ソードアートオンライン ~創造の鬼神~ (ツバサをください)
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アインクラッド編
第一話 デスゲームの幕開け


 皆さんこんにちは。《ツバサをください》と言います。

 今回、ソードアートオンラインの小説を執筆しようと思い、この作品を執筆しました。

 駄文かと思われますが、楽しめていただければ幸いです。


 ◇◆◇

 

 「……もうすぐか。」

 

 俺はそう呟く。此処はあるアパートの二階。一人で生活するには大きすぎる部屋の一室。

 現在、俺の他に此処に住む者はいない。その為、一部の部屋は使わないまま残っている。だが、先程まで誰かが生活していたかのように、テーブルや椅子が置かれている。

 時刻は現在十二時半を回ったところ。太陽が昇り、日の光が差し込む。

 俺は、ベッドに置かれているヘルメットらしきものに目をやる。ナーヴギア、従来のゲーム機とは異なり、自身がゲームの中に入れる夢の機械。

 最近ニュースでよく見る機械が何故、俺の手元にあるのかはわからない。どうやって両親がこれを入手したのかわからない。家にはそんなお金はないはずだ。

 

 『……創也(そうや)。お母さんはね、貴方には友達の一人や二人いてもいいと思うの。皆が皆、貴方を裏切ることはないわ。お母さんが断言してあげる。

 創也が今までのことから誰かを信じようとしないことは十分わかってる。だからまずは、これを使って友達を探してみようよ。きっと、貴方と友達になってくれる人が沢山見つかると思うわ。決して貴方を裏切らず、いじめない友達がね。』

 

 これを渡してくれた時の母親の言葉が脳裏をよぎる。母親と交わした会話はあれが最後になってしまった。父親とはあまり話すことはなかった。いつも夜遅くまで仕事をしていたからだ。ゆっくり話す時間なんてなかった。

 気が付くと時間は一時になろうとしていた。俺はナーヴギアを被り、ベッドに横になる。

 様々な感情が渦巻く。誰かを信用したとしても、また裏切られるかもしれないという不安。新たな世界でも孤独になってしまうことに対する恐怖。

 そして……この世界よりもマシな世界であるようにという小さな希望。

 ナーヴギアのデジタル時計が一時を指した。俺は、新たな世界へ向かう合言葉を唱える。

 

 「……リンク・スタート!」

 

 視界が一瞬真っ暗になったかと思えば、一気に白に染まった。そして眼前に浮かんだ文字は……

 

 《Welcome to Sword Art Online!》

 

 それが消えると、町並みが見えてきた。恐らく初期スポーン地点だろう。

 俺は誰も信じない。皆して俺の信用を裏切って距離をとったり、それを利用していじめてきたりする。それが繰り返され、俺は誰も信じられなくなった。

 母親の最期の言葉が真実かどうかはわからない。だが、この腐った世界では少なくとも嘘だ。だから俺は母親が勧めた世界へと向かう。その言葉の真偽を確かめる為にも。

 そうして俺は、新たな世界……仮想世界へとログインを果たした。

 

 

 ◇◆◇

 

 仮想世界にログインをしてから約一時間の時が流れた。俺は今、初期スポーン地点である『はじまりの街』を出てすぐの草原にいた。

 目の前にいるのは、青い色をしたイノシシみたいなもの。名は《フレンジーボア》だったか。突進しかしてこない、いわゆる雑魚モンスター。そいつを延々と狩り続けていた。

 

 「せいっ!」

 

 俺は初期の武器である《スモールソード》を突進が終わった青いイノシシにソードスキル《レイジスパイク》を叩き込んだ。

 《レイジスパイク》は片手剣の突進技。一瞬で距離を詰められるから、とても扱いやすい。

 イノシシのHPは一瞬でゼロになり、ポリゴン片を撒き散らして爆散した。

 この世界にはソードスキルというシステムがあるようで、特定の構えをすることで発動する。そしてそれなりの火力が出る。

 それと、この世界に来てから体が思った通りに動くようになった気がする。走る時の足が軽いし、バク宙もお手のもの。……もはや気のせいではないだろう。現実の俺だったら、頭から地面に突っ込みかねない。

 そんなことを考えながら、俺は気配を感じた後ろに即座に振り向いた。そして突進してきていた青いイノシシに同じく《レイジスパイク》を叩き込む。

 気配に敏感なのは喜ばしいことだが、やはり素直には喜べなかった。

 

 「いきなり話しかけてすまない。その戦い慣れているところを見ると、お前もベータテスターか?」

 

 俺は声がした方に振り向いた。先程から気配はしていたので、たいした驚くことはなかった。

 そして、そこには二つの人影があった。

 一人は、ファンタジーの物語に出てきそうな勇者っぽい男。俺と年齢は同じぐらいだろうか。俺との距離が近いことから、彼が話しかけてきたのだろう。

 そしてもう一人は、日本の戦国時代から飛び出してきた若武者のような男。頭に悪趣味なバンダナを巻いている。年齢は……年上に見える。

 とはいえ此処では自分の顔や体格なんて自由に変えられるので、はっきりとはわからないが。

 因みに俺は……ほぼ現実と同じ姿と顔にしていた。俺じゃない体を動かすのは違和感があったし、例え姿を変えて受けいれられても意味がないと思ったからだ。

 だから名前……プレイヤーネームも《ソーヤ》にしている。

 

 「いいや、ベータテスターではないが。何か用か?」

 

 やはり両親以外の人と話す時は、どこかトゲがあるような感じになってしまう。今までのことから人間不信になってしまった俺からすれば、仕方がないものなのだが。

 そしてベータテスターか。確か、千人限定で先行プレイができるとかいうものだったはずだ。抽選倍率があり得ない程高かったことを覚えている。しかし、何故彼らはベータテスターを探しているのだろうか。

 すると俺の考えを見抜いたかのように、若武者の男が口を開いた。

 

 「いや、俺に戦い方を教えてほしくてさ。それで経験のあるベータテスターを探していたんだよ。武器はどう使うとか色々、教えてもらうためにな。」

 

 「そしてフィールドに出て教えていたら、近くに恐ろしいスピードで《フレンジーボア》を倒しているお前が目に入ってさ。こうして声をかけたという訳さ。」

 

 若武者の男に続いて、勇者っぽい男が答えてくれた。そして若武者の男が急に俺に頭を下げてきた。一体何事かと、俺は驚いた。

 

 「頼む、お前も俺に戦い方を教えてくれ!この世界を思いっきり楽しむ為に、女性にモテる為に!」

 

 「……わかったから顔を上げてくれ。こんなことで頭を下げるんじゃない。」

 

 最後に邪な願望が聞こえた気がするが、聞かなかったことにしておこう。

 そして俺は若武者の男の熱心な頼みに少し気圧され、その頼みを聞き入れることにした。

 その後、現実世界と同様にお互い自己紹介をすることになった。

 

 「俺はキリト。ベータテスターだ。よろしく。」

 

 「俺はクラインってモンだ。よろしくな!」

 

 「……ソーヤだ。」

 

 するといきなり目の前にウィンドウが表示された。そこに書かれていたのはフレンド申請だった。

 一瞬、《YES》のボタンを押そうか躊躇した。ここでフレンドになったのなら、彼らと深く関わることになるのではないか。そして彼らはまた、俺が信用し始めた頃に裏切るのではないか。そんな考えが渦巻く。

 俺は誰かを信じることはできない。裏切られることが怖い、また孤独に戻る時の傷を負いたくない。だから、誰も信じなくなった。

 だが母親の言葉もある。無下にすることもできない。フレンドになったとしても、そんなに深く関わらなければ大丈夫だと判断する。

 そして俺は《YES》のボタンを押した。

 

 「それで……何を教えて欲しいんだ?武器なら短剣(ダガー)以外ならそれなりに教えることができるが。」

 

 俺がクラインにそう問うと、キリトは口をあんぐりと開け、クラインは驚いた顔をした。……何か変なことを言っただろうか。

 俺は自分に合う武器を見つけようと《はじまりの街》にあった武器屋で短剣以外の武器を幾つか買った。短剣は……見たくもない。あの光景を、あの時の俺を思い出してしまう。

 それはさておき、フィールドに出てからはそれらの武器を試しながら延々と青いイノシシを狩っていた。結果、どの武器もそれなりに扱えるぐらいになった。

 

 「……お前、何でそんなに使えるんだ?武器はそれぞれ勝手が違うだろう?」

 

 「どの武器が合っているか試していたら、どれもまぁまぁ合っていた……みたいな感じだ。」

 

 「マジか……。」

 

 買った武器を一通り試したが、《片手直剣》と《槍》が扱いやすかった。その為、どれを入れようか迷って空いていたスキルスロットには、その二つが収まっている。

 それから、クラインをキリトと一緒に戦い方を教えて数時間が経った。青いイノシシを狩り続けた結果、レベルが上がり、ファンファーレが鳴り響いた。

 俺は人差し指と中指を真っ直ぐ揃え、振り下ろした。メニューを開く動作だ。二人も近くの岩に腰かけたり、地面に座ったりしてメニューを開いている。

 黙々とアイテム整理等をしていると、クラインの頓狂な声がした。俺とキリトはクラインに目を向ける。そして……クラインは到底あり得ないであろうことを口にした。 

 

 「ありゃ?……ログアウトのボタンが無いぞ?」

 

 「「……は?」」

 

 俺とキリトはアイテム整理の手を止め、メニューの一番下に指を滑らした。

 そこにあったのは……ただの空白だった。ログアウトがあったはずの場所には何もなかった。

 

 「おーいGM!ログアウトさせてくれー!ピザの宅配があるんだー!」

 

 クラインが突然大声を出しながら両手を掲げる。俺はそれを横目で見てから、腕を組み、目を閉じる。何かを考える時に俺が一番集中できる姿勢だ。

 ログアウトのボタンがなくなったことの原因として一番に考えられるのは、バグだ。

 だが、それならば運営側は何故プレイヤー達に何の連絡もしない?もしや、まだ気づいていない?今さっきから起こり始めたバグか?いや、そんな偶然はそうそう起こる訳がない。

 別の原因としては、逆に運営側が意図的に消していることしか思い浮かばない。正直、あってほしくないことだが。運営側は、このゲームを自由に操ることができる。あり得ない話ではないだろう。

 もしそうならば何の為に?これだけ注目されているゲームソフトだ。異常が発生すれば一瞬で知れ渡ることになるはずだ。それに意図的なものだったとしても、プレイヤー達をこの世界に監禁して何の得があるのだろうか。

 結局、今は情報が少な過ぎる。明確な判断を下すことは不可能だ。

 結論が出た俺は目を開くことにした。視界に写るは先程と代わり映えのない草原。

 クラインが何か被っているものを取るような動作をしている。それを見たキリトが、どこか呆れたような様子で話していた。

 すると、彼らに青い光が立ち上っていくのが見えた。そしてその光が自分からも出ていることに気がついた瞬間、俺はクライン、キリトと一緒に《はじまりの街》の中央広場に転移していた。

 辺りが騒がしいと思って周囲を見渡せば、多くのプレイヤーがいた。彼らが皆、俺を見ているような錯覚を覚えた。俺は目眩と吐き気がして、その場にしゃがみこんだ。

 

 「おい、大丈夫か!?」

 

 キリトが直ぐ様気付いて、俺の背中をさする。誰かに背中をさすられるなんていつぶりだろうか。少なくとも、両親以外は初めてだろう。

 

 「……大丈夫だ。人混み酔いがしただけだ。問題はない。それと……ありがとう。」

 

 すんなりと感謝の言葉が出たことに俺は自分に驚きを隠せなかった。それも両親など親しい人ではなく、出会って数時間の人に向けたものだったから尚更だ。

 そんなことなど知らないキリトは「感謝されるほどでもねーよ」と照れを隠していた。

 少し落ち着いたので、周囲の声に耳を向ける。すると「これでログアウトできるのかな?」「GMはどうしたんだ!?」という声が聞こえた。

 どうやら、ログアウトボタンがなくなっているというバグと思われる現象はかなり深刻なものになっているようだ。

 

 「おい……あれはなんだ!?」

 

 広場にいる誰かが声をあげた。俺はそれにつられて上を見上げる。クラインやキリト、他のプレイヤーも同様だ。

 そこには深紅のローブを纏い、フードを深く被った巨大な人間らしきものがいた。下から見上げているので顔が見えるはずだが……なかった。完全な空洞になっており、フードの裏地が見えている。

 そして、低くて落ち着いた声が広場に響いた。

 

 『プレイヤー諸君、私の世界へようこそ。私は茅場晶彦。この世界をコントロールできる唯一の人間である。』

 

 茅場晶彦……俺はその名前にどこか引っ掛かりを覚えた。俺の知る限りは、記憶にない人物だ。だが、何処かで聞いたことがあったかのように、その名前が引っ掛かる。

 

 「な……茅場晶彦……!?何故、彼がこんな真似をしたんだ……?」

 

 「キリト、彼を知っているのか?」

 

 「おい、逆に知らねーのか!?茅場晶彦……このゲームとナーヴギアを造った天才ゲームデザイナーにして、量子物理学者だよ!」

 

 キリトのやや興奮ぎみの説明を聞き、引っ掛かりが更に強くなる。どうやら彼……茅場晶彦の名を何処かで聞いたことがあるようだ。

 そんな俺の思考なんて知らずに茅場晶彦は、信じたくないような事実を突きつけ、俺達プレイヤーに絶望という名の爆弾を次々と投下し続けた。

 

 

 ◇◆◇

 

 『……それでは諸君らの健闘を祈る。』

 

 そう言い残して茅場晶彦と名乗る赤いローブを纏った巨大人間もどきが消え、約一万人のプレイヤーだけが残された。 

 あれほど騒がしかった広場は、一瞬で重苦しい静寂に包まれるものへと変わった。プレイヤー達は彼の言葉を理解することができないか、拒んでいるのだろう。

 要約すると、このアインクラッド第百層をクリアするまで自発的なログアウトが不可能。そしてこの世界で自分のHPがゼロになると……死ぬということだ。

 しかし俺にはその言葉がすんなりと理解ができていた。今までの十数年、『死』というものが他の人よりも身近にあったからかもしれない。

 俺は命を失いかけたことが何度かあった。それは他人によるものも、自分によるものもあった。最も近かったのは……あの日だろうか。

 

 「クライン、ソーヤ、ちょっとこっち来い。」

 

 そうして俺が昔を思い返していると、キリトに声をかけられて路地裏へと向かった。

 

 「……いいか、もし茅場が言っていたことが本当ならば、此処はもう一つの現実だ。生き残って此処から脱出するには、ひたすらに自分を強化しなければいけない。

 だから俺は次の街に行く。どうせすぐにこの近くのフィールドのモンスターは狩り尽くされる。そうなったらレベルアップが困難になる。

 三人なら俺もフォローができる……お前らも一緒に来い。」

 

 俺は、勇者っぽい顔から女とも受け取れる中性的な顔になってしまったキリトを見つめる。

 俺達プレイヤーは先程のチュートリアルで、茅場晶彦がもう一つの現実と認識させる為なのか、現実世界と同じ顔、身長にされた。いきなり周囲の男女比が変わったもんだから驚きを隠せなかった。

 

 「……俺はよぉ、元々この街で合流する仲間がいるんだ。そいつらを見捨てる真似は俺にはできねぇ。だからキリトよぅ……お前とは行けねぇ。」

 

 風貌だけでなく、顔までもが戦国武将と化したクラインがキリトの誘いを断る。彼はかなりの仲間思いのようだ。俺には彼が眩しく写った。

 

 「そうか……お前はどうだ、ソーヤ?俺と一緒に……来てくれるか?」

 

 キリトの目がクラインから俺に移る。だが、俺はもう答えを決めていた。特定の誰かと深く関われば、俺はまた裏切られる可能性がある。

 だから誰かと関わることはあっても……深くは関わらないし、信じない。あの日から俺は適当な理由をつけて、特定の誰かと深く関わることを避けてきた。

 

 「悪いが……俺も断る。どうせ付いていったってお前の足手まといになることは目に見えている。俺のせいでお前まで死んでしまっては意味がない。」

 

 「……わかった。それじゃあ、お別れだな。」

 

 キリトが俺とクラインに背を向ける。だがその背には、深い悲しみと後悔を押し潰そうと無理をしているように見えた。

 俺は、色々あって他人の感情などを読み取ることが得意になってしまった。その人の感情を読み取り、機嫌を損ねないように行動することでしか、生き残れないこともあったからだ。

 

 「……勘違いするな、キリト。お前は俺達を見捨てたわけじゃない。勝手に自分を自分で苦しめるな、それはいつかお前を殺すことになる。」

 

 「……キリト!俺は今のかわいい顔も好きだぜ!」

 

 俺とクラインからの言葉を受けたキリトは、数歩進んだところで振り返った。その顔には、少しぎこちない笑顔が浮かんでいた。

 

 「ソーヤ、ありがとな!おかげで気持ちが少し楽になった!クライン、お前はその野武士っぽい顔の方がよく似合うぜ!」

 

 そう言い返したキリトは、未だに多くのプレイヤーが動こうともしない《はじまりの街》から飛び出していった。彼はもう振り返ることはなかった。

 そして俺もクラインに別れを告げて、フィールドに出る為のゲートへと向かう。もう彼らと会うことはないだろう。

 俺は誰も信じないし、信じられたくもない。裏切られることがないように、誰かと深く関わらない。

 その事を自分自身で確認した俺は、デスゲームと化した世界のフィールドへと足を踏み入れた。



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第二話 鬼神の片鱗

 約一週間ぶりの投稿となります。これからも書きあがり次第、随時投稿していくつもりです。

 誤字、脱字や矛盾点などがございましたら教えていたただくと嬉しいです。

 それでは第二話、ごゆるりお楽しみください。


◇◆◇

 

 日が沈み、暗くなったフィールドに俺は出た。俺以外のプレイヤーはほとんど見あたらない。

 しかしよく目を凝らし、耳を済ませば、所々にプレイヤーがモンスターを狩っている光景が目に入った。その慣れた様子から十中八九、このゲームのベータテスター達だろう。

 

 「ぶるるる……がぁ!!」

 

 「ん?《フレンジーボア》……だよな?」

 

 そして思考に浸る俺のもとにも、モンスターが現れた。色は青く、イノシシに近い体だ。間違いない、俺がずっと狩り続けていた《フレンジーボア》だ。

 だが様子がおかしい。青いイノシシの目は赤く染まっており、好戦的な目をこちらに向けている。

 昼間に狩っていた青いイノシシの目は赤くなかったはずだし、こんなに好戦的でもなかったはずだ。明らかに様子がおかしかった。

 

 「……そんなこと関係ないか。俺はただ、お前を狩るだけだしな。」

 

 考えても現実は変わらない。そう判断した俺は、腰に着けている鞘から右手で《スモールソード》を引き抜く。そして左手を背中にまわす。

 その左手で背負っていた《ブロードランス》を持ち、構えた。

 この状態の時、俺は複数の武器を装備していると判断され、ソードスキルの発動が不可能になる。それはこの剣の世界において、致命的なことだった。

 しかし、そんなことはわかりきっていた。もう既に、この現象が起こることは知っているからだ。

 フィールドに出て、買った武器を一通り試した後に効率を求めて武器を二つ持ったことがあった。その時、ソードスキルが発動せずに焦ったことは記憶に新しい。

 それでもどうにかできないかと様々なことを試した結果、ある方法を俺は見つけた。

 

 「がぁぁぁぁぁ!!」

 

 「うるさいな……。今すぐその口ぶち抜いてやろうか。覚悟しろ、イノシシもどき。」

 

 あまりにもうるさい青いイノシシに思わずキレてしまい、ドスのきいた低くて自分でも恐ろしいと思える声が出てしまった。この声が出るのは、記憶が正しければあの日以来だったか。

 あの日を境目に、俺は俺じゃなくなってしまった。今の俺と昔の俺とでは何もかも違っている。

 そして雄叫びをあげながら、突進してきた青いイノシシの口内に俺は《ブロードランス》をやり投げの要領で突き刺した。《投擲》はまだ取っていないので、ただ単に投げただけだ。

 青いイノシシが勢いを止め、突然襲いかかった刺すような痛みに悶絶を始めた。

 俺は右手に残った《スモールソード》で片手剣ソードスキル《レイジスパイク》を立ち上げる。刃に青い光が宿った。

 それを青いイノシシに叩き込む。それが終わると同時に、俺は空いている左手で突き刺さっている《ブロードランス》を握った。

 すると、ギィンと何かがぶつかり合うような音が響いた。その音を聞いた俺は、右手も《ブロードランス》に持ち替える。そして俺はすぐさま両手槍ソードスキル《プレオン》を立ち上げ、叩き込んだ。

 

 「……やっぱり、硬直がキャンセルされている。だが、タイミングがシビアだな。」

 

 「うがぁぁぁぁぁ!!」

 

 実験結果を確認するように呟きながら《スモールソード》を拾った俺の背後で、HPを全損させた青いイノシシはポリゴン片と化した。

 今行ったのは、複数の武器を装備しているとソードスキルが使用不能な現象を利用したものだ。

 ソードスキルは一度立ち上げると、システムアシストによって体が勝手に動き出す。しかし全身が自動で動くわけではない。

 ソードスキル使用時、自動で動くのはそのソードスキルの動きに関係するものだけだ。片手剣ならば、武器を握る手や足などは自動で動くが、何も持たないもう一つの手は自分の意志で動かすことができる。

 だから俺はソードスキルが終わる寸前に、自分の意志で動く左手で《ブロードランス》を握り、無理矢理に複数の武器を装備している状態を造り出した。

 そしてこの状態になった瞬間に、ソードスキル使用不可の現象は発生する。それが例えソードスキルを発動中だったとしてもだ。

 これによって発動中のソードスキルはキャンセルされ、硬直時間なしで行動が可能になる。これを俺は《スキルキャンセラー》と呼んでいる。

 ……とはいえ欠点もある。両手槍等の両手で持つ武器は新たな武器を持つ手が無い為、それ以上繋げることができないことだ。

 つまり今の俺には《片手剣》から《槍》に繋げることしかできない。スキルスロットがまだ二つしかないので、新しいスキルが入れられず、この二種類のソードスキルしか扱えない。

 次のスキルスロットには何を入れようか……。そんなことを考えながら、俺はやたら好戦的になった青いイノシシを狩り続けた。

 

 

 ◇◆◇

 

 時間が深夜へと突入し、フィールドが漆黒に覆われていく。フィールドで狩りをしていたプレイヤー達も、続々と《はじまりの街》へと戻っていく。

 しかし、俺は街には戻らない。だって誰かと関わったとしても、皆が俺を裏切ることは目に見えているのだから。そして街中は誰かと関わりやすくなってしまう。

 俺は《はじまりの街》に背を向けて、フィールドの奥へと進み始めた。

 やはり数年前に、あれだけのことがあったからだろう。時々だが、俺の視界に写る人が皆揃って俺を見ているような錯覚に襲われることがある。そんな状況でゆっくり休めやしない。

 考え事をしながら暗闇に包まれたフィールドを見渡す。……青いイノシシのリポップが少なくなってきている気がする。少し前は、一匹屠っている間に二匹程集まってきていたはずだ。しかし今は、こちらから探しに出ている始末。

 このフィールドにいる青いイノシシは、近いうちに出てこなくなってしまうだろう。

 それなら、もっと深くに行ってモンスターを狩ればいい。フィールドに出て何もしないよりも、モンスターを狩る方がいい。

 俺は何もしないのが嫌いだ。例えば、いじめの現場を『自分は関係ない』と遠巻きに見るような腐った人間のように。

 そして俺は奥へと進む。この時、俺は予想だにしていなかった。

 ある青年との早すぎる再開を果たし、そこで再び腐った人間を見ることになるとは。

 

 

 ◇◆◇

 

 奥へ進むと木々が密集して生えている森があった。その森で、俺は青いイノシシよりも少しばかり手応えのありようなモンスターと遭遇した。

 図体は俺よりも少し大きいぐらいか。見た目は完全に植物のバケモノだ。足下には無数の根と思われるモノが蠢き、茎と思われる胴体の上半分は不気味な口で埋められている。

 俺はその植物のバケモノに視線を集中する。すると植物のバケモノの名前が浮かび上がってきた。

 そのバケモノの名は《リトルネペント》。明らかに《リトル》ではないだろうと、製作者に内心文句を言いながら背に担いでいる《ブロードランス》を持ち、投擲の構えをとる。

 

 「さて、お前も俺の実験台になってもらうとしようか……。」

 

 未だに俺に気づいていない植物怪物に向かって《ブロードランス》を投擲した。それと同時に《スモールソード》を抜き、《レイジスパイク》を立ち上げながら接近する。

 片手剣には他にもソードスキルが幾つか使用可能なのだが、俺にとっては扱いにくいものばかりだった。いや、《レイジスパイク》が扱いやすすぎたと言った方がいいだろう。

 

 「きしゃぁぁぁ!!」

 

 投擲した《ブロードランス》が突き刺さってやっと、植物怪物は俺の存在に気が付いたようだ。背を向けていた体をこちらへと向ける。そして在りもしない目を向ける。それは怒りを表しているように見えた。

 怒ったと思われる植物怪物は手の役割を果たすのであろう触手を振り回し、俺に叩きつけようとする。

 

 「……遅い!」

 

 しかしその動きは、俺にとっては遅すぎた。俺は振り下ろされる触手を難なく掻い潜り、がら空きになっている胴体に《レイジスパイク》を叩き込んだ。

 そして剣を振り抜く勢いのままに背後をとり、突き刺さっている《ブロードランス》を握った。

 ギィンと音が響き、《スモールソード》が纏っていた光が消える。《スキルキャンセラー》成功だ。そして俺は《ブロードランス》に新たな光を纏わせた。

 

 「……これでもくらっとけ!」

 

 俺は、植物怪物を脳天から一気に縦に切り裂いた。両手槍ソードスキル《アクシオン》。《プレオン》が突きに対し、《アクシオン》は切り下ろし。どちらも扱いやすく、状況に合わせて使い分けられるから俺はどちらも愛用している。

 メニューを開き、獲得経験値を見る。やはりフィールドの奥に来たからだろうか、経験値が青いイノシシよりも多い。加えて、素材アイテムとかいうものも手にはいる。何かはよく分からないが、まぁ持っておいて損はないだろう。

 俺は新たな植物怪物を探しに、森のより奥深くに向けて足を進めようとした。だが、周囲に何者かの気配を感じ、ある一つの草むらに視線を集中させる。

 

 「……そこに誰かいるんだろう?隠れてないで出てこい。」

 

 すると、俺が見ていたその草むらから二人の青年が出てきた。そしてそのうちの一人を見た俺は目を見張った。何故ならその青年は……もう会うとは思っていなかった青年だったのだから。

 

 「……キリトか。何用だ?特に用がないなら、俺はもう行くが。」

 

 平静を装い、キリトに問うた。色々あって、自分の感情を表に出さないようにすることは当たり前になってしまった。

 無意識にトゲのある言葉を返し、背を向けて歩きだそうとした俺を、キリトは呼び止めた。

 

 「待て待て、用ならある。今から俺達と一緒にクエストの攻略をしないか?」

 

 「……クエスト?何で俺もなんだ?そこにいるもう一人とですればいいだろ。」

 

 「僕達には今クエストをクリアする為に、《リトルネペントの胚珠》が必要なんだ。お願い、手伝ってくれないかな?」

 

 俺はもう一人の青年に目線を移す。キリトよりも少し背が高い。革の鎧らしきものを身に纏って、手には円形の盾を持っている。

 その青年は、人のよさそうな笑みを浮かべている。しかし、その笑みは何かを隠しているようにしか見えなかった。

 かつて、俺の信用を裏切って玩具にしたクズ野郎と同じような、作られた笑み。その笑みをその青年は俺に向けていた。

 

 「……お前、名前は?」

 

 「僕はコペル。それで、手伝ってくれるかな?」

 

 《コペル》と名乗った青年は相変わらず、人のよさそうな笑みを浮かべている。それがやはり何かを隠しているように見えるのは、俺の錯覚だろうか。

 ……俺はかなり疑い深くなってしまったようだ。もしかしなくても、あの日々があったからだろう。

 キリトと会うのは二回目になるが、まだ関わりは浅い。今回もそれほど関わらなければ大丈夫だろう。

 それに疑ってばかりいては、俺にこの世界を勧めてくれた母親に申し訳ない。

 

 「……わかった。俺はソーヤだ。」

 

 「ソーヤ、ありがとう……それはそうと、お前は何で此処にいるんだ?てっきり《はじまりの街》に留まっているものだと思っていたのに。」

 

 キリトがやや驚きながら俺に問う。当然のことだ。デスゲームが始まった時、俺はキリトの誘いを『足手まといになるから』と言って断ったのだ。そのはずなのに、俺は今キリトと同じ場所にいる。驚くのも無理はないだろう。

 

 「……街には戻りたくなくて、フィールドの奥に進んでいたら此処にいた。そんな感じだ。」

 

 「……お前には驚かされてばかりだな。ベータテスターでもないのに、デスゲーム初日でこんな場所にいるなんてな。」

 

 「えぇ!?ソーヤ、ベータテスターじゃないのにもう此処まで来たの!?」

 

 キリトの言葉にコペルが驚きの声を出す。その言葉からして、コペルもベータテスターのようだな。

 しかし、コペルの様子がどこか演技じみているように見える。やはり、何か隠しているのだろうか。

 

 「……何かおかしいか?」

 

 「いやいや、ベータテスターでもないのに此処に来たことに驚いたんだよ。」

 

 「そうだぜソーヤ。それとそろそろ行こうぜ。あっちにリトルネペントがいるみたいだ。」

 

 キリトが森の一角を指さす。そちらに目を凝らすと、そこには植物怪物が二匹程いた。しかし、俺が狩っていた奴とは少し姿が異なっていた。

 一匹はあの不気味な口が付いた胴体の上に、小さな花が咲いていた。もう一匹は小さな花の代わりに、大きな実が付いていた。

 それを見たキリトとコペルは、声をあげる代わりに体で喜びを表現した。おそらく、あれが探していた奴なのだろう。

 

 「キリト、あの《実付き》を任せてくれないかな?キリトとソーヤが《花付き》を倒すまで持ちこたえるよ。心配しないで、絶対に実を割るようなことはしないからさ。」

 

 「わかった。……死ぬなよ、コペル。」

 

 「……乗りかかった船だ。仕方ない。」

 

 コペルが《実付き》と呼ぶ植物怪物に向かっていき、俺とキリトは残った《花付き》とやらと相対する。

 キリトも俺も《スモールソード》を構え、植物怪物を睨んでいる。

 今、《スキルキャンセラー》をキリトに見せる訳にはいかない。まだ俺は、キリトを信じられないのだ。また裏切られるかもしれないと恐怖しているのだろう。

 それとコペルのことだ。コペルは、自分から面倒な役割を受け持った。それが俺には善意ではないように見えた。どちらかというと、何かを狙っていて、それを隠す為のように見えた。

 とはいえ、キリトは完全にコペルを信用している。キリトは誰でもすぐに信用しているように感じる。俺もそうだし、クラインもそうだ……。羨ましい限りだ……。人をそんな簡単に信じるなんてな……。

 

 「何ボーッとしてんだ、ソーヤ。俺達も行くぞ!コペルを待たせる訳にはいかない!」

 

 「……っ!すまない。」

 

 俺は思考を中断し、キリトと共に植物怪物へと斬りかかった。

 

 

 ◇◆◇

 

 「これでっ!」

 

 「終わりだ!植物怪物!」

 

 二本の光を纏った《スモールソード》が《花付き》の植物怪物を切り裂いた。HPがゼロになり、ポリゴン片が爆発四散する。

 ファンファーレが鳴り響き、俺のレベルが上がったことを知らせる。これで俺のレベルは3になった。しかしスキルスロットは増えない。一体、いつになったら増えるのだろうか。

 そんなことを思いながらメニューを操作し、《リトルネペントの胚珠》を実体化する。どうやら目的のものは俺の方にドロップしたようだ。

 

 「……キリト、これであってるか?」

 

 「ん?……ああ、それだ。恩にきるぜ。ありがとな、ソーヤ。」

 

 「……お礼を言われる筋合いはない。俺がいなくともお前らは大丈夫だったはずだ。それと……《実付き》とやらの実を割るとどうなるんだ?」

 

 「……その実からすごい臭いがでてきて、それにつられたリトルネペント達が好戦的な状態で集まって来る。もしそうなったら、確実に俺達は死ぬだろうな。」

 

 それを聞いた俺は妙な胸騒ぎがした。まるでキリトの言葉が今にも現実になりそうな感じだ。

 その妙な胸騒ぎを覚えたまま、俺達は《実付き》の植物怪物の相手をしているコペルの元へと向かった。

 コペルはHPにまだ余裕がある状態のようだった。五割未満のイエローゾーンになっておらず、そのHPはグリーンに保たれていた。

 

 「コペル!こっちは終わった!手伝うぞ!」

 

 キリトがコペルのもとへと駆け寄っていく。コペルはこちらに振り向き、どこか安堵したような顔をした。

 そんなコペルの様子を見た俺は、今まで俺が疑っていたことは杞憂だったのだろうと思った。

 そして、キリトとコペルを信じてみてもいいかなという思いが芽生えた。

 俺は誰も信じないし、信じられたくもない。裏切られることがないように、誰かと深く関わらない。

 しかし、俺は変わらなければいけない。このままだと、母親の最期の言葉に乗せられた願いを無下にすることは明白だ。

 あの腐った世界で、両親は唯一俺を裏切らなかった。だったら俺から裏切るなんてことはしてはならない。もし裏切ったのなら……俺はあのクズ野郎どもと同じになってしまう。

 

 「コペル!?何を!?」

 

 キリトの声が漆黒の森に響く。俺はそれにつられて、コペルの方を見る。

 そして俺は、再び腐った人間を見た。それは、俺の心に芽生えたばかりの思いを散らすことになった。

 コペルはソードスキルを立ち上げていた。それは《バーチカル》。そのスキルの攻撃モーションは……縦の切り裂き。それをここで使うという意味は……

 

 「止めろぉぉぉ!コペルゥゥゥ!!」

 

 キリトの静止の声も虚しく、《実付き》の頭上に乗っかっていた実がコペルのソードスキルによって真っ二つに割れる。辺りに鼻をつくような臭いが充満した。

 そして俺は見た。実を切り裂いたコペルの口角が少し上がっていたことを。

 深夜の森が突然地響きに襲われる。この強烈な臭いにあてられた植物怪物がこちらに向かってきているのだろう。

 

 「……ごめん、母さん。俺はまだ誰かを信じるなんてことはできそうにない。目の前でまた腐った人間を見てしまったからさ。」

 

 俺は《スモールソード》を右手に、《ブロードランス》を左手に持つ。この際、出し惜しみなんてしている場合じゃない。今は生き残ることが最優先事項だ。それ以外、今はどうでもいい。

 地響きが収まる。そして俺の前にいたのは……何十匹かも分からない植物怪物の群れだった。




 だいたい一週間前後に一話ぐらいのペースになると思われます。

 ですが、二週間以上空いてしまうこともあるかもしれませんので、そこはご理解のほどよろしくお願いします。


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第三話 腐った人間

 最近少し忙しかったので、投稿が少し遅れてしまいました。申し訳ありません。

 不定期投稿ですが、なるべく早く投稿していきたいと思っていますので、ご理解のほどよろしくお願いします。


◇◆◇

 

 深夜の森に強烈な臭いが充満し、俺とキリトは集まってきた植物怪物に囲まれていた。

 そしてこの状況を作り出した本人……コペルは実を切り裂いた直後に、「……ごめん。」と言い残して近くの藪へと迷いなく走っていった。

 俺とキリトはその背を追ったが、瞬く間にコペルのカーソルが消えた。距離は二十メートルも空いていないにもかかわらずだ。

 

 『ソロプレイをするなら、《索敵》か《隠蔽》のどちらかは必ず付けておくべきだ。効果は説明しなくとも分かるはずさ。これらは単独時の生存率を大きく上げてくれるんだ。』

 

 キリトからのスキルの説明が脳裏をよぎる。つまりコペルは今、《隠蔽》のスキルでこの森のどこかに身を隠している。

 

 「な……なんで……。何してんだよ、コペル!出てこいよ!」

 

 キリトが植物怪物を切り裂きながら声を張り上げるも、コペルが出てくる気配はない。音一つたてず、ただじっと俺達がくたばるのを待っている。

 俺も植物怪物を《スキルキャンセラー》を存分に駆使して倒し続ける。

 そしてある一つの草むらへと歩みを進めていく。そこに俺は、誰かの気配を感じていた。

 背後から数匹の植物怪物が迫ってくる。キリトは別の植物怪物に囲まれており、こちらに駆けつけることは不可能だ。

 ましてや、こちらに気付いている様子がない。自分を取り囲む植物怪物の相手で精一杯のようだ。まぁ、今の俺にとっては好都合だが。

 そして何故コペルがこんな行動をしたのか。そんな事は、少し考えれば自ずと見えてくる。

 

 「元々、コペルは俺達を裏切って自分だけその胚珠を手に入れようとしていた。ちょっと考えれば分かることだ。そして……そこにいるんだろう、コペル?いや、クズ野郎。」

 

 俺は一つの小さな藪の前に立ち止まり、睨む。しかしコペルが出てくることはなかった。

 

 「……出てこないか。それなら、俺には一つ考えがあるぞ。」

 

 背に背負い直していた《ブロードランス》を手に持ち、それをその藪に向ける。まだ音はしない。

 続けて両手槍のソードスキル《プレオン》を立ち上げる。ガサッと藪から音がした気がした。

 

 「母さん……本当にごめん。あの日の約束、俺は守れないや。」

 

 どす黒い感情が沸き上がり、俺の心を黒く染め上げていく。そして俺の中から……血濡れの狂った獣が再び現れる。

 立ち上げたソードスキルを躊躇なく藪の中へと突き刺す。何かを貫いた感触が《ブロードランス》を通じて伝わってきた。

 

 「……何で、ここがわかったの?……それと何で、僕を攻撃したの?」

 

 そこには俺の《ブロードランス》で右肩を貫かれているクズ野郎がいた。その顔は自分が隠れていた場所がばれたことと、俺に攻撃されたことに対する二重の驚きが浮かんでいた。あの作られた笑みはもう、何処にもなくなっていた。

 俺のソードスキルを受けたクズ野郎のHPはみるみる減少し、五割未満を示すイエローに染まった。そしてそれと同時に、俺の居場所を示すカーソルはオレンジに染まる。

 それが何を意味しているのかは知らない。だが特に俺の体に異変は無いので、大して気にも止めずにクズ野郎を睨む。

 

 「簡単なことだ。俺は気配に対して異常に敏感なんだよ。そして、お前は俺とキリトの信用を裏切った。大小はあるがな。ただそれだけのこと。だけど俺はな、お前みたいな他人の信用を平気で裏切る野郎は大嫌いなんだよ!」

 

 背後に幾つかの気配がした。俺を追っていたリトルネペントが追い付いたのだろう。そこで俺は名案を思いついた。

 

 「お前みたいなクズ野郎には……植物怪物になぶり殺しにされる最期がお似合いだ!」

 

 「な、何を……。うわぁぁぁ!!」

 

 突き刺していた《ブロードランス》に力を込め、クズ野郎を背後にいた数匹の植物怪物に向けて放り投げた。

 数匹の植物怪物のターゲットは俺からクズ野郎へと移り、突然のことに混乱したクズ野郎は、俺が言った通り植物怪物に囲まれてなぶられることになった。

 その数十秒後、クズ野郎はそのHPをゼロにしてポリゴン片となって砕け散った。悲鳴すら許されない最期だった。

 

 「くたばったか……クズ野郎め。」

 

 人を殺した。その筈なのに俺の心に傷がつくことはなかった。それどころか、死んで当然だという考えさえ浮かんでいる。

 ……やっぱり俺は他人の命をモノとして見るようになってしまった。躊躇なく人を殺したことからそのことは明らかだ。

 あの日が全ての転機となった。あの日に、俺は人としての情を一部置いてきてしまったのだろう。今の俺と昔の俺は、もはや他人と言っても大差ないぐらいに価値観が変わってしまった。

 だが、まだ全てではないはずだ。この手に包丁という名の凶器を持ったあの日とは程遠い。クズ野郎を殺してやるという殺意が、他人の命をモノとして見る価値観が、必要な犠牲だと割り切る冷めきった思考が。

 今の俺は中途半端だ。あの日、本物の血でできた池の上に立っていた瞬間を思い出したくない俺がいる。その反面、その瞬間を仕方のない犠牲だと割り切っている俺もいる。

 どちらが良いなんて言わずともわかっている。しかしコペルのようなクズ野郎と会った時や短剣を目にした時に、嫌でもあの日を思い出してしまう。……裏切られたことに対する絶望と共に。

 それに加えて、何度も信用が弄ばれ、裏切られることが続いたのなら……誰であろうとも、誰かを信用することなんてできなくなってしまうだろう。

 

 「きしゃぁぁぁ!!」

 

 「……うるさい。お前らも直ぐにポリゴン片にしてやるから黙ってろ。」

 

 俺は《ブロードランス》と《スモールソード》を両手に構え、植物怪物へと突進した。

 

 

 

 それからどれ程の時間が流れたのか分からない。ただただ目に写った植物怪物を《スキルキャンセラー》で屠り続けた。

 そして全ての植物怪物を屠った俺の前にいたのは……

 

 「ソーヤ……何でお前のカーソルがオレンジになっているんだよ……。」

 

あり得ないものを見たかのように言葉を発するキリトだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 「はぁぁぁ!」

 

 次々と襲いかかるリトルネペントに、片手剣のソードスキル《ホリゾンタル》を発動して斬りかかる。

 光を纏った《スモールソード》はリトルネペントの弱点である捕食器の真下へと吸い込まれる。直後、全身をポリゴン片へと変えてリトルネペントは爆散した。

 これをどれ程繰り返しているのか、自分でも分からない。ただ、これを止めれば俺のHPは呆気なくゼロになり、現実世界からも永久退場することだけは分かっている。

 茅場晶彦が言っていたことが本当であると証明はできない。だが、あの時の茅場の声には本当だと思わせる凄みがあった。

 まともな思考なんてできなくなっていた。ただ迫り来る攻撃を避け、弱点にソードスキルを喰らわせることだけを繰り返した。

 そんな時だ。あの音が聞こえたのは。

 

 ガッシャァァァン

 

 その音はモンスターがポリゴン片となって散る音よりも高い音。それが示すのは……『プレイヤーの死』。今は『コペルかソーヤが死んだ』ことを示していた。

 反射的にその音がした方に目をやるが、俺の目に移ったのは振り下ろされたリトルネペントの触手だった。

 とっさに地面を転がって回避し、今までと同じように捕食器目掛けてソードスキルを叩き込んだ。

 ポリゴン片が散るのを見ながら、自分の周囲にもうリトルネペントがいないことを確認する。そして俺はその音がした方へと向かった。

 そこにいたのは、ソーヤだった。すると死んだのはコペルだと自動的に判断できる。

 

 「……お疲れ。」

 

 ログアウトしたプレイヤーへの定番の挨拶を口にする。返事がないのはいつものことだ。

 《スモールソード》を背中の鞘にしまいながら、俺はソーヤへと駆け寄る。だがその足は途中で止まることになった。

 俺は見てしまったのだ。ソーヤの上に浮かぶカーソルが……オレンジに染まっていることを。

 カーソルがオレンジに染まる条件はたった一つ。まだオレンジに染まっていないグリーンのプレイヤーを攻撃した場合のみ。

 それはソーヤがコペルの死に何らかの形で関与したことを表していた。俺はあり得ないものを見るような目でソーヤを見る。

 

 「ソーヤ……何でお前のカーソルがオレンジになっているんだよ……。」

 

 「……コペルは俺を、俺達を裏切った。それは俺達の信用を弄んだことに他ならない。俺は、他人の信用を平気で裏切る野郎は大嫌いだ。だから、俺がコペルを『殺した』んだ。」

 

 俺の問いに答えたソーヤは冷めきっていた。さも死んで当然かのような口振りで、淡々とコペルを殺したことを告げた。

 そしてソーヤは人の命を奪ったことに対して、何も感じていないように見えた。目からハイライトは消え失せ、ただゴミを見るような目でコペルが死んだであろう場所を見ていた。

 

 「別に殺す必要はなかったんじゃないのか!確かにコペルが俺達を裏切ったことは事実だ!それでも、たったそれだけで殺していい理由にはならないだろ!!」

 

 まるで人の命をモノとしか見ていないソーヤに怒りを覚え、怒鳴った。命よりも大切なものなんてない。それを悪びれもなく奪ったソーヤが許せなかった。

 ソーヤの返答はやはり冷めたものだった。だが俺の言葉が気に食わなかったらしく、その言葉には少し怒気が込もっていた。

 

 「……お前は、誰かに裏切られたことはあるか?自分の信用を弄ばれたことはあるか?いいや、お前は無いだろうな。だから『たったそれだけ』なんて言えるんだ。

 俺は何度も何度も誰かを信用しては、裏切られた。そして俺は、信用することができなくなった。現に今、俺はお前を信用していない。」

 

 「……!!」

 

 俺は絶句した。ソーヤが壮絶な人生を送っていることに気が付いたのだ。そして、程度の差はあれど俺に似ていることも。

 そんな俺の思考をよそに、ソーヤは俺に背を向けて歩きだした。

 

 「じゃあな、俺をまだ裏切らない人間のキリト。」

 

 「あ……おい待て!ソーヤ!」

 

 俺は小さくなっていくソーヤの背を追いかけるが、此処は深夜の森のフィールド。たった数分で俺はソーヤを見失ってしまった。

 

 「……ソーヤ、俺はお前を永遠に裏切るつもりなんてないさ。俺も、裏切られた時の傷が大きいのは知っているからな。」

 

 俺はそう呟き、クエストを受けた民家へと向かっていった。

 

 

 ◇◆◇

 

 ザクザクと草を踏みしめる音だけが俺の耳に入る。キリトと別れて数時間、俺はまだ深夜の森にいた。理由は単純、あの植物怪物を狩る為である。

 元々、効率のいい経験値を持つモンスターを探してこの森に入ったのだが、とんだ巻き添えを喰らうことになった。それも、クズ野郎の裏切りという最悪なオマケ付きで。

 とはいえ、悪いことばかりでもなかった。あの植物怪物の集団との戦闘でかなりの経験値を得ることができた。それでも気分は良くないが。

 

 「……あっちに何匹かいるな……。」

 

 気配を感じたので藪に身を隠しながらその気配がする方へと向かう。そこには植物怪物が三匹いた。

 俺は《ブロードランス》と《スモールソード》を両手に持ち、一気に藪から飛び出した。

 

 「はぁぁぁ!」

 

 「きしゃぁぁぁ!!」

 

 俺に気づいた植物怪物が触手を叩きつけてくる。それを難なく回避し、叩きつけられたままの触手を逆手に持ち変えた《ブロードランス》で地面ごと貫き、縫いとめる。

 そして《ブロードランス》を踏み台にして、植物怪物に肉薄する。そのまま片手剣ソードスキル《ホリゾンタル》を立ち上げる。

 至近距離で発動されたソードスキルは一瞬で植物怪物をポリゴン片へと変貌させた。

 

 「さぁて……次はどっちだ?」

 

 「「きしゃぁぁぁ!!」」

 

 残された二匹の植物怪物は同時に襲いかかってきた。もしかすると、俺を自分だけでは倒せないと踏んだのかもしれない。そうならば、相当優秀なAIだと言えるだろう。

 そういえば、昔にそんなAIを作り出せそうな誰かと会ったような記憶がある。確か両親と仕事の関係だったか。思いだそうとするが、何分昔の記憶の為かはっきりと思い出せない。

 

 「……まぁいいか。いつか思い出すだろう。それよりも今は、コイツらをさっさと葬らないとな。」

 

 思いだそうとする昔の記憶を脳の片隅へと追いやって、俺はその両手に持つ二つの武器をもう一度握る。

 左右両方から触手が振り下ろされる。先程のように避けようとすれば、もう一つの触手の叩きつけを受けることになる。ならばどうするか、答えは簡単だ。

 

 「「……きしゃ?きしゃぁぁぁ!」」

 

 突如悲鳴に似た叫びをあげる植物怪物の近くに、ぼとりと二本の触手が落ちた。それらはすぐさま耐久値の限界を迎え、呆気なくポリゴン片へとその形を変えて爆散した。

 そう、俺は植物怪物の触手を斬ったのだ。それも数秒の間で。この世界では、俺の体が軽くて思った通りに動いてくれる。それ故に、こんな芸当が可能となったのだろう。

 俺は触手を失った植物怪物の一匹に《スモールソード》を投げて突き刺し、槍のソードスキル《ディラトン》を立ち上げる。

 《ディラトン》は突進の突き攻撃。光を纏った《ブロードランス》は直線上に並んだ植物怪物を二匹纏めて貫通する。そして硬直状態になった俺の後ろで、ポリゴン片の爆発が起こった。

 

 「……俺はいつになったら誰かを信用できるんだろうか。教えてよ、母さん、父さん……。」

 

 誰もいなくなった森で俺は涙を流した。本当の自分を表に出したのは何年ぶりだろうか。誰かに裏切られる度に、素直な自分の上に偽の自分を張り付け、一人でもその仮面は外さなかったというのに。

 俺は誰も信じない。皆して俺の信用を裏切って距離をとったり、それを利用していじめてきたりする。それが繰り返され、俺は誰も信じられなくなった……。

 そう自分に言い聞かせて、嘘の自分を演じ続けていたというのに。それが当たり前で、本当の自分なんて出そうとしても出せなかったというのに。

 何故、いきなり嘘の仮面がいとも簡単に外れてしまったのだろうか。

 

 『その世界はね、感情を隠すことができないの。嬉しいと思えば笑顔になるし、悲しいと思えば涙が流れるの。まぁ、多少は我慢できるけどね。』

 

 母親の言葉がフラッシュバックし、俺はこの世界では自分に嘘がつけないことに気づいた。しかし、今さら気づいたとしてももう遅い。

 俺から流れ始めた涙は止まることを知らず、延々と流れ続ける。幾ら拭っても拭ってもその涙が枯れることはなかった。

 

 「……孤独は……寂しい、悲しい……。俺はいつまでこのままなんだ……?」

 

 その場にうずくまり、涙が枯れ果てるのを待つ。寂しい、悲しいといった感情が俺の心を駆け巡り、それが更なる涙を呼ぶ。

 自分が暗闇の中にいるような錯覚を覚える。誰も助けには来てくれず、その暗闇は永遠に晴れることはない。

 だが、その暗闇を俺に向かって進んできている一人の青年がいた。その青年とは、この剣の世界で出会い、二度別れた人物だった。

 

 「……キリト……。」

 

 俺は無意識にその名を呟く。キリトは俺をまだ裏切っていない。もしかすると俺を裏切ることはないのかもしれない。俺が少し信じる努力をすればいいだけなのかもしれない。そんな希望的観測が浮かぶ。

 しかしそんな淡い希望はあっさりと打ち砕かれる。いや、既に打ち砕かれている。俺はキリトに暴言に似た言葉を吐いてしまっていた。

 キリトは俺のことを何にも知らない癖に、説教垂れたことが癪にさわった。だから怒鳴ってしまった。『俺はお前を信用していない』と言ってしまった。

 もしそんな事を言われてもなお、関わろうとする者はいるだろうか。俺は自分の手で信用できるかもしれない者を排除してしまったのだ。

 その結論にたどり着いてしまった俺に、更なる寂しさと悲しみがのし掛かる。

 そして俺は太陽らしき物からの光が差し込むまで、人知れず涙を流し続けた。



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第四話 オレンジが示す意味

 今回、少し急ぎぎみだったのでいつもより駄文かと思われます。誤字、脱字があれば報告していただけると幸いです。


◇◆◇

 

 視界に剣を大上段に振り上げる人間モドキの懐に一瞬で滑り混み、《細剣》のソードスキルである《リニアー》を立ち上げる。

 目にも見えない速度で放たれた《スチールレイピア》は人間モドキの剣が振り下ろされるよりも先に胴体へと突き刺さる。その痛みに耐えきれなかったのか、人間モドキは剣を手放してしまう。

 俺は丸腰になった人間モドキに突き刺さっているもう一つの剣、《スモールソード》を空いている手で握り、引き抜いた。

 ギィンと音が響き、《スチールレイピア》が纏っていた光が消え去る。それを確認した俺は《スチールレイピア》から手を離し、先程使用可能になった片手剣のソードスキル《ホリゾンタル・アーク》を硬直なしで立ち上げる。

 左右を往復するように放たれた剣線は、人間モドキをポリゴン片に変えた。

 地面に落ちた《スチールレイピア》を拾い上げ、左右の腰に提げている鞘の一つへと戻す。そしてもう一つの鞘に《スモールソード》を同様にする。

 

 「……ふぅ、こんなもんか。」

 

 周囲に気配が何もないことを確認してから、俺は一息ついた。

 此処はアインクラッドの第一層の迷宮区。そこで俺は嘘の仮面を張り直し、延々と人間モドキを狩っていた。あの森に出現する植物怪物では経験値の効率が悪くなってきたからである。

 

 「そういえば……この色はずっと変わらないな。」

 

 自分の頭上に浮かぶカーソルを見上げる。その色はあの森の日からずっとオレンジのままだ。この色が何を意味するのかは未だ不明だが、何かデメリットがあるのだろうか。

 この色を戻したいとは思わないが、ずっとオレンジのままなのも気になっている。今まで不都合なことは何も起こってはいないが、オレンジのカーソルになった俺を見たキリトがあり得ないものを見るような目で見ていたことが妙に印象に残っている。

 

 「……そろそろ行くか。《細剣》のスキルをもう少し試したい。それに、あの大きな扉の奥も気になるしな。」

 

 俺はあれからもモンスターを狩り続け、レベルは6に達していた。

 それと同時にスキルスロットも一つ解放されたので、片手剣と合わせてコンボが繋げられそうな《細剣》を取った。今はそれを《スキルキャンセラー》に組み込む練習をしている。

 僅かな時間の休息を終え、再び迷宮へと繰り出そうとした瞬間、俺はある気配を感じた。この気配は……人間のものだ。

 それも一人や二人ではない。ざっと数えても四十人……いや五十人近くはいるだろうか。そんな大集団がこちらに向かって来ている。このままではばったりと出会うことになってしまう。

 一瞬焦ったが、よく考えれば俺には関係ないことだろう。どうせ出会ったところで、特に関わる理由なんてないはずだ。

 そう判断した俺は、その大集団を無視して迷宮区を進もうとした。だがその大集団の前を通りすぎた瞬間、俺を呼び止める大きな声がした。

 

 「そこのガキィ!止まれや!」

 

 声がした方に視線を向けると、頭がトゲトゲの男と五、六人の男がその大集団を掻き分けて来た。逃げようかとも考えたが、追いかけられると面倒になる。

 

 「テメェ、何モンや!」

 

 「……他人の名前を聞くときは、自分から名乗るのが筋じゃないのか?」

 

 「ッチ。生意気なガキや。ワイはキバオウってモンや。」

 

 「……ソーヤだ。それで、何用だ?」

 

 キバオウと名乗ったトゲトゲ頭の男から視線を反らして、他の人間の様子を見る。

 トゲトゲ頭に付いてきた男達はストレージ等から武器を取り出してこちらに向けている。俺に向ける視線は敵意そのものだ。

 その男達の後ろにいる集団は様々な反応をしていた。男達と同様に俺に敵意を向ける者、トゲトゲ頭の行動にため息をつく者、何が起こっているのか理解できずに首を傾げる者……。本当に様々な反応をしていた。

 しかし、何故俺に敵意を向けるのかがわからない。初対面のはずなのに、もう顔を知られているような感覚で関わってくるトゲトゲ頭が何故、こんな行動をするのかわからない。

 思考に浸っていると俺の態度が気に入らなかったのか、トゲトゲ頭はよりただでさえ大きい声を更に大きくしながら怒鳴った。

 

 「無視すんなガキィ!ワイは、プレイヤーの安全を守る為にオレンジのカーソルをしたお前を、牢獄にブチ込むんや!」

 

 そこで俺はオレンジの意味を理解した。『安全』と『牢獄』のキーワードから、恐らく現実世界でいうところの犯罪者にあたるのだろう。

 もしそうならば、俺が殺したクズ野郎に攻撃した時にカーソルがオレンジになったことにも納得がいく。

 

 「……なるほど。つまりお前は、俺のカーソルがオレンジだから投獄するということか?」

 

 「そういうことや!お前は人殺しやろうが!さっさと反省して牢獄に行かんかい!」

 

 パリン……。俺の心に巣食う獣の檻がまた一部、砕けた音がした。そこからあの日の俺が少し流れ出て、今の俺と混じり合う。

 殺してやるという殺意が増し、他人の命をモノとして見る価値観が定着し、必要な犠牲だと割り切る冷めきった思考に切り替わる。俺はあの日の俺にまた一歩、近付いてしまった。

 

 『おい創也、お前でかくてキモいんだよ!』

 

 さらに追い討ちを掛けるように、俺の見た目を理由にいじめてきた餓鬼の姿と、眼前にいるトゲトゲ頭が重った。それが更に俺の殺意を加速させていく。

 殺意が俺のコントロールから離れ、あの日のように暴走を始めようとする。俺はそれを理性で抑える。今殺しては、確実に後ろの集団に誤解を産む。

 俺は《スモールソード》を抜き放ち、トゲトゲ頭の喉元に突きつける。その時間は一秒にも満たない。一瞬の行動に、トゲトゲ頭は驚きの表情を浮かべる。

 

 「断る。……俺は、お前のような見た目だけで全てを決めつけるような野郎は嫌いだ。素直に牢獄に入るつもりなんてない。俺を投獄したくば、無理矢理にでもやってみやがれ。」

 

 「……言うやないか、ガキィ。そこまで言うならワイも容赦はせんで。野郎共!このガキを捕まえろ!」

 

 「「「おぅ!!」」」

 

 トゲトゲ頭付いてきていた男達が、待ってましたと言わんばかりに飛び出した。恐らく、俺が動けなくなるまでいたぶり、その後に投獄するつもりなのだろう。

 ……仕方ない。殺さない程度に相手をしよう。幸い、まだ抑えられる。これなら半殺しぐらいで済む。

 《スチールレイピア》も鞘から抜き放ち、構える。それを見たトゲトゲ頭を含む男達は失笑した。まるで俺を馬鹿にするような目で見ている。

 そこで俺が煽ると、男達は顔を真っ赤にして一斉に襲いかかってきた。予想通りだ。だいたい、いじめる人間とそれに付いている人間は自尊心が高い。そこを傷つければ、怒りに我を忘れることが多いのだ。

 そして、俺とトゲトゲ頭率いる男達との戦いの火蓋が切り落とされた。

 

 

 ◇◆◇

 

 「……動きが大振りだ。」

 

 いの一番に飛び出して来た男は両手剣を大上段に振り上げ、ソーヤを叩き斬ろうとする。捕まえるつもりはさらさら無く、殺す気なのだろう。全身から殺気を放っている。

 それを見たソーヤは、がら空きの腹に《スモールソード》を突き刺し、男が勢いを突然止められて宙に浮いている内に《リニアー》を放った。

 神速の速度で放たれた突きを受け、男は吹き飛んだ。そのまま迷宮の壁へと飛んで行き、叩きつけられる。

 ソードスキルの使用を見た他の男達はソーヤの硬直を狙って、四方八方から斬りかかる。しかし男達は彼を見たとたん、表情を驚愕に染めた。

 ……無いのだ、硬直が。男を《リニアー》で吹き飛ばしたソーヤは、ソードスキル使用後に発生するはずの硬直を無視して立っていた。

 

 「……囲もうとも無駄だ。圧倒的に数が少ない。あの日の十分の一にも満たないぞ。」

 

 ソーヤは《リニアー》発動と同時に男から引き抜いていた《スモールソード》で片手剣のソードスキル《ホリゾンタル》を立ち上げた。

 彼を囲って斬りかかった男達は皆、光を纏った横一筋の一閃に斬り裂かれる。だが、男達のHPにはまだまだ余裕がある。男達は立ち上がり、再びソーヤへと斬りかかった。

 

 「……面倒臭い。全員、死なない程度に動けなくしてやる。」

 

 ……ソーヤから放たれた光の剣線が煌めいた。その光は消えることを知らぬかのように、男達を斬り裂く。何度も何度も斬り裂き、男達のHPはいよいよ赤く染まり、それと共に表情が死への恐怖で染まる。

 だが光の剣線はそこで突然消え去った。そしてそこには、ガクガクと震える男達とその中心に悠然と立つソーヤの姿があった。

 

 

 ◇◆◇

 

 俺は両手に持っていた《スモールソード》と《スチールレイピア》を鞘へと戻す。

 眼前に目をやると、未だにこの光景を理解できないのだろうか、口をパクパクとさせているトゲトゲ頭がいた。

 コイツは俺の挑発を受けても突っ込んで来なかった人間だった。多少なりとも自制心はあるのだろう。まるでいじめのグループのリーダーのように。

 

 「……さて、どうするんだ?」

 

 「どうするもクソもないわ!それよりもガキ、さっきのは何なんや!明らかにチートやろ!!」

 

 俺の質問を無視し、自分のことだけを通そうとするか。ますますあの餓鬼とトゲトゲ頭が重なる。虫酸が走って仕方がない。

 

 「……お前みたいなクズ野郎に言う義理なんぞ、あると思うか?気になるのなら……お前がその目で見ればいいだろう?」

 

 俺はメニューを操作し、怒りで顔を真っ赤にしているトゲトゲ頭にデュエルの申請を送る。トゲトゲ頭の前に一つのウィンドウが表示された。

 

 「デュエルか……やってやろうやないか!」

 

 そう高らかに叫びながらトゲトゲ頭は表示されたウィンドウに触れようと指を近付け……突如その指を止めてしまった。

 真っ赤に染まっていた顔が一気に青白くなり、顔から生気が抜けていく。そしてカタカタと小さく震えながら、トゲトゲ頭は俺を見つめる。

 

 「おい待て……何でデュエルの形式が《完全決着モード》になってるんや!?」

 

 トゲトゲ頭の衝撃の発言で、迷宮区にいるプレイヤー達がざわめき始める。それもそのはず、このモードはデスゲームと化した今では命を懸けるデスマッチに他ならないのだから。

 通常、デュエルの形式は三つある。

 ソードスキル等の強攻撃を先に加えるか、HPが半分を切ることで決着がつく《初撃決着モード》。

 どちらかのHPが半分まで減らすまで戦う《半減決着モード》。

 そして……どちらかのHPが無くなるまで戦う《完全決着モード》。

 つまり、HPがゼロになると死んでしまうこの世界で《完全決着モード》でデュエルしたのなら……確実にどちらかのプレイヤーが死ぬことになる。

 

 「……どうした。何かおかしかったか?」

 

 「おかしいに決まっとるやろうが!何で命懸けてお前と戦わないといかんのや!別に《初撃決着モード》とかでええやろうが!」

 

 俺には、文句を並べて叫んでいるトゲトゲ頭が自己保身をしているようにしか見えなかった。それがあの日のリーダーだった餓鬼と重なった。

 あの餓鬼は自分が包丁を持っち、付き従っている餓鬼どもがいた時には調子に乗っていた。自分の力の大きさを俺に誇示していた。

 だが、俺がその包丁を奪って餓鬼どもを切りつけ始めたとたんに泣き崩れ、許しを乞うた。あの日とは状況は違えど、トゲトゲ頭がその餓鬼とやっていることは同じなのだ。

 

 「お前もこんなデスゲームで死にとうないやろ?お前を待っている親や家族がいるんやろ?だったらこんなところで命を捨てるような真似はすんなや!」

 

 トゲトゲ頭の言葉一つ一つが俺の神経を逆撫でする。俺のことを何も知らないのに、知ったような口を利くトゲトゲ頭に殺意が更に加速する。

 あの日に一歩、また一歩と近付いていく。全ての命をモノとして見てしまう俺に。その手に包丁を持ち、餓鬼どもを切りつけた人間じゃない俺に。

 

 「……知ったような口を利くな。俺には信用できる友人も、愛してくれる家族も、頼りになる親族すらいないんだよ。説得しようとも無駄だ。それ以上無駄に喋るのなら……殺すぞ?」

 

 ドスの利いた声が出た。それも青いイノシシに向けた時よりも威圧感が桁違いに大きかった。自分でも聞くと恐怖を感じる程度では済まず、震えてしまう。

 俺の膨れ上がった殺意が暴走しかけている。さっきまでは半殺しで済んだが、今トゲトゲ頭とデュエルすると、確実に殺してしまう自信がある。

 

 「……それで、お前はどうするんだ?俺と殺るか、殺らないのか。」

 

 「……ッチ!仕方ないわ。今は見逃したる。やけどな、お前はいつか絶対に牢獄にブチ込んでやるからな!」

 

 トゲトゲ頭はウィンドウを操作し、俺からのデュエル申請を拒否した。それを確認した俺は、その集団に背を向けて迷宮区の奥へと歩き出す。

 トゲトゲ頭のせいで膨れ上がった殺意は、そこらのモンスターでは発散されないだろう。発散するなら……特大のモンスターでないといけない。

 あの日は、十分な餓鬼が何十人といたから大丈夫だったが、今はそれがない。仮に人間を殺したとしても、俺は誰かを信じようと努力している場合ではなくなってしまう。

 俺は、母親が言っていた信用できる人間を見つける為に此処に来た。例えその世界がデスゲームと化したとしても、その目的は変わらない。

 でも今は、その障害になっているこの膨大な殺意を発散しよう。俺は視界いっぱいに映っている扉に手を触れ、押し開けようとして……後ろを振り返った。

 

 「……何で付いて来ているんだ?」

 

 振り返った俺の視界に新たに映ったのは、約五十人のプレイヤーの集団。トゲトゲ頭がいた、あの大集団だった。

 コイツらはこの大きな扉を目指して歩いていた俺の後ろを一定間隔を保ちながら付いて来ていた。

 俺に関わろうとせずにただ付いて来る姿は、いじめられるという形で何かしら関わられた俺にとっては不気味としか言えなかった。

 俺とその集団の間に沈黙が流れる。そしてその沈黙を破るようにあの集団から出てきたのは、青い髪をした男だった。

 

 「いやいや、別に君を尾行した訳じゃないんだ。もし誤解を与えてしまったのなら、謝るよ。」

 

 その男は、俺が殺したクズ野郎と同じような何か隠すような人のよい笑みを浮かべていた。ほんの少し前に前例があった為、自然と警戒心が高まる。

 

 「僕はディアベル。今はこの第一層ボス攻略パーティーのリーダーを務めている。」

 

 「……ソーヤだ。それで、お前らの行動が尾行じゃないのなら何なんだ?」

 

 「僕達も、君の後ろにあるボス部屋が目的地だったんだ。君がボス部屋へと進んじゃったから、その後を尾行するような形になっちゃっただけなんだ。」

 

 「……さっき、ボス攻略パーティーとか言っていたしな。そういうことだったのか。ディアベル、疑うような真似をしてすまなかった。」

 

 俺はディアベルに頭を下げる。自分が悪いと思ったら謝る、母親がよく幼かった俺に話していたことだ。そして、その言葉は今でも俺の中で生き続けている。

 ディアベルは俺が謝るとは思っていなかったのか、驚きをこれでもかと表情に浮かべていた。

 確かに、トゲトゲ頭と相対した様子から、俺が謝るとはあり得そうな話ではないが、そんなに大きく驚くこともないのではないか?

 

 「じゃあ、誤解が解けたところで……お願いが一つあるんだけど良いかな?」

 

 「……別に構わないが。どんなものだ?」

 

 「先程の戦闘を見ていたんだけど、君はこの攻略の力になりうると思った。だから……ソーヤ君、今から一緒にボス攻略をしてほしいんだ。」

 

 ディアベルのその一言に、後ろに控えている集団は喧騒に包まれる。俺の参加に賛成する声、反対する声、どちらの声も聞こえた。

 だが、反対の声の方が多いように感じる。昔から様々な暴言を言われたせいか、そういう声に敏感になっているのかもしれない。

 

 「皆、聞いてくれ!」

 

 ディアベルの声がその喧騒を切り裂いた。騒がしかった集団は静まり、視線を彼に集中させる。その視線のなかには、彼を刺すような視線もあった。

 しかしディアベルはそんな視線をものともせず、諭すように話す。

 

 「皆がソーヤ君を受け入れがたい気持ちはよく分かる。でも、僕達はこのデスゲームがクリアできるという可能性を見せる為に此処にいるんだろ?それなら、その可能性を少しでも広げられるようにするのが当然じゃないのか?

 それに、ソーヤ君は自分の過ちを認めることができる人間だ。決して無差別に人殺しをするような人じゃない。もしそうなら、今頃僕達は彼の圧倒的な力によって殺されているだろう。

 だから彼を、ソーヤ君を受け入れてあげよう。そして彼を含めた皆で、ボスを倒そうじゃないか!」

 

 ディアベルはそう締め括り、俺の方へと向き直る。そして、手を差し出してきた。

 

 「ソーヤ君、一緒に攻略しよう!」

 

 「……分かった。よろしく。」

 

 「ありがとう!それじゃあ、このパーティーの一番奥のグループに行ってくれ!」 

 

 俺はその手を握った。そしてディアベルの案内通りにその集団の奥へと向かう。

 周りからの視線を強く感じる。どうやら、ディアベルの説得で完全に俺を受け入れたという訳ではなさそうだな。渋々賛成したといった感じだろうか。

 とはいえ、たった数時間だけの付き合いだ。どうせこの集団には、母親が言っていたような人間はいないだろうから。

 集団の奥へと到着する。そこにいたのは、俺が自分の手で排除してしまった、信用できるかもしれない者だった。

 

 「また会ったな。ソーヤ。」

 

 「……!?……キリト!」

 

 俺を見て、複雑な表情を浮かべている黒髪の青年がいた。



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第五話 第一層ボス攻略戦

 恐らくですが、あと二、三話でヒロインを出すことができると思われます。それまでもうしばらくお待ち下さい。

 それと、誤字脱字があれば教えていただけると嬉しいです。なるべく早く投稿できるようにと、見直しが少々雑になってしまっているので。よろしくお願いします。


◇◆◇

 

 「ソーヤ、彼女が俺のパーティーメンバーであるアスナだ。」

 

 「……よろしく。」

 

 俺はキリトの傍らに立つ者が軽いお辞儀をする。そのアスナとやらは目深くフードを被っており、顔が見えなくなっていた。

 

 「……こちらこそ。それでキリト、俺は何をすればいいんだ?」

 

 「俺達は、ボスの取り巻きでポップするモンスターを狩るだけだ。俺達のパーティーは人数が足りないから、雑魚掃除担当という訳だ。」

 

 「……分かった。」

 

 「おい待て、何処行くんだ!」

 

 俺はその説明が終わると、キリト達から離れて武器の耐久値の確認を始めた。

 この集団に、母親が言っていたような人間はいないだろう。それならば、関わらないことが吉だ。どんないじめも、関わりさえしなければ発生しない。無視すればいい。

 そうしていると嫌がらせを受けるかもしれないが、それで反応してしまえば餓鬼どもは余計に面白がる。その方がいじめはより激化する。面倒臭いことになってしまうだろう。

 

 「……別々に行動した方が効率的だろう?俺は一人で十分だ。」

 

 「それはその通りだが……。別に一緒でも構わn……!」

 

 「そうやって俺を誘って裏切るつもりか?あの森で言ったよな、キリト。俺は何度も何度も信用しては裏切られることを繰り返した。だから誰も信用できず、お前も信用していない、とな。……これ以上、余計なことを喋ると殺すぞ?」

 

 突如反転して地を蹴り、接近したキリトの首筋に《スモールソード》を突きつける。あの森の時の怒りが再び溢れ出してくる。知ったような口を利くキリトに対する怒りが。

 キリトは信用できるかもしれない者だったが、俺がそれを破壊した。そして、もう壊れてしまったモノにいくら刃を突き立てようとも、それ以上壊れることはない。それならばいくらでも刃を突き立て、怒りをぶつけても問題はない。

 溢れ出す怒りが、獣の檻をまた一部破壊する。そこから流れ出た獣の俺が、人間の俺と混ざる。俺はまた一歩、人ならざる者に近付く。他人の命を容易く奪う獣に。

 そして獣の俺は溢れ出す怒りに拍車をかける。それがまた獣の檻を破壊する。終わることのない破壊の連鎖が俺の中で始まる。

 膨れ上がり続ける怒りに呼応し、殺意も加速する。トゲトゲ頭のせいでただでさえ暴走寸前だった殺意は、もう解き放たれようとしている。この手に握る剣で今にもキリトの首筋を斬り裂きそうになる。

 

 「同じパーティーだが、俺に関わるな。もし関わったのなら……命の保証は無い。」

 

 それを残ったなけなしの理性で抑えつけ、《スモールソード》を鞘に戻す。そして俺は眼前にそびえ立つ巨大な扉が開かれるのを待つ。

 チラリと視線を向ければ、キリト達は俺から距離をとって同じく扉の解放を待っていた。

 この抑えることが精一杯にまで膨れ上がった殺意を発散するのには、取り巻きのモンスターだけでは足りないだろう。どこかのタイミングで、ボスと相対できればいいのだが……。

 

 「さぁ皆、行くぞ!このデスゲームがクリアできるって希望を見せてやろうぜ!!」

 

 ディアベルの声と共に、巨大な扉が開かれる。俺は《スモールソード》と《スチールレイピア》を抜き、ボス部屋へと突入した。

 

 

 ◇◆◇

 

 「スイッチ!」

 

 俺の《ホリゾンタル》が終了した瞬間、アスナが飛び出す。そのまま彼女の《リニアー》が発動し、取り巻きである《ルイン・コボルド・センチネル》をポリゴン片へと変えた。

 センチネルは同時に三体しかポップしない為、俺達のパーティーだけでも十分に対処が可能だった。まぁベータテストの時は三体に囲まれて、為す術もなく死んでしまったのだが。

 ソーヤの方に目をやる。彼は一人で二体のセンチネルを相手に取っていた。それなのに、彼のHPは一ドットすらも減っていない。そして、彼の剣はソードスキルの光を纏った。

 その光は消え去ることはなく、センチネルのHPを恐ろしい速度で減少させていく。そしてものの数秒で二体のセンチネルはその姿を消した。

 

 「……足りナイ。」

 

 ソーヤはそう呟きながら二本の剣をしまい、ボスである《イルファング・ザ・コボルド・ロード》とそれと戦うプレイヤー達を睨んでいた。

 彼の放つ殺気は獰猛な獣のようで、威圧感が感じられる。近くにいるだけで身震いしてしまう程だ。

 首筋に剣を突きつけられ、その殺気を真正面から浴びた時、死を覚悟せざるを得ない程の恐怖を感じた。心臓を彼の手に握られているような、そんな悪寒がする恐怖だった。

 だが、そんなソーヤを救ってやりたいと思った。過去の自分とソーヤが重なる。裏切られ続け、誰も信じられなくなった彼に、俺は裏切らないと言ってやりたい。かつて自殺しそうになった俺を引き留めて、支えてくれた家族のように。

 彼は再びポップしたセンチネルにその殺気を向ける。彼のその雰囲気と殺気は、時間を重ねる程に強く、濃くなっている。

 そしてボス部屋に突入して数時間後、コボルド・ロードのHPバーが最後のものになる。それと同時に、彼の殺気は最高潮に達していた。

 

 

 ◇◆◇

 

 「……足りナイ。」

 

 あの日に匹敵する程に膨れ上がった殺意を発散するには、この小さな人間モドキだけではまだ足りない。抑えきれなくなった殺意が漏れだし、俺を獣へと近付けていく。

 ボスはHPバーが最後のものになり、大きな雄叫びをあげた。それと同時に、小さな人間モドキが再び現れる。この人間モドキはHPバーが減る度に、小さな人間モドキを呼んでいた。それも、もう最後だ。

 

 「……足りナイ。お前らデハ、足りナイ。俺の殺意ヲ、発散できは、シナイ。」

 

 俺はキリト達を置き去りにして三体の小さな人間モドキに突っ込んだ。

 《スモールソード》を一体の小さな人間モドキの腹に突き刺し、残った《スチールレイピア》で《リニアー》を立ち上げる。

 それで別の一体を串刺しにし、《スモールソード》を握る。ギィンと音が響き、その音と共に《リニアー》が解除された。そして《スモールソード》を突き刺した一体を蹴り飛ばしながら、《レイジスパイク》を発動させる。

 光を纏った《スモールソード》は残りの一体を斬り裂く。俺は自由に動く方の手を背に回し、《ブロードランス》を握った。《レイジスパイク》が解除されることを確認し、新しく使用可能となった《ぺドラブル・マインド》を立ち上げた。

 水平線をなぞるように放たれた二連撃は三体の人間モドキを纏めてポリゴン片へと変えた。

 硬直が解除され、地に落ちた二本の剣を拾う。そして手に持つ槍を背負いなおす。

 ボスの方に目をやると、最後のHPバーは赤く染まったところだった。最後まで、俺がボスと合間見えることは無いようだ。

 

 「僕が出る!後は任せて!」

 

 ディアベルがあの集団を掻き分け、人間モドキと対峙する。それを見た俺に一つの疑問符が浮かび上がる。

 何故、人間モドキのHPが少なくなったとたんにいきなり前に出てきたのだろうか。

 前に出ず、後ろで指示を出していたとしても、人間モドキを殺すことはできるはずだ。となれば、何か前に出る必要がディアベルにあるのだろう。

 思考を重ねても、ディアベルが何を考えているのかはわからなかった。が、何かしらの目的があるようだということは理解した。

 

 「ぐうううぉぉぉぉぉ!!」

 

 追い詰められた人間モドキが今まで持っていた斧と円形の盾を捨てる。そして何処からか新たな武器を取り出した。俺はその武器に視線を注目させる。

 人間モドキが両手に持ち、構えたのは反りがある片方だけが刃になっている剣。日本人ならば皆が知っているであろう刀だった。

 

 「な……!?」

 

 「どうかしたの?」

 

 それを見たキリトから驚きの声が漏れ、それを疑問に思ったアスナが問う。

 ベータテスターだったキリトは、テスト期間中で第六層程まで行ったそうだ。このデスゲームが始まる以前、クラインと共に草原のフィールドでレクチャーを受けた時のことが脳裏をよぎる。

 それならば、この第一層のボスのことは知っているはずだ。だがそれにも関わらず驚いているキリトが気になり、彼の次の言葉に耳を傾ける。

 

 「テスト時のボスが持ちかえる武器は曲刀カテゴリのタルワールだったんだ。この正式版もそのままだと思っていたが……持ちかえる武器が変わっている。」

 

 俺は再び人間モドキに視線を戻す。人間モドキは雄叫びをあげ、刀に光を纏わせる。その見慣れた光は……ソードスキルの光。

 

 「うぉぉぉぉ!!」

 

 「待て、ディアベル!一旦下がれ!」

 

 キリトの静止の声も虚しく、光を纏った刀はディアベルに襲いかかる。そして光の剣線は……彼を斬り、消え去った。

 キリトがディアベルのもとに駆け寄り、回復アイテムであるポーションを飲ませようとする。だがディアベルはそれを止め、首を振った。

 回復されなかったHPはみるみる減少し……ゼロになった。ディアベルの体が光り始めたと思った瞬間、あの森と同じポリゴン片の爆散音が響いた。

 リーダーを失ったパーティーは壊滅状態に陥り、次々と人間モドキの刀の錆となっていく。状況は悲惨としか言い様がなかった。

 しかし、この状況は俺にとっては幸運だ。何故なら、ごく自然な形で人間モドキと相対ができるようになったからだ。

 そんな冷徹な思考をしてしまう自分自身を恐ろしく感じながら、刀を振るう人間モドキに近付く。

 刀を振るっていた人間モドキは近付いてきた俺に視線を向ける。その瞳はまるで生きているかのように精巧なものだった。

 

 「……お前ナラ、コノ殺意を、発散できルヨナ?俺ノ殺意を、発散サセろよ。」

 

 檻から出た獣の一部が、俺と混ざる。あの日の光景を思い出したくない本当の俺が消えていく。嘘の仮面が本当の俺になろうとしている。

 それでもまだあの日には届かない。獣と完全に化した俺の時程ではない。だが、この殺意が残り続ければ俺は近いうちに獣と化す。そうなれば、もう止められない。

 俺はあの日のように自分を見失ってしまい、このデスゲームに、大量殺人者として名を残すことになってしまうだろう。

 だが俺は人間だ。誰かを殺してやるという殺意を放ち、他人の命をモノとして見る価値観を持ち、必要な犠牲だと割り切る冷めきった思考をする獣ではない。

 そして母親の言う人間と出会う為に、この殺意は邪魔だ。発散せねばならない。俺が人間であるために。獣ではないことを証明するために。

 

 「サァ、始めヨウ。殺意の、発散ヲ。」

 

 

 ◇◆◇

 

 「ぐうううぉぉぉぉぉ!!」 

 

 雄叫びをあげながら、人間モドキは刀にソードスキルの光を宿し、俺目掛けて襲いかかる。

 それはただの愚直な振り下ろし。少し横にずれるだけで回避ができる。いとも簡単に避けた俺を見て、人間モドキは苛つきを覚えている。AIでもそういう感情が読み取れる。本当にこの世界はもう一つの現実のようだ。

 そう言えば、両親の知り合いにそんな世界を夢見る人がいたはずだったのだが……。いや、今は関係ないことか。

 頭を振って余計な思考を排除する。そして硬直で動けない人間モドキに向けて《スチールレイピア》を抜き、《リニアー》を立ち上げる。

 光を纏った剣が人間モドキの豊満な腹に突き刺さった。その痛みに人間モドキは苦悶の声をあげ、俺から距離を取ろうと後ろに飛ぶ。

 

 「逃げるナ。モウお前は、終ワリだ。俺ノ、殺意を受けてミロ。」

 

 腹に刺さった《スチールレイピア》を手放し、鞘に入っている《スモールソード》を握る。ギィンと音がして硬直が無理矢理キャンセルされる。そのまま鞘から抜き放ち、《レイジスパイク》を発動する。

 放たれた一筋の光は、僅かに残っていた人間モドキのHPを黒く染め上げた。

 

 「ぐぎゃぁぁぁ!!」

 

 「……落ち着いたか。どうにか発散できたようだ。」

 

 ため息をつく俺の上に《Congratulations!!》とメッセージが浮かび上がり、経験値とドロップ品が次々と俺に入ってきた。

 それを一瞥してから、俺は奥に現れた一つの扉に目を向ける。もしかしなくとも、第二層への扉だろう。

 此処にもう用は無い。俺はその扉へと向かう。誰も俺を止めることはない。

 

 「何でディアベルはんを見殺しにしたんや!」

 

 足が止まる。あの無駄に大きい関西弁の声は間違いなくトゲトゲ頭のものだ。まだ懲りていなかったか。

 俺はその声がした方に目をやる。そこには、トゲトゲ頭と俺が痛め付けた男どもがキリトを糾弾している様子があった。

 

 「……その後の行動まで同じか。」

 

 俺はその場所へと向かう。別にキリトを助ける訳じゃない。あいつらの行動があの餓鬼どもと同じで、怒りが沸いただけだ。

 餓鬼どもを病院送りにしたあの日から、あいつらは俺に関わらなくなった。しかし、別の奴をいじめ始めたのだ。反省の欠片もなかった。だからもう一度病院送りにした。学校内だったので包丁で切ってはいないが。

 

 「……おい。何の話してんだ?」

 

 あの時もこんな感じだったな……と、らしくないことを考えながらキリトとトゲトゲ頭の間に割り込む。両者は驚いた顔をした。ある一方の顔には恐怖も混じっていたが。

 

 「こいつがディアベルはんを見殺しにしたんや!手に持ったポーションを飲ませなかったんや!お前も見てたやろ?」

 

 トゲトゲ頭の態度に反吐が出そうになる。その眼前に唾を吐いてやりたいぐらいだ。だいたいだが、いじめる奴らは群れる。数の多さが力の大きさと考えていることが多いからだ。そして自身の考えを押しきらせる。

 

 「……馬鹿馬鹿しい。」

 

 「なんやて!?何が馬鹿馬鹿しいんや!人が死んどるってのに!」

 

 思わず口に出ていたようだ。それにしても、見殺しにした、か。そんな事、ある視点からの一方的な言い分に過ぎない。

 俺はメニュー操作し、ある漆黒のコートを実体化させる。それは先程手に入ったドロップ品だった。

 

 「……これはボスに止めをさしたプレイヤーに贈呈される報酬のようだ。そしてディアベルだが、何故あのタイミングで前に出たのだろうな?そのまま後ろにいても勝てただろうに。」

 

 ボス部屋は静まりかえり、俺の声だけが響く。

 

 「それでも前に出たってことはこのコートが欲しかったのだろうな。だからボスのHPがゼロに近くなった瞬間、前に出た。そしてポーションを飲ませなかったと言ったが、ディアベルは拒否していた。それは俺とそこのフード女が見ている。お前らよりもディアベルに近かったから、状況はよく見えたはずだ。」

 

 パーティーの視線がアスナに集中する。彼女は首を縦に振った。

 

 「そんなもん信じられるか!お前とその女が口裏合わしとるかもしれんやろ!」

 

 「……俺はディアベルが死んでからすぐに、ボスと対峙したはずだ。お前は俺に口裏を合わせる時間なんてあったと思うか?

 これ以上醜い様を見せるなら……殺スゾ?」

 

 「……チッ!このチート野郎め!いつか痛い目あわしたる!」

 

 トゲトゲ頭が引き返したことを確認し、俺は今度こそ第二層への扉に向かう。周囲からの視線が痛い。どうやらこの世界でも俺は嫌われものになってしまったのかもしれない。

 

 「……母さん、俺に母さんの言う人間ができるのはだいぶ先になりそうだよ。」

 

 第二層に繋がる階段を登る。一段上がる度に水滴が落ちた。俺は泣いていた。再び嘘の仮面が外れ、本当の俺が顔を出したのだ。

 階段を登りきる。現実とそっくりな夕焼けを前に俺は顔を覆った。

 人が死んだ。その現実を本当の俺は受け入れられない。心が締め付けられる。涙が零れる。そして、それを気にも止めない俺がいることがさらに涙を加速させる。

 

 「……ソーヤ。」

 

 肩が跳ね上がった。こんなにも早く誰かが第二層に上がってくるとは思っていなかった。

 涙を拭って、嘘の仮面をもう一度張り付ける。今は外れやすくとも構わない。こんな面を他人に見られることは絶対に避けなければならない。

 

 「……キリトか。俺に関わるなって言ったよな?そんなに死にたいか?」

 

 「ソーヤ、俺は裏切るつもりなんてない。俺も裏切られた時の痛みは知っている。だから、俺を信じてくれよ。俺はソーヤを絶対に裏切らない。」

 

 「……それほど俺の信用が欲しいか?それほど俺の信用を弄びたいか?ふざけるのも大概にしろ。」

 

 「だったら!お前が裏切ったその瞬間に俺を殺せばいい!俺にはその覚悟がある!だから、俺を信じろ!俺がお前の友達になってやる!!」

 

 キリトの剣幕に押される。今までに同情して俺の信用を弄んだ輩はいたが、キリトのような人間は初めてだった。

 

 『創也、お母さんが言う友達を作るにはね、まずその人を信じてあげて。でも、創也が誰かを信じることができなくなったことは分かってる。だから、少しずつでいいから、信じてあげて。そうすればいつか、その人を心から信用できるようになっているから。』

 

 母親の言葉が脳裏をよぎる。確かに母親の言う人間を作る為にはお互いを信用する必要がある。俺が信用しなければ、母親の言う人間は作れない。だから少しずつでも誰かを信用しなければならない。

 俺はキリトを少しだけだが信用しようと思った。しかし、あの森での出来事が俺を躊躇させる。あの過去はもう変えられない。

 

 「……俺はキリトに刃を向けた。あの森でも、先程のボス戦でもだ。それなのに何故、お前は今、俺と友達になろうなんて言えるんだ?」

 

 「それは、俺がお前を救いたいと思ったからだ。そうだ、しばらく此処には誰も来ないと思うから俺の過去を簡単に話そう。聞いてくれるか、ソーヤ?」

 

 「……わかった。」

 

 そうして夕焼けを眺めながら、キリトは自身の過去を話し始めた。



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第六話 友達

 今回から時間がどんどん飛ばされていきます。それから展開も一気に加速すると思われます。ご理解の程、よろしくお願いします。


◇◆◇

 

 「俺は見たら分かるだろうけど、女の子のような顔なんだ。そしてそのことを理由にいじめられた。始めは口だけだった。しかしだんだんエスカレートしていって、物を隠され、机に落書きをされ、挙げ句の果てには鞄を川に投げ落とされた。」

 

 キリトは赤く染まるフィールドに腰を下ろし、夕焼けを見つめる。

 彼の目は、俺の信用を得ようとする目ではなかった。ただ辛い過去を思い出して感じている彼の悲しみだけが写されていた。

 俺もキリトの横に腰を下ろした。すると俺の行動が予想外だったのか、キリトは驚いた顔をこちらに向ける。だが俺が無言で続きを促すと、その悲しみの目を夕焼けに戻した。

 

 「それから少しすると、いじめっ子から俺を庇ってくれる人が現れた。俺はその人を信用して、頼った。でもその人は、俺が信用していることを馬鹿にして話していたんだ。それから……」

 

 「もういい。お前が俺と程度の差はあれど、同じ境遇だったことは十分に理解できた。それに……誰かが登って来たようだしな。これ以上時間が取れない。」

 

 キリトは第二層の入り口を見やる。そこにはアスナとスキンヘッドの大男が登って来ていた。

 俺はウィンドウを操作し、漆黒のコートを実体化させる。それをキリトに手渡す。正直、俺はあまり黒は好みではない。檻に入っている獣の俺を思い出してしまうからだ。

 

 「何で俺にこれを?」

 

 「お近づきの印ってやつ。それじゃあ俺はもう行くな。キリトのことは信用してもいいと思ったけど、他の人はまだ信用できないから。それに俺は、この世界でも嫌われ者になっちゃったし。」

 

 「ソーヤ、口調が変わって……。」

 

 「……!!忘れてくれ。それと、今の事を誰にも言うなよ。言ったら……殺す。」

 

 キリトに指摘され、俺は慌てて嘘の仮面を張り付け直す。いくら信用し始めたとはいえ、まだ本当の俺を見せるには早すぎる。

 だがこんないとも簡単に仮面が外れてしまうとは想定外だ。もしかしたら、本当の俺は母親の言う『友達』とやらを心から欲していたのかもしれない。

 

 「また会おうな、キリト。それまでお前が裏切らなければの話だが。」 

 

 俺はアスナとスキンヘッドの大男がこちらに到着する前に、フィールドの奥へと向かう。キリトは俺を引き留めることなく、見送っていた。彼も、嫌われ者だったからこそ引き留めなかったのだろう。

 キリトが見えなくなる程遠くまで来てから、上を見上げる。そこには無機質な金属らしき素材の天井があるばかりだ。しかし今は、雲一つない青空に見えた。

 誰かを信用できたという事実が俺の心を弾ませる。自然と口角が上がる。本当の俺がかつてない程に生き生きしていた。

 だが俺はその弾んだ心を静まらせ、口角が上がった口を引き締める。まだキリトが俺を裏切らないと確定した訳ではない。

 一応信用しようとは思ったが、何時その信用が傷と変じるかわからない。永遠にそうならないかもしれないし、明日にはなっているかもしれない。

 端から見れば余計な心配なのかもしれない。だがこれ程に最悪を想定していなければ俺は生きることさえできなかった。あの餓鬼どもの社会で生き残ることは不可能だった。

 フィールドの奥へと進む。あの森の時と同じように、ザクザクと地を踏む音だけが聞こえた。

 

 

 それから二年の月日が経とうとしているが、キリトは俺のことを裏切っていない。

 

 ◇◆◇

 

 此処はアインクラッド第五十層の街、アルゲード。無数の道が混じり合う、まるで迷路のような場所である。

 因みに今の俺のカーソルは緑だ。キリトに教えて貰ったクエストで戻すことができた。そのクエストは、ただ巨大なゴーレムと戦うだけのもので、いい《スキルキャンセラー》の練習台となってくれた。それをキリトに話すと何故か唖然としていた。

 そして俺はその迷路のような道を止まることなく進み、行きつけの買い取り屋がいる店へと向かう。

 

 「エギル、これ買い取ってくれないか?」

 

 「おう、ソーヤじゃねーか!今回はどんなアイテムを売りに来てくれたんだ?」

 

 買い取り屋の名前はエギル。第二層にいた俺とキリトを追って来た、あのスキンヘッドの大男だ。キリトから紹介されて以来、よく関わるようになった。  

 エギルはそのプロレスラーのような厳つい顔に似合わない愛嬌のある笑顔を浮かべ、トレードウィンドウを開いた。

 俺はこの店で不要になったものを買い取ってもらっている。別にこの店でなくとも構わないのだが、全く信用できない者よりかは、多少信用ができる。

 そしてエギルは俺が視る限り、裏切ろうという黒い考えは持っていない信用できる側の人間だ。だが、万が一があるので信頼はしていない。

 この二年間で、俺を裏切って殺そうとしたクズ野郎が何人かいた。まぁ、第一層のことを考えれば当然なのだろうが。

 もちろん、そのクズ野郎どもはもれなく全員俺の殺意の発散道具となった。その時はクズ野郎どものカーソルがオレンジになってから攻撃を仕掛けたので、俺が再びオレンジになることはなかった。相手がオレンジのカーソルのプレイヤーならば、いくら殺したとしてもカーソルが変わることはないからだ。

 そしてそんなクズ野郎と関わったことで、今では相手の態度や口調、視線等から何を考えているのかがわかるようになった。とはいえ、キリトが紹介してくれた人とだけしか関わっていないが。

 

 「ああ、この短剣を買い取って貰いたい。」

 

 そう言いながら俺は一本の短剣をトレードウィンドウの中に入れる。それを見たエギルの顔が笑顔から驚愕へと変わっていった。

 

 「おい待て、なんだこのスペックは。これはプレイヤーメイドか、ボスドロップのレベルだぞ!お前まさかとは思うが……。」

 

 「ん?ああ、それは第五十七層のボスからドロップしたやつだ。此処に来る前に殺した。スペックはいいんだが、短剣は必要ない。買い取ってくれ。」

 

 「はぁ……またか。俺はもうその事で驚かねーよ。」

 

 エギルがため息をつく。俺には何故ため息をつかれたのか理解できなかった。俺は《スキルキャンセラー》の練習がてらに、ボスを殺しただけだ。何処にもため息をつかれる要素などないはずだ。

 それから俺がエギルと商談をしていると、店の扉が開いた。そして入って来たのは全身を黒で固めた少年だった。

 

 「よう、ソーヤ。こんなごみ溜めにいるとは思ってなかったぞ。」

 

 「おいこら、キリト!ごみ溜めとはなんだ、ごみ溜めとは!」

 

 その少年の正体はキリト。今では《黒の剣士》と呼ばれている攻略組のプレイヤーだ。その名の通り、戦闘時には黒のコートを身につけ、漆黒の剣を振るって活躍している。

 だが今日は休みなのか、楽な服装をしていた。……色はいつも通りの黒だったが。

 キリトは笑顔を浮かべながら店の中に入って来る。しかし彼の笑顔の裏に隠された黒い感情を俺は見逃さなかった。

 

 「それで?何を買い取ってもらってるんだ?」

 

 「ああ、この短剣だ。俺は短剣なんて見たくもないからな。」

 

 俺はウィンドウを可視状態に変更して、キリトに見せる。それを見たキリトはエギルと同じ反応を見せ、何処で手に入れたのかを聞いてきた。その時、彼の目が輝いているように感じたのは気のせいだろうか。

 キリトはこれはボスのドロップ品であることを伝えられると、とても残念そうな顔をした。そして数秒後、彼は突然血相を変え、俺の両肩を掴んで揺すってきた。激しすぎるその動きに、俺の視界はグワングワンと揺らされる。

 

 「ソーヤ、またか!もうするなって言ったよな!なのに何でまたお前はやってんだ!階層のボスをソロで討伐するなんて!」

 

 「おぇっぷ……。別にソロで討伐しようなんて考えてなかったさ。ただ、技の練習台に硬い奴を探していただけだ。そして見つけたと思ったらそれが階層のボスだったってだけだ。」

 

 俺の《スキルキャンセラー》はソードスキルをキャンセルするタイミングを間違えなければ、永遠に相手を切り刻むことができる。

 そしてそのタイミングを覚えるには反復練習が一番いい。だから俺はソードスキル何回も耐えられる硬いモンスターを練習台にしている。

 だが、今回の迷宮区は攻撃火力に重点をおいたモンスターばかりでHPが少ないものばかりだった。そんな中で硬いモンスターを探した結果……ボス部屋までたどり着き、そのまま殺した。これを俺は前にも二回程している為、レベルがトップレベルの攻略組の中でも頭一つ分飛び出ている。

 俺の言い訳を聞いたキリトは、これまたエギルと同じ反応を示した。

 

 「はぁ……。だからお前は《鬼神》なんて呼ばれることになるんだ。」

 

 「《鬼神》?何だそれは?」

 

 「お前の二つ名だよ。数多の武器を使いこなし、たった一人で圧倒的な力を誇ることからそう呼ばれるようになったみたいだぜ?因みに、ソーヤがボスを初めて単独討伐した頃から攻略組の中で呼ばれているぞ。知らなかったのか?」

 

 「……初耳だ。」

 

 俺がそんな風に呼ばれているとは、思ってもみなかった。キリトはボスの攻略戦でよく活躍していることから、二つ名が付いているのは知っていた。だが、特にボスの攻略戦に参加すらしない俺にも付けられているとは。

 俺は他の攻略組と大して関わっていない。誰がいつ俺を裏切るのかわからないからだ。その為、攻略組とは別行動のような形になっている。何度も攻略組のギルドから勧誘を受けたが、全て断っている。

 まぁ、二つ名のことに関して俺は興味ない。何処でどう言われようがどうでもいい。勝手にすればいい。

 それよりも、キリトの『ボスを単独討伐した』という言葉が妙に引っ掛かった。俺はその引っ掛かりの原因を探る。そして見つけた。

 キリトも階層のボスではないが、クリスマスのイベントボスを単独で殺したことがあったのだ。

 そのボスからは蘇生アイテムがドロップするという噂があり、キリトが血眼になって探していたという。このことは彼がよく利用しているアルゴという情報屋から聞いた。

 その事があることと結び付く。今キリトが隠している黒い感情だ。その感情は責任を強く感じすぎた結果、自己嫌悪に走っているものだった。このまま放置すると、いずれキリトは壊れてしまうだろう。

 キリトは未だ俺を裏切らない数少ない人間だ。そして、誰も信用できなかった俺がこの世界で初めて信用しようとした人間でもある。だから彼をその自己嫌悪から解放させてやろう。

 俺にキリトを救いたいという感情が芽生える。もしかしたら、俺は彼のことを少しずつ信頼し始めているのかもしれない。

 

 「キリト、ちょっと待っててくれ。一緒に迷宮区に行きたいんだ。」

 

 「え?まぁ今日は暇だし、いいぜ。」

 

 「ありがとう。それじゃエギル、いくらで買い取ってくれるんだ?」

 

 置いてけぼりになっていたエギルに声を掛け、商談の続きを始める。そして買い取りが完了すると、俺はキリトと共に迷宮区へと向かった。

 

 

 ◇◆◇

 

 俺達は迷宮区の中にある安全地帯で休息をとっていた。此処にはモンスターが一切ポップせず、外から入ることもできない。故に存分に休むことができる。なんなら、眠ってしまっても問題ない。

 そこで俺とソーヤはストレージから干し肉を取り出して噛る。味はそれほど旨くはないが、長持ちするので携帯食料としては重宝する。

 

 「しっかし、初めてだよな。ソーヤから迷宮区に誘うなんてさ。何かあったのか?」

 

 「ああ、少し話があってな。誰にも聞かれたくなかったんだ。」

 

 そう、ソーヤが俺を誘うのは今までになかったことだった。いつも俺が誘うか、たまたま迷宮区内で出会うかしか、一緒に迷宮区を攻略することはないのだ。

 ソーヤは干し肉を飲み込み、俺を見つめる。その目は俺が隠しているはずの心を見抜いたような錯覚を覚えさせるものだった。

 

 「キリト、最近何かあっただろ。」

 

 「え?いやいや、特には何もなかっt……。」

 

 「隠そうとも無駄だ。俺はお前が今隠している黒い感情……強い自己嫌悪に気づいている。作られた笑顔なんて腐る程見てきたから、今のお前の笑顔が作り物だってことはわかっているんだ。もう一度聞くぞ、キリト。最近何かあっただろ。」

 

 俺は自身の膝に顔を埋める。俺の取り繕った笑顔はあっさりと看破され、隠していた感情も気づかれていた。ソーヤの目は俺の全てを見抜いていた。先程感じた錯覚は嘘ではなかったのだ。

 あの日のことをソーヤに話そうかと思った。だが、これは彼には関係のないことだ。俺個人の事情に巻き込みたくない。

 

 「……ソーヤには関係のないことだ。」

 

 俺がそう呟くと、ソーヤは突然俺の胸ぐらを掴みあげて、壁に叩きつけた。とっさのことで対応ができず、されるがままになる。

 ソーヤの目は怒りに満ちていた。初めて見る彼の怒り。それは殺気を向けられた時より強く、どこか優しさがあった。

 

 「二年前、このデスゲームが始まった時のことを覚えてる?『勝手に自分を自分で苦しめるな、それはいつかお前を殺すことになる。』これは俺がキリトと《はじまりの街》で別れた時に言った言葉だよ。君は今まさにこれをしているんだよ!死にたいの君は!?君は自分で勝手に苦しんで死にたいの!?」

 

 ソーヤの口調が変化する。この口調になるのは二年前、俺達以外誰もいない第二層のフィールドで話した時以来だ。

 俺の胸ぐらを掴む力が強くなっている。これ程にソーヤが感情を表に出すのを見るのは初めてだろう。いつもは仮面を付けているような感じで、ずっと同じ表情のまま変わらないのだ。

 だが、俺の中にある一つの疑問が浮かび上がる。ソーヤが今していることは、いつもの彼の行動からして考えられないことなのだ。

 

 「なぁ、何故こんなにも怒るんだ?俺はソーヤに信頼されていないんじゃなかったのか?」

 

 「信頼されていないだって?ふざけるのも大概にして!流石の俺でも二年間経って裏切らなかった人がいたのなら、信頼し始めるさ!友達だって信じ始めてしまうさ!悪いか!!」

 

 ソーヤが感情を爆発させ、俺はその剣幕に押される。まるであの時と反対の状況になっていた。

 彼は胸ぐらを掴む手にさらに力を込め、俺を睨んでいる。だが次の瞬間に、その手を離して後ろを向いてしまった。そして発せられた彼の口調は、いつもの無機質なものに戻っていた。

 

 「……キリト、今のことは忘れてくれ。少し、取り乱ししまった。」

 

 「ああ。でもそうか……ソーヤは俺を信頼し始めてくれてるのか……よし。ソーヤ、その事を話すから聞いてくれないか?」

 

 「最初からそう言えば良かったものを。」

 

 そう言ってソーヤはあの時と同じように、俺の隣に腰を下ろした。

 

 

 ◇◆◇

 

 キリトの強い自己嫌悪の原因、それはある小さなギルドに起きた悲惨な事件だった。

 『月夜の黒猫団』。それは攻略組を目指す小さなギルドだった。それが迷宮区内のあるトラップにより壊滅した。それも、レベルを偽ってそのギルドに加入していたキリトがいた為に起こった事件と言っても過言ではなかったという。

 その事に責任を感じていた頃、あのイベントの噂を耳にしたそうだ。キリトはせめてもの罪滅ぼしの為に蘇生アイテムを手に入れようと躍起になった。

 結果としてイベントボスを討伐はしたが、ドロップしたアイテムでは彼らを生き返らせることは不可能だった。それを知ったキリトは、深い絶望の底に叩き落とされた。

 その後、メンバーの一人だった『サチ』という少女から記録結晶に残されたメッセージを受け取った。その少女はキリトが感じていた責任感を少しでも取り除こうとしたのだろう。だが、それは結果的に彼の責任感をより重くしてしまった。

 強くなりすぎた責任感はやがて自己嫌悪へと変じる。そうしてキリトの中に黒い感情が住み着き、彼はそれを隠していたということだ。

 キリトが話している間、俺は黙ってただその話を聞いていた。こういう重い話は黙って聞いてくれる方が落ち着くものなのだ。俺もそうだった。俺が話した奴は裏切ったが。

 

 「……ありがとな、ソーヤ。」

 

 全てを話し終わったキリトはそれだけ言うと、俺に体を預けてきた。そしてそのまま規則正しい寝息をたて始める。かなり追い詰められて、精神は壊れる寸前だったのだろう。しばらく休ませた方がいい。

 

 「……もうこの仮面はいらないのかな?俺はわからないよ、母さん……。」

 

 ぽつりと呟く。元々、この世界では嘘の仮面が外れやすかった。それがキリトと関わる時は更に外れやすくなっている気がする。

 キリトは二年の月日が流れようとも、俺を裏切ることはしていない。それどころか、俺を攻略に誘ったりしてより関わろうとしてきた。

 その結果、本当の俺はキリトを信頼しきってしまっている。それは先程のやり取りから明らかだ。嘘の仮面を突き破って出てくる程なのだから、生半可な信頼ではない。

 それならば、もうこの嘘で固めた仮面はいらないのだろうか。キリトだけになら、この仮面を外してもいいのだろうか。

 俺はその答えを求めるように、ただ光る迷宮区の壁を見ていた。

 

 

 この時の俺は知らなかった。俺が自分の意思で嘘の仮面を外した初めての相手は、キリトではなかったことに。 



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第七話 竜使いと鬼神

 タイトルからお察しの通り、ヒロイン登場です。

 オリジナル武器が出てきますが、私はネーミングセンスが壊滅的にありません。一応、由来などは後書きにて記載します。興味がおありでしたら読んで頂けると幸いです。


◇◆◇

 

 三匹の《ドランクエイプ》という名が横に浮かぶ猿人のモンスターと対峙する。そしてその内の一匹が手に持った混紡らしき物体を振り下ろす。

 それを難なくサイドステップで避けながら、今の片手剣《ロンリライアー》を抜く。そのまま混紡モドキを振り下ろした硬直で動けない猿人に《バーチカル》を叩き込む。《バーチカル》は初期から使えるソードスキルなのだが、それを喰らった猿人は容易くそのHPをゼロにしてポリゴン片となった。

 仲間が一匹容易く殺された様を見て一匹だけではダメだと考えたのか、今度は残った二匹同時に左右から襲いかかってきた。それもソードスキル後の硬直で動けないはずの瞬間を狙って。だが……

 

 「足りナイ……。モット来い……。俺の、殺意ヲ発散するニハ……まだ足りナイ……。」

 

 俺は唯一動く左手で細剣《スカービースト》を握り、硬直を無理矢理キャンセルする。最近では《スキルキャンセラー》の成功率がほぼ百パーセントになってきている。

 硬直から解き放たれた体を動かし、《ロンリライアー》を片方の猿人の顔面目掛けて投擲する。それに怯んだ隙にもう一匹の猿人に《リニアー》を立ち上げて突き刺す。これも初期のソードスキルなのだが、猿人の姿は一瞬で消えた。

 またもソードスキル後の硬直に体が停止させられそうになる。俺の空いた右手は背に向かう。そして、再び硬直がキャンセルされた。

 俺の右手には《デスクロス》という名の両手槍が握られていた。《スカービースト》を捨てて、両手で持った状態で《ディラトン》を立ち上げて最後の猿人を貫く。

 今度こそ俺は硬直で動くことができなくなった。《スキルキャンセラー》の弱点は両手で扱う武器のソードスキルを使用した場合、これ以上ソードスキルを繋げることができないこと。キャンセルするための手が空いていなければ、新たな武器を持つことができないからだ。

 

 「ふぅ……。だいぶ落ち着いたな。定期的にこの殺意を発散させねば、いつ俺が獣と化すのかわかったもんじゃないからな。」

 

 硬直が解けてから、俺は地に落ちている《ロンリライアー》と《スカービースト》を拾う。

 此処は最前線から遠く離れた第三十五層の通称《迷いの森》。一定時間で森の造りが変化してしまい、すぐに迷子になってしまうことからそう言われるようになったそうだ。これが正式なフィールド名なのかどうかは知らない。というかどうでもいい。

 俺は定期的に此処に来て、殺意を発散させている。とは言っても、相手とのレベル差がありすぎる為に一発で殺してしまうのだが。

 俺の殺意は、この世界で殺したようなクズ野郎と関わることで生まれ、加速する。だが何もなくとも、少しずつ殺意が蓄積されていくのだ。

 あの日の獣の俺を閉じ込めている檻には、もうひび割れが入っている。完全に塞ぐことなんてもうできなくなっているのだ。毎日毎日獣の俺が漏れだし、今の俺と混ざり合っていく。それは俺を少しずつ、だが確実にあの日の俺に近付けている。

 その進攻速度を少しでも遅くするために俺はこの森で殺意の発散をしている。獣の俺は殺意に呼応して行動が激しくなる。定期的に発散しておけば、急に暴れだすことはない。そして、この森にはほとんど人がいない。一瞬で迷子になる森に喜んで入る馬鹿がこのデスゲームと化したこの世界にいるだろうか。

 

 「……あっちに三匹いる。かなり近いな。それで最後にするか。」

 

 感じた気配のする方向に足を向ける。鬱蒼と生い茂る草むらを掻き分けて進んでいく。その猿人三匹はすぐに見つかった。

 俺はさっきと同じように三匹の猿人を殺し、落とした武器を拾う。そして一つの気配を感じとる。それはこの森に出るモンスターとは異なっている、つまり人間の気配だった。俺はその気配がした方向に目を向ける。

 

 「うぅっ……ピナぁぁぁ。私を……えぐっ……一人にしないでよぉ……。」

 

 その視線の先には、一人の少女がいた。光の差し込まない地に座り込み、青い羽らしきものを大事そうに抱えながら涙を流していた。

 

 「おいお前、大丈夫か?」

 

 俺は俺自身の行動に驚愕を隠せなかった。彼女は今まで出会ったことのない、いわば赤の他人だ。普段の俺ならば声を掛けることなく、その場を立ち去るはずだ。

 その筈なのに、俺は現在進行形で彼女に話しかけている。俺は俺自身が理解できなくなった。

 

 「ありがとうございます……助けていただいて。」

 

 「別に、たまたま此処を通りかかっただけだ。しかし何だそれは?」

 

 俺は彼女が抱えている青い羽らしきものを指差す。その羽は恐らくドロップ品なのだろうが、それを彼女は大切に抱えている。

 ……何を考えているのだ、俺は。何故、赤の他人である眼前の少女を見捨てずに更に関わろうとしているのだ。いつもならこんな事は絶対にあり得ないのに。

 そんな俺の思考を知るよしもない彼女はその羽を一度だけ叩いた。浮かび上がったアイテムの名は……『ピナの心』。それを見た彼女は再び目尻に涙を浮かべる。

 

 「泣くのは後だ。さっさとこの森を出るぞ。」

 

 気がつくと俺は彼女に手を差し出していた。本当に理解ができない。得たいの知れない『何か』が俺を突き動かしている。その『何か』が俺にはわからない。

 

 「どうして……出会ったばかりの私を助けてくれるんですか?」

 

 「うーん、俺にはわからない。でも、何故か放っておけないんだ。」

 

 「えっ……?今、口調が変わって……!?」

 

 彼女が俺に驚くと同時に、俺も俺に驚愕していた。それも先程の比ではない。それも仕方のないことだろう。嘘の仮面が外れ、本当の俺が顔を出してしまったのだから。

 彼女は、両親や家族のように信頼できる人間ではない。数分前に出会ったばかりの赤の他人だ。そして、キリトのように命まで賭けて俺と関わりを持とうとした人間でもない。本当に赤の他人なのだ。しかし、キリトと話していた時と同じように仮面は外れた。こんな現象は初めてだった。

 俺は驚愕を隠すように、外れた仮面をつけ直した。本当の俺は影を潜め、嘘で固められた俺に戻る。

 

 「……可能であれば忘れてほしい。さぁ、行くぞ。」

 

 「ふふふ……変な人ですね。あっ、私シリカっていいます。」

 

 「……ソーヤだ。」

 

 シリカと名乗った少女が俺の手を握った。それを確認した俺は彼女を引き上げて、立ち上がらせる。そして俺達は森の出口へと向かった。

 

 

 ◇◆◇

 

 無事に森から出て、居住区へと向かう。するとその門には俺が今現在、この世界で唯一信頼している少年の姿があった。

 

 「……いきなり呼び出してすまない、キリト。それに早いな。数分前に連絡した筈なのだが。」

 

 「別に謝ることじゃねーよ。それに俺もたまたまこの層にいたからな。早いのも当たり前だ。」

 

 キリトは俺を見つけると笑顔を浮かべた。もうその笑顔の裏には何も隠されてはいない。雲一つ無い青空のように、明るい笑顔だった。

 しかし、キリトの『たまたまこの層にいた』という発言が気になった。彼は攻略組の中でもトップクラスの実力を持っている。こんな低い層で油を売っている暇なんて無い筈なのだ。

 そして彼の視線が後ろにいるシリカを捉える。

 

 「君がシリカかな?俺はキリト。よろしくね。」

 

 「ああ、はいっ!よろしくお願いします!キリトさん!」

 

 シリカはキリトと握手を交わす。彼女はやや緊張しているようだった。体は強ばり、声がやや少しあの森の時よりも高く、上ずった声になっている。

 俺がキリトを呼び出した理由は一つ。シリカが大切に抱えていたあの羽の事について聞きたいと思ったからだ。

 彼女が持つ《ピナの心》は彼女がテイムしていたモンスターが死んだ時にドロップしたそうだ。通常、HPがゼロになって死んだものはプレイヤーモンスター関係無く全てポリゴン片となり、爆散する。だが、その羽だけは残ったというのだ。

 俺はクエストやイベント等の細部に詳しくない。だがキリトは違う。彼はこのデスゲームの奥深くまで知っている。イベントの発生条件やクエストの受注可能な場所等々、情報屋顔負けの情報を持っている。

 情報屋は金さえ払えば簡単に情報を教える。だが、俺はそんな情報は信頼どころか信用すらできない。悪い癖だ。疑心暗鬼と言っても過言ではない程に、誰かを簡単に信用しない。

 それに、今回はシリカが持つアイテムに関する事だ。俺ではない。それならば、信用すらできない情報を楽して得るよりも、多少信用できる情報を労力かけて得る方が向いている。

 ……本当に何故、ここまでするのだろう。シリカはそこら辺を歩く人間と同じの筈だ。なのに、俺は彼女を放っておけない。『何か』が今の俺を動かしている。その『何か』がわかれば、俺はこうして悩むことなんてないのだろうか。

 

 「ソーヤさん?大丈夫ですか?」

 

 「すまない。少し考え事をな。」

 

 「何ボーッとしてんだ、ソーヤ。そうだシリカ、例のアイテムを見せてくれないか?」

 

 シリカは俺を見る。失礼な話だが、彼女はキリトを少し警戒しているようだった。少し怯えたような視線、確認を求めるような態度をしている。

 俺はそんなシリカの頭に手を置き、笑顔を浮かべて頷いた。それを見たシリカも頷き、キリトに《ピナの心》を渡した。

 今までの俺では考えられなかったことだ。いや、今の俺でも考えられないか。他人を信用させることをするなんてな。ましてや、笑顔を浮かべるなど。俺はどうかしてしまったのだろう。シリカといると本当の俺がキリト以上に簡単に表れてしまう。

 この短時間で二回も嘘の仮面が外れた。確実に『何か』が影響を及ぼしている。だがその『何か』の正体がわからない。今言えることは、今の俺は『何か』によって動いている、それだけだ。

 

 「シリカ、このアイテムがあればピナを蘇生させることができる。それには第四七層にあるフィールドダンジョンの《思い出の丘》に使い魔の主人が行くことで手に入るアイテムが必要なんだ。」

 

 「そうなんですか……。情報を教えてくれて、ありがとうございます。私、頑張っていつかピナを生き返らせてあげます!」

 

 「それなんだが……このアイテムはあと三日で《ピナの形見》に変わってしまう。そうなってしまったら蘇生はできない。」

 

 シリカは希望から一気に絶望へと叩き落とされ、その瞳からはハイライトが失われ、何も写していないようだった。

 一瞬希望をもたせてから絶望に叩き落とす、この手法は相手に深い絶望を与える。信用しようとした誰かに裏切られるとはこれと同じことなのだ。

 

 「シリカ、これを装備しろ。これなら多少はレベルを底上げ可能だ。それに、俺達も一緒に行く。こうすれば何とかなる筈だ。」

 

 俺はエギルに買い取って貰おうと思って持っていた、幾つかのアイテムをストレージから取り出す。何をやっているのかと思った頃には、トレードウィンドウにそのアイテムが入れられていた。

 まるで誰かが俺の体を操っているような感じだ。誰が動かしていることはわかっているのだが、その誰かの正体がわからない。『何か』の正体は一体何なのだろうか。

 

 「本当に、どうしてここまでしてくれるのですか?私達は赤の他人の筈なのに。」

 

 「あの森の時に言っただろう?何故かは知らんが、お前を放っておけないんだ。まぁ、その正体がわかればまた話す。」

 

 「そういや、何で俺も?お前一人で十分だろ?」

 

 「キリト、この辺に用があるんじゃないのか?お前がこんな層にいるのはおかしいだろ。」

 

 「……相変わらずソーヤは恐ろしいな。」

 

 それからアイテムをシリカに無償であげ、早速三人でパーティーを組んだ。攻略する明日で良いと思ったが、シリカが早く組みたいと言っても聞かなかったのでパーティーを組むこととなった。何故彼女がそれほど急かした理由は直ぐに理解できた。

 居住区に入って数分で多くのパーティーやギルドからシリカが誘いを受けたのだ。聞くところによると、彼女は珍しいフェザーリドラの子供を使い魔にしたということで、ちょっとした有名人らしい。それ故に彼女をマスコットとして欲しがるパーティーやギルドが多数いるということだ。

 全く反吐が出る。シリカをパーティーに誘う人間達には下劣な考えを持っている者すらいた。それに気づかずに一つ一つ丁寧に断っている彼女を見ると、その魔の手にかかってしまわないか心配してしまう。

 ……俺は何故シリカを放っておけないのだろうか。加えて、ふと気がつくと彼女のことを考えてしまうことが多い。出会ったばかりの筈なのに、近くにいても安心できてしまう。俺をここまでしてしまう『何か』の正体とは何なのだろうか。

 そんな無駄な事を考えながら、シリカとキリトの後をついていく。彼女が美味しいチーズケーキを売っている飲食店を紹介してくれるそうだ。すると、赤髪の女性が俺達の行く手を遮るように立ちはだかった。

 

 「あらぁ、シリカじゃない。無事に森を抜け出せたのね。良かったわね。」

 

 その女性は嫌味を含んだような声で話しながらこちらに歩み寄ってくる。その時、キリトの表情が僅かに変化し、険しくなったところは見逃さない。恐らく、彼がこの層にいる理由に関係しているのだろう。だったら、ろくな人間ではない。

 俺はシリカとその女性の間に割り込む。女性は視線を俺に移し、嫌味たっぷりの顔で俺を見る。そして女性が嫌味を言う前に、先に言葉を発して無理矢理口を閉じさせる。いじめでよくある暴言ばかり吐くクズ野郎を封じ込める手段だ。

 

 「嫌味を言うだけなら退け、ババア。」

 

 「バ……!?いきなり飛び出てきて何言っているの、このガキは!」

 

 先手を打たれたクズ野郎は新たな暴言を吐いてやろうと焦る。そうなった時の人間は素直だ。手に取るように何を考えているのかわかる。それほどに態度や口調に変化が現れるのだ。そうなれば後は簡単、考えていることがわかっていることを嫌らしく伝えてやるだけで封じ込めることができる。

 

 「大方、彼女の使い魔がいないことを弄ろうとしたんだろう?それも嫌味たっぷりのその声でな。そんなんで人を弄って楽しいか?お前はそんな事もわからない阿呆なのか?俺達にはお前のようなクズ野郎に関わっている暇なんて無い。わかったら退け、ババア。」

 

 「……随分無礼な口を利くガキね。一度痛め付けないとわからないのかし……」

 

 「能書キはイイ、サッサト退け。」

 

 また一つ、獣の檻にひびが入った。漏れだした獣は俺をあの日の俺へと確実に近付ける。殺意が加速する。価値観が定着する。思考が冷徹に切り替わる。

 

 「ひっ!!……わかったわよ。退けばいいんでしょ、退けば!」

 

 少し漏れでた殺意が周囲に広がる。それにあてられた女性は恐怖に顔色を染め上げ、その場から立ち去った。

 しかしこれで終わりとは到底考えられない。歪に曲がったプライドを持ったいじめっ子が、こんな簡単に終わることはないのは知っている。近い内に再び出会うだろう。

 

 「あの、ありがとうございました。ソーヤさん。」

 

 「気にするな、俺が勝手にしたことだ。」

 

 俺は無意識にシリカの頭を撫でていた。数秒後にそれに気付き慌てて手を離したのだが、彼女はどういうわけか残念がる表情を見せていた。

 

 

 ◇◆◇

 

 「さて、キリト。またお前何か隠してるだろ。俺はお前があのクズババアと出会った時に表情を険しくしたことを知っているぞ。」

 

 「どこまで細かく見てんだよ……。」

 

 隣のベッドにうつ伏せになり、ウィンドウを弄っていたキリトはため息をつく。攻略組の彼がこんな層にいれば普通何があったのか疑問に思うだろう。そこから少し考えれば誰でもわかるはずなのだが……。

 現在俺達は第三十五層にある宿の一室にいる。理由はとても単純なもので、一度ホームに戻るのが面倒臭かった。たったこれだけだ。

 本当はそれぞれ個別に部屋を取りたかったのだが、空きが二部屋しかなかったので、俺とキリトが同室となった。

 

 「まぁ、お前には隠す必要もないことだしな。俺が此処にいる理由は話すよ。だけど、シリカには黙っておいてくれないか。今から俺が話す内容は、彼女が知るべきではないことなんだ。」

 

 「……別に構わないが。」

 

 キリトのその言葉に疑問が浮かぶ。彼が今から話すのは俺に話しても問題ないが、シリカは知るべきではない内容。それに加えて、攻略組のキリトとあのクズババアが関連する内容……悪い予感がする。そして、その予感は見事的中した。

 

 「俺は今《タイタンズハンド》というオレンジギルドを追っている。そしてそのリーダーが今日出会ったあの女性……ロザリアだ。そして俺はそのギルドメンバー全員をこの結晶で牢獄送りにする為に、この層にいるわけだ。」

 

 そう言ってキリトは青色の結晶を取り出した。それは俺達がよく使用する青色の結晶……転移結晶よりも深い青色をしている。その結晶には見覚えがあった。

 回廊結晶。一度に多くのプレイヤーを移動させることができるもので、移動先も自分で決められるという優れた代物だ。そして、優れた代物だけに値が張る。俺も初めて見た時には目を疑った。

 それをキリトが持っているとは予想外だった。しかし先程の彼の発言から、誰かからの頼み事でこの層にいるのだろうという結論に落ち着いた。キリトはお人好しなのだ。それもかなり重度の。

 

 「……そうか。無理に聞いてすまなかった。」

 

 「大丈夫だ。もし、ソーヤに話さなくとも直ぐにバレてしまうと思うからさ。んじゃ、また明日な。」

 

 「ああ、また明日。」

 

 そうしてベッドに潜り、眠りにつこうと思った時にコンコンとノック音がした。先に気付いたキリトがもぞもぞとベッドから這い出て扉へと向かう。そして彼は一人の少女を連れて戻ってきた。

 その少女は言うまでもなく、シリカだった。彼女曰く、明日行く第四七層のことを聞いておきたいとのことだ。俺もベッドから這い出し、ベッドに腰掛ける。シリカも部屋に一つだけある椅子に座った。それを確認したキリトはあるアイテムを取り出す。

 

 「それは?」

 

 「《ミラージュ・スフィア》というアイテムさ。」

 

 シリカの質問に答えながら、キリトはウィンドウを操作する。その直後、アイテムが光りだして大きなホログラフィックが映し出された。それはアインクラッドの第四七層の全体を表示していた。

 キリトは一つ一つ指差しながら、丁寧に解説している。だが俺の意識は扉に集中していた。シリカが部屋に入ってきてからだろうか、一人の人間の気配がする。恐らくだが、盗聴でもしているのだろう。

 キリトも気付いたようで、解説を中断して扉を睨んでいた。そして、扉を一気に引き開けようとする彼を手で制する。盗聴者はまだ俺達が気付いていないと思っているようだ。その証拠に動く様子がない。

 これは好都合だ。俺は殺意を盗聴者に向ける。扉の向こうの気配は怯えた反応を示し、恐怖からか震えだしてしまった。

 人間は突然殺意を向けられたりすると、殺意の大小問わず恐怖に包まれる。そしてその恐怖は体から自由を奪い、逃げたくとも逃げられないようにしてしまう。あの日の餓鬼どももそうだった。全員が恐怖で震え、涙を流していた。

 

 「オ前のリーダーに伝エロ、盗聴者。最後の晩餐ヲ楽しんドケとな。」

 

 それだけ言うと、向けていた殺意を解いた。とたんに階段を慌ただしくかけ降りる音が響いた。




 オリジナル武器名の由来

 《ロンリライアー》
 《lonely》と《liar》と足して割ったもの。(孤独)と(嘘つき)

 《スカービースト》
 《scratch》と《beast》を足したもの。(傷)と(獣)

 《デスクロス》
 《cross over death》をもじったもの。(死を越える)


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第八話 思い出の丘

 最近気付いたのですが、UAが1500を越えていました。本当にありがとうございます。

 これからも、この作品をよろしくお願いします。


◇◆◇

 

 「ソーヤさん、朝ですよ!」

 

 何者かに肩を揺さぶられ、俺は眠たい目を擦りながら体を起こす。そこには顔を炎のように真っ赤にしたシリカがいた。

 彼女の顔が何故赤くなっている事に関しては心当たりがある。昨日、盗聴者を追い払った後に改めてキリトの解説があったのだが、彼女はそれを聞き終わると椅子に座ったまま眠ってしまった。まぁ、彼女にとって今日は精神的負担が大きかった日の筈なので、仕方のないことだ。

 そしてそれを見た俺はシリカを抱き上げて、使う予定だったベッドに運んだ。その時に『うんにゃ、ソーヤさん?』という声がしていたのだが、その事に気付いたのは彼女をベッドに運んだ後だった。

 シリカの顔の赤みはほぼ確実にそのことだろう。その証拠に、彼女は俺と視線を合わせようとしない。さらに体をモジモジさせている様子から、その赤みは羞恥から来ていることが容易にわかる。

 ……やはりシリカと出会ってからの俺はおかしくなっている。大した関わりも持たない一人の少女が、俺の一部分になっているような感覚なのだ。彼女を失いたくないという感情が生まれ、今の俺の動力源となっている。果たして、俺にそんな感情を生ませて動かしている『何か』は何なのだ?

 

 「ソーヤ、寝ぼけてんのか?おーい!」

 

 隣のベッドからキリトがやって来て、思考の海に沈んでいく俺の頬をぶった。その激しい痛みは一気に俺をその海から引き上げた。

 

 「って!……すまない、少し考え事をしていた。おはよう。キリト、シリカ。」

 

 「ああ、おはよう。」

 

 「はい、おはようございます!」

 

 その後全員で朝食を取り、転移門へと向かう。居住区にはゲート広場というものがあり、そこにある転移門から開放されている全ての層に行くことができる。しかし転移の際には、転移したい層の名称を言わなければならないので、層の名称を覚えておく必要があるのだが。

 俺達は転移門の中に入る。すると、シリカが困った顔をしてこちらを見た。

 

 「あ……第四七層の名前何でしたっけ。」

 

 「シリカ、手を繋げ。俺が一緒に転移させる。」

 

 俺はシリカに手を差し出す。それを彼女は一瞬の躊躇いの後に、恐る恐る握った。彼女の顔は再び真っ赤に染まる。

 もう『何か』の正体について考えるのは止めよう。どうせいくら考えたところで、意味がないことがわかった。

 ただし、この仮面は外れないように注意する。俺が自らの意思で仮面を外すのは、俺のことを裏切ることはないと確信できた時のみだ。キリトでさえ、まだ確信できる程に至ってはいない。

 

 「転移、《フローリア》。」

 

 俺がそんな人間と出会えるのかはわからない。もしかすると、俺はもう出会っているのかもしれない。だが、出会えるとしたらこの世界以外あり得ないだろう。別に心の底から欲しいという訳ではない。でも可能なのであれば、出会いたいと願う。

 そんな事を考えている内に視界が転移の光で埋められていき、俺達は第四七層《フローリア》に到着した。

 

 

 ◇◆◇

 

 「いやぁぁぁ!!気持ち悪いぃぃぃ!!」

 

 シリカが悲鳴を上げながらフィールドを逃げ回る。それを追うのは植物のモンスター。その姿は、第一層のあの森で殺し尽くした植物怪物をより気持ち悪くしたものだ。あの植物怪物でさえ十分気持ち悪かったのだが、それよりも気持ち悪くなったこのモンスターは、シリカのような少女には生理的嫌悪を催させてしまうだろう。

 

 「シリカ落ち着け!弱点の花の下にある白いところを攻撃するんだ!」

 

 「気持ち悪いぃぃぃ!!来ないでぇぇぇ!!」

 

 キリトが別の植物怪物を斬りながらアドバイスをするが、シリカの耳には届いていないようだ。彼女はひたすらに植物怪物から逃げ回っている。そして逃げ回って逃げ回って……疲労からか、足をもつらせて転倒してしまった。植物怪物との距離が一瞬で詰められ、目と鼻の先にまで迫る。もう逃げることは不可能だろう。

 この層のモンスターはプレイヤーを襲わない限り、単なるオブジェクトとして認識される。その為、キリトが持つ《索敵》のスキルでも感知ができずに対応が遅れてしまった。

 それに加えて先に俺とキリトに襲いかかってきた別の植物怪物がいたせいで、シリカに近づく植物怪物を止めることができなかった。

 逃げるという手段を失ったシリカは立ち上がって、短剣を構える。そして早く決着をつけたいという焦りからか、直ぐ様彼女はソードスキルを発動した。

 当然ながら、慌てて発動したソードスキルが植物怪物に当たる筈もなく、シリカはソードスキル後の硬直に捕らわれた。そして動けない彼女の両足に植物怪物の蔦が絡み付き……

 

 「へ?きゃあ!!」

 

彼女を上下逆さまに持ち上げた。一体、あの細い蔦の何処にそんな力があるのか疑問だが、今はそれどころではない。

 シリカのスカートが重力に従ってずり落ちそうになっているのだ。それを必死に防ごうと、スカートを押さえながら蔦を切ろうとしている。だが、上下逆さまの不安定な姿勢では剣を届かせることさえ叶わない。

 

 「ソーヤさん、キリトさん、助けて!見ないで助けて!」

 

 「そ、それはちょっと……無理かな。」

 

 こちらに襲いかかってきた植物怪物を葬り、シリカの方に目をやるキリトは手で目を塞ぐ。だが、その隙間から覗いているのを見逃さない。

 

 「おいキリト、こっち向け。」

 

 「ん?どうしたソーy……うぎゃぁぁぁ!!」

 

 手を離して俺の方を見たキリトの両目に俺の人差し指と中指を突き刺す。所謂目潰しというやつだ。ぶっすりと刺さった痛みで、彼は目を押さえながら転げ回っている。シリカを助けるには今しかない。

 瞼を閉じて視覚を遮断。そして気配の感知に集中する。すると場所と放つ雰囲気しかわからなかった気配に変化が現れた。少しすればシリカの姿と彼女を弄ぶ植物怪物の姿が完全に形となる。『見え』なくとも『視え』る。俺は目を閉じたまま地を蹴った。

 背から《デスオーバー》を抜き、植物怪物に向かって走りながら両手槍の突撃型ソードスキル《ディラトン》を立ち上げる。

 初期の頃から愛用しているソードスキルだが、俺のレベルの上昇と共に威力が増してきているので未だに使う場面が多い。 

 そして俺が放った一筋の流星は寸分たがわず、植物怪物の弱点に命中する。今度は植物怪物が悲鳴を上げる番だった。

 

 「きしゃぁぁぁ!!」

 

 「……死ネ。」

 

 突き刺さった《ロンリライアー》からソードスキルの光が失われる。だが、俺はそれを更に奥へと抉るように捩じ込む。それは一部の貫通系武器しか設定されていない《貫通継続ダメージ》を発生させ、僅かに残っていた植物怪物のHPをゼロにした。そして閉じたままの瞼を上げる。

 僅かながら殺意が漏れでてしまったようだ。これは近いうちに、またあの森に行って発散しなければならない。こんなにも早く行く必要が出てきてしまったのは確実にあのクズババアのせいだろう。この手で殺したいと願うが、それは叶わない夢だ。キリトが受けた依頼が達成できなくなってしまう。

 

 「きゃあぁぁぁ!!」

 

 シリカの悲鳴に俺の意識は一気に中から外へと引き戻される。そう、俺は一つ重要な事を忘れてしまっていた。俺が植物怪物を殺したことにより彼女は今、押さえていたスカートだけでなくその体も重力に従って落ちてきていたのだ。

 それに気づいた瞬間、俺は落下地点まで移動してシリカを受け止めることに成功した。そのことに安堵し、肩を撫で下ろす。

 本当に俺はシリカを放ってはおけないようだ。他人のことで安堵したことなどいつぶりだろうか。まるで、俺が俺ではないようだ。獣と化そうとしている俺とはまた違った俺が生まれようとしているのかもしれない。

 

 「大丈夫か?」

 

 「はい、ありがとうございます……。」

 

 シリカは顔を赤くしながら答えた。それもそのはず、今の俺は彼女をお姫様抱っこしている状態になっているからだ。こうしている間にも顔は赤くなっていき、湯気がでそうになっている。これ以上赤くなられても困るので、彼女を降ろす。その際、彼女の武器が目に入らないよう極力目を逸らす。

 シリカが扱う武器は短剣。俺がこの世界で使用せず、見ることさえ拒む武器。それを見る度に、あの日を思い出してしまう。あの日を思い出す度に、血の池に立つ獣の俺の姿が鮮明に浮かび上がってしまう。

 正直なところ、シリカとは関わりたくないと思っている。だが、今の俺を突き動かす『何か』はそれを許しはしない。それほどに強大な力が『何か』にはあるようなのだ。 

 

 「あいててて……やっと見えるようになってきた。やりすぎだろ、ソーヤ。もう少し穏便な手段は無かったのか?」

 

 後ろに気配を感じたので振り返ると、キリトがこちらに向かって来ていた。しかしまだ痛みは残っているようで、目を押さえながらゆっくりと歩いている。

 

 「キリトさん、ソーヤさんに何かされたんですか?」

 

 「……聞かないでくれ。俺が悪かったことなんだ。」

 

 「そうだ、あれはお前が悪い。反省してろ。」

 

 それからは特に問題なく戦闘をこなし、無事に目的のアイテムである《プネウマの花》を得た。その時のシリカの顔はもう一度自分の使い魔と会えることに対する喜びで満ち溢れている笑顔だった。

 帰り道ではあまりモンスターと遭遇することなく、数十分で麓に到達することができた。そして、小川に掛かっている橋を渡ろとした。だが複数の気配を感じ、シリカの肩に手を掛けて止める。キリトも《索敵》で気づいたのだろう、その目を橋の先に向けて睨んでいる。

 

 「そこにいる奴、出てこいよ。」

 

 「私の隠蔽を見破るとは思ってなかったわ、剣士サン。少し、侮ってたかしら。」

 

 「ロ……ロザリアさん!?」

 

 草むらを掻き分けて現れたのは、あのクズババアだった。あいつが何故こんなところにいるのか理解できないシリカは驚きを隠せないようだ。

 

 「さて、それじゃあ私は居住区に戻るわ。気になっていた剣士サンの実力も見れたし。」

 

 「……は?」

 

 クズババアは身を翻し、居住区に向かって歩きだす。その行動がキリトには理解できないらしく、呆けた顔をしていた。彼はてっきり襲って来るのではないかと考えていたようだ。

 キリトの予想は当然のことだろう。オレンジギルドのリーダーが帰り道の草むらに隠れていたのならば、誰でもそう考えてしまう筈だ。普通に考えて怪しいにもほどがある。 

 そして、草むらに隠れているのはあのクズババアだけではない。俺が感じている気配はまだある。キリトは気づいていないようだ。恐らく、彼の索敵を掻い潜っているのだろう。だが、気配まで隠すことはほぼ不可能に近い。その気配が未だに草むらに潜んでいる。それは俺が立てていた仮説を確信へと変えた。

 

 「おい待て、クズババア。いや、オレンジギルド《タイタンズハンド》のリーダーの方がお望みか?」

 

 クズババアの脚が止まり、こちらに振り向いた。その顔は何故知っているのかと言いたげだ。

 

 「でもソーヤさん……ロザリアさんのカーソルは……グリーン……。」

 

 シリカが掠れた声で聞いてくる。その様子は呆然としている。

 

 「オレンジギルドと一概に言っても、全員がオレンジじゃないことも多い。例えば、グリーンのギルドメンバーがパーティーに紛れ、仲間が潜む待ち伏せ地点に誘導したりとかな。今だってそうだ。まだ出てきていないオレンジの仲間がいる。」

 

 「何を言ってるのかしら?このガキは。その証拠でもあるのかしら?」

 

 「白を切るか。それなら、お前の仲間がいる場所を言い当ててやるよ。右手前の草むらに二人、その奥に三人。左も同じく手間に二人、奥に三人。計十人が隠れている。どうだ?」

 

 クズババアの顔が驚愕に染め上がる。確固たる自信が打ち砕かれた時の表情だ。絶対にバレない自信でもあったのだろう。だがその顔は毒々しい笑みに変わり、居場所がバレてしまった仲間を合図で呼び出した。俺は自然とシリカを守るように立つ。

 現れた仲間は、にやついた視線を向けている。俺達を格下だと侮ってているのがわかる。だが、その視線を俺は何度も向けられた。その事が脳裏をよぎり、眼前の奴らが餓鬼どもと重なった。

 殺意が芽生え、加速する。再び漏れだした獣の俺が今にも飛び出しそうになるのを抑える。これぐらいならばまだ自制が可能だ。とはいえ、これ程の殺意がわいたのは二年前以来だろう。

 

 「一応の確認だ、ロザリアさん。十日前に《シルバーフラグス》というギルドを襲ったな?」

 

 「ああ……あの貧相な連中ね。」

 

 キリトもシリカの前に立ち、彼にしては珍しい鋭い刃のような目で睨んでいた。それを受けたクズババアは特に悪びれることなく、彼がした質問に頷いた。彼の目が更に鋭くなる。

 

 「唯一生き残ったリーダーは俺に殺さず、牢獄に入れてくれって言ったんだ。……その気持ちがわかるか?」

 

 「わかるわけないじゃない。本気になっちゃって、馬鹿なの?この世界で人を殺したって、現実で本当に死ぬ訳じゃないし。戻れるかもわからないのに、正義とか法律なんて笑っちゃうわ。」

 

 クズババアは面倒臭そうに答える。そしてその顔に浮かべていた毒々しい笑みを深め、手を振った。仲間改めクズ野郎どもはそれぞれの得物を構え、俺達ににじり寄ってくる。それに恐怖を感じたのだろう、シリカは俺とキリトの後ろで震えていた。

 

 「なぁキリト、此処は俺に任せてくれないか?」

 

 「え?別に構わないが……いいのか?」

 

 「大丈夫だ、殺しはしない。それに、一つ試したいことがあるのでな。」

 

 俺は震えているシリカの頭を少し撫でた後、クズ野郎どもに向かって歩きだした。シリカはキリトが守っている。万に一つも、彼女が危険にさらされるなんてことはないだろう。そう思える程に、俺はキリトを信頼するようになっていた。

 

 「ソーヤさん!!」

 

 シリカが大声で呼び掛ける。その瞬間、俺に襲いかかろうとしたクズ野郎の一人が眉をひそめた。そして何かを思い出したのか、顔色を青くして震えだして後ずさった。

 

 「複数の武器……ソーヤという名前……まさか《鬼神》なのか!?」

 

 「ロザリアさん……やばいよ……。こいつ、フロアボスを一人で何度も葬った……バケモノだ……。」

 

 それを聞いたクズ野郎どもの顔色は、まるで伝染病のように次々と青くなっていく。皆一様に震えながら俺に視線を集中させる。

 クズババアは顔色を青くすることはなかったが、ポカンと口を数秒間開いていた。今クズ野郎の一人が言ったことを理解できていないようだ。その後、我に帰ったように喚いた。

 

 「そ、そのプレイヤーは存在すら不明じゃない!そんなプレイヤーなんているわけない!どうせその噂を利用してびびらせようとするコスプレ野郎に決まってる。そんな奴、さっさと殺しちまいな!」

 

 「それなら、試してみるか?俺も試したいことがあるんだ。」

 

 俺は指をクィっと曲げ、挑発する。それに歪んだ自尊心を傷つけられたのであろうクズ野郎の一人がソードスキルの光を纏わせ、突っ込んで来た。本当に扱いが簡単で大助かりだ。これで、試したいことができる。

 

 

 俺は襲いかかった光を纏う剣を……素手で掴んだ。

 

 

 その行動に剣を振るったクズ野郎は一瞬驚愕したが、直後に凶悪な笑みを浮かべ、俺の手を斬ろうと力を込める。

 しかしその剣は一切進むことはなく、纏わせていた光を霧散させる。そして、俺のHPは一ドットも減少していなかった。    




 誤字、脱字等あれば教えていただけるとありがたいです。

 もう少しヒロイン回が続きますが、よろしくお願いします。


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第九話 芽生える感情

 後半駄文注意です。文才が足りず、申し訳ありません。それでも、この作品を楽しんでいただけたら幸いです。


◇◆◇

 

 「……デメリットがあるが、これは使えるな。」

 

 そう呟きながら俺は光が霧散した剣を奪い、投げ捨てる。眼前で起きた光景を理解しようとすることに意識を向けているクズ野郎から、掴んだ剣を奪うことは造作もないことだった。

 前後から驚愕の視線が注がれているのを感じる。それは当然のことだろう。この世界で必殺技とも言えるソードスキルを素手で防いだのだから。それもダメージなしで。

 未だに動く気配がないクズ野郎の腹を蹴り飛ばし、俺はクズババアを睨む。

 

 「さて、クズババア。さっきお前は、この世界で死んだとしても本当に現実で死ぬ訳がないと言ったな?」

 

 「……ええ、言ったわよ!それがどうかした!?」

 

 クズババアが先程まで浮かべていた毒々しい笑みは何処にもなかった。ただ不可思議な現象を見せた俺に対して、恐怖を感じている。体が僅かに震え、声もやや高くなっていることからそれは容易にわかる。

 普通の人間ならばその恐怖に思考を支配され、無様に逃げることしかできなくなる。しかし仲間を見捨てて逃げようとしないのは、少なくともリーダーの自覚があるからだろうか。俺をいじめてきた餓鬼のリーダーは包丁が俺に渡った瞬間、我が身可愛さで一目散に逃げていった。もちろん、逃がすなんてことはさせなかったが。

 

 「それじゃあ……オ前ラガ確認シテクレバ、良イジャナイカ。」

 

 加速し、抑えきれなくなった殺意が漏れだしてしまう。殺してしまおう、獣の俺の囁きが聞こえる。もうこの声が聞こえてしまう段階まで来てしまったようだ。このままでは獣の俺がいる檻が完全に壊されるのも時間の問題といったところか。

 俺は暴れそうになる獣を抑えつつ《ロンリライアー》を抜き、クズ野郎どもに斬りかかる。何かしらの行動に対応が遅れた人間を斬るのはとても簡単なことだ。ものの数十秒で残っていた十人のクズ野郎はされるがままに斬り裂かれる。そして俺が鞘に《ロンリライアー》をしまうと同時に、切断された四十個の腕と脚がポリゴン片となった。

 

 「運ガ良カッタナ……。キリトに感謝しとけ。あいつから話を聞いていなければ、全員殺していたところだ。」

 

 多少ながらも殺意が発散され、幸いにも抑えていた獣が少し落ち着いた。だが、それも気休めに過ぎない。もしもう一度こんなことがあれば、確実に檻は完全に破壊され、あの日の俺が再び姿を表してしまうだろう。

 

 「さぁ、どうするんだ?」

 

 「ちっ、転移……あがっ!!」

 

 クズババアは舌打ちを一つした後、転移結晶を取り出して転移しようとした。逃げようだなんてことは許さない。転移先をボイスコマンドで入力しようとする口に背中から抜いた《デスオーバー》を突き刺す。グリーンだったクズババアに攻撃したことで、俺のカーソルがオレンジに染まった。そんな事は気にも止めない。

 一瞬リーダーの自覚があるのかと考えたが、そんなことはなかった。クズババアも餓鬼と同じく、我が身可愛さに自分だけ助かろうとする奴だった。あの時に恐怖を感じながらも逃げなかったのは、心の何処かで俺を舐めていたのだろう。

 クズババアも例外なく四肢を切断し、クズ野郎が転がる橋の上に放り投げる。そしてキリトに視線を送ると、彼はポーチの中から回廊結晶を取り出した。

 

 「これは俺に依頼した男が全財産をはたいて買った回廊結晶だ。出口は監獄エリアに設定されているから、これでお前ら全員牢獄に跳んでもらう。と言っても、お前ら全員動けないから俺とソーヤで送ってやるよ。」

 

 「い、嫌だと言ったら?」

 

 「お前ら、そんな事が言える立場か?」

 

 恐る恐る声を上げたクズ野郎を俺は殺意を込めた目で睨む。もう誰も抵抗の意思を見せることはなかった。全員が無言でうなだれ、強がる者はいない。

 キリトはそれを確認すると、手に持った回廊結晶を使用した。青い色をした渦巻くゲートが開かれる。俺とキリトは橋に転がっているクズ野郎を掴んではゲートに放り投げるという作業を繰り返した。そしてクズババアだけが残った。四肢はまだ再生されてはいないが、俺が貫いた口は元通りになっている。

 俺はその襟首を掴んでゲートに放り込もうとした時、クズババアは最後の助けを求めるように口を開いた。その様子はいじめっ子を躊躇なく切り裂く俺を見たリーダーがしたものとそっくりだった。

 

 「やめて、離してよ!反省してるから!……そうだ、私と手を組もうよ!そうすれば、私達は……」

 

 クズババアが発した言葉一つ一つが俺の神経を逆撫でする。これ程綺麗に神経を逆撫でされたのはトゲトゲ頭以来だ。それに加えて、クズババアがますますあの日の餓鬼と重なって見えてしまう。そのことが余計に俺の殺意を加速させる。だがそれを今解放してはならない。殺してしまってはいけない。そう言い聞かせ、再び暴れだそうとする獣を抑える。もう檻はひびだらけで、いつ破壊されても不思議ではない。

 

 「黙れ。俺はお前のような奴は嫌いだ。さっさと消えろ、クズババア。」

 

 俺はそう言い放つと、クズババアを放り投げた。そしてその姿がゲートの奥に消え去ったとたん、ゲートは役目を終えたと言わんばかりに消滅した。

 喧騒の原因が消えたフィールドは静かだった。耳には川の水が流れる音や、小鳥のさえずりが聞こえてくるだけである。

 

 「……終わったな、キリト。」

 

 「ああ……終わったな、ソーヤ。ありがとな、手伝ってくれて。」

 

 「それじゃあ、依頼主に報告してこい。シリカの方は俺に任せとけ。」

 

 「本当にすまないな。それじゃあまた会おうぜ、死ぬなよ。」

 

 キリトはそう言い残し、転移結晶を使って依頼主のところへ報告に行った。それを見送った俺は立ち尽くしているシリカの下に駆け寄る。彼女は同時に沸き上がった様々な感情の整理がつかず、口を開くことさえできなくなっているようだった。

 気付いた頃には俺はまたしても、無意識にシリカの頭に手を置いていた。そして、昔の俺が唯一信頼できた両親が俺にしたことを再現するように彼女の頭を優しく撫でる。

 俺は何度も信用しては裏切られることを繰り返し、誰も信用しなくなった。俺に関わろうとする人間には疑いの目を向け、必要以上に関わることを避けてきた。

 その筈だが、何故かシリカを疑うことはしなかった。彼女は絶対に裏切らないと謎めいた確信があるのだ。これも、今の俺を動かしている『何か』の影響だろう。

 ……と、そこまで思考したところで俺はまだシリカの頭に手を置いたままであることに気付く。直ぐに手を離して、謝罪した。のだが、彼女は前回同様に残念がる表情をしていた。ただし前回と異なるのは、彼女の頬が僅かに赤く染まっていることだろうか。その赤みは今日の朝の挙動の違いから羞恥からではないことはわかったが、何からなのかまでは特定できなかった。

 

 

 ◇◆◇

 

 ロザリアさん達がソーヤさんとキリトさんの手によって牢獄送りにされた後、直ぐにキリトさんは転移結晶を取り出して転移してしまった。お礼を言いたかったのだが、何処に行ったのかわからないので追うこともできない。

 それを見送ったソーヤさんは振り返り、私の下に駆け寄ってきた。私は彼だけにでもお礼を言おうと思い、口を開こうとしたのだが……私の口はまるで縫い合わされたかのように開くことはなかった。

 沢山の武器を持ったオレンジプレイヤーがにじり寄ってきた時に感じた恐怖、ソーヤさんが最強だと噂されるプレイヤーであることを知ったことに対する驚愕、そしてロザリアさん達が消えた安堵。一気にこみ上げてきた様々な感情が一本の糸となり、私の口を縫い合わしていた。

 そんな私の状況を知ってか知らずか、ソーヤさんは私の頭に手を置いて撫で始める。居住区でロザリアさんを追い払った時と同じ、撫でられていると気持ちが落ち着かされるような優しい感じだった。そしてまた同じように慌てて手を離し、すまなかったと謝罪する。

 私は自分の鼓動が早くなっていることに気付いた。ソーヤさんを見ていると、胸が締め付けられるような痛みに襲われて息が詰まりそうになる。それが恋心だということに気付くのに多少の時間を要した。そして、それを自覚した頃には顔が僅かに熱を帯びていた。

 

 「……シリカ、結果的にお前を囮にするようになってしまいすまなかった。」

 

 私はどうにかして声を出そうとしたが、より激しくなった感情が紡ぐ糸はまだ私の口を縫い合わせていた。それでも自分の意思を伝えようと首を左右に振る。

 

 「……街まで送るよ。歩ける?無理なら、俺が背負って行ってやってもいいけど。」

 

 ソーヤさんが背を向けてしゃがむ。立つのもやっとだった私はそれに倒れ込むように体を預け、ものの数秒で意識を手放した。その朧気になっていく意識の中で、私は彼の変化した口調が両親のように優しくて、暖かいと感じた。

 

 

 ◇◆◇

 

 規則正しい寝息を立てるシリカを背負いながら居住区に入り、宿を取る。しかし面倒なことに、空いている部屋が一つしかなかった。俺がカーソルを戻す為にゴーレムを倒していたため、もう日が暮れてしまっている。今からまた探すのも大変なので、その一室を取った。

 ずっと張っていた緊張の糸が切れたのだろう。シリカは俺が背を向けた瞬間、倒れるように体を預けて眠りについてしまった。彼女は今も一つしかないベッドで眠っている。その顔は幸せそのものと言っても過言ではない程に緩んだ笑みを浮かべている。

 俺はシリカから視線を外し、暗くなった空に浮かんでいる月らしき物体を視界の中心に定める。

 シリカには申し訳ないことをした。相棒のピナとやらを生き返らせるだけだったはずなのに、蓋を開ければ囮として利用してしまった。それも、彼女に恐怖を与えてしまう程に。その事が俺に申し訳ないという気持ちを募らせる。

 以前に罪悪感を感じたのは何年前のことだろうか。記憶を一瞬漁るが、該当するものはなかった。もしかしたら、今まで感じたことがないのかもしれない。あの日、人間を切った時にすら感じなかったのだから。

 

 「……うーん。あれ、此処は?」

 

 「起こしてしまったか、シリカ?」

 

 「……え?ソ、ソーヤさん!?何で!?」

 

 意識が覚醒したシリカが大声で驚愕を露にする。もし部屋の防音機能が無ければ、その声は確実に宿中に響いていただろう。

 

 「あれから眠ったままのシリカを宿に連れて来ただけだ。」

 

 「はうう……そうでした……。」

 

 シリカは顔を真っ赤に染め上げ、俯いた。その頭からは湯気が出ているように見えるのだが、気のせいだろうか。

 それはさておき、シリカも俺がいない方がゆっくり休むことができるだろう。俺は立ち上がって、扉に向かう。そしてその扉を開こうとしたのだが……シリカは俺のコートを掴み、それを拒んだ。

 親指と人差し指で摘まむように俺のコートを掴んでいる。よく見ると体は震えており、両目からは涙が流れそうになっていた。

 

 「……どうしたんだ?」

 

 「あの……まだ今日のことを思い出すと怖くて……。それに……ピナをまだ紹介できていないし……。その……ソーヤさんともっと一緒にいたいというか……。それで……えっと……」

 

 シリカは顔を俯け、一つ一つの言葉を絞り出すように話す。彼女自身、何を言いたいのかわからなくなってきたようで混乱し始めていた。だが何を求めているのかは彼女の様子から読み取ることができた。俺に出ていって欲しくないのだ。

 

 「……わかった。シリカがそう言うなら、俺は出ていかない。それと、忘れないうちに使い魔の蘇生もしておいたらどうだ?」

 

 「あ……ありがとうございます!早速ピナを紹介しますね!」

 

 俺は部屋に戻り、椅子に腰掛けて再び月モドキを見上げる。するとシリカが、小さな青いドラゴンらしき生物を抱えてこちらに来た。そのドラゴンモドキは俺を視界に捉えると、翼を広げて彼女から飛び立って俺の頭の上に着地する。

 

 「きゅるる!」

 

