月映しの世界の中で (K-Knot)
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#1 電視

きみのためにつよくなりたい


 

 ある映画では、ブラックホールに飲み込まれた主人公からのモールス信号が過去の娘に届くという描写があった。

 曰く、人の愛は――――想いは時空すらも超えると。

 最早それは比喩ではない。獣だった人間が遠吠えしていた時代から数万年。

 人々は電子的に繋がり、時には国境をも超えて会ったこともない人物と共に戦い、犠牲を学び、その身を捧げ、一つの目的の元に魂は集う。

 

 インターネットの発達は、人間を物質依存生命から一つ先の存在へと進化させた。

 

 SNSに何が残る?

 オンラインゲームに何がある?

 旧時代の人は時に言う、『何も残らないのに』と。

 

 彼らは電子の世界で感情を、思い出を共有している。

 そこに物として残る何かがなくとも。

 想いが繋がれば、物質的な繋がりは何一つなくても人間の間にはあらゆる関係が成り立つようになった。

 

 会ったこともない人物と。

 大海原を超えた場所にいる誰かと。

 

 そしてお互いに気が付かないだけで。

 数十億人が繋がるこのインターネットの世界で。

 

 この世界ではないどこかにいる誰かと。

 

 

 

 

 

 

 性別:

 

 年齢:

 

 名前:

 

 

 

 

 性別:男

 

 年齢:18

 

 名前:Shin

 

【エラー!! 現実的な名前を入力してください】

 おや、となった。時々SNSやネットで見かける名前をド本名にしてしまっているちょっと恥ずかしい人のような名前でやれ、とこのゲームは言っているのだ。

 とはいえ確かに、主人公の名前を【ああああ】にしてしまったり、例えば侍モノのゲームで外国人風の名前にして作中で呼ばれたら雰囲気ぶち壊しだ。

 そういうところから大切にしてほしい、という製作者の気遣いだろう。とはいえ流石に本名を入れる勇気はない。

 

 

 性別:男

 

 年齢:18

 

 名前:秋葉 冬路

 

 今度はエラーが起きることもなく進んだ。

 いきなり出鼻をくじかれたが、これくらいはいいだろう。

 部屋を暗くしてゲームの世界に入り込む。

 突如配信された『月映しの世界』はオープンワールドの謎解きゲーム、という類を見ないジャンルになっている。

 

 なんでもこのゲームはクリア特典として――――新たな人生との出会いをくれるとか。

 

 

 

*****************************************

 

 

 このゲームにセーブ機能はついておりません

 

 クリア条件は自分で探してください

 

 タイムリミットは目が覚めるまでです

 

 クリア時のみ、クリアの記憶が保存されます

 

 

*****************************************

 

 

 ある日 

 ひとりの子供が鬼になりました

 

 鬼は次から次へと敵を倒し

 自分の強さを示し続けました

 

 鬼が強い理由は

 自分の強さを誰よりも信じているからでした

 

****************************************

 

 

 

 

 

 

#1 電視

 

 

 

 

 月が揺れる。

 月がゆらゆらと揺れる、湖面に映っているかのように。

 地上の衝撃が月の浮かぶ空を不安定にする。

 謎解きゲームじゃなかったのか――――目標人物の本気の抵抗を受けて半分以上体力の減った冬路はぐらつく視界の中でそんな根本的な疑問を浮かび上がらせた。

 

「Augustusになんの用だ?」

 現代日本に絶対に溶け込めないであろう、マントを纏った金髪の女が顔を上げる。

 月明かりに照らされた口元には煙草を咥えている。こんな激しく動いているのに煙草を吸えるなんて。

 

「…………」

 倒せ、と指示されていた女から出たセリフ。

 1ヶ月かかってようやく『半ば』といったところか。

 

「危ない!!」

 キュン――――独特のスキル発動の音が響く。

 それと同時に今の今まで冬路が居た場所に巨大な刀剣が降って廃ビルの屋上に大きな亀裂を作っていた。

 

「あ、ありがとう……助かった」

 

「なにこの人……世界観おかしすぎるでしょ……」

 

(ていうか最初からおかしい)

 香南のスキル、緊急回避のクールタイムが頭上に表示されているのを見ながら心の中で毒づく。

 なぜ戦闘用のスキルがある? なぜ体力なんて概念がある?

 謎解きゲームにしては激しすぎる。これではただのARPGではないか。

 

「なにをブツブツと……。私は忙しいから可及的速やかに死んでほしい」

 

「おわ――――っ!!」

 地面に刺さっていた刃が新幹線よりも速く横向きに飛んでくるのをなんとか伏せて避ける。勢いよくぶつかった冬路の真後ろのフェンスは真っ二つになり土台ごと屋上から転落していった。

 『これも』だ。謎解きゲームに『伏せ』なんかない。

 とにかく、急に巨大な刃物を出して手も触れずにぶん回す相手に、あくまでまだまだ現実的な能力の延長上にしかないスキルしか持たない自分たちがまともにやって勝てるはずもない。

 頭を使うしかないのだ――――伏せたどさくさに紛れて地面に円を描く。

 

「…………」

 香南が頷く。こっちが敵のスキルクールタイムを見れないのと同様、敵もこちらのスキルクールタイムは見えない。だが、味方のそれは見える。それだけで十分だ。

 たったいま冬路がスキルを使ったことが香南には伝わっている。

 

「一つ訊きたいのだが……普通の学生だろう? なぜ私をつけ回す?」

 

【答える】

【無言】

 

(知らないんだよ)

 女の頭上に選択肢が表示されるが、答えるも何もそのAugustusが誰で何なのかすらわからない。

 このゲームが始まった瞬間から、メインクエストの欄の一番上に表示されていた『Augustusを探せ』というミッション。

 とりあえずずっとそれを追いかけて派生したサイドクエストをクリアしていただけだ。

 

「まぁどうでもいいことか」

 選択肢の横にあった数字が0を示して自動的に【無言】が選択された。

 死んでくれ――――それはAugustusなる人物が暴力的何かに関係していることを端的に示していた。

 

「来た!!」

 浮かんでいた刃が女の手と一体化し冬路に一直線に向かってくる。

 ギリギリのギリギリまで引き付ける。

 恐怖は無い――――セーブ機能は無いと言いつつも、今まで何度かゲームオーバーになっても結局オートセーブされた地点から復活している。

 むしろ他の選択肢を見るためなら死んだほうがいいくらいだ。とはいえこの場所にたどり着くまでにけっこうな時間がかかったし、どこでオートセーブが行われたかは自分では知りようがない。

 倒すか。数々の算段を1秒以内に終えて冬路は右に転がった。

 

「なんだこれは?」

 

「なんだって、こっちが言いたいよ」

 今の今まで冬路がいた場所で、女は床に空いた穴に足がはまり動けなくなっていた。

 クールダウン15秒の冬路のスキル、チープトラップ。地面に穴を空けハマった人物を8秒動けなくする。

 今まで誰かに追われている時に足止め用にしか使ったことがなかったが、こうして使うとかなり有用だ。

 冬路のスキルにより炎が自身の脚に巻き付き移動速度が上がる。これで相手が動けない間に近づける。

 

「『突風』!」

 

「! 違う!」

 遅かった。香南のスキルが発動し、その名の通り突風が起こった。

 罠にハマっていた女は哀れにも――――自分が金網を吹っ飛ばしてしまったせいでビルの屋上から転げ落ちていってしまった。

 慌ててメニューを開くもミッションはクリアになってしまっている。無事に、とでもいうべきか女を倒してしまったようだ。

 

「違うって……?」

 

「Augustusと明らかに繋がる敵だった。倒せば何かを話してくれたかもしれないし、アイテムを落としたかもしれない。場外じゃダメなんだ」

 

「『パラライズ』かー……」

 香南はあの場面では当たった相手をその場で30秒拘束するスキルを使うべきだったのだ。

 時既に遅し、ミッションはクリアされオートセーブが行われたしまった。

 なにか次のミッションのヒントがもらえると思ったのだが。

 

「プレイエリアの外だね」

 屋上の端に立って下を覗き込んで女の死体を確認しようとしている香南を見て内心震える。

 ゲームとはわかっていても自分には出来ない。

 

「ああ、怖い? VRってどんな感じ?」

 珍しいことにこのゲームはVRに対応している。

 プレイヤーキャラクターの姿も本人の360度の写真を取り込んで3D化しているのでほとんど現実と変わりない。(もちろん自分の写真は一番写りのいいものを選んだ)

 ここまでしてフリーゲームとは恐れ入る。一切の広告も無ければ作者も匿名というのがとにかく不思議だが。

 

「その……エリアの端っこに立つやつ。屋上とかさ。俺には怖くて出来ない」

 平均台の上でバランスを取るように屋上の縁をてくてくと歩く香南は月明かりの下で一人ぼっちで練習するサーカスのピエロみたいだ。

 VRの世界では、夜風も肌に錯覚する。よっ、と言いながら目の前に来た香南は手を広げて温かな光を発した。

 

(もう一つの世界みたいだ)

 香南のヒーリングを受けながら考え込む。眼の前にいる少女とは実際に会ったことも無いのに、声も顔も性格も知っている。

 この世界だから知り合いになれた。現実だったらきっと関わることもなかったのに。

 

(かわいいよな……)

 現実なら関わることもなかっただろう、と考える一番大きな理由がそこだ。

 さらさらの黒髪が夜風に流れ、目元口元の完璧な位置にあるほくろはやや吊り目気味な目にさえ優しい印象をもたらす。

 性格も明るく、聞き上手で。中高だったらスクールカーストの端と端だ。自分のようなゲームしかやっていない陰の者なんて接点すら無かっただろう。

 

「私さ。今パジャマでゲームしているんだー」

 

「ははっ。俺なんか、今日は家から出てないから寝癖つけたままやってんだ。ほんとはね」

 ゲーム内の見た目と現実と見た目が違うなんてよくあること。酷い時は性別が違うことすらもある。

 現実とリンクした姿とはいえ、毎日見た目を整えなくてもいい点はゲームの方が完全に上だ。

 

「次はどうすればいいのかなー」

 香南がエナジードリンクを飲んでいる。

 毎回戦闘が終わると必ず律儀に飲むそのドリンクは、次の戦闘に限り経験値を1.2倍にしてくれるがそれなりの値段がする。

 課金をして買っているらしいが、おかげで好戦的で敵を逐一倒している冬路とレベルでいえばそこまで変わらない。

 

「! なにか落ちている……」

 

「URL……?」

 ここにいてもしょうがあるまい、と屋上の出口に向かう途中でURLの書いてある紙を見つけた。

 ゲーム内インターネットなんて機能はない。つまり――――

 

「現実で見ろってことか」

 VR装置を頭から外すと寝癖の上から更に癖がついて髪はもはやぐっちゃぐちゃになっていた。

 画面を通してゲームの世界を見ることでようやく現実に帰還した気分になる。

 

「アプリだ」

 

「へー……。アプリ連携しているフリーゲームだって? マジかよ」

 GPSと音声その他諸々のシステムにアクセス権限が必要――――サイドアプリにしては充実しすぎている。

 ダウンロード自体は3分ほどで終わった。

 

「あ……? 俺んちだ!?」

 アプリを開くとPC内とは違い二等身にデフォルメされた自分を中心に俯瞰マップが表示された。

 ゲーム内とは言え、その家具の配置は見間違いようもない自分の家だった。

 おまけにスマホを持って歩き回るとゲーム内の自分も動くという――――某大ヒットアプリからヒントを得たに違いない実生活とのリンクがそこにはあった。

 

「私の家……そうか、冬路も今月から渋谷に住んでいたんだね」

 

「あ、うん……まさか香南もそうだなんて思わなかったけどな」

 そう、このゲームは渋谷が舞台となっており、マップも現実の渋谷に即して作られている。

 109はまだいいとして、裏道にある小さな商店すらもゲーム内にあったのは本当に驚いた――――のが渋谷を生まれて初めて散策した1週間前だった。

 この冬に渋谷雄翼大学に合格した冬路は住み慣れた神奈川を離れてこの4月から渋谷に住むことになった。

 香南が同い年で、彼女も下宿のために故郷を離れて東京に住むことは知っていた。そんな境遇の近さが、自分たちをゲームの中で非常に距離の近い友人にしてくれた。

 

「渋谷って言っても、たぶん全然イメージと違うと思う」

 

「はは、俺もけっこう……ていうか、この辺は俺の育ったところよりも寂れてるって感じるくらいだわ」

 例えばの話――――新宿に住んでいます、と東京以外の人に言ったら驚かれるかもしれない。

 だが実は学生街として有名な高田馬場だって住所で言えば新宿だ。それと同じで日本の若者文化の中心地、渋谷にだってそんな下宿に向いた場所はある。

 事実として冬路の住み始めたアパートは8畳の風呂トイレ別の1Kで6万、駅まで徒歩25分というなんともコメントし難いアパートだ。

 大学に自転車で10分で行けるという条件が無ければこんなところになんか好んで住まない。

 

「このアプリさ……多分……」

 

「ん? そっか、だから音声にもアクセス権限が必要だったのか……」

 スマホにアプリを通して香南からの着信が来る。

 ゲーム内のメッセージのやり取りもこのアプリを通して出来る、というわけだ。

 

「あとは……このアプリをバックグラウンドで起動していれば渋谷内を移動した距離に応じて経験値と、特定の場所に訪れれば特殊なアイテムを手に入れられる……ってさ」

 

「…………変なの」

 

「何が?」

 GPS連動ゲームとしては一般的な機能に思えるが、何が香南の違和感に引っかかったのだろうか。

 ちょうど渋谷に住んでいるんだしこれから経験値稼ぎまくれるぞ、くらいにしか思っていなかったが。

 

「いや、大したことじゃないから今度でいいよ。それよりも……これで次はどうすればいいんだろう?」

 

「んー……あれっ、クエストになんか追加されている」

 クエストリストには赤文字でメインクエスト、その下に白文字にサイドクエストとなるわけだが、メインクエストがいつの間にか追加されていた。

 メインクエストが追加されるなんて初めてだ。

 

「この住所に向かえ……」

 東京都渋谷区、から始まる住所。

 そこに何かがあるのだろう。ようやくこのゲームも派手に進展してきた。

 

「じゃあ行くか」

 

「待って!」

 

「?」

 

「これは……ゲーム内の話じゃない。タイミング的に――――それにこのゲーム内で住所を確認する方法は恐らくない」

 香南の言うとおりだった。ゲーム内に地図はあるが、X軸とY軸で示されており住所という概念はないし、あったとしてもゲーム内でスマホやパソコンはいじれないからその場所が詳しく調べられない。

 それにこのタイミングで住所となれば、実際にその場所に行け、ということになる。

 

「……家から出てその場所に行け……? なんだこのゲームは……」

 

「謎解きゲームというより……」

 

「このゲームが謎、か」

 せいぜい足止めする罠や緊急回避くらいのスキルしか無いのにガンガン戦闘をさせる謎のシステム。

 それでありながら謎解きゲームという意味不明な分類。極めつけは現実世界へのリンク要素。

 フリーゲームだからと侮っていた。このゲームの製作者は何の目的があってこんなことをしているのだろう。

 

「ていうか初期スキルが開放されてないし。バクかこりゃ」

 レベルごとにスキルが開放されるのはまぁありがちという感じだが、レベル0、つまり初期に開放されるはずのスキルにずっとロックがかかっているのはほとほと謎だ。

 

「ストーリー進めれば開放とかじゃない?」

 

「それまたありがちなヤツだ。まぁどちらにせよ今日は夜遅いし、明日にでも行くか……」

 武器スロットもストーリーを進めたりレベルを上げなければ4つまで開放されないFPSというのもありがちだ。

 なんにせよ進めなければ分からないが、進めるにしてももう明日だ。

 

「……。あのさ……」

 

「なに?」

 

「同じ場所、だよね」

 

「摩多羅神社ってとこ?」

 

「うん。その……他のプレイヤーもここが目的地なのかは知らないんだけどさ、一人で行くのちょっと怖い」

 

「…………?」

 確かに言っていることは分かる。もしも他のプレイヤーもその摩多羅神社とやらが目的地になっていたらそこに集合するわけだ。

 奇妙な繋がりを持った人々が集う中で、女子が一人行くのは勇気がいることだろう。とはいえ行かなければこの先に進めないというのに。

 

「だからさ、一緒に行かない?」

 

「えっ、ちょっ、それってアレ? オフ会ってこと? いきなり?」

 

「うん。なにかSNSとかやっているの? アカウント教えてよ」

 

「あぁー……。まあいいけど……」

 一個しかない冬路のアカウントは思い切りリア垢で現実に繋がりのある人もフォロワーにいるのでその気になれば個人情報が丸裸になる――――なんて考える自分の感性は古いのだろうか。

 それに自分の『職業』までバレてしまう。別に隠している訳でもないのだが。女の子の香南がこうなのに自分だけ警戒を重ねるのはもう時代遅れなのかもしれない。

 

「Shin1A2Aって調べてみて」

 

「1A2Aって?」

 

「高校二年のときに作ったアカウントなんだ。で、一年生の時も二年生の時もA組だったからさ」

 

「へー……偶然、私もそうだった。……あれ? 見つからない」

 

「ん? そんなはずは……」

 スマホで何回か確認するがアカウントIDは間違って伝えていないと思う。

 先程インストールしたばかりのアプリでIDをそのまま送ってみたがやはり見つからないと言う。

 

「あれー?? 鍵垢?」

 

「そんなはずないけど」

 それどころか――――冬路には2万人近いフォロワーがおりしかもオフィシャルマークまでついている。

 きちんと検索しているなら出てこないはずがない。

 

「……ま、いっか。なくてもこうやって連絡出来ている訳だし」

 

「そうだな。どうせもう1年以上更新していないし」

 今まではゲームを起動してあちらがオンラインであることを確認できたら一緒にやっていただけだが、これからはスマホ版のアプリからやり取りすることで時間を合わせられる。

 

「明日! 11時にその摩多羅神社ってとこでいい?」

 調べてみたら渋谷駅西口から歩いて5分位の場所だ。

 お互いに渋谷に住んでいるのなら、わざわざハチ公前を待ち合わせ場所にして迷いに行く必要もあるまい。

 

「11時か……」

 

「うん。せっかくだし、お昼一緒にどう?」

 積極的だな、というか警戒心が無いなと思う。

 それとも自分が勉強ばかりしている間にここまで時代は進んでしまったのだろうか。

 

「それはいいんだけどさ」

 

「?」

 

「俺……朝弱い上に寝起き悪くてさ。最近ずっと夕方の4時に起きてたから……起きれるかな」

 

「えぇ!? 起きなよ! もうすぐ授業始まるんだよ?」

 

「分かっている、そろそろ生活リズム直さなくちゃな」

 

「……じゃあもう抜けるね。ちゃんと起きなよ」

 

「はーい……」

 香南がログアウトしたのを見てでPCの電源を落としベッドに身体を投げ出す。

 

「だ痛ッ!? マジ痛ッ!」

 頭にVRヘッドセットを装着していたのを忘れて思い切りベッドの上部に頭をぶつけ、跳ね起きて足の小指を机に強かにぶつけて転げ回る。

 こんなすったもんだはほとんど毎日だ。ゲーム中ではミスなんてほとんどしないから香南はきっと驚くだろう。

 現実世界の自分はゲームの中と打って変わってまともな生活を送るのも難しい欠陥だらけの人間だ。

 

「見つからないなんてそんなはず……」

 更新の途絶えた自分のアカウントの名前の隣にはたしかにオフィシャルマークがついている。

 日に日にフォロワーが減っていく。だがまぁ、説明も面倒だし別に言わなくていいなら言う必要もなかろう。

 VRヘッドセットを洗濯物の山の上にぶん投げて目を閉じる。カーテンの隙間から眩しい月の光が入り込み、ほんの1年前の光景が瞼の裏に浮かぶ。

 

 4点先取の試合で、3勝3敗1引き分けにまでもつれ込んだ。

 3時間にも及ぶ激闘で、敵も味方も体力・精神力共に限界を迎えていた。

 自分と『そいつ』以外は。

 

 眩ゆいスポットライトの下で、人生最高の瞬間を迎えていた。

 肉体を精神が凌駕し、もはや目に入る全ての物が止まって見える。今の自分ならハエの眉間だってぶち抜ける。

 ゾーンに入っている、それはそいつも同じだったと分かった。一言だって話したことのない人間と。今まで誰とだってうまく付き合ってこれなかったのに、戦いの中で出会ったそいつは言葉を交わさずとも感情すら流れ込んでくる程に理解できてしまう。深く、深く、心からのメッセージを送り合っている気分だった。

 

 なんて奴なんだろう。一体どれだけのものを捧げればこんな強さになれるのだろう。

 自分の分身のようなそいつを画面越しに見て、攻撃が刺さるたびに流れ込み攻撃をねじ込むたびに流れ込んでくる。

 お互いが人生をかけて培った技術を全力でぶつけられる相手。

 

 今まで誰も隣にいなかった。

 クラスメートも家族も今だけは応援してくれている。

 だけど、誰も本当には分かっちゃいないだろう。

 自分が何をしてきたか、何が出来るのかを。

 なんとなく凄い大会に出てなんとなく素晴らしい結果を出しているから応援しよう、くらいのものだろう。

 

 こいつなら。

 こいつなら!!

 全てをぶつけても壊れない。

 これだけのことを、これだけの技術を得るためにどれだけのことをしてきたかを理解してくれる。

 俺にも分かるから。何を捨てて、何を得たか。

 

 ここで出会わなかったら、きっと俺たちは親友になれたんだろうな、と。

 だが、この世界のこの場所で出会った以上はどちらかが消えなければならない。

 

 

 

「俺を誰だと思ってんだ!!」

 眼下の敵が高台に陣取った自分に攻撃してくる。

 距離減衰があるからこんなもの大して痛くない。だが、こちらに攻撃できるということは、こちらに頭を見せつけているのと同様だ。よりにもよってスナイパーに。

 世界で一番好きな音――――頭をぶち抜く高い音がその世界に、会場に響き渡り観客は最高潮のボルテージを迎えた。

 今まで6人対6人で拮抗していた状況だったのがたった一つの馬鹿なミスのせいで全てが決した。

 残り時間から考えても、殺した相手が今から復活して仲間の元に合流するまでに全ては決するだろう。

 ざまぁみろ、やはりゲームを決するのは俺だったんだ――――

 

『バカヤロウ!! 目を離すな!!』

 敵を倒せばナイス、敵に抜かれればドンマイと、いつもならば必ず声をかけてくれるキャプテンからの叱咤。

 このゲームにおいて、スナイパーの仕事は2つある。一つは高台に陣取り、甘ったれた動きをする敵に睨みを利かせること。まさしくいま自分がやったことだ。

 もう一つは――――敵スナイパーの監視。

 線対称のマップ、逆方向の高台にいたはずのそいつはほんの数秒目を離した隙に影も形も無くなっていた。

 

「どこに――――」

 逆に自分が世界で一番嫌いな音は自分の頭が敵スナイパーに抜かれる音――――が、全てを決した。

 倒れゆく映像の中で見てしまった。勝敗だけでなく互いの格までも決めるその弾丸を放ったそいつは――――真隣にいた。

 全てを刈り取る一撃を、こちらの頭に銃口をくっつけて放ったのだ。

 作られた隙、命をなげうち勝利を手にするハイリスクな戦法、数秒の人数不利の代償に相手のエースを殺した。

 日本esports史上間違いなく一番苛烈な戦いは、あっさりと終わってしまった。

 

 この光だ。敵を祝福し、全てを失った自分を嘲るスポットライト。

 銀紙の紙吹雪に反射するギラギラとした光がいまでも目に焼き付いて取れやしない。

 若く愚かなエースの独断により敗北した負け犬たちの元に優勝チームが歩み寄ってくる。

 スポーツである以上、試合が決すれば勝者は敗者の元まで行き握手をする。

 

「楽しかったよ」

 涙に汗に鼻水に、握りすぎて滲んだ血。

 色んな液体に濡れた手を握ってそいつは徹底的に勝利を貪った。

 

 

「!!」

 あの日から毎日冬路の睡眠を妨害する悪夢から飛び起きる。

 汗だくの身体にシャツが張り付き気持ち悪いので思い切り脱ぎ捨てるとペン立てにぶつかって机の裏側にペンが落ちていく音がした。

 明日拾うことなんて考えたくもない。

 

「フーロ……!!」

 あの試合で自分は全てを失いフーロは王者の栄光を守り抜いた。

 お笑いだ。同類に思えるのに、同い年できっとたった一人の親友、唯一無二の理解者だっただろうに自分は全てを失いフーロは全てを手に入れた。

 秋葉冬路、大学生兼プロゲーマー。冬路は去年の大会で準優勝してから、もう一年もプロと呼べる活動を何もしていなかった。

 ゲームでの苦い思い出を消すためにゲームをやっているなんて、下手な薬物中毒者よりタチが悪い。

 

 

 

**********************************************

 

 

 

 

 結局眠れなかった冬路は早くから渋谷の街をさまよっていた。

 目的もなく歩いていただけなのにこういう場所に辿り着いてしまうのはもう本能としかいいようがないだろう。

 

(でも現実のゲームはダメダメだ)

 5階建ての古めかしいビルにあったゲームセンターの最上階、フラフラと適当なゲームをやってしまいそうになってしまったところを踏ん張って無理やりダーツにコインを入れたはいいものの、まずほとんど的に当たらない。

 金の無駄以外の何者でもない。見ろ、隣の女子大生二人にもちらちら見られて笑われている。もうさっさと出るのが吉だ。

 

「お兄さん、ねぇあのさぁ」

 

「え、俺?」

 笑いものにするばかりかまさか声までかけてくるなんて。

 連続5本で外したことがそんなに面白かったのだろうか。

 

「チャック開きっぱなしだよー」

 

「うわ! マジだ!!」

 家を出てから二時間、トイレには行っていないのでその間ずっと自分の下着を世間様に晒していたアホがここに一人。

 真剣な顔でド下手ダーツをやるチャック全開男なんて面白すぎる。

 

「あとシャツのボタンがガタガタ」

 女子大生の伸ばす指先には3つもボタンを掛け違えてヒートテックまで丸見えのYシャツがあった。

 今日も今日とて絶好調で間抜け極まる。動揺を落ち着かせるためにサイドテーブルのペットボトルに手を伸ばしたら手がぶつかり炭酸なのにペットボトルが下に落下してしまった。

 

「せっかくちょっとかっこいいのにね」

 

「う、お……ありがとう」

 高校生まで、自分は典型的な陰キャと呼ばれる種類の人間だった。

 ゲームばかりやって友達と呼べる友達もおらず、髪もボサボサ制服もよれよれだった。

 それでもどうでも良かった。電子世界で強くなること、それだけが自分の全てだった。そんな人間から『全て』が奪われ、ほぼ人間失格の自分はどうにかしてこの生きにくい世界で生きていかなくてはならなかった。

 母親が買ってきた服は全部捨てた。チームのユニフォームは実家に置いてきて、瓶の底より厚い眼鏡はドブ川に捨ててコンタクトにした。

 

(でも一番変わったのは髪か)

 いきなり褒められることに戸惑ってしまい、ゲームセンターから転がるように出てようやく心臓が落ち着いてきた。ため息を吐きながら自分の一番変わった部分に触れる。

 自分と真逆で完璧人間の兄からアドバイスを受けて薦められた美容院で髪を切り、思い切って髪をホワイトブリーチした。

 こんな派手な大学デビューが自分に出来るのか、と思ったがどうやらかっこよくなったらしい。

 どうだ、自分だってこの世界でやっていけるんだ。生きていていいんだ。

 

「ざまぁみろ……この野郎」

 小さい頃から何をやっても人並み以下で社会性が無いに等しかった。

 だが、ようやくずっとおかしかった歯車を少しずつ直してなんとかやっていけそうになっている。だというのに――――どうしてか泣いてしまいそうだ。

 ふらふらと目的地に向かって歩いているとおかしなことに気が付いた。

 

「渋谷だろ……ここ。あれ?」

 歩いている人間がほぼいない。目に入る店舗全てのシャッターが閉じられており、どでかいビルは解体されたまま放置されている。

 渋谷駅西口から歩道橋を渡ってわずか2分の場所に廃墟と化したゴーストタウンがあった。

 

「2018年の渋谷にこんな場所が……?」

 慌てて携帯を開くが目的地は間違っていない。

 地名を検索すると、どうやらこの渋谷区桜ヶ丘町は再開発を開始したはいいが何らかの事情により現在開発が中止されているらしい。

 オリンピックには間に合わせるつもりらしいが、こんなことで間に合うのだろうか。

 

(誰もいないから好き放題出来るわけか)

 そこら中にスプレーに落書きされているし、工事現場立入禁止の看板には印刷されたエロ画像が貼られている。

 東京のど真ん中にこんな場所があるなんて驚きだが、ど真ん中だからこそアクセスもいいしフリーゲームの作者だってここを目的地に出来るわけだ。

 そんなことを考えていると目的地の摩多羅神社とやらに到着した。

 ゴーストタウン化して訪れる人間もいないのだろう。神社は手入れもされておらず人の気配が微塵もない。

 どうやら先に着いてしまったようだ。

 

「俺に会ったら……香南びっくりするだろうな」

 あの世界で取り込んでいる自分の姿はまだ髪が黒く眼鏡をかけている。

 周囲や家族の反応から見るに自分は相当変わったらしいから一目では気が付かないだろう。

 それにしてもまだ来ないのはちょっと不思議だ。自分と違って如何にも優等生な香南は時間だってしっかり守るのに、もう約束の時間から10分過ぎている。むしろ自分が5分遅刻したくらいなのに。

 

「なんだこれ」

 バチ当たりを少しは恐れろよ、と言いたくなるくらいに鳥居にも落書きされているがその中の一つに妙なものを見つける。

 QRコードだ。ただ単に誰かがいたずらで貼ったのかもしれないが、昨日インストールしたあのアプリにはQRコードの読み取り機能があった。

 まさかな、とは思いつつも別にやってみて損はないので試しにカメラを向けてみると。

 

「…………リバース?」

 何が何やら分からないが、QRコードを認識した瞬間、いままでロックがかかっていたスキルが解除された。

 リバース、と名前のついたそのスキルは対象となる2つの物体を指定し、指定が正しければ入れ替えてくれるらしい。しかも『それだけではないかもしれない』なんて嬉しいんだか嬉しくないんだかよく分からないおまけまでついているが――――

 

「3回!? 3回しか使えないの!?」

 なんとこのゲームをクリアするまでの間にたった3回しか使えないスキルらしい。

 もうメインミッションが元に戻っている。たかがスキルが一個増えた。だけ。

 これでストーリーが進んだのだとしたら拍子抜けにも程があるが、3回しか使えないということは重要なスキルなのだろう。

 だとしてももっと、体力を全回復とか敵を一撃で全て倒すとかそんなスキルだったらいいのに。無駄足だったかもな、と思いながらぼんやりと『リバース』の意味を調べていたら香南から電話がかかってきた。

 

『冬路? 待っているのにどうしたの?』

 

「え? うそ、俺もう着いているよ」

 小さな神社だ。見逃すことなんてあり得ないし、そもそももう人がいないのだから。

 神社の名前だって間違っていない。

 

『どこにいるの?』

 

「鳥居の前……だけど」

 

『ここ?』

 今まさしく冬路が見ている鳥居と同じ鳥居の写真が送られてくる。

 どうなってんだ、と思うべきところだがそれどころではなかった。

 

(かっ……かわいいぞ)

 これが自分と真逆の人間なのだろう。何故かインカメラで撮った写真を送ってきてくれたおかげで今日の香南がどんな格好で来ているのかまでばっちりと写っている。

 言わずもがな自分だっていつも外に出る百倍身なりを整えて(それでも粗はあったが)来たが、今年流行りの深緑という一見暗い色の春物コートがよく似合うのは顔から受ける印象が明るいからだろう。

 この子と会うんだ――――ではなく、何かがあって会えていないのだ。

 

『なに……これ……』

 

「うぉあああ!?」

 冬路と同時に恐らくは香南も同じことに気が付いた。

 古くはファミコン時代から続く、二頭身のキャラが平面のマップを動き回るというありふれたシステム。中には動いてなくともキャラがその場で足踏みをする可愛らしいゲームなんていうのもあった。

 だがこれは。例え同じ現象が他のどんなゲームで起きてもバグだと断じるだろう。

 

「グラフィックが……」

 

『重なっている!』

 香南と冬路のデフォルメされたグラフィックが重なってその場で動いていた。

 自分達は同じ場所にいるのに出会えていない。

 

 電子の世界でのみ視えるもの。

 香南はこの世界にいない。

 



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#2 遊戯

#2 遊戯

 

 

 

 

 鬼は戦い続けました

 信じている自分の強さが本物であることを示すのが

 たまらなく気持ちよかったからです

 

 でも、ある日思いました

 どうしてこっちが全部出し切る前にみんな壊れてしまうのだろう、と

 なぜ誰も自分の本気を受け止めてくれないのだろう、と

 

 

 

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 他の競技では知らないが、基本的にはこのゲーム、Flawless Anthemにおいては格上が後に入場する。

 いくらこれまでの試合を4対0の圧倒的な実力差で終わらせたとはいえ、このチームは自分が入るまでは最高順位が国内16位のチームであるため去年の王者とでは比べるまでもない。

 入場を終えて、チャンピオンチームが入ってくるのをステージで立ちながら待つ。

 およそ壇上に立つだとか、そういったイベントと一切縁の無い人生だったが、ゲームだけは別だ。

 どれだけ他の分野でモブで中身がポンコツだったとしても、この世界では自分は主人公なのだ。

 

(こいつら全員フーロのファンか)

 会場にいる観客のほとんどがFooroの名前が入ったフリップを高々と掲げ、Fooroの名前を叫んでいる。

 男も女もFooroのファッションを真似ており、『主人公はお前ではない』という困難な現実を見せつけてくる。

 誰もが最強の王者を見に来ているのだ。

 

(始まるか……)

 背部のスクリーンの色が毒々しい紫と黒を基調とした色に変わったのをステージに反射する光で知ると同時に入場曲が流れてくる。

 まだ何も始まってもいないのに観客が立ち上がる。

 異様なことに、最初にキャプテンがチームの旗を持って入場してきた。次いで国内無敵のチームのスターティングメンバーが入ってきて――――

 

『護国の”ガーディアン”、フーロだぁ!!』

 キャスターの絶叫と共にFooroが入場してくる。

 去年優勝して以来、海外のチームも参戦する日本で行われた全ての試合に勝利し、いつしかFooroはガーディアンと呼ばれるようになった。日本国の誇りを守る最強の子供だと。

 まだ年齢規程である18歳に達していないため海外での大会経験はないのに、化け物揃いの候補者の中からesports Awardを受賞するなど、Fooroの成し遂げた偉業は数え切れない。

 キャプテンの代わりに最後に入場してきたFooroは小さな体に優勝旗を巻きつけ、まさしく王者そのものに思えるゆったりとした速度で歩いてくる。

 エースとエースの視線がぶつかった。

 

(……!!)

