魔石を食い尽くしたのか体を起こした。口以外の部位(パーツ)はなかったはずの無貌の顔には、瞼がないのか不自然に大きな目玉がギョロついており気色悪い。

 

 任せてもらったはいいが……生理的に嫌すぎて近づきたくない。それに――

 

「三ヶ月くらい前に倒した()()()()()()()()()よりは弱いか……面倒だし使うか」

 

 右手に持っている剣に精神力(マインド)を注ぎ込む。鮮烈な青い光はより輝きを増し、魔法陣が剣を囲むように展開されていく。女体型は剣から(ほとばし)る魔力に引き寄せられたようにこちらを向いたがもう遅い。この攻撃は知性のないモンスターには回避不可能だ。

 

「滅多にやらない奥の手だ、しっかり味わいな!」 

 

 勢いよく長剣を振り下ろす。一瞬、空間そのものが剣筋そのものが剣筋によってズレたように見え――その刹那、数十M(メドル)離れた場所で女体型のモンスターはその巨体ごと魔石を真っ二つに両断され灰になった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「よりにもよって取り逃がすか? 第一級冒険者が五人もいて? 俺がボコボコにしておいたのに?」

「ティオナ離しなさいっ。こいつは今ここでぶっ殺す! ここなら証拠も残らない!」

「ウザいけど殺しはダメー! それにティオネじゃレインには勝てないよー!」

 

『リヴィラの街』で勃発した事件から既に六日。あの騒ぎの後、レインとアイズ達【ロキ・ファミリア】パーティは地上に戻った。事件の後始末もあるが、赤髪の女との戦いで消耗してしまった物資の補給もしなければならなかったからである。

 

 

 やることを済ませた後、再び18階層に赴くと、既に再興され始めている『リヴィラの街』の姿があった。住人のなかでもボールスは再興に最も力を注いでおり、時折涙を流しながらとある倉庫のあった場所を眺めていた。彼が涙を流す原因になった金髪と黒髪の剣士は知らん顔をしていた。というかレインは「おっさんが泣いてもキモいだけなんだよっ」と血も涙もなかった。

 

 

 でもって現在、『深層域』37階層で一緒に資金稼ぎをしているのだが、フィンとリヴェリアが事件の話をするたびレインがポソッと赤髪の女を取り逃がしたことを責めてくるのだ。ちなみに最初に取り逃がしたことをフィンがレインに伝えた時、レインは【ロキ・ファミリア】を虫けらを見るような目で笑い、いつも冷静なフィンに青筋を浮かばせた。

 

 

 調教師(テイマー)でもあったあの女が逃げ出す決め手はレフィーヤの魔法だったらしい。Lv.を超えた魔法をレフィーヤがぶっ放し、それを諸に喰らった女はその勢いのまま湖に逃げ込んだ。リヴェリアも吃驚する威力だったそうだ。

 

 

 ティオネを抑えるティオナの会話が隣で交わされる中、アイズは内面に意識を落とす。レインの言葉にティオネは怒っているが、アイズはその言葉を事実だと受け止める。レインは一人であの赤髪の調教師(テイマー)をレフィーヤとルルネを庇いながら圧倒し、自分は仲間の手を借りて辛勝だ。虫けらを見るような目をされても仕方な――しかた…………やっぱムカつく。心の中の幼いアイズがレインの似顔絵の描かれた紙をサンドバッグに貼り付け、ボカスカと殴っている。

 

 

 今も余裕の表情でモンスターの群れを屠っているレインを見て決意する。自分も壁を乗り越えるために冒険をすることを。

 

 

 この男と同じ単独階層主討伐を。

 

 

 アイズの願いにより、アイズとリヴェリアがここに残ることになるまであと少し。

 

 

 

 

 

 

 

 アイズは一度もレインに憎悪を抱かないことに気付けなかった。




 レインがウダイオス討伐に行った理由。異変があるから調査し、可能ならそれを始末しろとギルド……というかウラノスに頼まれた。そしたら女体型がいた。


 アイズがレインを睨みつけたりしなくなった理由は別の話で……(もし書けなければあとがきにのせるかもしれない)。 


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小話2

 お気に入り登録者が1000人を突破しました! 登録してくれた方、評価をしてくれた方、読んでくれた方に感謝を!


 日間ランキングでも11位になることが出来ました。本当に嬉しかったです。


 今回はネタ回です。2つあるので楽しんでいただけると嬉しいです。


・『深層から帰る時の話』

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「綺麗どころが減ってしまった……」

「ねぇ、今どこを見て言った? レインの綺麗どころの基準ってどこなの?」

 

 アイズとリヴェリアを『深層』に残し、地上へ帰還途中の資金稼ぎメンバーの一人、レインがちらりとティオナの身体のとある部位……残念な胸部を見て呟く。目から光を消したティオナが詰め寄ってきたが片手で押しとどめ、似たようにティオネに詰め寄られているフィンに話しかける。

 

「本当にアイズを残してよかったのか? あいつ、階層主(ウダイオス)に挑むつもりだぞ。それも一人で」

「僕もアイズが『ウダイオス』に挑むつもりだろうと予想してたよ。予想した上で許可を出した」

 

 階層主の次産間隔(インターバル)を調べていたフィンは、赤髪の女と戦ってからアイズが考え込んでいるのを知っていた。故に何をしようとしているのかも予想できる。【ロキ・ファミリア】でアイズとの付き合いが最も長い小人族(パルゥム)王族妖精(ハイエルフ)は見知らぬところでやらかされるより、自分達が手助けできる場所で爆発させることを選んだ。特に後者は過保護(親バカ)なのでアイズに甘い。

 

「アイズが死にそうになればリヴェリアが助けるはずだよ。だから何の問題もない」

「ふーん。アイズの性格からして素直に助けられようとしないと思うがな……」

「それに君にできることならあの子もできるさ」

 

 しれっと親バカ発言をするフィン。言外に「君よりアイズの方が強い」と告げられたレインは額に青筋を浮かべた。近い内にフィンの手足を縛ってティオネと娼館にぶち込んでやろうかと半ば本気で検討する。

 

 ふと、フィンが周りに目を向け始めた。同時に耳も澄ませている。モンスターが接近してくる気配はないが一応覇気(エクシード)で探ってみても、自分達以外の気配はない。

 

「急にキョロキョロしだしてどうした?」

「ああ、実はギルドの掲示板で面白そうな依頼を見つけてね」

「団長、あの面倒な依頼をやるつもりだったんですか……」

「依頼は受けてないから問題ないよ」

 

 詳しく聞くと、「迷宮に響く歌と悪魔の呼び声」という依頼があったようだ。どちらも聞こえてきたのは今いる『下層域』。歌は思わず聞き惚れてしまうほど美しい声だが、悪魔の呼び声は聞くだけで吐き気と目眩が止まらなくなるとてつもなく不快な声。依頼主は声の主が気になって夜も眠れないらしい……ふむ、なるほど。

 

「その歌声の主は俺だ、悪魔の呼び声とやらは知らんが。下層、特に27階層は声が響くからよく歌ってる」

「理不尽かもしれないが言わせてくれ。僕の浪漫(ろまん)を返せ」

「だから言ったじゃないですか……(子供っぽい団長、可愛すぎる……!!)」

 

 好奇心を刺激していた依頼の答えが目の前の男と言われ、真顔になったフィン。ティオネはフィンを諫めているが緩みきった顔を隠せていない。

 

「ダンジョンで歌うという自殺行為に色々言いたいけれど……本当に君が歌声の主なのかい?」

「当然! 俺には戦いの才も商才も歌の才能だってある! むしろ何がないのか知りたいね」

「へぇ……じゃあちょっと歌を聞かせてほしいな」

 

 依頼には夜も眠れなくなるほど美しい歌声と記載されていた。是非とも聞いてみたいとフィンが頼むとレインはあっさりと承諾。不機嫌なティオナや彼女の相手をしていたレフィーヤともう一人のサポーターも聞く体勢に入る。

 

 レインは一度咳ばらいをし――歌いだした。

 

 

 

 

 

 

 

 ~数分後~

 

「……うん……よく分かったよ。レインが、依頼の対象だってことが……」

「団長、顔が真っ青ですよ……うっ」

 

 安全階層(セーフティポイント)に顔を青くして力なく座り込むフィンとティオネ。ティオネの方は偶に口に手を当てている。まるで吐き気を堪えるように。

 

「れ、レフィーヤ、ウプッ、しっかりして!」

「ティオナさん……あっちに綺麗な川が見えるんです。連れて行ってくれませんか……」

「レフィーヤァアアアアアアッ!?」

 

 同じく顔を青くしているティオナが、虚ろな笑みを浮かべて横たわるレフィーヤに割と必死に呼びかける。耳がいいエルフだからこそ、このパーティでは最もダメージを受けた。リヴェリアがここにいれば大惨事になっていたことだろう。

 

 レインの歌はまるで超音波だった。歌人鳥(セイレーン)の怪音波の方がマシだと思えるほどひどい歌声だった。男女の恋愛模様について歌っていたようだが、まっっったく内容が頭に入ってこなかった。

 

 この後、レイン以外のメンバーは絶不調で地上に戻ることになる。『リヴェラの街』に一泊する際、フィンとティオネを一緒の部屋にしてみたが、「アーッ!?」などが起きる雰囲気は欠片もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

・『シルのお料理。その後』

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 毎度おなじみ【フレイヤ・ファミリア】の円卓の間。試食会が終わって五日経った今でもここにいる【フレイヤ・ファミリア】幹部達の顔色は悪い。ヘディンはしきりに腹部をさすっている。ヘルンの顔色は土気色だ。

 

「……オッタル。今回の料理はいい方なのか? それとも悪い方か? お前の顔を見たら悪いとしか思えないんだが」

 

 顔からにじみ出てくる変な汗をタオルで拭きながらレインが尋ねる。オッタルは巌のような表情だが、試食会の後からずっと白目のままだ。治療師(ヒーラー)には神経がおかしくなっており、あと数日はこのままだと判断された。

 

「……どうだろうな。前回の青紫のスープは我等が食べる直前に食材が丸ごと投入され、目の前で音を立てて溶けていった。しかし今回、食材は溶けていない。丸ごとでもなかった」

「もう調理方法云々(うんぬん)よりあの女の頭の中がどうなっているのかが気になるな」

 

 食材が溶けていくのを見たはずなのに、それを食べさせるとか狂ってるのか? 逆らいもせず食すこいつらもどうかと思うが……よく生きていたな。

 

「というか、入っている具材もおかしいだろう! なんでジャガイモが赤かったり青かったり、ドクロの模様が浮かんでいたりするんだ! 最初からそうだとしても狂気を感じるが、鍋にぶち込んだあとあの状態になったとしたらより恐ろしいぞ!」

「どうなんでしょうね……。知りたくもありますが、知りたくもありませ……ん……ね……」

「おい勝手に逝くんじゃねぇ。てめぇには生きていてもらわねぇと困る」

 

 息がだんだん細くなっていき、ゆっくりと目と人生の幕を閉じようとしたヘルンの口に、アレンが万能薬(エリクサー)をねじ込む。ヘルンは可哀想だが誰も毒味役になりたくないので、彼女には生きていてもらわないと本気(ガチ)で困る。

 

「そもそもシル様はレシピなどを見ているのか?」

「それだ! オリジナルの料理の前に、普通の料理を習得させれば――」

「……最初の頃、レシピを見て作ってもらいましたが……九割が炭、残りは有害なナニカでした。そのせいでシル様はレシピを信用しなくなり、色々逸した料理を作り始めたのです……」

「何様だあの女」

 

 ヘディンの意見は名案に思えたが、ヘルンに告げられた絶望的な情報によって無意味になった。自分の料理の腕に問題があるとは露ほども思わないシルに、レインが真顔で吐き捨てる。  

 

「とにかくっ。あの女に自分の料理の腕が壊滅的だと自覚させるか、せめて腹痛がする程度まで料理の腕を向上させるぞ! この調子だと『好きな人のハートを溶かします♡』とか言って、毒味の俺達の心臓(ハート)が溶かされかねない、冗談抜きで!」

 

 レインの叫びに誰も異議を申し立てなかった。レインの言ったことは【フレイヤ・ファミリア】の幹部がずっと考えていたことである。

 

 間違いなくシルは好きな人ができたとしたら、自分達に味見をさせる。自分では決して味見をしない。

 

 マジふざけんな。




 外伝3巻の内容を書こうかと思いましたが、レインがいると赤髪の女を瞬殺してしまい、ベートやレフィーヤが成長しそうにないのでレインは24階層に行きません。行かない理由としてはそうですね……優男の神の【ファミリア】が嫌いだからとかですかね?


 でもどうにかして59階層には行かせようと思います。


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二十七話 秘密の訓練

 あらかじめ言っておきます。レインはやると言ったらやる男です。容赦なんてありません。


 あと、難産です。しばらく難産が続きそうでキツイ。


『八日後に【ロキ・ファミリア】が59階層に向かう。それに同行しつつ彼等の手助け、及びそこで見たものを報告せよ。ロキにはこちらから話をつけておく』

 

 日付が変わったとはいえまだ空が真っ暗な時刻。迷宮都市を取り囲む巨大な市壁の上で鍛錬していたレインは、とある人物の使い魔であるフクロウから受け取った手紙を読んでいた。手紙を運んだフクロウは図々しくもレインの頭の上で肉を食っている。肉はレインの携帯食料だ。

 

(【ロキ・ファミリア】が対立している派閥に所属する俺の同行を許可するなんて、普通ならあり得ない。しかし、今回は許可を出す確信があるからこうして手紙を寄越したんだろう……。それほど危険なものが59階層にはあるのか?)

 

 頭部を食べかすで汚したフクロウを両手で掴み、ぺいっと市壁の上から放り落としながら今回の手紙について考えるが、情報が足りないのでそこで思考を切り上げる。今レインにとって重要なのは――

 

「アイズ、俺はお前のことを天然なだけで馬鹿ではないと思っていた。でも今ハッキリ分かった。お前は馬鹿だ」

「……私、馬鹿じゃないもん……」

 

 レインの目の前で涙目で正座しながら小声で反論するアイズ。ちっぽけな勇気を振り絞って言い返した彼女の傍には、目を回している白髪の少年が転がっている。

 

「壁から落ちる方向に向かって力いっぱいLv.1を蹴り飛ばす奴を『馬鹿』以外になんて呼べばいいんだよっ。この馬鹿たれが!」

「キャンッ!?」

 

 知り合いの少年を地面のシミにしかけた金色の天然少女の頭を、レインはアイズの剣の鞘(横向き)でぶっ叩いた。ちなみに二回目である。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 ベルはかつてないほど汗を垂れ流していた。憧憬(あこがれ)である少女が天然であると分かったこともそうだが、目を覚ましたらその少女が涙目で正座をさせられ説教を受けていたのだ。

 

 色々あってアイズに稽古をつけてもらえることになったベルがエルフの少女に追いかけまわされた後で市壁の上に訪れると、そこには待ち合わせの相手であるアイズと、『豊饒の女主人』で会ったきり顔も見なかったレインがいた。

 

 最初はアイズとレインが逢引きしているのかと思って血の気が引いたが、レインは基本的にここで鍛錬をしているようで、そこにアイズとベルが来ただけだと教えられた。本拠地(ホーム)でやらないのはよく団員に絡まれるためらしい。

 

 このことは内緒にしてほしいと頼んでから訓練を始めたのだが、数分もしないうちにアイズがベルの胸を回し蹴りで撃ち抜き、意識をあっさりと刈り取った。しかも壁から落下しかけるほどの力で蹴り飛ばされたらしく、レインがいなければベルは汚い花火に、アイズは殺人罪になって【ガネーシャ・ファミリア】のお世話になっていたとのこと。

 

 レインは二人の訓練に口出しするつもりはなかったが、この調子だとアイズがうっかりでベルに重傷を負わせてしまいそうなので手を貸すことに。片思いの相手に殺される……笑い事ではない。

 

「アイズ。お前がベルを気絶させるたびに尻をぶっ叩く。三回目からはスカートとスパッツをまくって尻をぶっ叩くからな」

「えっ!? そ、それはやりすぎなのでは……」

「ならお前が気絶しなければいいだけだ」

 

 アイズのお尻が見れる……!? と(よこしま)な考えが頭を横切ったが自分が気絶してたら意味がないと気付き、想い人の好感度を上げるためにベルは庇ったが、レインの鋭い眼光でねじ伏せられる。そもそもこれはベルへの脅しだ。アイズは尻を見られることに抵抗はない。叩かれるのは嫌かもしれないが……。

 

「五回気絶させればその日はジャガ丸くん抜きだ」

「!?」

「異論は認めん。さっさと訓練を始めろ」

 

 アイズにとって座学と同じくらい苦痛な罰が課せられた。横暴だー! と心の中で幼いアイズが「反対!」と書かれた看板を振り回している。それとなく二人で不満の視線を向けていたが、

 

「これでぶっ叩くほうがいいか?」

 

 レインが振り下ろした魔剣(鞘入り)が壁の一部を砕いたのを見て、ベルとアイズは素直に従った。

 

 

 

 

 

 

 

「アイズさん……何回も気絶してしまってすみません……」

「いや……私の力加減が下手糞なだけだから……君は悪くない」

「……レインさんって……優しいのか怖いのか分かりにくい人ですね……」

「……そうだね」

 

 この日、ベルは19回気絶させられた情けなさで、アイズは尻の痛みとジャガ丸くん一日なしになったせいで惨いほど真っ白になっていた。アイズはコッソリ食べようと考えていたのだが、

 

「あ、俺に内緒で食べたとしても分かるから。もし食ったらリヴェリアに、お前が昨日ジャガ丸くんを食べまくったことを教えるからな」

 

 幼稚な作戦はすぐに見破られる。実はレイン、相手の目を見れば嘘が分かる。ジャガ丸くんを食べたかどうか訊けば、すぐに分かるのだ。

 

 ちなみに約三時間不屈の意思を空回りさせていたエルフは、アイズと似たような状態になっていた誰とも知れないヒューマンに嫉妬した。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

『鍛錬』二日目。

 

 リヴェリアの指摘に屈したくない負けん気と、白兎をモフりたい欲求が抑えきれず、アイズは今日もジャガ丸くんを食べられない。尻は回復薬(ポーション)を使わないといけないくらい叩かれた。スナップが利いていて本当に痛いのだ。

 

 心の中で幼いアイズと白兎が黒い犬に飛び掛かったが、尻尾で返り討ちにあった。もはやトラウマになりかけている。

 

 

 

 

 

 

 

『鍛錬』三日目。

 

 ベルが気絶しにくくなった。そろそろジャガ丸くんが食べられると思い嬉しくなったせいで力が入り、気絶させてしまう。馬鹿を見るような目で叩かれた。

 

 こんなに叩かれたらやる気をなくす、と自分がベルをしばきまくっていることを棚に上げてアイズは文句を言ったが、

 

「この世界には殴られて喜ぶ奴もいる。……というかこれくらいで文句言うな」

 

 容赦なく頭を魔剣(鞘入り・縦)で叩かれてまともに取り合ってもらえなかった。Lv.6になって『耐久』も上がっているのに、頭が割れるんじゃないかと思うくらい痛かった。 

 

 

 

 

 

 

 

『鍛錬』四日目。

 

 ベルが五回気絶しなかった。少年が目に見える早さで成長していることに内心喜んでいると、明日一日中稽古をつけてほしいと頼まれた。ベルの技術向上にはまとまった時間がほしいと考えていたので、すぐに承諾した。

 

 ……何故かお尻を叩かれるのが気持ちよくなってきたのは秘密である。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「レインさん、それは何ですか?」

 

『鍛錬』五日目。

 

 ベルがアイズに決死の想いで一日中訓練をしたいと交渉したこの日、アイズが指導力不足(ポンコツ)だったせいで訓練に加わったレインが持ってきたのは、白い布で包まれた長柄の物体。ベルの問いに答えるように布をはがせば、素人のベルの目でも業物とわかる真紅の薙刀が姿を現した。

 

「今日は俺が相手をする。敵の獲物が変わっても対応できないと意味がないだろう」

「なるほど……。その、失礼な事を尋ねますが……」

「安心しろ。俺はアイズと違って手加減ができる。気合を入れれば気絶しない力加減でボコボコにしてやるから」

 

 ちっとも安心できない言葉と一緒に横っ面に衝撃を受け、ベルは気を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 中天に太陽がさしかかる頃、ベルはアイズの柔らかな腿の上で寝かされていた。レインはアイズよりずっとうまく手加減をしているというのに、昨日のしぶとさは何だったんだと思うくらい気絶する。

 

 ベルが意識を失うとアイズは膝枕をする。最初はレインと手合わせをしようかと考えていたのだが、自分が強くなりたいがためにアイズを全く疑っていない少年を冷たい石畳の上に転がしておくのは心苦しい。後はそう、心地良いのだ。それにレインはアイズと戦おうとしてくれない。時間が無駄に経過する。

 

「……ほあぁ!?」

 

 しばらくするとベルが奇声を上げて起き上がった。小休止を挟んだアイズはベルと肩が触れ合うほど距離に座る。レインは「回復薬(ポーション)があればすぐに訓練ができるじゃないかっ」といきなり指を鳴らしてどこかへ消えた。

 

 二人は前を向いたまま他愛のないやり取りをいていたが、アイズが暖かな日差しに気が緩んでしまい、訓練という名のアイズが睡眠欲を満たすための昼寝の時間になった。 

 

 

 

 

 

 

 

 ……レインによって大量に購入された回復薬(ポーション)だが、ベルがアイズにキスをしようとしている瞬間を目撃されたことにより使われないことになる。

 

 美神(フレイヤ)といい、白兎(ベル)といい、狂戦士(ティオネ)といい……どうして相手の意思を無視する奴が多いのかと思いながら、レインはベルの頭を魔剣(鞘入り・縦)でぶん殴るのであった。




ロキ「なんやっ!」
リヴェリア「どうしたんだ、ロキ?」
ロキ「アイズたんが開いてはいけない扉を開きかけとるっ、気がする!」


 レインが尻を叩くことにしたのは、頭はホイホイ殴っていい所ではないからです。


 アイズの回し蹴り……当たりどころが悪ければ、ベル君死んでたよね。


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二十八話 夜襲

 ベルはまだ知らない。想い人のいる場所の高みも、英雄になる夢の難しさも、オラリオに蔓延る怪物たちも。

 

 想い人を超える高みにいて、自身の夢を叶えることができる力を持ち、怪物達をことごとくねじ伏せる男の実力をベルはまだ知らない。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「ハモハモハモハモハモ……ゴクンッ。ベル君、大丈夫かいっ!?」

「だっ、大丈夫ですっ!?」

 

 この女神の咀嚼音、独特過ぎるだろ――と視線の先で夕日の光を浴びて慈愛の精霊と言われても信じられそうなほど美しい少女にボコボコにされる少年を応援しながら、それでもジャガ丸くんを食べる手を止めない幼女の女神の隣に座るレインはそう思った。

 

 数時間前、昼寝の訓練を終えたベルをレインがサンドバッ……ゲフンゲフン、訓練をつけているとベルがお腹を鳴らしたのだ。ただ眺めていただけのアイズも。動けなくなっては元も子もないので、小腹を満たすのに丁度いいジャガ丸くんを買いに行ったのだ。

 

 しかしジャガ丸くんを売っている露店で、ベルの主神『ヘスティア』に遭遇。己の眷属が懇意でもない他派閥と行動していたことを幼女神は烈火のごとく怒ったが、レインは意図して一緒に行動していた訳ではないと説明した途端、

 

「レイン君、これからもベル君と仲良くしてくれ!」

 

 レインにはいい笑顔を向けてきた。アイズには敵意の籠った視線を向けていたというのに、対応の差が激しい。この時ヘスティアの心の中では、

 

(ベル君には悪いけどっ、ベル君よりスペックの高そうな男の子がいれば、ヴァレン何某がベル君に惚れる可能性は低くなる! うまくいけばサポーター君も排除できるかも!)

 

 好きな男を独占したい女の、何ともゲスい考えがあった。

 

 その後、アイズとレインの関係の説明とベルの必死の説得、アイズとベルの懇願を受けてもヘスティアは鍛錬の続行を渋っていたが、

 

「ヘスティア、あんたの露店にあるジャガ丸くんをあるだけ買おうじゃないか。俺達が食べきれなかった分は持って帰ってもらっても構わん」

「まったくしょうがないなぁ! けど、今日はボクも君達の訓練を見学させてもらうぜ。とことん甘いよなぁ、ボクも!」

 

 大量の賄賂(ジャガ丸くん)で極貧ファミリアの主神は手のひらをひっくり返した。アイズが羨ましそうな目でヘスティアを見ていたが、ジャガ丸くんくらい自分で買えよ。

 

「まぐまぐ……がんばれー! 負けるなベル君!」

「はいっ! 頑張ります!」

 

 心なし苛烈になった鞘の連撃を、ベルは自分を見守ってくれている女神の声援を糧に必死に気絶しないよう粘る。少女の攻撃が過酷になっているのも、少年が粘り強くなっているのも一人の女神が原因と誰も思いつかないまま、時間はゆっくりと過ぎていった。

 

 ジャガ丸くんは全て女神の腹に収まった。アイズはちょっぴりヘスティアの事が嫌いになった。

 

 

 

 

 

 

 

 気が付けば、すっかり夜は更けていた。満身創痍のベルをご機嫌なヘスティアが支え、その前をレインとアイズが小型の魔石灯を持って石造の階段を下っていく。何段もの階段を下りれば、都市の端、北西部の裏通りに出た。

 

「あ、あの、神様? もう外には出ましたし、手を離しても……」

「何言ってるんだい、ベル君。メインストリートと違って、こっちはかなり薄暗いじゃないか。ボクが転ばないようにしっかり手を繋いでいておくれ」

 

 夜空に見下ろされながら四人が歩く。賑やかな後ろとは違い、前の二人は物静かだ。

 

「――止まれ」

 

 洒落たポール式の魔石街灯が、鈍器を叩き込まれたかのように粉砕されているのを確認し、レインは指示を出す。()()()()()()……訓練の間、ずっと自分達を視ていた感覚から、レインはこうなることを予測していた。

 

 アイズは一瞬で【剣姫】の顔になり、一拍遅れてベルも急に止まったことで前のめりにふらついたヘスティアを支えながら、周囲を警戒し始める。

 

(このままやり過ごせる……なんて事ができる奴等じゃないか)

 

 剣呑な気配が感じられるとある建物と建物の細い隙間、その暗闇の奥。自分達がこのルートを通らなければどうするつもりだったんだ……などというどうでもいいことを考えていると、気配の主が影を払って歩み出てきた。もしかすると、気配の主も似たような事を考えたのかもしれない。

 

 現れたのは猫人(キャットピプール)の男。頭から爪先まで暗色の金属製のバイザーや防具で覆っているため、レインのよりも真っ黒だ。その右手には二Mを超える銀の長槍。

 

「―――――」

 

 次の瞬間、猫人(キャットピプール)は軽やかに地面を蹴り、()()()()()()()()振り切る速さでベルに肉薄する。秘めたる殺意を込めた槍が少年に撃ちだされそうとする中――真紅の薙刀による突きが猫人(キャットピプール)の眼前に迫った。

 

「チィッ!?」

「反応が遅い」

「グッ!?」

 

 己を確殺しようとする一撃を全力で首を傾けて回避するが、意識が薙刀に移った途端、鳩尾にレインの前蹴りが突き刺さった。【剣姫】を無視した襲撃者は強制的に少年の目の前から退けられる。

 

(――反応できなかった)

(速すぎるっ!?)

 

 後方に吹き飛ばされた猫人(キャットピプール)の青年、ベルとアイズの驚愕を生みながらレインは笑顔で前に出る。

 

「あー、ちょっと相談があるんだけどな。怒らずに聞いてくれるか? 屋根の上でコソコソしている四人も」

「!?」

 

 ベルが三階建ての人家の屋上を見上げると、剣、槌、槍、斧、四つの得物を持つ四つの小柄な影がいた。相手の反応を待たず、レインは呼びかける。

 

 

「俺が世界最強でイケメンなのは事実だが、別に人を傷つけるのが好きってわけじゃないんだな。お前らを叩きのめしてもヴァリス金貨の一枚にもならないし。お前らにとっては現実を教えてもらえるから、一億ヴァリス位の価値はあるかもしれんが」

 

 よどみない口調でレインはしゃべり、一同を見渡す。襲撃者達の殺気の密度が、さらに濃くなった。ベルとヘスティアの顔は青ざめ、アイズは変わらず無表情。一人でうんうんと頷き、さっさか先を進める。

 

「嫉妬して俺の知り合いに手を出すのは勝手だが、それはお前らがそれっぽっちの価値しかないと証明している様なもんだ。どこの色ボケに頼まれたか知らんが、お前等にすりゃどうせ無駄な努力なんだし。だからここは一つ、お互いに見なかったことにして――」

 

 そこまで口にしたところで猫人(キャットピプール)の青年が殺気を隠しもせずレインの頭部に銀槍を繰り出す。

 

「って、だから怒るなって先に言ったろ?」

 

 が、レインは当たる直前で、薙刀に付いている飾り輪で槍を受け止める。小さな輪を悪魔のような正確さで使うことで神速の槍を止めたことに、レイン以外が時を止める。その隙をレインが見逃すはずもなく、

 

「吹っ飛べ」 

 

 体をひねって大振りの後ろ回し蹴りを放った。いささかのたわみもなく蹴り足がまっすぐ伸びる。正確に猫人(キャットピプール)の青年の胸を捉えた。その時の音で、胸骨が粉砕されたのがよく分かった。

 

 猫人(キャットピプール)はまるで、突風に巻き上げられた紙切れか何かのように、身体を折って軽々と吹っ飛んだ。恐ろしい勢いで宙を滑空し、そのまま姿が見えなくなる。

 

 屋上に残っていた小柄な四人だが、いつの間にか姿を消していた。後ろの方から感じていたLv.1程度の実力しかない奴等の気配も遠ざかっている。

 

「――ふっ」

 

 ため息をついて髪をかき上げ、レインはニヒルに呟いた。 

 

「弱すぎて修行の足しにもならん。勝利とてむなしい……」

「いや、彼等が襲ってきた目的、途中から君が挑発したことに変わってなかったかい?」

 

 格好つけてるレインに、ヘスティアは誤魔化されないぞとばかりにツッコむが、

 

(このくらい強くないとアイズさんに並ぶことなんて許されない。でも、こんな僕があんなに強くなれるのか……? こんなに弱い僕はアイズさんに関わることなく一生を過ごして、彼女の隣にはレインさんがお似合いなんじゃ……?)

 

 己の眷属がはっきりと見せつけられた、上級冒険者との隔たりに絶望しているのがよく分かってしまい、レインに構っている場合ではなくなってしまった。

 

 ちょっと騒ぎを起こしたので、ギルド職員や市民がやって来るかもしれない……余計な面倒に巻き込まれる前にここから離れようと結論した後、誰も口を開くことなく細い裏道を進んでいった。

 

 そんな四人を月夜にそびえる白亜の巨塔が見下ろしていた。

 




 フレイヤ命の【フレイヤ・ファミリア】。彼等はレインという強者が現れたのに、原作通りの強さでいられますかね?


 襲撃ポイントに目的の人物が来なければ、ただ時間を無駄に過ごすだけになるよね。


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二十九話 遠征開始

 評価バーがいっぱいになりました(しかもオレンジ!)。評価、お気に入り登録してくれた方、ありがとうございます。


 


「全員に伝えておくことがある。今回の『遠征』だが、【ヘファイストス・ファミリア】以外でレインが同行することになった」

 

 『遠征』二日前。場所は【ロキ・ファミリア】の食堂。フィンは『遠征』の準備でいない者を除き、全ての団員を集めその情報を伝えた。

 

 全ての団員がざわついた。いい関係を築くことの出来ている派閥と一緒に『遠征』を行うことは珍しくない。【ディアンケヒト・ファミリア】のアミッドに至っては多大な貸しを作ることになっても、『遠征』に同行してもらいたいと考える派閥も多い。

 

 しかし……半ば敵対していると言ってもいい派閥の団員と『遠征』を行うことは、あり得ない。指揮・伝達・連携が取りにくいというのもあるが、なにより『遠征』先で自爆テロをされる可能性もあるからだ。

 

 当然、フィンの決定でも反対する団員はいる。フィンも絶対に彼――ベートが反発すると予想していた。

 

「説明しやがれフィン! なんであの女にだらしねえクソ野郎と『遠征』に行かなきゃならねえんだ!」

 

 ベートはレインの事が嫌いだ。『豊饒の女主人』で瞬殺されたことは気にしていない。弱者は強者に何をされても文句を言えない。弱肉強食はベートが掲げている信念だ。非常に癪だが、ベートはレインが強者だと認めている。

 

 だからこそ嫌いだ。いつもヘラヘラと笑い、見た目のいい弱者(おんな)を見つければ関わろうとする強者(レイン)が。まだ鋭くなる余地を残している牙を磨くことを放棄しているようで。

 

「ベートの質問の答えだが……レイン本人から手紙を預かっている」

「手紙、だと?」

「ああ。それもベート宛にだ」

 

 フィンは懐から取り出した手紙をベートに手渡す。ベートは受け取るなり乱雑に封を破り、手紙を読む。そこにはミミズがのたうち回っているかのような下手糞な文字で――

 

『見事に失恋した狼へ

 

 お前、あの赤髪の女にボコボコにされたんだって? しかも《フロスヴィルト》を破壊されたとか……。

 

 いっつも馬鹿の一つ覚えの様に「雑魚」と繰り返し言っている割に、お前も雑魚だったみたいだな☆

 

 どうせ俺が『遠征』に同行することに文句を付けるんだろうが……俺がいなけりゃダメだと判断されるくらい弱いんだよ、お前等は!

 

 どうしても同行して欲しくないのなら、俺が納得できるくらい強くなってから言え。あ、負け犬には無理か。

 

 世界最強の天才より』

 

 ベートは何も言わず手紙を握りつぶし、食堂を出ていった。ティオナとティオネが止めようと思えないくらい怒気を滲ませて。

 

「さて……他にもレインが同行することに反対する者はいるだろう。今から読むのは僕等全員に対する、レインの手紙だ」

 

 ベートが出ていって空気が弛緩した途端、フィンがまさかの二通目を取り出す。一同が聞く体制に入っているのを確認し、よく通る声で読み上げる。

 

「――『文句があるなら結果を出せ。プライドだけは一丁前の凡人共が!』。……以上だ」

『舐めんなっ!!』

 

 こうして【ロキ・ファミリア】の『遠征』メンバーは限界まで己の身体を苛め、鍛え、【経験値(エクセリア)】を溜め込み、女好きの主神を絶叫させることになる。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 快晴の空から陽光が降り注ぐ中央広場(セントラルパーク)

 

 『バベル』の北門正面から離れた場所では、【ロキ・ファミリア】の少年、少女、偉丈夫に親交がある冒険者達が声を掛け、ある者は笑顔と共に激励を送る。

 

 【ロキ・ファミリア】が向かうのは命がいくつあっても足りない危険な場所だ。これが最後の言葉になるかもしれないと理解している彼等は、満足いくまで言葉を交わす。見渡せば似たような光景が広がっていた。

 

「いいですか、レインさん。もし重症と引き換えに相手を殺すことが出来たとしても、一切迷うことなく避けることを選択してください」

「へいへい」

「大量のモンスターが群がっている所にも突撃しない。一匹ずつ安全に倒してください」

「それは無理があるぞ。37階層ですらモンスターは基本的に群れるのに……」

「そしてこれだけは絶対に守ってください。……決して、【ロキ・ファミリア】の女性団員の方々の裸を覗いたりしないこと!」

「ええー……」

 

 アミッドが大量の試験官が詰まっている大きめな小鞄(ポーチ)を、いくつかの小言と一緒に押しつける。小言も小鞄(ポーチ)もレインは拒否しているのだが、強引に押し付けてティオナ達の所に行ってしまった。

 

「はっはっは! レインでもあの聖女様には敵わぬか!」

「おいっ、てめぇ! 離しやがれっ!」

 

 この小鞄(ポーチ)の中に入っている回復薬(ポーション)分の代金は、『遠征』が終わってから払うか……とレインが考えていると、小脇にベートの頭を抱えた椿が周囲から畏怖を集めながら近づいてきた。

 

「ムッツリと鍛冶馬鹿か。こちらが強く出たら何倍にもなって返ってくるから、大人しく受け入れるしかないんだ。アミッドが俺の事を想っての行動だって分かっているし」

「……ふむ。存外、乙女心を分かっているのだな、お主は」

「乙女心?」

「なに、こちらの話よ」

 

 よく意味の分からない事を言い残して椿は元居た場所へ戻っていった。乙女心? アミッドは優しい子だから、俺が無茶な戦い方をするのを心配しているだけだろうに……。あと、何でベートを抱え込んでいたんだ?

 

「――総員、これより『遠征』を開始する!」

 

 ぼんやりと考え込んでいたレインの意識は、フィンが声を張り上げたことで引き戻された。フィンの声は例の手紙の件で、レインに敵意を向けていた団員達の意識も引き付けた。

 

 リヴェリアとガレスを左右に伴い、バベルを背後に置く【ロキ・ファミリア】の首領に、レインもきちんと向き合った。……向き合わないでいたら、とあるアマゾネスのいる方向から邪悪な気配を感じたからでもある。

 

「階層を進むに当たって、今回も部隊を二つに分ける! 最初に出る一班は僕とリヴェリア――」

 

 フィンの宣言を聞きながら、レインは奥にある白亜の巨塔――その下にあるモンスターの巣窟に思いを馳せた。

 

 レインはエイナの手によって50階層以降の情報を制限されており、49階層までしか行くことができなかった。【フレイヤ・ファミリア】の『遠征』について行こうとしても、オッタル達はレインがいない時を見計らって行動するため、一度も自派閥の『遠征』に行ったことがない。

 

「君達は『古代』の英雄にも劣らない勇敢な戦士であり、冒険者だ! 大いなる『未知』に挑戦し、富と名声を持ち帰る!!」

 

 富も名声も自分には必要ない。望むのは力だけ。それ以外は何もいらない。

 

「犠牲の上に成り立つ偽りの栄誉はいらない!! 全員、この地上の光に誓ってもらう――必ず生きて帰ると!!」

 

 もう誰も死なせない。守れるように強くなる。

 

「遠征隊、出発だ!!」

 

 フィンの号令により【ロキ・ファミリア】、遠征開始。

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、様々な思惑の絡まる冒険譚がダンジョンで紡がれようとしていた。 




 


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三十話 『頂天』

 レインの強さを考えると、なにもかもアホらしくなる。


「はぁ…………」

「儂を見てため息を吐くな、鬱陶しい」

「何が悲しくてオッサンドワーフと並んで待っていないといけないんだか」

 

 レインが配属されたのは第二部隊。第一部隊にはレインと仲の良くない団員が多いので当然の采配なのだが、第二部隊はしばらく待たないといけない上に、メンバーはレインを恐怖か嫌悪の目で見てくるので苛立ちが溜まる。睨めば目を逸らすが。

 

「正直助かるわい。今まで第二部隊は儂一人で守っておったからのう!」

「フィンの奴、第一級冒険者をもう一人こっちに寄越せばいいのに……」

「本当にそうじゃな……あの小人族(パルゥム)は変なところで頭が固い」

 

 むさいおっさん(ガレス)が部隊メンバーであることに不満を隠そうとしない。ガレスはそれを咎めるどころかフィンの采配に対する悪口を一緒になって言い出す。止めた方がいいのだろうが、雲の上の存在であるLv.6二人に意見できる者はいない。唯一、意見できそうな椿は面白がるだけで止めようとしない。

 

 レインもガレスも、先鋒隊に派閥の主戦力が集中する理由も、どうしていつも第二部隊にガレスしか第一級冒険者がいないのかも知っている。でも不満は出てくるものだ。

 

「リヴェリアかアイズ、妥協してティオネの内、誰か一人でもこの部隊にいればいいのにな……」

「ティオネはフィンの側を離れようとはせんじゃろうし、第一部隊はリヴェリアしか魔導士がおらん。動かせるとすればアイズだけになるが、あの娘の強さと性格的に第一部隊から動かせん」

「そうなんだよなぁ……。ティオナとベートは論外だし、仕方ないか」

「? ティオナもベートも十分強いじゃろう。何故論外なんじゃ?」

「ティオナは色気が微塵もないし、俺は男と恋愛をする趣味はない。だから論外だ」

「…………お主、とことんブレんな……」

 

 戦力より美人で色気があるかどうかで考えるレインに、ガレスは呆れより感心が勝った。そこまで驚かなかったのは、似たようなアマゾネスを普段から見ているおかげである。

 

 と、その時、レインが何かに気が付いたかのように下を向いた。次いで憎々し気にバベルを見上げる。

 

「……本当にやりやがったか、あのクソ女神!」

「おい、どこに行く!?」

 

 ガレスが止める暇もなく、レインはダンジョンへ駈け込んでいった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 9階層に続く長方形の広間(ルーム)。そこでは()()()()戦いが繰り広げられていた。

 

「くそがァああああああああああッ!!」

 

 頭部から血を流す灰色の狼が雄叫びを上げて飛び掛かる。それに合わせてアマゾネスの双子が大斬撃と連撃を、怪人(クリーチャー)すら圧倒する風を纏った金髪の剣士が神速の袈裟斬りを繰り出す。

 

 その全ての攻撃を難なく弾くのは――

 

「温い」

 

 ()()()()すら存在しない一人の猪人(ポアズ)。【ロキ・ファミリア】の精鋭による波状攻撃を、右手に持つ大剣のみで全て無効化する。アイズの階層主専用の必殺ですら、目の前の武人は無効化した。

 

 戦いが始まって二分も経過していない。9階層に『ミノタウロス』がいると聞いて急行したアイズ達は、最後の道に立ちはだかる門番を超えられなかった。四人が大なり小なり傷を負っていながら生きていられるのは、目の前の武人――オッタルが自分達を殺す気がなく、ここを通さないことに重きを置いているからだと四人は既に理解していた。

 

 情けを掛けられている屈辱にベート、ティオナ、ティオネは捨て身の攻撃を叩き込むが、オッタルの『完全防御』を崩せない。それどころか死なない程度に手を抜かれた反撃をもらい、広間(ルーム)の壁に叩きつけられ意識を失った。

 

 気を抜けば一瞬で意識を持っていかれる戦闘で明滅するアイズの思考が、吹き飛ばされた仲間と三日前の襲撃者達を思い出したことで、信じられない答えを導き出す。

 

 アイズの反応を振り切る『敏捷』を見せた猫人(キャットピプール)。第一級冒険者四人がかりの攻撃でもかすり傷一つ負わせることの出来ない『防御』を行う猪人(ポアズ)

 

 まさか、まさか、まさか。彼等は、【フレイヤ・ファミリア】の幹部達は――。

 

「――その通りだ、【剣姫】。お前と同じように俺は、俺達は全員、()()()()()()()()()

「―――――!?」

 

 他の仲間が沈んでも己に挑んでくる剣士の思考を読み取った、オラリオにたった一人のLv.7――いや、Lv.8の『頂天』は彼女の考えを肯定し、それを証明するように風を纏うアイズを大剣の横薙ぎで吹き飛ばす。気流、細剣(デスペレート)を貫通した衝撃を殺しきれず、アイズは仲間と同じように壁に叩きつけられた。

 

 オッタルは追撃しない。何かを確かめるように猛牛の怒号が響いてくる道を見据え、再び立ちふさがる。白い少年を助けたいという想いで戦う少女は、震える手で剣を取り立ち上がる。

 

「やけに親指がうずうずいっていると思ったら……これも含まれていた、ということかな?」

 

 間もなく、長槍を携える黄金色の髪の小人族(パルゥム)と、ここまでアイズ達を案内した血まみれの小人族(パルゥム)の少女を抱きかかえた王族(ハイエルフ)が現れた。途中から周りを気にせずに戦っていたからか、小人族(パルゥム)の少女はフィンとリヴェリアが現れた通路に吹き飛ばされていたらしい。

 

「やぁ……と挨拶をしたいところだけど、何故この場所で、この時に僕達と矛を交え、『遠征』に支障が出るほどの怪我を負わせたのか、理由を聞いてもいいかな、オッタル?」

「敵を討つことに、時と場所を選ぶ道理はない」

「もっともだ。じゃあ、それは派閥の総意、君の主の神意と受け取っていいのかな? 女神フレイヤは、僕達と全面戦争をすると?」

 

 鋭い輝きを放つ長槍を突き付けながら尋ねてくるフィンに、オッタルは口を開き――目的の人物が近づいてくるのを感じ取り、口にする内容を変える。

 

「フィン、お前の問いに対する答えは二つある」

「なんだい?」

「お前達とことを構える意思は俺達にはない。だが、そう捉えるならそれでも構わん。結果は分かり切っている」

「へぇ……その言い方だと君たちが勝つように聞こえるけど?」

 

 リヴェリアの魔法で治療されたベート達が目を覚まし、オッタルの言葉を聞いて鋭い眼差しを向ける。しかし、オッタルは【ロキ・ファミリア】の第一級冒険者達に目を向けない。ひたすら天井に目を向けている。

 

「そうだ……あの『怪物』が現れたことで、既にお前達は眼中にない。あの『怪物』に傷一つ付ける難行に比べれば、お前達から勝利をもぎ取るなど容易いにも程がある」

 

 「あの『怪物』とは何だ」とフィンが問う声を遮るように、広間(ルーム)の天井に斬撃を受けたような亀裂が奔り、崩壊した。降ってくる巨大な瓦礫は、【ロキ・ファミリア】とオッタルの中間に轟音を奏でながら激突する。

 

 崩れたのは天井ではなく、階層を区切るダンジョンの分厚い床そのもの。それが斬撃によって破壊されたことにオッタルだけは驚きを見せない。斬り崩された瓦礫の上に立つ”怪物”ならばその程度、息をするようにやってのけることを知っている。

 

 彼が【フレイヤ・ファミリア】に入団してからというもの、派閥内では過ぎ去ってしまった『あの時代』が可愛く見える『洗礼』――『殺し合い』が繰り広げられるようになった。

 

 手足が千切れたことがない団員がいなくなった。あと一秒遅れれば、命を落としてしまう重傷を負う団員が後を絶たなくなった。毎月【ランクアップ】する者が現れるようになった。

 

 【ランクアップ】した者は一度だけ『怪物』に挑む権利を手にできる。そして挑んだ者は、その心奥にマグマのごとく煮えたぎる闘争心を植え付けられるのだ。敬愛する女神の寵愛をかき消さんばかりの闘争心を。

 

 それはオッタルも例外ではない。

 

 オッタルは挑むのだ。『あの時代』の『化物』を超える『怪物』に。常人ならば心を折る『絶望』の頂きを嘲笑う様に乗り越え、天を駆け抜ける『雷霆』でも殺せない男に。自分が強くなるために捨てた物を捨てなかった『人間』に。 

 

「やはり、来たか……レイン」




Lv.8になったオッタル。自分をボコボコにしたゼウスやヘラの【ファミリア】をボコボコにした『黒竜』をボコボコにしたレインに勝てるのか!?


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三十一話 『手紙』

レインの【ステイタス】、どーしよーかなー。あと戦闘描写は苦手。


「ちょっと前まで威勢がよかったくせに、なんだ、そのザマは?」

 

 壁際に座り込んでいるティオナ達を見つけたレインはいつものように不敵な笑みを口元に刻み、心配する素振りを微塵も見せず煽った。ティオナ、ティオネ、ベートの額に青筋が浮かぶ。

 

「ベート……お前、冒険者になりたての奴を『トマト野郎』とか『冒険者の品位が下がる』とか言って馬鹿にしていた癖に、自分はそれ以上に無様な姿を晒すとか……すごいな。俺には恥ずかしくて真似できん」

「んだと……っ!?」

「脳筋に四人がかりで戦ったにも関わらず、傷一つ付けられない上に手心まで加えられている。これを無様と言わずなんて呼べばいいんだ? よかったら教えてくれないか?」

 

 露骨に肩をすくめて首まで振るレインに、ベートは歯ぎしりするしかない。

 

「ちょっとレイン! そこまで言われる筋合いはないよ!」

「はぁ? お前ら、ミノタウロスに追いかけられていた奴を笑っていただろうが」

「それは今関係ないじゃん!」

「大ありだアホが。お前らが馬鹿にした冒険者は格上(ミノタウロス)から逃げきった。それを笑ったお前らは格上(オッタル)に手加減されなきゃ死んでる。お前らはお前らが笑った冒険者以下だ」

 

 犬猿の仲といえど仲間が貶されることに我慢できなくなったティオナがレインに噛みついたが、容赦のない切り返しに何も言えなくなる。というかそれを聞いたベートとティオネはビキビキッ! と額に盛大な青筋を走らせてる。飛び掛からないのは割と図星だからか……。

 

「ほら、脳筋は俺が相手をしておくからさっさと行け。ただの勘だが面白いものが見れるぞ」

「…………後で色々聞かせてもらうからな」

 

 右手に持つ青白い魔剣でオッタルの後ろの道をレインが指し示せば、不動の壁のように動かなかったのは何だったんだ……と言いたくなるほど簡単にオッタルは道を開けた。真っ先にアイズが道の先へ駆け抜け、レインとオッタルに睨みをくれながらティオナとベートが後に続く。

 

 少し遅れてフィンと想い人の存在でこの場に踏みとどまっていたティオネが出ていき、最後に小人族(パルゥム)の少女を抱きかかえたリヴェリアがレインに一言残し、消える。

 

 ――猪人(ポアズ)の武人と黒衣の戦士は、十M(メドル)の間合いを取って向かい合う。オッタルは大剣を正眼に構え、レインは魔剣をだらりと下段に構える。

 

「……お前はミノタウロスを始末してからこちらに来ると思っていた。あの御方に見初められた冒険者を、お前は気にかけていたからな」

「………………」

 

 油断なく大剣を構えたまま、オッタルはぼそりと言った。レインは不敵な笑みを浮かべたまま答えない。

 

「教えろ。お前はあの御方の試練を快く思っていないだろう。何故、今回は止めようとしない?」

「最初は邪魔してやろうかと思ったがな。ちゃんと『手紙』の事を覚えているようだから、今回は止めない」

「……」

「お前も問題ないと判断したからあいつらを通したんだ。違うか?」

 

 オッタルはこれが答えだと言わんばかりに急接近し、大剣の大薙ぎを放つ。大重量の武器から放たれたとは思えない豪速の一撃は、棒立ちのレインの身体を上下二つに両断した。

 

「――へぇ。残像は目で追えるようになったのか」

「っ!」

 

 声がしたのは振り切った()()()()。両断したのはレインの残像だと気が付いたオッタルは動揺をねじ伏せ、余裕の笑みを崩さないレインを得物から振り落とし、返す刃で大上段からの極斬を繰り出す。 

 

 かつて砂漠に深々とした地割れを刻み込んだ全力の斬撃は、【ランクアップ】によって激上した身体能力も相まって強風を生じさせ、レインの髪の毛を巻き上げる。

 

「―――――」

 

 しかし次の瞬間、オッタルは愕然と目を見開く。『スキル』を使っていないとはいえ、両腕を使い出すことの出来る力全てを込めた斬撃を、レインは剣を持たない左手であっさり止めてしまった。衝撃で踏みしめる地面が陥没したが、それだけだ。レインに何の痛痒も与えられていない。

 

 大剣の剣腹を五本の指で掴んで止めたレインは、何事もなかったように押し返す。得物が跳ね上がった反動でオッタルがたたらを踏んでも、レインは斬りかからない。魔剣を下段に下げたままオッタルを見ているだけ。

 

「――ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 

 手加減をされていることへの怒りと惰弱な己への怒りを咆哮に変え、オッタルは無茶苦茶に大剣を振り回す。

 

 レインの頭上を狙って大振りに振り下ろし、横殴りの斬撃を見舞い、隙を見てガラ空きの胸元や首目掛けて閃光のごとき突きを繰り出す。

 

 ――しかし、当たらない。オッタルの繰り出す斬撃はいたずらに空を斬るのみで、命中どころかかすりもしない。

 

 ある時は身を捌き、ある時は上半身を後ろに逸らし、またある時はそちらを身もせず、一歩横に身体を引いただけで攻撃を躱した。剣は持っているだけで防ぐことに使おうとしない。

 

「オオオオオオオオオオオッ!!」

「剣筋が雑になったな」

 

 微塵も当たる気がしない故の焦りか、それとも心が折れたのか――オッタルの剣筋がブレたのをレインは見逃さない。

 

 何重にも霞むレインの残像の一つがオッタルを通り抜けた。あっ、と思う間もなく急所を避けた場所から血が噴き出し、オッタルの身体から力を奪う。大剣を地面に突き刺して倒れまいとするも、大剣の根元に裂け目が奔り、支えることを拒絶する。

 

 「とどめじゃあっ」とばかりにレインが側頭部に回し蹴りを叩き込み、オッタルの意識は消えていった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

『守りたい者がいるなら、この手紙の事を覚えていろ』

 

 9階層。出現階層から大きく離れた階層に現れたトラウマ(ミノタウロス)から自分を庇って血を流す少女(リリ)を見て、ベルの頭の奥で青い閃光が弾けた。

 

 一か月くらい前に読んだ手紙。とても汚い字で書かれていて読みにくかったけど、書かれていることは不思議と忘れることはなかった。

 

『絶望的な状況、なんて事態は滅多にない。針の穴を通すようなものであろうと、どんな時にもチャンスはある』

 

 恐怖で動かなかった身体が勝手に動き出し、回復薬(ポーション)をリリの額に振りかける。傷は塞がらなかったが、意識を取り戻した少女を思い切り横に投げ、巨躯を翻したミノタウロスと相対する。

 

『恐怖で止まるな、怒りで我を忘れるな、絶望で諦めるな。感情なんぞ全て身体を動かす力にしろ』

 

 鞘からナイフを引き抜いて構える。頭から血を流しているリリが何かを叫んでいるが、ベルの目にはベルを敵と認め、獰猛な笑みを浮かべて大剣の刃を向けるミノタウロスしか映っていない。ベルの心には目の前の敵を倒すという想いしかない。

 

『自分が屈することで守りたい人を守れない、大切な人を悲しませることを想像すれば、絶望的状況を覆すことなんて――簡単だろう?』

 

 無茶苦茶だと思う。平凡な自分は簡単に怖がるし、泣くし、落ち込むし、針の穴を通す位のチャンスを生かせることなんて出来ない。今も高すぎる高嶺の花を眺めているだけだ。

 

 でも――リリ(守りたい人)を守れないこと、ヘスティア(大切な人)を悲しませることを想像すれば、ミノタウロスを倒す勇気が湧いてくる。憧憬のいる高みに手を伸ばそうと思える。

 

「――勝負だッ……!」

 

 冒険をしよう。大切な人達のために。

 

 ベルは小さなナイフを手に、巨大なモンスターに駆け出した。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「我ながら似合わない事をした」

 

 意識を失ったオッタルを背負って地上に向かうレインは一人呟く。

 

 下の階層から膨れ上がり続ける闘気を感じ取り、口にするか悩んだが、前を見たまま言葉を紡ぐ。

 

「頑張れ、ベル。そいつを乗り越えられないと、『英雄』もアイズと付き合えるのも夢のまた夢だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――お前は俺の様に、大切な人に命を懸けて守られてくれるなよ」

 

 レインの言葉を物言わぬ迷宮だけが聞いていた。 



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三十二話 聞きたいことは

 無理矢理感がすごいけど、これは書きたかったことだしなぁ……。


 広い心で見ていただけると嬉しいです。


「俺は数分相手の動きを見れば、相手が次に何をしようとするのか分かる。相手の動きが分かるならLv.が二つ三つ離れていようが問題ない。信じる信じないはお前らの勝手だが、それが事実だ」

 

 『魔法』による残り火で燃える草原。そこには立ったまま動かない少年がいた。

 

 勝利をもぎ取り『英雄』への資格を手に入れた『冒険者』の背中を眺める【ロキ・ファミリア】に、『怪物』が聞いてもいないことを呟く。

 

 そのあり得ない内容の言葉が誰に向けて告げられたのか――答えは怪物(レイン)だけが知っている。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「テント張るの上手いっすね、レインさん……」

「オラリオの外ではよく使っていたからな。もしかするとお前らより使っているかもしれん」

 

 ダンジョン50階層。大樹林を眺望できる巨大な一枚岩。

 

 野営を準備する喧騒が響いている。指示をかけ合う団員達の声とブーツの足音を聞きながら、レインは地面に鉄杭を次々に突き刺していく。素手で鉄杭を突き刺す姿に、ラウルはちょっと引いた。

 

 レインは他派閥ということに加え、これから身体を酷使する(予定)の第一級冒険者だ。本来なら野営の準備を手伝わなくてもよいのだが、オッタルを地上に届け、18階層で部隊を再編制した際、

 

『罰として野営の準備や見張りをやってもらう』

 

 同派閥の団員(オッタル)が迷惑……というか『遠征』の主要メンバーに重症を負わせるという、思いっきり『遠征』を妨害する行動を起こしたということで、フィンから罰を受けた。

 

 しかもアミッドから貰った万能薬(エリクサー)をいくつか徴収された。レインは脳筋(オッタル)に『遠征』続行不可能される所を助けてやったというのに……。

 

「ちょっ、レインさん、手を緩めてほしいっす!」

 

 手元を見ると、天幕を張るための鉄杭が折れ曲がっていた。どうやら面倒ごとを起こした奴等(【フレイヤ・ファミリア】)恩知らず共(【ロキ・ファミリア】)に対するイラつきで、知らず知らずのうちに力が入ったようだ。

 

(やっぱ怖いっす、この人! 絶対、俺が可愛い女の子じゃないから怒ってるっす……。どうして俺とペアにしたんすか、団長ー! 美人な猫人(アキ)とかいるじゃないっすかー!)

 

 レインの噂から勘違いをしてしまうラウル。ただでさえティオナ、ティオネ、ベートが鋭い目でこちらを見ているのだ。レインまで険悪になったらストレスで自分の胃が死ぬ。

 

 そんな苦労人(ラウル)の心情を全く察しないレインは、手の中にある鉄杭を元に戻そうと力を籠め、引きちぎる。力加減を間違えてしまっただけだが、

 

(遠回しにこうしてやるっていう死刑宣告!?)

 

 ラウルの勘違いが加速する。周囲の団員達はラウルに心の中で激励を送り、自分達は目を付けられないようにと遠くで天幕を張っていく。本営の側で指示を出すフィン達は嘆息するだけで何もしない。

 

 ――こうしてラウルの胃袋を犠牲に設置された天幕は他の天幕から離れすぎているという理由で張り直しになりかけたが、レインの天幕として利用することに落ち着いた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「ここに来るまでロキの眷属達の様子がおかしいが、どうした?」

 

 野営地の準備を完了させた【ロキ・ファミリア】は食事に移った。キャンプの中心で輪になる団員達だが、不自然に途切れている場所がある。未だに近寄りがたい雰囲気を醸し出す四人の若い第一級冒険者の周りと、彼等彼女等に睨まれ続けるレイン付近だ。逆にラウルの周りは彼を労う団員でいっぱいだ。

 

 物怖じしないハーフドワーフの鍛冶師は干し肉をくわえスープ皿を持ち、レインの側にどっかりと腰を下ろす。遠慮を欠片も見せず食事を口にしていたレインが口を開く。

 

「んー、自分達の見る目のなさと思いあがりっぷりにプライドがズタボロにされているだけだ、気にするな」

「ほう、どういうことだ?」

「筋肉にしか取り柄がなさそうな敵に四人がかりで負けたんだよ。そんでもって『相手が強すぎた』と必死に言い訳しながら進んだ先では、相手が強いと知っていながら戦い、勝ったみせた一人の冒険者がいたんだ」

「なんと! その敵はどうしたんだ?」

「俺が瞬殺した。『うぅ……、やはり俺ごときが勝てる相手ではなかった……』とかいう末期のセリフ付きで、血の海に沈んだぞ」

「では冒険者の名前はなんという?」

「ベル・クラネル。人間(ヒューマン)なのに兎人(ヒュームバニー)みたいな男だ」

「ふむふむ、メモメモ、と……」

 

 レインと椿のやり取りに「オッタルはそんなこと言わねえだろ!」とか「言い訳なんかしてないよ!」とか怒鳴りたいベート達だが、その怒りをスープで腹の中に流し込む。

 

 やがて食事を終えたレイン達は、フィンを中心に今後の最終確認を始める。51階層へ進攻(アタック)するメンバーを発表する時自分が外されたりしないかと危惧したレインだが、レイン並の戦力を使わないという選択肢はフィンになかった。

 

「では、明日に備え解散だ。見張りは四時間交替で行うように」

 

 その指示を皮切りに、団員は周囲にばらけ始めた。見張りの順番は最後に割り振られたので、それまでは天幕で寝ていよう……レインは腰を上げてその場を離れた。

 

 途中、抜身の双剣の構えたベートが肩を掴み「ついて来い」的な意味を込めて顎をしゃくり、返事を待たずにさっさと一枚岩の西端に行ってしまったので、

 

「この先にいるベートに『オッタルに勝ってから出直してこい雑魚狼が』って伝えておいてくれ。じゃ、よろしく」

「私に死ねと!? 自分で伝えて下さ――って、逃げるなー!」

 

 偶然近くを通りかかったエルフの女性団員に伝言を頼み、与えられた天幕に引っ込んだ。エルフとしての貞淑性がためらわせるのか、天幕の外で何事か喚いていたが中に入ってくることはなかった。

 

 ――その伝言が伝えられたかは分からない。怒りで顔を歪めたベートがレインの天幕に突撃し、二秒もしないうちに叩きだされたことだけが事実だ。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「レイン、入ってもいいか?」

「スケスケで股下ギリギリのネグリジェを着て夜伽してくれるなら入ってもいいぞ」

「――よし、入るぞ」

 

 最初からまともな返事を期待していなかったのか、レインが許可を出す前にリヴェリアは出入り口の幕を開けて入ってきた。そのままレインが(くる)まっている寝具の側に腰を下ろす。仕方なくレインも身体を起こし、向かい合うように座る。

 

「で、何の用だ? ベートを吹っ飛ばしたことについては謝らんぞ」

「それは別にかまわん。あの馬鹿にはいい薬だ。言いたいのは他の団員をからかうな、ということだ。アリシアがお前に無理難題を押し付けられたと涙目で私に泣きついてきたぞ」

「ただの冗談だっての。用件がそれで終わりならさっさと出てい――何をしている」

 

 虫でも追い払うかのように手を振り、再び寝具に包まろうとしたが――リヴェリアが身に纏う聖布に手をかけ脱ぎ始めたのを見て真顔になった。

 

「何を、だと? お前が夜伽をしろと言ったのではないか……」

 

 リヴェリアが脱いだのは魔術師の装備でもある聖布だけ。まだその肢体を包む布は何枚も存在する。にも関わらず、既にリヴェリアの顔は真っ赤だ。瞳は潤み、声も少し震えている。 

  

 この時、リヴェリアは本気だった。他の人達が寝静まっているわけでもないのに、本当に夜伽をしようとしていた。それが分かったレインは、

 

「馬鹿なのかお前は? もっと自分を大切に――」

()()()()()()

 

 止めてしまった。リヴェリアがレインを押し倒したわけでもないのに、ただ()()であると分かっただけで止めた。

 

 ここでリヴェリアが生まれたままの姿になるまで止めなければ分からなかった。天幕は遮音性が高いわけではない。裸になれば嫌でも本気だと分かり、情事による声を周りに聞かせたいと思う特殊な性癖でもなければそこで止める。

 

 しかしその優しすぎる性格が、神ですら見抜けないレインの演技にボロを出させる。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

「レイン、お前は――噂通りの酷い人間なんかじゃないだろう」




 次はリヴェリアがレインの違和感を見つけた理由を書きたい。


 ……次からタイトル書かなくてもいい(小声)? めっちゃきついんだけど、タイトル考えるの。


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三十三話 ホラ吹きで酒好きで女癖の悪い男

 さあ今回も無理矢理感がある気がするけど、楽しんでください。

 やっぱりね、レインには女たらし成分がいるでしょ!

 


 リヴェリアが最初に聞いたレインという男の噂は、三歩も歩けば大ボラを吹き、暇さえあれば浴びるほど酒を飲み、トドメに目も当てられないほど女癖が悪い――という酷い物だった。

 

 火のない所に煙は立たない。リヴェリア自身、路地裏を走り回っていた子供達が、

 

「レインがさ、世界の彼方にいるとっても強くて、怖い『竜』に勝てるくらい強いって言ってたけど本当かな?」

「オッタルが千人いても勝てるとも言ってたけど……ルゥはどう思う?」

「……わかんない」

 

 と喋っているのを目撃した。

 

 だからリヴェリアは最初――心底、とまではいかないけれど、レインの事を軽蔑していた。

 

 娘同然である金髪の少女の悲願を嘲笑うかのようなホラを耳にしたのが発端だが、理由は他にもある。

 

 【フレイヤ・ファミリア】の入団条件はフレイヤが気に入るかどうか。つまり受け入れられたなら、必ずあの美を司る神の寵愛を受けることになる。それ故に【フレイヤ・ファミリア】の団員は老若男女関係なく、フレイヤ以外に目もくれない。

 

 リヴェリアは【フレイヤ・ファミリア】のフレイヤに対する忠誠心を尊敬している。フレイヤの『美』に酔っていようがいまいが、一人のために己の全てを捧げる姿勢は馬鹿にするべきものではない。

 

 故に、同じ派閥の人間を馬鹿にするような行動をするレインのことを、リヴェリアは嫌いになった。その気持ちはレフィーヤから報告された「アイズに対するセクハラ」でより強くなっていく。

 

 しかし、ダンジョンで起きたとある出来事から、リヴェリアはレインに違和感を覚えるようになる。

 

 とある出来事とは、そう――レインとリヴェリアが深く関わるようになった「羨ま死ね!」事件だ(ロキ命名)。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 何度目かも分からなくなる『遠征』を終えて、【ロキ・ファミリア】は18階層で大規模な休息(レスト)を取っていた。いつもなら18階層に立ち止まることなく地上に帰還するのだが、

 

「てめぇのせいで碌に『深層』を探索出来なかった上に、18階層(ここ)で時間を喰う羽目になっただろうが、この馬鹿ゾネスが!」

「あたしは悪くないもん! ベートがあんなところにボサッと突っ立っていたのが悪いんだもん!」

 

 犬猿の仲であるベートとティオナが激しく言い争っている。その全身はどす黒く汚れ、正直かなりきつい臭いが漂っている。証拠に他の団員はいつも以上に距離を取っていた。

 

 ベートとティオナ以外の第一級冒険者、つまり51階層から下の階層を目指す精鋭メンバーもアイズ以外は似たような状態だ。彼等は例外なく大量のモンスターの血を頭から被り、全身から悪臭を放っていた。

 

 ベートやティオナ、他の第一級冒険者はモンスターを屠る際、返り血を浴びるようなミスを起こさない。『深層域』では水の補給が出来ないため返り血を浴びれば、水で洗い流すことが出来ないのだ。貴重な水を必要なこと以外には使えない。

 

 モンスターの血は臭い。洗い落とさなければ生乾きになり、鼻が曲がりそうになるほどの悪臭を発生させる。ひどい臭いで指示を出すのも『詠唱』をするのも難しいと判断したフィンは、やむを得ず『遠征』を中止した。

 

 どうしてこんなことになっているのかというと、

 

「てめぇの手足は飾りかっ!! 蹴りでもいれて弾き飛ばせばいいのに、なんでそのアホみてえな武器で無理矢理殴り殺した!?」 

 

 ティオナが大双刃(ウルガ)をバットのように振るい、大型モンスターを粉砕したからだ。爆砕したモンスターは水風船が破裂したかの如く、血を辺り一面にまき散らした。

 

「あたしが大双刃(ウルガ)で『デフォルミス・スパイダー』を斬ろうとした時に、ベートが割り込んできたからじゃんか! もう蹴りも出せないくらい振り抜きかけてたし、刃の向きを変えるしか出来なかったんだよ!」

「てめぇのノロくせえ攻撃が俺に当たるかよ! そのまま振りぬけ、馬鹿が!」

「よーし分かった! 今度からアンタの事は一切気にせずにぶった切るよクソ狼!」

 

 放っておけばずっと続きそうな醜い言い争いは、二人の頭にガレスが鉄拳を振り下ろすことで終結した。

 

 そしてフィンはベートとティオナに責任を問うつもりはなかったのだが、二人が全く反省しようとせず喧嘩するのを見て、

 

「君達が水浴びをするのは最後にする。もし破れば、次回の『遠征』から君達を外す。また蒸し返すようなら、地上に帰還するまでそのままだ」

 

 割ときつめの罰を与えた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「では、フィン。体を清めに行ってくる」

「私もお供します!」「私は御髪を清めさせていただきます!」「自分はリヴェリア様のお肌を!」「……」

 

 どす黒い血の汚れを洗い流しに行くリヴェリアの後ろを、アリシアやレフィーヤを筆頭とするエルフの女性団員達が付いてくる。リヴェリアは何度も彼女たちに王族として扱うなと言っているのだが、

 

「高貴なお方ということを抜きにしても、可憐な乙女がたった一人で沐浴するなど危険です! 下賤な男達もとい怪物にリヴェリア様のお肌が晒されてしまったら……!!」

『どうか私達を側に置いてください!』

 

 懇願してくるエルフ達にリヴェリアは溜息をつき、お前達がいるからそこに私がいると察知されるんだろうに……と思いつつも、時間の無駄だと悟って同行を許可した。

 

 エルフ達を引き連れ着いたのは、秘境の湧泉(ゆうせん)を彷彿させる狭い泉。リヴェリアは結わえていた翡翠の長髪を背中に流し、身に纏う装備を外し、生まれたままの姿になった。 

 

 一糸纏わぬ姿になったリヴェリアの体を清めにかかる数名以外は全員、厳重な警備体制を敷いている。どこまでも自分を王族として扱うエルフ達に再び嘆息しながら、リヴェリアは髪はともかく体は自分で清めると言い、一人で沐浴を始める。

 

 リヴェリアの髪に触れた者は陶然と(トリップ)し、リヴェリアがその美しい裸体を潤った水で洗う姿にレフィーヤ達は感嘆の息を漏らす。

 

 そんな絵画にありそうな美しい光景は――上から凄まじい勢いで降ってきた黒い物体によって破壊された。落下の衝撃で盛大に巻き上げられた水が、リヴェリアに覆いかぶさる。

 

「リヴェリア様ーーー!? ご無事です…………か……」

 

 敬意を払うべき王族の無事を心配するエルフ達が見たのは――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――依頼(クエスト)の品を採取する寸前で岩が剥がれ落ちた時にはくそったれ、と思ったが……いいもん見れた。ほんっとエルフは見栄えがいいな」

 

 ふてぶてしい笑みを顔に刻む黒衣の男が、不躾にリヴェリアの顔や胸を眺めている姿だった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 女神にも勝る容姿を持ってしまったが故に、リヴェリアは自分に向けられる視線に込められた感情が分かってしまう。

 

 だからこそ驚いた。レインの目は恥ずかしい場所に向けられていたものの、一切下劣な感情が存在しなかった。あったのはリヴェリアを崇拝するエルフ達より純粋な感嘆だけ。

 

 同性ですら情欲の籠った目を向けることがあるというのに、女癖が悪いと噂の男は欠片もそういった類の感情を見せない。それがとても気になった。でなければ裸体を見られたことをすぐに許したりしない。

 

 地上に戻ってからすぐレインの事を調べた。すると噂に反することが多々あった。

 

 美人な女性店員がいる店に入り話しかける姿は見られるが、繁華街では一度たりとも姿を見られない。大量の酒の購入履歴はあるが、それを自身で消費したかは分からない。オラリオに多く存在する孤児院に多額の寄付をしていた。 

 

 むさ苦しい野郎が嫌いだと言いながら、レインに命を救われた多くの冒険者がいた。周りに凡人だ何だと言いながら、弱者を馬鹿にしたベートに怒りを見せた。たった一人で、Lv.8になったオッタルを無傷で下した。

 

 リヴェリアがいつしか惹かれるようになる程、レインは優しく、そして強かった。 

  

 だから教えてほしい。どうしてあんなに酷い噂を立てられたのか? どうして否定しないのか? どうして誤解されるような事をするのか?

 

(知りたいんだ。優しくて強い、本当のお前を)




 リヴェリアがチョロい。

 アイズだけ血を浴びてないのは【エアリアル】があったからだよん。



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三十四話 緊張クラッシャー

 リヴェリアの問いに対するレインの答えはいかに!?


 時計だけが朝と夜を告げる迷宮の奥深く。時計の針は明朝の到来を告げる。

 

「リヴェリア様、団長と何かあったんですか……?」

「何もない。私の事より自分の状態(コンディション)を確認しろ。もうすぐ出発するぞ」

 

 王族(ハイエルフ)に師事するエルフの少女は、いつも相思相愛(カップル)と噂されるような雰囲気ではなく、どこかよそよそしい団長と副団長の様子に違和感を覚え、

 

「団長、様子がおかしくありませんか? まるでとんでもない弱みを握られてしまったかのような……」

「ちょっと寝不足なだけかな。昨日『とある秘密を知ってしまったおかげで、超美人なアマゾネスと結ばれた小人族(パルゥム)のF』という話を聞いて、なかなか寝付けなかったんだ」

「何故でしょう、とてもいいお話の気がします! お話で興奮して眠れなくなる団長、とっても可愛いです! 『遠征』が終わってお暇が出来たら、詳しくそのお話を聞かせてもらえませんか?」

「ハハ、ならこの『遠征』を無事に乗り切らないとネ……」

 

 想い人(フィン)の些細な変化には気が付いたアマゾネスの姉(ティオネ)は、想い人の意外な一面にますます好感度をアップさせて、その想い人がこっそり片手で腹部をさする事には気が付かず、

 

「……フィンとリヴェリア、様子がおかしいけど、どうしたんだろう?」

「さぁな。大方リヴェリアが着替えている途中で、フィンが天幕に入ってしまったとかだろ」

「そう、なのかな……?」

 

 長い付き合いの二人の様子の変化に何かを察しかけた金髪の剣士は、隣で朝食をかっ食らう黒い戦士の適当な言葉を信じこんた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――真相はこうである

 

 昨晩、先輩のアマゾネス(ティオネ)後輩のエルフ(レフィーヤ)団長(フィン)の天幕に侵入しようと計画し、それを『勘』で察したフィンは鍛冶師達のいる天幕に避難するか、レインのいる天幕に避難するかを思案。

 

 鍛冶師の天幕に避難しようと考えたが、そこには自分を抱き枕にすること間違いなしの女鍛冶師(椿)がいることを思い出し、もし抱き枕にされれば確実にティオネに殺されると判断。フィンはレインの天幕に避難することを決める。

 

 しかし避難した先では、まるで情事に及ぼうとする前の睦言(?)を交わす二人が! 見なかったことにしようとしたフィンだったが、見られた二人がそれを許すはずもなく、フィンは天幕に引きずり込まれた。

 

 顔を真っ赤にしてリヴェリアは立ち去りレインは笑顔で、

 

『これは俺が聞いた中でも、いっとういい話なんだがな? 俺の知ってる小人族(パルゥム)の話でな、仮にFとしとくが……ある時Fは、協力者である天才と身内の密会を目撃してしまったんだ。で、そいつは実におしゃべりな奴でな、それを酒の席で肴として漏らしてしまったんだな、これが』 

『……それでどうなったんだい、そのFは?』

 

 もうレインが何を言いたいのか理解しているフィンは、その続きを促す。

 

『なんやかんやあって自分を慕ってくれるアマゾネスの美女と結ばれるんだ。そのアマゾネスはとてもいい女でな。何も言わずとも朝から晩まで、ズッコンバッコンだ。結ばれた小人族(パルゥム)はそのアマゾネスにしか興味がなくなり、いつまでも幸せに暮らすんだ。どうだ、いい話だろう?』

『なんやかんやの部分がとても気になるし、それは洗脳と言っても過言じゃ――』

『いい話だよな?』

『ソウダネ……』

 

 レインはフィンの目をじっと覗き込む。

 

『で、何か見たか、F?』

『何も見てないよ。いや、羨ましいね、その同族(パルゥム)は』

『だよな。こんなに幸運な奴、滅多にいないよな。幸運は自分でつかみ取る物だと俺は思うがな!』

『『ハッハッハ!!』』

 

 明日から51階層に進攻(アタック)だというのに、胃がとても痛かった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 そんなことがあっても小人族(パルゥム)の団長は周りに心配させぬよう、『勇者』の仮面を被る。51階層へ続く大穴への道の前に立つ彼の後ろに、剣、大戦斧、杖、銀靴、大双刃、数々の武器を持つ冒険者が並ぶ。

 

「――出発する」

 

 フィンの静かな号令とともに、総勢十四名の精鋭パーティは出発する。前衛のベートとティオナがぎゃーぎゃー言い争う以外は何事もなく、51階層へ続く大穴に到着した。

 

「――行け、ベート、ティオナ」

 

 そこからパーティはフィンの指示に従い進み続ける。余計な戦闘、余計な物資は消耗をしない。倒さなければならないモンスター達は、前衛であるティオナとベート、遊撃を任せられたレインが始末する。走行の勢いは緩まない、緩めない。

 

「――来た、新種!!」

 

 進路上のモンスターの大軍を始末したティオナが、幅広の通路を埋め尽くす【ロキ・ファミリア】が最も警戒していた芋虫型のモンスターを発見する。攻撃しても防御をしても、武器と防具を破壊するモンスターは、

 

『オオオオオオオオオオオオオオッ!?』

 

 不壊属性(デュランダル)の前に破鐘(われがね)の絶叫を轟かせながら散る。

 

「ははははは! 弱い、弱すぎるぞ!」

「うるせぇっ、黙って戦いやがれえぇえええっ!」

「ベートもうるさいよー!」

「……皆、もう少し静かに……」

 

 芋虫型を真紅の薙刀《紅閻魔》で両断するどころか粉砕し、風車のように振り回すことで腐食液を弾くレインにベートが怒鳴り、ベートに怒鳴るティオナの声でアイズの小声がかき消される。

 

 サポーターを怯えさせる程騒ぎながら行われた塵殺は、奮闘の陰でリヴェリアが『並行詠唱』を終了させたことで終わった。白銀の長杖から放たれた三条の吹雪が一直線に突き進み、無数の氷像を作り出す。

 

 乱立する氷像を砕きながら正規ルートを進むパーティは、あっさりと下部階層に続く階段に辿り着く。

 

「ここからはもう、補給できないと思ってくれ」

 

 道具(アイテム)の使用はこの場で済ませろと言外に告げる団長の言葉に、ここまで無傷で来た冒険者達は、ただ張り詰めた表情をみなで共有する。

 

「レイン、手前はここまで深い階層に来たことがない。何かあるのか?」

「さあ? 俺も49階層までしか潜ったことがないからな。『やっべぇ……途中でトイレに行きたくなったらどうしよ……』とでも考えているんだろう。特に女性陣が」

「なんと! それは確かに不味いな……いかに恥を捨てた手前と言えど、戦いながら致すのは避けたい。ん? レインは何故49階層までしか潜っておらんのだ?」

「それが不思議なことに50階層以降の情報が制限されているんだ。『遠征』も俺が不在の時を狙って行われるし……何でだろうな? 恥ずかしがり屋?」

『……………………~~~ッ!』

 

 部外者のレインと椿の会話に突っ込みたい【ロキ・ファミリア】。でも突っ込めば緊張感が微塵も残らず吹き飛ぶと分かっているので、割と必死に気を引き締める。

 

「――行くッ、ぞ」

(((めっちゃ我慢してる……)))

 

 感情に表に出さないよう苦労する団長に、【ロキ・ファミリア】の面々は気の毒そうな目を向けた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

「――全く。ラウルもそうだけど、お前らは周囲に対する警戒が足りな過ぎるぞ!」

「今回は! 絶対にっ! 貴方が原因ですぅうううう!!!」

 

 ()()()()()()()()()()()()形成された長大な縦穴を落下しながら、レフィーヤは危機的状況にも関わらず目の前の男に叫んだ。自分を助けに来てくれたのだとしても、叫ばずにはいられなかった。

 

 レフィーヤは『デフォルミス・スパイダー』の糸に気が付かなかったラウルを庇い、結果的に58階層に生息する砲竜『ヴェルガング・ドラゴン』の砲撃によって出来た大穴に落ちた。

 

 ヒリュテ姉妹が彼女を助けるために大穴に飛び込もうとしたが、

 

「俺一人で十分だ! 凡人のお前らは固まって行動しろ!」

 

 レインが先に飛び込んだ。煽られてムキになった二人はすぐに後を追って飛び込もうとしたものの、レインの強さを信じたフィンに制止される。

 

「レインさんと椿さんが変な事言うから緊張感がなくなったんです!」

「どんな時も動揺せず、一定の緊張感を保つ。それができてこその一流だと俺は思うぞ」

「あ、ああ言えばこう言う……!」

 

 のらりくらりと躱すレインに、レフィーヤは抱えられている腕から逃げ出したくなった。しかし、この状態が最も安全だと分かっているので歯を食いしばるしかできない。

 

 レインはレフィーヤを横抱きし、横から飛んでくる『イル・ワイヴァーン』を足場にして落下していた。ただ足場にするのではなく、足場にした飛竜(ワイヴァーン)()()()()()()()下へ進むレインを見て、レフィーヤは飛竜(ワイヴァーン)に同情する。

 

「よし、地面が見えたぞ」

「――【ヒュゼレイド・ファラーリカ】!!」

 

 返事代わりに魔法を放つ。小型、中型、大型の様々な深層モンスター達は【妖精追奏(スキル)】によって底上げされた広域魔法で焼き尽くされた。

 

「おらよっ、と」

『ガッッ!?』

 

 

 降下しつつ適当な大紅竜の息の根を止めながら、レインは58階層に着地する。レフィーヤを丁寧に下ろしてやり、告げる。

 

「俺はここにいる全てのモンスターを殺す。お前は適当に魔法を撃て」

「…………私の魔法、必要あるんですか?」

 

 レフィーヤの返事を待たずに走り出し、ほぼ同時に残っていた七体の大紅竜を屠ったレインを見てレフィーヤは半眼で呟いた。もうレインの頭のおかしい発言に突っ込まない。

 

 何もしなくても目に見える勢いでモンスターが灰になるので、レフィーヤは自分を守る剣の結界を辛うじてすり抜けたモンスターに魔法を作業のように撃ち続けた。




 今回はネタ成分多めです。だってレインの強さと性格的に、スリルに満ち溢れた『遠征』なんて考えられないし……。


 そこ! ハブられたとか言わない!


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三十五話 穢れた精霊

 レインの無双回。今回は真面目な話を書くつもりだったのに、ネタ回感が半端ない。


 キャラ崩壊もある(かもな)ので、暖かな目で読んでください。


 オラリオの『頂天』は彼を『怪物』と呼んだ。

 

 オッタルが口にした言葉を聞いた者、彼がそのオッタルを下したと聞いた者は、彼が強者だということは理解できても、彼が『怪物』であるとは思えなかった。

 

 彼が実際にオッタルを下したのを見ていないというのもある。彼の普段の言動が『怪物』という言葉を思いつかせないのもある。

 

 だが、【ロキ・ファミリア】はオッタルの言葉がどれほどの重みを含んでいたのかを理解する。

 

 ――『怪物』の片鱗を見ることによって。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「レフィーヤを守ってくれたこと、砲竜(ヴァルガング・ドラゴン)を倒して我々の隊を手助けしてくれたこと。感謝するぞ、レイン」

「ふむん、その礼がお前からの抱擁か?」

「ああ。嫌だったか?」

「まさか! お前ほどの美人ならいつでも歓迎(ウェルカム)だ」

 

 産出幕間(インターバル)に入ったのか、モンスターの出現が止まった58階層。フィンの指示で移動した南端で、功労者であるレインをリヴェリアが笑顔で抱きしめている。背中に手を回してしっかりと抱きつく姿は、まるで仲睦まじいカップルのようだ。

 

 が、周りの者達は笑わない。というか笑えない。嫉妬云々(うんぬん)は関係なく、リヴェリアの背中から黒い(もや)もとい瘴気が見えるのだ。似たような物をレフィーヤで見たことのあるアイズは、周囲を警戒するふりをしてさり気なくガレスを盾にする。

 

 エルフのレフィーヤとアリシアに何とかしろ! という目が向けられるが、二人とも何も言えないしできない。いや、今すぐにでも「リヴェリア様! そのような男に触れれば御身が(けが)れます!」と叫びたいのだが、下手すればあの抱擁が自分達にされるかもしれないのだ。

 

 羨ましいとは微塵も思わない。だってリヴェリア、力いっぱい抱きしめているもん。逃がさない――それどころか、このまま抱き殺してやる――という意志が透けて見える。

 

 リヴェリアから発生している重圧を至近距離で受けているはずのレインは笑顔だ。「こいつの心臓、絶対超硬金属(アダマンタイト)で出来ているだろ」と、キャラが崩壊しかけているフィンは心の中でそう思った。

 

 そんな周りを気にせず、レインとリヴェリアは笑顔で話す。

 

「ところでレイン。地面から生えている砲竜(ヴァルガング・ドラゴン)はなんだ?」

「発生した瞬間に倒した。そうすれば死体が邪魔になって、そこからモンスターは出現しないからな」

「なるほど。ざっと見ても四十を超える地面から生えた砲竜(ヴァルガング・ドラゴン)はそのせいか」

「おう。八時間は戦ったが、後半はかなり楽だったぞ」

「そうか。……で、その半分以上の頭部が地面にめり込んでいるんだが? まるで力の限り地面に叩きつけられたかのようにな」

「そいつらは尻から出てきた可哀想なタイプだ。生まれた瞬間、尻にとんでもない激痛を味わって死ぬ……やむなく実行した俺も、思わず泣いちまったぜ」

「涙どころか汗一滴見当たらないがな。では、壁面に頭部をめり込ませている十匹もか?」

 

 改めて58階層を見渡す。オラリオの面積を軽く超える長方形の広大な広間(ルーム)。壁だろうが地面だろうが、どこかに目をやれば大紅竜(ヴァルガング・ドラゴン)の死体が見える。

 

 四方の壁には最低一匹はめり込んでいる。つまり、レインはレフィーヤをモンスターの大軍から守りながらオラリオの端から端まで横断できる【ステイタス】を持っているということだ。仮にLv.6になるまで『敏捷』アビリティをSの999まで極めても不可能だ。Lv.6になって一年も経っていないレインなら尚更(なおさら)

 

 考えられるのはレインが【ステイタス】を偽っている、【ステイタス】を大幅に強化する魔法か『スキル』、または【ステイタス】の成長を促進させる『スキル』を持っているか、だ。リヴェリアはこの中のどれかが当たっていると確信している。そうとしか考えられない。

 

「壁の奴はレフィーヤだな。躊躇いなく尻に魔法をぶち込む姿に、俺もビビっちまったぜ」

「…………」

 

 レインとリヴェリア以外のパーティメンバーは、流石にこの重圧に耐えきれなかったのか離れた場所で武器の整備をする椿の周りに集まっている。武器の整備が必要ない魔導士なのに、レフィーヤは椿の近くにいる。そしてこちらを見ようとしない。

 

「……教えてくれないのか?」

 

 強力な『スキル』は生まれや素質も関係するが、ありきたりなのは強い感情による発現だ。それも憎悪、怒り、悲しみといった負の感情ほど発現しやすい。アイズの持つ対怪物最強の『スキル』がいい例だ。

 

 嫌な予感がする。ここで聞きださなければ、ずっと後で後悔するという予感が。

 

「――リヴェリア、レイン。もう出発するよ」

 

 再び王族(リヴェリア)の邪魔をしたのは、団長として時間を無駄にできない『幸福なF(笑)』だった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 意識を切り替えたパーティは未到達階層59階層に進出した

 

 【ゼウス・ファミリア】が残した情報では59階層は『氷河の領域』。至るところに氷河湖の水流が流れ、極寒の冷気が第一級冒険者の動きすら鈍らせると……。

 

 しかし、レイン達の目には氷山どころか氷塊一つ見当たらない。あるのは不気味な植物と草木が群生する、報告とは違い過ぎる59階層だった。

 

 直上の58階層の規模を超える『密林』をフィンの指示で動く。進むのは何かを咀嚼し、何かが崩れ、何かが震えるような音がする方向。密林の左右に視線を走らせ警戒して進み続けること数分。

 

「……なに、あれ」

 

 先頭にいたティオナがパーティの総意を零す。樹林が姿を消し、現れた灰色の大地。吐き気を催すほどの芋虫型と食人花のモンスターと、その大軍に取り囲まれる巨大植物の下半身をもつ女体型。

 

 女体型は貪欲に『極彩色の魔石』を取り込んでいた。その姿を見てパーティは自分達が踏みしめている大地が、尋常でない数のモンスターの死骸そのものだと気付く。

 

『――ァ』

 

 レインは見た。

 

『――ァァ』

 

 醜かった上半身が盛り上がり、美しい身体の線を持った『女』が生まれるのを。

 

『――ァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?』

 

 鼓膜を破壊するかのような歓喜の高周波に耳を塞ぎながら、

 

「完成体でこれか? 弱すぎるだろ……というか『エニュオ』とかいう奴、馬鹿だろ」

 

 『エニュオ』が迷宮都市(オラリオ)崩壊のシナリオを描くに至った『穢れた精霊』を、思いっきり馬鹿にした。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 圧倒的な忌避感を振りまく『穢れた精霊』がアイズを『アリア』と呼びまくり、それを聞いた【ロキ・ファミリア】達が動揺を露わにする。たどたどしく言葉を紡ぐ『彼女』にレインが冷めた眼を向けていると、

 

『――ソコノ汚イ黒ハ嫌。死ンデ、消エテ――私ノ前カライナクナッテッ!!』  

「んだとこらっ! 誰が汚いだ、もういっぺん言ってみろ!」

 

 『彼女』もレインに――正確にはレインの腰にある剣に――冷たい眼を向けてきた。レインの叫びに反応した訳ではないと思うが次の瞬間、『魔石』を献上していた残る芋虫型と食人花が、勢いよく反転する。ほぼ同時に、出入り口が緑肉で塞がれた。

 

「総員、戦闘準備!!」

 

 誰よりも早いフィンの号令。鋭い首領の声に、混乱していたティオナ達の体が反応し、武器を構える。破鐘の咆哮を轟かせながら芋虫型と食人花がアイズ達のもとに驀進し、『穢れた精霊』は笑みをこぼしながら緑の触手を振るう。

 

 触手はアイズを狙ったものだった。ティオナとティオネが疾走して迎撃したが、触手は彼女達の手を痺れさせるほど重く、切り払われた敵の触手には傷一つない。それでもティオナ達が舐めるなと迎撃を重ねる。

 

「リヴェリア、詠唱は待て」

「フィン?」

 

 戦況を見定め行動に移そうとしていたリヴェリアをフィンは止める。右手の痙攣させ、戦況に誰より危惧を抱く彼の顔から、統率者の仮面がひび割れ、今にも剥落しそうになっている。

 

 女体型はそんなフィンを見て――笑みを深くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『【火ヨ、来タ――】』

「【嚙み殺せ、双頭(そうとう)雷竜(らいりゅう)】――」

 

 同時に、レインも笑みを浮かべた。二〇〇M(メドル)以上離れているにも関わらず、『穢れた精霊』には白い歯まではっきり見えた。

 

 女体型とレインから吹き上がる『魔力』の奔流。妖精(エルフ)以上の魔法種族(マジックユーザー)であるはずの『穢れた精霊』より、ただの人間であるレインの『魔力』が大きかった。そしてアイズは――初めて会った時と同じように、レインに殺意を抱く。

 

 モンスターが詠唱をした驚きすら掻っ攫った男は、必死に詠唱を続けながら下半身の十枚の花弁を正面に正面に並べる女体型に左手を向ける。

 

「――【ツイン・サンダーブラスト】!!」

 

 叱声と共に、千の雷光を束にしたような巨大な電撃の奔流が、よりにもよって二筋、竜の姿を模して互いに絡みつくようにして『穢れた精霊』に押し寄せた。

 

 女体型を守るようにして立ち塞がった芋虫型と食人花、撃ちだされた触手は、まるで噛み千切られたかの様に消滅した。二体の雷竜が巨大な花弁に触れる直前、フィンの目に女体型の泣きそうな表情が映る。

 

「―――――」

 

 レインの魔法は遠く離れた向かい側の壁まで届き、途中に広がっていた密林、張り付いていた緑肉を爆砕する。59階層を青白く染め上げた光から目を庇った腕を下ろすと、そこには、

 

『【代行者ノ名ニオイテ命ジル与エラレシ――】』

 

 十枚の花弁の盾を失いながらも、勝ち誇った表情を浮かべる女体型がいた。どうやら花弁を焼失させながらも、受け流すことに成功したらしい。

 

 リヴェリアに結界を張る指示を出し遅れたフィンだったが、もう苦渋の感情なんて欠片も残っていない。他の団員も似たような状態だ。『穢れた精霊』、お前、勝ち誇っているけど――

 

「【嚙み殺せ、双頭の雷竜】」

 

 お前の詠唱速度がいくら早かろうと、レインは超短文詠唱。お前より早いぞ……。

 

「【ツイン・サンダーブラスト】」

 

 『穢れた精霊』が誰から見ても分かるくらい顔を引きつらせた。

 

『――イヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?』

 

 59階層に『穢れた精霊』の泣き声が響き渡った。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果から言うと『穢れた精霊』は生きていた。泣き声に応えるように地面から――あたかも下部階層から放たれたかのような触手がレインの魔法を辛うじて防ぎ、『彼女』を救った。

 

 しかし女体型は恐怖で『魔法』の制御を乱し、魔力暴発(イグニス・ファトゥス)を発生させた。再び姿を現した女体型は、ちょっと同情するぐらいボロッボロだった。

 

 その姿を見てレインを除いたパーティは、早く倒して楽にしてやろうと意思統一。レインに残っていた芋虫型と食人花の相手をしてもらい、見事に『穢れた精霊』討伐を成功させた。

 

 相手は瀕死だったにも関わらず【ロキ・ファミリア】はかなりの傷を負わせられ、全員がレインの異常性を認識することになる。

 




 レインのスキル【竜之覇者(ドラゴンスレイヤー)】。レインは発現してしばらくの間は発動させっぱなしでしたが、怪物祭辺りで制御に成功。

 遅すぎると思うだろう? でも常時発動型の『スキル』を抑え込むこと自体が異常なのだよ。


 五十を超える『ヴァルガング・ドラゴン』……ハンマー投げとモグラ叩きを経験し死亡。


 レインの剣……次回で何かわかるかもしれない?


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三十六話 レインの剣

 どんどんレイン教が増えていくと嬉しい。レインの二次小説が増えると更に嬉しい。


「本当にベル君を助ける事だけが目的なのかい、ヘルメス?」

 

 薄闇に包まれる洞窟で言葉を発するのは、禁止事項であるにも関わらず、眷属の無事を確かめるためだけにダンジョンに足を踏み入れた神、ヘスティア。彼女が問いを投げかけるのは、ヘスティアと同じように禁止事項を破った神ヘルメス。

 

 ベルとその仲間を助けるために結成された急造のパーティの陣形は、神々(かれら)を中心にして組まれている。周囲を力ある冒険者達に囲まれながら、ヘスティアは隣にいるヘルメスをじっと見上げる。

 

 ヘスティアは一度、ヘルメスにどうしてここまで協力的なのかを尋ねた。大した親交もないのに自分(ヘルメス)の眷属を同行させたり、正体不明ながらも強力な助っ人を雇ったりしてくれるのは何故なのかと。

 

 するとヘルメスは、とある人物――ベルの育ての親からベルの様子を見てきてほしいと頼まれた、それに自分もベルに興味があると答えた。時代を担うに足る、英雄(うつわ)のであるのかを見極めたいのだと。

 

 確かにヘルメスは己の神意を打ち明けた。じっくりとヘルメスの神の面影を窺わせる静かな表情を見たヘスティアは、そう判断する。ついでに「こんな男神(おとこ)じゃなくて、ベル君の可愛い顔を眺めたいよっ」とヘルメスをディスる。

 

 しかし同時に、ヘルメスが全ての神意を打ち明けていない事も見抜いた。しかもこの男神(おとこ)、それをわざと自分に気が付かせた……?

 

「よく訊いてくれた、ヘスティア! そっちから尋ねてくれて助かるよ。俺からは切り出しにくかったし」

「……その言葉を聞いた途端、一気に聞きたくなくなったよ」

「ひどいなぁ。それじゃあまるで、これから俺が喋ることが凄いヤバい話みたいに聞こえるじゃないか!」

 

 ヘスティアの勘を肯定するように、ヘルメスの表情が軽薄なものに変わる。「他神と人類(こども)の不幸は蜜の味だよん♪」と嬉々として言う、下種な神々の顔だ。

 

「俺が今回の旅から帰ってきたのは、自称ベル君の育ての親からの頼みだけじゃない。旅の目的をすぐに果たせたというのもあるんだ」

「目的?」

「そう。今回の旅はとある人類(こども)の調査だったんだけど、分かったことがヤバすぎてね。しかもヤバさを共感できるのが神々(おれ達)しかいない上に、おいそれと漏らせない情報だ」

「そんな情報を僕に教えようとするなよ!? やめろ嫌だ聞きたくない!」

「一緒に冥界(ゲヘナ)へ行こうぜ、ヘスティア!」

 

 全力で耳を塞ぐヘスティアを見て、いい笑顔のヘルメスは指を鳴らす。ため息を吐きながらもアスフィは、無理矢理ヘスティアの手を耳から引き剥がす。

 

「俺のもう一つの目的。それは――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――一度使えば不変の神々(おれ達)ですら狂気に囚われる、『古代』に人の手で製造されし呪われた魔剣――いや、()()《ファナティクス》を使っている人類(こども)に会うためさ」

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

 場所は【ロキ・ファミリア】の作成した野営地。そこに想い人であるアイズによって運び込まれたベルは、絶賛大ピンチであった。

 

 ベルを窮地に追いやったのは右隣で爛漫に笑うアマゾネス、ティオナ。【ロキ・ファミリア】の善意で分けてもらった食料を仲間のヴェルフとリリ、今いる人気のない場所に案内してくれたアイズと一緒に食べていると、歩み寄ってきたティオナとティオネがベルの両隣に座り込み、

 

「どうやったら能力値(アビリティ)オールSにできるの?」

 

 派閥(ファミリア)以外には最も知られてはいけない能力値(アビリティ)、それを大勢の前でバラした。咄嗟に逃げようと考えたが、左隣にいるティオネが瞳を細めて薄く笑っており、冒険者の本能が逃走は不可能だと判断する。

 

 一宿一飯の恩として正直に答えてもよかった。しかし、ベルが「憧憬(アイズ)を追いかけてました」と若干犯罪臭のする真実を口にしようとするのを、何でもない風を装いながら、全神経を集中して聞き耳を立てるアイズが邪魔をする。

 

 仲間に助けを求めようと目を向ければ、ヴェルフは眼帯を付けた女性の鍛冶師に絡まれ、リリはティオナ達ごとベルを睨んでくる。リリが睨んでくる理由は理解できないが、つまるところ仲間の助けは期待できない。

 

 孤立無援。冷や汗を垂れ流しながら意識を手放しそうになったベルだったが、無遠慮すぎる()()()()()によって研ぎ澄まされた感覚が背後からの視線を感じ取り、藁にも縋る思いで振り向く。

 

「……いつからいたんですか、レインさん」

「お前がアイズの体臭に顔を赤くしていた時からだが?」

「素直に最初からいたと言ってくださいっ! その言い方だと僕がへ、変態みたいになるじゃないですか!?」

 

 救いなんてなかった。木に背を預けて肉果実(ミルーツ)を齧るレインの誤解を招く発言にベルは唾を飛ばしながら叫ぶ。体臭、という言葉を聞いたアイズは膝に回していた腕をほどいて鼻に寄せて、くん、くん、と鳴らす。

 

 「僕は変態じゃないんです!」と、「貴方からは清水の香りしかしませんよ!」のどちらのセリフを言うべきかをベルが悩んでいると、

 

「レインにも聞いておくことがあるわ。あんた、本当に味方?」

 

 笑みを消し去ったティオネが威圧感丸出しでレインに話しかける。ベルは自分の冷や汗の種類が変わるのが分かった。

 

「オッタルを倒したことについては、あんたの『体の無駄を無くして相手の先を読む』って言葉を信じるわ。でも、超短文詠唱でリヴェリアを超える魔法。あれは何?」

「あー! それ、アタシも気になってた!」

 

 無関係の人間もいるこの場所で『穢れた精霊』や『怪人(クリーチャー)』の単語は出せない。しかし、無関係の人間もいるからこそ、レインは逃げられない。

 

「ただの人間のあんたが生粋の魔法種族(マジックユーザー)、それも王族妖精(ハイエルフ)のリヴェリアに魔法で勝つなんてありえない。『レアスキル』、それとも……とっておきの『ズル』でもなければ」

 

 ティオネはレインを疑っている。レイン自身が怪人(クリーチャー)、もしくはそれに関係しているのではないのか? これで手柄を立てれば団長にムフフ……とティオネが内心で自分を褒めていると、

 

「俺はだな、前から『こいつって馬鹿?』とか思ってたが、俺が思うより遥かに馬鹿だったな、お前って」

「何ですってぇ!?」

「だってそうだろ。俺が味方じゃないなら、59階層でお前らを見捨ててる――」

 

 ティオナに羽交い絞めにされるティオネを論破しようと、レインが口を滑らせ始めたその時、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――ぐぬあぁっ!?』

 

 野営地の外側から、幼い少女らしき悲鳴が届いた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「俺の名はヘルメス。君がフレイヤ様のお気に入りのレイン君だね。会えて嬉しいよ!」

「ああ、お前が間抜けな追跡者(ストーカー)共の親玉のヘルメスか。俺はちっとも会いたくなかったな」

 

 ベル達が貸し与えられている天幕から少し離れた所で、にこやかに笑うヘルメスと不敵な笑みを浮かべるレインが対峙していた。黒い笑みを浮かべる二人の側にいるアスフィは鳴き声を上げるお腹をさする。

 

「唐突な話なんだけどね。ある国で永久手配を受けている黒衣の男がいるんだけど、これ、君だったりしない?」

「その手配された誰かって、本当にレインって名前の奴か?」

「いや、問題の罪人は名無しの黒衣の男ってだけだよ」

「そりゃ人違いだ。俺は道端で捨て猫を見ただけで涙目になる男だぞ。そんな優しい奴が、どんな罪を犯すってんだよ、えっ」

 

 どの口でぇ……!? 必死の尾行を全て『怪物進呈(パス・パレード)』で振り切られたアスフィは拳を握る。

 

「じゃあさ、カイオス砂漠のとある国では、アラムという美少年の王子が革命を起こしたんだ。今ではその王が助けを求めれば黒衣の戦士が現れるって噂があるんだけど」

「その黒衣の戦士に名前はあるのか?」

「こっちも名前はないかな。でも特徴からして君だよね?」

「それも人違いだね。俺は外で小石が跳ねる音を聞いても、胸がドキドキする小心者だぞ。革命を起こした王の助けになれる男に見えるってのか?」

 

 神の前では嘘はつけない。だがレインは断言する。

 

「……ふふっ。期待以上の男だよ、レイン君」

 

 謎の言葉を言い残し、ヘルメスはベル達のいる天幕へ入っていった。




 レインの剣は人類からは《ルナティック》。神々からは《ファナティクス》と呼ばれている。正式名称は誰も分からない。(この設定は後から変わるかも)


 剣は使用者を必ず狂わせるので、使い捨ての兵器感覚で使用されていた。所有者には敵陣深くまで突っ込んで使わせる。


 アリィはヒロイン……なのか?