 「……これがピナか?」

 

 「はい!私の相棒のピナです!ふふ、ソーヤさんにお礼を言っていますよ。ありがとうって。」

 

 シリカのその言葉に呼応するように、ピナはもう一度鳴き声をあげた。俺は思わず顔を背けてしまった。誰かに感謝されることは慣れていないのだ。

 当然のことだろう。今まで散々いじめられた俺に、感謝される機会なんてなかった。それは本当の俺を更に奥へと追いやり、嘘の仮面を強固に張り付ける接着剤となっていた。それがこの世界に来てからは随分と緩くなってしまったが……。

 

 「……ヤさん?ソーヤさん?いきなり黙り込んでどうしたんですか?」

 

 シリカの声が俺の意識を思考の海から引き上げさせる。意識の戻った視界には、月明かりを背景に彼女が俺を心配するような目を向けていた。その姿に一瞬目を奪われる。

 

 「……ああ、すまない。大丈夫だ。」

 

 「はぁ……何度呼んでも反応がなかったので心配しましたよ……。」

 

 「それはすまなかった。少し、昔のことを思い出していただけだ。」

 

 「そうですか……それと一つ質問なんですけど……どうしてソーヤさんは、優しい方の口調を隠そうとするのですか?」

 

 「……!!」

 

 ウィンドウを開き、ストレージにある片手剣《ロンリライアー》を実体化させようとした右手を抑える。俺がこんな反応をするのには理由があった。先程のシリカの発言が、今までに俺を裏切った奴がよく使用した言葉と重なったのだ。

 そんな奴らは初めに俺と親しくなろうと、質問をしてくることが多い。そこから言葉巧みに俺の過去を聞き出して言いふらしたり、同情するふりをして信用を得て弄んだりする。俺が誰も信用できなくなったのはこれの影響が大きいのだ。

 故にシリカの発言が、俺から信用を得て裏切ろうとするように聞こえてしまった。彼女も、俺の信用を弄ぶのではないかと考えてしまう。

 しかし『何か』が俺に告げる。彼女はお前を裏切ろうという考えはない、ただお前を心配しているだけだ。その言葉が俺の思考とせめぎ合う。

 

 「……何故、そんな事を聞くんだ?」

 

 「それは……ソーヤさんの優しい所が好きになったからです!」

 

 「……え?」

 

 場が一瞬凍りつく。俺はシリカの特大爆弾発言に目を丸くして驚くことしかできなかった。

 

 「……は!何言ってるの私!?えぇと……ソーヤさん、今のはその……きゅうぅぅぅ。」

 

 そしてシリカは自分自身の発言に混乱し、気絶して俺に向かって倒れ込む。それを受け止め、抱え直してからベッドまで運んだ。まさか二日連続になるとは誰が予想しただろうか。

 静かになった部屋の椅子に腰掛け、俺も眠ろうと瞼を下ろす。

 そういえば先程のシリカの爆弾発言の時、一瞬なのだが『何か』の正体が見えたような気がした。とはいえ曖昧な感じだったので、それが何か特定することはできなかったが。

 そんな事を考えているうちに、俺の意識は暗闇の中に溶けていった。

 

 

 因みに、途中から空気と化していたピナが怒ったのか俺の頭を夜通し引っ掻き続けたので眠れなかったことは余談だ。   



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第十話 解き放たれた獣

 今回少し短めです。

 三人称視点を中心として書いてみました。いつもとは雰囲気が異なるかもしれませんが、よろしくお願いします。


◇◆◇

 

 シリカと出会ってから約一週間の月日が流れた。しかし、俺はまだ彼女と行動を共にしていた。というのも、あの夜の翌日に上層に戻ろうとした俺を引き留めた彼女が自分も付いて行くと言い出したのだ。それを俺は疑うこと無く承諾した。

 誰かを疑わない俺を、この世界に来る前の俺が見たらどのような反応をするだろうか。少なくとも、あり得ないものを見るような目をすることは想像に難くない。自分自身でもそう思ってしまう程に『何か』は俺を大きく変えてしまった。それでは、俺をここまで変えてしまう『何か』の正体は何なのだろうか。

 俺は近くの木に座り込み、腕を組んで目を閉じる。意識を気配が感じることができる程度に外に向け、残りを思考に当てる。以前にこれ以上考える意味がないと判断したが、あの夜のことがあった今、もう一度その正体を探るのも悪くない。

 そして俺が考察を開始しようと思った瞬間、メッセージが届く。送り主はシリカからだろうか。現在は彼女のレベル上げを目的として、ある素材収集クエストを受注している。大方、そのアイテムが集まったことを知らせるメッセージだろう。

 

 「……っ!?」

 

 俺はそう予想を立てながらウィンドウを開き、届いたメッセージを開いて絶句した。それは俺の予想を大きく裏切るものだったからだ。

 

 『この女の命が惜しければ、第四十七層の《思い出の丘》に来い。午後十二時を回っても来なかった場合、この女を殺す。』

 

 それには丁寧にも画像まで乗せられており、そこには椅子に縛り付けられ、猿轡をかまされているシリカと小さな鳥籠に閉じ込められているピナがいた。彼女の両目からは涙が溢れており、堪えきれない恐怖を感じていることが嫌でも伝わってくる。

 怒りが湧いた。シリカを誘拐したクズ野郎に怒りが湧いた。何故俺はこんなに怒っているのかと考える余裕なんて無い。噴水のように湧き出る怒りが俺の意識を支配していく。

 湧き出た怒りは明確な殺意へと変わっていき、獣の檻を揺らす。檻にひびが増えていき、いつ破壊されてもおかしくない状態になる。

 シリカを誘拐したクズ野郎の目的に興味なんてない。あるわけがない。俺はただ、そのクズ野郎を殺すことができればそれでいい。

 視線を動かす。左下にあるデジタル表記の時計は午後十時を指していた。居住区にある転移門を利用したとしても十分間に合うのだが、俺はそれをせずに薄い青色の結晶を握った。

 

 「テンイ、《フローリア》。」  

 

 転移が完了すると同時に地を蹴り、《思い出の丘》へと全速力で向かう。道中のモンスターは全て弱点への一撃で殺した。元々は殺意の発散の為に殺していたモンスターだが、もういくら殺したところで俺の殺意は発散されない程に殺意は膨れ上がっていた。

 俺は転移してからものの数分で《思い出の丘》に到着する。そこには《プネウマの花》が咲いていた台座に縛り付けられているシリカと、約二十人のクズ野郎の姿があった。

 

 「ん?おお、来るのが早いな。それ程にこの女が大切だったか?」

 

 「……ソーヤさん……。」

 

 クズ野郎の一人が俺の存在に気付き、声をかけてくる。それにつられて残りのクズ野郎とシリカの視線が俺に向けられる。クズ野郎どもの視線からは愉悦が、彼女の視線からは恐怖を感じ取った。

 一瞬、涙を流しているシリカが昔の俺と重なって見えた。だがその原因を探る余裕はない。クズ野郎どもをその目にしたことで、更に湧き出た怒りが俺の意識を完全に支配下に置いた。

 そして……轟音を響かせながら檻が破壊され、獣が解き放たれた。

 

 「だんまりかよ。面白くないなぁ。何か言ってみろよ。なぁ!」

 

 「……コロス……。」

 

 「ああ?何か言ったか?」

 

 「コロス。」 

 

 檻から獣が一歩踏み出す。殺すという意思だけが残り、それ以外は全て塗り潰される。

 解き放たれた獣が吠える。眼前の命がただのモノに変わって観える。こいつらを殺しても問題はない、必要な犠牲だと脳が判断した。

 俺は獣へと変貌していく。もう獣の俺と混ざるという次元の話ではなく、獣が俺に成り代わろうとする。それを止める術は存在しない。檻から出て自由の身になった獣は俺を喰らい、二度と思い出したくなかった俺が再び目覚めた。

 

 「コロス……コロシテヤル。」

 

 

 ◇◆◇

 

 「……何なんだよ……あれ。」

 

 ある男が掠れた声をあげた。今、男達の前には身の毛もよだつ殺気を放つ一人の少年がいる。だが、その少年の姿は一言で言うと異常だった。

 男達を睨む少年の背後には剣や槍など様々な武器が浮かんでおり、一つの円を描くように回転している。それらの武器は皆赤黒く、切っ先からは血が滴っているように見えた。

 

 「……はん!どうせこけおどしだ!野郎ども、殺っちm……」

 

 指示を出そうとしたリーダー格であろう男の言葉は最後まで続くことはなく、その体をポリゴン片へと変える。ガラスが割れるような乾いた音が一つ、夜の丘に響いた。

 先程まで男を形作っていた光の欠片が舞う中に、少年は立っていた。その手には、現実世界の包丁に酷似した短剣が握られている。そして赤く染まった両眼は、残った男達を捉える。そして……少年は笑みを浮かべた。まるで殺しを楽しんでいるかのように。

 

 「お、おい動くな!もし動いたら、この女の命はないぞ!」

 

 一人の男が台座に縛り付けられた少女に刃を突き付け、少年を脅す。しかし少年は止まる素振りを一切見せない。一瞬で男の前に迫り、その短剣で男の両手を斬り落とした。

 何が起こったのか理解が追い付かない男の前で少年はその短剣に鈍い光を纏わせる。その光は血にまみれたような赤色だった。両手を失っている男に抵抗する手だてはなく、少年にされるがままに斬り裂かれた。また一つ、乾いた音が響く。

 

 「……コロス。コロスコロスコロス。」

 

 「ひっ……く、来るな!来るなぁぁぁ!!」

 

 少年の赤い両目が残りの男達を捕捉する。男達は躊躇なく人を殺すその様に恐怖を感じ、少年から距離を取ろうとする。しかし少年は瞬きをする間に背後に回り込んでいた。

 

 「た……助けてくれ!あの女を拐ったことは謝る!だから、だかr……」

 

 「シネ。」

 

 一人の男がした命乞いを少年はたった一言で切り捨てる。そんな事はどうでもいいかのような反応だった。男の顔が絶望に染まる。

 少年は鈍い光を纏う赤黒い片手剣を男に向かって振り下ろす。右肩から入った刃は男の腹で切り返し、V字を描くように左肩まで斬り上げた。だがその凶刃は男のHPを全て刈り取ることはできず、数ドット残る。本来ならば喜ぶべきなのだが、今の男にとっては喜ぶどころか絶望でしかなかった。

 男を殺しきれなかったことに気付いた少年はもう片方の手で細剣を握る。ギィンと何がぶつかるような音が響き、鈍い赤の光が細剣に移る。それを男が視認した時には、放たれた赤黒い細剣が残っていた僅かなHPを喰らい尽くしていた。

 そして鈍く輝く赤い光は消え去ることを知らない。ギィンと音がする度に少年が新たに握った武器にその光が纏わされ、ポリゴン片が弾ける音を響かせる。その様子はまるで、死神が一人づつ逃げ惑う人間を刈っているようだ。少年は武器を振るい続け、その音が消えた時には少年と少女以外の人影は何もなかった。

 

 「……コロス。」

 

 「……そ、ソーヤさん……。」

 

 遂に少年の目が少女を捉える。その視線を真に受けた少女は恐怖のあまりに、目尻から涙を流す。自分を拐った男達が消えた安心感などは一欠片もなかった。

 少年は台座に縛られた少女に近づいていき、その手に持った短剣に血濡れた光を纏わせる。人切り包丁を振り上げる少年は口角を釣り上げ、狂気に歪んだ笑みを浮かべた。この時、少女は理解してしまった。二度も助けてくれたはずの少年が自分を殺そうとしていることに。

 少女は身をよじってその凶刃から逃れようとする。しかし彼女を台座に縛り付けている縄は思ったよりもきつく、そう簡単にほどけることはない。そして少年は鈍い光を放つ短剣を振り下ろす。少女は逃げることを諦め、迫り来る死を受け入れように目を瞑った。

 

 

 暗闇に包まれた草原にまた一つ、ポリゴン片が弾ける音がした。

 

 

 ◇◆◇

 

 少年が獣を解き放ってから一ヶ月が経った頃、月明かりが差す第十七層のフィールドで睨み会う四人のプレイヤーがいた。その内三人のカーソルは、オレンジに染まっている。三人のオレンジプレイヤーは一人を麻痺させ、二人を威嚇していた。

 

 「久しぶりだな、PoH。まだその趣味の悪い格好をしてやがるのか。」

 

 「……貴様には言われたくないな、《黒の剣士》キリト。」

 

 オレンジ色をしたカーソルの一人であるPoHの声からは隠しきれない殺意が漏れだしていた。彼の側に立つ二人の配下も、キリトに殺意のこもった視線を向けている。

 そしてキリトの余裕そうな態度が気に食わなかったのであろう、頭陀袋を被った男が明確に上ずった声で喚いた。しかし、それはフィールドに突如響き渡った轟音によってかき消される。

 キリトもPoHとその配下も皆全員、その轟音がした方向に目を向ける。そこには一人のプレイヤーの姿があった。彼らの存在に気付いているのかいないのか、ゆっくりと歩いて来ている。

 

 「おいおい、何だお前!今からイイところなんだ、邪魔をするなぁ!」

 

 頭陀袋を被った男が毒を塗った短剣で切りかかる。だがそれをそのプレイヤーは片手で掴み、そのまま握り潰してしまった。

 

 「……はぁ?」

 

 眼前で起こった現象に呆けた声を出す頭陀袋の男の腹をそのプレイヤーは蹴り飛ばした。頭陀袋の男はもう一人の配下とPoHの前に転がる。彼らはキリトに向けていた視線をそのプレイヤーに移す。そして彼らの前に立ったそのプレイヤーは顔を上げた。その赤く染まった両眼は、そのプレイヤーの正体が少年であることを知らせていた。

 

 「そ……ソーヤなのか!?」

 

 「……コロス。」

 

 少年の背後に無数の武器が現れ、一つの円を描く。その中から包丁に酷似した短剣を取り出した。それを慣れたような手つきで逆手に持つと、その赤い両目でPoHを睨む。まるで少年にはキリトの声が聞こえていないかのようだった。

 

 「Wow……なんて良い殺気だ。雑念など何も無く、ただただ純粋な殺意を持っている。願うならば、それを俺に向けてほしくなかったな。」

 

 「コロス……コロシテヤル。」

 

 少年は、PoHに赤黒く鈍い光が宿る短剣を振り下ろす。PoHもそれに対抗するように光を纏わせた中華包丁に似た短剣を振るう。静かだったフィールドに甲高い音が響く。

 

 「てめぇ!ヘッドに何しやがる!」

 

 「お前は……殺す……。」

 

 少年に配下の二人が迫る。頭陀袋の男は新たな毒を塗った短剣を持ち、もう一人の仮面を付けた男は威嚇をやめ、細剣よりも細い剣であるエストックを構えた。彼らは硬直で動けない少年に襲いかかる。

 少年は頭だけをぐりんと動かし、仮面の男をその目に写した。両者の赤く染まった目がお互いを捉える。その時、仮面の男は少年の顔に狂気の笑みが浮かぶのを見た。

 

 「コロシテヤル……シネ。」

 

 ギィン、死神の鎌の音が鳴った。仮面の男は少年が投擲した短剣に胴を刺され、怯んだ瞬間に少年が新たに握った片手剣によって斬り裂かれる。

 ギィン、その音は止まらない。頭陀袋の男は短剣を握る手を片手剣で斬り飛ばされ、血濡れた細剣で貫かれる。

 ギィン、その音は『死』を告げる。少年は両手剣を振りかぶり、纏わせた鈍い光で彼らを凪ぎ払おうとする。彼らのHPは赤く染まっていた。

 だが少年の奏でる死の音色は途切れ、辺りに静寂が広がる。少年が振るった両手剣は、黒い片手剣によって止められていた。それを理解した少年は両手剣に更に力を込め、キリトを吹き飛ばす。そしてPoH達を探すが、少年の視界には捉えることができなかった。

 

 「ねぇ!さっきの轟音は何!?」

 

 丘の斜面を駆け上がって現れたのは、暗闇の中でも鮮やかに浮き上がる白と赤と騎士服を着た女だった。その手には、透き通るような白銀の細剣が握られている。

 

 「アスナ!一旦事件の調査は中止だ!今はこいつを、ソーヤを止める!」

 

 「え?それはどういう……!!」

 

 アスナは言葉を失った。信じられないものを見るような目で少年を見つめる。するとその視線を感じたのか、少年の赤い瞳が彼女を捕捉する。そして少年の顔に笑みが浮かんだ。

 

 「……コロス。」

 

 少年はそう呟くと、一瞬でアスナの背後に移動する。突然のことに対応できなかった彼女は反応が遅れてしまい、致命的な隙を少年にみせてしまった。血濡れた包丁が脇腹に迫る。

 誰もアスナに迫る凶刃を止めることはできない。キリトは彼女の下に全速力で駆けているものの、少年の凶刃が達する方が早い。そしてそれが彼女に届いたが最後、少年は彼女を殺すまで死の旋律を奏で続けてしまうだろう。しかしそれはまたしても阻まれることとなる。

 

 「ピナ!バブルブレス!」

 

 眼前で虹色の泡が弾け、それに怯んだ少年はアスナから距離を取る。そして新たな乱入者に目を向ける。そこには少年に救われた少女の姿があった。

 

 「やっと追い付いた……。助けに来ましたよ、ソーヤさん!!」

 

 「きゅるるる!!」

 

 少女とその相棒は決意に満ちた目で、狂った少年を見据えていた。



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第十一話 違和感の正体

 投稿が遅くなり、申し訳ありませんでした。

 オリジナルの展開を考えるのが大変で、何度も書き直していた為に遅れてしまいました。

 次回から原作に合流するので、少しは早く投稿できるかと思われます。よろしくお願いします。


◇◆◇

 

 ソーヤさんが私にソードスキルの光を纏わせた短剣を振り下ろそうとした時、目を瞑った。今の私は台座に縛り付けられていて、どう足掻いてもその凶刃から逃れることはできない。

 私は生きることを諦めていた。迫り来る死に抗おうとせず、ただ受け入れようとする。

 血のような光が空気を裂きながら近付いて来ていることが嫌でも感じられる。死神の鎌が私の命を刈り取るまで残り数秒もないだろう。

 そして、ポリゴン片が散る音が私の耳に届く。しかし、暗闇に閉ざされた視界でも見える命の残量が全く減少していなかった。

 一体何が起こっているのか理解できない。状況を確認するべく閉じていた瞼を恐る恐る上げた私は、眼前の光景に目を疑った。

 

 「……ググッ……ガァ!」

 

 「ソーヤさん!!」

 

 ソーヤさんは頭を押さえながら、苦悶の表情を浮かべていた。私は彼に駆け寄る。もう体は台座に縛り付けられてはいない。先程の音は彼が斬り裂いた縄がポリゴン片となって弾けたものだった。

 

 「しっかりしてください!ソーヤさん!!」

 

 「……ガガガ……グギッ……。」

 

 ソーヤさんの両目が私を捉える。しかしその瞳は揺れ動き、赤と黒の点滅を繰り返していた。それはまるで二つの人格が体の主導権を争っているようだった。

 そしてソーヤさんはよろめきながら立ち上がり、暗闇のフィールドを後にした。私は誰もいなくなった空間に取り残される。今までの喧騒が嘘のように、辺りは静まりかえっていた。

 私はソーヤさんを追うべきか迷っていた。狂ってしまった彼を助けに行きたいという思いが、今にも私を突き動かしそうになっている。だが、彼に対する恐怖がそれに待ったをかけていた。

 

 「きゅるるる!」

 

 檻から解放されたピナが前に降り立ち、私を見つめる。一年以上行動を共にした小さな相棒が何を言いたいのかは直ぐにわかった。

 相棒の真っ直ぐな目を真に受け、私は迷っている自分が馬鹿らしくなる。心の中で起こっていた感情のせめぎ合いは終わった。後は行動するのみだ。

 

 「ピナ……。うん、そうだよね。二度も助けてくれたソーヤさんを見捨てる訳にはいかない。それに……今度はちゃんとした形で伝えたい。だから私は、ソーヤさんを助ける!」

 

 「きゅるるる!!」

 

 そして私はピナと共に、ソーヤさんの捜索を開始した。彼を狂気から解き放ち、ちゃんとした形でこの恋心を伝える為に。

 幸いなことにフレンドリストからソーヤさんの名前が残っていたので、追跡機能を用いてただひたすらに彼を追い続けた。その時の私の頭の中は彼のことでいっぱいだった。

 あれからソーヤさんと行動を共にするようになってから、彼への恋心は日増しに膨れ上がっていた。彼に助けられながら上層に向かっていると、もっと一緒にいたいという気持ちが溢れて止まらない。それが今の私の動力源となっていた。

 それからはソーヤさんがいた場所に行っては探しを繰り返し……約一ヶ月が経った頃、私はやっと彼に追い付くことができた。

 一ヶ月ぶりに再会したソーヤさんは、あの時と全く変わらない深紅の両眼で私を捉えた。それが私に心臓を鷲掴みにされるような恐怖を呼び起こさせる。だが、それに屈してはいけない。あの時の私を繰り返してはいけないのだ。

 手に持った短剣をもう一度握り直し、ソーヤさんを見据える。眼前には狂気に囚われた恩人がいる。私は彼を助けるという決意を込め、ソードスキルの光を短剣に纏わせた。

 

 

 ◇◆◇

 

 「シリカ!?どうしてこんなところに!?」

 

 「それの説明は後でお願いします!今は手伝ってください!ソーヤさんを……助ける為に!!」

 

 少女は短剣に輝く光を纏わせて、少年に斬りかかる。少年もそれに対抗するように鈍い光を纏わせた短剣で迎え撃った。二つの光はぶつかり合い、つばぜり合いになる。少年と少女はお互いの顔がはっきり見える程に近づいた。

 少女の目が少年を正面に捉える。だが少年の目は少女ではなく、その奥に動けないでいる三人のプレイヤーを捉えていた。そして狂気に歪んだ笑みを深める。それはまるで弱った獲物から仕留めようとする、獰猛な獣のようだった。

 つばぜり合いを続けている少女の腹を蹴り飛ばし、少年は一瞬でその三人のプレイヤーの背後に移動する。その手には血濡れた剣が握られており、既に鈍い光を解放しようとしていた。

 彼らは少年が放つ殺気に当てられ、ガタガタと震えることしかできない。だがその間に闇に紛れていたキリトが割り込み、少年の凶刃を止める。

 

 「急いで離脱しろ!今のこいつ……ソーヤはさっきのラフコフの奴らよりもヤバい!!」

 

 「……あ、ああ!転移!」

 

 彼らはキリトに急かされるがままに転移結晶を取り出し、深夜のフィールドから離脱する。此処に残っているプレイヤーはキリトとアスナ、そして少年と少女だけだった。

 少年は獲物を逃した苛つきを含んだ目で残ったキリト達を睨む。その目からは、さらに膨れ上がった殺意が放たれていた。だが臆する者は誰もいない。皆それぞれの得物を構え、少年と対峙する。

 

 「ソーヤさん!目を覚ましてください!!」

 

 「……コロス。」

 

 少女の呼び掛けに少年は応じない。背後で円を描く武器の山から血が滴る細剣を取り出して、鈍い光を纏わせる。そして一瞬で数メートルの距離を詰め、少女の心臓にあたる部分に突き出した。

 少女はギリギリで反応し、とっさに構えた短剣の腹でそれを受ける。だがこの世界で必殺技とも言える一撃を何のリスク無しで受けきれる訳もなく、少女の短剣は容易く折れてしまった。

 丸腰になった獲物に獣は容赦しない。少年は細剣を捨て、空いていた手で背から片手剣を抜いて鈍い光をその剣に移す。少年の顔に一ヶ月前と同じ、狂気に歪んだ笑みが浮かんだ。死神が再び少女の命を刈ろうとその鎌を振るう。だがそれを許さない者がいた。

 

 「させるかぁぁぁ!!」

 

 「もう止めなさい!ソーヤ君!!」

 

 少年の死角からキリトとアスナが飛び出し、光を纏わせた剣を振るう。しかし少年はそれが見えていたかのように、両手槍に持ち替えて周囲を凪ぎ払った。彼らは咄嗟に防御したが、その威力を殺しきることはできずに吹き飛ばされる。

 邪魔者がいなくなった少年は少女に向き直り、包丁に酷似した短剣に光を纏わせる。少女の相棒がブレスを吐くが、少年はそれを鬱陶しそうに払うだけだった。

 そして短剣を少女に振り下ろそうとした時のことだった。少年の顔が狂気に歪んだ笑みから苦悶の表情に変わったのは。

 鈍く輝いていた光が霧散し、少年の手から離れた短剣が地に落ちる。両手で頭を押さえて、声にならない声をあげる。バランスを崩した少年は少女に倒れ込み、少女はそれを受け止めた。

 

 「……グギギ……ガァァァ!!」

 

 「ソーヤさん!」

 

 少女は少年を抱きしめた。少年は突然の行動に驚愕を隠せず、黒と赤に点滅する両眼を少女に向ける。少女は少年を強く抱き締め、優しく包み込むような声音で言葉を紡いだ。

 

 「ソーヤさん……私、気づいたんです。私はソーヤさんの優しいところだけじゃなくて……全部が好きだとわかったんです。ソーヤさんは私が支えます……辛いことがあっても、私が一緒に背負います。だから……だから……目を覚ましてください、ソーヤさん……。」

 

 「……ガガッ……ギッ……。」

 

 少年の背後にあった無数の武器が弾け、消滅する。それと同時に点滅していた両目は完全に黒に戻り、少年は気を失った。

 少年の体重を支えきれなかった少女は背中から倒れてしまう。だが、少年の頭を撫でる少女の顔は穏やかな笑みが浮かんでいた。

 

 

 ◇◆◇

 

 「ん……此処は?」

 

 起き上がり、周囲を見渡す。すると一人の少女が目に入った。その少女は俺の視線に気づいたのか、こちらを振り向く。

 俺を視界に捉えた少女は、目尻に涙を溜めながら抱きついてきた。その時、俺は少女が誰なのか理解した。その少女の正体は、俺が獣を解き放つ前まで共に行動していたシリカだった。

 

 「ソーヤさん!!」

 

 「……シリカか。一体此処はどこd……グッ!」

 

 「ソーヤさん!?大丈夫ですか!?」

 

 獣だった時の俺の記憶が一気に流れ込んできた。その圧倒的な情報量に頭が悲鳴を上げる。人間に戻ったあの日と同じだが、もう一度体験するとは思ってはいなかった。

 

  「……大丈夫だ。此処がどこなのか、シリカがどうして此処にいるのか、全部理解した。まず始めに……シリカ、殺そうとしてすまなかった。そしてありがとう。俺を助けてくれて。」

 

 抱きしめられる力が大きくなる。そして頬に何かが伝う感触を感じた。それがシリカの涙だと理解するまでそれ程時間を要さなかった。

 やはり恐怖を感じていたのだろう。それでも彼女は俺を獣から解放しようと立ち向かい、見事俺を獣から解き放った。俺は抱きつくシリカに応えるように、両腕を回す。

 もう自分自身の行動に疑問を抱くことはない。先程のシリカの声が引き金となり、心の中にあった『何か』の正体を突き止めることができた。それは単純な二つのことだった。

 一つはシリカが嘘の仮面をつける前の俺と似ていたこと。彼女を見ていると昔の自分と重なり、放っておけなかった。

 そしてもう一つが、俺もまたシリカに恋をしていたことだ。俺が彼女のことを疑わず、容易に信用したのはこれが原因だった。好意を寄せる者を疑うことができない人間の心理は、少し考えればわかることだ。

 未だに嗚咽を漏らしているシリカの頭を撫でてあやしながら、俺はある決心をする。

 

 「……シリカ、大事な話がある。一旦、居住区に行かないか?」

 

 「……はい。」

 

 それから居住区へと向かい、近くの宿に入る。今回は二部屋空きがあったので別々に取ろうとした。だがシリカが俺と一緒にいたいと希望し、同じ部屋を取ることになった。

 

 「それでソーヤさん、大事な話って何ですか?」

 

 膝元で丸くなっているピナを撫でながら、シリカは窓際で夜空を見上げていた俺に声を掛けた。俺は夜空から彼女に視線を移す。純粋無垢な彼女の瞳が俺を捉えている。

 決心はしたが、心の何処かで迷っていた。何度も信用しては裏切られた過去が俺を躊躇わせる。しかしもう戻れない。そうなるように俺がした。俺は迷う自分を遠くに追いやり、鉛のように重く感じる口をゆっくりと開いた。

 

 「……シリカ、お前はこれからの話を聞いても俺を裏切らないでくれるか?」

 

 「何を言っているんですか。どんな話であっても、私は絶対にソーヤさんを裏切ったりしません。」

 

 「それを聞いて安心した。だから今からは……本当の俺の方で話させてもらうよ。」

 

 俺は嘘の仮面を外し、本当の俺を表に出した。シリカは一瞬驚いた顔をしたが、どこか安心したような顔に変わる。その反応が今までのクズ野郎どもと異なっていた為、安堵と不安が湧き出た。

 俺は俺の過去をシリカに話した。いじめられたことも、俺の心に巣食う獣のことも、そして包丁を振るったあの日のことも全て話した。

 シリカはただ黙って聞いていた。そして話し終わると眠っているピナを横において立ち上がり、俺を再び抱きしめた。

 

 「……ソーヤさんには大変な過去があったんですね。でも、もう一人で抱えなくてもいいですよ。私が一緒に背負ってあげます。ずっと……一緒に……。」

 

 「俺は……シリカを信用してもいいのか?殺しを躊躇わないようなバケモノの俺を……裏切らないのか?」

 

 「全く、ソーヤさんは心配性ですね。裏切る訳ないじゃないですか。どんな過去があっても、ソーヤさんは私の命の恩人であることに変わりありません。そんな恩人を裏切るなんてしたくありませんよ。」

 

 母親の言っていた人間が見つかった瞬間だった。一気に様々な感情が湧き出て、それが涙となって表れる。母親のように暖かいシリカの温もりに包まれながら、俺は涙を流し続けた。

 

 「……ありがとう、シリカ。落ち着いた。何か、情けないところを見せてしまったな。」

 

 「ふふ、それはおあいこです。それに、泣きたい時は思いっきり泣けばいいんですよ。その方が楽になりますから。あと、私からも一つお話があります。聞いてくれませんか?」

 

 顔を林檎のように赤く染めたシリカが俺を引き留める。一体どうしたのだろうかと思っていると、何かを言いたげな様子をしていることに気がついた。その様子はこれまで疑問を抱いていたよく分からない感情からきているように見えた。

 これまでなら正体を特定できなかった感情だが、今なら簡単にその感情が何なのかわかる。そして今からシリカが何をしようとしているかを理解した俺は首を縦に振った。

 シリカはしばらく言い淀んでいたが、やがて獣の俺と対峙した時と同じ決意に満ちた目で正面から見つめてその重い口を開く。

 

 「これは、ソーヤさんを助けたら言おうと思っていたんです。私は……ソーヤさんが好きです。優しいところも、強いところも、全部が好きです。そして、ソーヤさんの辛い過去も一緒に背負います。だから……私と付き合ってくれませんか?」

 

 「……シリカ、俺もお前が好きだ。シリカと出会えて、この世界に来て本当に良かったと思った。俺の過去を一緒に背負うと言ってくれて嬉しかった。だから……こんな俺で良いのなら、喜んで。」

 

 「それじゃあソーヤさん……あの……キスを……してほしい……です……。」

 

 「……わかった。それじゃあ、いくよ……。」

 

 俺はシリカの唇に自分のものを重ねる。月明かりが差し込んで、俺達を明るく照らした。

 それから数秒が経ち、長く感じたキスが終わる。唇を離した後、俺もシリカも顔が真っ赤になっていた。それが面白くて、二人で笑いあった。

 

 「ふぁぁぁ……何だか眠くなってきました。」

 

 「確かにもう真夜中だからな……。寝るか。」

 

 一つしかないベッドをシリカに使わせようと、椅子に腰掛けて目を閉じようとした。だが、彼女は俺の手を引っ張ってベッドに連れていく。何をするつもりなのだろうかと思考していると、気づいた頃には俺達は同じベッドに入っていた。

 シリカ曰く、怖くて一人では眠れないので一緒に寝てほしいとのこと。一瞬子どもかと思ったが、実際子どもだということに気づく。

 加えて、今シリカが感じている恐怖は言わずとも俺が原因になっているので、罪滅ぼしも兼ねて彼女の背中を優しく叩いてやる。するとものの数分で彼女は眠りの世界に誘われた。

 

 「母さん……俺、やっと母さんの言う人と出会えたよ。紹介できないのは残念だけど、上から見ててね。」

 

 俺の顔には笑顔が浮かんでいる。獣に喰われた時の狂ったものではなく、心からの笑顔だ。こんなに素直になれたのはいつぶりだろうか。

 そうして昔を思い返しているうちに睡魔が襲いかかり、耐えきれなくなった俺は意識を手放した。 



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第十二話 最前線

 今回はまた一つ、オリジナル武器が登場します。相変わらずの壊滅的なネーミングセンスです……。

 今回も武器名の由来を後書きに書いておきますので、興味がおありであれば見ていただけると幸いです。


◇◆◇

 

 「ピナ!バブルブレス!」

 

 ピナから吐き出された無数の虹色の泡が《リザードマンロード》というトカゲ人間の眼前で弾け、その曲刀に纏わせていた光が霧散する。

 

 「ソーヤさん!」

 

 「了解、任せとけ。」

 

 《スカービースト》を抜き、地を駆けながら光を纏わせる。そして最高速に達した瞬間にその細剣をトカゲ人間に突き出した。細剣の最上位剣技にあたる《フラッシング・ペネトレイター》。《スキルキャンセラー》の始動に適している為、習得してからは愛用するようになっている。

 その突きはトカゲ人間が持つ円形の盾に防がれるが、俺は勢いのままに宙返りをして背後に回る。そして太ももに装備している短剣《パストラスト》を握り、硬直を強制解除した。

 トカゲ人間は背後に移動した俺を斬りつけようとするが、もう遅い。俺は逆手に持ち替えた《スカービースト》をトカゲ人間の腹に突き刺した。動きが怯んだ隙をついて《パストラスト》に光を纏わせる。同時にシリカもソードスキルを立ち上げ、トカゲ人間を前後で挟む形となる。

 トカゲ人間が最後の抵抗とでも言うように曲刀を振るうが、俺のHPを僅かに減らすだけだった。その数秒後に心臓部と首筋に刃を突き立てられたトカゲ人間は一瞬でその体をポリゴン片に変える。  

 俺はこれまで拒絶し続けていた短剣を扱うようになっていた。短剣を見るとあの日に結び付くことに変わりはない。だが、思い出したくないという拒絶が沸かなくなったのだ。むしろあの行動は正しかったとさえ思ってしまう。

 シリカに助けられて人間に戻りはしたが、獣に喰われる前の俺に戻ったという訳ではない。今の俺も、他人の命はそこら辺にあるモノと同じように感じ、他人が死んだところでどうでもいいと考えている。まるで人間の皮を被った怪物のようだ。

 

 「ソーヤさん?黙り込んでどうしたんですか?」

 

 「いや、少し考え事をね。全く、俺の悪い癖だよ。それじゃあ行こうか。シリカ、ピナ。」

 

 「はい!最前線の迷宮区ですけど、頑張っていきましょう!」

 

 「きゅるるる!」

 

 シリカと付き合うようになってから、俺達は再びパーティーを組んで攻略を進めていた。そして今日は彼女のレベル上げも完了したので、現在の最前線にあたる第七十四層の迷宮区に初めて潜っている。

 因みにシリカのレベルは俺と同じぐらいにまで上げている。間違いなく彼女はこの世界で二番目にレベルが高いプレイヤーだろう。やりすぎかと思ったが、それに越したことはない。

 難なくモンスターを連携で屠り、戦利品を分配しながら迷宮区を探索する。時刻を確認し、一旦休憩しようと安全エリアに指定されている広い部屋に入って腰を下ろした。

 シリカがストレージからバスケットを実体化させ、中からサンドイッチを一つ俺に手渡す。彼女は料理スキルを取っており、その料理は絶品だ。俺はこの世界では料理ができないので、彼女に任せっきりになってしまっている。

 俺はサンドイッチにかぶりつこうとして、それをシリカに返した。腰を上げて片手剣《ロンリライアー》に手を掛ける。

 

 「ソーヤさん?」

 

 「……向こうから二人来る。それもかなりの速度で一直線に。サンドイッチは少し待ってて。後で必ず食べるから。」

 

 俺は必要以上に他人とは関わらない。それは攻略組であろうと変わらない。これまでも何度か関わろうとした人間に刃を向けたことがある。シリカを信用するようにはなったが、分け隔てなく誰でも信用するようにはなっていない。

 部屋に二つの人影が飛び込み、壁際に並んでずるずるとへたれ込んだ。その姿を確認した俺は《ロンリライアー》に掛けていた手を離した。

 

 「……何をしているんだ、キリトにアスナ。」

 

 「こ……これはあのだな……。」

 

 「あはは……。」

 

 二つの人影の正体はキリトとアスナだった。彼らのことは信頼してはいるものの、未だに嘘の仮面を外せないでいる。やはり心の何処かで疑ってしまっているのだろう、彼らが裏切ってしまうのではないかと。

 俺自身、疑り深いにも程があると思うが、もう直そうとしても直すことはできないところまで来ている。もしかすると、俺はシリカ以外に本当の俺を見せることはできないのかもしれない。

 それから話を聞いたところ、彼らはたまたま見つけたボス部屋を覗き、その姿に驚いて此処まで全速力で逃げてきたらしい。

 その時のことを思い出したのだろう、アスナが愉快な笑い声を上げる。キリトは憮然とした表情を浮かべていたが。

 そして時計を見て目を丸くしたアスナが昼御飯にしようと提案したので、俺はシリカの下に戻ってサンドイッチを貰う。彼らは彼女が此処にいることに驚愕したが、俺が共に行動していることを説明すると納得した表情を浮かべた。

 昼御飯を終え、攻略の続きをしようと立ち上がる。だが再び気配を感じ、警戒体制を取った。部屋の入り口に目を向けると、がちゃがちゃと鎧を鳴らしながら六人の男達が入ってくる様子が見えた。その中のリーダーらしき見覚えのある野武士ズラの男は、キリトの存在に気づくと笑顔を浮かべながら近寄っていく。

 

 「おお、キリト!久しぶりだな!」

 

 「死んでなかったのか、クライン。」

 

 その名前を聞いた俺はその男のことを思い出した。この世界に来たばかりの頃、キリトと共に戦い方を教えた男のことだ。

 クラインはキリトと仲良さげに話している。その様子から多少は信用できるかもしれないと判断し、警戒を解く。

 

 「けっ、相変わらず愛想がねぇな。今日は珍しく、お前には連れが多い……な……。」

 

 クラインが俺を見て硬直する。キリトが眼前で手を振るも、反応がない。しかし次の瞬間、俺の前まで移動したかと思えば、いつかの彼のように両肩を掴んで揺すった。

 

 「お前、もしかしなくてもソーヤか!?一体今の今まで何をやってたんだ!?全く音沙汰が無くて心配したんだぞ!!」

 

 「オエッ……。視界が揺れて気持ち悪いからとりあえず離せ……。吐きそうだ……。」

 

 俺は口を押さえてその場にうずくまった。その背中をシリカが優しくさすってくれる。ピナは怒ったのか、独断でクラインの顔面にブレスを直撃させた。いくらなんでも過激すぎではないかと思ったのは内緒だ。

 ピナのブレスで減少したクラインのHPが回復したことを確認し、キリトが彼のことを知らない様子のアスナとシリカに向かって口を開く。

 

 「こいつはギルド《風林火山》のクライン。顔はともかく、悪い奴じゃないから大丈夫だ。」

 

 「ご存知かもしれませんが、ギルド《血盟騎士団》の副団長のアスナです。」

 

 「えっと……はじめまして!ビーストテイマーのシリカです!」

 

 アスナとシリカがクラインに挨拶をしたのだが、彼は俺を見た時と同じように再び硬直した。目と口をまん丸に開き、まるでオブジェクトかと思ってしまう程に完全停止している。

 何があったのだろうかと思っていると、クラインはいきなり恐ろしい勢いでアスナとシリカに最敬礼のお手本とも言えるようなお辞儀をした。彼のその突然な行動に彼女らは驚愕の表情を浮かべる。

 

 「こ、こんにちは!くくくクラインととも申します!二十四歳のの独s……グハッ!」

 

 妙なことを口走ったことに加え、その行動からあまりよろしくない感情を感じ取った俺はクラインの腹にカーソルがオレンジにならないギリギリの威力で拳を叩き込む。それをモロに食らった彼は白目を剥いて、力なくその場に倒れた。

 やはり力の加減があまりできなくなっているなと自分の拳を見ていると、また新たな気配を感じた。思考を切り替え、警戒した目を入り口に向ける。

 現れたのは規則正しく足音を立てる軍隊のような集団だった。だがよく見れば、僅かに見える顔には疲労の色が滲み出ている。相当疲れているのだろう。その証拠に先頭の男が休息の命令を出した瞬間、倒れるように座り込んだ。

 先頭の男は俺達を視界に捉えると、仲間のことなど気にしない様子でこちらに近づいてきた。その様子からは絶対的な自信が放たれている。まるで、自分の成すことが正しいとでも考える自己中心的な歪んだクズ野郎と同じような自信が。

 男は俺達の前に到着するとヘルメットを外し、じろりと睨んできた。その目に恐怖を感じたのか、シリカが俺の後ろに隠れる。

 

 「私はアインクラッド解放軍所属、コーバッツ中佐だ。」

 

 「ソーヤだ。何か用か?もし無いのならさっさと消えろ。」

 

 コーバッツと名乗った男はやや喧嘩腰に返した俺を睨む。それに対抗して俺も睨み返す。これでこの男の意識は俺に向けられた。後はその歪んだ自信の源を露にさせて砕くだけだ。

 

 「君らはもうこの先まで攻略しているのか?」

 

 「先に行った奴らからマップデータは貰っている。」

 

 「うむ。ではそれを提供して貰いたい。」

 

 その一言に抗議の声を上げようとしたアスナと気絶から復活したクラインを手で制す。昔から様々な理由でいじめられてきたせいで、クズ野郎どもの扱いには慣れてしまった。

 

 「何故だ?俺がお前らにマップデータを渡さなければいけない理由があるのか?」

 

 こういう質問をすれば、歪んだ自信を持ったクズ野郎は自身の行動の正当性を証明しようとする。その証明材料こそが、歪んだ自信を造り出している源なのだ。

 だがそのほとんどは矛盾があったり、支離滅裂なものが多い。そこを突いてやれば、そんなものは一瞬で砕け散る。

 それで自身の歪んだ自信に気づいて終わればいいのだが……醜く足掻く者もたまにいる。もし眼前に立つクズ野郎がそうならば、獣の凶刃が牙を剥くだろう。もう獣は解き放たれ、今の俺は半人半獣と言っても過言ではないのだから。

 俺の発言を聞いたクズ野郎は眉をぴくりと動かし、ぐいと顎を突き出して大声を張り上げた。

 

 「我々は君ら一般プレイヤーの解放の為に戦っている!それに諸君が協力するのは当然の義務である!」

 

 ……とんだ思い上がりだ。完全に俺達を見下したような態度をしている。それに加えて、矛盾にまみれた主張をしてきた。一体どんな思考をすればそんな考えが生まれるのか甚だ疑問だ。思わずため息が漏れた。

 俺の態度が癪に触ったのか、クズ野郎は顔を赤くして怒りを露にする。そしてクズ野郎が再び口を開く前に、俺は穴だらけの主張に攻撃を開始した。

 

 「傲り昂るのも大概にしろ。解放の為に戦っていると言ったが、お前はそんな事を言える立場か?俺の知る限りだと、アインクラッド解放軍とやらは下層で治安維持をしているだけだろうが。加えて義務だと?攻略すら他人頼りなのに、他人を見下すような態度をするクズ野郎に強制される理由なんてある訳無いだろう。わかったらさっさと消えろ。これ以上醜い様を見せるならば……コロスゾ?」

 

 「貴様!言わせておk……!!」

 

 俺は一瞬で《ロンリライアー》を抜き、喉元に突きつける。殺意が芽生え、それを餌として喰らった獣が俺の中で大きくなっていく。肥大化していく殺意が漏れ出す。右目がだんだん熱を帯びているのを感じる。今俺の右目は赤が黒と白を塗り潰しているのだろう。

 

 「最後ノ警告ダ……サッサト消エロ。次ソノ醜イ様ヲ見セテミロ……コロスゾ?」

 

 「……くっ。」

 

 俺の殺意を真っ向から受けたクズ野郎は俺達から離れて、休息していた仲間を無理矢理立ち上がらせてこの部屋を去った。その時、奴の額に冷や汗が流れていたことを見逃しはしない。

 クズ野郎が率いるアインクラッド解放軍とやらが見えなくなるまで遠くに行ったことを確認し,《ロンリライアー》を鞘に戻す。そして先程から物音一つ立てないシリカ達が気になったので後ろを振り向く。そこにはなかなか凄惨な光景が広がっていた。

 身を寄せあって震える《風林火山》のメンバーに、泡を吹いて倒れているクライン、それを介抱するシリカ達三人。この目も当てられない状況をもたらした原因は恐らく漏れ出した俺の殺意だろう。そうでなければ、シリカ達三人だけが無事な事に関しての証明ができない。

 それにしても、クラインは何故泡を吹いているのだろうか。人間が泡を吹くのは苦しんだり悔しがったりするときのはずだ。もしかすると彼は少し人間の構造が異なっているのかもしれない。

 

 「ソーヤさん、あの人達……大丈夫でしょうか?」

 

 「……優しいな、シリカは。俺にはもうそんな感情なんて残っていないよ。」

 

 シリカが俺の近くに戻ってきて、クズ野郎の心配をする。それを聞いた俺は、自分が獣になってしまっていることを実感した。人間ならば誰しもが大小問わず持っている感情を失ってしまっているのだから。

 

 「もしボス部屋を見つけてもいきなり挑んだりはしないだろうけど……。」

 

 「一応、様子だけでも見に行くか?ボス部屋は此処から真っ直ぐ行ったところにあったし、もし此処で見捨てて、あいつらが帰って来ないとなれば寝覚めが悪すぎるしな。」

 

 キリトの発言にアスナとシリカが首肯する。唯一反応をしなかった俺に視線が集中した。俺はため息を一つついてから、首を縦に振って賛成の意を示した。

 正直、あのクズ野郎がボス部屋を前にして引き返すとは思えない。だがもしボス部屋に入っていたのなら……醜く足掻く野郎の方であることは確実だ。自信の源を潰されもなお、その態度を改めない野郎は……俺ガコロシテヤル。

 俺達は手早く装備などを確認して、歩きだそうとした。だが、背後から聞こえた声がその歩みを止める。

 

 「それなら俺達《風林火山》も一緒に行くぜ!お前ら四人だけじゃ、死んじまうかもしれないからな!」

 

 背後には再び復活したクラインと《風林火山》のメンバーがいた。もうメンバーに身を寄せあって震えていた様子は見る影もない。しかし、本当にクラインは人間なのだろうか。気絶の時といい、復活が早すぎる。

 そんなどうでもいい事を考えながら、俺達はボス部屋に繋がる通路に足を向けた。

 

 

 ◇◆◇

 

 少年達は迷宮区を進んでいく。途中で《軍》のパーティーに追いつくことはなく、既に約三十分の時間が経過していた。そしてボス部屋までの距離もあと数百メートルとなっている。

 誰かがもう転移してしまったのではないかと口を開こうとした瞬間、それを否定するように人間の叫び声が響いた。モンスターの叫び声とは違う、恐怖に囚われた人間が上げる悲鳴だ。

 意外にもそれにいち早く反応したのは少年だった。ステータスに物を言わせて風のように駆け出す。その後ろにぴったりと随伴しているのは少女。アインクラッドで頭一つ分抜けているレベルの二人が他の者を置き去りにしてボス部屋へと直行する。

 少年と少女が辿り着いたボス部屋の向こうはただの地獄絵図だった。《ザ・グリームアイズ》と名の付いた巨大な悪魔が片手で大剣を振るい、逃げ惑う人間を薙ぎ払っている。中にはHPが赤く染まっている者もいて、統制も何もあったものではない。

 

 「危険です!急いで転移アイテムで離脱してください!」

 

 少女の大声に気づいた一人のプレイヤーが振り向くが、その顔は絶望の色に塗り潰されていた。

 

 「無理だ……転移結晶が使えない!!」

 

 「嘘……。」

 

 少女が息を呑む隣で、少年は何も言わずただある男を見ていた。その男は剣を掲げ、怒号に近い声で命令を出す。

 

 「逃げるな!我らに撤退なんぞ許されない!立て!そして戦え!戦うんだ!!」

 

 「……シリカ、少しだけあの悪魔を頼んでもいい?」

 

 「わかりました……。でも、できるだけ早く助けに来てくださいね?」

 

 「大丈夫だよ……シリカもピナも、絶対死なせない。それに、ホンノ数秒デ十分ダカラ。」

 

 少年は少女の頭を優しく撫でる。だがその両眼は赤く染め上がっており、少年が狂気に囚われていた頃を連想させた。

 そして少年と少女はボス部屋に突入する。少女は短剣に光を纏わせ、巨大な背中を向けている悪魔にそれを解き放つ。

 突然の不意打ちに怒りを覚えた悪魔は叫び声を上げながら少女に向き直り、恐ろしい速度で大剣を振り下ろそうとした。だが少女には頼れる相棒がいる。

 

 「ピナ!バブルブレス!」

 

 「きゅる!」

 

 少女の側を飛んでいた青色の小さな竜から虹色の泡が吐き出され、振り返った悪魔の眼前で弾ける。悪魔の動きが一瞬だけ怯んだ。

 その隙に少年は悪魔の横を通りすぎ、今にも突撃命令を出そうとしていた男の前まで駆ける。そのまま腰から抜いていた細剣を構えると……その男に光を纏わせた一撃を食らわせた。その瞬間に、少年のカーソルがオレンジ色に変わる。

 

 「ガハッ……何をする!貴様!!」

 

 「……言ッタヨナ?次ニソノ醜イ様ヲ見セタラ、コロスッテ。」

 

 少年はその光を新たに握った片手剣に移した。そして未だに驚愕で動けない男に高速五連突きを見舞い、斬り下ろしてから即座に斬り上げる。此処まできて男は少年が自分を殺そうとしていることを理解した。だが今さら何をしようとも、男の死は確定していた。

 少年は最後に最上段に構えた剣を躊躇なく振り下ろす。それは男のHPを完全に奪い去り、男はその体をポリゴン片に変えた。

 少年の赤い瞳が残ったプレイヤー達を捉える。彼らは次は自分かと恐怖し、身を震わせた。しかし少年はあの夜のように無差別に襲い掛かることはなかった。それは少年が狂気に囚われていないことを示しながらも、自分の意思で男を殺していたことも証明していた。

 

 「……お前らの指揮官は死んだ。死にたくなければもうボスに関わるな。」

 

 少年はそれだけ告げると、少女の下へと向かう。そして振り下ろされようとしている大剣と少女の間に割り込むと……その大剣を素手で受け止めた。少年のHPは一ドットも減らずに、大剣は勢いを完全に失った。

 少年はボス部屋の入り口にちらりと目を向ける。そこにはやっと追いついたキリト達がいた。

 

 「キリト達も来たことだし……始メルカ。」

 

 そう呟いた少年の背後には無数の武器が浮かび、一つの円を描くように回転していた。 




 オリジナル武器名の由来

 《パストラスト》
 《past》と《trust》を足して割ったもの。(過去)と(信頼)


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第十三話 欠陥だらけのスキル

 UA3000突破ありがとうございます!正直、こんな多くの読者様に読んでいただけるとは思っても見なかったので、本当に感謝の気持ちでいっぱいです!

 これからもこの作品をご愛読していただけると幸いです!

 今回、いつも以上に駄文かと思われます。良ければアドバイスなどして頂けると嬉しいです。


◇◆◇

 

 先行したソーヤとシリカを追ってボス部屋に到着した俺達は目にした光景に言葉を失った。目を擦って何度も確認するが、それが変わることはない。

 攻略組として日々未知と触れ、並大抵のことでは驚かない俺達が言葉を失う程に驚愕した光景。それは……あの悪魔が右手に持つ斬馬刀とでもいうべき巨剣をソーヤが片手で受け止めていたというものだ。しかも、彼のHPは全く減っていない。

 悪魔は怒りの叫びを上げながら斬馬刀に力を加えるが、それは座標が決められているかのように微動だにしない。そしてソーヤは気配を感じたのか、入り口にいる俺達に目を向けた。その目はあの時と同じく赤に染まっていて、思わず身震いをしてしまう。

 

 「キリト達も来たことだし……始メルカ。」

 

 ソーヤがそう呟くと、彼が装備していた武器全てが突如消え去った。だがその背後から様々な剣や槍などが何処からか現れ、円を描くように回転し始める。その中から刃にびっしりと逆棘が生えている短剣を手に取って逆手に持つ。

 それを斬馬刀を握る悪魔の右手に突き立て、一瞬で引き抜いた。無数の逆棘によって悪魔の右手は抉れ、痛々しいダメージエフェクトが飛び散る。ソーヤは斬馬刀を握っていた手を離し、距離を取る。両者の殺意がこもった視線が交錯した。

 それを見た俺は、ソーヤがボスであるあの悪魔を討伐しようとしていることを嫌でも理解した。今にも斬り掛かりそうな彼を止めようとボス部屋に足を踏み入れようとするが、視界の端に複数の人影が写った。

 《軍》の連中だ。全員が腰を抜かしており、ただ震えるだけの人形と化してしまっている。はっきり言って壊滅状態だった。

 しかし隊を立て直さねばらならい筈のコーバッツの姿が見当たらない。もしかすると、仲間を置き去りにして一人で離脱したのだろうか。横を見るとアスナも同じ考えに至ったらしく、目に怒りの炎を宿している。

 するとその考えを見抜いたかのように、入り口にまで戻ってきたシリカが驚愕の事実を突きつけた。

 

 「キリトさん……コーバッツさんはソーヤさんの手によって殺されました。多分ですが、これ以上の無駄な犠牲者を出すことを防ぐ為だと思います……。コーバッツさんは、瀕死の仲間達を無理矢理戦わせようとしてましたから……。」

 

 その言葉に俺達は息を呑んだ。この時になって俺はソーヤのカーソルがオレンジ色になっていることに気づく。そのことが二年前、あの名もない森でコペルを躊躇なく殺した時の彼と重なった。

 

 「……なぁ、シリカ。どうしてソーヤが殺す必要があったんだ?無理矢理にでも、転移結晶を使って飛ばせばいいと思うんだが。」

 

 「本当はそれが良かったんですけど……此処は結晶が使えないみたいなんです!」

 

 「な……。」

 

 思わず絶句する。今までにも結晶が使えないような空間はあった。だがそれは迷宮区に稀にあるトラップぐらいなもので、ボス部屋にあるなんてことは聞いたことがなかった。

 それは俺から一つの選択肢を奪い去る。あの悪魔から尻尾を巻いて逃げるという選択肢を。いくらソーヤが強かろうと、逃げることも動くこともできないプレイヤーを完璧に守りきるなんてことは不可能に近い。今此処で倒さなければ、また人が死ぬ。しかしどうやって?どうすれば、この少人数であの悪魔を倒せるんだ?

 思考を遮るように甲高い音が響く。その音がした方に目を向けると、ソーヤの両手剣と悪魔の斬馬刀が弾き合いを起こしてお互いに仰け反っていた。そして悪魔は笑みを浮かべ、そのまま背後にいた《軍》のプレイヤー達に斬馬刀を横薙ぎに振るおうとする。

 

 「だめ……だめよ……もう……。」

 

 アスナから絞り出すような声がした。細剣に手を掛け、前傾姿勢になり始めている。彼女を止めようと咄嗟に手を伸ばしたが、遅かった。

 

 「だめぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 絶叫を上げながらアスナは細剣を抜き放ち、駆け出した。彼女は二つ名の《閃光》のように一筋の光となって悪魔に突っ込む。

 

 「アスナ!」

 

 もう策を講じている時間は無い。俺もやむを得ず剣を抜き、アスナを追った。その後ろをシリカとクライン率いる《風林火山》のメンバーが追随する。

 アスナの光を纏った一撃が悪魔の背に直撃する。だが大したダメージは与えられていない。

 邪魔をされた悪魔は怒りの雄叫びを上げながら後ろに振り返り、斬馬刀を振るう。それを辛うじて回避したアスナだが、攻撃の余波を受けて地面に倒れ込んでしまった。そこに容赦なく連撃の次弾が襲い掛かる。

 

 「アスナァァァ!!」

 

 「アスナさん!!」

 

 俺とシリカは必死にアスナと斬馬刀の間に割り込み、その刃を受ける。だが、途方もない衝撃に二人がかりでも耐えることはできずに三人纏めて吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。

 更なる追撃を想定して直ぐ様立ち上がろうとしたが、体は言うことを聞かなかった。左上に見えるHPバーに目をやると、スタン状態を意味するアイコンが点滅している。それが俺が自由を奪っていた。

 シリカもアスナも同じくスタン状態になっており、悪魔の前で無防備な姿を晒している。それを見た悪魔は斬馬刀を構え、目にも見えない速度で俺達に向かって振り下ろした。その瞬間、小さな小さな影が俺達を庇うように立ち塞がる。

 

 「ピナ!?どうして!?」

 

 その影の正体はピナだった。数ヶ月前に相棒を失った時のことを思い出したのだろう、彼女の目からは大粒の涙が流れ出ている。

 斬馬刀がピナに迫る。その間は数メートル程しか残っていない。

 

 「ピナァァァ!!」

 

 シリカの叫びが響く。しかしピナに斬馬刀が届く直前に新たな影が現れた。ソーヤだ。彼は再び斬馬刀を素手で受け止める。しかし彼は片手で頭を押さえ、苦痛を堪える表情を浮かべていた。

 

 

 ◇◆◇

 

 頭が割れるように痛い。やはりこのスキルを正気を保った状態で扱うのは無理があるようだ。悲鳴を上げる頭を押さえながら、悪魔が振り下ろした斬馬刀を受け止める。今この時もそのスキルを使い続けていることによって脳に更なる負担が掛かり、痛みが増していく。

 ちらりと周囲に目を配る。後ろには俺を心配そうな眼差しで見るキリトとアスナ、そしてシリカとピナがいた。ざっと見る限りだが、スタンはあと数十秒で解除されそうだ。

 少し遠い場所ではクラインと《風林火山》のメンバーが、動けない《軍》のメンバーを担いで部屋の出口まで運んでいる。だがそのペースは非常に遅く、いつ狙われてもおかしくない。

 一通り状況を確認した俺はキリトに向かって口を開いた。

 

 「……キリト、隠しているモノを出せ。お前が何かを隠しているのはわかっているぞ。」

 

 「え?だけど……それはその……。」

 

 「だけどもクソも無い!このままだとキリト自身も、アスナも皆死ぬよ!それでも良いの!?出し惜しみして皆を巻き添えにして死んでも良いの!?」

 

 キリトにこうして怒りを露にしたのは、その時彼が抱えていた自己嫌悪の原因を聞き出した時以来だろうか。今回も、嘘の仮面を突き破って本当の俺が表に出てきてしまった。

 一瞬俺の剣幕に押されたキリトだが覚悟を決めたようで、強い眼差しを返してきた。スタンが切れて動くようになった体を立ち上がらせ、俺の隣に並んだ。

 

 「アスナ!ソーヤ!シリカ!十秒で良いから持ちこたえてくれ!!」

 

 そう叫んだキリトは俺が掴んでいた斬馬刀を弾き飛ばし、その隙にアスナとシリカと入れ替わる。そしてウィンドウを開いて操作を始めた。

 それを視界の端で見た俺は、悪魔を睨んでいるアスナとシリカの肩に手を置いて下がらせる。疑問の声を上げた二人に大丈夫だと言って半ば無理矢理に納得させ、俺は単独で悪魔と対峙する。

 キリトが隠していたことを明らかにするのならば、俺もそうせねばなるまい。俺もまた、彼と同じように隠していたことがあるのだから。

 眼前に立つ悪魔に殺意を芽生えさせて加速させ、獣に餌を与える。獣は絶えることの無い餌を延々と喰らい続け、俺の中で大きくなっていく。

 両眼に熱湯のような熱さを感じ始める。そろそろ良い頃だろう。俺は肥大化した殺意を獣と共に……解き放った。

 

 

 ◇◆◇

 

 「いいぞ!」

 

 キリトの声に背を向けながら頷いた少年は、光を纏わせた片手剣を斬馬刀目掛けて振るう。その一撃は火花を撒き散らしながら轟音を響かせ、少年と悪魔の間に隙間が生まれた。

 

 「スイッチ!!」

 

 その一瞬を見逃さずにキリトは生まれた隙間に身を踊らせて、悪魔の正面に飛び込む。彼の両手には、二振りの片手剣が握られていた。悪魔は攻撃の対象を少年から彼に切り替え、咆哮を上げながら大きく斬馬刀を振りかぶる。

 左上からの斬り下ろしを左手に持った新たな剣で弾き返そうとしたキリトだったが、その刃は突如ワープしたように現れた少年によって防がれる。

 驚愕の色を浮かべるキリトに少年は向き直った。赤く染まった少年の目が彼を捉える。しかし、少年の瞳からはもう狂気は放たれていなかった。

 

 「……斬馬刀ハ、俺ガ防グ。キリトハ、攻撃ダケニ専念シロ。俺達デ、アレヲ……コロスゾ。」

 

 「ああ、頼りにしてるぜ!ソーヤ!!」

 

 怒りがこもった叫びを上げながら、悪魔は再度上段からの斬り下ろしをキリトに向かって放つ。だがそれはまたしても瞬間移動で斬馬刀の前に現れた少年によって弾かれた。発生した強烈な衝撃に悪魔の体勢が崩れる。

 その隙を見逃すような少年達ではない。キリトは両手に持つ二振りの片手剣に光を纏わせ、少年は背後に円を描くように回転する武器から細剣を取り出して地を駆けながら光を宿す。

 

 「スターバースト……ストリーム……!!」

 

 「コロス……コロシテヤル……!!」

 

 キリトの二振りの剣が恐ろしい速度で振るわれる。右の剣で斬りつけ、直ぐ様左の剣を突き刺す。甲高い効果音が立て続けに唸り、残像を残す光が悪魔を斬り裂き続ける。

 少年の様々な武器があらゆる角度から牙を剥く。横薙ぎに振るわれた斬馬刀を細剣と衝突させたかと思えば、一瞬で背後に移動し、片手剣を振るう。少年が武器を持ち帰る度に、ギィンと特徴的な音が鳴る。

 二つの絶えない光の斬劇が悪魔の命を削り続ける。悪魔は怒りの咆哮を上げて斬馬刀を振るった。だが少年に全て阻まれ、その隙をついたキリトの斬劇と少年の追撃が更に悪魔の命を削る。それが何度も繰り返され……悪魔の命はあと僅かになった。

 

 「「……ぁぁぁぁぁぁああああああ!!」」

 

 二人の雄叫びと共に、最後の一撃が放たれる。キリトの右の剣は正面から悪魔の胸の中央を貫き、少年の両手剣は背後から同様の部分を貫いた。悪魔の命は刈り取られ、横に見えていた棒のようなものが黒く染まって消える。

 

 「グオォォォォォォ!!」

 

 悪魔は全身の穴という穴から噴気を洩らして絶叫し、こちらも最後の一撃だとばかりに斬馬刀を持ち上げて振るおうとした。だがシステムの命令には逆らえずに、全身をポリゴン片へと変える。

 そして光の粒の雨を受けながら、少年とキリトは糸が切れた人形のようにその場に倒れた。

 

 

 ◇◆◇

 

 未だに熱が残る両眼に何か冷たい液体が落ちてきた。それはポトリ、ポトリと一定の間隔で落ちてくる。それは曖昧になっている俺の意識を呼び覚ました。閉じていた瞼を開くと、視界いっぱいに涙を流しているシリカの顔が写った。

 鉛だと勘違いしてしまいそうな程に重い右手をよろよろと持ち上げ、シリカの頬を流れる涙を拭ってやる。すると彼女は更に涙を流し、その表情を隠すように俺の胸に顔を埋める。横を見れば、キリトもアスナに同じようなことをされていた。 

 シリカの肩から飛び上がったピナが俺の頭の上に降り立って、これ見よがしにため息をつく。まるで何をやっているんだと言われているようだった。

 肩を震わせるシリカを落ち着かせるように優しく撫でていると、気配が一つ近づく。目を向けた先にはクラインがいた。

 

 「生き残った《軍》の連中は回復できたが、死んだ奴がコーバッツを除いて二人いた……。」

 

 「……そうか。あのクズ野郎の他にも、二人死んでいたか……。」

 

 遠慮がちに掛けられたクラインの言葉に、俺は淡々とした口調で返した。重苦しい雰囲気が場を支配する。彼の言葉で俺がクズ野郎を殺したことを思い出したが、特に後悔のような感情は感じなかった。俺にはもうシリカ達のような人間の感情は残っていない。命をただのモノと捉え、それを壊すことを厭わない怪物だ。

 クラインは吐き出すように何か言った後、重い気分を切り替えるように訊いてきた。

 

 「それはそうと……ソーヤにキリトよぉ、さっきのは何なんだ!?」

 

 「言わなきゃダメか?」

 

 「当たりめぇだキリト!見たことねぇぞあんなの!」

 

 キリトとクラインのやり取りを耳にしながら周囲に目を配ると、皆の視線が俺とキリトに集中していた。全員が沈黙して俺達が口を開くのを待っている。

 その視線をキリトも感じたのか、観念したようにため息をついた。

 

 「……はぁ。エクストラスキルの《二刀流》だよ。いつの間にかスキルリストに出現していたんだ。」

 

 「……同じくエクストラスキル《創造》。時期的にはシリカと出会う少し前、つまり約半年前になる。出現条件は不明だ。」

 

 どよめきが《軍》の連中と《風林火山》のメンバーから流れる。だが何処かに疑問を感じたのか、クラインが首を傾げた。

 

 「ソーヤ……おめぇの《創造》だっけか?そのスキルって一体どういうことだ?」

 

 「……一言で言えば、ただ武器を創ることができるだけだ。それも一回攻撃すれば折れてしまうもの限定。それなのに、大きさなどを具体的に決めなければ形にならない。だから脳への負担が大きく、正気だと少しだけしか使えない。……こんな感じに、キリトの《二刀流》とは違って欠陥だらけのスキルだ。これでいいか?」

 

 「え……それじゃ、さっきのワープしながらソードスキルを連発していたのは……?」

 

 「……それは《スキルキャンセラー》と《ゼロモーションシフト》だ。と言っても、俺が勝手に呼んでいるだけだが。」

 

 《ゼロモーションシフト》。俺が獣に喰われてから使えるようになった行動のことだ。何の行動も無しに任意の場所に瞬間移動できるというものだが、脳の負担が大きすぎてこれも正気では使えない。先程の俺の動きをするには、獣に身を委ねねばならないのだ。

 

 「ソーヤ……お前は相変わらず規格外だ。流石、存在すら不明のプレイヤー《鬼神》様だな。」

 

 キリトの声に俺を除く全員が首を縦に振った。しかしクズババアの時に知ったことなのだが、俺は存在不明のプレイヤーらしい。確かに誰かと深く関わることはないことに加え、シリカと出会うまで基本一人で行動していたからそうなるのも仕方ないのかもしれない。

 

 「……まぁとにかく、そんなすんげぇスキルがバレちまったんだ。これから大変だろうが頑張りたまえ、ソーヤ君にキリト君。」

 

 「他人事だと思って……!」

 

 俺達の肩をポンと叩いたクラインは、キリトのぼやき声を華麗に無視して《軍》の生き残った連中の方へと歩いていく。そこで多少の会話をした後、《軍》の連中は次々と俺達に深々とお辞儀をして皆この部屋から出ていった。

 転移の光を見送り終えたクラインがさて、というような感じで腰を下ろした。そして彼の目は俺をしっかりと捉えている。更に彼の雰囲気がだんだんと変わっていき、気づいた頃には張り詰めた空気が静寂に変わってこの場を支配していた。

 クラインの目からは心配に怒り、その他諸々の感情が入り交じっていることがわかる。その目には見覚えがあった。俺が包丁を片手に持って帰って来た日の夜、今はもう会えない両親が何があったのかを俺に聞いた時の目と同じなのだ。

 そしてクラインが今までにない程に真剣な眼差しを俺に向けたまま、口を開いた。

 

 「ソーヤ、おめぇは過去に何があった?どうして人を躊躇なく殺してしまうようになっちまったんだ?話すのは辛いかもしれねぇけどよ、俺達に話してくれねぇか。」



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第十四話 獣が生まれた日

 今回はおそらくですが、今までで一番残酷な描写が多いかと思われます。


◇◆◇

 

 「…………。」

 

 静寂が支配するボス部屋の床に腰を下ろし、子を見る親のような目をして俺と向かい合っているクラインを無言で睨む。シリカを撫でていた手を動かし、背負い直した両手槍の《デスクロス》に触れる。

 シリカ以外の人間と関わる際には、必ず疑心が付きまとう。信じても良いのかと疑いを抱いてしまう。今だってそうだ。端から見ればクラインは俺のことを心配していると思うだろうが、本当に彼は心配をしているのだろうかと疑ってしまう。

 加えて、俺は自分の過去などを聞き出そうとするような台詞には敏感だ。今まで受けた裏切りの中で一番多かったパターンは俺の過去を聞き出し、同情したかのように見せかけるものだった。

 故に、今まさに俺の過去を聞き出そうとしているクラインには疑いが深くなって警戒心が増す。言葉巧みに俺の過去を聞き出し、それをネタにしていじめてくる餓鬼と同じなのではないかと思ってしまう。

 何も言い出さない俺を迷っていると思ったのだろうか、クラインは言葉を重ねる。

 

 「やっぱりそう簡単には話せねぇよな……。でもよ、此処にいるのはおめぇを心配しているイイ奴らばっかりしかいねぇ。だから、安心して何があったのか話してくれないか。」

 

 「……口だけなら何とでも言える。いくら耳障りの良い言葉を並べたところで意味はない。」

 

 《デスクロス》を握る手に力がこもる。クラインの姿が少しずつぶれていき、かつて俺をいじめた餓鬼の姿に変わった。本心を隠す作られた笑みを張り付け、俺から得た信用を弄ぶ餓鬼だ。

 自然と殺意が芽生える。例え以前に関わりがあったとしても、俺は殺すことを躊躇うことはない。殺意が芽生えたのなら確実に殺す。それが今の半人半獣となった俺だ。俺は《デスクロス》を引き抜こうと、握る手に力を込める。

 だが、俺の手は何かによって優しく包み込まれる感触を感じた。目を向ければそれはシリカの手だった。彼女は埋めていた顔を上げ、俺を見つめている。もう涙は流れていなかった。

 

 「ソーヤさん、疑わなくても大丈夫ですよ。キリトさんも、アスナさんも、クラインさんとその仲間の人達だってソーヤさんを心配しているだけです。裏切ろうなんて考えていません。」

 

 「きゅるるる。」

 

 シリカの言葉に賛同するようにピナが鳴いた。芽生えた殺意が霧散していく。俺は《デスクロス》から手を離し、此処にいる者達を見やる。

 横を見ればキリトとアスナがいた。俺の視線に気づくとキリトは小さく頷き、アスナは柔和な笑顔を浮かべる。

 前を見ればクラインと彼のギルド《風林火山》のメンバーがいた。彼らは俺に向かって右手の親指を立てて突き出す。

 下を見ればシリカと彼女の相棒のピナがいた。シリカは俺の手を握る力を強め、ピナは俺達の重なった手の上に降り立って俺を見つめる。

 皆の反応はどれも心からのもので、決して作られたものではなかった。その事実が俺の背中を強く押す。そして俺はシリカに過去を話したあの夜のように疑いを抱く自分を隅に追いやり、口を開く。

 

 「……お前らのこと、信じていいんだな?俺の過去を聞いても裏切らないんだな?」

 

 俺の言葉にキリトが「当たり前だ。」と言い、アスナが頷き、クラインとギルド《風林火山》のメンバーが「応ッ!」と返事をした。

 彼らは俺のことを裏切らないと言ってくれた。後は俺が話すだけだ。隅に追いやられてもなお、疑いの声を上げる自分を叩き潰して嘘で固められた仮面を外す。

 

 「それじゃあ、今からはこっちの俺で話させてもらうよ。一応シリカにだけは話したんだけど、俺が人殺しに躊躇が無くなった……もとい獣が生まれたのはある日の夜に起きた出来事が原因なんだ。あの日は綺麗な満月が浮かんでいたっけな。」

 

 

 ◇◆◇

 

 『今夜、近くにある河川敷に来い。』

 

 そう簡潔に書かれた紙屑がポストに入っていたことに気づいたのは昼頃、気分転換に外の空気を吸おうと思った時だった。

 俺はため息をつきながらその紙屑をゴミ箱に捨てる。気分転換はできたが、最悪の気分になってしまった。考えたくもないことを嫌でも考えてしまう。思い出したくないことが嫌でも思い出されてしまう。

 元々の性格であった本当の俺は小学校に入学してすぐに鳴りを潜めた。平均身長より少し高かったことを理由にいじめられたことから始まり、それから五年が経った今でも色々と難癖をつけられていじめを受けている。そのせいで俺は嘘の仮面を張り付け、嘘の俺を演じるようになってしまった。

 

 「……面倒臭いな。でも行かないともっと面倒なことになるか。」

 

 独り言を呟き、誰もいない家へと戻る。今日は母親も父親の手伝いでいない。帰ってくるのは夜になると言っていた筈だ。

 両親は一時期ニュースに出るほどの有名人だったらしく、その腕を買った《アーガス》とやらに今は勤めているそうだ。もしかすると、これもまたいじめられる一つの材料なのかもしれない。

 面倒事を終わらせた俺が先か、父親の手伝いを終えた母親が帰ってくるのが先か。もし母親の方が先ならば、何があったのか根掘り葉掘り聞かれるだろう。母親は少しばかり過保護なのだ。できればさっさと終わらせて先に帰っておきたい。

 ……まぁそうなったらその時か。母親にこれ以上過保護にならない程度に説明するとしよう。そうしよう。

 そう決めた俺は家に戻って日が落ち始めるまで時間を潰し、近くにある河川敷に向かった。

 

 「よぉ。来てくれたんだな、新原くんよぉ。」

 

 「呼んでおいてその言葉はどうなんだ、餓鬼?」

 

 「相変わらず口だけは達者だな……ムカつくぜ。その生意気な態度がウゼェんだよ!」

 

 河川敷にはざっと見て百人いるかどうかの人間がいた。中には中学生と思われる者もいる。その人間達は河川敷に入ってきた俺を取り囲み、逃げられないようにしていた。

 通常の小学五年生がこんな状況に陥ると、恐怖のあまりに泣き出してしまうだろう。だが俺は面倒臭くため息をつく。数で恐怖を与えようとするようないじめはもう慣れてしまった。

 その態度が気に入らなかったのだろう、餓鬼のリーダーは爪を噛んでいた。

 

 「で、何の用だ。俺はさっさと帰りたいのだが。」

 

 「ああ、俺はもうお前に対するストレスが爆発しそうなんだよ……。いじめても大した反応を見せないお前がウザくて仕方がねぇんだよ!だから……生意気なお前に現実を見せることにした。」

 

 そう言って餓鬼のリーダーはあるものを取り出す。それは河川敷に差す月明かりを反射して妖しく光った。

 

 「ほーら、包丁だぞー?切られると痛てぇぞぉー?」

 

 「で?その包丁がどうかしたか?」

 

 なんでもない風を装ってニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべている餓鬼のリーダーを見る。こういう場合、怯えた姿を見せてはいけない。そこにつけこんで嫌らしくいじめてくるからだ。

 正直なところを言うのならば、怖い。いくら大人びていると言われる俺でもまだ小学生。自身を容易く傷つけることができる刃物を突きつけられて怖くない訳がないのだ。

 

 「……チッ!その面がムカつくって言ってんだよ!野郎共、新原をボコボコにしてやれ!!」

 

 餓鬼のリーダーがそう叫ぶと、取り囲んでいた約百人の人間が次々と俺に襲いかかってきた。その中に奴も混じっており、隙あらば切りつけてやろうという算段なのだろう。

 左後ろから飛んできた拳を避けつつ、前に立つ男の股間目掛けて思いっきり殴りつける。声にならない奇声を上げて悶絶している隙にその横を通り過ぎた。だが俺を取り囲む人間の数は約百人もいる。瞬く間に行く手を遮られた。

 そして再び行く手を塞ぐ人間に意識を向けていると、背後から餓鬼のリーダーの気配を感じとる。直ぐ様振り返ると、奴は包丁を振り下ろそうとしていた。

 それを避けようとしたのだが……突如、低く恐ろしい声が聞こえた。

 

 (……コロス……コロスコロスコロス。)

 

 俺は一度離れたはずの包丁の軌道に戻り、迫りくる包丁を躊躇いなく掴んだ。掌に刺すような鋭い痛みが駆け巡る。

 

 「……え?」

 

 その声を発したのは餓鬼のリーダーか、俺を取り囲む人間か、はたまた俺自身か。包丁から滴った俺の血がポトリと河川敷に落ちる。

 

 (……コロシテヤル……コロス……コロシテヤル。)

 

 また低い声が聞こえた。その瞬間、自然と意識が遠退き始める。そしてものの数秒で俺の意識は闇へと消えていった。

 

 

 それから気がついた俺が見たものは、今までの威勢など見る影もない格好で震えている餓鬼のリーダーだった。まるで何かに怯えるように震え、頬を大量の涙が流れている。

 一体何があったのかと少しだけ思考を巡らせていると、手に何かを握っている感触を感じた。此処に来る時には何も持っていなかったはずだが……そう思いながら視線を下に向けた俺は目を見開いた。

 俺の手には、幾多の血で赤く染まった包丁が握られていたのだ。さらにその包丁を持つ手でけでなく、腕も返り血を浴びて赤い。

 もう一つの手に目を向ければ、誰かの手首から切断された手を持っていた。その手からは止まること無く血が流れ出ており、俺が立っている場所に血の池を作り出している。

 

 「……お、おい新原……な、何をやったのか……わか、っているのか……?」

 

 「……ああ、俺を取り囲んでいた人間を全員切りつけたんだろ?さっきわかった。一気に記憶が流れ込んできて今は頭が痛いけどな。」

 

 特に気にも止めないような感じの返事をされた餓鬼のリーダーは、俺のことをバケモノを見るような目で見てきた。俺自身、奴の反応は妥当なものだと思う。

 意識を取り戻して俺がしたことを理解したはずなのだが、そのことに対する罪悪感などの感情は一切感じなかった。それどころか、そうなって当然だと思ってしまった。そう、まるで常識や価値観などが一部分書き換えられたような感覚なのだ。

 俺は餓鬼のリーダーに向かって一歩踏み出す。靴の中に血が流れ込むが、そんな事はどうでもいい。今は、奴を殺すことに集中すればいい。

 書き換えられたのは常識や価値観だけではなかった。あの低い声は、俺の殺意を抑える術を書き換えていたのだ。故に俺は今、芽生えた殺意を抑えることは不可能。思考が殺意に乗っ取られる。

 

 「ひっ……来るな!来るなぁぁぁ!!」

 

 餓鬼のリーダーは恐怖に顔を歪めながら俺に背を向けて逃げ出す。だがその速度は遅く、俺が少し走っただけで直ぐに追い付いた。包丁が届く距離にまで近付くと、無防備な背中を切りつける。噴水のような勢いで溢れた血が、俺の顔を真っ赤に染めた。

 誰かの手首を投げ捨て、動きが鈍った奴の首を掴んで地面に叩きつける。そのまま上に馬乗りになり、逃げられないように固定した。

 逃げることができなくなった餓鬼のリーダーは首だけを動かし、鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった顔で情けない声で助けを求めてきた。

 

 「た……助けて……新原……。いじめた……ことは……謝るからさぁ……。何でも……する……からさぁ……。」

 

 「……何でもする?そう言ったな?」

 

 「……うん……だから……助けt」

 

 餓鬼のリーダーが何かを言い終わる前に逆手に持った包丁を腕に突き刺す。その強烈な痛みに堪えられなくなったのだろうか、奴は白目を剥いて気を失ってしまった。

 これまでに奴が俺にしたいじめはどれも下手すると死んでいた程に酷いものだった。だから殺そうとも思ったが、両親に面倒がかかることになりそうなので殺さなかった。決して、命を奪うことに恐怖を抱いたわけではない。

 

 「……これはどうやっても隠せないな……。母さん、また過保護になりそうだなぁ……。」

 

 俺のことを溺愛している母親のことを思い、そんな事を呟きながら立ち上がる。そしておぼつかない足取りで赤く染まった河川敷を後にした。

 

 

 ◇◆◇

 

 「……とまぁ、こんなところかな。その日から俺は人殺しを厭わないバケモノになった。加えてこの世界に来てから何人も人を殺した。その上でもう一度聞くよ……こんな俺を裏切らないでくれるのか?」

 

 ボス部屋を重い空気が包み込んでいた。まるで両肩に重りがついたような感じがする。アスナも、クラインも、《風林火山》のメンバーも口をつぐんだまま動こうとしない。

 予想以上に聞いてて苦しい話だったのだろう。そりゃそうだ、誰が辛い過去の話と聞いて直ぐにそれが血生臭いものだと考えるだろうか。

 もはや何度目かもわからない静寂が支配するなか、キリトが普段の様子からは想像もつかない弱々しい声で呟いた。

 

 「俺も、人を殺したことがある。ソーヤと同じく、この世界で。」

 

 「……ラフコフの討伐戦か。」

 

 俺の言葉にキリトは力なく頷いた。それと同時に彼の体が一瞬震える。

 この世界で殺すことを快楽とした人間が集まった唯一のレッドギルド《ラフィン・コフィン》。奴らはシステムの抜け穴を突いて様々な手口を編み出しては、殺人を繰り返した。

 そしてその行動が目に余るということで、大規模な討伐パーティーが組まれ、苦労して見つけた奴らのアジトに奇襲を仕掛けたそうだ。中で何があったのかは知らないが、一応壊滅させることができたらしい。『らしい』というのは、あくまでも噂でしか知らないからだ。

 皆の視線が集中するなか、当時のことを思い出したのだろう、キリトの体が恐怖で再び震える。その体をアスナに支えられ、多少落ち着いた彼は大きく息を吸い、長く吐いてから静かにその先を口にした。

 

 「色々あって俺達討伐隊とラフコフのメンバーはすごい混戦状態になった。その中で……俺は二人殺した。止めようと思えば、剣は止められた。だけど、俺は奴らに対する怒りと殺されるかもしれないという恐怖のままにその剣を止めることはしなかった。

 詰まるところ、俺もソーヤと同じバケモノさ。どんな形であれ、人を殺した事実は変わらない。だから、俺は……」

 

 「もういい。それ以上話すと、キリトの精神に負担がかかっちゃうから。お前が俺のことを裏切らないということは十分にわかったからもう無理しないで。」

 

 「……ありがとよ。そういや、二年前にもこんな会話をしたっけな。まぁそれは置いておいて、此処にいるアスナも、クラインも、《風林火山》の連中もこの事を知っている。その上で俺をこうして信頼してくれている。そんな皆が、ソーヤのことを裏切ると思うか?」

 

 もう一度、此処にいる者達を見やる。俺の視線を受けた皆は揃って力強く頷いた。誰一人、俺を裏切ろうという者はいなかった。その事を知った瞬間、涙が一滴頬を伝う。本当の俺は泣き虫なのだ。

 だがこれ以上みっともない姿を見せたくはない。俺は涙を拭い、新たにできた友達に向き直る。

 

 「……こんな俺だけど、これから友達としてよろしくお願いします。」

 

 そう言った俺の顔にはシリカに過去を話した時と同じく、心からの笑顔が浮かんでいた。俺は今日、本当の俺で接することのできる人達をこんなにも多く手に入れることができた。その事が抑えていた涙のダムを決壊させる。我ながら本当に泣き虫である。

 するとシリカがその涙を拭った。彼女は今のことを自分のように喜んでいる様子だ。一瞬だけ彼女が母親の姿と重なり、改めて彼女の暖かさを感じさせられる。

 そうしてシリカの暖かさに浸っていると、クラインが「よっこらせ」という声と共に立ち上がった。

 

 「俺達はこれから七十五層の転移門をアクティベートしてから帰るが、お前らはどうするんだ?」

 

 「すまないけど任せてもいいかな?正直なところまだスキルの反動で頭が痛いし、倦怠感も抜けきれていないからさ。」

 

 「任せるよ。もうヘトヘトで動けない。」

 

 「そうか。……帰りは気をつけろよ。」

 

 クラインは仲間に合図をして《風林火山》のメンバーを立ち上がらせると、次の層に繋がる階段へと歩いていく。だが彼は何かを思い出したかのように、俺の方に振り向いた。

 

 「あの……ソーヤ。無理にあんな辛い過去を思い出させてしまって悪かったな。言い訳になるが、あんだけ壮絶なものだとは思わなかったからさ、半ば無理矢理な感じにしちまった。」

 

 「別に構わないよ。その過去を話した結果、こうして沢山の友達ができたんだから。」

 

 「そう言ってもらえると救われるぜ……んじゃ、またな。」

 

 そう言い残してクラインと《風林火山》のメンバーは階段を登っていき、直ぐに見えなくなってしまった。

 何十人も余裕で入れる広さのボス部屋に、俺達四人だけが残された。あの激闘の痕跡など一切見当たらず、柔らかい光が満たされているだけだ。

 ちらりと横に目を動かすと、暫く離れそうにない程にキリトに抱きついたまま、彼のコートを強く掴んでいるアスナがいた。

 アスナは沸き出る恐怖を必死に抑えようとしている。だが、それがもう限界に近いことは火を見るよりも明らかだ。今の彼女をどうにかできるのはキリトだけだろう。

 それに、どうやらアスナはキリトに対して恋心を抱いているようだ。俺とシリカは邪魔になるだろう。こういう時は二人っきりにした方が良い。それぐらい少し考えればわかることだ。

 

 「それじゃあ、俺達もそろそろ帰るとするよ。シリカ、悪いけどまだ頭が痛むから手伝ってくれない?」

 

 俺の言葉に疑問符を浮かべるシリカに、目でキリト達を指し示す。それを見た彼女は直ぐに理解したのか、俺の手を引っ張って立ち上がらせる。その手の上に乗っていたピナは俺の頭に移動した。

 シリカは俺に片思いしていた時期があった。だから今アスナが抱いている恋心を容易く見抜いたのかもしれない。

 

 「キリトさん、アスナさん、今日はお世話になりました。また会えることを楽しみにしています。」

 

 「ああ、シリカ達も元気でな。またな!」

 

 俺達はボス部屋を後にして、結晶無効空間から出ると転移結晶を一つポーチから取り出した。そして空いている手をシリカの手と繋ぐ。

 こうすれば、一つの転移結晶だけで二人纏めて転移することが可能となる。始めは少し恥ずかしかったが、今では慣れたものだ。

 ボイスコマンドを入力すると、持っていた結晶が砕け散った。俺達の体を青い光の柱が包んでいくなか、シリカの両眼が俺を見つめる。

 

 「ソーヤさん、キリトさん達を信頼できるようになって良かったですね。」

 

 「うん……シリカのおかげだよ。俺の背中を押してくれてありがとう。」

 

 そうシリカに感謝を伝えた瞬間、体を包んでいる光が一際強く輝いて俺達は居住区へと飛ばされた。



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第十五話 思い出した過去、見抜いた正体

 今回、駆け足で書いたものなので誤字、脱字があるかと思われます。よければご報告していただけると幸いです。


◇◆◇

 

 複雑に入り組んだ《アルゲード》の街をまるで自分の庭のように迷うことなく進む。初めはよく迷子になったこの道も、今では慣れたものだ。

 目まぐるしく変わる景色に混乱を隠しきれていないシリカの手を引き、俺は昨日手に入れたアイテムを買い取ってもらうべく、行きつけの買い取り屋へと向かう。

 

 「エギル、来たよ。」

 

 「買い取りよろしくお願いします、エギルさん!……ってあれ?いませんね。外出中でしょうか?」

 

 「きゅるるる?」

 

 耳障りのいい鈴の音を響かせながら店に入るが、あの厳つい外見をした巨漢の姿は何処にも見当たらなかった。その事に疑問を感じたシリカはピナと揃って首を傾げる。

 いつもならこの時間帯はカウンターにいて、訪れた様々なプレイヤーと商談をしているはずなのだが……一体何があったのだろうか。

 原因を突き止めようと思考を巡らせたが、今ある情報が少ないどころかほぼ無い為、諦めた。いないならまた来ようと思ったが、二つの気配を感じ取る。そのうちの一つは間違いなくエギルのものだ。

 

 「いや、上にいるみたい。呼びに行こうか。」

 

 「え?待ってても良いんじゃないんですか?」

 

 「そうしたいんだけど、今の俺のストレージの状態じゃ攻略にも行けないからね。買い取ってもらうか捨てるかしないと。」

 

 「捨てるのは勿体ないですね……もしかしたら、高く売れるアイテムもあるかもしれませんし。それに、早くソーヤさんと攻略にも行きたいです。少し失礼かもしれませんが、呼びに行きましょう。」

 

 いつもエギルが立っているカウンターの脇にある階段を登って二階へと上がる。そして俺達を出迎えたのは……光輝きながら恐ろしい勢いで飛来してくるマグカップだった。

 

 「エギルさん、買い取りをおねg……きゃあ!!」

 

 咄嗟にシリカを抱き寄せ、マグカップの直撃コースから回避させる。俺の真横を通過したマグカップは壁に激突すると《Immoral Object》と表示されたシステムタグと共に大音響を撒き散らし、粉々に砕け散った。

 マグカップが飛んできた方に目を向けると、顔を青くしたエギルとキリトがいた。二人並んで両手を上げ、恐怖に震えている。

 

 「あ、あのなソーヤ。これはわざとやったんじゃなくて、その、エギルが『有名人になったんだから講演会でも開いてみろ』なんて言うから……。」

 

 「そ、それでも投剣スキルはやりすぎだろ!ソーヤ、頼む。い、命だけは助けてくれ……。できるだけアイテムは高く買い取るからさ……。」

 

 「別に良いよ。何の被害もなかったからさ。」

 

 殺されるかもしれないとでも思ったいたのであろう、キリトとエギルはその言葉を聞いたとたんに大きく息を吐き出して安堵する。その様子がおかしくて笑ってしまった。

 こんな些細なことで笑える本当の俺でいられるようにしてくれ、俺を孤独から解き放ってくれたのはシリカだ。彼女がいなければ、俺は心から信頼できる人間……母親の言っていた友達と出会うことは不可能だったに違いない。だから彼女には愛だけでなく、感謝の念も抱いている。

 そんな事を考えながら、俺は腕の中にいるシリカの顔を覗き込む。彼女は急に抱き寄せられたことで顔を赤らめ、目を渦巻きにしながら気絶していた。

 後で謝って何か奢ってやろうと少しばかり内心で反省しながらシリカをソファーに寝かせ、その横に腰を下ろす。

 するとシリカの近くを飛んでいたピナが突然キリトの方へと向かう。よく見れば、その瞳には怒りの炎が灯っていた。

 

 「ん?ピナ、いきなりどうしたんだ?」

 

 「きゅるるる!!」

 

 「うおっ!あちちち!!ピナ、熱いって!!頼むから止めてくれ!助けてくれ!!」

 

 キリトの助けを求める声を無視し、ピナは《圏内》でHPが減少しないシステムをいいことに灼熱のブレスを浴びせ続ける。ご主人を危険な目に遭わせたことに相当ご立腹のようだ。クラインの時も思ったが、いささか過激が過ぎるのではないだろうか。

 怒れるピナから逃げ回るキリトを視界の端に写しながら、昨日手に入れたアイテムをエギルに買い取ってもらう。時々奇声を上げていたところを見るに、なかなかレアなアイテムもあったようだ。

 そしてその奇声でシリカが目を覚まし、慌ててピナを止めさせるとキリトに何度も頭を下げた。怒り心頭だったピナもご主人の言葉には逆らえず、彼を睨み付けながら彼女の頭に降りる。

 

 「そういえばキリト、さっき言ってた『有名人になった』てどういうこと?元々、《黒の剣士》として有名だったでしょ?」

 

 「確かにそうです。このアインクラッドで、キリトさんのことを知らないプレイヤーの方が少ないはずです。一体どういうことですか?」

 

 ソファーに並んで座りながら疑問を口にした俺とシリカに、キリトとエギルは呆れたようにため息をつき、一枚の紙を手渡してきた。それを受け取り、シリカと一緒に目を通す。

 

 『《鬼神》と呼ばれたプレイヤーは存在した!《軍》を壊滅させた悪魔を《黒の剣士》と共にたった二人で討伐!!』

 

 紙の見出しにはそう書かれていた。更に細かいところに目を向ければ、『《黒の剣士》の二刀流五十連撃』や『《鬼神》の瞬間移動と硬直無しソードスキル』等々……尾ひれが付いた情報が載せられている。いや、俺の情報は一応事実か。

 要はこれが原因で、キリトは更に有名になってしまったのだろう。俺に関しては、存在が明らかになった程度だが。

 さらに、この紙がアインクラッド中にばらまかれたせいで、キリトのホームには早朝から情報屋やら剣士やらが押し掛けて来たらしく、貴重な転移結晶を使ってしまったそうだ。

 キリトがそんな状況になっていたことを知り、今頃多くのプレイヤーが血眼になって俺を探している様子が容易に想像できてしまった。

 妬みなどの負の感情は、稀に正の感情よりも強い動力源になることがある。当分の間はいつも以上に周囲の気配に気を配らねばならないかもしれない。

 そうしてこれからの行動を考えていると、トントンと階段を駆け登る足音が耳に入った。アスナだろう。昨日手に入れたアイテムの売り上げを山分けしようとキリトが呼んでいたらしい。

 

 「よ、アスナ……。」

 

 キリトは扉を勢いよく開いて飛び込んできたアスナの様子を見たとたん、続きの言葉を呑み込む。彼女は顔を蒼白にし、不安そうに見開いた目を俺達に向けながら泣き出しそうになるような声を出した。

 

 「どうしよう……大変なことに……なっちゃった……。」

 

 

 ◇◆◇

 

 「……此処が、第五十五層の街の《グランザム》ですか……。何か寒くて嫌な感じです……。」

 

 「……それは同意見だよ、シリカ。しかし、何で俺まで巻き込まれるの……。」

 

 「そう言わないでくれよ、ソーヤ。愚痴ならあの意味不明な条件を提示したヒースクリフに言ってくれ。」

 

 転移を終えるなり愚痴を溢した俺をキリトがたしなめる。こうして俺達がエギルの店を出て、第五十五層にいるのには理由がある。それは、あの後にアスナが話した内容が原因だった。

 顔面を蒼白にしながらエギルの店の二階に入ってきたアスナは「団長が、『私の一時脱退を認めるにはキリト君とソーヤ君の二人と立ち会うことを条件とする』と言っている」と口にした。

 当然その事が理解できなかった俺達はアスナに疑問をぶつけたが「私にもわからない」と首を振った。

 するとキリトがアスナを安心させるためか、自分が直談判すると言い、条件に含まれている俺も来てくれないかと頼んできた。そしてそれを聞いたシリカも付いていくと言い出して今に至る。

 転移門の広場を横切って磨き抜かれた鉄の道を進むこと約十分。眼前に他よりも一際高い塔が現れた。

 巨大な扉の上から如何にも騎士団のようなデザインの旗が垂れ下がっている。此処が攻略組の中でも上位に数えられるギルド《血盟騎士団》の本部であることは明白だった。

 大扉をくぐり、装飾がやたら豪華な床を歩き、段数を数えるのも億劫な程に高い螺旋階段を登る。幾つもの扉の前を通りすぎ、先頭を歩いていたアスナがある扉の前で止まった。

 

 「此処が……?」

 

 「そう、団長がいる部屋……。」

 

 アスナはキリトの問いに気乗りしない様子で頷いた。だが、意を決したように右手で扉をノックすると返事を待たずに開け放つ。中から差した強烈な光に俺は目を細めた。

 中は壁が全てガラス張りになった円形の部屋で、中央に置かれた半円形の机の向こうに五人の人間が座っていた。その中央にいる人間が、恐らく俺達を呼びつけたヒースクリフだろう。

 

 「よく来てくれたね、キリト君にソーヤ君。そして彼女は……。」

 

 ヒースクリフの不思議な真鍮色の瞳がシリカを捉えた。その目から発せられる威圧感に、彼女は気圧されてしまい体を硬直させる。俺は彼女の肩に手を置いて、前に立つ。

 

 「彼女は俺の大切な人だ。別にいても良いだろう?それと、俺達を呼びつけた理由は何だ?アスナの脱退に俺達が関わる必要性が見えないんだが。」

 

 俺のその態度に怒りを覚えたのか、ある一人が血相を変えて立ち上がろうとした。しかしその人間に殺意を込めた目で睨み付け、黙らせる。

 

 「いや、必要性は十分にある。トップギルドと言われる私達だが、いつも戦力はギリギリでね。……それなのに君達は我がギルドの主力プレイヤーを引き抜こうとしている。これだけで十分なのではないかね?」

 

 ヒースクリフの強烈な磁力を放出する視線を正面から受ける。その瞬間に、どこか引っ掛かりを覚えた。このデスゲームが始まったあの日に感じた感覚と同じなのだ。

 そしてその引っ掛かりは俺にこう告げた。『彼とは以前に出会い、あの視線を受けたことがある』と。

 机の上で骨ばった両手を組み合わせているヒースクリフを見つめる。学者然とした、削いだように尖った顔だちをしている彼。記憶を漁ったが、そのような人間とは出会ったことはなかった。

 この世界での顔はそのまま現実と同じのはずだ。出会ったことが無いのなら、確実に俺とヒースクリフは現実世界も含めて初対面になる。なのだが、彼が持つ金属的な瞳が俺に既視感を覚えさせ、引っ掛かりを生み出している。

 

 「……無言は肯定と受け取る。さて、我々としてはサブリーダーを引き抜かれて、はいそうですかという訳にはいかない。キリト君、ソーヤ君……」

 

 金属の光沢を放つヒースクリフの両眼から、強い意思の力が噴き上げている。その瞬間、俺の脳にある一つの記憶が書物を紐解くように蘇った。それは俺が現実世界で出会った、両親とは仕事の関係にあたる一人の大人との記憶だ。

 もしヒースクリフが『彼』ならば、初対面のように感じたことにも納得がいく。顔が現実とは異なっていた為にそう感じたのだ。

 しかし顔が変わっていたとしても、その金属的な瞳と心の奥底に隠しているゲーマー魂は『彼』に似ているどころか全く同じだ。点が線になった瞬間だった。

 

 「欲しければその《二刀流》で、その圧倒的な力で、私から奪ってみたまえ。私と戦ってどちらかが勝ったのなら、アスナ君を連れていくがいい。だが、二人とも敗北したのなら君達には《血盟騎士団》に入ってもらうとしよう。」

 

 「俺はお断りだ。」

 

 俺は即座に拒絶の意を示した。皆の視線が集中していることを全身で感じながらも、俺はヒースクリフ……もとい『彼』だけを見つめて口を開いた。

 

 「それならば、戦うのはキリトだけで十分だ。アスナがギルド一時脱退を望んだ理由は彼とパーティーを暫く組みたいからで、俺は彼の友人に過ぎない。加えて、此処に来ると決めたのはキリトだ。」

 

 俺はキリトに視線を移す。顔にでかでかと『剣で語れというのなら望むところだ』と書いていた彼は強く頷いた。

 視線を『彼』に戻し、言葉を続ける。

 

 「それに俺は昔に色々あって、他人の感情を読み取ることに長けてしまった。だから、今あんたが隠している『戦いたい』という欲求にも気づいている。あんたはただ純粋に俺達と戦いたいが為にこの状況を利用して、戦う口実を作った。違うか?」

 

 「黙れ!団長がそんな事を考えておられる筈が……」

 

 そう叫びながら立ち上がり、剣の柄に手を掛けた別の一人を手で制したヒースクリフは、ひたとこちらを見据える。

 金属的な瞳の中に、何かに気づいたような感情が新しく追加されていた。『彼』もまた、俺が何者なのかを理解したようだ。

 

 「いやはや、これ程的確に考えていたことを言い当てられたことは久々だ。確かに私はこの剣の世界での戦闘に魅入られた。だから今朝、君達のことを知った時には戦いたいと思ったよ。そしてキリト君……」

 

 ヒースクリフの視線が俺からキリトに移る。

 

 「君は私からの挑戦状を受け取った。今さら、止めるとは言わないな?」

 

 「当たり前です。デュエルで決着をつけましょう。」

 

 キリトが敬語になっていたことはさておき、彼の回答に満足げに頷いたヒースクリフは再び視線を戻した。

 その視線を受ければ受けるほどに、ヒースクリフが『彼』と重なって見える。作られたあの学者然とした顔 も、よく見れば『彼』と似ているところが幾つか見受けられた。

 すると『彼』は昔話でもしたくなったのか、俺にある提案をしてきた。

 

 「さて、アスナ君の脱退の件も話がついたのでもう帰ってもらっても大丈夫な訳だが……ソーヤ君、少し時間をくれないかな?君と二人きりで話がしたい。」

 

 「俺もあんたが言わなければそう言おうとしていた。別に構わない。」

 

 

 ◇◆◇

 

 ガラス張りの壁から差し込む灰色の光が、この部屋に残った俺とヒースクリフを照らす。先程までいた彼の部下の姿は見当たらず、キリト達も同様にこの部屋から退出した。

 突然「二人きりで話がしたい」と言い出したヒースクリフとそれをあっさり了承した俺に両陣営から驚愕の視線を向けられたが、「リアルのことが絡むから」と説明すると素直に二人きりにしてくれた。

 この世界ではリアルの話は基本マナー違反なのだ。故に聞くことも憚られる。全く、これ程にこの世界で便利な言葉があるだろうか。

 光の差し込む角度が微妙に変化し、お互いの顔がはっきりと見えるようになった。ヒースクリフの金属的な瞳は変わらずに俺を見つめ続けている。

 ヒースクリフの正体が『彼』であることは確実だ。最早疑う余地もない。だが、俺は確認するような口調でお互いが知っているであろう名字を口にした。

 

 「……ヒースクリフ。現実世界で『新原』という夫婦を知っているか?」

 

 「ああ、勿論だとも。彼らは私の優秀な部下だったのだから。それ故に、あの事故を聞いた時には……」

 

 「あの事故の事は思い出したくないから止めてくれないか。そして今の回答ではっきりした……あんたがこの世界の創造神、茅場晶彦だな。」

 

 その言葉を聞いたヒースクリフは超然とした笑みを浮かべる。まさにそうであると言わんばかりの雰囲気を放っていた。

 

 「確かに私は茅場晶彦だ。……それと今はその仮面を外しても良いのではないかね、創也君?」

 

 「……それもそうだね。久しぶり、茅場の叔父さん。」

 

 「叔父さんは止めてくれたまえ。私はまだそんな歳ではない。」

 

 ヒースクリフと話していた時に思い出した、ある一人の大人との記憶。その『彼』の正体とは……今眼前にいる茅場晶彦だったのだ。



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第十六話 避けられない結末

 UA四千突破&お気に入り登録五十名様突破ありがとうございます!これからも御愛読よろしくお願いします!


◇◆◇

 

 俺の中に獣が生まれる前、つまりいじめられ始めた頃のことだ。《アーガス》に雇われた両親がある男の人を連れて珍しく夕方に帰って来た。

 その男の人の名は茅場晶彦といい、両親は彼の部下にあたるそうだ。一体そんな人が家にやって来るとはどういう事かと疑問に思っていると、彼は苦笑まじりに母親に連れてこられたと言った。

 それを聞いた俺は視線を移し、説明を求める。すると母親はいじめられている俺を心配して、とりあえず歳上でもいいから友達のような関係を作って欲しいと思ったから茅場晶彦を家に招待したと言った。

 唖然とするしかなかった。いくら同世代は無理だからと言って両親の上司に当たる人間と友達になれというのは無理がある。母親の過保護もとうとう馬鹿としか言い様がないレベルにまで到達してしまったようだ。

 そう思っていたが、たまたまゲームをしていた俺を見つけた茅場晶彦が横に座って一緒にやり始めたことがきっかけとなり、一気に親しくなった。彼はその年齢に似合わない程のゲーマーだったのだ。

 それから様々なゲームを一緒にした。アクションにシューティング、パズルにレースとジャンルを問わずに時間を忘れて遊び尽くした。いつしか俺は彼のことを『茅場の叔父さん』と呼ぶようになっていた。自然と張り付けていた嘘の仮面は外れていた。

 母親の期待した友達のような関係になることはなかったが、茅場晶彦とは本当の俺で関わることのできるかなり親しい関係になった。こうも簡単に彼のことを信用するようになったのは、両親との関わりがあったからだろう。

 それ以降も、茅場晶彦は定期的に俺の家に訪れた。それを俺は年相応の笑顔を浮かべながら、近所の叔父さんのような感覚で迎え入れていた。

 こうして俺が茅場晶彦のことを『叔父さん』と呼んで信用していたように、茅場晶彦もまた俺のことを気に掛けてくれていたようだ。そうでなければ、交通事故で死んだ俺の両親の葬式の費用を肩代わりしてくれる筈がない。

 そして両親の遺骨を受け取ってから、茅場晶彦が家に訪れることは無くなった。不安になった俺が事情を聞くと『君の両親の分まで仕事があるからもう行けなくなった』と返信が届き、納得せざるを得なかった。

 これが、俺が思い出した茅場晶彦との記憶の全てだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 「さて創也君、いやこの世界ではソーヤ君と言った方が正しいか。君はこれからどうするつもりなのかね?もし望むのならば、私の正体を看破した報酬として今此処で全プレイヤーのログアウトを賭けて勝負をしても構わないのだが。」

 

 茅場晶彦は、いや彼が操作するプレイヤーであるヒースクリフは『ログアウト』の部分を強調しながらそう言った。

 初めて出会った時から変わらない金属のような両目から放つ視線が俺を貫く。口元に微笑を浮かべ、骨ばった両手を組み合わせているその姿からは圧倒的な余裕が見て取れる。

 ログアウト……それはこの世界に囚われた俺達が心から望むことだ。確実にデスゲームから脱出でき、以前と同じ生活を送ることができるようになる唯一の手段。相手などを抜きにして考えて、これを賞品にされたデュエルを承諾しないプレイヤーなどいるわけがない。

 しかし俺だけは違う。たとえ全員がログアウトできる条件であろうとも、そのデュエルを俺は承諾しない。

 

 「どうもしないよ。ヒースクリフの正体が茅場晶彦だって口外するつもりはないし、そのデュエルを受けるつもりもない。」

 

 「ほう……これまた何故?私に勝てば全プレイヤーがログアウトできる。そして君には今そのチャンスが目の前に転がっているのだぞ?」

 

 俺の回答が意外だったのか、興味深げにヒースクリフは問うてくる。それなりの理由を期待しているのだろうが、そんな大層なものではない。ただ俺が駄々をこねているだけなのだ。

 

 「もし今ヒースクリフに勝ってログアウトできたとしても、俺は失うだけなんだ。此処で得た友達と大切な人と別れて、また孤独に逆戻りしてしまうだけ。いつかこのゲームがクリアされるのはわかっているけど、まだ一緒にいられる時間があるのなら、俺はどんな好条件を並べられても皆と一緒にいることを選ぶよ。」

 

 「それ程までに、この世界のことを気に入ってくれているとは……。製作者としては嬉しい限りだな。それならば、君がこのゲームをクリアさせないように妨害すれば良いのではないのかね?そうすれば君は皆と別れる必要もない。」

 

 ヒースクリフから魅力的な提案が飛び出す。確かに自分で言うのもなんだが、俺は強い部類に入るプレイヤーだ。それも上位の。本気で攻略の邪魔をしようと思えば、殺しをしなくとも相当な時間を稼ぐことができるだろう。

 だが、そんな事を実行に移すことが俺にできるだろうか。答えは否だ。大切な人であるシリカを、友達であるキリト達を裏切るような真似をする事なんてできる訳がない。

 昔から沢山信用しては裏切られを繰り返したが、俺からは裏切ったりはしなかった。俺は裏切ることを嫌う故に裏切りはしない。

 そうすることでシリカ達を守れるというのなら悩みはするだろうが、それ以外ならば絶対にしないと断言できる。

 

 「流石にそこまでするつもりは無いよ。俺は信頼している皆を裏切るようなことはしたくない。それに……」

 

 「それに?」

 

 「ゲームというのは、終わりがあってこそ成立するものじゃないの?」

 

 その言葉にヒースクリフは一瞬面食らった顔をしたが、直ぐに微笑に戻って頷いた。そして立ち上がると、俺の横を通りすぎて扉に手を掛ける。

 

 「あれ?此処が自室じゃないの?」

 

 「まさか。こんな何も無いところが自室では退屈に決まっているだろう。私には別の個室がある。」

 

 「そうなんだ。それじゃあ、俺は帰るよ。用はもう済んだでしょ?」

 

 「ああ、時間を取らせてしまったな。」

 

 俺とヒースクリフは揃って部屋を後にし、螺旋階段の前まで戻る。二つの足音だけが静かな通路に規則正しく響く。すれ違う人間は誰一人いない。ヒースクリフが言うには、この時間帯の《血盟騎士団》の団員達は基本全員が攻略に赴いているという。通りで視界にすら人間が映らないわけだ。

 そんな事を考えていると螺旋階段の前に到着し、俺は出口に繋がる下に、ヒースクリフは個室に繋がる上に足を向ける。

 一段降りたところで、スタスタと登っていくヒースクリフに目を向ける。すると彼も視線を感じたのか、歩みを止めて俺を見下ろした。

 

 「またね!茅場の叔父さん!」

 

 「だから叔父さんは止めてくれたまえと言っただろうに……。」

 

 年相応の明るい笑顔を浮かべた俺とは対象的に、ため息をついたヒースクリフ。まるで近所の子供と叔父さんがするようなやり取りだなと思いながら、螺旋階段を降り始める。

 誰もいない道をたった一人で歩く。周囲にも人影は無く、ただただ流れる景色が視界に映る。まるで現実の俺が歩いているようだった。

 だが、まだ俺は孤独ではない。まだシリカ達と一緒にいられる時間がある。いつしかこのゲームはクリアされ、再び孤独に戻ることは理解している。可能ならばそんな事は考えたくはないが……どうしても一人でいると考えてしまう。

 薄々気にしていたが、今日茅場晶彦と話して嫌でも気に掛けてしまうようになった。母親が勧めたこの世界で出会った大切な人と友達は、いつか必ず別れなければならない。

 何故なら、このゲームがクリアされると同時に皆がこの世界を去り、あの腐った世界に帰還してしまうのだから。

 

 「……ソーヤさん?」

 

 「!?」

 

 背後から突然聞こえた声に肩を跳ね上げる。どうやら周囲の気配にも気づけない程に思考の海に沈んでいたようだ。直ぐ様意識を引き上げ、後ろを振り返る。そこにはピナを頭に乗せたシリカがいた。

 

 「シリカか……もしかしなくても、待ってた?」

 

 「はい、一人ぼっちで帰るのは嫌だったので。帰るならソーヤさんと一緒がいいです。」

 

 「……嬉しいな。そう言ってもらえるなんて。」

 

 シリカと手を繋ぎ、転移結晶を取り出す。重ねた手から彼女の仮想の体温が伝わってくる。その温もりをどうしても離したくない、ずっと感じていたいという感情が込み上げた。

 しかしそれは叶わぬ願いだということは、とうに知っている。それでも願ってしまうのは、我が儘になるのだろうか。

 

 「……後どれぐらいの時間でこのゲームはクリアされてしまうのかな……。」

 

 その呟きは誰にも届くことはなく、空に消える。そして俺も使用した転移結晶による青い光によって《グランザム》の街から姿を消した。

 

 

 ◇◆◇

 

 「もー!!ばかばかばか!!」

 

 「え……アスナさん……?」

 

 「一体……何があった?」

 

 「きゅるるる?」

 

 場所は再びエギルの店の二階。俺達はいつもの姿からは想像がつかない程にポンコツと化したアスナを見て、混乱を隠しきれないでいた。俺達がまた此処に戻って来たのには理由がある。

 《グランザム》を出てから、お詫びとして行きつけのNPCレストランでシリカに料理を奢った後、今日泊まる宿を取りに行こうと思った矢先にエギルから此処に来るようメッセージが届いたのだ。

 そして来てみれば、上にいるキリトとアスナの様子を見てきてくれと頼まれた。エギルが様子を見に行こうとしたらしいが、蹴り落とされたそうだ。怒ったピナの行動に負けず劣らずの過激さである。

 その頼みを了承し、二階へと登ってきた訳なのだが……そこにあった光景はアスナが小さな拳でキリトを叩いているというものだった。

 

 「『直談判する』って言ったのはキリト君でしょ!?何で団長とデュエルをする事になってるの!?ばかばかばか!!」

 

 アスナがぽかぽかとキリトを叩く。《攻略の鬼》と恐れられた鬼気迫る姿など見る影もなく、今の彼女はただの女の子のようだ。

 シリカと揃って何も言えないでいると、気配を感じたのかアスナの首がぐりんと動いて俺を捉えた。その瞬間に嫌な予感がした。

 

 「ソーヤ君もソーヤ君だよ!何でキリト君と団長を焚き付けるようなことをしたの!?ばかばかばか!!」

 

 「うわっ、こっちに来た!キリト、助けて!!」

 

 「おい待てアスナ!ソーヤも悪いかもしれないけど、デュエルを受けるって言ったのは俺だから!!」

 

 標的を俺に変更し、両手を振り回しながらこちらに来たアスナを揺り椅子から立ち上がったキリトが背後から両手を掴むかたちで落ち着かせる。拳を振るうことができなくなった彼女は、かわりにフグのように頬を膨らませた。

 その様子がおかしかったのだろう、シリカは口元を押さえて懸命に笑いを堪えている。かくいう俺もアスナのギャップの凄さに笑いが込み上げてきて、同じく口元を押さえていた。

 

 「大丈夫、《完全決着モード》でする訳じゃないから死ぬことはないさ。それに、まだ負けると決まってもいないし……。」

 

 「むー……。」

 

 ひとまず落ち着いたアスナは、キリトが再び腰掛けた揺り椅子の肘掛けに脚を組んで唸る。

 

 「ですがキリトさん、勝算はあるんですか?私が中層にいた頃に聞いた話だと、ヒースクリフさんはたった一人でボスの攻撃を十分間捌いた後もHPがグリーンのままだったらしいです。まぁ……聞いた話なので本当かどうかわかりませんが……。」

 

 「シリカちゃん、その話は事実なの。第五十層のボスモンスター攻略戦で、団長は崩壊しかけた戦線を十分間単独で支えた。実際に私が見たもの。間違いないわ。

 ……正直、キリト君の《二刀流》を見た時は別次元の強さだって思った。だけどそれは団長の《神聖剣》も同じ。あの人の鉄壁さはソーヤ君とまではいかないけど、ゲームバランスを越えてるよ。」

 

 「……暗に馬鹿にされたような……。」

 

 これまで様々な罵詈雑言をぶつけられても何も思わなかった俺だが、今のアスナの発言は鋭い刃となり、俺の心を深く抉った。

 どうやら気づかない内に俺の心はピュアなものになってしまったようだ。だが、こうして本当の俺で関わることのできる友達が何人もいると考えると悪いことではないのだと思う。

 そうして感慨にふけっていると、アスナが心配そうな目でキリトを見つめる。本当に彼女は《攻略の鬼》と呼ばれたプレイヤーなのだろうか。そう思ったしまう程に彼女はただの女の子にしか見えなかった。

 

 「……でも、どうするの?もし負けたら、私がお休みするどころか、キリト君がギルドに入らなくちゃいけないよ?」

 

 「いえ、考え方を変えれば良いかもしれませんよ?」

 

 そう言ったシリカに俺達の視線が集中する。そして彼女は、かつて自身が気絶した時と同規模の特大爆弾を投下した。

 

 「キリトさんがギルドに入れば、今まで以上に一緒に居られますよね?」

 

 「「なっ……!?」」

 

 キリトとアスナは一瞬きょとんと目を丸くしたが、やがてぼっという効果音がぴったりな感じに頬を赤く染め上げた。この世界は感情表現がやや大袈裟なところがある為、二人の顔は熟れたりんごのように真っ赤になっている。

 シリカは無意識なのか知らないが、時々このような特大サイズの爆弾発言をする。彼女と二人で攻略をしていた頃にも何度か爆弾が投下されたことがあった。

 その後は言ったシリカ本人が気絶したり、珍しく俺が慌てたりなどの様々な被害が出るのだが、今回の被害者はキリトとアスナのようだ。

 シリカの爆弾発言にお互いの距離を再確認したキリトとアスナは慌てて離れる。とはいえ、キリトは揺り椅子の肘掛けに阻まれてろくに動けていないのだが。

 駆け足で窓際まで行ってしまったアスナの肩越しに、夕日が差し込む《アルゲード》の街から声が聞こえてくる。どの声も活気に満ちたもので、此処がデスゲームの世界であることを忘れさせてしまう。そう、まるで此処がもう一つの現実であると思ってしまう程に。

 

 「……手放したくないんだけどな……。」

 

 半ば無意識にシリカの頭を撫でる。どれだけ我が儘を言おうとも、俺達プレイヤーの結末は決まっている。HPを全損して死ぬか、生き残ってあの腐った世界へと帰還するか。その二つの選択肢しかあり得ない。それ以外は存在しない。

 そうだと理解していながらも、どちらも嫌だという思いが溢れて止まらない。獣が持つ冷めきった思考ですら上書きされてしまう。

 

 「ソーヤさん?」

 

 その声に意識を戻すと、俺はシリカを抱き締めていた。彼女の仮想の体温を確認するかのように、優しく、強く抱いていた。

 

 「……大丈夫、何でもないから。でも、少しだけこのままでいいかな?」

 

 「はい、ソーヤさんがそう言うなら……。」

 

 幸いにも、キリトは揺り椅子から立ち上がってアスナの隣に寄り添っている。シリカは俺が抱き締めている為に、顔が見えない。ピナはソファーで丸くなって眠っている。今なら、誰も見ていない。

 

 

 俺の頬に一筋の涙が伝う感触を感じた。



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第十七話 解説は《鬼神》と《竜使い》

 今回、オリジナルキャラ一人登場させました。と言っても、大して重要なキャラではないのですが……。

 一応、名前の由来はオリジナル武器の時と同様に後書きに記載させていただきます。


 ◇◆◇

 

 青い輝きを放つ転移の光が薄れると同時に、足が地を捉えた感覚が伝わる。そして閉じていた瞼を上げた俺とシリカは、そのプレイヤーの数の多さに驚愕を隠せなかった。

 攻略に勤しむ剣士は勿論のこと、商人プレイヤーや見物人と思われる者もおり、新しく開通した第七十五層の街《コリニア》は大層賑わっている。

 この古代ローマ風の街がこれ程までに活気を呈しているのは、言うまでもなく稀に見る大イベントがあるからであろう。その証拠に、転移門の前にそびえ立つコロッセオ似のコロシアム入り口には、まるで縁日の神社のように商人プレイヤーの露店がずらりと並んでいた。

 

 「火噴きコーン十コル!十コルだよ!」

 

 「黒エール冷えてるよ!」

 

 此処を訪れた者達に怪しげな食べ物を売りつける声が幾つも耳に入る。よく分からない匂いが辺りに充満するなか、突然シリカの頭の上で丸くなっていたピナが飛び立って露店の方へと行ってしまった。

 

 「あっ!ピナ、待って!何処行くの!?」

 

 ピナを追って人混みの中に突っ込んだシリカを追いかける。途中何度か見失ったが、無数の気配から彼女のものを割り出し、それを頼りにして何とか追い付くことができた。彼女らがいたのは、串焼きモドキを売っている露店だった。

 シリカの腕の中に収まったピナがこちらをじっと見つめてくる。何を求めているのかは考える必要もないだろう。丁度俺も腹が空いていたところだ。

 

 「すまない、その串焼きを三つくれないか?」

 

 「おう、三つで四十五コルだ!」

 

 表示されたトレードウィンドウに、きっちり四十五コルを入れる。今の俺にとってそんなコルなどはした金なのだ。これまで手に入ったコルをほぼ使ってない為、もうすぐで表示がカンストするのではないかというところまで貯まっている。

 代金を受け取った露店の男から串焼きモドキを受け取る。しかし、紙コップらしきものに入っていたものは一本多かった。

 

 「……一本多いのだが。代金は確かに三本分だったはずだぞ?」

 

 「なに、それはサービスだ。兄ちゃんの可愛い彼女と仲良く食べな!」

 

 「かっ……!?」

 

 露店の男の言葉にシリカは顔を真っ赤に染める。後少しで煙が頭から出そうだ。一応、俺達はお付き合いをしている仲だが、こうして誰かに言われたことは未経験だった。

 これ以上何か言われるとシリカが羞恥のあまりに気絶しかねないので、「感謝する」と一言礼をしてから早急に場を後にする。だが、その際に今度ははぐれないようにと彼女の手を取ったことで結局「きゅうぅぅぅ」と気絶してしまった。

 

 「……最近、気絶させてばっかりだな……。また何かしてやるか。」

 

 地に倒れそうになるシリカを受けとめ、背中におんぶするかたちで背負う。ピナは俺が持つコップから串焼きモドキを一本取り出すと、俺の頭の上で器用に食べ始めた。頭が汚れないか心配になったが、この世界では汚れという概念が存在していないことを思いだし、そのままにしておく。

 残った三本は一本ずつ分けようかと考えつつ、シリカを休ませることができるであろう転移門前広場にまで戻って来る。此処には確か、幾つか長めのベンチが置いてあった筈だ。

 無事に空いているベンチを発見し、シリカを膝枕で休ませる。腹の虫がうるさくなってきたので、串焼きモドキを一本取り出して食べていると今日のイベントの主役が転移門から吐き出されたのが目に入った。

 

 「……ど、どういうことだ……これは……。」

 

 「さ、さぁ……?」

 

 「おーい、キリトにアスナー。」

 

 お祭り会場と化した《コリニア》の街を見て呆気にとられるキリトとアスナに声を掛ける。声が充分に届く距離にいた二人は俺の存在に気づくと、こちらにやって来た。

 

 「あ、ソーヤ!って、お前何食ってんだ!?」

 

 「串焼きモドキ。案外美味しいよ?」

 

 「……むにゃ。あれ、ソーヤさん……?」

 

 キリトの声によって、規則正しい寝息を立てていたシリカが目覚めた。寝ぼけた眼で数秒辺りを見渡した後、彼女は自分が今どのような状況にあるのかを理解したようだ。

 一瞬で顔を赤くしたシリカは慌てて飛び起き、俺の額と思いっきり衝突する。因みにピナは既に俺の頭から避難済みだ。揃って額を押さえる俺達を見たキリトとアスナは笑いを堪えきれずに、吹き出していた。

 

 「おい、二人とも笑うなよ!それにしても、随分と大きなイベントになったもんだな。とても賑わっているじゃないか。」

 

 「なぁ、ソーヤ。お前、今元気そうにしてるけど、確か人混みで酔うんじゃなかったか?もう大丈夫になったのか?」

 

 「ああ、うん。今はもう大丈夫になったんだ。心配してくれてありがとう。」

 

 キリトはこの街の賑わいを見て、自然と全てが始まったあの日と重ね合わせたのだろう。確かにこれ程のプレイヤー達がある一つの場所に集まったのは、後にも先にもあの日だけだ。想起させられるのも無理はない。

 そしてシリカやキリト達と本当の俺で関わるようになってから、目眩や吐き気がしなくなった。正確にはその原因であった視界に写る人間が皆、俺のことを見ているかのような錯覚を覚えることがなくなったのだ。

 しかしあの錯覚を覚えなくなったのは、本当の俺で信頼できる彼らと関わり始めたことではなく、獣が解き放たれたからだろう。

 何故ならあの錯覚は、獣が生まれた日のことを思い出したくなかった人間の俺が生み出していたものだったのだから。獣に喰われ、同化した今の俺ならば、あの錯覚が起きる方がおかしい。

 

 「あの、アスナさん。このコロシアムの入場チケットを売っていた人が《血盟騎士団》の方だったんですけど、もしかしてこのイベントはアスナさんのギルドが計画したんですか?」

 

 「何!?おいシリカ、それは本当か!?」

 

 串焼きモドキを飲み込んだシリカの発言にキリトが食い付き、アスナに問いただすような視線を向ける。だがギルドの副団長にあたる彼女は何も知らないというように首を振った。

 もしかして茅場の叔父さんが勝手にやったのかと思い始めた頃、俺達に近づいてくる一つの気配を感じ取った。

 そちらに目をやると、これ以上に《血盟騎士団》の制服が似合わない人間がいるのかと言いたくなる程に太った男がたゆんたゆんと腹を揺らしながら近づいて来ていた。

 警戒心を引き上げて腰の《ロンリライアー》に手を掛けたが、アスナが「あ、ダイゼンさん」と口にしたことから彼女の知り合いだと理解して手を離した。それでも警戒はしておく。

 

 「いやー、おおきにおおきに!キリトはんのお陰でえろう儲けさせてもろてますわ!」

 

 綺麗な円かと思う程に丸い顔に満面の笑みを浮かべながらダイゼンという男は声を掛けてきた。アスナの姿を見てもその態度を崩さないところを見ると、ギルド内でも相当上の地位にいるようだ。

 その満面の笑みと朗らかな態度からは、裏切ろうなどという黒い感情は一切感じられなかった。今のところは害はないだろうと判断し、警戒を一旦解く。

 

 「ささ、控え室はコロシアムの中ですわ。こちらにどうz……おや、そこにおるのはどなたですかいな?」

 

 キリトとアスナをコロシアム内に連れていこうとしたダイゼンの目が、串焼きモドキを食べている俺とシリカを捉えた。

 その瞬間にキリトが黒い笑みを浮かべた。巻き込んでやると顔に大書した彼の顔を見た俺の背中に、嫌な汗が伝う。

 

 「ああ、あの噂になってる《鬼神》様とそのパートナーだよ。」

 

 「何で言うんだよキリト!こんなの言っちゃったら絶対に……」

 

 「おお!あの《鬼神》はんか!!丁度《鬼神》はんに頼みたいことがあってなぁ。良ければパートナーの嬢ちゃんもどうや?」

 

 「こうなっちゃうだろうがぁぁぁ!!」

 

 俺の叫びが広場に響く。これまでに叫んだことがあっただろうかと過去の記憶を漁ろうとするが、今はそんなことをしている時ではない。

 とんでもないことをしてくれたキリトを殺意がこもった目で睨む。彼はそれをさらりと受け流し、いたずらが成功した子供のように黒い笑みを更に深めた。

 

 「……先程は失礼した。それで、頼みたいこととは何だ?」

 

 「おお、それはやな……このデュアルの解説役をやって欲しいんや!どやろか?」

 

 俺の雰囲気が瞬時に変化したことに驚きながらも、ダイゼンは用件を述べる。それを聞いた俺は、断りたいと率直に思った。何が嬉しくて不特定大多数のプレイヤーの前に出なければならないのか。

 しかし此処で断れば、今も黒い笑みを浮かべているキリトに何を言われるのかわかったものではない。下手すると容姿特定のみならず、物凄い悪名が付いて回りそうである。

 

 「……シリカはどうする?俺は後の面倒事を防ぐ為に受けようと思うのだが。」

 

 「ソーヤさんが行くなら、私も行きます!それに私、解説やってみたいです!」

 

 「……わかった。ダイゼンと言ったか。俺もシリカも行くから、案内を頼みたい。」

 

 「おお!感謝します!ほんなら早速案内させてもらいますわ。こちらにどうぞ。」

 

 ダイゼンは満面の笑みを浮かべながらのしのし歩きだした。俺に向かってニヤニヤしているキリトの足を思いっきり踏みつけ、脱力しながらその後ろを四人でついていく。もうどうにでもなれという心境だった。

 

 

 ◇◆◇

 

 円形の闘技場をぐるりと囲んでいる階段状の観客席は小さな隙間も無い程に埋め尽くされており、盛大な歓声が響いている。中には「斬れー」「殺せー」等と物騒なものもあった。

 そんな試合開始を今か今かと待ち望んで盛り上がっているコロシアム内に、いかにも実況者と思われるプレイヤーの声が盛大に響く。

 

 『レディースアンドジェントルメーン!お待たせしました!これより、《聖騎士》ヒースクリフと《黒の剣士》キリトの試合を開始いたします!!実況は私、リーブンでお送りしまーす!』

 

 「「「ウオオオォォォォ!!!」」」 

 

 その声を聞いた観客の熱気は更にヒートアップし、コロシアムが歓声で揺れる。

 

 『では早速、選手入場!……といきたいところですが、今回は解説役に豪華なゲストをお呼びしておりますのでそちらの紹介から参ります!皆様、コロシアム入り口の最上段にある実況席にご注目くださーい!!』

 

 リーブンと名乗った実況者の声につられるように、千を越えるプレイヤー達の視線が一点に集中する。そこには手を振って場所を示している彼女の他に、二つの人影があった。

 人影の一つは腰や背中に片手剣や細剣、両手槍など様々な武器を装備している。大した特徴もない黒目黒髪の男の子だが、何処か見た目よりも大人びた雰囲気を感じさせた。

 そのもう一つの人影は小さなドラゴンらしき生物を肩に乗せ、腰には短剣が装備されている。髪をツインテールに纏めた女の子は、やや緊張した面持ちで集中する視線を受けていた。

 その二つの人影の正体は言わずもがな、ソーヤとシリカである。

 観客達が人影を目にしてざわめき始めた頃にリーブンはマイクを手に取り、ソーヤ達二人の紹介を始めた。

 

 『はいまずは皆様から見て左側にいるこの少女!ご存知の方も多くいらっしゃるでしょう!世にも珍しいフェザーリドラのテイムに成功した短剣使いのビーストテイマーであり、今は隣の彼のパーティーメンバー!《竜使い》シリカちゃんでーす!!』

 

 『え、えと、解説のシリカです!この子はピナって言います!よろしくお願いします!!』

 

 シリカはぺこりと頭を下げ、ピナが「きゅるるる」と鳴いた。観客から口笛や歓声が上がる。

 しかし中にはソーヤに対する怨嗟の声も僅かにあり、その声が聞こえたのか、彼は目線を鋭くして殺気を放っていた。

 

 『さてお次はこちらの少年!恐らく誰も彼のことを知らないでしょう!よーく聞いていてくださいね!彼こそがこのアインクラッドの階層ボスを何度も単独撃破しながらも、長らく存在すら不明だった伝説のプレイヤー!《鬼神》ソーヤ君でーす!!』

 

 『……ソーヤだ。基本、解説はシリカに任せて捕捉をさせてもらう。それと、彼女に手を出した奴は……命ガナイト思エ。』

 

 淡々と自己紹介を終えたソーヤは鞘から抜かれた刃のような鋭い殺気と共に、先程怨嗟の声を上げた一部のプレイヤー達を睨む。死の恐怖に包まれたそのプレイヤー達は全身から冷や汗を流し、身を震わせた。

 しかしソーヤの殺気を受けなかった他の大多数のプレイヤーの目には彼が『彼女を守る素敵な彼氏』のように見えたようで、一際大きな歓声が響いてコロシアムを揺らす。

 会場の熱気はこれ以上無いほどに盛り上がっていた。今日の主役達を迎える準備は整った。リーブンはマイクを片手に立ち上がる。

 

 『それでは会場が熱く盛り上がってきたところで、選手入場に参りましょう!控室におられるお二方はご登場くださーい!!』

 

 その言葉と同時に両端の閉まっていた門が地響きを立てながら解き放たれた。

 先に姿を見せたのは二本の片手剣を背中に交差して吊った剣士。ソーヤと同じく黒目黒髪だが、装備しているコートは色を気にしない彼が唯一嫌っている黒であり、全身黒ずくめとなっている。

 

 『二本の剣を携えて現れたのは先日、《鬼神》と共に第七十四層のボスを討伐した《二刀流》のスキルを持つ《黒の剣士》キリト!!』

 

 『キリトさんの《二刀流》はその名の通り、二本の剣を使うことができるスキルで、専用のソードスキルを使うことができるようになります!そのどれもが強力で、中には十連撃を越えるものもあります!』

 

 リーブンの紹介とシリカの解説が流れるなか、キリトはコロシアムの中央まで到達して立ち止まった。その直後に反対側からもう一人の主役が姿を現す。今日一番の歓声が上がった。

 周囲の歓声など聞こえていないかのように悠然と歩くのは真紅の剣士。鉄灰色の前髪を流し、自身が団長を務めるギルドの制服の色が逆になった赤地のサーコートを羽織っている。

 

 『その向かいから現れたのは最強ギルド《血盟騎士団》の団長であり、攻略組の危機を救った《神聖剣》の使い手、《聖騎士》ヒースクリフ!!』

 

 『えっと……ヒースクリフさんのスキル《神聖剣》は、その……。』

 

 『ヒースクリフの《神聖剣》は防御補正にボーナスが付き、攻撃を重ねる毎に防御力が上がる攻防一体のスキルだ。勿論、専用のソードスキルもある。これは本人から聞いたことだ、間違いない。』

 

 《神聖剣》に関しての情報が無く、戸惑っているシリカをソーヤがフォローするかたちで解説する。

 コロシアムの中央で対峙した二人は一言二言話した後に、ウィンドウを操作する。空中にデュエルを開始する旨の表示が大きく浮かび、一分のカウントダウンが始まった。

 両者はそれぞれの得物を構える。キリトは背から二振りの片手剣を同時に抜き放ち、ヒースクリフは十字盾の裏から同じく十字をかたどった細身の剣を抜く。一切カウントダウンの表示には目もくれず、お互いの視線が交錯する。

 

 『勝利の女神が微笑むのは《二刀流》か、《神聖剣》か!決戦の火蓋が切って落とされる!それでは、試合……開始!!』

 

 リーブンの声と同時にカウントダウンが終了し、《DUEL》の文字が閃く。それを確認した観客達がキリトとヒースクリフに目を向けるが、彼らは既に地を蹴っていた。




リーブン《Liven》→『盛り上げる』という意味の英語より。


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第十八話 予想外の出来事

 キリトとヒースクリフ戦はカットとなります。申し訳ありません。

 それと、矛盾点などがあれば教えていただけると幸いです。書き方など色々手探りの状態なので。


 ◇◆◇

 

 デュエル終了を告げる紫色のウィンドウが写し出される。そこには『WINNER ヒースクリフ』と表示されており、次の瞬間には歓声が渦巻いた。

 アスナに助け起こされながら呆然とするキリトを観客席の最上段から見下ろす。失礼な話だが、正直彼が勝てるとは始めから思ってはいなかった。何故なら相手はこの世界の創造神、茅場晶彦その人なのだから。

 とはいえ、キリトがヒースクリフを後一撃のところにまで追い詰めたことは予想外だ。その結果、彼はシステムの力に頼らざるを得なくなった。通常ではあり得ないスピードで動いて彼の大技を防ぎきり、決着をつけざるを得なかった。

 禁忌の力を使ってしまったが故か、勝者であるヒースクリフは険しい顔をしていた。茅場晶彦は基本的に公平さを重視する。自身がプレイヤーの一人になろうとも、それは変わらない。昔、一緒にゲーム制作のソフトを遊んだ時がそうだった。

 そしてヒースクリフがキリトとアスナを一瞥し、ゆっくりと控え室に戻ろうとする。だが、あるプレイヤーの一言が耳に入り、彼は足を止めた。

 

 「なぁ、《黒の剣士》に勝った《聖騎士》と異次元の強さを持つ《鬼神》ってどっちが強いんだろうな?」

 

 喧騒の渦の中にあったコロシアムが静まり返る。俺達含め観客の視線が集中するなかで、そのプレイヤーは言葉を続ける。

 

 「だってさ、今解説席に座っている《鬼神》は単独でボスを討伐したんだろ?そして《聖騎士》はボス相手に単独で攻撃を捌いたことがあるらしいぜ。ボス相手に単独で戦えるプレイヤーが二人もいるなら、どっちが強いのか気になるじゃないか!」

 

 それを聞いた観客達は数秒の時間の後、賛同するように頷いて俺へと視線を移す。視線に込められているのは期待や好奇心。もしこれを裏切ったのならばどうなるかわかったものではない。

 

 「……ソーヤさん……。」

 

 「……大丈夫。まだ戦うと決まったわけじゃない。」

 

 心配そうな顔をするシリカの頭を撫でながら、ヒースクリフを視界の中心に捉える。いくら多くのプレイヤーが俺と彼のデュエルを望んだとしても、彼が拒否すれば誰も文句を言うことはできないだろう。それだけのカリスマ性が彼にはある。

 目線を感じたのか、ヒースクリフは最上段に座る俺に金属質の両眼を向ける。その瞳には《血盟騎士団》のギルド本部の時に見せた戦闘欲求が写っていた。それを見た俺は諦めのため息をつき、ヒースクリフは剣を突き出した。

 

 「ソーヤ君、私は君の噂を知った時からもし存在するのならば戦いたいと思っていた。良ければ、手合わせをお願いできるかな?」

 

 「……やっぱりそうなっちゃったか。シリカ、ちょっとだけ行ってくるね。」

 

 「あ……はい、気をつけてください!」

 

 座っていた席を踏み台にして飛び上がり、宙で一回転してからヒースクリフの前に着地した。最早人間とは言えないレベルの運動能力だと我ながら思う。こんなことができるのはこの世界だけだ。

 後この世界にどれだけの時間居られるのだろうかと余計なことを考え始めた脳をリセットするように頭を振って、ヒースクリフの視線を正面から受け止める。

 既にキリトとアスナは姿を消しており、この場に立つのは俺と彼だけだ。

 

 『おおっと!《鬼神》は《聖騎士》とのデュエルを承諾するようです!!今此処に、アインクラッド最強のプレイヤーが決まります!!』

 

 リーブンだとか言った実況の声と共に、コロシアムは再び大歓声が響いた。

 

 「こうして君と戦うことができるとは……嬉しい誤算だったよ。きっかけを作ってくれたあのプレイヤーには感謝せねばならないな。」

 

 ヒースクリフはいつもの余裕がある様子で話し掛けてきたが、俺から見れば今からの戦いに興奮を押さえきれていない幼い子供にしか見えなかった。

 その証拠に、無機質な瞳からは心の奥深くに隠している筈のゲーマー魂が丸見えになっている。

 

 「……そう思うなら、さっさと始めない?早く戦いたいという感情が隠しきれていないよ。」

 

 「それを見抜けるのは君だけだ。全く、昔から君は私の考えや感情などを的確に言い当てる。末恐ろしいものだよ。」

 

 「……望んでこうなった訳ではないんだけどね。それじゃあ、始めようか。」

 

 ウィンドウを操作し、ヒースクリフにデュエル申請を送る。形式は《初撃決着モード》。

 別に《完全決着モード》でも構わないのだが、今からするデュエルは決闘だ。決して殺し合いではない。殺し合いになるのは……彼とこの世界からの解放を賭けた戦いの時だけだろう。

 瞬時に受託され、キリトの時と同じようにカウントダウンが開始する。

 意識をヒースクリフだけに集中させ、殺意を芽生えさせる。加えて、彼の姿を俺をいじめた餓鬼の一人を重ね合わせて芽生えた殺意の加速を速める。意図的に芽生えさせた殺意だけでは彼に勝てない。何だかんだ、俺も負けず嫌いなのだ。

 長年いじめられてきただけあって、俺は様々なタイプの餓鬼を知っている。彼と重ねることのできる餓鬼も瞬時に見つかった。

 体に火がついたように熱くなる。キリトと殺したあの悪魔の時の比ではない程に殺意が溢れ、獣はそれを全て喰らう。獣は暴走寸前のところまで大きくなり、荒々しく吠える。

 

 「……クラエ……コロセ……。」

 

 そう呟き、獣を抑えていた鎖を解いた。自由の身となった獣は獲物を狩る為、動き出す。

 

 

 ◇◆◇

 

 カウントダウンがゼロになった瞬間にヒースクリフは少年に急接近し、盾から引き抜いた片手剣を袈裟斬りするように振り下ろす。しかしそれを少年は難なく片手で受け止めた。

 通常ならば腕が斬り飛ばされてHPが大きく減少する筈だが、少年の腕は身体にくっついたままでダメージも受けていなかった。その原因を探るべく、ヒースクリフは少年の手に目をむける。

 視線が集中していることを感知したシステムが少年の手をより鮮明にする。現実と大差無い程に細かく映し出されたその手には小さな円形盾がびっしりと張り付いていた。

 先程の現象が解明できたヒースクリフの腹に少年の蹴りが迫る。彼は瞬時に十字盾を滑り込ませ、直撃を防ぐ。いくらトッププレイヤーの蹴りといえども盾で防御されてはダメージは全く通らない。両者はお互いHPバーを縮めることなく、距離を取って向き直る。

 

 「《創造》をそのように使うとは……流石だ。昔から常人が思い付かないような事を、さも当然のように思い付く君が羨ましい。」

 

 「ソレハ、ドウモ。ア、ソウダ……モウチョットダケ、ギアヲアゲルヨ?イイヨネ?」

 

 その言葉と同時に少年は腰から片手剣を抜くと、それをヒースクリフに向かって投擲した。加えて片手剣だけではなく、細剣などの装備している武器全てを同様に投げる。

 少年の行動に驚きの色を見せたヒースクリフだが、直ぐに無表情に戻ると飛来する様々な武器を弾き、回避する。結果、どの武器も彼に届くことは叶わずに地に転がった。

 

 「得物をこうも簡単に手放すとは、一体どうしたのかn……!?」

 

 ヒースクリフは少年の放つ殺気に思わず言葉を呑み込んだ。少年は笑みを浮かべている。しかしそれは獣が解き放たれた時と同じ、狂気に満ちた笑みだった。今の少年はまさに獲物を喰らう獣のようだ。

 

 「……コロス……コロシテヤル……。」

 

 少年から赤黒いオーラが噴き出した。オーラは少年の後ろにゆっくりと移動すると、様々な武器を形作る。それらは片手剣に細剣、槍に斧と十種類以上あり、一つの円を描いている。その中から一振りの短剣を取り出すと、少年はヒースクリフの至近距離に突然現れた。

 心臓に向かって一直線に、血濡れたような色の光が突き出される。それを十字盾で受け止めたヒースクリフは硬直で動けない筈の少年に、お返しとばかりに深紅の光を纏わせた片手剣を振るった。その瞬間、彼の鼓膜をギィンという音が揺らす。

 その音と共に少年は硬直を無視して動き出した。短剣を捨てた少年は新しく血濡れの光を纏わせた片手剣を握り、それを振るう。

 少年の凶刃が十字盾の合間を縫ってヒースクリフの頬を掠める。しかしそれと同時に少年もまたヒースクリフの反撃を受け、ダメージを負う。両者のHPは減少を続けていき、残り数ドットで決着がつくところにまでやって来た。

 

 「……コロス……シネ……。」

 

 再び何かがぶつかり合うような音が響き、少年はヒースクリフの背後に一瞬で移動した。その手には包丁に酷似した短剣を握られており、今までで一番鈍く輝いている光を纏わせている。

 両者の苛烈な戦いを見ていた誰もが少年の勝利を確信する。だが、ヒースクリフは驚異的な反応速度で後ろに振り返ると《閃光》の二つ名を持つアスナに匹敵する程の神速の光を宿した突きを繰り出した。

 ロケットのエンジンを連想させる金属質な効果音と共に放たれた二つの光はすれ違い、少年とヒースクリフの腹部を貫いた。それと同時に、紫色のウィンドウが写し出される。そして『DRAW』の表示を見た観客達から歓声が上がった。

 

 「……引き分けか。てっきりシステムか何かで保護されてると思ってたんだけどな……。」

 

 「君の洞察力は本当に恐ろしい。万が一の為に不死属性の発動条件を下げておいて正解だったよ。もし下げていなかったら、またシステムのオーバーアシストを思わず使ってしまうところだった。」

 

 「……何だ、やっぱりそうだったんだ。ああ……頭が痛い……。」

 

 背後の武器が弾けて消え、黒目黒髪に戻った少年はスキルの反動で頭を押さえながら気を失った。

 

 

 ◇◆◇

 

 「……さん!ソーヤさん!しっかりしてください!」

 

 悲痛な声と共に体を揺らされ、朧気だった意識が覚醒していく。最早割れてしまったのではないかという程に痛い頭に無理矢理命令を出し、上半身を起こした。

 誰かに抱きつかれている感触を感じ、瞼を上げる。するとそこには目に一杯の涙を溜めているシリカと俺達の近くを飛んでいるピナがいた。

 

 「……痛っつ……シリカ……?」

 

 「ソーヤさん!!」

 

 俺の意識が戻ったことを確認したシリカは、いつかのように顔を埋める。彼女の肩は震えており、小さな嗚咽も聞こえた。

 

 「シリカ……また心配かけてごめんね。」

 

 涙で俺のコートを濡らすシリカの頭に手を置いて撫でながら、周囲に目を配る。

 今俺がいる場所はヒースクリフと戦ったコロシアムのど真ん中。観客席からは歓声が上がっており、未だ冷めやらぬ熱気が伝わってくる。

 そしてなにより、俺の前にヒースクリフが立っている。現実世界でも自分のことが終われば、直ぐに何処かへ行ってしまう彼がまだ此処にいるということは決着がついてからそれ程時間が経っていないことを示していた。

 

 「ソーヤ君、噂通りの強さだったよ。良ければ、またいつか戦ってみたいものだ。」

 

 「勘弁してよ。あんたと戦う度に俺はスキルの影響で確実に気絶するんだからさ。そして気絶したらこんな風にシリカを泣かせてしまう。俺はそう頻繁に彼女を泣かせたくないんだ。」

 

 「そうか。それは失礼なことをしたな。」

 

 そう言うとヒースクリフは身を翻して控え室の方へ去っていった。それを見届けた俺は、顔を埋めたまま動かないシリカに声を掛ける。

 

 「シリカ、大丈夫……じゃないよね。」

 

 「……怖かったです……。ソーヤさんがまた狂ってしまったように……見えてしまって……。」

 

 俺が狂った時のことを思い出してしまったのか、シリカの声はか細く震えている。いや、声だけではない。俺に抱きついて顔を埋めている彼女の体もまた、恐怖で震えていた。

 確かにヒースクリフとのデュエルでは、あの悪魔の時以上に殺意を獣に喰わせて大きくし、俺自身をより獣に近付けた。加えて途中で更に餌を与えて意識を失う寸前のところにまでいった。もし意識を失っていれば、全てを殺し尽くす獣が再び現れていただろう。

 獣が解き放たれて半人半獣となった今でも、俺が再びあの獣になる可能性は残っているのだ。

 

 「……本当に、ごめん……。」

 

 俺の腰に手を回しているシリカを抱き寄せ、抱きしめた。後どれぐらいの時間、感じられるのかわからない彼女の温もりが伝わってくる。

 その背をシリカに告白されたあの日の夜と同じように優しく叩く。すると彼女は安心したのか、俺に全体重を預けてすやすやと寝息を立て始めた。

 そして眠ってしまったシリカをお姫様抱っこしてこの場を後にしようとした時、見覚えのある黒と白の剣士二人の姿が目に入った。

 

 「……おい、大衆の前で何やってんだソーヤ。周りを見ろ。」

 

 「うん……ソーヤ君、本当に周りが凄いことになってるよ。」

 

 「……?」

 

 キリトとアスナの声に吊られて周囲を見渡すと、観客達が俺が自己紹介をした時と同じような歓声を上げていた。なかには「結婚してしまえー」などというものもあり、顔が少し赤くなる。

 よくよく考えれば、不特定大多数の前で抱き合うようなことをすればこうなることは必然である。『恋は人を盲目にする』というが、それはどうやら本当のことのようだ。

 

 「……ごめん。シリカのことで精一杯だった。これ以上大変なことになる前に、帰らせてもらうね。」

 

 そう言ってピナを頭の上に置かせると、キリトとアスナの横を抜けてそのままコロシアムを後にする。

 

 「ううん……ソーヤさん……。」

 

 シリカの声に起きたかと思い、視線を落とす。しかし寝言だったようで、彼女は俺の腕の中で幸せそうな顔で眠っていた。

 いつかその幸せいっぱいのシリカと別れることになってしまうのかと思うと心が痛くなる。今の最前線はこの第七十五層。これまでの攻略ペースから考えて、彼女と一緒にいることのできる時間は後一年も残されていないだろう。

 シリカと付き合うようになり、キリト達に本当の俺で接することができるようになったばかりの頃は母親の言う人間と出会えたと喜んでいたが、今では攻略に向かおうとする俺の手枷足枷となっている。

 俺が攻略を進めることで、この夢が覚めてしまう時に一歩ずつ近づいてしまっている。シリカの幸せそうな顔や、キリト達の明るい様子を目にすると最近はそう考えてしまう。

 その思考が顔を覗かせる度に「友達になった皆を裏切ってはいけない」と言い聞かせていたが、それももう限界に近い。

 母親が勧めてくれたこの世界で俺は、友達だけでなく大切な人も手に入れた。それを失いたくないという思いが日に日に強くなっている。

 

 「……母さん、俺はシリカやキリト達と別れたくないよ。この世界でいいからずっと一緒にいたい。初めてできた本当の友達を失いたくないよ。」

 

 「きゅるるる!」

 

 「……『大丈夫』だって?はは、ピナは優しいなぁ……えぐっ……。」

 

 誰にも聞こえないまま消え去りかけた俺の泣き言にピナが反応してくれた。ピナだってこのゲームがクリアされれば、ずっと付き従ってきたご主人であるシリカと別れることになる筈なのだ。

 それなのに、そんな心配は無用だと言わんばかりに力強く鳴いたその声は俺の気持ちを少しだけ軽くしてくれる。

 俺は頬を伝おうとする涙を堪えながら、重い足取りで今日泊まる予定の宿に向かっていった。



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第十九話 記憶を失った謎の少女

 クラディールのところはオリ主が関わらず、原作と同様になってしまうのでカットしました。

 前回に引き続き、申し訳ありません。


◇◆◇

 

 「うわぁ、とっても自然豊かな層ですね!」

 

 「うん、とても綺麗な景色だね。確か、この第二十二層は迷宮区以外ではモンスターが出ないそうだよ。だからたった数日で攻略されちゃったみたい。」

 

 俺とシリカは第二十二層の転移門前の広場に到着し、その自然豊かな光景に感嘆の声を上げた。針葉樹で埋め尽くされた森は、現実世界とそう大差無い程に美しく見える。

 

 「ソーヤさん、早く行きましょう!キリトさんの家は此処からかなり遠いですから!」

 

 シリカが未だに景色を堪能している俺のコートを引っ張る。彼女の近くを飛んでいるピナもご主人様を手伝おうと思ったのか、俺の眼前にホバリングすると小さな口を開いて火を吐いた。

 因みに此処は《圏内》なのでHPは減少せずにすんだのだが、俺の顔には火の中で炙られているような感覚が駆け巡る。まぁ、実際にピナのブレスで炙られているのだが。

 ピナがブレスを浴びせ始めて数秒後にシリカが止めてくれたから良かったものの、長時間あれを食らっていたら大変なことになりそうだ。

 最近、ピナがどんどん過激になってきているなと思いながら俺達はキリトの家に向かって歩きだした。

 

 

 ◇◆◇

 

 「キリトさん、アスナさん、シリカです!ソーヤさんもいますよー!」

 

 シリカが第二十二層のほぼ南端に建つ一軒の小さなログハウスの扉を叩く。その直後に「はーい今出まーす」という声が返ってきて、穏やかな雰囲気を放っている木製の扉が開かれた。

 

 「シリカちゃんにソーヤ君、こんな遠いところにまでご苦労様。」

 

 「ああ、よく来たな。外で話すのも何だから、遠慮なく中に入ってくれ。」

 

 扉を開いて俺達を出迎えてくれたのは《血盟騎士団》の副団長として有名な《閃光》アスナと、《二刀流》のユニークスキルを持つ《黒の剣士》キリトだった。

 攻略組のトッププレイヤーに位置する彼らが何故、こんな低層のログハウスでゆっくりとしているのか。それにはキリトが《血盟騎士団》に入団した直後に起こったある事件が原因となっている。

 キリトはデュエルに敗北した翌日、フォワード陣営を預かる男に実力を見せる為に四人パーティーで迷宮区に潜ることになった。

 キリトが組んだメンバーはその男と誰だかわからない団員、そしてアスナの護衛にも関わらず彼女のことをストーカーしていたクズ野郎。そいつの姿を確認した彼は警戒を露にしたが、ぺこりと頭を下げて謝罪したのを見てやむなく納得した。

 それから順調に攻略を進めていったが、休憩の時間に事件は起こる。なんとクズ野郎が用意した水には麻痺毒が混ぜられており、そいつ以外の三人は地に伏してしまったのだ。

 計画が成功したクズ野郎は目に狂気の色を浮かべ、自身の大剣で躊躇なく動けない男と団員を殺した。そしてキリトも殺そうとしたが、ギリギリで駆けつけたアスナがそれを阻止する。

 無表情になったアスナはキリトにも見えない剣さばきでクズ野郎を追い詰めていき、瀕死になったそいつは剣を投げ捨て命乞いをした。

 その姿に一瞬躊躇いを見せたアスナはクズ野郎に愛剣を弾き飛ばされ、逆に殺されそうになる。しかし麻痺から復活したキリトが彼女とそいつの間に割り込み、僅かに残っていたHPを刈り取った。

 この事を報告された茅場晶彦、もといヒースクリフはキリト達に休暇を出さざるを得なくなり、今に至る。捕捉しておくと彼らはその事件がきっかけでお互いの恋心に気づき、結婚している。恋人という関係を省略した結婚とはこれ如何に。

 とにかく、この話を聞いた俺はキリトがまた自己嫌悪に陥っていないか心配だったのだが、杞憂に終わったようだ。それならば結婚した二人を祝ってやろうと思った瞬間、聞き慣れない声がした。

 

 「パパ、ママ、あの人達は誰?」

 

