魔女と鬼殺隊 (えぇ……)
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魔女と隊士

 ――鬼狩りの任務中に『魔女』と出会うことがある。

 

 そんな奇妙な噂が鬼殺隊の隊士の間で聞こえるようになったのは数か月前からだ。その噂には続きがあり、魔女なる人物と出会えた鬼殺隊の隊士は「魔女が助けてくれた」と口を揃えるという。

 

 曰く、鬼狩りを手助けしてくれた。曰く、不思議な力で傷を癒してくれた。曰く、鬼に襲われた人々を守ってくれた。

 

 その噂が出始めた頃は誰もが「馬鹿な話だ」と鼻で笑ったものだが、日を追うごとに『魔女』の噂話は増えていった。

 

*****

 

 河田という隊士もまた魔女の噂を聞いたことがあった。噂についてはとても信じられなかったが、鬼という化物が跋扈しているのだから魔女の一人や二人がいてもおかしくはないだろうと笑った記憶がある。

 

「河田は魔女が本当に存在していると思うか?」

 

 その話題が出たのは、藤の家での休息中の一時であった。食事を終え、刀の手入れを行っていた泉が呟いた言葉に河田は耳を疑った。

 

 

 泉とは同期かつ同年齢でもあるが、生まれも育ちも全く別である。任務中も軽口を叩くような性格の河田に対し、泉は寡黙で剛健。しかし、不思議と馬が合った。互いに水の呼吸の使い手であるというのもあるのだろう。河田も泉も階級は「(ひのえ)」でありながらも卓越した連携によりこれまで多くの鬼を狩ってきた。

 

 そんな気心の知れた友である泉から魔女の話が飛び出すとは思ってもいなかった。とはいえ、河田とて興味がない話題ではない。やや間を置いてから、自分なりの考えを口にした。

 

「……そういった話に縋りたくなる気持ちは分かるが、所詮は噂話だろう」

 

 鬼は恐るべき怪物だ。奴らの前では人間など容易くへし折られてしまう。鬼殺隊に所属している以上、心身ともに鍛えているが、それでも多くの隊士が死んでいく。

 

 巨大な絶望に対して、小さな希望を抱くのも無理はないと思っていた。

 

「噂話……か。まぁ、そうだろうな。俺もそう思っていた」

 

 まさか泉も縋りたいのかと視線を向けてみれば、僅かばかりの怯懦も窺えない男の顔がそこにあった。

 

「だが、同期の山本が魔女に遭遇したらしい」

「山本が?」

 

 入隊してから六年。鬼狩りの日々によって同期はかなり減ってしまった。その数少ない同期である山本について、もちろん河田も覚えている。山本は生真面目で頭の良い男だ。任務の報告に冗談を混ぜることもなければ、虚偽や捏造をすることもない。

 

「ああ。何でも魔女がくれた薬を飲んだ時、驚くほどの力が湧き上がったとか」

「よくもまぁ魔女と嘯く奴の薬など飲めたもんだな」

「生きるか死ぬかの瀬戸際に形振り構っていられるか、だそうだ。実際、そのおかげで生還できたと言っていた」

 

 鬼狩りは常に死と隣り合わせだ。恐らく、山本も鬼に追い詰められたのだろう。そんな時に魔女と出会い、力が湧き出る不思議な薬を貰ったというわけか。

 

「確かに、そんな状況なら俺も飲んじまうだろうなぁ。泉もそうだろ?」

「……否定はしない」

 

 河田も泉も家族を鬼に喰われ、復讐のために鬼狩りの道を選んだ。互いに所帯を持っているわけではなく、もはや失うものはない。

 

 だからといって死にたいとは思っていない。命が惜しいということもあるが、それ以上にまだ恩を返しきれていないのだ。最終選別で自分たちを救ってくれた少年に報いなければならない。多くの鬼を狩り、多くの人々を守ってみせねばあの世で合わせる顔がない。

 