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三十七話 リヴィラの街で

レインのステイタスを考えました。次かその次に載せると思います。


今回はネタ回に近い。


 18階層の『夜』が終わり、朝が来た。朝食を食べ終わったベル達は、安全に地上に帰還するための都合上で出来た暇を用いて、ダンジョン内に存在する『街』を訪れていた。『街』を訪れるメンバーはベル救出パーティ及び、【ロキ・ファミリア】の幹部三人の予定だったのだが――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――よく俺の前に顔を出せたな、まっくろ黒助!」

「桜花殿、落ち着いてください!」

「そ、そうだよ……この人はまっくろ黒助みたいに可愛くないよ……」

 

 極東の戦闘衣(バトルクロス)を身に纏う巨漢、桜花が声を荒げながら目を険しくする。それを宥めるのは生真面目な少女、命だ。千草はおどおどして役に立ってな……いや、相手をけなしている。ちなみに、まっくろ黒助というのは極東にいるとされる妖怪だ。

 

 仲間に危機が迫ろうと冷静さを失わない精神を持つと思っていた男の怒りに、ベル達は驚く。仲間の命と千草は驚いていないが。

 

 対峙するのはまっくろ黒助、もといレイン。レインは面倒な女(リヴェリア)の詰問から逃げるために『街』へ足を運び、『街』のある『島』へ渡るための天然の木橋の前で偶然ベル達と出くわし、突然大男から怒鳴られたのである。

 

 無駄にでかい声にレインは顔をはっきりとしかめながらも大男をじろじろと眺め、問うた。

 

「……お前、誰だ?」

「貴様、俺のことを本当に覚えてないのか!? あれだけのことをしておいて、俺の名前どころか顔も覚えてないだと!」

「俺は男はあまり記憶しない方だから」

 

 大真面目な顔で首を傾げるレインに、桜花が唾を飛ばして喚いた。周囲の面々は、桜花の怒りっぷりや彼の仲間である命達の反応、レインの性格から何らかのいざこざがあったのだと察する。

 

「俺の【ランクアップ】が報告されたのはあのすぐ後だぞ! 少しぐらい記憶に残ってないのか!」

「……ああ、よく見たらお前……ダンジョンで『女の下着が見えそうだったら絶対に見逃さねえ! それが俺だあぁぁぁ!』とか叫んだ変態じゃないか」

「とんでもない出鱈目を言うんじゃないぞ貴様あぁぁぁぁっ!? タケミカヅチ様に誓ってそんな妄言口にしたことがない!」

「あ~……悪い。声に出してたか。お前の知られたくない過去を言ってしまってすまん」

「俺をからかっているな貴様っ! ここまで侮辱されて聞き流すほど、俺は人間が出来ていないぞっ」

「うん、そりゃ見れば分かるな」

 

 そういや初めてダンジョンに潜った時にいたな、とレインは今更ながらに思い出す。しかも思い出したことをそのまま口にしていたようで、桜花の顔が思いっきり引きつっていた。額に浮かんだ青筋が脈打っている。

 

 レインの言葉を聞いたアイズと命と千草以外の女性陣が、桜花に軽蔑の目を向けかけたが、

 

「そもそも、さっきのセリフはお前が言ったんだろうがっ! どれだけ都合よく記憶を捻じ曲げているんだ! あの後、仲間からの目が凄まじく厳しかったんだぞ!」

 

 必死に自制しているのか全身が震えるほど拳を握りしめた桜花の叫びを聞いて、一気に同情する目になった。ベルとアスフィは仲間を見る目を向けている。特にヘルメスの命令でレインを尾行し苦労させられたアスフィは、何かを思い出したのか目頭を押さえていた。

 

「俺が聞いたら激しく同意しただろうが」

「同意しなかったら肩を握り砕くと脅したのはどこのどいつだ!」

「そんな奴、知らん!」

「お前だろうが! っておい、話を聞け!」

 

 レインは何の(やま)しさもない顔で断言してから一足先に『リヴィラの街』へ入っていく。喉をからし肩を上下させるほど叫んで、疲れ切った桜花の肩を不仲のはずのヴェルフが叩いて労っていたのが、昨日の天幕での出来事を知らない【ロキ・ファミリア】以外のメンバーにはやけに印象に残った。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「ここにあるバックパックと大刀をくれ。代金はボールスに請求しろ」

「毎度ありっ」

 

 『リヴィラの街』の特徴である地上の同種の品と桁が一つ二つ異なる商品を、レインは惜しげもなく買う。購入された品は、欲しがった張本人のヴェルフとリリの手に渡された。

 

「ほれ。お前らが欲しがった物だ」

「ありがとうございます。ですが、よいのですか? 代金を他の人のツケにしたようですけど……」

「問題ないぞ。本人も納得している」

「いやそれ、絶対に嘘だろ。さっきの店の店主が請求しに行った奴、すげえこっちを睨んでるぞ」

 

 ヴェルフが指を向ける先には、桜花の「ぼったくり」の言葉を聞いてギロリと凄んだ眼帯の大男がいた。大男は桜花の時の数倍の眼力でレインを睨みつけているが、レインは露ほども動じてない。それどころか、

 

「あっれぇ~? レイン君、昨日、外で小石が跳ねる音を聞いただけで、胸がドキドキする小心者って言っだダダダダダァ!?」

 

 リリが怯む眼光を向けられても平然としているレインを、昨日の話を持ち出して、からかおうとしたヘルメスの頭にアイアンクローをかける。男神から上がる汚い悲鳴を聞き流し、ティオナが気になっていたことを尋ねた。

 

「レインってさ、この街じゃ支払いをぜーんぶ、ボールスに押し付けてるよね。何でなの?」

「私も気になってたわ。あの金の亡者が滅茶苦茶渋ったとはいえ、ちゃんと代金を払っているもの。おかげで毒妖蛆(ポイズン・ウェルミス)の特効薬を買い占められたのだけれど」

 

 全員が金の亡者と呼ばれた男を見る。ティオネが言った通り、ボールスはすごく嫌そうな顔で『魔石』や『ドロップアイテム』を代金分、相手に渡している。

 

「俺とボールスで賭けをしたんだよ。目先の欲に目がくらんで自爆したのがあの馬鹿だ」

 

 ベル達が無言で詳しく話せと促してくるのでレインは教えてやった。()()、ボールスに聞こえる位の大声で。

 

 まずボールスという男はクズだ。金と女が大好物で、弱い相手や弱みを握った相手には強気に出る。そしてイケメンは死ねと思っている。

 

「初めてこの街に来た絶世の美男子である俺をブ男(ボールス)は嫉んだんだよ。そこでアホな考えを実行した」

(((((うぜぇ)))))

 

 自然な動作で髪をかき上げながらの自画自賛。純真無垢達(ベルとアイズ)はかっこいいと感じたが、他は認めたくないがレインがイケメンなのは事実なので、内心で毒を吐く。ヘルメスは痛みで毒づく余裕がない。

 

 ボールスが考えたのは、『初めてこの街に来た男は、この街の頭のボールスと力比べをしなければならない』というもの。しかも必ず賭けをしなければいけないという条件付きだ。これを受け入れなければ、一切街を利用させないとの脅迫文もある。

 

 ボールスにとって勝ちの目しかない勝負だ。初めて『リヴィラの街』に来るということはほぼ確実にLv.2。Lv.3のボールスが負ける理由がない。ボールスが最初に狙った相手は、武器だけは一級品だが他はただの黒い服の男。

 

 誤算だったのは、その初めて見る顔の男が最強にも程があるLv.9だということ。

 

「詭弁をまくし立てながら襲い掛かってきたボールスに、俺は恐怖と狼狽を乗り越え、決死の反撃を試みた。実に危ないところだったが、俺は勝った」

 

 レインは悲壮な声で語り終えたが、最後の言葉は誰一人信じなかった。全員、この男が狼狽することなんぞあり得ないと確信していた。

 

「どんな風に反撃したの?」

「よく覚えてない。でも火事場の馬鹿力が発揮されたのか、ボールスは三〇M(メドル)以上吹っ飛んだぞ」

 

 ティオナの問いにレインは悲壮な声で答える。

 

「賭けの内容は何だったのですか?」

「『一年間、相手の命令に絶対服従』だ。仕方なく使ってるけど、本当はやりたくないんだ」

 

 リリの問いも悲壮な声で答える。約束を破った時は【男殺し(アンドロクトノス)】フリュネ・ジャミールと同衾してもらうことになっている。ボールスもヒキガエルのような女とは情事をいたしたくはない。ちなみに、この罰はレインが考えた。

 

 ボールスもレインを奴隷のように扱おうとしていたので、レインも容赦はしない。あの馬鹿みたいな案は勝負に勝ってからすぐに破棄させた。

 

「……レイン君……、確か……捨て猫に涙を……浮かべるんじゃ……なかったのかい……」

「捨て猫は殴れないが、野郎なら殴れるさ」

 

 瀕死のヘルメスの言葉は普通の声で斬り捨てた。このレインが作った名言は神々に音速(マッハ)で広まり、長らく使われることになる。

 

 この後、レインは18階層名物『ダンジョンサンド』を人数分頼み、それに加えてヘスティアが目に付けた香水の代金をボールスに押し付けた。




リヴィラの街をずっとリヴェラの街と勘違いしてました。見つけたら誤字報告してもらえると助かります。


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三十八話 疑問

 レインの【ステイタス】があとがきにあります。どうしてそんな【ステイタス】になったのかも書いております。


 今回はずっと書きたかった話です。


『あんたはそれでいいのか? どうしてあんなクズ共を見逃すんだ!?』

 

 意外なほど激しい口調で少年が叫ぶ。初めて出会った時から常にクールだった彼の怒りに、女神はただ悲し気な笑みを浮かべる。

 

『……私と君は似ているんだよ。あの時、あの場所で、何もできなかった自分を責めることはできるけど、周りに理由を押しつける事だけはどうしてもできなかった』

『あんたと俺は違うっ。あんたには悪い所なんて一つもないだろう……!』

 

 少年は表情をくしゃっと歪めそうになったが、辛うじて堪え、いつもの冷静な表情を取り戻した。でも、心の内では今も激しく感情が荒れ狂っているせいか、声は微かに震えを帯びていた。

 

 本当に優しい……優しすぎる人類(こども)だ。『スキル』として顕現するほどの憎悪を抱えていながら、他の者を気遣える。同じ事をできる者はこの世にどれだけいるのだろうか……。

 

 もう諦めてしまった自分とは違い、強い子だ。彼はきっと否定するだろうけど、自分より彼の方がつらい。自分と似ていると言ってしまったことが申し訳ない。

 

 世界で誰よりも優しいのに、それでいて誰よりも強い彼は、弱音を吐くことなくこの秘密を背負うだろう。逃げたとしても誰も責めやしないのに、彼は決して目を逸らさず逃げようとしない。

 

 それが女神にとって悲しく――それ以上に嬉しかった。かつて最強だったゼウスの眷属を遥かに超えるこの子になら、自分の願い(重荷)を託せると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女神はそんな自分を殺したくなった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 野営地から遠く離れた、深い森の一角。巨大なクリスタルで囲まれたその場所には、暗色のローブを身に纏ったエルフとヒューマンの青年が地に横たわっていた。彼等の四肢の腱は無残に切断されており、身動き一つ取れなかった。

 

「何回も邪魔をしたからか、お前ら全く姿を見せなかったよな。無駄に手間取らせやがって」

 

 闇派閥(イヴィルス)の残党達の所持品を漁りながら、レインは愚痴を零す。残党達は逃走、及び自爆をさせないために腱を斬られた痛みでうめき声しか漏らさない。

 

 18階層にいる全ての者達を騒然とさせた光の奔流――レフィーヤとベルが地中の門番(トラップ・モンスター)を倒すために放った魔法――が姿を現した瞬間、レインは姿が見えない二人を探すため、18階層全域を発展アビリティ(エクシード)で探知した。

 

 そして見つけた。重症を負ったレフィーヤとベル、二人を庇いながら食人花(ヴィオラス)を相手取る覆面の冒険者。そこから急いで離れようとする――溝のように濁った気配の二人組。

 

 『異端児(ゼノス)』を守るためにレインは似たような気配を持つ奴等――狩猟者(ハンター)達と何度も敵対した。生け捕りにしたのだが、全員『呪詛(カース)』で自害した。――この時、【竜之覇者(スキル)】の魔法吸収障壁による魔法封印が『呪詛(カース)』には通用しないと気付くことになる。

 

 同時に異端児(ゼノス)達には深層域で手に入れた魔石を与えて、自力を底上げした。そのせいか狩猟者(ハンター)達は微塵も姿を見せなくなり、警戒を緩めていたのだが――

 

「聞きたいことがある。Lv.5相当の『バーバリアン』、『セイレーン』、『アラクネ』を知らないか?」

 

 【ヘルメス・ファミリア】が24階層の調査を終えて少し経った頃、三体の異端児(ゼノス)が姿を消した。血の跡すら残さず、綺麗さっぱりと。

 

 フェルズからその情報を伝えられてから、レインはしらみつぶしにダンジョン内を調べ回った。エクシードを全力で使用しながら、しかもLv.9の【ステイタス】を存分に発揮して行ける限りの場所を向かった。

 

 ()()()()()()()()()()。『上層』から『深層』の隅から隅まで三度も見回り、気になった箇所を盛大に破壊した結果、未開拓領域や生きた化石のようなモンスターも確認したというのに、行方不明になった異端児(ゼノス)は見つからない。

 

 故にレインは探す対象を隠れながらコソコソ動き回る闇派閥(イヴィルス)に変えた。

 

「さっさと吐け。急がないと面倒なエルフが来る」

「ぐうぅっ……」

 

 『D』という記号が刻まれた球体をポケットにしまいながら、レインは男達に圧力をかける。距離的に二分もしない内に闇派閥(イヴィルス)を憎む酒場のエルフがここに来てしまう。日の当たる世界に住むべき彼女に手を汚させたくない。

 

「は、はははっ! まさか私の所へ来てくれるとは……。確かに生きる亡霊となった男だ」

「……何がおかしい」

 

 エルフの青年が顔を引きつらせながら嗤った。当てずっぽうか確信を持ってか告げられた青年の言葉に、レインは圧力を強くする。だがエルフの笑い声は止まらない。

 

「未だ敗北を知らぬ男よ。お前の願いは叶わない。我等が主の怒りを買ったお前にはな」

「……意味が分からん」

「ふは、ふはははははっ、はははははっはは――ヵ」

「!」

 

 理解できないことを口にしながらエルフの青年は笑い続け、唐突に灰となって消えた。すぐそばにいたヒューマンの男も同様だ。僅かに感じた魔力から察するに、恐らく『呪詛(カース)』が発動したのだろう。残ったのは男達が身に纏っていた衣服とローブだけ。

 

「俺の願いだと……馬鹿馬鹿しい」

 

 少しの間レインはエルフの青年の言葉を反芻した後、素早くその場から立ち去った。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 翌日。【ロキ・ファミリア】は昨夜届いた特効薬のおかげで、全員が動けるようになった。既に主力構成員が組み込まれた前行部隊が出発しており、もうすぐ野営地後に集まっている後続部隊も出発する。

 

 第一級冒険者のレインはもちろん前行部隊。一太刀で17階層の階層主『ゴライアス』を仕留め、悔しがるベートやティオナを馬鹿にしながら地上に帰還している――はずだった。

 

「知ってるか? 極東には『馬鹿は高い所に上る』という言葉があるそうだ」

 

 中央樹の真東に存在する一本水晶。その近くには周囲より一段高く隆起している高座(ステージ)……円形の舞台が存在しており、そこでは一人の少年が甚振られる見世物(ショー)――無法者達の宴が繰り広げられていた。

 

 人の悪意、敵意、害意の渦巻く神の試練を作り出したヘルメスは、見世物(ショー)を見るために登った木の上で待ち構えていたレインに顔を引きつらせていた。安全のためしっかりと登らせてもらえたが、首元でうなり声を上げる魔剣に顔色が悪くなる。

 

「……いつから気付いていたんだい?」

「最初から。止めなかったのは、こうして尻尾を掴むためだ。悪趣味な企みを実行した神が木から落ちても、なんら不自然ではないだろう?」

「どうすれば見逃してくれる?」

 

 直球でヘルメスは聞いた。バレたら不味いが神威を使ったとしても、この子供は絶対にやる。この子は決して強大な力には屈しない。

 

「直球だな。ならこちらも――俺の過去をどこまで知った?」

 

 ――強すぎる殺気を放てる者の顔は見えなくなると、アスフィは二十二年生きて初めて知った。

 

「君が冒険者になった理由を知っている……そう言ったら?」

「オラリオから一柱、神がいなくなるだけだ」

「俺の眷属も何人か知っている。あの子達はどうするんだい?」

「口止めだけする。敵対しない者なら俺は殺さない」

「ここで俺を殺せば神の力(アルカナム)が発動して、罪のない地上の子供達が大勢死ぬぜ?」

「問題ない。今からお前の意識を奪って、地上で息の根を止めればいいだけだ」

 

 レインが拳を引き絞る。アスフィが主神を守ろうと必死に身体を動かそうとするが、レインから放たれる力の波動で意識を失わないようにするので精いっぱいだ。指先すら思う様に動かせない。

 

「……じゃあ一つだけ質問だ。これが聞くに値すると感じたら今回だけは見逃してくれないかい?」

「それが遺言になるだろうが、なんだ?」

 

 ヘルメスは冷や汗で服が重くなっていくのを感じながら口を開いた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レイン君の恋人……フィーネちゃんだっけ? 君はフィーネちゃんの遺体がどこにあるのか知っているのかな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結末がどうなったのかは分からない。一柱として神が送還されず【ヘルメス・ファミリア】が消滅しなかったことだけが事実だ。




 書いたのはLv.5の時の【ステイタス】です。Lv.9は別の所で使います。 


 レイン(Lv.5最終ステイタス。期間は半年)

 Lv.5

 力:Ex 8723
 耐久:SSS 1476
 器用:Ex 24511
 敏捷:Ex 19465
 魔力:SSS 2837


 レインはアミッドに出会うまで防ぐことをしませんでした。全部ぎりぎりまで引き付けて避けており、極稀に弾いて防いでいました。Lv.5になる以前は『耐久』は更に低いです。元々『耐久』が伸びにくいのもありますが。


 魔法も似たように滅多に使わなかったので『魔力』が低いです。


 レインの【ステイタス】は力・器用・敏捷が丸二日三日でカンストします。Sを超えてからは上昇値が減ります。それでも一日鍛錬すればトータル300以上伸びるという化け物っぷり。


 原作レインは一秒でも強くなる成長チート。でもそのままだとダンまち世界を舐めすぎているので、以上の【ステイタス】になりました。……一秒で強くなってたら、一日で上昇値が一万超えちゃうよ……。


 レインは黒竜戦以降、本気になったことはあれど全力は出していません。そうしないと鍛錬にならないので。『魔法』だけは『スキル』も使って威力増強。


 こんだけ【ステイタス】お化けのレインでも倒しきれなかった黒竜っていったい……!?


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三十九話 フィーネ

小説を読んでいて不思議に思ったことをそのまま組み込んだ。


今回は後半が重要です。


「――」

 

 優男の笑みを浮かべる腹黒男神の言葉にレインは激しく動揺した。強靭な自制心ですぐさま精神を立て直しほぼ全てを内面だけに留めたが、人の弱い一面をついて試練を生みだす神は見逃さない。

 

「どうやら君にとって聞く価値のある情報だったようだね。とりあえずアスフィが失禁寸前だから、殺気を引っ込めてくれ」

「……」

 

 ヘルメスの言葉を聞いて、レインはまともに息もできず顔色が青を通り越して白になっている水色(アクアブルー)の髪の女性を一瞥し、殺気を完全に消し去る。身体を押し潰す圧力が消えた途端、アスフィは大量の汗を流しながら肩を上下させた。

 

「誰だったっけ、遺言がどうとか言ったのは――っと、待ってくれよっ。ちょっとくらい仕返ししてもいいだろ?」

「さっさと話せ」

 

 レインの内面を表すように魔光(パルス)が荒ぶる魔剣を喉に突き付けられても、ヘルメスはわざとらしく両手を上げながらも余裕を崩さない。剣がそれ以上動かないと分かっているからだ。

 

 誰がこの場を支配し、誰がこの場で有利なのか……それを理解しているのはたった二人。

 

「俺が君を本格的に調べようと思ったのはタケミカヅチ……技と武を司る俺の神友から面白いことを聞いたからだ」

「面白い話、だと……?」

「そうさ。半月くらい前かな、あいつがジャガ丸くんの支店(バイト先)で『う、うぐぐ……!? 俺より僅かに劣るが武を極めた子供がいたことを喜びたい……だがっ、俺が数億年かけて辿り着いた境地に十数年で辿り着かれた事を許せない俺がいるっ! ――ぐおおぉぉぉぉぉおっ、俺は神失格だぁ!』って頭を抱えていたのを見たんだ。はは、あいつが神失格ならほとんどの神が神失格になるよ」

 

 レインの頭の中に偶然見かけた体運びや足さばきが凄かった、ジャガ丸くんのエプロンを付けた神が現れる。教えを乞うか少し考えながらも、結局その神の動作を眺めるだけに留めた事を思い出した。

 

 タケミカヅチとやらに見られた可能性があるとすれば、おそらく孤児院の子供達に剣を振る姿を見せてほしいと言われた時だろう。武神ならばそれを見るだけでレインの技量がどれ程のものか見抜けるはずだ。 

 

「よっぽど悩んでいたのか、ジャガ丸くんを盛大に焦がしていたよ。まあ、そのおかげで簡単に悩みを聞き出すことができた。その悩みの種の子供が、青白い剣を持った黒ずくめの青年だってことをね」

 

 ヘルメスが顔を上げ、ある方向を見る。そこには武の神を主神として仰ぐ三人の冒険者がいた。彼等彼女等は悪趣味な見世物(ショー)に夢中な冒険者達をあらゆる戦闘型(バトルスタイル)で、次々に再起不能にしていく。

 

「タケミカヅチの教えを受けた命ちゃん達より、『技と駆け引き』を極めたと武神に言わせた子供……。本腰を入れて調査をするには十分だろう?」

 

 今度は眼下の光景を眺める。ベルと透明になったモルドの決闘の高座(ステージ)を囲んでいた冒険者達は、ベルを助けに来たヴェルフや桜花達、そして覆面の冒険者と矛を交えるために森へ散らばっている。森の至るところから雄叫びと高い金属音が聞こえてきた。

 

 観客を失った天然の舞台の上でベルとモルド、二人だけの決闘が続く。

 

「付け加えればこの魔剣《ルナティック》……『古代』に双子の鍛冶師によって作られた邪剣を使いこなす精神力も素晴らしい。むしろこっちが調査に踏み切る契機だったのかもね」

 

 喉元に突き付けられている魔剣を指さす。邪剣、という言葉に反応したのか《ルナティック》の魔光(パルス)がバチバチという音を奏で始めた。 

 

「調べてみれば信じられない戦績が出るわ出るわ。『古代』から『神時代』に至るまで数多の英雄を見てきた俺が断言しよう! レイン君、君に比べれば全ての英雄が凡人に成り下がると! 君こそ真なる英雄に相応しい!」

 

 ヘルメスの言葉で、レインの剣を握る手に力が入る。『全ての英雄が凡人に成り下がる』……聞き逃せる言葉ではない。成し遂げたことに差があろうと、英雄に優劣など存在しない。

 

 語る内に興奮してきたのかヘルメスの声は大きくなり、顔には狂喜と言っても過言ではない程、口が吊り上がっていた。

 

「【勇者(ブレイバー)】、【九魔姫(ナイン・ヘル)】、【猛者(おうじゃ)】、【剣姫(けんき)】。時代を通しても稀にみる英雄の器達に彼等が霞む力を持った戦士が加われば、必ずこの地で時代を揺るがす何かが起きる!」

 

 ヘルメスが眼を見開く。

 

「そして俺は君が戦士になった理由を探した。――さあ、最初の質問に戻ろうか!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 君の故郷を調べ尽くしたけど、フィーネちゃんは墓はおろか遺体すら見つからなかった。そしてフィーネちゃんが亡くなる事になった事件から君は丸々一ヶ月眠っている――レイン君。フィーネちゃんの遺体がどこにあるのか知っているのかい?」

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 あの雨の日を一日たりとて忘れた事はない。

 

『ったく、ついてねェな! あの女から逃げ隠れた森で運よく獲物(民家)を見つけたと思ったら……金目の物なんざ一つもねェ!!』

 

 自分(レイン)彼女(フィーネ)を叩き起こした物音。別室から覗き見た居間に広がる血の海。血だまりの中心で息絶えたフィーネの唯一の家族(おばあちゃん)

 

『おいババァ! 酒くらいねーのかよ! こちとら世のため人のため戦った冒険者様だぞ!』

『人のためとか言いながら人殺してるじゃねーかよ!』

『馬鹿野郎! 老い先短ぇババァを殺して楽にしてやったんだぞ? むしろ感謝してもらいてェくらいだ!』

『『『ははははは!!』』』

 

 三人の盗賊達――後からオラリオを追われた元冒険者だと知った――の汚い笑い声。げらげら笑いながら小屋の中をひっくり返し、フィーネの誕生日プレゼントとして贈った花を踏みにじる足。おばあちゃんの遺体を足蹴にする姿。

 

『おばあちゃん!!』

『なんだぁ? ガキが隠れていやがったか』

 

 祖母に駆け寄ろうとしたフィーネを盗賊の一人が捕まえ、その首にナイフを突き立てようとした。自分(レイン)は激昂して向かっていったが……元々腕力には無縁の少年だ。腹を刺されておばあちゃんの隣で血まみれで転がる事になった。

 

 それでも……それでも自分(レイン)は幸運だった。動けない自分の目の前で、生きたまま三人がかりで斬り刻まれて殺されたフィーネに比べれば……。

 

 その時、フィーネは何度も何度も叫んでいた。殺さないでほしいと懇願する絶叫ではなく、助けを呼ぶ悲鳴じゃない、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『逃げて!!』

 

 フィーネが息絶えるまでの間、彼女の口からはレインの身を案じる言葉しか出なかった。

 

 少年の番になった時、傭兵をしている少年の親父がドアを蹴り破って入ってきた。おかげで少年だけは助かった。

 

 運が悪かった。これは世界中に溢れている『悲劇』の一つ。無力な少年に悪い所は一つもなく、ただ運が悪かった。

 

『――ちがう。俺が、弱かったんだ……』

 

 冬の雨の日。一人の少女の誕生日は一人の少女の命日となり――

 

『強く、誰よりも強く、この世のどんな存在よりも強くっ! もう誰も失わない力を、守れるような強さを、何者にも屈しない強靭な心を!』

 

 ――読書好きの弱い少年の命日になり、世界最強の黒い戦士の誕生日になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、この事件には不可思議なことがある。

 

 少年の命を救った彼の親父は盗賊達を殺した後、フィーネと彼女の祖母が完全に亡くなっている事を確認している。だから彼は生きていた息子だけを家に連れ帰り、一ヶ月の間看病した。

 

 少年は生きていたとはいえ虫の息。二つの遺体を埋葬するための時間などなく、フィーネ達の遺体は一ヶ月の間、放置されていた。少年の家族以外でフィーネ達と接する者はおらず、小屋に近付こうとする奴はいない。 

 

 そして動けるようになった少年と彼の親父が再び小屋を訪れた時――フィーネの遺体が消えていた。

 

 血でどす黒く汚れた床と、蛆の沸いたフィーネの祖母の亡骸が二人にあの雨の日が夢ではない事を教えるが、フィーネの遺体は見つからない。靴の底がすり減って完全に壊れ、足が血まみれになる程探しても見つからない。

 

 少年は世界中を旅した。誰よりも強くなるため、亡き恋人の遺体を探すため。それでも彼女の遺体は見つからない。

 

 少年は今でもフィーネを探している。 




皆さん……ヘルメスが墓を荒らしたと思ったでしょう?


神なので遺体に大して意味はないと思っていますが、最低限の常識はあります。


まあレインの恋人まで調べていたのは、脅して手駒にしようとしていたからですが。もし墓があったら平気で荒らしていた。


 結局ヘルメスは善神とは言えませんね。


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四十話 黒

 重要な回。この話を読んで今後の展開を予想できる人がいたら凄い。


「覚えておけ。神の力(アルカナム)を封印して無力な神々(おまえら)だろうが、力ある冒険者だろうが……俺にとって違いはないんだ」

 

 天井一面に生え渡り、18階層を照らす数多の水晶。その内の太陽の役割を果たす、中央部の白水晶を砕いて生まれ落ちた()()『ゴライアス』。幾百もの冒険者を相手取った『迷宮の孤王(モンスターレックス)』の全身は、一人の鍛冶師の手で生み出された伝説(クロッゾ)の魔剣によって燃えていた。

 

 火炎の大過に包まれる漆黒の巨人に立ち向かうのは、白光と大鐘楼(グランドベル)の音色を纏う黒大剣を携える未完の英雄(リトル・ルーキー)女神(ヘスティア)の号令で最初で最後の好機(チャンス)を作り上げた仲間達は道を開け、乞うように、信じるように、ベルの横顔を見つめる。

 

 南の草原にヘルメスと共に残されたレインも疾駆するベルに視線を向ける――ことなく『ゴライアス』に手を向ける。世界最強の黒い戦士は雰囲気に流されることなく、『英雄の一撃』より先に『巨人の鉄鎚』が炸裂することを見抜いた。

 

 ヘルメスだけが見えた。レインが手を向けた瞬間、『ゴライアス』の右腕による一撃がベルに当たる直前で止まったのを。それはまるで、巨大な見えざる手で握りしめられているようで――

 

「俺はダンジョンの秘密も、神々(おまえら)が『英雄』に何を求めているのかも知っている。……ヘルメス、お前が『異端児(ゼノス)』達をどう思っているのかもな」

 

 レインが何かを握り潰すように手を閉じる。不可視の力によって巨人の身体に()()()が刻み込まれた事実は、極光の一撃で覆い隠された。

 

「だから()()だ。もしお前が異端児(ゼノス)、もしくは俺の知人に変な真似をすれば――」

 

 冒険者達が諸手を突き上げ、あるいは隣の者と肩を組みながら声を上げる。興奮の赴くまま顔を赤く染め歓喜を分かち合う彼等とは違い、ヘルメスはすぐ側に立つ戦士の目の奥にちらつく()()()に心の底から恐怖を覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――天界送還など生温い、本当の死を与えてやる」 

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 夢を見ていた。

 

 レインはこれが夢だとすぐに気が付いた。なぜならレインの視線の先にはフィーネと彼女の祖母が暮らしていた小屋があり、窓からは昔日のレインとフィーネが仲睦まじくしている姿が見えるからだ。

 

 心からの笑みを浮かべたレインが持ってきた本や花を贈り、フィーネと彼女の祖母も笑顔を浮かべて喜ぶ。人生で最も幸せだった時間で、漠然とずっと続くと思っていた光景だ。 

 

 遠くに見える幸せな光景とは裏腹に、今のレインが踏みしめる黒い泥沼のような大地には夥しい数の死体が横たわっており、全員がレインを睨んでいる。中には怨嗟の声を漏らす者もいた。……全てレインが殺し、死を悼むべき者達だ。

 

 ――この夢を見るたびどれだけ命について考えを巡らせた事だろうか? 

 

 何度も死にたいと思った。世界で一番愛する人を守れなかった自分に生きる価値などないから。あの子のいない世界で生きたいと思えないから。

 

 何度も生きなければと思った。愛する人の最後の願いは『逃げて』……生きてほしいだったから。あの子の命で救われたなら、自分は生き続けなければならない。

 

 彼女を死なせた自分が人並みに幸せになるなんて間違っている。息が出来なくなるまで、心臓が動かなくなるまで、魂が消滅する最後まで戦い続けるべきだ。

 

 でも……最近少し考える。彼女がこんな自分を見て喜ぶのか? 限りなくゼロに近いとしても遺体が見付からない限り、彼女が生きている可能性があるのだ。

 

『もし貴方が死んだら、最低でも一人は泣く人がいるんです。その人を泣かせたくなかったら自分を大切にしてくださいね』

 

 こんな男のために泣いてくれる女性(アミッド)もいる。……今からでも遅くはない。もう、剣を――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――フィーネはもういない。無力な俺が目の前で成す術もなく死なせたからだ――

 

 ――剣をどうするつもりだ? 何が遅くないんだ? 蟻一匹殺せなかった俺が何人殺した? とうの昔に手遅れだ――

 

 ――優しいフィーネが今も生きているかもしれない? 俺に逢う資格なんてない――

 

 ――もう誰も失わない。守れるように強くなる。この世界に蔓延るクズ共を滅ぼし、小さな幸せだろうと奪わせない――

 

 ――彼女に到底顔向けできない無様な道でも、それだけがあの雨の日に戦えなかった弱い俺に唯一できる贖いなのだから――

 

 ――それさえ忘れて、何故自分を許そうとしている。二年前のあの時も、砂漠にいたクズもお前は死なせ(許し)たな? 永遠の地獄を味わうべき罪人共を――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――もういい。誓いを忘れて泣き言を漏らすならお前の身体を俺に寄越せ!―― 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――くっ!」

 

 被っていた毛布を跳ね飛ばすようにして目を覚ます。夜着として使っている半袖の黒シャツが大量の汗を含んで気持ち悪い。いつもと変わらぬ自室のベッドの上で、窓からは朝日が差し込んでいる。

 

「夢を見たのは久しぶりだな……」

 

 夢を見る事になった原因は分かっている。一昨日、一緒に地上に戻ってきた優男の笑みを貼り付けた神にフィーネの遺体について訊かれたからだ……遺体を探すのを手伝おうかと言われたが、間違いなく断った。()()()()()()()()()、ダンジョンの秘密を知っていれば神の手なんぞ借りたくなくなる。

 

 しばらくベッドの上で夢を思い出していたレインは、やがて顔に手を当てて首を振り、ベッドから下りた。妙な夢を見るということは知らん内にストレスでも溜まってるのかもしれん。『遠征』も終わったことだし、今日くらいはゆっくりするか。

 

 きっぱりと頷き、洋服ダンスに向かう。いつもの黒ずくめの格好に着替え、軽くあくびを漏らす。やっといつもの調子が戻ってきた。食事が用意されている食堂へ行くため部屋を出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつものようにベッドに潜り込んでいたフレイヤはアレンの部屋に放り込んでおいた。レインが来てからストレスが溜まっているのは間違いなく、【フレイヤ・ファミリア】の幹部達だろう。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 場所はオラリオの海の玄関口であるメレン。暇な時間を潰すため【ディアンケヒト・ファミリア】に回復薬を補給し(店員をからかい)に行ったレインは、しょうもないことして遊ぶなと怒ったアミッドに依頼を強制的に受けさせられ、この港街にやってきていた。

 

 頼まれたのは血や肉が薬の材料になる海の生き物の配達。渡されたメモには極東の亀(スッポン)極東の細魚(ウナギ)を、それぞれかなりの数持ってくるように書かれていた。それも生きたまま。

 

 オラリオの市場で売られているのを買えばいいじゃないか、と言ったら、生きたままでなければ品質が落ちるし大量に買い占めれば他の客に迷惑がかかると返された。……どっかの目的の為なら手段を択ばない女神とは大違いだ、マジで。

 

「いいか? こっちの亀は獲物に噛みつけば食い千切るまで離さないし、こっちの魚は穴を見つければ潜り込もうとする性質を持っている。取り扱いには十分気を付けろよ」

「分かってるって! 絶対に男の逸物に噛みつかせたりしないし、ケツの穴にねじ込ませたりしないさ! だからこのメモの量だけ売ってくれ」

「今の言葉を聞いて俺が売ると思ってんのか!? というか、これだけの量を買って何をするつもりだ!? どれだけの男に恨みを持ってんだ!」

「薬の材料にするんだよ。安心しろ。十人ちょっとが不能になって、一柱(ひとり)が天に召されるだけだ」

「安心できるか馬鹿野郎っ! お前には絶対に売らねえから帰れ!」

「なんだと? 無駄に年を食った老け顔に相応しい頑固さを発揮しやがって……」

「誰が老け顔だ! 俺はまだ十八だぁ!」

「えっ、嘘だろ? どう見ても五十代……」

「貴様ぁー!」 

 

 そんなこんなで依頼の亀と魚を見つけたのだが、老け顔ドワーフの男の店主が頑固で売ってくれない。くそっ、売ってもらえないと依頼が達成できない上に、一匹狼(ベート)に『食っても股間に付けても強くなれるよ』と書いた手紙と一緒に精力増強食材(スッポンとウナギ)を送れない! 女が多い【ファミリア】で悶々とするベートを見たいのに……! 

 

 心底悔しそうな顔をしながら生け簀に手を入れる。「おいっ!? 両手に持ったスッポンどうするつもりだ! つーかその被害者みてえな顔やめろ腹立つ!」と叫ぶ店主の股間に口を開閉する亀をじりじりと近づけていると、

 

「オマエ、強そうだな。昨日見た、ティオナとティオネと一緒にいた金髪の剣士と緑の魔導士(エルフ)より、ずっと」

 

 突然だが、常日頃レインは俺に怖い物がないと言っている。神々ですらビビるリヴェリアやシルの説教を受け流せるのは、オラリオにはベートかレインしか存在しない。

 

 しかし、そんなレインにも苦手な物はある。例えば口やかましい女(リヴェリア)。それから家事(りょうり)ができない(シル)。そして話を聞かない女(レフィーヤ)。最後に、八本の足を持つグロテスクな海洋生物より粘着質な(フレイヤ)だ。……女ばっかりとか、前者二人は怖くないんじゃねーのかといったツッコミはなしだ。

 

 このレインが苦手な物の条件全てを揃えた種族がいる――そう、アマゾネスである!




 知ってる? ウナギに精力増強の効果はあんまりないんだって。


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四十一話 苦手な理由

 前半にダンメモ・イベントストーリーのネタバレ? があります。ご了承ください。


 アマゾネス。一般的な心象(イメージ)は武闘派かつ好戦的。地域の部族によって様々な武術を持つと言われる生まれながらの戦闘民族。

 

 強くなることを至上とするレインにとってこれだけを切り取って聞けば、魔法は得意だけど武術はからっきしなエルフ、武闘派と言えば武闘派だけど職人気質で面倒くさいドワーフ、野生の勘で戦う脳筋な獣人などと言った他の亜人(デミ・ヒューマン)より好きな種族だ。

 

 

 だがしかし、アマゾネスを象徴するもう一つの特徴(イメージ)が、レインのアマゾネスに対する評価を激減させている。というか、レインの苦手な(もの)を作り出したのがアマゾネスだ。

 

 

 ヒューマンと最も近しい体型、体の構造を持ちながら『子供は女児しか産まれない』といった性質を持つ、特殊な亜人(デミ・ヒューマン)。アマゾネスからはアマゾネスしか産まれない。

 

 

 つまり、アマゾネスが子供をもうけるためには、他種族の男性と協力(にゃんにゃん)しなければならない。……アマゾネスは相手の意志に関係なく()()()()ので、協力なんて名ばかりだが。

 

 

 そんな男性限定で獰猛な習性を持つアマゾネスだが、彼女達にはほぼ共通する男の好みが存在している。それは……自分を力尽くでねじ伏せる強さを持つ男だ。

 

 

 実はレイン、アマゾネスの武術を学ぶために、通りすがる村や町の男を攫って行く”渡りアマゾネス集団”をブチのめすまでアマゾネスの特徴を知らなかった。いや、男を攫う習性は知っていたのだが、己を負かした強い雄に心を奪われるとかいうマゾな所は知らなかった。というか、理解できるかっ。

 

 

 最終的にはベルテーン……『【生命の泉】を擁する霧の国』に住むLv.4のエルフや盲目のヒューマン、Lv.2の兵士達に押しつけて解決したのだが、解決するまでは修行も休息も碌にできなかった。どこへ行こうと必ず現れ、(性的に)襲い掛かってきた。

 

 

 押し付けたエルフとヒューマンには「おいぃ! レイン貴様、私の(よわい)が百を超えていること知っているだろうが! 久々に来たと思えば何の嫌がらせだ!?」とか、「てめぇ、お嬢の教育に悪いだろうが! 国を救ってもらったことは感謝してるしいつでも力になるとは言ったが、こんな形で力になりたかねぇぞ!」などと怒鳴られたが……。

 

 

 エルフ(ウスカリ)、むしろ(おじいちゃん)のお前でもいいって言う美女、美少女に喜べよ。レインは絶対に嫌だがな。

 

 

 ヒューマン(リダリ)、お前は、まあ……がんばれ。純粋な妹(タルヴィ)がアマゾネスから変な影響を受けないように頑張ってくれ。

 

 

 この二人を見なかったことにすれば、労働力と兵力が増えて万々歳で済んだのに。

 

 

 閑話休題(それはさておき)。 

 

 

 故にレインは「犯るか戦れ!」と叫ぶ(口うるさい)女、食材に火を通すこともできない女、「子種だけでも寄越せえぇぇぇ!」と言って話を聞かない女、どれだけ痕跡を消しても乙女の勘(狂)で追ってくる女が苦手なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (スッポン)を両手に持って中腰という間抜けな姿のレインに拙い共通語(コイネー)で声を掛けたのは、結わえられた砂色の長髪を背中に流したアマゾネス。道を歩けば男が振り向く美貌を持っているにも関わらず、まるで爬虫類を彷彿させるぎらついた瞳と唇が、彼女から妖艶さを帳消しにしている。

 

 

 いつものレインなら美女に話しかけれられば、

 

 

「ふっ、中々見る目があるじゃないか。どっかの店で一杯やりながらより仲良くなるってのはどうだ?」

 

 

 と、言う所なのだが、レインの中で「こいつは関わらない方がいい奴だ」と、「こいつは酒を飲ませたらヤバい奴だ」の二つの警鐘が鳴っている。

 

 

 逃げればいい話なのだが、「逃げる」という選択肢は余程のことがない限りレインに存在しない。

 

 

 それにレイン達から少し離れた人垣の中に、女の仲間と思しきアマゾネスの一団がこちらを見ている。ただの勘だが、この女と明確に関わってしまえばあのアマゾネス達の相手もしなければいけなくなる気がした。

 

 

(ここは聞こえなかったフリ……いや、この老け顔ドワーフに押しつけるか……モテなさそうだし)

 

 

 しれっとドワーフの店主に失礼なことを考えながら面倒事を避けようとしたレインだったが、行動に移すことはなかった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 メレンの大通りの雑踏の中から一人の獣人の少年が飛び出してきた。急いでいたのか、はたまた日陰に入ろうとしたのか……理由は分からない。少年はレイン達のすぐ側を通り過ぎようとして、女の腰に()()()()()()

 

 

 肩をぶつけられた女――アルガナの視線が少年に向けられる。その目は何があったのかを確認するような可愛らしいものではなく、仕留める獲物を見つけた大蛇のそれだ。

 

 

「ってぇな! 店に用があるなら、もっと奥に入れ――ヒッ!?」

 

 

 生意気なお年頃なのか怒鳴ろうとした少年だが、途中で言葉が悲鳴に変わる。いきなり視界が何かで覆われ、それが自分の両目を潰そうとする指だと気付けば、全ての子供が恐怖を抱くだろう。

 

 

 子供の目どころか頭蓋を貫こうとするアルガナの手刀を止められる人物も、止めようとする人物もこの場所には一人しかいない。

 

 

「何考えてんだっ。肩が当たっただけのガキを殺そうとするとか、脳みそ筋肉か!」

「ワタシの国では、戦士にカタをぶつけるというのは……殺し合いの合図だ」

 

 

 アルガナの手首を掴んで止めたレインに、アルガナは手を振り解きながら向き直る。殺されかけたことを知った少年は涙目になって逃げ出した。

 

 

 大通りを埋め尽くしていた人混みは、危うさを感じ取った者の誘導でみるみるうちに減っていき、今ではアルガナの仲間のアマゾネス達しか残っていない。……ちなみに、ドワーフの店主は誰よりも先に逃げ出していた。

 

 

 アルガナはもはや興味を失ったのか逃げていく少年に目もくれない。代わりに己の腕に赤い手の跡を残した男の強さを感じ取り、闘争心と嗜虐心が剝き出しされている笑みを浮かべた。

 

 

「そして、戦士の殺し合いの邪魔をするヤツは……どう殺してもいい!」

 

 

 女戦士(アマゾネス)の聖地、『テルスキュラ』。血と闘争の国の蟲毒じみた殺し合いで作り出された生粋の狂戦士は、鋭く尖った爪による突きをレインの目に向けて放った。視界を奪って戦いを有利に進めるための戦略ではなく、甚振(いたぶ)ることに重きを置いた攻撃。

 

 

 アルガナは何も知らない。目の前の男の強さを。世界の広さを。

 

 

「ハッ、笑わせんな」

 

 

 レインが世界最強の『竜』に勝るほどの『戦士』であることを。

 

 

 外のエモノが泣くのか叫ぶのか、それだけを考えていたアルガナの耳に(レイン)の嘲笑う声が届く。レインの顔には多くの敵を歯軋りさせた不敵な笑みが浮かんでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「罪のない子供に手を出した時点で、お前は戦士じゃねえよ」

「があっっっ!?」

 

 

 アルガナの攻撃はレインの残像を貫き、握りしめられた右拳が女の頬に叩き込まれる。

 

 

 吹き飛ぶアルガナの身体は転落防止の鉄柵を引き千切り、水切り石の様に海面をはね跳び続け、最終的に豆粒程度の大きさにしか見えない程遥か遠くで盛大な水飛沫を上げた。

 

 

 目をかっ開いて驚愕していたアマゾネス達も我に返ってレインに襲い掛かったが……結果は言わずもがなである。

 

 

「――と、いう訳で。こいつらが目を覚ましたら面倒くさいから、俺は今の内にオラリオに戻る」

「なっるほど~、全部理解したから後は任せとき――ってなるかアホォ!」

 

 

 騒ぎを聞きつけてやってきた【ロキ・ファミリア】に、地面に頭をめり込ませて気絶しているアマゾネス達の後始末を押し付けて逃げようとするも、無駄にすばしっこいロキに捕まってしまった。

 

 

「なんだ? 鉄柵と大通りの修繕費は十分渡しただろ?」

「金の額の問題ちゃうわ! あの遠くでプカプカ浮いとるアルガナっちゅう戦闘中毒者(バトル・ジャンキー)をどうやって回収させるつもりか訊いとるんやっ!」

「アイズの魔法(エアリエル)で直接運んでもらうか、リヴェリアに水を凍らせてもらえばいいだろうが……」

「あ、そっか。すまんな、頭がよう回らんかったわ」

「気にすんな。じゃ、俺は帰るぞ」

 

 

 ここに来た目的である”スッポン”と”ウナギ”を箱に詰め、十分な額のヴァリス金貨を金庫に入れておく。こうしてレインはメレンから去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って、なんでウチが謝っとんねん! あっ、ちょっと目を離した隙にもうおらん――うひゃあっ!? アルガナが魚に食われとるー! アイズたん、救助急いでー!?」

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「本当にコレを使うつもりで?」

「当然だ。あの女神(おんな)を堕とすことができるなら私はなんだって利用する」

 

 

 どこかで見たことのあるドワーフが、煙管(キセル)をくわえた妖艶な女神に箱を差し出す。美神の忠実な僕であるヒューマンの青年が箱を開き、中身を確認する。

 

 

「なるほど――これが()()()を容易く滅ぼす兵器か!」

「満足してくれたようで何よりだ。で、報酬だが――」

「ああ。私の身体を存分に味わうがいい」




 学校が始まる(白目)


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小話3

「二回も完成した話を消す気持ちがお前に分かるか!?」と身内に言ったら、「知るかボケ」と返されました。


 6巻の話を書こうとしたけど、レインが介入したら話が進まなくなるので断念。レインは限界もブレイクするけど原作もブレイクするんだよ……。


 今回はIFの話です。本編で没にした話かな。あと、あとがきにレインの魔法を載せています。べ、別に詠唱文を考えてなかった言い訳とかじゃないんだからね!


・『もしレインが18階層で覗きに参加していたら』

 

 

「ねぇねぇ、みんなで水浴びをしに行こう!」

 

 

 場所は18階層。【ロキ・ファミリア】遠征隊が作り上げた野営地に『リヴィラの街』からアイズ達が観光を終えて帰ってきた頃、野営地の方々に散らばろうとした時ティオナがそんなことを明るく提案してきた。

 

 

 実姉であるティオネは繰り返し水浴びをしに行こうとする実妹(ティオナ)に呆れたように小言を漏らしていたが、眷属(ベル)を助けるためにダンジョンを進み続けた過程で汚れた身体を清めたいと思ったヘスティア達に押し負けるようについて行くことになった。ティオナに抱きつかれていたアイズも同様だ。

 

 

 水浴びを提案された女性陣以外にも【ロキ・ファミリア】の女性団員達が後ろを付いて行く。メンバーの中にアイズ、ティオナ、ティオネの第一級冒険者がいようともモンスターが闊歩するダンジョンの中で、無防備になる水浴びを見張りなしで行う事には怖いものがある。

 

 

 アイズ達ならば素手だろうと中層域のモンスターは殴り殺すことも容易いが、うら若き乙女として素肌に直接鮮血を浴びることは避けたい。それに殺せば血にしろ泥にしろ、水浴びをするための泉が汚れる事になって本末転倒だ。

 

 

 野営地に男性陣を残し、ティオナを先頭にする水浴び組は森の中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……頃合いだな」

「何がだ」

 

 

 軽く顎を上げたヘルメスがそう呟き、軽く振っていた剣を鞘に納めながらレインが聞き返す。ヘルメスは答えることなくぽつねんと立ち尽くしてベルに何事かを囁き、そのまま少年を連れてレインの方にやって来た。

 

 

「さっきベル君には教えたんだけど、俺はこの時を待っていたと言っても過言ではない。俺とベル君……そして君だけになれた、この時をね」

 

 

 相手の目から本質を見抜く事が出来る観察眼を持っているレインが見ても、ヘルメスの眼差しは偽りなく真剣な物だった。普段のおちゃらけた雰囲気を消すほど切れ長の瞳は見開かれ、今この時が本当に重要であることを伝えてくるようだ。

 

 

 ヘルメスはベルとレインに「ヴェルフ君達にバレないよう付いてきてくれ」と言って静かに移動を始める。レインは限りなく気配を断ち、自分達が歩いている場所から反対側の茂みをエクシード(発展アビリティ)で揺らすことで目を引き付けたりもした。……そうでもしなければ、緊張で挙動不審になっているベルが見付かってしまう。

 

 

「レインさん、どこですか? さっきまで隣にいたのに……」

 

 

 気配を消し過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レインの助力(サポート)もあり、三人は誰にも見つかることなくひっそりとした森の奥へ入っていく。人の気配が全くなくなるほど奥へ進んでもヘルメスは歩みを止めなかったが、

 

 

「うん。この木がピッタリだな」

 

 

 大人が両手を横に広げたよりも幹が太い大樹の前で足を止め、ヘルメスは長い手足を木の枝や粗い樹面に引っ掛けよじ登り始める。ぽかんとしていたベルもヘルメスに声を掛けられて慌てて登っていく。ベルとヘルメスが滑り落ちた時に備えて根元で待っているレインは自然と二人が木登りする姿を見る事になり、

 

 

「いい年した男が必死に木をよじ登る姿はなんというか、すごく情けないな!」

「聞こえてますからねレインさんっ」

 

 

 情けない男(ベル)が木を登りきってから反論した瞬間、だんっ、と地面から跳躍したレインが少年の頭を飛び越え樹枝に着地する。自分が好意を寄せている高嶺の花と同じ力を見せつけられ、ベルのメンタルに100ポイントのダメージ! 

 

 

「あまり大声を出さないでくれ。目標(ターゲット)達に気付かれてしまう」

「す、すみません」

「まぁいいさ。それじゃあ、もう少し進むよ」

 

 

 登った木の上はいくつもの太い枝が伸びており、ちょっとした空中回廊が出来上がっていた。無駄に飛び抜けた平衡(バランス)感覚を発揮するヘルメスが別の大木に次々飛び乗り、光り輝く緑の廊下を進んでいく。その後ろをレインが、最後尾をちょっぴり傷ついたベルが付いて行く。

 

 

 しばらく進んだ先で再びヘルメスが振り返った。顔にはイラッとするほど爽やかな笑み。親指で示される方向からは滝の音……に混じってキャッキャッという女の子の無邪気な声が聞こえてくる。

 

 

 おそらくレインが生きてきた人生の中で最も美しく下劣な笑みを浮かべる神は、人が息をするのは当たり前と説くように語りだす。

 

 

「ここまで来たら、もう察しているだろう? ――覗きだよ」

「お前を信じた俺が馬鹿だった。ベル、こいつ見張りが哨戒している所に落としてやろう」

 

 

 真顔で吐き捨てたレインが二つの意味で死にそうな場所にヘルメスを落そうとするのをベルが慌てて止める。

 

 

「レイン君、覗きは男の浪漫なんだぞっ。(オス)なら綺麗な女の子の裸を見たいと思うのは当然だろうに、どうしてそれが分からないんだ?」

 

 

 邪念の塊みたいな考えをはっきりと言い切るヘルメス。その声音からは己の考えを全く疑っていない確固たる意志が感じられ、『覗きは男の浪漫』と告げられたベルの意識に黒い瘴気が溢れ出す。

 

 

「浪漫なんぞ知るかっ。それにな、男なら真正面から見に行ってこい」

 

 

 言っている内容はヘルメスと同じくらい邪なのに、何故か漢らしかった。ベルの思考を支配しようとしていた闇の声も、『その発想はなかった。儂の負けだ』と言って自ら暗黒(きおく)の蓋を閉める。祖父(かこ)(いま)に敗北した。

 

 

 『よくやったぜレイン君! 褒めて遣わそうじゃないか!』という理性(ヘスティア)の声は頭の隅に追いやり、一人前のめりになっているヘルメスを引っ張る。

 

 

「帰りましょう、ヘルメス様! レインさんの言う通り、男なら覗きなんてしないで、正々堂々とみましょう!」

「ベル君、そっちのほうが不味いと思うのは俺の気のせいかな? というか、そんなに暴れたら……」

 

 

 男三人分の体重を支えていた枝が、ボキリッ、と不吉な悲鳴を上げて折れた。レインはすぐに別の枝に飛び移り、ヘルメスは何とか持ち堪えていたが、バランス感覚も咄嗟の行動力もないベルはあっさりと宙へ放り出された。

 

 

 落ちる場所には生まれたままの姿の少女達と――【剣姫】親衛隊を多く含めた見張りが待ち構えている。

 

 

 【剣姫】の裸を見られれば、彼女達からは一切の慈悲が亡くなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アイズさんの裸を覗いたクソ野郎を殺せえええええええええええええええ!!』

『リヴェリア様だけでなく、麗しのアイズさんまで穢すなど、万死に値する……万死に値するううううううううううううううう!!』

『刺し違えてでも奴を仕留めろッ!!』

 

 

 ベル、ヘルメス、レインの三名による覗きの一件は、瞬く間に野営地に知れ渡った。

 

 

 知らせを聞いた【ロキ・ファミリア】の団員達は男女関係なく武器を取り、双眼から血のごとき真っ赤な眼光を迸らせながらレインに襲い掛かる。理由は単純。一人は未だに逃走中で、もう一人は現在進行形で折檻を受けているからだ。

 

 

 憤怒の感情を解き放つ団員達をレインは素手で相手取る。回避に徹するという考えは当然ながらない。攻撃を受け止める考えもない。

 

 

被害者(アイズ)達には正式に謝罪しただろうが。関係ないお前らがそうやっていつまでも引きずってたら、余計に被害者は傷つくぞ。だから相手にされないんだよ、お前らは」

「――【解き放つ一条の光聖木の弓幹(ゆがら)(なんじ)弓の名手なり狙撃せよ妖精の射手(しゃしゅ)穿て必中の矢】――【アルクス・レイ】!!」

 

 

 一層、怒りを増大させた団員達はレフィーヤを筆頭に、一斉に『魔法』をぶっ放す。レインはその中で致命傷になりそうなものだけ《ルナティック》で撃ち落とし、残りは避けて他の団員にぶつける。【竜之覇者(スキル)】による魔法吸収障壁はリヴェリアの目があるので使わない。絶対に面倒な事になる。

 

 

「うるせえな……何の騒ぎだって――」

「ベートさん! あのクソ野郎がアイズさんの裸を見やがったんですよ!」

「は? ちょっと待て、もういっぺん説明しろ!」

「あ、遅かったなベー……失恋狼。もう少し早ければアイズの裸が見れたのに」

「ぶっ殺す!」

 

 

 ベートも混じった乱闘騒ぎは二時間近く続いた。最後まで立っていたのは言うまでもなくレインだが、この乱闘に参加した者は例外なくリヴェリアの説教を受けることになる。

 

 

 そして『遠征』が終わって【ステイタス】を更新した【ロキ・ファミリア】の中で、乱闘に参加した者は『耐久』の伸びが著しく高かったそうだ。




 レインの持っている魔法の紹介。書く機会があるかわからないので。


【ナパーム・バースト】【我に従え、怒れる炎帝(えんてい)
 ・炎属性。 ・精霊使役魔法。 ・顕現時間、強さは魔力に比例。


【アイスエッジ・ストライク】【埋葬せよ、無慈悲(むじひ)なる氷王(ひょうおう)
 ・氷属性。 ・砲撃魔法。 ・

【デストラクション・フロム・ヘブン】【穿て、雷霆(らいてい)(つるぎ)
 ・雷属性。 ・対軍魔法

【ヒール・ブレッシング】【救いを求める者に、癒しと祝福の救いの両手を】
 ・回復魔法。 ・使用後一定時間、回復効果持続。 ・使用時、発展アビリティ『幸運』の一時発現。


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四十二話 順風満帆?

 書きたい話が近づいてきた!


 あとシルの毒――味見役の女性のヘルンさん、ヒューマンでした。エルフと間違えていてすみません。


 たった一枚の羊皮紙に記されている情報が都市をざわめかせる。

 

 

「さすがにこれは冗談だろ……?」

「馬鹿か? 嘘だったらギルドが罰則(ペナルティ)を与えるだろうし、そもそも発表自体されねえだろ」

「どんな真似をすりゃ、こんな頭のおかしい記録を出せんだよ……」

 

 

 老若男女。獣人妖精(エルフ)アマゾネス。冒険者に一般人。年齢も種族も職業も関係なく、その情報紙は人々の注目と驚愕を集める。

 

 

 その情報とはとある冒険者()の公式昇華(ランクアップ)の報せ。幾日が過ぎても戦争遊戯(ウォーゲーム)の興奮が醒める気配がない中、多くの者達を騒がせる情報が都市中を駆け巡った。

 

 

 ――所要期間、一ヶ月。

 ――ベル・クラネル、Lv.3到達。

 

 

 これがヒューマンと亜人(デミ・ヒューマン)達が注目していた情報――ではない戦争遊戯(ウォーゲーム)ではLv.3のヒュアキントスを倒す大立ち回りを見せつけ、Lv.2の世界最短記録(ワールドレコード)に続いてLv.3の記録(レコード)まで塗り替えた少年(ベル)の知名度は留まることを知らず、そのままいちやく一躍有名になるはずだった。

 

 

 世界記録(ワールドレコード)更新の衝撃すら上回る報せ。それは――

 

 

「どんだけ化物なんだよ……【フレイヤ・ファミリア】は」

 

 

 ――オッタル、Lv.8到達。

 ――アレン・フローメル、Lv.7到達。

 ――ヘディン・セルランド、Lv.7到達。

 ――ヘグニ・ラグナール、Lv.7到達。

 ――アルフリッグ・ガリバー、ドリヴァン・ガリバー、ベーリング・ガリバー、グレール・ガリバー、Lv.6到達。

 

 

 迷宮都市オラリオの双頭と呼ばれる【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】。つい先日まで完璧に並んだ、いやいや既に追い越したと【ロキ・ファミリア】を持ち上げていた者達とはしゃいでいた神々の横面を殴り飛ばすような情報である。

 

 

 順風満帆だった白兎が『すんません、自分調子乗ってたっす』と土下座しそうなくらいとびっきりの話題は、今まで以上の興奮で都市を包み込んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オッタル達はフレイヤの寵愛を受けるベルが憎くて【ランクアップ】の報告を合わせた訳ではない。図らずして当て付けのようになってしまったし、嫉妬がないと言えば嘘になるが、ただ単純に報告も忘れるほど鍛錬を重ねていたのだ。

 

 

 己が全てを捧げた女神の寵愛に応えるために。遥か先を歩む『怪物』を超えるために。

 

 

 そんな彼等は今日も限界を超えるまで身体をいじめ抜く――

 

 

「さあっ、遠慮なくどんどん食べちゃって下さい! おかわりは沢山ありますので! 余ればミア母さんのお店の従業員(みんな)に持っていきます!」

『…………………………』

 

 

 ――ことなく、【ランクアップ】を経てより強靭になった消化器官が総動員で抵抗してもあっさり蹂躙される(意訳:死ぬほど不味い。ってか死にそう、ナニコレ?)料理を、今にもテーブルをひっくり返しそうになる手を抑えて食べていく。

 

 

 彼等が立ち向かっているのは【ランクアップ】に認められる『偉業』に匹敵しそうな苦行だった。既に一名、脱落している。年頃の女性がしてはいけない顔で失神している。

 

 

「新しくベルさんの【ファミリア】に入った命さんはとても料理が得意だそうです! しかも、掃除洗濯何でもござれの家庭的な女性だとか……! このままではベルさんの胃袋とハートを掴まれてしまう可能性が! 一刻も早く唯一無二の究極で至高の料理に至らないと……そして喜んだベルさんは私を美味しく食べちゃったりして……!? きゃっ、ベルさんったら大胆なんですから♪」

『……………………………………………………』

 

 

 オッタル達の手の中で加工超硬金属(ディル・アダマンタイト)銀匙(スプーン)が音を立てて愉快なオブジェに生まれ変わるが、桃色の妄言を吐きながらも青い煙が上がる鍋をかき混ぜるシル(アホ)には見えないし聞こえない。

 

 

 素早く銀匙を元の形に力尽くで戻し、戦争遊戯(ウォーゲーム)のお祝いに行ってくると一人だけ逃げ出した男の殺人計画を本気で考えながら、彼等は無表情かつ機械的に匙を動かす。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 カランカラン。うららかな日差しを浴びる豪邸の呼び鈴を鳴らすのは花束と小袋を持つ一人の男。扉の奥から「少し待っておくれー」と声が聞こえてから待つこと一分。

 

 

「【ファミリア】の入団試験ならあと三十分後だよ――って、レイン君か。ボクのベル君の人気をかっ攫ったフレイヤの眷属(こども)が何の用かな?」

「久しぶりだな、ヘスティア。用件はあんたの【ファミリア】が戦争遊戯(ウォーゲーム)で勝ったことに対するお祝いだったんだけど、このまま帰ってやろうか? この袋には単価五〇万ヴァリスの万能薬(エリクサー)が十本入っているんだが……」

「すいませんでしたっ!」

 

 

 扉を開けてレインに対応したのは黒髪(ツインテール)の女神。やって来たレインを見る目がキラキラした目からジト目に変化していったが、袋の中身を知った途端、玄関で土下座をした。ヘスティアの後ろを付いてきたベルが神としての威厳もへったくれもない姿にギョッとする。しかし、ヘスティアに余裕はない。

 

 

 一時期ベルのサポーターを神なのにやるくらい冒険者についての知識が無いに等しいヘスティアだが(ゴブリンにタコ殴りにされた)、回復薬や装備品の値段や効果は薬神(ミアハ)鍛冶神(ヘファイストス)に教えられて知っている。

 

 

 ヘスティアの中で万能薬(エリクサー)は超高価だけど死んでなければ治る超凄い薬になっている。故に愛する眷属達がいなくなる可能性が少なくなる薬が手に入るなら土下座の一つや二つ、いくらでもして見せるのだ。

 

 

「か、神様、土下座をやめてください。神様は神様なんですから恥と外聞を捨てちゃダメです!」

「止めるなベル君! ボクは君達のためなら泥水だろうとすするって決めてい……るん……」

 

 

 顔を上げたヘスティアがある一点を見たまま固まる。ベルはヘスティアの視線の先にあった物――レインの腕に抱えられた白い花束を見て真っ青になった。

 

 

 普段のベルなら「綺麗な花ですね、ありがとうございます!」と頭を下げるがその花だけは例外だった。何日か前にアイズが持ってきただけでホームを混乱に陥れた花の名前は雪落花(スノードロップ)。花言葉は『お前たちの死を望む』……他の【ファミリア】にこの花を渡すのは事実上の宣戦布告である。  

 

 

 今最も勢いがあるはずのファミリアの主神と団長が玄関で土下座をしている光景を見れば、誰も【ヘスティア・ファミリア】に入ろうとはしなくなるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「改めて、戦争遊戯(ウォーゲーム)勝利と【ランクアップ】おめでとう」

「ありがとうと言いたいけど……なんであの花をお祝いの品として持ってくるんだ……」

「綺麗な花だと思って選んだからな。そんな花言葉があるとは知らんかった」

 

 

 嘘である。この男、花言葉はもちろん知っていたし、花屋の店員に祝い事には向かない花だと言われながら購入したのである。昔適当に言った「好きな人のハートを溶かします♡」が実現してしまい、毒味をさせられることになった原因(ベル)に仕返しをしたかっただけである。

 

 

 嘘を見抜けるヘスティアがジト目を向けてくるが気にしない。

 

 

「こんなに万能薬(エリクサー)をもらってもいいんですか? これ、とっても高い物ですよね?」

「賭けで大勝ちしたんでな。今の俺は金持ちだ」

 

 

 本当(マジ)である。この男、ベルが勝つと見抜いて一〇〇〇万ヴァリスを賭けたのである。金持ちの貴族や豪商はこぞって【アポロン・ファミリア】に賭けていたのでつり合いも取れ、レインは二億ヴァリスを手に入れた。

 

 

 嘘を見抜ける貧乏神が虚無の目で見てくるが、気にしないったら気にしない。

 

 

「他にやる事もあるし、もう俺は行くぞ。さっきヘスティアが言った通り、入団希望者が来るだろうからな」

「そうさ! フレイヤの所には負けるけど、僕たちも中堅【ファミリア】になったんだ!」

「そうです! ついに僕たちも零細【ファミリア】脱出するんですよ! どんな人が来てくれるんでしょう……!?」

 

 

 嬉しそうに手を取り合うベルとヘスティア。「お前らの所に来る輩はうまい汁(クロッゾの魔剣等)を吸う目的で入ろうとするのが多いぞ」と警告しようとして……やめた。その辺はあの元盗人の小人族(パルゥム)が対処するだろう。

 

 

 入団させる人物の妄想を膨らませる二人を尻目に、レインは『竈火(かまど)の館』を後にした。

 

 

 庭の門を通った黒衣の男が歩を進めるのは都市南東部。そこには色と欲にまみれた『夜の街』がある。



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四十三話 歓楽街

 話がなかなか思い付きませんでした。今回は引き伸ばし回です。


 次の話は人造迷宮(クノッソス)突入前から始まるかもしれません。


『最近イシュタルが妙な動きをしているわ。別にどんな隠し玉を持っていようと踏み潰せる自信はあるけれど……何の警戒もしなかったせいで愛しい眷属(あなたたち)を失うような間抜けな女王に私はなりたくない』

 

 二日前、【フレイヤ・ファミリア】の本拠(ホーム)、『戦いの野(フォールクヴァング)』の凄まじい規模を誇る大広間に全ての眷属を集めたフレイヤが開口一番に告げた言葉がこれだ。

 

 フレイヤの言葉を聞いた眷属の反応は様々だ。もったいなきお言葉と(こうべ)を垂れる者。全てを捧げる女神の愛に背筋をわななかせ、更なる忠誠を誓う者。敬愛する女神にかような心配をさせる己の不甲斐なさに怒りを燃やす者など。

 

 適当な事をするだけで主神(フレイヤ)に対する忠誠心が上がっていく【ファミリア】に、広間の隅から傍観するレインは大丈夫かこの派閥? と本気で不安を覚えた。同じ神血(イコル)を刻まれた眷属達に向けるのは、完全にアホを見る目である。

 

 一人を除いて静かに熱狂していた眷属達だったが、次のフレイヤの一言で熱気は霧散する。

 

『だからね、誰か一人でもいいから『歓楽街』に行ってくれないかしら?』

 

 ここで【フレイヤ・ファミリア】の弱点が露見する。

 

 一つ目にフレイヤに向ける忠誠心が大きすぎる事。隣で同じ派閥の者が死んだとしても基本的に冷静さを失わずに行動する彼等だが、フレイヤに関する侮辱だけには怒り狂う。それこそレインが「年中盛ってる痴女女神がっ」と呟くだけで全員が本気で殺しに来る。

 

 これだけの忠誠心を持っているせいで、『歓楽街』に偵察に行くことがフレイヤのためになると分かっていても進んでやろうとは思えないのだ。この思いはアレンやオッタル達の様にLv.が高いものほど顕著だ。

 

 そして二つ目に……ほぼ全員が脳筋なのだ。【フレイヤ・ファミリア】の眷属達はフレイヤの力になるために、日夜『殺し合い』を繰り広げている。休憩は蘇生三歩手前の重症を治療している間か、食事・睡眠の時間くらいしかない。

 

 そんな彼等に密偵(スパイ)としての技量や知識、もといそれを身に着ける時間があるのか? 答えはもちろん否である。そんな時間があるのは幹部の様な一部の者だけだ。

 

 視線が自然と幹部達に集まる。貧乏くじを引くことが決まってしまった彼等は己以外の誰かに押しつけようと、神々が伝えた本家本元(オリジナル)に血生臭いアレンジを加えたジャンケンの(グー)をゴキッと鳴らしながら引き絞る。

 

 大振りのグー(ロシアンフック)高速のチョキ(目潰し)見えないパー(死角からの手刀)を相手の急所に叩き込むために、出方を窺う各々の視線が交差する。無関係の下位団員の息が詰まるほど空気が張り詰めた、その時、

 

『ところでレイン? 貴方、アポロンの子供が都市で騒ぎを起こした時……しれっと参戦していた気がするのだけど?』

『……』

『ギルドから都市の被害に対しての修繕費用を請求されたのだけど?』

 

 とてつもなくいい笑顔のフレイヤの言葉で、誰が『歓楽街』に行くのかが決まった。こいつ(フレイヤ)……最初から自分(レイン)を『歓楽街』に送るつもりだったろうに、眷属がどんな反応をするのかを見るためだけに集めたな。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 その街にはありとあらゆる文化が入り混じっていた。

 

 迷宮都市に来る前に足を運んだカイオス砂漠の絨毯や水差しなどの家具。木造、石造、極東や海洋国(ディザーラ)地方の建築様式を意識した建物。建物の壁や柱に設置された桃色の魔石灯に行燈(あんどん)、幅広の街路の両脇に並ぶ灯篭(とうろう)と数え上げればキリがない。

 

 これも全て客の気分を高揚させ、理性を(とろ)けさせるために、世界中から()()()を集めた結果だ。

 

 艶めかしい赤い唇や瑞々しい二つの果実、大胆なカットの入ったドレスから覗かせる背中に腹に肩に腿、独特な甘い香りの麝香(じゃこう)と妖艶な仕草で男の獣性を刺激する女達――『娼婦』。

 

 昼と夜でがらりと様子を変える街並み、『世界の中心』と呼ばれるオラリオで最も金と物が巡る場所、都市のどんな所よりも異質な街――『歓楽街』。

 

 『竈火(かまど)の館』でベル達と別れ、道中の店を冷かしながら時間を潰したおかげで――神々が嬉々として喋っていた【ヘスティア・ファミリア】の借金(ばくだん)の話でかなり時間を潰せた。稼いだ二億ヴァリスをあげるか悩んだ――空には綺麗な月が浮かんでいる。

 

 夜にしか開かれない『歓楽街』に行くために頑張って時間を消費した男は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ここに記載されている男の娼館の利用、及び出入りを禁ず。

 

 【フレイヤ・ファミリア】所属。レイン』

 

 一時間もしない内に出禁を喰らっていた。

 

 『歓楽街』で情報を集めるためには娼婦を相手にしなければならない。口付けを交わし身体を重ねる必要はないが、フレイヤが欲する情報を手に入れるなら選んだ娼婦を利用し、身内を裏切らせることになる。

 

 自らを信じた者を決して裏切らないことを信条とするレインにとって、利用して「はいさよなら」といったやり方は好みじゃない。派閥に引き入れることで匿うことも手段の一つだが、言い方は悪いが寄生虫のように、誰彼構わず男に身を預ける娼婦を【フレイヤ・ファミリア】はとことん嫌う。

 

 レインとしては男女関係なくイケるフレイヤの方が駄目な気もするが……

 

 閑話休題。

 

 気は進まずとも主神命令なら従うしかない。そんなことを考えながら適当な店を選んで中に入ったのだが、

 

「絶対に後ろから飛び掛かってきたヒキガエルが悪いだろ……」

 

 儚い雰囲気を纏うとても綺麗な狐人(ルナール)を指名し、もし彼女が色狂いだとしても世間話で乗り切ろう……神でも見抜けない笑顔の仮面で苦々しい感情を隠し、相手の待っている部屋に歩を進めようとした瞬間、

 

「ゲゲゲゲゲッ! アタイに相応しい雄がいるじゃないかぁ~」

 

 全身に鳥肌が立った。

 

 長身がさっとその場に沈み込み、本能に従うまま頭上を通り過ぎる「世界で一番醜い女はこいつじゃね?」と思うくらい生理的嫌悪感を抱く容貌のアマゾネス目掛けて、鞘に入ったままの魔剣を薙ぐ。

 

 頑丈な壁が壊れる轟音に大女の悲鳴はかき消され、その巨体は大砲以上の勢いで吹っ飛んでいった。 

 

 実は騒ぎを起こしたのがレイン以外であれば、【イシュタル・ファミリア】も罰金で終わらせた。アマゾネスは目を付けた男を力尽くで連れ去らうのでここら一帯が壊れる事は珍しくない。ならどうしてレインは出禁になったのか?

 

 原因はメレンにて【カーリー・ファミリア】の主戦力であるカリフ姉妹を倒した事だ。レインにこてんぱんに負けたカリフ姉妹は、ティオネと同じような恋する乙女を超えた愛に燃える戦士になってしまった。

 

 というか、フレイヤが感づいたイシュタルの妙な動きというのは、レインを求めて暴走する二人のアマゾネスを必死に止めようとしていただけである。

 

 そんな訳で【イシュタル・ファミリア】はレインにいい感情を持っていない。簡単に言うなら「もう金とかいらないから近づくなこの疫病神! ぺっ!!」と唾を吐きたいくらいには嫌っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……悪いけど、もう一回言ってくれる?」

「端的に言えば、正当防衛だ。貞操を守るために決死の反撃を試みたら、何故か出禁になってしまった」

「レイン、ひょっとして貴方、馬鹿なの?」

「俺は馬鹿じゃない」

「偵察に行ったのに一時間で帰ってくる密偵は馬鹿と言われても仕方ないと思うわよ」

 

 ぐうの音も出ない。 




 レインは欲望のために他者のささやかな幸せを壊すアポロンが大嫌いでした。ベルが負けていたら、派閥の面子なんぞ気にせず天界送還にしてやろうと考えていたくらい嫌いでしたね。


 ベルが追いかけられている時は、ダフネのような指揮官を気絶させていました。


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四十四話 孤狼二人

 お気に入り登録者が2000人突破しました。本当にありがとうございます。


 皆さんに重要な報告があります。今までの話も文才のなさが文章に現れたり、キャラ崩壊がたくさんありましたが、次からアンチ・ヘイトが加わります。それが苦手な人はここでブラウザバックを進めます。


 それでもいい、どんな結末になるのか気になるという方は広い心で楽しんでください。




 天の恵みとも呼べる太陽の光が決して届かぬ暗い地下。ただの石の間を祭壇のように装飾した空間はいくつもの蠟燭に照らされ、全身を黒の頭巾やローブで包む多くの者で埋め尽くされていた。

 

 

 誰もが粛然としながらも瞳の奥から危うい『熱』を発していた。その『熱』は一柱の麗しい男神が現れたことで昂っていき、神が大仰に手を広げ二言三言叫んだ瞬間、爆発した。

 

 

 ある者は感極まったように身体を打ち震わせ、またある者は涙を流しながら神の名を唱和する。ボロボロの黒衣を纏う神――タナトスは眷属達の声を背に浴びながら広間の外、暗い通路に歩を進めた。

 

 

「――吐き気がするほど完璧な化けの皮だな、死神」

 

 

 ようやく眷属の声が聞こえなくなった青い魔石灯の光が揺らめく薄暗い通路を歩くタナトスの前に、燕尾服のような上衣と、それに合った黒いズボンを穿いたヒューマンの女性が立ちはだかった。

 

 

 切れ長の目で、どこか怜悧な美貌を持つヒューマンの女である。二十代前半の見た目をしているが彼女の場合、見た目通りの年齢なのか分からない。

 

 

「やあ、いつの間に『()()』から戻ってきたんだい――アリサちゃん?」

「その気色悪い呼び方をやめろ」

「アリサちゃんが俺のこと、ちゃんと『タナトス』って呼んでくれたら考えるよ」

 

 

 タナトスは数多くいる己の眷属の中で唯一、()()の目を向けてくるアリサを可愛がっていた。短いやり取りで時間の無駄と悟ったアリサは、吐き捨てるように用件を伝える。

 

 

「『もうじき【ロキ・ファミリア】がやって来る』と仮面(エイン)から報告があった。その迎撃に私も出る。これで言いたいことは終わりだ」

「えっ」

 

 

 言うが早いかアリサは長い黒髪を翻して去っていく。その姿が見えなくなるまでタナトスはぴくりとも動かなかった。

 

 

 アリサがとてつもない威圧感を放っていたから動けなかったのではなく、軽薄な笑みを消してしまうほど驚いていたからだった。

 

 

「……えっ、マジで? ここの存在を知りかけた冒険者を始末することどころか、喋るモンスターの捕獲だってやろうとしなかったアリサちゃんが自主的に行動すんの!? 変なフラグ立ったりしてないよね!?」

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「なぁ、俺は昨日娼館に繰り出したんだがな? 綺麗どころを左右に侍らせて、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎをしようと思っていたのに、ヒキガエルを一匹潰したら出禁になったんだがどう思うよ?」

「……」

「団長ー!? 一瞬で目が死んだ魚並に暗くなったっす!?」

 

 

 薄暗い隧道状の通路にとんでもねぇ内容の声が反響する。「あぁこれ絶対に面倒くさいやつだ……」と理解した聡明な小人族(パルゥム)の団長はそっと心の扉を閉じた。彼を尊敬するツンツン頭の青年が心配そうな声を上げる。

 

 

 場所は地下の下水道。ダンジョンの第二の入り口を見つけるために【ロキ・ファミリア】と協力体制にあるレインだったが、隊列を組みながら周りを魔石灯で照らすことしかせず黙ったままのフィン達男性陣に痺れを切らし、弩級の話題(ばくだん)をぶち込んだ。

 

 

 十数名の【ロキ・ファミリア】の男性団員達のほとんどがレインに未確認生命体を見る目を向けた。……いや、敵の(ねぐら)かもしれないこの場所でよく言えば恋バナ(?)、普通に言えば下劣な話をしようとするレインの図太さに安心したとも言える。

 

 

 ベートやガレスを除いた下位団員は周囲を警戒することで精いっぱいだった。先程も述べた通り、ここは敵の(ねぐら)かもしれないのだ。護身用の武器以外の物資を僅かにしか所持していない自分達は、丸裸で邪悪なモンスターの元へ進んでいるのかもしれない。その可能性があるだけで気を抜くことなどできなかった。

 

 

 今までレインがやらかしてきた数々の所業のせいで【ロキ・ファミリア】は決して認めようとしていないが、どんな時でも敵を圧倒し己を貫く姿は、アイズやティオナ達幹部より安心感と頼もしさを与えていた。ベートやティオネの様に乱暴な言動がなく、アイズやフィン達最高幹部の様な近づき難さがないのも大きい。

 

 

 何名かはレインの馬鹿みたいな発言が自分達を安心させるためだと感じ、それに乗っかろうと――

 

 

「ベートはどう思う? ちょっと力が入りすぎたが正当防衛なんだぞ? なのに出禁とかひどくないか。そしてお前はどんな子が好みなんだ? やっぱりアイズか、そうなんだろ」

「くっだらねぇ事聞いてんじゃねえよ。俺は弱え女なんぞに興味はねぇ。……それと何でアイズが出てくんだよ!」

「二ヶ月くらい前に言ってただろう? 『おうアイズ何度見てもいい身体してんじゃねえか触らせろよぐへへっ』って。そしてフラれた」

「適当な事抜かしてんじゃねぇぞッッッ!?」

 

 

 ……………………………乗っかろうと……

 

 

「ん? じゃあ『無茶苦茶にされるなら俺とあのガキ、どっちがいいよ』だったか?」

「知るかボケッ! 覚えていたとしても答える訳ねぇだろうが!!」

「どっちが正しいか覚えてるか? 遠征の収入を娼婦につぎ込んだ【超凡人(ハイ・ノービス)】」

「身内しか知らないことをなんで知ってるんすか!?」

 

 

 ――嗅覚の鋭い獣人が食人花の匂いを嗅ぎ取り『オリハルコン』の扉を見つけるまで、巻き込まれていない団員はわざとらしく周囲を警戒し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男性陣がほぼ間違いなく敵の本拠地を見つけた翌日。ティオネが恋バナをしていた自分達の事を棚に上げてふざけながら調査をしていた男性陣に文句を言いつつ、ロキを含めた団員達が全て隠し扉の前に集結する。

 

 

「本当にでっかいなー。この扉を売り払うだけでもあたしの借金(ローン)全部返せるかもしれないなぁ」

「そうですね。すごく……大きいです」

「リーネ、言い方」

「へ? あっ、変な意味で言ったわけじゃ――!」

 

 

 

 眼鏡をかけたヒーラーが見たまんまの感想を漏らし、それに未だに返しきれない借金をどうにかしようとするティオナが注意する。しかし、全ての団員が同じ感想を抱くほど最硬精製金属(マスター・インゴット)の『扉』は巨大だった。

 

 

 この隠し通路が昨夜女性陣が調査していた『ダイダロス通り』に接続(アクセス)されている事や、仰々しい金属扉がわざと見つけられるようにお膳立てされていた事に対する見解を話していると、

 

 

「!」

 

 

 『扉』が音を立てて開いた。最硬金属(オリハルコン)の扉が完全に上へと昇り切りあらわになったのは、不気味な青い魔石灯に照らされる薄闇の通路。

 

 

「フィン」

「ああ、見えた。間違いなく、『扉』を開けてくれたのは仮面の怪人(クリーチャー)のようだ……レイン、急にどうしたんだ?」

 

 

 最も視覚に優れている種族のフィンが、『扉』を開けた紫紺の外套(フーデッドローブ)に不気味な仮面の怪人(クリーチャー)を確認した時だった。

 

 

 昨日から引き続いて【ロキ・ファミリア】と行動をともにしていて『扉』の奥を見ていたレインが、彼と同じように【ロキ・ファミリア】――正確にはレフィーヤ――と一緒にいるフィルヴィスの肩を掴んだ。まるで品定めをするようにフィルヴィスの赤緋の瞳を覗き込む。

 

 

「いきなり何をしてるんですかっ。女性の肩を掴んだ挙句、顔を無遠慮に見るなんて……! 失礼極まりないです!」

 

 

 余りにもデリカシーがない行為に批難の視線が集まる。すぐ側にいたレフィーヤはレインの手を叩き落とし、友人のエルフを庇う様に立ち塞がる。

 

 

「その女が美人だったんでな。衝動的に動いてしまった」

(ケダモノ)か貴様は!」

 

 

 リヴェリアの罵声が下水道に響く。他の団員達もついでとばかりに言いたかった事をレインに言い放ったが、レインはヘラヘラ笑うだけで微塵も堪えていなかった。

 

 

 そんな緊張感のない彼等の姿を『扉』の上に彫られた悪魔の彫像が見つめていた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 ベートが乱暴な発言をして我の強い幹部達が揉めそうになったものの、リヴェリアを除いた第一級冒険者、Lv.4を主軸とした第二軍、治療師(ヒーラー)以外はLv.3で構成された下位団員達、そこに飛び入りのフィルヴィスとレインが加わったパーティが人の手で造られた迷宮に乗り込んだ。

 

 

 殿を任されたレインは石板で覆われた通路を白墨(チョーク)で線を引きながら見渡す。所々が欠けた石の壁と床からは鋼色の金属が見え隠れしていた。前方でむさいドワーフが壁を殴って金属の正体は超硬金属(アダマンタイト)だと説明していたが、

 

 

(金属は白墨(チョーク)が使いにくいからやめろ)

 

 

 壁を殴った衝撃で石板が剥がれたりヒビが入っているのを見てレインは溜息を吐いた。

 

 

 その時だった。

 

 

「団長、扉は閉じられていましたがこんな物がありました」

 

 

 分岐路が現れる(たび)に「行き止まり」の報告を持ち帰っていた斥候が一枚の羊皮紙を手に戻ってきた。受け取ったフィンが全員に聞こえるように読み上げる。

 

 

「『青く光る剣を持った男のみこの扉を開く』……」

「間違いなく俺だな。じゃあ行ってくる!」

 

 

 持っていた白墨(チョーク)を近くにいた獣人の男に渡し、レインは「食後の散歩に行ってくる」位の気軽さで斥候が羊皮紙を持ち帰った通路を進んで行く。当然全体の指揮を()るフィンは止まるよう指示を出すが、

 

 

「罠は嵌って踏み潰すから大丈夫だ!」

 

 

 一切速度を落とすことなく暗闇に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一分もしない内にレインは道を塞いでいる不壊の『扉』に辿り着いた。羊皮紙に書かれていた通り、目の前で『扉』がレインを歓迎するかのように開く。

 

 

 開いた『扉』の先には円形(ドーム)状の広間があった。湾曲する壁には等間隔で青い魔石灯が取り付けられており、『扉』はレインの入ってきたものとその真正面に存在するのみ。見る者が見れば闘技場(コロシアム)のようだと感じる造りをしていた。

 

 

 レインが広間に足を踏み入れた途端背後の『扉』が閉じる。退路が断たれた事()()頓着せず、世界最強の戦士は『D』という記号が刻まれた赤い球体を()()()()向かってくる女に意識を向ける。

 

 

 (アリサ)(レイン)と同じ漆黒の衣服を身に着けていた。それがどんな意味を持つか男は身をもって知っている。

 

 

 女の瞳には狂おしい何かが燃え盛っていた。男はその瞳を鏡で何度も見たことがある。

 

  

 男は青白い魔剣を鞘から引き抜く。真紅の刀を持つ女が何を望んでいるのか心の底から理解している。

 

 

「今日こそ誓いを果たす――お前を殺してやるぞっ、レイン!!!」

「己の無力を自覚するがいいっ、アリサ!」

 

 

 悪意の結晶たる暗い迷宮のどこか。黒き孤狼二人が激突した。




 アリサは『レイン』のキャラです。


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四十五話 殺せぬ敵

 遡ること二年。とある国で史上初の永久手配を受けた罪人が現れた。罪人の素性は誰も知らない。ただ全てが黒い男としか分からない。

 

 

 罪状は大量殺戮。国神、神の眷属、関係性が見つからない一般人、千を遥かに超える命を奪い取った男は、世界で類を見ない殺人鬼として伝えられている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『人の命をなんだと思っているか? どれだけ使い潰しても湧いて出てくるいい資材かな☆』

『貴方みたいな戦士だって力試しとか言ってモンスターを殺すじゃないですか。私みたいな薬師が新薬の実験のためにネズミじゃなくて自分の育てた孤児を使って何が悪いのよ?』

『そうだそうだ~! 君みたいに人の命が家畜やモンスターより上みたいな考えをする奴を偽善者って言うんだぞ☆』

『ここにいる()孤児達も、私達が助けなければ死んでいた。救い上げた命を救い上げてやった者がどう使おうと勝手でしょうが!』

 

 

 屑の教本のような奴等だった。孤児や浮浪者に食事を振舞うと嘘をついて集めるなどまだ序の口。病人に新薬と称して麻薬を打ち込む、恋人や家族を人質に取るなど目的のためなら手段を選ばない。

 

 

 そいつらの目的が何だったのかは分からない。しかし、判明しているものは全て碌でもない事ばかりだった。

 

 

 特に(おぞ)ましかったのは「人の身体に生命力が異常に強いモンスターの『ドロップアイテム』を埋め込むことで、高い戦闘力と回復力を持つ半人半魔の兵器製造計画」。この実験で失敗作は肉片一つ残さず消し飛ぶことになり、成功しても自我は存在せず、破壊と殺戮を振りまくだけの人の形をした怪物になる。

 

 

 この実験が安定して成功するようになれば、どれだけの犠牲が出るか……モンスターの地上進出より酷いことになるのは間違いない。

 

 

 レインは殺した。倫理観の欠片もない悪神、甘い汁を吸っていた悪神の眷属達、自分を殺すために解き放たれた名もなき怪物、その全てを。

 

 

 結果として、レインは殺人鬼の烙印を押される事になる。何も知らない者から見れば、レインは(表向きは)沢山の施しを与えた善神とその眷属を殺した悪人だ。人の道を踏み外した実験をこの世に出さないために実験施設を丸ごと焼き払った事で、それが一層レインの印象を悪くしていた。

 

 

 何も言わず立ち去ろうとするレインに、名前も知らない人から罵倒が浴びせられ、石が投げつけられる。威圧すれば簡単に黙らせる事はできた。『恩恵(ファルナ)』を授かっていない一般人の投石程度、止まって見えた。

 

 

 当時のレインは一切の抵抗をしなかった。どれだけ大層な理由があろうと、自分が罪のない命を奪った事に変わりがないという考えがあったからだ。雨のように降り注ぐ石が絶え間なくレインの身体を打ち据え、容赦のない言葉が心を抉る。

 

 

 もう、誰が何を言っているのか分からなくなる罵詈雑言の嵐に包まれていたレインの耳に、その女性の声はやけにハッキリと聞こえた。

 

 

『許さない……! 世界で一番大切なお姉ちゃんを殺したお前を、私は決して許さないっ!』

 

 

 これが二年前の真相。一生関わることすらないであろう人々の命を救った男の『愚行』は、悲しいほどに、惨いほどに、誰一人として理解してもらえなかった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「ああああああああアアアアアッッッッッ!!!」

 

 

 モンスターの咆哮(ハウル)と聞きまがう大声を上げながらレインの眼前まで接近したアリサは、大上段から真紅の刀《サクリファイス》を振り下ろす。ハッキリ言って、己の命を顧みない隙だらけの特攻だった。

 

 

 頭上に落ちてくる真紅の刀身を、レインは寸前で躱す。残像を頭からつま先まで切り裂いたアリサは手首を返し、間髪いれず後ろに回り込んだレインの首を狙う横殴りの斬撃を放つが、振り上げられた青い魔剣がそれを止める。人二人には広すぎる闘技場にやかましい音が響いた。

 

 

「姉さんを殺したお前がのうのうと生きているだけで(はらわた)が煮えくり返ったぞっ。私の手でお前を殺すことで、私はやっとお姉ちゃんの所へ逝ける!」

 

 

 ぎりぎりと鍔迫り合いを演じつつ、アリサが不吉な声音で呪詛を吐き続ける。笑みを消し去り、何の感情も窺えない無表情となったレインは淡々と言い返す。

 

 

「お前には無理だ。既に俺と二度戦ったお前が勝つことなど、億が一にも有り得ない」

「――殺してやるっ。殺してやる殺してやる殺してやる殺してやるっ私が殺す殺す殺す殺してやるっ!!」

 

 

 アリサの顔にビキビキッと血管が浮き上がる。怒りで刀を押し込もうとする力が単調になったのを感じ取り、レインはやや身体を沈める。体重をかけすぎたせいで前のめりになったアリサの腕を掴み、壁に向かってぶん投げた。

 

 

 そのまま叩きつけられて気絶してくれたら良かったが、レインへの憎しみで戦う復讐者(アリサ)はそこまで弱くない。空中で体勢を整え、刀の切っ先をレインに突きつける。

 

 

「いくら回避に長けたお前でも、逃げ場が無ければ終わりでしょう! 【我が怒りの炎に焼き尽くされろ】! 【コンフラグレーション・ブラスト】!!」

 

 

 刀の先から途方もない大爆発が起きた。特大の炎の塊がいくつも弾け、壁に設置されていた魔石灯を一つ残らず吹っ飛ばした。真紅の炎がレインの前進を覆いつくそうとするが、対人戦では初めて使う『反魔法障壁(アンチマジックフィールド)』が発動し、燃え盛る炎の魔力を吸いつくす。

 

 

「……相変わらず見境のない奴だ」

 

 

 十数秒後……光源が青白い魔石灯から四方八方で燃え続ける炎に切り替わった闘技場で無傷なのはレイン一人だけだった。『魔法』を使った張本人であるアリサは、見える範囲だけでも決して軽くない火傷を負っていた。それでも刀を握りしめて立っていられるのは、焼けた服の下から除く『サラマンダーウール』のお陰だろうが……。

 

 

 昔戦ったことがあるから知っているが、アリサの『魔法』は今いる闘技場より有効範囲がずっと広い。小さな村なら焼き尽くして余りある炎嵐の『魔法』をこんな閉じ切った空間で使えば術者自身も巻き込む。それが理解できないアリサではない。

 

 

 自分も巻き込まれることも承知で使ったのだろう。炎耐性の装備を身に纏う者とそうでない者。どちらが大きな損傷(ダメージ)を負うのか、文字通り、火を見るより明らかだったはずだ。

 

 

「……ふざけるな! 何故お前は傷一つ負っていない!? 結界魔法を使う素振りなどなかったぞ!」

 

 

 アリサの動揺は大きかった。この小さな闘技場を戦いの場に選んだのも、今しがた使った『魔法』を必ず当てるための作戦だ。最低でも動きを鈍らせるには十分な傷を与えられるはずなのに、どうして!?

 

 

「あれは俺の『スキル』だ。間合いの外から放たれた『魔法』を吸収し、俺自身の精神力(マインド)として還元する。見ての通り、俺に『魔法』は通用しない」

「そんな馬鹿みたいな『スキル』があってたまるかっ! 【噛み殺せ、双頭の雷竜】――【ツイン・サンダーブラスト】!!」

 

 

 絡み合う二条の雷がレインを飲み込み、超硬金属(アダマンタイト)と『魔法』の威力を大きく減殺する『オブシディアン・ソルジャーの体石』を重ね合わせて造られている迷宮の壁を、()端微塵(ぱみじん)に粉砕する(知る由もないが、都市最強魔導士(リヴェリア)でも破壊出来ないと断言した壁を、だ)。

 

 

 アリサは強い。剣の腕前はアイズと同等かそれ以上。短文詠唱、超短文詠唱でありながらリヴェリアに匹敵する『魔法』を習得し、たった二年でLv.4からLv.6に上り詰める程の鍛錬を重ねた。

 

 

「無駄だよ、アリサ。お前がどれだけ強くなろうと、俺を殺せるチャンスはもうやってこない」

 

 

 ()()()()()()。未だに(くすぶ)っている炎を踏み消しながら、無傷のレインが現れる。さすがにアリサも愕然とした様子を隠しきれていなかった。

 

 

 それでもアリサは長い黒髪を舞わせ、激しく首を振った。細面(ほそもて)の美しい顔を厳しく引き締め、レインに刀の切っ先を突きつけながら決然と告げる。

 

 

「だからどうしたっ。お前と私の実力が天と地ほど離れていようと私は諦めたりしない! 大好きなお姉ちゃんを殺したお前を絶対に許さないと誓った! 刺し違えてでも、お前を殺す!!」

 

 

「お前の姉は人の尊厳を弄ぶ屑中の屑だったぞ」――その言葉をレインは静かに飲み込む。レインは決して聖人ではない。もし相手がアリサじゃなかったら、何の躊躇いもなく真実をぶちまけていただろう。 

 

 

 アリサはレインへの憎しみだけで生きている。本当は繊細で優しい人が無価値な人間を憎むだけで生きてくれるなら、レインは敢えて真実を隠そう。憎悪を向けて当然の悪役(ヒール)でいよう。

 

 

「来いよアリサ。強くなければ何も守れない事を教えてやる」

「死んで償えクソ野郎!」

 

 

 真実(ほんとう)を知らない罪な『正義』の刀と真実を隠す優しい『悪』の剣が、真紅に染まった闘技場で再びぶつかった。

 




 魔族の代わりはレインになっています。

 今作のアリサのお姉さんには悪者になってもらいました。 生命力の高い魔物が何かはいつか分かります。


 アリサは本当に何も知りません。彼女の姉がアリサがレベル5になったら実験台にしてやろうと考えていたことも知りません。レインが全て燃やしたので。


 レインはアリサが何も知らないとか関係なしに、どれだけ屑でも彼女にとって大切な人を奪った事を少しだけ後悔しています。謝る気は全くありませんし、過去をやり直せるとしても絶対に殺します。


 生物兵器が完成していたら、戦争大好きなラキア王国が仕入れそう。


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四十六話 『絶望』の後に『希望』なんてなかった

 時間がほしい。


 グチャブチッ……ベキベキバキゴリッ……ドチャリッ!

 

 

 柔らかい何かを力任せに引きちぎるような、硬い何かを何度も砕くような、高い所から湿っぽい何かが落とされたような音が、石材で構成されている開けた空間に響き続ける。

 

 

 その空間を照らすのは『人造迷宮(クノッソス)』特有の青白い魔石灯と、魔石灯が必要ないだろうと思ってしまうほど無機質な広間を埋め尽くす、紫紺の輝きを放つ無数の石。

 

 

 美しさと禍々しさが共存する紫紺の石の光は、あらゆる物の本来の色を塗りつぶす。強靭な筋繊維が尋常ではない怪力で引き裂いかれたことで飛び散る『赤』も、生物の肉を引き裂いたことで覗いた『白』も、己の身体の一部を失う度に震える『緑』の巨体も。

 

 

 紫紺の光がなかった時、この空間の惨状を一目見るだけで失神する者が後を絶たなかった。自分達が悪の中の悪と疑っていなかった『闇派閥(イヴィルス)』の残党さえ、()()()()()()()という理由で、Lv.5でも逆立ちしたって敵わないモンスターを生きたまま削り取る『化物』に寒気を覚えた。

 

 

 怪人(クリーチャー)達も近づこうとしなくなった空間にいるのはたった一人。濁りなく、染まり気なく、あらゆる色を拒絶するどころか塗りつぶす『黒』だけがいた。

 

 

『オイ』

「……」

 

 

 今も耳を塞ぎたくなる音を奏でる『黒』に、不気味な仮面と外套(フーデッドローブ)で全身を覆い隠した怪人(クリーチャー)が声を掛ける。淡々と()()を進めていた手を止めないまま『黒』は顔をゆっくりと向ける。

 

 

『オ前ノ望ムモノガ来タゾ』

 

 

 その言葉と同時に、外套(フーデッドローブ)を激しくはためかせる疾風が『黒』のいる空間に吹き込んだ。あちこちに乱雑に積み重ねてあった魔石の山が盛大に音を立てて崩れ去る。

 

 

 荒々しい風を浴びた『黒』は立ち上がり――今の今まで座っていた()()()()()()()()に手刀を差し込んだ。引き抜かれた手には鮮血に(まみ)れた拳大の魔石が握りしめられていた。

 

 

 『黒』は仮面の怪人(クリーチャー)も空を舞う膨大な灰も、床を埋め尽くすように転がる『深層』の魔石の何もかも気にも留めず、風の吹いてくる通路へ去っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無数の羽蟲が飛び交うような音を立てる、青白い剣を携えて。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 時は一人の少女が仲間を信じて命を燃やし、『人造迷宮(クノッソス)』全域に及ぶ風の雄叫びを呼び出した所まで進む。

 

 

 少女の想い(かぜ)にいち早く応えたツンデレ狼人(ウェアウルフ)の青年が赤髪の怪人(クリーチャー)の剣を弾き飛ばし、【怒蛇】(二つ名)に相応しい形相のアマゾネスの姉が二刀の湾短刀(ククリナイフ)による連撃を繰り出す。

 

 

完璧に体制が崩れた赤髪の怪人(レヴィス)の右腕を、傷ついた親友を見たことで笑みを消したアマゾネスの妹が両断し、どうやったら死ぬか分からないドワーフの鉄拳が女の体を殴り飛ばした。

 

 

 狙っていた訳ではないだろうが、【ロキ・ファミリア】の第一級冒険者達が広間から一時的に脅威(クリーチャー)を排除した瞬間に、完全に分断されていた仲間たちが集結した。【ロキ・ファミリア】は矢継ぎ早に情報を交換し、『遠征』の中で身に着けた応急処置を的確に施していく。

 

 

「……ちッ。いつになっても死神(タナトス)の眷属は役に立たん」

「!」

 

 

 第一級冒険者から奇襲を受けて壁に体をめり込ませていたレヴィスが舌打ちしながら煙の奥から現れた。風を纏ったアイズすら圧倒した怪人(クリーチャー)は全身を傷付けながらも、その戦意を欠片も揺るがせない。『魔力』が燃えて傷を一つ残らず治し、切断された腕も何事もなかったように繋がる。瞬く間に怪人(クリーチャー)は全快した。

 

 

 相対する【ロキ・ファミリア】の状態は最悪に近い。未知の領域で嫌というほど『絶望』という名の見えない敵と戦っていた団員の心は折れかけていた。心の負担は身体中に疲労の枷を取り付ける。

 

 

 そもそもLv.7を超える力を手に入れたレヴィスに対抗できるのは、アイズ達【ロキ・ファミリア】の幹部のみ。そんな彼等彼女等は下位団員を庇う、強敵と戦うなどで誰よりも損傷(ダメージ)と疲労が溜まっている。少女(ヒューマン)に抱えられている小人族(パルゥム)の勇者は、小さな身体には大きすぎる刀痕を刻まれて動けない。

 

 

 精神的支柱(フィン)が倒れている。誰一人として万全な者がいない。回復するための道具(アイテム)も限りが見えている。【ロキ・ファミリア】が幾度となく行った『遠征』でもここまで酷い状況はなかった。

 

 

 それでも、やらねばならない。生きて帰りたいならば、大切な人に逢いたいならば、仲間を守りたいならば、命を賭して戦わなければならない。

 

 

 怪人(クリーチャー)が一歩踏み出す。第一級冒険者達は得物を構え、油断なくレヴィスを見据えた。

 

 

 直後。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 広間の()()が、()()()()

 

 

「は?」

 

 

 何の前触れもなく降ってきた石板と超硬金属(アダマンタイト)が、轟音と土煙を巻き上げる。異常事態(イレギュラー)である事を示すように、レヴィスでさえ驚倒していた。

 

 

 誰もが武器を構えて待つこと数分。徐々に薄くなっていく煙の中から現れたのは――全身の至る所に火傷と殴られた痕があり、赤い布で辛うじて要所が覆われた意識のない女性。ぶっちゃけ、「強姦魔に抵抗の限りを尽くしたけど負けた女性」にしか見えない。

 

 

 予想外にも程がある出来事に、アイズ達の呼吸が一瞬止まる。

 

 

「――頑丈すぎるだろ、こいつ。何回もモロに急所に食らったのに、全然倒れないとは。あの無駄にタフな爺さん(ドワーフ)の身内と言われても信じれるぞ」

 

 

 天上に空いた大穴から降り立った黒衣の男が、抜け抜けと言い放つ。男の姿は数時間前から何一つ変わっていない。つまり、無傷。

 

 

 金髪の少女は力を抜いた。彼が来たならもう大丈夫だと、迷宮都市(オラリオ)で最初に喧嘩を売った女剣士は知っている。

 

 

 赤髪の怪人(クリーチャー)の脳裏で警鐘が響いた。ここまで力を付けた自分でも気を抜けば一瞬で殺られると、唯一剣を交えた怪人(クリーチャー)は本能で知っている。

 

 

 男は傷ついた【ロキ・ファミリア】を一瞥するなり抜剣し、背後に残像を引き連れながらレヴィスの元に走ってきた。先程の無駄口が嘘のように、ただ殺気だった黒瞳がまっすぐにレヴィスを射抜く。

 

 

 レヴィスは可能な限りのスピードで避けようとしたが……遅すぎた。不吉な輝きを放つ魔剣が己の胸に迫り来るのは知覚出来ている。だが、それを防ごうと持ち上がる腕が致命的に遅かった。

 

 

 胸部中心を左斜めに走り抜けた剣撃。切り裂かれる極彩色の『魔石』。目の前で手足の先から灰になっていく怪人(クリーチャー)を見て、【ロキ・ファミリア】が歓声を上げる。

 

 

 ぼろぼろと崩れていく身体を無理矢理振り返らせたレヴィスが最後に見たのは――殺気を消して僅かに頭を下げる、悲しげな男の顔だった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 積み上がった大量の灰に僅かに頭を下げ、レインは自分に信じられないものを見るような眼を向けてくる【ロキ・ファミリア】に駆け寄る。正確には、出口がどこにあるのか分からないまま歩き回れば()()()()()()団員に、だ。

 

 

 呪剣(カースウェポン)で塞がらない傷を『魔法』によって凍結されているフィンに手をかざす。

 

 

 ――出し惜しみはなしだ。

 

 

「【ディア・パナケイア】」

 

 

 それはとある愚者の『全癒魔法』。様々な色彩の光玉が瀕死の小人族(パルゥム)を包み込み、光が晴れると、そこには完全に消え去った傷があった所を触診するフィンがいた。

 

 

 レインは毒に侵されている者、疲弊しきっている者、身体の一部が潰れている者に次々と魔法をかけていく。一分も経たないうちに広間から負傷者はいなくなった。

 

 

 相変わらず目を見開いている面々をぐるっと見渡し、満足気に一つ頷く。唯一『魔法』を使っていないアリサを肩に担ぎ、

 

 

「よし、出口を探すぞ」

「よし、じゃねぇッ!」

 

 

 耐えきれなくなったベートが吠えた。急に声を上げたベートをレインは「情緒不安定かこいつ」みたいな目で見る。というか、実際に言った。

 

 

「情緒不安定か、ベート」

「違えよ! 何だ今使った『魔法』は!?」

「『全癒魔法』だ。『呪詛(カース)』も毒妖蛆(ポイズン・ウェルミス)の毒も治したんだから分かるだろ?」

「いやいやいや。あたし達が聞きたいのはそこじゃないよ。今、アルゴノゥト君と一緒で詠唱してなかったよね?」

「詠唱がいらなくなる『スキル』を持っているからな」

 

 

 しれっと、魔導士達が喉から手が出るほど欲しがる『スキル』を明かす。

 

 

「助けてくれて感謝する、レイン。今回改めて思ったよ……君だけは絶対に敵に回したくない」

 

 

 まだ何かを聞き出そうとする団員達を手で制し、フィンは礼を言う。穢れた精霊が哀れに思える雷の『魔法』を何度もぶっ放し、傷を与えてもすぐに回復される……とても勝てる気がしない。

 

 

「お前らが本当に殺る気で来なければ何もしないさ……。さっさと行くぞ。まだ合流できてない団員がいるんだ――」

 

 

 姿の見えない団員のことを案じるレインの言葉は最後まで続かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――貴方は必ず来ると思ってた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 広間に響いた声は、この冷たい迷宮に似つかわしくない程澄んでいて。劇場(シアター)で一番の歌手よりも綺麗な声だと、そんな感想を誰かが抱いた。

 

 

「貴方は優しいから……世界で誰よりも優しい人だから。親しい人が危険な場所へ行くのを見逃せないと分かってた」

 

 

 これは夢だ。そんなことがある訳ない。きっと無意識の願望が幻聴を生み出したに決まってるっ。こんな自分が彼女に逢う資格なんてない! だから、()()()()()

 

 

 胸の中であらゆる感情と考えが浮かんでは消える。自分の身体が自分の物ではなくなったかのように、勝手に振り向いた。振り向いてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………フィー……ネ」

 

 

 見間違うことなどありえない最愛の人が、悪夢のように青白い魔剣を手に立っていた。

 



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四十七話 力の一端

遅くなった理由。アストレア・レコードを見てプロットを書き換えたくなった。


「本当に『コレ』は強いんだろうな?」

 

 

 魔石灯をほぼ撤去し、真っ当な人間なら自然と恐怖を抱いてしまう闇に包まれる空間は迷宮の中で最も重要な場所の一つ、闇派閥(イヴィルス)の拠点であった。壁際に存在する『呪い』を具現化したような外見を持つ武器が不気味な光を跳ね返す。

 

 

 ぼんやりとした青い燐光に照らされる空間に響いた声は、まるで聞くだけで脳みそが蕩けるのではないかと錯覚してしまう程の艶を含んでいた。その声は疑念や苛立ちの感情を孕んでいて尚、美しい。

 

 

 声の主は大きく胸や肢体を露出させた褐色の肌と、誰もが目を奪われてしまう美貌を持つ『美神』、イシュタル。彼女は青白い水膜が張られた台座を煙管(キセル)片手に覗き込みながら、一歩離れた場所からこちらを眺めるタナトスを睨みつける。

 

 

出資者(スポンサー)様の期待は裏切らないさ。あんたには散々世話になったことだし、そのことを俺達はとっても感謝して頑張っているんだから少しくらい信用してよ」

「する訳がないだろう。あの美神(フレイヤ)眷属(ガキ)共を潰すための切り札がどうなっているのか確認してみれば、『あ~、イシュタルの牛? 目を離している間に壊れちゃった。メンゴメンゴ☆』……殴るだけで済ませた私の慈悲に感謝しろ」

「ちょっとした冗談(ジョーク)なのに……」

 

 

 濃紫色の長髪で隠れていて見えないが、赤く腫れ上がった頬を抑えながらシクシクと泣き声を漏らすタナトス。そのわざとらしい泣き真似に苛立ちを覚えたイシュタルは台座を蹴りつけ、音に驚いて顔を上げたタナトスに紫煙を吹きかける。

 

 

 煙をモロに受けて激しくむせるタナトスの心配は一切せず、イシュタルは水膜の中で【ロキ・ファミリア】と相対する漆黒の少女に目を向ける。

 

 

 繊細でとても優しい顔立ちの女だ。しんと静まった雰囲気を漂わせており、どこか神秘的な印象を受ける。肌の露出がない漆黒の戦闘衣(バトルドレス)と手袋を身に纏っており、舞踏会のための衣装と言われても納得できる服装だった。

 

 

 見た目も非凡だった。仮に彼女が神なら、間違いなくイシュタルやフレイヤと同じ『美神』に分類されていただろう。それ程の美貌を持っている。

 

 

 はっきり言って、戦場に全くと言っていいほど似つかわしくない女だ。

 

 

「で、『コレ』はどの位の力を持っている? 本来私が貰い受ける予定だった『天の雄牛』より下であれば、もう投資(カネ)は落とさんぞ」

「大丈夫さ。だってイシュタルの牛を潰したの、その子だから」

「なにっ?」

 

 

 ようやく復活したタナトスに疑わし気な目を向ける。タナトスは軽くせき込みながら笑う――ただ一つ、虚無だけが存在する笑みを浮かべて。

 

 

「ヴァレッタちゃんがあの子……フィーネちゃんの死体を持って帰った四年前に『魔石』を埋め込まれた時点で、フィーネちゃんは今のレヴィスちゃんや都市の破壊者(エニュオ)の切り札より強かったし」

「私はレヴィスとやらも『天の雄牛』の潜在能力(ポテンシャル)も知らん。もっと分かりやすく言え」

「ん~、そうだなぁ……」

 

 

 死神(タナトス)は少し間を開けて、告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全盛期の最強の男神(ゼウス)最強の女神(ヘラ)派閥(ファミリア)、全員を相手取って皆殺しにできるくらいかな?」

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 レインの肩からアリサが滑り落ちた。当然、何も知らない【ロキ・ファミリア】は音のした方、つまりレインの方へ眼を向けることになり、驚愕する。

 

 

 都市の頂点(オッタル)、『穢れた精霊(デミ・スピリット)』、赤髪の怪人(レヴィス)を前にしても飄々(ひょうひょう)とした態度を微塵も崩さず不敵に笑っていたあのレインが……泣きそうな顔で微かに、でも確かに震えていた。

 

 

 【ロキ・ファミリア】の警戒が最大レベルまで跳ね上がる。この豪胆で神がかった戦闘能力を持つ男が震えるなどただ事ではない。復活したフィンが指示を出さずともガレス、ベート、ティオナが前に出ていつでも飛びかかれるように身構える。壁役(ウォール)の陰に隠れる魔導士達も小声で長文・短文詠唱を口ずさむ。

 

 

 女は姿を見せた時に喋ってからは何もしない。『魔法』を使う素振りも、武器を構えることもしない。ただ静かに剣をだらりと下げたままだ。

 

 

(『魔法』の詠唱は聞こえているはず……何故魔導士を潰そうとしない?)

