『催花雨を待ちながら』【完結】 (OKAMEPON)
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第一章『天維を紡ぐ』
『欠落した心、叶わぬ祈り』


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

『家族』、と言うものが、僕にはよく分からない。

 勿論、親子や兄弟や夫婦と言った繋がりを持つ人々を指す事程度は知っているけれど。

 それはあくまでも知識としての事で、僕の経験に裏打ちされたものでなかった。

 

 僕には、クロムに拾われるまでの……あの日あの草原で目覚めるまでの一切の「記憶」が無い。

 それは、こうしてクロム達と過ごす様になって決して短くは無い時を過ごした今となっても甦る事はなく。

 何時戻ると言う保証が無いどころか、過去の己の縁となる断片すら何一つとして戻らないままだ。

 もしかしたらこのまま、自分が死を迎えるその時ですらも、喪われたそれらは戻らないのかもしれない。

 自分に関する「記憶」が一切無くても何故か必要な知識は残っていたし、この身体が覚えていた事は喪われてはいなかったから、自分の身元が何も分からない事以外には大きな支障は今の所は無いのだけれども。

 しかし、記憶と共にそこにあった筈の『経験』と言う名の『過去』が喪われてしまった結果、僕にはどうしても『実感』を伴えないモノがとても多い。

『家族』と言うもの、その在り方……そう言ったものも、僕が喪ってしまったモノの一つであった。

 

『家族』。

 

 それはきっと、この世界の何処に行ったとしても存在する、人と人との繋がりの形なのだろう。

 僕の唯一無二の友にして『半身』であるクロムには、リズと……そして今は亡くなってしまったエメリナ様と言う、大切な「姉妹」……『家族』がいる。

 その輪を傍で見ているだけである僕にすら理解出来る程の、優しい温かさをとても伴った強固な繋がりが彼等にはあって。

 その温かさを、その確かな『繋がり』を。

 人は、『家族』と……そう呼ぶのだろう。

 そして、それは別にクロムに限った話ではなくて。

 自警団の皆、その誰もが其々に、『家族』と言う『繋がり』を「誰か」と持っていた。

 皆の多くは、『家族』と言うものをとても大切にしているし、もうその『家族』を喪ってしまった者であっても、そこにあった『想い出』……『家族』と過ごしていた『過去』は、とても特別で大切なモノの様であった。

 中には、『家族』と不幸な関係性であった者も居るけれど、それでも……どんなにその『繋がり』が辛く苦しいものであるのだとしても、そんな彼らにとってすら『家族』と言う『繋がり』は、やはり【特別】な意味を伴っている様であった。

 ……最もその【特別】とはある種の【呪い】の様にその心を縛るものである様だけれども……例え【呪い】だとしても容易には断ち切れぬものであるのは確かなのだろう。

 

 しかし、僕には『家族』が存在しない、分からない。

 過去の事は何も覚えていないとは言え、幾ら何でも木の股から産まれてきた訳では流石に無いだろうから、腹を痛めてまで僕を産み落とした「母親」は存在する筈であるし、ならば当然「父親」にあたる者も居たのだろう。

 それが血縁的な関係性だけであるのかどうかはともかくとして、少なくとも。その『繋がり』の強さや確かさはどうであれ、僕にだって『家族』は存在した筈なのだ。

 いや、もし産まれて直ぐに棄てられたのだとしても、無力な赤子が誰の助けも無くここまで生き延びられる筈も無いのだから、「育ての親」と言う意味での『家族』は居た筈だ。

 その『家族』と言う『繋がり』に僕がどんな感情を抱いていたのかは分からないけれど、僕にだってその特別な『繋がり』はあった筈である。

 しかし、喪ってしまった『記憶』と共に、僕はその『繋がり』の一切を喪失してしまった。

 何れ程思い出そうとしても何かに触れそうな感覚すらない。

 もしかしたら『繋がり』の先に居る当人を目の前にすれば何か感じるものがあるのかもしれないけれど、しかし少なくとも僕が今まで出会ってきた人々の中には居なかった。

 

 在った筈の『繋がり』。

 それを喪失してしまった僕の心の何処かには、喪ったその形をした欠落が存在するのだろうか? 

 だが、例えあるのだとしても僕はその「欠落」を自覚する事が出来ない様であった。

 

『家族』と言う『繋がり』を渇望するでもなく、故に存在するかどうかすらも分からない『家族』を求めて宛も無く旅に出るなんて事もしようとは思わない。

 ただ、仲間達やクロムが『家族』と言う言葉を口にする度に、そして『家族』への想いを表す度に。

 それに対しての『実感』のある理解を伴えないが故の、何処か疎外感の様な収まりの悪さを少しだけ感じてしまう。

 

 僕にとっては、クロムは、仲間達は、何よりも大切で、何よりも喪い難い『繋がり』であるのだけれども。

 それはきっと、『家族の繋がり』とは似て非なるものなのだろうと言う事位は分かる。

 クロムが、リズやエメリナ様に向けていた想いと、僕や皆に向けている想いが、似た様な温かさを伴っていても、それでも全く違うものである様に。

『仲間の繋がり』と『家族の繋がり』は、異なるものだ。

 

 勿論、どちらがより重いだとかより【価値】があるだとかの話ではないし、そもそもそうやって比べる様なものでもないのだろうと言う事も僕は分かっている。

 クロムを例として考えてみれば、リズやエメリナ様の存在を無くしては僕が知るクロムではないだろうし、逆に自警団の皆が欠けていてもそれはそれで今のクロムとは全く違う「誰か」になってしまう。

 どちらの『繋がり』も、『クロム』と言う存在を形作るにはとても大切なものである。

 でも、では僕は?  と、そう考えてしまうのだ。

 

 今の僕にある『繋がり』は、クロム達と出逢ってからの……クロム達との『繋がり』だけ。

 でも、それだけが今の僕を形作っているのかと言われれば、恐らくはそうでもないだろう。

 あの日より前の自分に関わる全ての記憶──『思い出』を喪失してしまっているとは言え、そこにあった『何か』は、僕の一部を今も形作っている。

 全て喪ってしまっても、断片すら思い出せなくても。

 恐らく……僕を形作っていたそれには、きっと『家族』の存在も含まれていたと思うのだ。

 しかし、確かに今の僕も形作っている筈のそれを、僕は何も思い出せないどころか……多分そこにあった筈のそれを思ったとしてもそこに何の『実感』も伴えない。

 温かさも何も、そこには何も無いのだ。

 その事を悲しいとも虚しいとすらも、……何も思えない。

 何も感じられないと言う事が、どうしてだか少しだけ。

 この胸に僅かな引っ掻き傷の様な痛みを与えていた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 父の事を想う時に、何時だって一番最初に思い出すのはあの大きな掌のその温かさだ。

 

 幼いあの頃、何時も私を抱き上げてくれたその優しい手を、たまに家族で遠出した時には何時も繋いで貰ったあの温かな手を、私が訓練用の模造剣を手に拙いながらも剣の稽古を始めた時に一つ一つ型を教えてくれたあの頼もしい手を。

 私は、何時だって真っ先に思い出す。

 私が産まれたその日に、産湯につかったばかりの私を優しく抱き締めてくれたのだと言うその手は、何時だって私を守り導いてくれた手であった。

 時が経つにつれて、何れ程想い続けていても、記憶は少しずつ少しずつその輪郭を薄れさせていく。

 あんなにも大好きだった声は、もう幾つかの帳を隔ててしまったかの様に朧気なものになってしまっていて。

 何時も見上げていた筈のあの大きな頼もしい背中は、私が成長するに従って追いつく事など出来ぬままに何処か遠くへと行ってしまった。

 大好きで、大切で、今だってずっとずっと想い続けている……それなのに。

 私がもうあの日々には決して戻れない事を、何処までも残酷に突き付けようとしているかの様に、全ては何時しか『過去』へと変わってしまった。

 それでもまだ、あの掌の温もりだけは、忘れずに鮮やかな『思い出』のままこの胸に抱き締め続ける事が出来ている。

 …………だけれども。

 掌の温もりだけは覚えている筈なのに、どうしてか。

 あの日……二度とは帰らなかった戦に旅立つ前に、最後に私の頭を撫でてくれたその掌を、どうしても思い出せない。

 どんなに思い出そうとしても返ってくるのは、満身創痍のフレデリクが何とか持ち帰ってきてくれた、父の形見となってしまったファルシオンの重みだけだ。

 

 父を喪ったあの日から、私は何時の間にか幾つも歳を重ねていて。まだ何の痛みも知らなかった無垢で無力な幼子は、剣を手に終わりの見えない戦いの日々を生きる様になって。

 あの日々は……もうどうやっても戻る事も取り戻す事も出来ない『幸せ』だった日々は、何時しかもう思い出す事すら難しくなる程に、遠くなってしまっていた。

 

 父が命を落とし邪竜ギムレーが甦り、世界が『絶望の未来』へと転がり堕ちていく中の日々で。

 私は母を、リズ叔母様を、フレデリクを、数え切れない程の大切な人達を。

 大好きな人達を、大切な人達を、私にとって『家族』と……『帰る場所』であった人達を、私は『絶望』の中でほぼ全てと言っても良い程に喪った。

 そして……。

 あんなにも沢山のものを、沢山の『幸せ』をくれた人達だったのに……、あんなにも沢山の『思い出』がある筈なのに。

 どうしてだか、彼等を思い出す度にこの頭を過るのは、大切な人達の物言わぬ骸となった姿ばかりになってしまった。

 

 奪われる事に慣れ、喪う事に慣れ、『思い出』すらも時間の流れと残酷で絶望的な現実を生き抜く日々の中で薄れ消えて。

 それが耐え難い程恐ろしいのに、それを止める術も立ち止まっている様な時間も無い事が、何よりも苦しい。

 あの日々を、あんなにも『幸せ』だったあの温かく満ち足りていた日々を、自分の『帰る場所』を、取り戻したくて。

 それが叶わぬのだとしてもせめて、この生を……大切だった人達に守られ繋げられてきたこの命を、邪竜が一方的に齎した、こんな『絶望』などで終わらせたくなくて。

 その為に必死に戦い続けている……その筈なのに。

 前に進む為の、戦い続ける為の、一番の源である筈の『思い出』すら容赦無く喪われていく。

 それが、私には何よりも恐ろしく絶望的な事であった。

 

 無論、何をどうしようともあの日々に帰る事なんて出来ないのは分かっているのだ。

「帰りたい」からと言うだけでなく、「生きたい」から、戦わねばならないから。そう言う理由、そう言う衝動が、ファルシオンを握らせ続けているのも、分かっている。

 それでもやはり、心に在るのは、心の一番奥深くの最も大切な場所に在るのは、あの温かな日々なのだ。

 あの日々があるから、戦える。

 例えもう帰る事は叶わないのだとしても、もう何をしても取り戻す事は出来ないのだとしても。

 心の中に今も尚、その温かさは『思い出』として、ずっと残っているのだから。

 だからこそ、その心の奥の一番大切な場所にある筈のそれが、こんな絶望に満ちた残酷な現実によって塗り潰されてしまう事が、何よりも恐ろしい。

 このまま戦って戦って戦い続けて、何時か『思い出』の何もかもを現実で塗り潰してしまっていっては。

 ふとそれを自覚した瞬間に自分はもう二度と戦えなくなってしまうのではないかと、……『絶望』の果ての死を抗う事無く受け入れてしまうのではないかと、そう思ってしまう。

 

 しかし、擦り切れ喪っていくのだと分かっていても、戦い抗う以外に私に一体何が出来ると言うのか。

 戦う事を止め立ち止まった瞬間に待つのは『死』のみだ。

 それは、私達を生かす為、守る為に、命を賭けて散った全ての者達に対する裏切りでしかなくて。

 何時か戦いの中で志半ばに『死』に身を食い千切られるか、或いはギムレーを討ってこの絶望の世界を終わらせるか。

 どちらかしか、私には選べる道は無かった……筈だった。

 

 しかし何れ程戦い続けても、世界の滅びを食い止める事は出来ず、人々は絶望の中で死を待つ事しか出来ず。

 そして終には、最早人間では何の抵抗も出来ぬ程にまで、世界は追い詰められてしまった。

 

 世界に絶望を齎したギムレーにとっては、人間との戦いなど終始一方的な虐殺でしかなくて。

 人々の抵抗は邪竜からすれば実に退屈な児戯に付き合ってやった程度でしかなかったのかもしれない。

 何にせよ、全てが絶望の淵に沈み行こうとしたその最中で、最早どうする事も出来なかった私へと、それまで沈黙を保ち続けていた神竜ナーガが示したのは。

『過去』へと渡りギムレーの復活そのものを『無かった事』にすると言う……剰りにも恐ろしく剰りにも傲慢で、まさに神すらをも恐れぬ……この世の絶望を煮詰めた先にある甘美な「新たなる道」であった。

 

 最早それ以外に打つ手が無いのは確かなのだろう。

 しかしそれはこの世界を……最早一握にも満たぬ程にしか生きている者は居ないとは言え、それでも懸命に絶望の中でも足掻き精一杯に生きている命が存在するこの世界を見棄て、『過去』へと逃げる事にも等しい。

 例え『過去』を変え『未来』を変える事に本当に成功するにしても、……そしてそれによって救われる人々が何千何万何億と存在するのだろうとしても。

 この世界を救い守る使命を課せられた当人である私がそれを放棄してしまった事には何の変わりもない。

 父が、母が、その命を賭してまで救おうとした世界を、私が殺してしまう事と、何の違いがあると言うのか。

 この世界でも懸命に生きている人々を見殺しに……この手で殺し「存在しなかった」事にする事とどう違うと言うのか。

 それにそもそも、『過去』を変えた所で、『この世界』が救われる保証など何処にも無いのだ。

「時を跳躍する」等と言う神の御業を、人が経験した事など有史以来未だ嘗て無くて。

 地続きである筈の『過去』を変えた時に、果たして『未来』が変わるのか。もし変わるのであれば「変わった」筈の……「無かった事」になった『未来』から来た、この私の存在がどうなるのか。その答えを人が知る由など無い。

 もし本当に『未来』が変わるのであれば、変わった後の「未来の私」が『過去』に跳躍せねばならぬ因果も変わる筈で。

 しかし「未来から来た私」と言う存在が与える変化が、『未来』を変える為に必要不可欠であるのならば、変わった後の「未来の私」にも、やはり時を越えなければならない何かしらの因果が発生するのであろうか? 

 それとも、私とは全く別の『私』が生まれ、そしてその『私』が新たなる『未来』を生きるのであろうか? 

 そんな事すら、私には分からなかった。

 神竜ナーガに問うても、その答えは返ってこない。

 ……元より無事に『過去』に辿り着けるかどうかすらも何の保証も出来ない……成功する可能性も低い方法だ。

 何処の時間にも辿り着けず、「未来」にも「過去」にも「現在」にも辿り着けずに、何処でもない「時間の狭間」を未来永劫に渡り彷徨い続ける事になるのかもしれないし。

 或いは辿り着かねばならぬ『過去』ではない、もっと遥かな「過去」か……又は「未来」に辿り着くかもしれない。

 分の悪い賭けどころではない。

 もうこれしか取れる手立てが無いのだとしても、……それでもその選択をして良いとは到底思えない、そんな選択だ。

 

 

 …………だけれども、もしも。 

 

 

 この『未来』を変える事で、父を、母を、『愛しい家族』を、そしてこの手から溢れ落ちてしまった沢山の大切な人達の命を、救う事が出来るのならば。

 そして、この世界がこんな『絶望の未来』で終わると言う「結末」を変えられるのならば……。

 

『喪った』それそのものを取り戻す事は、……決して出来ないのだとしても。

 私自身の手には、何一つとして残らないのだとしても。

 その代償として、この『私』が消えてしまうのだとしても。

 例え決して赦されぬ咎を背負うのだとしても。

 

 それでも。

 

 この命を、この存在を、その全てを。

 こんな絶望の中で無為に浪費するだけなのではなく。

「世界」の為に、使う事が出来るのならば。

 この身に、『何か』を変える力があると言うのなら。

 

 

 ……私は。私が、選ぶべき道は……──

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆



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『願う者』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「未来」は、今を生きる人々の選択の積み重ねの先にあるのだと……。初めから全て定められたものでは無いのだと……僕はそう信じている。

 だけれども、ある種の『運命』とでも言うべき……大きな大きな何かの『流れ』は、……時の『うねり』の様なものはあるのかもしれないとは……少しだけ思っていた。

 

 例えば、先のイーリスとペレジアとの戦争もその一つなのではないだろうか。

 あの戦争の原因は、間違いなくそれよりも更に前……クロム達の父親が聖王であった時に引き起こされた『聖戦』が原因であり。そして、イーリスがその軍備の殆どを放棄してしまった事にもある。

 それらの原因が存在する限り、クロムやエメリナ様が何れ程戦争回避に尽力していたとしても、規模の大小や時期は多少変わっっても、結局戦争は起きてしまっていただろう。

 だがその『聖戦』の根本的な原因には、イーリスとペレジアの……ナーガ教とギムレー教の長きに渡る確執がある。

 長い歴史の中で蓄積されてきたそれらは、両者を縛る目に見えぬ鎖であり、歴史の流れを左右する大きな『流れ』だ。

 ……そしてその大きな流れが引き起こす、変える事が難しい未来を、「結果」を。きっと人は『運命』だと言うのだろう。

 

 あの日、僕とクロム達が出逢った事も、そんな大きな「流れ」の一つだったのだろうか……。

 それとも、僕自身も最早覚えていない「僕」の選択の結果だったのだろうか。

 それは、「僕」にも、そして僕にも分からぬ事だけれど。

 ただ、あの日クロム達と出会えた事は、『運命』であろうとなかろうと、僕にとって掛替えのないものである事は確かだ。

 

 ……『運命』なんてものを漠然と考えてしまっているのには、先日新たに軍に加わった人物の事が大いに関係している。

 今もイーリス城で両親の帰りを待っているのであろう小さな乳飲み子……クロムの一人娘である「ルキナ」。

 その彼女と同じ名を名乗り、そして生まれたばかりの「ルキナ」と同じく偽装など到底不可能な左眼と言う場所に聖王の血筋を引く証である聖痕が刻まれた、その女性。

 クロムや僕よりは多少歳下であろうが既に成人は済ませているであろう彼女は、「未来」から時を越えて来た「ルキナ」その人であると言う。

 到底信じ難いその身の上であるが、彼女がこの世にただ一振りしか存在し得ない筈の……『炎の台座』と並んでイーリスの国威を象徴する至宝を携えていた事や、偽る事など出来ない筈の位置の聖痕や、こうしてその身の上を明かすまでにも幾度と無くクロムを助けていた事などから、それは確かなのだろうと、僕もそう思う事にした。

 

 ……尤も、他ならぬクロムがそれを信じたので、そもそも僕が信じる信じない以前の事であるのだけれども。

 元より僕にとっては万が一にも彼女の身の上が嘘であるのだとしてもそこはあまり問題ではない。

 問題なのは、「ルキナ」を名乗る彼女が如何なる事情があって、時を越えてまで彼女にとっての「過去」……僕達にとっての「今」にやって来たのかと言う事だった。

 

 彼女が時を越えた理由は唯一つ。

 

「未来」を。彼女が確かに生きていた筈の本来生きるべきその時間で起きた事を、変える為……「無かった事」にする事。

 それを唯一つの『使命』として、彼女は己の全てを賭けた。

 彼女にとっての「過去」、僕達にとっての「未来」を変える。

 ……それが意味するものを、そしてその咎を。

 ……きっと彼女は覚悟の上で、「ここ」へやって来た。

「過去」を変えた結果がどうなるのかなど、彼女を「過去」へと送ったナーガでも……そして万象を見通す神でもない僕にも、その全てを解する事など出来はしないが。それでも彼女が辿り得る道を幾つか考え付く程度の事ならば出来る。

 ただ、そのどれもが……彼女本人の明るい未来に繋がるとは決して思えないものばかりであった。

 ……どの様な「結末」に至るのだとしても。

 彼女が……イーリスに残してきた小さな「ルキナ」ではなく、「未来」を変える為に、世界を救う為に、全てを捨てる覚悟で今「ここ」にやって来た『ルキナ』その人が。

 ……彼女がそれを成し遂げる為に差し出したものと代償にせねばならないもの、それらに見合うだけの対価を手にする事は、……より正確に言えば彼女の『本当の願い』は……叶うのだろうかと、そう思ってしまう。

「世界を救う事」が自らの『使命』であり『責務』であり……そして『望み』なのだと、彼女はそう言った。

 成る程それは確かにそうであるのだろうし、その為に「過去」へとやって来たのも間違いは無いのであろう。

 ……しかし、それが彼女の『本当の願い』であると、その心の底にある「願い」であると言うべきなのかは、それはやはり違う気がする。

 ……彼女が、「父親」であるクロムを見ている時のあの目を……決してもう手に入らないと……もう取り戻せないのだと理解しながらも強く強く……希ってしまう、そんな余りにも強くそして苦しい渇望を滲ませた眼差しが、どうしても僕の脳裏から離れないのだ。

 

 ……僕には、『家族』と言うものが分からない、それを実感の伴うものとして感じる事は出来ない。

 だから、それを喪う苦しみと言うものは。……そして故に生まれる渇望も、僕には分からない。だけれども。

 

 彼女の……その身の上と、そして彼女の語ったその過酷な道程が確かであるならば。

 彼女は、余りにも多くのものをその「未来」で喪っていた。

 父を戦争の最中に喪い、母も……そして父の家臣達を始めとする大人たちを喪い、守るべき国も民も喪い……そして彼女自身の選択であるにせよ、彼女にとっての「故郷」を……彼女自身が依って立つべき「居場所」を喪った。

 喪ってばかり奪われてばかりの彼女のその手に残されたものは余りにも少なく。

 こうして「過去」へと渡ってきた時点で彼女が持っていたのは、その身体と父の遺品でもある神剣ファルシオンと……そして『思い出』だけであった。

 両親から生まれて最初に贈られる宝物とも言えるその名前ですら当初は隠す他に無くて……それは今もそう変わらない。

 

 ……彼女が過去にやって来たばかりの時の事を、あの日……記憶も何もかもを喪った僕がクロムに拾われてから直ぐの時の事を思い出す。

 初めて出逢った時の彼女は当然ながら今よりも年若くて。

 ……本来なら、親などと言った周りの大人達の庇護がもう少し必要であろう年頃の少女であった。

 

 しかしその時点で、彼女は既に絶望的な戦いの矢面に立ち人類存亡の可否の重責を背負い何年も戦い続けていたのだ。

 ……今もイーリス城で安らかに育まれているであろうあの幼子の……小さな「ルキナ」に待ち受けているのが、そんな絶望しかない様な未来しか無いなんて、考えるだけでも胸が締め付けられる程に苦しくなる。

 ……しかし、ルキナはその絶望を全て経験してきたのだ。

 そんな彼女が報われて欲しいと……せめてその『願い』が叶って欲しいと。そう思う事は、罪なのだろうか。

 況してや、彼女の未来がその様な事態に陥ってしまったのは、邪竜ギムレーが蘇ってしまったからだと言う事もあるが。  

 それ以上に「未来の僕達」が戦いに敗れたからである。

 もし「クロム」が命を落とさなければ、ギムレーが蘇ろうともルキナ一人に人々の「希望」が一身に背負わされる様な事も無かったであろう。

 そんな事態を引き起こしたのは紛れもなく「未来の僕」だ。

「クロム達」が敗れたのは「僕」の策の失敗の所為であり、「僕」には「クロム」を守る事が出来なかったと言う……、この世の何よりも重い罪がある。

 

 例え「クロム」達と運命を共にして、その戦いで命を落としたのだとしても、到底償う事も贖う事も出来ぬ事である。

「僕」は、ルキナから父親を……「クロム」を奪い、それと共に彼女にある筈だった未来を……希望を奪ってしまった。

 ……だからこそ、尚の事。

 僕は、ルキナのその『戦い』の結末が、せめて彼女自身の『幸い』に繋がっていて欲しいと……そう思ってしまう。

「過去」を変えて「未来」を救い、僕やクロム達の至る結末を変えた先で、ただ独り『この世に有り得べからざる者』として……まるで「世界」を救う為の人身御供となる様な。

 そんな結果では「報われない」と……そう思ってしまうのはある種の傲慢であるのだろうか。

 

 彼女の『幸い』を願うこの想いが、「僕」の罪に対する後ろめたさからくるものなのか、或いはまた別の「何か」に根差すものであるのかは分からないけれど。

 神か「何か」に祈りを捧げる様に。

 彼女の『幸せ』が叶う事を、……僕は願ってしまうのだ。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「過去」には、大きくは干渉しないつもりであった。

 それは勿論、干渉し過ぎた結果、予期出来ず回避出来ない新たな『絶望の未来』への分岐が現れてしまっても、ルキナでは対処し切れない……と言う事情もあったけれど。

 だがそれ以上に、「過去」の……記憶の中のまだ生きていた姿より若い『両親』に、関わり過ぎてしまう事を恐れていた。

 ……それは、本来この世界に存在しない筈の自分が『両親』に何か悪影響を及ぼしてしまうかもしれないと言う懸念でもあると同時に……、ルキナ自身が「錯覚」してしまう事を恐れていたからだった。

 

『彼等』は……ルキナの両親ではない。

 同じ名を持ち、同じ姿をしているのだとしても。

 記憶の中のその姿より幾分か若い『彼等』は、ルキナのよく知るその人達それその者では……ないのだ。

 何かの干渉が無いならば恐らくは、もうルキナの記憶の中にしか居ない彼等と同じ道を辿るのだろうとしても、だ。

 ……それを裏付ける様に、ルキナの干渉によるものなのか、この世界の『クロム達』と、ルキナの記憶の中の彼等とは既に大なり小なり歩んで来た道が、置かれている状況が違う。

 辿って来た過去が違うのならば、それがどれ程些細な変化であるのだとしても、『彼等』が本当の意味でルキナにとっての両親と同じになる事は無い。

 要は、限りなく何処までも似通った……しかし確実に両親ではない人達にしかならない。

 ……それは、痛い程分かっているのだけれども。

 それなのに。……それなのに。

 ふとした瞬間の仕草が、声音が……その抑揚が、『彼等』の何もかもが、記憶の中の両親の姿に重なってしまう。

 僅かに違うとは言え両親と『彼等』は「同じ」存在なのだと言えるのだから……それは当然の事なのだけれども。

 ああ……だけれども、いや……だからこそ、か。

 ふとした瞬間に、まるで……両親が今ここに生きている様な……目の前にいる『彼等』が両親その人であるかの様にすら、ルキナは感じてしまうのだ。

 当然それはただの錯覚で、ルキナの思い違い……或いは殺しきれない「願い」に焦がれて見た儚く虚しい幻でしかない。

 だからこそ、その錯覚はルキナを苛むのだ。

『彼等』と両親を同一視する事。

 それは、両親への背徳であり……『彼等』への裏切りであり、そして……。この世界の、正真正銘『彼等』の娘である『ルキナ』への不義であった。

 両親は……ルキナにとっての本当の『家族』は、もう皆死んだ、この世の何処にも居ない、もう二度と巡り逢えない。

 ……いや、それどころか、こうして「過去」に遡った時点で、両親達の存在は消し去られ、最早ルキナの記憶の中にしか存在し得ないのかもしれない。

 ……そうであるならばそれは、両親達を「二度」殺す事と同義であるのだろう。

 大好きで、大切で、今も尚強く焦がれている。

 だからこそ、それを理解しておきながらまるでその「面影」を『彼等』に重ねるかの様なその錯覚は、ルキナにとっては『彼等』を両親の代替品として扱っているも同然の行為であり、また……他ならぬ「死者」である両親の存在を否定しているにも等しかった。

 誰も、真の意味では他の誰かの「代替」にはなれない。

 それが、限りなく同一に近い他人であったとしても、だ。

 それを理解し、そして自覚しながらも、その「過ち」を犯すのは、ルキナにとっては余りにも罪が深い事だった。

 

 ……ルキナが『過去跳躍』と言うヒトが侵してはならぬ神の領域に手を出してまでここに来たのは、埋める事など永遠に叶わぬ傷を『代替品』で埋める為などでは断じて無い。

「世界を救う」、「未来を変える」……。

それこそがルキナの成すべき事、果たさねばならぬ『使命』だ。

 ……例えそれが、本質的な意味ではルキナが本当に救いたかった『絶望の未来』を救う事にはならないのだとしても。

 それが、本当に成すべきであった事──『「あの」絶望の未来』を救う事を成せなかった……それを諦めてしまった、失敗してしまった、……そんな敗北者の、ただの悪足掻きでしかなく、それですら自己満足にもならないのだとしても。

 ……そうやって足掻いた先に、「この世界」の『両親』にとっての未来に、あんな絶望以外の結末が生まれるのであれば。

 ……少しでも、ほんの一欠片でも、『意味』はあったのだと。

 ルキナがこうして「過去」へとやって来た『意味』は、あの『未来』を見捨ててしまった事への贖罪や代償にはならないのだとしても。

 ……それでも何かの『価値』はあるのかもしれない、と。

 ルキナは、そう思うのだ。

 だからこそ、『使命』が果たされたその先に、ルキナの『居場所』が……『帰るべき場所』は無くても。

 ルキナが抱え続けているこの『望郷』とも呼べるこの『願い』が叶う事は決して無いのだとしても。

 自分の何を差し出したとしても、ただ一つ残されたこの『使命』だけは果たさねば……と、そう心に刻んでいる。

 

 ……だからこそ、恐ろしいのだ。

 もし、「満たされてしまったら」……と。

 

 ルキナの両親はもう居ない、何処にも居ない。

 帰りたかった「あの頃」はもう何処にも無く……そしてそこに回帰する術もまた、何処にも無い。

 ……だからこそ、『両親』と共に過ごす時間は耐え難い程に『幸せ』なのだ。……それを「有り得ない事」と知りながら。

 叶わぬ筈の『願い』が……あの絶望だけが支配した世界での終わり無き戦いの中で縋る様に見ていた『夢』の続きが。

 ほんの少し手を伸ばせばそこに在る様にすら、思えて。

 更なる「過ち」を、紛れも無い「罪」を、そうと知りながら、犯してしまっても良いのではないかとすら……。

 求めていたモノが……如何なる絶望を乗り越えなくてはならないのだとしても、何を「対価」にする必要があるのだとしても、どうしても欲しかったものが、「今」そこにあるのだ。

 あの温かな手が、「ルキナ」と……そう自分を呼んでくれるあの優しい声が、「望み」さえすればきっと叶う程近くに……。

 それを欲しいと、叶えたいと。そう思う事を諦めてしまうのは、その心を完全に殺してしまうのは、とうに覚悟を決めているルキナですら……難しい事であった。

 きっと……両親と同じく優しい『彼等』は、ルキナがそう望めば……望んでしまえば、それを叶えてくれるのだろう。

 ルキナをもう一人の『彼等』の娘として……『家族』として、温かく迎え入れてくれるのだろう。

 きっとルキナの『居場所』に、『帰る場所』になってくれる。

 だがそれは……、……やはり望んではならない事、『叶ってはならない事』であるのだ。

 

 ルキナは「この世界」に……「この時間」に、本来は在ってはならないその身に『聖痕』を宿す者であった。

 聖王家の血に連なる事を示す『聖痕』は、ルキナの依って立つべきモノであり、そしてその身へ「世界救済」の『使命』を課す枷そのものでもある。

 誤魔化す事の難しい左眼に刻まれた『聖痕』は……この世界の「ルキナ」と過たず同じ場所に刻まれたそれは、この世界に何時か何らかの『禍』を齎してしまうかもしれない。

 悪意ある者に利用されれば、ルキナがそれを望まずとも。イーリスに……そしてこの世界に『禍』を齎してしまう。

 どうかすれば、この世界の「ルキナ」を、ルキナ自身が脅かしてしまう可能性だってあるのだろう。

 それだけは、決して在ってはならない。

 

 邪竜ギムレーの復活を阻止し、この世界をあの様な『絶望の未来』から救ったとしても、それでこの世界から全ての争いの火種が取り除かれるのかと言うと、そんな事は全く無い。

 ルキナの手の及ばぬ所に、この世界の至る所に、禍と争乱の種は眠っている。

 ……しかし、ルキナの存在如何に関わらず、この世に争いの火種が絶えないのだとしても、ルキナ自身がその火種になってはいけないのだ。

 ほんの僅かな、まるで微睡の中の平穏なのだとしても、ルキナはそれを守らなければならない、壊してはならない。

 ……だからこそ、ルキナは望んではいけないのだ。

 

 しかしそう理解していても尚、ほんの一言二言交わすだけでも、同じ戦場に立つだけでも。

 ルキナの心の中の「何か」が少しずつ満たされてしまう、そしてこの『望み』を叶えたいと、『両親』に縋り付きその『愛』を求めてしまいたいと、そんな思いが少しずつ強くなる。

 それが『願い』の代替に過ぎないと理解しながら……。

 

 それは、余りにも幼く、そして身勝手な「執着」であった。

 だからこそ、ルキナは「それ」が恐いのだ。

 

 何時か、何かを決定的に間違えてしまうのではないかと。

 そう、自分自身の弱さを知るが故に、その疑念を晴らせないからこそ。

 ルキナは、関わる事を、恐れていた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆



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『揺らぎ始める天秤』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 血反吐を吐き、幾千幾百もの屍を踏み越えて、人間として培ってきた道徳観や倫理観をドブに捨てる様にして『敵』として示された者を殺していく。

 戦争とは如何な綺麗事や大義名分を掲げようと詰まる所は殺し合いでしかなく、屍山血河を築く事は避けられない。

 誰よりも多くを殺した者が「英雄」となり、そして天運に恵まれて殺し合いを生き残った者だけが勝者となれる。

 

 国、民族、宗教……。

 何と何が争うにせよ、互いを噛み殺し合う狂乱の宴だ。

 先のぺレジアとの戦争も、そして此度のヴァルム帝国との戦争も……そんな「地獄」をこの世に作り出す所業である。

 殺し合いを好む者など、多くは無い筈なのに。

 それでも、個人と個人ではなく、集団と集団になれば、夥しい程の血を互いに流させるまで止まらない。

 必死に耕した田畑を軍靴が踏み潰し、ただ殺し合うと言う……そこだけを見れば何の生産性も無い行為の為に、莫大な物資と資金と数多の命が浪費されていく。

 そうやって数多の犠牲によって贖われた血塗れの「平和」ですら、決して永遠に維持する事は叶わない。

 