「しかし、山本が助けられたと言うのならば魔女は実在するってことなのか。ま、俺としては手助けしてくれるのなら魔女だろうが聖女だろうがどっちでもいいがね」

「違いない。さて、そろそろ休むとするか。明日は早朝から北東に向かわねばならんからな」

 

 既に次の任務は下されている。明日の朝には泉と共に出立する予定であった。

 

 河田は泉と二、三の言葉を交わしてから横になった。眠りに落ちる直前、刀を振るう狐面の少年の姿を見た気がした。

 

*****

 

 月が綺麗な夜であった。

 

 空には雲一つないため、夜だというのに驚くほど明るく見えた。そこらに屹立する木々も、風に揺れる枝葉も黒い影となって飛び込んでくる。

 

 月明かりの下、河田は森の中を必死に移動していた。しかし、その歩みは決して速くはない。深い傷を負った人間に肩を貸していればそれも当然であった。

 

 背後からは濃密な死の気配が近づいているのが分かる。振り返らずとも、その正体が鬼であることも分かっている。追いつかれていないのは、単に鬼が遊んでいるだけに過ぎない。

 

 

 あの鬼こそ、今回の任務の討伐対象であった。事前に与えられた情報では、それなりの人間を喰っているらしいが血鬼術を扱えるほどでないということだったが、それは最新ではなかった。更に人間を喰らったのだろう。鬼の領域に足を踏み入れた時には、血鬼術を発現させるほどに力を増していた

 

 とはいえ、河田と泉も少なくない場数を踏んでいる。当初の予定と違うからといって動揺することはない。実際に鬼の血鬼術はさほど厄介なものではなく、二人で十分に対処可能であった。

 

 しかし、その鬼が人間を餌として確保していた事が戦いを大きく変えてしまった。まだ十にも届いていないであろう少女を盾にした鬼に対し、河田だけでなく泉も動きを鈍らせた。

 

 鬼は躊躇うことなく少女ごと泉を切り裂いた。咄嗟に庇おうとしたのだろう。泉は背中に深い傷を負ってしまった。吹き飛ばされる泉と切断された少女の頭が宙を舞う様に、河田は足を止めていることを忘れてしまった。

 

 その隙を鬼は見逃さず、強靭な腕を河田の腹部へ突き出してきた。辛うじて防御が間に合ったが、無傷でいられるほど鬼の力は甘くない。

 

 泉ほどではなかったが、河田もまた傷を負ってしまった。特に肋骨が数本折れたために、呼吸の度に痛みが走るのが致命的だった。鬼殺隊の隊士にとって、呼吸とは生命線に他ならない。戦うにも逃げるにも、何より呼吸が大事なのだ。 

 

 

 

 どうにか泉を回収して撤退を開始したが、気力のみで体を動かしている状況でった。肋骨が軋む度に激痛が走り、倒れこみそうになる。それを無理やり抑え込み、河田は不気味に静まる森の中を駆けていた。

 

「……河田、もういい」

 

 泉の力ない声が聞こえた。普段からは想像もできないほど、掠れ弱った声で言葉を重ねてきた。

 

「俺を置いて行け。お前だけなら逃げられるだろう」

「馬鹿を言うな! そんなこと出来るわけないだろうが!」

 

 体の激痛を忘れてしまうほどの怒りが込み上げたせいか、驚くほど大きな声を出してしまった。

 

「いいんだ。お前は生きてくれ」

「ふざけるなよ。友を見捨てて生き延びるぐらいなら、ここで死んだ方がマシだ!」

「河田……」

 

 その直後だった。凄まじい速度で飛んできた石塊が河田の背中を直撃し、二人は無様に地面を転がった。

 

「クソがっ……!」

 

 今の一撃で折れた肋骨がさらに悲鳴を上げだした。それでも河田は呪詛のように悪態を吐きながら体を起こした。泉はうつ伏せのまま倒れこんでおり、小さなうめき声が聞こえてきた。背中からは血が溢れ、命が消えていくのが分かってしまった。