 ログハウスから出てきたのはシリカよりも年下の少女だった。その少女はキリトとアスナのことをパパ、ママと呼んでいる。

 俺とシリカの目は何度もその少女とキリト達の間を行き来する。そして恐る恐る彼らに問う。獣の冷徹な思考で何度考えても出た答えは同じだった。

 

 「……キリトにアスナ、もしかして結婚して早速頑張ったのか?」

 

 「違う!断じて違う!そもそも、此処では作れないだろうが!!」

 

 「そそ、そうだよソーヤ君!もし仮にそうだとしても成長速度が明らかにおかしいでしょ!!」

 

 俺の問いに顔を真っ赤にしたキリトとアスナが全力で否定する。その様子がおかしかったのか、少女は顔に年相応の無邪気な笑みを浮かべた。

 この少女がキリトとアスナに心を開いていることは間違いない。それがますます彼らの子どもなのではないかという疑心を膨らませる。もし違うのならば、何故少女は彼らをパパ、ママと呼んでいるのだろうか。

 疑いの目を変わらず向けていると、耐えられなくなったキリトとアスナが「こうなった経緯を話す」と言って、俺とシリカをログハウスの中へと入れた。

 

 「……なんだ、そういうことなら言ってくれれば納得できたのに。」

 

 「まぁ言ってはいないけども、はっきりと否定したのに疑い続けてたのはソーヤだろうが……。」

 

 キリトの声を聞き流しながら、ピナと遊んでいる少女に目を向ける。少女はキリトとアスナの間に誕生した子ども……ではなく、この第二十二層の森の中で倒れていたプレイヤーだそうだ。名前はユイと言った。

 しかしプレイヤーとしては少々不可解なところがあり、視線を合わせてもカーソルが出ず、右手ではなく左手を振って表示されたウィンドウはデザインが異なっているらしい。

 キリト達と出会った経緯としては、この辺に出ると噂になっていた幽霊を見ようと森の中を探索している時にたまたま見つけたとのこと。そして記憶喪失になっており、キリトのことをパパ、アスナのことをママと呼んでいる。

 

 「それで、これからどうするの?」

 

 「そんなの決まってるじゃないか。ユイの両親を探して見つける。そこでなんだが……今手掛かりも何もないから、手伝ってくれないか?人手が多ければ、早く見つけられるとおもうからさ。」

 

 「わかりました!頑張ってユイちゃんの両親を見つけましょう!」

 

 キリトの頼みをシリカが即座に了承する。彼女はこういう頼みを断れない心優しい性格だ。どんな人であれ困っていたらのなら手をさしのべる。そんな彼女が俺には眩しく見えた。

 

 「始めは何処に行く?」

 

 「《はじまりの街》だ。ユイは見たところこの森に迷い混んだ感じだったから、此処に来る前は下の層にいた確率が高い。」

 

 「了解。それじゃあ行こうか。アスナ、料理ご馳走さまでした!」

 

 ユイとピナを見守っていたアスナにお礼をして立ち上がり、ウィンドウを操作してストレージの中に収納している武器を直ぐに装備可能な状態にする。今から向かう《はじまりの街》は俺が殺したクズ野郎がいた《軍》のテリトリーだ。警戒するに越したことはない。

 全員の支度が整ったところでログハウスを出て、転移門の広場へと向かう。ユイはキリトに肩車をされながらきゃっきゃと騒いでいる。本当に見れば見るほど親子なのではないかと思ってしまう。

 そうしているうちに転移門の広場に到着し、青く光る転送空間に入ってボイスコマンドを入力する。視界を埋める強い光が消えた時には、俺達は《はじまりの街》に降り立っていた。

 

 「……あれからたったの二年か……。」

 

 巨大な広場とその奥に横たわる街並みは嫌でもこの世界でデスゲームの開始が宣言されたあの日を俺に思い出させた。赤いローブを纏った茅場晶彦が絶望という名の爆弾を次々と投下したことは今でもはっきりと覚えている。

 あれから二年の時が過ぎた。人によっては長いと感じる時間だが、俺にとってはあっという間に感じた。その原因は俺自身と周囲の変化だろう。

 過保護だった母親に勧められてこの世界に来た俺は、これまでに多くの人間と関わった。それは他者を疑うことが普通であった俺を少しずつ、それでも確実に変化させていった。

 そしてその果てに俺は母親の言う人間……友達を見つけることができた。更に、人間の皮を被った獣の俺を受け入れてくれた大切な人も隣にいる。俺はその者達を微塵も疑わず信頼している。この二年で俺の周りは大きく良い方向に変わった。

 しかしゲームの終わりが見えてきた時、俺はいつか彼らと別れなければならないことに気づいてしまった。夢から覚め、この変化は幻となり、また孤独になってしまうことを理解してしまった。

 いっそこの事を皆に打ち明ければ、いくらか気持ちが楽になるだろう。誰かに悩みを話せば追い詰められた心の傷が癒されることは知っている。

 だがこれを話すことは許されない。皆を裏切るようなことは認められない。帰還を拒むようなことは、絶対に言ってはならないのだ。

 

 「ソーヤさん?」

 

 「ううん、何でもないよ。さぁ、行こっか。」

 

 だから俺は仮面を張り付ける。周りも、自分自身すらも欺く嘘で塗り固められた仮面を。望むことを許されない禁忌の願いを持つ本当の俺を誰にも見せないようにする為に。

 

 

 ◇◆◇

 

 「ユイちゃん、此処に見覚えのある建物とかある?」

 

 「うーん……わかんない。」

 

 先程からこの繰り返しだ。アインクラッドで最大の広さを誇る《はじまりの街》を歩き回っては、定期的にユイに見覚えのある建物がないかアスナが聞く。しかし未だに何の成果も得られておらず、今回も失敗に終わってしまった。

 残っているのは東の方角かとウィンドウを開いてマップを確認していると「子ども達を返してください!」という声が聞こえた。何処から聞こえたのか気配を探ろうとした時には既に、隣にいたシリカが勢いよく駆け出していた。

 ステータスの暴力によって風となったシリカはショップの前や民家の庭などを突っ切っていく。そんな彼女を見失わないように俺も全速力で追う。後ろにちらりと目を向ければ、ユイを背負ったキリトとアスナもやや遅れながらもついてきている。

 走り始めて数秒後、細い路地を塞いでいる一団と一人の女性プレイヤーが目に入った。第七十四層で俺が殺したクズ野郎と同じような装備の一団は《軍》で間違いない。その中に三つぐらいの気配が囲まれていることから《軍》のプレイヤー達が女性プレイヤーの言う子ども達がいるのだろう。

 状況を大まかに理解した俺は速度を上げ、横に並んだシリカにそのことを伝える。それを聞いた彼女は目に怒りの炎を宿して躊躇なく路地に駆け込むと、これまたステータスの暴力で《軍》のプレイヤー達の上を飛び越えた。勿論、彼女を一人になんてできないので俺も同様に飛び越えて四方が全て壁になっている空き地へと降り立った。

 

 「うわっ!!」

 

 驚愕の声を出して飛び退いた《軍》を横目にしながら、気配を感じる方に目を向ける。そこには装備を解除して簡素なインナー姿となっているシリカと同じぐらいの背丈の少年と少女が身を寄せ合って震えていた。

 シリカは内に燃え上がる怒りを隠し、子ども達に微笑みを見せた。

 

 「もう大丈夫ですよ。早く装備を元に戻してください。」

 

 子ども達は突然現れた俺とシリカに目を丸くしていたが、直ぐに小さく頷いて装備を戻し始めた。

 

 「おい!いきなり出て来て何なんだよお前ら!《軍》の任務を邪魔するつもりか!!」

 

 「まぁ、待て。そんなに騒ぐ必要はない。」

 

 喚き声を上げる一人のプレイヤーを押し留め、装備が若干豪華な男が進み出てきた。その様子からしてリーダーにあたるのだろう。

 

 「お前ら見ない顔だが、俺達解放軍に楯突く意味がわかってんのか?なんなら、本部に行ってじっくり話を聞いてもいいんだぜ?それとも《圏外》に行くか?」

 

 リーダー格の男は腰からやや大きめの《ブロードソード》を抜き、わざとらしく刀身をペタペタと叩きながら近寄って来る。完全に俺達をなめている態度だ。

 その態度があの思い出したくもないクズババアと重なって見えてしまった。そして芽生えた殺意を獣は見逃しはしない。殺意という名の餌を喰らい、獣は大きくなって俺の両目に熱を感じさせる。

 しかし俺の意識を奪う程ではない。獣を解き放つ前、シリカと出会ったあの森で殺意の発散をしていた頃ぐらいの殺意だ。いくら大きくなった獣とはいえ、今の獣はあの悪魔や茅場晶彦とのデュエルの時とは比べ物にならない程に小さい。

 

 「……シリカ、行くぞ。」

 

 「勿論です。ピナも行くよ。」

 

 「きゅるるる!」

 

 ウィンドウを操作して俺は片手剣《ロンリライアー》を握り、シリカは俺がプレゼントした短剣《パストラスト》を手に持った。そのまま光をそれぞれの得物に纏わせる。

 

 「お……?」

 

 状況が理解できず、口を半開きにする男に一瞬で接近した俺達はその顔面目掛けてソードスキルを放った。

 血塗れた赤と鮮やかな青の光が周囲を染め上げる。男は発生した衝撃によって仰け反り、呆然とした顔浮かべながら尻餅をついた。そこに間髪いれずピナが吐いた灼熱ブレスが直撃し、あまりの熱さに顔を覆いながら地を転がる。

 

 「……戦闘が望みならいくらでもやってやる。」

 

 「相手はソーヤさんと私、そしてピナ。HPは減らないから、思う存分かかってきなさい!」

 

 「ま、まさか《鬼神》と《竜使い》!?ど、どうしてこんなところに!?」

 

 「……お前は知る必要など無い。」

 

 俺とシリカの正体に気づき、驚愕を露にした男に向かってもう一度ソードスキルを放つ。再び衝撃が発生し、横に転がっていた男は方向を変えて後ろに転がる。

 いくらダメージがないとはいえ、戦闘になれていない者ならば耐えることは厳しい。男は先程見せた武器を見るに戦闘経験は皆無に近い。あのやや大きい《ブロードソード》は損傷も修理もされたことがない薄っぺらい輝きを放っていたのだ。

 

 「お、お前ら……早くなんとかしろっ……!」

 

 男は後ろで見ているであろう部下に指示を出したが、誰一人反応がなかった。その事に疑問を感じた男が振り返ると、シリカがピナと共に男の部下を次々と蹴散らしていた。

 シリカの《パストラスト》から放たれたソードスキルが強烈な衝撃を発生させて吹き飛ばし、ピナの灼熱のブレスが大人数を巻き込んで戦闘不能にまで追い込む。今の彼女にこそ俺の二つ名である《鬼神》がぴったりだと感じた。

 それにしても、シリカが敬語を外したところを見たのは初めてだ。「取ろうと意識しても外れないんです」とまで言っていた敬語が外れるとは、彼女の怒りは相当なものなのだろう。現に今も、彼女は人を殺しかねない勢いで短剣を振るっている。

 暴れまわるシリカとピナを視界の端に捉えながら恐怖に震え、甲高い悲鳴を上げ続ける男にひたすらソードスキルを撃ち込んでいると南北の通路からも《軍》のプレイヤーどもが走り込んできた。

 一方的になぶられている仲間を助けようとする《軍》の連中の前に俺は立ち塞がり、空いている片手で細剣《スカービースト》を抜く。かなり前から使用している剣だが、何度も強化を重ね、今でも一線級の性能をしている。

 

 「……シリカの邪魔はさせないぞ。此処では肉体的にコロスことが無理だから、精神的にコロシテヤル。」

 

 そう言い放つと俺は放たれた殺気に足が止まった連中に突っ込んだ。

 一番前にいるプレイヤーに向かって《スカービースト》を投擲し、紫色の表示に弾かれている間にソードスキルを叩き込む。

 そして《ロンリライアー》を宙に投げて《スカービースト》を地に落ちる前に掴み、硬直をキャンセルしてまた別の標的にソードスキルを放つ。

 ただそれを何回も繰り返し、数分後には気絶したプレイヤーが山のように積み重なった。シリカの方を見れば、そちらも同じぐらいの高さの山ができていた。

 少し殺りすぎてしまったかと思っていると、助けたうちの一人の子どもが俺とシリカを見て目を輝かせていた。

 

 「すっげぇ……兄ちゃん達強すぎだろ!」

 

 「大丈夫だって言ったろ?……それでもちょっと暴れ過ぎだが。」

 

 「「あはは……。」」

 

 助けた子ども達を守ってくれていたキリトの言葉に俺とシリカは乾いた笑いをする。すると子ども達からわっと歓声が上がった。女性プレイヤーも両手を胸の前で握り締めて、泣き笑いを浮かべている。

 しかし次の瞬間に細いが、よく通る声がした。

 

 「ああ……みんなの……みんなの、こころが……。」

 

 「ユイ!どうしたんだ、ユイ!!」

 

 声の主はユイだった。まるで何かを思い出すように顔をしかめて唇を噛んだかと思えば、その顔を仰け反らせて高い悲鳴を上げた。

 

 「うああ……あああぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 叫び声を上げるユイを中心として周囲にノイズの音が響く。その直後に彼女は強張った全身を脱力させて気を失った。

 

 「……何だったんだ、今のは……。」

 

 そう呟いた俺の問いに答える者はこの場に一人もいなかった。



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第二十話 腐敗した《軍》

 投稿が遅れてしまい、本当に申し訳ありませんでした。

 これからの展開をどうしようか悩んでいた為、執筆時間があまり取れませんでした。

 後、「シリカ強化」のタグを追加しました。見返すと原作のシリカよりもかなり強くなっていますので……。

 


 ◇◆◇

 

 「……此処は何かの戦場なのか?」

 

 「ソーヤさん……此処は皆で朝ごはんを食べる場所です。……その筈です。」

 

 俺は眼前で繰り広げられる子ども達の朝食の様子を見て呆然と呟き、シリカが自分に言い聞かせるように呟きを返す。

 俺達は今、第一層にある教会の広間にいる。此処には昨日いた女性プレイヤー……サーシャが身寄りのない小学生から中学生の子ども達を住まわせている。もしもの話、俺が攻略に行かなければ此処のお世話になっていたのかもしれない。

 巨大な長テーブルに並べられた数々の料理を約二十人の子ども達が盛大に騒ぎながら食べているその様は、まるで現実世界での学校のようだ。

 

 「でも、とても楽しそう。」

 

 戦場から少し離れたところにある丸テーブルに俺達と腰かけているアスナが子ども達に目を向けながら微笑を浮かべ、カップに入っているお茶と思われる液体を啜った。

 アスナの視線に吊られてそちらを見ているサーシャは困ったような顔をしながらも、その瞳にははっきりと子ども達を愛おしく思う感情が写されている。キリトも同じような感情を写しながら、彼の側でアスナお手製の料理を次々と口の中に放り込んでいるユイの頭を撫でていた。

 昨日、周囲にノイズを発生させながら気絶したユイは幸いにも数分後に目を覚ました。しかし、今の彼女の状態で転送門を利用したらどうなるのか不明な為、熱心に誘ってくれていたサーシャの教会の空き室を借りて一夜を過ごしたのだ。

 今朝のユイの調子は見る限り絶好調と言っても過言ではないぐらいに元気いっぱいだ。だが、状況は全く変化していない。手掛かりが未だに何一つ得られていないのだ。

 朝食を食べる前に訊ね人の張り紙が張ってある場所に行ったのだが、ユイのことに関する訊ね人のものは一つも見当たらなかった。

 この事から、ユイには俺と同じように両親が存在しないと推測した。もし彼女に両親がいれば、翌日にはこの世界で訊ね人の情報が集まっている此処にユイのことを探す張り紙が出ているはずだからだ。

 自分の腹を痛めて産んだ子どもを大切にしない親は親とは言えない。血縁上は親にあたるのかもしれないが、それは親ではない。ただのクズ野郎だ。例えば子どもをいじめ、その命を奪うような親などは親と言うのもおこがましい。

 だから俺はそのようないじめが蔓延るあの世界は嫌いだ。デスゲームと化したこの世界のほうが、よっぽどましだと思えるぐらいに。

 俺が自然と拳を握り締めていたことに気づいた頃、キリトがカップを置いて口を開いた。

 

 「サーシャさん、一体いつから《軍》の連中はあんな犯罪者紛いなことをするようになったんです?俺の知る限りじゃ、治安維持に熱心だったはず。」

 

 「それは確か半年前ぐらいからですね……。当時は昨日のような人達と、それを取り締まっている人達がよく対立していました。噂程度ですが、上の方で権力争いか何かがあったみたいで……。」

 

 そのことを聞いたキリトがアスナに「ヒースクリフはこの事を知っているのか」と聞いているが、そのプレイヤーの性格を知っている俺には彼女の回答が予想できてしまった。

 そして俺の予想通り、アスナは「知ってはいるが、行動を起こすことは多分しない」と答えた。因みにシリカはまた眠たくなったのか、俺の隣でピナと一緒に規則正しい寝息を立て始めた。時々忘れてしまうが、彼女もまだ子どもなのだ。

 茅場晶彦は情報を幅広く集めることはするものの、自身が関わる可能性のあるものにだけしか興味を示すことはしないのだ。

 キリトは顔をしかめながらカップに手を伸ばす。彼は今の《軍》をどうにかしたいと考えているのだろう。そんなことを考えていると、この教会に近寄って来ている気配を一つ感じ取った。

 

 「誰か来る、一人だ。」

 

 キリトもその事に気づいたのか、視線を扉へと移す。その数秒後に一つの人影が向こうに見え、音高くノックが響く。警戒を怠らずに俺とキリトが先行して近づいていき、ゆっくりと扉を開けた。

 そこにいたのは長身の女性プレイヤーだった。一言で彼女を表すのならば『美人』がぴったりだろうか。しかし、装備を確認した俺は目線を鋭くした。

 鉄灰色のケープに隠されてはいるが、間から見えている鈍い輝きを放つ金属鎧は明らかに《軍》のものだ。加えて腰には剣と黒革の鞭がぶら下げられており、それが更に警戒心を引き上げる。

 

 「お前、一体何の用d……」

 

 「あら、ユリエールさん。あの、この人は大丈夫だから警戒を解いてくれない?」

 

 「……いきなりすまなかった。」

 

 サーシャの言葉とその様子から嘘ではないと判断した俺は謝罪をしてから警戒を解く。キリトも同様に警戒を解き、ユリエールを食堂へと案内した。

 食堂にいた子ども達はユリエールの身なりを見て警戒の色を滲ませたが、サーシャの一言で子ども達は肩の力を抜いて再び容赦なき戦場に飛び込んでいった。彼女は相当な信頼を子ども達から置かれているようだ。

 状況が読めないアスナの問いかけるような視線に首を傾げて答えるキリトと共に元の席に座り直す。シリカはまだ起きる気配を見せない。昨夜はあまり眠れなかったのだろうか。

 

 「はじめまして、ユリエールです。ギルドALFに所属しています。」

 

 ユリエールはまっすぐとした目線を俺に向け、ぺこりと頭を下げた。

 

 「ALF……ああ、アインクラッド解放軍の略称か。俺はソーヤだ。そして俺の隣で寝ているのがシリカとピナ、向かいに座っているのが《血盟騎士団》のアスナとキリト、その間にいる子はユイだ。」

 

 何かよく分からないスープを飲んでいたユイは顔を上げ、ユリエールを注視する。その視線を感じた彼女は驚きの顔を変え、ユイに微笑みを返す。するとユイも笑みを浮かべ、再び謎のスープを飲み始めた。

 

 「……それで何の用だ?もしかして、昨日のクズ野郎どものことに関しての抗議か?」

 

 「いえいえ、その事に関してはよくやってくれたとお礼を言いたいです。」

 

 「……」

 

 状況が掴めずに皆が沈黙するなかで、ユリエールは俺に向かって姿勢と正した。

 

 「今日は貴方にお願いがあって来ました。……ダンジョン最深部にいるシンカーというプレイヤーを私と共に助けてほしいんです。」

 

 それからユリエールは何故そのような状況になったのかを説明した。

 元々、情報や食糧などの資源をなるべく多くのプレイヤーで均等に分かち合おうとしたシンカーはギルドを立ち上げた。

 しかし巨大化し過ぎたギルド内では獲得したアイテムの秘匿などが横行し、当時のリーダーだったシンカーはどんどんお飾り状態となっていき、収入が激増した案を打ち出したことによって近頃権力が強くなってきたキバオウが実権を握るようになった。

 ところが末端プレイヤーの中で「攻略を蔑ろにしていては本末転倒なのではないか」という声が広がり、キバオウはその声を抑えようと最前線のボス攻略にハイレベルだったプレイヤー達を送り出した。

 その結果は散々なものとなり、追放されることを恐れたキバオウは三日前、シンカーを罠に掛けるという強攻策を実行。それは見事に成功し、シンカーは丸腰でダンジョンの奥深くに放逐された。

 大まかな流れはこんな感じのものだ。そしてそのダンジョンはユリエールだけでは突破できず、今の《軍》の戦力はあてにできない。

 そんな時に恐ろしく強い二人組が現れたと聞いたユリエールはその力を借りようとこうしてお願いに来たということだ。

 

 「厚かましいことは自覚しています。それでももう三日も戻って来ないシンカーの名前にいつ横線が引かれるのか不安でたまらないんです。だからどうか、手伝ってくれませんか?」

 

 「……それなら、キリトとアスナに頼むのが良いだろう。俺にはやることがある。」

 

 「え?それは一体……」

 

 「……攻略に行くんだ。キリトとアスナが休暇中な分、俺が頑張らないといけないからな。」

 

 「ソーヤ、隣で寝ているシリカはどうすんだ?」

 

 俺は隣に目を向ける。そこには子猫のように丸まりながら幸せそうな寝顔をしているシリカとピナがいた。こうしてみると、彼女もこの教会の一員のように見えてしまう。

 

 「……幸せそうに眠っている子を無理矢理起こすような真似はしないさ。此処にいればシリカも子ども達も安全だろう。なに、キリト達の方が終わる頃には帰るつもりだ。」

 

 そう言って俺は立ち上がり、教会を後にする。しかし俺が足を向けたのは転移門の広場ではなく、《軍》の根城となっている黒鉄宮だった。

 

 

 ◇◆◇

 

 全てのプレイヤーの名が刻まれた《生命の碑》が置かれている広間には、友人や恋人の死を受け入れられない者達の悲痛な声が今日も響いている。

 しかしその声がまるで聞こえていないかのように、すたすたと歩いている少年は《生命の碑》の横を通りすぎようとして……《軍》のプレイヤー達によって行く手を遮られた。その中のリーダー格であろう男が出て来て、少年の前に立ち塞がる。

 

 「おい何だ貴様は。これ以上先は我らアインクラッド解放軍の関係者だけが入れる場所だ。貴様のような一般プレイヤーが入ることは許されんぞ。」

 

 「……その傲慢な態度、あのクズ野郎の息がかかっているな。」

 

 「貴様、何を言っている?さっさと立ち去らねばそれ相応の対処をせねばなr……!?」

 

 突然、鋭い刃が自身の首筋に突きつけられているような錯覚を覚えた《軍》の男は言葉を呑み込む。男を睨む少年の瞳は殺意が芽生え始めているのか、やや赤色が混じっている。

 

 「……お前は、キバオウというクズ野郎の場所を知っているか?」

 

 「なっ……!?貴様なんぞに言うわけがないだろ!」

 

 「……そうか。じゃあ……ジャマ、コロス、シネ。」

 

 刹那、紫色のエフェクトと共に発生した強烈な衝撃が男を襲う。堪らず尻餅をついた男が見たのは、細剣を腰の鞘から抜き放ち、瞳が完全に赤く染まっていた少年だった。

 少年の瞳が男を捉えた瞬間、男は今までで感じたことの無い恐怖に包まれる。訓練の時とは比べ物にならない、まるで自分の心臓が悪魔の手に鷲掴みにされ、いつ握り潰されるのかわからないような恐怖だ。それが男から思考を奪い、ただ恐怖に震えるオブジェクトへと変貌させる。

 少年の握る細剣に赤黒い光が宿る。此処は《圏内》で死ぬことはシステム上あり得ない筈なのだが、男には明確な『死』が感じられた。眼前の少年によって殺されるとしか思えなかった。

 そして少年がその光を放った直後……男は白目を剥いて力なく倒れた。

 気を失った男を邪魔だと言わんばかりに蹴り飛ばした少年は、行く手を阻んでいる《軍》のプレイヤー達をその赤い瞳で捕捉する。大の大人を気絶にまで追い込んだ恐怖の鎖が今度は彼らに絡み付いた。

 

 「……ひっ!」

 

 その声が誰のものなのかはわからない。だが次の瞬間には少年の前にいた《軍》のプレイヤー達は先程の男と同じ結末を辿っていた。

 

 「……ドコダ。アノ、クズヤロウハ……。」

 

 バタバタと倒れている者達には目もくれず、黒鉄宮の中に入りながら少年はその場に立ち止まって瞼を下ろし、数秒後に赤い瞳をある一点へと向ける。獣の眼が今日の獲物を見つけたようだ。

 それからの少年の行動は早かった。細剣を鞘に戻すと同時に獲物がいる場所までトップスピードで向かったのだ。

 獲物に近づいていけば近づく程に多くのプレイヤー達が少年の邪魔をしようと集まってくる。しかし彼らは実戦を全く経験していない雑兵の集まり。少年の殺意に耐えられる訳がなかった。

 少年が動き始めてから数分、獲物がいる部屋の扉が荒々しく開かれる。

 

 「なっ、なんや!何があったんや!?」

 

 何事かと非常に驚いた様子で獲物が扉へと目を向けた先には、殺気をこれでもかと放っている少年の姿があった。

 

 「……ヒサシブリ……クズヤロウ……。」

 

 「《鬼神》!?な、何でお前がこんなところにいるんや!答えんか!」

 

 「……コリドー、オープン……。」

 

 獲物の問いには一切答えず、少年は深い青色をした結晶を取り出して使用する。その結晶が砕けると同時に、渦巻くゲートが開かれた。

 恐怖の鎖に絡み付かれた獲物は何の行動も起こせなかった。それが獲物を一気に死へと近づける。

 獲物の背に突如強烈な衝撃が走る。それが少年による蹴りだと理解した頃には、獲物は渦巻くゲートに吸い込まれていった。

 そして少年もまた、渦巻くゲートへと姿を消す。そして渦巻くゲートが消滅しかける直前、獲物の断末魔とポリゴンが弾ける音が響いた。

 

 

 ◇◆◇

 

 「……『死』か……。」

 

 そう呟きながらあのクズ野郎を殺した瞬間を思い出す。奴はHPが尽きる最後まで俺に怨嗟の声を吐き続けた。それに対しては何も感じなかったのだが、ポリゴンが弾ける様子を見た時に感じたことがあった。

 それは『死』。この世界でHPがゼロになると、頭に被っている機械によって脳をチンされて現実でも死んでしまう。これは命を代償として、このゲームをクリアせずに脱出できる唯一の手段だ。

 そう……俺から見れば『死』というのは夢から覚めないまま永遠の眠りにつくことが可能なのだ。

 俺は何度も他者を信頼し、裏切られてきたことで何かを失った時の痛みがどれ程に激しいものなのかを知っている。

 もしゲームがクリアされて現実へと帰還し、シリカ達ともう会えなくなったとしたら……俺は俺でいられる自信がない。それならいっそのこと……

 暗い思考をする頭を一旦リセットし、《生命の碑》に並んだ無数の名前の中にある《Kana》という名前に目を向ける。その名前には横線が引かれ、隣に小さく死亡原因が書かれていた。

 

 (……母さん、デスゲームになることを知らされていなかったんだね。もし知っていたら、過保護な母さんは俺にそのゲームの存在すら認知させないようにするかもしれないから……。)

 

 このプレイヤーが母親ではないことは十分承知している。だがクズ野郎を殺し、此処に戻ってきてその名が視界に写ってから俺は《生命の碑》の前で立ち止まっていた。

 新原華菜。一人っ子だった俺に過保護で、あの腐った世界で一番に信用できた人物。一時的とはいえ、俺をこの世界へと誘い、信頼できる者達と出会わせてくれた恩人。

 その分、もう会えないと考えると心が痛い。世の中、いい人から死んでいくというのは本当のことなのだろうか……。

 

 「あっ!やっと見つけましたよ、ソーヤさん!全く、私を置いていくなんて酷いd……!?どうしたんですかソーヤさん!涙なんか流して!」

 

 「……ああ、シリカ。ちょっと母さんと同じ名前を見つけたから、昔のことを思い出していたんだ。」

 

 「そうだったんですか……。あの、もし耐えられなくなったのなら遠慮なく私を頼ってくださいね!ソーヤさんは一人ではないんですから!」

 

 俺を安心させようとしたシリカの言葉が逆に俺の心に刃を突き立てる。『一人ではない』、確かに今はそうだろう。だが後一年も経たずに、再び俺は一人に戻るか死ぬという最悪で残酷な結末を迎える。その事を彼女は理解しているのだろうか。

 そう思ったが、明るい笑顔を浮かべているシリカにそんな事が聞ける筈もなく、俺に出来たことは「ありがとう」と感謝の言葉を返すことだけだった。



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第二十一話 釣りをしよう(前編)

 この話を一話で纏めようとしたのですが……無理でした。

 今回、かなりの駄文になっているかと思われます。ほのぼのとした感じを書くのが苦手なので、何かアドバイスなどいただけると嬉しいです。

 誠に身勝手なのは承知していますが……よろしくお願いします。


◇◆◇

 

 釣糸を湖に垂らしてから早一時間が経った。未だに何の反応も見せないウキに苛立ちを覚え、自然と釣竿を握る力が大きくなる。いくら我慢強い俺でも限界の時が近づいてきていた。

 隣から大きな欠伸が耳に入り、そちらに目を向けるとやってられんとばかりに釣竿を放り投げたキリトがごろりと寝転んで眠っている。

 キバオウという名のクズ野郎を殺してから数日が過ぎた。第三者から見れば、別に殺す必要はなかったのではないかと思うだろう。

 確かにそうだ。だが、あのクズ野郎の他者を蹴落として成り上がろうとする態度が、両親と同じく茅場晶彦の部下だったある男と似ていた。

 故に殺意が芽生え、殺すこととなった。そして両親と茅場晶彦がいなくなった今、奴はどうしているのだろうか……考えたくもない。頭を振って奴のことを意識外へと追いやる。

 あれから俺とシリカは攻略の合間にキリトとアスナがいる第二十二層を訪れるようになっていた。

 いや、正確には彼らが俺達を招待しているのだ。それも約二日に一回という高頻度。折角結婚したのなら、もう少し二人だけの時間を取ればいいと思うのは俺だけなのだろうか。

 そして現在、俺とキリトは食糧調達の為に《釣り》のスキルを設定して湖に釣糸を垂らしているわけなのだが、二人合わせて一匹も釣れていない。それどころか、何かが食い付く様子すら見受けられない。

 

 「……俺ももう無理、限界。茅場の叔父さん釣りの難易度高く設定しすぎでしょ……。」

 

 今もプレイヤーの中に紛れ、この世界を楽しんでいる両親の上司に向かって文句をつけながら釣糸を引き上げる。案の定、釣り針に付けていた餌は消えており、空しく銀の光を放っていた。

 それを確認した俺はキリトと同じように竿を放り投げて寝転ぶ。日本で言えば十一月頃になるであろう今の気候で外で居眠りすれば風邪になる可能性があるが、この世界に風邪など存在しない。

 少し肌寒い風に煽られながら鉄の天井を見上げていると、突然どこか見覚えのある年輪を刻んだ顔が俺の視界を覆っていた。

 

 「釣れますか……って、君は新原さんのとこのお子さんではないですか?」

 

 「……そうですよ。お久しぶりです……西田さん。」

 

 「おお、やっぱりそうでしたか。確か……三年ぶりですかな?いやー、まだ小学生だった創也君も大きくなりましたなぁ。」

 

 肉付きのいい体を揺らして西田さんは笑う。彼は全くと言っていい程に出会った三年前から変わったところがない。この世界に来て大きく変わった俺とは対極にあたる感じだ。

 西田さんは「隣、失礼します」と言ってキリトとは反対側の俺の横に腰を下ろし、やや不器用な手つきでメニューを操作して餌を付ける。

 それを確認し、今度は慣れた様子で竿を振り、釣り針を湖に沈めた。確か西田さんは釣りをこよなく愛す人だった筈だ。だから現実と同じところだけはぎこちなさが無いのだろう。

 

 「それにしても、創也君にも友達ができたようで嬉しいですわ。休憩の時間に華菜さんから何度も話をされていたもんですから……。」

 

 「……母さんは過保護でしたから。横で眠ってる彼とは嘘の仮面を外して関われる友人です。他にも、何人かいます。俺の過去を知ってもなお、受け入れてくれた人達が……。」

 

 「なんとそれは……。その子達を大切にしないといけませんなぁ。あと、創也君の過去というところはどれ程まで話したのですか?」

 

 「俺に関することだけですよ……。流石に両親のことを話すとなると、茅場の叔父さんのことまで話さなければいけなくなりますから。……西田さん、昔の話は此処まででお願いします。横の彼が起きそうです。」

 

 俺がそう言いながら後ろを振り返ると、丁度目覚めたキリトが眠い目を擦りながら上体を起こしているところだった。

 キリトは西田さんの存在に気づいた瞬間に仰天して飛び起き、観察するような眼で彼を見る。その眼は彼のことをNPCではないかと思っていた。

 まぁ無理もないだろう。恐らくだが西田さんは、若者しかいないとまで言えるこの世界では最高齢に位置すると思われる年齢なのだから。

 

 「キリト、NPCじゃないよ。れっきとしたプレイヤーだから。」

 

 「あ、す、すみません。まさかと思ったものですから……。あの、俺はキリトっていいます。最近上の層から引っ越して来ました。」

 

 「これはどうも。私はニシダといいます。此処では釣り師を、日本では東都高速線という会社の保安部長をしとりました。名刺が無くてすみませんな。」

 

 西田さんの自己紹介にどこか引っかかる部分でもあったのか、キリトは何かを察したような顔をする。俺は彼が何故そんな顔をしたのか考え、納得した。

 《東都高速線》はこの世界の創造神である茅場晶彦とその部下だった俺の両親がいた《アーガス》と提携をしているネットワーク運営企業なのだ。

 その為、今俺達がいる世界のサーバーに繋がる経路も手掛けている。このことは《アーガス》についてちょっと調べれば出てくる情報なので、知っているプレイヤーはかなり多い筈だ。

 複雑な表情をしているキリトが口を開こうとした瞬間、西田さんのウキが勢いよく沈む。俺がそれに気づいた頃には既に彼は腕を動かしてビシッと竿を合わせていた。現実世界での経験もさることながら、《釣り》のスキルの数値も相当なものなのだろう。

 

 「うぉっ!デカイ!!」

 

 「……こんな大きなものも釣れるのか。」

 

 身を乗り出して魚影を見つめる俺達の隣で西田さんは悠然と竿を操り、あっという間に一匹の青い魚を釣り上げる。魚は数回跳ねた後、ストレージの中へとその姿を消した。

 

 「お見事……!」

 

 「いやぁ、此処での釣りはスキルの数値次第ですからなぁ。」

 

 西田さんは照れたように笑い、頭を掻く。しかし、直後に何かに悩むような顔を浮かべた。

 

 「ただ、釣れるのはいいんですが料理の方がねぇ……。刺身などにして味わいたいもんですが、肝心の醤油がなければどうにもなりませんわ。」

 

 「あ……えっと……。」

 

 西田さんの言葉を聞いたキリトが俺を見る。アスナが製作した醤油の味がする液体のことを話そうか迷っているようだ。

 初めてアスナの醤油モドキを使った料理を食べた時は驚愕を隠せなかった。この世界に醤油があったのかと思わざるを得ない程に醤油の味がしたのだ。

 どうやって作ったのかというシリカの問いに答えたアスナ曰く、「調味料が味覚再生エンジンに与えるパラメータを全て解析して作った」とのこと。それを聞いた俺は彼女は相当食に飢えていたのだろうと思ったのは内緒だ。

 こちらに目を向けたままのキリトに、話しても大丈夫だと頷く。西田さんはゴシップに興味がなく、たとえキリトとアスナの正体を知ったとしても周囲に話すことはせず、「時には休むことも必要ですからな」などと言うだろう。

 

 「……実は醤油にとてもよく似ている物に心当たりがあるのですが……」

 

 「なんですと!ぜ、是非その物について教えてくれませんか!」

 

 やや興奮気味で身を乗り出し、キリトの両肩を掴んだ西田さんの眼が輝いて見えたのは気のせいではないだろう。

 

 

 ◇◆◇

 

 西田さんを連れて帰って来た俺達を出迎えてくれたアスナとシリカは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔を浮かべてログハウスの中に招き入れた。

 ピナは西田さんの姿を発見したとたんにブレスを吐こうとし、シリカに怒られて今は俺の頭の上で反省させられている。一体ピナはどこまで過激になっていくのだろうか。そして反省場所が俺の頭とはこれ如何に。

 

 「そういえばキリト君、このお客様は?」

 

 事情を聞き、シリカと一緒に料理をしているアスナがそう問いかける。ウィンドウをせわしなく操作する彼女の首には大きな涙の形をしたクリスタルがつけられていた。キリトとアスナの初めての子どもであるユイの心が宿ったオブジェクトである。

 ユイはなんとプレイヤーのメンタルケアを行う《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》のAIだったのだ。

 しかしデスゲーム開始時にプレイヤーとの関わりを禁止され、モニタリングすることしかできなくなってしまったらしい。プレイヤー達の負の感情を見続けた彼女はエラーを蓄積させて崩壊し、壊れていった。

 そんな時にキリトとアスナを発見し、彼らに会いたいという自我が芽生えた。だがそれをゲームシステムの管理を行う《カーディナル》は許さず、消去されかけたところをシステムに介入したキリトによって間一髪で救われた。彼曰く、今もユイの心はあのクリスタルの中にあるそうだ。

 

 「あ……忘れてた。こちら、今日出会った釣り師のニシダさん。で……えーと……。」

 

 「何を迷ってんのキリト。普通に嫁さんで良いと思うよ。もうシステム上とはいえ結婚しているんだし。」

 

 俺の言葉にキリトは顔を赤くしたが、それが妥当だと判断したのか、まだ赤みが収まりきらない顔でアスナを紹介する。

 それから俺がシリカとピナを紹介し、料理が完成したので食卓へと向かったのだが、此処で重大な問題が発生した。椅子が四つしかなく、一つ足りないのだ。

 どうしようかと頭を悩ませ始めた俺達に再びシリカの特大爆弾が投下された。

 

 「あの、私はソーヤさんの膝の上に座りますから大丈夫です!」

 

 「えっ……?シリカ、今何て言った?」

 

 「だから……私がソーヤさんの膝の上に座れば椅子が足りるじゃないですか!」

 

 「……シリカ、それ本気?」

 

 羞恥心からか、シリカの顔は林檎のように真っ赤になっている。今彼女の上にやかんを乗せればお湯が沸かせそうである。

 正直そんな恥ずかしいことはしたくないのだが、状況をみる限りそれしか方法は無さそうだ。

 獣の思考回路で結論を出した俺は若干顔に熱を感じながら近くの椅子に腰を下ろすと、膝の上をポンポンと叩く。するとシリカは赤い顔をますます赤くして恐る恐る俺の膝の上に座った。

 顎の下あたりにあるシリカの頭からヒーターのように熱が発せられていることを感じ、恥ずかしければ無理にしなくてもいいのにと内心思う。今回の爆弾は初回の時と同じように自爆という結果になったようだ。

 それから俺はシリカを膝の上に座らせたまま、アスナ作の魚料理を味わった。のだが、今の状態のせいでどんな味だったのか記憶に残ってはいない。

 さらにキリト夫妻と西田さんがニヤニヤしながら時々俺達のことを見ていた為、余計に食べることに意識を向けることができなかった。

 そうこうしている間に食器は空になり、満足げな表情でお茶モドキを口にした西田さんは長いため息をついた。

 

 「……いやぁ、堪能しました。まさかこの世界に醤油があったとは……。」

 

 「あ、これ自家製なんですよ。良ければお持ちください。」

 

 アスナは台所から小瓶を持ってくると、それを西田さんに手渡した。使用した材料を話さなかったのは正しい判断だ。あの醤油モドキに使われている材料を初めて聞いた時には、胃の中がひっくり返りそうになったものだ。

 恐縮している西田さんに「こちらこそ美味しい魚を分けていただきましたから」とアスナは笑顔を向けながら……

 

 「キリト君は一匹も釣って帰って来たことがないんですよ。」

 

話の矛先をキリトに向けた。さらに……

 

 「そういえば、ソーヤさんも釣ってきたこと無かったですよね?」

 

その矛先は俺にも向けられる。何も言い返せない俺とキリトは憮然としてお茶モドキを啜った。

 

 「この辺の湖は難易度が高すぎるんだよ。」

 

 「……全く、茅場晶彦は釣りの難易度設定を間違えているんだよ。あんなの、釣れる訳がない。」

 

 「いや、そうでもありませんよ。難易度が異常に高いのはお二方が釣りをしていたあの大きな湖だけです。」

 

 「「な……。」」

 

 西田さんの言葉に俺とキリトは絶句した。そうなると俺達は《釣り》のスキルが低いのに、最難関の湖で釣りをしている無謀な奴らだったという訳だ。

 アスナは腹を押さえてくっくっと笑い、シリカも笑いを堪えている。彼女らが笑うのも無理はない。それほどに俺とキリトは馬鹿なことをしていたのだから。

 

 「何でそんなことになっているんだ……。」

 

 頭を抱えるキリト。因みに俺の頭には未だに元気を取り戻さないピナが居座っており、それができなくなっていた。相当ご主人に怒られたことが精神的ダメージとなっているようだ。

 

 「実はあの湖にはですね……ヌシがおるんですわ。」

 

 「「「「ヌシ?」」」」

 

 おうむ返しに聞き返した俺達に向かって西田さんはニヤリとしながら眼鏡を押し上げると、そのヌシについて話した。

 ある時、西田さんは道具屋でやたら値段が高い餌を見つけ、物は試しとそれを購入したがどこで使おうともさっぱり釣れなかった。

 そして様々な湖で試した結果、俺とキリトが釣りをしていたあのやけに難易度が高い湖で使うものなんだと思い当たったそうだ。

 その推測は的中し、直ぐにヌシと思われる魚が食いついた。しかし西田さんの力では釣り上げることは失敗に終わり、竿ごと持っていかれてしまった。

 失意の中で消えていく魚影を見た西田さんは驚愕を隠せなかった。何故なら、その魚影は両手に収まりきらない程に大きかったからである。

 あれは別の意味でモンスターだと西田さんはその時を思い出すようにそう締めくくった。

 それを聞いたアスナの目から輝きが放たれた。シリカも今の状態では顔が見えないが、恐らく同じような感じだろう。そしてその予想は間違っていなかったと数秒後に証明される。

 

 「「見てみたいなぁ……。」」

 

 アスナとシリカからそんな声が発せられた。西田さんは「そこで相談なのですが……」と俺とキリトに視線を向ける。

 

 「お二方、筋力パラメーターの方に自信は……?」

 

 「まぁ、そこそこは……。」

 

 「……俺もキリトと同じぐらいにはありますが。」

 

 俺達の回答に西田さんは満足したのか、首を大きく縦に振った。

 

 「それならお二方にそのヌシを釣り上げてほしいのです。あ、ご心配なからず。ヌシが食いつくまでは私がしますので。」

 

 「……果たしてそんな事ができるのかな……。茅場晶彦はこの世界を可能な限り現実には近づけているとは思うけど……。」

 

 「面白そうです!やりましょうよソーヤさん!!」

 

 顔に『楽しみだ』と大書したシリカが振り返りながらそう言った。……のはいいのだが、俺の体を背もたれにしている密着状態で俺の顔に向かって振り返れば……

 

 「んぅ!?」

 

自然と唇が触れ合ってしまう。

 それを失念していたのか、シリカはその瞬間にぼっと顔を真っ赤にして気を失ってしまった。今日は彼女の自爆が多い。まぁ、そんなおっちょこちょいなところも好きなのだが。

 

 「……キリト、やってみる?」

 

 「そうだな……正直俺も見てみたい。やりますか。」

 

 それを聞いた西田さんは満面の笑みを浮かべて、そうこなくてはと笑った。



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第二十二話 釣りをしよう(後編)

 最近、執筆の時間があまり取れなくなってきています。

 その為、今までのように投稿ができなくなると思われますが、ご了承ください。この作品をご愛読してくださる皆様、本当に申し訳ありません。


◇◆◇

 

 あれから三日後、西田さんからヌシの釣りを決行するという旨の連絡が届いた。それを確認した俺とシリカはさっさと今日やる分の攻略を済ませて第二十二層へと向かう。

 針葉樹の森を歩き続け、キリトとアスナがいるログハウスの扉を叩く。しかし返事がなかった。中には彼らの気配がしているのだが……。  

 

 「……出てきませんね。キリトさん達に何かあったのでしょうか……?」

 

 「……わからない。でも、二人が中にいるのはわかっているんだよね……。此処は失礼だけど、勝手に上がらせて貰うしか手段がないかな。」

 

 ごめんなさいと内心で謝罪しながら扉を開き、中へと入る。そして気配がする方に目を向けると何かに悩んでいる様子のキリトとアスナがいた。

 どうやらその悩みは結構深刻なようで、未だに俺とシリカに気づいていない。ピナがゆっくりと彼らに近づくが、反応は一切見受けられなかった。

 

 「……どうしたの二人とも?」

 

 「うわっ!?そ、ソーヤにシリカ!?いつからそこにいたんだ!?」

 

 「驚かさないでよ……。来てくれたのならノックしてくれればちゃんと出たのに……。」

 

 「いえ、ノックはしたんですが……。反応がなかったので……。」

 

 俺が声を掛けた瞬間に肩を跳ね上げたキリトとアスナの反応と今の言葉から見るに本当に気づいていなかったと確信する。

 それ程までに彼らは何かに悩んでいたようだが、一体どんなことなのだろうか。この二人を周囲に意識を向けることを忘れさせるぐらいの悩みなど、あまり無いように思われるが……。

 そんな俺の思考を読み取ったのか、キリトが二人して悩んでいた理由を教えてくれる。それを聞いた俺とシリカは納得せざるを得なかった。

 西田さんは今日のことを釣りの仲間達に声を掛けて回っていたそうで、ギャラリーが数十人来るそうだ。だがそれは二人にとっては凶報以外の何物でもない。

 元々、キリトとアスナは情報屋やらアスナの追っかけ、悪く言えばストーカーなどのクズ野郎どもから身を隠す為にこの層に引っ越して来た。

 その為、不特定多数の前に出ると正体が露見してしまう可能性が高くなってしまうのだ。しかし今さら西田さんとの約束を破るわけにもいかないので、キリトとアスナは頭を抱えていたという訳である。

 

 「それなら……変装なんてどうでしょうか?顔を隠すような感じの物を装備すれば、多分大丈夫だとおもいますが……。」

 

 「それだ!」

 

 キリトがテーブルを叩いて立ち上がる。今度は俺とシリカが肩を跳ね上げる番だった。まぁ、アスナは二回目なのだが。

 

 「じゃあ、これでどうかな。」

 

 アスナはウィンドウを操作する。次の瞬間には大きめのスカーフを目深に巻き、地味でだぶだぶなコートを着こんだ状態になっていた。彼女がアスナだと判別可能な部分はどこにもなく、完璧な変装である。

 

 「おお、何か生活に疲れた農家の主婦みたいだ。」

 

 「キリト、それは褒めてるの?俺にはそう聞こえないんだけど。」

 

 「はい。どちらかといえば褒めてないような気がします……。」

 

 俺とシリカの目と言葉が見えぬ刃となりキリトを斬り裂く。そしてアスナから何やら負のオーラが立ち始めたことを確認した彼は慌てた様子で弁明した。

 

 「いや、ちゃんと褒めてるから。それじゃあ、行くぞ!」

 

 「あ、ちょっと待ってキリト。」

 

 出発しようとしたキリトを引き留めた俺に三人の視線が集中する。俺は揃って首を傾げているシリカとピナを目で示す。キリトとアスナも彼女に目を移し、やがて納得したかのように頷いた。

 知名度が恐ろしく高いアスナの影に隠れていたが、シリカだってこの世界では十分有名人だ。顔は既に割れており、ピナの存在によって彼女は《竜使い》として俺と出会う前から多くのプレイヤーに知られていた。

 もしこのまま行けば、ちょっとした騒ぎになって釣りどころではなくなってしまうだろう。よって、彼女も変装する必要があるのだ。

 唯一この事を理解できず、首を傾げたままのシリカに説明し、アスナと同じようなスカーフとコートを装備させる。

 そしてシリカの相棒として知られているピナもコートの間に押し込む。ピナの存在から正体がバレてしまっては変装した意味が無くなってしまう。

 

 「あれ?ソーヤさんとキリトさんは変装しないんですか?」

 

 「ああ、俺とかソーヤはどちらかといえば装備と名前だけが有名になっているからな。だから武装さえしてなければ、バレる心配はない。」

 

 キリトの言う通りである。男女比が圧倒的に男に偏っているこの世界で、女性プレイヤーというのは貴重な存在だ。故にトッププレイヤーともなればその容姿などが広く知れ渡ることが多い。

 反面、同じトッププレイヤーであっても男性ならば例外を除いて装備や名前だけが独り歩きする。その原因としては興味を持つ人間の数が女性プレイヤーと比べて少ないことが挙げられる。余程の同性好きでなければ、その容姿などを知りたいと思わないだろう。

 加えて、俺とキリトには大した特徴が無い。装備を解除すればどこにでもいるような少年となる。まぁ俺には歳のわりにちょっと背が高いという特徴があるが、お互いの年齢が不明である夢の世界ではそんな特徴など無いに等しい。

 そして昼前に俺達は家を出る。シリカの背中が異様に膨らんでおり違和感しかなかったが、そんな事に突っ込むような輩はいる訳ないだろうと判断してそのままにした。

 

 

 ◇◆◇

 

 この季節にしては暖かい気候のなか、針葉樹林を少年達四人は歩いていく。しばらくすると、煌めく水面とその周囲に集まっている人影が見えてきた。少年達の姿を確認したニシダは笑い声と共に手を上げる。

 

 「いやぁ、晴れて良かったですなぁ!」

 

 「「こんにちはニシダさん。」」

 

 アスナとシリカが頭を下げ、それに習って少年とキリトも同様にする。周囲の者達にも少年達は挨拶をして回ったが、誰一人彼女らの正体に気づいて者はいないようだった。

 少年達が到着する前に何かイベントがあったのだろうか、既に場の盛り上がりは最高潮に達していた。ギャラリーのプレイヤー達は年齢に多少のばらつきがあるが、皆歓声を上げている。

 

 「えー、それでは本日のメインイベントを決行します!」

 

 長大な竿を担いだニシダの宣言に、周囲からの歓声が一際大きくなる。少年とキリトは彼が持つ大きすぎる竿に自然と目が行き……先端にぶら下がっている物体を視界に捉えた。

 その瞬間に少年はもう見たくないとばかりに目を逸らし、キリトはぎょっとして目を見開いた。それもその筈である。ぶら下がっていたのは大人の二の腕ぐらいに大きな赤と黒の斑点をしたトカゲだったのだ。それも新鮮さを表すかのように表面はぬめぬめと光り、時々ピクピクと動いている。

 

 「ひぇっ……。」

 

 「うわぁ……気持ち悪いです!!」

 

 その物体に少し遅れて気づいたアスナは顔を強張らせて数歩後退り、シリカは少年の背に隠れて視界から排除する。もしあれが餌とするのならば、ニシダが狙う獲物はたった一匹に絞られる。

 

 「それでは、行きますよ。そりゃ!」

 

 湖に向き直ったニシダは大上段に竿を構え、見事なフォームでそれを振る。空気を切り裂くような音を響かせながら気持ち悪い餌は飛んでいき、少し離れた水面に大きな水飛沫を立てて突っ込んだ。

 そしてその数十秒後に釣り竿の先がぴくぴくと震えたかと思えば、大きく穂先が引き込まれる。

 

 「今だっ!!」

 

 ニシダが全身を使って竿をあおり、びぃんと糸が張り詰めた。

 

 「掛かりました!後はお願いします、ソーヤさんにキリトさん!!」

 

 「わかりました!行くぞ、ソーy……うわっ!!」

 

 少年とキリトが竿を持った瞬間、猛烈な力によって糸が引き込まれる。それにつられて彼らも水中に連れていかれそうになるが、大地を強く踏みしめてどうにか堪えた。

 それでも少しずつだが、じわりじわりと身体が水面に近づいていっている。彼らが水中に引き込まれるのも時間の問題であった。

 

 「引っ張る力がおかしいぞ、これは!下手したら壊れる可能性がある!!」

 

 「ソーヤさん、その竿は最高級品です!思いっきりやっても大丈夫です!!」

 

 興奮しながら叫んだニシダに頷きを返した少年とキリトは竿をもう一度強く握ると、今できる最大限の力で引っ張る。竿が大きくしなって今にも折れそうだが、流石は最高級品。形を逆Uの字にしながらも、それを保っている。

 全力を解き放ったことで力の差が逆転したのか、ずるずると引き寄せられていた脚がぴたりと止まった。彼らは両足を踏ん張ると、じりじりと後ろに後退して獲物を水面へと近づける。そして……

 

 「「うおおおりゃぁぁぁぁ!!」」

 

二人の叫びと共に、ヌシと呼ばれた魚が遂にその正体を表した。のだが、後ろ向きに転がり尻餅をついた彼らの横をアスナやシリカ、ニシダやギャラリーの人々が顔面蒼白で駆け抜けていく。

 

 「全く、一体どうしたんだ皆h……!?」

 

 そう言いながら起き上がった少年は言葉を失った。隣ではキリトもひきつった笑顔を浮かべている。

 そこには立派な脚を六本も持った魚が立っていた。全高約二メートルの最早モンスターであるヌシは、そのバスケットボール大の眼で少年とキリトを捕捉する。今頃彼らの視界では敵であることを示すカーソルが表示されていることだろう。

 

 「ぎゃあぁぁぁ!!」

 

 「気持ち悪いぃぃぃ!こっちに来んなぁぁぁ!!」

 

 二人はくるりと後ろを向いた瞬間、悲鳴を上げながら脱兎の如く駆け出した。少年に至っては涙目である。いくら最強と呼ばれるプレイヤーであっても、中身はまだ十代前半の子供である。どうやら気持ち悪いものに対して耐性がまだ備わっていないようだ。

 端から見れば宙を駆けているのではないかと思う程に逃げた少年とキリトはものの数秒でアスナとシリカの傍にまで到着した。

 

 「ず、ずるいぞアスナ!いいいいきなり逃げ出すなんて!」

 

 「しし、仕方ないでしょ!あんなの見たら逃げ出しちゃうよ!」

 

 「うう……気持ち悪い……気持ち悪い……。」

 

 「ソーヤさんしっかりしてください!目から光が消えていってますからぁ!!」

 

 猛然と抗議するキリトと、虚空を見つめてうわ言のように「気持ち悪い」と繰り返す少年。今の状態を見て彼らがかの《黒の剣士》と《鬼神》だとは誰も思いはしないだろう。

 しかしシリカに揺さぶられていた少年が「あ。」と何かを閃いたように呟いた。正気に戻ったのかと安心して顔を覗き込んだ少女は、彼の瞳がだんだんと赤くなっている様子を見てしまった。

 

 「そうだ……気持ち悪いのがいるんだったら……。」

 

 「ソ、ソーヤさん?」

 

 「……ソレヲ、コロシテシマエバ、ダイジョウブダヨネ?」

 

 少年の瞳が赤に染まりきった。それと同時に赤黒いオーラが噴き出し、彼は一瞬でヌシの前にまで移動する。その手には既に《創造》で作られた片手剣が握られていた。

 気持ち悪いものに耐性の無い少年だが、一度獣となれば視界に写るものは皆平等にただの獲物へと変わる。先程まで涙を溜めていた目も、今は眼前の生物を狩る鋭い目になっている。

 

 「……コロス。」

 

 片手剣に血がこびりついたような濁った赤の光を纏わせ、ヌシの顔面をV字に斬り裂く。そして空いている手元に細剣を作り、間髪いれずに突きを繰り出して数十個の風穴を空ける。

 顔を傷だらけにされたヌシは怒り心頭となり、大きな口を開けて少年を飲み込もうとするが、もう彼はその場にいない。

 姿を見失い、頭の両脇に離れて付いている眼で少年を探すヌシだが、自身の周囲を見ても彼の姿は影も形もなかった。それは当然のことだ。何故なら……彼は上空に移動したのだから。

 

 「……コレデ、オワリ。シネ。」

 

 その声が聞こえたのか、ヌシは上を向いて今まさに両手剣を振り下ろそうとしている少年を捉えた。そしてそれが最後に見た景色となる。

 赤黒い光を纏う作られた両手剣は落下のエネルギーと合わさって絶大な威力となり、轟音を響かせながらヌシを真っ二つにした。

 その光景にニシダ達が口を開いたまま動けないでいるなか、シリカは全速力で力なくその場に倒れた少年の下へと駆ける。

 

 「ソーヤさん!」

 

 「うう……頭が痛い……ん?シリカ、コートとスカーフは?」

 

 「何言ってるんですか。見ての通り装備してま……あれ?取れてる!?」

 

 頭を抑えながらよろよろと立ち上がった少年に指摘され、シリカは装備していた筈のコートとスカーフが解除されていることに気づく。近くに目を配れば、中に押し込まれていたピナが翼を広げて飛んでいた。

 

 「あ、あの……もしかしなくても、シリカちゃんだよね?」

 

 「う……は、はい。そうです……。」

 

 シリカは肯定しながらもぎこちない笑みを浮かべて後退り、少年は周囲から向けられている視線を感じ、どうにもならないと思ったのかため息を一つついた。その次の瞬間に、どよめきが巻き起こる。

 

 「マ、マジかよ!あのシリカちゃんがこんな所にいるなんて!……となると、横にいる男の子は《鬼神》じゃないのか!?SAO最強プレイヤーの片割れを生で見れるとはなぁ……俺は感激したぞ!」

 

 「どおりであのヌシを簡単に葬れた訳だ!やっぱカッケーよ《鬼神》は!シリカちゃんの彼氏にもなっちゃって、本当最高だよ!!」

 

 今日のメインイベントの筈だったヌシの釣りの時と比べ物にならない程の歓声が上がる。その中で少年は強張った笑みを浮かべ、シリカは「彼氏」という言葉に反応したのか、顔を赤らめていた。

 因みにニシダだけは何の事だか理解できずにヌシからドロップした釣り竿を抱えながら目をぱちくりしていたことは余談である。

 

 

 ◇◆◇

 

 今日のことでぐったりと疲れてしまったのか、ベッドに横になるなり寝息を立て始めたシリカの頭を優しく撫でる。昼間の大騒動から数時間が経ち、時刻は夜の十一時を指していた。

 暗い空に浮かぶ月モドキを何となく見つめ、この世界が終わる時のことを考え始めた思考を黙らせる。その事は考えるだけで、ただ俺の心を締め付けるだけになるのだ。

 攻略に全力を注ぎ、その時が来たら俺もこの世界と運命を共にする。何度も思考を重ねた結果、これが最適解だと思った。シリカやキリト達とずっと一緒にいたいという俺の我が儘は所詮夢物語。叶う筈のない願い。

 俺が初めて仮面を外して関われた者達を裏切ることは絶対にしたくない。皆が攻略するというのなら、俺は自分の意思を押し殺してでも手伝う。皆が現実に帰ることができるように。

 しかし、このデスゲームを生き残って帰還したとしても俺には何が残るだろうか。恐らく大切な人と友人を失った痛みしか残らないだろう。

 その痛みに耐えることになるのならば、俺はいっそのこと『死』を選ぶ。そうすると決めた。だから、もう考える必要はないのだ。

 そんな時だ。ヒースクリフ、もとい茅場の叔父さんからメッセージが届いたのは。ウィンドウを操作し、内容を確認する。

 

 「……もしかしたら、俺が死ぬ時は案外近いのかもね。母さん、俺ももう少ししたらそっちに行くことになるかも。」

 

 届いたメッセージには発見した第七十五層のボスモンスター戦に参加を要請する旨が書かれていた。



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第二十三話 身を震わせる恐怖

 前回でも書いたように、最近執筆時間があまりとれなくなっています。

 その為、約一週間に一話ぐらいの投稿ペースになると思われます。申し訳ありません。


◇◆◇

 

 「偵察隊が……」

 

 「全滅した!?何かの間違いじゃないのか!?」

 

 以前に会談した時と同じように、顔の前で骨ばった両手を組み合わせたヒースクリフはキリトの驚きの声に深い谷を刻んだ眉間をしながら事実だというようにゆっくりと首を振った。

 此処は第五十五層《グランザム》にある《血盟騎士団

》の本部の中の壁が全てガラス張りになっている会議室である。

 しかし一時脱退のキリトとアスナはともかくとして、このギルドに所属していない俺とシリカまで招くとは一体どういう事なのだろうか。

 そんな俺の思考をよそに、ヒースクリフは口を開く。そこから出た声は抑揚のないものだった。

 

 「第七十五層のボスモンスターは今までのことからかなりの苦戦が予想された。その為、我々は五ギルド合同の精鋭二十人で構成されたパーティーを偵察隊として送り込んだ。」

 

 半眼に閉じられたヒースクリフの瞳からは表情が読み取れない。だが、偵察隊が全員死んだことに対して何も感じていないことだけは確かだ。

 

 「偵察は慎重に慎重を重ねて行われた。前衛の十人がボス部屋の中に入り、後衛の十人が入り口で待機するようにしたのだが、ボスが出現したとたんに扉が閉じられてしまったそうだ。様々な手段が試されたが、閉じた扉が開くことはなかったらしい。ようやく扉が開いたかと思えば、そこにはボスも入った十人も姿がなかったそうだ。転移結晶で離脱した形跡もない。念の為、黒鉄宮の《生命の碑》にまで確認を行かせたが……全員の名前に横線が引かれていたと報告があった。」

 

 その言葉に俺とヒースクリフ以外は悲痛な表情を浮かべる。当然だ。俺達以外は皆普通の人間であり、他者の『死』ですら心を痛める。隣にいるシリカも息を詰めている。

 

 「なぁヒースクリフ、それってもしかして結晶無効化空間か?十人の精鋭が誰一人離脱していないのなら、そう考えるのが妥当だが。」

 

 「ほぼ確実にソーヤ君の言うとおりだろう。アスナ君の報告では第七十四層もそうだったということから、これ以降もそうであると考えるべきだ。」

 

 「嘘ですよね……そんなの……。」

 

 シリカが震えた声を上げる。しかしそれは紛れもない事実であり、この世界の脱出には避けては通れない道だ。生きて帰りたいのなら、その為に命を賭けろといったところか。視線の先に座っている茅場の叔父さんもなかなか恐ろしい事をする。

 緊急離脱が使用不可となれば、想定外のアクシデントによって永久退場させられる危険性が今までとは比べ物にならない程に高くなる。つまり、ある何かしらの行動が一瞬遅れたことによって身体が爆発四散することが起こりやすいという訳だ。

 常に最前線で戦う攻略組は、死者を出すことなく攻略することを大前提としてやってきた。だが、これからはそうも言ってられなくなる可能性が高い。他者の心配をしているうちに、自分が殺られてしまうことなどがざらに起こるだろう。

 

 「いよいよ本格的なデスゲームになってきたな……。」

 

 「しかし、それを理由に攻略を諦めることはできない。」

 

 ヒースクリフからきっぱりとした声が発せられる。その瞳には強い意思の力が込められており、有無を言わせない威圧感があった。

 

 「今回は結晶無効化空間による離脱が不可能なことに加え、一度入れば我々かボスが倒されるまで退路を塞がれる仕様のようだ。ならば、可能な限りの戦力で統制の下に戦うしかない。新婚の君達を無理矢理呼び寄せることは不本意ではあったが、解放の日の為に了解してくれたまえ。勿論、ソーヤ君とシリカ君の活躍も期待している。」

 

 相変わらず気持ちが込もっていないような形だけの言葉に、俺は肩をすくめる。茅場の叔父さんは昔からだいたい形だけの言葉で話すことが多かった。それは誰の前であろうと変わることはなく、まるでただ言葉を発する機械を思わせる。

 

 「活躍を期待されるのは嬉しいが……もしシリカやキリト達が危機に陥るようなことになった場合、俺はあんたの指揮下から出て勝手に行動させてもらうつもりだ。はっきり言って、シリカやキリト達以外の人間がどうなるかなんてどうでも良い。俺にとって彼女達が生きて現実に帰ることができればそれで良いんだ。」

 

 「良いだろう。何かを守ろうとする人間は強いものだ。そしてそれが本人にとって重要なものであればあるほど、発揮される力は大きくなる。例えば、ソーヤ君にとって『大切な人』にあたるシリカ君……とかかな。ともかく、君達の勇戦に期待するよ。開始時間は今から三時間後だ。場所はゲート前。それでは解散。」

 

 そう言ったヒースクリフは赤地のサーコートを揺らしながら、部下と共に部屋を後にする。その時、キリトが彼に向けていた視線がいつもとは違っていることを見逃しはしなかった。

 

 

 ◇◆◇

 

 「ソーヤさん、どうして私を此処に連れてきたんですか?」

 

 「会議室にいた時、シリカが恐怖に震えていたからだよ。人間は恐怖に囚われれば、本来の力を発揮できなくなる。だから、気持ちを落ち着かせて欲しいと思ったんだ。そして此処からなら、集合場所にも近いしね。」

 

 俺とシリカは一旦キリト達と別れ、自然が豊かなことで有名な第二十二層の転移門前広場に来ていた。広場にある木製のベンチに二人で並んで腰を下ろし、針葉樹の森を眺める。

 先程俺が言ったように、シリカはあの会議室で震えた声を上げた頃辺りから、沸き上がった恐怖にその身を震わせていた。俺のコートを僅かに摘まみ、呑まれないように必死に抗っていた様子は脳裏にしっかりと焼き付いている。

 シリカは俺とは違う。『死』に対して恐怖を持つ至極真っ当な人間なのだ。しかし恐怖は思考を奪い、その者が持つ力を吸いとっていく。それはこれから行われるボス戦で『死』を招きかねない。

 未だに震えているシリカの手の上に俺の手を重ねる。彼女は一瞬驚いた顔をしたが、安心したのか口元に笑みを浮かべた。だがその表情とは裏腹に、重ねた手の震えが収まることはない。

 

 「……ソーヤさん、私、今物凄く恐いです。正直に言えばどこか遠くに逃げ出したいです。偵察隊の人達が死んだって聞いて……私は死にたくないという思いだけが溢れてしまいます。」

 

 「……それは皆一緒だよ。今から挑む未知のボスに恐怖を感じて、逃げ出したいと思ってる。恐怖を抱かない人間なんて人間じゃないからね。でも、シリカは絶対にこの世界から生きて帰ることができるさ。俺が断言してあげる。」

 

 「……どうして、そう断言できるんですか?」

 

 シリカが首を動かし、俺を見つめる。幼さが残る可憐な彼女の顔は、恐怖によって今にも崩れそうになっていた。

 もう一方の手を動かし、両手で震えているシリカの手を包み込む。そしてもう震えないように強く彼女の手を握った。

 

 「……それは俺がいるからだよ。俺がシリカに襲い掛かろうとする死神から守ってやる。孤独から解き放っただけじゃなく、獣と化した俺でさえ命の恩人だと認めてくれたシリカを殺させはしない。それに、俺よりも長く一緒にいた相棒もいるじゃないか。」

 

 「きゅるるる!」

 

 「……ピナ!」

 

 俺達の手の上にピナが降り立つ。シリカを見上げながら力強く鳴くその様は、まるで自分も守ると言っているようだ。

 はっきり言えばピナはただのデータの塊だ。デジタルの世界でイチとゼロだけで構成されたプログラムに過ぎない。故に、このアインクラッドの第百層が攻略されると同時にその姿は永遠に闇に葬られるのだ。

 それを理解しているのかはわからないが、ご主人の為に自身のことを蔑ろにすることすら厭わないピナは最早プログラムの域を超えている。

 

 「ピナ……ソーヤさん……私……私……!」

 

 シリカの頬を涙が伝う。それは『死』への恐怖によるものではないことは直ぐに理解できた。肩を震わせる彼女を少し持ち上げ、膝の上に向かい合わせになるように乗せる。

 泣き顔を見せたくないのか、シリカは俺の胸に顔を埋めると嗚咽を洩らし始める。

 

 「……『泣きたい時は思いっきり泣けばいい』。俺が涙を流した時にそう言ったのはシリカだ。だから、今は落ち着くまで存分に泣けば良い。時間はまだあるし、俺とピナが傍にいてあげるから……。」

 

 幼さが残る小さな背中を優しく撫でてやる。仮想の体温が伝わって来るが、今の俺には本物のぬくもりのように感じられた。

 シリカを失いたくないという思いが込み上げるが、俺は俺自身の意思でそれに蓋をする。もう考えても無駄なことなのだ。

 

 「……あの、ソーヤさん……。」

 

 「ん?シリカ、どうかしたの?」

 

 「……私、時々考えてしまうことがあるんです。もしこのままゲームがクリアされないままだったらって。そうすれば、ずっとソーヤさんの隣に居られるのにって……おかしいですよね。皆この世界から脱出を目指して頑張っている筈なのに……。」

 

 細くてか弱い声だったが、その言葉は俺の耳にはっきりと届いた。一瞬だが言葉を失う。シリカが今言ったことに驚きを隠すことができない。

 一緒に行動するようになってからは、毎日攻略に行こうと誘ってきていたシリカが現実に帰りたくないと思っているとは想像だにしていなかった。

 

 「……ソーヤさん?」

 

 気がつくと、俺はシリカを撫でることを止めて彼女を抱き締めていた。膨らむ思いが蓋をこじ開けようとするが、力の限りで押さえつける。この思いが解き放たれたが最後、確実に俺の決意は瓦解する。

 心の葛藤が切ない吐息となって、俺の僅かに開いた口から漏れだした。

 

 「……もしそんなことができたら、どれ程嬉しいだろうね……。何処かでずっと一緒に生きて、そして死ねたらどれだけ幸せだろうね……。」

 

 そこで言葉を切り、これ以上は駄目だと唇を強く噛み締めた。未だに抗い、蓋を押し返そうとする思いに刃を突き刺して黙らせる。本当はシリカの言ったことは俺も心から望んでいる。

 ずっと一緒にいたい。この命が尽きるまで隣にいて欲しい。人間ではなくなった俺でも好きだと言ってくれた大切な人を失いたくない。

 しかし現実はそんな儚い希望など容易く断ち切ってしまう。俺やシリカが願ったところで、作られた物語のように叶うようなことはあり得ないのだ。

 

 (……シリカは死なせない。絶対に現実世界に還す。それが、俺にできる最後のことだ。)

 

 沈黙し、もう動かなくなった思いから俺は目を離してもう一度決心を固め直す。無意識にシリカを抱く力が少し強くなっていた。

 

 

 ◇◆◇

 

 集合場所である第七十五層の転移門前には、見るからにハイレベルだと思われるプレイヤー達が数十人集まっていた。間違いなく、今回のボス戦に参加するのであろう。

 転移門から出てきた俺とシリカに視線が集中する。向けられた視線には期待、羨望などの様々な感情が見受けられた。

 ざっと見る限り邪な考えを持つ者はいないようだが、彼らのことを信用できないことに変わりはない。俺はこの世界で仮面を不要とする者達に出会えた。しかし、だからと言って誰でも見境なく信用するようになった訳ではない。

 ご丁寧に敬礼している人間には申し訳ないが、小さく手を振ると固まっていたシリカの手を取って集団から少し離れたところに移動する。

 無愛想な奴だと思われたって構わない。俺が守るべき人間はシリカだけだ。他のパーティーの人間が死のうが正直どうでも良い。

 

 「よう!」

 

 やけに明るい声と共に肩を叩かれて振り返ると、無精髭を生やして悪趣味なバンダナを巻いた男がいた。その奥にはスキンヘッドの巨漢の姿もある。

 

 「あ!クラインさんにエギルさん!お二人も攻略に参加するのですか?」

 

 「おお、そうだ。今回は苦戦しそうだって聞いたから商売投げ出して加勢に来たんだよ。この無私無欲の精神を評価して欲しいもんだぜ。」

 

 「へぇ……それならエギルは報酬の分配から除外しても文句はないよな?」

 

 大袈裟な身振りを交えながら喋るエギルの腕をポンと叩いて現れたのは、全身が真っ黒で二本の剣を交差するように背負った少年。その傍らには白と赤を基調とした戦闘服に身を包んだ彼のお嫁さんもいた。

 

 「……キリト、アスナ。来たんだな。」

 

 「勿論よ!この世界から出る為に、私は戦う!」

 

 アスナの気迫が込められた言葉が閉じた蓋を刺激するが、その蓋が開かれることは永遠にない。もう俺は迷わないと決めたのだ。

 そうしてキリト達と話していると、転移門が新たなプレイヤーを吐き出す。深紅の戦闘服を纏い、巨大な十字盾を持ったヒースクリフと、彼がリーダーを務めるギルド《血盟騎士団》の精鋭だ。その姿を確認した者達の間に緊張が走った。

 集団を二つに割りながら進んだヒースクリフは先頭にまで来ると向き直り、軽く頷いて口を開いた。

 

 「どうやら欠員はないようだな。知っての通り、今回は厳しい戦いになると思う。だが、諸君らの力ならばきっと勝てる筈だ。解放の日の為に!」

 

 ヒースクリフの声にプレイヤー達は武器を掲げ、ときの声で応える。その光景を目にした俺は、改めて彼の手の上で踊らさせていることを実感する。この場にいる誰一人、彼の正体がこのデスゲームを開始した狂気の天才だとは思ってはいないだろう。

 内心でそんなことを考えるも、口には出さないようにしておく。俺はこの世界の攻略を進めるつもりではあるが、自ら幸せな夢が覚めることを早めるような真似はしない。少しでも長くこの中にいたいのだ。

 ふと視線をヒースクリフに向けると、視線を感じたのか彼の金属質な瞳も俺に向けられていた。ふっと彼の顔にかすかな笑みが浮かぶ。しかしそれは本心からのものではなく、作られた笑みだった。

 

 「今日は頼りにしているよ、ソーヤ君。《創造》の力を存分に見せてくれたまえ。」

 

 「……あんたの《神聖剣》の方がよっぽど周囲から頼りにされているのによく言うな。だが、可能な限りはやるつもりだ。」

 

 ヒースクリフからは全く気負いというものが感じられない。当然のことだろう。この世界で命の安全を保証され、ゲームとして遊ぶことができる状態の人間にそんなものがある訳がない。

 俺の言葉に苦笑いを浮かべたヒースクリフは瞬時にその笑みを消し、再度集団に振り返ると深い青色の結晶を取り出した。それを見たプレイヤー達の間で「おお……」とどよめきが流れる。彼が持っていたのは回廊結晶だった。

 

 「では、出発としよう。この回廊結晶でボス部屋の直前にまで移動する。私の後に続いてくれたまえ。」

 

 ヒースクリフがボイスコマンドを入力した瞬間に手に持っていた結晶は砕け散り、青い渦巻くゲートが開かれる。彼はもう一度ぐるりと俺達を見渡してからゲートの先に消えた。

 そして間を置かずに《血盟騎士団》の精鋭達が続き、他のプレイヤー達も続々と渦の中に入っては転移していく。

 数分後、残されていたのは俺とシリカだけだった。繋いだ手から彼女の震えが伝わってくる。俺は彼女の頭を優しく撫でた。

 

 「……大丈夫だ、俺が守る。いや、俺だけじゃない。ピナだってシリカを守ってくれるさ。だから、震えなくて良い、安心して良いんだ。」

 

 「きゅるるる!」

 

 「……はい!」

 

 手を通して伝わっていた震えが止まる。相棒を肩に乗せ、こちらを見つめるシリカはもう恐怖に囚われてはいなかった。

 俺達二人と一匹はお互いに頷きあうと、同時に渦巻くゲートの中に飛び込んだ。それと共に階層の守護者に挑む剣士達を全員送ったゲートはゆっくりと閉じていき、やがて消滅した。



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第二十四話 異形の死神

 後半駆け足で執筆した為に、駄文注意です。

 それとアインクラッド編が終了後、総集編的なことを挟んでからフェアリィ・ダンス編を開始しようと思っています。楽しみにしていただけると幸いです。


◇◆◇

 

 軽い目眩のような感覚がした次の瞬間には、巨大な扉が眼前にあった。光を綺麗に反射する程に磨き上げられた黒曜石は『来るなら来い』と言わんばかりの威圧感を発している。

 足元に目を向ければ冷たく湿ってしまった空気の影響なのか、白くて薄い靄がかかっている。その冷気にあてられたのか、シリカが両手を自身の体に回していた。

 

 「……嫌な感じです。まるで死神が待ち構えているような……。」

 

 「……さっきは比喩で言ったが、もしかしたら死神を模したボスなのかもしれないな……。」

 

 周囲のプレイヤー達はそれぞれウィンドウを開き、装備などの確認をしている。その顔は皆固く、緊張感が場を支配していた。

 その中央でヒースクリフが十字盾から長剣を音高く引き抜き、その剣を持つ右手を高く掲げた。

 

 「今回はボスの攻撃パターンの情報がない。その為、各々が可能な限りパターンを見切って柔軟に対応してほしい。」

 

 剣士達の首肯を確認したヒースクリフが高々と掲げていた長剣を前に振り下ろし、叫ぶ。

 

 「それでは行こうか。……戦闘、開始!」

 

 その声と共に、一斉に抜刀したプレイヤー達がボス部屋へとなだれ込む。俺は右手に《ロンリライアー》、左手に《スカービースト》を握ってその後に続く。シリカも《パストラスト》を逆手に持つと、戦闘態勢になったピナを連れて突入する。

 ボス部屋の中はかなり広いドーム状をしていた。俺やキリト、ヒースクリフが戦ったあの闘技場と同じぐらいの大きさだろうか。見上げれば、黒い壁が遥か上で湾曲して閉じている。

 背後から轟音が響いた。一体何が起こったのかと思い振り返ると、扉が固く閉ざされている。会議室でのヒースクリフの言葉が脳裏をよぎった。つまり、俺達が全滅するか此処を守護するボスを倒さなければ出られなくなったという訳だ。

 しかしその肝心のボスの姿が見当たらない。現れる様子が無いのだ。ただ時間だけが過ぎていく。何かのバグかと思い始めたその瞬間、アスナの鋭い声が耳に入った。

 

 「上よ!」

 

 はっとして頭上に目を向ける。そこには黒い壁と相反するように真っ白な巨大なナニカが貼りついていた。恐らく扉が閉じてから現れたのだろう。先程俺が見上げた時には影も形もなかった。

 見た目は完全にムカデだ。だがその身体は骨だけで構成されており、先端には人間のものを少し弄くったような頭蓋骨が鎮座している。更に、腕のように生えている二本の骨には死神の鎌を連想させる刃が付いていた。

 視線を集中させたことでこの骸骨ムカデの名称が露になった。《The Skullreaper》……骸骨の刈り手、そう名付けられた骸骨ムカデは度肝を抜いている剣士達を一瞥すると、全ての脚を大きく広げた。死神の鎌を持つ骸骨ムカデは重力に従って落ちてくる。未だに上を見上げている俺達の真上目掛けて。

 

 「固まるな!全員、距離を取れ!」

 

 ヒースクリフの鋭い声が意識を強制的に引き戻す。我に返ったプレイヤー達は慌ててあの骸骨ムカデが落ちてくるであろう場所から退避する。俺も急いで離れたが、丁度真下にいた三人の動きが少しだけ遅れた。それが彼ら生死を分ける境目となる。

 

 「こっちだ!」

 

 「急いで下さい!」

 

 キリトとシリカ声に導かれるようにこちらに向かって走り出した三人だが、骸骨ムカデが着地した衝撃で足を取られてたたらを踏んでしまった。勿論それをこの世界の創造神が操る死神が見逃す筈がない。

 動きが硬直した獲物を薙ぎ払うように振るわれた鎌は寸分の狂いもなく三人の背後を同時に切り裂いた。

 綺麗な放物線を描きながら宙を飛んだ三人は地に落ちることなく、その身体をポリゴン片へと変えた。立て続けに消滅音が響く。

 三つの『死』を間近で見たシリカとアスナが息を詰まらせ、キリトは体を強張らせる。それは至極当然のことだ。

 いくら現実に近づけたとはいえ、このデスゲームはレベル制のMMORPG。剣の腕が壊滅的であろうともレベルが高ければそうそう死ぬことは無い。

 加えて、今この場にいるプレイヤー達は最前線で戦う者達の中でも選りすぐりのハイレベルプレイヤーである筈だ。だがそれが骸骨ムカデによる、たったの一撃で永遠に退場させられた。驚かない訳がない。

 

 「……こんなの、無茶苦茶だわ……。」

 

 掠れたアスナの声を他所に骸骨ムカデは獲物を仕留めた快感からか、地を揺らす程の轟く雄叫びを上げる。そして新たな獲物を発見したかのように猛スピードでこちらに突進してきた。

 

 「うわぁぁぁ!来るなぁぁぁ!!」

 

 標的となった者の悲鳴が上がる。しかし動こうという気配が全く無い。確実に一撃で命を刈り取られる死神の鎌を避けようともせず、ただ悲鳴を響かせるだけの置物と化していた。

 その者は『死』への恐怖に心を捕らわれたのだ。攻略組と言えど所詮は人間。一度恐怖という名の沼に完全に引きずり込まれれば……もう動くことは叶わない。

 骸骨ムカデが四つの目玉に宿る蒼白い炎を瞬かせながら、既に三つの命を刈り取った死神の鎌を振り下ろそうとした。

 ヒースクリフに言ったように、俺はシリカやキリト達以外がどうなろうとどうでも良い。骸骨ムカデがポリゴン片となって散った時に彼女達が生きていればそれで良いのだ。

 だが、これ以上士気が低下すれば待っているのは全滅だ。ゲームバランスを破壊しかねないユニークスキル持ちが三人いるとはいえ、勝ち目は万に一つも無い。この世界の創造神であるヒースクリフを除いて皆で永久退場させられる光景が容易く目に浮かぶ。

 

 「……仕方ない。」

 

 そう呟いて地を蹴り、その下に飛び込む。両手に持った二振りの愛剣を一旦鞘に戻すと掌に小さな円形の盾を創造し、死神の鎌を迎撃する。

 耳をつんざくような衝撃音の直後に円形の盾が砕け散った。《創造》で製作可能な武器は全て一撃で役目を終える仕様だ。その為、創造した盾が砕ける度に再度同様の盾を創造して防ぎ続ける。

 《創造》は欠陥だらけのスキルだが、脳への負担を無視するという条件付きであれば、創造の上限が無いことがメリットとして挙げられる。具体的に言えば、今しているように延々と盾を創造し続けて鉄壁の防御を実現できるのだ。

 ただしこれは『脳への負担を無視する』という条件付きであることを忘れてはいけない。現に俺の脳は割れそうな程の激痛が走っている。正気の状態でスキルを酷使した代償だ。

 だが殺意を喰らわせ、獣となれば相手を殺す為だけに行動を開始する。もし今なれば後ろのプレイヤーを見捨てることは確実だろう。それは普段なら構わないが、今だけは許されない。

 とはいえ、このままでは脳が限界に達するだろう。何かないかと視線を巡らせた俺は、ヒースクリフの姿を捉える。システムに保護された彼ならば絶対に死ぬことはない。ならば、壁になってもらおうではないか。

 

 「おいヒースクリフ!あんた確か、ボスの猛攻を一人で捌いたそうだな!この鎌を頼む!!」

 

 「……良いだろう!ソーヤ君は攻撃に徹したまえ!」

 

 脚を覆うように円形の盾を創造してサマーソルトを放ち、鎌を押し返した一瞬の隙にこちらに向かって来たヒースクリフと交代する。しかし俺はあることを失念していた。骸骨ムカデが持つ死神の鎌は一つではないことを。

 ヒースクリフに攻撃をしつつも、もう一つの鎌が逃さないとばかりに俺に襲い掛かる。今は《創造》による頭痛により動きが鈍い。数秒後に俺自身がポリゴン片となって散る光景が目に浮かぶ。どうすることもできず、諦めるように目を閉じたが、俺の前に一つの気配が現れた。誰かと思い、瞼を上げる。

 

 「ソーヤを殺らせはしない!」

 

 左右の剣を交差して受け止めたキリトだったがその衝撃に耐えられず、鎌は火花を散らしながらゆっくりと迫って来る。助けに来てくれたことは感謝するが、これでは餌食となる人間が増えただけだ。

 そして死神の鎌が遂にキリトの肩に到達するかと思われたその瞬間、純白の光を纏う剣が俺と彼の間を縫うように空気を切り裂いた。

 それが下から命中し、鎌の勢いが緩む。それを見逃さず、キリトはすかさずに押し返した。

 

 「キリト君と私でもう一つの鎌を食い止めるわ!大丈夫、絶対に死なせないから!」

 

 キリトの隣に立ったアスナが剣に纏わせた光の残滓を払いながらそう言った。彼女に頼もしさを感じていると肩にふわりと優しく手が置かれる。それが誰のものであるかなんて考える必要もない。

 

 「ソーヤさん、私もソーヤさんのことを守ります。私の命の危機を何度も救ってくれた貴方を絶対に死なせません!」

 

 「シリカ……。それじゃあ、隣で戦ってくれる?」

 

 「勿論です!」

 

 俺の言葉に力強く頷くシリカ。彼女と共にいると身体の動きを阻害する頭痛も何処か遠いもののように感じてしまう。これが所謂『愛の力』とでも言うのだろうか。長年孤独だった俺とは無縁だと思っていたが、どうやらそうでもなかったらしい。

 

 「鎌はキリトさん達が食い止めるので無視してください!皆さんは側面から攻撃をお願いします!!」

 

 シリカの言葉でプレイヤー達は我を取り戻したのか、全員がそれぞれの得物を構えて骸骨ムカデにそれを振るい始めた。俺も鞘から二振りの愛剣を抜刀する。今回のボス戦において、未だ使用されていないことに対する文句があるのか、通常よりも少し重く感じた。

 無言で抗議する愛剣達に今から存分に使ってやると伝えるように細剣を前方斜め約四十五度に投げ、残った片手剣に鈍い赤の光を纏わせる。

 獣と化すことは得策とは言えない。スキルの代償で頭痛が発生している状態で、これ以上の負担を脳にかけてしまえばどうなるか想像が不可能だ。故に今回は『俺自身』が戦わねばならない。

 骸骨ムカデがキリト達に集中していることを確認し、地を蹴る。まるで宙を駆けるように一瞬で肉薄した俺は血濡れた剣を振り下ろした。それと同時に唯一自由に動く片手を横に伸ばす。まるで示し会わせたかのように投げた細剣が手に収まった。

 何かがぶつかったような響きがしたかと思えば、片手剣の光が霧散する。その瞬間に俺の身体はこの世界のルールを無視して動きだす。

 血濡れの剣が通った太刀筋をなぞるように斬り上げ、その勢いのまま真上に投擲する。落下までには数秒の時間しかないが、それだけあれば十分だ。

 今度は細剣に同じ光が宿る。赤黒く輝く線を引きながら同じところを狙って高速の五連撃を叩き込む。骸骨ムカデのHPが目に見えて大きく減少する。一度傷がついた箇所はダメージが通りやすいようだ。

 空いている手を上に向け、丁度落ちてきた片手剣を掴む。細剣を放り投げると同時に、掴んだ片手剣に光を纏わせて斬る。ただそれを繰り返す。何度も繰り返してきたおかげでもう失敗することはあり得ない。

 隣にちらりと目を向ければ、シリカはピナのブレスも交えて絶やすことなく攻撃を続けている。その甲斐あってか、骸骨ムカデのHPはみるみる減少していた。

 そんな時だ、骸骨ムカデの尾の方から複数の悲鳴が聞こえたのは。流れ作業のように動く身体はそのままにして目だけをそちらに向けると、尾に付いている槍の形をした骨に数人が薙ぎ払われていた。そして運悪く両足を切断されたプレイヤーにその槍が突き立てられようとする。

 シリカもそれに気づいたのか、攻撃を中止して駆け出した。もう誰かが死ぬことは耐えられないのだろう、彼女は全速力で駆けていた。

 

 「もう……死なせません!誰も、殺させません!」

 

 間一髪、シリカの持つ短剣が届いて槍の軌道を僅かに変え、両足を失ったプレイヤーの真横に突き刺さる。しかし自身のことを考えていなかったからか、勢いを完全に殺すことができずに転んでしまった。

 それを見た槍は新たな獲物を見つけたとばかりに標的をシリカに変え、地から一瞬で槍を引き抜くと彼女に向かって突きを放つ。

 シリカは本当に心優しい性格だ。それ故に時々ではあるが、自分のことを考慮しないまま行動を起こしてしまう。

 だから……守らねばならない。シリカがこの世界で生き残れるように、俺が彼女に寄り付く死神を全て喰らわねばならない。それが惚れた女にできる俺の全てだ。

 迫り来る槍に片手剣をぶつけ、そのまま光を纏わせて押し返す。ついでに細剣での追撃も加え、槍の意識を俺へと向ける。

 

 「……ソーヤさん……。」

 

 「……言った筈だよ?シリカは俺が守る。俺にとっても恩人であるシリカは死なせない。でも今は、隣で俺を守ってくれるんでしょ?」

 

 「はい!私、ちゃんと言いましたもん!ソーヤさんを守るって!!」

 

 シリカは俺の隣に並ぶと、俺から貰った短剣をもう一度強く握り直す。彼女の傍を飛ぶピナも「きゅる!!」と一際大きく鳴いた。

 再び槍が牙を剥くが、俺の細剣と片手剣、そしてシリカの短剣が重なって一つの剣となり、それを難なく受け止めて弾き返す。

 

 (行くよ、シリカ。あの骸骨ムカデを倒す!)

 

 (勿論です!)

 

 今の俺とシリカには言葉なんて必要ない。相手の思考がこちらに流れて来るのだ。尋常ではない速度で襲い掛かる骸骨ムカデの槍を二人で迎え撃つ。その余波でHPが少しずつ削られていくが、そんな些細なことはどうでも良くなっていた。

 

 

 ◇◆◇

 

 少年達と階層の守護者との戦闘は、開始してから約一時間が流れていた。だが、永遠かと思われた命のゲームに幕が下ろされる。

 正面に移動した少年と少女が駆る一振りの剣が守護者を真っ二つに叩き斬る。その身を両断された守護者は断末魔と共に巨体を無数のポリゴン片へと変え、爆発四散した。

 勝利した少年達は歓声を上げる余裕もなく、次々とその場に倒れ込む。中には大の字に転がって荒い息を繰り返している者もいる。

 しかしその中に毅然と立つ人影が二つ。

 一つは少年。内に飼っている獣の影響か、それとも今回のような激戦に身体が慣れているのか、息も荒れていない。しかし攻撃の余波を受け続けた為に、横に浮かぶ命の残量を示す表示は黄色くなっていた。

 もう一つはヒースクリフ。彼も少年と同じく息が荒れておらず、疲労を感じさせない。そして驚かされるのは少年とは違い、表示が緑のままであることだろう。彼は明らかに誰よりも『死』に近い筈だった。それなのに未だに安全圏を保っているその頑丈さは永久機関を搭載した戦闘機械のようだ。

 他の者達と同様に床にうずくまっていたキリトは虚ろな目でヒースクリフを見つめる。そして次の瞬間、彼は倒れた者達を見下ろしている紅衣の男を見る眼を変えていた。

 

 「……ごめん、アスナ。」

 

 「……え?キリト君……?」

 

 キリトの隣で座り込んでいたアスナがそう発した頃にはもうそこに彼の姿はいなかった。地を蹴ってヒースクリフに急接近した彼は握ったままだった片手剣を突きだす。

 突然の奇襲にヒースクリフは目を見開いて咄嗟に十字の盾で防ごうとするが、間に合わない。キリトの剣は盾の縁を掠め、彼の胸元へと迫る。

 しかし間違いなく命中されると思われた剣は、横から突如現れた片手剣によって防がれる。攻撃を防がれるとは思っていなかったキリトは驚きの表情で横やりをいれた少年を見る。少年の顔には怒りが浮かんでいるが、何処かそれは本心からのものではないように見えた。

 

 「……キリト、何やってるの?どうしてヒースクリフに攻撃を仕掛けたの?」

 

 キリトを正面から見つめる少年から怒気をはらんだ声が出るが、やはり怒っているとは思えない。よく見れば少年の瞳は『とうとう気づいてしまったのか』と語っていた。

 

 「お前こそ何してんだよソーヤ……。俺達をこの世界に閉じ込めた張本人を庇うなんて。」

 

 その発言に誰もが動きを止め、視線が少年達三人に集中する。

 夢が覚めるカウントダウンが今、始まる。

 

 「ソーヤが気づいていないのなら、教えてやる。お前の後ろに立つその男の正体は……茅場晶彦だ。」

 

 空気でさえも凍りついたような静寂が周囲に満ちた。



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第二十五話 夢が覚める時

 アインクラッド編最終回です。

 次回以降に関しては前回に書いた通り、総集編を一話挟んでからフェアリィ・ダンス編に入る予定です。

 駄文ですが、これからもご愛読よろしくお願いします。 


◇◆◇

 

 もし可能ならば、この場にいる者達全員の記憶に介入して先程のキリトの発言を誰も聞かなかったことにしたかった。

 既にその正体を見抜き、知ってしまった俺以外がヒースクリフのことを《血盟騎士団》の団長と信じて疑わないままに戻したかった。

 そうすれば少しでも長く、シリカやキリト達と一緒にいることができるこの幸せな夢の中にいることができた筈なのに。

 しかし一介のプレイヤーである俺にそんな事ができる訳がない。仮に可能だったとしても明らかに非人道的な行為である。俺は二重の意味でその我が儘に等しい願いを消した。

 一瞬、両親と一緒に仕事をしていたある男の姿が脳裏をよぎったが思い出したくもないクズ野郎なのでさっさと消去する。

 キリトの発言の後、誰一人として言葉を発さずに沈黙が場を支配する。そしてそれを打ち破ったのは他でもない、この事件の全ての元凶だった。

 

 「……何故気付くことができたのか参考までに教えてくれるかね?」

 

 正体を看破されたにもかかわらず、ヒースクリフの声は落ち着きそのものだった。振り返ると、彼は檻の中で戯れる生物を見るような暖かい視線をプレイヤー達に向けている。 

 

 「あんたのことを疑い始めたのは、あのコロシアムでデュエルをした時だ。最後の一瞬だけ、明らかに速すぎたよ。」

 

 「……やはりか。あの時は痛恨にもシステムのオーバーアシストを使用してしまった。」

 

 ヒースクリフはゆっくりと頷き、唇の片端を歪ませる。浮かんだのはほのかな苦笑。だがそれを超然としたものに変えると、この場にいる全員を見回し、堂々と宣言した。

 

 「本来ならば第九十五層に到達すると同時に明かすつもりだったのだが……。確かに私は茅場晶彦だ。付け加えれば、最上層で君達を迎える筈だったこのゲームのラスボスでもある。」

 

 「趣味が悪いぜ……。最強と謳われるプレイヤーの片割れが一転してラスボスなんてな。」 

 

 そう言いながらヒースクリフを睨むキリトからは負の感情が漏れ出ていた。怒りや殺意がこれまでの彼からは想像もできない程に膨れ上がっているのだ。

 キリトの鋭い殺気を正面から受けながらも、ヒースクリフは「君は不確定因子だとは思っていたが此処までとは」と肩をすくめる。彼のその様子は、姿が違えども確実に俺の両親の上司に当たる人物のものであると感じさせた。

 そして金属質で無機質な気配を放っているヒースクリフの瞳に好奇心の色が見え隠れしている。また彼のゲーマー魂が疼き始めたようだ。

 基本的に彼は自身の描いたシナリオ通りに進むことを好む。だが、イレギュラーが発生した時にそれを嬉々として受け入れる場合がある。第七十五層のコロシアムで俺とのデュエルをすぐさま承諾したのが良い例だ。

 これからのヒースクリフの行動が読めた俺はキリトに向き直る。     

 

 「……キリトは、この世界から脱出して現実世界に帰りたい?俺の後ろにいる人を殺して、ゲームをクリアしたい?」

 

 年相応の何かを失うことを恐れる震えた声が出たことに俺は自身を嘲笑うように内心でため息をつく。この期に及んでまだ迷っているとでもいうのか。どう状況を整理したって、この夢が覚める瞬間はもうすぐそこにまで迫って来ているというのに。

 

 「勿論だ。生き残って現実に帰還する。それは俺達プレイヤーの総意だろ?」

 

 この世界で現実のことを聞くことはタブーである。それ故にキリトはこの世界が終わる最後の時まで俺の本心を知ることができなかった。まぁ知られないようにしていたのだが。

 もう二度と開くことのない蓋の底に封じ込めた身勝手で、我が儘でしかない、叶わぬ願い。一度諦めた筈なのに、まだ心の何処かで期待している俺は馬鹿としか言い様がない。

 チクリと心に痛みを感じた。原因は言うまでもなくキリトの言葉だ。彼の発言が不可視の刃となって、心を抉る。しかしもう俺はいくら壊れようと成し遂げなければならない。俺を孤独から解き放った者達を現実に還す為に。

 

 「……やっぱりそうだよね。だったら……!!」

 

 鞘から片手剣と細剣を抜き放つ。キリトはその行動に驚きを隠しつつも警戒を露にし、同じように背から愛剣を抜く。緊張が流れる。今の構図では、俺はヒースクリフの味方をしているように見えていた。彼が警戒するのも当然だ。

 しかし俺はキリトと殺り合うつもりは毛頭ない。切っ先の方向を変え、ヒースクリフへと突きつける。この世界の創造神を正面から見つめる俺は久し振りに仮面を張りつけていた。

 嘘で固められたものに変わりはないが、今までの本来の自分を隠すものではない。この状況になっても尚微かな希望を抱く愚かな自分を黙らせる仮面である。

 

 「……此処で終わらせよう、どうせ茅場の叔父さんは正体を看破した報酬でデュエルをしないかとキリトに言うつもりだったんでしょ?だったら、俺は今叔父さんとのデュエルを望む。一度は断ったけど、良いよね?」

 

 「相変わらず、その相手の心を容易く読む力が恐ろしいよ。それとデュエルの件だが、勿論構わないさ。私を倒すことができればゲームはクリアされ、生き残ったプレイヤー達は現実に帰還できる。約束しよう。」

 

 そう言いながらヒースクリフはゲームマスター専用と思われるウィンドウを操作する。そしてそれを消した瞬間、周囲の者達全員に異変が起こった。

 茅場と俺以外の全員が不自然な姿勢で次々と倒れ、呻き声を上げ始めたのだ。剣を構えていたキリトも、こちらに駆け寄ろうとしたアスナとシリカもその例に漏れていない。よく見れば彼女の相棒でもあるピナでさえも地に落ちていた。

 

 「ソーヤさん……さっきから茅場さんのことを『叔父さん』って……?」

 

 システムによって自由を奪われた身体を必死に動かしながら、シリカがそう問うてきた。この世界はもうすぐ終わりを告げる、最早隠す必要もないだろう。俺は一息つくと、ヒースクリフとの関係を明かすことにした。

 

 「……両親は茅場の叔父さんの部下に当たるんだ。この世界に来る以前、俺はよく家に来てくれた茅場晶彦のことを『叔父さん』と呼んでいたんだ。」

 

 沈黙が流れる。これまで攻略の要として活躍してきた二人の正体が、全ての元凶とその部下の子だとは誰一人想像していなかったのだろう。

 俺を見る目が茅場に向けられているものと同様のものに変わる。怒りが込められた目だ。しかしそれにはあの腐った世界でもう慣れている。いちいち気にする必要はない。

 周囲の者達の存在を無視し、ただ眼前に立つヒースクリフだけを視界に捉える。

 

 「ソーヤさん!」

 

 「……ごめんね、シリカ。俺が終わらせるから。ちゃんと現実に還すから。」

 

 シリカの悲痛な声に小さく謝罪をすると《創造》の発動と共に獣を解き放つ。身体がだんだんと熱を帯び、吹き出した赤黒いオーラが背後にゆっくりと移動して様々な武器を作り出す。生み出された武器達は使われる時を今か今かと待ち望むように後ろで円を描く。

 

 「……茅場の叔父さん、モウコノセカイハオワリダ。皆を、シリカを現実に帰還させる為に……コロス。」

 

 片手剣と細剣をもう一度握り直し、構える。不思議なことに意識がはっきりしていた。普段なら獣の解放と同時に朦朧となるのだが、一体どうしたのだろうか。

 原因を追及したいところではあるが、そんな時間は一秒たりとも残されていない。

 俺の臨戦態勢を確認したヒースクリフは再びウィンドウを操作し、自身の不死属性を解除すると共にお互いのHPを即死圏内まで減少させた。そして地に刺していた長剣を抜き、十字の盾の後ろに隠すように構える。

 これはコロシアムの時の決闘とは違う、本物のデスゲーム。勝者は生き残り、敗者は死ぬ。ただそれだけが明確に設定されたルール。空気の震えが仮想の肌を通して伝わってくる。

 そして示し合わせた訳ではないにもかかわらず、俺とヒースクリフは同時に地を蹴っていた。

 

 

 ◇◆◇

 

 名もない片手剣が十字の盾とぶつかり、役目を終えたとばかりに砕け散った。少年のスキルによって作られた武器は全て一回しか攻撃ができない消耗品である。

 強敵との連戦により、少年の愛剣は砕けてしまっていた。しかしそんな些細な事で少年は止まらない、止められない。唯一無二のスキルで次々と武器を作り出し、それらを振るい続ける。

 デジタルの世界からの解放を賭けた少年と元凶との殺し合いは既に短いとは言えない時間が流れていた。百を軽く越える金属音が周囲に響いている。

 絶え間ない猛攻を仕掛けている少年は人間でも獣でもない。それらが交じり合ったナニカだ。その最たる証拠に、少年の二つの瞳は赤と黒が入り交じる濁ったものに変わっていた。今の少年の状態を一言で言い表すのならば、『半人半獣』が文字通りに当てはまるだろう。

 しかしその猛攻を全て防いでいるのは、この世界の創造神が操るヒースクリフと名付けられたアバター。人間らしさが見えなくなった冷ややかな真鍮色の瞳を忙しなく動かし、神速で襲い掛かる無数の剣をその巨大な十字の盾と長剣で弾き続けている。

 少年が一瞬の間に背後に移動し横薙ぎに両手剣を振り払うも、目にも見えない速度で振り返ったヒースクリフは的確にそれを弾き返した。

 一旦距離を取った両者のHPは度重なる攻撃の余波を受け続け、数ドットを残すのみとなっている。少しでもかすれば『死』へと誘われる。常人ならば恐怖のあまり発狂しかねないが、今対峙する二人の人間は形は違えど既に狂っていた。

 一人は他者の命をただのモノとしか捉えられず、邪魔をする者が誰であろうとも殺すことを厭わない狂人。もう一人は一万の人間を電脳世界に閉じ込め、ゲームオーバーを現実の死とした狂人。もう彼らにとって『死』は恐怖の対象ではなくなっていた。

 

 「背後への瞬間移動と終わらないソードスキル……此処までこの世界に馴染むとは思っていなかったよ、ソーヤ君。正直に言わせてもらえば、もっと戦っていたいものだな。」

 

 「……叔父さんのゲーマー魂はアイカワラズダネ。でもどんなゲームだっていつかは、オワリノトキガクル。これでこの幸せな夢を……オワラセル。」

 

 『死』が間近に迫っているとは到底思えないような様子で会話を交わした両者は再び得物を構える。金属質の瞳と濁った赤の瞳が交錯し、次の瞬間にはお互いの顔を散った火花が明るく照らしていた。

 少年は新たな片手剣を取り出し、正面から一直線に振り下ろす。これまでの猛攻と比べると稚拙としか思えない攻撃。それをヒースクリフは十字の盾を前に出すことで受けようとする。だが出した盾に衝撃が伝わることはなく、耐久値が無くなった武器がポリゴン片となる音が響いた。

 しまった、ヒースクリフがそう思った時には少年の次の一手が炸裂していた。途中で離した少年の手には包丁に酷似した短剣が逆手に握られている。

 一歩踏み出した少年の短剣がヒースクリフの盾を横から叩く。衝撃をまともに受けた盾は右側に大きく振られ、左側に無防備な的が現れる。

 その隙を見逃す少年ではない。作り出した細剣に赤黒く輝く鈍い光を纏わせる。ヒースクリフもこれが最後だとばかりに長剣に光を纏わせた。その光は少年とは対照的に明るい赤の色をしている。

 放たれた二つの赤い光はいつかの決闘を再現するかのようにすれ違い……同時に両者を貫いた。

 

 

 ◇◆◇

 

 手に持った細剣からヒースクリフを貫いた感触、そして身体が長剣に貫かれた感触を感じた。今回も引き分けだ。このデュエルも、あのコロシアムの時と同じ結果に終わったのだ。

 だがいくら待ったところで、何処にも勝者を示す表示は現れなかった。当然だ、これはただの殺し合い。勝利条件は相手を殺すこと。相手がポリゴン片となって砕け散る演出こそが、勝者を示す表示に他ならない。

 未だ俺もヒースクリフもポリゴン片にならずに形を保ってはいるが、これは同時に散ることになるだろうと二年間の経験が結論を出していた。

 視界の端で赤く点滅する俺の命がゆっくりと削れていく。一ドット減少していく度に死神が一歩づつ近付いて来ている。

 そして遂に真っ黒に染め上がったことで一つのメッセージが浮かび上がった。

 

 《You are dead》

 

 それは『死ね』という宣告。この世界で絶対の力を持つシステムという名の死神から宣告された逃れることのできない命令。これには創造神ですら逆らうことは不可能だ。

 獣との同調状態が解け、想像を絶する頭痛のあまり立ち尽くすことしかできない俺の身体がひんやりとした冷気に包まれる。俺という存在が紐をほどくように解体されていくようだ。剣を握る感覚、俺の名を呼ぶ声、眼前に立つ茅場の叔父さんの顔、全てが遠ざかって消えていく、無くなっていく。

 

 「ソーヤさん!!」

 

 深い闇に沈んでいく意識の中で、聞き慣れた声が響いた。声の主は誰かと考える必要もない。消えゆく俺を見つめながら大粒の涙を流しているシリカの顔が容易に浮かんだ。

 無事に目的を完遂できたことに達成感を覚えていると、俺とヒースクリフの身体がポリゴン片となって爆散するのを感じた。何度も聞いたあの音がしたのだ。今までゆっくりだった意識が、急速に闇へと引き込まれていく。

 どうかシリカが現実で幸せな人生が送れますように……俺の叶わない願いの代わりに、この願いを叶えて下さいと何処にいるかもわからない神にそう願いながら俺のアバター《ソーヤ》は消滅した。

 

 

 ◇◆◇

 

 意識がある。そう感じたのは数秒前のことだ。閉じていた瞼を上げると、燃えるような夕焼けが俺を照らしていた。

 一体此処は何処だろうかと周囲を見渡す。そして透明な床の下にあるものが目に入った。俺やシリカ達が二年間生きた場所である鉄の城、アインクラッドが崩壊を始めていたのだ。

 基部フロアの一部が損壊し、崩れ落ちた破片は深い暗闇の中へと消えていく。耳を澄ませば重々しい轟音が聞こえてくる。まるで《創造》で作られた剣達と同じように、俺に友人達を巡り合わせてくれた剣の世界はもう役目を終えたとばかりに崩れていく。

 終わったんだ……こうして崩壊していく夢の世界を目にすると改めてそう感じられる。

 

 「なかなかに絶景だな。」

 

 「茅場の叔父さん……。」

 

 不意に隣から声がしたので横を見ると、いつの間にか茅場晶彦が立っていた。ヒースクリフのアバターではなく、現実でよく見た白いシャツにネクタイを締め、長い白衣を羽織った俺の叔父さんが穏やかな目で崩れゆく浮遊城を眺めている。

 間もなく半分が崩れ去る巨城に目を戻し、ぽつりと尋ねた。

 

 「シリカは……俺があの世界で出会った友人達はちゃんと現実に帰れた?」

 

 「心配には及ばない。つい先程、生き残った全プレイヤーのログアウトを確認した。勿論、創也君の友人達もだ。」

 

 「……それが聞けたら十分だよ。」

 

 そう答えた瞬間、視界が歪んで自分の頬に何かが伝っている感触を感じた。泣いていたのだ。一時とはいえ俺の友人だった皆が無事、現実に帰還できたことに安心したのだ。

 

 「創也君に最後にこのゲームの感想でも聞こうと思っていたのだが、その涙で返事は十分だ。身勝手で悪いのだが、私はそろそろ行かせてもらうよ。」

 

 とたんに風が吹いたかと思えば、もうそこに茅場の叔父さんの姿はなかった。最後に彼が言っていた通り、本当に身勝手である。

 彼が何処に行ったのかは想像に難くない。現実の肉体を捨て、自らをデジタルの一部にしたのだろう。身勝手な彼なら平然とやりかねない。

 俺は再び一人ぼっちに戻っていた。友人達を失った痛みはなかった。正確には、夢の世界で過ごした日々が傷ついた心を癒しているのだが。だがそれもじきに不必要となる。

 俺が生きた幸せな夢の世界が完全に崩れ去り、消滅した。身体が透け始め、全ての終わりが近いことを知らせている。

 二年間の記憶が流れていく。そのどれもが鮮やかな明るい色を放っている。これが走馬灯というものなのだろうか、今はどの記憶も鮮明に思い出すことができた。自然と心が温かくなる。迫る『死』など、どうでもよくなっていた。

 足元の透明な床も消え、白い輝きの中に俺だけが残される。周囲はその輝きに呑み込まれており、俺が消えるのも時間の問題といったところだろうか。

 

 「シリカ、君と過ごした日々は俺の人生の中で間違いなく一番幸せだったよ。本当にありがとう……愛しています。」

 

 今の俺は年相応の笑みを浮かべていることだろう。時間だ、あの夢の世界の記憶と共に俺は逝くとしよう。

 輝く光が俺という存在を消滅させていく。恐怖なんて感じなかった。今の俺を満たすのは、最後に大切な人や母親の言った友達ができた幸せだ。

 

 『私も、ソーヤさんのことを愛していますよ。』

 

 光が身体を完全に消滅させる直前、そんな声が聞こえたような気がした。



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そーどあーと・おふらいん アインクラッド編

 予告通り、アインクラッド編の総集編です。

 今回は書き方を大幅に変更しており、各キャラクターのセリフが通常と比べて多くなっています。


 ◇◆◇

 

 「皆さんこんにちは!そーどあーと・おふらいんの時間です!司会のアスナです!」

 

 二年間囚われた剣の世界で最強と謳われたギルド《血盟騎士団》の制服を纏ったアスナが張り切った様子で挨拶をする。その隣には全身が真っ黒の装備で固められた《黒の剣士》こと、キリトが座っていた。

 

 「解説のキリトです!」

 

 「今回の総集編では『ソードアート・オンライン ~創造の鬼神~』アインクラッド編のプレイバックを行っていきます!それではプレイバックを始める前に、ゲストのお二人に登場していただきましょう!どうぞ!」

 

 アスナがそう言うと同時に扉が開かれ、二つの人影が入ってくる。

 

 「ご紹介します!ゲストにお呼びしました《鬼神》ソーヤ君と《竜使い》シリカちゃんです!」

 

 「ソーヤです。よろしく頼みます。」

 

 「シリカです!今日はよろしくお願いします!あと、この子はピナです!」

 

 「きゅるるる!」

 

 「それでは役者も揃ったところで、プレイバックを始めていきましょう!まず始めはこのシーンです!」

 

 アスナが手を向けた先にある特大のモニターに電源が入った。

 

 

 ~ソーヤとキリト、クラインの出会い~ 

 

 「いきなり話しかけてすまない。その戦い慣れているところを見ると、お前もベータテスターか?」

 

 俺は声がした方に振り向いた。先程から気配はしていたので、たいした驚くことはなかった。

 そして、そこには二つの人影があった。

 一人は、ファンタジーの物語に出てきそうな勇者っぽい男。俺と年齢は同じぐらいだろうか。俺との距離が近いことから、彼が話しかけてきたのだろう。

 そしてもう一人は、日本の戦国時代から飛び出してきた若武者のような男。頭に悪趣味なバンダナを巻いている。年齢は……年上に見える。

 とはいえ此処では自分の顔や体格なんて自由に変えられるので、はっきりとはわからないが。

 因みに俺は……ほぼ現実と同じ姿と顔にしていた。俺じゃない体を動かすのは違和感があったし、例え姿を変えて受けいれられても意味がないと思ったからだ。

 だから名前……プレイヤーネームも《ソーヤ》にしている。

 

 「いいや、ベータテスターではないが。何か用か?」

 

 やはり両親以外の人と話す時は、どこかトゲがあるような感じになってしまう。今までのことから人間不信になってしまった俺からすれば、仕方がないものなのだが。

 そしてベータテスターか。確か、千人限定で先行プレイができるとかいうものだったはずだ。抽選倍率があり得ない程高かったことを覚えている。しかし、何故彼らはベータテスターを探しているのだろうか。

 すると俺の考えを見抜いたかのように、若武者の男が口を開いた。

 

 「いや、俺に戦い方を教えてほしくてさ。それで経験のあるベータテスターを探していたんだよ。武器はどう使うとか色々、教えてもらうためにな。」

 

 「そしてフィールドに出て教えていたら、近くに恐ろしいスピードで《フレンジーボア》を倒しているお前が目に入ってさ。こうして声をかけたという訳さ。」

 

 若武者の男に続いて、勇者っぽい男が答えてくれた。そして若武者の男が急に俺に頭を下げてきた。一体何事かと、俺は驚いた。

 

 「頼む、お前も俺に戦い方を教えてくれ!この世界を思いっきり楽しむ為に、女性にモテる為に!」

 

 「……わかったから顔を上げてくれ。こんなことで頭を下げるんじゃない。」

 

 最後に邪な願望が聞こえた気がするが、聞かなかったことにしておこう。

 そして俺は若武者の男の熱心な頼みに少し気圧され、その頼みを聞き入れることにした。

 その後、現実世界と同様にお互い自己紹介をすることになった。

 

 「俺はキリト。ベータテスターだ。よろしく。」

 

 「俺はクラインってモンだ。よろしくな!」

 

 「……ソーヤだ。」

 

 するといきなり目の前にウィンドウが表示された。そこに書かれていたのはフレンド申請だった。

 一瞬、《YES》のボタンを押そうか躊躇した。ここでフレンドになったのなら、彼らと深く関わることになるのではないか。そして彼らはまた、俺が信用し始めた頃に裏切るのではないか。そんな考えが渦巻く。

 俺は誰かを信じることはできない。裏切られることが怖い、また孤独に戻る時の傷を負いたくない。だから、誰も信じなくなった。

 だが母親の言葉もある。無下にすることもできない。フレンドになったとしても、そんなに深く関わらなければ大丈夫だと判断する。

 そして俺は《YES》のボタンを押した。

 

      ~《第一話 デスゲームの幕開け》より~

 

 

 「懐かしいね、俺がキリト達と出会ったところだ。」

 

 「そうだな……。もう二年前になるのか……。ん?どうしたんだアスナ?それにシリカも、どうして口元を押さえているんだ?」

 

 男性陣が当時を思い出して懐かしんでいる傍らで、女性陣は何故か口元を押さえていた。二人の肩が震えていることから、笑いを堪えているのだろう。

 しかし、もう限界とばかりにアスナが盛大に吹き出した。それにつられ、シリカも同様に笑い始めた。笑いの原因が理解できないソーヤとキリトは首を傾げるばかりである。

 

 「おいアスナ、いくらなんでも笑い過ぎだろ。一体何処に笑いのツボがあったんだ?」

 

 「あはははは!!だって、だってキリト君の顔が、あんなイケメンになってるから……あはははは!!」

 

 「そうですよキリトさん。ぷくく、あのキリトさんがイケメン顔に……あはははは!!」

 

 「キリト……あの顔が笑いの原因だと思うよ。多分だけどいつもからは想像もつかない、あのイケメン顔が面白いんじゃないかな。」

 

 「なんだと!?あの顔は悩みに悩んで作った渾身の力作だぞ!何処も可笑しくないだろう!?」

 

 「だから、キリトがイケメン顔なのが面白いってことだよ。確かにこれは良く見れば、笑いが込み上げてくるかも……。あのキリトがイケメン顔だもんね……。」

 

 「だぁぁぁ!もう次のシーンに行くぞ!アスナもシリカも笑い過ぎだ!何か恥ずかしくなってきた!次のシーンはこれだ!」

 

 

 ~ソーヤとシリカの出会い~

 

 俺はさっきと同じように三匹の猿人を殺し、落とした武器を拾う。そして一つの気配を感じとる。それはこの森に出るモンスターとは異なっている、つまり人間の気配だった。俺はその気配がした方向に目を向ける。

 

 「うぅっ……ピナぁぁぁ。私を……えぐっ……一人にしないでよぉ……。」

 

 その視線の先には、一人の少女がいた。光の差し込まない地に座り込み、青い羽らしきものを大事そうに抱えながら涙を流していた。

 

 「おいお前、大丈夫か?」

 

 俺は俺自身の行動に驚愕を隠せなかった。彼女は今まで出会ったことのない、いわば赤の他人だ。普段の俺ならば声を掛けることなく、その場を立ち去るはずだ。

 その筈なのに、俺は現在進行形で彼女に話しかけている。俺は俺自身が理解できなくなった。

 

 「ありがとうございます……助けていただいて。」

 

 「別に、たまたま此処を通りかかっただけだ。しかし何だそれは?」

 

 俺は彼女が抱えている青い羽らしきものを指差す。その羽は恐らくドロップ品なのだろうが、それを彼女は大切に抱えている。

 ……何を考えているのだ、俺は。何故、赤の他人である眼前の少女を見捨てずに更に関わろうとしているのだ。いつもならこんな事は絶対にあり得ないのに。

 そんな俺の思考を知るよしもない彼女はその羽を一度だけ叩いた。浮かび上がったアイテムの名は……『ピナの心』。それを見た彼女は再び目尻に涙を浮かべる。

 

 「泣くのは後だ。さっさとこの森を出るぞ。」

 

 気がつくと俺は彼女に手を差し出していた。本当に理解ができない。得たいの知れない『何か』が俺を突き動かしている。その『何か』が俺にはわからない。

 

 「どうして……出会ったばかりの私を助けてくれるんですか?」

 

 「うーん、俺にはわからない。でも、何故か放っておけないんだ。」

 

 「えっ……?今、口調が変わって……!?」

 

 彼女が俺に驚くと同時に、俺も俺に驚愕していた。それも先程の比ではない。それも仕方のないことだろう。嘘の仮面が外れ、本当の俺が顔を出してしまったのだから。

 彼女は、両親や家族のように信頼できる人間ではない。数分前に出会ったばかりの赤の他人だ。そして、キリトのように命まで賭けて俺と関わりを持とうとした人間でもない。本当に赤の他人なのだ。しかし、キリトと話していた時と同じように仮面は外れた。こんな現象は初めてだった。

 俺は驚愕を隠すように、外れた仮面をつけ直した。本当の俺は影を潜め、嘘で固められた俺に戻る。

 

 「……可能であれば忘れてほしい。さぁ、行くぞ。」

 

 「ふふふ……変な人ですね。あっ、私シリカっていいます。」

 

 「……ソーヤだ。」

 

 シリカと名乗った少女が俺の手を握った。それを確認した俺は彼女を引き上げて、立ち上がらせる。そして俺達は森の出口へと向かった。

 

         ~《第七話 竜使いと鬼神》より~

 

 

 「あ、今度は私とソーヤさんが出会ったシーンですね。あの時はもう死んじゃうかと思いました。ピナも死んじゃって怖かったです。ソーヤさん、助けていただいて本当にありがとうございました。」

 

 シリカが笑い過ぎて目尻に浮かんだ涙を拭いながら当時を振り返る。そしてその時のことを思いましたのか、ソーヤに頭を下げて感謝の言葉を口にした。

 

 「今さらそんな事……あの時は俺自身、何をやっているのか理解できなかったし……。」

 

 ソーヤは恥ずかしくなったのかシリカから視線を背ける。幼い頃から罵詈雑言を受け続けて成長した彼はその過去からか、お礼を言われることに慣れていない。

 

 「アスナ、俺達は一体何を見せられているんだろうか。」

 

 「あはは……何だろね。それじゃ、次のシーンに行こうか。次はシリカちゃんイチオシのシーンです!」

 

 先程とは一転し、乾いた笑いを浮かべるアスナの声と共に新たなシーンが映し出された。

 

 

 ~シリカVS植物怪物~

 

 逃げるという手段を失ったシリカは立ち上がって、短剣を構える。そして早く決着をつけたいという焦りからか、直ぐ様彼女はソードスキルを発動した。

 当然ながら、慌てて発動したソードスキルが植物怪物に当たる筈もなく、シリカはソードスキル後の硬直に捕らわれた。そして動けない彼女の両足に植物怪物の蔦が絡み付き……

 

 「へ?きゃあ!!」

 

彼女を上下逆さまに持ち上げた。一体、あの細い蔦の何処にそんな力があるのか疑問だが、今はそれどころではない。

 シリカのスカートが重力に従ってずり落ちそうになっているのだ。それを必死に防ごうと、スカートを押さえながら蔦を切ろうとしている。だが、上下逆さまの不安定な姿勢では剣を届かせることさえ叶わない。

 

 「ソーヤさん、キリトさん、助けて!見ないで助けて!」

 

 「そ、それはちょっと……無理かな。」

 

 こちらに襲いかかってきた植物怪物を葬り、シリカの方に目をやるキリトは手で目を塞ぐ。だが、その隙間から覗いているのを見逃さない。

 

 「おいキリト、こっち向け。」

 

 「ん?どうしたソーy……うぎゃぁぁぁ!!」

 

 手を離して俺の方を見たキリトの両目に俺の人差し指と中指を突き刺す。所謂目潰しというやつだ。ぶっすりと刺さった痛みで、彼は目を押さえながら転げ回っている。シリカを助けるには今しかない。

 

         ~《第八話 思い出の丘》より~

 

 

 「え!?頼んでいたシーンと違う!しかも何でよりによってこのシーンなんですかぁぁぁ!!」

 

 「これは本当に事故だよね……?もしこれがイチオシだったら俺はシリカの正気を疑ったよ。」

 

 羞恥のあまり真っ赤になった顔を覆うシリカと、安堵のため息をつくソーヤ。だがこのシーンがもたらした影響はそれだけではなかった。

 突然重力が大きくなったと錯覚させる程の重い空気が周囲を包み込む。ゲストの二人が恐る恐るその発生源に目を向ければ、目が笑っていない笑みを浮かべるアスナと顔を青くして震えているキリトの姿があった。

 

 「キ~リ~ト~く~ん~?あの行動はどういう事かな~?」

 

 「ひぃ!あああアスナさん、あれはその……すいませんでした!!」

 

 「そんな謝罪で許すと思った?この変態!!」

 

 アスナの二つ名《閃光》に恥じぬ神速の突きがキリトを襲う。勿論、突然至近距離から放たれた目にも見えない速さの攻撃を防ぐことなど彼には不可能だった。

 

 「きゅるるる!!」

 

 更に今まで大人しくしていたピナが灼熱のブレスを吐いた。アスナの連続突きによってよろめいていたキリトは避けることも叶わず火炙りにされる。

 

 「ぐふっ……本当にすいませんでした……。」

 

 呻き声を上げながらキリト(変態)は倒れた。身体中に刻まれた無数の傷跡と焼け跡から察するに、復帰には相当の時間が必要となりそうである。

 ふんすっと鼻息を荒くしながら細剣を鞘に納めるアスナと、満足げな顔でご主人の下へと帰るピナ。その暴力的解決にソーヤとシリカは内心冷や汗をかいた。

 

 「えっと……それでは改めて私のイチオシのシーンです!どうぞ!」

 

 

 ~シリカ、ソーヤに二度目の告白~

 

 邪魔者がいなくなった少年は少女に向き直り、包丁に酷似した短剣に光を纏わせる。少女の相棒がブレスを吐くが、少年はそれを鬱陶しそうに払うだけだった。

 そして短剣を少女に振り下ろそうとした時のことだった。少年の顔が狂気に歪んだ笑みから苦悶の表情に変わったのは。

 鈍く輝いていた光が霧散し、少年の手から離れた短剣が地に落ちる。両手で頭を押さえて、声にならない声をあげる。バランスを崩した少年は少女に倒れ込み、少女はそれを受け止めた。

 

 「……グギギ……ガァァァ!!」

 

 「ソーヤさん!」

 

 少女は少年を抱きしめた。少年は突然の行動に驚愕を隠せず、黒と赤に点滅する両眼を少女に向ける。少女は少年を強く抱き締め、優しく包み込むような声音で言葉を紡いだ。

 

 「ソーヤさん……私、気づいたんです。私はソーヤさんの優しいところだけじゃなくて……全部が好きだとわかったんです。ソーヤさんは私が支えます……辛いことがあっても、私が一緒に背負います。だから……だから……目を覚ましてください、ソーヤさん……。」

 

 「……ガガッ……ギッ……。」

 

 少年の背後にあった無数の武器が弾け、消滅する。それと同時に点滅していた両目は完全に黒に戻り、少年は気を失った。

 少年の体重を支えきれなかった少女は背中から倒れてしまう。だが、少年の頭を撫でる少女の顔は穏やかな笑みが浮かんでいた。

 

        ~《第十一話 違和感の正体》より~

 

 

 「良かった……今度はちゃんと私が頼んだシーンです。また次も変なシーンが映ってしまうんじゃないかと不安でした。」

 

 「なるほど、シリカのイチオシはこのシーンなんだ。確かに納得できるな。あと、この時は皆に迷惑をかけて本当にごめん。」

 

 「もう過ぎたことだし、いいんだよソーヤ君。それよりも、《二度目の告白》ってどういうこと?」

 

 「ああ、実は俺が狂う前に一度シリカは告白していたんだ。『ソーヤさんの優しいところが好きになった』ってね。」

 

 「はうう……。ソーヤさん、その事は忘れてくれると助かります……。」

 

 再び赤くなった顔を覆うシリカ。あの出来事は彼女にとって、黒歴史以外の何物でもない。彼女が無意識に投下する爆弾は、時に自爆すら引き起こすのだ。

 

 「えっと、シリカが恥ずかしさでおかしくなる前に次のシーンに行こうか。次のシーンはこれ!」

 

 

 ~ソーヤとキリト、隠していたスキルのお披露目~

 

 「スイッチ!!」

 

 その一瞬を見逃さずにキリトは生まれた隙間に身を踊らせて、悪魔の正面に飛び込む。彼の両手には、二振りの片手剣が握られていた。悪魔は攻撃の対象を少年から彼に切り替え、咆哮を上げながら大きく斬馬刀を振りかぶる。

 左上からの斬り下ろしを左手に持った新たな剣で弾き返そうとしたキリトだったが、その刃は突如ワープしたように現れた少年によって防がれる。

 驚愕の色を浮かべるキリトに少年は向き直った。赤く染まった少年の目が彼を捉える。しかし、少年の瞳からはもう狂気は放たれていなかった。

 

 「……斬馬刀ハ、俺ガ防グ。キリトハ、攻撃ダケニ専念シロ。俺達デ、アレヲ……コロスゾ。」

 

 「ああ、頼りにしてるぜ!ソーヤ!!」

 

 怒りがこもった叫びを上げながら、悪魔は再度上段からの斬り下ろしをキリトに向かって放つ。だがそれはまたしても瞬間移動で斬馬刀の前に現れた少年によって弾かれた。発生した強烈な衝撃に悪魔の体勢が崩れる。

 その隙を見逃すような少年達ではない。キリトは両手に持つ二振りの片手剣に光を纏わせ、少年は背後に円を描くように回転する武器から細剣を取り出して地を駆けながら光を宿す。

 

 「スターバースト……ストリーム……!!」

 

 「コロス……コロシテヤル……!!」

 

 キリトの二振りの剣が恐ろしい速度で振るわれる。右の剣で斬りつけ、直ぐ様左の剣を突き刺す。甲高い効果音が立て続けに唸り、残像を残す光が悪魔を斬り裂き続ける。

 少年の様々な武器があらゆる角度から牙を剥く。横薙ぎに振るわれた斬馬刀を細剣と衝突させたかと思えば、一瞬で背後に移動し、片手剣を振るう。少年が武器を持ち帰る度に、ギィンと特徴的な音が鳴る。

 二つの絶えない光の斬劇が悪魔の命を削り続ける。悪魔は怒りの咆哮を上げて斬馬刀を振るった。だが少年に全て阻まれ、その隙をついたキリトの斬劇と少年の追撃が更に悪魔の命を削る。それが何度も繰り返され……悪魔の命はあと僅かになった。

 

 「「……ぁぁぁぁぁぁああああああ!!」」

 

 二人の雄叫びと共に、最後の一撃が放たれる。キリトの右の剣は正面から悪魔の胸の中央を貫き、少年の両手剣は背後から同様の部分を貫いた。

 

 

     ~《第十三話 欠陥だらけのスキル》より~

 

 

 「うっ……まだ身体が痛い……。あれ?このシーンは第七十四層のボス戦か。あれはキツかった。」

 

 制裁を受けてダウンしていたキリトがそう言いながら起き上がった。しかしまだダメージが残っているのか、少しふらついている。

 

 「あ、キリト。大丈夫じゃ……なさそうだね。まるであの戦いの後みたいだよ。」

 

 「全く、あの時は二人とも死んじゃうかもしれなくてヒヤヒヤしたんだからね!」

 

 「アスナさんの言う通りです!お二人のHPがじわじわ削れているのをただ見ることしかできなくて、何も出来ない自分が悲しかったです!」

 

 「アスナにシリカ……ごめんね。もっと皆を頼るべきだった。」

 

 「まぁでも結局俺とソーヤで倒せた訳だし、結果オーライじゃないか?」

 

 「「……は?」」

 

 再度重い空気が場を支配した。しまった、とキリトが顔を青ざめさせるが時既に遅し。空気を読まない彼の発言にご立腹となったアスナとシリカは何の躊躇いもなく得物を抜いた。

 自分達の心配を踏みにじるようなことを言った男に向けられる目からは、光を纏う得物とは対照的に光が失われている。

 

 「キリト君は、結果勝てればそれでいいの?心配する私達のことを考えようとしないの?」

 

 「キリトさんには、ソーヤさんのような反省する気持ちは無いの?」

 

 光を纏わせたままゆっくりとキリトににじり寄る女性陣をこのまま放っておけば、彼が惨殺されることは確実だろう。

 しかし今の彼女らはたとえソーヤであっても止められない。シリカの敬語が外れていることがいい証拠だ。故に彼が下した決断は……

 

 「……さて、次のシーンへと行きましょう。どうぞ!」

 

 「おいぃぃぃ!助けてくれぇぇぇ!!」

 

キリトを見捨てることだった。

 

 

 ~シリカの初めて敬語が取れたシーン~

 

 「……シリカ、行くぞ。」

 

 「勿論です。ピナも行くよ。」

 

 「きゅるるる!」

 

 ウィンドウを操作して俺は片手剣《ロンリライアー》を握り、シリカは俺がプレゼントした短剣《パストラスト》を手に持った。そのまま光をそれぞれの得物に纏わせる。

 

 「お……?」

 

 状況が理解できず、口を半開きにする男に一瞬で接近した俺達はその顔面目掛けてソードスキルを放った。

 血塗れた赤と鮮やかな青の光が周囲を染め上げる。男は発生した衝撃によって仰け反り、呆然とした顔浮かべながら尻餅をついた。そこに間髪いれずピナが吐いた灼熱ブレスが直撃し、あまりの熱さに顔を覆いながら地を転がる。

 

 「……戦闘が望みならいくらでもやってやる。」

 

 「相手はソーヤさんと私、そしてピナ。HPは減らないから、思う存分かかってきなさい!」

 

 「ま、まさか《鬼神》と《竜使い》!?ど、どうしてこんなところに!?」

 

 「……お前は知る必要など無い。」

 

 俺とシリカの正体に気づき、驚愕を露にした男に向かってもう一度ソードスキルを放つ。再び衝撃が発生し、横に転がっていた男は方向を変えて後ろに転がる。

 いくらダメージがないとはいえ、戦闘になれていない者ならば耐えることは厳しい。男は先程見せた武器を見るに戦闘経験は皆無に近い。あのやや大きい《ブロードソード》は損傷も修理もされたことがない薄っぺらい輝きを放っていたのだ。

 

 「お、お前ら……早くなんとかしろっ……!」

 

 男は後ろで見ているであろう部下に指示を出したが、誰一人反応がなかった。その事に疑問を感じた男が振り返ると、シリカがピナと共に男の部下を次々と蹴散らしていた。

 シリカの《パストラスト》から放たれたソードスキルが強烈な衝撃を発生させて吹き飛ばし、ピナの灼熱のブレスが大人数を巻き込んで戦闘不能にまで追い込む。今の彼女にこそ俺の二つ名である《鬼神》がぴったりだと感じた。

 それにしても、シリカが敬語を外したところを見たのは初めてだ。「取ろうと意識しても外れないんです」とまで言っていた敬語が外れるとは、彼女の怒りは相当なものなのだろう。現に今も、彼女は人を殺しかねない勢いで短剣を振るっている。

 

    ~《第十九話 記憶を失った謎の少女》より~

 

 

 「何でこのシーンがあるんだ……。別にピックアップする程のものじゃないでしょ……。」

 

 「う~ん……多分さっきの状況があったからじゃないかな?ほら、丁度シリカちゃんの敬語が取れていたからってことで。」

 

 ため息をつくソーヤに細剣を戻しながらアスナがそう返す。彼女の隣にはプスプスと煙を上げながら動かなくかったキリトがいた。

 よく見ると先程の時よりも傷跡、そして焼け跡が酷くなっている。どうやらピナは今回も制裁に参加し、ブレスを浴びせたようだ。

 

 「……普段優しい人が怒ると凄く恐いってことがよく分かるね。思い出してもあの時のシリカは恐かった。」

 

 「あの……これってやっぱり私ですよね……。」

 

 「シリカちゃん?いきなりどうしたの?そんな事言って。」

 

 「実は……あの時の記憶が無いんです。いや、正確に言えばソーヤさんと同じような感じで、落ち着いた瞬間にはっとするというか……。」

 

 「もしかして、シリカも俺と同様に獣を飼っていたりするのかな?……嘘だと信じたいけど。」

 

 「すみません、それは私にもわからないんです……。でも、原因が分かったらちゃんと説明しますから安心してくださいね!それじゃあこの話は終わりにして、次はこのシーンです!」

 

 

 ~ソーヤとシリカの共闘~

 

 シリカは本当に心優しい性格だ。それ故に時々ではあるが、自分のことを考慮しないまま行動を起こしてしまう。

 だから……守らねばならない。シリカがこの世界で生き残れるように、俺が彼女に寄り付く死神を全て喰らわねばならない。それが惚れた女にできる俺の全てだ。

 迫り来る槍に片手剣をぶつけ、そのまま光を纏わせて押し返す。ついでに細剣での追撃も加え、槍の意識を俺へと向ける。

 

 「……ソーヤさん……。」

 

 「……言った筈だよ?シリカは俺が守る。俺にとっても恩人であるシリカは死なせない。でも今は、隣で俺を守ってくれるんでしょ?」

 

 「はい!私、ちゃんと言いましたもん!ソーヤさんを守るって!!」

 

 シリカは俺の隣に並ぶと、俺から貰った短剣をもう一度強く握り直す。彼女の傍を飛ぶピナも「きゅる!!」と一際大きく鳴いた。

 再び槍が牙を剥くが、俺の細剣と片手剣、そしてシリカの短剣が重なって一つの剣となり、それを難なく受け止めて弾き返す。

 

 (行くよ、シリカ。あの骸骨ムカデを倒す!)

 

 (勿論です!)