 首の後ろをビリビリと電流が流れる初めての感覚、鴉雀無声――――音までも消えた。

 チームと約一ヶ月前に契約して、この大会がプロとしての初めての試合だった。

 だが正直な感想は――――拍子抜け、だった。今までどれだけ頑張ってもベスト16止まり、去年は本戦に出場できないまま終わったこのチームが自分が入っただけで決勝戦まで駒を進めた。

 どいつもこいつも自分より早くプロになったというだけで、最強争いをしていただけだ。

 それなのに自らを強者と勘違いし醜くイキっていたなんて、哀れすぎて冷めた笑いしか出ない。きっとこの大会で引退するプロも多いだろう。これだけ圧倒的な力で叩き潰してきてやったのだから。

 

(こいつ……)

 チームのメンバー含め、今まで出会った全てのプロと圧倒的に格が違うとひと目見ただけで分かってしまった。

 自分が、自分こそが最強だと思っている。負けることなんて有り得ないと心から思っている。

 Fooroのことはこの国でゲームをやる人間なら誰だって知っている。冬路と同い年で、冬路と同じくゲームしかなくて、冬路に兄がいるように双子の姉がいて。

 ここまで似通った人間がいるのだろうか。戦いだけが自己肯定の全てになり、平穏な人生をやめてしまった自分と同じ――――鬼。

 ほんの一瞬で世界の全てが元に戻り、耳にけたたましいベルの音が入ってきた。

 

 

 うるさい、やかましい。

 いつもの目覚ましと違うベルの音の出どころである携帯をようやく掴むことが出来た。

 

『冬路、やっと起きた? もう30分くらい前から何度もかけてるのに』

 

「……? ??」

 脳の機能が9割死んでいる状態でいきなり朝から女性の声を聞いて更に意識が異世界に行きそうになる。

 

『大丈夫? 本当に寝起き悪いんだね』

 

「ん……? あ!? 大学行かなきゃ!!」

 最大音量でも耳に入らずにガーガー寝ながら悪夢にうなされていたが、そんなことをしている場合ではない。

 今日から大学の講義がスタートするのだ。香南も同じようで、それを覚えていてわざわざ電話してくれたのだ。

 初っ端から寝坊する訳にもいくまい。

 

『二度寝しちゃダメだよ。頑張ってね』

 

「うん。ありがとう」

 まさしくいまもう一度布団に入ろうとしていたのを見抜いているかのように戒めてから電話を切っていった。

 しばらくぼんやりしてようやく、この世界にいない人間というおまけ属性付きではあるが異性からのモーニングコールなんていうハッピーイベントが起きていたことに気が付いた。

 

 

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 密かに今日の初講義が心配だった。

 勉強についていけるのか、というのももちろんあるが、思い切りすぎて髪を真っ白に染めてしまったことだ。

 頑張ってイキってみたはいいものの中身までは変えられない。

 目立ってしまってヤバい奴らに絡まれたら裸で土下座するしかないと思っていたのだが。

 

(なんだこの大学)

 確かにヤバい奴らはいる。渋谷だからそういう輩みたいなのもいるだろう。

 そう思っていたのだが、その想像を超えて教室はヤバイやつだらけだった。

 一般に想像するヤバい大学生、つまり度を超えてチャラいとか頭が悪すぎてキーキーと猿のように騒ぐことしか能がない、だったらまだマシだったかもしれない。

 

(こいつらマジで先月まで学生服着てたの? 嘘でしょ)

 髪の色が白なんて地味な方だった。パレットに頭突っ込んだかのようにカラフルな髪をしている者もいれば、背中しか見えていないのにうなじからド派手なタトゥーが覗いている生徒もいるし、いま入ってきた白衣の女なんか何故かロッカーを背負っている。

 右隣のオタクはノートパソコンを三台同時にいじくって何やら変態チックな絵を描いている。

 授業開始20分前にもう席に着いているのは真面目でよろしいが、どいつもこいつもぶっ飛びにぶっ飛んでいて過多な情報量に頭を抱えるしか無かった。

 

「暇ならさ」

 

「うわっ!」

 オタクが喋った! と叫びそうになるのを抑えて隣の変態になんとか愛想笑いで対応する。

 

「このゲームやってみてほしいな。名前は?」

 

「え? あ……秋葉冬路……」

 チャーシューの擬人化みたいな人物が指した画面には『The Brave never die』とタイトルが表示され、その下にドットで描かれた勇者らしき人物が剣を構えている。

 仮にもプロゲーマーなのにこんなゲーム全く知らない。

 

「ゲーム得意? 難易度調整の参考にさせてよ」

 

「……君が作ったの?」

 

「作画俺、プログラム俺、作曲俺、システム構築俺、総監督俺! 時田覇道の最高傑作だ!」

 

(覇道……)

 チェックシャツに脂ぎった髪、汚れた眼鏡といっそ清々しいほどにステレオタイプのオタクに覇道なんて名前を付けるとは。

 もしもタイムマシンが開発されたら真っ先に時田の両親にその名前はやめろと言いに行くだろう。

 

「まぁまずはやってみて」

 

「はぁ……」

 とりあえずイージーモードを選択すると簡単な説明が表示された。

 左から自動的に歩いてくる勇者を姫の囚われた魔王城までゴールさせればクリアとなるらしいが、ゴールまでにポイントを使い切らなければいけないらしい。

 ポイントはモンスターや罠を生成することで消費することが出来る。

 

「なるほど」

 これは主人公に艱難辛苦を与えつつも最後はクリアしてもらうことを目的とした製作者視点のゲームだ。変わった発想だが面白い。

 試しにいくつかモンスターを配置すると、勇者が頑張って倒してモンスターのポイントがそのまま経験値となり勇者のレベルがアップしていく。

 

(これで勇者を強くしなきゃいけないのか)

 突撃兵は50,000ポイント中5ポイントしか消費しない代わりに10体出そうが勇者はすぐに蹴散らしてしまう。

 逆に大魔王は5,000ポイントもあるが現在のステータス比較表を見るに簡単に勇者など捻り潰すだろう。

 

「おっ……罠。こう使うのか」

 

「そう! そうやって使うんだよ!」

 罠は勇者が乗り越えたところでポイントにならない。ただし、魔王軍側のモンスターも平等に罠の効果を受ける。

 その代わり罠でモンスターが倒れてもそれはそれで勇者の経験値にはならないが。

 

「おっぱい……?」

 ゴブリンはマイナス300ポイントと表示されているのにわざわざ一番右固定で表示されている『おっぱい』というアイコンにはプラス500ポイントと表示されている。

 怖いもの見たさでクリックしたら――――なんとせっかく0に近づけていた数字が500ポイント増えてしまった。

 

「おおぃ! なんだそりゃ!」

 

「姫様のおっぱいが大きくなるんだ!」

 

「なんでだよ!」

 

「エッチだから! エッチッチッチッチ!」

 

(どうすんだよこいつ……)

 確かに魔王城から手を振っている姫の胸がこころなしか大きくなった気がする。これはおそらくやりこみ要素だろう。

 エッチッチなんて笑い声は流石に親が泣くぞ、と思ったがもうたくさん泣かせているだろう。

 なんて考えている間に無事勇者はお姫様を救出した。

 

「どう? アプリにしたら売れそう?」

 

「ああ……携帯で出すの? 売れると思うよ。いい出来だ。ベリーハード行ってみるか」

 製作者の頭の飛び具合は別として目立ったバグもなく、一回5分程度で終わる気軽さ・面白さに加えてやりこみ要素まである。

 有料で出すにしろ、広告付きの無料で出すにしろかなり売れるだろう。とはいえ、やはりプロフェッショナルとして最上級の難易度は試さずにはいられない。

 

「いやー……無理だと思うよ。製作者がクリアできないんだから」

 

(…………)

 お前らと一緒にするな、と思いながら強めにエンターキーを叩く。

 イージーだと50,000ポイントでマップも平坦だったのに、今回は10,0000ポイントもある上に最初からマップに罠が設置されている。

 おまけに勇者の初期ステータスも激弱な上にAIも弱体化されている気がするし、魔王城手前はこれでもかと言うほどの罠とステージギミックで溢れている。だがそれでも。

 

(なめんなよ)

 製作者――――時田の意図が読める。

 それなら全てのモンスターを罠でハメ殺せばいいじゃないか、と思うだろうがその逆だ。

 なるべくモンスターを罠で殺さないようにして、勇者の経験値にしなければならない。レベルアップ時に勇者の体力が全回復するというのが攻略の鍵だろう。

 とはいえ、たとえレベルマックスでもこの勇者では四天王にすら勝てないので罠を有効活用してギリギリまでモンスターたちの体力を減らして勇者にぶつける。

 シミュレーターだと思いきや反射神経が問われる意外なまでのアクションだ。

 

(おっぱい連打したれ!)

 まさか自分の人生でそんなことを思う日が来るなんて思わなかったが、誇りに懸けて自分はおっぱいを限界まで連打しなければならない。

 そして最後の大魔王が大穴に落下する直前に勇者の剣がヒットし、勇者はレベルアップし鬼畜ギミックを乗り越えもはや頭よりもおっぱいが大きくなったお姫様を救出した。

 

「一発で! ベリーハードをクリアした!! しかもJカップ!!」

 

「当たり前だ。俺を誰だと思ってんだ」

 

「ジェェエエエエエエイ!!」

 幼い日にその世界に触れてから。

 この世のありとあらゆるゲームにおいて絶対的な才能を発揮した。

 それがシューティングだろうとアクションだろうとレーシングだろうと、近所のゲームセンターで全てのゲームのランキング1位は自分だった。

 他の全ては平均以下のダメ人間だが、その世界においては自分は世界の中心だった。やがてはスコアより誰よりも強くあることを求め、その渇望は更に大きくなりチームで戦うゲームに収束した。 

 たった一人の力で多人数をも格付ける世界へと。そんな自分が今更おっぱいを大きくするだけのゲームに苦しむはずがない。

 

「一人で作ったのか。信じらんねぇ、スゴイな」

 

「いやいや。俺よりも彩瀬くんの方がスゴイと思う」

 極太ウィンナーのような指で示した一つ前の席にはいつの間にか男子生徒が席について本を読んでいた。

 自分の話題を出されていると気が付いたのか、ゆっくりとこちらを向いた。

 

(なんだこいつ!)

 伸び切った癖髪で七三分けにしたらこうなるのだろう、右眼が完全に隠れてしまっている。

 鷹のような右眼の周りにはエジプト展なんかで見られるホルスの目のメイクが施されている。

 だが驚いたのはそこではない。彼が読んでいる本は冬路がまるで見たことのない言語で書かれていることに驚いたのだ。

 読めない、ではなく知らない言語の本を読んでいる人間なんて奇妙としか言いようがない。

 

「これが気になるのか?」

 

「いや……まぁ、うん」

 冷たい印象とは裏腹に、説明したそうな雰囲気がそこはかとなく出ていたのでとりあえず頷いておく。

 正直なところ全く興味がないのに。

 

「俺が書いた。だから俺しか読めない」

 

「へ?」

 自分で書いた、まではいいだろう。そういうやつも世界にはいるだろう。

 だが読めないとはどういうことなのだろうか。

 

「例えばいま大戦争が起きて人類が滅びるとするだろ」

 

(ヤバこいつ)

 時田とは別ベクトルで危ない人間だった。

 初対面の人間にこんなことを話してドン引きされないわけがない。

 

「言葉ってのは文化なんだ。文化の違いは戦争の原因の一つだ」

 

「なに言ってんだ」

 

「人類が滅んで100万年後に新たな知性を持つ生命体が生まれたとして、みんながこの言語を使えばいい」

 

「…………?」

 

「誰も話さない完成された言語を俺が作った。これはいつか世界を平和にするための鍵の一つになるんだ」

 

「……そうですか…………」

 世界から戦争が消えないのは文化が違うから。

 文化が違うのは言葉が違うから。だから新たな模倣となる言語を作ってみんながそれを話せばいいと言っている。

 滅茶苦茶言っているが、それはそれとして新たな言語体系を一人で作り上げたのならばそれは天才なのだろう。

 

「あとは俺の作った言語をどうやって100万年先まで残すか……岩にでも彫るか」

 

「そ、そうだな。それがいいんじゃないかな」

 

「……。まぁ、確かに俺のやっていることは今は、いや、将来も役に立つかは分からん。それよりも宍戸の作っているものの方が余程役に――――」

 

『ナンデヤネンッ!』

 

「うわぁッ!!」

 左隣から金属をぶっ叩く音と共に機械的な音声のツッコミがいきなり飛んできて冬路は椅子から転げ落ちかけた。

 先程ロッカーを背負って教室に入ってきた絶対に関わりたくない女が左に座っていた。

 

「そう! 見せたくてしょうがなかったの!! ていうか今の面白かったかなー」

 多分美人なんだろうが顔が煤けすぎていてよく分からない。

 まさかこの格好でロッカー背負って渋谷の街を歩いていたのだろうか。

 よく通報されなかったものだ。

 

『ハイドーモ―! ハイドーモ―!』

 

「なんだこりゃ」

 ロッカーから取り出されたのは人型の機械(ただし上半身のみ)だった。

 頭部には床屋の練習用に使われるようなヘッドマネキンが取り付けられており、無表情で口をパクパクさせて話しているのが不気味で仕方ない。

 こんなものを目の前の机に置かれてしまい、冬路はもう家に帰って寝てしまいたかった。

 

「まだちょっと調整中なんだけどね、彼がいれば一人で漫才出来るんだよ」

 

「…………」

 

「私の家はね、そりゃもう明るい家でね。死んだじいちゃんの遺影まで明るいんだよ。明るすぎて思い切り笑顔でピースしてるかんね」

 冬路は何も反応していないのに目の前で勝手に何やら始め出した上に全く面白くない。

 時田も彩瀬もピクリとも笑っていないのによくこの空気に耐えられるものだ。

 

「遺影がイェーイ! なんつって!」

 

『ナンデヤネンッ!』

 

「痛いっ!!」

 金属製の手の平が思い切り宍戸の顔に叩き込まれて本当に椅子から転げ落ちてしまった。

 身体をはってギャグをしてくれているのに誰も笑っていない。

 

「な、すごいだろ」

 

「お、おう」

 ツッコミの角度がおかしいとかブツブツ言いながら全自動ツッコミマシーンの調整をしている宍戸を横目に彩瀬が小さく声をかけてくる。

 全くもって面白くない。だがそれは彼女のセンスの問題だ。そんなことよりも人の会話の面白い面黒いを判断出来るシステムを構築していることのほうがよほど頭がおかしいと思う。

 完成すれば感情の持った機械と同等の物が出来あがってしまうことに彼女は気が付いているのだろうか。

 

「ちなみにこのポンコツは下ネタが大好きなんだ、秋葉くん」

 

「へ?」

 

「セ―ックス!!」

 

『ナンデヤネンッ!!』

 常識の壊れたオタクが突然下ネタを叫んだ瞬間、強烈なツッコミが時田のパソコンにクリーンヒットし明らかな破壊音と共に吹っ飛んでいった。

 

「あーっ!! あーっ!! 課題が!!」

 

「うっわ、マジごめん」

 宍戸は謝っているものの、こうなると分かっていてやった時田の方が悪いだろう。

 それよりもいま、気になることを口にしていた。

 

「課題?」

 

「あれ? あ、そうか。君みたいなかっこいい人、新入生歓迎会にいなかったもんね」

 

「……? ……!?」

 新入生歓迎会なんて面倒で行かなかった。どうやら彼らはそこで仲良くなりうまく情報交換をしていたようだ。

 それよりもまた容姿を褒められてウサギサイズの心臓が跳ね上がる。完璧人間の兄の真似をしているだけなのだが、中身はともかく顔の形や背格好は似ている兄弟だ。

 どうやら自分は本当に兄と同じく見た目が優れているらしい。これならなんとかこれからも現実世界でやっていけそうだ。

 

「上着インするのって東京の流行り? 変わっているんだね」

 

「あっ、いけね!」

 とはいえどれだけ変わろうとしても所詮付け焼き刃。そうそううまくは行かないようで、折角店員に勧められて買ったモード系のパーカーを何故かズボンに入れてしまっていた。しかも片側だけ出ているのがダサさに拍車をかけている。

 

「確かに秋葉くんはかっこいい……しかもJカップに出来る……タダモノではない」

 

「Jカップはいいから! 課題って何?」

 

「有名だけどね。まず自分の特別を示すものを提出しろって」

 

「がっ! 忘れてた!!」

 確かにそんなことがシラバスに書いてあったような気がする。

 渋谷雄翼大学。まだこの大学が出来てから30年も経っていないが、既に世界にその名を轟かす名門大学となっている。

 

 この大学に入学する条件は唯一つ。特別であること。

 入学する条件、という表現もある意味間違っている。大学が特別だと認めた高校生のみが入学できるのだ。

 他と隔絶した特殊な才能を持つ子供の元にある日突然入学案内が送られ、それが無ければたとえ全国一位の学力を持っていようがインターハイの常連だろうが受験資格すらもない。

 逆に入学案内が送られてきた生徒はそれだけで入学が出来る。おまけに授業料も無料と来ている。

 大会で負けて以来、ただぼんやりとしていた冬路の元に入学案内が来たのは無論、そのゲームの才能故だろう。

 このままではただのタダ飯ぐらいのプー太郎になってしまうため、言い訳づくりの為に入学した。

 だが本来はそんなことのために入っていい場所ではない。日本中の天才児達が憧れている大学であり、定員は一学年60人しかいない。

 いまこの教室には特別中の特別の18歳達が集まっているのだ。

 

「明後日締切なのは分かっているのか」

 

「あさあさあさ明後日!!?」

 課題の評価により取れる授業が決まる。 

 評価が悪かったり未提出ならば容赦なく留年が確定してしまう。

 なんとなく入った大学で最初からクライマックスだ。今日も今日とて自分はダメダメだった。

 

『授業を始めよう』

 ザリザリとした音声が教室中のスピーカーから響き、それなりに騒がしかった教室が波が引くように静かになる。

 何かを引きずるような音が教室の外から聞こえ、扉が開いた。

 

(あれが教授!?)

 今からゴビ砂漠でも渡る気なのか、茶色いマントを羽織り顔にターバンを巻いてゴーグルをしており、素肌が一切見えない。

 喉には変声機と思わしき機械が装着されており、どうやらあれが教室のスピーカーと接続されているようだ。 

 一人異世界旅行終盤のように何かが大量搭載された橇を引きずっており、変人奇人だらけの生徒たちも教授の異様な出で立ちに圧倒されていた。

 

「喜多見教授……」

 

「きょっ、教!? 教授なの!?」

 

「知らないの? すごい有名な人だよ。天才技術者の喜多見謳歌」

 ややポンコツ気味とはいえ既にそこらの企業そこのけのロボットを作った宍戸が言うくらいなのだから凄いのだろうが、ゲーマーそれのみの自分にはただの変人にしか見えない。

 

「あれに教わるのかよ……」

 

『そこ。うるさい』

 

(なんで聞こえんだよ!!)

 陰キャらしくかなり後ろの方に座っているのに。 

 とはいえそこで最後列に座る勇気もないのが真の陰キャたる所以なのだ。

 

『東京大学は名門だが、東京なんとか大学みたいに……都市の名前と大学の間に何か入ると急に大学のレベルが落ち込むことが多いな。渋谷雄翼大学なんて如何にも頭が悪そうな名前だ。そう思わんか?』

 

「いや! いやいやいや! 思わないです!」

 そんな多方面を敵に回す発言を初めての授業でいきなり出来るわけがない。

 変な大学ではあるが、大学ランキングでは東大をも上回る名門だからこそ教授もこんなことを言えるのだろう。

 兄も東大生だったが、自分がここに入ったことに何を思うだろう。なんて今はあまり関係のないことを考えていたら何やら前の席から手袋とサングラスが回ってきた。

 

(なんだこりゃ)

 ただの手袋、ゴーグルではないことは重さや見た目からよく分かる。

 前から順に生徒が身に着け始めたのでとりあえず装着してみるが、今の所変わったところはない。

 

『なんだ、けっこう余分に持ってきたのにほとんど残らなかったな。まぁいい。入学祝いだ、やるよ』

 

(いらねぇ、なにこれ)

 と、思っていたらあることに気が付く。

 レンズがよく見ると液晶なのだ。更に観察するとサングラスに充電口と思われる部分もある。

 よく分からないが何かしらの電子機器らしい。

 

『そこのお前、四年後のお前は何をしている?』

 

「えっ、俺ですか? まぁ、こういう大学でこういう授業を受けているんだから……GAFAのどっかとか、でかいIT企業で働けていたらなーって」

 指されたのは教室の中でも割と普通の見た目をした生徒だった。返ってきた答えも割と普通だ。

 喜多見は不満気に息を吐いた。

 

『……馴染もうとしている。それで満足か? 金持ちになって世界中で遊び散らかしたり。女を侍らしたりしたくはないか? ふふっ。そんなことを言う勇気はないか。まだ入学して間もないもんな』

 見た目通り、いや、見た目以上に変人だった。

 オリエンテーションとはいえ、そもそもが何をしたいのかが分からない。

 授業料無料とはいえこれが本当に大学でやっていい授業なのだろうか。

 

『だが世界は……こんなもんだ』

 喜多見が腕を振るといきなり教室が高層ビルの中にあるようなテナントオフィスになった。

 急に出現した場違いな自分を周囲のサラリーマンは気にすることもなく集中して働いている。

 10秒ほどしてようやくそれがサングラスを通してみているARの世界なのだと気が付いた。手袋を通してデスクやPCに触れる感覚まである。

 全く興味がなかったので知らなかったが、天才技術者である喜多見の持っている技術とはもしかしてこれらに関連するものなのだろうか。

 

『日本人のほとんどがこれを数十年繰り返す。ただ生きていく。幸せだが平凡な人生をな。そうして……この国は腐った。そこのお前。パラリンピックは偉大か?』

 どうも自分のせいでその周辺が目をつけられたようだ。時田が急に指されて贅肉を驚きに震わせた。

 もう授業が始まっているのにまだおっぱいの調整をしている根性だけは褒めたい。

 

「偉大だと思います」

 

『理由は?』

 

「例えば戦時中なら、腕の使えない若い男は働くことも出来ず、兵士にもなれず、非国民と謗られたけど。そういった人たちにも適切な活躍の場が作られてそういった人たちもスーパースターになれる。だから偉大だと思うんです。ただ不便な人生を送るだけだった人たちも輝けるから」

 

『ふん。優等生だな』

 

(うぉおおおお時田すげぇえええ覇道すげぇええええ)

 ただの気持ち悪いオタクだと思っていたのに(間違ってはいないが)、完璧な受け答えによる物凄いギャップが一気に尊敬の念を湧き上がらせる。

 案外社会に出て成功するのはこういうタイプなのかもしれない。

 

『そうだ。世界は変わったんだ。彼らが彼らとして活躍できる世界。歩けないという現実を知っているからこそ、義足で走る選手の限界を想像するからこそ、その限界に挑む姿に私たち健常者は奮い立たされる。限界を超える時、人は感動する』

 

(…………?)

 なんの話がしたいのか、というのもそうだが義足だどうのだという話はなんとなく自分の身近にあった気がする。

 だが一体どこでの話だったのかはよく思い出せない。

 

『バスケの選手が全く後ろを見ずに味方にパスをしたら盛り上がるだろ? なんでだ?』

 

「えと、見てないから、ですよね」

 生徒の全部が全部、受け答えまで完璧とは限らないらしい。

 見た目はともかくとして、先頭で聞いていた生徒はしどろもどろに答えていた。

 

『……。限界を超えるときなんだ。私たちは後ろが見えない。人間が、後頭部にも目がある生き物ならそんなパス誰も感動しない。後ろを見えないということを知っているから感動するんだ。…………話が逸れた。時代は流れて、人々の活躍する場というのは広がっている。…………彼を見ろ。知っている者、手をあげろ』

 

「……?」

 液晶越しの風景が変わる。どこか大きなスタジアムの一席に冬路はいた。

 中央には左右に置かれた複数台のPCと、トロフィーを掲げる白人がいる。

 冬路にとっても馴染み深いesportsの大会のようだ。冬路が出場したのは簡単に言えば日本一を決める大会だったが、これはその比ではない。

 会場にいる人々や、ステージにいる多国籍と思える選手たちを見るに世界クラスの大会だろう。

 サングラスを外して教室を見渡すと結構な人数が手を挙げていた。

 

『結構いるな。彼の名前はkyle、見ての通りesportsの選手だ。恐らくは世界一有名な選手だろう。年収は170万ドル、そこに大会で稼いだ賞金も加わるから行くときは300万ドルになるかもな。この中で170万ドルを一年に生み出すようになる人間は何人いるかな』

 

「え?」

 間抜けな声を上げてしまい教室にやたらと響き宍戸に脇を小突かれた。

 ほんの数ヶ月しか活動していないとはいえ、ジャンルが違うとはいえ、仮にもプロゲーマーの自分が世界一有名と言われている選手を知らないなんて。

 

『彼は元々脚が悪く、杖無しでは歩けない。また、ADHDであり、人と話しているときに突然手を叩き出したりする――――いわば社会不適合者だな。当然、幼少期は虐められ、引きこもることになった。ゲームにのめり込むのは当然のことだった』

 

「…………」

 とはいえの繰り返しだが、少なくとも高校までの退屈な授業よりもずっと響く内容だ。

 配布された装置のおかげもあってか、冬路の人生の中でも五本指に入るほどに集中できていた。

 

『彼はゲームの世界ではヒーローだった。現実ではいじめられ、無視されていた彼は空想の世界ではヒーローだったんだ。そしてCode of Euphoriaに出会う。のし上がり、強豪チームのInsomniaにスカウトされた彼は今ではチームの絶対的エースだ。esportsなんてものが無かったら彼は今でも引きこもりだっただろう。彼がヒーローになれる世界にこの星はなったんだ』

 

(まるで俺の話を聞いているみたいだ)

 勉強も運動もできず、性格は暗めで、それと対称的にパーフェクトな兄がいて。

 逃避のようにゲームにのめり込んでいた。その世界での冬路は誰よりも強いヒーローだったから。

 ただのゲーム、だったはずがその強さはいつの間にか現実にまで影響を及ぼし始めたのだ。

 富も名声も生み出すように。

 

『その世界を作ったのは技術の進歩なんだ。ここに選ばれたお前らはどいつもこいつも普通には生きていけないような変人ばかり。その代わりに無敵の個性を持っている。存分に使え。世界に馴染むな、馴染もうとするな。お前らを受け入れない世界の方が悪い。自分がいるべき場所へと、世界を変えろ。四年間でその力をお前たちにつけてやる』

 

(……めちゃくちゃ言いやがる)

 今日知り合った三人は規模の違いはあれど、上手く育てばそうするだけの人材に育つであろう。

 一方の自分は――――ゲームが上手い。だけ。しかもプロデビューしてすぐにボコられて半引退状態と来ている。

 恐らくはこの教室で一番の劣等生――――というのはもう小学校の頃からずっと変わっていない。

 

『もっとも……四年で済めばいいがな。提出は明後日まで、忘れるなよ』

 不穏極まる言葉を残して最初の講義は終了した。

 まだ他の講義はない。課題を提出してその評価次第であり、本格的な講義はまだまだ先だ。

 そんじゃあまた明日、と冬路の周りに座っていた濃い連中が教室を出ていく。

 サングラスを外してスイッチを切ると液晶が透明になりただのメガネになった。

 

(あれ? あの教授……)

 時間を確かめようと携帯を開いたら『月映しの世界の中で』のアプリが起動しっぱなしだった。

 確かに、登校中にGPS機能をONにして他にやっている人はいるのかなと探していた。人の多い渋谷なので何人かはいたが、声をかけることは出来なかった。

 だが今、この教室に自分以外にプレイしている人間がいる。あの教授だ。

 生徒から質問を受けている喜多見のいる位置に『オウカ』と名前の表示されているキャラが立っている。二頭身にデフォルメされるともはやミイラ男にしか見えないグラフィックだが。

 しかし、特別を集めたと言いながらもかなり技術特化の生徒が多く見うけられる中で自分と喜多見しかプレイしている人間がいないというのも不思議だ。100万DL達成しているフリーゲームなのだが。

 

「……他にもいそうなもんだけどな」

 

「それ、GPS機能切っていたら他の人に分かんないよ」

 

「え?」

 講義開始の十秒前まで誰もいなかったはずの最後列にそいつはいた。

 

(誰だ)

 知り合いみたいに声をかけてくるそいつを、どこかで見た気がする。

 特に、折りたたんだノートパソコンの上に気怠げに頭を乗せている少女のこの髪の色に見覚えがある。

 コーンロウにされた左サイドは青く、毛先は燃えるように赤く、それらが混じり合っているかのようにそれ以外は紫の雷の色をしている。

 世の中を斜めから見ている垂れ目にサイズの大きすぎるダボダボの服、全てが反社会的に見えるのに右の目元と左の口元にある小さなほくろが美しい容姿として完成させている。

 

(……会ったことあるっけ)

 高校までまともな友達も一人もいなかった草食系を超えてもはや草の自分にこんなパンキッシュな知り合いがいるはずがないのだ。

 だとしたらどうしてこんなにデジャブを感じるのだろう。

 

「みんないなくなってしまったね。昼食一緒にどうだい、秋葉くん」

 

「俺さ、君に会ったことある? なんで名前知っているの?」

 

「さっきの連中が言ってた」

 ノートパソコンは枕じゃないぞ、と言いそうになるくらい顔を上げない。朝に髪をセットして化粧するだけで精神力を使い切ってしまったのだろうか。

 またこんな変なやつが出現する。今までの人生の中で間違いなく一番濃いコミュニティに入ってしまった。

 

「はぁ……。名前は?」

 

「はづき」

 

「葉月ね……。食堂あるんだっけ。行こうか」

 

「そうしよう」

 しかしこの大学は人との距離の取り方が滅茶苦茶なヤツが多すぎる。

 普通いまこの瞬間に名前を紹介した相手と食事に行くだろうか。自分が陰気な性格であることを差し引いてもおかしい気がする。

 

「……?」

 この教室は教壇から見て半円状に階段があり、一段ごとに生徒用の机があるというよくある構造をしている。

 生徒も教授もお互いに相手がよく見える仕組みだ。その構造上、荷物が多い生徒は普通は前に座る。ロッカーを背負っていたのに後方に座った宍戸は頭が少しおかしいのだ。

 その急でもなんでもない段差を葉月は机に手を置いて一段ずつ慎重に降りていた。

 

「……! ほら」

 なぜ普段は10世代前のコンピューターよりもオンボロポンコツの自分が、この時はすぐに答えに辿り着いたのか分からなかったが自然と手を差し出していた。

 

「……察しが良いタイプには見えないけどね」

 

「人の親切は――――……?」

 素直に受け取れ、と言う前に葉月が冬路の手を取りその感触にある種の懐かしさを感じた。

 やはり自分はこの少女とどこかで出会っているような気がする。

 まず自分の人生の中で名前を覚えている人物が少ない。学校にいる間はずっと己のプレイングの課題をノートに書いて無い頭絞って考え、終われば即陰キャダッシュで家に帰るというルーチーンを小中高繰り返してきた。

 幼稚園の頃なんかそもそも記憶にほぼ無い。仲が良かった女の子なんかいない。昼寝の時間に小便を漏らして途中で帰ったことしか覚えていない。

 葉月、一体どこでこの少女と会ったことがあるのだろう――――

 

 

「君のこと、どこかで見たことある」

 

「ぶッ!!」

 無料の麦茶の氷を机の上に並べて行儀悪くカーリングの真似事をしていた葉月も冬路の頭の中にあった言葉を口にした。

 だがそれが冬路の思っていた言葉と背景が違うと気が付きカツカレーを噴き出す。

 

「もしかして有名な人?」

 

「違う、違う違う!」

 プロチームのスカウトを受けて、正式にユニフォームを貰ってあの大会に出るまで約一ヶ月だった。

 つまり一ヶ月しかプロとしての活動をしていないし、大会は一つしか出ていない。

 だがその大会が問題なのだ。日本一のチームを決める、年に一度の日本最大の大会。

 インターネットの配信だけで百数十万人の視聴者がいた。そして視聴層の大半がesportsに興味がある若年層だ。

 この大学に冬路の顔を知っている人間がいたって全然不思議じゃない。しかもチームの華であるアタッカーとして決勝戦に出場していたのだから。

 

「……そうか。まぁ、ここにいる奴らはみんな大なり小なり有名人だからな」

 その言葉通りに考えれば、自分の方が何かしらの天才である葉月をどこかで見て覚えていたという理屈でもおかしくない。

 パソコンを手にしていることから考えるにプログラマーや技術者寄りの才媛と言ったところか。

 

「えーと。葉月は何をしている人なの」

 

「量子力学」

 

「は……あ、はい」

 量子だの力学だの、まず中学の時点で理科が2だった自分に分かるはずがない。

 講義開始前に話しかけてきてくれた三人はそう考えるとバカチンの自分にも分かりやすいことをやってくれていたのだな、と感心する。

 

「そうだな、それを考えると難しいんだろうな」

 

「なにが」

 

「課題の提出があるんだろ……。喜多見教授は天才だが、量子の分野の専門家ではない。バラバラの天才たちが集められた訳だが、専門外の人間にも理解できるような成果を提出しろって言っているんだ」 

 

(どうしよ)

 実家に戻れば準優勝の銀盾があるが、トロフィーや賞状なんてここの生徒全員分集めれば教室が埋まってしまうだろう。

 そういうことではない。自分が特別であることを示すもの、特別足らしめているものを提出しなければならないのだ。

 

「君は何者なのさ」

 

「ひ……秘密……」

 

「本当にここの学生?」

 

「なんだそりゃ。ほら!」

 パスケースに入っていた学生証を見せる。

 昔は自分の格好になんの頓着もなかったが、多少なりとも着飾ることを覚えた今になって見ると酷い写真だ。

 分厚いドデカメガネにそれが隠れるくらいにボサボサの髪。おまけに制服のボタンをかけ違えている。

 さきほどからずっと脳みその代わりにしゃぼん玉が入っているような眠たい動きをしていた葉月が学生証を見て目を見開いた。

 

「こんなに変わったのか」

 

「…………」

 

「物凄い大学デビューだな。え?」

 

「そりゃ……どうも」

 

「でも良くないな。多少かっこよくなったところで」

 

「なんで」

 

「ここはそういうところ? 普通の大学ならそれでいいんだろう、素晴らしいことなんだろうが……」 

 

(……正しいな)

 勢い余って床に落としてしまった氷を拾おうとする葉月より前に拾い上げながら周りを見る。

 一般開放されている食堂なので老若男女沢山の人間がいるが、ここの生徒の人間はなんとなく見て分かる。洒落ているにしろダサいにしろ、あるいは容姿が優れているにしろ劣っているにしろ何かが変なのだ。

 だが彼らは特別だからこそ元々変なのだ。あれが自然体であり、自分のように無理していない。

 容姿を褒められてもなんとなくそこまで嬉しくなかった理由をこんな変な女に気付かされるなんて。

 

「さてと……今日は忙しくなる。また明日な、秋葉くん」

 食器は片付けておくからいい、とジェスチャーすると葉月はノートパソコンと多少の荷物しか入っていないであろう荷物を重そうに持って片足を引きずりながら行ってしまった。

 400円にしては美味すぎると言ってもいいカツカレーは冷めてしまい、結局冬路もその五分後には食堂を出ていた。

 だとしたら分かれ道までは葉月の荷物を持ってあげても良かったかもしれない。

 

 

********************************

 

 

 昼間はいつも薄ぼんやりとしているのに夜は冴え渡っている人間なんて山ほどいる。

 単純に生きる世界が違うんだろう。昼には昼の、夜には夜のヒーローがいる。

 昼に生きる者達は、勉強や運動や、あるいは学校や社会で存分に活躍すればよかった。

 夜の者達はただ影になって生きるしか無かった――――今までは。社会は変遷し、技術が変化をもたらし世界は変わった。

 ただ眠ることしか出来なかった世界に生きる者達が光り輝く世界になったのだ。

 

「謎解きゲームじゃなかったのか!!」

 登下校で歩き回っているうちにレベルアップをしたのはいい。

 だが謎解きゲームであるはずなのにとうとう手から火球を吐き出してしまった。

 おまけに視界が全て真っ赤に染まり家屋に火が着くほどの威力だ。

 月明かりに照らされる世界が地獄になった。いつもこのゲームをやるのは夜だから夜の場面しか知らないな、と関係のない感想が浮かぶ。

 

「見て、これ! このチャーム付ければ私もっとスキル連発できるよ」

 

「はぁー……」

 倒した敵から手に入れたアイテムの性能を見て香南は喜んでいるが、もう全然ジャンルが違うじゃないか。

 レベルを上げて敵を倒してよいアイテムを手に入れより強い敵を倒しに行く。ハックアンドスラッシュだ。

 これはこれで面白いから別に構わないと言えば構わないのだが……。

 

「あれ、なんか体力減っていく……」

 

「手! 手に火がついてる!!」

 自分の手に目を向けて驚く。どのゲームでも手から火球を出して自分がダメージを負うキャラなんかいないだろう。

 キャラのビルドを間違えたのだろうか。ゲームの中までやや抜けているなんて、ここまでリアルにしなくてもいいのに。

 

「でもほら、もうヒールできる」

 

(……!)