 

「イヒヒ! 意外と粘るからつい石を投げちまった」

 

 追ってきていた鬼が闇から這い出るように姿を現した。にやにやと卑しい笑みを浮かべる口元は、鮮血で染められている。

 

 鬼の右手には白く細い、子供の腕が握られている。まるで菓子でも食べるかのように腕の肉を千切り、骨を噛み砕いていく。

 

「ああ、しまった。こいつは後にとっておけばよかった。お前らは不味そうだからなぁ」

 

 口直しにすればよかったと言いながら笑う鬼に、河田は視界が白熱するほどの怒りを覚えた。

 

「鬼め」

「イッヒヒ! そうだ、俺は鬼さ! そしてお前ら人間は餌だ。大人しく喰われてな!」

 

 子供の肉を喰い切った鬼が笑い、河田は震える腕で刀を抜いた。満足に呼吸も出来ず、もはや戦いにすらならないだろう。しかし、何もせずに殺されてやるものか。一矢報いてから死んでやる。

 

 河田が鬼を睨みつけ、鬼が肉を喰らわんと飛び出そうとした、その時であった。

 

 

「夜は人外の時間。けれど、あまりに品性に欠けますわね」

 

 

 この場にそぐわない、可憐な声が響いた。目を見開いた河田だが、驚いたのは鬼も同様であったらしい。奇妙にも同時に声が聞こえた場所に視線を向けた。

 

 

 いつの間に居たのか、月明かりに照らされた一人の女性が佇んでいた。

 

 まずに目についたのが、この国ではあまり見かけない金色の髪だった。背中に流れる長い髪は、淡い光を帯びているよう見えた。目を疑うよりも先に、手の届かない月がそこにあるのではないかと錯覚してしまう。

 

 年齢は二十前後だろうか。美しく整っている顔立ちはいっそ恐ろしいほどである。雪のように真っ白な肌の色も相まって、さながら精巧な西洋人形のようだ。東洋の美とはまた違う、西洋の美しさがそこにあった。

 

 体全体をすっぽりと覆い隠すように黒い外套を羽織っている為、服装や体つきは分からない。しかし、外套は膝上までであり、その下に覗く両足は折れてしまいそうなほど細い。外套自体も所々に気品のある装飾や刺繍が施されており、上流階級の社交場から抜け出した令嬢と言われても疑いはしないだろう。

 

 河田は呆然と現れた女性を見つめていたが、やがて心の中で一言呟いた。

 

 ――あれが魔女か、と。

 

 

 

 一方、河田と同じく突然現れた人間に驚いていた鬼は、やがて下卑た醜悪な笑みを浮かべた。

 

「ひひ! 異人の女か! 異人を喰うのは初めてだが、美味そうだなぁ!」

 

 鬼にとっては彼女も餌に見えているようだ。事実、異人だろうが人間は人間である。鬼からしてみれば食糧であることに変わりはないのだろう。もっとも、魔女が普通の人間なのかは疑問が残るところではあるが。

 

「あら、なんとも直情的なお誘いだこと。でも、ごめんなさいね。わたくし、あなたのような殿方は好みではありませんの」

 

 魔女は上品に微笑みながら、流暢に日本の言葉を紡いだ。

 

「ましてや、あなたは鬼でしょう? ああ、勘違いなさらないで。わたくしは人外だからといって差別はいたしません。ただ、身の程は弁えたほうがよろしくてよ?」

 

 端々に嘲りが含まれているのが河田には分かった。魔女も侮蔑を隠すつもりはないらしく、作り物めいた端整な口元を冷笑的に歪めている。

 

 それは頭の悪そうな鬼にもしっかりと伝わったようだ。青筋が数本浮かび上がるのが見えた。

 

「女ァ……ぶっ殺してやる!」

 

 鬼は怒りの形相で地を蹴った。地面が抉れるほどの力で飛び出した鬼は一瞬で魔女に近づき、叩きつけるように右手を振り抜いた。普通の人間ならば反応すら出来ずに肉塊と化すだろう鬼の一撃は、しかし、魔女の影すら捉えることが叶わなかった。