 この度の戦争に関してはイーリス自体に何らかの瑕疵があった訳ではないとは言え、先のぺレジアとの戦争からたったの二年程度しか「平和」は続かなかった。

 人の本質とは、「争う」事に在るのではないかとすら思えてしまう程、人の世の歴史に「戦争」は尽きないのである。

 

『敵』として定めて殺し合う相手とて、『家族』を持つ自分達と何も変わらない『人間』であり。

 心を鈍麻させて殺し合っていられるならともかく、一度それを認識してしまえば、時に笑い時に泣き傷付けば血を流す自分と同じ『人間』を殺すと言う事が出来なくなる者も多い。

 訓練された兵士であろうと何であろうと、ふとした切っ掛けで戦えなくなる事はある。

 ルフレは軍師として、そんな人間を数多く見てきた。

 狂っているのが彼等の方なのか、それとも相手を『人間』と理解しながら迷わず殺せてしまうルフレの方なのか。

 それに一々答えを出す必要は無いけれども。

 そうやって兵士として戦えなくなっていった者達は皆、『人間』としては「正しい」のであろうと、ルフレは思っている。

 

 

 戦いと戦いの間の僅かな休息の時間であっても、ルフレには決して暇な時間など無い。

 敵勢力を分析し戦場となる地形を見定め、策を練り。

 そうやって、少しでも味方の損耗を減らしながら勝利を手にする道を見出し示さねばならないのだ。

 だが、ずっと策を練り続けていては思考がどん詰まりに行き当たり、無為に空回りする事もある。

 そんな時ルフレは、気分転換代わりに、野営地の中を特に宛も無く歩き回る事にしていた。

 

 中程度の規模の局地戦を終えたばかりであるからか、野営地を行き交う兵士達は戦闘の疲労感に包まれながらも拭いきれない「殺意」の残り香の様な戦の熱気を纏っている。

 先の戦闘によるこちらの損害は、多少の負傷者こそ出たものの死者は無く、戦果も上々であった。

 

 イーリスから遠く離れたヴァルムの地であり、また相手がその勇壮さで知られる騎兵隊を抱えるヴァルム帝国であるだけに、兵達の士気を維持するのには中々苦慮しているが。

 ここの所の戦闘で大きな損害は被ってない事や、反ヴァルム勢力の協力で十分量の糧食を確保出来ている事などから、兵士達の士気をそれなり以上の状態に維持出来てはいる。

 更には、軍主でありイーリスにとっての旗頭である聖王代理たるクロムが直々に兵を率いているのも大きいだろう。

 中にはルフレの策があるからだとそう称賛してくる声もあるが、ルフレの策だけでは流石にどうしようもないもので、やはりクロムの存在が一番大きい。

 

 そう言えば、と。

 ルフレはここではない別の「未来」で起きた事を想い返す。

 ヴァルムとの戦争が始まるその最中にクロムが負傷し、その療養の為の時間が必要となり、それも原因の一つとなってヴァルムとの戦争が泥沼になった……と、ルキナは言った。

 確かに……もしクロムが負傷したとなれば軍全体に与える士気低下の影響は凄まじいものになるであろう。

 実際、今のこの軍の士気は、クロムが持つある種のカリスマ性に支えられている部分が大きいのだから。

 反ヴァルムとの折衝ですら、クロムが直々に赴く事でかなりイーリス側に有利に事が運べているのだから、クロムの不在の影響は並々ならぬものになるであろう。

 そう思えば、「今」の自分達はほとほと「幸運」に恵まれた。

 その経緯を想えば、「幸運」なんて言葉で片付けられないが。

 

 ここ最近はふとした瞬間に、ルフレは半ば無意識に、蒼い彼女を探してしまう。

 ある意味では遠い、「今」とは違う道を辿った『絶望の未来』から、この世界の「未来」を変える為にやって来た者。

 名を偽り、姿を偽り……決して歴史の表舞台に立てない事も覚悟の上で、余りにも重い『使命』を背負う少女。

 ……彼女がその覚悟を決めて……そして自分自身が本来在るべきであった全てを投げ捨て、救世の為の人柱になる事を選んだからこそ、こうして「今」がある。

 ルフレ達は、彼女の犠牲の上にある「今」を生きている。

 その覚悟に、その決断に、その選択に。

 どうすれば報いてやれるのか、その術をルフレは知らない。

 ……彼女が抱えた『使命』を想えば、この戦争の後に訪れると言う『絶望の未来』を……邪竜ギムレーの復活とクロムの死を阻止する事が、最大の対価になるのかもしれないが。

 しかし、そもそもその二つは「今」を生きるルフレとしても必ずや成し遂げなくてはならない事で……それを殊更に彼女が支払った犠牲への『対価』とするのは躊躇いがある。

 無論、その二つは何があろうとも成さねばならず、それ抜きで彼女に報いる事など到底出来はしないのだけれども……。

 

 悶々と悩みながら歩き回っていると、野営地の中心から離れた人気の無い場所に、探していたその後ろ姿を見付けた。

 その後ろ姿は、凛としている普段の姿から想像も出来ない程に儚く、目を離せば今にも消えてしまいそうにすら見える。

 

 ……ルキナは、この世界に『居場所』は無いとでも言うかの様に、この世界の者達とは深くは関わろうとしない。

 ……彼女にとっては『両親』であろうクロム達にすら、ルキナは一定以上に距離を縮めない様にしようとしている風に……ルフレには見て取れた。

 無論、あまり関りを持たぬ様にしているとは言え、指示した事には従うし、他者と協力する事に何の問題も無い。

『両親』達とだって普通に言葉を交わすし、全く関りが無いと言う訳では勿論無い。

 しかし、その心に壁を作るかの様に、何かの一線を引いているのは間違いが無いだろう。

 ……彼女が抱えた様々な『事情』を想えば、そうやって距離を置こうとするのも仕方が無い事なのかもしれないが。

 だが、世界に寄る辺が無い……『居場所』が無いと言うのは、酷く心細く寂しい事ではないだろうか。

 

 クロム達が居て、自分の成すべき事と居場所があるルフレですら時折、喪われた『記憶』の所為なのか、「本当にここに居ても良いのか」と不安に感じる事があるのだ。

 ルキナが実際にどう感じているのかは当人でもないルフレには分からないけれど……。

 だが、今にも儚く消えてしまいそうな……その存在を「この世界」に繋ぎ止める楔が無いかの様なその後ろ姿が、その答えなのではないかと……ルフレにはそう思える。

 

 ルフレは、少し悩んだがルキナに声を掛けた。

 別にそれは同情や哀れみなどでは無くて……寧ろそんな感情を向けるのは彼女に対する侮辱になる。

 ただ、ルキナから線を引いているのだとしても、その線の縁に立つ事ならば出来るのではないかと、そう思う。

 何故だとか、深い理由は多分無い。

 かつて自分がクロム達にして貰った事を今度は自分が彼女と返したかったのかもしれないし、はたまた同じ戦場に立つ戦友を心配しているからなのかもしれない。

 

 声を掛けられたルキナは振り返り……その手が僅かに震えていたのをルフレは見逃さなかった。

 そしてその瞳が、『命』を奪った事に対して恐怖を抱く兵士達と似た感情の色を僅かに浮かべていた事も。

 …………「不器用」なのだな、とルフレは率直に思った。

 

 よく考えるまでも無く、ルキナは『人間』を殺す事に……より正確に言えば『戦争』の殺し合いの場には慣れていない。

 彼女が「歴戦の戦士」である事には疑いが無く、彼女が駆け抜けてきた「戦場」の数はルフレ達の比ではないだろう。

 だが、『絶望の未来』と彼女が呼ぶそこでの『敵』は、邪竜ギムレーでありそしてその駒として人々を襲う屍兵であった。

 それは、意志を持つ『命』ある者同士が互いの人間性をかなぐり捨てるかの様に互いの血でその手を汚し合う、そんなこの世に在る『地獄』の一つとはまた別の『地獄』だ。

 どちらの『地獄』がマシであるのかなどその片方を知らぬルフレには判断出来ないし、その意義も薄いが。

 ルキナが『戦争』には慣れていない事は確かだ。

 

 そして、今のルキナには『戦争』で得た苦しみを癒す為の術も場所も無かった。

 多くの兵は、酒や賭け事などで互いに騒いでそれを発散させるし、『家族』が居るのならばそれを自身の拠り所に出来る。

 だが、彼女にはどちらもない。

 

『両親』であるクロム達ならば彼女の苦しみを癒せるのかもしれないが……却ってその傷を深める事になるのかもしれないし、第一ルキナ自身がそれを望みはしないであろう。

 何れ程傷付いても、苦しんでも、声を上げる事も無くルキナは独りこうしてそれを胸の底に沈めて耐えようとする。

 ……それは、『絶望の未来』では、彼女こそが人々の寄る辺であり『希望』であったからこそ……彼女自身には縋れる先と言うモノが無かったからなのかもしれないし。彼女にとっての本当の両親を喪ってからは、真に頼れる者が……彼女に救いの手を差し伸べる者が居なかったからなのかもしれない。

 こうして……彼女にとっては『本当』のそれではないにしろ『両親』がいるこの世界にやって来てすら尚、その苦しみをこうして一人抱えるしか無い程に身に沁みついているのか。

 

 ……何にせよその姿は余りにも「不器用」で、それでいて何故かルフレはその姿から……苦しみの色を湛えていても尚、決して褪せない意志の輝きが灯る瞳から、目が離せなかった。

 数多の絶望を、苦しみを、嘆きを、見届けて刻み付けてきたのだろうその眼は、そうやって磨かれ抜く中で眩いばかりの輝きを宿している様に、ルフレには見えた。

 皆を惹きつけ導くクロムの優しくも力強い太陽の輝きの様なそれとはまた違う……例えるならば星明りも月明かりも閉ざされた深い深い闇を照らす灯火の一条の光の様な、或いは闇夜を切り裂き永久に欠ける事の無い輝きで地上を照らす明星の光の様な……そんな『輝き』が、そこにある。

 

 だからこそ、と言う訳でも無いけれど。

 その『輝き』が曇らぬ様に、……そして「不器用」に苦しむその心が僅かばかりでも安息を得られる様に。

 ほんの少しばかり「お節介」を焼こうと、ルフレは決めた。

 

 それが、彼女の味わってきた苦しみや絶望の、そして抱えた『使命』への『対価』になるだなんて思わないけれど。

 それでもせめて、ほんの少しだけでも。

 

 この世界で得た『何か』が、彼女にとっての「救い」であって欲しいと……傲慢かもしれなくても、そう思うのだ。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 未来を変える、あの『絶望の未来』へと至る『運命』を変える、邪竜ギムレーの復活を阻止する……。

 それこそがルキナの『使命』であり……、この世界にルキナが存在するたった一つの理由だ。

 何を於いても、何を『対価』にしても、この手が『誰』の血で汚れるのであろうと……必ず成し遂げなくてはならない。

 だからこそ、ルキナはこの世界の人々から距離を置いた。

『使命』を果たす為に『誰』の命を絶たねばならないのだとしても、この手が躊躇う事の無い様に……。

 そして、この手がその『罪』に汚れた時に、殺さなくてはならなかった『誰か』を大切に想う人々からの怒りや憎しみをちゃんと受け止められる様に……。

 

 ルキナが『両親』達から距離を取っているのは、……「錯覚」する事が、『彼等』に懐いてはならない「執着」を懐いてしまう事が恐ろしいからでもあるけれども。

 

 しかしそれと同じ位に、……何時か『裏切者』を、あの『絶望の未来』へと至ったルキナにとっての父親であるクロムが、最も信頼していた相手を。

「その時」が来てしまう前に、……『クロム』がその命を卑劣な「裏切り」によって奪われてしまう前に。

 ……そして、それを止める事が叶わないのならば。

 ……ルキナは、その『裏切者』を殺さなければならない。

 

 だがしかし。

 その『裏切者』は、父であるクロムがそうであった様に、この世界でも『クロム』が最も信頼する者であるのだろう。

 ……そうであるならば、例えそれが『絶望の未来』を防ぐ為の行いであったとしても、それによって自身の命が救われる事になるのかもしれなくても。

 ……ルキナが、『クロム』から赦される事は無い。

 ……もし、その『裏切者』が、ルキナが目星を付けている相手であるのだとすれば、尚の事。

 そして……恐らくは、『クロム』だけからではなく、『彼』を慕う全ての人から、恨まれる事になるのだろう。

 ……彼等にとって、『裏切者』であるかどうかなど関係無く、『彼』は最早無くてはならない存在であるのだから。

 そこにどんな「大義」があっても、「正義」があっても。

 その者にとって大切な存在を……例えこの世の何者であってもその『代替』になどなれはしない唯一無二の存在を、奪われて良い理由になんてなれる筈も無かった。

 

 この世は残酷な程に理不尽で、誰かが大切な誰かを亡くす事自体は有り触れているけれど。

 それでも、それを唯々諾々と受け入れられる者などこの世に居はしないし、大切な存在を奪った『何か』を恨まずには……憎まずには、いられない。

 それは、ルキナ自身もそうであるからこそ、良く分かる。

 あの『絶望の未来』で、ルキナは両親を奪ったギムレーをこの世の何よりも憎み……そしてその憎しみの炎はきっとこの世からギムレーの存在そのものが完全に消え去るまで決して消える事は無く胸の内に在るのだろう。

 

 例えばもしも、父の非業の死が、母の無念の死が、その先の「輝かしい未来」にとって欠かせない……必要不可欠な「犠牲」であったのだとしても、ルキナはきっとそれを認められないであろうし、その「輝かしい未来」を憎悪し破壊しようとしていたのかもしれない。

 その「未来」で何万何億の人々が幸福に満たされるのだとしても……それでもやはりその理不尽を赦す事は無いと思う。

 ……仮にも為政者であるのだから表面上は何とか取り繕えたとしても、きっと心の奥底では両親の屍の上に築かれた「幸福」を憎悪し、そして笑い合う人々へと破滅的な願望を懐いてしまう事は想像に難くなかった。

 

 …………あくまでもそれはただの「仮定」で、両親達の死が誰かの「幸せ」に繋がるなんて事は無く、あの世界はただただ『絶望の未来』へと突き進んでいったのだけれども。

 しかしその「仮定」は、今まさにルキナが『クロム』達に対して行おうとしている事と何が違うのだろう。

『彼』の血に塗れた剣を手に、「これで世界は救われた」のだと……『クロム』達に言える筈なんて無い。

 例え、それが揺るがぬ事実であったとしても、だ。

 それがよく分かるからこそ……分かってしまう程度にはルキナの心が擦り切れ切ってはいないからこその葛藤であった。

 

 だが、それを分かっていても尚、成さねばならないのだ。

 自分の世界を見捨ててまでここに来てしまったルキナには、『使命』を果たす事は何に代えてでも成し遂げなくてはならない事であるのだから。

 例え、仮初であったのだとしても、こうして出逢えた『両親』から……『家族』から憎悪される事になるのだとしても。

 守ろうとした者達から刃を向けられる事になるとしても。

 …………そして、何よりも自分自身が『彼』を殺した自分を赦せずにその『罪』を暴き立て苛み続けるのだとしても。

 ……「それ」以外に、ルキナに選べる道など無いのだ。

 志半ばに倒れ死ぬか、或いはそれを成し遂げた先でこの世界の全てから憎悪されるか。

 その、どちらかしかない……。

 

 元より、ルキナは既に選んだ身だ。

 それをどうして今更、それは嫌だと投げ捨てられようか。

 そんな風に諦め投げ出す位ならば、最初から選ぶべきではなかった、選んではならなかったのだ。

 例えあの先に何の希望も可能性も無かろうとも、全てが平等に滅びた荒野だけが結末なのだとしても、最後まで……。 

 あの世界に生きる最後の一人になろうとも、「やり直し」を選ばずにあの世界に生きた一人の人間として死ぬべきだった。

『過去』を変えるだなんて事が、誰にとっても幸せになる道などでは無い事位、分かっていたであろうに。

 それを理解していたのに、選んだのは他ならぬルキナだ。

 

 ……いっそせめて、『彼』が『裏切者』と断じてルキナがその手を汚しても心が痛まない様な……そんな人であったら良かったのに……なんて何の逃避にもならぬ事を思ってしまう。

 そうであったとしても『彼』が『クロム』にとって大切な人である事には変わらないのだろうから、結局ルキナの苦しみが消える事など無いのだけれども。

 ……それでも、優しく誠実で……切り捨てて良い人間などでは断じてない……。ルキナにとってすらこの世の誰にも『代替』など出来ない『彼』を、この手で殺さなくてはならないよりは……と、そう考えたくなる。

 

 ……ルキナには、何故『彼』が『クロム』を裏切る事になるのか分からない、理解出来ない。

 ほんの少しのボロも見逃さない様に、疑り深く観察し続けていたルキナの目にすらも、『彼』と『クロム』の間には確かな絆があって……それを「偽り」とはとても思えなくて。

 ルキナの知る父と彼が、この世界の二人と全く同じなのかは分からないが……少なくとも「最も信頼していた相手」である事だけは確かなのだろう……。

 

 ……あの『絶望の未来』で、父が誰に殺されたのかは、事情を知っている筈の誰もが頑として口を割らなかった。

「最も信頼していた相手」と言う情報ですら、偶然零れ出た言葉を拾い聞いて知ったのだ。

 ……今となっては、あの時誰もルキナにその名を教えてくれなかった大人たちの気持ちが痛い程に分かってしまう。

 ……彼らは、……信じたくなかったのだ。

 彼等にとっても良き友であり幾度も共に戦場を駆け抜けてきた戦友の事を……父の『半身』であった彼の、凶行を。

 何かどうにもならない事情があると思ったのかもしれないし、或いはその裏切りを認めたくなかったのかもしれない。

 何にせよ、彼らは彼の裏切りを……認めたくなかったのだ。

 

 ……結局、こうしてそれを回避する為にここに来たルキナにすら、父の死に関しては殆どが分からず仕舞いであった。

 その裏切りを止められるならば……その何かし方の原因を「その時」までに取り除けるのならば、それで済む事であり、ルキナも心からそれを望んではいるけれども。

 何一つとして、まだ手掛かりすら掴めていない。

 

 刻一刻と「その時」が近付いてきている筈なのに、少しずつ全てがもう取り返しが付かない事態になっていこうとしているかもしれないのに。

 それでも何も分からないルキナには、選べる道はもう一つしかない様に思えてしまっている。

 

 だが、……それだけは何としてでも避けたいのだ。

「その時」になり最早それ以外の手段が無くなるまでは。

 無駄かもしれなくても、無意味であるのかもしれなくても。

 何もせずに諦めて、そして楽な方へと逃げるかの様に『彼』を殺してしまう位ならば……、苦しみ悩んで足掻く様に他の道を探し続ける方が、余程マシである。

 

『使命』を捨てる事は何があっても出来ないルキナにとって、精一杯の悪足掻きがそれであった。

 

 

 

 

 

 

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『萌芽する想い』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 意識してルキナと交流を持つ様にしてから、随分と自分の中の彼女に対する見方は変わった様に思える。

 最初の方は、余り関わらない様にしている筈なのに積極的に自分に関わりに来るルフレに、ルキナは色々と戸惑い……そして何処かそれを尻込みしている様に見えたけれど。

 ルフレの方に諦めたり距離を置く気が無いと見ると、ルフレを拒む事を諦めたのか、それを受け入れる様になった。

 そして、次第にポツポツとではあっても、普段の半ば事務的なやり取りや或いは『使命』にただ殉じるかの様な会話だけでなく、彼女自身の事を話してくれる様になっていった。

 彼女が本来在るべきであった「未来」での事、そしてこの世界にやって来てからの事。

 彼女がその心に押し込め沈め……そして殺してきたモノのその片鱗も、その言葉の端にその表情の陰に、僅かにであっても現れる様になっていた。

 ……もしかしたらそれは、ルフレが彼女をより深く理解出来る様になったからこそ分かるものかもしれないけれど。

 何にせよ、言葉を交わし、共に同じ時を過ごしていけば……そしてそこに相手を気遣い想いやろうとする心が在れば、その間にあった距離と言うものは縮まっていくものだ。

 ルフレの自惚れで無いのなら、ルフレがそうである様に、ルキナもまたルフレに対して心を開いてきている様に見える。

 頑ななまでにこの世界の人々とは距離を置こうとしていたルキナが、ルフレの方から距離を詰めていったとは言え、そうして少しずつでも打ち解ける様になってくれたのは。この世界には本当の意味でルキナが頼る事の出来る者が……その『弱さ』を隠さずにいられる者が居ない事で、その心が少しずつでも疲弊してしまっていたからなのかもしれないし。

 或いは『使命』を果たす為には、クロムの傍に居るルフレの事もよく知っておくべきだと思ったからなのかもしれない。

 

 ルキナの思惑がどうであるのかはルフレには分からないけれども、そうして自分と共に過ごす時間が少しでもその肩に背負う『使命』の重さから僅かにでも解放される様な、小さな小さな安らぎを感じられる時間であれば、と……そう思う。

 

 思えば、随分とルフレはルキナに心を砕いているのだろう。

 元々、新たに加わった仲間が軍に馴染むまではあれこれと気を回す事も多く、そうでなくとも仲間たちの悩み事や相談事などには積極的に力を貸しているのだけれども。

 それを鑑みてもルキナへの「お節介」は、常のルフレのそれと比較してもやや過剰とも言えるものであった。

 尤も、それにはルキナには複雑な事情があったからと言うのも大いに関係しているのだろうけれども。

 気付けば、多くの時間をルキナと過ごしているのだ。

 空き時間だけに留まらず、軍備の点検の時やちょっとした物資調達の折などの他に、もう幾度も戦場で共に戦っている。

 ここ最近は傍にルキナが居なかった時間を数えた方が早い。

 それは、直ぐに「独り」になろうとしてしまうルキナへの「お節介」であり、何か疚しい他意などは無いのだけれども。

 しかし、「お節介」のつもりであった筈なのに、そうやって共に過ごすその時間を楽しみに感じている自分が居た。

 別に何か特別な事をする訳でもないし、物凄く会話が弾んだりする訳でも無く、冗談を言ったりして場を賑やかにする才能はお互いにそうある訳でもない。

 ただただ、同じ場所に居て、同じ時間を過ごして、そしてポツポツと言葉を交わす。

 ただそれだけなのだけれど、それがどうしてだかルフレにとっては酷く心地良い時間になっていた。

 

 同じ景色を見ていてもルフレとルキナでは見ている場所や物が異なっていて、それがふとした拍子に互いに通じ合い理解し合える瞬間が、どうしてだかこの胸の奥で何かを動かす。

 ルフレにとっては何て事の無い当たり前の様にそこにあるものを、酷く儚く壊れ易い尊い物を見る眼差しで見ている事に気付いた時、何故だか胸が騒めく。

 ほんの細やかな気遣いに、その「何か」を何時も張り詰めた様なその表情が僅かに和らぐのを見る度に、どうしてだか狼狽える様に思考が落ち着かなくなる。

 そして……共に過ごす中でふとした時に、ルフレには量れない「何か」によってその眼差しに陰りが見えると、どうしようもなく胸が苦しくなる。

 その理由を、説明出来る言葉を、ルフレは持っていない。

 だが、理解出来ないままに、その未知なる「何か」は日々降り積もる様に重なり増えていく。

 空だった器は、「何か」によってとうに満たされ、そして今となっては今にも溢れんばかりであった。

 クロム達に感じているものとは違う、今まで出会ってきた他の誰にも感じた事の無かったその未だ正体不明の「何か」に、思わず戸惑ってしまいそうになるけれど。

 自分にとって大切なものであるのだと言う直感はあって、ルフレはその「何か」の正体を知りたいと考え続けていた。

 

 

 

 戦争の真っただ中であるとは言え、人々の営みは変わらずにそこにあり、自然が織り成す季節の巡りが変わる事は無い。

 ヴァルム帝国へ向けての進軍の途中物資の補給の為に付近に逗留し立ち寄った街も、兵士たちの何処か物々しい雰囲気を遠巻きに見つつも普段と殆ど変わらない生活を営んでいた。

 ヴァルム帝国軍の支配域からはまだ遠く、イーリス軍とそれに助勢している南部諸国連合側の勢力圏内であるとは言え、その雰囲気は何処か牧歌的であるとすら言える。

 

 季節の巡りとしては春も半ばを過ぎた頃合いで、畑では秋頃に蒔かれたのであろう小麦のまだ未熟な穂が風に揺れて、二月程度の内に収穫の時期を迎える事を知らせていた。

 野には様々な野花が入り乱れる様に咲き乱れ、人の手が入っている花畑では同種毎に整然と見事な色取り取りの花の絨毯を成し、その上を蝶や蜂などの虫が忙しく飛び回っている。

 

 

「これは……見事に綺麗に咲いているね」

 

 

 花々の良し悪しなどはあまり詳しくは無いルフレではあるけれど、綺麗に咲いたそれらを見て和む程度には情緒がある。

 だから、物資調達の為にルキナと共に街に出て、その帰り際に通り掛かったその花畑の見事さに、思わず足を止めた。

 イーリスとヴァルムでは国も大陸も違うが、そこに咲く花の美しさと言うモノは変わらない。

 と言うよりも、花畑の中には見慣れない花もあるが、その大半はイーリスでも見掛けた事がある様な気がする。

 大陸を越えて広く栽培される種なのか、或いはイーリスで栽培されていた花の近縁の種なのだろうか。

 どの様な花により美しさを見出すのかは国や文化によって異なれど、どの様なものを「美しい」と感じるのかと言う「感性」の部分は、国が違えどもそう変わらないのだろう。

 

 

「あ、ごめんね。急に立ち止まってしまって……」

 

 

 ふと、ルキナに何も声を掛けずに立ち止まってしまった事に思い至り、慌ててルキナへと振り返ると。

 

 ルキナは……。

 今にも泣きそうな顔で、眼前に広がる花畑を見ていた。

 今にも泣きそうで……苦しそうなのに、その眼に浮かぶのは涙ではなく、深い後悔に似た痛みで……。

 爪が食い込みそうな程その手はきつく握り締められている。

 

 花畑を見てどうしてその様な顔をするのか皆目見当もつかず、掛ける言葉を喪ってルフレは狼狽えるしかなかった。

 

 

「ルキナ……? あの、大丈夫かい……?」

 

「あ……すみません……。

 少し……『未来』の事を、思い出していたんです」

 

 

 そう言って、ルキナはその目に静かな哀しみを浮かべる。

『未来』……。

 ルキナがそう指すのは、未だ来たらざるルフレ達に待つそれではなくて、彼女が一度経験してきた……彼女にとっての『過去』であり、そしてルフレ達とはまた少し異なる『ルフレ達』に訪れた『未来』の事である。

 二度の戦乱に世界が疲弊しきったその最中に、遥か昔に討たれた筈の邪竜ギムレーが蘇り、そして『クロム達』はその命を落とし……ギムレーによって世界が絶望と怨嗟の中に滅びたその『未来』に、ルキナは生きていた。

 その『未来』でギムレーに抗う手を喪い、だからこそ。

その根本の問題を……「邪竜ギムレーの復活」を阻止し、その事実を「無かった事」にする為に、ルキナはこうして「この世界」に神竜の力を以て時を跳躍して来たのだけれども。

 ……今のルキナが生きているのが「この世界」であるのは間違いない事ではあっても。

 彼女にとっての生きるべき世界とは今も変わらず『絶望の未来』であり、その世界を離れても尚、その心は今も「そこ」に囚われ続けているのだろう……。

 それを間違っているだのおかしいだのと糾弾する事などルフレには出来ないし、そもそも咎める事でもない。

 ルキナにとって動かし難い『事実』として、ルフレも……そしてクロム達も。

「この世界」に生きるその全てが、……理屈の上ではどうであれ、彼女にとっては『本物』ではないのだろうから。

 同じ姿でも、同じ声でも、そしてその心や魂が違いなど見付けられない程に限りなく同じであっても。

 ルフレ達は、ルキナにとっての『本物』にはなれない。

 彼女にとっての『本物』は、決して取り戻す事も巡り逢う事も叶わない……時の波に消えた『彼等』だけなのだから。

 

 ……でもそれは、ルフレにも同じ事が言えるのであろう。

 ルキナが『クロム』の娘である事は頭では理解していても、ルフレにとってクロムの娘と言われて一番に頭に思い浮かぶのは……今もイーリスの城で父母の帰りを待っている幼子だ。

 理解していても埋められない「隔たり」が、そこにある。

 ……それをルキナが咎める事は無いけれど……クロムやルフレ達があの幼子の事を想う度に、その心の柔らかな場所に小さな小さな傷が走っているのかもしれない。

 そうやって傷付くその心を癒す術を、ルフレは知らない。

 寧ろ、ルフレの存在が彼女を傷付けているのかもしれない。

 それでも、その心の傷を見ない振りは出来なくて。

 どうにもならない儘ならなさを抱えてしまう。

『絶望の未来』に置き去りにしてしまった心の欠片をここに攫ってきてしまえるなら、もう傷付かずに済むのだろうか。

 例え神であっても出来はしない事を、ふと考えてしまう。

 その傷の痛みがルキナにとって厭わしいものであるのかどうかも分からないままで、そんな事を考えてしまうのは酷く傲慢な事であるのかもしれないけれども……。

 

 

「あの『未来』では……」

 

 

 その場に訪れた沈黙を破るかの様に、ルキナは小さく零す。

 その胸に秘められていた想いを……『絶望の未来』で抱えたその傷痕を、垣間見せて貰えるのは初めてではないけれど。

 そうやってルキナの心の柔らかな場所に触れるのは、ルフレであっても何時だって少し緊張してしまう。

 目に見えぬ心の傷口は、もう痕になっているのかそれとも今も尚血を流し続けているのかを確かめる術はないからだ。

 そんなルフレの想いを知ってか知らずしてか、訥々とルキナは言葉を重ねていく。

 

 

「空は何時も厚い雲に覆われ……不気味な茜色と星明り一つ無い夜の暗黒しか無くて……。

 ほんの僅か地上に届いた陽射しで、痩せた土地で今にも枯れそうな作物を育てるだけで精一杯で……。

 木々の多くは立ち枯れ、そして花々は芽吹く事すら無く、枯れ落ちるか戦火に消えて……。

 こんな……こんなに咲き誇る花々なんて……もう誰の夢の中からも消えてしまっていたんです……」

 

 

 僅かに伏せたその眼に映っているのは、目の前の花畑なのか……それとも『絶望の未来』の滅び果てた大地なのか……。

 それは分からないけれど。

 ……こうして訥々と語るその言葉の静けさとは裏腹に、そこに血を吐く様な激しい感情の……その残り香を感じるのは、きっとルフレの気の所為ではないのであろう。

 

 

「この世界には……まだ全てが残っている……。

 花も、大地に生きる小さな命たちも……人々の営みも……。

 だからこそ、守らないといけないんです……。

『今度こそ』、……あんな『未来』にしてはいけない……」

 

 

 決意を新たにするその言葉には、ルキナ本人ですら気付いているのかは分からない苦さが微かに滲んでいた。

 ……そう、「この世界」には、『チャンス』がある……。

「この世界」には、ギムレーの復活を阻止し、破滅的な未来を回避出来る『可能性』が残されている。

 ……他でもない、ルキナの『献身』によって……。

 だからこそ、そこには一抹の遣る瀬無さが残るのであろう。

 ……どうして、あの『絶望の未来』にはその『可能性』が残されていなかったのか……或いはその『可能性』を掴み取れなかったのか……、と。

『絶望の未来』と言う、その破滅が存在したからこそ……そしてそれを経験したルキナが「この世界」に跳躍してきたからこその『可能性』であるのだけれども。

 それをルキナ自身栓無い事と分かっていても、「救われなかった世界」が自身にとっての『本当』の世界であるのだから、その苦しみが晴れる事は無いのかもしれない……。

 ……一体どうすれば、彼女の苦しみを和らげてあげられるのだろう、その痛みを癒してあげられるのだろう。

 それは、「この世界」の……彼女の『献身』を前提にしてより良い未来を掴もうとしているルフレ達には成し得ず。

 もう最早戻る事も変える事も叶わない『未来』でとうに喪った者達にしか叶えられない事なのかも知れないけれども。

 ……しかしどうしてかルフレは、他ならぬ自分の手で……それを成したいと、そう思ってしまっている。

 ルフレは彼女の『本物』にはなれないと分かっているのに。

 それでも、自分を……今ここに、「この世界」の存在であるのだとしても今ルキナの目の前に居るこの自分を、誰にも代替出来ない唯一人であるのだと、彼女に思って欲しかった。

 そして、ルキナの『特別』で在りたいと、そう……。

 

 ふと、そこでルフレは自身の気持ちに戸惑った。

『特別』で在りたい……? 何故その様に思うのだろう。

 ルキナの心の傷の事を、そしてそれを癒す術を、と考えていた筈であって、彼女にとってルフレがどうであるかなどその事には関係無い筈であろうに。

 だが……。自分ではない『自分』が、彼女にとっての『本物』であろう『絶望の未来』で果てた『ルフレ』が……。

 もし、自身では成し得ないそれを……ルキナのその痛みを和らげているその光景を想像すると、何故か胸が騒めいた。

 胸の奥を焼き焦がす様なそれを、ルフレは初めて知る。

 もし『ルフレ』がこの場に居ても、そこにある感情がルフレが今抱えているそれと同じである筈など有り得ないだろう。

 その思考にすらも、引っ掛かりを覚えてルフレは自問する。

 同じ? 「同じ」とは何だ、一体自分はルキナに対し「何」を抱えていると言うのか、その正体は何なのか……。

 未だその名すらも知らぬ感情である得体の知れぬ「何か」は、とうにルフレの心から溢れ出していた。

 それが「何」であるのか知るべき時が来たのだと、その想いはそうルフレに囁いてくる。

 痛い程に熱く胸を焦がすその想いに突き動かされる様に、ルフレはルキナを見詰めた。

 心の傷口に触れた痛みからか『未来』の苦しみをそこに滲ませた……だがその痛みを抱えて尚前へと足掻き続ける不屈とも呼べる意志の……その眼差しの『美しさ』がそこに在る。

 そして、その『美しさ』の化身の様な眼差しが、ルフレを……他でもない目の前に居る自分を、見詰め返してきた。

 それを意識した途端激しい情動が駆け巡り心を痺れさせる。

 そして漸くルフレはその『想い』に相応しい名に辿り着く。

 あぁ……、きっとこれを、この様な『想い』を。

 人は『恋』、と。そう呼ぶのだろう。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 いっそ、その『優しさ』を拒絶する事が出来るのならば、楽になれるのかもしれない。