 手を握られたのはあくまでゲームの中の話なのに、その感触が伝わってきて驚く。

 今日の講義で貰ったARの装置はもしかしたら使えるのではないかと思ったら案の定このゲームでも使えた。

 攻撃する感覚や手を握られる感触が手袋を通して伝わってくるのだ。

 というか、こんなものが手に入るのだったら高いVRヘッドセットなど買わなければよかった。

 

「君に触れることすらも出来る……のに、なんでこの世界に香南はいないんだろう」

 回復を完全に終えた香南が眉をしかめる。ゲームの中なのに。

 中身の声に合わせて口を動かす技術はあるとはいえ、これはどういう技術なんだろう。

 少なくとも無料ゲームの作者が持っていていいレベルではない。

 

「普段から思っていたんだけどさ……画面の向こう側って……」

 

「?」

 近場のコンビニに入り商品を物色しながら話を続ける。

 この買い物一つとっても相当におかしい。普通のゲームならレジの人間に話しかけて商品を買うだけなのに、このゲームではわざわざ商品棚から選んでレジまで持っていかなければならない。

 

「私達がインターネットを通してやり取りをしている人もそう、ゲームの向こう側で話している人もそう。本当にこの世界にいるのかなって時々思う」

 

「何を言っているんだ」

 

「でも実際に冬路はこの世界にいなかった」

 

「…………」

 待ち合わせ場所が悪かったのかと、近場のコンビニや牛丼屋の前、果ては109前など待ち合わせ場所を変えても香南には会えなかった。

 それどころかスマホのアプリの中では一緒に移動をしていたくらいだ。自分たちは同じ世界にいない、と結論づけるしかなかった。

 

「この世界にあるものは何一つとして観測するまではその実在性を確認出来ない……こうやって話している人でさえ」

 

「…………香南ってさ」

 

「なに?」

 

「頭いいよね。多分ものすごく」

 ものすごく頭がいい、なんて如何にも頭が悪そうな表現しか出来ない低脳っぷりが嫌になる。

 出会ったときからふとした瞬間に香南はゲーム馬鹿の冬路には理解できない知性を発揮する場面が多々あった。

 

「うん。そうだけど」

 称賛を素直に受け止めけろっとしているのも冬路と真逆の性質を感じる。

 今日一日で頭の良い人間に出会いすぎたな、と思う。

 

「あのさ、量子力学ってなに?」

 

「……。何十年前だっけ、二重スリット実験っていうのがあって――――」

 

「ごめん! 俺、勉強苦手なんだ。力学だっけか、それも水兵リーベとかしか分からん」

 

「それは化学だよ。……うーん、まぁそれが分かるなら……。この世界は小さな粒で出来ているのは分かる?」

 

「分子だっけ……あ、いや原子だっけ」

 中学の頃、理科の時間にアンモニアを手で扇がずに直に嗅いで意識が飛びかけてから物理化学など大嫌いだ。

 まさか今更こんなことを聞くなんて思ってもいなかった。

 

「全部さ、漢字の『子』がついているよね。分子や原子よりも小さい粒も含めるのが量子。で、原子や分子なんていうのは熱を与えれば運動が激しくなるとか、そういう法則が昔から分かっていたんだけど量子はそれまでの常識が通じなかった。だから量子を分析する量子力学っていうのが出来たの」

 

「へー……」

 ドのつくバカチンでも分かるように教えてくれているのがよく分かる。

 葉月はあんな見た目をしながらそんなことを專門に学んでいるのか。

 

「冬路も気になったから調べてくれたの?」

 

「??」

 歩いているうちにハチ公前に来ていた。処理に限界があるからなのか、現実の渋谷の夜と違ってほとんど人が歩いていないしドブの臭いもせず、ゆっくりと座れる。

 こう言ってはなんだが、自分も馬鹿のくせに渋谷を馬鹿の街だと思っていた。それなのに馬鹿が馬鹿の街で勉学の話をしているなんて。ゲームの中とはいえ。

 

「私の世界と冬路の世界を並行世界だと思ったんじゃないの? だから量子力学なんて言い出したのかと思った」

 

「いや……大学のヤツが言ってて……」

 

「……けっこう頭のいいところなの?」

 

「いや……うーん。どっちかって言うとアホが多いかなぁ」

 量子力学とやらが並行世界とやらと関係があるとは知らなかった。

 どっちも今までの人生で全く関わってこなかった言葉だ。

 

「まぁ、並行世界なんて飛んだ考えするよりも、このゲームについてちゃんと考えた方が早いかもね」

 

(……まだ会おうとしてくれるんだ)

 女の子に関心を持たれるなんていつ以来だろう。

 中学の頃、クラスメートの委員長はいかにも優等生な美人で少し香南に似ていた。

 自分のようなロッカーの奥の雑巾よりも存在感の無かった自分にも声をかけてくれる優しい子だった。

 だが、自分に出来る限りの丁寧な接し方よりも、同じクラスにいるどこぞの運動部のお洒落野郎に雑に扱われる方が嬉しそうでどこか心が傷んだ。

 より一層、ゲームにのめり込むようになった。

 

「そもそもこのゲーム、面白いけど目的がわからないね。相変わらずメインクエストはAugustusを探せだし」

 

「謎解きか……」

 こんなジャンルのゲームをやるのは久しぶりだ。

 すぐに終わってしまうからだ。ゲームをやりすぎた冬路に備わったある意味特殊な能力が原因だ。それがどんなジャンルであれ、製作者の意図が読めてしまうのだ。

 ホラーゲームならここで驚いてほしい。脱出ゲームならここのトリックを見抜いてほしい。リズムゲームならここでこのコンボを決めてほしいなど、自然と頭に流れ込んでくる。

 そんな弩級ゲーム脳になってしまった自分には謎解きゲームなんて簡単すぎる。以前にやった登場人物の中から殺人鬼を見抜くゲームなど見た瞬間に分かってしまった。

 

(このゲームの製作者の意図……)

 なんとなく香南のステータスを見ながら考える。レベル0のスキルに『マスターキー』と書かれている。3回だけ、どんな鍵も開くらしい。手から火を出せるようになったいまはもう地味な能力に思えてしまう。

 そういえばこのゲームは名字が表示されない。昼間の教授も下の名前だけだったか。何故上の名前は表示させないのだろう。わざわざ入力させたのに――――と考えていたら友達のいない冬路の携帯が震えた。

 

「あ。アップデー……え?」

 

「いきなりアプデ? ……え!?」

 スマホを見た時に悍ましい感覚が背筋を駆け抜けた。

 異常な量の通知に書いてあるのは、東京、埼玉、神奈川――――と読んでいる間にも続き最新の通知はオクラホマ州や広東省なんて地名まで入っている。

 そのうちの一つを適当に選んで開くと『新マップ 宮崎を追加しました』と書いてある。

 この密度で渋谷を再現しているだけでも有り得ないと考えていたのに、全世界が飲み込まれた。

 

「ホームページ、ホームページ見よう!」

 

「あ、ああ……」

 ホームページと言っているが、実際は違う。

 フリーゲームのアップロードサイトにそれぞれの作品のページがあり、そこに作品の説明やアップデート記録、ダウンロード数などがあるだけだ。

 

「本当にアップデートされている……」

 

「……。うぉおお!?」

 ホラーゲームは結構やる。そもそもホラーというジャンルそのものが結構好きだからだ。

 だが、この恐怖は――――リアル・フィクションを含めて人生の中で最大級だった。

 サイトの下部に表示されているリアルタイムのダウンロード数が数千桁まで膨れ上がっており、まばたきをしている間に桁数が増えていく。

 数ではなく、桁数が。今まで味わったことのない感覚に金縛りにあっているうちに、サイトそのものが過剰な情報量のせいで落ちてしまった。

 

「…………」

 

「…………」

 二人共絶句している。ゲームの中ならまだ『中々怖いゲームだった』で終わるが、このゲームから何かが現実に染み出してきている。

 せめてこの体験をしたのが二人で良かった。一人だったら恐怖のあまり頭がおかしくなっていたかもしれない。

 

「ま……また明日ね。起こしてあげるから」

 

「う、あ……ありがとう」

 なんだか嬉しいことを言ってくれたのも耳に入ってこないくらいに放心している。

 ホラーゲームの中では例え難易度ナイトメアだろうが最適解の動きが出来る自分だが、実際にこういう目に遭うと固まって動けないのが現実だ。

 

(製作者の意図だと……)

 何考えてんだこの作者、としか思えない。

 完成された作品はどんな難易度であれ、クリアに導くような作りをしている。

 この作品の導きは――――

 

「アウグストゥスって呼んでたけど……オーガスタスって読み方もあるのか」

 Augustusで検索すると、ローマの皇帝の名前以外にも読み方は色々あるらしい。

 アメリカによくある名前――――

 

「名前……?」

 わざわざ名字を隠すシステム、携帯のアプリによるGPS機能を使った人との人との交信機能。

 思うに、作者は現実世界での繋がりを目的としている。だから執拗なまでに徹底的にゲーム内で現実の世界を作り込んでいるのだ。

 

「……リストなんかあったのか。…………!!」

 アプリの中にすれ違ったユーザー名のリストがある。それ自体はこういったアプリ、というよりもゲームならあって当然の機能だ。なんならまだケータイが二つ折りだった時代からそんなゲームはあった。

 問題は、すれ違った人間――――『香南』『オウカ』と知った名前の中に『Augustus』がいることだった。点と点でしか無かった製作者の意図が線で繋がった。

 

「製作者を探すゲームかよ」

 今日、自分は渋谷のどこかで製作者とすれ違った。

 このゲームが一体なんなのか、何が起きているのか知りたいなら見つけてみろ――――今までクリアしてきたゲームのように、製作者の声が冬路の頭の中に響いていた。

 

 

 

***************************

 

 ランク1、No.1、#1。

 オンラインゲームにおいて誰もが憧れる称号だ。

 生まれも育ちも関係なく、東西南北強さだけが全ての人間が競い合う。

 不可能の壁を何度も超えて、薄皮を一枚ずつ重ねる日々を積み、16歳の秋に冬路はそこに到達した。

 何がクリアなのかが不明瞭なオンラインゲームにおいて、明確に一つの天辺に辿り着いたというのに、それでも何故か冬路はまた戦いの世界に身を投じていた。

 

「……?」

 96冊目になった研究ノートを読みながら試合検索をかけていたら、コメント欄が異様に騒がしい。

 このゲーム、Flawless Anthemを半年前に始め、2ヶ月前に配信を始めた。人気を得たかった、というよりも他人目線からの自分のプレイングの感想が欲しかったからだ。

 だが強いとはいえ特に面白いことも言わず、手元とゲーム画面しか映らない冬路の配信は100人が見ればいいほうだ。

 ましてや試合も始まっていないのにコメントが流れることなど無いというのに。

 

『フーロおるがw』

『プロ三人いますよ』

『心折れる相手しかいねえ』

 

「フーロ……」

 いつのまにかマッチしていたようで、敵にFooroがいる。

 他にもFooroのチームメイトであるDisrespectと国内二位のチームのアタッカー、fjordまでいる。

 全員二桁ランカーなのに対し、こちらに1000位以内の者は自分しかいない。平均レートが一致するように対戦が組まれているのだから、ランク1の自分がいるならそうなるだろう。

 意外にも、プロがランク1にいる時間は多くはない。

 特にチーム戦がメインのオンラインゲームにおいては、レートシステムが採用されている場合がほとんどであり、上に行けば行くほど勝ってもレートはほとんど増えず負ければガタ落ちする。

 おまけにしばらくプレイしなくてもレートは自動的に下がっていく。プロとは言い換えれば仕事だ。一人で長々とマッチングを待ってやっているほど暇ではない。大会の練習、スクリム、スポンサーからの仕事などもあり、その点においてはゲーム内の順位と実際の強さは少しだけ乖離している。

 ランク1にいるのは有名な配信者や一線を退いたプロの場合が多い。

 だがそれでも、その称号は誰もが憧れる。現役のプロでも到達すれば大喜びしてSNSで報告をする。

 

「面白いじゃんか」

 ある年の甲子園大会がいかにハイレベルでも、突然大リーガーが参戦することはない。

 歴史の長いスポーツであればあるほど、はっきりと区分されており、テレビの企画でもない限りプロとアマは交わらない。

 だがゲームの世界では有り得る。ただのド素人と頂点が天災のようにいきなりぶつかり合うこともあるのだ。

 これは明確に他のスポーツよりも面白いポイントだろう。プロとの距離感が家にいながら分かるのだ。

 思えばこの日、初めて冬路は思ったのかもしれない。

 

 プロになりたい、と。

 

 

「負け……かよ」

 25分にも渡る激戦の果て、僅差で敗北し冬路のランク1はたった一日で消えて無くなってしまった。

 

「これがフーロか」

 他のプロも強かったが、特に負けてはいなかった。

 やはりFooroの動きが別格で、第1ラウンドでスナイパー合戦に勝ったものの、その後スナイパーが苦手とするアタッカーで押し込まれた。

 

(こいつが同い年……)

 冬路の同世代の中じゃもはやそこらの芸能人よりも有名な日本最強の子供。

 世界最速と一部では呼ばれるその動きはもう人間の反射神経を超えていた。

 負けに浸っている場合ではなかった。急いでノートを取り出し試合のリプレイを再生する。

 

「だから……ガーディアンか」

 年齢制限に引っかかるため日本から出ず、海外から遠征してくるチームを返り討ちする。

 気がつけばFooroは日本の誇りを守るガーディアンと呼ばれていた―――というのが世間に出回っている話だ。

 だが違う。日本を守るからガーディアンではなかった。試合のリプレイを見ると分かる。

 徹底して味方を守る動きをしているからガーディアンなのだ。とは言っても利他主義から来ている動きではないだろう。

 他の獲物を狙っている敵こそ一番狩りやすいのは冬路にもよく分かる。よりクリーンな勝利を求めるうちに自然とこの動きになっていったのだろう。味方を守れば結局は勝てるのだから。

 殺し殺され最後に自分一人立って勝てばいい、という自分の考えと真逆の考えの持ち主だ。きっとコミュニケーション能力も高いのだろう。

 

「こいつ草食動物なんか? シマウマみたいに目ン玉顔の横についてんじゃないの」

 問題は味方を狙っている敵、敵に狙われている味方を一瞬で把握する視野の広さだ。

 常に敵味方の位置を把握しているかのような動きは人間味を感じさせなかった。

 

「…………」

 敵を殺し切るのか、味方を守り切るのか。

 この際どちらが正しいのかはどうでもいい。自分は今日負けた。

 普段は好き放題言っているコメント欄がドンマイだの相手が悪かっただのGG一色だ。ああすればこうすればとコメント欄が騒ぐ時は彼らが希望を持っているときだ。

 だがこれはただのランクマッチ。プロが一番強いのは当然プロ対プロのときだ。

 

(戦いたい)

 ランク1になってもまだこのゲームをやっていたのはこのためだったのだと、今なら言葉にして言える。

 まだ先があるというのなら見たい。プロになって戦いたい。見ている人間が絶望を感じるほどの差は無かったように思う。勝てる感触はたしかにあった。

 

「次は勝つ……!」

 マイクにも届かないほど小さく呟き、冬路のみが見抜いたFooroの弱点を綴ったノートを乱暴に閉じた。

 この日以降、調べれば調べるほどにFooroの強さの根源が冬路の中に染み込んでいき、気が付けば冬路もまたFooroのファンの一人になってしまっていた。

 

 

 

 

 

「ああああある!!」

 ベッドから跳ね起きた冬路は足首をベッドの端にぶつけて転げ回った。

 大会で負けてからというものの打率100%でFooro絡みの悪夢を見る。おかげで毎晩寝不足で、夜は眠れないし朝は起きれない。

 だが初めて悪夢が役に立った。痛みも無視して押入れに駆け寄る。

 

「あるぞ、俺の特別」

 押し入れから引っ張り出したダンボールには7歳から書き続け100冊を越えたゲームの研究ノートがあった。

 この小さな積み重ねがかつての冬路の天ほど高い自信を作り上げた。元々あった天賦の才にこれでもかとばかりに重ねた努力の結晶。

 小さい頃に書いたものなど涙が滲んで汚すぎて読めないものもある。この頃はゲームセンターで地元のゲーム自慢に負けることもあったし、不良中学生にカツアゲされたりもした。

 それでもやめなかったのだ。自分にはこれしかなかったから。

 

「……こんなゲームやったことあるっけ」

 今までやった全てのゲームのことが書いてあるはずだが、パラパラとページを開くとどうも記憶に無いゲームもある。

 一年間全く開かなかっただけでこんなに忘れてしまうものだろうか。それにしても何故自分はこれを持ってきていながらオンラインゲーム用のまともな機材の一つも実家から持ってこなかったのだろうか。

 これ以上無い特別の証、自分を表すのにこれ以外のものなどない。

 

 日本人口が一億人だとして、1億分の2に至った才能なのだ。

 これをS評価せずして何を評価するのだろう。

 と、思ったのに。

 

「C評価……俺の人生……」

 課題を提出してから2週間。教授陣を総動員した評価期間がようやく終わったらしい。

 返ってきた評価は最低一歩手前のCであり、講義を選ぶのではなく取れる講義を全て取って単位を貰わないと進級できない。

 

「どうしたんだい!!」

 

「いてぇっっ!!」

 固く冷たい何かで頭をどつかれ勢いで机に頭をぶつける。

 半ギレで頭を上げると活火山も即鎮火するほど冷静を呼ぶ光景が目の前にあった。

 

「見て! 身体と合わせて動くようにしたの! これで一人で漫才できる!」

 体中に何やら怪しいシールを付けた宍戸の隣でSFゲームの最初の方で敵として出てくるような弱そうなロボットが宍戸と同じ動きをしている。

 なんでやねん、と何にツッコんでいるのかよく分からない宍戸と同時にロボットも時田を殴っている。

 人間と全く同じ動きを出来るロボットなら、災害時の人命救助にも大いに役に立つだろう。しかし、これは。

 

「どっちもツッコミにならねぇ……?」

 

「!! ……! 業界初、二人共ツッコミのコンビ……!」

 気持ちの切り替えが早いのはいいことだが、なぜこの女は才能を微妙に違う方向で活かしてしまうのだろう。

 それを修正するのがこの大学なのだろうが。

 

「ていうか秋葉くん、靴下がバラだね」

 

「へ? あっ!!」

 指摘されたとおり、靴下が互い違いになっている。

 しかも似た種類の靴下ではなく、赤の靴下と黒の靴下を間違えているではないか。

 

「明日も別々のやつ履かなきゃ……」

 

「うわっ、秋葉くんすごいド天然! 私と組まない?」

 

「く、組まねえ」

 

「でもこれじゃまたBって言われそうかなぁ」

 

「俺もBだった……」

 

「だ怖っ! いたのかよ!!」 

 隣の席に気配も無く彩瀬がいた。

 時田もだが、講義開始前にはいなかったのにいつの間にかそばにいるあたり、こんな孤独上等みたいな見た目をしていながら割と寂しがり屋なのかもしれない。

 

「翻訳文付けなかったからか……」

 

「そらそうだろ! 誰も読めねえんだから! むしろBって優しいよ!!」

 

「ふっ」

 

「何がおかしい」

 宍戸ロボにぶん殴られてもめげずにエロい絵をドットで打ち込んでいた時田が鼻で嗤った。

 見た目だけで言えば逆の人物が取る行動のように思えるのに。

 

「俺はSだ。でもあの先生はドMと見たね」

 再び、今度は意図的に時田は宍戸ロボに殴られた。

 まぁ講義中にも必死に18禁のあれそれを作っていたから多少はぶん殴られた方がいいと思う。

 

「時田は明らかにこの大学向きの才能だからな」

 

「ま、そうなんだよね~。才能がどうしても出ちゃうよね~~~~人を勃起させる才能がね~~~~」

 

「それはそれとして、秋葉くんは? どうだったの?」

 S評価はこの教室で3人だと講師は言っていたから相当に凄いはずなのに軽く宍戸は流してしまった。

 

「……C…………です」

 クラス最下位の学力は今までの人生で慣れっことはいえ、大学に入ってもそうだとは。

 隠してもいずれ馬鹿はばれるので俯きながら答える。

 

「C! なかなか見ないよそれ。単位一個も落とせないじゃん。何を出したの?」

 

「なんだかんだいいつつもここの教授は大抵B以上を出すと言われている。希望がなければDを出すからな」

 

「とんでもなく特殊じゃないと出ないってね。Sと……俺と同じくらいスゴイぜ、さすがJカップ」

 

「Jはいいんだよ! Cなんだよ俺ァ!」

 

「いいからいいから! 何者か教えてよ!」

 

(……あれ?)

 なんだこの馬鹿、と言われると思ったのに。

 全員この人馬鹿なんですよという結果をそのまま受け止めてそのままに興味を持ってくれている。

 自分も相当に変だが、彼らも極まって変だからだ。

 

(ていうか……友達が出来ている?)

 今までの人生で一人もまともな友達が出来なかったのは誰ともほとんど喋らず即帰宅していた自分にも原因があるが、それ以上にドアホで変人の自分をからかってくる奴ばかりだったからだ。

 だがこの空間ではそんなことが起こらない。みんながみんな変人だから。自分も変でいていいのだという気分になってくる。

 

 とは言うものの。『アプリの売上でエッチなゲーム買いに行くぞォォォ』と150デシベルで叫びながら教室を飛び出していった時田に着いていくほどの勇気は無く、冬路は一人でトボトボと食堂に向かった。

 全然性格も違うのに彩瀬と宍戸も着いていったのがちょっぴり羨ましかった。宍戸に至ってはロッカーを背負いながら走っていった。

 

 

「シン、だろ。君」

 

「ぶボッ!!」

 あいつら走って秋葉原まで行ったんかな、と平穏な気持ちできつねうどんを食べていたら唐突に過去が背中から声をかけてきて両方の鼻から麺が出た。

 

「こんなに変わるもんかね。え?」

 最初に大学に来た日に一緒に食事をしてから毎日なんとなく顔を合わせている葉月だった。

 今日だって直帰して家でカップ麺を食べたりせずに食堂に来た理由も、葉月がいるからだろう、と思っていたのに。

 

「てめぇ……」

 

「プロデビューして一ヶ月で日本で『二番目』のアタッカーにまで駆け上がった天才」

 

「はっ、はぇぁ」

 二番目、を強調して言われ変な汗と変な声が出てしまい後ろを通り過ぎた老婆に遠回りで避けられた。

 両手を挙げて雑魚キャラそのものの動きで逃げようと席を立った瞬間に首根っこ捕まえられて再び席に戻された。脚が不自由なくせに妙に力の強い女だ。

 

「まったくいい試合だったよな。な!」

 

「あう、あぅ」

 昼飯の時間なのにホットケーキにアイスクリームを乗せてミルクとシュガーをたっぷり入れたコーヒーを口にしながら楽しそうに冬路を責めてくる。

 机に頬をくっつけてだるそうにフォークで口に物を運ぶ葉月を見ていると、ゲームをしながら食事をする冬路でも行儀よくしろと言いたくなる。

 

「でも最後は君のせいで負けた」

 

「ハァ!!?」

 驚いたのは敗北を自分のせいにされたことではない。

 敗北の原因が冬路のミスにあることを見抜いていることに驚いているのだ。

 たった数瞬の油断、しかも敵を一人殺しているその数秒をミスと言い切れる人間は少ない。

 プロが個人視点でスロー再生をしてようやく気づくかどうかというレベルなのに。

 

「なんだその面白い顔」

 

「……驚いた。好きなんだな、ゲームが」

 垂れ目を細めて髪をかきあげる――――と文字に起こせば葉月は妖艶そのものだがそのすべての行動を丸い食堂の机に全体重預けながらやっているのだから締まらない。

 

「ああ、好きさ。だからね」

 

「だからなんだよ」

 

「君みたいな自分勝手なプレイをしてプロを名乗るタコは好かないね」

 

「野郎!!」

 負けたとして、日本で二位になった才能と努力をこんな何も知らない女に馬鹿にされて怒らないはずがない。

 胸ぐらを掴みあげてもぶん殴らなかったのはぎりぎりのところで理性が働いたからだ。

 

「変な女に言い負かされて怒られるのが仕事です。楽でいいなぁ、プロゲーマーって! ゲームやっているだけでお金になるなんてぇ!!」

 

「こんの――――!!」

 

「もう君のプレイは見れないの?」

 

「!!」

 普段の人を舐めた態度からはあまりにも遠い、真剣な言葉、真っ直ぐな眼差し。

 よく見なければ分からないミスを見抜いたということは即ち、冬路のプレイをそれだけよく見ていたということ。

 冬路が高校生だった時、同時に高校生だった葉月もこの国のどこかで見てくれていたのだ。

 どうして自分は、きっと数少ない自分を真剣に応援してくれていた少女の胸ぐらを掴んでいるのだろうか。

 ゆっくりと気遣いながら椅子に座らせる。ふと気付くと随分と周りの人の興味を集めてしまっていた。

 

「……あの……。ごめん。金出すから、他のとこでメシにしないか」

 

「ふふっ。いいよ」

 プロとしての活動が短すぎたこともあるが、自分を応援してくれる存在がいたことなど考えたことなど無かった。

 思い出してみれば、決勝戦の時にも観客席に少ないながらも自分の名前が書かれたプレートを掲げた変わり者もいた気がする。

 記憶に残っていなかったのは、冬路が自分のためだけに戦っていたからだ。俺が最強、俺が最強、と。自分勝手と言われても仕方がない。

 流石渋谷、食事を出来るところなどいくらでもあったが葉月は甘いものを食べたがっていたのでこの辺りでは珍しい甘露茶屋に入ることにした。

 

「……」

 

「ほら、古い店だから仕方ねえ」

 手すりもない階段の前で固まる葉月を見て察する。こんなゴテゴテのパンク少女が入り口で突っ立っていたら営業妨害だろう。

 やはりどこかで触れた覚えのある手を取り、階段を一段ずつゆっくりと上らせる。ブーツとスカートの隙間から義足らしきものが見えたが、それについて何か言うつもりは無かった。

 

「怒るってことはさ、まだ……」

 本気で胸ぐらを掴んだため、複雑な構造をした肩紐がずれてブラまで見えてしまっていたのを直しながら葉月は呟いた。

 熱い渋茶を飲みながら黙り込む。お前に何が分かる、と怒ったはいいがその怒りの根源はやはり落ちても腐ってもまだ主張し続けるプライドにあるのだろう。

 一方でプライドが高いからこそ一回の敗北をどこまでも引きずってしまう。

 

「ゲームはもうやってないの?」

 

「……ない」

 

「あんなに死ぬほどやっていたのに?」

 

「ない。機材もほとんど実家に置いてきた」

 

「ゲームだけは誰にも負けないって言っていたのに?」

 

「……。え?」

 説得にかかっているかのような熱い双眸は青かった。カラコンがよく似合っているな、とどこか関係のない感想が浮かぶ。

 それよりも、いま葉月の口にした言葉が気にかかった。

 

「俺、インタビューなんか受けてないのに……なんで知っている?」

 

「さぁ……」

 

(……。配信見てたの?)

 プロとして何かを公式に話したことは一度もない。

 それなのに、冬路の情報を知っているということは、プロになる前にやっていた配信を見ていたということになる。

 日本人が1億人もいて、登録者数300人しかいなかったのにこんな偶然があるなんて。

 というよりも、どうせそんな沢山の人が見ているわけじゃないしと思って来ていた質問には全部正直に答えていたし、中には現実の知り合いには言いたくないようなこともあった。

 見てたのか、と聞き出す勇気もなく黙っていると葉月の頼んだ白玉あんみつが来てようやく流れが変わってくれた。

 

「食べたい?」

 

「いや、俺は……」

 

「甘いもの好きじゃないもんね」

 

「…………」

 好物は、と配信中に聞かれてレバーとか苦いのが好き、と答えた記憶がある。

 その時に苦手なのは甘いものとも言った。なんだか変な気分だ。自分の配信を見ていた人間と実際に会うのはプロ以外では初めてだから。

 

「じゃあゲームでやっているのはあれだけなんだ」

 

「まぁ……今はな」

 

「どこまで進んだ?」

 

「どこまでって……全体のボリュームもわからんのに……。あっ、そうだ」

 せっかく香南から量子力学とやらの触りを教えてもらったのだ。

 この際その分野を專門にしている葉月にいま自分たちの間に起こっていることを詳しく聞くのもいいだろう、と説明を始めた。

 

「なるほど。面白い現象だ。それを別世界の人物だと結論づけるのがもっと面白いが」

 

「だって何をしても会えなかったからな」

 結構な量の白玉あんみつをぺろりと食べた葉月は珍しく姿勢を正して座って話を聞いている。

 

「出会い厨、時空を超える」

 

「……。真面目に訊いた俺が馬鹿だった」

 大きなため息が出る。この状況を賢いとはいえたかだか18歳の少女にどうにか出来るはずもない。

 十中八九からかわれて終わるだろうなと思ったがその通りの結果になってしまった。もう帰ろうと思い伝票を手にとった時、葉月に止められた。

 

「まぁ待ちなよ。その現象の原因は分からないが……顔を合わせるくらいなら出来るかもしれない」

 

「……? マジ?」

 

「……そうだな、勉強が苦手な君にも分かるように話すと……この世界は情報の塊の箱庭だ。一定容量が限界のシミュレーション空間と言ってもいいかもしれない」

 

「この世界はゲームってこと? よくある映画の設定じゃんか」

 

「……まぁそれでいい。ゲームバカの君なら分かるだろう。一箇所に過多に情報が集まりすぎるとどうなる?」

 

「重くなる」

 昔はスペックの低いPCを使っていたからよく分かる。

 爆発のエフェクトが集中して起こったり、敵味方アイテムオブジェクトが入り乱れると動作が非常に重くなるのだ。

 

「そう。ゲームの中でも処理を要する情報が多すぎると時間の流れが遅くなってしまうし、バグも発生する。そして機器の限界を超えたらいよいよもって動作は停止してしまう」

 

「中で……『も』?」

 

「そうだ。光の速度がこの世界で最高のもので、光の速度に近づけば近づくほど時間の流れは遅くなり、やがて光の速度となれば時間は止まる。それくらいは知っているだろ」

 

「うーん……?」

 知っているには知っているが、一体なんの話をしているのか分からない。

 教えを乞うている身でこんなことを言うのもなんだが、馬鹿だと分かっているなら馬鹿にもわかりやすく説明してもらいたい。

 

「つまりこの世界の限界は光の速度と定められているんだ。それ以上の速度、エネルギーを持ったものはこの世界では処理できない。ならばやはりこの世界は一つの大きな空間だと考えられる」

 

(人は見かけによらねえなぁ)

 もう既に理解を9割型放棄した冬路はこんなパンキッシュな見た目の少女が頭の痛くなるような理論をつらつらと述べている光景の摩訶不思議加減に浸っていた。

 

「分かっていないみたいね」

 

「ごめん、全然さっぱりだ」

 

「いいよ。英語以外ダメなのは知っている」

 冬路は英語が多少話せる。というのも、チームでの協力が必須のオンラインゲームをプレイする以上、英語でのコミュニケーションが必須だったので1から覚えたのだ。

 100冊以上ある研究ノートも40冊目あたりから英語で書かれており、更にそのうち半分くらいはその日聞いて分からなかった単語のメモとなっている。

 英語話者がよく言う、話せるようになりたければその国に行くのが一番早いというのはこういうことなのだろう。必要だから覚えるしかないのだ。

 

「今までの全部理解しなくていいよ。これを見な」

 

「?」

 葉月が取り出したタブレットに写っているのは電車の写真だった。

 なんの変哲もない普通の電車であり、冬路もよく使っている4番線の明急西横線の車両だ。

 

「ここの2時45分、大宮行きの6号車はいつも異常に混雑する。朝の通勤通学時間よりも混み合うんだ」

 

「なんで……? そんな混む時間でもないだろうに」

 

「その理由は誰も分からない。その車両に乗る人間の誰に訊いてもその車両に乗る明確な理由があるんだ。誰も気にしないが、気にしだしたらおかしいことなどこの世にはいくらでもある」

 

「で、それが何さ」

 

「そうだな……例えば、一箇所にエフェクトが溢れすぎた結果、PCが飛びかけて建物が一瞬透けたりなんて現象を見たことは?」

 

「ゲームならよくあるな。特にバトルロイヤルで最後まで50人くらい生き延びちゃった時とかさ、一箇所に手榴弾やらロケットやらがぶち込まれてそうなることはある」

 かといってそれで有利になることはあまりない。参加者全員等しくFPSが著しく低下しているし、壁の向こうの人間が見えたとしてもそこに弾丸を打ち込んでもしっかりと見えない壁に弾かれる。

 何よりも最初からそこに何人ものプレイヤーが集まっているからこそそんな現象が発生するのだから。

 

「この2時45分発の列車は途中で対向車線とすれ違う。ダイヤ的にあり得ないのに、だ」

 

「…………。情報が集まりすぎて壁の向こう側が見えているってやつか……!?」

 長々としていたよく分からない話がようやく繋がった。

 ゲームで起こる現象がこの世界でも起きているからそれを利用しようぜ、と言っているのだ。

 正直かなりオカルトめいているが、あの大学に認められるくらいの才能ならばこれくらい型破りでなくてはいけないのかもしれない。

 

「分かったならさっさとその子に――――」

 伝えろ、と葉月が言い終わる前にポケットの中の携帯が震えた。

 友達のいない自分の携帯に入る連絡なんて香南以外にはなく、そこには『明急西横線って使ったことある?』と書かれていた。

 

「面白いな。やはり君たちは何かの理由で繋がっているんだ」

 

「かっ、香南も同じタイミングで……?」

 

「遠い遠いところ……宇宙の端と端どころではなく、別の世界を結び付けた。そこにあるのは必然のみなのかもしれない……」

 

「なにをワケの分からんこと言ってんだっ」

 

「さぁ、さっさと連絡して渋谷駅に向かおう」

 

 会計を終え、渋谷駅に向かいながら冬路は必然性について考えていた。

 何をしても上手く行かなかった人生だ。完璧人間の兄の影に隠れ、コミュニケーション・勉強・運動の全てがそれこそDランクだった自分は親から怒られることも半ば諦められ、このまま大人になればニートかフリーターだろうと思われていたし自分でも思っていた。

 それなのに、プロになろうという意志があることを配信で話してからわずか2週間で自分はスカウトされてプロになっていた。

 今まで川の流れに逆らっていたかのような人生だったのに、運命の流れに従えば実に伸びやかに人生は進んでいった。

 だが川の流れの先にあるのは所詮淡水魚の身では知ることのなかった広い海であり、川の中でいくら強く大きくとも海には想像もつかないほどに巨大な生物がいる。

 運命や必然と呼ばれるそれは不良品の自分にいったい何を求めているのだろう。

 

「大丈夫か、ほら。俺も香南も分かっているんだからわざわざ着いてこなくても……」

 ただでさえ人の多い渋谷駅の改札まで辿り着くのは脚が不自由な葉月には大変だったようで、エスカレーターから降りようとする今でさえも身勝手な人々に翻弄されて転びかけていた。

 

「見てみたいじゃないか。この目で……」

 

「無駄足にならないといいな」

 

「駅は嫌いだ。だからわざわざこの辺に住処を移したのに……」

 

「……元々東京住みだったの?」

 今の言葉の感覚的に、実家は通学圏内だったと言っているように聞こえる。

 だとしたら東京で行われた去年の大会も実際に見に来ていたのかもしれない。

 

「いいから乗るぞ! 開閉扉の直ぐ側を確保しろよ」

 

「ぐぇっ」

 葉月に押されていたのもあるが、それ以上に異常な密集度の人々に押しこまれて車両の中程まで押し込まれる。

 

(うっ、くっせ!)