 

 今の俺とシリカには言葉なんて必要ない。相手の思考がこちらに流れて来るのだ。尋常ではない速度で襲い掛かる骸骨ムカデの槍を二人で迎え撃つ。その余波でHPが少しずつ削られていくが、そんな些細なことはどうでも良くなっていた。

 

        ~《第二十四話 異形の死神》より~

 

 「ああ、このシーンか。本当に不思議な出来事だったね、何と言うかシリカの声が直接脳に聞こえていたって感じかな。まるで俺とシリカが別の一人の人間になったみたいだったよ。」

 

 「そうそう、そんな感じでした!ソーヤさんの考えていることが直ぐに分かるようになって、動きも簡単に合わせられましたし!」

 

 「え!?二人もその状態になってたんだ!実は私もキリト君と鎌を迎撃していた時に同じような事が起こっていたんだよ!」

 

 「そうだったんだ……。二人の姿がちらりと見えた時、妙に動きがシンクロしていたのはそれが理由だったんだね。でもその二人のうちの片割れは……。」

 

 ソーヤの声につられて三人の目が未だ起き上がる気配を見せないキリトに向けられる。先程まであった傷跡は既に癒えているのだが、まるで中身が無いように全く動かない。

 

 「おーいキリトくーん。そろそろ起きてよ~。」

 

 「そうですよキリトさん。後一つで終わっちゃいますよ。」

 

 キリトを現在の状態にまで追い込んだ元凶二名が肩を揺らしたり、頬をつついたりするが反応は無かった。

 

 「もう、キリト君ったら。」

 

 ぷっくりと頬を膨らませるアスナを横目にソーヤは口をつぐむ。もし「アスナが原因でしょ」などと口走ったが最後、キリトと同じ運命を辿ることは目に見えているのだ。

 

 「キリトさんが起きませんが、もう最後のシーンに行ってしまいましょう!最後を飾るシーンはこれ!」

 

 

 ~獣と融合したソーヤ、ヒースクリフとの最終決戦~

 

 名もない片手剣が十字の盾とぶつかり、役目を終えたとばかりに砕け散った。少年のスキルによって作られた武器は全て一回しか攻撃ができない消耗品である。

 強敵との連戦により、少年の愛剣は砕けてしまっていた。しかしそんな些細な事で少年は止まらない、止められない。唯一無二のスキルで次々と武器を作り出し、それらを振るい続ける。

 デジタルの世界からの解放を賭けた少年と元凶との殺し合いは既に短いとは言えない時間が流れていた。百を軽く越える金属音が周囲に響いている。

 絶え間ない猛攻を仕掛けている少年は人間でも獣でもない。それらが交じり合ったナニカだ。その最たる証拠に、少年の二つの瞳は赤と黒が入り交じる濁ったものに変わっていた。今の少年の状態を一言で言い表すのならば、『半人半獣』が文字通りに当てはまるだろう。

 しかしその猛攻を全て防いでいるのは、この世界の創造神が操るヒースクリフと名付けられたアバター。人間らしさが見えなくなった冷ややかな真鍮色の瞳を忙しなく動かし、神速で襲い掛かる無数の剣をその巨大な十字の盾と長剣で弾き続けている。

 少年が一瞬の間に背後に移動し横薙ぎに両手剣を振り払うも、目にも見えない速度で振り返ったヒースクリフは的確にそれを弾き返した。

 一旦距離を取った両者のHPは度重なる攻撃の余波を受け続け、数ドットを残すのみとなっている。少しでもかすれば『死』へと誘われる。常人ならば恐怖のあまり発狂しかねないが、今対峙する二人の人間は形は違えど既に狂っていた。

 一人は他者の命をただのモノとしか捉えられず、邪魔をする者が誰であろうとも殺すことを厭わない狂人。もう一人は一万の人間を電脳世界に閉じ込め、ゲームオーバーを現実の死とした狂人。もう彼らにとって『死』は恐怖の対象ではなくなっていた。

 

 「背後への瞬間移動と終わらないソードスキル……此処までこの世界に馴染むとは思っていなかったよ、ソーヤ君。正直に言わせてもらえば、もっと戦っていたいものだな。」

 

 「……叔父さんのゲーマー魂はアイカワラズダネ。でもどんなゲームだっていつかは、オワリノトキガクル。これでこの幸せな夢を……オワラセル。」

 

 『死』が間近に迫っているとは到底思えないような様子で会話を交わした両者は再び得物を構える。金属質の瞳と濁った赤の瞳が交錯し、次の瞬間にはお互いの顔を散った火花が明るく照らしていた。

 少年は新たな片手剣を取り出し、正面から一直線に振り下ろす。これまでの猛攻と比べると稚拙としか思えない攻撃。それをヒースクリフは十字の盾を前に出すことで受けようとする。だが出した盾に衝撃が伝わることはなく、耐久値が無くなった武器がポリゴン片となる音が響いた。

 しまった、ヒースクリフがそう思った時には少年の次の一手が炸裂していた。途中で離した少年の手には包丁に酷似した短剣が逆手に握られている。

 一歩踏み出した少年の短剣がヒースクリフの盾を横から叩く。衝撃をまともに受けた盾は右側に大きく振られ、左側に無防備な的が現れる。

 その隙を見逃す少年ではない。作り出した細剣に赤黒く輝く鈍い光を纏わせる。ヒースクリフもこれが最後だとばかりに長剣に光を纏わせた。その光は少年とは対照的に明るい赤の色をしている。

 放たれた二つの赤い光はいつかの決闘を再現するかのようにすれ違い……同時に両者を貫いた。

 

       ~《第二十五話 夢が覚める時》より~

 

 

 「最後はソーヤさんが全ての元凶だったヒースクリフさんを倒したシーンですね!」

 

 「倒したって言うか相討ちだけどね。でも、これで長いようで短かったデスゲームも終わったんだ。」

 

 「……あっという間の二年間だったね。始めはこれからどうなるんだろうって不安だったけど、キリト君や皆と出会えて私は頑張れた。ね、キリト君。」

 

 「ああ……アスナやソーヤ、それにシリカと……多くの人たちに出会えたって考えると……あの城での二年間も良かった……のかもしれないな。」

 

 制裁を二回も受けたキリトはトラウマが植え付けられたのか、慎重に言葉を選んでいた。

 

 「キリト、相当堪えたみたいだね……。さてプレイバックも全部終了したし、そろそろ終わろうか。」

 

 「そうだね!それでは皆様、次回はフェアリィ・ダンスの総集編でお会いしましょう!ばいばーい!」

 

 「「「ばいばーい!」」」



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フェアリィ・ダンス編
第二十六話 新たな戦いの狼煙


 今回からフェアリィ・ダンス編となります。

 相変わらずお目汚しな拙い文章ですが、読者の皆様に楽しんでいただけるよう精一杯努力したいと思います。


 ◇◆◇

 

 暗い場所だ。虫と夜鳥の鳴き声が聞こえ、植物らしき匂いが鼻腔をくすぐる。そして緩やかな風が撫でるように横を通り過ぎた。

 気がつくと、深い草むらに大の字で倒れていた。俺は間違いなくあの夢の世界と共にその役目を終えて消え去ったはずなのだが、どういう訳か今もこうして意識が残っている。

 その事に疑問を感じつつ上体を起こし、上を見上げた。目に入ったのは無数の星が瞬く夜空。そしてその中央で一際明るい光を放つ満月。時刻は夜のようだ。

 此処は一体何処なのだろうか。いくら周囲を見渡そうとも、視界には樹木しか映らない。自分が森の中にいることぐらいしか理解できない。

 少なくとも、こんな暗い場所が天国とは考えがたい。となれば地獄だろうか。生憎と生前は天国や地獄など信じてはいなかったが、こうして実際に来てみると信じざるを得ない。

 しかしやけに感触が現実というか、現実以上だ。まるで俺の両親と叔父さんが造り出したあの世界のよう。いや、全く同じだった。まごうことなき仮想世界の手触りである。

 その瞬間、俺は視界の端に浮かぶあるものを見つけてしまった。あの世界とは少しデザインが異なるが、見慣れたプレイヤーネームと緑色の横棒。それは間違いなく命の残量を示すものだ。

 理解したのは此処は天国でも地獄でもなく、ゲームの中であるということ。つまり、俺はまだ『生きている』のだ。

 

 「……何故死んでいないんだ?どうして、俺は死ねていないんだ?」

 

 思わずそう呟く。あの世界で出会った大切な人を還す為に、剣を振るった。それが孤独から解き放たれた俺にとっての唯一とも言える目的であり、生き甲斐でもあった。そして目的が達成された今、再び孤独となった俺に生きる理由などないのである。

 たとえ現実に還ることができたとしても、望む訳がない。大切な人達を失った痛みに耐えられる訳がない。獣となり、他者の命をただのモノとして観る俺を受け入れてくれる者など、彼女達以外にいる訳がない。

 だったらどうするか。そんな事は考えずとも決まっている。もう一度『死んで』しまえばいい。現実で眠る俺の頭には、きっとまだあの処刑具が覆い被さっていることだろう。それで脳をチンしてくれればそれでいい。

 問題点を挙げるとすれば、ちゃんとあれが動いてくれるかどうかだが……これ以上は卓上の空論である。頭を振って思考を中断し、改めて状況整理を行う。

 此処は仮想世界の深い森の中、今のところ周囲に気配はない。そして身体は変わらずに問題なし……ではなかった。

 

 「ん?これは……翅か?」

 

 身体があの世界と全く変わっていないことを確認していたところ、背中から生えていた異物が目に入る。それは書籍などの空想の世界で頻繁に登場する妖精が持つ翅に酷似していた。

 一体いつからこんな異物が生えていたのか甚だ疑問だが、原因を突き止めようとは思わない。いや、突き止める必要がない。

 

 「あとはメニューのところがどうなっているかどうかだが……は?」

 

 あの世界と同じように右手の人差し指と中指を揃えて振り下ろしたが、何の反応もない。認識されていなかったのかと何度か繰り返したところで、此処がもうあの世界ではないことを思い出した。

 それから物は試しと左手の指で振ってみたところ、軽快な効果音と共にウィンドウが開かれた。そして此処に関する情報はないかと指を伸ばしかけ、目を見開いて絶句した。

 最上段に表示されたプレイヤーネームと緑の棒は別段おかしいという訳ではない。だが、その下にあった習得スキル欄が異常としか言い様がなかった。

 熟練度がマックスになって完全習得されている《片手剣》に始まり、《細剣》や《両手剣》など様々な武器スキルが全てマスターされている。そしてスキル欄の最下層で目を引かざるを得ないスキル《創造》。どう見ようともこれは明らかにあの世界での俺のステータスだ。

 何故これがまだ存在しているのか理解できないが、それに対する答えも得られない。だが答えは必要ない。此処で死ねればそれで十分なのだから。

 しかしこれは思わぬ収穫でもあった。今もあの世界のデータが残っているのならば、俺が此処で死んだときにちゃんと処刑具が稼働する可能性が高いということである。そうなれば、さっさと命の残量を消し飛ばすだけだ。たったそれだけで、俺はこの自身を狂わせようとする痛みから解放される。

 《創造》で一振りの片手剣を造り出し、ぴたりと切っ先を己の喉元に向ける。そして刺し貫こうとした瞬間、こちらに急接近する気配を感じた。

 片手剣を降ろし、その方向に目を向ける。そこにいたのは赤い翅を持っている八つの人影。向こうもこちらに気づいたようで、お互いの視線が交錯した。

 

 「お、いたいた。逃げ足の速いシルフどもを追っかけている途中にちらりと見えただけだったが、まさか見間違えじゃかなったとは。」

 

 「……一体何の用だ。その追いかけていたシルフとやらを無視し、わざわざこちらにやって来る程の理由があるのか?」

 

 こちらを興味ありげに見てくる八匹の赤い妖精達はみんな揃って分厚い鎧に身を包み、手には中世のヨーロッパにいた騎士を彷彿とさせる両手槍が握られていた。頭も抜かりなくこれまた厚い兜で覆われている。

 

 「あ?NPCのクセしてやけに人間らしい話し方だな。理由なんて聞くまでもないだろう?シルフを追っかけるよりも、こっちであんたに会う方がグランドクエストの攻略が進められるからに決まってるからだろ。あんたの羽は世界樹から湧き出るガーディアンとそっくりだ。もしかしなくてもあんた、攻略のヒントか何かしらを持ってんだろ?なぁ!」

 

 「全く、そんな風に脅したところでクエストが進む訳がないと何度言ったら理解するんだお前は。それにこれはグランドクエストの達成に大きく近づくかもしれん。ちゃんとしろ。……そこの貴方、何かお困りでしょうか?」

 

 顔を隠していたバイザーを邪魔だといわんばかりに跳ね上げ、こちらに詰め寄る一匹を諫めるようにリーダー格の男が落ち着いた口調で言葉を続けた。

 どうやら俺はクエストなどのフラグを立てたりする、中身の無いアバターだと思われているようだ。先程リーダー格の男がこちらに向かってクエストを受ける時のお決まりのセリフを発していることがいい証拠である。

 だが、俺は中身があるアバターだ。故に合言葉を唱えたところでクエストが発生することはない。それに彼らは人知れずあの世界の記憶と共に逝きたい死にたがりと化した俺にとって邪魔者以外の何者でもない。

 

 「……邪魔だ。さっさと消え失せろ。」

 

 「何だと!?てめぇ、生意気だぞ!いいから早く攻略のヒントとか寄越せよ!」

 

 「おい待て!ちゃんとしろと言った筈だ!それにしても……戦闘系のクエストなのか?いや、それにしてもクエストが発生していない。一体どういうことだ?」

 

 再び激昂した部下を黙らせ、クエストの情報を確認したリーダー格の男が異変に気づく。これ以上放っておくと何やら面倒なことになりそうな為、さっさと真実を告げることにしよう。こっちは一秒でも早く、この心を鋭い刃で刺されるような痛みから解放されたいのだ。

 

 「……悪いが俺はNPCなどではない。わかったのなら早急に立ち去れ。お前らは邪魔でしかない。」

 

 「ふざけんなよ!俺達がわざわざシルフの追跡を止めてまでこっちに来たってんのに、収穫無しだとかおかしいに決まってんだろ!!」

 

 「……お前が勝手に勘違いしていただけだろうが。自己中が過ぎるぞ。見ていて哀れになる。」

 

 「貴様ァ!!」

 

 目を血走らせた哀れな一匹が怒髪天を衝く凄まじさで手に持つ両手槍をこちらに向かって突き出そうとする。それを三度リーダー格の男が抑えた。彼はこのままではいずれ胃に穴が空きそうである。いや、既に空いているのかもしれない。

 

 「どうやら本当にNPCではないようだな……。だが、ガーディアンと同じ真っ白な翅を持つお前を見逃す理由はない。此処で倒させてもらう。もしかしたらレアアイテムなどをドロップするかもしれんからな。」

 

 リーダー格の男のその声に合わせ、七匹の妖精は陣形を組む。肩がぶつかり合うまでに密集し、前方に幾つもの槍が並べられたその様は古代ギリシャの戦闘隊形『ファランクス』の如し。そしてその先頭に立つのはぎらついた目を向けている哀れな男。奴は常人には到底不可能な程に殺意を放っていた。

 それを見た俺はどういう訳か、降ろしていた片手剣を構え直していた。意思を無視して戦闘態勢に入った自分自身に疑問を覚える。

 死にたがりならば、武器など構えずにそのままあの両手槍に串刺しにされるのが最適解であることはとうに理解している。その筈なのに、息をするように自然と剣を構えてしまうのは二年間生きたあの世界の影響か。はたまた内に住まう獣が俺の身体を操ったのか。

 原因は不明だが剣を構えた今、大人しく串刺しになるつもりなんて一切無い。あの世界と同じように、感覚が研ぎ澄まされていく。視界が眼前の妖精達だけに狭められ、どんな小さな挙動でも見逃さない程に集中力が高まる。

 そう、俺は幸せな記憶の中で逝きたい死にたがり以前に一人の剣士である。武器を向けられて、こちらは何も構えないというふざけた真似ができるだろうか。

 だが、早く死んでしまいという気持ちは断じて嘘ではない。この身を狂わせるような心の痛みを『死』という名の薬によって取り除きたいと強く願っている。

 剣士としての自分と死にたがりとしての自分がせめぎ合い、やがて一つの結論が導き出される。戦いの中で死ねばいい。ただされるがままに殺されるのではなく、茅場の叔父さんの時のように戦って死んでしまえばいいのだ。

 そうだ、そうすればいい……。疑問が消え、これからの行動方針が決まったのなら、早速実行に移ることにしよう。

 リーダー格の男も入り、八匹の妖精が組んだ陣形が浮かび上がったかと思うとこちら目掛けて一直線に襲い掛かって来る。それと同時に俺も地を蹴った。

 

 

 ◇◆◇

 

 矢じりのような尖った陣形を組みながら急角度でダイブする八匹の赤い妖精と少年が凄まじい速度で接近する。両者が交差するまでに数秒もかからなかった。

 殺意を放出する先頭の赤い妖精が構える致死の威力を誇った両手槍を少年は空いている片手を突き出したかと思えば、難なくそれを受け止める。命中を確認した妖精が少年の傍らに浮かぶ緑の棒線に視線を移すが、その目に写ったあり得ない光景に驚愕を隠すことはできなかった。

 

 「な!?何で一ダメージも与えられてないんだよ!おかしいだろ!!」

 

 「……いちいち喧しい。だから、サッサトシネ。」

 

 両手槍を掴んだ少年はその手元から火花を散らしながら得物を握ったままの赤い妖精を無理矢理隊列から引き剥がすと、体勢を整え直す前に片手剣を振るった。

 造られた一振りの剣は吸い込まれるように首筋へと到達し、いとも容易くその首をはね飛ばす。一瞬で仲間が深紅の炎に変えられたことに残りの赤い妖精達は戦慄した。

 役目を終えた片手剣を捨てた少年は近くの小さな炎には目もくれず、残りの獲物を見やる。たったそれだけで、どうしてか赤い妖精達は身体がすくんでしまった。心臓を鷲掴みにされたような恐怖に捕らわれてしまったのだ。

 その原因は最早言うまでもなく、やや赤く染まった色に変化した少年の瞳だった。人間とは隔絶した絶対的捕食者の眼が獲物を恐怖の鎖で縛り上げる。動きたくても動けず、出来ることは只恐怖に怯え、震えることだけ。それはまるで、蛇に睨まれた蛙のようである。

 だが、この部隊を取り仕切る男はこのまま人間の皮を被った獣によって殺されることを良しとしなかった。

 

 「落ち着くんだ!まだこちらが圧倒的に有利だ!相手はたったの一人だぞ!」

 

 男の声に部下達も雄叫びを上げ、次々と不可視の鎖を引きちぎる。彼は相当慕われているようだ。根拠も何もないたったの一言で此処まで部隊を立て直すのだから。

 戦意を取り戻した赤い妖精達は陣形を組み換え、再び少年へと突撃を敢行する。彼らは先程の少年の行動を通し、対策として三匹を横一列に並べていた。

 しかしいくら足掻こうと獣の前では獲物は無力でしかない。三本の両手槍が少年を捉える直前、突如として少年の姿が瞬間移動したかのように消え去った。

 その現象に目を見開いた直後、三匹は自身の脇腹に異物が刺さった感触を覚える。恐る恐るそちらに目を向けると、瞳の色に更に赤みがかかった少年が、手にした両手槍で獲物を纏めて貫いていた。

 翅を使用している時のように風を切るような速度で大木に縫い止められた三匹は少年が新たに手にした両手剣によって真っ二つに両断される。同時にゴオッと三つの燃える雫が飛び散り、小さな炎だけがそこに残された。

 そして獣は残り半分となった獲物を狩り尽くすべく行動を開始する。背に無数の武器を造り出して一つの円とすると、その中から片手剣と細剣を取り出し、少年は音を置き去りにするかのように地を蹴った。

 この妖精の世界では剣に光を纏わせることは不可能な為、少年があの世界で奏でていた死の音色が響くことはない。だがそれでも少年は『死』を告げた。

 造られた片手剣は一匹の妖精の腹部を捉え、その衝撃によろけたが最後、神速の速度で振るわれた細剣によって全身に風穴が空けられた。また一つ小さな炎が生まれる。

 一匹の妖精が狩られている間に少年の背後に回ったまた別の一匹が、両手槍を急所判定で与えるダメージが増加する心臓を狙って突き出す。が、何の手応えも感じられなかった。一体どういうことだと首を傾げたその瞬間、持っていた両手槍が真上に弾かれた。

 バイザー越しでもわかる驚愕の顔を浮かべた妖精はなす術もなく少年の手によって八つ裂きにされ、その身を儚い小さな炎へと変えた。残る妖精は後二匹。

 接近戦では勝てないと踏んだ残りの獲物はあの世界には無かった魔法の詠唱を始める。彼らの周囲に浮かぶ様々な文字列がやがて二つの光の矢となり、少年へと一直線に飛んでいく。

 今までにない攻撃に驚愕の色を浮かべた少年だったがそれも数秒だけのこと。少年は既に音を置き去りにしていた速度を上げ、今度は全てを置き去りにした。

 ズバァンという音がしたかと思えば、少年はもう役目を終えた両手剣を捨てる。何が起こったのか理解が追い付かない残りの獲物は纏めて横薙ぎにされていた。

 そして光の矢が放った衝撃と吹き出した二つの深紅の炎が混ざり合い、強烈な熱風となって少年の髪を揺らす。周囲には八つの小さな炎があったが、それも時間が少し経てば自然と消えさっていた。

 獲物を狩り尽くした少年の瞳は黒へと戻る。それと同時に背後の無数の武器も崩れ落ちて消え去った。

 少年は頭を押さえながらもその場に留まることはなく、深い森の中に姿を消した。それはまるで死に場所を求めて彷徨う、生きる意味を失った亡者のようであった。          



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第二十七話 残された少女 

 フェアリィ・ダンス編はシリカとソーヤの視点を中心にして書こうと考えています。

 その為、場面がコロコロ変わることがありますが、ご了承下さい。


 ◇◆◇

 

 目的の階に到着したエレベーターから降り、清潔感漂う真っ白な廊下を歩いていく。すれ違う人は誰もいない。それは此処の階が長期入院の患者さんばかりだからだ。この光景はいつも通りだと感じながらも、今から向かう場所にいる人はいつも通りではないことを願う。

 自分の足音だけが無人の廊下に響く。そして目的の場所へと辿り着いた。《新原創也 様》と表示された鈍く輝いているネームプレートの下に首から提げていたパスを滑らせる。かすかな電子音がすると同時に扉が開かれた。

 何も置かれていない静かな部屋だった。通常ならば家族や友人からのお見舞いの品などが置かれている筈だが、この部屋に入院している人に、そんな方達はいない。あるとすれば、この世界ではない場所で出会った自分のような人達だけである。

 部屋の奥へと進み、ベッドを隠しているカーテンに手をかける。どうか目覚めていますように……そう願いながらゆっくりとそれを引いた。

 かつて自分もお世話になった最先端らしいジェルでできた白い介護用のベッドに、デジタルの世界から自分を救ってくれた愛すべき人は……女の子のように長く伸びた黒髪を頭に被った機械からちらりと垂らし、いつも通り眠っていた。

 

 「ソーヤさん、早く起きて下さい……。私達の願いが叶ったんですよ。この現実でもずっと一緒に生きることができるんですよ。だから目を開けて下さい、ソーヤさん……。」

 

 現実に還って来た時、自分の心にはぽっかりと穴が空いたような喪失感を覚えた。あの世界で共に戦った最愛の人と相棒が一斉に自分の傍から消え、帰還できた嬉しさよりも彼らを失った悲しみが上回ってしまったのだ。

 もう会えないと思い、誰も見ていないところで何度も涙を溢した。何故自分だけ生き残ってしまったのかと思い、彼らの後を追おうとしたこともあった。

 そんな時のことだ、リハビリ中に偶然彼の名前とよく似たネームプレートを見つけたのは。始めはどうせ彼とは違うと思っていた。あの世界での名前が現実のものと同じだとは考え難い。自分だってそうだったからだ。

 しかし、もしかしたら彼かもしれないという僅かな可能性を捨てることはできなかった。目の前でポリゴン片となって散ったことを目にしていても、彼は現実に還ってきていてあの部屋にいるのかもしれないと思ってしまった。

 そしてリハビリを終えてある程度自由に動けるようになった直後、その部屋を訪れた。初めて入る時には恐怖が内心で渦巻いていた。もし違っていたらどうしようとパスを持つ手が恐怖に震えた。

 それでもごく僅かしかない可能性に賭けた。部屋に入ってカーテンを引いた瞬間、視界が歪み、彼が眠るベッドを濡らした。あの世界で出会った最愛の人は自分と同じ病院にいたのだ。しかし流したそれは果たして嬉し涙であっただろうか。

 もう会うことは叶わないと思っていた人が生きていたという事に嬉しさが込み上げてきたことは言うまでもない。だがそれと同時に、まだ彼の意識が覚醒していない事への悲しさも少なからず感じていた。

 その日から毎日のように彼が眠る部屋を訪れるようになった。彼が目覚めない理由もわからない今、自分が出来ることは只こうしていることだけ。それが何よりも辛い。己の無力さが嫌でも思い知らされるのだ。

 そっと彼の右手を両手で包む。肉が落ち、骨と皮だけになってしまった細いその手は紛れもなく自分を何度も救ってくれた恩人の、愛する人の手である。伝わるかすかな温もりが彼の生存を知らせてくれる。息が詰まる。また視界が歪む。荒ぶり、渦巻くこの感情を抑えることができない。耐えられない。

 ああ、今日もまた目覚めぬ彼の隣で涙を零すことになってしまいそうだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 枕の隣に置いてあった時計が控えめなアラーム音を鳴らし、私の意識は呼び起こされる。起き上がって閉じていた窓を開けると、少し肌寒いような冷たい朝の風が吹き抜けていった。普通の方達ならば気持ちの良い朝の部類に入るかもしれない。けど、最近の私にとってそれがそうだとは言えない。

 寝ている間に固まってしまった身体をほぐすように伸びをしていると、今日も涙でグショグショに濡れてしまったシーツが目に入る。これをいつも洗ってくれているお母さんには本当に頭が上がらない。

 ソーヤさん、いえ創也さんのお見舞いに行くことがリハビリに変わる日課になってから、涙を流すことがない日など一日たりともなくなってしまった。来る日も来る日もベッドの中で何もできない自分が嫌になって、悔しくて涙が流れてしまうのだ。

 

 「私……物凄く泣き虫になってしまいましたよ……ソーヤさん……。」

 

 そんな風に泣き言を言ったところで、今の私には慰めてくれたり、壊れかけている心の傷を癒してくれる人達の姿は何処にもいない。いつも私を支えてくれた創也さんは未だに意識が戻らないし、相棒として長年戦ったピナはあの世界と共にその存在を消されてしまった。残されたのは私だけ。

 現実に還ってきてから私は大きく悪い方向へと変わってしまった。創也さんの病室と自室で数時間も涙を溢し、喪失感からか満足に食事すら摂れていない。お母さんやお父さんに心配をかけてしまっていることは理解しているが、二年前のように明るく振る舞うことができなくなっていた。

 この心の穴を埋めることはできるのは、今もあの病院で眠っている創也さんだけだ。昨日はまだ目覚めていなかったけど、もしかしたら今日はあの世界と同じように泣き虫の私を優しく包んでくれるかもしれない。

 そう数パーセントしかない確率を信じて、今日は朝から彼のお見舞いに行こうと思って着替えを用意したその時だった。机に置いてあった携帯から電子音が響いたのだ。

 こんな早朝から一体誰が……?そう疑問を感じながら携帯を開くと、一件のメールが届いていた。そして送信者の《エギル》の名前を確認した私は驚きを隠せない。

 ゲームの中で出会い、よくアイテムの買い取りしてくれたエギルさんとは少し前に偶然街中で再開した。その時に一応連絡先の交換はしてあったのだが、こうしてメールが届いたりしたことは初めてだ。

 メールの受信トレイを開くと、最上段に『Look at this』とタイトルのついたものが届いていた。それを開くと、急いでいたのか文章は一切なく、たった二枚の画像が張りつけてあるだけ。だが、その二枚の画像は寝ぼけていた私の目を覚まさせるには充分すぎた。

 

 「……え?」

 

 思わずそんな声が漏れていた。一呼吸置いてから、私はその二枚の画像を食い入るように見つめた。

 一枚はかなり高い場所にあるであろう鳥籠の画像。その中には一人の少女が写っていた。栗色の長い髪を持ち、白いドレスに身を包むその少女は憂いに沈んだ横顔をしている。ぼやけて見える金色の格子の向こうにいる彼女は囚われの姫のようだった。

 そしてもう一枚は光も入らぬ深い森の中の画像。そこにいたのは瞳を赤くした少年。血を連想させるような鈍い赤をした片手剣と細剣を両手に持ちながらこちらに急接近していた。それに加えて、自然と目を向けてしまうのはその背後で円を描いている無数の赤黒い武器。

 

 「アスナさんにソーヤさん……!?」

 

 無理矢理拡大したのか二枚とも画像が荒かったが、それでも写っている少女と少年は間違いなくあの二人だと思えた。よく見れば、二人とも背中から真っ白な翅が生えている。

 気がつけば、私は受信トレイを閉じて連絡先を開いていた。心臓の鼓動が高鳴ることを感じながらエギルさんの携帯番号を見つけると、直ぐ様電話をかけた。呼び出し音がなる時間すら勿体ないように感じる。やがて懐かしいエギルさんの野太い声が聞こえた。

 

 「もしもし、エギルだ。」

 

 「あ、エギルさん。朝からごめんなさい。あの画像の事なんですけど……。」

 

 「やっぱりな。それに関してだが、今から店に来れるか?ちょっと長い話になるんだ。」

 

 「わかりました。できるだけ急ぎます。」

 

 そう答えるとブツリと電話を切る。電話中は落ち着いているような感じで話したが、今の私は全く落ち着いてなんかいなかった。

 手に持っていた服を素早く着ると、誤って転がり落ちそうな勢いで階段を降りて玄関へと一直線に向かう。驚いた顔をしているお母さんにちょっと出掛けてくるとだけ告げると、朝御飯も食べずに家を飛び出した。

 

 

 ◇◆◇

 

 人通りの少ない裏路地を駆ける。少しでも早く目的地へとたどり着き、彼の居場所を知りたいという感情が私の背中を押し続けている。それからどれ程経ったかわからないが、煤けたような黒色の建物が見えてきた。あれがエギルさんの店である《ダイシーカフェ》だ。自然と地を蹴る力が強くなる。

 荒れる息を整えてからドアを押し開ける。カランと乾いた音が響き、カウンターに立っていたスキンヘッドの大きな男の人がこちらを向いてあの世界からちっとも変わっていない愛嬌のある笑みを浮かべた。

 

 「お、早かったな。」

 

 「エギルさん、おはようございます。」

 

 皮張りの丸い椅子に座ると、エギルさんがジュースを一杯置いてくれた。お礼をしつつ、乾いていた喉を癒そうと口をつけた瞬間、お店のドアが乱暴に開けられた。突然のことに驚きながらも視線を入り口に向けると、そこにいたのは一人の少年だった。

 私よりも背が高く、ソーヤさんと同じぐらい。全身を黒で統一した服装をしているその人は、女の子と間違えられそうな可愛げのある顔に鬼気迫るものを浮かべている。

 背中に剣を吊っていなくとも誰なのかわかる。この少年はかつてあの世界で《黒の剣士》と呼ばれたプレイヤーだ。その彼の登場に私は驚きを隠せない。

 

 「え、キリトさん!?どうしてこんなところに……。あ、えっとそれはともかく、お久しぶりです!」

 

 「久しぶり……ってもしかしてシリカか!?シリカこそ何で此処にいるんだ?」

 

 「おいおい、朝から近所迷惑だろうが。俺が二人を呼んだんだ。お前達二人にアスナとソーヤのことを話す為にな。」

 

 「おっと、そうだった。いきなりだがエギル、あれは一体どういうことだ?」

 

 私から一つ離れた席に腰を下ろしたキリトさんの質問には答えることなく、エギルさんは私達の前に一つの長方形の箱を出してきた。手のひらサイズのその箱はどうやらゲームソフトのようだ。

 ソーヤさんらしき人物が写っていた画像のような深い森の中で男女二人組が剣を片手に、浮かぶ満月を背景にして飛んでいる。そしてそのイラストの下には《ALfheim Online》とやけに凝ったタイトルロゴがあった。

 

 「アルフ……ヘイム……オンラインですか?」

 

 「アルヴヘイム・オンラインと発音するそうで、意味は妖精の国だとさ。」

 

 「妖精?まったり系なのか。」

 

 「いや、そうでもないようだぜ。ある意味とんでもないもんだ。」

 

 エギルさんがキリトさんの前に湯気を上げるマグカップを置きながらニヤリと笑った。

 

 「どスキル制でシステムアシストはあまり無く、プレイヤーキル推奨のハードなゲームだ。それなのに、これは現在大人気ゲームになっている。理由は『飛べる』からだそうだ。」

 

 「「飛べる?」」

 

 キリトさんと揃って首を傾げる。

 

 「ああ、妖精になってプレイするから翅がある。そして慣れると、コントローラー無しで自由自在に飛ぶことができるそうだ。」

 

 「へぇ……それは面白そうだ。で、このゲームが何故アスナとソーヤに関係があるんだ?」

 

 何かを打ち消すようにマグカップを煽ったキリトさんの言葉に私は此処に来た理由を思い出した。こんな早朝からエギルさんのお店を訪れたのは、ソーヤさんとアスナさんらしき人物が写っていた画像のことを聞く為である。断じて最近人気になっているゲームのことを聞きに来た訳ではない。

 エギルさんはカウンターの下に手を伸ばすと、二枚の紙を取り出してゲームソフトの上に置く。それは今日の朝、私に送られてきた問題の画像を印刷したものだった。改めてその二枚を凝視するが、やはりソーヤさんとアスナさんにしか見えなかった。

 

 「どう思うよ、お二人さん。」

 

 「似ている……何度見てもあの二人にそっくりだ。」

 

 「私もそう思います……特にソーヤさんの方ですが、明らかにこれは《創造》のスキルです。間違いなくソーヤさんです。」

 

 二年間生きた此処ではないもう一つの現実でずっと隣にいたからこそ、彼の姿は強く印象に残っている。

 この画像に写る彼がソーヤさんだと証明するものなど何も無い。《創造》によく似たスキルを使う別の誰かという可能性だってある。

 だが、私の心が自信を持って告げている。彼はソーヤさん本人であると。ソーヤさんと容姿が酷似した別人ではない、私を何度も救ってくれた少年だと。

 

 「教えてくれ、此処に写っている場所は何処なんだ!」

 

 「いいから落ち着け、そのゲームの中だ。それらはアルヴヘイム・オンラインで撮られたものだ。」

 

 そう言いながらエギルさんは埋もれたゲームソフトをひっくり返した。ゲームに関する情報などがぎっしり書かれている中央に、その世界の全体図らしきイラストがある。アインクラッドを想起させる円形の大地のど真ん中にとても大きな樹が生えていた。

 エギルさんがいうには、プレイヤー達の最終目標はその《世界樹》という大樹の上にある城に到着することだそうだ。一瞬翅があるのだから飛んでいけばいいのではないかと思ったが、どうにも滞空可能な時間が決まっているようで、その樹の一番下にある枝にも届かない。

 しかし、アインクラッドの外壁を駆け上がって次の層に行けないかと試したことのあるキリトさんのように、どの世界にもお馬鹿なことをする人はいるみたいだ。因みにキリトさんの話はアスナさんから聞いた。

 地球から飛び立つロケットのように五人で肩車をして上を目指したというその人達の目論見は成功して、一番上にいた人が記念に写真を何枚か撮った。するとその中に巨大な鳥籠が写っていて、それを限界まで拡大したものがあの問題の画像になる。

 そしてエギルさんは続いてソーヤさんが写っている画像を指差した。

 

 「そんで、こいつだが……《妖精殺し》と呼ばれている。なんでも、倒せばレアアイテムが貰えるとか噂が立っているらしい。だが《妖精殺し》はとてつもなく強く、これまで多くのプレイヤーが遭遇して戦ったそうだが、一ダメージも与えられていないんだとさ。」

 

 「この《妖精殺し》……いえ、ソーヤさんはこのゲームの何処に現れるんですか?」

 

 「それが、至る所にいるようでな……どうやら決まった場所にいるようではないみたいだ。」

 

 もう一度手元にあるソーヤさんの画像とアルヴヘイム・オンラインのソフトに視線を落とす。このゲームの中でソーヤさんはまだ生きている。

 それならば、私がやることはただ一つだ。あの世界だけではない、この現実世界でもずっと一緒にいられるように……彼を助け出す。

 

 「……わかりました。エギルさん、このソフト貰っても良いですか?」

 

 「エギル、悪いが俺の分も頼めるか?俺も行ってこの目で確かめたいんだ。」

 

 「全く、そう言うと思ったからちゃんと二つ買っておいたんだよ。その代わり、ちゃんと二人を助けろよ?そうでないと俺達の戦いは終わらないんだからな。」

 

 「勿論です!」

 

 「ああ、そしていつか皆でオフをやろう。」

 

 ゴツンと拳をぶつけ合い、エギルさんの店を後にする。私は手に持ったゲームソフトをポケットにしまうと、今度は家に向かって再び走り出した。もう彼の帰りを待つだけではない、そう思うと自然と心の傷が癒されていくような気がした。           



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第二十八話 妖精の世界へ

 投稿が遅れてしまい、申し訳ありません。近頃、執筆時間があまりとれていませんでした。

 ですが、可能な限り早く投稿していこうと思っていますので、よろしくお願いします。


 ◇◆◇

 

 白い息を乱雑に吐きながら来た道を全速力で家へと戻る。そして到着した途端に疲労のあまり、力なく家の壁でへたれ込んでしまった。

 しかし、こうしている時間ですらもったいないなく感じてしまう。早く立ち上がって彼を助けにいかなければと思ってしまう。それ程までに彼に惚れてしまっているのだ。休憩は終わりだと壁にもたれ掛かる身体をどうにか起こそうとするが、まるで鉛と化したかのように重く、動かない。

 ポケットから例のソフトを取り出す。この妖精の世界に彼が囚われていると思うと、いても立ってもいられない。可能ならば一秒でも早くこの中に飛び込みたいが、実のところまだ行く為のチケットが足りていない。それを揃えるには……

 

 「あら珪子、帰って来てたのね。全く、こんな朝から家を飛び出すなんて母さんびっくりしたわよ。ささ、朝御飯できてるから一緒に食べましょ。」

 

今まさに扉を開けて自分を迎えてくれた母親を説得せねばならないのだ。

 

 「うん、ただいまお母さん。えっと、疲れちゃったから肩貸してくれない?」

 

 「はぁ、まだ身体が戻りきってないのに無茶したのね。そういうところはちっとも変わってないんだから。」

 

 母親に手伝って貰いながらリビングへと入ると、香ばしい匂いが鼻先に漂ってきた。木製のテーブルの上には、美しいきつね色をした食パンと目玉焼きが置かれている。

 手を洗ってから席につき、手を合わせる。目玉焼きを挟んだ食パンを一口かじれば、何とも言えない旨みが口の中に広がった。

 疲れた肉体が母親の料理によって癒されていく。暫くの間無我夢中で朝食を食べ続けて残り半分を切った頃、残りのチケットを揃える為に母親に口を開いた。

 

 「あの、お母さん。少し、相談なんだけど……いい?」

 

 「ん、何かしら?」

 

 母親は牛乳が入ったコップを置くと、首を傾げてこちらを見る。

 

 「その、ナーヴギアの事なんだ。私が現実に還ってきてから、お母さんがずっと預かっているでしょ?それを返して欲しいんだけど……。」

 

 「駄目です。」

 

 普段は見せることのないような厳しめの顔で、母親は即答した。正直、こうなるとは思っていた。母親の立場からすれば、あのヘルメットは一生懸命腹を痛めて産んだ我が子と二年間も引き離された悪魔の機械に他ならない。幾ら愛娘に頼まれたところで、そう易々と返す筈がないのだ。

 だが、此処で引き下がる訳にはいかない。未だ反抗期にも入っていないが、今だけは親の言う事に黙って従うことはできない。

 ポケットにしまっていたアルヴヘイム・オンラインのゲームソフトと、彼が写っている画像を印刷した紙を取り出して前に差し出す。それを見た母親の顔が一瞬険しくなったが、その目はソフトの隣に並べた紙に集中していた。

 

 「珪子、この人は誰?こんな男の子、これまでに会ったことが無いわよね?」

 

 「お母さん、その男の子は……創也さんはあのゲームの中で何度も私を救ってくれた恩人なの。そして、私が初めて好きになった人なんだ!」

 

 今まで母親や家族には向こうでのことを一切話してこなかった。どうせ話したところで、気まずい雰囲気になってしまうのは目に見えているからだ。二年間寝たきりの状態だった自分を物凄く心配してくれた人達と、どうしてその当時のことを楽しく話せるだろうか。

 本音を言えば、今でもこうして話すこともしたくない。ずっと自分の中だけに留めて、家族にあの二年間のことを思い出させるような真似はしたくないのだ。

 しかし、不足しているチケットを揃える為にはそうも言っていられない。向こうで出会った彼をこちらで偶然ながらも見つけ、今もまだデジタルの世界に魂を縛り付けられていることを知った。もう会えないと思っていたのに、もう一度会えるかもしれないと希望を見出した。そして……彼を助け出すと決めた。

 先程の発言に驚いた顔をしている母親に向かって口を開く。飛び出したのはあの世界での出来事。そう、初めて家族に鋼鉄の城のことを話したのだ。

 一度話し始めれば後は容易いものだった。命の危機に陥ってしまった時に彼が何度も助けてくれたこと、彼の辛い過去を聞いて一緒に背負うと誓ったこと、彼と出会ってから隣に立って攻略組としてずっと最前線で戦ってきたことなど、全てを話した。それに加え、現在彼がそのゲームに囚われていることも。

 

 「……そうだったのね。珪子は向こうでそんな出会いをしていたのね。はぁ、毎日娘が死んでいないかとハラハラしていた母さんが馬鹿みたい。」

 

 「ご、ごめんなさい。でも、今の私にはナーヴギアが必要なの!あの人ともう一度会う為に!」

 

 「別に怒ってないわよ。それに珪子は一度決めたら絶対にやり通す子だってことは母さんが一番わかっているからね……少し待ってなさい。」

 

 その話をずっと黙って聞いていた母親は空になった皿を洗浄機に入れた後、物置小屋の方に姿を消した。誰もいなくなったリビングで一人残りの朝食を食べていると、やや大きめの箱を抱えた母親が戻ってきた。

 見覚えがあるその箱から母親が取り出したのは一つのヘルメット。所々塗装が剥げている紺色のそれは間違いなく二年間自分が被っていたナーヴギアだった。吸い付けられるように手を伸ばしてしまう。だが、母親はその手から逃れるようにひょいと引き戻す。

 

 「珪子、二つ約束して。一つは、今度もちゃんと還ってくること。そしてもう一つは、貴女が惚れた男をちゃんと助け出すこと。できる?」

 

 「お母さん……勿論だよ!絶対にソーヤさんを、創也さんを助け出すから!」

 

 顔に若干の火照りを感じながらも自分の覚悟を伝えるように言い切った。今度こそ、例のヘルメットが母親の手から自分の手に移動する。必要なチケットは揃った。これで助けに行ける。彼の病室を訪れるだけの毎日はもうおしまいだ。

 急いで残りの朝食を腹の中に放り込むと、母親にお礼を言ってから立ち上がった。食器類を片付けてからナーヴギアとアルヴヘイム・オンラインのソフトを両手に、リビングを後にする。扉を閉める直前に「これで我が家も安泰ね……。」と聞こえた気がしたが、空耳だと信じたい。

 階段を駆け上がり、自室に入るや否や二年間ともに戦ったもう一つの相棒とも言えるヘルメットの電源を入れる。パッケージに入っていた小さなROMカードをスロットに挿入する。ほんの数秒で準備ができたとばかりにランプが点滅し始めた。

 時間がない故にさらりとだけ説明書に目を通し、基本動作と翅を動かすコントローラーの操作方法だけを頭に叩き込む。ベッドに寝転がり、二年前と同じように被った。

 しかしあの時のように期待に満ち溢れているわけではない。あるのは、彼を絶対に助け出すという覚悟だ。そして、異世界へと通じる扉を開く合言葉を唱える。

 

 「リンク・スタート!」

 

 肉体から魂だけが抜かれていくような感覚と共に、《綾野珪子》は再び《シリカ》となっていった。

 

 

 ◇◆◇

 

 微かな光さえ存在しない真の暗闇を落下していき、仮想の脚がすとんと着陸した。辺りを見渡すが、見えるのは暗闇だけ。そう、此処はまだアバターの作成をしたりする情報登録ステージなのだ。正面にロゴが浮かぶと同時に、綺麗な女性の声が私を迎え入れる。

 それからその声に従いながらキャラクターを創っていく。プレイヤーネームは当然《Sirika》と入力し、続いて種族選択となった。はっきり言ってこのゲームを楽しむつもりなど一切なかった私は適当に選ぼうとしたのだが、ある種族が目に留まった。

 ケットシーと名付けられたその種族はモンスターのテイミング能力が秀でており、テイムしたモンスターと共に戦うことができるようだ。

 自然と脳裏にピナの姿が思い浮かんでしまう。創也さんとは違い、もう二度と会えない私の唯一無二の相棒。ピナ以上の相棒なんてそう簡単に出会える訳がない。それに出会えたとしても、私はピナの変わりとしか見ることができないだろう。

 そう思っているのに、私の指は迷いなくケットシーを選択していた。やっぱり私は子どもだ。もうピナはあの世界と一緒に消えたとわかっているのに、きっとまた会えると心の何処かで夢見てしまっている。諦めきれないでいるのだ。

 初期設定が終了し、綺麗な女性の声に送られながら身体が光の渦に包まれていく。確か各種族のホームタウンからゲームが始まる筈だ。

 創也さんを助け出すのにどれぐらい時間がかかるのかは知らない。具体的に助け出す方法なんて考えていない。それでも、私は絶対に助け出して現実であの夢の続きをするのだ。あの人の隣で一緒に生きるのだ。

 改めて私自身ににそう言い聞かせ、さぁ行くぞとだんだん近付いてくるケットシーのホームタウンを見据えていたその瞬間だった。

 パリン、と窓ガラスが割れるような感じで視界の一部にヒビが入った。そのヒビは瞬く間に視界全体に広がり、世界が溶けて崩れ始める。世界が割れた空間から深い暗闇が顔を覗かせた。

 

 「……え!?」

 

 そう声を上げた頃には私は再び暗闇に吸い込まれていた。先程まで見えていた街並みなどもう何処にもない。

 

 「キャアァァァ!!」

 

 悲鳴が虚しく響くなか、私は暗闇の中を落ちていき……何処かもわからない場所に叩き落とされた。長時間の落下による決して小さくない衝撃が襲い掛かり、痛みに顔を少しばかり歪めてしまう。

 ぶつけてしまった箇所を擦りながらゆっくりと立ち上がり、周囲に目を向ける。私は今、初めてソーヤさんと出会った《迷いの森》を彷彿とさせるような深い森にいるようだった。此処は明らかにケットシーのホームタウンではない。

 一体何が起こったのかと疑問に思いつつ、現在地を知る為にメニューを開こうと左手を振り上げた。

 

 「きゅるるる!」

 

 しかし突如何かの鳴き声が聞こえ、その手がぴたりと動きを止めた。今の鳴き声は聞き慣れたものだった。だが、その鳴き声はもう聞こえない筈なのだ。存在が消去され、消えてしまった筈なのだ。

 

 「きゅるるる!」

 

 一度だけでなく、その鳴き声は二度聞こえた。幻聴ではない。確実に何かが私の後ろにいる。それが誰なのかはとうに理解している。振り返って確めたいが、あの小さな竜が存在する訳がないという思いがそれを阻害していた。

 それでも私は子どもだ。現実ではあり得ない奇跡を信じてしまう幼い子どもなのだ。

 二年間共に戦った相棒が後ろにいるということを夢見ながらゆっくりと視線を背に向けると……

 

 「きゅるるる!!」

 

私の相棒であるピナがそこにいた。見間違いでも何でもない、アインクラッドでずっと一緒に戦った相棒が私の目の前にいた。

 

 「ピナ!」

 

 「きゅるるる!!!」

 

 ひと際大きく鳴きながら胸元に飛び込んできたピナを力の限り抱きしめる。もう会えないと思っていただけに、湧き上がる感情も大きい。頬を何か熱いものが伝っていく。私は泣いていたのだ。だがこれは現実に還ってきてから流し続けた悲しみの涙ではなく、喜びから来ている涙だった。

 そして相棒との奇跡とも言える再会を果たし、ひとしきり嬉し涙を流した後にもう一度周囲を見渡す。やはりどう考えても森の中だ。ケットシーのホームタウンとは到底考え難い。

 だが、この景色には見覚えがあった。私がこの妖精の世界を訪れるきっかけとなったあの写真、ソーヤさんが写っていた画像の背景にそっくりなのだ。彼はこの世界の様々な場所に現れるらしいが、一度目撃情報のあるこの森の中に落ちてきたのはある意味幸いだったのかもしれない。

 とはいえ今いる場所が具体的に何処なのかはわからない。やっぱり居場所を確認した方が良いと思い、左手の人差し指と中指を揃えて振り下ろすとウィンドウが開かれた。さてどうすれば地図が見られるのかと指をメニューに沿わせていると、その指がふいと停止してわなわなと震えだした。

 

 「何……これ……。」

 

 名前と種族が一番上に表示され、その下に体力と魔力を表す二本の棒がある。数値も見る限り初期設定に見える。ここまでは特に何も問題ない。おかしいのはその下にある習得したスキル一覧だった。

 バーが満タンにまでたまってマスター表示になっている《短剣》やあとちょっとで同じくマスター表示されそうな《料理》など、初期とは思えない程のスキルの数があった。しかもその熟練度がどれも異様に高くなっている。開始早々こんな森の中に落とされたことといい、このゲームはどこかバグっているように感じられた。

 しかしどうにもこのスキル構成が引っ掛かる。一通り見る限り、これらのスキルは私のためだけに構成されたような感じだ。改めて習得スキル一覧に目を通し……脳に電流が走った。

 このスキルは二年間、私があの世界で習得していたスキルと同じなのだ。幾つか無くなってしまったスキルもあるが、確かに全て習得していたものだ。つまり、既に役目を終えたはずである鉄の城にいた《シリカ》のステータスが現在目の前に表示されているということになる。

 それを自覚した瞬間、耐え難い恐怖に襲われた。もしかしたら此処はあのデスゲームの中なのかもしれない。そう思ってしまうだけで身の毛がよだつ。こんなこと認めたくはない、だがそうでなければピナが何故消滅せずに私の隣にいるのか説明ができない。

 恐怖に震える指を叱咤してウィンドウを操作し、救いを求めるように一つのボタンを探す。そして一番下に《Log Out》と書かれたボタンを確認し、安堵のため息をつく。それと同時に、また閉じ込められたのではないかという恐怖が身体から引いていった。

 何が何だか理解できないが、今の私はただのプレイヤーであることだけはわかった。いや、正確に言えば別の世界のデータを流用するチーターだ。まぁ、このゲームなんて私にとっては創也さんを救い出す作業場でしかない。故にキャラクターが強いことに越したことはないのだ。

 わからない事ばかりだが、取り敢えず行動を起こすべきだろうと思い、ウィンドウを閉じる。そんな時だ。私の後ろの草むらががさがさと音を立て、中から一人の女の人が現れたのは。

 

 「……ケットシー!?何でこんなところに!?」

 

 現れた緑色を基調とした装備の女の人は私を見るなり、やや驚いた顔をしながら腰の長剣を抜いた。ああ、確かこのゲームは他の種族なら倒すことが推奨されていたっけかとエギルさんの説明を思い出しながら、どうしようかと悩んでいると更にの奥から三人の男の人達が現れた。今度は赤色の鎧に身を固めている。

 

 「うん?ケットシーじゃないか。何故こんな森の奥深くにいるんだ?」

 

 「そんなのどうでもいいじゃん。どっちも殺すんだからよぉ。へへ、女の子相手なんて久々だなぁ!」

 

 赤い妖精、確かサラマンダーの内の一人がねばついた目を私と緑の妖精、シルフの女の人に向ける。その男の人は、かつて殺人が禁忌だったもう一つの現実で嬉々として人を殺して回った人達と同じような目をしていた。

 サラマンダーの三人は大きなランスを構えながら翅を鳴らして浮き上がり、その切っ先を私達に向けた。それに対してシルフの女の人は相討ち覚悟で長剣を構える。私も腰に装備されていた貧相な短剣を抜いた。ピナも戦闘態勢だ。

 そしてサラマンダーの三人が今まさに突撃しようというその瞬間、後ろから黒い弾丸が飛び出した。私達も、サラマンダーの三人も呆気にとられながら突然の乱入者に目を向ける。

 

 「あいたたた……これは着地がミソになるな。」

 

 緊張感など微塵も感じさせないような声を出しながら立ち上がったその人は……

 

 「もしかして……キリトさん?」

 

 「ああ、その反応はシリカか。全く、顔がそっくりだったから直ぐにわかったぞ。」

 

私と同じように愛する人を助ける為、この世界を訪れたキリトさんだった。       



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第二十九話 死に場所を探す亡者

 先日、この小説の評価バーに色がつきました!

 評価してくださった方、いつも読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます!

 これからもこの作品をよろしくお願いします!



 ◇◆◇

 

 「重装備の男三人が寄ってたかって女の子二人を襲おうとするのはちょっとカッコ悪いなぁ。」

 

 「んだとてめぇ!!」

 

 突然乱入しておきながら、どこかのんびりとしたキリトさんの言葉に激昂した二人のサラマンダーが宙に浮き、その巨大なランスを構えて彼の前後を挟み込んだ。そしてそのままランスを下に向けて、突進の姿勢を取る。どちらかの攻撃を確実に通すつもりなのだろう。

 これではあのキリトさんでも防ぎきれない。いや、彼の背に二振りの剣があればどちらも防げるかもしれないが、生憎とあるのは貧弱としか言いようのない片手剣一本のみだ。シルフの人も助けに入ろうとしてくれているが、残りの一人のサラマンダーに牽制されていて動けないでいる。しかし私とピナはただの獲物としか見られていない為か、一切マークされていなかった。

 楽々とキリトさんの隣までに歩を進め、短剣を逆手に構える。ピナにもブレスの準備をするように指示し、眼前のサラマンダーだけを視界に捉えた。キリトさんも私の意図を理解してくれたようで、私達は背中合わせになって戦闘態勢に入る。

 

 「初心者の癖に調子に乗りやがって。先にお前らから殺してやるよぉ!!」

 

 バイザーを降ろしたサラマンダーが背中に生える赤色の翅を震わせながら突進を開始する。だがそれは私とピナにとっては格好の餌食でしかない。まさに攻撃してくれと言わんばかりである。

 

 「ピナ、バブルブレス!」

 

 「きゅるるる!」

 

 あらかじめ用意させておいたバブルブレスにサラマンダーは自ら突っ込んでいく。吐き出された無数の虹色の泡が弾け、突進の勢いが一瞬怯んだ。その僅かな間に地を蹴って横側に回り込む。突進は進行方向に絶大な威力を誇るが、横方向に対しては無力にも等しいのだ。

 がら空きの胴に蹴りを入れる。サラマンダーは殺し切れていないその突進の勢いも相まって、先程のキリトさんのように錐揉み回転しながら近くの樹木に激突した。

 

 「いっつ……何しやがんだてめぇ!!」

 

 ぶつけた箇所を押さえながらゆらゆらと立ち上がるサラマンダー。勿論、そんな大きすぎる隙を見逃すつもりはない。すぐさま追い打ちを掛けるべく、ピナと共に急接近する。

 驚愕の表情を浮かべたサラマンダーの顔面をピナのブレスが焼く。私の姿が完全に捉えられていないうちにざっと全身の装備を確認する。相手は重装備。今持つ初期装備と思われる短剣をそのまま振るったところで、大したダメージを与えることはできないだろう。ならば、その繋ぎ目を狙えばいい。

 逆手に持っている短剣を右腕の関節目掛けて突き刺す。やはり関節部分は装備の繋ぎ目になっているようだ。そのまま短剣を一周させるように回し、片手を切断する。それを残りの片手、両足にも行ってダルマ状態になったサラマンダーの喉元を止めとばかりに切り裂いた。赤い炎が噴き出すと同時にサラマンダーは小さな火になる。

 

 「シリカ、結構残酷な倒し方をするんだな……。ちょっと恐怖を感じたぞ。」

 

 短剣を腰の鞘に戻すと、キリトさんが少し呆れた様子でそう言った。奥に目をやれば、私の近くにあるものと同じ小さな火が瞬いている。どうやら彼の方も終わっていたようだ。

 

 「あ、えっとソーヤさんが『これなら固い敵でも殺しやすくて楽だよ』と教えてくれたので……。」

 

 「全く、あいつは殺し屋か何かか?それで、アンタはどうするんだ?戦う?」

 

 私達の視線が最後の一人となったサラマンダーへと向けられる。はっと我に返ったその人がその分厚い兜の奥で苦笑しているように見えた。

 

 「いや、止めておくよ。少し前に《妖精殺し》のせいで減ってしまった魔法スキルがやっと元に戻りそうなんだ。今は本当にデスペナが惜s……ガハッ!」

 

 その言葉は最後まで続くことはなかった。現在最後のサラマンダーの口元からは、一振りの片手剣が生えている。私の眼はその物体に吸い寄せられる。もしかして現実で人を斬ってしまったのではないかと思ってしまう程に深い赤をしたそれには見覚えしかない。何度も近くで見ていたのだから見間違いも有り得ない。

 あれは間違いなく《創造》のスキルによって造り出された片手剣。そしてこのスキルの使い手は知る限りただ一人。幸運なことに、私はもう探し人と巡り会えたようだ。また会えたという幸福感が数ヶ月間空洞だった心を満たしていく。

 突き刺していた片手剣が半回転し、サラマンダーの肉体をあの重装備ごと両断する。噴き出す赤い炎の先にいたのは、私が惚れた男に違いなかった。あの画像の通りに真っ白な翅を生やし、背後に先程の片手剣と同じ色をした無数の武器が次々と造り出されながら円を描いている。

 

 「嘘、《妖精殺し》!?」

 

 シルフの人が顔に驚愕の色を浮かべながら長剣を構える。するとその気配を察知したのか、ヒビが入り始めた片手剣を捨てた彼がぐるりとこちらを見た。瞳の色は造られた武器と同じ深く、鈍い赤。だが私が知る彼の瞳とは一つだけ決定的に違っている部分があった。

 眼に……光が灯っていないのだ。まるで生きる目的を失い、ただただ何もせずに一日を終えてしまうような亡者のよう。私を現実に還すためにその力を振るった時に見せた、荒々しくも美しかったあの瞳は見る影もない。今私の前に立っているのは彼であって彼でないような感じがした。

 

 「ソーヤさん!」

 

 彼の名を呼ぶ。隣のシルフの人がどう反応しようがどうでもいい。以前の彼に戻ってほしかった。私が助け出したいのはこんな生きる意味を失ったような彼ではない。私という存在をずっと愛し、守ってくれる彼なのだ。

 底が見えない暗い瞳が私を捉える。その次の瞬間に彼の眼は大きく見開かれたかと思うと、頭を押さえながら背を向けて物凄い速さで飛び去ってしまった。

 

 「……何であいつは、ソーヤは逃げたんだ?」

 

 隣で首を傾げるキリトさんをよそに、一瞬だけ満たされた心に再び喪失感という名の大穴が空いたことに耐えられなかった私はその場に崩れ、涙を溢した。

 避けられたように感じたのはお前の錯覚ではない。もうあの時の彼は帰ってくることはない。お前が助け出そうとした彼はこの数ヶ月の間で変わってしまい、亡者と化したのだ。そう暗に告げられているようだった。

 これから私はどうすれば良いのだろうか……その疑問に答えてくれる者は誰一人いなかった。

 

 

 ◇◆◇

 

 鬱蒼と生い茂る暗い森の中を出せる限りの最大速度で飛んでいく。俺の翅は他のプレイヤー達のものとは異なり、滞空制限が存在しない。故に先程の奴らが追いかけてきたとしても、追いつくなんてことは有り得ないのだ。

 奴らから逃げるように飛び始めてからどれ程経ったのかは知らないが、周囲に気配が無いことを確認して地面に降り立とうとする。しかし奴らと出会ってから尋常ではない痛みを伴っている頭痛により体勢を崩し、頭から突っ込む様な形で着陸した。

 

 「かはっ……あぐっ、あああぁぁぁ!!!」

 

 今にも真っ二つになってしまうのではないかという位の痛みが頭を駆け巡る。痛い、ただそれだけしか考えられずに頭を押さえる。だがそれでも痛みは引かず、自分が土まみれになることを厭わずに湿った大地を転げまわった。

 頭蓋骨が撤去され、脳を直接いじられているような痛みが俺を襲い続ける。そう、まるで封じ込められた記憶が蘇りそうな……。

 

 「うううぅぅぅ……はぁ、はぁ……。」

 

 地面を転がること数十分、ようやく思考を巡らせる余裕がある程度に回復した。肩を上下させながら近くの樹木に倒れるようにもたれ掛かる。

 

 『ソーヤさん!』

 

 何故か青い小さな竜を連れたケットシーの女の声が蘇る。奴がそう言ってからこの忌々しい頭痛は始まった。しかしその《ソーヤ》という名は全くと言って良い程に聞き覚えが無い。先程の奴の様子から考えるに、俺に向かって言ったことは間違いないが、生憎と俺は《ソーヤ》ではない。

 今の俺には名がない。それどころか、ここ最近の数ヶ月の記憶しかない。それ以前の記憶は抜け落ちたかのように一切残っていないのだ。

 ある時にこの森の中に迷い込み、遭遇したサラマンダーを八匹殺したことは覚えている。そしてなぜ殺したかも覚えている。

 俺は一刻も早く死にたかった。さっさとこの世からおさらばしたいが、武器を手に持つものとして無抵抗のままで殺されることは許されない。だったら戦いの中で殺されればいいと思った。そう結論づけ、俺の手によって造り出された武器を振るって全員を殺した。

 その後も多数のプレイヤー達が襲い掛かってきたが、誰一人として俺を殺すことはできなかった。それどころか、襲撃者どもは傷の一つも付けられずに殺された雑魚ばかり。それでもいつかは死ねるだろうと武器を振るう手を止めることはしなかった。

 戦いに戦いを重ねて何人殺したか数えるのも億劫になった頃、俺は何の為に死にたいと思っているのか思い出せなくなっていた。それは今も思い出せないでいる。今の俺を突き動かすのは残された『死』という現象を求める意思だけだ。

 

 「……一体誰だ?俺を殺してくれるのは。」

 

 こちらに近づく気配を感じた。数は四。内に住まう獣を呼び覚まし、造り出した片手剣と細剣を両手に持つ。吹き出した血のオーラが背に武器の円を描かせる。

 答えが見つからない問いなんて考える必要はない。そもそも、何故などと理由を思い出す必要もない。死にたい、そう思っているのならばこれまで通り戦い続ければ良いだけの話。

 求める結果だけわかっていれば、大した問題は無い。理由なんてどうでも良いのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 このゲームの世界観をぶち壊しにするような現代チックな部屋に入り、真っ白な椅子に腰かける。眼前に広がっているのは巨大なスクリーン。写っているのは記念すべき実験体第一号の姿。

 実験体は造り出した一振りの片手剣で容易く一人の高レベルのプレイヤーを容易く倒し、もう片方の手にもったピックらしき物体を茂みに隠れていた別の一人に向けて投擲する。怯んだ隙に距離を詰めたかと思えば、一瞬のうちに斬り刻む。

 残った二人が奇襲を仕掛けたが、実験体はぐりんと首を回して深紅の瞳でその姿を捉える。そして二人の武器がが届くよりも早く、即座に握った両手剣で纏めて切り伏せた。今回もまた無傷で倒してしまった。その相変わらず規格外なその力にはいつも驚かされる。

 

 「いやはや、とんでもないイレギュラーだけどこれは大助かりだ。元々クリアなんてできないグランドクエストの難易度が更に跳ね上がったもんだねぇ。」

 

 自然と笑みがこぼれる。全く、こいつを自分の陣営に引き込めたことを感謝しない日はない。スクリーン越しで見ても心臓を掴まれるような殺気を向けられてはたまったものではない。

 あのイレギュラーは偶然発見したものだった。いつものように将来の伴侶となる女王を愛で、存在するはずのない空中都市を目指して日々攻略に勤しむ哀れなプレイヤー達を画面分割したスクリーンで眺めていると、一つの画面が目に入った。

 その画面には深い森の中で対峙している者達がいた。確かあそこは中立の場所だったので他種族間での戦闘はよくあることだ。だが、八人の前に立つ一人のプレイヤーの姿はイレギュラーとしか言い様がなかった。

 どの種族にも属さない白い翅。それはグランドクエストの際に登場させる者たちを想起させるようなものだった。何かのバグで飛び出したかと思ったが、そいつは見たこともないスキルを使って見事勝利してみせた。それも無傷で。

 僕は創造主の権限を使い、その者のプレイヤーデータを開示させた。あれを初めて見た時の衝撃は忘れられない。てっきりバグから生まれたものだと思っていた故に、人間であると知った時には思わず椅子から転げ落ちそうになった程だ。

 それから数日の間イレギュラーの行動を観察していた時、名案が浮かんだ。奴を記念すべき実験体第一号にしようと。あれでも一応人間なのだから、研究の成果は通じるはずだ。それに、どの種族でもないままログインするなんて明らかに違法だろう。文句を言われても、向こうが悪い。

 そして翌日、奴をこちら側に引き入れる作業を行った。具体的に言えば、記憶の消去と上書き。いわゆる洗脳というものだ。こんな非人道的な行為が見つかれば確実に警察のお世話になることは充分に承知している。だが決して見つかるわけがないので、心配する必要性は皆無だ。

 結果は半分成功、半分失敗だった。記憶の消去まではできたものの、上書きまではできなかった。まぁ他の者達とは違って、直接脳を刺激しているわけではないので成果としては合格点だろう。

 自分の手が届く場所で作業ができたのなら確実に上書きまで可能だったが、あんなものを近くに置けばいつ斬られるか分かったものではない。

 スクリーンに映る実験体第一号はあの得体の知れない力の反動か、苦悶の表情を浮かべながら頭を押さえている。だがその状態でも襲ってくる別のプレイヤーをまた無傷で倒してしまっているのだから、本当に力の底が見えない。

 

 「さて、《妖精殺し》と恐れられる君を倒せる者が現れるのは一体いつになることやら。」

 

 圧倒的とも言える力を振るうあのイレギュラーをこうして見ていられるのは、自分に刃が向けられる可能性が無くなったからだ。

 傀儡にさせることには失敗したが、記憶が無くなったあれはただ死に場所を求めて彷徨う亡者に成り下がった。世界樹の攻略などに一切興味を示さず、ひたすらに中立地域で自分を殺す者を待ち望んでいるだけの人間だ。

 どうやら周囲のプレイヤー達全員を倒し切ったようだ。樹の幹に寄りかかり、肩で息をしている。しかしその隣に浮かぶ体力ゲージは一ドットも減っていない。恐らく今頃はゲームバランスに関しての苦情が相次いでいることだろう。

 それよりも、より世界樹攻略の難易度が上がった筈なのに、この沸き上がってくる不安は何なのだ。

 例えるならば、危険だと判断した本能が警鐘を鳴らしているようである。このままではこの研究が表に出てしまうぞ、と告げられているようにも感じる。

 だが、僕の研究を邪魔しそうな人間は一人残らず排除した。目の上のたんこぶだった茅場も、奴が連れてきた新原夫妻も、皆いなくなった。今の僕を邪魔できる者は誰一人としていない筈なのだ。

 そうだと言うのに、拭いきれない不安が押し寄せてくる。鳴り響く警鐘は止まることを知らないかのように、延々と僕に警告を出し続けていた。   



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第三十話 かけがえのない思い出

 今回でこの作品も三十話目となりました。

 本当に多くの方々に読んでいただき嬉しい限りです。

 これからも投稿頑張っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。


 ◇◆◇

 

 視界が虹色の光に包まれたかと思えば、次の瞬間には真っ黒に染まった。ゲームの世界に旅立っていた意識が戻ってくる。瞼を開ければもうそこは現実の自室だった。

 見慣れた天井だ。だがそれが今は酷く歪んで見える。何故こうなっているのかは考えるまでもない。目元を拭うと、少なくはない水滴が手についていた。彼が飛び去ってから流し続けていたうちの一部がこちらにやってきたのだろうか。

 仰向けだった身体を回転させてうつ伏せになる。枕に顔を埋める。そして、再び涙を流す。毎日お見舞いに行っていたあの時のように無力な自分に対する嫌悪感ではなく、もう助けることができなくなってしまった絶望感が私に涙を零させていた。

 時計に眼をやり、そろそろ昼食の時間だと起き上がる。涙を拭ってから階段を降りると、丁度母親が完成した料理をテーブルに運んでいたところだった。

 

 「あ、珪子。ちょうどお昼ご飯ができたわよ。」

 

 「ありがとう、お母さん。」

 

 全ての料理を並べ終えた母親が正面に座る。今日の昼食は近くのスーパーで買ってきたコロッケと冷凍していたご飯、そして野菜のサラダだった。手を合わせ、一口大に切ったコロッケを口の中に放り込む。揚げたてだったのか、サクサクと衣の食感がする。

 それらを無言で食べていると、母親がこちらをじっと見つめていた。

 

 「お母さん、私の顔に何か付いてる?」

 

 「珪子……どうしてさっきまで泣いてたの?」

 

 「え……違、これは」

 

 「そんな嘘つかなくてもいいから。早く理由を教えてちょうだい。愛する人を助けると決めて、もう一度仮想世界に行ったんじゃなかった?」

 

 どうにか母親に悟られないようにしていたが、無駄だったようだ。こうなってしまった以上、話さないという選択肢は残されていない。母親を更に心配させない為にも。

 ほんの数時間前の出来事をぽつりぽつりと話す。思い出すだけで心がきつく締め付けられる。朝に鋼鉄の城のことを話した時とは正反対のように、話せば話す程に口が重くなっていく。

 そして話し終えた頃、私は涙を堪えるように下を向いて手を強く握りしめていた。もうあの頃には戻れないという現実が改めて突きつけられたように感じる。

 絶望に暮れていた私の手がふいに誰かの両手に包まれた。顔を上げると、隣にまで来ていた母親の顔があった。暖かい手だ。まるで以前の彼とそっくりで、大丈夫だと声が聞こえてくるような暖かい手。

 

 「珪子、あんたとその男の子はそんなに脆い関係だったの?」

 

 母親の問いに強く首を横に振る。私と彼の関係がそんなに脆い訳がない。いつ死ぬのかもわからない剣の世界で私達は廻り合い、現実に還ってくるその時までお互いの背中を預けて戦った。そしてそれだけでなく、時には自然豊かな森の中で一緒に食事をしたりしたこともあった。

 私のとって、あの世界で過ごした彼との思い出は本当にかけがえのないものだ。月明りが差し込む宿屋の一室で彼と恋人同士になり、初めて一緒に同じベッドで寝た時にちらりと見えた彼の心からの笑顔は今でも容易に思い出せる。

 

 「だったら、どうして彼のことを諦めようとしてるの?」

 

 「それは……さっきも話したように私はソーヤさんに、創也さんに拒絶されたから……。」

 

 だが、その思い出は思い出すことが苦痛となる忌むべき記憶へと変わってしまった。少し前まで折れかけていた心を奮い立たせてくれた彼との思い出が、今では私の心をへし折ろうと鋭い刃を突き立てていた。

 彼を助け出して、この現実でずっと一緒に生きることができるようにすることがただ一人還ってきた私の夢であり、目標だった。しかしそれが現実となる時が来ることは無い。もう彼は変わってしまったのだ、生きることに意味を見出せなくなった亡者に。

 消え入るような声で弱音を吐いた私の言葉を聞いた母親は、普段見せているふわふわした様子を欠片も残さずに捨て去った。瞳に真剣そのものと言える色を浮かべ、私をじっと見つめている。一体どうしたのだと思った次の瞬間、私は抱きしめられていた。耳元で囁かれた母親の声は優しくも、はっきりしたものだった。

 

 「珪子、そんな簡単に創也君のことを諦めちゃダメ。恋愛というのは、すれ違いなんてあって当たり前なの。どんなに仲が良くたって意見が合わないことが絶対にある。お母さんとお父さんだってそうなのよ。」

 

 その言葉一つ一つが私に染み込んでいく。まだ彼のことを諦めてはならないと誰かが告げる。突き立てられている刃によって折れそうだった心が立ち直っていく。

 

 「生きる目的を失ったようだった?それなら珪子が彼の生きる理由になってやりなさい。彼に拒絶された?だったらどうして拒絶したのか問い詰めなさい。まだ諦めるには早すぎるわよ。」

 

 突き刺さっていた刃が抜け落ちる。彼の言葉が幾つか脳裏をよぎる。

 

 『……シリカ、俺もお前が好きだ。シリカと出会えて、この世界に来て本当に良かったと思った。俺の過去を一緒に背負うと言ってくれて嬉しかった。だから……こんな俺で良いのなら、喜んで。』

 

 それは初めて彼の血濡れた過去を聞き、一緒に背負うと言って思いを告げた私に向けられた言葉。彼はあの瞬間の前に、私の胸の中で涙を流した。強いという印象しかなかった彼が、自分の弱い一面を見せられるほどに信用されていると感じた。

 

 『……それは俺がいるからだよ。俺がシリカに襲い掛かろうとする死神から守ってやる。孤独から解き放っただけじゃなく、獣と化した俺でさえ命の恩人だと認めてくれたシリカを殺させはしない。それに、俺よりも長く一緒にいた相棒もいるじゃないか。』

 

 それは忘れかけていた『死』に恐怖した私に大丈夫だと安心感を与えてくれた言葉。どんなことがあっても、私を殺させはしないという彼の強い思いが伝わってきた。彼のお陰で私は最後まで戦えた。

 

 『……ごめんね、シリカ。俺が終わらせるから。ちゃんと現実に還すから。』

 

 それは彼が最後の戦いに赴く姿を見て叫んだ私に向けられた最後の言葉。自分が元凶の関係者であることを明かしてもなお、裏切ることはせずに全プレイヤー、そして私を現実に帰還させる為に戦った。彼は自らを犠牲にしながらも、最後まで私を守りきってくれた。

 忌むべき記憶だったものが再び思い出となって私の心を押してくれる。諦めるな、必ず連れ戻せと告げている。

 そうだ、彼が私を理由もなく拒絶する筈がない。何故なら私と彼はお互い恩人同士で、愛し合っていたのだから。私はもう絶望に暮れてはいなかった。

 

 「うん……そうだね、お母さん。私は諦めない。何がなんでも創也さんを現実に連れて還ってくるよ!」

 

 「その意気よ。ああそれと、ちゃんと助け出せたらお母さんとお父さんにも紹介してね。珪子の将来の旦那様の顔をちゃんと見ておきたいもの。」

 

 「旦那様……?ふぇ!?」

 

 いつものふわふわした様子に戻った母親から爆弾発言が飛び出し、顔がかぁっと熱くなる。恐らく今の私顔は茹でダコのように真っ赤だろう。

 朝、リビングを出る時にちらりと聞こえた母親の発言は空耳ではなかったようだ。母親は間違いなく、まだ顔も知らない彼に私をあげるつもりだ。全く、話が一気に飛躍し過ぎではないのか。

 しかしこれが私の普段の母親である。天然なのか意図しているのかはわからないが、時々とんでもないことを口にするのだ。これにいつも私と父親は振り回されている。

 もしかすると頭の上から煙が出ているのではないか、そう思ってしまう程の熱を放出する顔を隠すように母親から顔を背ける。そして立ち上がり、逃げるようにリビングを後にした。

 部屋に戻り、乱雑に置かれていたナーヴギアをそっと拾い上げる。次にキリトさんと一緒に行動するのは明日の午後から。だが私は今からもう一度あの世界に行こうと思っていた。先程の母親との会話で生まれてしまったこの高ぶる気持ちを抑えることができないのだ。

 電源を入れ、ベッドに寝転がってそれを被る。これを被るのはもう三度目になる。

 一度目は期待に満ち溢れ、二年間もデスゲームに囚われた。二度目は覚悟を持ち、ようやく再会できた愛する人に拒絶された。そして三度目に持つものも、覚悟。されど二度目のような脆いものではない。何度拒絶されようが、こちらに連れて還ってきてやるといった一種の狂気と言っても過言ではないものだ。

 この覚悟がやや狂気を孕んでいることは自覚しているが、消してしまおうとは思わない。何故なら、これは彼への恋心から来ているのだから。

 

 「リンク・スタート!」

 

 私は再び本来の肉体を捨て、仮初の肉体へと魂を移した。

 

 

 ◇◆◇

 

 「うわぁぁぁ!見逃してくれぇぇぇ!!助けてくれぇぇぇ!!!」

 

 「断る。それから喧しい。さっさとシネ。」

 

 腰を抜かして震え、命乞いをする置物と化した一匹の赤い妖精を脳天から両断する。紅蓮の炎が噴き出し、一瞬だけ暗かった森が明るくなった。周囲に浮かぶ幾つもの小さな火が照らし出される。まるで人魂のようだと思っていると蘇生時間が過ぎたのか、次々と消滅していった。

 最近はやたらと赤い妖精と殺し合いになることが多くなってきている。初めに出会った奴らといい、グランドクエストやらの攻略に一番精を出しているのだろうか。そんなどうでもいいことを考えながら、木陰に隠れていた最後の一匹を造り出した弓と矢で射貫く。

 熱を感じさせない死を告げる炎が再度噴き出す。弱い、それが何十人かも数えるのも面倒くさくなる程の赤い妖精どもを殺した率直な感想である。恐らく、幾ら強かろうと数で押せるものだと思われているのだろう。まぁ、襲撃されなくなるよりかは遥かにマシだが。

 最後に殺した奴が消えたことを確認し、警戒態勢を解く。それと同時に背後の武器達はゆっくりと崩れ去った。

 

 「……またか。一体何なんだ?」

 

 再びあのケットシーの女が脳裏にちらつく。あの時程ではないが、脳をいじくりまわされるような不快感を伴う頭痛に顔をしかめる。

 何故、これ程までに奴のことが頭から離れないのだろうか。それ以前に何故、俺はこんなことで悩んでいるのだろうか。疑問が疑問を呼び、限界を知らぬように膨れ上がった疑問符が思考を阻害していく。気づけば、脳内が例のケットシーのことで埋め尽くされていた。

 もしや一目惚れでもしたのではないかという明らかに破壊されてしまった思考を破棄し、もう考えないようにしようと頭を振る。だが、何度そうしても頭の中から消えることはなかった。

 

 「何なんだ、何者なんだお前は!俺の中から消えろぉ!!」

 

 普段の冷静さを失い、ただ我武者羅に造り出した両手剣を横薙ぎに振るう。眼前にあった巨大な樹木がバッサリと根元から斬れ、轟音を響かせながら倒れた。それに驚いた鳥などの生物が一斉に慌てて遠くへと飛んでいく。

 そしてこの轟音の原因を突き止める為に来たのであろう、妖精の気配を複数感じた。調査の為か、数はそれ程多くはない。だが、一つだけ距離が離れているものがある。理由は不明だが、それを探ろうとは思わない。俺は死ねればそれでいいのだ。そうすれば、あの女のことも綺麗さっぱり忘れることができるだろう。

 造り出した両手剣を握り、近づいてくる奴らと同じ高度にまで翅で上昇する。見えたのは緑の翅。俺がよくいるこの森の近くに領土を持っているらしいシルフである。こうして迷い込んで長い期間が経つと、様々な情報が自然と集まってしまうものだ。

 俺の姿を視認したのか、シルフの一団が動きを止める。奴らの装備にざっと目を通し、今回も俺の願いは叶いそうにないと内心でため息をつく。

 剣などによる物理系統しか攻撃手段を持たない俺を殺そうと前衛を大盾で固めたのは良いが、見るからにその者達が得物の扱いに慣れていない。なのに指揮官らしき男は自信ありげに笑みを浮かべているのは、見ていて哀れとしか思えない。

 

 「驚いたか《妖精殺し》。こうして固めてしまえば、お前は成す術も無いだろう?」

 

 「張りぼての軍勢でよくそんなことが言えるものだな。」

 

 指揮官の額に青筋が浮かぶ。奴は相当短気な性格のようだ。底が知れる。

 

 「貴様……舐めているのか?」

 

 「ああ勿論。そんな程度で勝機があると思っているのであれば、俺の願望を叶えることはできない。」

 

 青筋が増え、震えだした指揮官が今にも怒り狂いそうな感情を抑えながら指示を出した。前衛が隙間なく大盾を並べ、後衛が魔法の詠唱を開始する。

 

 「悪いが、俺は今無性に誰かを殺したくて仕方がない。だから、全員シネ。」

 

 翅を鳴らして急接近し、握っていた両手剣を振るう。それは並べられた大盾に吸い込まれ、火花を散らした。殺し切れなかった衝撃によって前衛の体力ゲージが減少したが、すぐさま回復の魔法によって元に戻ってしまった。そこから更に攻撃魔法が飛び出し、爆発が起こる。

 仕方なく回避と防御を行って煙が晴れた頃、ちらりと指揮官の顔を見る。奴は先程までの怒りを忘れたようにほくそ笑んでいた。大方、想定通りに事が進んでいることと、大口を叩いた俺が劣勢に陥っていることが理由だろう。しかしそれを保っていられるのは時間の問題だ。

 崩れ始めた両手剣を捨て、獣の力を呼び覚ます。若干の熱を感じさせる瞼を下ろし、少しばかりの間意識を外から中へと移す。手に何かを持った感触と共に目を開けると、新たな両手剣が造られていた。だがそれははっきり言って異形としか言いようがなかった。

 まず、刃が存在していない。あるのは何かを引っ掛ける為の凹凸のみ。それは相手の剣を折ることを目的として誕生した短剣『ソードブレイカー』を巨大化させたようなものだった。

 《創造》は形を具体的に決められれば、どんな武器だって造り出すことが可能な力だ。何故こんな力を持っているのかはわからないが、状況に応じたものを造ることができるのは便利である。

 再び接近し、異形の両手剣を横に薙ぐ。並べられた大盾に直撃した瞬間に手応えを感じ、そのまま振り切った。飛んで行ったのは無数の大盾。残されたのは丸腰になった前衛と唖然としている後衛のみ。

 今したことは至極簡単なことだ。あの剣の凹凸に大盾を引っ掛け、剣を振る勢いで持ち主から奪い去った。流石に盾を折ることはできないのだ。

 指揮官の笑みが崩れ、数秒だけ指示が遅れた。それが殺し合いの世界では命取りになる。空白になった数秒の間に俺は前衛の一匹を串刺しにしていた。

 全体に動揺が広がる。指揮が乱れ始める。指揮官はとっさにそれを立て直すことが出来ない。奴は初日に殺したサラマンダーの男よりも取り仕切る才能が無いようだ。

 細剣で一匹の喉元を貫き、それを盾にして別の一匹の攻撃を防ぐ。動きが止まった二匹を纏めて両手剣で真っ二つにして仕留める。そして回復魔法を扱っていた妖精に目を移し、造り出した小さな針で的確に口を刺しておく。周囲に浮かんでいた文字列が弾けた。

 背後で攻撃魔法を唱え始めた妖精の正面に瞬間移動し、魔法が完成する前に片手剣と細剣の二刀流で全滅させる。用済みの武器を手放し、弓に三本の矢を番える。放たれた矢は寸分違わずに口を封じていた妖精どもの心臓部分を射貫く。これで残ったのは指揮官と護衛らしき一匹となった。

 

 「シグさん、これは撤退すべきっすよ。このままじゃ、ぜんめt……!」

 

 「言ったよな?全員シネって。」

 

 撤退を進言した護衛らしき一匹を気づかれる前に接近して八つ裂きにする。激しく燃え上がった赤い炎が俺と指揮官の顔を照らす。

 

 「お前は……一体何者なんだ?」

 

 指揮官の顔には明らかな怯えの色が浮かんでいる。まるで肉食動物に狙われた草食動物のようだ。

 

 「……ただの死にたがりだ。」

 

 そう答えて指揮官をものの数秒で小さな炎へと変える。終わったか、そう思った瞬間に一つの気配が此処に向かって一直線に近づいてきた。確実にあの距離が離れていたものだろう。

 身体がまだ熱を持っていることを確認し、その姿を視界に捉える。現れたのは今の俺をおかしくしている元凶そのもの。

 

 「助けに来ましたよ、ソーヤさん!」

 

 「きゅるるる!」

 

 小さな青い竜を連れたケットシーの女が何やら決意を強く決めた様子でこの暗い森の大地に降り立った。

                 



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第三十一話 愛に狂う

 今回はいつも以上に駄文の可能性があります。

 やはりオリジナル展開を考えることは難しいです……。


 ◇◆◇

 

 数時間前にログアウトしたシルフ領にある宿屋で目覚めた私は隣で眠っていたピナを起こし、昼下がりの町に繰り出す。異なる種族故に周囲の視線が集中していることを感じるが、此処に来る前にいたあの世界でもそうだった為にもう慣れてしまった。

 左手にコントローラーを持ち、翅を鳴らして上空に浮き上がる。もう一度彼に出会う為にこの世界に入ったのは良いものの、何も手掛かりがないのでしらみつぶしに探すしか方法はなさそうだ。相変わらずの自分の向こう見ずさに呆れてしまう。

 それでも絶対に見つけ出してやると自分に言い聞かせ、手始めに近くの中立地域である森に行こうとコントローラーを操作しようとしたその瞬間だった。まさに今から向かおうとした森の方角から突如けたたましい轟音が響いたのだ。

 ケットシーの特徴である視力の良さを生かしてよく目を凝らせば、音の発生源と思われる場所から大勢の鳥らしき生き物が飛び出している。その場所に目を下ろすと、ちらりとだが白い翅が見えた。どの種族でもない証明であるその翅の持ち主は恐らく彼だろう。

 そう結論を出した瞬間、私はピナを抱えて一直線にその地点へと向かっていた。急げ、そこに彼がいると存在しない筈の第六感が告げている。下手したらコントローラーが壊れてしまうのでないかと思う程に加速のボタンを強く押し続け、可能な限りの速度を引き出す。空気が顔を叩くが、そんなことはどうでも良くなっていた。

 それから数十分飛び続け、後少しで滞空可能な時間が尽きてしまいそうにあるところで目的地が見えてきた。しかし先客がいたようだ。片手剣と細剣を持った彼と恐怖に身体を震わせている緑色の翅を生やした妖精の周囲には幾つもの小さな炎があり、人の形を保っている二人を照らしていた。

 

 「お前は……一体何者なんだ?」

 

 「……ただの死にたがりだ。」

 

 彼が残った緑の妖精を肉眼では捉えることが難しい程の高速連撃で人の形を破壊した。そして彼は近づいている私の気配を捉えたようで、顔をこちらに向ける。私とピナをじっと見るその瞳は前と変わらずに底を感じさせない、光が消えてしまっていたものだった。

 だが、もう私は絶望に暮れたりはしない。何度避けられようが、何度拒絶されようが絶対に連れ戻すと決めた。それが狂気を孕んだ覚悟であろうが関係ない、結果として彼の失われた記憶を取り戻して一緒に現実に還ることが出来ればそれで良い。

 身体が若干熱くなっているようだが、別に支障が出る程のものではない。私は地に降り立ち、亡者と化した彼と二度目の邂逅を果たした。  

  

 

 ◇◆◇

 

 「……今回は逃げないんですね。」

 

 「ああ、こっちの方が良いと思ったからな。」

 

 光が遮られ、闇が支配する静かな森の中で少年と少女は向かい合う。彼らにとってこの妖精の世界では二度目の再会である。だが数ヶ月間言葉を交わすことすら叶わなかったのにも関わらず、両者ともそれを喜んでいるようには一切見えない。

 一方は警戒を怠らず、背後に造り出した赤黒い武器の中から一振りの片手剣を取り出す。また一方は得物である短剣を構えはしないものの、若干の狂気を感じさせる瞳からやや厳しめの視線をぶつけている。両者の周囲には今にも戦闘が勃発しそうな雰囲気が漂っていた。

 

 「だったら、前はどうして逃げたんですか。」

 

 湧き出る怒りを抑え、静かな口調で少女は少年に問う。普段の様子からは到底考えられないような威圧感が放たれる。それは隣に浮かぶ小さな竜からも同様だった。

 だが少年は全く動じない。常人ならば失禁してもおかしくない重圧を何処吹く風と受け流している。果たしてそれを可能としているのは幼き頃から虐げられてきた過去によるものか、それとも他人を傷つけることを厭わない心に住まう獣の影響か。

 

 「お前とその隣の竜を見た瞬間、突如として頭に強い痛みを感じたからだ。」

 

 再び始まったのであろう頭痛に顔をしかめながらも、少年は淡々と答える。少女を捉えるその瞳はこの森のように未だ光が灯っていない。

 その答えを聞いた少女は納得がいかなかったのか、顔に怒りの色を浮かばせた。以前にはなかった狂気を孕んだ覚悟が彼女に『追及』の選択肢を強要させる。しかし少女が口を開くよりも先に、少年が言葉を重ねる。

 

 「それと、俺からも質問を一つさせてもらおう。前にお前が言っていた『ソーヤ』とは誰のことだ?悪いが、今の俺にはこの世界以外の記憶が無いものでな。」

 

 時間が、止まった。微塵も想定していなかったであろう衝撃の事実に少女は目を見開き、驚愕の色を浮かべる。自分を愛していた者の記憶喪失、これが彼女の心をどれ程深く抉ったのかは想像に難くない。

 それでも少女は止まらない。この世界に迷い込んだ愛すべき人を連れ戻す、ただそれだけの為に彼女は今この場に立っているのだ。それを証明するかのように少女は腰から貧相な短剣を抜き、隣にいる小さな相棒に戦闘態勢に入るように指示する。

 

 「記憶が無くなってしまったのなら、私が思い出させます!全てを忘れてしまった貴方を私が好きになったソーヤさんに戻します!ソーヤさんは……私と一緒に現実に還るんです!!」

 

 「やれるものならやってみろ。そして……その狂った覚悟を込めた刃で俺の願いを叶えて見せろ!!」

 

 微かな狂気を宿した鈍い光を宿す黒の瞳と、目的という名の光を失った亡者の瞳が正面からお互いを捉える。彼らがこうして対峙している光景は、まるでもう一つの造られた世界で獣と化した少年とそれを止めようとした少女を想起させる。

 しかしあの時とは違って、此処にいるのは少年と少女の二人のみ。少女を援護する剣士の姿も、少年が狩る獲物の姿もありはしない。集中すべき対象は眼前に立つ者のみである。

 

 「ピナ、バブルブレス!」

 

 「きゅるるる!」

 

 少女の相棒である小さな竜から虹色をした泡が吐き出される。それが開戦の合図となった。

 至近距離で弾けて相手を怯ませる無数の泡を目を瞑って無効化した少年は、望んで得たわけではない物の一つである気配を感じる力で少女の位置を特定し、造られた片手剣で斬りかかる。

 対する少女もそのまま斬られるつもりなど毛頭無く、短剣を自分の一部のように振るってそれをいなす。弾けた火花が一瞬だけ両者の顔を照らした。

 攻撃をいなされ、態勢を崩しかけた少年は翅を使って無理矢理立て直すと同時に急旋回を行う。不要となった剣を捨て、新たに取り出した細剣で神速の突きを少女の背に向かって放つ。だがそれを竜が吐いた灼熱の炎が遮る。

 

 「……厄介なものだ。その竜さえいなければ、今ので忌々しい頭痛の種であるお前をコロせたというのに。」

 

 「それは褒め言葉として受け取っておきます。今度は私から行きますよ!」

 

 少女が短剣を突き出す。武器を取り出す時間がないと感じた少年は、咄嗟に掌に小さな盾を造り出してそれを掴む。かつて斬馬刀を容易く受けた彼の手にはがっちりと静止した短剣が握られていた。

 唯一の武器が防がれた少女は回し蹴りを放つが、短剣を離した少年に回避される。後ろに跳んだ少年は小さな針を造り出し、投擲する。肉眼で見ることが難しい速度で放たれた針だったが、彼女の眼は的確にそれを捉えて弾いてしまった。落ちた針は役目を終え、ポリゴン片となる。

 翅を鳴らし、勢いのベクトルを変えた少年が休む暇すら与えずに再度片手剣を振るう。少女は先程と同じ様にいなそうと襲い来る刃を短剣で受け流す。狙いがずれた片手剣は彼女の右側を通っていく。

 だがそれを読んでいたかのようにもう片方の手に隠されていた血濡れの短剣が牙を剥く。短剣での受け流しが追い付かないと感じた少女は、彼と同様にもう一つの手で少年の手首を掴む。両者の顔が光無しでも見えてしまう程に近づいた。

 現実とは似て非なるこの世界では力の差などは全てステータスで決まる。見た目が可憐な女の子が屈強な男を容易く押さえつけてしまうといった光景があってもおかしくはないのだ。

 二年間生きた異世界のデータをそのままこちらでも使っている少女は、そこらのプレイヤーとは比べ物にならない程の力を持っている。にも拘らずじわじわと押されているのは、ただ単純に少年の方がステータスが高いということに他ならない。彼もまた、同じ場所のデータを流用しているのだ。

 少しずつ、だが着実に切っ先が少女との距離を縮めていく。少年の凶刃が獲物に食らいつくのも時間の問題。しかし、少女には彼と出会う前から共に戦い続けた相棒がいる。

 

 「きゅるるる!」

 

 二人の僅かな隙間にいきなり割り込んだピナが少年に燃え盛るブレスを浴びせる。その炎と瞳には「何をやっているんだ、早く戻ってこい」と怒りを伝えているように感じられた。

 突然の奇襲に対処ができなかった少年はたまらず後退する。隣に浮かぶ緑色の棒は僅かに減少していた。これが少年が妖精の世界に迷い込んで以来、初めて受けた傷である。光を失い、亡者と化した少年の瞳に希望を見出したような光が宿った。

 それを見た少女は少年の記憶が戻ったのかと歓喜の色を顔に浮かべる。されど、彼に宿った光の正体は彼女が考えていたものとは違っていた。

 

 「ああ、見つけた。まさかこの忌々しい頭痛の種であるお前が俺の願いを叶える可能性がある者とはな。全く、これでは全力でコロし合いができないじゃないか。」

 

 「……一体何を言っているんですか?記憶が戻ったんじゃないんですか?」

 

 少年は再び痛み始めた頭を押さえながら、酷く歪んだ希望の光を灯した眼で少女を見つめる。少女もまた、短剣を構えたまま理解できない言葉を発した少年を見つめていた。

 

 「悪いが、記憶は戻ってはいない。ただやっと俺をコロすことができるかもしれない者に出会えたと言っただけだ。」

 

 「ソーヤさんを殺す?馬鹿なことを言わないでください。私は記憶を取り戻したソーヤさんを現実に連れ帰る為に此処に来たんです。」

 

 少女の目が鋭くなった。彼女の目も歪んだ覚悟から生まれる狂気に引っ張られ、少しずつ少年と同じものに近づいている。だがそのことに彼女自身は気づいていない。

 

 「私は絶対に貴方を殺しはしませんよ。その身体を縛ってでも絶対に連れて還ります。そうならないように早くソーヤさんに戻ってください!」

 

 「お前、若干愛に狂い始めているな。始めの時と言動が少し違っているぞ。」

 

 「そんなことはありません!私はただ、ソーヤさんと一緒に還りたいだけです!」

 

 地を蹴って接近した少女が逆手に持ち変えた短剣を下から斬り上げる。空気を裂きながら迫る刃は少年の造られた剣と衝突した。これが二人の幼い狂人による剣舞の幕開けとなる。

 少年のことを想うが故に愛に狂い始めた少女はその瞳に薄く赤を滲ませ、短剣を振るう。数多の武器が襲い掛かるが、彼女はそれを全て防ぐだけでなく攻撃にも転じている。それを可能としているのは間違いなく、援護射撃を行っている相棒によるものだろう。

 虐げられた過去から殺しに狂った少年は背後から無限に湧き出す武器庫から次々と剣を取り出し、血濡れた剣を煌めかせる。彼の力の特性上、剣を振る度に腕を後ろに回す為に隙が生まれる。だが、その隙を突くことが不可能な程に振るわれる速度が桁違いだった。

 甲高い金属音が辺りに連鎖的に響く。少年と少女はお互いに一歩も引かない。ただ相手に己の牙を届かせようと猛獣のように剣を振り続ける。そして何百回目かもわからない金属音が響いた瞬間、変化が訪れた。

 ガッシャァァァンと金属音とは異なる効果音が響く。それはこの世界で何かがポリゴン片となったことを示す音。その発生源は……少女の短剣だった。彼女が使っていた初期装備の短剣がこの狂人同士の戦闘に耐えられず、折れてしまったのだ。

 武器を失った少女は相棒のブレスに合わせ、いったん距離を取る。しかし撤退する素振りは見せず、拳を構えていた。

 

 「何故逃げない?お前は今、武器を失った。それでもまだ戦うつもりなら、蛮勇だと言わざるを得ないぞ。」

 

 「何で武器を失った程度で逃げないといけないのですか?私はソーヤさんを助け出すと決めたんです!」

 

 少年を見つめる少女の瞳に滲む赤が濃くなる。それは言わずもがな、彼女が決めた歪んだ覚悟から漏れ出る狂気が増したことを意味していた。

 愛に狂わされていく少女は丸腰であることを厭わずに駆けていき、拳を振るう。何の捻りも無く、愚直に突き出された拳に細剣の切っ先を突き刺そうとする少年。だが何を思ったのか、細剣を握っていた手を放してその拳を手の平で受け止めた。

 目を見開いた少女の腹に少年の蹴りが直撃する。しかし彼女は痛みを感じないかのようにもう片方の拳を構え、少年に殴りかかる。

 とうとう少女の瞳は完全に赤く染まった。解き放たれた獣に呑まれた時の少年のように煌々と光る瞳は焦点を失い、機械のように殴る動作を繰り返す。今の彼女に自我が残っているのかは定かではない。

 だがそれと同時に少年にも変化が現れていた。造り出された武器を一切抜くことはせず、繰り出される拳をさばき続けている。彼の瞳は少女と対照的にはっきりと少女を捉えていた。

 

 「アア……アァァァ!」

 

 愛に狂い、堕ちた少女はまともな言葉を発することすらも不可能になっていた。声にならない声を上げ、稚拙としか言い様の無い攻撃を繰り返す。最早、呑まれてしまった今の彼女に《竜使い》と呼ばれたあの時の姿は見る影もない。

 対する少年も大した反撃はせず、延々とその拳を受け止めているだけであった。こちらもまた《妖精殺し》などとは思えない程に悲しい顔をしている。彼はあの世界にいた時のような、儚い願いが叶うことを夢見る自分を押し殺しているような悲痛な顔を浮かべていた。

 

 「シリカ、こうして狂ってしまう程に俺のことを想っていて貰えていたとは思わなかった。俺は本当に幸せ者だよ。そしてわざわざ違う世界にまで助けに来てくれるなんて、本当に嬉しい。本音を言えば、その手を握ってずっと君の隣にいたい。でも俺にはもう還る場所なんてありはしないんだ。それに悲しいけど、俺達は現実でお互いのことを何も知らないから会うことも出来ない。そんな事、俺は耐えられない。だから……ごめんね。」

 

 少女の歪みながらも真っすぐだった想いは、名も無き亡者と化した少年を《ソーヤ》へと引き戻していた。記憶を取り戻した少年は自分にも言い聞かせるように謝罪の言葉を発して、行動を開始する。

 堕ちた少女の拳を避け、伸びきった腕を少年は蹴り上げる。それによって生まれた空間を瞬時に通って背後に回ると、水平に揃えた手を少女の首筋に叩き込む。とたんに彼女の身体から力が抜け、どさりと倒れた。

 少年は気を失った少女を抱き上げて近くの樹木にそっと下ろし、彼女の相棒を呼び寄せる。

 

 「……ピナ、シリカを守ってあげて。よろしくね。」

 

 「きゅるるる!」

 

 「『還ってこい』だって?……もしそれが可能だったら、俺もそうしたいさ。だけど、もう孤独に戻るのは耐えられないんだ。本当にごめん。」

 

 「きゅるるる!!」

 

 小さな竜の静止を振り切り、少年は真っ白な翅を鳴らして森の奥へと消えていく。その際に彼の目に涙が浮かんでいたことは、彼以外誰も気付くことはなかった。 



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第三十二話 冒険の準備

 今回会話文が多めになっています。

 それと執筆しながら思ったのですが、シリカが原作のイメージからどんどん離れていっている気がします……。


 ◇◆◇

 

 珪子の意識をシリカに移し、横になっていた身体を起き上がらせる。視界の端に浮かんでいる時刻表示に目をやると、キリトさん達との集合時間まで後少しとなっていた。

 昨日ソーヤさんと戦い、その途中で私は歪んだ覚悟から知らず知らずのうちに膨れ上がっていた狂気に呑まれてしまった。そして意識を取り戻したころには目の届くところに彼の姿はどこにもなく、樹木にもたれ掛かる私を心配そうに見つめるピナだけがいた。

 脳裏に瞳を真っ赤にした私であって私ではない何かがよぎり、それを振り払うように頭を振る。正気に戻ってから一気になだれ込んできた記憶はどれも思い出したくもないものだ。何の為にこの世界に来たのかも忘れ、ただ眼前の敵に攻撃を繰り出していたあの時の自分は断じて珪子でもシリカでもない。

 

 「ソーヤさん……。」

 

 無意識のうちに彼の名を呟く。これまでの思い出を失い、死に場所を探すだけの亡者となってしまっていた彼はどうやらあの戦闘で全部思い出したらしい。らしいというのは、ピナから聞いただけで私が実際に見たわけではないから。彼の記憶が戻ったのはもう一人の私と戦っていた時、つまり私が狂気に呑まれた後なのだ。

 全身を包む倦怠感に耐えられず、樹木に身体を預けながらそれを聞いたときはこれで彼と一緒に現実に還ることができると思った。しかしピナが続けた報告によってその観測はいとも簡単に崩れ去った。

 『還ることができるのならそうしたい』、『だが再び孤独に戻ることには耐えられない』。気絶した私を寝かせながら彼はそんな感じの事を言っていたらしい。つまり、記憶を取り戻した彼は還りたくても還れない状況下にあるということ。何故なら、彼は現実で再び孤独に戻ることを恐れているからだ。

 だからこそ私は彼にもう一度会って伝えならねばならない。現実に還っても貴方は孤独に逆戻りすることなどない、仮想世界でなくとも私が隣にいると。

 

 「おーい、いるかー?」

 

 不意にコンコンと扉が叩かれた音が私の意識を思考の海の中から引き戻させる。相当深く潜っていてしまっていたようだ。今行きますと返事をしてベッドから降り、扉を開ける。向こうで待っていた人は予想通り隣の部屋を取っていたキリトさんだった。

 

 「あの、キリトさん。此処はSAOじゃないので呼んでもログインしていない限り聞こえないと思います。」

 

 「あ、確かにそうだ。すまんすまん、それじゃ行こうぜ。」

 

 キリトさんと一緒に宿屋の一階へと降りると丁度入り口のスイングドアから昨日会ったシルフの人である、リーファさんが入ってきていた。向こうもこちらに気づいたようで手を振っている。彼女はいち早く世界樹の上に行かなければならないと告げた私達を連れて行くと公言した。どうしてそこまでしてくれるのかはわからない。

 

 「すいません、少し遅れました。」

 

 「いいや、そんなに待ってないよ。むしろこっちが買い物してたから遅れちゃったかもって思ってたんだ。」

 

 「あ、買い物か……俺達も色々と準備しないとな。この剣とか軽すぎるし。」

 

 キリトさんの言葉に私はウィンドウを開き、今一度自分の装備を見直す。防具は未だに簡素な初期装備のままであることに加え、耐久値もかなり減っていた。それに一番の問題は現在持っている武器が無いことである。このままでは素手で殴り合うことになってしまう。あの時の私ならともかく、今の私では心もとないのが事実だ。

 

 「道具とかは二人の分も買ってあるけど、やっぱりその装備じゃマズいと思うから武器屋行こっか。お金持ってる?」

 

 キリトさんもウィンドウを開き、ちらりと眺めると顔を引きつらせた。私もお金の部分に視線を移し、直後彼と同じように顔を引きつらせる。表示されていたのはゼロが二十個近く並んでいた数字だった。どうやらお金に関してもデータが流用されているようだ。

 

 「この《ユルド》ってやつか?」

 

 「そうそう。もしかして……ない?なければ貸すことも出来るけど。」

 

 「いや、あります。物凄く沢山あります。」

 

 「ならさっさと行こうか。私が案内するからついてきて。」

 

 「了解。ほら行くぞ、ユイ。」

 

 胸ポケットを覗き込んだキリトさんの声に反応して黒髪の小さな妖精がぴょこんと顔を出して眠そうに欠伸をする。それはよく見ればあの世界でキリトさんとアスナさんをパパ、ママと慕っていたユイちゃんだった。

 リーファさんが行きつけだという武器屋に入り、装備を物色する。防具類に関してはどれが良いのかわからなかった為、プレイヤーの店主さんやリーファさんからアドバイスを貰った。その結果、防御属性が強化されている紺の服と胸当てを購入した。

 続いて武器を選ぼうと陳列されている短剣を一通り振らせてもらうが、どれも自分にぴったりだと思えるものが見つからない。重さが少し軽かったり、刃渡りが長くて扱いにくかったりするのだ。それはキリトさんも同じようで、次々と片手剣を振るっては首を捻っていた。

 

 「……はぁ。中々見つからないなぁ……。」

 

 ため息をつきながら一足先に店を出て、何気なくウィンドウを開く。空白になっている武器欄をタップし、表示された所持装備一覧に目を通す。視界に映ったのは文字化けした羅列の数々。それらはもう一つの仮想世界で二年間育成した《シリカ》が持っていたアイテムの残滓だ。

 中には大切にしていたものもあるだろうが、今となっては何が何だかわからない。そのことに少しの憂いを帯びながら下へとスクロールしていく。意味を成さなくなった文字列が流れていく。だがその中に一つだけ形を保っているものが見え、指が止まった。

 指の下で発光している《パストラスト》の文字。何故この武器だけがという疑問など考える暇もなく、取り出しボタンを押す。滲むような光が浮かび上がり、私の手に一振りの短剣が現れた。それは彼からプレゼントされ、解放されたあの日までずっと使ってきた愛剣に間違いなかった。

 自分が扱うのに丁度よい重さを懐かしみながらウィンドウを操作して武器欄にセットする。すると腰に服と同じ様な色合いをした鞘が現れた。

 

 「あ、良いの見つかったんだ。浮かない顔で出て行っていたから心配したんだよ~。」

 

 突然声がした方を振り返ると、どうやら買い物を終えたらしいキリトさんとリーファさんが店から出てきた。結局どんな剣にしたのだろうとキリトさんに目を向ければ、彼は身の丈と同じぐらいの大きな剣を背負っている。あれはもう片手剣ではなく、両手剣の部類なんじゃないかと思ったのは内緒だ。

 

 「はい、この剣にしたんです。」

 

 手に持ったままだった愛剣を二人に見せる。元から持っていたと言うと色々と説明しなければいけなくなる為、買ったと嘘を吐くことにした。幸い、リーファさんは特に疑う素振りを見せずに《パストラスト》を見てうんうんと頷いている。

 キリトさんも隣からそれを覗いていたが、やはり見覚えがあったようでちらりと私に視線を移す。どうしてこれがあるんだと視線で問うてくる彼に、私もわからないと首を振った。

 

 「よし、それじゃ全員準備完了だね!これからしばらくよろしく!」

 

 「ああ、こちらこそ。」

 

 「よろしくお願いします!」

 

 突き出されたリーファさんの拳に私とキリトさんは拳をぶつける。そしてその上にユイちゃんを乗せたピナが降り立った。

 

 「頑張りましょう!目指すは世界樹の頂上です!」

 

 「きゅるるる!」

 

 

 ◇◆◇

 

 シルフ領である《スイルベーン》の街を少女達は進む。しかし進行方向は領地の外ではなく、街の中に建つ優美な塔に向けられている。それから歩くこと数分、例の塔の入り口に到着した。

 

 「あの、どうして塔に来たんですか?」

 

 「長距離を飛ぶときには高度を稼ぐ為に、塔の天辺から出発するの。ささ、早く行くよ。夜になっちゃう前に森は抜けておきたいからね。」

 

 少女の疑問に答えたリーファは二人の背中を押し、中へと入っていく。塔の一階は円の形をした広大なロビーになっており、周囲をぐるりと様々なショップが取り囲んでいた。中央には二基のエレベーターらしき機械が設置され、あの世界での転移門のように次々と妖精たちが取り込まれたり吐き出されたりしている。

 珍しげに周りを見渡す二人の腕を引っ張りながら丁度到着した片方のエレベーターに駆け込もうとした瞬間、急に傍らから現れた数人にプレイヤーに行く手を阻まれた。咄嗟に翅を広げ、どうにかぶつかる寸前で踏みとどまる。

 

 「ちょっと!危ないじゃない!」

 

 反射的に文句を言ったリーファの前には長身の男が立っていた。両脇に自身のパーティーメンバーを引きつれたその男は腕を組み、太い眉を吊り上げて口元をきつく結んでいる。その姿は傲慢の一言に尽きる。

 

 「あ、こんにちは、シグルド。」

 

 「リーファ、お前はパーティーから抜けるつもりか?」

 

 笑みを浮かべながら挨拶をしたリーファに応えることもせず、シグルドは己の質問を突き通す。その傲慢すぎる態度に嫌気がさしたのか、彼女はこくりと頷いた。

 

 「うん、まぁそんなとこ。」

 

 「勝手だな。お前は既に俺のパーティーの一員として名が通っている。そのお前が抜けてしまったのなら、こちらの顔に泥を塗られることになる。」

 

 「ちょ、勝手っt……」

 

 「リーファさんは貴方のアイテムじゃありません!」

 

 少女は後ろから飛び出してリーファの前に立つ。自分よりも大きな男を前にしても、少女は一歩も引く気配を見せない。

 死に危険が常に隣に付きまとっていたあの世界で少年と出会う前の少女はアイドルのような人気者だった。多くのパーティーから誘われ、その状況に自惚れてしまっていた。自分は必要とされている、自分は凄いんだと思ってしまっていたのだ。

 しかしそれは違っていたことを少年に気づかされた。少女の力を必要としていたパーティーは確かに存在したが、声を掛けていたうちの大多数は彼女を一種のステータスのように捉えていたり、酷いものでは身体目的で近づいてきていた者だっていた。

 自分に這いよる者たちを次々と蹴散らしながらそのことを少年に告げられた少女は、二度とこんなことにならないようにと戒めとして心に刻み込んだ。

 そんな過去を持っていた少女にはリーファのことを一種のステータスやアイテムのように見るシグルドが、かつて邪な考えを持ちながら自分をパーティーに引き入れようとした者達と重なって見えたのかもしれない。

 

 「何だと……?」

 

 「シリカの言う通りだ。他のプレイヤーをあんたの大事な剣やら鎧やらと同じ様に装備欄にロックしておくことは出来ないのさ。」

 

 「き、貴様ら……!!」

 

 少女の隣に立ったキリトのストレートな言葉にシグルドは顔を真っ赤にし、額に青筋を浮かべる。リーファを守るように立つ二人を怒りに満ちた目で睨む彼は、大きなマントをばさりと翻して剣の柄に手を掛けた。

 

 「スプリガンとケットシー風情がつけあがるな!どうせ貴様らは《レネゲイド》だろうが!!」

 

 「失礼なことを言わないで!この二人は私の新しいパーティーメンバーよ!!」

 

 広大なロビーに響くシグルドの叫びにリーファが叫び返す。彼女の返答に彼は浮かべていた憤りの色を残しながらも驚愕を露わにした。

 

 「リーファ、貴様は領地を捨てる気か……?」

 

 「……ええ、そうよ。私は此処を出るわ。」

 

 「……小虫が這いまわる程度ならば捨て置くつもりだったが、泥棒の真似事をされてはそれは不可能だな。のこのこと別種族の領地に踏み入るからには、斬られても文句は言えんぞ?」

 

 芝居がかったシグルドの台詞に肩をすくめるキリト。それを見た彼はもう我慢ならんとばかりに剣を抜き放ち、斬りかかる。背後にいたパーティーメンバーの静止の声も意識が怒りの色に染まり切ってしまった彼に届くことはなかった。

 シグルドの剣がキリト目掛けて振り下ろされる。しかし刃が到達する前に彼の視界が深紅に染まり、腹部に強い衝撃を受けた。それを自覚した頃には身体が壁に叩きつけられている。よろめきながら立ち上がって正面を見れば、口内の炎の残滓を払う小さな竜と自分を蹴り飛ばした足を降ろす少女の姿があった。

 

 「貴様、やりやがったn……」

 

 「他種族の領地内ではその種族を倒せないと聞いていましたが、どうやら衝撃は伝わるようですね。」

 

 怒りを加速させるシグルドの言葉を遮り、少女は一瞬で彼の前に移動する。そのあまりにも速すぎる速度に目を見開いた周囲のシルフ達だが、別に彼女は特別なことは一切していない。二年間育て上げたステータスにものを言わせて地を駆けただけなのだ。

 動揺が隠し切れずに動きが止まったシグルドの鳩尾に少女の拳が突き刺さる。シルフ領であるこの場所で他の種族がシルフのプレイヤーにダメージを与え、倒すことなど不可能だ。故に彼の横に浮かぶ緑のバーは一ドットも減らなかったが、その伝わった衝撃によって気絶してしまい、強制ログアウトされてしまった。

 シグルドという仮初の肉体を形作っていた光が散っていく様子を一瞥した少女はすたすたと彼女のパーティーメンバーの下へと戻る。

 

 「シリカ、お前最近どんどん過激化してないか?初めて出会った時は絶対にそんなんじゃなかったぞ。」

 

 「まぁ、その時から時間がかなり経ってますから。それに、ソーヤさんにも言われたんです。『言葉でどうにもならないクズ野郎なら黙らせた方が良い』って。」

 

 「よし、あいつが戻ってきたら一発殴るか。価値観の矯正をしておいた方が良さそうだ。……おーいリーファ、早く行こうぜ。」

 

 「あ、うん!」

 

 少女達は中央のエレベーターに向けて歩き出す。誰一人としてその道を邪魔する者はいない。それどころか、進行上にいた者達が彼女らを避けてしまっている始末である。可愛い顔してシルフ族の有名人を簡単に倒してしまった彼女を皆恐れてしまっているのだ。

 そんなことなど微塵も知らない少女は二人と共に丁度降りてきた円盤状の石に飛び乗り、最上階のボタンを押した。ぼんやりと光り始めた石が上昇を開始する。

 

 「あの……二人ともごめんね、変な事に巻き込んじゃって。それと、ありがとう。正直スカッとした。」

 

 「別に良いですよ。リーファさんだって理由も聞かずにこうして私達を世界樹に連れて行ってくれているんですから。」

 

 「そうそう、それにまたあのシグルドとかいう奴がちょっかいかけてきたら今度は俺がぶっ飛ばすから大丈夫だ。リーファは俺が守るよ。」

 

 キリトの言葉にリーファは一瞬頬を赤く染めたが、すぐに顔を背けてしまう。それを見た少女は「後でアスナさんに報告しようかな……」と小さく呟いた。

 やがて最上階に到着し、壁のガラスが音もなく開いた。差し込むのは日の光と心地よい風。そこは全方位が見渡せる展望台だった。

 

 「おお……凄い眺めだな。」

 

 「はい、手を伸ばせば空に届きそうです。」

 

 「そうでしょ。こうして空を見ているといろんな事が小さく思えてしまうんだ。」

 

 深い青が広がっている空を見つめるリーファは何処か遠い目をしている。だがすぐに何かを振り払うように首を振ると、背に生えた四枚の翅を展開して軽く震わせた。

 

 「二人とも、準備はいい?」

 

 「勿論だ。」

 

 「私もです!行きましょう!」

 

 少女とキリトも翅を広げ、リーファの両隣に並ぶ。そして小さな竜も自分を忘れるなとばかりに翼をはためかせて少女の横につく。

 次の瞬間、雲一つない青空に三匹の妖精が世界樹を見据えて塔の頂上から飛び立った。        



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第三十三話 ルグルー回廊へ

 ルグルー回廊での戦闘は次回となります。タイトル詐欺のようで、申し訳ありません。

 シリカ視点があと少し続きます。


 ◇◆◇

 

 少女達が翡翠の塔から飛び立ってどれ位の時間が経っただろうか。彼女らは今、シルフ領の北東に広がる《古森》の上を過ぎ去ろうとしていた。出発点だったスイルベーンの街など幾ら目の良いケットシーでも見えない程に遠ざかっている。

 前を行くキリトとリーファに遅れないようにしながらも、少女は少年を探すように下を向いて次々と流れていく景色を見ていた。彼女の最終目的地がキリト達と同じく世界樹であることは間違っていない。その上にも助け出すべき人がいるのだから。

 しかし少女が最も助けたい少年は中立地域の何処かにいる。世界樹の上に捕らわれているアスナとは違い、彼は《妖精殺し》として様々な場所に現れる。一度見逃せば次はいつ会えるのかもわからないのだ。

 

 「シリカ、攻撃が来てるぞ!」

 

 それ故に少年を探すことに意識の大半を割いていた少女は突然の奇襲に対応出来ず、慌てて迫っていた紫色をした光線をすれすれで回避する。キリトが彼女に声を掛けていなければ確実に直撃していただろう。

 生い茂る樹木の森から浮かび上がってきたのは五匹の羽をもったトカゲ。だがトカゲと言えども少女の相棒であるピナよりかは一回りも二回りも大きく、ドラゴンの幼体と表現するのが適切だと思われる大きさだった。

 やむなく少年を探すことを中断した少女は腰から彼から貰った愛剣を抜き放つ。因みにもう左手にコントローラーは存在していない。つい先程リーファからキリトと共に自分の力で翅を動かす《随意飛行》を教授され、物覚えの良かった彼女らはものの数分で習得してしまったのだ。

 五匹のトカゲ擬きはかつて少女とキリトが戦ったアインクラッド第七十五層のボスを想起させるような、自身の尾を使った攻撃を仕掛けてくる。

 それを少し横にずれることで回避した少女は未だ隣に存在している尾を切り裂く。切断された一つの尾がポリゴン片となり、一匹の悲鳴が木霊する。だがその悲鳴は彼女の相棒の追撃によって長くは続かなかった。

 仲間を殺されたトカゲ擬きは敵を討つべく、少女に狙いを定める。キリトやリーファを狙っていた尾も今度は彼女を貫かんと迫っていた。一つだけを気にしていれば、他のものに当たると思われる絶妙な間を保って突き出された尾を彼女は空中で器用に宙返りをして避ける。

 そして現在、トカゲ擬きと戦闘中なのは少女だけではない。狙われなくなったキリトとリーファは容易くトカゲ擬きに接近すると、己の得物を振るった。彼の巨剣に叩き斬られた一匹はその一撃だけで自らをポリゴン片とし、彼女の流れるような剣裁きで刻まれた別の一匹は羽を失って墜落していく。

 残った二匹は少女の短剣によって初めに殺された一匹と同様に尾を切断される。遠距離の攻撃手段を失った二匹は紫色の一つ目から光線を放つ。それは少年を探すことに躍起になっていた少女を奇襲したもの。

 

 「ピナ、ファイヤーブレス!!」

 

 「きゅるるる!」

 

 少女の隣に浮かぶピナから吐き出された灼熱の炎が二つの光線とぶつかり合い、相殺する。その光景を目の当たりにしたリーファは驚愕の表情を浮かべた。当然のことだろう、彼女がこれまでこの妖精の世界で見てきた中で魔法をブレスで迎え撃って防ぐようなことは前代未聞だからだ。

 それはトカゲ擬きも同じようで、顔に驚きの色を浮かべて動きが一瞬止めてしまう。その隙を逃すような少女ではない。翅を鳴らして急接近し、二匹の首を逆手に持った短剣で刈り取る。ポリゴン片が弾ける効果音が二度響いた。

 終わったかと短剣を腰の鞘に戻そうとした少女の耳にがさがさと木々を割く音が届く。下を見れば、リーファが叩き落とした最後の一匹が負傷した身体を引きずって逃走しようとしていた。

 だがそれも叶うこと無くリーファが放った魔法の刃によって斬殺され、仲間の後を追うこととなった。

 

 「お疲れ様です!」

 

 「お疲れ様、今回はシリカが大活躍だったな。」

 

 「確かに。相手の魔法を使い魔の攻撃で相殺するなんて初めて見たわ。それにしても、本当二人とも戦い方が無茶苦茶ねぇ。」

 

 リーファの言葉に頭をかく少女とキリト。魔法など存在しない剣の世界で二年間培われた二人の基本的な戦闘スタイルはこの世界にとって異色なものらしい。

 

 「あはは……んじゃ、先を急ごうぜ。」

 

 「随分頑張るね~。でも、此処で空の旅は一旦おしまいだよ。」

 

 「え?どういうことですか?」

 

 「あれがあるからよ。」

 

 少女の疑問に答えるように、リーファは視界の先に聳え立つ大きな山を指差す。

 

 「あの山の標高が限界高度を上回っているから、翅で飛んで行くことができないの。だから、中にある洞窟を通って山越えしないといけないわけ。」

 

 「洞窟か、それって長い?」

 

 「うん、とっても長い。一応途中に中立の鉱山都市があるから、そこで休めるけど……二人とも時間はまだ大丈夫?」

 

 少女とキリトは左手を振ってウィンドウを開く。表示されていた時刻は午後七時を指していた。

 

 「今は夜の七時か。俺は平気だよ。」

 

 「私もまだいけます。」

 

 「それじゃ、もうちょっと頑張ろう。それと此処で、一旦ローテアウトしておこうか。」

 

 「「ローテアウト?」」

 

 首を揃って傾げる初心者の二人。二年間これまでとは異なる現実にいた影響でオンラインゲームの専門用語に詳しい筈なのだが、その言葉は初耳だったようだ。

 

 「ああ、文字通り交代でログアウトして休憩することだよ。私達が今いる場所は中立地域だから、すぐに出れないの。だからかわりばんこで残った人が空っぽのアバターを守るんだよ。」

 

 「成程な、了解。お先にリーファからどうぞ。あ、シリカも先に休んでいいぞ。」

 

 「え、何か不安。悪いけどシリカちゃん残ってくれない?」

 

 「はい、わかりました。もしキリトさんが何かしようとしたらピナのブレスを浴びせてやります!」

 

 「俺ってそんなに信用無かったんだな……。」

 

 自分の信用の無さにショックを受け、四つん這いになって打ちひしがれるキリトを尻目にリーファはウィンドウを出してログアウトボタンを押した。

 

 

 ◇◆◇

 

 リーファさんがウィンドウを操作し終えると同時に、彼女の体が機械のように勝手に動いて片膝立ちの姿勢を取った。恐らくログアウトが完了したのだろう。それを確認したキリトさんは寝転がり、ポケットから緑色のストローらしきものを取り出して吸い始めた。

 

 「キリトさん、それは?」

 

 「雑貨屋で見つけたもんなんだが、なんでもスイルベーン特産らしいぜ。」

 

 シリカも吸ってみるか、と新しくもう一本取り出して投げ渡されたそれを受けとる。そしてピナを抱きかかえながらキリトさんの隣に腰を下ろすと、ストローの端を咥えた。一息吸えば、甘い薄荷のような香りがする空気が口の中に広がる。

 それからしばらくの間、私達は無言でただひたすら緑のストローを吸っていた。ふと眼を前に向けてみれば入り組んだ樹木が視界いっぱいに写る。その光景は私が初めてソーヤさんと再会を果たした時のことを思い出させる。

 あの時、私を拒絶するように飛び去っていった彼を見てどうすれば良いのかわからなくなってしまった。一度だけ、助け出すことを諦めたことがあった。心が折れたこともあった。歪んだ覚悟を決め、そこから生まれた狂気に呑まれたことだってある。

 しかし様々な紆余曲折を経て私はまだ彼を助け出す為に此処にいる。もう孤独に戻らないと伝える為に此処にいる。

 

 「きゅるるる!」

 

 私の心の声が漏れていたのか、それとも読んだのかピナが『今度こそあのバカを連れ戻すぞ』と言って力強く鳴いた。そんな相棒の姿が本当に頼もしく感じて、小さな身体を包むふわふわな毛並みを撫でる。

 それはそうと、ピナはソーヤさんと関わるようになってから随分と性格が変わったように感じる。彼と出会う前は『バカ』なんて言葉は使わなかったし、こんな口調ではなかった。ピナは自分の子供ではないが全く、誰に似たんだか。

 

 「シリカ、じっと向こうを見てどうしたんだ?」

 

 「あ、キリトさん。ちょっとソーヤさんのことを考えていただけですよ。」

 

 寝転がったまま首だけをこちらに向けたキリトさんの疑問に答える。

 彼が今何処で何をしているのか知る術を私は持っていない。だが、彼は還りたいという思いを押し殺しながらこの世界を彷徨っていることだけはわかる。だからそれは違っていると伝える必要があるのだ。一緒に還ろうと言ってやらねばならないのだ。

 自然と手に力が入り、不意にその手に他の人の手が重ねられる。視線を動かすとキリトさんだった。彼の胸ポケットから飛び出したユイちゃんもこちらを見ている。

 

 「そう気張るな。俺はアスナだけじゃなく、ソーヤも助けるためにこの世界にログインしている。シリカがあいつを助けるときは俺もできる限り手伝うつもりだ。だから、俺がアスナを助けるときはシリカも手伝ってくれないか?」

 

 「そうです!シリカさんにはパパが付いています!あ、でもパパに惚れないでくださいね!!パパにはママがいますから!!」

 

 「大丈夫だよ、私が好きなのはソーヤさんだけだから。それと、ありがとうございます。それじゃあ存分に頼らせてもらいますね!」

 

 「何々?何の話をしていたの?」

 

 突然背後から声を掛けられ、肩が跳ね上がる。振り返ると再びログインしたリーファさんが立っていた。ウィンドウを開いて時計を見ると、だいたいニ十分が経過している。

 

 「ちょっと昔話をな。」

 

 「ふーん、二人は付き合い長いんだね~。ところで……それ何?」

 

 リーファさんは私達が咥えている緑色のストローを見つめている。確かキリトさんはスイルベーン特産と言っていた。スイルベーンはシルフ領だったのでシルフのリーファさんも知っていておかしくはないのだが……そう思いながら説明をするとリーファさんは知らないと答えた。もしかすると、知る人ぞ知る隠れた名産品なのかもしれない。

 それを聞いたキリトさんはまだ中身が残っているそれをひょいと投げ渡す。本当に彼は鈍感だ。リーファさんと間接キスになることに気づいていない。あの世界にいた頃、キリトさんが鈍感すぎるとアスナさんに愚痴られた時の記憶が蘇る。

 顔を真っ赤にしたリーファさんがストローの端を咥えたことを確認したキリトさんはウィンドウを操作してログアウトした。魂が抜けた彼の仮初の肉体が自動的に片膝立ちになる。

 

 「それじゃあ、お願いします。急いで戻りますから。」

 

 「そんなに急がなくて良いよ。二人のアバターはちゃんと守るから。」

 

 「ありがとうございます。」

 

 開いたままだったウィンドウを操作してメニューの一番下にあるログアウトボタンに触れる。続いて表示されたフィールドでは即時ログアウトができませんが云々かんぬんと書かれた警告メッセージを無視して丸いボタンを押した。

 

 

 ◇◆◇

 

 現実の世界に還ってきた少女は軽くシャワーを浴び、母親が作り置きしてくれていた夕食を普段の倍の速度で平らげる。空になった食器を運んでいるとキッチンに置かれた一枚の紙が目に入った。『珪子へ』と書かれているのを見るに、どうも彼女に宛てたものだろう。

 食器を全て洗浄機の中に放り込んだ少女はその紙を手に取る。そこには『お父さんにも事情は伝えてあるから安心しなさい。あと、お父さんも我が娘を貰うに足るか気になるから早く会わせてくれって言ってたよ。良かったわね。』と書かれていた。

 少女は顔を赤く染め、奇声を上げながら近くのゴミ箱にその紙をぐしゃぐしゃにして投げ捨てる。母親の破天荒さに今日も振り回される娘であった。

 火照る顔を手で扇ぎながら自室に戻った少女はベッドに横になり、かつて自分を別世界に閉じ込めた悪魔の機械を被る。そこにもう躊躇いなど存在しなかった。

 

 「リンク・スタート!」

 

 視界が完全な黒に染まり、少女の意識は虹色のリングを潜って再度もう一つの自分の肉体へと入り込む。木々の間を通る風を感じながら立ち上がった少女は閉じていた瞼を上げた。

 

 「ただいま戻りました……って一体何があったんですか?」

 

 妖精の世界に舞い戻った少女の前ではユイに話しかけられているキリトと、更に顔を赤くしながら慌ててその言葉を遮るように大声を上げるリーファの姿があった。

 

 「あ、シリカさんもお帰りなさいです。今、リーファさんと話をしていたのd……」

 

 「うわぁぁぁ!!シリカちゃんも何でもないから聞かないでぇぇぇ!!」

 

 キリトの肩に乗っていたユイが小さな翅を動かしながら少女の下へと移動し、内容を話そうとした瞬間、またもやリーファが言葉を被せる。少女は何があったのかキリトに視線で問うが、彼も知らないと首を振った。

 

 「さ、早く行こう!あんまり遅くなるとログアウトするのが大変になるから!」

 

 早口で捲し立てるリーファを見た少女達は皆揃って首を傾げる。彼女はその反応も構わずに翅を展開し、軽く震わせた。少女も続くように翅を広げるが、キリトは警戒を露にした顔で後ろを振り返る。

 

 「……キリトさん、どうかしましたか?」

 

 「誰に見られてる感じがするんだ。ユイ、近くにプレイヤーの反応はあるか?」

 

 「少し奥に数十人の反応がありまs……あ、一気に一人まで減りました。恐らくですが、別々の種族が戦っていたのではないかと思われます。それと残った一人は何処か遠くに行きました。現在近くに反応はありません。」

 

 キリトに肩に乗る小さな妖精はふるふると首を振る。しかし彼はまだ納得がいかないと言うような顔をして、これまで進んできた方を睨む。

 

 「見られてる感じか……もしかするとトレーサーが付いているのかも。」

 

 「トレーサー?何だそれは?」

 

 またしても聞き慣れない単語が飛び出し、この世界に来て久しくはない少女とキリトは疑問符を浮かべる。

 

 「トレーサーっていうのは追跡型の魔法なんだ。だいたいは小さい使い魔の姿をしていて、術者に追いかけている人の居場所を教えてくれるものだね。」

 

 「凄い便利ですね。でも解除ってできるんですか?」

 

 「一応そのトレーサーを見つけて潰せばできるけど、こんなごちゃごちゃした場所じゃ無理かな。まぁキリト君の気のせいかもしれないし、先を急ぐとしよう!」

 

 「そうですね!もし仮に後を付けられていたとしても、見つけ次第倒せば良いですもんね!」

 

 「おいシリカ、ソーヤの価値観に引っ張られ過ぎだ!何でも倒せば良いとか考えないでくれ!」

 

 そんなことを話しながら三人は展開した翅を鳴らして浮き上がった。視界いっぱいに広がる雪山のような山脈は立ちはだかる壁の如く聳え立っている。そしてその中央にはぽっかりと巨大な穴が口を開けており、不吉な冷気を吐き出し続けている。

 少女達は翅に力を入れて加速し、僅か数分の飛行で洞窟の入り口にまで到着した。周囲を不気味な悪魔の彫刻で飾られたその入り口の上部中央には一回り大きい悪魔の彫刻が彼女らを見下ろしている。

 

 「この洞窟に名前はあるんですか?」

 

 「うん、《ルグルー回廊》。因みにルグルーってのが都市の名前だね。」

 

 「確か大きな悪魔に襲われるファンタジー映画の題名も同じでしたよね。……まぁ全部倒せば大丈夫ですね。」

 

 「頼む、ソーヤ。早く戻ってきてくれ。そんで早く価値観の矯正をしてくれ。でないとシリカが脳筋思考に染まってしまう。」

 

 「キリト君、何してるの?早く行くよー。」

 

 「おう、今行くぞ。」

 

 既に洞窟に入っていた少女とリーファを追うようにキリトも中へと歩きだした。かくして、三つの影と二つの小さな影は暗い闇の中に消えていった。

           



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第三十四話 黒い悪魔と白い殺戮者

 やや投稿が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。

 ですが、失踪だけはしないようにしたいと思いますので、これからもよろしくお願いいたします。


 ◇◆◇

 

 不気味な悪魔が掘られた入り口を通って少女達は洞窟の中に入る。中はひんやりとした空気に包まれており、少し奥に進めば差し込んでいた光も次第に薄れて視界を黒が染め上げた。

 

 「そういえばキリト君、魔法スキルとかって上げてるの?」

 

 少女とピナの先を歩くリーファが隣を歩いていたキリトに問う。彼女が言うには、彼が選択しているスプリガンは探索などを得意としている種族で、灯りを点す魔法があるそうだ。

 しかしキリトは頭をかきながら胸ポケットにいる小さな妖精、ユイに助けを乞う。その向こう見ずさに呆れる娘がゆっくりと読み上げたスペルワードを父親は覚束ない口調で読み上げた。

 キリトの手から仄白い光が広がり、少女達を包んでいく。それと同時に黒しか見えなかった彼女らの視界が一気に光を取り込んで明るくなった。恐らくだが、対象の者全員に暗視能力を付与するものなのだろう。

 

 「おお~!スプリガンのしょっぼい魔法も捨てたものじゃないね!」

 

 「おい、何だその言い方は。傷つくなぁ。」

 

 「キリトさん……弱い魔法でも、使い道はきっとありますから!」

 

 「やめてくれ、余計に傷つくから。」

 

 リーファの言葉に落ち込んだキリトを励ますつもりの少女だったが、逆効果だったらしい。

 それから少女達は曲がりくねった洞窟を鉱山都市目指して進み続けた。途中で何度か戦闘があったが三人とピナの連携で難なく切り抜け、現在は今日の目的地の近くにある地底湖に架かる橋がもう少しで見えてくるところにいる。

 一体どれだけの時間がかかったのだろうかと気になった少女は左手を振ってウィンドウを出す。表示された時刻を見れば、洞窟に入って約二時間が経過していた。

 

 「えっと……アール・デナ・レ、レイ……あっ!」

 

 キリトがたどたどしく呟いたスペルワードをシステムが読み取れなかったのだろう、彼の周囲に浮かんでいた文字列がボンッという効果音と共に弾けた。

 

 「ダメダメ。そんなにつっかえたら失敗しちゃうよ。機械的に記憶しようとするんじゃなくて、ちゃんと意味を覚えて魔法の効果と関連させて記憶しないと。」

 

 「なんでゲームの中で勉強紛いなことをしなくちゃならないんだ……。」

 

 ぶつぶつ文句を垂れながらも、キリトは再び魔法の詠唱を始める。しかしまたしても入力に失敗し、文字列がボンッと爆発してしまった。

 

 「……もう嫌だ。俺、ピュアファイターで良いよ……。」

 

 「泣き言いわない!ほら、もう一回!」

 

 鬼教師と化したリーファに逆らえないキリトは歩みを進めながら詠唱を読み上げる。だがそのどれもが失敗となり、規則的な爆発音が洞窟に響く。

 もう止めたいと心から願うキリトだが、最早鬼ですら逃げ出してしまう程の表情で彼を睨むリーファがそれを許さない。因みに後ろを歩く少女は彼女の般若を思わせる顔に恐怖し、相棒を腕に抱きながら震えている。

 そしてこの地獄は数分間続き、そろそろキリトの心が折れてしまいそうになった時に救いの手が舞い降りた。

 

 「ほらほら、諦めないの!さぁもう一k……あ、メッセージが入った。ちょっと待ってて。」

 

 「ああ、誰だか知らんがありがとう……。」

 

 一度立ち止まったリーファはウィンドウを開き、送られて来たメッセージを確認する。それに目を通した彼女は内容を理解しようと頭を回転させた。それ程までに意味不明な内容のものが送られてきたのだ。

 

 「リーファさん、どうしたんですか?」

 

 不思議そうな顔を浮かべる少女に、リーファは二人に可視化したメッセージを見せようとする。その瞬間、少女の相棒が声を上げ、キリトの胸ポケットからユイが飛び出した。

 

 「きゅるるる!!」

 

 「キリトさん、リーファさん、何かモンスターが近づいて来ています!」

 

 「いえ、シリカさん、これはプレイヤーです!それも十人を超える大人数です!」

 

 「じゅっ……!!」

 

 迫りくるプレイヤーの数に絶句するリーファ。だが、こうしている間にも正体不明の者達が近づいてくる。

 

 「ちょっと嫌な予感がするから隠れない?一応、隠れる為の魔法は持っているから。」

 

 「あの……リーファさん、もう手遅れみたいです。」

 

 少女が指差す先の道から赤い妖精の姿が見え始めた。例え今から魔法を使って隠れたとしても、あっさり見つかってしまうのが落ちである。

 小さく舌打ちをしたリーファは街に向かって走り出す。その後ろを少女とキリトが追いかける。こちらの速度が向こうを上回っている為、少しずつ差が開いていく。

 このままいけば逃げきれる……そう考えていたリーファだったが、突如激しい轟音と共に現れた岩壁に行く手を遮られる。キリトが剣を振るうも、褐色色の岩の壁には傷一つつかない。

 

 「これって破壊できるか?」

 

 「攻撃魔法を沢山打ち込めば一応可能だけど、今回はそんな時間なんて無いよ。」

 

 「それじゃあ、戦うしかないですね。」

 

 腰から短剣を抜いて構える少女の前には総勢十二人のサラマンダーの姿。前衛が盾を持ったプレイヤーで固められ、後衛にローブを装備した魔法専門と思われる者が隠れている。

 その陣形は昨日シルフの者が少年を刈ることを目的として組んだものと酷似していた。つまり、物理攻撃に特化した敵を仕留める為のフォーメーションである。しかしその事をキリトは知らない。

 

 「すまないが……二人は回復役に回ってくれないか?そっちの方が俺は思いきって戦えるからさ。」

 

 ぽんと肩に手を置かれた少女はキリトの武器を改めて見やる。彼が持つのは両手剣サイズの大剣、これを味方に気遣いながら狭い洞窟の中で振るうことは至難の技だろう。

 少女は短剣を戻すと、リーファを連れて岩壁の近くまで退いた。向こうがいつ魔法を放ってくるか予想できない故に、言葉を交わす時間すら存在しない。

 腰を落とし、突撃の構えを取ったキリトは地を蹴って両刃の大剣を橫薙ぎに叩きつけた。金属同士がぶつかり、洞窟内に大音響が轟く。

 前衛の者達は衝撃によって約一割体力が減少したが、後衛が発動した回復魔法によって全快する。それに続けて火の玉が盾の後ろから弧を引きながらキリトに襲い掛かった。

 

 「キリト君!」

 

 悲鳴にも似た叫び声をあげながらもリーファは回復魔法を唱え、少女は相棒に命じて癒しの効果を持つブレスを放たせる。

 二人の回復を受け、体力が完全回復したキリトは再び大剣を構えて突撃を強行する。自分が不利な状況にも関わらず、対抗手段を考えずに何度も突撃する。

 キリトの剣は全て防がれ、その度に手痛い反撃を受ける。少女達も回復魔法や癒しのブレスを重ねるが、とうとうペースが追い付かなくなってきた。

 

 「もういいよキリト君!またスイルベーンから何時間か飛んで戻ってくればそれで済むじゃない!失ったアイテムもまた買えば大丈夫……だから、もう諦めようよ……。」

 

 「絶対、嫌だ!」

 

 数歩走り寄ったリーファの叫びをキリトがかき消す。燃え上がる紅蓮の中に立つ彼の目は赤く輝いていた。今までに見たことの無い抗いの意志が渦巻くその瞳に彼女は引き込まれる。

 

 「……ぁぁぁぁぁぁああああああ!!」

 

 キリトが吼え、びりびりと空気が振動する。放たれた圧力にサラマンダー達がたじろぎ、一瞬だけ飛来する攻撃魔法が途切れた。

 

 「シリカさん、少しだけ相手の気を引いてくれませんか?後はパパがなんとかしますから!」

 

 声がした方に少女が目を向ければ、いつの間にか近くに来ていたユイの姿があった。彼女もまた、父親と同じ瞳をしている。

 

 「キリトさんに何か秘策があるんですね!それぐらい任せてください!ピナ、行くよ!」

 

 少女は短剣を抜き放ち、相棒を連れて並べられた盾の壁へと突撃を敢行する。そして異常なステータスにものを言わせて盾の壁を飛び越えると、目についた敵に次々と短剣を振るった。突然の奇襲に慌てたサラマンダー達は標的を少女に変えざるを得ない。

 

 「パパ、今です!」

 

 少女のおかげで狙われなくなったキリトは剣を掲げ、魔法の詠唱を始める。朗々と読み上げられる彼の言葉がシステムに読み込まれていき、やがて無数の文字列が一つのものになった。その瞬間、漆黒の煙が吹き出す。その中から現れたのは……

 

 「ゴアアァァァ!!」

 

全身が真っ黒の悪魔だった。その姿はかつてキリトが戦った青の悪魔を想起させるようなもので、盛り上がった筋肉に包まれた肉体に山羊の頭が乗っている。

 悪魔の赤い瞳が乱戦を繰り広げる少女とサラマンダー達を捉え、再び雄叫びを上げた。文字通り洞窟内が震え、天井からぱらぱらと破片が落ちてくる。

 

 「あれが、キリトさん?……って早く逃げないと私も巻き込まれる!ピナ、バブルブレス!!」

 

 「きゅるるる!」

 

 キリトの変貌に魂を抜かれたように動きを止めていた少女は咄嗟に我に戻り、相棒に幻惑効果のブレスを命じる。虹色の泡が弾け、迫っていた一人のサラマンダーの動きが止まった。その隙に彼女は離脱する。

 そして少女の相棒のブレスによって奪われた視界が回復したサラマンダーは彼女を探すように周囲を見渡して……黒い悪魔とばっちり眼が合ってしまった。

 

 「ひ、ひぃ!!」

 

 その者は恐怖のあまり後ずさる。思考などろくに回らず、ただ目の前の怪物を恐れるばかりの獲物に成り下がった赤の妖精は次の瞬間、胴を貫かれていた。

 重武装で固めても無駄だと言わんばかりに鎧ごと貫いた悪魔の爪はいとも容易く全ての体力を一撃で刈り取り、その姿は一瞬でかき消されるように消滅する。

 

 「「「うわぁぁぁ!?」」」

 

 仲間がたったの一撃で殺されてしまった光景を目にした他のサラマンダー達は恐慌の叫びを上げる。指揮系統は乱れ、魔法を唱える者など一人としていない。

 そこからは黒い悪魔の独壇場だった。丸太と見間違う腕を振るってぼろ雑巾のように吹き飛ばし、致死の威力を誇る鍵爪で次々と仕留めていく。一言でこの状況を表すならば『蹂躙劇』が適切だろう。

 

 「ゴアアァァァ!!」

 

 サラマンダーという名の獲物達の悲鳴をかき消すように、三度悪魔の雄叫びが洞窟に木霊した。

 

 

 ◇◆◇

 

 洞窟内で黒い悪魔が一方的な虐殺を繰り広げている頃、その近くの森でもまた別の蹂躙劇が行われていた。

 

 「クソッ!《妖精殺し》ってこんなに好戦的じゃなかった筈だろ!!」

 

 悪態をつきながら一匹の妖精が片手剣を振るう。しかしそれは簡単に素手で掴まれた。それだけにとどまらず掴んだ手に力が込められていく。火花が散り、片手剣が悲鳴を上げ始める。

 得物を取り返そうと妖精が懸命に引っ張るが、片手剣はシステムによって存在の座標を固定されているかのようにぴくりとも動かない。

 このまま膠着が長引くかと思われたが、後ろに控えていた妖精が魔法を唱える。生み出された巨大な火の玉は二匹の妖精を飲み込んだ直後、大爆発を起こした。

 

 「はぁ……はぁ……あの魔法をモロに食らえば、流石のアイツもくたばったでs……。」

 

 反動からか、肩を上下させながら荒い息を繰り返していた妖精は目の前の光景が信じられずに言葉を失う。その視界には燃え盛る炎の中、無傷で立っていた白いナニカが写っていた。

 

 「……味方もろとも撃つとは想定外だった。だが、その程度じゃ俺は殺せない、死ねないんだ。」

 

 周囲の炎によって照らされたその赤と黒の瞳は真っ直ぐに魔法を放った妖精を捉える。絶対的な捕食者が放つ威圧感に気圧され、膝が笑いだした餌は最早まともに直立することすらままならない。

 

 「……弱い、弱いんだ。俺が欲しい最後の物は、俺を殺せる者だけだ。」

 

 「ひぃ!!」

 

 翅を広げ、背から一振りの細剣を取り出した捕食者は悲鳴を上げるだけの置物となった餌を刺し殺す。欠陥品となって捨てられた細剣と、全身に風穴を空けられた妖精が散る瞬間は奇しくも同時だった。

 燃え盛る炎は勢いを増し、より明るく周囲を照らす。浮かび上がったのは無数の小さな炎。それも十や二十ではない。ざっと数えるだけでもゆうに百は越えていた。

 しかもこの炎は数分で消える性質がある。つまりたった数分で百以上の妖精達を葬ったということだ。まさに殺戮者、《妖精殺し》の名に恥じない暴れっぷりである。

 だが殺戮者は最後に望む者を見つける為に、新たな標的を探して生い茂る森を見渡す。そして白い殺戮者の眼がある一点で止まった。

 

 「見つけた。数は……四か。あまり期待はできないが、行くとするか。」

 

 無色透明な翅を鳴らして背後から接近すると、最後尾にいた一匹をものの数秒で切り刻む。悲鳴と効果音が響き、残りの三匹が振り返って殺戮者の姿を捉えた。突如現れた死神に妖精達の顔は恐怖に染まる。

 

 「……またサラマンダーか。」

 

 「出たな《妖精殺し》ぃぃぃ!!」

 

 一匹が恐怖を圧し殺して両手剣で斬りかかる。圧倒的な物量で殺戮者を叩ききるかと思われたそれは、剣の腹を蹴り上げられて回りながら宙へと飛ぶ。

 赤い妖精は思わず視線を上へと向けてしまった。それが命取りとなる。奴の姿が見えないと思った頃には眉間を真っ白な矢で射抜かれて死んでいた。これで残るは二匹。

 

 「……そうだ。」

 

 弓を捨てながら殺戮者は何かを思い付いたように呟いた。それが獲物にとっては更に恐怖を加速させるものとなり、二匹はただ震えているだけの物体と化す。

 背後で円を描く武器を消し、瞳も黒一色に戻った殺戮者は丸腰の状態で二匹の下へと歩み寄っていく。それはあまりにも不気味な光景だ。

 

 「……一つ質問があるんだが、良いか?」

 

 「は、はいぃ!な、何でしょう!?」

 

 返事した赤い妖精は恐怖のあまりに声が上擦っていた。隣でその者の影に隠れる一匹は幼い子どものように目をつぶって耳を塞いでいる。

 

 「この世界で一番強い者は……誰だ?何処にいる?」

 

 「え、ええっと……おお恐らくユージーン将軍だとと思われまます。い、今は……《蝶の谷》という場所にに向かってている筈でです。」

 

 不可視の鎖に縛られ、動くという選択肢を潰された妖精は震えながらも質問に答える。「……ユージーン将軍という者か。」と最強の称号を持つ妖精の名を確認した殺戮者はお前はもう用無しだとばかりに背を向け、永久に飛行が可能な翅を展開して浮き上がった。

 左手を振り下ろしてメニューを開き、マップで《蝶の谷》の位置を確認した殺戮者はその方角に向かって最大速度で飛んでいく。

 一度記憶を失った殺戮者だが、はっきり言って記憶が有ろうが無かろうが目的は変わらない。この迷い込んだ妖精の世界で自身の命を散らし、永久に意識を閉ざすこと。それだけの為に彼は動いている。

 そうする理由は至って単純、自身を孤独から救ってくれた恩人がいない世界など必要無いからだ。

 幼き頃から裏切られ続けた彼は孤独に戻る痛みを嫌という程に知っている。故に恩人を失って何度目かもわからない一人に戻る時、その痛みに耐えられないことを理解している。現に今も、少しずつだが彼の心は削られている。

 彼にとっては、あの鋼鉄の城での二年間こそが現実だといえる。多くの友人と出会えたあの世界こそが本物なのだ。

 だから彼は、新原創也はその生涯を一刻も早く終えようとする。現実世界でずっと帰還を待ち望んでいる人がいることを知らないままに……。 



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第三十五話 叶わぬ願い

 かなり遅くなりましたが、お気に入り登録百名様突破ありがとうございます!

 これからもこの作品をよろしくお願いします!


 ◇◆◇

 

 「そういえばさ……確かリーファにメッセージが届いてなかったか?結局それは何だったんだ?」

 

 鉱山都市に無事到着し、近くにあった武器屋で陳列された長剣を眺めていたリーファにキリトが問うた。

 サラマンダー達に追い付かれる直前にリーファに届いた一つのメッセージ。その存在を完璧に忘れていた彼女は慌ててウィンドウを開いて改めて眼を走らせるが、やはり全く意味が理解できない。文末を見る限り、途中で切れたようにも感じられるが、それにしては続きが届く気配などない。

 最早暗号と言っても差し支えない文章を見ながらリーファは首を傾げ、うむむと考え込む。その様子が気になったのか、少女が彼女の肩を叩いた。

 

 「リーファさん、どうかしたんですか?」

 

 「いや、届いたメッセージの意味がさっぱり読み取れなくてね……。仕方ないけど、向こうで聞いてくるね。一応送り手の人とは現実でも知り合いだから。」

 

 そう言ってリーファは開いたままのウィンドウを操作して一旦ログアウトし、手に取った携帯端末で連絡を取った。数回のコール音の後、耳元に寄せた携帯から聞き慣れた声が聞こえた。

 そして告げられたのは衝撃の事実。彼女の元パーティーリーダーであるシグルドが随分前から種族を裏切っていたこと。そして、一時から行われるケットシーとの会談がサラマンダーの大部隊に襲われること。

 現在時刻は十二時を回り、長針が四の部分を指している。残された時間は四十分しかない。 

 しかしこの僅かな時間でどうにかして警告しに行かなければ確実に領主が討たれてしまう。それだけは絶対に避けなければならない。

 これから自分がやるべきことを確認したリーファは再度ログインするなり勢い良く立ち上がって、驚いた顔をこちらに向けている少女とキリトに頭を下げた。

 

 「ごめん。私、行かなくちゃいけない場所ができた。説明している時間もないし、多分生きて帰ってこれない。それにシルフ族の問題だから、君達とは此処でお別れになるね。それz……」

 

 「いいや、俺も一緒に行く。勿論シリカもだ。」

 

 別れの言葉を告げてそのまま走り去ろうとしたリーファの手をキリトが掴んだ。彼らに関わる必要性など一切無い問題の筈なのだが、彼女の手を掴む者達は当たり前のように関わろうとしている。そこまでする理由が彼女には理解できなかった。

 

 「リーファさん、私達は自分の為だけに剣を振るうことなんてしません。恩を受けたのなら、ちゃんと返すつもりです。リーファさんは右も左もわからない私達を此処まで案内してくれたじゃないですか。だから今度は私達が恩を返す番です!」

 

 疑問符を浮かべるリーファの前に相棒を連れて移動した少女の言葉には強い説得力がある。その理由は言うまでもなく二年間別世界に囚われていたからであるが、それを今この場で知る者はキリトのみである。

 

 「そういうことだ。リーファ、急いでるんなら移動しながらでいい、話を聞かせてくれ。」  

 

 「……ありがとう。じゃあ、走りながら話すね。」

 

 リーファは人波を縫うように走りながら問題の内容を簡単に説明した。だが少女とキリトから幾つか質問が飛び出した為に、ただでさえ貴重な時間は奪われてしまい、残りは約二十分となっていた。

 

 「不味いな……このままだと間に合わない。ちょっとお手を拝借。シリカ、全力で飛ばすぞ!」

 

 「了解です!」  

 

 「え?……うわあああぁぁぁ!?」

 

 キリトはリーファの手を取って加速する。静かな洞窟に一つの大きな悲鳴が響き渡る。手を引いて駆ける彼の圧倒的な速度に彼女の身体は浮かび上がり、湾曲に沿って曲がる度に左右に振り回されている。

 その隣には相棒を抱えながらキリトと同じかそれ以上の速度で走る少女の姿があった。進行先にモンスターがいようと瞬時に隙間を見つけて一切攻撃を受けることなく駆け抜けていく。

 存在を無視されたモンスター達は揃って怒りの声を上げて少女達を追うが、風と化した彼女らに追い付こうなど到底不可能である。

 しかしモンスター達に追跡を諦めるなどという選択肢もまた存在しない。故に距離がどんどん離されていようと少女達を追う足音が減少することはなかった。それどころか、その後も同様のことを繰り返したことによって足音はやがて地響きとなる。

 

 「……お、あれが出口っぽいな。」

 

 キリトがそう呟いた次の瞬間、リーファの視界が真っ白に染まった。それと同時に浮遊感を感じられるようになる。光に慣れて視界が回復すると、そこはもう限りなく広がる空だった。

 後ろを見れば、灰色の断崖絶壁が目に入る。そして洞窟に繋がる口からは少女達を追っていたモンスター達がまるで滝のように吐き出されていた。先頭が止まろうが止まるまいが、後続が次々と衝突する為に結果は変わらないのである。

 そして惰性に従って落下を始める前にリーファは翅を展開し、何食わぬ顔で隣を飛ぶ二人を睨む。

 

 「寿命が縮んだわよ!」

 

 「ははは、時間短縮になったんだし良いじゃないか。」

 

 「あ、すみません……。でもあれが一番だと思ったんです。」

 

 飛行速度を一切落とさないまま器用に頭を下げた少女に対し、悪びれもしないキリトに若干の怒りを感じたリーファは握りしめた拳で彼の顔面を殴った。ダメージ判定が出る程の威力が直撃し、横に浮かぶ体力ゲージが僅かに削れる。

 

 「あだっ!!……いきなり何すんだよ。」

 

 「キリト君が反省していないみたいだからだよ。全く、ダンジョンっていうのはn……」

 

 「パパ!近くに多数のプレイヤーの反応です!前方にサラマンダーと思われる六十人以上の大集団、その向こうにシルフとケットシーだと予想される約十人の反応です!双方が接触するまでもう一分もありません!」

 

 リーファの文句を遮るようにユイが叫ぶ。視線を下に向けてみれば、戦闘機を彷彿とさせるような楔型の陣形を組みながら低空飛行する無数の赤い集団が目に入った。

 そしてその集団の行く先を見やると、迫る脅威に気づかないまま和やかに談笑する緑色と小麦色の妖精の姿があった。これでは逃げる余裕など無さそうである。

 

 「……間に合わなかったね。キリト君にシリカちゃん、此処までありがとう。私のことはもう良いから、二人は世界樹に行ってね……短かったけど楽しかったよ。」

 

 リーファは笑顔を浮かべ、少女とキリトの手を握る。だが、キリトはその手を握り返すと不敵な笑みを浮かべた。

 

 「悪いが、こんなところで逃げるような性分じゃないもんでね。」

 

 「え……キリト君!?」

 

 「キリトさん!?」

 

 キリトは翅を鳴らし、少女とリーファを置き去りにして加速する。その瞬間に空気が破裂したような音を出したが、それが彼女らの耳に届いた頃には彼は翅を鋭角に畳み、急角度のダイブに入っていた。

 一種の隕石となったキリトはサラマンダーの包囲網の一角をぶち抜いて墜落する。それから少し遅れて爆音が響き、静まり返った一帯の視線が彼に集まった。

 ゆらりと立ち上がったキリトはぐるりと周囲のサラマンダー達を睨み、叫んだ。

 

 「双方、剣を引け!!」

 

 それは先程の爆音など比ではない位の大きすぎる声。突然飛び出した彼を追って降りている少女とリーファはその物理的な圧力に思わず首をすくめてしまう。

 

 「指揮官に話がある!!」

 

 キリトが再び叫ぶ。その余りにもふてぶてしい態度に圧倒されたのか呆れたのかわからないが、赤い輪が割れて一人の大柄な男が姿を現した。

 見るからにレアアイテムだと分かる鎧に身を包んだ男はガシャリと着地すると、無表情のまま自分よりも小さなキリトを上から睥睨する。

 

 「スプリガン風情が何のようだ。まぁ、その度胸に免じて話だけは聞いてやるとしよう。」

 

 「俺はキリト。スプリガンとウンディーネの同盟の大使だ。此処には貿易交渉をしに来た。アンタ、この場を襲うって言うのなら我々四種族と全面戦争をするつもりだという解釈で良いんだな?」

 

 目の前の男が放つ威圧的にも臆さず、堂々とキリトはハッタリをかました。男の顔が一瞬だけ驚愕に染まったが、直ぐ様彼に疑惑の視線をぶつける。

 

 「護衛もおらず、大した装備も持っていない貴様の言葉はにわかに信じがたいものだが。」

 

 「それじゃあ、試してみるか?」

 

 「ふん、良いだろう。その挑発に乗ってやる。そうだな……俺の攻撃を三十秒耐えきることができたのなら、その話を信じてやろう。」

 

 両者は背から両刃の巨剣を抜き、翅を広げて同じ高さまで浮き上がった。緊迫した空気が辺りを包み、静寂が場を支配する。

 そして男が予備動作を一切見せずにキリトに斬りかかろうとしたその瞬間、新たな乱入者が現れた。

 

 「「ぎゃあぁぁぁ!!」」

 

 包囲網の一角から悲鳴が上がる。その方角はキリトが突入した場所と正反対に位置するところだ。そこからは現在、プレイヤーの死を告げる炎が吹き出している。

 中にいた一つの人影が炎を斬り払い、その姿が露になった。白い翅を展開し、それと対照的な赤と黒を基調とした武器を持つ妖精……乱入者の正体は《妖精殺し》こと少年だった。

 

 

 ◇◆◇

 

 《蝶の谷》一帯を半包囲していたサラマンダーの一部を殺し、無理矢理入り口を作って侵入する。無数の恐怖が混じった視線を受けながら周囲を見渡すと、纏う雰囲気が異なる一匹の妖精がいた。

 その妖精は他の者達と比べて明らかに装備が充実しており、俺を見る赤い瞳には恐怖など感じられない。恐らく、いや確実に彼こそがこの世界で最強と言われているユージーン将軍であろう。

 

 「……お前がユージーン将軍か?」

 

 「ああ、そうだ。一体何の用だ、《妖精殺し》?」

 

 「……俺を殺してみろ。」

 

 背後から一振りの片手剣を取り出し、びぃんと空気を鳴らしながら斬りかかる。完全に不意打ちだが、この程度など余裕で防いでくれなければ俺を殺すことなど不可能だ。

 突然襲いかかる刃にユージーンは目を見開きながらも既に手に持っていた巨剣で防ごうとする。だが俺の使い捨ての剣が彼の剣とぶつかる寸前、その間に割り込んだ剣があった。

 

 「おいソーヤ、いきなり何やってんだ?」

 

 声がした方に目を移す。そこには両手剣を片手で持った全身黒色の装備で固められた妖精がいた。彼とは俺が記憶を失っていた頃に一度会っている。

 あの森の中でシリカと一緒にいたところを見て、まさかと思っていたが、先程俺のことを《ソーヤ》と呼んだことから疑惑は確信へと変わった。

 

 「何やってるもなにも、ただ死に急いでいるだけだよ。キリトこそ、何でこの世界にいるの?」

 

 「それはな……お前を助け出す為が目的の一つだからだよ!」

 

 キリトが叫び、俺の剣を押し返した。もう役立たずの片手剣を捨てながら一旦距離を取る。

 今この場に俺を殺すことのできる者は三人いる。その内二人は本当の現実世界で出会い、嘘で塗り固められた心を開いてくれた者達だ。

 二人はユージーンよりも俺を殺せる確率は遥かに高いだろうが、モンスターに振るっていた剣をそのまま俺に振るうことができるか怪しい。

 仮に俺を殺せたとしても、この先まともに生きていくことはできないと思われる。特に、今近くにいない一人に関しては俺を追って自殺しかねない。

 俺の恩人と友人達には迷惑をかけずにこの世を去りたい、我が儘だがそれが俺の最後の願いなのだ。だからこそ、俺のことを魂の入っていない人形だと思っているユージーンに挑むことが最善だ。それでも死ねなければ、また願いに蓋をして二人のどちらかと戦うしか道はないのだが。

 

 「……邪魔しないでよ、キリト。俺はその奥にいるユージーンに用があるんだ。」

 

 「悪いが、こいつは俺が予約済みだ。戦いたいのなら俺が終わってからにしてくれ。……いや、ソーヤには最適な相手がいるようだぞ。」

 

 キリトがちらりと後ろを振り返り、ニヤリと笑みを浮かべた。それにつられて彼の背後を見やる。まだ視界には写らないが、シルフとケットシーが集まっていると思われる場所から一つの気配が急接近していた。一体誰なのだろうか考える必要もない。

 

 「ソーヤさん!今度こそ貴方を連れて還ります!」

 

 「きゅるるる!」

 

 「……確かに最適な相手だよ。でも、今の俺にとっては一番最悪だ。」

 

 持ち前の素早さで空気を裂きながら俺とキリトの間に現れたのは、俺の恩人であると共に恋仲でもあったシリカだ。隣にはちゃんとピナもいる。

 シリカは真っ直ぐに俺を見つめている。その瞳には以前のような狂気を孕んでいないものの、俺のことを想っていることは微塵も変わっていない。

 可能ならシリカとキリトを無視してユージーンに勝負を仕掛けたいが、眼前でぴたりと俺だけを見ている彼女がそんなことを許す訳がない。

 

 「……こんな時までも俺の願いは叶えられないってか、神様は。」

 

 そう呟きながら右手に片手剣、左手に細剣を持つ。俺が戦闘態勢に入ったことを確認したシリカは短剣を逆手に持ち、キリトとユージーンは邪魔にならないよう離れてから剣を構えた。どうやらあの二人も戦闘を開始するようだ。

 

 「ソーヤさん……還りましょう、現実に。」

 

 「……それはできない。俺はもう現実に還る必要性が無いんだ。」

 

 シリカとの視線が交錯する。彼女との交戦回数は俺が記憶を失っていた際の一回のみ。しかしその一回で、彼女が敵であった時の脅威は十二分に知ることができた。あの世界にいた頃はデュエルなどしなかった為、彼女の力がこれ程までに恐ろしいものだとは気づくことはなかった。

 この勝負に勝てるかどうかは五分五分と言ったところか。別に俺はさっさと戦いの中で死にたいのだから、どちらに転んでも結果は変わらない。消耗したところをユージーンなどに殺して貰えば目的は達成される。

 一瞬、シリカに俺を斬らせたくないという思いが顔を出す。その愚かとしか言い様の無い願いにかつてと同じように刃を突き立て黙らせる。

 俺の願いは最後まで何一つ叶うことは無いようだ。あの世界でシリカとずっと一緒にいたいと願った時も、恩人や友人達に迷惑をかけずに死にたいという今回の願いだってそうだった。

 だがまぁ少し考えれば、それも仕方のないことなのではないかと思えてしまう。俺は二年間に渡るデスゲームを行った茅場晶彦の部下の息子。こんな犯罪者に片足を突っ込んでいる者の願いを叶える気などさらさら無いのだろう。

 先程からシリカやキリトが俺を助けようとしているが、はっきり言って必要ない。今の俺に必要なのは『死』という現象だけだ。現実の世界になど還りたくもない。恩人と友人達がいない世界など、俺にとっては意味がない。

 

 「シリカに剣を向けることはしたくなかったけど……俺の邪魔をするのなら、仕方がない。」

 

 片手剣と細剣を握り直し、もう一度シリカを見やる。もう迷いは無い。彼女に斬らせたくないという甘い考えは消え去っている。

 

 「シリカにピナ……俺を殺してみてくれないかな?」

 

 「絶対に殺しません!私はソーヤさんを現実に連れて還らなければならないんです!」

 

 「きゅるるる!!」

 

 俺とシリカはほぼ同時にそれぞれ白と小麦色の翅を鳴らし、相手へと斬りかかった。

               



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第三十六話 もう独りじゃない

 一週間ぶりの投稿となりました。今回は一度誤って完成間近のものを削除してしまい、改めて書き直しをしていました。

 その為、急いで書き上げたのでかなり駄文かと思われます。ご了承ください。


 ◇◆◇

 

 赤い妖精が周囲を取り囲む空のコロシアムの中央で何度目かもわからない乾いた金属音が響く。その発生源には二匹の妖精の姿があった。

 背後に翅だけでなく無数の赤黒い武器を展開する白い妖精の少年は、その局面ごとに対応した得物を取り出し、反撃を許さない速度でそれを振るっている。

 隣に小さな青い竜を連れた小麦色の妖精の少女は、止めどなく襲いかかる攻撃をたった一本の短剣で防ぎ続ける。それは彼女の技量と小回りが効く短剣であってこそ成り立つものであった。

 両者が戦闘を開始してから約三十分が経過した。しかしどちらの顔にも疲労の色は無い。既に決着がついた黒の妖精と赤の妖精含む観戦者達はその体力と集中力に感嘆しながら、ただ無言で二匹の妖精の美しい剣舞に見入っていた。

 隙を見せない高速連撃を繰り出す白い妖精と、それを一つ一つ確実にさばき続ける小麦色の妖精。状況は膠着になるかと思われたが、それは違った。少女の防御が徐々にだが遅れ、少しずつ少年の刃が通り始めたのだ。

 幾ら取り回しの良い短剣であろうと、二刀流に近い戦闘スタイルから繰り出される猛攻を永久に捌き続けることなど不可能である。一本の剣では、どう工夫しようと二本の剣の手数を上回ることはできないのだ。

 

 「……くっ!」

 

 短剣を持つ手の肩部を狙って突き出された細剣を少女は翅を使って横に飛ぶことで回避。先程から絶え間なく鳴り続けていた金属音が止む。

 少年はもう片方に持った片手剣で追撃を仕掛けようとするが、間に割り込んだ小さな青い竜が吐いた灼熱の炎によって中断を余儀なくされる。少女と相棒の関係はもう言葉を介す必要もない程にまでになっていた。

 態勢を立て直した少女は油断せずに煙の向こうを睨む。こんな程度で倒れる少年ではないと知っているからだ。

 やがて煙が晴れ、ひびの入った円形の盾を捨てる少年が現れた。そして空いた両手で刃が見当たらない巨剣を生み出すと、一瞬で少女の前に詰め寄って巨大な質量の塊を振り下ろす。

 避ける時間など無いと判断した少女は短剣で受けることを選択する。直後、彼女の両腕にとてつもなく強い衝撃が襲い掛かった。その重さに腕が痺れながらも短剣を離さず、どうにか受けることに成功した。

 しかし少女を上から押さえつけるかたちとなった少年はそのまま翅を鳴らして自らの身体を押し出す。両者はつばぜり合いをしたまま地面に墜落し、土煙を上げた。

 先のその中から飛び出したのは少女。自身の半分を切った体力をちらりと確認し、まだ戦えると短剣を構える。少年は片手剣を振るって土煙をかき消すと、もう片方に細剣を造り出した。

 

 「……やっぱりシリカは強いよ。もしかしたら、本当に俺を殺すことができてしまう程に。」

 

 「だから、殺さないって言ってるじゃないですか!ソーヤさんは私と一緒に現実に還るんです!」

 

 二匹の妖精は同時に地を蹴って再び火花を散らす。両者が得物を振るう速度は更に加速している。まるで地上戦が本領であると言わんばかりに。

 横薙ぎに払われた片手剣とそれを迎え撃つように構えられた短剣がぶつかったかと思えば、脇腹を狙った短剣とその軌道を逸らすように突き出された細剣が金属音を響かせる。

 先程までの空中戦とは比べ物にならない早さで戦闘が展開され、めぐるましく攻めと受けが入れ替わる。両者とも長年地に足をつけて戦ってきた過去があるからか、行動が自然と最適化されている。特に少女の動きが格段に良くなっていた。

 少年の赤と黒が入り交じった瞳がある一点を捉えた次の瞬間、少女の背後に白い妖精は一瞬で移動する。ゼロモーションシフト、以前彼が高頻度で使用していた技の一つ。故にそれを彼女は知っている。

 与えるダメージが増加する心臓部目掛けて牙を剥いた血濡れの細剣を少女は短剣の腹で受けた。形を保てず散っていく細剣の向こうで少年は目を見開く。が、直ぐに新たな剣を造り出すと再度斬りかかった。

 ガキンガキンと連鎖的な音が静まり返った決闘場に響き渡る。数えきれない程の攻撃の余波を受け続けた両者の体力はゆっくりと削れており、遂に少女のものが赤く染まった。対する少年はやっと半分を切り、黄色く染まっている。

 

 「はぁぁ……せいっ!」

 

 「きゅるるる!」

 

 迫り来る剣を無理矢理弾き返して猛攻を強引に中断させ、少女は一度距離を取る。生まれた猶予は僅か数秒だけだが、その間に相棒から癒しの効果のブレスを受けて残りをほぼ同じにまで回復させる。

 

 「……何でそこまでして俺を殺さないようにしているの?俺は別にシリカに殺られたって恨みはしないよ。」

 

 「そんなの……決まってます。貴方を現実に還す為です。」

 

 少女が接近して振り下ろした短剣を少年は片手剣で受ける。ぶつかった剣はどちらも退かず、鍔迫り合いとなった。お互いの顔がはっきりと見える。

 

 「現実に還す為、か。悪いけど、それなら俺は『死』を選ぶよ。俺はシリカ達との楽しい記憶を最後にしてこの世を去りたいんだ。」

 

 「嘘吐かないで下さい。私は知っています。ソーヤさんが現実に還りたいけど還れないこと、もう孤独に戻ることが耐えられないこと、ピナから聞いてちゃんと知っています。」

 

 「……ああ、確かにそう言ったよ。俺はもう孤独に耐えることができない。だから還るという選択肢を選ばない。俺はあの記憶を手土産に母さんと父さんに会いに逝く。それに、現実で俺の還りを待っている人なんていやしないさ。」

 

 赤黒い片手剣に力が込められ、少女の短剣が押され始める。このままでは不味いと感じた彼女は対照的にふっと力を抜き、バックステップで後退した。

 力の均衡が崩れ、力の受け手を失った少年は前につんのめってしまう。それは余りにも致命的すぎる隙だった。

 相棒が灼熱の炎を吐き出すと共に少女は駆ける。体勢が未だ不安定な少年は再び円形の盾を取り出した。しかし腕だけの防御など意味を成さない。

 少女が短剣を振り上げ、容易く盾を真上に弾きながら後ろへと回る。そしてがら空きとなった少年の身体に炎のブレスが直撃した。燃え盛る炎の隣に浮かぶ体力は目に見えて減少していき、遂にその色が赤く染まる。

 背後から更に追撃を加えようとした少女だが、円を描く無数の武器達に阻まれる。これらはどうも実体を持っているようだ。

 炎を払いながら立ち上がり、残り体力を確認した少年はなんの迷いもなく振り反って剣を構えた。よく見れば若干口角がつり上がっている。『死』という現象を渇望する彼にとって、この状況は大層嬉しいことなのだろう。

 

 「ああ……もうすぐだ。やっと死ねる。さぁシリカ、俺を殺して。戦いの中で、殺してみせてよ。」

 

 背中から片手剣と短剣を取り出した少年は再び猛攻を開始する。疲労が蓄積してきたのか動きがだんだんと鈍くなる少女とは異なり、少年の動きは更に激しくなっていく。

 短剣による受け流しと防御が追い付かず、次々と赤黒い刃が少女の身体に切り傷を与える。その凶刃は彼女の体力を奪い、戦意を食らっていく。だが、少女の目にはまだ消えていない決意の炎があった。

 

 「はぁぁぁ!!」

 

 その小さな身体から大きな雄叫びを上げ、最上段から振り下ろされた二振りの片手剣を弾く。そして的と化した少年に自身の短剣を振るう……ことはせずに、叫んだ。伝えなければならぬことを、伝える為に。

 

 「ソーヤさん!貴方の還りを待つ人はいます!キリトさんにエギルさんだって、待っているんです!そして何よりも……私がいる!!」

 

 少年は目を見開き、動きを停止させる。しかしそれも一瞬のことだった。翅を使ってその場で宙返りをし、造り出した両手剣を乱暴に少女に向かって叩きつける。赤と黒の瞳が写すのは心に巣食う獣の冷めきった思考を押し退けて現れた、激情。

 

 「……シリカこそ嘘を吐くな!俺達は確かにあの世界で二年間一緒だった!ずっと隣にいたいと思った!」

 

 先程までとは違い、ただ力のままに一撃限りの武器を取り出しては振るい続ける。それらが地面や思い出の短剣にぶつかる度に金属音が奏でられる。その音は少年の荒れ狂う心を表すかのように大きく、重い。

 

「でもそれだけだ!現に俺は現実でのシリカを何も知らない!会えない!だから還れば俺はまた孤独に戻る!そんな事、もう耐えられないんだ!今の俺にとって、シリカがいない現実に……価値なんて無い!!」

 

 剣を振るう速度が更に加速し、少年を目として暴力の突風が吹き荒れる。下手に近寄れば間違いなく斬殺されるであろう刃の竜巻の中、少女とその相棒は殺されることなくそこにいた。横に浮かぶ体力は赤で止まり、減少はしていない。

 それは当然のことだろう。少女らが苦戦したのは冷徹な思考で相手を追い詰める彼であって、力まかせに暴れる彼ではない。幾ら少女らが疲労という名の鎖に縛られていようとも、今の彼の攻撃程度ならば余裕なのだ。

 少女は己の身に迫る刃に一つずつ目を配り、手に持つたった一本の短剣で四方八方から襲い掛かる幾多の武器を捌く。そして僅かな攻撃と攻撃の隙に相棒がブレスを浴びせる。

 それでも少年は止まらない。炎に焼かれ、その身の消滅に一歩近づいたとしても自身がポリゴン片となるまで刃を振るう腕は止まらない。

 

 「……新原創也。」

 

 「!?」

 

 突然少女の口から一人の人物の名が飛び出した。それを聞いた少年は驚愕の色を顔に浮かべ、手に持っていた剣を落とす。嵐が去って静けさを取り戻した闘技場に小さな破砕音が響いた。

 

 「……何で、シリカがその名前を知っているの?俺の名前は教えていない筈だよ……?」

 

 「そんなの、今も現実で眠るソーヤさんに会っているからですよ。知らないと思いますけど、毎日いつもお見舞いに行っているんですよ?」

 

 少年は目の前に立つ少女を見つめる。彼は望まず手に入れた力を二つ持っている。そのうちの一つである他者の感情を見抜く力が告げていた。彼女は嘘など吐いていない、現実に帰還しようとも、隣には変わらず恩人であり愛する人がいると。

 短剣を捨てた少女はすたすたと歩み寄ると、自分より一回りも二回りも大きな少年を今ある力の限り抱き締めた。

 

 「ソーヤさんはもう独りじゃありません。何処にいたって私が一緒ですから。」

 

 少年もその抱擁を拒みはせず、己の両手をゆっくりと回す。自分よりも遥かに小さい少女をかけがえのない宝物のように抱き締める。

 

 「……願いが、叶ったんだね。ずっと一緒にいたいっていう、願いが。」

 

 少年の頬を涙が伝い、少女の肩を濡らしていく。しかし彼はそんな事など気に掛けることなく、抱き締める相手の存在を確認するように愛する人を強く抱く。彼女もまた、達成感と幸福感に包まれ笑みを浮かべた。

 

 「……ああ、本当に馬鹿みたいだ。お互い現実のことを何も知らない、だから帰還したって二度と会えないなんて決めつけて死のうとするなんて。」

 

 「本当ですよ……でも、私が現実でソーヤさんを見つけられたのは奇跡でした。私だって、私だって、もう会えないって……思ってましたから。」

 

 当時のことを思い出してしまったのだろう、少女の目からも涙が流れる。それから涙を拭って少年の背に回していた手を肩に置くと、涙の跡が残った潤んだ目で彼を真っ直ぐに見つめた。

 一体どうしたのかと疑問を感じた少年は少女に問おうと口を開こうとしたが……突然何かによって封じられた。視線を落とした彼の瞳が限界にまで収縮する。

 唇だった。少年の口を封じた物の正体は少女の唇だったのだ。

 驚愕の色を浮かべる少年を無視し、少女は自分のそれをただひたすらに押しつける。数秒が経ち、未だ状況が理解できていない少年に向かって少女はしてやったりという表情をした。

 

 「シリカ、突然何を!?」

 

 「そんなの……記憶が無かったとはいえ、ソーヤさんが私を拒絶した罰に決まってるじゃないですか。この世界に来て貴方と会えたと思って声を掛けたら逃げられて、あの時は本当に悲しかったんですから。」

 

 「……その件に関しては俺が悪かった。だからもう俺はシリカを拒絶しないと誓うし、現実に還ったら埋め合わせをちゃんとするって約束する。でも……今は疲れたから、少し眠ってても良いかな?」

 

 「はい……ゆっくり休んで下さい。」

 

 抱き合ったままの状態で少年は少女の肩に顎を乗せると、静かな寝息をたて始める。恩人であり恋人でもある人を抱いて眠る少年の顔は憑き物が落ちたかのように幸せそうであった。

 

 

 ◇◆◇

 

 今いる場所に地震が起こっているのではないかと勘違いしてしまう程の大歓声が虚ろだった俺の意識を叩き起こす。鼓膜が破れそうだと耳を塞ぎ、目を開く。

 

 「あ……目覚めましたか?」

 

 「……うん、おはよう。どれぐらい寝ていた?」

 

 「だいたい三分ぐらいですよ。」

 

 俺を覗き込むような体勢のシリカと言葉を交わし、ふと後頭部になにやら柔らかい感触があることに気づいた。

 よく見ればシリカの顔は若干赤みを帯び、横を見れば紺色の服を纏った身体が至近距離にある。どうやら眠ってから俺は膝枕されていたようだ。

 シリカにお礼を言いながら上半身を起こし、周囲を見渡す。視界に写ったのは両手を打ち鳴らす緑と小麦色の妖精達と、あらゆる方向から歓声を上げながら両手槍を旗のように振り回す赤の妖精達だった。

 

 「お疲れさん、二人とも。良い勝負だったぜ。」

 

 声がした方に目を向けると、この世界でも全身を真っ黒に固めたキリトとシリカの相棒であるピナがこちらに近づいて来た。心なしか両者の瞳には少しばかりの怒りの色が見て取れる。

 彼らは俺の眼前に到着すると、拳を振り下ろし、炎を吐いた。突然の奇襲に対応できるわけもなく、ぽかりと頭を叩かれ、顔面を燃やされる。

 

 「全く、お前のせいでこっちは散々苦労したんだぞ!お前のおかしな価値観の影響でシリカがどんどん過激化してたんだ!」

 

 「きゅるるる!!」

 

 「そんな事言われても……元々俺の価値観は狂っているんだから仕方がないことでしょ?それと、ピナは『ご主人を見捨てようとした罰』だって?いや別に見捨てようとした訳じゃないからやめてくれ。」

 

 こうしてキリト達と会話しているだけで心に温もりが感じられる。叶う筈が無かった願いが今此処に現実となったことを実感させられる。『ソーヤさんはもう独りじゃありません』……今も隣で俺の手を握るシリカの言葉が脳内でもう一度再生された。

 もしかするとあの世界で出会った皆ともまた会えるのではないかと友人達の顔を思い浮かべ始めたその瞬間、一つの気配が接近していることを確認する。前を見れば、その気配の正体はユージーンだった。いつの間にか歓声は止み、シリカとキリト以外は皆揃って俺を奇怪な目で見つめている。

 

 「《妖精殺し》、お前は一体何者なのだ?噂では倒すとレアアイテムを落とすNPCと聞いていたが、そこのスプリガンやケットシーは決して倒そうとしなかった。それどころか今のお前はそいつらとさも友人のように話している。どう考えようが、ただのNPCでは無いだろう。もう一度問うぞ、《妖精殺し》。お前の正体は何なのだ?」

  



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第三十七話 裏切り

 最近書き方を模索中です。

 その為、特に今回は後半駄文注意となっています。


 ◇◆◇

 

 嵐が過ぎ去り、再び静寂が戻った《蝶の谷》で腕を組ながら俺を見下ろすユージーンからは誤魔化しは許さないと言わんばかりの威圧感が発せられている。

 何もそんなに気にしなくても……一瞬そう思ったが、よくよく考えればこれは当然のことだろう。少し前までただの人形だと思っていた一匹の妖精が、いきなり人間としか思えないような行動をし始めたのを見れば疑ってしまうのも無理はない。

 さて、どうしたものか。一から十まで全て正直に話すことは却下である。俺だけでなくシリカとキリトまでもがあの世界にいたことが明らかになってしまう。俺達当事者が世間からどう見られているのかも知らない今、そう簡単に打ち明けるのは愚策であろう。

 ぎゅっと俺の片手を誰かが強く握る。そちらの方に目を向ければ、シリカが不安の色を写した瞳で俺を見ていた。そんな心配性な彼女の頭をもう片方の手で大丈夫だと撫でる。

 誤魔化しが許されないのならば、仕方ないがあの世界のことだけ伏せて必要な分の持っている情報だけを話すとしよう。仮に追及されようとも、知らぬ存ぜぬで通せるのだから。

 

 「何者かと聞かれれば、俺は現実に肉体を持つ人間だ。この世界には正規の手続きをせずにログインした。気がつけば、この格好で暗い森の中に倒れていたんだ。そして友人関係にあたるシリカとキリトの二人が俺を殺そうとしなかったのは、死にたがりになった俺を救おうとしてくれたから。……お前の疑問に答えるのなら、こんなところか。」

 

 自然と下を向いていた視線を上へと向け、猛禽類に似た鋭い顔立ちのユージーンを見やる。彼はその逞しい腕を組んだまま、目を細めて沈黙する。しかしそれも一瞬だけのこと。自身を納得させるように軽く頷くと、軽い笑みを浮かべた。

 

 「色々と聞きたいところはあったが、別にお前が此処に来た経緯などどうでもいいことだ。俺はお前が何者か知ることができればそれで良い。それとついでだ、そこのスプリガンの話もそういうことにしといてやろう。流石に四種族を一斉に事を構えるつもりなどないからな。だが……」

 

 そこで一度言葉を切ったユージーンはサラマンダー特有である深紅の瞳を俺とキリトに向け、己の拳を差し出す。

 

 「キリト、貴様とはいずれもう一度戦うぞ。そして《妖精殺し》、貴様が俺に叩きつけた挑戦状を俺は忘れるつもりなどないからな。」

 

 「ついでって……まぁ信じて貰えれば十分だ。あと、戦いに関しては望むところだ。」

 

 「ああ、今度はちゃんと邪魔が入らないところで挑戦させてもらうぞ。」

 

 俺とキリトも同様に拳を突き出し、ゴツンと打ち付ける。浮かべていた軽い笑みを深めたユージーンは身を翻すと、周囲を取り囲んでいたサラマンダーの大軍隊に撤退を命じた。

 赤い妖精達はその翅で鈍い重奏を奏でながら一糸乱れずに隊列を組み直し、指揮官を先頭に次々と飛び去っていく。やがて無数の影に覆われていた大地に日の光が差し始めた。

 

 「サラマンダーにも良い奴がいるじゃないか。」

 

 「キリト君、無茶苦茶過ぎるよ……。」

 

 「それは隣にいる白い奴に言ってくれ。俺よりも無茶を平気でしでかす野郎だから。」

 

 キリトが不満げな表情をしながら、未だ空を見上げている俺を指差す。確かに俺はあの世界で階層のボスに単独で挑んだりしたが、別にそれ程無茶というレベルのものではないだろう。ただ今は亡きスキルキャンセラーの練習台を探していたらそれが偶然ボスだったというだけだ。

 そんな俺の心中を読んだのか、シリカとピナが揃ってため息をつく。やはり貴方は規格外だと暗に告げられているようで、少しだけ心が痛んだ。

 

 「すまない……色々と状況を説明してくれると助かるのだが。」

 

 咳払いを一つし、俺達の後ろから声が掛けられる。振り返ると緑色の和服に身を包んだ女性がいた。一度見れば忘れられないであろうその美貌は全女性の憧れであろう。

 ふと横を見ればキリトの視線が意図的かは分からないものの、凝視するにはあまりよろしくない部分へと向けられているような気がする。彼の目の方向を追ってそれに気づいたシリカの視線が冷たくなった。

 念のため、相手に気づかれる前に二つの指でキリトの視界を破壊しておく。悲鳴を上げて転がる彼を見ていると、シリカと始めて一緒にパーティーを組んだ時のことを思い出す。

 

 「あー、それでサクヤが聞きたい事って?」

 

 「そんなもの、全部に決まっているだろう。こっちは何がなんだか全く状況を把握できていないのだ。」

 

 それからリーファと名乗ったキリトの近くにいる緑の妖精が此処までの成り行きを説明した。俺を始め、シルフとケットシーの者達も一切音を立てずに彼女の話を聞いていたが、その話が終わると同時に深く息を吐く。

 

 「……なるほどな。確かにここ数ヵ月か、シグルドの態度に苛立ちらしきものが見え隠れしていたのは感じていた。それでも私は彼を要職に就け続けてしまった。自らの保身の為にな。しかし今回の件で決心がついた。ルー、《月光鏡》を頼めるか?」

 

 「あんまり持たないから、手短に頼むヨ。」

 

 サクヤというらしい先程の女性の頼みを受け、小麦色の肌を大胆に晒すケットシーの人が一歩下がって聞きなれないスペルワードを読み上げていく。それが進むにつれ周囲が暗くなり、彼女が全て読み終えた頃には大きな円形の鏡が完成していた。

 造り出された鏡は一度だけ波打ったかと思うと、滲むように何処かの風景が写し出された。ざっと目を通す限り、執務室のように見える。

 そしてその机にどっかと足を投げ出し、目を閉じながら腕を後ろで組んでいる一匹の緑の妖精には見覚えがあった。確か部下に『シグさん』だとか呼ばれていた男だ。

 

 「シグルド。」

 

 鏡の前に進み出たサクヤの呼び掛けにバネ仕掛けのごとき動きで跳ね起きるシグルド。その顔には何故生きていると言わんばかりに驚愕が浮かんでいる。

 

 「さ、サクヤ!?」

 

 「そうだ、シルフ領主のサクヤだ。残念なことに私はまだ生きているぞ。」

 

 含みのあるサクヤの言葉に自身の裏切りが知られたことを確信したシグルドの厳つい顔はみるみる青くなっていく。弁明の言葉を探すように忙しなく動く彼の瞳が、俺を捉えた。やはり人間はトラウマに近いものを植え付けられた対象に敏感である。

 

 「……よ、《妖精殺し》……。」

 

 「……久しぶりと言うべきか?クズ野郎。」

 

 「……ヒッ!!」

 

 画面越しに放たれた殺気にシグルド改めクズ野郎は醜い声を上げながら後退る。現在進行形で俺の瞳は間違いなく赤の部分が増えてきていることだろう。何故なら、奴は俺が最も忌み嫌う行為をしたからだ。

 昔から他者を信じては裏切られを繰り返した俺は、向けられた信用を時に盾にし、時に弄ぶような人間が一番嫌いである。殺意が生まれてしまうのも当然のことだ。

 今すぐに奴を殺すことができるかと問われれば、可能である。ゼロモーションシフトは視界にさえ写れば距離を問わずその場所へと移動ができるのだが、距離に応じて脳への負担が重くなる欠点を持つ。鏡に写る場所が此処からどのぐらいなのか不明な以上、容易に使用すべきではない。

 

 「おいおい、何処を見ている?お前に用があるのは私だぞ?」

 

 サクヤは左手で領主専用かと思われるウィンドウを開くと、素早く指を走らせた。その直後、鏡の中にいるクズ野郎の眼前に一つのメッセージウィンドウが現れる。それに目を通した奴は血相を変えて立ち上がった。

 

 「き、貴様……!この俺を追放するだと!?正気か!?」

 

 「ああ勿論。お前がシルフでいることに耐えられないなら、永遠に中立地域を彷徨っていれば良いではないか。」

 

 「権力の乱用だ!ゲームマスターに訴えるぞ!」

 

 「勝手にしろ。……さらばだ、シグルド。」

 

 拳を握り、更に喚き立てようとしたクズ野郎の姿が消えた。今の鏡に写るのは無人となった執務室のみ。だがそれも儚い音と共に砕け散り、もう見えなくなった。

 

 「……サクヤ。」

 

 リーファが眉を寄せながら深いため息をついたサクヤにそっと声を掛ける。これでシルフの内紛も終わったかと思ったが、突然背後に出現した一つの気配に警戒度を引き上げて後ろを振り向く。

 数メートル先に見えたのは、妖精の世界では大変珍しい転移の光。というのも、あの世界と違ってこの世界には転移結晶などは無く、この光が発生する条件は俺の知る限り死亡後に自身の種族の町に戻る時か領主から追放された時のみである。

 まさかと一瞬思ったが、逆にそれ以外の可能性などあり得ないと切り捨てる。俺は間もなく確実に転移されてくるであろう愚か者を待つ。近くにいたシリカも俺がずっと後ろを見ていることに気づき、転移の光を見つめ始める。

 やがてその男が現れ、ボトリと肩から地面に落下した。その音に俺達以外の妖精達が発生源へと視線を向ける。落ちてきたのは予想通りの人物だった。

 

 「サクヤめ……この俺を追放するとはn……!?な、何故貴様らがこんなところにいる!?」

 

 「こんなところにいるも何も、お前が転送された中立地域が偶然にも此処だったんだよ。凄い確率だな、クズ野郎。」

 

 先程シルフ領から追放され、何処かの中立地域に強制転移させられたクズ野郎は俺達の姿を見つけるなり驚きの声を発した。確かにこの場所は中立地域だ。奴が転送されてくる確率は限りなく低いが、あり得ない事ではない。   

 

 「サクヤだったか、アイツを殺しても構ワナイカ?」

 

 「……ああ、大丈夫だが。」

 

 歩を進め、クズ野郎へと近づいていく。既に展開されている背の武器庫から包丁に似た短剣を握る。視界に写るのは植え付けられた恐怖が甦り、怯えに震えるだけの獲物一匹。

 檻が破壊され、自由の身となっている獣は俺の殺意を餌としてその力を増す。茅場の叔父さんとの戦い以降、意識を乗っ取られたりすることは無くなったが、膨れ上がった獣の力を制御することは今もできない。故に、殺意を生み出す元を殺すことが荒れ狂う獣を鎮める最良の手段である。

 

 「サァ……死のうか。堕チタ、裏切りの妖精。」

 

 一瞬の間でクズ野郎の眼前にまで移動した俺は、奴が剣を抜く前にその右腕目掛けて短剣を振り上げる。血がこびりついたような凶刃は容易く片腕を斬り飛ばした。放物線を描きながら地に落ちた腕だったものは一度跳ねた後、ポリゴン片となる。

 目を見開くクズ野郎を置き去りにして、俺は続けざまに剣を振るう。左腕を片手剣で同様に切断し、両手剣で纏めて脚を奪い去る。再びボトリと音が響いた。

 遂に己の力で立つことすら叶わなくなった奴はぶり返した怯えの感情を上書きするように喚き散らす。以前の指揮官の面影など何処にもない。ただの餓鬼と化していた。

 

 「何なんだよ貴様はぁ!裏切ったところで何が悪い!?より良い状況を求める為に動いて何が悪いんだぁ!!」

 

 「ア?」

 

 びきり、と手に持つ剣に自然と力がこもった。その力に耐えられなくなった柄が握り潰されて光の屑となる。今クズ野郎は何と言った?『裏切ったところで何が悪い』などと言ったのか?