 だがそれは、まるで甘やかな猛毒の様にルキナの判断を鈍らせて、気付けばもう手遅れな程にその心に入り込んでいた。

 そこにあるのは紛れも無く『善意』で、その『優しさ』はルキナの為だけに向けられたもので、そしてそれは……きっとルキナが心から求めていた……だが決して彼からだけは得てはいけないものであったのだろう。

 その『優しさ』に触れる度に、その温かな心に触れる度に。

 あの『絶望の未来』で傷付き果て今も癒す事の叶わない心が、そしてそこに穿たれた虚ろな穴が僅かに癒されてしまう。

 だがそれは同時に、息が苦しくなるまでの罪悪感と後悔に襲われる事をも意味していた。

 

 ……ルフレは、「この世界」の『彼』は。

『クロム』の命を奪う『裏切者』であり、そして「その時」が来たならば殺してでも止めなくてはならない相手だ。

 ……何があっても、どんな理由があっても、「この世界」で一番心を預けてはならない相手であるのに。

 ……それを分かっていた筈なのに、『彼』の『優しさ』を拒み切れず、……そしてその『優しさ』を手離す事も出来ないのは、自分の心が弱いからなのだろうか。

 ルフレに非は何も無く責められるべきはルキナただ一人だ。

 ……喪う苦しみにはもう慣れ切っている筈なのに、何時しかそれでもその『優しさ』を……『彼』を喪う事を耐え難いと想う様になっていて。

『彼』を殺さなくてはならない「可能性」から、必死に目を塞いでそれから逃げ出してしまいたくなる。

 だがそれは赦されない、赦してはならない。

 自らの成すべき事から目を反らす事は、そしてそこから逃げ出す事は、ルキナには赦されないのだ。

 果たさなければならない『使命』の為に、守らなければならない『世界』の為に……もう立ち止まる事は出来ない。

 

 今この瞬間にも少しずつ「その時」は近付いてきている。

 誰も、動き続ける時の針を止める事は出来ないのだ。

 ……時を超える力を持つ神竜であっても、それは叶わない。

 ……「この世界」には、後何れ程の時間が残されているのだろうか……。

 それすら、誰にも分からない……未来を知るルキナにも。

 ルキナの知る未来で「その時」が訪れたのは、ヴァルムとの戦争が終わってからの事であったけれど……この世界の状況はルキナの知る未来と似ている様でその細部はルキナの干渉によるものかどうかはともかく違ってきている。

 小さな小さな波紋が思いもよらぬ結果へと結びつく事がある様に、何かの歯車があの未来と掛け違った結果、「その時」が訪れるのが遥かに早くなってしまう可能性だってある。

「その時」がまだ遠い先になるのか、或いは明日か。

「この世界」の平穏は、まさに薄氷の上にある。

 ……こうして戦争が起きている今を「平穏」と評するのは少し違う気もするが、あの未来に比べれば間違いなくそうだ。

 恐るべき「滅び」と「絶望」が刻一刻と近付いてきている事を、「この世界」の人々の殆どが知らない。

 知らないからこそ、人と人同士で争っていられるのだろう。

 ルキナがその事実を伝えた『クロム』達ですら……果たして何処までそれを本気で信じてくれているのか、その心を覗く事など出来ぬルキナには分からない。

 あの未来の事を言葉だけで分かって貰えるとは、そこで実際に生きていたルキナには到底思えなかった。

 そもそも、未来から来ただなんて戯言の様にしか思えないだろうその事実を認めて受け入れて貰えただけで十分以上であり、そして『絶望の未来』を回避する為に力を貸して貰えるだけでそれ以上を望むべきでは無いのだろうけれど。

 だが、どうしても。

 あんな『絶望の未来』にしてはいけない、「この世界」を救わなければならないと、焦りと恐怖に苛まれるルキナと。

 訪れる「かもしれない」破滅を回避しなくてはと考えるしかない『クロム』達とでは、やはり意識にズレがある。

 それが、何時か恐ろしい破滅へと結び付くのではないかと、そうルキナは考えてしまうのだ。

 ……だからこそ、せめて自分だけは。自分だけでも、「その時」を阻止する為に、如何に小さな「可能性」であってもそこに繋がるのであれば取り除かなければならないのに。

 

 ……だが、肝心のそれを果たして成せるのか、分からない。

 必要な時に、成さねばならぬ時に、それを躊躇ってしまうのではないかと、そしてその所為で……何もかもを喪って。

 そして、「二度目」の『絶望の未来』をこの目で見届けなくてはならないのではないかと……その「可能性」が恐ろしい。

 きっと……いや確実に、「二度目」は、耐えられないから。

 

 だけれども……『絶望の未来』を何よりも恐れていて尚、その為に『彼』を殺す事を、……『彼』を喪う事を、今のルキナはそれと等しい程に恐れてしまっているのだ。

『彼』と……ルフレと深く関わらなければ、こんな想いを懐く事も無く、『使命』を遂行出来ていた筈なのに。

 何があろうとも、「この世界」で最も心を赦してはならない相手であると、知っていたのに。

 なのに……それを分かっていてすら……ルキナはルフレと関わる事を拒めなかった。

 確かに、ルフレが『クロム』の最も近しい「半身」である以上は全くの無関係であり続ける事は不可能ではあるけれど。

 だが、それならそれで、もっとやりようはあった筈なのだ。

 ルフレの方から差し伸べられたその手を振り払う事だって出来た筈であるし、ルキナがそれを拒んだからと言って『使命』を果たす事に大きな支障が生じる事も無かったであろう。

 しかし……ルキナは拒めず、その手を取ってしまった。

 何時か必ずそれを後悔する事になると、余計な苦しみを背負う事になると、痛い程に分かっていたのに。

 愚かな事だと、分かっていても。

 それは自分には間違っている事なのだと、分かっていても。

 ……その全てから目を反らす様に、そこにある事実から目を塞ぐ様に……ルキナはその手を取ってしまった、心を殺す猛毒の如きその『優しさ』を受け入れてしまった。

 愚かだ、余りにも愚かだ。

 そうしてまでほんの一時の温もりに浸っていた所で、ルキナが成さねばならぬ事も……そしてこのままでは『絶望の未来』が訪れると言う現実が変わる訳でも無いのに。

 その代償の様に、苦しみ悶え自身を苛み続けているのに。

 だが、こんな地獄の責め苦を無限に味わい続けている様な今ですら、もう彼のその手を振り払えない。

 この心に僅かに差し込んだその『優しさ』がくれた安らぎが、この苦しみと絶望の絶対値に釣り合うとは思えないのに。

 それでも、それを手離せない。

 きっと、地獄に落ちるその瞬間ですら……そしてそこで彷徨う亡者の様に成り果ててすら、それに縋り続けるだろう。

 余りにも愚かだと、思わず自嘲してしまいたくなる。

 だが、ルキナにとって一番耐え難く嫌悪の感情を抱くのは、自身のそんな「愚かしさ」についてではない。

 ……そこまでしてその『優しさ』に縋っていても尚、『使命』とそれとを秤に掛けた時に、僅かにであっても『使命』の方へとその天秤が傾く事、それを選ぶ自身の在り方全てだ。

 その『優しさ』を選んだのなら、その手を取ったのならば、その「選択」に責任を持ち最後まで貫き通すべきである。

『使命』の重みを振り払ってまで、その『優しさ』を受け入れる事を選んだのに……そこに在るまやかしの『居場所』に安らぎを得る事を望んでしまったのに。

 それでいて最後はそれを切り捨てる。

 ……「嫌だ」と泣き叫ぼうとも耐えられないと逡巡しても。

 ルフレのその胸に剣を突き立ててしまうのであろう。

 それこそが、ルキナの『成すべき事』であるのだから。

 これ程苦しみ悩み自分を苛んだのだ、だからそれを選ぶ事を「赦して下さい」と、厚顔無恥にも乞うかの様に。

 何と卑怯で狡猾で……愚かだ。

 

『使命』の問題などでは無く、そもそもの話、本当はルキナには『彼』の手を取る資格など最初から無かったのだ。

 あの『絶望の未来』での彼の裏切りの事情など知らぬまま、「この世界」の『彼』の命を『使命』の為に捧げようとしていた時点で……そしてそれを成してしまう時点で。

 ルキナの苦悩など罪業の意識など、そんなものが『彼』にとって一体何になると言うのだ。

 所詮それらはルキナの自己満足、自己憐憫でしかない。

「この世界」で懸命に生きる命を、一つの人生を。

『彼』自身には甚だ理不尽であるかもしれない理由で奪うその事への何の償いにもなりはしないし、思ってもならない。

 それだけは、ルキナのなけなしの矜持が赦さない。

 だが、時を巻き戻す事など叶わず、ルキナがルフレの手を取ってしまった事を『選ばなかった事』にする事は叶わない。

 そして、こんなにも矛盾だらけで二律背反を犯している様にしか思えない状態に在っても、ルフレの傍を離れられない。

 その理由も、もうルキナは分かってしまっていた。

 

 ……何故ならば、ルキナは確かに「救われて」いたのだ。

『彼』の優しさに、その小さな気遣いに。

 胸に穿たれた見えない穴から少しずつ何かが零れ落ちていきそうであったのを、『彼』が止めてくれた。

 ただ傍に居るだけであった時間も、ほんの少しだけ吐露した心中を何も言わずに静かに聞いてくれた事も、僅かにその指先に触れるだけでも。

 そんな細やかな……ルキナにとっては掛け替えの無い出来事の全てが、ルキナの苦しみを一時でも癒していたのだ。

「この世界」に居場所なんて在る筈も無い自分でも、彼の傍で過ごすほんの一時であるならば、「この世界」で生きられる様な……そんな錯覚すら懐いてしまう程に。

 ルフレと過ごす時間が、大切であったのだ。

 そこにあった温かなそれを、人はきっと『幸せ』と呼ぶ。

 それを感じる事が罪深くとも、感じてしまったそれを否定する事は、ルキナには出来ないのだ。

 

 

 そう自分は、……ルフレの事を、きっと──

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆



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『何時か喪う定めでも』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 自分の『想い』を自覚したが、しかしだからと言って「何か」が大きく変わったと言う訳でも無い。

 変わらずに共に時を過ごし、そして語り合う。

 だが、そこにある「意識」と言うモノはやはり変わった。

 まるで、ルフレにとっての世界を彩る「色」が一つ増えたかの様に、ルキナと過ごす時間の全てが、そして彼女の存在の全てが、色鮮やかに映るのだ。

 一瞬一瞬が、痛い程に鮮やかにこの胸に刻まれていく。

 クロム達と積み重ねてきた宝物の様な思い出とはまた違う、温かく輝く様なそれが、どうしようもなく愛おしい。

 

 その眼差しに、痺れる様に見惚れている。

 その一言、その言の葉の全てをこの胸に抱きしめていたい。

 守りたい、その心からの笑顔を見たい。

 彼女が望む全てを、叶えてあげたい。

 自分が出来る全てで、ルキナを『幸せ』にしたい。

 

 自覚した途端に、『想い』は後から後から溢れ続ける。

 クロム達への、愛しい仲間達への『想い』は、ずっと前からあったしそれもまた何よりも大切なものではあるけれど。

 ルキナへの『想い』は、それを凌駕する程の「熱」を帯びて、ルフレの心を燃やす様に駆り立てる。

「誰か愛する人を見付け、その人と愛を育むと良い」と、クロムに以前から事ある毎に口が酸っぱくなる程に言われてきたが、その時にはその意味がよく分かっていなかった。

 愛する仲間達が居て、唯一無二の終生の友とも呼べる「半身」たるクロムが居て……それで十分じゃないか、と。

 そう心から思っていたし、彼等が愛する人と『愛』を育んでいるその姿を見守るだけで自分は幸せだと思っていた。

 でも、こうしてルキナへの特別な『想い』を知った今となっては、クロムの言葉は正しかったのだと、そう思える。

 ……尤も、現状ではこの『想い』はただの一方通行のものであり、ただルフレの胸の内で渦巻き深まるだけのものだ。

 

『想い』を伝えたいと、そう思う気持ちは間違いなく在る。

 自覚したその瞬間に衝動的に言葉にしそうになった程だ。

 

 例えルキナから気持ちが返ってくる事は無くても、この胸を焦がし動かす『想い』が消えてしまう事は無いけれど。

 もし……共に温かなこの『想い』を分かち合い育む事が出来るなら、自分が向けている様な『想い』が……彼女からも返ってくる事があるのなら。

 それはきっと……満ち足りるが余りに死んでしまいそうな程に、『幸せ』な事なのだろうから……。

 

 しかしそれでも、この胸を熱く震わせる『想い』をその衝動のままに彼女に伝える事には、僅かに迷いがある。

『想い』に何も返ってこない事を恐れているのではなくて。

 ……『想い』を伝えた事、……いやその『想い』それ自体が、ルキナをより苦しめてしまう事になるのではないかと、その可能性に思い至ってしまったが故である。

 

 ……ルフレの望みは、ルキナの『幸せ』だ。

 ルキナが『幸せ』でなくては自分の『幸せ』は意味が無い。

 彼女にとっての『幸い』が、ルフレにとってのそれに重なるのならば、きっとこの世の何よりも素敵な事だけれど。

 

 だが、ルフレがそうして『想い』を抱いている事が、それを知ってしまう事が、彼女を悩み苦しませ、『不幸』にしてしまうのならば……この『想い』は胸に秘め続けるべきだ。

 何れ程強い『想い』があったとしても、伝えなかったのなら……伝わらなかったのなら、存在しない事と同じだから。

 

 ……ルキナは、余りにも重いものを……『使命』もその過去もそしてそこにある感情も。たった一つ抱えるだけでもう一歩も歩けなくなりそうな程の重荷を、幾つも背負っている。

 その心の何処かを、「救えなかった」と……彼女がそう思っている『絶望の未来』へと置き去りにして。

 この世界に自分が存在する理由だとすら思う程に、その『使命』を強く強く胸に刻んで。

 心の傷が目に見えるのならば、きっと……いっそ心が壊れていない事の方が不思議であろう程に傷付き果てていて。

 それでも、その胸に抱いた『使命』がそうさせるのか、……或いは彼女の矜持が足を動かしているのかは分からないけれど、決して立ち止まらずに前を向いて足掻き続けている。

 ……そこに、ルフレの『想い』などと言う新たな重荷を載せてしまって良いのだろうかと、そう迷ってしまうのだ。

 それをルフレが意図したつもりは無くても、ルフレがこの胸に秘めた『想い』を打ち明ける事で、彼女をギリギリの処で支えていた「何か」を壊してしまうかもしれない。

 重荷を背負い歩く驢馬を潰してしまう最後の麦穂を、ルフレ自身が載せてしまうのではないかと思うと、恐ろしいのだ。

 

 ルフレには、彼女の『使命』について、そして彼女が語った『絶望の未来』で起きた事……その未来での『ルフレ』が辿ったその結末について……どうしても気に掛かる事がある。

 ……ルフレが頻繁に見る夢の事だ。

 何処かの薄暗い神殿の中の様な気味の悪い場所で、ルフレはクロムと共に戦い……そして敵を討ち取った筈の次の瞬間、まるで操られたかの様にクロムを殺す。……そんな夢だ。

 勿論、夢は夢でしかない可能性は大いにあり、色々と悪い方へ考えている内に自分にとっての最悪を夢と言う形で描き出しているだけに過ぎない可能性だってある。

 だけれども、夢でしかない筈のその中での経験は。

 クロムを庇って受けた電撃が身体を走り焼け付き痺れる様な痛みも、……そしてクロムに雷の槍を突き刺したその感触も臓腑までもが焦げ付く臭いもこの手に残る魔法の残滓も。

 その全てが、まるでその場で確かに起こっているかの様に「現実」のそれそのままで。

 ……そして何よりも。

 その夢の中で対峙していた男は、現実の世界で出会う前に既にそのままの姿でルフレの夢の中に現れていた。

 更には、エメリナ様の暗殺未遂の時に殺した筈のその首謀者は、まさにあの男であったのである。

 ……だが、殺した筈の男の遺体は何時の間にか消え去り、そして……ギャンレル亡き後のぺレジア王として再びルフレの前に姿を現したのだ。

 その傍に居たルフレと瓜二つの「最高司祭」といい、明らかに何かがあり……それはきっとルフレ自身に繋がっている。

 未だ戻る気配すらない喪われた自身の記憶の中にその答えはあるのかもしれないが……そうだとしてもあの二人の態度はどうにもおかしく……それが酷く不気味なのである。

 恐らくは彼らの手のものであろう者達がルフレ達の動向を見張り続けているのには気付いてはいるが……それ以上の干渉は仕掛けてはこず、それが酷く不安を煽る。

 その監視の在り方はまるで、何かの意図を逸れない様にと付けられているモノの様にも感じるのだ。

 何か、自分は大事な事を見逃しているのではないか……忘却しているのではないかと、不安でならない。

 ……あの夢を「現実」にせずに済む様に、打てる手は打ったが……しかしそれでも心の何処かでは胸騒ぎが収まらない。

 何時かそれが決定的な破綻を生じさせはしないかと……、それは自分を起点に生じるのではないかと考えてしまう。

 それに、……あの「最高司祭」に対面してから時折、クロムを殺す夢とはまた異なる奇妙な夢を見るのだ。

 血で染めた様な不気味な赤に染まる空、燃え盛り全てが灰に還っていく街並み、逃げ惑う人々、命を蹂躙し冒涜する無数の屍兵、空の全てを覆い尽くさんばかりの巨大な異形の竜。

 それは、ルキナから断片的に聞いた『絶望の未来』の光景の様で……彼女の語るそれから、自分が無意識の内にも思い描いた物かもしれないのだけれども。

 だが……その夢の中でルフレは、ルフレの視点は……。

 夢を起きた時に全て覚えているのは難しいが、幾度となく繰り返していれば嫌でもその光景が目に焼き付いてくる。

 ……それをただの夢と切って捨てるのは簡単だけれども。

 ルフレは、軍師として備えなければならず、故にそれについて考え続ける必要がある。

 そしてそうやって考え続けた先に最後に辿り着くのは、欠け落ちた自身の『過去』についての事であった。

 覗き込んでも何も見えはしないそこに、何か恐ろしい物が隠されているのではないかと、そう思ってしまう。

 そしてそれが、彼女の『未来』に於いて、最悪の結末をもたらしてしまったのだとしたら……。

 そして、『未来』でそれが起こったのだとして、……この世界でもそれが起きないと言う保証は無い。

 ルフレの意志一つで回避出来るのならば何としてでも回避するのだけれども、今のルフレでは触れようも無い『過去』に起因するものであるのならば、それも保証出来ない。

 そう……ルフレは、『自分自身』を疑っているのだ。

『未来』に於ける「裏切者」は、自分だったのではないかと。

 ルキナ自身、その「裏切者」が誰であるのかとは知らない様であったけれど、間違いなく彼女にとっても「疑わしい」人物の中にルフレは居るのだろう。

 

 ……だからこそこの『想い』を伝える訳にはいかなかった。

「裏切り」の事実がどうであるにしろ、そんな者からの『想い』など、無駄な重荷にしかならないであろうから。

 もし、彼女がその『使命』を果たさねばならなくなった時に、それを縛る事の無い様に、その決意を惑わさぬ様に。

 ルキナを心から『想う』のであれば、それこそ墓場にまで秘めていくべき『想い』ではある。

 

 だが、いっそ度し難いとすら自分でも思うのだけれども。

 ルフレにはルキナにどうしても伝えたい『想い』があった。

 

 何があっても、何を成そうとするのだとしても。

 自分はルキナを信じている……ルキナの味方なのだと。

 例え、その『使命』の先で……自分がその命を捧げる必要があるのだとしても、それを受け入れる、と。

 だからどうか、今この瞬間も『絶望の未来』に心を囚われ苦しみ苛み続けるルキナ自身を、救ってあげて欲しい、と。

 滅びも絶望も、何一つとしてルキナに咎は無いのだと。

 この世界でなくても良い、そこが何処であっても良いから、生きたい場所で、心が望むままに生きて欲しいのだ。

 ただただ、ルキナに『幸せ』になって欲しい。

 ルキナが笑って生きていてくれる事だけが望みなのだ、と。

 それを、彼女の『幸せ』を願う心を。

 この世の他の誰でも無く、戦い続け傷だらけになったルキナ唯一人の『幸せ』を、心から願う者は確かに居るのだと。

 ……それを願う者が居たとしても、彼女にとってはこの世界に『居場所』は無いのだとしても。

 ほんの一時の安らぎを、小さな小さな春の陽だまりの中での微睡の様に……傷付いた心を僅かにでも癒す温もりならば、「この世界」にも在るのだと、そう気付いて欲しくて。

 だからこそ、……その『想い』だけでも伝えたいのだ。

 彼女の心を傷付けているのが他ならぬルフレ自身であるのだとしても……自分では到底『居場所』になれないとしても。

 …… ヴァルムとの戦争が終わった今、この世界はまた一つ、彼女の知る『未来』への分岐点に近付いているのだろう。

 だからなのか、今のルキナは張り詰めた弓弦の様に、余裕を失くして思い詰めている様に思える。

 このままでは、彼女の心の方が先に限界を迎えてしまうのではないかと……そうルフレが焦燥に駆られる程に。

 ……もし、ほんの少しでも、ルフレの『想い』が、今にも崩れそうな彼女の心をほんの少しでも癒せるなら……。

 ルキナが自分の心を癒す術を見付けるまで、それを支える事が出来るなら……。

 それだけで良い、それさえ叶うならば何ももう望まない。

 だが、『想い』が心を少しだけでも救う可能性と同時に、『想い』が彼女の心へ止めを刺してしまう可能性だってある。

 それ故に、どうしても一歩が踏み出せない。

 しかしこうしている内にも今にもルキナの心は限界を迎えてしまうのではないかと思うと、何もしない訳にはいかない。

 一体どうする事が最善であるのか、最もルキナの為になるのかと悩み続けながら歩く内に、視界に白い花の姿が過った。

 小さなその可憐な花を見ている内に一つ妙案が思い浮かぶ。

 

 直接言葉にする必要など無いのだ、と。

 古来より人は花に様々な想いを託してきた。

 ならば、解釈を相手に委ねる事で、過剰な負担を掛けずに必要な分だけの『想い』が伝わるのではないか、と。

 ……もし、それが重荷になりそうならば、そんな花言葉など知らなかった、偶然だったのだと押し通してしまえば良い。

 

 その花に求めている意味が秘められているのかを確認してから、ルフレはそれを幾つか選んで細やかな花束を作る。

 そして小さな花束を抱えてルキナの元へと急ぐのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 ヴァルムとの戦争も終わり、イーリスへと帰還しても、ルキナの成すべき事には些かの変わりも無い。

『使命』を果たす為には、寧ろ今からが重要なのだ。

 絶対に、「この世界」を『絶望の未来』へと向かわせない。

 何があっても、何をしても……『クロム』を死なせない。

『クロム』の死と言う『絶望の未来』への分岐点が訪れるまでに、何としてでもその流れを変えなくてはならない。

 その為に、ルキナは「この世界」に存在している。

 

 ……だが、今の所ルキナ自身に直接何か出来る事は無い。

 邪竜ギムレー復活阻止の為にイーリスもフェリアも動いていて、『クロム』も……そしてルフレも、必死に奔走している。

 だが、公的な立場は存在せず寧ろその存在は何があっても秘匿されねばならない「在ってはならない存在」であるルキナには、そう言った国レベルで動く事には何も力になれない。

 それは仕方の無い事で……しかし本来の自分が果たすべきであった事でもあり、どうしても心に引っ掻き傷を作る。

 それに……『クロム』がその厚意から王城の人目に付きにくい一画に、「この世界」に帰る場所も居場所も無いルキナの為に滞在する為の部屋を与えてはくれたのだが……それが却って胸を強く締め付ける様な苦しみになっている。

 ルキナの帰る場所だった『イーリス城』はもう存在しない。

 あの『絶望の未来』に於いて、『イーリス城』は襲撃してきたギムレーによって跡形も無く吹き飛ばされてしまったし、時と世界を越えてしまった以上もう何処にも存在すらしない。

 この城は、イーリス城ではあるけれどもルキナにとっての『イーリス城』とは、……違うのだ。

 

 ……外観自体は、そう大きく変わらないであろう。

 ただ、人々から余裕が奪い去られてしまっていたあの『絶望の未来』では、日常的に使用している部分ですら、掃除などの手が行き届かず調度すら壊れたらそのままであり、況してや普段人が寄り付かない場所など埃だらけであった。

 しかし、「この世界」の……滅びが訪れる気配すら無い城は、隅々まで完璧に掃除も手入れも行き届き、半ば空き部屋であったルキナの使う部屋にすら埃一つ落ちてはいなかった。

 

『未来』では枯れ落ちた草木が立ち並び荒れ果てていた大庭園や中庭なども、「この世界」では城付きの庭師達の手によって完璧に美しく手入れされ維持されている。

 建造物としての見た目自体は同じであるだけに、細かな違いが容赦無く目に付き……それ故に酷く居心地が悪い。

 

 そして何よりも……。

 この城には……「ルキナ」が居る。

「この世界」にとっての、『本物』の「ルキナ」が……。

『両親』からの溢れんばかりの愛情を受けて健やかに育っていくのであろう……ルキナが『使命』を果たした先で『絶望の未来』を知る事も無いまま成長するだろう「ルキナ」が。

 まだほんの小さな赤子、大人たちの庇護の手が無くては生きていけない無力な命……しかし、ルキナが心から望み希い今でも心の何処かでは諦めきれずにいる「それ」を、何の瑕疵も無く享受していく事が約束された、そうであるべき存在。

 ……「ルキナ」に対してどう言う気持ちを抱けば良いのか……ルキナには今でもその答えは出ない。

 

 無論、「彼女」に対して害意などは欠片も無い。

『幸せ』になって欲しいと……あんな『絶望』を知らずに済んで欲しいと、そう心から願っている。

 自分が生きる事の出来なかった、『幸せ』な未来を……少なくともあんな『絶望』しか存在しない様な未来では無いそれを、せめて「彼女」だけは生きて欲しいと、そう願っている。

『両親』に見守られ愛されながら、成長して欲しいと……。

 ……命ある限りは別れと言うモノは何時か必ず訪れるのだとしても、「彼女」にとってのそれはずっとずっと先の未来であって欲しいと……そう心から思っている。

 それを叶える為に、ルキナも、そして『クロム』達も戦って、この世界の未来を変えようと抗っているのだけれど。

 

 しかし、それなのに……。

『両親』からの愛情を目一杯に受けている「ルキナ」の姿を目にするのは……彼等の『娘』を幸せそうに見詰める『両親』の姿を見続けるのは……どうしてだか、苦しかった。

 それを「当然」の事であると、分かっているのに。

『両親』が愛するべき『娘』は「彼女」であって……ルキナではないと誰よりも分かっているのに。

 

 ほんの少しだけでも気に掛けて貰える事自体が望外の喜びである筈であるし、それ以上を望むべきではない。

 だけれども、「この世界」に於ける自分の存在に対し納得し理解している理性とは裏腹に。

 ……心の何処かに居る「あの日」のままその時を止めてしまった幼いルキナは、家族と居場所を求めて泣いているのだ。

 帰りたいと泣くその心を、切って捨ててしまえるならば、無意味に苦しみ傷付く事も無いのだろうか。

 祝福するべきその温かな光景を、苦みも混ざった複雑な想いで見詰める必要も無くなるのだろうか。

 何れ程悩んだ処で、自分の目にすら見えぬ心と言うモノを、意識的にどうこうする事は難しく。

 寧ろ意識すれば却って幼い心はより存在を主張してくる。

 ルキナに出来るのは、耳を塞ぎ目を反らす事だけだ。

 イーリス城から出れば、少しはこの胸の苦しみもマシになるのかもしれないが、『クロム』の厚意を無碍にするのも心苦しく、そしてここを出た所でルキナに身を寄せる宛は無い。

 それに、この痛みはルキナが「この世界」に存在する限り、自分の在るべき世界ではない「世界」に生きる限りは、ずっと消える事など無いものであり、城を離れても消えはしない。

 だからルキナは、自分の居場所では無いと感じながらも、イーリス城に留まり続けていた。

 

 そして、ルキナを苦しめているのはそれだけではない。

 刻一刻と迫っているのであろう「その時」……『クロム』が裏切りによってその命を落とす可能性がある瞬間が、何よりもルキナの心を追い詰めていく。

 ……考えれば考える程、『クロム』の周囲の人間関係について理解すればする程に、『未来』で父を裏切ったのは……裏切って父を殺せる状況に居たのは、「ルフレ」しか居なかった。

 他の可能性に逃げてしまいたくてそれを必死に追い求めても……追えば追う程に探せば探す程に、やはり彼しか居ない。

 あの『未来』で彼は何時だってルキナに対して優しかった。

 ……とても、優しい人だった。

「この世界」のルフレがそうである様に、仲間達皆にとても好かれていて……。幼かった自分にはまだよく分からなかったけれども、今思い返せばそこには確かな絆があった。

 ……それでもやはり裏切ったのは彼でしか有り得ないのだ。

 その動かす事の出来ない極めて確度の高い推測は、何処までもルキナを追い詰め苛む。

『使命』の為に『成すべき事』は、もう分かっている、痛い程に……理解してしまっている。

 それでも、ルキナはそれに踏み切れない。

 もっと決定的な証拠が存在しないなら、絶対に目を反らせない「何か」が無いのならば……きっとあれやこれやと自分でも苦しいと分かっている言い訳を重ねて、逃げてしまう。

 それは……そうしてしまうのは……。

 ルキナが、『彼』の事を……「この世界」のルフレの事を……もしかしたら『クロム』以上に大切に、想っているから。

 ……否、……ルフレに『恋』をしてしまっているからだ。

 

 何時からだったのかなんて、そんな事は分からない。

 決定的な瞬間と言うモノも、これと言って思い浮かばない。

 だけれども、きっと。

 ルフレと過ごした時間に、安らぎと『幸せ』を感じた時に。

 ルフレとの思い出に、心を救われた事を自覚した時に。

 ルフレの存在が、「この世界」の未来と『使命』と、比較しその『価値』を量る天秤へと載せてしまったその時には。

 ルキナにとってルフレは、この世の何よりも掛け替えの無い、『特別』で愛しい……唯一人になっていたのだろう。

 ……だからこそ、ルキナの中で全てが不安定に揺れ動く。

 

『使命』の事、『絶望の未来』の事、ルキナが犯した罪の事、「この世界」の事、『両親』の事、そして……ルフレの事。

 その全てがルキナの中で混沌を生み出し、ルキナが進むべき道を惑わせる様に心を乱す。

 選ばなければならない事、……だが決して選びたくない事。

 それがグルグルと頭の中を巡り続け、ルキナを悩ませる。

 まるで、行く道も帰り道も見失い途方に暮れる幼子の様だとすら、そう自分の現状を思ってしまう。

 迷い子を導いてくれる手は無く、ただ立ち尽くすばかりだ。

 広い部屋の中で何をしようにも落ち着かず、結局は部屋の窓から城下を見下ろす様にして時間を潰してしまう。

 そんな自分に嫌気が差し、手持無沙汰でならば文献を読み解くなりして少しでも『絶望の未来』を回避する為に尽力するべきであろうと、城の書庫に行こうかと思い立ち、椅子から立ち上がったその時。

 部屋の戸を控えめに叩く音がした。

 

 

「ルキナ、今時間は大丈夫かい? 

 少し、君に渡したいものがあるのだけれども」

 

「え、はい、大丈夫ですよ。どうぞ」

 

 

 ルキナを思い悩ませているその元凶であり……そしてルキナにとっては特別な人のその声に、思わず胸が高鳴る。

 少し慌てて部屋の戸を開けると、そこにはやはりルフレが立っていて、何かをその手に抱えていた。

 

 

「やあ、ルキナ。

 えっと……今日はこれを君に渡したくてね。

 良ければ、受け取って貰えると嬉しい」

 

 

 部屋に迎え入れた『彼』は、何故か少し緊張した様な様子でその手に抱えていたモノをルキナに手渡してくる。

 それは、ルキナには見慣れない可憐な白い花で作られた、細やかな花束であった。

 その花の匂いであろう優しく甘やかな香りが鼻孔を擽る。

 

 

「綺麗……。それにこの香り……心が安らぎます……」

 

「そうかい? それは良かった。

 ……最近のルキナは、前にも増して特に思い詰めた様な顔をしている事が多かったからね……。

 そんな君の慰めに少しでもなれたなら、僕も嬉しいよ」

 

 

 ルキナの心を優しく包む様なその香りに思わずそう呟くと、ルフレは嬉しそうに微笑む。

 その優しい顔を見ていると、思わず頬が熱くなってきた様な気がして……どうかルフレにそれを気付かれていないと良いのだけれど、とそんな事を思ってしまう。

 ルフレが自分の為に用意してくれたのだと思うと、名前も知らぬこの白い花が無性に愛しく思えた。

 

 ……だけども、この「恋」はルフレを傷付けるだけだ。

 何時か自分を殺すだろう相手が自分に「恋」をしているだなんて笑い話にも出来ないし、そんな想いを向けられていると知っても良い事なんて一つも無いだろう。

 だからこそこの「恋」は、殺さなくてはならない。

 この「恋」は、叶ってはならない。

 今こうして気を遣って花を贈ってくれたからといって、ルフレからも想われているだなんて勘違いをしてはいけない。

 どうかすれば溢れてしまいそうなこの想いに必死に蓋をして、悟られないようにしなくてはならない。

 

 

「見た事が無い花です……。

 とても珍しい花だったのでは……」

 

「いや、そんな事無いよ。街でも普通に見かける花だからね。

 ただ、薔薇みたいな王城で育てる様な花じゃないから、ルキナには見慣れない花だったのかもしれないね。

 精油の原料になったり民間薬の原料になる花として、一般的によく育てられている花なんだって。

 この花には、素敵な花言葉があるんだ。 ……分かるかな?」

 

 

 そう言って微笑むルフレに、ルキナは首を横に振る。

 知らない花だからというのもあるけれど、……ルキナは元々花言葉の類には疎いのだ。

 

 ……あの『絶望の未来』では、花なんてもう何処にも存在しなかったし、そんな事を覚えている暇なんて無い程にあの『未来』でルキナ達はただただ戦う事しか出来なかったから。

 そんなルキナに、その眼差しに僅かに痛みの様な色を映して、ルフレは優しくその答えを示す。

 

 

「『逆境に耐える』、『苦難の中の力』、『運命に打ち克つ』……。

 何度踏み潰されたって、決して枯れずに美しく咲くこの花には、そんな花言葉があるんだ。

 ……この花は君にとても似ていると、僕はそう思うよ」

 

「…………」

 

 

 ルフレの言葉に、再び手の中の花に目を落とす。

 可憐なこの花を、ルキナの様だと……そしてそう思ってそれを贈ってくれた事が、言葉にならない程に嬉しくて。

 思わず抑えきれずに溢れ出た想いが、涙となって零れた。

 ルキナが涙を流した事に、ルフレは狼狽えた様に慌てだす。

 

 

「えっと、その……嫌……だったかな? 