 

 

 遂に魔導士達の詠唱が完成しだした。後はフィンが合図を出すか前衛が大きな隙を作り出すタイミングで一斉掃射すればいい。仮に目の前の女がレヴィスと同格かそれ以上の強さだろうと、魔導士の『魔法』の中には広範囲殲滅魔法がいくつもある。全ての『魔法』を防ぎきることなど出来ないし、仕留めきれずとも隙は必ずできる。

 

 

 レヴィスが厄介だったのは、馬鹿魔力(レフィーヤ)の『魔法』でも一発なら片手で防いでしまう事である(レフィーヤ並でなければ有効打にならなかったのもある)。それ故にレヴィス相手に『魔法』は牽制にも攻撃にも使いづらく、広範囲魔法はレヴィスを相手にする仲間を巻き込むため使えなかった。

 

 

 今は違う。敵は【ロキ・ファミリア】と二〇M(メドル)以上離れているので、仲間を巻き込む可能性はない。しかし、フィンはぴくりとも疼かない親指を見ながら思考を回す。

 

 

(攻略するための手段と手順はもう完成する。敵は恐らくレインの知人だろうが、この際は関係ない。知人であるなら、僕達に襲い掛かってくればレインは必ず止めるだろう。これで防御面も問題ない。なのに、どうして()()()()()()……親指(かん)も疼いてないのに――ッ!?)

 

 

 一秒にも満たない思考でフィンは気付いた、気が付いてしまった。『勘』が疼かないのは危険がないからではなく――無意識に体が勝つ(生きる)ことを諦めてしまうほど、力の差が隔絶しているからではないかと。

 

 

 その可能性に気が付いた時点でフィンは撤退の指示を出すべきだった。だが、もう遅い。

 

 

「おい女。その臭え匂い……てめえも化物女と同じか」

「……」

「てめえらみてえなモンスターより汚え奴は、俺の前から消え失せろッ!」

 

 

 決して口には出さないが、ベートは仲間を怪人(レヴィス)に傷つけられて静かに苛立っていた。そこへ怒りを容赦なく叩きつけてもいい怪人(クリーチャー)が現れたなら、溢れ出る戦意を抑える必要はどこにもない。

 

 

 侮蔑と唾棄の感情を吐き捨てながら肉薄し、レインの『全癒魔法』で万全の状態となった右こぶしを叩き込もうとする。ベートの突進に合わせて魔導士達は、援護のための『魔法』を放つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「【リフレクション】」

 

 

 決して大きくはない超短文詠唱(つぶやき)。しかし、効果は嫌という程目に映った。

 

 

 黒い少女の顔に叩き込まれるはずのベートの拳が、少女の前に現れた薄ら透ける白い障壁に阻まれる。障壁にぶち当たった右拳は轟音を奏で――潰れた。ベートの右腕は本来の半分の長さまで無理やり押し潰され、随所から肉袋に収まりきらなかった砕けた骨が筋肉を貫いて飛び出し、とても痛ましい果実(ザクロ)を作り出す。

 

 

 そこからの『一瞬』を動くことが許されたのは……この場で二人だけの『黒』。

 

 

 すぐに冷静さを取り戻したレインが神速でベートに近づき、まだ痛みが体に追い付いていない狼人(ウェアウルフ)の首を掴んで背後にぶん投げる。直後、ベートの頭部を粉砕せんと振り上げられていた少女の足が、何層も折り重なる超硬金属(アダマンタイト)で造られた迷宮の床を()()()()

 

 

 たおやかな少女の足を中心に凄まじい衝撃と亀裂が発生し、散弾のように飛び散った超硬金属(アダマンタイト)がすぐそこまで迫ってきていた『魔法』を全て貫く。『魔法』をかき消した凶弾はそれだけでは満足しないのか、微塵も勢いを殺さず【ロキ・ファミリア】に迫る。

 

 

 が、凶弾はいきなり停止する。それはまるで不可視の壁にぶち当たったような不可解な止まり方であり、運動エネルギーを失った超硬金属(アダマンタイト)の欠片達は一斉に床に落ちる。レインがエクシードで全ての欠片を受け止めたからだ。

 

 

 そのままレインは両腕を振るい、覚えのある妖精(気配)が近づいてくる通路に【ロキ・ファミリア】を叩き込む。鎧や兜が頭にぶつかって鈍い音や苦しそうな声が聞こえたが、レインの意識から彼らのことは消えていた。

 

 

 次の瞬間、大広間が丸ごと崩壊する。少女が生み出した破壊の爪痕は天井、壁、床を留まることなく走り抜け、足下に底が見えない大穴を作り出した。レインは落盤に巻き込まれる気など毛頭なく、既に落下を始めている足場を蹴って跳ぼうとしていたが、咄嗟に腕を交差(クロス)させながら振り返る。

 

 

 いつの間にか頭上にいた少女がレインの腕に踵落としを叩き込んだ。霞む速さで振り下ろされた断頭刃(ギロチン)の如きその一撃は、防御に用いたレインの腕に激痛をはじけさせ、穴の底へ叩き落とす。

 

 

「……」

 

 

 長い黒髪の奥にある口から発せられた言葉は、音にならず空に消える。少女は己に降りかかる重力に逆らわず、世界でたった一人の大切な人がいる場所へ落ちていく。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「ははははははははははははははっ!! 出鱈目じゃないか! なるほど、本当に男神(ゼウス)女神(ヘラ)の眷属だろうと皆殺しにできそうだ! ここでフレイヤのお気に入りも消え失せる! もうあの女神(おんな)は死んだも同然だ! 私の勝ちだっ、ははははははははははははははっ!?」

 

 

 台座に映し出された大破壊の光景に、褐色の美神は仰け反りながら哄笑を上げる。期待を遥かに上回る力を見せつけた怪人(フィーネ)に興奮して、頬を紅潮させ(よだれ)をまき散らす姿は、絶頂を繰り返して壊れる寸前の淫婦そのものだ。

 

 

「うっわ。イシュタルに貰った『兵器』も取り込ませたけど、ここまでヤバい事になってたの?」

 

 

 別の空間から聞こえてくる『人造迷宮(クノッソス)』の製作者(バルカ)の絶叫と、彼の癇癪を鎮めて欲しいと懇願する眷属たちから目を逸らし、何かを思い出すように目を細める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フィーネちゃんが死ぬ原因を作った『正義の味方』には感謝しないとねぇ」

 




三十九話に『あの女』というセリフがあることに皆さんは気付いていましたか?


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四十八話 私は、貴方を――

 難産、駄文、キャラが分からんので捏造。以上。


 私にはたった一人の家族であるおばあちゃんにも、世界で一番大切な人にも言えない秘密がある。それを誰かに教えようと思ったことなんか一度もないし、この秘密がある事を嬉しいと思ったこともなかった。

 

 

 私の秘密。それは未来の断片が見えること。

 

 

 どうして自分にこんな『力』があるのかはよく分かってない。私が小さい時、おしゃべりが好きなお母さんはず~っと昔のご先祖様が精霊を助けて血を分けてもらったことがある、とか言っていたけれど、本当なのか疑わしい。お父さんとおばあちゃんは嘘だろうと笑ってた。

 

 

 話を戻そう。私はこの未来を見る力だけはない方が遥かにマシと思っている。未来が見える時期(タイミング)も見たい未来も自分の意志では決められないのに、未来が見えるのは必ず幸せな時なのだ。しかも見える未来は決して外れることはない。

 

 

 見える未来に希望と幸福は欠片もなく、あるのは耐え難い絶望と苦痛だけ。何より嫌だったのは、そんな見たくもない未来を変える力が私にはなかったこと。そして私に関わってしまえば、その人の不幸な未来が見えてしまい、傷つけてしまうこと。

 

 

 私に関わった人が不幸になるなんて信じたくなかった。でも、私の周りではお父さんやお母さん、私に優しくしてくれた人達は次々に傷つき、死んでいる。

 

 

 だから私にとって小さな田舎の寒村に移り住むことは好都合だった。他者を受け入れる余裕のない田舎であれば、私とおばあちゃんに関わろうとする人はいない。冬になれば食料に余裕のなくなる寒村なら尚更。

 

 

 予想通り、引っ越した村の住民たちは余所者である私達を拒絶した。割と気難しいおばあちゃんは「こんな村に助けなんて求めんよっ」って言いながら、絶対に村の人と関わろうとしなくなった。私とおばあちゃんは名前のない小さな森で、ひっそりと暮らしていくはずだった。

 

 

 でもね、想像したことさえなかったよ……私に好きな男の子ができるなんて!

 

 

 最初の頃はすっごい迷惑だった。傷つけたくないから誰とも関わらないようにしてるのに、毎日私のところにやって来る。「私の気も知らないで!」って怒ってロクに話をしようともしなかったよ。

 

 

 正直に言えば怖かったんだと思うな。前に住んでいた都市はどこもかしこも「絶望」でいっぱいだったから、皆「快楽」に逃げるために……知らない人同士でも男女の営みのようなことをしてたし。私も未遂だけど被害にあって男の人が怖くなったし、更に内気な性格になっちゃった。

 

 

 でもその子は違った。虫を殺すことも躊躇い人を傷つけることなど想像もできない、本当に優しい人だった。おばあちゃんも彼の優しさを感じ取ったのか、彼だけは受け入れたもの。

 

 

 しばらくして、私はその男の子が世界の誰よりも好きになった。いやまあ、元々好きな人にお父さん、お母さん、おばあちゃん、彼の両親と並んでいて、その上に定員が一人の最愛の人ができただけなのですけどねっ(後はその他大勢です)。

 

 

 私はしょっちゅう笑うようになり、もっと時間が経つと一日中べったりだった……流石に節度は弁えていたけどね。しかも成人していなかったのに、将来は一緒になろうなんて約束までした。私は紛れもなく本気だったし、きっと彼も本気だった。彼は嘘でこんな約束をする人じゃない。

 

 

 こんな幸せな時間が無限に続けばいいと願っていた。自分達で続かせるように努力しようと彼と約束した。

 

 

 でも……私は約束を破ってしまった。

 

 

 彼の目の前で殺され、彼の心を死なせてしまったことで、もう約束は果たされない。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 17階層の『嘆きの大壁』よりも冷たさを感じさせる大広間に業火の大嵐が吹き荒れる。まるで地獄の底から呼び出されたかの如き灼熱の炎は一〇〇M(メドル)を優に超える空間を埋め尽くすと、部屋中に転がっていた無数の檻や鎖を熱したフライパンに落ちた水滴のように()()()()()。最高純度の『超硬金属(アダマンタイト)』と『魔除け石』で造られた壁だけが辛うじて耐え抜いた。

 

 

 そんなあらゆるものを平等に無に帰す炎の渦は、突如出現した大氷塊にぶつかり威力を大きく減少させる。直後、炎の中から虹色の障壁に包まれたレインが飛び出した。レインは障壁に纏わりつく炎を振り払いながら疾走し、広間を灼熱の赤に塗りつぶした術者――フィーネの元へ辿り着く。

 

 

「お願いだフィーネっ。返事をしてくれ!」

「……」

 

 

 何度目かも分からぬレインの悲痛な声を聞いても、フィーネは口を開かず表情も変えない。これが答えだと言わんばかりに、音を置き去りにする青白い魔剣の横殴りの一撃を繰り出す。数舜遅れて持ち上げたレインの魔剣とぶつかり合い、反発し合う魔力によって盛大に火花が飛び散る。

 

 

 レインは押し込んでくる力に逆らわずフィーネの剣撃を受け流す。そのまま意識を刈り取ろうと回し蹴りを(あご)に掠めるように放つが、

 

 

「【リフレクション】」

 

 

 フィーネの魔法は触れることも許さない。

 

 

 蹴り足をひねることで回し蹴りを踵落としに変化させ、床に振り下ろした。フィーネの眼前に展開された白い障壁にはぶつからなかったものの、無理な攻撃の変化はレインに刹那の隙を生じさせる。次の瞬間、フィーネは力任せにレインを蹴り飛ばした。そこに加減は一切なく、蹴り飛ばされたレインは突風に巻き上げられた木の葉のように吹き飛び、壁に激突した。

 

 

 何とか受け身を取ったレインだが、既にその身体はボロボロだった。

 

 

 フィーネの総合的な【ステイタス】は、レインよりずっと下だろう。しかし、『力』と『魔力』だけは【ステイタス】を大幅に制限しているレインを上回っている。防御力では世界の一、二を誇ると言われる、ガレス・ランドロックより遥かに高い『耐久』を持つレインだが、フィーネの攻撃を受けた個所の骨には罅が入っている。

 

 

 状況もレインにとって遥かに不利だった。レインはフィーネを殺せない。身動きを封じるために手足の腱を狙って剣を振ろうとしても、どうしても身体が重くなる。本来の精彩な動きを発揮できないレインは隙だらけで、そこへ容赦のないフィーネの攻撃が何度も叩き込まれた。

 

 

 拘束・氷結・麻痺といった類の『魔法』も跳ね返され、回復の『魔法』を使うことに意識を向ければ『反魔法障壁(アンチ・マジックフィールド)』を突き破る破壊力を持つ大量の『魔法』が殺到する。

 

 

 時間が経過すればするほど状況は悪化していく。上層へ移動することで【ロキ・ファミリア】の力を借りることは出来ない。彼等はフィーネと戦うには力不足であり、万が一にでもフィーネを傷つけられたら、レインにそいつを許す自信はなかった。

 

 

 レインは最愛の人に剣を振るわねばならない。本当に彼女を守りたいならば、大切に思っているなら、やらなければならない。――例え、死んだ心から血の涙が零れ落ちようと。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 私は一度死んで怪人(クリーチャー)と呼ばれる存在に生まれ変わった。自分が人ならざるものに変貌したと理解した時、私はこれを天罰だと解釈し、大して取り乱さず受け入れた。

 

 

 ()()()()()()()、私は。私がレインと恋人になれば、私はレインに深い傷を残すことになるって。それこそ、優しいレインが人を殺す戦士になるくらいの爪痕を。

 

 

 でも……好きだったの。最悪な未来がわかっていても、ずっと一緒にいたいと願ってしまうほどに。彼がいなくなること、彼に嫌われることを想像するだけで死にたくなるくらい好きだった。

 

 

 レインと再び出会うまで、私は、そんな甘っちょろい事を考えていた私を殴り飛ばすような未来をいくつも見ていた。

 

 

 沢山の傭兵崩れから村を守ったのに拒絶され、必死に涙をこらえるレインを見た。

 愛を知らずに育てられたせいで心に闇を抱える暗殺者達を殺し、人の善性を盲目的に信じる馬鹿共に責められるレインを見た。

 敵が子供だからという理由でとどめを刺さなかったせいで死んだ人々を前に、人の黒い意志を浴びせられるレインを見た。

 

 

 それでもレインは折れなかった。途方もない数の命で手を血で汚しても、決して戦うことから逃げようとしなかった。

 

 

 私のせいでレインが傷つく事がとても悲しくて、戦うことは私を忘れてない事だと分かってとても嬉しくて。

 

 

 意識を現実に引き戻す。壁から抜け出して向かってくるレインは、傷がない所を見つけるのが難しいくらいボロボロだ。対照的に私は一度も傷を負ってない。その事実に隠している感情が悲鳴を上げる。

 

 

 世界で誰よりも優しく、誰よりも愛しい貴方だからこそ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――レイン。私は貴方を愛しています」

 

 

 ――私は貴方に死んで(殺して)ほしい。

 

 

 青白い魔剣が、黒影の胸を貫いた。




【リフレクションフィールド】
・反射魔法
 レインの心を傷つけた事を後悔して生まれた魔法。反射なのは触れた者を傷つけ、自分に近づこうと思わせないため。


【グリム・エグソダス】


 出ていないけどフィーネのもう一つの魔法。自分が恋人を傷つけた罪人という意識から生まれた魔法。
 イメージとしては童話に出てくる女の魔法が使える感じ。

 『鏡』の魔法であれば想像した人物の技や戦闘技術だけをその身に宿す。レインと戦えたのはこれが大きい。

 他にも一定の時間だけ『敏捷』と『器用』を上げる『靴』の魔法。その身に着けている間は様々な加護をもたらすが、壊されれば塵になる『剣』の魔法がある

 鏡、靴、剣は【グリム・エグソダス】で一括り。【グリム・エグソダス】を発動するための詠唱をした後、それぞれ別の詠唱がある。




 フィーネのLv.は普通のLv.10を軽々超えていますね。次で【ステイタス】を書きたい。ここで書いたらネタバレになるし。なんで炎の魔法を使っていたのかも次で。


 フィーネがおばあちゃんから離れなかったのは、おばあちゃんを一人にしたら死んじゃうからです。


 疑問があれば遠慮なくどうぞ。


 追記:最近モチベが下がってきた。誰か、高評価(げんきのでるもの)をくだせぇ。

 



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四十九話 言葉の意味は

 まずは感謝を。今作に高評価をしてくださった方々に、心から感謝します。しばらくしたらまたモチベが下がるかもしれませんが、最後までは書き切ります。


 そして謝罪を。作者の文才がないため、作中に纏めきれなかったものをあとがきに載せてあります。駄文間違いなしです。


(あとがきは1000文字を超えました)




 「無駄になると思っていたが、氷系統の『魔法』を使っといて助かった」……頭の片隅でそんなことを考えながら、レインは高熱で服が肌とくっついてしまった身体を壁から引き抜く。レインがフィーネの身動きを封じるためにぶっ放した『魔法』は全て反射されており、跳ね返された『魔法』は壁や床に着弾していた。そのおかげで超硬金属(アダマンタイト)で構成されている空間は殺人的な熱を放ちながらも、金属としての硬さを保っていた。

 

 

 仮に『反魔法障壁(アンチ・マジックフィールド)』だけでフィーネに対抗していれば、レインは壁に叩きつけられた時点で溶けた金属に飲み込まれて窒息、もしくは体の穴から高温の金属が流れ込んで体内から焼け死んでいたかもしれない。

 

 

 今すぐにでも膝を折ってしまいそうな程の痛みを堪え、レインはエクシードを極限まで高めた。下界でも両手の指の数にも満たない人数しか習得できなかったエクシードは極めれば身体能力を跳ね上げ、一時的に出血と痛覚を抑えることができる。代償として十数分で体力が尽きるが――

 

 

(どう足掻いても動きが鈍るなら、少しの間でもいいから、鈍っても問題ないくらい能力を高めればいい)

 

 

 フィーネを傷つける覚悟を決めたレインが狙うのは彼女の右肩。剣を持つ腕の骨の間に異物――それも魔剣をねじ込めば、如何に再生力が優れた怪人(クリーチャー)であろうと剣を引き抜き、傷を塞ぐ数秒間は腕を使えなくなるだろう。

 

 

 そのまま寝技に持ち込んで意識を奪う。筋力にどれだけの差が存在しようと片腕がないならば、体術も極めたレインから逃れるのは不可能だ。その唯一の優位性(アドバンテージ)である『力』も、今はレインが上回っている。

 

 

(あの厄介な反射魔法は常に術者(フィーネ)から離れた場所に展開していた。恐らく密着してしまえば意味をなくす!)

 

 

 二人が推定17階層に落ちてから過ぎた時間は五分を超えた。どれだけ戦いたくなくても、どれだけ相手が強敵だろうと、レインはフィーネの『魔法』の特性や攻撃の癖を正確に見抜いていた。

 

 

 猛然と床を蹴って走り出す。一呼吸もしない内にフィーネの前に残像を引き連れたレインが現れ、閃光のような突きを放つ。接近した時にフィーネがあたかも鏡合わせのように魔剣を引き絞っているのが見えたが、それはレインが止まる理由になりはしない。

 

 

 ――フィーネの攻撃が腕や足を狙うものなら避けなかった。首や心臓だったら急所を逸らすだけで突き進めた。見知らぬ『魔法』だろうと受けきれる自信があった。  

 

 

「――レイン。私は貴方を愛しています」

 

 

 だからこそ。

 

 

 もう二度と見ることが叶わないと思っていたはずの微笑みを、彼女が浮かべるなんて予想外で。

 

 

 もう二度と聞くことが出来ないと分かっていたはずの言の葉を、彼女から告げられるなんて想像もできなくて。

 

 

 レインは、世界最強の黒い戦士は、優しい心を捨てきれなかった男は――剣を止めてしまった。

 

 

 青白い魔剣が黒影を穿つ。禍々しい血泉(けっせん)が派手に噴き出て、雨のごとく広間に降り注いだ。黒影の胸を貫いている魔剣に血が伝い、持ち手の手袋に染み込んでいく。

 

 

 男は目を見開いていた。女は変わらず笑っていた。

 

 

 そして、永遠にも等しい一瞬が過ぎ……()()()()()()()()は男に寄りかかるようにして、ゆっくりと膝を折った。

 

 

 レインは氾濫寸前の感情と思考を必死に押しとどめながら、瀕死の少女を抱きかかえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フィーネッ、君は――最初から、俺に殺されるつもりだったのか!!!」

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 愛しい人の腕に包まれる私の身体が、足の先から灰になっていく。私の胸に突き立つレインの魔剣は心臓を貫き、近くにある怪人(クリーチャー)の急所である魔石に(ひび)を入れた。直接見ることはできないけど、生じた罅がどんどん大きくなっていくことを感じ取れた。

 

 

 ……恐怖はない。好きな人に看取られて逝ける私は、間違いなく幸せだ。

 

 

「殺されるつもりなんて、なかったよ……。むしろ、確実にレインを殺すために……あの言葉を使ったわ。優しいレインなら、絶対に動きが鈍るだろう……って――げほっ」

 

 

 ……『愛している』も『殺すため』も私の本心。あの言葉で動きが鈍ったところで心臓を刺してやろう……そんな屑みたいな考えで、私はあの言葉を口にした。

 

 

 効果はあった。優しいレインは卓越した反応で剣を止め、隙が必ず生まれると思っていた醜い私は足を進めて、間抜けなことに自らレインの剣に当たりに行くことになった。

 

 

 そこまで話した途端、もうこれ以上彼の耳を汚すなと言わんばかりに喉に血が絡まり、苦しくなった私は咳き込んで吐き出す。

 

 

「もう喋らなくていいっ。大丈夫だから、今度こそ俺が助けるから!」

 

 

 今にも泣きだしそうな顔でレインが叫ぶ。すぐさま胸を穿つ魔剣を引き抜き乱暴に投げ飛ばし、傷を治療しようと私の戦闘衣(バトルドレス)を引き裂き……そこで手が止まった。

 

 

「フィーネ……これは、まさか……」

「……見られたく、なかったなぁ」

 

 

 ――私の胸には貌があった。それはまるで、この世のものとは思えない絶望と恐怖を味わいつくした天女と言うべき悍ましく歪んでいる女の貌だ。怪人(クリーチャー)になる前の私が見たら、絶対に悲鳴を上げるくらい気持ち悪い。

 

 

 でも、レインが手を止めたのはこれじゃない。多分傷口から覗く私のどす黒い心臓を見たからだろう。それこそが、私が一番見られたくなかった物だ。

 

 

「『陸の王者(ベヒーモス)』の心臓!? くそっ、二年前に全て潰したはずなのにまだ残っていたのか!」

 

 

 レインはきっと責めている。二年前、大罪人として知らない人々に恨まれてでも世界からなくそうとした兵器が私の中にある事を。

 

 

 兵器の正体は『ベヒーモス』の心臓――正確にはいくつにも分けた上に毒素を取り除かれた一部。私は『ベヒーモスの心臓の欠片』と『宝玉の胎児』の二つを取り込み、レインと渡り合えるだけの力を得た。

 

 

(そういえばこの時からかな。私がレインに死んでほしい、なんて世迷い事を考えるようになったのは)

 

 

 どうしてこんな事を考えたのだろう? 私が怪人(クリーチャー)になってから力を付けることに躍起になったのは、これから先、レインが避けられない未来(絶望)を退けるためだったのに。

 

 

 沢山のつらい思いをしてもレインは意志が強い人だから、決して見捨てず逃げ出さない。いっぱい傷ついても、守りたいと思った人のために戦い続ける。誰よりも強い人だからこそ、彼を守れる人はいない。

 

 

 レインが私のことを知らなくても、彼の代わりに戦いたかった。彼が笑顔でいられるように、彼の大切なものを守りたかった。

 

 

(そっか……私は()()()()()()()()……)

 

 

 しかしレインに降りかかる絶望は多すぎて、全知全能の神様に遠く及ばない『人間』の私は全ての絶望を斬り払うことができなくて、彼を幸せにすることが私には不可能だと思い知らされて。

 

 

 このまま時間が過ぎていけば、レインはどこまでも救いのない終わりを迎えることになる。だから私はレインを殺そう(救おう)とした……それが何よりもレインを傷つける分かっていながら、ただ自分が楽になるために正当化している事に気づきながら、目を逸らしていた。

 

 

 どうしてだろう……レインが死んだら私も死んだも同然なのに。

 

 

「あああああああっ何でこんな時に回復魔法が効かないんだ畜生っ!? 止まれっ! 止まれよっっっ!!!」

 

 

 レインの声がどこか遠く聞こえる。既に私の下半身は灰になって崩れ去り、無慈悲な亀裂が上へ上へ広がっていく。視界が狭まり、愛しい人の顔が闇に飲まれて見えなくなっていく。

 

 

「……レ、イ……ン」

「!」

 

 

 最後の力を振り絞り、鉛のように重くなった両腕を持ち上げる。その動作は途轍もなく緩慢で、震える指先は小さな音を立てて消えていく。

 

 

 それでも、届いた。右手は日光を浴びた雪像みたいに崩れ落ちたけど、必死に伸ばした左手はレインの顔に触れることができた。

 

 

 その黒瞳から溢れ出る、世界で一番温かい雫を拭うことができた。

 

 

 役目を果たし終えた左手が、ほどけるように崩れていく。

 

 

「私はね――」

 

 

 自分の中から命が割れていく音を響かせながら、私は言葉を紡ぐ。本当に、幸せな笑みを浮かべて言葉を遺す。

 

 

 未来を知っていながら、それを変えようと全力では抗わなかった。私欲のために多くの人々を傷つけた。挙句の果てには大好きな人をこの手で殺そうとし、無理矢理十字架を背負わせた。

 

 

 間違いなく私は大きな罪を犯した。私はどうしようもない悪党だ。どこまでも自分だけが大事な利己主義者(エゴイスト)

 

 

 嗚呼、私は、私は、私は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴方に出会ったことで、もう、とっくに幸せだった(救われた)もの」   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ずっと……一緒にいたかった。

 

 

 どれが本当の最期の言葉か分からないまま、一人の少女は世界から消え去った。 




 フィーネ

 Lv.000

 力:000
 耐久:000
 器用:000
 敏捷:000
 魔力:000


《魔法》

【リフレクションフィールド】
・反射魔法。 ・解除後、連続の使用は不可能。

【グリム・エグソダス】
付与魔法(エンチャント)。 詠唱によって効果変更。 ・二重使用は不可能。


《スキル》
絶望予知女(アンティゴネー・パンドラ)
・???

人怪融合(モンストルム・ユニオン)
・異種混成。 ・超越界律。 ・神理崩壊。 ・穢霊浸食。

精霊超人(スピリット・ネメシス)
・魔法効果増大。 ・精霊系統魔法の執行権。 ・精神力消費による全能力超高強化。
・精神汚染。

王者代行(オルタナティブ)
・全アビリティの超域強化 ・悪感情の丈により効果上昇。 ・悪感情増幅。 ・思考汚染


 この作品では何らかの技術を駆使して、ベヒーモスの心臓を回収できた事になっています。

 ちょくちょく出てきていた『兵器』としての完成型がフィーネ。『心臓』はいくつに分割されても生きています。『心臓の欠片』は取り込んだ生物の心臓と融合し、本来の性能を発揮します。しかし、フィーネ並の肉体性能がなければ、人間では使うことができませんでした。使えばほぼ使い捨ての『兵器』になります。


 毒素が取り除かれているのは、一度毒素があるまま使用したところ、毒をまき散らして組織が潰れかけたからです。アホですね。


 レインは二年前にベヒーモスの心臓そのものと心臓の欠片を取り込んだ人を焼き払いました。それで終わっていたように見えましたが、心臓の欠片はまだ残っていました。


 ・エクシード
 いわゆる『気』です。本来の用途は身体能力を高め、怪我をしても万全で戦えるようにするものです。ゴライアスを握りつぶすのに使うものではありません。


 ・フィーネの言動について。


 彼女は自分のことをエゴイストかつ屑だと思っています。理由はレインが苦しむ姿を見たくないがために、レインを殺そうとしたからです。


 彼女はレインを傷つけたのは全て自分のためと言っていますが、本心は彼女自身もわからなくなっています。


『レインの近くに守られるべき弱い人がいるから、レインが傷つくことになる。なら最初から弱い人がいなければいい』
『でもその人が傷つけばレインは悲しむ』
『ならレインがいなければ、レインが悲しむことはない』


『ベヒーモスの心臓』と『宝玉の胎児』を取り込んでからというもの、フィーネの頭ではこんな考えが常にありました。これは例の一つで、もっと沢山の支離滅裂な思考があります。


 こんな考えは可笑しいと分かっていても、決して思考を止めることはできませんでした。【ロキ・ファミリア】の『人造迷宮』に突入するのが数日遅れていれば、フィーネは無差別にオラリオの人々を殺しに行ったかもしれません。


 レインの魔剣で胸を貫かれたのも偶然なのか、それとも自分の中の黒い衝動を止めてもらいたかったがために、自ら当たりに行ったのか……。


 レインを殺そうとしたのも、全部自分のためなのか、見えた未来がそんなに酷いものだったのか……


 一つハッキリとしているのは、フィーネは殺されるならレインに殺されたいと思っていたことです。


 好きだからこそ殺してほしい。好きだからこそ、自分を殺すことで手を汚してほしくない。皆さんはどっちですか? 


 無理のある構成でしたが、今回の話は作者にとって一番書くのに苦労し、考えさせられるものでした。


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五十話 奇跡の歌

祝、五十話。作者の書きたかった話。


『フィーネはこの話が嫌いなのかい?』

 

 

 そこは一人の少年のお気に入りの場所だった。村の住人が目もくれず近寄ろうともしない森の中にある、それなりの力で石を投げれば向こう岸に簡単に届いてしまう程度の小さな湖。明るい春の日差しが木々の隙間から湖面に降り注ぎ、宝石の如き輝きを放っていた。

 

 

 しかしそこは、もうたった一人だけの秘密の場所ではない。椅子の代わりに倒木に腰を下ろしている少年の隣には、くたびれた青いブラウスと白いスカートを穿く少女がいる。二人のお気に入りの場所となった湖の(ほとり)で、少年と少女はたくさんの本を読んでいた。今も一つ、物語を読み終えたところだった。

 

 

 先ほどの心配そうに尋ねたのは、少女の顔を見たら嫌そうな顔をしていたからだ。少年は少女が不機嫌になったことを割と見たことがあったが、彼女が本を読んで機嫌を悪くすることは一度もない。……ちなみに、彼女の不機嫌そうな顔を何度も見ることになったのは、恋人になるまでしつこく求愛(アタック)したせいである。

 

 

 親父に『ストーカーか、お前は』と言われた黒歴史(おもいで)を忘却の彼方へぶん投げ、ずっと本に視線を落としている少女を見つめていると、

 

 

『……だって、このお話は幸せな終わり(ハッピーエンド)じゃないもの』

 

 

 ぽつりと、少女が呟く。

 

 

 心の底から絞り出されたかのような少女の声は、ずっと少年の心に残ることになる。

 

 

 近い将来、目の前の少女が死ぬことで絶望し、嬉しいことや楽しいことの記憶を埋もれさせてしまっても、少年はこの時のやり取りをずっと覚えていた。

 

 

『レイン。もし貴方がこの物語の『魔法』を使えたとしても、私に絶対に使わないでね』

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 消える。消失する。崩れ落ちる。

 

 

 レインの腕と指の隙間から、フィーネだった灰が流れ落ちていく。馬鹿みたいに撃ちまくった『魔法』の熱気と冷気によって呼び出された無情の風が、そこにフィーネがいたことを証明する灰の山を奪い去っていく。

 

 

「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 

 

 フィーネが身に纏っていた黒い戦闘衣(バトルドレス)がレインの腕に力なく受け止められる。自らの剣で貫いた少女の衣服に目を這わせば、胸元にできてしまった穴から手のひらサイズの長方形の物体が覗いていた。

 

 

 手に取ってみると、その正体は押し花だった。使われている白い花の名前は高貴白花(エーデルワイス)。恋をした少年が好きになった少女に初めて送った花であり、偶然にも少女が一番好きな花だった。

 

 

「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 

 

 溢れる感情に身を任せるまま泣き喚く。狂ったように手足を振り回し、理由のない暴力で息遣いを感じない迷宮を破壊する。愛しい人を殺した現実に耐え切れず、直視できず、受け止めきれず、自殺する。

 

 

 いずれもレインの思考に引っかかるどころか、思い浮かびもしなかった。今のレインには己に対する憤怒も、フィーネを失った悲しみも、最愛の人を殺してしまった絶望もいらなかった。……いらない感情を全て捻じ伏せ、強引に精神を安定させているだけだが。

 

 

「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 

 

 自分の状態を冷静に確認する。火傷、打撲、骨折、切り傷。それが全身の至る所にある。回復魔法を行使する。一瞬で全ての傷が癒され、万全のコンディションを整える。

 

 

 空間の状態を確認する。全方位から立ち昇る殺人的な熱気。敵が来る可能性がある金属の『扉』。氷結魔法を行使する。空間の温度は適温になり、『扉』は氷漬けになって開かなくなった。消耗した精神力(マインド)は『精癒(発展アビリティ)』と【竜之覇者(スキル)】の効果によって、回復魔法の分も合わせて全快する。

 

 

 白い花を包み込むように両手を合わせる。敬虔な信徒が、神々に祈りを捧げるように。

 

 

 黒を纏う男は都合の良い奇跡を信じない。信じることは決してないが、奇跡を引き起こす事ができるのは知っている。

 

 

「……それが君の頼みなら、俺はそれを叶えよう」

 

 

 レインに必要なのはたった一つ。少女が死にながら零した本当の願いを必ず叶える意志だけである。不可能に等しい難題に向き合い、彼は『魔法(奇跡)』の詠唱(うた)を紡ぎだす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【憎己魂刻(カオスブランド)】。

 

 

 下界の歴史を調べ上げてもレインしか発現したことがない、唯一無二の『レアスキル』。

 

 

 あらゆる眷属が喉から手が出る程欲しがる『成長補正』。どれだけ完璧な冒険者にも存在する弱点と捉えられる、『主神がいなければ【ステイタス】を更新できない』という変えようのない常識をひっくり返す、【ステイタス】の『自動更新』。

 

 

 これからレインが使うのは【憎己魂刻(カオスブランド)】最後の権能、『魔法の模倣』。模倣(コピー)したい『魔法』の効果と詠唱を完全に把握しなければ意味がない上に、とある妖精(エルフ)が似たような真似ができるため身内からは軽く見られたが、これも他の権能に劣らない凄まじい性能を秘めている。

 

 

 効果と詠唱の完全把握。これの凄い所は原典(オリジナル)の『魔法』を見なくても、本当に存在するならその『魔法』の効果と詠唱が記された羊皮紙にでも目を通せば、『魔法』の使用が可能になる事である。

 

 

 つまりレインは今を生きる人類の『魔法』だけでなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()

 

 

(あの爺さんには感謝しとかねーとな……)

 

 

 本好きの少年に英雄譚を何度も持って来た好々爺を思い出す。『浮気は男の勲章じゃああっ!』とかふざけたことをほざいて親父と一緒にお袋に殴られていた色欲爺(エロジジイ)だったが、爺さん直筆の英雄譚は大半が原典(オリジナル)だった。妙なアレンジが加えられていたけど、英雄譚に記された古代の『魔法』がなければレインはとっくの昔に死んでいた。

 

 

 今更ながらあの好々爺の正体が気になったが、どうでもいいと切り捨てる。

 

 

 これより使うのは(いにしえ)の聖女が最期に使った『魔法』。己の命と引き換えに、愛する英雄を生き返らせた『蘇生魔法』。蘇った英雄は聖女の意志を汲み取り、一度己を殺した魔物を打ち倒す。

 

 

 愚者となった『賢者』とは異なり、『魔法』を完成させれば絶対に生き返らせる秘儀。代わりに発動条件は、愚者(フェルズ)の全精神力(マインド)と引き換えのような生易しいものではない。

 

 

「【振り返る愚行。閉ざされる道。破られた誓いに愚かな願望(ねがい)は果たされず、愚者に冥界の河(ステュクス)は裁きを下す】」

 

 

 詠唱を開始した直後。身体に異変が生じ始めた。

 

 

 レインの全身にガラスを殴りつけたような亀裂が生じ、間を置かず血が吹き上がる。いや、皮膚が内側から破れて血が噴出し、傷口が亀裂に見えてしまう程全体に広がっているのだ。血が出るのは広がった傷だけではなく、目から、鼻から、耳から、栓を抜いたような勢いで血が流れ始める。

 

 

 苦痛も尋常ではなかった。世界中の『痛み』という概念で作り上げた切れ味の悪すぎる(ノコギリ)で、至る所の神経を切りつけられている如き激痛がレインを襲っていた。許容量を超える痛みを身体が感じなくなる、という都合のいい作用は起こらない。

 

 

 『蘇生魔法』は命を賭ければ発動するのではない。使用する過程で命を落としてしまう程の『傷』と『痛み』と『制御』を使用者に背負わせるのだ。禁忌に手を伸ばした愚か者を捕らえた(ことわり)の番人は、容赦なく地獄へ引きずり込もうとする。

 

 

「【無意味となった代償。意味(きぼう)を残す祭壇(うつわ)贖罪の女(ヘカテ)よ、穢れた(からだ)を捧げる瞬間(とき)が来た】」

 

 

 『魔力』の手綱は離さない、離せない。未だに膨れ上がる『魔力』で魔力暴発(イグニス・ファトゥス)を引き起こせば、レインは間違いなく死んでしまう。無意味に命を散らすことになる。

 

 

 そんなことは決して許さない。『誰かを救おうとした』免罪符を掲げて『それでも無理だった』と格好つけて死ぬ(逃げる)ために、『力』を求めてきたんじゃない!

 

 

「【過去(とき)は戻らず、過去(つみ)は消えず、けれど望む未来(いのち)を生み出そう】」

 

 

 レインは命の雫を流しながら荘厳な音色を奏で続けた。自分の命より大切な人を助けるために祈り続けた。

 

 

「【紡ぎ、伸ばし、切り離す。穢れなき貴方は、暖かい場所で笑ってほしい】」

 

 

 流れていたレインの血に変化が起きた。意志を持ったように動き始め、レインの前に複雑な魔法円(マジックサークル)を作り出し、完成した魔法円(マジックサークル)は澄みきった青に輝く。

 

 

「【嗚呼、私の愛しい人よ――】」

 

 

 遂に迎える詠唱の終わり。誰もが夢見て諦める『奇跡』を、諦めを知らない男は掴み取る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――【ディア・エウリュディケ】」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青い光が白い光に生まれ変わり、音のない輝きの爆発が空間を埋め尽くした。

 

 

 歌は止まっていた。酷使していた喉から血を吐き出し、力なく身体を投げ出す。打ち付けた額から痛みは感じない。数舜前まであった苦痛が嘘のように消え失せ、代わりにふわふわとした心地よさがある。

 

 

 レインは震えながら顔を上げる。同じように震える右手を伸ばす。狭窄(きょうさく)した視界で見えるのは上下する胸元だけ。冷え切った手が触れるのは暖かくて柔らかい女の子の手だけ。

 

 

 それだけで彼は満足だった。死んだまま突き進んだ戦いの道だけど、ようやく意味があったと思うことができた。

 

 

 愛しい人の手を握りしめることはできない。そうする資格があるとは思わないし、血を失いすぎてそれだけの力も残っていない。それでも触れる。そして笑う。こうでもしておかなければ、上から来ている奴らは絶対に自分が負けたと勘違いする。もし『負けたのか!?』とか言う奴がいたらぶん殴ろう。

 

 

 上の階層から流れて肌を撫でる金色の少女の風を感じながら、レインの意識はゆっくりと暗闇に落ちていった。

 

 

  

 ♦♦♦ 

 

 

 

『ごめん、フィーネ。もし僕は君が死んだりしたら迷わずこの『魔法』を使うよ。君に嫌われることになってもね』

 

 

 悲しそうな顔をする少女に少年も悲しくなるけれど、目を逸らさずきっぱり告げる。

 

 

『だって君は、もう僕の命より大切な人だから』




【ディア・エウリュディケ】
 名前はフェルズの『蘇生魔法』を参考。効果は本文にある通り。発動条件はえげつない。
 一度使えば最後まで完成させるか途中で死ぬの二つに一つ。
 英雄譚の聖女は失血死したが、レインはLv.9で頑丈なので多分死なない。
 詳しい効果は次回。


 少年時代のレインにたくさんの英雄譚を持ってきた爺さん、一体何者なんだ……? 爺さんと知り合いのレイン父も何者なんだ……!?


 英雄譚の聖女様。この物語はいい話なのか悪い話なのか、意見がよく分かれる。推測だけど、ダンまち世界の英雄譚って本当にあった話を使ってると思う。本当にあった話っていうのはダンまち世界の実話ってことです。


 『高貴白花(エーデルワイス)』。漫画を見て決めた。花言葉は『高潔な勇気』『大胆不敵』『純潔』『初恋』『大切な思い出』。住川先生、狙って描いたのかな……。


 作者にとっての最強。どれだけ攻撃を食らっても死なないとか、心臓の音で相手を殺すとかじゃない。相手が自分より強くても、苦戦しまくっても負けない。それが最強だと思っています。原作レインも何回かボコボコにされてるし。ぶっちゃけ、ずっと苦戦しないキャラとか書いてて詰まんないし面白くない(あくまで個人の感想です)。


 もうここで終わりでよくね? フィーネ生き返ってハッピーエンドでいいじゃん! 五十話目でキリもいいし(小話抜きで考えたら)! そうしよそうしよ!
 うわっ風が! ん? なんだこれ(いろんな伏線やらが書かれた紙)?
 ……。
 まだまだ続くよ!


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五十一話 奇跡の代償

 きっと誰もこの展開を予想していない。


 窓から差し込む黄昏色に染まった輝きが白を基調とした清潔な室内を染め上げる中、窓際にある寝台(ベッド)の上でレインは目を覚ました。 

 

 

 覚醒して初めに感じたのは瞳の奥を焼く眩い光……ではなく、嗅ぎなれた消毒液や薬品の匂いが入り混じった空気。そして何故か、森林の奥深くにある泉のような清涼な香りがした。

 

 

 次に感じたのは心地よい温かさと柔らかさ。心地よさの発生源に目を向ければ、レインの胸元から下をすっぽり覆いつくしている白い(シーツ)がもっこりと膨らんでいた。

 

 

 大きさとしては、小柄な人間一人分である。

 

 

 身体を起こし、ゆっくりとシーツを(まく)り上げる。まず見えたのは白銀の長髪。次に見えたのはレインの胸にくっついている儚い美貌を持つ小さな顔。最後に見えたのはレインの身体に情熱的に縋り付いている、白い治療師の服に包まれた細い少女の肢体。一言でいえば、精緻な人形のような美少女が絶世の美男子(自称)に抱き着いて寝ている。

 

 

 ……ひどくまずそうな体勢だった。それはもう、誰かに見られでもすれば弁解のしようがないくらい。

 

 

 この時レインが取った行動は、「この子は柔らかくて気持ちいいな」と思いながらの放置である。この場合、レインのするべき行動は赤面しながら飛びのくか、見なかったことにしてわざとらしく寝台(ベッド)から降りるの二つに一つだ。素面(シラフ)で少女の寝顔を眺めることではない。

 

 

 この世の男達が見れば血涙を流しながらハンカチを食い千切りそうな状況だったが、そんな夢の時間はレインが起きたことを察したアミッドが目覚めて終わりを迎えた。治療師(ヒーラー)の仕事をしているおかげか、アミッドが寝起きのボーッとした姿を見せることはない。

 

 

 とりあえずレインは声を掛けた。わざとらしく、明るく、能天気に。

 

 

「ようアミッド! 夜這いをするならもう少し暗くなって、俺が起きている時にしてほしいんだが」

「……」

 

 

 返事がない。よく見ればいつも以上に表情が無に近い。そもそも、アミッドがレインが寝ている寝台(ベッド)に潜り込んでいた事自体がおかしい。

 

 

 訳が分からないレインは思わず訊いた。

 

 

「……何かあったのか?」

 

 

 次の瞬間、アミッドの手が後ろに引き絞られた。すぐに迫って来る手にレインは勘付いていたが、彼にしては珍しく、その手を避けることなく受け入れた。

 

 

 ばしんっ、と。レインの頬から乾いた音が響く。勢いよく振り抜かれたアミッドの右手は赤く腫れていた。

 

 

「……『何かあったのか』、ですか……?」

 

 

 アミッドの整った柳眉がはっきりと吊り上がり、思いっきり睨まれる。更に胸ぐらを掴んで揺さぶられた。

 

 

「それは私のセリフですっ! いきなり運び込まれたと思えば何ですかあの大怪我は!? 身体は傷がない所を見つけるのが難しいくらい重傷で! 内臓も一つ残らず傷ついて! 血まみれのあなたの身体は寒気がする程軽くなっていて! 呼吸も鼓動も今にも止まりそうな程小さくて! しかも私の治癒魔法の効果が現れにくかった! それを見て私が動揺しないと思いますかっ!?」

 

 

 でかい声でどやされた。ここにきてようやく、レインはアミッドが本気で怒っていることに気が付いた。アミッドは顔がくっつきそうな距離まで近づき、弱弱しく呟く。

 

 

「私は言いましたよね? もし貴方が死んだりすれば、一人は悲しむ人がいるのだと。……私の言葉はレインさんにとって軽いものですか……貴方に死んでほしくないという私の想いは、貴方の命を繋ぎ止めるには取るに足らないものですかっ?」

 

 

 アミッドの瞳から感情の結晶がぽろぽろと零れ落ち、いつの間にか着替えさせられていたレインの服に吸い込まれていく。自分のために泣いている少女を目にしたレインの心は、申し訳なさでいっぱいだった。立場が逆ならレインだって腹を立てたし、叩きはせずとも大きな声で怒鳴っただろう。

 

 

 何よりやるせなかったのは、それでもレインは自分に、目の前の少女が泣くような値打ちがあるとは思えない事だ。悪気はないのだが、自分が心配されているという実感がどうしても湧かない。

 

 

「……いや、心配かけてすまない」

 

 

 素直な気持ちを絞り出しながら、アミッドを抱き寄せる。女性にしても小柄な身体は、レインの腕に容易く収まった。

 

 

「俺がアミッドの立場だったら意識がないのをいい事に、股下スレスレでスケスケのネグリジェに着替えさせるくらい怒り狂ったかもしれない。本当に悪かった」

「……私の気持ちが分かっているのか疑わしいセリフですね。怒りより、心配の方が大きいのですが」

 

 

 初めて見るアミッドの姿についいつもの癖で品のない(セクハラ)行為に走ってしまったが、アミッドの機嫌は少しは直ったようだ。アミッドはリヴェリア並みの神秘性を持っているから、気安く他人に、それも異性に抱きしめられる経験なんてないだろうし、こんな風に身体に触れられると弱いのかもしれない。

 

 

 ――などとレインは、恐ろしく見当外れの事を考えている。

 

 

 それ故に、真っ赤な顔で己の唇を見ていたアミッドにちっとも気が付かなかった。

 

 

「レインさん、少し間、目を閉じて下さい」

「? 分かった」

 

 

 言われるがままに目を閉じる。すると頬を挟むように手が当てられ、アミッドが顔を寄せて来たのが分かった。

 

 

「レインさんの鈍さは世界一ですからね。こうでもしないと伝わらないでしょう」

 

 

 二人の距離がなくなっていく。少女の手と吐息に熱が孕んでいくのを感じながら、レインは目を閉じたまま動かなかった。

 

 

 窓から差し込む光が、重なり合った二人の影を映し出していた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三日間。それが蘇生魔法を使ったレインが意識を失っていた時間である。

 

 

 付きっ切りで看病していればもっと早く目覚めたかもしれないが、レイン以外にも『呪道具(カースウェポン)』を受けた【ロキ・ファミリア】の治療やダンジョン探索で怪我をした冒険者の手当もしなければならなかったらしく、レインの治療は瀕死ではなくなるギリギリで留めておいて、レインの生命力に賭けて後回しにしておいたそうだ。

 

 

 治療師として最低な行為(賭け)だったとアミッドは謝ってきたけれど、レインに責めるつもりは微塵もない。むしろ、うだうだ悩まず賭けに出た度胸を称賛していた。【ディアンケヒト・ファミリア】の治療院に運び込まれた怪我人は一人も死ななかったらしいし、結果オーライである。

 

 

 寝台(ベッド)に潜り込んでいたのはレインの容態が急変してもすぐに手を施せるためと、リヴェリアからの頼まれごとで寝不足だったらしい。

 

 

 白い廊下を歩きながら意識を失っていた間の情報をまとめていたレインは、廊下の突き当たりにある治療室を見て思考を切り上げた。

 

 

 アミッドの機嫌を直して真っ先に聞き出したのは二人の女性の安否。黒髪の女性は意識を取り戻したので、【ガネーシャ・ファミリア】へ連行。もう一人の女性は少し様子が変だったため、専用の治療室で【ロキ・ファミリア】の幹部が見張っているとの事。

 

 

 今日の見張りはリヴェリア。なるほど、先程まで自分がいた治療室に彼女の匂いがしたのはそういうことか。

 

 

「……」

 

 

 ドアノブに手をかける。レインはこの部屋の中に誰がいるのか知っている。 

 

 

(皮肉なもんだ。あの子に逢う資格なんてないと言いながら、こうして自分からあの子に逢わなければならないなんて)

 

 

 今でもレインは逢う資格がないと思っている。逢わない事が償いになると考えている訳ではない。変わり果ててしまった自分を見られたくない訳でもない。ただ理由もなくそう思っている。

 

 

 それでも、これが最後になるとしても、あの『魔法』を使った責任を果たさなければならない。

 

 

 そう言い聞かせながら、レインは扉を開いた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 部屋の中にいた二人の女性が、新たに現れた人物に目を向ける。一人は椅子に腰かけながら、もう一人は寝台(ベッド)の上で上半身を起こしながら。

 

 

 レインは椅子に腰かける妖精の女王(ハイエルフ)を見なかった。正確には、全ての意識を寝台(ベッド)の上の少女に奪われていた。

 

 

 急にやって来た男にガン見された()()の髪の少女は、しばし居心地悪そうに身じろぎしていたが、恐る恐るといった様子で口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっと……()()()()()()()?」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女の声音(こわね)は冗談の類ではなかった。少女の瞳には、()()()の人間を見定めようとする警戒心があった。

 

 

 蘇生魔法【ディア・エウリュディケ】。

 その効果は対象人物の『蘇生』。

 

 

 使用条件は対象人物に対する一定以上の愛情(おもい)。代償は術者の全精神力(マインド)及び、術者に対する重度の治癒速度低下損傷(ダメージ)、一定時間の精神力(マインド)回復停止。

 

 

 そして蘇生対象は……記憶を全て失う。自分の名前はおろか、これまでどんな人生を歩んできたのかさえも。

 

 

 なんて残酷な『奇跡(魔法)』だろう。命を賭けて最愛の人を生き返らせても、その人は術者(恋人)の記憶を無くしている。誰もが救われるように見えるだけで、誰も救われていない。

 

 

 知っていた。レインは蘇生魔法を使えばどうなるか知っていた。この『魔法』をどうして少女(フィーネ)が嫌っていたのか知っていた。

 

 

「俺は……」

 

 

 君の恋人。ずっと君に逢いたかった。君を守るための力を手に入れた。もう二度と君を傷つけさせない。

 

 

 そう言えたらどれだけ嬉しいか。笑顔で受け入れてもらえたらどれだけ幸せか。

 

 

「俺、は……」

 

 

 言えるわけがない。守るための力を掴んだ手は、(おびただ)しい量の人の血で汚れている。暖かい所で笑って暮らすべき少女の隣に、人の道を外れた人間が立ってはならない。

 

 

「俺、は……っ」

 

 

 それが分かっていても声が震えそうになる、涙が滲みそうになる。目を見開き腹に力を込めてどちらも阻止する。

 

 

 何と答えるべきかレインは考えた。友人、却下。親戚、ダメ。身内、論外。フィーネが容赦なく扱き使える立場が望ましい。そして彼女が知りたい情報を教えることもできる称号。

 

 

 導き出される最適解。これ以上はない程自分に似合っている答えに、レインはニヤリと笑う。

 

 

「俺の名前はレイン。そして――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君のストーカーだ! フィーネ!!」

 

 

 最低すぎる叫び。一秒後、リヴェリアは全力の飛び蹴り(ミサイルキック)でレインを吹っ飛ばした。……その時飛び散った雫は、きっと涙ではないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁあああああああああ何で今頃あの時の事を思い出すんだ私はぁあああああ死にたい死にたい死にたい誰か殺してくれぇっ!!!」

 

 

 同時刻。【ディアンケヒト・ファミリア】の近くを通った黒髪のエルフが発狂し、そのまま診療所に運び込まれたそうな。

 

 




【ディア・エウリュディケ】
・蘇生魔法。 ・一定以上の愛情(おもい)の対象のみ使用可。
・使用時、全精神力(マインド)消費及び、重度の治癒速度低下損傷(ダメージ)発生。一定時間の精神力(マインド)回復停止。
・蘇生対象の記憶の全損失(ロスト)

レインはストーカーの意味を理解しています。

 作者はレイン大好きです。決して馬鹿にはしていません。馬鹿なことはさせるけども!


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五十二話 味方です

 レインが途中までポンコツ、キャラ崩壊。ではどうぞ。


 レインが座っている。顔に真っ赤な足跡を付けて膝を抱え込んで部屋の隅で座っている。更に寝台(ベッド)の上で驚いている少女の方ではなく壁に向かって座っている。ついでに壁に訳の分からない指文字……いや、極東の「ゐ」の字を綴っている。なんで「の」じゃないのかは謎だ。

 

 レインを知る者が見れば真っ先に偽物の可能性を疑う状況。神々が見れば『ワロスww』と言いながら嬉々として傷口に塩を塗り込むだろう。もちろんそんなことをすれば、レインは神々の尊厳その他諸々を木っ端微塵に粉砕するレベルの反撃をするだろうが……。

 

 早い話、レインは盛大にいじけていた。

 

「今のお前はどんな気持ちなんだ?」

「超死にたいです」

 

 リヴェリアの問い掛けに、普段のレインなら天地がひっくり返っても有り得ない口調と言葉が出てきた。虚ろな目で「壁が真っ白できれい……」とか言っている時点で大分重傷だ。

 

 落ち込んだ時の人格のブレ方がアイズに嫌いと言われたベートの比じゃないな、とリヴェリアは思った。

 

「それとリヴェリア、お前が本当に魔導士なのか疑わしくなってきたんだけど。背もたれを使って飛び蹴り(ミサイルキック)とか、完全に一流の脳筋……武闘家じゃないか」

「隠せてないぞ。お前、割と余裕あるだろう?」

 

 椅子の背もたれに手を置くことで助走なしに蹴りの威力を上昇させる。それを一瞬で、しかもあの威力で実行するとなれば、かなりのバランス感覚とセンスが求められる。近接格闘を極めた天才(レイン)だからこそ断言できるが、間違いなくあの蹴りは一級品だった。

 

 大分前に『リヴィラの街』で見せた黄金の右ストレートといい今回の蹴りといい……戦士なのに『魔法』も極めているレインが言えた事ではないが、普通の魔導士の持っている技ではない。

 

 それにレインが病み上がりなのを配慮したのか、装靴(グリーブ)を脱ぎながらの蹴りだった。

 

「あ、リヴェリアの足は臭くなかったぞ」

「よし死ね」

 

 いじけて避ける気力がないレインは再び蹴りを喰らい、今度は三角座りのまま床に倒れた。けれどレインに痛がる様子はない。

 

 それも当然だ。サンドバッグのようにボコボコにしたフィーネの『力』が異常なのであり、レインの『耐久』はとても高い。ひたすら痛めつけられた事で『耐久』の能力値(アビリティ)はより上昇しており、リヴェリアの蹴りなど痛くもかゆくもなく、何事もなかったように倒れたまま「床ひんやり……」と呟きだした。

 

 精神的ダメージが大きすぎるせいでキャラが変わっているレインを見ていると、リヴェリアまで悲しい気持ちになってきた。無理やり立ち上がらせ、寝台(ベッド)の上の少女に聞こえないよう小声で話しかける。

 

(で? どうして『すとーかー』などと名乗った? たしか神々の言葉で、意味は『犯罪者予備軍』だろう?)

(正確には面識もなしに、一方的に相手の事を知り尽くしている奴の事だな。今のあの子は記憶を失っている。どうして記憶を無くしたのかは後で詳しく説明するとして、ここまではいいか?)

(ああ。しばらく観察してみたが演技の線もなく、本当に記憶がないようだ)

 

 顔を寄せ合いながらちらりと目を向ける。少女は二人の会話を何とか聞き取ろうと耳を澄ませていたが、バレたと分かった途端、わざとらしく窓の外の景色を眺め出した。

 

(自慢じゃないが、俺はこの世界で誰よりもあの子……フィーネを理解している自信がある。好きな男のタイプからホクロの数まで。まぁ、フィーネにホクロないけど。あと、フィーネが靴をどっちの足から履くのかも知ってる)

(――本当にすまない、レイン。お前が真剣に話しているのは分かるが、今私は心からお前を気色悪いと感じている。後で【ガネーシャ・ファミリア】に行かないか?)

(はっ倒すぞてめぇ)

 

 だったらティオネはどうなんだー、もう見慣れてるし別にー、と憤慨したレインと憤慨させたリヴェリアの小競り合いが続くこと数分。真面目な顔に戻った二人は話を再開させる。

 

(で、だ。俺とあの子はお互いを知り尽くす程度には親密な関係だったが、記憶が無いあの子にとって俺は他人だ。何て名乗ろうか悩んでいたら『ストーカー』の条件を満たしていることに気づいて、つい……)

(……アホか、お前)

道化神(ロキ)みたいな言葉を使うな、腹が立つから。でもな、思いつきだけで『ストーカー』を名乗った訳じゃないぞ) 

 

 レインの考えはこうだ。

 

 今からリヴェリアに『ストーカー』がどういうものかフィーネに説明してもらう。『ストーカー』が犯罪者と似たようなものだと分かってもらったら、リヴェリアがレインにフィーネがどんな人だったのかを喋らせる。家族を忘れたとかだったらフィーネは傷付く可能性があるけど、犯罪者(ストーカー)なら忘れてよかったと思えるはずだ。

 

 雑な案だが、フィーネに対する配慮は完璧だ。レインも咄嗟の思い付きにしてはいい出来だと、一人頷いている。

 

 しかしリヴェリアはいい顔をしない。レインと寝台(ベッド)にいる少女がどんな関係だったのか、これまでのレインの言動から察しが付く。一人の女としての悲しみがある。だが、それ以上に、この男がどれだけ辛い想いでこの案を口にしているのか……想像するだけで胸が締め付けられる。

 

 顔に出したつもりはない。でも、目の前の男は人の好意にはとことん鈍いくせに、人の悲しみには敏感だ。

 

(そんな顔すんな。俺がこの程度で傷ついたりする訳ないだろ? 心臓が不壊属性(デュランダル)で出来ていると揶揄(やゆ)される事もあるんだぞ)

先刻(さっき)まで落ち込んでいた奴が何を言ってるんだ……)

(それは忘れろ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっと、私の名前がフィーネで、綺麗なエルフの貴女(あなた)がリヴェリアさんで、男の人がレイン・ストーカーさんですか?」

 

 無垢な少女による言葉の不意打ち! 効果は抜群だ! レインの精神に一〇〇〇のダメージ! レインはめそめそしている!

 

 いざ少女に話しかけようとした直後。自分から話しかけようと勇気を振り絞った少女の言葉は、レインの心に突き刺さった。

 

(どうしよう。ありそうっちゃありそうだけど、神々(バカども)に聞かれたら玩具にされること間違いなしの名前と勘違いされてる)

(九割がた自業自得だろうがっ)

 

 今のレインは神々の言う『豆腐めんたる』だ。数多の罵詈雑言・威圧・脅迫を笑って受け流していたのが嘘のように、少女の言葉一つで翻弄される。

 

 これで馬鹿正直に『ストーカー』が何たるかを説明して、嫌悪の目で見られでもしたら……想像だけで嫌だ。即座に考えてあった案を作り直し、レインが話しかける。

 

「フィーネ。俺の言った『ストーカー』は名前じゃないんだ。俺の名前はレインだ。しかも世界最強だ」

「? では『ストーカー』とは何ですか?」

 

 世界最強発言は無視(スルー)された

 

「『ストーカー』には二種類あってね。一つはうじ虫以下の犯罪者の名称だけど、俺のは違う。依頼を受けて対象人物を詳しく知っておくんだ」

「なるほど。そんなお仕事があるんですね……」

 

 ものは言いようである。無知な少女に嘘を教え込む男にリヴェリアが非難の目を向けるが知ったこっちゃない。別の部屋から知り合いの黒髪のエルフの叫び声が聞こえるけどそれもシラナイ。

 

「さて、何を聞きたい? 答えられるものなら何でもいいよ」

「……じゃあ、ここはどこですか?」

「迷宮都市オラリオ。世界に一つしかない『ダンジョン』を有する地であり、様々な文化が集まる特徴から『世界の中心』とも呼ばれている。そしてここは医療系派閥(ファミリア)、【ディアンケヒト・ファミリア】の治療院。他に質問は?」

「なら――」

 

 フィーネは色んなことを聞いてきた。己の年齢。家族構成。治療院にいる理由。依頼人。ets……。

 

 レインは全て答えた……都合の悪いことは優しい嘘で覆い隠して。十九歳。幼い頃に両親をなくし祖母と二人暮らしだったが、祖母も事故で他界。君も事故に巻き込まれて治療院にいる。守秘義務で話すことはできない。etc……。

 

 しばらくの間、真っ白な病室に二人の声だけが響いていた。リヴェリアは何も言わず、二人のやり取りを見つめていた。

 

 少女の問い掛けが三十を超えた時だろうか。初めて少女が訊くか訊くまいかを悩むように言い淀んだ。この時のレインは予想内の質問だけだったことに安堵しており、「溜め込むより、吐き出した方がいいよ」と促した。

 

 この時、レインは話すように促したことを、リヴェリアは静観していたことを後悔する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は……人殺しですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………………………………………は?」 

 

 頭が真っ白になった。人殺し? 誰が? そもそも何故そんなことを訊く?

 

「昨日、朱色の髪の神様と一緒に来た人たっ、達が、『お前がいなければあいつは死ななかった!』って、『死んで皆に詫びろ』って! 何回も何回も何回も何回も! 私は知らない! 何も知らないのに! 知らないって何度も言ったのに! 知らないよ知らないよ誰か助けてよぉ!?」

「っ!?」

 

 ――三日間眠っていたレインは知らなかった。フィーネが尋常じゃない精神的負荷(ストレス)を与えられていたことを。

 

 『蘇生魔法』でフィーネが記憶を失っているのを知っていたのは術者であるレイン一人。レイン以外の者にとって、フィーネはようやく捕まえた情報源かつ、明確な『復讐対象』……怒りをぶつけても誰も咎めない。それこそ、殺したとしても。

 

 これもレインが知らないことだが、【ロキ・ファミリア】から死者が出ている。自殺用の『火炎石』の爆発に巻き込まれた者、敵の武器の当たり所が悪かった者、『呪道具(カースウェポン)』で付けられた治らない傷のせいで血が止まらなかった者。

 

 仲間が死ぬのを見ていた【ロキ・ファミリア】の団員たちは憎んだ。彼等彼女等を()()()()()()()()()『全癒魔法』を持つレインを瀕死に追い込んだフィーネと、瀕死に追い込まれたレインを。

 

 レインに悪い所は一つもない。人造迷宮(クノッソス)最大の脅威であるレヴィスを倒し、重症を負ったフィン達も治した。感謝される理由は腐るほどあるが、責められる(いわ)れはない。

 

 全て『弱者』の我儘であり戯言であり特権だ。仲間を死なせた自分の弱さを憎まず、仲間を死なせた責任を背負う気概もなく、仲間を殺した『敵』を憎み、仲間を守れなかった『強者』に責任を押し付ける、『弱者』の醜い心の弱さ。レインやベートのように、仲間を殺した敵より弱かった自分を憎める『強者』は極僅かだ。

 

 道理も何もない『弱者』達によって溜め込まれたフィーネのストレスは、レインという優しい相談相手(はけぐち)が現れたことで遂に爆発した。フィーネは叫びながら周囲と自分を傷つける。

 

 それをレインは止める。頭を()(むし)ろうとするフィーネの両手を押さえつけ、足を絡めて両足も封じる。布を口に含ませて舌を嚙まないようする。布を含ませる時に頭を殴られたが、それは敢えて避けなかった。

 

 力を緩めれば即座に暴れ出そうと震える少女を押さえつけながら目を合わせ、レインは心からの想いを告げる。

 

「君が人殺しかどうか、だったか? 正直知らないし興味もない。仮に君が人殺しだとしても、俺はきっと君以上に人を殺してる。でもな、俺が言いたいのは人を殺した証拠でも、人を殺した数でもないっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全世界の全てが君の敵になったとしても、俺は最後まで君の味方だ。それだけは信じてほしい」

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 変化は劇的だった。

 

 フィーネの身体から力が抜ける。瞼がゆっくりと下がり、すぐに規則正しい呼吸が聞こえてきた。

 

 目が覚めたら見知らぬ場所で知らない人達に囲まれて。自分の名前すら分からなくて恐ろしいのに、身に覚えのない恨みを向けられる。夜になって部屋から誰もいなくなっても、憔悴した少女は満足に休めない。

 

 怖かっただろう。辛かっただろう。

 

 そんな少女はやっと安らかに眠れる。世界最強の戦士が味方だと言ってくれたから。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「レイン! 頼むから冷静になってくれ!」

「冷静? リヴェリアは馬鹿だな……俺が冷静になりたい訳がないだろう?」

 

 フィーネの治療室から出たレインは、リヴェリアに何故フィーネがあんなに怯えていたのかを問い詰めた。

 

「本当にふざけた奴等だな。百万歩譲って、俺を責めるならまだ分かるぞ? しかし、自分の弱さを棚に上げてあの子を責めるとは……残念だよ、競い合う派閥が消滅するのは」

「彼女の記憶がないことを知らなかったとはいえ、それを言い訳にする気はない! 彼女に心無い言葉を投げた者には厳罰を与える! だから落ち着いてくれ!」

 

 結果、レインはキレた。自分がいた治療室に戻ると二振りになった青白い魔剣を引っ掴み、【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)がある方向へ振りぬこうとした。青ざめたリヴェリアが必死に止めたものの、

 

「そうだな。遠隔攻撃だと吹っ飛ばした【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)で、街に被害が出るな。直接殺らないと」

 

 寿命が少し伸びただけだった。今もリヴェリアは恥も外聞もなくしがみ付いているが、レインの歩みは止まらない。まだ治療院の中だが、外に出たら十分もしない内に本拠(ホーム)に辿り着く。

 

「あーレイン君、怒らないでほしいんだけどいいかな?」

 

 年甲斐もなくリヴェリアが泣きそうになった時、冗談抜きに救いの神(ヘルメス)が現れた。何故かボロボロで汗を垂らしながら震えていたけれど、リヴェリアは初めて(ヘルメス)に感謝した。

 

「実は俺の眷属(こども)が勝手に美神(イシュタル)と取引をしていてね? 本当に俺は知らなかったんだ、マジで! 勝手なことをした眷属は粛清したけど、取引したのが『心臓』でさ……待ってお願いしますどんな頼みでも一回は叶えるのでその剣を下ろして命だけは助けてください!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日。一つの最上級派閥が【フレイヤ・ファミリア】に潰された。

 

 最も被害をもたらした美神の眷属は、呼び出されたギルドでこう語ったという。

 

『カッとなってやった。反省も後悔もしていない』  

 

 

    

 ♦♦♦

 

 

 

 レイン

 

 Lv.9

 

 力:Ex 17482

 耐久:Ex 21059

 器用:Ex 38914

 敏捷:Ex 33598

 魔力:Ex 18667

 

 狩人:S

 耐異常:S

 魔導:S

 治力:S

 精癒:A

 覇気:A

 剣士:B

 逆境:C

 

 《魔法》

 【デストラクション・フロム・ヘブン】

 ・攻撃魔法。・詠唱連結。

 ・第一階位(ナパーム・バースト)。

 ・第二階位(アイスエッジ・ストライク)。

 ・第三階位(デストラクション・フロム・ヘブン)。

 

 【ヒール・ブレッシング】

 ・回復魔法。

 ・使用後一定時間、回復効果持続。

 ・使用時、発展アビリティ『幸運』の一時発現。

 

 【インフィニティ・ブラック】

 ・範囲攻撃魔法。

 ・範囲内の対象の耐久無視。

 ・範囲はLv.に比例

 

 《スキル》

 【憎己魂刻(カオスブランド)

 ・成長速度の超高補正。

 ・ステイタス自動更新。スキルのみ主神による更新が必要。

 ・効果及び詠唱を完全把握した魔法の模倣(コピー)。魔法効果は自身の魔力に比例。

 ・自身への憎悪が続く限り効果持続

 

 【竜之覇者(ドラゴンスレイヤー)

 ・魔法効果増大、及び詠唱不要。

 ・ステイタスの超高補正。

 ・魔法攻撃被弾時、魔法吸収の結界発現。一定量で消滅。

 ・精神力(マインド)回復速度の超効率化。

 

 【竜戦士化(ドラゴンモード)

 ・任意発動(アクティブトリガー)

 ・竜人化。発動時、全アビリティ超域強化。

 




 次は酒場のエルフの話ですかね。

 レインのレベルは上がりません。まだ上位の経験値が必要です。

 フィーネは神の恩恵自体をなくしています。一度死んでいるのでリセットです。


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五十三話 正義の妖精 上

 ハーメルンで小説を書いてると、何故か勝手にエンターキーが押される。なんで?

 レインの【ロキ・ファミリア】への対応、納得できるかは分からないけど、作者はレインならこうするんじゃないかと思いました。


 大切な少女の命を理不尽に奪われ、あまつさえ自身の命も死神の鎌に刈り取られる寸前の少年が流した涙を、私はきっと忘れない。

 

 五年前の私は『正義』であることに固執しすぎていた。より正確に言うならば融通が利かず、今は亡き極東の知己、輝夜の言葉を借りるなら『頭でっかちなポンコツエルフ』だった。

 

 大切な仲間達が傷つき、かけがえのない友を亡くし、多くの人々が血と涙を流し、それでも戦い抜いた七年前の大抗争を経て力をそぎ落とされた闇派閥(イヴィルス)。『絶対悪』を名乗る邪神の御旗を失った闇派閥(イヴィルス)は次々と討ち取られていったが、御旗を失ったが故に逃げ出す輩もいた。

 

 ふざけるなと思った。私達『正義』はどれだけの犠牲を払っても、目の前に何度も絶望が立ちふさがっても戦い続けたというのに、『悪』は負けの目が見えただけで罪を償いもせず、『悪』としか呼べぬドス黒い欲望を満たすために逃げ出す。

 

 なんだそれは。散々好き勝手に破壊と悲劇をもたらしオラリオを混沌の渦巻く無法の都にしたくせに、反省の一つも見せず逃げるだと? 正しき者達が多く死んだのに、どうして『悪』が生きている?

 

 許さない。許せない。許すものか!

 

 アリーゼとアストレア様に頭を下げて頼み込み、私は逃げた『悪』を追いかけた。

 

 この時、私は輝夜と『大局のために、少数を切り捨てるか否か』で衝突していた。言い争いは輝夜に『私達程度の実力で、全てを救えると思うな』という鋭い目と、冷然とした口調で私が言い負かされて終わった。

 

 ……きっと私は認めたくなかったのだ。私達では犠牲を払わなければ平和を手に入れる事ができないと、私の信ずるアストレア様が司る『正義』が都合のいい『理想』なのだと。

 

 だからこそ、私は逃げた『悪』がもたらす被害がオラリオより遥かに小さなものだとしても滅ぼすと決めた。輝夜が過去の経験から告げた言葉を否定するために。なにより、自分の『理想』のために最大限の努力をしたかった。『悪』に屈したくなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当時の『正義』の断罪に、少なからず復讐とは呼べずとも八つ当たりを超える感情が含まれていたことに、私は気付いていながら見えないふりをした。

 

 結果、私は三つの『悪』を滅ぼす代償に、三人の『幸せ』を破壊することになる。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「結論から言うぞ。俺は今後一切、お前らに協力しようと思わない」

「……そうか」

人造迷宮(クノッソス)であの子を殺さなかったこと、そして治療院に運んでくれたことには感謝してる。あの子が敵にしか見えなくて罵倒した奴の気持ちも理解できる。でも、それとこれは話が別だ。恩着せがましいが、俺もフィン達の傷を治しているしな」

 

 場所は東のメインストリートにある二階建ての喫茶店。およそ二か月前に神々でも滅多に会うことが叶わない『美の神』が訪れた噂がある喫茶店は、今日も今日とて一縷の望みに賭ける客達で賑わっていた。

 

 だが二人の客が入店したことにより、客足は一気に遠のいた。正直、店員としては営業妨害にもほどがあるので出ていってほしいのだが、その問題の客に出ていってほしいと言う度胸はない。

 

 一人は『美の神』には劣るものの、他の神々とは一線を画す美貌を持つハイエルフの女性、リヴェリア。もう一人は入店するなり、自分達に――というか、リヴェリアに不躾な視線を向けてきた周囲の客や店員に物理的な圧迫感を与える威圧を放った男、レイン。どちらも平凡な喫茶店員は想像もつかない実力を有する都市最強の冒険者だ。

 

 二人とも営業妨害に来た訳ではない。仲間を亡くしても立場のせいで暇がなかったリヴェリアが都市南東区画に存在する『冒険者墓地』へ墓参りに来ており、彼女に用があったレインはそれを邪魔しては悪いと思い、待ち合わせの場所が『冒険者墓地』に近かったこの喫茶店になった。ただそれだけのこと。

 

「今でもフィーネを傷つけたお前の所の団員(クソヤロウ)を殺してやりたい気持ちに変わりはない。俺がそれをしないのは、その団員を大切に思う奴が少なからずいるからだ。お前(リヴェリア)やロキとかな」

「……そうか」

「だから警告だ。もし俺の前でフィーネのことを悪く言う奴がいるなら、俺は今度こそ、そいつを殺す」

 

 レインの要件は協力体制の打ち切り。元々レインが協力していたのはギルドからの指示と、レイン自身の【ロキ・ファミリア】にあまり死んでほしくないという善意からだ。レインを縛れるものは何一つない。

 

 【ロキ・ファミリア】の副団長としてのリヴェリアが『「深層」以上の脅威であるあの人造迷宮を前にレインを使えないのは痛い』と思考する。同時に『感情に振り回されるな。割り切ってくれ』という思いも浮かび上がるが、一個人としてのリヴェリアは軽く頭を振って打ち消す。 

 

 リヴェリアは昨日、怒り狂ったレインが繁華街に消えていくのを見送った後、何かを知っていると思しきヘルメスを締め上げてレインの過去を吐き出させた。レインの怒りと殺気を含んだ威圧をぶつけられて弱っていたヘルメスは、万力の握力で己の腕を潰そうとしてくるリヴェリアにあっさり屈し(ゲロッ)た。

 

 当たり前に享受できるはずだった日常と大切な人を奪われる絶望。戦いを嫌う性格にも関わらず、剣を取らなければ生きていられない程の悲しみ。憎しみの対象の違いはあれど、自分が娘同然に愛している少女と似た境遇。

 

 そんな男に憎まないでくれ、などと言えるはずもなかった。九年間の絆がある少女の黒い炎すら消せない自分なら尚更。

 

 何も喋らなくなったリヴェリアを見て、レインはこれ以上話すことはないと判断したのか席を立つ。しかし去り際にリヴェリアの顔をちらりと見ると、苦虫を百匹嚙み潰したようなしかめっ面でぶっきらぼうに言い放った。

 

「……別にリヴェリアのことまで嫌いになった訳じゃない。お前の頼みなら治癒魔法くらい使ってやる。俺はまだ、フィーネを傷つけた奴が誰だか分かってないしな」

「……本当にすまない。そしてありがとう」

 

 不器用なレインなりの精一杯の気遣いと優しさに、リヴェリアは気持ちを言葉で伝えることしかできなかった。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リヴェリアと別れたレインがやってきたのは西のメインストリート。都市にいる誰もが気付く抗争を引き起こした美神の眷属の中でも、ギルドに呼び出される程の被害をもたらしたレインにギョッとした目を向けられるが、先程の喫茶店とは違い微塵も頓着せず太陽の降り注ぐ大通りを進んでいく。

 

 やがてある場所まで来るとレインの足が止まった。周りにある酒場の中でも一番大きい建物。ドアに『Closed』の札がかかっていることを気にせず、レインは酒場『豊饒(ほうじょう)の女主人』に足を踏み入れた。

 

 ドアの上に取り付けられている鐘が鳴り、店内で若葉色のジャンパースカートとサロンエプロンに身を包んだ茶髪の少女が、レインに気付いて笑顔になった。

 

「レイン! お腹がすいたのかもしれないけど、まだお店はやってないよ?」

「ちゃんと表にある札は見たから知ってるさ。今回はフィーネが楽しく働けているのか確認に来ただけだ」

 

 うっかりさんを見るようなフィーネの眼差しにレインは笑顔で対応しながらも、『豊饒の女主人』のウェイトレス姿のフィーネに大興奮していた。神々の言う『萌え』をレインは理解した。

 

 フィーネがどうして『豊饒の女主人』でウェイトレスをしているのか? それを説明するに三時間ほど時間は巻き戻る。

 

 朝早くからフレイヤと一緒に召喚されたギルドで、どうして宣戦布告もなしに抗争を引き起こしたのかを説明したレインは――ギルドへの言い分は『ついうっかり手が滑って、魔剣(ルナティック)の遠隔攻撃が【イシュタル・ファミリア】に当たった』にしておいた――フィーネがいる治療院に向かった。

 

 職員に許可を貰ってフィーネがいる病室に入ると、フィーネは既に起きていた。くそっフィーネの寝顔見られなかった! と考えていたレインに、フィーネは予想だにしなかったことを言い出した。

 

『私の身体はいくらで売れると思いますか?』

『うーん、とりあえず早まらないでくれない?』

 

 突拍子もないことを言い出したフィーネを一度寝台(ベッド)に座らせる。ついでに過呼吸になりそうな心肺機能も落ち着かせる。ふぅ……。

 

『それで? 君なら一〇〇億ヴァリスでも足りないくらいには価値があるけど、お金が欲しいのか? ならいくらでも用意するぞ。それとも一日も立経たない内に詐欺にでもあったの? 教えてそいつ潰すから』

『詐欺にあった訳じゃないです。それにレインさんに用意してもらうんじゃ意味がないです』

『どうして?』

『だって、レインさんにお金を渡したいから……』

『!?』

 

 えっ俺守銭奴に見られてたの!? 昨日の『俺は君の味方だ』も君に初めて告白した時並に勇気を出したのに! と、表面には出さずともかなりのショックを受けるレイン。

 

『レインさんは「ストーカー」のお仕事をしているんでしょう? ならお金を払った方がいいかなって』

『必要ないから! 善意でする仕事だから!』

 

 『ストーカー』を仕事だと言い張った嘘が尾を引いてるし。

 

『身体で払おうと考えましたけど、レインさんには綺麗なエルフの恋人がいるでしょう?』

『リヴェリアは恋人じゃないぞ! そして何故身体で払おうと思った!?』

 

 リヴェリアとの距離が近かったせいで恋人と勘違いされてるし。

 

『やっぱりお金じゃないとダメかなって思いながらトイレに行ってたら、『くそっ、【フレイヤ・ファミリア】のせいで男も金もパァだ! 男と肌を合わせてりゃ簡単に金も稼げたのによ』って聞こえました』

 

 感情に任せて【イシュタル・ファミリア】を潰したせいで、【ディアンケヒト・ファミリア】に治療を受けに来た(恐らく)娼婦に、フィーネが必要ない知識を教え込まれてるし!

 

『そのトイレで聞こえてきた奴の特徴は分かる?』

『個室に入っていたので姿は見てません。女の人なのは間違いないですけど。……あ、たしかお肉みたいな名前で呼ばれてました』

 

 ビーフかポークかチキンか。それともステーキやソーセージやサラミみたいな肉料理の名前か。どれだろうと関係ない、待っていろよ肉女(レイン命名)。その名前にぴったりのミンチにしてやる……!

 

 レインの中で様々な感情の炎がブォンブォン荒れ狂う。それを知ってか知らずか、フィーネが悲しげな顔でぽつりと呟く。

 

『レインさんが「味方」と言ってくれて凄く嬉しかったです。でも……その言葉を信じきれない私もいるんです』

『!』

 

 冷水を浴びせられたようだった。今のフィーネには誰一人として知っている人物がいないのだ。【ロキ・ファミリア】が過剰に精神的負荷(ストレス)を与えることで、レインを味方だと信じ込ませる。フィーネにあの行動をそういう意味に取られてもおかしくない。 

 

『レインさんに失礼なことを言っているのは分かっています。それでも、私は一人で生きていけるようにしたいです。……貴方に負担をかけたくないです……』

 

 最後の声はかすれていた。フィーネがどれだけの心労を堪えながら今の気持ちを伝えたのか。それを察せないレインではない。

 

『じゃあ、訳ありの人でも雇ってもらえる酒場を紹介しよう。そこはオラリオで一番安全な酒場とも言われてるし、命の危険もない』

『……ごめんなさい』

『謝らないでいい。君が俺を気遣ってくれているのは十分わかるよ。どうしてもというなら、そうだな……俺のことはレインと呼んでくれ。敬語も使わなくていい』

『……わかったわ、()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆いい人だよ。ミア母さんも怖いけど、とっても優しい人だった」

「フィーネを見た最初の一言が『客をどんどん捕まえれそうだね!』のばあさんを優しい人と呼べるのか怪しいがな」

 

 本当に楽しそうなフィーネの笑顔を見てレインも嬉しくなる。カウンターで下仕込みをしていたミアがフライパンを投げようと構えるが、威圧して動きを止める。もちろんフィーネをきっちり避けて。

 

 (オウガ)みたいな形相になったミアと睨み合っていると、厨房の方からエルフがやって来た。

 

「フィーネさん、店内の清掃が終わったらこちらへ。厨房での作業をシルが教えてくれます」

「はい、分かりました。じゃあね、レイン」 

 

 手を振りながらフィーネの姿は厨房へ消えていった。これ以上いたら邪魔になるだろうと、レインは踵を返して店を出た。

 

「――待ってください」

 

 直後、声を掛けられた。振り向くとそこにはエルフの女性――リューがいる。

 

 この時のレインは割と驚いていた。初めてだったのだ、リューがレインに話しかけるのは。

 

「大切な話があります。ついてきて下さい」

 

 レインが返事をしていないにも関わらず、リューは酒場の裏方へ回り込む。礼儀を重んじるエルフにあるまじき行動に首を傾げながら、レインはリューの後ろを付いていく。

 

 日陰になっている路地裏で、エルフとヒューマンが向かい合った。

 

「告白か? だったら雰囲気(ムード)を考えた方がいいぞ。こんな場所で告白を受け入れる奴は滅多に――」

 

 おちゃらけたレインの言葉はそこで止まった。何故なら目の前のエルフが――リューが頭を地べたにこすりつけていたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レインさん。五年前、貴方の幸せを奪った『悪』をけしかけたのはこの私、【疾風】のリオンです」  




 レインは【ロキ・ファミリア】の気持ちも彼等彼女等が根っから悪い人ではないと分かっているので一度だけ見逃します。

 イシュタル? 普通にアウトです。


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五十四話 正義の妖精 中

アストレア・レコードを見て疑問に思ったこと。
どうやってフレイヤとロキはゼウスとヘラを追い出したんだ?

あと『耐久』。指で武器を受け止める描写があったり、それでも武器が肌に当たれば傷ついたり。作者は『耐久』は冒険者の身体を頑丈なゴムにするものなんじゃね、と考えてます。


 最初は無理を言ってでもオラリオから出てよかったと思った。

 

 

 逃げた『悪』は一人がLv.3、二人がLv.2、残りがLv.1の二十人の男達。同じLv.3でも闇派閥(イヴィルス)の幹部だった【白髪鬼(ヴェンデッタ)】オリヴァス・アクトのように相手がどれだけ強かろうと積極的に人々を殺して絶望を与えるタイプではなく、己より弱い相手をいたぶることを楽しむ典型的な悪党共。

 

 

 そんな奴等がオラリオを出て何を思うか? 答えは決まっている。

 

 

 オラリオの中で欲望のままに動こうとすれば『正義』を掲げてやって来る、都市でも上位の冒険者達。しかし都市を出ればどうだ。何処を見渡しても『弱者』に助けを求められる『強者』は取るに足らない程度の強さしか持っていない。

 

 

『迷宮都市オラリオの外は『悪』こそが頂点に立ち、好き放題できる楽園(パラダイス)だ!』

 

 

 『悪』に染まった男達が目についた村や街に襲い掛かるのに時間はたいしてかからなかった。不運としか言いようがない人々も蹂躙されるはずだった。

 

 

 男達にとって予想外だったのは今も残りかすとはいえ、男達以上の『悪』が蔓延っているオラリオから自分達以上の強さを誇る冒険者が飛び出して来たこと。大局は仲間を信じて任せ、小さな『悪』であろうと見逃さず滅ぼす意志を秘めた『正義』の妖精――リューが現れたこと。

 

 

 リューはとことん『悪』の邪魔をした。村の井戸水に毒を混入された時は『魔法』で毒に侵された水を吹き飛ばし、行商人達が襲われそうになれば先回りして守り、か弱い女性を獣欲に従うまま犯そうとした『悪』の男の象徴(シンボル)をぶった切った。

 

 

 オラリオから逃げ出した『悪』だけではなく、元から外に存在していた『悪』もリューは滅ぼしていった。

 

 

(見ろ輝夜! 貴方は大局のために少数を切り捨てるべきだと言ったが、私は切り捨てるべき少数(人々)を救えた! 私達には全てとは言えなくても、多くを救えるだけの力がある!」

 

 

 人々はリューに感謝した。人々の笑顔と声援を受けた冒険者は自分は間違っていないと確信できた。最も厄介なLv.3とLv.2は既に倒し、残っているのはLv.1の三人の下っ端だけ。その残った三人は人のいなさそうな森の中へ逃げ込んだ。

 

 

 それ故に、『正義』の妖精は()()()()()。不眠不休で『悪』を追いかけ続けた身体には疲労が蓄積されており、気を抜いたことで一気に自分が疲れていることを自覚する。

 

 

 普段のリューならすぐさま残りの『悪』を追いかけただろう。しかし間の悪いことに激しい雨が降り出し、助けた人々から少しでもお礼をさせて欲しいと懇願された。これだけひどい雨だと『悪』を見逃す可能性があると考えたリューは休息も兼ねて、それを受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――招き入れられた家屋の壁にあった地図を見て、『悪』が逃げ込んだ森の中に小さな村があると気が付いた時には全てが遅かった。

 

 

 ドアを破る勢いで外へ飛び出しても、速度を緩めさせる要因となる雨粒にとても腹が立つ。急がなければと逸って地を蹴れば、ぬかるんだ土に足を取られる羽目になる。あまりにも激しい雨は目と耳を使い物にならなくする。

 

 

 身体を木々で傷つけながら抜けた先に見えた村。森のすぐ近くにあった家に駆け込み、この周辺にオラリオから冒険者崩れがやってきたことを説明して、まだ『悪』がこの村を襲っていないと安堵して――もう一つの小さな森に家主の息子と、その息子と恋仲の少女と少女の祖母がいる小屋があることを教えられた瞬間、顔から血の気が引いていった。

 

 

 家主が剣を取って家を飛び出して行くのを、リューは呼び止めることも追いかけることも出来なかった。家主がLv.4のリューですら捉えきれない速さだったのもあるが、残った『悪』の三人が別々になっている可能性があったため、リューは村に残っているしかなかった。

 

 

 そこからは自分の身体をどうやって動かしているのかさえ定かではなかった。家主が抱えて戻ってきたのは重傷の少年ただ一人。その意味をリューは一目で理解してしまう。

 

 

 家主とその奥方が治療の準備をしている間、リューはずっと少年を見ていた。

 

 

『フィーネ……ごめん……弱くて……守れなくて…………ごめん』

 

 

 少年の言葉は治療が始まるまで途切れなかった。

 

 

 少年の父親と母親はリューを責めなかった。

 

 

 少年の生きる気力()を失った瞳から涙が止まることはなかった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「――これが、あの雨の日の真相です。貴方の父君から聞かされていると思いますが、私は貴方に殺されても仕方がないエルフです」

 

 

 地面に頭を伏せたまま罪を吐露し続けるリュー。

 

 

「貴方が初めてお店に来た時、すぐに貴方の素性に気付いていました。それにも関わらず話しかけようともしなかったのは、私の愚か極まる浅慮が理由です」

 

 

 リューが五年ぶりに見たレインに抱いた感情は――憤怒だった。

 

 

 今も私は大切な仲間(アリーゼ)達を亡くしたことを悲しんでいるのに、恋人を殺された貴方(レイン)はなんだ? 貴方の父君から雨の日のことを聞いているはずだろう?

 

 

 どうしてよりにもよって美神(フレイヤ)の眷属になっている? どうしてそんなにヘラヘラ笑っていられる? どうして私に、貴方の恋人を殺す要因になったエルフに声を掛けられる(ナンパができる)!?

 

 

 申し訳なさより怒りが遥かに勝ったリューは絶対にレインと会話をしないと決めた。もし彼が復讐を望むなら無抵抗で命を差し出そうと考えていたが、その気持ちも遥か彼方に消え去った。

 

 

「少し考えれば分かったはずでした。貴方が本当にフィーネさんのことを忘れているなら、貴方はLv.6になっていない。そもそもオラリオにだって来ていない」

 

 

 そう……少し考えれば分かる。剣を取ってこの迷宮都市に来たということは、世界で最も人類の命を奪っているダンジョンに潜る覚悟があるということだ。泣くことしか出来なかった少年がダンジョンに潜る……つまりはそういうことだろう。

 

 

 レインの身体もそうだ。いつだったか食事をしている時に「俺は天才だから鍛錬なんてしない」と言っていたが、その身体には無駄を極限までそぎ落とされた筋肉が付いている。足運びも超一流のそれだ。たった五年の月日でこれらを手に入れるには、血の滲む、という表現が生温く感じる鍛錬を重ねなければ手に入らないはずだ。

 

 

「何故フィーネさんがここにいるのかは分かりません。『豊饒の女主人(ここ)』に雇ってもらうなら訳があるのでしょうから、私は何も聞きません。それでも……貴方にとってどれだけフィーネさんが大切な人なのか、どれ程大切に想っていたのか、ようやく気が付きました」

 

 

 レインに対する認識が改まった時を思い出す。

 

 

『いいか? この子は……フィーネは俺の命より遥かに大切な人だ。この子が意味もなく傷つくことがあれば世界地図からオラリオが消滅すると思え』

 

 

 笑顔のレインの言葉をフィーネは冗談だと思っていたが、死線を何度もくぐった他の従業員(スタッフ)と他者の瞳から真実を見抜く魔女(シル)には正しく伝わった。少女(フィーネ)が傷つけばこの男は本当にやる。闇派閥(イヴィルス)でも最終的にはなしえなかったことを。

 

 

「幸い、私はギルドの要注意人物一覧(ブラックリスト)にも載っています。私を殺しても罪にはならない。まだ賞金も生きているから、多額の金銭も貰えるでしょう」

 

 

 全てを語り終えたリューは目を閉じて顔を上げた。

 

 

 レインにとってフィーネがどれだけ大事なのか分かっている。きっと彼は仇人(リュー)を殺すだろう。目を閉じたのは彼にリューを少しでも殺しやすくするためだ。

 

 

「さあ、どうか一思いに――」

「――覚悟を決めきった顔をしているとこ悪いが、お前が地面と顔をくっつけて喋ってたせいで全く内容が分からんかった」

 

 

 …………………………………………。

 

 

 思わず見開いた空色の瞳がレインの黒い瞳とぶつかる。

 

 

「申し訳ありません、今何と?」

「お前が額を擦り付けながら話していた上に声が小さいから、俺にはお前の言葉が何一つ聞こえなかった。強いて言えば『モゴモゴゴ、モゴォ』としか」

 

 

 ……………………………………………………………………………………。

 

 

 聞こえなかった? 罪悪感で胸が押しつぶさそうなのを堪えながら語った罪状が? よりにもよって謝意を示すために土下座をしていたせいで? そもそもどうして「モゴォ」と聞こえる?

 

 

 リューの顔が怒りと羞恥で赤くなっていく。怒りはちゃんと話せなかった自分へか、はたまた聞き取ってくれなかったレインにか。

 

 

 仕方ない、次は顔を上げて、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まぁ全部聞こえてたがな。聞き取りにくかったのは本当だが……そうか、お前だったか

 

 

 ――目の前の男から発せられた威圧で空間そのものが悲鳴を上げた。石畳に亀裂が走り、路地の壁の欠片が上からパラパラと落ちてくる。

 

 

「……ッ!?」

 

 レインに反射的に「こんな時にふざけた真似をっ!」と怒鳴りそうになっていたリューの喉が干上がる。言葉を吐き出せなかった口が空気を求めるようにはくはくと動く。全身から冷汗が噴き出し骨が軋む。手足も指一本動かせない。

 

 

 逸らすことも閉じることも出来なくなった瞳に、レインの腰から引き抜かれる青白い魔剣が映る。

 

 

 ゆっくりと魔剣が振りかぶられる。リューは薄暗い路地裏で輝く剣が断罪の光に見えた。

 

 

 処刑場所はかつて死を覚悟した時と同じ路地裏。最期の時がそこまで来ている。

 

 

(アストレア様……アリーゼ……シル……クラネルさん……みんな……ごめんなさい。皆さんに与えられ、導かれ、拾われ、向き合ってくれた(わたし)をこれから捨てます。返しきれない恩が数えきれない程あるのに、申し訳ありません) 

 

 

 それでも、浅ましくても、崇高とはかけ離れた『復讐』でも。誰かのために命を捨てるなら、私を裁い(許して)てくれますか?

 

 

 五年間、仲間を失った時から心の底で待ち望んでいた断罪の刃が、リューの頭に振り下ろされた――。  




 まさかの上・中・下の構成になった。

 ダンまち原作みたいにシリアスな空気でもギャグ要素を入れるのは難しいね……。


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五十五話 正義の妖精 下

 作品のタイトルを変更しました。理由:どっかの黒の剣士と被る気がするから。

 最近スランプ気味。理由は判明している。

 作者は「事」と「位」を意図的にひらがなにすることがある。


『レイン、これから話すのはもしもの話だ。本当にある話じゃない』

 

『……いきなりどうした?』

 

『いいから黙って聞け軟弱もやし野郎。どうせ体力を使い果たして動けないだろう』

 

『……まだぼ……俺は動ける。休んでいるのは親父が「訓練はやりすぎても意味がない」と言ったからだろう。俺がもやしなわけじゃない』

 

『まだ訓練始めて一か月も経ってない上に剣も持ち上げれねえガキが何ほざいてやがる。それにお前が弱くなけりゃ、お前はこんなことしてねえだろ』

 

『…………貴様ッ!』

 

『親にふざけた言葉を使うんじゃねえよ。俺は謝る気は微塵もねえし、間違ってた事を言っているつもりもない。何度も言っただろうが。お前には俺を遥かに超える戦士の才能があるってな……下手すれば俺が指一本触れられなかった世界最強の団長以上に。なのにお前は人を傷つける力なんていらないとか言って、剣に興味を示さなかった』

 

『それは!』

 

『好きな子が乱暴な男は嫌いって言ったからって? 好きな子がお前みたいな優しさを捨てないんじゃなくて、甘さを捨てきれない男が好きだって言われたからだって? 女を理由にするクソみたいな言い訳しようとすんじゃねえぞっ!』

 

『ぎッッ!?』

 

『この世界は「力」がなけりゃ生きられねえ! 超が付くお人好しで十割そいつが正しい事をしていようが、「力」を持つ屑どもに絶対に負ける! 惚れた女を本気で守りてえなら、女に嫌われようが「力」を付けるしかねえんだよ! 今だってちょっと()()()だけで寝る奴を「弱い」以外にどう呼ぶんだ? 好きな子死なせておいて今更足掻く奴を「惨め」以外に何て呼べるんだ? そうとしか言えないだろうが!』

 

『くっ……ゲホッ!』

 

『睨んで俺に当たろうとすんな。それは逃げてんのと一緒なんだよ。自分が無力で何も出来ない苛立ちを人に押し付けてるだけだ。そうでもしなきゃ生きられない弱い奴の習性だ』

 

『……』

 

『弱い自分を許さず、憎め。憎しみに負けて殺戮に快感を覚える獣にならないよう、お前のクソッタレな甘さで感情を制御しろ。死にかけながら死なないように戦え。それだけが、好きな子が殺されるのを見ているしか出来なかったお前にできる、唯一の贖いだ。死んで償うとかほざくのは罪の意識に耐え切れなくなった馬鹿がする、罪の清算を他人に押し付けるだけの「逃げ」だ』

 

『……分かった』

 

『よし、そんじゃ話を元に戻すぞ』

 

『息子の肋骨へし折って血を吐かせているくせに、よく平然と話を再開できるな……ゴフッ』

 

『お前、俺の器の小ささを知らんのか? 俺は自分が悪くても頭を下げたくなければ下げない男だぞ。何回も話を遮るなら物理的に口をきけなくすんぞ』

 

『あんたも俺を怒らせない方がいい……俺は母さんに、知らない子から「腹違いのお兄ちゃん、はじめましてっ」と話しかけられたと――』

 

『レイン、憎しみは争いしか生まない不毛な物なんだ。逆に言えば争いは憎しみしか生まないんだ。そんな訳で仲直りしよう』

 

『さっきと言ってる事が全然違うじゃねーか』

 

『うっせー! 確かに昔の俺はあの爺さんに負けず劣らず娼館に通っていたがな? ちゃんと避妊はしてたし、母さんを好きになってからは他の女には目もくれてねえっ。だから本気(マジ)で言うなお願いします!』

 

『言葉から説得力がどんどんなくなっているぞ【乱交王(バビロン)】。プライドはないのか?』

 

『その勝手に付けられた二つ名で呼ぶんじゃねえ! お前はヤンデレの恐ろしさを知らねえからそんな事が言えるんだ。とりあえず、その嘘は洒落(シャレ)にならないから本気(マジ)でやめろ』

 

『で、話とはなんだ?』

 

『後で覚えてろよ貴様。……例えばだ、善意で悪い奴をやっつける「正義の味方」がいるとする。助けを求める声が聞こえれば、すぐさま駆けつけて「悪」を殺すなりして滅ぼす。見返りも求めず、助けを求めた奴が知らん人でもな』

 

『命を奪っている時点で正義も何もないがな』

 

『本当にな。大概の「正義の味方」を名乗る奴は、「正義」を人を殺してもいいと正当化できる道具にしか思っていない。俺が今まで見てきたのもそんなんだ』

 

『話が逸れてるぞ』

 

『お前のせいだろうが……! ったく、俺の話に出てくる「正義の味方」はまともな奴だ。で、その「正義の味方」はある日失敗するんだ。自分が良かれと思ってやった事が、何人かの命を奪うことになっちまう』

 

『……それで?』

 

『そんな「正義の味方」は自分の命で償うとか言い出す。そこでだレイン、お前はこの「正義の味方」をどうする? ちなみに、この話で奪われた命は自分の命より大切な人のものとするぞ』

 

『やたらと具体的な作り話だな。頭に猪の脳みそが詰まっていると思う程がさつな親父が考えられるとは思えん』

 

『シンプルに殴っていいか?』

 

『よくないに決まってるだろ……そもそもあんたはどうなんだ? 例えば母さんがやられたら』

 

『俺か? 絶対に許さん。そいつが限界まで苦しんで死ぬように体を刻む。人体の急所は知り尽くしているから抜かりはない』

 

『意外だな。自分の弱さこそを憎めと言ったあんたはてっきり見逃すのかと思ったぞ』

 

『それはそれ、これはこれだ。「正義の味方」が世界中から慕われる奴だとしても、俺は絶対に許したりしない。悪人と罵られようと必ず殺る……ほれ、お前はどうする?』

 

『……俺は――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――なるほど。いかにも甘っちょろいお前らしい答えだ』

 

『黙れ【雑食(オールオッケー)】』

 

『殺す』

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 微かな風切り音を立てて、青白い魔剣が鞘に納められる。

 

「ずっと考えてた。仮に俺の守りたい人を傷つけた奴がいたらどうするかを」

 

 レインの言葉と一緒に、狭い路地裏に満ちていた威圧も消え去る。

 

「見逃せと言う奴は容赦なく殺す。命で償うと言う奴は一切罰を与えず生かし続ける。後者は大抵が罪の意識を軽くしたいがために罰を求めるからな。罵声の一つもくれてやらん」

 

 レインが視線を下に向ける。そこには()を抑えてうずくまるエルフがいた。

 

「ただし……【疾風】のリオン。俺は、お前だけは一発殴って許すと決――」

「――ウオェェェェェ……ッ」

「……」

 

 ……路地裏にキラキラした水たまりができた。あまり嗅ぎたくないすっぱい臭いが漂う。レインも思わず口を閉ざし、目も逸らしながら冷や汗を流す。

 

「……いや、最初は普通に剣で殴ろうと考えていたんだが、覚悟を決めきったお前の顔についイラッとしてな。予想外の所からの攻撃は衝撃が大きいと思って蹴りにしたんだ。ほら、キックはパンチの二倍の威力があるって言うだろ? 罰を欲しがるお前にはこっちの方がいいかなって……」

「……が……せ…………」

「おーい、リオン?」

 

 体液を吐き散らかしてから喋らなくなったリューを心配し、レインはしゃがみこんで彼女の顔を覗き込もうとする。しかしその前にリューは顔を上げて――

 

「クソがっ! いっそ殺せ!」

「俺の話聞いてなかったのか? 許すと言っただろうが」

 

 自分のキャラをかなぐり捨てて叫ぶ。女とかエルフとかの矜持(プライド)がバッキバキになってしまったリューは懐から小太刀を取り出し衝動的に己の喉に突き刺そうとしたが、真顔のレインが手刀で叩き落した。

 

 あっ、小太刀が(ゲロ)たまりに落ちた。

 

「ああああぁっ!? か、輝夜ー!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分から命で償うと言ったくせに、何で人前でゲロ吐いただけで死のうとするんだ」

「ある意味死んだ方がマシだと思いますが!? 貴方に人の心はないんですかこの外道!!」

 

 キレたエルフに胸ぐらを掴まれて前後に激しく揺さぶられるレイン。今度はこっちが吐きそうになるからやめてほしい。あとすっぱい臭いがするから離れてほしい。

 

「人の心はあるつもりだ。だから水の『魔法』で証拠を隠滅してやっただろう? それにゲロを吐くのも罰と思えばいいじゃないか」

「汚い言葉を連呼しないでください!」

 

 レインが言った通り、路地裏は綺麗になっている。まだ微かにすっぱい臭いがするが吐瀉物なんてなかった。いいね?