 恐らくは会社の重役クラスのデカいおっさんの咳を顔面にもろに受け止めてしまい一瞬この世界の全てが嫌になる。

 どうして身長187cmの自分の顔めがけて臭い息が飛んでくるのだろう。一応葉月の手は握っているものの、おにぎりの具のように人々の中に完全に埋もれてしまっていた。

 

「おい、扉の方行くぞ!」

 

「いいから……行け。もう20秒しか無いぞ!」

 

「……!」

 この混雑の中で脚に障害を抱えた葉月の手を離すことは心苦しいが、鞄とコートの間から伸びている手が早く行け、とジェスチャーしている。

 15時前の電車が何故こんなに混むのか理解できない。だが周囲の人間は特に混み合わせようという意識を持って乗っているようには見えない。

 本当に各々が何かしらの理由を持ってこの電車に乗り、この混雑を作り出しているのだ。

 自分の目の前には息の臭いおっさんがいて、後ろには渋谷から移動しようとしている女子高生がいる。そして自分たちのように移動以外の意図で乗り込んでいる人間もいるのだ。

 この混雑の原因を解明しようとしたって出来ないだろう。

 

(でもこれでいいのか!)

 無理矢理に流れをかき分けてなんとか扉の目の前を確保する。

 エネルギーは質量と速度だと葉月が言っていた。それくらいなら物理で習ったような気がしなくもない。

 これ程のエネルギーを持った物同士がすれ違うなら確かに何かが起こってもおかしくないような気もする。

 

(え?)

 トンネルに入り暗くなったのも一瞬、進行方向からの光に線路が照らされる。

 ここまでは予定通りだからいい。だが、冬路の瞳に映る線路はすれ違うには遥かに離れている。

 それでは理屈が通らない。ぎりぎり二本の線路が通るくらいに狭いトンネルなのに、何故――――と思っている間に離れていた線路が近づいてくる。ようやく理解できてきた。この線路とあちらの線路は双曲線の軌道となっている。既に自分は別世界を目にして――――

 

(来た!)

 今の時代、乗車するほとんどの人間が携帯を見ているか音楽を聴いているか寝ているかだ。

 意識を向けなければ違和感に気が付くこともないだろう。いますれ違っている電車がこの世のものではないなんて。

 

(どこに……)

 この世のものではない電車なんておどろおどろしい言葉に似合わず、すれ違う電車に乗っている人々は至って普通だ。

 右から左へと目を動かしてなんとか窓の側にいる人間の表情まで分かるが、全員混雑している車両の中で憂鬱な表情を――――

 

「いた!」

 唐突に頓狂な声を上げた冬路を周囲の人間が『また変な奴がいるよ』と睨んでくるが、今更変な奴扱いなどもうどうでもいい。

 自分と同じように背中を滅茶苦茶に押され、それでも窓の外を見逃さないようにとガラスに手を付いて車両の外を見ていた女性と視線がぶつかる。

 ほんのり巻かれた黒く長い髪、あの日写真で見た深緑のコート、そして見間違えようもないややおっとりした性格に合わない吊り目と泣きぼくろ。

 だがプロになった目を持つ冬路をして、残像が瞼に焼き付くほどの時間も無く全ては消え去りトンネルを抜けてしまい、また普通の世界に戻ってきてしまった。

 

「ほら、気ぃつけよ」

 冬路と一番縁のない街、新宿に到着し押し入れの奥から布団を取り出すように葉月を引っ張り出す。

 葉月はこんな見た目だが、同類の自分には分かる。休日平日関わらずなるべく部屋に籠もっていたいタイプに違いない。

 

「はぁっ、地獄だ……。あの子か」

 

「見えたの?」

 

「ギリギリな。私に似ている子だね」

 

「どういう冗談だそりゃ」

 背丈は似ているかもしれないが、葉月も香南も平均身長くらいだし、思い切り風紀を正す側と乱す側だろう。

 何よりも目が違う。人を舐めきった垂れ目をしておいてなぜそんな言葉が出る。だが髪もボサボサになり服も乱れ、たった一駅乗っただけで疲れ切った様子の葉月にそれ以上ツッコむ気にもなれなかった。

 もう体力限界だろうなという冬路の見立ては間違っておらず、葉月はそのまま逆方向の電車に乗って帰っていった。今の今までムンバイそこのけの混雑度だったのが嘘みたいにスカスカの電車しか通らない。

 帰ったら連絡する、と香南から連絡も来たのでここで立っていても時間の無駄だが、ここまで来て何もしないのももったいないので売店で適当にコーヒーを買い、結局駅から出ないまま冬路も渋谷に帰った。

 

 

 

*****************************************

 

 

 

 プロのゲーマーになった後、兄だけは応援をしてくれた。

 父親は無関心、母親はずっと反対をしていた。それはそうだろう。兄が東大を出て省庁に務めるような人間になったのに弟は勉強も運動もできずゲームばかりの出来損ない。どうしたって比べてしまうだろう。

 

 

「あんたどうするの!? 勉強もしない、バイトもしない! かといってゲームだってもうやってない!」

 

「…………」

 母親のいつもの小言をガン無視決め込んでテレビを眺める。

 明かりすらもないステージの上でパソコンに向かい合ったプレイヤーが12人対戦のヘッドショットオンリースナイパーデスマッチに真剣な眼差しで挑んでいる様子が淡々と流れている。

 勝負が決し、エナジードリンクを飲んでパソコンの前から去っていくFooroの背中に今飲んでいた飲料の名前が書いてあるというシンプルなCMだ。

 これだけ見ても分かる。生まれ持ったスター性の違いというやつが。

 

「聞いているの!?」

 

「なぁ、やめてやれよ。日本一を決める戦いだったんだろ。落ち込むのはしょうがねえよ」

 

「…………」

 冬路とは逆に運動も勉強もでき、女にもよくモテる兄は人をいじめるのが大好きな典型的なイヤな奴だった。

 それも過去の話、就職してからは強気な性格こそ変わらないもののいつの間にか落ち着いた人格者になった。

 昔は自分に4の字固めを泣くまでしていたのに、今では母親に怒鳴られている冬路をかばってくれている。

 

「ほら、ご飯並べるの手伝って!」

 

「…………」

 部屋にいて準優勝の銀盾を見るのが嫌だったからリビングにいたのに20分くらいずっと怒鳴られていた。

 それを全部聴いていた父親は無関心に新聞を読んでいる。いつものように家族の分の皿と箸を並べた後、自分の分のおかずと米だけよそっておぼんに乗せて部屋を出ようとする。

 

「あんた、まだ一人でごはん食べるの!? どうして家族で食べようと思わないの!?」

 

「……。もうちょっとしたら勝手に出てくから……俺のことはほっといてくれ」

 

「なにそれ! ちょっと、待ちなさい、話を――――」

 リビングを出てから大きなため息をつく。母が自分に小言を言ってくるのはもう生まれてからずっとだ。褒められたことなんて今まであっただろうか。

 食事の乗せられたおぼんを持って階段を上がるのはもう10年近く続けている習慣だ。学校が終わった瞬間にダッシュで帰宅しゲームをやり込み、夕飯もリビングから自室に持っていってゲームをやっていた。

 なんて考えてみると小言程度で済んでいるならまだマシかも知れない。

 

「おい、ちょっと待て」

 

「なに」

 休日だというのに非常に珍しく遊びに行っていない兄に呼び止められる。

 たまには一緒に飯を食おうぜ、とかそんなところだろうか。

 

「まぁ気持ちは分かるよ。俺も全国で負けた時は悔しかった」

 上背だけなら冬路の方が5cmほど高いというのに、猫科動物のように伸びやかな運動神経を持つ兄は昔サッカーのインターハイに出場するようなフィジカルお化けだった。

 これで勉強も全国100番以内に入る成績だというのだから笑えてくる。全くもって自分と同じ血が流れている兄弟とは思えない――――が、実を言うとおかしいのは自分のほうだ。

 優秀な一族の落ちこぼれという表現がぴったりな冬路はゲームで誰よりも強くなるという夢さえも破れて両親からも厄介者扱いされている。

 

「だけど兄貴は勉強が出来た」

 

「まーな。しかも控えめに言ってもツラがいいから女にモテんだこれが」

 

「何が言いてえんだよ」

 

「大体何やっても一番だったしな」

 

「だから何が言いたいの」

 飯の乗ったおぼんを持って廊下に立っているということが分かっているのだろうか。

 相変わらず自惚れが強い。だが、実際に何をやらせても一番だったのは事実だから自惚れという表現は間違っているのかもしれない。

 

「けどな、俺は別にそこまで引きずらなかった。痛みを感じなかった。何でも一番って言ったって周りの人間の中での話だ。日本で一番になりたいとか世界の誰よりも上になんて考えたこともなかった。つーか普通の人間は考えないんだよ。お前はガキの頃から変わってたもんな」

 

「……?」

 

「見てて思ったよ。たった一つのことに死ぬほどのめり込んで、負ければ魂が燃え尽きたみたいになっちまって。こういう人間が世界で戦うんだって。本当に凄い戦いだった」

 

「えっ……?」

 確かに、いつからか兄は自分をいじめなくなったし、呼んでもいないのに大会に友達を連れて応援に来ていた。

 まさか自分はいま褒められているのか。

 

「凄いやつだよお前は。他の何が出来なくても、何か一つでてっぺんが取れればそれは何よりも価値のあることなんだよ」

 兄がこの前『俺はジェネラリストだから』と親と話していたのを聞いた。

 特定分野において技能を発揮するのではなく、幅広い範囲で知識経験を持つ人間のことを言うらしい。

 なるほど、小さい頃からあれもこれも満遍なく手を付けて最上級の成果を残してきた兄らしいではないか。

 

「俺はお前のことを誇りに思っている」

 

「……!」

 本当に心臓がひっくり返るほど驚いた。

 プロレス技をかけるような肉体的ないじめは流石に7,8年くらい前を最後に無くなったが、それ以降も事あるごとに味噌っかすで何も出来ない弟のことを馬鹿にし続けていたのに。

 自分のためだけに戦い続けてきたのに、そんな自分のことをあの兄が認めてくれているなんて心にも思わなかった。

 

「でもまぁ、まずは美容院に連れてってやるよ。浪人生ってか浮浪者みたいだぞお前」

 

「浪人生……?」

 ようやく兄の顔を見るために顔を上げるとそこには天井があった。

 人ゴミに疲れて家につくなりベッドに身体を投げ出したら夢まで見るほどに熟睡してしまったようだ。

 懐かしい記憶だ。その後兄に本当に美容院に連れられ変身したのだったか。見た目は兄と似ている自分は蛹もビックリの大変身を遂げた。それでも中身は変らずポンコツなのがタチが悪いが。

 枕元に置いてあった携帯がちょうどいいタイミングで鳴り出した。香南からの呼び出しだ。

 

『もしかして寝ていた?』

 

「うん、歩き疲れちゃって」

 

『それよりも! いた、いたよね!? あの頭白い人だよね!』

 

「うん。目があったのが俺だ」

 

『か……かっこよかった! なんで、ぜんぜんゲームの中と違う姿をしてるの』

 ゲームの中で得る勝利、より強き者との戦いが全てだった10年。

 強者からもぎ取る勝利以上の喜びを知らなかった冬路の中に、それと同等以上の感情の爆発が芽生えてくる。

 

(う、嬉しいっ!!)

 いつしか自分の存在価値を敵を叩き潰すことでしか感じれなくなり、気付けば人間をやめていた鬼は、より純度の高い鬼に破れ人間以下のなにかになってしまっていた。

 人間帰り。『意中の女の子に褒められる』という喜びが油の切れた行灯のようだった冬路の心に火を灯す。

 未来に名を残した科学者も、メダルをダース単位でかき集めたアスリートも、部屋に引きこもりゲームしかやってこなかった陰気な少年も等しく恋をする。

 今まで人生をかけて積み上げてきたモノの隣に女は気付けば座っている。

 生まれて初めてまともにコミュニケーションをとった異性は冬路の話すことを一つも否定することも無く、優しくおまけに好みど真ん中。

 ある意味生まれたてのひよこ以下の冬路に惚れるなという方が無理だった。会ったこともないのに、というネガティブな言葉も今日無くなってしまった。

 

「も、もう一度! 君に会いに行くから」

 

『そうそれ! 今日私はもう一つ凄いことに気がついたの! もしかしたら、もうすぐ作者を見つけられるかもしれない。また会えるかもしれない!』

 冬路よりも遥かに頭の回る香南はこんなに慌ただしかった今日ですらも謎を一つ解き明かしたようだ。

 だがそれよりも、それ以上にもう一度会うことを否定しなかった事実が冬路の心を踊らせた。

 

「気付いたって何に?」

 

『あのサイトのコメント欄やアップデート履歴にあるIDはIPアドレスから作られたものだって知っている?』

 

「まぁ……。あ!」

 なぜそんな簡単なことに気が付かなかったのだろう。

 いや、気が付かないのは当たり前だ。誰が作者のIPアドレスなど知りたいと思うのだろう。

 せいぜい荒らし対策をする管理人くらいだ。だが、大学や企業などは固有のIPアドレスを持っている。

 あれだけの量の作品を一人で作れるとは思えない。どこかで何かの集団により作成され、アップロードされたものだと考えるのが妥当だ。

 

『この間のアップデート、私の大学からアップロードされていた』

 

「学生が作者なのか……?」

 

『そうとは限らない。うちの教授の誰かかも……渋谷雄翼大学の』

 

「は?」

 そういえばAugusutusとすれ違った時間は、時刻的に大学にいる時だったとか、大学ならゲーム作成のサークルがあってもおかしくないとか。

 そんな考えが全部飛んだ。香南と自分は同じ大学に通っている?

 

『え?』

 

「俺も……そこの生徒」

 

『……嘘だよ。冬路勉強苦手って言ったじゃん』

 

「嘘じゃない。学生証を送ってもいい。だいたい勉強はそこまで関係ないはずだ」

 

『だって運動部の推薦とか無いんだよ。難しい試験通らないと入れないのに』

 渋谷雄翼大学、と確かに口にしたのに何かが冬路の述べていることと食い違う。

 あの大学には確かに頭の良いやつも多い。だがそれはおまけのようなもので、冬路のように○○以外なんの取り柄もありません、でもその○○だけは誰にも負けませんという人間だっている。

 何よりも入学試験などない。

 

「君の……渋谷雄翼大学ってどんな大学?」

 

『日本一の私立大学。早慶よりもずっと難しい』

 

「違う……」

 確かに渋谷雄翼大学は日本一の私立大学だろう。だが早慶やらMARCHやらそういう尺度にある大学ではなかったはずだ。

 

『なにが……?』

 

「俺の通っている渋谷雄翼大学は確固たる特別を持っている生徒だけが選ばれて入学案内が送られる。入学試験なんかない。特別な奴しかいないけど、全員勉強が出来るわけじゃない」

 

『特別……冬路は何が特別なの?』

 

「な……言えない。ごめん。でも、機械いじりの天才だとか、プログラミングの天才とか、そんなんばっかがいる」

 当然の疑問だった。特別な人しかいないと言えば、それなら君は何者なのだと問われるだろう。

 

『必然……何が私達を繋げたの? 冬路、出身は神奈川だって言ってたよね』

 

「うん」

 

『高校は?』

 あまり言いたくなかった。

 なにしろ冬路の通っていた高校は暴走族予備校と言われるほどに不良が集まる、日本から選びぬかれた馬鹿ばかりだったからだ。

 その中でも更に馬鹿だった自分は正しく選ばれし勉強嫌い。馬鹿のエリート――――だがいま隠しても仕方ないだろう。

 

「国際蒼嚥学園」

 何が国際だ、国際的な馬鹿ばっか集め腐って。名前書ければ赤点にならないテストを出して何がしたいんだ、とテストにほとんど名前しか書かずに卒業した冬路はよく思ったものだった。

 

『やっぱり……!』

 

「やっぱり?」

 

『私もその高校を出ている。私立共学の中だったら日本で三本指に入る偏差値の高い高校だった』

 

「違う違う、私立共学の中だったら日本で三本指に入る偏差値の低い高校だ」

 

『だとしたら……中学は? 小学校は?』

 

「敦基小、敦基中だよ」

 

『私もそこを出ている。私達は同じ年に同じ場所にいた……!』

 

「……!」

 基本的に頭の回転の鈍い冬路でもようやく香南が整理している事柄が理解できた。

 何が自分たちを繋げているのかを見つけようとしていたのだ。

 その後も話を進めれば幼稚園からも同じところを出ており、学校の有名人も共通で知っていた(冬路はあまり覚えていなかったので香南が名前を挙げてそういえばいたなと思い出した程度だったが)。

 住んでいた場所も、近所の駄菓子屋も全て同じ。だが劣等生の冬路は馬鹿のエリートコースを、優等生の香南は真っ当なエリートコースを進んでいた。それに合わせるようにして高校も大学も名前も場所も同じでもその中身を変えている。

 どこか遠い、宇宙の端よりも遠い自分と真逆でいるようで最も近い存在。このゲームがまるで磁石を近づけるように自分たちを引き合わせたのだ。

 

『こんなに似ているのに真逆の存在……』

 同質の真逆という矛盾した属性が冬路たちを次元を超えて繋げた。

 人間は誰しも世界に生きる77億の人間とは知り合いになることは出来ない。その一方で技術の進歩は遠く離れた人間同士を繋げることを可能にした。

 この世界の全ての人間の実在を肉眼で確認出来ない一方で、実際には会うこともない遠くの人間と繋がれる。誰もがインターネットによって交流を生み出しているこの時代。

 普通の人生を歩んだ人間でも今までネット上ですれ違った人間の数は数万はくだらないだろう。その中には、この世界に存在しない人間も当然のようにいるのかもしれない。

 

 

************************

 

 負けたら死のうと考えていた。勝てない自分に価値などないと思っていたからだ。

 だがそんな考えを持っていてもこの時代に、たかがゲームに負けただけで死にはしない。

 また明日も無能な日々が続いていく。それならば、戦国時代の生命の奪い合いのように負けたらその場で死んでしまえればよかったのに。

 

「ごめんなさい。俺のせいです」

 準優勝の銀盾と賞金を持って、冬路の所属するチーム、Another Oneはそのまま安い居酒屋に来ていた。

 他のメンバーは全員20歳を超えているがまだ17歳の冬路は当然酒を飲むことはできない。

 

「いや、お前は本当によくやったよ」

 

「デビューしてすぐにここまで戦えるやつは世界で探してもいないよ。天才だ」

 キャプテン含むメンバーが口々に慰めてくれる。

 相方DPSのRuinがそっとこちらに焼き鳥の皿を寄せてくれたが首を振って拒否する。

 ようやく涙は止まったが、歯を食いしばり過ぎたせいで奥歯の歯茎から出血してしまいとてもではないが何かを口に入れられる状態ではない。

 

「でも勝てなかった……」

 

「いいんだよ。次もっと強くなれば」

 Another Oneはスポンサーのいない弱小チームだった。

 所属しているメンバーもキャリアこそ長いものの、入賞記録のないメンバーばかりで、冬路の前でジョッキを呷っているキャプテンに至っては18歳から活動を始めてから10年目の今日になってようやく――――しかも日本二位の称号を得て実に満足気だった。

 賞金に関する法改正もあり、今回Another Oneが得た賞金は3000万円。6人しかおらず、監督もいないチームなので全員で割って一人350万円を手に入れた。

 中でもエースの冬路とキャプテンであり業界屈指の苦労人であるIcemanは450万を手にした。半分のメンバーが普段はアルバイトで食いつないでいるため、これは一年で得る収入よりも多い。

 だが裕福な家庭で育った冬路は金にはあまり頓着がなく、ただただとにかく最強の称号が欲しかった。

 

(みんななんの為に戦っているんだ? これでいいのかよ)

 勝利の余韻もほどほどに、明日のバイトの予定を確認しているメンバーや、賞金をどこに預金するべきか話しているメンバーもいる。

 プロゲーマーになんかならずに、普通に就職すれば少なくともこんな色あせた古着を着て安い居酒屋で管を巻くことも無かっただろうに。

 それでもプロになったのは、例え貧乏だろうと惨めだろうと誰よりも強くなりたかったからではないのか。

 だったら二位に価値なんかない。賞金だって結局は額面通り普通のサラリーマン一年分の価値のみなのだ。

 そう考えるとまた涙が溢れてきてしまった。

 

「いい機会だ。聞いてくれ」

 Icemanがジョッキを空にして改まった表情でチーム全体に声を通した。いつも朗らかなキャプテンが神妙な顔をしているときはあまり吉報は出てこない。

 チームにたった一ヶ月しか所属していない冬路でもそれは知っていた。

 

「俺の分の賞金はチームの運営の為に使ってくれ。それに、これだけの結果を残したのならスポンサーもつくだろう。もうみんなから金を集めてユニフォームを作ったりしなくていいんだ」

 

「なんでわざわざみんなに?」

 Ruinの疑問ももっともだった。Icemanのキャプテンとしての適正・人格をメンバー全員が信頼しており、大会ごとに行われる費用の集金などのチームの運営も全て任せている。

 出納帳も領収書と一緒に公開されているが特に誰も見ようともしないのは信頼の表れだ。

 

「引退する。実家の酒屋を継ぐよ」

 どんな競技でも、限界を感じる年齢というものはある。野球ならほとんどの人間は40代で引退してしまうし、将棋なら最盛期は20代半ばと言われている。

 プロゲーマーはあらゆる競技の中で最も現役でいられる時間が短いと言われている。

 17歳~24歳までが最も強い時期であり、30歳ともなると長老の域に入る。Icemanの判断は、『これ以上チームの重荷にはなれない』という痛いくらいにキャプテンらしい判断だった。

 

「21歳のときにこのチームを作った。俺のチームがスポットライトを浴びてたくさんの観客の声援を浴びることが夢だったんだ。メンバーも結構入れ替わったけど、どいつも良い奴らだった。本当に、夢を叶えてくれて本当にありがとう」

 その言葉を聞いたときに湧き上がってきた感情は一言で言い表せない。

 プロになりたいから入っただけの適当なチームだった。自分が良ければそれで良かったし、実際に自分が入ったためにこれだけの結果を残せた。

 プロになる前も、なった後も全て自分のためだけに戦ってきた。冬路のへまで負けたのに誰も冬路を責めない。Icemanに至ってはずっと前から今日が最後だと決めていただろうに、冬路の未来を見て称賛してくれている。

 今までの人生で何も、誰からも期待されていなかったから知らなかったのだ。

 誰かの為に勝ちたいという感情を。

 

「おい、秋葉。単位落とせないのに聞かなくていいのか」

 

「!」

 彩瀬に小突かれて目を覚ます。

 講義の真っ最中だと言うのに、喜多見から貰ったARサングラスを付けたままガッツリと寝てしまったようだ。

 あの敗北以来、眠れば必ず悪夢に魘される。それが分かっているから夜に眠れず、昼はいつも睡眠不足でふらふらしている。

 結局あの後、住んでいるアパートの名前まで一緒だった自分と香南だが、だからといって何をすることもできず、近所の安いスーパーを教えてもらったりしただけだった。

 

『お前たちを形作っているものとはなんなのだろうか。魂を形成しているものは? 秋葉、目が覚めたなら答えろ。何がお前という人間を作り、プロにした?』

 

「いいっ……すいません、分からないです」

 

『ふん。脳だ。脳が感じ取ったものが、自分を作り世界を作るのだ』

 

(喜多見教授……)

 改めて考えるとあのゲームの作者として喜多見が一番怪しい。

 大学でAugusutusとすれ違った時間帯や、アップデートがこの大学から行われたという事実に加えて彼もまたプレイヤーの一人であるということも重要な要素だろう。

 また、喜多見の下の名前である謳歌もAugusutusの読み(オーガスタス)と似ている気もする。

 

(証拠としては薄い気もするけど)

 とにかくこの大学のプレイヤーを一人ずつ当たっていくしか無い。

 そして質問するのだ。『月映しの世界』とはなんなのか。何が目的のゲームなのかを。

 

「プロってなんのプロ?」

 

「やっ、その……後で教えるよ」

 サングラスをずらして好奇心の浮かぶ目でこちらを見てくる宍戸を見てもう隠せないと悟る。

 いくら冬路がひた隠しにしているとは言え、それを喜多見が隠す義理はないし、なんならこの大学で自分の持つスキルを明かさないことは無意味と言っても良い。

 

『この世界は無限にほど近いほど綺麗なのに、お前たちの目はたかが5億6千万画素しか見分けられない。きっと宇宙一目のいい動物なら、愛している存在を形作る原子さえも見えるというのに!』

 

(なんの講義だか全然分からん)

 最初から途中まで全く聞いていなかったからそれも仕方ない。

 だが喜多見の講義なのだからやはり現実を拡張することに関する講義だろう。

 

『この世界はもっと騒がしく、いろんな音に溢れていて静けさなどどこにもないのに……お前たちの耳は20ヘルツから2万ヘルツまでしか聞こえない。世界一耳のいい生き物なら、きっと100万光年離れた星で鳥が羽ばたいて落とした羽根が水たまりに落ちる音さえも聞こえると言うのに。たかが目の前にいる私が出している音もまともに聞こえない。見えない』

 

(そういや……)

 プロになってすぐに言われたことが『目がいい』だった。

 他の人間と比べようがないから気付かなかったが、冬路は動体視力が異様に優れていた。

 ほとんど全てのゲームにおいて、動体視力はトップに行くために最も重要な才能と言っていい。

 ディスプレイの解像度がどれだけ優れていて遅延が限りなく少なくとも、目が付いていかなければ意味がない。

 秒間60フレームまでしか認識できない人間が秒間120フレームの設定にしたところで認識できないのだから――――という話と同じだろう。

 

『自分に見えないなら意味がない。再現に無限に近い容量が必要なこの世界も、たかが自分一人に認識される程度なら原子なんかいらない。100m先の音でさえもいらない。お前たちの周りのお前たちが認識できる範囲の雑な世界。それがお前たちの世界。お前たちの人生を形作ったものだ。今日の講義に関してレポートを書いて同級生と意見交換をしろ。以上だ』

 

「うおっ」

 目が覚めて10分で講義が終わってしまった。

 ほとんど話を聞いていないのにどうやってレポートを書けと言うのだ。

 きっとここで学友と磨き上げたレポートを提出しろと言われるに違いない。

 

(レポートレポート!)

 慌ててARグローブを手にはめて画面脇のツールボックスを引っ張り出す。

 机の上に電子ノートを置いてとりあえず文章を書き始める。

 

「秋葉くんって何かのプロなの? Jカップのプロ?」

 

「なんだよJカップのプロって!!」

 まだJリーグなら分かるがいつまでこの男はおっぱいに頭を支配されているのだろう。

 

「17,8でプロになれる競技もそうあるまい。将棋か? いや、そういうゲームもありなら普通に電子ゲームのプロもあるか」

 

「!」

 彩瀬の言葉がドンピシャ正解でレポートを書く手が止まってしまう。

 と言ってもどうせ書いている文章などへのへのもへじとそう大差ないのだが。

 

「モデルか何かだと思った。背高いし。お金稼げばプロって言うでしょ」

 

「喜多見教授の言い方は競技に関わる人間を指しているようだったが」

 

「わ、わ、わ、分かった! その話はまた今度する! 俺ァ、分かるだろ! 単位落とせねえんだ! こんなハナクソレポート一個もマジでやんなきゃならねえ」

 

「秋葉は全く自分のことを話さないからな。分かった、楽しみにしている」

 なんだかんだ変人と言いつつも気のいい奴らだ。

 頭いっぱいいっぱいでつっけんどんな態度を取ってしまった自分に対しても文句の代わりにまた明日と言ってくれた。

 

(生まれて初めての友達……)

 高校時代、誰とも話さずに放課後即陰キャダッシュで家に帰っていた自分にも大いに原因はあるが、プロになっても同級生の反応は対して変らなかった記憶がある。

 授業が終わった後に壇上に立たされて『秋葉は今度なんだかスゴイ大会に出るらしい! クラスみんなで応援しよう』と教師が言いクラスメートがまばらな拍手をしていた。早く帰りたかった。

 それに比べて今はなんて過ごしやすいことだろう。彼らなら明かしたって構わないかもしれない。

 

(そうだよ友達だよ!)

 先に帰らせてどうする。あの三人のうち誰かとレポートの交換をしなければならないのに。

 何故自分はゲーム以外の全てが空回りするのだろう。

 

(葉月は?)

 自分勝手な葉月らしく、彼女は講義をよくサボるし席も気分で決めている。

 今日はいたのだろうか。来て即寝てしまったから教室に誰がいたかもまともに把握していない。

 画面左上のツールボックスから仮想PCを取り出し、学内メールアドレスから探す。そういえば自分はまだ入学して誰ともアドレスを交換していない。

 

(あれ、あいつ名字なんだっけ)

 よく考えてみると葉月という名前以外何も聞いていなかった気がする。

 だが同級生はたった60人しかいないのだ。上から順に見ていけば分かる。

 

(宍戸遥……彩瀬朝晴……あれ?)

 こいつらこんな名前だったんだ、と思いながらざっと見ていたが葉月という名前の人間はいない。

 

「???」

 同学年ではないのか、と思い名前で生徒の検索をかけても出てこない。

 なんなんだ一体、と思っていたらメールが届いた。学内メールで届くものなんて大抵いいことは書いていない。

 

「やっぱりな」

 『8時に来るように』という文言を添えて住所を書かれたメールの差出人は喜多見だった。

 断言できるが自分の人生で教師なるものと関わって良いことなんて一度だって無かった。

 

 

 

*************************

 

 

 家に帰ったらそのまま外に出たくなくなってしまうダメ人間の冬路は適当なカフェで時間を潰し(レポートは全く進まないしARサングラスのせいで変な目で見られた)、

 日が暮れてから送られてきた住所へと向かった。なにしろ体力のない冬路はカフェでぼんやりしているだけでも人が多すぎて疲れ果ててしまった。

 

「可能性があるとしたら、喜多見教授だと思う。あの人なら何か知っているかもしれない」

 

『んー、多分違うと思うよ』

 香南もあちらの世界で色々とあちこち調べてくれているようで、電話の向こうからブーツが奏でる高い音が聞こえる。

 

「なんで?」

 

『後で教える。もっと簡単なことだったように思う』

 

「えっ、じゃあいま教えてくれよ」

 

『いやまず目の前のことをなんとかしなよ。教授からの呼び出しなんて中々起こらないよ』

 

「うっ……ま、まぁ……そうかも」

 よく考えてみれば、よく考えなくても喜多見は自分が『月映しの世界』の作者を探しているなんて知らないはずだ。

 教授が生徒を大学の外に呼び出すなんて普通じゃない。いきなり退学を言い渡されたりするかもしれない。

 

『いいことだといいね。またあとで』

 

「うん。……ん?」

 月映しのアプリにある通話機能を切った瞬間に通知が来る。

 レベルが最大値に到達したと書いてある。渋谷の街を歩くだけで経験値になるんだった。ここ最近不本意ながら歩き回っているからとうとうレベル上限になったらしい。

 

「『叛逆の獄炎』……うわ、すげえの覚えてる」

 攻撃偏重のビルドをしていたため最後に覚えるスキルも攻撃スキルだろうな、とは思っていたがまさかの一撃必殺だ。

 直撃した相手を残り体力に関係なく殺すと書いてある。いま冬路のいる場所はかなり人通りの多い大通りだが、携帯の画面を見ると周りにプレイヤーはいない。

 数千桁数もダウンロードされていながらこれはどういうことなんだ、と思うが今は都合がいい。

 

(使ってみよ)

 一回使ったら180秒使えないという激重スキルであるため、戦闘時にいきなり使うのはリスクが大きい。効果範囲や発動時の拘束時間その他の動きなどを知っておいたほうがいい。他にプレイヤーがいない今がチャンスだ。

 とは言っても二頭身にデフォルメされたドット絵だが――――と特になんの感慨もなくスキルを発動した瞬間、網膜が焼け付くような光と産毛が全て蒸発するような熱波が冬路に叩きつけられた。

 

「えっ?」

 道路を挟んで対岸のビル――――もう見慣れた渋谷109が火を噴いており炎に巻かれた人々が転げ回っている。一階エレベーター前のスプリンクラーが作動し大量の水が撒かれているが火の勢いが強すぎて全く鎮火しない。既に何人かは焼かれたまま倒れて動かなくなってしまった。

 悲鳴に混じって『テロだ』とどこかから聞こえた。

 

「テ、テロ……そうだよな」

 怪獣映画で破壊光線が発射された瞬間に見ている者の家で起こる停電。

 和ホラー映画のクライマックスシーンになる見ている者の家のインターホン。

 それと同じだ。偶然一致しただけだ。テロの標的になった109から逃げ惑う人の波に従うようにして冬路もその場から小走りで逃げ出した。

 クールタイムも終わりまた放てるようになっていたが、どうしてももう一度撃つ勇気はなかった。

 

「はぁっ、はぁっ」

 なにかが最近おかしい。ゲームの中の波長がちょこっと狂っていただけだったはずなのに、気がつけばこの世のあるべき姿までもが少しずつ乱れ始めている気がする。

 だが伝統的少年漫画主人公よりも頭の悪い自分がそんなことを考えてもどうにかなるわけでもない。俺は頭が悪いから難しいことはわかんねぇけどよ、なんて言いながら本質を突くような言葉もコミュニケーション弱者の自分からは出ない。なによりも、自分は主人公になれなかったのだから。

 

(とりあえず目の前のことだ)

 指定された住所には喜多見と表札のある家があった。

 渋谷駅から5分も歩かない場所だというのに信じられない大きさの家だ。冬路の実家も相当大きかったがそれよりも大きかもしれない。

 土地代を合わせれば一体いくらになるのか想像もつかない。

 

「…………ていうか家に来いって言ってたの、あの人……」

 教授が学生を家に呼ぶとはなんだ。自分は何をやらかした。

 恐る恐るインターホンを鳴らすがなんの反応もない。いま日本で一番家に帰りたい男になっている自信があるがそういう訳にもいかないだろう。

 

「オジャマシマス……」

 蚊の鳴くような声で両開きの扉をそっと開ける。

 人が住む家で扉が両開きになっているとは驚きだ。

 

「なにこの家」

 まるでホラーゲームに出てくる洋館だ。

 だだっ広い玄関を真っ直ぐ行った先にはただ壁があり、右手にある階段らしきスロープには段差が無いから登れない。

 人が来ることを最初から拒んでいるかのような設計だ。

 

(ゲームなら……大体どっかにスイッチがあるんだけど……。ん?)