 ごめんね、ルキナを傷付ける意図は無かったんだけど……」

 

「いえ、違います……違うんです……。

 ただ……嬉しくて……。

 ルフレさんの気持ちが、そうやって想って貰える事が……。

 私には……本当に……」

 

 

 泣き止まなくてはと、そう思うのだけれど。

 どうしてだか、中々涙を止められない。

 哀しいのではなくて、嬉しいのだけれども。

 しかしそれと同時に息をする事すら儘ならない程に、胸を締め付ける様な苦しさがある。

『想う』事は酷く苦しく、しかし同時に『幸い』であった。

 

 そんなルキナを見て、動揺した様に眼差しを揺らしていたルフレが、小さな溜息と共に何かを考えるかの様に目を瞑る。

 そして、意を決したように、目を開けたルフレは、ルキナを真っ直ぐに見据えた。

 

 

「ルキナ……僕は……君に伝えたい事がある。

 僕は……君の事を。

 他の誰でもなく、君自身を。

 何よりも大切に想っている。

 君が好きだ。君を……誰よりも愛している。

 ……その花の花言葉にはまだ続きがあるんだ。

『愛の誓い』。

 それが、僕が君に一番伝えたかった『想い』だ」

 

「ルフレ……さん……」

 

「でも、……僕はそれを伝える事を、躊躇っていた。

 この『想い』が君にとって重荷になるのかもしれない、君を縛り苦しめる事になってしまうのかもしれない、と。

 ……それが、怖かったんだ。

 何故なら、僕にとって一番大切な事は、君を『幸せ』にする事だから……君を『不幸せ』にしてしまうかもしれないならこの『想い』は墓場まで持っていこうと、そう思っていた」

 

「それは……」

 

 

 それを想うべきなのはルキナも同じであった。

 何時かその命を奪うかもしれないのに、ルフレの事ではなく『使命』の方を……最後には選んでしまうのに、と。

 そんな想いを抱く資格なんて無いと、そう思っていた。

 そうして殺しきれない想いと『使命』とに板挟みになって苦しみ続けていたのだけれども。

 そんな苦しみを、ルフレも抱えていたと言うのであろうか。

 

 

「……それでも、僕はどうしても君に伝えたい想いがあった。

 ルキナ、僕は何があっても、そして君が『使命』の為に何を成そうとするのだとしても、ルキナを絶対に信じる……君の絶対の味方になる、君の全てを受け入れる。

 君の苦しみも、悲しみも、怒りも、全て受け止める。

 君自身が自分を苛んでいるその罪も、僕が背負う。

 だから……この世界でなくても良い、そこが何処であっても良いから、生きたい場所で、心が望むままに生きて欲しい。

『使命』を果たしても、君の未来は続いていくんだ。

 だからこそ、ルキナに誰よりも『幸せ』になって欲しい。

 ルキナが笑って生きていてくれる事だけが、望みなんだ。

 それを……どうしても伝えたかった」

 

 

 そう言って、ルフレは慈しむ様に優しい微笑みを浮かべる。

 

 

「僕の事を好きじゃなくても良い。

 僕の気持ちを受け入れられないなら、それでも良いんだ。

 ただ……君に『幸せ』になって欲しい、と。

 それを願う事だけは、どうか赦して欲しい」

 

 

 優しい……いっそ残酷な程に何処までも優しいその『想い』に、ただでさえ潤んでいた視界がぼやける。

 こんなにも真っ直ぐで優しい『想い』に直接触れるのは、生まれて初めての事で。

 どう答えれば良いのか分からなくて、言葉を見失ってしまいそうになるけれども。

 それでも、ルキナも伝えたかった。

 この胸に抱え続けてきた想いを、今この瞬間に。

 だから、必死に言葉を探す様にして、音を紡ぐ。

 

 

「……私にとっても、ルフレさんは、特別で大切な人です。

 ……許されるなら、ずっと傍に居たいと思ってしまう程に。

 貴方の事を……愛しています」

 

 

 それを願う事が、赦されて良い事かは分からないけれど。

 それでも、今こうして感じている喜びを、想いが通じ合っていたその事実へ感じた『幸せ』を、否定する事はきっと神様にだって出来はしないし、させはしない。

 ……この想いは、何時か絶望の果てへとルキナ達を導いてしまうのかもしれない。

 例え奇跡が起こって『使命』がルフレの命を奪う事が無かったとしても、「この世界」に在ってはならぬ存在であるルキナは、何時かルフレと別れなくてはならないかもしれない。

 それでも、今この時だけでも、夢を見ていたいのだ。

 それが現実からの逃避に等しい行いであるのだとしても。

 今は、今だけは……と、そう願ってしまう。

 

 

 

「好きです……貴方の事が、好きなんです……。

 この先に、どんな未来が訪れるのだとしても……。

 今は……どうか今だけは……このまま……」

 

 

 何時か全て喪う定めなのだとしても。

 どうか──

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆



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第二章『還るべき場所』
『決意する事、願う事』


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 それが自分の意志では無くとも、そしてもうその『運命』は半ば変わったのだとしても。

 それでも、自分の辿り得た「未来」は……。

「裏切り」などと簡単な言葉では到底済まされない程の、この世の全てに対する背徳であり、そして。

自分自身の存在の全てを呪うであろう程の絶望であった。

 

 ……『ギムレーの器』として生み出されたこの身に、『人間』としての心が芽生えた事は。己にとって、大切な人達にとって……果たして「幸い」な事であったのだろうか。

『人間』として生きてこようと、自身を『人間』と認識してその精神性や意識を確立させていったとしても。

 結局最後にはその全てが奪われ喰い滅ぼされ『邪竜ギムレー』へと成り果てるしか無いのであれば。

 『人間』として彼等と共に生きる事など、この世に生まれ落ちたその時から叶わない存在であったなら。

 そこに『人間』の心が在った事は、そして大切で愛しい『人間』の友を得た事は。

『ルフレ』と言う存在……『人間』としての意識を持つ「人に非ざる者」にとっては、何時かその心が沈む絶望の大海の底を何処までも深くするだけだったのではないかとも思う。

『運命』は既に半ば分かたれて、ここに居る自分は、もう確かに其処に在った「未来」の「自分」とは重ならず。

 ……そして、「彼」のその心を覗く事は出来ないけれど。

「彼」にとっての「クロム」を、操られた自らの手で殺し。そして邪竜に成り果てて既に一つの世界を滅ぼした、もう一人の「自分」にとって、その現実はどう映ったのだろうか。

 自分の存在を、この世に生まれ落ちた事を呪ったのか。

 或いは、自らに心が在る事を怨んだのか。

 はたまた、愛しい仲間達をその手に掛けた事を、ただ嘆き続けて……絶望の淵に沈み消えたのか……。

 そもそも今も、あの『邪竜ギムレー』を名乗る存在の内に「自分」の心が存在しているのかすら分からないけれども。

 ルフレは、色々と考えずには居られなかった。

 

 ファウダーに操られたルフレがクロムを殺すと言う『運命』……かつてルキナの生きて来た世界で確かに起こったそれは、この世界では何とか回避に成功した。

 が、ルキナにとって最も重要な『使命』の一つであった『邪竜ギムレー』の復活の阻止は叶わなかった。

 まあ……彼女が辿って来た『運命』の様に今ここで『人間』として思考しているルフレが『邪竜ギムレー』に成り果てた訳では無いので、復活の阻止もある意味では叶ったが。

 ……ルキナを追って「未来」からこの世界にやって来ていた「自分」の成れの果ての言葉が、そして突き付けられた自分の真実が、ルフレを苛み続けていた。

 自分は果たして『人間』なのか、クロムやルキナ達と共に生きる事が出来る存在なのか、もし自分の存在の所為で大切な仲間達を襲った悲劇が引き起こされていたのなら……。

 考えても考えても、何も答えは出ない。

 自分が、『人間』の振りをしている内に自分自身を人間だと思い込んでいる『化け物』なのではないかとも思ってしまう。

 しかし、それを確かめる事も出来ない。

 もしそうだとしても、その事実を突き付けられた時に自分はそれを受け入れられない事は分かっている。

 ……そして、ルフレが『邪竜ギムレー』に成り果てる未来は半ば変わってはいるけれども、まだ完全にその未来の可能性が潰えた訳では無い。

 ルフレが『ギムレーの器』である事には依然として変わりなく。もし『覚醒の儀』が行われれば、あの「自分」と同様にルフレもまた『邪竜ギムレー』に成り果てるのだろう。

 或いは、再びこの世界で力を取り戻したあの「自分」に、呑み込まれる様にして喰われてしまうか……。

 どうであれ、可能性を完全に払拭する事は出来はしない。

 それは、恐らく、ルフレがこの世界に存在する限り。

 

 いっそ、あの夕暮れの中でルキナのファルシオンに貫かれて死んでしまった方が良かったのかもしれない、と。

全ての真実を知った今のルフレは密かに考えていた。

 あの日も、ルフレは自分の命をルキナの為に……そして世界の為に差し出す覚悟があったけれども。

 ……殺そうとしている筈のルキナが余りにも辛そうで苦しそうだから、本当に受け入れて良いのか迷ってしまって。

 結局、ルキナが剣を取り落とした上にクロムが乱入して来た事で、その場はそれっきり流されてしまったのだけれども。

 ……あの時にあの場で死んでいれば、とも思ってしまう。

 

 

 ルフレが死んだ所で、この世界には既にルキナを追って過去に跳んでいた「自分」が存在していた以上は、『邪竜ギムレー』の復活を完全に阻止する事は出来なかったであろうが。

 こんな、何時周り全てを殺す毒に変わりかねない、まさに獅子身中の虫と言える存在を身内に飼う必要性も無かった。

 ルフレは、自らが望む望まざるに関わらず、自らの大切な人達にとっては、禍を呼び込む存在に他ならないのだ。

 ……ファウダー……、あの不吉な相貌の男。ルフレの記憶には無い……物心付く前に母がルフレを連れてあの男の元から逃げ出したのだと言うのだから、恐らくは記憶を喪う前の自分にとっても全く見知らぬ……しかし血の繋がりの上では間違いなく『父親』に当たる男がルフレに言った様に。

 この身に流れる血を知れば、或いは『邪竜ギムレー』そのものであると言っても過言ではない事を知れば、ルフレの存在を厭う者はイーリスにも現れるだろう。

 そしてそれは、彼等の『神』でありながらそれへと成る事を拒絶した事を、ある意味ではギムレーを崇拝する人々を見捨てたのだと受け取られれば、ぺレジアの人々からも憎まれるだろう。

 ……或いは、ギムレー教団の様に『邪竜ギムレー』の力を望む者達から、力を悪用する為に狙われるのかもしれない。

『絶望の未来』をその目で見て来たルキナの言葉からは、『邪竜ギムレー』と言う存在は『人間』が制御出来る様な存在では無いと思うけれど、人間の欲に限りと言うモノは無い。

 自らならばその力を意のままに操れると驕る者が現れないと言う保証は無いし、歴史を振り返り数多の伝承を顧みてみれば、寧ろ現れない事の方が考え難い。……そうなれば。

 例え『邪竜ギムレー』として目覚めようが目覚めなかろうがそれに関わらず、ルフレと言う存在そのものが、災厄を招く種そのものとなってしまう……。

 

 クロムは。

 ルフレが『ギムレーの器』であると知って……既にルキナ達が居た未来を滅ぼし尽くした存在と同一であると知って。

 それでも尚、ルフレの手を離さなかった。

 ルフレは、決してギムレーになど成りはしないと。

世界の滅びを望み絶望と怨嗟だけが渦巻くこの世の終焉など望みはしないと……。そう、強く強く信じてくれた。

 そしてそれはクロムに限らず、共に戦い続けてきた仲間達は皆そうだった。そこにある信頼を、相手を信じようとするその心を、人は「絆」と言うのだろうけれども。

 ……果たしてその判断は、正しいのであろうか。

 情に囚われ、繋がりに絡め取られ。

 下すべき判断を見誤り、思考を停止させているだけなのではないかとも、ルフレは考えてしまう。

 クロムは、優しいから。自らの懐の内に招いた者を、切り捨てる決断は出来ないし、仲間を見捨てる事も出来ない。

 そんな彼だからこそ、ルフレは彼にこうして『人間』としての「心」を貰ったのだし、その力になりたいとも思った。

 その優しくて、……青臭く甘い「理想」を叶える為の力になりたいと……そう思わせた。だからクロムはそれで良い。

 仲間達も皆、個性的だけれど他者を尊重し大切に思い遣れる優しい人たちだ。だからこそ、それも仕方が無いのだろう。

 

 だけれども。ルフレは、軍師だ。

 掴もうとしている結果の為、「未来」の為に必要な策を練り、目指すそこへの道を示す事がルフレの役目だ。

 ……だからこそ、ルフレは見誤まってはいけない。

「絆」と言う言葉の響きに、そこにある心の繋がりにその煌めきに、目を奪われて。それによって見落とされる様に隠されてしまった危険性を、見逃す事は出来ない。

 可能性として厳然とそこに存在するモノを、「そんな事は起こらない」と理想で目を塞ぐ事は出来ない、してはならない。

 現に、操られ自らクロムを殺してしまったからとは言え、『邪竜ギムレー』に成り果てた「自分」が存在するのだ。

 ……どんなにその可能性を否定したくても。事実、ルフレは『ギムレーの器』であり『邪竜ギムレー』に成り得る者だ。

 クロムからの信頼が、泣きたい程に嬉しくても。

 皆の優しさが、痛い程に心を揺らしても。

 彼等が大切であるならば、尚の事。

 ルフレだけは、『絆』を信じてはいけない。

 繋がりを信じるのは構わないが、そこに全てを思い通りに出来る様な都合の良い『力』があると妄信してはいけない。

 

 そしてルフレは、軍師であるからこそ。この戦いの後に待つ「未来」も見据えて行動しなくてはならない。

 

『邪竜ギムレー』を覚醒したファルシオンの力で討ってそれで終わり、万事解決と言う事にはならないのだ。

 悍ましい破壊と絶望の化身であっても、あんなのでもそれを信じ奉る人々は居る、そこに救いを見出している人が居る。

 ギムレー教団の様な狂信と妄執ではなくとも、日々の祈りをギムレーに捧げている者は多い。

 例え世界を救う為であろうともルフレ達はそれを討つのだ。

 間違いなく、ぺレジアとの遺恨は深まるであろう。

 心の拠り所を否定し奪うその罪は、決して軽くない。

 そして更には、真なるファルシオンの力を以てしても、『邪竜ギムレー』を真に滅ぼす事は叶わない。

 あれに千年の眠りを与えて封じる事しか出来ないと言う。

 更に言えば、あの『ギムレー』を封じたとしても、ルフレも封じない限りは完全にその脅威を千年封じる事も出来ない。

 そして、世界の為にまだ『邪竜ギムレー』になっていないルフレを切り捨て封印する選択をクロムが取るとは思えない。

 ……その所為で、千年後の未来どころか、近い将来も再びギムレーに脅かされる可能性があるのだとしても……。

 それは優しさではあるけれど、大きな間違いであろう。

 ……だけれども、この世界には唯一その問題の全てを解決する手段が存在した。

 正確には、あの「自分」がこうして過去にやって来たからこそ、その選択肢が生まれた。

 ……それを選んでも全てが解決出来る訳では無いし。

 残された問題を全てクロム達にその解決を押し付ける事になってしまうけれども。

 少なくとも、『邪竜ギムレー』と言う存在をこの世から完全に消し去る事が出来るならば、それは悪い選択肢ではない。

『邪竜ギムレー』が完全に消え去れば、今度こそルキナは、これまでに託されてきたその全ての『使命』と『希望』を果たし終え、漸く自由になれるのだろう。

 そうして訪れた自由の先でルキナが何を想い何を成そうとするのかは分からないけれども。

 きっとルキナが自分の為に『幸せ』を考える事が出来る様になるのは、そうやって解き放たれた先になるだろうから。

 

 想い結ばれていても、愛していても。

 ルフレが『ギムレーの器』である事実は変えられず、それは翻ってルキナの心がギムレーに囚われ続ける事と相違無い。

 共に生きて共に死ぬ。

 それがルフレの願いではあるけれど、そこにルキナにとって何に苛まれる事の無い「本当の幸せ」は無いのであれば。

 

 ルフレが選ばなければならない道は、もう決まっている。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 明日は、とうとうギムレーとの決戦だ。

 相手は連なる山々よりも巨大な竜で、それに相対するルキナ達は精鋭が集っているとは言え、あの邪竜と比べれば人間にとって小蟻が群れを作っている程度に過ぎない。

 今のギムレーは力を取り戻して日が浅く、まだその力を十全には振るえないらしいが……だからと言ってその討滅が容易になると言う事も無いのだろう、

 実際の所何れ程の勝機がルキナ達にあるのかと問われても、「分からない」としか答えようがない。

 あの『絶望の未来』では、ルキナはそもそもこうやってギムレーと対峙する事すら叶わなかった。

『覚醒の儀』を行う事も叶わず、ファルシオンに真の力を蘇らせる事も出来ず。……人々を蹂躙する屍兵の群れを水際で押し留める事すらも満足に出来ずに。

 ただただ……先なんて何も見えない戦いだけを続けていた。

 実際、まるで戯れの様に姿を現したギムレーによってルキナ達は余りにも呆気無く吹き飛ばされる様に蹴散らされて。

 辛うじて残っていたイーリス軍は一瞬で消滅して最早軍としての体裁すら保てず、一握りの者達を残して全てが邪竜の吐息の炎の中で骨すら遺さず燃え尽きて行った。

 あの地獄の中で、ルキナはギムレーに対峙する者としての資格すら無かった。せめてもの矜持からその恐ろしい眼を真っ直ぐに見据えてはいたけれども。

 理解する事など到底叶わぬ程の圧倒的な存在を前にした恐怖へ膝を折らずに済んだ事が奇跡以外の何物でも無いと感じられる程に、ルキナは無力であり無意味であった。

 ……邪竜ギムレーに抗う力を、その『希望』をルキナには託されて……そして数多の人々から期待されていたのに。

 あの場のルキナは、無力な小娘でしか無かった。

 ギムレーにとっては、まさに小蠅が飛んでいた程度にしか感じられなかったであろう程に、あの時のルキナは、取るに足らぬ……意識すれば鬱陶しい程度の存在であっただろう。

 ……そんなルキナを態々追い掛けて過去に来たのは、それ程ルキナが行おうとしていた『過去改変』と言う禁忌が、ギムレーにとっても看過出来ないモノであったのか……或いは、より強大な力を得て今度こそ徹底的に世界を蹂躙し破滅と絶望に染めようとしていたのか……。

 それはルキナには分からない。

 どんな思惑があろうとも、それがルキナに理解出来るモノであるとは限らないし、理解出来たからと言ってそれで何か現状の平和的な解決の手段に繋がる事も無い。

 どの道ギムレーの側が世界への敵意に満ち溢れ滅ぼそうとしている時点で、ルキナ達『人間』があの『邪竜』と相容れる事は無く、どちらかが滅びるまで戦いは終われない。

 ……「この世界」ではギムレーと対峙する為に必要な条件である『覚醒の儀』を成し遂げ、ファルシオンは神竜の力が蘇っているし、人々の旗頭となるクロムも健在だ。

 最悪の状況は何とか避けられては居るけれども。

 ……それでも、あの『絶望の未来』でルキナの心に深き刻まれた「恐怖」と「絶望」を完全に払拭する事は出来ない。

 絶対的な絶望と破滅の化身が蘇ってしまった今、果たして『人間』が対抗出来るモノなのだろうかとすら考えてしまう。

 ……かつて初代聖王はギムレーと対峙して彼の邪竜に千年の封印を施した事は知っているけれども。

 しかし、既に一度そうやって封印された事のあるギムレーが、二度と同じ轍を踏まないよう、何らかの手を打っている可能性もあるのではないかとも思うのだ。

 考えれば考える程、「最悪」の予想は次々と頭を過り続ける。

 心に刻まれた「恐怖」から、際限無く生まれ続ける不安を消し去る術は無い。それはある意味で、こうして「希望」がその手の中に微かに輝いているからこそなのだろう……。

「希望」なんて何処にも無かった『絶望の未来』では、何も考えずにただ我武者羅に戦い続けていられた。

 何をしようとも、これ以上に最悪な現実何て在りはしないから……だからこそ、「未来」への、そして「選択」への恐れを忘れたかの様にただただ前へ前へと足掻き続けられたのだ。

 足を止めたそこに待つのは「死」だけだと、本能が駆り立て続けるまま走り続けていられた。考える余裕など無かった。

 

 だけれども「この世界」ではそうではない。

 もし選択を間違えれば何もかも喪ってしまうかもしれない。

 この手に「希望」が掴まれているからこそ、それを喪う恐ろしさに震え、思考は闇を彷徨うのだ。

 戦うしかないと言う事は、あの「未来」と変わらないのに。

 それでもこうも臆してしまうのは、恐ろしさに震えてしまうのは……。何もかも喪った筈のルキナが、絶対に喪いたくないモノを、もう一度手にしてしまったからなのだろうか。

 ルキナは、優しく暖かな手の平と心を満たす愛しさとを引き換えにして、持たざる者としての「強さ」を喪った。

「喪う事」の恐怖を、ルキナは思い出してしまった。

 

「この世界」でルキナが手に出来るモノは何も無く、「この世界」にとっては在りうべからざる「異物」でしかないルキナは「この世界」の人々にとっては泡沫の幻の様なモノでしか無いのだと……そう自分に「希望」を持たせない様にして。

 己を『使命』を果たす為のただの道具の様に割り切ろうとしていたのに……ルキナは、ルフレの手を取ってしまった。

 何時か喪うその日が心を過るのに、彼を愛してしまった。

 今この一時だけでも、とそう思った筈なのに。

 そんな欺瞞などあっという間に引き剥がされてしまう程に、彼を愛してしまった、喪えなくなってしまった。

 ……『絶望の未来』を回避する為に彼を殺そうと剣を向けまでしたのに、結局ルキナはその剣を取り落としてしまった。

 愛した男と、「この世界」の未来を秤に掛けて。

 ルキナは、ルフレを選んでしまったのだ。

 ルキナは弱くなった。かつてあの『絶望の未来』で戦っていたあの日々よりも遥かに……弱くなってしまった……。

 それは、ルキナにとっては何より己を苛む事実だ。

 もしルフレを喪ってしまったらと思うと、……恐ろしくて仕方が無い。喪う事にはもう慣れてしまっている筈なのに、きっともうそれには耐えられない予感があるのだ。

 そして、そんなルキナの不安をより強めるモノがあった。

『覚醒の儀』を終えた後……『虹の降る山』を後にした辺りから、ルフレの様子が何やらおかしいのだ。

 思い悩む様な顔をしていたかと思うと、哀しそうな顔をしたり、何かを決断したかの様に迷いを振り払った顔をしたり。

 ルフレが何を考えているのか分からなくて、何を決めてしまったのか分からなくて……。それが不安になるのだ。

 

 ルフレは、『ギムレーの器』……『邪竜ギムレー』その物と言っても良い存在であった。

 本人はその事実を、「この世界」にルキナを追ってやって来ていたギムレーに伝えられるまでは知らなかった様だけれど。

 その事実は、動かし難く確かなものであるらしい。

 しかし。ルフレが、あの『絶望の未来』を創り出した邪竜であると言う事には確かに衝撃は受けたが、ルキナにとってそれはもうどちらでも良い事であった。

 少なくとも、ルキナが愛している彼は、そうやって『邪竜ギムレー』へと成り果てる未来を回避したのだから。

 例え『人間』としての皮を剥がしたその下に『邪竜』としての本性が隠されているのだとしても……。ルフレ当人は、決して世界を滅ぼそうなどと願わないし、人の絶望や破滅を嗤う様な事もしない、ルフレはギムレーではないのだ。

 ……だけれども、ルフレ本人がその事実をどう感じているのかはルキナには分からない。

 ……元々、ルフレが本気で「隠す」事を選んだ場合、ルキナがそれを見破れる可能性はほぼ無いであろう。

 ……『運命』を変える為に、ルフレが殆ど誰にも悟られぬ様に密かに事を進めていた事を、ルキナは見抜けなかった。

 ……見抜けなかったからこそ、苦しみ悩みながらもルフレに剣を向けてしまったのだ。

 だからもしあの時の様に、ルフレが『何か』を決めてしまっていたら……それをルキナが見抜けるかどうか分からない。

 ルフレが『何』を決断したにしろ、それがクロムやルキナにとって害になる事は殆ど無いであろうけれども。

 その決断は、ルフレ自身を害するモノである可能性はある。

 元々、ルフレは自分自身への執着はかなり薄い方であった。

 それは自身に関する記憶を全て喪ってしまったが故の、『自分』と言うモノに対する執着の希薄さ故なのかもしれない。

 何にせよ、ルフレが自分自身を勘定に入れていない可能性は少なくは無いのだ。……優しくも、残酷な事に。

 もし、ルフレが「自分の存在を禍」だと判断したならば、彼はその命を投げ出す事すら躊躇わないだろう。

 それが分かってしまうからこそ。

 そうでない事を願い……それを確かめたくて、その心に触れようとしてみても、そこにはルキナが窺い知るには深過ぎる心の海が存在する事位しか分からない。

 ……例え、彼のその判断が、決断が正しいのだとしても。 

 ルキナにはもう、彼が居ない明日は考えられなかった。

 ルフレ以外のこの世の全員が笑って幸せになれる未来よりも、ルフレと共に生きる苦難に満ちた明日の方がずっと良い。

 少なくとも、ルキナにとってはそうだ。だから。

 

 

 

「ねえ、ルフレさん」

 

 

 更け行く夜に、満天の星空を見上げながら。

 ルキナは、傍らに座って同じく夜空を見上げていたルフレに、身を預けて呼び掛ける。

 最後の決戦を控えた今宵は、誰もが皆思い思いに時を過ごし、多くは自らの愛する者との時間を過ごしている。

 だからこそ、正式な婚約はしていないが、思い結ばれて恋人となったルフレとルキナもこうして共に夜を過ごしていた。

 ルキナの呼びかけにルフレは優しく微笑み、自らに身を預けるルキナのその身体を優しく抱いて、囁いた。

 

 

「何だい、ルキナ」

 

 

 優しいその表情の裏に隠された心は無いかと探ってみても、ルキナには何も分からない。穏やかな湖面の様ですらある。

 だが、だからこそ腑に落ちないのだ。

 明日がギムレーとの決戦であると言うのに、穏やか過ぎる。

 まるで、全てをもう決めてしまったかの様に。

 全ての決断が既に下され、故に揺らぐ事も無駄に昂る事も無く、ただただ静かにその時を待っているかの様ですらあるそれに、ルキナの心は粟立つ様に恐れを懐く。

 ああ、引き止めねば、と。このままだと行ってしまう、と。

 

 だが、……彼が既に決めてしまっているのであれば、どんな言葉を示せばそれを留められると言うのであろうか。

 ルフレは発想や思考は柔軟ではあるけれども、ある部分では極めて頑固な所が在って、それを翻意させるのは並大抵の事では叶わない。それを理解しているからこそルキナは迷う。

 

 

「私にとって、ルフレさんが居ない『明日』なんて考えられないんです。……貴方を喪うかもしれない可能性が、怖い。

 ……ルフレさん、お願いです。死なないで下さい。

 絶対に……私を置いて逝こうとしないで下さい……」

 

「……大丈夫だよ、ルキナ。僕は、絶対に君を幸せにする。

 君の為なら、何だって……出来るよ。

 だから、そんな顔はしないで。

 明日の戦いに勝てば、君はもう自由だ。

『使命』にも、『希望』にも。もう縛られなくていい。

 君は、君の想うままに、『幸せ』の為に生きて良いんだ……」

 

 

 ルフレは、最後まで。決してルキナに約束はしなかった。

 そしてその代わりに、優しい口付けだけを残すのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆



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『愛、故に』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 戦場となっている果てすら見えぬ程巨大な竜の背を、轟々と唸りながら吹き荒れる風に、ルフレは僅かに目を細めた。

 そろそろ日が傾きつつあり、そう時を置かずに日没が始まるであろう。そうなれば、この遮蔽物の殆ど無い戦場での西日は、周囲の環境把握の殆どを視覚に頼る『人間』達にとっては不利になり、邪竜側にとってより一層の好機が訪れる。

 日暮れ後の夜闇でどうなるのかなど一々考えるまでも無い。

 状況はやや拮抗していると言っても良いだろうが、こちら側は既に総力を尽くしている状態であるに関わらず、邪竜の側には無尽蔵であるかの様に「駒」となる屍兵が次から次へと呼び出されている。まさに屍兵の大波の様だ。

 邪竜は基本的には直接は手を下さず、『人間』達が屍兵に抗っているのをニヤニヤと眺めているだけ……。

 屍兵が元々は人間である事を考えると、歪ながらも『人間』同士で醜く争わせているつもりであるのだろうか……。

 一々ギムレーの趣味嗜好など読んだ所で大してこちらに有利になる事は無いけれども、ルフレは一瞬そう考える。

 ギムレーには、この背の上に存在する全てを己のブレスで焼き払うと言う手もあるし、それこそ少し身を捻って天地を逆さにしてやればルフレ達を一掃する事は容易い。しかし。

 この期に及んでもルフレを取り込み更なる力を得る事に拘っているギムレーは、ルフレを殺し排除する事は出来ない。

 だからこそ、この乱戦の中ではルフレを巻き込みかねない様な破壊の力は揮えないし、況してやその背からルフレごとクロム達を振り落とす事は出来ない。

 そう言った手を使わなくても十分に勝機があるとギムレーは踏んでいるし、それはそう間違った判断とも言い切れない。

 

 結局、戦いとは数である。

 更には、ギムレーの呼び出す屍兵達は「質」で見ても決してルフレ達にそう劣る訳でも無い。

 何か相手を圧倒出来る様な力などルフレ達の側には無く、更に言えば奇襲なり何なりで相手の戦力を削ぐ事も出来ない。

 これが通常の戦争であるなら、白旗を上げたくなる状態だしそもそも戦争を仕掛けようとはならないだろうけれど。

 ここでルフレ達が敗れると言う事は即ち世界が終わる事と同義であり、何れ程勝ち目がない戦いでも勝たねばならない。

 圧倒的な力を持つギムレーであるが、少なくともルフレの存在がそれを抑えていられるならば僅かなりとも勝機はある。

 ルフレは、この場に於ける自身の有用性を認識し、常にクロムとルキナの傍に居る事でギムレーのブレスの射程内にクロム達が入る事を防いでいた。

 それでも時折、まるで弄ぶ様に、ギムレーはそのブレスの力でこちらを薙ぎ払おうとしてくる。

 死にはしないが、それでも動けなくなる程のダメージは必至であろうそれを、ルフレは魔法で必死に捌く。

 

 だけれども、そうやって自身の魔力をギムレーの力にぶつける度に、何かが共鳴する様な……。

 ……『ルフレ』と言う存在の根幹が何かに揺さぶられていく様な、悍ましく不気味で……そして恐ろしい事に何故か心地良くすら感じるモノがあるのだ。

 それは、そうした力の衝突の中でルフレに眠る『ギムレー』としての力が呼び覚まされて行っているのだろうか……。

 そして、そうやってルフレを揺さぶる事が、ギムレーの目的なのだろうか……。それは、分からない。

 

 だけれども、そうやって騒めく様な感覚と、ぶつかり合う度に徐々に強くなっていく自身の『力』に、やはり自分は『人間』ではなく『ギムレー』なのだろうと……そう諦める様に納得してしまうモノがあった。

 

 そして、それと同時に既に決めた覚悟が益々強くなる。

 やはり、自分は「この世界」に在るべきではない。

「この世界」に、破壊しか生まない様なこんな力は不要だ。

 ならばこそ、共に消えよう。その滅びが結実しない様に。

 それこそが、『愛』する全ての人達為に唯一自分に出来る、最後の仕事だと思うから。

 

 ギムレーは、『死』を知らない。

 肉体の滅びを知ってはいても、まだ『死』そのものを経験した事は無い。……だからこそ、ギムレーは恐れない。

 例えナーガの力でも自身を完全に消滅させられない事を知るからこそ、ファルシオンを本当の意味では恐れない。

 千年の眠りは忌避するべきモノであり屈辱ではあるけれど。

 だが、眠りに過ぎないそれの中で『力』を蓄え続ける術も、既にギムレーは知っている。

 だから、ギムレーは恐れない、それについて考えない。

 故に、この世に生きる全てが『生きる』為に必死に足掻くそれを、嘲笑いながら踏み潰せる、蹂躙出来るのだ。

 知らないから、共感などしないから。

 だからこそ、ここまで残酷に振る舞う、狂気に染まる。

 

 何も無い空っぽの命。力だけがそこに在った、憐れな獣。

『力』以外、ギムレーには何も無かったのだろう。

 自分以外の何かを大切にしたいと考えた事も無いのだろう。

 もしかしたら、自分自身ですら大切でないのかもしれない。

 ある意味、命持つ知性ある者として考えれば、ギムレーは余りにも未成熟だとも言える。

 ギムレーの破壊は、道理を知らぬ赤子が癇癪のままにモノを壊す事と、意味としては大して変わらないのかもしれない。

 無論ギムレーに知性が無いと言う訳では無い。

 悪辣な程に、人を貶める為の知恵はある。

 だが、破滅と絶望が望みと言いながら、世界の全てを破壊し尽くそうとするその行為こそが、その幼稚性の表れだった。

 何故ならば、ギムレーの齎すそれは、突き詰めれば最後には『虚無』しか残らない。

 ギムレーの望む『絶望』も『破壊』も、その対象が存在しなくては意味が無いモノだ。『虚無』の先には存在しない。 

 もしこれが成熟した知性在る者ならば、もっと『上手く』やるだろう。もっと上手く、『人間』を家畜の様にして、永くその絶望と破壊を楽しめる様に搾取出来る様にする。

 少なくとも、ルフレならばそうするだろう。

 竜の長い『寿命』で考えれば、ほんの数年で世界を滅ぼし切ってしまうのは、まさに愚行としか言えない。

 その後に待ち受けるのは、終わりの無い『虚無』であり『退屈』だ。それすら考えないのか、それともどうでも良いのか。

 何にせよ、ギムレーの感性がある種幼い事は間違いない。

 だが、それもまた仕方の無い事であるのかもしれない。

 

『人間』であろうと、或いは獣であろうと。

『死』を避ける為……『生きる』為に、皆知恵を絞るのだ。

 知恵とは元を辿れば『生きる』為に揮うモノ。

 知性を高めていけば、この世の「真理」を解き明かす事にその意識が向う事もあろうけれども。原初の知性とは如何に『死』を避け、『生き残る』かを焦点に磨かれてきたモノだ。

 そして『死』は『恐怖』とも言い換えられる。

 命とは、『死』や『恐怖』から逃れる為に、立ち向かう為に、皆必死に足掻きながら知恵を絞るモノであるのだ。

 

 ……だが、ギムレーにはそのどちらも欠落している。

『死』が無く、故にそれへの『恐怖』も無く。

『死』が無い故に、『喪う』事への『恐怖』も鈍い。

『死にたくない』・『喪いたくない』・『生きたい』と足掻く事を、ギムレーは知らない、した事も無いだろう。

 あの邪竜にあるのは、突き詰めてしまえば『快』・『不快』の極めて原始的な判断基準だけだ。

 だからこそ、『不快』な『人間』を滅ぼして『快楽』を得ようとしている……。その先にある『恐怖』を考えもせずに。

 そして、『死の恐怖』を知らないからこそ、ギムレーは全てを見下し、甘く見ている。

 故に、クロムが『覚醒の儀』を行いファルシオンに力を取り戻す事を、死に物狂いで止めようとはしなかった。

 もしギムレーが本気で自分を害する全てを排除しようとしていたならば、ルフレ達はここに辿り着けもしなかった。

 ギムレーにとってはこの戦いですら単なる戯れ程度なのだ。

『恐怖』を知らないからこその愚行とも言える。

 全てを取るに足らぬ羽虫と捉え見下す邪竜は、その愚かしさ故に今この期に及んでもルフレを無力化しようとはしない。

『死』を考えた事も無いギムレーは、理解していないのだ。

 この場に、自身を『死』に至らしめ未来永劫に渡り消滅させ得る手段が存在している事を。

 ……或いは、それの可能性を僅かに過らせてはいても、まさかそれを実行するまいとでも考えているのだろうか? 