 

「言いたいことは分かりますよ。確かに肉体的、精神的に十分な罰になってますよ! でもっ、もうちょっとこう、あるでしょう!? 鞭打ちとか水責めとか蠟燭(ろうそく)責めとか! 友の形見を吐瀉物の中に落とすのは人としてどうかと思います!」

「それに関しては本当(マジ)ごめん。けど一個つっこませてくれ。罰の中に何で蝋燭責めがあんの?」

 

 ぷしゅー! と頭から蒸気が出そうなくらい真っ赤になって怒るリュー。エルフは思いのほか怒りっぽい種族なのだろうか? ヘグニとヘディンも全裸のフレイヤを寝台(ベッド)に入れておいたら鼻から血を流しながら殺しに来たし……。いや、むしろムッツリか?

 

「……今、途方もなく最低なことを考えませんでした?」

「失礼な。ちょっと臭いから離れてくれないかなー、と思っただけだ」

「そんなものじゃない気もしますが……」

 

 ようやくリューがレインの服から手を放す。さて、リューをからかって大分空気も軽くなったし、そろそろ話の続きをするか。

 

「それより気になってるだろ? 何で俺がフィーネを死なせる原因を作ったお前を許すのか」

「はい、正直心当たりがありません。私が女だから、という理由で許せる程、貴方にとってフィーネさんは軽い人ではないでしょう」

「そうだな。()()()()『お前の罪の意識なんぞ知るかっ』で済ませていた」

「普通なら、ですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前はフィーネの命の恩人なんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 思わずリューは聞き返す。それも当然、リューには全く覚えがないのだ。

 

「覚えてないのも無理はない。お前にとってフィーネは無償で助けた大勢の一人にすぎなかっただろうし」

「待ってください。まさか、フィーネさんは――」

「うん、フィーネは迷宮都市(オラリオ)生まれだ。『暗黒期』の真っ只中の、な」

 

 フィーネがレインの故郷の村に来る前、何処に住んでいたのか聞いた時にはかなり驚いた。昔のレインは父親から迷宮都市がどんなものか聞かされていた。どんな願いも叶う代償に、想像もつかない悪意が渦巻く場所。力が無ければ生きられない、一時も気を休められない魔窟。

 

「フィーネが教えてくれたんだ。見知らぬ男に犯されそうになった時、『リオン』と呼ばれるエルフに助けられたって」

 

 恋人になって最初の頃、フィーネはいつも「自分をかっこよく助けてくれたエルフ」の話をしてきた。どのくらい話してきたか……正直思い出したくない。何度か話を止めようとしたけれど、こうしてフィーネと恋人になれているのがそのエルフのおかげだと知ってしまえば、止めれるものも止めれない。

 

「……やはり、私は裁かれるべきです。『暗黒期』のオラリオから逃げ出すことができた人を、私の無責任な行動で死なせてしまった。私にはこの命しか差し出せる物がな――」

「ごちゃごちゃうるさいぞ、馬鹿たれっ」

 

 再び自分の中で短絡的な結論を出そうとするリューをしばく。突然の衝撃に目を白黒させるポンコツエルフ。

 

「別に自分を無理に許せとは言わん。フィーネは結果的に無事だったけど、フィーネのばあちゃんは死んでしまった。それは紛れもない事実だ」

「では――」

「でもな、お前は死なせた以上の命を救ってきただろう? そもそも仲間や家族でもない限り、他人の命の責任はお前にはない。なのに一度や二度の失敗で死ななければいけない訳がない」

「……」

「それにお前の理屈だと、俺は何回も死ぬことになる」

「それが本音ですか?」

 

 レインは思い切り顔をしかめる。チィッ! やっぱり気付くか。似合わない話はするべきではないな。

 

「とにかくだ。俺が言っても説得力がないかもしれんが、お前の今と昔の仲間はお前に生きてほしいと願ったんじゃないか? なら罪を償うために死にたいですー、とか言ってうずくまるより、償う(生きる)ために前を見ろ。ちょっとやそっとのことで立ち止まるのは『正義』じゃない。己の信じたものを最後まで貫くのが『正義』だ」

「――――」

 

 適当なことを言いながらレインは背を向ける。これ以上リューが帰って来なければ『豊穣の女主人』の店員が不審に思ってしまう。有象無象にどのように勘繰られても何とも思わないが、フィーネに変な勘違いをされるのだけは避けたい。

 

 十歩も歩くと後ろにリューが追いついてきた。ちらりと様子を見てみると清々しい顔をしている。まさか、あの適当なアドバイスで納得したはずはあるまい。きっと蹴りを罰だと思えたんだろう、きっとそうだ。

 

「……ありがとうございます、レインさん」

 

 んー、そのお礼は何に対して?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リューとの密会(?)は三十分にも及んでいた。その半分は彼女の名誉を守るために消費されていたので仕方ないが、間違いなく時間をかけすぎた。

 

「お帰りなさい、レインにリューさん。お願いなんだけど頑張って作った料理(これ)、試食してくれないかな?」

 

 だって、もっと早く話を終わらせていれば、目の前の匂いを嗅ぐだけで涙が出てくるピンク色の固形物を食べなくて済んだはずだもの! もしくは作るのを阻止できたはずなのに!

 

 隣で「どうやらフィーネさんは私を許さないようです……」と呟いているエルフにイラッとしつつも、レインは(表面上)にこやかに尋ねる。

 

「フィーネ……劇物(これ)、誰に教えてもらった?」

「シルさんだよ?」

 

 なるほどーそうかそうか許さんぞあのクソ女!

 

(お待ちをっ。荒縄を持って何処へ行くつもりです?)

(毒を含む鉛と同じ髪色の女の所だよ! あの女、縛って動けなくして近くの民家の屋根で三角木馬の刑にしてやるっ!! 社会的にぶっ殺してやる!) 

(なんて斬新かつ残酷な処刑方法を思いつくんですか!? シルの代わりに私が罰を受けるので、シルを許してください)

(お前絶対に俺のありがたい話を聞いてねえだろ! シルの身代わりになるくらいなら劇毒(これ)を食え!)

(いえ、私は仲間の遺言で『生きて』と言われているので……)

(少し前まで死にたがっていたくせに!)

 

 エルフとヒューマンの醜い争いは数分間続いた。

 

 更に数分後。「やっぱり……おいしくなさそうだよね……」とフィーネが涙目になった。

 

 更に更に数分後。エルフの女とヒューマンの男が仲良く床に倒れていた。  




アンチ・ヘイトが仕事をしますな。

本当にレインが大切な人を傷つけられて許すかは不明、


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小話4

 この小説を書き始めてから半年が経ちました。ここまで付き合ってくれている読者の皆さんに感謝です。

 今回の話は繋ぎ……ぶっちゃけ、次の話にいくための穴埋めです。ネタの詰め合わせです。頭を空っぽにして書きました。ロクな話じゃありません。読み飛ばしてもらってかまいません。


 ソード・オラトリアの八巻は書きません。あれがないとベートは嫌われるままだし。それにレインを絡めにくい。


 次回から真面目な話になります。


 あの日の夜はベルにとって間違いなく人生の岐路だった。

 

 

 あらゆる作戦と手段を使って勝利をもぎ取った【アポロン・ファミリア】との『戦争遊戯(ウォーゲーム)』。その代償として自分の派閥の手札を限りなく知られた状態で【アポロン・ファミリア】以上の大派閥、【イシュタル・ファミリア】にたった一晩言葉を交わしただけの少女を救うために挑む。

 

 

 後に仲間達(みんな)お前(ベル)らしいと笑ってくれたけど、あの行動は第三者から見れば愚か極まりない我儘だった。記憶の中の祖父(あの人)の笑みで自分の気持ちに正直になったけれど、その時の道具、装備、行動のどれか一つでも間違えていれば全てを失っていた。

 

 

 それでも……結果として助けたいと思った少女は隣にいる。ベルの敬愛する女神の家族(ファミリア)となり、故郷(極東)からの友人の少女と手を取り合って笑っている。

 

 

 最善の選択だったと思う。あの日の夜の決断はベルにとって最良の選択だった。

 

 

 でも、考えてしまう。僕にもっと力があれば、前触れもなく現れた”あの人”に夥しい数の命を()()()()()()()()()()()()()()()。僕がもっと強ければ、”あの人”を傷つけることなんてなかったんじゃないか。

 

 

『これは八つ当たりだ。どうしても消えない俺の怒りと苛立ちを他にぶつけて紛らそうとする、愚か極まりないもの。八つ当たりのきっかけを大切な人から作った、非道で傲慢な真似だ』

 

 

 女主の神娼殿(ベーレト・バビリ)に現れたベルが密かに憧れの念を抱く戦士の顔からは、いつものふてぶてしい笑みが消えていた。代わりにあるのは何一つとして気持ちが込められていない、果てがない暗黒の如き無表情。

 

 

『逃げたい奴は逃げていいし、戦意のない者も見逃そう。だが……淫乱腹黒根暗外道蛆虫ブサイク女神と、一度でも戦う意志を見せた身の程知らずは殺す、必ずだ。今の今まで他人からあらゆるものを奪い、壊し、踏みにじってきたんだ……ここで死ぬのも覚悟の上だろ?』

 

 

 仮面のような表情にも関わらず、その口から告げられる言葉は不気味な程に嘲りの感情を含んでいた。まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()……そう感じてしまう程、表情と声音が釣り合っていなかった。

 

 

 一拍の間を置いて、ベルを取り囲んでいた敵団員達があの人に襲い掛かった。そもそもアマゾネスは強い雄を求めて戦う種族。敵が都市最強派閥のLv.6だろうと恐れはしないし、さっきの言動もただの挑発にしか思えない。それに数の暴力か格上のLv.5(フリュネ)でどうとでも出来る弱い兎より厄介な、無敗を誇る黒き剣士を優先するのも当然だった。

 

 

 逆にベルは何も出来なかった。生まれた隙を見逃さず上の階を目指すことも、「殺す」とはっきり意志を示したあの人を止めることも、あの人に戦意を見せてしまった娼婦に逃げるよう呼びかけることも。憧れの人が見せる初めての表情(かお)は、世界の広さを知らない少年に心の底から恐怖を感じさせ、身体から活力を根こそぎ奪い取る。

 

 

 直後にあったことをベルはよく理解していない。一瞬だけ青い軌跡が空に残り、頭からつま先までを得体の知れない何かが覆うように通り抜けた感覚。ベルの身体や装備、建物にはかすり傷一つない。それでもそれが攻撃だったのは分かった。

 

 

 だって、消えてしまったから。さっきまでベルを囲んでいたアマゾネス達はおろか、上下から挟み込むように追ってきていた娼婦達まで髪の毛一本残さず消え去っていた。床に落ちてむなしい金属音を響かせた武具だけが、そこに人がいたことを物語っていた。  

 

 

 ベルにあの人を責める権利はない。自分が誘拐されたように、【イシュタル・ファミリア】は後ろ暗い事に手を出している。何の罪もない一人の少女を犠牲にして【フレイヤ・ファミリア】を倒すことに何の疑問も抱かない程、嫉妬に取りつかれた美神の眷属は命を奪ってきたのだろう。自業自得だ。

 

 

 しかもあの人は迷宮都市(オラリオ)を代表する【ファミリア】に所属している。都市の平和を守るために手を汚すことだってあるだろう。つまりあの人を責めるということは、ベルが隣に立ちたいと目指す金の剣士を侮辱するのと同義。

 

 

 それに、あの人が【イシュタル・ファミリア】の注意を引き付けてくれたおかげで、ベルは狐人(ルナール)の娼婦を助けられた。他にも屋上にいた百名以上の戦闘娼婦(パーペラ)達を倒すために意図的な魔力暴発(イグニス・ファトゥス)を起こし、致命傷を負った命を治療して連れてきてくれた。

 

 

 だからお礼を言うべきだ。思惑や行動はどうであれ、仲間の命を助けてもらった。感謝を伝える以外に何がある?

 

 

 なのに――

 

 

『ひっ……人殺し! 来ないでくださいっ……!』

 

 

 ごめんなさい。全部言い訳にしかならないけれど、初めて人が人を殺すところを見て動揺したんです。人の血が付いた剣を怖いと思ってしまったんです。貴方にそんな顔をさせるつもりはなかったんです。貴方を止められなかったのに酷いことを言ってごめんなさい、心が弱くてすいません。

 

 

 もしも過去に戻れるならあの時の自分を殴りたい。物理的に無理だけど。

 

 

 本拠地(ホーム)に直接謝りに行けばいい話だけど、あの壁の中から『ウオオオォォォッ!』とか『ヒャハアアアア!!』とか「もう蘇生と変わりないじゃないですか馬鹿アァァァァァ!!!」って聞こえて怖いんです。何ですか「蘇生」って。

 

 

 だから次に会えたら絶対に謝ります。誠心誠意謝ったら僕は――

 

 

「ベル、理由は聞くな。お前は俺にトイレを使わせるんだ」

「いや本当に何があったんですか!?」  

 

 

 【イシュタル・ファミリア】との抗争から数日後。

 

 

 胸の内にもやもやしたものを抱えるベルの前に現れた”あの人”――レインは開口一番、真っ白な顔でトイレの貸し出しを要求してきた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「……え~っと、今の話は本気で言ったのかな?」

「俺はくだらん嘘を吐きに来るほど暇じゃない」

 

 

 【ヘスティア・ファミリア】本拠地(ホーム)、『竈火の館』一階の居室(リビング)には【ヘスティア・ファミリア】の眷属全員と、二十分トイレに籠ってからは顔色が少しマシになったレインがいた。

 

 

 レインは狐人(ルナール)のメイド、春姫が入れた湯気が立ち昇る紅茶のカップを持ち上げながら、もう一度用件を伝える。

 

 

「仕方ねぇなあ……馬鹿にも分かるように言うぞ。『豊饒の女主人』にいる訳アリ記憶喪失のフィーネという美少女に料理を教えてくれ。以上」

「「天才でも分かるかッッッ!!」」

 

 

 リリとヘスティアの叫びが重なる。何故だ、これ以上ない程分かりやすく簡潔に纏めたというのに。

 

 

「訳アリで記憶喪失の美少女って……どれだけ欲張り属性なんだ!」

「そのセリフ、幼女で黒髪で巨乳でボクっ娘のヘスティア(あんた)が言うか?」

「第一、記憶喪失って何ですか!?」

「そのままの意味だ。記憶がない」

「そうじゃなくて! 何で記憶がないのか質問してるんです!」

「それは言えない。もしここでお前らに教えてしまえば、お前らがあの子に伝える可能性がある」

「まるで俺達が了承するのが決まっているみたいな言い方だな、おい」

 

 

 レインの言い草に壁際で腕を組んで黙っていたヴェルフが声を出す。レインは眉を寄せたヴェルフの言葉にあっさりと頷いた。

 

 

「ああ。お前らは間違いなく引き受けるし、そもそもお前らに拒否権はない」

「なんで上から目線なんだい!? 言っておくけどレイン君、君には十八階層やイシュタルの時の恩があるけど、僕達が知りもしない子供をそう簡単に受け入れるなんて出来ない。……それに女ならなおさらだよ! これ以上ベル君に近づく泥棒猫を増やしてなるもんか!」

 

 

 ヘスティアの言っていることの半分は完全に個人的な感情だが、他は正しい。レインの性格と所属する派閥(ファミリア)の性質上密偵(スパイ)の可能性は限りなく低いが、【ヘスティア・ファミリア】はオラリオでも立派な中堅【ファミリア】だ。迂闊な真似はできない……料理を教える事が迂闊なのかは知らんけど。

 

 

 全員が目を合わせて頷く。申し訳ないけど断固としてお断り――

 

 

 だが! レインも手段は選んでいられないのだ!

 

 

 フィーネにきちんとした料理を覚えて貰わないとマジでヤバイ。料理の工程を見せてもらって明らかに料理に使わない物は取り除いたが、絶対に劇物が出来上がるのだ。意味が分からない。このままじゃ本当に料理で人が死ぬ。

 

 

 昨日の試食会では参加者の大半が幼児退行する羽目になった上、リューが「正義とは巡るもの……なら身体を巡る毒も正義なのでは……?」と狂ったことを言い出す始末。レインも語尾が変になった。地獄のような光景だった。

 

 

 正直、ミアにでも頼めばいい話だが、フィーネに料理を教えたきり姿を見せなくなった女に苛立ってしまい、店を出る間際に「あの女が帰ってきたら『お前の母ちゃんでべそ』って言っとけ!」と叫んだ結果、ミアは料理を教えてくれなくなった。心が狭い。図星だったのだろうか?

 

 

 そんなこんなで考えに考え抜き、料理上手の少女がいる【ヘスティア・ファミリア】に白羽の矢が立った。他の候補はろくでもない対価を要求してくるので論外。それに派閥の全員が他に好きな人がいるのも良い。

 

 

 そんな訳でレインは何が何でも首を縦に振らせるべく、切り札を切っていく。  

 

 

「鍛冶師、実は面白い物をダンジョンで見つけたんだ。保存もしてある」

「面白い物?」

「壁画だ。ヘファイストスがブル――」

「ヘスティア様、俺は受けてもいいと思います!」

「ヴェルフ君!?」

 

 

 最初に陥落したのはヴェルフ。

 

 

「命。お前にはこれだ」

「……何でしょう?」

「とある巨乳な女神から貰った『天然ジゴロを落とす指南講座』、その2の参加権だ」

「私の持つ技術の全てを伝授しましょう!」

「命君も!?」

 

 

 次は命。

 

 

「私はちゃちな脅迫や賄賂に屈しませ――」

「おっと。こんな所に誰に渡してもいい一〇〇〇万ヴァリスが」

 

 

 無言で金貨の入った袋をひったくる守銭奴小人族(パルゥム)。チョロい。

 

 

「くっ! 既に三人もやられてしまった。春姫君、僕達がしっかりするんだ! いいね?」

「さっき命に渡した『天然ジゴロを落とす指南講座』だが、『鈍感な年下を落とす指南講座』もある」

「わ、(わたくし)も、メイドとしての心得(房中術)をしっかり伝えます!」

「裏切者ー! 僕もそっちに行くぅー!」

 

 

 さて……後は青ざめた顔でブルってる兎一羽だけだ。

 

 

「なぁ……もう一回怖い話をしようと思うが……聞きたいか?」

 

 

 絶対に聞きたくないベルは全力で首を横に振った。 

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 その後。

 

 

 フィーネは美味しい料理を作れるようになった。

 

 

 『豊饒の女主人』でフィーネの料理の味を知っていた店員はミアが雷を落とすまで喜んでいた。

 

 

 そして口移しの体勢で料理を食べさせられそうになったレインは、床に鼻から溢れた情熱で「天然」と書いて倒れた。




Q:レインが何で王国(ラキア)との戦争に参加してないのか?

A:劇物をバスケットに包んで、「これを毎日食べて戦えるなら参加してやんよ!」と【ロキ・ファミリア】に送ったから。


補足 レインがシルが通う教会近くの隠し通路を知るのは、ベルに「バーバリアン」がいたと教えてもらってからです。

 命を連れてきた時、なんで剣に血が付いていたのか?

 ベルが近くにいる時は臓物をぶちまける訳にはいかんと配慮したからです。いなくなれば直接バッサリ。

 


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五十六話 生まれ、出会う

『古代』の英雄が強すぎて笑う。恩恵なしで黒竜の片目を奪うってよく考えたら凄い化け物じゃん。


 下界最大の『未知』の構造物、ダンジョンの中で珍妙な怪物(モンスター)が走っていた。

 

 

 怪物がダンジョンを駆け回る事は珍しくない。彼等を殺しに来る冒険者から逃げ回る。逆にモンスターが冒険者を殺すために追いかけ回す。獲物を探して迷宮の中を徘徊する……等々から、走るのはモンスターにとって呼吸の次に多い日常動作だ。

 

 

 珍しいのは走るモンスター――『彼女』の容姿である。

 

 

 『彼女』の姿は竜が魔法で少女に変身したと形容するに相応しい、まるでおとぎ話から出てきたかのような外見だった。

 

 

 美しく滑らかな青銀の長髪。年頃の少女と同じ柔らかそうな肌は、髪と同じく青白い。更に肩や腰には『竜種』の証とも呼べる頑丈で鋭い鱗が生えていた。琥珀色の瞳は爬虫類のように縦に割れ、額に埋まる輝かしい宝石が紅の光を放つ。

 

 

 『彼女』は走る。天井や壁、地面が木で作られた階層を走り続ける。通路に生い茂る様々な形の葉っぱや神秘的な花々に、青白い肌に刻み込まれた傷から流れる真っ赤な血を意図せず振りかけながら走り抜ける。

 

 

 『彼女』は逃げる。凶悪な咆哮と上げ、鋭い爪と牙を振りかざす同族から逃げ続ける。『彼女』の美しい容姿を目にした途端、同族より遥かに醜い形相で追いかけてくる人間達から逃げ惑う。

 

 

 やがて怪物と呼ばれる所以(ゆえん)かつ、その怪物の頂点である『竜種』の潜在能力(ポテンシャル)でモンスターと人間の追っ手を振り切り、独りで迷宮を走り続ける。孤独な足音と乱れた呼吸が母なる大穴に響き渡る。

 

 

「あうっ!?」

 

 

 下り坂。

 

 

 そこで彼女は足を踏み外し、勢いよく滑り落ちていく。

 

 

 ようやく勢いが弱まったところで立ち上がろうとした『彼女』は足を痛めたことに気付いた。何とか足を引きずりながら身体を動かし、迷宮の一角に隠れる。

 

 

 壁に背を預けて座り込み、傷つきぼろぼろになった両腕で自分を抱きしめる。双眸から透明な涙を落とし、細い(のど)から小さな嗚咽を漏らし、果てしない恐怖にがたがたと震える。

 

 

 そこへ聞こえる、『彼女』のものではない一つの足音。剣で斬られた痛みを思い出し震えが激しくなる。身体を抱きしめる両腕に一層の力がこもる。

 

 

 そして。

 

 

「モンスター……『ヴィーヴィル』?」

 

 

 白い髪に深紅(ルベライト)の瞳を持つ少年、都市を今も興奮させる【リトル・ルーキー】(ベル・クラネル)は、涙を流す『彼女』に出会った。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 レインが『竈火(かまど)の館』に行こうと考えたのは完全な気まぐれと暇つぶしである。

 

 

 今や日常動作(ルーティーン)の一つになった『豊饒(ほうじょう)の女主人』に預けたフィーネへの顔見せ。一度あまり会うべきではないだろうと月一回の面会制を提案した事もあったが、「わ、私のこと嫌いになったの……?」と涙目になられたため、基本的に毎日『豊饒(ほうじょう)の女主人』を訪れるようにしている。

 

 

 しかし、ここ一週間程やる事があったせいで行くに行けなかった。しばらく来る事が出来ないと伝えてはいたけれど、変に傷ついて引きこもりになったりしてないかと心配になる。もしなってたらリューは泣かせるなって怒るだろうし、ミアは看板娘が使い物にならないってフライパンを投げてくるだろうし、いやいや俺はそこまでフィーネに慕われる人間じゃない、いやでもなー……と、周りから見ればいつも通りのふてぶてしい笑みを浮かべながら、その頭の中で思考の渦をかき回す。

 

 

 そんな訳で(アミッド並みに人間観察に優れた人物にしか分からない程度に)緊張しながら扉を開けると、

 

 

「レ、レイン、どうしよう……? レインがいない間ずっと、顔も名前も知らない人達から手紙がたくさん届くの……。怖いから一緒に読んでくれない?」 

 

 

 涙目になる寸前ぽいフィーネがいた。その手に抱えられているのはリンゴ箱いっぱいの手紙の山。ざっと見ても二百枚はくだらない。

 

 

 とりあえず床に手紙の山を置かせ、適当に取ったものを開けてみる。

 

 

オイラだけの女神であるフィーネたんへ

 

 

 フィーネたんを惑わせていた黒い害虫がいなくなったってことは、オイラとの結婚を決めたんだね! お金がないから立派な結婚式はできないけど、いっぱい子供をつくろうね!』

「【ナパーム・バースト】」

 

 

 ふざけた文面が見えた瞬間、レインは久しぶりの『精霊使役魔法』を使った。刹那の間に現れた超高温の純白の炎が灰も残さず焼き尽くす。ふぅ、汚物は消毒できた。後でフィーネが働き出してからよく来るようになった変態太陽神(アポロン)の元眷属である小人族(パルゥム)消毒し(燃やさ)なきゃ……。

 

 

「!? レイン、手紙がどこかに消えちゃったよ!?」

「あれはフィーネが見ていい物じゃない。前にも言った悪い『ストーカー』からの手紙だ」

「悪い『すとーかー』からの手紙……」

 

 

 フィーネが手紙が消えてしまったことに驚いている。その可愛らしい表情に、レインは糞みたいな妄想が書かれたふざけた手紙を読んですさんだ心が洗われていくのを感じた。

 

 

 『良いストーカー(笑)』が二枚目の手紙を開ける。

 

 

『やっほー、フィーネちゅわ~ん。俺神〇〇〇って言うんだけどさ~、俺の眷属になんない? 今なら猫耳と猫しっぽを付けて俺にご奉仕できる権利をあげるよ~。俺みたいな超イケメンにご奉仕させてあげるなんて、俺超優しい☆ デュフフフ』

「……」

 

 

 無言で手紙を放り投げ、周りに被害が出ない程度に力を込めて拳を振るう。パンッ! という音がして手紙は木っ端微塵になった。犯人はフィーネをいっつも「デュフフフ」とか気持ち悪い笑い声を漏らしながら見ている男神か。こうもはっきりと証拠を残すとは……全知全能が聞いてあきれる。手紙に笑い声を書く時点で大分アホだな。

 

 

 こいつはボコボコして以来、肯定しかしなくなったヒキガエル(フリュネ)と付き合わせるか。神々はカップルを見ると『リア充爆発しろ!』と言ってるし、自分達がリア充とやらになってしまえば爆発しても文句は言わんだろう。ん? フリュネの気持ちや意志はどうなのかって? フィーネをブサイクといった奴なぞ知らん。

 

 

「手紙が! 袋が割れるような音がしたと思ったら粉々に!」

「今のは不倫のお誘いだったよ。下手すれば読むだけで不倫扱いされる危険物だ」

「手紙って怖い……」

 

 

 フィーネがレインに抱き着く。むにゅり、と二つの果実がレインの身体に押し付けられる事で形を変える。

 

 

 まずい、鼻腔から興奮が溢れてしまう……! 咄嗟にエクシードを高めて出血を止める。前にも同じ事があった時に鼻をつまんで血を止めたら、逆流して目から溢れてしまったからな。血涙(鼻血だけど)を流してフィーネには凄く心配させてしまったし、危ないところだった。

 

 

 先程から『レアアビリティ』と『レアスキル』を無駄遣いしながら、嫌いなアマゾネスと神を諸共爆破してやろうと計画する黒き愛のキューピッド(人生の墓場への使者)が三枚目の手紙を取る。

 

 

「……ん?」

 

 

 封筒の中に便箋以外の何かが入っている。どれも小さいが、感触は硬い物と柔らかい物の二つ。

 

 

 フィーネの目に入らないように覗く。見えたのは様々な色の髪の毛、大量の爪、縮れただけと思いたい毛――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とまあ、総じて碌なものがなかった。一番マシだと思えたのが、ひたすら同じ単語が書き綴られている手紙という始末である。とりあえず手紙は全部レインが預かり、フィーネには「知らない人から物を貰っちゃいけない」と言って別れた。

 

 

 つまりレインは、不幸の手紙と言っても過言ではない物体の山を持って『竈火(かまど)の館』に向かっている。これは中堅派閥になっていながら節約を余儀なくされている【ヘスティア・ファミリア】に暖炉の火種として使ってほしいという、レインの善意だ。断じてフィーネに余計な事(房中術)を教え込んだエロ狐への仕返しとかではない。

 

 

「ったく、オラリオにはフィーネの見た目だけに引き寄せられる馬鹿が多すぎる。どいつもこいつも下半身で生きやがって……身の程をわきまえろ。最低でもベル並みの性格、絶対にフィーネを不自由させない財産、俺に傷を付けられる強さを持ってから手紙を書けよ」

 

 

 フィーネが怖がる姿を見たレインはご機嫌斜めだ。普段の音痴な歌の代わりに口から出るのは、完全にフィーネの父親的立場からの愚痴になっている。

 

 

 そのまま愚痴を吐き出したかったレインだが、足は絶えず動かしていたので目的地に到着する。

 

 

 手紙が詰まったリンゴ箱を脇に抱え直して門に手を伸ばし――地上で感じるはずがない『異質な気配』に目を細めた。



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五十七話 動き出す状況

 五十話で終わるのが一番よかったんじゃ……と思う今日この頃。

 五十話以降の話の横にある「削除」のボタンをチラッと見た後、完成はしているプロットを見ながら文章を考え、文才がない作者はネタを混ぜる。

 次からは、次の話からはちゃんと書けるはず……!


「あれは……なぁに?」

 

 【ヘスティア・ファミリア】の本拠(ホーム)、『竈火の館』の中庭。そこには留守番として残ったベルと春姫、正体及び慎ましい胸もとやほっそりとした脚を隠すための火精霊の護衣(サラマンダー・ウール)で身を包む竜女(ヴィーヴィル)の少女、ウィーネがいた。

 

 疑問の声を漏らしながらウィーネが指を向けるのは、雲一つない青空で光り輝く太陽。ダンジョンに存在する疑似的な巨大水晶(たいよう)と違い、そろそろ夏に差し掛かろうとするオラリオの日差しは暑いし眩しい。しかし『竜種』としての頑丈さ故か、ウィーネは汗をかいているものの、目を見開いて太陽を見上げている。

 

「あれは太陽……お日様でございます」

「おひさま……」

 

 メイド服姿の春姫が笑みを浮かべながら教え、ウィーネが教えられた言葉をそのまま呟く。空から降り注ぐ日の光を浴びるウィーネは目を細め、太陽に負けないくらい眩しく笑う。

 

 その笑顔を見るたびにベルは嬉しくなり……ほんの少し胸が痛んだ。自分達が当たり前のように知っている日の光、その光の温かさをウィーネはちっとも知らない。知らないからこそ、今も日の下ではしゃぎ、彼女にとって地上で唯一の箱庭を走り回る。

 

 その度に(ひるがえ)火精霊の護衣(サラマンダー・ウール)から見える青白い肌と鱗が現実を伝えてくる。彼女はモンスターで――人類の敵。人間と大差ない彼女を助けたい気持ちに偽りはないけど、怪物を拒絶しようとする心が自分の中にある。

 

 情けない。助けたい、見捨てたくないと言っておきながら、無邪気に笑う少女(ウィーネ)を警戒する自分の弱さに嫌気が差す。

 

(神様達はどうなんだろう? 少しでもウィーネの事が分かればいいんだけど……)

 

 壁の向こう側にある街に目を向ける。情報を集めるためにリリは北西のメインストリート、ヘスティアはバイトも兼ねて『バベル』、ヴェルフはギルド、命は『青の薬舗(やくほ)』へ出払っている。それぞれが信頼できる神様に相談するなりしているはずだ。

 

(……皆に負担をかけてばかりだ)

「ベル?」

「ベル様、そろそろお食事にしませんか? よいお時間ですし、ウィーネ様は朝食も召し上がっていませんし」

 

 はっ、となって顔を下げると、いつの間にか近くまで来ていたウィーネがベルの顔を覗き込み、回廊に置いてあった籐籠(バスケット)を持つ春姫が庭の芝生に腰を下ろしていた。

 

「ベル、おしょくじってなぁに?」

 

 ウィーネが不安そうな顔でベルを見つめてくる。自分が暗い顔をしていたせいだろうか。これじゃダメだと、ベルはウィーネを安心させるために笑いかける。

 

 その直後だった。二度の器の昇華(ランクアップ)を果たして通常の獣人より優れたベルの聴覚が来客を告げる呼び鈴が鳴る音を拾う。

 

 ベルと春姫に緊張が走り、ウィーネが小さく震えてしがみつく。前者二人の緊張は客人に対して嘘が下手な自分達だけで、どうやって爆弾(ウィーネ)がいる事を悟られないように対応するか。後者はベルと春姫のように『竜種』の優れた五感能力で呼び鈴の音を聞き、未知の到来に怯えていた。

 

「……春姫さん。とりあえず、ウィーネに急いで僕の部屋に隠れてもらいましょう」

「それがいいでしょう。申し訳ありません、ウィーネ様。お食事はお預けになります」

 

 芝生の上に広げかけていた昼食を籐籠(バスケット)の中に戻し、三人は走って館に入る。

 

 ――一番の対策は居留守を使う事なのだが、根っからの善人である二人と生まれて一か月も経っていない『ヴィーヴィル』の少女にそんなことは思いつかなかった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 ウィーネはベルの部屋にある寝台(ベッド)(シーツ)を被って隠れた。正直、子供同士のかくれんぼでももっとマシな場所に隠れそうなものだが、物置と化している空き部屋はウィーネが嫌がった。ベルの部屋に一人きりで隠れるのも、寝台(ベッド)にベルの匂いがして安心するからである。改造戸棚(クローゼット)に隠れないのもそれが理由だ。

 

 (シーツ)にくるまるウィーネを何故か羨まし気に見る春姫が気になったが、二人で一階まで降りる。どちらかがウィーネを見守るために部屋に残ればいいのに、チキンな二人は一緒なら心強いと、二人で出迎えるつもりである。

 

「では……行って参ります」

 

 勝ち目がない戦場に赴く兵士のように覚悟を決めた春姫が扉に手をかける。ベルは後方の柱の陰に隠れ、いざという時に飛び出せるよう備えた。

 

 (チェーン)はかけない。あからさまに館の中に何かありますと教えるようなものだからだ。

 

 春姫がゆっくり扉を開くとそこには、

 

「よっ、エロ狐! 今日は金がないお前等にいいもんを持って来てやったぞ」

 

 凝った作りの剣を二振り腰に佩き、ふてぶてしい笑みと傲岸不遜かつ不躾な言動であまり良い印象を持たれにくい男、レインがいた。どうしてか大量の紙束が入った箱を持って。

 

 当然、春姫は困惑の表情を浮かべて紙の山に目が引き寄せられる。それでもちゃんとした返事を返せたのは家政婦(メイド)が板についてきたからか。

 

「えぇっと……いい物でございますか? あと、エロ狐はやめてほしいのでございますが……」

「おう、少し前の頼み事の礼だ。お前等はフィーネに沢山の技術(スキル)を教えてくれた……全く知る必要がないものも含めてなっ。誰だろうな、口移しだの女体盛だの『男の人は朝が大変だから楽にしてあげましょう』だの吹き込んだ頭に精力剤でも詰まってそうな馬鹿は?」

「…………」

 

 頭に精力剤でも詰まってそうな馬鹿は盛大に目を泳がせた。レインの紹介でこの館に来た少女に命や春姫が何を教えたのか知らなかったベルは、娼館時代の名残りを引きずっていたとしても、未だにそーいう事を人に教えてしまう春姫の中の常識に少し引いた。

 

「俺に過ぎた事を蒸し返す趣味はない……が、何らかの罰があった方がいいだろう? ほら、この常軌を逸した気色悪さの恋文(ラブレター)の山をやろう。暖炉の火種にするといい。もしくは、さっきから隠れてるつもりの奴の『魔法』の的にでもしろ。というかして燃やせ」

「ちょっと待ってください」

 

 聞き捨てならぬとベルが柱の陰から出てくる。

 

恋文(ラブレター)って言いましたか? 好きな人に気持ちを伝える、あの恋文(ラブレター)!?」

恋文(ラブレター)と呼ぶのもおこがましいが、一応そうだ」

「なら読んであげましょうよ! 数が多いからって燃やすのはひどすぎます!」

 

 僕なんて一通も貰ったことがないのに! とベルは内心で憤るが、実はベルにも週に三回の割合で来ている。全部リリとヘスティアが何食わぬ顔で処分しているからベルが微塵も気付けないだけで。

 

「これは俺の物じゃない、全てフィーネ(あて)だ」

「もっとひどいじゃないですか!? 他の人に送られた手紙を勝手に燃やそうとするなんて最低です! しかも自分じゃなくて僕にやらせようとするなんて!!」

 

 『バベル』と日の光が当たらない路地裏にて。薄汚い嫉妬で他の人(想い人)に送られた手紙(ラブレター)を勝手に処分した小人族(パルゥム)と女神は胸を抑えた。

 

「一通り目は通したさ。その上でこの世に存在してはいけない物だと判断した。お前は『魔力』の能力値(アビリティ)が上がって嬉しい、俺とフィーネは呪いの産物が消えてうれしい……誰にも損はないだろ?」

「手紙を書いた人達が損していますっ」

 

 ベルは手紙の書き手に感情移入していた。他人事とは思えなかったからだ。彼の脳裏ではアイズに送った手紙がロキ、リヴェリア、何故かベートに回し読みされた挙句、本人には届くことなく燃やされる光景が映る。何だこの妄想。

 

 何はともあれ、レインが手紙(ラブレター)を処分しようとするのを阻止しなければ。顔も名前も知らない同志のために、ベルはレインを説得しようとして――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なら三階にいる『喋るモンスター』の玩具として使え。落書きするにしろ紙細工にするにしろ、誰かのためになるなら手紙の書き手(こいつら)も本望だろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思い切り顔を引きつらせた。隣にいる春姫は青ざめながら尻尾を不自然に跳ね上げている。

 

 二人の前にいる衝撃的発言をした男の表情は変わらない。いつもの笑みを浮かべたままだ。

 

「な、何を言って……」

「ダンジョンから出てきたばかりなら、手紙(これ)がどれだけ珍妙でも問題ない。まだ地上の知識が足りないんだからな。知らないなら怖がったり気持ち悪がったりしないだろう」

「そう意味じゃないっ!」

 

 レインには常に敬語を使っていたベルの口調が荒くなる。

 

「いつから気付いてたんですか!?」

「それはこの家にいる『喋るモンスター』についてか? それとも『喋るモンスター』の存在そのものか?」

「どちらもです!」

 

 レインがあえてそのような言い方をしたのかは分からないが、彼の言葉はウィーネ以外にも『喋るモンスター』がいる事を示唆している。どうしてウィーネがいる事に勘付いたのかも含め、レインには知っている全てを説明してほしかった。

 

 だが……、

 

「俺がここに『喋るモンスター』がいると気付けたのは、特殊な技能(アビリティ)の効果で気配の感じ方が他とは違うからだ。それと『喋るモンスター』が何なのか……それは教えない」

「ッ、どうしてですか?」

「お前等が『喋るモンスター』を庇う事がどういうものなのか、ちっとも理解できていないからだ。獣人かLv.の高い冒険者なら一発で分かるほど、この館からはモンスターの臭いがする」

「あ……」

「それに俺が教えずとも、近い内に知れるはず――さっ」

 

 肝心な事は何も言わないまま、レインは最後の言葉が遅れて聞こえるくらい素早く消えた……扱いに困る手紙の山を残して。

  

 その後、ベルと春姫はヘスティア達が帰ってくるまで玄関から動けなかった。

 

 戻ってきた【ヘスティア・ファミリア】の参謀は強引にでもレインから情報を吐かせるべきと意見し、それに他の面々も同意したものの、その日からレインが見つかることはなかった。   

 

 【ヘスティア・ファミリア】が竜の少女と出会ってから六日後。彼等彼女等はレインが残した言葉の意味を理解する事件を引き起こす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……俺の髪は餌じゃない、千切ろうとするな。俺にも考えがあってやったんだって……怒るなよ」

 

 都市の何処かで、縦縞模様の梟がレインの頭を突いていた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「いよーう! 元気だったか!」

 

 そして。

 

「どうした? 俺が挨拶をするのがそんなに以外か? いや、お前なんぞに声をかける事自体が珍しいか」

 

 都市に潜む闇に挑む【ロキ・ファミリア】のあずかり知らぬところで。

 

「あ、こう呼んだ方がいいのか。――今から死ね、エニュオ」

 

 停滞していた状況が動き出す。




 【ヘスティア・ファミリア】の本拠の近くを獣人が通ればモンスターがいるって分かりそうだけどね。冒険者だからモンスターの臭いがしてもおかしくないって思うのかな?


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幕間 かつての「最強」が見た幼き「天才」

 


 大陸の北にある森林。それなりの規模を誇る森の中には木こりを生業とする人々の村があった。

 

『……』

『……』

 

 その村で一番森に近く、村で最も大きい家のリビングでは漆黒のドレス姿の女性と、女性の腰までの背丈しかない小さな子供が見つめ合っていた。女性の方は目を閉じているので、見つめるという表現が正しいのかは不明だが。

 

『……この子供がそうか?』

 

 緩やかなウェーブがかかった美しい灰髪を背中に流す女性――アルフィアが呟く。彼女はシミ一つない肩や脇、胸もとが大胆に開かれた服を着ていながら淫靡な雰囲気は微塵もなく、本人の恥じらいを一切見せないその姿は『深窓の令嬢』『大貴族のお嬢様』などの言葉がよく似合う。目を閉じたままでも不自由な様子を見せないところも、彼女の神秘性を引き上げていた。

 

 アルフィアに見つめられる(?)子供もまた、綺麗だった。幼いが故に見た目で性別を判断することは出来ないが、男であろうと女であろうと将来を期待される見た目をしている。

 

『そうだ。俺は間違いなくお前より才能があると思ってる。これから先の人生、こいつ程の才を持つ人間が現れるとは思えねえ。つっても、似たようなことを言われまくった奴には説得力がねえか。なぁ……「才能の権化」さんよぉ。相変わらずエロい恰好しやがべらっ!?』

『次、私の服をエロいなどと言えば零距離で「魔法」を使うぞ』

 

 椅子に座っていた家主である男が、アルフィアの問いにふざけて答えて殴られた。頬を抑えて倒れこんだ男の頭に子供が座る。どうやら肩車をしてもらえると思ったらしく、急かすように頭を叩き髪の毛を引っ張っている。子供は無邪気で残酷だ。

 

 しばらくの間、子供は倒れた男の頭の上に居座っていたものの、飽きたのか軽やかな足音を立てて別の部屋へ消えていった。

 

『いつまで狸寝入りしている。起きろ』

 

 子供がいなくなるのを確認した後、アルフィアは男に蹴りを入れる。すると男は何事もなかったかのように起き上がった。男の頬は腫れ上がるどころか、欠片も赤くなっていない。

 

『あんな軽口で殴るなよ。全然見えないから避けれねえし、Lv.7のお前に殴られたら頭が粉々になるだろ。もしくは首がねじ切れるか』

『「死から最も縁遠い生命体」とまで呼ばれるに至った「耐久」と「耐異常」を持つ貴様が何をほざく。殴った私の手の方がイカれそうだ』

『いや、最近はその呼称に疑問を覚えるんだ。嫁と毎日何十回もヤってたらマジで死にそ――うおおっ!? 目はやめろォ!』

『私の胸を見て喋るな。お前の嫁にチクるぞ』

『本当に死んじゃうから勘弁してください……俺の聖剣(エクスカリバー)を縦に真っ二つにされそうになるのはもう嫌だ……。(ケツ)に杖ねじ込まれて「魔法」を使われるのはもっと嫌だ』

『……学習能力がないな』

 

 

 恥も外聞もなく土下座する男を踏んづけて、アルフィアは男が使っていた椅子の肘掛けに腰を預ける。クッソ、座ってくれたら顔を押し付けてクンカクンカできたのになぁ! でもあの肘掛けは後で取り外して保存しよう。あとは下着(パンツ)を確認せねば……あっ、何をする!? ヒールで顔を踏もうとするな! やめろ目が潰れる鼻にヒールが刺さる!

 

『帰りにこの椅子は破壊する。残しておくと子供の前で変態行動に及びそうだからな』

『なにィ!? そんなこと九割しか考えてないぞ! お前に人の心はないのか!!』

『あるさ。だから「おばさん」と呼ばれるのが嫌で、甥には会っていない』

『まだ生まれて一年も経ってねえだろ! 馬っ鹿じゃねえの!?』

『それに「おばさん」と呼ばれてしまえば……絶対に殴る。そして「お義母さん」と呼ぶように刷り込む』

『本当に容赦ねえな!』

『この程度、【ヘラ・ファミリア】では序の口だ』

『否定ができない!!』

 

 ぎゃいぎゃい騒く男だったが、

 

『本題を話せ。雑音を聞かせるためだけに私を呼んだなら、この家を吹き飛ばす』

『イエス・マム!!! この駄犬に何なりとご命令を! お代は身体で結構ですぜ!!』

『【福音(ゴスペル)】』

 

 家の上半分が消し飛んだ。あの爺ー! 『女王属性』を持つ女はこう言えば満足するなんて噓つきやがって!! とマイホームを破壊された男は、出掛けている嫁が帰って来たらどうなるかを想像して泣いた。それでも家の残りを吹き飛ばされないために本題を話す。

 

『……ほら、あいつの惨状を見れば才能があるって分かるだろ』

 

 涙を流す男が指さすのは、股間を押さえて倒れる2M(メドル)を超す大男。

 

『子供の外見を十二分に利用して接近し、急所に容赦なく頭突きを叩きこむ……。信じられるか? 「神の恩恵(ファルナ)」を持ってないのにLv.7(ザルド)を倒したんだぜ!』

『純粋に抱き着きに行って、そこにデカブツの股間があっただけだろう』

最強の傑物(マキシム)にも通用したぞ』

『……狒々爺の【ファミリア】は馬鹿しかいないのか?』

 

 肩をすくめる、ため息を吐くと言った仕草をせずとも、アルフィアがあきれ果てているということは男にも分かった。それだけで才能があると判断したのか? と思っているんだろう。

 

 だから男はとっておきの証拠を教える。

 

『今のは冗談だ。才能があると判断したのは、あいつが団長(マキシム)の剣技を真似た時だ』

『浅慮極まりない、と言ってやろう。幼い身で「才禍の怪物(わたし)」と同じ事が出来ただけで、私より才能があると思えたのか?』

『違えよ。お前と一緒じゃねえ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『目で追えたんだ。二歳になったばかりの子供が、Lv.8の本気の剣技を』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『………………なんだと?』

 

 アルフィアが目を開いた。美しい双眸が驚愕に彩られている。

 

『アルフィア、お前は一度見た技は完璧に模倣できるよな? でもさ、二歳で、しかも「神の恩恵(ファルナ)」なしでLv.8の剣を目で捉えられるか?』

『…………』

 

 無理だ。『才能の権化』『才禍の怪物』と呼ばれ、病さえなければLv.9に到達していたと言われたアルフィアであっても、『神の恩恵(ファルナ)』がなければ病弱な女でしかない。

 

息子(ガキ)がな、遊びに来ていた団長(マキシム)に尋ねたんだよ。「つよいの?」ってな。団長っつう立場にいるくせに全部ごり押しで終わらせる脳筋(マキシム)は、「よっしゃ! 俺の超凄い技を見せてやる!」って叫んで……「海の覇者(リヴァイアサン)」の時に編み出した技を使いやがった』

『……海水を無数の剣戟で押しとどめるアレか』

『「海に道がないなら、剣で海をぶった斬ればいいじゃない!」で編み出した技を、よりにもよって陸上(ここ)で使ったんだ。そのせいで二つあった森の片方が根こそぎ吹っ飛んだ』

『阿保だな』

『腹が立つのはさぁ! その後始末を【ファミリア】総出でやる羽目になったことだよ! 俺は引退してんのにさぁ! 森林資源の損害分の金を村人に払って、出来た大穴を塞ぐために山を買って、それでまた大金を使うことになって、山を崩してできる土をここまで運ぶんだ!! 死ねって心底思った』

 

 思い出して苛立ちが蘇ったのか、男は床をバンバン叩く。でかい音だ。アルフィアは眉をひそめる。

 

『穴を埋めている間の息子の世話を男神(ゼウス)に任せていた時にな、「どうだ! 凄かっただろう!」って大馬鹿野郎(マキシム)が笑いやがったんだ。俺達が円匙(スコップ)鶴嘴(つるはし)で思わず殴りかかるくらい、いい笑顔していやがった!』

 

 あの時、【ファミリア】の心は一つになってた。こいつ殺して埋めてやろうぜ、証拠隠滅に丁度いい穴もあるしよぉ! 

 

 でも負けた。全員穴に落とされた。邪悪な笑みで勝ち誇る団長(マキシム)が落としてきた土の味は今でも忘れない。

 

『五月蠅い』

 

 愚痴に変わっていた男の悔しさの雄叫びは、アルフィアの目潰しにより途絶えた。痛みによる絶叫も顎を蹴られて強制的に途切れた。

 

 なんという慈悲のなさ! こんな我儘で、神経質で、乱暴な女に【静寂】なんて二つ名があっていいのか! 周囲から絶叫を引き出す事にかけては他の追随を許さないくせに! 【騒音】のアルフィアに改名してしまえ!

 

『……あの、アルフィア? どうして俺の身体をひっくり返す? なあ、どうして俺の股を開く? とりあえずその引き絞ってる足を下ろそう? 君の嫌いな雑音がしちゃうよ? もしかして雑音が嫌い嫌い言いながら好きなの? このツンデレさんめっ! ……ちょっと待てどこまで引き絞るつもりだ!? 反対側からならパンツ見えるぞ!? やっぱりお前は痴女――』

 

 ボゴォッッ!! という股間からしてはいけない音を響かせながら、男は壁を突き破って外へ吹っ飛んでいった。

 

 くるりと身を翻したアルフィアが近づくのは、倒れたままの大男。アルフィアを苛つかせまいと仲間が色んな意味で死にそうになるのを見逃していたザルドは、股間を押さえたまま小刻みに震えた。

 

『いいか? 私は雑音が嫌いだ。必要な情報だけ音にしろ』

『分かった』

 

 指で丸を作った方がいいか? と考えたザルドだったが、それをやったら本当に殺されそうな気がした。

 

『奴の話は本当か?』

『……本当だ。奴の子は確かに団長(マキシム)の剣を見切っていた。完璧には程遠い上に使ったのは木の枝とはいえ、見えなければ百と三十九回の剣戟を真似できんだろう』

『マキシムが手加減をした訳ではなく?』

脳筋(あいつ)にそんな事ができると思うか?』

 

 嘘はない。様子を観察していたアルフィアはそう結論付ける。

 

『アルフィア、俺からも訊きたい事がある』

『なんだ?』

『奴とその子供……似てなくないか? 髪色は奴と同じ黒だが、それ以外は――』

 

 ザルドがなんとなく思ったことを口にしようとした時、扉が開いた。入ってきたのは本を二冊持った子供。どうやら本を取りに行っていたらしい。『魔法』で屋根が消えたにも関わらず本を吟味していたとは……かなりの図太さだ。 

 

 子供はアルフィアに走り寄ると、椅子にしっかり座らせた。すぐにアルフィアの膝の上に許可も貰わずに座り、彼女の胸に頭を預ける。

 

 そして、

 

『よんで、おばさん』

 

 本を差し出した。

 

 アルフィアは本を受け取り、躊躇なく本で子供の頭を殴った。子供の視界に星が飛び散り、頭を押さえて蹲る。

 

『「おばさん」じゃない。「お姉さん」と呼べ』

『……よんで、お姉さん』

 

 アルフィアは実際の年齢より上に見られがちだ。それが自身の上品すぎる所作や立ち振る舞いにあると本人は気付いていない。

 

 素直に「お姉さん」と呼んだ膝の上の子供の前に本を開いてやり――思い切り握りつぶした。ビクッ! と怯えた子供が逃げようとするが逃がさない。落ちぬよう子供の胴に回されていたしなやかな腕が、拘束と処刑を兼ねた凶器に早変わりする。

 

『正直に答えろ。噓を吐けば骨を折る』

『ぴぇっ!?』

『この本――「病弱な私の特効薬♡ それは貴方の×××」。どこからどう見ても私を模型(モデル)にしたエロ本はどこから持ってきた?』

『とうさんの本棚! きれいな人が描いてあるから読んでみたくなったけど、むずかしい文字がいっぱいあったから……お姉さんなら読めるかなって』

『なるほど』

 

 瞬く間にアルフィアは消えた。壁に出来た穴から「ヤバかった! 『スキル』の発動が間に合ってマジで良かった!」「【祝福の禍根、生誕の呪い。半身喰らいし我が身の原罪】――」「いやあぁぁぁぁ!? その『魔法』だけはヤメテ!! 本当に空まで吹っ飛んでお星様になっちゃうっ!!?」といった愉快な悲鳴が聞こえてくる。

 

『おじさん、よんで』

『……俺に、エロ本(これ)を読み聞かせろと言うのか……』

 

 そして、残ったもう一冊のエロ本を押し付けられるザルドは戦慄していた。

 

『……だめ?』

『くっ……貸してみろ。そうだ、俺は【暴喰(ぼうしょく)】。羞恥の感情だろうと喰らって糧にしてや――』

『無駄にカッコ付けながら、うちの子に何しようとしている?』

『あっ』

『あと、我が家のこの惨状はなに?』

『……』

 

 この日、【ゼウス・ファミリア】は【ヘラ・ファミリア】に潰された。ボロボロになった二人は治療も受けないまま、必死に家を建て直す羽目になる。



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五十八話 残酷な世界

『嘘……だよな? いつもの、冗談だよなっ?』

 

 もしも前世の罪があるとしたなら、自分は世界中の人々に恨まれる大罪を犯したのだろうか。

 

 それとも自分の運命を決める神がいて、その神は自分の事を心の底から憎悪しているのか。

 

 迷子のような表情(かお)をする『彼』にはわからない。

 

『何度でも言ってやる……俺達はわざとお前の恋人を見殺しにした。ああでもしなけりゃお前は剣を()らなかったしな』

 

 『彼』の父である男が言葉を信じたくない。自分の息子に対する仕打ちとは思えないほど過酷な訓練を強いてきても、決して死ぬことがないように徹夜で訓練内容を考えていたのを『彼』は知っていた。

 

 聞き間違いであればどれだけよかっただろう。

 

『お父さんの言ったことは本当よ。あんな気配の消すどころかむき出しにする蛆虫の侵入を、私達が気付けないはずがないだろう?』

 

 『彼』の母である女の声が遠くに聞こえる。毎日のように傷を負って帰って来る『彼』を嫌な顔をせずに治療し、くじけそうになればそっと寄り添ってくれる優しさを持っていると『彼』は知っていた。

 

 幻聴であってほしいとどれだけ願っただろう。

 

『憎しみや恨みによる強さには限界がある……。ドス黒い感情に心が耐え切れないからだ』

『では、もし耐えられる者がいたとしたら? 目の前で自分より大切な人が殺されるなんて……嗚呼、私なら脆弱な己が許せない! 億を超えるほど自分を殺しても飽き足りない! その果てがない憎悪を選ばれし者が身に宿せば、紛れもない「最強」に至るだろう!!』

 

 二人の言葉が本当なのだと、今の『彼』にはわかってしまう。『彼』の人生を変えた”雨の日”、最強の派閥(ゼウスとヘラ)に所属していた二人が冒険者崩れの侵入に気付かないなどありえない。『世界最硬の男』と呼ばれた父と、『神を超える女の勘』を持つ母なら尚更。

 

『『これも全て「終末」の竜に届く「一」を作るため……。お前(あなた)という――「最強の兵器」を生み出すためだ』』

 

 確かなのはあの”雨の日”、『彼女』は死なないで済むはずだった。

 

 『彼』の才能を開花させるために『彼女』が死ぬのを見逃した父と母は『悪』なのか。

 

 はたまた父と母が『悪』なのであれば『悪』にしてしまった自分はそれ以上の『悪魔』なのか。

 

 誰を責めたらいい? 

 

 腹の底から溢れ出るこの激情は誰に吐き出せばいい?

 

 心を映し出すように魔光(パルス)を荒ぶらせる数多の命を奪った剣は、何処に向けるのが正しい?

 

 瞳から紅い雫を流す『彼』にはわからない。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「ここを使うのも久しぶりだな」

 

 誰に聞かせるわけでもなく呟いたレインの声が、薄暗い人工の道に響いて消える。

 

 レインがいるのは『秘密の抜け穴』という表現がぴったりの通路だ。窓や扉の類は一切存在せず、光源は継ぎ目が見当たらない不可思議な材質で出来た壁に刻まれた、うっすらと光沢を帯びる紋様のみ。

 

 この場にはレインしか見当たらない。故に彼の呟きに返事はない。

 

「……私もこの抜け道を使いたくはなかったのだがな」

 

 ――かと思えば、反応があった。男とも女とも区別がつかぬ中性的な声の持ち主は、この薄暗い通路と同化してしまいそうなほど全身をあますことなく黒い衣で包んだ人物。黒衣の人物にはどこか疲れ切った雰囲気があった。

 

「で、何の用だ、フェルズ。こんな暗がりに俺を呼び出すなら、魔道具(マジックアイテム)かなんかでとびっきりの美女になってから呼べ」

 

 黒衣の人物――フェルズが疲れていることに気付きながらも、レインは気遣ったりしない。むしろ「さっさと要件言って帰らせろやっ」と言いたそうな顔をして威圧(プレッシャー)をかける。

 

「……一応、骨になる前はそれなりの美女だったと自負している」

 

 知ってる。黒衣の下にある肉も皮もない骨の身体を隅々まで観察して、骨格からもし肉があればエルフ以上の美女だったと分かっている。骨格からそこまでの情報を取得してしまう自分の才能が怖い。

 

 しかし、それはあくまで肉があればの話だ。肉がないフェルズなんぞ、異常な程の知恵と技術を有した喋る骨でしかない。女には甘いと自負するレインであっても、性別の概念がなくなってしまった人骨に優しくするつもりは毛頭なかった。

 

「知らんよ。それより要件を話せ。お前は骨になってるから分からんだろうが、この通路には大量の埃が溜まってるんだ。炎熱系魔法で焼き払っていいか?」

「それに関しては素直に謝罪しよう。ここ数年、この通路をまともに利用するのは私ぐらいのものだからな。月に一度は掃除をしておく」

 

 なら良し。フェルズの返事に満足したレインは腕を組み、壁に背を預ける。が、それだけの動作で大量の埃が舞った。レインが盛大に咳き込む。しばらくして咳が止まった彼の瘦身から可視化できる濃度の『魔力』が立ち昇る。

 

 こいつ、本気(ガチ)で焼き払うつもりか――フェルズは焦った。『魔法』の威力を減衰させる魔道具(ローブ)を着ていても、レインの炎は骨の髄までこんがり焼いてしまう。

 

「待て! 『魔力』を抑えろ! この通路の存在がバレたらどうする!?」

「チッ……ゴキブリが出たらお前の眼窩に突っ込んでやる」

「……」

 

 こういった一面があるのでフェルズはレインが苦手だ。

 

 今までフェルズ自身も無理難題だと思った任務を与えてきたが、レインが任務を失敗したことは一度もない。異常事態(イレギュラー)が発生しても、顔色一つ変えずに対処する。

 

 二度と生れ落ちないように発生条件を秘匿していた『破壊者(ジャガーノート)』をよりにもよって『深層』で呼び出し、あまつさえそれを無傷で倒したと報告された時など、故障かと思って衝動的に交信の魔道具(マジックアイテム)である『眼晶(オクルス)』を叩き壊した――後に耳を傷めたと怒ったレインにヤスリ片手に追い掛け回された――。

 

 能力面、特に戦闘では全幅の信頼を置けるレインなのだが、子供っぽい、言い方を変えるなら短絡的になることが稀にある。その状態のレインは何をするのか全く読めず、いつの間にか額に「骨」と書かれていたのも一度や二度じゃない。実際に黒い悪魔(ゴキブリ)も骨の身体にねじ込まれた事もあった。あの時の不快な感覚は二度と味わいたくない。

 

 なので急いで要件を教える。

 

「昨日の夕刻、都市西北西での騒ぎは把握しているか?」

「してるさ。【ヘスティア・ファミリア】が匿ってるはずの『異端児(ゼノス)』が街にいたんだろ」

 

 昨日、街中に『有翼のモンスター』が現れて局所的な混乱が起きた。現れたモンスターは石を投げつけられても一切の反撃をせず、何者かによって連れ去られた。慌てて逃げようとして転んだ幾人かを除けば、()()()に被害と呼べるものは皆無だった。

 

「馬鹿しかいないのかね。投石を受けても反撃をしないモンスターがいる訳がないのに」

 

 レインが失笑を漏らす。彼が嗤うのは、モンスターに碌な被害を受けた事もないくせに憎悪を向けた民衆と、モンスターの異常性に違和感を覚えもしない間抜けな冒険者達だ。

 

 フェルズは何も咎めない。人類にモンスターに対する潜在的嫌悪と恐怖があるのは理解している。だが、『異端児(ゼノス)』がどのような存在なのかを知ってしまっている二人は、本質を知ろうともしない人類にいい感情を抱けない。

 

「本題だ。もう彼等を泳がせることは出来ない。彼等も『異端児(ゼノス)』を匿うことが【ファミリア】にとってどれだけ危険(リスキー)なのか、身をもって体感している。このままでは都市外に逃がすことが最善と判断しかねん」

「……多分、『異端児(ゼノス)』が街に無策で飛び出したのも、自分をどう扱うべきかを直接言われたか、偶然耳にしたかのどっちかだろ」

 

 あたかも見てきたように話すレイン。使い魔を通して事情を把握していたフェルズは、僅かな情報だけで正解を導くレインの鋭さに舌を巻く……舌ないけど。

 

「とにかく、新たな『異端児(ゼノス)』を『隠れ里』に送り届けるよう【ヘスティア・ファミリア】には強制任務(ミッション)を渡す。君には彼等の護衛を任せたい」

「護衛? 監視じゃなくてか?」

「見極めたい。そのためには『隠れ里』まで辿り着くことが前提条件だ。君が独断で『異端児(ゼノス)』についての情報を漏らした時は腹が立ったが、おかげで君なら敵ではないと判断されるだろう。……話は以上だ。帰ってもらって構わない」

 

 そう言って、フェルズは話を締めくくった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「――すまない、ウラノス。私には伝えられそうにない」

 

 本当に自分以外誰もいなくなった隠し通路で、フェルズがここにはいない神に謝る。

 

 レインをこの隠し通路に呼び出したのは、本命の要件を伝えた時、万が一レインがキレた場合に備えてである。

 

「これ以上あの子供に背負わせるなんて、できるはずがないだろう? もう十分戦ったあの子供は、残酷な真実(こんなこと)を知る必要なんてないだろう?」

 

 僅かに震える漆黒の手袋(グローブ)が懐から取り出した羊皮紙を握りつぶす。

 

 何度も、何度も。やるせない想いをぶつけるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『十九年前、最恐の派閥(ヘラ・ファミリア)の団長である【女帝】の身内に女児が誕生。【ステイタス】を刻んだ結果、この子供は決して生まれるべきではなかったと判断。真名は「スキル」にちなんだものである。

 

 しばし手元に置いて様子を観察し、都市外の人里離れた山奥の村へ誘導。都市の外にいる間は存命を許すが、再びこの都市に現れた場合、殺害を決定。

 

 真名は【フィーネ】。意味は神々(われら)の言葉で【終焉を(もたら)す者】を指す。

 

 フェルズに命ずる。世界の安寧のため、レインにフィーネ殺害の命を下せ。髪一つ残さず抹消せよ』  




 ゼウスとヘラの眷属が野盗の侵入に気付かない訳がないよね。 

 フェルズはきっと女。だってダンメモで幼女になってたし。

 私用でしばらく投稿が開くかもです。その場合、月末には投稿します。


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五十九話 嵐の前

 お久しぶりです。

 今回の話は一気に進みます。書きたい話が近いので。

 二週間ぶりの投稿。時間を開けると文を書く手が鈍る鈍る……。

 ダンまち小説書く上でのむずい事。人類が意味を理解している言葉。

 『リゾート』『コスプレ』は知らないのに、『バグってる』は知ってる。


 ――『英雄』の寿命は短い。

 

 途方もない偉業を成し遂げようと、『英雄』は所詮『人類(にんげん)』だ。どれだけ屈強な人間だろうと毒や病で命を落とすことがある。己より強い敵と戦えば敗北する。どれほど無敗を誇っていようと、老いてしまえば力は衰える。不変の神々と違い、どう足掻いても人間の生命には限界(寿命)がある。

 

 ――『武器』の寿命は長い。

 

 一級品の武器は頑丈だ。確かな技術を用いれば、頑丈な鋼鉄だって切り裂ける。重い攻撃だって受け止められる。いっそ戦いに使わず定期的な手入れをしておけば、いつまでも傷つかず錆付きもしない。至高の武器なら永遠に壊れないし、性能も不変だ。

 

 だから『英雄』にするとは口にしなかった。『英雄』は見知らぬ誰かのために自身を使い潰す。そんなものになってほしくない。

 

 だから永遠で最強で無敵で絶対の『兵器(武器)』にすると口にした。『武器』は望んだ先へ進むために力を振るう。そんなものになってほしい。

 

 少年の親はそう願った。

 

 血がつながっていなくとも、大切な家族という事実は変わらないのだから。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 さあ、困ったぞ。

 

 ダンジョン18階層『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』。その階層の中央にある巨大樹、19階層へと続く樹洞(うろ)の死角でレインは密かに同行者――【ヘスティア・ファミリア】に頭を悩ませた。

 

 フェルズの依頼通り【ヘスティア・ファミリア】の護衛をしているのだが、ダンジョンに入る前から様子がおかしい。特にベルが挙動不審だ。

 

 モンスターと戦っている間も注意が散漫で、休憩(レスト)を挟んでいる今もぽけ~っとしている。自分を心配する竜の少女(ウィーネ)が差し出したその辺に生えてた毒々しいキノコを受け取り、何のためらいもなく口に運ぶ。リリに叩き落されるまで気付かない様子を見るに相当だ。

 

 別に集中しきれてないせいでモンスターに殺されないかを心配しているわけではない。【ヘスティア・ファミリア】が何も考えず足さえ動かしてくれれば、レインは全員を無傷で50階層まで連れていける自信がある。

 

(でも……今回はダメだな)

 

 問題なのは19階層(これから)だ。ここから先はフェルズから話を聞いた『異端児(ゼノス)』が見張っている。危なくなったら、もしくは時間がかかりすぎたら戦闘に加わると決めていたレインは既に十回以上参戦しており、このままだと見込みなしと判断されるかもしれない。それだけは避けたかった。

 

 そして何より――自分ばっかり戦うのはなんか嫌だ! という形容し難い不満がある。

 

 早速、問題解決のために思考を回す。

 

(『異端児(ゼノス)』を見てモンスターと戦う決意が鈍ったか? いや、竜の少女(ウィーネ)を守るという使命感で迷いは消せてる。戦う事自体はできているし違うか)

 

 当たり前のようにベルの葛藤、そして覚悟を読み取るレイン。恋愛感情にはてんで鈍いのに、それ以外なら容易く読み取る。どれほどの女性がこの鈍感さに泣かされてきたことか。

 

(視線――も違う。【イケロス・ファミリア】も【ヘルメス・ファミリア】も、待ち合わせの白亜の巨塔(バベル)にいた時点で追い払った)

 

 前者は魔剣による『不可視の斬撃』で、後者は威圧をして。イケロスの眷属の腕を奪った感覚はあったからヘルメスの眷属に追ってほしいが……多分追わないだろう。『隠し玉』を警戒して撤退する。便利屋を名乗っているくせに肝心な所で使えない。

 

(一番の心当たりは『ハード・アーマード』でモンスターの群れを始末したこと。こいつらにとって衝撃的だったろうが……時間が合わん)

 

 ――『ボウリング』、と神々が呼び出した娯楽がある。三角の形に一〇本のピンを並べ、一定の重さの(ボール)を投げてどれだけ倒せるのかを競うものだ。出た結果(スコア)によって賞品や賞金が貰える。他にも『ダーツ』や『ビリヤード』といったものもある。

 

 どれも繁華街にある娯楽施設で楽しめるが、どの遊びもレインは一度もしたことがない。

 

 理由は単純。【ファミリア】が出禁を喰らっているからだ。

 

 レインが所属している【ファミリア】は繁華街の中心にあり、繁華街の施設の試験運営(プレオープン)では様々な理由――拍付け、後ろ盾、女神の寵愛を欲する――からほぼ確実に呼ばれる。……【フレイヤ・ファミリア】が。

 

 下劣な欲望を丸出しにしてさえいなければ、年がら年中部屋に引きこもって暇をもてあそび、眷属が汗と血を流して稼いできた金で豪遊することが最近の流行(ブーム)になりつつある寄生虫(ニート)一直線の美神は招待を断らない。むしろ面白そうだからと、側近たちを連れていく。

 

 するとどうなるか。娯楽施設が半壊し、営業開始(オープン)が一月近く延長されることになる。

 

 身も心も捧げる女神にかっこいい姿を見せようとする眷属達は、加減をしない。猪人(オッタル)が玉を投げたレーンは二度も使えず、第一級冒険者が投げた玉をぶつけられたピンは、床に叩きつけられた硝子細工(ガラスざいく)よりも激しく砕け散る。

 

 闘猫(アレン)がビリヤードをすれば、玉を(キュー)()く際の摩擦で土台が発火する。四つ子の小人族(パルゥム)がダーツをすれば、同じ場所に矢が刺さり過ぎて的が使い物にならなくなる。緊張しいの黒妖精(ダーク・エルフ)は緊張しすぎて手元を狂わせ、その手から放たれる玉、矢、棒は全て白妖精(ホワイト・エルフ)の眼鏡に向かう。狙ってやっているのかは知らない。

 

 後はいつもの流れ。飛来してくる物体を弾いて、それが別の眷属に当たる。そこから全員が敵の殺し合いに発展し、いろんなものが壊れる。からの出禁。

 

 施設が利用できない事とその原因を知ったのが四日前。レインは自分も似たような理由で歓楽街を出禁になった事を棚に上げ、盛大にオッタル達を罵った。

 

 閑話休題。

 

 玉と矢を狙った場所に撞く、もしくは投げる訓練(遊び)が出来ないと僅かに落胆していたレインだが、18階層に来る途中で奇跡が起きる。 

 

 真夜中から朝にかけてダンジョンを探索する冒険者は少なく――凶悪な冒険者が出没しやすいなど――そのせいで大量のモンスターが18階層直前、『嘆きの大壁』に溜まっていた。

 

 ベル達に任せたら時間がかかるしここは俺が済ませるかー、と魔剣を抜いて前に出たレインに向かってきたのは、丸くなって転がる『ハード・アーマード(玉にそっくりな奴)』――『上層』のモンスターがここまで進出するのは珍しい――。その後ろには束になって突進してくる『ミノタウロス』の群れ。びっくりする程状態がいい。

 

 ここで『ボウリング』をしない選択肢はレインになかった。

 

 『キラーアント』の硬殻より頑丈な『ハード・アーマード』の甲羅を指の力で突き破る。そのまま持ち上げ、迫りくる『ミノタウロス』に転がした。結果は全倒し(ストライク)。思わず腰に手を当てて、満足げに頷いてしまった。

 

 ――実際には”転がした”ではなく”投げた”。凄まじい速さで投擲された『ハード・アーマード』に当たった『ミノタウロス』は弾け飛び、それ以外は投擲によって生じた衝撃波で死んだ。投げられた『ハード・アーマード』は壁の奥深くまでめり込み、摘出不可能になっている――

 

 思考の波から意識を引き上げる。

 

 もう一度【ヘスティア・ファミリア】を見れば、何かを言いたそうにしているベルを全員がじっと見つめていた。恐らくレインに物申したい事があるのだろう。しかし、ぶっちゃけ、その物申したい相手が怖い。だから団長(ベル)に代表して言わせようとしている。彼等彼女等の心境はこんな所か。

 

 失礼な奴等だ。俺は海よりも深い慈悲を持っているというのに。そりゃ偶に隙間風が吹く隙間並みに心が狭い時もあるけどさっ! レインは勝手に【ヘスティア・ファミリア】の心境を決めつけ憤った。

 

 とりあえず言いたい事を言わせてやろう、とレインは軽口でもたたいて空気を軽くしてやろうと口を開き、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レインさん――マジメンゴです!!!」

 

 ――声ではなく拳が出た。叩くのは軽口じゃなくて白い頭になった。

 

 いきなり土下座をかましてきたベルの言葉を脳が理解するよりも早く、反射で繰り出された鉄拳はベルの頭部に命中する。

 

 ガゴォッッ!! という人間の頭から決して聞こえてはいけない音がした。その鉄拳は本人以外には視認するどころか拳を使ったということさえ理解させず、被害者は『説明のできない力』が自身を襲ったとしか分からない速さを誇る。

 

 これぞ竜人鉄拳ドラゴン・パンチ! この技は頭蓋骨を歪ませず亀裂も入れず、更に脳にダメージを与えない絶妙な力加減でありながら、頭皮を内出血で拳の範囲分持ち上げる破壊力を秘めている! 実験台(協力者)は【フレイヤ・ファミリア】の皆さんです。

 

「喧嘩売ってんのか? いつもなら整理券渡して最後尾に並んでもらうところだが、今すぐ相手してやろうか?」

「……ッ!! ………!? …………ッッ!!?」

 

 ベルが殴られた頭を押さえつつ、まな板の上に載せられた鮮魚のようにのたうち回りながら口をパクパクしている。あまりの痛みと衝撃に言葉が出ないようだ。

 

「ベル、大丈夫っ?」

 

 ベルの一番近くにいたウィーネが駆け寄ったのを皮切りに、他の面々も心配の声を掛け始める。

 

「しっかりしろベル! あれだけその謝罪の仕方はやめとけって言ったじゃねぇかっ!!」

「ヘルメス様も根っこの所は他の神様と一緒です! 以前言葉巧みに娼館に連れていかれそうになった事から学んでないのですか!? ああそうですね学んでないからこうなったのでしたねぇ!!」

「ヴェルフ殿、リリ殿、その話は後です! ベル殿のたんこぶの大きさが尋常ではありません! 回復薬(ポーション)と砂糖水、どちらを使った方がいいのでしょうか!?」

「ベル様、春姫に合わせて息をしてくださいませ。ひっひっふー、ひっひっふー」

 

 ……違った。心配もしてるっちゃしてるけど、半分ほど怒ってもいるようだ。しかもあの舐め腐ったセリフはヘルメスの入れ知恵らしい。まあ、もしあのセリフを自分で考えていたならあと二、三回は殴っていたけど。

 

 レインは自分の小さいバックパックから高等回復薬(ハイ・ポーション)を取り出し、春姫の胸に顔をうずめているベルを引っぺがしながら振りかける。()みたのか、ベルは再びのたうち回る。

 

 ベルが大人しくなるのを待つ。他の面々が睨んできたが、握りこぶしを見せると目を逸らした。

 

「説明してもらおうか。さっきの行動は何の真似だ? 俺が納得できるだけの理由じゃなけりゃ、お前の首から下は歴戦の傭兵にしか見えないむきむきのマッチョになる。ついでにブルマ好きも」

「………………!?」

 

 ブルマ好きは戦慄した。こいつ、ベルの首から下だけをマッチョにするだと? そんなことされたら防具を一新しなくちゃいけなくなるだろうが! しかもベルの顔立ちでマッチョとか想像するだけで気持ち悪い! 

 

 ……ついでで巻き込まれた事は気にしていないらしい。

 

「歴戦のマッチョ……ですか?」

「どうして期待する目になるんだ」

 

 レインはドン引きした。え? 普通マッチョにされるのに抵抗あるよな? なんで期待してんの? もしかして「かわいいー」「兎みたいー」と言われるの気にしてた? 

 

 変な方向へ流れるそうになる思考と立て直すために軽く頭を振る。

 

「……はぁ。なんであんな謝罪の仕方になったのかは聞かん。なんとなく元凶は分かるしな。でもな、お前が何について謝りたいのかは教えろ」

 

 レインにはモンスターが前にいるというのに注意散漫になるほど罪悪感を抱くことをベルにされた覚えは全くと言っていいほどない。心底不思議だった。

 

 故に尋ねる。どうして自分に謝るのかと。

 

「……僕が謝りたかったのは、その……【イシュタル・ファミリア】との抗争についてです。あの時、レインさんには命さんの治療をしてもらったのに、本当に酷いことを言ってしまってので……ごめんなさい」

 

 少しまごつきながらベルが話し始める。まとめると、意図してではないが手助けを受けたにも関わらず、お礼どころか『人殺し』と言ってしまった事を謝りたかった。しかし、二度も顔を合わせる機会があったのに謝罪が出来ず気にしていた。今度こそ謝ると決めていたもののタイミングが計れず、最終的に混乱してあのワケワカメな言葉が飛び出てしまったらしい。

 

 なるほどなるほど。レインは分かりやすく頷く。

 

「よし。俺から言えるのは一つだ。気にせず忘れろ」

「えぇっ!? いや、忘れていい出来事じゃないと思うんですけど!?」

 

 目立たないよう隠れているのを忘れてベルが大声を出す。回復薬(ポーション)の空き瓶を頬に押し付けてグリグリする。よし、大人しくなった。

 

 ――そもそもベルが自分に謝る必要などない。彼の反応は人として極めて正しい。誰だって大事な仲間に、こんな人もモンスターも超越存在(デウスデア)も見境なく殺しまくった殺戮者に触れてほしいと思わないだろう。

 

「おらっ、そろそろ行くぞ」

 

 休憩(レスト)を取って三十分。レインの合図でパーティは出発し――

 

 

 

「【噛み殺せ、双頭の雷竜】――【ツイン・サンダーブラスト】」

「【願わくば永遠(とわ)の業火をここに。我が内なる憤怒の炎により、世界を赤き焦土と化せ】――【ラース・フレア】」

「【埋葬せよ、無慈悲なる氷王】――【アイスエッジ・ストライク】」

 

 

 

 ――速攻魔法(ファイアボルト)を持つベルや、『クロッゾの魔剣』を持つヴェルフの自信をベッキベキにしながら四時間足らずで目的地に到着した。

 

 その後、レインの手で引き合わされた『異端児(ゼノス)』と【ヘスティア・ファミリア】は、主にレインの異常な強さに対する愚痴で割と早く打ち解けることになる。

 

 しばしの宴を楽しんだ【ヘスティア・ファミリア】は、竜の少女(ウィーネ)を残して地上へ帰還した。……いつの間にか、共に行動していたレインの姿は消えていた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「痛ぇ……! ちくしょう、痛ぇよ……!!」

「本当にどこまでも厄介な男だね! なんで【ヘスティア・ファミリア】にくっついてやがるのさ!」

 

 (ヒューマン)の荒い息と(アマゾネス)の苛立たし気な声が石の広間に響く。荒い息を吐く男の左腕は肘から下がなかった。

 

「どうするんだよ、ディックス? あいつがいる限り、狩りは簡単に出来ねえ。しかも喋る化物を捕まえるのを協力していた化物女もいなくなっちまったし……」

 

 ディックスと呼ばれた眼装(ゴーグル)の男は、無表情でねじ曲がった歪な槍を床に突き刺す。これはディックスがかなり怒っている時の仕草だ。

 

「どうもこうもねえ。奴が『人造迷宮(クノッソス)』に馬鹿みたいにでかい穴を開けやがったせいで、無駄に金がかかる羽目になった。だが、金が全然手に入らねえ。そのせいで、()の衝動がでかくなっていやがる……! 今もうるさくて仕方ねえッ!」

 

 だから、と男は一拍置き、

 

()()()を囮にして竜女(ヴィーヴィル)は絶対に捕まえるぞ。俺の呪詛(カース)を使ってでも、あの上玉だけは逃がすな」

 

 椅子代わりにしていた物――瀕死の歌人鳥(セイレーン)が入った黒檻を力任せに蹴り飛ばした。




 最後のセイレーンは狩りを邪魔されまくった闇派閥が念のため残していた異端児です。化物女とはフィーネ。

 レインの血筋がどんなものなのかは別の機会。ヒント? は一応これまでの話に書いてあります。


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六十話 嵐君臨

 今までは原作をちょこちょこ改造しているだけでしたが、ここから一気に改造します。


『迷わずに進むといい。君の行く道に誤りはない、君なら大丈夫だ!』

 

 【風の剣聖】と呼ばれた老人は力強く言ってのけた。自分の進んできた道、これから進むべき道に対し自信を持てずにいる少年――今から己を手にかける戦士に生涯忘れることがない言葉を遺し、老人は安らかに逝った。

 

『【謎の怪盗ブラック仮面】の二つ名はお前にやるよ。俺の超かっこいい二つ名を名乗るんだから、その不愛想な表情はやめろよ。【謎の怪盗ブラック仮面】は不敵な笑みが売りなんだぜ。……皆にしっかり伝えとけよ、俺が最期まで笑っていたことをな!』

 

 反逆者(レジスタンス)の友は託した。民が苦しまなくて済む国を求めて悪王と戦い、その悲願が成就する寸前で致命傷を負った。人目も気にせず泣き叫びたかっただろうに、みっともなく足掻きたかっただろうに、友は昔言った通り、自分の死が目前に迫っても不敵に笑い続けていた。

 

『やっぱり貴方も万能じゃないんです。人間である限り、万能なんてあり得ない。だから……誰かの助けが必要だと思ったら、どうか遠慮せず周りの仲間に頼ってください。貴方なら、誰もが喜んで手を貸すでしょう』

 

 老兵は本人曰く余計な忠告を遺した。少年の部下でいられてとても幸せだったし、望みは全て叶ったと感謝していた。次の日には穏やかな表情で眠るがごとく亡くなっていた。

 

 大切な人は、皆笑って命を落とす。

 

 皆、少年を悲しませないように逝く。

 

 少年は泣かなかった。涙を見せることはできなかった。

 

 自分は数えきれない命の上に立っているのだから――。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「リド達と連絡が付かなくなった?」

 

 『異端児(ゼノス)』と【ヘスティア・ファミリア】を引き合わせて二日経った今日。

 

 『豊饒の女主人』で働くフィーネの様子を確認した後、【フレイヤ・ファミリア】本拠(ホーム)、『戦いの野(フォールクヴァング)』の自室で眠っていたレインはけたたましい鐘楼(しょうろう)の鐘の音で目が覚めた。

 

 ギルド本部が有する大鐘楼が鳴る。その意味は、都市へ緊急事態を知らせる警報である。

 

 続いてギルド本部で作動した魔石製品の大型拡声器から聞こえたのは――『18階層リヴィラが武装したモンスターにより壊滅。伴ってモンスターの大移動を確認』。滅茶苦茶心当たりがあった。

 

 ……緊急事態の内容はどうであれ、一般市民が混乱して暴動を起こす可能性も無きにしも(あら)ず。ひとまずフィーネの安全を確保するために窓から飛び出そうとしたレインだったが、その寸前にフェルズから貰った交信の魔道具(マジックアイテム)眼晶(オクルス)』――組み分けを分かりやすくするために色分けされた――黒真珠のように真っ黒な水晶が音を立てた。

 

 反射的に出てみれば、リドに持たせた水晶の反応が途絶えたらしい。

 

『もうわかっていると思うが、(リヴィラ)を襲ったモンスターは『異端児(ゼノス)』達だ。ギルド上層部に気付かれる前に収束させたかったが、こうなってしまっては不可能だ……!』

「……とにかく落ち着け。後悔なんてするだけ無駄なものだ」

『ッ、そんな事は言われずとも理解している! だがな、誰もが君のように冷静を保ち続けられるわけじゃない!』

 

 水晶から激昂した声が響く。いつものフェルズならこれで落ち着きを取り戻すのだが、『異端児(ゼノス)』が(リヴィラ)を襲撃した事実が尾を引いている。動揺で心に余裕がない。

 

「すまん。配慮が足りなかった」

『……いや、こちらも八つ当たりをしてすまなかった』

 

 レインの謝る声を聞いて、ようやくフェルズは冷静になった。

 

「それで? これからどうするつもりだ」

『全派閥に強制任務(ミッション)を出す。18階層に進攻した武装したモンスターへの先遣隊は【ガネーシャ・ファミリア】に任せる。代わりに都市の守備隊、検問役を【フレイヤ・ファミリア】に変更する予定だ。【ヘルメス・ファミリア】には神イケロス達の捜索に当たらせる。それ以外の派閥には待機を命じる』

「あからさまだな。間違いなくあの女神は……あとはフィンも『何か』を隠していると気付くぞ」

 

 露骨すぎる。ガネーシャの派閥も第一級冒険者を多く抱えているとはいえ、純粋な戦闘力ならフレイヤとロキの派閥の方が上だ。信頼度の違い云々(うんぬん)で片付けられる話ではなく、多少頭が回る者なら不自然だと思うだろう。

 

 フレイヤの勘と洞察力は鋭い。彼女との腹の探り合いはレインであっても避けたいと思うほどに。何かあると分かれば、『魅了』を使って引っ掻き回すかもしれない。気まぐれで行動も読めない。

 

 フィンはどうでもいい。弱いし、底も知れている。意表を突くことを得意としているが、一定の予想を超えることは全くない。つまりどうとでもなる。

 

 そのことを指摘すると、

 

『我々の手駒も手段も限られている。我々に隠し事があると勘付かれるより、この問題から最大派閥(フレイヤとロキ)を遠ざけた方が遥かに楽だ。……確かに君の()()()()なら、【勇者(ブレイバー)】の策だろうと無意味なのだろうがね』

「……」

 

 本当の力、という言葉にレインは眉を少し動かす。とある事情でフェルズは数少ないレインの真の実力を知った一人だ。

 

「よくわかってるじゃないか。で、俺はどうする? 『異端児(ゼノス)』の鎮圧に参加しようか?」

『いや……君はいざという時の保険として地上に残ってくれ。想像できる中で最悪の事態は、追い詰められた狩猟者(ハンター)達が『異端児(ゼノス)』の存在を人々に暴露することだ。奴等の住処(アジト)()()()()()()()()()、君の姿を見て自暴自棄になられでもしては不味い。止めようがない』

「……そうだな」

『最後にウラノスの神意で、ベル・クラネルを強制任務(ミッション)に組み込むことを伝えておく。君と同じようにこれで見極めるようだ。自らの意思で『異端児(ゼノス)』達の手を取ったのかどうかを』

「……そうか」

『もう時間がない。後は状況に応じて対処してくれ!』

 

 小さな音を立てて通信が途絶える。手の中にある水晶を見るレインの顔に笑みはない。

 

「――こんなことをする資格なんてないけど……ごめんね」

 

 その謝罪は誰に向けてなのか。『人造迷宮(クノッソス)』の存在を伝えなかったフェルズ達にだろうか。それとも――。

 

「さて、と。外で張り込んでいる【ロキ・ファミリア】はどうするか……。まあ、無駄なリスクを背負う必要はないし、気配を消してやり過ごすか」

 

 改めて部屋を見渡す。一年近く使っていながら私物がほとんど増えていない部屋を。

 

 自虐的に笑う。かつてこの手で殺した恩人も、この様な気持ちだったのだろうか。

 

「……ようやく掴んだこのチャンス、絶対に逃がさん」

 

 ――部屋を出たレインが戻ってくることは二度となかった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 世界で一番嬉しくない壁ドンだなぁこれ。

 

 それなりの広さを持ちそれなりに外観を飾りそれなりに存在感を放つ石造りの館。【ヘルメス・ファミリア】本拠(ホーム)、『旅人の宿』、その主神の広間。様々な地図や小物で溢れかえる自室で、ヘルメスは優男の笑みを浮かべながら冷や汗をだらだらと流していた。

 

 嬉しくない理由の一つが相手の性別。ヘルメスに壁ドンをしているのは男である。それも自室の木製の扉を途方もない威力の蹴りでぶち破って入室した野郎である。飛び散った大小の木っ端はいくつかの地図を破って使い物にならなくした。

 

 嬉しくない理由二つ目。自分の顔の左にあるのは手ではなく剣。それも神々にとって特別な意味を持つ魔剣だ。それが耳をかすめる形で壁に突き刺さっている。しかも羽虫が飛び交うような音がとてもうるさい……決して口にはできないが。

 

 そして最後に……目の前の男がちょー怖い。人に向けていい顔をしていない。唯一部屋の中にいるアスフィがぶるぶる震えている。飛び散った木片が髪の毛に突き刺さっているのに、取ろうとする気配がない。

 

「あ~……とりあえずその顔をやめてくれないかな、レイン君」

 

 勇気を出してお願いしてみる――眷属から初めてかもしれない敬意を向けられる――ヘルメス。それに対して男、レインは浮かべていた表情を笑みに変え、

 

「お前、【ロキ・ファミリア】に俺が『鍵』を持っているんじゃないかと話しただろう?」

 

 もう一振りの魔剣を引き抜き、ヘルメスの右耳ギリギリに突き立てる。ひぇー、という情けない声が男神の喉から引きずり出される。

 

「な、何のことかなぁ~?」

 

 冷や汗を流し過ぎて服が湿り始めたヘルメスは、まだすっとぼけようとするが、

 

「あいつらは基本的に出されている材料を組み立てて推測をするが、余裕があればそこに感情を混ぜる。ベートが怒りに任せて【殺帝(アラクニア)】を焼き殺したのを『仕方ない』と飲み込んだように、あの時の俺が『鍵』の事を配慮していたとは思わん。リヴェリアも俺がキレてたと知ってるしな」

「……」

 

 目に見えて汗の量が増える。アマゾネス大量殺戮事件の裏にそんな事情があるなんて、ヘルメスも知らなかった。どんな諜報力だ。

 

「なのに『王国(ラキア)』が攻めてきたあたりから、【ロキ・ファミリア】がやけに視界にちらつく。『豊饒の女主人』に行ってみれば周辺にいるし、尾行も何度もされた。全部()いてやったが」

「……」

「誰が【ロキ・ファミリア】に入れ知恵したのか候補を絞れば……お前しかいない」

「……いやー、参った参った。全部正解だよ」

 

 剣に当たらないよう両手を上げて降参の恰好(ポーズ)をしながら、ヘルメスは苦笑いを零す。経歴を調べて頭が回るということは十分理解していたつもりだったが、ここまでとは。

 

「用件は何なんだい? 俺みたいな中立派閥じゃないとできない事かな?」

「別に。他の派閥でも構わない。強いて言えば便利屋であるという部分だ。その便利屋という肩書も怪しいが」

「ははは、厳しいね。じゃ、便利屋の肩書が嘘じゃないってことを証明しよう」

 

 ヘルメスが真面目な顔になってレインはようやく剣を引き抜き、鞘に納める。そして、

 

「依頼は二つ。市壁から人を取り除くこと。この『鍵』をリュー・リオンに渡すこと。質問は聞かない」

 

 『D』の記号が刻まれた球形の精製金属(インゴット)を机に置いた。

 

「「………………………………………………は!?」」

 

 神とその眷属が思いっきり目を見開く。二人が滅多に見せない正真正銘の驚愕だ。

 

「ちょっ、ちょっと待ってくれ! レイン君、君はいったいいつからこれを」

「質問は聞かない、そう言ったはずだが?」

 

 するとヘルメスは黙り込み、机の上の精製金属(インゴット)を取って眷属に渡した。恐らく偽物かどうかを調べさせているのだろう。

 

 時間にして三分、『鍵』を丹念に調べたアスフィは主神を見て一つ頷く。

 

 ヘルメスは室内にも関わらずかぶっていた帽子をとり、橙黄色の髪を掻き毟りながら深いため息を吐いた。

 

「……一つだけでもいいから聞いても」

「お前、ベルが『異端児(ゼノス)』と関わるのを嫌がっているだろう」

「!」

「そりゃそうだ。大神(ゼウス)義孫(まご)が怪物と……『世界の癌』と手を取り合っているとバレたら、間違いなく破滅するだろう。お前の望む道程から大きく外れるよな」

「き、みは……」

 

 『異端児(ゼノス)』『大神(ゼウス)』『大神(ゼウス)の義孫』。次々と出てくるトンデモ単語(ワード)にアスフィは処理落ち(フリーズ)した。しばらくの間、彼女の記憶は空白になるだろう。

 

 ヘルメスは約二か月前、ダンジョンの中で目の前の戦士に告げた言葉を思い出していた。

 

 「君こそ真なる英雄に相応しい」? 冗談じゃない、『最強(ゼウス)最恐(ヘラ)の系譜』ということを入れても、目の前の子供は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺の言う通りにすれば、ベルをお前(ヘルメス)が望む『英雄』にしてやろう。代わりに、神々(おまえら)が求める『真の英雄』は――『約束の(とき)』を果たす者は俺がなってやる」

 

 ――『英雄』という人類に与えられる枠組みと次元を超えた、『レイン』という生命体だ。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 ヘルメスと取引を済ませたレインが向かったのは、都市南東第三区画『ダイダロス通り』。そこには必ずいると睨んでいた派閥がそこかしこにいた。

 

 自身の身の丈の倍近くある槍を携える小人族(パルゥム)、重厚な装備で身を包む鉱人(ドワーフ)、風で美しい翡翠(ひすい)色の長髪をあおられる王族妖精(ハイエルフ)、よく似た容姿をしている二人の女戦士(アマゾネス)、顔半分に刺青(いれずみ)が彫られた狼人(ウェアウルフ)、そして金髪の女剣士。

 

 彼等彼女等は【ロキ・ファミリア】。ギルドから待機命令を出されているはずの【ファミリア】だ。

 

(本当に予想を超えないな、あいつ(フィン)。まあ、俺にとってその方が都合がいいけど)

 

 聡明な小人族(パルゥム)の団長は『ダイダロス通り』に『何か』があると断定し、ギルドに気取られぬよう、慎重に、素早く、秘密裏に、大勢の団員を広大な迷宮街に配置した。

 

 が、レインは正確にフィンの思考を見抜いていた。フェルズに進言したように、彼等がここに来るとわかっていた。悪魔のように一分の狂いもなく。

 

 高台に陣取る【ロキ・ファミリア】の幹部を視界に入れながら、レインは技能(エクシード)を『ダイダロス通り』全体に広げる。

 

(……うん、東西南北に存在する『扉』にちゃっかり人が割かれているな。ヘルメスの派閥よりも便利だよ、フィン)

 

 知りたいことを調べ終えたレインは、見知った孤児達に囲まれる山吹色の髪のエルフの横を通り過ぎる。孤児や貧民街(スラム)の住人達に対応する団員は、気配を消しきっているレインに欠片も勘付かない。

 

「……ん?」

「なんじゃ、フィン」

「いや……少し親指が疼いた気がしたんだが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『マリア孤児院』。迷宮街の真北にある寂れた教会に――正確には教会の裏庭から行ける廃墟の海にレインの目的地はあった。念のため周囲を見渡してみても人はいない。大方【ロキ・ファミリア】が来たから見に行ったのだろう。

 

 無人の教会を通り抜けて廃墟の海に足を踏み入れる。少し廃墟の海を上ると瓦礫と木材に囲まれた『石板』の扉が見えた。持ち上げれば下へ続く階段が現れた。迷いなく侵入する。

 

 ベルから存在を教えられていた地下通路を、壁に埋め込まれた魔石灯を作動させずに進んでいく。 

 

 階段を下り終えると、石造りの殺風景の広間が見えた。同時に灰粉に埋まる『バーバリアンの体毛』と大きなバックパック、その傍に立つ人影も。

 

「やっぱりお前も来てたか。この時期(タイミング)で動かなけりゃいつ動くんだって話だけどな」

『――』

「あ? お前はこれでいいのかって? 良くないに決まってるだろっ。誰が好き好んでこんな計画立てるんだ」

『――』

「その時はそうだな……『後からは何とでも言えるんだよばーか!』とでも言うさ」

『――』

「――」

 

 しばらくの間、レインと謎の人影の会話は続いていたが、レインのポケットから『眼晶(オクルス)』の通信が入ったことで途切れる。

 

『ウィーネが暴走して地上に飛び出してしまった! ベル・クラネルが追っているが、間に合うか怪しい、どうにかしてくれ!』

 

 フェルズの切羽詰まった声が響いたかと思えば、それだけで通信は終わってしまった。……なんて抽象的(アバウト)な無茶ぶりだろうか。

 

 ジト目を手元の水晶に落とした直後だった。

 

『―――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!』

『やった、やったああああっ!』

『冒険者様ぁ!!』

 

 地下通路にも響く大歓声が聞こえた。

 

『「!」』

 

 人影とレインが顔を合わせたのは一瞬。二人には意思疎通をするのにそれだけで十分だった。

 

 人影はバックパックを掴んで広間の最奥に消える。レインは一秒足らずで階段を駆け上がり、地上に飛び出し、歓声が聞こえる方角へ驀進する。

 

「これでもう後に引けない」

 

 その途中。レインは自分に言い聞かせるよう呟く。

 

「とびっきりの『悪』になろう。誰からも恨まれる『絶対悪』に」

 

 そして。

 

「【シンダー・エラ】」

 

 彼の姿は変わる。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

(どうする、どうするっ、どうするっ!?)

 

 黄金の槍で地面に縫い付けられている狂暴化したウィーネを背に、ベルの頭は焦燥と混乱で埋め尽くされそうになっていた。

 

 身体がよろめきそうなほど大きな叫喚と変わらない住民達の歓声。耳から飛び出るのではないかと思えてしまう心臓の音。血の気を失っている仲間達の顔。

 

 都市そのものが熱狂し、人々の熱気がとどまらない最中。

 

 たった一人、憧憬の少女がベルを見つめている。背後から、守りたい竜の少女の悲鳴が聞こえてくる。

 

 ベルの思考が混濁する。ベルの胸の中がかき回される。ベルの心が絶叫を上げる。

 

 永遠に凝縮される一瞬。

 

 ベルは。

 ベルは。

 ベルは。

 

 思い焦がれた『英雄』の道を放り出し、『愚者』となる道を選ぼうと――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「五月蠅い――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――する、その刹那。

 

 余りにも冷え切ったその声は、熱狂の渦をかき消し、容易く静寂へ転じさせる。

 

「やはり今も昔も、オラリオはオラリオのままか。どこもかしこも騒々しく、忌むべき雑音が絶えん」

 

 堂々とその女性は歩いてきた。まるで周囲が見えていない、いや、周囲が己の意に従うことが当然と言うように。誰も声を発せない。誰も歩みを制止できない。

 

()()()()()、成長したかと期待したが――蛆が成長しても(ハエ)。より騒々しい雑音をまき散らすだけか」

 

 灰色の長髪。瞳を閉じても損なわれぬ美貌。漆黒のドレスと手袋。見ているだけで震えそうになる存在感。

 

「どこまでも煩わしい。喧しすぎて永き眠りすら覚める」

 

 女性の歩みはベルの前で止まった。少年を守るためか? それとも――

 

「もう一度、『蹂躙』してやろう。私のまどろみのために」

 

 ――顔を青白くした【ロキ・ファミリア】の前に立つため?

 

「馬鹿な!? 貴様は確かに死んだはずだ!」

 

 リヴェリアが声の限りに叫ぶ。彼女の声を引き継ぐように、ガレスが女性の名を口にした。

  

「何故生きている――【静寂】のアルフィア!!」 




 レイン原作を知らない人へ。

 レインは魔法で他人に化けるのがとても上手です。

 どのくらい上手いのかというと、『ミッケ!』と『ウォーリーを〇せ!』で鍛えた作者の目も欺きます。

 ……逆にしょぼく見えるな。

 あと察していると思いますが、初期のプロットは仕事していません。作者を置いて家を飛び出していってしまいました。


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六十一話 静かなる暴君

 本当は文字数が二万を超えてもいいから一つの話で投稿しようと思ってたのですが、一万二千文字を超えたあたりから筆が進まず(キャラの言動に納得できない)、泣く泣く区切ることになりました(このままだと週一投稿ができそうにないので)。

 それと誤字報告が。
「キャットピプール」× → 「キャットピープル」〇
「ヴィーヴィル」× → 「ヴィーヴル」〇
「リヴェラ」× → 「リヴィラ」〇
 でした。似たような間違いをしているかもしれません。可能ならでいいので、見つけたら報告をお願いします。

 ではどうぞ。



『やっとあんたに会えたよ、お若い人。喪に服した黒衣の戦士……世界の命運にかかわる者……知られざる天才剣士……そして――ゼッ、ゴホッ、ガッ、ゴホッ!』

 

 ズタ袋同然の汚い服装の老人だった。(つまず)いて転びでもしたらポックリ逝きそうなほど弱っていたのに、その瞳の奥には奇妙な輝きを見た気がした。

 

『世の中には、眼前に巨大な壁が立ちはだかっていても、あえて避けずにそこを通ろうとする者がいる。神の御言葉さえ耳を貸さない者がいる。数は両手で数えられるくらい少ないがな……愛すべき頑固者は確かに存在する。あんたはそういう男の一人だ』

 

 そう言って老人は、眩しそうな瞳で少年を見た。

 

『この老いぼれの言葉を覚えていてほしい。今は理解できずとも、その時が来ればわかるであろう』

 

 一呼吸置き、老人はカッと目を見開いた。

 

『あんたは強い。とてつもなく強い。かつて誰も到達し得なかった強さまで、己の技量を高めるかもしれぬ。だからこそ、あんたにしか決められない選択を迫られる時が来る』

 

 重々しい声が響く。少年は黙って耳を傾ける。

 

『あんたが安易な選択をすれば、世界は衰亡の運命を辿る。しかし、あんたが血塗られた破滅への道を選べば……世界は救われる。終末を免れる』

『……』

『じゃが、その時のあんたの傍には、心から欲した幸せがあるじゃろう。あんたを慕う、大切な人がおるじゃろう』

 

 俺に幸せなどない、そもそも慕う人間もいないと言い返したかったが、結局何も言わなかった。死にゆく者に、大人げない真似はできない……そう思ったのかもしれない。

 

『どうするか、お若い人よ。安易な道を選べば、あんたは最期まで幸福だろう。破滅への道を選べば、世界と引き換えに大切な人を失うだろう。さぁ、どちらを選ぶ?』

『迷うまでもない。答えは決まっている』

 

 少年は獰猛で、どこか透明な笑みを浮かべた。

 

『破滅への道だ。手放したくないほどの幸せがあるなら、その手を切り落としてでも進んでやるさ』

『……そう答えられるあんただからこそ、世界の命運は託されるのに相応しいのかもしれんな』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(――半分以上は信じていなかったってのに、まさか全部本当になっちまうとは……)

 

 人類の裏切者として罪人の烙印を押し付けられた『仮面』を被る青年は、自分を見てくる【ロキ・ファミリア】や民衆に目もくれず、心の中で静かに呟いた。

 

(――さよならだ、愛しい人(フィーネ)) 

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「う、あ……あああああぁぁ……!?」

「嘘……なんでっ……?」

 

 『旧式の地下水路』にある人造迷宮(クノッソス)の入り口を監視していた【ロキ・ファミリア】は、先程まで聞こえていた歓声が急に途絶えたことを訝しみ、数名が高台に上がって歓声が響いていた場所――『ダイダロス通り』の外れを見た。

 

 見えたのは憧れと尊敬を向ける幹部達、破壊された建造物、立ち上る煙、逃げようとしない住民、縫い付けられた『怪物』。そしてその近くに立つ、良くも悪くも【ロキ・ファミリア】が意識していた白髪の少年と、灰髪の女。

 

 異変の確認に来た数名の内、Lv.4の第二級冒険者、ラウル・ノールドとアナキティ・オータムが無意識に最後に回していた女に目を向けた途端――二人は見る見るうちに顔面蒼白になっていった。

 

「ラウルさん? それにアキさんもどうしたんですか? モンスターなら団長の槍で動きを封じられてますし、すぐに討伐されると思いますよ。だからそんなに焦らなくても……」

 

 付いて来ていた女性団員はモンスターの地上進出に焦っていると勘違いしていた。他の団員も似たり寄ったりの考えである。

 

 だからこそ、Lv.4の二人の言葉に耳を疑う。

 

「どうするべきなんすか!? 俺達が増援に行っても意味がない! すぐに殺されるか足手まといになるだけだ!」

「行かなきゃ駄目でしょうっ! 無力を理由に逃げるなんてできない!!」

「じゃあアキは、俺達の力が役に立つと思うんすか!?」

 

 『死の七日間』を知るラウルはアナキティに吠える。自暴自棄(ヤケクソ)になったように、あるいはそんな自分に憤るように。

 

「リヴェリアさんとガレスさんを()()()()『怪物』に、何ができるんだ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、人目から隠れながら付近の路地裏に駆け付けていた『異端児(ゼノス)』とフェルズも、その光景を目にしていた。

 

「……!?」

「ベルっちに……誰だ?」

同胞(ウィーネ)ヲ守ってイる?」

 

 石竜(ガーゴイル)のグロス、蜥蜴人(リザードマン)のリド、歌人鳥(セイレーン)のレイが見知った少年に愕然とし、初めて見る人間の女性に動揺する様子を見せる。

 

 『異端児(ゼノス)』達がうろたえる中、唯一フェルズだけが状況を理解していた。

 

(まさか……【ヘラ・ファミリア】に変身するとは……! どうするつもりだ、下手すればモンスターが地上に進出する以上の大混乱が起きるぞ……!)