 左手も壁だが謎の洋箪笥が置いてある。こういうのを動かしてそこにスイッチがあるか、中に何かがあるか――――と引き出しを開けると授業で配布されたARサングラスとグローブが出てきた。

 わざわざ玄関にあるということはこれを使えと言っているのだろう。幸いにも自分の装置を持っているので装着すると――――

 

「うわっ!!」

 目に映る全てが幻覚だと分かっていても肝が縮み上がった。いきなり目の前を巨大な鮫が通ったのだ。

 ARの世界では完全に喜多見邸は海に沈んでしまっている。頭上を見上げると海面に揺らぐ太陽が見える。

 そっと目の前で泳ぐ鮫に触れると手袋を通してザラザラの鮫肌の感触が伝わる。

 

「あっ」

 壁があったはずの場所を鮫が通り抜けてからようやく正面に赤く光るスイッチがあることに気が付く。

 このサングラスをかけていないとこの家では玄関から先に入ることも出来ないのだ。なるほど、鍵がかかっていなかった理由が分かった。

 

(自分の馴染む世界を作り出す、か……)

 喜多見の馴染む世界は海の底ということなのだろうか。自分が言うのもおかしいが、変人だなぁと思ってしまう。

 スイッチを押すと何も無かった壁が開き奥に続いていた。何人で暮らしているのかは知らないが、また三方に部屋がある。

 全ての扉にスイッチがあるが赤く点灯しているのは正面の扉だけだ。思い切り不法侵入しているような気もするが、少なくともこのデバイスを持っている人間はここに来る権利があるはず、と妙な理屈で自分を納得させて扉を開いた。

 

「…………」

 

「教授……?」

 一瞬光景の不可思議さ加減に脳の奥が揺らいだ。

 椅子しか無い部屋に腰をかけて群をなす魚を眺めながら煙草をふかしている喜多見がいた。

 珍しく素肌がやや見えているとは。自分の家なのに相変わらず体中にマントにターバンを巻きつけリラックスしているように見えない。

 

「来たか。座れ」

 

「!?」

 最初に感じた違和感は煙草を咥えている唇に赤く――――口紅が塗られていたことだった。

 そして今、山に住む鳥のように高い声を聞いて違和感の元が判明した。

 

「じ、女性だったんですか?」

 

「お前らボンクラを教えるのに性別が関係あるか? 座れ」

 普段は変声機を使い可能な限り自分という存在をこの世界から消しているため分からなかったが、この声を自分はどこかで聞いたことがあるような気がする。

 以前に彼女が素の声で話したことなどあっただろうか。

 

「座れって……どこに」

 

「床」

 

「は……はぁ……座ります」

 手袋越しには海底の感覚がし、周囲に砂まで巻き上がったのに尻に感じたのは硬い床の感触だった。

 しかし呼びつけた相手を迎えないわ床に直に座らせるわと開幕から無茶苦茶だ。単純に友達がいなかった冬路は人間そのものがあまり得意ではないが、特に気の強い女性は苦手だ。

 

「お前、『月映しの世界』をプレイしているな?」

 

「え?」

 

「なぜそんなに進んでいる? レベルは上限まで達し、スキルは全て解放されている……こんなに進んでいるプレイヤーは初めて見た」

 

「ちょ、ちょっとまって……そんなことで俺を呼びつけたの?」

 

「やはりお前が作者か?」

 

「待ってくれって! 俺は教授が製作者じゃないのかって思ってたのに!」

 こちらは喜多見を作者だと思っていたのに、意外や意外、喜多見は冬路を作者だと思っていたらしい。

 香南の言ったとおりだった。喜多見はこのゲームの制作には関わっていなかったのだ。

 

「大学からアップデートを行い、Augusutusも大学にいた。プロとしてゲームというものに深く関わるお前以外に誰がいる」

 

「作る側じゃないって、知らないって。時田とか作っている人ほかにもいるでしょ!」

 

「…………。なら用は無い。帰れ」

 

「は!? それだけ!? なんでこのゲームの作者を教授が探すんですか」

 

「その質問に答えるメリットが私にあるか?」

 

「せ、生徒の可愛い質問の一個くらい、いいじゃないですか」

 

「……私の研究は……私の理想の世界を作り出すことにある。理想を作り出すという点ではゲームと似ているのかもしれない」

 言われてみれば喜多見の授業も発言も一貫している。他の全てがどうでもいいから、自分にとって居心地のいい世界や場所を作り出せと主張しているし今もこうして不完全な形ながら作り上げている。

 

「それで?」

 

「この作者は現実を変えるのではなくゲームの中に現実を引きずり込もうとしている。それがどれだけイカレた考えと技術であるか分からないのか?」

 

「…………まさか」

 月映しの世界の中で香南と繋がったことを皮切りに、少しずつ現実で何かしらがゲームにつられて動き出していった気はする。

 そして今日109で起きたテロだと思い込んだ『あれ』は。

 

「話は終わりだ。帰れ」

 

「あんたよく教鞭とれているな」

 大学の教授ともなれば多少変な人もいるというのは知っていたが、見事なまでな人格破綻者だ。

 冬路も含めて人間をやめているヤツも多いあの大学でも一番狂っているのではないか。

 

「もっともな意見だな。あの大学はある財団が作った。日本国を憂いてな」

 

「日本を憂うのとこれがどう繋がるんですか」

 

「平均的人物の量産……図抜けた天才の不在により陥る国力の低下、少子高齢化による滅びの一途を辿る国……。全ての子どもたちには才能が眠っている、嘘じゃない。幼い頃、何かに熱中しなかったか? 食事も睡眠も忘れて没頭したことがあるだろう?」

 

(…………)

 あるなんてもんじゃない。あの試合で敗北するまでほとんど毎日溶けるように沈み込み没頭していた。

 万年睡眠不足だったのによく背がここまで伸びたものだ。

 

「ほとんどの大人には出来ない。理性によって抑制がかかるからな。大学生は脳の鍵をこじ開ける最後の機会なんだ」

 

「じゃあなんで俺がCなんですか。毎日毎日死ぬほどに没頭していた。俺より積み重ねたやつなんていねえ」

 

「私は」

 ARサングラスを外した喜多見の瞳は暗黒色をしていた。

 いや、黒と見間違えたのだ。海と同じ色をしている。極めて強靭な意志を表すような視線は冬路だけでなくこの世の全ての鈍なるものを憎んでいるかのようだ。

 

「馬鹿な子供と同じことを何度も言うことが何よりも嫌いだ」

 

「…………」

 お前のことだ、と言われているように感じるがそれは間違っていないだろう。

 一度では覚えられない馬鹿な子供とはまさしく自分だ。

 

「もう一度だけ言ってやる。世界に馴染むな。なぜ馴染もうとしている? 己を飾り何を得た? そんな人間がいていい場所じゃない。お前はなんだ? 勝つこと、戦うことのみに価値がある人間だろう」

 

「じゃあ、なぜ……俺を入学させた。プロ活動なんてやめてたのに」

 

「お前はBrain Dead Catの勧誘を蹴った」

 

「!!」

 兄にすら話したことのない情報をなぜこの女は知っているのだろう。

 BDCと略されるそのチームは現在間違いなく日本一のチームであり――――Fooroの所属しているチームでもある。

 Another Oneとほぼ同時期にダイレクトメールが送られてきたのだ。Fooroの相方になれ、と。

 

 BDCはつい最近にできたばかりのチームだった。

 国内でも3本指に入る大企業がある強豪チームのコーチを引き抜いて命じたのが始まりだ。

 

 金はいくらかかってもいい

 背景も人格も問わない

 とにかく最強のチームを作れ、と。

 

 まずコーチが雇ったのはかつての世界最強アタッカーの一人であるDisrespectだった。

 韓国人である彼はプロとして全盛期を迎えた瞬間に兵役で空軍に入った。

 彼が兵役を終えたのと同時にBDCのプロジェクトは動き出した。

 世界中のあらゆるチームが彼を雇うために動いていたため、esports弱小国である日本のチームが彼を雇うのにいくらかかったか想像もつかない。

 

 その次に、まだまだ倫理観の薄いesports界隈の闇を背負うpornとSohychが入団した。

 pornは過去に別ゲームでチートを疑われ一方的に引退に追い込まれたが、その後別のゲームでも常にトップクラスの戦績を維持していた。

 その腕を見れば彼がチートに手を染めていたかどうかは明白だが、もっと明らかなのは過去に自分を追いやったチームのスポンサーを激しく恨んでいることだった。

 陽の光に嫌われたpornが生きてこれたのは日本におけるブースト業の元締めであるSohychのおかげだった。

 依頼を受け、代わりにプレイしランクを上げて報酬を受け取るブースト行為はゲームを根本から破壊する行為だとして既に複数の国で違法とされている。

 ただし、倫理観や道徳心が無いだけでブースト業者は恐ろしく強い。自分の強さをそのまま金に換えているからだ。

 pornとSohychの入団に伴い世にも珍しいヒーラー專門のブースター、hexagonも入団した。現在世界ランクでも上位に食い込むチームであるBDCが悪役軍団のイメージが抜けないのは主にこの三人のせいだろう。

 

 そんな悪役三人組と我の強いかつての世界一をまとめるために別のチームから引き抜かれたのがキャプテンのGjallarhornだった。

 勝っていても負けていても全く同じプレイをし、高調も不調も無ければ感情も表に出さない機械人間の彼はかつて日本を制覇したチームのキャプテンでもあった。

 優勝してチームが全員歓喜の中にいる時と、その一年前に準優勝となりチーム全員が泣いている時とで全く同じ顔をしていたので彼のコラ画像が大量に作られていた。

 

 更に強烈な若さと勢いを欲したコーチはあらゆるチームを転々としていたMeanを雇った。

 ある意味で世界で最も有名な日本人プレイヤーだろう。海外のサーバーで理論上最高値のレートを叩き出し、確かな腕で敵チームを圧殺しあらゆる言語で敵を煽り散らかす。

 Meanはひとえに性格の悪さのみで同じチームに留まれない男だった。いつからかついたアダ名は『宇宙一性格の悪い男』。勝負事はいかに相手の嫌がることを実行し続けるかに収束する。

 その点において、宇宙一性格の悪いMeanは最強にほど近かった。 

 

 そして最後に――――Fooroだった。

 入団時のFooroの年齢は15歳、高校も入学せずにゲームばかりしているただのストリーマーだった。

 プロにもなれば本名も知れ渡りその名前で検索する者も出てくる。いきなりなんなんだあいつは、と。

 『燕 風露』の名は元々全国区で有名だった。ただしそれはゲームの世界ではない。その名で検索して出てくる結果のほとんど全てが陸上競技の記録だ。

 現実の世界で、僅か13歳の時点で中学生の日本記録に迫る100m走の記録を持ち、強化選手にも選ばれていた風露はあのとき間違いなく日本最速の韋駄天中学生だった。

 プロゲーマーとしてFooroの名が知れ渡った後に全日本中学校陸上競技選手権大会の動画の再生数は300万回に到達したという。

 陸上に関わる全ての人間が風露を見て誰もが自然と将来のオリンピアン、メダリストを想像した――――のに。風露の記録は中学2年の春を最後に公式記録から消え、風露自身も現実の世界から消えた。

 それから二年半、かつての日本最速の中学生だった風露はゲームの中で世界最速のアタッカーFooroとして戻ってきた。なぜ風露が陸上をやめて引きこもりにまでなってしまっていたのか、表舞台に表れたその姿を見て誰もが無言のうちに察し、打ち砕かれた未来を嘆き、再生を喜び、復活を――――Fooroのという存在の爆発を讃えた。風露はただの一度も自身の人生を公式に語ったことなどないのに、esportsに関わるほとんど全ての人間がFooroのストーリーを知っている。

 気がつけばFooroはその物語と確かな腕前を以って最強と讃えられるようになっていた。

 

 

 そんな曲者だらけのチームは光のような速さで日本の頂点に至り――――冬路の元にオファーが届いた。

 君ならFooroと最強のデュオになれるはずだから、と。 

 

「なぜ断った?」

 

「……俺は……一番になりたいんじゃない。誰よりも強いことを証明したかった。だからあいつらは敵じゃなくちゃ駄目だったんだ」

 

「そこなのだ。どれだけ能力・才能があろうともただ上に従うだけならば豚でしかない。叛逆の心のみが人を進化させる。だからこそ王に牙を剥くお前は選ばれた。だが……」

 

「ぁ…………」

 

「私の見当違いだった。今のお前は豚に成り下がった。消え失せろ、凡骨め」

 

 

**************************************

 

 この世界の99.99%は何者にもなれずに死ぬらしい。きっと俺もそうなんだろうと、そう思っていた。

 勉強は出来ない運動もだめ。背は高いがやや虚弱で精神も不安定。何者にもなれないどころか真っ当な人生を送ることすらも苦労するであろう、すっからかんの子供だった。

 ただひとつ違ったのは――――

 

 6歳の時、7歳離れた兄にゲームに誘われた。

 中学生と掛け算も出来ない子供、おまけに兄はたまにこの世界に出てくる『なんでも完璧に器用にこなす人間』の片鱗をすでに中学生にして覗かせていた。

 ゲームですらも、6歳の自分から見ても天高い強さを誇っていることが分かった。1vs1のFPSで小学校に上がる前の子供が中学生に勝てるはずがない。

 相手にもならないはず、だったのに――――逆上した兄に現実でボコボコにされるくらいに完膚なきまでに叩きのめしてしまった。

 

 鬼の目覚めだった。

 

 それからは毎日がマリアナ海溝よりも深く、ゲームに漬けられる日々だった。

 中学に上がり、もうネットの世界でもほとんど敵はいなくなっていた。

 

 祖父は大会社の会長、父は銀行の総裁、母は音楽家。親戚のどこの誰を見渡しても優秀極まる一族。

 兄も兄で中高と優秀な成績を修め、日本一の大学に入学していた。昔は冬路をよくいじめていた兄も気が付けばそんなことはしなくなっていた。

 素晴らしいことだと思うと同時にどこかで兄を軽蔑していた。だんだんと一般的に想像されるただの優秀な人間に成り下がった兄の、普通の道を行く平凡さを。そのまま何者にもなれずに死ぬ姿を。

 99.99%め、俺は0.01%なんだ、と。

 

 何者かになるには全てを捧げなければならない。

 なんでも出来ます、なんて。

 なんでもやります、なんて。

 あまりにもくだらない。

 

 俺の人生これだ、と。

 これに託した、と。

 全てを注いだ。

 

 これ以外の全てが2番目以下でありどうでもいい。

 これだけなんだ、この世界だけは俺が中心なんだ。

 

 

 

 もちろん存在は知っていた。

 自分より一年早くプロになった同い年のそいつのことは。

 奇跡のような強さだと。

 

 自分以上に全てを捧げている人間などいないと信じていたがゆえに、一度壊れればガラスで出来た城のように全てが崩れ去ってしまった。

 

 自分たちが想像していた以上の結果を残した息子に対し、家族は慰め――――それどころか褒めてくれた。

 本当に素晴らしいことだ、国内で二番なんて誰にでも出来ることではない。この賞金額だって普通の高校生では稼げないものだと。

 

 あの兄も。優秀な兄が周りに自慢して回っていた。

 俺の弟はこの国で二番目に強いプレイヤーなんだと。

 

 

 やめてほしかった。

 

 

 たかがゲームで負けたくらいで大げさだとか、準優勝でも十分すぎるほど立派だとか。

 次があるだとか、ナイスファイトだとか。

 そんな言葉を無神経に言う者達とは永遠に分かり合えないだろう。

 

 そいつらにはきっと『他』がある。

 友人でも恋人でもほかの趣味でも所属する場所でも、とにかく自分を成り立たせ逃げ場所になる他があるのだ。

 

 自分にはない。

 

 全てを注いだのだ。

 全てだと信じたのだ。

 普通の人間が色々なことに費やすもの全てをだ。

 これが俺の人生を懸けるものだと思った。

 

 神にさえも祈った。

 

 どこの誰様の役にも立ちません。 

 善人でもありません。

 それでも全てを捧げるから、俺を強くしてください、と。

 

 それなのに、一番勝つべき場面で負けた。

 地獄の底まで転がり落ちた。

 

 今まで色んなところで勝ったし負けた。誰だってそうだ。人生勝って負けてを繰り返し一生を終える。

 

 だが、『それ』が全てだと言うならば、己の存在全てだと言うならば。

 ここぞという場面で勝たなければならない。

 

 どれだけ足が速くても、大会でフライングしてしまう選手に価値はない。

 どれだけ鋭い牙と爪があっても 兎の一匹も狩れないライオンなんて蟻にも劣る。

 

 どれだけ強くても 他のどこでどれだけ圧倒的に勝ちまくったとしても。

 

 全てを注いだというのに一番大事なところで負けるなら無価値だ、ゼロなんだ何もかもが。

 

 負けた後に

『ごめんなさい』

 そして次の日

『受験があるので競技から離れます』

 それだけSNSに投稿して俺は消えて無くなった。

 

 ぷっつりと、本当にぷっつりとやめてしまった。

 10年間毎日本気で10時間以上はやっていたことを。

 

 俺は消えた。

 

 

 

「戦わなくちゃ……戦わなくちゃ……」

 ネットの世界から、公式のホームページから、Shinの名は消えてなくっても冬路の存在は消えてなくなりはしなかった。

 最高だろうが最低だろうが心臓が止まらない限りは人生はその先がある。まだ、腐った臓腑を引きずって自分は生きている。

 たった一度負けただけでこれだ。次に負けたら即死するかもしれない。

 

 自他ともに認める最強に負けたのだからぶっ壊れるだけでまだ済んだ。

 だが、また1から積み上げていく過程でなんでもないヤツに負けてしまったら?

 今度こそ完璧に死ぬ。

 

 自分が強かったのは自分が最強だと信じていたから。

 十年かけてそこら辺のなにも考えていなさそうな馬鹿の百万倍濃くのめり込んでいた。

 その自信だけが自分を支えていた。

 それをまた1からなんて、考えるだけで怖くて仕方がない。

 

 それでも。

 まだ人間として生きていくなら。

 何もかもが中途半端以下の自分が生きていくには。

 撃破し続けるしかないんだ。

 

「戦わなくちゃ……」

 金網にがりがりと身体を擦らせながらなんとか家へと向かう。

 渋谷の裏道をぶつぶつ言いながら歩く若者。よくある光景だ。

 どうしていつもこうなのだろう。うつろな視線の遥か遠くでビルやネオンの灯りがきらきらと輝いている。

 眠らない街、若者の街なのに、夜行性の若者であるはずの自分はいつも主流に馴染めない。馴染めないから、世界に自分を認めさせたかった。

 

「おい前見ろ馬鹿」

 前を見ていなかった冬路が100%悪いがもっと悪いのは運だろう。

 今や絶滅危惧種の徒歩暴走族らしきガラの悪い集団の先頭にぶつかっていたのだ。

 半ば意識が無いとは言え道の端を歩いていたのに――――先進国という肩書はどこに行ったのか、さも当然のように指輪でごつごつの拳が冬路の顔面に突き刺さり、うすらでかい割にはひ弱な冬路は吹っ飛んでいった。

 

「戦わなくちゃ……」

 世界は理不尽である。自分で勝ち取らなければこの世界の何一つとして己の存在を肯定してくれない。

 まずは誰よりも先に、自分で自分のことを信じなければ始まらない。

 

「俺は世界一強い……」

 マシーンになりきるのだ。この熱を魂の奥底に押しとどめるのだ。

 巨大戦闘ロボットが冷たい鋼鉄の中に核融合炉を内蔵しているように、もう一度マシーンになるのだ。

 

「はぁ?」

 切れた唇から流れる血を拭いながら立ち上がった瞬間顔面のど真ん中を蹴られて人生で一番鼻血が噴き出た。

 

「ヤク中か?」

 そのまま文字通り踏んだり蹴ったりになると思ったのだが、殴っても反応が無い相手など痛めつけてもつまらないのだろう。

 ガサガサと懐を漁られるがままに、まん丸い満月を見ていた。

 

「2000円しか入ってねぇ」

 

「終わってんね、兄ちゃん。体は大事にしろよ」

 なけなしの札を持っていき、おまけに小銭をぶちまけてから腹の上に財布を投げて不良どもは去っていった。

 

「…………」

 夜も眠れず、深夜徘徊をして、一体何度あの月に負けた勝負を映し出しただろう。

 物心着いたころから繰り返してきた鍛錬は、想像の中の完璧な自分に現実の自分を近づける旅だった。

 いつしか不完全だった子供は、想像の中の理想に完璧にシンクロし、誰もが届かない強さを手に入れた――――それでストーリーが終わったら、この心臓が止まってくれたらどれだけ幸せだっただろう。

 また、月に映るのは――――

 

「フーロ……」

 完璧を上回る確かな実力で自分を殺すFooroの姿だった。

 戦いも終わり、精根尽き果ててなお勝利の余韻に笑いその手をこちらに差し出した憎き宿敵、愛すべき親友は今も世界で戦っているのだろうか。

 

「戦わなくちゃ」

 殴られた痛みはいつしか薄れ、鼻血は止まっていた。

 だがあの日の敗北は血は流れずとも心臓に有刺鉄線を巻き付けたような痛みを残し続けている。

 自分を取り戻したいのなら、戦うしかないのだ。この先も人生は続いていくのだから。

 

 

************************************************

 

 

「だから、もうやめる」

 

「…………」

 自分の全てを明かし香南はただ黙って電子の風に吹かれていた。

 同じクラスに、同じ学校に自分と同じような人間などきっといなかっただろう。

 どう反応するべきかも分からないに違いない。

 

「正直、人生でここまで他の何かに……。……」

 

「なに?」

 

「いや、ごめん。最後だからちゃんと言うよ。ここまで女性に惹かれたのは初めてだった。でも俺は戦うしかない、じゃないともっと深い地獄に転げ落ちる」

 言葉にして初めて頭がクリアになった。色んな部分の感性がおかしい自分でもちゃんと色ボケくらいは出来たらしい。

 だが、好いた異性に認められるような普通の人生なんかいらない。

 

「俺は社会性0の人間だ。まともに洗い物の一つも出来やしない。劣っていた……運動だって勉強だって、恋愛だって、全部他の人間にぶんどられるだけの人生だった」

 昔は好きになった子だっていたような気がする。だけど最初から劣っていて、負けるのが分かっていたからこそ、勝てる道に全てを打ち込んだ。

 この道を選んだのならば、今更戻る道などあるはずもない。

 

「笑えばいいさ。今まで愚鈍盆暗と笑われてきた。だけどこれだけは……プロを名乗ったのなら、ゲームだけは逃げるわけにはいかないんだ。それだけが俺の誇りだから」

 

「私たちもだいぶ大人になった」

 

「……?」

 

「勉強と運動だけが大人からの評価で、見た目と性格だけで異性から選ばれる子供から……色んな生き方が輝く魅力になる。ただひたすらに、自分の信じる道を地獄と言い切っても進もうとするあなたはとても素敵だと思う」

 ふと、その言葉を聞いて昔のことを思い出した。 

 友達とも遊ばず、勉強もせず、家族とも食事をせずにひたすらゲームをする自分に母親がある日もう働けと言ってきたのだ。

 それもいつもの小言レベルではなく、かなり真剣なトーンだった。結局兄が諫めてくれたが、その日は本当にもうゲームなんかやめてバイトでも始めようかと思った。

 そのことを配信で半べそをかきながら伝えた時、わずか数百人ばかりの視聴者が一斉に投げ銭をしてくれた。『これで美味しいものでも食べな』『絶対この道で生活できる』、と。

 気が付かないうちに、自分の道を認めてくれる人達が現れたのだ。この世界は思っている以上に深く、懐は広い。

 

「それでもあなたは私に会いに来ると思う」

 

「どうしてそう言い切れるの?」

 

「ゲームが好きで得意で誰にも負けないんでしょう? だったらこんなフリーゲームのクリアを諦めるはずないよね」

 

「……そう、だな」

 ただのあるジャンルのゲームのプロならこの言葉には動かされないだろう。

 だが、自分は他の全ての能力で人より劣る代わりに電視遊戯において他と隔絶した才能を持っていた。

 これからまたその自信を取り戻していくのならば、たかがフリーゲームのクリアを諦めるなんてあってはならない話だ。

 

「全ての謎を解き明かして、私に会いに来て」

 

「……そうだな。もしちゃんと会えたら……また俺はプロに戻るから、大会を会場で見てほしいな」

 

「楽しみにしている。そういうのって観に行ったことないから」 

 その言葉を聞いた瞬間、目の奥が鈍く痛むような感覚に目を閉じる。

 なぜ自分は最初に、二人でないとクリアできないクエストが出た時に道で歩いていた香南に声をかけたのだろう。

 ゲームの中だから何も気にせずに可愛い女の子に声をかけられたというのはそうだが、それだけではない。

 どこかで会ったような気がするから――――だったような気がする。

 だがほとんど家から出ない自分が学校以外で人と会う場所などせいぜい大会の会場くらいしかないが、行ったことがないという。

 

「結局、その先生じゃなかったんでしょう?」

 

「……。あっ、ああ。君の言ったとおりだった。どうして分かったの?」

 脳の中の思考から引き戻されて言葉がつんのめる。

 そういえばそうだった。家に帰ったら香南が先回りして不正解だと分かっていた理由を聞くのだった。

 

「簡単だよ。私の世界と冬路の世界がどれだけ違うのかは分からないけど、同じゲームなんだから作者も同じはずでしょう。喜多見なんて人、うちの大学にもいないし検索しても出てこなかった」

 

「そうか……! なら……」

 大学にいる人数も学部学科数も違うが、大学からアップロードされたという事実が動かないのならば、香南に写真でも撮ってもらい、そこに写っていてかつ冬路の世界にもいる人物が作者である確率はかなり高いと言えるだろう。

 どうしてこんな簡単なことを思いつかなかったのか。

 

「それじゃあまた明日。……あのね」

 

「うん?」

 

「私は可愛いし、小さいころから運動も勉強もできてね、だからかな……駆られるみたいに何かに打ち込んだことってなかった。どれも普通よりできるけど、一番にはなれない人……」

 ああ、兄と同じタイプの人間だ。兄の話を聞くに、香南の話を聞くに、何も出来ない人間がいるのと同じくらいなんでも人並み以上にこなせる人間というのもいるものらしい。

 だからこの世はどうにもならない。賢い人間と同じ数だけ馬鹿な人間がいるのだから。それを変えるのはいつだって何かがブチ切れて突き抜けた人間――――というのが喜多見の言っていたことなのだろう。

 

「確かにあなたは特別かもね」

 夜も更け、普通の健康的な人間である香南はその言葉を最後に眠りについた。

 普通じゃない不健康な人間の冬路はまだ眠くない。布団でゴロゴロしてもいいが、やることがある。

 

(スキルを実戦でいきなり使うのはやっぱり危険だ)

 最後に覚えた『叛逆の獄炎』もそうだが、まだ覚えて使っていないスキルがある。

 とはいえ、速度が上がったりスタンが無効になるなど見れば分かるスキルだからそれはまだいい。問題は――――

 

「リバース……」

 『指定した二点の場所を入れ替える(ゲーム内で三回のみ使用可能)。ただし、それ以外の効果もある』と書かれたレベル0のスキル。

 レベル0なんだから微妙な効果でも仕方ないかもしれないが、そのくせ三回しか使えないとはなんだ。

 だが、このスキルも使わなければならないくらいに切羽詰まった場面で想定と違った効果だったら危険極まりない。

 ならば、使用回数に制限があるとしても先にその効果を知っておくことは残り二回という数字以上の意味がある。

 

(なんか無いか……。あれ、くそっ、開かない)

 机の中に何かしらあるだろうと思い引き出しを開けようとするが頑なに開いてくれない。特に何かした記憶も無いのに歪んでいるらしい。

 なんで毎日何かしらうまくいかないことが起こるんだ。一日全て順調だった日なんて生まれてこの方一度もない、と天を呪いながら机の上にペンと消しゴムをぶちまける。

 

「二点を指定……」

 シャープペンとボールペンを選ぶとぼんやりと光り輝く。目を瞑っていても場所がなんとなく分かる。

 このペンもついぞ勉強で使ったことなど無かった。全部が全部、ゲームで得た経験を書き留める為に使ってきた――――今だ、と念じた瞬間に二つのペンの場所が入れ替わった。

 

「……これだけ? は?」

 ペンの位置は確かに入れ替わったが、それでおしまい。説明文通りの効果しかない。

 スマホの画面を見ると使用回数が残り二回に減っている。

 思わず、身体から力が抜け、スマホが足の小指に落下した。

 

「いっっ――――え?」

 眠る力士も一発で起床するほどの鋭い痛みがいつもどこか霞がかっている冬路の頭を現実に引き戻した。

 

「今……俺はなにをした……?」

 『ゲームの中の』実に弱いスキルを使った。ただし、何の違和感もなく現実で。

 これだけ、と言ったものの現実ならこれが出来るだけで飯を食っていける。

 

「な……何が起きてる……」

 たかがフリーゲームと香南は言ったが、何かがおかしい。

 このゲームの世界観が現実の世界に染み出している。何故自分はまるで呼吸や歩行のようにスマホの画面も見ずに現実でこのスキルを使おうとしたのだろう。

 いや、それよりも。

 

「じゃあ、あれは……俺がやったのか……」

 現実と異界が交わるような夕刻、突如として渋谷109を吹き飛ばした地獄の業火。

 一体何人の人間が死んだだろうか。

 

(…………気にしちゃダメだ、どうせこれから先関わることもなかった人間……)

 何かに突出した人間がどこか欠けている部分があるというのは世の常。

 周囲の天才も、喜多見も、あの風露も。何かが欠けている。変わっているという言葉では足りない。欠けているのだ。

 最初から足りてない自分にこれ以上差し出せる部分があるとしたらこのクソの役にも立たない良心くらいしかない。

 強くなれるなら、それで勝てるならば心なんかいらない。だから、次は。たとえ何人巻き込んだとしても躊躇せずに全ての技を使う。

 そう誓った冬路は何故か――――次の敵は現実に現れるということを確信していた。

 

 



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#3 少女

#3 少女

 

 

 

 鬼は戦ううちに少し怖くなりました

 自分が一番強いと信じている

 だけどそれが本当なら

 自分のことを本当に分かってくれる相手はどこにもいないのではないか

 

 その恐れは現実になりました

 倒して倒して倒し続けて

 もう目の前には誰もいませんでした

 鬼は信じていたままに強く、それはそのまま、鬼がひとりぼっちだということでもありました

 

 

 

******************************************

 

 

 

 指を擦る度に炎が出る。

 レベル10で覚えた『炎上』だ。自分がランク1になれたのは才能も努力もあるが、とにかく油断しなかったという一点に尽きる。

 あるいは、敗北した時は自分が油断した時とも言える。

 

(あの時だって……!)

 なぜ決勝戦の時、自分はMeanの頭をぶち抜いて一瞬勝利を確信してしまったのだろうか。

 すべての敵の位置はどこか、スキルのクールタイムは、味方の状況は。勝ちが確定するまではやることなど山ほどあったはずなのに。

 円卓の下で擦っていた指が一層大きな炎を出した。もう一瞬たりとも油断はしない。

 

「いつも眠そうなのにね。今日は冴えた顔しているな」

 

「普段寝起きが悪いからな。今日は珍しくパッと起きれた」

 

「喜多見に呼ばれたって?」

 相も変わらず行儀悪く両肘ついて晩飯のスパゲッティをちゅるちゅると吸っていた葉月が唐突に意外な言葉を発した。

 こうも行動が読めない人間も珍しい。ゲームだったらなるべく戦いたくない相手だな、と脳の奥底まで侵されている考えが浮き出た。

 

「あ、ああ? なんで知っている?」

 

「何を言われたの?」

 

「……プロに戻れって」

 豚だの凡骨だの色々言われたが言いたかったことはそれだろう。

 大学生活を楽しむのもよいが、何を評価されてここにいるかを忘れるなと。

 

「戻るの?」

 

「うん。もう少ししたらチームに連絡入れる」

 

「そうか……。うん、それがいい……。誰よりも強くなることが夢なんだろ」

 配信中にコメントに『夢は?』とあり、要約すればそんなことを答えた気がする。

 なんだったら、そのコメントをした人物こそ目の前の葉月かもしれない。

 

「……そうだな。お前は? なんか夢あんのか?」

 目の前の少女は普通にしていればこんな大学でも浮いた話がいくらでも出てくるであろう程は優れた顔貌をしているのに、その肉体の破損のせいか人としてのエネルギーがかなり少なく、学内でも誰かと話しているのを見たことがない。

 少なくとも肉体的には不自由のない冬路には、葉月のような人間がどのような夢を持っているか想像がつかなかった。

 

「夢……色々あったさ。こんな身体では難儀する。私は中学も半ばからまともに行ってないんだ」

 

「…………そっか」

 可愛くって頭がいいなんて、それだけで未来は無限に開けていただろうに。

 なりたいものはなんでもなれただろう、それなのに――――と思うと少し気分が暗くなり目を落とすと葉月が行儀悪く氷水で机に描いていた割れたハートが目に入った。

 

「世界が一つになること」

 

「お……おぉ……意外とそういうこと言うんだな」

 どデカいピアスぶら下げて何を言っているんだ。こんなアバンギャルドな見た目をしておいて世界平和を祈っているとは。

 ラブ&ピースは結構だが、そのファッションならピースサインから人差し指引いた方が似合う気がする。

 

「どうして世界は分かれているんだろう」

 

「……教えてくれてうれしいけど、それに俺が答えられると思う?」

 

「思わない。……帰る」

 

「あっ、おい課題――――……!」

 課題はどうするんだ、と言いかけて口を噤む。

 昨日、葉月のメールアドレスが見つからなかった理由をしばらく考えていたのだが、恐らく彼女はこの大学の生徒ではない。

 さっきの言葉から察するに、高校も出ていないだろうから、才能はあってもどうしたって大学に入れない。ならば彼女の正体は所謂モグリと呼ばれるヤツだろう。

 最初の授業で喜多見が配布したデバイスの数が思ったよりも多かったと言っていた意味も分かった。教室にいつもいる人間の数は明らかに定員の60人を超えており、留年などの事情を考慮しても多すぎる。

 だが、それに気が付いたところで学びたがっている葉月の行動を止める理由も権利も冬路にはない。

 

「……今度どっか遊びにでも行こうか。て言っても地元と秋葉原くらいしか知らないけど……」

 入学していない大学の授業に潜り込むことはルール違反だが、その意欲は素晴らしいと思う。

 だが正式に入学している生徒からどういう目で見られるか分からないし、実際葉月はこの大学で本当に自分以外と関りを持っていないと思う。 

 自分だってこの間までまともな友達の一人もいなかったが、なんとなく普通の人間の道を外れまくっている葉月となら上手くやっていけそうな気がした。

 

「デートのお誘いか? 私の相手は疲れると思うよ」

 

「はよ行け」

 遊びに誘われたのがそんなに意外だったのか。

 早歩きで去っていく姿から葉月なりの照れ隠しの言葉だったとよくわかる。

 机の上に放置された氷を炎で溶かし、じゃあ帰ろうかなと席を立った瞬間、携帯が震えた。

 

『この中にいる?』

 香南から教室の写真が送られてきた。

 話に間違いがないなら、自分が通っている渋谷雄翼大学のはずだが、ずらりと並んだ生徒の中にはこちらの世界にいるような様子のおかしな生徒は少ない。

 ほとんどが良かれ悪かれ一般大学生の範疇を出ない姿をしているが――――

 

「葉月……なぜそこにいる……!」

 こちらの世界と同じく、誰ともつるんでいる様子もなく窓の外を眺めている生徒は見慣れた葉月に間違いない。 

 誰がこちらの世界と被っているかを香南に伝えた冬路は、たったいま出ていった葉月を追いかけて走り出した。

 

 あちらの世界でも葉月と名乗るその少女は、香南以外に誰かと話しているのを見たことがないと返ってきたことにもう驚きはしなかった。

 

 

**************************************

 

 

 脚が片方壊れているんだから、まだそう遠くまで言っていないはず。

 と、いう考えは間違っていなかったようで目立つ格好をした葉月は100m先の交差点にいた。

 

(あいつ……どこに住んでいるんだろ……)

 何が目的でこのゲームを作ったのか、大学に潜っている割には授業に全然出ないのはなんでなのか、なぜ知らないふりをして自分と香南の間を取り持とうとしたのか。

 聞きたいことなど山ほどある。

 

(渋谷に住んでいるだと? 馬鹿な)

 大学の生徒でもないのにどうして親がそんな金を出してくれるというのだ。

 だがその一方で彼女が才能に溢れていることはほぼ間違いないと思うし、金などいくらでも生み出せるのかもしれない。

 

(ていうか何してんだろ俺)

 普通にその背中に声をかければいいのに、薄暗くなっていく街の中でその背中を尾けている。

 どっからどう見ても不審者じゃないか。しかもこんな人通りの少ない――――

 

「は?」

 人通りが少ないはずだ。ここはいつだかに来た、渋谷でぽっかりと廃墟の集まりとなった桜ヶ丘町ではないか。

 廃墟なので当然人は住んでいないはずだが何故こんなところを通るのだろう。

 完全に声をかけるタイミングを失ってしまい、足音に気を付けながらついていく。

 よくよく見るとおかしな地域だ。目の前にあるビルなど、3割ほど崩されているのに放置されている。

 一体何の理由があり再開発され、何の理由で計画は凍結されたのだろう。と思っていたら葉月はその半壊のビルの中に入っていった。

 明らかに普通の人間の行動じゃない。

 

「なに考えてんだあいつ……ん?」

 このビルはなんなんだと見てみれば元ラブホテルじゃないか。

 自分の人生に異性とラブホテルに入ることなんてあるのだろうか、と考えたことはなくもないがこんな状況は全く想像していなかった。

 

(……分かりやすいな)

 当然明かりは無いが、床をスマホで照らすと埃に浮かび上がるように足跡がある。それも一回二回通ったような跡ではない。まるでここに住んでいるかのようだ。

 葉月は階段を上るのにも苦労していたから一階にいるはずだが――――

 

(え?)