 殺意が加速する。茅野の叔父さんの時の比ではない、後もう少しで意識が呑まれる寸前にまで獣の影響が大きくなっていく。それ程までに先程のクズ野郎の発言は消えかけていた火に油を注いだ。

 

 「……ウラギリガ、ワルクナイ?フザケルナ。オマエハ……コロス。」

 

 吹き出す赤黒いオーラが増えていく。心の中に住まう獣が殺せと吠えている。気がつけば、俺の手には全身を返り血で染めたあの時と同じ形状をした短剣があった。

 鋭くなった殺気に恐怖し、翅で飛んで逃げるという選択肢すら失った獲物は涙と鼻水を垂らし、醜い様を晒している。

 胴と頭しか残されておらず、転がっていることしかできない堕ちた妖精は一歩、一歩と俺が近づくごとに様々な悲鳴を上げて遠くからこちらを見ている妖精達に助けを求める。だが誰一人として奴を助けようなどとしなかった。

 とうとうクズ野郎の隣に到着した俺は短剣の形をした包丁という名の凶器を逆手に持ち、片方の手を添える。ガタガタ震えながら後退ろうとする肉塊を踏んで押さえつけ、回避できるかもしれないという僅かな道筋をも潰しておく。

 確かに長い人生の中で大なり小なり裏切りという行為をしたりされたりすることはあるだろう。そんな事は十二分に理解しているつもりだ。此処まで怒る必要がないことも知っている。

 されど、普通の者達とは異なる血まみれの過去を持つ俺はそれを一切許せなくなってしまった。殺意が芽生えてしまう程に許容できなくなった。

 

 「……シネ。」

 

 たった一言、そう呟いて包丁を振り下ろす。心臓部分に食らいついた凶刃が残りの体力を余すことなく全てを奪う。すると突然緑の炎が燃え上がった。それがクズ野郎の絶命を告げているのだということは考える必要もなかった。

 

 

 ◇◆◇

 

 偶然にもこの場所に転送されてきたシグルドさんを葬ったソーヤさんの雰囲気は初めて彼の中に巣食うという獣が解き放たれ、狂気に堕ちた時を彷彿とさせるものだった。

 元々は黒の瞳が限りなく赤に染まり、片言でしか話せないあの姿に何故再びなってしまったのか。その原因はとうにわかっている。

 四肢を失ったシグルドさんが喚きながら言った『裏切ったところで何が悪い』。それにソーヤさんは反応してしまったのだ。

 私は彼の血生臭い過去を知っている。故に彼が裏切りという行為に激しい嫌悪感を抱いていることも理解していた。しかし、あの時の状態にまでなってしまうとは思っていなかった。

 ふと私とソーヤさんが想いを伝えあった夜に、彼が話ていたことが脳裏をよぎる。そうだ、彼はあの事件の前から何度も信用を裏切られたと言っていた。ならば、狂う直前まで殺意が生まれてしまうのも仕方のないことなのかもしれない。

 そこまで考えた時、ソーヤさんは私が思う以上に危険なところにいるのではないかと感じた。何回も裏切りを繰り返されれば、いずれ誰も信じられなくなって塞ぎ込んでしまうことは火を見るより明らかなことだ。もしかしたら、彼はその崖っぷちに立っているか、既に一度落ちているかもしれない。

 

 「ソーヤさん!」

 

 私は駆け出した。名前を呼ばれた彼はこちらを振り向き、私の姿を確認したとたんに心からの笑みを浮かべる。もう瞳からは赤がなくなり、背に展開されていた無数の武器も消えていた。

 両腕を広げて駆け寄る私をソーヤさんは優しく受け止めてくれた。彼の体温が触れ合った場所からじんわりと伝わってくる。

 

 「……シリカ、どうしたの?いきなり抱きついてくるなんて。」

 

 「むぅ……好きな人に甘えてはダメなんですか?」

 

 「!……いいや、構わないよ。」

 

 ソーヤさんはそう言って私の頭を撫で始める。撫でられていて心地良い彼の手は本当に大好きだ。視線を少し上に向けると、幸せを全面に押し出したような顔で笑っている彼がいた。

 あの予想が正しいかの保証なんてない。もしかすると私が心配する程危険な状態ではないのかもしれない。でも仮に彼が崖から落ちてしまうようなことがあったのなら、私が必ず引き上げよう。例えそれが何度あったとしても止めるつもりなんてない。

 

 「ソーヤさん。」

 

 「ん?何だい、シリカ?」

 

 「大好きですよ。」

 

 「ああ、俺も大好きだよ。」

 

 ソーヤさんはより一層私を強く抱き締める。『ありがとう』、そう彼に言われた気がした。

    



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第三十八話 想定された最悪の可能性

 最近気づいたのですが、この作品も初回投稿から半年と一ヶ月が経っていました。

 こんな作品を読んでいただいて本当に嬉しい限りです。ありがとうございます。 


 ◇◆◇

 

 シグルドが少年によって殺害され、静寂が場を支配する。沈黙が流れ、誰も口を開こうとしない。そんな中、抱き合う二人にため息をつきながら歩み寄ってきたキリトがそれを破る。

 

 「全く、ソーヤの威圧感は相変わらず恐ろしいもんだな。後ろを見てみろ、お前の殺気に初めてあてられた人達が大変なことになっているぞ。」

 

 キリトが親指でクイッと後ろを指し、少年と少女は抱擁を解いて緑と小麦色の妖精の集団に目を向ける。そこには彼の言うようにいつかのような光景があった。

 泡を吹いて倒れているような者は流石にいなかったが、ある者は少年に恐怖の眼差しを送り、またある者は立ったまま気絶してその魂を現実世界に還されている。

 少年から漏れ出る心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚えさせる殺意はやはり常人には耐え難いものであったようだ。

 

 「なんか……見覚えがありますね。これは。」

 

 「うん……確実に俺のせいだ。ちゃんと謝っておこう。」

 

 一度獣に呑まれた少年は他者を心配するという優しさを失っている。しかし自身に責任を感じ、謝罪しなければと思う気持ちは残っていた。

 少年は凄惨な光景が広がる現場まで戻ると、二種族の領主に頭を下げる。今はもう出ていない彼の殺気に若干身を震わせるだけでどうにか耐えていた二名の統治者は特に謝る必要はないと言い、加えて緑の領主は私が許可を出したのだから気に病まなくて大丈夫だと頭を上げさせた。

 

 「それにしても……キリト君、だっケ?あの時言っていたスプリガンとウンディーネの大使って本当?」

 

 ケットシーの領主を務めるアリシャ・ルーが視線をキリトに写す。お尻から伸びる縞模様で長い尻尾は彼女の好奇心を表しているのか、ゆらゆらと揺れている。隣に立つシルフ領主、サクヤも疑問符を浮かべながら彼を見る。すると彼は両手を腰にあて、えへんと胸を張った。

 

 「そんなの大嘘に決まっているさ。ブラフ、ハッタリ、エゴシエーション。」

 

 「「なっ……!?」」

 

 「……キリト、一つ訂正しようか。無茶をしでかすのはキリトの方だ。流石の俺でもあんな大群を前にして大法螺を吹くなんて真似はしないよ。」

 

 絶句する領主達とキリトに押し付けられた『無茶無知無謀』の称号を返却する少年。因みに少女とその相棒はどっちもどっちでしょと暗に告げるような目で対照的な装備の色をした二人を見ていた。

 大きな嘘をついたにも関わらず、一切悪びれる様子を見せないキリトに興味が湧いたのか、ニヤリと悪戯を思いついたかのように口元に弧を描かせると数歩踏み出して覗き込むような体勢を取った。彼女の瞳に写っているのはキリトと少女。

 

 「……大法螺を吹いたにしては、とんでもなく強いんだネ。あのALO最強って言われるユージーン将軍に正面から戦って勝っちゃうんだから。あと、《妖精殺し》君の横にいるキミも同じだヨ。二人は彼を助ける為に来たって言ってたけど、その目的も達成されたみたいだし……うちで傭兵やらない?三食おやつに昼寝もあるヨ。」

 

 「おいおい、抜け駆けとは良くないな。ケットシーの彼女だけなら納得できるが、スプリガンの彼はシルフの救援に駆けつけてくれたんだ。交渉はこちらが先でないとな。」

 

 心なしか先程よりも艶っぽい声を出したサクヤが、こちらだけは取られまいとキリトの腕を胸に抱いた。突然の事態に彼の顔は困ったような顔を浮かべながら真っ赤に染まる。ピシリ、とリーファの顔がひきつった。

 そしてサクヤの主張に仕方ないかと呟いたアリシャは少女に焦点を合わせると、熱心に勧誘を開始する。その熱気に少女は思わずたじろいだ。

 少女は困った者を見過ごすようなことができない優しい性格をしており、頼みや誘いを断ることに抵抗を感じてしまう。此処とは異なる異世界にいた頃、パーティーの誘い一つ一つ丁寧に断る時も、申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだ。

 仮にあの時、少女を誘った者達が食い下がったのならば、彼女はその優しさ故に断りきることなど不可視だっただろう。それ程までに彼女は優しすぎるのである。

 だからこそ今少女は一度断っても引き下がるとは思えないアリシャの勧誘に対してきっぱりと断りの言葉を発することができないでいる。その光景を目にした少年は彼女の肩に手を置き、口を挟んだ。

 

 「力を買ってくれているのは嬉しいのだが、彼女は……シリカは俺にとって唯一無二の相棒なんだ。申し訳ないが、勧誘はお断りしたい。」

 

 「おっと、それはすまないことをしたネ。確かに……」

 

 勧誘に失敗して残念そうな顔をしていたアリシャだが、少年と少女を代わる代わる見た後にニヤニヤと笑みを浮かべる。

 

 「今までの行動といい、今の台詞といい、どうやらキミ達お二人さんは恋人同士みたいだしネ~。お熱いところを邪魔しちゃったかナ?」

 

 「こっ……!!」

 

 一つの真っ赤な林檎が熟れた。その顔を見られたくないのか、少女は少年が横を見る前に彼の背後に身を隠した。やはり関係を隠していないとはいえ、こうして口にされることに彼女は慣れていないようだ。

 頭から煙を上げ始める少女を見てニャハハハと笑っていたアリシャだったが、彼女の肩をリーファが呼ぶように叩いた。向こうも終わったのかと少年がキリトの方を見れば、そこには残念そうに息を吐くサクヤと小さな妖精ユイに文句を言われている彼がいた。

 

 「あの、アリシャさん。サクヤから聞いたんですが、今回の同盟って世界樹攻略の為なんですよね?」

 

 「その通りだヨ~。二種族共同でグランドクエストに挑んで、片方だけアルフに転生できたのなら次のものをお手伝いするっていうのがお約束でネ。」

 

 「だったら俺をその攻略に同行させてくれないか?勿論、シリカとソーヤだって一緒に行く。俺は少しでも早く世界樹の上に行きたいんだ。」

 

 愛娘からのお説教を終えたキリトがリーファの前に一歩進み出る。突然の申し出に領主達は顔を見合せ、サクヤは一体何故と問うような視線を向けた。彼は一瞬だけだが瞳を伏せる。当然、その行為を少年は見逃してはいない。

 キリトの様子に興味を引かれたのか、きらきらと効果音が聞こえてくる位に眼を輝かせるアリシャ。だがそれは直ぐに引っ込み、申し訳なさそうな顔を浮かべる。彼女の耳や尻尾も力なく伏せられていた。

 

 「でも、攻略班の装備とかを整えるのにまだ時間が必要なんだヨ。資金もまだ足りないし、とても一日二日じゃ……。」

 

 「いえ、大丈夫です。取り敢えず根元まで行くことが目的なので。それから後は私達で何とかします。」

 

 「あ、そうだ。資金なら何とかなるぞ。」

 

 何かを思いついたような声を出し、小さく笑ったキリトはウィンドウを開いて操作を始める。次の瞬間、彼の手に大きな皮袋が出現した。

 

 「俺のいらない金だ、資金の足しにしてくれ。」

 

 じゃらりと見るからに重そうな皮袋を受け取ったアリシャは恐る恐る中を覗き込み、眼を丸くさせた。入っていたのは領主達ですら声が掠れてしまう程の大金。サクヤ曰く、一等地にちょっとした城が建てられる量らしい。

 しかしそれでも目標金額には届かないそうだ。すると全財産を譲渡したキリトが少年と少女に駆け寄り、指で金のマークを作った。彼の意思を理解した二人は同様にウィンドウを開き、同じように大金の袋を実体化させる。その光景に三人以外の者達が揃って眼を見開いた。

 

 「……資金がまだ足りないのなら」

 

 「私達の分も使ってください!」

 

 「きゅるるる!」

 

 背後で意識を取り戻した側近達から大きなざわめきが起こる。それと共に少年を恐れていた者達からの視線は更におぞましいものを見るものになってしまっていたが。

 

 「三人とも、ありがとう!これだけあれば目標金額を余裕で達成できそうだヨ!それじゃ、また連絡させてもらうネ!」

 

 「あ、待ってくれ。実はまだ渡すものがある。」

 

 宝くじに当たった人間のようにさっさと領地に帰ろうとする妖精達を少年は引き留める。そして開いたままだったウィンドウを手早く操り、一つのボタンを押した。

 

 「え?ちょ……えぇ!?」

 

 リーファが思わず驚きの声を上げてしまうのも無理はない。少年の前にぼとぼとと落ちてきたのは無数の武器と防具だった。これらは全て彼が《妖精殺し》だった時に殺害した妖精達の装備である。中にはあまりお目にかかれない珍しい物もあるようだ。

 唖然とする一同を前に、ウィンドウを消した少年は少しばかり口角を上げる。

 

 「確か装備も整えなければいけないんだったな。だったらこれらを持っていくと良い。はっきり言って俺には必要の無い物ばかりだ。」

 

 「……こんな大量の装備、本当に貰っても良いのか?ざっと見るだけでも君が使えば良いと思うものが見受けられるのだが。」

 

 宝の山に近づいたサクヤは一振りの片手剣を取り出す。それはこの世界で少年が使用するものと酷似しており、性能も悪くないどころか相当な強さの部類に入る。

 しかしそんなものには一切目もくれず、少年は何の執着もなさそうに頷いた。

 

 「持っていくと良いと言った筈だ。これらは俺にとって邪魔でしかないんだ。」

 

 「君がそこまで言うのなら……この大量の装備はありがたく頂戴するとしよう。本当に何から何まで世話になったな。君達三人にはとても感謝しているよ。できる限り希望に添えるように努力することを約束しよう。」

 

 「それじゃ、また会おうネ!」

 

 緑と小麦色の妖精達は少年達に手を振りながら上昇すると、赤く染まる西の方角に向かって消えていった。残るのは彼女らの翅から散った粒子が造る光の帯。数分前まで様々な種族が集結したこの谷はまるであの時が幻であったかのように静かであった。

 

 「……行ったな。」

 

 「……はい、行ってしまいましたね。」

 

 そう答えながら少女は遂に取り戻した恋人の温もりを求めるようにそっと寄り掛かる。勿論少年は拒むことをせず、自身にもたれる彼女の頭を撫でた。そして彼の頭に小さな相棒が乗っかり、いつもの二人と一匹になる。少年が何度も諦めながらも望んだ光景がそこにあった。

 

 「おいおい、やっと一緒になれたからって早速イチャコラするんじゃないよ。さっさと行くぞ、バカップル。」

 

 「「バッ……!?」」

 

 するとその雰囲気をキリトがぶち壊す。顔を真っ赤にした二人と一匹に追いかけられながら彼は逃げるように翅を広げ、一目散に世界樹へと飛んで行く。

 

 「あ!ちょっと待ってよ~!」

 

 リーファもやや遅れながら翅を展開し、地を蹴った。スピードに自信がある彼女は悠々と少年と少女を抜き去り、キリトの隣に並んだ。

 追い付かれたかとキリトは顔を青くしながら視線を横に向け、安堵の息を吐いた。そんな彼にリーファはクスッと笑いをこぼす。彼女はまだ自分の気持ちにはっきりと気づけてはいない。しかし、キリトに『バカップル』と評された後ろの二人が羨ましいと感じた。

 

 

 ◇◆◇

 

 太陽に良く似た物体が更に沈んでいき、赤かった空がだんだんと暗くなってきた。そんな景色を横目に、最低限の意識を外に残して俺は思考の海へと潜る。

 今横に並んで飛行しているシリカからこの世界を訪れる前までの経緯を聞いた。彼女が言うには、約三百人の人間が未だ現実世界への帰還を果たしておらず、その中にキリトが愛するアスナも含まれているそうだ。

 これは明らかにおかしい。茅野の叔父さんはあの時間違いなく『生き残った全プレイヤーのログアウトを確認した』と言っていた。それに加え、彼はそんな事をするような人間ではない。歳の差はあれど、友人に近い関係だった俺だからこそ断言できる。

 しかし実際還ることができていない人間が多くいることもまた確かだ。あり得るとすれば……SAO開発の根幹を担った四人のうち唯一現実で生存しているであろう奴による可能性だろうか。奴の性格を考慮すればその信憑性は増す。それ程までに奴はクズ野郎なのだ。

 仮にそうだとすれば、俺は神原創也としてあのクズ野郎の所業を止めなければならない。恐らく行われているであろう研究と称した人体実験の基盤を作ってしまった両親の責任を息子である俺が取らなければならないのだ。

 

 「……ソーヤさん?何か怖い顔になっていますよ?」

 

 「きゅるるる?」

 

 「ん?ああ、大丈夫。ちょっと考え事してただけ。」

 

 自然と顔が険しいものになっていたのだろう。翅を鳴らしながら器用に俺を心配の眼差しで覗き込むシリカとピナを安心させる為に笑顔を浮かべた。それと同時にまだ確定した訳ではないと自分に言い聞かせ、途中から本当に起こっているものだと考えていた思考に刃を突き立てる。  

 そしてそういえば現実では今何時なのだろうかと意識を無理矢理別方向に向け、左手を振ってウィンドウを開く。

 表示された時刻は午前一時半だった。これは流石に夜更かしが過ぎるのではないだろうか。まぁ二年間ずっとゲームし続けていた俺がそんな事を言えるのかは別としてだが。

 

 「……なぁ、今夜中の一時半だが大丈夫なのか?俺はともかく、皆は現実での生活があると思うんだが。」

 

 「そうだね~、アルンはまだ遠いし今日は此処までにしようか。近くの宿屋を見つけてログアウトしよう。」

 

 一番最後に飛び立ったにも関わらず、現在先頭を飛んでいるリーファが同意の意を示す。一応彼女にも俺がログアウト不可であることは伝えてある。このメンバーで最古参である彼女の言葉にシリカとキリトも頷いた。

 

 「あ、あそこに村がありますよ!」

 

 視力の良いケットシーであるシリカが指差す先には僅かにだが小さな集落らしきものが見えた。

 

 「よし、飛べる時間も残り少ないからさっさと行こうぜ!」

 

 「そうね、そうしましょう!」

 

 彼が好む黒い色をした翅を鳴らし、キリトはその村に向かって加速する。リーファも速度をぐんと引き上げて彼を追う。二匹の妖精の姿はみるみる遠くなり、やがて豆粒程の大きさになってしまった。

 俺達はキリトとリーファよりも翅の扱いが下手であり、どう頑張ろうと先程までの距離まで詰めることは不可能である。なので、彼らが視界から消えない程度で二人を追いかけることにした。最悪シリカの飛行制限が来てしまっても、俺が彼女を抱えて飛べば良い話だ。

 

 「……!?おいキリト気を付けろ、その村何かおかしいぞ!」

 

 ようやく村がはっきりと見えてきたところで、俺はある違和感を感じ、先にそこに降りていたキリトに大声で警告する。あの考え事がまだ脳の片隅に残っていた為に気づくのに遅れてしまったが、あの集落の下に一つの大きな気配を感知したのだ。

 さらにそれ以外の気配が何一つ存在していない。これは村の中に人形すらいないことを意味している。

 

 「ん?何か言ったかソーヤ?もう一度言ってくれないk……はぁ?」

 

 俺の方を見ながら聞き返そうとしたキリトの言葉は最後まで続かなかった。というのも、突如彼が立っていた大地に大きな穴が空いてのだ。予想もしなかった出来事に口もあんぐりと空いてしまう。

 

 「え?これ飛べないz……うわあああぁぁぁ!!」

 

 そして落ちていった。キリトは翅を展開して逃げようとしたが、大穴から発生した強烈な吸引力によって逃げること叶わずに暗闇に消えた。彼の近くにリーファの気配も確認したので、恐らく彼女も落ちてしまったのだろう。今すぐにでも救出に向かいたいが、二人を飲み込んだ大穴はもう塞がってしまった。

 

 「ああ、キリトさんとリーファさんが食べられちゃいました……。私があそこに村があると言ったばかりに……。」

 

 シリカは責任を感じたのか、顔を手で覆ってしまう。確かにきっかけは彼女だっただろう。だが全部が全部悪い訳ではない。責任は俺にだってある。

 

 「シリカ、そんなに責任を感じなくて良いんだよ。それに、二人の気配はまだ消えていない。今俺達ができることはキリト達が来ることを信じてアルンに向かうことだ。」

 

 全く、少し前まで誰一人として信用しようとしなかった人間が随分と成長したのものだと内心で思う。それと同時に俺の嘘の仮面を叩き割ってくれた恩人達への感謝の気持ちが溢れた。

 

 「ソーヤさん……そうですよね!キリトさんとリーファさんならきっと大丈夫ですよn……ってきゃあ!?」

 

 その筆頭であるシリカは眩しい笑顔を浮かべてこちらを向いたが、急に重力によって落下し始めたので慌てて抱きとめる。彼女の背を見れば、小麦色の翅が光を失っていた。

 

 「飛行制限が来ちゃったのか……仕方ないね。シリカ、このままアルンへと向かうよ。」

 

 「ふぇ!?だだだ大丈夫ですよ、私一人で飛べますから!」

 

 「いや、飛べないでしょ。だって今俺が離したらシリカは地面にまっ逆さまだよ?」

 

 頭から煙が出るようなパニック状態から回復し、状況を整理し終えたシリカは「お願いします……」と小さな声で言った。

 

 「了解。ピナは行ける?」

 

 「きゅるるる!」

 

 かくして俺はシリカをお姫様抱っこしたまま『まだまだ行ける』と元気良く返事したピナと並んでアルンへと翅を鳴らした。

           



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第三十九話 新原両親と須郷伸之

 今回は須郷伸之に多少のオリジナル設定を盛っております。とはいえ以前からそうでしたが。

 あと、後半会話文多めです。


 ◇◆◇

 

 「よっと……此処がアルンか。」

 

 長時間休ませもせずに酷使した白い翅に内心でお礼を言いながら周囲に気配がないことを確認し、苔むした石の上に音も立てずに着地する。

 忘れそうになるが今の俺はあらゆる妖精を刈る《妖精殺し》であり、一般のプレイヤーとは違う。もし仮に誰かに見つかりでもすれば、この街は大混乱に陥ることは必至である。

 

 「うむぅ……。」

 

 俺の腕の中で船を漕ぐシリカは結局、あれからずっと己の翅で飛ぶことをしなかった。というより、飛べなかった。俺が飛行制限の時間は地面に降りることで回復することを知らなかったからだ。その結果、俺のお姫様は約一時間もの間抱っこされることになってしまった。ご本人は何処か嬉しそうだったが。

 だがそれももう終わりだ。シリカの頬をぺちぺちと叩き、彼女の虚ろな意識を呼び覚まさせる。今眠ってしまえば此処まで苦労して来た意味がなくなってしまう。どうにかして宿まで耐えて貰わねばならない。

 

 「うんみゃ……ソーヤさん?ついたんですか?」

 

 「……うん、ついたよ。地図を見る限りあっちに激安のがあるみたい。大通りとは離れているし、店主もNPCらしいからそこに行こう。ピナもついてきてね。」

 

 「きゅるるる。」

 

 絶対に目立つ訳にはいかない俺の意を汲んだのかピナは小さく鳴き、眠そうに瞼を擦るシリカの手を引く俺の後に続いた。サクヤとアリシャに所持金の殆どを渡した為、現在の手持ちはほぼゼロと言っても間違いではない。

 無数の気配に気を配りながら例の宿屋に到着し、二人分の代金を支払おうとしたその瞬間、俺はシリカとピナを抱えて植木鉢の影に隠れた。この宿目指してやって来る三つの気配を確認したのだ。一応俺は気配を隠すことが得意な部類に入る。このまま息を潜めておくことにしよう。

 やや古びた扉が軋んだ音を鳴らしながら開かれた。そして入って来た者達を視界に捉え、俺はとんだ取り越し苦労だったと呟きながら隠れることを止める。あの三人になら別に姿を見られたところで何ら問題はない。

 

 「……やぁ、キリト。」

 

 「そ、ソーヤ!?いつからそこにいたんだ!?」

 

 眠気を覚ますように何度も顔を叩いていたキリトは驚愕の表情をこちらに向け、隣の小さなおねむさんのように欠伸をしていたリーファは肩を跳ね上げる。

 

 「ああ、そこの植木鉢に隠れていたんだよ。一応バレたら何が起こるかわかったもんじゃないからね。」

 

 「確かにそうだな……というか、ソーヤは普通に街に入れるんだな。」

 

 「……そうだよ。どうやら俺はプレイヤー判定の方が強いみたいだからね。メニューも出せるし。」

 

 そう答えながら左手を振ってウィンドウを開く。どうも俺はグランドクエストやらに出てくる妖精達とは別物扱いされているようなのだ。

 あれらはモンスターに分類されるそうだが、俺は同じ翅を持つのにも関わらずプレイヤーに分けられている。現在のようにメニューを開くことができたりアルンの街に入ることができていることがその最たる例だ。

 しかし俺はどの種族にも属さない為に『自身の種族の領地内ならば殺されない』というルールが適用されない。故に、安全地帯に逃げた者を追いかけて殺すことだって可能なのである。まぁこれは偶然気づいたことなのだが。

 

 「ふわぁぁぁ……ソーヤさん、早く寝たいです……。」

 

 「うん……私も~。キリト君、さっさと部屋取ろ~。」

 

 「……はは、女性陣はもう限界みたいだ。もう遅いし、寝るとしようぜ。」

 

 「あ、待ってキリト。今すぐに君と話したいことが一つあるんだ。」

 

 ポケットからお金を取り出したキリトに静止の声をかける。彼はどうしたと問うように首を傾げた。

 数時間前、サクヤの問いに一瞬だけ瞳を伏せた時のキリトの顔が脳裏をよぎる。あの時、彼の瞳に写っていたのは何者かに向けた怒りと己の無力を呪う感情の二つだった。それがあの最悪の想定と結びつき、俺の頭から離れない。

 正直このままでは、これからの攻略に支障が出ると思われる。キリトとリーファを飲み込んだ大穴に気づくのが遅れたように、意識の幾らかをそちらに持っていかれるようでは死んでしまう危険性がある。

 だから、最悪の想定が現実のこととなっているのか早急に確かめねばならない。今は亡き新原夫妻の一人息子として知らなければならない、仮に事実であれば止めなければならない。それが例えどんなに残酷で、更に俺が人間を手にかけてしまうことになろうとも。

 

 

 ◇◆◇

 

 「それで、話ってのは何だ?今すぐにって言ってたが、そんなに急ぐ必要があるのか?」

 

 「……急ぐ必要があるというより、俺が今すぐに確かめたいことなんだ。キリトは俺の質問に答えてくれるだけで良いよ。」

 

 二つあるうちの一つのベッドに腰掛けたキリトはいつになく真剣な表情を浮かべる少年を見つめる。因みに少女とリーファは彼らの隣の部屋を取り、既にログアウトを済ませていた。あの場に残っているのはご主人のベッドで眠るピナだけである。

 そしてキリトの視線を受けた少年はゆっくりと一つ目の質問を口にした。

 

 「キリト……君は現実で須郷伸之という人間を知ってる?」

 

 「……!!」

 

 キリトの目が見開かれる。彼はまさかその名前が少年口から飛び出てくるとは微塵も考えていなかった。

 あの男と初めて出会った時のことを思い出す。アスナの父親が退出した瞬間に薄笑いを浮かべ、昏睡状態を利用して彼女と結婚すると堂々と告げられたこと。そして、何もできない自分の非力さを呪ったこと。

 自然とキリトの顔はあの時と同じものになっていた。何故少年が知っているのかという疑問など今はどうでも良いと言うように、彼の頭の中はアスナと奴のことで一杯になっている。

 

 「……どうやら嫌なことを思い出させてみたいだね、本当にごめん。次で最後の質問にするから。最悪この二つだけ聞くことができれば良いんだ。」

 

 雰囲気が変わったキリトを見た少年が小さく頭を下げる。他者の感情を読み取ることに長けた少年は彼の持つ暗い感情が増幅してしまったことに気づいたのだ。

 これ以上キリトが思い出したくない記憶を無理矢理掘り起こさない為にも、少年は己の仮説が嘘か真か確かめる為に必要最低限の質問をぶつけた。

 

 「シリカから聞いたことなんだけど……今、現実で約三百人のSAOプレイヤーが帰還できていないって本当のこと?」

 

 「……ああ、事実だよ。ニュースでも連日報道されてる。でも何でそんな事を聞いたんだ?シリカから聞いたのなら、わざわざ俺に確認を取るようなことはしなくて良いと思うんだが。」

 

 「……それには申し訳ないけど答えられない。でも、ありがとう。お陰で俺が次にやるべきことが決まったよ。それじゃ、またね。」

 

 少年は腰掛けていたベッドから立ち上がり、部屋の出口へと向かい始める。それを何気なく眺めていたキリトだったが、慌てて我に返ると少年の後を追いかけてその肩を掴んだ。

 

 「おい待て、今さら何処に行くつもりなんだ?」

 

 「そんなの、父さんと母さんの努力の結晶を踏みにじるような非人道的の研究を止める為に決まっている。俺の両親はもういない、だから俺が止めなければいけないんだ。大丈夫だよキリト、死ぬつもりなんてないから。」

 

 振り返り、キリトを至近距離から見つめる少年の瞳はある使命に固執し過ぎているようにだった。それは基本鈍感な彼でさえ余裕で気づくことができてしまう程に表に現れている。

 しかしキリトは少年が何を言っているのか理解することができなかった。彼は少年の両親のことを知らない、その為にどうして少年がこんな行動をするのかもわからないのだ。

 それでも、キリトは掴んだ少年の肩を離そうとはしない。絶対に離してはいけないと彼の勘が告げていた。

 あと一歩歩み寄れば、お互いの鼻の先が当たってしまう程の近さで二人は視線を交錯させる。数分後、キリトがこの手を離すつもりがないことを理解した少年は根負けし、ため息をつきながらベッドへと戻った。

 

 「……次は俺に質問させてくれ。何であの二つのことを確認して急に飛び出そうとしたんだ?それと『父さんと母さんの努力を踏みにじるような非人道的な実験』って一体……?」

 

 キリトに質問をぶつけられた少年は元々険しくなっていた顔を更に険しくする。まるで少し前の彼のように、思い出したくない過去を深い意識の底から引っ張り出したような顔だった。

 

 「……それに答えるには俺のもう一つの過去を話す必要があるんだ。ただし……絶対に誰にも言わないでね。シリカやピナ、リーファにも話してはダメだよ。」

 

 「り、了解だ。」

 

 少年が一瞬放った有無を言わせない威圧感に気圧され、キリトはぶんぶんと首を縦に振る。そして少年は渦巻く悲しみを隠しながらぽつりぽつりと血濡れたものとは異なるもう一つの過去を彼に話し始めた。

 

 「それじゃあ、まずは俺が何者なのかっていうところからだね。キリトは俺のことをどれだけ知っていたっけ?」

 

 「それは、確か最後の戦いの時に言っていた……お前の両親が茅場昌彦の部下だってことぐらいだな。」

 

 二年間生きたあの場所からの解放を賭けて茅場昌彦に挑む少年が突如、衝撃の関係を明らかにした当時のことを思い出しながらキリトは少年の問いに答える。

 基本的に少年は何度も裏切られた過去を持つ故に、自分のことを積極的に話すような真似はしない。そして聞かれたとしても、心から信用できる人間にしか己の口で過去を打ち明けることはしない。その為に、キリトは少年のことをあまり知らないのだ。

 

 「成る程ね……あ、そういえばキリトは茅場の叔父さんのことに詳しかったよね?だったらこれを聞けば、すぐに気づいてしまうかもしれない。俺の名字は『新原』なんだけど、これに心当たりはある?」

 

 「『新原』か……ん?『新原』って言ったか!?それってもしかして……脳の構造を完全に解析したっていうあの……!?ということはまさか……!?」

 

 キリトの瞳がどんどん収束していき、同時に驚愕の色が浮かび始める。正体を悟られたことを感じ取った少年は流石だと賞賛を送り、これまで自身を隠していた謎のベールを取り払った。

 

 「そのまさかだよ、キリト。俺は、不幸にも交通事故で亡くなった新原華菜と新原壮一郎の息子にあたる新原創也だ。」

 

 「そうだったのか……。でも何でそれがあの行動に?まだ俺には結びつきが見えないんだが。」

 

 「だから、まずはって言ったでしょ?……此処からの話が重要になるんだ。」

 

 物音一つせず、やや薄暗い部屋に少年の一層重くなった声だけが響く。対面に座るキリトからは自然と少年の拳が強く握り締められているのが見えた。

 

 「先にキリトの質問に答えておくと、俺が飛び出したのはその実験を止める為だよ。そしてその実験っていうのは……同じく茅場昌彦の部下であった須郷伸之が以前から計画していた、人間の脳の感覚以外の機能までも制御するというものだよ。簡単に言ってしまえば、他人の思考とかを支配して操り人形にしようとする実験になる。」

 

 「……嘘、だろ。そんな事できる訳g……」

 

 「いいや、できるよ。」

 

 常軌を遥かに逸脱した非人道的な実験が行われていることを否定しようとしたキリトの言葉を少年が遮る。一瞬だけ疑問符を浮かべた彼だったが、次の瞬間には何かに気づいたような顔をした。

 

 「キリト、気づいたようだね。既に俺の両親が脳の構造を解明してしまっているんだ。それを利用したのならば、あとは制御の手段を調べるだけになる。この方法が発見されるのに、そう時間はかからないだろうね。」

 

 「ソーヤ……。」

 

 「だから俺は止めに行こうとしたんだ。これまで治療が難しかった脳の病気を治すことができるようにって必至に研究した父さんと母さんの成果を悪用するような輩を放ってはおけない。あんなことに俺の両親の研究を生かしてはならないんだ。一刻でも早く止めに行かないと。」

 

 再び立ち上がろうとした少年をキリトは上から体重を掛けるようにして押さえつける。重力も味方に加えた彼の力は、今この時だけ少年のものを上回っていた。 

 

 「それなら、尚更一人で行くな。俺も連れていけ。もしかするとシリカから聞いているかもしれないが、アスナは世界樹の上に捕まっている。となると奴も同じ場所にいると考えても大丈夫だ。何せ、あいつは現実でアスナと結婚しようと目論んでいる。それに加えてそんな研究しているのなら、世界樹なんて隠れてこそこそするのにうってつけじゃないか。つまり、俺達の目的地は一緒な訳d……」

 

 『間もなくメンテナンスを行います。プレイヤーの皆様はログアウトをお願いします。繰り返します。間もなくメンテナンスを……』

 

 絶対に行かせないとばかりに早口で捲し立てるキリトの言葉を今度は無機質なシステムアナウンスが遮った。

 

 「ああ、もうそんな時間か。ほらキリト、早くログアウトしなくちゃ。」

 

 「……そうだな。ソーヤに言いたいことはまだまだあったが、仕方ない。だけど、最後にこれだけは言わせてくれ。もうお前は独りじゃない。もっと俺達を頼ってもいいんだぞ。……それじゃ、また明日な!」

 

 そう言うとキリトはウィンドウを開き、操作し始める。その数秒後、彼の姿は無数の光となって消え去った。残されたのは少年ただ一人。少年は疲れはてたようにばたりとベッドに倒れた。

 

 「……『もうお前は独りじゃない。もっと俺達を頼ってもいいんだぞ。』か。確かにそうだ。俺はもう独りじゃなくなった。はは、シリカにも言われたのにな……。」

 

 少年の自嘲まじりの言葉は瞬く間に無人となった街の中に消えていく。少年にはこれまで頼れる友人などいなかった。その為、彼は長年独りで物事に向き合うようになる。唯一頼ることのできる家族には心配をかけたくないという考えを持ち、その考えは更に少年の孤独を加速させた。そしていつしか少年にとって物事とは独りで向き合うことが当たり前になっていた。

 

 「もっと頼ってみるか……皆を。」

 

 どういう訳かこの妖精の世界に迷い込み、鋼鉄の城で出合った愛する人にもう独りじゃないと言われた。それに加えて先程、初めて自分を裏切らなかった男からもっと頼れと言われた。その言葉が少年の心に溶けていく。

 一人では越えられない壁も皆なら越えられる。少年が幼かった頃に母親が読んだ絵本のワンフレーズが彼の脳裏をよぎる。

 どうやら俺は使命感に囚われ過ぎていたのかもしれない、そう少年は思った。両親の努力を踏みにじられ、息子として憤りを感じていたのかもしれない。基盤を作ってしまった責任を取らなければならないと躍起になっていたのかもしれない。

 もし仮に、このまま独りで行っていたらどうだろうか。少年は浅いところで思考を開始する。はっきり言って研究を止めることができるかどうかは怪しい。だが仲間がいれば成功確率が上がると思われる。

 自分自身で弾き出した答えに少年は戸惑いを覚えた。長年凝り固まっていた価値観がいとも簡単に崩れたことに驚きを隠せないでいた。

 しかしそれも当然のことかと少年は疑問を追及する手を打ち切る。少年は二年前から孤独ではなかった。いつも隣に誰かがいて、お互いの背中を預けあっていた。あの価値観は少しずつではあるが変わっていたのだ。

 

 「……早く皆に会いたいなぁ。」

 

 楽しそうにそう呟いた少年はゆっくりと意識を手放す。彼の口元には自然と弧が描かれていた。  



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第四十話 隠し事

 今回もオリジナル設定が登場します。


 ◇◆◇

 

 真っ白な廊下を抜け、今日も今日とてベッドで眠る彼が入院している部屋を訪れる。慣れたように首から下げていたパスをネームプレートの下に滑らせると、かすかな電子音の直後に扉が開かれた。

 相変わらず何もない部屋だ。しかしこれからはもう何もないなんて言わせない。置かれている椅子に座り、手に下げていた袋から小さな花瓶とお見舞いの花を取り出す。花瓶にその花を生けると、ちょんと部屋の窓際に置いた。そこは彼が目覚めるとすぐに目に入るであろうところである。

 以前までならこんな事をする余裕なんてなかった。この部屋に来る意味は決してお見舞いなどではなく、彼が起きているか確かめる為だとしか思っていなかった。そう思えてしまう程に精神が追い詰められていたのだ。

 

 「これが……私の最初のお見舞いです。」

 

 だから此処ではない場所とはいえ彼を取り戻すことに成功し、張り詰めていた精神に余裕ができた今こそ、彼のお見舞いに初めて行こうと思った。

 どうせ今日は午後三時まで彼に会いに行くことはできない。そう考え、お母さんにオススメの花屋と花瓶が売っている店を聞いて朝食をとり終えるなり家を飛び出した。

 先に行ったのは花瓶の方。お見舞いに適しているようなものを店員さんに教えて貰いながら、色は自分で選ぶことにした。そして選んだのは赤。彼の色と言えば何だろうか、と考えた時に瞬時に思い浮かんだのがそれだった。

 赤と聞けば彼の血にまみれた過去を思い浮かべてしまうが、それよりも彼の瞳の方が先に出てくる。何度も死にかけた自分を救ってくれたあの赤の瞳が大好きだった。故にその色そっくりの花瓶を見つけた瞬間にこれにしようと決めた。

 母親から貰ったお小遣いで会計を済ませ、近くにあった例の花屋へと入る。だが、どの花が良いなんてわからなかった。店の中のどれもが綺麗に咲き誇っており、どれを選んでも問題無さそうに見えた。

 しかしもしかするとそういう花があるのかもしれないと思って店主さんに相談すると、ある花を薦められた。波打つような形の花びらが重なり合ったその花はカーネーションだった。一体何故と首を傾げて店主さんに問うと、急にニヤニヤと笑みを浮かべて耳打ちで答えを教えてくれた。

 

 「カーネーションの花言葉はね、『無垢な愛』とか『深愛』なの。ちょうど恋をしている珪子ちゃんにぴったりでしょ?」

 

 あの時は顔に火がついてしまった。どうして店主さんが知っているのだろうかと思ったが、確かあの人は母親と顔馴染みだった筈だ。きっとメールか何かで教えたのだろう。

 かぁっと再び熱を帯び始めた頬に手を当て、これ以上は考えないことにしようと首を振って意識を彼へと向けた。

 未だに目覚める気配を見せない彼の体はもう見るに堪えない程痩せてしまっていた。前から骨と皮だけだった腕は骨格が浮き出ており、ミイラと言われても否定ができない位にまでなっている。少し前までなら此処で何もできない自分が悔しくて、彼の枕の隣に顔を埋めていただろう。

 だが今では、その必要もない。必要とされているのは『待つ』ことだけである。彼はちゃんとこっちに還ってきて、これまでの埋め合わせをすると言った。そう言われた時、何にも変えがたい幸福感が心を満たしたことははっきりと覚えている。

 されど、それよりも嬉しかったのは……彼が自分達の願いを覚えていてくれたことだ。剣の世界から解放された最後の決戦の直前、彼に溢した禁忌の願い。それを忘れず、尚且つ彼もまた願っていたことがどれ程の嬉しさを生んだのかは自分自身でも理解できていない。

 

 『……もしそんなことができたら、どれ程嬉しいだろうね……。何処かでずっと一緒に生きて、そして死ねたらどれだけ幸せだろうね……。』

 

 この世界からの解放を拒み、己の生涯を終えるまで此処にいたいという子供の我が儘を聞いたあの時、彼はそう答えた。まるで本当の彼が漏れ出たみたいな声だった。その証拠に、あのあと彼はそんな自分を押さえつけるように続きの言葉を切ったのだ。

 正直、もっと本心をぶちまけてほしかった。還りたくない、そう言ってほしかった。でも彼に追及したりはしなかった。彼の何かの決意を固めた顔を見てしまったから。ぎゅっと自分を抱いていた彼の力が強くなったのを感じたから。まぁその数時間後に彼と長い別れを告げることになってしまったのだが。

 そして妖精の世界で再開し、死への執着にとらわれていた彼を解放することができた時、彼が最初に口にした「……願いが叶ったんだね。」という言葉。その彼の言う願いが何を指していたのかはすぐにわかった。だからこそ、あんなにも嬉しかったのだ。

 

 「……お、その子が珪子が惚れたっていう創也君ね。あの写真の通り、結構カッコいいじゃない。」

 

 「え……お母さん!?」

 

 突然聞こえた自分ではない、だがかなり聞き覚えのある声に内側へと向けていた意識が引き戻された。扉の方を見れば母親の姿があった。母親は自分とは反対の椅子に腰掛けると、実に自然な動作で彼の顔を優しく撫でる。

 その様子はまるで実の娘である自分と同じように、彼のことを息子のように扱っているように感じられる。そう感じてしまう程に母親の動作には慈しみの感情が含まれていた。

 

 「どうしてお母さんが創也さんのお見舞いに?」

 

 「母さんの知り合いもたまたま此処に入院していてね、そのお見舞いに行っていたのよ。それと彼については元々の予定だと、珪子からの紹介を待つつもりだったのだけれど、そうもいかなくなったの。……ちょっとこの子について、珪子に大切な話ができたからよ。」

 

 母親がいつものふわふわした感じを捨て去り、真剣そのものと言った雰囲気を纏う。数日前に自分の折れかけた心を立ち直らせてくれた時と同様の空気が場を支配した。意識せずとも背筋がぴんと伸びる。

 

 「創也さんのこと?」

 

 「そう。珪子も彼の名字を知っているわよね?」

 

 「勿論だけど……それがどうかしたの?」

 

 何故母親はそんな事を聞くのだろうか。彼の名字など、この部屋の前にあるネームプレートで簡単に知ることができる筈なのに。疑問符が浮かび、首を傾げる。

 

 「……どうも察しが悪いようね。ヒントをあげるわ。母さんは珪子の話を聞いて、創也君と茅場昌彦がどんな関係なのかも知っている。だから、さっきちらりと彼の名字が見えた時まさかと思った。此処まで話せば珪子、貴方も流石に気づくでしょ?」

 

 未だに消えない疑問符を浮かべたまま、母親のヒントを頼りに思考を巡らせる。今、母親が話そうとしていることは彼に関することで、それには彼の名字と茅場昌彦との関係が大きな鍵になっているのは間違いない。

 彼の名字は『新原』であり、彼の両親は茅場昌彦の部下にあたる関係だった。これは彼本人が言っていたことなので疑いようもない。

 その時雷撃が走った。そうだ、確かあのデスゲームが始まる少し前、ある偉業を成し遂げた二人の研究者が茅場昌彦のいるアーガスに居場所を移したという話があった。

 目を閉じ、数年間の記憶を掘り返していく。やがて数秒の後に求めていた情報を引き出すことができた。当時、見飽きる程に報道されていたことだ。謎で埋め尽くされた脳の構造を完全に解明し、難病の治療を何十歩も進めたと言われた研究者の夫婦。確かその名前は……新原華菜と新原壮一郎。

 こんな偶然があるだろうか。いいや、ないだろう。十中八九、彼はその両親の間に生まれた子どもなのだ。そうなると……

 

 「ねぇお母さん、まさか創也さんって……。」

 

 自分でも驚く位に震えた声が出た。彼の両親は一時期この世界に住まう誰よりも有名な人間だった。それ故にその最期も知っている。

 対面に座る母親は愛娘の問いを受け、ゆっくりと頷いた。

 

 「一応そうではない可能性はまだ残っているのだけれど、恐らく創也君は既に両親を亡くしてしまっている。」

 

 「……!!」

 

 絶句する。今思えば、どうしてこれまで気づくことができなかったのだろうか。彼の名とその関係は前から知っていた。なのに、気づいてやれなかったのだろうか。最近沸き出すことがなかった自己嫌悪の感情がどろりと溢れ始める。

 

 「はぁ……そういうところは珪子の悪い癖よ。てぃっ!」

 

 「痛!」

 

 椅子から立ち上がり、足早にこちらに近づいてきた母親は脳天にチョップを食らわせてきた。いきなり何をするんだと口を開こうとしたが、それより先に母親の言葉によって遮られる。

 

 「そう自分のせいだと抱え込まなくていいの。幾ら嘆いたところで、過ぎたことは変わらないんだから。過去を嘆く暇があるのなら、未来で何をするか考えなさい。」

 

 「未来で何をするか……。」

 

 「そうよ。例えば……創也君が目覚めた時、ちゃんと笑顔で迎えてあげるとかね。それじゃあ、帰りましょう。そろそろメンテナンスも終わる頃じゃないの?」

 

 母親に言われて部屋の時計に目をやると、時刻はもうすぐ三時になろうとしていた。何故母親があのゲームのことに詳しいのかはどうせホームページでも見たのだろうと自己解決し、早く行かなきゃと椅子から立ち上がって出口の方へと身体を向ける。すると、肩をぐわしと捕まれた。

 

 「あら?珪子、愛しの彼に行ってきますのキスはしないの?」

 

 「……ふぇ!?」

 

 いつぞやの時のようにさらりと飛び出した爆弾発言に頬の火照りが息を吹き返す。振り返るとニヤニヤした笑顔を浮かべる母親が彼の口元を指差していた。視線が自然と集中する。

 彼の唇は痩せ細った腕などとは別物だと思える程に血色が良く、女である自分から見ても綺麗だと言わざるを得ない位に美しかった。吸い寄せられるように身体が動く。彼との接吻を求めるように動いていく。

 しかしそれを己の意識ではっきりと拒否する。いつの間にか眼前にまで迫っていた彼の顔と自分との間に一本の指を挟む。こっちでのファーストキスは彼からしてほしいのだ。

 向こうでは完全に自分のせいなのだが、不意打ちという形でしてしまったのだから、せめて現実ではちゃんとしてみたい。

 

 「……うん、しなくて良い。このキスは創也さんが目覚めるまでとっておきたいの。」

 

 「それもそうね。……珪子、もし彼がさっきの話の通りなら私達でちゃんと迎えてあげましょうね。」

 

 「私は創也さんがどうなっていようと、目覚めた時は笑顔で迎えるつもりだよ。……って、ちょっと待ってお母さん、『私達』ってどういうこと?」

 

 冷静になった頭で今の母親の発言に突っ込むが、母親は「今はまだ秘密なのよ」とニヤニヤと笑みを浮かべたままで取り合ってはくれなかった。

 そして今日の夜に彼が目覚め、母親は隠そうともせずにその秘密を明かした。だが、それは自分だけでなく彼でさえも唖然としたものだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 自分以外誰一人として存在していない今の状況は、絶対に見られてはいけないようなことをするのには最適なものだ。長い睡眠から目を覚ました俺はごろりと横になったまま、プレイヤー用のウィンドウを開いていた。

 シリカやキリト達が来るまで残り約二時間程。それだけの時間があれば、この作業も済むことだろう。表示されている様々なボタンを押したり、周囲のグラフィックの確認をする。

 キリトに須郷伸之のことを質問した時の反応からある一つの仮説を立てていたが、どうもそれは事実の可能性が高いようだ。此処はあの鋼鉄の城があった世界の上に存在している。明らかにこれは奴個人で作り上げることのできる完成度を越えている。

 

 「……システムログイン。」

 

 俺がそう呟くと、周囲に幾つもの新たなウィンドウが展開される。そしてこれがあの仮説を事実へと確定させた。今の言葉に反応するのはSAOの裏方を全て引き受けていたカーディナルのみ。つまりこのゲームもあのコンピューターが制御しているという訳だ。

 目の前に開かれている無数のウィンドウの一つに目を向ける。そこには、三つの管理者の名が表示されていた。上から順に『ヒースクリフ』、『ブレインマスター』、『オベイロン』と並んでおり、中央のもの以外は既にログイン状態にある。迷わず真ん中を押し、パスワードを入力してログインを完了させる。

 しかし両親も安直な名前をつけたものだ。脳の構造を解説したからってそのままそれを採用するとは。いや、本名でこの造られた世界に飛び込んだ俺が言えたことではないのかもしれない。

 そんなことを意識の片隅で考えながら身体を起こし、ホロキーボードで次々とコマンドを入力していく。須郷という人間は用心深い男なのだ。管理者権限を持つアカウントに変化が生じていることが気づかれてしまえば、どうなるか想定できない。念には念を入れておくべきだ。

 それからしばらくの間、奴の目から逃れる為の設定をただ思いつく限り入力した後にウィンドウを全て消去した。こんなに集中したのは久し振りである。再びベッドに倒れ込み、高速回転させた頭を冷やしていく。

 

 「そういや……よく考えればキリトに黙っておいてって言ったあの話、意味ないかもしれないなぁ。」

 

 ふとそんな声が出た。未だ回転が収まりきっていない頭で考え直してみると、あの話は隠す必要などない。正確に言えば、黙っていてもいずれシリカとかが気づくと思われる。

 俺の両親が茅場昌彦の部下であったことは勿論シリカも知っている筈だ。そして彼女は現実の世界で眠る俺を毎日お見舞いに来ていたと言っていた。ならば俺の名字も当然知ってしまうことになる。

 茅場昌彦の部下の夫婦、そして『新原』という名字を持つ俺という存在。この二つの情報が手に入ったのなら、俺があの二人の間に生まれた子どもであることに容易に気づくことができるだろう。

 まぁ別にこっちは皆にバレようと大した問題にはならない。俺が隠し通さなければならないのはあのアカウントの方である。流石にこの世界を自由に書き換えることができてしまう力を持っていることを周囲に知られる訳にはいかない。

 皆を信用していない訳ではないが、これは誰にも知って欲しくはないのだ。結局は完璧な自己満足である。あくまでもこれは最終手段。俺達が須郷のアカウントによって挽回不可能な状況に追い込まれた時だけに使う為のものなのだ。

 そう言い聞かせ、ずっと内側に向けていた意識を外側へと戻しながら思考を半ば無理矢理に打ち切った。恐らくメンテナンスが終了したのだろう、多くのプレイヤーがこの世界に舞い戻ってきて街がどんどん賑やかになってきたのだ。

 もう少しすればシリカやキリト達もログインしてくることだろう。故にもうあのことについて考えることは不可能となった。もし仮に考えれば確実にシリカかキリトのどちらかに突っ込まれる。あの二人も結構な頻度で相手の思考を読み取ってしまうことがあるのだ。

 その瞬間「呼んだ?」と言うように隣のベッドから光が発生した。キリトがやって来たのだろう。予想通り、ログインするのが早い。やはり彼は生粋のゲーマーのようだ。いや、アスナに関することだからこうなっているのかもそれないが。 

 さて、この騒ぎが今日で終わると良いのだが……と何処か叔父さん臭いようなことを思いながら俺はキリトの姿を形作り始めた淡い光を眺めた。



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第四十一話 もう一度

 投稿が遅れてすいませんでした。近頃多忙で執筆時間があまり取れませんでした。

 ですが、最低でも一週間に一話は投稿できるようにしたいと思っていますので、今後もこの作品を楽しんでいただけると嬉しいです。


 ◇◆◇

 

 現代に生きる少し訳ありの普通の学生の肉体を捨て、俺が黒衣の剣士として目覚めたのは昨日ログアウトした宿屋の部屋。隣に目を向ければ、白の妖精と小さな妖精の姿があった。

 

 「こんにちは、キリト。やっぱり早いね。」

 

 「ふわぁぁぁ……パパ、おはようございます。」

 

 「ああ、こんにちはソーヤ。あと今は昼だぞ、ユイ。」

 

 俺が入ってくるのを待ち望んでいたかのような様子をしている白の妖精ことソーヤに挨拶を返し、眠たそうに目許を擦る小さな妖精ユイの頭をこつんと突く。彼女と関わっていると本当に娘のようだ。もし仮に現実で子どもを持てば、こんな感じになるのだろうか……。

 そうして少しばかりほんわかした気持ちになっていると、いつの間にか接近を許していたソーヤに頭をぶっ叩かれた。そうだ、今はこんなことをしている場合ではない。俺は此処に愛する人を、ユイがママと慕う人を助けに来たのだ。

 ウィンドウを開き、背中に自分の背丈と同じ位の大剣を装備する。俺の意図を理解したのか、ソーヤは全身を覆い隠すコートを纏って立ち上がり、ユイは胸ポケットの中へと潜り込んだ。

 取っていた部屋の扉を開けると、ちょうどリーファとシリカ、彼女の相棒であるピナも出てきたところだった。二人とも挨拶を交わし、皆でアルンへと繰り出す。

 人気の少ない裏路地を抜けて大通りに到着すると、そこには圧巻としか言い様のない景色が広がっていた。

 様々な翅の色をした妖精達が仲良く歩き、此処だけが別世界のような雰囲気を醸し出しているのだ。そして、建ち並ぶ建造物の横から伸びる緑色の円筒物は全て街の中央に存在する一つの巨木へと繋がっていた。

 

 「あれが、世界樹……。」

 

 思わず畏れに打たれたような声が出る。ソーヤは無言でそれを見上げ、リーファはシリカにあの上に天空都市がなんだのと話している。どうせ奴のことだ、そんなものなど存在させている訳がないだろうに。

 内心でふつふつと怒りを蓄積させながらアルンの中央市街へと続く門をくぐろうとしたその瞬間、いきなり小さな顔がポケットから現れた。視線は上空に固定され、食い入るようにある一点を見つめている。

 

 「ユイ、突然どうしたんd……」

 

 「ママが……ママがいます。座標は此処から真っ直ぐ上にいった場所です!」

 

 それを聞いた俺は唐突に翅を広げ、上空へと飛び立つ。それが事実であるかどうかなど確認する暇すら勿体なかった。己が出せる最高速度で愛娘が指した座標へと向かう。

 後ろからリーファ達が追いかけながら何かを言っているようだが、聞こえないし聞こうとも思わない。俺の意識はこの上に捕らわれているお姫様のことで頭がいっぱいなのだ。

 ただひたすらに上へと飛び続け、あともう少しで世界樹の枝の一つに手が届きそうになった。手を伸ばし、懸命にそれを掴もうとする。だが、俺の手はいとも容易く虹色の障壁に阻まれた。

 そして、激突。大きな金づちで思いっきり叩かれたような強い衝撃が頭を襲った。この世界は現実世界に影響を及ぼすことが無いよう、痛みなどの信号を不快感に変換している。その筈なのに意識がなくなりかけた。

 しかし、今はそんな事など関係ない。俺の行く道を阻む虹色の障壁を何としても打ち破るべく、閉じかけていた翅を再度展開して上昇を開始した。

 七色に輝く障壁に向けて拳を振るう。それは無駄だと嘲笑われるかのように弾き返されるが、すぐさま反対の拳を打ち出す。その拳一つ一つに邪魔だ、どけと怒鳴るように。

 何度も殴っては弾かれを繰り返す。いつかこの壁が砕ける瞬間だけを待ち望んで己の拳を振るい続ける。

 右の拳がまた弾かれた。ならば左手を……そう同じように俺は身体を動かそうとした。されど、いつまで経っても左の拳は飛び出さない。

 上だけを見ていた両眼を左方向に向ける。そこには俺の左腕を掴むリーファがいた。

 

 「もう止めてキリト君!此処から先はどうやっても行けないんだよ!!」

 

 「それでも……俺は行かなくちゃいけない!俺の助けを待ってる人がこの上にいるんだ!!」

 

 強引にリーファの手を振り払い、自由を取り戻した左手を今度こそ邪魔な壁に叩きつけようとする。するとまた何者かがそれを阻んだ。

 

 「落ち着いてくださいキリトさん!何度あの障壁を殴っても意味がありません!!」

 

 「俺は十分落ち着いている!いいから離してくれ!!」

 

 俺の腕を掴みながら説得しようとしたシリカの手からも逃れ、今ある力の全てを込めて拳を打ち出した。恐らく今までで一番の威力を誇るであろうそれは対象を砕かんと迫っていき……突然下から出現した片手に受け止められる。

 装備していたコートのフードをもう片方の手で取ったソーヤは俺を睨んでいた。有無を言わせない圧倒的な威圧感がそこにはあった。

 

 「キリト、メンテナンス前に君自身が何て言ったのか覚えてないの?『もっと俺達を頼れ』だよ?じゃあ、何でそう言った本人のキリトは周りを、俺達を頼ろうとしないの?」

 

 ソーヤの口調は恐ろしいまでに冷ややかだった。俺達がまだ鉄の城にいた頃、彼は一度だけ自己嫌悪に陥っていた俺を壁にぶつけて怒りをあらわにしたことがある。

 今のソーヤはあの時とは正反対だが、怒っていることに変わりはない。その証拠に彼の目は怒りの一色で染まりきっていた。

 

 「頼ったところで……この状況がどうにかなるのかよ!皆が俺に力を貸してくれたところで、この壁が壊せるのかよ!!無理だろ!?……俺は、どうすればいいんだよ……。」

 

 俺は先程までずっと酷使していた両腕をだらんとぶら下げ、その場に立ち尽くす。どれだけ殴っても虹の障壁が壊せないことなんて、とうに理解していた。

 それでも、俺は振るう拳を止められなかった。あと僅かで手が届くところにアスナがいる。それを知った瞬間、知らず知らずのうちに蓄積されていた焦りが爆発してしまったのだ。

 そんな俺の肩をソーヤがぽんと叩く。もう彼からはあの威圧感も怒りの感情も感じられなくなっていた。

 

 「……いきなり怒ってごめんね。確かに、俺達がどうしたってこれは壊せない。この上にいる人に会いに行くことはできない。でも、俺達が此処に来たということだけは伝えることができると思うよ。」

 

 そう言ってソーヤは視線を少しだけ下に向ける。彼が視界の中央に捉えていたのは俺の胸ポケットを住処にしているユイだった。どういうことだと首を傾げる俺達三人と一匹を一瞥した彼は察しが悪いなぁと呟きながら上を指差した。

 

 「声だよ、声。この壁はどうも形あるものだけを弾こうとするようになっているみたい。ユイちゃん、確か『警告モード音声』ってあったよね?あれなら届くかもしれない。」

 

 「はっ、そうでした!……ママ!ユイです!ママー!!」

 

 ユイの最大にまで増幅された音声が虹色の障壁を抜け、上へ上へと登っていく。そしてそれから約一分が経った頃、青しか映らない視界に小さな白の光が現れた。その光はゆらゆらとたんぽぽの綿毛のように舞い降り、俺の広げた両手に落ちてきた。

 

 「これは……カードですか?」

 

 「うん、カードだね。でもこんなアイテムあったかなぁ?」

 

 両隣から覗き込んだシリカとリーファが言った通り、落ちてきたのは一枚の銀色をしたカード。表面には何の文字も書かれておらず、一度叩いても解説のウィンドウが開かれることもない。これがこの世界のものではないことは明らかだ。

 その後、カードを確認したユイとソーヤによってこれはシステム管理用のアクセス・コードであることが判明した。プレイヤーではない娘はともかく、一目で判断した彼を不思議に感じたリーファだったが、彼の「システムに少しばかり詳しいんだ」という回答に納得させられていた。渋々ではあるが。

 ともかく、こんなものが自然と落下してくる訳がない。あくまで予測に過ぎないが、ユイの声を聞いたアスナが俺達に気づいて落としたものだろう。

 カードをそっと握り締める。捕らわれの身でありながらも脱出しようと抗っているであろうアスナの意思が伝わってくるような気がした。

 早く俺が助け出さねばならない、再び生まれた焦りに駆られて行動しかけたその瞬間、ソーヤがそれを遮るように前に立ち塞がる。

 

 「キリト、今から世界樹の中に行くつもりだよね?」

 

 「うぐっ……。」

 

 思い描いていた計画を言い当てられ、言葉に詰まった。そう、俺はリーファから世界樹の中に繋がる入り口の場所を聞き、そこを目指そうと考えていたのだ。改めてソーヤの超人的な観察眼に恐怖を感じた。

 しかし別に一人で行こうなどとは考えていない。俺には頼れる仲間がいる。それは数分前にソーヤがもう一度気づかせてくれたことだ。だから、頼ろう。此処にいる仲間達に。

 

 「……ああ、そのつもりだ。だから、皆手伝ってくれないか?俺が愛した人を助ける為に。もう一度……アスナと会う為に。」

 

 「え……今、アスナって……?」

 

 突然リーファが口元を抑えながら一歩分後退った。驚愕の色を写したした瞳は収縮され、あり得ないものを見るかのように俺を見つめている。そして消えてしまいそうに小さくて、震えた声でこの世界では絶対に聞くことはない筈の単語を口にした。

 

 「……『お兄ちゃん』、なの……?」

 

 「え……?もしかして、スグ……直葉か?」

 

 一瞬頭の中が真っ白になった。早く助けねばという焦燥感や頼れる仲間がいることの幸福感などが驚きという名の衝撃によって全て吹き飛んだ。俺の意識は無意識に眼前にいるリーファ、いや血の繋がっていない妹である直葉に向けられた。

 

 「……酷いよ、こんなの……酷いよ!」

 

 「スグ!」

 

 そして直葉は俺から逃げるようにこの世界から姿を消した。彼女を引き留める為に伸ばした手は、虚しく空を切る。

 俺はまだ驚くべき事実を完全に飲み込めていない。俺とシリカを此処まで案内してくれたリーファという妖精の正体が自分の妹だということを心の何処かで信じられないでいる。

 しかしどう情報を整理しようとも、結論が絶対に変わることはない。俺のことを『お兄ちゃん』と呼ぶ人間なんて、この世に一人しかいないのだから。

 ……すまん、アスナ。もう少しだけ待っててくれ。そう心で彼女に謝罪し、後ろで状況を見守っていたソーヤ達に視線を移す。彼らは黙って頷いた。

 俺もそれに返すと、ウィンドウを開いて警告メッセージに一切目もくれずボタンを押す。瞼を閉じて真っ暗になった視界に幾重もの光の輪が広がった。

 

 

 ◇◆◇

 

 兄の伸ばされた手を拒否するかのようにログアウトした妹を追ってキリトもまた、この世界を一時的に去った。彼の仮初めの肉体を構成していた光が周囲に拡散する。この場に残っているのは俺とシリカ、ピナの二人と一匹。ユイは父親が現実に戻ると同時に何処かへと消えてしまった。

 

 「とりあえず、アルンの街に戻ろうか。」

 

 「そうですね。……またソーヤさんに抱っこされる前に。」

 

 最後にシリカがなにやらボソボソと呟やいていたが、追及しないことにした。というのも、彼女の頬がだんだんと朱色に染まり始めているのだ。故に何を言っていたのか問わずとも、その答えにはたどり着けてしまう。

 展開していた翅を畳み、落下速度に加速を加えながら弾丸のごとき速さで急降下を開始。その後ろをシリカがぴったりとついて追いかけてくる。彼女も相当翅の扱いに慣れたようだ。キリトと同等なその適応能力の高さにはあの茅場の叔父さんでも舌を巻くだろう。

 そんなジェットコースターなど比べ物にならない程の速度で降下すること約十秒、ようやくアルンの街並みが雲の間から姿を表した。以前に部屋を取った宿屋を目視で確認し、体勢を変えて減速を始める。

 最大にまで広げた翅で風を受けてブレーキをかけ、目標地点の正面に着陸する。隣を見れば、ちょうどシリカが降りてきたところだった。ピナはもう飛び疲れたのか、ふらふらと俺の頭まで移動すると、丸まって休息をとり始める。ピナにとって俺の頭は休憩スポットなのだろうか。

 

 「さて、キリトとリーファが戻ってくるまで何をして時間を潰そうかな?」

 

 「あ、それなら……私、一つソーヤさんに確認したいことがあるんです。付き合ってもらって良いですか?」

 

 「ん?大丈夫だけど……どんなこと?」

 

 「えっと、それは……部屋に行ってからでお願いします。今から一部屋借りてきますので、待っててください。」

 

 そう言うとシリカはやや駆け足で受付まで向かっていった。まぁだいたい彼女の確認したいことは予想がつく。だが、思ったよりも気づくのが早かった。

 明らかになった以上、隠す必要もない。ただ、このことを知られる時期が早くなっただけだ。そう考えながら鍵を手に戻ってきたシリカと共に借りた部屋に入り、コートを外しながら向かい合わせに置かれている椅子に座る。それに続いて彼女ももう一つに腰を下ろした。

 

 「あの!ソーヤさんに確認したいことなんですけど……」

 

 着席するなりいきなり勇気を振り絞って質問をしようとしたシリカだったが、後半になるにつれて声が小さくなる。

 まぁ当然のことだろう。シリカは俺の家族のことに関して聞こうとしたのだろう。残されている時間が不明な今、そう聞くことが一番手っ取り早いからだ。そしてその質問の回答がそのまま俺の正体に直結する。

 しかし、そんな事を聞こうとするなど不謹慎にも程がある。例えば、質問相手が俺のようにもう既に家族を失ってしまっている可能性があるからだ。そんな者に家族のことを聞こうとするということは、その者の傷跡を抉る行為に他ならないのである。

 それから無言の空間が形成されて数分が経った。これ以上はシリカに負担をかけると判断し、こちらから切り出すことにした。

 

 「……シリカ、確認したいことって俺があの新原両親の子どもじゃないかって事でしょ?」

 

 「えっ、あ、はい。そうです。……ごめんなさい、なかなか切り出せなくて……。」

 

 俯くシリカの顔に僅かな自己嫌悪の色が浮かぶ。だが、別に彼女が責任を感じる必要など無い。ただ単に俺がこのことを明かそうとしなかっただけなのだ。

 立ち上がり、下を向くシリカの頭に手を置く。休憩を終えたらしいピナも彼女の近くを浮遊し始める。目尻に涙を浮かべた彼女が顔を上げた。

 

 「……『どうして気づいてやれなかったんだ』なんて思わなくて良い。俺がシリカに伝えていなかった、たったそれだけのことなんだから。」

 

 「そうですね……はぁ、こうして抱え込んでしまうのは私の悪い癖だって今日お母さんに言われたばかりなのに……。」

 

 そんなことを言いながらも、シリカの目尻にもう涙は見られなかった。俺は乗せたままだった手を離し、椅子へと戻る。

 キリト達がログアウトしてから、既に少ないとはいえない時間が過ぎている。窓の外は日が沈み、月が顔を出し始めた。そういえば、この世界の一日は現実よりも短いのだったな。

 とにかくタイムリミットが近づいてきている、さっさと話してしまおう。

 腰を再度降ろし、シリカに向き合った俺は両親のことを話した。俺があのデスゲームに入る少し前に不幸にも両親が交通事故で亡くなっていることや、俺は一時期話題となったあの新原夫妻の息子であることなど、俺の家族に関することを隠すことなく全て話した。

 その全てを無言で聞いていたシリカは突然立ち上がると、俺の膝に正面から座って細い両腕を俺の背に回す。彼女の体温が伝わってくる。まるで全てを包み込むようなその暖かさは、暫く会うことのない母親を思い出させる。

 

 「ソーヤさん、私にもう一度言わせてください。……私はソーヤさんが好きです。全てが好きです。そして、貴方の過去だって一緒に背負っていくつもりです。だから……現実に還ってきてからもずっと、私の隣にいてくれますか?」

 

 「ああ……勿論だよ。俺もシリカの全部が好き。俺はあの時誓ったようにもう二度とシリカを拒絶しない、ずっと隣にいる。」

 

 両腕を回し、シリカの身体を引き寄せる。彼女の顔が若干赤くなったが、浮かべた笑みは今までにない程に光り輝いていた。

 そのまま顔を近づけ、お互いの唇を重ねる。これで三度目になるのだが、やっぱり頬が熱くなる。それはシリカも同じようで、数秒もすれば、真っ赤な二つのリンゴが熟れていた。

 

 「なんだか……そっくりですね。ソーヤさんが自分の過去を私に話したあの夜のようです。」

 

 「確かにそっくりだね。……シリカ、ありがとう。俺は今、とても幸せだよ。」

 

 「そんなの私だって同じですよ。ソーヤさんとこうして一緒にいられるんですから。」

 

 ちらりと窓の方に視線を向ける。あの夜と同じように差し込んでいた月の光がスポットライトのように俺達を照らす。それはまるで俺達を祝福しているようだった。

   



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第四十二話 天の頂きへ(前編)

 危ないところでした……。前回、一週間に一回は投稿すると宣言したのに早速それを破りかけました……。

 続きを待っていてくれていた方々、本当に申し訳ありません。


 ◇◆◇

 

 黒衣のコートを纏って《妖精殺し》の象徴ともいえる白の翅を隠しつつ、世界樹の入り口である守護像前のゲートへと向かう。勿論隣にはシリカとピナがいる。

 キリトから連絡が届いたのは結局あれから約三十分も経った後だった。俺の想定以上に実の妹であるリーファとの話し合いが長引いていたようだ。

 目的地の近くにまで来ると俺とシリカの姿を確認して、此処だと居場所を知らせるように大きくこちらに手を振るキリトを見つけた。

 それに笑顔を浮かべて振り返すシリカを横目にしながらふわりと降り立つと、向こう側から以前以上に明るいリーファが駆け寄ってきた。彼女の腕の中には何故か二振りの剣がある。よく見ればそれらはキリトのものと彼女自身のものだ。

 

 「すまん、一つ質問させてくれ。……一体何があったんだ?」

 

 「ああ……それはその……。まぁ一言で言うならば、リーファと戦った。」

 

 「「はい?」」

 

 シリカと揃って首を傾げる。それを見たピナも「きゅる?」と疑問の鳴き声を上げた。一体何があれば彼らが戦うようなことになるのだろうか。俺の記憶が正しければ、どう考えてもそんな事には発展しない筈なのだが。

 

 「どう言えばいいかな……剣で語り合ったみたいな感じ?」

 

 「はぁ、そうなんですか……。」

 

 キリトの返答を聞いたシリカが何とも言えない表情を浮かべる。俺も何と返したら良いのかわからない。どうやら彼ら兄妹は俺達の知らない次元にいるようだ。

 根っこまで剣士に染まってしまったキリトとの問答はこれ以上しても無駄だと判断し、意識を後方へと向ける。先程からずっとこちらを伺っている気配があり、気になっていたのだ。

 やや殺気が込められた視線を受けてバレたことを自覚したのか、俺の視線の先にある草むらがガサッと揺れ、中から緑色の妖精の少年が姿を表す。

 背はやや低く、おかっぱ風の髪をした見るからに気弱そうな妖精はこちらに恐る恐る近寄って来ると、その頼りないが元気のある声である人の名を呼んだ。

 

 「もー!リーファちゃん、探したよー!!」

 

 「レ、レコン!?何でこんなところに……?」

 

 リーファの反応からして彼女の知り合いのようだ。レコンと呼ばれた妖精に向けていた殺意を消す。

 

 「そんなの、リーファちゃんが心配だったからだよ!隙見てサラマンダーの連中を毒殺して、一晩かけて此処までやって来たんだ!そしてリーファちゃんを見つけたところまでは良かったんだけど、そこのコートを装備した男の人にずっと睨まれて……なかなか出られなかったんだ!いや本当に恐かったよ、マジで!!」

 

 「……それはすまなかった。何やら気配を感じていたものでな。それと、コートを装備しているのは正体を隠す為だ。俺の姿は特徴的で、見られれば一発で何者なのか明らかになってしまう。そうなると面倒なのだ。」

 

 「あ、はい。こちらこそいきなり失礼なことを言ってすいませんでした……ってあれ?リーファちゃん、何で守護像の方に行ってるの?」

 

 別の俺を演じる仮面を被った俺と話していたレコンが世界樹の入り口へと向かうリーファを見て疑問の声をあげる。つられてそちらに目をやれば、確かに彼女の姿は守護像に近づいていた。

 さらに目を凝らせば、奥にはキリトとユイがいた。その様子から早くアスナを救出しなければと焦燥に駆られているのが良くわかる。確かに急がなければならない。実際、彼女を救い出せる猶予はもうほとんど残されていないと思われるのだから。

 俺がこの世界に迷い込んだ日から約三ヶ月が経過している。それだけの時間があれば、この事件の元凶である須郷が完璧な洗脳手段を獲得していてもおかしくはない。もしそれがアスナに使われでもしたら……彼女は永遠に奴の手の中に落ちる。

 

 「ソーヤさん?また考え事ですか?もし何か辛いことなら私が聞いてあげますからね。」

 

 「ああ、ありがとう。でも大丈夫だから。」

 

 正面に回り込み、俺の顔をじっと見つめていたシリカの頭を撫でる。しかし彼女はどう見ても不機嫌だった。大方、俺が何かを隠していることに気付き、それをはぐらかされたことに納得がいかないのだろう。

 シリカは俺の血塗れた過去を一緒に背負うと言ってくれた。故に今俺が抱えている秘密を明かしたとしても受け入れてくれると思われるし、誰にも口外しないと約束してくれる筈だ。

 されどこれだけは話すことなどできない。最終手段や自己満足などとかいうちっぽけな理由は全て建前で、ゲームマスターの魔の手を彼女に近づけさせないことが最大にして唯一の目的なのだから。

 さぁ行こうとシリカの手を引き、キリト達が待つ場所へと向かう。俺が思考の海に深く潜っている間にレコンの疑問は解消されていた。

 この五人で世界樹の攻略に行くとリーファから聞かされた時のレコンの反応は俺もちらりと見ていたが、青い絵の具を塗りたくった位に青くなったあの顔は今でも強く印象に残っている。

 須郷、貴様の非人道的な研究は新原夫妻の息子である俺が責任をもって終わらせる。そう心に刻み込むように俺は胸の奥で呟いた。

 

 

 ◇◆◇

 

 『未だ天の高みを知らぬ者よ、王の城へ至らんと欲するか』

 

 私達五人が大扉の前に立ったとたん、右側の像が両眼を青白く染めてこちらを見下ろしながら重々しい声で問うてきた。先頭にいるキリトさんは出現したウィンドウに迷いなく触れる。すると今度は左側の像の眼に光が灯った。

 

 『さればそなたらがその背に持つ双翼の、天翔に足ることを証明するがよい』

 

 その声が消えないうちに眼前の扉の中央に一直線の亀裂が走る。世界樹の入り口が轟音と共に開かれた。その光景は私に二年間いたあの世界でのボス戦を思い出させる。自然と短剣を握る手に力がこもった。

 

 「……そんなに緊張しなくて良いよ。此処はSAOの中じゃないんだ。別に生命の危険はない。」

 

 ふと肩に優しく置かれた手を追うと、柔和な笑顔を私に向けているソーヤさんがいた。そして「相棒のことも忘れるな」とピナもきゅるると鳴いた。

 そんな愛人と相棒のおかげで、知らず知らずのうちに心にかけていた負担がすっと軽くなったように感じた。私は笑って「そうですね」と返す。しかしその軽さは直ぐ様浮かび上がった新たな不安によって重さへと変わる。

 確かに私はこの世界で体力をゼロにされようと現実世界の肉体を失うことはない。

 だがソーヤさん、彼はどうだろうか。彼が被っている悪魔の機械はあのデスゲームが始まった時からずっと稼働しているままである。つまり、脳を焼き切ってしまう機能が残ったままの可能性があるのだ。

 もし、もしもだ。今から挑むクエストでソーヤさんが死んでしまったら私はどうなってしまうのだろう。少なくとも、現実に帰還して目覚めない彼を毎日見ていたあの時よりも状態は悪化することは明らかだ。

 それだけは絶対に避けなければならない。だから、ソーヤさんが危機に陥ったのならばこの身を盾にしてでも彼を守る。そう内心で決意し、私はピナを連れて扉の先へと踏み込んだ。

 

 「真っ暗ですね……。」

 

 「確かにそうだね。このままじゃ何も見えないからキリトに暗視を頼もうか。キリト、暗視の魔法を頼m……っ眩し!」

 

 突如頭上から降り注いだ光が周囲を包んでいた暗闇を払い、思わず目を細める。

 見渡すと、此処は大きなドームのような形をしていた。直径はボス部屋の数倍はあるだろう。

 上を見ればドームの頂点に十字に分割された四枚の石盤が封鎖しているリング状のゲートがあった。あそこが世界樹の上へと繋がるたった唯一の道で間違いない。

 

 「皆、行くぞ!」

 

 キリトさんの号令を合図に翅を展開し、地を蹴って急上昇を開始する。レコンさんがソーヤさんの真っ白な翅を見てぎょっとしていたが、今は説明などしている時間なんてない。

 すると飛び上がって一秒も経たないうちに壁から全身を鎧に身を固めた真っ白の妖精が大量に飛び出してきた。その妖精達は私達の進路を塞ぐように立ちはだかる。

 

 「邪魔だ、どけえぇぇぇ!!」

 

 先頭で突撃したキリトさんが鬼気迫る勢いで次々と白の妖精達を切り刻んでいく。

 勿論私もそれを眺めているだけではない。左側から振り下ろされた大剣を短剣で受ける。通常ならばそんな事をすれば短剣があっさりと折れてしまう筈だが、私のものはひび一つなく、それを受け止めている。

 ただでさえ強力だった武器を何回も強化したのだ。たかが大剣の攻撃を受けたぐらいで折れるような代物ではない。

 

 「ピナ、バブルブレス!」

 

 「きゅるるる!」

 

 ピナが吐き出した虹色の泡が弾け、一瞬だけだが妖精の動きが止まる。その隙に大剣をいなし、鎧の継ぎ目を狙って片腕に短剣を突き刺す。人ならざる悲鳴を上げながら妖精は己の武器を失った。

 

 「せいっ!!」

 

 翅を鳴らして加速し、その勢いを利用して妖精の首を切断する。胴体だけとなった身体が硬直し、直後に純白の炎が吹き出した。どうもこの妖精達はそれ程強くないようだ。これなら行けるかもしれないと考えたが、ゲート前に出現した白い障壁を見て絶句した。

 あまりにも新たな妖精の出現速度が早い。こちらが一匹倒したかと思えば、その間に二、三匹増えている。そんな感じの有り様なのだ。それでも、私達はこのクエストをクリアしなければいけない。

 己を叱咤し、キリトさんの背後から奇襲をかけようとする妖精に斬りかかる。いきなり背中を一直線に斬られたことで、狙いが私へと移行した。

 先程と同じように大剣の振り下ろしを受け止め、一秒でも早く倒す為に行動を起こす。妖精が硬直している僅かな時間を狙って真っ白のマスクに短剣を突き刺し、追撃にピナのブレスを浴びせた。

 決して浅くはない傷口を炎によって燃やされた妖精はその身を崩していく。だがそれも新たに現れた妖精達によって見えなくなっていった。

 このままではいつか殺られてしまうと判断し、ピナのブレスを広範囲に撒いてこの場から離脱する。そして周囲を見渡し、一際白が濃くなっている箇所が目に入った。今のメンバーで視認ができていないのはソーヤさんだけ。つまり、あの中に彼がいる。

 

 「ソーヤさん!!」

 

 それを把握した瞬間、私は彼の名を叫びながら飛び出していた。

 

 

 ◇◆◇

 

 正面にいた妖精の腹を大剣で貫き、おまけとばかりに柄を蹴り飛ばす。一層深く突き刺さった刃は容易く命を刈り取り、地面へと落ちていく。

 これで何匹目になるのだろうかと頭の片隅で考えながら背にある無限の武器庫から新たなものを取り出す。ふと周りをぐるりと見れば、全方位が白で埋めつくされていた。

 

 「狙い通り。これでキリトの負担も少しはましになるかな。」

 

 片手剣で四肢を切断、止めに脳天に短剣を突き刺しながら自分が無事囮になれたことに安堵する。ただこのクエストをクリアするだけではいけない。アスナを助けに来たキリトが閉ざされた扉に到達しなければいけないのだ。

 クエスト開始直後、キリトは愛する人を助けたい一心で真っ先に突撃した。そうなれば当然、彼が一番の要注意人物と認定されてしまう訳であり、案の定恐ろしい速度で生み出された守護者達に狙われてしまった。

 クリアの要となるキリトが殺されてしまえば、確実に俺達はやり直しをしなければいけなくなる。どうにかして狙いを他の者に移さなければならない。

 だから少し前に、俺は守護者達の影に隠れて数メートルだけではあるがキリトよりも扉に近づいた。すると面白い程に俺に襲いかかる数が増えたのだ。こういう何かを守るタイプの敵は防衛対象に近いものから排除するように設定されていることが多い。予想通りだった。

 

 「あとは俺がどれだけ耐えられるか……だね。」

 

 基本形態である両手に片手剣と細剣を持って構え、眼前の妖精に斬りかかる。それと同時に俺を周囲を囲っていた白の包囲網が収縮を始めた。

 妖精の大剣が振り下ろされる前に懐に潜り込み、腕に細剣を突き刺して続けざまに片手剣を首にあてがう。確かな手応えと共に首が一つ飛んだ。

 崩壊を始めた二振りの剣を捨て、背から刃の部分が異様に長い大剣を作り出す。それを一周させるように振れば、白の壁に一本の直線が引かれる。

 そして続けて攻撃を仕掛けようとしたその時だった。背後から急速に接近する何かを感知し、咄嗟に短剣で叩き落とす。光の矢だった。振り向けば、弓を持った妖精達が横一列に並んで俺を狙っている。それを確認したのも束の間、無数の矢を援護に妖精達が迫ってきた。

 元々、俺が絶えず攻撃を続けていたことで拮抗を保っていたのだ。俺は攻撃の一部を防御や回避にあてた為に半永久的に増え続ける妖精達に押され始めた。

 徐々に矢や刃が掠り始め、ヤスリで削られるように体力が減少していく。耐えられる残り時間はあと五分もないだろう。それでも少しでも長く囮をしてやろうと新たな片手剣を構えた。その直後のことだ、突然白い壁の一部が切り開かれたのは。

 

 「ソーヤさん!!」

 

 俺のことを呼びながら多くの妖精を切り捨てて乱入してきたシリカは俺の背後に迫っていた二匹の斬りつけを弾こうとする。しかし弾くことができたのは一つだけで、もう一つをその身に受けてしまった。彼女の横に浮かぶ体力が大きく奪われる。

 

 「シリカ!?どうしてこっちn……危ない!!」

 

 大剣で斬りつけられ、よろけたシリカに追撃を仕掛けようとした妖精の顔面に蹴りを入れる。奴が怯んだ僅かな時間に片手で彼女を抱き寄せ、もう片方の手で細切れになるまで切り刻む。俺の前で彼女に手を出したのだ。それ相応の報いを受けて貰わねば気が済まない。

 

 「……シリカ、どうして来たの?」

 

 次々に襲いかかって来る妖精達をどうにか片手で捌きながらシリカに問う。すると彼女は俺の腕の中から飛び出して背後にいた一匹をピナと一緒に屠ってからこちらを振り返った。浮かんでいるのは恐怖、何かを失うことを恐れるものだ。

 

 「恐かったんです……ソーヤさんが死んでしまうことが。」

 

 「……そういうことね。俺にはまだナーヴギアの処刑プログラムが残っているかもと考えたのか。」

 

 俺の確認にシリカは無言で頷いた。確かに俺はまだ現実世界への帰還を果たしてはいない。二年と少し前で俺の現実は時間が止まっている。

 それに加えてナーヴギアの詳しい内部設計や入力されているプログラムなどを俺は知らない。故にそのプログラムが作動するのかは不明。だがあの世界のデータが使われている以上、処刑具が動くと考えてもおかしくはない。

 つまり俺だけが未だにデスゲームを続けている可能性があるということだ。だからこの世界に迷い込んだばかりの時、己の首を刺し貫いて死のうとした。

 改めて状況を整理し、シリカの性格を加味して考えれば、先程の彼女の行動も仕方ないものだと結論が出る。だからと言って彼女が自らを盾にしてまで俺を守ろうとするのは間違っている。

 再度刃が異常に長い大剣を造り出し、周囲の妖精を一度一掃してからシリカの頭に手を置いた。どうやら気づかぬうちにキリトが俺を抜かしたようで、ほとんどの妖精が彼の方に向かっている。すまない、少しだけで良いから持ちこたえてくれと内心で呟く。

 

 「シリカ、助けに来てくれてありがとう。でもね、俺は死なないし、死ねない。もうシリカを悲しませたくないんだ。」

 

 「ソーヤさん……そうですね!あ、それでも私はソーヤさんを守りますよ!だから……ソーヤさんも、私を守ってくださいね?」

 

 「勿論だよ。」

 

 「きゅるるる!!」

 

 ピナの回復効果を持つブレスを浴び、削られた体力がほぼ全快にまで戻る。そしてシリカと二人で突っ込もうとした瞬間、白の壁が突然赤くなった。下を見ればピナより何倍も大きな竜が口内に残った炎の残滓を払っている。

 それだけではない。赤に染まった妖精達が様々な方向から飛び出して来た緑の流星によって切断されていく。その数はざっと数えただけでも五十はあるだろう。

 その光景を眺めていると背後から声がかけられた。

 

 「すまない、遅くなったな。」

 

 「ごめんネ~。皆の装備を整えてたら結構時間がかかっちゃったんだヨ。」

 

 振り向けばこの援軍を引き連れて来てくれた二種族の領主達の姿があった。

  



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第四十三話 天の頂きへ(後編)

 フェアリィ・ダンス編もやっと此処まで来ました……。

 ですがオリジナル展開なども加えていく予定の為、次の章に入るまでもう少しかかります。ご了承ください。


 ◇◆◇

 

 「ドラグーン隊、ファイヤーブレスよう~い!」

 

 ケットシー領主であるアリシャ・ルーが指示を出すと総勢十騎の竜騎士がリーファとレコンの前に出るように展開し、再び口内にオレンジ色の光を溜め始める。

 

 「シルフ隊、エクストラアタック用意!」

 

 続いてシルフ領主のサクヤが閉じた扇子を掲げる。ドーム内を縦横無尽に飛び回っていたシルフ達は構えていた長剣を頭上に掲げ、刀身に雷光を纏わせる。

 その光景を目の当たりにした守護者達が突如奇声を上げながら攻撃を開始した。危険だと感じたのか、はたまたこのような攻撃は阻止するように設定されているかはわからないが、白の妖精達は守りを半ば捨てたかのように特攻を行っている。

 二人の指揮官はそれを限界にまで引き付けると、声を張り上げて叫んだ。

 

 「ファイヤーブレス、撃てー!!」

 

 「フェンリルストーム、放て!!」

 

 直後、十の炎の柱と五十の雷撃が炸裂した。凄まじい轟音と衝撃がドームを揺らし、千切れ飛んだ無数の白の残骸が燃え尽きていく。一気に何百もの数を粉砕されたからか、突破など不可能だと思われた白の障壁に大きな窪みが生まれた。

 しかしその窪みは液体の表面のように続々と生み出された守護者達によって元に戻ろうとしている。いや、それだけではない。最前線にいるキリトを飲み込もうと白の塊は攻撃を食らう前以上に広く展開し、大きく口を開く。

 それがキリトに迫ろうとする寸前、彼の後ろから三匹の妖精と一匹の竜が飛び出した。

 一匹は妖精達と同じ翅を持っているが、さらに後ろに赤黒い武器が円を描いている。彼の両手が二つの柄を握って引き出すと、刀身まで赤黒い片手剣と細剣が現れた。それらを振るえば、数秒の後に塊の一角が消し飛んだ。

 別の一匹は小麦色の翅に短剣を持ち、ケットシーが操る飛竜よりも何倍も小さな竜を連れている。彼女らは息の合った連携で先程の妖精の援護を行いつつも、その斬撃とブレスで守護者達を刈っていた。

 最後の一匹は緑の翅に長刀を持っている。彼女は他の妖精達と比べてそれ程圧倒的な力を振るってはいないものの、的確にキリトに迫る者の首を斬って一撃で沈めていく。

 取り回しの悪い大剣を片手剣以上の速さで振るうキリトはちらりと後ろを振り返ると、緑の妖精に言った。

 

 「スグ、後ろを頼む!」

 

 「勿論、任せて!」

 

 そう答えると共に大きく首を縦に振った緑の妖精もといリーファは己の背中をキリトにくっつけ、彼の後ろを狙う不届き者を成敗する。そんな彼女らの周囲を白と小麦色の二匹の妖精が飛び回り、閉ざされた天への扉に繋がる道を造っていく。

 

 「今だ!全員、突撃!あの四人に続けー!!」

 

 戦況を把握したサクヤが鞭のような鋭い声で号令を出し、シルフ隊とドラグーン隊がキリト達の後ろについた。総勢約六十匹の妖精達はやがて一つの矢となり、何層もの守護者達の壁を貫いていく。その矢を止められる者はいない。立ち塞がった者は皆等しくあっという間に粉微塵に分解される。

 やがて数多の種族が織り成した矢は四枚岩で封鎖されたゲートが微かに視認できるところにまで到達した。その瞬間、矢の先から黒い点が発射された。

 

 「うおおおぉぉぉ!!」

 

 絶叫を轟かせながらキリトは残り数枚となった白の壁に突進する。それを迎え撃つのは一秒にも満たない恐るべき速度で生み出された守護者。

 彼らはこの世界の統治者の感情を代弁するかのように怨嗟の唸りを上げ、あらゆる角度からキリトを殺さんと襲いかかる。

 幾ら仮想世界に適応した人間であろうと、前後左右上下から同時に迫る刃を全て捌こうなど不可能。正面の妖精を叩き斬った直後、キリトは背中から一つの刃に貫かれた。上昇を続けていた身体が停止し、そこに無数の守護者達が彼の息の根を止めようと殺到する。

 キリトと共に此処まで上がってきた妖精達の誰もが数多の刃に貫かれる彼の姿を幻視した。されどその瞬間はいつまで経っても訪れることはなかった。彼を狙っていた守護者達が突如一斉にその身を白の炎に変えたのだ。

 胴体を貫かれてもなお、上を目指して抗っていたキリトも突然の出来事に驚きを隠せない。だが数秒間自分の周囲に目を向けると、納得した表情を浮かべた。

 

 「……本当に助かったぜ。ありがとう、ソーヤにシリカ、そしてピナ。」

 

 「全く……キリトは暴走し過ぎだよ。少しは落ち着きを持って。でないと、できるものもできなくなっちゃうんだから。」

 

 「んしょっと……。あ、でもキリトさんが暴走するのもわかります。少し前までの私もそうでしたもん。」

 

 「きゅるるる!」

 

 キリトの身体に刺さった剣を抜き捨てながら言った少女の言葉にピナが少年を見て同意するように頷いた。それを受けた彼は苦笑する。

 

 「キリト君!これ使って!!」

 

 不意に下の方にいるリーファの声がしたかと思えば、彼女の長刀が回転しながらキリトに向かって飛んできた。薄緑をした柄が彼の手の中に吸い込まれるかのようにして収まる。

 右手に大剣、左手に長刀とやや特殊な形ではあるが本来のスタイルの二刀流を取り戻したキリトは構えを取りながら両隣の頼れる仲間達を見やる。少年と少女は彼の視線に気がつくと、揃って頷いた。

 もう言葉など不要だった。三匹の妖精は示し合わしたかのように同時に飛翔した。

 

 「「う……らあああぁぁぁ!!」」

 

 「せりゃあああぁぁぁ!!」

 

 ドーム内を揺らす三匹の咆哮と共に各々の得物が輝いた。

 キリトの二振りの剣は残像が見えてしまう位の恐るべき速度で振るわれ、その斬撃に巻き込まれた守護者達は一瞬で数十もの肉片へと変えられていく。

 少年の幾つもの赤黒い武器が次々と飛び出し、それらが役目を終えてポリゴン片へと変わる度に決して少なくはない数の守護者達が討ち取られていく。

 少女の短剣はまるで縫い合わせるように悉く鎧の隙間を貫き、たとえ数秒でも動きが止まれば、彼女の相棒がその小さな体躯から吐き出す灼熱の炎によって燃やされていく。

 守護者達の死が吹き荒れる中、キリト達ははっきりと目標を捉えた。彼があの世界で出会い、愛した人が捕らわれている場所へと続くたった一つの門。

 キリトは両手の剣を前方で合わせ、少年と少女は造り出した一振りの剣を構え、光の尾を引きながらゲートを目指す。そして、二つの刃は守護者達の障壁を破って四枚の石板に突き刺さった。

 

 

 ◇◆◇

 

 脳が焦げてしまったかのような感覚を覚えながら、俺は未だ閉ざされたままのゲートに手を伸ばす。後ろから守護騎士達が追って来ていることは理解しているが、もうそれは気にしなくても大丈夫だ。確実に奴らに追い付かれるよりも俺達がゲートの向こうに飛び込む方が早い。

 そう考えてゲートの扉が開かれるのを待っていたのだが……扉は俺達が入ることを拒んでいるのか、一向に開く気配を感じさせなかった。

 

 「おい、何でだよ……。さっさと開けやがれ!!」

 

 突き刺さった剣を抜いて叩きつけるが、扉に少しの傷跡を残すだけで終わった。この不可思議な現象にソーヤ達もおかしいと首を傾げる。

 まさか守護騎士達をただ単に蹴散らすだけでは駄目なのか。まだ条件が足りていないのか。俺は混乱し、激情のままに再度剣を叩きつけようとした。しかしその肩をソーヤが掴んだ。

 

 「ユイちゃん、この扉はもしかして管理者権限とかでロックされていない?」

 

 「えっ!?そんなまさか……ちょっと待ってて下さい!」

 

 ソーヤに呼ばれ、俺の胸ポケットから飛び出したユイが小さな両手で行く手を塞ぐ石板を軽く撫でる。俺とシリカは彼が言ったことが信じられないでいた。

 もしそれが本当だとするならば、真の妖精に生まれ変わることができるなどという話はこの世界のプレイヤー達の鼻先に吊るされた手の届かない人参ということになる。

 そんなのは必死でこのクエストの攻略を目指す者達を愚弄しているのと同じだ。絶対にあってはならないことなのだ。

 だが、こちらを振り向いたユイが告げた真実は非情なものだった。

 

 「皆さん、この扉はソーヤさんが予想した通り管理者権限でロックされています!つまり、プレイヤーには絶対に開けることができません!」

 

 「「なっ……!?」」

 

 「……ッチ。やっぱり。」

 

 俺とシリカは絶句し、ソーヤは珍しく舌打ちをする。そうしている間にも守護騎士達は俺達を追って来ていた。背後から叫び声が響いている。されどもう奴らを迎え撃とうとも思えず、剣を振るおうという意思もなくなってしまった。

 俺はただ呆然と立ち尽くしそうになったが、ふと感じた温もりがまだ残されている一つの道を指し示す。目を見開き、ポケットをまさぐって小さなカードを取り出す。これは確か、システム管理用のアクセス・コードだった筈だ。

 

 「ユイ、これを使え!!」

 

 「わかりました、コードを転写します!!」

 

 光の筋を纏ったユイの両手が扉に叩きつけられ、ゲートそのものが発光を開始した。

 

 「転送されます!皆さん掴まってください!!」

 

 差し出されたユイの小さな手を指先でしっかりと掴み、もう片方の手をシリカと繋ぐ。ピナは彼女の肩を掴む。

 そして最後に伸ばした手を……ソーヤは掴まず、接近していた守護騎士を迎え撃った。

 

 「ソーヤさん!早く手を繋いでください!!」

 

 「それは無理な話だね。此処で俺が止めないと皆揃って殺されてしまうよ。そうなってはいけない。幾らやり直せるからって、シリカやキリトが死ぬところは見たくないんだ。」

 

 ソーヤは周囲の妖精達を一掃すると、身体が薄れ始めた俺達の方を見てサムズアップをしながら笑みを浮かべる。その笑みは完全に俺達を信頼していることを証明するかのように明るいものだった。

 

 「大丈夫、後で俺もそっちに向かうから。」

 

 「……本当ですよね?嘘だったら許しませんからね!!」

 

 「なるべく早く来いよ、ソーヤ!!」

 

 シリカと俺の言葉にソーヤが頷いた直後、身体が上に引っ張られた。転送が始まったのだ。俺達はいつの間に白いスクリーンに変わっていたゲートの中へデータの奔流となって突入した。

 

 

 ◇◆◇

 

 「全員反転、撤退!!」

 

 無数の白の人形が構成する防衛線をキリト達が破ったことを確認したのか、撤退命令を出したサクヤの声が聞こえた。

 再び塞がれてしまった障壁のせいで見えないが、俺を除く攻略メンバーの生き残りは順次この場から脱出しているのだろう。下の方にあった人間の気配が次々と扉に吸い込まれていくように消えていく。

 

 「……それで、お前らは役目を終えたというのに消えないのか?」

 

 俺は周囲を囲む人形の一つに問いかける。こいつらに与えられた仕事は『ゲートを狙う者の抹殺』といったもののはず。

 だが、もしそうならゲートを突破された時点で仕事は終了し、また新たな挑戦者を待つように元の位置に戻れと設定されているのが普通だ。防衛対象を失ったのに未だ消える気配を感じさせないこの人形達は明らかにゲームのシステムから逸脱している。

 さらにその思考が正しいと言わんばかりに人形は武器を構え、ドームの壁からは追加の人形が造られていく。オリジナルの隠蔽プログラムの一部を解除してちらりと管理者のログを見れば、俺達がこのクエストを攻略している間に何度か介入があったことが確認できた。

 確定だ。人形達の異常な強さも、尋常ではない人形の生産速度も、全て奴の……須郷の仕業によるもの。今眼前で起こっている光景も同じ。これはただの私怨。自分の楽園を荒らした者に向けた餓鬼の癇癪なのだ。

 ああ、殺意が加速する。身体が熱い。意識が朦朧とする。こんなになるまで誰かを殺したいと思ったのは何時ぶりだろうか。

 

 「……コロス。」

 

 瞬時に展開した武器庫から片手剣を取り出し、正面の人形の首を飛ばす。胴体だけとなった人形は白の炎と共に崩れ去る。

 それが第二の開戦の合図となった。剣を持つ者は一斉に襲いかかり、弓を持つ者は数百本の矢を放つ。しかしそのどれもが俺を捉えることはなかった。

 永久に飛行可能な翅を鳴らし、俺は音を置き去りにする速度で動いたからだ。明らかにプレイヤーが出せるものではないが、今の俺は白の妖精。つまりこの周りにいる人形と同じなのだ。故に、奴の度重なる強化の恩恵は俺にも作用していた。

 

 「「ぎょうわあああぁぁぁ!?」」

 

 人形達が気味の悪い叫び声を上げながら動きを止めた俺に殺到する。強化され過ぎた影響か、人形達は引き上げられた己の力に振り回されているように見えた。奴は相変わらず雑なことだ、戦闘AIにだって限界があることを理解していないのか。

 速度を調整できずにどかどかと衝突する数十の人形をまとめて造り出した鎌で刈り取る。赤黒く染まったそれはまさに死神の鎌の如く。

 その後何回か鎌を振るい、数分で人形達を全滅させた。いや、正しくは力に呑まれた人形達の廃棄作業を行った。しかしそれをする中で一つ気にかかったことがある。

 ほんのごく一部だが、強化された力を使いこなしていた人形がいたのだ。その者達は俺と同様に音速に近い速さで飛び回り、一撃で死に至るであろう刃を向けてきた。どうにか全員殺したが、かなり厄介だったことは覚えている。

 しかも記憶を掘り返せばその者達は皆、追加された方の人形だった。偶然と言えばそれまでだが、俺にはどうもそれが意図的なもののように思えてならない。

 その中の一匹とつばぜり合いになった時、普段は見えない筈の白いマスクの先にある顔が少しだけ見えたような気もした。

 まぁこんなところで考えても結論は出ない。全ては奴に聞けば良いだけの話だ。思考を打ち切り、静寂が満ちるドームの上を見上げる。そこには管理者権限によって永久に開かなくなった扉があった。

 翅にもう一度力を入れ、キリト達と別れたところにまで戻る。もう俺にどれだけ戦力をつぎ込んでも無駄と判断したのか、人形達が増産されることはなかった。これは好都合だ。今のうちに突入させて貰うとしよう。

 道を塞ぐ四つの石板の一つに触れ、システムへの介入を開始する。

 

 「……オリジナル隠蔽プログラム、第二段階まで解除。第三管理者『オベイロン』による封鎖命令を第二管理者『ブレインマスター』の上位権限によって廃棄、ゲートを通常状態へと移行。」

 

 一瞬だけ光った石板が土埃を立てながら動き始めた。分割された十字の線に沿って光が差し込み、世界樹の内部に繋がる道が開かれていく。数秒の後、俺の前に円形のゲートが出現した。

 俺は何の躊躇いもなく、その中に飛び込む。重力が逆方向に働き、身体が中に吸い込まれていく。自分の指先に目を向ければ、徐々に崩壊が始まっている。正規にしろ非正規にしろ転送される仕組みのようだ。管理者権限で転送先を確認すると、キリト達が最初に到着した場所だった。意外と早く合流できるかもしれないと思ったが、それはないと即座に切り捨てる。

 何も救出対象はアスナだけではない。未だに現実で目を覚まさないらしい約三百人の人間もだ。彼らは確実に須郷の研究材料とされているだろうから、新原創也として俺が助け出さねばならない。

 転送後の行動を確認しながら、俺は二人と一匹の後を追って世界樹の内部へと向かった。

   



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第四十四話 現れた黒幕

 UA二万を突破しました!

 こんなにも多くの方に読んでいただけるとは思っていなかったので、本当に感謝の気持ちでいっぱいです!ありがとうございます!


 ◇◆◇

 

 世界樹の内部に突入した少女を出迎えたのは、何の装飾もされていない奇妙な場所だった。物音などは一切聞こえず、不気味さを感じさせる。

 片膝をついた姿勢から立ち上がった少女は共に転送された仲間を探す。すると近くに相棒のピナ、やや離れたところにキリトとユイの姿を見つけた。彼らも少女の姿を確認すると安堵の表情を浮かべる。

 

 「シリカさん、大丈夫ですか?」

 

 「勿論、大丈夫です。それにしても……此処は?」

 

 少女は十歳程の大きさ、つまりあの世界の時の姿に戻ったユイの問いに答えながら周囲に目を向ける。だがその目に映るのはのっぺりとした白い壁のみであった。

 少女達が今いる場所は何処かの通路の途中のようだった。前と後ろに道が存在し、どちらも僅かながらに湾曲している。となると、此処は長いカーブか大きな円形の通路だろう。

 

 「ユイ、此処が何処かわかるか?」

 

 父親の言葉に娘は一瞬だけ目を閉じ、そして首を振った。

 

 「ごめんなさい……私にもわかりません。この場所にはナビゲート用のマップデータがないようです……。ですが、ママの居場所ならわかります。此処から上の方……こっちです。」

 

 ペタペタと前方を指差しながらユイは裸足で走り出した。少女達は抜いたままだった武器を収納し、彼女を追う。

 暫く走っていくと、先頭を突き進んでいたユイがいきなり立ち止まった。追い付いた少女達は彼女の視線につられて左側壁へと視線を移し、硬直した。そこには、この世界にはある筈のないものがあったのだ。

 縦に切れ目が入った扉と思わしきものの隣に、上下に並んだ二つの三角形のボタン。誰がどう見ても現実世界に存在するエレベーターそのものである。

 何故こんなものが……そう考え始めた少女とは対照的に、キリトは一切の躊躇を見せずに上を向いたボタンを押す。今の彼にとって此処が何処か、何故エレベーターがあるのかなどの疑問は関係なかった。助けるべき人がいるのなら、それ以外はどうでも良い……それが彼の心中なのだ。

 直ぐにポーンと電子音が鳴り、直方体型の箱が現れる。それに少女達は乗り込み、キリトが僅かな迷いの後に一番上のボタンを押した。

 再度響いた電子音と共に扉が閉まり、上昇感覚が少女達を包んだ。そして十秒程経過すると目的地に着いたのか、代わり映えしない白の通路が扉の向こうに現れた。

 

 「高さは此処で合ってるか?」

 

 「はい、あともう少しです。あと少しで……ママのいるところです。」

 

 ユイはそう言うやいなやキリトの手を取って駆け出した。少女は相棒を連れてその後を追いかける。

 息を切らせながら走る娘はまるで母親のいる場所までの道を知っているかのように迷うことなく進んでいく。同じ形状をした扉に見向きもせず、ただひたすらに走る。やがて、彼女は足を止めた。しかしそこは、何もないただの壁だった。

 

 「……ユイちゃん?」

 

 「……この奥に通路が……。」

 

 少女の心配そうな視線に気づかない程集中していたユイは小さく呟きながら壁に触れる。彼女の触れた部分から幾つもの太いラインが走り、四角を描く。そして壁をくりぬくように消滅した。

 道ができたことを確認したユイは無言でその通路に踏み入り、一層速度を上げて駆け始める。今までにない彼女の様子に、少女達はアスナが近いことを確信した。

 もう立ち止まる時間さえも惜しいとユイは走りながら行く手を閉ざす四角の扉を押し開ける。突然差し込んだ眩い光に少女は目を細めた。

 ゆっくりと瞼を上げると、正面に今まさに沈もうとしている太陽らしきものがあった。先程の光の正体はこれだったのだ。しかしあったのはそれだけ。グランドクエストの説明にあった空中都市など欠片も存在していなかった。

 

 「無いじゃないか……空中都市なんて……。」

 

 「もしかして、全部……嘘だったのですか……!?」

 

 キリトと少女が呆然と呟く。つまりグランドクエストは少年の言葉を聞いて彼が予想した通り、プレイヤー達の前にぶら下げられた永久に取れない人参だったのだ。

 この世界を管理する何者かに向け、少女達はふつふつと怒りを募らせる。不意に、握り締められていたキリトの右手が軽く引っ張られる。視線を下に移せば、ユイが気遣うような目で見上げていた。

 

 「……そうだな、全てはアスナを助け出してからだ。」

 

 「はい……行きましょう。」

 

 少女達は自分が此処に来た目的を再確認し、走り出す。夕日に向かって伸びる太い枝には、人工的な小道が造られていた。唯一アスナの居場所がわかるユイの案内を受け、二人と一匹は走り続ける。

 生い茂る木の葉を抜け、枝のうねりに合わせた短い階段を駆け上がって着実にアスナの下へと向かう。やがて何度目かの草むらを抜けたその時、少女達の視界にあるものが飛び込んできた。

 黄金に輝く金属が縦横に組み合わされ、格子のようになっている。更にその格子は円柱状に並べられ、上部がすぼまっている形をしていた。明らかに鳥籠だ。どう見ても通常の用途にしては大きすぎるそれに少女達は見覚えしかなかった。

 この世界にやって来る前、同じデスゲームから生還した仲間の一人に見せてもらった二つの写真のうちの一つ。ある人によく似た少女を捕らえていたものが眼前のそれと瓜二つなのだ。

 中にいる人が誰なのか把握した少女達は加速し、地を滑るかのような勢いで鳥籠まで駆け寄る。

 

 「アスナ!!」

 

 「アスナさん!!」

 

 「ママ!!」

 

 ユイが光の筋を纏った右手で鳥籠の扉を吹き飛ばし、少女達は中へと転がり込む。突然の事態に中にいた少女は慌てて立ち上がり、扉の方に警戒の眼差しを向けた。だがそれは少女達の姿を確認したとたん、驚愕のものに変わる。

 

 「キリト君、ユイちゃん……!?それにシリカちゃんとピナまで……!?」

 

 「ママー!!」

 

 床を蹴った娘は涙を滲ませながら母親の胸に飛び込む。やっと状況を理解した母親は突撃してきた娘を迎え入れる。彼女の目尻にも光るものがあった。

 そして頬をすり寄せ合う親子の前に父親がやって来て、娘の身体ごと母親を抱き締めた。この親子は未だ現実で挨拶などもしたことがない。しかしお互いを大切に抱き合う彼らは本当の家族に違いなかった。

 

 

 ◇◆◇

 

 無事にアスナさんと再開し、彼女と抱き合うキリトさんを私とピナは少し離れたところで見ていた。まるで一つの家族のような雰囲気を放つ彼らに私は羨望を覚える。私とソーヤさんもいずれはあんな感じになりたいと思ってしまう。

 そんな事を考えていると、いきなりピナが警戒の声を上げた。自然と内側に向いていた意識を外に戻すと、嫌な気配がした。かつてソーヤさんから習ったことを思い出し、目を閉じて更に集中する。

 ねばついた視線が私達に向けられている……一旦そこまで把握し、続いて場所を特定しようとした次の瞬間、私は地面に這いつくばっていた。戸惑いながらも身体を起こそうとするが、肉体は鉛に変化してしまったかのようにぴくりとも上がらない。

 

 「きゃあぁぁぁ!!」

 

 「きゅるぅぅぅ!!」

 

 突如二つの悲鳴が聞こえる。何事だと目を開くと、深い闇に覆われた世界の中でユイちゃんとピナが身体に電光を走らせながら苦しんでいた。

 

 「パパ、ママ、気をつけt……」

 

 「きゅるr……」

 

 ユイちゃんはキリトさんとアスナさんに、ピナは私に何かを伝えようとしたが、その言葉が終わる前に彼女達は一瞬眩く光り、消滅する。

 

 「ユイ!?」

 

 「ユイちゃん!?」

 

 「ピナ!?」

 

 消えてしまった彼女達の名前を呼ぶが、返事はない。私達三人は光一つ存在しない真の暗闇の中に取り残された。

 キリトさんとアスナさんはお互いに手を伸ばし、私は床に手を当てて立ち上がろうとする。しかしそんな私達の努力を嘲笑うかのように、身体の重さが増加した。

 もう抗うことすら叶わないぐらいの凄まじい力に押さえつけられ、息をすることすら苦しくなってくる。もう駄目だと諦めかけたその時、こちらに近づいてくる一つの足音が聞こえた。

 私はソーヤさんが来てくれたものだと思い、どうにかして顔を前に向ける。この時の私は一瞬だけ見えた希望が絶望に叩き落とされることを知らなかった。

 

 「やぁ、今度のアップデートで実装予定の重力魔法はどんな感じだい?ちょっとばかり強すぎるかもしれないけど……潜り込んだゴキブリ達を押さえつけるには丁度良いかもしれないねぇ?」

 

 キリトさんとアスナさんのいる場所の更に奥から現れたのは、派手な装飾をこれでもかと纏った男の人。恐らく造られたものであろう美しい顔を醜悪に歪め、ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべている。

 

 「ようやくお出ましか……須郷!!」

 

 「おいおい、こっちの僕は須郷じゃないよ。貴様らの王である妖精王オベイロンだ!口を慎めっ!!」

 

 白いタイツに包まれた足の片方がキリトさんの溝尾にめり込んだ。苦悶の声すら上げることができずに彼は数秒の間打ち上げられ、地面に叩きつけられた。

 

 「はぁ……。できるなら桐ヶ谷君、いやキリト君ともっとお話しがしたいんだけど……僕が今一番用があるのは君なんだよ。ねぇ、シリカちゃん?」

 

 全身に悪寒が走るような気色悪い笑みを崩さず、須郷というらしい男は首をぐりんと回して私の方を見た。その瞳には怒りの色がありありと浮かんでいる。しかし私には全く心当たりがなかった。

 私に一歩ずつ近づいてくるあの男と私には、此処に来るまで何の関わりもないはずだ。勿論、現実世界でも『須郷』という名字をした人間を一人も知らない。幾ら記憶を掘り返しても心当たりは見当たらなかった。

 

 「理由がわからないのも当然か。だって、僕が一方的に恨んでいるだけだもんね。」

 

 とうとう私の目の前にまで到達した須郷はゆっくりと屈み、私の髪を触る。あまりの気持ち悪さにその手を振り払おうとしたが、今の私は重力魔法とやらによって動けない。私に出来たことはその男を睨むことだけだった。

 

 「何だその目は?……まぁいい。むしろそれぐらいの感じである方が、恨みの晴らしがいがある。」

 

 私の髪から手を離した須郷は一つのウィンドウを出現させ、指を走らせる。直後、身体が嘘のように軽くなった。重力魔法が解除されたのだ。よろめきながら立ち上がり、腰に差していた短剣を抜く。

 

 「……何で私を目の敵にしているんですか?」

 

 それを聞いたとたん、須郷の額に青筋が浮かんだ。理由がわからないのも当然だと言っていた筈なのだが……。少し前の自分の発言を忘れたのだろうか。

 そう考えていた次の瞬間、須郷は急に声を高く跳ね上げて絶叫した。

 

 「貴様が僕の記念すべき実験体第一号を奪ったからだろう!?初めて人に洗脳を施した貴重なデータを消し去ってしまったからだろう!?」

 

 私は須郷の言っていることが全く理解できなかった。奴の言う実験体第一号というものを奪った記憶なんてないし、そもそもこんな非人道的な研究がゲームの裏側で行われていることだって知らなかった。

 しかし須郷が続けた言葉によって全ての点が一筋の線へと変わる。

 

 「それに実験体第一号はなぁ!人間のくせにどの種族にも属さない白い翅を持つとかいうバグも持ち合わせていた!予定ではその姿を手に入れた方法も聞いてやろうと考えていたんだ!そんな貴重な存在を……貴様はぁ!!奪ったんだよ!!」

 

 「……は?」

 

 自分のものとは到底思えない程に、低くて恐ろしい声が飛び出た。今度は私が青筋を浮かべる番だった。

 思考が一気に溢れ出た怒りで染め上げられる。そして須郷がソーヤさんのことをまるで実験動物のように扱う様が私の怒りの炎に油を注ぐ。全身がかっと熱くなったように感じる。

 今須郷は私に『奪った』と言った。だが実際に『奪った』のは奴の方。私の最愛の人を一時期とはいえ、奴は『奪った』。奪おうとした。彼を洗脳し、自身の手駒にしようとしたのだ。何があろうと許せる訳がない。

 雰囲気が激変した私を見て、若干怯えた表情を見せる須郷を再び睨む。今ならキリトさんの気持ちも理解できる。どれだけ憎んでも足りないとはまさにこのことだろう。

 短剣をもう一度握り締め、私は地を蹴った。視界にはもうあの男しか映っていない。キリトさんとアスナさんの声が聞こえたような気がするが、今はそんなことどうでも良い。

 

 「やあああぁぁぁ!!」

 

 空いていた片手を短剣の柄に添え、心臓目掛けて突き出す。須郷は私の速さに対応することができていない。通った、そう思ったのも束の間、私の短剣は突然横から割り込んできた片手剣によって弾かれていた。

 何が起こったのか理解できず、驚きのあまりほんの数秒だけ動きが止まる。その隙を狙われた私は腹を大剣で叩かれ、壁まで吹き飛ばされた。

 

 「……あぐっ!」

 

 背中に走った強烈な衝撃に呻き声を上げ、ずるずると床に落ちる。再度重力魔法をかけられたかと錯覚してしまう程に重い身体をどうにか動かし、乱入者の姿を確認する。

 ニヤニヤと私を嘲笑う須郷の両隣に二匹の白い妖精が立っていた。それぞれ片手剣と両手剣を装備し、奴を守るように一歩前に踏み出す。

 それを見た私は何の問題もないと近くに転がっていた短剣を拾う。あの白い妖精はドームの中で何匹も倒してきた。先程は状況把握が追い付かずに重い一撃をもらってしまったが、冷静に対処すれば余裕で倒すことができる。短剣を構え、須郷と二匹の取り巻きを見据える。

 

 「さぁ!恨みを晴らす時だ!妖精王守護騎士部隊、不敬なあの女を徹底的に痛みつけろ!!」

 

 「「はい、オベイロン様。」」

 

 生気を感じさせない声で返事した二匹の妖精は得物を戦闘態勢に構えた。しかしその構えは何処か記憶に引っ掛かるものだ。まるで何かを立ち上げようとしているような……そんな構えをしていた。私の本能が二匹の妖精は今までのものとは違うと警告を始める。

 

 「あれは……ソードスキルの《ヴォーパル・ストライク》と《アバランシュ》!?何でアイツらがその構えを!?」

 

 驚きを露にしたキリトさんの声で全てを理解した。あの構えは私がソーヤさんや皆であったもう一つの現実とも言える世界で使われていたもの。道理で見覚えがあったわけである。

 内心で納得していると守護騎士達が斬りかかってきた。あの世界とは違って剣に光は灯っていないが、二匹の妖精は当時のモーションを再現するかのように得物を振るう。

 何故この騎士達がソードスキルの構えと動きを覚えているのかとキリトさんと同じ疑問を数秒だけ浮かべ、即座に思考は不要だと切り捨てる。正体は知らないが、彼らが敵であることに変わりはない。だったら倒すだけだ。

 右側から迫る片手剣を弾き、数秒遅れて襲いかかる右側の大剣を回避する。どうやら連携は完璧ではないようだ。大剣の攻撃がもう少し早ければ、私はまた床を舐めることになっていたかもしれない。

 油断はしない。私は延々と警告を発し続けている本能に従うことにした。目の前に立つ二匹は今までの有象無象の守護者とは一線を画していると己に言い聞かせ、警戒を高める。

 ちらりと横を見れば、キリトさんとアスナさんが未だに重力魔法によって動けないでいる。まともに戦うことができるのは私だけ。つまり、二匹の守護騎士と彼らに守られている元凶を殺れるのは私だけなのだ。

 

 「……殺す!」

 

 消えることを知らない怒りの炎を滾らせ、私は地を蹴った。

 



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第四十五話 実験の全貌

 お待たせしました!少し時間がかかってしまいました!