 

 見守ることしか出来ぬ賢者の成れの果ては、その骨の手を包む手袋をギチリと鳴らす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ひひっ、ひひひひひっ、いひひひひひひっ……!?」

 

 迷宮街の中心部に建つ塔。手すりが存在せず、蒼穹に囲まれる塔の屋上から『ダイダロス通り』を見下ろす男神(イケロス)は、盛大に肩を震わせながら狂喜する。

 

「ロキの眷属(ガキ)どもが来ちまった時にはつまんねえ結末(おわり)になると思ったが……まさか、くたばったはずのヘラの眷属が出てくるとはなぁ! これだから下界は面白え!!」

 

 紺色の髪を振り乱して瞳を輝かせながら歓喜する神の隣。

 

「……………………………………」

 

 漆黒の青年と取引をしたヘルメスは笑いもせず、心の内を測れない無表情で眼下の光景を見つめていた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 轟き渡っていた民衆の歓声が途絶えたことで、『ダイダロス通り』の一角は不自然な静寂に包まれていた。

 

 民衆や下位冒険者は唐突に現れた女性――自分達の心地よい熱狂をかき消した元凶に視線を向ける。その眼差しには無神経で場を乱す発言に対する『非難』と『嫌悪』が満ちていた。

 

 誰か一人が石を投げれば、それに合わせて石を投げても許される……そんな空気が生まれつつあった。

 

「どうしてここにいるアルフィア! 七年前のあの時、貴様が敗れたことが【アストレア・ファミリア】全団員を【ランクアップ】可能にした!!」

「致命傷を負った貴様が灼熱の奈落に身を投げるのを、『大最悪(モンスター)』の足止めで余裕がなかったとはいえ、儂等はこの目で確かに見た! 貴様を下した立役者である【アストレア・ファミリア】に至っては、その身が灰に変わるのを間近で確認しておる!」

「答えろ! 何故生きている!!」

 

 痛いほどの静寂を破ったのはまたもリヴェリアとガレス。民衆は女性の「五月蠅い」という発言ではなく、全く別の事について問いただす【ロキ・ファミリア】幹部に怪訝な顔をする。しかし、すぐに弾劾を始めるだろうと気にしなかった。

 

(何よこいつ……隙が微塵もない……!)

(リヴェリアみたいに杖で殴れる魔導士とも違う……なにあれー!?)

(下手な攻めをすりゃあ、頭ごと牙を持っていかれる……!)

 

 ――そのせいで、彼等は気付けなかった。自分達は分かりやすく怒りの感情を見せているのに、【ロキ・ファミリア】は緊迫した空気を漂わせていることに。

 

 故に、民衆の頭から『【ロキ・ファミリア】の邪魔にならぬようこの場から離れる』という選択は消えていた。とても強い大派閥に怒り(?)を向けられた女はどんな反応をするのだろうと、濁った期待を胸に成り行きを見続ける。

 

 無数の視線を浴びる女性――アルフィアはゆっくりと口を開き、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――無駄に年を食って耳が遠くなったか、癇癪持ちのエルフに老け顔のドワーフ。私は『私を殺して』と言った。ならば生き返った他に答えはあるまい。少しは頭を使え。それとも、この程度の思考もできないほど耄碌したのか、年増ども」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「~~~~~~~~~~~~~~~!!」

「普段からベートに婆と呼ばれておるのに何故挑発されるのだ、リヴェリア! あと儂はこやつと違って年相応の姿よ! 撤回してもらおうか!」

「灰にしてやろうかガレスッッッ!!!」

 

 挑発した。都市最大派閥の威光に屈するどころか、Lv.6の第一級冒険者を侮蔑するという、とても正気とは思えない真似をする。

 

「リ、リヴェリア様!」

「リヴェリア様のご尊顔がメロンの様に……!」

「私は何も見ていない、何も聞いてない!」

 

 一般人、冒険者問わずエルフ達は怒髪天を突いたハイエルフの顔を見てうろたえる。

 

 しかし、古くからの戦友が昔ながらのやり取りをする前に冷静さを取り戻していたフィンは、あらゆる可能性を考慮しつつ言葉を発する。

 

「ならアルフィア。君はどうやって生き返った? 君が()()のアルフィアなら教えてくれないかい?」

 

 ――フィンは真っ先にアルフィアが偽物であると考えた。

 

 フィンの知っている死者の蘇生方法は主に二つ。リヴェリアから聞いたレインの持つ『蘇生魔法』と、今は亡きオリヴァス・アクトとレヴィスのように『極彩色の魔石』を埋め込み、怪人(クリーチャー)として蘇ること。

 

 二つ目は絶対にないと断言できる。アルフィアは傲慢だが、同時に誇り高い。怪人(クリーチャー)に堕ちることは自身の誇りに泥を塗るのと同義と捉えるはずだ。アルフィアの意思に関係なく怪人(クリーチャー)にしようにも、最低でも『極彩色の魔石』を埋め込むための死体が必要になる。【アストレア・ファミリア】の報告で、彼女の死体は灰になっている。

 

 そして一つ目。確かに可能性はある。『人造迷宮(クノッソス)』で『蘇生魔法』を使用されたと思しき少女(フィーネ)は――尋常ではない【ステイタス】と獣人が嗅いだ臭いによれば――怪人(クリーチャー)。レインに殺された赤髪の怪人(クリーチャー)、レヴィスは『魔石』を斬られてモンスター同様灰になった。つまり、レインの『蘇生魔法』は死体がなくても使用可能ということになる。

 

 しかし、全貌は知り得ていないが、フィンはレインの『蘇生魔法』に厳しい代償と条件があると確信している。安全から程遠い『人造迷宮(クノッソス)』での使用、内部から破裂したような傷を負っていた術者(レイン)、アミッドの『全癒魔法』でも治りが遅い傷、記憶を失った少女(フィーネ)――これだけの欠片(ピース)があれば、『使用可能時間(タイムリミット)』と『負担(リスク)』があると推測するのは容易い。

 

 十中八九、レインの『蘇生魔法』はアルフィアに使えず、仮に使っていれば隠しようがない。

 

 だからこそわからなくなる。眼前のアルフィアは明らかに記憶がある。言葉遣い、細かな所作は身体に染みついていたとしても、「私を殺して」という発言は本人の記憶・経験がなければ出てこない、そんな実感が籠っていた。

 

 最も可能性が高いと思っていたのはアルフィアの背後にいる竜女(ヴィーヴル)を誤魔化すため、神ウラノスの遣い、もしくは手の内の者が魔法道具(マジックアイテム)ないし『魔法』で彼女に変身していることだった。これはフィンが見初めた同族の少女が『変身魔法』を使っていたからこそ思いついた可能性だ。

 

 だが……フィンは全ての可能性に自信を持てない。どの可能性もなまじっか根拠や証拠があるせいで、どれも怪しく思えてしまう。一つに絞り込めない。断定が、決断ができない。

 

 だからフィンは相手から情報を掠め取るために隙を探す。無理矢理尻尾を掴んで正体(真相)を明らかにする。

 

 聡明な勇者は目の前の女の髪を(すく)う仕草や、僅かな筋肉の動きすら見逃さないことに全神経を注いだ。この結論を出すのにかかった現実の時間は一秒に満たないが、常人には想像もつかない無限の時が圧縮されていた。

 

 ――そんな彼の胸中を読み解くことなど、『才能の権化』にとって造作もなかった。

 

「愚か極まりないな、小僧(パルゥム)。今の問いと貴様の顔つきの変化で、(アルフィア)が本物か偽物か、などと()()()()()()()()迷いを抱いたのが丸わかりだ。大方、『蘇生魔法』と『変身魔法』の存在を知ってしまったが故に、真偽の判断が不可能になったのだろう」

「……ッ」

「貴様がすべきだったのは私の真偽を問うことではなく、周囲の雑音どもに消え失せるよう命ずることのみ。……ああ、己の無能も悟らせないべきだったな。それ以外は不快な雑音と同義だ。変わらんな、全てを無意味な雑音へ変貌させる無様な癖は」

「黙ってりゃ団長に舐めた口ききやがってこのクソ女っ!! ぶち殺してやる!」

「落ち着きなよティオネー!?」

 

 化物め。フィンは内心で盛大に毒づいた。あれっぽっちの問い掛けと表情の変化で――目を閉じているのに――自分の思考の過程すら見抜くなんてふざけてる。心を読み取る『スキル』を持っていると言われた方がまだ信じられる。

 

(いや、これはチャンスだ。アルフィア(?)はどんな手段で生き返ったのかを明言していない。僕が本物と信じ込ませるなら、嘘でもいいから生き返る方法のヒントを出す。そこから突き崩していけば――)

 

 ――新たな算段を立てようとしたフィンだったが、彼は当たり前のことを失念していた。

 

 ここにいるのは自分とアルフィアだけではなく、激昂したティオネと同じように、何も知らぬ民衆も大勢いることを。

 

 今、民衆の間にはアルフィアへの『悪感情(ガス)』が溜まっている。そんな彼等に「雑音」という侮辱(火種)が放り込まれれば――簡単に爆発する。

 

「何なんだよお前はっ! いきなり出しゃばってふざけた事ばっか言いやがって!」

「そんな態度を取るってことは冒険者か? ならとっととモンスターを殺せよ! 薄汚え迷宮の化物を殺すのは冒険者の義務だろうが!」

「【ロキ・ファミリア】もそんな女なんか無視しろよ! つーか、モンスターを殺すのを邪魔するってことは『怪物趣味』なんじゃないか!?」

「人類の敵! モンスターと一緒に死んじゃえ!!」

 

 彼等の多くは知らなかった。自分達がこうして正当化できる怒りに身を委ね、罵詈雑言を浴びせ、地面に落ちていた石を投げつけている女が何者なのかを。【ロキ・ファミリア】が未だに手出ししていない理由を。

 

 残り少数は愚かだった。少数は『死の七日間』の凄惨さと女の正体を既知としておきながら、今回もまた、【ロキ・ファミリア】(自分以外の誰か)が解決してくれる、自分を守ってくれると勝手に思い込んでいた。

 

「――覚悟も意志も力もない木偶人形ども。罵倒するなら中身を纏めろ。貴様等のそれは声でも雄叫びでもない、ただ五月蠅い音の波。私がこの世で二番目に嫌う、不要で不愉快な旋律だ」

 

 その女は絶対なる『個』。村も、街も、都市も、国も、たった一人で滅ぼせる無慈悲な暴君。あらゆる暴力、殺戮、蹂躙、破壊、終焉の手段を華奢な身体に宿す人の形をした正真正銘の怪物。

 

「私の手を煩わせる羽虫どもが。物言わぬ醜悪な肉塊となり、二度と静寂を妨げるな」

 

 ゆるり、と。アルフィアはゆっくりと手を持ち上げる。その動作は、聖職者が迷える子羊に救いの手を差し伸べるのに似ていた。

 

 ようやく民衆は気付く。自分達が投げている石や煉瓦(レンガ)の欠片が女どころか、すぐ傍にいる少年やモンスターにすら当たっていない事に。まるで、理解できない力が全てを叩き落しているような――

 

「行くなっ、ガレス!!」

 

 危機を察知した生粋の壁役(ウォール)であるガレスは団員から盾をむしり取り、逃げようとしない民衆を守るために走り出す。例え、これから取る行動が無駄に命を捨てるのと同じ真似であり、尚且つそこまでして得られる利益(メリット)がないに等しいとわかっていても、見殺しにはできなかった。

 

 明晰すぎる頭脳を持つ勇者の口から出た叫びには無辜の民を守る指示ではなく、逆に切り捨ててでも戦友を死なせたくない想いが籠っていた。

 

 そして――呪われし祝福(災禍)の鐘が鳴る。

 

「――【福音(ゴスペル)】」

 

 大爆音。

 




ティオナとティオネは五年前にオラリオへ来たため、アルフィアを知りません。
ベートはいましたが、多分アルフィア本人を見てないでしょう。恐ろしさは知ってそうですが。
 リリの魔法って魔力の能力値が高くなれば体格とか無視できそうかも?


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六十二話 灰から黒へ

 また区切ることになってしまった。時間が本当にない。しかもめっちゃ眠い。

 区切る理由としては今まで仕込んできた伏線やらを回収するためです。


「機嫌が悪そうですね、ミア母さん」 

 

 小綺麗な宿屋を彷彿とさせる酒場『豊穣の女主人』。

 

 厨房でせっせと皿や調理器具を磨いて綺麗にしていたシルは、仏頂面で入って来たこの酒場の女将であるミアに声を掛ける。

 

「機嫌も悪くなるさ。いなくなった馬鹿娘の代わりの仕事をサボろうとする馬鹿に、本来の仕事そっちのけで騒いでるアホンダラども。今日が碌に客が来ない日になってなきゃ、拳骨一発じゃ済ませないよ」

 

 酒場の店主(ぼうくん)の言葉に、彼女が来るまで手を抜いていた少女は薄らと汗を流す。しかも拳骨一発じゃ済ませない、つまり一発は確定しているという事実に笑みを引きつらせた。

 

「……シル、あんたはあの真っ黒なバカタレのことをどう思ってる?」

「え?」

 

 どうにかして他の従業員に罪を擦り付けられないかとシルが画策していると、不意にミアが尋ねてきた。真っ黒なバカタレ……ベルは黒いインナーを身に着けているが『坊主』呼びだし、レインだろう。あれは全て黒だ。

 

「ええと……苦手と嫌いを足して二つに割った気持ちですね。完全には嫌ってないですけど、好きには絶対なれない感じでして……」

「どうしてだい」

「だってあの人っ、私のことを『食材への冒涜の擬人化』『殺意と愛情を履き違えている狂人』『何でも殺せる劇物製造機』なんて呼ぶんですよ! 事実無根です!」

「そうかい」

 

 ぷんすかぷんすか、と可愛らしく怒る少女に淡白な反応を返し、ミアは戸棚から果実酒の入った酒瓶を取り出す。ミアが酒を飲むのは店を閉めてから部屋で一人きりの時、と彼女の自分ルールを知っているシルは首を傾げる。

 

「アタシはあの馬鹿が大嫌いさ。それこそ、あの女神よりずっとね」

「!?」

 

 面倒、馬鹿、阿呆と罵ることはあっても滅多に使われないミアの「嫌い」という言葉に、シルは持っていた皿を落としそうになるほど驚いた。――手から滑らせた瞬間には血の気が引いたし、間一髪で受け止めた時は心底安堵した。

 

「あの馬鹿はいつもヘラヘラ笑っちゃいるが、内面は違う。周りに面倒事を全部押し付けるように見せて、本当に重いもんは何だって一人で背負い込む。神にだって悟らせない」

 

 ミアの視線の先には何十人もいる従業員の内、数少ない真面目に仕事をする栗色の髪の従業員、新入りの少女がテーブルを拭いていた。

 

「絶対に『本心』ってのを見せない。(オトナ)に弱音の一つ吐き出しもしない子供(ガキ)なんざ大嫌いだよ」

 

 レインとは無縁にしか思えない言葉の数々に、鈍色の娘が母親に何かを聞こうとする寸前。

 

 ()()()()()()を揺るがす鐘の音が響く。『豊穣の女主人』でも棚に飾られている本や花瓶が僅かに震えた。

 

 再び騒ぎ始める従業員達を尻目に、ミアは注がれた果実酒に映る自分の渋面を見つめる。

 

(憎たらしいくらいそっくりだよ、あの馬鹿どもに)

 

 離れにいつの間にかあった『フィーネを頼む』とだけ書かれた羊皮紙と大量の金貨を見た時から胸の中にある感情を飲み下すように、ドワーフの元冒険者はジョッキを思い切り(あお)った。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 灰髪の女性(アルフィア)の背後にいるベルは、未だに槍で縫い止められた竜女(ウィーネ)を助けることも忘れ、目の前の惨状に身体を震わせる。

 

「……ほう。私の『魔法』をあえて近距離で受けることで、衝撃(おと)が後方へ流れないようにしたか。使役する『魔法』の規模がどれほど広大であろうと発動箇所が手であれば、そして発動直後ならば、酒樽同然な貴様の矮躯でも全てを受け止められるな」

 

 『ダイダロス通り』は再び静寂に包まれていた。

 

 何棟もの建物が壊れてしまった訳ではない。大勢が殺されてしまった訳でもない。全ての人間が()()を目にしてしまい、見たものを脳が理解するのを拒んだからだ。

 

「末端とも呼べん搾りカスとはいえ、直撃を受けて原型を留め、尚且つ息がある。――褒めてやろう、ドワーフ」

 

 ソレは赤黒い塊だった。ソレは血にまみれた肉の残骸だった。ソレは、【重傑(エルガルム)】ガレス・ランドロックと呼ばれるドワーフだった。

 

 彼の纏っていた装備は例外なく木っ端微塵に砕け散り、強靭なはずの肉体は、骨と肉の境目すら曖昧な血袋へと変貌していた。内臓はいくつがまともな形をしているのかわかったものではなく、むしろ脳を破壊されなかったこと自体が奇跡に近い。

 

「ッ!!」

「待てティオナ!」

 

 リヴェリアの制止の声に耳を貸さず、いつも浮かべている笑顔を消し去ったティオナが屋根を砕いて飛び出した。かつて『人造迷宮(クノッソス)』で傷つけられた(アイズ)を見た時と同様、瞳に瞋恚(しんい)の炎を灯して。

 

「あの馬鹿っ!」

「先走ってんじゃねえぞッ、馬鹿ゾネス!」

 

 【ファミリア】で一番の馬鹿で一番の仲間想いである少女の特攻に、その姉と犬猿の仲である狼人(ウェアウルフ)の青年は舌を弾きながら突貫する。ティオナよりは冷静であったが、二人も剣呑な眼差しになる程度には怒りを覚えていた。

 

 通りの中央に君臨するアルフィアに、ティオナは接近しつつ回転させていた超大型武器、《大双刃(ウルガ)》による横薙ぎの一撃を繰り出した。防御は一切考えず、また手心を加えることもせず、ありったけの力を込めて振り切る。

 

(普通の攻撃は当たらねえ。狙うのは――)

(――回避直後の隙!)

 

 『深層』で何度も見てきた狂戦士(バーサーカー)の一撃。『迷宮の孤王(モンスターレックス)』だろうがモンスターの大群だろうが等しく葬り去る斬撃が当たるとはベートもティオネも考えていなかった。回避にしろ、イカれた『魔法』での迎撃にしろ、それで生まれる隙を叩く。

 

 三人の内二人が犠牲になっても一人は当てる――Lv.6による三人がかりの捨て身とも呼べる作戦は、

 

「この武器と呼ぶのも烏滸がましい金属の塊は何だ? 重量と規模(サイズ)で技量の不足を誤魔化すとは……呆れを通り越して嘆かわしい。オラリオの冒険者の質はどこまで落ちた」

「――」

 

 ティオナの手から武器が()()()()()、攻撃そのものをなかったことにされて崩壊した。

 

(……オイ待てふざけんな)

あの馬鹿(ティオナ)の攻撃に、どれだけの『(パワー)』と『敏捷(スピード)』があると思って――)

 

 隔絶した力の開きがなければ不可能な行動に硬直するベート達。

 

 直後、本来の持ち主を超える速さで振るわれた大双刃の腹がティオナの身体を絡めとり、骨を砕きながら民家に叩きこむ。吐き出される鮮血。刈り取られる意識。

 

「【炸響(ルギオ)】」

 

 零される一声――爆散鍵(スペル・キー)。不可視の爆発。瀕死のガレス、その傍を駆け抜けようとしていたティオネとベートが顔中の穴から血を噴き出しながら吹き飛んだ。

 

 ガレス、ティオナ、ティオネ、ベート。彼等が戦闘不能になるのに要した時間は十秒に満たない。四名の第一級冒険者を文字通り()()したアルフィアは、手に入れた戦利品(ウルガ)を興味なさげに投げ捨てる。

 

「……嘘……」

「【ロキ・ファミリア】が……一撃で……?」

「俺達を、庇ったせいで……」

 

 ずぅぅぅん、と大重量の武器が地面に放り出されて響いた大きな音を発端に、次々と零れる声。民衆は徐々に現実を受け入れ始める。

 

 一個人の人生など簡単に捻じ曲げる民衆の悪意はとうに消えていた。目の前の存在の逆鱗に僅かでも触れてしまえば、命をアリでも潰すように刈り取られると……思い知らされた。

 

「『化物』だ……」

 

 ぽつりと呟かれた言葉。オラリオに身を置いていれば必ず聞く単語。モンスターを示すだけだったもの。

 

「あれが、本当の『化物』だっ……!」

 

 迷宮街にゆっくりと響き渡る恐怖と絶望だけを含んだ叫び。

 

 次の瞬間。

 

 混乱ではなく――『大恐慌』が起こった。

 

『うわぁあああああああああああ!?』

『きゃああああああああああああ!?』

 

 何が起こったのか第一級冒険者以外まともに把握もできない瞬殺劇。正体不明の圧倒的な力による蹂躙は際限なく恐怖を引きずり出し、解き放たれる悲鳴は生まれた負の感情を加速させ、際限ない恐怖はありえない妄想を現実だと思い込ませる。

 

 振り切られる理性。『生きたい』という本能が倫理や道徳を押し潰し、目的を果たすために動き出す。 

 

 正気を失った人間によるなりふり構わない逃走。その光景は、()()の一言に尽きた。

 

 エルフの男が前を走っていた小人族(パルゥム)を蹴り飛ばし、踏み潰す。化物(アルフィア)が現れる前に避難指示を出していたはずの獣人の冒険者が、武器を振り回して自らの退路を作る。左手薬指に銀の指輪を嵌めたヒューマンの女が、同じ指輪を嵌めた男と盛大な罵り合いを始める。

 

 誰かの悲鳴。誰かの泣き声。誰かの怒声。母親がはぐれた子供の名を呼ぶ一つの声は、十の罵倒に飲み込まれて消える。母親の手を放してしまった子供は人の波に押し潰される。

 

 やがて『ダイダロス通り』からは【ロキ・ファミリア】、【ヘスティア・ファミリア】、塔の上から見下ろすヘルメスとイケロス、そしてアルフィア以外の人影が見えなくなった。

 

 ベルは一気に見晴らしがよくなってしまった大通りに目をやる。

 

 そこには決して少なくない数の死体があった。壁に寄りかかっている頭が陥没したアマゾネス。肩口からバッサリと斬られて倒れているドワーフ。顔も判別できない程踏みつけられた跡がある小さな肉塊は、子供か小人族(パルゥム)か。血が見えない道はない。

 

「うっぐぇ……!?」

 

 胃液がこみ上げてきて、ベルは咄嗟に口を手で押さえる。

 

「これだから雑音どもの相手は面倒だ。群れるだけで強くなったと誤認し、根拠もなく己は害されないと思い込む習性。殺気を出せば従順になる分、家畜の方が余程賢しい」

 

 目の前の惨状を生み出す一端を担っておきながら、アルフィアの態度に変化は見られなかった。彼女にとってこれは惨劇ではなく、適当に虫を追い払おうとしたら勝手に自滅した……その程度の認識でしかないのだと、ベルは悟った。

 

『――アアアアァァッ!?』

 

 その時、何度も身を揺すっていた竜女(ヴィーヴル)が遂に槍を引き抜き、拘束を脱出する。

 

(ウィーネ!)

 

 鮮血をまき散らしながら大蛇のごとき長躯をくねらせる竜を前に、ベルの身体は動かなかった。原因はモンスターに対する潜在的な嫌悪感と忌避感が躊躇わせるのではなく、ただ「五月蠅い」という理由で人を肉塊に変えようとしたアルフィア。

 

 そんな暴君が叫喚を上げる竜を、そしてそれを助けようとする少年をどう思うか。

 

 ベルが迷ったのはせいぜい瞬きの間だろう。だがその時間は長すぎた。

 

「チッ……今の騒動の隙に回収すればいいものを、何もできない無能共め。――邪魔だ、ガキ」

「――ギッッッ!?」

 

 肩を()()()()()。そう感じた時にベルがいたのは、通りの脇にいたヘスティア達の()()。遅れてやって来る轟音。煉瓦(レンガ)の壁に叩きつけられた衝撃はベルに吐血を強要し、左手の中にあった紅石の消失を気付かせない。

 

 顔を上げたベルの揺れる瞳に映るのは、尾を掴んで枝のように細い腕からは信じられない力で竜女(ヴィーヴル)を引き寄せるアルフィア。引きずられて絶叫を上げる少女の姿に、ベルは最悪の事態を想起して喉を干上がらせ――少女の暗く窪んだ額に紅石が嵌め込まれた光景に目を見張る。【ヘスティア・ファミリア】も【ロキ・ファミリア】も。

 

 第三の眼を取り戻した竜女(ヴィーヴィル)の変化は劇的だった。七M(メドル)を超える体躯の大半を占めていた胴体と大翼が目に見えて縮小し、翼はどういう原理か背中に納まり、胴体は二つに分かれて瑞々しい二本の足になる。

 

 硬質化してささくれ立った顔はそのままだが、白眼と化し血走っていた瞳には琥珀色の光が宿る。身体の随所を覆っていた鱗は小さくなった身体に必要な量を残すかのように剥がれ落ちた。

 

「――わたし、は」

「よくも私の手を煩わせてくれたな、小娘」

「!」

 

 アルフィアの腕に抱かれていたウィーネがハッキリと意識を取り戻す。同時に知らない人間(ヒト)から逃げなきゃ! と竜種の潜在能力でアルフィアの腕を振りほどこうとして――全身から力が抜けた。

 

(あ……れ?)

 

 本能が彼我の実力差を悟って命を諦めた訳ではなく……竜としての身体が誰かに操られた、異形の名残が残る少女はそう思えた。

 

 警戒心どころか抵抗の意思すら消え去った少女を見て、アルフィアはぽつりと呟く。

 

「この『魔法』でも発動していたか……どこまでも邪魔をする『スキル』め」

「……! それはどういう――」

 

 アルフィアの言葉に、どさくさに紛れて回収したガレス達の治療を命じていたフィンが『違和感』を感じた、その時。

 

 ダンッ! ダンッ! ダンッ! ドンッ!! と。四つの人影が【ロキ・ファミリア】がいる屋根とは別の屋根に降り立った。

 

「おいチビ。なんだ、この茶番は」

 

 一番にやって来た猫人(キャットピープル)が、苛立ちを隠さずフィンを睨みつける。

 

「尻軽ド淫乱の傀儡ども。今頃になって来るとは……女神(ババア)の乳でも貪っていたか?」

「御託はいい。この問答すら面倒だ。さっさと化けの皮を剥げ」

「違うな宿敵。こいつは女神を侮辱した。神秘のヴェール諸共我が魔炎で浄化し、(こうべ)を地に沈めてやろう」

 

 白と黒の妖精(エルフ)は――片方は『魔法』で人格が変化している――アルフィアの侮辱に間髪入れず反論する。そして片方は怒っているのは分かるのだが、こじらせた表現で何を言いたいのかさっぱりだった。

 

 【フレイヤ・ファミリア】。

 

 【ロキ・ファミリア】と並ぶ都市の双頭である派閥。しかし、全幹部の【ランクアップ】を経て大多数に都市最強……いや、世界最強の派閥と称えられるようになった【ファミリア】。

 

 最後に口を開くのはLv.7の三人と異なり、都市唯一のLv.8。

 

 【猛者(おうじゃ)】オッタル。

 

「……お前にどんな目的があるのか知らん。何故その女(アルフィア)の姿をしているのかもわからん」

 

 『都市最強』『世界最強』と呼ばれる猪人(ポアズ)の武人は――『真の最強』に怒りを込めた視線を送る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だが、奴等の誇りを貶めるような真似はするな――レイン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――【響く十二時のお告げ】」

 

 アルフィアが唱えた聞き覚えのある『魔法』の解呪式に、【ヘスティア・ファミリア】の面々……特にリリは顎が外れそうなくらい口を開けて驚愕を露わにした。

 

「別にアルフィアが嫌いとか、あいつの誇りをズタボロにしたいとかでこの姿になった訳じゃない」

 

 灰色の光膜の中から聞こえてきたのは聞き覚えがある男の声。驚かなかったのは初めから正体を察していた【フレイヤ・ファミリア】のみ。

 

「むしろ逆だ。尊敬してる。アルフィアは必要ならいくらでも命を摘み取るけど、不要な殺しはしない。リリルカの『魔法』は対象の身体能力も複写(コピー)可能なんでね、『手加減』と『掌握』がしやすい【ステイタス】のアルフィアになったんだ。『魔力』の能力値(アビリティ)だけ俺の能力(ステイタス)依存だったのは予想してなかったが」

 

 光の膜が消える。現れた人物は全てが黒い男。手袋や靴、上下の衣服、髪や目の全てが漆黒。腰にはなかったはずの二振りの長剣が佩かれている。

 

「あとはそうだな……最恐の眷属(かつての威光)でビビらせて、邪魔者を限りなく排除したかった。俺も無益な殺生は趣味じゃない。万が一の場合、犠牲者は少ない方がいいだろう?」

 

 その声は知っているはずなのに、まるで別人ようだと感じてしまうほど冷え切っていた。

 

「安心しろよ、もう変身は使わない。これから始める『下界崩壊』、正体を隠してやるなんて……恰好悪いからな」

 

 その顔に浮かんでいるはずの笑みはない。凍り付いた湖を想起させる、醒めた無表情。

 

 時が止まる。誰もが声を失う。

 

 漆黒の戦士――レインがそこに立っていた。




 アルフィアって意外と口数多いよね?

 どこかの話でレインは『魔法』を使うときに【竜之覇者】を発動させている、と書いていましたが、厳密には少し違います。『魔法』を使うと勝手に発動してしまう、というのが正しいです。

 蘇生魔法を使うとき以外、レインは【シレンティウム・エデン】を使っていたものと思ってくださいお願いします!


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六十三話 『最悪』

 色々話したいことがあるので長いです。(10000字超えた)

 まずいい事から。日刊ランキングで三位になっていました! この『読むのに根気が必要』と作者自身が思ってしまう作品を気に入ってくださりありがとうございます。最後まで頑張るよ……多分!

 次に一日遅れた理由を。16巻読んだら書こうとしてた内容が吹き飛びました。例えるなら予想外のパンチを受けてKOされるボクサーの気分。作者は十時まで眠っちゃったね!

 そして最期に。作者は文才がないので自分の作った話を上手く書き上げることが苦手です。最後の話までキャラ崩壊がないとは絶対に言えません。皆さん付いて来てください(強引)。


「――ルルネ」

「!」

 

 ヘルメスは灰色の魔導士が漆黒の戦士に変わった瞬間、イケロスの追跡と逃走防止のために同伴させていた眷属の一人を呼ぶ。

 

「急いで港街(メレン)まで行って、【カーリー・ファミリア】を連れて来てくれ」

「はぁっ!? 無茶言うなよヘルメス様! 距離はどうにかなるとしても、どうやってあの戦闘狂(バトルジャンキー)集団を引き寄せんの? そもそも今、都市の門を守ってるのがどの【ファミリア】なのかわかって――」

()()()

 

 塔の内部にいたため、何が起きているのかいまいち把握できていない犬人(シアンスロープ)のルルネは、急に出された主神の無茶ぶりに反射的に言い返したが、神意を込めて呼ばれた自分の名に口を閉ざした。

 

「【フレイヤ・ファミリア】なら問題ない。【カーリー・ファミリア】はレイン君に執着してるし、そこを突けば簡単に釣れる。行け」

「……りょーかい、ヘルメス様」

 

 自ら盗賊(シーフ)を名乗っているだけあって、少女は足音をほとんど立てずに塔を駆け降りる……隣で酸欠を起こしかねない程笑っているイケロスの声で聞こえにくいせいもあるだろうが。

 

 死屍累々、という言葉でしか表せなくなった『ダイダロス通り』に君臨する、どこまでも思考と行動が読めない子供をヘルメスは笑いながらも忌々しそうに睨みつける。

 

「【ロキ・ファミリア】を捻り潰したかと思えば、『異端児(ゼノス)』は助ける。おまけにアルフィアの姿でベル君を傷つけるか。完全に君は僕の敵に……人類の敵にもなってしまったぞ。……『約束の(とき)』を果たすのに君は相応しくない」

 

 (じぶん)の勘に従って『保険』を確保するように指示を出したヘルメスは天界へ送還した美神(イシュタル)と同じように、この騒動を利用してレインの抹殺を決定していた。

 

「君が何を考えているのかさっぱりだけど……せめて白い光をより際立たせてくれる黒い影になって死んでくれ、レイン君」

 

 ――それと同時刻。

 

 都市で最も高い摩天楼(バベル)の最上階から銀色の瞳を持つ女神が全てを睥睨していた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】やヘスティア一行が愕然と目を見張っている中で、フィンの脳裏は真っ赤に染まっていた。たった今目の前で起きた事象が受け入れ難いいくつもの『未知』を彼に突き付け、過負荷(オーバーヒート)が発生する程の思考を強制しているのだ。

 

(リリルカ……リリルカ・アーデ。あの子の『魔法』!? 待てっ、奴は、レインはアルフィアの『魔法』も使っていた。彼女の『変身魔法』が対象の全てを模倣(コピー)できるはずがない。そんな真似が可能なら、彼女はベル・クラネルと共に猛牛(ミノタウロス)に襲われた時、命がけで僕達に助けを求めてはいないだろう)

 

 レインの『下界崩壊を始める』という宣言。その声音に冗談の色はなく、都市を守らねばならない【ロキ・ファミリア】の団長であるフィンの思考はすぐに飲み込み、『敵』の手札を推測し始めてしまう。それも優秀過ぎるが故に、極めて正確に。(思考)の先に待つのは開けてはならない絶望(パンドラ)の箱だとわかっていても、止まれない。

 

(あくまで彼女の『魔法』は姿を変えるだけで、変身した後の振る舞いは術者のセンスに委ねられる。そして僕はレインが変身を解くまで『本物』だと信じ込んでいた! それは何故だ? アルフィアと遜色ない『才能』という名の理不尽を見せつけられたからだっ!!)

 

 アルフィアの象徴は『才能』。それをフィンは考えを看破される、一声(ワン・ワード)でガレス達を瀕死にする『魔法』、Lv.3に僅かな抵抗すら許さず吹き飛ばすといった形で何度も見た、いっそわざとらしいほど見せられ――刷り込まれた。変身を解いた後のフィンの選択肢を制限するために。フィンがこう考えていることすら計画の内だろう。もしかしたら、初めて会話をした時すら……。

 

 これまでの言動が全て計算されたものなら、最早レインは神に近しい視点を持っている。戦略、過程、勝敗を無視して思い通りの結果を押し付けることを許された者の()

 

(つまり、レインには他者の『魔法』を使える『スキル』がある。しかも詠唱を破棄できる最悪の組み合わせの『スキル』まで……模倣した『魔法』は威力が下がるなんて甘い考えは捨てろ! おまけに【ステイタス】は最低でもアルフィアと同等か、それ以上ときた……冗談じゃない!)

 

 【千の妖精(レフィーヤ)】と【九魔姫(リヴェリア)】を超える『魔法』の手札(かず)強さ(火力)に加えて、その『魔法』を詠唱なし(ノータイム)での行使を可能にする『スキル』。更には都市最強(オッタル)を無傷で倒す前衛(戦士)の技量も併せ持つ。まるで幼児が夢想する『理想の自分』を体現したかのような存在だ。

 

 このままだと『才禍の怪物(アルフィア)』が可愛く見える規格外(クソチート)と何の策もなしに戦わなければならなくなる。椅子に縛り付けられて盤上に駒を打つしかできないフィンとは違い、相手はルールを無視して駒を斬り捨て、盤をひっくり返し、席を立って指し手(プレイヤー)をいつでも殺す権利を持つ。それは勝負という次元ではない。

 

(同じ土俵に引きずり下ろすには『手札』が足りない、なら僕が模索するべきは『戦い』を始めさせない方法! 思考を回せ、『才能』だろうと覆せない積み重ねた年月を(もと)に希望を引き寄せる『一手』を――!)

「――アホが。『才能』に年の積み重ねなんぞ関係ない。常人が一つずつ上る階段を一気に駆け上がったからこそ、俺やアルフィアみたいに異常な『才能』を持った奴は『秀才』ではなく『天才』と呼ばれるんだ」

(――)

 

 耳に入ったのは脈絡も糞もない、世間話でもするようなレインの声。誰もが眉を顰め首を傾げる中、神経という神経を総動員して行われていたフィンの思考が凍結(フリーズ)する。完璧な【勇者(ブレイバー)】の仮面に亀裂が走った。

 

 ――とある学者の論文がある。

 

 人は思考(こころ)を読み取られて平然としていられる生き物ではない。自らの意思に関係なく本音を見透かされることは途方もない恐怖と嫌悪を抱かせ、得体の知れない絶望が心を蝕む。真の心の中を無理矢理暴かれることは、どんな拷問よりも辛いものだと。

 

 フィンも例外ではなく、また、何度も受け入れ難い理不尽な現実を叩きつけられたことが彼から冷静さを奪い、凄まじい精神的負荷を与えていた。

 

「フィン・ディムナ。いい年こいて童貞こじらせたクソ小人族(パルゥム)。俺とお前、どちらの頭がいいのか単純に比較すれば、間違いなくお前の方が上だろう」

 

 【ロキ・ファミリア】がここにいるのは、【勇者(ブレイバー)】の寒気すら覚える直感に従った結果。だからこそ白い少年は『隠蔽』も許されず、窮地に立たされていた。

 

「けれど、お前には『野望』がある。この騒動みたいな一挙一動が名声に影響してしまう事柄なら、お前の思考は手に取るようにわかる……いっそただの馬鹿の方が手強いかもな。己の矜持を押し殺し、他人の目を気にする振舞いしかできない人形なんぞ、俺の敵じゃない」

 

 その【勇者(ブレイバー)】の全てを暴き、レインは違いを思い知らせる。

 

 勘の鋭さ、先見性、知恵、身体能力、技能、どれをどちらが優れているのかわからせた上で刻み付ける――『格』の違いを。

 

「見届けろ、()()。お前が『野望』のために費やした生涯(すべて)を否定してやる」

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「何を言っている……!? 下界崩壊を始める? フィンの生涯(すべて)を否定するっ? ふざけた事を抜かすんじゃない!!」

 

 いくつも告げられる看過できない言葉に、ハイエルフの口からは怒りを超えて殺意を孕んだ声が発せられた。相手が想い人であっても、我慢できなかった。

 

 リヴェリアは知っている。己の全てを野望に捧げて戦うフィンを。野望の助力を誰にも求めず、重荷を分け合おうとしない勇者を。本当は意地っ張りで、生意気で、不器用な小人族(パルゥム)戦友(とも)を。

 

「周りを見てみろっ、貴様が原因で罪のない命が失われた! 戯れで済ませる次元はとうに超えている! 直接手を下してないから関係ないなどとは言わせんぞ!!」 

 

 それに認めたくなかったのだろう。レインという人間も知っているからこそ、彼が自分の意思で人が死ぬような真似をしたとは思いたくなかった。仮に崇高で悲壮な『信念』を秘めていても、世界は理不尽に命を奪ったレインを許さない。

 

 柳眉を吊り上げ叫んだ。【ロキ・ファミリア】の副団長として、心を折られかけているフィンを守り、彼の意志を尊重する代行者として。

 

「どんな目的があってこんな真似をした……答えろッッ!!」

「――そろそろか」

 

 レインは何も聞こえなかったように眉一つ動かさなかった。睨みつけてくるリヴェリアに何も返さず、どこか遠い場所を見るような目をする。

 

 無視されている。眼中にない――それを理解したリヴェリアの頭はカッとした熱に支配され、魔杖を握る手には震えるほどの力が籠る。指の隙間から漏れる杖のきしむ音は、彼女の内に沸いた怒りが溢れかけているようだ。

 

 もう一度、力の限り吠えようとして……言葉となる前に飲み込まれる。

 

「団長ぉー!!」

 

 血相を変えて走って来た、ラウルの切迫した声によって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『扉』がっ、『人造迷宮(クノッソス)』の『扉』が全て開いたっす!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 派閥の機密情報と呼べる『人造迷宮(クノッソス)』の名称。数は少ないとはいえ、それが何なのか知らない面子がいる所で叫ぶ。本来ならリヴェリアの説教以上の罰を与えられる所業だ。

 

 しかし、今ばかりは功を制した。

 

「!」

 

 聞き捨てならない情報は、停止していたフィンの思考を再起させる。仲間からの助けを求める声が精神(こころ)を持ち直させる。後進に、それも自分の後釜に入ってもらおうと考えている部下に情けない姿は見せられないと、矜持(プライド)が叱咤する。折れかけていたフィンは【勇者(ブレイバー)】の仮面を纏い、なんとか正気に戻る。

 

(しっかりしろ! 考えを見透かされる、裏をかかれる、無防備な所へ『奇襲』を仕掛けるなんて何度も実行したし、経験だってしてきただろう! それを目の前で大仰にされただけであがくのを止めようとするなんてらしくないぞ、フィン・ディムナ!!)

 

 一瞬でも弱さを見せた自分を心の中で殴りつける。レインの話術と手管に惑わされないよう気を引き締めてラウルの方へ首を回す。、

 

「状況は! 君が持ち場を離れるということは食人花(モンスター)が現れた訳じゃないんだろう?」

 

 同時に、フィンは『扉』の見張りを任せているメンバーで数少ないLv.4(ラウル)が来たことから、新種のモンスターをけしかけられたり、闇派閥(イヴィルス)の自爆特攻を受けた訳ではないと把握。本当に『扉』が開き、それが敵の誘いか、それとも敵にとって想定外の出来事か見抜けず、全速力で指揮官(じぶん)に指示を仰ぎに来たのだと判断する。

 

 しかし、レインが呟いた直後に起きたという事実が拭いきれない不安と恐怖を生む。虫の知らせを告げる親指の疼痛は未だ収まらない。 

 

 そして、嫌な予感は的中する。

 

「そ、それが……闇派閥(イヴィルス)が大勢の怪我人を運び出しています! 『治療院に連れていけ!』って口にしながら押し付けてくるっす!」

「……なんだと?」

 

 怪我人? なんだそれは。敵が怪我人を僕達に渡す? 奴等は目的の為なら自分の命すら投げ捨てる異常者の集まりだ。なら、運び出されている怪我人というのは闇派閥(イヴィルス)ではない?

 

「……怪我人達の身元はわかるか!?」

「衰弱しきっていてハッキリとは聞き取れませんでしたけど――【デメテル・ファミリア】っす!」

 

 更なる予想外の情報。どうして【デメテル・ファミリア】が『人造迷宮(クノッソス)』から出てくる。まさか神デメテルが黒幕(エニュオ)? 長きに渡って迷宮都市(オラリオ)を支えてきた善神が!? いや、『人質』をとられた? 女神(かのじょ)は黒幕の協力者なのか? 

 

 与えられた情報(ごちそう)の数は少ない。けれども『(あじ)』ではなく『質量(サイズ)』が大きすぎる。(くち)にして理解し(あじわい)たくとも()が受け付けない。

 

 そもそも『敵』となったレインが、『敵』に材料を吟味させる時間を与える訳がない。

 

「ほぉ……死んだ奴に逢いたいがために死神(タナトス)の手を取る馬鹿共は、拍子抜けするくらい簡単に釣れたな。ぶら下げた『餌』にあっさり食いついた」

 

 レインの口が裂ける。音を立てて、笑みの形に裂けていく。

 

 乾ききった無表情は、邪笑としか言い表せない相貌へと形を変えた。

 

「下界崩壊の第一段階の準備はもうすぐ済むだろうし、次の段階(ステップ)へ進めようか」

 

 腕の中にいる竜の少女のほっそりとした首に手を当て、

 

「【ロキ・ファミリア(おまえら)】は、この少女(モンスター)がただの怪物(モンスター)じゃないと勘付いているだろう。それは正しい」

 

 下界全土を揺るがす、とびっきりの『爆弾』を投下した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この子は『異端児(ゼノス)』。理知を宿すモンスターだ」

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 フェルズは骨の身体になって以来体感していない喉が干上がる、心臓が暴れる、全身から汗が滝のように流れ出る感覚を味わっていた。むしろ骨の身体になっているから味わえた、と言うのが正しい。

 

 この身に肉と皮があったならば、間違いなく意識を手放していた。そう確信できるほどの焦燥と混乱がフェルズの中で暴れまわっていた。

 

「『異端児(ゼノス)』にははっきりとした自我と感情、つまり『心』がある。喋ることだって可能だ。極論、人間と同じ『知的生命体』だな」

 

 路地裏に潜むフェルズと『異端児(ゼノス)』達に聞こえてくるレインの声。なりふり構わずレインの口を塞ぐ機会(チャンス)はとっくに潰え、彼等は成り行きを見守ることしかできない。

 

(レインは『人造迷宮(クノッソス)』の存在を知っていた? それどころか【ロキ・ファミリア】も普通に『人造迷宮(クノッソス)』の名称を口にしていた。いったいいつから……いや、この際どうでもいい。レインはもう味方ではない、そう断定しなければならない)

 

 『人造迷宮(クノッソス)』の情報を伝えていなかった。前もって知ってさえいれば、ウィーネが地上へ飛び出す時にも対応できただろう。何匹かの『異端児(ゼノス)』はその考えに至り、レインへの悪感情を抱いてしまった。これだけでも裏切りに等しいというのに、今も絶対に秘匿しなければならない筈の『異端児(ゼノス)』の情報を赤裸々に語っている。

 

 理知あるモンスターの存在は、決して明かしてはならないものだ。

 

 喜怒哀楽の『感情』がある? 意思疎通が可能なほどの『知性』がある?  人間に襲い掛からない『理性』がある?

 

 この場にいる人類は、【ロキ・ファミリア】は一人として違わず、同じ意志を持つ。

 

 ()()()()()()()

 

 仮に張本人(モンスター)が偽りない切実な願いを訴えていれば違っただろう。しかし、口を開いているのはなすがままの竜の娘(モンスター)ではなく同族(じんるい)だ。仲間を傷つけた『(レイン)』だ。

 

 『敵』となった同族が語る異端の『人類の敵(モンスター)』に、誰が良い感情を抱くだろうか。誰が悪感情を捨てずにいられるだろうか。

 

「なんて、おぞましい……!」

 

 あまりの事態に沈黙の僕となっていた一人、潔癖なエルフであるアリシアは嫌悪感を隠さずに呻いた。他の団員もにわかに騒めく。

 

「貴方は、人の言葉をモンスターが(かた)っただけで、汚らわしい怪物が人間に見えるのですか? 怪物を庇うために、同胞を簡単に殺せるのですかっ!?」

 

 彼女の叫びはリヴェリアを含むエルフ達だけでなく、【ロキ・ファミリア】の総意だった。彼等彼女等は都市の最大派閥。『遠征』で何度も仲間を失った……モンスターに何度も仲間を殺された。【ファミリア】に入るきっかけが家族や恋人を奪われたことだった者もいる。

 

「では質問だ、行き遅れエルフ」

 

 【ロキ・ファミリア】のエルフないし数名がこう叫ぶと()()()()()()レインは、あらかじめ用意していた問いを投げかける。

 

「その辺に転がってる奴等は直接手を下してないとはいえ、俺が殺したようなものだ。しかし、そいつらは何故死んだ?」

「それはっ、貴方が『魔法』で住人を怯えさせたから――!」

「違うな。そいつらがここにいたからだ」

 

 エルフの咄嗟の言葉を、レインは断定の声音で斬り捨てる。

 

「一つの命が奪われる瞬間を見たいと考える奴を、俺は屑だと思っている。俺の中で屑は殺しても問題ない。そいつらは何故ここにいた? モンスターに危機感を抱いた奴はとうの昔に逃げている。答えは単純(シンプル)、そいつらがモンスターが殺される光景を目にして楽しみたいと思う異常者だからだ」

 

 絶句する。迷いなく人が死ぬことを肯定し、モンスターを庇うような発言にその精神を疑った。

 

「詭弁だ! 亡くなった人々が『楽しもう』などと考えていたと決めつけるな! それに、怪物が死ぬことを喜んで何が悪い! 怪物はっ、モンスターは『敵』だ!」

「お前等の『モンスター』は何だ? 殺傷力のある爪牙(そうが)があればモンスターか? なら獣人はモンスターだ。それとも人を殺せればモンスターか? じゃあ人類にはどのくらいモンスターが混ざっているんだ? はたまた万物を蹂躙可能な存在か? だったら神の眷属は全てモンスターだ」

「そ――」

「そもそもだ。勝手に怯えて、勝手な思い込みで他者を傷つけ、殺せる人類の方が怪物よりずっと醜い。お前等はどうだ。一度もモンスターを殺すことを楽しまなかったと言えるか? 命を奪う冒険者が正しいと断言できるか?」

「ッ……」

「命の違いなんてどこにもない。怒りに、憎しみに、殺意に従って命を奪った時点で、そいつは『悪』だ」

 

 突き付けられる幾多もの『現実』。全て戯言だと目を逸らすのは容易い。けれど、エルフの矜持が逃げることを許さない。

 

 自分の倫理観と常識が崩れていく。レインの腕の中にいる『異端児(モンスター)』は雄叫びも叫喚も上げない。ただただ怯えるようにこちらを見つめ、縋るものがこれしかないように男の腕を握る。そこにいるのは討つべき怪物ではなく……大人である自分が手を差し伸べるべき子供だ。

 

 人類の奥底に眠る怪物への嫌悪と恐怖。けれど感じない忌避感。瞳から涙を零し嗚咽を漏らす少女に目を瞑り、耳を貸さず、剣を振るう己の姿を幻視する。

 

 思考がままならない。生じ続ける矛盾と背反する感情がアリシアの心を圧迫し、粉々に砕く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「茶番だね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――その寸前。

 

 時間を得た黄金色の『勇者』が窮地の仲間を救う。

 

「レイン、君の問い掛けには『穴』がある」

「……」

「理知あるモンスターを処分しようとする僕達を責める言葉と、『ヴィーヴル』を庇った事の衝撃(インパクト)で誘導されていたけど……君自身は一度もモンスターを庇う発言をしなかったね」

「……」

「その『ヴィーヴル』は『人造迷宮(クノッソス)』から現れた。君の能力なら未然に防げたし、地上に出たら最悪だと理解している筈。――本当はそのモンスターを守るつもりなんてないだろう?」

 

 フィンは未だにレインの『真意』を掴みかねている。これまでのレインの言動は滅茶苦茶(ちぐはぐ)だ。思考の時間を与えないために『異端児(ゼノス)』の存在を明らかにしたかと思えば、今度はアリシアを標的にしてフィンに猶予を与える。

 

 今の指摘も意味があるかはわからない。市壁を背にする東側の民家の陰に潜んでいる集団に、一時的にレインだけを共通の『敵』とみなすと伝えたつもりだが、通じているかは不明。屋根の上で黙りこくっている【フレイヤ・ファミリア】も不気味だ。急がなければ、避難した住人達が戻って来る可能性もある。

 

 そんなフィンの内心を読み取ったのか――パチパチパチ、と。

 

 レインは乾いた称賛をする。

 

「お見事、正解だ」

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

天才(オレ)の考えを僅かでも見抜けた褒美に教えてやろう。俺の『目的』である下界崩壊の計画(シナリオ)を」

 

 拍手をやめたレインの口から語られる計画(シナリオ)は――唾棄、軽蔑、失望をどれだけ重ねても足りないほど悪辣だった。

 

「こいつらは計画の要になっていた。ただのモンスターでは思い通りに動かせない。調教(テイム)したモンスターも意味がない。そこのエルフが言った通り、今日に至るまで言葉が通じなかった『人類の敵(モンスター)』が喋る。これほど計画に相応しい存在はいなかった。信頼関係を築いて何度も地上に出そうとしても失敗に終わっていたが……それもいい経験になった」

 

 異端の怪物達の信頼を踏みにじり、

 

闇派閥(イヴィルス)を操るのは容易かった。『蘇生魔法が使える』って噂を流しただけで、あっさり俺に寝返った。発動条件も説明してないし、使うなんて保証はしてないのになぁ。あんな紙より軽くて薄っぺらい覚悟で、よく『死んでも自分は愛した人を覚えてる』なんて抜かせたもんだと……一周回って感心したよ」

 

 悪魔(レイン)にしか叶えられない願いを持つ死の眷属達の想いを嘲笑い、

 

「デメテルは凄いと思えたよ。俺の言うことを何でも聞くから、黒幕(エニュオ)に捕らえられた眷属を助けてくれって土下座したんだぜ。ダンジョンから『黒いモンスター』を連れてくるのに従順な神は欲しかったから丁度よかった。眷属は『人造迷宮(クノッソス)』に初めて侵入した時には拾えたし、黒幕(エニュオ)の正体もとっくに知ってたけど、裏切らないか確認するために一ヶ月様子見してたが使いすぎた。反省反省」

 

 眷属()を思う女神(おや)の愛すら利用し、

 

「『【ロキ・ファミリア】が怪物の手を取った』ってな感じの情報を、この後でフィンの名前で世界に発信予定だ。迷宮都市(オラリオ)が吹っ飛んでモンスターが跋扈するようになれば、大半の人間は『強者』である『自分以外の誰か』に頼らざるを得ない。人類の守護者代表みたいな【ロキ・ファミリア】がモンスターと手を組んだと知ったら……どうなることやら。罵倒しながら守れって命令してくる姿が想像できる」

 

 人類のモンスターに対する憎悪と恐怖を弄び、

 

「偶に優しい俺は選択肢を用意してやったぞ。選ぶのはフィンと決めているがな。天地がひっくり返っても不可能だが、あくまで俺を倒そうと言うなら……お前だけ残して【ロキ・ファミリア】を鏖殺(おうさつ)しよう。『仲間を全て失っても戦い続ける【勇者(ブレイバー)】かっこいー』と言われて名声(にんき)爆上がりするかもしれんぞ? もう一つは先刻(さっき)も言った通り、『異端児(モンスター)』と仲良くなった的な情報を世界に発信することだ。そうすれば誰も死なない、お前の名声が地に堕ちる可能性大だけどな。もしかしたら、怪物(モンスター)と融和を結んだ前代未聞の第一人者として称えられるかもしれんし、俺はこっちを勧めるぞ?」

 

 『勇者(フィン)』の生涯(すべて)と仲間の命を秤にかけて愉しむ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、選べよ。とっとと選べ。今すぐ選べ。俺は優しいが、気は短いぞ。一分待ってもお前が答えを出そうとしないなら、俺はお前が前者を選択したと捉えるぞ?」

 

 ――『悪』だ。

 

 ――この男は、どこまでも『悪』だ。

 

 【ロキ・ファミリア】の団員は荒くなりそうな呼吸を制し、意識を飛ばさないようにするのが精いっぱいだった。それほどまでに今のレインは()()()()

 

 心を温かくするはずの笑みが、僅かな違いで身体を凍てつかせるのだと、魔導士の少女は初めて知った。人の本性ほど『未知』を秘めたものはないと、凡人と呼ばれる男は思い知った。

 

 けれど。けれども。

 

 それ以上の怒りが、【ロキ・ファミリア】を動かす原動力となっていた。

 

 仲間の仇を知っていながら伝えなかった。救える命が目の前にあるのに見捨て続けた。慈悲深い女神に不敬な真似をして悲しませた。目の前で罪なき命を散らせていながら、その責任を転嫁した。敢えて生かすことでより苦しめようとした。

 

 命をもって、非道を償わせる。地獄に落として、永遠に罪を償わせ続ける。

 

 【勇者(ブレイバー)】の指示を待たずして、その背中を慕う部下達は覚悟を決めた。戦友であるエルフの女王も、己の手で引導を渡そうと決意していた。仲間達の意図を汲み取り、計り知れない重圧と覚悟を背負う小さな【勇者(ブレイバー)】は徹底抗戦の光を宿した。

 

 ――もし。

 

 自ら『母』を名乗る酒場の店主がこの場にいたなら、首の骨が折れるほどの力で殴ってでもフィンに『降伏』を選ばせていただろう。もしくは、レイン以上に『仮面』を被ることに慣れている女がいたら、彼の『真意』を余さず暴いていただろう。あるいは、【フレイヤ・ファミリア】以外の誰かが微かに震えるレインの手に気付けていれば……結末は変わっていただろう。

 

 俯けていた顔を上げるフィンを『悪の仮面』の奥から見つめる()()()()()()()()()()()()()レイン。そんな彼が最初で最後の読み違えをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「動くなぁ、レイン!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レインが読み違えた原因。自分が信じていたリヴェリアを、彼女が信じていた団員が裏切った。それだけを予測できなかった。

 

 声がした方向へ眼だけを動かす。

 

 大切な人(フィーネ)がいた。頬を赤く腫らして、閉じられた瞳から水の宝石を流して、首に添えられたナイフで白い肌を血に汚されながら。

 

 ナイフの持ち主の肩を見る。こちらを滑稽だと馬鹿にするように笑う、道化師のエンブレム。

 

 バキリ。奥歯が砕けた。どうでもよかった。

 

 誰かが誰かの名を呼んだ。どうでもよかった。

 

「……あの時……全部消してしまえばよかった……」

 

 唇が呟きを零す。

 

「【竜戦士化(ドラゴンモード)】」

 

 終焉の竜に変貌する最強の禁句を。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 ギシリ。

 

 どこかで何かが軋む音がした。

 




 レインは都合のいい希望にすがりません。
 レインは最初からモンスターに忌避感を抱かなかった訳ではありません。
 フィーネは外に出て見つけた怪我をしている子供を治療院に連れていき、そこで【ロキ・ファミリア】で最初に彼女を傷つけた団員と出会いました。


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六十四話 『悲劇』の始まり

 ごめんなさい。作者の頭が悪いせいで一週間投稿ができなさそうです。成績がマジでヤバイです。最低でも月に二回は投稿したい。


 ・フィーネを人質にした【ロキ・ファミリア】の説明。

 彼は【ロキ・ファミリア】に入団できたことを誇りに思っていました。年齢や種族に関係なく仲間には平等に接していましたが、徐々に性格が歪み、派閥の仲間以外を馬鹿にするようになりました。例えば入団希望者に難癖を付けて追い返すなど。

 原因は【ファミリア】に対する歪んだ愛。それ故に、レインの影響を受けて変わっていく【ファミリア】に不満を持つようになり、レインには敵意を持つようになりました。嫉妬したと言ってもいい。

 そこに現れたレインの大切な人であるフィーネ。リヴェリアに注意を受けてから危害を加えはしませんでしたが、『豊穣の女主人』で水をすぐに飲みほして補充させる、メニューを選ぶのに時間をかけるといった陰湿な嫌がらせはしていました。最初は足をひっかけて転ばせる、といった嫌がらせをしましたが、積み重ねたリンゴ箱に隠れていたレインに睨まれてやめました(それでも嫌がらせとも言えない、身体を張った何かは続けた)。

 今回の騒動でレインが罪人になると知った途端、フィーネも始末できると考えました。彼にとっては直接手を下してなくとも、フィーネは仲間を殺した『敵』と同じでした。

 この短絡的な考えが悲劇を生むとも知らずに、男はフィーネを傷つけます。
 


 煮え滾るマグマの如き憤怒が臓腑を焼き焦がしている。

 

 黒い激情の言いなりになろうとする自分を理性(つよさ)が押さえつけている。

 

 ――このまま力を振るうものなら、守るためではなく殺すための殺戮を重ねる。それは忌避し続けた醜い獣へ身を堕とすことであり、フィーネが最も嫌っていた存在になるのと同義だ。彼女を理由に罪を犯す気か? この惨劇でミア達が彼女を見捨てるかもしれない。彼女を独りにして、悲しませるつもりなのか?

 

 感情(よわさ)が狂おしいほど猛っている。

 

 ――だったらなんだ!? もう引き返せない! 既に俺は大罪人、繋がりがあるフィーネを(ごみ)どもは絶対に狙う! そんな真似を考える余裕が消し飛ぶほどの恐怖と絶望を与えるべきだ! 半端な慈悲を見せれば奴等は付け上がるっ、その結果がこれだ! 彼女の為に、彼女を傷つける『敵』は全て滅ぼす……俺が力を求めてきたのはこの時のためだ、救う命と切り捨てる命を選ぶ強さ(けんり)を手にするためだ!

 

 永遠に等しい時間の狭間でもっともらしい言葉が渦巻く。

 

 全てが嘘で、建前で、虚飾だ。答えは最初から目の前にある。

 

 ()()

 

 初めて雨の日の(よわかった)自分以外に憎悪を抱いた。人も世界も何もかもを壊してやりたいと思った。目に映る全てに殺意が沸いた。

 

 フィーネを傷つけた塵がこの世界で生きていることが許せない。塵がこの先も生を謳歌することを許さない。塵が今日を忘れて幸せになるなど許されない!

 

 本能が、心が、魂が。黒い炎を纏って雄叫びを上げている。慈悲を捨て去り、狂い果て、全てを滅ぼせと叫んでいる。

 

 彼の逆鱗(たいせつ)に塵が汚い手で触れているのを見るだけで腸が煮えくり返る。塵の意味を成さない濁った声に血潮が燃え盛る。フィーネの涙に漆黒の衝動が全身を駆け巡る。

 

 視界が赤い。突き抜けた怒りが瞳から血を吐き出している。もしかしたら、その血は彼の中に残っていた『優しさ』や『甘さ』だったのかもしれない。

 

 ――フィーネを害した。獣に堕ちる理由は十分だ!!!

 

 感情(よわさ)が象った竜が、理性(つよさ)の鎖を引き千切る。彼を縛るものはもう何もない。

 

 黒い戦士の内に封じられていた最凶最悪の怪物が産声を上げた。

 

 『悲劇』の幕が、今……開かれる。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「――【竜戦士化(ドラゴンモード)】」

 

 軽くうつむいたレインの呟きはとても小さかった。レインの問答が狂気を含んでいた影響で大きく聞こえたせいかもしれない。それなのに、【ロキ・ファミリア】の中で聞き逃した者は一人たりともいなかった。【ヘスティア・ファミリア】と『異端児(ゼノス)』達も。

 

 誰もが動きを止める。フィーネにナイフを突き付け、レインに向かって偉そうに大喝していた男も口を閉じ、怪訝そうな顔をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レインの背中が()()()()()。皮膚と服を突き破って生えてきたのは二本のどす黒い肉の触手。二つの触手はうねりながらその身を伸ばし、ある程度まで伸長すると分裂した。枝分かれした細い触手と大元の触手は更に伸び続け、七M(メドル)程の長さで止まる。

 

 触手はそこから()()()()。枝分かれした触手から発生する灰色の肉膜は、大元の触手の先端と根元の間を埋めるように広がり、繋がる。硬質化したことを伝えるように、黒い触手は光沢を纏う。

 

 ベルは気付いた。あれは()()()だ。先の見えない暗闇のように黒い触手は骨格であり、灰色の肉膜は大翼の皮膜なのだと、皮肉にも竜の少女(ウィーネ)の変貌を見せつけられた少年だから気付いてしまった。

 

 ボコリボコリという人の(かたち)が歪む音は止まらない。バキバキバキィッ! という人の(すがた)が砕ける音は鳴り止まない。レインの変化は終わらない。

 

 手袋が裂ける。露わになるのは、黒曜石のような体皮となっている鋭利な手。あらゆるものを両断し、万物を貫く『竜の爪』。

 

 腕と足の袖が破られる。長い四肢と胴体を覆いつつ、ささくれ立った黒色の鱗。竜の急所を守るために堅牢の極致へ至った『逆鱗の鎧』。

 

 腰から黒い何かが生える。高熱を宿す蒸気を放ちながら、紅色の液体を滴らせて這い出てくるのは十M(メドル)を超える爬虫類の尻尾。鞭よりしなやかでありながら大剣や大戦斧以上の破壊力を秘める『竜の尾』。

 

 変わるのはレインだけではない。まるでレインの変貌に引きずられたかのように、雲一つなく晴れ渡っていた青い空には、今や一片の光も通さない暗雲が見渡す限り広がっていた。雲と雲の狭間で雷光が荒れ狂い、雷鳴が轟いている。

 

 一瞬にして迷宮都市は闇に飲まれ、とあるエルフは絶望が希望を喰い尽くそうとしているように感じた。

 

「……本当に愚かだなぁ、道化の眷属達。お前等みたいな雑魚に、本来なら逆らう資格も吠える資格もなかったのに……。せめてもの慈悲で、手足を削ぎ落として肯定しかできない人形にはしなかったというのに……」

 

 ただ喋っているだけなのに空気が震える。レインから発せられる、空間が歪んでいると錯覚してしまうほどの威圧感(プレッシャー)のせいだ。……これがただの存在感であり、彼の本気の威圧は自分達を肉塊を通り越して血溜まりにすると知った時、【ロキ・ファミリア】は何を思うだろうか。

 

 ゆっくりとレインの面が上がる。暗影に塗りつぶされていた都市を切り裂く一条の雷霆が、その全貌を明らかにした。

 

 額には純黒の『竜角』が生えていた。耳元まで裂けた口から覗く歯は鋭くとがった『牙』となり、人の口は『竜の(あぎと)』へと変わり果てている。

 

 光の恩恵を与えた雷が消え去り、再び闇に包まれた世界の中で、レインの真紅に染まった右目――()()だけが禍々しく、獰猛に、鮮烈な輝きを放っていた。

 

「黒い…………隻眼の…………竜…………」

 

 英雄譚に綴られた一節。怪物達の頂点たる『竜種』。最強の大英雄が命と引き換えに片眼を奪い、追い払うことしかできなかった竜の王。

 

 白髪の少年と金髪の少女と黒髪の女神は、竜の威光で成り立つ村を知っていた。(いにしえ)の竜が討たれればその村が崩壊してしまうことも。その村が成り立っていることが、竜が生きている証明だとも。

 

 なのに。

 

 三人は直感した。あれが、あれこそが『隻眼の黒竜』。

 

 生きる災禍、黒き終末、世界の終焉!

 

「全部、ぜんぶ、ゼンブ――消え失せろ」

 

 いつの間にか(レイン)の腕に抱かれている財宝(しょうじょ)人質()を失い硬直する一部の【ロキ・ファミリア】。人と竜の少女を魔法結界(マジックシールド)で包み込んだ竜は(あぎと)を開く。

 

 竜の口腔で輝く小さな紅光炎(クリムゾン・フレア)。臨界まで蓄力(チャージ)された竜の息吹(ドラゴン・ブレス)

 

 密かに【ヘスティア・ファミリア】の背後の建物に回り込んでいた『異端児(ゼノス)』達が生存本能を刺激される攻撃の前触れを察知し、畏怖で動けなかった【ヘスティア・ファミリア】を建造物の裏に引きずり込む。

 

 【ロキ・ファミリア】も、覚醒直後の四名を含んだ第一級冒険者だけが動けた。すぐ傍の団員を掴んで屋根から転げ落ちるように建造物を盾にする。オッタル達はとっくに身を隠していた。

 

 直後。

 

 何もかもを灰燼に帰す灼熱の光が、解き放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!??』

 

 直径二〇C(セルチ)に満たない光球。58階層に生息する砲竜『ヴァルガング・ドラゴン』の五M(メドル)を超える大火球に比べれば、あまりにも貧弱に見える規模(サイズ)

 

 しかし、その光球は()()()()()()()()()残光しか視認できない速さで飛翔する。人の身体に竜の力を宿した故に、レインの竜の息吹(ドラゴン・ブレス)は拡散しない。全ての破壊力を一つに凝縮し、射出される。

 

 衝撃波を振りまきながら突き進む竜の砲撃は無慈悲だった。直撃しようが僅かに触れようが、等しく人の身体を蒸発させる。『灰』という何かが存在していた証も遺させない、モンスターよりも惨たらしい最期。死んだ者は最期まで何が起きたのか理解できなかっただろう。

 

 石造りの建造物を紙屑のように貫通していく竜の炎弾。炎弾は貫いた物体に破壊(あか)の爪痕を刻み付けて進んでいき、爪痕を刻まれた物体は獄炎(えんごく)徒花(あだばな)となって爆散し、絶望の花弁をまき散らす。

 

 悲鳴、絶叫、阿鼻叫喚。それらは全て爆発音に掻き消される。劫火の舌は、人の命も断末魔も貪欲に貪った。誰かの名前を呼ぶために息を吸おうとした者は、肺と喉を焼かれて息絶えた。無念の涙と亡骸は、劫火の舌に飲まれて消える。

 

 一撃。

 

 たった一撃で万を超える命が奪われた。

 

 建物を盾として使い、目と口を塞いで熱波と衝撃波を凌いだ【ロキ・ファミリア】、【ヘスティア・ファミリア】、『異端児(ゼノス)』は目の前の光景――黒き竜に蹂躙された地獄絵図を見て、残酷な現実と隔絶した力の差を理解した。

 

 同時に、レインの()()も。レインの言ったことは本当だった。彼はいつでも蹂躙できたのだ。それでも力を使わず、言葉だけで相手をしていた彼は『優しかった』。

 

 もう時間は戻らない。もう一度やり直すことはできない。彼等は抗いようのない破滅の道を選んでしまっている。

 

 フィンは溶接されたように動かない口をこじ開けて、何かを叫ぼうとした。徹底抗戦の意志は那由他の彼方へぶん投げた。きっと「逃げろ!」とか、「撤退するぞ!」といった類の言葉だった。

 

 指示を飛ばそうとした矢先。北東の市壁を越えて突き進んでいた炎弾が名もなき山脈に着弾した。

 

 次の瞬間。

 

 ()()()()()()()()()

 

 比喩抜きに世界が揺れる。激しく視界がブレる。絶叫を上げる暇もない。

 

 武器を壁に突き刺して耐え凌いだフィンの目に映ったのは、遥か遠くの大地で燃え盛る太陽。一部が爆砕した市壁から見えた凄烈な爆炎に、フィンは目を()かれた。竜の業火に心を焼かれた者の手から武器が滑り落ちる。

 

「【デストラクション・フロム・ヘブン】」

 

 炭化した心を木っ端微塵にする追い打ち。

 

 絶望の暗雲から降り注ぐ破壊の鉄槌。極光の雷は百M(メドル)を優に超す迷宮都市の壁……『古代』の人類が築き上げた巨大壁を欠片も残さず消滅させた。

 

 都市の外へ逃げ出そうとしていた人々の足が止まる。市壁の跡は、不可視の檻に変わり果てていた。

 

 オラリオの人間、子供から老人に至るまでが思い知らされる。

 

 ――もう誰も生かさない。

 

 世界の絶対者が掲げる『滅亡』の判決を。

 

「……フィン・ディムナ。君が愚かではないのなら、今だけは我々を仲間と認めてほしい」

「……モンスターの統率者。いや、神ウラノスの遣いか」

 

 呆然としていた勇者の背後に優秀過ぎる『賢者』が立つ。

 

「そうだ。事態は人類だけで解決できる範疇を超えている。人類と怪物、敵同士でも手を組まねば生き残れない。……レインを倒すことは、それこそ世界が滅びるよりあり得ないと思ってほしい」

「……何なんだ、レインとはいったい何者なんだ!?」

 

 八つ当たりにも似たフィンの絶叫。黒衣を揺らすフェルズは感情を排した声音で答える。そうしなければまともな声にならないから。

 

「【ステイタス】の能力値(アビリティ)合計(トータル)50000オーバー。『精癒』、『治力』、『耐異常』等の発展アビリティの評価は最高。更に【ステイタス】の成長速度を底上げし、尚且つ自動的に更新する『スキル』を所持している」

 

 竜の真紅の瞳がこちらを射抜く。それだけで激しく震えだす骨の身体。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そして……たった一人で『黒竜』を倒した、正真正銘、世界最強のLv.9だっ!!!」

 

 『悲劇』はまだ始まったばかりだ。




 ぶちぎレイン。
 今のレインの左目は仮面のような鱗に覆われてます。


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六十五話 『絶望(黒竜)』の力・『憎悪(レイン)』の力 上

 お久しぶりです。レインの蹂躙劇は二、三話に分けます。

 レインがチートです。補足説明はあとがきに。納得してもらえるかはわかりませんが、どうぞ。次はいつかな……。


 火の海。混沌。冥府。

 

 表す言葉がそれしかない惨状を生み出しておきながら、彼の心は揺るがなかった。

 

 実は、彼が怒りに任せて暴れたことは何度もある。友人を殺された、年端もいかない少女が凌辱される瞬間を目撃した、人の尊厳を徹底的に貶める屑を見つけた……彼は己の地雷を踏み抜いた者に躊躇や容赦をしない。それどころか即死させず、より恐怖を煽って苦しんで死なせるような残虐性だってある。

 

 しかし、彼は罪なき命を巻き込むことだけは……理不尽な暴力を振るうことはしなかった。大義のある殺戮なら正義、などという言葉は言い訳に過ぎない。とどのつまり、彼が蛇蝎のごとく嫌う弱さであり、雨の日に捨てた虫も殺せぬ甘さの残滓だった。

 

 だが……今の彼は違う。

 

 万を超える人を殺しても何も感じない。相手が屑でも命を奪った時には心が僅かなりとも痛んだのに、辛いとも、悲しいとも、楽しいとも思わない……もとより喜怒哀楽の内、『喜』と『楽』は雨の日に失っているのだけれど。竜が地を這う虫を踏み潰しても気に留めないように、自分もそうなっているのだろうと理解した。

 

「……………………ぁ……」

「!」

 

 黒鱗に覆われた竜の耳が最愛の少女のか細い声を拾う。間髪入れず撃ち出そうとしていた二発目の光球を飲み込み、結界の中の少女に駆け寄る。

 

 少女の呼吸が不規則になっている。顔の傷は木っ端(てき)から奪い返すと同時に治療したため無関係。彼にとって児戯に等しい能力であっても、竜の息吹(ドラゴン・ブレス)は天を裂き大地を砕く力。その衝撃で意識を失っていた少女が目覚めるのは当然のことだった。

 

 駆け寄った彼は結界の中に手を入れ、人と竜の少女に睡眠系の『魔法』を使う。怯えを隠せずにいた竜の少女はたちまち深い眠りに落ちてゆき、人の少女も再び眠ったことで呼吸が規則的なものになった。

 

 彼が睡眠魔法を使ったのは『少女達に悲惨な光景を見せたくない』や、『暴れる自分を見てほしくない』などという理由からではない。この二人に『もうやめて』と懇願されてしまえば、きっと自分は逆らえなくなる。道理(優しさ)を見失っていたいのに止まってしまう。その確信がある故の、どうしようもなく身勝手な願い。

 

 しかし、少女が目覚めかけたことで、彼は微かに理性を取り戻す。

 

 このまま蹂躙することは変わらない……が、全てを滅ぼしては駄目だ。彼女を託せる者は殺してはならない。敵の為ではなく、彼女の為に本気を出さない。それなら力を抑えられる。

 

 彼は自分を冷酷な人間だと自負している。

 

 彼は知っていた。彼女が背負っている『宿命』が何なのかも、自身の育ての親が彼女を見殺しにしたもう一つの理由も、()()()()()()()()()世界がどうなってしまうのかも。

 

 それでも彼は少女を選ぶ。世界と一人の人間を秤にかけられようが、一切迷わず世界を切り捨てる。冷酷、残虐、非道、悪辣、狂気。数えきれない命の選択を前にして迷わない人間は正常じゃない。完全にイカレている。

 

 『一人の少女の為に世界を敵にする』なんて、聞こえが良いだけの狂言だ。

 

 彼は『悪く思うな』と口にしない。彼は『恨まないでくれ』と願わない。彼は『許してほしい』と思わない。自分が『悪』だと理解してるから。自分が『善』ではないとわかっているから。

 

 誰かが彼に『君には世界を救える力がある』と言った。彼はその言葉を否定する。

 

 彼には世界を滅ぼす力はあるが、世界を救える力はない。彼は自分がそれほどの器ではないと弁えている。彼は救うことが殺すことよりずっと厳しく辛いのだと、嫌というほど思い知っている。

 

 だから彼は世界を見ない。世界の全てを滅ぼす力を、一人の少女を守ることに使う。

 

 彼女の為に。彼女が生きることを許されるために。

 

「………………レ、ィ……………………………………………………」

 

 意識なき少女のか細い声に、彼は聞こえないふりをした。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「正確に言うならば、レインは『黒竜』を殺したわけではない」

 

 取り乱すことなく冷静に聞いているフィンと違って、今にも「冗談も大概にしろっ!」と叫びそうな【ロキ・ファミリア】の下位団員に、フェルズはこんな状況にも関わらず同情しながら言葉を重ねる。

 

「……レインが『黒竜』の力を使えているのは?」

本人(レイン)は『黒竜』の喉を潰し、両前足を斬り飛ばし、角をへし折り、胸の肉を『魔石』が露出する寸前まで抉り、全身の鱗を六割がた削ぎ落としたところで逃げられたと言っていた。侮辱になるが、『古代』の英雄が片眼を奪うだけで『黒竜』を追い払えたのは、『黒竜』が激痛を感じるほどの傷を負ったことがなかったのが大きい」

 

 フィンの質問に関係があると思えない内容の話。回りくどいフェルズにフィンは少しイラッとした。 

 

「……」

「『竜種』という存在は特殊だ。数ある同族(モンスター)の中でも最強の潜在能力(ポテンシャル)を誇り、高い知性もある。だからこそ、竜に敗北と逃走は許されない。【ガネーシャ・ファミリア】に調教された『竜種』もあくまで従順になっているだけ。敗北を認めることは彼等にとって死に等しい」

 

 燃える民家から上がる黒煙がレインからフィン達の姿を隠す。情報を共有するフェルズとフィンの近くでは、リヴェリアとレフィーヤが防護魔法の詠唱に入っている。都市最高の魔導士の師弟は、自分達が多大な精神力(マインド)を削って上昇付与(バフ)の重ね掛けをせねば戦えないと直感していた。

 

「推測になるが『異端児(ゼノス)』は人類の魂が生まれ変わるように、モンスターの魂が迷宮に還ることで……それも強い感情を抱くことで生まれる。『黒竜』は敗北を認めざるを得ない恐怖をレインに植え付けられ、魂をレインに吸収されたのではないか――強引だが、我々はそう考えている」

「本当に強引だね。魂を奪われているなら『黒竜』は死んでないとおかしいだろう? それにその結論は『(レイン)』から与えられた情報ありきだ。嘘の可能性の方がずっと高い」

 

 腹立たしいほど上手い思考誘導(ミスリード)。気付けば湧いて出てくる『布石』の種。既にレインの在り方を解析できなくなっているフィンは苛立ち交じりにそう吐き捨てる。

 

「その通りだ。狐人(ルナール)の『殺生石』といった禁忌の道具(アイテム)を除けば、魂が肉体と乖離していながら生命活動を可能にする道具も状況もないはずだった。だが、『黒竜』を倒したのがレインであることが話を大きく変える」

 

 フェルズも否定しなかった。黒いローブの中に隠し持つ魔道具(マジックアイテム)を吟味しながら――使える物は渡しながら――話を続ける。

 

「どういうことだ?」

「レインに発現している成長速度上昇と【ステイタス】自動更新、加えてあらゆる魔法を模倣(コピー)する効果を持つ、強力無比の『レアスキル』。その名は【憎悪魂刻(カオスブランド)】。レインが自分を憎み続ける限り、この『スキル』は効力を発揮し続ける」

「……なるほどね。人造迷宮(クノッソス)の『鍵』の捜索の為にリヴェリアからレインの過去を聞いてLv.がおかしいと思っていたけど……そういうことか」

 

 四年。フィンが推定するレインが『神の恩恵(ファルナ)』を授かってからの戦歴(レコード)。たった四年で、それも迷宮都市(オラリオ)の外でLv.9――偽りのLv.5でも十分ふざけている――まで【ランクアップ】できた絡繰りを理解する。何の慰めにもなりはしないが。

 

「レインの武器、魔剣《ルナティック》も要因の一つ。あの魔剣が”傾国の剣”の忌み名で呼ばれる所以(ゆえん)となった『使用者を必ず狂わせる呪い』と『対象を選別する不可視の斬撃』。後者には隠された能力がある」

 

 隠された能力。その言葉を聞いて、フィン以外の数名が絶望で顔を歪めた。『下層』で『マーマン』の群れをすり抜けて『マーマン・リーダー』だけを斬った遠隔攻撃。『深層』では追尾機能(ホーミング)すら見せた斬撃(アレ)にまだ能力があると知れば、絶望するのも仕方ないだろう。

 

「空間、神の血を媒介にした『神の恩恵(ファルナ)』の繋がり、魂そのものといった概念をも切断する。物理的な距離を無視し、第一級冒険者を強制的にLv.0に成り下がらせ、神だろうと当たれば一撃で屠れる能力だ。()()()()レインだから扱えるが、レインだからこそ使われない権能」

「『狂えない』……っ!? まさか、【憎悪魂刻】は――」

「そうだ。『スキル』として発現したレインの憎悪。()()()()()()()()()()と思っているレインは、『スキル』の副次効果で決して狂えない。神フレイヤの『魅了』を『発情した動物みてー』で済ませてしまうほどの精神作用……!」

 

 ド真剣(シリアス)な声音で会話をするフェルズとフィン。周囲の心が折れかかっていた団員達が一瞬、冷めた視線を送ったが、有能な魔術師(メイジ)と冒険者は誰よりも危機感を募らせていた。

 

 正気及び理性の有無。フィンが戦意高揚魔法(ヘル・フィネガス)を安易に行使できないのは、命のやり取りにおいて理性が最も重要だからだ。状況判断、技の精密、駆け引き。本能のままに暴れる格上のモンスターは、理知を宿す冒険者(かくした)に幾度となく敗れてきた。

 

 レインの判断能力を奪えない。そもそも、あらゆる『魔法』を吸収する『スキル』を持つレインに異常魔法(アンチ・ステイタス)は通じない。『呪詛(カース)』なら可能性はあるが、使い手があまりにも少なすぎる。……力を削って弱らせることができない。

 

「レインが『黒竜』の魂の一部(憎悪)を切り落とし、憎悪を己の魂に刻み付ける『スキル』で吸収した。詳細は不明だが、これでレインが『黒竜』の力を振るえる理由に筋は通る」

『……』

 

 盾を持つドワーフの壁役(ウォール)、詠唱を完了させ『魔法』の待機状態へ移っているエルフの魔導士、フェルズの魔道具を預かった獣人のサポーターの誰もが『(レイン)』の強さと過去に絶句する。

 

 フェルズが話すべきこと全てを語り終えるまで優に一分が経過している。なのに追撃が来ないのは、こちらが必死に練り上げた策略を叩き潰して終わらせるために見逃しているのだろう、とフェルズは察していた。察していたからこそ、回りくどくなっても伝えなければならない事実を伝えられた。

 

「レインには勝てない。逃げることも許されない。我々が生きる道は唯一つ……奴の『弱点』であり、『逆鱗』でもある少女に説得してもらうしかない」

「……どちらが正義かわからなくなるなぁ」

「レインも『弱点』……フィーネと我々が接触できぬよう対策はしているだろう」

 

 自分達が傷つけた人物に助命を請う。なんて虫がいい話だろうか。レインは、大切な人を傷つけられたことに怒っているだけなのに。

 

 自らの状況を自嘲しつつも、フィンは【勇者(ブレイバー)】だった。フェルズ同様に打ち出すべき指針を提示するために、これ以上仲間を死なせないために、思考を燃やして加速させる。 

 

 ――彼等は最大限レインに対する警戒度を上昇させたつもりだった。が、未だに彼等はレインを甘く見ていた。

 

 何かできると思考できる状況に疑問を抱いていない。何かできると希望的観測をしている時点でレインを舐め腐っている。『天才』を見下している。

 

 『黒竜』との死闘を除き、レインは常に『制約』を自身に掛け続けてきた……いや、()()()()()()()()()。だからこそレインは【ランクアップ】ができたのだが。

 

 幼少の頃からLv.8の動きを追える動体視力。【ランクアップ】を重ねる度に、それは上昇し続けていった。()()()()()()()()()()()()

 

 故にレインは意識を身体に合わせる術を編み出した。Lv.6並みの身体能力しか使わないならLv.6並みの動体視力になるよう制限する、心技体を極めたものにしかできない技術。常時発動型である【竜之覇者】を抑え込めたのもこれのおかげだ。

 

 【竜之覇者(ドラゴンスレイヤー)】と【竜戦士化(ドラゴンモード)】、二つの『スキル』を総動員してようやく、今のレインの意識(こころ)身体(うつわ)は一致する。それだけレインの『才能』は異常だった。

 

 なにより。

 

「――【吹き荒れろ(テンペスト)】!」

 

 ここにいる憎悪を抱く者は、一人(レイン)だけじゃない。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 ――憎い。憎い、憎い、憎い!

 

「【吹き荒れろ(テンペスト)】!」

 

 ――誰か(わたし)の悲鳴が聞こえてくる。誰か(わたし)の泣く声が聞こえてくる。貴方(りゅう)がいるから止まらない。

 

「【吹き荒れろ(テンペスト)】ッ!」

 

 ――だから――殺さなきゃ。()()()()()()()

 

「【暴れ吼えろ(ニゼル)】!!」

 

 【剣姫】の始まり。レインと同じ、神の眷属となった瞬間から刻まれた憎悪(くろ)の『スキル』。

 

 【復讐姫(アヴェンジャー)】。【憎悪魂刻(カオスブランド)】同様、あらゆる眷属の中で最高位の効力を誇る『レアスキル』。効果は貪欲なまでの『力』の激上。対象は醜悪な『怪物(モンスター)』。

 

 そして……『スキル』が最も強く発揮される対象は最も憎い、残虐で悪辣な絶対悪の『黒き竜』。アイズが永遠に許せない存在。かけがえのない『悲願』。殺さねばならない終焉。

 

 金髪金眼の少女の全身から『漆黒の大嵐』が吹き荒れる。黒き気流が奏でる禍々しい旋律は聴覚を潰し、黒き暴風の疾走は燃え盛る竜の炎を踏み潰す。

 

 背中で燃える黒き炎の(しもべ)となるまま跳躍し、壁に着点。仲間が自分に向ける目が『化物』を見るものと同じになっていることに気付かぬまま、黒銀の矢となって己を発射する。その際に爆ぜた民家が仲間を傷つけたことにも気付かない。

 

 悲鳴を上げる大気を食い千切り、黒い光片が散る双眼で『竜』を見据える。憤怒、殺意、憎悪。少女の器に収まりきらない感情の咆哮を、剝き出しの闇を一振りの剣に込め、『竜』の心臓に突き出す。

 

 神速を超えた直撃刺突(ペネトレーション)。黒風に巻き上げられる砂が止まって見える世界で、アイズは見た。

 

 胸に《デスペレート》を突き立てようとして……刺さらずに黒鱗の上を()()()。同時に月の光にも似た銀の粒が飛び散った……()()()()()()()筈の不壊属性(デュランダル)の剣の欠片だ。

 

 『黒竜の鱗』。磨き抜かれた黒曜石のように見えるソレは、とても()()。堅牢の極致に至った鱗は(ヤスリ)と変わらない。武器も防具も、人の肉も骨も、平等に削り取る。鱗に対して正確な攻撃ができなければ、破滅の烙印を刻まれる。

 

 生身で攻撃すれば命は削られ、武器の攻撃に失敗すれば武器を破壊される。硬すぎるだけだった『漆黒のゴライアス』が可愛く見える、攻防ともに損傷(ダメージ)を強制する『反撃竜鱗(カウンタースケイル)』。

 

 十分な力と正確な技をもって、『竜』が反応できない速さで攻撃を叩きこむ。それが『隻眼の竜』を倒すための最低条件。大英雄アルバートが眼球という脆い部位の破壊を選ばざるをえなかった原因。

 

 レインにとって、アイズの攻撃は避けるまでもない。

 

 彼女の剣には速さが足りない、重さが足りない、鋭さが足りない。覆しようのない【ステイタス(ちから)】の絶望的な隔たりが、『竜』と少女の間にはあった。

 

 アイズには剣の破片が己の復讐心に見えた。お前如きでは無力だと、現実を突き付けられた気分だった。お前の復讐のための九年間は無意味だったと、虫ケラに向ける目が教えてきた。

 

「やはり……それは『精霊の風』だったか」

 

 緩慢な動きで振り返る『竜』は、黒風をそよ風でも浴びるように隻眼を細め、口を開いた。

 

()()を見せてやる。お前は精霊の力をまるで理解できてない」

 

 『竜』が両手を掲げる。

 

「【我に従え、怒れる炎帝】」

 

 右手から全てを焼き焦がす炎が溢れ――

 

「【我に従え、()()()()()()()】」

 

 ――左手からは、魂を震わせる冷気が溢れ出た。 

 

 『(レイン)』の深淵は……何人たりとも見通せない。




 ルナティック&ファナティクス

・作者の推測と妄想が混じった話です。

 双子の兄妹が鍛造した魔剣。兄妹は肉親を超えた関係にあったが、それが周りにバレたことで死ぬ時まで引きはがされた。汚らわしい存在として殺そうという意見もあったが、二人の腕は他の追随を許さないほど高かった。

 どちらの剣も自分達を引き裂いた『運命』に対する憎しみと、相手に対する狂愛を込められて造られた。

 だからこの魔剣は普通なら斬れない物を斬れるし、後に一振りの剣になっていた。

 使用条件は製作者に劣らない『憎悪』か『愛』を持っているか。レインはどちらの条件も満たし、フィーネは後者を満たしていた。剣が二つになっていたのは使える者が二人現れたため。

 遂にレインの『魔法』あった詠唱連結が……。

 フェルズはレインの【ステイタス】を直接見たことがあります。本人の許可を得てステイタス・シーフを使って。


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六十六話 『絶望(黒竜)』の力・『憎悪(レイン)』の力 中

 息抜き(現実逃避とも言う)してたら完成してた。

 最初の頃は三千文字いってりゃいいかー、って思っていたのに五十話あたりからずっと四千文字超えてた。

 今回もあとがきに補足説明があります。

 ではどうぞ。


 輝く純白の炎を全身に纏う神鳥(ガルーダ)と氷を周囲に漂わせている穢れを知らない白き天馬(ペガサス)

 

 神々が常に発散している神威に近しい波動を持つ存在……『精霊』がレインの手元に展開された魔方陣より二柱、顕現した。一目で普通の精霊と一線を画すと感じさせる精霊達は、そうすることが当然のようにレインの横へ侍った。二つの白は暗雲に覆われた都市で鮮烈な光を放っていた。

 

 総身は17階層に出現する巨人『ゴライアス』に匹敵するほど大きい。

 

「炎の大精霊フェニックス……氷の大精霊クリュスタロス……!?」

 

 異常な出力の風が乗せられた【剣姫(アイズ)】の剣すら通さない竜の鱗。生半可な攻撃が通用しなくなったレインの『耐久』を突破するために参謀(リリ)の指示で『クロッゾの魔剣』、それも最も火力が高い長剣型の真紅の『魔剣』に蓄力(チャージ)をするベルは、子供の頃に読んでいた英雄譚の一幕から抜き出した名を口にする。

 

 『フェニックス』と『クリュスタロス』。

 

 どちらも迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)()()で登場する大精霊だ。大英雄アルバートの生涯に寄り添った風の大精霊『アリア』や、始まりの英雄アルゴノゥトのためにその身を『精霊の剣』へと変化させた(いかずち)の大精霊のように人に手を貸した精霊達と違う、人類の敵対者となった『異端の精霊』。

 

 低級の精霊にも敬意を払うエルフ達ですら、この二柱には嫌悪を向ける。神々によって人類を救うために遣わされた精霊。その中で最も力を与えられた筈の大精霊の二柱は、存在理由を否定するかの如く唐突に人類を滅ぼそうとした。

 

 焼き払う。凍らせて砕く。魔法種族(マジックユーザー)であるエルフを超える『魔法』を使える精霊に、人類は碌な抵抗もできぬまま殺された。最後は互いが戦って弱っているところを狙われ、同じ大精霊によって封印されることで物語は終わるが、二柱の最後の抵抗は北の大地に溶岩と永久凍土で構成された死の大地を生み出したという。

 

 間違いなく『古代』の怪物達に匹敵する邪悪な精霊……いや、『魔獣』!。

 

「馬鹿な……ありえない。そんなこと、あってはならないだろう……!」

 

 そして、ベル以上に驚愕し、絶望しているのがフェルズ。

 

 『スキル』を抑え込める魔道具(マジックアイテム)を制作できないかと依頼された時、フェルズはレインの【ステイタス】を見ている、限界を突破した能力値(アビリティ)も『魔法』の効果も一つ残らず。無論『詠唱連結』の特性も確認していた。

 

 しかし『詠唱連結』を併用した時の効果は正確に把握していない。レイン本人に『魔法』を試しに発動してもらうのを拒否されたこともあるが、フェルズの予想では各魔法の威力増強が精々であり、リヴェリアのように魔法効果・出力・威力を変容させるまでのものではないと思ったため、その時も強く迫ることなくあっさりと引き下がった。

 

 当然である。王族妖精(ハイエルフ)という『魔法』に特化した種族でも特別な存在であるリヴェリアですら九種。ただでさえ【憎悪魂刻(カオスブランド)】によって無数の『魔法』が行使できるレイン。そんな彼の『魔法』が彼女と同様に変容するなど……誰が想像できるだろうか。そもそも超短文詠唱でありながら『詠唱連結』が含まれている時点で異常だというのに。

 

 三種の精霊使役魔法、三種の砲撃魔法、三種の対軍魔法。これらは全て精霊の『魔法』、故に従来の『魔法』に比べ威力と効果は桁違いだ。そこに回復魔法と大規模攻撃魔法を加えた計()()()がレイン本来の魔法数。

 

 突如出現した精霊に正体を知る者も知らない者も攻めあぐねるが――させるものか、と身体に流れる血の囁きとダンジョンでの経験から行動させる前に殺すべきだと判断したアイズが、黒い嵐を纏って斬りかかった。

 

「ッッッ!!」

 

 音無き咆哮を上げながら跳躍し、驀進の勢いと黒風を全て剣に乗せた回転切り。防御も知覚も不可能と思える音を引き千切って置き去りにする斬撃は直撃するも、やはり竜鱗の上を滑り、剣はその身を削られる。

 

(足りない。力が、足りない)

 

 憎いのに、相手(黒竜)がどうしようもなく憎いのに、相手(レイン)の眼に復讐姫(アイズ)は映っていない。今も攻撃が当たっているのは『脅威』と判断される力がないから防がれていないだけ。それがどうしようもなく悔しくて、腹立たしくて、憎い。

 

(力を……もっと力を!)

 

 過剰な風によって身体から上がる悲鳴を糧にしていた【復讐姫(アヴェンジャー)】が所有者(アイズ)渇望(オーダー)に歓喜し、その意志と心を呑み込んで、どこまでもどこまでも、黒く染め上げていく。

 

 『人形(いま)』の仮面が砕け散って『憎悪(かこ)』の仮面がはめられる。『戦姫』と呼ばれるに至った少女が憎悪を否定されないために、金の瞳に黒い火の粉を散らしながら絶殺の意志を纏って竜の懐へ潜り込んだ。

 

「―――――――――――――――――ッ!!!」

 

 袈裟斬り、大薙ぎ、刺突、斬り上げ、振り下ろし。

 

 剣で繰り出せる攻撃という攻撃を放つ少女。裂帛の雄叫びを喉から引きずり出す彼女は時間と共に失われていく余裕に、技の冴えに、壊れていく己の半身に目を向けない。命の限界を訴える思考も燃料にして剣を振るう。

 

 大好きな母と同じで嬉しかった金の髪が風に煽られはためいて、視界を覆って鬱陶しい。関節や眼球を狙っていた父の斬撃も、今や狂ったように鱗を殴るだけの滅多斬りに成り果てた。無意識がこのままじゃ駄目だと誰か(なかま)を探そうとしても、何故か瞳は黒い鱗以外を映してくれない。

 

 荒々しい暴風の勢いは止まらず、黒い炎は猛り続ける。『魔法(かぜ)』と【復讐姫(ほのお)】が互いを貪り、全てを焼き焦がす黒き炎嵐になっていく。炎嵐に包まれた命が大切な何か(おもいで)と一緒に燃える音がした。

 

 そして――。

 

「……耳元でぶんぶん聞こえる黒い羽虫の音が五月蠅いな」

 

 ――命を賭けた少女の猛攻撃は――。

 

「邪道な方法で大精霊の力を引き出されるのは不愉快だ」

 

 ――無造作に、本当に虫を追い払うような仕草で振り払われた手で剣を弾かれ、止められた。

 

 剣を握っていた右手が千切れそうなほど後方へ引っ張られる衝撃。肩の肉と骨が潰れかけた。剣を離さなかったことが奇跡だ。

 

「身の程を思い知れよ、小娘」

 

 致命的に硬直する少女に、『竜』は冷気を纏う左手を向け、

 

「――【凍え震えろ(フリーム)】」

 

 唱えた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「「【ヴェール・ブレス】!」」

 

 仲間の危機を感じたエルフの師弟がフィンの指示を待たず防護魔法を使う。精神疲弊(マインドダウン)寸前まで精神力(マインド)を削って召喚された翡翠の光鎧はアイズを含めた【ロキ・ファミリア】、四名の【フレイヤ・ファミリア】、主神(ヘスティア)を除いた【ヘスティア・ファミリア】、『異端児(ゼノス)』達全員を二重に包み込む。

 

 咄嗟に風を前面に噴出しながら両手を交差させた防御態勢を敷いたアイズ。地を蹴って距離を取ったところで、彼女は自分に起きた変化に気付いた。

 

 風が止まっている。『魔法』だけではなく『スキル』も……後者は『魔法』が解除された影響で停止したのだろうが……身体の中で暴れまわっていた力の奔流が嘘のように消えていた。あるのはリヴェリアとレフィーヤが与えてくれた緑光の加護(ヴェール・ブレス)のみ。後方にある建物や人に影響はない。

 

対象(わたし)の『魔法』を解除するだけ?)

 

 これが大精霊の力――詠唱内容から判断するに氷の大精霊(クリュスタロス)の方――であるならば……正直、弱すぎる。『呪詛(カース)』と異なり代償(ペナルティ)なしで使用できて、更に複数相手に使えると考えるならば凄いと思えるがそれ止まりだ。裏を返せば『呪詛(カース)』で代用できる程度の力でしかない。『人造迷宮(クノッソス)』全域に届く風を呼び出すアイズの『魔法』と比べ物にならない。

 

「……【暴れ吼えろ(ニゼル)】」

 

 もう一度『魔法(エアリエル)』と【復讐姫(アヴェンジャー)】を接続する呪文を唱える。もしかしたら『魔法封じ』や『スキル封じ』も含まれているのかもしれない。右肩が一番熱と鈍痛を発しているが、他の箇所だって似たようなものだ。愛剣も、もはや鈍器か拷問用具と言われた方が納得できるくらいガタガタになっていた。

 

 だが、そんなことは関係ない。『スキル』がなくても、『魔法』が使えなくても、武器が壊れても戦う。疲労で沈んだ足に力を入れ、そのまま前に進もうとして、

 

「――ゴフッッ!?」

 

 喉からせりあがって来た()()()()()()()()()()

 

 反射的に口元に当てた結果、血で汚れた手を目にして、防護魔法に含まれる微量の回復効果で得られた余力と体力が一瞬で奪われた。混乱しそうな頭で原因を探ろうとした瞬間。

 

「――ぁああああああああああっ!?」

 

 全身がバラバラになりそうな痛みが襲い掛かった。まるで神経という神経、肉という肉を抉って鋭利な刃物を突き立てられたような激痛。更には顔と四肢の血管が音を立てて木の根のように浮かび上がる。

 

 身体を抱きすくめながら倒れたアイズの耳朶をレインの声が揺らす。

 

「大精霊は『大神』に類する特別な精霊だ。極めれば……精霊の本質を理解すれば『神の力(アルカナム)』と似たような権能を使える。法則や概念を無視した特殊な『奇跡』をな」

 

 『奇跡』だと? ふざけるな、こんなものが『奇跡』であってたまるか。そう叫ぼうとしたアイズの喉からは血の塊しか出てこない。口だけでなく鼻からも出血が始まった。

 

氷の大精霊(クリュスタロス)本質(ちから)は『凍結』。動く物体のエネルギー、発動された『魔法』に発動するための魔力回路、音や風のように見えない現象、あらゆる存在を凍らせることができる。凍ったものは止まる……こんな風に」

 

 左手を横にかざす。Lv.3を筆頭にした上級冒険者のエルフ六名の手で射られ、風を切って飛来していた矢はレインの左手に当たる直前でピタリと止まった。一瞬の滞空を経た後、矢は重力に従って落下し、空しい音を立てて転がった。矢を放ったエルフ達は不可解な現象に放心し――自分達の額や心臓に突き刺さる寸前で防護魔法に弾かれた矢に顔を青くした。

 

 レインの足元に転がっていた複数の矢。それらは彼が指を鳴らした途端、まるで命が宿ったかのように飛び跳ね、エルフ達の急所を貫こうとした。気を抜いてしまった彼等は、本来避けれる程度の速度だった矢も避けれず命を落とすことになるはずだったが、防護魔法が命を繋いだ。

 

 ――ここで死んでいた方が彼等にとって幸せだったかもしれないが。

 

「凍ったものは消える訳じゃない。落ちていた矢は俺が『凍結(まほう)』を解除したから、また飛び始めた。お前は精神力(マインド)を通すための魔力回路が凍っているのに『魔法』を使おうとしたせいで自壊しかけた。今のお前は身体中に精製金属(ミスリル)を埋め込まれた状態同然。『魔法』を使おうものなら破裂して、汚い肉塊になるぞ」

 

 言葉を続けるレインにアイズは何の返事もしないまま、ひたすら睨み続ける。レインによって『魔法』と『スキル』の発動を阻害されたことで開けた視野が捉えたのだ。仲間達が全方位に広がり、一斉攻撃の陣形を整えるのを。

 

 レインも仕掛けようとする気配を感じているだろう。それを気にする素振りも見せずペラペラと話されるのは癪に障る。だが、その傲慢が仲間に時間を与えるなら耐えてやる。もう一人ではないことを思い出した少女は、その時が来るまで注意を引き付け時間を稼ぐ。

 

 アイズがそう考えた時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――そういえば。お前の風、()()()()()()()()使()()()()()()

「――――――――――――――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一瞬の出来事だった。

 

 ――階層主の咆哮(ハウル)以上の怒声を炸裂させ、少女は足から血が噴き出る力で大地を踏みしめ渾身の大斬閃を繰り出し――『竜』を斜めに両断した。

 

 ――けれど、それは『竜』の残像で。『竜』にとってただの移動でしかなくて。『竜』は死神のように背後に立っていて。

 

 ――少女の腹から『竜』の手が飛び出した。その爪は暖かい血で真っ赤になっていた。

 

 『竜』の黒手が引き抜かれ、少女の身体がゆっくりと前に傾いていく。唇と腹部に空いた穴から血が溢れ、少女の戦闘衣(バトル・クロス)を赤く染めた。カキッ、と手から滑り落ちた細剣が道の溝に墓標のように突き立ち、すぐ傍に少女は倒れた。ピクリとも動かない。少女の腹部からはじわじわと血が溢れていく。

 

「【魔槍よ、血を捧げし我が額を穿て】――【ヘル・フィネガス】」

 

 一部始終を見せつけられた『狂戦士(バーサーカー)』が命令を下す。

 

「――ぶち殺せぇええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!!!」

 

 具体性なんて欠片もない無茶苦茶な指示(オーダー)。しかし疑問を抱く者はいない。作戦は既に伝えられている。

 

 フィンの怒号が打ち上がった直後、レイン直下の地面が勢いよく割れ、光り輝く金属質の巨人が現れる。

 

 『人形兵(ゴーレム)』。『賢者』を名乗ったフェルズにしか作成できない総額十億ヴァリスを超える意思なき戦士。動きは鈍重そのものだが、力と硬さだけは深層域のモンスターより遥かに強かった。

 

 人形兵(ゴーレム)はまるでアイズとレインを隔てるように――事実、フェルズがそう操作した――間に入り、そのまま覆い被さるようにレインを拘束した。

 

 フェルズの隠し玉が敵を拘束したのを確認した瞬間、【ロキ・ファミリア】の魔導士達は炎、氷、雷、多種多様な魔法の雨を降り注ぐ。ほぼ同時に、武器を持っていた者が武器を()()()()()

 

 近づけば手を出せる人数が限られる上、魔導士達の邪魔になる。そしてフェルズの情報提供で遠距離の『魔法』が通用しないことも判明している。そのため、魔導士達の『魔法』を目眩ましとして活用し、武器の投擲を遠距離攻撃とする作戦が立てられた。

 

 無論、これだけで倒せるとは微塵も思っていない。フィンやティオナによる第一級武装の投擲すらも目眩ましにして遂行する本命は、ベルが限界まで蓄力(チャージ)した『クロッゾの魔剣』による砲撃。更にその攻撃を隠れ蓑にしつつ、既にアイズの『黒い風』と黄色の『クロッゾの魔剣』の魔力を《フロスヴィルト》に宿したベートが少しでも吸収し、ぶつけること。

 

 遠距離魔法を己が精神力(マインド)として吸収して無効化する『反魔法障壁(アンチ・マジックフィールド)』。フィンとフェルズはアイズの黒風にちっとも反応しない『反魔法障壁』に対し、『スキル』の混ざった『魔法』ならば通り抜けるのではないかと推測し、見事に当てていた。

 

 ()()()()()()()となる危険という言葉が生温い特攻に、ベートは躊躇いなく了承した。彼の覚悟を示すが如く、銀色のメタルブーツは許容量を超えた『魔法』を宿しながら耐えている。

 

 ベルが撃つタイミングは囮の『魔法』が着弾した直後。魔方陣が刻まれた障壁を見たベートが駆けだした瞬間、ベルは白く輝く『クロッゾの魔剣』を振り抜いた。

 

 音なく走り抜けるのは炎ではなく直径五M(メドル)を超える『純白の極光』。素の状態で都市最強魔導士(リヴェリア)に匹敵する炎を打つことができた『魔剣』の火力は、全てを滅する破壊の光に至っていた。

 

 その光に僅かとはいえどベートは右脚を触れさせる。肉と血が蒸発する音はない。生涯で一番地獄だと断言できる灼熱の痛みに、ベートは瞳を柘榴(ザクロ)のように充血させながら、

 

「がるぁああああああああああああああああ!!」

 

 跳んだ。生涯最後で最強の一撃を『竜』に叩き込むために。

 

 ――【ロキ・ファミリア】の選択と作戦は全て正解だった。仮に接近戦を挑んでいれば、炎の大精霊(フェニックス)氷の大精霊(クリュスタロス)が意図的に抑えていた熱気と冷気を解放させ、壊死、凍死、焼死していただろう。

 

 攻撃も素晴らしい。この時の一撃は『黒竜』に挑む直前のレインを超えていた。

 

 ()()

 

 今のレインには……それでも通用しないのだ。

 

 【英雄願望】の代償で体力と精神力(マインド)をごっそり持っていかれ倦怠感に耐えていたベルは、何も聞こえないことを不穏に思い、力を振り絞って顔を上げて……見てしまった。

 

 【ロキ・ファミリア】が()()していた。ほとんどの者に息()ある。数えてわかる五体満足なのはアイズとリヴェリア、レフィーヤのみ。それ以外はフィンも、ティオナも、ティオネも、ガレスも、ベートも、全員が四肢か目鼻耳を失くしている。内臓が飛び出している者も。

 

 彼等の身体には武器が刺さっていた。投擲した武器だ。レインが全ての武器を投げた人物に投げ返したのだと、ぼんやりと理解した。

 

『……』

 

 予備選力として待機していた『異端児(ゼノス)』は、初めてレインに出会った時の言葉を思い出していた。

 

『俺は間違いなく世界最強。オラリオの冒険者全員が攻めてきても無傷で勝てるね』

 

 宴の肴、笑い話になっていたセリフ。煙を黒い翼で吹き飛ばし、傷一つなく君臨する『竜』は嘘を吐いていなかった。活力を奪われた蜥蜴人(リザードマン)と骨の愚者の手から曲刀(シミター)短杖(ワンド)が零れ落ちる。

 

「【埋葬せよ、雷霆の剣】」

 

 そしてベルは。

 

 酩酊したように、笑っていた。

 

 彼の瞳には、レインの手で収束する雷が救いの光に映った。

 

 彼の心はもう、絶望で黒く染まっていた。




 この時のベル君はまだ心が強くないです。強くなったベル君でも『深層』の暗さだけで心折れそうになるのに、こんだけ力の差を見せつけられたら絶望するよね。

 あとベル君はスキルのせいで少しの間耳が聞こえません。だから悲鳴とか苦痛の声とか破壊音とか聞こえなかった。

 武器投げてきた奴等はそのままクーリングオフ(物理)、お代は部位欠損です。魔導士にはゴーレムを千切った欠片を投げつける。壁を貫いて飛んでくる超硬金属(アダマンタイト)。もちろん音速。

 精神力(マインド)を全身から集める描写があるし、魔力回路あるよね?