 階段へと足跡が続いているのはまだいい。

 二段目から足跡の形が変わっている。自分の目が間違っていなければこれはまるで猫か何かの足跡のように見える。

 何か、何かがおかしい。だが自分も今は大概おかしいことを思い出し、指に火を灯し明かりにする。これはレベル3で覚えたスキルだったか。

 常に火を灯し視界を確保し命中率を上げてくれる、というスキルだったが――――踊り場に大きな破壊痕があった。

 

「――――!」

 廃墟、おまけに解体中なのだから壊れていることは別にいい。

 だがこれはなんだ。斜めに大きく奔った4本線は。ところどころ壁をぶち抜いて外が見えているではないか。

 まるで大型恐竜の爪痕のようだ。

 

(俺は何を追っているんだ? いつからこうなった?)

 そう考えると香南と会おうとした日、あるいは葉月と出会った日くらいからだんだん周りがおかしくなっていったような気がする。

 そういえば香南がこの世界にいないと気が付いた次の日に葉月に声をかけられた。

 

(疑い出すと全部怪しい……でもなんだ、何がどう繋がっているの全然わからん)

 鈍い頭をあれこれ動かすが点と点が繋がらない。崩れた廊下から月が見える。今夜は満月だ。

 こんなことをしていなければ今夜も帰って香南とゲームをしていただろうに。足跡は奥の一室に続いていた。

 ノックをしてみるが反応はない。やたらと大きな音の出る唾を飲み込んでドアノブを回した。

 

「……なんで明かりが……」

 部屋の中は空調が効いており、当然のように明かりが灯っている。

 500mlのペットボトルを複数個収められる冷蔵庫は稼働しており、エナジードリンクやスポーツドリンクがいくつも冷えている。

 ハンガーにかかっている服やスカートは見覚えのある葉月の物だった。

 

「こっ、ここに住んでいるのか? 馬鹿な……。……?」

 机にはそこにあって何が悪いとばかりにPCとモニタが三台あり、不気味な機械が奇妙な音を立てている。

 一瞬なにがなんだか分からなかったが、これはもしやサーバーではないだろうか。

 引き出しを開けると備え付けのバイブを覆い隠すように雑に1万円札が入っている。そういえば『月映しの世界』は課金が出来るんだったか。

 

「……あぁ」

 なんとなく、本当になんとなくカーテンを開くとそこはかつてゲームに指定され香南と待ち合わせをした神社だった。

 葉月は大学で何かを学ぶために潜っていたんじゃない。友達を自分以外に作れなかったんじゃない。

 二人でなければクリアできないミッションを用意し、ここであの神社を観察し、香南と出会えなかった自分に接触しに来たのだ。

 アプリで確認するとAugustusとすれ違っていた時間と葉月に声をかけられた時間と一致する。

 前にこの単語の意味を調べた時に、アフリカーンス語で八月という意味だと出てきた。言わずもがな陰暦で言うところの葉月だ。

 馬鹿にしている。こんな単純なヒントだなんて。

 

「ていうかどこに行っ――――」

 

「デートに誘って30分でストーカーかい? ちょっと早すぎないか」

 肩をいからせながら廊下に出たら壁に寄りかかって葉月が立っていた。

 まるで自分が尾行しているのを知っていたかのような行動だ。

 

「お前、何が目的なんだよ。製作者のくせに、なんも知らんふりして。何がしたいんだ。どうなってんだこりゃ!」

 今更本人言わなくても分かっているだろうが、あえて目の前で腕を振り炎を出す。

 こんなことを誰もが小さいころに一度は妄想しただろうが、別に自分は望んでいない。

 

「ある日、私は脚を失くした。その代わりにある感覚を得た。脚を失くさなかった私がこの月の向こう側にいる感覚……」

 

(なんだこいつ……――――!)

 ちょっとおかしいというのは元から知っていたが、今日は今までの倍付でおかしい。

 目的を聞いているのになんの話をしているんだ、と口を開く前に葉月の視線の先にある満月にヒビが入った。

 

「最初にただ一つだったこの世界は、いつしか砕け散り、ばらばらになった。その粒たちは縦横無尽に動き、たった一つの粒が右に動いた世界と左に動いた世界に分かれる。無限に分岐していく。数えることは出来ない。非可算の瞬間に無限に分岐していき、可能性世界はどこまでもどこにでも広がる」

 そういえば葉月は(嘘でなければ)量子力学を学んでいると言っていた。

 だが無学の自分にそんなことを説明しても分かるはずもない。月――――いや、空に入ったヒビから青白い光が漏れている。

 

「この身体には魂が合わない、定着しないってさ……いろんな創作で出てくるだろう」

 

「ちんちんぽんぽんまた何の話をしてんだっ」

 

「本当の話なんだ。身体と魂は互いに磁石のように引き合っている。違う入れ物に魂を入れても反発してしまう。逆に一つになるべきものたちを近づければなんの抵抗もなく一つになる。生物の誕生だ」

 

「あ……?」

 何かが違和感として脳裏に刺さる。葉月に言っていることが全くのでたらめであるならば、こんな違和感は湧き上がらないはず。

 

「そう、近づければ。あとはただただ一つになる。ばらばらに砕け散った全ては、私の与えたきっかけでまた一つになる。引かれ合うものを近づけただけなんだ」

 

「……俺と香南の話をしているのか?」

 抽象的な話の中に妙に自分の境遇に重なる部分がある。

 姿映しのように似て、引かれ合っている自分と香南は確かにあの日、葉月の導きにより極限まで近づけられた。

 

「ハードカバーの本を想像しろ。とても分厚い本だ。とりあえず500Pでいい。君は机に置いてそれを読む。ようやく真ん中まで読んで、本を閉じるときどうする?」

 

「……普通に閉じるだろ。しおりでも挟んで」

 

「そう、普通に閉じるだろう。250Pと251Pをつまんでくっつけないだろう? 表紙と裏表紙をつまんで閉じるだろ。表紙と裏表紙にとても強力な磁石がついていると考えろ。本が180度開いている時はどうすることもない。だが本を閉じようと表紙と裏表紙を近づければ勝手に閉じる。それが君たちだ」

 

「……香南に会うことになるって?」

 引かれ合うものを近づけたから後は勝手に一つになると言っているのだと思う。

 それはそうと、葉月の目的が分からないが――――瞬間、廃墟のビルの全てに明かりが灯った。

 

「それまで生きていられればね」

 

「お前――――!?」

 葉月がダボついた上着にかなり隠れているタイツを脱ぐと義足が出てきた。

 脚が悪いどころの話ではなく、そもそも左脚が膝から下から無かったのだ。だが、その義足を何を考えているのか外して壁の穴から投げ捨ててしまった。

 

「君に一つ嘘をついた。……嘘ではないか。言ってなかっただけ」

 めきめきと、音など鳴っていないのに聞こえているような錯覚をしてしまうほどに何も無かった部分から何かが生えてくる。

 

「私の名前……葉っぱに月じゃなくて、月が映えるって書くんだ」

 

「……『月映しの世界』の意味は……」

 

「私の世界」

 完全に脚が元に生え戻った。まともな脚の感覚を楽しむかのように、裸足で廃墟の床を叩いてた『映月』が次の瞬間崩壊した壁から外に飛び降りた。

 

「嘘だろ……!」

 いくら健康な身体に戻れたからといってはっちゃけ過ぎだ。ここは4階なのだ、普通に骨折は免れないだろうし一歩間違えれば死んでいる。

 だが慌てて覗き込んだ文字通りの断崖絶壁の下で映月は何事もなかったかのようにすたすたと歩いている。

 あまりの現実感の無さに、CGか何かだと疑った方がまだ正常な気がする、と思いながら階段を下りていく。

 

「私にはたくさん夢があった。君に夢があったみたいに……」

 

「……意味わからんけど脚が戻ってよかったじゃねえか。叶えればいいだろ、これから」

 直感だが、今から映月は取り返しのつかない破壊を行う気がする。

 それをなんとしても止めなければ、自分の夢は叶わなくなるどころか命まで落とすとも。

 

「お菓子工場の経営者、アイドル、稀代の人殺し、宇宙飛行士……なんにだって成ってみたかった。脚があろうとなかろうと、一回の人生じゃ到底足りなかった。でもこの月の向こうでどこかの私は夢を叶えているんだ」

 

「…………」

 月を眺めていた映月がこちらを振り返るとその目の瞳孔は猫のように縦長半月の形をしていた。

 それこそ猫に睨まれた鼠のように動けなくなってしまう。

 

「私には食べたいものがたくさんある。昨日はラザニアを食べたけど、ピザも食べたかったんだ。どの世界の私も何か一つを選んで、でももう一つの方も食べたかったなってきっと思っている。……だからこのゲームを作ることを固く決めたんだ」

 

「待てよ……ラザニア食っているお前がここにいて、ピザを食べているお前が別世界にいるのはいいよ。なんであっちの世界でもこのゲームをお前は作っていたんだ」

 別世界の自分は大学生じゃなくただの二ートかも、あるいはフリーターかもしれない。

 そんな可能性によって世界は分かたれていると言うことは頭の鈍い自分でもようやく理解できてきた。

 だが、そうなれば別世界の映月もこのゲームを作っていたのは納得がいかない。

 

「作るさ。どの世界の私も――――生きることがいっぱい好きだから」

 

「全然意味が分からねぇ……」

 だが、一部なら理解が出来る。

 ニートをしてようがフリーターをしてようが、プロになってなかろうが、根本的にゲームを愛している自分はどの世界でもゲームにのめり込んでいただろう。

 それと同じ理屈で、どの世界の映月もゲームを作成した、ということなのだろうか。

 

「このゲームはロープだ。ロープだけじゃ激流の中でただ流されてしまう。君たちは楔……世界と世界を結ぶ。感じなかったか? 自分達はまるで真逆の人間なのに似すぎていると」

 

「感じたさ……それがなんなんだ」

 

「あらゆる人生を送っている全ての私を繋げるには、一番遠い2つの世界を繋げる必要があった。だから探していたんだ。一番遠い世界と繋がる存在を」

 なんだかようやく言いたいことが分かってきた。色んな夢を叶えている映月が色んな世界にいる。

 その全ての世界をいっぺんに繋げるために一番遠い存在を楔として探していた。そのためにこのゲームを作った。

 一番遠い存在。犯罪者と裁判官、数学者と文学者。もちろん言うまでもなく遠い存在だろう。だが一番遠いのは――――

 

「一番遠いのは男と女だ。真逆でありながら、同じ存在……探していた」

 国民的SF漫画では、その時に自分と結婚するのが違う女性でも将来的に生まれる子孫は同じになると書いてあった。

 香南と自分はもはや親の職業も名前も違った。だが、きっと自分たちはどこかで同じ運命を辿る長い長い道の交差点にいる存在なのだろう。

 決して自分とは言えない、だが自分と全く同じ存在。映月が空の裂け目を掴み、引き裂いた。

 

「今やあらゆる可能性が一つになり取り込まれた」

 遠近感が狂ったのかと思った。空の裂け目を切り裂いた先にあったのはもう一つの地球だった。

 あまりにも近く、それも刻一刻と近づいているように見える。世界が一つになることが夢と確かに言っていたが――――誰がそのままの意味を想像すると言うのだ。

 

「おめでとう、最終章だ。残り30分で夜明けだ」

 脚が生えてくるまでならまだいい。よくないが、まだそこまではいい。

 だが今度の映月は身体が膨れ上がり、紫色の体毛が生え始め――――認識が現実についてくる前に巨大な化け猫になってしまっていた。

 それと同時に廃墟エリアの外から悲鳴と人々が騒動を起こす音が聞こえてくる。月の向こうにあった地球が近づいてくるのが自分だけではなく、全ての人間に見えているのだ。

 寝ぼけた自分の夢などではない。これが現実だ。

 

「おい……これ、どうなるんだ?」

 

「どうなると思う?」

 自分より30cmは低かったはずの映月の声が4mほどの高さから聞こえてくるという事実に脳みそが爆発してしまいそうだ。

 どうなると聞かれても、常識的に考えて地球同士がぶつかったらどっちの地球も滅びて終わりだろう。

 

「月映しの世界が一つになることで! 『月映しの世界』は完成する! 私の最高傑作……クリアできるもんならしてみろ!」

 クリアできたなら止まるぞ――――そう聞こえなくもない言葉を告げた直後、巨大なネコ科の筋肉を活かして化け猫になった映月はビルを駆け上がりあっという間に冬路の視界から消えてしまった。

 

「なんだそりゃ……クリアってなんだ」

 ゴーストタウンに一人で放り出された冬路は呆然としながら呟く、

 可能性世界とやらが一つになることと映月が化け猫になることとこの世界がゲームの中に取り込まれることが上手く繋がらない。

 3流脚本家の映画のような急展開で理屈が通っていないように感じるのは自分の頭が悪いからだろうか。

 おかしい繋がらないと一人喚いたところで月がもう一つの地球となり、人々の逃げ惑う声の聞こえるこの圧倒的現実はどうしようもない。

 だが、分からないことだらけの中で一つだけ分かったことがある。

 

「なんだよ……俺が香南と繋がったから近づいてきたのかよ……」

 友達だと思ったのに、きっともっと仲良くなれると思ったのに。

 親近感を抱いた自分が馬鹿みたいじゃないか。

 

 四方八方に逃げる人々が更なる混乱を引き起こしているのだろう。

 悲鳴に混じり交通事故の音までも聞こえてくる中で、何をするでもなくへこんでいると廃墟群に反響するヒールの足音が冬路の耳に届いた。

 

「世界中がこんなことになっているのに、どこに逃げると言うのだろうな。ふふふ……」

 どこかで聞いたことのあるような声に振り向くと、明らかに自分の方に向かってきている女が一人いた。

 癖の強い金髪のやや痛んだ印象や少々くすんだ肌から想像するに30代後半から40代だろう。その金色の髪が地毛であることを示すように目は青い。

 会ったことがある――――ゲームの中で。最初に戦った中ボスの女だった。

 

(最初の中ボス……!?)

 中ボスとはもちろん中ボスだ。間違っても最初に戦う敵ではないのに、自分はいま最初に戦った敵だと思った。

 自分の頭かこの世界、どちらかがおかしくなったのは疑いようもないが――――まさかおかしいのは自分の方なのだろうか。

 

「大魔王ですら世界の半分なのに……この世界をまるごとくれるとは実に気前がよくないか」

 あの時に戦った時の姿そのままに煙草を咥えている。

 この煙草の臭い、この声。まさか。

 

「喜多見教授……?」

 

「ほう。よく分かったな」

 

「……? なんだって……」

 ゲームの中の登場人物が現実に出てきたのはもういい。映月が化け猫に変身するならそういうこともあるだろう。

 だが、それならばなぜ現実世界の喜多見は映月を探していたのだろう。ゲームの中では映月を追うものを排除する役目だったのに。

 理屈が通っていないどころではなく、矛盾している。ストーリーが破綻してしまっている。

 

「目的は達したから、この世界は自由にしていいと。全てが思うままになる、私の世界……素晴らしい。全てが遠回りだった。これだけのことが出来るならば、馬鹿な子供を教育する必要も、私の目や耳ををいじくる必要もない」

 

「こ……この世界をもらってどうするんだ」

 

「この世界を思うままに変えてやる。私のための、私が全ての世界に」

 

「……教育者失格だ、幼稚なババァめ」

 この女が教鞭を執っていたのは日本の未来のためなんかじゃない。

 自分の理想を実現するための才能を育て使おうとしていたのだろう。天才だったとして、人に教えたり評価を与えるべき人間ではなかったのだ。

 

「……年齢もそうだ。ままならない。お前は生まれた時に何を願った。何を思った?」

 

「は?」

 

「何故自分は全知全能ではないのか。どうして私が、この完璧な私が生きてやっているのに世界は思い通りにならないんだと思わなかったか」

 

「そ、それこそガキの思うことじゃね―か」

 

「それで結構だ。消えてもらう。消し炭の一片も残らずな」

 喜多見が懐から包丁を出したのは予想出来ていた展開だ。

 だが今、纏っているマントの下から鳴った金属が擦れる音は。まさかあの下は全て刃物で埋め尽くされているのだろうか――――と考える間も無く包丁が飛んできた。

 

「!」

 時速にして200キロは出ているだろうか。

 空中に置いたように見えた包丁が垂直に飛んできたのだ。

 冬路が避けたのを確認すると同時に喜多見から更に複数の刃物が飛んでくる。

 僅かに何か違和感を感じる。

 

「なるほど、すかすかの運動神経に似合わない動体視力だ」

 

「あんたっ、ぶっ殺そうとしている生徒にかける言葉か! どうせ先が短いんだからお前が死ね!」

 どう考えても殺される雑魚敵のセリフを口にした冬路に、喜多見はまた服の下から次々とこの世のありとあらゆる日用品の刃物を出して飛ばしてきた。

 確かに以前戦った時も刃物を飛ばしてきていた。だが、そもそもその刃物は事前に用意したものではなく、虚空から生み出していなかっただろうか。

 戦闘スタイルが変わっているのだ。

 

「年齢が気に食わないなら……これでどうだ?」

 何の話だ、と言う前に喜多見の肌に確かに刻まれていた年齢から来るシワや肌のくすみが消えていき、痛んでいた髪も艶めきを取り戻していく。

 まばたき三回のうちに喜多見は冬路とそう変わらない年齢の見た目になっていた。

 セミロングのウルフカットの金髪は月明かりに天使の輪を映し、青い目が冬路の震える心まで見透かし、赤い唇がニヒルに歪んだ。

 完璧、と自分を称するだけあり、人の多い東京でもまず見かけることの出来ないほどの美人だった。

 

「このバケモンが!!」

 教授だろうが化け物だろうが殺そうとしてくるなら殺してやる――――冬路は迷わず一撃死のスキル、叛逆の獄炎を放った。

 一撃死という強烈な効果でありながら範囲・速度共にすさまじく、明らかにOP(Overpowered)なのは流石最後に覚えたスキルだけある。

 だが。

 

「思い切りがいい」

 喜多見は炎をその身に受けながら平然とこちらに向かって歩いてきていた。

 無敵――――ではなく、喜多見の言うとおりに動体視力の優れている冬路はその様子を高性能カメラのように捉えていた。

 

「弾かれ……?」

 炎が喜多見に触れた瞬間に弾かれたのだ。

 嫌な予感は大抵当たる。本能的に喜多見のスキルを覗き見ると、レベル0のスキルが解放されていた。

 

「そういうことだ」

 

「ふざっ、ふざけんな!!」

 『リペレンス:全ての敵スキルは肌に触れる直前に弾かれる』とある。

 ゲーム中たった一度の戦闘のみに使用可能なようだが、これでは勝ち目がないではないか。

 慌てて他のスキルで攻撃してみるが全て無駄。炎は弾かれ生み出した岩は明後日の方向に飛んでいく。

 なぜ喜多見のレベル0のスキルがこれで自分のは物の位置を入れ替えるだけなんてしょうもないスキルなんだ。

 

「くそっ!」

 恐怖を隠すように地面に落ちていた石を投げる。

 じゃらじゃらと死の音を立ててこちらに向かってくる喜多見を遠ざけたい一心であり、他に意図は無かった。 

 だが喜多見はその攻撃とも言えない抵抗を大げさに身をかわして避けた。

 

(……なぜ?)

 冬路が何かを察したのが通じてしまったのか、喜多見は身を隠していたマントを脱ぎ去った。

 予想通り、まるで肌着のように下着の上におびただしい量の刃物が括り付けられていた。

 おかしい。先ほど見たスキルの中に以前戦った時に使ってきた刃物を生み出すスキルもあったのになぜ使ってこないのだろう。

 中ボスらしく、敵を重力で押しつぶすスキルなんかもあったのに使てきていない。

 なぜあの石つぶては大げさに交わしたのだろう。

 

「……現実を思いのままに出来るなら何故こうして姿を表して消そうとする?」

 

「…………」

 

「俺にもスキルは通じない……。いや、現実との楔の俺が邪魔だから直接消そうとしてるんだな」

 もうここ最近ずっと理屈の通じないことが起こっている。

 だが喜多見が登場してからの行動は一貫している。スキルでは倒せないから、現実の物である刃物なんかを持ち出しているのだ。

 その理屈なら――――と喜多見が飛ばした包丁を拾い上げた。所詮は体格で大いに劣る女だ。包丁の一突きで終わるはず。

 

「なんだ。意外と頭が回るな」

 

「包丁取り出してタバコ吸って……あんたみたいなの色んなゲームだの漫画だのに出てくるぜ。鬼夫人とかいう名前でな」

 

「夫人じゃない。私は独り身だ」

 

「ああそうだろうな」

 

「処女だ」

 なんだこいつ!!――――と叫びそうになるのをなんとか抑える。

 異常者なのは元々知っていたではないか。ここで押されたらなし崩し的に負けてしまう。

 気持ちで負けてはいけない。

 

「俺だって童貞だ!」

 

「うるさい」

 

「うるっ……」

 

「すぐそこにもう一個の地球があるというのに……処女だの童貞だの。小さいんだよ」

 

「また頭のおかしい奴だ! また頭のおかしい奴だ!! どうして俺の周りは異常者ばかりなんだ!」

 

「類は友を呼ぶという言葉を知ってるか」

 

「友達じゃねぇだろ! ……!

 くだらない舌戦をしていたのはこのためだったのか、と瞬時に気が付く。

 夜の闇に紛れて分かりにくいが辺り一面に、冬路を取り囲むように刃物が浮いていた。

 これではいくら動体視力が良かろうと逃げ場など無い。咄嗟に通常スキルの炎を出し包丁を弾き飛ばし、建物の中に逃げ込む。

 入口に落とし穴を作りスキルのクールダウンを待つ。

 

「……ここだ!!」

 足音から壁の向こうに敵がいることを察知、し壁を火球で吹き飛ばす。

 崩れた壁が腹にでも当たったのか、喜多見はこちらを見ていない。

 ただの思い付きにしてはうまくいった。それもそうだ、ゲームばかりの自分と部屋にこもって研究ばかりの喜多見とでそこまで身体能力に差があるはずがない。

 人を殺さなければならないという事実に一秒ほど躊躇うも、覚悟を決めて包丁を突き刺した。

 

「完璧とはまず健康な心身から始まる」

 突き刺したように見えたのは幻覚で冬路の伸びきった腕は喜多見の手に掴まれており、状況に頭が追いつく前に脚が払われた。

 敵対している相手を前に倒れたら立ち上がろうとするのは生物の本能だろう。力をこめようと地面についた手が喜多見に踏まれる。

 身体能力に差が無いどころか、何らかの武道の経験者に違いない――――間違いに気づいたときには、横薙ぎに振るわれた包丁が冬路の両眼を掠めていった。

 

「ああ゙っ!?」

 

「無知で申し訳ないが……盲目のプロゲーマーなどいまい。ましてやスナイパーが得意だったんだろう? 可哀想に」

 眼が焼けるように熱く、まつ毛が入った時のように開くことが出来ない。 

 勝手に涙が出てきたのを感じ、まさかと思いながら舐めると血の味がした。

 刃物が空を裂く音がする。痛がっている場合ではないと腕を振り回すが――――

 

「ぐっ……」

 

「……人を刺すのは初めての経験だが……実に気持ちの悪い感触だ。そのまま死んでくれると助かる」

 眼の見えなくなった相手を刺すなんて赤子の手をひねるよりも簡単だったのだろう。

 脇腹に妙な違和感を感じたと同時に脳が痛みの信号を発し、立っていることも出来なくなった。

 息を吸うと激痛が迸り、血があふれ出てくるから呼吸すらも出来ない。まさか、こんなことで終わってしまうのか。

 

(うそ? 終わり?)

 だんだん痛みが引いてきたというよりも、もう感じなくなってきたらしい。

 血が出ていく感覚だけが鮮明で、何も見えない。突き刺さった包丁は思ったよりも深々と刺さっており、すぐにでも治療しなければ死は免れない。

 

 死んだように生きてきた一年間を乗り越えてようやく戦う決心がついたのに。

 こんなところで訳の分からない女に刺されて死ぬなんて。

 

「――――、――――」

 喜多見が何かを言っているが耳が言葉として認識してくれない。

 ただでさえ貧血気味だったのだから、もう既に致死量の出血をしてしまっているのかもしれない。

 今から人のいる方に這いずっていっても誰かすれ違う前に死ぬだろう。

 

(……なんのために…………)

 誰からも必要とされず、ただ己の存在価値を己で拾い集めるしか無かった人生。

 ようやく見つけた自分を得る手段でさえも否定された。

 だとしたらなぜ、なんのために自分は生まれたんだろう。

 どこか諦念を抱いて冷静な頭が、人生を振り返り始めている今の状況を走馬灯だと言っていた。

 

***********************************

 

 4点先取の試合なのに、Brain Dead Catに先に3点取られていた。

 確実に言えるのは、その時冬路は今までの全てのゲームの中で最高のパフォーマンスをしていたということ。

 それなのに3回連続で負けていた。自分や自分のチームが相手に劣っているとは思えない。

 当たり合いで負けていないし、キル数も劣っていない。それなのに負けているのだ。

 

 理由は先ほどのハーフタイムではっきりしていた。

 BDCの選手はどいつもこいつも完成度の高い選手だが、その中でも三人別次元の選手がいる。

 Fooroは当然のこととして、どれだけ揺さぶりをかけてもまるで揺るがないGjallarhornも精神が別次元に達している。

 だがそれはいい。前もって分かっていたことだ。

 Meanがキーマンなのだ。戦うまでは分からなかった。宇宙一性格の悪い男と呼ばれるMeanの攻撃のいやらしさ、的確さ。

 エイムはそこそこ、立ち回りだってぼちぼちなのに相手の嫌がるタイミングで攻撃をしかけるという一点のみが他のどの選手と比べても頭二つほど抜けているのだ。

 

 ゲームは進化しながら激化した。

 初期はただの兵士がぱちぱちと撃ち合うだけで、違いといえばせいぜい持っている武器くらい。

 だが、よりエンターテイメントに溢れ、よりプレイしている者・見ている者を惹き付けるために兵士にもやがて個性や背景が与えられ、固有の能力が与えられた。

 Meanの使うキャラは火力は極めて低いが攻撃をするまでは完全に透明・無音になるスキルと敵のスキルを封じるスキルを持っていた。

 敵の嫌がることを察することの出来る人間、要するに性格の悪い人間が使うと止められなくなるキャラだった。

 

(いいぞ………順調だ、上手くいっている)

 スナイパーである冬路はその時も高台を取っていた。

 敵の位置も分かっている。味方の位置取りも最適だ。

 当たり合いの前でこれ以上整った戦場は望めないだろう。

 だが本当に今度こそ上手くいくのだろうか。

 

(上手く行ってないから三連続で負けているんだろ)

 Meanの位置は分かっていない。透明なんだから当たり前だ。今もどこかで息を潜めている。

 自分たちが上手くいっていると思っている作戦を嘲笑っている。なんて野郎だ。性格がとにかく悪いというその一点突破でトップクラスにいるなんて。

 今日初めて顔を見たが実際性格の悪そうなドブみたいな顔をしていた。あの顔で世界中の人間の努力を踏みにじり煽っていたなんて許せない。

 ここでストレートで自分たちを負かしたら、Meanはそれこそ再起不能なまでに自分たちを煽るだろう。所詮雑魚の癖に何を夢見てやがったんだ、と。

 

「殺すぞ」

 漏れてしまった呟きがボイスチャットを通してチーム全体に行き届き、何人かが驚いたかのように冬路の顔を見た。

 意味のない感想を喚き散らすヤツ、的確な指示を飛ばすリーダー適正溢れる人物、言っていることが全て的外れな大バカ者、色んなタイプがいるが、冬路は必要最低限の情報だけを共有しあとは全く話さないタイプだった。その冬路が発した突然の暴言はAnother Oneのメンバー全員の動きを止め――――冬路の操るスナイパーから放たれた弾丸がMeanの頭を貫いていた。

 

 目に見えない敵を殺す。

 難しいように聞こえるが、シューティングに慣れた人間なら誰でもやっている戦法だった。

 それは音であったり経験であったり、色々な理由によるがとにかく自分の感じる敵のいそうな場所を見ずに撃つという行動は熟練するにつれ精度を増す。

 

 直感の7割は正しい、と将棋のトップ棋士は言った。

 早指しで敵を殺しきる棋士、目を瞑ったままフリースローを決めるバスケット選手。

 どちらも培われた経験によるものだ。

 

 敵のいそうな場所を撃つ――――決め撃ち。

 見えない敵を殺すことなど、スナイパーとして世界頂点にほど近い冬路にとっては日常茶飯事だった。

 下手が時間をかけて狙った弾丸よりも達人の決め撃ちの方が当たってしまう。

 

 ハーフタイムでリプレイを見た時、Meanはいつも冬路のそばにいた。というよりも見えていないだけで視界の中にすらいた。

 目の前にいたのに気付かなかったのか、と行動だけで煽られているようだった。

 

 その積み重ねが冬路の予測精度を上げ、ついには完全に透明のまま冬路の斜め前に立っていたMeanの頭を貫いていた。

 人数差を突きつけられたBDCはそのまま調子そのものも崩し、格下のAnother Oneと3対3の同点にまで持ち込まれてしまったのだ。

 

********************************

 

 あの域にまで至れたのだ。

 次は。次こそは、頂点を取れる。

 目が見えないからなんだ。俺は見えない敵だって殺す。

 腹に刃物が刺さっていたって、まだ生きている。

 

「神様……どうか……」

 

「ここにきて神頼みか」

 先ほどは聞こえなかった喜多見の声が聞こえる。

 走馬灯から確かに僅かな勝ち筋を拾ってきて希望を見出したからだ。

 

(その後死んでいい……地獄に落ちてもいいから)

 腹に突き刺さったまま痛み続ける包丁を握る。 

 冷静になって触ってみれば大した大きさではない。そもそもこれは包丁ではない。

 せいぜいペーパーナイフくらいだろう。これならば恐らくまだ致命傷にはならない。

 まだ、戦える。

 

「……。俺にもう一度あの女と戦わせてくれ!」

 神頼み結構、覚悟を決めてナイフを引き抜くと鋭い痛みが蘇った。

 だが抜いた瞬間が痛みのピークで抜けた後はなんとか立てる程度にはなった。

 まだ攻撃が来ないうちにジャンパーを脱ぎ傷口を抑えるように縛り付ける。

 

「神に願うなら勝たせてくれじゃないのか?」

 

「あんたには……いや、お前らには分からねえよ。この手で、俺の手で掴む勝利以上に価値のあるもんなんてないんだ!!」

 痛み続ける目を開くと本能的に瞼が閉じようとするが、真っ赤な視界の中で喜多見はなんとか見える。どうやら傷ついたのは瞳孔ではないらしい。

 それでも常に血が溢れているため目を開き続けることは出来ない。結局は見えないのと同じだ。

 だが潰れていないならば、この女を殺して治療すればいいだけの話だ。またプロに戻るのだ。

 

「いつかまた……今度こそ全部俺の物に……」

 赤い地球が冬路の身体を照らす。人生で一度だって目映い光が自分の物になったことなどない。

 この世界が嫌いだ。死ぬほどまでに積み上げてもいとも簡単に奪い去ってくれる。お前を主人公なんて認めないと突き付けてくる。

 もうそれでいい。持ち上げてくれなくていい。特別な扱いなんかいらない。自分の力で世界に理解させてやるのだ。後にも先にも一番強いプレイヤーがここにいると。

 

「戦いに向かう為に戦うのか。まるで鬼だな。戦場でのみ存在を保てる幽鬼」

 

「……そうだ……戦うんだ……」

 

「……大抵の子供はつまらない成長をする。勉強ができても……見た目が優れていても……100年後には誰もその名を口にすることすら無い。何かを成し遂げたいならば。時代を切り拓く刃になるならば。多少なりとも気が狂っていなければならない!」

 向かってくる。それもこれまでのゆったりとした歩みではなく走って。

 予想外に立ち上がった冬路に多少なりとも焦りと昂揚を感じているのだろう。

 じゃらじゃらと鳴る金属音に惑わされずに振るわれた刃を避ける。

 

(!)