 そのお詫びと言ってはなんですが、今回は少々長めになっています。といっても千字程度の差ですが。 


 ◇◆◇

 

 突入時にデータと化していた仮初めの肉体が再構成され、俺は真っ白な床の前に降り立った。前後左右を見渡し、此処が須郷の実験施設の中であることを確認する。そう確信できたのは、此処にはファンタジー要素が一切存在していなかったからだ。

 存在する筈だった妖精王が住まう空中都市に繋がる通路の壁や床には何の装飾もなく、何処かのオフィスのようにも見える。さらにそれだけではない。この近くに此処が何かの施設であると決定づけるものがあった。

 転送されて前方にある程度進むと、明らかにエレベーターと思わしきものが設置されていたのだ。しかも丁寧に上下のボタンまである。

 

 「オリジナル隠蔽プログラム、第三段階解除。世界樹内ログインプレイヤーの位置座標、観測開始。」

 

 此処が敵の牙城の真っ只中であることは忘れていない。故に認識される最低限の大きさで命令を下す。数秒後、俺の前にやや大きめのウィンドウが表示された。

 一切動かないものを除いた光点の数から推測するに、須郷を含む研究者の皮を被った外道はざっと三十人だろうか。だがどういう訳かそのほとんどが奴とシリカ達の近くにいる。これは急がねばならない。

 続いてウィンドウに指を走らせ、高さの座標の確認を行う。

 先程から置物のように動かない光点、つまり須郷の研究の実験体にさせられた約三百人は今いる場所よりも下にいる。俺は下を向いた三角印を押した。即座に扉は開き、俺を小さな箱の中に迎え入れる。

 予想通り内部にも置かれていた操作盤に触れ、直後に落下感覚が肉体を包んだ。  

 

 「……此処か。」

 

 エレベーターから降りて正面にあった扉が音もなく開かれ、中へと入る。目に入ってきた光景は大方予想していたものだったが、やはり吐き気を感じさせるものだった。

 向こうの壁が見えない程に巨大な一室を寸分の狂いなく並べられた白い円柱が埋め尽くしている。その中に浮かぶのは……精緻に再現された人間の脳髄そのものだった。

 ある一つの円柱を覗き込むと、定期的に全体を光の筋が駆け抜けており、それが終わる度に鮮やかに火花を散らしている。もしこれが花火なら良かったのだが、生憎と本物に近い人間の脳髄であるために、綺麗だという感情は全く感じない。生じる感情は怒りだけである。

 これ以上見ても無意味だと円柱を覗き込むことを止め、俺は歩き出した。その足先はやや遠くで何やら熱心に話し込む二匹のナメクジに向いている。この階層に存在する外道二名だ。

 

 「おっ、こいつまた良い夢見てるよ。これでもう何回目になるのかな?」

 

 「たったの三回だろうが。まぁでも、一応経過観察の方に移しとくか。他のサンプルよりも反応が良いy……」

 

 「何がサンプルだと?言ってみろ、クズ野郎ども。」

 

 突如背後から殺気が込められた声をかけられ、びくんと肩を跳ね上げる外道二名。後ろを振り返って俺の姿を確認したとたん、奴らは驚きの表情を浮かべた。

 

 「な、何者だおm……ガハッ!!」

 

 片方のナメクジが何か喋ろうとしたが、俺が口らしき部分に抉り込ませた細剣によってそれは苦悶の声へと変わる。もう片方のナメクジもその光景に驚いて動きが止まった隙を狙われ、血を纏ったような大剣で地面に縫い付けられた。

 全身を駆け巡るであろう不快感に慣れていないのか、呻き声を上げるだけで動けない外道二名を俺は絶対零度の目で見下す。俺の両親の努力を踏みにじるような輩に言葉を交わす必要などありはしないのだ。

 

 「ううっ……システムコマンド……」

 

 まだ口が動く方のナメクジが管理者権限を使おうと、途切れ途切れの声でシステムに呼び掛ける。俺はあえてそれを止めようとしなかった。俺が言えたことではないが、人としての道を踏み外したこいつらには絶望を味わってもらわねばならない。

 やがて命令を下し終えたのか、腹に大剣の刺さったクズ野郎はニヤリと歪んだ笑みを浮かべた。おおよそ須郷の部下に恥じない吐き気のするような命令をしたのだろう。だが、システムという名のこの場を統治する神はどれ程時間が経っても俺に天罰を下すことはしなかった。

 気持ち悪い笑みを引っ込め、床と同化させられたナメクジは困惑し始める。それは声にならない音声を出し続けているもう一匹も同様だった。

 何故だと問うてくる外道二名を無視し、俺はシステムコールと呟く。瞬時に複数のウィンドウが展開され、その中から眼前にいる人間らしき生物のアカウントを引っ張り出す。奴らをどうするかは俺の自由なのだ。

 どう足掻いても俺には敵わないと理解した奴らは、揃って涙を流して命乞いを始めた。自身が不利だと把握した瞬間に保身に走るその様は全く反吐が出る。

 人の大切な何かを破壊しておきながら、己のことしか考えていないこいつらを殺してやりたいと殺意が芽生えた。しかし俺は手に握っていた片手剣を振るわなかった。奴らを殺してはいけないと冷徹な獣の思考が告げていたのだ。

 通常の人間ならば『怒りに我を忘れる』という言葉があるように、沸き上がる怒りに比例して思考がろくにできなくなる。怒りに思考を支配されてしまい、冷静な判断を下せなくしてしまうのだ。

 それに対して俺は対照的である。怒りの感情が増幅すれば思考は冷徹なものへと変わっていく。内に住まう獣が俺を侵食すればする程に他者の命などどうでも良くなってしまう。だから、こんなことができる。

 

 「……第二管理者『ブレインマスター』の権限により、指定のアカウントの座標を固定。並びに同権限によって管理者権限を剥奪。」

 

 俺が命令を終えると同時に二匹のナメクジが宙に浮かび、ピタリとその場で固定された。そしてガタガタと恐怖に震える外道らを熱が帯び始めた瞳で見つめながら、追加で命令を下す。

 

 「……ゲームシステム介入、詳細設定を調整開始。調整内容、特定のアカウントのペイン・アブソーバの変更。平行してアミュスフィアの安全装置の稼働を凍結、ログアウト不能に設定。」

 

 一つ一つ世界の法則が書き換えられていくごとに、ナメクジの顔らしき部分に青い絵の具が広がっていく。非人道的な実験をしていたとはいえ、奴らにも一応知識はあるのだろう。それはつまり、自分がどれだけ絶望のどん底に叩き落とされていることを理解しているということだ。

 変更した設定を適応させ、奴らの口と腹に刺さったままの細剣と大剣の柄を握った。クズ野郎どもは刃物の鋭い痛みに耐えながらそれだけは止めろと懇願する。だが、そんなことを聞き入れるつもりなど毛頭ない。

 一秒でも早く世界樹の上に向かわねばならないことは十分に招致している。だからといって俺の両親の成果を悪用する者を見逃す理由にはならない。俺が生まれてからずっと唯一本当の俺で関わることができた人に奴らは手を出したのだ。

 俺は両手に力を込め……二つの剣を思いっきり下に振り抜いた。

 

 「「あああアアアぁぁぁァァァ!!!???」」

 

 長い役目を終えて散る剣の効果音をかき消すように二つの悲鳴が響いた。今奴らは現実と同等の痛みを味わっていることだろう。何故なら先程、攻撃を受けた時に発生する痛みを不快感に変換するペイン・アブソーバのレベルをゼロにしたからだ。

 更に奴らがログインに使用している『アミュスフィア』なるものに搭載されていた自動ログアウトの機能を奪ったことによりこの世界からの緊急脱出も叶わず、座標を固定されたナメクジ達は宙に浮いたまま気を失った。

 命拾いしたな、そう動かなくなった外道達にそっと呟くと視線を部屋の奥へと移す。その先にはぽつんと浮かぶ黒い立方体があった。

 間違いなくあれがこの場にいる約三百人の魂をデジタル世界に縛り付けている元凶である。その存在を確認した俺はそれに向かって歩き出す。

 腰掛けることができる程に大きな立方体の目の前に到着した俺はコンソールを起動し、薄い青色をしたウィンドウとホロキーボードを出現させた。

 びっしりと表示された多種多様なメニューを端から確認していく。そして約三百人のデータが詰まったフォルダを発見し、ホロキーボードで作業を始める。昔から研究でパソコンを触っていた両親を真似ていたせいか、かなりの速度で光の板が次々に発光していく。

 約三百人の囚人を順次ログアウトさせながら、俺はこの他者の脳を弄くるという悪魔の研究データの全てをナーヴギアのローカルメモリに移していく。

 別に研究に利用された人達を解放するだけなら、こんなことをする必要性は全くない。こんな研究のデータなど深い暗闇の中に捨ててしまった方が良いからだ。なのに俺がそれをしないのには理由がある。

 俺は新原夫妻の息子、新原創也として非人道的な研究を終わらせに来た。その為にはこの研究のデータが必要なのだ。現実世界で奴とその仲間全員を牢屋に入れないことには終わったとは言い切れない。

 

 「……これで、最後!」

 

 この場にいる人達全員のログアウトを終え、そう呟きながら一つの光の板を押す。数秒間だけこの部屋全体が眩い輝きに包まれた。眩しさに細めていた目を開ければ、もうそこには何も残ってはいない。

 これで終わりだと開いたままだったウィンドウを閉じようとする。だがその時、俺はおかしな点を見つけた。目を擦って再度確認するが、見間違いではない。

 

 「……三十人、数が合わない!?」

 

 ウィンドウの右下に表示されている人数がログアウトさせた人数と一致していないのだ。具体的には、三十人。これは一体どういうことだ。奴は拐って来た人達全員をこの研究の実験体にしたのではないのか。

 ホロキーボードを叩き、ログアウトが完了していない三十名のプレイヤーの情報を探す。現実に帰還させた人のデータは既に消してあるため、求めていた情報は直ぐに見つかった。しかしその情報は囚われた約三百人の救出作成がまだ終了していないことを告げていた。

 洗脳されていたのだ。ログアウトができなかった三十名のプレイヤーは須郷によって記憶などを書き換えられ、奴の下僕と化してしまっていた。

 現在は妖精王守護騎士部隊と名付けられ行動している彼らの権限は此処から切り離され、奴の個人的なアカウントの中に移動している。故にこのコンソールではログアウトの命令が効かなかったのだ。

 

 「……!まさか!?」

 

 そこまで思考を重ね、ある事に気づいた。この部屋に入る前に俺は一度世界樹内のプレイヤーの居場所を割り出した。

 俺やシリカ達、実験体にさせられた人達を除いた数は約三十。さらにそのほとんどが須郷とシリカ達の近くにいた筈だ。つまり、彼女は圧倒的な劣勢に立たされている可能性が非常に高いということになる。幾らあの世界で最前線で戦い続けた攻略組の一員であったとしても流石に分が悪すぎる。

 それに加えてシリカは優しい女の子だ。洗脳されたとはいえ同じデスゲームを生き抜いた仲間を斬ることは絶対にできないだろう。元々早く行かなければいけないと思っていたが、想定以上に状況は不味いことになっていた。

 一瞬シリカが洗脳された人達に一方的に斬られている様子を幻視し、直ぐ様彼女がいる場所まで急ごうと出入口に向かって駆け出したくなる感情を無理矢理押さえつけながら、後ろの壁に視線を向ける。そこには、もう居ない筈の男の気配があった。

 

 「……何で、そんなところにいるの?……茅場の叔父さん?」

 

 「やはり気付かれてしまったか……いつも創也君の気配の敏感さには驚かされる。」

 

 壁の中から造られる人形のように姿を見せた茅場の叔父さんは昔から変わらない金属的な瞳で俺を捉えている。だがよく見ればその姿には若干ブレがある。恐らく目の前にいる彼は、茅場の叔父さんという人間をデジタル化したものだろう。

 

 「この力は望んで手に入れたんじゃないんだけど……まぁ良いや。それで、何でいるの?」

 

 「その質問に答えるなら、私の世界をちゃんと終わらせに来たというのが適切だろう。聞くところによると、私の部下の一人が私の世界の住人だった者を捕らえてとんでもない研究をしているそうじゃないか。だかr……」

 

 「茅場の叔父さんが言いたいことはわかった。できればだけどその件、俺に任せてくれない?俺は父さんと母さんの息子としてこんな研究を終わらせに来たんだ。ちゃんと全員ログアウトさせるって約束する。」

 

 茅場の叔父さんの言葉を遮り、俺は一つの世界を造り出した狂気の天才を見つめる。彼は少しだけ考える素振りを見せた後、ウィンドウを開いて指を走らせた。

 そして彼がそれを消すと同時に眼前に小さなメッセージが表示される。内容はこの世界で最上位管理者アカウントの『ヒースクリフ』が持つ権限を一時的に俺に移行させたというものだった。

 

 「……これは了承したということで良いの?」

 

 「勿論だ。囚われた者達のログアウトは創也君に任せることにしよう。だが、それには一つ条件がある。」

 

 「条件?……ああ、そういうことね。」

 

 一瞬首を傾げたが、直ぐに納得する。このままでは茅場の叔父さんにしかメリットが存在しない。俺は別に構わないのだが、彼はそういう無償の善意を嫌っている。双方にメリットがないと彼は気に食わない性格をしているのだ。……こうして考えると、彼にも未だ子どもの部分があるように感じられる。

 

 「何か失礼なことを考えていないかね?」

 

 「……ごめんなさい。ちょっと考えてた。」

 

 「まぁ良いさ。話を戻そう。創也君には今から君の両親に関するある秘密を聞いてもらう。それは今話すべきではないのかもしれないが……創也君には真実を知ってもらっても損はないだろう。」

 

 そう前置きをした茅場の叔父さんは俺に父さんと母さんに関する秘密を話し始める。それは確かに今聞くべきではなかった。聞いてはいけないことだった。

 それでも……茅場の叔父さんが話した秘密は新原創也として知っておかねばならない。全てを聞き終えて俺はそう思った。

 

 

 ◇◆◇

 

 「……カハッ!」

 

 吹きとばされた身体が壁にぶつかり、肺の中の空気が全て強制的に吐き出される。もう何回壁にぶつけられたかわからない。遥か前に私の命令を聞かなくなった身体は受け身すら取れずにばたりと倒れた。

 

 「ひゃははは!!良い気味だ!心がスッとしていくよ!!」

 

 焦点の合わない視界の中央で毒のような気持ち悪い緑をした人が笑い声を上げている。私にはもう奴を睨むような力すら残っていない。

 

 「シリカ!」

 

 「シリカちゃん!」

 

 遠くからキリトさんとアスナさんの声が聞こえる。それに応える力なんてとうに無くなった。今の私は敵すら斬れないただの女の子だ。

 今回の事件の元凶である須郷を殺そうと斬りかかった私は今、真っ白な守護騎士達に囲まれ、延々と攻撃され続けていた。始めは二人だった筈だが、最終的に三十人にまで膨れ上がった守護騎士達に対応できなかったのだ。いや、正確には対応できなくなってしまったという方が正しい。

 人数をどれだけ追加しても抗い続ける私に須郷はある一言を放ったのだ。それは私の心を折るには十分過ぎた。

 

 『一つ良いことを教えてあげよう。今君が戦っている守護騎士達はね……全員、元攻略組の人間なんだよ!!』

 

 それを聞かされた私は攻撃の手を止めてしまった。仮面で顔は隠されているが、もしかしたら目の前にいるこの人は私が知っている人かもしれない……。そう考えると私は手に持った短剣を振るえなかった。操られているとはいえ、一緒にあの世界で生き抜いた仲間達に刃を向けることなど、私には不可能だったのだ。

 

 「よしよし、良くやった守護騎士部隊よ!もう十分だ、下がって良いぞ!」

 

 「「「ありがたき幸せ。」」」

 

 まるで機械のような生気を失った声と共に、私を囲んでいた騎士達が遠ざかっていく。白で染まっていた視界が割れ、一つの緑が目に入った。

 

 「無様だねぇ。この僕を殺すなんて言っていた時の君は何処へ行ってしまったんだい?僕の守護騎士達にぼこぼこにされていたじゃないか。」

 

 そう言いながら須郷はウィンドウを操作する。四方八方から鎖が飛来し、私は逃れる間もなくがんじがらめに縛られた。そのまま宙に浮かされ、奴の隣にまで運ばれた。ぐったりと動けない私を奴はキリトさんとアスナさんに見せつける。

 

 「ねぇキリト君、僕は一つ良いことを思いついたんだ。彼女はどうやらナーヴギアでログインしているみたいなんだよね。」

 

 「まさか……!?おい!止めろ!!」

 

 「そんなので僕が止めると思うかい?それと彼女、少し前から様子を見ていたんだけど、中に恐ろしい力を持っているじゃないか!これは是非とも活用しないとね!」

 

 私の中にある恐ろしい力、須郷が言うそれが何を指しているかは容易に想像がつく。ソーヤさんの記憶が戻ったあの時の戦いで生まれてしまった、シリカでも珪子でもないもう一人の私。その存在を再認識したとたん、全身が恐怖に包まれた。

 気持ちの悪い笑みを更に深めた須郷は、私の額に手を当てる。今から私が何をされるのか予想はつかないが、絶対に受けては駄目だということだけはわかる。微かに残る力を使って懸命に身を捩るが、私を縛る鎖は緩みもしなかった。

 

 「止めなさぁぁぁい!!」

 

 アスナさんの静止を無視し、須郷はもう片方の手でウィンドウを開いて何かのボタンを押す。その数秒後、私の頭を激痛が襲った。

 

 「きゃあああぁぁぁ!!あああぁぁぁ!!」

 

 まるで何者かに脳を直接掴まれ、激しく上下に振られているようだ。頭が物理的に割れてしまいかねない痛みが私の頭を駆け巡る。

 様々な人の顔が浮かんでは消えていく。思い出の写真や映像が白の絵の具を塗られたように思い出せなくなっていく。それは勿論、彼のものも同じだった。彼と過ごした日々も次第に白に塗り潰されていく。

 

 

 そして……私の恩人にして最愛の人の名前も消えた。そこで私の意識は途絶えた。



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第四十六話 少年は変わっていない

 最近多忙により、投稿が遅れてすいません……。

 さらに今回急いで仕上げたものなので、駄文注意です。本当に申し訳ありません。


 ◇◆◇

 

 「はぁっ……はあっ……!!」

 

 エレベーター擬きで最上階にたどり着くなり、白い床を蹴って俺はシリカ達がいる座標まで全速力で走り始める。管理者権限でワープして行けば良いのだが、彼女らがいる場所は須郷の権限で造られた空間の中にいた。

 個人で造られた空間にはどれ程強い権限があろうとも無理矢理入ることはできない。管理者の力が通用するのはあくまでもゲームに関することだけである。中に入るには入り口から入るしかない。

 俺は今、この世界で最上位と第二位に位置する権限を持っている。奴の造り出した空間を破壊するなど造作もない。しかし、消去した空間に存在する者がどうなってしまうのか検討もつかない為にそれを実行に移せなかった。

 隠された扉を蹴破り、太い枝の上に整備された細道を駆け抜ける。やがて鳥を捕らえておくにはやけに大きな黄金の檻を発見した。示される座標は目と鼻の先だ。仮想の肉体は俺の命令に従って加速し、周囲の景色がより早く流れ始めた。

 数秒も経たずに鳥籠まで到着し、吹き飛ばされていた部分から中へと入る。視界に映る限りでは人の影はない。念のため位置座標を再観測するが、此処には誰もいなかった。観測された計三十四の光点は全て須郷の空間に集まっている。

 

 「……行くか。」

 

 荒れた呼吸を整え、鳥籠の中央に一歩踏み出す。その瞬間に周囲の景色が歪み、光が存在しない暗闇へと変わった。須郷の空間に到着したのだ。シリカ達の座標をもう一度確認し、その場所に走って向かう。

 幾ら走ろうと周囲の景色が全く変わらない故に進んだ感じは一切しない。しかし視界の右端に表示したミニマップが着実にシリカ達に近づいていることを伝えてくれている。

 そして残り距離が僅かとなり、やっとシリカ達の姿を視認する。だが目に入って来た光景は俺に深い後悔と烈火のような怒りをもたらすものだった。

 

 「ガッ……シリカ……止め……。」

 

 「シリカちゃん!目を覚まして!!」

 

 「アハハハハハハ!無駄だよ!この女はもう僕の忠実な僕なのさ!!どれだけ呼び掛けても無駄なんだよ!!」

 

 「……。」

 

 俺が見たのは床に這いつくばるキリト、両手を鎖で縛られて宙吊りにされているアスナ、吐き気のする笑い声を上げる須郷、そして……二人の声に耳も貸さずにキリトを短剣で刺し続けるシリカの姿だった。

 遅かったのだ。俺があの世界で出会い、愛し合った彼女はもう此処にはいなかった。あれは彼女の姿をした奴の下僕だ。断じてあれは『シリカ』ではない。

 

 「……あいつは俺からまた(・・)奪ったのか……!!」

 

 未だ俺に気づかず、気持ち悪く笑い続ける須郷に殺意を募らせる。身体がだんだんと熱を帯びていくのを感じるが、そんなことはどうでも良い。最優先はキリトを救出することだ。

 地を蹴る脚に力を込め、残りの距離を一瞬で詰める。そして逆手に持った短剣を大きく振りかぶる下僕の顔面を蹴った。接近する勢いも加わった蹴りは相当な威力となり、キリトに馬乗りしていた下僕は悲鳴すら上げる間もなく吹き飛んだ。

 

 「な、何事だ!?」

 

 いきなり手に入れた下僕が吹っ飛んだことに驚きを隠せず、須郷は原因の究明の為に周囲の警戒を疎かにしてしまった。そんな絶好の隙を俺は見逃さない。

 背から抜いた片手剣でウィンドウを開こうとした須郷の腕を斬り落とし、同じく顔目掛けて蹴りを食らわせる。「ぶべらっ!」と奴は奇妙な声を上げながら不可視の壁に頭からぶつかり、ばたりと倒れた。

 もし今のが現実ならば確実に気を失っているだろうが、此処はイチとゼロで構成された世界の中。須郷が感じた痛みはそれ程酷くはない筈だ。さらに奴は一応管理者の一人。意識が戻るまでそう時間はかからないだろう。

 

 「……ソーヤ!?お前っ、最初に誰を蹴ったのかわかってるのか!?」

 

 「……勿論だよ。でもその話は後にしよう。今は二人の自由を取り戻す方が先だから。……オリジナル隠蔽プログラム、最終段階解除。同時にプログラムの廃棄を実行。第二管理者『ブレインマスター』の持つ権限を全て有効化。」

 

 もう隠す必要もない為、入力していたオリジナルのプログラムを全て解除する。そして権限を完全に取り戻した管理者のアカウントでゲームシステムに介入し、キリトに向けて発動されていた重力魔法なるものを解除する。

 続いてアスナを宙吊りにしている鎖の消去に取り掛かろうとしたが、どうやら此処で時間切れのようだ。彼女に謝罪をしてからウィンドウを消し、奴らが飛んでいった方向に目を向ける。

 

 「このガキッ……!この世界の王である僕になんてことしてくれるんだ……!!」

 

 蹴られた部分がまだ痛むのか、顔を押さえながらこちらに歩いて来る須郷。隙間から見える表情から感情を読み取らずとも怒っていることがわかる。しかし俺からすれば、それが気に食わなかった。

 今知るだけでも、須郷は茅場の叔父さんが造った世界を乗っ取り、その中にいた約三百人を拐い、両親の成果を踏みにじる非人道的な研究を行い、あまつさえ俺が愛する人を己の傀儡とした。

 奴は数え切れない罪を犯し、多くの人を怒らせたのだ。そんなクズ野郎が誰かに邪魔をされて怒りを感じる資格はない。

 そして……須郷にはもう一つ、罪の疑いがある。

 

 「おい、須郷。茅場の叔父さんから聞いたんだが……お前が俺の両親を殺したのか?」

 

 「「!?」」

 

 俺の言葉にキリトとアスナは絶句する。キリトには両親は不幸にも(・・・・)交通事故で亡くなったと伝えていたし、アスナにはそもそも俺の両親が死んでいることを明かしていない。当然の反応だった。

 須郷は何故自分の現実での名前が割れているのかと一瞬戸惑いを見せたが、俺の発言や隠蔽が解除された管理者権限から全て把握したようだ。困惑していた表情がみるみる変わっていき、奴は喚き散らし始めた。

 

 「なんで……なんでお前がそのアカウントを持っているんだよ!?幾らアイツらの息子であろうとパスワードはわからない筈だろう!?お前は一度も開発室に来たことがないだろうが!!それにそのプログラムは何だ!!そんな管理者の目を免れる程の高度なプログラムは誰が作ったぁ!?」

 

 「長いし、喧しい。そしてお前の問いに答える気はない。さっさと答えろ。もう一度聞くぞ、お前は俺の両親を殺したのか?」

 

 相変わらず精神は成長していないようだ。自分の思い通りにならなければ直ぐに機嫌が悪くなる。かつて俺に包丁を向けてきた餓鬼と何ら変わらない。あの餓鬼のことを思い出したからか、身体に帯びる熱が少し熱くなった気がする。

 

 「ああ!殺したさ!!後から入ったくせに、僕よりも先に行っていたアイツらを消したのさ!!お前に……アイツらの息子であるお前に……何が解る!!ただでさえ茅場の下にいたのに……途中から入って来た奴らに抜かされるこの僕の気持ちが、わかるのかy……」

 

 「そんなことなどわかる訳がない、わかりたくもない。俺からすれば、お前は俺から父さんと母さん、そしてシリカを奪ったクズ野郎でしかない。それだけで十分だ。」

 

 須郷の金属を裂くような叫びを遮る。確認が取れた以上、もう言葉を交わす必要などない。片手剣と細剣を造り出し、戦闘態勢に移る。

 身体が今までにない程熱い。それもその筈、俺の目の前にいるのは俺から全てを奪ったと言っても過言ではないクズ野郎なのだから。

 膨れ上がった殺意を喰らい、力を増した獣が俺の中で暴れ始める。その力は俺の中というもう一つの檻に衝撃を与え、ひびを入れた。

 暴れる獣は止まらない。湯水のように溢れ出るご飯を食べ、尽きることのない力を振るう。暴力の嵐がひびの入った檻を殴り続ける。

 そして……獣はもう一つの檻すらも破壊し、完全な自由を手に入れた。

 

 

 ◇◆◇

 

 暗闇に閉ざされた空間の中で、一つの竜巻が吹き荒れる。血を連想してしまいそうな赤黒い色をしたその竜巻は少年を中心として激しさを増していく。

 

 「おい!!何なんだこれはぁ!?あのアカウントにログインできたことといい、何だあのガキは!?」

 

 自身の思い描くように一切動かない少年に対し、須郷は幼い子どものように癇癪を起こす。彼は消した両親の息子が自分よりも上位の立場にいることを認められなかった。自分よりも遥かに若い者がいとも簡単に自分の抜き去っていくことが受け入れられなかった。

 納得し難い現実に金切り声を上げる須郷。するとそれを黙らせるが如く、渦を巻いていた赤黒いオーラに変化が起きる。空間を揺らすぐらいに激しく渦巻いていた竜巻が移動し、少年の背後に何かを形作り始めたのだ。

 

 「■ギ■ガァ■ァ!!」

 

 そんなノイズがかった鳴き声を響かせて少年の背後に姿を表した一匹の獣は、まるで瞳が赤くなった時の彼をより狂暴にさせたようだった。

 背丈や体つきは少年と大差ない。だが獣の少年の四肢は狼を彷彿とさせてしまう程に毛深く、鋭い爪が伸びている。そう風貌はまさに狼男と言っても過言ではないだろう。

 そして獣は閉じていた瞼を上げ、今回の獲物を視界の中央に捉える。彼の瞳は血を浴びたかのように赤く、それに加えて白目の部分が真っ黒に侵食されていた。仮にも人の姿をした生物が持つようなものではない。

 少年は現れた獣とは対照的な人間の瞳で獲物を捕捉する。内に住まう獣が消えたからか、今までのような変化は何一つ見られない。しかし黒の瞳が放つ殺意は微塵も弱まっていなかった。

 

 「そう喚くな。ちゃんと俺の手で……」

 

 「オマ■ヲ、コロ■テ■ル!!」

 

 少年と獣は一度視線を交わした後、全く同時に獲物目掛けて襲いかかった。少年は両手に二振りの剣を持ち、獣は計六本の爪を鈍く光らせて獲物との距離を詰めていく。

 

 「ヒィ!!しゅ、守護騎士部隊!!は、早く行け!!この妖精王を守れ!!」

 

 「「「はい、オベイロン様。」」」

 

 全身が震え上がってしまうぐらいの殺意を撒き散らしながら迫る二匹の獣に怯えた声を上げた須郷は、非人道的な実験の末に手に入れた手駒に命令を下す。

 それに生気を失った声で返事した三十一人の傀儡は、少年達の後ろを追っていたキリトも含んだ三人を取り囲んだ。

 

 「クソッ!こいつらを斬って行くしかないのか……!?」

 

 自分達を包囲する者達がかつてあの狂った世界で共に生きた仲間であることを知っているキリトは大剣を構えながらも、迷いを見せていた。昔の仲間を斬ってまで愛する人を助け出そうと考える自分を認められないでいた。

 得物を構えたまま葛藤するキリトは動けない。それを隙と捉えた傀儡達は一斉に彼を狙って様々な武器を振るってきた。未だ答えを出せない彼は迎撃しようとするも、普段の動きより数段劣っている。これでは迫りくる攻撃を捌くことなど出来やしない。

 だがキリトに刃が届くことはなかった。彼の迷いをその眼で感じ取った少年が引き返し、全員を弾き飛ばしたのだ。たった数秒の出来事だった。

 

 「キリト、こいつらは俺とアイツが処理するよ。無理はしないで。」

 

 「なんで、そんな普通に攻撃できるんだよ……!あいつらは皆、二年間一緒に戦った攻略組の仲間なんだぞ!!あの中にシリカだっているんだぞ!?」

 

 「ごめん、キリト。こいつらは俺、いや俺達からすれば赤の他人のようなものなんだよ。あのシリカによく似た格好をした奴だって……俺には彼女の姿をした偽物にしか見えないんだ。」

 

 キリトの叫びを少年はばっさりと切り捨てる。彼の叔父的存在が造り上げた世界で二年間生きた少年は大きく変わったと言えるだろう。されどそれは彼の過去を受け入れた仲間から見たものであり、他者の視点から見れば大して変化はしていないのだ。

 確かに少年は以前よりも嘘で塗り固められた仮面を外し、本来の性格で人と関わることが増えた。しかしこれはただ単に少年が信頼する人間が増えただけである。彼に巣食う獣の牙が取れた訳ではない。

 結局のところ、少年は何も変わっていないのだ。現実世界で酷いいじめを受けたことで形成された彼の性格は微量の変化さえも存在しない。彼がその刃を向けないのは……己の過去を知ってもなお、自分を裏切ろうとはしなかった者達のみだ。

 

 「大丈夫、俺達が全員殺るからさ。」

 

 言葉の出ないキリトにそう言った少年は再度背から武器を取り出すと、前で暴れているもう一人の自分とも言える存在の下に駆けていく。彼はそれを黙って見ることしかできなかった。

 

 「……邪魔。早く退け。」

 

 少年の姿をした人間は無限に湧き出る武器を次々と振るって傀儡達を蹴散らしていく。かつての仲間など関係ないとばかりに刃を突き刺し、それをそのまま盾にしたりしている。

 人間として何か大切なモノを失った少年にとって、眼前の敵はあのデスゲームの中で戦った怪物達と同じだった。

 

 「グ■ルル■アアァ■ァ!!」

 

 少年の姿をした獣はその手足に生えた鋭い爪を振るい、傀儡達を切り裂いていく。抉り込ませた爪は時に四肢を切断し、その狂暴な立ち振舞いはまさに獣。

 他者を殺すことを躊躇しない獣にとって、眼前の敵は獲物に向かう己を妨害する弱い邪魔者でしかなかった。

 

 「な、な、な……!?」

 

 少年と獣が自身の手駒を蹂躙していく様を目の当たりにした須郷は癇癪を起こすことすらできず、ただただその光景を眺めることしかできなかった。彼は少年の血濡れた過去を知らない。だからこそ、洗脳された以前の仲間を救おうとする素振りを見せずに躊躇なく叩きのめしている彼らが異様にしか見えなかった。

 どさり、と誰かが倒れる音が近くから聞こえた。恐る恐る音がした方向を見ると、三十人目の傀儡が四肢を全て切断されて倒れていた。その奥には、それぞれの得物を須郷に向けている少年の姿をした怪物が二人いる。彼は自分の心臓が悪魔の手によって握り潰される幻覚を見た。

 不可視の恐怖の鎖が須郷に巻きつき、身体の自由を奪っていく。膝が笑い始め、まともに立つことすらできなくなる。もう少しすれば、彼は恐怖の鎖によって完全に動きが封じられるであろう。

 しかし死への恐怖は時にどんな感情にも勝る程の力を発揮することがある。己を叱咤し、どうにか鎖を振り払った須郷は再び金切り声で叫んだ。

 

 「……おい貴様ら!このオベイロンを守れ!そんなところで倒れてないでさっさと動いて僕に尽くせ!!このポンコツども!!」

 

 「……。」

 

 幾ら待とうと、恐怖を押さえつけて須郷が出した命令に反応する声は聞こえない。立ち上がる守護騎士もいない。彼の声だけが何度も虚しく反響するだけだった。

 今度は何だと喚く須郷を横目に、少年は表示していたウィンドウを消去する。天才的な頭脳を持っていた少年は既に彼のアカウントに侵入し、移動されていた三十一個の権限を奪取していたのだ。

 邪魔者はいなくなったと少年達は一歩づつ獲物へと歩み寄っていく。須郷は絶望し、腰が抜けたのか弱々しく後ずさる。彼の顔はもう恐怖の色で染め上がり、涙やら鼻水やらでぐしゃぐしゃになっていた。

 須郷の目の前に到着した少年の姿をした人間は大剣を、少年の姿をした獣は三本の爪を掲げる。そしてそれらが振り下ろされ、獲物を捉えようとしたその時、横から一つの影が割り込み、金属音と火花を散らせた。

 

 「……その姿は俺を苛立たせる。邪魔だ、退け。」

 

 少年は乱入してきた者を睨む。その鋭利な刃のような視線に、少女の姿をした傀儡は生気のない空虚な目を少年へと向けた。



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第四十七話 獣の少年、少女の魂に刻まれた記憶

 前回に引き続き、駄文注意です。


 ◇◆◇

 

 顔面を狙って突き出された短剣を左の片手剣でいなし、体勢を立て直される前に右の細剣で反撃する。シリカの姿を模した守護騎士は背の翅を鳴らして回避しようとするが、横から割り込んだもう一人の俺によって妨害され、俺の剣は奴の肩口を捉えた。

 

 「……。」

 

 傷を負っても感情や記憶を消された守護騎士は何の声も上げない。それどころか表情すらも変わらない。奴は痛みなど感じさせない動きで再度攻撃を仕掛けてくる。そしてそれをまた迎撃していく。

 この一連の流れを何度繰り返しただろうか。この最後の守護騎士は脳を弄られた為なのか、思考能力が低下しているかのように見える。身体が覚えている動きで戦っている、そんな感じだ。

 その証拠に、あの世界で何百回、何千回繰り出したソードスキルを思わせる動きをこの守護騎士は見せていた。それもシリカが愛用していたものを頻繁に使用してきている。苛立ちが募る。彼女を奪った須郷に殺意がどんどん膨れ上がっていく。

 

 「グ■ル■アア■ァァ■!!」

 

 「……!!はぁ、悪い癖が出たか。」

 

 獣の俺が上げたノイズがかった声によって、思考の海に沈みかけた意識が引き戻される。何かを考え始めると、他のことをそっちのけにしてしまうのは俺の悪い癖だ。思考を打ち切り、もう一度守護騎士を視界の中央に捉える。奴は性懲りもなく、見慣れたソードスキルでの突撃を敢行した。 

 逆手に持ち変えられていた短剣を弾き、奴の動きが止まったほんの数秒の間に役目を終えた二振りの剣を捨てる。そして新たに取り出した大剣で斬り飛ばすと、そのまま翅を鳴らして追撃に移る。後ろにはぴったりと爪を鈍く光らせた獣が地を駆けて続いている。

 流れを変える気がないのなら、こちらから変えてやろう。一秒でも早くこの守護騎士を殺し、奥で怯えた目をこちらに向ける須郷の下に行く為に。

 

 「シ■エ■エェ■ェ!!!!」

 

 俺の背後から加速し、たった数秒で守護騎士の背後に回り込んだ獣が心臓部分目掛けて三本の爪を振るう。奴はそれに対応せざるを得ず、俺に背を向けた。この機を逃してはならないと獣の爪が迎撃される前に、包丁に酷似した短剣を造り出す。

 迫る獣の爪を守護騎士の短剣が受け止め、聞き飽きた金属音が響く。俺は短剣を逆手に持ち、もう片方の手も添えて振り下ろす。獣はそれを確認し、防御ができないようにする為に奴の両手を掴んだ。

 あいつだって後から生まれたとはいえ、俺であることに違いはない。故に相手の俺が何をしようとしているかなど言葉にするまでもなく理解できるのだ。

 俺の中で獣が生まれることになったあの日、多くの血を吸った包丁が次なる血を求めて守護騎士へとその牙を近づけていく。しかしそれは寸前のところで、奴が振り上げた脚によって阻まれた。俺の手から離れた包丁は回転しながら宙を舞い、地に落ちてポリゴン片となる。

 どこまでこの守護騎士は俺を馬鹿にし、苛立たせば気が済むのだろうか。体術を織り混ぜた短剣での戦闘技術は俺がシリカに教えたのであって、奴なんぞに教えた覚えはない。

 ふつふつと怒りが湧き出る。シリカの記憶を奪った須郷と、彼女を模倣する守護騎士に殺意が加速していく。肥大化した殺意は俺から離れ、隣の獣に流れ込む。

 

 「ガ■!……グルル■……ラ■アアア■ア■ァァ■ァァ!!」

 

 俺の殺意を糧とし、俺の姿を借りている獣はどんどん己の力を増していく。四肢の爪は更に長くて鋭利なものになり、生えていた毛は返り血を浴びたかのように赤く染まる。獲物を捉えていた赤黒い瞳は鈍く輝き、姿勢も前屈みになっていく。

 これが自分の一部であると考えると、今まで俺は身体の中にこんな怪物を飼っていたのかと思わされる。

 獣が一つ目の檻を破壊する前は、俺はこいつを忌み嫌っていた。俺はこんな化け物ではない、価値観は少し変わってしまったがちゃんとした人間なのだと己に言い聞かせ、獣が力を増す原因を徹底的に排除していた。

 だがある日、その努力は水泡に帰した。シリカを拐った奴らに対して芽生えた強い殺意が獣に絶大な力を与え、檻を破壊させてしまったのだ。その後彼女によって自我を取り戻したが、俺の歪んだ価値観は戻るどころか悪化していた。

 それと同時に、内に住まう獣を自身の一部だと思うようになった。これまで断固として使わなかった短剣を扱い始めたのが良い証拠である。

 そしてこの時から、俺はこの獣の力は己のものだと認め、使い始めた。いや、認めたというよりもそう考えるようになってしまったと言うべきだろう。

 獣が第一の檻を破壊して再び俺を喰らったことにより、俺は一度死んだ(・・・)のだ。獣は俺とは違う、そう考える俺が綺麗さっぱり消滅したのである。故に、短剣を扱う俺は獣のことを『もう一人の俺』だと認識しているのだ。

 ちらりと横を見れば、俺の姿とはかけ離れた獣の姿があった。息を荒くして肩を上下させている様は到底人とは言えないものであるが、俺であることは確かだ。

 

 「……行くぞ。」

 

 「グラ■ァ■!!」

 

 俺の声に獣が咆哮を上げる。言われなくとも理解しているとでも言いたいのか、赤黒い瞳でこちらを睨んでくる。獣は溢れる力を振るう怪物だが、頭では冷徹な思考が重ねられている。ただ暴力の嵐を巻き起こすような輩ではないのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 少年と獣は同時に地を蹴り、記憶さえも白に染められてしまった少女へと斬りかかった。それを見た彼女も脚に力を込め、彼らに向かって駆ける。光が存在しない暗闇の中、再び金属音が響くようになるまでにそれ程時間はかからなかった。

 乾いた金属音が暗闇の中、連続して鳴り響く。奏でられる音律はその音量と高さを変え、まるで一つの曲のように流れていく。

 少女らしき守護騎士が横薙ぎに振るった短剣を少年が受け止め、もう片方の刃を獣の爪と揃えて突き出す。彼女は瞬時にその攻撃を見極め、回避とすると共に伸びきった二つの腕を切断するべく、戻ってきた得物をすぐさま振るう。

 勿論その目的を見抜いた少年達は下に潜り込んでいた少女目掛けて蹴りを放つ。想定外の奇襲に対応できず、彼女の腹に白いブーツと足先から生えた三本の爪がめり込んだ。最後の守護騎士は再度吹き飛ぶ。

 

 「……。」

 

 腹部からダメージエフェクトを散らしながらも、今までと変わらず何でも無いように立ち上がった少女は隣に転がっていた短剣を拾い、底が見えない暗い瞳で主を害そうとする不届き者二人を見つめる。その瞳は底が見えない暗闇によって包まれ、生気など存在しない。

 限界を迎えた両手の武器を捨てた少年と己の唯一の武器を打ち合わせる獣は、殺意のこもった黒の瞳と鈍く輝く赤黒い瞳で罪深き男の手に落ちた少女を見つめる。彼らの瞳に躊躇いなどの感情は一切見られない。

 三者の間に割って入ることができる者は今この場にいない。少女が守ろうとする主は周囲を包む殺気に恐怖し、少年達より先に救出に来ていた黒の妖精はかつての仲間に剣を向けられないでいた。全ての元凶に囚われていた栗色の髪を持つ少女は未だ両手を鎖によって縛られ、宙吊りにされたままである。

 

 「……早く退け。」

 

 そう呟くやいなや次の刃を背中の武器庫から取り出して握った少年は少女に迫る。彼女も短剣を構え直し、迎撃の体勢を取った。獣は彼の邪魔をしないように、それでいて自らも攻撃を繰り出せるように移動を開始する。

 少年は現在持っている情報から、この守護騎士との戦闘がまだ長引くと予想していた。しかしその予想は瞬時に否定された。下から掬い上げるように振り上げられた彼の刃を受けたその時、少女に異変が起こったのだ。

 攻撃を受けた短剣は容易く使い手から離れ、宙を舞う。余りにも手応えが無さすぎることに違和感を感じた少年は視線を少女へと向け、そして目を見開いた。

 この瞬間を逃さず、獲物を狙う自分を妨害する者を排除する為にその者の隙を窺っていた獣は方向を変えて本命の獲物へと駆けて行く。第二の檻を破壊して飛び出してきた今だけは、幾ら宿主の殺意が弱まろうと獣の力は衰えることなどない。

 

 「あ、あ……。ソー、ヤさ……ん。」

 

 脳を弄くられ、完全なる須郷の手駒と化したと思われていた少女が僅かながらも自我を取り戻したのだ。

 虚だった瞳に光を灯した少女は震える手を少年へと伸ばし、絶え絶えながらも愛する人の名を呼ぶ。だがその光は弱々しく、数秒も経たぬうちに再び闇の中へと飲み込まれてしまった。

 伸ばしていた手を引き戻した少女は腰を抜かした主へと迫る獣を討ち取るべくそちらに向かおうとするが、行く手を少年によって塞がれてしまう。

 今までの立場が逆転し、進もうとする少女とそれを遮る少年という構図が生まれる。瞳に灯された光を消した彼女は無表情のまま短剣を逆手に握り、何の前ぶりもなく蹴りを放った。

 横腹を狙った鋭い蹴りを少年は片腕で受け、視線誘導によっていつの間にか眼前に迫っていたように感じさせる拳を僅かに首を倒すことで避ける。

 今の少女の動きは少年が力を求めた彼女に手取り足取り教えたものだ。だからこそ、どのタイミングでどんな攻撃が何処から繰り出されるのかを事細かく覚えている。

 

 「……!?」

 

 視線を前に向けたまま、少年は背後から迫っていた必殺の刃を造り出した短剣らしきもので受け止めていた。その短剣らしきものには刃が存在せず、かつて一度だけ彼が使用した凹凸だけが付いた大剣を小さくしたものに見える。

 つまり、現在少年が持つものは『ソードブレイカー』に他ならない。それは暗に彼にもう少女を殺すつもりがないことを証明していた。

 そんなことなど露知らず、必殺の一撃を簡単に防がれたことに少女は初めて感情を顔に出して動きを止めた。一度自我を取り戻したからか、感情が欠落したその仮面が外れがかっている。

 少年は少女が再び動き出す前に異様な短剣を延長した腕のように扱い、彼女の短剣を奪うと共に半ばからへし折る。耐久値が尽きた白い短剣は一緒に彼が捨てた武器と同じ末路を辿った。

 

 「シリカァァァ!!」

 

 柄にもなく少年は叫んだ。殺意を消滅させた黒の瞳に映るのは彼の呼び掛けに応えるように闇を振り払い、もう一度表に戻って来た少女の姿。己の身体を勝手に動かそうとする不可視の糸に抗い、懸命に手を伸ばす。

 そして……少年は救いを求める手をしっかりと掴み、自身に抱き寄せた。そのまま腕の中で苦悶の声を上げる少女を強く抱き締める。迫り来る闇から逃れようとする彼女の身体からはエラーを示すウィンドウが複数浮かび上がる。

 少年は反射的に管理者のみが使用できるウィンドウを展開し、少女を一秒でも早く須郷の魔の手から解放させようと手早く指を走らせようとして、止めた。彼は彼女が自分自身の力で暗闇を完全に打ち払ったことを知ったのだ。

 無用の長物と化した少女の情報を写すウィンドウを消しながら、少年はガラス細工を扱うかのように眠り姫となった彼女を床へと静かに下ろす。彼の黒の瞳には僅かにだが、驚きの色がある。

 

 「何が起こったんだ……?まぁ、後で聞くなり調べるなりすれば良いか。」

 

 少年は昔から暇を潰す為にプログラムを弄ったりすることが多かった。その結果、彼は自身の力だけで管理者の目すらも免れる高度なプログラムを作ることができる程の脳を手に入れることができたのだが、同時にある物を捨て去ってしまった。

 それは『システムが絶対の権力を持つ』という価値観である。機械に命令を入力し、その通りに機械が動けば成功であるという考えに無意識に囚われたのだ。

 さらに檻を破壊し、獣を解き放った少年は他者の生命をただのモノと捉える冷徹な思考まで持ち合わせるようになった。いついかなる状態であろうと冷静に思考を重ねることが当たり前になったのだ。

 これら二つの要因によって、少年は洗脳された少女を一目確認しただけで奪われたと思ってしまった。もう自分が愛した彼女は死んだ(・・・)と判断してしまった。

 人によっては愛した人をこんな簡単に諦めるとは薄情だと思うだろう。しかし、少年からしてみれば微かな希望(生きている)を信じた果てに突き付けられた現実()を受け入れるという方がよっぽど耐え難いもであると知っている。

 今日は何時に帰って来るだろうかと考えていたら、いきなり永遠に帰って来ることはないと告げられた経験のある少年は、当たり前だったものが突然消えたことによる虚無感を知っている。

 故に、さっさと諦めた。両親の研究の成果を基盤とした洗脳を施された人間は助けることはできないと割り切り、少女の姿をした傀儡にも剣を向けたのだ。その筈なのに……彼女は何らかの力でシステムの力をねじ伏せて少年の下に帰って来た。

 

 「……シリカ、戻って来てくれてありがとう。」

 

 規則正しく寝息を立てる少女に少年は囁くようにお礼の言葉を口にする。もう会えないと諦めていたからか、彼の両目は微かに潤んでいた。獣と化した彼にもまだ、流す涙が残っていたようだ。

 

 「……キリト、行こう。全てを終わらせるんだ。」

 

 「ああ……!!」

 

 涙を拭った少年は囚われの姫を救うべく、敵地に乗り込んできた一人の剣士を呼ぶ。仲間を何より大切に思う剣士は一言彼に礼をした後に転がっていた身の丈程もあるこの世界での愛剣の下へと移動し、その柄頭を踏んで回収すると彼の隣に並んだ。

 

 「そうだ、これを使うと良いよ。……なんか又貸しみたいになっちゃうけど。」

 

 「これは……!?」

 

 少年の手が剣士の肩に触れて展開したウィンドウで幾つかの命令を下すと、小さな表示が浮かび上がる。それに目を通した彼は驚きの声を上げた。そこには最上位権限を持つアカウントを譲渡したことを旨とする文章が記載されていたのだ。

 目を白黒させる剣士は少年に急かされパスワードを入力し、この世界で絶対の力を手に入れる。その間に少年は別のウィンドウに指を走らせた。

 システムが命令を受託し、それが消えると同時に須郷をなぶり続けていた獣の近くに渦巻く赤黒いゲートが現れる。三本の爪を引き抜いた獣は不満げに唸り声を上げて少年を見つめた。

 

 「……少しだけ待ってくれないか?まずは(・・・)こっちを終わらせないといけないんだ。それが終わったら、獲物を送る。最後はちゃんと俺達が殺さないとな。」

 

 少年の言葉を聞いた獣は渋々頷くと、自身の獲物を彼らの方に向かって蹴り飛ばしてからゲートを潜る。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔面を見せつけながら飛来する汚物を剣士は怒りを灯した瞳で睨み付け、その大剣の腹で叩きつけた。戦闘など一度もしたことのない汚物はろくな受け身すらも取れずに床に落ち、その衝撃で脳が揺さぶられる。

 床に這いつくばる獲物を少年は乱暴に掴み上げると、その頬を叩いて強制的に朦朧としている意識を覚醒させる。そして役目は終えたとばかりに剣士の後ろに下がると第二管理者の権限を行使して不可視の存在へと姿を変えた。拐われた姫を救いだす物語に彼という存在は必要ないのだ。



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第四十八話 全てが終わる時

 今回、グロ描写多めです。

 あと、ラスボスの制裁が少しやり過ぎかもしれません。


 ◇◆◇

 

 「うぅ……はっ!?なんだ、あれは夢だったのか……。」

 

 ソーヤによって無理矢理目覚めさせられた須郷は周囲を見渡して彼ともう一人の彼の姿がないことを確認すると、あれは夢だったと都合の良いように理解した。全く、随分と都合の良いようにできた頭である。あいつこそ脳を弄る必要があるのではないだろうか。

 そして唯一残っている俺を見つけた須郷はソーヤが乱入する前と同じような醜悪な笑みを浮かべる。どうせ自分に敵う者がこの場にいないとでも思っているのだろう。奴は俺が最上位の権限を持っていることを知らない。故にあんな気持ちの悪い顔ができる。

 

 「はぁ……全く変な夢を見せてくれたもんだね、キリト君?そんな不届き者には、僕が直接制裁を与えてやるとするか……。」

 

 須郷はウィンドウを展開すると淀みなく指を走らせ、数秒後にそのまま硬直した。浮かべていた笑みは消失し、先程と同じ怒りの表情に戻る。相手の感情を見透かすことのできるソーヤでなくとも、奴が苛立っていることは容易に分かる。

 何度もシステムに命令を下す須郷だが、何の変化も現れない俺を見る度に歯ぎしりして苛立ちを隠そうともしない。挙げ句の果てには「たくっ、開発チームの無能どもめ!!」と責任を他者に押し付け、自分は何も悪くないと言わんばかりに喚いている。

 こんな奴にアスナは長い間苦しめられ、ソーヤは俺と同じように愛する人を奪われて家族を殺され、シリカは一時的なものとはいえ大切な記憶を消されたのかと考えると沸き上がる怒りが抑えきれなかった。

 

 「システムコマンド、オブジェクトID『エクスキャリバー』をジェネレート。」

 

 自分でも身震いするような声で命令を下すと、目の前の空間が歪んで一振りの剣が形作られる。無数の文字列が流れる度に無色の原型に色が加えられ、質感を与えていく。

 現れた金色に輝くその片手剣は間違いなく、地下深くのダンジョンで見かけた伝説級の武器だった。浮かぶ柄を握り、一つため息をつく。コマンド一つでこんな簡単に伝説の剣を召還できてしまうことに言い難い不快感を感じたのだ。

 

 「なっ……なんだと!?何故お前の命令をシステムが聞くんだぁ!?」

 

 喚きながらも頭は冷静なままなのか、左手を振り下ろしてウィンドウを展開する須郷。俺に最上位の権限があるとはいえ未だ奴には管理者権限が残っている。

 俺にシステムを通した攻撃が効かないのであれば、標的をアスナに変えられかねない。俺は須郷の問いを無視し、早口で音声コマンドを入力する。

 

 「システムコマンド、第三管理者アカウント『オベイロン』の持つ管理者権限を最上位権限によって没収!並びに対象のステータスを最低値に設定!!」

 

 「ぼ、没収……!?僕はこの世界の王、神だぞ……!?ふざけるな、ふざけるなあああぁぁぁ!!誰であろうとも、この僕から何かを奪っていくことは許されないんだあああぁぁぁ!!」

 

 この世界を統べる力を与えていた力は消え去り、カーストの頂上から一番下まで転げ落ちた醜い『元』妖精王は甲高い声で叫び散らした。

 今まで散々他者から様々なものを奪ってきた人間が何を言うのか。俺は須郷に対する怒りを更に募らせながら片手で大剣を肩に背負い、反対の手に持つ黄金の剣を突きつけた。

 

 「須郷、お前は神なんかじゃない。茅野晶彦が造り出した世界とそこにいた住人、ソーヤの両親の研究の成果、そして俺達からアスナとシリカを奪った、ただの泥棒だ。」

 

 「このガキ……絶対に後悔させてやる……その首掻き斬って晒してやる……!!」

 

 「それはこちらの台詞だ。絶対に後悔させてやるよ須郷、俺の(・・)アスナを奪ったことを……!!」

 

 突きつけていた黄金の剣を放り投げる。危うい手つきでそれを回収する須郷を横目に、俺は背に守るアスナとシリカに視線を移す。

 アスナは鎖に手首を縛られたままだが、昔から変わらない強靭な魂を宿した瞳は未だ輝きを残している。そして俺の先程の発言からか、頬を朱に染めていた。

 床に横たわるシリカは洗脳が解けてから眠ったままだが、その寝顔に苦しみの色は見られない。むしろ幸せそうに見えるのは俺の気のせいか。

 俺の視線に気づいたアスナは小さくではあるが、頭を縦に振る。待っているから、彼女にそう言われているようで空虚だった心が満たされるような感覚を感じた。

 

 「……終わらせよう、盗んだ玉座で踊る泥棒の王とこの世界にしか力がない鍍金の勇者の決着を。……システムコマンド、指定のアカウント『オベイロン』と『キリト』のペイン・アブソーバをレベルゼロに変更!」

 

 「なっ!?」

 

 その言葉が何を意味しているのか理解した須郷は動揺の表情を浮かべ、手にしていた黄金の剣を落とす。恐怖からか手足が震え始めたのだ。

 須郷はそんな足を無理矢理動かして後ずさろうとするが、奴の身体はそれを拒否するかのように後退を許さない。背後に突然壁が現れたのか、どれだけ足を動かそうとも俺との距離は変わらなかった。それどころか壁の方から押し返され、後退する度に距離が縮まる始末だ。

 何が起こっているかはそんな深く考えなくとも分かる。しかし口にはしないでおくことにしよう。俺は思考を断ち切り、己の意思に反した行動を繰り返す須郷に意識を全て移して大剣を構えた。

 

 「逃げるなよ、お前の前にいたあの男はどんな状況でも臆しはしなかったぞ!あの茅野晶彦はなぁ!!」

 

 その名前を聞いた須郷は一層顔を歪ませた。もうその醜い顔は視界に入れたくない。俺は翅を展開し、一度地を強く蹴って奴に斬りかかった。

 俺の愚直としか言い様のない真っ直ぐな接近に気づいた須郷は口元を歪ませながら黄金の剣を振り下ろそうとするが、その動作は多くの死線を潜り抜けた俺からすれば遅すぎる。振り上げた黒の大剣は俺に刃が届く前に奴の手首を斬り飛ばした。

 

 「い、痛あああぁぁぁっ!ぼ、僕の手があああぁぁぁ!!」

 

 現実と同等の痛みをもたらす電気信号が走り、剣を持っていた手を失った須郷は目を丸くして叫び声を上げる。もうその粘りついた声は聞きたくない。

 間髪入れずに上に振った鈍い輝きを放つ大剣をその重さも加えて振り下ろす。反射的に掲げられた奴のもう片方の腕が叩き斬られ、宙を舞った。

 

 「あああぁぁぁ!!」

 

 再度悲鳴を上げる須郷。目を限界まで開き、酸素を求めるように口を開閉するその様は嫌悪感しか感じさせなかった。もう奴という存在を消してやらねば気が済まない。

 大剣を両手で握り、閉じていた翅にもう一度力を込める。そして耳障りな絶叫を響かせながら後退する物体目掛けて……

 

 「……ぉぉぉおおお!!」

 

 俺は全力の突きを放った。翅による加速もあってか、黒の刃は容易く対象の身体を貫通する。しかしこれだけで終わらせるつもりはない。柄を握り直し、貫いたままの大剣を上へ上へと上げていく。

 

 「ギャアアアァァァ!!」

 

 大剣が振り抜かれ、上半身が左右に別れた須郷は暗闇の世界に絶叫を叫び散らす。それと同時に白い炎が吹き出し始め、肉塊と変貌した奴の肉体を飲み込もうとする。だがその炎より先に突如現れた獣の口を模したような赤黒いオーラが奪い去るようにそれらを食らって霧散する。

 視線を移せば、透明化を解除したソーヤがウィンドウを操作しているところだった。指を走らせてちょうど赤黒いオーラが霧散したところ辺りに渦巻くゲートを展開した彼はウィンドウを消し、もう一人の彼が待つ場所へと歩きだす。そして俺の横を通り過ぎ、ゲート前に到着するとこちらに振り返った。

 

 「申し訳ないけど……シリカを頼むね。大丈夫、ちょっとの間だけで良いから。」

 

 「ああ、任せとけ。だから安心して行って来い。」

 

 俺の返答にソーヤは頬を緩め、年相応の笑みを浮かべた。初めて出会った時とはかけ離れたその様子に、彼は俺達のことを信用してくれているのだと実感する。

 

 「……じゃあ、またあとで。」

 

 そう言ったソーヤは身を翻し、ゲートに足を踏み入れていく。彼の放つ雰囲気はその姿が消えるまで柔らかかった。本当に今からあらゆる全てを奪った泥棒に刃を突き立てに行くのかと疑いを持つ程だ。

 俺と大差ない位の体躯が完全に消え、役目を終えた赤黒いゲートが消滅する。それを見送った俺は未だ宙吊りのままだったアスナの救出に向かった。

 

 

 ◇◆◇

 

 自身で造り出したゲートを潜り、俺は先に獣と獲物を送った空間へと降り立った。周囲を見渡せば広がるのは無限に広がる赤黒い大地。

 まるで現実の夜のようだと思い、上を向いて目を凝らすが星の光などは血を浴びたような色をした厚い雲に遮られて地表に届かない。もし俺の心の中を一つの世界として表したのなら、きっとこんな感じだろう。

 耳を済ませば肉体を復活させた獲物の怯えた声と獣の咆哮が聞こえた。俺はキリト達の前で抑えていた殺意を解放し、音がした方に向かって歩きだす。その進行方向はよく見ると、血が多く飛び散っていた。

 びちゃりと足が血だまりを踏んだ。跳ね返った液体は俺の白の装備を赤く染め上げる。若干暗い赤色の絵の具は俺が造り出した片手剣にまでかかり、ただでさえ血濡れのような色をした刃が血の滴る凶刃へと変貌させた。丁度良い。俺から全てを奪ったクズ野郎に向ける刃にはこれ以上のものはないだろう。

 これまでに殺した者達の血で造られたレッドカーペットを歩くこと数分、とうとう獲物の姿を発見する。その状態は想定通りだった。

 永久に再生する肉体を与えられた獲物は獣の爪に引き裂かれては復活を繰り返しながら、終わることのない地獄に声にならない声を上げている。

 やはり無限復活仕様にしておいて正解だった。一度殺しただけではこの過去最大級に膨れ上がった殺意が収まるとは到底考えられないのだ。

 

 「……なぶり続けられる気分はどうだ、クズ野郎?」

 

 「ガボッ!ガッ!!……た、助け、て……。」

 

 今のやり取りの間にも一度殺され、復活した獲物は再度繋げられた片手を伸ばして助けを求める。それに俺は血の滴る片手剣を抉り込むことで答えた。

 獲物の転送後に俺が変更した設定はこの無限復活仕様とログアウト不可への変更のみ。つまり、キリトが設定したペイン・アブソーバーのレベル、最低値になったステータスと没収された管理者権限はそのままである。

 

 「ギャアァァァ!!」

 

 血濡れの世界に響き渡る獲物の悲鳴。俺はそれだけにあきたらず、突き刺したままの片手剣をグリグリと回転させる。吹き出す血を真正面から浴びながらもその手を止めることはしない。

 俺の顔はきっとシリカ達には到底見せられない程の狂った笑みを浮かべているだろう。そう思えてしまうのは、俺の剣と獣の爪に痛め付けられる獲物の叫び声が心地良いと感じているからだ。この時間は獲物にとって地獄そのものかもしれないが、俺達からすれば至福の時間でしかない。

 しかし楽しい時間とは必ず終わりが来るものだ。やり過ぎて最早何度目かもわからない爪を引き抜く動作をした獣は俺にその赤黒い目を向ける。飽きた、もう殺そうとその瞳は告げていた。

 俺は獣の要求に片手剣を引き抜き、無限復活の設定を解除することで返答とする。そのウィンドウを確認したもう一人の俺は口角を歪めた。

 

 「ヒッ!!く……来るな!!」

 

 二つの狂気の笑みを向けられてしまった獲物は腰を抜かしながらも四肢を動かし、殺人鬼から逃れようとするが俺達との距離は一向に変化しなかった。

 それもそうだ。奴にとっては懸命に動かしているつもりなのだろうが、その四肢は地を捉えてはいない。空回りを繰り返しているだけなのである。

 

 「……俺から両親を、シリカを、あらゆるものを奪ったクズ野郎、覚悟は良いか?今から宣言通り、お前を……」

 

 「コロ■テ■ルヨオ■オォ■ォ!!」

 

 人を殺すことができそうな視線で獲物を睨んだ俺は一際大きな赤黒い大剣を取り出す。獣が空気をびりびりと振動させる咆哮を上げ、片手剣位にまで成長した両手の三本の爪を擦り合わせて火花を散らす。

 その光景に恐怖したのか、獲物は両手を前に出して必死に「来るなぁ!!」と叫ぶ。だが生憎とそんな程度で止まるつもりはない。いや、どれだけ懇願されようが止まるという選択肢は存在しない。俺は奴に殺意を募らせ、殺すと決めたのだ。

 

 「……俺の怒りをその身をもって知れ、クズ野郎。」

 

 「■アッ!!」

 

 俺の大剣が獲物の右腕を肩口から叩き斬り、返しの刃でもう片方の腕も斬り飛ばす。間髪入れずに獣の爪が両足に食らいつき、噛み千切るかのような切り口を形成した。

 地に落ちた四つの棒らしきものは一度跳ねた後、俺が捨てた大剣と同様にポリゴン片へと変わった。

 自身の四肢があっという間に消失したことを把握した獲物は口を開いて中の空気を音声として吐き出そうとするが、俺が先に短剣を捩じ込む。

 悲鳴を上げるという自由すら奪われた獲物は絶望の表情を浮かべる。それが何よりの快感である。されどそんな程度でこの燃えたぎるどす黒い炎は収まらない。

 

 「……此処からが本番だ。第二管理者『ブレインマスター』の権限により、対象のアカウント『オベイロン』の座標を固定。同時に同アカウントのステータスを一部変更。」

 

 手早く命令を下し、痙攣する獲物を俺と獣の間に移動さで、宙に浮く状態で座標を固定させる。気分はまるでサンドバッグの前で拳を構えるボクサーだ。ただし殴るのではなく、切り刻むところが大きく異なっているが。

 背中に手を回し、取り出した武器はあの短剣(・・・・)である。血で装飾されたような場所に立ち、これを持った状態は俺に獲物の奥にいる獣が生まれたあの日のことを思い出させた。

 いや、今はそんなことはどうでも良いことだ。そう判断して昔のことを思い出すことを止め、手にした刃を構える。やはりこれが一番手に馴染む。

 前を向けば宙に浮くダルマが一つ。そのダルマはこんな人の皮を被った化物の俺を受け入れてくれた父親を、母親を、そして愛する人と仲間達を奪った。

 俺が奴を殺して復讐したとしても、死んだ人間が生き返るという奇跡が起こるなんてありえないと理解している。復讐を終えた後、虚しさ以外何も残らないことも十分に承知している。

 だが俺はこの沸き立つ怒りを、殺意を抑えることなんてできない。奴を俺自身の手で殺さなければ、これは収まらない。

 

 「死ネえエえぇェェ!!」

 

 果たしてその声は俺が出したのか、獣が吼えたのか、はたまた二人とも叫んだのか。正解はわからないが、それを合図に俺と獣が駆け出したことは確かだ。

 

 「……ァぁァアああ!!」

 

 俺と獣は阿吽の呼吸で各々の得物を振るい続ける。不思議なことに、普通ならば一度攻撃してしまえば役立たずと化す筈の短剣はどれだけ斬り裂こうとも折れることはなかった。血を吸う妖刀の如く、血を求めて動かぬ的にその牙を突き立てる。

 そして俺と獣が顔面に刃を突き刺したその時、無限一歩手前に設定していた獲物の体力が尽きた。二度目となる粘りのある白の炎が吹き出し、原型を留めていない奴を包んでいく。

 

 「……わかっていても、やっぱり虚しいね。」

 

 その炎が消える前に、一人に戻った俺は閉じていたゲートを開いて俺のことを待っている人達の下へと移動し始める。ふと振り返れば、そこにはもう何も存在していなかった。      



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第四十九話 帰還

 一応今回でフェアリィ・ダンスの本編は終了です。

 次回はオフ会、そして次々回は総集編を投稿する予定です。


 ◇◆◇

 

 光一つ存在しない暗闇の世界は、嵐が過ぎ去った後のように静まり返っている。風が吹く音すら聞こえないこの無音の空間に、三人の少年少女がいた。

 三人の中で唯一の男である黒衣の剣士は己の剣を床に転がし、空いた両手で自身の感情をそのまま表現した涙を流しながら数多の苦労の末に取り戻した最愛の人を抱き締めている。

 その黒衣の剣士の腕の中にいるのは長い栗色の髪を持つやや大人びた少女。彼女は囚われた自分を助けに来てくれたヒーローを労るようにそっと彼の髪を撫でる。彼女もまた、涙を流していた。

 そして最後の一人である幼げな少女は未だにすやすやと穏やかな寝息を立てていた。脳への負担が相当なものだったのか、数十分経った今でも目覚める様子は感じられない。

 彼ら三人は一人の少年の帰還を待っている。黒衣の剣士と対照的な白の装備に身を包んだ彼は全てを奪った盗人との最後の決着をつける為、自身で展開したゲートの奥へと消えた。それからどれだけ時間が経ったのはわからない。待つ者達(今の彼ら)にできることは何もないのだ。

 

 「……まだだね、ソーヤ君……。」

 

 「ああ……ソーヤは俺達とは比べられない程のものをあいつに奪われたんだ……。その中には、もう二度と手に入らないものだってあった……。だから、感じている恨みは俺よりも断然上だろうな……。」

 

 落ち着いた栗色の髪の少女と剣士の目は、自然と少年を飲み込んだゲートがあった場所へと向けられる。その瞬間のことだった。突如空間に歪みが生じ、中から少年が現れたのだ。

 何処か虚しさを感じさせる瞳をした少年は自分を見つめる二人に気がつくと、小さめながらも確かに頷いた。その彼の動作が全て終わったということを伝えるものだということは考える間でもない。

 

 「……終わったんだな……。」

 

 「うん、終わったよ……。あとは皆で還るだけ。でも……」

 

 黒衣の剣士の問いに力なく答えた少年は最愛の眠り姫の下まで移動すると、己の膝の上に彼女の頭を乗せた。彼女の顔はへにゃりと笑みを浮かべるが、閉じられた瞼は持ち上がらない。

 ウィンドウを開き、幸せそうに眠る少女に何の異常もないことを確認した少年は先程切った言葉の続きを口にした。

 

 「見ての通り、まだシリカが眠ったまま目覚めていない。だから、キリトとアスナは先に現実に還っててよ。二人とも、早く向こうでも会いたいんでしょ?顔に書いてるよ。」

 

 「まぁ、うん……それはそうだけど、私もシリカちゃんが起きるまでいるよ。もう須郷が襲ってくる可能性はないんだし。」

 

 「……いや、ゼロだとは言いきれないよ。」

 

 栗色の髪の少女の言葉を少年は否定する。無意識に顔を強ばらせた彼女と剣士を視界の中央に捉えた彼はウィンドウを可視化すると、それを彼らに見せるように反転させた。

 

 「あいつは今、俺が造った空間の中で気絶している。一応ログインする為の機器の制御システムに介入してログアウト不能にはしているけど、直接それを外されたら奴の意識は現実に戻ってしまうんだ。もしそうなったとしたら……後はわかるよね?」

 

 少年の説明を聞いた黒衣の剣士と栗色の髪の少女はその後の光景を想像し、身震いをする。つまり、須郷が自分達を現実で殺そうとするかもしれないのだ。

 特に剣士の方は現実で須郷と出会っている上に、今回の件で怒りを相当に買ってしまった。下手をすれば怒り狂った彼に殺されてもなんら不思議ではない。

 自分達が未だ安全でないことを理解した剣士と少女の様子を見た少年は「わかってくれて何よりだよ」と満足そうに頷くと、もう一度先に帰還するように言う。

 剣士は最上位権限で少女を閉じ込めていたプログラムを破棄し、少年に権限を返してからログアウトを実行する。直後に彼らはこの場から姿を消した。それを見送った彼はすりすりと頬を膝に擦り付けて眠るもう一人の少女の髪を愛おしく撫でながら、無限に広がる虚空のある一点を見つめる。

 

 「……もう出てきて大丈夫だよ、茅野の叔父さん。」

 

 「だから、叔父さんは止めろと言っているだろうに……。」

 

 最早恒例となったやり取りをしながら、白衣を纏った一人の研究者こと茅場晶彦が苦笑を浮かべて姿を表した。自身をデジタル化しても一切変わらない金属的な瞳はぴったりと少年に向けられている。

 

 「知ってると思うけど、全部終わったよ。須郷も、囚われた人達の件も全て。」

 

 「ああ、全て知っている。私に代わって実行してくれたことには感謝しよう。だが……まさかキリト君に私の権限を又貸しするとは思わなかったぞ。」

 

 若干責めるような茅場の視線に今度は少年が苦笑を浮かべる番であった。

 

 「それは……ごめんなさい。それで、彼に力を貸した代償として俺は何をすれば良い?」

 

 「全く、創也君との会話はいつも話が早くて助かるものだ。それで君に受け取ってほしいのは、これだ。」

 

 茅場の言葉が終わると同時に、突如闇から銀色に輝く小さな物体が落ちてくる。手を伸ばしてそれを掴んだ少年は閉じた拳を開く。手のひらにあったのは小さな卵型の結晶だった。覗き込めば内部で弱い光が瞬いていている。

 

 「それは世界の種子だ。芽吹けば自ずとどんなものかわかる。その後どうするかは創也君の自由だ。それでは、私は行くよ。またいつか会う時を楽しみにしているよ……」

 

 「あ!ちょっと待って!!一つだけ聞きたいことがあるんだ!!」

 

 背を向けて去ろうとした茅場を少年は呼び止める。いつもの彼とは少し違った年相応のやや大きな声に、白衣の研究者は足を止めて振り返る。

 

 「どうしたのかね?そんな感じで誰かを引き留めるとは君らしくないな。」

 

 「……ごめんなさい。でもこれだけは聞いておきたいんだ。今俺の膝で眠っているシリカは少し前に、自分の力だけでシステムの命令を振り払った。この現象について心当たりがあれば教えてほしいんだけど……。」

 

 枕代わりの膝から落ちないように器用に寝返りを打つ少女に視線を一度移してから、少年は両親の上司にして天才量子物理学者に問うた。

 『システムこそ絶対』という価値観を持ってしまった少年にはどれだけ考えようとも答えが導き出せなかったのだ。

 原因を究明しようとする科学者じみた目を向けられた茅場は自分もその瞬間が見たかったという願望を隠し、少年の問いに答えた。

 

 「先程シリカ君が成したという、システムを振り払う力……私はそれを『人の意思の力』と呼称している。私が君に教えられるのはこれぐらいだ。生憎私もよくわかっていないものでね。さて、今度こそ私は行かせてもらおう。」

 

 「……うん、また会える日まで。さようなら。」

 

 そして茅場の姿は跡形もなく消え去る。少年が幾ら気配を探ろうとも、もう何処にもいなかった。彼は手のひらにある輝く小さな卵をストレージの中に収納し、再び視線を落とす。

 少女が洗脳という名のシステムの呪縛から解放されてから数十分が経過している。彼女が目覚めるまで何をしようかと一瞬思考を巡らした少年はとりあえず膝の上にある頭に手を置き、撫で始めた。

 少年の撫で方が上手いのか、少女は「んぅ……。」と心地よさそうな声を出してもっとしてほしいと言外にせがむ。それを理解した彼は彼女が満足するまで撫で続けることにした。

 紆余曲折を経てもう一度自分の下に戻って来てくれた少女の存在が余程大きいのか、少年の目尻から何か光るものが流れる。それは重力に従って彼女に落ち、頬を流れていく。すると冷たかったのか、少女の閉じられていた瞼がゆっくりと開かれた。

 

 「……んぁ、ソーヤさん?」

 

 「おはよう、シリカ。良く眠れた?」

 

 「はい、それは勿論……ってそうじゃないです!!」

 

 意識が覚醒した少女は慌てて顔を上げ、覗き込む体勢だった少年と正面衝突する。無音の空間に快音を響かせた二人は揃って額を押さえ、彼女は彼の顔を見つめて笑顔を浮かべた。

 花の咲くようなそれを向けられた少年は突然少女を抱き締める。普段とは違った彼の様子に疑問符を浮かべた彼女だったが、直ぐに理由を把握してされるがままにした。

 

 「……ありが、とう。こんなっ、俺の為に……。」

 

 嗚咽混じりの少年の声が少女の耳元で揺れる。それを聞いた彼女もまた、腕を伸ばして彼の大きな身体を包み込む。

 

 「ソーヤさん、いえ創也さんは私を何度も助けてくれたじゃないですか。それに今回だって、私が助けに来た筈なのに結局助けられてばかりでした。ソーヤさんが自分を卑下する必要はないんですよ。むしろ、私がお礼を言いたい位なんですから。」

 

 「……あぁ。本当にありっ、がとう……。もう少し、このままっ、でも良い?」

 

 「勿論ですよ。私はソーヤさんが落ち着くまで、ずっと待っていますから。」

 

 ぎゅっと少年の身体が一層強く抱き締められる。両親を亡くした少年にとって、その暖かさはもう感じられないと思いいたもので、何にも代え難いものだった。

 故に、少年は涙を流した。少女が自分の過去を共に背負うと言ってくれた時のように、彼はただ泣いた。言葉は全て涙へと変換されてしまって出なかった。

 そして泣きじゃくる幼い子供のような少年を、少女は母親の如く優しく包み込んでやる。そういう彼女もまた、懐かしい感覚を感じて目が潤んでいた。

 

 「……落ち着きましたか?」

 

 「うん……もう大丈夫。シリカ、ありがとう。」

 

 「どういたしましてです。さぁ、還りましょう。」

 

 「そうだね。」

 

 数分の後、少年は名残惜しさを感じながらも少女を抱き締めるのを止めて管理者専用のウィンドウを展開する。それから素早く指を走らせ、あっという間に転送関連のところまで移動したところで操作を止めて視線を彼女に向けた。

 

 「……今は深夜だから、会えるのは明日かな?」

 

 「いえ、ログアウトが完了したら直ぐにソーヤさんのところに行きます。」

 

 「そうか……待ってるね。目覚めて最初に会うのはやっぱりシリカが良いや。」

 

 少女の両目が真っ直ぐに少年を射抜く。その瞳には強い意思が宿っており、茅場晶彦が去り際に言っていた『人の意思の力』というものが何なのか少しわかった気がしたと彼は思った。

 少年達はもう一度熱い抱擁を交わし、同時にそれぞれのログアウトボタンを押す。発生した光の粒が周囲を舞い始める。俺達の仮初めの肉体が少しずつ消滅を開始したのだ。

 

 「ソーヤさん、直ぐに行きますから。」

 

 「ああ、でもあんまり早く来すぎないでね。俺が目覚めていないかもしれないから。」

 

 その少年の言葉を最後に彼らの身体は完全に消滅した。創造主含め誰一人としていなくなった空間は自動的に崩壊を開始する。破壊された隙間から光が差し込む様子は長い長い事件がとうとう終わったことを表しているようだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 朦朧としていた意識が薬品特有の鼻を刺すような匂いによって一気に覚醒する。それと同時に閉じていた瞼をばっと上げるが、二年越しに飛び込んできた光の強烈さに耐えきれず、慌てて目を閉じた。

 強すぎる光によって脳の奥まで突き刺されたような感覚を覚えながら、今度はゆっくりと開くことで目を慣らしていく。視覚を取り戻したことで、周囲の様子がだんだんと明らかになっていった。

 どうにか首を動かせば真っ白なカーテンと壁によって四方を囲まれ、上に向き直ればこれまた真っ白な天井がある。そして、窓際には真っ赤な花瓶に生けられた一輪の美しい花。誰がやったかなんて考える必要もない。

 軋む身体を叱咤し、頭部を固定しているナーヴギアを取り外す。ふぁさりと二年間ずっと伸ばし続けた結果、肩の近くまでの長さとなった髪が姿を見せた。変わり果てた自分の身体に思わず苦笑してしまう。

 一旦うつ伏せになってからどうにか頑張って上半身を起こす。それだけで息が荒くなってしまう。これは元の身体に戻すのに相当な苦労が必要そうだ。

 唯一機能を完全に取り戻している頭の中でこれからの生活を思い描いていると、戻りつつある聴力がどたどたと何者かの足音を捉え、続いて看護士の静止を求める声が届いてきた。

 どうやら、この足音の発生源となっている者は相当に急いでいるようである。そんな事を考えていると、件の足音がだんだんとこちらに近づいていることに気づいた。

 そこで俺はこの足音の発生源が誰なのか理解してしまった。確かに、ログアウト前の彼女の様子ならばこんなことを起こしてもおかしくはない。

 とうとう喧しい足音が俺の病室の前にまで到着し、扉が開けられる微かな電子音が鳴る。目を細めてカーテンの方を向けば一つの人影が現れ、直後にそれが取り払われた。

 

 「……ああ。やっと会えたね……。」

 

 その姿を確認した俺の口から無意識に声が漏れる。目の前で激しく肩を上下させている一人の少女はどう見てもシリカに違いなかった。

 

 「ソ…ヤさ………。」

 

 息を整え終えたシリカが俺の名を呼ぶ。まだ完全に聴力が戻っていないようで、上手く彼女の声が聞こえない。だが微かに聞こえた音と口の動き、表情から何を言っているのかは大方把握できる。

 

 「シリカ。」

 

 名を呼び返し、骨と皮だけになった手を懸命に伸ばす。これだけでも今の俺にとっては重労働だ。弱りきった身体が思った通りに動かず、ぷるぷると手が震える。

 それをシリカはそっと優しく掴んだ。此処まで走ってきたのか、彼女のやや高くなっている体温が触れた部分を通してじんわりと伝わってくる。

 もうこちらの世界(現実)では感じられないと思っていた人の温もりは二年間役目のなかった涙腺に早速仕事を与えた。全く、獣に喰われて一度死んだとはいえ泣き虫の俺は残っていたようだ。

 

 「はじめまして、新原創也です。……ただいま、シリカ。」

 

 嗚咽をこらえ、ベッドの端に腰を下ろしていたシリカにこちらの世界での名前を告げ、彼女を求めるかのようにもう片方の手を腰の部分に持っていく。

 

 「綾野珪子です。……おかえりなさい、ソーヤさん。」

 

 シリカ改め珪子は自身の腰に添えようとする俺の手を受け入れるどころか、俺が何をしようとしているか察して隣まで移動する。指を絡め合わせ、ぎゅっと強く握る。一層強く彼女の体温が感じられた。

 潤んだ珪子の瞳には歓喜の色が浮かんでいた。俺が自分を求めてきていることが嬉しいのだろう。今思い返せば、俺からすることは数える程しかなかった。しかし、この瞬間はいつもと違って彼女が欲しくてたまらないのだ。

 顔を近づけ、唇を触れ合わせる。すると珪子の両腕が痩せ細った俺の身体をそっと抱き締めた。俺も少し遅れて彼女の背に手を回す。どうにかこらえていた涙の堤防が決壊した。それは彼女も同じだったようで、二人の涙が混ざって落ちていく。

 ふと、ぼやける視界の焦点を外へと合わせる。嵐の如く吹き荒れる雪の中に、二つの幻影が見えた。瞬きして涙を弾き飛ばして目を凝らせば、その幻影には見覚えしかない。

 背に無数の武器を展開した少年と小さな竜を連れた少女は顔を見合わせて微笑むと、手を繋いでゆっくりと遠ざかっていく。それはもうあの世界の俺達の戦いが終わったことを示しているようだった。    



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第五十話 少年を受け入れる仲間達

 前回に書いた通り、オフ会のお話です。

 後半急いで仕上げた為、駄文かと思われます。ご了承ください。


 ◇◆◇

 

 「まだ身体の調子も戻っていないのに捜査のご協力をしていただいて、本当にありがとうございました。」

 

 「そんなお礼を言われるまでもないですよ、俺は持っていたデータを提供しただけですから。」

 

 お礼の言葉と共に敬礼をする警官に会釈し、未だ少し倦怠感が残る身体を動かして俺はその場を後にする。空を見上げれば、鮮やかな夕焼けが広がっていた。

 近くにあったベンチに腰を下ろし、ポケットから携帯を取り出して用事が終わったことを和人(キリト)に連絡する。今日の夕方から義姉さん(・・・・)と同じくSAOクリア記念のオフ会に招待されているのだ。一応用事がある為に少し遅れるかもしれないとだけは伝えている。

 因みに、用事の内容は伝えていない。もし仮に、逮捕された須郷が行った非人道的な実験の資料を警察に見せに行っていたなどと馬鹿正直に言えば、オフ会という楽しい空間に水を差すことになってしまうことは目に見えているからだ。俺はそんなことはしたくなかった。

 透明の壁越しに俺を殺さんとばかりの目で睨んでいた須郷の姿が過る。それを忘れようと頭を振っていると、携帯から短い電子音がした。

 和人から送られてきた文面を見る限り、どうやら義姉さん含め俺以外は皆集まっているようだ。時刻を確認するが、まだ集合時間にもなっていない。皆待ちきれなかったのだろうか。

 なんにせよ、これは急いだ方が良さそうだ。携帯をしまい、ノートパソコンが入った鞄を背負い直して俺は駆け出した。こんな人の道を外れたような俺を受け入れてくれた仲間達が待つ場所へと。

 

 「ハァ……ハァ……結構体力は戻ったかと思ったけど、まだまだだったみたいだね。」

 

 人通りの少ない裏路地に入り、目的地である煤けたような壁をした黒の建造物を視認すると、ペースを落としながら息を整える。たかが少し走った位でこんなにしんどくなってしまう程に弱くなった己の身体に思わず苦笑がこぼれてしまう。

 

 「……こんな無愛想な感じで店は大丈夫なの?」

 

 会場へと繋がる入り口に掛けられた『本日貸切』という無愛想な文字を見た俺はこの店の将来が心配になった。しかし次の瞬間にはこの店のことを俺が心配したところでどうにもならないと思い、もうこのことは考えないように一度思考をリセットする。

 ドアノブに手を掛け、何故か扉の近くに気配が集中していることに首を傾げる。意識を研ぎ澄ませば、集まっている気配は今から入る俺を出迎えるかのように綺麗な半円を描いていた。

 もしあの世界を訪れる前の俺だったら、一体何のつもりだと真っ先に疑うことだろう。しかし今の俺は違う。あの世界で俺は多くの出会いを通し、本当の俺で関われる仲間達を得ることができたのだ。

 ドアノブを捻り、扉を勢いよく押し開ける。カランと鳴ったベルの音に続けて複数のクラッカーの音が響いた。その後に歓声や拍手、口笛などが巻き起こる。

 煙を手で払いながら視線を会場の中へと移すと、そこには既にぎっしりと人が埋め尽くされていた。大音量で聞き覚えのある音楽が流れ、皆の手元には照明の光を反射している半透明のグラスがある。会場は結構盛り上がっているようだ。

 

 「待ちわびましたよ、創也さん!さぁさぁ、まずはこっちに来て下さい!」

 

 「え?……あぁ、うん……。」

 

 普段よりも数倍元気のある制服姿の義姉さん(・・・・)に手を引かれ、店の奥にあった小さなステージの上に立たされた。その直後に音楽が途切れ、照明が絞られる。

 何が何だか理解できずにいる俺にスポットライトが落ち、聞いたことのない女の人の声がした。

 

 「えー、それでは皆さん、ご唱和下さい。せーの!!」

 

 「「「ソーヤ(さん)、SAOクリアおめでとー!!」」」

 

 今日この場に集まった全員の唱和と再度のクラッカーの爆発、幾つものフラッシュが俺を襲う。そして当の俺は状況をやっと把握し、こんな仲間がいてくれたことが嬉しくて目尻に浮かべた涙を拭った。本当に、俺は泣き虫だ。

 

 

 ◇◆◇

 

 今日のオフ会は和人が主催者だと聞いていたのだが、彼が言うには途中から彼抜きでどんどん計画が進められていたそうだ。

 その為、今日集まったのが元々招待する筈だった人数の倍近くいるらしい。確かに、この人数をこの広さに押し込めるには少々狭いと思っていた。

 それから乾杯をして、あの世界でのプレイヤーネームと簡単な自己紹介をする。全員がそれを終えると同時にエギルの巨大な特製ピザが登場し、宴は混沌の渦に包まれることになった。

 俺は皆に囲まれ、盛大過ぎる祝福を受け続ける。顔を合わせたことのない人もいたが、俺を祝うその表情には一切の悪意が感じられなかった。まぁ全員和人の知り合いだそうなので疑う必要もないのだが。

 数十分が経ち、ようやく解放された俺は覚束ない足取りでスツールまで辿り着くと、沈むように腰を下ろした。悲鳴を上げる身体を休ませるように上半身をカウンターに投げだす。未だ身体の調子が戻っていないぶん、疲労感が凄まじい気がした。

 

 「ずいぶんとお疲れのようだな。」

 

 「……目覚めてから色々あったんで、リハビリが遅れたんですよ。だからまだ完全に体力が回復してないんです。」 

 

 じろりと俺を見下ろす白いシャツに黒の蝶ネクタイをした巨漢の店主ことエギルに首だけ向けてそう返す。まるで重石が俺の上に積まれているかのように身体が重い。

 現実に帰還してから俺の正体を知った人間達が押し掛けて来るなど色々なことがあった。まぁ、お陰様で同じ時期に目覚めた明日奈と比べてリハビリの計画が大きく遅れてしまって今に至るのだが。そしてその中でも一番大きかったのは……

 

 「……珪子義姉さん(・・・・・・)は元気だなぁ。」

 

間違いなく、俺が綾野家の養子になったこと(・・・・・・・・・・・・・・)だろう。

 両親を亡くし、親戚などいない俺は寝泊まりする場所すらなかった。借りていたアパートは家賃が払えずに解約になっていたのだ。それでも荷物をちゃんと保管してくれていたことには感謝している。

 そんな時、珪子の両親が俺を養子に迎えてくれた。いや、正しくは『されていた』だろうか。別に嫌だったという訳ではないが、この表現が一番合っている。

 話を聞けばこの義両親、あろうことか俺に帰る場所がないこと知るやいなや、俺が帰還してくる前に養子を迎える手続きを完了させていたのだ。これを珪子と一緒に聞かされた時は唖然とするしかなかった。

 一応珪子の方が年上なので俺は先程のように『義姉さん』と呼ぶべきなのだろう。だが彼女本人がそれを拒否して名前でとやたら強く希望したため、少し恥ずかしいが『珪子』と呼ぶことになった。

 しかし彼女は俺のことを『創也さん』と呼んでいる。年上が年下をさん付けし、年下が年上を呼び捨てにするとはこれ如何に。

 

 「おいおい、お前もシリカと同い年だろ?体力が回復しきっていないとはいえ、年寄りみてぇなこと言ってんじゃねぇよ。」

 

 当時のことを脳裏に浮かべつつ、店の一角を陣取る女性陣の中央で顔を羞恥で赤くしている珪子を見つめて思わずそんな事を呟けば、店主は別の人に飲み物を出しながらため息をついた。

 何気なくタンブラーが進んだ先を目で追うと、俺と同じようにダウンしている和人の姿があった。恐らく元攻略組のトッププレイヤーだったということで、次なる標的にされたのだろう。

 体力が少しだけ回復したので、「よっこいしょ」と今年で十四歳になる男の子が出すようなものではない言葉と共に和人の隣に席を移動する。

 

 「俺が言えるかわかんないけど……大丈夫?」

 

 「この状態を見てよくそんなことが言えるな……。」

 

 「だよね……。」

 

 二人揃ってぐったりとカウンターに体重を預ける。みしりという音が聞こえたような気がするが、多分空耳だろう。

 

 「ああそうだ……創也、例のものはどうなっているんだ?」

 

 「……例のもの?あ、茅場の叔父さんから貰ったやつのことだね。ちょっと待ってて……」

 

 床に置いていた鞄からノートパソコンと眼鏡を取り出し、目の保護を終えてから電源を入れる。手早くパスワードを入力してログインを完了するとある一つのフォルダを開き、パソコンを回してそれを和人に見せる。横から店主も身を乗り出して覗き込む。

 

 「ええと……ダウンロード数がだいたい十万で、稼働している大規模なものは約三百ってところかな。流石、茅場の叔父さんが造ったものだよ。」

 

 「ほんと、すげぇもんだな。」

 

 最後に茅場の叔父さんから託された世界の種子、それは文字通りのものだった。具体的に言えば、誰でも仮想世界を造ることができるようになるプログラムである。

 種子の発芽を見届けた俺はこれを和人とエギルに見せた後に世界中のあらゆるサーバーにアップロードし、誰でも落とすことができるように解放した。はっきり言って、宝の持ち腐れだったのだ。

 そして、これを茅場の叔父さんも望んでいただろう。あの人は心の奥底に少年の心を持っている。本当の異世界を求め続けるという果てしない夢想を持ち続けている。その感情は自身をデジタル化してしまう程に強いものだ。

 勿論、公開時に茅場晶彦の名前は出さないでおいた。俺からすればこんな素晴らしい仲間達と引き合わせてくれた大恩人だが、世間からみれば一万人の命を弄んだ凶悪な犯罪者でしかない。その事を考慮すると、こうするのも仕方のないことだった。

 

 「おいエギル、二次会の予定は変わりないか?」

 

 「勿論だ、今夜の十一時にイグドラシル・シティに集合だぜ。」

 

 「そうか、了解だ。ところで創也……アレはいけるのか?」

 

 エギルと二次会の予定の確認をしていた和人が突然声のボリュームを下げ、何気なく自動更新されていく画面を眺めていた俺に囁いた。彼のいうアレは間違いなくあの城のことだろう。

 

 「……大丈夫、容量がとんでもなくて新しいサーバー群丸々一個つかったけど、ちゃんといけるよ。ほら。」

 

 このことは皆に秘密なので俺も和人の耳に囁いて返事をし、画面の明るさを下げてから別のフォルダを開く。それを見た彼はニヤリを笑みを浮かべた。アレが出現した時の皆の反応を想像したのだろう。かくいう俺も自然と口角が上がっている。

 近くにまで移動しなければ見えない程に暗くなった俺のパソコンの画面には、現在アルヴヘイム・オンラインの管理者ページが写っている。

 つまり、俺は管理者側の人間になったのだ。とはいってもアレが正式に実装されるまでという一時的なもので、正社員にならないかという話は丁重にお断りしておいた。瞳の奥に俺の腕前だけを求めていることが見えたからである。

 あの時のことは今思い出しても殺意が芽生えてしまう。やはりクズ野郎という生物は掃いて捨てる程いるものだ。

 そこまでいったところで思考を中断してパソコンを閉じ、眼鏡を外して上を見上げる。黒い板張りの天井が深い夜空に変貌していく。うっすらとした灰色の雲が流れて行き、星の光がちかちかと瞬いている。そして今夜にはその風景に一つ大きな建造物が入るのだ。

 

 「創~也さ~ん!!」

 

 突然背後から珪子の声がしたかと思った直後、背中に衝撃を受ける。視線を戻すと最愛の彼女が俺の背後から抱きつき、顔を埋めていた。

 いきなりどうしたのだと顔を上げさせると、やけに目がとろんとしている。おまけに心なしか珪子の身体が火照っているような気がする。これではまるで、酔っているようだ。

 

 「エギル、珪子に酒飲ませた?」

 

 「一パーセント以下だから大丈夫だ、明日だって休日だしな。」

 

 「……はぁ。まさかと思ったけど、本当に飲ませたとは……。」

 

 ため息をつき、普段よりも数倍甘えん坊になった珪子の相手を始める。全く、年上なのは彼女の筈なんだけどな……。

 

 

 ◇◆◇

 

 集合時間の二十分前にログインを終えた私はピナを連れ、ケットシーのホームタウンの上空でソーヤさんを待っていた。

 私の恩人でもあり恋人でもあり、そして義弟でもある彼は「ちょっと準備しないといけないことがあるんだ」と私をおぶった状態のまま家に帰って来て早々に自分の部屋へと閉じ籠ってしまった。絶対に集合時間には間に合わせると言っていたから大丈夫だとは思うが、どうも不安になってしまう。

 そんな私の内心を読んだのか、ピナが一度力強く鳴いた。二年間も隣にいる私の相棒が何を言いたいのかは、十二分に理解できる。ピナは大丈夫だと私を元気づけるように言っていた。

 

 「……いたいた。おーい、シリカー!」

 

 下の方から私のことを呼ぶ声がした。その声は間違いなくソーヤさんのもの。街を見下ろせば、こちらに向かって手を振りながら昇って来る人影が一つ。

 私もその人影に手を振り返す。すると人影の上昇速度が上がり、みるみる私の近くまで接近してきた。だんだんとソーヤさんの姿が見えるようになっていく。 

 

 「ソーヤさん、やっと来たんですn……って、えぇ!?」

 

 「きゅる!?」

 

 そして私はピナと揃って驚きの声を上げた。現れたのは私と同じ位の背丈の(・・・・・・・・・)ソーヤさんだったのだ。さらにケットシーの象徴とも言える小麦色の猫耳と尻尾も追加され、あの世界での彼の姿とは大きく変わっていた。

 

 「もしかして……準備ってこれのことだったんですか?」

 

 「いいや、違うよ。この姿はランダムで選ばれたものなんだ。いつもと目線が違うけど、これはこれで楽しいものだね。」

 

 「えっ……?今『ランダムで選ばれた』って……?」

 

 先程のソーヤさんの発言に首を傾げる。この新しいアルヴヘイム・オンラインでは私達のような旧SAOプレイヤーは外見も含めたキャラクターデータを引き継ぐことができる筈だ。姿がランダムで選ばれる訳がない。

 そう思いながらソーヤさんの装備を見てみると、明らかに初期装備そのものだった。武器も貧相な片手剣一本しかない。これらの情報から導き出される答えは……

 

 「もしかして……あのデータ、消しちゃたんですか?」

 

眼前の彼はキャラクターデータを引き継がずに初期化し、再度一から鍛え直すことを選んだということだ。

 

 「うん、消した。だって……もうあの世界での俺は、役目を終えたから。」

 

 私の問いにソーヤさんは薄い笑みを浮かべて答えた。獣の赤い瞳を隠す、彼の黒い瞳は夜空に浮かぶ巨大な月を捉えている。私は肩がぶつかるかどうかの至近距離にまで近づき、隣に並んで月を眺めた。

 巨大な満月が冴え冴えと蒼く光っている。現実では見ることが出来ない色だろう。綺麗だと思わず見とれていると、その輝く真円の右上が……欠けた。

 見間違いかと目を擦ってもう一度確認するが、明らかに欠けている。しかも先程より欠け具合が大きくなっていた。

 月を侵食していく影は時間の経過と共にその面積を増やしていく。だがその影は断じて円形とは言えないものだった。どちらかと言えば逆三角形のような形状をしている。

 そして中央にまで影が移動し終えた次の瞬間、一気にその影が消滅した。なんとその影自体が光を放ったのだ。

 

 「……あっ。」

 

 思わず声が漏れた。何故なら、現れたその建造物に見覚えがあったから。私と隣の彼を引き合わせてくれたもう一つの現実があった場所だから。

 

 「あれって……!」

 

 「そう、浮遊城アインクラッド。俺が準備していたのはこれだよ。今度こそ、百層まで攻略したいんだ。だから……」

 

 ソーヤさんが私の方を向く。身長が殆ど同じになっているからか、普段以上に顔が近いように感じる。

 

 「一緒に行こう。俺にはシリカの力が、いいやシリカが必要なんだよ。」

 

 頬を何かが伝う感覚を感じた。目尻に残るそれを拭った私は、差し出されたソーヤさんの手を取る。そしてもう離すもんかとばかりに強く握った。

 

 「……勿論です。私だってソーヤさんが必要なんですから。そしてそれはこの世界だけじゃなく、現実の方もです。ずっとずっと、一緒にいましょうね……。」

 

 「うん……一緒にいるよ。何処までもずっと……。」

 

 お互いの存在を確認するかのように、私とソーヤさんは抱擁を交わす。私を包み込む彼の身体は小さくなってしまったが、その暖かさに変わりはなかった。



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そーどあーと・おふらいん フェアリィ・ダンス編

 総集編です。ノリと勢いで書き上げた為、駄文注意です。

 前回の総集編と同じく、台詞多めになっています。
 


 ◇◆◇

 

 「皆さん、こんにちは!約半年ぶりのおふらいんの時間です!司会は同じく、アスナです!」

 

 一回目の時とは異なり、真っ白なドレスに身を包んだアスナが以前と変わらず張り切った様子で司会の席に座っている。しかしその隣にいたのは、彼女の恋した黒衣の少年ではない。

 解説の席に座っている少年は全身をアスナと同じ白をした装備で固めていた。その姿は少し前に妖精達から恐れられた《妖精殺し》そのものだと言っても過言ではない。唯一異なるといえば、空虚だった瞳に光が宿ったことだろうか。

 

 「今回の解説、ソーヤです!……って何で俺が解説に?」

 

 「ほら、私達ってSAOクリア後に現実に還れなかったから、知らないことが多いでしょ?だからゲストの人達にどんどん質問していく感じになる解説はソーヤ君にやってもらった方が良いってなったの。」

 

 「成る程……じゃあ、俺達の質問に答えてくれるゲストを呼ばないとね。どうぞ!」

 

 ソーヤの声と同時に扉が開き、三人の妖精と一匹の小さな竜が姿を現した。

 

 「こんにちは、スプリガンのキリトです。」

 

 「シルフのリーファです!」

 

 「ケットシーのシリカです!あと、ピナもいます!」

 

 「きゅるるる!」

 

 「では、皆揃ったのでフェアリィ・ダンス編のプレイバックを始めていきましょう!始めのシーンはこれ!」

 

 アスナの声と共に大型モニターの電源が入り、この大事件の振り返りがスタートした。

 

 

 ~シリカ、ソーヤとアスナの居場所を知る~

 

 メールの受信トレイを開くと、最上段に『Look at this』とタイトルのついたものが届いていた。それを開くと、急いでいたのか文章は一切なく、たった二枚の画像が張りつけてあるだけ。だが、その二枚の画像は寝ぼけていた私の目を覚まさせるには充分すぎた。

 

 「……え?」

 

 思わずそんな声が漏れていた。一呼吸置いてから、私はその二枚の画像を食い入るように見つめた。

 一枚はかなり高い場所にあるであろう鳥籠の画像。その中には一人の少女が写っていた。栗色の長い髪を持ち、白いドレスに身を包むその少女は憂いに沈んだ横顔をしている。ぼやけて見える金色の格子の向こうにいる彼女は囚われの姫のようだった。

 そしてもう一枚は光も入らぬ深い森の中の画像。そこにいたのは瞳を赤くした少年。血を連想させるような鈍い赤をした片手剣と細剣を両手に持ちながらこちらに急接近していた。それに加えて、自然と目を向けてしまうのはその背後で円を描いている無数の赤黒い武器。

 

 「アスナさんにソーヤさん……!?」

 

 無理矢理拡大したのか二枚とも画像が荒かったが、それでも写っている少女と少年は間違いなくあの二人だと思えた。よく見れば、二人とも背中から真っ白な翅が生えている。

 気がつけば、私は受信トレイを閉じて連絡先を開いていた。心臓の鼓動が高鳴ることを感じながらエギルさんの携帯番号を見つけると、直ぐ様電話をかけた。呼び出し音がなる時間すら勿体ないように感じる。やがて懐かしいエギルさんの野太い声が聞こえた。

 

 「もしもし、エギルだ。」

 

 「あ、エギルさん。朝からごめんなさい。あの画像の事なんですけど……。」

 

 「やっぱりな。それに関してだが、今から店に来れるか?ちょっと長い話になるんだ。」

 

 「わかりました。できるだけ急ぎます。」

 

 そう答えるとブツリと電話を切る。電話中は落ち着いているような感じで話したが、今の私は全く落ち着いてなんかいなかった。

 手に持っていた服を素早く着ると、誤って転がり落ちそうな勢いで階段を降りて玄関へと一直線に向かう。驚いた顔をしているお母さんにちょっと出掛けてくるとだけ告げると、朝御飯も食べずに家を飛び出した。

 

       ~《第二十七話 残された少女》より~

 

 

 「あ、これは私がエギルさんから送られたメールを見た時のシーンですね。あの時は本当にびっくりしました。」

 

 「因みにこの時に俺にも同じメールが届いてたんだ。それでこの後エギルの店で俺とシリカが初めて現実で再会したんだ。でもあの時はそんな事を喜んでいる暇なんてなかったな……ってあれ?」

 

 「ん?ソーヤさん、そんなに画像をじっと見てどうしたのですか?」

 

 「……。」

 

 デジタル世界に封じられた愛する人の魂を助けに向かった二人が当時を振り返っている傍らで、何処の種族でもないことを示す白色で身を固めたソーヤは真剣な眼差しで映像にあった画像を見つめていた。

 そのことに気づいたシリカとキリトが声を掛けるが、ソーヤが反応を見せる様子はない。彼は完全に意識を内側に向け、思考の海に潜ってしまっている。

 

 「ソーヤ君、戻っておいで。ほらほら。」

 

 声だけでは無理だと判断したか、隣に座っているアスナがソーヤの肩を掴んで揺する。視界が左右に揺れたことで、彼の意識が外側へと引き戻された。

 

 「……ん?ああ、ごめん。ちょっと気になることがあったから少し考えてたんだ。」

 

 「気になること、ですか?」

 

 「うん、確かアスナがいた場所って世界樹のかなり上の方だよね?それも飛行制限があった頃じゃあ、絶対に辿り着けない高さの。なのにどうして、アスナが見える高さまで行くことができたんだって思ったんだ。」

 

 「そう言われてみればそうね。ねぇキリト君、シリカちゃん、なんか知ってる?」

 

 「はい、五人で肩車をしてロケットみたいに飛んで行ったそうです。」

 

 シリカの返答を聞いた直後、アスナの視線が移動する。その先にいたのは小さな竜がちらちらと見ていた黒衣の妖精。どこか責めるような視線に、キリトの背を冷や汗が伝った。

 

 「ふ~ん、そういえば何処かの誰かさんがアインクラッドの外周を登って次の層に行けないか試したことがあるらしいね~。」

 

 「え……お兄ちゃん、そんなことしたの!?」

 

 「はぁ、やっぱり俺よりもキリトの方がよく無茶をしでかすんだね。」

 

 頭のネジが取れたようなキリトの行動を知ったリーファとソーヤまでもがキリトを見た。今やこの場所は無茶をしでかす悪い子を叱るような空間と化している。

 

 「あー、もう!次行くぞ!そのことは過ぎたことなんだからもう良いだろ!!」

 

 「「は?」」

 

 「あ……。」

 

 「キリトさん、やってしまいましたね……。」

 

 

 ~愛に狂うシリカと自分を押し殺すソーヤ~ 

 

 「アア……アァァァ!」

 

 愛に狂い、堕ちた少女はまともな言葉を発することすらも不可能になっていた。声にならない声を上げ、稚拙としか言い様の無い攻撃を繰り返す。最早、呑まれてしまった今の彼女に《竜使い》と呼ばれたあの時の姿は見る影もない。

 対する少年も大した反撃はせず、延々とその拳を受け止めているだけであった。こちらもまた《妖精殺し》などとは思えない程に悲しい顔をしている。彼はあの世界にいた時のような、儚い願いが叶うことを夢見る自分を押し殺しているような悲痛な顔を浮かべていた。

 

 「シリカ、こうして狂ってしまう程に俺のことを想っていて貰えていたとは思わなかった。俺は本当に幸せ者だよ。そしてわざわざ違う世界にまで助けに来てくれるなんて、本当に嬉しい。本音を言えば、その手を握ってずっと君の隣にいたい。でも俺にはもう還る場所なんてありはしないんだ。それに悲しいけど、俺達は現実でお互いのことを何も知らないから会うことも出来ない。そんな事、俺は耐えられない。だから……ごめんね。」

 

 少女の歪みながらも真っすぐだった想いは、名も無き亡者と化した少年を《ソーヤ》へと引き戻していた。記憶を取り戻した少年は自分にも言い聞かせるように謝罪の言葉を発して、行動を開始する。

 堕ちた少女の拳を避け、伸びきった腕を少年は蹴り上げる。それによって生まれた空間を瞬時に通って背後に回ると、水平に揃えた手を少女の首筋に叩き込む。とたんに彼女の身体から力が抜け、どさりと倒れた。

 少年は気を失った少女を抱き上げて近くの樹木にそっと下ろし、彼女の相棒を呼び寄せる。

 

 「……ピナ、シリカを守ってあげて。よろしくね。」

 

 「きゅるるる!」

 

 「『還ってこい』だって?……もしそれが可能だったら、俺もそうしたいさ。だけど、もう孤独に戻るのは耐えられないんだ。本当にごめん。」

 

 「きゅるるる!!」

 

 小さな竜の静止を振り切り、少年は真っ白な翅を鳴らして森の奥へと消えていく。その際に彼の目に涙が浮かんでいたことは、彼以外誰も気付くことはなかった。

 

        ~《第三十一話 愛に狂う》より~

 

 

 「え~と、此処はどんなシーンなの?」

 

 「申し訳ないんですけど……私も知りません。多分知っているのは当事者のシリカさんとソーヤさんだと思います。」

 

 愚か者に制裁を下し終えたアスナとリーファは得物を片付けながら、元の位置にまで戻った。残っているのはぴくぴくと痙攣するキリトのみである。

 

 「えっと此処はタイトル通りなんだけど……俺の記憶が戻るのと、シリカが俺を想いすぎるあまりにちょっと狂ってしまうシーンだね。」

 

 「はい。そこで記憶の戻ったソーヤさんが私をまた助けてくれたんです。」

 

 「そうだったんだ……良かった。あれ?じゃあ何でソーヤ君は現実に還りたくないみたいなことを言っているの?」

 

 「まだこの時は現実に還ったところでシリカと会えないと思っていて、早く死にたいと思っていたからだよ。だから俺がキリト達と合流するのはもう少し後になるかな。」

 

 「あの戦いのことですね。あれは見ていてただただ凄いと思いました。」

 

 「あ、それってこのシーンの戦いのことかな?よーしそれじゃあ、次のシーンに行こう!」

 

 アスナとリーファは気絶したまま動かないキリトをまるで存在しないもののように扱い、大型モニターに手を向けた。

 

 

 ~ぶつかり合う思い~

 

 「ああ……もうすぐだ。やっと死ねる。さぁシリカ、俺を殺して。戦いの中で、殺してみせてよ。」

 

 背中から片手剣と短剣を取り出した少年は再び猛攻を開始する。疲労が蓄積してきたのか動きがだんだんと鈍くなる少女とは異なり、少年の動きは更に激しくなっていく。

 短剣による受け流しと防御が追い付かず、次々と赤黒い刃が少女の身体に切り傷を与える。その凶刃は彼女の体力を奪い、戦意を食らっていく。だが、少女の目にはまだ消えていない決意の炎があった。

 

 「はぁぁぁ!!」

 

 その小さな身体から大きな雄叫びを上げ、最上段から振り下ろされた二振りの片手剣を弾く。そして的と化した少年に自身の短剣を振るう……ことはせずに、叫んだ。伝えなければならぬことを、伝える為に。

 

 「ソーヤさん!貴方の還りを待つ人はいます!キリトさんにエギルさんだって、待っているんです!そして何よりも……私がいる!!」

 

 少年は目を見開き、動きを停止させる。しかしそれも一瞬のことだった。翅を使ってその場で宙返りをし、造り出した両手剣を乱暴に少女に向かって叩きつける。赤と黒の瞳が写すのは心に巣食う獣の冷めきった思考を押し退けて現れた、激情。

 

 「……シリカこそ嘘を吐くな!俺達は確かにあの世界で二年間一緒だった!ずっと隣にいたいと思った!」

 

 先程までとは違い、ただ力のままに一撃限りの武器を取り出しては振るい続ける。それらが地面や思い出の短剣にぶつかる度に金属音が奏でられる。その音は少年の荒れ狂う心を表すかのように大きく、重い。

 

「でもそれだけだ!現に俺は現実でのシリカを何も知らない!会えない!だから還れば俺はまた孤独に戻る!そんな事、もう耐えられないんだ!今の俺にとって、シリカがいない現実に……価値なんて無い!!」

 

 剣を振るう速度が更に加速し、少年を目として暴力の突風が吹き荒れる。下手に近寄れば間違いなく斬殺されるであろう刃の竜巻の中、少女とその相棒は殺されることなくそこにいた。横に浮かぶ体力は赤で止まり、減少はしていない。

 それは当然のことだろう。少女らが苦戦したのは冷徹な思考で相手を追い詰める彼であって、力まかせに暴れる彼ではない。幾ら少女らが疲労という名の鎖に縛られていようとも、今の彼の攻撃程度ならば余裕なのだ。

 少女は己の身に迫る刃に一つずつ目を配り、手に持つたった一本の短剣で四方八方から襲い掛かる幾多の武器を捌く。そして僅かな攻撃と攻撃の隙に相棒がブレスを浴びせる。

 それでも少年は止まらない。炎に焼かれ、その身の消滅に一歩近づいたとしても自身がポリゴン片となるまで刃を振るう腕は止まらない。

 

     ~《第三十六話 もう独りじゃない》より~

 

 

 「やっぱり、何度見ても凄い戦いですね……。」

 

 「うーん、この時の俺は爆発した感情のままに剣を振るっていたからね。シリカに攻撃を全部防がれているんだし、凄いと言われる程ではないよ。」

 

 「でも、私は初めて見たけど凄いなって思ったよ?たった数秒の間に何十回も剣がぶつかっているんだもん。……それで、この後はどうなったの?」

 

 「この後ですか?えっと……!?」

 

 視線を宙に向け、当時のことを思い返したシリカの顔が突然真っ赤に染まる。それだけにとどまらず、頭の先からしゅうしゅうと煙が出始めた。

 

 「えっ!?シリカちゃん、大丈夫!?いきなりどうしたの!?」

 

 「……はうう。恥ずかしいです……。」

 

 「確かに今思い返せば、俺からしても結構恥ずかしいことだね。だってシリカは俺に大勢の前で……」

 

 「言わないでくださあああぁぁぁい!!」

 

 「うっ……あれ?此処は……イギャアアアッ!?」

 

 そう叫びながらソーヤの口元を両手で押さえるべく、駆け出すシリカ。しかし彼女はそのことで頭が一杯になっており、彼との間に転がっていたある一人の存在を完全に忘れていた。

 その結果、シリカのブーツが目覚めたキリトの急所を綺麗に踏み抜き、彼は再び昏睡状態へと逆戻りしてしまった。

 

 「お兄ちゃん!?」

 

 「キリト君のキリト君が殺られちゃった……。」

 

 カオスと化したこの場に割り当てられた役目を全うしようというものは誰一人としていない。そのことを理解したのか、大型モニターは自動で次のシーンを写し出した。

 

 

 ~明らかになるソーヤの正体~

 

 「それじゃあ、まずは俺が何者なのかっていうところからだね。キリトは俺のことをどれだけ知っていたっけ?」

 

 「それは、確か最後の戦いの時に言っていた……お前の両親が茅場昌彦の部下だってことぐらいだな。」

 

 二年間生きたあの場所からの解放を賭けて茅野昌彦に挑む少年が突如、衝撃の関係を明らかにした当時のことを思い出しながらキリトは少年の問いに答える。

 基本的に少年は何度も裏切られた過去を持つ故に、自分のことを積極的に話すような真似はしない。そして聞かれたとしても、心から信用できる人間にしか己の口で過去を打ち明けることはしない。その為に、キリトは少年のことをあまり知らないのだ。

 

 「成る程ね……あ、そういえばキリトは茅場の叔父さんのことに詳しかったよね?だったらこれを聞けば、すぐに気づいてしまうかもしれない。俺の名字は『新原』なんだけど、これに心当たりはある?」

 

 「『新原』か……ん?『新原』って言ったか!?それってもしかして……脳の構造を完全に解析したっていうあの……!?ということはまさか……!?」

 

 キリトの瞳がどんどん収束していき、同時に驚愕の色が浮かび始める。正体を悟られたことを感じ取った少年は流石だと賞賛を送り、これまで自身を隠していた謎のベールを取り払った。

 

 「そのまさかだよ、キリト。俺は、不幸にも交通事故で亡くなった新原華菜と新原壮一郎の息子にあたる新原創也だ。」

 

    ~《第三十九話 神原両親と須郷伸之》より~

 

 

 「あれ?こんなシーンってありましたっけ?」

 

 「……プハッ!ああ、このシーンはキリトに俺が何者なのかを明かしたところだね。」

 

 流された映像に意識が向いたその隙に、ソーヤは自分の口元を押さえていたシリカの手を剥がし、空気を取り込んだ。

 

 「ちょっと待って!?ソーヤさんってあの神原夫妻の子供なの!?」

 

 「うん。今は『綾野』に名字が変わっちゃったけど、俺は間違いなく神原夫妻の子供だよ。」

 

 「あー、リーファちゃんはまだ知らなかったもんね。ソーヤ君、ほんとに凄かったんだよ。システムを自由自在に動かすし、自分の力だけでプログラムを即席で組んでいたり、他には……」

 

 「あ、アスナ。できればそこまでにしてほしい……。」

 

 アスナから次々と飛び出す褒め言葉にソーヤは顔を手で覆う。彼はお礼を言われることに慣れていないことに加え、褒められることも慣れてはいないのだ。

 だが、この程度では終わらない。ソーヤはこれから更に褒められ、感謝されるのだから。

 

 「では、珍しいソーヤさんの照れ顔も見れましたし、次のシーンに行きましょう!次のシーンはこちら!」

 

 

 ~ソーヤの新たな誓い~

 

 「……シリカ、どうして来たの?」

 

 次々に襲いかかって来る妖精達をどうにか片手で捌きながらシリカに問う。すると彼女は俺の腕の中から飛び出して背後にいた一匹をピナと一緒に屠ってからこちらを振り返った。浮かんでいるのは恐怖、何かを失うことを恐れるものだ。

 

 「恐かったんです……ソーヤさんが死んでしまうことが。」

 

 「……そういうことね。俺にはまだナーヴギアの処刑プログラムが残っているかもと考えたのか。」

 

 俺の確認にシリカは無言で頷いた。確かに俺はまだ現実世界への帰還を果たしてはいない。二年と少し前で俺の現実は時間が止まっている。

 それに加えてナーヴギアの詳しい内部設計や入力されているプログラムなどを俺は知らない。故にそのプログラムが作動するのかは不明。だがあの世界のデータが使われている以上、処刑具が動くと考えてもおかしくはない。

 つまり俺だけが未だにデスゲームを続けている可能性があるということだ。だからこの世界に迷い込んだばかりの時、己の首を刺し貫いて死のうとした。

 改めて状況を整理し、シリカの性格を加味して考えれば、先程の彼女の行動も仕方ないものだと結論が出る。だからと言って彼女が自らを盾にしてまで俺を守ろうとするのは間違っている。

 再度刃が異常に長い大剣を造り出し、周囲の妖精を一度一掃してからシリカの頭に手を置いた。どうやら気づかぬうちにキリトが俺を抜かしたようで、ほとんどの妖精が彼の方に向かっている。すまない、少しだけで良いから持ちこたえてくれと内心で呟く。

 

 「シリカ、助けに来てくれてありがとう。でもね、俺は死なないし、死ねない。もうシリカを悲しませたくないんだ。」

 

 「ソーヤさん……そうですね!あ、それでも私はソーヤさんを守りますよ!だから……ソーヤさんも、私を守ってくださいね?」

 

 「勿論だよ。」

 

       ~《第四十二話 天の頂へ(前編)》より~

 

 

 「此処は私達がグランドクエストに挑んでいたところですね。ガーディアン達が大量に出て来て、クリアなんて出来ないと思ってしまいました。」

 

 「ああ、あそこでソーヤとシリカが囮をやってくれなければ俺はアスナのところまで行けなかった。」

 

 「キリト君!?いつの間に復活したの!?」

 

 「さっきの映像が流れている間に俺が起こしただけだよ。勿論、キリトのキリトは大丈夫。此処は仮想世界、痛みは感じないようになっているからね。」

 

 「今のソーヤさん、なんか研究者っぽくてカッコいいです!」

 

 「きゅるるる!」

 

 シリカの声に続いてピナが賛同の鳴き声を上げる。そんな言葉など当然言われ慣れていないソーヤは少し前に自爆した彼女と同じように頭の先から煙を発生させ、羞恥に震えてしまった。

 

 「もう俺が耐えられないから、早く次のシーンに行こ!次のシーンはこれ!」

 

 

 ~ソーヤの『意思の力』、具現化する獣~

 

 暗闇に閉ざされた空間の中で、一つの竜巻が吹き荒れる。血を連想してしまいそうな赤黒い色をしたその竜巻は少年を中心として激しさを増していく。

 

 「おい!!何なんだこれはぁ!?あのアカウントにログインできたことといい、何だあのガキは!?」

 

 自身の思い描くように一切動かない少年に対し、須郷は幼い子どものように癇癪を起こす。彼は消した両親の息子が自分よりも上位の立場にいることを認められなかった。自分よりも遥かに若い者がいとも簡単に自分の抜き去っていくことが受け入れられなかった。

 納得し難い現実に金切り声を上げる須郷。するとそれを黙らせるが如く、渦を巻いていた赤黒いオーラに変化が起きる。空間を揺らすぐらいに激しく渦巻いていた竜巻が移動し、少年の背後に何かを形作り始めたのだ。

 

 「■ギ■ガァ■ァ!!」

 

 そんなノイズがかった鳴き声を響かせて少年の背後に姿を表した一匹の獣は、まるで瞳が赤くなった時の彼をより狂暴にさせたようだった。

 背丈や体つきは少年と大差ない。だが獣の少年の四肢は狼を彷彿とさせてしまう程に毛深く、鋭い爪が伸びている。そう風貌はまさに狼男と言っても過言ではないだろう。

 そして獣は閉じていた瞼を上げ、今回の獲物を視界の中央に捉える。彼の瞳は血を浴びたかのように赤く、それに加えて白目の部分が真っ黒に侵食されていた。仮にも人の姿をした生物が持つようなものではない。

 少年は現れた獣とは対照的な人間の瞳で獲物を捕捉する。内に住まう獣が消えたからか、今までのような変化は何一つ見られない。しかし黒の瞳が放つ殺意は微塵も弱まっていなかった。

 

 「そう喚くな。ちゃんと俺の手で……」

 

 「オマ■ヲ、コロ■テ■ル!!」

 

   ~《第四十六話 少年は変わっていない》より~

 

 

 「あの……どうして俺のシーンばかり流れるの……?」

 

 またも自分のシーンが流れ、もう耐えられないとばかりにその場に踞るソーヤ。周囲から感謝され、褒められるという彼にとっては地獄にも等しい状況がまだ終わらないという事実は彼の精神を粉々に打ち砕いてしまった。

 断じてソーヤは他者から感謝され、凄いと褒められることが嫌いという訳ではない。ただそのことに慣れておらず、照れる自分を見られることが恥ずかしいだけなのだ。

 

 「そりゃ……まぁ……この辺、ソーヤが全部引き受けてくれたからな。こうなるのも必然じゃないか?」

 

 「うう……次からはキリトや皆に任せよう……。」

 

 「と言うか……ソーヤさん、『意思の力』って何ですか?今の映像を見る限り、もう一人のソーヤさんみたいなのが出て来るようなあり得ないことが起きてるんですけど。」

 

 リーファが指差したのは、ソーヤの背後に現れた彼そっくりの狼男。彼女からすれば分身したかのように見えてしまうのだろう。

 

 「……うん?えっと、それに関してはシステムの命令を振り切ってしまう程の力としか今は言えない。そもそも、俺も茅場の叔父さんもまだあんまり分かってないことなんだ。……ところで、もう次のシーンは流石に俺じゃないよね?」

 

 「うーん、私としてはソーヤさんの照れ顔をもっと見たいんですけど……。アスナさん、どうなんですか?」

 

 ソーヤの希望にすがるような目とシリカの期待するような目を向けられるアスナ。彼女はちらりと流れる予定のシーンの内容を確認すると、隣に座る解説役に手を合わせた。

 

 「ごめんね、ソーヤ君。次は違うけど、最後のシーンはソーヤ君メインだよ。」

 

 「えっ……あっ……あれか……。」

 

 ソーヤの顔が絶望に染まる。それと対称的にシリカはピナとハイタッチをする。

 

 「ははは……ソーヤ、頑張れよ。それでは次のシーンどうぞ!」

 

 「キリト、俺を見捨てないで!」

 

 

 ~キリトVSオベイロン、決着~

 

 「……終わらせよう、盗んだ玉座で踊る泥棒の王とこの世界にしか力がない鍍金の勇者の決着を。……システムコマンド、指定のアカウント『オベイロン』と『キリト』のペイン・アブソーバをレベルゼロに変更!」

 

 「なっ!?」

 

 その言葉が何を意味しているのか理解した須郷は動揺の表情を浮かべ、手にしていた黄金の剣を落とす。恐怖からか手足が震え始めたのだ。

 須郷はそんな足を無理矢理動かして後ずさろうとするが、奴の身体はそれを拒否するかのように後退を許さない。背後に突然壁が現れたのか、どれだけ足を動かそうとも俺との距離は変わらなかった。それどころか壁の方から押し返され、後退する度に距離が縮まる始末だ。

 何が起こっているかはそんな深く考えなくとも分かる。しかし口にはしないでおくことにしよう。俺は思考を断ち切り、己の意思に反した行動を繰り返す須郷に意識を全て移して大剣を構えた。

 

 「逃げるなよ、お前の前にいたあの男はどんな状況でも臆しはしなかったぞ!あの茅野晶彦はなぁ!!」

 

 その名前を聞いた須郷は一層顔を歪ませた。もうその醜い顔は視界に入れたくない。俺は翅を展開し、一度地を強く蹴って奴に斬りかかった。

 俺の愚直としか言い様のない真っ直ぐな接近に気づいた須郷は口元を歪ませながら黄金の剣を振り下ろそうとするが、その動作は多くの死線を潜り抜けた俺からすれば遅すぎる。振り上げた黒の大剣は俺に刃が届く前に奴の手首を斬り飛ばした。

 

 「い、痛あああぁぁぁっ!ぼ、僕の手があああぁぁぁ!!」

 

 現実と同等の痛みをもたらす電気信号が走り、剣を持っていた手を失った須郷は目を丸くして叫び声を上げる。もうその粘りついた声は聞きたくない。

 間髪入れずに上に振った鈍い輝きを放つ大剣をその重さも加えて振り下ろす。反射的に掲げられた奴のもう片方の腕が叩き斬られ、宙を舞った。

 

 「あああぁぁぁ!!」

 

 再度悲鳴を上げる須郷。目を限界まで開き、酸素を求めるように口を開閉するその様は嫌悪感しか感じさせなかった。もう奴という存在を消してやらねば気が済まない。

 大剣を両手で握り、閉じていた翅にもう一度力を込める。そして耳障りな絶叫を響かせながら後退する物体目掛けて……

 

 「……ぉぉぉおおお!!」

 

 俺は全力の突きを放った。翅による加速もあってか、黒の刃は容易く対象の身体を貫通する。しかしこれだけで終わらせるつもりはない。柄を握り直し、貫いたままの大剣を上へ上へと上げていく。

 

 「ギャアアアァァァ!!」

 

 大剣が振り抜かれ、上半身が左右に別れた須郷は暗闇の世界に絶叫を叫び散らす。それと同時に白い炎が吹き出し始め、肉塊と変貌した奴の肉体を飲み込もうとする。だがその炎より先に突如現れた獣の口を模したような赤黒いオーラが奪い去るようにそれらを食らって霧散する。

 視線を移せば、透明化を解除したソーヤがウィンドウを操作しているところだった。指を走らせてちょうど赤黒いオーラが霧散したところ辺りに渦巻くゲートを展開した彼はウィンドウを消し、もう一人の彼が待つ場所へと歩きだす。そして俺の横を通り過ぎ、ゲート前に到着するとこちらに振り返った。

 

 「申し訳ないけど……シリカを頼むね。大丈夫、ちょっとの間だけで良いから。」

 

 「ああ、任せとけ。だから安心して行って来い。」

 

 俺の返答にソーヤは頬を緩め、年相応の笑みを浮かべた。初めて出会った時とはかけ離れたその様子に、彼は俺達のことを信用してくれているのだと実感する。

 

 「……じゃあ、またあとで。」

 

 そう言ったソーヤは身を翻し、ゲートに足を踏み入れていく。彼の放つ雰囲気はその姿が消えるまで柔らかかった。本当に今からあらゆる全てを奪った泥棒に刃を突き立てに行くのかと疑いを持つ程だ。

 俺と大差ない位の体躯が完全に消え、役目を終えた赤黒いゲートが消滅する。それを見送った俺は未だ宙吊りのままだったアスナの救出に向かった。

 

      ~《第四十八話 全てが終わる時》より~

 

 「これは……今回の事件の元凶を倒したっていうシーンですか?あんな恐ろしい実験が裏で行われてたなんて……。」

 

 「まぁ、普通にゲームを楽しんでいたら気づく訳がないもんな。今回気づけたのだって、俺がアスナを助けに世界樹の上まで行ったからだしな。」

 

 「私も、あの檻の中に転移したばかりの時は何が起こったんだろうって混乱したなぁ……。」

 

 「そうですね……私だってSAOがデスゲームになるなんて、その時になるまで微塵も思ってなかったですもん。」

 

 上から順にリーファ、キリト、アスナ、シリカが『楽しむ』という前提が破壊された二つのゲームを振り返る。しかしソーヤだけは彼らと同じように懐かしむ様子は見られない。

 

 「ソーヤさん?そんな顔してどうしたんですか?」

 

 「皆、ごめん。SAOをデスゲームにしたこと、ALOを実験の隠れ蓑にしたこと、こんな言葉じゃ足りないと思うけど、本当にごめん。」

 

 ソーヤは四人の方を向くなり頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。どちらかと言えば、彼はこの二つの事件に巻き込まれた側である。だがそれでも謝らなければならないと彼は思った。

 何故なら、その元凶のどちらもがソーヤの関係者だったからである。亡き両親の上司と同僚が起こした事件について、今此処で謝罪できるのは自分だけなのだ。

 

 「いきなり頭を下げたかと思ったら……大したことじゃないじゃないか。というか、ソーヤが謝る必要なんてねぇよ。」

 

 「キリト君の言う通りだよ。謝らなくていいんだよ、ソーヤ君は。むしろ私は感謝しているんだから。」

 

 「そうですよ、あの事件が無ければ私とソーヤさんは出会えてすらいなかったんですよ?」

 

 「私も謝罪の言葉はいらないです。このことを知った時はびっくりしたけど、結果万事解決したんだから良いじゃないですか。それよりも、早く最後のシーンを流しちゃいましょう!」

 

 「皆……ありがとう……!」

 

 頭を上げたソーヤは満面の笑みを浮かべる。その笑顔にはもう自分の感情を圧し殺す仮面は欠片もなかった。

 

 「それでは、プレイバック最後のシーンです!どうぞ!」

 

 司会のアスナの声と共に満天の星空が大型モニターに表示された。

 

 ~ソーヤの新たな姿と旅立ち~

 

 「……いたいた。おーい、シリカー!」

 

 下の方から私のことを呼ぶ声がした。その声は間違いなくソーヤさんのもの。街を見下ろせば、こちらに向かって手を振りながら昇って来る人影が一つ。

 私もその人影に手を振り返す。すると人影の上昇速度が上がり、みるみる私の近くまで接近してきた。だんだんとソーヤさんの姿が見えるようになっていく。 

 

 「ソーヤさん、やっと来たんですn……って、えぇ!?」

 

 「きゅる!?」

 

 そして私はピナと揃って驚きの声を上げた。現れたのは私と同じ位の背丈の(・・・・・・・・・)ソーヤさんだったのだ。さらにケットシーの象徴とも言える小麦色の猫耳と尻尾も追加され、あの世界での彼の姿とは大きく変わっていた。

 

 「もしかして……準備ってこれのことだったんですか?」

 

 「いいや、違うよ。この姿はランダムで選ばれたものなんだ。いつもと目線が違うけど、これはこれで楽しいものだね。」

 

 「えっ……?今『ランダムで選ばれた』って……?」

 

 先程のソーヤさんの発言に首を傾げる。この新しいアルヴヘイム・オンラインでは私達のような旧SAOプレイヤーは外見も含めたキャラクターデータを引き継ぐことができる筈だ。姿がランダムで選ばれる訳がない。

 そう思いながらソーヤさんの装備を見てみると、明らかに初期装備そのものだった。武器も貧相な片手剣一本しかない。これらの情報から導き出される答えは……

 

 「もしかして……あのデータ、消しちゃたんですか?」

 

眼前の彼はキャラクターデータを引き継がずに初期化し、再度一から鍛え直すことを選んだということだ。

 

 「うん、消した。だって……もうあの世界での俺は、役目を終えたから。」

 

 私の問いにソーヤさんは薄い笑みを浮かべて答えた。獣の赤い瞳を隠す、彼の黒い瞳は夜空に浮かぶ巨大な月を捉えている。私は肩がぶつかるかどうかの至近距離にまで近づき、隣に並んで月を眺めた。

 巨大な満月が冴え冴えと蒼く光っている。現実では見ることが出来ない色だろう。綺麗だと思わず見とれていると、その輝く真円の右上が……欠けた。

 見間違いかと目を擦ってもう一度確認するが、明らかに欠けている。しかも先程より欠け具合が大きくなっていた。

 月を侵食していく影は時間の経過と共にその面積を増やしていく。だがその影は断じて円形とは言えないものだった。どちらかと言えば逆三角形のような形状をしている。

 そして中央にまで影が移動し終えた次の瞬間、一気にその影が消滅した。なんとその影自体が光を放ったのだ。

 

 「……あっ。」

 

 思わず声が漏れた。何故なら、現れたその建造物に見覚えがあったから。私と隣の彼を引き合わせてくれたもう一つの現実があった場所だから。

 

 「あれって……!」

 

 「そう、浮遊城アインクラッド。俺が準備していたのはこれだよ。今度こそ、百層まで攻略したいんだ。だから……」

 

 ソーヤさんが私の方を向く。身長が殆ど同じになっているからか、普段以上に顔が近いように感じる。

 

 「一緒に行こう。俺にはシリカの力が、いいやシリカが必要なんだよ。」

 

 頬を何かが伝う感覚を感じた。目尻に残るそれを拭った私は、差し出されたソーヤさんの手を取る。そしてもう離すもんかとばかりに強く握った。

 

 「……勿論です。私だってソーヤさんが必要なんですから。そしてそれはこの世界だけじゃなく、現実の方もです。ずっとずっと、一緒にいましょうね……。」

 

 「うん……一緒にいるよ。何処までもずっと……。」

 

 お互いの存在を確認するかのように、私とソーヤさんは抱擁を交わす。私を包み込む彼の身体は小さくなってしまったが、その暖かさに変わりはなかった。

 

   ~《第五十話 少年を受け入れる仲間達》より~

 

 

 「やっぱり最後はこのシーンですよね!ソーヤさんとシリカさんの熱いハグ!!」

 

 「ソーヤ君とシリカちゃんは此処に来るまで大変だったもんね。二人が幸せそうで私も自分のことのように嬉しいよ。」

 

 「ああ、二人は俺とアスナ以上に大変な目に遭っていたからな。こんな幸せな二人を見ると本当に良かったって思うよ。」

 

 「「うう……。」」

 

 司会と他のゲストからの言葉に、二人揃って煙を上げる解説とゲスト。予想はしていたのだろうが、ウブな二人は耐えられなかったようだ。彼氏の照れ顔をもっと見たいと言っていたシリカもその目的は果たせそうにない。

 

 「うーん、ソーヤさんとシリカさんが復活するまで時間がかかりそうなので、そろそろ締めましょうか。」

 

 「ああ、そうだな。じゃあ、アスナ。最後はよろしく!」

 

 「任せて!それでは皆様、次回はファントム・バレット編の総集編でお会いしましょう!ばいばーい!!」

 

 「「ばいばーい!!」」

 

 「「うう……。」」



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ファントム・バレット編
第五十一話 消えぬ殺人鬼の影


 ファントム・バレット編開始です。

 後半急ぎで書いたので、誤字、脱字があるかもしれません。


 ◇◆◇

 

 心地よい暗闇の中に沈んでいた意識がアラーム音によって呼び起こされる。身体が雲の上に転がっているような感覚を感じながら手探りで目覚めし時計を探す。しかしこの眠りを邪魔する機械の居場所が見つからない。

 鳴り止まないアラーム音に若干の苛立ちを覚え、さっさと止めてやろうと上体を起こす。そして枕元にある筈の邪魔物を探したのだが、視界に写ったのはすやすやと寝息を立てる姉の珪子の姿だった。

 

 「はぁ……義母さん、またやったのか。」

 

 どうやら昨日の夜、俺達義姉弟が二人とも寝静まった後に義母さんは眠る珪子を俺のベッドに突っ込むというとんでもない行為を『またも』しでかしたようだ。全く、これで何回目になるだろうか。既に十回は越えていることは確実だが。

 机の上に移動してあった目覚めし時計を止め、寒いからか猫のように丸くなっている珪子の頬をつつく。彼女は「うみゅ……」と愛らしい吐息を吐き、身を捩らせた。

 義母さんの到底天然という言葉だけでは片付けられない常軌を逸した行動に関してはどうにか自重してくれといつも思うが、今この時だけは感謝している。何故なら、今まさにこんな幸せな時間を過ごすことができているからだ。

 気づけば約十分程度彼女の頬をつついていた。此処まで熱中する俺も俺だが、これだけつつかれて目覚めない珪子も珪子だ。どれだけ深い眠りについているのだろうか。

 

 「さて、今日は何をしようか……ん?」

 

 名残惜しく思いながらも珪子の頬をつつくことを止め、今日の計画を立てていると携帯に一件の通知が届いていた。ロックを解除すると、そこには俺達の雇い主(・・・)の名が表示される。内容を確認すれば、また新たなバーチャル犯罪のリサーチの依頼のようだ。

 思わずため息をついて携帯の画面から目を逸らしてしまう。確かに手伝うとは言ったが、これは明らかに頻度が高過ぎる。俺達がまだ学生であることをこの雇い主は把握しているのだろうか。

 色々と愚痴りたいところだが、この雇い主には帰還者学校側に俺の過去を口止めしてもらっているという大きな借りがある。故に余り逆らうことはできないのだ。

 

 「珪子、起きて!もう朝だよ!」

 

 もう仕方のないことだと雇い主への尽きない不満を強制的に忘却させ、未だに眠る珪子の両肩を掴んで揺する。そして目を覚ました彼女は……

 

 「んう……?えぇ!?もしかして私、また創也さんの部屋で寝ていたんですか!?二人で一緒に同じベッドで寝ちゃったんですか!?うぅ……。」

 

赤面して俺のベッドの中に隠れてしまった。此処までがいつもの流れである。

 俺だって初めは顔を真っ赤にしたが、今ではもう慣れてしまった。それに対して珪子は十回を越えた今でも初めと変わらない反応をする。そんなところが本当に可愛くて仕方がない。

 

 「ほら、珪子。着替えるから一度部屋から出てよ。」

 

 「……恥ずかしくて此処から動きたくありません。」

 

 「はぁ……。今日あの人に呼ばれたから早く動いてよ。指定された場所も遠いんだし。」

 

 ため息をつきながら珪子を包む掛け布団を引き剥がそうとするが、内側でがっしりと掴んでいるようでなかなか剥けない。朝から義姉弟の力比べが始まった。普通ならば姉と弟の立場が逆のことが多いだろうが、此処綾野家ではこれが普通である。

 夜間の間に冷えきった空気に体温が奪われていき、皮膚に鳥肌が立ち始める。早く着替えるなり暖かい部屋に行くなりしなければ凍えてしまうそうだ。

 

 「ああもう!珪子、起きて!」

 

 「きゃあ!」

 

 もう一度力を込め、掛け布団をベッドの上から落とす。残ったのは真っ赤な顔を隠すように頭を両手で覆いながら踞っている珪子のみ。

 そして肌を刺すような寒気に肩を跳ね上げてそそくさとベッドから降り、顔を上手く隠しながら着替えを取りに自分の部屋へと戻っていった。

 恥じらいを隠すようにばたんと強く閉められた扉を眺め、俺は二度目のため息をついて一言。

 

 「……一体、どっちが上なんだか。」

 

 俺の声は誰の耳にも届かないまま、虚空へと消えていった。

 

 

 ◇◆◇

 

 「いらっしゃいませ。お二人ですか?」

 

 「いいえ、待ち合わせです。相手は……」

 

 ウェイターさんにそう答えながらやや広い店内を見渡す。すると直ぐに奥の方から無遠慮な大声が聞こえてきた。

 

 「おーい!ソーヤ君にシリカちゃん、こっちだよー!」

 

 「……あの男です。」

 

 「あの……創也さん、何かいろんな方向からとても睨まれているような気が……。」

 

 「そりゃあ、ね。あれだけ大声を出したマナーの欠片もない人と関係があると知られれば、こうなるのも当然だよ。」

 

 周囲からの視線に身を強張らせる珪子の手を取り、足早に俺達のことを呼んだ男の席まで移動する。席に座ると即座に横からおしぼりにお冷や、メニュー表が差し出された。

 先に決めて良いと隣に座る珪子にメニュー表を渡す。数秒後に値段に驚愕した彼女の声が上がりそうになったので、慌てて口元を抑えて無理矢理黙らせた。俺達まで無遠慮な人間だと思われては面倒になる。俺ならばともかく、彼女まであの視線を向けられるようなことは嫌なのだ。

 

 「此処は僕が持つから、好きなのを頼んでも良いよ。」

 

 「いつもありがとうございます。私は、えっと……《フランボワズのミルフィーユ》に《ヘーゼルナッツカフェ》をお願いします。」

 

 「俺は《シュー・ア・ラ・クレーム》、それと同じく《ヘーゼルナッツカフェ》で。」

 

 「かしこまりました。少々お待ちください。」

 

 ウェイターが頭を下げ、滑らかに退場する。平然と注文をしたが、総額は容易く五千円を越えていた。明らかに奢る者からすれば遠慮が無さすぎると思われる金額だが、目の前の男は「それだけで良いのかい?」と聞き返してくる。やはり超がつく程の高給取りは違う。

 生クリームがどっさりと乗った大きなプリンを次々と口の中に放り込むどうにも信用しきれない男からの問いに俺は顔を上げて「大丈夫です。」と返す。

 

 「それで今回はどのゲームの調査をすればいいんだ?菊岡?」

 

 「ソーヤ君、流石に敬語ぐらいはつけて欲しいんだけど……。まぁいいや、僕もこの後に色々仕事があるから手早く済ませてしまおうか。」

 

 そう言った眼前の男、もとい俺達の雇い主である菊岡は隣に置いてあったアタッシュケースから極薄のタブレットを取り出し、ある一人の男の顔写真を見せてきた。

 ろくに手入れもされず伸ばしっぱなしの長髪に銀縁の眼鏡、そして頬や首の辺りに大層な贅肉がついたその顔は、幾ら記憶を掘り返しても見つからない。詰まる所、赤の他人で間違いないだろう。

 

 「「……誰?」」

 

 珪子の方も心当たりがなかったようで、俺達の声が揃う。菊岡は首を傾げる俺達からタブレットを取り返すと、手早く指先を走らせた。

 

 「ええとね、先月に茂村さん……ああ、さっきの写真の人のことね。その人が頭にアミュスフィアをつけたまま遺体で発見された。死後は約五日半前で、部屋に荒らされた形跡はなし。そして死因は……急性心不全(・・・・・)となっている。」

 

 「あの、心不全って心臓が止まることですよね?何で止まったんですか?」

 

 死因を聞いた珪子から疑問の声が上がる。確かに話を聞く限りでは大方、アミュスフィアを用いたフルダイブゲームに熱中した結果、栄養失調となって亡くなった可能性が高い。いや、むしろそれ以外の死因が考えられない。だったら何故、死因が急性の心不全なのだろうか……。

 そこまで考えていたところで珪子に袖を引かれ、意識が思考の海から浮き上がってくる。また随分と深く潜っていてしまったようだ。自分の悪い癖に反省しつつ、俺の意識が外に向けられるのを待ってくれていた菊岡に頭を小さく下げる。それに頷き返した彼は話の続きを始めた。

 

 「一応司法解剖はしたそうなんだけど……心臓が停止した原因はわからない、というのが現在の状況だ。」

 

 「えっ……?」

 

 「わからないって……そんな事あるのか?」

 

 「亡くなってから結構時間が経っていたからあまり精密な解剖が行われなかったんだよ。まぁ二日間もログインしっぱなしだったそうだから犯罪性が薄いと判断されたんだろうね。」

 

 やはり予想通りだった。二日間飲まず食わずの状態で死んだのなら、確かに何者かに殺されたという可能性はぐっと低くなるだろう。現に栄養失調で死亡したゲーマーのニュースはよく見る。

 となると、この話には何か裏があると断定しても良いだろう。俺達の雇い主は、こんな大して珍しくもない事件を話す為にわざわざ呼んだりすることはない。ちらりと隣を見れば彼女も同じ結論に達したようだ。

 

 「菊岡さん、それで私達に何を頼みたいんですか?」

 

 珪子の問いに菊岡はタブレットを一瞥してから答えた。

 

 「そうだね。結構時間も経ってしまったようだし、この際一部説明を省くとしよう。先に内容を一言で言えば、君達には《ガンゲイル・オンライン》というゲーム内で《デス・ガン》なる人物と接触を図ってほしい。」

 

 「《ガンゲイル・オンライン》ですか……。何かとても物騒な感じがします。」

 

 「その中にいる《デス・ガン》……。直訳で『死の銃』か……珪子の言う通り物騒だな。」

 

 菊岡の口から飛び出したゲーム名と接触を図ってほしいという人物の名に珪子と同じような感想が飛び出した。どう考えても今遊んでいるALOのようなファンタジー感のあるものではないだろう。

 聞いたことのないゲームの内容を想像しながら、届いたカフェを啜る。流石高額なだけあってかなり美味しい。隣では珪子がミルフィーユを頬張っていた。

 片手を頬に当て、とろけるような笑顔を浮かべるその様子に思わずこちらにまで笑顔の花が咲きそうになり、慌てて表情筋を無理矢理引き締める。俺達スイーツを楽しみにわざわざこんなところまで来た訳ではないのだ。

 

 「それで、何故俺達はその《デス・ガン》とやらに接触しないといけない?先程の話と未だ接点が見当たらないのだが。」

 

 「ああ、それは今から話そうと思っていたよ。実はさっき話した茂村さん、亡くなる前までネット放送の番組に出演中だったそうなんだ。でも突然胸を抑えて回線が切断されてしまった。」

 

 「もしかして、その番組って《MMOストリーム》ですか?確か一度だけゲストの方が落ちてしまって急遽中止になったことがあると聞いたことがあります。」

 

 「多分それだね。そして、丁度彼が心臓発作を起こした時刻にゲーム内でおかしな動きをしたプレイヤーがいたそうだ。裁きを受けろ、死ねなどと叫んでテレビに発砲したそうだよ。そしてその直後に茂村さんのアバターが消滅した。」

 

 「そのプレイヤーが《デス・ガン》ってことか……。名前とその行動からの推測になるが、そいつはゲーム内から現実の人を殺すことができることを強調したいように見えるな。」

 

 シューの最後の一口を放り込み、カフェを飲み干す。甘過ぎない丁度良い味が口の中に広がった。俺は甘過ぎるものは苦手なので、このカフェのようなしつこくない位のものが好みだ。

 空になったカップを受け皿に置けば、瞬時にウェイターがそれを回収していった。その手際のよすぎる動きに思わず感嘆していると、あの甘ったるそうなプリンを完食した菊岡が口を開く。

 

 「僕もそんな感じの人物だと思っているよ。ところで、先程ソーヤ君が言った『ゲーム内から現実の人を殺すことができる』という部分なんだけど……君はそれが可能だと思うかい?」

 

 「不可能だ。今はわからないが、何かしらのトリックを使っているんだろうな。」

 

 ぶつけられた問いに対し、俺は考えるまでもなく即答した。無意識に視線が珪子へと移る。甦るのは約一年前となったあの事件のこと。

 事件の黒幕は俺の両親の研究成果と茅場の叔父さんの機械を悪用し、他者の脳を自由に弄くるという人の道を外れるような研究を行った。その際に最愛の彼女は洗脳され、記憶を書き換えられてしまった。

 他者の心臓を止めるには、大前提としてその者の脳の支配を奪い取らなければならない。加えて、仮に支配できたとしても心臓を止めることができるかどうかは不明だ。脳からの命令で心臓部分の筋肉が動きを停止されるかどうかがわからないからである。

 更に言えば、これは殺された者が使用していたアミュスフィアではできないことだ。どう考えても出力が足りなさすぎる。使用者の脳を焼ききることのできるナーヴギアですらギリギリなのである。

 

 「即答とは……。でも、あの新原夫妻の息子さんがそう言ってくれるのなら僕も一安心だよ。」

 

 「おい菊岡、あまり人のいるところでそのことを言うな。」

 

 殺意を宿した目で睨み付けると、菊岡は「ごめんごめん」と両手を合わせて謝る。それから残っていたカフェを呷り、俺達に向かってにっこりと無邪気な笑顔を見せた。

 

 「それじゃあ確認するけど、二人はこの依頼を引き受けてくれるってことでいいね?」

 

 「勿論です!」

 

 「わざわざ聞く必要などないだろうに……。お前は俺が誰よりも裏切りを嫌うことは知っている筈だろう?」

 

 「ははは、それもそうだね。じゃあ、これを聞いてくれるかな?」

 

 菊岡はそう言ってワイヤレス型イヤホンを取り出し、俺達に差し出してきた。

 

 「菊岡さん、何でイヤホンなんか出すんですか?」

 

 「さっき話した銃撃事件のときに偶然居合わせたプレイヤーが音声ログを取っていたんだ。そのデータを圧縮して持ってきたんだよ。どうぞ聞いてくれたまえ、これが《デス・ガン》氏の声だ。」

 

 俺達が受け取ったイヤホンを装着したことを確認すると、菊岡が画面を数回つついた。たちまち、上品な音楽が低い喧騒へと変わっていく。

 耳を澄ませば聞こえてくる話の内容から推測するに、ゲーム内の酒場のような場所だろうか。そんなことを考えていると、突然あれだけ喧しかったざわめきが消失した。そして静まり返った空間に、一人の鋭い宣言が響く。

 

 『これが本当の力、本当の強さだ!愚か者どもよ、この銃と俺の名を今日より恐怖と共に刻め!俺とこの銃の名は……《デス・ガン》だ!!』

 

 その声は何処か人間とは違ったもので、金属質の響きが混じったものだった。しかし、この声を俺は何処かで聞いたことがある。やや饒舌になっているが、込められた深紅の殺意に変わりはない。

 非人間的な声の叫びが俺の脳に何度も響く。それはやがてある一人の殺人鬼を形作った。髑髏のような仮面をつけ、少し力を加えれば折れてしまいそうな程細い剣を持つ殺人鬼だ。俺の脳は常人のものとは違う。今でもはっきりと奴の姿が思い浮かぶ。

 

 『お前は……殺す……。』

 

 奴が当時獣と化していた俺に発した言葉はそれだけ。だが、その言葉には殺戮を心から欲する感情が乗せられていた。

 断じて、他のゲームのように殺戮者を演じている訳ではない。奴は、誰かを殺すことこそが最大の快楽とでも言っているような正真正銘の殺人鬼だ。

 どうやらあの二年間はまた新たな事件を持ち込んで来たようだ。俺はもう勘弁してほしいと、誰にも聞こえない程の小さいため息をついた。

  



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第五十二話 少年と少女を襲う数多の爆撃

 明けましておめでとうございます。今年もこの作品をよろしくお願いします。

 本来は昨日に投稿したかったのですが、色々忙しくて出来ませんでした。申し訳ありませんでした。

 あと、急ぎのものなので誤字、脱字があるかもしれません。


 ◇◆◇

 

 「えっと……これで全部かな。いつもごめんね。」

 

 「リズベットさん、毎回すみません。」

 

 「こんな小さなことでそんなの言わなくていいの!二人の持ち物はちゃんと全部持っててあげるわよ!」

 

 俺達の装備を全て店の倉庫の中へと移動させ終えたリズベットに俺とシリカは並んで軽く頭を下げた。俺達が菊岡の依頼で別のゲームを調査する際、彼女にはいつも持ち物の預りを頼んでいる。

 基本的に俺達が調査に赴くときには、このALOのキャラクターデータをコンバート……要はそのデータを使って他のゲームの世界にログインしているのだ。

 しかしこれには一つ問題があり、そのキャラクターのストレージ内にあるアイテムも一緒に移動されてしまうということである。そして移動先のゲームに存在しないものは全て削除されてしまう。詰まる所、何かアイテムを所持していれば、それはほぼ確実に消滅してしまうのだ。

 この悲劇を回避するには、コンバート前に全てのアイテムをストレージ内から出しておく必要がある。一番手っ取り早いのは、俺達のように信頼できる誰かに全ての所持品を預けることだ。

 もし以前の俺ならば誰一人としてそんな人はいなかっただろう。だが今では何人もの仲間を心から信頼している。本当に色々と変わったものだ。

 

 「……ソーヤさん?」

 

 「ん?ああ、ごめん。ちょっと考え事していただけ。」

 

 シリカに名を呼ばれ、内に向いていた意識を外に戻した俺の顔をリズベットが覗き込む。

 

 「ちょっと、大丈夫なの?そんな状態で。」

 

 「大丈夫、大丈夫。それじゃあ、行ってくるね。」

 

 「また終わったら取りに来ますから。」

 

 「はい、行ってらっしゃいな。あんたらがいないと攻略が進まないから、できる限り早く帰って来なさいよ!」

 

 店を出る直前に掛けられたリズベットの言葉に手を挙げて応えると、俺とシリカはウィンドウを展開してログアウトボタンを押した。数秒後に視界が暗くなり始め、ゆっくりと妖精の世界が遠ざかっていく。

 幾ら目を凝らしても一寸先すら見えない暗闇の空間を抜け、俺の魂は本来の肉体へと宿った。頭に被った二重のリングらしき物体を外し、ベッドに横になっていた身体を起こす。

 

 「……あ。」

 

 「え!?」

 

 突然近くから自分のものではない声が聞こえ、肩を跳ね上げて視線を隣へと移す。すると、珪子の顔が視界いっぱいに広がった。お互いの鼻の先がくっつきそうな程の至近距離で俺達は少しの間見つめ合うと、揃って顔を真っ赤にして距離を取る。

 

 「け、珪子!?な、何でこんな近くにいるの!?」

 

 「だ、だって……一緒にログアウトした筈なのに、創也さんがなかなか部屋から出てこないから……。」

 

 珪子の目がうるうるとし始める。俺達が出会ったあの世界でも甘えたがりだったが、現実の世界に還って来てそれが加速したような気がする。まぁ確かにALOでの事件があったので納得できてしまうのだが。

 そこでこれ以上は不必要だと思考の海からあがり、先程から俺の服の袖をちょんと摘まんでいる彼女の頭に手を乗せて撫でてやる。

 こんなことをしているといつも思うのだが、俺の方が数ヶ月差ではあるが年下の筈なのに、どうしてこうなってしまっているのだろうか。

 

 「それで心配になって部屋だけでなくベッドにまで入って来たという訳ね……。でも、珪子が俺のベッドに入っているところを義母さんに見られでもしたらまた大変なことになるから、今後は控えて欲しいな。」

 

 「あ……。そうですね、こんな状態の私達を見たらお母さんは確実に何かしらとんでもないことを言いそうです。」

 

 新たな母親は天然なのか意図的なのか知らないが、俺と義姉さんが恋人のような行動をしていると大抵は「結婚式はいつにするの?」などと笑顔で特大の爆弾を投下するのだ。

 珪子曰く、義母さんは以前からこの状態だそうで義父さんと振り回されていたらしい。これはもう言っても無駄だというのは義父さんの弁である。

 

 「あらあら、今はまだ昼よ?二人の愛を深める行為をするのなら、もう少し待ってからにしなさいね?」

 

 「「!?」」

 

 二人の空間に割り込むかのように聞こえてきた第三者の声に、俺達は身体を硬直させる。どうやら珪子との会話に夢中になりすぎて近づく気配を感知できなかったようだ。

 ギギギと錆びた金属のように首を回転させて部屋の入り口を確認してみれば、そこにはニコニコと微笑む義母さんがいた。

 

 「か、義母さん……。も、勿論わかってるよ。」

 

 「あ、あうあうあう……。愛を、ふ、深める行為……。」

 

 「そう?わかってるのなら良かったわ。それじゃあね。」

 

 その言葉を最後に義母さんは洗濯のカゴを再度持ち上げて部屋の入り口から姿を消した。当然残された俺達の顔は少し前よりも増して赤くなり、真っ赤な林檎が熟れている。珪子にいたっては若干の混乱状態に陥ってしまっていた。

 しかしずっとこのままの状態でいる訳にもいかない。今から菊岡が指定した場所に行かなければならないのだ。その為には、まず混乱の最中にいる彼女を救出しなければいけない。

 

 「おーい、戻ってきて。早く行くよ。」

 

 「あうあうあ……え?行くって何処ですか?」

 

 珪子の身体を掴んで揺らすことでどうにか言葉を交わすことが可能な状態にまでは回復できたが、様子を見るに完全に正気には戻っていない。

 

 「病院。俺達が二年間入院していた病院に行かないと。後二十分しかない。」

 

 「病院……はっ!そうでした!早く行かないと遅れてしまいます!!」

 

 全てを思い出した珪子は俺の部屋を飛び出し、自分の部屋に上着を取りに行った。俺も少し遅れてベッドから降り、クローゼットから厚手のコートを取り出す。

 膝まである大きなコートに袖を通しながら玄関へと向かうと、彼女は既に靴を履き終えて俺を待っていた。

 

 「ほら、創也さん早く早く!」

 

 「言われなくてもわかってるよ。義母さん!行ってきます!」

 

 「行ってらっしゃい!朝帰りしてきても良いからね~!」

 

 「「しないよ!?」」

 

 本日二度目となる義母さんの爆弾発言に、義姉弟揃って言い返す。義母さんは俺達が今から何をするか全て知っている。その筈なのに普段と全く様子が変わらないのは、果たして流石と言って良いのだろうか。

 扉を開けた直後にむき出しの顔に突き刺さった冷たい風が、俺が現実の世界に帰還してから一年の月日が流れたことを改めて実感させる。

 

 「でもどうして菊岡さんは、私達に病院からログインするようにしたんでしょうか?」

 

 「一応の為だと思うよ。俺の知る限りではゲームの中から現実の人を殺すことは不可能だけど、まだ確実だと決まった訳じゃないからね。」

 

 珪子と並んで早歩きで病院へと向かう。腕時計をちらりと確認すると、結構余裕が出来ていた。ペースを落とし、若干荒れていた息を整える。

 

 「そうなんですか……。ちょっと怖くなってきました。」

 

 「……大丈夫。たとえどんなことがあっても俺が絶対に義姉さんを守るから。」

 

 コートのポケットから手を出し、珪子の手を握る。微かな体温を感じさせる彼女の手は震えていた。それはこの寒さだけが原因だとは考えられない。

 出した手をポケットに戻す。勿論手を繋いだ状態のままの為、必然と珪子の片手が俺のコートのポケットの中へと入っていった。

 珪子は顔を赤くしながら驚きの表情を浮かべるが、それでも彼女の手は震えが収まっていない。俺の行動によって思考の中から恐怖は消えたのかもしれないが、小さな身体は不可視の鎖に縛られかけていた。

 大丈夫、もう一度そう言い聞かせるように自分よりも小さな手を優しく包み込んでやる。

 

 「……ありがとうございます、創也さん。」

 

 「お礼なんて必要ない。普通に考えて、俺の方がおかしいんだよ。だって、俺は……人の皮を被った化物なんだから。」

 

 「そんなのとうにわかっています……。でも、それでも、創也さんは私が愛する人です。」

 

 ポケットの中で包み込んでいた珪子の手が動き、俺達の指が絡め合わされる。ぎゅっと強く握られたその手からはもう震えが消えていた。

 

 「……ああ、そうだったね。俺も、珪子を愛しているよ。それじゃあ、行こうか。」

 

 「はい!」

 

 

 ◇◆◇

 

 二年間世話になった病院の自動ドアを潜り、少年と少女は真っ白な廊下を並んで歩いていく。そして彼らの雇い主が指定した場所に到着すると、ネームプレートが空になっている一つの病室があった。

 少年が一歩前に出て、軽く扉を叩く。すると中から「待っていましたよ」と声が聞こえ、扉が軽い電子音の後に開かれる。その奥にいたのは彼らが大変お世話になった人物だった。

 

 「久しぶりですね、創也さん。それに珪子さんも。」

 

 清楚、という言葉がぴったりと当てはまるだろうか。丸い椅子から立ち上がり、入ってきた少年と少女に穏やかに手を振る一人の女性は正に看護師のイメージを体現したかのようである。

 ナースであることを示すキャップ帽の下から短めの髪が伸び、平均的な身長の身体は胸元に『神野』と書かれた名札がある薄いピンク色のユニフォームに包まれている。

 

 「久しぶりです、神野さん。」

 

 「ご無沙汰してます。でも、どうして神野さんが此処に?」

 

 少女が部屋をぐるりと見渡すが、あったのは二つのベッドとその枕元に置かれているアミュスフィア、そしてごちゃごちゃと配線が繋がっている心電図モニターのみで、他の人の姿は一切なかった。

 

 「お二人のモニターのチェックです。菊岡さんから話は全て聞いています。今からゲームの調査に行かれるんですよね。それで、あの人から是非私にお二人のモニターを是非頼みたいと言われて、今に至ります。なので、またよろしくお願いしますね。」

 

 「「はい、よろしくお願いします。」」

 

 軽くお辞儀をした神野に続いて少年と少女も頭を下げる。

 

 「……あれ?神野さん、菊岡さんはいないんですか?」

 

 「ええ、なんでも外せない会議があるみたいなので……。あ、菊岡さんからお二人に伝言を預かっていますよ。」

 

 神野が取り出した茶封筒を手渡す。少年はそれを開封し、少女は隣から覗き込むような体勢をとった。彼らの顔はお互いの頬が触れてしまう程の距離になるが、彼らの顔が一切赤くなっていない。どうして二人とも無意識のようだ。

 そのままの状態で少年は茶封筒から取り出した一枚の手書きの紙片を開いた。

 

 『報告書はいつものアドレスでメールすること。ログアウトするごとでも、二、三日の分をまとめてでも構わない。報酬金は任務終了後に支払う。

 

追記

 幾ら顔見知りの看護師だけがいる個室だからといって、二人で若い衝動を爆発させないように……』

 

 伝言が書かれた紙はその全てを伝える前に、少年の手によってただの紙ごみへと変えられた。一緒に読んでいた少女の顔には火が点火させられ、煙がしゅうしゅうと上がり始める。

 雇い主への怨嗟の声と共に握り潰した廃棄物をゴミ箱へと叩き込んだ少年は、自分を見る神野の視線に気づくと瞬時に怒りの感情を表側から消去した。自身の感情をコントロールすることにおいて、彼の右に出る者はいない。

 

 「あの神野さん、私達は早速行こうと思うので……。」

 

 「ああ、了解です。ちゃんと二人分、準備出来てますよ。」

 

 先程少女が目にしたジェルベッドの脇まで少年達は案内され、次に放った神野の一言によって彼らは更なる爆撃を受けることになった。

 

 「よし、それじゃあ二人とも服を脱いでくださいね。あ、上だけで良いですからね。」

 

 「わかりまs……はい!?」

 

 「……ふぇ!?」

 

 さらりと言われたその言葉に、一瞬従おうとした少年が驚きの声をあげ、少女は硬直する。彼らは入院中、この看護師に何度も裸体を見せている為、特に恥じらう理由はない。

 ならば何故、彼らが今こうして驚きを露にしたり動きを止めたりしているのかと問われれば、その原因は恋人にあたる人間の存在である。

 帰還者学校でも周囲が砂糖を吐くレベルで幸せを振り撒いている少年達だが、実のところは未だに相手のありのままの姿を見ることが出来ないでいるのだ。

 何度か頑張ろうと一緒に入浴したりするのだが、必ずどちらかがもう無理だと顔を隠すか風呂から出てしまう。そしてその光景を目にした母親にからかわれるまでがいつもの流れである。

 そんな少年達の間には現在、姿を隠すことができるものは何一つない。故にこの状態になってしまうことは必然的であった。

 

 「いやいや、神野さん。この状況で無理ですよ!珪子の前で上半身だけとはいえ裸になるなんてことは!」

 

 「そうです!創也さんの前でなんて恥ずかしいです!」

 

 「あれ?お二人って恋人同士でしたよね?でしたら、もう既にそういうことは終えているのではないのですか?」

 

 「「終えてません!!」」

 

 清楚のイメージをいとも簡単に破壊していく看護師の追加爆撃に少年と少女の声が重なる。もう既に彼らの顔は真っ赤に熟れた林檎と化していた。

 少年と少女の強い否定に神野は目を丸くしながらも、部屋の端から一枚の仕切り版を持ってくる。その版は向こう側の景色を大きくぼかし、お互いの姿を不可視の状態へと変えた。

 

 「これで大丈夫でしょうか?」

 

 「はい……本当にすいません。まだ慣れていないもので。」

 

 「ふふ、随分とウブだったのですね。それでは神原さんからやっていきますね。」

 

 神野は一年経っても進展の『し』の字すら見受けられない若いカップルに微笑みながら、横になってさらけ出した少年の上半身にぺたぺたと心電図モニター用の電極を貼っていく。

 一応これから少年と少女が使用する予定のアミュスフィアには緊急ログアウトの為の心電図モニター機能が備えられているが、接触対象の干渉によって正常に作動しない場合を考慮し、彼らの雇い主は病室からログインするよう指定したのであった。

 勿論少年はこのことに気づいている。あの茅場晶彦の部下にあたっていた神原夫妻の息子は、その親譲りの天才的な頭脳の中にアミュスフィアについての情報をもうとっくに取り込んでいるのだ。

 

 「はい、出来ましたよ。モニターも正常に作動しています。」

 

 神野の声に頷いた少年は手探りで異世界への接続機器を取り上げ、頭に装着すると電源を入れる。彼の準備が出来たことを確認した顔見知りのナースは隣で順番を待つ少女の下へと歩いていった。

 

 「珪子、先に行った方が良い?それとも待っていた方が良い?」

 

 「うーん……先に行っていてください。創也さんがリスポーン地点の近くで待っていてくれると、わかりやすいと思うので。」

 

 「えーと、姿はランダムになるんだからわからないと思うんだけど……。まぁ、わかるかな。」

 

 「はい、創也さんはどんな姿だって創也さんですから!」

 

 少女の自信満々の言葉に病室の時間が一瞬だけ停止する。その数秒後に少年は顔をほんのりと赤く染め、少女も自分が恥ずかしいことを口にしたことを自覚して頭頂から煙を上げた。ナースはただ微笑むばかりである。

 

 「……うん、そうだね。じゃあ先に行ってるね。リンク・スタート!」

 

 少年がこの現実から逃げるように早口でコマンドを唱える。彼の視界は見慣れた純白の白で塗りつぶされ、やがて魂が本来の肉体から離れていった。



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第五十三話 見た目は双子の姉妹、中身は義理の姉弟

 地の文の書き方を模索中です。これまでと少し変化しているかもしれません。


 ◇◆◇

 

 地に足がついた感覚を感じるとほぼ同時に真っ白だった視界が一気に開ける。広がるのは妖精の世界とは大きく異なった銃の世界。

 妖精の姿のときと変わらない視線の高さ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)であることを把握しつつ、周囲を見渡す。メタリックな質感を持つ建物が幾つも天高くそびえ、それを追っていけば薄く赤みを帯びた黄色に染まる空があった。流石、最終戦争後の地球という設定なだけはある。

 続いて目の前の広い通りを行き交う人間達に目を向ける。どれもこれも一筋縄ではいなかいような容姿をしたものばかりだ。軽装で華奢な妖精とは真逆、重装備をしたガタイの良い兵士が多数闊歩している。

 さらに、大抵の人間が腰などにぶら下げている銃の存在がこのゲームのあり方を示しているようだった。妖精の世界が重要視している『楽しむ』という要素がこの銃の世界では、ほぼ切り落とされている。

 

 「あのー、もしかしてソーヤさん、ですか?」

 

 どうもゲームの考察をしているうちに結構潜っていてしまったようだ。背後から掛けられた声によって俺の意識は深い海の底から浮き上がってきた。外にも意識が向けられ、後ろに感じ慣れた一つの気配があることを確認する。

 

 「うん、俺がソーヤだよ。ごめんねシリカ、色々考えてて気づけなかったよ。」

 

 「そんなこと、大丈夫ですよ。むしろソーヤさんがそうしていたから私はわかったんですから。」

 

 にっこりと笑う義姉さん、もといシリカは容姿にそれ程大きな変化はなかった。強いて言えば、ケットシー特有の猫耳と尻尾が消えたことだろうか。髪もツインテールで纏められ、背丈も同じぐらいになっている。

 そういえば、俺の方は一体どんな外見になったのだろうか。

 今になってそう思った俺は視線を下に落とし、自分の姿の確認を始めた。

 背丈はシリカと同じぐらいなので変化なし、身体の肉付きも妖精のときと大きな違いはない。ただ、やけに肌の色が白く滑らかになっている。

 まぁこの程度ならば誤差だろうと判断し、俺もシリカと同様に大きな変化はないのだと、そう結論付けようとした次の瞬間のことだった。俺の髪と思われるものがはらりと垂れてきたのは。

 

 「はい?」

 

 思わずそんな声が出た。俺は現実でも妖精の世界でも自分の手に髪が垂れてくる程にまで伸ばしたことはない。故に今の状態が理解できなかった。

 微かに聞こえてきた笑い声に前を向けば、シリカが口元を片手で覆って笑いをこらえながら反対の手で近くのミラーガラスを指差している。

 嫌な予感をこれでもかと感じながらシリカが指差したところにまで歩み寄り、目を見開いた。これ程までに驚いたのは本当に久しぶりのことだ。

 

 「こ、これは!?」

 

 正面に映っていたのはシリカに酷似した少女であった。後ろに彼女がいる為に判別がつくが、もし別々にモノクロで画像を見せられた場合、見分けることができるか怪しいぐらいに眼前の少女は彼女に似ているのだ。

 背丈と肉付きは予想通り妖精のときと大差ないが、肌と同様に白くなった顔がやけに女のものに近づいてている。その上、急成長を果たした黒髪がシリカと同じようにツインテールで纏められていた。

 やや大きくなった瞳の色は黒と赤のオッドアイに変化し、無闇に光を放っている。一瞬獣が出ているのかと思ったが、この瞳は偶然引き当てたもののようだ。

 