 クロッゾの魔剣は本当ならないですが、ウィーネを届ける時レインがいたのであります。

 ベートの装備がこんなことできるかは知らない。

・フェニックス。どこかの馬鹿がフェニックスを殺せば永遠の命が手に入ると吹聴し、何度も殺しに来る人類にキレた精霊。片っ端から人類を殺そうとする。どうしてレインの『魔法スロット』に発現したかは不明。欲のないレインに懐いている。

・クリュスタロス。原作レインのクリス的存在。こちらは悪い人間だけを狙って殺していたため(普通の精霊ならほっとく悪人)、フェニックスを止めようとしていた。結構不運。こちらもどうしてレインの『魔法スロット』に発現したのか不明。迷わず進むレインに懐いている。

・【凍え震えろ】。本当に何でも凍らせる。生物に使えば生命活動を停止させられる。魔法の無効化でもしなけりゃ防げない。これで凍らされた矢とか『魔法』は消滅する訳ではないので、レインが解除すればまた発動。代わりに消費精神力(マインド)が高い。『黒竜』に勝つ前のレインが気軽に使えないくらいに。

 アルゴノゥトの話で『大精霊』は大神に類するとあったし、アイズの風も外伝十二巻で特殊なことになってたし、こんな力があるんじゃないかなーと思いました。フェニックスの権能は多分次。無理だったら別の所で。

 次回はようやく【フレイヤ・ファミリア】が動く。決して漁夫の利を狙っていた訳じゃない。それとベル君の真ヒロインも出るか……? ベル君はどうなるのか。

 もしこんな存在がいたら作者は心が折れます。


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六十七話 『絶望(黒竜)』の力・『憎悪(レイン)』の力 下

 何処までも突き進む破滅の雷霆。

 

 ベルの蓄力(チャージ)によって光線(レーザー)に変貌した『クロッゾの魔剣』の砲撃がちっぽけに見えるほどの威力と規模は常人の意志を……なんとか立ち上がろうとする【ロキ・ファミリア】の戦意を圧し折るのに十分過ぎる破壊を振りまく。

 

 勇気を振り絞って戦場へ向かっていた冒険者達が(ちり)も残さず蒸発し、建物と武器は跡形もなく消し飛んだ。都市東部に向かって放たれた雷は『セオロの森』を飲み込ながら遥か彼方へ進んでいき、見えなくなった。

 

 雷光が駆け抜けた場所には何もない。進路上の地面が砂漠世界に生息する大蛇、『バジリスク』が砂地を這うよりも深く、広く削り取られ、地下水路や『人造迷宮(クノッソス)』の構造(アダマンタイト)が露出しているくらいか。いや……追加が()()()()()()()

 

 ドンッ!! と。黒雲を貫き天に突き立つ光の柱。『神の力(アルカナム)』を発動させ、下界の規則(ルール)に抵触してしまった神が『天界』に送還される際に発生する光の大瀑布。

 

 その数、()

 

 『暗黒期』でさえ上回るようなこの惨状で発生した神の送還。それが複数も起これば、全知零能の神々も平々凡々の人類も等しく一つの答えを導き出す。

 

 神が致命傷を負った。常人と同じ状態になっている超越存在(デウスデア)が、人の(まほう)によって死に至る損傷(ダメージ)を与えられた。

 

 『神殺し』。闇派閥(イヴィルス)の人間でさえ犯すことはなかった下界最大の罪。耐え難い怒りと憎しみを抱こうが、上位の存在である神に逆らえぬ――正確には神威で抑えつけられてしまうから――人類が超えられない一線。神を裁けるのは神だけであるという絶対の摂理を破壊する世界への反逆。

 

 神を弑せる人間に恐れがあると思えない。その事実は、とうの昔に折れていた人々の心を入念に潰す。

 

 空に昇る光の柱は『ダイダロス通り』に含まれる位置から発生していた。怖いもの見たさの愉快犯かどうかは知らないが、大方神である自分がこの騒動の元凶――人類(レイン)に殺される訳がないとでも高を括っていたのだろう。

 

 つらつらと淀みなく思考を回していた人物は、ここでようやく別の物事を考える。

 

(……どうして僕は……ベル・クラネルは生きているんだ?)

 

 深紅(ルベライト)の瞳を灼く光を目にした瞬間、(ベル)は全てがどうでも良くなっていたはずだった。夢も仲間も憧憬も。必死に選んで歩んで掴み取った人生が滑稽に思える絶対の『力』。かつて宿敵(ミノタウロス)との戦いの際に立ち向かう勇気をくれた『手紙』のことも頭からすっぽ抜けた。レインの魔法はそれほどまでに巨大な恐怖で……最高の絶頂と恍惚を与えた。

 

 迫りくる大嵐が言葉にできない感動を与えるのと同じように、ベルもレインの雷に神々しさを感じた。これに引導を渡されることが一番の幸福であるとすら考えた。それなのに何故、自分は生きている?

 

 わからない。思い出せない。覚えていない。どうして生きてる。あのまま殺されたかったのに――。

 

 そんな時である。

 

「ぶぎっ!?」

 

 衝撃と共に目の前が真っ暗になったのは。ついでに顔面が……主に鼻頭が熱くなった。尻を蹴り飛ばされた豚のような汚い悲鳴が漏れる。

 

 衝撃で地面に後頭部をぶつける。痛みで反射的に呻き声を出しそうになったが、できなかった。何故なら顔面にぶつかった何かが口に圧力を掛けているから。謎の圧力は刻一刻と強くなっている。

 

(――って、痛い痛い痛いっ!? 凄くジャリジャリしてるこれは……砂? どちらかと言えば砂利? というか感触的にこれ靴!? 僕誰かに踏み潰されてるの!? こんな時に!?)

 

 訳の分からない状態になったベルは混乱しながら、誰かの足と思しき物をどかそうと手を伸ばそうとし……その手が温もりに包まれていることを認識した。

 

 手だけではない。お腹と腰と背中に同種の温もりを感じる。……肌を震わせる鼓動も。

 

 ベルの変化を察したのか顔を踏んでいた足が消える。下手人がいる方には目もくれず、温もりの正体確認を優先する。

 

「え?」

 

 綺麗な漆黒の髪をツインテールに結わえていた髪紐が片方ない。シミ一つなかったはずの柔肌はたくさんの擦り傷で汚れている。ベルの腹部にうずめられている顔に安堵はなく、苦悶の表情で歪んでいた。

 

「神……さま?」

 

 どうして神様(ヘスティア)が覆い被さっているのか。そんなことを考えるのは後回しだ。それよりも……神様のご尊顔が血まみれだ。血は彼女の頭から流れている。早く治療をしないと……。

 

 緩み切っていた筋肉を叱咤して身体を起こし、ヘスティアを横抱きにする。回復薬(ポーション)の入っているレッグポーチの蓋に指をかけ、引っ張った。

 

 ……指が滑って開かない。そうだ、激しい動きをする冒険者御用達のレッグポーチだから簡単に開かないよう頑丈なんだ。もっと力を入れないと。

 

 開かない。もっと力を入れる。開かない。さらに力を入れる。開かない。何度やっても指が滑る。汗で滑るのかと思って手は拭った。留め金が歪んだ様子もない。ナイフで切り裂こうと考えたが、何故かナイフも抜けない。

 

「おい、クソ兎」

 

 冷ややかに蔑称をぶつけられた。ナイフを抜く手とレッグポーチを開こうとする作業を止めないまま顔の向きを変える。

 

 常に苛立ちが混ざっている声は聞き覚えがあったし、目に映るもの全てに唾を吐きそうなくらい冷酷な表情もはっきりと覚えている。……そもそも、この状況でベルを痛めつけるような性格をした人物はこの人しか思いつかなかった。

 

 【女神の戦車(ヴァナ・フレイア)】アレン・フローメル。Lv.7。

 

 銀槍を携えた猫人(キャットピープル)は侮蔑の眼差しで……それどころか殺意を込めた瞳でこちらを見下ろしている。

 

「無様を晒すなら最初から戦場(ここ)に立つんじゃねえ。大人しく引きこもってろ、三下」

 

 ――いつものベルなら素直に頭を下げた。けれども、今ここで無様を晒すなと罵られるいわれはない。フィンとフェルズに与えられた役割も果たした。戦いの始まりと同時に逃げ出した人達よりずっとマシだろう? 何故、暴力と罵倒を受けなければならない。

 

 ベルがアレンを睨みつける……恐怖によって無意識に垂れ流す体液とガチガチと鳴る歯に気付かぬまま。心が折れた兎の醜態を一瞥し、アレンは毒を吐く。

 

「守らなけりゃならねえ存在(かみ)に命懸けで救われた愚図を『無様』と言って悪いか。怯えて得物(ナイフ)も抜けねえザマを『無様』以外に何と呼ぶ。雑魚が無意味に歯向かう意志を見せんな、煩わしい。あのお方に目を付けられてさえなけりゃ、俺はとっくにてめぇを始末している」

 

 正確に言うならば、ベルを救ったのはアレンだ。レインが煙を振り払って現れた時、ヘスティアは勘に従ってベルを事前に雷の砲撃魔法の射程外に運ぼうと飛びついたものの、一般人同然の彼女の身体能力では足りなかった。ただしがみ付くだけになってしまったヘスティアはベル共々消し飛ばされるところだったが、主神(フレイヤ)を地上に留めるために、彼女のお気に入りが死なない様行動するアレンによって救われた。

 

 反論の余地もない己の無力を叩きつけられ、ベルはヘスティアを抱きしめたまま俯いた。アレンは見向きもせず、軽い足音を残して移動する。

 

 移動先は『隻眼の竜』を上回る黒き戦士。視野を広げてみれば、大剣を構えた錆色の猪人(ポアズ)、白き雷を手に纏わせる白妖精(ホワイト・エルフ)呪武具(カースウェポン)であり、効果も『斬撃範囲の拡張』と”傾国の剣”と似通った特色を持つ漆黒の(つるぎ)を握る黒妖精(ダーク・エルフ)も走り出していた。

 

 【フレイヤ・ファミリア】の目的は『自派閥のみの力でレインを倒すこと』。そのためだけに回避に専念し、他の戦力が潰れるのを待った。

 

 この条件で挑戦しなければ、彼等は雪辱を晴らせない。

 

「――貴様の真意など知らん」

 

 ヘディンが誰に聞かせるわけでもなく呟く。

 

「――てめぇがキレた理由なんざ興味ねえ」

 

 アレンの言葉は加速した彼に置き去りにされる。

 

「――我等の望みはただ一つ」

 

 ヘグニの声は鋭かった。

 

「――お前を倒す! 積み重ねてきた屈辱と敗北の『血泥』を、『超克の礎』に変えたのだと……独りで千年の歴史(ゼウスとヘラ)を乗り越えたお前に、証明してみせる!!」

 

 深く、重く、オッタルは誓いを示す。

 

「やってみろ、無様と無力を晒し続けてきた女神(アバズレ)下僕(ペット)ども」

 

 (レイン)は受け入れた。構えも警戒もせずに。

 

 彼には全てが見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『決定付けられた未来(すべて)』が、見えていた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 既に第一級冒険者を名乗ることを許されていた【フレイヤ・ファミリア】幹部達。加えて他派閥の同じ階級(レベル)の冒険者よりも頭一つ抜けた下位団員。そんな彼等が更なる高みに昇り詰めるきっかけは……屈辱極まりない出来事だった。

 

 それは新たに入団した一人の戦士。幹部たちが初めて顔を合わせた頃は、不快な思いをした時のみにしか感情が表に出ない鉄面皮だったが、迷宮都市(オラリオ)に到着した時には本性を知っていなければ真偽の判断ができないほど精巧な作り笑いを浮かべるようになった男。

 

 男――レインに対する評価は零どころか底値を割っていた。

 

 例えば十年以上前に所属していたLv.6の女ドワーフ。フレイヤのために戦わなかった彼女は敵が多かった。嫌々【ファミリア】に籍を置いていることを隠そうともせず、フレイヤからの頼まれ事に文句をこぼしていただけで、だ。

 

 対するレインは「年増」や「淫乱」といった侮辱は当たり前、苛立つことをされれば躊躇なく鉄拳を繰り出し、挙句の果てには「美神の煮汁って高く売れそうだよな。効果も実際にありそうだし」などとほざき、全裸で寝台(ベッド)に侵入してきたフレイヤを縛り付けて、煮えたぎる熱湯の中に放り込もうとしたこともあった。

 

 当然、フレイヤを敬愛する【フレイヤ・ファミリア】は殺意を抱く。

 

 ある日、フレイヤがレインの行動を楽しんでいることを知っているオッタルを除き、全団員が彼に襲い掛かった。

 

 襲われたレインは腕を振るうどころか、触れさえもしなかった。

 

 それなのに団員達は凄まじい力で殴り飛ばされたような重傷を負わされた。幹部陣も例外なく骨を砕かれ、内臓を傷つけ、血反吐をぶちまけて襤褸のように扱われた。一瞥さえされなかった。

 

『蚊だったら叩いて潰す。蠅なら(つま)んで弾く。それ以下の雑魚に手を使う価値もない』

 

 この襲撃の後、オッタルがレインに何をしたのか尋ねてみて、返ってきた返事がこれである。力の正体が『覇気(エクシード)』と呼ばれる希少な発展アビリティであることも、覇気(エクシード)には覇気(エクシード)でしか抗えないことも。

 

 それを聞いた後、オッタルは挑んだ。奇襲も小細工もせず、真正面から堂々と。

 

 結果は言わずもがな惨敗。覚えているのは武器を構えて捨て身で突貫しようとした瞬間、レインが白けた目を向けながら手を叩いた光景だけ。手の動きに合わせて発動していた覇気(エクシード)によって、オッタルの全身は文字通り()()()()()()に叩き潰され……五日間に及ぶ昏睡状態に陥った。

 

『……お前等如きの【ランクアップ】のために、俺の友達(ゼウスとヘラ)は犠牲になったのか?』

 

 ――あほらしい。この出来事から決まったレインの【フレイヤ・ファミリア】に対する評価。

 

『その程度の力で強靭な勇士(エインヘリヤル)を名乗るなんてふざけるな。全然強くもない癖に、数の優位を捨てて一対一で挑むことに執着するな、身の程を知れよ。その馬鹿みたいなこだわりを持つならそれ相応の実力を付けろ』

 

 それからというもの、レインに挑戦できるのは【ランクアップ】一度につき一回という決まりが作られた。この規則を作ったのはフレイヤである。曰く、

 

『情報源が誰かは教えられないけど……敗北で強くなる()と弱くなる()がいるそうよ。どちらになるかは、本人に敗北から死ぬ気で学ぼうという意志があるかないかの違いらしいわ。「敬愛(あい)する女神(おんな)を守る」と口にしておきながらそんなこともできないなら……次はない、ですって。……私も大切な眷属()がいなくなるのは嫌よ』

 

 レインも【フレイヤ・ファミリア】の虎の尾を踏みまくっていたが、同時に【フレイヤ・ファミリア】もレインの逆鱗を削りに削っていた。【ランクアップ】は最大限の譲歩である。何名か無視してレインに喧嘩を売った者がいたが……四肢を消し炭にされるか凍らされた上で粉々にされ、冒険者生命を絶たれた。

 

 彼が本拠(ホーム)にいるだけで空気が重くなり、鍛錬に身が入らなくなる。一時期、【フレイヤ・ファミリア】の総戦力は三割ほど低下した。

 

 ――しかし、良くも悪くもレインは『変化』だった。

 

 彼の言葉に思うところがあったのか、それぞれの突出した個の力だけで統率力に優れた【ロキ・ファミリア】と釣り合っていた彼等彼女等が連携の訓練を始めた。元々が団員同士で殺し合っていた頭おかしい派閥だ。常に相手の考えの裏を突いて倒そうとしていたため意志統一は容易で、すぐに一定以上の練度となる。

 

 幹部達もそう。ホンッッットに渋々ではあったものの、幹部同士で『殺し合い』ではなく『高め合い』をした。オッタルに至ってはレインに頭を下げてまでエクシードの習得方法、太刀筋の修正、どんな特訓をしたのか……『情け』を求めた。レインも矜持を捨てて、恥と屈辱を堪える武人の頼みに応じた。

 

 【フレイヤ・ファミリア】の戦力は、日進月歩で向上していく。全団員が【ランクアップ】することができたのは、間違いなくレインの存在。彼がいなければ歯がゆい思いをしたまま、力の停滞を味わい続けていただろうと誰もが知っていた。

 

 【フレイヤ・ファミリア】はレインが嫌いだ。けれど、それ以上に尊敬もしている。気付けなかったことに気付かせてくれたから。

 

 だからこそ倒す。

 

 強者を望む男に強くなったと証明して見せる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「グッ!?」

「クソがっ!」

 

 雷撃の目眩ましからの攻撃を防がれ、あまつさえ肉を削られたオッタルの呻吟とアレンの痛罵が交わる。

 

 交戦開始から()()()。凄まじい力で衝突する武器の悲鳴は()()を超えた。何度も何度も都市が揺れた。

 

 オッタル達が【ランクアップ】時に選んだ発展アビリティは『覇気(エクシード)』。周囲の時間が遅くなったと錯覚するほどの身体能力と動体視力を与える力。

 

 加えて彼等の戦闘衣(バトル・クロス)は『精霊の護符(ごふ)』――『火精霊の護符(サラマンダー・ウール)』と『水精霊の護符(ウンディーネ・クロス)』を組み合わせた特注品だ。いずれ来ると予期していたレインとの戦いに備えていた、レインの魔法を知る【フレイヤ・ファミリア】しか用意できない特殊装備である。

 

 この二つにリヴェリアの防護魔法が合わさることで、オッタル達は殺人的な熱気と冷気から身を守り、接近戦を挑むことを可能にした。

 

 対するレインの武器は二枚の黒翼と長大な尾。ありえないほど柔軟な動きをする翼が大剣、長刀、黒剣、銀槍による怒涛の猛撃を防いでいた。そして攻撃の隙間を蛇のように潜り抜けた尾が反撃を繰り出す。竜の尾は鞭のごとく槍のごとく、冒険者の身体を打っては穿つ。

 

(『炎』が邪魔で目が狙えん……!)

 

 既に『切り札』である【戦猪招来(ヴァナ・アルガンチュール)】と【我戦我在(ストルトス・オッタル)】を切っているオッタルは、『完全防御』で仲間への攻撃を幾ばくか防ぎながら目を眇めた。

 

 狙いは唯一竜の鱗で覆われていない右目。しかし、そこには竜の鱗より厄介な『炎』があるのだ。

 

 炎の大精霊(フェニックス)権能(きせき)、『燃焼』によって生み出された白い炎。この炎はひたすら『燃え続ける』のだ。火種となった物質が金属だろうと液体だろうと、その物質が消滅するまで燃え続ける。命あるものに燃え移れば対象の寿命――『魂』を燃料に燃える。

 

 彼等に消す手段はない。万が一燃え移れば、その部位を斬り落とすしかなくなる。覇気(エクシード)を使用した戦闘継続時間は二分足らずしかない。ただでさえ短い時間を無駄にする余裕は彼等に存在しない。

 

 左側からも狙えるが、そこには『角』がある。僅かに首を振るだけで第一級武装を壊せる竜の角が。

 

 ――二度とない好機(チャンス)なのだ。

 

 オッタルを除く三名はレインに攻撃の筋を読まれていない。レインは全力を出していながら本気にはなっていない。まだレインは、彼等を『敵』と認識していない。

 

 『油断』はしていないだろう。でも『余裕』を持ってしまっている。そこに――

 

「『付け入る隙がある』、とでも考えたのか?」

「――」

 

 『戦闘以外に思考を回す』失敗を悔やむ声は出なかった。

 

 レインが跳躍。『盾』として使われていた翼が『弓』のように引き絞られている。矢の代わりに番えられるのは禍々しい黒鱗。

 

 絶壊の死雨が降り注ぎ、オッタル達の意識は断絶した。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 膨大な数の鱗を叩き込んだことで空いた大穴を避けて着地する。

 

 覇気(エクシード)で周囲を探る。万能薬(エリクサー)回復薬(ポーション)で傷を治しているようだが、抵抗の意志を感じられない。もう潰す必要もないと見て、爆風で吹っ飛んでいたアイズを担いで歩を進めた。

 

 途中でやけに傷だらけな『黒い猛牛(ミノタウロス)』が突進してきた。竜角を用いた頭突きで紅角を砕き、尾で締め付けて幾度も地面に叩き付け、適当な場所に投げ飛ばした。見覚えはなかったが『異端児(ゼノス)』だったので殺してはいない。

 

 一歩前進するごとに周囲で転がっている【ロキ・ファミリア】が肩を震わせるのを無視して進み、一人の少年――ベルの前で止まった。熱気と冷気は少し前に抑えてある。聞きたいことを聞くまで殺せない。

 

 意識のないアイズを放り出す。音と視覚情報、どちらかに反応したベルが顔を上げる。

 

 瞳に光がない。諦めてしまった者の目だ。とても嫌いな目だ。

 

「ベル」

 

 レインが口を開く。心が折れていようがいまいが、この問い掛けだけはベルにすると決めていた。

 

「『英雄』とは何だ?」

 

 レインにとっての『英雄』は犠牲の象徴。百を救うために一を犠牲にする。運命の天秤に命を掛けることができても、天秤を破壊することはできない。選択することはできても、新たな選択肢を増やせない。

 

 かつて『英雄』だった育ての親が『黒竜』を討てる一人の戦士を生み出すために、救われるべき二つの命を犠牲にしたように。

 

 たくさんの格上を敵に回しても、一人の娼婦を助けると叫んだ少年にレインは期待した。本当に助けてみせた娼婦の『英雄(おとこ)』に、(レイン)は何かを見た。

 

「……ぅ、………………っ……」

 

 答えは返ってこない。口は無意味にはくはくと動くだけだ。

 

「そうか。――もういい」

 

 爪を振り上げる。それは逃げる気力もない兎を屠る処刑道具だ。

 

「さらばだ、ベル・クラネル」

 

 振り下ろされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――だめっ!」

 

 その直前であった。

 

 ベルの目の前に、一人の少女が両手を広げて立ちはだかる。少年を守るように。

 

「ベルをいじめないで!!」

 

 人と変わらない感情のある声。

 

 ウィーネ。竜女(ヴィーヴル)の『異端児(ゼノス)』。

 

 無力で、弱くて、守られる存在である少女が現れた。




 超お久しぶりです!

 作者から言えるのはこれだけ! マジすいませんでした! で、でも言い訳するなら先月は「月二回の投稿」を守っているからいいよね? やっぱりごめんなさい。

 さて、守ろうと思ってた少女に守られるベル君。意識ないけど嫌うモンスターに間接的に守られてるアイズ。いったいどうなるのか?

 ちなみに遅れた理由は勉強とスランプとこれまでの伏線探しのためです。伏線回収を忘れるところだった……。

 真ヒロインまで入れると大変なのでカットしました。

 次に黒竜がどんな能力を持っていたのか書きます。


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六十八話 無垢な言葉

 古来より『竜種』は睡眠、混乱、気絶、麻痺、猛毒といった状態異常への耐性が高いと言われているし、それは事実である。だからこそ竜を倒すには搦め手や策略だけではなく、純粋な技と優れた身体が必要なのだ。それを失念していたレインは睡眠魔法を使った後、何度も轟音を伴う破壊を撒き散らした。

 

 真紅に染まったレインの瞳に映る光景。

 

 恐怖と絶望で思うように身体を動かせない少年。少年より弱い身でありながら必死に庇う少女。

 

『逃げて!!』

 

 記憶が喚起される、思い出してしまう。彼女(フィーネ)の悲痛な最期の叫び。どうしても竜の少女の叫びと重なってしまう。……姿と声は違えど……配役は忌々しいほど同じだ。

 

 守る少女(ウィーネ)、守られる少年(ベル)、二つの命を奪う役目は黒く輝く(レイン)の爪。

 

 だらり、と構えられていた腕から力が抜ける。

 

 ――できない。

 

 死への覚悟を胸に立ちはだかる少女をどかすことも、それを無視して彼女が守ろうとする少年を害することも……レインには不可能だ。

 

「お願い……――」

 

 揺れる琥珀色の瞳がレインの隻眼を捉える。ああ、()()()。また目にしなければならないのか。彼が戦士として生まれ変わる契機、永遠に忘れることを許せない情景を――。

 

「――もう、じぶんを傷つけるのをやめて」

「……は?」

 

 思わず、といった感じの声が零れた。

 

 レインが予想していた言葉は「ベルを傷つけないで」、それか「誰も傷つけないで」だ。それが何故、自分を案ずる言葉をぶつけられる? 

 

 ウィーネは嫌うはずだ。今のレインは彼女を傷つけてきた人間達と何ら変わりないのだから。彼女の大事な(ベル)を傷つけようとしたのだから。

 

 ずっとこの少女に心をかき乱されている。今も昔も、守りたいと願う者の考えだけはわからない。

 

「レイン、ずっと笑ってないっ」

 

 ウィーネの口は止まらない。誰も見ようとしなかった『真意』を暴き出していく。

 

「わたしをいじめたひとたちはみんな笑ってた! わたしが泣いても、ともだちが痛がっても笑ってた!」

 

 ウィーネが語るのは狩猟者(ハンター)達に捕まった時の記憶。『異端児』が泣き叫ぶ姿、仲間の狩猟者(ハンター)が手痛い反撃を受ける光景、そのどちらをも嗤って楽しむ『悪』の腐った性根。嘘偽りないありのままの少女の声に、誰もが耳を傾けた。

 

「でもっ、レインは笑ってない! ずっと嘘ついてる! こんなことしたくないって泣きたいのに、いやだって苦しんでるのに、じぶんに嘘ついてがまんしてる!!」

 

 ウィーネだけが知っている。こんな状況になる前に、レインが自分を守るように抱きしめていてくれたことを。抱きしめてくれた腕が優しかったことを。その腕が泣くのを耐えるように震えていたことを。

 

 守られた少女(ウィーネ)だけが、竜の本性(やさしさ)をわかってる。

 

「わたしはレインをたすけたい。ベルがひとりぼっちのわたしをたすけてくれたみたいに……ひとりぼっちのレインをたすけたいっ! だから……もうベルをいじめないで(いやなことしないで)!! こんなことやめて!!!」

 

 見栄も虚飾も建前もなく、もらってきた『優しさ』を誰かに与えようとする無垢な少女の願いが、真っ暗な空へ溶けていった。

 

 誰も……【ロキ・ファミリア】も声を上げられない。下界最大の『毒』であるはずの存在がさらけ出す、どこまでも純粋で真っ直ぐな心の内。怪物(モンスター)が人類を助けようとする矛盾。

 

「…………やめてくれ」

 

 目の前の少女から目を逸らせないレインの口から零れたのは……悲鳴じみた懇願だった。

 

(君は……俺よりずっと弱いだろうっ? 俺が、怖いだろう? なのに……それなのにっ……こんな俺を助けようとしないでくれ!?)

 

 やりたい、やりたくないじゃない。やらなければならない義務がある。

 

 できる、できないじゃない。できなければならない使命がある。

 

 果たさねばならない約束が、託された願いが、償わなければならない罪が(レイン)にはある。だけど、()()()()()()理由なんてない!

 

 ――ウィーネの思いは正しくて尊い。けれど俺は、戦わなければ……強くならなくちゃいけない。強くなければ()()()()

 

 己が『強者』であれば選ぶ権利を掴める。万を超える人間が暮らす集落と平和のための生贄である少女、栄えた都市とその踏み台にされようとする善なる異種族、歪で腐った世界とたった一人愛しい人。大多数が前者を選ぼうが、圧倒的な力は数の暴力を()じ伏せる。

 

 そして己が助けてほしいと願った時、力を持つ者が現れるとは限らない。そんな都合のいい物語は一握りの運命に愛された者だけに与えられる奇跡だ。現れたとしても、力を振るう先を決めるのはその所有者。助けてもらえなくても文句は言えず、吐いてしまえばただの卑怯者に成り下がる。

 

 だったら……自分がなるしかないだろう? 

 

 大切な人達を狂わせる『才能』を磨いた。凡人から畏れられる『天才』へと変わっていった。憎悪を糧にして、『英雄』を超えた力を有する『戦士』になった。

 

 全身に血を浴びていない場所はない。思考はどれだけ効率的に敵を屠れるかを考える。顔は感情を隠す仮面となり、揺るがない瞳は嘘と真実を暴いてしまう。

 

 こうなるまで数え切れない命を奪った。軽くない友の人生を切り捨てた。誰かのかけがえのない宝物を踏みつけにした。

 

 そんな自分が助けられていいはずがない。戦いを忘れるなんてできない。剣を置くなど許されない。

 

 それでも、救われてしまえば――

 

「俺は……()は何のために――」

 

 ……その声はとても小さくて、誰にも聞き取られることはなかった。

 

 顔を二つの手で覆った『竜』は、まるで進むべき道を見失った子供の姿に似ていた。大きな翼も長い尾も弛緩して、一回り小さくなったように見える。

 

「……レイン」

 

 ウィーネがレインの下へ進む。

 

 優しい言葉を聞かせよう。優しく抱きしめよう。優しく頭――は届かないから背中を撫でよう。ベルがしてくれたように、レインを安心させるために――彼女はレインが犯した罪の重さと、その罪を犯せる人間がどれほど危険か知らない。しかし、知っていたとしても彼女は同じことをするだろう――。 

 

 竜の少女が竜の戦士に近付いていく。そして、手を伸ばせば届く距離まで来て――

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

「――ぇ?」

 

 ウィーネは朱に染まった。

 

「がはっ、ごぶっ……! げ、ぐぅ――!?」

 

 ――レインから吐き出された、夥しい量の血によって。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「ぶべぅっ、がぼっ、ごはあぁぁぁ……!!」

 

 ベル、ウィーネ、『異端児(ゼノス)』、【ロキ・ファミリア】、眷属に死に物狂いで救助されたヘルメスの視界に入るのは、レインの身体から溢れ出ていく血の塊だ。

 

 迷宮都市の最大戦力を相手に無双し続けた竜の戦士。第一級冒険者の攻撃を何千回と受けても一つとして傷を負わず、防御ごと打ち砕く剛撃を繰り出し続けた埒外の傑物。

 

 その男の口から目を疑う量の血が吐き出され、無敵を誇った竜鱗の鎧も結合部から破裂音を響かせながら剥がれ落ちていく。尾や翼がなくなった箇所には肉を露出させる穴が開き、間欠泉のごとく激しい出血が始まる。出血の勢いか、それとも血を失い過ぎたのか。あっけなく膝が折れる。

 

「ぐぁあああああああ……ッ!!」

 

 それだけじゃない。血だまりに沈みながら、レインは胸部――心臓を強く抑えていた。数少ない竜の形を保ったままの左手が地に文字通りの爪痕を刻む。

 

「……どういうことだ?」

 

 手に負えなかった怪物が何故か弱体化した。眼球を失った眼窩と千切れた右腕をフェルズの全癒魔法で治療されていたフィンは、残った右の碧眼に映る信じ難い光景に喉を震わせた。正直に言えば、レインに催眠系の魔法をかけられていて、更なる絶望に突き落とされようとしているのではないかとすら疑っている。

 

 ――かつての強敵(アルフィアとザルド)同様に、レインには『限られた戦闘時間』があった? それなら絶えずモンスターと交戦(エンカウント)を繰り返す『遠征』で兆候があったはず……。

 

 ――使った【竜戦士化(スキル)】の負荷か? 『スキル』がなかろうと『黒竜』を倒すほど強いなら、そんなリスクのある『スキル』を使用する意味はない。レインの性格からしてありえない。

 

 フィンはすぐに疑問の解明をやめた。思考に時間を取り過ぎることは死につながると、嫌というほど味わった。

 

「ガレス、動けるか?」

「……どうせ動けんでも、貴様は気合で動かせと抜かす小人族(パルゥム)じゃろうが」

 

 人形兵(ゴーレム)の破片で右側の頬から耳の肉を抉られたガレスが、剝き出しになった歯の隙間から血が混ざった息を吐きながら銀色の大戦斧《アックス・ローラン》を担いだ。

 

 仔細まで伝えられなくとも、ガレスはフィンが何を言いたいのかわかっている。千載一遇のこの好機(チャンス)……絶対に逃さない。

 

 兜も鎧も失う代わりに身軽になったドワーフが疾走する。吐血と激痛で行動不能になっているレインは反応はしたが、遅い。瞬きの間に接近し――

 

「くたばれぇえええええええええええええええええええええええええええええええええいっ!!」

 

 野太い咆哮を上げながらレインの首に斧を振り下ろした。

 

 しかし。

 

「ぬぅっ!?」

 

 渾身の一撃は、硬質な音とともに防がれた――大剣を模った氷によって。

 

 氷の剣を握るのはどこまでも白い、白すぎる女。何もかもが白く、瞳や髪の毛一本一本のような身体の部位(パーツ)の境界にしか色がない。顔は美を追求して氷から削り出されたように、美しくも冷たい無表情。

 

 ガレスは咄嗟に飛び退いた。正体を明かしてもらう必要はない――下層域に出現するモンスター『ケンタウロス』のように()()()()()()()()の半人半馬で、肺を切り裂くような冷気を纏わせていればすぐにわかる。

 

氷の大精霊(クリュスタロス)の人間体か……!」

 

 対峙し続けた絶望の化身の弱体化を目にして持ち直した士気が、再び刈り取られようとしている。『穢れた精霊』の脅威を知っている【ロキ・ファミリア】の闘志が萎えるのは仕方なく、確認するように呟いたフィンの顔も焦燥で歪んでいた。

 

 原因の一切合切が不明でも、間違いなく敵は瀕死になっている。今なら致命の一撃を加えられる。しかし誰も動けない。万全ではない冒険者達(じぶんたち)では、クリュスタロスをすり抜けてレインに止めを刺すすべがないと本能が悟っている。

 

 だから彼女は叫ぶ。

 

「クリュスタロス! どうしてお前はレインに味方する!」

 

 杖を支えに立ち、妖精の女王が問い掛ける。

 

「大精霊は世界を救うために神に遣わされた存在! そんなお前が何故レインを守る! 世界を破滅に誘おうとする罪人をどうして見逃している!」

 

 精霊を最も動かすのは覚悟の伴う意志であると知っているリヴェリアが言葉を紡ぐ。

 

 彼女は最初からレインに引導を渡すと決めている。悪辣な計画(シナリオ)をレインが暴露した時、この場にいた女神(ヘスティア)は嘘だと言わなかった。竜の少女は「レインはやりたくないと思っている」と述べたが、それなら嘘が通じない神が反応しているはずだ。

 

 それに、レインは殺し過ぎた。都市北東部と東部に放たれた二つの攻撃は万を超える命を奪った、【ロキ・ファミリア】の団員さえも。都市外と人間以外のものを含めればもっと。神さえも八柱、下界から送還している。

 

 子供思いのロキは絶対にレインを許さない。眷属と家族を奪われた神々や遺族達の怒りは、レインが惨たらしく目に見える形で死ななければ晴れることはない。それ以外の人々だって、神を殺すことを躊躇わない人間がいれば安心して暮らせないだろう。

 

 あらゆる思いを込めてレインの傍に佇む精霊を睨むリヴェリア。すると、

 

『それは……知る必要があるの?』

 

 クリュスタロスは聞き返してきた。初めて聞く透き通った声には呆れも侮辱もなく、本当に疑問に思ったことを口にしただけなのだと理解できる声音だった。

 

「っ! ならばそこをどけ!」

『どいたら……どうするの?』

「決まっている! レインに命をもって罪を償わせる!」

 

 命をもって償わせる。(レイン)の動機など知らないし、身内を殺された者にはどうでもいいことだろう。ここで苦しませずに殺してやる、それだけがレインに与えられる罰にして救済。

 

『つまり……レインが同族(ひと)を沢山殺したから……報復として……レインを殺すの?』

「報復ではないっ、罪の清算だ!」

『殺す人間に怒りや憎悪があれば……それは報復になるけど……』

 

 淡々と返される言葉にリヴェリアは唇を噛む。こうして問答をしている時間も惜しい。いつまでもレインが弱っているとは決まっていないのだから、一刻も早く決着を付けねばならない。それなのに、この問答からは逃げられないジレンマがリヴェリアを苛立たせる。

 

「クリュスタロス、聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

『……なに?』

 

 クリュスタロスが己を呼んだフィンに顔を向ける。

 

(『大精霊』だけあって自我はあるが……腹芸をするほど強烈ではない、か? 前例(レイン)があるから断定はできないが)

 

 聞かれれば素直に答え、思ったことはそのまま口にする。邪気はないが無邪気とは言えない。声音、言葉遣い、態度を観察したフィンにクリュスタロスはそんな性格に見える。

 

 故に慎重に探る。

 

「君は大切な存在が傷つけられそうになればどうする?」

『守るけど? 先刻(さっき)もレインを守ったでしょ』

「僕等人類は決まりを作って生きている。強大な力を有していようと、好き勝手な真似は許されない」

『知ってる。正しい考えだと思う』

 

 ――価値観の違いは多少あるけど、そこまでひどくはない。

 

 必要なことを確かめたフィンは一気に踏み込んだ。

 

「じゃあ――罪にはそれ相応の罰を。理不尽に命を奪った者は、命をもって罪を償わなければならない。そう思わないかい?」

『思うよ。()()()()()()()()()()()()

 

 今の質問で状況の支配権を握ろうとしていたフィンは、思いがけない返しに反応が遅れた。

 

『レインが同族を殺す罪を犯したから殺すんだよね? なら、レインを殺す必要はないよ』

「……もしかして、レインを殺す人間も罪を犯したことになると思ってるのかい? そんな――」

『だから、必要ないってば』

 

 フィンの言葉を悪気なく遮り、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()()()()()()()。あと十度、太陽が昇ればね』

 

 氷の大精霊はそう言った。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 ――ありきたりでよくある話だ。

 

 強大な敵を打ち破るために寿命を代償にする力を使う。

 世界を救う代償に零落する。

 大切な人と引き換えに命を落とす。

 

 己以外の『幸福』のために『不幸』を背負う。

 

 とてもありふれて、使い古された、無慈悲で報われない物話。




・『黒竜』の能力紹介。

・竜の息吹
 『穢れた精霊』の【ファイヤー・ストーム】より高火力。特殊な臓器による炎なので魔法じゃない。息を吸って吐けば使える。チート。

・竜の鱗
 硬くて粗い。不壊属性(デュランダル)並みに頑丈な武器じゃなければ逆に破壊される。

・竜の翼
 薄いけど頑丈なので盾として使える。その気になれば武器としても。ちゃんと飛べる。皮膜には鱗がびっしり生えていて、羽ばたけば鱗を弾丸のように発射する。鱗はすぐに生える。

・竜の尾
 こちらも粗い。人でもモンスターでも締め付けて骨を砕けるし、ほどく過程で肉を削り落とす。鞭や槍のように使える。

・竜の爪
 超硬金属(アダマンタイト)を力を入れずとも斬れる。オリハルコンは力を入れれば斬れる。

・竜の角
 ぶっちぎりで頑丈。折ったレインが異常。

 

・作者からのお願い。

 ここまで書いておいてなんですが、全然レインをレインらしく書けていません。作者はすこぶる真面目なのですが(小話はふざけてます)、読者様の中にはそれが不満な方がいるはずです。一時期評価をコメント必須にしてみたところ、低評価で「原作読まずに書いた?」と言われました。書くときはダンまちもレインも読んでいます。

 なので活動報告の方に「どこをどうすればレインらしいか」を募集するものを作ります。強制ではないですが、協力をお願いします。


 


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六十九話 騙し続けて

 嬉しい言葉を貰ったくせしてうだうだ悩んでいた作者です。
 悩み過ぎて執筆が滞っていましたが、ついに振り切って書けました。
 評価の数字や言葉に右往左往される作者ですが、頑張ります。
 これ以上はしつこいので、どうぞ。


 『笑顔』を使いこなせば強力な武器になる。

 

 不敵な笑みを常に浮かべていれば、相手はこちらを自意識過剰の馬鹿と侮るか、それ相応の実力者だと思い込むかの二つに一つ。侮る奴は見る目がない上に隙だらけになる雑魚。後者も緊張のし過ぎで本来の実力を発揮できなくなる。

 

 そこから少し雰囲気を変えるだけで『笑顔』の種類は急変する。頬の力を抜いて柔らかくすれば『優しい笑顔』。突拍子もなく目を見開くなりすれば『怖い笑顔』。口端を吊り上げれば『邪悪な笑顔』。憤怒顔や無表情にはない変化を作りやすい。

 

 何より不自然ではない。不敵だろうが何だろうが、笑みを浮かべる者はそこら中にいる。その中の一人が臓腑を焦がす憎悪を抱え込んでいようが、そう遠くない未来に最愛の人と別たれることを覚悟していようが、誰もわからない、気付けない。

 

 笑顔の仮面は便利だ。それ以上を踏み込ませないし悟らせない。隠し事にはこれが一番。

 

 そうなんだけども。

 

 だけれど。

 

 なのに。

 

(……疲れた)

 

 失われていく体温と血の池の気持ち悪さを感じながらそう思う。

 

 本当に疲れた。笑顔で偽るのは疲れた。ずっと我慢してきた。

 

 目に映るもの全てを壊したくなる破壊衝動も、美しい女に湧き上がる獣の如き情欲も、知ってしまった世界の不条理を誰にも明かせず抱え続ける孤独も。 

 

 彼女の為だと耐えてきた。『あいつ』の為なら耐えられた。こんな感情(もの)は偽りだと、従うことはあの竜に負けるも同然だと、自分で自分に言い聞かせ続けてきた。

 

 でも。

 

(まだ……死にたく、ないなぁ……)

 

 ああ……疲れた。

 

 無様に惨めに惨たらしく凄惨に苦しんでもいいから、死んで楽になりたいくらいに、疲れた。

 

 

 

 ♦♦♦

  

 

 

「――なん、だって……?」

 

 理解が、追い付かなかった。

 

 死ぬ? 『黒竜』を上回る男が?

 

 クリュスタロスの後ろに庇われているレインはピクリとも動いていない。呻き声も口から零れる鮮血に飲まれて聞こえない。それどころか息をしているのかもわからない。

 

『……ん? もしかして言い方が悪かった? 人類(きみら)に合わせて表現するなら「十日後」という意味だけど……人類(きみら)にとっても短いでしょ? だから、レインを殺す必要はないよ』

 

 クリュスタロス(こいつ)も理解できない。「大切な存在が傷つけられそうになれば守る」と宣言しておきながら、守ろうとする存在がたった十日……神に次ぐ長き時を生きる『大精霊』から見れば瞬きと同程度の時間で死ぬとわかっているのに、表情にも声音にも揺るぎはない。

 

 永久凍土のように固く冷たい声で、クリュスタロスは続ける。

 

『それに……()()()()なんてしたくないだろう?』

「! どういう意味だっ!!」

 

 聞捨てならん、とばかりにリヴェリアが鋭く問うた。

 

 恩人で想起するのは『遠征』と『人造迷宮(クノッソス)』攻略だ。特に後者はレインがいなければ死者の数はさらに増えていただろう。感謝もしていたし、被害者(フィーネ)を無意味に責め立て傷つけた罪悪感だってあった。

 

 しかし、この騒動での罪状を前にすればあまりにも足りない。原因を考慮すれば非はこちらにあるが、やり過ぎた。理解はすれど納得はできない、何事にも限度がある。

 

 だが……クリュスタロスの『恩人』は違う気がした。眼前の精霊は知性がない訳じゃない。人類の掟にも理解があることもクリュスタロス自身が明かした。罪には罰を与えることも肯定している。

 

 尖った視線を向けられる当のクリュスタロスは、ぐるりと人類を見渡して――初めて変わった。

 

『……はぁ。ここまで説明しても……わからないのか』

 

 変わったのは目の色。その瞳にこちらを侮蔑する光が宿る。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……それでは慈悲がありすぎる』

 

 変わったのは声音。それには明らかな殺意が含まれた。熱された金串を押し付けられているのと変わらない寒気が肌を刺す。

 

 今日だけで何度心を折られて士気をかき消されたのかわからない冒険者達は、長年の戦いで身体に染み付いた構えを反射で取る。立ち向かう意志は、両足と意識を失っても殺意は絶やさない狼人(ウェアウルフ)と、もう一度戦うために両断された胴体を治療されている天真爛漫なアマゾネスから受け取った。

 

「さっぱり理解できん! 何を言いたいのかはっきりせんか! それでも大精霊か!」

 

 要領を得ない――どちらかと言えばまだるっこしい――話し方にガレスが鬱憤を爆発させた。味方への鼓舞も含めて怒鳴り散らした。ここで上の者である己が強気であらねば、下の者達に不安が広がる。夢物語でもいいから『勝てるかもしれない』という希望を与えるために、強い態度を示さねばならなかった。

 

 するとクリュスタロスは「ふぅ」と息を吐き、

 

 

 

 

 

 

 

 

『――ああもう面倒くっせえな!』

「「「「「!?」」」」」

 

 それが契機だったように、『豹変』した。

 

『レイン以外の人間(さる)に取り繕う必要性なんて皆無じゃねえかっ何で気付かなかった私は!』

 

 淡々としていたのが嘘だったように荒々しい言葉遣い。透き通った白髪を乱暴にかき乱す仕草は癇癪を起こす子供のようだ。なのに顔だけは眉一つ動かない無表情。無垢で正直かつ、醜悪で残酷に行動していた『穢れた精霊』と似て非なる不均衡(アンバランス)な言動。

 

 恐らくこれがクリュスタロスの『本性』。剥き出しになった氷の大精霊の正体に、冒険者達は恐怖を禁じ得なかった。

 

(覚悟はしていたが……やっぱり素を隠していたのか。力量は最低でもLv.7、頭脳は神に近いと考えるべきだ)

 

 人は変化に弱い。それも全てが変貌するのではなく、一ヶ所だけ微塵も変化がないのは恐怖を煽る。駆け引きの意図のあるなしは関係ない。前例(レイン)から心構えをしていたフィンは、与えられる情報――姿形や『恩人』等の言葉――全てを鵜呑みにしないよう戒める。

 

『ああそうかそうだったそうでした! レインだからできたことだったね! 腐って余る人間(さる)(カス)も一から説明してやらねえと理解できない脳みそしか詰まってないからねぇ!!』 

 

 大精霊はフィン達を認識していないように振舞っていた。空を仰ぎ、感情の高ぶりに身を任せて独白を続ける。

 

 かと思えば、ぐりんっ、と音がしそうな勢いで顔を向けてきて、

 

(つがい)になっては増えるしか能がない貴様等はどうせ、同族と神を死なせたレインを「悪」としか思ってねえんだろ!? ――全く以て見当違いなんだっ、愚か者ども!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誓い(やくそく)を破るなんていう不愉快極まりない真似をしでかした貴様等でさえ、レインは()()()()()()()()()()()()! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()! わかったか阿呆が!!』

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「眠ってんのか、俺」

 

 レインは反射的に自分に言い聞かせた。

 

 今いる場所は故郷である北の村、ノーグにある森の中だ……フィーネが住んでいた小屋がある小さな森。

 

 今回も、ここが現実じゃないのはすぐにわかる。自分がこれまで何をしていたのかは記憶にあるし、何よりここは眠らなければ来ることのできない領域だ。なにせ夢……それも悪夢の舞台なのだから。

 

 悪夢は決まってこの森の中から始まり、フィーネが死ぬ瞬間か、何もできずに絶望するだけの自分か、下卑た嗤い声を上げる冒険者崩れの面を見て終わる。

 

 しかし、夢がいつもと違っている。遠いけど見える距離にあるはずの小屋はなく、足元の黒い汚泥の大地は小枝が散らばる小道になっていた。そもそも小屋がある場所と違う……この道は、例の小屋から離れた彼のお気に入りの場所に繋がる道だ。

 

 細い小道を進む。夢から覚めなければいけないのに、今は覚めたいと思わなかった。

 

 夢の中に正確な時間があるのかは不明だが、空を見上げれば星が輝く夜空が広がっている。星明りのおかげで木の根に躓くことはない……これまた不明だが、『神の恩恵(ファルナ)』が夢の中でも働いているのか視界は昼間のように明るい。

 

「夜中にここへ来た覚えはないんだがなぁ……」

 

 なんとなしに独り言を呟き、嫌味なほど長い脚で枯れ枝を踏みつぶしながら進んでいくと、目的地に着いた。そして――。

 

「――貴方ねっ。私をこんな所に連れ込んだのは!」

 

 滅茶苦茶驚いた。夢でも見てるんだろうなー、と思っていたら、どっからどう見ても記憶から作り出した訳ではなく、魂がある人がいたから。

 

 見覚えのある少女だ。成熟して完成された美しさではなく、幼さと神秘性を併せ持つ美貌。くたびれたブラウスとスカートも少女が着れば、宝石の散りばめられたドレスより素晴らしい装飾品に見えてしまう。

 

「えっ……と」

 

 そんな少女――フィーネが眉を吊り上げてこちらを睨んでいる。見た感じ、出会ったばかりの頃の恋人が警戒心を露わにしていれば狼狽えるし、弁解しようと近付くだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「来ないで! 記憶喪失の幸薄美少女に笑顔で『すとーかー』って叫びそうな顔をした不審者!」

「ぐはっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふーん。貴方もいつの間にかここにいたのね。さっきは酷いこと言ってごめんなさい」

「ウン……ダイジョウブ」

 

 幼いフィーネと憔悴したレインは丸太の上に腰を下ろしていた……露骨に間隔を空けて。もし警戒せずに隣に座れば「用心はした方がいいよ」とは言おうとしてたけど、とても傷ついた。よくわかんないけど。

 

「何でかしら……初対面の人にこんなこと言うなんて。あの台詞(セリフ)も急に思いついたし。最近、怒るに怒れない絶妙な時期(タイミング)で告白してくるしつこい子がいるから疲れてるのかな?」

「うっ!?」

 

 唐突な言葉のナイフ。切れ味は抜群だ! 胡乱げな眼差しを向けられるので表面上では笑顔を必死に維持しているけれど、内心で盛大に泣いている。

 

(どうしてこの子がここにいる?)

 

 多分、エクシードの力だろうとレインは当たりを付けている。レインにエクシードの存在を教えてくれた女性から「エクシードはとっても希少なだけあって、様々な力があるわ。無防備な人の心に入ったり、断片的な未来を見たりね」と聞いた。

 

 『無防備な状態』には心当たりがある。フィーネは今もレインが張った結界の中で眠っているはずだ。精神的には無防備だろう。レインの夢に彼女が入っているのではなく、彼女の夢にレインが入っているなら夢の世界が夜なのも納得できる。しかし、フィーネは全ての記憶を失っている。フィーネもここにいる理由がわからないようなことを言っていたし、どうして幼い状態なのかは説明できない。

 

 もう一つ可能性があるとすれば……。

 

「ねえ」

「!」

 

 呼ばれて思考の海から浮上すると、フィーネがレインの瞳を覗き込んでいた。

 

「貴方を指すならこれ、っていうのを教えて」

「……名前じゃなくて?」

「まだ私は貴方を信用してないわ。貴方が名前を教えたら私も教えなきゃいけないじゃない。知らない人に教えたくない」

 

 一瞬、『無理矢理でも名前を教えるんだ。そうすれば繋がりが出来てワンチャンあるぜ!』という父親から伝授されたしょうもないテクニックを思い出した。すぐに忘却する。

 

 そして正直に答える。爽やかな笑顔で、冗談めかして。

 

「そうだな……世界最強、かな?」

「やっぱり不審者ね! あっちに行って!!」

「あれぇ!?」

 

 一気に警戒された。好きな(幼い)少女の目が汚らわしい物体を見る目になって泣きそうになる。

 

「『世界最強』なんて自意識過剰な人しか言わないわ! それに最初に不審者って呼んだ時、凄く傷ついた反応したもの! 誤魔化せないわよ!」

「ほ、本当なんだって。指一本で倒立とかもできるんだよ」

 

 フィーネの目が更に冷たくなった。最早涙目になったレインは、不安定な丸太の上で右手の人差し指だけで倒立をする。嘘じゃなかっただろ? という気持ちを込めてニヤリと笑い、様子を窺えば、

 

「今の貴方、『不審』以外に表現する言葉がないって気付いてる……?」

 

 夜の湖の畔にある丸太の上で、しかも十代前半の少女の前で軽業を披露する黒ずくめの男。……うん、確かに怪しすぎる。何食わぬ顔で空中四回転半の絶技を決め、そのまま流れるように丸太に座った。

 

「……貴方って不思議な人ね。感想が『すごい』しか出てこない凄技ができるのに、私がちょっと意地悪するだけで泣きそうになる。情緒不安定?」

 

 もし君じゃなかったら、頬骨が砕け散る力で殴り飛ばすか、尻が腫れ上がるまでしばくと教えたらどうなるか気になったが自重した。夢の中でまで、自ら嫌われに行く趣味はない。

 

「ねえ」

 

 フィーネが呼ぶ。レインは微笑んですぐに反応する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしてそんな『笑顔』を浮かべているの? 貴方の作り笑い、見てると凄く悲しくなる。……なんていうかこう、本物と偽物を混ぜ合わせたみたいな……」

「――――」

 

 手で空中を揉む仕草をするフィーネからレインは目を逸らした。自分がどんな顔を浮かべているのかわからない。しかし、この少女に見られたくないと思った。

 

 なのに、フィーネはわざわざ立ち上がり、レインの前にやって来た。何回も不審者と言ってきたのに……心の中で乾いた笑い声が漏れる。

 

「話してよ。このままじゃ夜も眠れない。話してくれたら私をここに連れ込んだこと、許してあげる」

「……長くなるよ」

 

 頭では隠そうと思ったのに、口は勝手に動き出していた。

 

 

 

 ――三年くらい前かな。とある国の住人を皆殺しにしたんだ。

 

 その国の奴等は特殊なエルフ達を迫害していてね。エルフなのにドワーフより力が強くて、治癒能力がとてつもなく高くて、何故か女性しか生まれないで、太陽の光を浴びたら灼け死ぬ体質で……一人だけ例外はいたけど。それだけであの国は、「このエルフ達は人間じゃない、モンスターだ。だから何をしてもいい」なんて抜かしやがった。

 

 強姦、拷問は当たり前。モンスターと呼んでおきながら、その国では強姦しても『怪物趣味』にならないんだ……屑だろ? 人体実験の為に生まれたばかりの幼子を攫っても何とも思わないどころか、どれだけ苦しませて殺せるかで、立派な大人になれたかが決まる国だ。聞き込みをすれば嬉々として口を開いた……その在り方に、一人として疑問に感じてなかったよ。この国の住人は、全てを都合よく思考する種族だったのか、話が全然通じなかった。他の国の様子を教えてもね。

 

 逆にエルフ――彼女達は善人ばかりだった。自分達を害そうとしてくる馬鹿どもを追い払うだけに留めて、滅多に命を奪うことをしない。外部からの人間を信じようと努力もしていた。一人の例外が馬鹿みたいに強かったから、少し余裕があったんだろうね。僕もすぐに仲良くなれた。

 

 で、その国が彼女達の住む特別な森――ああ、その森はいつも霧に覆われているんだよ――を焼き払って無理やり誘い出すことで、手元で家畜同様管理する計画を実行したんだ。迎え撃とうとする彼女達を抑えて、僕は一人で全てを殺した。

 

 その時は「皆が手を下してしまえば立場が悪くなる。ここに留まる必要がない僕がやるのが最善策だ」なんて言って納得させたけど、本当は違う。彼女達の手を汚させたくない気持ちも確かにあったけど、それ以上に屑がのうのうと息をしていることに我慢ならなかった。

 

 それでも命を奪うのは悪いことだから……この時の選択は正しくはあれど、善行ではないと決めた。でも、それを『悪』だと断じれば、彼女達を救った結果も『悪』になる。そんな馬鹿な話があるかよ。

 

 

 

「そんな偽善を何度も繰り返してさ。それぞれに自分の中で答えを出した気になっておいて、いくつかは答えを出せていない。僕に復讐しようとしている子がいるけど、その子は僕を殺さないと好きな人達のいる場所へ逝けない。殺すなり殺されるなりすればいいのに、そのままずるずると先延ばしにしてる」

 

 レインは落ち着いた声で語る。

 

「……個々では答えを出せてない悩みも、全部ひっくるめて考えれば答えは()()()()

「『出ていた』……今は?」

 

 隣に座ったフィーネがレインの横顔を見ている。レインは努めて普通の声と顔で、告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕は……【竜之覇者(ドラゴンスレイヤー)】の『呪い』を受けてしまった」

 

 少女に顔は向けない。星の光を跳ね返す湖だけを見つめる。

 

「『呪い』はあらゆる感情を狂わせる。食欲、睡眠欲、性欲、怒り、悲しみ、喜び、楽しみ、承認欲求、自尊心……。急に腹が立ったり、悲しくなったりする」

 

 本来なら一日と経たずに自我を失う『呪い』。レインは狂うことを許さない【憎悪魂刻(カオスブランド)】で正気は保てるが、欲を抑える自制心には限界がある。

 

「だから、僕は自分に嘘を吐いた。これは違う、こちらが本物、といった具合にね。そして……自分を欺き続けた代償に、自分の気持ちのどこまでが嘘で、どこまでが本当なのか、区別できなくなった」

 

 デメテルの眷属と【ロキ・ファミリア】の信用失墜の件は、解釈次第でどうとでもなる。しかし、レインはデメテルに土下座をされた覚えはない。なのにヘスティアに嘘だと咎められなかった。

 

「今だって、一人の少女を救うために大勢の人を殺して、それを『悪』だと思い込もうとしている。本当は正しいことをしていると決めて、気持ちだけでも楽になろうとしているのに。この考えも、そんな自分を責めることで楽になろうとしているかもしれない」

 

 笑顔の仮面を被って、自分も他人も欺いて。欺き続けたその先に、自分の本心もわからなくなった愚かな男。それが今のレインの正体。

 

「『約束の(とき)』もそう。僕が命を捨てれば成し遂げられると思ってる。高潔な自己犠牲で死に理由を付けている」

 

 フィーネを蘇生する際に死にかけたレインは、アミッドを泣かせてしまった。もう二度と泣かせないと決めたはずなのに、レインの命はあと僅かだ。

 

「大切な人もいるんだから生きたいと願うはずが……もう、わからない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……貴方は、凄く優しいのね」

 

 幼いフィーネはそう言った。とても悲しそうな顔で。それを見たレインは慌てた。

 

「いやいやっ、これ作り話だから! 格好付け過ぎで逆にダサい! って笑う話だよ! そもそも今の話でどうして優しいに繋がるの!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は……誰かの為に死ねない人間だから。貴方が自分を『世界最強』と言ったのを馬鹿にしたけど……私は、我が身可愛さに世界を滅ぼす世界一の屑よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私にも『呪い』があるの。好きになったモノに『破滅の未来』を創り出す呪いが」




 補足説明。

・クリュスタロス。
 封印されたのでグレた。レイン以外はほとんど生きてる価値なしと思ってる。レインが隠していたことを暴露しているが、決して同情を引くためではない。

・フェニックス
 こちらは詠唱文にある通り『怒っている』ので人型になれない。

・【竜之覇者】
 原作では竜から見て『人らしく生きられなくなる』から呪いだったが、今作ではデメリットがでかい『呪い(スキル)』になっている。反魔法障壁(アンチ・マジックフィールド)が魔法しか吸収できない理由がこれ。『ベヒーモス』の心臓の欠片を取り込んだフィーネも異常になっていたんだから、レインはそれ以上の状態異常があります。壊れかけ。

 今作レインは原作よりキツイ状態と思ってください。レインがフェルズから報告を受けた時、眠っていたのに疑問を覚えた人はいますか?

 記憶喪失のはずのフィーネが何で呪いの詳細を知っているのかや、夢(?)の真相、レインの寿命云々は次回。わかった人は胸の中に留めておいてください。

 レインもエクシードの真髄は人から教えてもらいました。
 


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七十話 『英雄証明』

(遅すぎる)あけましておめでとうございます。遅れた理由をダイジェスト

 この年頃の子供が使える言葉ってなんだろ?
→ならニワ……なんちゃらの杖が出てくる魔法小説を読もう!
→久々に読むと面白いな……あっ、進んでない。
→進まねぇ……寝よ。
→めっちゃ進む! 眠くなった。寝よ。

 15000字を超えました。言い訳と補足説明があとがきに。
 どうぞ。





「私はこの世界に生まれ落ちた瞬間から呪いを宿してた。好きになった人を、物を死なせ(こわし)ちゃう呪い。好きになった全てに絶対に避けられない死の運命を創り出す。私が世界を愛してしまえばたったそれだけで、世界を滅ぼす力を持つ事象が生まれる……」

 

 先程までと立場が逆転したかのように、男に顔を見られないために伏せた少女は語る。

 

「お母さんとお父さんは『精霊の血が混じっていて、そのおかげで未来が見えるだけ』って教えてくれたけど。……知ってたの、そんな英雄譚みたいに綺麗な『奇跡』じゃないって。私が呑気に寝ている間、沢山の人に『私を殺せ』って怒鳴られながら暴力を振るわれていたのに、私には変わらず笑いかけて不安がらせないようにしててくれたの。私はずっと甘えてた……わざと優しい嘘に騙された」

 

 【終焉を齎す者】の忌み名を与えられた少女の小さい肩が震える。

 

「お母さんとお父さん以外にもっ……! こんな私に優しくしてくれる人達がいたの。不器用で、見栄っ張りで、誰よりも強くて優しい『冒険者』が。私は皆を好きになって、皆に甘え続けて――皆を死なせた」

 

 声に嗚咽が交ざり始めた。地面に受け止められる(しずく)は、どんな思いから溢れたのだろうか。どれだけの苦心を胸に隠していたのだろうか。

 

「皆、世界の彼方にいるとっても強くて、怖い『竜』に殺された……。私は見たの、『竜』が皆を引き裂いて、焼いて、食い殺すところを……。私さえいなければっ、皆は生きていたかもしれないのに!」

 

 隣にいる男に己の罪を語り終えた少女は泣いて願う。

 

「私は生まれちゃいけなかった! 生まれた瞬間に死ななくちゃならない存在だった! そう頭でわかっていたのに……皆を殺した罪から逃げてきた。ここに来るまで本当に忘れてた。だけど、今なら逝ける。やっと皆に謝れる。どんな理由と思惑があったとしても、誰かの為に命を懸けられる貴方になら――」

 

 そう言葉を切って、少女は涙ながらに男に叫ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お願い――私を殺して!!!」

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 クリュスタロスは無知を許さない。他ならないクリュスタロス自身が無知な人類に舌先三寸で丸め込まれて力を貸した大精霊によって封印されたからだ。献身的に人類を救済し続けてきたクリュスタロスは、守ってきた庇護者(じんるい)に裏切られたと理解した瞬間に『壊れた』。術者(レイン)の詠唱文にある通り『無慈悲』となり、封印から解放される機会があれば世界を氷漬けにして滅ぼすつもり――明かしていないがフェニックスも同様――だった。

 

 しかし何の因果か、二柱の大精霊は一人の少年の『魔法』として顕現し……救われた。

 

『お前等は伝え残されてきたような「魔獣」じゃない。ほいほい嘘に流される馬鹿なんぞ死んで当然だ。……よく頑張ったな。これから先は自分の為だけに生きろ』

 

 初めて『魔法』を使って呼び出した少年の言葉は色褪せずに残っている。精霊使役魔法にある『術者権限(マスター・コマンド)』。自分達を強制的に支配することができる力を使わないまま、少年は丸腰でフェニックスとクリュスタロスに語り掛けた。

 

 ずっと欲しかった言葉は少年に忠誠を捧げるのに満足できる報酬であり、真実を独力で解き明かした事実は少年の為に生きようと思うのに十分な切っ掛けとなり、強力な大精霊を束縛も媚びることもせぬまま『友』として接してくれるその在り方は何よりも愛おしい。

 

 だからこそ。

 

 レインの『過酷』を知らず、レインに与えられるはずの『平和』を我が物顔で享受し、レインを『邪悪』と定めた痴れ者を許せない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『嘘だ、とでも言いたげに気持ち悪い面をするな……楽に殺してしまいそうになるだろうが。心配せずとも、貴様等の腐った脳みそでもわかるよう教えてやる』

 

 おぞましく恐ろしい台詞(セリフ)氷の大精霊(クリュスタロス)は欠片も歪まない無表情で吐き捨てる。相対している冒険者達は動くどころか、口を開くことさえできない。

 

 クリュスタロスから発生しているのは空気を震わせ、石レンガに罅を生じさせる威圧感(プレッシャー)だけではない。大寒波が訪れたのと相違ないほど低温の冷気も発生している。

 

 天からの視点を持たない下界の住人は気付けない。冷気は『ダイダロス通り』だけでなく、都市全域に及んでいることに。特に発生源である『ダイダロス通り』の冷気は一段と低く、冒険者達は足を氷で地に縫い付けられていた。それどころか血と汗に塗れた髪や包帯すらも凍り始めている。

 

 例外なのは白い炎に包まれているレインだけだ。少女(フィーネ)を守る結界には罅が入り、容赦のない冷気が少女の体温を奪い去ろうとしていた。

 

『ほら……誰も動けんだろう? 氷と冷気を操ることしかできない私だけでも、この「英雄の地」を滅ぼすのは容易いんだ。私と同格であるフェニックスも同じ。そんな私達が使役する(したがう)レインだって散歩感覚で滅ぼせる。これが貴様等の目が節穴である証拠その一』

 

 ピッと白い指が立てられる。まともに話を聞けているのはフェルズだけだろう。呼吸を必要としない永遠の愚者を除けば、誰もが『息を吸う』という生きていく上で当たり前の動作に全神経を注がねばならないのだから。しくじれば肺が凍ってお陀仏だ。

 

『その二。レインは【竜戦士化(ドラゴンモード)】を発動すると()()()()。理由は【ステイタス】が激上する代償に思考も「竜」に近付くから。「竜」の戦い方は知能の高さから敵の先を読み、それを圧倒的な力で捻じ伏せるモノ。弱者である人類の武器と言える「技」なんて使わない。レインの本領である「技」が一切使われなかったことに気付いた奴は……いる訳ないか』

 

 指が増えて二本になる。クリュスタロスは内容を理解してもらおうなどとは露程も思っていない。自身の言葉が聞こえていれば――見えていなかった真実を突き付けられていると感じさせれば――それでいいと、都市から容赦なく熱を奪い去っていく。魔石製品や『魔法』で火を起こそうと試みた者は絶望するだろう。瞬いた炎はあっさりとかき消され、一瞬の熱すら得られないのだから。あまりの寒さに泣いてしまえば、凍る涙が内部を圧迫して苦しめる。

 

『そして三つ目。レインは迷宮都市(オラリオ)に来る前から「爆弾」を抱えていてな? それが「黒竜」を倒してしまった故に発現した【竜之覇者(ドラゴンスレイヤー)】。この「呪い(スキル)」は発現した者を「竜」にする。正確には「竜」になるように、「スキル」そのものがあらゆる感情と欲望を限りなく膨らませてくる』

 

 三本目の指を立てる。前線に立つガレスは抉られた頬から侵入した冷気が徐々に体内を蝕んでいくのがわかった。未だに発動しているのが不思議な防護魔法(ヴェール・ブレス)によって進行は遅々としているが、そう遠くない内に重要な臓器が凍ってしまう。……抗う術は、ない。

 

『「竜」は欲を抑えない。己を動かす衝動のままに生きる生物。腹が減った時に暴食の限りを尽くし、睡魔に襲われた時に惰眠を貪り、気に食わないことがあれば必要以上の破壊を振りまく。……どれ一つ取っても、何度も心が折れて、挫けた貴様等の脆弱な精神では耐えられん己の本能と心と魂からの誘惑』

 

 もしも――もし【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】が『黒竜』を討ち取ったとしよう。そんな『もしも』があれば、世界は三日と経たず滅んでいた。レイン本人も知らないことだが、複数人での『黒竜』討伐に成功すると、【竜之覇者(ドラゴンスレイヤー)】と【竜戦士化(ドラゴンモード)】は参加した者……『黒竜』が敵と認めた者に発現する。人数差、Lv.差による強弱は二つの『スキル』にない。

 

 するとどうなるか? あちらはこちらより仲間が死んでいない! 連中はトドメだけ持って行った! この力は人が持つには大きすぎる! ……とにかく何でもいい。怒りでも、嫉妬でも、恐怖でも、感情を刺激される出来事があれば【竜戦士化(ドラゴンモード)】は発動し、人型の『黒竜』が誕生する。それも複数人という形で。

 

 【竜戦士化(ドラゴンモード)】は本来の【ステイタス】に『黒竜』の潜在能力をそっくりそのまま乗せる。しかも、この『スキル』が発動している間は大概正気を失った状態だ。【憎悪刻魂(スキル)】があったとしても自我と思考能力を失わず、フィーネの為と自制までしていたレインの精神力が桁違い過ぎるのだ。

 

 本来『黒竜』討伐は栄光で舗装された地獄への道である。その道を歩む者をたった一人に絞り込んだレインは、本人がどれだけ否定しようが間違いなく世界を救った『英雄』だ。

 

 地獄へ行くのは一人。『黒竜』を倒す代償に大精霊の『奇跡』を限界を超えて使ってしまい、更に竜からの『呪い』を抑えるために寿命(いのち)を削り続けるずっと孤独な男だけ。

 

 それがクリュスタロスには許せない。

 

 こいつらの同情なんているものか。こいつらから謝罪なんぞほしくもない。そんな逃げ道なんか絶対に与えてやらない。

 

『今も昔もこれからも、レインは貴様等を守り、守ろうとしていた訳だ。そして貴様等は恩をン万倍の仇で返すかの如くレインを誤解し、舐め腐っていた訳だ。「賢者」と崇められた魔術師(メイガス)ですら、レインに最大のヒントを与えられながら生かせなかった』

 

 世界の中心であるオラリオ。間もなく氷に覆いつくされる迷宮都市に響くのは一人分の冷えた声。

 

『完全に凍るまでざっと十秒。今貴様等がどんなことを思っているのかに興味なぞ欠片もない。だが困惑、恐怖、後悔、未練、罪悪感といった感情を吐き出して楽になりたいことは手に取るようにわかるぞ。――それをすることは許さん。永久に氷の中で死んだように生き続けろ』

 

 半端な温情はなく、中途な慈悲もなく、ただただ無慈悲にクリュスタロスは告げた。

 

 『氷の中で意識だけ鮮明なまま生き続ける』。動くことも、寝ることも、喋ることもできないまま無意味に寿命を消費する。誰一人として決して死ぬことはない。けれど、生きていると言える者も誰一人としていなくなる。

 

 これがクリュスタロスの与える罰。クリュスタロスの氷を溶かすことが可能なのはフェニックスの炎のみ。同じ精霊の力である『クロッゾの魔剣』だろうと力不足だ。よしんば届いたとしても、氷から生きて解放されるよう調節することはできない。

 

 氷も中の生物が死なないように調節されているのだ。微かな温度変化で閉じ込める『檻』から殺す『棺』へと変化する。生かすも殺すもフェニックスの裁量次第。そしてフェニックスはクリュスタロス側だ。

 

『……あと五秒』

 

 四。

 

 三。

 

 二。

 

 一。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ビチャリッ、と湿()()()音がした。――全てが凍り付くこの寒さの中で!

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 私を殺して――そこまでがレインの限界だった。

 

 腰に佩いていた剣を鞘ごと引き抜き――森の奥へ放り投げる。そしてフィーネに手を伸ばし、力いっぱいフィーネを抱きしめる。

 

 驚いたのか嫌がったのか、フィーネは抵抗するが……絶対に離させない。

 

「どうして……? 私は呪われているのっ! 同じ空気を吸うのも嫌がる人だって沢山いたのよ!? なのに、なんで――」

 

 フィーネは……困惑と怒りを込めて怒鳴った。

 

「なんで、貴方が泣くのよ!?」

 

 レインは泣いていた。瞳から流れる滴で肌を濡らし、嗚咽の代わりに抱きしめる力を強くする。

 

「同情のつもり!? そんなのいらない! 私に触らないでっ、哀れむくらいなら死なせてよ! もう嫌なの! 何か不都合があれば全部ぜんぶ私のせいにされる! 『呪い』の条件だって知っているくせにっ、何もかも私が悪いって決めつける! 私と私の『呪い』を不幸のはけ口にする人は皆嫌い!! こんな世界大嫌い!!!」

 

 紛れもない本音が心の底から溢れ出てきて止まらない。静かで綺麗だった彼女の瞳が、激しい感情で荒れ狂っていた。

 

 フィーネはずっと追い詰められていた。身に覚えがない罵詈雑言を浴びせられ、意味不明の正義を免罪符に殺されかける。敵に比べて味方は途轍もなく少なく、彼等の負担にならないために弱音を吐くこともできない。ぶつける先がない怒りと悔しさは蓄積し続け、そこに大切な人を死なせたかもしれない罪悪感がのしかかる。

 

 好きな人だけ周りから消えていく。嫌いな奴ほど生き残る。最後には孤立して孤独になる。幸せがなかったとは言わない。しかし、それを帳消しにして余りある不幸に見舞われた。幼い少女が心を守るには、記憶を隠すしかなかったのだ。

 

 フィーネは思いつく限りの言葉を叫んだ。手足を乱暴に振り回し、何度もレインを痛めつけた。

 

 レインは抱きしめる腕を緩めなかった。彼女が記憶を取り戻したことで爆発した不満を全て受け止めた。目を殴られても呻き声を漏らさず、急所を蹴られても身じろぎ一つしない。

 

「私が何をしたの……ッ? どうして私だけ……お父さん、お母さん、皆……会いたいよぉ……」

 

 どれだけの時間が経ったのか。フィーネの慟哭は鳴り止み、レインの肩に顔をうずめていた。

 

「死にたい……。私も私が嫌いな人達と一緒……自分の欲を優先してる。近い内にあの黒い『竜』が世界を壊す……私のせいで……」

「――君のせいじゃない」

 

 フィーネが話し始めてから黙りこくっていたレインが、初めて口を開く。

 

「……なんでそう断言できるの!? 終焉を齎す『竜』を殺せる人はもういない! 他ならない私がこ――」

「だって僕、その『黒竜』に勝ったし。一人で」

「………………………………………………ふぇ?」

 

 ――間抜けな顔でもこの子だと凄く可愛く見えるな。辛い記憶とかシリアスな空気を忘れてしまったような表情を浮かべるフィーネに、レインは益体もないことを考えながら彼女の背に回していた腕を戻し、片膝を地面に付けて視線を合わせる。

 

「言っただろう? 僕は世界最強だって。『黒竜』を倒したから最強なんだよ。だから呪われたんだけれども

「えっ……えっ? 嘘でしょう?」

「ここまで信じてもらえないとか傷つく」

 

 レインは思わず苦笑した。

 

「僕の好きな人は何でもできると言ってくれた……歌と絵は論外って断言されたけど。とにかく、僕は大概のことができる。――それこそ、君の『呪い』とやらを封印したりね」

 

 フィーネが目を見開いた。クリュスタロスの『凍結』は『封印』と似通った性質をしている。肉体に使えば仮死状態に。恐らくレインにしかできないが、魂に使えば【ステイタス】を封じられる。後者は使用状況が限られるせいで確証はないが、ほぼ確実に実現できる。

 

「君の本心を教えてほしい。君は死にたい? それとも生きたい?」

「どうして……私に優しくしてくれるの?」

 

 いつしか彼女から感情は削ぎ落され、レインの瞳だけをまっすぐに覗き込んでいた。

 

 彼女はこんな都合のいい話がある訳ないと諦めかけている。同時に、彼女はレインの返事を恐れている。その都合のいい話があってほしいと。

 

 レインは目を逸らさない。フィーネの手を両手で包み込み、きっぱりと告げる。

 

「世界の全てが君の敵になったとしても、僕は最後まで君の味方でいる……そう決めてるんだ」

「なんて意地悪な夢なのかしら……。こんな優しさを知ってしまったら……戻れなくなるじゃないっ」

「夢はそういうものだよ。遠慮なく願いを言っても大丈夫。現実だったら儲けもんだと考えればいい」

 

 レインを知る者が見れば信じられないほど優しい声音。彼はフィーネが答えるまで手を握り続けた。

 

「……………………………………生きたい」

「それだけ?」

「私の傍にいてくれるおばあちゃんと一緒にいたい。……こんな私に好きだって伝えてくれた人に、私も貴方が好きだと伝えたい!」

「……それだけ?」

「嫌いな世界に、負けたくない!!」

「……君の本当の願いは?」

 

 涙を流す少女は叫ぶ。今度こそ、本当の願い――助けを求める声を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから、お願い――私を助けて!!!」

「――ずっとそれを聞きたかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 言うが早いか、レインはフィーネの胸に手を伸ばし、()()()()

 

「【凍え震えろ(フリーム)】」

 

 ――本来、大精霊の『奇跡』は大精霊を呼び出さねば使えない。しかし、今はできるという謎の確信があった。

 

 エクシードでフィーネの魂を探る。隅々まで念入りに確認し、その『呪い』らしきものの活動が停止しているのがわかった。

 

「これでもう大丈夫。周囲で不幸な出来事があったとしても、それは絶対に君のせいじゃない。余程そいつの運が悪かったか、俺の封印が不完全だったかだ――っと?」

 

 万が一のために全ての責任を自分に向けようとしていたら、フィーネが力なく倒れ込んできた。受け止めて彼女の顔を見てみると、ひどく眠そうにしている。

 

(そうか……もう時間が来たのか)

 

 これはただの夢じゃない。間違いなくエクシードによってこの場が用意され、今のレインと六年前のフィーネが招待された。フィーネと恋人になって約一年、ずっと無事でいられた絡繰りが解けた。あの冒険者崩れも自分(レイン)の運が無かっただけで、彼女に一切の非がないと判明して一安心。

 

 そっと息を吐く。特別だろうと夢は夢。間もなくレインの意識は浮上する。その前にやっておかねばならない措置がある。

 

「……君が幸せになれるおまじないをしよう」

 

 フィーネの頭を柔らかく撫でながらエクシードを発動させる。彼女はここであった出来事を覚えていない方がいい。躊躇なく記憶を消す。……エクシードもただの発展アビリティで済ませるには汎用性が高すぎるし、まだまだ隠された能力があると考えた方がいいだろう。

 

 頭の片隅で己の能力の検証をぼんやりと決めていると、ここでやるべきことは全て終わったとばかりに、意識は急速に浮上していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――レイン……ありがとう」

 

 その言葉が自分の心が作った幻聴なのかわからない。しかし、もうレインは迷わない。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 勢いよく振り返ったクリュスタロスは目に映る光景が信じられなかった。

 

 彼が倒れたのは意図的なエクシードの暴走。精神力(マインド)と似通った性質のエクシードにも魔力暴発(イグニス・ファトゥス)と同様の現象はある。損傷(ダメージ)はエクシードの暴走の方が遥かに大きい……比べるまでもないほどに。

 

 少なくても丸一日は失神している。意識が戻ったとしても喋るだけで精一杯。立つどころか精神力(マインド)を練り上げて『魔法』を発動することもできない。

 

 そのはずだった。それを前提にしていたからこそ、クリュスタロスは猛威を振るった。彼が復活しても取り返しがつかない状態にするべく邁進していた。

 

『どうして……』

 

 なのに、彼は――レインは立っていた。夥しい量の命の雫を滴らせ、失血と激痛で力が入らないはずの身体でありながら、魔剣を地に突き刺して立っていた。

 

 ありえない。クリュスタロスはそう否定したくても、『レインだから』という理由で腑に落ちてしまう自分がいた。彼が『神の恩恵(ファルナ)』を背に刻まれた時から見ていた。ずっと、片時も離れずに。

 

「【猛り焦がせ(ベノン)】――炎よ」

 

 レインに操られるフェニックスの炎が白い波紋となって広がっていく。光粒を散らす焔の衣は抱きしめるように、包み込むように氷に触れては溶かしてゆく。

 

 やがて……氷は溶けて消えた。己の力で生み出した特殊な氷だったからこそ、鮮明に知覚してしまった。

 

『どうして……ッ! どうして邪魔するんだよ!?』

 

 溶けない氷の化身は悲鳴じみた大喝を上げた。

 

 クリュスタロスはレインが大事だ、大好きだ。

 

 レインは報われるべきで、幸せになるべき人間だ。『黒竜』だけじゃない。隠れ潜み、長い年月をかけて力を蓄えたモンスター、神を取り込んで『神の力(アルカナム)』に準ずる超常の猛威を振るった『黒い魔物』。フェニックスとクリュスタロスだってそう。レインがいないだけで世界は幾度も滅んでいた。

 

 レインは地獄へ続く道を歩んでいる。舗装しているのは全て『困難』と『苦痛』。行く手を阻む逆風も吹いている。進むだけで彼を傷つけ苦しめる。

 

 レインが守る世界は糞だ。蔓延る醜悪と澱みを彼一人に排除させるくせに、『平和と幸せ(ほうしゅう)』の恩恵を享受するのは生きる価値もない屑ばかり。

 

 だからクリュスタロスは選んだ。世界と引き換えにレインを生かす選択をした。

 

 【竜戦士化(ドラゴンモード)】の元となる『黒竜』は不老だ。そうでもなければ衰えずに生きていたことに帳尻が合わない。つまり、完全に『黒竜』となってしまえば寿命に縛られなくなる。

 

 レインが【竜戦士化(スキル)】に身を委ねないのは守る対象があるから。なら――それをなくしてしまえばいい。彼の家族、友人……そして恋人。

 

 結果として殺されてもいい、憎まれてもいい。彼が生きていてくれるなら、それで良かったのに――

 

「――ありがとう、二人とも。俺のために怒ってくれて。もう、大丈夫だから」

 

 彼の隠していた寿命をバラして、彼の計画を台無しにしようとして、彼の恋人を殺そうとしたのに。彼が気付かないはずがないのに。彼はこんな『魔獣』に笑ってくれる。

 

『……絶対に負けるなよ』

「もちろんだ、クリス」

 

 破損させてしまった結界の代わりに氷でフィーネを包み、二柱の大精霊は姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(絶対に血が半分以上なくなってる……左目が見えない……ああ鱗のせいか……剣が重てぇ……手足を千切れば少しは軽く……腹減った……眠い……)

 

 レインは瀕死である。正直、目を開いているのも億劫だ。感情を乱して破壊の化身となりかけたため、咄嗟にエクシードを暴走させたが、【竜戦士化(ドラゴンモード)】の影響でエクシードの量も増加していて予想以上の損傷(ダメージ)を受けた。Lv.9の強靭性(タフネス)とアビリティ評価Sの『治力』がなければくたばっている。治したくても傷は特殊で、過去使用した蘇生魔法同様、治りがとても遅い。

 

 フーッ、フーッ、と死にかけた獣のような息が漏れる。背筋は老人並みに曲がっていた。引きずる剣と血糊で歪なレッドカーペットが出来上がる。格好付けずにフェニックスに傷を焼いてもらうなり、クリスに凍結してもらうなりすればよかった、とちょっぴり後悔もする。

 

 どれほどの時間を浪費したのかは知らない。それでも、ちゃんと歩けていたようだ。

 

 翡翠色と美しい魔杖。焦げ茶色と無骨な大戦斧。黄金色と銀色の槍。竜角が爆ぜて割れた額から流れる血が入って赤くなった上に、半分欠けている視界でも、それらはよく見えた。

 

「よぉ……勇者サマ。お前等……っぐ、正義の味方名物、『都合よく敵が弱る』が起きたぞ。喜べよ……っ」

 

 自慢の一つである白い歯を見せるように笑ったが、血を吐いた直後に失敗を悟った。血を吐きすぎて歯が真っ赤になって、歯を見せつける意味がない。相手は歯ぎしりしているかもだが、目が霞んで表情までは見えない。

 

 きっとそうだ。憤怒の表情ならわかるが、泣きそうな顔は見間違えに違いない。

 

「レイン……もう、やめにしないか?」

「はっ、何を言うかと思えば……俺に降伏しろと? つまり、俺に負けを認めろと抜かすのか?」

「違う。降伏するのは、僕達だ」

 

 レインの瞳に驚愕が映る。七年前、二人のLv.7に蹂躙された時にも徹底抗戦の意志を緩めなかった【ロキ・ファミリア】の首領が死にかけのLv.9一人に降伏するなど、予想だにしなかった。

 

 戦力は十分にある。まだ団員も半分程度は生きている。フェルズも【フレイヤ・ファミリア】幹部がいる穴に飛び降りていた。全癒魔法があればLv.8が一人、Lv.7が三人を万全の状態で復帰させるのも訳ないだろうに。

 

 友達(クリス)に何を吹き込まれたのか知らないが……レインの意志は変わらない。

 

「今の言葉……俺が殺した人の前でも言えるか?」

「ッ」

「俺に、づっ……どんな崇高な使命があろうと、多くの犠牲を出したことは変わらない。迷宮都市を守護する派閥として、都市を滅ぼそうとする敵に容赦をするな――(オレ)を、見くびるな。子供でもわかる悪い理想を語らなければ殺せないほど……弱者(ガキ)じゃないだろう? ……そういう言葉(こうふく)は、戦いが始まる前に言え」

 

 有無を言わせぬよう剣を構える。湧き上がってくるのは底なしの殺意と威圧感(プレッシャー)

 

 なるべく殺さないという手加減(じせい)はもうしない。ここからは、納得するまで剣を振るう。

 

 誰かが何かを叫んでいる――ほんの少し前まで聞こえていたのに、どうやら聴力も著しく落ちてしまったようだ。しかし、周囲で昂る戦意が教えてくれる。

 

 弱者の抵抗を、正義の咆哮を、未来への意志を!

 

「泣いても笑っても……お前等と戦うのはこれが最後だ。悔いも未練も残さずに、全力でかかってこい――『英雄』になりたいのならば!」

 

 宣言すると同時、レインは地面スレスレの前傾姿勢で疾走した。

 

 

 

 ♦♦♦ 

 

 

 

 死に物狂い、無我夢中、全身全霊、一心不乱、ありったけ。これらの言葉が相応しい死闘は目の前の戦場で繰り広げられている、と選ばれなかった冒険者は理解した。

 

「弓兵、構え! ――撃てっ、撃ちまくれ! 団長達なら避けてくれる! なんならガレスさんは当たっても大丈夫だ!」

「『魔法』も片っ端からブチかませ! とにかく攻撃を途絶えさせるな!!」

「回復も入れろ! 壁役(ウォール)治療師(ヒーラー)を守れ!」

 

 駆け回るのは【ロキ・ファミリア】。彼等の顔に油断はなく、回す足も緩まない。何故なら――

 

「かっ?」

「オルバ!?」

 

 一人の首が前触れもなく()()()。悲鳴を上げた魔導士の少女が足を止めた瞬間、彼女の身体が左右に()()()

 

「~~~~~ッ!! 絶対に足を止めちゃ駄目っす! 『並行詠唱』ができない人は大人しく抱えてもらうんだ! 死にたくないなら走るっす! 仲間を死なせたくないなら、仲間の死を無駄にしたくないならっ、全力で走れぇ!!!」

『っ、おおおおおおおおっ!!』

 

 自身も弓を携え、小人族(パルゥム)の治療師を抱えて走るラウルの大声。怖がっていても気丈に振舞う次期団長候補の叱声に、団員達は怖気と吐き気による硬直を振り払ってひた走る。

 

 『アレ』に遮蔽物は意味をなさない。選ばれていない凡人(じぶん)達にできる『アレ』の対処法は移動するだけ。直接あの『化物』と命のやり取りをする幹部に比べ、走るという基礎的な動きしか抵抗もできない。その事実に悔し涙が止まらない。

 

「あっ」

 

 涙で前が見えなくなってしまった男性団員(エルフ)が躓いた。近付く地べた。傾く視界に映る戦場。

 

 都市を揺るがす大剣と大戦斧の剛撃。間を縫うように繰り出される槍、剣、杖の柔撃。星の如く輝く膨大な火花。

 

 それら全てを無駄なく打ち落とし、武器の柄で攻撃の軌道を変えて同士討ちを誘発させ、あまつさえ相手の武器の上を回避場所に変えてのけるは漆黒の死神。 

 

 死神の得物である青白い魔剣の光の軌跡が見えた――その思考を最期に、男の意識は深い闇に落ちていった。

 

「ボサッとすんなぁ! 仲間(てめぇ)が死んだら団長の気が散るだろうが! ブチ殺すぞ!!」

「はいぃ!?」

 

 違う。男はまだ生きていた。現実を見れば、斧槍(ハルバード)を振った体勢の女戦士(アマゾネス)本気般若(マジギレ)顔が。庇われた礼を言うのも忘れて、限界を超える速さで走り出す。

 

「クソッ……!」

「……ッタレがぁ!?」

 

 戦場でヘディンとアレンの悪態が繋がる。思わずといった風に漏らした二人は、互いに貶すこともなく戦闘に意識を再集中させる。

 

 ――先刻から【ロキ・ファミリア】の命を淡々と奪うのはレインの『遠隔攻撃』。それも《ルナティック》の力ではなく、()()()()()で放たれる『見えない斬撃』だ。

 

 今のレインに『魔法』を使う余裕はない。《ルナティック》の『遠隔攻撃』は詠唱が必要ないだけで仕組みは『魔法』とほぼ同じだ。使うことは不可能ではないが精々二、三発が限度であり、威力も落ちる。超速戦闘の最中では使うつもりは毛頭なかった。

 

 しかし、死の淵に足を踏み入れたことでレインは殻を破った。知識にあるだけだった極東の武術、居合の極致、『横一文字』――真空の刃を発生させるに至った。

 

 対峙する側からすれば悪夢以外の何でもない。いっそ悪夢であればどれだけ救われたか。『魔力』の兆候がない不可視の攻撃は有無が判別できず、剣の軌道に入らぬよう神経を擦り減らすハメになる。戦線維持のために離れられない回復要員達は、的を絞らないよう動き回り体力(スタミナ)精神力(マインド)を消耗していく。

 

 それだけではない――。

 

「ぐおっ!?」

 

 一撃目を受け止めた瞬間、流れるように首に迫った二撃目をギリギリで()()()()()()()ガレスの掌から血が噴き出る。

 

 『武器破壊』ならぬ『持ち手破壊』。武器をぶつける際に発生する衝撃を逃がさず、相手の身体に押し付ける技。連続でレインの攻撃は受けられない。必然と連携の難しい――おまけに敵対派閥同士――大人数での戦いを強制される。

 

 現時点でのレインの【ステイタス】はLv.6の中堅程度。【ステイタス】という絶対の(ハンデ)も、レインの前では意味がない。

 

 意識の隙を突けば攻撃は通る。戦う相手の未来(さき)がわかるのだから、速かろうと避けるも防ぐも容易い。そして戦えば戦うほど、レインの【ステイタス】は上昇していく。正確に眼を狙って飛来した矢を掴み取り、一呼吸で射手に投げ返す。

 

 瀕死になろうと、戦況は天才(レイン)に傾いていた。時間の経過とともに顕著になり、冒険者達の士気は風前の灯火になろうとしていた。

 

 ()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴォン、ゴォォン――――と。

 

 前触れなく。予告はなく。予兆もなく。

 

 大鐘楼(グランドベル)の音色が響き渡った。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 人型の黒い竜。最初にその姿を見た時は、『恐ろしい』としか思えなかった。

 

 人の身には過ぎる雷霆。抗うことを許さない絶殺の砲口を向けられた時は、心の天秤が死の安寧に傾いたのを理解した。

 

 氷の大精霊が言った通り、ベルの心は折れて、挫けて、ボロボロだった。『竜』の一挙一動に子兎のように怯え、自分より強い冒険者が吹き飛ばされる度に何度も何度も絶望感を味わい、意識のない女神と憧憬の少女を抱える腕に力を入れた。

 

 とっくに諦めたはずだった。片角の猛牛(ミノタウロス)漆黒の巨人(ゴライアス)、【アポロン・ファミリア】、【イシュタル・ファミリア】の全てを足しても次元が違う。象と蟻どころじゃない。明確な意思を宿す世界と蟻くらい差がある。勝ち目以前に勝負にならない。

 

(そのはずなのに――)

 

 視線の先で繰り広げられる『死闘』が、胸の奥にある熱い感情(なにか)を呼んでいる。

 

 ベルの視界に映る黒衣の戦士。

 

 レインの動きが()()()()()。朝焼けに照らされながら叩き込まれた剣筋、戦闘本能、Lv.3の動体視力と直感を動員しても霞んでいて、反応できても防げないだろうが、見えるのだ。

 

 先程までのレインは何もわからなかった。動いたのか動いてないのか、それすら知覚できなかった。

  

 今の彼は弱っている。武器を振るえば鮮血が舞い散り、攻撃を逸らせど血を吐き出す。攻めても命が削れる。守っても命が減少する。いつ倒れても……それどころか死んでもおかしくない。素人のベルにすらわかることを、レインが気付かぬはずがない。

 

 それでも彼は――笑っていた。焦りと恐怖など忘れてしまったように、ふてぶてしく。状態(コンディション)能力(アビリティ)持久力(タイムリミット)が全て上の敵に不屈を胸に猛っている。

 

 勝利を微塵も疑わず、力尽くで掴もうと足掻く()姿()。ベルの狂おしい衝動(なにか)が心を繋ぎ合わせる。

 

(僕は、最低だ)

 

 沢山の命を奪った。沢山の人を裏切った。沢山自分達を傷つけた。嫌悪すべきだ、憤慨するべきだ、罪を償わせるために殺すべきだ。

 

 理性はそう叫んでいるのに……今、この時、ベルはレインに強く憧れた。真の竜の怪物を討った力に、笑えない剣術に、少女を人質にされただけでここまでする理不尽(あい)に『英雄』を見た。

 

 ヘスティアとアイズに精一杯謝りながら腰を上げる。同時に背後から聞こえた四つの足音。

 

 無事だったのか、と目だけで尋ねる。親友の鍛冶師は、俺の血が「逃げろ」と教えてくれた、と苦笑いをして答えた。

 

 小人族(パルゥム)のサポーターには二本の万能薬(エリクサー)を渡された。ベル様にはこれがいるでしょう、と黄色の『魔剣』を持つ彼女は笑った。

 

 極東の女武士は、お二方を退避させます、と女神と女剣士を静かに持ち上げた。

 

 ベルの身体を無数の光粒が包み込む。貴方様の足手纏いには死んでもなりません、と狐の巫女は最強の妖術(ランクアップ)を授けた。

 

 神の刃を掴む――嘘のようにあっさり引き抜けた。待ちくたびれたとばかりに《ヘスティア・ナイフ》が紫紺の輝きを放つ。

 

「リリ、お願い」

 

 手本は見た。彼は三つで自分は実質二つ。追いつきたいなら、超えたいならば、この程度はやってみせる。

 

 初めての相棒(パートナー)が『魔剣』を振り下ろす。解き放たれた迅雷がナイフに当たる瞬間、ベルは炎雷よ(ファイアボルト)、と速攻魔法を発動させる。

 

 そして(まなじり)を決し、『英雄の一撃』を召喚する。

 

 【英雄願望(スキル)】の引鉄(トリガー)、思い浮かべる『英雄(しょうけい)』は黒衣を纏い青白い魔剣を携えた、時代を通して最強の戦士――レイン。

 

 決着のために全ての力を漆黒のナイフに集め、荘厳な鐘の音を高めていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴォン、ゴォォン――――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あの光……18階層で見せた一撃か!)

 

 伸長していく業火と轟雷が融合した刃、乱舞する金と白の光。ナイフを手にして光を纏い、こちらを見据える白い少年。

 

(ベートの一撃と比べりゃ……こっちの方が遥かに上か)

 

 《フロスヴィルト》は『魔法』を喰らうだけ。ベルの『一撃』は【英雄願望(アルゴノゥト)】の蓄力(チャージ)の副次効果である『集束』と、『魔法』を流す精製金属(ミスリル)の高い魔力伝導率を利用したもの。当然の結果だ。

 

竜の鱗(ひだりて)でも……防げるかは五分五分だな)

 

 笑みが深くなる。なんせ、目の前に『黒竜』を殺す可能性を手にした存在がいるのだ。

 

 邪魔をする無粋な真似はしない。当たらぬ場所への退避も論外だ。真正面から迎え撃つ!

 

 無駄にでかい猪人(ポアズ)の顔面を踏み台に跳躍。ベルから三〇M(メドル)離れた位置に着地。今出せる本気の一撃を召喚する。

 

 ある意味ベルが行っている二種の『魔法』と斬撃強化の『三重蓄力(トリニティ・チャージ)』と同様、エクシードと『魔力』を練り合わせる。張っていた【シレンティウム・エデン】は気絶した際に解除されている。正真正銘、加減なしの『一撃必殺』。

 

 弓を射たり接近して殴ろうとする者もいたが、無駄に終わる。荒れ狂う『魔力』の奔流が嵐を巻き起こし、何人たりとも近寄らせない『風の結界』を形成したからだ。単純な出力も【エアリエル】を超えていた。

 

 余剰の『魔力』だけでこれほど。《傾国の剣(ルナティック)》に込められた『一撃』は想像を絶する。

 

「攻撃型の『魔法』を使えない者は退避! 使える者はここで全てをあの鐘の音に賭けろ! 後のことは考えるな!」

 

 フィンの号令。反射で冒険者達は従う。『異端児(ゼノス)』もフェルズに先導されて撤退していく。

 

 数多の詠唱が重なり合う。凄まじい『魔力』が渦を巻く……それでもレイン一人に届かない。化物が! と魔導士達の杖を握る手に汗が滲む。

 

 暗雲に覆われたオラリオの空に昇る『蒼』と『白』の光柱。唸り声を上げる魔の風と壮大な鐘の音。

 

 ベルの深紅(ルベライト)に黒髪が陰を落とし、レインの黒瞳を白髪が貫く。

 

 そして――大鐘楼がひと際高く鳴り響く。三分、最大蓄力(フル・チャージ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行けぇっ、ドラゴンキラーッッッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二〇M(メドル)超えの三日月型の斬撃が解放された。エクシードと『見えない斬撃』、どちらも肉眼では捉えられないはずが、込められた力が膨大過ぎて可視化している。

 

「【ヒルディス・ヴィーニ】!!」

「【レア・ラーヴァテイン】!!」

「【ティル・ナ・ノーグ】!!」

 

 黄金の一撃が、獄炎の紅花が、勇者の一投が炸裂する。『英雄の一撃』を無駄にさせないために、冒険者達は炎、氷、雷と千差万別の『魔法』を撃ち続けた。

 

 黄金の一撃は引き千切られ、紅蓮の花は無残に散り、勇者の槍は氷柱(つらら)のように砕け散った。それどころか『魔法』の衝突で『竜殺しの一撃(ドラゴンキラー)』から内包された力が漏れ出し、溢れた破壊の衝撃が容赦なく彼等の意識を刈り取った。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

 

 己の身を最強の一撃に変えて、ベルは雄叫びとともに突貫した。

 

 ぶつかり合う『竜殺しの一撃(ドラゴンキラー)』と『英雄の一撃』。途方もない威力故に衝撃はない。僅かな拮抗。

 

(僕の『力』が絶望的に足りない。押し負ける――!?)