 明らかに、喜多見から発せられる刃がぶつかる金属音が減っている。

 走っている間に落としたなんて、喜多見がそんなミスをするはずがないし落とした刃物が地面にぶつかる音を聞いていない。

 

「痛ッ!!」

 更に突き出された刃物をなんとか掴むことに成功する。

 手や腕ではなく刃そのものを掴んでしまったことはよくないが、見えない中で二回連続で避けられただけでもよく出来ている方だ。

 

「耳もいいようだな。いいぞ。今のお前ならC評価にはならない」

 誉め言葉とほぼ同じタイミングで喜多見の膝が出血し続ける冬路の腹に強かに当たり、再び膝から崩れ落ちる。

 だが隙だらけの冬路にとどめの一撃が来ることは無かった。

 

(……違う)

 この予測は間違っていない、という絶望感に先に襲われる。

 減っていた分の金属音は空中にばら撒いた刃物の数とイコールだろう。

 巻き込まれる前に喜多見は離れたのだ。

 

「耳がいいならこれから起こることも分かっているな?」

 

「……俺の兄貴は天才だった」

 

「……?」

 

「何をやってもトップクラス……ゲームでさえも上手いなんてもんじゃなかった……俺より後に始めたのに二カ月でグランドマスターになっていた……」

 準備は整っている。後は気づかれなければいいだけだ。

 隙とも思っていない隙をそのままでいさせればいいのだ。

 

「なんの話だ」

 

「じゃあ何が……俺をプロにしたか……」

 先ほど触れた刃が今も喜多見の手の中にあるのをぼんやりと感じる。

 あれを捨てていないという事実と自分のスキルが喜多見のそれと比べて弱すぎるという現実こそがチャンスだ。

 

「……。最期にしては面白い話だ。才能や努力の差ではないと?」

 

「……兄貴はエリクサーを使わない。使えない人間なんだ……最後まで……」

 

「……? ……!!?」

 リバース。喜多見の持っていた包丁と位置を入れ替えた冬路は、喜多見の腕を全く運動をしてこなかった人生の中で一番の力込めて握っており、爪が肌を貫き肉に食い込んでいた。

 

「ぶっ殺す前に。ありがとう。あんたのお陰で俺はまた戦える」

 冬路は切り札を使う。切り札を切れない人間は最後に勝てないのだ。

 指先から雷のように放たれた叛逆の獄炎が喜多見の肉の中に入り瞬く間に全身に広がる。

 あっと言う暇もなく、冬路の目の前にそばに立っていることさえも出来ない火だるまの物体が出来上がった。

 

「……見事だ。素晴らしいとしか言いようがないな」

 

「なんで喋れる……」

 瞼を開くと真っ赤に燃えている喜多見が映る。

 最早髪すらも燃えて無くなってしまっており、口から血の蒸気が上がっている。それなのに喜多見は平然と立っている。

 

「ヒントをやろう。作者はナイフで刺されたことなどない。だから刺された本物の痛みなど知らない!」

 

「は……?」

 強がってはいたものの、腹を刺された上にそこを蹴られたのだ。

 流石に出血量が深刻な域に達したのか、とうとう冬路はその場に膝をついてしまった。

 

「お前も今までの人生で刺されたことなど無い。だから刺された本物の痛みなど知らない」

 

「あんた……燃えてんだから転げ回れよ。泣き叫べ。勝った気がしないだろ……」

 

「あいにく身体中が燃えたことなんてないからな。ふふ……ははは……」

 そのまま最後まで燃えていることを全く意に介さないまま喜多見は燃え尽き、焦げた複数の刃が地面に落ちる音が廃墟だらけの空間に虚しく響いた。

 腑に落ちない点も疑問もいくらでもあるが勝ちは勝ちだ。回復スキルを使ってとにかく立てるようになるまで体力を戻そうとするが。

 

「……そうか…………」

 回復スキルはもちろんゲーム内の技だ。

 自分は喜多見の攻撃をスキルで言えば一撃ももらっていない。

 この眼も腹も現実にある刃物で攻撃されたものだ。それをゲーム内のスキルで回復できるはずがない。

 それでもなんとか立とうと地面に手をついたら妙なぬめりに滑って転んでしまった。

 

(これ……俺の血か……)

 無様に地面につけた頬も手も余すことなく濡れた何かに触れる。

 ここ最近雨なんか降っていないのだから、これは全て自分の血ということになるだろう。

 なんとか壁に背をつけて座る形までは持ち直せたが。

 

(勝ったのに……)

 今度こそごまかしが効かず本当に体を動かすことができない。

 気力はあっても力を運ぶための血が圧倒的に足りていないのだから。

 

「……あの女……?」

 寝ずに30時間起きていた時のように意識が朦朧としてくる。

 先ほどの自分の言葉も、いま自分が発している言葉もあいまいになってくる。

 

「女だったっけね……ふっふっふ……」

 なんて馬鹿馬鹿しい。ただ自分はゲームで勝ちたかっただけだというのに。

 気づけばこんな意味の分からない場所で大量に血を流して死にかけている。

 遠くから聞こえていた喧噪も聞こえなくなってしまった。最後に見たもう一つの地球は今にもぶつかりそうな場所にあった。

 全てが無駄だったとしたのならば最初からずっと家で腐っておけばよかったのに――――また誰かの足音が聞こえた。

 

「生きてる?」

 

「……映月……お前……」

 聞こえてくる衣擦れの音や気配から今は人間の姿でいて、冬路の傍にしゃがみこんでいることがわかる。

 完全に詰みだ。今の自分はもはや五歳児でも殺せる。

 

「まさか喜多見に勝つなんてね。てっきりざく切りポテトにされているのかと思ったけど」

 

「とどめ刺しに来たのか……」

 

「やだなぁ。自慢しに来たんだよ」

 

「……?」

 血の臭いに麻痺した鼻腔をふいに撫でる甘露の匂い。

 目が開いていない分、他の感覚が敏感になっているのだろう。

 この血なまぐさい廃墟に似合わないショートケーキの匂いがする。

 

「これこれ。私がケーキ職人の世界もあったんだよ」

 

「…………」

 信じられない。本当に敵意の欠片もなく、まるで友人に自分の作った菓子を自慢しているかのようなトーンで話しかけている。

 ほとんど死人の自分に対して、と考えるとぞっとする。

 

「一口食べてみてよ」

 

「なんだお前……やめろ、わけわからんこと……」

 おそらくはフォークで一口サイズのケーキを口元に差し出されている。

 絶対美味しいから、と言葉を続けているが一体何を考えているのか。

 口の中が血まみれなのに味など分かるはずもない、と思っている間に無理やり口をこじ開けられケーキを放り込まれ――――人生で一度も味わったことの無い、脳の奥まで痺れるような甘味が冬路の全身に迸り――――

 

「美味しいでしょ」

 

「……なんだ!?」

 今の今まで見えなかった目が開き腹に空いていた穴がふさがっている。

 赤ずんでいた視界が一気に開け、見慣れた垂れ目にサイドドレッドの映月がそばにいた。

 ほらもう一口、と近づけてきたフォークを焼き払い慌てて距離を取る。

 

「うわ、ひどい。せっかく親切にも伝えに来てやったのに」

 喜多見のように炎を弾きはしていないが、手が燃えているのに何事もないように言葉を続けている。

 分かってはいたがこいつも異常者だ。どいつもこいつも、なぜ自分の周りは精神か頭に異常をきたしている人間ばかりなんだ。

 

「伝えにってなんだよ。今度こそ殺しに来たんじゃないのか」

 

「そこだよ。君が殺されるならさ」

 鈍い冬路の頭が珍しくそこまで聞いただけで途中の過程を飛ばして一気に答えをはじきだす。

 

「やめろ!! 俺と違って、」

 

「補助スキルを中心にビルドしていったもんな。まぁ殺されるだろうね」

 自分が喜多見に襲われたように、あちらの世界でも香南は何かしら無敵に近い能力を持った異常者に追い回されているに違いない。

 このゲームは協力が不可欠だと早くに気が付いた香南は回復・補助系のスキルばかりで攻撃系はほとんどない。

 そして回復も補助も、自分と同じなら自身には効かないのだから本当になすすべもない。

 

「助けに行く方法はあるよ。ただ、思いつく前に死ぬと思うけど」

 優れた動体視力を持つ冬路の目は、燃える映月の腕が殺意の籠った巨大な爪を生やした猫の手となりこちらに振り降ろされる光景をゆっくりと捉えていた。

 

「こんなところで死んだら――――」 

 ゆっくりと捉えているではなく本当に時の流れが遅くなっている。

 冬路の頭の中にあった二通りの言葉の続きが、それこそゲームの選択肢のように浮かんでくる。

 

【香南に会えないだろうが】

【風露と戦えないだろうが】

 

 これはいったい何なのだろう。

 最初の選択肢は自分でも気が付かなかった逃げ道に浮かんでいる。

 あちらに逃げて、その方法とやらを考えればまだ助けられると。

 もう一つの選択は映月そのものに描かれている。

 ここまで来てもなおゲーム的であり続けようとする世界ならば、どちらかが正解でどちらかが外れなのだろう。

 まるで今までの人生を振り返る最後のチャンスのようだった。

 好いた異性を守るために走るのか。それでもなお己のために戦い続けるのか。

 

 わざわざ時間を止めてくれなくたって最初から決まっていた。

 強くなるために生きてきた。これまでも、これからも。そのこれからが後ほんの数秒しか無かったとしても。

 ほんの数分前、死に際から蘇った時も、戦っていた時も、それしか頭に無かったのだから。

 ごめん、と月の向こう側の届かないあの人に小さく呟いた。

 

「風露と戦えないだろうがぁ!!」

 たとえゲーム的に、あるいは一般的に不正解だろうと自分にとっては正解なのだ。

 誰だって、誰かに認められたい。生きている価値があることを確かめたい。

 ファンに応援されるのはいい。親や友人に褒められるのもいい。だがそれよりも、何よりも、誰よりも。

 

(風露に認めてほしかったんだ……!)

 ライバルであり憧れである風露に認められたかったんだ。頑なな心の奥底の純粋な願望。死を前にしてようやく気が付き血を洗い流すような涙が零れる。

 ここにお前の同類がいるんだ。俺ならお前を理解できるから、俺の事も理解してくれ。

 本当は消えたくなんてなかった――――慟哭の叫びが心臓から直接飛び出していた。

 まともに考えれば効くはずもない劫火が映月の身体を包み、太陽よりも眩しい爆炎の中から何かが冬路の胸に飛び込んできた。 

 

「はっ……あっ……本物……?」

 

「……!?」

 反撃が来るに違いないと、次の瞬間には胸に大穴が空いているはずだと覚悟を決めていたのに。

 冬路の胸の中にいたのはこの世界にはいないはずの香南だった。正解のはずがない選択肢なのに。

 

「やった……すごくかっこいい……」

 自分よりも頭二つほど小さい香南が胸に顔を埋めてくる。

 自分の人生にはこれまでも、そしてこれからも一生ないと思っていたもの。

 どこまでも突き詰めた己の欲の先にあった奇跡。それを素直に喜べないのは――――

 

「香南……血が……」

 自身が放った炎と月明かり以外が一切なかったため気が付くのが遅れた。

 香南の身体がやけに湿っていると思ったらそれは全て血で、身体のあちこちに刃物が突き刺さっている。

 訊きたいことなど山ほどあるが、まずは何よりも救急車だ。

 

「もう……無理だと思う……」

 来るかどうかは別として119をコールしようと携帯を開いたら目の前の香南のステータスが映っていた。

 普段は4桁ある体力が5しかなく、見ている間にまた1減った。出血状態なんてわかりきったことが書いてある。

 全てのスキルはクールタイムに入っておりここに至るまでにどれだけもがいたかが伝わってくる。

 たった三回しか使えないレベル0のスキル、『マスターキー』も使い果たしてしまっている。

 

「……このスキルでこっちの世界に来たのか」

 

「壁際まで追い込まれたときに使ったら壁に穴が開いてね……思いついた……」

 どんな鍵も開くという使いどころに悩むスキルだが、その様子を見て発想を飛躍させてこちらの世界と繋がるワープゲートを開いたのだろう。

 

「もういいから、喋っちゃだめだ」

 突き刺さっている刃物に触れないように細心の注意を払いながら香南を抱える。

 すでにもう一つの地球は空を覆うほどまでに近づいてきてしまっている。

 

「違うの……伝えに来たの……どうすればクリアできるか分かったから……」

 

「え……? じゃあなんで! 俺のところになんか来ないでさっさとクリアしてしまえばよかったのに!」

 そのクリアの方法とやらも、クリアの定義もとりあえず置いておいて、分かったならさっさとその条件を達成してしまえばよかったのに。

 なにもこんな死にかけてまでこちらの世界に来る必要なんかなかった。いまだって呼吸をするたびに口から血が垂れている。

 さっきのケーキを燃やしてしまうんじゃなかった。

 

「私はもうクリアは出来ない……」

 

「……! このスキルを使えばいいんだな? どうやって?」

 残しておくつもりなど無かったが偶然にも自分はあと一回だけ残っている。 

 香南は使い切ってしまっていることといまの言葉からも、このスキルが鍵なのはよくわかる。

 

「気付くだけ……本当に気付くだけなの。たぶん私は……全部忘れてしまうけど……」

 

「待て、しっかりしろ……!」

 死の際の際まで来ると正常な思考が出来なくなり、まともな言葉も発せなくなってくるのだ。

 自分がさっきまでそこにいたからよく分かる。だが、どこまでも鈍い自分の頭ではさっぱり理解が出来ない。

 

「私は会いに来たよ……。だから……」

 

「だから?」

 

「私に会いに来て」

 キン、と甲高い金属音が鳴り響き、その瞬間に腕の中にいた香南が影も残さず消えてしまった。

 惑星の衝突の音ではない。あまりにも音が高すぎるし身体を揺らす衝撃など欠片も無い。ただひたすらに超高速で金属がぶつかる音が続いている。

 それこそまるで目覚ましのベルのような――――――――ようやく、香南の言っていた言葉の意味が分かり『気が付いた』。

 この音は『本当に目覚ましの音』なのだ。映月も夜明けまで30分と言っていたじゃないか。

 

「『リバース』」

 二つの物体を入れ替えるスキルだがそれだけではないかもしれない、という妙な説明文。

 誰も知るはずが無いのにゲーム内マップに登場した自分の部屋。欠けた記憶の違和感。矛盾を繰り返し破綻した物語。

 気付くことこそが鍵だったのだ。携帯に映る『リバース』の文字が掠れていき、気が付けばRebirthになり替わっていた。

 本当の自分への生まれ変わり。世界を壊すベルの音と共に視界が白んでいく。

 

「会いに行けよ」

 気付けばまた廃墟の壁に寄りかかって立っていた葉月が最後の言葉を送り、秋葉冬路という存在は完全に消滅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 Dream her all the time

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2032年 東京 練馬区

 

 その日も昨日と同じように、こめかみに奔る緩やかな刺激に全てを忘れて目を覚ました。

 眠っている間中にずっと頭に付けていた300グラムほどの機械を外すと結っていた髪がはらりと解けてしまった。

 

「……またクリアできなかったってことね」

 技術の進歩は加速を続け、その恩恵はゲーム業界にも当然もたらされていた。

 1年前に発売されたこのハード、Dream Reality(DR)は人の夢を操る。眠っている間に見る夢そのものをコントロールしてゲームにしてしまうのだ。

 おまけに、夢を見ているのだからずっとノンレム睡眠のはずなのに寝覚めは非常にすっきりしており睡眠不足感も全くない。

 人の脳を使うことによるゲームの容量からの解放などの理由以上に、健康器具としても爆発的に売れているハードだった。

 なんでもDRを持っている者はそうでない者よりも睡眠時間が平均して1.2時間多くなり、開発した企業は政府から助成金を受けているとか。

 

 脳が人間を支配している。

 そして人間の脳はこの世で最も精密で再現の難しい機械だ。

 もしも脳で機械の操作が出来たら。

 もしも脳の処理能力をコンピューターに繋げられたら。

 もしも脳内でゲームが出来たら。

 それはこの世で最も精巧なゲームに他ならない。

 脳の操作はグラフィックやサウンドの一つの到達点なのだ。

 これよりも画素数を増やすことは可能だろうし、音域を広げるのだって可能だろう。

 だが、人間の脳や器官はどうせ脳の認識できる以上には認識できない。認識できないならそれ以上を作っても意味がない。

 どうせ創作物なのだ、人間の想像以上のものは作れないんだから脳をハードウェアにしてもなんの問題もない。

 

 

「うん?」

 ブレスレット型の携帯が持ち主の目覚め検知し、振動しながら光った。

 誰かからメールが来たか、アプリの通知か。

 手を広げると手のひらの上にホログラムの画面が広がった。どうやら後者だったらしく――――その通知を見てひっくり返りそうになった。

 基本的にSNSの通知はフォロワーからのリプライ・メッセージ以外は切っている。

 果たして、その通知の送り主は自分が待ち焦がれていた人物からだった。

 

【今日、10時に渋谷の摩多羅神社で会えないか】

 

 彼からのメッセージに短く肯定を返し、急いで外に出る準備をする。

 

 

 そのハードには主に2タイプのゲームがあった。

 三人称と一人称――――といってもファーストパーソンやサードパーソンという意味ではない。

 最初からゲーム内で『これはゲームだ』と知っていて暴れ散らかすタイプ。ストレスの多いこの時代に多いに売れた。

 ゲームの中だと知っているならどれだけ好き放題しても構わないのだから。三人称タイプのオンラインゲームは夢の中でも友人や恋人に会えるということもありどのソフトもそれなりに売れている。 

 

 もう一つはゲームの中でゲームだと分からないまま、現実世界の記憶をロックされその世界の主人公そのものになりきるタイプで、その特性上オフラインゲームに非常に多い。

 夢から覚めてから『夢で良かった』となるタイプのホラーゲームや謎解きなどに多い。

 このメモリーロックを使うゲームの特性はネタバレが通じないことにある。

 現実の記憶は眠りの中で強制的に遮断され、物語の主人公になる。

 普段見る普通の夢の中で、現実の自分が大人なのに高校生になったとしてもなんの疑いも持たないのと同じように、攻略法をネットで見たとしても意味がない。

 

 そして今プレイしている『月映しの世界』はその中でも更に特殊で、クリアしない限りは目が覚めても夢の世界の記憶を現実に持ち込めないのだ。

 全く新しいタイプのゲームと銘打ってこのハードを制作した会社からフリーで配布されたソフトだが、配信から2週間経ってもクリア率が0.1%であるあたり相当に難しい内容なのだろう。

 

 

 化粧を終え、髪を結い帽子を被ると意を決したように立ち上がる。

 今が9時だから多少急がなければ。自分にしては非常に珍しく、早足でがちゃがちゃと歩きながら部屋を出ると――――

 

「わっ」

 

「うわ! おはよう、早いね」

 これから買い物にでも出かけようとしていたのか、着替えと化粧を済ませた姉が同じタイミングで隣の部屋から出てきて危うくぶつかりかけた。

 

「おはよう、おねぇ」

 

「お仕事? じゃないよね、今日は何もないって言っていたもんね」

 何もない日はずっと部屋にこもっている自分が朝早くから出かけようとしているのが珍しくて仕方ないらしく、好奇心旺盛な吊り目で『なんでそんなにお洒落してるの』『どこに行くの』と問いかけてくる。

 

「まさか男の子に会うとか!?」

 

「かもね」

 いつもこんな風に姉の好奇心を受け流すが、今日のこの三文字はどこか不自然だったらしい。

 正解だったと感づいた姉はにわかにはしゃぎ始めた。

 

「ほんと!? どこで会うの!?」

 

「渋谷」

 

「ひゃー……駅まで送ってってあげようか?」

 自分に気を使って言ってくれているのだろうが車の免許も無いのに一体何を言っているやら。

 相変わらず天然気味だ。

 

「じゃあ行ってくるね。誰にも言っちゃダメだよ」

 

「はい、誰にも言いませーん」

 

(おねぇじゃ無理だろうなぁ……)

 自分のことを理解して、誰にも言わないと言ってくれてはいるもののそもそも口が軽いし隠し事が態度に全て出てしまうタイプだから遅かれ早かれ少なくとも両親には訊かれるだろうな、と思いながら外に出る。

 何も無い日に外出するのは本当に久しぶりだった。

 

 

*****************************************

 

 

 通勤通学の時間ではないが、それでも平日だからか電車は混んでいる。

 運よく席を譲ってもらえたため、30分立ちっぱなしという拷問にはならずに済みそうだ。

 自分のようなガラの悪い見た目の人間にそれでも席を譲ってくれる人がいるなんて、日本もまだまだ捨てたもんじゃない。

 

(『月映しの世界』のクリア条件は……この世界が夢、もしくはゲームであると気が付くこと……)

 調べたらクリア条件はすぐに出てきた。簡単に言ってくれるがかなり難しいように思える。

 それはつまり『いまここで生きているこの現実を疑え』と言っていることに等しい。 

 一応後半に行くに連れヒントは増えていくようだし、ストーリーも辻褄が合わなくなっていくようだがそもそも夢とは支離滅裂でそれでも夢だと気が付かないものなのだ。

 出会う人々から貰うヒントが組み立てられないことに確信を抱かなければならないのは相当に難しい。

 

(私は夢で誰と会っているんだろう)

 シナリオライターが数十人いるところを見ると、プレイヤーの年齢や性別、職業などの属性によってある程度ストーリーを変えているのだろう。

 ゲームの容量自体はそこまで大きくないから、恐らく登場人物自体は全て自分の出会った人物もしくはそのモンタージュになっているはず。

 

(おっ、この人は知ってる。これは……誰だろ)

 ライターの中にはHeesuや横田信一郎などわりかしその道での有名人もいて、彼らならそこそこまともなストーリーを作っているだろうが中にはK-Knotなど見たことも聞いたこともないライターもいる。

 検索すると、軽率に世界を終わらせる物語ばかりを書くと批評が出てきたが、そんなストーリーならいくらなんでも流石に夢だと気が付きそうだ。

 そんなど素人に毛の生えた程度の人間が書いた適当な物語で踊らされていると考えるとちょっと頭に来る。どうせ寝ているときにやっているゲームなのだからやめてもいいのだが。

 

「渋谷なんて初めて来たな……」

 駅の改札を抜けるとブレスレットが光る。

 練馬から渋谷までの運賃が口座から引かれるなんて今まで全く無かったと思う。自分とは全く縁のない街だから。

 久々に歩いたせいでやや疲れた足を引きずりながら電子コンタクト上に浮かぶ道案内に従っていく。

 この間買ったこのコンタクトは高かったが度も入っているし、ブレスレットと繋げればわざわざホログラムを展開しなくても目に映るから色々と便利だ。目を閉じても瞼の裏側で操作が可能という優れモノだ。

 おまけに、というかこのおまけが気に入っているのだが日によって気分で色を変えられるのだ。わざわざいくつもカラコンを買わなくていいわけだ。

 通販で買ったから心配だったがいい買い物だった。

 

(……? なんか通ったことある気がする)

 案内通りに歩いていくとどんどんと人通りが減っていくのに、何故かここを歩いた記憶があるような気がする。

 そういえばあのゲームはストーリーはいくつかあれど全て渋谷が舞台だったか。

 容量のほとんどを渋谷区のデータに食われていた。きっと覚えていないだけでここを歩いたこともあるのだろう。

 

「……ここにも来たことがあるってこと……? えぇ……」

 ようやくその摩多羅神社とやらについたがやはり知っている気がする。

 だが寂れるという言葉も陳腐なくらいに寂れている。少なくとも参拝客など、今年に入ってからまだ10人も来ていないだろう。

 渋谷区とは思えないほどに静まり返った神社を陽気な春風に吹かれながら歩く。

 一応その辺のビルよりは待ち合わせ場所として機能しているようだ。

 髪を白染めにしたいかにも今風渋谷風といった格好をした背の高い青年が誰かを待っているかのように突っ立っている。

 

(さすが渋谷……こんなとこにもカッコいい――――え?)

 背も高いし素で顔がいい人だなぁ、と横顔を見ていたら青年は視線に気が付いたのかこちらを向いた。

 誓って、あんな風貌の知り合いはいない。それなのにその顔をどこかで見た気がする。

 

「あ、あれ? あれ?」

 一方の青年は何かの確信を持ってこちらに向かって歩いてくる。

 やはりこの人物を知っている。どこかで会ったことがある。

 どこの何者だ――――と口を開く前にやや怒り顔の青年に肩を掴まれた。

 

「風露! いったい何が目的で俺のゲームに出てきやがった!」

 

「あんた……」

 間近で顔を見て。

 なにがしたいんだよ――――と発するその声を聞いて。ようやく分かった。

 明川新路。Shinという名前でかつて自分と、燕風露と日本最強を争った男だった。

 

 



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#4 電視遊戯少女

#4 電視遊戯少女

 

 

 

 ある日、鬼は出会いました

 もう一匹の鬼に

 角も生えていないし

 肌だって赤くも青くもないけれど

 一目見てそいつも鬼だと分かりました

 

 心から求めていたのは

 最強よりも

 最強の自分を受け止めてくれる相手だったと

 戦いながら気がつきました

 

 戦いはまるで二人でかじりつく極上の果実

 

 今まで積み上げてきたすべてを

 たくさんの人間を壊してきたすべてを

 ぶつけられる喜び

 受け止められる喜び

 

 

 全てはこの瞬間のためにあった!!

 

 近付いてくる終わりの中で感動を噛みしめていました

 

 

 

 戦いの中で 

 鬼は気がついていました

 

 戦いが終われば

 あの鬼は鬼ではなくなると

 あの鬼が強い理由は

 自分の強さを誰よりも信じているからだと

 

 そして戦いは終わり、もう一匹の鬼は消えてなくなってしまいました

 

 また鬼はひとりぼっちになってしまいました

 

 

 

***********************************************

 

 

 全ての子供たちには大きく未来が広がっている。

 特に風露には、その天から与えられた才能によりそれこそ無限大に広がっていた。

 はずなのに。今ではこの8畳の部屋だけが風露の世界になってしまった。

 

「…………」

 14歳の夏。四季感のない部屋のベッドの上でただ何をするでもなく、風露はかつて手にしたトロフィーを眺めていた。

 13歳時点で100m11.72秒という記録で走り抜けたあの日、二位の選手と一秒近い大差があった。圧倒的な一位、疑いようのない最速の証。

 今の自分には全く不要になってしまったトロフィーを力任せにへし折って散らかり放題散らかっている部屋に放り投げた。

 

「くそっ……」

 膝から下が無くなってしまった左脚を見て、喉の奥から悲鳴のような声が漏れた。

 ここから、これから更に速くなって更に有名になっていくはずだったのに。

 自分が欲っする全てをこの脚で駆け抜けて手に入れるはずだったのに。

 

「私の脚を返せ……」

 脚は膝から下が切除され、治療の過程で長かった髪も全て抜けてしまった。

 義足のリハビリは途中でやめてしまい、学校にも行かずに引きこもっている。

 当たり前だ。学校なんか行けるはずがない。勉強は出来たほうなのに治療の時間があまりにも長く、同級生にかなり遅れを取ってしまった。

 運動は言わずもがな出来たのにリハビリすらもサボったおかげで無様に這いずることしか出来ない。

 見た目だって控えめに言っても相当可愛らしく、言い寄られたことは両手で数えられないくらいあるのに今の自分には脚も髪も無い。

 気になっていた異性だっていた気がする。だが、一日の感覚が溶けるくらいに引きこもった結果、その男子の顔すらももう思い出せない。

 クラスの中心だったはずなのに、自分なんかいなくてもあのクラスは回っている。もうどこにも行けない、居場所が無い。

 

 負けるのはいい。今までも何度となく負けた。

 次の糧になるから、次があるから、最後に勝てば全ての敗北は勝利への過程になる。

 だが今の風露は一生庇護されるべき弱い存在になってしまった。

 負けることも努力を重ねることも耐えられたが――――

 

(このまま老いて朽ちていくのがたまらん……)

 不幸中の幸いなのか、不幸中の不幸なのか。

 燕家はかなり裕福だった。少なくとも障碍者となってしまった娘一人を緩やかに閉じ込めておけるくらいには。

 脚を失ったのを境に両親から風露への態度も変わった。悪くなったのではなく、気持ち悪いくらいに優しくなったのだ。

 優しく優しく優しくして。地味な服を着て、いつもにこにこしていて、なんとなくどことなくいい人そうで無害そうで――――典型的な障碍者像。

 両親がそれに押し込めようとしていることが感じるのだ。

 外に出ることは禁じられていない。だが、あまり人に迷惑はかけないように、目を引かないようにと言ってくるその言葉だけで十分だった。

 何も無くても外に出るような子供だったのに、何かあっても外に出るのを拒むようになり両親は何故かほっとしているように見えた。

 頭の中を無限にいつまでも回り続ける空虚な考えが限界に達しようとしたとき、固く閉ざされた扉をノックする音が聞こえた。

 

「ふぅちゃん、起きてる?」

 

「ご飯はそこに置いといて!」

 姉が帰宅しているからもう6時過ぎなのか、と思ったがそもそも今日は休日らしい。

 しかもまだ昼の3時だ。

 

「入るよ」

 

「……あっ」

 普段は鍵をかけているが、先ほどトイレに行った帰りに鍵をかけ忘れていたらしい。

 薄暗い部屋に自分と同じ顔をした双子の姉、風奈が入ってきてしまった。

 性格こそ違うものの、風奈は自分と同じく勉強も運動もよく出来、性格も明るく可愛い。

 同じ血で出来ているもう一人の自分は変わらず闊達で可愛いままだったからこそ、両親は自分を閉じ込めようとしている。

 そう考えるとその顔を見たくもなかったのに。

 

「ふぅちゃん、パソコン触っていい?」

 

「……おねぇの部屋にもあるでしょ」

 

「いいから」

 許可をする前に電源を入れているあたり、何か見せたいものでもあるのだろう。

 どうせかえってネガティブになるようなポジティブな言葉しか言わないのに。

 

「見て、この人」

 

「…………」

 何を言ってもいいからいいからで流されてしまうのだから、素直に言うことを聞く方が早い。

 義足を付けていないため片足で壁に手をつきながらなんとか机に向かう。

 画面にある内容を見るに、どうも自分と同じ障害を負った人のブログのようだ。

 

「ほら、これ! こんなのあるんだって」

 映っていたのは風露のベッドに立てかけてある通常の義足とは全く異なる形状をしている競技用義足だった。

 

「これがあればまた走れるから……ね? お父さんにお願いして、」

 

「出てって」

 走れなくなったということだけで自分がこうなったと思っているのか――――と喚き散らさなかっただけでも偉いと思う。

 そういうことではないと説明するのも億劫だ。喉が枯れるまで説明したところで所詮風奈とは壁の向こう側とこちら側だ。分かり合うことなど出来ない。

 

「どうして……私は」

 

「いいから!! 出ていって!! 私が窓から飛び降りる前に!!」

 喧嘩しようにもこの体で勝てるはずもないから自傷行為で訴えるしか無い。

 ようやく自分の親切心が大きなお世話だったと気が付いた風奈は泣きそうな顔で出ていった。

 

「ちくしょう……」

 少し人の気持ちに疎いだけで心の底から善人の姉にあんな口を利いてしまったことが脳に重くのしかかる。

 ウィッグを扉にぶん投げると今の自分を象徴するかのようにずるりと落ちた。

 ほんの少し前まで自分はこの一家の自慢でクラスの中心人物だったのに。

 今では世間から忘れ去られ家族の重荷になっている。重荷ならまだいい。こんな態度をしつづければ近いうちに厄介者扱いになってしまうだろう。

 

(……もう寝よ―――?)

 起きたのは三時間くらい前なのにベッドに向かおうとして、パソコンの画面が勝手に動いていることに気が付く。

 何かのゲームのサイトのようだ。ブログに貼ってあった広告を間違ってクリックしてしまったのだろうか。

 

(ゲーム……)

 自分はあんまりゲームなどする方ではなかったが、今は家から一歩も出ない。

 寝ようなんて言いつつも寝れるはずもない。基本無料の文字に誘われて、風露はただなんとなくそのゲーム、Flawless Anthemをインストールした。

 

「……かわいい」

 銃でどんぱちやるゲームのようだが、50以上いるキャラクターにそれぞれ個性があり、風露の想像していたゲームとは少し違った。

 平たいキーボードに狭いマウスパッド、しかも初めてのPCゲームに苦労しながらなんとかある1キャラの操作を覚える。

 英国の元スプリンターという設定を持つ彼女はアタッカーの中で一番速い、というよりも人間の反射神経では目で追えないスピードを持っている。

 最初は全てが初めてでまともに動かせたものではなかったが、2,3時間もやっているうちに慣れてきた。 

 敵を殺すことが全てではなく、目標に敵を絡ませずにこちらが最後まで目標にタッチしていることがどのルールでも共通した勝利条件らしい。

 究極言えば敵を全く殺さなくてもよいが、目的のための一番手っ取り早い手段が敵を殺すことなのだ。

 対戦ゲームであるため、本当に楽しむためにはオンラインの世界に飛び込むしかない。

 まだアカウントのレベル的にエンジョイマッチしかできなかったが――――

 

(なんだこれ。みんなのろまだ)

 自分と同じアカウントレベルのプレイヤー、つまり初心者が集まっているのを差し置いても、反応が鈍く弱すぎる。

 ヘッドセットなどしていないのでPCのスピーカーから直接聞こえてくるボイスチャットの声は英語だからよく分からないが、単語を聞き取るに風露を誉めているようだ。

 相手がアタッカーだろうがタンクだろうがヒーラーだろうが一瞬で距離を詰めて紙粘土で出来ているかのようにくしゃくしゃに出来てしまう。

 口をぽかんと開けて前のめりに集中し、あっという間に試合は終わってしまった。40キル3デスという数字が凄いのかどうかは分からないが――――

 

「ははっ。あははっ」

 相手を、自分に襲い掛かってくる敵を叩き潰すとこれ以上ないくらいに胸が空っぽになる。

 何度も試合をして、徐々に敵味方のレベルが上がっても結果は変わらず圧倒的だった。

 

「……なんだかすごくお腹が空いた」

 自分は強いのか、あるいは物凄く強いのか。

 そんなことよりも何故だかとにかく腹が空いていた。

 さっきまで米の1粒だって喉を通る気がしなかったのに。

 

 強くなる時間は、無限にあった。

 

 

 

******************************************

 

 

 本来なら高校一年生になっているはずだった。

 外れてしまった道はとうとうまともな道に戻ることはなく、風露はその世界で自信を少しずつ取り戻し、取り戻した自信は少しずつズレた正常に風露を戻していった。

 

 この世界ではどこまでも羽ばたける。

 脚があろうが無かろうが誰よりも自由で、誰よりも眩く光っていた。

 気がつけば元よりもずっと奇抜で洒落た格好を好むようになり、人との競争を好む生来の性格はより過激になった。

 周囲の人間も家族も、自分を止める人間はいなかった。両親は多少戸惑っていたが、天然気味の風奈はそんな風露の今をとても喜んでいた。

 

「もう少しこう……カメラにちょこっと写るくらい脚を出してもらっていいですか?」

 恐らく仕事以上の情熱を持っていないだろうな、と思っていた記者から風露の怒りのボルテージを一気に上げる言葉が飛び出た。

 

「…………なんで?」

 既に額に青筋の一本や二本は浮き出ていると思う。

 赤くメッシュを入れた髪に加え表情が5割増しに強く出る化粧は風露の怒りを記者に歪曲せずに伝えているはずだが、記者も引かずにせっかくですから、なんてふざけたことを言っている。

 今すぐにでもそのカメラを叩き壊してこの部屋から飛び出してしまいたい。

 

「お前、どこの記者? グラビア雑誌か? 新聞の社会欄だっけ? 『障害にめげずに頑張る女性』ってか? 才能ねえしつまんねからやめろよ。お前んとこのホームページのサーバー延々と攻撃してやろうか」

 今まで風露の出会った中で一番性格の悪い男、Meanが風露の思っていることを10倍くらいにして記者にぶつけている。

 助けてもらった――――と、出会ったばかりの頃なら思うだろうが違う。Meanは単純に常に誰かを罵倒して見下したい男なのだ。

 だから相手のミスは絶対に見逃さない。

 

「し、失礼しました」

 

「……。この際だから言っておくけど……別に私は女性を代表していないし障碍者のために戦ってもいない。迷惑だとは思ってないけど、正直うんざりしてる」

 今や絶対的な強さになったとはいえ、国内シーンしか経験していない自分が世界的なesports Awardを受賞したのはそういった理由も多分に含まれているのだと思う。

 障碍者の新しい生き方を示し、多くの人間に勇気を与えただとか、まだまだ少ない女性esportsプレイヤーを増やしただとか。

 正直――――勝手に言っていろといった感想だった。

 

「そもそも俺たちはFooroのみに頼って戦っている訳ではない」

 キャプテンのGjallarhornが簡潔にまとめて伝えてくれる。

 その通り、そういう話をしたかったら自分だけに取材をすればいい。

 わざわざBDCの全員を呼ぶ必要はないわけだ。

 

「では……その。日本一のチームになった訳ですが……いまの望みはなんですか?」

 ようやくまともな質問が出てきた。名実共に日本一になり、金も名誉も全てを手に入れた。

 だとすると、次に望む物はなんなのだろう。一年後のジャパンカップで優勝することもそうだし、18になったら世界大会にも出場したい。

 だが、そこを突き詰めて考えると答えは――――

 

「もっと強いヤツと戦いたい」

 シンプルだった。強くなるために生きてきた。強くなったのはより強い相手と戦うため。

 その言葉はそのまま記事に載り、一部ではトキシックが過ぎると話題にもなった。

 あの日まで、ゲームなんかほとんど触りもしなかった自分に眠っていた巨大すぎる才能。

 止まること無く膨張を続けるまばゆい太陽となり、光の矢のような速さで日本の頂点に立ち、いつの日かある想像が頭の中に浮かぶようになった。

 

 自分は孤独なのではないか。

 

 偉業だとか、愛らしい容姿だとか、そんなものを見てもらわなくても結構。

 何よりも高く積み上げたこの技術、この強さ、この至高を。1から10まで喰らって理解してもらいたい。Fooroを知ってもらいたいのに、この国にはその相手がいなかったのだ。

 

 

 それでも戦い続けるしかない。

 もう自分が自分として生きる道はこれしかないのだから。

 そんなある日だった。

 

『一位おるがw』

『いまの一位誰なん?』

 

「ん?」

 いつものように配信を開始し、爪を整えながらマッチを待っている時だった。

 にわかにコメントが騒がしい。どうやらマッチングしたらしい。なるほど、相手にランク1がいる。

 

(誰?)