 「……。」

 

 無言で右手を挙げれば、ミラーガラスに映る少女も同時に左手を挙げる。それを素早く戻せば、向こうも同じ速度で腕を動かした。

 これは何かの間違いだろうと一筋の希望に賭けてみたが、やはり目の前の少女が俺の銃の世界における仮の肉体のようだ。落胆のため息を一つつき、未だに笑い続けているシリカへと向き直った。

 

 「笑わないでよ、シリカ!もう十分笑ったでしょ!?」

 

 「あはははは!だって、だって、ソーヤさんが女の子に……あはははは!!」

 

 「!!」

 

 シリカの言葉に俺はある可能性に気づかされ、慌てて両手で自分の胸部分に手を当てる。そこには幸いにも平らで固い胸板があるだけだった。この身体は限りなく女のものに近いが、性別はちゃんと男のようだ。一瞬危惧した性別転換の事故は免れた。

 今日のフルダイブ型ゲームでは大抵のものが性別転換を不可能としている。だがシステムも完全ではない。茅場の叔父さんが言っていた『人の意思の力』という例があるように、性別が変わるなどというビックリ事故が発生してもおかしくはないのだ。

 

 「シリカ、一応これでも男性みたいだよ。」

 

 「あはは……え?その見た目でですか!?格好は私そっくりなのに!?」

 

 「うん、ちゃんと男だったよ。まぁ性別が変わるなんてことはほぼあり得ないからね。よし、それじゃあ行こうか。」

 

 今更この姿に文句をどれだけ言おうとも無駄だと中性的な姿に不満を漏らす自分を遥か彼方へと蹴り飛ばして思考を切り換え、シリカに手を差し出す。

 少しの後に落ち着いたシリカは「はい!」と元気良く返事をして、俺の手を取った。そのまま指を絡め合わせ、俗に言う『恋人繋ぎ』にする。

 その時、ふと周囲からなにやら暖かい視線を感じた。見渡せば道行く人間達が皆俺達を微笑ましいものを見るかのような目を向けている。

 さらに、よく見れば親指を立てながら鼻血を出している人間も複数人いた。この仮想世界にも鼻血がでるシステムがあったのかと内心驚きを隠せない。随分と細かく設定されているようだ。

 そんな感じで俺がこの世界を形成するシステムの高性能さについて考えていると、シリカと繋いでいる方の手がくいくいと引かれた。どうも彼女も周囲からの視線に気づき始めたようだ。

 

 「あの、なんか私達、とても見られてません?」

 

 「うん。結構見られてるね。面倒事が起きる前にさっさと行こうか。」

 

 「はい!そうしましょう!」

 

 いきなり駆け出したシリカの手に引かれ、俺もやや遅れて足の回転を上げる。その直後、揺れて頬にかかった長い黒髪を無意識でかきあげていることに気づいた俺が黒と赤の瞳から光を少しの間失ったのはまた別の話。

 

 

 ◇◆◇

 

 黄昏の空の下、木々一つすら生えない砂漠らしき場所に大きな影と小さな影が二つ。二つの小さな影は目でどうにか追えるぐらいの速度で素早く大きな影の周りを動き回っている。

 自身の攻撃が全く当たらないことに怒りの雄叫びを上げる大きな影は巨大なハサミを横薙ぎに振るうが、二つの小さな影は難なく回避し、片方は手に持っている銃から光弾を放つ。

 一発の光弾は狙いすましたかのように間接部へと直撃、本体と泣き別れになったハサミが砂塵を巻き上げながら落下する。それだけにとどまらず、得物を奪った方の影はその上に着地すると分かりやすく指を曲げて挑発した。

 良いようにやられることが気に入らないのか、大きな影は再び憤怒を露にして残ったもう片方のハサミを叩きつける。空気を裂きながら迫る質量の塊に当たれば勿論即死は免れない。当たれば、の話だが。

 

 「今だよ、シリカ!」

 

 相方の名を呼び、小さな影の片割れは置物と化したハサミを蹴って悠々と回避する。眼前の小さな影が囮であることに気づいた大きな影だったが、気づくまでが遅すぎた。

 背中に何かが乗った感覚を覚え、後ろを見ればそこには銃口を突きつけたもう一つの小さな影の姿があった。大きな影は暴れ回って背に乗る不届き者を振り落とそうとするが、既に決着はついている(チェックメイトだ)

 

 「任せてください、ソーヤさん!」

 

 元気良く返事をした小さな影が、トリガーを引く。いの一番に着弾した光弾は大きな影の顔面を撃ち抜いた。それに無数の光弾が続き、着実に体力を奪う。彼女が持つ銃は連射式である。装填された弾が尽きぬ限り、吐き出される光弾が止まることはない。

 光弾を撃ち込まれながらも激しい抵抗をしていた大きな影だったが、徐々に弱まっていき、やがて物言わぬ死体となって散っていった。

 

 「やった!やりましたよ!……って、あれ?」

 

 獲物を仕留めた方の小さな影は喜びを表現するが、いきなり襲ってきた落下の感覚に疑問の声を上げる。冷静に考えればこうなることは必然なのだが、今の彼女の脳内は歓喜で埋め尽くされている為、その単純な結論にさえもたどり着けなかった。

 

 「危ない!」

 

 足場にしていた獲物の亡骸が消え、重力に従って落下を始めた相方の姿を確認した小さな影は己が出すことのできる最大速度で落下地点へと向かう。必死で手を伸ばす彼は、たとえ仮想世界であっても彼女が死んでしまう様を目にしたくはないのだ。

 

 「はぁ、相変わらずシリカは危なっかしいね。」

 

 「あう……ソーヤさん、ありがとうございます。」

 

 すんでのところで手が届き、二つの小さな影、もとい少年と少女はまるでいつかのようなお姫様抱っこの状態へと移行した。今の二人は端から見るとお互いに助け合う仲の良い女の子同士かもしれないが、片方はれっきとした男の子である。

 少女の顔が朱に染まる前に手早く降ろした少年は荒れた黒髪を手櫛で直し、腰からもう一挺の銃を取り出した。そして先程使用していた銃と比較するように両手に持つ。

 少年の右手にあるのは光学銃。銃自体が軽量であり、光弾を発射する代物である。さらに射程が長く、命中精度も高い。

 反対の左手に収まっているのは実弾銃。威力こそ高いものの、弾道が風や湿度などの環境による影響を大きく受けてしまう。

 ここまでの点が現在少年達が把握しているそれぞれの銃の特徴である。故に彼らは光学銃をメインに使用している。実弾銃よりも威力が低いとはいえ、光学銃でも十分なダメージを与えることができてしまうことがその行動に拍車をかけていた。

 

 「うーん、実弾銃を買ったのは間違いだったかな?」

 

 「確かにそうかもしれませんね……。この二つの銃ともう一個の武器だけで所持金が無くなっちゃいましたもん。」

 

 両手にそれぞれ持った銃を見比べながら少年と少女は揃ってため息をつく。今ある情報だけではどう考えようとも明らかに実弾銃は役立たずになるだろう。

 だが、実弾銃には大きなメリットがあと一つ存在しているのだ。その最大のメリットを少年と少女はこれから起こる事件を通して知ることになる。

 

 「おーい、そこにいる二人のカワイコちゃーん!」

 

 突然声を掛けられ、少年達が振り返るとそこには一人の男がいた。彼の顔は声の調子からもわかるように、弛んだ笑みが浮かんでいる。

 いきなりのことに目を丸くする少女と顔色一つ動かさずに男を睨むように見る少年。二人の反応は対照的といえた。

 

 「ふぇ?私達のことですか?」

 

 「そうそう。君達、初心者でしょ?だからさ、俺がこのゲームについて教えてあげようt……」

 

 「結構だ。さっさと失せろ。」

 

 首を傾げる少女に向かってニッと笑う男に、少年は光学銃の銃口を突きつけた。偽物の赤い瞳に光が宿り、彼の内に住まう獣が与えられたご飯を食らい始める。

 

 「おっと、こっちの子は男勝りに加えてツンデレタイプなのかなぁ?そんなに警戒しなくても大丈夫だからs……」

 

 「喧しい。」

 

 再度男の言葉を遮るように少年が口を挟んだ。そして未だに笑みを崩さない男が何か言うことよりも先に彼は言葉を続ける。

 

 「それとその下手な演技も止めろ。そんな程度で自分の感情を隠せていると思うな。お前の下劣な感情なんざ、とっくにお見通しだぞ。」

 

 それを聞いた男の笑みが固まる。慌てて取り繕うとする男だったが、数秒の後に諦めると己の本性を明らかにするようにニヤリと口元を歪めた。

 少年はこのような人間を、プレイヤーを知っている。このゲームについて教えるなどと戯れ言を吐いて相手を信用させて目的地へと誘導し、集団でなぶったり辱しめたりする人間。つまり少年からすれば『クズ野郎』と呼ばれる人間である。

 

 「ッチ!こうなっちゃ仕方ねぇ。野郎共!」

 

 不完全な仮面を捨てた男の声に反応して約十人のプレイヤーが姿を表し、少年達を包囲する。向けられるねばついた視線に少年は少女を守るように前に立つ。じわじわとその輪を狭める者達を睨む彼の瞳は既に二つとも鮮血のような赤に染まっていた。

 しかし少女ももう守られるだけの存在ではない。手に持つ光学銃のグリップを握り直すと、少年の隣に並ぶ。

 一瞬少女を見た少年だったが、「さっきと同じ感じで奇襲を頼むね」と周囲を囲む男達には聞こえない小さな声で彼女にそう告げると視線を戻した。

 

 「どうした?早く来いよ……クズ野郎ドモ。」

 

 「女の癖に随分と俺達を舐めやがって……!その顔を泣き顔にしてやるわぁ!!」

 

 男が少年を狙って実弾銃を向けるが、指を沿えたトリガーを引くことが出来なかった。浮かぶのは驚愕。男が銃口を向けた先には、既に二人の姿は消えていたのだ。

 

 「悪いが、俺ハ男ダ。ソレト、俺は別にお前らのようなクズ野郎どもを舐めてはいない。ムシロ舐メル必要ナドナイ。」

 

 背後からもう一度銃口を突きつけた少年は光学銃のトリガーを引く。ほぼゼロ距離で放たれた必殺の光弾は男の後頭部へと吸い込まれていったが……着弾する直前でバリアに阻まれ、男の体力の半分程削るだけに留まった。

 

 「ッハ!光学銃じゃ駄目なんだよぉ!《防護フィールド》でダメージが減衰されちまうんd……モガッ!?」

 

 「そうか。なら……コウスレバ、ドウダ?」

 

 二つの瞳を赤く輝かせる少年は男の口内に押し込んだ状態のままで再度トリガーを引く。男の内部から生まれた光弾はその威力を減衰されることなく男の残っていた体力を完全に奪い去った。

 少年への怨嗟の声を残しながら男は消えていくが、彼はその声が聴こえないかのように無視し、残りの約十名にぶつけていた殺意をより濃いものにする。隙だらけの筈だった少年に銃弾が一つも飛来しなかったのはこれが理由である。

 少年と少女を包囲する者達は皆揃って自身が殺される光景を幻視し、恐怖のあまりに足を止めてしまう。初めて受ける獣の殺意に耐えることができる程、彼らの精神は強くない。

 そこからは二人による蹂躙が開始された。

 少年は新たに得た情報から実弾銃に持ち替え、欠点である環境の影響を受けないように銃口を押しつけては発砲を繰り返す。さらにその動きは複雑怪奇な軌道を描いている為、狙うことすら不可能になっている。

 そして少年だけに気を取られていると、少女の奇襲を受けるはめになる。彼女は最初の所持金で購入したナイフを持ち、着実に相方を狙おうとする者を排除していく。二年間以上使い続けた短剣の技術がそのまま転用された彼女のナイフ捌きはまるで暗殺者の如し。

 

 「これでっ……!」

 

 「終ワリダ。」

 

 少女のナイフがうなじを切り裂き、少年の実弾銃が心臓を撃ち抜いた。最後の一人も両目に恐怖を写しながら消滅する。砂漠らしき場所に静寂が戻るまで一分もかからないあっという間の出来事であった。

 悪質な初心者狩り集団を処理し終えた少年と少女は得物を収納し、そこかしこに転がった持ち主を失った銃を見やる。この銃の世界ではプレイヤーが死亡した場合、所持しているアイテムがランダムドロップするようになっているのだ。

 あの集団のリーダーらしき男が持っていた大型の実弾銃を拾い上げる少年。今彼が持つものと比較すると、どう見てもこちらの方が良さそうである。

 

 「これなら……所持金がなくても装備を整えられそうだな。」

  



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第五十四話 死神、化物

 すいません……風邪をひいてしまい、投稿がかなり遅れてしまいました。

 皆様も体調に気をつけてください。


 ◇◆◇

 

 「おい、いたぞ。間違いなく《死神姉妹》だ。」

 

 崩れかけていたコンクリートの壁から約二十分索敵を続けていたある男がそう仲間に囁き、手に持っていた双眼鏡をリーダーらしき男に手渡す。それを受け取った男は同じように小さな穴から覗き込み、今回の標的を確認する。

 男の視界に映るのは自分達より何倍も大きいモンスターを楽々と狩る二人の少女。装備は明らかに寄せ集めなので簡単に殺すことができそうだが、男は絶対にそう上手くいく訳がないと予測していた。何故なら彼女らはたった数日でプレイヤー達から《死神姉妹》と呼ばれ、恐れられる対象となったからである。

 《死神姉妹》、その二つ名は今日《デス・ガン》よりもこの銃の世界で最も有名と言っても過言ではない。数日前に初心者狩りで有名な害悪プレイヤーを返り討ちにし、その後周囲にいたプレイヤー全員を一時間もかからずに殲滅したのだ。中には前回バレット・オブ・バレッツの上位入賞者もいたらしい。

 さらに恐ろしいのは、彼女らが一度も劣勢に立たされなかったことである。奇襲を仕掛けようとも、遠距離から狙撃しようとも無駄だった。全てお見通しとばかりにあっさり対応され、ダメージを与えることすら出来なかったそうだ。

 そんな《死神姉妹》と呼ばれている二人の少女は現在目的のモンスターを無事狩り終え、笑顔でハイタッチを交わしている。どうやらまだ男達の存在に気づいていないようだ。

 その光景を双眼鏡を通して眺めていた男は、こうしていると本当に彼女らがそんな圧倒的な力を持っているとは到底信じられないものだと思った。

 だが、噂になっている装備と体格は完全に《死神姉妹》と一致している。見分けのつかない程に似た少女の二人組、見間違える筈がなかった。

 

 「さて、どうするか。」

 

 「そんなの片っぽを狙撃で殺って、残った方をタコ殴りにすればいいじゃん。その為にシノっちがいるんだからさぁ。」

 

 男の呟きに隠れていたまた別の男が顔に笑みを浮かべ、七人の中で紅一点の少女にそれを向ける。彼女は会話する意思はないと言うようにマフラーに埋めた顔を少しだけ縦に振った。

 

 「おい、その策で本当に大丈夫なのか?噂じゃ、あいつらは背後からの狙撃を回避した後にそのまま狙撃手を狙い撃ったらしいぞ?」

 

 「はは、そんなの所詮噂だろ?絶対嘘に決まってる。」

 

 「噂であれ真実であれ、俺達はこの策が一番勝率が高いと思っている。もし仮に狙撃を回避されたとしても、数の暴力で押せば勝てる相手だ。幾ら強くても三対一なら対処できるだろ。」

 

 「まぁ心配だが、リーダーはお前だ。俺はその策に従うとしよう。シノン、好きなタイミングで狙撃していいぞ。あいつらはもう射程圏内に入ってる。」

 

 索敵の男の言葉を聞いた少女は伏射体勢になり、自身の分身とも言える巨大な狙撃銃のスコープを覗き込み、指先で拡大率を上げていく。

 少女の視界いっぱいに広がった二人の少女はウィンドウを開き、お互いのドロップ品を見せ合っていた。しかも銃口に背を向けた状態である。このまま彼女の存在が見抜かれなければ、確実に一人を葬ることが可能だ。

 狙撃銃のトリガーに少女は人差し指を触れさせる。それと同時に拡大と縮小繰り返す半透明な緑色の円が表示された。攻撃する者だけが視認可能な攻撃的システムアシストである。

 

 「すぅ……。」

 

 少女の頭の芯が冷えていき、その冷気は身体の全体に広がっていく。人間である部分を最大限まで削ぎ落とし、彼女は冷たい氷でできた機械へと変化する。

 円の拡大と収縮の大部分を担う心臓の鼓動が平常時のように静まっていく。今の少女には、円が最小サイズになる瞬間を完璧に認識できる。そして、最小サイズに収縮した円が片方の心臓部分を捉えた。

 

 「!!」

 

 その瞬間、少女はトリガーを引いた『筈だった』。だが実際には狙撃銃から銃弾は放たれておらず、彼女は瓦解したコンクリートの後ろに回避していた。

 何が起こったのか理解できない少女はもう一度スコープを覗き込み、ありえないという表情を浮かべた。

 再度拡大された少女の視界には、黒髪の少女が相方を庇いながら片手で銃口から煙を上げる狙撃銃をこちらに向けていたのだ。黒と赤というオッドアイの瞳は完全に彼女を捉えていた。

 少女は戦慄した。今見た光景から考えるに《死神姉妹》の片割れがあの一瞬で狙撃しようとした自分の居場所を特定し、片手で狙撃したのだと。自分は身体に染み着いた回避術でどうにかコンクリートの下敷きにならずに済んだのだと。

 スコープの中からこちらを見ていた黒髪の少女は狙撃銃を背に背負い直し、隣の小麦色の髪を持つ少女に二、三言伝えると二人揃って突撃を開始した。

 

 『おい、どうした!?あいつらいきなりお前の方に向かって撃ったが!?』

 

 「気づかれた!撃つ直前で黒髪の方に!」

 

 『おいおい、噂は本当だったってのか……?だったらどうやってこの距離を感知したんd……ぎゃあああぁぁぁ!』

 

 断末魔が響き、一人通信が途切れる。先程少女に笑みを向けていた男が殺られたのだ。どうやら《死神姉妹》は既に彼女の仲間六人が襲撃の為に潜伏していた場所に到達しているようだ。早すぎる。こんな芸当は相当ステータスが高くなければ不可能だ。

 スコープの倍率を下げて少女が状況を確認しようとしている間にも《死神姉妹》は暴れ続け、一分も経たないうちに追加で四人をポリゴン片へと変えてしまった。

 

 「どういうこと!?幾ら強くても三対一で対処できるんじゃなかったの!?」

 

 『確かにそう言ったが、これは無理だ!照準すら合わせられない相手をどうしろっていうんだ!!』

 

 「え……?」

 

 最後に残った男の通信に少女は言葉を失った。標準が合わせられない、それはつまりあの円の中に標的を入れることができていないということであり、彼女らが《弾道予測線》すらも回避していることを意味しているのだ。

 銃撃での戦闘にゲームならではのハッタリ要素を盛り込む為に採用されている《弾道予測線》は、自分を襲うであろう弾丸が描く軌道を半透明な赤い線で示す。プレイヤー達はそれを見て回避などの行動を選択する。

 しかし《死神姉妹》はそれすらも回避しているというのだ。此処まで来ればいよいよ本当に死神なのではないかと少女は思ってしまう。

 

 『クソッ!この化物がよっ!!』

 

 『化物か……確かに俺の方は間違いないなく化物だな。』

 

 とうとう最後の男とも通信が途切れ、少女の仲間は全滅してしまった。通常ならば撤退するべき状況だが、彼女は己の銃を背負うと約一キロ先の戦場に向かって駆け出した。割り当てられた役割は既に終えていたにも関わらずだ。

 別に撤退しても誰から文句など言われる筈がない。それでも少女は一直線に走り続ける。仲間意識とかではない、通信の最後に聞こえた《死神姉妹》の片割れの声が彼女を突き動かしていた。

 少女はただ力を求める為だけにこの銃の世界に身を投じている。力ある者と戦い、それを殺すことで弱いもう一人の自分を消し去るだけの力を手に入れようとしているのだ。

 だが乾いた地面を蹴って《死神姉妹》のいる場所へと向かう少女は知らない。最後の通信で聞こえた者は、己が持つ力を決して誇ってはいないことに。

 

 

 ◇◆◇

 

 「ソーヤさん、これでこの辺りの人達は全滅ですか?」

 

 「うん。あとは始めに狙ってきた狙撃手だけど、多分逃げるだろうね。追う必要もないし、放っておこう。はぁ……有名になるのは構わないけど、この世界の人達は血の気が多すぎない?」

 

 ため息を一つつき、今回の襲撃者からドロップしたアイテムをシリカと分担して拾い始める。俺達は特にプレイヤーを殺る必要はないのだが、この世界の住人はどうも戦闘好きが多いようで、俺達をフィールドで見かけると大抵は襲いかかってくる。

 別に《死神姉妹》と呼ばれ、有名になっていることに文句があるわけではない。むしろ、有名になったことは雇い主からの依頼を達成するのに好都合なのだ。

 俺達の接触対象である《デス・ガン》はあの世界にいた時とは違い、ターゲットに厳密な拘りがある。それは名の通ったトッププレイヤーであることだ。

 そして俺達はこれを利用して対象に接触しやすくしようと計画している。故に有名であることへの不満はない。流石に有名になりすぎたとは思っているが。

 

 『クソッ!この化物がよっ!!』

 

 最後に殺したテンガロンハットの男が持っていた実弾銃を拾い上げたその時、奴の言葉が脳内でもう一度再生される。

 俺が化物であることは紛れもない事実であり、それを今さら他者に言われたところで何も精神に傷を負ったりはしない。だが、やはり自分は人間の姿をした人外であることだけを再認識させられるだけなのだ。

 

 「ソーヤさん?」

 

 だからこそ、こんな俺を受け入れてくれた仲間達を、共に背負うと言ってくれた恋人がどれ程自分にとってかけがえのない者なのかを実感できる。亡き母親が言っていた友人達がこの血濡れの手の上にこんなにも多くいるのだ。

 

 「ううん、何でもないy……シリカ!」

 

 「キャ!」

 

 背後から殺気を感じ、直ぐ様思考を切り換える。俺の顔を心配そうに覗き込んでいたシリカの手を取り、強引に抱き寄せる。

 突然のことに目を丸くしていた彼女だったが、つい先程までいた場所を特大の銃弾が通過したことを目の当たりにして全て理解したようだ。表情が引き締められ、戦闘状態へと移行する。

 銃弾が飛来してきた方向を確認すれば、崩壊しかけのビルの頂上からこちらに大型の狙撃銃の銃口を向けている水色の髪の少女が一人いた。感じる殺気と気配から、最初の狙撃をした者と同一人物である。

 シリカが俺の腕の中から離れて連射式の実弾銃を発砲するが、水色の少女はあろうことかそこから飛び降りた。彼女は落下しながら俺を標的にして狙撃銃を構える。

 スコープを覗く水色の少女の口元は歪んでいた。獰猛で残虐な獣を連想させるようなもの。何があろうと一人は殺してやろうという声が聞こえてくるようだ。

 確かにあの水色の少女の行動は相手の動揺を誘うものとしては適切と言えるだろう。だがそれが通じるのはシリカのような通常の人間までである。彼女がスコープに捉えているのは人間ではない、化物だ。

 

 「……相手が悪かったな。」

 

 襲撃者のものだった実弾銃を拾い上げて水色の少女へと放り投げる。彼女の視界が塞がれたその一瞬で場所を移動し、落下してくる獲物に標準を合わせる。シリカ程ではないが、俺も高機動をメインとしたステータス構成なのだ。

 直後、爆発じみた爆発音と小さな発砲音が響き渡る。俺は手応えのなさから外したと判断し、気配を頼りに少女へと接近すると新たに構えた銃を突きつけた。

 端から見れば決着がついたと思うが、感じる冷たい殺気は消えていない。故にまだ彼女は諦めていない。現に彼女は倒れながらも俺に小型の銃を向けている。

 

 「……ハッ!ソーヤさん、大丈夫ですか!?」

 

 ようやく再起動を果たしたシリカが俺の方に駆け寄ってくる。意識を研ぎ澄ましていたために体感時間が長く感じたが、どうも実際は数秒のことだったようだ。

 慌てるシリカに「大丈夫。だからシリカは銃の回収の続きをお願い」と答え、視線を戻す。水色の少女は未だ銃を向けたままの状態のままだった。

 

 「……何故撃たなかった?誰がどう見ようと、絶好のチャンスだった筈だが。」

 

 「……どうせ撃ったって私がどちらも殺せずに死ぬと思ったからよ。それに、貴方に一つ聞きたいことがあるの。」

 

 「そうか。何が聞きたい?」

 

 銃を下ろし、太もものホルスターに収納する。それを見た水色の少女も同様にし、立ち上がる。今の俺が小さくなっていることも相まって、俺は彼女を見上げる構図となる。

 別に質問を聞かずに殺しても構わないのだが、俺はそれをしなかった。このプレイヤーは違っていたのだ、今まで俺達を襲ってきた者達とは。

 これまでの者達は内心で俺達のことを馬鹿にしていたり、なぶることを愉悦とするクズ野郎どもしかいなかった。俺はどう言われようと構わないが、シリカのことを悪く言う者は誰であろうと許さない。話を聞く必要性すら見出だせない。だからもれなく全員殺した。

 しかし眼前の少女は違う。俺達を舐めるでもなく、なぶる対象としても見ていない。殺すべき敵として見ているのだ。そうなら、問答無用で殺る必要はない。

 

 「どうすれば……貴方のような力が手に入るの?」

 

 水色の少女の問いは予想していたものだった。何故それほど執着しているかは不明だが、彼女はただただ純粋に力を求めている。俺と同じ力を彼女は手に入れようとしているのだ。

 即座に俺は首を振った。俺がこの力を手に入れた経緯を話そうと思えば話すことはできるが、信用できない人間に俺の血濡れた過去を話すつもりはない。

 さらに言えば、俺の力は普通の人間がどれだけ努力しても決して手に入れることができないものだ。

 

 「俺の力はお前が望む強い力ではない。お前の仲間が言っていただろう、『化物』だと。俺はもう人間の皮を被った化物だ。この力は、俺の力は化物そのものだ。」

 

 「誤魔化さないで。貴方は私と同じ人間。だったら私だって同じ力を手に入れられるかもしれないじゃない。だから教えてよ、貴方がこれまで何してきたのk……!!」

 

 「では逆に問うぞ。お前は現実世界で人間を殺すことに多少なりともの抵抗を感じるか?自分をいじめてくるクズ野郎でも構わない、自分が守りたい者の為でも良い、お前は誰かを躊躇なく殺すことができるか?」

 

 少女の言葉を遮り、俺は彼女に問いを一つぶつける。久しぶりにドスの効いた声が出た。俺の過去を探るような言葉を発した彼女に若干の殺意が芽生えているようだ。

 

 「……!!」

 

 それを聞いた水色の少女は両目を見開いた。髪と同じ水色の瞳に写る感情は驚愕。知っているのか、そう言っているような表情を彼女は浮かべている。だがそれはすぐに引っ込んだ。

 

 「まぁそうだろうな。この世界ではともかく、現実世界で人間を殺すことに抵抗を感じない訳がない。だが、俺は感じない。むしろ達成感すら感じてしまう。殺ったと喜ぶんだ。」

 

 「……。」

 

 「理解したか?俺は正真正銘の化物だ。俺の力は化物の力そのものだ。何一つ誤魔化してはいない。……これで話は終わりだ。じゃあな。」

 

 何も言わずに立ち尽くす水色の少女に背を向け、俺は歩き出した。そして僅かな時間でかなり膨れ上がっていた殺意を道中偶然近くにいたモンスターにぶつけることで発散する。

 気配を頼りに戦場だった場所まで戻ると、俺のことに気づいたシリカはこちらにやってきた。どうも思っていたよりも時間が経っていたようで、彼女はムーッと頬を膨らましている。俺の恩人兼恋人は結構やきもち焼きなのだ。

 無言で不満を伝えるシリカの頭を撫でながら、なんとなく上を見上げる。視界に写るのは黄色の画用紙の上に赤をぶちまけたような空。それが俺には飛び散った血のように見えてしまう。仕方ないのだ、俺は化物なのだから。

 そんな事を考えているとシリカが俺の名を呼んだ。視線を戻すと彼女は満面の笑みで「大好きですよ」と俺の耳に囁くように言った。

 確か妖精の世界にいた頃もこんなことがあったなと当時のことを思い出しながらも「俺もだよ」と返し、同じような体格のシリカを抱き締めた。

 そして『ありがとう』と内心でお礼を言っておく。こうしている間だけ、俺の被る人間の皮が本物になるのだ。

 



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第五十五話 もう一人の調査員

 大事なお知らせ

 近頃多忙になっており、執筆時間がほとんど確保できていない状況です。その為、定期的な投稿が不可能となりました。本当に申し訳ありません。

 ですが、この作品は完結にまで書ききりたいと思いますので、誠に自分勝手ですが、よろしくお願いします。



 ◇◆◇

 

 SBCグロッケンという奇妙な名をした都市をメインメニューから表示した立体マップと睨めっこしながら歩いていく。勿論隣にシリカもいる。

 始めこそ何層にも連なる階層に言葉を失っていたが、現在はもう慣れたようで、ダンジョンのように複雑な街並みのあちこちに輝く目を向けている。

 全く、俺の精神年齢が高いのかそれともシリカが低いのかは不明であるが、それに決して小さくない差があることは確かだ。

 

 「おい、あれって《死神姉妹》じゃ……。」

 

 微かに聞こえた声とあらゆる方角から感じる視線を無視して目的地へと歩き続ける。かつて俺の周囲に大きな変化をもたらしたゲーム内で《鬼神》として名を馳せていた為、注目されることはとっくの前に慣れている。

 それはマップを弄る反対の俺の手と繋いでいるシリカも同様である。ログインしたばかりの時はその場から早く逃げたいような反応を見せたが、彼女もまたあの世界で《竜使い》として注目されていた。どうも自分が有名であることを自覚すれば大丈夫なようだ。

 そしてそれから歩くこと約十分、俺達はようやく目的地へと到着した。目の前には巨大な金属の塔が建っており、その流線型のフォルムの所々からアンテナのようなものが突き出ている。マップによるとこれが《総督府》という場所らしい。

 やけに精巧な立体マップを消去して一階のエントランスを抜け、デスゲームが始まったあの場所を想起させるような大きいホールの右奥へと進んでいく。すると壁際に縦長の機械がずらりと並んでいた。その機械を現実世界のもので例えるなら、お金を引き出すあれだろうか。

 シリカと繋いでいた手を一旦離し、画面に眼を落とす。指先でメニューを辿り、第三回バレット・オブ・バレッツ予選エントリーのボタンを押した。俺達が此処に来た目的とは、この大会に出場する為である。

 今朝雇い主にメールでこの大会のことを知らされ、これが一番の近道だろうと判断した俺達は出場することにした。強いプレイヤーのみを標的とする《デス・ガン》がこれに食いつかない訳がないと思ったのだ。

 さらに言えば、この大会は様々なチャンネルで放送されると聞いている。奴は確実に自身の恐ろしさを知らしめる為、からくり仕掛けの銃と共に姿を表すだろう。

 

 「……これで完了か……ん?」

 

 キャラネーム等を入力し終え、無事大会へのエントリーができたと思ったその時、一番上に驚かざるを得ない表示があった。

 ざっと目を通して要約すれば、現実世界での名前と住所を書けば上位入賞商品が貰えるというものだ。なんともゲーマー魂を刺激するものである。茅野の叔父さんやキリトなら迷わず入力しそうだ。

 しかし、こんな開けた場所で個人情報を書き込むことは、どうぞ見てくださいと言っているようなもの。他者からは不可視に設定されているのなら何も問題ないが、それが無ければ後ろからちらりと覗くだけで簡単に個人情報が手に入ってしまう。

 

 そう……今のように。

 

 最後のボタンを押した俺はぐるりと首を回し、ある壁の一部を睨む。どのような原理で姿を隠しているのかは知らないが、そこからモニターを覗き見していることは分かっている。

 俺の視線に気づいたのか、透明のプレイヤーは覗き見を止めて音もなく床に着地。奴の存在を察知しているのは俺だけだ。隣を見れば、シリカは未だエントリーの入力をしている。

 透明のプレイヤーは全てを透過する瞳でじっと俺を見つめている。

 向けられた感情は驚きと恐怖、そして僅かな殺意(・・・・・)。接触対象かと一瞬期待したが、違ったようだ。奴は何があろうと俺に驚きや恐怖などの感情は一切向けないだろう。ましてや、こんなに殺意が僅かな訳がない。

 殺気を滲ませながら一歩近寄る。すると奴はこの場から逃げるように去っていった。戦闘するつもりはない、情報収集こそ己が仕事というわけか。

 まぁ良い、今のことではっきりした。《デス・ガン》の名を冠した人間は複数名いる。言い換えれば、複数の人間が集まってあの死神を作り出しているといったところか。

 未だゲームと現実がリンクしたような結果に繋がるのかは不明だが、これがわかっただけでも十分だろう。後で雇い主にも報告しておかなければならない。

 

 「シリカ、随分時間が経ってるけどエントリーできた?」

 

 「はい!ちょっとボタンを押し間違えて一度やり直しになっちゃいましたけど、ちゃんと出来ました!えっと予選は……Cブロックですね!」

 

 「それは良かった。俺はBブロックだから、上手くいけば二人で本選に出場できるね。」

 

 「そうですね!頑張ってもっと目立ちましょう!」

 

 可愛らしく「おー!」と握り拳を突き上げるシリカに続いて俺も拳を上げ、次なる目的地へと向かうべくホールを後にする。俺が先程出会った奴の話はまだ伏せておく。不確定情報であることに加え、下手に話して彼女を危険に晒してはならない。

 今のシリカは間違いなく同じ雇い主から依頼を受けた言わば仕事仲間である。しかしそれ以前に彼女は俺の恩人であり、恋人なのだ。彼女の力は十二分に把握しているつもりだが、やはり守らなければという思いが芽生えてしまう。

 

 「ソーヤさん、早く行きましょうよー!」

 

 「うん、今行くよ。」

 

 思考を断ち切り、手を振りながら俺を呼ぶシリカの隣まで走って移動する。すると彼女の手が俺の手を掴み、指を絡め合わせて強く握った。仮初めの身体ではあるが、じんわりと熱が伝わってくることは感じられる。

 

 「シリカ、頑張ろうね。」

 

 「勿論です!あ、でも本選で遭遇したら容赦しませんから!」

 

 「気が早いなぁ……。だけど、もしそうなったら俺も全力で挑ませて貰うよ。」

 

 シリカとそんな会話を繰り広げながら再び表示した立体マップを頼りに迷路のような道を進んでいく。その話が実現したとすれば、もうその時には全部終わっていると良いなぁ……と考えながら。

 

 

 ◇◆◇

 

 広大な店内を二人の少女が歩いている。一人は水色の髪を持ち、もう一人は肩までかかる黒髪を揺らしていた。

 

 「こっちこっち。」

 

 水色の少女はすいすいと人混みの中を歩き、黒髪の少女は彼女を見失わないように後を追う。黒髪の少女はニコニコと営業スマイルを振り撒く店員にちらりと目を向け、彼女らが持つゴツい銃にギョッとする。

 

 「な、何か凄い店ですね……。」

 

 「まぁね。本当はこんな店よりも専門店の方が良いものが多いんだけど、君に合う銃を探すのならこっちの方が良いの。」

 

 そう言われた黒髪の少女は周囲を見渡す。確かに店内を歩く者達は水色の少女のような戦闘重視のものではなく、外見重視のものが多い。その為、何処か初心者っぽい雰囲気を感じさせる。しかも中には彼女と同じ、初期装備をした者もいた。

 

 「さてと……君はどんなステータスをしているの?」

 

 「えっと、筋力優先の次点で素早さ……かな?」

 

 「うーん、それならこっちの方にある銃が良いかな。付いてきて……ん?あれって……。」

 

 水色の少女は再び誘導するように黒髪の少女の前を歩き出そうとしたが、突然それを止めてじっとある一点を見つめる。その視線の先にいたのは、彼女らよりも一回り程小さな二人組であった。手を繋いで仲良く談笑をしているだけなのに自ずと道が開いていくのはあの二人が有名なプレイヤーである証拠。

 

 「どうかしたんですか?ずっとあの二人組を見つめてますけど……。」

 

 「あの二人はね《死神姉妹》って呼ばれてるの。今最も有名な二人組で、私の一番のターゲット。」

 

 そう水色の少女が黒髪の少女に説明していると、黒と赤のオッドアイの少女が相棒を連れて彼女らの方へ歩いてきた。オッドアイの少女、もとい少年は数ある視線の中で一つだけ殺意が異様に濃いものを感じたのだ。

 

 「あれ?貴方は確か……あの時の……。」

 

 少年の隣に並ぶ少女は水色の少女を見つけると、何かを思い出そうかとするようにじっと彼女を見つめる。

 

 「ええ、そうよ。あの時に単独で突撃したスナイパーよ。」

 

 「やっぱりそうでしたか!あの、私シリカって言います。よろしくお願いします。」

 

 「シノンよ。よろしく。」

 

 水色の少女ことシノンは少女が差し出した手を握る。信用ならない人間と関わろうとしない少年とは対極的に、少女は誰とでも関わろうとする。例外を挙げるならば、自分の愛する者が敵だと認識した人間だろうか。

 そんな少女達の隣で少年は自分と同じように己の長い髪を鬱陶しそうにかきあげる黒髪の少女を視界の中央に捉えている。今朝彼が雇い主から知らされたことは大会のことともう一つあった。

 それが『もう一人追加で調査員を派遣した』というもの。このことを聞いた少年はその調査員が誰なのか大方検討がついていた。

 少年は黒髪の少女の情報を整理し始める。装備は初期装備であるが、纏う雰囲気は明らかに初心者のものではない。少女のプレイヤーネームを聞いた時の反応はまるで同じ名を知っているかのよう。そして止めに気配が彼が信頼する者の内の一人と完全に合致する。彼の中に住まう獣の冷徹な思考が一つの結論を導きだした。

 だが少年は今この場所で黒髪の少女に正体を問うことはしない。彼の雇い主からの依頼は他者に知られてはならない極秘のものだ。何処で誰が聞いているかもわからないこの状況で話すべきでないことは当然把握していた。

 

 「で?貴方達の名前は?そこの君も聞いてなかったわね。」

 

 少女から少年にシノンの視線が移った。少年にとって彼女は当然、信用ならない人物である。故に彼は仮面を被る。本来の性格を隠す、嘘で塗り固められた仮面を。

 

 「キリトです。よろしく。」

 

 「ソーヤだ。」

 

 キリトと名乗った黒髪の少女に続いて淡々と自分の名を口にした少年はこれ以上の会話は不要だというように黙る。仮面を被った少年は必要以上に他者との関わりを必要としない。自身の弱みを隠蔽する為、一定の範囲内に踏み入れさせないのだ。

 

 「相変わらずね。そういえば、貴方達は何しに此処に来たの?私はこの子の装備を見てあげようとしているんだけど。」

 

 「そうでしたか。私達はちょっと余った装備を売ってました。あれからもいっぱい人が来たんですよ。すっごく大変でした。」

 

 「そう言うってことは……全部返り討ちにしたって訳ね。流石《死神姉妹》と言われるだけあるわね。」

 

 そんな事を言っているが、シノンの目は少年の内に住まう獣のように鋭いものになっていた。力ある者だけを標的とする水色の獣は小さな二人の死神を仕留めんと微かな殺意を向ける。

 無論それに少年は気づいている。他者の感情を容易く見抜いてしまう彼の眼はシノンが密かに向けているそれを既に感知していた。

 

 「お前はどうやら俺達を殺りたいようだな。それなら何時でも襲撃して来い、相手になってやる。なんなら、丁度良いイベントも行われているしな。」

 

 「勿論そうするつもり。いつか貴方達を仕留めてやるから覚悟してなさい。」

 

 「やれるものならやってみろ。前にも言ったが、俺は正真正銘の『化物』だ。……シリカ、行くぞ。」

 

 「それでは。シノンさん、キリトさん。」

 

 次なる標的を再度じっと見つめるシノンと空気と化していたキリトに頭を軽く下げた少女は踵を返し、先を歩いていく少年を小走りで追う。高機動に特化した彼女のステータスはほんの数秒でかなり離れていた相棒の隣に到着するということを可能にした。

 仮面を外した少年は少女の手を取り、モーセの海のように割れていく人混みをすたすたと歩いていく。少女は彼の体温を感じながらも、一つ確認をする為に一旦周囲をぐるりと見渡してから口を開いた。

 

 「ソーヤさん、シノンさんの隣にいたあのキリトさんっていう女の子は……」

 

 「うん。間違いなくキリトだよ。気配が同じだったし、俺達のプレイヤーネームを聞いた時に驚いた顔をしていた。相手の名前を知って驚くなんてこと、同じ名前を知っていないとあり得ないからね。」

 

 少女の問いに頷きながら答えた少年は彼女の手を引き、少し前に通った道をなぞるように歩いていく。そして総督府にまで戻ってくると、ホールの正面奥に並ぶエレベーターの下降ボタンを押した。

 すぐに扉がスライドし、少年達はするりと中へと入り、最下層のボタンに触れる。直後に現実世界とそう大差ない落下感と減速感が彼らに訪れた。

 ドアが開き、その先に広がる暗闇に少年は少女を連れて躊躇いなく踏み込んでいく。一階とそう変わらない大きさのホールに集まる者達の多くは彼らに視線を向けた。その視線が少年の黒と赤の瞳と交錯する。

 

 「シリカ、大丈夫?」

 

 「はい、大丈夫です。もう見られるのは慣れましたから。」

 

 「そっか。なら良かった。」

 

 少年達は浴びせられる戦意をまるで感じていないかのような様子で会話をし、すたすたとプレイヤー達の間を歩く。彼らは数多の襲撃により、既にこういう視線を向けられることに慣れていた。

 プレイヤー達は今最も有名である《死神姉妹》の情報を少しでも得ようと光沢のないヘルメットや、分厚いフードの下から執拗なまでに視線を向け続ける。

 

 「おいおい、何だぁ?全くの無視とは、《死神姉妹》とか言われて調子乗ってんじゃないのかぁ?」

 

 顔色一つ変えない少年達が面白くなかったのか、一人の男がからかうように声を掛けながら彼らの小さな肩を叩こうとする。だが、黒と赤の瞳に殺意を灯した少年が凄まじい速度で行動を開始した。

 手を繋いでいる少女に一声言った後、少年は自由になった片手で男の腕を掴んで捻り上げる。男は苦痛の声を上げながらも振りほどこうとするが、それよりも前に鳩尾に蹴りが叩き込まれ、近くの壁まで吹き飛んだ。

 大会前に突然始まった乱闘に待機場にいた者達はやれややれやと騒ぎ立てる。この場にいるのは戦いに餓えた者だけである。当然、この騒ぎを止めようとする者などいなかった。

 

 「このガキッ!何しやがる!ちょっとおちょっくただけだろうが!!」

 

 「あ?お前が俺の大切な人に触れようとしたんだろうが。こうなるのも当然だ。」

 

 赤の瞳が心なしか輝いている少年にとって、少女は人間の域を越えた殺人鬼の自分を一番に受け入れてくれた恩人であり、恋人でもある。ならば、彼女を愛おしく思う感情も他者より一際強い。彼女に触れようとした男に殺意が芽生えてしまう程に。

 男がよろめきつつも立ち上がろうとしたが、一瞬で接近してきた少年によって妨害され、勢いのままに壁に叩きつけられた。

 直後、獣の拳が絶え間なく打ち込まれる。十……二十……悲鳴を上げることすら許されず、少年は殴り続ける。そして回数が百に達しようかといったところで、男の身体が消滅した。

 自分の恩人兼恋人に触れようとした不届き者を消した少年は待たせていた少女と合流し、ドームの奥へと歩いていく。その道を邪魔する者など誰一人としていない。

 少女はお礼の言葉と共に笑顔で少年の腕を抱き寄せた。既に彼女はこの光景を何度も見ており、此処までして自分を守ってくれる彼が大好きであった。彼女もまた、愛が重いのである。

 通常の人間ならば受けきることが叶わない重い愛が成立しているのは、きっと彼らだからであろう。

      



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第五十六話 一人目

 最近前書きに書くことが無くなってきています。

 なので、今回以降からは前書きなしで投稿したいと思います。


 ◇◆◇

 

 更衣室らしき場所で戦闘服に装備を変更した俺達はボックス席に並んで座り、大会の進行が記されているウィンドウを一緒に覗き込んでいた。勿論、更衣室に同時には入っていない。とはいえシリカのことが心配でならなかったので、俺は待っている間ずっと扉の前に立っていたのだが。

 俺達を観察するような視線は未だ消える気配を見せないが、関わろうと考える者はいない。やはり先程のことが大いに影響しているのだろう。やりすぎたとは思わない。シリカに触れようとしたアイツが悪いのだ。

 

 「ソーヤさん、後ちょっとで始まりますよ。」

 

 シリカの言葉につられてドーム中央のホロパネルを見上げると、カウントダウンは十分を切っていた。

 予選開始までしなければいけないことは特にない。カウントがゼロになれば自動で戦闘区域に転移させられる。そこからは目の前の敵を全員殺れば問題ない。

 ウィンドウを消して残りの時間をどうするかと考えていると、こちらに近づく二つの気配を感じた。そのどちらもが知っている人間のものだ。だが、片方は信頼している者ではない。

 

 「……何の用だ、シノンにキリト。」

 

 「別に。ただ空いてる席がそこにあったからよ。」

 

 内心の苛立ちを隠そうともしないシノンはどすんと向かいの席に座る。それに続いて頬に綺麗な紅葉を咲かせたキリトが彼女と距離を開けておずおずと着席した。どうやらキリトが何かしでかしたようだ。

 誰も言葉を発さないまま、ただただ表示されているカウントダウンが進む。この状況が耐えられないのか、キリトとシリカが口を開こうとしたその時、再びこちらに近づく人間を感知した。

 その気配は少し前に出会った人間と同じ(・・・・・・・・・・・・・)ものだ。視線をそちらに向ければ、額に銀灰色の髪を垂らした男がいた。身長は高く、装備は以前のものとは異なっている。だが、気配は幾ら偽装しようと変化させることなど不可能だ。

 今此処で言及するという選択肢はあり得ない。決定的な証拠など無いし、何より周囲の目がある。後で二人にしてから話をすることが最善手だろう。

 

 「やぁ、シノン。遅かったから遅刻するかと思ったよ。」

 

 男はキリトには目もくれず、シノンに馴れ馴れしく話しかける。因みに俺達には一瞬であったが、殺意と嫌悪感をぶつけてきた。本当に一瞬だった為、シリカは気づかなかったようだ。

 

 「こんにちは、シュピーゲル。ちょっと色々あってね。例えば、隣にいるそこのヒトを案内したりとか。」

 

 シュピーゲルと呼ばれた男と話すシノンの雰囲気を見る限り、二人はかなり親しい間柄のようだ。となれば、彼女も殺しの一端を担っている可能性がある。

 

 「……?ちょっと、どうしたのよ。」

 

 「ソーヤさん?」

 

 無意識に視線が鋭いものになっていたようだ。シノンとシリカに同時に指摘され、「気のせいだ」と誤魔化しながら一度瞼を下ろす。俺に疑問の目を向けていた水色の彼女はそのまま視線をキリトに向けた。冷たい目に変化しているのはきっと見間違いではないだろう。

 

 「そう、なら良いけど。それと、そこのヒトってのが隣にいるのこいつよ。」

 

 「どーも、そこのヒトです。」

 

 「あ……ど、どうも。えっと……シノンのお友達ですか?」

 

 以前店の中で出会った時と変わらず、女と思われてもおかしくない振る舞いをするキリトにシュピーゲルは礼儀正しく挨拶をする。俺達を嫌う感情をその粗末な仮面で隠してはいるが、あの音声データに込められていた殺意には程遠い。

 やはり、奴は情報収集担当なのか。それとも……あの世界の殺人集団と同じような人殺しを愉悦とするものなのか。現時点でこれ以上のことはわからない。

 先程の二の舞にならないよう、細心の注意を払いながら一人目の《デス・ガン》について考察していると、キリトを睨みながらシノンが短く吐き捨てた。

 

 「騙されないで、こいつ男だから。」

 

 「ええ!?」

 

 「えー、キリトです。男です。」

 

 目を丸くするシュピーゲルに普通の自己紹介をしたキリトは、次はお前らだと言外に告げるように視線を送ってきた。だが、それに気づいた銀灰色の男が首を振った。

 

 「ああ、そこの二人は良いよ。もう名前とか知ってるから。今まさに一番有名だからね(・・・・・・・・)。それじゃ、もうすぐ大会も始まるから僕は画面が良く見えるところに行ってくる。それじゃ。」

 

 やけに『一番有名』の部分を強調したシュピーゲルはシノンだけに向けて手を振ってその場を後にした。どうみても俺とシリカを嫌っているような態度に俺を覗いた三人は首を傾げる。

 カウントダウンは三分を切った。奴から確実な証拠を得るには丁度良い時間だ。俺は席を立ち、シュピーゲルが去っていった方方向へと歩き出す。

 シリカ達には装備の最終確認をすると伝えておいた。これなら誰も俺が席を立つことに疑問を持たない。信用している二人を騙すようで心が痛むが、これも彼女らの安全を守る為である。勿論確実な証拠を得たら、シリカにだけは話す予定だ。

 

 「おい、シュピーゲルだったか。少し良いか?」

 

 「……何だよ、お前と話すことなんて一つもないんだけど。」

 

 シノンと話していた時の笑顔をひっぺがし、肩を叩いた俺に対する嫌悪感を全面に押し出すシュピーゲル。奴はその表情が自分は《デス・ガン》の一人であることを堂々と宣言していることに気づいていないのだろうか。

 

 「そうだろうな、お前が俺を嫌うのは当然のことだ。……お前が死神を名乗る人間の一人だからな(・・・・・・・・・・・・・・・)。」

 

 「!!」

 

 俺が周囲に聞こえないような音量で口にした言葉にシュピーゲルの表情は驚愕へと染め上がる。何故知っている、そう言いたげな顔をして奴は俺を見た。此処で声を上げなかったところだけは賞賛に値する。

 だが、これで確実な証拠を得た。気配という俺だけにしか理解できないようなものではなく、映像という証拠である。

 俺達は依頼でフルダイブ型のゲームの調査を行う際には、プレイ画面を録画する装置を追加で装着している。こうする方が後の処理が結構楽になると依頼主が頼んできたのだ。まぁ俺達も長々と感想などを述べる必要がなくなる為、文句はないのだが。

 正体を暴かれたシュピーゲルこと第一の《デス・ガン》は手を伸ばして俺の身体を掴もうとするが、それよりも先に青い光の柱が俺を包む。カウントがゼロになり、予選が始まったのだ。想定通りのタイミングである。

 ただ俺を見つめることしかできなくなった一人目の殺人鬼はその鋭い目に明らかな敵意、さらに殺意をぶつけてきた。それは以前のものよりも濃い。だが、獣を内に飼う俺からすれば弱すぎるものだ。

 黒と偽物の赤、それぞれの瞳に獣の殺意を乗せてお返しとばかりに睨む。そして自分とは比べ物にならない殺気に当てられ、動かぬ奴を残して戦場へ転移していった。

 

 

 ◇◆◇

 

 少年が転移させられた先は、暗闇の中に浮かぶ六角形の上だった。正面にはこの世界での彼と対戦相手の名前、対戦フィールドと準備時間一分間のカウントダウンが表示されている。

 恐らくは此処でフィールドに合わせた装備に換装する為、長めの準備時間が設定されているのだろうが、少年は如何なる戦場であっても用いる武器の変更を不要としている。何故なら、彼の標準装備が元々全ての状況に対応できるようになっている為である。

 自身のウィンドウを展開した少年は指を走らせ、次々と防具と武器を装備していく。その数は多すぎると言っても過言ではなかった。

 手始めにやたら武器を懸架可能なコートを纏い、ブーツも先が金属製のものへと履き替えた。そこから太ももに小型の拳銃と腰部側面にやや大きめの連射銃をそれぞれ二丁、さらに腕部にナイフを左右二本で計四本装備する。

 勿論まだ終わらない。背部に狙撃銃と大型のアサルトライフルを交差するように背負い、最後に腰部背面に光剣を装着した。

 

 「……どうにか重量制限内に収まったか。」

 

 普通に考えて重量オーバーである筈だが、全装備を纏った少年はその場で軽くジャンプをしてみせた。もしこの光景を目の当たりにした一般プレイヤーがいたのならば、口をあんぐりと開けたことだろう。チートを使用していると疑われてもおかしくない。

 しかし当然、少年は一切その類いのものを入れてはいない。ただ彼が装備する銃が全て軽量だけに重点をおいたものばかりであることに加え、追加の弾を用意していないだけなのだ。

 少年の戦闘スタイルは多武装と高機動を組み合わせた飽和攻撃。一時期《創造》という唯一無二のスキルを手に入れたことで装備が無用の長物と化したことがあったが、基本的にそれには他と比べて多くの武器と他者より高い機動力を必要とする。

 故に《創造》を失った今、少年には過多と言われる装備と機動力の両立が必須なのだ。無論、この条件を達成するのははっきり言って不可能に近い。

 それでも彼はこの戦闘スタイルを崩すことを拒否した。その結果、装備の攻撃力と自身の防御力を犠牲にすることとなったのだが。

 

 「……シノン、か。」

 

 準備を終えた少年の脳裏に浮かぶのは水色の狙撃手。今回の事件が複数人で行われていることを少年が把握した今、彼女も容疑者に含まれていた。

 彼女が敵に向けて放つ氷のような殺気は間違いなく、少年が二年間過ごした異世界に存在した殺人ギルドの者に匹敵、いやそれ以上のものだ。しかも一人目の死神と仲睦まじく話していた様子から、彼から疑われるのも当然と言えた。

 

 「……時間か。まぁとりあえずシノンについては後にして、まずは……邪魔な奴を殺ろう。」

 

 そう自分に言い聞かせるようにして強引に思考を断ち切った少年は連射銃を一丁だけ手に持ち、ぐるりと周囲を見渡す。既に彼が立っているのは六角形の足場の上からひび割れた道路の上へと変わっていた。

 微かな音も聞こえない静寂がこの場を支配したかと思ったその瞬間、少年の斜め右後ろの物陰から人影が飛び出した。既に両手で構えた銃の先を彼へと向ける。

 トリガーにぴたりと指が添えられ、赤色のラインが伸びていく。それらは対象を捉えるかと思われたが、少年はまるで見えているかのように回避する。それを見た人影は驚愕を隠しきれない。無理もない、完全な死角からの攻撃を撃つ前に避けられてしまったのだから。しかも一切目を使わずに。

 

 「そこか。まぁ、いきなり突撃して殺ってしまっては色々疑われるからな。」

 

 少年の首がぐるりと動き、人影の姿を捕捉する。黒と赤の瞳を持つ獣に睨まれた獲物は恐怖の鎖に絡め取られ、動きを封じられた。人影が今まで感じてきたものとは桁違いに濃い殺気に呑まれてしまったのである。

 生命を奪うことを快楽とする獣としての側面を持つ少年が向ける殺意は別格だ。彼が抑えていると思っていても、相手側からしたら恐怖で動けなくなるには十分な程である。要は基準が違いすぎているのだ。

 今回の獲物を見つけた少年は地を蹴り、人影へと一直線に接近し始める。人影は自らを鼓舞するように叫び、不可視の鎖を強引に引きちぎって添えていたトリガーを引く。

 少年にとっては致死レベルの弾丸が視認不可能な速度で幾つも襲いかかるが、元々予測線が彼を捉えていない以上、命中することはなかった。

 

 「さて、殺るか。」

 

 捕食者の立場となった少年は行動を開始する。彼は接近する速度を一切緩めることなく、手に持つ一丁の連射銃のトリガーを触れると即座に(・・・・・・・)引いた。

 人影は己の銃に新たな弾を込めながら回避を試みるも、想定より数段早く迫ってきた銃弾に対応できず、その身に小さな風穴を幾つか空けられた。

 今目の前で起こった現象が理解できず、驚愕の表情を浮かべる人影。それもそうだろう、普通ならば相手の銃口から予想コースが表示されるところを銃弾が通ってきたのだから。

 しかしこれは当然のことである。《弾道予測線》は指先が引き金に触れることで発生する。ところが少年は触れる時間が極端に短かった。ほとんどゼロと言っても良いだろう。その結果、予測線が表示されることがなかったのだ。

 身体の所々から赤色のエフェクトを散らす人影は見た目で見ればほぼ死にかけと言ったところだろう。だが、少年が使用する銃は軽さだけを突き詰めたようなものである為、威力が弱いことを忘れてはいけない。人影の体力を見れば、ほんの少しだけ削れている程度である。

 

 「……やっぱり撃つだけじゃ無理か。」

 

 そう呟きながら自身が使用する銃の威力のなさを再確認した少年は弾切れになった連射銃を腰部側面に戻し、腕部からナイフを二本抜いて逆手に持つ。

 接近戦に持ち込もうという少年の企みを潰すべく、人影は後退して距離を取ろうとするが、脚が言うことを聞かなかった。一度は振り払った彼の濃い殺気に再度呑まれたのだ。

 人影は震える自身の脚を叩き、今度も動きを封じる鎖から逃れようとする。されど、獣が放った二度目の鎖はまるで奴の牙のように食らいついて離すことはなかった。

 

 「捉えた。」

 

 至近距離から聞こえた少年の声に、人影は視線を彼に移す。そして理解してしまった。自身がこの鎖から逃れられなかった理由を。

 ナイフを逆手で両手に持つ少年から放たれる殺気が濃くなっていたのだ。片方の赤い瞳が強く輝き、もう一人の彼とも言える獣が顔を覗かせ始めている。

 逃げることすら叶わないと知った人影はリロードした銃を向けるが、弾が吐き出されるより早く少年の片方のナイフが振り上げられた。獣の凶刃は的確に人影の手のひらを貫き、構えていた銃がこぼれ落ちる。

 獲物を丸腰にし、遂に接近を果たした少年は突き刺さったナイフを手放すと新たなナイフを抜いた。そして何とそれを真上に放り投げる。思わずそれに視線を向ける人影。それが彼の終わらない連撃の始まりとも知らないで。

 

 「死ね。」

 

 少年の言葉を合図に、獣の蹂躙劇が幕を上げる。こうなってしまっては、人影の勝ち筋は全て潰されたと言っても過言ではない。

 上を向く人影の首を横に切り裂き、その傷口に今振り抜いたナイフを押し込む。ナイフ自体の威力はそれ程だが、首という部分だったからか、目に見えて人影の体力が奪われた。

 よろける人影に少年は追撃を加えていく。先が金属製のブーツで首のナイフを更に深く刺し、落下してきたものと手のひらから抜いた二本のナイフで獲物の胴体を交差させるように切り裂く。

 とうとう体力が半分を切った人影はこの流れを止めようと拳で殴りかかろうとするが、それすらも読んでいたとばかりにナイフで対応される。

 拳と首にナイフを生やしながら、ちらりと人影は自身の体力を確認した。減少した体力は微量、これならいつかチャンスが訪れると判断を下す。しかし、決着の時はもうすぐそこにまで近づいていた。

 

 「……面倒臭いな。さっさと殺すか。」

 

 「なっ……!?」

 

 突如ジェットエンジンのような振動音が響く。そのことに気づいた頃には、もう既に人影はポリゴン片へと姿を変えてしまっていた。

 人影の残りの体力を全て奪った光剣を左右に切り払った少年はスイッチを切り、元の場所に戻す。それと同時に彼の身体が転移の光に包まれ、戦場だった場所には誰もいなくなった。

  



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第五十七話 二人目

 ◇◆◇

 

 大勢の人間による喧騒が聞こえ始めたかと思うと、俺は既に待機場所へと戻されていた。周囲を見渡せば、転送される前と同じところにいるようだ。

 大会が始まる前はカウントダウンを行っていた中央のスクリーンは現在、様々な戦場が映し出されていた。その中に写る人間がポリゴン片になる度に大きな歓声が上がる。よくよく耳を済ませば、悲鳴も幾つか聞こえてくる。恐らく誰が勝つなどと賭けでもしていて負けたのだろう。

 此処の空間にシリカの気配がないことからまだ戦闘中なのだろうと思い、分割された画面の端から小さな恩人兼恋人を探す。とは言っても見つけることができるとは思っていない。画面の切り替えが早く、一度確認したところも直ぐ様別の戦場を映し出してしまうのだから。

 

 「……。」

 

 内心ではそう思っている筈なのに、俺はどうやら諦めが悪いらしい。じっと視線を集中してシリカの姿を必死に探す。そしてとうとう見つけた。鬱蒼と生い茂る森の中を疾風の如く駆けていく彼女を。

 対戦相手が自分の背丈よりも長い大きな狙撃銃でシリカを狙おうとするが、視界が悪いステージをステータスの暴力によって異常な速度で動く彼女を捉えられないでいる。

 双方どちらも攻撃がないまま時間だけが流れていく。だが、これがシリカの狙いだったのだろう。四方八方に目を配っていた彼女の目がある一点で止まったのだ。その先には苛立ちを隠そうともしない対戦相手の姿。

 そこからは早かった。太い枝を踏み台にし、距離を一瞬で詰めたシリカは俺よりも威力が高めの連射銃を撃ちながら接近し、ナイフと格闘を混ぜ合わせた彼女独自の近接格闘術であっという間に相手の体力を奪いきった。待機場所に一際大きな歓声が上がる。

 シリカを写していた画面が切り替わったことを確認し、俺は視線を後ろに動かす。待機場所に転送されてからこちらをじっと見つめる気配を感じていたのだ。

 視界の中央に捉えたのは、二年間生きた異世界にいた幽霊を模したモンスターと酷似した一人の人間。すり切れたマントの裾から微かに足の先が見えていることから、プレイヤーであることに間違いはない。

 目深く被ったフードの中から深紅の瞳を輝かせ、眼前のプレイヤーは無言で俺を見下ろす。そこには俺に勝るとも劣らない濃い殺意がある。いや、あの世界で会った(・・・・・・・・)時よりも強くなっているだろうか。

 

 「ようやく会えたな、一応久しぶりとでも言っておこうか《デス・ガン》。」

 

 「……お前、本物だな。《鬼神》。」

 

 俺がかつて呼ばれていた二つ名を口にしたプレイヤー、もとい今回の接触対象である《デス・ガン》は一歩踏み出して距離を縮める。フードの中に収まる金属製らしき髑髏の仮面が明確に浮かび上がった。

 一度だけ会ったことにある気配に、俺のことを《鬼神》と呼んだこと。この二つから考えるに、奴はあの異世界で行われたデスゲームの生き残りだ。まぁ、録音された声を聞いた時からほぼ誰なのか予想はついていたのだが。

 

 「で、何のようだ?」

 

 「……聞かなくとも、分かっているだろう?」

 

 俺達の周囲が濃密な殺気で包まれていく。近くにいたプレイヤー達はそれに気づかず、食い入るように上のスクリーンを眺めている。当然だ、俺と奴は互いにしかそれを向けていない。端から見れば、ただ睨み合っているようなものだ。

 

 「……ボスに、刃を向けたお前は、いつか、殺す。勿論、いつも隣にいる、女もだ。」

 

 「あ?」

 

 身体が熱くなるのを感じながら俺は小さな身体を操って一歩踏み出し、奴との距離を更に縮める。もう視界いっぱいに顔が広がるような近さだ。

 

 「……だったら、俺も宣言してやる。お前を、殺す。」

 

 「……はは、やってみるが良い。やれるものならな(・・・・・・・・)。」

 

 ボイスチェンジャーを通した不快な声でそう言い残した《デス・ガン》は音もなく遠ざかっていき、やがて思って俺の視界から消滅した。俺は転送される前と同じ席に座り、腕を組んで瞼を閉じる。

 去り際の奴の言葉、あれは『ゲーム内からでも人間を殺すことができないお前とは違う』と言いたかったのだろう。実際、口調がやや自慢するようなものになっていた。つまり、まだ手口を暴かれていないと奴は認識している。

 一応依頼されているのは接触までだが、あの世界のことが絡む以上、元凶の部下の息子にあたる俺はこの事件を解決しなければならない。手口を暴き、この事件が起こった責任を果たさねばならないのだ。

 今手元にある情報は《デス・ガン》は複数名いること、その内にあのデスゲームの生還者とシュピーゲルと名乗るプレイヤーがいることぐらいだろうか。奴らの手口を暴くには情報不足と言わざるを得ない。

 結論を叩き出して脳内会議を終了させ、俺は顔を上げて目を開ける。飛び込んできた光景は幾つも戦場を写す巨大なスクリーン……ではなく、俺を覗き込むシリカの顔だった。

 

 「……待たせてごめんね。ちょっと考え事してた。」

 

 「謝らなくて良いですよ。真剣に何かを考えるソーヤさんの姿も格好良いですし、ずっと見ていたいと思えます。」

 

 しれっと自爆しながらシリカは隣にちょこんと座った。予想通りではあるが、彼女の顔は真っ赤である。どの世界にいようと、彼女の無差別爆撃は健在のようだ。

 

 「……シリカ、ちょっと大事な話があるんだけど。依頼に関するお話。」

 

 「……はい、何かあったんですか?」

 

 頬に若干の赤みを残しつつも、シリカは纏う雰囲気を真面目なものに変えて顔を近づけてくる。この話は誰にも聞かれてはいけないもの。普段の調査ならば人通りの少ない路地などに移動するのだが、今はそんな場所に移動することは不可能なのである。

 

 「……《デス・ガン》と接触した。そして奴は間違いなく俺達と同じ、デスゲームの生き残りだよ。」

 

 「……!!」

 

 声は出さずに目を見開き、驚愕を露にするシリカ。だが、驚くべき情報はこれだけに留まらない。今俺が持つ確実な情報を彼女と共有しておく。こうした方が安全だろうという俺の判断だ。

 

 「あと、さっき会ったシュピーゲルとかいうプレイヤーなんだけど、あいつも今回の殺しに加担している。だから気をつけておいて欲しい。」

 

 「……あ、あんな優しそうな人がですか?」

 

 「うん。今回の事件の犯人は一人だけじゃない。複数人による犯行だと考えられる。だってそうでもないと、ゲーム内から現実の人間を殺すなんてことできないからね。」

 

 「なるほど、わかりました。……はぁ、ソーヤさんにはいつも助けられてばかりです。」

 

 仕事の話を終えると、シリカがため息をつきながら俺に体重を預けてくる。彼女の悪い癖の一つに『自分を過小評価』してしまうという点がある。

 こういう時にシリカはよく助けられてばかりだと言うが、俺からすれば助けられている側は俺なのだ。彼女と鉄の城で出会ってから俺は何度も助けられた。

 シリカの身体を持ち上げて俺の膝の上に乗せ、いきなり何だと慌てる彼女を包み込むように抱き締める。普段ならすっぽりと収まるのだが、今の俺は身長が縮んでいるために顔が小麦色の髪に埋まってしまった。

 

 「それは違うよ。シリカは……こんな俺を受け入れてくれるだけじゃなく、何度も助けてくれた。獣に喰らわれた時だって、必死に探して俺を止めてくれた。だから、そんなことは言わないでほしい。」

 

 「ソーヤさん……。」

 

 この世界での俺の名前を呼びながらそのままの姿勢でもたれてくるシリカ。周囲から向けられる視線が痛いが、背に腹は代えられない。俺の優先順位は彼女がぶっちぎりで一番なのだから。

 

 ◇◆◇

 

 待機所の席に座る少年と少女の周囲にいた人間が砂糖を吐くか鼻血を出すかという珍事から少しの時間が流れ、大会の予選は現在各ブロック準決勝まで進んでいた。

 少年は今にも崩れてしまうそうなビルの一つに潜み、対戦相手からの攻撃を待っている。今回の彼の相手は随分な慎重派のようで、試合が始まって十分が経っても攻撃を一回もしてきていない。まぁ、もしかしたら彼が何処にいるかわかっていない可能性もあるのだが。

 

 「ふわぁぁぁ……はぁ、なかなか来ないな。」

 

 大きな欠伸をしながら少年はガラスが割れた窓からひょいと顔を出す。するとその瞬間、一発の銃弾が飛来してきた。当然のように予想していた彼は少しだけ首を動かし、紙一重のところで避けてみせる。

 

 「かかった。これでやっと俺も攻撃に移れる。」

 

 そう呟き、笑みを浮かべた少年はビルから出ると、一直線に獲物が潜む場所へと駆け出した。誰も見ていなければいちいちこんな面倒なことをしなくて済むのだが、今の彼を見る者は大勢いる。故に『相手の射撃で居場所を特定した』と見えるような動きが求められていた。

 しかし一度見つけたのならば、少年が手加減する必要は完全に消滅する。彼の対戦相手を待つのは、獣という自身よりも上位の捕食者によって散る未来のみだ。

 

 「ようやく会えたな。」

 

 「そうだな!《死神姉妹》の片割れサンよぅ!!」

 

 対戦相手の男はホルスターから小型の連射銃を取り出し、愚直に突進してくる少年に標準を合わせる。流石準決勝まで勝ち残った人間、彼の一回戦の相手とは向けられる殺意への慣れが違う。それでも若干指の震えがあるのは人間を逸脱した化物に本能的な恐怖を感じているからか。

 男の銃口から伸びる幾つもの半透明な赤の線が少年を捉える。それを確認した彼はあろうことか回避を選択せず、走りながら器用に太ももの拳銃を二丁手に持って前に構えた。勿論予測線は発生させずに。

 

 「何を企んでいるかは知らんが……死ねやぁ!!」

 

 「お断りだ。あと、死ぬのはお前だ。」

 

 男がトリガーを引くと同時に少年も一気に引き金を引く。そして数秒後に起こった現象に男は驚愕に目を見開いた。

 

 「なっ……!?嘘だろぅ!?弾をわざとぶつけて(・・・・・・・・・)攻撃を防ぐなんて!?」

 

 たった今少年は、飛来する銃弾をぶつけ合わせて自身に届く筈だったものを全て迎撃したのだ。これは光剣で銃弾を斬るというキリトの行動を見て彼が思い付いたことなのだが、これを成功させるには銃弾を斬るよりも難易度が桁違いに高い。

 光剣でならば表示された弾道予測線に刃を合わせれば良いだけなのだが、銃の場合は銃口を寸分の狂いもなく合わせることに加えて相手が銃撃を開始するタイミングを読んでトリガーを引かなければならないのだ。

 

 「驚いている場合か?」

 

 「しまっ……!!」

 

 男が驚きのあまり動きを鈍らせている隙をつき、少年は更に距離を縮める。彼の言葉に我に返った男だが、もう何をするにしても遅かった。懐に潜り込まれ、スイッチの入った光剣の輝きが見え始めている。

 それが最後に見た景色となった。次の瞬間には横薙ぎに振るわれた光剣によって上半身が斬り飛ばされ、その傷口から順にポリゴンへと姿を変えた。

 

 「これで本選出場か。で、最後の相手は……」

 

 決勝戦へと駒を進め、見事本選出場の枠を勝ち取った少年は暗闇の中で六角形の足場に立って最後の獲物の名を確認する。ウィンドウには《ペイルライダー》と表示されていた。

 試合開始まで特にすることがない少年はただじっとカウントダウンを見つめている。

 

 「……ペイルライダー、死の騎士か。可能性としては十分にあり得るな。」

 

 少年がそう呟くと同時にカウントダウンの表示がゼロになり、転移の光が彼を包む。最後の決戦の舞台は大きな遮蔽物のない崩れかけた吊り橋の上。所々凹んでいるガードレールの外は即死エリアだと言わんばかりに底が見えない暗闇になっている。

 背から狙撃銃を取り出した少年はスコープを最大倍率まで引き上げ、覗き込む。すると視界に小さくショットガンを片手に持ちながら右へ左へと三次元機動を描いて接近を試みる人間の姿が写った。どうやらこのステージは縦にやたら長いようである。

 あの変態機動を狙撃するのはやや面倒だと即座に判断すると共に相手が《デス・ガン》ではないことを確認した少年は手に持つ武器を同じく背負っている大型のアサルトライフルへと変え、ペイルライダーが視界に入ってくるのを待つ。

 

 「そろそろだな……来たっ!」

 

 待つこと数十秒、吊り橋のロープを飛び移って現れたペイルライダーに少年は構えていたアサルトライフルのトリガーを引き絞った。彼の視界に円形の表示が浮かぶが、その時には既に銃弾が吐き出されている。

 少年を捕捉しているにも関わらず、弾道予測線がほぼ存在しないという異常な攻撃に一瞬面食らったペイルライダーだが、その後すぐに冷静を取り戻してロープからロープへと移動を繰り返し、見事銃弾の雨を無傷で回避してみせた。

 そして少年が用済みとなった大型のアサルトライフルを収納する間にコンパクトな前転をし、立ち上がる勢いを利用して一気に距離を詰める。両者の間は約二十メートル程。彼はペイルライダーが持つショットガンの射程圏内にまで接近を許してしまった。

 

 「……シリカ程素早くない。いや、俺以下だな。」

 

 ペイルライダーのショットガンが火を吐く。しかし、もうそこに少年の姿はなかった。黒いシールドの奥に隠されたペイルライダーの表情に驚愕の色が浮かぶ。

 引き金を引く時には確実にいた筈の少年が消えたことに理解が追いつかず、ペイルライダーは僅かの間ではあるが動きが止まってしまった。そして当然、獲物の隙を獣は見逃さない。

 突如、ペイルライダーの背中に衝撃が走る。慌てて背後を振り返ればそこには脚を振り抜いた姿勢の少年の姿があった。だがそれもまるで見間違いかのように消えてしまう。

 困惑を隠しきれないペイルライダーに前、後ろ、横とあらゆる方角から攻撃が襲いかかる。一つ一つはそれ程大したことのないダメージだが、次のものが来るまでの間隔が短く、反撃すらままならずにガリガリと体力だけが削られていく。

 少年の変わらない戦闘スタイルである絶え間無い飽和攻撃は近接戦闘で最もその真価を発揮する。二年間生きた剣の世界で蓄積された剣の技術、刃一本で大勢の人間の蹂躙を可能とする獣の力が最大限発揮されるからだ。

 防御を捨て、機動性に特化したステータスが少年の動きをどんどん加速させていく。こうなってはもうペイルライダーに勝ち目はない。自身の体力が尽きるまでなぶられるのみだ。

 獲物を檻に捕らえた獣は片方の瞳を赤く輝かせ、終わることのない連撃を繰り出す。金属が仕込まれたブーツで蹴り、よろめいたところにすかさず追撃を行う。

 ペイルライダーは諦めずにどうにかして反撃を試みるが、少年に動きを見せる前に潰される。マスクで隠されていようとも、生じる感情は全て彼に読み取られてしまっていたのだ。

 それから数分後、死の騎士は獣の手の平の上で踊らされたまま敗北の時を迎える。

 振り上げた少年のナイフがペイルライダーの手首を切断し、ショットガンが宙を舞う。それを掴み、銃を奪った彼は銃口を突きつけてトリガーを引いた。

 ゼロ距離で放たれた必殺の一撃に耐えることなどできず、ペイルライダーは顔面を吹き飛ばされながらポリゴン片となって散る。

 予選ブロック優勝を祝う大きなファンファーレが響くなか、少年は持ち主を殺したショットガンを捨て、転移の光に身を任せて立ち去った。

 



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第五十八話 家族

 ◇◆◇

 

 「お二人さん、今回のも頑張ってるのね~。」

 

 「お母さん?いきなりそんな事言ってどうしたの?」

 

 暖かい日差しが差し込む日曜日、不意に俺の向かいに座る義母さんが一枚のプリントを眺めて発した言葉に隣の珪子が首を傾げる。俺も昼食のチャーハンを咀嚼しながら疑問符を浮かべた。

 

 「ん、ああごめんね。これよ、これ。」

 

 そう言って義母さんは俺達の前に一枚のプリントを見せてきた。どうやら国内最大級のゲーム情報サイトの一ページをコピーしたもののようだ。

 大きな見出しには『ガンゲイル・オンライン最強プレイヤーを決める第三回《バレット・オブ・バレッツ》本選出場プレイヤーリスト』と書かれている。まさか此処まで有名な大会だったのかと内心で驚きながらも最後の一口をスプーンで掬って口内へと放り込む。

 義母さんは『Bブロック一位:Soya』と『Cブロック一位:Sirika』の部分を指差してニコニコと微笑んでいる。彼女は俺達が依頼で様々なゲームの調査をしていることを知っている。当然それに命の危険性があることもだ。

 だが、義母さんは俺達に止めさせようとはしない。それどころか逆に応援する始末である。養子とはいえ、息子の立場である俺からするともっと自分の子供を大切にしてと言いたくなるが、あの時にああ言われては言っても無駄だと判断が下されてしまう。

 数ヶ月前に雇い主から初めて依頼された時、黙っておくのは良くないと俺達は全て隠さずに打ち明けたが、義母さんはあっさりと『創也が珪子を守ってくれるし、大丈夫でしょ。』と言ったのだ。てっきり反対されると思っていたために、驚きを露にしたことは今でもはっきりと覚えている。

 

 「え!?この大会ってそんなに有名なの!?」

 

 「そうらしいわよ。だって本選はこれが書いてあったサイトで生中継されるってあったし。だから今日はお父さんと二人で応援するからね。」

 

 「ブフッ!」

 

 義母さんから飛び出した衝撃の発言に思わず飲んでいたお茶を吹き出してしまう。幸いにも飛距離が短く義母さんにかかることはなかったが、テーブルがお茶まみれになってしまった。

 

 「創也さん!?大丈夫ですか!?」

 

 先程から驚いてばかりの珪子がテーブルの布巾で俺が吹き出してしまったお茶を拭き取りながら心配の眼差しを向けてくれる。それに大丈夫と答え、俺は義母さんへと視線を移した。

 キッチンから追加の布巾を持ってくる義母さんは珪子と同じような目で俺を見ている。あれは明らかに自分が特大の爆弾を投下したことを理解していない顔だ。

 いつもは天然なのか意図的なのか判別しにくいが、今回は天然で間違いない。全く、とんでもない母親もいたものだ。自分の子供達をデスゲームかもしれない大会に笑顔で送り出すだけにあきたらず、それを父親と一緒に観戦しようとは。

 

 「……義母さん、それ本気なの?」

 

 「本気も本気よ。やっと珪子と創也が仮想世界とはいえ事件の解決に向けて頑張る姿が見られるのだから。親っていうのは自分の子供が活躍する所を見たくて堪らないのよ。」

 

 ……まだ俺は義母さんのことを完全に知り尽くしていないらしい。まさか此処までとは思っていなかった。それは血の繋がった娘である珪子も同じようで、布巾を動かす手を止めている。

 しかしそこで義母さんの言葉は終わりではなかった。テーブルにかかったお茶の処理を終えた義母さんは椅子に座り直すと、じっと俺達二人を見つめる。彼女が纏う雰囲気は変化し、ほんの少し前までのふわふわした感じは欠片も無くなっていた。

 

 「でも、それ以上に自分の子供達が私達より先に死ぬことは耐えられない。今回の件だってどれだけ万全を期していると言われても、安心できないのが本音よ。」

 

 「義母さん……なら今からz」

 

 「こらこら、一度受けた仕事は最後までちゃんとやり通しなさい。そんな簡単に投げ出しちゃ駄目。」

 

 席を立って雇い主へと電話をしようとした俺は義母さんに止められ、再度腰を下ろす。ふと横を見れば、珪子は何も言わずにじっと座って義母さんを見ている。さも一度このような状況を体験したことがあるような感じだ。

 俺が座り直したことを確認した義母さんはこれまで見たことのない厳しい顔になる。周囲の空気もそれに応じて一段階重くなったように感じた。

 

 「珪子、創也。一つだけで良いから約束して……といっても珪子は二回目になるけど。二人共、絶対に還ってくること。二人揃ってじゃないと許さないからね!」

 

 その言葉には親として娘と養子の俺、いや息子を心から心配している感情がこれでもかと込められていた。勿論だが義母さんの感情は理解しているつもりだ。

 義母さんはソードアート・オンラインの事件も含めると、これまでに二回も愛しい娘をデスゲームかそれに近い世界へと送り出している。何時自分の子供が死んでしまうかもわからない不安は一度だけでも気を狂わせるには十分過ぎるものだ。

 しかし義母さんはそれを耐えるだけにとどまらず、三回目の送り出しをしようとしている。今回は止めろと言えば送り出さずに済むとわかっていてもだ。

 本音を言えばその言葉に頷きたくなかった。こんな俺を養子として迎えてくれた義母さんの心を不安で押し潰すなんてことはしたくない。だが、俺には首を縦に振ることしか道は残されていなかった。

 

 「……わかった。ちゃんと約束する。」

 

 「勿論!絶対に還って来るから!」

 

 「よろしい。それじゃ、行ってらっしゃい。」

 

 立ち上がって玄関に向かう俺達に、空の食器を片付け始めながら手を振る義母さんはいつもの笑顔に戻っている。されどそれが嘘で塗り固められた仮面であることに気づかない訳がない。

 思い出すのは俺を産んだ今は亡き母親。全てが変わったあの日の夜、包丁を片手に血塗れで帰宅した俺を母さんは気味悪がることなく出迎え、さらに今まで通りに育ててくれた。変わった点を挙げるなら、息子こと俺への溺愛が加速したことだろう。

 扉が完全に閉まるまでこちらを見ていた義母さんが俺のことを心配する母さんの姿と重なった。

 

 

 ◇◆◇

 

 先日と同じように創也さんと並んで未だに寒さが残る道を歩いていく。流石に手を繋いだまま彼のコートのポケットに入れるということはしていない。周囲の目もそうだが、何より私が恥ずかし過ぎて耐えられないのだ。

 それから歩き続けて数分、私達の間に会話は一切なかった。視線を上に動かしてその原因である義弟の横顔を視界の中央に捉える。創也さんは家から出てからずっと思い詰めたような、誰かに申し訳なく思っているような顔をしている。何か話題を出そうと思っても話しかけにくい感じだった。

 私の恩人兼恋人があんなに悩んでいるのに、何もできない自分が嫌になる。彼と出会って約三年近くが経った。これまでに何度か彼を助けたことはあったが、それとは比較にならない程彼に助けられている。この差はきっと永遠に埋まることはないだろう。

 

 「「はぁ……。」」

 

 思わずため息が出てしまった。だがそれが創也さんと被っていたことに気づき、驚きながら首を動かす。同じくこちらを向いた彼の黒い瞳の中に私が写った。

 私はそんなに強くない。だから大丈夫だと言われても自分が無力だと実感することがあると「それは違う」と否定したり、一度感じた恐怖を振り払えないでいる。

 皆そうだ、私と同じだと言われてしまえばそうなのかもしれないが、どうしても隣にいる彼と比べてしまうのだ。その度に私は自己嫌悪に陥る。

 

 「……珪子、大丈夫?」

 

 ほら、今回もだ。創也さんは向き合った姿勢のまま動かずに、こちらを覗き込むように見つめてくる。卑屈になった私を救おうとするために。

 だけど……今一番救いが必要なのは彼の方だ。私の自己嫌悪は定期的にあるようなものだが、創也さんがあんなに思い詰めた表情をするのは珍しい。故に優先されるのは向こうなのだ。

 

 「はい、大丈夫ですよ。それよりも創也さんの方こそ大丈夫ですか?ずっと黙って思い詰めた顔をしていますけど。」

 

 「……そんなことないよ。」

 

 私の言葉に創也さんは笑顔を浮かべて応えるが、それが感情を隠す為の仮面であることはお見通しだ。彼は本当に感情を隠すことが上手い。彼が心を開いている和人さんや明日奈さんであっても読み取れない程に。

 でもそれはもう通じない。あの森で出会ってから多くの時間を共に過ごし、恋人となり、今では義姉となった私だけには。私だけが、仮面の奥に隠された彼の感情を見つけることができる。

 

 「……お母さんのこと、ですよね?」

 

 「……!!」

 

 図星だと言わんばかりに目を見開く創也さん。今思えばお母さんとの約束をする時から少しおかしかった。元気良く返事した私とは違い、彼は歯切れが悪かった。仕方なく、そんな感じだったのだ。

 

 「話して下さい。お母さんのことなら、きっと私にも関係のあることでしょうから。」

 

 「……わかったよ。」

 

 いつもよりやや強めの口調で問い詰めれば、創也さんは周囲に聞こえないよう、小声でその悩みを打ち明けた。超至近距離から私の鼓膜を鳴らす彼の声に脳が蕩けそうになるのを必死に我慢していたのは内緒だ。

 

 「……やっぱり、お母さんは我慢してたんですね。創也さん、教えてくれてありがとうございました。」

 

 全てを私に打ち明けてくれた大きな義理の弟にお礼を言う。すると彼は「むしろ話さなかった俺が悪いよ」と頭を下げた。

 創也さんが話したのは、私達を送り出した時のお母さんの笑顔が仮初めのものであったこと。そして……自分を家族に迎えてくれたお母さんの心を壊したくないという彼の願いだった。

 何度も信用を弄ばれたという過去を持つ創也さんは、裏切りを極度に嫌うようになってしまっている。裏を返せば、非常に義理堅い性格なのだ。それに加えて自分のことを人外だ、獣なんだと認めている。

 恩義のある人にさらに心配をかけたくないと思っているが、それが許されない状況下に創也さんはいる。俺の過去を知っても笑顔で家族にしてくれた人達にまた恩を重ねてしまうのか、彼の心中はきっとこんな感じだろう。

 

 「私は、創也さんがそんなことで悩む必要なんてないと思います。」

 

 「……!?」

 

 だからこそ、創也さんがまだ完全に私達の家族になりきれていないと感じる。子供というのは親に迷惑をかけずに生きることなんてできない。私にも返しきれない程の恩がお母さんとお父さんにはある。

 真っ先に思い浮かぶのが、ほんの少し前にあった妖精の世界に囚われた創也さんと明日奈さんを和人さんと一緒に救出しに行ったときのことだ。

 お母さんは私が再び仮想世界に飛び込むことに強く反対していたが、結局は私の我が儘を通してくれた。それだけでなく、折れかけていた私の心を立ち直らせることもしてくれた。

 事情を聞いたお父さんも止めろとは言わずに、早く会わせてくれとむしろ応援してくれた。

 自分と血が繋がった子供が愛おしくない訳がない。最終手段としては私からナーヴギアを無理矢理に取り上げることだってできた筈だ。なのにお母さんとお父さんはそれをしなかった。

 

 「だって、私達は『家族』なんですよ?無理に恩を返さなくて良いんですから。」

 

 「『家族』……。」

 

 「そうです。受けた恩を返そうなんて考えなくて良いんですよ。『家族』なんですから。」

 

 創也さんはお母さんにこれ以上恩を重ねたくないと言った。だがそう思ってしまうのは、彼がまだお母さんを母親だと認めていないと証明しているようなものだ。母親だと認めていたのなら、普通そんなことは思わないからである。

 

 「そうだ、『家族』だもんね……ありがとう。珪子。」

 

 「どういたしまして、創也さん。」

 

 思い詰めた表情が剥がれ、笑みを浮かべながら感謝の言葉を口にする(創也さん)()も笑顔で返す。やはり、彼には一番笑顔が似合っている。

 

 「?珪子は何で笑ってるの?」

 

 「ふぇ?……あぁ、何でもないですよ。」

 

 どうやら無意識に口角が上がっていたようだ。創也さんの疑問を誤魔化しながら、私は若干火照った顔を隠すように歩調を上げた。

 

 

 ◇◆◇

 

 病院に到着した少年と少女は前回と同じ病室の扉を叩く。直ぐ様扉は開かれ、彼らのリハビリを担当した神野ナースに出迎えられた。

 

 「随分と早く来たんですね。大会は夜八時からと聞いていますが。」

 

 「まぁ、ギリギリに焦ってログインするよりかはマシかと思いまして。」

 

 病室の壁に掛けられた時計は現在三時半を回ったところ。大会開始までに約四時間半程ある計算だ。

 神野ナースの問いに応えながら少年は上着を脱ぎ、設置された仕切り版の奥へと移動しようとする。その様子を見た彼女は「ちょっと待ってください」と一旦彼を引き留め、首を傾げる二人をまじまじと観察し始めた。

 

 「創也さん、何処か吹っ切れた顔をしていますね。珪子さんも雰囲気が普段より明るい感じがします。何か良いことでもあったんですか?」

 

 「え?……私達そんなに分かりやすかったですか?」

 

 「分かりやすいも何も、リハビリは患者のそういうところも見ないといけないので自然と観察眼が上達するんです。」

 

 自分の顔をペタペタと触りながら驚きの色を浮かべる少女に神野ナースは指を立てながら優しく説明する。そして……続く言葉で爆弾を投下した。

 

 「まぁそれは置いておい、もしかして良いことというのは……とうとう夜の営みでもやったのですか?」

 

 「「……!?」」

 

 今回も見た目のイメージをぶち壊した神野ナースの言葉に、少年と少女の動きが硬直し、林檎が熟れるのを早送りするように顔がだんだん赤くなっていく。

 完全にそうだと解釈される反応だが、どうにか再起動を果たした少年が神野ナースが理解するより先に動き出した。

 

 「違いますって!此処にくる途中で俺の悩みを解決してもらっただけですから!!」

 

 「あら、そうだったのですね。てっきりそういうことだと勘違いしてしまいました。」

 

 「もう止めてください……。俺もそうですけど、珪子の方が耐えられません。」

 

 そう言って少年が指差した先には、未だ動きがとまったままの少女がいた。彼らは揃って耐性が低いが、特に少女の方はないと言っても過言ではない。現在のように一撃食らっただけで行動不能かそれに近い状態までなってしまう。

 少女の有り様を確認した神野ナースは軽い謝罪の言葉を口にしながら、今のうちにと少年の方の準備を進めていく。心電図モニター用の電極を全て張った少年はジェルベッドに横たわると同時に、両手で二重円の形状をしたヘッドギアを持ち上げた。

 

 「すいませんが、珪子が戻ってきたら前と同じ場所にいると伝えてくれますか?。」

 

 「了解しました。あ、菊岡さんからまた伝言がありますけど聞きますか?」

 

 「聞きません。どうせ前みたいにからかってくるだけでしょうし。あと、大会は夜八時からなので何かあるとしたらそれ以降だと思います。それじゃあ、行ってきます。……リンク・スタート。」

 

 「頑張ってきてくださいね、《鬼神》と呼ばれた最強のプレイヤーさん。」

 

 神野ナースの言葉に驚愕する少年だったが、それを表情に浮かべる間もなく彼の魂は仮想世界へと誘われた。

   



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第五十九話 情報交換

 UA三万突破しました!ありがとうございます!


 ◇◆◇

 

 神野さんの発言により、俺達がこっちの(仮想)世界で合流するのに約十五分を要した。恐らくだが、シリカが回復した直後に再び爆撃を食らわしたものだと思われる。あのナースは見た目の清楚さに反し、とんでもないことを次々と発言するのだ。

 きっと彼女から逃げるようにログインしたのだろう、未だ頬を朱に染めて無言で俺の腕を抱えるシリカを連れて大会のエントリーをしに総督府へと歩きだす。少しばかり歩きにくいが、仕方のないことだと割り切る。

 大通りに出るとたちまち俺達は注目の的となった。以前から《死神姉妹》として有名だったが、その時とは比較にならない数の視線を感じる。幸いなのは、声を掛けてくる人間が誰一人としていないことだ。まぁ、待機場であんなことをしてしまったのだから当然だろうが。

 俺が一歩踏み出すと同時にその方向にいた人間達が二歩距離を取り、さながらモーセが海を割るが如く勝手に道ができていく。

 大会でもこうして数人が俺達との戦闘を避けてくれたら良いのにと思いつつ、その道を歩いて目的地を目指す。俺が此処にいるのは遊ぶ為ではない、責任を果たす為だ。

 

 「……そういえば、奴はキリトと接点があるのかな?」

 

 思い出したのは二年前に巻き込まれたデスゲーム。今の仲間達に俺の過去を話した時のことだ。確かキリトは《デス・ガン》の一人が幹部を務めていた最低最悪のギルド《ラフィン・コフィン》の討伐戦に参加していたと言っていた。ならば奴との間に接点があってもおかしくはない。

 これは一度キリトに会っておかなければならないと思いつつ、予選のエントリーを行ったものと同じ端末の前に到着した俺はシリカに視線を移す。

 

 「シリカ、着いたよ。どう?動ける?」

 

 「はい……突然すいませんでした。」

 

 「謝らなくて大丈夫だよ、仕方ないことなんだから。」

 

 俺の前で俯くシリカの頭の上にポンと手を乗せ、優しく撫でる。しかし現実の身体と比較してこの仮初めのものが小さいことを失念していた。必然的に顔が近づき、視界いっぱいに彼女の顔が広がる。

 

 「「あっ……。」」

 

 だんだんと顔に熱を帯びていくのを感じながらシリカの方を確認すると、彼女の顔もじわじわと赤く染まってきていた。折角回復しかけていたのに、これでは神野さんのことを悪く言えないではないか。

 俺達はお互いをじっと見つめたまま動けず、時間だけが流れていく。早くこの状況をどうにかしなければならないことはわかっているが、恥ずかしさで顔を赤くするシリカが可愛いと思う感情がそれを邪魔している。きっと彼女の方も同じの筈だ。

 相手のことを愛してやまないのにあともう一歩が踏み出せない、それが俺達の関係なのだ。

 

 「お?ソーヤにシリカじゃないか。随分と早いな。」

 

 「「……!!」」

 

 突然掛けられた声に、俺はシリカの頭から手を離して一歩後退する。彼女は名残惜しそうな表情を浮かべるが、誰かが近づいてきていることに気づくとそれを引っ込めて声の主の方へと視線を移した。

 予想通り、俺達に声を掛けたのはキリトだった。意外なことに彼の後ろにはシノンもいる。予選の時に何かやらかしたことを未だ根に持っているのか、猫のように水色の髪を僅かに逆立てて彼を睨んでいる。

 

 「それを言うならキリトさんもじゃないですか。まだ大会まで三時間ぐらいあるのに。」

 

 シリカは相手が誰であろうと自分を偽ることはせず、同じ態度で接する。だが、俺は一人でも信用ならない人間が場にいると仮面を被って本来の自分を隠す。亡くなった母さんの言う友達が手に入ろうと、そうでない人間への態度を変えるつもりはない。

 

 「……何の用だ?」

 

 「いや、今からシノンと情報交換でもしようって話になったんだ。だからお二人もどうかなと……。」

 

 背後にいるシノンの圧力の影響でキリトの口調が普段より弱々しく感じるのは気のせいだろうか。よくよく観察すれば冷や汗をかいているように見える。

 とまぁそれはさておき、キリトの誘いはちょうど良いタイミングだ。彼に確認したいこともあるし、シノンが今回の事件に加担しているか大会前に探っておいて損はない。俺とシリカは顔を見合わせて頷き、参加の意を示した。

 

 

 ◇◆◇

 

 総督府一階の端末でエントリーを済ませた後、シノンは少年ら三人を地下一階の巨大な酒場ゾーンへと連れていった。限界にまで絞られた光源はこの場にいるプレイヤー達を見分けがつかないようにしている。

 シノンは空いていた席に腰を下ろすと、メニューを表示している金属版に触れる。するとテーブル中央からアイスコーヒーが飛び出した。それにならい、少年達もそれぞれドリンクを注文すると以前と同じ位置に座る。

 

 「……んぐっ。今日のバトルロイヤルはざっくり言えば、同じマップに参加者三十人がランダムに配置されて、最後の一人にまるまで戦うって感じってことだよな?」

 

 「おいキリト、お前は運営から送られてきたメールを読んでないのか?そんなんじゃ、情報交換なんて言えないぞ。」

 

 「い、一応読んだけどさ……。」

 

 ジンジャエールを半分程飲み終えてから会話の口火を切ったキリトに少年は呆れ顔を浮かべる。隣の少女も彼の言葉に同意するように頷いた。シノンもやはりそのつもりだったかとグラス越しに彼を睨む。

 四面楚歌とも言える状態で身を縮こまらせるキリトは、わざとらしい咳払いで誤魔化そうとする。三人の視線の温度が若干下がった。

 

 「その、こういう解釈であってるよなと確認しておきたくて……。」

 

 「キリトさん……。」

 

 「ものは言い様ね。はぁ……一度しか言わないから良く聞いておきなさい。」

 

 大きなため息を一つついたシノンはグラスを卓上に戻し、やや早口でルールの説明を開始する。

 それからプレイヤー同士は最低でも千メートル離れていること、大会が行われるマップは直径十キロの円形であることや十五分毎に全プレイヤーの位置情報が伝えられることなど、基本的なことを話し終えたシノンはこれで終わりだと席を立とうとした。

 ところがそれを慌ててキリトが袖を掴んで引き留める。その姿を見た少年と少女は半ば無意識に自分達の雇い主と重ねた。

 

 「……まだあるの?」

 

 キリトへの嫌悪感をこれでもかと表情に浮かべるシノンにもめげずに彼が首を縦に振ると、彼女は再び席に座ると冷たい視線だけで続きを促した。

 シノンの威圧感に急かされながらもメニューを操作し、キリトは目的のページを見つけると可視化の設定にしたウィンドウを表示する。テーブルに広がるように写された画面を三人は覗き込む。

 少年達四人だけが視認できるウィンドウには今回の本選に出場するプレイヤー三十名のリストがあった。その中には当然彼らの名前もある。

 

 「……まさか改めて勝ち誇ろうってつもり?」

 

 「ち、違うよ。そんな理由じゃない。聞きたいのは……この中で知らない名前は幾つある?」

 

 「はぁ?」

 

 何故そんなことを、と怪訝な顔をするシノンに構わずにキリトは頭を下げて頼み込む。更に彼の意図を察した少女も一緒にお願いをしたことで、彼女は首を傾げながらも列挙された三十の名前に目を落として己の知らぬプレイヤーを探し始めた。

 それから数分の後、シノンが挙げたのはこの場にいる少年達を覗いて三名。日本語で表記された《銃士X》、アルファベットの《ペイルライダー》、最後に誤入力だと思われる《スティーブン》。その三つの名をキリトは口の中で何度も繰り返す。奴らの誰かが以前自分と出会った死神であることを確信しながら。

 完全に自分の世界へと入ってしまったキリトに苛立ちを隠せないシノンはわざと彼の視界に入るように人差し指でコツコツとテーブルを叩く。

 

 「……そろそろ怒るわよ。聞くだけ聞いておいて勝手に考え事をし始めるなんてふざけているの?」

 

 「あ……ごめん。でも違うんだ、そうじゃなくて……。」

 

 強く唇を噛むキリトをシノンだけでなく、少年と少女も目を向けていた。特に少年は何かを探るように彼の様子を観察している。

 

 「もしかして、予選の時にあんたが急におかしくなったことと関係あるの?」

 

 「え……。」

 

 キリトを視線だけで殺せそうな程強く睨んでいたシノンが突然紡いだ言葉に、彼は絶句した。少年と少女は初耳だと彼に向ける意識を強める。そして彼女の問いに頷いた彼の口からごくひそやかな声が漏れ出て、その時のことと《デス・ガン》との関係を明かした。

 お互いの命を賭けて殺し合いをしたこと。己が持つ剣で決着をつけるしかなかったこと。最後に……そのことに関して後悔はしていないが、ずっとその負うべき責任から逃れていたこと。

 到底嘘とは思えない真剣な表情と口調で語られたキリトと《デス・ガン》の因縁にシノンと少女は無言で瞳を伏せ、少年は目的を達成したのか視線を彼から外した。

 

 

 「……キリト、もしかしてあのゲーム(・・・・・)の中に……?」

 

 口をつぐむキリトに再度目を合わせたシノンの問いは当然のことだった。彼の話に出てきた『殺し合い』、『剣』、『ゲーム』という単語……これらから連想されるのはたった一つ。その者があのデスゲームの生き残りであることだ。

 

 「……ごめん、聞いちゃいけないことよね。」

 

 「……いや、大丈夫だ。」 

 

 その言葉を最後に、少年ら四人を固く張り詰めた沈黙が包む。キリトとシノンはお互いの瞳を見つめあい、少女はこの雰囲気に耐えられず隣の愛する人へと身を寄せる。そんな中、彼は少し前までキリトに向けていた何かを探るような視線をシノンへと移していた。

 少年がこの情報交換とは到底言えない集まりに参加したのは、接触対象とキリトの関係の確認、それとシノンが犯人の一味の一人なのかを探る為である。

 この集まりとこれまでのシノンの様子を踏まえ、少年は暫定的ではあるが一味ではない(シロ)と判断している。

 ところがこれには一切の証拠がない。故に彼は一人目の死神を暴いた際に用いた手段を講じた。

 

 「シノン、一つ聞きたいことがあるんだが……。」

 

 「……何よ、アンタもあるの?」

 

 「ああ。お前は『もしその弾丸が現実世界の人間を殺すとしたら、引き金を引けるか』?」

 

 「……!!」

 

 少年の言葉にシノンとキリトは顔を彼へと向け、少女は彼を見上げる。奇しくもそれは予選の決勝で戦ったキリトがシノンに向けた発した言葉に酷似していた。

 息を呑むシノンから数秒たりとも少年はその黒と赤の瞳を外そうとない。相手の感情を容易く見透かす人ならざる者の瞳は水色の髪の狙撃手を捉え続ける。

 果たしてその状況がどれだけ続いただろうか。実際の時間はわからないが、じっとシノンを見つめていた少年は「違ったか」と誰にも聞こえない小さい声で呟くと、隣の少女の肩を優しく叩いて立ち上がった。

 

 「……俺達は先に移動しておくぞ。大会開始まで一時間を切ったからな。」

 

 「キリトさん、シノンさん、先に行ってます。」

 

 「ああ……わかった。」

 

 未だ席に座ったままのキリトとシノンを置いて、少年と少女は酒場の隅に設置されているエレベーターへと姿を消した。

 

 

 ◇◆◇

 

 下向きのボタンを押し、エレベーターに乗り込んだ私達は大会の待機ドームへと向かう。自分の身体が落ちていくような感覚と機械の音が満たされる狭い空間に、仮面を外したソーヤさんの声が響く。

 

 「ごめん、シリカ。勝手に動いて。」

 

 「いいんですよ、そんなことで謝らなくても。それよりも……ソーヤさんがそうやって動いたってことはまた何か分かったんですか?」

 

 「うん、前にシノンと親しそうだったシュピーゲルが犯人の一人だということは話したと思う。だからシノンもそうなのか気になったんだ。」

 

 「それで……どうだったんですか?」

 

 どんな答えが返ってこようとも受け止める覚悟をし、ソーヤさんに問う。自分で言うのもなんだが、私は心優しい性格だ。だから何度か話して顔見知りになったシノンさんが今回の事件の犯人だと判明しても、はいそうですかと簡単には納得できないと宣言できる。

 だけど、私達がこのゲームをしているのは遊ぶことが目的ではなく調査のため。はっきり言って、私の個人的感情なんて関係ない。ただ調べてこいと依頼されたことを調べれば良いだけの話なのだ。

 そうやって自分に言い聞かせるように内心で呟いていると、ソーヤさんがこちらを見て笑顔を浮かべた。

 

 「あの質問をした時の反応からだけど、多分関係ないと思うよ。良かったね。」

 

 既に全てお見通しだったようだ。故にソーヤさんは続けて言葉を口にする。

 

 「シリカ、気負い過ぎないようにね。これは依頼であることに間違いはないけど、一応ゲームなんだから少しは楽しまないと。ほら、予選のエントリーの時に言ってたでしょ?『本選で遭遇したら容赦しませんから!』って。俺はそれを今日一番の楽しみにしているんだから。」

 

 脳裏に浮かんだのは予選のエントリーを終えた時のこと。あの言葉は意識して言ったものではない。自分でも忘れかけていたことだ。しかしそれを彼が今日の一番の楽しみにしているというならば、頑張らねばならない。私は両拳をぎゅっと握った。

 ソーヤさんは微笑みを浮かべたまま私の頭に手を伸ばそうとしたが、突如顔を赤くして止めた。総督府での一件を思い出したのだろう。彼は私のことになるとたまにポンコツになる。そういうところが年下のようで可愛らしい。

 

 「ほらほら、頭撫でて下さいよ~。」

 

 「うわ!?止めろ!というか、それで恥ずかしくなるのはシリカの方もでしょ!?」

 

 羞恥心を堪えながら自分の頭をソーヤさんの身体にグリグリ押しつけると、彼は更に顔を赤くして慌てる。こういう表情を見せるのは決まって私と二人きりの時だけだ。本来の性格を封じる仮面が外される和人さんや明日奈さん達の前でもいつも彼は冷静沈着でいるからこそ、私は特別なんだと感じられる。

 

 「ふふっ。」

 

 漏れ出た笑いに、意図せずに口角が上がっていたことを自覚する。依頼なんだと気負っていた私はいつの間にか、堪えていた羞恥心と共に何処かへ行ってしまった。

 

 「はぁ……シリカ、途中で負けないでね。《デス・ガン》は勿論、キリトやシノンとか他のプレイヤーにも。」

 

 「その台詞、そっくりそのままソーヤさんにお返しします。私の今日一番の楽しみはソーヤさんと戦うこと(・・・・・・・・・・)なんですから。」

 

 「!……よし、行くよ!」

 

 「はい!」

 

 私達が拳を打ち付けあうと同時にエレベーターが乱暴に停止した。じわじわと見えてくる景色は薄暗く、戦いの開始を告げるような鉄と硝煙の匂いが押し寄せてきた。

 やがて扉が完全に開くと、私はソーヤさんとは別方向へと歩きだす。そんな私を止めずに、また彼も反対方向にすたすたと歩いていく。周囲から疑問の視線を向けられるのを感じるが、気にしないでおく。

 不安だという気持ちがあることは否定しない。当然、これが依頼であることも忘れてはいない。だが、今の私の心は恩人でも義弟でも恋人でもなく、最大の敵となったソーヤさんとの戦闘への期待感で満たされていた。   



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第六十話 死体=無敵の盾

 遅れてすみません。またも完成しかけたデータが一度吹き飛びました。

 あと、今回の話はタグにある『シリカ強化』が結構あります。


 ◇◆◇

 

 周囲に気配が無いことを再度確認してから背負っているスナイパーライフルを取り出して伏射体勢になり、スコープを覗く。この先に敵がいることは既に把握している。勿論、俺が持つ反則じみた力でだが。

 倍率を最大にしたスコープの中心には呑気に端末を開く名も知らないプレイヤーが一人。この大会では遭遇しないという致命的な事故を防止するため、自動配布される端末に参加者全員の位置情報が表示される仕組みになっている。因みに間隔は十五分である。

 そして今が丁度その時間だ。この時間は大抵のプレイヤーが端末で情報を確認するため、格好の的となる。幾ら物陰に身を隠そうとも、全方位から攻撃を防げる場所なんぞこのフィールドには存在しない。

 深呼吸をするように細く長く息を吸い、吐き出す。緩やかな呼吸と心拍数により、視界に写る半透明の緑色の円も拡大と収縮の速度を遅めていく。

 

 「……終わりだ。」

 

 円が最小サイズになった瞬間を見逃さず、トリガーを引く。放たれた銃弾は寸分違わずに標的の脳天を貫いた。流石スナイパーライフル、軽量重視されたものであっても当たりどころが良ければかなりの威力がある。

 何が起こったのかわからないという表情を浮かべたまま、ばたりと倒れたプレイヤーの身体の上に《Dead》と赤い文字列が浮かぶ。これで奴は脱落という訳だ。脱落したプレイヤーはその死体に意識を残したまま大会が終了するまで待機となる。一応あれには使い道が一つだけ存在するのだが、今は使う必要もないので放っておく。

 さて大変なのは此処からだ。先程の狙撃により位置が露見してしまったため、今から数分間は非常に狙われやすくなる。おまけに位置情報が送信された直後であることと、《死神姉妹》として有名であることが重なって危険性が更に跳ね上がってしまう。

 普通のプレイヤーならばほぼ確実に見つかり、始末されてしまうこの状況。されどそれはあくまで『普通』の話。俺は人の皮を被った『化物』だ。

 今いる場所へと駆けてくる気配から逃げることは不可能と判断し、近づかれても見つからないような生い茂った草むらの中に身を潜める。位置情報があるとはいえ、細かいところまではわからないので結局は己の視覚で相手を見つけるしかないのだ。

 

 「……数は三か。どうやら手を組んだようだな。」

 

 息を潜め、背中合わせで周囲を警戒しながらこちらにやってくる三人組を捉えた。敵が減るまで一時的に手を組むことは別に禁止されていない。恐らく、俺とシリカを殺る為だろう。でなければわざわざ俺の方に来る理由がない。

 

 「……よし、全員ヤルカ。」

 

 音を立てぬよう慎重に移動し、腰部の連射銃を両手に持つ。一発でも食らえば敗北は免れない。だが俺はシリカと遭遇するまで殺られる訳にはいかないのだ。

 

 「さーて、何処にいるかn」

 

 「此処だ。」

 

 草むらから一気に飛び出し、指を触れさせる間もなくトリガーを引く。標的は弾道予測線を見て回避を試みるが、既に脚を撃ち抜かれており、瞬く間に身体を風穴だらけにして死体へと変貌する。

 残りの二人が銃声のする方に振り向くが、そこに俺はもういない。防御を犠牲にすることで手に入れた圧倒的な機動力で背後に回り込んでいた。

 これで終わりだと引き金に指をかけるが、長年の勘からか発砲する前に避けられる。やはりこれまでに殺ってきたプレイヤー達とは比べ物にならない。だが……所詮はその程度。人間の範疇に収まってしまう強さである。

 

 「このっ!」

 

 向けられた二つの銃口から赤い線が伸びてくるが、それが身体に当たる前に行動を開始する。何せ、この世界に来たばかりの時はこの線がダメージを与えるものだと思っていたのだ。故に避けることは容易い。

 姿勢を低くし、ただでさえ小さい被弾面積を更に小さくしながら光剣のスイッチを入れる。命中すれば必殺の一撃となる実体を持たない刃がぶぅんという低い振動音と共に現れた。

 

 「……そうだ、キリトのやつ試してみるか。」

 

 接近する速度はそのままに、光の刃を近くにあった弾道予測線を遮るように置いてみる。するとオレンジ色の火花が光剣の表面で弾けた。なるほど、これは面白い。

 感覚を掴むようにわざと弾道予測線の近くに寄っては光剣で弾きを繰り返す。その行動を煽りと取ったのか、標的の二人は額に青筋を立てていた。俺からすれば練習台にしかならないお前らが悪いとしか思えないのだが、違うのだろうか。

 弾いた銃弾が立てる甲高い唸りを耳元で何回も聞かされるのはかなり疲れるが、それを越える面白さのあまり結局計二十発以上の銃弾を弾いてしまった。

 

 「このっ……化物が!!」

 

 「とうに知っている。」

 

 悪態をつきながらも標的二人は慣れた動作で空になったマガジンを捨て、追加の弾を装填する。無数にあった弾道予測線が消えたこの瞬間を逃す訳がない。地を全力で蹴って速度を引き上げ、光剣が届く距離まで一気に詰める。

 突然視認するのがやっとの速さで動きだした俺に動揺を隠せず、奴らの意識がこちらに向いて手の動きが若干遅くなった。今は、そのコンマ数秒があれば十分だ。

 突進の勢いを乗せ、ただ愚直に突きを繰り出す。普通であればどうぞ避けて下さいと言っているような攻撃だが、俺の異常な突撃速度の影響により不可避の一撃へと変貌する。

 狙われた一人が弾を装填し終えて銃口を向けた時には時既に遅く、光の刃に身体を貫通されていた。最大まであった体力が全て奪われ、餌食となった者は脱落する。そしてこの間にもう一人が何もしない、なんてことはない。

 先程の一撃により前方に標的の一人ごと吹き飛んだため、現在俺は最後の一人に背を向けている状態である。つまり、格好の的ということだ。

 勝ちを確信し、トリガーを引き絞ろうとする標的の様子がありありと想像できる。確かに振り返っている間に撃ち抜かれるだろうし、銃で対応しようにも相討ちになる。更にナイフや光剣も届かない距離。俺の持つ武器では確実に殺られる……そう、俺の持つ武器では(・・・・・・・・)だ。

 スイッチを切った光剣を収納し、空いた両手で目の前に転がる死体を掴む。

 

 「死ねぇ!!」

 

 最後の一人がそう叫び、発砲する。それが聞こえると同時に俺は掴んだ死体を前面に出した。俺を捉えていた弾道予測線は死体に遮られ、その軌道上を馬鹿正直になぞって飛来する弾丸が次々と死体に直撃していく。だが、悉く全てが《Immoral Object》と表示されるウィンドウの前に弾かれた。

 これが唯一の活用方法である。プレイヤーの意識を残した死体は大会終了まで破壊不能オブジェクトとして残るため、こうすればどんな攻撃も防いでしまう最強の盾へと変身するのだ。

 

 「ほら、仲間の亡骸だ。受け取れ。」

 

 持ち上げていた死体から手を離し、地面に落下する前に回し蹴りを放つ。かつて仲間だった者に向けて発射された無敵の防壁の背後に直ぐ様ぴたりとついて追従を開始する。発砲音が聞こえるが、今の状態では被弾するなどあり得ないので気配の感知に意識を集中する。

 そして迫る死体を横に転がって回避した標的は側面から俺を狙おうとした。しかしそこに人影はもういない。奴の行動は気配の動きでまるわかりである。

 俺の姿を見失い、困惑しながら周囲を見渡す標的の背後を光剣で真っ二つに切り裂く。割れた顔は突然の死による驚愕に染まっていた。

 タネは至極単純なことだ。転がることで標的の視線が外れた僅かな間を利用し、もう一度草むらの中に隠れただけである。

 

 「さて……これからどうしようか。」

 

 そう呟き、なんとなく空を見上げた。一人を狙撃した時が二度目の位置情報送信だったため、大会開始から約三十分と少しが経ったことになる。

 俺が仕留めたプレイヤーはあの三人組で五人目。恐らくこれで周囲にいた者は全滅したことだろう。そろそろ大きく移動するべきだ。光剣をしまい、マップの南にある岩山へと視線を動かす。

 因みに、俺とシリカは幸運なことに真反対の位置に送られていた。即ち、遭遇するのは必然と終盤になる。

 今だけはただのライバルとなった彼女との戦闘に期待を募らせながら、俺は地を駆け出した。

 

 

 ◇◆◇

 

 「珪子も創也も結構飛ばしてんなぁ。これ、後半まで体力持つのか?」

 

 「いやいや、二人とも有名人だから狙われてるんじゃないかしら?確かあのゲームの世界じゃ《死神姉妹》だとか言われているそうよ。」

 

 現実世界のソファーに腰掛ける男女はテレビに映る自分らの子供達を眺めながら言葉を交わす。その男女は言うまでもなくシリカとソーヤの両親であった。

 綾野夫妻は勿論殺し合いに最愛とも言える娘と息子が巻き込まれる危険性があることを重々に承知している。されどその上で頑張ってこいと二人を送り出したのだ。心臓に毛が生えているどころの話ではない。

 

 「《死神姉妹》ねぇ……。まぁ、こんだけ敵を倒していればそう言われてもおかしくはないか。」

 

 ずっと画面に映りっぱなしの二人を見ながら父親は言う。この中継はどうも戦闘中のプレイヤーを優先的に写すようになっている。つまり画面に映り続けているということは戦闘を行い続けているということだ。

 

 「あら、あなた。創也がちょっとピンチかもよ。」

 

 「なんだと!?」

 

 母親の言葉に驚いた父親はリモコンを使い、息子が映る画面を拡大する。彼の魂が宿る黒髪のオッドアイの少年は背後をとられ、銃口を向けられていた。父親の瞳に不安の色が浮かぶ。

 

 「おい……殺られて現実でも死ぬなんてことはないよな?」

 

 「……ないと思うわ。創也曰く『ゲームの中から現実の人間は絶対に殺せない。現実世界から何かしないと無理だ。』って。そして二人は今病院にいる。死ぬなんてあり得ない。」

 

 父親の問いに答えた母親だったが、彼女もまた不安を拭い去れないでいた。僅かに声は震え、口調もやや固いものになっている。子供達に漏らした母親の本音は紛れもない事実であった。

 

 「そうか、なら良いんだ。あいつらが俺達より先に死ぬなんて耐えられないからな。お、創也が何か掴んだぞ!それにあの目つき……まだあいつは諦めてねぇ!!」

 

 紅一点ならぬ黒一点だった家庭に義理とはいえ息子ができたためか、創也のことを珪子以上に溺愛する父親が画面を指差して叫んだ。少し前までの不安は何処へやら、戦う息子を精一杯応援する父親の姿を横目に母親も意識を画面へと戻す。

 子供達を送りだした自分達ができることは届かない応援をするのみ、幾ら不安がろうと無駄なのだ。そのことを再認識させられた母親はぎゅっと胸の前で両手を握る。願うのは子供達の無事、そして現在危機に陥っている息子の逆転。

 するとその願いが早速通じたのか、息子が動かすキャラクターは掴んだそれを盾にして蹴り飛ばすと同時に突撃を開始する。

 

 「そこだ!行けぇ!!」

 

 ヒーローショーを見る子供を想起させる父親の応援に応えるように、テレビに映る黒髪の少年は再度刃部分を展開した光の剣を振り下ろして敵を一刀両断した。襲いかかってきた敵をまたも返り討ちにした息子に綾野夫妻は手を叩いて賞賛する。そして戦闘が終了したためか、画面が切り替わった。

 さて娘の方はどうなっているかとリモコンを手に持った父親だったが、突然その手を止めて拡大されたままの画面を見つめる。夫の行動に首を傾げた母親は下部に表示された名前を認識し、納得した。

 先程の息子の時の背中を追う感じではなく、誰かの見えている景色をそのまま映しているような状態で映し出された画面。その視点キャラクターを示す名は《シリカ》となっていた。一応異世界での名前を子供達から教えられていた為、これが娘であると判断できたのだ。

 

 「創也の次は珪子ね。見る側の私達にとっては見やすくて助かるわ。」

 

 「ま、そうだな。同時に戦われちゃ見るのが大変になっちまう。さて……珪子はどんな感じで戦うんだ?」

 

 両親が期待の眼差しを向けていることを知るよしもない娘は逆手に握るナイフと小型の連射銃を持ち、こちらに銃口を向ける二人の敵と対峙している。彼女もまた《死神姉妹》という名が敵を呼び寄せる原因となっていた。

 しかし娘は一切気圧された様子を見せず、地を蹴って一直線に接近を試みる。愚直な突撃を慣行する彼女に幾つもの銃弾が迫る。このままでは少なくとも十発は被弾するだろう。機動力メインで防御力が弱い彼女にとっては致命傷ものだ。

 娘と視界を共有している状態にある両親は次の瞬間、数多の弾に撃ち抜かれる光景を幻視した。されどその光景は幻想のまま終わる。彼女は少年の教育により、既に常人の領域を越えているのだ。

 突然視界が凄まじい速度で動き出す。縦横無尽に動く視界は現在何が起こっているのか視聴者に理解させることすら不能にしてしまう。これでは駄目だと瞬時に視点が背後を追うものへと変更されたが、映った映像は驚愕としか言い様がなかった。

 娘はツインテールに纏めた髪をなびかせながら二人の敵の周囲を残像が残る速度で(・・・・・・・・)駆け回っていたのだ。しかも速度は完全に制御されている。まさしく一陣の風となった彼女の姿がそこにはあった。

 

 「……えっ?」

 

 「な、なんだありゃあ!?」

 

 これには綾野夫妻も驚きを隠せない。母親に至っては普段絶対に見せないであろう困惑顔をしている始末だ。

 そんな事など微塵も知らない娘は己の速度に追い付けなくなった二つの内一つの獲物に襲いかかる。死角にあたる位置からクリティカルでダメージが増加する部分を狙い、ナイフを抉り込む。

 異物が無理矢理入り込んでくる不快感に悲鳴を上げた獲物はごっそり体力が減少したが、流石にナイフだけでは削りきれないのか僅かに残った。勿論、こうなることは想定済みの娘は連射銃を間髪無く発砲する。

 ゼロに近い距離から放たれた弾丸を避けることなど事前に予測していなければ不可能である。獲物の一人は反撃することすら叶わずに物言わぬ骸と化した。

 容易く獲物を仕留めた娘だが、当然狙われなかったもう一人が何もしないなどあり得ない。彼女の瞳に写ったのはトリガーに指を添え、銃口を向けるプレイヤーの姿。微かに見える口元は勝ちを確信したかのように曲線を描いていた。

 数分前の息子と似た状況に、彼女らを見守る両親の間にも緊張が走る。しかしまたも娘は両親、いや観客全員を驚かせる動きを見せた。

 

 「今の動き……あれって……。」

 

 「ああ……創也と同じだ。あいつらは不思議な何かで常に繋がってんのか?全く、ラブラブなことで。」

 

 画面にはたった今仕留めたプレイヤーの死体を盾にする娘の姿がある。なんと彼女はほんの少し前に愛する人が行った防御方法をそっくりそのまま再現して見せたのだ。勿論、この大会中に連絡を取ることは不可能。故に彼女の異常性が浮き彫りになる。

 両親も含む多くの視線を一身に集めている娘は己がそれ程注目されているなど知らず、次々と表示される紫色のウィンドウの隙間から残りのプレイヤーをじっと見据えている。獣を内に飼う化物による教育の影響なのか、今の彼女は獲物を狩る獣のようであった。  



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第六十一話 二兎追う獣は容赦なし

 感想にて指摘を頂き、現実世界にて主人公がシリカを『義姉さん』と呼んでいたところを『珪子』など別の呼び方に訂正しました。

 急いで訂正したので直しきれていない部分があるかもしれません。もし発見したら、感想などで教えていただけると嬉しいです。


 ◇◆◇

 

 破壊不能オブジェクトとなった死体に小さな身体を隠し、被弾を避けながらぴょこりと頭だけを出して二人から一人に減った敵を視認する。近くには幾つもの赤い線が未だに存在し、弾切れまでまだ時間があることを暗に示していた。

 此処からどうしようかと思案を巡らす。とりあえず行動を始めるのはこの弾幕が途切れてからだ。下手に動いて退場、なんてことはなんとしても避けなければならない。

 依頼の調査もそうだが、遭遇するまで負けるなと言ってくれた最愛の人がいる。約束を裏切ってはならない。もし仮に負けてしまったとしても、彼ならば笑って許してくれるだろうが、きっと自分自身が許さない。彼が裏切りを嫌うことは十二分に知っているから。

 

 「……よし!」

 

 絶対に勝つ、そう気合いを入れ直して敵をじっと見据える。すると銃を連射していたプレイヤーはこちらの視線に気づいた瞬間、何故か怯えたような顔(・・・・・・・・・・)を浮かべた。

 内に芽生えた恐怖を振り払うように敵はトリガーを懸命に引き絞るが、こちらに向けられた銃口からは何も吐き出されなかった。弾切れだ。攻めるなら……今しかない。

 地を蹴って宙返りで壁にしていた死体の前に着地し、全速力で走り出す。仮とはいえ自分の身体がだんだんと軽くなっていくのを感じると共に、視界の左右を流れていく景色の速度が加速されていく。彼ですら敵わない圧倒的な速度、これが最大の武器である。

 敵との距離はそれ程近くはない。ざっと見て三百メートルはある。敵は射撃しながら後退したと推測するべきか。二年間剣の世界で生きてきた自分にとっては遠すぎると言っても過言ではない。しかし、こんな距離は数秒あれば詰めることが可能だ。

 敵が空になったマガジンを捨てた。その間に距離を半分にまで縮める。まだ気づかれていない。敵は焦りからか自分のことだけで精一杯だ。

 敵が新たな弾を取り出して装填する。距離は残り約五十メートルを切った。両手にナイフと連射銃をそれぞれ取り出して構える。此処まで詰めてしまえば、勝利まであと一歩だ。

 敵が銃口をこちらに向けた。だが直後にそれは真上に振り上げられたナイフによって天を見上げる。驚愕と恐れが入り交じった表情がちらりと見えるも、それを無視するよう意識してトリガーを引く。

 吐き出される銃弾は敵の体力を容赦なく、あっという間に瀕死にまで追い込む。装備を選ぶ際に軽量であることを基準にした彼とは違い、威力を重視した代物だ。ゼロ距離でそれを食らえば、この敵のようになることは容易に想像ができるだろう。

 そして体勢を立て直される前にナイフで斬りかかる。この世界では一応の為に装備されるというものだが、私のこれは違う。まごうことなきメイン装備である。

 いつかのように関節部を狙ってナイフを突き刺し、そのまま斬り裂いて片腕をポリゴン片へと変える。この敵は銃を両手で持って射撃していた。これで撃つことは可能であっても狙いはつけにくくなった筈だ。まぁ、もう撃たせるつもりはないが。

 弾の補充を訴える連射銃を邪魔にならない場所に放り投げ、完全な近接戦闘体勢へと移行する。こうなれば、これまでの技術が最大限発揮可能となる。

 

 「はぁっ!!」

 

 血にまみれた彼の過去を受け入れて共に行動することになったあの日、私は力を求めた。彼の後ろではなく、隣に胸を張って立てるような力が欲しかったのだ。

 そうして教わった戦闘技術。それを何度も反復し、時に改良していくことで自らのものへと昇華させていった。きっとそれがあったからこそ、今の力があると断言できる。基盤を与えてくれた彼には感謝しかない。

 脇腹を狙って蹴りを繰り出す。敵がそれに対処しようと意識を集中させた瞬間に本命であるナイフでの振り下ろしを開始する。初めてこの動きを見せられた時はどんな変態機動ですかと突っ込みたくなったが、何度も手取り足取り教えてもらっている内に習得してしまった。

 わざと腕が残った方から放った蹴りは想定通りに防がれる。だが、これで上半身を守る手段は消失した。このナイフを止めるには……その身体で受けるしかない。

 

 「えっ!?まさか……今の蹴りは注意を逸らす為だったというの!?」

 

 「大正解です!」

 

 ナイフが敵の顔面に突き刺さる。その一撃で僅かに残っていた体力が尽きたのか、敵は糸の切れた人形のようにばたりと倒れ、脱落を示す赤い文字列が浮かんだ。

 周囲に誰もいないことを確認し、張り詰めた緊張感を吐き出す息と共に流し去る。やはり有名になりすぎたか、敵から狙われることが多い気がするが気のせいだろうか。

 そんな事を考えながら破壊不能オブジェクトに変化したために弾かれたナイフを拾い、新たな弾を込めた連射銃を腰部にぶら下げる。所持する銃はこれだけなので、予備の弾は大量に持ち運ぶことができるのだ。

 念のために木陰に隠れ、配布された携帯端末で参加者の位置情報と生存者の数を確認する。周囲に自分以外の明るい光点はなく、脱落した色の薄い光点だけがあった。だが、もうひとつ存在したそのような場所に目が止まる。

 墓地のように輝きを失った計五つの光点がそれ程距離を開けずに表示されている。相打ちになったのかと思ったが、次の瞬間にそれは違うと否定する。あの亡骸の山は間違いなく、たった一人によって作られたものだ。

 三十分前、一度目の位置情報送信の際に真っ先に探した彼の名を持つ光点。記憶が正しければ、それは自分から真反対にあたるあの場所付近にいた筈だ。

 

 「……あっ、時間が!」

 

 端末に浮かぶ光点が点滅し始める。残された時間はあと少ししかない。急いでマップの拡大率を下げ、彼の現在地を探す。すると南の山へと高速で移動する一つの光点を見つけた。軌道からして、あの墓地擬きのところから飛び出してきたようだ。

 半ば確信しながらも、時間が尽きる前にその光点に触れる。表示されたのは《ソーヤ》、今だけ最高のライバルとなった彼の名前だった。その進行先には《獅子王リッチー》という未だ生存しているプレイヤーがいる。次の犠牲者は彼になることだろう。

 そこまで考えた時、とうとう端末から光点が消えた。此処から十五分は再び自身の感知能力だけが頼りとなる。ただの板となった端末をしまって立ち上がる。

 彼が負けるなんてことはあり得ない。常に死が隣にいたあの世界で、彼は単独で階層ボスを葬るという偉業を何度も達成しているのだ。今さらこんな奴ら(・・・・・)に遅れを取ったりはしない。

 

 「よし……私も頑張ろ!」

 

 己を鼓舞し、次なる目的地へと視線を向ける。遠くに見えるのは廃墟と化した都市部。恐らくだが、彼は可能な限り己の手でプレイヤー達を殺すつもりなのだろう。タネはまだわからないが、これ以上《デス・ガン》に銃を撃たせないために。そして何より、私との約束を実現させるために。

 故に彼はこういう手段を取ったのだろう。プレイヤーを全滅させれば必然的に犠牲者は減少する。さらに《デス・ガン》がいなくなれば後はこの大会を楽しむだけになる。

 今私達にできることは精々妨害することぐらいだ。殺しのカラクリを解明するのは雇い主にでも任せておけばいい。

 ならば自分もその手伝いをしようではないか。我が儘なことだが、依頼と約束の両方を達成しようとするのは彼だけでなく私も同じなのだ。

 

 

 ◇◆◇

 

 草原地帯を抜け、山岳地帯に入ると景色が一変した。見渡しても身を隠すことが可能な場所はあまり見当たらず、急に高低差が激しくなる。しかし大して気にすることなく、少年は飛び出した岩を蹴りながら跳ねるようにしてひたすらに上を目指す。

 次の獲物は大会開始直後からほぼ動いていない《獅子王リッチー》なるプレイヤー。別に恨みなどはないが、少年にとっては生存されていては邪魔なのだ。

 始めこそ有名になりすぎたかと思っていた少年だが、よくよく考えればかなり好都合なことだった。今回の接触対象であった《デス・ガン》は『己の銃に撃たれた者は本当に死ぬ』という伝説を作ろうとしている。

 つまり、他のプレイヤーに殺られて死体となったプレイヤーは自動的に標的から外されるということ。それならば自身を狙ってきて返り討ちにされた方が安全である。そのことに少年は気づいたのだ。

 依頼された内容は対象との接触のみだが、目の前で殺害事件が起ころうとしているのを少年は見逃すつもりなどない。それに、彼の雇い主からの依頼は大抵その依頼内容だけでは終わらないものばかりだ。今回もそうだった、それだけの話。

 

 「マップによると、この辺りが頂上に近い筈なんだが……ん?」

 

 ちらりとマップを覗いて現在地を確認してから、少年は目を閉じ意識を集中させて気配を探す。すると近くに想定以上の数の気配があった。

 数は三。その内二つは動きを見るに共闘している。人質を取った犯罪者の如く立て籠る獅子王を狩るために一時的に手を組んだと見て良いだろう。

 状況を把握し終え口元に手を当てると、にやりと口角が上がっていた。単純に考えて二人も探す手間が省けたのだ。少年からすれば嬉しいことこの上ない。

 足場にしていた岩を蹴って跳び、少年が戦場へと乱入する。突如現れた死神の片割れに驚き、思わず戦闘を中断した三人のプレイヤーの視線が彼へと向けられた。

 

 「……横取りのようで悪いが、全員殺らせてもらう。はっきり言って邪魔なのでな。」

 

 「テm」

 

 銃を構えようとした一人がばたりと倒れる。少女にこそ劣るものの、防御を捨てたことで手に入れた少年の機動力は伊達ではない。それこそ、僅かな間で獲物の背後に回り込んで脳天に銃弾を食らわせるなど容易である。

 

 「早く死ねよ……ヤクソクガハタセナイダロウガ。」

 

 残りの一人と獅子王をそのじわじわと赤くなり始めた眼で睥睨する少年は一本のナイフと光剣を引き抜くと、地が爆ぜる勢いで駆け出して襲いかかる。人間の皮を破り捨てて正体を明かした獣の威圧感に気圧されたのか、獲物の動きは若干鈍くなる。

 敵を殺せば殺す程少女との約束が果たせるということに気づいた少年は無意識の内に殺意を芽生えさせる。これは彼がどれだけ彼女に惚れているのか改めて周囲に知らしめるものであった。

 名も知らぬ一人は両手で持った大型の連射銃を、獅子王は見るからに高火力なガトリングガンを発射するが、目覚めつつある獣の前では全てが無駄となる。

 時には避け、時には手に持ったナイフと光剣で弾き、人間の領域を脱した少年のようなナニカは一切速度を落とすことなく……いや、むしろ加速して獲物へと接近する。

 

 「う……うわあああぁぁぁ!!」

 

 その光景を目の当たりにして恐怖に呑まれたか、オマケの方の獲物は情けない悲鳴を上げる。しかし精神が死んだにも関わらず、動きが染み着いた身体は銃を撃つのを止めない。まるで自動操縦されているかのように追加の弾を装填し、トリガーを引く。

 己の思考を度外視し攻撃の手を緩めないのは流石トップレベルのプレイヤーと賞賛するべきか、はたまた本物ではないとはいえ自身の身体を制御できない愚か者だと嘲罵するべきか。

 いいや、どちらであるかなんてどうでもいい。トップレベルのプレイヤーだろうと、愚か者だろうと、絶対的捕食者である獣の前には皆等しく獲物へと成り下がる。

 天敵のいない獣に狙われたが最後、確実に命を刈り取られる。それだけが唯一絶対の事実であり、不変の真理なのだ。

 

 「……コロス、コロシテヤル。」

 

 そしてとうとうお決まりとなりつつある台詞と共に、内に眠る獣が解き放たれた。少年の双眸は血濡れの赤に染まり、口元には狂気に歪んだ笑みが浮かぶ。その様はかつて獣が彼に成り代わった時のよう。彼は今、過去最大級に獣の力を引き出している。それこそ、己の意識が朦朧となるぐらいに。

 ただでさえ異常だった速度を更に引き上げ、久々に全開の力を振るう獣は視界を埋め尽くす圧倒的な弾幕を無傷で突破し、ただ銃を撃つ機械と化した獲物の片目にナイフを抉り込ませた。

 潰された目を抑え、苦悶の声を上げる獲物。獣はその首を掴み、獅子王目掛けて放り投げる。

 己が敵を狩り尽くす為だけに生み出された獣の戦い方は、この世界での常識など通用しない。自身が生きている内に対応出来なければ待つのは蹂躙による『死』のみ。といっても、仮に出来たとしてたどり着く結果は変わらないが。

 

 「ガッ……くそったれが!!」

 

 装備が重量制限を越えているのか、飛来するプレイヤーを避けきれずに体勢を崩して地面に倒れる獅子王。その絶好のチャンスを獣が逃す訳がなかった。再びその手にナイフと光剣を握り、弱った二匹の獲物を仕留めんと襲いかかる。

 手始めに逃げられることがないよう、未だ獅子王に覆い被さったままの獲物の四肢を突き刺して地面に縫いつける。端から見れば残酷極まりないのだろうが、そんな価値観など少年には存在しない。彼の人間らしき部分は半分以上とうの昔に喰われて消え去った。

 身動きを封じられた獅子王はこの拘束から脱しようと懸命に身を捩るが、上に乗るプレイヤーが既に抵抗を諦めているため、叶わぬ夢となった。

 それならばと自身の上になるプレイヤーを自慢の力で押し退けようとするも、二人纏めて突き刺された光剣がそれを阻む。

 獅子王を見下ろす獣は変わらず赤く染まった瞳を向け、口元には笑みが浮かんでいる。しかし今のそれは狂気に加えて歓喜が色濃く表れていた。

 

 「……シネ。」

 

 それが獅子王が最後に見た景色だった。無慈悲に振るわれた光剣によって上半身を縦に両断された獅子王ともう一人は自身の体力を散らし、物言わぬ骸と化した。

 一撃必殺とも言える刃を消し、少年は柄を収納する。殺意を抱いた対象を滅したにも関わらず、彼の瞳は暗く赤く輝き続け、次なる獲物を探す。

 最早マップや携帯端末すらも取り出さなくなった少年は荒々しい軌道を描いて下山を開始する。序盤に見せた彼の面影は欠片も存在しない。中継カメラが写すのは圧倒的な暴力で敵を捩じ伏せる化けの皮を剥がした怪物のみである。

 

 「……ジャマ、ゼンブ、コロス。」

   

 目の前で行われてようとしている殺人の阻止、そして愛する彼女との約束である勝負。この二つをどちらも達成させる、その為だけに少年は、獣は動く。立ちはだかる者は誰であろうと鏖殺である。

 二兎追うものは一兎も得ず、ということわざがある。しかし今回その二兎を追うものはそこら辺にいるような者ではない、狙った獲物は絶対に逃さない獣を飼う少年だ。兎どもが逃げ切るなど夢物語と言っても過言ではないだろう。

 絶対的捕食者である獣は弱者をいたぶるような嗜虐趣味は持ち合わせていない。故に油断などありはしないし、手加減なんていう文字は存在しない。

 同時に殺害することが困難な二兎を追う獣。常人ならば直ぐに両手を上げてしまうであろうそれらを確実に仕留めるべく、獣は自身の持つ力全てを使って追い続ける。

 血濡れの双眸を持つ捕食者から、何人たりとも逃れることは叶わないのだ。



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第六十二話 暴れる獣と静かな獣

 前半はほとんど原作通りです。申し訳ありません。


 ◇◆◇

 

 ブッシュに潜んでいるとアラームが鳴り、三度目になる位置情報送信こと《サテライト・スキャン》がもうすぐ行われることを知らせる。覗いていたスコープから一度眼を離し、ポーチから携帯端末を取り出す。

 

 「キリト、あんたは橋のところを見てて。あいつの名前は私が今から確認する。」

 

 「わかった。見張りは任せろ。」

 

 即座に返ってきた返事を聞きつつ《サテライト・スキャン》が行われるのを待つ。この大会に姿を表した《デス・ガン》と名乗る人物の名前を暴くために。

 数分前、シノンは己の眼で人間が殺される瞬間を見た。いや、正確には回線が切断されただけだが、不本意な形で行動を共にするようになったキリトが「殺された」と言ったのだ。その口調はどう捉えてもふざけているとは思えないものだった。

 はっきり言って信じられない。仮想世界で放たれた銃弾が現実世界の人間に命中して殺すなど、信じろと言われても無理な話である。ゲームの中で本物の命をやり取りするなど、もうそれはゲームの範疇を越えている。まるで……あのゲーム(・・・・・)のようではないか。

 冷徹な思考が乱れていく。しかし原因はこれだけではない。告げられた事実より先に浮かび上がってきた疑問。隣にいるキリトという人間が何者なのかということである。

 大会前の情報交換とも言えないあの集まりの時に彼がその事件に巻き込まれたことを知った。そしてあの《デス・ガン》とも因縁があると聞かされた。

 キリトにとってはかなりの秘密を打ち明けたのだろうが、シノンからすれば、彼がデスゲームの被害者の一人だと理解しただけに過ぎない。そう、たったそれだけなのだ。

 故にキリトが「殺された」と確信を持って口にした理由がわからない。おまけに撃たれた人間が死体で発見されたことを彼は知っていた。普通、そんな情報など手に入らない筈だ。

 貴方は誰……?思考が混乱の渦に飲まれていくが、今考えてもどうしようもないと割かれていた意識を取り戻して端末の画面に集中する。

 スキャンが開始され、マップの南部から順に光点が浮かび出す。一番始めに表示されたのは色の薄くなった三つ。どうやらリッチーは複数のプレイヤーに攻められ、既に脱落したようだ。予想より早かったが、敵が減るに困ることはない。

 そこから北に自分とキリト、死亡したダインと続いて次は《デス・ガン》の番となる。恐らくダインの東、鉄橋の下付近に一つ光点が浮かぶ筈だが……。

 

 「な、ない!?」

 

 そこには何もなかった。幾ら眼を凝らそうとも周囲に奴のものだと思われる光点は見当たらない。

 

 「キリト、あいつの姿を見た?」

 

 「いいや、見ていない。多分俺と同じように川に潜ってスキャンを回避しているんだ。」

 

 「そう……なら、チャンスね。」

 

 「やめろ!駄目だ!一発でも食らったら、本当に死ぬかもしれないんだぞ!!」

 

 相棒の狙撃銃を持ち、移動しようとした私の腕をキリトが強く握った。爛々と光る黒い瞳に意識が吸い込まれそうになるが、無理矢理視線を外して首を振る。この殺伐ながらも優しい世界に同族である人間を嬉々として殺す者がいる。そんなことをシノンは認めたくなかった。

 元々シノンがこの世界に生きているのは、過去の事件から生まれた悪夢を振り払う力を欲したから。悔しさはあっても恨みはない戦いの中で力ある者を殺し、己の力へと変える。そうすることでいつかこの地獄から解放されると信じて。

 

 「私は……認められない、認めたくない。本当に人殺しをする人間がこの世界にいることを……。」

 

 だからこそ、それを現実だと認識することを拒否する。仮初めの世界を現実のものへと塗り替えられていくことを受け入れられない。それはまるで……薄い壁の向こうに存在する自分の現実のようだから。

 恐怖からか視界が薄れ始めた。壁に亀裂が入り、そこから吹き出したどす黒い闇が自分を包もうとする。仮想世界の自分が現実世界のものへと変わりだす。強さを求めるスナイパーではなく、ただ悪夢に怯える一人の少女へと成り下がっていく。動けぬ彼女自身に抗う術など、存在しない。

 

 「……ン!おい、シノン!しっかりしろ!!」

 

 不意に大声で名を呼ばれ、闇の中に呑まれかけた意識が急速に引き戻される。晴れた視界いっぱいに広がるのは憎たらしい程の美貌を持つキリトの顔。条件反射的にむくむくと膨れ上がった苛立ちが恐怖を振り払う。

 

 「……大丈夫。ちょっと目眩がしただけ。それと、あんたの話はさっきも言ったように認めたくない。だけど、その様子からして全部が全部嘘だとは思わない。」

 

 「ああ、少しでも信じて貰えれば十分だ。よし、それじゃ残り何人いるか確かめようぜ。」

 

 キリトが軽く頷き、自分が持つ携帯端末を指差す。何度かこの大会に出場した感覚的に、残りは数十秒といったところだ。急いで確認しなければ背後から奇襲、なんてこともある。それにもう二人、リベンジを狙うターゲットがいるのだ。

 視線を携帯端末に戻して光点を確認する。だが、次の瞬間にシノンは言葉を失う。端末に表示された光景が信じられないものだったのだ。

 光点の数は二十八。殺害されて消滅したペイルライダー、何らかの手段でスキャンを防いでいる《デス・ガン》を除けば参加者の数と一致する。

 ここまででも十分に問題なのだが、今シノンを絶句させているのはそれではない。ならば何なのかと問われれば、それは生存者の数(・・・・・)である。

 現在、大会開始から四十五分が経過している。大体二時間で勝者が決まるとすればまだ半分すら経っていない。シノンの予想では約半数以上が生きていると思っていたが……。

 

 「嘘……あと十数人しかいない!?」

 

 明るい、つまり未だ生存しているプレイヤーは十二人しかいなかった。早くも十人を切ろうとしていたのだ。これは今までのペースとは比べ物にならない。

 一体どういうことだとシノンは疑問符を浮かべたが、即座に答えを見つけ出す。そうだ、この大会には《デス・ガン》の他に《死》の名を冠するプレイヤーが二人参戦しているのだった。

 キリトと同じくメインターゲットにしている《死神姉妹》ことソーヤとシリカ。彼らは予選で人間の範疇を越えていると言っても良い圧倒的な力を見せつけた。その有名度は異常の一言に尽きる。

 故に彼らを自分が殺してやろうと序盤から狙い、悉く返り討ちにあったというところか。その仮説を証明するかのようにフィールドの二ヵ所に死体の山が量産されている。改めてあの二人の異常性を思い知らされる。

 

 「残り十人近くって……結構早いのか?」

 

 「早いなんてもんじゃないわよ!?まだこれだけしか経ってないなら、二十人とかいてもおかしくないのよ!?」

 

 首を傾げるキリトに許される限りのボリュームで叫ぶ。その次の瞬間、携帯端末から光点が消滅した。これからまた十五分は己の感覚のみで戦わねばならない。

 

 「……まぁ数が少ないことに越したことはないか。シノン、此処で別れよう。俺は奴を、《デス・ガン》を追う。これ以上殺される人が出てはいけないんだ。」

 

 「え……?」

 

 残り人数を聞かされたキリトから突如飛び出した言葉に、シノンは絶句する。時間をかけながらどうにかそれを飲み込み、平静を装った声を返した。

 

 「追うって……本気?」

 

 「勿論だ。だから、シノンはできる限り奴に近づかないでくれ。撃たれたが最後、本当に死んでしまうかもしれない。あと、約束は忘れていない。次に遭遇した時は全力で戦うから許してくれ……それじゃ。」

 

 「あ……待ちなさい!」

 

 己の事情だけ押し付けて去ろうとするキリトをシノンは叫んで呼び止める。既に二十メートル程離れ、小さくなりつつあった彼の影が停止し、その黒い瞳で彼女を射ぬく。

 地を駆け、追い付いたシノンはキリトが口を開くより先に己の意見を口にした。

 

 「私も行く。あいつの力が危険なのは分かってるつもり。それに、もし君が負けたらリベンジできないじゃない。だから、本当に不本意だけど一時手を組んであいつをこの大会から退場させた方が確実だわ。」

 

 早口で捲し立てられ、キリトの顔は様々な感情が入り交じった複雑なものになる。しかし数秒の後、肩の力を抜いて本当に僅かではあるが小さく頷いた。どうやら何を言っても無駄であると判断したようだ。

 同行の許可が出たことに安堵しかけたシノンだが、眼前でいきなりキリトが光剣を抜いた光景に驚愕の色を浮かべる。まさか不意打ちかと息を呑んだが、彼はぐるりと彼女に背を向けて警戒心を露にした。

 疑問に首をかしげながらシノンがキリトの視線を追ってその方向に向き直った瞬間、無数の赤い線が殺到する。シノンは不味いと回避を試みようとし、キリトは迎撃しようと光剣を持つ手に力を込めた。

 されどいつまで経っても銃弾が襲ってくることはなく、発泡音も聞こえない。警戒を最大にしたまま、赤い線の発生源であった岩陰をスコープで覗く。

 

 「……いつの間に?」

 

 向こうに見えたのは……《Dead》の赤い文字列。それとその死体に乗り、脳天から光剣を突き刺しているナニカ。そしてこちらの視線に気づいたか、血を被ったように赤い瞳が真っ直ぐ自分を見つめだす。

 少なくともあれは人間ではないとシノンの本能が告げる。逃げろ、殺されるぞとシノンの体内で警鐘が鳴る。彼女はそれに従って動こうとするが、己の身体は石になったように動かなかった。

 今まで体験したことがない恐怖に襲われる。これまで自分を苦しませ続けた悪夢の方が何十倍もマシだと思えてしまう、それ程までに恐ろしいのだ。このよく分からない生物が放つ恐怖は。

 

 「シノン、もう少し下がってくれ。今のあいつは……ソーヤは暴走しているかもしれない。」

 

 「え?あれが……ソーヤ?」

 

 光剣を構えるキリトの言葉にシノンは戦慄する。眼前の彼はこれまでの様子からは考えられない荒々しい雰囲気をこちらに向けて放っている。

 シノンはソーヤを冷静な人物だと評価していたが、そんなことはなかった。狂気に顔を歪めるあれこそが、彼の本性と言うべきものなのだろうと理解してしまった。

 不意に彼の一言が脳裏をよぎる。『俺はもう人間の皮を被った化物だ。』それは呆気なく勝負に敗れた自分が彼の力の秘密を問うた時の言葉。あれはなんの比喩でもなかった。文字通り、彼は正真正銘の化物だったのだ。

 勝てるビジョンが浮かばない。キリトと二人がかりでも、本性を剥き出しにしたソーヤには勝てないだろう。普段ならやってみないと分からないとその判断を押し退けるが、今だけはそうすることは出来なかった。

 攻められれば、どう足掻こうと終わる。その事実が絶望へと変わり、シノンの心をじわじわと支配し始める。

 

 「……アレハ、チガウ。」

 

 しかしソーヤは何か呟いた後、乗っていた死体を踏み台にして何処かへ跳び去っていった。言外にお前らは殺すまでもない、そう言われたような気分だ。

 明らかに侮辱とも言える行為だが、不思議と怒りは沸いてこない。それよりもあの化物に見逃して貰えたことの安堵が大きかったのだ。心臓を直に捕まれたかのような恐怖、あれは生きた心地がしなかった。

 

 「ふぅ……どうやら暴走はしてなかったか。それじゃ、行こうぜシノン。バックアップよろしくな。」

 

 「え、えぇ……。」

 

 どうにか返事し、先を歩くキリトの後を追う。そういえば何故彼は化けの皮を剥がしたソーヤの姿を見て『暴走』などと言ったのだろうか。それにあの殺気を前にしても自然体を保っていた。幾らデスゲームに巻き込まれたからといって、ただそれだけであれ程の強靭な精神になる訳がない。

 またキリトに関する疑問が増えてしまったと思いながら、シノンは新たに発見したプレイヤーを狙ってスコープを覗いた。

 

 

 ◇◆◇

 

 倒壊したビルの瓦礫に隠れ、次の標的がやって来るのを待つ。己の近くの敵を全滅に追いやった《死神姉妹》の片割れことシリカは現在フィールドの中央である都市廃墟に到着し、既に狩りを開始していた。

 此処に来てから仕留めたのは一人。先程送信された位置情報によると周囲には誰もいなかったが、警戒は怠らない。連射銃を両手に持ち、いつでも発砲できるようにしておく。

 

 「……後ろ!!」

 

 物音を立てずにじっとしていたシリカだったが、突如背後を振り向き真上に飛び上がった。それと同時に彼女がいた場所に一発の銃弾が通り過ぎる。

 常軌を逸した感知能力を持つソーヤには及ばないが、シリカも集中すれば気配の感知が一応可能だ。相手がこちらに意識を向けていることに加えて距離が近くないといけないというやや厳しい条件ではあるが、一瞬で脱落する危険性のあるこの大会ではかなり大きなアドバンテージとなる。

 地面に着地したシリカは銃弾が飛来した方向に連射銃を向けるが、何処にも襲撃者の姿は見当たらない。されど幸いにも彼女は相手の気配を掴んでいた。愛する彼には及ばないものの、結構濃いめの殺気を向けられているのだ。居場所を把握するには十分である。

 標準を合わせ、シリカはトリガーを引く。発射された弾丸の幾つかは不可視の何かに命中し、被弾のエフェクトが発生する。そして、虚空に隠れた襲撃者の姿が明らかになる。

 全身を覆うフードマントが揺れ、ぼやける輪郭の奥から輝く二つの赤い瞳。『死』そのものを体現していると言っても過言ではない死神が彼女の前に現れた。

 

 「《デス・ガン》……!」

 

 「はじめまして、か。《竜使い》。噂は、かねがね、聞いている。」

 

 かつて閉じ込められた鋼鉄の城で呼ばれていた名を聞き、シリカの視線は自然ときついものになる。殺気が漏れだし、両者のそれがぶつかり合う。今此処だけはただのゲームではない。命をチップに賭けたデスゲーム、つまりあの頃のように変貌している。

 

 「……濃い、良い、殺気だ。ボスなら、お前を、褒め称え、勧誘しただろう。」

 

 「そんな心にもない褒め言葉なんていらない。私の居場所はソーヤさんの隣。それ以外なんてあり得ない。」

 

 敬語が外れ、殺意を全面に押し出した表情でシリカは《デス・ガン》を睨む。彼女にとって奴は彼との約束を果たすのに最大の邪魔者。そうなるのも当然であった。

 目的を全て達成する為に獣の力を完全に解き放ったソーヤの愛の重さに目が行きがちだが、シリカもまた相当なものなのだ。何度も自分の危機を救った彼に彼女は重い愛情を向けている。それこそ、常人の基準で言えば狂気に達する程の。

 故に、無意識ながらも現在のシリカはソーヤの獣に近い殺意を標的に向けるようになっている。移動前に彼女が仕留めたプレイヤーが怯えた表情を浮かべたのはそのためだ。

 そこに自ら望んで生み出した殺意が乗ったのなら、元レッドギルドの幹部が賞賛する程濃いものになってもおかしくはない。

 

 「……どうせ、隠れても、無駄だろう。なら、お前の、亡骸を、《鬼神》にでも、見せてやるか。本当に、殺せないのが、残念だが。」

 

 「殺せるなら殺してみなさい。私は此処で殺されるつもりなんて無いから。」

 

 大会開始から一時間が経とうとしていた頃、とうとう死神同士が戦闘を開始した。  



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第六十三話 死神同士、相成れることはなく

 ◇◆◇

 

 廃墟となった都市に絶え間なく金属音が響く。これをもしこの世界に馴染んだ人間が聞けば、どういうことだと首を傾げること間違いなしである。普通、銃を撃ち合うゲームに武器で殴り合うような近接戦などあり得ないのだ。

 ナイフとエストックがぶつかり合い、火花を散らす。この世界では異質とも言える戦いを繰り広げるのは、共にあのデスゲームから生還した人間。しかも現在『死』に関係する異名を持つという点で共通している。

 しかし、両者の立場は真逆である。片や人殺しの快感に溺れ、他者を害せんとする者。片や依頼を受け、それを防がんとする者。両者の力量は大差なく、じわじわとお互いの体力が削れていくばかりであった。

 

 「そこっ!」

 

 そう叫ぶと同時に連射銃を向けた者、もといシリカはトリガーを引く。至近距離から吐き出された高速の銃弾を完全に回避することはできずに数発がもう一人の者こと《デス・ガン》に命中し、数ドットではあるが体力を減少させる。

 

 「チッ……。やはり、あの《鬼神》の隣に、いただけは、ある。殺意も、衰えるどころか、ますます、濃くなって、いる。本当に、良い、ものだ。」

 

 「もう喋らないで。貴方にどれだけ誉められても全く嬉しくないから。」

 

 一度距離を取り、両者は自身の得物を突きつけ合う。ぶつかり合う殺気は始めの時と比べて数段濃くなり、息苦しい空間を造り出している。

 戦闘開始から約五分が経ち、両者の体力は残り半分を切りって黄色く染まりだした。このままでは相討ちになる可能性がかなり高い。その筈なのに、シリカの表情は微妙なものであった。