 

 刹那、『敗北』の二文字がベルの脳裏をよぎる。しかし――それを捻じ伏せるような力強い腕が、ベルの背中に押し付けられた。

 

 驚いて顔を向ける。いたのは片角を欠けさせた漆黒の猛牛。片手でベルを支え、残った手で握る両刃斧(ラビュリス)と紅角を斬撃波に押し当てている。

 

 ――言葉はいらなかった。自然と意志は通じて、意地の咆哮は重なり合う。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』

 

 『英雄の一撃』が、『竜殺しの一撃(ドラゴンキラー)』を両断した。代償として粉微塵になるのは猛牛の右腕と右目と角。

 

 喉笛を噛み切る牙を持つ兎が迫ってくる。回避はできる。それでも選ぶのは『迎撃』。

 

 構えられる左手。装填するのは最速の『才禍の魔法』。哀れな兎を肉塊にする殺戮の福音。ベルが見るのは駆け巡る走馬灯だ。

 

「【福音(ゴスペル)】――【サタナス・ヴェーリオン】」

 

 唱えられた超短文詠唱。死を悟っても足を止めなかったベル。――()()()()()()()()()』。

 

 精神力(マインド)はある、魔力の制御も完璧だった。なのに、レインの計算を裏切る『魔法』の不発。

 

 振り上げられるナイフ。咄嗟に盾のように構える左手――唐突に剥がれ落ちる鱗。

 

(幸、運――)

 

 ベルにあってレインにないもの……それは『運』。神よりも存在があやふやなもの。レインはないと決め付け、ベルは発展アビリティとして習得した。

 

 鱗が剥がれた腕に突き刺さる『英雄の一撃』。ベルの手に確かな手応え。同時に腹部に衝撃を受けてナイフから手を離した。

 

 そして――大爆発。

 

 とある少女を守っていた氷は、衝撃と熱を受け止め切って砕けた。

 

 爆発地点に、手首から上だけの竜の手が乾いた音とともに落下する。

 

 意識がある者は『ダイダロス通り』からいなくなった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 こつこつ、と足音が一寸先も見えない暗闇に響いている。

 

 少しでも光源があれば影が一つ見えただろう。隻腕の人間を背負った人影が。

 

「まったく……私も軽い女だ。レフィーヤを殺さない契約と甘い言葉を囁かれただけで、こいつを守ろうと思ってしまうんだから。……いや、こいつの声にも原因が……」

 

 暗闇に小さな二つの赤緋色が浮かび……すぐに消えた。




・フィーネ 
 報われない子。二歳ごろから酷い目にあってた。それでも自殺せず、性格も歪まなかったレインの次に精神が強い子。
 13歳から『スキル』は発動していなかった。見ていた未来はエクシードで記憶を消されたことでエクシードに目覚めてしまったのが原因。レインが扉を見つけるまで『人造迷宮(クノッソス)』を探れなかった原因でもある。

 あの時空は謎。何が先に起きたのか本当に謎。エクシードは原作でも解説されてない能力があるので……。

・レイン
 報われない人。『黒竜』に勝ったら弱くなった。自分にクリュスタロスの『凍結』を使わなかったのは、使うと【ステイタス】が上がらないから。九割以上動きが落ちても無双。新しい技はバトル漫画に出てくる剣豪が必ずと言っていいほど使う技。絶対に使えるはず。
 スキルを封じる道具を作れないかフェルズに聞いたことがあるので、フェルズはレインのステイタスを見ている。

・最後の人影
 詳しいことは次回。

 レインが事に及んだ真相も次回。ヒントはばら撒いているつもりです。


 途中から何書いてるのかわからなくなった。口調も迷子。でもアステリオスがヒロインしてたのがわかる。アイズ? 気絶してたよ。ヒロインの座を奪われちゃった。


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七十一話 果たすべき約束

 二万文字超えたよ。最初は三万字もあったんだよ。用があるから次の投稿は二月の中旬以降になります。

 大事な話なので読んでください。

 作者はこの物語を書く時、ダンまちのキャラクター関連の人物や神話を調べて、さらにはダンメモ、オラトリアなどのセリフや新キャラの特徴を深読みして構想を練りました。
 ここからは完全にオリジナルの展開です。伏線を回収して文字が増えまくり、それで先を予想されないために区切ることができなくなり、途中で語彙が尽きたりもしてしまいました。

 それをご理解した上で読んでください。補足はあとがきに。


『レイン……お前に言い残すことがある』

 

『言い残すほど老い先短いなら酒を飲むな、白々しい』

 

『ノリが悪いぞ! ここは「な、なんだってー!」とか「親父……」ってしんみりしろよな!』

 

『アンタがフィーネを見殺しにしたと自供したのが四時間前。育ててもらった恩があること、俺を育てるために自分達の子供を作れなかったこと、最も悪いのが弱すぎた自分とわかっているから見逃しているが……本当に殺してやろうか?』

 

『おんやー? そんなこと言っていいのか? 最強(ゼウス)最恐(ヘラ)の「魔法」が欲しいんだろ? 教えないぞ――』

 

『――【福音(ゴスペル)】』

 

『うぼあぁぁ!?』

 

『次は当て……口が滑った』

 

『誤魔化せてねぇし言葉の使い方違ぇよ馬鹿野郎っ!! ある意味正しいかもしれんがな! どうすんだこれっ、内緒で買った酒なのに全然飲んでないんだぞ!? ついでに山も抉れたし!』

 

『……フェニックスはな、歌えるんだ』

 

『はぁ? 何だよ急に?』

 

『十分も聞けば精神崩壊。その半分の時間だけでも脱毛、幻覚・幻聴作用、不能や種無しにするといった悪影響がある』

 

『…………うそん』

 

『試してやろうか? 俺の昇華(ランクアップ)で精霊達も強化された。頑丈なだけが取り柄のアンタに逃げ出せると思うなよ……いっそのことやってしまおうか』

 

『すんません教えるんで許して下さい本当に遺言になってしまいますハゲと不能は死んでも嫌だ!』

 

『はぁ……時間を無駄にした。とっとと吐け。キリキリ吐け』

 

『――ふざけるのはここまでにして、と。本当に言わなきゃいけないことがある』

 

『何だ? 興味はないが言ってみろ』

 

『親に向かってなんて口を――手を構えるな話すから。……お前の本当の親の話だ』

 

『……!』

 

『近々「黒竜」を殺しに行くだろう? だから教えるんだ。いつか話すつもりだったし、それが今日になっただけさ。昔から勘が鋭かったお前のことだし、あの子の事情や俺達が本当の親子じゃないのも薄ら察してたんじゃないのか? だから三年も帰ってこなかった』

 

『……帰郷する理由がない』

 

『嘘下手か。「魔法」を聞きに来てるだろうがよ。バッチリぶっ放してきたけど。……気を遣わせたな』

 

『チッ……早く話せ』

 

『はいよ。お前の父親は……そうだな、一言で表すなら「クズ」に尽きる』

 

『一言でそれしかないのか。あんたよりも?』

 

『モチのロン。サポーターなのにすぐ逃げる。「よし皆、囮作戦だ! 皆は餌に、私は逃げる!」が口癖だわ、逃げた先で追い詰められて「誰かタスケテー!?」って泣き叫ぶわ、俺を「ばりあーっ!」とか言って盾にするわ。「私達は皆で一つ! 故に皆の功績はわたしのものに! 私の失敗は皆の責任に! どう転んでも私に損はない完璧な作戦だ、ふははははー!!」とかほざいたことだってあるくらいだ。肉体言語ですぐ大人しくなるが、反省はしない』

 

『はー……』

 

『ドン引くなよ、まだ序の口だぞ。ヘラの全団員の胸を無差別に揉みしだこうとした武勇伝もある。当然のように失敗して埋められたけどな』

 

『変態なだけのあんたがマシに思える……もう聞きたくない』

 

『残念、やめません。あいつは【ファミリア】の中でいっちゃん弱かったが、それでもLv.3だった。オラリオの外なら滅茶苦茶高い。……ちなみに、お前のLv.今いくつ?』

 

『Lv.8。潜在値(エクストラポイント)もあるから、実際の【ステイタス】はよく知らん』

 

『えー……あー……うん。凄く……気色悪い』

 

『喧嘩を売ってるなら買うぞ?』

 

『弱い者いじめは楽しいかぁ! 泣くぞコラァ!?』

 

『はいはい。干乾びるまで泣けよ』

 

『雑に扱ったな! 本当に泣いてやるからな!? ビェエエエエエエッッ――ブッ!?』

 

『五月蠅い。続きを話せ。蹴るぞ』

 

『り、理不尽過ぎる……ッ。あいつはLv.3になった途端「これで私も第二級冒険者! 華麗にどこかの美しい姫を助けたりして、キャッキャウフフしてくるー!」と言い残して都市を飛び出した』

 

『……馬鹿?』

 

主神(ゼウス)は大爆笑して送り出したらしい。「剣も女も、人生すらも、思い立った時こそ至宝」があの爺さんの教えだったし。ギルドも呆れて止めなかった』

 

『だろうな。俺なら「二度と戻ってくるな」と蹴って追い出す』

 

『そんな阿呆だから大して心配せずに、お使いに行く子供を送り出す感覚で見送ったらしいんだが……一年近く戻ってこないと連絡が来た。だから暇になり次第、探しに行こうと思っていたんだけど……赤ん坊のお前を連れて帰ってきた。寿退団している俺達の所にこっそりな』

 

『……………………へぇ。なんとなく先が読めた』

 

『ぶっちゃけ、最初は驚かなかった。あいつ、喋るモンスターを本拠地(ホーム)にこっそり連れ込んで世話してたくらいだしな。部屋の前に立ち塞がって「やめて、こっちに来ないで! 何もいないから! マジでいないからっ!!」の台詞(セリフ)には笑った。……あいつが必死に説得するもんだからよ。隠して世話を続けたまま、ヤバくなったら捕獲したことにしてギルドに押し付ける方針になったんだ。結局、「黒竜」討伐の一年前に渡した』

 

『……それで?』

 

『とんでもない前例があったからこそ、複雑な事情の赤ん坊を引き取るなりしたんだろう、って軽ーく考えてた訳なんだけどさ。……まさか本当にガキこさえるなんて想像できるかよ。あいつの当時の年齢、十四歳だったんだぞ?』

 

『成人していない男の子供が俺か』

 

『お前は感謝した方がいいぞ? 本当にモンスターに襲われていた儚げ美少女を助けたら王女様で、頬を赤らめて城に招待されたら付いていくだろ? 予想外なのは食事に睡眠薬と媚薬を盛られていて、目が覚めたら自分の上で王女様が全裸で腰振ってたことだ。「本物のヤンデレに生存本能が刺激されて、逆に息子が元気になった」の冗談は……流石に笑えなかった。昔言ったろ? ヤンデレの怖さを知らねぇって』

 

『……』

 

『逃げだすまでの間、ほぼ毎日犯されたらしい。一日中合体していた時だってあったそうだ。王女様の腹が膨らんできた頃には逃げる機会が何度もあったらしいが、お腹を撫でる笑顔がヤバすぎて自分だけ逃げられないと腹をくくったそうだ。生まれたばかりでは身体も脆いし、母親とすぐに引きはがすのも可哀想だから、十分な栄養と時間を与え終わるまで大人しく待って、逃亡は二ヶ月後になった』

 

『素直に感謝しろと言わない辺り、どうせ何かあるんだよな?』

 

『完全に母親似だったお前を俺達に押し付けておいて、俺と嫁と主神(ゼウス)以外に子供ができたことを伝えなかった挙句、「黒竜」討伐失敗直後にヘラの眷属……それもアルフィアの妹を孕ませやがった。何やらかしてんだアイツ、と殺してやりたくなった。妊娠させてすぐに事故で死んでいたが』

 

『……やっぱり聞くんじゃなかった。美しい思い出のままにしておいた方が皆幸せだったんじゃないのか? ほとんど醜聞しかないじゃないか』

 

『そんな訳で、お前には尊い血(笑)が流れている上に、異母弟(おとうと)がいる。多分唯一の肉親だ。お前をボロクソにしていた時のお前の脅しが半分現実になったぞ』

 

『そうだな、ヤンデレの英才教育をされた妹もいたけどあっちは完全に血が一緒だしな。腹違いでも種違いでもなかった』

 

『待って何それ詳しく』

 

『面倒なので断る……と言いたいが、要所だけ教えてやる。意気投合した少女の頼みで国を堕としたら婚姻を申し込まれた。その時にエクシードで少女を調べたら血が繋がってた。それを理由にやんわりと拒否したら、「禁断の愛でむしろ燃えます! それに王族だと近親婚や近親相姦は日常茶飯事なので構いません」と言い切られた。以上』

 

『待って? 何か思うことはないのか?』

 

『? ……二ヶ月もあればもう一人くらい妊娠するだろう』

 

『そこじゃねぇ!! 妹ってどゆこと!? 国を堕とすってなに!?』

 

『ああ、それか。妹は本当に(それだけ)だ。国堕としは腐敗した国の上層部の首を()ねて、法律や税を改善しただけだから、国民に迷惑はかけてない。俺は一ヶ月も拘束されて、王族の在り方とか訳わからんモン覚えるハメになったがな』

 

『怖っ! 義理の息子の才能が怖い! なんちゃって王家から本当の王族になってるじゃねぇか!? 名前が長くなってしまう!』

 

『あんたは権力にビビるタマじゃないだろう。玉座にはほとんど座ってないし、王位継承権は放棄した。どこぞの国の王家の血が流れていようが俺は俺だ。あと何で名前の心配をするんだ』

 

『ちなみにお前の名前は「レインボー」になる予定だったんだぜ? 母親曰く、雨が降った後には虹ができるとかなんとかで。あいつもあいつで「スコール」にしようと譲らず、擦り合わせで奇跡的に「レイン」に落ち着かなけりゃ、お前の名前は凄まじくカッコ悪かったぞ』

 

『そんな豆知識(トリビア)どうでもいい』

 

『そして種が弱い。お前は欠片も父親に似ている部位(パーツ)がない。お前の異母弟(おとうと)も、瞳しか父親のものがない』

 

『あっそ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――お前に殺されて当然の真似をした上に、自己満足で全てを背負わせた俺に何かを望む資格はねぇ。今から口にしようとしているのも、お前を腹の底から嘲笑っているのと同じだ。それでも……お前と異母弟(おとうと)だけは幸せになってくれ』

 

下衆(ゲス)、鬼畜、外道、ゴミクズ、早漏野郎、よくもぬけぬけと……! 俺が幸せになれるはずがないだろうが。第一、実父と異母弟(おとうと)は顔も名前も知らん。そんな奴に力を割こうと思うかよ』

 

『……すまん』

 

『……………………………………友達の形見みたいなものだからな。死にそうになっていれば助けるくらいはしてやる』

 

『! 本当に……俺達にはもったいない息子だよ。――でもツンデレ気持ち悪い』

 

『あんたの上と下にある四つの玉、二ついらんな』

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「『黒竜』に勝利した冒険者がこの騒動の元凶だと……!? 儂をからかっておるのかっ!」

 

 迷宮都市に多大な動乱と破壊が降り注いだ戦いから二日目。

 

 都市北西部に建てられたギルド本部。長い年月を経ても美しかった万神殿(パンテオン)は、今や北東部を吹き飛ばした竜の息吹(ドラゴンブレス)の余波で窓ガラスが軒並み砕け、ロビーの白大理石の床は所々に亀裂が生じている。記念碑(モニュメント)が設置されている広い前庭も瓦礫や木片が散乱していた。

 

 そのギルドに多くの人々が雪崩れ込んでいた。ロビーでは受付嬢のいる長台(カウンター)に複数人が口々に喚いており、内容が微塵も理解できない。前庭からは悲鳴と怒号が絶え間なく飛び交い、そこかしこで乱闘が起きている。

 

 七年前の【静寂(ばけもの)】の出現、人智を超えた大規模攻撃、一斉に起きた神の送還、例外なく命の灯火を消そうとした極寒の冷気によって、全員が恐慌に陥っていた。

 

 そんな中で、ギルド本部最上階にある己の執務室でギルド長、ロイマン・マルディールはエルフにあるまじき肥え太った身体を揺らしながら唾を飛ばした。心労と激しい緊張で贅肉の隙間から脂汗が滴り落ちる。

 

「冗談なら僕はここにいないし、隻眼になることもなかっただろうね」

 

 豪奢な椅子に座るロイマンと執務机を挟んで対峙するフィンは右目だけでロイマンを見上げる。包帯が巻かれた左目に光はない。

 

「【静寂】の目撃情報があったのだぞ!? 『才禍の怪物』の呼び名の所以となった『魔法』も確認された! 【静寂】の生死を確認した【アストレア・ファミリア】はもう消滅した……そうだ、生きていたのだ! あのヘラの眷属ならありうる!! ヘラの眷属でもなければ神殺しなどできん!!」

「……残念だが、本物の【静寂】は間違いなく死亡している。でなければ七年前、僕等が勝利を手にするなど不可能だった。アルフィアの姿と『魔法』は……真犯人があらゆる『魔法』を模倣できる『スキル』を所有していたからだ」

「嘘だ……嘘だ!? そんな恐ろしい話があってたまるものかぁ!!」

 

 力任せに短い腕で机を殴りつける。振動が書類の山を崩し、倒れたインク瓶から流れるインクが書類を黒く染めていく。【万能者(ペルセウス)】の『血潮の筆(ブラッド・フェザー)』ならこうはならなかったのに――フィンはあらゆる意味で絶望するロイマンを見てそう思った。

 

「犯人は【フレイヤ・ファミリア】所属のレイン。ギルドにはLv.6で登録されていたがそれは嘘で、本当の【ステイタス】はLv.9。この二日間でわかった死者の数は四万強……『死の七日間』を優に超える犠牲が出ている。重軽傷者を含めれば更に増える」

「な、なぁっ……!? かっ、神フレイヤはっ、何とおっしゃっている!? 主神ならば【ステイタス】を知っていただろう! 何故虚偽の情報を我々(ギルド)に与えた上に、『黒竜』討伐を報告しなかったのだ!?」

「入団する交換条件が本当の【ステイタス】を他言しないこと、『黒竜』に勝利したのを伏せておくことだったそうだ。もし漏らせば送還するとね」

 

 淡々と返答しつつ、懐から黒い箱を取り出す。

 

「そ、それは何だ?」

「レインから採れた――というより、手加減(ハンデ)として敵が自ら折った『黒竜』の角だ。悪いけど、君には早急にこれが現実だと認識してもらいたい」

 

 前置きして箱を空ける。鎮座しているのは傷一つなく、妖しい黒の光沢を纏う二〇C(セルチ)の角。

 

「椿に確認してもらった。彼女が全神経を注いで手を施してみても、この角は形を変えないどころか傷一つ付かなかったそうだ。ガレスが全力で殴っても駄目だった」

「【単眼の巨師(キュクロプス)】……最上級鍛冶師(マスター・スミス)すら不可能なのか!?」

 

 フィンもロイマン、どちらも鍛冶に詳しくないが頭はいい。壊すことができない最硬金属(オリハルコン)だろうと加工して、最上の武具を生み出すのが鍛冶師だ。決して壊れない『不壊属性(デュランダル)』の特性を持つ武器を手掛ける椿が匙を投げた……意味がわからない二人ではない。

 

「他にも翼や鱗、尾を回収した。【ガネーシャ・ファミリア】が調教(テイム)したモンスター達に近付けてみたけど……怯えるどころか失神したよ。紛れもなく『黒竜』の『ドロップアイテム』だ」

「……、……、……っっ!?」

 

 強すぎるモンスターの『ドロップアイテム』は同族を寄せ付けない。たとえそれが物言わぬ骸であろうとも。

 

 人はここまで目まぐるしく顔色を変化させられるのか、と思ってしまうほどロイマンの顔色は悪い。何か言おうとしても、ただ息を吐き出すだけになっている。

 

 ――さて、()()()

 

 私腹を肥やして権力が大好物。それでも迷宮都市を真摯に想うロイマンに、フィンは残酷な選択をさせる。

 

「ロイマン、『黒竜』の素材をいくつか君に譲ろう。僕等のできることならいくらでも力を貸そう。だから、都市民を全て都市の外へ誘導してほしい」

「フィン、まさか、貴様――」

「ああ――オラリオを捨ててくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おかえりー、フィン。どうやった?」

 

 【ロキ・ファミリア】の執務室。ギルドから戻ってきたフィンへのロキの第一声は、それだった。

 

「『相手がこちらを見下している内に力をつける』と言えば納得してくれたよ。千年もの間、オラリオの頂点に君臨したゼウスとヘラを蹂躙した『黒竜』。それを下した(レイン)との実力差は、今どれだけの戦略、駆け引き、小細工を弄しても埋められない……とね」

 

 執務室にいるのは重要な情報を整理するときの面子(メンバー)。フィン、リヴェリア、ガレス、ロキ。

 

 少し異なるのは、ロキが行儀悪く机に腰掛けず立っていて、おちゃらけた笑みを浮かべていない所か。

 

「皆を疑っとる訳やないけど聞くわ。――マジで手加減されたんか?」

 

 ロキが糸目を見開いて尋ねる。そこには残忍な――天界で多くの神々に恐れられた『神の本性』がチラついていた。

 

 彼女はキレている。大切な眷属を奪われて、生き残った子供も四肢欠損、後遺症が残るほどの傷を負わされて、ここまで迷宮都市を……下界最後の砦を痛めつけた。

 

 肝心の下手人(レイン)は『殺したくなかった』『力を抑えた』と抜かしたらしい。子供を愛するロキからすれば、喧嘩を売ってる以外の何でもない。叶うなら『神の力(アルカナム)』で最も苦しい死を与えてやりたい。仇を討ちたい。

 

 付き合いの長さでロキの気持ちはよくわかる。それでも……フィン達の口から出たのはロキが望まぬ答えだった。

 

「本当に手を抜かれたよ。《ルナティック》の遠隔攻撃、『魔法』の乱れ撃ちや薙ぎ払い、竜の息吹(ドラゴン・ブレス)に鱗の弾幕。これを空から無差別に撃ち続けられるだけでも僕等は死んでいた。どれも防御が意味をなさない破壊力……終始手加減されていた」

「被害地区にも偏りがあったわい。広域攻撃が使われたのは都市北東部と東部。最初は気にも留めんかったが、他の地区には儂等の本拠地(ホーム)、レインと交流していた【ディアンケヒト・ファミリア】に『豊饒の女主人』、神フレイヤがいる可能性が高かった摩天楼(バベル)や【フレイヤ・ファミリア】の本拠地(ホーム)がある。どれも奴にとって死なれては困る人物がいる箇所じゃ」

「『魔法』の詠唱破棄もなかった。その上、私達の『魔法』の模倣もしなかった。心を折るならば、こちら側の『魔法』を元来(オリジナル)以上の火力で行使すればよかったというのに……」

 

 どれもこれも気付けなかった。自分の命を守るのに必死で、仲間を助けるのが精一杯で――レインの思惑(やさしさ)に気付こうとしなかった。竜の姿になっただけで、彼の優しさがなくなったと決め付けていた。

 

 ロキも理解している。馬鹿げた冷気に、それを搔き消した白い炎。まだ感じられる己の『神の恩恵(ファルナ)』が何よりの証だった。

 

「……はぁ~~。手ぇ先に出したんがうちの眷属()やからなぁ……仕返しもできん。逆恨みなんぞしてても空しいだけやし」

「もう建設的ではないことを四の五の言ってる場合じゃない。これ以上被害を広げないためにも、名声にこだわっている訳にはいかない」

 

 フィンの執務机には手紙が――今朝、いつの間にかあった。

 

 金品は紛失していないことから火事場泥棒ではない。そもそも、【ロキ・ファミリア】に侵入する鋼の心臓(メンタル)と気取られない技術を持つのは一人のみ。

 

『猶予は一週間。

 死にたくな■なら逃げろ。

 絶タい■五〇K(キロル)■上ハナれロ。

 そ■■■■■■■■■■■■■■ 』

 

 紙に綴られている文字は汚かった。読みにくいどころか吐き気を催す。まるで熱病に伏せった患者を叩き起こし、凄まじい重量のペンで無理矢理書き殴らせたように乱れていて、狂気を感じられずにはいられない代物。

 

 書き手の性格上、同情を誘うためだけに文字を崩したりしない。全力で隠そうとするはずだ。それができないほど弱っている。

 

「レインの筆跡だ。『精霊の分身(デミ・スピリット)』と邂逅した『遠征』の時に送られた手紙と比較したから間違いない」

「……あの時から今の状況を予想していて、筆跡確認のために儂等へ手紙を渡していた可能性は? 奴は基本、直接口で伝える性格をしておる」

「ありうるなぁ。デメテルに都市の破壊者(エニュオ)の正体教えてもろうたけど、聞いて初めて『人造迷宮(クノッソス)』を発見した時の反応を理解できたし。神々(うちら)より神様しとるで、ホンマに」

 

 手紙の内容に疑問は持たない。それよりこの指示を完遂することに注力する。

 

「都市外に避難言うてもどうする? ロイマンが口先三寸で丸め込んでも、『ダイダロス通り』の子供の中には栄養不足で動けん子もおるやろ? 動けへんかったら元も子もない」

「アミッドが高頻度で寄付をしていた……それも第一級冒険者の収入並の金額を、な。おかげで『ダイダロス通り』の住人は下手な労働者より健康だ。衣類も充実している」

「おまけに動けない病人を運ぶための補助器具も開発されていた。ベートのように足を失った者、アキ達のように心が不安定になって動けない者も運べる。大きすぎて門を一台くぐるのが限界だったが、レインが市壁を綺麗に消し去ってくれたおかげで何処からでも出られるよ」

「仲間を一気に喪ったからのう……遺品の回収に行けとるのも本拠地(ホーム)の留守をしておった組と、ラウルにアリシア、レフィーヤだけじゃ」

「ラウルとレフィーヤは何となくわかるんやけど、アリシアは何で平気なんや? 生真面目過ぎるし心壊すんやないかと心配しとったのに……」

「レインがしれっと『行き遅れ』と馬鹿にしたからだね。僕も童貞勇者、ガレスとリヴェリアは年増と侮辱されたし」

「儂とリヴェリアが括られた理由がわからん」

「罵倒の語彙が尽きたのだろう。あるいは、罵倒された者がこの惨状でも発奮(はっぷん)するように、本人が最も気にしていることを突いたのかもしれん」

「「「「……」」」」

 

 軽口を叩いて空気を軽くし、けれども最善を尽くすために憂慮を排していくフィン達。

 

 時間を忘れて語り合い、暗雲が取り払われた空が茜色に染まる頃、

 

「いっこ、気になることがあるんや」

 

 ロキが指を立てた。小人族(パルゥム)鉱人(ドワーフ)王族妖精(ハイエルフ)、三人の亜人(デミ・ヒューマン)は口を閉ざして彼女の言葉を待つ。

 

神々(うちら)の性格は似通っとる。自分の欲望に忠実で愉快犯。面白そうな情報(ニュース)や自慢話が手に入れば即拡散。うちも自慢の眷属が【ランクアップ】すりゃ盛大に吹聴する。半鎖国状態のカーリーん所もアルガナとバーチェのLv.は判明しとった」

 

 一呼吸置く。

 

「そんな神が『黒竜』に勝って、都市外でLv.9になって、見た目もいい眷属を手に入れたのに、レインの情報はオラリオに来んかった。他ならん主神と眷属が情報を漏らさんかったからや。三、四年もあったのにやぞ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フレイヤの詐欺じみた入団とは違って、レインも眷属の契りを承諾した。あの堅物の童貞(はじめて)をもらった神……いったい何者や?」

「下劣な言い方をするなッ!!」

 

 眉をひそめたリヴェリアの蹴りがロキの脛に炸裂した。

 

 汚い悲鳴が散った。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 ――お前、都市の破壊者(エニュオ)の人形だろう?

 

 男は何でもなさそうに彼女――フィルヴィス・シャリアへ告げた。燃え上がる淫欲に塗れた宮殿。娼婦達の叫喚と悲鳴。その一切合切を認識していないかの如き能面の表情で『D』が刻まれた球体の精製金属(インゴット)を弄びながら。

 

 命懸けで『鍵』を奪取するか、命懸けで逃亡するか。突き付けられた二つの選択肢。どちらも『魔法』の解呪式を唱えて決める。

 

 どちらを選んだのかはよく覚えていない。『分身』が死んでも支障はないが、それだけでは絶対に『鍵』を奪えない。かといって『全力』を出したとしても勝利できるかは不明で、危険な賭けに変わりはない。

 

 結論から言えばどちらも選べなかった。解呪式を唱えても『魔法』は解除されず、『分身』は『分身』のまま。目を周囲に向ければ、複雑奇怪な魔法円(マジックサークル)が刻まれた結界が張られていた――後に『反魔法障壁(アンチ・マジックフィールド)』と聞いた。

 

 ――この結界内では俺の『魔力』を上回らなければ『魔法』を使えない。発動し終わっている『魔法』は別だがな。

 

 結界の詳細(てのうち)を明かされる侮辱。屈辱を覚えながらも舌を噛み切って、喉を切り裂いて、心臓を貫いて自害――もできなかった。不思議な光を放つ瞳に見つめられた途端、身体の自由を奪われた。

 

 ――ふーん。『精霊の六円環』、それを囮に第一級冒険者を誘き出して『第七の精霊(ニーズホッグ)』で葬る、か。手の込んだ計画だな、おい。

 

 己の額に触れながら暴露された『エニュオ』の計画。記憶を読み取るなどという嘘を見抜く神の眼よりふざけた能力に戦慄を抱く――よりも先に、フィルヴィスの顔は絶望で罅割れる。

 

 彼女がここにいたのは裏切りに近い行為……レフィーヤを救うために【ロキ・ファミリア】も助けてしまったこと、その失態を挽回するためだ。計画に支障をきたすことは『エニュオ』の中の己の利用価値が、穢れた自分に与えられる『愛』が失せてしまうことに繋がっていた。

 

 体よく利用されても良かった。都市崩壊の計画(シナリオ)の歯車程度に見られても構わなかった。ただ……縋らせてほしかった。フィルヴィスは寄る辺の喪失を何よりも恐れていた。神の甘言に縋らなければ生きられないほど弱いエルフだった。

 

 ――なぁ、『取引』しないか? いつ互いを見捨てても文句なしの取引だ。

 

 当時は『エニュオ』と同じ『悪魔』の契約に思えた提案。圧倒的にこちらに利益(メリット)がある提案を男はしてきた。

 

 ――このまま『エニュオ』の駒になっていても待つのは破滅だけ。だから、こちらに手を貸せ。露骨に寝返らないかと言ってるんじゃないぞ? 手を貸すだけだからな?

 

 【ロキ・ファミリア】に突き出される、もしくは『エニュオ』にこの出来事をバラして無理矢理従わされると想像していたフィルヴィスは、思いもよらぬ言葉に思考を停止させた。

 

 ――この提案に乗るなら《傾国の剣(ルナティック)》の本当の力を使ってやる。59階層の『精霊の分身(デミ・スピリット)』は滅茶苦茶嫌がっていたしな。多分、手先を強制的に奪われるのが嫌だったんだろうよ。

 

 フィルヴィスの願いは死ぬこと。『化物(クリーチャー)』としてこの世をさまよい続ける生き地獄から解放されること。男の言葉を信じるなら、願いが叶う糸が目の前に垂れている。

 

 ――よく考えろ。お前の弱みに付け込む『エニュオ』と真正面からお前を肯定するレフィーヤ。どちらが正しい? どちらが愛しい? お前はどちらを心から守りたいと思う?

 

 ぐらつく天秤。片方に『エニュオ』がくれる黒く邪悪な甘い蜜、片方に失いたくないと思ってしまった同胞の笑顔。選択を邪魔する男への猜疑心。

 

 うじうじ悩んでいたフィルヴィスだが、無表情だった男の忍耐が尽きる方が早かった。

 

 ――俺にも生涯を賭けた『悲願』がある。もしも。もしも、だ。【ロキ・ファミリア】が俺の敵になることがあれば――レフィーヤとリヴェリア諸共躊躇なく殺す。この提案に乗るなら殺さん。二つ数えるまでに決めろ! でないと殴る!! 

 

 待つの短いなっ!? そう言いたげな顔をしている間にも、男は半秒で二をカウントしようとしていた。結論から述べるならば、フィルヴィスは(半ば反射的に)『エニュオ』を裏切り、男の手を取ったのである。しかし、彼女が生きてきた十九年の人生最高の英断であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『取引』の成立後、男は本当に力を使ってくれた。驚くほどあっさりと『穢れた精霊』の触手――眷属としての繋がりを断ち切ってくれた。

 

 頭に響いていた耳障りな『精霊(ハハ)』の囁き声が聞こえない。生殺与奪の権を取り戻した身体は、『魔石』の前に短剣を持ち上げても強張らない。『穢れた精霊』と運命は分かたれ、本体が死んでも影響はなくなった。

 

 永遠に埋もれ続ける闇の中から掬われて、ある筈がなかった光がこの手にある。

 

 男はきっと知らないだろう。彼が前払いとして与えた報酬が、フィルヴィスにとってどれほどの救いだったのかを。『エニュオ』への未練を砂粒一つ残さず、がっつり忠誠心(ハート)を鷲掴みにするものだったのかを。

 

 彼女は男の頼みを片っ端からこなしていった。頼んだ側がドン引きするほど。深い所までは聞かないようにしていた男の気遣いが阿呆らしくなるくらいに。

 

 赤髪の怪人(レヴィス)と【白髪鬼(ヴェンデッタ)】が死んだ今、『精霊の分身(デミ・スピリット)』に干渉可能なのはフィルヴィスのみ。『闇派閥(イヴィルス)』の者は危険な余り近寄ろうともしない。つまり……誰も異常がわからない。

 

 男の指示通り、適当に『蘇生魔法』の存在を仄めかして【デメテル・ファミリア】を運び出させ、その間に死神(タナトス)や一部の強者を捕獲し、『27階層の悪魔』の元凶(せいれい)を怨みを込めて始末した。

 

 吊り橋効果があったのは認める。心が磨り減っていたのも理解している。しかし、男は妖精(フィルヴィス)の好みを悉く満たしている。

 

 裏切る気が皆無だとわかってから教えてもらった『呪い(スキル)』。自分以上の苦しみを微塵も感じさせず、友人を心配させないために吐血すれば自傷して訓練だと誤魔化し、誰かを守るために『必要悪』となることも厭わない。一途なのもいい。

 

『お前は……私を悍ましいと思わないのか? 怪人(クリーチャー)であるこの身が怖くないか?』

 

 男の本心が気になって思わず零してしまった問い掛け。しまった、と気付いた時には遅かった。

 

 醜いなんて言われたらどうしよう――なんて考える間もなく、フィルヴィスの頭に振り下ろされる鞘入りの魔剣。

 

『普通の女の子を何で怖がるんだ。弱っちいくせに馬鹿にしてんのか』

 

 痛みと衝撃でうずくまるフィルヴィスに男は続ける。

 

『俺の判断基準は普通じゃない。「魔石」があればモンスター、人を殺せる爪牙があればモンスター、なんて思わない。だから「魔石」があるだけのお前は化物(モンスター)じゃない。それに、その身体から逃げずに友を助けようとする今のお前は……誰がなんて言おうと、高潔で綺麗なエルフだ。――罪を償う気があるなら自殺はするなよ』

 

 自分の言葉をどう解釈したのかはわからない。しかし、伝えられたのは間違いなく男の本心。

 

 どちらの方が不幸だったなど論じる気は無い。でも、裏打ちされた言葉には芯が通っていた。

 

 ――この天然ジゴロが。

 

 これで堕ちない方がどうかしている。フィルヴィスは濡れ羽色の長髪で赤くなった顔を隠しながら呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギルド長と【ロキ・ファミリア】の秘密会談があった翌日。オラリオは揺れていた。原因はギルドから正式に公表された知らせ。

 

『此度の緊急事態は「黒竜」を討伐した男、【フレイヤ・ファミリア】所属のレインによる犯行である』

 

 ギルド前に設置されたガラスケース内で存在を主張する角、翼、爪、尾、鱗といった『黒竜』の部位。立て続けに起きた異常な現象も最強派閥(ゼウスとヘラ)が敗北を喫した『隻眼の竜』より強い男がやったと聞けば、人々も神々もあっけなく納得した。

 

『勇敢なる冒険者の奮闘によって、敵が行おうとしていた「大殺戮」は一時的に防がれた。稼がれた猶予は六日。失われた命を無駄にしないために、ギルド及びギルドが指定した【ファミリア】の指示に従うことを神ウラノスの名において厳命する』

 

 祈祷を捧げてダンジョンの活性化を防いできたウラノス、都市の平和を守り続けた【群衆の主(ガネーシャ)】を筆頭にする有力派閥(ファミリア)。彼等の眷属は日夜問わず『都市からの撤退』を呼びかけた。

 

 信頼する【ファミリア】の指示に都市民は従い、次々に都市外へ姿を消していく。しかし、避難は順調と呼び難いものだった。

 

「何で【ロキ・ファミリア】に指図されなきゃいけねぇんだ……。あいつ等が負けたからこんな状況になっているくせに!」

「なくなった手足を見せつけるみたいにして……死ぬまで戦えよ、この時のための冒険者だろうが!」

怪物(モンスター)と手を組んで戦ったって噂もあるぞ。『怪物趣味』の集まりなんかに守られたかねぇな」

「五〇K(キロル)は離れろって何だよ。具体的過ぎるし、敵と内通してるんじゃないか!?」

「返してよっ! 私の家族を返してよぉぉぉ!!」

 

 指示を出す【ロキ・ファミリア】の冒険者達は文字通り死ぬ気で戦った。けれど、それを理解できるのは命のやり取りを経験した同業者や『助けられた』ことに感謝できる者だけであって、勝手な理想を押し付ける一部の民衆には厭悪の感情を向けられた。

 

 無視されるのはいい方だ。石を投げつけられ、身体を支える松葉杖を蹴り倒され、酷ければ発狂した住人に殺されかけさえした。心が摩耗していく下界の子供達の姿を、こんな時でさえ神々は平気で笑い、嗤う。

 

 レインに対する憎しみと恨み……恐怖はそれ以上。彼を知る人は失望を、知らない人は悪意を含んだ言葉を吐いた。【フレイヤ・ファミリア】はゴミを投げ込んだ瞬間に始末された馬鹿がいたため、被害は全くなかった。

 

 極限状態で神と人の醜さが露呈しようと、時間は無情に過ぎていく。

 

 六度月は沈み、六度太陽は昇る。

 

 そして六度目の太陽が沈み……七度目の月が昇った。

 

 オラリオに独りで存在する人間となったレインが目に焼き付ける、生涯最後の月が。

 

 ――『英雄の一撃』を突き立てられた時、レインは腕を斬り落とすよりベルを助けることを優先した。内臓が破裂しない程度の力で蹴り飛ばして、階位昇華(レベル・ブースト)による一時的なLv.4の『耐久』では耐えられない爆炎から遠ざけた。

 

 直後に腕を斬って感電死は免れたものの、凄まじい熱を孕む業火はレインの右目を蒸発させ、逆に鱗で覆われていた左目は守られた。雷も完全に逃れた訳ではなく、右足に僅かな麻痺が残っている。

 

 粉々にされた左腕の肩口から先には『氷の腕』が生えていた。傷口の腐敗を防いで左右のバランスを保つ役割であるため、義手のように自由自在に動かせたりはしない。とある小人族(しょうじょ)の『魔法(シンダー・エラ)』ならば、と考えたが無駄だった。

 

 残り少ない寿命(いのち)を使って迷宮都市を歩く。思い出がある場所、見覚えすらない場所にも足を運んだ。

 

 絶対に忘れないために。

 

『完全に人はいない。「人造迷宮(クノッソス)」で確保していた「闇派閥(イヴィルス)」も回収されている。「精霊の分身(デミ・スピリット)」も壊滅した』

「……」

『ダンジョンに残っていた「異端児(ゼノス)」も地上組と合流した。今は【ガネーシャ・ファミリア】に紛れて何処ぞへ避難している。「マーメイド」の運搬が面倒そうだったが』

「……」

『ダンジョン内の遺品、墓地に埋葬されていた遺体の運搬も完了した。お前の想い人は【ヘスティア・ファミリア】が保護しているし、オラリオ周辺に留まる馬鹿は多重人格根暗陰険エルフが排除している』

「……」

『「スキル」の副作用で苦しむ時間を延ばして、限界まで猶予を与えたことに意味はあった? 満足いく結果になった?』

「……ああ」

 

 傍でずっと報告をしていたクリュスタロスに返事をする。

 

 もう十分だ。覚悟はできている。

 

「やるぞ、クリス。一気に片を付ける」

『……今からでも気が変わったりしないか?』

「恰好を付けるなら『天才ってのは、人のやらないことをやるから天才』、悪く言うならただの独り善がり。全て俺の独善で決めたんだぞ? ここで止まれば全てが無意味に成り果てるだろうが」

『お前のそれが独善なら世界は邪悪で溢れかえるわ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夜明けとともに終わるこの人生。どうせ歴史上類を見ない大罪人として名を刻まれるだろうし、最後は派手に行ってみようか!」

 

 レインにとって『黒竜』は()()()

 

 きっと彼にしかできない責務。彼にしかできなくなった使命。

 

 レインの目的――ダンジョン最下層攻略。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 虐殺による恐怖で都市民を追い出すのと別の策……フィンが最初の脅し文句に頷いていた場合でも、迷宮都市を囲む市壁の破壊は決定していた。

 

 一つ目は彼我の力量差をわからせるため(もしも木っ端が騒ぎ立てていれば、エクシードで潰して不気味な血溜まりにしていた)。二つ目は避難経路を確保するため。

 

 三つ目――あと一日も生きられないレインが考案して、レインにしか実現不可能な『多分二時間でできるダンジョン攻略』による被害を抑えるため。人の力で築かれた壁は脆すぎる。

 

 現在、オラリオは月の光を反射する美しい『氷の大壁』に囲まれていた。厚さ、高さ、強度ともに元の壁を上回っている。これがたった一柱の精霊の力だと確信できるのは、この地を湖に変えた水精霊(ウンディーネ)の英雄譚を信じている者だけだろう。

 

「その気になれば氷だけの街とか城とか作れるんじゃないか、クリス?」

『……作ってやるとも。お前が望むならいくらでも』

「じゃあ見るために……早く終わらせよう」

 

 クリスに跨ったまま一振りの剣を抜く。長年付き合ってくれた相棒は、真っ青な魔力の光を強く放つ。

 

都市の破壊者(エニュオ)は十五年費やしても、オラリオとその周辺を吹き飛ばす()()で終わった。俺は五秒もかけずに消し飛ばしてやるっ」

 

 瀕死ではなくなったレインから立ち上る青白い魔力の奔流。

 

「【穿て、雷霆の剣】!」

 

 超短文詠唱を唱え、右手に握る魔剣を空へ突き上げる。

 

「【デストラクション・フロム・ヘブン】!!」

 

 レインは対軍魔法【デストラクション・フロム・ヘブン】をダンジョン等の地下空間では使わない。理由は絶対に空から発動し、道を阻む全てを貫いて術者が狙った対象を砕くからだ。

 

 眼下に漂っていた小さな雲を霧散させ、天空より灼熱の閃光が飛来した。異常な『魔力』と『スキル』の効果で()()魔法にまで昇華した光の剣は、氷の壁に収まる大都市に突き刺さった。

 

 衝撃波も爆発音も特にない……しかし、光に呑まれた都市がどうなったのかは見ずともわかる。

 

 文字通り『大穴』ができた。古代におけるダンジョンの呼称である『大穴』のように表面だけを見た表現ではなく、奈落の底へ直通の穴だ。

 

「【穿て、()()()()()()()】」

 

 ()()()。『詠唱連結』によって、雷から氷の『魔法』へ切り替わる。

 

「【アイスエッジ・ストライク】!!」

 

 夜空の彼方から巨大なんて言葉じゃ到底足りない規模の氷塊が降って来る。天に届くほどの摩天楼(バベル)の倍を優に超える大きさの氷が、信じられない速度で向かってくる。大気との摩擦で溶けるはずなのに水滴一つ生じていない。

 

 氷壁の上にいるレインとクリスの鼻先を通り過ぎた直後、壮絶な轟音が鼓膜を揺らした。隕石と変わらない氷の塊は落下と着弾のエネルギーを解放させ、大陸どころか世界全てを滅ぼす衝撃と振動を振り撒く――

 

「【凍え震えろ(フリーム)】」

 

 ことなく、精霊の『奇跡』でなかったことにされた。――衝撃(エネルギー)のように自身を消費する事象は、時間経過で『溶けて消える』。氷を司る大精霊(クリュスタロス)の『奇跡』として当然の効果だ。何せ氷なのだから……氷は溶けるものだ――。

 

『……レイン、大丈夫?』

「なんとか」

 

 レインは零れた鼻血を乱暴に拭い、熱を帯び始めた頭を無視して()()()の『魔法』を装填した。そして、放つ。

 

「【穿て、怒れる炎帝】――【ナパーム・バースト】!!」

 

 大喝に応えた太陽より眩い炎の柱が氷塊を穿つ。いかなる金属よりも高い融点を持つ『精霊の氷』を、集束された『精霊の炎』は溶かした。完成したのは『大穴』を塞ぎつつ出入り可能な『氷の蓋』。

 

「……ゼェ、ハァ……クリス」

 

 口元を鮮血で汚したレインが名を呼んだ。クリュスタロスは上半身を人型に変化させ、レインが僅かでも楽になるように支えながら冷たい自分の身体に押し付ける。そして怒涛の勢いで垂直の壁を駆け下り、直径十五M(メドル)の穴に飛び込んだ。

 

 氷が透き通っているおかげで、ダンジョン内部の現状はよく見える。『上層』『中層』『下層』辺りの位置にはダンジョンの構造そのものがない。オラリオと同規模と呼ばれる『深層』からようやく階層の断面が確認できた。

 

(――レインの希望通り、()()()()()()()()

 

 クリュスタロスが注視するのは、所々で狂ったように氷を殴りつける『化石の怪物(ジャガーノート)』――ではなく階層の断面。いくら破壊されても再生する無限の迷宮(ダンジョン)は、氷を分解(とか)して元に戻ろうとしている。けれど遅い。異物(こおり)のおかげで、深層域の驚異的な復元速度も低下していた。

 

 トンネルの終点が見えた。正確に数えていた断面の数が、次が99階層であることを知らせる。

 

 しかし、ここはダンジョン。狡猾で悪辣な生きた迷宮。

 

 希望の糸を垂らして、掴もうとする者を突き落とし、これ以上ない手段で冒険者の意志を潰す魔窟。

 

 規格外の能力で埒外の攻略をするならば、未知の『異常事態(イレギュラー)』で踏み躙りにかかるのがダンジョンだ。

 

(なのに……()()()()()()()()()()?)

 

 警戒していたのが馬鹿みたいに思うほどあっけなく、クリュスタロスは99階層の床を踏むことができた。『闘技場(コロシアム)』のように無数のモンスターがいるかもしれないと構えていたのに……。

 

 この階層にいたであろうモンスターは残骸(ドロップアイテム)すら残っていない。恐らくレインの【デストラクション・フロム・ヘブン】に訳もわからぬまま殺されたのだろう。

 

 視認可能な距離の床には微かに焦げた跡。迷宮都市(オラリオ)がすっぽり収まるという言葉が誇張ではない37階層、その倍以上の数値の階層なのだから壁面は欠片も目視できない。

 

 そして目の前には、遥か遠くの月明り(スポットライト)に照らされる――『穴』が存在していた。

 

 レインがクリュスタロスから降りる。何も言わずにクリュスタロスは姿を消す。

 

 穴を覗き込む。そこには下へ下へと続く螺旋階段があった。隣で口を開ける深淵は、根源的恐怖を呼び起こすほど暗く、深い。踏み外してしまう想像をするだけで足が竦む。

 

 レインは迷わず階段を下り始めた。傲然と顎を上げ、鼻歌まで歌っている。明かりはない。強いて言えばずっと握りしめている魔剣の光が明かりだ。

 

 静寂で満ちた闇に響くのはレインの歌と魔剣の燐光(おと)

 

 一段一段、踏みしめて降りる。

 

 降りて、降りて、降りて。

 

 ピタリ、と足が止まる。

 

 先がない。階段は六百六十六段目で終わってしまった。

 

 誰もどの階層が最下層なのか知らない。もしかしたら99階層が最下層で、この階段は地獄やら魔界やらに繋がっていた名残なのかもしれない。

 

 普通ならここで引き返す。何も知らないならここで見たことが全てになる。

 

「……」

 

 上を見る。階段を下りきっても地上から開通した穴は確認できた。

 

 レインは軽く頷きながら剣を鞘に戻すと、再び眼下の穴に視線を巡らせ、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 奈落へ身を躍らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 浮遊感を感じたかと思えば、謎の膜を潜り抜けたような感覚がした。直後に『植物』を踏む感触。落下距離は大したことがなかったようだ。

 

 瞳に映るのは『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』を彷彿させる景色。動物と水晶が存在しなくなった18階層と形容するのが近いかもしれない。ここには光源がないのに温かい光があった。

 

 視線の先には花畑がある。咲き乱れる花々は一輪たりとも覚えがないが、その美しさは言葉にできない感動を与えるだろう……レインは微塵も感動しないが。

 

 ゆっくりと口を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初めまして、でいいのか? それとも……()()()()と言うべき?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「きっと初めましてが正しいだろうね。でも私は、久しぶりの方が嬉しいな」

 

 幻想的な花畑の中心には女神がいた。緩やかに流れる緑がかった淡い金髪は長く、形の良い豊かな胸部にかかっている。相貌は『美しい』よりも『落ち着く』という言葉が相応しく、まるで『母』という概念を擬人化したような……そんな女神だった。

 

 彼女は笑っていた。手を、足を、腹を、胸を、首を……冷たい鎖で雁字搦めにされて、白い柔肌を蹂躙されて笑っていた。『自由に生きるのが好き』と言っていたのに、自由を奪い尽くされた姿で笑っていた。

 

 レインは信念を胸に抱いてここにいる。この手で剣を振るい、彼女を解放するために来た。

 

「じゃあ改めて……久しぶりだな。約束を果たしに来たぞ――ガイア」

 

 人類が求め続けた謎。ダンジョンの最下層には何があるのか?

 

 答え。『どこぞの天然金髪の面影が見える女神がいる』。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 十五歳で故郷を飛び出したレインはあることに悩まされていた。その悩みとは『神の恩恵(ファルナ)』を授けてくれる神の選択。

 

 いずれ足を運ぶことを決めている迷宮都市。かの都市が管理するダンジョンには【ファミリア】に所属していることが絶対条件。つまり、都市外で意地を張ってLv.0のまま戦うのは大幅に時間を無駄にするのと同義。そう自分に言い聞かせて契約を結ぶ神を探していたのだが、

 

『ねぇねぇねぇ! 恩恵なしでLv.3ぶっ殺した子供って君だよね!? 私の眷属にならないかい!』

『俺の神眼()は誤魔化せないぜ……君に眠る男の娘の才能を! ちょっとメイド服着て「ご主人様ぁ……」って言ってくんない?』

『デュフフ……そのままでも……グフフ』

 

 ゴキブリのように禄でもない神にばかり群がられた。奴ら独自の伝達網(ネットワーク)があるのか、何処へ行っても湧いて出てくる。何度潰しても不死者の如く蘇る。気配を断とうと神の勘で気取られる。こちらの都合などお構いなしだ。

 

 さっさと眷属になってしまえばそれを口実に断れる。だが、レインが求めるのは『眷属が一人もいない、かつ情報を一切漏らさない、そして自分の方針に異論を挟まない神』。

 

 刹那的快楽主義の神には高すぎる望み。それでもこの条件は譲れなかった。

 

 いっそのこと、適当な神を脅してしまうか、などと血生臭い荒業を思案していた時――一人の少年と一柱の女神は出会った。

 

 ――何かに導かれるようにお互いが腹の内を偽りなく晒した後、黒い炎に身を焦がす天才は『胎』が存在しない女神の眷属となる。

 

 少年は『(おれ)が絶対に勝てない存在の居場所の提示』を、女神は『ダンジョンの最下層にいる本体(わたし)を殺すこと』を約束して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「別れてから一年も経っていないよね? いや、お前には【竜之覇者(スキル)】があるからむしろ遅すぎるくらい? 尖り過ぎて『厨二病』になりかけたお前なら、オラリオに到着してすぐに来るものだと予想してたのになー?」

 

 鎖で縛られた痛々しい姿にそぐわない明るい口調。こちらの性格を理解している彼女は敢えてこう振舞っている。自分の苦しむ姿が大切な誰かの顔を曇らせることを何よりも嫌がる……似た者同士の神と眷属。

 

 だから、レインもそれに乗った。彼女と話ができるのはこれが最後になると、別れた時からわかっていた。

 

「むしろ早い方だろうがっ。あんたの頼みで都市をもぬけの空にする手間がかかったんだ。『異端児(ゼノス)』だって逃がしたんだ、感謝しろ! 崇め奉れ! エロ方面の褒美でもよこせ!」

「ふっ……お前も男だもんな。エロいものは大好きだよな。仕方ない……強調された私の巨乳を視姦するのを許してやろう!」

「へっっぼ! 何で見るだけなんだ、揉ませるくらいしろや!」

「おめー、好きな人いるって言ってただろーが!? なに堂々と他の女と乳繰り合おうとしてんだ!」

「残念だったな、俺は本番以外なら数え切れない女と経験している。妹と凄く重たいキスをしたことだってあるからな! ……ちなみに全部あっちからやられた」

「へっ、変態だー!? なんか業が深くて屑だけど情けなくて可哀そうな童貞(へんたい)がいる!」

「業はあんたの方が深い! 主神(はは)眷属(こども)の貞操狙うとか何考えてんだっ」

「愛情によるご褒美ですー! 背徳的なシチュで興奮させてあげたんですぅー!!」

「ハッ、無様にバナナの皮で滑って勝手に気絶(しっぱい)した馬鹿が」

「なんだとぉぉぉ!? だいたい――」

「あぁん!? そっちこそ――」

 

 女神も青年も、重苦しい気持ちを忘れるまで語り合った。相手の触れてほしくない所には決して触らず、大丈夫な黒歴史(ところ)は容赦なくほじくり返しながら、心から怒り、恥じらって、楽しんだ。

 

 たった二人の【ファミリア】。どうしようもない願望で誰かの心に傷を残すくせに、自分より誰かを優先する性格をした眷属と主神。矛盾を孕んで歪に完成していた、『未知(イレギュラー)』な二人だけの【ガイア・ファミリア】。

 

 半刻足らずの言い合いが、レインの口から紅の塊が吐き出されて終わりを迎える頃には、お互いに覚悟を決めていた。

 

 レインとガイアだけが知る【竜之覇者(ドラゴンスレイヤー)】の副次効果は――神の生殺与奪。この地上でただ一人、長い人類の歴史の中で唯一、レインだけが神を真の意味で弑する力を得た。

 

 レインが剣を抜く。神を憎んだ双子が創造した魔剣を前にしても、ガイアは恐れず笑っている。

 

 彼女はレインだけを見ていた。死んでも約束を守ろうとする、誰よりも優しくて強い、己だけの自慢の子供を。

 

「レイン……お前は自分を許せた?」

 

 『元』眷属と『元』主神の関係になったあの日の独白が、最後の今になって言葉になる。

 

「許せないよ。世界のために大切な人を犠牲にしようとする愚図なんぞ」

 

 冷えた声音で言い切り、刀身がブレる速度で振り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから俺は、大切な人を選ぶ。この選択で世界が衰亡の運命を辿ろうとも」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 振り切られた魔剣はガイアを避けて、縛っていた鎖を無残な鉄片に変えた。

 

「な……んで……」

 

 困惑、茫然、悲哀を瞳の中で溢れさせる女神の意識を手刀で刈り取り、隻腕故に肩に担ぎ上げ、

 

「【ナパーム・バースト】。来い、フェニックス!」

 

 召喚した白炎の不死鳥の背に跨って、天井の穴を全速力で潜り抜けた。更に螺旋階段のど真ん中を突き抜けていく。

 

 迷宮都市を跡形もなく消し飛ばしてまで作った氷の洞穴(トンネル)。ダンジョンから生きて脱出するために確保していたそこにフェニックスは飛び込み、一気に地上を目指して飛翔する。

 

 一時間と経たずに帰って来た地上。美しい月に感傷を抱く間もなく、レインは氷壁を越えた瞬間にフェニックスからクリュスタロスに乗り換えた。フェニックスは意識のないガイアを連れて滑空する。

 

「クリス。俺は勝てると思う?」

 

 何に、とクリュスタロスは訊かなかった。

 

『思うよ。だから私はお前の傍にいるんだ』

 

 自信たっぷりに笑ったその時。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンジョンと超重量の氷塊を()()()()()()()で粉砕、破砕、爆砕させ、東西の果てに届く凄まじい爆音を奏でながら――『ソレ』は姿を現した。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「ああぁ……? ああああああああぁぁ……!?AAAAAAAAAAaaaaa……!?!?」

 

 オラリオの方角を観測していた一般人は壊れた。幾度も死線を潜り抜けた上級冒険者は股間から湯気が立つ液体と固形物を垂れ流した。『英雄』と呼ばれるに相応しい第一級冒険者でさえ、脳が現実を受け入れることを拒絶した。

 

 あまりにも『ソレ』は大きかった。蛇の下半身――蛇腹が確認できた――が峻厳たる絶峰を超える高さにある。どれほど見上げようと『ソレ』の再現がない巨体は測れない。夜空で輝く星々に頭が擦れていると言われても、誰一人として否定しないだろう。数々の大型モンスターを倒してきた冒険者の心を、『ソレ』は人智を超えた体高(おおきさ)で圧し折った。

 

 手(?)に該当する部位。指の代わりにあるのは大蛇。『海の覇者(リヴァイアサン)』がミミズ程度に見える巨大な蛇が、両手(?)を合わせて十匹。全て異なる意識を持っているかの如くうねっている。オラリオから遠く離れた土地の空で。

 

 背中の翼を広げたら、それだけで夜の帳が下りたような暗闇に包まれるだろう。羽ばたきでもされたら――どれだけ最悪な被害を想像しても及ばない『破滅』が訪れる。

 

 誰かが諦めた。誰かがちっぽけな己に絶望した。【ロキ・ファミリア】を無責任に弾劾した者でさえ抵抗の意志を放棄した。『竜』に死にかけの虫けらが立ち向かうどころの話じゃない。剣を天に向かって振り回し、天そのものを斬り落とすのに等しい。

 

 ありとあらゆる要素が心地よい諦観の腕へ変貌し、生きることの渇望を潰し、永遠の眠りへ手を招く。本能が死を逃げ場にしようとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――【永久(とわ)なる闇よ、我が声に応じ、闇よ来たれ! 我が力をもってこの地を絶望で染め上げよ】――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明らかに聞こえないはずの声が聞こえた。声の主を知る者は「ああ、もう何とかなるんだ」と、根拠なく受け入れた。

 

 詠唱が進むにつれ、急激な変化が訪れた。雲の邪魔がない月明りのおかげでぼんやりと窺えていた周囲がまるで見えなくなった。一寸先どころか自分の手を眼前にかざしても見えない。

 

 原因はレイン。彼を中心に発現している如何なるものにも染められないような純白の魔法円(マジックサークル)から、光を吸い込むような暗黒が急激に広がっている。あたかも、この世界を漆黒で染め上げるように。

 

 影は止まらない。地上を、地底を、空を。全てを純黒で覆い尽くしていく。暗闇のどこからともなく風が吹き出し、不気味な笛の音のように鳴り響く。

 

「【万物の(ことわり)は我が手中にあり。天地の狭間に破壊と死をもたらさん】!」

 

 状況を把握する間もなく闇から吐き出された人々が目にしたのは、数舜前まで自分達を吞み込んでいた闇の正体。

 

「【来たれ】――【インフィニティ・ブラック】!!!」

 

 範囲攻撃魔法【インフィニティ・ブラック】。世界を滅ぼせるほどの憎悪を宿したレイン最凶の『魔法』。効果範囲は球体状。射程距離はLv.×半径一〇K(キロル)――直径一八〇K(キロル)内の万物を滅する。長文詠唱で発動する比喩抜きに世界を滅ぼせる禁呪。

 

 レインの人外の『魔力』が射程距離を無理矢理変える。横向きの射程を半径三〇K(キロル)まで削り、余剰分の六〇K(キロル)を上下に加えて一二〇K(キロル)まで伸ばした。完全に、地底から出現した『ソレ』を黒いドームに閉じ込めた。

 

 天地を覆っていた暗黒の領域は一気に集束して消え去り、内部にあるもの全てを道連れにした。下界の大地ごとこの世から削り取り、何もかもを消し去った。

 

 大陸にできた前代未聞の大穴に流れ込む海水の音だけが世界に響いていった。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 ――【インフィニティ・ブラック】が発動して数秒後。

 

「俺は血塗られた破滅への道を選んだと思っていた。沢山の命を奪ったからフィーネに嫌われていると思ってた」

『レイン?』

 

 返事がない。名前を呼んだのに、こちらを見てくれない。

 

「選択はもっと前にあって……蘇生魔法を使った時点で、俺は……」

『レイン! レインッ!?』

 

 嫌な予感がする。どうして声に力がない。どうして顔を上げない。どうして――懺悔するように口だけを動かすの?

 

 顔を覗き込もうとしたクリュスタロスは……肩を押されて尻餅をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめん……守れなかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突き飛ばされたクリュスタロスの視界から色が失せた。

 

 なんで。

 

 なんで。

 

 どうして、()()()()()()()()()()()()()

 

 レインの首を恍惚とした顔で抱いて笑う、こいつは――!!

 

 憤怒を爆発させる大精霊の耳朶を震わせるのは――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初めまして、というかさっきぶり? ()の古い名前は【神を誅殺せし獣(テュポーン)】。今の真名は【終焉を齎す者(フィーネ)】だよ。よろしくね」

 

 血を滴らせる青の魔剣を持つ、レインが愛した少女の声だった。




悲劇予知女(アンティゴネー・パンドラ)
・一定以上の愛情(おもい)で発動。
・対象に試練付与。
・繝Η繝昴繝ウ縺ョ螳悟驕ゥ蜷井ス


 レインが【ロキ・ファミリア】の『魔法』を使わなかったのは、『魔法』は誇りや願いが具現化したものだと思っているからです。だから『正義側』のは使いませんでした。

 アミッド→治療師として殺人など許せるものではないですが、レインが優しくて誰かの為に戦う人だとわかっているので憎めません。
 ちなみにレインがアミッドに『呪い』を教えなかったのは、彼女では力不足だったからです。クリュスタロスにばらされてしまいましたが、黙っていたせいで解呪できなくなったと思ってもらえそうなので構いません。

 デメテルは交戦なしで都市民を追い出せそうになった時、出ていかない頑固者が現れたら食糧供給を止めてもらうことを約束していた。

 ディオニュソスは彼の酒蔵に放置。【ファミリア】は生存ルートへ。

 傾国の剣→アルテミスが封印されていた遺跡で手に入れた想像です。だから名前は《ルナティック》。

 ガイアを縛っていたのは『アルゴノゥト』に登場した支配の鎖、その完全版です。

 ロイマンは『黒竜』が死んでいないことを知りません。勝利した=討伐したと決め付けてしまいました。敢えてぼかした言い方をして訂正もしないのは、フィンなりの優しさです。


 レインがどんな秘密を知ってこんなことをしたのか。それが完全に明らかになるのは次回。




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七十二話 くだらない世界のくだらない真実

 遅れて本当にすみません。
 次は早く投稿できるといいなぁ……エタるのだけは絶対にないです。
 今回はアンチ・ヘイトと推測による捏造が多いです。駄文でもある。あとがきも沢山。
 ではどうぞ。


『生んでくれてありがとう』

 

 はっきりと『僕』という自我が確立されてしばらくが経った時、不完全だった僕にできる贈り物はこれしかなかった。それでも僕は母に感謝を伝えたかった。

 

『貴女も……生まれてきてくれてありがとう』

 

 大切な唯一の家族(はは)はそう言った。ただの言葉(おと)だ。いつか忘れてしまいでもすれば、それを紡いだという事実は永遠に消え去ってしまう程度の代物。

 

 なのに母は涙ながらに笑い、僕をぎゅっと抱きしめてくれた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 絶対的強者である竜の瞳孔は縦に裂けている。ありとあらゆる生物に備わっている器官が通常と異なった形状をしている場合、それらは強者か特異な存在であることが多い。

 

 ならば……紫紺の瞳そのものが尖った十字架のようになっている目を有する眼前の女は、いったいどのような存在であるのだろうか。

 

「もしもーし、起きていますかー?」

 

 ぞっとするほど滑らか断面から血を吹き出し始めたレインの胴体が、出血の勢いで倒れていく。倒れ込むと同時に、残っていた右手が離れた場所に転がった。傾国の剣(ルナティック)を奪い取った時に切断したのか、はたまた逆に斬って奪ったか――クリュスタロスにそんなことはどうでもよかった。

 

 レインを支えるために人型だった自身の身体を半人半馬に変化させる。更に数倍増大させた体重を生かせる武器、戦槌(ハンマー)を氷で生み出した。

 

 そして躊躇も見せずにレインの想い人の姿をしたナニカ――【神を誅殺せし獣(テュポーン)】に振り下ろす。

 

 だが……、

 

「わっ、危ないなぁ。未開の地の蛮族流の挨拶かい? 君は封印された精霊だったし……あながち間違ってないよね。我ながら上手いこと言った」

 

 風が鳴る。地面が爆ぜて石や土塊が飛び散った。しかし肉を打つ感触はまるで感じられず、赤い飛沫は一滴も見当たらない。

 

 音速の壁を越えて振るわれた氷の戦槌の半身が地面にめり込み凄まじい衝撃を発生させるも、テュポーンにはかすり傷すら付けられなかった。残骸となった戦槌の断面には微かな起伏もない。

 

(くそっ! こいつはいったい何をした!?)

 

 レインの【ランクアップ】でクリュスタロスの地力は引き上げられている。膂力も速度も動体視力も、全力全開のレインに指一本なら届くほどの域だ。

 

 そんな彼女が相手の動きを微塵も捉えられない。レインの首とクリュスタロスの武器、両方とも魔剣で断たれたのか手刀で斬られたのかはたまた別の手段か――見当がつかない。眼前でにこやかに笑う女の服は欠片も汚れていなかった……衝撃で土と砂ぼこりが巻き上がったというのに。

 

 絶望的な力の差。嫌な風が頬を撫でた。それでもクリュスタロスは手を緩めない。今度は広範囲を全ての生命が死に絶える極寒の世界に変えてやろうと、両手を広げて魔力を練り上げる。

 

『【氷結せし数多の刃よ渦巻き逆巻き降り注ぎ神羅万象無に帰す死に至れ代行者たる我が名は氷精霊(クリュスタロス)氷の化身氷の女王(おう)】――【レベル・ゼロ】!!』

 

 大精霊の詠唱。意思一つで大都市を氷漬けにできる存在が高らかに宣告した瞬間、真っ白な氷雪が吹き荒れた。瞬く間に周囲は白銀の世界に成り果て、吹き荒れる冷風が全てを凍てつかせようとする。

 

 更に大気中の水分が急速に固まり、無数の氷の刃が生み出された。大きさも形状も異なる氷の刃は渦巻く風に乗って旋回しながら、全てがテュポーンに殺到する。

 

 今度こそ避けられない。クリュスタロスはそう確信した――が。

 

 猛吹雪の隙間から覗く禍々しい微笑を目にした途端、彼女を構成する全てが警鐘を鳴らした。

 

「――【リフレクション】」

 

 まるで巻き戻しの映像を見せられているかのように、テュポーンを包み込む結界に当たった氷の刃達は通った軌跡を正確になぞってクリュスタロスへ反射された。上下左右前後、一分の隙もない波状攻撃が結界に当たった勢いと衝撃を乗せて、発動したクリュスタロス自身を痛めつける。

 

『ぐううぅぅっ!?』

 

 肉厚の氷で急所は守り切ったものの、巨大化したことが災いして損傷(ダメージ)が大きい。人間と同じように血が通っていればクリュスタロスは失血死していただろう。それに、致命傷にならなかっただけで重傷を負ったことに変わりはない。

 

 それでもクリュスタロスは屈しない。

 

『まだだ……まだ終わってなるものかっ。レインは私より傷付いていた! レインは私より苦しかった!』

 

 この程度の痛み、尊敬する友人であり想い人が受けてきたものに比べれば無に等しいと、クリュスタロスは全身から氷の刃を生やしながら己を鼓舞する。

 

 ――鼓舞、していた。

 

 ヒュンッ、という風切り音がした。直後にゴトリ、という重い物が転がる音も。

 

『え?』

 

 空白が生じた思考が何の意味もない呟きを唇から零させる。 

 

「うーん、まぁそうなんだけどね? 氷のサボテンみたいになってもレインの苦痛に届かないのは当たり前だよ。同等以上の苦しみをこの身に浴びた僕が保証しよう」

 

 肉付きの良い脚が転がったソレ――クリュスタロスの両腕を踏みつける。そんな屈辱的な光景を情報として理解しても、思考は別のことに割かれていた。

 

 また。また見えなかった。音が聞こえるのは音速を超えていない証拠。なのに大精霊である自分(クリュスタロス)が認識できない。

 

「だからね、彼に同情していいのは僕だけなんだ。苦痛を『知る』だけで『経験した』訳じゃない奴の支えにされるのは……とんでもなく不愉快だ」

 

 クリュスタロスは天才ではない。天才ではない彼女が思考を常識に囚われずに回すには、戦いの最中に与えられる刹那の猶予では到底足りなかった。

 

 認識不可能な衝撃が悲鳴を上げる暇もなく身体を吹き飛ばした。勢いよく流れていく周囲の風景。全身に襲い掛かる断続的な損傷(ダメージ)。幾度となく揺さぶられる意志と意識。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「風の音がするんだ。僕の動き(おと)を察知できなかった時点で『風そのもの』で攻撃されていると気付きなよ。もしくはレインの血を一滴も浴びていなかった所とか。神の言葉に詳しかったら僕の名前に含まれる意味、『大風(テュポーン)』でわかったかもだけど……もう関係ないか」

 

 癪に障る発言をした氷の大精霊を風の力で吹き飛ばしたテュポーンは吐き捨てると同時に、記憶からクリュスタロスとの関わりを忘れた。今しがた繰り広げた戦いすらも。

 

 世界で五本指に入る強者であろうと……【神を誅殺せし獣(テュポーン)】にとっては路傍の石以下

であり、敵どころか害する可能性が微塵もない存在である。

 

「ふふっ……やっぱりレインは特別だ。あんなに弱っていても僕に傷を付けるなんて……!」

 

 もう塞がってしまった傷――一太刀入れられた背中の感覚を思い出しながら、テュポーンは陶然とした表情でレインの首を抱きしめる腕に優しく、それでも強く力を入れた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「――お、やっと奪い取れ……っとと。『奪い取れた』は違うな、僕が奪われていた訳だし。『取り返した』も保護してくれたレインが悪いみたいな言い方になっちゃう。うーん……受け取れたでいっか」

 

 遺体から鞘を抜き取って剣を(おさ)め、空いた両手でレインの頭部を撫でまわしていたテュポーンが顔を上げると、まるで見えない手に包まれているようにゆっくりと降ってくる影――実際に風で支えられている――女神(ガイア)が見えた。

 

 ガイアを運んでいたはずのフェニックスはどうなったのか? ……それを知っているのは一人だけであり、その人物はすぐに忘却した。

 

 地に横たわったガイアに歩み寄る。両手で受け止めれたらよかったのだが、あいにくレインの首で塞がっている。手放す選択肢はなかった。

 

「母さんがくれたこの(ちから)、ずっと大事にしてきたよ……。待っていてね母さん、次に目を覚ませば、この世界はかつてないほど綺麗になっているからさ」

 

 意識のないガイアから返事はない。でも、テュポーンにはそこにいるだけで良かった。

 

「風よ、僕の声を届けてくれ。人も神も、聞き逃す奴が一匹もいないように世界の果てまで」

 

 そよ風のように優しい囁き声。しかし、その囁き声に呼び出された風は天災に等しい暴風の塊。テュポーンに操られることで球状に整えられた()()()の奔流は、次の瞬間爆発したように広がり、一気に下界全土を覆い尽くした。

 

 コホン、あーあー、とテュポーンは喉の調子を確認。満足気に一つ頷くと、

 

「下界にいる全ての人類と神々に告げる。僕は【神を誅殺せし獣(テュポーン)】という者。これから人類と神々(おまえたち)を鏖殺する名前だよ。寛大な心で教えてあげたけど、口にするどころか脳に刻むことなく死んでいってね、世界の糞虫ども♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――意味不明、意図不明、理解不能な状況が終わらない。

 

 迷宮都市が『隻眼の黒竜』を倒した冒険者に襲撃されたかと思えば、その迷宮都市を根こそぎ吹き飛ばしながら異常に巨大な怪物が現れ、その怪物が黒いドームに呑み込まれて消えた。そして次は黒い風が吹いてきて、恐ろしい言葉も聞こえる。

 

 絶望が現れては消える。混乱(パニック)を引き起こす余裕すら与えないかのように、世界中に声が響いた。

 

『きっと僕の言葉を理解できていない奴がほとんどだと思う。だってお前達は自分の信じたいこと、知っていることを常識と真実にするから』

 

 声は天上の調べの如き美しさとは裏腹に、耳にする者の心臓を締め付けるような毒を含んでいた。

 

『初めに言っておくと、この声は断じて「神の力(アルカナム)」によるものじゃない。風を操ってお前達の耳に届くようにしているだけ。だから送還は起きないし、そもそも僕は神じゃない。じゃあ正体は何なんだ、という質問に答えるならついさっき現れた怪物(モンスター)だ。腹が立つことにね』

 

 全てを見透かしているような、それでいて無視することを許さない……神にとても似た話し方。なのに神ではなく怪物(モンスター)だと言う。影も形も見えない相手の声に、人類は耳を傾けるしかない。

 

 故に――神々の様子を見た者も、『神の鏡』を使わないことを怪しんだ者もほとんどいなかった。道化の神の眷属達も、黒い風が吹き始めてから震え始めた少女に目を奪われていた。

 

『馬鹿でもわかるように優しく、丁寧に、事細かく話してあげよう。どうして僕がお前達を滅ぼそうとしているのか。話は何億年も前に遡るけどね』

 

 そしてテュポーンは語り始める。

 

 この世界の真実を。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 遠い昔、本当の本当にずっとずっと昔。

 

 今と違って神は『始まりの五神』と呼ばれる五柱、原初の暗黒界(タルタロス)原初の母(ガイア)原初の愛(エロス)原初の闇(エレボス)原初の夜(ニュクス)しかいなかった。混沌(カオス)から生まれたこの五柱以外の神は、全員が『母』を司るガイアの子供である。他の神には生殖器官はあれど繁殖する能力はなかった。

 

 武技や鍛冶技術を極めた武神(タケミカヅチ)鍛冶神(ヘファイストス)のように、ガイアは神の中でも特別な『胎』を有していた。自分自身だけでも子供(かみ)を生み出せるだけでなく、どんな相手とも交わり子を成せる特性。……ガイアは自分自身(ぜんしゃ)の力だけで生んで、誰とも交わることはなかったが。

 

 神は生まれた時から自我がある。ガイアが生み出すのは正確に言えば『海』や『雷』といった神が司る事物そのものであり、その事物が完全無欠に形を取った存在、それが『神』になる。完全無欠、すなわち初めから全知全能として生んでもらえるからこそ自我があるともいえる。

 

 ガイアはあらゆる事物(かみ)を生み続けた。何かを生むこと自体がガイアの生きる意味であり存在意義だった。

 

 数えるのが億劫になるほどの妊娠と出産を繰り返すガイア。そこに感情はなく、永遠に事物を生み続ける――はずだった。

 

 神の性格が破綻しているのは、生まれた瞬間から完璧な存在だから……人間のように誰かに支えられて育たないからだ。故に自分以外を傷つけ、陥れ、娯楽にすることに抵抗がない。中にはそうなりたくない、と神格者になる神もいる……超越存在(デウスデア)として生まれたからこその弊害だなんて言い訳はできない。

 

 神々(クズ)は好奇心に従うまま、ある計画を実行した。どんな相手とも子を作れるガイアと、『暗黒界』を司ったことで黒の集合体として安定したタルタロスを無理矢理交わらせた。

 

 ガイアは『母』……つまり『女』だ。ずっと他者と交わらずに子供を作っていたのは、異物を受け入れるのが怖かったからだ。初めて感情(きょうふ)を見せて抵抗するガイアを、神々は楽しくて愉しくて仕方ないと笑い、嗤った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして生まれたのが後に【神を誅殺せし獣(テュポーン)】と呼ばれるようになる赤ん坊。万能である『神の力(アルカナム)』も碌に扱えず、誰かに育ててもらわなければならないほど弱かった、全知全能の(かみ)が産み落とした初めての不完全。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遊ぶだけ遊んだ神々は衰弱したガイアを赤ん坊諸共放置した。完全に身体を消滅させられても復活する神々にとって、当時は誰かが死ぬなんて考えはなかったからだ。ましてや衰弱死など。

 

 ガイアも理解できなかった。腹が減れば『神の力(アルカナム)』で出された食い物ではなく己の乳房に吸い付くわ、理由もなく泣くわ笑うわ、寝る時は必ず自分に擦り寄るわ……。全知全能であるはずなのにこれだ! という答えが思いつかない。

 

 困惑するガイアの心情を知らない赤ん坊は成長していった。少女と娘の境界線を揺れ動くような外見になり、そこでようやく『神の力(アルカナム)』を不老不死(さいていげん)だけ使えるようになって……ずっとガイアの傍にいた。

 

 ある日、ガイアは『赤ん坊だった存在』に尋ねた。

 

『どうしてここにいるのか』

 

 『赤ん坊だった存在』はあっさりと答えた。

 

『母さんが好きだからここにいる』

 

 更に訊いた。

 

『どうして(わたし)を好きなのか』

 

 きょとん、としたものの、すぐに返した。

 

『生んで大切に育ててくれたから。だから僕は母さんが好きだ』

 

 目を見開いて硬直したガイアの手を取って、笑った。

 

『生んでくれてありがとう』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――初めて……ガイアは自分が本当の『子供』を生んだと理解した。泣きながら愛しい()()()を抱きしめ、子供を生み出す以外の権能である風を操る力を贈った。この時、『赤ん坊だった存在』も初めて『大風(テュポーン)』の名前を得た。

 

 ガイアは神を生むことをやめた。自分を妻という立場に収めることで天界を纏めようとしたウラノス、似たような理由でちょっかいをかけてくるクロノスやゼウス、嫉妬や暇つぶしで殺し合いをけしかけてくる神々を無視して、子供(テュポーン)と一緒に自分の神殿(いえ)に閉じ籠った。

 

 ようやく手に入れた幸せ。母も娘も、お互いとこの幸福を何としても守ると誓っていた。

 

 だから仕方がなかった。神殿に無理矢理男神が押し入ってガイアを犯そうとして、それを見て激高したテュポーンが殺してしまうのは当然だった。

 

 しかし……テュポーンが殺した神が()()()()()()()()()()で、二人の女神の運命は大きく狂い始める。

 

 当時のテュポーンは司る事物がなかったことで『神のなりそこない』と蔑まれていたが、誰かに見える事物ではなかっただけだ。『神を殺せる』事物など、神を殺すまでわからないのだから。

 

 同時にテュポーンは不完全の神だった故に、完全無欠の神々にはない『進化』があった。(一応)次元が上である神を殺す度、テュポーンは強くなっていく。

 

 もしも最初の神が殺された直後に神々の一割が協力していれば、テュポーンは容易く制圧することが可能だっただろう。けれど、神々は死んでも生き返る前提のお遊び(ころしあい)しか経験がない。生き返ることができない真の殺し合いに挑む度胸など存在しない。

 

 自意識過剰、一匹狼、脅しに取引。様々な理由で襲ってくる神は常に個々。テュポーンにとっては経験値(エクセリア)の塊が突っ込んでくるようなもの。あっという間にどんな神にも負けない力を手に入れた。

 

 それだけの力を手にしてもテュポーンに『神を皆殺しにする』という考えはなかった。もう負けることはないという慢心もあったが、それ以上に優しい(ガイア)他神(たにん)を傷つけることにいい顔をしなかったことがある。

 

 テュポーンは神でありながら全知全能(かみ)じゃない。神羅万象を知り尽くしていないし、無から有を生み出す力もない。でも、全知全能ではないからこそ……テュポーンは全知全能(かみ)を殺せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テュポーンは『神』が『神』である所以を知らなかった。(かみ)優しさ(あまさ)を知らなかった。そこに付け込める(かみ)外道(クズ)っぷりを知らなかった。『思い通りに()()』ではなく、『思い通りに()()』が基本の神の本性を知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガイアは優し(あま)過ぎた。他神が死ぬのも(テュポーン)が手を汚すのも嫌だった。『私なら好きにしてもいい。だから、テュポーンを傷つけようとするのはやめてくれ』と、テュポーンが目を離した隙に頼み込むほど愚かだった。

 

 神々は屑だった。どこまでも己が大事だった。『ガイアを殺されるのが嫌なら言う通りにしろ』と、後ろめたさを一切覚えないほど下劣だった。

 

 『神を殺す』ことはテュポーンにしかできない。しかし、『神ではない存在に堕とす』ことなら全ての神の賛同があれば使える物で可能になる。

 

 その名を『無常の果実』。女神モイトラが管理する神饌。『神性を奪われて醜い獣に堕落する』効果を持つ。テュポーンが食えばガイアは助かるが、断ればガイアに食わせる。どちらを選んでも幸せになることは有り得ない悪魔の提案。

 

 テュポーンは提案を飲んだ。ゲラゲラ、ゲタゲタと嗤う神の言いなりになっている屈辱と怒りを押し殺して、(ガイア)のために『無常の果実』を口にした。

 

 こうして醜い獣――『モンスター』になったテュポーンは下界に堕ちた。母から授かった名も【神を誅殺せし獣(テュポーン)】と汚された。

 

 神々はそれで満足――する訳がなかった。自己保身についてだけは無駄に頭が回る連中である。危険要素(テュポーン)を産み落とした不安要素(ガイア)をそのままにしておくはずがない。

 

 テュポーンとガイアを怪物(モンスター)にして処分、はできない。テュポーン以外が神を殺したとしても司る事物がある限り、輪廻を巡って生き返る。ならばどうするか?

 

 答えは『封印』。神を殺せる力は未だ健在である【神を誅殺せし獣(テュポーン)】が破壊不可能になるよう、ガイアを生贄、彼女から摘出した『胎』を蓋にした『封印』を創り出した。逃げ出すにはガイアを殺さなければならない。母娘の想いを弄ぶ悪辣な設計。――どんな存在とも子を成せる『胎』が【神を誅殺せし獣(テュポーン)】の劣化コピーになるモンスターを生み始めるのは想定外だったが。

 

 同時に『封印』ごと【神を誅殺せし獣(テュポーン)】を殺せる存在を生み出す計画も進められた。その存在は『封印』が『大穴』と呼ばれる頃に目を付けられる。

 

 呪文を唱えなければ『魔法』も使えない。ちょっとした病や環境で弱くなる。一瞬の寿命を無駄で非効率極まりない()()()()()()()。なのに爆発的な成長を見せながら強くなっていく。

 

 不完全だったから強かったテュポーンに似通った性質を持つ生物――『人類』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラスボス(テュポーン)に近いほど強力なモンスターが出現する迷宮――「ダンジョン」を攻略させるキャラクターにピッタリじゃないか』

 

 楽しい暇つぶし(ゲーム)になりそうだ。

 

 神は口を裂いて笑った。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「――とりあえず、僕が神々(クズども)を殺そうとする話はこれくらいかな。これで復讐するなと言うのが無理だと僕は思うんだ」

 

 テュポーンは話し終えて少し想像する。

 

 神の中には本気で人類を好きになる奴がいる。今の話を好いた相手が理解したらどうなるか――ダメだ、笑いが堪え切れない!

 

 今も腹に力を入れて耐えているが、このままだと腹筋が割れてしまいそうだ。誰にも見られていないのをいいことに、テュポーンは地面を叩いて笑いの衝動を発散した。

 

「疑問に思ったことはないのかな? 今でこそ気軽にダンジョン、ダンジョンと呼んでいるが……誰が『ダンジョン』なんて呼称を広めた? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の理由で『ダンジョン』と名付けるセンス……人類にはない。精々『ラビリンス』でしょ」

 

 口を動かしているが、笑いが過ぎると今度は殺意と憎悪が湧いてきた。

 

 ヤバい、徹底的に苦しめて殺してやりたいのに……! テュポーンは頬を抓って我慢する。

 

「他にもあるぞ。どうして『神の恩恵(ファルナ)』は戦闘力に直結している? 神に近付く過程で強くなると言ってしまえばそれまでだが、全知に繋がる『かしこさ』や『知力』のような項目がないのはなんでだ? 『ダンジョンが生きている』と言われるのは? 壊しても修復され続けるなんて……まるで不死身じゃないか。まるで神のようだ、とか考えられないの?」

 

 無呼吸で一気に話す。次に口にする予定の話の内容をざっと思い返す。

 

 うん……レインへの愛しさとそれ以外の人類への怒りが湧いてくる。

 

「さて、神を殺す理由(ワケ)は十分話したし、次はどうして人類も皆殺しにしてやろうと決めたのか教えよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このままだとレインの犠牲を知らない世界で人類は平穏と幸福を享受することになる。それが許せないから僕は人類を殺そうと決めたんだよ」




悲劇予知女(アンティゴネー・パンドラ)
・一定以上の愛情(おもい)で発動。
・対象に試練付与。
・テュポーンの完全適合体


・テュポーンの姿。
 天界にいる時は黒髪で瞳が紫紺のアイズみたいな容姿。今は黒髪で瞳が十字の形になってるフィーネ。


・入れられなかった推測(という名の妄想)。
 アイズのお母さん、つまり風の大精霊アリアはダンジョンで生まれたんじゃないかと思っています。

 理由としてダンジョンから地上に進出したモンスターは繁殖しているから。ダンジョンから生まれたら精霊でも繁殖能力を手に入れられたんじゃないかと……。

 ダンジョンで生まれた理由は、ソード・オラトリアでモンスターに喰われて融合した『穢れた精霊』が登場しましたが、こいつらが死んだら魂はダンジョンに戻るのではないかと思っています。異端児(ゼノス)編であったモンスターの魂の輪廻転生のように、ダンジョンの輪廻に取り込まれる。

 そして巡り巡って『異端児(ゼノス)』になるための変異――今作ではテュポーンの憎悪を振り払うことが条件と考えています――が起きてダンジョンの壁からポイッされたのが風の大精霊アリア(繫殖能力ゲット!)なのではと思います。アルフィアに「ダンジョンの娘か?」と言われてましたし。

 この考えはギリシャ神話を呼んでいて、「へー、テュポーンって台風とか大風とか大嵐とかの意味もあるんだー……嵐……【目覚めよ(テンペスト)】?」みたいに思いつきました。


 フィーネは……強引ですがダンジョンの無限の可能性の中から人間が生み出され、稀有な能力を持つ一族として生きてきた設定。【ヘラ・ファミリア】の団長が『才禍の怪物(アルフィア)』を差し置いてLv.9になるにはこれくらいしか思いつかないです。……忘れているかもだけど、一応フィーネはヘラの系譜という設定だからね? 作者は忘れてないよ……嘘です、ちょっと前まで忘れてました。



 レインは他に何をしたのか……? 次回をお楽しみに! 資格試験があるからわかりませんけどね!


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七十三話 罪の名は

多分あと三話で終わります。あとがきに色んな補足が。長いと最後が雑になりますね。


 多くの人間は自らに恩恵を与えた者を知ろうとするどころか、恩恵を与えられた自覚すらない。そして、気付くのはいつだって失ってからなのだ。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

『犠牲……?』『奴は大罪人だろう!』『神様、今の話は本当ですか!?』『責任とれ!』『もう嫌だこんな世界っ』『誰か答えなさいよっ、貴族の私が命令してるのよ!?』『夢だ……これは夢だ。きっとベッドの上で夢を見てるんだ……』

 

 風に乗って聞こえる声に反吐が出そうだ。どいつもこいつも……自分のことばかり、もしくは認めがたい現実から逃げることを考えている。そこに他者を慮る意思はない。

 

(こんなのを助けるためにレインは……僕は――!) 

 

 今度は腸を焼く感情を抑えることをせず、歯を軋らせながらテュポーンは風に殺意を籠めて操っていった。

 

『ぎゃっ』

『ぺん!』

『ぷもっ』

『ぐし!?』

『やん!』

『あげごッ?』

 

 捩じ切る、押しつぶす、破裂させる。特定の形を持たずに変化する風で実現できる全ての殺害方法を用いて、騒がしかった中でもひと際強い怒りを抱いた人間と神を殺す。神を殺して発生する『神の力(アルカナム)』で巻き添えを喰らった奴等もいたが、不幸を認識する間もなく死んでいく。上がった断末魔は残った全ての者に聞かせてやった。

 

 今ので悲鳴と絶叫が連鎖する前に、テュポーンは自分の声を乗せる。

 

「黙れ。お前達の汚い声は僕にも聞こえるんだ……(クズ)人間(ゴミ)がたかだか()()()死んだくらいでピーピーギャーギャー喚くな――殺すぞ?」

 

 するとあっさり静かになった。世界を駆け巡る風から伝わる情報に自然と失笑が漏れる。

 

「お前達の感情は薄っぺらいな。僕の行動を理不尽だと怒って、泣いて、憎んでも……僕の殺意と生殺与奪の権を握られているだけで恐怖する。芯がないから抵抗の意志が湧かない。力がないから理不尽に打ち勝てない。とても残念で、哀れで、惨めだ。まるで虫……いや、虫と比べるのも烏滸がましい」

 

 口を動かしながら命を奪う。断末魔の乗った風に血飛沫を混ぜてやれば、怒りや悲しみが限界を超えた者の絶叫や慟哭が響いた。ただ耳に障るとしか感じない、そいつらも殺す。少しだけ「殺した方がこいつらの救いになるのでは?」と考えたが、そんなのは極一部だと思いなおして即座に殺す。

 

 眷属の契りを結んでいる様子の神と人間は殺さない。かつてテュポーンとガイアが突き付けられた尊厳を弄ばれる二択のように、奴等にも選ばせてやろう。(じぶん)の命と眷属(こども)の命、どちらを救うかを。――選んだ方を殺すと決めてあるが。

 

(結局……僕も本質は『神』なんだな)

 

 復讐の動機は十二分にある。テュポーンは己のそれを否定しないし、誰かにさせるつもりもない。ただ……嫌悪感を与えるための所業が憎んでいる神々とどうしようもなく似ていると気付いて、テュポーンは無意識に胸元を握りしめる。

 

「さて……神々の胸糞話を聞いてさぞ不快な気分になっただろう。話し手の僕だって口が腐るかと思ったし、今すぐにでもこの世のあらゆる生命を根絶やしにしたいくらいだ」

 

 それでもテュポーンは復讐をやめない。

 

 神々への憂さ晴らしは終えた。次は人類(おまえたち)の番だ。

 

「だから今度はレインの話をしてやろう。何人にも知られることなく世界を救って死ぬことを決意した、誰よりも優しい戦士の話を、ね」

 

 僕が……僕達が今まで奪われていた幸せ(もの)を、奪い返してやる。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「神、様……?」

 

 今の話は嘘ですよね? 『外道』や『非道』じゃ言い表せない、嫌悪感しか湧かない闇派閥(イヴィルス)以上の所業に賛成するなんてこと、ないですよね? ウィーネやリドさん達がされてきたことを知っていますよね?

 

 そう言いたいのに、ベルの口は溶接されたかのように開かなかった。ヴェルフ達も縋るような眼差しでで自分達の主神を見つめるだけ――ヴェルフと命に至っては好いた相手が神である。ベルよりも心は荒れているだろう――。

 

 問い質したい相手(ヘスティア)も眷属達を一瞥したきり、歯を食いしばって何も訂正してくれない。

 

 ツインテールを荒ぶらせながら『僕がそんな邪神みたいな真似すると思うかー!? 君達が一発殴れば勝てるゴブリンにだってフルボッコにされるんだぞ!』とするはずだ。

 

「………………本当だよ」

 

 なのに。ヘスティアは否定をしなかった。周囲にいる神々のように否定してくれなかった。

 

「この声が……テュポーンが言っていることは全て真実だ」

「――ッ! いつか自分達を殺す()()()()()()、というだけでですか!?」

「そうだよ。全知全能である神々(ぼくら)を殺せる力を持つ存在を野放しにすることなんてできない。本人にそんな意思がなくてもね」

「相手を大切に想い合っていただけの女神様方に……何故そんなことができるのですか!?」

子供(きみ)達からすれば鬼畜に見えるだろうね。でも、あの二柱の事情を考慮すれば十分に慈悲を与えてあるんだよ。『ずっと一緒にいたい』って願いを叶えてあげたんだからさ」

 

 あろうことか独裁的で、高慢で、清々しいほど自己中心的な所業を肯定した。ベルは立っていた地面が崩れていくような気分になり、不格好に背中から倒れ込む。

 

 これが真実……あんまりじゃないか。神々の眷属になる人はモンスターに復讐しようとしてなった人だっている。それが復讐に必要な力を手に入れる一番の近道だからだ。他ならないベルだってそうだ。家族をモンスターに奪われた。その瞬間を見なかったから憎しみを抱けなかっただけで、もし見ていたとしたら――『異端児(ゼノス)』の手を取ることはできなかっただろう。

 

 ヘスティアはその事情を知っている。話した時に自分のことのように怒って、慰めるために抱きしめてくれたことを、ベルはずっと覚えていた。

 

 なのに、復讐相手(モンスター)を生み出すことになった原因が神々? じゃあなんだ、神々は自分達が不幸のどん底に叩き落とした相手に善神を装って手を差し伸べて、感謝する人間(こども)を笑顔の裏で嘲笑っていたのか? 貴方のお陰で仇が取れたと言う人類を、その仇の大元は自分だと爆笑していたのか? 恩着せがましく? 趣味が悪過ぎる。罪なき女神が理不尽に苦しめられた代価として得られる『魔石』を人類が持ってくるたび喜んで、それを何食わぬ顔をして利用して。

 

 胸の奥から吐き気が込み上げてくる。頭がガンガンしてきた。神々の腐った性根に眩暈がする。

 

 ヘスティア……目の前の女神は苦しそうな顔をしている。だから何だ? 下界に来て直接被害者(じんるい)と触れ合って、今更罪悪感が芽生えたのか? 正直に話すことが誠実とでも言いたいのだろうか? ずっと隠していたのだから誠実なわけがない。きっとウィーネ達に同情的だったのは罪滅ぼしのつもりだったのだろう。

 

 神々は人類を愛しているのだろう。人類の人生を尊重しているのだろう。同じ視点からではなく、(プレイヤー)の意思一つで破棄されてしまう盤上の駒(キャラクター)と、駒が決して逆らえない盤外からの指し手(プレイヤー)の関係として。いざとなれば人類を容易く排除できる――『神』として。

 

 何のために『神の恩恵』を背に授かったのだろう? ヘスティアを一人にしないという約束が、ヘスティアを幸せにするという密かな誓いが、ベルの中から消えていく。

 

 ずっと気にもしなかった。ヘスティアが『バレたらマズイ』と言った時、ベルは『誰に?』と考えたのに。ウィーネを隠れ里に届けた後、ダンジョンについて尋ねた時も、口籠っていたのは知っていたのに。

 

『だから今度はレインの話をしてやろう。何人にも知られることなく世界を救って死ぬことを決意した、誰よりも優しい戦士の話を、ね』

 

 今や世界を支配している声が響く。声に含まれていた名前に反応して顔を上げたベルは、不安定な精神に更なる衝撃を受けることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『レインはね――全て知っていたんだよ。クソみたいな封印(ダンジョン)がどうしてできたのかも、「神の恩恵(ファルナ)」の裏の意味(おかしさ)も、神々の本性も全部』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――は?」

 

 知らなかったのは精々、僕の名前くらいじゃないかな――後付けのように響いた言葉は右から左に抜ける。オラリオの住人、特にレインと関係があった者にとって聞き逃せる情報ではなかったのだ。

 

『んー、最初から教えてやるから黙っていなよ。(クズ)の話をもう一度しろと言われたらそいつを殺すが、レインの話なら百万回語っても足りないくらいだし』

 

 先程まで憎悪と殺意を隠そうともしなかった声が、一転して明るいものになる。まるで別人に切り替わったみたいだ、と感じてしまうほど落差が激しかった。

 

『仔細は省くけど、僕は封印されていた母さん(ガイア)の分身を地上に出した。永遠の寿命がある者からすれば瞬きに等しい時間だけど、ずっと地下深くに封印されているよりはマシだと思ってね。なのにガイアは彼女自身を殺せる存在を探し始めた。つまり、ダンジョン最下層まで攻略可能で、神を殺せる力を有していて、神を殺すことに躊躇しない人類だね』

 

 誰も意味がわからない。どうして想像を絶する惨い仕打ちから解放されたというのに、自ら死にに行く真似をするのか。

 

 ――彼女の真意を理解しているのは、この世界にたった二人だけ。

 

『封印から解放される前の僕は普通のモンスターと同じで、許容量を超える損傷(ダメージ)を受けたら死んでいた。今はダンジョンに面白半分に足を踏み入れた愚か者(かみ)を取り込んで、不老不死の力を取り戻したがな。――ガイアの目的は(ぼく)と心中することだったのさ』

 

 ガイアは自身の愚かで甘い選択を悔いていた。ダンジョンの底で自分をずっと責め続けて、暗闇しかなかった地底が心を慰めるような場所になって、娘の優しさを感じて更に責めた。

 

 だからこそ。だからこそ、テュポーンの優しさで太陽に照らされる地上を踏んだ時、誓った。ないに等しい可能性であろうと、悲願を――死で彩られた救いの手を差し出してくれる者を見つけると。

 

『そして、出会った。彼女の悲願を叶えられる、最強の戦士――レインに。彼は下界全土(せかい)に潜ませていた「神への刺客(黒いモンスター)」を一切合切殺し尽くし! ついには僕の分身とも言える「空の皇者(ジズ)」をッ、「黒竜」にすら勝利を掴んだ!! ……あの時ほど、「黒竜」と視界が接続(リンク)していて良かったと感じたことはないっ』

 

 ベルが辺りを見渡せば、黙れと釘を刺されたにも関わらず、周囲で驚愕の声や悲鳴が上がった。中にはその『黒竜』に勝った人物(レイン)に助けを求める者までいる。

 

 ――その嘆願する行為が、テュポーンの逆鱗であるとも知らずに。そもそも、人類を滅ぼすと告げた相手が人を褒めていることに気付かなかった時点で遅すぎたのだ。

 

『ああ、本当に良かった――レインが優し過ぎると確信できたのだから。レインが強すぎるとわかったから。彼ならガイアを殺さずに解放して、僕だけを消滅させようとすると予想できたからね! おかげで僕は何の被害もなく封印をぶち破れたし、大技を使った反動で生じた隙を狙ってレインの首を落とせた』

 

 テュポーンは人類と神々の心に希望を芽生えさせ、最悪のタイミングで潰した。

 

 レインの強さを知っている者ほど、絶望が強く心を蝕んだ。レインの強さを知らない者ほど、絶望が小さく――姿を見せずに散った希望(レイン)に理不尽な怒りを覚えた。

 

 そして吐き出してしまった言葉は、テュポーンの意識を弾けさせるほどの禁句だった。

 

「ふざけんな! そいつが腑抜けで優柔不断な真似をしたから、俺達はこんな目にあっているのか!? 迷惑だから生まれてきてんじゃねーよ! 俺達まで巻き込むな!」

 

 もしかすると、発言者にとっては他者を鼓舞するために強気な言葉を使ったのかもしれない。死者さえも利用しなければ無意味に死ぬと直感した可能性もある。

 

 しかし、代償は余りにも大きかった。

 

『―――――――――――――――――』

 

 時間にして僅か一・四秒。テュポーンはとある『声』を風に乗せた。

 

 乗せたのはガラスに思いっきり爪を立てたような、悪に酔いしれた者が発する神経を逆撫でする哄笑のような、地獄に落ちた亡者が上げる怨念のような、不快と狂気を極めたものを混ぜ合わせたかの如き音。

 

 ――『黒竜』との戦い以降、レインが絶え間なく浴び続けた憎悪の声。

 

 たったそれだけで……世界の総人口の一割以上の人間が死んだ。精神の死に釣られて肉体が死んだ。精神的苦痛に耐えきれず死んだ。発狂して殺し合って死んだ。

 

 死んで死んで死んで死死死死死死死死――死が広がった。

 

「――で? まだレインを侮辱する奴はいるか? 言っておくが、レインは一年もの間、今の声を聞いていたぞ。それでも彼の立場になりたいと言える? 彼と同じことができる?」

 

 口にしながらテュポーンは世界が滅んでもありえないとわかっている。レインほど異常な性格をしている人間はいないのだ。

 

 彼は責任転嫁を絶対にしない。自分の不幸を嘆かない。自らの行いを正当化しない。これらは全て人が心を殺さないために無意識にでもする行動だ。

 

 レインの心は死んでいるも同然だ。それでも空になった心の器にある優しさの残滓と、溢れる憎悪だけで精神と肉体を動かしている。

 

 テュポーンも語る気が失せた。

 

 レインは『黒竜』に代わって世界の敵になろうとしていた。奈落の底にいても感じられる力の波動には精霊の力が混じっていた。レインの性格上、強大な力を得て傲慢になることはないし、無意味な殺戮のためでもない。力を見せつける、ということが重要なのだ。

 

 恐らくレインは『異端児(ゼノス)』さえも救おうとしていた。テュポーンだけが死ねばダンジョンは残り、生まれるモンスターは『異端児』に限りなく近い存在になると、怪物の王(テュポーン)は感覚で理解していた。

 

 圧倒的な恐怖や強大な敵は、長年争った隣の敵を味方へ変える。生きるか死ぬかの境界に近付かねば強くなれない冒険者と違い、『魔石』を喰らうだけで強くなっていく理性のあるモンスター。一年や二年は無理でも、いつか手を取らざるを得なくなるだろう。『異端児(ゼノス)』や彼等に同情した者に向けられるはずの恨みや嫌悪も引き付けるつもりだったはずだ。

 

 精霊達はレインが生きていると思わせるための布石。異常進化した大精霊二柱に勝てる冒険者など間違いなく現れない。レインが死んでいることは誰にも知られず、永久的な平和が約束される。

 

 レインは力を付け過ぎた自分という存在も心配していた。一人で世界を滅ぼせる個人を各国が放っておく訳がない。レインを取り込むために道を踏み外していくだろう。そして、必ず失敗を忘れて同じ過ちを繰り返す。

 

(きっとこれがレインの計画。代償としてレインは富も名声も与えられず、汚名と憎悪と神々の尻拭いを押し付けられて死ぬ、か……)

 

 テュポーンは本当なら全部話したかった。レインの高潔さを猿でも理解できるように語って、人類と神々に己の醜さを自覚させて殺してやりたかった。

 

 でも、気が変わった。殺す。ただ恐怖で心を塗りつぶして殺す。

 

「『無知』。それが人類の罪だ。……『無知は罪』とかいう言葉を作ったのは人類(おまえたち)だし、言い訳なんてしないよね。させる気も、聞いてやる気もないけど」

 

 風は極限まで圧縮するとプラズマを発生させる。この世にある風を支配できるテュポーンならばエネルギーのロスもないため、地上を焦土にするのに十分な破壊力を容易く生み出せる。地上から恵みが消え去ろうと、無限の資源(ダンジョン)さえあればいい。

 

「――もう躊躇も油断もしない。神も人も、存在自体が間違った生物だ。辞世の句を詠む程度の慈悲は与えてやろう。後悔と絶望を抱いて死んでいけ」

 

 そう吐き捨ててテュポーンは声を乗せる風を止めた。わざわざ聞かなくても醜い責任の押し付け合いや命乞いが起きているのがわかる。

 

 すぐにテュポーンはプラズマ精製に意識を向けて――やめた。

 

 代わりに二人の人間を手繰り寄せる。有象無象はまとめて始末してもいい。が、この二人だけは自らの手で殺すと決めていた。

 

「うわあっ!?」

「ッ」

 

 一人は男。雪のような白髪と深紅(ルベライト)の瞳の少年。

 

 一人は女。金の髪と金の瞳を有する、ガイアによく似た少女。

 

「初めまして、ベル・クラネル。初めまして、アイズ・ヴァレンシュタイン。僕の手で逝けることを死ぬほど感謝して、死ぬほど絶望するといいよ」

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「どうして名前を知っている? とでも言いたそうだな。それに答えるなら、残り一年足らずで勝手に壊れるくらい封印(ダンジョン)が弱まっていたからであり、お前達二人は『黒いモンスター』を通して見たことがあるからだ」

 

 この場に自分達を招いた絶対者の十字の瞳に睨まれ、アイズとベルは息をすることもできなかった。冒険者として培ってきた生存本能が、想像を絶する『格』の違いを訴えてきたからだ。――見抜けたと思えた『格』の差が、テュポーンにとってはあってないものと知らないことは、二人にとって最大の幸運だった。

 

 そして、最大の不運は――目を逸らせば死ぬと思い込んで、絶対者の顔を直視してしまったことである。

 

「……フィーネさん?」

 

 絶対者の正体が知人だと知って生じた少しの安堵と、極限まで高まっていた緊張。それらが合わさってベルは思わず声を出してしまった。

 

「――気安くその名を口にするな」

 

 冷たい声が耳朶を震わせた直後、ベルの顔のギリギリを風が一過して――べちょり、と何かが手甲に落ちてきた。

 

 恐る恐る手甲に目を向けると、そこには赤く染まった耳が――ベルの左耳が落ちていた。知覚した途端に左側頭部が灼熱で炙られたように熱くなった。

 

 部位欠損という大怪我の激痛とショックから、血と涙と脂汗を流すベルの喉から絶叫が迸ろうとする。

 

 しかし、

 

「喚けばもう片方も落とすぞ」

 

 叫ぶことはできなかった。憧憬(アイズ)に見られていることも忘れて、ベルは右手に嚙みついて悲鳴と恐怖でがちがちと鳴りそうな歯を止めることに全神経を注ぐ。

 

 一部始終を見ていたアイズがベルに失望するということはなかった。彼女も目の前のテュポーンが恐ろしい。復讐も全て投げ出して逃げ出したいと、心の中の幼いアイズが叫んでいた。

 

 必死にテュポーンの怒りを買わないように思考を回す二人の内心を見抜きながら、テュポーンはその言葉を発する。

 

「ああ、やっぱり……お前達だけは神と同じくらい腹が立つ。どうせ最後だから確認してみたけど、本当に臓腑を焼かれている気分だ」

 

 身に覚えのない怒りをぶつけられて、アイズとベルは困惑するしかない。困惑してしまうのは当然だったが、それがテュポーンの怒りを煽る。

 

「そりゃあ理解できないだろうね。僕とレインがずっと求めていたものを……『幸せ』を当たり前に享受してきたんだから」

 

 当たり前に幸せを享受してきた。その言葉はアイズの中に眠る憎悪の炎を猛らせる燃料になる。

 

「私の幸せは自分の手で手に入れた! 手に入れる前の幸せは、貴方がっ、お前が生み出したあの竜に奪われたんだ! 私の幸せを奪ったお前(モンスター)が、そんなことを言わないで!!」

「その幸せを自ら捨てたのは貴様達だろうが。命を奪いに来た者が、命を奪われるのを嫌と言える道理はないぞ」 

「――! お前達『怪物(モンスター)』は――」

「大人しく殺されるべき存在だと? 神々が保身に走ったせいで生まれたのがダンジョンだ。貴様の恨みを受け止める義理などないし、僕はレインほど優しくない」

「嘘だ! 全部、全部、全部! お前達(モンスター)さえいなければ!!」

 

 そこまでアイズは叫んで、凄まじい衝撃と共に地に倒れ伏した。顔の中央が訴える途方もない痛みが、アイズの意識を刈り取っては覚醒させる。

 

 Lv.6の顔面が陥没するほどの膂力で殴り倒したテュポーンは、小刻みに痙攣するアイズを蹴り飛ばしてベルの前に転がした。

 

「嘘じゃないんだよ。神々が地上にいくつも悪夢の種を蒔いた。お前だってその一つ。どうせ『黒竜』を討った後に真相を明かされて、お前自身が厭悪(えんお)した『黒竜』になっていただろうさ。そうしないためにレインは復讐の矛先を自分に向けさせて、お前が死ぬまで隠し通すつもりだったのさ」

 

 次に回復薬(ポーション)をアイズに使おうとしているベルに焦点を合わせる。

 

「お前もだ、ベル・クラネル。『英雄』になりたい? そんなに神々の悪戯の後始末をしたかったのか? 