 

 幻であったかのように、魔女は忽然と姿を消していた。

 

「何故だ!? なんで当たらねぇ! クソ、クソが!」

 

 奇妙な光景が始まったのは、その直後だった。鬼はそこに魔女がいるかのように怒号を上げながら、誰もいない虚空に向かって殴りかかっていた。

 

「どうなっているんだ……」

「もし、そこの方」

「うわっ!?」

 

 呆然と鬼の奇行を眺めていた河田は、不意に聞こえた声に思わず飛び上がってしまった。顔を向ければ、すぐ近くに魔女が立っていた。それはそれで驚きの声が出そうになったが、何とか耐えることができた。

 

「ま、魔女……殿」

 

 どうにか口に出来たのは魔女という呼称だった。魔女と呼び捨てにするのも失礼かと思い、とりあえず敬称をつけてみた。

 

「まぁ。わたくしをご存知なのですね。どうぞ、よしなに」

 

 鬼と対峙していた姿が嘘のように、魔女は花開くような柔らかい笑みを浮かべた。が、それも束の間のことだった。

 

「ですが、親睦を深めるのは後にしましょう。今はこちらの方を優先するべきですわ」

 

 痛ましそうに視線を向けた先には、倒れこんでいる泉の姿があった。衝撃的な展開に意識を飛ばしてしまっていたが、泉は瀕死の重傷を負っているのだ。

 

「泉!」

「ご心配なさらず。この傷ならば命を落とすことはないでしょう」

 

 一見しただけで泉の背中の傷は深く、出血も酷い。もはや死を待つだけだと思ってしまう。だが、魔女は気負うことなく助かると言ってくれた。

 

「隊士様は鬼を。今は幻覚によって錯乱しています。頸を落とすのは容易いでしょう」

 

 未だに鬼は何かと戦っているように腕を振り回している。何をしたのか見当もつかないが、魔女の言う通り隙だらけであった。しかし、鬼の肉体は強靭だ。傷つき、呼吸もままならない体での一振りで頸を落とせるだろうか。

 

「それと、これを。噛み砕けば力を増してくれる丸薬です。けれど、それは一時的なもの。早急に鬼を討つことをお勧めしますわ」

 

 そんな河田の危惧を知ってか知らずか。どこから出したのか、魔女の指先には大豆ほどの大きさの赤い丸薬があった。思わず受け取ってしまったが、僅かに触れた指は意外なほど温かかった。

 

 河田が丸薬を受け取ったことを確認した魔女はすぐさま泉の治療に取り掛かった。小瓶を取り出すと、中に入っている透明な液体を泉の傷口に振りかけていく。その瞬間、泉の表情が和らいだように見えた。

 

「魔女殿、泉をお願いします」

 

 いつまでも眺めているわけにはいかない。一礼した河田は二人に背を向け、鬼に向かって歩き出した。

 

「今なら山本の気持ちが良くわかるな」

 

 貰った丸薬を口に放り込み、奥歯で噛み砕く。ほのかに薬品のような匂いがしたが、すぐに消えていった。同時に体の痛みが僅かに軽くなり、炎に包み込まれたかのように全身が熱を帯びていくことを自覚した。

 

 鬼に近づくにつれ、河田は束の間忘れていた怒りを思い出した。家族は全員殺された。無辜の少女は盾とされた挙句に殺され、喰われた。そして、友が死の淵にいる。鬼に対する憤怒が全身を駆け巡り、鞘を掴んだ左手の震えをどうにか抑え込んだ。

 

 体の痛みは残っている。呼吸は万全ではない。しかし、鬼の頸を一刀で斬り飛ばせる確信があった。刀の柄を握り締め、ゆっくりと引き抜いた。名前とは裏腹に、日輪刀が月明かりの下で鈍い輝きを放つ。

 