 ならばそれはとんだ見込み違いである事を、その身を以て知らしめてやるべきであろう。

 ルフレもまた、まだ『死』を直接的には知らないが。

 それでも、ルフレは多くの『死』を見届けて来た。

『喪失』の苦しみを、間近で見続けてきた。

 だからこそ、選べる。

 ルフレは、自身の『死』よりも恐ろしいモノを知っている。

 ルフレには、自分の命よりも大切なモノがある。

 自分の全てを対価に捧げてでも、叶えたい事があるのだ。

 

 憐れで寂しく愚かで、「力」の多寡でしか他者を計れず見下す事しか知らないギムレーには、想像もつかないのだろう。

 命の輝きが見せてくれる、その煌めきの美しさを。

 今にも燃え尽きそうな命の炎でも、最後までそれを燃やし続けようと足掻く意志が織り成すその輝きを。

 悲しみも怒りも絶望も憎悪も、その全てを抱えて乗り越えて、前へ前へと足掻いて行くその輝きの素晴らしさを。

 ギムレーは、知らない。知ろうともしない。

 

 ……それはとても、憐れな事なのかもしれない。

 だがそれに同情はしないし、別にそれでギムレーのその行いが赦されるのかと言うと、そんな事は絶対に無い。

 ギムレーがその様な憐れな怪物に成り果てたのは、ギムレー自身の選択だ。それを憐れむ必要は無い。

 

 別に、ルフレとてこの世の全てを礼賛している訳では無い。

 醜いモノ、汚いモノ、悍ましいモノ、理解し難いモノ……。

 そんなもの、この世には腐る程にある。

 クロムも仲間達も、そしてルキナも。

 誰もが皆、それに傷付けられてきた。

 それを見て、『人間』に失望し絶望する者が居るのも分かる。

 だがそんなごみ溜めの様な世界であっても、どんな楽園よりも素晴らしいモノだと感じさせてくれる輝きは確かにある。

 ルフレはそれを見付けた。教えて貰った。見届けて来た。

 クロムと出逢い、こうして仲間達と共に生きて、

 ルキナと出逢い、彼女を愛して。

 そうして見付けて来た沢山の宝物を、ギムレーは知らない。

 それを喪いたくないからこそ、「何でも」出来てしまう人間の覚悟の強さを、意志の強さを、ギムレーは理解出来ない。

 

 ……『邪竜ギムレー』に成り果てると言う事はやはり、憐れで残酷な事だ。

 幾ら、神の如き『力』を揮えようと、世界を思うが儘に出来るのだろうと。愛しい輝きを喪った世界でそんな力に溺れる事に、一体何の価値があるのだろう。

『力』を得る意味も理由も、そこには何も無いであろうに。

「目的」の無い力をただ揮う事は、寂しく虚しい事だ。

 

 だからこそ、ルフレは「自分」が不憫でならない。

「自分」もかつてはその輝きを知っていただろうに。

 ギムレーの意識に塗り潰されて、それを見失ってしまった。

 最早あれは、「ルフレ」であったモノの残骸でしかない。

 哀れに思うのであれば尚の事、解放してやるべきだろう。

 永遠に続くかと思う様な戦いも、クロムとルキナの振るうファルシオンと、ギムレーに感応する事で高まっていったルフレの力の前によって、終には屍兵の荒波を捌き切り。

 ギムレーの……正確にはまだ完全には取り戻した力を制御仕切れていないが故に、「ルフレ」の皮を被りその制御を担っていた、「ギムレーの写し身」とも言える「それ」を破った。

 しかし、真なる力を取り戻した事で眩しい程の輝きを放つクロムのファルシオンを憎悪の眼差しで見詰めるギムレーには、忌々しさと憤怒以外にも確かに侮りが存在していた。

 それでは『死』を与えられない事をよく知っているから。

 滅びの時を千年先延ばしにする事を選んだクロムを、後世に災禍を押し付ける浅ましい『人間』だと嗤っている。

 だが、その驕りも、これで終わりだ。

 

 

 

「クロム、少し待ってくれ」

 

 

 ルフレは、ギムレーの胸を貫こうとしていたクロムのファルシオンを寸での処で止める。

 それにはクロムとルキナのみならず、ギムレーも驚いた。

 その間に、ルフレはギムレーに一歩二歩と近付く。

 

 

「……ギムレー、僕はお前がした事を決して赦さない。

 だが、お前は「僕」であり、僕に有り得た未来の一つだ。

 だからこそ、その咎も責も全て、僕も背負おう。

 ……お前が「僕」である事、僕がお前と同じ存在である事。

 そして、お前がこうしてこの世界へと渡って来た事。

 今は、そのどちらにも感謝しているよ。

 こうして、この世界に在るべきでは無い存在を、消せる。

 僕の大切な人達の為に、出来る事が僕にもある。

 ……使ってあげられる命が、此処にあるんだから」

 

 

 そして、ギムレーと同じ力で、『ギムレー』自身の力で。

 ルフレは、ギムレーのその胸を穿ち抜いた。

『人間』ならば間違いなく致命傷であるそれは、既に満身創痍であったギムレーの『命』にも届く。

 心臓を潰す様に穿った穴から、血が溢れ出した。

 が、その溢れ出た血は直ぐ様、まるで砂の様に消えていく。

 穿たれた穴から、ギムレーの身体全体に罅が走っていく。

 自身の身に起きているそれを理解出来ぬかの様に、困惑した様にギムレーは胸に手を当てて……。そして、その崩壊が一向に止まらない事を悟ったギムレーは漸く蒼褪めた。

 

 

「『死ぬ』のは初めてで、恐ろしいかい……? 

 なら、その恐怖を噛み締めて逝くと良いよ……。

 ……でも安心しなよ。お前は僕でもあるからね。

 ……だから、一緒に逝ってあげるよ」

 

 

『ギムレー』自身の力で、ギムレー自身を否定する。

『ギムレー』が、ギムレーを殺す。

 それは『死』を知らず、『死』を考える事も、況してや望む事など有り得る筈無いギムレーの身に絶対に起こり得ない事。

 同じ世界に『ギムレー』とギムレーが同時に存在すると言う「時の歪み」があって、初めて成立する矛盾。

『ギムレー』自身による、自分の存在の否定。

 それは、『自殺』に他ならないモノだ。

 

 ここに来て、自身の身に何が起きたのか、そしてこれから自分がどうなるのか。それを理解したギムレーは蒼褪めた表情の中に、狂いそうな程の『恐怖』の感情を浮かべた。

『死』を知らなかった筈のギムレーは、初めて自分に訪れるそれの『恐怖』へと直面した事で、初めて足掻こうとする。

 だが、今更何に手を伸ばそうが、その結末は変わらない。

 もっと前にその『恐怖』を知っていれば、何かは変わっていたのかもしれないが……今となっては栓無い事だ。

 

 逃れ得ぬ『死』を前にして、ギムレーは『恐怖』に苛まれながらその身を崩壊させていった。

 罅割れは全身に広がり、加速度的に身体は消滅していく。

 それはまるで、砂で作られた城が風に浚われて壊れて消えていくかの様であり、『恐怖』に歪むその表情ですら徐々に崩壊し、……遂には完全に消えて無くなった。

 

 そしてその崩壊は、ルフレの身にも起きている。

 サラサラと、端から崩れて消えていく身体を見て、ルフレは不思議とその崩壊に痛みが無い事に驚いていた。

 まあ、痛み無く逝ける事に越した事は無いのだが。

 そんな事をぼんやりと考えていると。

 

 

 

「ルフレ、お前……どうしてそんな……」

 

「ルフレさん……何で……何で……」

 

 

 クロムが、ルキナが。

呆然と、その手にファルシオンを握ったまま。その光景を、受け止められないとばかりに、絶句して立ち尽くしていた。

 その目が、驚愕と……そして苦しみに歪んでいるのを見て、ルフレの胸はチクリと痛む。

 

 

「クロム……。ルキナ……。…………ごめんね」

 

 

 これが一番良い選択だとは思っているけれど、それでも二人を酷く苦しめてしまう事は、ルフレにも辛い事だった。

 ……泣かないで欲しいとは思うけれども、ルキナはもう既に、無意識になのかポロポロと涙を零していて。

 だからせめてその涙は拭おうと、ルフレはまだ完全には崩れてはいない右手でそれを拭おうとしたのだけれども。

 ルキナに伸ばしたその手は、ルキナに掴まれてしまった。

 徐々に崩れ形を喪い始めるその右手を何とか留めようと、ルキナは両手で包む様にその手を掴むけれども。

 その指の隙間からも、ルフレの手だったモノは少しずつ零れ落ちて消えていってしまい。

とうとう、ルキナの手の中から右手は完全に消失した。

 ルキナはこの世の絶望の淵を覗いているかの様な目で、空になった己の両の手の平を見る。

 

 

「ルフレ……逝くな、逝かないでくれ……。

 この戦いが終わっても、俺達にはまだまだやるべき事が残っているんだぞ……。それを、こんな所で投げ出すのか……」

 

「……ごめんね、クロム。本当に、ごめん。

 ……でも、大丈夫だよ。僕が居なくたって。

 沢山の人達がクロムを支えてくれる、力になってくれる。

 一応、最後の仕事として、僕の天幕に書類を残しているから、それを使ってくれると嬉しいな」

 

「俺が言いたいのは……! そんな事じゃない……! 

 どうして、……どうしてお前が……」

 

 

 ルフレの言葉を遮る様に吼えたクロムは、絶望する様に消えていくルフレの足を見た。

 どうにか出来ないのかと、そう縋る様なその目に、ルフレはそっと首を横に振る。

 

 

「……この世界からギムレーの脅威を完全に取り除くには、これしか方法が無かったからね。

 封印よりも確実で……そうして「二体も」一度に完全に始末出来る方法があるんだったら、それを選ばない手は無いよ。

 ……でも、有難う……。

 あの日クロムに出逢えたから、僕は『人間』として逝ける。

 ……君に出逢えて、良かった。君の友で在れて、良かった。

 有難う、クロム」

 

 

 あの日クロムに出逢わなかったらどうなっていただろう? 

 何処かでギムレーに喰われていたのだろうか。

 そうでなくとも、こうしてギムレーを消滅させようなどとはしていなかっただろう。

 記憶を喪い、『人間』として積み上げてきたモノを喪ったルフレの心を再び満たしてくれたのは、もう一度『人間』にしてくれたのは、クロム達だから。それを考えれば、クロム達がギムレーを消滅させたと言っても良いのだろう。

 

 こんなにも奇跡の様な出逢いを重ねて、愛しい仲間達に出逢えて、終生の友を得て、何よりも愛しい人に出逢えて。

『人間』と寄り添い生きる事など到底出来なかった筈の『ギムレーの器』には、勿体無い程に『幸せ』な人生だった。

 それを与えてくれたクロムには……あの日空っぽになったルフレの手を取ってくれた彼には、感謝しかない。

 例え何度記憶を喪っても、それを忘れる事は無いだろう。

 

 

「……俺の『半身』は……! お前ただ一人だ、ルフレ。

 どんなに時が流れても、お前しか居ない。だから……!」 

 

 

 絶望と苦しさの中それでも前を向いてそう叫んだクロムに、その温かな想いに、ルフレは自然と微笑みを浮かべていた。

 

 

「有り難う、クロム。

 君にそう思って貰える事こそが、最高の餞だ。

 僕にとっても、君はずっとたった一人の『半身』だ。

 ずっと、ずっと……」

 

 

 どうしてだろうか、ルフレの頬も静かに涙が濡らしていく。

 だがそれは、後悔や絶望の涙では無くて。

 喜びと……どうしようもない寂しさが故のモノだった。

 ……未練が無い訳では無い。

 愛する仲間達と、愛する友と、愛しい人と。

 この先も共に生きていたいと。

 そう叫ぶ心が無いと言えば嘘になる。

 でももっと欲しいモノがあった、もっと大切な人達に贈りたいモノがあった。そして、それは残念ながらルフレの命と引き換えにしか叶わないモノであった。……ただそれだけだ。

 

『ギムレーの器』であるルフレが生きていれば、ルキナが本当の意味で解放される事は無い。

 何時か……遠い遠い未来に訪れるであろうそれを想って、その心は自身が置き去りにして来た『絶望の未来』に囚われ続けるであろう。ルキナ本人はそれで良いのかもしれないが。

 それがルフレの我儘であっても、傷付き果てて来たルキナの心は、もういい加減解放されても良いと思うのだ。

 勿論その選択がルキナを苦しめてしまう事は分かっている。

 

 沢山哀しませてしまうかもしれない。

 沢山悔いを残させてしまうかもしれない。

 沢山苦しめてしまうかもしれない。

 それでも、ここで死ぬルフレは、何時か必ずルキナの中で『過去』に変わる日がやって来る。

 顔も声も忘れ。全てが時の揺り籠の中で朧気になっていく。

 それが生きると言う事であるし、そうやって『過去』など忘れ去って『幸せ』になってくれる事がルフレの望みだ。

 ルフレの事は、何時の日かの、心の片隅に残る朧気だけれども優しい『記憶』になってくれれば、それで良いのだ。

 

 それに、そもそも『命』には何時か終わりが来るモノだ。

 足掻いても、抗っても。遅い早いの差は在れども、何時かは必ず『死』と言う別れが訪れる。

 ルフレのそれは……少し早いかもしれないが、未練はあってもそこに悔いは無い。

 そして、それが何れ程辛くても苦しくても、人は『死』の別れを乗り越えて生きていける様になっている。クロムが、最愛のエメリナ様を喪っても、こうして生きていられる様に。

過ぎ去った人々の遺した『思い出』が、そして周りの人々が、別離に傷付いた心を支えてくれる。

 その哀しみが優しく鈍い痛みに変わるその日まで……。

 そして、ルフレはルキナなら大丈夫だと確信していた。

 クロムはルキナを支えてくれるだろうし、ルキナ程の素敵な女性なら彼女を心から愛し支えてくれる人は必ず見つかる。

 ……最初からルフレと思い結ばれていなかったらこんな苦しみを与えなくて済んだのかもしれない点に関しては、本当に心苦しくはあるのだけれども……。それは許して欲しい。

 

 

「ルキナ……君に逢えて、良かった。

 君を好きになって、君と思い結ばれて……。

 僕は本当に幸せだった。有難う。

 僕は、君を沢山苦しめてしまった酷い男だっただろうけど。

 だから、僕の事なんか忘れて、『幸せ』になってくれ。

 ギムレーなんていない世界を思うが儘に生きて欲しい」

 

 

 それが僕の願いだと。ルフレが言おうとしたその時だった。

 

 ルキナは、突然ルフレの胸倉を掴んだかと思うと、ルフレに抵抗すら許さずにその唇を奪った。

 突然のその行動にルフレが呆気に取られていると。

 ルキナは些か乱暴にその目元を腕で拭って、力強い眼差しでルフレを睨んだ。

 

 

「絶対に私を置いて逝こうとしないで下さいと! 

 私はルフレさんにそう言ったじゃないですか! 

 私を絶対に『幸せ』にすると、言ったじゃないですか! 

 ルフレさんにとって、私の『幸せ』って何ですか⁉ 

 自由? 忘れろ? 何を言っているんですか! 

 私にとっての『幸せ』は、ルフレさんと生きる明日です! 

 貴方が居なければ、そこに在る筈が無いでしょう! 

 私の為なら何でも出来るんでしょう⁉ 

 だったら……だったら……死なないで下さい……。

 還って来て下さい……。何をしてでも……。

 私は……! ルフレさんが『何』だって良いんです! 

『ギムレーの器』だって、『人間』ではなくったって! 

 でも! ……ルフレさんじゃないと、ダメなんです。

 ルフレさんじゃなきゃ……。

 私には……貴方じゃなきゃ……ダメなんですよ……。

 だから、貴方の事を、忘れてなんてあげません。 

 ずっと……ずっと。待ってます。

 だから、帰って来て下さい。私の所に……。

 お願いだから…………」

 

 

 次第に再び泣き出しながら、ルキナはそう言ってルフレの胸元にしがみつく。しかし次第にその胸元も崩れ始めていた。

 そんなルキナに、ルフレは掛ける言葉を見失っていた。

 

 何を言ったとしても、ルフレがルキナを置いて逝く事には変わらない。ルキナのその願いは、叶えてあげられない。

『死』は不可避のモノであるし、例えギムレーを消滅させる為だとしても、それを選んだのはルフレ自身だ。

 今更「やっぱり嫌だ」とは言えないし、言っても仕方ない。

 本当の意味で命が『死』すらも超えて蘇る事があるのなら、それはもう「この世」に在って良い存在とは言えないだろう。

 それに、ギムレーと不可分であるルフレが還って来ると言う事は、ギムレーの存在の抹消に失敗した事に他ならず、この世界に災禍の種を再び蒔く事になるのではないだろうか。

 

 ……それでも。どうしてだろうか。

 死に行くだけの者なのに、過去になるしかない存在なのに。

 それでも、今こうして自分に縋り付くルキナを、抱き締めたいと……そう思うのは。この手を離したくないと、思ってしまうのは。……どうしてなのだろう。

 自分の心の筈なのに、それはルフレ自身でもよく分からない衝動だった。理性を越えた場所から溢れ出た衝動のまま。

 ルフレは、そっとルキナの唇に口付けを返す。

 

 それはきっと、ルキナに対してとても残酷な所業だった。

 手離してあげなくてはならないのに。

 忘れて貰わなくてはならないのに。

 それでも、まるで己の存在を彼女の中に刻み付けるかの様に、ルフレは彼女に口付けをしてしまう。

 

 叶えられない「約束」なんて結ぶべきではないのに、もう何処にも居やしない自分なんかにルキナの「未来」を縛り付けるなんて、あってはならないのに。

 ああ……それなのに、どうしてこうも離れ難いのだろう。

 どうして、こんなに愛しいのだろう。

 ……どうして、その願いを裏切ってしまう、こんな酷い最低な男を、ルキナはここまで愛してくれるのだろうか。

 いっそ罵ってくれれば良かったのに……。

 ルキナの口から零れるのは、ルフレへの直向きな想いだけ。

 ……それがどうしても、辛い。哀しい。

 ……それでも。願っても、良いのだろうか。

 また何時か何処かで、彼女と巡り逢う「未来」を。

 きっと叶わないだろう……それを。

 ルキナと同じ世界同じ場所で共に生きて、一緒に歳をとって、命の環を繋げて……それを見届ける様な。

 そんな奇跡を……願っても、良いのだろうか。

 もし、そんな奇跡が起こって戻って来たとしても、そこに居る『ルフレ』はもう『人間』と呼べないかもしれないのに。

 そんな存在でも、この手を取って生きていく事を、望んでも赦されるのだろうか……。

 

 

「ルキナ……。

 叶うなら……それを願う事が僕に赦されるなら。

 僕は、もう一度、君に逢いたい。

 ここに居る君の手を、もう一度、僕自身が、掴みたい。

 ……そんな我儘を、君が赦してくれるなら。

 ……待っていて欲しい。

『必ず帰る』と、約束は出来ないけれど。

 それでも、君と生きる明日を、今度は最後まで諦めずに足掻いてみるから……。だから……。

 その時まで、さようならだ……」

 

 

 もう身体は殆ど消えてしまった。

首から上も半ば解ける様に世界に溶けて消えて行っている。

 しかしルキナは、僅かに残った頬に、口付けた。

 

 

 

「待ってます、必ず。

 貴方が帰ってくるその日を。何時までも。

 だから……」

 

「……有難う、ルキナ。

 ……もし、叶うなら。

 また……──」

 

 

 

 続けようとした言葉は、そこで途切れる。

 

 

 そうして世界から、『邪竜ギムレー』は完全に消滅した。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆



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『まだ見ぬ明日を』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 喪って、喪って、喪って……。

 ルキナの人生は、喪ってばかり、奪われてばかりであった。

 父を喪って、母を喪って、仲間達を喪って、率いてきた兵達も、守るべきだった民も、国も、何もかも喪って。

 それでも託された『使命』だけを胸に抱いて禁忌を犯して「過去」へと跳んだ先のこの世界でも。

 ルキナは、苦難の中で漸く手にした、喪いたくないたった一人を、再び喪った……。

 ルキナが喪ったそれら全てが、ある意味では『邪竜ギムレー』によって奪われたと言っても過言では無いのだけれども。

 そうしてルキナが『邪竜ギムレー』を憎悪する事を、あの邪竜に心を囚われる事を、ルフレはきっと哀しんでしまう。

 そして、ある意味では『邪竜ギムレー』その物である自身へと怨嗟を向けて、その心を苛むのだろう。

 だから、……ルキナは喪った大切な人々と、奪われたそれらを想って『邪竜ギムレー』を憎む事は、もう無い。

 彼の邪竜の所業を赦すと言う事では無いのだけれども。

 もうこの世の何処にも存在しないモノへと命ある限り憎しみを向け続ける事は、無意味な事であり……疲れるだけだ。

 ルキナの世界を壊したあの『邪竜ギムレー』に成り果ててしまった「彼」も……。

 そして、この世界に於いてその運命にあったルフレも。

 決して、破滅なんて望んではいなかった。

 それでも、彼等が生まれながらに背負っていた宿命とは、何とも残酷で皮肉なモノで……。

 彼等では無い『誰か』が願った破滅と絶望を背負わされて、狂わされ壊されてしまったそれは悲劇に他ならない。

 

 ルキナが真に憎むべきものがあるとするならば、彼等にその様な宿命を背負わせ破滅を導いた人々であろうし……。

そして、そんな人々がそうやってこの世の滅びを願うまでに至った悲劇や惨劇……それらの原因全てであろう。

 

 でもきっと、それすらルフレは望まないだろう。

 彼は、優しい人だったから。

『彼』の行いを赦しはしなかったけれど、それでも自らのモノではないその罪も背負おうとする程に、彼は優しかった。

 そんな彼が、もうどうにもならない事に対してルキナが憎しみや怒りなどの負の感情を抱える事を、喜ぶ筈も無い。

 優しくて……そして、とても残酷な人だった。

 

 ルフレが何時、あの結末を決意してしまっていたのか、ルキナには分からないけれど。……少なくともあの決戦の前夜よりも前の事だろう……。彼の天幕には、仲間達への手紙や、彼が居なくなった後の事についてのクロムへの意見書の様な書類が沢山残されていたのだから……。

 ……『虹の降る山』で『覚醒の儀』を終えた辺りから、既にああする事を決めていた可能性もある。

 誰にも言わず、悟らせずに……。

 彼がもっと、本当の意味で自分本位で自分の事ばかり考える様な人ならば、きっとあんな選択肢は選ばなかっただろう。

 或いは、もっと情に流されて、仲間達の懇願を振り払えない様な人だったならば、思い止まってくれていただろう。

 だけれどもルフレは、自分の命すら大切な人達の為ならば躊躇わずに差し出せる人で……、そして情に流されて決断を思い止まってくれない程度には身勝手な人だった。

 ……酷い人だ。本当に、酷い男だった。

 ルキナが、クロムが、そして仲間達が。

 彼を喪って哀しむ事をよく理解した上で、それを躊躇い無く選んでしまった。忘れてくれ、だなんて平気で言ったのだ。

 ルキナが彼を深く愛している事を、彼自身よく理解している筈なのに……。それでも「忘れられる」と言った。

 ……その最後には、「また」と。そう願ってくれたけれど。

 それでもルキナに「約束」を残してはくれなかった。

 ……優しいけれど、残酷だし何処までも身勝手だと思う。

 それでも。そんな酷い人でも。

 きっとこの先の未来で何れ程多くの人々と出逢う事があるのだとしても、ルフレ以上に愛せる人など居ないと。

 そう確信する程に、彼の事を愛していた。

 ルフレと生きる明日だけが欲しかった。

 明日の滅びを回避した、そんな未来で。

 ルフレと共に、違う歩幅で寄り添う様に歩いて、同じ世界で同じ時間で共に「今」を積み重ねていって、そうやって共に歳をとって、命を全うするその時まで二人で生きたかった。

 ただただ、それだけだったのに。

 彼は、それを叶えようとはしてくれなかった。

 それが彼の優しさでも、それがどうしても苦しいのだ。

 ……だけれども。

 消えるその間際の、その口付けは。その言葉は。

 ルフレの本当の「願い」だったのではないかと、思うのだ。

 もう一度会いたいと、この手を取りたいと、共に生きる明日を諦めたくないと……。そう望んでくれたのは、彼自身の心からの願いだったのだろうか。そうならば。泣き縋るルキナの為でなく、自分自身の心の望みであったのなら……。

 それは、本当に微かな光であっても、確かな「希望」だ。

「また」と願ったその未練が確かにこの世界にあるのなら。

 きっと、全ての可能性が潰えた訳では無い。

 

 あの戦いの直後。神竜ナーガは、ルフレの『人』としての心が『竜』としてのそれに打ち克つ事があれば、極めて可能性は低いが還って来るかもしれない……と言っていた。

 それは、砂海に落とされた小さな砂金をたった一度掬った砂の中から見付けられる可能性と等しい程の、まさに有り得ない奇跡の様なモノであるのだろうけれども。

 それでも、ルフレが心からそう望むのであれば、その可能性は確かに存在するであろう。

『死』すらも超える「願い」があるのなら、きっと。

 それを願う事は、愚かな事であるのかもしれない。

 喪った物を取り戻す事は、例え時を遡っても叶わない事である事を、ルキナは身を以て知っている。

 生と死は隣り合わせにある筈のものではあるけれど、両者の距離は無限に等しい程に遠く、また一方通行だ。

 死した愛しい者を取り戻そうとして狂っていった者達は伝承にも物語にも数多く語られている。

 況してや、ルフレはその髪の一筋すら遺さずこの世から完全にその肉体は消滅しているのだ。

 魂なるモノが確かにあるのだとしても、この世から完全に消え失せた彼のそれは、この世に残されているのだろうか。

 そしてそれが残っていた所で、それが還る為の肉体は無い。

 ……死をも乗り越えて戻って来る事を心から願っているが、果たして「何処」から戻ると言うのだろう。

 死者の世界を生者が覗き見る事は叶わず、その魂の如何を問う事もまた叶わず。魂呼ばおうにも肉体は無く。

 そうであるのに、「帰ってくる」事を信じ続けるのは、愚かな事であるのだろうか、ただの妄執に過ぎぬのであろうか。

 彼が最初に願っていた様に、彼の事を「過去」にして忘れて生きていく事の方が、余程正しい在り方で。

 ルキナも本来はそうやって、彼の事を優しい「思い出」に変えながら生きていくべきであったのかもしれないけれども。

 それでも、ルキナは。

 赦されなかろうとも、間違っていようとも。

 もう一度、彼に逢いたいのだ。彼と共に生きたいのだ。

 

 この世の摂理を覆してでも逢いたいと、その再会を願うのは余りに罪深い事であるのかもしれない。

 既に一度世界の理を覆し、禁忌に手を掛けたルキナが願う事は赦されぬモノであるのかもしれないし。

 本人の望みがどうであれ、『邪竜ギムレー』であるルフレが願う事もまた赦されぬ事であるのかもしれない。

 そうであっても、願ってしまう。願わずには居られない。

 

『愛』とは全く不合理なものだ。

「約束」すらしてくれなかった彼を、それでもこうして待ち続けてしまう程に、彼の事を変わらずに想い続ける程に。

 理屈や合理性などとは全く別の場所にそれはあるのだろう。

 

 

「また」と願ったその日が何時になるのかは分からない。

 何年も何十年も後かもしれないし、ルキナが生きている間に叶う事なのか、叶う可能性があるのかすら分からない。

 それでも、ルキナは諦められないのだ。

 

 

 願わくば、彼の還る場所が「この世界」である様に。

 そして、ルキナの傍である様に……。

 

 巡る命の環の「何処かで」では無くて、こうして彼と出会えた自分が再びその手を取る事が叶うその日を願いながら。

 今日も、ルキナは彼を待ち続けるのだ。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 現に夢の狭間に、揺蕩う様に微睡む様に。

 そうやって静かに自分の存在が解けていくかの様だった。

 今にも途切れそうな意識を手繰り寄せて微かに繋げながら。

 痛みも無く恐怖も無い「消滅」の瞬間が静かに近付いてくるその足音を聞きながら。

 それでもルフレは、思考し続けていた。

 

『邪竜ギムレー』と共に、『ギムレーの器』として共に消滅する事を選んだルフレに、帰る場所など本当は無いのだろう。

 こうして、消滅する間際の泡沫の夢の間の中で、静かにこの思考も心も魂も、虚無へと還り解け行くのを待つ事こそが、ルフレが本来成さねばならぬ事なのだろう。

 ……それでも、ルフレには、帰りたい場所が在った。

 こんな自分でも、帰る事を待っていてくれる人が居る。

 だからこそ、この虚無の中に解け逝く事をただ受け入れる訳にはいかないのだ。

 

 そこに「正しさ」は無いのかもしれない。

 ルフレが必死に探して、そうして見付けた「最善」を、全て台無しにしてしまう選択であるのかもしれない。

『愛』と言う言葉に、その衝動に、盲目になって何もかもを奈落の底に突き落とそうとしているだけなのかもしれない。

 そもそも、そう願う事自体が、「消えたくない」と足掻く『ギムレー』としての本能に突き動かされているのかもしれない。

 自分の心であっても、その心の海の最果ての奥底に潜むモノまでを、自らが全て把握出来る訳では無くて。そして、「未来」の全てを……選んだ道の果てにあるモノ全て、選択が与える影響全てを、その時点で見通す事など誰にも出来ない。

 だからこそ、そう言った「悪い想像」を全て「違う、そんな事は無い」等と否定する事は出来ない。

 

 勿論それは逆の事が言えて、「悪い想像」がただの杞憂に過ぎぬ可能性とてあるだろう。未来は未知数で、故に起きても居ないし見通す事の出来ぬ事に考えを巡らせる余りに何も出来なくなり、「未来」に臆病になっていく事も愚かな事で。

 それでも「分からない」事は分かるのに、少しでも考えようとしてしまうのは。その先も見通せぬ暗闇を「理性」と言う名の小さな篝火で照らそうとしてしまうのは。

 ルフレが考え続けてしまう質の人間であるからだろうか。

 衝動のまま、胸の中に燃える情熱のまま、魂の叫ぶまま、生きる事が出来るのならそれもまた『幸せ』だろうけれど。

 こればっかりは、性分と言うモノなのだろう。

 

 考えても考えても、「その先」なんて分からないけれど。

 それでも、ルフレは、願われてしまった。

「共に生きたい」、「貴方でないとダメなのだ」、と。

 ……惚れた相手のそんな心からの願いを、無視して切り捨ててしまうのは、ルフレとしても男の矜持に悖る。

 ……その願いに応えない事こそが相手にとっての「最善」なのだと、そう確信出来るなら、また話は別だけど。

 だが、この先の「未来」は誰にも分からないものだ。

 ルフレの決断が……『邪竜ギムレー』と共に消滅する事が、最善であるとは限らない様に。

 

 ならば、その願いに応えてみても、良いではないか。

 きっとそこには絶対の「正しさ」も「間違い」も無いだろうけれど……。

 この世の誰よりも愛しい人がそこに居るのならば、それだけでも十分だと……そう今のルフレは思うのだ。

 先の見えない「未来」を、彼女もまだ知らない「明日」を。

 共に生きられるならば、それはとても『幸せ』な事だろう。

 世界中の人々が何時か自分達を糾弾するとしても、それでもルキナが笑っていてくれるなら……もうそれだけで良い。

 そしてそんな彼女の傍に居られるなら、それはきっと……。

 

 だがしかし、そうは考えるものの……。

 一体どうすればここから出る事が出来るのか……彼女達が待つあの世界に還れるのかは分からない。

 そもそも気付いたらこの状態であったのだ。

 帰り道など分からないし、来た道すらも分からない。

 そもそも身体の感覚すら無く、思考し続ける意識だけが此処にあるだけで……。

 どうすれば良いのかと言う指標など無く、ただ思考を続ける事で『無』になる事を防いでいるだけだった。

 

 還りたい、帰らなければならない。

 彼女が、皆が、待っている。あの愛しい世界に。

 しかし……。

 

 幾度目とも知れぬ思考の堂々巡りを繰り返していると。

 ぼんやりと、自分以外の『何か』の気配を傍に感じた。

 

 

 ── ……君は、帰りたいのかい? 