 確かにお前ならなれただろうね。世界を救おうとする偽悪者を邪魔した偽善者か、罪なき女神を手にかけた道化にな」

 

 テュポーンは恐怖心を煽るように徐々に剣を抜き、圧倒的弱者へゆっくりと歩を進めていく。

 

 ベルは動けない。仮に動けたとしても、彼と彼が介抱する少女の命を奪おうとする死神からの逃亡は不可能だ。

 

 それでも最後の賭けとばかりに、必死に喉を震わせた。

 

「どうして……僕達まで殺そうとするんですか……? 恨みがあるのは神様達だけじゃ……」

「何も知ろうとしなかったことに腹が立つ。僕と母さんとレインを犠牲にして人類が繫栄するのが頭にくる。お門違いの恨みつらみをモンスターに向けてくるので限界が来た。全ての人類が愚かではないのは知っているけど、僕はレイン以外どうでもいい。神も下界に降りて変わった奴もいるだろうが、僕には微塵も関係ない。冒険者(おまえ)は弱肉強食の迷宮で生きてきただろう? 今回は絶対的強者(ぼく)が気に喰わないと思ったから、圧倒的弱者(かみとじんるい)を滅ぼす。今更善悪を論じる気はないから、反論は聞かないよ。嘆きは天界で裁きを下す(クズ)に言えばいいさ」

 

 テュポーンの心は揺るがない。テュポーンが【神を誅殺せし獣(テュポーン)】となった時から、同じ過ちを繰り返さないと誓ったのだ。

 

「じゃあね、道化の英雄と復讐姫。二人の人生はどこまでも神の玩具でしかなかったよ」

 

 無力な二人の人間の命を散らすのに十分な威力と速度が乗った一撃が、振り下ろされた。

 

 道化の英雄と彼が庇う復讐姫に抵抗する力はない。彼等に残された選択は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「……助けて」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 他者に救ってもらうことを願うだけだった。無意識に零れた弱者の言葉(いのり)。しかし、世界を滅ぼす怪物から二人を助けられる者など、この下界にいるはずがない。

 

 ()()()()()()()()()

 

 キィイイイン! バチバチ! と澄んだ音と電流が流れたような音がアイズとベルの耳に届いた。

 

「――ふ、ふふっ、ふふふふふ! やっぱり生きていた! この二人を呼び寄せた時に()()()()()()確信したけど、君なら生きていると思っていたよ!!」

 

 二人は彼に何度だって救われた。恩はこれっぽっちも返せていないのに、幾度もひどいことをして傷つけた。だというのに、自分達はその背に守られている。どこまでも大きくて優しくて暖かい、その黒い背中に。

 

「やっぱり君は最高だ――レイン!!!」

 

 世界を滅ぼせる力を持った怪物(モンスター)と同じく、世界を壊せる力を手に入れた戦士が駆け付けた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 火花を散らして瓜二つの青白い魔剣が離れる。正直に言って、レインが間に合ったのは本当にギリギリだった。クリュスタロスが吹き飛ばされたのがレインがいた方向でなければ、『分身魔法』の影響で【ステイタス】が半分に割れていた自分では手遅れになるところだった。

 

 今の一撃もそうだ。隻腕のレインは単純に考えても力が半分落ちている。分身で【神を誅殺せし獣(テュポーン)】を消し飛ばしたおかげでLv.10に昇華(ランクアップ)したが、腕が一本あるのとないのでは馬力が違う。加減されていなければあっけなく押し負けて、そのまま両断されていた。

 

「【ディア・フラーテル】」

 

 視線は前に向けたまま重症の二人を治療する。純白の魔法円(マジックサークル)に包まれるベル達の傷が癒されても、テュポーンは何もしない。楽しそうに笑うだけだ。

 

「なるほど。『黒竜』に代わる脅威を大精霊にするのはいいとして、まだ生きている『黒竜』をどうするのかと思ってたけど……今の君なら半分の【ステイタス】でも勝てるな。一度戦った相手には絶対に負けないもんね」

 

 さらりと行動や使っていた『分身魔法』の制約(デメリット)まで言い当てられて眉を顰める。今のやり取りでも相手(テュポーン)が自分と同等以上の知能があるとわかった。せめて人間というだけで見下す隙があってほしかった、と内心で舌打ちする。

 

 テュポーンの瞳はレインの後方の遥か先を射抜いている。『分身魔法』を解除すると同時に置いてきてしまったが、こちらに来ているクリュスタロスの背に乗っている存在が恐らく見えている。

 

「どうして『魔石』を狙わないのか気になっていたけど……やっぱり君は優しいね」

「……俺ほど器の小さい人間はそういないぞ」

「まさか! 僕が君を軽く見る訳がないだろう? 僕を殺せる手段を持つ君を、さ」

 

 レインは隠さずに舌を弾いた。後ろの二人を不安にさせたくなかったが、認めるしかない。

 

「ま、僕を殺せる力があっても、君は僕に勝てない。違うかい?」

「そうだな。時間があるなら別だが、俺にはもう半日も残されていない」

 

 忌々しい。今の自分では絶対に勝てないと認めなければならない自分の弱さに殺意が湧く。

 

「恥じることはないさ。君なら時間があれば本当に僕に勝てるだろうし」

「何の慰めにもならん」

「アハハ、それはごめんね。お詫びとしてレインには時間(これ)をあげるよ」

 

 そう言ったテュポーンの掌に『魔力』が集まる。触れさせるだけで超硬金属(アダマンタイト)も塵にしそうな『魔力』の塊は圧縮されていき、妖しく輝く『魔石』になった。

 

「これを胸に埋め込むといい。継続的に『魔石』を取り込まないと朽ちる怪人(クリーチャー)と違って、これは寿命の存在しない人を超越した種族、言わば魔人にしてくれる。僕とレイン、そして母さんの三人で永遠に面白おかしく暮らそうよ!」

 

 テュポーンの笑顔に曇りは微塵も見受けられない。自分の提案がとても素晴らしいものだと心の底から信じ込んでいる。

 

「あ、別に魔人になっても力に変化はないよ。本当に寿命を取り払うだけだから安心して!」

「……俺が魔人とやらになることを受け入れたとして、神々と人類はどうする?」

「殺すけど? 反省も後悔も一時だけで、すぐに僕等を恨んでくるよ。見逃す意味が何一つとしてない。――まさか……まだ救おうとするつもりじゃないよね? あれだけ浅ましくて醜い本性を曝け出されたのに」

 

 優しく話していたと思えば――瞬く間に一転。眦が裂けた、恐ろしい無表情で見つめてくる。

 

 レインは背後に目を向けた。アイズもベルも、レインに縋る眼差しを向けている。しかしその目には、隣の相手を命に代えても守ろうという覚悟があった。

 

 ――ならば俺も覚悟を決めよう。

 

「ある訳がないだろう? 自分の命を捨ててまで目に見えない誰かを助けようなんて思わんよ」

 

 後ろの二人が動揺する気配がした。反対にテュポーンの顔は喜色で彩られる。

 

「じゃあ!?」

「けどな。守ると決めた相手は、そいつに見限られようと守り抜くと決めてるんだ。だから、お前は俺の敵だ」

 

 剣を突き付けて、不敵な笑みでそう言い切った。

 

「――はぁ?」  

 

 激震と共に大地が大きく抉られる。抉れ具合は大きなものから細いものまで様々だ。

 

「僕が、レインの、敵?」

「そうだ。ぶっちゃけ神はどうでもいいが、人類を滅ぼすのは見過ごせん」

「そうじゃない……弱すぎて僕にとっては敵ですらないって――言ってんだよッ!!」

 

 能面のような顔になったテュポーンの怒号を合図に抉られた地面が、散弾となってレインを傷つける。

 

「殺してからゆっくりと魔人にしてあげる。僕を殺せる【インフィニティ・ブラック(まほう)】を使う暇は与えな――」

「――誰が『魔法』を使うと言った?」

「……なんだと?」

 

 身体に空いた穴の痛みにも揺らがなかったレインの笑みが、最強最古の怪物(モンスター)に理由が付けられない危機感を覚えさせた。

 

 テュポーンはレインの背に刻まれた【ステイタス】を見たことがない。しかし、『黒いモンスター』を通してレインの戦いを観察し、『魔法』と『スキル』の効果や数を予想していた。――予想が完璧に当たっていることは本人も知るところではないが――そのため、レインに打つ手がないはずだとわかっている。

 

 背に刻まれた『神の恩恵(ファルナ)』に目を通せば、完全にレインに打つ手なしと決め付けるだろう。テュポーンの劣化模倣とも言える竜にまつわる二つの『スキル』は言うに及ばず、『魔法』は一つ発動させる間に千回は殺せる。

 

 ――他ならぬその『スキル』を発現させたレインしか、真の力に気付けなかった。

 

 レインはテュポーンに突き付けていた剣を反転させた。必然、切っ先はレインに向く。

 

 テュポーンは何もしなかった。レインの性格を見抜いている自負があっただけに、彼がその行動に出ることは予想の範疇に存在しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう。レインがそのまま剣を引き絞り――心臓に突き立てるなど、想像できるはずがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なっ……!?」

 

 ベルの震えが止まる。アイズの息が止まる。テュポーンの時が止まる。三者三様の反応も勢いよく奪われていく生の熱も意に介さず、レインは柄を握る手に力を籠めて、思い切り捩じった。

 

 それは儀式だ。ガイアから『神の恩恵(ファルナ)』を刻まれた瞬間に()()()()()、『本当の望み(スキル)』の封印を解除するための儀式。

 

 一本、また一本と外れていく抑制の楔。『神の恩恵(ファルナ)』が刻まれた背中が尋常ならざる熱を放ち、邪魔だと言わんばかりに神の血(イコル)で綴られた神聖文字(ヒエログリフ)を蒸発させた。

 

 『神の恩恵(ファルナ)』をなくして力を失うはずのレインは、これまでとは比べ物にならない究極の力が溢れ出すのを感じていた。これがあれば何でもできる、そう直感してしまうほどの力を。

 

 圧倒的な力は人を容易く狂わせる。だが、レインが変わることはない。

 

 その『スキル』はレインからありとあらゆる『救済』を奪い去る。その『スキル』はレインの戦い(ちかい)を否定する。

 

 正しく感情を受け取る機能を壊さねば耐えられない軟弱な精神、人であれば必ず訪れる死、言い訳を許してしまう身体の欠損、全てが奪われることが決定した。引き換えに未来永劫蝕まれることのない心を、死を奪われた結果ともいえる不老不死の肉体を、人智を超えた特殊能力が与えられた。

 

 三者の前でレインの姿が変わっていく。

 

 身体は一回りほど縮み――というか幼くなり――十五歳程度の見た目に。ボロボロになった服は一瞬で消え失せ、どこからともなく現れた黒衣が瞬きの間に彼を包み込み、長い黒の襟巻(マフラー)が風で揺れる。

 

 ベルによって奪われた左腕と右目には黒い靄が集まり、コマ送りのような速さで生え変わった。同時にレインの黒眼と白眼が反転する。

 

 そのまま一気に剣を引き抜き、心の中で知ったその『(スキル)』を叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「【我に従え】――【時死黒剣(マハカーラ)】!!!」

 

 狂気を孕みながらも美しかった青の魔剣は、どこまでも深い黒に染まっていた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「な……ん、だ? いったい何をした?」

 

 絶句しながらもテュポーンは口を動かした。知らなければならない、知らないままにはできないという強迫概念に突き動かされて。

 

 レインは笑った。不敵にではなく、消えてしまいそうなほど儚げに。

 

「【時死黒剣(マハカーラ)】。【憎悪刻魂(カオスブランド)】の本来の姿と言ってもいい。効果は無限の寿命、塵になろうと復活できる再生能力、時間経過で上昇する身体能力、黒いもの全てを操る特殊能力、使用した相手を確実に殺す剣の獲得。デメリットは、ない」

「!?」

「発動条件は……俺自身の意思で命を絶つこと」

 

 レインはずっと死にたかった。本当は死んで、あの世でフィーネに謝りたかった。それが彼にとって最上の『救い』だった。

 

 皮肉極まりない『スキル』だ。逃げる(しぬ)ことを選んでしまえば、彼は永遠に生きなければならなくなる。消えてしまった最後の救い()に焦がれて、積み重ねた屍と鍛錬を無意味にする力を持ったまま、永遠に。

 

(そこまで……自分を犠牲にしても、君はそいつらを守るのか。僕を――殺すのかぁ!?)

 

 どれだけレインが自分を押し殺して『スキル』を使ったのか、その『スキル』にレインの思いがどれほど込められているのか――テュポーンは理解してしまう。

 

 激怒と憎悪がテュポーンの心を染め上げる。でも、それ以上にレインが――

 

「――僕に挑む気か。人間」

「ああ」

「君が持つその剣、それは僕を殺せるのだろうが、裏を返せば君も殺せるんだろう」

「そうだ。これを使えば俺も死ぬぞ」

 

 向かい合う二人は静かに、それでいて激しく意志をぶつけ合う。

 

 一時の静寂が訪れ、それを破るようにテュポーンが青い《傾国の剣》を振るった。神器に匹敵する魔剣は秘められた力を存分に発揮させ、何もなかった空間に青き残光に沿って裂け目を入れた。

 

「その覚悟に敬意を表して、一騎打ちで相手をしてやる。力の制限がいらない別の世界でな。特別に一分だけ時間をやろう。来なければ、鏖殺だ」

 

 一方的に言い残して、テュポーンは星に似た無数の光が煌めく闇の中に消える。

 

 脅威が消え去ったことで空気が一気に軽くなった。ベルとアイズは強張っていた身体の力を抜いて、盛大に息を吐く。

 

「おい」

 

 しかし、二人は再び身体を硬直させた。

 

 この場にはまだレインが残っていた。アイズは見当違いの憎しみを散々ぶつけ、ベルに至っては腕を欠損させる重傷を負わせている。謝って済むとは思えず、気まずい空気が流れた。

 

「ベル」

「はいっ!?」

「自分にとって大切な者は、何が何でも守り抜け。後ろ指差されて笑われようが、人類の敵として罵られようが、守れないよりは絶対に良い。……俺みたいになるなよ」

「――」

 

 その言葉は、ベルの心の奥深くに刻まれる。

 

「アイズ」

「……何?」

 

 レインは無言である方角を指した。アイズがそちらに目をやると、生きているのが不思議な傷を負った白馬がいた。クリュスタロスである。その背に乗っている何かの正体を理解した瞬間、アイズの金色の眼が限界まで見開かれた。

 

 それを見届けて、レインは最後の戦場へ続く次元の裂け目に歩き出す。

 

「待って! レイン、待ってよ!」

 

 レインが次元の裂け目数歩手前まで来たところで、アイズが感付いた。

 

 いつ次元の裂け目が閉じるのか不明な以上、彼女を止めるために言葉を発するのは当然だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アイズ、そこにいなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――」

 

 丁寧な言葉遣いにしたのは、その方がアイズにはいいと思ったから。それ以外に意味はなく、実際、アイズは足を止めた。

 

 振り返らなかったレインはアイズの顔を見ていない。彼が入ってすぐに次元の裂け目は閉じたため、確認する機会がやって来ることは二度とないだろう。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 ――どこまでも広がっていそうな闇は、実際にはとても薄いものだった。それが次元の裂け目をくぐったレインの感想である。

 

 その世界に太陽はない。名もなき白い花が咲き誇る無限の大地を照らすのは、天で輝く無窮の星々と薄い極光(オーロラ)だ。

 

「来たね」

 

 地に刺した剣に両手を重ねてテュポーンは待っていた。閉じていた目を開くと、レインが何も持っていないのが見えた。

 

「無手でやるつもり?」

「んな訳あるか。あの剣は使うのに条件があるんだよ」

「へぇ? どんな条件?」

「相手が敗北を認めた時。それだけだ」

「……本当に君らしいスキルだ。でも、武器はどうする?」

「こうする」

 

 軽く目を閉じ、右手を前に出す。そして低い声で唱えた。

 

「【我に従え、雷霆の剣】!」

 

 眩い閃光と共に、レインの右手には黄金の剣が収まっていた。

 

糞爺(ゼウス)の雷……使い手を焼き殺す代償に『雷霆』の加護を与える剣か」

「もう寿命がないからな。遠慮なく使える。……今更だが、この世界は何だ。名前はあるのか?」

「……この世界の名前は『楽園(エデン)』。いざという時に僕が母さんと閉じ籠ろうと計画していた世界。ここでは元の世界の()()()の早さで時間が進む。……少しでも長く、ほんの少しでもいいから幸せな時間を過ごしたいと願った名残だ」

 

 レインは何も言わなかった。テュポーンも慰めや同情を欲しがらなかった。

 

 合図もなく同時に武器を構える。高まっていく戦意と殺意。勝利への飢えが、最強達の心を激しく燃やし、前に進むための力になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「これが僕の――最後の戦いだ!!!」」

 

 【神を誅殺せし獣(テュポーン)】と【雨の日に生まれた戦士(レイン)】が、激突した。




 こんな感じでレインは生きていました。フィルヴィスを仲間にしたので『分身魔法』は当然模倣(コピー)しています。予想できた人はいますか?ちなみにレインが生きていた他のヒントとして、傾国の剣が二振りあるという描写をしなかったのがあります。

 黒竜の名前として出した『空の皇者(ジズ)』ですが、完全に推測です。ベヒーモス、リヴァイアサンと続いたのでジズかな? と思っただけです。テュポーンが黒竜で通しているのはジズが何と聞かれるのが面倒だから。彼女は効率中です。

 そして登場したレインのスキル【時死黒剣(マハカーラ)】。これはこの話を書く時から決めていました。意味は「時間、死、暗黒を支配する者」です。無限の寿命が時間、再生能力が死、黒を操る特殊能力(主に影。夜なら無敵と言ってもいい)が暗黒です。スキルの名前も「時死」→「自死」→「自殺」。「(こく)」→「(こく)」と掛け合わせています。少し若返ったのは、この頃のレインが最も苛烈で攻撃的な性格だったからです。

 チート中のチートみたいなスキルですが、こういった力はレインが絶対にいらないと思っていたものです。だからこそ自殺、逃げた時に発動するようになっていました。

 レインのスキルは、生まれた時から使えるエルフの『魔法』のようなものです。『神の恩恵(ファルナ)』がなくなっても【憎悪刻魂(カオスブランド)】の特性も残っているので、『魔法』は問題なく使えます。他のスキルは……不明。

 本当なら【ステイタス】はLv.0としか表示されませんが、参考としては全部の能力値が一秒で1000ずつ上昇し、一分で【ランクアップ】すると思ってください。そして『雷霆の剣』がアルゴノゥトを『加速』させたように、成長速度も『加速』されます。

 余裕で勝てそー、と見えるかもしれませんが、テュポーンには神を殺したことによる莫大な『経験値(エクセリア)』があります。彼女自身も成長するので、戦いの結末がどうなるのかはわかりません。


 ではまた次の話で。








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七十四話 最終神話決戦(ラグナロク)

 一万字まで書いたところで二回も消えました。心折れるかと思った。
 残り二話。ダンメモ 、ファミリアクロニクルの内容があります。


 逆説的に語ることを許されるならば。

 

 その闘いは本来の世界時間の約五時間に及んだ。闘いの舞台となった世界の時は十億倍の早さで流れていくため、概算でおよそ五十七万年になる。

 

 神からすればまだ短い時間で、人類にとっては想像もつかない長い時間。完全を失った最強の神(テュポーン)完璧を目指した最強の人間(レイン)は殺し合った。

 

 結末を先に語るなら決着は付いた。どちらも生き残るなんていう甘い話も都合のいい展開も存在せず、レインが創造した暗黒(ひっさつ)の剣は使われた。

 

 天界にいる神とレインを眷属にした銀の美神、神の裁判を待つ死んだ人類と美神の側に仕える強靭な勇士(エインヘリヤル)。彼等は全てを見通す『神の力(アルカナム)』――“神の鏡”を通してその戦いを目にする。

 

 たった二人の世界で繰り広げられる死闘を目にして、彼等はこう呼称した。人類なのか神々なのか、そう呼び出したのが誰なのかは知られていない。

 

 曰く――最終神話決戦(ラグナロク)と。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 (なお)して治して直して修復(なお)してなおす。それ以上に壊され潰され砕かれ殺される。誰も経験したことはないであろう生と死の堂々巡り。

 

 生きたまま皮を剝がされた、生きたまま肉を削ぎ落された、生きたまま骨と内臓を抜き取られた。涙を流す暇はなく、苦痛に喘ぐ時間もない。泣く前に死んで、絶叫を上げるまでもなく殺される。

 

 何も見えない。何も感じない。何も察知できない。なのに尋常じゃない痛みが、異常な熱が、残酷な苦しみだけが鮮明だ。

 

 テュポーンは強かった。圧倒的で、絶対的で、言葉にできないほどの強者だった。

 

 神の身体能力は高くない。山を動かす怪力も、大陸の端から端まで一瞬で駆け抜けられるほどの速さも、至高の作品を作るための精密さも、万能の力たる『神の力(アルカナム)』があればいらなかったから。

 

 普通の神ならば【時死黒剣(マハカーラ)】を使ったレインは余裕で勝てた。だが、相手はテュポーン。最強の切り札を発動させなければレインでも苦戦する神を、何柱も滅ぼしてきた存在である。

 

 テュポーンは万物を破壊するに足る力を求め、光に劣らぬ速度を生む脚力を望み、武神に勝る技量を欲した。息をするように己の欲望を叶えられる神々と異なり、必要なものは全て努力で手に入れてきたテュポーン。

 

 弱いはずがない。想像を絶する苦行をその身に与えて神を超えたテュポーンが、強くないはずがない。

 

 レインが死んで、テュポーンが殺す。その工程がずっと続いた。

 

 何日も、何年も、何百年も――延々と。

 

(お願いだ、レイン。君がどれだけ頑張っても意味はないんだよ。仮に僕に勝てたとしても、その時には人類も神もダンジョンに殺されている。だから……早く諦めてくれっ)

 

 悲鳴を上げる心に蓋をして、テュポーンは冷酷に剣を振るい続ける。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

「世界規模の『怪物の宴(モンスター・パーティー)』……!?」

『ええ。そう言っても過言ではない数のモンスターがダンジョンから溢れ出すでしょう』

 

 女神ガイアを抱えて走るクリュスタロスに、ベルは信じられない思いで聞き返していた。(アリア)を抱いて走っているアイズも口には出さなかったが、内心はベルと同じだった。

 

『ダンジョンの底に封印されていた【神を誅殺せし獣(テュポーン)】を弑するため。同じく封印の生贄にされていた女神ガイアを解放するために、レインはダンジョンを根こそぎ消し飛ばしました。あの地下迷宮に再生能力が備わっていようが意味をなさないほど完璧に』

「なら問題ないじゃないですかっ!」

 

 反射的に嘘を吐いたことを咎めるような口調で声を張ったベル。そんな彼にクリュスタロスは容赦なく怒鳴り返した。

 

『私の話を聞いてなかったのかっ! 問題がなければこうしてダンジョンから離れてなどいないわ! いいか、テュポーンに怯えて兎のように震えていた貴様は確認していないのだろうが、大穴の断面が凄まじい速度で再生していた。レインが危惧していた通り――()()()()()()()()()()()()()()()!』

「!?」

『つまりダンジョンを完全に滅ぼしたいなら、世界も滅ぼさなければならないってことだ! クソッ、曲がりなりにも神の遣いである大精霊も取り込んでいたんだ。意思なんて存在しない無機物(ほし)と融合するなんて造作もないか……とにかく! ちったぁ考えて物を言えこのクソガキぶっ殺すぞ!!』

「ご、ごめんなさいぃぃ!」

 

 迷宮都市(オラリオ)を氷漬けにできる大精霊に怒りの形相を向けられ、ベルは泣きながら謝った。しかし『謝っとけばいいみたいな態度が腹立つ!』と更に怒鳴られ、声を上げて泣き叫ぶ羽目になる。

 

『神ウラノスの祈祷はもう届かない。蓋となっていた約束の地(オラリオ)も存在しない。これでダンジョンが完全に再生すれば、「古代」のように大量のモンスターが穴から進出するだろう。しかもダンジョンが憎む神々が地上で大量にのさばっているんだ……モンスターが強化されている可能性もあるだろうよ。せめてもの救いは海水が流れ込んでいるおかげで、ダンジョンの深層域が沈みそうなことぐらいか』

 

 クリュスタロスが語る最悪の事態を聞いて、アイズとベルの顔色が悪くなる。

 

 冗談だと笑い飛ばせたらどれだけ幸せだったろうか。しかし、テュポーンの出現、神の本性、ダンジョンの正体など、今までの常識を破壊する数々の出来事が否定することを許さない。

 

 二人は『無限の迷宮(ダンジョン)』の脅威を理解している。上級冒険者である二人の命すら脅かすのが迷宮の怪物(モンスター)達だ。それが地上に解き放たれたとしたら、どれほどの被害が出るのか想像もつかない。

 

 嫌でも湧いてくる絶望的な予想と無情に過ぎていく時間。モンスターに家族を奪われた経験があるアイズとベルだからこそ、心にのしかかる不安は大きくなっていく――

 

『安心しろ』

 

 はずだった。だが、クリュスタロスの次の言葉が、二人に余裕を取り戻させる。

 

『レインはちっぽけな情報でも正解をあっさり導き出せる、正真正銘の天才だ。彼が手を打っていない訳がないだろう?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――なんだ、お主は?」

 

 多種多様な【ファミリア】と避難民がオラリオを囲むように形成する包囲網。その中の派閥の一つ、『二つの槌と火山が描かれた団旗』を掲げる【ヘファイストス・ファミリア】に物音を立てて接近してくる何かがいた。

 

 油断なく身構える最上級鍛冶師(マスター・スミス)、椿・コルブランドの前に現れたのは痩せぎすの男だった。鎧は身に付けず、厚手のシャツの上に黒いマントを羽織っている。女性と見間違うような繊細な顔立ちをしているのに、慇懃かつ渋い表情のせいでぶすっとしているように見える。そして何故か、大小様々な木箱が載った荷車を手で引いていた。

 

 奇天烈な男に周囲から視線が集まるが、男は「うっわ、面倒くせぇ……」とでも言いたげな表情を崩さず、一(ミリン)だけ顎を引いた。……もしや挨拶のつもりだろうか? 自分のことを棚に上げて、椿が男に変人を見る眼差しを向けていると、

 

「【ヘファイストス・ファミリア】団長、椿・コルブランド殿とお見受けしますが」

「……手前が椿で間違いないが、お主は何者だ?」

 

 刀を握る手を緩めて椿が尋ねると、男は不機嫌そうに口を開いた。

 

「申し遅れました。私はレイン様の忠実なる部下であり、あの方の右腕的存在であり、【怪盗ブラック仮面】の代理も務めているギュンター・ヴァロアと申す者。記憶に留めずとも結構です」

 

 突っ込みどころ満載の名乗りだった。おちょくってんのかっ、と怒鳴りたくなるような自己紹介なのだが、ギュンターは顔色も表情も変えていない。恐らく素で言っているのだろう。

 

「そうか。レインの部下とやらが手前に何の用だ? まさかこんな時に製作依頼をする訳でもあるまいな?」

「その通りです」

 

 突っ込みはしなかったものの、冗談交じりに問い返した椿はまさか肯定されるとは思わず、唖然とした表情を隠せない。間抜け面を晒す椿に一切頓着することなく、ギュンターは荷車に積まれた木箱を降ろし始める。

 

 椿が正気に戻ったのはギュンターが丁度全ての箱を降ろし終わった時だった。しかし、箱の蓋が開かれた瞬間、眼帯で覆われていない右眼を限界まで見開くことになる。

 

 木箱に入っているのは鱗、爪、牙、角、翼……色は全て漆黒。鍛冶師として培った素材の価値を見抜く眼が、これらの正体を正しく捉えた。

 

「まさか、『黒竜』の武器素材(ドロップアイテム)か!」

「左様。全て【ヘファイストス・ファミリア】に譲りますので、とにかく武器を作ってもらいたい。それは所詮レイン様に力を奪われた竜の抜け殻です。レイン様の身体の一部だった物ならばともかく、上級鍛冶師(あなたがた)なら加工できるでしょう」

 

 はしゃぎ回る椿はとっくにギュンターの話を聞いていなかった。自派閥の荷物の中から携行炉と砥石、愛用の槌を取り出し、早速炉に火を入れて製作に取り掛かっている。

 

(ふむ……これで主戦力となる第一級冒険者の武器は揃えられる。それ以外の実力者にも『黒竜』を素材とした武器を渡せば……なんとかなりそうですな)

 

 その姿を見たギュンターは満足気に頷く。そしてレインに与えられた命令をこなすために踵を返し――

 

 ――背後から飛来した石を叩き落とした。

 

「……なにか」

 

 ギュンターが問い掛けたのは数名の男。身のこなしから見ても一般人の彼等は、唾を飛ばしながら喚き散らす。

 

「おっ、お前っ、レインって奴の部下なんだってな!」

「そうですが。それがなにか?」

「責任を取れっ。今すぐ俺達の前で謝罪しろっ」

「何故ですかな」

「き、決まってんだろ。レインのせいでこんな状況になってるんだ! 俺達が死ぬ前に誠意を見せろ! 謝れ、謝れっ、地面に額を擦り付けて謝れえっっっ!!」

 

 レインから『分身魔法』の存在を聞かされ、彼が生きていること、不死身になる『スキル』なるスキルを発動させてテュポーンと戦うことを知っているギュンターにとって、風の声(テュポーン)の殺害予告はもう気にしなくてもいいものだ。レインに全幅の信頼を置いているからこそ、とも言えるが。

 

 だがしかし、それ以外の者からすれば抗いようのない死を待つだけの状況だ。そしてギュンターはこの状況で無意味に武器を作らせようとしている馬鹿――説明しても信じてもらえるとは欠片も思っておらず、面倒なので相手にする気もなかった。

 

 故に半分以上話を聞き流していた。喚く男の目は血走っていて、口の端からは泡を吹いている。どう見ても正気ではない――テュポーンが奏でた精神を破壊する音の影響――ため、聞く価値がないと判断していたのである。

 

 しかし……周囲で成り行きを見ているだけの人間からも似たような空気を感じ取り、ギュンターの忍耐は限界を超えた。

 

「貴方達の言い分はわかりました。ですが、謝罪するつもりは微塵もございません」

「なんだと――」

「人類と神々を滅ぼすと言った声の主、テュポーンは現在レイン様が相手をしています。なので、いきなり死ぬ心配はありません」

 

 ギュンターの話を聞いた群衆は耳を疑った。何名かが「信じられるか」だの「生きている証拠は」だの騒ぎ始める前に、ギュンターは言葉を重ねる。

 

「そもそも、『神の恩恵(ファルナ)』を持たず『ゴブリン』にも負ける貴方達にレイン様を侮辱する資格などない」

「なんだよ……弱い俺達は喋ることすら許されないってか? 強いのがそんなに偉いのか!?」

「いいえ。弱いことは罪ではありません。悪いのは弱い自分を盾に、不幸や絶望に抗うことを諦めている姿勢です。そして私が個人的に気に喰わないのは、まるで自分ならもっと上手くやれるとでも言いたげな、根拠のない自信があることです」

 

 彼は割と怒っていた。敬愛する主を侮辱され、いつになく饒舌になっている。

 

「レイン様に文句があるそうですが、同じことができますか? 見返りを求めず、理不尽な怒りや恨みをぶつけられても嘆かず、命がいくつあっても足りないダンジョンを攻略できますか? 発狂ものの音を絶えず聞きながらという条件付きで、ですがな」

『……』

「貴方達はレイン様に文句や過剰な要求の言葉を述べるばかりで何もしていません。頭を回そうとも、何か行動しようとも思っていない。自分以外の誰かを矢面に立たせ、口だけ動かして何もしない貴方達のような輩を『卑怯者』と言うのです。……あの方が背負う覚悟の重さを知らぬ痴れ者が」

「……だけど、もしレインが負けたらどうするんだ? 勝てる見込みは?」

 

 刃のように鋭い事実を叩き付けられて俯いていた一人が呟いた。その言葉を聞いてギュンターは……思いっきり溜息を吐いた。

 

「レイン様が失敗するなどありえませんが、失敗して何か問題あるのですか?」

「はぁっ!? 問題あるに決まってるだろうが! レインが負けたら人も神も死んじゃうんだぞ! どうやって責任を――」

「レイン様がいなければ、とうに我々は死んでいるということを理解していますか? もう貴方達のような愚物を相手にするのは疲れるので、これにて失礼」

「おい、待てよ!」

 

 引き留めようとする声に耳を貸さず、ギュンターはその場を後にした。レインの命令を遵守するために、馬鹿共にかかずらっている暇はない。

 

 次にギュンターが向かったのは迷宮都市(オラリオ)にいた神々の大半が集まっていた場所。敬うべき存在を守るために、と大量の冒険者や敬虔な民間人が護衛として一緒にいた。しかし、テュポーンが神の本性を暴露したことで、神と未だに神への信仰をやめない狂信者、人類との間で醜い言い争いが勃発し、刃傷沙汰にまで発展していた。

 

「もう全員、片っ端からぶん殴って言うこと聞かせてやろうか」という感じの渋面を浮かべて、ギュンターは説得に取り掛かる。

 

『神は片っ端から「神の恩恵(ファルナ)」を与えていってください。戦うにしろ逃げるにしろ、「神の恩恵(ファルナ)」があれば大分楽になります」

『作業量が莫大過ぎる? 軍神アレスが一人で一万人近くの兵士の「改宗(コンバージョン)」をしたことは把握しています。貴方達はただ血を流せばいいのだから、キリキリ動け。「神の恩恵(ファルナ)」も(ロック)をしなければすぐどの神かはわかるので、解除できなくなる心配もありません』

『神の眷属になるのが嫌な者、眷属を作るのが嫌な者がいるなら私に申し出なさい。老若男女、神と人、種族問わず口と股間を焼いて黙らせてあげましょう』

『利用してやると考えなさい。神が人類(われわれ)を利用したように、今度は人が神を利用するのです。そう思えば、今だけは神々(こいつら)を守ろうと思えるでしょう?』

 

 淡々とギュンターは仕事をこなしていく。文句だけは一人前に言う勢力はストレス発散も兼ねて殴り飛ばして、叩き潰して、斬り伏せて。従順な者にはほんの少しだけ空気を和らげることで飴と鞭を使い分けながら、効率的に。

 

 ――後にギュンターの名は『三大冒険者依頼(クエスト)』に並ぶ恐怖の対象となるのだが……そのことは誰も知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――うわっ、本当にいた。あの人、よく普通のモンスターと違うって見抜けたなぁ……」

 

 場所は変わり、【ガネーシャ・ファミリア】が管理するモンスター達が乗っている――という建前で『異端児(ゼノス)』の一部が隠れていた馬車へ周囲の騒動に乗じて侵入していた者がいた。

 

 短めの金髪に青い瞳の整った顔立ち、背も一八〇C(セルチ)近くあるが、どこか幼い表情をしているせいで弱そうな雰囲気を纏っている男だ。

 

 男の名はレニ。本名はもっと長いのだが、「言いにくいし面倒」だと言われてレニと呼ばれているレインが国王兼将軍を務めていた頃の元部下である。もっとも形式上の関係で「元」と付けているだけであり、互いに今も仲間であると認識している。

 

 彼もレインからの指示で『異端児(ゼノス)』に接触したのだが、

 

(え、えぇ~? 将軍も初めて接触した時は戦いになったって聞いたから、最低でも警戒されて戦闘になるかと思ってたのに……)

 

 エルフに劣らぬ美貌の歌人鳥(セイレーン)、二振りの刀剣を装備する蜥蜴人(リザードマン)、置物のようにピクリともしない石竜(ガーゴイル)、明らかに普通ではないモンスター達は馬車に入って来たレニには目もくれず、沈痛な表情で項垂れていた。

 

 お通夜か? なんてあの人は言いそうだなぁ、デリカシーないし――などとレニはどうでもいいことを考えながら、とりあえずレインの頼みを果たそうと声をかける。

 

「あのー、自分はレニと言います。将ぐ……レイン将軍の部下です」

『……』

 

 レインの名前を出した瞬間、全ての『異端児(ゼノス)』がピクッと動いた。レニはビクッと盛大にビビった。

 

 何か言ってよ、黙ったまま空気だけ重くしないでくれよぉ。気が小さいレニはビクビクと身体を縮こまらせながら、持ち込んでいた袋の紐をほどいて『異端児(ゼノス)』達の前に押し出した。

 

 袋には、数え切れない量の『魔石』が詰まっている。全てレインがこっそり都市外に運び出していた物だ。

 

「……え~っとですね、将軍が言うにはダンジョンから通常とは比べ物にならない強さのモンスターが溢れ出すので、皆さんにそれを迎撃してほしいそうです。今目に見えるほどの強化を行えるのは、『魔石』を取り込むだけで強くなれるモンスター(あなたがた)だけでしょうから」

『……』

 

 空気がより重くなった。牙や爪が擦れるような硬質な音が聞こえる。早くここから逃げ出したい一心で、レニはヤケクソ気味に話した。

 

「あと意味はわからないですけどっ、『ここが悲願(ゆめ)を叶える分水嶺だ。俺はもう手助けしてやれないから、全員が死力を尽くして存在意義を示せよ』とも――」

「すまねぇ。もう黙ってくれ」

 

 蜥蜴人(リザードマン)――リドが低い声で呟いた。「僕に何を言わせたんですか、将軍っ」と内心で叫んでいると、

 

「……馬鹿だよな、オレッち達。レインはずっと助けてくれてたのに、オレッち達はあいつを信じてやれなかったんだぜ」

『……』

「いや、それだけじゃねぇ。レインが抱えていた苦しみに気付いてやれなかった。裏切られたと早合点して、怪我させたり――は強過ぎて無理だったけど、剣まで向けた。なのにさ、レインはオレッち達を見捨てずに、自分を犠牲にしてまで『悲願(ゆめ)』を叶える手助けをしてくれてる」

『……ッ』

「いいと思うか? 恩をちっとも返せてないのに、自分達だけのうのうと生きてて。……オレッちは思わねぇ。でも、どうしたらいいのかもわからねぇ」

 

 彼等を襲っているのは、自分達(モンスター)が生まれた真相も気にならないほどの途方もない自己嫌悪と罪悪感だ。都市での戦いで『異端児(ゼノス)』だけは死者がいなかったこと、避難の際もダンジョンに残っていた同胞を運び出せる余裕があったこと、こうして都市外に避難できていること……誰のおかげで今があるのかわからないほど彼等は愚かではなかった。

 

 もう取り返しがつかない。罪を償う方法がない。そんな風に絶望している『異端児(ゼノス)』達に、レニは思わず口を開いていた。 

 

「いや、気にしないでいいと思いますけど。あの人、結構勘違いされるような言動してるし、割と偽悪的なところもあるので。僕も最初はしょっちゅう誤解してましたけど、そのことを怒られたことはないです」

 

 あっけらかんとしたレニの言葉に目をかっ開く『異端児(ゼノス)』。モンスター達からとんでもない顔を向けられ、慰め半分、逃げ出したい気持ち半分で続ける。

 

「とにかくですね、将軍に申し訳ないと思っているなら、夢とやらを目指して頑張ってください。あの人は、大事な人の幸せを何よりも喜ぶ人ですから。それではっ」

「あっ、ちょ、最後に一つだけ教えてくれ! ……あんたはレインにオレッち達のことを聞いたんだろ? でも、なんで助けようとしてくれるんだ? 人から見たら殺すべき怪物(モンスター)なのに……」

「ああ、簡単ですよ」

 

 リドからの問い掛けに、レニは照れくさそうに笑って答えた。

 

「将軍は僕にとって、ずっと変わらない『英雄』ですから。僕は英雄になれないけど、英雄の手助けならできる。その英雄から力を貸して欲しい(たすけてくれ)と言われたら……うん、嬉しいじゃないですか。だから役に立つために、皆さんも助けます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 約束の地(オラリオ)へ多くの戦士が集結する。

 

「妹と国を救ってもらった上に、余計な世話だが馬鹿共に女をあてがってもらった。その恩をやっと返せる」

 

 過酷な環境で鍛えられた兵士が多くいる『霧の国(ベルテーン)』。

 

「ルルネェ……! 今までよくも逃げていてくれましたねぇ……!?」

「いやいやいやっ、あの馬鹿みたいな破壊光線見たら誰でも逃げるだろ!? それにこうして戦闘狂のアマゾネス達を連れてこれたんだから許してくれよ~」

 

 殺し合いを繰り広げ、屈強な女戦士を有する『テルスキュラ』。

 

「あいつ本当にふざけるなよ……。やたらと王族について詳しいと思っていたけど、あの最恐王女の実兄とか最初から教えていてくれよ! 援軍要請という名の脅迫だったぞあれは!」

 

 何故か喚き散らしている美しい『王子』の統率の下やってきた『カイオス砂漠』の勢力。

 

 日の光を浴びれぬ異端のエルフ達が、真実を知ってようやく吹っ切れた復讐者の女が、忌々しい呪縛から解き放たれた死妖精(バンシー)が、迷宮都市(オラリオ)の冒険者にも劣らぬ英傑達が次々と集っていく。レインと関わり、レインに救われ、レインを慕う者達が。

 

 それはまるで、英雄の船(アルゴノゥト)に導かれているようで――

 

「ああ……凄いなぁ…………悔しいなぁ」

 

 世界のどこかで、誰かが尊敬と嫉妬を籠めて呟いた。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 甚だしい威力を秘めた青き魔剣が黄金の剣に受け止められる。受け流すことも許さない衝撃が精霊の武器を持つ男を死に至らしめるが、青き魔剣を振り切った少女は顔をしかめた。

 

(――反応された)

「やっと……やっと、防げたぞ、クソッタレ」

 

 雷の大精霊の権能は『加速』。奇しくもレインは前所有者と同様、体内に雷を流して、無理矢理自分を加速させていた。神経伝達速度だけでなく、【時死黒剣(スキル)】による【ステイタス】上昇速度さえも。

 

 雷霆が不死身になったレインの身体を内側から焼き尽くそうと荒れ狂い、激痛と引き換えに彼を支えている。負けるなと、諦めるなと叫んでいる。焼け焦げた細胞が黒い涙となって頬を濡らすが、レインは不敵に笑って見せた。

 

 その笑みを見たテュポーンは、これまで使っていなかった力の行使に踏み切る。すなわち『風』の力を。

 

風の本質は『変化』。【エアリエル】を発動させたアイズが風を攻防一体のものとして扱っていたように、敵を粉砕する破壊の鉄槌に、攻撃を無効にする圧力に、その身を加速させる追い風になる。

 

 使えるもの全て――瀕死になった場合に全能力値(アビリティ)を上昇させる『逆境』までも既に発動させていたレインは、『風』を纏ったテュポーンに再び蹂躙された。

 

 初撃を右手に持った『雷霆の剣』で受け止めれば右腕そのものが爆砕し、二撃目が咄嗟に伸ばした左手で掴んだ『雷霆の剣』ごと左半身を消し飛ばされる。そしてトドメの攻撃を『覇気(アビリティ)』による不可視の盾によって受け止めることで稼いだ一瞬よりも短い時間で腕を再生させ、また身体を破壊される(ループ)を繰り返す。

 

 守勢に回っているレインを襲うのは剣戟だけじゃない。鋭い風の刃、大気の塊の破城槌、吹き荒れる嵐の槍……大風が付与された徒手空拳は振るわれるだけで無慈悲に身体を削り、当たれば無残な肉片に変える。

 

 防御と呼ぶのも烏滸がましく、攻勢に回れるはずもない。未だにテュポーンとレインでは戦いが成立しなかった。ここまでしてもレインは遅すぎて、脆すぎて、軽すぎてーー弱かった。

 

「レインは僕に勝てないよ。肉体強度で劣り、技量で劣り、身体能力やスピードでも劣っている。人間でしかない君が、人智を超えた存在である僕に勝てる要素なんて一つもないんだよ」

 

 テュポーンに殺され続けていたレインは把握できていないだろう。既に十万年以上の年月が過ぎていることに。あくまで人間でしかないレインがこの莫大な年月を認識すれば、ほぼ確実に自我が耐えられなくなる。

 

 もう攻撃に反応できる程度の余裕を取り戻したレインは時間の流れを感じてしまうだろう。そうなる前に、レインに負けを認めさせなくてはならないのだ。

 

「だからさ、もうこんな無意味な真似、やめ――!?」

 

 降伏を促そうとしていたテュポーンは全力でレインを吹き飛ばし、大きく間合いを取った。黒い靄が集まって再生しているレインを視界に入れながら……静かに、頬を指でなぞった。

 

 指に湿った感触は伝わらない。しかし、キメ細やかな頬に小さな、けれど確実なささくれがあった。

 

 ――レインの攻撃が通じた、確かな証明が。

 

「何が人智を超えた、だ。舐め腐りやがって……」

 

 ゆっくりと立ち上がったレインは、鋭い目でテュポーンを睨みつけながら吼える。

 

「勝手に人間(おれ)の限界を決め付けるなっ、馬鹿野郎!」

「ッ!?」

 

 猛然と向かってくるレインを、テュポーンは動揺を隠せぬまま迎え撃つ――。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 全てを無に帰す黒い津波、万物を破壊する力の氾濫、悪意の渦巻く母胎から誕生した悪夢の化身。『大穴』というかつての姿を取り戻したダンジョンは無慈悲に、残酷に、冷酷に、復讐対象(かみがみ)を弑するために『神への刺客』を生み出した。

 

『ゴブリン』『コボルト』『キラーアント』『オーク』『ミノタウロス』『アルミラージ』『ハーピィ』『ワイヴァ―ン』『バグベアー』『ユニコーン』『リザードマン』『ガン・リベルラ』『デッドリー・ホーネット』『イグアス』『ルー・ガルー』『ウォーシャドウ』『スパルトイ』『フォモール』『スカルシープ』『グリフォン』『ラミア』……『上層』『中層』『下層』『深層』、あらゆる階層のモンスターの群れは、例外なく黒かった。

 

 黒いモンスター達は地上の空に何の感慨も覚えず、本能のままに憎む相手――神と神の眷属を目指して地を駆け、空を舞う。

 

 最初にモンスターと接触したのは【ロキ・ファミリア】。大派閥と一緒にいれば安心だと考えた神と人が最も多く、それに従い『神の恩恵(ファルナ)』を刻まれた者も密集していた。黒いモンスターがそこを目指すのは必然と言えるだろう。

 

 最初に戦いを開始したのはLv.1のエルフだった。飛びかかって来た『ゴブリン』と『コボルト』を流れるように抜いた片手剣で迎撃する。

 

「がっっっ!?」

 

 そして、最初の犠牲者となった。『ゴブリン』の矮小な身体からは信じられない力で武器を弾かれ、がら空きになった腹を『コボルト』の爪で引き裂かれて絶命する。

 

「フィン!」

「ああ。――手短に言う! これから相手にするモンスターを今まで通りだと思うな! 全ての敵が最低でも一段階、最悪なら二段階【()()()()()()()()()()と考えろ!」

 

 瞬時に二匹を屠ったガレスが叫ぶと同時に、フィンは入手した情報を【指揮戦声(スキル)】によって可能な限り遠くまで伝達した。続けて愚者(フェルズ)から貰い受けたままの『眼晶(オクルス)』で他派閥にも伝えるよう指示を出す。

 

 これにより、ここら一帯の死傷者数は最小限に抑えられた。だがしかし、それ以外の場所では叫喚が飛び交うことで危険度の認知が上手くいかず、加速度的に死傷者の数は増えていくことになる。

 

 ――オラリオを中心として生まれる各地の戦場で、様々な光景が広がっていた。

 

「おい……ふざけんなよ」

 

 茫然と呟くのはLv.4の獣人だった。その場にいた冒険者の中では彼が一番強く、それ故に不穏な地鳴りを、不気味な地響きを、()()()()()()()()()()()()()()()()かのような兆候を感じ取ってしまった。

 

 数分後、兆候は現実となり、全ての者に悪夢として映る。

 

「『階層主』まで何体も出現するとかっ、ふざけんなよおぉおおおおおおおおおおお!?」

 

 かつて18階層で猛威を振るった漆黒の巨人(ゴライアス)が複数体、その巨躯だけで抗戦の意思を奪い、心を圧し折り、生きる希望を失わせていく。

 

 ――別の戦場では、迷宮と異なり高さに制限がない高所からの攻撃に苦戦を強いられていた冒険者の代わりに、翼を持つ『異端児(ゼノス)』が空中戦を繰り広げていた。

 

「モンスター同士がやり合ってる?」

「いや、見覚えがあるぞ。あれはオラリオで【ロキ・ファミリア】と手を組んでいたモンスター……!」

「敵の敵は味方って言うだろ! ほっといて前の奴等に集中しろ!」

 

 黒に染まりきったモンスター達と地上の人々を守るように戦う『異端児(ゼノス)』の姿に、誰もが目の色を変えていく。この戦いが終わった後の『異端児(ゼノス)』達の悲願の行方は果たして……。

 

 ――また別の戦場にて。

 

「本当に何者だあの男!? オラリオの冒険者じゃないのにべらぼうに強いぞ!」

「ああ、滅茶苦茶不機嫌そうな面してるせいか、モンスターをゴミ虫みたいに蹴散らしてる!」

「勝てるぞ! あの表情筋が超硬金属(アダマンタイト)並に硬そうな男に続けー!」

「……」

「ギュンターさん抑えて!?」

 

 助けてやっているのにボロクソに貶されるギュンターが無表情で広範囲魔法を馬鹿共を巻き込む形で発動させようとするのを、レニが必死になって止めている。それを知らずに目の前の敵に集中する阿呆は間違いなく幸せだろう。

 

 しかし、これはただの延命措置。下界で生きる人類と神々の命運は、未だ別の世界で戦う男に託されている。

 

 その事実を知る者は『神への刺客』に死力を尽くして抗いながら、心の中で祈りを捧げる。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 何度だって立ち上がった。何度だって膝を折られた。

 

 幾度も前に足を進めた。幾度も後ろに突き飛ばされた。

 

 人智も神智も超えた、まさしく超越者同士の死闘があった。譲れない願いを胸に、超越者達のぶつかり合いは激しさを増していく。

 

 テュポーンが大陸を割る力で踏み込み、星をも粉砕する威力の拳撃を繰り出した。彼女の手に伝わるのは――肉を打った生々しさと、骨が軋む感触だ。命を奪った感覚ではない。テュポーンの顔が悲壮に歪む。

 

(もう、レインの『耐久』が……苦しませないように瞬殺してたのに、それもできなく――)

「――考えごととは余裕だな」

「ごっっぼ!?」

 

 鞭のようにしなったレインの蹴撃がテュポーンの胸に突き刺さり、ボギィッッ!! と気味の悪い音を奏でた。この戦いで初めて、テュポーンが自分の意思以外で後ろに吹き飛んだ。

 

 咳き込んだら血の塊が吐き出された。そして、もう折れた胸の骨は治ったはずなのに、泣きそうになるくらい胸が痛かった。

 

「どうして……」

「あ?」

「どうしてっ、レインは僕と戦うんだよ!?」

 

 気付けば、泣きそうな子供のように叫んでいた。

 

「神も人も、守る価値がどこにあるって言うんだ! どいつもこいつも私利私欲のために、自分本位に生きていて! 神は面白ければ何でもいい異常者で! 人は欲望のためならどこまでも残虐になれる生き物だ! 生きているだけで腸が煮えくり返る、世界の害そのものだっ!!」

「……」

「賭けてもいい。あいつらは君に感謝なんてしない。いつか必ず君を疎ましく思うようになるだろう。そんな恥知らずな存在だ……君には覚えがあるだろう」

 

 レインは否定しなかった。

 

『貴方が早く来ていたら!』

『もっと頑張ってくれていたら!』

『お前が死ねば良かったのに!』

 

 過去に助けた人々から浴びせられた言葉。自分の頑張りが認められるどころか、より高い理想を求める強欲な人々に否定された。勝手に頼られて、勝手に失望されて、全てに応えようとして傷つけられる。

 

 レインが歩んできた道はそういうものだ。誰も歩いたことのない先が見えない道を無責任に背中を押されて歩かされ、一度でも躓けば踏みつけられる。そして満足すれば捨てられるか、もう一度立たされて無理矢理歩かされるの繰り返し。

 

「……一生に一度のお願いだ。僕は君を死なせたくない。母さん(ガイア)も僕も認めた、唯一の家族なんだ。もう、戦いたくない……負けを認めてくれ」

「……君の言い分に共感できる部分は多々ある。『人間が皆悪い奴じゃない』『神にも改心して善神になった奴もいる』なんてセリフ、君の苦しみを知らない俺が言うつもりもない」

 

 だけどな――淡い希望など一切与えず、固い決意と共に言葉を紡ぐ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フィーネの身体を乗っ取るなんてふざけた真似をしてくれた時点でっ、俺は君を必ず殺すと決めてんだよ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぅ、ぁ……」

 

 蒼白となって呻くテュポーンから意識を逸らさぬまま、レインは『雷霆の剣』を強く握った。

 

「【雷霆よ(ケラウノス)】ッ」

 

 そして唱える。【時死黒剣(スキル)】の再生能力さえ超過しかねなかった故にできなかった、『安全装置(セーフティ)』を解除する詠唱を。

 

「【雷霆よ(ケラウノス)】!」

 

 更なる力、更なる速さ、更なる強さをレインは欲した。

 

「【雷霆よ(ケラウノス)】!!」

 

 その身に余る憎悪に支配され、光を見失っている少女を救うために!

 

「【雷霆よ、我が身を燃やし加速せよ(ケラウノス・ヴォルト―ル)】!!!」

 

身体が発光するほどの雷が駆け巡り、遂に目が再生しなくなった。再生した端から雷霆が焼き尽くし、黒い涙さえも蒸発する。

 

 それでもレインは前に進む。自分が選んだ道に誤りはないと信じているから。

 

 テュポーンは前に進むしかなかった。それ以外に道を知らなかったから。

 

「あっ、あああっ、ああああああああッッッ!?」

「はぁぁぁっ!!」

 

 片や悲鳴を、片や短い雄叫びを吐き出し、最後の戦いへと臨む。

 

 振り上げられた蹴りが腕を断つ。突き出された凄まじい破壊力を孕む拳砲が半身を消し飛ばす。抜き手がぶつかった回し蹴りを貫き、手刀が迫り来る掌底を切断する。踵落としと上段蹴りが交差し、爆発した。

 

 音を斬り刻み、影が置き去りにされ、光は追い越した。

 

 疾くなる剣戟、速くなる敏捷、早くなる反応速度。風が持ち手を潰すほどの圧力で青の魔剣を固定し、雷の加護は武器を手放すことを許さない。

 

 戦場(エデン)は壊れない。次元の違う戦いを繰り広げようと、永遠の楽園を願って創造された世界が滅びることはありえない。

 

 そして――ついに決着の時は訪れた。

 

「ラァッ!」

「がっっ!?」

 

 鳩尾に叩き込まれた掌底。内臓を容易く壊す衝撃でテュポーンが吹き飛ぶのを他所に、レインは初めて両手で『雷霆の剣』を握りしめる。

 

 テュポーンは見てしまった。刀身に宿っていく白い光を。この戦いに幕を下ろすに足る力を秘める人間の『魔法』を。揺るぐことのないレインの覚悟を。

 

「――――――――!!」

 

 何と言おうとしたのかはわからない。ただ知っているのは『魔法』に近しい『奇跡』を発動させたこと。白い光と相反するかのように、テュポーンの剣は黒く輝いた。

 

 荒れ狂う白き雷、吹き荒ぶ黒き風。世界を滅ぼすかの如く嵐が猛威を振るう次の瞬間、

 

「あああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!」

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!」

 

 凄烈な咆哮を上げ、突貫する。零に等しい時間で互いの間合いはなくなった。

 

 そして――

 

「【アダマス・――】」

「【アルゴノゥト・――】」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「【――ワールウィンド】!!!」

「【――ティルフィング】!!!」

 

 純白と純黒の斬撃がぶつかり――世界を揺るがす風が巻き起こった。

 

 




・【アルゴノゥト・ティルフィング】
「皆が救いたいと思う(みかた)は誰かに任せて、僕は誰も気にしようとしない(てき)を救いたいと思う!」と笑顔で言った人物の唯一の『魔法』。
 効果は究極の峰内――絶対不殺。

・【アダマス・ワールウィンド】
 初めての不完全たるテュポーンに発現した、『奇跡』よりの『魔法』。
 効果は絶対切断。

 レインが『雷霆の剣』を両手で持たなかったのは、電気で筋肉が硬直し離せなくなるからです。


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七十五話 (ぼく)だけが知っている本当の彼

 次回、最終回。

・【時死黒剣(マハカーラ)
 【憎悪刻魂(カオスブランド)】の真の姿であり、その動力は我が身を焼き尽くさんばかりの憎悪の炎である。
 そんな炎を宿す者の結末は語るまでもないだろう。


 ずっと見ていた。一人の少女の死をきっかけに、『黒竜(ジズ)』や【神を誅殺せし獣(テュポーン)】を打ち破るほどの強さを手にする少年を。

 

 ただの暇つぶしだった。天地がひっくり返るよりも小さな確率で誕生した、【神を誅殺せし獣(テュポーン)】――僕の受け皿(ぶんしん)とも呼べる少女の視界を一方的に共有して地上を観察するのは。何もない暗闇で時間の流れに身を任せるより、母と僕の犠牲を知った上で地上の生活を謳歌する神々の姿を見て、この憎悪が間違っていないと確信していたかった。

 

 それに少女も僕に似た境遇だった。生まれてくるなと罵られて、死んでほしいと存在すらも否定される。――後に人としての尊厳さえも弄ばれるのを見た時は、僕と強い繋がりがある者は皆、『運命』を呪われているんじゃないかと思ったほどだ――。

 

 だから僕は、少女の人生が終わる寸前まで手出しを――つまり受け皿としての役目をさせないと決めていた。元は神である僕と少女では『(こころ)』の強さ(かく)が違う。抵抗は無駄だし、僕が身体を乗っ取ってしまえば少女の魂は輪廻転生もできずに消滅する。仮に消滅を免れようと、僕の魂を押しのけて身体を取り戻すのは不可能だろう。

 

 神々が僕と母さんにしたことと同じ真似なんて、絶対にしたくないという決意。そして、少しばかりの同情心。復讐と母への愛以外は捨て去ったと思っていた僕に残っていた優しさの残りかす、正しさへの感傷。僕の気まぐれで少女の人生は尊重された。

 

 ――尊重していたつもりだったのに。あの少年に会うまで、僕は己に課した誓いを破るなんて想像もしなかった。

 

 少女がその少年からの求愛を受け入れた時には失望を覚えた。結局この娘も、十数年ぽっちしか生きていない子供の愛の言葉になびく程度の女だったのか、と。同時に、認め難いがこの僕が仲間意識を抱いていた少女の心を奪った少年に怒りを向けた。

 

 視界の共有を解除しようと考えもしたが、それはそれで負けた気がする。だからずっと少女が見るもの全てを僕も見ていた。そして――

 

(ああ――好きだな)

 

 いつしか僕は彼――レインを好きになっていた。長い歴史の中で、初めて独力でダンジョンの正体を暴いた人間。人類の身に余る難題を前にしても決して逃げず、僕と母に『救い』を与えようと足掻いてくれた。見捨てたとしても誰も、それこそ僕だって文句は言えないのに、だ。これで惚れるなというのは無理な相談だろう。――屑で塵な神は『自己犠牲に自己陶酔してて草』とかほざくだろうが、そいつらはぶち殺す。

 

自分以外の誰かを思いやれるところも、頑固なくせに繊細で優しいところも、偶に傲慢そうに見えて実は謙虚なところも……全部、好きになった。

 

 数多の怪物を下し、黒き竜の王をも打ち破り、果てには最強の存在である僕すら超越する。彼の強さは全て、一人の少女に対する一途な想いを支えに積み重ねたものだ。それを僕も少女も、未来を予知する【悲劇予知女(スキル)】でとうの昔に知っていた。

 

 武を極めたかった訳じゃない。歴史に名を残したかった訳でも、富や名声を求めていた訳でもない。こんな世界で一人の少女が幸せに生きられるようにしたいと、それだけを願っていた男だった。

 

 そんな男に愛してもらえたらどれだけ幸せだろう。そんな想いを与えてもらえたら、この空っぽの胸はどれほど満たされるだろう。レインが少女(フィーネ)に優しいまなざしを向ける度、そう思った。その目で僕を見てと、聞こえないと理解していても何度だって口にして、虚しくて悲しくて、切なかった。

 

 彼が誰彼構わず靡くような男ではないとわかっている。だから僕は愛されることを諦めた。神々と人類への復讐も、母との何人にも邪魔されない世界の想像も、何もかもを投げ出して、愛に等しい殺意を向けられることを選んだ。

 

 どんな感情でもいい。好きな人からとても強い感情を向けられることは、愛されているのと変わらない――そう思えるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そう思って……諦めたはずだったのになぁ。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 前触れは一切なかった。唐突に、人類が死力を尽くして抗っていた『黒いモンスター』の全てが一斉に動きを止めたのだ。冒険者達は止まった原因を考えるよりも先に、このチャンスを生かそうと武器を振るったが、その必要はなかった。

 

 ビキッ、と『魔石』のある胸部から硝子(ガラス)が割れるような音が響き、罅割れが走り抜け、ゆっくりと溶けるように灰へと変わり……完全に姿を消した。

 

 この戦いが終わり――自分達の勝ちだと悟るのに時間はいらなかった。

 

『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』

 

 次の瞬間、世界中で大歓声が巻き起こる。

 

 戦っていた者は武器を放り投げ、邪魔にならないために逃げていた者は足を止め、近くの者達と声を上げた。今だけは人種も善人も悪人も、それこそ元凶である神や世界の癌である『異端児(モンスター)』さえも気にされることなく、大きな歓喜を分かち合う。

 

 しかし、多くの人類と神々が喜びに沸き立つ中、ギュンターは一人静かだった。

 

 彼はレインと古い約束がある。『隠しごとはなしにする』――そんな約束が。

 

 故に彼は戦いの終わりが何を意味するのか知っている。だから彼は密かに、誰も目に留めないような木の陰に身を潜めた。

 

「……お見事でございました、レイン様。私も貴方様の部下として、貴方の友として約束を果たしましょう。どうか――ごゆっくり、お休みくださいませ」

 

 ――夜が明けていく空に声を溶かしたギュンターの顔を目撃した者は、今は誰一人としていない。

 

「オッタル」

「はっ」

「見届けに行くわ。私を運んで」

「御意」

 

 神血(イコル)の残滓とも呼べる繋がりを媒介にすることにより、『神の鏡』で異次元の死闘の決着を目の当たりにしたフレイヤは、全てを知ってなおも忠誠を誓う猪人(ポアズ)の武人に命を下す。己の世界がフレイヤで完結している男は疑問も抱かずに従った――彼自身も見届けることを望みながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞼を上げた時、不思議と視界は鮮明だった。あれだけの死闘を繰り広げていたというのに、泥のような倦怠感も、魂と肉体を締め付けるような苦痛も感じない。しかし、身体は欠片も動いてくれはしなかった。

 

 なんとか動く眼球だけで周囲を見渡してみる。そのままの視点では青々とした葉が生い茂った木々の隙間から淡い光が差し込んでいるのがわかり、限界まで横に動かせば黒真珠のように美しい水面を広げる小さな湖が見えた。

 

 すぐにどこにいるのかを把握した。間違いない、ここは二人だけの秘密の場所だ! そこまでを認識したところで、別の世界での死闘がどうなったのかを思い出そうとする。

 

「起きた?」

 

 その声を耳にした瞬間、全てを思い出した。そもそも、周囲を確認した時にあるものを目にしていたのだ。

 

 その正体は、刀身が半ばから断たれた――地に突き刺さる『雷霆の剣』。そしてもう一つ――

 

「ああ、そうか――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕は負けたんだね……そうでしょう……レイン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女の胸に突き立った、夜空よりも美しい黒の剣。

 

「ああ――と言いたいが、勝ったなんて思えないな。後味は悪いし、卑怯にイカサマ、使えるものはなりふり構わず使ったって感じの戦いだったからさ」

 

 仰向けで敗者(テュポーン)を膝の上に寝かせながら、勝者(レイン)はそう嘯く。不満そうなレインの顔を眺めながらテュポーンは笑った。憑き物が落ちたように、透明な微笑を。

 

「どうして動けたの? 僕は『雷霆の剣』を両断したよね。精霊の武器と一心同体になっている契約者(きみ)はその反動で動けなくなるはずだったのに」

「半分は俺の気合いだが、半分は君のせいだな。もういっそ清々しいくらいすかっとぶった斬っただろ? 砕けたりでもしていれば動けなくなってたんだろうが、真っ二つだから下半身だけの判定になったみたいだ。俺の『魔法』も武器が半分になったくらいで解除されたりはしないし、小さくなっちまった剣を君の腹に叩き込むのは不可能じゃなかったぞ」

「……ここにはどうやって?」

「君がやったのと同じ真似をしただけだ。《傾国の剣(ルナティック)》で次元の壁を切り裂いて、君を掴んで這いずって脱出した。で、偶然ここに出たって訳さ。もう動けないから、海にでも出ていたら最悪だったな」

「ふっ、あはははは! 偶然か……都合のいい偶然もあるものだね」

「ははっ、本当にな」

 

 どちらも思わずといった風に笑う。二人の間にはもう、戦意や殺意はない。けれど、今にも消えてしまいそうな儚さがあった。

 

 ひとしきり笑った後、テュポーンは穏やかな声音で核心を突いた。

 

「レインはさ、僕の心がとっくに折れていたの、わかってたんでしょう?」

「……」

「なのにどうして、最後まで付き合ってくれたの?」

 

 テュポーンは優しいのだ。どんな理由があろうとも、大切な存在を傷つけ、好いた人の死を積み重ねた自分を許せない。レインの命を奪う度に自責の念で死にそうなくらい己を責め続けていた彼女は、【時死黒剣(スキル)】の発動条件を満たしてしまっていた。

 

 特定の箇所に使わなければ効果を発揮しない、とは考えられない。もしそうだとしても、レインには実行する技量と好機がいくつもあった。

 

 テュポーンの問い掛けに、レインは考える素振りも見せず答える。

 

「……ただの自己満足だ。ちょっとばかし気分がハイになって酷いことを口にしたが、君の方が正しい。悪意も、復讐の意思も、俺への優しさもな。俺はそれを全て否定して、邪魔をして、踏み躙った」

「……」

「だからその分、俺を痛めつけてもらおうと思った……それだけだよ」

「ふーん。それって嘘じゃないけど、全部でもないよね」

「……君が俺をどう見ているのかは知らんが、俺は決して聖人君子なんかじゃないぞ」

「知っているさ。君が聖人君子なんていう『復讐は何も生まない』がモットーの能天気な異常者(キチガイ)だったら、僕は好きになってない」

 

 レインに言われなくてもテュポーンはわかっている。彼女の内に巣食っていた憤怒と憎悪を全て受け止めるために、レインは戦ってくれたのだと。

 

 テュポーンの戦意を砕くに足りたのはレインが積み上げた無数の死だけではない。彼にぶつけられた途方もない怒りが、そしてそれ以上の慈愛が、彼女に敗北を受け入れさせた。

 

 告白じみた台詞(セリフ)にレインは無言を返した。テュポーンはそのことに何も言わなかった。

 

 数十秒か、数分か――十字に裂けた紫紺の瞳が霞みだしたテュポーンが、静かに沈黙を破る。

 

「死ぬことは……怖くない」

 

 ぽつり、と。

 

テュポーンは呟いた。

 

「神々と人類に報いを与えられなかったのも……悔しくない」

 

ぽつり、ぽつりと囁く。

 

「ただ……君と一緒にいられないことが嫌だ。君への想いを忘れることが……何よりも嫌だっ……!」

 

 身を切るように絞り出される声は湿っていき、焦点の合わない瞳の縁には涙が滲んだ。

 

「レインと一緒にいたいよ……母さんを忘れたくないよっ……二人と一緒に、生きていたいよ……!!」

 

 避けられない別離がそこまで迫っていた。最期の時くらい綺麗に別れを伝えたかったのに、感情を押さえつけていた理性が瓦解する。

 

 本当は悲しくて、辛くて、諦め切れないんだ。どうして自分だけが、と感情のままに喚き散らしたい。身体が動くなら衝動の僕となって暴れていた。助けてほしいとレインに縋ってしまいそうになる。

 

「大丈夫だ」

 

 ――それなのに、レインの力強い声を聞けば、不思議と安心してしまう。

 

「この別れは一時的なものさ。たとえ俺のことを忘れようが、姿形が変わり果てようが、こうして繋いだ縁が途切れない限り、俺達はまた会える。これからの旅路で君が俺のことを嫌いになろうと、嫌でもな」

「……僕がレインを嫌いになるなんてありえないから、そこだけは否定しておくよ」

 

 二人は顔を見合わせて笑う。しんみりした空気はなくなっていた。

 

「レイン……最後に、キスしてくれないか。何億年も前から誰にも許してないし、死んでいた君にだってしていない、正真正銘のファーストキスだ」

「……」

「不思議そうな顔をするなよ……僕だって乙女なんだ。『ファーストキスは好きな人からして欲しい』って夢くらい……あってもいいでしょ?」

 

 レインは黙って身を屈める。しばらくの間、二人の身体が静かに重なった。

 

 そして――

 

「――――」

「…………っ。レイン……君って奴は本当に、泣きたくなるくらい、残酷で……優し、ぃ……ょ」

 

 神々によって狂った運命に巻き込まれ、人類には間接的にその生涯すら否定された【神を誅殺せし獣(テュポーン)】は……ゆっくりと、目を閉じた。同時に胸を穿っていた黒剣も燃えるように消滅する。もう、彼女(テュポーン)が起きることは二度とない。

 

「うん。女の子はやっぱり、笑顔が一番似合うぞ」

 

 けれど、彼女が最後に浮かべていたのは――涙に濡れながらも美しい、幸せそうな笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――『僕』もすぐに逝く。決して一人にしないよ」

 

 レインは自身の左手に視線を落とす。――そこには蜘蛛の糸のように細く長い罅割れがあった。

 

 そして永き夜が明け、残酷なほどに美しい朝日が昇る。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 フレイヤを横抱きにするオッタルは、彼女の案内に従って辿り着いた森を眺めていた。

 

 草原の中に存在する小さな森。彼が『魔法』を使用すれば一発で跡形もなく消し飛ぶ程度の規模で、仮に踏破しなければならない場合は、強靭な肉体によるごり押しで木を圧し折って進むだろう。

 

 しかし、女神の命あれば別だが、それ以外の状況ならここを可能な限り傷つけたくない。不思議とそう思ってしまう場所だった。

 

「降ろしてオッタル。ここからは歩いて進むわ」

 

 言うが早いか、フレイヤは自らオッタルの腕から身を乗り出し、ずんずん森の中へ進んでいった。今まで見たこともない主神の姿に僅かばかり硬直するも、オッタルは無言で彼女に追従する。

 

 道らしい道もないのに、フレイヤの足に迷いはなかった。偶に針葉樹から飛び出す長い枝が彼女の柔肌に傷を付けそうになれば、注意を払っていたオッタルがこっそり『覇気(エクシード)』で排除する。

 

 危なっかしい主神の歩みに、朴訥な武人が顔色を変えて抱え上げそうになるのを鋼の自制心で補助程度に留めること数回、ついに開けた場所に出た。

 

 そこにいたのは、御伽噺に登場する眠り姫のように目を閉じている少女と、騎士のように見守る少年。

 

「……フレイヤにオッタルか。空気読めよ。最後の最後くらい、恋人と二人きりにしてもらいたいんだが」

「レイン……か?」

 

 湖の畔に座り込むどこか見覚えのある少年が浴びせてきた文句に、オッタルは怒りではなく疑問を返した。

 

 見た目が若返っているのもあるが、それ以上に纏う空気がまるで違う。最後に顔を合わせた時に纏っていたオッタル達が可愛く思えるほどの重圧が消え失せ、代わりに見たことがない微笑みを浮かべているのだ。そのような人物が『最恐派閥』の主神と団長に毒を吐いてきて、流石のオッタルも混乱してしまった。

 

 だがしかし、彼の問い掛けは女神が一歩前に踏み出したことで流される。

 

「レイン」

「……空気を読めと言っただろうが。さっさとここから立ち去れ、色ボケと脳筋の馬鹿コンビ」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――そんなお節介、必要ない」

 

 フレイヤは、はっきりと顔をしかめていた。不快そうに……そして悲しそうに。

 

「不死身のあの子(テュポーン)を殺せるような力と権能に、何の代償(デメリット)もないはずがない。今まで触れていなかったけれど、私の知り得ている貴方の【ステイタス】の中に最も不自然(チート)で、未知の塊の『スキル』があるわ」

 

 銀の瞳を冷然と細め、美の女神は断定の声を発した。

 

「レイン、貴方自身への憎悪の具現化たる【憎悪刻魂(カオスブランド)】に何をしたのかしら?」

「……何かをした訳じゃないさ。強いて言うなら、あるべき形に戻しただけだ。本来の権能と一緒に封じていた代償も復活しただろうが……ろくなものじゃないのは確実だろうな」

 

 レインは一度も振り返らない。単に身体が意識から離れてしまったように言うことを聞かないのもあるけれど、少しでも長く、ほんの少しでも長くフィーネの顔を眺めていたかったから。

 

 代わりに今度はレインから口を開いた。

 

「なぁ……一年前、砂漠で俺の本当の(いろ)が見たいとか言ってたよな、フレイヤ」

「……あら、意外ね。覚えていたの?」

 

 フレイヤとレインが初めて出会い、眷属の契りを結ぶことになった砂漠の旅。その時、慈愛と憐憫を帯びた彼女の言葉を、レインは蘇りかけていた過去の記憶と共に切り捨てた。

 

 だが、今は――

 

「どうだ、俺の(いろ)は? 違うもんが見えたか?」

 

 そんな言葉に、女神は極上の笑みで答えた。

 

「さぁ? 他ならない貴方自身がわかっているんじゃないかしら」

「そうか……うん、そうだな」

 

 勝手に彼女の下から去ろうとする『自分(フレイヤ)の所有物』に、ずっと自分以外の女に愛を捧げる男に対するフレイヤ渾身の嫌がらせに、フレイヤらしい、とレインは思わず苦笑した。

 

「貴方の主神として、最期を見ていてあげたいけど……貴方の要望通り、二人だけにしてあげる。ついでに、無粋な輩が入らないようにも……いえ、その必要はないわね」

「ああ。……フレイヤ」

「何かしら?」

「最初は嫌々だったし、認めるつもりもなかったが、今日は大サービスでちゃんと言っておく。……あんたの眷属にしてくれたこと、心から感謝しているぞ」

「もっと早く聞きたかったわね、それ……。私も、貴方が眷属になってくれて嬉しかったわ」

 

 最期の挨拶はなく、別れの言葉もなく、レインの側から女神と武人の影が退いていく。少年も、女神も、武人も。誰一人として振り向くことはなかった。

 

 やがて湖の周辺にある気配がレインと眠る少女だけになった頃、地平線から太陽が顔を覗かせ、

 

「ここ、は……」

 

 ――うっすらと瞼を上げた少女の横顔を淡く照らした。

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

(上手くいったか。これで目を覚まさなかったら、本当に死んでも死にきれなかったぞ……)

 

 レインはかつて感じたことがないほどの安堵から、深く長い息を吐く。

 

 自ら命を絶つことを条件に発動する【時死黒剣(マハカーラ)】だが、レインはこの一度きりの(スキル)を使う際、絶対に《傾国の剣(ルナティック)》を媒体にして発動すると決めていた。

 

 史上最高の呪武具(カースウェポン)であるこの剣に秘められた能力、『切断対象の選別』と『魂そのものへの攻撃』。【時死黒剣(マハカーラ)】と《傾国の剣(ルナティック)》の能力を併用することでテュポーンだけを取り除き(ころし)、フィーネを救い出す。それがレインの本当の勝利条件だった。

 

 成功する確証はなかった。フィーネの魂が消滅していないことが大前提の、他力本願の賭けでもあった。確率は数字にするのも馬鹿馬鹿しいほど小さかっただろう。

 

 けれど、レインは揺るがず、選んだ道を信じて真っ直ぐに進んできた。その強靭で高潔な意思で綴って来た『軌跡』こそが、この『奇跡』を成就させたのである。

 

(……眠い)

 

 必死に張っていた気を緩ませたレインに無情な睡魔が襲い掛かった。ぐらり、と身体を支えていた最後の力を失い、レインは地面に向かって傾いていく。

 

「――っっっ!? レインッ、レイン!」

 

 直後。倒れ込むレインを飛び起きたフィーネが支えた。レインの身体を仰向けにして胸にかき抱き、何度も、何度も呼びかける。

 

 あの時と真逆だった。『人造迷宮(クノッソス)』でフィーネがレインを助けるために、己の命を差し出した……あの時と。

 

 最早まともに思考もできない頭で、レインはそう思った。

 

「………………フィーネ」

「レイン! ……どうして私をっ……ちがうっ、そんなのは後でいい! お願いっ、死なないで! もう嫌なの……大切な人が死ぬのはもう嫌なのよ!!」

 

 かつて蘇生魔法で失ったはずの思い出を覚えていることも、弱かった心が封じ込めていた記憶があることも、フィーネにとってどうでもよかった。レインの全身で音もなく広がり続ける亀裂を止めなければ、レインがいなくなってしまう――それだけが重要だった。

 

 何もできないのはわかっていた。それでも何かをせずにはいられないフィーネが、もう一振りの《傾国の剣(ルナティック)》を振り上げて愚行に及ぼうとした、その瞬間。

 

「『僕』は……ずっと、死にたかった」

 

 朦朧としているレインのかすかな囁きが耳朶を揺らし、喉が引き攣るほど胸を締め付けた。

 

「君を死なせてしまった、あの日から……ずっと、死ぬことを、望んでいた……。君のいない世界に、未練はない……数え切れないほどの命を、奪い続けて……死をもって……罪を、償いたかった………………君に……謝りたかった………………」

「なら、私の方がいっぱい罪を犯した! 生きているだけで大切な人を皆死なせた! それだけじゃない、怪人(クリーチャー)に身を堕とした時も含めればもっと……! それに自分の不幸を嘆くだけで、抗おうともしなかった! なのにっ……誰かのために戦い続けた貴方が、私なんかのために命を捨てないでよ!!」

「……君は、悪くないよ。……生まれてくることが罪だなんて……あるもんか……」

 

 白眼から元の透き通るような深い黒に戻った瞳が、涙に濡れるフィーネを優しく見つめる。

 

「もう君に……『呪い』は、ない……から……気にしなくて、いいんだ。生きて……いいんだよ。僕は……やっぱり、罪を、贖わないと……いけないから……」

「………………! 何を言っているのよ……! 私に罪がないと言うなら、貴方も自分を責めるのをやめてよ! 私と一緒に生きたいと願ってよ!」

 

 嗚咽交じりのフィーネの懇願にレインは小さく、不安そうに喉を震わせた。

 

「…………いいのかな……。君を守れなかったのに……大切な約束だって、何度も破ったのに………………また生きたいって……君にまた逢いたいと、願っても……いいのかな……?」

「いいんだよ……私が誰にも、神様にだって文句を言わせない。だから……だからっ……絶対に、帰ってきてね。貴方がその気になれば、どんなことだってできるんだって、私は知っているから。今度こそ、一緒に幸せになるの――約束(おねがい)だよ。今も、そしてこれから先も……私が愛を捧げる人」

 

 その言葉に輝きを失いつつあったレインの瞳が、大きく見開かれた。息が詰まったように口は開閉し、瞳の縁に大きな涙の粒が溜まる。

 

「あぁ……やっぱり……君を好きになって……………………良かった」

 

 少年の小さく唇を綻ばせた満ち足りたような笑顔に、一筋の滴が流れて―― 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いつか、また会おう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――その言葉を最後に、世界最強に至った優しき少年は、緩やかに眼を瞑った。そして彼の全身を完全に罅割れが覆い尽くし、音もなく砕け散らせる。

 

 砕けたレインの身体は塵になり、木漏れ日に照らされ光になった。何よりも悲壮で、何よりも尊く、何よりも綺麗な光の束に。舞い踊る光の破片を気まぐれな風が掬い取り、空に向かって解き放ち、とても優しく美しい雨を降り注がせる。

 

 腕の中から消えてしまった少年の温もりを求めて青き魔剣と黄金の剣を抱きしめ、慟哭を散らしそうになる喉を必死に律する少女は、見た。

 

 光の雨が降り注いだ場所から、色とりどりの花が咲いたのを。金色の光を放つ塵がレインとフィーネだけの秘密の場所を埋め尽くすように舞い、少女が好きだと言った花――高貴白花(エーデルワイス)を咲かせるのを。

 

 虹色の花畑を目に焼き付ける少女の瞳から、いくつもの滴が目尻から頬を伝って零れ落ちた。拭っても拭っても、止まらない。愛しい人を想って流す涙が止まらない。

 

「うあああああぁ……あああああああっ、うわぁあああああ!!!」

 

 少女は泣いた。心が叫ぶままに泣いた。

 

 風が吹く。優しく柔らかい風に舞い上げられた高貴白花(エーデルワイス)の花びらが、少女の頬を撫でるように触れる。あたかもその涙を拭うように。泣かないでと慰めるように。

 

 ずっと一緒だよ――消えてしまった少年がそう告げているように。

 

 少女は泣き続けた。魂さえも震わせて泣き続けた。

 

 荘厳な太陽の光を浴びる泉で響き渡る涙の歌は、決して途切れることはなかった。

 

 いつまでも、どこまでも。




 どことも知れぬ暗い道に、その人物はいた。

 何も見えない。自分自身の身体さえも。けれど、迷いはなかった。

 さぁ、行こう。終わりのない旅路へ。その果てに幸せがあると信じて。


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最終話 雨の日に生まれた戦士がダンジョンに行こうとするのは間違っているだろうか

 貴方の答えはどちらですか?
・間違っている
・間違っていない


 ――そこがどんな所かを答えようとすれば、誰もが答えに窮するだろう。無理矢理にでも答えを捻り出すならば、それは『何もない世界』とでも言うべきか。それとも『魂』だけが存在している世界か。

 

 足が何かを踏みしめる感覚はある。しかし、それが何なのかは見当もつかない。なにせ、そこには月や太陽といった光源が存在しないから、何も見えないのは当然だった。にも拘らず、この場所は明るいようで暗く、暗いようで明るかった。

 

 ならば触覚に頼ればいいだろうと思うだろう。けれど、足が踏みしめているものは手では触れることができなかった。すり抜けてでもいるのか、手には何も伝わってはこなかった。仕方なく足を動かすことで得られる感触はどこも平坦で、僅かな起伏も生じていない。

 

 故にここは『何もない世界』。道というものがないからどこもかしこも道になるが、どこまで行っても終わりがなく、どこかへ行くことを諦めた時が終わりになる――あやふやで、まっさらな場所。

 

「なるほどなぁ。神々が呼吸と同じ頻度で『天界は死ぬほど退屈』と口にしていたが、不死者にとって『退屈』ほど死に等しいものはないということか」

 

 そんな世界に彼はいた。彼がここに来ることになったのは不死者を殺した代償である。変化を続けなければ生きていけない人間の彼に与えられたのは、何の変化もない世界で過ごし続けるという――輪廻転生の環から外される罰だった。

 

 彼が辛いと考えたり、先が見えないことに不安を抱くことはない。幸せだった穏やかな蜜月。出会いと別れと取捨選択を繰り返し、その一瞬を精一杯に、その一時を全身全霊で生きてきた、苦しくも輝かしい日々。永遠に忘れないそれらを脳裏で思い返せば、この長い旅は苦にならなかった――苦だなんて思いたくなかった。

 

 だから彼は旅を続ける。今日も、明日も、その次の日も――

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 変化はなく、時間の概念もない。同じ場所を無意味に回り続けている可能性もあるのに、彼は微塵も迷わず進み続けた。一度だって歩みを止めなかった。

 

 彼は約束をしたのだ。もし相手がその約束を覚えていなかろうと、自分のことを嫌いになっていようとも……彼はもう一度会いたかった。

 

 そんな彼の足が止まる。終わりがない旅を諦めたからではない。一つ、約束を果たせると――確かな旅の終わりを見つけた、そう思えたから。

 

「――待たせたかな?」

 

 何もないはずの世界なのに、彼の目の前には一人の少女が立っていた。今の問い掛けは彼女に向けたものである。

 

 顔は見えず、身体の線も映らない。それでも、彼にはそこに少女がいるとはっきり感じ取れた。

 

 そしてそれは――胸にくすんだ黒い剣を生やす少女も同様である。

 

「――確かに待ったし退屈はしたけれど、ちっとも辛くはなかったよ。君が『待ってて』と、そう言ってくれたから。君こそ大変じゃなかったかい?」

 

 少女にとって彼が約束を守ってくれるのは当たり前のことで、彼を嫌うことは少女にとって絶対にないことだった。

 

 けれども、彼が選んできた道に安易なものは一つもなかった。今になって彼が諦めても責めはしない。彼が投げ出しても仕方ない。少しでもそう思ってしまったことが、どうしようもなく恥ずかしい。

 

 隠さずに全てを告げても、彼は罵ったりしなかった。

 

「いやいや、君は『おっせぇんだよ、亀かお前はっ!』って怒ってもいいんだぜ。そのくらいで済ませる君は優しいし、その信頼が俺にはとても嬉しい」

「……ありがとう。本当に、ありがとう」

 

 陳腐な感謝の言葉しか伝えられない自分がもどかしい。そして自身の瞳を潤ませ、嗚咽を堪えなければならない喜びを覚えさせてくれた彼を……ちょっぴり憎たらしく思った。

 

 彼に顔は見られていないはずだ。自分だって彼の表情を窺うことはできない。なのに彼には泣きそうになっていることを見破られている気がしたし、彼が微笑んでいるのをなんとなく感じ取れた。

 

 誤魔化すように頭を振り、勘で彼の手がある辺りを探った。久しぶりに触れ合う彼の手は相変わらず温かい。

 

「ほらっ、さっさとこんな所から出ようよ。この剣を使ったのはあの子を殺さないようにする為だけじゃなくて、今の状況も予想してたんでしょ?」

「分の悪い賭けだったけどね。【時死黒剣(スキル)】を発動した後に媒体がどうなるかは不明だったけど、やらないよりかはマシだと思ったからな」

「……予想が外れてたら?」

「頑張って次の案を考えた。ほら、ここって嫌でも悟りそうな場所だろう」

 

 腹が立つほど中身のない楽観的な発言。それでも、彼は本当に考えて答えを出すのだろう。だから彼は世界を……愛する人を守れたのだから。

 

 自身の胸から剣を引き抜き、刀身から放たれる鮮烈な輝きに照らされる男の横顔を見つめながら少女はそう思った

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 ――農民ときこりによって作られたとある村に、その少年はいました。村の人々は農民やきこりばかりでしたが、彼の父親だけ傭兵でした――

 

 ――皆は彼も父親と同じ傭兵になると思っていましたが、彼にそんなつもりはちっともありませんでした。なぜなら彼は本を読むことが好きで、虫一匹も殺せないほど優しかったのです――

 

 ――父親は自分の息子に才能があると言い聞かせましたが、命を奪うために剣を振るう傭兵になんてなりたくありません。もちろん、怪物をやっつけるために戦う『英雄』にだって――

 

 ――彼は弱かったのです。妖精(エルフ)のような『魔法』はなく、鉱人(ドワーフ)のような『力』もなく、獣人のような『五感』もない、ありふれた只人(ヒューマン)でした――

 

 ――生まれた時から彼は強かったのではありません。華やかで祝福された人生もありません。だから、どうか、お願いだから……『強さ』と『偉業』だけで彼を『英雄』だと決めつけないで――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……駄目……作者の願望を前に出し過ぎ……やり直し」

 

 もう何度もやり直し(リテイク)を繰り返して使い物にならなくなった羊皮紙を握りつぶし、(フィーネ)はため息を吐きながら机に突っ伏した。

 

 レインと【神を誅殺せし獣(テュポーン)】の死闘の決着を機に、世界は大きな転機を迎えた。

 

 一つ目にダンジョンの性質。構造を壊しても再生するところ、地上には存在しない植物や鉱物があるところ、モンスターを生み出す特徴に変わりはないけれど、モンスターに誰の目にも明らかな変化があった。

 

 見た目が人に近い個体が出現するようになったのだ。今までは『ラミア』や『ハーピィ』、『マーメイド』が辛うじて人に似ていると言えるモンスターだったのだが、『ミノタウロス』では牛人(カウズ)、『アルミラージ』なら兎人(ヒュームバニー)に類似した個体が確認された。

 

 最初の頃は見るからに理性もなく、本能のままに殺意を撒き散らして襲い掛かって来たのだが、今では五体に一体の割合で意思疎通が可能な個体が出現するようになっている。骸骨(スケルトン)系や昆虫(インセクト)系でもだ。この件は冒険者から『異端児(ゼノス)』――後に『魔人』と呼称を変更――に任されるようになる。『異端児(ゼノス)』の存在価値が認められるようになったことも、あの戦いで得られた『成果』の一つだろう。

 

 更にモンスター達から『魔石』が採取できなくなった。モンスター全体に弱体化の前兆が確認された時から危惧されていたため、こちらは既に解決されている。なにせ『魔石』が取れなくなれば既存の魔石製品は使えなくなるので、生活が立ち行かなくなってしまう。

 

 上級鍛冶師(ハイ・スミス)の鍛造する『魔剣』が元から『魔法』や『魔力』の塊のような代物だったので、その製造過程を徹底的に解き明かすことで人工的に『魔石』を製造できるようになった。全人類に精神力(マインド)は多かれ少なかれあるため、『下層』未満までの純度の『魔石』なら安定して生産可能な体制が整っている。

 

 二つ目に神や『神の恩恵(ファルナ)』に対する考え方。ダンジョンの真実が明らかになってからというもの、『神の恩恵(ファルナ)』を捨てたがる者が多く現れた。しかし同時に、『神の恩恵(ファルナ)』を授かろうとする者も多くいた。

 

 前者はモンスターに復讐する為の力を求めていた類で、後者は先の戦いで『神の恩恵(ファルナ)』に有用性を見出した者達だ。『神の恩恵(ファルナ)』をどうこうする以前に全ての神を送還するべきではないかという案も出ていたのだが、

 

『俺達は昔も今もその恩恵を受けていたんだ。それを自分達は悪くない、悪いのは神だけと開き直るのはやめろ! そんなお前達は神以上のクズだ!』

『主神様は主神様だからなぁ。この方が嬉々として罪なき娘を封印するとは思わん。手前はモンスターに大事なものを奪われておらんから、特に恨みがある訳でもないしな。これまでの主神様を信じるまでよ』

『この身も心もあの御方に捧げた。真実が詳らかにされたところで、与えられた愛と恩が無になる訳ではない』

 

 意外にも多くの冒険者――特に【ガネーシャ・ファミリア】【ヘファイストス・ファミリア】【フレイヤ・ファミリア】――が神を庇う意見を述べた。最も神々と接し続けた彼等の意見を無視できず、派閥制度を解体して『去る者は追わず来る者は拒まず』の状態に移行し、『恩恵』を授ける数にも制限を設けることで収まった。

 

 それでも神々に対する厳しい目は減らない。神だからという理由で無条件に敬われ、丁寧に扱われることもなくなり、神々の下界での暮らしは楽ではなくなった。『異端児(ゼノス)』以上に受け入れ難い存在となった神々の行く末は、今後の彼等が何を成すかで変わっていくことだろう。

 

 そして最後に――私の存在である。

 

 現在、この世界で一番強いのは私だ。何十万年単位で身体を使われていた代償か恩恵かは知る術がないが、私はテュポーンの能力をそっくりそのまま受け継いでいた。

 

 Lv.という数字に縛られない強さを持ち、加えて世界中に届く風を操り、更には神を殺せて不老不死。声とレインが遺した武器を持っていたことで【神を誅殺せし獣(テュポーン)】と関係性があるとも露見し、私をどう扱うかは世界中で議論された。

 

 殺処分、解剖して研究、懐柔して兵器として徴収……本人を目の前にしても好き勝手に交わされる言葉の数々に、私は仕方ないと大人しく受け入れる――こともなく()()()。それはもう思いっきり。

 

 誰だってムカつくでしょう? 手出しをされないと勝手に安心して、責任を背負う覚悟もない奴等に生き方を決められるのは。安全圏から『化物』『全体の為に犠牲になれ』『人類の裏切り者』なんて好き勝手に言われるのは。

 

 保護という名目で隔離されていた建物を跡形もなく粉砕し、私の力を目にしてみっともなく震える見張りや野次馬を尻目に、【神を誅殺せし獣(テュポーン)】と同じやり方で世界中に声を――私の意思を届けた。

 

「私は確かに人とは言い難いけど、化物と罵られるいわれもないわ。言ってしまえば中立なの。不幸自慢は趣味じゃないけど、私は人と神様に酷いことをされた記憶がある……忘れたことは一度もないわ。貴方達が今も生きていられるのは、私に貴方達を殺す気がないだけだから。それを忘れないで」

 

 ……正直に言えば、怒るまで自分にこんな力があるとは気付かなかっただけなのだけれど……それを知らない人達からすれば黙り込むのに十分な出来事だったらしい。【神を誅殺せし獣(テュポーン)】と私を混同している者を除けば、正面から罵倒したり害を与えようとする者はいなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それ以外に特筆すべきものはない。『迷宮都市(オラリオ)』の再建、難易度の下がったダンジョンの攻略、ダンジョン以外の未開の地の調査。失ったものを取り戻そうとする人類の力は凄まじく、人口や生活水準はあっという間に元通りになっていく。

 

 私はどれにも一切関わることなく、世界を調整する役割を全うしていた。世界を調整、なんて大仰に言ってはいるが、やっていることは人の手に負えない怪物や災害の対処である。せめてこれくらいは手伝ってくれ――と隻眼の勇者に頼まれ、断る理由もなかったので承諾した結果だ。

 

 他にも『自分はレインの恋人だった』『レインに特別目をかけられていた』等々、レインの名を使って利益を得ようとする輩を潰す役目もあった。こちらはどこかのすこぶる強い【ファミリア】も手伝ってくれたので、特に苦労はしていない。

 

 ベルやアイズ、ガイアや『豊饒の女主人』のような善人達から一緒に暮らそうと何度か誘われたが全て断り、気ままに世界中を……レインと縁のある場所を巡った。そして暇を見つけては祖母と暮らしていた小屋に戻り、物語を綴っている。

 

「お話を書くのって、こんなに難しかったのね……」

 

 中身は十分に詰まっている。ベルや春姫に読ませたら絶賛されたし、『チョロい英雄譚マニアの評価を当てにすんなよ』と言った鍛冶師の青年も工房に閉じ籠って泣いてしまう出来栄えだ。だがしかし、序文が決まらない。

 

 私の不幸をひけらかす算段はなく、彼の功績を称える訳ではなく、彼女の無実を訴えるためでもない。これは知ってもらうための物語だ。

 

 ただただ、多くの人に知ってほしい。世界を救った『戦士』も、世界を滅ぼす『怪物』も、この二人が戦う起因となった私も――どこにでもいるような男や女だったのだと理解してほしいのだ。

 

 波乱万丈な『使命』、複雑奇怪な『定め』、強大な力に約束された『運命』――そんな難しい言葉で飾り付けるだけで考えることをやめないで。私達が歩んできた道のりを、一目一聞で終わってしまう文字や声で片付けないで。

 

 そんな気持ちを伝えたい物語の序文はとても大事なのだ。妥協なんて私のプライドが許さない。

 

「ヒロインも決まらないし……どうしよー……」

 

 世界を旅してわかったこと。主人公(レイン)を好きな女性は大勢いた。何をどうしたらこんなに集まるの? と思ってしまうほどいた。

 

 だけど()()()()()者はいなかった。

 

 愛していると言うことは難しそうに思えて簡単で、愛することこそが簡単そうに思えて真に難しいと私は考えている。

 

 極端な話、【ステイタス】にその感情に関係する『スキル』か『魔法』が発現するか、美の神の魅了に抗える気持ちを抱いて、初めて愛していると言えるのだ。

 

 山吹色の妖精が抱いていたのは『憧憬』。

 悲劇の死妖精(バンシー)が抱いていたのは『依存』。

 女戦士(アマゾネス)の双子と銀の女神が抱いていたのは『執着』。

 優しき聖女が抱いていたのは『献身』と『慈愛』。

 誇り高き王族(ハイエルフ)が抱いていたのは『尊敬』。

 

 心の底から愛している、生まれ変わってもこの気持ちを忘れない、君への愛は魂に刻まれた――それらが本当だと証明できた人はどれだけいるだろう。嘘だと思わなければ神様にだってわからない答えなのに。

 

 ヒロインを登場させるなら、その人物は主人公(レイン)を真に愛している者がいい。私はだからこそ困っている。

 

 遺された記憶から彼女(テュポーン)(レイン)を愛していたと知っている。(レイン)は私を愛していた。――では、私は? 私は本当にレインを愛して――

 

「……」

 

 レインの迷宮都市から住民と『異端児(ゼノス)』を追い出す為の殺戮、【神を誅殺せし獣(テュポーン)】を怒らせたことで行われた鏖殺。被害者の遺族達の恨み辛みは全て私に向けられている。

 

 私はこれを受け止める義務がある。旅をすれば必ず負の感情をぶつけられ、この不満を吐き出す相手もいない。ベル達の誘いを断ったのも甘えてしまいそうだったからなのに……。

 

 羽根ペンを置いて立ち上がる。向かうのは――唯一心に安らぎを与えてくれる花畑。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当にいいのかい、お前さん? この辺にはおっかない嬢ちゃんが住んでいる森しかないぞ」

「んー、俺はその森が目的地なんだがな」

「まさか、あの森に行くつもりかね!? 悪いことは言わんからやめておきんさい。あの森で変な真似をしでかせば、生まれてきたことを後悔する目にあってしまうぞ!」

「でもなぁ……行かないといけないんだ。何十万年経っても忘れない約束をしたからさ。そのためにツレにも遠くの街で待ってもらってるし」

「……お前さん、神様かい? 儂は神様の悪戯に巻き込まれるのは御免じゃよ」

「いいや、人間さ――アンタが言った『おっかない嬢ちゃん』の恋人のな」

「……………………………………ふぇい?」

 

 

 

 ♦♦♦

 

 

 

 元は彼と私だけの秘密の場所だったのに、今では彼と縁のある人が訪れる場所になっている花畑。

 

 お墓はない。きっと彼なら墓に魂が宿る訳じゃない、なんて言って作ろうとしないだろうから。代わりに彼の二振りの剣を刺していたら墓標みたいになってしまったけど、それは勘弁してほしい。

 

 ここは昔から不思議な所だった。雨が降ろうが風が吹こうが、まるで結界で守られているかのように変化がない。こうして足を踏み入れれば、一年中咲いている高貴白花(エーデルワイス)が私を出迎える。

 

「……」

 

 花畑を通り過ぎて、半分しかない黄金の剣と凝った造りをした柄の剣の前に跪く。

 

 ……近頃、ここに来る人の目的が変わってきている。これまでは彼との思い出を振り返るためだったのに、徐々に彼の死を悼むために訪れるようになっているのがわかった。

 

 皆が彼との再会を信じられなくなっている。そもそも自死を引鉄(トリガー)に発動し、使えば最期は塵になって消滅するような『スキル』を彼は発動させたのだ。再会がいつになるのか、その時の彼に記憶はあるのか、何もかもがわからない。死んでしまったと思い始めるのも仕方ないだろう。

 

 それでも、私は信じ続ける。私を愛してくれた人が『また会おう』と約束してくれたのだから、私はいつまでも待ち続けよう。

 

 だけど……弱音を吐くくらいなら、許してくれるよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「会いたい、なぁ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――僕もだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――すぐには、振り返れなかった。だって、その声は、ずっと会いたいと願っていた人のもので――

 

 頬を抓る……痛い。視界がぼんやりと滲み、鼻の奥が熱くなる。何かが溢れ出しそうな胸を握りしめて、ゆっくりと後ろを向いた。

 

 ……彼が、いた。夢じゃない、幻じゃない、本当に彼が立っていた。

 

 彼は初めて出会った時の白いシャツを着ていた……私が大好きと言った服だ。

 

 辛かったはずだ、苦しかったはずだ、大変だったはずだ。なのに彼はそんな素振りを欠片も見せずに、穏やかに優しく……私に笑ってくれる。

 

「ほら……また会えただろう?」

 

 私は駆け出していた。瞳から涙を落としながら広げられた腕の中に飛び込み、それでも笑顔で愛しい彼の名前を呼んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――レイン!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 開け放たれた小屋の窓から風が迷い込んだ。迷子の風は無邪気に羊皮紙を巻き上げ、一人の少女が綴った物語を読み上げる。

 

 ――この世界に忌み子として産み落とされた二人の少女と、彼女達を救うために命を懸けた黒き少年がいました――

 

 ――これは悲劇ではありません。そして喜劇でもありません――

 

 ――そう……これは少年が戦い、少女が救われた、ありきたりで美しく、幸せが約束された――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――【眷属の物語(ファミリア・ミィス)】――

 




 おわったーーー!
 達成感が半端ないです、はい。
 この二次創作業界では『レイン』の作品は両手の指で足りるほどの少なさ、完結したのを見るのは作者自身、今作が初めてです。感無量ですよ。よくここまで大勢の人に見てもらえたなぁ、と思っています。
 作者の柔らかいもちです。今作、『雨の日に生まれた戦士がダンジョンに行こうとするのは間違っているだろうか』はいかがでしたか? とりあえず今まで伝えられなかったことをぶちまけていこうと思います。

 最初に書き始めた理由を話します。
『ダンまち』と『レイン』のクロスオーバーを書いているので、作者がこの二作品が好きなのは多分ご存じだと思います。そして『レイン』の原作者、吉野匠さんが亡くなられたことが、この作品を書こうと思ったきっかけでした。

 どんな形でもいいから『レイン』という作品が完結するところを見たい! と考え、初めは『レイン』原作の続きを推測で書いていこうと思いましたが、作者には不可能でした。単に続きを想像できなかったんですね。また、そんな状態で無理に書いたとしても、途中で投げ出すのがオチでした。

 なら自分である程度好きに捏造してもいい二次創作ならどうだ? と思い付き、相性がよさげで勝手ながらも終わりを考察していた『ダンまち』とのクロスオーバーを書き始めた訳です。

 最初のプロットは酷いものでした。オリキャラが阿呆みたいに登場したり、キャラの性別が変わっていたりとやりたい放題。大分物語が進んだところで久しぶりに確認してみたら、『うっっっわ……』となりました。もし一時の欲望のままに進めていたら、この作品は削除されていたでしょう。羞恥に耐えられなくなった作者によって。

 一部を明かしますと、ベル君が女体化、そしてラスボスはフィーネ、そしてフィーネを殺したレインがなんやかんやで裏ボスになり、それをベル君が仲間の手を借りて打ち破って、最後にレインと血の繋がった家族だと判明して終わり……てな感じでした。ちなみにベル(ちゃん)がレインに惚れているおまけつき。……うん、クロスオーバーは素人が詰め込み過ぎると駄作一直線だ、と思い直して本当に良かった。

 没になったのはベル君を女体化させる意味があまりなかったからですね。リリ編はいいとしても、春姫が登場する遊郭編が進まなくなるし、百合百合したやつは書けないしで。

 そしてフィーネがダンジョン最下層に待ち構えている設定だと、内容が薄くなってしまいます。ダイダロス編は完全になくなりますから。それにラスボスであるテュポーンは『ダンまち』の設定や世界観などを加味して作り上げました。フィーネ主軸で書いていたら、完全な独自設定になるのでそれを避けたかった、という思いがありました。

 プロットはころころ変わっていましたが、プロットが無ければもっと完結は遅くなっていたでしょう。この作品が吉野匠さんの供養になれば嬉しく思います。

 以上が書き始めた理由です。次は執筆中の作者の気分です。

 序盤は楽しかったですね。妄想を文字にして、それに対して感想や評価を貰って喜んで。

 ですが、人間は弱いものでして。途中から『レインという作品を完結させる』ではなく、『高評価を貰える作品を作り上げる』に目的が変わっていました。高評価を付けてもらえたらモチベーションが上がり、低評価、特に最低評価を付けられたら『やめよっかな……』と滅茶苦茶落ち込みました。恥ずかしい話です。

 今は高評価やお気に入りをしてもらえると普通に嬉しいですが、生み出す作品を自分が誰よりも楽しもう! と思っているので平気です。……この状態にもっと早くからなれていたらなぁ。

 とまあ、作者の醜態の暴露はここまでにしておいて。今度は短く自分から今作に対する評価を伝えます。

 自画自賛になりますが、ストーリーは良かったと思うんですよ。結構つじつまはあっていた上に、ダンまちの世界観にもマッチしていたので。レインの『スキル』を『早熟』ではなく『成長速度補正』にしたのも、『早熟』だと被るしずっと強くなり続ける意味ではないので、結構いい選択をしたと思ってます。平均文字数も三千ちょいで十分だろうと思っていたのに、最終的には五千文字近くまで膨らませられましたし。だけど、キャラの言動を上手くできなかったのが悔やまれますね。あと地の文の粗い部分とか。漢字の変換とかもブレブレだし。ダンメモはマジですごい。四周年の話とかドキドキがヤバい。

 最後に、全ての読者の皆様に感謝を。お気に入り登録をしてくれた方、誤字脱字の報告をしてくれた方、感想を書いてくれた方、評価をしてくれた方だけでなく、この作品に興味を持って覗いてくれた読者の皆様がいてくれたからこそ、約一年半で完結まで来ることができました。本当にありがとうございます。『レイン』と『ダンまち』、どちらかだけを読んでいた人がこの作品を通してもう片方に興味を持ってくれたら嬉しく思います。

 今後のことは活動報告に載せる予定なので、興味がある方はご覧になってください。

 それでは。

 永遠のレイン教信者、ダンまちファンでもある柔らかいもちより。


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