「女ァ、どこいきやがった! 姿を見せ……あ?」

 

 鬼がこちらに振り向いた時には、既に河田の腕は振られていた。

 

 

『水の呼吸 壱ノ型 水面斬り』

 

 

 鬼の頸に一閃。瞬きをする間も無い速さで振り抜かれた刀には、あまりの鋭さに一滴の血すら付着していない。凍ったように両者とも動きを止めていたが、ずるりと鬼の頸が滑り出した。

 

「てめぇ……卑怯だろうが!」

 

 ようやく我に返ったのか、鬼はその名を現すような形相で下らない妄言を吐いた。頭だけだというのに、何とも威勢のいいものであった。

 

「鬼がよく言う。さっさと死ね」

 

 刀を鞘に納め、河田は冷たい視線で吐き捨てた。人間の少女を盾にしたのは誰だったのか。よく卑怯などという言葉が出るものだと心底呆れ果てていた。

 

 崩れていく鬼を一瞥した後、河田は二人の元へと歩き出した。後ろから何か聞こえるが全て無視した。どうせ大したことは言ってないのだから、聞くだけ無駄というものだ。

 

 

「美しい剣閃でしたわ。お見事です、隊士様」

 

 戻れば、魔女が河田を称えてくれた。どうやら治療は終わっているらしく、泉は包帯を巻いた体でうつ伏せに眠っている。先ほどまでは死が色濃く見て取れた彼の顔色には血色が戻っていた。

 

「魔女殿。ありがとうございます。あなたのおかげで俺たちは命拾いをしました」

 

 あの薬が無ければ鬼の頸をあそこまで簡単には落とせなかっただろう。泉だけでなく、河田もまた魔女に助けられたのだ。

 

「お気になさらず。困った時はお互い様ですわ」

 

 深々と頭を下げる河田に、魔女は優美に笑うだけだった。

 

「ですが、こちらの方はしばらく安静に。傷口は完全には塞がっていないので、無理に動かしてはいけません」

「承知しました。しかし、魔女殿の手際も見事です。魔女殿は医療の心得が?」

 

 ようやく肩の力を抜いた河田は、今まで抑え込んでいた好奇心を少しだけ覗かせた。

 

「うふふ、それは医療ではありませんのよ。わたくしが調合した薬が効いているだけですの」

「薬? それは凄い。西洋の医学は進んでいると聞いていましたが、これほどとは」

「まだまだ未熟者ですわ。ハイポーションは作れても、エリクサーはとてもとても」

 

 フェニックスの尾なんて夢のまた夢、と笑う魔女の言葉の意味は残念ながらさっぱり分からなかった。

 

「それはどういう――あれ?」

 

 河田の体に異変が起こったのは、疑問を口にしようとした時だった。全身の力が抜け、がくりと膝をついてしまった。

 

「あら、先ほどの丸薬の反動が来てしまったようですね。でも、安心なさって。明日一日、筋肉痛で動けなくなるだけですから」

 

 遂に耐え切れなくなり、泉と並ぶように河田は倒れこんでしまった。魔女はどこから出したのか、身の丈ほどもある杖で転がる二人を囲むように地面に円を描いていく。所々に奇妙な文字を追記しているが意図は少しばかりも読めなかった。

 

「破邪のお呪いですわ。これで鬼も獣も近づくことは出来なくなります」

「え?」

「効力は朝までですが、その頃には隊士様のお仲間も合流されることでしょう。それまで、ゆっくりとお休みくださいね」

「待っ――」

「ごきげんよう、鬼殺隊の隊士様。また機会があればお会いしましょう」

 

 何とか首だけ動かしていた河田が見たのは、離れた場所で手を振る魔女の姿だった。彼女の足元には奇妙な紋章が描かれた円形が淡い光を放っている。それが一瞬だけ輝きを増した直後、魔女の姿は跡形もなく消え去っていた。

 