 

 

『声』の様に、『何か』の思考が静かに伝わる。

 その『声』に、頷く様にルフレは肯定を返した。

 

 

 ── 君の存在が、『禍』になるかもしれなくても? 

 ── 君は、大切な者達を傷付ける事が恐くないのかい? 

 

 

 何処か震える様なその『声』に、ルフレは頷く。

 ……それが、「恐くない」と言えば嘘になるけれど。

 それでも、その恐怖に竦む背をそっと押す様な想いがある。

 その手を、そっと引こうとする愛しい手がある。

 それを裏切る事の方が、もっと恐ろしい。

 もうこれ以上ない程に、身勝手な選択で彼等を傷付けてしまっただろうけれど……。それでも。

 

 

 ── 君は、その命を対価にする事を自ら選んだ。

 ── ……なのに何故、そこまでして帰りたいんだい? 

 

 

 自ら選び、それに後悔しても居ない。

 だが、そんな身勝手な自分の事を、「約束」すら結べなかったのにも関わらず、待っていてくれる人が居る。

 ならば、行かねばならない。辿り着かねばならない。

 彼女が哀しむ日々が、戻らぬ待ち人を待ち続ける日々が、少しでも短くなるよう……帰らねばならないのだ。

 

 そして何よりもルフレ自身が。結末が分からない「明日」を……「間違い」も「正解」も分からない「未来」を。

ルキナと……皆と共に生きたいと、そう思うのだ。

 還る理由など、それで十分だろう。

 

 

 ── ……本当に自分勝手だし、我儘だね、君は。

 

 

 それでも、それが自分の本心だ。

 我儘で結構、身勝手で結構。

 諦められないモノがあるのに言い訳に逃げるより余程良い。

 ルキナの『幸せ』が、ルフレと共に生きる明日にしか無いのであれば、ルフレは還らねばならないのだ。何をしてでも。

 

 すると、『声』は静かに問うてきた。

 

 

 ── 君は、あの子を『幸せ』にすると約束出来るかい? 

 ── 僕は、あの子との「約束」を守れなかった……。

 ── ……でも、君を帰してあげられたら……。

 ── 少しでも、あの子の笑顔を、守れるのだろうか? 

 

 

 ……『声』が守れなかった「約束」の事など、ルフレは知らないし関係無いけれども……。

「あの子」とやらがルキナを指すのであれば、「幸せにする」かどうかなど一々『声』に約束するまでもない。

 ルフレが出来る全てを賭けてでも、『幸せ』にしてみせると、とっくに心に決めているのだから。

 

 

 ── そうか……それを聞けて、少し安心したよ。

 ── ……よく目を凝らして、耳を澄ましてみるといい。

 ── 君を呼ぶ声が聞こえるだろう? 

 ── 君に繋がる糸が見えるだろう? 

 ── それを辿って行くと良い。

 ── ……君を待つ人が、そこに居る。

 

 

『声』に言われた通りに、それを意識する。

 すると確かに、自分の名を呼ぶ声が幾つも聴こえた。

 糸の様な何かが、指に幾つも絡み付いている気がする。

 そして、ルフレを呼ぶ声の中で、最も大きく何度も聴こえるその声は、ルキナの声であった。

『声』に指摘されるまでは、全く気が付かなかったのに。

 それでも、一度気付いてしまえば、どうしてそれに気付かなかったのか分からない位に、それはハッキリと其処に在る。

 

 そして、数多の声に導かれる様に、指に絡み付く糸に手繰り寄せられる様に、ルフレの意識は何処かへ浮上していった。

 

 ……その場に、『声』だけを残して。

 

 

 ── ……さようなら。もう一人の「僕」よ。

 ── どうか、君は幸せに……。

 

 

 最後に、そんな『声』の言葉が聴こえた気がするが。

 それが「現実」であるかは、定かではない。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「ねえ、大丈夫かな……?」

「……ダメかもしれんな……」

 

 

 

 とてもとても懐かしい声が、そっと聞こえてきた。

 そしてその声を認識した途端に、そよぐ風と揺れる叢が肌に触れる感覚を知覚する。

 ゆるゆると、意識が「世界」を知覚して。

 そして最後に、ゆっくりと目を開けたそこには。

 

 泣きたい程に大切で懐かしい、出逢いのあの日よりも歳を重ねた……ルフレの良く知るクロムとリズの姿が、あった。

 

 

 

「立てるか?」

 

 

 

 そう言いながら手を差し伸べてくる彼の姿が、かつての出逢いに重なるけれど、その手はあの日よりも更に、ルフレと重ねてきた日々の分だけ厚みがあって。

 ああ、「還って来れた」のだと、そう視界が滲んだ。

 

『死』をも覆してしまった自分が、この世界にとってどんな存在になったのかはまだ分からない。

 ただ……クロムの手を取る様に重ねた自身の右手には、あの烙印の様に刻まれた痕は無かった。

 それが『ギムレーの器』としての宿命からの解放を意味するのかは、まだ分からないけれど。

 それでもきっとそれは、「呪い」ではなく「祝福」だろう。

 そう、信じる事にした。

 

「未来」は誰にも分からない。

 それでも、再び自分がこの世界に帰り着けた事を、災厄の始まりになどしたくは無い。

 誰にも先が分からない「未来」を。きっと「正解」も「間違い」も無いこの世界を、精一杯生きていきたいのだ。

 

 ……こうして、手を差し伸べてくれる友が居れば。

 そして、共に生きたいと心から望む、愛する人が居れば。

 きっと、大丈夫だと、そう思える。

 例え『人間』とするには少し外れた存在に変わっていても、あんな哀しい怪物に成り果てる事は無いと信じられるから。

 だから今はただ、この再会の喜びを噛み締めていたかった。

 

 

 ……『消滅』と言う『死』を越えて。

 ルフレは、漸く世界に帰り付いたのだ。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆



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第三章『未来へと続く約束』
『竦む心、願いへの逡巡』


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 朝起きて、目覚めた時に愛する人が自分の傍に居る事が。

 指先にその柔らかな髪の手触りを感じる事が、彼女の声や息遣いを感じる事が、彼女の香りを感じる事が。

 それが何れ程の『幸せ』であるのか、何れ程の得難い「奇跡」であるのか……。ルフレはそれを日々噛み締めている。

 何よりも愛しい……彼女の声が自分の名を呼んでくれる事、そしてそれに返事が出来る事。

 その全てが、泣きそうになる程の「奇跡」であった。

 

「奇跡」を重ねてこの世界に再び帰り付いたルフレは、泣きたい程に『幸せ』な日々を。先は分からないけれどそれでも愛しい日々を。ルキナとその歩幅を合わせる様にして、ゆっくりと歩く様な速さで、共に生きていた。

『死』を越えて再び巡り逢ったルフレは、互いの願い通りに、その手を再び掴む事が出来たのだ。

 それが嬉しくて幸せで……余りにも居心地が良くて。

 これ以上を望んでしまえば、罰が当たってしまうのではないかと思う程に満ち足りていて。

 ルキナも、満ち足りた様に幸せに笑っているのだからと。

 ルフレは、そんな穏やかで幸せな日々に微睡んでいた。

 

 しかし、共に生きるからこそ、一歩進まねばならない。

 そんな時が、ゆっくりと……近付いてきているのであった。

 

 

 

 

 

「ルフレ、何時頃ルキナと結婚するんだ? 

 式の準備も色々とあるのだろう?」

 

 

 

 何時もの様に共に公務に励んでいたクロムが、目を通しサインした書類から目を上げて、唐突にそう訊ねて来た。

 ルフレは、丁度書類を纏めていた所で。

 唐突なその問いに、思わず硬直した様にペン先を止める。

 紙面に小さなインク溜まりができ始めた時、漸く。

 

 

「けっこん……?」

 ぼんやりと、そう呟いた。

 結婚。ルフレと、そしてルキナが……? 

 ……結婚……? 

 

「二人は恋人として付き合ってそれなりに経つし、共に一つ屋根の下に住む仲だ。

 将来の約束の一つや二つしているだろう。

 婚約はもう済んでいるんだろう?」

 

 

 クロムの言葉に、ルフレは思わず固まった。

 そして、必死に過去の記憶を掘り返して……。

 ……自分が、一度も。そう、一度たりとも。

 将来を誓う様な言葉を、口にした事が無い事に気付いた。

 

『愛』を告げた事なら、何度だってある。

 共に生きたいとも言った。

 しかしそれは、『婚約』などの様なものではなくて。

 ルフレとルキナの関係性は、依然『恋人』のままだ。

 同棲もしているのに、『結婚』と言うそれは『夫婦』と言うカタチは、未だそれを口の端に上らせた事も無い。

 

 

「……まさかとは思うが。ルフレ、お前……ひょっとしてまだ婚約も何も済ませていないのか…………? 

 それでルキナに無体を働いているならば、俺もルキナの『親』としては黙っていられないのだが……?」

 

 

 返答如何によってはお前相手でも容赦しないぞ、と。

 そう無言の圧力を掛けてくるクロムに、ルフレは必死で首を横に振ってそれを否定する。

 婚約だの結婚の約束だのの類いを何一つしてない事は確かであり、一つ屋根の下で共に暮らしている事も事実だが。

 少なくともルフレは、まだルキナに『無体』と評されるであろう行為は、何一つとして行っていない。何もしていない。

 互いにまだ、清い関係である……筈だ。

 それが良い事なのかどうかは別にして。

 必死に否定したルフレのその表情を見て、クロムは何処か呆れた様に深い溜息を吐く。

 

 

「だが、お前が帰って来てからもう三月は経ったぞ。

 あの戦いの前から付き合っていた事を考えれば、まだはっきりと婚約していないのはどうかと思うが……」

 

 

 ルフレが還ってくるまでに掛かった月日の事も考えると、ルフレはかなりの時間、二人の将来についてあやふやなままにしてしまっているのだろう。

 それを自覚した途端、ルフレは思わず自分のその行いに唸り頭を抱えてしまった。

 

 ……不味い、不味過ぎる……。

 ルフレ本人にその様な意図は全く無かったのだけれども、これでは不誠実にも程があるのではないだろうか。

 クロムに指摘されなければ、ルキナが何も言わないのを良い事に、ズルズルと『恋人』を続けてしまった可能性も高い。

『恋人』の関係性に不満がある訳では無い、だけれども、その関係性に留まる事だけで満足してはいけないだろう。

 ルキナがより確たる関係性を望んでいたかどうかは思い返そうとして見ても今一つ分からないけれど、そもそもルキナは自分の願望は隠そうとしてしまう節もある。

 本心ではずっと、ルフレからそう言ったカタチでの『約束』を望んでいたとすれば……余りにも酷な事をしてしまった。

 だが、一つ言い訳をするのならば、別にルフレの頭に最初からその考えが無かった訳では無いのだ。

 共に生きたいと願った事も嘘では無いし、そうして共に生きる時に『夫婦』などと言ったカタチであればとも思った。

 だが……。

 

 あの戦いの折には、ルフレはルキナの『使命』の重荷になる訳にはいかないとかなり自制していたし、故にあまりルキナの意識に負荷を掛けそうな『約束』は出来なかったのだ。

 だから、恋人関係になっても互いに清い関係のまま。

 ルキナに対し肉欲を一度たりとも覚えなかったかと言うと、全くそんな事も無かったのだけれども。

 ……あの時の、様々な柵に雁字搦めになっていたルキナには、そう言った肉体的な繋がりは却ってその心を縛る鎖になってしまいかねなかった為、そう言う欲求は強く封じていて。

 そして、こうして帰って来てからは、ただその傍に寄り添えるだけでお互いに満足してしまって……。

 その余りの居心地の良さに、その関係性を積極的に変化させねばと思う気持ちが欠けてしまっていたのだろう。

 ……考えれば考える程、益々言い訳の余地も無く最低だ。

 これでは愛想を尽かされても仕方の無い事なのでは……? 

 ルフレは思わず頭を抱えて呻いた。

 

 

「……まあ、お前達にはお前達なりの進み方があるのだろうから、俺もとやかくは言えんが……。

 だがな、ルフレ。やはり、『恋人』としての関係と、『夫婦』としての関係は、違うものだ。

 相手を愛し思い遣る事は変わらんが、『夫婦』になると言う事は、『家族』になる事なんだ。

 ……ルキナにとってのその意味の重さは、分かるな? 

 俺では、どうやってもあの子が亡くした『両親』にはなってやれないからな……。

 だからこそ、……あの子にとっての本当の意味での『家族』になってやれるのは、お前だけなのだろう……。

 ルキナを、頼むぞ」

 

 

 その言葉には、ルキナを思い遣る『父親』としての愛情が確かに籠められていた。

 ……クロムではルキナの本当の『父親』になれないのは確かだけれども、そこにある父としての「愛情」は本物だろう。

 

 クロムの強い眼差しに促される様に。

 ルフレは、ゆっくりと頷くのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 ……今でも。ふとした瞬間に、「あの日」の事を、思い返してしまう。「あの日」の光景が蘇ってしまう。

 夜眠る度に夢に見るのも「あの日」の事だ。

 崩れ消えて行くルフレのその身体を、絶望と共に見送るしか無かった「あの日」。

 掴んだ筈のその右手は、それを握り締めるルキナの手の中で解ける様に消えて……この手の中には何も残らなかった。

『思い出』以外は、彼は何も遺さなかった。

 そんな、「あの日」の記憶は。あの日見た、残酷な程に美しい……彼が消えて行った夕焼け空は。

ルキナ心の深い場所に今も大きな傷跡の様に刻まれている。

 

 こうして、ルフレが「この世界」に帰って来ても尚……いやだからこそ一層。「あの日」の喪失が、ルキナを苛む。

 再び、喪ってしまうのではないかと。

 こうして帰って来た事が幻であるかの様に、目を離した瞬間には何の痕跡も無く消えてしまうのではないかと……。

 そんな「不安」と「恐怖」は、どうしても消えないのだ。

 夜、ルキナが独り目を覚まして、横で眠るルフレのその温もりと鼓動と確かめている事を、ルフレは知らない。

 夕暮れの中でルフレが微笑む度に、「あの日」の光景が重なって、その手を繋がずには居られない事を、彼は知らない。

 

 ルキナにとっては、ただただ……ルフレが「この世界」に存在してくれているだけで、もうこれ以上は何も望めない。

 あの、無限に続くかの様に思われた、彼を待ち続けた日々に比べれば。こうして彼を再び『喪う』事を恐れる日々ですら……何にも代え難く『幸い』なのだから。

 同じ世界で、同じ時間の中で、共に生きられるのだから。

 これ以上を、どう望めと言うのだろうか。

 

 ……ルキナに課せられた『使命』は既に果たされた。

「この世界」には最早、ルキナが経験したあの様な形で滅びが訪れる事は無いであろう。尤もそれでも。

 人の世に争いは絶えず、今日もどこかで誰かが絶望に沈み、災厄の種は常に蒔かれ続けている。故に真に生きとし生ける者達が皆平和に満ち足りる事が叶う世界は未だ遥か彼方で。

 この先の遥かな未来でも「絶対に世界は滅びない」とは断言出来ない事は……ルキナとしては少し寂しいが。

 そればかりは仕方の無い事であり、ルキナが背負うべき『使命』でも無いのであろう。

 それは、その滅びを察知した人々が、何処かの未来で足掻くべき事であろうから。

『使命』を果たしたルキナは、もう自由だ。

 だから「この世界」でルキナはルフレを待ち続け、……二年待ち続けたルキナの元に、ルフレは再び帰って来てくれた。

 

 だからこそ、ルキナは恐れてしまう。

 もし、「これ以上」を望んでしまったら。望み過ぎたら。

 今度こそ、ルフレを永遠に喪ってしまうのではないかと。

 望んで、願って、足掻いて、抗って……それでもルキナは喪い続け、望みが叶った事など片手で数える程も無い。

 だからこそ、望み過ぎる事を恐れていた。

 望む事ばかりを覚えてしまえば、何時か、残酷な運命の女神が自分から何もかもを奪ってしまうのではないかと。

 そんな、論理的な思考でも理屈でも無い……「思い込み」と言っても良いそれが、ルキナの心を縛り続ける。

 それが、理屈に合わない「思い込み」であろう事は、ルキナ自身もよく分かっているのだ。

 しかし、それを自覚しているからと言って、それが意識的にどうこう出来るモノかどうかと言う事はまた別の話であるし、ルキナは分かっていても「思い込み」を振り払えない。

 

 喪い続けてきたからこその、後ろ向きなその「思い込み」は、ちょっとやそっとでは到底拭えないモノになっていて。

 そしてそれはきっと、「あの日」消え行くルフレに何も出来なかったからこそ、より深くルキナの心に根付いてしまった。

 もし再び「あの日」の様に喪ってしまったらと思うと、ルキナの心は竦み、それ以上を望めなくなる。

 

「この世界」にはルフレが居るのだから。自分の隣にルフレが居てくれるのだから……。それ以上を望む必要なんて無いだろうと、そう囁く己の心に従って。

 ルキナは、微睡む様な『幸せ』に閉じ籠った。

 望まなければ、この日々が変わる事は無い、傷付く様な事はきっと起こらないのだから……。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

『夫婦』、『家族』……。

 その二つの言葉が、グルグルと頭の中を巡り続ける様に、ここ数日に渡ってルフレを悩ませていた。

 勿論、その「意味」が分からないと言う訳では無い。

 が……実感と言うモノは無い。

 そもそも、「過去」の記憶が無いルフレにとって、『家族』も『夫婦』も、己には遠い「何か」だ。

 ……まあ、記憶があったとしても、実の父親であるファウダーがあんなのだったのだから、『夫婦』と言うモノはあまり実感が無い概念だった気もするが……。

 まあ、実感と言うモノが無くても。

『恋人』と言う関係性と『夫婦』と言う関係性が違う物である事は、ルフレも確りと分かっている。

 国の制度上でも、『恋人』関係にある場合と『夫婦』関係にある場合ではその扱いは全く違うのだ。

 そしてきっと、その関係性の確かさは、ルフレは元よりルキナにとってもまた欲するものであろうけれども……。

 しかしそれでも何処かに戸惑いとも躊躇いとも取れないモノを感じてしまうのは……。

「それ」が、本当にルキナにとっての『幸い』になるのであろうかと言う思いが、どうしても拭えないからであろうか。

 ……ルキナは、『絶望の未来』で、『家族』を喪った。

 そして、恐らくは今も尚。その傷は癒えていない。

 ルキナにとって、『家族』のカタチをした欠落は、誰にも埋められないモノであるのだろう。

 ……例え、もうあの『絶望の未来』は訪れないのだとしても、彼女の「経験」を変える事は神であっても不可能であるし、そして喪われたそれらが甦る訳でも無い。

 

 …………時の彼方の何処かに、『使命』からは開放された今でも、ルキナの心の何処かは囚われているのであろうか。

 喪ってきたモノの形に欠落した心の隙間を、埋める事は果たして叶うのであろうか。

 ルキナは、ルフレには彼女が心に引いている「一線」を越える事を許しているけれども。

 しかしだからと言って、その心の傷に無遠慮に触れて良いのかどうかと言う事は、全く別の話になる。

 まだ癒えてもいない……誰の目にも見えぬが故に、膿み爛れていても周りからは気付く事の出来ぬその欠落に。

 触れてしまった事が切欠で、より大きな痛みを与えてしまうのではないかと……。少しだけ瘡蓋が出来て痛みが薄れてきたそれを、無理矢理に掻き毟って剥がし惨い傷痕を曝け出してしまう結果になるのではないかと、そうも思うのだ。

 …………ルフレと共に過ごす日々の中で、ルキナが『両親』の影に心を苛まれる時間は少しずつ減っている様にも見えた。

 が、それは別にルフレの存在がその欠落を埋める事が出来たと言う事では無いのであろう。

 単純に、クロム達と過ごす時間よりもルフレと過ごす時間が増えたからだと言うだけなのかもしれない。

 しかし、『夫婦』になる、……『家族』になるという事。

 それは、ルキナに『家族』と言うモノを……もう取り戻せぬそれをより強く想起させる事になりはしないかとも思う。

 それが、少しだけ恐ろしいのだ。

 

 しかし、それと同時にやはり男として、恋人として。

 二人の関係性に覚悟と誠意を持つ事は必要であった。

 共に生きる、共に苦楽を分かち合う……。

 同じ世界で、同じ時の流れの中で、手を取り合って時を重ねて行く事。そしてそれを誓う事。

 そこにある『想い』自体に大きな違いは無いのだとしても。

 その関係性の確かさは、同じでは無い。

 だからこそ、難しい。

 

 ルキナは、ルフレと共に生きたいと、「あの日」もそう願っていた様に今も思ってくれているのだけれども。

 それと同時に、やはり今でも何処か。己の「居場所」とでも言うべきモノ、その存在をこの世界に留める為の楔、その身を寄せる為の寄る辺に、迷っている節はある。

 この世界に、ルフレと言う愛する存在が在っても。

 この世界に本来自分は存在するべきではない、と言う意識は抜けないのだろう。

『使命』から解き放たれても……いや、解き放たれたからこそ尚の事。ルキナは自らの心を縛る鎖を、放せない。

 そんな彼女に、『夫婦』と言う確かな居場所を。

『家族』と言う「帰るべき場所」を与えられるならば。

 それは、ルキナにとっては一つの確かな「救い」になるのではないだろうかと思うのだけれど。

 ……それを思い切れないのは、ルフレにとって『夫婦』と言う在り方に実感が持てないが故に、そこにある「繋がり」を今一つ信じ切れないからなのだろう。

 

 仲間達が愛する人と結ばれて『夫婦』として共に生きて行く姿は何時も見ているし、クロムが王妃を得てより確りとした良い王になっていったその姿も、そして愛情を育みながら共に支え合って生きているその姿も、幼い娘に有りっ丈の愛情を注いでいるその姿も、ルフレは知っているけれど。

 しかし、ルフレはそれを「見ていただけ」だ。

 いざ自分がルキナと『夫婦』になった時に、そうやって彼女をしっかりと支え合って生きていけるのかと思うと、少し不安になってしまうのだ。

 

 特にルフレは、一度ルキナを裏切ってしまっている。

「逝かないで」と願い追い縋る様に伸ばされたその手を。

ルフレは…………掴まなかった。

「必ず帰る」とすら、約束しなかった。

 そんな自分が、果たしてルキナのこれから先の一生に責任を持ってしまって良いのだろうかと。……そう思う。

 ……結局の所、ルフレは恐がっているのだろう。

 ルキナを傷付けたくないという事も嘘では勿論無いけれど。

 もっと……その根本の部分で恐れているのは。

 ルフレには、ルキナと『夫婦』になる様な資格など無いのだと、そう突き付けられ自覚してしまう事を恐れていた。

 だからこそ、逃げ回ってしまっていたのだろうか? 

 そうやって関係性を確かな形にする事から逃げる事は不誠実であると言う自覚はあるのに、それでも逃避しようとする。

 ……全く以て、我が事ながら愚かしい。

 必要なのは、覚悟であると言うのに。

 ルキナを『幸せ』にする覚悟、共に『幸せ』になる覚悟。

 それさえ決めれば、後はもう悩むだけ無駄でもあるのに。

 そして、既にそれを心から望んで、決意して。

そうして自分は自ら選択して、この世界に帰って来たのに。

 それでも、恐がってしまうのだろうか? 

 それは何とも臆病な話である。

 意気地無しと罵られても仕方の無い事だとすら思う。

 

 ルフレはそんな自分自身に呆れる様に溜息を吐いて。

 そして、クロムの元へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆



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『どうか、僕と』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 最近、ルフレが何かを思い悩み……何か言おうとして言い出せない様な、そんな視線を向けてくる事が増えた。

 それと同時に、何かと「今の生活に不満はないか?」と聞く様になったりと、どうにもおかしい。

 だが、問い返してもその歯切れは悪く。

 ルキナは、何となく収まりが悪いモノを感じていた。

 

 そんな中、ルキナは仕事の都合で王城を訪ねる事になった。

 今のルキナは、ルフレの護衛を兼任したその職務の補佐をしていて、割と頻回に王城を訪ねる事があるのだ。

 王城を歩き回る時は、聖痕が刻まれた左眼は眼帯で隠し、髪型も結わえ上げる様にして極力「ルキナ」との印象が被らない様にはしている。

 そのお陰なのか、今の所ルキナが「ルキナ」との関係を邪推された事は一度も無い。

 ……まあ、「ルキナ」はまだ幼く、こうして大人であるルキナとその印象が重なる事もそう無いだろうが……。

 …………かつて、この城に居る時に感じていた、胸を強く締め付ける様な痛みは、もう感じない。

 それはきっと、ルキナがもう「この世界」とあの『絶望の未来』についてある種の「納得」をしたからなのだろう。

 愛らしい幼子である「ルキナ」が皆から愛されている姿を見ても、まあ少しは寂しさの様なものはあれども、もう呑み込み切れぬ様な苦しみは何処にも無い。

「ルキナ」に対して自分と「同じ」存在だと言う感覚は既に無く。何処までも良く似た他人と言う意識になったのだろう。

 ……「この世界」はもう、あの『絶望の未来』とは決定的に違う「未来」を歩んでいる。

 ルキナが「過去」に干渉したからと言うだけでなく、「この世界」に生きる人々の選択の末に、世界は決定的に変わった。

 ……ルキナの居たあの『絶望の未来』は、何処にも無い。

 それを、他ならぬ自分の「心」が納得したからこそ。

 ルキナの心が、もうそれに苦しむ事は無いのだろう。

 

 どうして自分の世界はあんな結末になってしまったのか、それなのにどうして「この世界」は救われるのか、だなんて。

 

 誰にも言う事なんて出来なかった、心の奥底に沈めてきた醜い感情……幼いままに傷付いた心が泣き叫ぶ様に訴えていたその悲嘆を、ルキナはもう昇華させたのだ。

 それにはやはり、ルフレの存在がとてつもなく大きかった。

 

 ……あの『未来』を、本来は自分が在るべきだった世界を、あの世界でこの身に刻まれてきた絶望も悔恨も喪失も、その何れもを、ルキナは決して忘れる事など出来ない。

 例え何れ程に満ち足りた『幸せ』な日々を送ろうとも。

「過去」を「無かった事」にする事は誰にも出来ないのだ。

 何らかの要因で記憶を喪う……と言う可能性もあるだろうが、例え記憶を喪おうとも、この身体が或いは記憶に残らない無意識の何処かが、必ずあの『未来』を覚えている。

 ……例え『使命』を果たしていても、その心が完全にあの「過去」から解き放たれると言う事もない。

 だが、この身に、この心に、この魂に。……自分を構成する全てに深く刻み込まれた傷痕……或いは欠損であっても。

 その上を少しずつ何かで優しく覆っていく事は出来る。

 時折その傷痕が顔を出し、苦しくなる事はあっても。

 

 その上に積み重ねていたものがあればある程、その頻度も……そしてその傷痕に触れた痛みも、和らいでいくのだ。

 そして、そんな心の傷痕の上を優しく降り積もる様に覆ってくれたのは、ルフレとの日々のその温かな記憶であった。

 何か物凄く特別な……強烈な経験が、その傷痕を覆っていくのではなくて。寧ろ、本当に細かな日々の積み重ねが……小さな小さな淡雪の様な『幸せ』が主となって、その傷痕を優しく覆ってくれていた。

 …………「この世界」に在るべき存在ではないルキナに対して、たった一つの、唯一の、『特別な』存在であると……。

そんな直向きで温かな『想い』を向け続けてくれているルフレが居るからこそ、もう辛くは無いのだ。

 

 きっとルキナは、『帰る場所』が……自分にとって本当の意味での『居場所』が、ずっと欲しかったのだろう。

 それは「この世界」では決して手に入る筈も無いと諦めていたモノでもあり、……諦めていた筈でも無意識の内では、ずっと欲し続けていたモノでもあった。

 だからこそ、ルフレと想い結ばれた今のルキナには、かつて渇望するが故に感じていた痛みは、もう無いのだ。

 一度は喪ったけれど、彼は再びルキナの元に戻って来た。

 だからこそ、もう辛くは無い。

 彼が居るこの世界に、自分の『居場所』が……帰る場所があるのだと、そう思えるから。

 

 

 そんな事を考えながら城内のルフレの執務室に行くと、何故か其処にルフレは居なくて、代わりにクロムが居た。

 

 

「ああ、ルキナか。すまんな、ルフレは今席を外していてな」

 

「あ、そうなのですね。

 お父様は何かルフレさんにお話でも?」

 

「ああ……まあ、そんな所だな」

 

 

 クロムはそう頷くと、ルキナに座る様に勧めて来たので、ルキナは自分用に常備されているそれに座った。

 クロムは、何故か視線を少し迷う様に彷徨わせて。

 それにルキナが首を傾げていると。唐突に切り出してきた。

 

 

「ルキナは、ルフレと結婚する意思はあるのか?」

 

 

 突然のその言葉に、ルキナは驚き、何かを答えようにも言葉が出なくなった。視線はあらぬ場所を彷徨ってしまう。

 そうやって狼狽えるようなルキナを見て、クロムも自分の発言の唐突さを少し気まずく思ったのか、小さく頬を掻く。

 

 

「あ、いや……その流石に話が突然過ぎたな……。

 結婚するかどうかと言うのはさて置いてだな……。

 ルキナは、ルフレと過ごす事に何か不満や不安を感じていたりはしていないか? 

 …………もし、お前がルフレには言えない事があるのだったら、俺に話してみないか? 

 勿論お前が望まないなら、その話を聞いても俺はルフレに何か言ったりもしない。

 ……だが、ただ話をしたいんだ、お前と」

 

「私と話を、ですか……?」

 

 

 ルキナは思わず首を傾げた。

 

 

「ああ。……思えば、お前とはこうしてゆっくり話をする機会なんて、殆ど無かったからな……。

 あの戦いの中では、お前は『使命』の事や……何時かここを去る時の話ばかりをしていたし……。

 あの戦いの後も、ルフレが帰って来る迄はそれ所では無かっただろう?」

 

 

 クロムは、そう言って少し寂しそうに微笑んだ。

 ……確かに、クロムと気軽に話をした事は、そう無い。

 それは、ルキナが『両親』に対して線を引いていたからであり……『使命』を果たす為にも『両親』に甘える訳にはいかないのだと自制していたからでもあった。

 しかしこうして『使命』も果たされ、確かな寄る辺を得た今、これまでの様に逃げる様に距離を置く必要も無いだろう。

 だから、ルキナはクロムに向き合って、静かに話し始める。

 

 取り留めのない様な日常の話から、ちょっとした思い出話など、ルキナが思っていたよりも『父』との話は弾む。

 ……本当は、ずっとこうやって話してみたいと思っていたのだろうか? それは、ルキナにも分からない。

『絶望の未来』の事は、話さなかった。

 もう何処にも存在しない「未来」の事を話しても、『父』をただ悲しませ自分の心の傷を無意味に抉るだけであろうから。

 そして、クロムが尋ねて来た事。

「ルフレとの結婚を望むかどうか」に関して、ルキナはどう答えれば良いのか迷っていた。

 

 別に、ルフレに何か不満があると言う訳では無いのだ。

 ただどうしても。

 果たして自分に、ルフレと『夫婦』になる資格があるのかと言うその点が気がかりになってしまう。

『未来』に帰りたい、なんて事は無い。

 そもそも『使命』を果たした所で、ルキナが残してきたあの『絶望の未来』が果たしてどうなったのかなど分からない。

 だから、万が一「帰りたい」と願っても、ルキナがあの世界に帰る事は元より叶わないのだ。

『使命』を果たし、託された『希望』を不完全ながらも果たしたルキナには、「この世界」に留まる義務は無いけれど。

 それでも有り得べからざる「異物」でしかないと自覚しながらも、こうして「この世界」に留まっているのは。

 偏に、「この世界」にはルフレが居るからだ。

 ルキナにとっては、ルフレが居る場所こそが……ルフレが居る世界こそが、自分にとっての帰る場所であり、彼の傍が自分の居たい場所だ。

 

 だがしかし、そう想っている一方で。

「この世界」の存在であるルフレと、「この世界」に在るべきではないルキナが、果たして本当に、共に生きていても良いのだろうかと言う不安は、今でも少しはある。

「この世界」の何処かには、本来ルフレと結ばれるべき……自分では無い「誰か」が居るのかもしれないと、何時かルフレが、自分では無い『運命の人』に巡り逢ってしまうのではないかと思うと。僅かに躊躇いがあるのだ。

 ルキナは、今の『恋人』と言う関係性から『夫婦』と言うより確かな関係性に進む事に、足が竦んでしまう。

 それでも。彼とより確かな関係性に……『夫婦』になる事。

誰にも文句も付けさせない、自分こそが彼にとっての「特別」なのだと、そう心から思っても許されるその関係性を、ルキナが望んでいない訳は無い。

 だがそれをルキナの「思い込み」が阻む。

 そしてそれ故に、その不安や葛藤を、ルフレに伝える事も出来なかった。

 

 願っていても踏み出せない矛盾。

 そうやって踏み出せない事を何よりももどかしく思うのに、……それでも竦んでしまう心。

 願う事への躊躇いが、今でも心に刺さる小さな棘が。

 ルキナの心を、何処にも行けぬ様に縛っている。

 だがそうであっても、ルフレと過ごす日々は温かくて『幸せ』で……。そこから動かなくてはならない、動きたいのだと言うルキナの思いを、少しずつ削り取ってゆく。

 それを贈病だ惰性だと謗る事は難しくないが……。

 

 

「……なあ、ルキナ」

 

 

 ルフレとの関係の話になると次第に言い淀む事の多くなったルキナへ、心配そうな眼差しを送っていたクロムが、小さな溜息と共に、ぽすぽすと柔らかくルキナの頭に手を置いた。

 突然のその行動に驚いたルキナが目を丸くしていると。

 

 

「俺は、お前達が『幸せ』なら、どんな関係性であっても良いと思っているんだ。それが、『恋人』でも『夫婦』でも。

 ただ……、お前が本当に望んでいるのなら、それは確りと言葉に出さなくては、行動に移さなくては、伝わらない。

 ……お前がこれまで経て来た苦難は俺では理解しきれるものではないのだろうし、だからこそお前が苦しみ続ける理由を全て理解してやれるかは分からん。

 だが、そうやって寂しそうな顔をする位なら、自分の心に従えば良い。心の望みの声を、聞いてやれば良い。

 それが何であっても、俺はその望みを後押ししよう。

 だからルキナ。……お前は、どうしたい?」

 

 

 ルフレと、『夫婦』として、生きたいのか、どうなのか。

 クロムはそう真っ直ぐにルキナを見詰め、尋ねる。

 

 

「私、は──」

 

 

 そんなクロムに。ルキナは初めて。

 その心の内の「願い」を明かしたのだった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「……そろそろ出てきたらどうだ?」

 

 

 クロムにそう言われ。

 ルフレは身を潜めていた収納棚の中から姿を現した。

 

 ……ルキナに、婚約の誓いを立てようと、そう決意したのは良いのだけれども。少しだけ踏ん切りがつかなくて。

 それで、どう切り出せば良いのかと、クロムに相談しに行った所、クロムは呆れた様な顔をして。

 そして、そこに隠れている様に、と。

 ルフレの執務室の収納棚にルフレを押し込めた。

 何が何だかさっぱり意味不明で混乱したルフレだったが、一体何の意図なのかとクロムに問い質そうとしたその時。

 ルキナが、執務室にやって来て、出るに出られなくなった。

 その為、ルキナとクロムが話している内容を、結果として隠れて盗み聞きしてし

まう事になった訳なのだが……。

 

 

「ルキナ……」

 

 

 ルフレは、ルキナへの申し訳なさと自分の不甲斐無さへの呆れに、思わず深い溜息を零してしまう。

 

 ルキナがクロムに語った事。

「望み過ぎる」事を恐れる心、そうすればこの『幸せ』を喪ってしまうのではないかと言う「思い込み」も。

 自分にルフレと結ばれる「資格」が本当にあるのかと、悩み踏み出す事が出来ないと言う葛藤も。

 

 本来ならば、ルフレが先に気付いてそれを解消しなくてはならない事であったのだし、そもそもルフレがもっと早くに思い切ってルキナに求婚するべきだったのだ。

 ルフレの煮え切らない曖昧な態度が、ルキナをより苦しめてしまったのだろう……。

 だからこそ、ルフレは自身に忸怩たる思いを懐いてしまう。

 

 そんなルフレの背中を、クロムが力強く叩いた。

 結構な力が入っていたので、ルフレも驚く。

 

 

「ちょっ……結構痛かったんだけど今の……」

 

「すまんな力加減を間違えた。

 まあそこで独りウジウジと反省会をする位なら、先にやるべき事はあるだろう? 