 確かにその結末ならば結果としてシリカ側の勝利であろう。更なる犠牲者を出さずに《デス・ガン》をこの大会から叩き出すことができるのだ。

 しかしシリカには優先順位が何よりも高い彼、ソーヤと交わした約束がある。今この時も、彼は依頼と約束の両方を達成しようと奔走しているに違いない。ならば相討ちで退場となってはいけないのだ。

 得物を持つ手に再度力を込め、シリカはその両目で《デス・ガン》を観察する。僅かな隙も見逃さないとばかりに対象を捕捉する黒の瞳は最早睨んでいると言っても過言ではない。

 一方の《デス・ガン》もこの膠着状態をどうにか打開しようと隙を窺う。此処で死んでは目的が果たせないのだ。撤退が最善策なのだが、目の前の《竜使い》は逃がしてくれそうにない。

 両者一歩も動かず、ただいたずらに時間だけが経過していく。だが、横から何かを投擲して乱入してきた何者かにより、状況は大きく展開し始める。

 視界に映ったのは灰色のジュース缶のような物体……グレネード。何処の誰だか知らないが、爆発に巻き込まれるのはごめんだと両者は投げ込まれた爆発物から距離を取る。されどグレネードは爆発せず、もくもくと煙を吐き出し始めた。

 先に動いたのは《デス・ガン》だ。今がチャンスだと煙に紛れて撤退を開始する。それを追おうとしたシリカだったが、運悪くグレネードを放り投げた張本人が行く手を阻むように姿を表した。

 

 「見つけたわよ、《死神姉妹》の片割れ!私の名は《銃士X》!さぁ、勝負よ!!」

 

 「こんな時にっ!」

 

 いつどこから攻撃されるかわからないバトルロイヤルにも関わらず、堂々と名乗りを上げた《銃士X》にシリカは滅多に見せない苛つきの色がこもった表情を浮かべる。

 この乱入者を無視して《デス・ガン》を追うことは不可能。既に奴はこの場から消えている。シリカの気配感知はソーヤと比べて有効範囲が大幅に狭く、さらに精度も低いのだ。

 シリカは標的を《銃士X》へと変えた。結果的に自身の目的を妨害した乱入者に向ける彼女の殺意は自然と高くなる。先程とまではいかないが、半端な者では失禁しかねない濃厚なものが放たれている。

 

 「な、なんて威圧感なの……。だけども流石《死神》の名を持つ者だと言うべきかしらね。」

 

 「すいません、お世辞は聞き飽きたので、早く退場してください。」

 

 高機動に特化したステータスを最大限に使い、シリカは速攻を仕掛ける。迫り来る銃弾を容易く回避するどころか切り裂いてしまうソーヤよりも、彼女は素早い。一般としか言い様のないプレイヤーの背後を取ることなど容易いことだ。

 あっという間に後ろに回られた《銃士X》が振り返る動作と同時に、シリカの連射銃が火を吹いた。例えトッププレイヤーであろうとも回避はできない超至近距離で発射された弾丸は、次々と《銃士X》に命中。全快だった体力が一気に半分にまで削れる。

 劣勢をどうにか覆そうと二個目の煙を吐くグレネードを取りだそうとした彼女だったが、シリカがもう片方の手に持っていたナイフで切断され、おまけに腹部に強烈な蹴りを受けて吹き飛ばされた。

 強すぎる。よろめきながら立ち上がった《銃士X》は自身の想定を遥かに越える力を持つシリカに驚きを隠せなかった。幾ら二つ名持ちであろうとも、突然の乱入には対応できまいと思っていたのだ。

 彼女は知らなかった。初参加故に気づけなかったのだ。異常とも言えるプレイヤーの脱落速度に。《死神姉妹》の二人が恐ろしい速度で次々と敵を葬っていることに。

 だからこそ二人を、シリカを見誤った。せいぜいちょっと強い程度だと評価を下してしまっていた。

 

 「でも……このまま負けるってのは、嫌よね!」

 

 しかしそれがどうしたのだ。目の前の強者に勝利できずとも、食らいつく程度ならばできるかもしれない。倒せなくとも、少しだけならばダメージを与えることができるかもしれない。

 己を鼓舞し、挑戦者の目となった《銃士X》は銃を構えて即座にトリガーを引き絞る。シリカのものより大型のライフルから数多の銃弾が発射されるが、なんと一発も当たらずに全て回避されてしまった。

 

 「嘘っ!?」

 

 「隙だらけですよ。」

 

 普段の豊かな感情が抜け落ち、無機質なものとなったシリカの声と共に《銃士X》の喉元へとナイフが迫る。神速で突き出された刃を避けることなど叶わず、次の瞬間にはナイフが深く抉り込んだ。

 シリカの突撃の勢いを受けて身体の重心が後ろへと傾く。倒れまいと踏ん張ったが、腹部に受けた彼女の蹴りによって転倒する。即座に起き上がろうとするが、それよりも早く馬乗りになられ、クリティカル判定のある脳天に銃口が向けられた。

 天と地程の力の差に反撃の手札を失った《銃士X》は絶望の表情を浮かべる。敵わないことを理解し、少しでもダメージを与えることにしたがそれすらできなかったという事実が彼女の心に傷を与えていく。

 シリカはよく自己嫌悪に陥る。いつも隣にいる愛すべき人と自身を比較し、自分はまだ弱い、まだまだだと言うのだ。確かにそれは間違っていない。だが、彼女は比較対象が高過ぎるが故に自身がどれ程強力な力を持っているかに気づいていない。

 剣の世界に閉じ込められ、獣を内に飼う少年と出会ってから彼女は彼から直々に手ほどきを受け、終盤では立派なトッププレイヤーとなった。しかも全力の彼と連携することすら可能とする力を手に入れているのだ。

 さらに妖精の世界では死にたがりの亡者と化した彼と若干劣勢になりながらも、ほぼ互角と言える戦いを繰り広げた。おまけに彼を倒してはならないというハンディキャップがありながらもである。

 つまり、この結果は必然なのだ。あのデスゲームの生還者でもあり、数多の死線を乗り越えてきたシリカにそこらのトッププレイヤーが勝利できる道理など無かったのだ。

 

 「これで、終わりです。」

 

 二度目の声が響き、無数の弾丸が吐き出された。クリティカル部位をゼロ距離で何度も撃ち抜かれ、残り三割程あった《銃士X》の体力は全て吹き飛んだ。押さえつけられていた身体は脱力し、脱落を示す赤いタグが浮かぶ。

 

 「……そこに隠れているのは、誰ですか?」

 

 大した力もない邪魔者をまた一人消したシリカは警戒を解くことなく、自身の背後にある残骸に目を向けた。精度が低いため、ソーヤのように誰なのかは分からない。

 即座に攻撃を仕掛けないのは、シリカにとっての邪魔者が彼以外の全員ではないことを暗に示している。徐々に彼が飼う獣に近づいているように感じる彼女だが、視界に入った者を無差別に襲う程に堕ちてはいないようだ。

 

 「悪いシリカ、隠れるつもりは無かったんだ。許してくれ。」

 

 「あ、キリトさん!どうして此処に?」

 

 現れたのが知り合いだったことでシリカの人間らしさが一気に顔を出した。先程までの獰猛さは消え、今は人懐っこい笑みを浮かべている。彼女を詳しく知らぬ者からすれば、あまりもの温度差に驚きを隠せないであろう。

 

 「えっと、それは……」

 

 まるで元気いっぱいの妹を相手する兄のようにキリトはシリカの問いに答える。彼曰く、《デス・ガン》を追って都市廃墟に到着したキリトとシノンはついさっきあった《サテライト・スキャン》で《銃士X》こそ奴であると予想し、これ以上の殺人を防ぐべく彼女と二手に別れて突撃してきたとのこと。

 しかし蓋を開けてみれば《銃士X》はシリカに倒された上に、《デス・ガン》ではなかった。つまり無駄足だったというわけだ。それでもキリトは安堵の方が勝ったのか、ふぅと息を一つ吐く。

 シリカもつられて安堵しかけるが、ふと嫌な予感がした。今の話ならば《デス・ガン》は今この周辺にいる。となると、キリトと一時的に別れたシノンが標的になる確率は十分にあり得ることだ。さっとシリカの顔が青くなった。

 

 「シリカ、大丈夫か?」

 

 「キリトさん、早くシノンさんと合流しましょう!もしかするとシノンさんが狙われているかもしれません!!」

 

 慌てて駆けだしたシリカの言葉を受けてキリトも事態の不味さに気づいたのだろう、スピードを一気に引き上げてシノンがいる場所へと向かう。

 現在キリトとシノンは協同関係にあるが、パーティーを組んでいるわけではないため、彼女がどんな状態になっているかは不明である。

 されど、今できることはシノンの下へと急ぐことのみだ。キリトは彼女の無事を願って、最大速度を維持したまま地を駆けた。

 

 

 ◇◆◇

 

 その銃(・・・)が視界に映り、抗おうという気持ちは水をかけられた火のように消え去ってしまう。頼みの綱であった小型の連射銃を握る手から力が抜け、目の前に落ちた。

 脳裏に蘇るは幼き頃の記憶。作られたこの世界ではない、本当の世界で人を殺した時のこと。母親を守るために引いた引き金は自分のこれからの未来をも撃ち抜き、全てを破壊した。

 突然の奇襲を仕掛けてきた《デス・ガン》に対応できず、無様に地べたを這いつくばるシノンの瞳は恐怖に染まっている。過去を振り払う力を求める彼女は此処にはいない、いるのはただ過去に怯える哀れな少女だ。

 

 『《黒の剣士》、これで、お前が、本物かどうか、はっきりする。』

 

 かちりとハンマーが音を立てて起き上がる。現実の心臓を撃ち抜く凶弾が込められた銃が向く先は、当然ながらシノンである。精神を蝕む恐怖により、最早《デス・ガン》が何を言っているのかは聞こえていない。

 下される罰を待つ罪人のようにシノンはただ自身が殺されるその時を待っている。内心で渦巻くのは諦めたくないという感情。

 長年求め続けた答えが見つかりそうなのだ。忌まわしき過去を消し去る力の意味が。わざわざこんな世界にまでやって来て戦う意味が。

 脳裏に浮かんだのは全く異なる力を持つ二つの影。一つは自身を人間の枠を逸脱した化物と称し、圧倒的な力で全てを蹂躙する。そしてもう片方は前者に匹敵する力を持ちながらも、過去の出来事に苦しめられている。

 ソーヤとキリト。この二人は力の方向性が全く異なっている。されど、同じ力であることに変わりはない。片方からは拒絶されたが、あの二人の傍にいれば、同じ景色を見ていれば、きっと……。

 しかし小さすぎるそれは諦念という名の波に呑まれ、あっさりと消え去ってしまう。無駄だったのだ。過去を断ち切るなんて不可能だったのだ。そんな感情に押し潰され、反逆の火は容易く消火されてしまった。

 

 「助けて……。」

 

 ただの少女に成り下がったシノンから漏れたのは、助けを求める声。自身が人殺しであることをわかっていながらも、過去に怯えるだけの少女になろうとも、差し出した手を掴んでくれる英雄的存在を求めた声。

 だが、この世界は人工のものであろうとも、絵本の中の物語程に上手く進む訳がない。姫を救う英雄などそんな都合良く現れる筈がないのだ。そう、英雄は(・・・)

 銃声が轟く。何処かしらを撃ち抜かれたと思ったシノンは瞼を閉じ、己の意識が途切れる瞬間を待つ。しかしどれ程待ってもその時は訪れなかった。よく見れば暗闇の視界でも左上に表示された体力は一ドットも減少していなかった。

 

 「……キリトに助けて欲しかっただろうが、悪かったな。」

 

 恐る恐る開いた目に映ったのは人の皮を被った化物。自らに敵対する者全てを殺し尽くす悪魔の化身。その手に掴んでいるのは残り少ない生存のプレイヤーだ。ダメージエフェクトが発生しているところを見るに、そいつが文字通り肉壁としてあの銃撃を受けたのだろう。

 一瞬にして解放されかけた恐怖の鎖にシノンは再度縛られる。《デス・ガン》が先程放ったのは普通の銃弾ではない。現実の心臓を撃ち抜く凶弾である。つまり、数秒後に盾にされたあのプレイヤーは……死ぬ。

 シノンは少年に掴まれたプレイヤーが消滅する光景を幻視したが、今度もまた彼女の予想を裏切り、そいつの体力が僅かに減少するにとどまった。

 

 「……やっぱりか。これで確認が取れた。よし、お前はもう用済みだ。」

 

 「テメェッ!散々馬鹿にしやがっt……。」

 

 暴れるプレイヤーを解放すると同時に展開した光剣で両断した少年……ソーヤは物言わぬ死体となったそれを邪魔だとばかりに蹴り飛ばす。破壊不能オブジェクト特有の音声と共に、亡骸が宙を舞った。

 

 「《鬼神》、貴様……!!」

 

 今までに見せなかった憤怒の感情を色濃く滲ませ、ソーヤを睨む《デス・ガン》。それに対して彼は静かな殺気を向けるだけである。少し前に遭遇した時の狂暴性は何処にも見当たらない。

 腰部にマウントされたやや大きい連射銃を片手に持って構え、ソーヤは《デス・ガン》を牽制する。シノンを守るためか、彼は攻める様子が一切ない。

 静寂がこの場を支配するかのように思われたが、それは新たに現れた二つの影によって否定される。その正体は気配を感じられるソーヤでなくとも容易に分かるのだが、彼はあまり良い表情を浮かべなかった。援軍である筈なのに、悔しさを隠しきれない顔をしていた。

 

 「キリトさん、此処ですか!?」

 

 「ああ、そうだ!シノン!無事か!?」

 

 息を切らして《デス・ガン》の背後から現れたのは、勿論キリトとシリカである。これで依頼を受けた調査員全員がこの場所に集結したことになる。

 しかし、それは同時にソーヤとシリカが交わし、それぞれが全力で叶えようとした約束が夢物語となったことも意味していた。  



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第六十四話 獣の力

 第六十二話で書いた残り人数を九人から十二人に変更致しました。

 それと、投稿がかなり遅れました。申し訳ありません。


 ◇◆◇

 

 「さてどうするんだ、《デス・ガン》?」

 

 連射銃を構えたままのソーヤからひどく冷淡な声が出る。端から見れば、それは親しい者でも彼が殺意の牙を剥き出し始めたのだと感じるものだ。その証拠に放たれる抜き身の刃のような鋭い殺気はじわじわと濃くなりつつある。

 しかしこの場にいる一人の少女、シリカだけは違った。それが本心を隠す演技であり、自分自身をも騙す嘘の仮面を押しつけているのだと見抜いていた。

 ソーヤとシリカの本人達しか知らぬ一つの約束。愛する彼は依頼された仕事を果たしつつ、それをも実現させようと動いていたことを彼女は知っている。

 だからこそ、シリカもソーヤの少しの助けになればと行動を取った。その願い事のような小さな約束を叶えたかったのは自分も同じであったからだ。 

 よって嘘だと断言することができる。約束を交わし、そのためにソーヤがどれだけ動いたのかを知るシリカだからこそあっさり看破することができた。

 

 「そこを、どけ、《鬼神》。俺は、その女を、殺さねば、ならない。」

 

 「……殺させると思うか?それにお前の後ろにはシリカとキリトがいる。逃げるのも不可能だぞ。」

 

 自分は化物だと自称するソーヤだが、人間の心が備わっていないという訳ではない。むしろそこらの常人より人間らしさがあると言ってもいい。二人きりの空間でシリカが甘えた際の反応などその最たる例である。

 もしソーヤにあんな血みどろな過去が無ければ、彼はきっと明るい少年として日常を過ごしただろう。しかしそれはたらればの話。出来事一つで人間というのは簡単に変わってしまう。良い方向にも、悪い方向にも。

 忌むべき過去から自分自身をも偽る嘘の仮面を手に入れた少年は敵対する死神を睨む。己の感情を極限まで殺し、獲物を狩る獣へと変わりつつある彼の威圧感は例え味方であろうとも恐ろしいものだ。もしかするとこちらに襲いかかってくるかもしれないという不安が嫌でも湧き出てしまう。故にシノンは自分を守ってくれている筈の彼に信頼を預けきれないでいた。

 研ぎ澄まされた刃のような殺気が《デス・ガン》へと向けられる。正面には人外の化物、背後には手練れが二人。ソーヤの言った通り逃走などはできそうにない。明らかに万事休すといった状況だが、ボイスチェンジャーを通して漏れたのは『嗤い』であった。

 

 「ククッ、そろそろ、慣れない、虚勢(・・)を、張るのを、止めたら、どうだ、《鬼神》。」

 

 再度シノンに手に持ったままの銃の標準を合わせた《デス・ガン》は即座にトリガーを引く。それは当然間にいたソーヤが連射銃の弾をぶつけることによって無効化されるが、浮かべる表情は決して良いものではなかった。

 

 「チッ……結構観察眼が鋭いな。」

 

 「お前を、少しでも、知っているのならば、簡単だろう。《鬼神》、お前の、力は誰かを、守るものでは、ない。《黒の剣士》や、《竜使い》のものとは、違う。己の敵を、全て葬る、獣の力だ。誰かを守る、戦い方を、お前は、知らない。」

 

 フードの奥に隠れる赤い瞳が輝き、まるで同族を見るような目でソーヤを見つめる。お前はこちら側だ、命を奪うことを楽しむ側だと言外に告げている。

 

 「……随分と自慢げに喋るな。それ程これを見破ったのが嬉しかったか?」

 

 しかしそれがどうしたとソーヤは返す。確かに彼は命を奪おうとも傷つかない。それどころか愉悦を感じる始末。下手をすれば目の前にいる奴より凶悪なのかもしれない。

 ソーヤの内に飼う獣こと彼の狂気が《デス・ガン》らのような殺人を嬉々として行う者達と同族であることは、まごうことなき事実。ならば何故彼は同族の奴らに敵対するのか、答えは至極簡単なことである。

 こんな人の道を外れた化物を受け入れた者達がいたのだ。その者達は彼の過去を聞いてもなお、仲間の一人として彼を輪の中に歓迎した。

 もう独りじゃない、妖精の世界で愛する人から告げられた言葉を脳裏に浮かべながらソーヤは視線を奥へと向ける。

 

 「キリト、そしてシリカ、撤退するから手伝って。今奴が言ったように、きっと俺の力じゃ守りきれない。いつか隙を突かれて殺られる。」

 

 亡き母親が教えてくれた決して自分を裏切らず、本心から信用できる友である者達の名前をソーヤは呼ぶ。しかしその表情は仮面を付けたように固いものであった。

 

 「ああ、任せろ!」

 

 「……はい、わかりました。」

 

 ソーヤの頼みを二人は当然の如く了承し、逃げ道を塞ぐ役目を放り投げて彼の両隣へと移動した。彼らの返事に違いがあったのは、今の彼の心情を察しているか否か。彼の隠された本心を見抜くことは至難の技なのである。 

 

 

 ◇◆◇

 

 こんなこと、もうしなくていいよ。私のことなんて放っておいてよ。どうせ私達なんて少し前に知り合っただけの仲じゃない。置いていって。

 息を切らせて走るキリトに抱えられながら、内心でシノンはそう思うが言葉にできないでいた。先程までの思考回路など今の彼女には存在しないのである。打ち込まれたスタン弾は彼女の仮初めの身体だけでなく意識も痺れさせていた。

 シノンを撃ち抜こうと一つの銃弾が迫るも、即座に間に割り込んできた小さな人影が操る光剣によって弾かれる。さらに続いてその隣にいたもう一人が連射銃の引き金を引く。

 その光景をシノンは映画を見る観客の如く眺める。自分が危機的状況下にいることなど忘れたように、ただぼうっと防衛と牽制を繰り返す二つの小さな人影……ソーヤとシリカを見ていた。

 

 「ソーヤにシリカ、助かった!」

 

 「キリト、お礼なら後で良いから速く走って!いつ失敗したっておかしくないんだから!他者を狙う弾を弾く(・・・・・・・・・)っていうのは……っと!!」

 

 律儀にも感謝の意を述べるキリトに叫びながらも、ソーヤはまた一つシノンを狙った銃弾を弾く。迫る弾丸を光剣で弾く、これだけでも絶技と言われるのだが少年はさらに高難易度の神業を繰り出している。

 少し前にキリトとソーヤが見せたものは自身を標的とした弾だったために、弾道予想線が存在した。つまり、それは標的となった者にしか視認できない。

 つまり裏を返せば、標的となっていない場合は何も見えないのである。さらに銃弾は視認など不可能な速度で発射されるため、それを弾くにはよっぽど運が良くなければ不可能だ。だがそれはあくまで人間の範疇の話。人ならざる者であるソーヤには適応されない。

 

 「……シッ!」

 

 垂直に振られた光剣がまたも銃弾を弾く。明らかに運任せに振ったものではない太刀筋、完全にコースを見切ったもの。火花に照らされた黒の瞳は忙しなく周囲に目を動かし、次の銃弾も弾くべく行動を取る。その一連の動作こそが答えであった。

 彼が行っていることは単純だ。自分と標的、仲間の位置などその他諸々の情報から想定しうるコースを割り出してその一つを光剣で潰す。たったこれだけである。とはいえこれでも常人では時間をどれ程費やすのかわかったものではない。少なくともこんな短時間ではお手上げだ。

 では一体何がこんな馬鹿げたことを可能としているのか。それは獣の冷徹な思考回路である。獣の思考は獲物を手早く仕留めるため、思考にかける時間を最小にしつつも最適解を導き出すとんでもない構造をしているのだ。

 しかし当然それを人間の脳で行うには大きな負担が発生する。獣の力を使用後、ソーヤに頭痛が起こっていたのは《創造》のスキルによるものが殆どだが、僅かにこの思考回路に切り替えたのも含まれていた。

 

 「キリトさん、いつまで走るんですか!?あてがあるって言いましたけど、その場所はまだなんですか!?」

 

 「もうすぐだ!あと少し頼む!!」

 

 シノンを抱えたまま返事するキリトを先頭に、彼らは廃墟の北側へと飛び出す。見えてきたのは道端にぶら下がる半壊のネオンサイン。無人のレンタル乗り物屋である。だが近づくにつれ、破壊されて使い物にならなくなった大量の乗り物の残骸が目に入ってくる。

 それでも諦めきれないキリトは店内に駆け込むとどうにか動きそうな三輪バギーを発見し、シノンを乗せるとすぐさまエンジンを起動した。

 

 「ソーヤとシリカも急いで乗れ!これで奴から逃げるぞ!!」

 

 「……悪いけど、俺は無理だよ。」

 

 そう答えながら両手に銃を握ったソーヤはこちらを追って来る《デス・ガン》とは異なる方向に視線を向ける。何故なんだと疑問の眼差しをキリトは彼へと投げ掛ける。そしてそれを感知できない彼ではない。

 

 「アイツが言ってたように、俺の力は誰かを守るためにできてはいない。それと忘れているかもだけど、これはバトルロイヤルだよ?あれだけ騒ぎを起こしたんだ。残りの者達が集まってきてもおかしくない。というかほぼ確実に集まってくる。漁夫の利を狙ってね。」

 

 「……ッ!!」

 

 痛いところを突いてきたソーヤの言葉にキリトは何も言い返せない。実際、指摘されるまで頭から抜け落ちかけていた。自分達は調査員としてこの大会に参加しているが、シノン達多くのプレイヤーからすれば自分こそ最強だと証明する為に飛び込んできている。

 勝利だけを貪欲に求める者達の中で自分達はそれを捨てて依頼の達成を目指している。どちらの方が異質など、考える間でもないであろう。

 

 「だったら……私も行きます!」

 

 「シリカ……それはもしもの時に大変なことになる。お願いだ、キリトと一緒にシノンが殺されないように守って欲しい。もう大丈夫……約束(・・)は少しでも実現させるように頑張るから。」

 

 シリカに耳打ちしたソーヤの言葉は決意に満ちていた。事件が解決される前に二人が遭遇したことで、開幕前に交わされた秘密の約束は一度水泡に帰してしまった。

 それでもソーヤはシリカと『戦う』部分だけでも実現させるために努力すると今此処に宣言する。しかし忘れてはいけない、彼は約束を破ったことに対する自己嫌悪を仮面の裏に押し込めたままであることを。

 故にシリカはソーヤが危ないと感じ取る。隠された彼の本心が悲鳴を上げているのを見逃さなかった。されど指摘したところで意味などない。

 自分達と出会う前からずっと仮面を付けていたせいで、ソーヤは己の感情を殺すのを苦に思わないことをシリカは知っている。今できることは、送り出すことだけである。

 

 「……待ってますからね。」

 

 「うん、絶対に叶えるから。キリトも、お願いね。」

 

 「ああ、任せろ!」

 

 死神に狙われるシノンを二人に預け、ソーヤは背部の大型アサルトライフルを取り出して手に持つと即座にこの場を去る。それと同時にレンタルバギーが発車し、反対方向へと走っていった。

 ビルの残骸を足場にして飛び回ってあっという間に高台に到着したソーヤは仮面を外し、自分の顔に触れる。鏡を見ずともわかる程に彼の顔は自己嫌悪に歪んでいた。

 

 「……クソッ。」

 

 珍しく苛立ちを隠せない。結果として合流してしまい、あの約束は叶わぬものとなったが、避けようとすればできたのは確かだ。ソーヤには他者の気配、それも親しい者であれば誰なのかを感知する獣の本能が備わっている。

 依頼を優先しなければいけないことは理解している。だから実現すれば良いなぐらいの程度でシリカと共に願ったこと。どうやらそれは知らず知らずのうちに自分の中で肥大化してしまっていたらしい。

 殺意が芽生える。対象は当然自分。殺したくてたまらないが決して殺せないことが更に苛つきを生み出し、殺意を加速させていく。

 絶えることのない糧を食らい、獣は力を増す。じわじわと身体が熱くなる。かつて檻に閉じ込めていた獣がそれを破壊し、解き放たれた時と同等、いやそれ以上の力の奔流が吹き荒れ始めた。

 二度目となる獣の解放、それも全力に近いもの。だが今のソーヤにはデメリットが殆ど存在しない。強いて言えば機械のような高速回転の思考による負担があるが、それも終了後に気絶する程ではない。

 一度獣に食われた影響で、ソーヤの人間とも言える部分は大方消失している。表現するならば普通の人間の振る舞いをする狂気の殺人鬼が正しい。その証拠に、獣を表に出さない状態でも彼は命を奪うことは快感だと感じてしまう。

 赤く染まった獣の瞳は高台から周囲を見渡す。そしてこちらへと駆けてくる獲物を捕捉すると、ニヤリと口元を凶悪に歪めた。

 

 「……コロス。」

 

 誰に向けるでもなく呟かれたその一言が狩りの開始の合図となった。ソーヤは崩れかけの柵を踏み台にし、未だに気づいていない哀れな獲物へと襲いかかった。

 ソーヤの両手に構えられた大型アサルトライフルが連射され、上空から(・・・・)幾つもの銃弾が降り注ぐ。先程まで彼は高台に立ち、対する獲物は元々地を走っていた。高低差があるのは当然のことである。

 真上からの攻撃など想定していなかった獲物は回避が間に合わず、銃弾の雨に晒される。とはいえ、今回の標的はこの魔境を此所まで生き残った強者だ。被害を最小限にするべく身体を細部まで制御し、動かしている。

 狩りがいのあることを把握したのか、獣はただでさえ歪んだ狂気の笑みを更に歪める。その様子はキリトが「暴走している」と断定してもおかしくはないぐらいに狂い落ちていた。

 着地と同時に接近し、本性を剥き出しにするソーヤはナイフを振り上げる。異常の一言に尽きる速度に追いつけず、切断された獲物の片腕が宙を舞う。

 幸いにも利き手とは違ったのか、獲物はぴたりと標準を合わせると同時に引き金を引いた。されど、もうそこにソーヤの姿はない。ステータスの暴力が成す圧倒的な速度は視認することすら困難なものへとさせていく。それでも獲物は長年の勘からか、身体を次に彼が突っ込んでくる方向に合わせていた。

 

 「アアアァァァ!!」

 

 苛つきを表現するように叫び、ソーヤは乱暴に逆手に持ち変えたナイフを胸元に突き刺す。そして即座に手を離し、金属で覆われた足先でナイフを更に深く抉り込ませる。だが、与えたダメージは微々たるものであった。

 ソーヤが繰り出す一撃一撃はそれ程大したことのないもの。多少受けても問題はないと言える。故に殆どの者は気づかない。獣に蹂躙されて初めて、その思考回路がどれ程愚かであるかを思い知らされるのだ。 

 今回の獲物もそう、死に物狂いであれば回避が可能であったナイフでの攻撃を至近距離で(・・・・・)受けてしまった。それが蹂躙劇の開演の合図だと知らずに。

 

 「シネェェェ!!」

 

 自己嫌悪による殺意、そして対象が殺せないことへの苛立ちによりソーヤは再び叫ぶ。彼が叫ぶなどそうそうないことだが、今回ばかりは仕方ないだろう。愛する人との約束を破ってしまったのだから。

 普段ですら激しい攻撃が苛烈さを増し、最早暴力の嵐と化す。その中に閉じ込められた獲物は、今になって少し前の自分の行動が失敗であることを悟った。

 ナイフで刺し、ブーツで蹴り、銃口を押し当てて発砲。それら様々な行動を残像が残る速度で繰り返し、反撃など許さんとばかりにソーヤは攻撃を叩き込む。その多すぎる手数は獲物を瞬く間に葬ってしまった。

 周囲に気配がないことを確認し、ソーヤは獣を再度奥へと押し込める。身体の熱が引くことは無いが、これぐらいのことは簡単である。

 自己嫌悪からくる己への殺意も感情の一部に過ぎない。仮面で押し付けて隠すことなど容易なのだ。

 



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第六十五話 強さの秘密

 最近本当に忙しく、だんだんと投稿ペースが落ちてきております。

 ですが、失踪するつもりはございませんので気長に待って頂けると幸いです。


 ◇◆◇

 

 甲高い衝撃音が響き、命中したバギーの車体から火花が散る。その一つが後部座席で恐怖にうずくまる自身の頬に触れ、シノンは目に涙を浮かべながら更に身を縮こまらせた。

 もうそこに《シノン》はいない。異常な威力を誇る対物ライフルを操り、数多の強敵を撃ち抜いてきた凄腕の狙撃手の姿は存在していなかった。

 過去に怯える彼女はあらゆる出来事から目を逸らそうとする。近くで聞こえる連射銃の音も、何度も自分の名を呼ぶ二人の声も、何もかも聞こえない。聞きたくない。

 

 「シノン……シノン!!」

 

 「……ッ!!」

 

 だんだんと鋭くなっていく声。しかし返事などするもんかと無視を決めこんでいると、不意に両手を掴まれる。振り払おうとするも、今の弱々しい力ではそんな事叶う筈もなかった。

 暗闇ばかりだった視界が急に明るくなる。どうやら自分は今、キリトに組み敷かれているようだ。自分の身体はちゃんとバギーの中に隠され、撃たれる心配もない。

 そう、彼女らは現在ロボットホースを駆る《デス・ガン》に追われている最中なのだ。不用意に隙を晒せば、待っているのは死亡する未来のみである。

 精神状態が通常ならば股間を蹴り上げてでも脱出を図るが、ただの少女には動くことすらできない。シリカに運転を任せたキリトはいつになく真剣な眼差しで彼女を見つめ、冷静な声で言った。

 

 「シノン、どうせこのままだと追い付かれる。だから……君が《デス・ガン》を狙撃してくれ。」

 

 「え……?そんなの……できっこないよ……。」

 

 首を力無く振り、少女は拒否の意を示す。隣に置いてある愛銃はいつもなら何事にも立ち向かえるような力を与えてくれるが、今だけはただの重い物体でしかなかった。

 

 「なら、俺が撃つ!シノンの銃(・・・・・)で!!」

 

 「待って!!」

 

 その言葉が飛び出したのは無意識だった。自分の分身と言っても過言ではないその銃が他者に使われることを把握した瞬間、気づいた時には既に彼女は叫んでいた。

 自分の相棒を使おうと手を伸ばすキリトに蹴りを入れて退け、起き上がると狙撃の準備を開始する。動きはのろのろと遅いものだが、それでも少女は少しずつ《シノン》に戻りだしていた。

 バギーの車体に銃身の乗せ、恐る恐るスコープを覗き込む。あの間にも詰められたようで、迫る死神との距離は百メートル以下となっていた。

 恐怖の対象が視界いっぱいに広がり、少女の身体は震えだす。しかしどうにか逃げ出したい気持ちを抑えながら引き金に指を添える。

 照準は合わせるまでもない、後は引くだけ。この世界での自分を取り戻しつつある少女はそう思い、指先に力を込めた。

 

 「え……?」

 

 だがいつまで待っても、構えられた銃口からは何も吐き出されなかった。困惑しつつも少女は自身の指先へと視線を動かす。そこには、信じたくない光景が広がっていた。

 引けないのだ。幾ら力を込めようとも添えられた指は動かない。まるでその行為を拒むように。

 結局、少女は一度失った本来の姿に戻ることは叶わなかった。しかしそれは当然のことでもある。一度魂に刻みつけられ、再び眼前に現れた恐怖を乗り越えるなど至難の技なのだ。

 

 「銃が、撃てない……。もう私、戦えないよ……。」

 

 「戦えない?……シノン、さっきの言葉は嘘だったのか!?」

 

 情けない声を漏れ出させる少女にキリトは即座に怒鳴る。更に続けて今度は別の声が彼女の背を打ち据えた。誰であるかは考えるまでもない。バギーの運転席に座るシリカである。

 

 「シノンさん、諦めちゃ駄目です!諦めちゃったら……ずっと後悔してしまいかねないことだってあるんです!!」

 

 前を向き、バギーを運転するシリカの声は強く厳しいものだったが、それ以上にどこか納得させられるような感じがした。まるで過去に経験してきたかのようなその言葉にははっきりとした重みがあった。

 だがそれでも少女の心を僅かに揺らす程度に終わる。何かを取りこぼす痛みを知った彼女は二度とそれを感じないように、差し出された救いの手を己の手で拒絶する。現状維持こそ最良の選択であると、自分の殻に閉じこもる。

 内心で大きく振りかぶって戦意を捨てようとした少女だが、突然凍りついてしまった彼女の右手を何かが包み込んだ。どうやら、今回の救いの手は随分と頑固者のようである。相手の事情など関係ない、取り敢えず救い出す……そんな感じだ。

 

 「シノン、お前が戦えないなら俺が一緒に戦う!だから、一発だけで良い、その銃を撃ってくれ!!」

 

 重ねられた手から伝わってくる温度は、最早暖かいを越えていた。暑苦しいと言っても過言ではない程の熱が少女の指をじわじわと溶かしていく。

 元々写し出されていた緑色の円は拡大と収縮を不規則に素早く繰り返す。少女の心拍が乱れているのだ。おまけに走行中のバギーによる振動で狙いが定まらない。

 

 「無理よ、こんなに揺れてちゃ……!」

 

 「大丈夫だ!シリカ!!」

 

 「はい!三、二、一……今です!!」

 

 シリカのカウントダウンが終わると同時に、大きく揺れていたバギーの振動がぴたりと止んだ。視界が上空から見下ろすかたちになったことから何かに乗り上げ、跳んだのだと少女は頭の隅で把握する。

 今なら理解できる、キリトという人間の強さを。そう少女は、シノンは思った。これまで追い求めてきた力を持つ二人の内の片方は、自分と同じように過去に怯えながらも前を向く。それが彼の強さだと知ったのだ。

 引き金がとてつもなく重い。それでも重ねられた手に押され、徐々に沈んでいく。

 シノンはキリトと同じことができるとは到底思っていない。彼の強さの秘密を知ったとて、実際に行動に移せるかは別問題なのだ。

 問題はまだまだ山積みだ。シノンはキリトの力の秘密を知っただけ。言うなれば、解決に向けたスタートラインに漸く立つことができたようなものだ。

 引き返すことは容易、しかしシノンはそれをもうしない。勇気を振り絞って目の前の恐怖と戦う選択を取る。

 

 「……っ!!」

 

 銃口から轟音と火花が吐き出された。不安定な体勢で射撃を行った為にシノンは反動を殺しきれず後ろに飛ばされたが、キリトがしっかりと受け止めた。

 二人は放たれた弾丸の行方を追う。全てを撃ち壊す破壊力を持った一撃必殺のそれは磁石に引き付けられるように《デス・ガン》へと迫る。

 だが、シノンの銃の威力を知っている《デス・ガン》は彼女が引き金を引く前から回避行動を始めていた。扱いの難しいロボットホースを巧みに動かし、想定される軌道から自身を外す。

 シノンはもとから命中するとは思っていなかったが、それでも外したという事実は少なからず彼女の精神に傷を負わせた。次弾を装填する気力もなく、ただぼうっと自分の弾が避けられる光景を眺めようとする。

 だからこそ、彼女は遠方から行われた援護射撃に目を丸くした。これには当然キリトも驚きを隠せず、弾丸が飛来してきた方向を特定しようと周囲に見渡す。

 

 「なっ!?何処からだ!?」

 

 超遠距離からの援護射撃は寸分の狂いもなく《デス・ガン》が駆るロボットホースの胴体を撃ち抜く。そして転倒した死神を突如発生した巨大な炎が呑み込んだ。

 シノンがキリトと共に放った弾丸は横転していた大型トラックのタンクをぶち抜き、大爆発を引き起こしたのである。それはまるで最高の狙撃手たる彼女の愛銃が失敗など許さないと言っているようであった。

 炎に包まれる廃墟をぼうっと眺める二人とは対照的に、シリカはやってやったと会心の笑みを浮かべる。

 

 「ナイスタイミングです、ソーヤさん!」

 

 シリカは運転を任された直後、漁夫の利を狙ったプレイヤーを刈る為に一時的に別行動を取ったソーヤの気配を感じたのだ。始めこそ荒々しく動いていたが、数分後にはもう倒してしまったのかあまり動かなくなった。

 そこからシリカの行動は早かった。ハンドルを切り、彼に気づいてもらえるよう近づいていく。シノンを守りきれる確率が上がるのならば、例え彼を利用するかたちになろうとも迷わずそれを選択するべきだ。何故ならば、頼まれたのは彼女を守ることなのだから。

 分の悪い賭けだったことはシリカも十分承知している。近づいただけで援護して欲しいとは到底理解してもらえないだろう。ならば口で伝えようとしても、それは不可能だ。

 つまり、全てはソーヤがシリカの意図を汲み取れるかにかかっていた。彼が持つ人間の枠を越えた気配感知の力と状況把握能力に彼女は賭けたのだ。

 成功率はほぼゼロに近かった。というか常人ならば確実にゼロだろう。されどシリカは確信していた。ソーヤならば、きっと自分の意図が伝わると信じていた。

 故に、援護射撃が飛んできた時にシリカは「ナイスタイミング」だと言ったのだ。行われた援護がさも当然であるかのように。

 

 

 ◇◆◇

 

 現実ならば確実に大火事レベルの炎の中に消えていく《デス・ガン》の姿をスコープ越しに確認した後、伏射姿勢を解いて上半身を起こす。間違いなく過去最長距離の射撃だったが、どうにか援護はできたようだ。残弾が一発となった狙撃銃を背負い、現在進行形で燃え続けている爆発現場に視線を向ける。

 距離がありすぎる為に気配を感じることはできないが、今ので《デス・ガン》を倒せたとは思わない。かつて人殺しを嬉々として実行するギルドの幹部だった奴があの程度でくたばる訳がないのだ。

 

 「まぁ、取り敢えず合流するか。」

 

 思考を断ち切り、シリカ達が去っていった方に向かって駆ける。かなり時間が経った今、横やりを入れようとする者もいないだろう。

 そもそも残っているプレイヤーが未だにいるかもわからない。自分達と《デス・ガン》の五人だけという可能性も決して低くはない。

 左右を流れていく廃車などがだんだんと奇妙な形をした植物に変わっていく。中央に位置する廃墟都市を抜け、北側の砂漠地帯に突入したのだ。

 途中で曲がっていなければ、この方向にシリカ達は間違いなくいる。このステージならば彼女らを探すのにそれほど時間はかからないだろう。

 走るのを止め、上がった息を整えながら眼を閉じて意識を集中させる。やはりこれが一番気配を探しやすい。もし仮に攻撃を仕掛けられようとも、事前に向けられる殺気で対応可能だ。

 ゆっくりと感知範囲の半径を伸ばす。すると一ヵ所に集まっている三つの気配があった。ある程度予測がつきながらも確認すると、そのどれもが知っているもの。シリカ達だ。

 

 「見つけた。ここからだと……そう遠くはないか。」

 

 閉じていた瞼を上げ、目的地に向かって歩を進める。周囲に彼女ら以外の気配は存在しなかった。ならば幾ら隙を晒そうとも銃弾が飛来してくる心配はない。とはいっても、念のために警戒は解かないでおく。

 何気なく腕時計を確認すれば午後九時を回っていた。驚くべきことに、この大会が開始してからまだ一時間と少ししか経っていなかったのだ。これ程までに時の流れが遅く感じたことはないだろう。

 本来ならこの大会は最強のプレイヤーを決めるもので、今回も熱狂の嵐に包まれていた筈だ。いや、正確には今回も盛り上がっているが、人知れぬところでデスゲームと化している。しかも参加している者の殆どが気づいていないというものでタチが悪い。

 接触対象にして、この大会を殺人会場とした《デス・ガン》の手口こそ何となく分かってきたが、未だ目的は不明のままだ。もしかすると考えるだけ無駄なのかもしれない。なにせ、奴は自身の快楽の為だけに人殺しをする人間なのだから。

 

 『この、化物がっ!!』

 

 全く、一人だとどうも面倒なことばかり思い出すからいけない。脳裏に響いたその声は果たして誰のものだっただろうか。ゲームの中で倒した者かもしれないし、本当に命を奪った者かもしれない。まぁ今となってはどうでも良いことだ。

 

 『何で化物のお前が恵まれている!?俺達の命を簡単に奪ったお前が!?』

 

 どうやらこれまで葬ってきた者達はそう簡単に逃がすつもりはないらしい。いつにもまして響く怨嗟の声にため息が出る。そう、ため息が出る程度(・・・・・・・・)なのだ。

 そこまで堕ちたかと自嘲するつもりはない。一度、いや二度食われた俺はそのことを別に何とも思わなくなってしまった。別人格になったという表現がかなり当てはまるかもしれない。

 過去を辿れば俺だってそこら辺にいる普通の男の子だった。別に記憶が失われた訳ではないので、ちゃんと思い出すことができる。

 小学校に入学した俺は、これからできるであろう友達に心踊らせていた。だが直ぐにそれは幻想であることを突きつけられた。身長が高い上に大人しい性格だった故か、悪餓鬼どもから格好の標的になってしまったのだ。

 始めは当然抵抗した。文句も言った。しかし悪餓鬼どもはどうやらそれが面白かったのか、いじめは次第にエスカレートしていった。

 物を隠され、鞄を川に投げ捨てられた。そして挙げ句の果てには相談した人間がそれを利用していじめを行った。それからだ、俺が嘘の仮面を被りだしたのは。

 

 『なぁ新原くん、君の筆箱に鉛筆が一つもないよ?忘れたの?』

 

 『どうせお前らが隠したんだろ。馬鹿らしい演技をする暇があるならさっさと返せ。』

 

 最初こそぎこちなかったが、少しすれば接着剤で引っ付いたように自分を偽る仮面は俺の顔にしっかりと馴染んだ。いや、今振り返れば馴染み過ぎた(・・・・・・)と言える。

 これをつける原因となった事件から、幼い俺は同世代の人間に対しては常に仮面をつけていた。それ故に本来の性格よりも嘘の性格でいることが多かった。

 他者を信用しない冷たい性格を演じに演じ続けた結果、いつしかそれはもう一つの人格と言っても差し支えない程にまで成長してしまった。

 

 『コロス……コロシテヤル。』

 

 それが獣。あの日の夜、俺の意識を乗っ取って表に出現し、数多くの人間を奪った包丁で切り裂いた。あそこまで残虐だったのは、俺の狂気も混じっているからだろう。

 深層意識。自覚することは難しく、過去の経験が詰まった倉庫のようなもの。それは無意識ながらも、感情や思考に決して少なくはない影響を及ぼす。

 要は、俺は深層意識の中で狂気を蓄積させてしまっていた可能性が高い。本来の性格をずっと仮面で圧殺していたせいか、微かに芽生えた殺意に気づかなかったのだ。

 常人が稀に感じるような、少し時間が経ってしまえば忘れてしまうような小さな殺意。たった一つならば実行に移すことなど不可能なものだが、数年もかかれば他者の命を容易に奪う凶悪な代物となるのも可笑しくは……。

 

 「……なら、あんたが私を一生守ってよ!!」

 

 突然耳に飛び込んできた叫び声に、俺の意識は急激に引き戻される。気づけばシリカ達の気配は目と鼻の先の距離にまで来ていた。

 頭を振り、怨嗟の声を吐き出し続ける亡霊を追い出す。これが聞こえてしまうのは、俺が完全に獣と化していないからだ。

 これがもし比喩ではなく、そのままの意味で(・・・・・・・・)獣となったのならば、文字通り全てを食らうだけになる。

 それだけはあってはならないことだ。自他共に認める化物であろうとも、人間の意識を持つ生物として最後の一線だけは越えてはならない。

 そう己に言い聞かせ、俺はシリカ達がいるであろう洞窟の中へと入っていった。        



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第六十六話 人間と化物の境界線

 ◇◆◇

 

 「なら、あんたが私を一生守ってよ!!」

 

 シノンは今まで感じたことのない感情に身を任せ、力の限り叫んだ。視界が歪み、自身が涙していることに気づくも、そんなことはどうでも良いと拳を固めて目の前にいるキリトを何度も殴る。

 じわじわとキリトの体力が削れていくが、彼は一歩も動かずにじっと泣き叫ぶシノンを見ていた。減少する量は僅かなものであるし、そもそもこうなったのは彼が原因でもある。

 《デス・ガン》の魔の手から逃れ、砂漠地帯に到着した三人は位置情報を他のプレイヤーに知られないよう、近くにあった洞窟に身を潜めた。満身創痍のこの状況ではやられかねないと判断したのだ。

 しかし位置情報を隠蔽するということは、逆に他のプレイヤーが何処にいるかも掴めないということである。要は端末に情報が入ってこないのだ。

 そうなると《デス・ガン》が追って来た場合、対応できなくなってしまう。ソーヤの援護があったとはいえ、あの爆発で倒せた可能性は高くない。ならばと一人だけ外に出れば良いとシリカが見張りも兼ねてその役を買って出た。そうして洞窟に残ったのはキリトとシノンのみとなる。

 シノンは無言で膝に頭を落とした。彼女は自分がお荷物となっていたことに気づいていた。ならば当然その時の自分がどんなものだったかも覚えている。

 あの銃(・・・)が視界に写った時、自分は抵抗する気を失った。恐怖のあまり、手にしていた連射銃を落としてしまった。しかもバギーに乗せられてからは、狙撃してくれと言われても拒否する程に怯えきってしまっていた。

 このままでは今まで積み上げてきたこの世界での全てが否定されてしまう。そしてそれが意味するのは《シノン》という存在の消滅。そうシノンは確信していた。

 

 「私、戦う。もう何処にも隠れないし、逃げない。別に死んでも……構わない。」

 

 立ち上がったシノンは隣に置いてあった愛銃を手にし、洞窟を後にしようとする。だが、キリトはそれを許さないと彼女の腕を強く掴んだ。

 

 「離して……私、行かないと。」

 

 「君を死なせる訳にはいかない。一人で戦って、一人で死ぬつもりなら……君は間違っている。そんな事はあり得ないんだ。」

 

 シノンの青い瞳とキリトの黒い瞳がお互いを捉える。それから両者は口論を開始した。どちらも一歩も譲る様子はない。

 何度か言葉をぶつけ合った後、キリトが「もうこうして関わっているじゃないか!」と掴んだままだったシノンの腕を持ち上げた。そしてそれに感情を爆発させた彼女が叫び、今に至る。

 

 「何も知らないくせに、勝手なこと言わないで!戦いに負けてもこれは私の戦いなの!誰にも文句は言わせない!!それとも、この……人殺し(・・・)の手をあなたは握ってくれるの!?」

 

 頬から涙を流し、半狂乱になったシノンは殴っていた手をキリトに見せつける。目の前に突き出された彼女の手は人間の命を一つ奪った手だ。事故ではない、自分の意思で殺した正真正銘の人殺しの手だ。

 どうせ握ってくれないだろうと予想していたシノンだろうが、彼女の目の前にいる男も同じような過去を持っていた。故に彼はあっさりと突き出された手を取った。

 驚愕のあまり一瞬硬直してしまったシノンだが、即座に再起動すると未だ内で渦巻く感情に任せて口を開こうとする。しかしそれよりもキリトの方が早かった。

 

 「……握れるさ。俺だって同じだからな。」

 

 そこに先程までの勢いはない。まるで自分にも言い聞かせるような柔らかい口調になったキリトはもう片方もシノンの手へと伸ばし、包み込むように彼女の手を握る。

 思いもよらない事態についていけず、さらにキリトの言葉に驚愕したシノンは口をぱくぱくさせるばかりで何も言えないでいた。

 シノンは以前の話から、キリトがあのデスゲームの被害者であろうことは予想済みだったのだが、まさか自分と同じことをしてしまっているとは考えもしなかった。

 動かぬ石像と化したシノンをじっと見つめたまま、キリトは己がしでかした過去を話す。ゲームオーバーがそのまま現実での死となる狂った世界で、殺しを嬉々として行う集団がいたこと。そして……その討伐部隊に召集された自分は手にした剣でその集団に属する人間を何人も斬り殺したこと。

 全てを明かし終えたキリトにシノンは何か声をかけようとするも、適した言葉が浮かばなかった。どんな慰めの言葉をかけても無駄だと直感的に思ったのだ。

 だから、今度は互いの傷を舐め合うようにシノンが自身の罪を告白し始めた。まだ小学生だった頃、母親と行った銀行で強盗が現れたこと。そして……狙われた母親を守る為に強盗が持っていた拳銃を奪って撃ち殺したこと。

 普段なら思い出すだけでも吐き気を感じ、心臓の鼓動が早くなるのだが、シノンの心は不思議と今だけはそれほどひどい拒絶反応を示さなかった。

 

 「ねぇ……キリト。」

 

 同じような過去を持つ少年に、シノンは顔を近づけた。ただでさえ視界いっぱいだった彼との距離は更に縮まり、額がくっついてしまいそうな状態になる。

 恥ずかしさでおかしくなりそうな思考など浮かぶ余裕などなく、シノンは掠れた声でキリトに一つの質問をする。自身と同等かそれ以上の地獄を味わったにも関わらず、それに怯えず強くいる彼に彼女は救いをすがったのだ。

 

 「あなたはその過去を……どうやって乗り越えたの?」

 

 青の瞳は答えを求めるように目の前の少年を見つめていた。しかし突如洞窟内に響き渡った化物の声によって、彼女は残酷な未来を突きつけられる。

 

 「横からで悪いが、キリトは別に乗り越えてはいないぞ。お前と同じく、人の命を奪った過去に苦しみ続けている。」

 

 「え……」

 

 呆然とした表情でシノンが入り口の方を見れば、シリカの隣にはソーヤが立っていた。左右が黒と赤で異なる少年の瞳は愚か者(・・・)を見るような目線を彼女に向けている。

 何故そんな目で見られるのかわからず、シノンはやや厳しい目でソーヤを見やる。その視線の意味を理解した少年はため息を一つつき、シリカと並んで洞窟の壁に身体を預けた。

 

 「シノン……俺とお前が初めて会った時のこと、覚えているか?」

 

 「ソーヤさん、まさか……!?」

 

 「大丈夫、話すつもりはない。安心してくれ。」

 

 何かに気づき、慌てて正面に回り込んできたシリカの頭を撫でて落ち着かせたソーヤは首だけをぐるりと動かしてシノンを視界の中央に据える。

 

 「……当然覚えているわ。あの時に向けられた殺気は相当濃いものだったから、忘れようにも忘れられない。」

 

 「そうか、なら話が早い。キリトもついでに聞いておけ。どうやら聞こえてきた話の内容の限りだとお前は過去を乗り越えようとしているようだが、結論だけ先に言っておく……人間が(・・・)過去を乗り越えるなど不可能だ。」

 

 「そんな……」

 

 無慈悲としか思えないソーヤの言葉に、シノンは目の前が真っ暗に染められたような感覚になった。もし仮に《デス・ガン》と戦って勝利したとしても、延々と自分を苦しめてきた過去はつきまとうのだと宣告されたのだ。

 全身が震え、シノンは恐怖に呑まれそうになる。隣にいるキリトが手を握ってくれている為にかろうじて正気を保ってはいるが、あと少しでも押されてしまえば彼女は底無しの穴へと落ちてしまいそうであった。

 張り詰められた緊張が場を支配するなか、シノンの行く末を決めると言っても過言ではない化物の次の句が紡がれる。

 

 「一度冷静になって、落ち着いて考えてみろ。過去を乗り越えるということは、その事を気にしなくなることに等しい。つまり、人を殺した過去を乗り越えたのならば、それは奪った命を何とも思わなくなる(・・・・・・・・・・・・・・)ということだ。つまり、化物と化す。」

 

 宙を見上げ、随分と変わったものだとソーヤは内心で呟く。他の誰か、ましてや信用すらしていない人間にこうして話すなどという行為は、少し前の自分では到底考えられなかったことだった。

 それもこれも今も隣で身体を預けてくるシリカのお陰である。彼女が背中を押してくれたからこそ、亡き母親が言っていた仲間達と出会え、今の幸せな生活があるのだ。

 

 「お前に必要なのは過去を乗り越える化物の力ではない。本当に必要なのは過去と向き合い、それを受け入れる力。お前やキリトのような他者を傷つけ、命を奪ってもなお人間であり続けようとする者には、これが最善の手だ。」

 

 ソーヤの脳裏に血だまりの上に立つ少年が浮かび上がる。血が滴る包丁を持った彼は口角を上げ、周囲に転がる物言わぬ骸を何の感情もなく見下ろしている。間違いなどあろう筈がない、彼自身であった。

 嘘だという否定は通用しない。確かにソーヤには他者を傷つけ、ある時には命さえも奪った過去がある。事実だけ見れば彼もまたシノンやキリトと同等な暗い記憶がしっかりと刻まれているのだ。されどある一点において彼は他の二人とは大きく異なっていた。

 過去に苦しむ者達は他者を守る為、あるいは凶行に走る人間を止める為に殺人を犯した。要は、殺したくて殺した訳ではないのだ。怒りに任せていたから。必死だったから。理由なんて幾らでもつけられる。

 それに対し、化物は自身の愉悦の為だけに命を喰らった。きっかけこそ怒りだったかもしれない。だが呼び起こされた獣は殺すことを快感としていた。人間の皮を被った状態でさえ、彼の価値観が狂っていることが十分な証拠である。

 

 「これで分かっただろう?過去を乗り越えようなど、人間を止めることと同義だ。俺のような化物になりたくなければ、どれだけ時間が掛ろうと構わない、なんなら隣にいるキリトの力を借りてでも、お前は過去を受け入れる力を求めろ。」

 

 そう言ってソーヤは長話を締めくくった。最後に自嘲らしきことを言ったにも関わらず、空中に視線を固定している彼からは少しも自身を嘲笑う感情が感じられなかった。

 それもそうだ、ソーヤはもう既に過去を乗り越えてしまっていた。他者を殺した記憶を他のものと同様に扱い、自身が化物であることを認めてしまっている。

 

 「過去を受け入れる力……。」

 

 シノンは脱力し、キリトの脚の上に横たわって小さく呟いた。長年自分を苦しめ続けるあの記憶を受け入れるなど到底不可能だと彼女は判断を下す。

 しかしソーヤは他者の力を借りてでも、と言った。確かに自分一人では出来ないが、そうでなければどうなのだろうか。化物である彼の言葉は、人間であろうとするシノンの背中を押す。

 

 「……《デス・ガン》、あいつはちゃんと本物の人間なのよね?」

 

 「そりゃそうさ。そして元殺人ギルドの幹部だ。あとは俺がそいつの名前さえ思い出せれば現実での本名や住所とかを特定できる筈なんだけd……ってソーヤとシリカは何をしてるんだ!?」

 

 真剣そのものといった表情でシノンの問いに答えていたキリトだが、ソーヤとシリカの方に視線を向けたとたんに驚きの声を上げた。そこには今までのシリアスな空気を盛大にぶち壊すような光景が広がっていたのだ。

 

 「何って……見ての通りシリカの頭を撫でてるんだ。」

 

 「むふぅ~。」

 

 自身の伸ばした脚の上に座るシリカを撫でつつ、ソーヤは至って冷静に答える。気持ち良さそうに彼に身体を預け、ご満悦な表情を浮かべている現在の彼女はご主人が大好きな犬か猫のようにしか見えない。

 

 「いや、わかるが何でだ!?」

 

 「シリカは結構焼きもちやきなんだよ。一緒にいるのにちょっとの間でも放っておくと、こうなる。……話が脱線したな。情報整理の続きをするぞ。」

 

 首から下が幸せ空間と化していることを忘れさせるような真面目な口調で話題を戻したソーヤは、自身が持つ情報をこの場にいる者達と共有する。

 今回の事件の犯人である《デス・ガン》は複数犯であること、人殺しに使用している拳銃自体に現実の人間を殺す力はないこと、そしてシノンの交流がある一人の正体は一味であること。未だ信頼できない者に彼女を分類しているソーヤは躊躇なくその真実を叩きつけた。

 

 「……嘘、でしょ?」

 

 完全に想定外からの攻撃にシノンは信じられないという表情を浮かべる。それもそうだ、周囲から敬遠されていた彼女にとって彼は唯一の気が置けない関係なのだ。いきなり彼が犯罪者だと言われても、はいそうですかとはならない。

 しかしソーヤは一言「諦めろ」とシノンの希望的観測を粉々に破壊した。先程の時と同一人物だとは思えないが、それも彼なりの助言だったのかもしれない。彼は期待し、裏切られた時の絶望感を誰よりも知っているのだから。

 

 「さて、俺は洞窟の外で端末のチェックをしてくる。キリト、後は任せるぞ。」

 

 位置情報送信まで残り二分を切ったことを腕時計で確認したソーヤは立ち上がり、入り口に向かって歩きだす。それには当然シリカもついていく。

 幼き頃から孤独だった少年に誰かを元気付ける手段など持ち合わせていない。できるのはアドバイスか、ただ事実を述べることだけ。故に今この場に自身は不要だと彼は判断したのだろう。

 

 「ソーヤさん、変わりましたね。」

 

 「ああ、話しながら俺も自分でそう思った。これもシリカのお陰だよ。」

 

 夕焼けがほぼ終わりかけ、暗くなっていく空を見上げてソーヤは仮面を外した。今此処には彼と最愛の少女しかいない。そうするのも当然のことであった。

 先程とは全く異なる柔らかい口調でお礼を口にしながらソーヤは半ば無意識にシリカの頭に手を置く。その光景は現実世界と比較してかなり縮んだ彼の身長と体格故に、仲睦まじい同い年の姉妹のようである。

 

 「それと、約束もちゃんと果たすから……我が儘だけどもう少しだけ待ってて欲しい。」

 

 「ふふ、ソーヤさんは律儀ですね。勿論ですよ、楽しみにしてます。」

 

 ソーヤの視線を追って上を向いたシリカは笑って彼の願いを聞き入れる。彼女が浮かべた笑顔は到底この戦場には似つかわしくない、戦いとは無縁な少女のようなものであった。

 所詮ゲームなのだが、それを加味したとしても彼女のそれはまさしく異質としか言い様がない。これから起こるのは命を敗北の代償とした殺し合いかもしれないのだから。

 更にそれだけではない。デスゲームを生きて終えようとも、最後に待っているのは隣に立つ獣との戦闘。こちらは死にはしないものの、精神が破壊される危険性があることを忘れてはならない。

 人間の形をした獣は少し前まで親しかった者であろうと敵と認識したのならば、それまでの関係を切り捨てて躊躇なく殺しにかかってくる。つまり、常人では発狂しかねない濃密な殺気を向けられるということだ。

 そして当然、シリカはそんなことなど既に承知済みの筈である。その上で、彼女はその勝負を心待ちにしているのだ。

 

 「ソーヤさん、負けませんからね!」

 

 シリカは越えてはいけない境界線を越えようとしている。しかしそのことに気づいたとしても、彼女は恐れるどころか自分の意思で越えていくだろう。彼の隣が自分の居場所、そう彼女は決めたのだから。

    



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第六十七話 約束と過去

 ◇◆◇

 

 雲に隠れ、朧気な月が照らし出す暗がりの砂漠を二つの小さな影が並んで駆ける。進行方向は決まっているのか視線は固定され、速度を落とすことなく進んでいく。

 数多のプレイヤーが注目するこの大会もいよいよ終盤を迎えていた。生き残っているのはたった六名。その誰もが猛者であり、誰が勝とうとも納得できるものだった。

 

 「……見つけた。」

 

 ほぼ無音だった砂の地帯に突如銃声が響く。発生源は先程の影のうちの一つ。目で追うことなど当然不可能な速度で発射された弾丸の先にいたのは、影に匹敵する速度で動くダークブルーのスーツに身を包んだ忍者のような男だった。

 

 「チッ!やっぱ《死神姉妹》は手を組んでるよな!」

 

 悪態をつきながらも男は持ち前の機動力で弾丸を回避する。流石此処まで生存した強者だ。それもそのはず、この男は前回大会準優勝にして腕前では優勝者より上だと噂されるトップ中のトップなのである。

 しかし、暗闇の中で輝く赤い瞳の持ち主はその男をとるに足らないと評価した。二人がかりなのもあるが、影にとってはただ素早く動いて撃つというだけでは、どれだけ上手かろうと不足極まりないのだ。

 

 「悪いが此処で……」

 

 「退場してもらいます!」

 

 銃を撃った者とは別の方の影が急激に速度を引き上げ、男に襲いかかる。そのスタイルは偶然にも男のものと酷似していた。

 残像を残して男の周囲を旋回しだす影は、手に持つ大型の連射銃を浴びせる。男は反撃を試みるも、そのタイミングを全て読んだもう一つの影の銃撃によりただ体力を削られ着々と詰みへと追い詰められていく。逆転の目など、最初から存在しなかったのだ。

 援護に回っていた影が男へと突っ込む。それと同時に旋回していた影は挟み撃ちの如く背後へと回った。示し合わせる行為など不要、二つの影のコンビネーションは他者の追随を許さない。

 正面の影が光剣を抜刀し、男が放った銃弾をいとも容易く弾く。互いの顔がはっきりと見えるであろうこの両者の距離では、発射されてから直撃するまでの時間差はほぼゼロに等しい。

 必中の距離だったにも関わらず攻撃をあっさりと防いでしまった化物に男は驚きを露にせざるを得なかった。それが致命的な隙を晒すことであると分かっていても。

 

 「……シッ!」

 

 光剣を保持したまま、影は金属製のブーツの先を男の溝尾へと蹴り込む。現実よりはましだが、それでも発生する不快感と衝撃は男に再度怯みを与えるには十分だった。

 

 「シリカ、決めるぞ。」

 

 「了解です!」

 

 直後、男を中心として黒の旋風が吹き荒れる。戦闘の様子を中継していたカメラには砂塵が舞う様子だけが写り、外からでは一体中で何が起こっているのかわからない。

 しかし写せない訳ではない。カメラは意地でもその様子を中継しようと嵐の中に突っ込んだ。

 舞い上がる無数の砂を抜けて広がった光景は壮絶なもの。速度を引き上げ、残像を残すレベルになった二つの影が中央にいる男を僅かな間に何度も襲撃をかけている。反撃する隙など欠片も存在しない、まさに蹂躙と言う言葉が相応しい。

 背後から打撃を食らい、前によろめいたと思えば次の瞬間には正面からナイフで切り裂かれた。そして今度は横から攻撃を浴び、ただのサンドバッグ状態である。

 見方を変えれば、逃げられない獲物をなぶって弄ぶ下衆にも見えるが、二つの影はそういう趣味嗜好を持ち合わせていない。ならば何故さっさと止めをささないのか、答えは至極簡単なことだ。観客も当然気づいているため、誰一人としてブーイングする者はいなかった。

 

 「終わりですっ!!」

 

 逆手に構えられたナイフが男の心臓部を貫き、とうとう男の体力が全て尽きる。糸の切れた人形のように倒れた男の上に赤い文字列が浮かぶ。これで一人脱落し、残りは五人となった。

 観客達は誰しもがこの二人のどちらかが優勝するだろうと予想した。《死神姉妹》と呼ばれる彼女らは、最後の二人になるまで手を組み、それから戦うだろうと思った筈だ。だが、これは意外にも裏切られる結果となる。

 

 「……よし、始めよう。シリカ。最後はキリトとシノンに任せたし。」

 

 「そうですね。あ、勿論手加減なんてしないでくださいね。ソーヤさん。」

 

 お互いに数歩距離を取り、それぞれの得物を構えて戦闘態勢に入る二つの影。そこに先程までの関係は全く見受けられない。両者共に目の前の者を最強の敵だと見なしていた。

 まさか死神同士の勝負が今から始まるのかと観客の緊張と期待がじわじわと高まるのに呼応したのか、ずっと雲に隠れていた月が顔を出す。差し込んできた月光は、影に包まれた二人の姿を鮮明に映し出した。

 先に影のベールを脱いだのは長く伸びた黒髪をツインテールに纏めた少年。少女ではなく、少年(・・)である。明らかに過剰な武装を身に纏っているが、その殆どが弾切れか残り僅かとなっていた。しかし一撃必殺の光剣は未だ健在な上、ナイフも二本残っている。

 続いてそれに対するのは双子と言っても差し支えない程に似た容姿をした少女。いつも隣に浮かぶ相棒の姿はないが、瞳に宿した戦意は十二分にある。こちらはかなりの高火力を誇る大型連射銃とその弾薬、それから少年のものと比較するとやや頑丈そうなナイフを構えていた。

 

 「こうして多くの人の前で戦うのは、あの時以来かな。」

 

 「そうですね。でも、今はあの時とは違います。私も、ソーヤさんも。」

 

 周囲を飛ぶ中継カメラを見渡す両者が揃って思い出すのは、妖精の世界での戦闘。当時の二人はそれぞれの目的を果たすことに必死になり、戦闘を楽しむなんてことができなかった。

 しかし少女が言った通り、今は違う。恋人でもあり恩人でもあり、そして最高のライバルである相手と戦うことが共に楽しみでならない。その証拠に、両者には自然と笑みが浮かんでいた。

 

 「……行くよ。」

 

 「……勝負です。」

 

 この戦闘に、開始の合図はいらない。同時に両者は地を蹴って迫り、得物をぶつけ合う。激しい衝突によって散った火花が二つの顔を照らし出す。双子のような瓜二つの顔は揃って口角を上げ、この戦闘を心から楽しもうとしている。

 

 「シッ……!」

 

 「甘いですよ!」

 

 腹部を狙って放たれた少年の蹴りを、まるで読んでいたかのように少女は見事に回避する。剣の世界で出会った二人は決して少なくない時間を共に過ごした。既に互いの手の内など、明らかになっている。

 小細工は無駄、そう言わんばかりに少年は残りのナイフを両手に構えると愚直な突進を仕掛けた。それに対して少女は大型の連射銃を発砲しつつ、ナイフを逆手に持ちかえて次の攻撃に備える。どうせこんな攻撃など、彼には牽制程度にしかならないと彼女は思っていた。

 そして少女の予想通り、少年は迫る銃弾を時には避け、時にはナイフの腹で弾いて確実に距離を詰めてくる。戦場となる世界が変わろうと、彼の最も得意な間合いは近距離。それも剣が届くような至近距離だ。もし仮にその距離でよろめくような攻撃を決められたのなら、それは彼女の敗北を意味する。

 

 「セイッ!」

 

 逆手で振り下ろされた少女のナイフは対照的に振り上げられた少年のナイフとぶつかり合う。再度散った火花は先程とは違った顔をしている少年を彼女に見せる。その瞬間、言い表せないような悪寒を感じた。

 少年の片目に、赤い火が灯っていた。それが意味するのはたった一つ、彼が内に飼う獣を呼び覚ましたということ。仮初めの赤い瞳ではなく、獣の瞳へと変貌したということ。

 しかし、放たれる重圧に少女は屈しない。それどころか浮かべていた喜びの色を更に濃いものにする。彼女はただ純粋に嬉しかったのだ、自分の力量がとうとう彼に全力を出させる領域に達したことに。ずっと追っていた背中が手の届くところまで来たことに。

 

 「……ははっ。本当に、本当に強くなったね、シリカ。」

 

 つばぜり合いを維持したまま、少年は屈託のない笑顔を見せる。どうやら少女が感じていた喜びは少年も同様だったらしい。

 

 「私はソーヤさんに追いつきたかったんです、ずっと。一緒に行動するようになったあの日から。ねぇソーヤさん、私は……貴方の隣に誇って立てますか?」

 

 「今さらそんなこと……もう聞かなくてもわかってるよね?」

 

 ナイフを強引に振り抜き、一度バックステップで距離を取った少年は力任せに振るった代償で折れた一本のナイフを捨て、小型の拳銃を少女に向かって突きつけた。

 

 「シリカはもう、俺にとっていなくてはならない存在だよ。それは勿論色んな意味でね。でも……今だけは最強の敵でライバルだ。だから、負けるつもりはないよ。」

 

 「そんなの、私だって同じです!負けませんからね!!」

 

 少年と少女は自身の持ちうる力の全てを使って勝利をもぎ取ろうとぶつかり合う。紆余曲折の果てに成った約束の戦闘は、まだ始まったばかりである。

 

 

 ◇◆◇

 

 瞼を下ろし、意識を研ぎ澄ます。奴は、《デス・ガン》は姿を消す能力を持っている。視覚で探そうなど不可能だ。ならば俺が二年間生きたあの世界で培った感覚に頼るしかない。

 風の音も、それによって砂が舞う音も、今は必要ない。全て意識から排除する。俺はソーヤ程に気配に敏感ではない。こうでもしないと奴を捉えることはできないのだ。

 無音の世界が訪れて少しすると、遠くから凄まじい振動を感知した。後方で二人のプレイヤーが激しい戦いを繰り広げているようだ。間違いなくこれはソーヤとシリカのもの。

 脳裏にソーヤの言葉が蘇る。「あれはお前がけりをつけろ」、それは最後の戦いに向かう前に言われたもの。きっと彼からすれば俺もまた、過去と向き合えていない人間なのだろう。そうでなければ俺が奴のことを忘れている訳がない。

 ああ、ちゃんとけりをつけてくるさ。そう内心でもう一度決意し、意識から消し去る。全感覚を前面に集中し、僅かな変化も見逃さないようにする。

 

 『キリト、お前は、また会ったとき、殺す。確実に。』

 

 目を見開き、回避行動を取る。俺の額目掛けて飛来した銃弾は長い髪を少しばかり散らし、遥か彼方へと消えた。何故その言葉が聞こえたのかは考えるまでもない。未だ記憶にこびりつくあの声の持ち主が、奴だったのだ。

 光剣のスイッチを入れ、殺気を感じた場所へと全力で駆ける。視界の中央で一瞬オレンジ色の光が発生する。言うまでもなく奴の次弾だ。だが今回は弾道予測線が見える。もう攻撃を食らうつもりはない。

 あの世界と比べると非常に軽い剣を振るい、迫る銃弾を叩き斬る。そして、とうとう奴の姿を視界に捉えた。顔全体を覆う不気味な髑髏の仮面がどうも引っかかる。もしかするとあの世界でもつけていたのかもしれない。

 俺と奴との距離はまだまだある。少なくとも後二、三発は対処しなければならないだろう。しかし、そんな俺の予想は良い意味で裏切られた。

 奴が俺から視線を外し、別方向に攻撃を行う。そしてその直後、轟音と共に奴が手に持っていた狙撃銃が破壊された。この音、方角から誰がやったのかは容易にわかる。そもそも、今の状況で援護できる者は一人しかいない。

 

 「ナイスだ、シノン。」

 

 逃げ出したくなるような恐怖を押さえつけ、狙撃を成功させた相棒にそう囁きかける。そうしている間にも、奴との距離はあと僅かとなっていた。

 次第に大きくなっていく奴の姿。どうやら逃走するつもりはないようで、残骸と化した狙撃銃から細長い金属棒を取り出して構えている。その武器はあの世界にも存在したもの、当然見覚えがあった。

 刺突剣、またはエストックと呼ばれるその武器は『斬る』という要素を削除した細剣のようなものである。相手を『突く』ことに特化し、ソーヤかそれ以上の熟練者であれば鎧の隙間などを狙うことも容易だ。

 ちくりと痛みが走る。この世界に帰還してから封じ込めた記憶が目覚めようとしている。必ずそこにある筈だ。目の前にいる奴が名乗っていたあの世界での名を。

 

 「……ハッ!」

 

 地を駆ける勢いを乗せて光剣を突き出し、奴目掛けて突進を仕掛ける。それは二年間閉じ込められた剣の世界での技。骨の髄まで染み付いた動きは、例え手にする武器が違えども技を繰り出すことを可能とする。

 ジェットエンジンめいた音に続いて、一撃必殺の刃が奴に吸い込まれていく。しかしそれは完璧なタイミングで回避される。それも読んでいたとばかりに余裕を持ってだ。予想はしていたが、かなりの手練れのようだ。

 

 「……こんな時に、考え事とは、随分と、余裕だな。《黒の剣士》。」

 

 「グッ!?」

 

 不意に走った不快感と奴の声に、思考に沈んでいた意識が引き戻される。特にそれが強い方に視線を向ければ、俺の肩を奴の刺突剣が貫いていた。視界の端に表示されている体力が減少する。

 即座に反撃として光剣を振るうも、奴は刺突剣を引っ込めて後退してしまい、届くことはなかった。奴のものとは違い、こちらのものは少しでも受けると馬鹿にならない火力が出る。警戒されるのも当然のことだ。

 

 「どうやら、俺の名前を、思いだそうと、しているようだな。だが、お前は、そもそも、知らない。だから、思い出せない。」

 

 途切れ途切れの言葉で奴は俺を嘲笑う。その口調が更に閉じられた記憶の扉を抉じ開けようとする。知らない訳がない、でなければこんなに引っかかる訳がない。

 光剣を構え直した俺の正面に立つ奴は、正体を隠す髑髏の目を煌々と赤く光らせていた。

 

 

 ◇◆◇

 

 「お兄ちゃん……。」

 

 緑色の瞳を目の前のスクリーンにじっと向け、リーファは心配そうに声を漏らす。他の者も口を閉じ、ただ画面を見つめている。彼女らが見ているのは兄とその友人二人が殴り込みをかけた大会こと《第三回バレット・オブ・バレッツ》のライブ中継である。

 つい先程まであった和やかな観戦の雰囲気は存在しない。今この場を包み込んでいるのは張り詰めた緊張感。声を出すことすらそう容易ではない。

 こうなった原因であり、現在キリトと熱い攻防を繰り広げている髑髏の仮面をした男。彼はあの剣の世界で大量殺戮を行った者達の一人だった。この場にいる者はリーファを除き、その事件に巻き込まれた被害者である。故に、この大会がデスゲームと化したことに気づいてしまったのだ。

 始めこそ首を傾げていたリーファだったが、その者達の説明を受け、事の重大さを把握した。自身の快楽の為に他者の命を奪うような奴がいたと分かれば呑気に見ることなどできないと理解できるだろう。現にキリトの恋人であるアスナはログアウトし、彼の下へと行ってしまった。

 自分も何かしなければとリーファは思うが、大会に乱入なんて真似は不可能だ。ならば他はどうかとできることを探すも、これだというものは見つからなかった。それは此処にいる者達も同じなのだろう、誰もが自身の無力さを呪っている。

 

 「勝って、お兄ちゃん……。」

 

 胸の前で手を合わせ、兄の勝利を祈る。何の助けにもならない自分ができることと言えばこの程度だ。再びデスゲームの中に飛び込んだ兄の身を案じる妹の心は、きりきりと痛んでいた。

     



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第六十八話 ライバルという存在

 約一ヶ月ぶりの投稿となります。最近色々多忙で執筆時間が 全く取れませんでした。申し訳ありません。


 ◇◆◇

 

 「ハァッ!」

 

 気合いの入った声と共に迫るナイフを弾き、少女は砂の足場を強く蹴って距離を詰める。少年を相手に後手に回ることは勝機を失うと同じであることを理解している彼女は、攻撃の手を緩めることはしない。

 しかし、その行為には当然代償がかかる。それも彼女の体力という決して少なくないものだ。戦闘が開始してから約十分が経過しようとしているが、両者の残り体力には大きな差があった。

 逆手に持ったナイフで防御しつつ、蹴りで反撃を行う少年はまだ八割程度と余裕がある。それに対して頬を掠めながらも攻め続ける少女はとうとう五割を切り、緑色だった体力の残量は危険域を示す黄色へと変わった。

 

 「……っ!」

 

 これ以上削られては不味いと少女は少年のナイフの腹を蹴って一度後退する。攻勢に転じる機会を得た少年だったが、不思議にも少年が詰めてくる様子はなかった。

 それは少年が勝敗を決定づける絶好のチャンスを捨てたというのか。否、それは違った。彼は見逃さなかっただけなのだ、少女の瞳に赤みが差し始めたこと(・・・・・・・・・・・・・・・)を。

 その色はかつて妖精の世界で少女が歪んだ覚悟から呼び覚ましてしまった狂気。少年の獣と酷似しているそれは自我を失わせる程に強大な力を持っている。

 自我を取り戻した後、現実でも仮想でもない自分の狂気に少女は恐怖した。故にこのことを記憶の隅へと追いやり、消え去るのを待つことにしていた。

 しかし今、少女は自分で施した封印を解こうとしている。理由は至極単純なことであった。勝ちたい、目の前の彼を倒したいという思いである。

 剣の世界で少年と出会った少女は時に教わり、時に真似をして自身の戦闘技術を高めていった。そして今日、とうとう追っていた背中に手が届くところまで到達したことを実感した。互角に戦えると感じたのだ。ならば、勝ちたいと思うのも当然のこと。

 端から見れば、こんなことの為に此処までするというのは異常としか言えないだろう。しかし彼らは手加減無しで全力で戦うと決めた。だからこそ、それが身を滅ぼす手札であろうとも力となるのならば躊躇なく切る選択を取るのだ。

 少女はかつて嫌った、いや今も嫌う狂気を再び目覚めさせていく。全ては勝つため、目標である彼に近づく為のもう一歩として狂気をその身に宿す。

 

 『アハハハ……サァ、ワタシニカラダヲ、ヨコシナサイ?』

 

 少女の耳に幻聴が響く。解放された狂気が再度彼女の自我を喰らおうと迫る。以前は目的達成の為にそれを受け入れたが、もうそんな愚かな選択はしない。

 例え人格のようなものがあろうとも、少女の中で暴れ続ける狂気は所詮ただの力でしかない。ならば、使うではなく使われるのが道理である。

 身体を寄越せという声をふざけるなと一蹴し、少女は狂気を自らの力へと変えるべく動き出す。

 

 「ウ……ラァッ!!」

 

 ナイフを持たない方の手で握り拳を作った少女は、先程と比較すると別人としか思えないような声と共に、接近戦を仕掛けにいく。黒い瞳に滲む赤が線を引き、彼女の後を追う。

 変化した少女の動きを少年は冷静に観察し、最後のナイフを捨てて弾切れとなった大型のスナイパーライフルを大剣の如く構える。銃弾を撃つことは不可能であろうとも、決して柔らかくない素材でできた銃器は鈍器として十分な働きをこなす。

 それが意味するのは、少年は現在の状態でも全身に多数の武器を纏っているということ。彼が予備の弾薬を持ち込まずに、ただ武器の数を増やしたのはこれが目的であったからだ。

 鈍器と拳が衝突し、鈍い音が響く。相手の視線を置き去りにする少女の加速が乗った拳は十二分の威力を誇り、普通ならば簡単に押し負けてしまうような質量の塊と拮抗した。そして数秒後、その状態を保つどころかじわじわと鈍器を少年の方へと押し込んでいく。

 今ある力を腕に込め、拳を届かせようとする少女の瞳はだんだんと赤の割合が増えていく。されど最後の一線だけは越えておらず、ハイライトの残った目はしっかりと少年を捉えている。

 じわじわ崩壊へと近づいていく力のぶつかり合い。だが、劣勢だった少年側が突如押し返し、状況は再度拮抗へと引き戻される。

 鈍器の隙間から見えた少年の顔には、獣が宿っていた。これまでとは違い、狂気という禁忌の手札すらも使って勝利をもぎ取ろうとする少女に応えるように、彼は内に住まう化物の力を更に引き出していた。

 芽生えた殺意を糧とし、喰らった状態には及ばないものの、少年から放たれる絶対的捕食者の重圧は凄まじい。並大抵の獲物であれば気絶してしまうであろう。

 

 「ハァ、ハァ……。」

 

 それでも、肩で息をする少女は諦めの色など滲ませることなく少年の視線を真っ向から迎え撃っている。彼との戦闘に加え、自身の狂気の制御もしようとしている現在の彼女への肉体的、精神的負担は想像を絶するものになっていた。

 全身は鉛のように重く、その隙につけこむように狂った自分が身体を寄越せと幻聴を響かせる。地獄といっても過言ではないこの状況にいる少女だが、彼女に諦めるという選択肢はない。

 一度鈍器を足場にして下がり、少年が構え直すよりも先に速攻を仕掛ける。機動性に長けたステータスによる補正も相まって、少女は光の如き動きを見せる。

 視覚での捕捉は不可能だと判断した少年は直ぐ様気配による探知に切り替え、少女を迎え撃つ。どうにか拳を受け止めることはできたものの、威力までは殺せず体力が目に見えて減少した。

 すかさず少女は追撃に蹴りを繰り出し、開いている差を少しでも縮めようとする。だがそれは鈍器で防がれ、彼女の目論見は失敗した。

 

 「あ……れ?」

 

 このままの状態では攻められて終わると感じた少女は後退の選択肢を取った。いや、正確には取ろうとした。彼女の身体は意思に反し、拳での追撃に移ろうとしていたのだ。

 手放しかけた制御を引き戻し、少女は改めて下がろうとするも、少年がつけ入るには余裕すぎる隙ができてしまった。当然、彼がそんなチャンスを見逃すはずもない。

 一発だけ残っていた小型の拳銃が命中し、体制が崩れてしまう少女。少年との距離は互いがはっきり見える程の至近距離。つまり、詰みである(・・・・・)

 眼前にいた筈の少年の姿が消える。否、高速で移動したが為にそう見えただけ。その証拠に未だ少女の視界には高く舞い上がった砂塵が多く映っている。

 腹部に衝撃が走った。弾切れになった大型のアサルトライフルで殴られたのだ。しかし体力の減りは僅か。当たり前だが、銃は殴るものではない。幾ら強く叩きつけようと、ナイフのような刃物でのダメージを上回ることはないのだ。

 だが少年にとって、それは些細な問題でしかなかった。与えるダメージが低いのなら、何度も何度も与えれば問題ない。そして彼にはそれを可能にする力があった。

 少女が体制を持ち直そうとするも、グリップで肩を引っ掛けられて前に倒される。そこに膝蹴りが入り、終わらない蹂躙は続いていく。

 

 「あ、終わった……。」

 

 少女を応援していたであろう者の声が観客席に響く。普通ならばまだ殺られていないのに応援を諦めるなどもってのほかだが、今この戦闘だけにおいては誰も責めることをしなかった。

 死神二人の戦闘を見ていた誰しもが、決着がついたと思ったのだ。これまでの虐殺劇を見てきた者達は、あの行動に入った少年には勝てないと知っていた。故に諦めた。よく頑張ったと少女に賞賛を送りたかった。

 それは戦闘の様子を中継するカメラも同じ。絶対的捕食者に喰われるだけの映像は写していられないと他の場所に移動を開始しだす。一つ、また一つと宙に浮かぶ青い物体が姿を消していく。

 そして残った最後の一つもこの場を去ろうとしたその時、偶然にもカメラが喰われていく少女の顔を捉えた。それは当然中継画面に映される。

 

 「っ!」

 

 誰かが息を呑んだ。いや、少女の顔を見た者なら誰であろうがそうせざるを得ないだろう。

 縦横無尽に動く少年に蹂躙されている少女は、諦めていなかった。とうとう赤の割合が黒を上回った瞳に灯る火は消えず、被害を最小限にしつつ反撃の機会を伺っている。もう訪れる可能性がほぼないと言って良いそれを。

 

 『アハハハ……!!』

 

 狂気が少女の意識を侵食していく。身体は半ば彼女の制御を離れ、再び乗っ取られようとしている。今の彼女は勝手に反撃しようとする身体を抑えるので精一杯だった。

 捕らえた獲物が死ぬまで終わることのない獣の乱舞が少女の残り少ない体力を削る。大したダメージではなくとも塵も積もれば山となり、遂に黄色から赤色へと変化した。

 一瞬『敗北』という二文字が少女の脳裏をよぎる。それはそうだろう、この状況を見れば誰しもがそう思う筈だ。おまけに自分は解き放った狂気に振り回されている。此処から逆転するなど万に一つもあり得ないと言っても何らおかしくはない。

 ならば諦めるのか、このまま何もできずに終わるのか。少女は自身に問う。反射的に飛び出した答えは否。そもそも諦めるのなら、嫌悪感を抱く狂気を再度解き放つような真似はしない。

 闘志という名の炎が更に燃え盛る。負けたくない、ただその一心で自らが持つ全てを振り絞って戦う少女は自身の限界をぶち破ると共に境界線を飛び越えた(・・・・・・・・・)

 

 「……!?」

 

 獣を宿した少年が攻撃を外し、珍しくはっきりと驚愕の表情を浮かべる。だがそれはあっという間に笑みへと変わった。それは頂点である自分と並ぶに値する者が現れたかもしれないことへの歓喜か、それとも壁を越えて自身と同類になった少女を喜ぶものか、はたまたその両方か。

 どちらにせよ少年の喜びの眼差しを向ける先には、不可能と思われた暴力の牢獄から脱出を果たした少女の姿があった。残り体力は残り僅かであり、満身創痍をそのまま体現したような状態だ。更に彼女の右足は不規則に痙攣を起こしていた。

 何故少女は獣の包囲網を突破できたのか、その答えは彼女の右足が物語っている。一度捕らわれれば永遠に体勢を崩され続ける蹂躙という名の嵐は正攻法では到底逃れることは不可能。逆を言えば、正攻法でなければ可能性はあるということだ。

 少女はその可能性に賭けただけ。崩されたままの体勢で無理矢理右足を踏み込み、後はスピードに特化した自身のステータスで一気に範囲外に移動したのである。現実ならば確実に足が駄目になる行動を、彼女は躊躇なく行った。

 

 「ハァ、ソーヤサン……勝負はこれからです!」

 

 人間という枠組みから抜け出した少女は、狂気に芽生えた自我を叩き潰して完全に己が力とする。黒の瞳をじわじわと侵食していた赤が止まり、丁度溶け合っているのが良い証拠だ。

 新たな力を手にした少女の言葉に少年はやや歪んだ笑みをそのままに、形が変形してしまった狙撃銃を捨てて唯一残ったまともな近接武器である光剣を構える。一撃必殺の威力を誇るそれは掠めただけでも少女の体力を削りきりかねない。

 

 「……ッ!!」

 

 今度は少年が仕掛けた。これまでにない行動に少女は一瞬面食らったが、すぐに照準を合わして発砲する。そしてそのまま前方へと突っ込みだす。

 狂気をその身に宿した今、近距離の戦闘能力において少女は彼に遅れを取らない程に強化されていた。元々、妖精の世界でほぼ互角に斬り合った彼女の力量に狂気が合わさればそれも当然のことなのだ。

 防がれようと、弾かれようと、装填された銃弾を全て撃ち尽くすかのように少女は引き金を引き絞る。奇しくもその時が訪れたのは光剣の射程圏内に入ったと同時だった。

 予備の弾薬も含めて全て使いきった連射銃のトリガーガードを利用して銃身を回転させ、銃口近くを握って振るいやすいように持ち変える。

 上段から光剣が振り下ろされる。少女はそれに鈍器としか使い道のない連射銃を合わせて防御を行う。結果は当然バターを切るかのように銃身が両断されていくが、今必要なのはこの僅かな時間。

 痙攣する右足にもう少し付き合ってと内心で言いながら少女は地を蹴り、全てを置き去りにする圧倒的な加速を見せる。少年が光剣を振り終わった頃には、彼の背をナイフで切り裂く彼女の姿があった。

 この戦闘が始まって初めて少年の体力が目に見えて減少する。しかし少女は一切気を抜くことなく少年の行動を観察し、瞬時にその場を離れた。直後、投擲された拳銃が投げナイフかの如く突き刺さる。

 少女はスピードという点においてのみ少年を上回っている。勝機を見出だすならばそこであると当然彼女は把握していた。一撃離脱を繰り返すことが重要であると理解していた。

 確かに少年が持つ異常な気配察知は厄介極まりない。さらにそこに獣の思考回路が加われば、自身の行動など予測されてしまうだろう。そう、予測されてしまうだけ(・・・・・・・・・・)なのだ。

 

 「……せいッ!!」

 

 一気に懐まで移動した少女は体力が大きく削れるであろう喉元を狙ってナイフを振るう。決まれば決着も十分にあり得る一撃は寸前で差し込まれたもう一つの拳銃によって阻まれた。

 予測は出来ても身体が追い付かない。幾ら人間の範疇を越えた力を手に入れようとも、身体構造は同じ。故に少女は今の自分が出せる最大速度で攻撃を仕掛ける。予測されようが対応できないように。

 攻撃を防がれたと分かると同時に少女は次の攻撃に移る。今の彼女にとって動きが止まることは死に等しいのだ。

 正面かと思わせて右方向、間髪いれずに背後からと少女は絶え間なく攻撃を続ける。姿を捉えることなど不可能な速度で動く彼女の攻撃は最早同時に仕掛けていると言った方が良い程である。

 

 「ハハ……アハハハ!!」

 

 狂気を我が物にした少女の猛攻に晒され、防戦一方な筈の少年が突如笑いだした。浮かぶ感情は歓喜を越えた狂喜。これまで絶対的強者だった自身と互角に戦える存在がいることへのかつてない喜び。

 ただでさえ赤かった瞳が更に赤くなり、血走ったものへと変わる。それどころか白目の部分がじわじわと侵食されていき、暗闇を思わせる真っ黒になった。その目はかつて妖精の世界で顕現した獣と変わらない。

 

 「ソウダ、サッキノ言葉ヲソノママ返ソウ。シリカ、勝負ハコレカラダ!」

 

 少女はこの戦闘で忌避していた狂気を解放し、結果として完全に力の一つとして習得した。それは間違いなく負けたくないという思いが原動力となった。

 ならば何故少女はそう思ったのか、答えは決まっている。少年という最愛にして最強のライバルがいたからである。つまり、ライバルがいたからこそ彼女は此処までの力を手に入れることができた。

 それなら逆のことが言えても当然おかしくはない。狂気を制御し、自身と拮抗する実力を手にした少女は満場一致で少年のライバルへとのしあがったと断言できる。

 今までそんな存在などいなかった獣は、今日初めて勝利への願望を持ったであろう。獲物ではない敵という存在が、これまで捕食者でしかなかった獣を進化させたのだ。

 

 「「……っ!!」」

 

 静かな砂漠に二つの大きな砂塵が舞い上がる。獣の力を限界まで引き出した少年と狂気をその身に宿す少女の戦いは、もう少しばかり続くであろう。

          



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第六十九話 二つの決着

 お久しぶりです。相変わらず多忙ですので、これからもこんな感じのペースになるかもしれません。


 ◇◆◇

 

 このゲームで手に入る最高級らしい金属でできた刺突剣が視認可能な速度を越えて襲いかかってくる。対抗できるのは死と隣り合わせの戦闘で培った感覚のみ。だが、足元の砂地がステップを妨害し、数回に一回は明確なダメージを貰ってしまっている。

 

 「……っ!!」

 

 このままではじり貧になってしまう。半ば強引に光剣を振るって髑髏の仮面をした奴の連撃を中断させた。気づけばこちらの体力は五割を切っていた。対して向こうは約七割といったところか。

 

 「随分と、なまったな、《黒の剣士》。今のお前を、昔のお前が見たら、どんな顔を、するだろうな。」

 

 フードの暗闇から赤い眼光を覗かせる《デス・ガン》。決して動かない筈の仮面の口元がニヤリと歪んだように見えた。その途切れ途切れの言葉が聞こえる度に、奥底に封じた記憶が蘇ってくる。

 

 「……きっと失望するだろうさ。でもそれならお前もそうじゃないのか?此処に《ラフィン・コフィン》はない。いつまでお前は、あの世界にいるつもりだ?」

 

 「ほう、意外と、思い出せたな。だが、言った筈だ。俺はお前に、名乗っていない。故に、俺の名前までは、わからない。」

 

 答え合わせをするように奴の腕に巻かれていた包帯が剥がされ、例のエンブレムが顔を覗かせる。それはあの世界で何度も見たもの。他者を傷つけるどころか嬉々として殺害した者であることの証明でもある。

 瞬間、脳裏に過る記憶が一つ。最早無視することができなくなった《ラフィン・コフィン》を討伐することになった時の最期のミーティングだ。

 

 「……《黒の剣士》。もうお前は、理解している筈だ。お前は俺とは、違う。お前は、我が身可愛さで人を殺し、あまつさえその意味を考えずに、忘れようとした、愚か者だ。」

 

 固く封じられた記憶が掘り起こされていく。受け入れるどころか向き合おうともせずに葬り去った暗い過去が、深い海底から浮かび上がってくる。

 確かあの場では首領であった《PoH》に加え、彼の側近の武器やスキルなどの情報を再共有した筈だ。その中には外見とプレイヤーネームも含まれていた。

 黙りこくってしまった俺を言い返せないと判断したのか、奴の赤色に輝く両眼がより一層不気味に瞬く。

 赤く光る眼、それをこの仮想世界で持っているのは知っている限り二人(・・)。一人は内に眠るもう一つの人格のようなものを解放した状態のソーヤ。そしてもう一人、その者も彼と同じく完全攻略されなかった鉄の城で出会った。いや、殺し合ったという表現の方が正しい。

 

 「無駄な努力を、止めろ。お前は、俺に倒され、《鬼神》と《竜使い》、そしてあの女が、殺られていくさまを、見ることしか、出来ない!」

 

 空気を切り裂き、奴の刺突剣が目にも止まらぬ速さで動き出す。その動きは見覚えがあるもの。あの世界でない故にエフェクトはないものの、完璧としか言い様のない程に再現された高速の突きが迫る。

 ああ、そうだ。あの時(・・・)も奴は俺を殺さんと攻撃を仕掛けてきた。剣を交えたのはそう長くなかったが、他の者より数段殺意が高かった。

 討伐戦が終わり、戦後処理を行っていたとき奴は俺に名乗ろうとした。しかしそれを俺は拒否したのだ。自身の愉悦の為だけに人殺しをするような者の名前など、聞きたくなかったから。

 更にその後に俺は人を傷つけたという事実が恐ろしく、二度と思い出さないよう記憶の深い場所に封じた。

 だから奴は名前を思い出せる訳がないと何度も俺を嘲笑う。己の手を血で染めた過去を恐れ、ただ逃げてばかりのお前とは違うと告げる。

 確かにその通りだ。何も間違ってはいない。だが、もう俺は逃げない。エネルギー切れが近いのか、刀身がバチバチと点滅しだした光剣にもう少し頑張ってくれと握り直し、こちらに突っ込んでくる黒い影をしっかりと捉える。

 脳裏に洞窟にて放ったソーヤの言葉が浮かぶ。あれは隣で問いを投げ掛けたシノンへのものだったが、俺にも当てはまることだった。

 

 『俺のような化物になりたくなければ、どれだけ時間が掛ろうと構わない、なんなら隣にいるキリトの力を借りてでも、お前は過去を受け入れる力を求めろ。』

 

 都合の悪い記憶だけを消すことなど不可能だ。俺は今まで忘れたふりをしていただけ。辛い過去に見向きもせず、無い物として扱っていた。しかしそれではなんの解決にもならない。

 散々拒絶し、消し去ろうとした忌まわしき記憶。迫り来る人間を黒い剣で迎え撃ち、斬り裂いていく俺自身。少し覗いただけでも吐き気を催す。

 身体が震えだして思わず目を背けそうになるが、強引に正面を向かせる。逃げるな、あれは間違いなく俺だ、俺は手に持った剣で人間を斬ったのだと言い聞かす。

 あの時は無我夢中であまり感じなかったが、今は斬った瞬間の感触をはっきりと思い出せてしまう。本当に柔らかい肉を切り裂いたような気味悪いものだ。

 同じデータで構成されている以上、モンスターとプレイヤーの差は無い筈なのだが、俺には全く別物に感じる。それはきっと、人間を斬ったという事実を気にしているということだ。

 

 『人を殺した過去を乗り越えたのならば、それは奪った命を何とも思わなくなるということだ。つまり、化物と化す。』

 

 ならば良し。他者を傷つけたことを忘れるな。聞こえてくる怨嗟の声に耳を塞ぐな、聞いた上で無視しろ。今は、それだけでも十分だ。

 

 「……!!」

 

 気づけば身体の震えは殆ど収まっていた。吐き気もない。過去を受け入れることができたのかと思ったが、違うだろうと即座に否定する。俺はまだ向き合うという一歩目を踏み出しただけに過ぎない。受け入れていくのはこれからだ。

 そして、俺は血みどろの記憶からとうとう奴の名を引きずり出す。赤をイメージカラーとし、今と同じような髑髏の仮面を被った刺突剣使い、その名前は……

 

 「ザザ。」

 

 「……!?」

 

 寸分違わず俺の心臓部分を貫こうとした刺突剣の軌道が狂い、必殺の一撃が弱攻撃へと成り下がった。全身の傷から生じる不快感を無視し、俺はもう一度奴の名前を叫んだ。

 

 「思い出したぞ。《赤目のザザ》、それがお前の名前だ!」

 

 直後、奴の身体に赤い照準が浮かび上がった。方向から見てシノンだ。この世界に来てそれほど時間は経っていないが、俺はその存在を知っている。

 照準予測線、ゲームならではのハッタリ要素を盛り込む為に採用されたもの。それが今、一発の幻影の弾丸となってザザへと襲いかかった。

 当てられるとは思ってなかった名前を当てられ、奴は動揺していたのだろう。少し考えれば撃つわけがないのに、身体が勝手に反応してしまった。低い怒りの声が仮面の下から漏れている。

 この瞬間が絶好にして最後のチャンスだ。そう判断した俺は光剣を振りかざし、攻勢に転ずる。この世界での愛剣は命中すればほぼ一発で体力を消し飛ばすことが可能だ。つまり、勝機は十分にある。

 しかしザザはそんな俺を嘲笑するように、装備の能力で姿を消し始める。手を伸ばすも届かず、掴みかけた勝利が転がり落ちていく。確実に仕留めねばカウンターでこちらが殺られてしまうのだ。

 他に打つ手はないのかと策を探すも、この状況を打開できるようなものは思い浮かばなかった。幻視したのは自身が刺突剣に貫かれる光景のみ。

 

 『キリト君!』

 

 『パパ!』

 

 ここまでかと絶望しかけた俺の耳に二つの声が届く。同時に左手に温かい熱が宿り、俺の左腰へと導かれる。掴んだのは今の今まで存在を忘れていた拳銃。途端、半ば自動的に身体が動き出した。

 

 「おおおぉぉぉ!!」

 

 咆哮と共に地を蹴り、自分自身を弾丸のように回転させて突っ込む。二つの剣を持って何度も繰り返した動き。今あるのは一丁の拳銃と一振りの光剣だが、大した問題にはならない。

 本来ならば左の剣を振り上げるところを、最早輪郭しか見えなくなっているザザへと発砲することで代用する。放たれた弾丸は剣線のように飛翔し、景色と同化しようとした奴を再び引きずり出した。

 

 「……シッ!」

 

 撃ち抜かれたであろう肩を押さえながらも、ザザは突撃をかける俺に刺突剣を振るう。幾つもの針が身体を貫き、残り少ない体力が更に削られる。だが、それでも残り全てを奪い去ることはできなかった。

 

 「終わりだ、ザザ!!」

 

 最後にもう一度奴の名を叫びながら、回転の慣性と身体の重量を全て乗せた右の光剣を左上から叩きつける。必殺の如き一撃が奴を捉えた。

 俺が力を込めていくにつれ、エネルギーの刃がザザの身体を斬り裂いていく。此処で終わらせる。ソーヤとシリカ、そしてシノンの所には行かせない。

 右肩から入った刃はそこに到着されていた例の銃もろとも胴体を両断し、左脇腹から抜ける。ゆっくりと二つになったザザの身体が崩れ落ち、赤いタグが浮かぶと同時にその動きを完全に停止した。

 

 「こっちはもう大丈夫だ……誰も死ぬことはない。だから、後は存分に楽しんでくれ。ソーヤ、シリカ。」

 

 満身創痍の身体に命令を下し、砂塵が舞う方角へと目を向けた俺はそう呟いた。

 

 

 ◇◆◇

 

 月明かりが差し込む砂漠に鈍い音が響き渡る。この銃撃が飛び交う世界では明らかに場違いと言えるであろうそれの発生源となっているのは、越えてはならない境界線を越えてしまった二人の人間。いや、彼らを人間と言うには些か無理があるだろうか。

 瞳から発せられる赤い光を引き、片方の化物が己が得物を振るう。ただ近接武器ではないそれは相手の蹴りを真正面から受け、そう時間も経たないうちにポリゴン片となった。

 武器を蹴りで破壊した方の化物も同様に赤い光を迸らせ、逆手に持ち変えたナイフを喉元目掛けて振り下ろす。神速の一撃が決まるかと思われたが、突き刺さる寸前で割り込まれた片手に阻まれた。

 

 「シッ!!」

 

 「……ハッ!!」

 

 ナイフが刺さっている方とは反対の手に握られた光剣が横薙ぎに振り抜かれる。直撃すれば即死は免れない強力無比の反撃は、素早くナイフを引き抜くと同時に後退されて回避された。

 稼働時間が残り僅かな光剣を収納し、弾切れになった二丁の連射銃もとい鈍器を双剣が如く構える少年の格好をした化物の名はソーヤ。彼は内に飼う獣を限界まで引き出し、今この瞬間で人間らしき部分など会話能力程度しか存在しない。

 唯一残った武器であるナイフの耐久を確認するように一度目をやり、得物を構え直す少女の格好をした化物の名はシリカ。彼女は内に芽生えた狂気をその身に宿し、少し前に境界線を飛び越えて現在は彼と同じ場所に立っている。

 互いに残された体力がごく僅か。特に少女の方は数ドットしかない。決着はすぐそこまで迫ってきている。張り詰めた空気が場を支配する。それは観客席も同様だ。画面越しに伝わる緊張に誰も口を開けないでいた。

 ざりっ、と音がした。それがどちらから出たものなのかはわからない。ただ、それは残り数回であろうぶつかり合いを開始する合図となった。

 

 「「……ッ!!」」

 

 少年と少女は同時に飛び出した。右の連射銃のグリップが迫るも少女は瞬間的な加速で回避し、次の攻撃を妨害するように左腕を狙ってナイフを突き出す。それをもう一撃食らうと負けが確定する少年は回避を選択した。

 だが、それこそ少女の狙いだった。ナイフでの攻撃はブラフ。本命は回避した先に置いてある(・・・・・)蹴り。目の前にいる最愛にして最強のライバルの常套手段。変態的過ぎる機動から繰り出される回避不可能の攻撃。さらに、ナイフというダメージの高い方を囮にすることで見破ることも困難な一撃。

 

 「ガッ……!」

 

 横から迫る蹴りに気づいた少年だが、もう遅すぎた。そのコンマ数秒後に少女の最後の一撃を食らい、誰も倒せないだろうと思われていた小さな影が体勢を崩して倒れていく。

 名勝負をじっと見ていた観客達は熱狂のあまり立ち上がろうとしながら、渾身の一撃を叩き込んだ少女は脚を振り切った体勢のまま、少年を見ていた。

 

 「……アア、」

 

 誰もが決着だと思った。誰一人として、もう少しすればあの死神の身体の上に例の表示が出ると信じて疑わなかった。だから彼は最後に彼女に向かって、賛辞の言葉を紡ごうとしているのだと思った。

 

 「……本当ニ、」

 

 それはある意味合っていて、ある意味違っていた。

 確かに少年が今途切れ途切れながらも口にしようとしているのは、少女に向けた賛辞の言葉だ。そして、境界線を飛び越えて自身と肩を並べる存在となった彼女への感謝でもある。

 しかし、対等とも言えるライバルを得た獣の興奮がそう簡単に収まるであろうか。否、否である。初めての獲物ではない存在を相手に、獣はもっとだと言わんばかりにその興奮をさらに加速させる。

 

 「アリガトウ。ソシテ強クナッタネ、シリカ!デモ……勝ツノハ、俺ダ!!」

 

 赤い光が迸る瞳を輝かせ、片足を踏み出して転倒を防いだ少年はニヤリと笑い、光剣のスイッチを入れた。出現した刃は出現と消滅を繰り返し、あと一振もつかどうかといったところだ。

 前傾姿勢を取った少年は力いっぱい地を蹴り、少女へと迫る。それと同時に少女もこの激戦でボロボロになったナイフを構えると、やや遅れながらも接近する少年に向かって加速した。

 

 「「ハアァァァ!!」」

 

 月が隠れ、闇が少し濃くなった砂漠の中、二人の小さな死神がお互いに突っ込み、そして交錯する。繰り出された剣技は共に両者が出会った世界のもので、骨の髄まで深く染みついたもの。

 

 「「…………」」

 

 それぞれの得物を振り切った体勢のままでいた二人だが、やがて片方の影がばたりと倒れ、赤い表示を浮かばせた。狂気の力を我が物にした少女と、限界まで獣の力を引き出した少年。人間の枠を越えた二人の対決を制したのは……少年だった。

 エネルギーを全て使い果たし、柄だけとなった光剣を握り締める少年にはもう一歩も動く力がなかった。獣の思考回路を長時間使用した影響で、脳もぼんやりとしている。されど彼の心はこれまでにない満足感で満たされていた。

 

 「はぁ、はぁ……本当に楽しかったよ。シリk……ん?」

 

 ようやく訪れた静寂の中、少年は霞む視界に僅かな月光を反射してきらりと光る物体を見つけた。ちょうど彼の真上あたりにあるその物体は、回転しながら落ちてくる。できるのはただ見つめることだけ。

 

 「違った……引き分けだね。」

 

 その言葉を最後に、少年の肩に例の物体が突き刺さった。立っていた影がぐらりと傾き、勝者だった筈の者も地に倒れ伏す。赤い表示を浮かばせる彼を倒したのは、少女のナイフだった。

 最後の交錯の際、自身の攻撃よりも少年の方が早いと気づいた少女は残り数ドットの体力を刈り取られる直前、密かにナイフを放り投げていたのだ。

 当然、命中する確率など皆無に近い。されど少女はゼロにほぼ等しいそれを掴み取った。それはきっと、彼女の勝利への執着が成せたものなのだろう。

 騒乱が去り、砂漠には完全なる静寂が訪れる。そして、雲の間から顔を再度覗かせた月は、スポットライトが如く二つの影を照らし出す。

 揃って仰向けに倒れている二人の顔には、これまた揃って笑みが浮かんでいた。

    



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第七十話 友達

 これでファントム・バレット編は完結となります。

 この後はいつも通り総集編を挟み、キャリバー編をやろうかと思います。


 ◇◆◇

 

 ほぅ、と息を吐けば一瞬で白く染まった吐息が虚空へと消えていく。十二月も後半に差し掛かり、周囲の販売店もクリスマスやお正月に向けた商品を陳列していた。

 

 「あぁ……寒い。」

 

 「そうですね。でも、創也さんの手は暖かいです。」

 

 ポケットの中で繋がれた珪子の手が、俺の熱を求めるるように握り直してくる。しかし、俺の感覚では明らかに彼女の方が暖かい。その原因はほぼ確実に羞恥だろう。

 出発の前に手袋の場所を聞くと、あの義母はわざとらしく「ごめんね、洗濯中なのよ」と言ったのだ。それだけで済めばまだマシだったが、俺のコートを指差して「あら、そこに良い手袋代わりがあるじゃない」などと続けた。幾ら天然であろうが、あれはどう考えても確信犯である。

 

 「はぁ……。」

 

 思わずため息が出てしまった。どうしたのとこちらを見る珪子に何でもないと返し、相変わらずの義母へ向けた愚痴を中断する。どうせあの人に何を言っても無駄だ。俺は綾野家に迎えられてまだ短いが、そうとしか思えない。

 周りから感じる微笑ましい視線を無視しつつ、足早に歩いていく。あの大会が閉幕した翌日である現在、俺達は菊岡に呼び出されていた。しかも彼が指定してきたのは、東京の銀座である。どうせまたやけに高級そうな店なのだろう。

 

 「えっと、確かこの辺に……あ、ありました!」

 

 携帯の地図と見比べていた珪子が指し示したのは喫茶店だった。ただし、見るからに高級ですと言わんばかりの雰囲気をこれでもかと放っている。下手すると飲み物一杯で数千円するかもしれない。

 少しはこちらが学生の身分であることを考えて欲しいと思うが、一応雇い主である腹黒男に指定された以上仕方がない。半ば諦めの感情を浮かべながら俺は店のドアを開けた。

 

 「いらっしゃいませ。二名様でよろしいでしょうか?」

 

 「いや、待ち合わせです。相手はあそこの男です。」

 

 俺達の入店に気づいた菊岡がまた注目を集めるようなことをしでかす前に、あの男がいるテーブルを即座に見つけて指差す。流石にあんな真似をもう一度やられたら困る。周囲からじろじろ見られるのはあまり好きではないのだ。

 指差された先の菊岡の反応を確認したウェイターさんは「かしこまりました、どうぞごゆっくり」と一礼した後、洗練された動きで他のテーブルへと移動していった。

 

 「やぁ、今回もありがとね。まぁ座るといい。」

 

 「別に礼は不要だ。俺は例のことを口止めしてくれている限り、お前に逆らうつもりはないからな。」

 

 本日も甘ったるいお菓子を頬張る菊岡に促され、俺達は彼の向かいに並んで座る。どうやらもう一人の調査員である和人はまだ来ていないようだ。

 

 「あ、そうだ。二人にはキリト君が来る前に大会後に起こった小さな事件を話しておこう。これは今、彼が迎えに行っている子、確か向こうではシノンと名乗っていた少女に関するものだからね。」

 

 予想通り桁が四つ並んでいた飲み物を注文した後、菊岡がふと思い出したかのようにそう言った。そんな気軽に他者にこの調査のことを明かしても良いのだろうかと思ったが、俺がそのことを口にするよりも目の前の腹黒公務員の方が早かった。

 大会がシノンの道連れグレネードで閉幕し、現実へと戻ってきた彼女のところにある一人の男が訪ねて来た。大会優勝の祝いにケーキを買ってきたというその男は、周囲から孤立していた彼女にとって唯一とも言っても良い友人だったらしい。

 当然、シノンはその友人を家に上げた。だが、ケーキを食べながらキリトや俺達の名前を話題に出した次の瞬間、彼女はその男に押し倒されてしまった。

 その男、シュピーゲルこと新川恭二は現実で実際に人を殺したシノンの話を耳にし、恋心と憧れを抱いていたそうだ。そして接近し、彼女を愛するあまり殺そうとした。

 肉親以外でただ一人心を許せると思った人間に裏切られ、絶望してしまったシノンにろくな抵抗はできない。後は死を待つだけだったが、彼女が殺される前にどうにか間に合った和人によって防がれた。

 

 「はぁ、一応奴は犯人の一味だと言った筈だったんだが……仕方のないことか。」

 

 内容を聞き終え、俺は運ばれてきたカフェを一口頂いてからため息を一つついた。数年と数日、どちらが信用に値するかは明白だ。それは俺だからこそよく分かる。

 幾ら外部から犯罪者だぞと忠告されようが、もしかしたら嘘なのでは、と期待してしまうのも十分にあり得ることだ。

 

 「それにしても、和人さんはまた明日奈さんに心配かけるようなことを……。」

 

 「全くだ、いつか刺されてもおかしくない。」

 

 「おや、どうやらその刺されそうな子が来たようだよ。」

 

 菊岡の言葉に視線を店の入口に向けると、相変わらず全身を黒めの服で包んだ和人がいた。隣には眼鏡をした少女もいる。彼女がシノンであると見て間違いないだろう。

 今度も場を弁えない公務員が大声で呼び掛ける前に席を立ち、珪子と二人を迎えに行く。別に俺だけでも良いのだが、何故か彼女はついてきた。

 こちらに気づいた和人に手を挙げて軽い挨拶をし、席へと案内する。向こうの世界とは大きく姿が異なる俺に一瞬誰だと首を傾げたシノンだったが、後ろにいた珪子によって把握したようだ。

 珪子は身長から体つき、顔に至るまでほぼそのまんまなのだ。まぁ、あの世界のデータを引っ張ってきているから当然と言えば当然なのだが。

 

 「初めまして、朝田詩乃さん。自分はこういう者になります。」

 

 「ど、どうも。朝田詩乃です。」

 

 立派な公務員としての仮面を被った菊岡が名刺を差し出し、シノン改め朝田さんはやや緊張した様子でそれを受け取る。こんな高級感溢れる店にいることも原因の一端を担っているかもしれない。此処は明らかに学生がくるような場所ではないのだから。

 しかし、朝田さんに真面目に謝罪した後に今回の事件を把握している範囲で話す菊岡を見ると、あいつが腹黒男だとは全く思えないものである。

 俺達と関わる時もそうしていれば良かったのでは、と今更なことを考えながらカフェを啜った。因みに菊岡の話はほぼ聞き流している。別に事件の内容などどうでも良い。俺は過去を隠蔽して貰う代わりに彼からの依頼をこなす。ただそれだけの関係だ。

 

 「創也さん、どうしたんですか?」

 

 ずっと窓の外に向けていた視線を戻せば、珪子だけでなく和人達も俺を見ていた。話は終わったのだろうか。

 

 「別に何でもない。ただ話が終わるのを待ってただけだ。」

 

 「もう、人の話はちゃんと聞かないと駄目ですよ?」

 

 珪子が弟に言い聞かせるような優しい口調で俺をたしなめる。いや、「ような」ではなかった。血は繋がっていないが、彼女は紛れもなく俺の姉さんだ。

 

 「おや、そろそろ時間のようだ。最後に良いものを見れたし、僕はこれで退散させて貰うよ。」

 

 「おい菊岡、見世物じゃないぞ。」

 

 からかう菊岡を睨む俺とは対象的に、珪子は顔を真っ赤に染めたまま硬直してしまっていた。こうなるのもかなり久々な感じがする。

 

 「手間をかけて悪かったな。」

 

 「あ、あの……ありがとうございました。」

 

 「いえいえ、朝田さんを危険な目に合わせてしまったのはこちらの落ち度です。お礼なんて不要ですよ。」

 

 またも誰だお前状態になった菊岡は店を去ろうとしたが、何かを思い出したのか足を止めて振り返った。

 

 「そうだ、キリト君とソーヤ君宛てに伝言を預かっている。今回の事件の黒幕こと《赤目のザザ》からだが、どうする?聞くも聞かないも自由だけど。」

 

 「俺はお断りだ。行くぞ、珪子。」

 

 息つく間もなく即答し、珪子の手を引いて外へと出る。どうしてだと彼女の目が問うているが、逆に何故聞く必要があるのだろうか。

 俺は別段《ラフィン・コフィン》に因縁などないし、討伐戦にも参加していない。接触したのは一度だけであり、それも俺が獣に食われていた状態だった。

 何より、俺が茅場晶彦の関係者だってことで面倒事が向こうからやってきてきりがない。回避できるのならしておきたいのだ。

 

 「創也さん……辛くなったら、遠慮なく言ってくださいね?」

 

 「……ありがとう。」

 

 コートのポケットに突っ込まれた手がぬくもりに包まれる。普段ならば視線を集めかねないが、今はクリスマスシーズンだ。そこかしこに似たような人間が見受けられる。注目の的にならないとはいえ、今の珪子は些か積極的ではないだろうか。

 あと、最近俺の影響なのか知らんが珪子も人の思考を読み取ることができるようになった気がする。とはいっても俺限定なのだが。

 

 「ん?明日奈さんから?二人でエギルさんの店に来てって……どうしたんでしょうか?」

 

 思考の海に沈みかけた意識が珪子の声によって引き戻される。首を傾げる彼女の携帯を覗き込むと、確かにそういう旨のメッセージが届いていた。

 これのみでは情報不足だと思っていると、向こうにその考えが伝わったのか、追加のメッセージが送られてくる。

 

 『朝田さんに、あのこと(・・・・)を話して欲しいの。』

 

 文面を確認した珪子が不安げな瞳でこちらを見上げた。明日奈が指すあのこと(・・・・)が何なのかは言うまでもない。それにしても、彼女と朝田さんは結構親しくなったようだ。

 俺の過去を知った常人であれば、敬遠し、関わりを持とうとは思わないだろう。実際、このことを帰還者学校の生徒に伝わらないようにしてもらっているのがいい証拠だ。どちらかと言えばこんな俺と受け入れ、友人として接してくれる和人達の方が異端である。

 しかし、朝田さんはその異端の側に属することを選んだ。ならば俺の過去を明かす必要はある。こちら側の者達は皆、狂気にまみれた()を知っている。

 

 ◇◆◇

 

 「……これで話は終わり。事前に明日奈とかから簡単に聞いていたらしいけど、大丈夫?多分朝田さんの想像よりも残酷なものだったと思うから。」

 

 私はどんな反応をしたら良いのか分からなかった。目の前には思い出を振り返るような軽い感じで、私以上に血生臭い自身の過去を語った少年、新原創也がいる。本来のものらしき優しい口調と明かされた過去の内容は、あまりにもアンマッチだった。

 

 「朝田さん、大丈夫?」

 

 「えぇ……ちょっとびっくりしただけだから。心配しないで。」

 

 これまでの様子からは考えもつかない年相応な口調で話す彼に大丈夫だと伝え、提供されたカップに口をつける。やはり味はさっきの高級店程ではないが、その分暖かさを感じるものだった。

 彼の過去を聞き、連鎖的に自分の過去を思い出す。今でもはっきりと覚えているあの感触。両手には返り血が、視界には血だまりで倒れる男が見えた。思わず吐き気がするが、ぐっと堪えて幻を振り払う。

 

 「そうか、なら良かった。それじゃあ、朝田さんに一つ質問するね。」

 

 一度閉じられ、そして開かれた彼の目がじっと私を捉えた。それと同時に放たれたその圧に押され、彼の後ろに刃のような爪を持ち、赤黒い髪をした化物を幻視する。あれが彼の言う獣なのだろう。

 

 「俺は人殺し。それもそのことに対して躊躇どころか愉悦を感じるバケモノだ。でも、こんな俺と……友達になってくれますか?」

 

 彼の手がこちらに伸ばされた。普通の人なら決して取ることなどない人殺しの手。それも私やキリト、もとい和人とはまた違った意味を持つ返り血がついた手。人の皮を被ったバケモノの手。

 ……だからなんだというのだ。躊躇しようがしまいが、人を殺したという事実は同じ。それに快楽を感じようが、彼は《デス・ガン》のように見境無く命を奪ったりはしない。

 さらに付け加えれば、彼は和人と共に過去に囚われていた私を救ってくれた。視線をテーブルへとずらせば、一枚の絵が目に映る。自分で言うのもなんだが、私が命を救った少女の絵。

 手を取らない理由なんて……一つもなかった。

 

 「ええ、勿論よソーヤ。それと、名字じゃなくて名前かシノンで呼んで。さんづけもいらないから。」

 

 「わかった。これからよろしくお願いします、詩乃。」

 

 そう言って私の手を握り返した創也の顔には、笑顔が浮かんでいた。しかし、視界の中央に浮かぶその笑顔はだんだんとにじみ出す。目元を擦れば、冷たい感触。私は泣いていた。つい先程仕事をした筈なのにまだ残っていたようだ。

 あの事件以降、私に友達ができるなんてことはなかった。唯一それらしい親交をしていた新川君も、今回の騒動で違ったことが明らかになった。

 私はずっと孤独だった。それ故に、無意識ながらも彼らとのような関係を求めていたのかもしれない。人間は一人では生きられない、そんな言葉を聞いたのはいつだっただろうか。

 

 「……はは、昔の俺にそっくりだ。取り敢えず話は終わったし、皆のところに行こうか。」

 

 創也が扉を開け、それに続いて個室を後にする。こうして二人きりでの対話を望んだのは彼だ。曰く、友人達にこんな血生臭い話を二度も聞かせたくなかったらしい。

 

 「あ、創也さんに詩乃さん!お話終わったんですね!その様子だと大丈夫だったみたいで安心しました!」

 

 いち早く私達に気づいた珪子の声により、皆の視線がこちらへと一気に集まる。そして数秒後、明日奈をはじめとして皆がわっと駆け寄ってきた。

 今此処にいる誰もが私を友人として接してくれている。創也と握手をした時にそのことを理解したつもりだったが、こうして実際に体験すると、改めて夢ではないと実感させられた。

 

 「おいおい、いつまで泣いてるんだ?あの冷酷無慈悲なシノンさんは何処に行った?」

 

 「なっ……う、うるさいわね!馬鹿キリト!!」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべ、明らかに私をからかっている和人を追おうとする。だがあいつは明日奈の後ろに隠れ、なんと彼女を盾にした。悲しみを押し潰した怒りが行き場を失い、固く握った拳が震える。

 

 「キ~リ~ト~君?」

 

 このまま膠着状態になるかと思われたが、にっこりと黒い笑顔を浮かべた明日奈が和人を羽交い締めにし、どうぞやってくださいとばかりに差し出してきた。

 

 「あ、明日奈さん?お、俺はただシノンを元気にさせようと……」

 

 「キリト、元気づけるつもりならもう少し言葉を選びな。さっきのは馬鹿にしているようにしか聞こえないぞ。」

 

 「エギルの言う通りよ、キリト。あんたって本当にデリカシーないんだから、今回はきちんと反省して詩乃からの制裁を受けなさい!」

 

 冷や汗をだらだらとかきながら必死に言い訳する和人。だがカウンターでアップルパイを食べていたエギルと里香にバッサリと切り捨てられ、がっくりと項垂れた。

 私は右手の人差し指と親指で丸を作り、和人の額へと照準を合わせる。言われっぱなしで終わるのは、もう止めにしたのだ。

 

 「そういうこと。手加減なんてしないから、覚悟しなさい!」

 

 そして、今まで溜めていた力を一気に解き放つ。ベチィッと決して軽くはない音が響いた。

 

 「いってぇ!!容赦無さすぎだろ!」

 

 処刑台から解放され、デコピンが直撃した部分を押さえながら転がる和人に思わずクスリと笑いがこぼれる。次第にそれは周囲へと広がり、いつしか店内にいる皆が笑っていた。

 

 「詩乃。」

 

 声がする方を向けば、いつかの洞窟のような体勢でくつろぐ創也と珪子の姿があった。頭を撫でられて幸せそうな表情を浮かべる彼女に一度視線を落とした後、彼は口を開いた。

 

 「さっきも言ったけど、俺はバケモノだ。だけどこんな俺でも、珪子や此処にいる皆が友達だと思ってくれている。人殺しが悪くないとは言えないだろうけど、俺の友達はそんなことで詩乃を遠ざけたりはしないよ。」

 

 ほら、と創也は私の後ろを指さす。振り返れば此処にいる皆が彼の言葉に同意するかの如く頷いた。明日奈も、里香も、エギルも、そして和人も。此処にいる誰もが私を普通の友達だと言っているようだった。

 

 「ありがとう、これからよろしく。」

 

 そこにもう、涙はない。多分この時の私は、過去一番の笑顔を浮かべていたと思う。

     



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そーどあーと・おふらいん ファントム・バレット編

 明けましておめでとうございます。相変わらず亀更新ですが、本作を宜しくお願いします。

 今回は総集編です。次回からはキャリバー編、そして本作の最終章であるマザーズ・ロザリオ編と続きます。


 ◇◆◇

 

 「皆さん、こんにちは!約一年ぶり、おふらいんの時間です!司会は同じくアスナです!そして……」

 

 「解説のキリトです!って……何でこの格好なんだ!?」

 

 後方支援を得意とする種族、ウンディーネ特有の青い髪をしたアスナの隣に座るキリトは自己紹介を終えると早々に自身の姿について不満を漏らした。今の彼の姿はガンゲイル・オンラインでのもの。つまり男の子と言うより、男の娘に近かった。

 

 「何でって……今回はファントム・バレット編の振り返りでしょ?私はガンゲイル・オンラインにログインしてないからこの姿だけど、キリト君はその姿があるじゃない。」

 

 「そうそう、俺だってこの格好なんだからキリトも我慢しようよ。」

 

 二人とは別の声が響いたかと思えば、扉の向こうから三つの影が姿を見せた。その影のうち二つはもう一つよりも小さく、髪型までそっくりであった。

 

 「ソーヤは別に恥ずかしく思ってないないだろうが!というかお前ら、勝手に出てきちゃ駄目だろ!」

 

 「まぁ、呼ぶ手間は省けて良かったんじゃないかな。それでは改めてゲストの皆さん、自己紹介をお願いします!」

 

 「こんにちは、ソーヤです。」

 

 「シリカです!あ、ピナはお休みです。」

 

 「スナイパーのシノンよ。よろしく。」

 

 「よし、それじゃあ早速振り返りを始めるぞ!最初のシーンはこれだ!」

 

 キリトの声に応えるかの如く、大型モニターに電源が入る。映し出されたのは、ミラーガラスの前で愕然とする少年とそれを指差して笑う少女の姿だった。

 

 

 ~ソーヤ、男の娘になる~

 

 「はい?」

 

 思わずそんな声が出た。俺は現実でも妖精の世界でも自分の手に髪が垂れてくる程にまで伸ばしたことはない。故に今の状態が理解できなかった。

 微かに聞こえてきた笑い声に前を向けば、シリカが口元を片手で覆って笑いをこらえながら反対の手で近くのミラーガラスを指差している。

 嫌な予感をこれでもかと感じながらシリカが指差したところにまで歩み寄り、目を見開いた。これ程までに驚いたのは本当に久しぶりのことだ。

 

 「こ、これは!?」 

 

 正面に映っていたのはシリカに酷似した少女であった。後ろに彼女がいる為に判別がつくが、もし別々にモノクロで画像を見せられた場合、見分けることができるか怪しいぐらいに眼前の少女は彼女に似ているのだ。

 背丈と肉付きは予想通り妖精のときと大差ないが、肌と同様に白くなった顔がやけに女のものに近づいてている。その上、急成長を果たした黒髪がシリカと同じようにツインテールで纏められていた。

 やや大きくなった瞳の色は黒と赤のオッドアイに変化し、無闇に光を放っている。一瞬獣が出ているのかと思ったが、この瞳は偶然引き当てたもののようだ。

 

 「……。」

 

 無言で右手を挙げれば、ミラーガラスに映る少女も同時に左手を挙げる。それを素早く戻せば、向こうも同じ速度で腕を動かした。

 これは何かの間違いだろうと一筋の希望に賭けてみたが、やはり目の前の少女が俺の銃の世界における仮の肉体のようだ。落胆のため息を一つつき、未だに笑い続けているシリカへと向き直った。

 

 「笑わないでよ、シリカ!もう十分笑ったでしょ!?」 

 

 「あはははは!だって、だって、ソーヤさんが女の子に……あはははは!!」

 

 「!!」

 

 シリカの言葉に俺はある可能性に気づかされ、慌てて両手で自分の胸部分に手を当てる。そこには幸いにも平らで固い胸板があるだけだった。この身体は限りなく女のものに近いが、性別はちゃんと男のようだ。一瞬危惧した性別転換の事故は免れた。

 今日のフルダイブ型ゲームでは大抵のものが性別転換を不可能としている。だがシステムも完全ではない。茅場の叔父さんが言っていた『人の意思の力』という例があるように、性別が変わるなどというビックリ事故が発生してもおかしくはないのだ。

 

~《第五十三話 

   見た目は双子の姉妹、中身は義理の姉弟》より~

 

 

 「はぁ……何でこのシーンから始まるの?」

 

 「それは……私にも分からないです。何ででしょう?」

 

 「きっとキリト君の誤解を解くためじゃないかな。ほら、さっきソーヤ君は今の格好を恥ずかしがってないって言ってたから。」

 

 「そんなことで選んで欲しくないんだけど……。」

 

 アスナが推測したこのシーンが選ばれたかもしれない理由を聞き、ソーヤはため息をついて項垂れる。その様子を無言で見ていたシノンだったが、突如ソーヤとシリカの前に移動すると屈みこんで二人を見比べ始めた。

 

 「シ、シノンさん?」

 

 「それにしても、見れば見る程似ているわね。これで性別が違うのだから不思議だわ。」

 

 「や、止めてくれ!ほら、次のシーンに行くよ!」

 

 

 ~ソーヤとシノンの邂逅~

 

 「どうすれば……貴方のような力が手に入るの?」

 

 水色の少女の問いは予想していたものだった。何故それほど執着しているかは不明だが、彼女はただただ純粋に力を求めている。俺と同じ力を彼女は手に入れようとしているのだ。

 即座に俺は首を振った。俺がこの力を手に入れた経緯を話そうと思えば話すことはできるが、信用できない人間に俺の血濡れた過去を話すつもりはない。

 さらに言えば、俺の力は普通の人間がどれだけ努力しても決して手に入れることができないものだ。

 

 「俺の力はお前が望む強い力ではない。お前の仲間が言っていただろう、『化物』だと。俺はもう人間の皮を被った化物だ。この力は、俺の力は化物そのものだ。」

 

 「誤魔化さないで。貴方は私と同じ人間。だったら私だって同じ力を手に入れられるかもしれないじゃない。だから教えてよ、貴方がこれまで何してきたのk……!!」

 

 「では逆に問うぞ。お前は現実世界で人間を殺すことに多少なりともの抵抗を感じるか?自分をいじめてくるクズ野郎でも構わない、自分が守りたい者の為でも良い、お前は誰かを躊躇なく殺すことができるか?」

 

 少女の言葉を遮り、俺は彼女に問いを一つぶつける。久しぶりにドスの効いた声が出た。俺の過去を探るような言葉を発した彼女に若干の殺意が芽生えているようだ。

 

 「……!!」

 

 それを聞いた水色の少女は両目を見開いた。髪と同じ水色の瞳に写る感情は驚愕。知っているのか、そう言っているような表情を彼女は浮かべている。だがそれはすぐに引っ込んだ。

 

 「まぁそうだろうな。この世界ではともかく、現実世界で人間を殺すことに抵抗を感じない訳がない。だが、俺は感じない。むしろ達成感すら感じてしまう。殺ったと喜ぶんだ。」

 

 「……。」

 

 「理解したか?俺は正真正銘の化物だ。俺の力は化物の力そのものだ。何一つ誤魔化してはいない。……これで話は終わりだ。じゃあな。」

 

        ~《第五十四話 死神、化物》より~

 

 

 「これはソーヤ君とシノンさんが初めて出会ったシーンだね。あれ?でもシノンさんはスナイパーでしょ?見る限り二人は敵同士だったんだろうけど、どうしてこんな近くにいるの?」

 

 「それはこいつが私の狙撃を避けたからよ。しかも一発目は撃つ前にね。今思い出してもおかしいとしか言えないわ。一発目なんて完全に背後かつ視認は困難な距離だったのに。」

 

 「おいソーヤ、おかしいだろ。流石に俺でも撃たれる前に対応するなんて不可能だぞ。」

 

 そう言いながらキリトの視線はソーヤへと向けられた。普段ならば言い返そうとする彼だが、今はそんな素振りなどなくただ呆れたようにため息をつき、首を振っている。

 

 「あの、私からすればキリトさんも十分おかしいと思います。それと、キリトさんだって《デス・ガン》の狙撃を撃たれる前に避けてたじゃないですか。」

 

 「そうそう、それに至近距離で私の銃弾を斬ったりもしたしね。」

 

 「うぐっ、そう言われれば何も言えない……。ん?」

 

 シリカとシノンの指摘により無事ソーヤと同様の化物判定を受けたキリトは反論出来ずに沈黙する。しかし何かを見つけたようで、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

 「だったら、ソーヤの方がもっとおかしいってことを見せてやる!次のシーンはこれだ!」

 

 「俺がおかしいということはもう決まってるのね……。」

 

 

 ~ソーヤの異常な迎撃手段~ 

 

 「ようやく会えたな。」

 

 「そうだな!《死神姉妹》の片割れサンよぅ!!」

 

 対戦相手の男はホルスターから小型の連射銃を取り出し、愚直に突進してくる少年に標準を合わせる。流石準決勝まで勝ち残った人間、彼の一回戦の相手とは向けられる殺意への慣れが違う。それでも若干指の震えがあるのは人間を逸脱した化物に本能的な恐怖を感じているからか。

 男の銃口から伸びる幾つもの半透明な赤の線が少年を捉える。それを確認した彼はあろうことか回避を選択せず、走りながら器用に太ももの拳銃を二丁手に持って前に構えた。勿論予測線は発生させずに。

 

 「何を企んでいるかは知らんが……死ねやぁ!!」

 

 「お断りだ。あと、死ぬのはお前だ。」

 

 男がトリガーを引くと同時に少年も一気に引き金を引く。そして数秒後に起こった現象に男は驚愕に目を見開いた。

 

 「なっ……!?嘘だろぅ!?弾をわざとぶつけて(・・・・・・・・・)攻撃を防ぐなんて!?」

 

 たった今少年は、飛来する銃弾をぶつけ合わせて自身に届く筈だったものを全て迎撃したのだ。これは光剣で銃弾を斬るというキリトの行動を見て彼が思い付いたことなのだが、これを成功させるには銃弾を斬るよりも難易度が桁違いに高い。

 光剣でならば表示された弾道予測線に刃を合わせれば良いだけなのだが、銃の場合は銃口を寸分の狂いもなく合わせることに加えて相手が銃撃を開始するタイミングを読んでトリガーを引かなければならないのだ。

 

 「驚いている場合か?」

 

 「しまっ……!!」

 

 男が驚きのあまり動きを鈍らせている隙をつき、少年は更に距離を縮める。彼の言葉に我に返った男だが、もう何をするにしても遅かった。懐に潜り込まれ、スイッチの入った光剣の輝きが見え始めている。

 それが最後に見た景色となった。次の瞬間には横薙ぎに振るわれた光剣によって上半身が斬り飛ばされ、その傷口から順にポリゴンへと姿を変えた。

 

          ~《第五十七話 二人目》より~

 

 

 「どうだ!これを見ても俺がソーヤみたいにおかしいと思うか!?」

 

 「ええ、思うわ。そもそもとして、相手の攻撃を剣や銃で迎撃する時点でおかしいもの。ソーヤもそうだけど、あんたも大概よ。」

 

 自信満々に胸を張ったキリトだが、シノンの言葉にバッサリと両断され、がくりと解説席から崩れ落ちる。彼のその様が面白かったのか、彼女は突然爆弾を投下した。

 

 「そうだ。この際だからあのことも言ってしまおうかしら、女装変態さん?」

 

 「じょ、女装変態!?シ、シノンさん?いきなり何です?」

 

 「女装変態って……キリト君、何したの?」

 

 前触れもなくシノンにとんでもない悪名を付けられたキリトが驚きの声を上げた。そして隣に座るアスナが驚愕半分、疑問半分の表情で彼を見る。だがその表情は返答次第で容易く怒りへと変わりかねない。

 

 「あ、えっと……それはその……」

 

 「下着姿を見られたのよ、自分が女だと偽って同じロッカーに入ってね!」

 

 言い淀むキリトに変わってシノンがきっぱりと言い放つ。瞬間、この場の空気が凍った。アスナの目が自身の得物が如く鋭くなり、小さな姉弟は彼から一歩離れて距離を取った。

 

 「あー、あの時の頬の跡はそれだったのか。うわぁ、流石に弁護できないよキリト。」

 

 「キリトさん……最低です。」

 

 「キ~リ~ト~君?」

 

 どこから取り出したのか、自身の得物を手にキリトへと迫るアスナ。司会が役目を放棄したことを悟ったモニターは、自ら次のシーンを映し出した。

 

 

 ~同じ防御手段を用いるソーヤとシリカ~

 

 突然視界が凄まじい速度で動き出す。縦横無尽に動く視界は現在何が起こっているのか視聴者に理解させることすら不能にしてしまう。これでは駄目だと瞬時に視点が背後を追うものへと変更されたが、映った映像は驚愕としか言い様がなかった。

 娘はツインテールに纏めた髪をなびかせながら二人の敵の周囲を残像が残る速度で(・・・・・・・・)駆け回っていたのだ。しかも速度は完全に制御されている。まさしく一陣の風となった彼女の姿がそこにはあった。

 

 「……えっ?」

 

 「な、なんだありゃあ!?」

 

 これには綾野夫妻も驚きを隠せない。母親に至っては普段絶対に見せないであろう困惑顔をしている始末だ。

 そんな事など微塵も知らない娘は己の速度に追い付けなくなった二つの内一つの獲物に襲いかかる。死角にあたる位置からクリティカルでダメージが増加する部分を狙い、ナイフを抉り込む。

 異物が無理矢理入り込んでくる不快感に悲鳴を上げた獲物はごっそり体力が減少したが、流石にナイフだけでは削りきれないのか僅かに残った。勿論、こうなることは想定済みの娘は連射銃を間髪無く発砲する。

 ゼロに近い距離から放たれた弾丸を避けることなど事前に予測していなければ不可能である。獲物の一人は反撃することすら叶わずに物言わぬ骸と化した。

 容易く獲物を仕留めた娘だが、当然狙われなかったもう一人が何もしないなどあり得ない。彼女の瞳に写ったのはトリガーに指を添え、銃口を向けるプレイヤーの姿。微かに見える口元は勝ちを確信したかのように曲線を描いていた。

 数分前の息子と似た状況に、彼女らを見守る両親の間にも緊張が走る。しかしまたも娘は両親、いや観客全員を驚かせる動きを見せた。

 

 「今の動き……あれって……。」

 

 「ああ……創也と同じだ。あいつらは不思議な何かで常に繋がってんのか?全く、ラブラブなことで。」

 

 画面にはたった今仕留めたプレイヤーの死体を盾にする娘の姿がある。なんと彼女はほんの少し前に愛する人が行った防御方法をそっくりそのまま再現して見せたのだ。勿論、この大会中に連絡を取ることは不可能。故に彼女の異常性が浮き彫りになる。

 両親も含む多くの視線を一身に集めている娘は己がそれ程注目されているなど知らず、次々と表示される紫色のウィンドウの隙間から残りのプレイヤーをじっと見据えている。獣を内に飼う化物による教育の影響なのか、今の彼女は獲物を狩る獣のようであった。

 

       ~《第六十話 死体=無敵の盾》より~

 

 

 「あ、私のシーンです!この時は少しヒヤッとしたんですよね。でも、まさかソーヤさんと同じことをしていたなんて驚きです!」

 

 「それは俺もだよ。まぁ、あの状況を打開するにはこの手段が一番だったってだけだね。」

 

 「いや、シリカちゃんにソーヤ君。いくらそれでもプレイヤーを盾にするなんて発想にはならないよ。」

 

 自身の恋人が同じ防御手段を用いていたことに驚きながらも、当時を懐かしそうに振り返る二人にアスナが突っ込んだ。ちなみに彼女が手にしていたはずの得物は既に消滅している。

 

 「そうでもないわよ、アスナ。これまでの大会でも遮蔽物として扱う人はいたわ。……流石に蹴り飛ばしたり手に持ったりするのは初めて見たけど。」

 

 「あはは……」

 

 「それはそれとして、シノン。……どうして狙撃銃を持っているの?」

 

 「ああ、それはあっちを見てもらった方が早いわよ。」

 

 相棒を背負ったシノンが指差す先には、大小の穴ができたまま倒れているキリトの姿があった。

 

 「あちゃあ、結構派手にやったね。ごめん皆、次の振り返りは三人でお願い。ちょっとキリトの復活に時間がかかる。」

 

 「ううん、謝らなくていいよ。私とシノンさんがやっちゃったんだから。」

 

 「なんかキリトさんの扱いが雑な気がしますが、次のシーンに行きましょう!こちらです!」

 

 

 ~獣の力を引き出し、暴れるソーヤ~

 

 「……コロス、コロシテヤル。」

 

 そしてとうとうお決まりとなりつつある台詞と共に、内に眠る獣が解き放たれた。少年の双眸は血濡れの赤に染まり、口元には狂気に歪んだ笑みが浮かぶ。その様はかつて獣が彼に成り代わった時のよう。彼は今、過去最大級に獣の力を引き出している。それこそ、己の意識が朦朧となるぐらいに。

 ただでさえ異常だった速度を更に引き上げ、久々に全開の力を振るう獣は視界を埋め尽くす圧倒的な弾幕を無傷で突破し、ただ銃を撃つ機械と化した獲物の片目にナイフを抉り込ませた。

 潰された目を抑え、苦悶の声を上げる獲物。獣はその首を掴み、獅子王目掛けて放り投げる。

 己が敵を狩り尽くす為だけに生み出された獣の戦い方は、この世界での常識など通用しない。自身が生きている内に対応出来なければ待つのは蹂躙による『死』のみ。といっても、仮に出来たとしてたどり着く結果は変わらないが。

 

 「ガッ……くそったれが!!」

 

 装備が重量制限を越えているのか、飛来するプレイヤーを避けきれずに体勢を崩して地面に倒れる獅子王。その絶好のチャンスを獣が逃す訳がなかった。再びその手にナイフと光剣を握り、弱った二匹の獲物を仕留めんと襲いかかる。

 手始めに逃げられることがないよう、未だ獅子王に覆い被さったままの獲物の四肢を突き刺して地面に縫いつける。端から見れば残酷極まりないのだろうが、そんな価値観など少年には存在しない。彼の人間らしき部分は半分以上とうの昔に喰われて消え去った。

 身動きを封じられた獅子王はこの拘束から脱しようと懸命に身を捩るが、上に乗るプレイヤーが既に抵抗を諦めているため、叶わぬ夢となった。

 それならばと自身の上になるプレイヤーを自慢の力で押し退けようとするも、二人纏めて突き刺された光剣がそれを阻む。

 獅子王を見下ろす獣は変わらず赤く染まった瞳を向け、口元には笑みが浮かんでいる。しかし今のそれは狂気に加えて歓喜が色濃く表れていた。

 

 「……シネ。」

 

 それが獅子王が最後に見た景色だった。無慈悲に振るわれた光剣によって上半身を縦に両断された獅子王ともう一人は自身の体力を散らし、物言わぬ骸と化した。

 

   ~《第六十一話 二兎追う獣は容赦なし》より~

 

 

 「このシーン……もしかしてソーヤ君暴走してない?言葉も片言になってるみたいだし。」

 

 「いえ……ギリギリしてないです。普段のソーヤさんなら相手を地面に縫い付けるなんてことしませんが、ちゃんと自我は残っている筈です。もし仮に自我を失っていたのなら、自分の力だけで元に戻ることは不可能らしいですから。」

 

 「というか、ソーヤのあの状態は何なの?一度遭遇したけれど、最早別人のようだったわ。」

 

 シノンの脳裏に浮かぶのは光剣を引き抜きながら、赤い瞳を向けてくるソーヤの姿。その姿が放つ恐怖は今になっても健在のようで、彼女は人知れずぶるりと体を震わせた。

 

 「あれはソーヤさんのもう一つの人格らしきものを、全開近くまで解放した状態ですね。ソーヤさんが『獣』と表現するものです。」

 

 「だからソーヤ君はよく自分のことを『化物』なんて言うの。でも、私はそう思わない。」

 

 「ええ、私も同意。アスナやシリカと比べると彼と関わった時間は短いけれど、決して『化物』ではないことは断言できる。」

 

 「勿論です!ソーヤさんは私の恩人にして自慢の恋人です!……すいません、次のシーンに行きましょう。」

 

 自身の恥ずかしい発言に気づいたシリカは片手で顔を覆い、もう片方でモニターに手をやった。

 

 

 ~互いの過去を明かすキリトとシノン~

 

 「何も知らないくせに、勝手なこと言わないで!戦いに負けてもこれは私の戦いなの!誰にも文句は言わせない!!それとも、この……人殺し(・・・)の手をあなたは握ってくれるの!?」

 

 頬から涙を流し、半狂乱になったシノンは殴っていた手をキリトに見せつける。目の前に突き出された彼女の手は人間の命を一つ奪った手だ。事故ではない、自分の意思で殺した正真正銘の人殺しの手だ。

 どうせ握ってくれないだろうと予想していたシノンだろうが、彼女の目の前にいる男も同じような過去を持っていた。故に彼はあっさりと突き出された手を取った。

 驚愕のあまり一瞬硬直してしまったシノンだが、即座に再起動すると未だ内で渦巻く感情に任せて口を開こうとする。しかしそれよりもキリトの方が早かった。

 

 「……握れるさ。俺だって同じだからな。」

 

 そこに先程までの勢いはない。まるで自分にも言い聞かせるような柔らかい口調になったキリトはもう片方もシノンの手へと伸ばし、包み込むように彼女の手を握る。

 思いもよらない事態についていけず、さらにキリトの言葉に驚愕したシノンは口をぱくぱくさせるばかりで何も言えないでいた。

 シノンは以前の話から、キリトがあのデスゲームの被害者であろうことは予想済みだったのだが、まさか自分と同じことをしてしまっているとは考えもしなかった。

 動かぬ石像と化したシノンをじっと見つめたまま、キリトは己がしでかした過去を話す。ゲームオーバーがそのまま現実での死となる狂った世界で、殺しを嬉々として行う集団がいたこと。そして……その討伐部隊に召集された自分は手にした剣でその集団に属する人間を何人も斬り殺したこと。

 全てを明かし終えたキリトにシノンは何か声をかけようとするも、適した言葉が浮かばなかった。どんな慰めの言葉をかけても無駄だと直感的に思ったのだ。

 だから、今度は互いの傷を舐め合うようにシノンが自身の罪を告白し始めた。まだ小学生だった頃、母親と行った銀行で強盗が現れたこと。そして……狙われた母親を守る為に強盗が持っていた拳銃を奪って撃ち殺したこと。

 普段なら思い出すだけでも吐き気を感じ、心臓の鼓動が早くなるのだが、シノンの心は不思議と今だけはそれほどひどい拒絶反応を示さなかった。

 

 「ねぇ……キリト。」

 

 同じような過去を持つ少年に、シノンは顔を近づけた。ただでさえ視界いっぱいだった彼との距離は更に縮まり、額がくっついてしまいそうな状態になる。

 恥ずかしさでおかしくなりそうな思考など浮かぶ余裕などなく、シノンは掠れた声でキリトに一つの質問をする。自身と同等かそれ以上の地獄を味わったにも関わらず、それに怯えず強くいる彼に彼女は救いをすがったのだ。

 

 「あなたはその過去を……どうやって乗り越えたの?」

 

     ~《第六十六話 人間と化物の境界線》より~

 

 

 「助かったぜ、ソーヤ。本当にお前は凄いな。」

 

 「いや、ちょっとシステムを弄っただけだよ。お礼を言われる程じゃな……あ、このシーンは不味い。」

 

 重症を負ったキリトの回復を終えたソーヤが彼を連れてシリカ達の下へと戻ってくる。しかし現在流れているシーンを確認したソーヤは早足で担当位置へと避難した。

 戦友の行動に疑問符を浮かべたキリトだが、自分の恋人が背後に般若を出現させていることを発見し、顔色を一気に悪くする。

 

 「キ、リ、ト、く、ん?シノンさんに何をしているのかな?」

 

 「ご、誤解だ!決してやましいことじゃない!ほら、シノンからも何か言ってくれ!」

 

 復活した瞬間に再度死亡の危機に見舞われたキリトはシノンに助けを求める。しかし彼女は数秒間思考の後、ニヤリと悪い笑みを浮かべた。キリトの表情が絶望に染まる。

 

 「実はこの後、キリトにやましいことをされそうになって……ソーヤとシリカが来てくれなければ危なかったわ。」

 

 「ふーん……ならそんな変態さんには、お仕置きが必要みたいね。」

 

 「ア、アスナさん?シノンの言ってることは嘘なんだ!頼むから信じてくれ!!」

 

 キリトの必死な嘆願も今のアスナには通用しない。ならばと彼はソーヤとシリカに視線を送るが、二人は触らぬ神に祟りなしとばかりにそっぽを向いた。

 

 「それじゃ、次のシーンに行きましょうか。どうぞ。」

 

 「誰か、助けてくれぇぇぇ!!」

 

 

 ~境界線を飛び越えるシリカ~

 

 『アハハハ……!!』

 

 狂気が少女の意識を侵食していく。身体は半ば彼女の制御を離れ、再び乗っ取られようとしている。今の彼女は勝手に反撃しようとする身体を抑えるので精一杯だった。

 捕らえた獲物が死ぬまで終わることのない獣の乱舞が少女の残り少ない体力を削る。大したダメージではなくとも塵も積もれば山となり、遂に黄色から赤色へと変化した。

 一瞬『敗北』という二文字が少女の脳裏をよぎる。それはそうだろう、この状況を見れば誰しもがそう思う筈だ。おまけに自分は解き放った狂気に振り回されている。此処から逆転するなど万に一つもあり得ないと言っても何らおかしくはない。

 ならば諦めるのか、このまま何もできずに終わるのか。少女は自身に問う。反射的に飛び出した答えは否。そもそも諦めるのなら、嫌悪感を抱く狂気を再度解き放つような真似はしない。

 闘志という名の炎が更に燃え盛る。負けたくない、ただその一心で自らが持つ全てを振り絞って戦う少女は自身の限界をぶち破ると共に境界線を飛び越えた(・・・・・・・・・)

 

 「……!?」

 

 獣を宿した少年が攻撃を外し、珍しくはっきりと驚愕の表情を浮かべる。だがそれはあっという間に笑みへと変わった。それは頂点である自分と並ぶに値する者が現れたかもしれないことへの歓喜か、それとも壁を越えて自身と同類になった少女を喜ぶものか、はたまたその両方か。

 どちらにせよ少年の喜びの眼差しを向ける先には、不可能と思われた暴力の牢獄から脱出を果たした少女の姿があった。残り体力は残り僅かであり、満身創痍をそのまま体現したような状態だ。更に彼女の右足は不規則に痙攣を起こしていた。

 何故少女は獣の包囲網を突破できたのか、その答えは彼女の右足が物語っている。一度捕らわれれば永遠に体勢を崩され続ける蹂躙という名の嵐は正攻法では到底逃れることは不可能。逆を言えば、正攻法でなければ可能性はあるということだ。

 少女はその可能性に賭けただけ。崩されたままの体勢で無理矢理右足を踏み込み、後はスピードに特化した自身のステータスで一気に範囲外に移動したのである。現実ならば確実に足が駄目になる行動を、彼女は躊躇なく行った。

 

 「ハァ、ソーヤサン……勝負はこれからです!」

 

    ~《第六十八話 ライバルという存在》より~

 

 

 「ああ、このシーンか。この戦いは本当に楽しかったよ。」

 

 「私もです。本気のソーヤさんと戦えたんですから。」

 

 「いやいや、何よこれ。私とキリトがデス・ガンと戦っている時にこんな戦闘をしていたの?動きがおかしいどころの話じゃないわ、これ。」

 

 「そうだよ、二人ともやりすぎだよ。シリカちゃんに至ってはかなりの無茶してるし。」

 

 「「だって、本気で戦うって約束してたから。」」

 

 呆れるシノンに同意し、ソーヤとシリカを注意するアスナだったが、二人の返答に絶句してしまった。

 

 「さて、最後のシーンの振り返りに行きましょう!その間にソーヤさん、キリトさんの復活をもう一回お願いします。」

 

 「あぁ……さっき起こしたばかりなのに。でもあれはタイミングが悪かったか。」

 

 

 ~本当の友達を手に入れたシノン~

 

 「詩乃。」

 

 声がする方を向けば、いつかの洞窟のような体勢でくつろぐ創也と珪子の姿があった。頭を撫でられて幸せそうな表情を浮かべる彼女に一度視線を落とした後、彼は口を開いた。

 

 「さっきも言ったけど、俺はバケモノだ。だけどこんな俺でも、珪子や此処にいる皆が友達だと思ってくれている。人殺しが悪くないとは言えないだろうけど、俺の友達はそんなことで詩乃を遠ざけたりはしないよ。」

 

 ほら、と創也は私の後ろを指さす。振り返れば此処にいる皆が彼の言葉に同意するかの如く頷いた。明日奈も、里香も、エギルも、そして和人も。此処にいる誰もが私を普通の友達だと言っているようだった。

 

 「ありがとう、これからよろしく。」

 

 そこにもう、涙はない。多分この時の私は、過去一番の笑顔を浮かべていたと思う。

 

             ~《第七十話 友達》より~

 

 

 「最後はこのシーンなのね。本当に皆には感謝しかないわ、ありがとう。」

 

 「ふふ、お礼なんていらないですよ、シノンさん。誰も過去のことなんて気にしないんですから。」

 

 「シリカちゃんの言う通りだよ。そんなことって言うのもあれだけど、そのことが嫌ったり遠ざけたりする理由にはならないんだから。」

 

 改めて感謝の言葉を口にし、頭を下げようとするシノンをシリカとアスナが止める。その三人の顔には笑顔が浮かんでいた。

 

 「いたた……俺としてはもう少し穏やかになって欲しいもんだな。」

 

 「うーん……それは、キリト次第じゃないかな?」

 

 再度ダウンしていたキリトを連れ、ソーヤもウィンドウを消しながら皆の所へ帰って来る。こちらもまた同様の表情をしていた。

 

 「全く、ソーヤの言葉に同意ね。キリトはほんっとにデリカシー無いからね。さて、プレイバックも終わったし、そろそろ締めに行きましょうか。」

 

 「そうだね!それでは皆様、今度はマザーズ・ロザリオ編の総集編でお会いしましょう!ばいばーい!」

 

 「「「「ばいばーい!!」」」」



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