 しばし呆然と魔女が居た場所を見ていたが、河田は思考を放棄した。ここであれこれ悩んだところ答えが出るはずもない。彼女が言うならば、朝までは安全だという。

 

「……ああ、今日は疲れたなぁ」

 

 万感の思いを込めた一言を呟いて、河田は目を閉じた。そのうち鎹烏が「隠」の人間を連れてきてくれるだろう。それが朝になろうとも構いはしない。どちらにせよ動けないのだから、それまで眠るとしよう。

 

 ――今度、山本に会ったら魔女の話をしよう。きっと盛り上がるだろう。

 

 そんなことを考えながら、河田は意識を手放した。

 




Q、なんでこんなの書いたの?
A、こういう話が読みたかったから!!!


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隊士と花柱と噂の魔女

 

 蝶屋敷と呼ばれる建物がある。

 

 それは一人の「柱」が所有する屋敷であると同時に、負傷した隊士達を癒す病院としても機能していた。病床は少なくないものの、患者で溢れているわけではない。そこには傷ついて生還するよりも鬼に殺されてしまう隊士が多いという凄惨な理由があった。

 

「……ぅ、ん?」

 

 そんな蝶屋敷の病床で、河田は目を覚ました。ぼんやりと天井を見つめていると、徐々に頭が回りだしていく。

 

「ここはっ!? って、いだだだだ!」

 

 見知らぬ天井に気付き、今いる場所を把握すべく飛び起きようとした河田を襲ったのは全身の筋肉痛であった。ついでに痛めた脇腹も軋み、河田は悶絶の声を漏らした。

 

「起きたか。随分と辛そうだな」

 

 唸る河田に苦笑したような声が掛けられた。ゆっくりと体を起こし、声が聞こえた方を見てみれば、隣のベッドに泉が座っていた。

 

「泉、生きていたか!」

「ああ。何とかな」

「良かった……」

 

 魔女の処置は完璧だったようだ。袖を通さずに羽織っているだけの上着から覗く上半身には包帯が巻かれているが、顔色も悪くなく、特に辛そうな表情もしていない。

 

「それで、ここはどこなんだ?」

 

 友が助かったことに安堵してから、河田は先ほどの疑問を改めて口にした。

 

「ここは蝶屋敷です」

 

 答えたのは、泉ではなかった。

 

「目が覚めたようですね。体は大丈夫ですか?」

 

 場違いなまでに華やかな声色が心地よく耳朶に入ってくる。はっと顔を向けた先にいたのは、柔らかく微笑む美しい女性であった。

 

「あ、あなたは……」

 

 ゆったりと歩み寄る女性に、河田と泉は完全に凍り付いた。彼女が歩くたびに揺れる羽織りが、優雅に舞う蝶の羽を思わせる。窓から入った陽光を受けて、長い黒髪と蝶を模った髪飾りが光を帯びた。

 

「いえ、失礼しました。多少痛みますが、問題ありません」

「それは良かったです」

 

 手を合わせて女性は微笑んでいるが、河田はそれどころではなかった。

 

 鬼殺隊を構成する中での最高戦力を「柱」と呼ぶ。揺らぐ事のない心に練り上げられた技量、そして鍛え抜かれた体。心技体を極めた者のみが到達できる「柱」という存在は、その名の通り鬼殺隊そのものを支える柱と言えた。

 

 目の前の女性は、その柱の一人であった。良くも悪くも柱は強烈な存在である。河田とて鬼殺隊に所属してから少なくない年数を過ごしている。こうして対面するのは初めてだが、彼女のことは知っていた。

 

「お心遣いありがとうございます……花柱様」

 

 花柱、胡蝶カナエ。それが彼女の名前であった。

 

「そんなに畏まらず、楽にしてくださいね。お二人は怪我人なのですから」

「ええっと、その……はい」

「恐縮です」

 

 ちらりと横を見れば、泉も顔を強張らせていた。それがどうにもおかしく感じたが、きっと自分も同じようなものだろうと思えば、残念ながら笑うことは出来なかった。

 