 前にも言った様に、俺ではあの子の望みを叶えてやれん。

 ……ルキナの望みを叶えられるのは、お前だけなんだ」

 

 

 ……愛する妻を得て、そして「ルキナ」と言う愛娘を得て。

 姉や妹と言った「血」の繋がりではない、もっとまた別のモノで繋がった、自分の新たな『家族』を得てから。

 クロムは、随分と変わったと思う。

 初めて出逢ったあの日の様な、熱意が身体を振り回している様な感じでは無くて、より思慮深くなった。

 元々その懐はとても大きかったのだけれども、最近益々それの深さを感じる事がある。

 クロムは、ルキナの「本当の父親」にはなれないと言っているしそれは事実だけれども。

 ルキナの『幸せ』を案じるその姿は、間違いなく「父親」に違いなかった。

 ……それが何だか嬉しい。

 

 

「それは…………。……うん、そうだね。

 遅くなってしまったかもしれないけれど。

 僕は僕なりに、その責任を果たしに行くよ」

 

 

 ルフレがそう決意して頷くと。

 クロムは安心した様に笑った。

 

 

「全く、俺の『半身』は随分と手が掛かるな。

 まさか、ルキナを傷付けないかと心配でどうしたら良いか分からない、なんて相談されるとは夢にも思わなかったぞ。

 ……傍から見たら、これ以上に無い位思い合っているのは分かるのに、妙な所で互いに足踏みしたり尻込みして微妙にすれ違っているのは、似ているのか何なのか……。

 ……『家族』が必要なのは、きっとお前もなんだ。

 だから。ルキナと二人で、ちゃんと幸せになれ、ルフレ。

 お前が一生を掛けて果たすべき『使命』は、それだからな」

 

 

 そうクロムから贈られた心からのエールに背を押されて。

 ルフレは、ルキナの元へと駆け出すのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 結局ルフレに逢えないまま、必要な仕事を終えたルキナはルフレと住んでいる家に帰って来た。

 するとそこには。

 平素の穏やかなそれとは違う、戦場にて指揮を執っていた時の様に真剣な面持ちのルフレが、ルキナを待っていた。

 

 

「あの……ルフレさん?」

 

 

 何かあったのかと、そうルキナが尋ねようとしたその時。

 

 

「ルキナ。……君に、伝えたい事があるんだ。

 聞いてくれるかな?」

 

 

 訊ねる様な口振りではあるが、そこには有無を言わせぬ迫力の様なモノがあり、元より聞かない理由も無いので、ルキナは少し驚きつつも頷く。

 そんなルキナに、ルフレは静かに語り掛け始めた。

 

 

「……僕は、こうしてこの世界に帰って来れてからずっと、……君とこうして日々を過ごせる事が堪らなく『幸せ』で。

 だからこそ、この時間を壊してしまうかもしれない『変化』を、恐がっていたんだと思う。

 そして、そうやって『変化』を恐れていたからこそ。

 もし、その『願い』が全部僕の独り善がりで……君を酷く傷付けてしまうかもしれないと思うと……。

 僕には、それを誓う『資格』なんてないのかもしれないと。

 それを直視しなくてはならない事が、恐かったんだ。

 でも……。自分の気持ちにも、そして君自身の想いにも、向き合う事から逃げ続ける事は、誠実な行為ではない。

 ……二年以上も僕を待ってくれていた君には、もっと誠実に向き合わないといけないと、……そう思うんだ。

 だから……聞いて欲しい」

 

 

 ルフレは、静かにそう言うと。

 その眼差しを静かに揺らして、そしてその手を緊張からなのか、強く握り締める。

 ルフレが何を伝えようとしているのか、ルキナには分からないけれど。何故か鼓動が早くなっていった。

 

 

「……僕は、君を遺して逝く事を承知の上で、ギムレーと心中する事を選んでしまった身だ。

 ……あの選択には、今でも後悔はしていない。

 だからこそ──そんな僕が、……一度はこの手で君を『幸せ』にする事を諦めてしまった僕が、君と人生を共に過ごす資格などあるのだろうか、と。そう……考えてもしまう。

「必ず帰る」とすら約束出来なかったのに、二年も君の時間を縛ってしまった……。

 君を『幸せ』にしたいとそう心から願っていた筈なのに、君を何よりも哀しませてしまった……。

『喪失』の痛みを、再び君に与えてしまった……。

 そんな僕に、君を『幸せ』にする資格はあるのか……。

 その答えは、今も分からないままだ。

 それに……僕は一度、完全にこの世界から消滅した身だ。

 でも、何も遺さず消滅した筈なのに、僕は今ここに居る。

 僕はもう『ギムレーの器』ではないけれど、今の僕が『何者』であるのかは分からない。『人間』であるかすらも……」

 

 

 ルフレが静かに語る言葉に、ルキナは何も返せない。

 そんな事は無いと返すのは容易いけれども。

 だがそもそも、そうルフレが語る言葉は、ルキナ自身も己に問わねばならない事である。

 そこにどんな事情が在れ、ルキナは一度想い合っていたルフレに剣を向け……殺そうとした。

 ルキナはその瞬間、言い訳のしようも無くルフレよりも「世界」を……『使命』を選んだ。

 あの時のルフレは、自分の意志を踏み躙られて操られた事への恐怖や……『炎の紋章』をファウダーの手に渡してしまった事への後悔に沈んでいて……ルキナの支えを必要としていた筈だっただろうに。ルキナは、それを斬り捨てたのだ。

 一度は自身の手でルキナを『幸せ』にする事を諦めて命を投げ捨て、ギムレーと共に心中する事を選んだルフレと。

 一度はその命を奪おうと剣を喉元に突き付けたルキナと。

 どちらが、相手と人生を共にする「資格」が無いのかなんて、一々考えるまでも無い。

 その罪を相殺する事なんて出来はしないだろう。

 

 それに、ルフレは、今の自分が『何者』であるのか分からないなんて言うけれど。

 それは、ルキナの方こそ言わねばならない事である。

 既に「未来」は分かたれた。

 分かたれたその『未来』がどうなったのかなんてルキナには分からないし、その『未来』からやって来た自分自身が一体この先どうなるのかも分からない。

 ある日突然、「世界」から拒絶される様にその存在が消えてしまう可能性だって無くはないだろう。

『時間』に干渉する、それを変えると言う結果の先がどうなるのかなんて、この世界の誰も知る事では無いのだ。それ故に、可能性だけなら文字通り「何が」起こってもおかしくは無いだろう。それに比べれば、ルフレがもしかしたら『人間』ではないかもしれない事なんて、些末なモノだと、そう思う。

 少なくとも、ルキナにとってはそうだ。

 

 

「そんな……「資格」なんて……。

 私の方が、無いですよ……。

 ルフレさんと生きる「資格」が本当にあるのかなんて……。

 ……でも、それでも……私は……」

 

 

 貴方の傍に居たいのだと、それだけは譲れないのだと。

 そう言葉にしようとした時だった。

 

 

「だけど、僕には君だけしか居ない。

 君以外の人を、君以上に愛する事は無い。

 僕が人生を共にしたいと……先の見えない「明日」を共に生きたいと望むのは、君だけなんだ。

 僕は、僕の出来る全てを賭けて、必ず君を幸せにする。

 僕の人生の全てを、君に捧げると誓うよ。

 こんな僕でも君と一生を共にする「資格」があるだろうか?

 君を愛し続けても、良いだろうか? 

 もし、君がそれを赦してくれるなら、どうか……。

 僕が君と人生を共に歩む事を許してくれるのなら。

 これを……受け取って欲しい」

 

 

 そう言って、ルフレはその懐から、小箱を取り出した。

 丁寧にそっと開かれたそこには。

 美しい細工の指輪が、収められていた。

 

 透き通る水底の様な深い蒼の宝石が、蝶の羽を模す様な彫り込みの中に嵌められていて。

 そしてその周囲には、白銀に輝く宝石と淡い紫の宝石が指輪に彩を添える様に嵌め込まれている。

 細工の見事さから、相当腕の良い彫金師が手掛けたのだろう事が分かる指輪だった。

 飾りの宝石も、付けたままでも手の動きの邪魔にならない様な大きさになっていて。

 ルフレの想いが、伝わる様な。そんな素敵な指輪だった。

 

 こうして指輪を送られる意味は、ルキナも分かっている。

 そして、それを受け取る意味も。

 それは、ルキナの心からの望みで。

 今も、泣き出してしまいそうな程に、この胸には歓喜が満ち溢れているのだけれども……。

 ルキナはその指輪を受け取る事を躊躇ってしまう。

 だけれどもそれは、ルフレに問題がある訳では無い。

 ルキナの、心の問題だ。

 

 

「……有難うございます、ルフレさん。

 でも……怖いんです、それを受け取るのが……。

 こんなにも沢山、『願い』が叶ってしまえば。

 その代償に、ルフレさんがまた……消えてしまうんじゃないかと思うと……。不安で、仕方が無いんです……」

 

 

 自分に都合の良い事ばかりが起こるなんて有り得ない。

 望み過ぎれば、代償の様に大切なモノを喪ってしまう……。

 ……そんな「思い込み」が、ルキナの心を最後に縛る。

 

 本心では、その指輪を受け取って愛を誓いたいのに。

 心を縛る鎖が、ギリギリとその手を押さえつけてしまう。

 

 そんな「思い込み」に苦しむルキナに、ルフレは……。

 

 

「……消えないよ」

 

 

 そう言いながら指輪を一旦仕舞って。

 ルキナをそっと優しく抱き締め、その耳に自分の鼓動の音が聞こえる様に、自身の胸にルキナの頭を抱き寄せた。

 ルキナの耳に、ルフレの鼓動が、その命が燃える音が届く。

 ルフレが確かに此処に生きている事を主張する様に、その温もりがルキナに伝わる。

 ルキナの心の一番柔らかな場所に、傷付き果てた傷痕の近くに、その音と温もりは響く様に伝わっていく。

 それにどうしてか、ルキナは声を上げて泣きたくなった。

 少し見上げると、ルフレはルキナを安心させる様に微笑む。

 

 

「……ルキナが僕の名を呼んでくれるのなら、僕を必要としてくれるなら……僕はもう絶対に消える事は無い。

 例え何があったって、君の所に必ず帰ってくる。

『死』だって乗り越えてこうして帰って来たみたいに。

 何度だって何度だって……。

『人間』じゃなくなったって、絶対に君のもとに帰る。

 だって、君の居る場所が、僕の帰る場所だから。

 君の事を、誰よりも愛しているから。

 だからもう、君を置いて消えたりなんかしないよ。

 もし何があっても、必ず帰る。そう『約束』する」

 

 

 ……何の根拠もない言葉だ。

 こうしてギムレーと共に消滅する筈だったルフレが還って来てくれた事だって、到底起こり得ない程の『奇跡』だったのに……「絶対に」なんて、何の保証も無い言葉だ。

 それでも、「あの日」は交わしてくれなかった『約束』を、ルフレはこうして今ルキナに誓ってくれている。

 それが、どうしようもなく嬉しくて。

 心を縛る鎖は、少しずつ解けていく。

 ルフレの温もりが、想いが、言葉が、溶かしてゆく。

 

 

「ルフレさん。

 ずっとずっと……歳を取って……何時か共に眠るその日まで、ずっと一緒に居て下さい。

 もう、何処にも行かないで下さい……」

 

 

 何とも身勝手で欲深い「願い」を言葉にしながら、ルキナはルフレに縋り付く様にその身体を抱き締める。

 そんなルキナを愛し気に見詰めたルフレは、その耳元に囁く様な声で応えた。

 

 

「ああ、約束する。

 二人で、一緒に歳を重ねていこう。

 お爺さんとお婆さんになっても、僕はずっと側に居る。

 愛してるよ、ルキナ」

 

 

 そして、柔らかな口付けを、ルキナの頬に落とした。

 それに、ルキナ温かな歓喜の涙を零す。

 

 

「私も、心からルフレさんの事を愛しています。

 貴方は、私にとって世界で一番大切な人なんです。

 私も、私の全てを賭けて、貴方を幸せにします。

 だからどうか、一緒に幸せになりましょう」

 

 

 何時か、ルキナは時の環から弾き出されてしまうかもしれない、ルフレの身に何かが起きるかもしれない。

「未来」は……、これから先二人が「今」を積み上げていった先にあるそれは、まだ誰にも分からないけれど。

 それでも、何が起きたって。二人でなら、きっと『幸せ』を見付けられる。何処に居たってルフレと共に居れば、そこがルキナにとっての『幸せ』が在る場所なのだから。

 

 

 

「ルキナ……。僕と、結婚してくれるかい?」

 

「ええ……喜んで」

 

 

 ルフレから指輪を受け取ったルキナは、『幸せ』その物を抱き締める様に、指輪を大切に抱き締める。

 かつて、ルキナはあの『絶望の未来』で、『家族』を喪った。

 ……喪ったそれを取り戻す事は例え時を遡っても叶わなかったが……。それでもそうして辿り着いた「この世界」で、ルキナは新しく愛しい者に巡り逢い、想い結ばれた。

 そして、……新しい『家族』を得た。

 それは、幼いルキナが求め泣いていた、『親』と『子』と言うカタチの『家族』ではないけれど……間違いなくそれと同じかそれ以上に愛しくて求め続けていた『家族』の在り方だ。

 老い衰え、何時か共に『死』の御腕の中で安らかに永遠の平穏の中で眠るその時までの、長き時を共に生きる『家族』。

 決して互いを孤独にはしないと言う、強い強い約束で結ばれた、何よりも愛しい存在。

 

 ……ルキナは、きっと今漸く。

 本当の意味で、確固たる『居場所』を……心の寄る辺を、『家族』を、手にしたのだろう。

 

 この『幸せ』を永遠に心に刻み付ける為に。

 ルキナはそっとルフレと深い口付けを交わすのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆



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第四章『一番の宝物』
『新たな祝福と戸惑い』


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 ルキナがルフレと結ばれてから、半年近くが過ぎていた。

 元々同じ家に住んでいた事もあって、生活自体にそう大きな変化があった訳では無いけれども。

 それでもやはり様々な事が、『恋人』として過ごしていた時とは異なっていて。

 まあ、特に。所謂肌と肌を重ね合わせる類いの愛情表現をルフレがする様になった事は、大きな変化と言えるだろう。

 律義と言うか、誠実と言うか。

 恋人であっても婚前の女性に手を付ける事は彼としては自制するべき行いであったらしく、色々と我慢していた様だ。

 戦争の最中の時も、そして消滅から還って来てからも。

『恋人』の関係であった時のルフレは、ルキナとその類いの行為をした事は無いし、しようとした素振りも無かった。

 精々が、少し深く情熱的なキス位で。

 だから、もしかしてルフレはそう言う事に関してはそこまで興味関心が無いのか、或いは物凄く淡白なのかとそう密かにルキナは思っていたのだけれども、それは全くの見当違いであったらしく。

 結婚してからは、ルフレとそう言う行為をする様になった。

 初夜の時に、文字通り自らの貞操を彼に捧げた事は、今でも思い返すと色々と気恥ずかしくて顔が火照ってしまうけれど、それでも物凄く『幸せ』な記憶であった。

 まあ、互いにその手の行為は知識こそあっても不慣れであったのであの時は本当に色々大変だったのだが……それも、良い思い出だったとしておこう。

 緊張し過ぎたルキナが混乱の余りルフレの腕を握力で潰しかけたとか……今となっては笑い話になる、筈である。

 まあそんなこんなで、他人の情事の事情など詳しくは知らないので比較は出来ないが、数日置き程度の頻度でルフレとルキナは肌を重ねていた。

 ルフレはルキナに気を遣っているのか、無理をさせない様にと、とにかく優しくしてくれる。

 ルフレは何時も優しいが、平時のそれを遥かに越える優しさでルキナを抱いてくれていた。

 それでルフレが欲求不満ならルキナも申し訳無くも思うが、当のルフレはそれは幸せそうにルキナを抱いているので、恐らく「無体」と言われそうな強引だったり乱暴な行為は彼の好みでは全く無いのだろう。

 ルキナとしても、「ひどい事」をされるよりは、ルフレから甘い愛の言葉を囁いて貰いながら優しく抱かれる方が良い。

 

 そんな風に私的な部分の生活が『夫婦』になってからより充実しているのと同様に、公的な部分の生活も充実していた。

 帰って来てから暫くの間は雑務を中心にクロムの補佐を仕事にしていたルフレであったが。現在かなり老齢に達している宰相に、その後継者にどうかとクロムやフレデリクなどが推した結果、彼のお眼鏡に適ったらしく。今は宰相補佐と言う名の宰相見習いとして日々忙しそうにしている。

 ……軍師としてイーリスを支えてきたルフレであるが、戦事にばかりその力を使う事に少し悩んでいた様なので、そうやって自分の能力を内政を支える事に役立てられるのなら、ルフレにとっては間違いなく嬉しい事であるのだろう。

 日々覚える事が山積みで大変そうではあるけれど、生き生きとしているルフレをみているとルキナも嬉しいものだ。

 元々ルフレは物覚えが良いし、要領も基本的には良い。

 料理や芸術的な絵を描く事はかなり苦手である様だけれど、まあ人間一つや二つ不得手なモノはある。

 ルキナも、訓練中に加減を誤って物を壊す事は今も多い。

 宰相補佐として忙しそうに各所を飛び回るルフレに、護衛として付いていくルキナもまた日々が充実していて。

 公私共に満ち足りた日々を、ルキナとルフレは送っていた。

 

 しかし最近、少し疲れが溜まっているのか、ルキナは少し自分の体調がおかしい気がするのだ。

 匂いの強い食べ物が少し苦手になったり、思えばここ最近味付けの好みも少し変わった気がする。

 また、日中でも時折眠気を感じる事があって。

 風邪でも引いただろうかと思うけれど、特には何もない。

 だけれども、ルフレはそんなルキナの変化を心配して、医者に診て貰おうと休日にルキナを連れ出した。

 そして……。

 

 

 

「おお、おめでとうございます。

 奥様は、ご懐妊されていますよ」

 

 

 ニコニコと微笑んでいる医者のその言葉に。

 ルフレもルキナも、思わず驚きの声を上げるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 ルキナが、妊娠した。

 今は目に見える変化は無いのであるが、その腹には、ルフレとルキナの……『子供』が居る、と言う事になる。

 ルフレは、それを聞いて理解した筈……なのではあるが。

未だにその事実には何処か現実感が無く、どうすれば良いのかと戸惑ってばかりいる。

 

 いや、自分達の間に『子供』が出来る事自体は、何もおかしな事では無いのだ。

 ルフレとルキナは、度々性行為を行っているし、その際に特に避妊はしていなかったので、まあ『子供』が出来る事自体は自然の摂理であろう。

 が、それはまだ先の事になるだろうかと思っていたのだ。

 何時なら良いのかと問われればそれはそれで答えに窮するが……少なくともまだ結婚してから半年程度なのだ。

 ルフレの心の準備と言うモノは、全くと言って良い程、出来てはいなかった。

 が、妊娠に関して一番不安を感じているのは、ルフレでは無くルキナであろうから、ルキナの前では狼狽えたり混乱している姿は極力見せない様にしているのだけれども。

 しかし、冷静さを幾ら装うとも、ルフレが混乱しきっている事に変わりはない。

 

『子供』を、望んでいないと言う訳では無いのだ。

 寧ろ、ルキナとの間に、新たな命が芽生える事があるのなら、それはとても素敵な事であろうと心から思っていたし、ルキナに似た子供に囲まれる夢を見た事もある。

 妊娠を祝福していない訳では無いのだ。

 だけれども。

 そんな夢を見る傍らで、ルフレには『子供』を授かる事に関して、どうしても気掛かりな事があった。

 

 その一つが、ルフレが『ギムレー』の血を引く……と言うよりも『ギムレー』そのものであると言う事実だ。

 あの烙印の様な痣は、もうこの身からは消え失せ、『ギムレーの器』としてからは解放されている……とは思うのだが。

 果たして本当にそうなのかは確証が未だに持てない。

 更に言えば、『ギムレーの器』としての宿命自体からは解放されていようとも、この身体に「異質」な血が流れている事には全く変わりが無いのだ。

 もしその「異質」な血の所為で、何時か我が子が苦しむ事になるのではないかと思うと……その不安は拭えない。

 況してや、ギムレー教団の様な『ギムレー』の狂信者がそう言う血を求めて何かを仕出かさないとも限らない。

 ギムレー教団自体は、『ギムレー』との決戦の後にクロム達が念入りに解体して、もう残党と呼べる様な者も残っていないとは言うが……だが地下に潜っている可能性はある。

『ギムレー』そのものではなくとも、『ギムレー』に近い悍ましい何かを生み出そうとして、今後そう言った連中が暗躍する可能性は常に考えておかねばならない。

 ……そして、そう言う妄執と狂信に憑りつかれた者達の執念は、決して甘く見て良いモノではない。

 グランベル伝承に伝わる悲劇も、その裏に在った狂信と妄執の結果だとされているし、ルフレが『ギムレーの器』として生み出された……否、「造られた」事も、ハッキリと言えば怖気立ち吐き気を覚える程の狂気と妄執の結果だろう。

 

 少なくともファウダーの祖父の代から、『ギムレーの器』を造り出そうと試行錯誤が繰り返されていた様であるし、更にそれよりも前に遡る事だって出来るだろう。

 ルフレと言う「完成品」を得る為に、どれ程の「未完成品」や「失敗作」が生み出されていたのだろうかと想像するだけでも恐ろしいし、ルフレに腹違いの兄弟やらが大勢いてもおかしくないと思っている。存在したとして……そう言った「未完成品」の者達が今も生きているのかは分からないが……。

 まあ、ルフレが生まれた背景には、悍ましい事情が渦巻いていたのだろうとは思うのだ。

 幸いな事に、ルフレはそれを知らないしその記憶も無いが。

 そんな訳で、この血を引き継ぐ事が果たして良い事なのか……何時かこの血が我が子への『呪い』にならないかと思うと、子供が出来た事を手放しでは喜べないのだ。

 血の『呪い』の恐ろしさを、ルフレは身を以て知っている。

 無論、それが全てでは無いのだけれど、それを打ち破る程の「何か」を手にする事もまた、とても難しいものだ。

 だからこそ、我が子にそんな血の災禍を押し付けたいと思える訳も無いのである。

 

 それに、『ギムレーの器』としての血だけでなく、ルフレが「異質」な点はもう一つある。『消滅』と言うカタチの『死』を、一度超越してしまっているという事だ。

 正直、こうしてこの世界に自分が還って来れた原因は、ルフレ自身にも未だに分からないのだ。

 ルキナやクロム達との繋がりや、彼等の想いがあったからこそだとは思うけれども。しかしそれが在ったからと言って、完全に無へと還る様に消滅した者が、その『死』を乗り越えて再び舞い戻る事など普通ならば出来はしないのだ。

 魂呼ばおうにも、そもそもの肉体すら欠片も遺さず消滅していたのだから、呪術の中でも伝説の秘奥……禁呪の一つである「反魂」なり「死者蘇生」とも訳が違う事なのである。

 

 物質的な「無」から「有」は生まれない。

 だが、ルフレはそれを覆してしまっている。

 一度完全に消滅した自分と、今の自分。

 果たしてそれは同じであると言えるのであろうか? 

 肉体を構成する全てが、「あの日」よりも前と同じモノであると……果たして本当に言えるのであろうか? 

 それは、ルフレ自身にも分からない。

 少なくとも表面上、ルフレが自分で知覚出来る範囲では、かつての自分のそれとあまり変わり無い様に思えるけれど。

 この身体を切り裂いて隅々まで観察した訳では当然無いし、そもそも自分自身の事であろうともその全てを自らの意識が知覚出来る訳では無いのである。

 ルフレの分からない部分で、何かが決定的に「違って」しまっている可能性だって完全には否定出来ないだろう。

 だからこそ、それが恐ろしい。

 今の自分は、自分を『人間』だと思い込んでいる『人間』ではない「何か」であるかもしれないのだ。

 ルフレ一人の問題に留まるのであれば、別にもう自分が『人間』のフリをしている化け物でも何でも良いのだけれども。

 そんな存在の子供として生まれる我が子が、それの所為で辛い思いをしないだろうかと思うと、とても不安になるし、故に悪い想像は止まる事を知らない。

 その不安を払拭する術が無いが故に、その実体の無い「不安」は際限なく膨らみ続ける。

 

 そして最後に一つ。最も不安を生み出す種とは。

 ルフレが、『親』と言うモノを、知らない事であった。

 ルフレには、「過去」の記憶が無い。

 この世に生まれ落ちて、そしてあの出逢いの日にクロムの手を掴んだ瞬間までの一切の「過去」を消失している。

 そして、クロムに出逢ってから唯一巡り逢った「肉親」は、よりにもよってあの狂人ことファウダーである。

 ファウダーにとってのルフレは「我が子」ではなくて『ギムレーの器』でしかなかったし、ルフレとしての意識とその心は彼の神である『ギムレー』にとっての「不純物」でしかなかったであろう。

 事実、あの男から「情」の類を感じた事は数回の邂逅の中でも一瞬たりとも無かった。

 まあ、万が一あの男が親子の情愛に満ち溢れていても、それは彼の狂信に我が子を捧げる事を「愛」と信じて疑わない吐き気がする程傲慢なモノであっただろうけれど。

 ……と、まあ。ルフレは『親』と言うモノと、その愛情を自身の経験としては知らないのである。

 クロム達親子や仲間達の家庭を傍で見ていて、何となくこれが『親子』と言うモノなのだろうと感じる事はあるのだけれど、自分がそう言う愛情を向けられていた経験が無いが故に、我が子を正しく愛せるかが不安になる。

 ルフレの消えてしまった「記憶」の中には、恐らくは乳飲み子であったルフレを抱えてファウダーのもとから逃げ出したと言う母の記憶はあったのだろうけれど。

 どうにかその記憶の輪郭だけでも思い出せないだろうかと頑張ってみるが、結果は全く以て芳しく無くて。

 ……まあ……ルフレの記憶は単なる物忘れの様な形で喪われた訳では無くて、この世界に『ギムレー』が跳躍して来た際にルフレと『ギムレー』が混ざり合った衝撃で壊されてしまったモノであるらしいので、それを復元する事は元々不可能であるかもしれないのだけれど……。

 そんな訳で、ルフレは『親』を知らない。

 だから、正しく良き『親』に……特に『父親』になる自信が無いのだ。

 それが一番不安な事であった。

 

 

 そんな風に悩みを抱えていても、ルキナが身籠っている事実は変わらないし、覚悟は決めなければならない。

 だがしかし……と悩んでは、ここ最近のルフレは事ある毎に溜息を吐いてしまうのであった。

 そんなルフレを見かねてか、クロムが仲間の男連中を誘って小さな酒宴を開いてくれる事になった。

 ちなみに、クロムはもうルキナの妊娠を知っている。

 ルフレ達が真っ先に伝えに行ったからだ。

 まだ実の娘であるルキナは幼子であるのに、もう「初孫」が産まれると言う事には、喜びと共に少し複雑な顔をしていたが……。まあ何にせよクロムは大喜びしてくれた。

 

 今となっては随分と懐かしい、自警団時代から使っているアジトに集まって来た仲間達は、皆妻帯者である。

 戦時中や、ルフレが還って来ていなかった二年間程の間に、皆其々に家庭を持っていたのだ。

 産まれたばかりの小さな子供が居る仲間も多く、そんな彼等の体験談は実に参考になる。

 だが、彼等の話を聞く内に段々と、果たして自分はここまで立派に『父親』が出来るだろうかと不安になってしまった。

 また溜息を吐いてしまったルフレの背中を、ヴェイクが勢いよく叩いた。加減してなかったのか、とても痛い。

 抗議する様にヴェイクを見ると、ヴェイクは変わらぬ豪快な声でルフレの悩みを笑い飛ばした。

 

 

「ったく、湿気た面してんじゃねーぞ、ルフレ! 

 子供が出来たってめでてー話なのに、そんな辛気臭い溜息ばかり吐いてたら幸せが逃げるぜ! 

 ま、この俺様と違って、父親になるのが不安だって思ってるんだろうけどよ。

 んなの今からウジウジ考えてったって仕方ねえさ! 

 どーんと構えて嫁さんを安心させてやれよ! 

 そうじゃなきゃ漢が廃るぜ!」

 

 

 元気付けようとしてかそう豪快に言い切ったヴェイクには、もう少しで一歳になる子供が居る。

 一度その顔を見に行ったが、母譲りの顔立ちだが目元の辺りは確かにヴェイク似の可愛い子供であった。

 元から面倒見も良く明るいヴェイクは、きっと良い父親になるであろうと、ルフレは思う。

 ヴェイクの勢いに押される様に頷いたルフレに、そっとリヒトが耳打ちをした。

 

 

「あんなこと言ってるけど、子供が生まれる時のヴェイクの狼狽えっぷりも凄かったんだよ」

「あ、てめ! んな事は黙ってて良いんだって! 

 ルフレを元気付ける為に言ってんだからよ!」

 

「あはは、まあまあ……。

 でもまあ皆、子供ができたって時は、嬉しいのは当然なんだけど、色々と不安になったり考えこんじゃってたよね。

 僕も、ルフレ程じゃ無かったけど色々とね……」

 

 

 思わずリヒトに食って掛かったヴェイクを穏やかに宥めながら、ソールは沁々と言う。

 彼の所にも、最近子供が生まれていた。

 可愛いんだよ、と事ある毎に皆に言う辺り、既に中々の親馬鹿っぷりを発揮している。

 

 

「ルフレは考え過ぎだと思うけどな。

 もっと肩の力を抜いて気楽に構えてりゃ良いのに」

 

 

 砂糖菓子を摘まみながら果実酒を呷っていたガイアが何処か呆れた様に言う。

 そんな事を言うがガイアも中々の愛妻家であるのだ。

 

 

「フレデリクの所にも最近子供が産まれていたよな? 