「ですが、時間が惜しいことも事実。目覚めたばかりで申し訳ないけれど、幾つか質問をしてもいいかしら?」

 

 笑みを消し表情を引き締めたカナエに対し、河田も居住まいを正した。体中から上がる悲鳴はどうにか無視できた。

 

「はい。答えられることであれば」

「ちょっと、姉さん――花柱様!」

 

 どんな質問が来るのかと身構えた河田であったが、カナエの後ろから飛び込んできた人影につい視線を向けてしまった。

 

 端整な顔立ちに幼さを残す、小柄な少女であった。彼女もまた蝶を模った髪飾りを着けている。カナエを姉と呼んでいた事から妹だろうと推測した。そんなことを考えていると、どことなく似ているような気がした。

 

「お二人が目覚めたら教えてって言いましたよね?」

「もちろん忘れていないわ。私が様子を見に来たら、ちょうど目を覚ましたのよ」

 

 不機嫌そうな少女にカナエは苦笑いを浮かべながら言葉を返している。

 

「そうですか。それじゃ、ちょっと失礼しますね!」

 

 少女はずんずんとこちらに向かってきた。何事かと思ったが、どうやら用があるのは隣にいる泉らしい。

 

「泉隊士、でよろしいですね? 早速ですが、傷口を見せて頂きます」

「あ、ああ」

 

 有無を言わさぬ迫力の前に、泉は大人しく上着を脱いだ。少女は泉の後ろに回ると、上半身に巻かれている包帯を丁寧に解かれていく。

 

「隊士服の破損から見れば傷口が小さすぎる。これほど回復するなんて、西洋医学はそんなに進んでいるの? いえ、この回復力は常識で考えられない。となるとやはり…」

 

 泉の傷口を見つめながら、少女は独り言をぶつぶつと続けている。自分の背中を見つめたまま独り言を繰り返されるのは流石に不気味なのか、泉の顔はカナエを見た時より幾分も引きつっていた。

 

「あらあら。しのぶったら相変わらず興味津々なんだから」

 

 二人のやりとりを見ながら、カナエは頬に手をあてて困ったように笑っていた。

 

「ええっと、彼女は花柱様の妹さんで?」

「そうなの。私の妹であり、継子でもあるわ」

「なんと、継子の方でしたか。泉の傷について、何か気掛かりなのでしょうか」

「傷そのものではなく、彼の傷を癒した方法について、かしらね。それは、あなたに訊きたいことでもあるの」

 

 カナエは泉を一瞥してから、河田へと視線を向けた。

 

「単刀直入に聞くわ。お二人は魔女と遭遇した。違いますか?」

「そ、その通りです」

「では、彼は魔女によって治療されたと?」

「はい。正直、泉の傷は深く助からないと覚悟しておりました」

 

 柱から魔女の話題が出たことに驚きつつ、河田は昨晩の出来事を隠すことなく伝えた。鬼に敗走し追い詰められた事、死を覚悟した時に魔女が現れた事、そして魔女に命を救われた事。

 

 こうして改めて言葉にすると、とても信じられる内容ではないと思った。しかし、魔女との出来事は紛れもない事実である。脚色も捏造もしない。河田は過不足なくカナエに全てを伝えた。

 

 

「……やはり、魔女」

 

 河田の話を聞き終えたカナエは一言、小さく呟いた。腕を組み、じっと考え込んでいるように見えた。

 

「あの、花柱様。魔女とは何者なのでしょうか」

「それを、私たちも知りたいと思っているの。特に、しのぶは魔女にお熱だから」

「誤解を招くような発言はやめてください!」

 

 いつの間にか泉には再び包帯が巻かれていた。そしてこちらの会話を聞いていたのだろう。しのぶと呼ばれた少女は頬を微かに紅潮させながら声を上げた。

 

「私は魔女が扱う薬品に興味があるだけです。重症ですら劇的に回復させる医薬品をどこで手に入れたのか。私たちでも運用できれば、もっと多くの人が救えるわ」

 

 花柱の妹は鬼殺隊の隊士であると同時に、医学や薬学にも精通していると聞いたことがある。蝶屋敷が隊士達を癒す場所となっているのも、彼女が拠点としているからなのだろう。

 

「なるほど、流石は花柱様の継子の方ですね」

 

 しのぶの志に感嘆しながら、河田は魔女との会話を思い出していた。

 

「ですが、あれは魔女殿が自分で調合した薬のようですよ」

「……は?」

「魔女殿にとっては納得のいく完成度ではないようですが」

 

 雑談の中での話を口にしただけだったが、しのぶは初耳であったらしい。またカナエも同様のようで、驚きに目を丸くしている。

 

「魔女が調合したもの? あれを個人で作った? 嘘でしょ……」

 

 俯いてしまったしのぶの口から、またぶつぶつと独り言が漏れ出してきた。

 

「あらあら。魔女の事となると本当に夢中になっちゃうんだから」

 

 そんな彼女の姿をカナエは微笑ましそうに見つめていた。しかし、その笑みには幾ばくかの悲しみが含まれているように見えた。

 

「何にせよ、貴重な情報だわ。ありがとう、河田隊士。泉隊士も。もう少しお話を聞きたいけれど、私はそろそろ行かなくてはならないの」

 

 柱の多忙さは河田も聞き及んでいた。それぞれ管轄を持っているが、要請があれば西へ東へ奔走することになる。花柱であるカナエも例外ではない。

 

「それじゃ、私はこれで。しのぶはどうする? まだ問診を続ける?」

「いえ、大丈夫です。お二人とも、お大事になさってくださいね」

「あ、はい。ありがとうございます」

「お気遣い頂き、恐縮です」

 

 深々と頭を下げた二人に手を振り、カナエはしのぶを伴って病室から去っていった。

 

 

「……あぁ、緊張したなぁ」

 

 静まり返った部屋で、ようやく河田は気を抜いた。悲鳴を上げる体を動かして、仰向けにベッドへと沈み込んだ。

 

「やっぱ柱の方は強者の雰囲気があるよな。あんなに美人なのに」

「ああ。会話している間も少しの隙も見せなかった。俺たちとは格が違う、ということだ」

 

 泉も溜息混じりに言葉を返してきた。

 

「でもよ。花柱様が訊ねてきたってことは、魔女殿の存在を上も認めているってことか?」

「かもしれんな。少なくとも、無視は出来なくなったということだろう」

「ま、正直なところ鬼殺隊を助ける目的も分からんからなぁ」

 

 考えれば考えるほど、魔女は謎に包まれている。何故鬼殺隊を助けているのか。理由も目的も一切が不明なのだ。

 

 鬼殺隊に関わり続ければ、鬼に殺される可能性は高まっていく。その危険性については魔女も理解していることだろう。だからこそ、余計に分からなくなる。

 

「……河田」

「あん?」

「俺はまだ魔女に礼を言っていない」

「そりゃ、あんだけ重症なら仕方ないだろ」

「だから、さっさと傷を癒して鬼狩りに復帰するとしよう。そうすれば魔女にも会えるかもしれん」

 

 命を救ってくれた礼は直接言いたい、と泉は言葉は重ねて笑った。

 

「そうだな、うん、そうだ」

 

 河田としても泉を救ってくれた魔女には感謝している。礼こそ伝えているが、今度はゆっくりと話しをしてみたいとも思った。その時に彼女の目的などを聞いてみるとしよう。

 

 

 それから二週間後、二人は再び鬼狩りの任務に戻っていった。しばらくの間は魔女の話もそこそこに、鬼との戦いに専念していくことになる。

 

 河田と泉の耳に魔女の話が飛び込んでくるのは、その三か月後のことであった。それは奇しくも、胡蝶カナエが絡んだ驚くべきものとなるのだが、それはまた別の話となる。

 




この作品の主人公は魔女です。


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