 お前の時はどんな感じだったんだ?」

 

 

 仲間達の酒宴の喧騒を楽しそうに見ていたクロムは、横に居たフレデリクにそう尋ねる。

 すると、フレデリクは少し考える様に顎に手を当てた。

 

 

「私の時、ですか……。

 そうですね、やはり一番強く感じたのは喜びや感動でした。

 心配事……は特にはありませんでしたね。

 我が子へ贈るセーターのデザインなどはどうしたら良いのかとは、少し悩みましたが」

 

 

 子供が産まれるまでに十数着は衣服を手編みしたらしい。

 参考になるのかならないのかは、ちょっと分からない。

 

 リベラもドニもカラムも、そしてここには居ないグレゴやロンクーやヴィオールも。皆其々に家庭を持っていて。

 そして、其々が其々なりに、『家族』を大切にしている。

 きっと『家族』とは、そう言うモノなのだろう。

 

 

 

 

「悩みは多少紛れたか?」

 

 

 酒宴が終わりルフレが酔い潰れていない者達と共に後片付けをしていると、不意にクロムがそう尋ねて来た。

 ルフレは少し考えて、それに頷く。

 

 

「完全にとは言えないけど……でも何となく分かったと思う。

 皆、其々に其々のやり方があって……どれが「正解」だってハッキリ言えるモノじゃないって事はね。

 でもだから、益々難しいなとも思った」

 

「そうだな。俺も未だに、ちゃんとルキナの『父親』になれているのか、迷う事がある。

 日々、「正解」が無い道を手探りで進んでいるみたいにすら思えるが……それが嫌では無いんだ。

 時々途方に暮れる事はあるけれど、そんな時は一度立ち止まって、ルキナの言葉にちゃんと耳を傾ける。

 そうしたら、こうしたら良いんじゃないかってのが分かったりもする。俺は日々、ルキナから教えて貰ってばかりだ。

 だがそうやって皆『父親』になっていくんだと俺は思う」

 

 

 だから今『父親』が分からないからと言って心配するな、とクロムはルフレを励ます様に笑った。

 そんなクロムの……そして悩む自分を元気付けようとしてくれた仲間達の想いが嬉しくて。

 

 

「……有難う、クロム。

 そうだね……手探りでも少しずつ……『父親』になれれば。

 そう思うと、少し胸が軽くなったよ」

 

 

 そう微笑んで感謝の言葉を述べる。

 そんなルフレにクロムも安心した様に微笑んだ。

 

 

「なにお安い御用さ。それに、そう心配するな。

 お前たちは二人だけじゃない。俺たちが居るだろう。

 何か困った事や分からない事があったら、何時だって頼ってくれ。必ず、力になるさ」

 

「そっか。……じゃあその時は、遠慮なく頼るよ」

 

 

 そう言って久々に軽い気持ちでルフレは笑い合うのだった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆



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『君の名前は──』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 ルフレさんと『お父様』達が酒宴で盛り上がっている頃。

 私は、久し振りに『お母様』と二人で少しお話をしていた。

 

 ルフレさんとの子供を身籠っている事を知った時は、とても驚いたけれど……それ以上にとても嬉しかった。

 愛する人との子供が、自分とルフレさんの命の糸が繋がった先の新たな小さな命がこの身に宿ったのだ。

 それを嬉しく思わない筈は無かった。

 

 ……だけれども、そうやって一頻り喜んだ後で、どうしようもなく不安になってしまったのだ。

 

 自分は、「この世界」にとっては存在しない筈の者。

 歪められた時の環によってこの世界に在る者。

 時を歪め変えてしまったその影響を、自分はまだ完全には把握出来ていないし、もしかしたらうんと何十年と経ってからそれが発覚したりするかもしれない。

 何にせよ、私の存在が「この世界」にとってどう扱われるものなのか、全く分からないのだ。

 それなのに、こうして新しい命をこの身に宿した。

 ……時の環を歪めた報いを、自分一人が受けるのならまだ良いのだ、それはとうに覚悟しているから。

 だがもしも、自分だけでなく、この腹の子もその影響を受けたら……その所為で苦しい目に逢ったり辛い想いをしたら。

 それを考えるだけで、私は恐怖に苛まれるのだ。

 

 そして、不安の原因はそれだけではない。

 

 自分の子供であると言う事は、即ち「聖王家」に連なる者であると言う事。

 それは……その身体の何処かに、『聖痕』と言う形でその証が示されてしまうと言う事でもある。……私の左眼の様に。

 そっと左眼を押さえる様に瞼に指先を当てる。

 ……『これ』は、自分の誇りの拠り所であると同時に。

 決して逃れ得ぬ枷でもあった。

 特に、有り得べからざる存在として此処に居る私にとって、これは禍の種になりかねないモノである。

 私から『聖痕』を受け継ぐと言う事は、間違いなくその一生に何かしらの不自由が課される。

 誰の目が見ても明らかである証と言う事は、その出自を秘匿せねばならぬ時には枷にしかならないのだから。

 衣服で隠せる場所や誤魔化し易い場所に刻まれるならまだ良いが、自分の様に隠すのもやや難しく誤魔化しも難しい場所に刻まれたら、きっと不自由を強いる事になるだろう。

 自分の場合は仮面を被るか眼帯で隠すしか無いが、そのどちらもが却って人の目を惹いてしまうモノである。

 自分は、先の戦争の折に負傷したからだと偽っている為、同情の様な視線を向けられる事はあっても、奇異なモノを見る視線は少なく、下世話な好奇心を向ける者も少ない。

 だが、初見の場合だと酷く眼帯に注目される事が多い。

 ……生まれてくる我が子が女の子であり、もしルキナの様に眼に『聖痕』が刻まれていたらと思うと居た堪れなくなる。

『お父様』は、出産の際には聖王家との繋がりも強い、口の堅い信頼出来る産婆を寄越すとそう言っていたが……。

 それでも不安は尽きない。

 イーリスの歴史を紐解くと、火遊びで産まれた『聖痕』を宿した庶子の扱いを巡って争いが起きた事は幾度もある。

 自分達がその禍にならない保証は無い。

 

 ……そして、最も不安な事として。

 

 どうすれば自分が『母親』として正しく在れるのか、全く知らないのである。

 ……あの『絶望の未来』ではそんな事を学んでいる暇は無かったし、この世界でもそれは変わらない。

 そもそも、この世界に在ってはならぬ存在である自分が、「誰か」と子を成すなんて可能性を端から考えていなかった。

 だから、右も左も分からないのに、突然『母親』となる事が決まったルキナは、狼狽え不安になるしかないのだ。

 そしてそれを、『父親』としての役割が降って湧いた事で右往左往しているだろうルフレに頼る訳にもいかなくて。

 それを誰にも言えずに、独り抱え込んでいた。

 

 だが、それを見抜いたからなのかは分からないが、『お母様』から食事の誘いが来たのであった。

 戸惑いながらもそれを受けて、夕食の席に招かれたのであったが。食事中はともかく、食後の話題に窮してしまう。

 そんな私に、お母様は、もっと肩の力を抜いて気軽に話をしよう、とそっと微笑んだ。

 ……その微笑みは、『絶望の未来』で喪ったお母様の微笑み方と全く同じで。それが少し胸にチクリと痛みを与える。

 そんな私の顔を見て、少し困った様に微笑んだ『お母様』は、手ずから淹れた食後のお茶を勧めてくる。

 それを有難く受け取って、一口飲んだ。その途端。

 ふわりとした優しい甘さと、和らぐような清涼感を感じた。

 

 

「……このお茶は……」

 

 

『絶望の未来』で、幼い自分が不安になった時に、何時も『お母様』が淹れてくれたお茶と、同じモノであった。

 不思議と心が落ち着くその味と香りを、味わっていると。

『お母様』は、私がルフレさんとの子供を身籠った事を、心から喜ぶ言葉を贈ってくれた。

 妊娠が分かって直ぐに、ルフレさんと共に『お父様』と『お母様』にはそれを伝えたのだけれども。

 そう言えばその後でこうして二人になる事は無かった。

 だからなのか、面と向かって祝福され、何となく面映ゆい。

『お母様』は、『お父様』と同じく、ルフレさんと『夫婦』になった時も、そして子供ができた時も、我が事の様に喜んでくれて、そして何時も私の『幸せ』を願っていてくれた。

 ……やはり私にとってのお母様は、『絶望の未来』で喪ったあのお母様だけなのだけれど。

 それでも『お母様』も大切な「家族」だ。

 祝福されて、嬉しくない訳は無かった。

 

 細々とした日々の話が弾む内に、何か心配な事や悩み事は無いかと、『お母様』はそう私に尋ねてくる。

 その優しい眼差しは、私の悩みや不安なんて全て見透かしている様に思えて。

 そして……『母親』としての深い慈愛に溢れたその眼差しに促される様に、ポツポツと話し始めてしまった。

 

 産まれてくるだろう我が子に、辛い想いをさせてしまわないかと言う不安。

 ちゃんと『母親』に成れるのだろうかと言う不安。

 それらは押し殺していた筈なのに、一度打ち明け始めると堰を切った様に後から後から溢れ出してきて。

 気が付けば、話そうとなんて全く思っていなかった事まで、『お母様』に打ち明けてしまっていた。

 もしかして気分を害してはいないだろうかと、そう不安になってその顔を恐る恐る覗き込むと。

『お母様』は少し哀しそうな顔で、だけれども微笑む様に、私を静かに見詰めていた。

 

 そして、ふわりと席を立って。

 幼子にそうする様に、私の身体を優しく抱き締めてくれた。

 突然のその行動に驚いていると、『お母様』はまるで子供をあやす様にゆっくりと背を撫でてきて。

 ……それが、まるであの日の……。

 この身の上を『お父様』に語り……そしてそれを『お母様』にも受け入れて貰ったあの日、抱き締めてくれた『お母様』のその手を、どうしてだか思い出してしまう。

 少し泣いてしまいそうになりながらも、どうかしたのかとそう『お母様』に尋ねると。

『お母様』は優しく微笑んで、頑張っている『娘』を励ましているのだと、そう笑った。

 その顔が、お母様のそれと重なって、胸が少し苦しくなる。

『お母様』にとっての娘は、「ルキナ」であって、此処に居る自分ではないのに。

 それでもそうやって自分の事を想ってくれるのが、とても嬉しかった。……そしてそれと同時に少し寂しい。

 

 そんなルキナに、『お母様』は、「ルキナ」が産まれた時の事を話し始めてくれた。

 

 

『お父様』と結ばれて、そして「ルキナ」を授かった時。

『お母様』は喜びと同時に、とても不安になったそうだ。

 ……聖王家の者には、『聖痕』が存在する事を先ず前提として求められる。それが血統の正統性を示すモノであるからだ。

 ……聖王家に生まれながら、『聖痕』が発見されなかった者は、その正当性を生涯疑われ続ける事になる。

 丁度、リズ叔母様がそうであった様に……。

 王家の歴史を紐解けば、かつては『聖痕』が無いからと王家から抹消されてしまった者も居たらしい。

 そう頻繁にある事では無いらしいが、間違いなく『聖王家』の者でも『聖痕』が確認出来なかった者は今までも居た。

 更には、王族が降嫁したりした場合も、一代二代は『聖痕』が表れる事が大半であるのだが、次第に『聖王家』の血が流れていても『聖痕』が表れなくなる事も確認されていて。

『聖王家』の血を継ぐからと言って必ずしも『聖痕』がその身に現れる訳では無いらしい。

 学者の説によると、聖王を継承する一連の儀式や、或いはファルシオンや『炎の台座』などの神宝が近くに存在する事が、次代以降の『聖痕』の発現に何らかの関与をしているのではないかと言う説もあるらしいのだがそれは定かではない。

 だからこそ、産まれて来た我が子に『聖痕』が無かったらどうしようかと、『お母様』は不安になったらしい。

『聖痕』が有ろうと無かろうと、愛しい我が子である事には変わりないけれど。

 ……『聖痕』を持たぬ王族が何れ程大変な目に遭うかをよく知っているだけに、その様な苦労を我が子に与えるのではないかと思うと、気が気では無かったらしい。

 だけれども、そんな不安は。

 産まれた「ルキナ」のその産声を聞いた瞬間に、その儚い身体を抱き締めた時に。全て消え去ったのだと。

 そう『お母様』は微笑んだ。

 だから、心配なんかしなくて良いのだと。

 誰もが皆、『母親』になるのは初めての時があり、その時は新米の『母親』として右往左往する事になる。思い通りになる事なんか殆ど無い。それでも、産まれて来た『我が子』と一緒に、『母親』になって行けばいいのだと。

 そう元気付ける様に、笑ってくれた。

 

 困った時には何時だって、自分や『お父様』を頼ればいい、『家族』を頼ればいいのだと。

 そう微笑む『お母様』は……間違いなく、『母親』であった。

 

『お母様』に話を聞いて貰って、少し気が楽になった私が、またこうして話をして貰っても良いだろうかと訊ねると。

『お母様』は、何時でも待っている、と。

 そう微笑んで、ルフレの待つ家に帰る私を笑顔で見送ってくれるのであった。

 

 悩みが全て消えた訳では無いけれど。

 それでも、久し振りにとても心が軽くなって。

 我が子を祝福する様に、お腹にそっと手を当てた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 クロム達からの励ましを貰って、少し気が晴れたその夜。

 ルフレは庭のベンチに腰掛けて、一人静かに更け行く夜空を見上げていた。

 

 ……人は、死ぬと「星」となって遺してきた大切な人を見守ると言う話がある。……それが事実なのかは知らない。

 何処かに死者の世界があるのかもしれないし、天国やら地獄があるのかもしれないし、或いは魂が巡り巡ってまた何かの命としてこの世に戻るのかも知れない。

 死後の世界がどんなモノなのか、そもそもそれが存在するのかどうかすら……誰にも分からないのだ。

 ルフレは一度この世界から完全に消滅し、『死』を迎えてはいるけれども。だが、あの現実とも夢とも言い難い狭間の場所を、果たして「死後の世界」と呼べるのかは分からない。

 生きている限り人は「死後の世界」を本当の意味で知る事は出来ないのだから。

 

 そんなルフレが夜空を見上げているのには、もしかしたらその頭上に輝く星々の何処かに居るのかもしれない『母』を想っての事であった。

 星に手を伸ばしたって、それを掴む事は出来ない。

 その無数の輝きの何処かに『母』が居るのだとしても、星を掴む事は出来ないし、その「思い出」が蘇る訳でも無い。

 ……『母』を想うと言っても、今のルフレにはそもそもの話、その人との「思い出」自体が無いのだ。

 だから、どんな人だったのか、どう言う風にルフレに接してくれていたのかも……全く知らない。

 そもそも、自分を少なくともある程度以上まで育ててくれたのが『母』であるのかどうかも知らない。

 生きているのか、死んでいるのかさえ……。

 

 ……もし、『母』が既に故人であるのなら。

 この夜空に浮かぶ星々の輝きの何れかから、『母』はルフレを見守ってくれているのだろうか? 

 自分は『母』から、そういう風に愛されていたのだろうか? 

 そんな事を、ぼんやりと考えていた。

 

 ……『母』から愛されていなかったとしても、棄てられていたり或いは物心付くかどうかの頃に死に別れていても。

 それでも、『母』が命懸けでルフレをあの闇の底の様な狂気の領域から連れ出してくれたのは、先ず間違いは無いだろう。

 あの狂気と妄執だけが支配する場所で生きていたら、ルフレは間違いなく壊れていた。

 いや、その場合は最初からそう心も認識も「造り上げられる」のだから壊れると言う表現は正しくないだろう。

 ただ少なくとも、『邪竜ギムレー』に相応しい……『人間』とは思えない人間性になっていた筈だ。

 クロム達と出逢う事も無く、ルキナと出逢う事も無い……。

 そして『ギムレーの器』である事に何の疑問を懐く事も無く、『ギムレー』へと成っていたのであろう。

 それは……少なくとも今こうして思考しているルフレにとっては、とても恐ろしい可能性であった。

 あの日目覚めるまでを自分がどうやって生きていたのか、きっともう二度と思い出せないだろうけれども。

 それでも、例え『母』がどの様な人であったのだろうとも。

 あの狂った場所からルフレを命懸けで連れ出してくれたと言う事実だけで、深い深い感謝を懐く事に迷いは無い。

『母』がそうしなければ、今のルフレは存在しない。

 クロム達と出会う事も、ルキナと出会う事も、……こうして愛する人との間に命を授かる事も、無かったのだから。

 だから、顔も分からない名前も分からない……それでも確かに『ルフレ』と言う人間の根幹に存在したその人に。

 有難うと……ただそう伝えたいのだ。

 

 そんな事を考えながらぼんやりと夜空を見上げていると。

 

 

 

「ルフレさん……? 

 こんな時間に外に出てどうかしましたか?」

 

 

 そんな事を言いながら。

 ルキナが、ひょっこりと姿を現した。

 ……もう既に寝ているものだとばかり思っていたから、突然現れてルフレは少し驚いたのだけれども。

 ……ルキナも、『母親』と何か色々と話をして来たからなのか、色々と吹っ切れた様な……それでも何かを考えている様な顔をしていた。……丁度、ルフレの様に。

 

 

「ああ、ルキナ。少し、星空を見上げていたんだ。

 ルキナも一緒に見るかい? 今夜は雲が少ないからね。

 とても綺麗な星空が広がっているよ」

 

 

 そう微笑み掛けると、ルキナもそっと笑って。

 ルフレに寄り添う様に、ベンチに座った。

 そして、ルフレの様に夜空を見上げて、感嘆の声を零す。

 

 

「本当に……素敵な星空ですね。

 夜は……あまり好きではありませんが。

 こうして星を見上げるのは、好きです。

 ……それで、どうして星空を見上げていたんですか? 

 何か、考え事ですか?」

 

 

 小さく首を傾げてそう訊ねてくるルキナのその眼差しには、どうしてだか「不安」の様なモノが揺らめいていて。

 何故? と考えたルフレの脳裏に一つの「記憶」が蘇った。

 

 それは、「あの日」の前夜。

 二人で寄り添って、満天の星空を見上げた「記憶」。

 ……ルフレが、ギムレーと共に『消滅』する覚悟を決めて、ルキナの『願い』をそっと手離したあの夜の事であった。

 

 それに思い至ったルフレは、「ああ……」と。

 ルキナの眼に揺らぐ「不安」の陰に納得した。

 だからルキナを安心させる様に、その身を抱き寄せる。

 

 

「大丈夫だよ、ルキナ。

 君を置いて逝こうとかなんて、全く考えていないさ。

 ただ……もし、死んだ人の魂が「星」になる……と言う話が本当なら。僕の『母』も、この中に居るのだろうかと。

 そう、思ってね。

 顔も名前も分からない……僕には何も思い出してあげられない人ではあるのだけれど。

 それでも間違いなく僕をこの世に産んで……そして、ギムレー教団の手から連れ去ってくれた人だから。

 こうして、僕も『親』になる身だからかな……。

 それを、感謝したくなったんだ……。

 まあ、感謝しようにも、生きているのか死んでいるのかも分からないからね。

 ……だから、星空を見上げていたんだ」

 

 

 そう言うと、ルキナは安心した様にほっと息を吐いて。

 そして、優しい眼差しで夜空を見上げる。

 

 

「死んだ人の魂が星に、ですか……。

 それが本当の事かは分かりませんが……、もしそうなら、とても素敵な事ですね……。

 ……あの『絶望の未来』でも、お父様やお母様たちは、星になって私たちを見守っていてくれたのでしょうか……。

 ……あの世界の夜空は、見上げても星明り一つ届かない……そんな絶望そのものの様な、昏い夜空でしたが……。

 あの分厚い雲に閉ざされた彼方から、お父様達が見守っていてくれたなら……。私は……。

 ……この世界の夜空には、もうお父様達の輝きは無いのでしょうけれど。それでも少し、嬉しいです」

 

 

 そしてルキナは目を閉じて、ルフレにその身を預けた。

 新たな命が宿っているのであろう……今は目に見える変化は無い腹を、そっと優しく撫でて。

 少し切ない……だが『幸せ』そうな微笑みを浮かべる。

 

 

「私は……お父様やお母様にとっては、守らなければいけない子供……無力な幼子だったのでしょう。

 ……お母様は、私を守る様に命を落としてしまった。

 私には、それがとても哀しかったんです。

 生きていて欲しかった、私を庇う様に傷付かないで欲しかったと……ずっとそう思っていました。

 自分が無力だから、自分には戦う力が無いから……。

 だから、お母様は死んでしまったのだろうと、……何も出来ない幼子だったから、私はお父様の為に何も出来なかったのだろうと……そう自分の幼さと無力さを憎んでいました。

 でも、今なら何となく、お父様達の気持ちが分かるんです。

 無力な幼子だからだとか、そんなのじゃなくて。

 ただただ……『私』を守りたかっただけなのだろうと。

 ……私が、まだ産まれてもいないこの子を、何があっても守ってあげたいと願う様に……。

『親』の気持ちは、『子供』には中々伝わりませんね……。

 ……今なら、お父様とお母様に、『ごめんなさい』ではなくて、『愛してくれて、守ってくれて、有難う』と。

 そう言える気がするんです」

 

 

 もう二人はこの世界の何処にも居ないのですけど。と。

 寂し気に微笑んだ彼女に、ルフレは小さく首を横に振った。

 

 

「そんな事は無いさ。

 確かに、この世界の死者の世界に、君の『クロム達』は居ないのかもしれなくても。

 ……君の記憶には、確かに存在している筈だよ。

 ……死んだ人が本当に最後に辿り着く場所は、きっとその人を知る人々の記憶の中なんだ。

 思い出の中から、遺してきた人たちの事を見守っている。

 だから、君がそれを忘れない限り、彼等は何時も君と共に在る、君をその『思い出』の中から見守っているさ」

 

 

 そこにその魂が宿るとか、そう言う訳では無いだろうけど。

 それでも、『記憶』とはその存在の欠片であり、その人との『思い出』を持つと言う事は、その存在の欠片をその心に刻み込むと言う事でもある。

 だから、そこに実体としての『彼等』の姿は無くても。

『思い出』が描く幻は、何時だってそれを思い描く人を見守ってくれるのだ。……そうやって人は、想い偲ぶのだ。

 ルフレの言葉に、ルキナは静かに目を閉じる。

 

 

「そう……ですね。

 もう、お父様とお母様は……私の記憶の中にしか、存在しませんが……。それでも、そこに居てくれるのですね……。

 …………叶わない『願い』ではあるのですが。

 私は……お父様とお母様と、もっとお話をしたかった。

 ルフレさんに出逢った事、こうしてルフレさんとの間に命を授かった事……それを、伝えたかった。

 二人の守った命は、こうして『幸せ』になったのだと……。

 ……それは、決して叶いませんが。

 それでも、私の記憶の中に、居てくれるなら。

 ……それは、とても……」

 

 

 そこから先の言葉を、ルキナは続けなかった。

 ただ、今は遠い『思い出』の中の二人を想って。

 そして、その姿を偲ぶ様に瞑目した。

 

 そんなルキナの身体を、抱き締めながら。

 ルフレは、遠い『彼等』に、静かに誓うのであった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 男は立ち入るなとばかりに産婆達に追い出された部屋の大扉の前で、ルフレは所在なく動き回り続けていた。

 ルキナが産気付いて、王家の信頼も厚く口の堅さも保証されている産婆が急ぎ呼び集められてから、既に数刻は過ぎた。

 初産は長引くものであるらしいとは事前に聞かされていたが、だからと言ってそれで不安が解消されるなんて事は無い。

 扉の向こうからは苦しむルキナの声が聞こえてくる。

 子を産む痛みとは、男では一生経験し得ない程の……想像を絶する苦痛であると言う。

 今ルキナはこの扉の向こうで必死に戦っているのだ。

 そしてそれは、生まれ出ようとしている我が子も。

 今直ぐ部屋の中に駆け込んで、ルキナの手を取ってその戦いを支えてやりたいのだが、産婆達には「男は役に立たないし邪魔だ」と言わんばかりの態度で追い出されるのである。

 ルフレには、扉越しにルキナの戦いの無事を祈り続ける事しか出来なくて、それが酷くもどかしい。

 不意に、扉の向こうが騒がしくなった。

 ルキナの呼吸も、一段と荒くなっていく。

 まさか二人の身に何か起きたのかと、直ぐ様追い出される事も忘れて扉を開けそうになったその時だった。

 

 大きな泣き声が、扉の向こうから聞こえた。

 命の灯火の揺らめきを、世の果てまで届けんとばかりに泣くその産声に、ルフレは思わず感極まってその場に蹲った。

 

 それから少しして扉の向こうが騒がしくなり、重々しくルフレとルキナ達を隔てていた扉が開かれた。

 一仕事終えた満足気な顔をした産婆達に促されて部屋の中に入るとそこには。

 激しい戦いの余韻を残す様に少し息を荒げたルキナが、ポロポロと涙を零しながら、お包みに包まれた我が子を優しく抱き締めてあやしていた。

 

 ルフレがよろよろと歩み寄ろうとすると、突如産婆の一人に引き留められ、綺麗な水が入った手桶を渡される。

 ……これで手を洗ってからにしろと言いたいらしい。

 指示された通りに手を洗って漸く接近が許された。

 ルフレは、恐る恐るルキナに抱かれた我が子へと近付いた。

 ふぎゃふぎゃと元気よく泣いている我が子の顔は、生まれたばかりだからか、まだくしゃくしゃだ。

 だが、その髪と瞳の色は、間違いなくルキナ譲りのモノで。

 そして、親の欲目でないなら、その目鼻立ちはルフレに似ている様に思える。

 ルフレの指先を包む程の大きさも無いだろう小さな小さな紅葉葉の様な右手には、ルキナの子である事を示すかの様に聖痕が刻まれていた。

 産湯に浸かり洗われた身体は、ふにゃふにゃと柔らかい。

 

 ルキナは微笑んで腕の中の子をルフレへと託してくる。

 教えられた通りに、生まれたばかりの子供の為の抱き抱え方を実践したのだが、首が据わって無さ過ぎて不安になる。

 あたふたとするルフレの姿に、ルキナは小さく笑い声を上げて、幸せそうにそれを見た。

 

 

「元気な女の子ですよ。

 ほら……この目元、ルフレさんにそっくりです」

 

 

 ルキナに言われて、ルフレが我が子をよく見ようと覗き込んだ瞬間。まだ目はよく見えていないだろうに元気いっぱいに動かしていたその手が、ルフレの指先に触れて。

 それを、小さな手で握り締めた。

 

 ルフレの指先すら十分に包み込めていないその手を見て。

 何故か、ルフレの視界が滲んだ。

 ポロポロと、涙がお包みに落ちていく。

 

 

「あ、あれ……おかしいな、何だか涙が止まらないや」

 

 

 ゴシゴシと拭っても、それが止まる気配は無い。

 そんなルフレに、ルキナは。

 

 

「良いんですよ、ルフレさん。好きなだけ泣いても」

 

 

 そう言って、よしよしとルフレの背中を優しく擦った。

 それに、益々零れ落ちる涙は止まらなくなる。

 

 ……ルフレは。

「赦された」様な気がしたのだ。

 今この瞬間に、この世界から。赦されたのだ、と。

 

『ギムレーの器』として造られた歪な存在でも。

 その命の環を繋げていっても良いのだと、お前もその環の中に確かに居る存在なのだと……。

 そう、この世界そのモノから言われた様な気すらして。

 自分の存在が、世界から赦されたのだと言う気がして。

 それが、泣いてしまう程に、この心を震わせていた。

 ルフレは、小さな娘の手を、そっと包む様に握り締める。

 そして。

 

 

「……ルキナ、この子の名前なんだけれど……。

『マーク』で、どうだろうか。

 ……この子は。僕と、君の、『幸せ』の……その象徴だから」

 

「『マーク』……。ええ……とても素敵な名前です。

 初めまして、今日からあなたはマークですよ」

 

 

 ルフレからマークを受け取ったルキナはそうあやす様に微笑んでその身体を優しく揺らす。

 すると、マークはくしゃくしゃの顔で笑った。

 そんなマークの頭をルフレは優しく撫でて、誓う様にマークへと囁いた。

 

 

 

「マーク……。君のその手に、沢山の『祝福』と『幸せ』を。

 君の未来に限り無い『希望』を。

 それを君に届ける事を……僕は約束するよ。

 君は、僕達の一番の宝物だ。

 だからね、マーク。

 僕達の娘として産まれて来てくれて、本当に有難う……」

 

 

 

 愛しているよ、と微笑んだルフレに。

 マークは小さなその手を、精一杯に伸ばすのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆



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終章 『虹描く指先』
『虹描く指先』


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「父さん! 母さん! こっちですよー!!」

 

 

 早く早くと急かす様にそうはしゃいだ声で自分達を呼ぶマークに、ルフレとルキナはそっと微笑んだ。

 そして、空いたその手を捕まえる様に。

 その右手をルフレの左手が。その左手をルキナの右手が。

 優しく握り締める様に掴む。

 大好きな両親にそうやって両手を握って貰えた事が嬉しくてマークはますますはしゃいだ様に明るい笑い声を上げた。

 

 その身を包むのは、今日贈られたばかりの父とお揃いの意匠で仕立てられた服で。そしてその懐には、両親に強請って譲って貰った戦術書が大切に仕舞われている。

 

 今日は、マークにとって五歳の誕生日だ。

 何時も忙しそうにしている両親も、今日は一日中マークと過ごす為にその時間を使ってくれる。

 それがとても嬉しくて、マークは朝からずっと上機嫌だ。

 ずっと欲しかった、父が大切に使っていたモノを譲って貰った戦術書も。父とお揃いの意匠の服も。

 どれもマークの大切な宝物だけれども。

 何より一番嬉しい贈り物は、こうやって三人で一緒に過ごせる時間そのものだった。

 

 今日はこれから三人でお出かけするのだ。楽しみで仕方無くて、マークは朝からずっと気も漫ろであった。

 さっきまでは通り雨が降っていた空も、今はカラっと晴れ渡り、道端に植えられた草木の葉の上で雨粒の雫が宝石の様にキラキラと輝いている。

 そんな素敵な景色に、気持ちが高揚したマークは、小さくぴょんぴょん跳ねる様に歩いていく。

 マークが転んだりしない様に確りとその手を握ってくれる二人に、マークはにこにこと愛らしい笑顔を浮かべた。

 

 三人が目指しているのは、王都の郊外に在る、王都を一望出来る小高い丘だ。

 良いピクニック日和の天気に、きっと丘から見える王都の景色はまた格別なモノであろう。

 そうして、暫し歩いて辿り着いた小高い丘の頂上は、綺麗な花々が咲き乱れる様な、自然の花畑になっていた。

 

 

「マークちゃん、お花のかんむりをつくりたいです! 

 母さんもいっしょにつくりましょう!!」

 

 

 花畑に歓声を上げたマークは、そう言ってルキナの手を引っ張って、花畑から花を摘み始めた。

元気なマークのその勢いに、ルキナは幸せそうに微笑みながら摘んだ花を編んで形にしていく。

 そんな二人を……『幸せ』その物の光景を、ルフレは満ち足りた眼差しで見守っていた。

 

 マークが生まれたあの日から、五年。

 父として……母として新米だったルフレとルキナは、色々とおっかなびっくりと互いに手探りでマークを育てて来た。

 クロム達の力も借りて、どうにかここまで来れたのだけど。

 自分は良き『父親』に成れているのだろうか? と。

 ルフレは今でもそう自分に問い続けている。

 

 マークと共に、少しずつ『父親』として自分も成長出来ているのだろうか? ……そうならば良いのだけれど。

 

「明日」にどんな「未来」が待っているのかは、誰にも分からない。それでも、分かる事はある。願う事はある。

「明日」も……ずっと先の未来でも、ルフレとルキナにとってマークが愛しい娘である事は絶対に変わらない。

 そして、そんな愛しい娘の「明日」が『幸い』なモノである様にと、ルフレ達が今日を善くする為に足掻いているのだ。

 愛しい子供たちに、幸あれと。そう何よりも強く望む親の心と言うモノをルフレは強く理解出来る様になっていた。

 マークを全ての苦しみや悲しみから守ってやりたいと思うし、そしてその一方でどんな苦しみや絶望にも負けたりはしない強い心を育てて欲しいとも思っている。

 矛盾している訳で無く、親心とはそう言うモノなのだろう。

 これではクロムの事を親馬鹿だなんて言えないな、と最近はよく思っているので、今はその言葉は口にしていない。

 

 ……ルフレの運命を縛っていたあの烙印の様な痕は、マークの身体の何処にも刻まれてはいなかった。

 マークの身にも、邪竜の血が流れているのだろうけれども。

 それは、あの日ルフレがギムレーと共に消滅してこの世から彼の存在を消したからなのか。或いは、ルキナの聖王家の血によってそれが打ち消されたのかは分からないけれど。

 少なくとも、ルフレの様に邪竜の血に苦しめられる事は、今の所は無さそうであった。

……ルフレが『消滅』と言う『死』を乗り越えた事のマークへの影響も、今の所は確認されていない。

 ただただ健やかにマークは育っている。

 それは、何にも代え難い祝福であった。

 

 

「父さん!」

 

 

 マークの声と共に、ルフレの頭に何かが載せられた。

 何だろうと手に取ると、それは少し拙い造りの花冠だった。

 

 

「おや、マークが僕の分を作ってくれたのかい? 有難う」

 

 

 ルキナが作ったのだろう綺麗な花冠を頭に載せて、ニコニコとルフレの反応を待つマークにそう感謝の言葉を述べると。

 マークは嬉しそうに笑ってルフレの腕に抱き着いた。

 

 

「マークちゃんのは母さんがつくってくれたので、母さんのぶんは父さんがつくってあげてください! 

 おくさんにはちゃんとプレゼントをおくるのが、『ふうふえんまん』のコツなんだって、クロムおじさんが言ってました! 

 父さんも、『ふうふえんまん』しましょう!」

 

 

 恐らくはあまり意味が分かっていない聞きかじりの言葉を、自信満々に胸を張りながら言うマークにルフレは苦笑した。

 ……今度、マークに何を教えているのだと、クロムに問い詰めてやろうと心に決めながら。

 

 マークに手を引かれて、ルフレも花冠を編み始めた。

 だが、如何せん花冠など作った事が無いので試行錯誤しながらになり、そんな父にマークはそれはもう嬉しそうにニコニコと笑いながら花冠の作り方を教えてくれる。

 そんなルフレ達の姿を、ルキナは微笑んで見守っていた。

 

 

「あ、父さん、ここはこうあむんですよ!」

 

「おっと、こうか。うーん、慣れてないからか中々難しいね。

 マークは上手に作れて偉いなぁ」

 

「エッヘン! マークちゃんはすごいのです! 

 なんたって、父さんと母さんのマークちゃんなので!」

 

 

 父に褒められて上機嫌なマークは嬉しそうに笑う。

 そんなマークの頭をよしよしと撫でてやったルフレは、自分が作った少し不格好な花冠をルキナに渡した。

 

 

「あらあら、有難うございます、ルフレさん。

 ふふふ……素敵な花冠ですね」

 

「あはは……少し不格好だけどね。

 でも、とても可愛いよ、ルキナ」

 

 

 嬉しそうに微笑みながらルキナはその花冠を被る。

 三人お揃いの格好になった事にマークは幸せそうに笑った。

 そして、ふと王都の方の空を見上げたマークは、一際大きな歓声を上げてその空を指さした。

 

 

「あー!! ほら、『にじ』がでてますよ!! 

 とってもきれいです!」

 

 

 見て見て! とはしゃぐその指先の向こうにある王都の空には、確かに美しい大きな虹が輝いていた。

 雲の切れ間から射し込んだ光が描いたその虹は、まるでマークの指先が描いて現れた様にすら見える。

 

 

「……本当に綺麗で素敵な虹です。

 マークのお誕生日を祝ってくれたのかもしれませんね」

 

 

 ルキナのその言葉に、ルフレも頷く。

『家族』の『幸せ』なこの時間は、これから先もこの虹の様に輝き続けるのだろうと思って、ルフレはそっと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




これにて、『催花雨を待ちながら』は完結です。
ここまで読んで頂き、本当に有難うございます。
もし宜しければ、感想や評価などを頂けると、とても嬉しいです。


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