 有名な配信者やプロのサブ垢ではないと思う。少なくとも自分は知らない。

 だがそれにしてはアカウントレベルが低い。大体1時間プレイすればレベルが一つ上がるが、レベル500しかない。全くの初心者がレベル500でランク1に到達するのはほぼ不可能だ。

 自分のレベルは1700以上あるというのに。どっかのプロが誰にも言わずに作ったサブ垢――――とするには少しレベルが高い。

 

「まぁ、お手並み拝見かな……」

 今までランク1と戦った経験は片手で数えるくらいしかない。

 割と拍子抜けだったという印象しかないが、戦績を見る限りはメタから外れているスナイパーばかりを使っているこのアカウントの主は果たして――――

 

 

 戦いは延長ラウンドまで続き、25分の長丁場になった。

 なんとか勝つことが出来たが、味方にチームメイトのDisrespectと国内二番手チームに所属するFjordがいたのだ。

 こんなもの勝って当たり前なのだ。それなのにここまで押し込まれたのは――――

 

『一位のヤツつんよ』

『激ヤバエイムニキ』

『チーター?』

『この人配信者ですよ』

 

(Shin……)

 今はメタではないスナイパー含むエイムを必要とするキャラを使い続けていたこの一位が強すぎたのだ。

 試合は勝ったものの、個人としては押されっぱなしだった。

 ほんの少しの隙間から弾丸が飛んできて次から次へと味方の頭が抜かれていく。

 悪夢のような相手だった。

 

「ごめん、今日の配信は終わり」

 配信者だという情報を元にSNSを検索すると意外にもすぐに見つかった。

 プロフィールには『I love gaming』とだけ書いてあり、フォロワーは500人しかいない。

 あんまりにもどこにでもありそうなアカウントなので一瞬見逃しそうになってしまった。

 配信サイトのURLがあったのでクリックすると。

 

『こいつ草食動物なんか? シマウマみたいに目ン玉顔の横についてんじゃないの』

 いきなり悪口が耳に入ってきた。どうやら先ほどの試合を見返している最中だったらしい。

 仮にもランク1に到達する腕前の持ち主なのに視聴者は100人前後しかいないが、コメント欄が盛り上がっている。

 自分との試合が相当面白かったらしい。

 

「……?」

 男性らしいが、なんというか声が思っていた以上に若い。

 少なくとも自分が所属しているBDCのメンバーよりも若そうだ。

 

『いまいくつなの?』

 場の流れをぶった切るようなコメントを入力すると配信者のShinはなんだそりゃ、と呟いた。

 自分だって熱かったゲームの後にそんなコメントが流れてくればそうなる。

 

『16だよ。高1。まぁ勉強は全然してないけど』

 

(同い年……!)

 同い年だろうが年下だろうがこのゲームのプレイヤーは沢山いる。

 だが、このランク帯に自分と同い年で自分と同等以上の腕を持っている人間がいるとは夢にも思っていなかった。

 

『感度は?』

 

『あれ、見せたことなかったっけ。400のゲーム内感度が5だから……2000か』

 

(低っっ!!)

 エイムキャラばかり使っているから低いだろうなと思ったが想像以上に低かった。

 風露は6000だし、普通は3000~8000の範囲内に収まる。2000だと360度振り向くのにマウスを約70cm動かさなければならないが、その代わりに針の穴を通すようなエイムを可能にしているのだろう。

 

『どうすればそんなに強くなれるの?』

 なんだか自分ばかり質問している。コメントとアカウントが結びついているから同じ人ばかりコメントしていることがまるわかりだ。

 一応自分が配信しているアカウントは別だが。

 

『……。これを書いた人がどんな人か知らないけど……自分が普通の人生を送っていると思うなら、それを完全に変えることになる。全て捨てて注ぎ込むんだ。友達と遊ぶな。恋愛なんかいらん。他の全てを捨てる。今までのような普通の生活をする余裕なんて一切なくなる』

 

(…………)

 この少年は自ら選んで捨てたようだが、自分も強制的にそんな状況になった。

 私って可愛くて頭もよくて運動も出来て――――というエゴ丸出しの人間だったし、正直な話いまもその根本的なエゴは変わっていないと思う。

 要するに世界の中心は自分だから自分を見ろ、と。それが派手な格好やら辛辣な言葉となっているのだ。

 そんな自分がこれほどまでに他人に興味が出るのが意外だった。

 

『アカウントこれだけ?』

 

『……? 初めて見てくれた人? これしかないよ。他のアカウント作るのもめんどいし』

 つまり、まだ始めてほんの数か月ということになる。

 それで頂点に立つほどの才能。アーカイブを見ると他にもかなり色々なジャンルのゲームをやっている。

 配信と別ウィンドウでアーカイブを飛ばし飛ばしで見てみると、どうやら一試合事に試合を見返して反省点をノートに纏めているらしい。

 配信映えはしないが、どうりで凄い早さで強くなる訳だ。しかも今はなんと自分の弱点を書き綴ってくれている。

 この少年の配信はプロとして、1プレイヤーとして宝の山と言えるほどに勉強になる――――その確信を得た風露は即座にチャンネル登録をした。

 

 その日以降、Shinの配信する時間帯≒風露の起きている時間帯の配信は極端に減ることになった。

 昼間はプロとしての仕事をこなしながら、夜は画面の向こう側で静かな声で話しミラクルプレーを連発する少年の事を一つずつ知っていく日々。

 

 友達はいないの?

 学校終わったら走って帰ってるし、ほとんど誰とも話してないから一人もいねぇや

 

 いつも配信中にご飯食べてるけど、好きな食べ物はなに?

 レバーとか砂肝とか苦いもの。甘いものは歯にひっつくから嫌いだ

 

 兄弟いるの? なんか声が聞こえた

 兄貴がいる。俺と違って凄い優秀なんだよ

 勉強ができるとか?

 東大生だからね、出来るどころじゃないと思うよ。でもサッカーで全国行ったりもしてたからなぁ。やべー奴だよ

 

 ゲーム以外はやらないの?

 他になにも趣味が無いんだ。ていうか何も出来ない。ダメ人間だからいつも母ちゃんに怒られてる

 これだけ強いなら理解してくれるだろ

 俺んち、っていうかうちの一族でゲームが上手いとか何の足しにもならねえ。親父は銀行員だし、爺ちゃんは会社の会長だし。そら怒るわな

 

 彼女とか作らないのかよ

 俺が女なら俺みたいなダメ男お断りだ。何も出来ませんが敵の頭をクリックすることだけは負けません! って馬鹿か。俺が彼女の父親ならぶっ殺して東京湾に捨てるわ

 

 今日は早めの配信だね

 今日祝日なんだけど……。いつも見てくれてるね。流石にID覚えたよ

 

 16歳なら少しは浮いた話しろ。なんかエロい思い出の話でもして

 もう三カ月くらい女の子と話してねーんだよ。あとね、オカズ探してる暇があったら練習しろ。ムラついたら5分以内に抜いてすぐ練習に戻れ。それと三日前に17歳になったからね、俺

 おめでとう。なにか欲しいものあるなら送るよ!

 欲しいものすか……あんまないな……うん……別にないわ。ありがと

 

 うわっ、敵に兄貴おるわ!

 お兄さんもやってるの?

 このyouyouyouってヤツ兄貴だわ……うん、レベル的にも間違いないな……。マジか、二カ月でグランドマスターになりやがった

 すご、天才じゃん

 だから言ったろ、うちの兄貴はやべーんだよ。でもまぁ、昔から兄貴にはゲームだけは負けたことねーからな。日頃ちょっかいかけてくれるお礼にたっぷりレート吸ってやるわ

 

 マウス小さくない?

 P909 Wirelessだぞ。みんな使ってるやつだから小さくはないでしょ

 手がでかい? 身長と体重と誕生日教えて

 185……かな。体重はたぶん65? 誕生日は11月8日

 でかくね

 この前学校でヤンキーにドデカ陰キャって言われて目ぇつけられてボコられてカツアゲされたわ。反省してそれからは2000円以上持ち歩かねーようにしてんだ

 かわいそう

 俺も俺が可哀想だわ

 

 ゲームではトップ10なのに人生はブロンズ帯ってマジですか

 ゲームではこないだランク1になったのにテストはこないだ最下位だった。見てくれやこれ!

 おもろ

 おもろくねーよ。これはやべーだろ。母ちゃん泣いてたわ。やっぱおもれーわ 

 英語普段話してるじゃん

 あのね、下手に一個できると他のも出来るんじゃないかって思うだろ。出来ねーしやる気もないんだわ。だから英語のテストも5点しか取れないってのがベスト、正解なんだよ

 

 好みのタイプは?

 好み~~~~? 女性のタイプっすか~? 分かんねぇ、そもそも人が好きじゃないような気がする。好きな子とかいた記憶があんまない……。ていうかそもそも異性の知り合いすらいねぇ……

 私、女だよって言ったら?

 そーすか。だからなんだってんだ

 

 将来は何がしたいの?

 …………分からない。ダメ人間だし、他にはなにも出来ないから……未来がなにも見えない。いまはただ、強くなりたい。もっと……もっと強くなりたい

 

 

 

 卒業式すらも欠席した風露には同年代の友人が全くいない。

 今の家族仲は良好だがやはりあまり理解はしてもらえない。

 Shinの配信はシンパシーを感じる部分が非常に多く、まるで会ったこともない親友が画面の向こうにいるかのようだった。

 そんな彼と会ってみたいな―――――と思うこと以上に公式の場で戦ってみたいと思い始めるのは風露にとっては当然だった。

 だが。Shinの配信を見始めて一年近く経ったその日の配信には、ゲームの画面が無かった。

 

『……今日で配信は最後だと思う』

 

「はぁっ!?」

 淡々と、落ち着いた声で話してはいるが手元のカメラに映るマウスを握る手は震えているし、涙声だ。

 自分と違い家族との間に爆弾を抱えていたShinだ。何かが爆発してしまったのだ。

 

『母親にやめろと言われた。勉強もしないでゲームばかりしているなら働けってさ。その通りすぎてなんも言えねぇ。学校すらも辞めさせられるのか……いや、別に何も学んでいないし友達もいないからいいんだけど』

 

「馬鹿か!?」

 母親もこの少年も馬鹿が過ぎる。

 少し配信のやり方を変えればこの腕なら飯を食っていくには問題ないくらい稼げる。

 母親もそれにすら気付かずに一方的に封じ込めるとは、脳みそのアップデートが30年くらい前で止まってしまっている。

 

『病院に連れていかれそうになったのはびびったな。何を今更……分かってる。俺は頭がおかしい』

 学校のある日でも走って即帰宅しご飯を一人で食べながらゲームをし続ける息子が何かしらの病気だと思ったのだろう。

 正常な判断だが、困ったことに彼は自分がおかしいことを自覚したうえで続けているのだ。

 

『いつもみたいに受け流せばいいんだろうけど……もう無理だ。小言を言う母親はまだいい。叱ってくれるのはいい。親父は完全に無関心なんだ」

 

「…………」

 ふと。これから先に彼の言うことが予測できてしまった。

 まともにぶつかってくれるならまだいい。自分だって形こそ間違っていてもなんとかしようと話しかけてくる風奈の事を嫌いになりはしなかったし、今の姉妹仲は非常に良好だ。試合だってゲームの事はてんで分からないのに見に来てくれる。

 一番心を壊すのは――――

 

『俺が一人っ子だったなら、一族の恥になるからとふんじばってでも教育しただろうにな。出来のいい兄貴がいるから、もう完成しているから、スペアなんか必要ねーんだ。いらねぇんだよ俺ぁ』

 

(親からの無関心……)

 風露の両親だって無関心でこそ無かったものの、脚を失ってからまともに風露のことを見ようとしなかった。

 世間一般の理解ある両親像からはみ出さない行動しかしなくなった。自分がそうさせているのだと感じると、それこそいま彼が感じているように消えてなくなってしまいたくなるのだ。

 

『兄貴のことを恨んじゃいない。昔はよくいじめられたけどな。4の地固めや電気あんま……まぁ200回は泣かされたな。でもそれはそれで一人の人間として認められている気がしたし、兄弟ってそんなもんだろ。恨むとしたらまともに生活が出来ない俺の駄目さ加減だけだ。……もう家を出ていく。適当にフリーターでもしてそのうち一人で死ぬんだろう』

 

「ふざけんなっ、ふざっ……」

 この才能が日の目も見ずに消えてしまうのか。

 こんなにもきっと自分を理解してくれるであろう存在が野垂れ死んでしまうのか。

 

(戦おうぜ!!)

 神は無作為に才能を与える。

 世界一のピアノの才能を与えられた男がどこかで建築の仕事をしているかもしれないし、絵の才能がある少女が受験地獄に泣いているかもしれない。

 脚を失わなければ、それ以上の才能が眠っていることなど一生気が付かなっただろう。

 才能が正しく評価されず気付きもされない世界。なんという悲劇だ。だが、自分には止める術が無い。

 あの日以来ほとんど毎日日課のようにこの配信を観てきて、勝手に友人のように思っていても、現実は顔も名前も知らない赤の他人なのだから。

 他に方法は、とあれこれ思考を巡らせているその時だった。

 

『これで美味しいものでも食べな』

 この1年で7、8回ほどしか見たことが無かった投げ銭が放られた。

 1200円という金額だからそれこそ一回何か外で食べるくらいしか出来ないが、頭を冷やすには十分な時間だ。

 

『ほしいものリスト公開しなよ。一人暮らしすることになっても何か送れるから』

 先ほど考えた配信の仕方を変えろという内容の一つがコメントになって流れてきた。

 彼は投げ銭を促さないし、何が欲しいとも言わないから視聴者も何を与えていいかわからない。

 とりあえずいまの自分に出来ることはこれだけだ。

 

『絶対この道で生活できるからやめないで』

 他にも投げ銭がある中で、目立たないように1000円をこのコメントと共に送った。

 100人前後しかいない視聴者だが、いつもほとんどメンバーは固定されていて、その全員が全員Shinの才能を認めている。

 弁が立つタイプでも面白いことを思いつくタイプでもないから埋もれているだけで、彼は最強なのだと。

 投げ銭が二万円に到達し、とりあえず1日くらいは家を離れて外で過ごせるくらいの金額になったころ、Shinは口を開いた。

 

『……ありがとう。でもこの際だからもう一度言っておくよ。俺は誰かの為に戦っていない。見てくれている人の為でもないし、もちろん家族のためでもない。ただ俺が強くなりたいから、負けても次はもっと強くなって勝てるはずだから。勝てるまでやれば負けなんか一個も無いからって。それだけなんだ。……でも、ありがとう。外でなんか食べてくる』

 

「……それでいいんだよ」

 誰かの為に、何かの為になんてのは綺麗に育った大人にでも任せておけばいい。

 私たちはまだ10代の半ばなのだから自分勝手で十分なのだ。自分中心に生きて何かを成せたのなら、それを寿命の半分も過ぎた口の臭いおっさんおばさんがとやかく口出しすることではないのだから。

 

 自分勝手だと自覚している風露には珍しく、心から良かったじゃないかと思えた。

 他には何も無くとも、たった一つ自分に出来ることにひたすら打ち込めばいつかは認めてくれる人が出来るものなのだ。

 自分だってそうだった。求めているだけでは何も始まらない。まずは自分で自分を確立しなければならない。

 だがこの道で生きていくということになるなら、近いうちに大きく変化しないといけないはずだ、と思っていたら転機は意外にもすぐに訪れた。

 

 

『T2トーナメントに出ようと思う。プロになるよ、俺』

 

(来た……)

 更にぼそっとチームを探していると呟いたのを聞いてマネージャーに電話をかける。

 トーナメントはTier1~Tier3に分かれている。T3は賞金が出ない大会をメインにしたチームでスポンサーも当然ついていない。

 T2は国内の賞金が出る大会に出場するチームを指し、スポンサーがついているチームもありBDCもT2に分類される。

 T1は国際トーナメントに出るチームの事だ。日本にはT1のチームは無く、世界大会が開かれるときにオーディションが開かれ各チームのエースから選ばれるのが常だ。

 一部のesports強豪国はT1チームをいくつも常設しており、一年を通してT1チーム同士で試合をしているし動く金も動員する観客数も桁違いになる。丁度野球の大リーグと同じだ。

 日本人がこの道でトップを目指すならそういったT1チームにスカウトされることがまずは目標になり、そのための足掛かりとしてT2チームで際立った活躍をすることは必須なのだ。

 

『なんだ、どうした?』

 この時間に、しかも風露から電話をかけることなどまずないためやや困惑気味の返答と共にマネージャーが出てくれた。

 

「あのさ、いまアタッカー募集してるT2のチームってあるかな」

 

『いま? あー、そういえばこの前……ん!? まさかお前!』

 

「違う違う。聞いているだけだって」

 他のチームに移るつもりじゃないだろうな、という言葉を前もって否定する。

 給料も十分すぎる以上に貰っているし、練習環境も国内においてはBDC以上のチームなど無いだろう。

 まぁそうだよな、とマネージャーは一人で勝手に納得して質問の答えをくれた。

 

『Another Oneのアタッカーがこの前一人やめてたぞ。T2で今から応募出来るのはそこくらいかな……』

 

「サンキュ」

 Another OneはBDCとは全く別の方向で有名なチームだ。

 歴史が古いというのもあるが、年齢層が高いこともあってか温厚で人柄の良い人物が多く、アマチュア向けの解説動画なども頻繁に投稿しているためプロアマ問わず愛されているチームだ。

 中でも業界屈指の苦労人でチーム創設者かつキャプテンのIcemanは若手の育成に熱心で、彼と深く関わった若手はみな大きく開花しているためIcemanは幸運の持ち主と言われている。(本人の戦績は奮わないが)

 あのチームならきっとShinの力を更に大きく伸ばしてくれるだろう――――と思う傍ら、彼がプロになると決意した途端にその枠が空いているあたり、やはりそういう生き方をするべきだと定められている人間なのだろうな、と感じながらAnother Oneに匿名のメッセージを送った。

 

 いつまで経っても中堅チームだったAnother Oneにとって、若く才能に溢れランク1も経験しているShinは喉から手が出るほど欲しい存在だったらしい。

 メッセージを送ってたった二週間で公式に加入が発表された。

 強くないだけで愛されているチームだけあって、発表後すぐにShinのSNSのフォロワー数は20倍に増え視聴者も常時1000人以上になってしまった。

 前まではコメントをくれる人のアカウントも覚えていてくれたのに、今となっては全てのコメントに返すことは無くなってしまった。

 なくなった、というよりも出来なくなってしまったのだろう。下手な質問は古参が返してくれるし、投げ銭もかなり増えた。

 一視聴者として、なんだか遠くに行ってしまったように感じる――――で、通常のファンガールなら終わるところだがここからが違う。

 

(私もプロだからな)

 あっという間に一カ月が過ぎ、ジャパンカップは開催された。

 決勝までは小さい会場で行われ、オンライン配信以外は一般公開もされないが決勝戦のみは収容人数5000人の会場で行われる。

 まるでこうなることが分かっていたかのように感じてしまうが、当然のようにAnother Oneは決勝まで上がってきた。

 ベテランが多いだけあってスキルは熟達している。足りないのは若さの持つ勢いだけだったのだ。

 

 試合開始を待つ間、会場に設営された売店で商品を見て回る。

 入口で配られているパンフレットを見ると、今回の試合の見所や両チームの選手の特徴や経歴まで書いてある。

 今更BDCのメンバーの経歴など見ても仕方ないが、Another One側は普段あまり情報が出ていないだけあり気になる。

 

 

 Iceman 相馬寛寿郎 28歳

  

 公式大会に10年連続で出場しているベテラン。

 日本でFlawless Anthemを流行らせた立役者とも言われており、日本で最も愛されているストリーマーの一人でもある。

 公式チャンネルで常に宣伝している彼の実家の酒を注文すると喜ぶぞ。

 

 リィカレー  水元信彦 26歳

 

 Another Oneのロゴを作ったチームの中核選手。

 料理が趣味らしく、オフラインイベントでは手作りのパンを振る舞ってくれるとか。

 全てのロールを経験しているが現在はヒーラーに落ち着いている。

 

 Ruin 木山類 29歳

 

 Icemanの中学からの同級生であり、Another Oneの初期メンバー。

 最初は全く別のチームにいたのをIcemanに誘われてAnother Oneを創設した。

 世界大会に出場経験もあるアタッカーだが、BDCとのマッチアップにどのような作戦を用意しているのか。

 

 はむかつ 根岸宗也 22歳

 

 アップデートごとにメタリポートと解説動画を公開しているため、Another Oneの中でも有名な選手の一人。

 「分かっていても動けないんだよなぁ」という言葉で毎回動画を〆ているが今回は動けるのか。

 ハムカツよりもメンチカツの方が好きらしい。

 

 pkMoon 文奎利(Moon GyuRi) 25歳

 

 まだまだ珍しい女性選手の一人。

 韓国在住のヒーラーとして定評のある選手で、元々Another Oneの大ファンだったらしい。試合があるときだけ来日している。

 pkMoonはPain killer Moonという意味だが、読みを変えて「ポケモン」と呼ばれることが多く、本人もその呼び方を気に入っている。

 韓国語・日本語・英語を話すトリリンガル。

 

 Shin 明川新路 17歳

 

 Fooro以来の超大型新人と言われるアタッカーで、アジアサーバーにおいてランク1を数度経験していること以外の経歴は不明。

 これまでの試合におけるK/Dは19.07であり、日本の公式記録においてトップ。

 スナイパー系のキャラクターしか使っておらず、命中率は72%かつクリティカル率は45%なので、3発中1発は相手を一撃死させている。

 Shinの活躍次第ではジャイアントキリングも十分にあり得る。

 

 

(シンジ、って名前なんだね)

 どんな名前なんだろうと思っていたが自分と同じく本名由来のシンプルな名だった。

 それにしてもメンバーの半分以上がBDCのコーチよりも年齢が上とは凄いチームもあったものだ。

 何人かに求められたサインや写真撮影に快く答えながらAnother Oneのグッズが売っているコーナーにたどり着いた。

 

(うーん。ロゴかっこいいなぁ。後でシャツ一枚買お)

 黒いシャツに筆で描かれた朱色のAを白色のOが豪快に囲っているというシンプルなデザイン。

 紫色のけばけばしい猫が描かれたど派手なBDCのロゴと対照的だ。 

 スポンサーがいないからメンバーが自費で制作依頼しているというのが泣ける話だ。

 売り子も雇わずに販売員をしているIcemanこと相馬が『なんでFooroがうちのグッズ見てんだ』と言っているかのような顔でこっちを見ていた。

 

「ふぅちゃん!!」

 

「わっ!! びっくりした……」

 応援しに行くから、と言っていた風奈がいつの間にか後ろにいた。

 相馬が『なんなんだこの人たちうちの前で』という表情でずっと見てくる。

 貴重な収入の邪魔をしてはいけないからとりあえず場所を移動する。

 

「なんか同い年の男の子出るんだって? また優勝できるよね?」

 

「どうかな。やってみなくちゃ分からない」

 双子だから自分の事も褒めてる風になってしまうが、ほぼ100%ゲームマニアで構成されたこの会場に似合わない、百合の花のような清純な女子高生だ。

 どうだうちの姉は可愛かろう、と仕事中でなければ自慢して回りたいくらいだ。

 

「おう新路、どうした」

 

「チームのマネージャー呼んでくれって運営が……。たぶん相馬さんだと思うから……」

 

(!)

 先ほど知ったばかりの本名が耳に届く。

 いまそこに、ずっと知っているのに顔も見たこともない同い年の少年がいる。

 しかし振り返るのがやや遅かったのか、二人とも裏手に引っ込んでいってしまった。

 

「いまの背が高い人? だよね?」

 

「見たの?」

 

「うん、なんか――――」

 

「あ、いややっぱ言わなくていいや」

 気になりはするが、舞台が初顔合わせなんてまるで台本のようにロマンチックじゃないか。

 もっともこれからお互いの全てをかけて戦い合うところが普通のボーイミーツガールと違うところだし、全て自分がそうなるようにしているのだが。

 

(なんだかすごくどきどきするなぁ)

 恋なんてもう長いことしていなかったから忘れてしまったがきっとこんな感じだったと思う。

 長い間待ち焦がれ願い続けた人物がすぐそこにいるのだ。

 

 去年聴いたということもあり、うわのそらで運営側からの説明を受け、あっという間に入場の時間となった。

 BDCのロゴがスクリーンに映し出され、巨大な猫が画面で跳ね回る。紫の光が風露の全身を毒々しい色に染めた。

 会場のそこら中に自分のファッションを真似た男女がおり、Another Oneにしてみれば完全にアウェイだ。

 

(どうだ。分かっているのか、あんたたちが挑もうとしている相手が日本一だってこと!)

 先に入場して並んで立っているAnother Oneの選手はみな緊張しすぎてガチガチに固まっており――――

 

(いた……)

 選手が並んでいる中で一人だけ頭二つ分ほど大きい、群れから追い出された大ガラスみたいな少年が立っている。

 鬼太郎のように伸び散らかした髪が分厚い眼鏡にかかっていることに加えて高校生のくせに無精ひげが生えている。

 他には何もできない。だけど全てを捨てて注ぎ込んだ。その言葉がそのまま人の姿を成しているかのようだ。

 

「新路ィ――――! 頑張れ――――!!」

 

(?)

 言葉は悪いが、100%ゲームマニアということは観客の半分以上が臭い汚い気持ち悪いの3K揃ったオタク集団の訳だが、それとはまったく色の違う陽気な社会人のグループらしき男達が最前列にいる。

 普通はフリップを掲げるにしても本名ではなくゲーム内で使用している名前を書くものだが、どういう訳か『新路がんばれ』とデカ文字で書いてある。

 なんというか、あそこだけやはり何か違う。

 

(お兄さんか!)

 よく見れば一番大きい声を張り上げている青年と新路の顔立ちがよく似ている。

 奇しくも風奈の真隣で応援しているとはお互い妙な偶然が重なるものだ、と新路に視線を戻した時だった。

 

(……あれと戦うのか)

 ベテランのチームメイトですらも緊張しているというのに。

 当の本人は全くビビっていない。

 全部つぎ込んだんだ、俺が勝って当たり前、お前らは全員踏み台――――視線がぶつかっただけで感じ取れてしまった。

 どんなに強い選手でも多少は心模様に恐怖や緊張が映るものだ。だが、プロデビューしてからただの一度も負けておらず、その全てで相手を圧倒的に殺しきっているからネガティブな感情が一切ない。

 勝利以外あり得ない、自分からそれを奪おうだなんて傲慢極まる、と。人間をやめた鬼の目だった。

 

(…………。私には勝てないよ)

 今まさに世界の中心のような気分だろう。

 だがもう一度冷静になって会場を見渡してみろ。

 なぜほとんどがBDCを応援しているのか。なぜFooroの名を誰もが叫んでいるのか。

 

 そこは一年前自分がいた場所だからだ。

 

**************************************************

 

 

 何かが狂い始めたのは完全に透明だったはずのMeanをShinが撃ち抜いてからだった。

 勢いを手に入れたのか、あるいはShinがこちらにとってはありがたくないコツを掴んでしまったのか。

 去年日本の頂点に登り詰めた戦術が通じなくなってきていた。

 

『なにやってんだ!!』

 

「わかってる!!」

 耳が痛くなるような甲高い怒鳴り声がヘッドセットを通じてMeanから飛んでくる。

 

(なんて野郎だ……)

 完成されたスナイパーはどうしようもない。

 誰しもが一度は妄想したことがあるだろうが、その通り。

 2000という激重感度と引き換えに手に入れた、針の穴を通すようなエイムを最大限に活かすために遥か遠くの高台から弾丸が飛んでくる。

 あの距離はFlawless Anthemに登場するスナイパー以外のあらゆるキャラの弾丸が届かないし、当然近づくにはかなり時間がかかる。

 仮にこちらの全員でShinに飛び込んでもその間に一人か二人は撃ち抜かれるし、他のAnother Oneメンバーにとってはそっちの方が助かるわけだ。

 結果として、対応するためにはこちらもメタではないスナイパーを自分が出すしかない。

 だが最早ゾーンに入り切ってしまったShinのエイムは視界に入ったら即死というレベルにまでなってしまっている。

 ほんの少しのミス、pornの頭がイカれた距離から抜かれた瞬間、ゲーム内に爆音が響き会場が一気に湧いた。

 

(どうだ! 見たか! これがうちのキャプテンだ!)

 一試合に一度だけのスキル、グラウンドストライク。

 地面、もしくは床に足をついている全ての敵をその場で3秒だけ転ばしてしまう。

 注意していればぴょんぴょんジャンプしているだけで無効化されてしまうが、人数差を作り勝ったとAnother Oneの全員が思ったその瞬間の心の隙間を狙って放った一撃は、見事に全員を転ばしており――――Gjallarhornの頭を弾丸が貫いた。

 

「え?」

 高台にいたはずのスナイパーが飛び降りていた。致命的なスキルを避けつつ空中ヘッドショットを決めたのだ。しかもそれだけではない。

 銃口の動きを見るに次の標的に狙いを定めている。この窮地でも敵を殺すことのみに集中している。徐々に徐々に、にじり寄るように機械に近づいている。

 ある時期から――――ありとあらゆる競技はいかにして機械に近づくかになった。

 0%から50%機械になるのは容易いが、90%から91%の精度に近づくのは極めて難しい。プロはその世界で戦っている。

 だからこそ培われる予知とも言い換えられる感覚がある。

 

(狙いは私!!)

 超上級者ともなると数瞬後がかなりの精度で予測できる。

 着弾する前にヘッドショットだと確信出来るし、敵と目が合った瞬間に殺した殺されたが分かってしまうのだ。

 通常の生活では決してあり得ない超集中は新路と風露の感覚を尋常の物から逸脱させ、ある種の第六感の交換を行っていた。

 風露が射線を避けようとしているのが伝わってしまっているように、新路がこちらに照準を合わせているのが伝わってくる。

 もう分かる。彼は自分の中に思い描く完璧な自分に重なろうとしている。その映像すらも見えて――――

 

(やられている姿ッ)

 完璧は避けようが無いからこそ完璧。

 その想像は現実と一部の差異もなく、風露の画面に大きく『Shinにキルされた!』と表示された。

 空中にいる間に狙いを定めるにしたって感度が遅すぎるはずだ。マウスパッドの大きさが絶対に足りないはずなのに何故。

 

「……!?」

 人数差は決定的になり勝負はもう決してしまった。

 思わずAnother One側の席に目を向けた風露は見た。想像通り確かにマウスパッドの大きさは足りていなかった。

 だが、どうせ空中にいる間は動けないからキーボードに手を置いても無意味なのだからと、左手の甲を机につけてマウスパッド代わりにしている新路の姿を。

 画面には映らず、会場で自分以外は誰も見ていない神業。

 

「新路ィ! なんてヤツだお前ぇえええ!!」

 0-3まで追い込まれた試合を3-3まで押し返した主役にチームメイトが駆け寄りもみくちゃにしている。

 万年中堅チームがこれほどまでに熱く盛り上げる試合をするなど会場の誰も思っていなかったのか、ハイボルテージここに極まっている。

 

「…………」

 それなのに当の本人は抱きしめられ小突かれながら何かが不満そうに黙って突っ立って画面を見つめている。

 どう見ても接戦を制した男の顔ではない。

 

(何が不満なの? なぜ少しも喜ばない?)

 その疑問が浮かぶのとほぼ同時に答えが出てきた。

 勝っていないからだ。どれだけいいプレイが出来たって最後に負けたなら全てが無意味となる。

 無様だろうがみっともなかろうが勝ちは勝ちなのと同じ。

 プロになってたった一カ月でそれを理解し、少しも油断していないのだ。

 全てを注ぎ込んだ者の執念とも言える技が日本一の喉元にまで食らいついていた。

 

******************************

 

 最後のインターバルに入り、ヘッドコーチが戦術を選手に伝えているが当たり前のことしか言っていない。

 それも当然、向こうも当たり前のことしかしていないからだ。

 よく狙って撃つ。弱っている敵から叩く。なるべく死なない。

 奇抜な戦術に出ているならそれを抑える方法などいくらでもあるが、奇抜な戦術を取っているのはむしろMean擁するこちらの方だ。

 ただただAnother Oneの超遠距離スナイパーに対して出せるカードが無いのだ。

 風露の得意とする高速移動が可能なキャラもShinのいる場所まですぐにははたどり着けないし、あちらがスナイパーを出していたらこちらも基本的にスナイパーを出すしかない。

 スナイパーが一番喜ぶのがほうっておかれることで、一番嫌がるのが常に見られてちょっかいを出され続けることだからだ。

 結果的に、風露は得意キャラを半ば強制的に封じられてしまっている。

 

(……トラッキング?)

 壁にいくつもあるモニターに敵選手の主観映像が映っている。

 驚いたことに、Shinはフリックではなくトラッキングでエイムをしている。スロー再生だとよくわかる。

 

 エイムの方法は二種類ある。

 マウスを一気に動かし一瞬で照準内に敵を入れるフリックエイムと敵を画面の中心に捉え続けるトラッキングエイム。

 一般に、スナイパー含めるエイム系はフリックを使う人間が多い。遠距離で目まぐるしく動く敵をトラッキングで追い続けるのは精神的に疲れるし、経験を積めば積むほど相手の一瞬後の移動している場所が分かるからだ。

 トラッキングは相手の頭が大きく見える時、つまり近くにいる時にやるのが一般的で、風露の使うような近距離高速戦闘型に必要とされる技術だ。

 それなのにShinは画面を見る限り、遠距離で屈伸を交えて動き回る敵の頭を常に追い続けて、照準の真ん中に敵が重なった瞬間に弾丸を発射している。

 彼にあった才能は、異常なまでに発達した動体視力と他のゲームで鍛えたトラッキングエイムだったという訳だ。

 しかも、明らかに前の試合よりも強くなっている。たまにこういうヤツはいる。戦う相手が強ければ強いほど急激に吸収し自身もレベルアップする厄介なモンスターが。

 

(だから面白いんだもんな)

 風露がまだ短距離走の選手だったころ、一度思ったことがある。本質的に変わらないはずなのに、なぜ常に誰かと隣り合わせで走るのだろう、と。

 その答えはすぐに出た。誰かが、自分と近い実力を持つ者が近くで走っていた方がより力が出るからだ。

 Shinをこの場に呼び寄せたのも自分なら、強くしてしまったのも自分。おまけに、戦えば戦うほど強いなら、次は今までで一番強い。

 

 脅かされている。

 世界のありとあらゆる残酷から守られるべき存在になってしまった風露が。

 対等の存在と認め全身全霊を以て脅かす相手が目の前に現れたのだ。

 

「……はっ」

 心の底から最高だと叫びたい。

 一度は閉ざされた風露の世界をこじ開けるほどに自分勝手な人間は残念ながらこの世界にはいなかった。

 そんな敵対的な行為をするのは結局敵だったというわけだ。あの日以来全てが変わり、周囲の自分を見る目は永遠に色眼鏡つきになった。

 それなのにあの少年はそんなことを全く考えていない。日本一強いお前から日本一を奪ってやる、とそれだけが伝わってくる。こんなにも誰かと繋がったことなんて今までの人生でなかった。

 

「なに笑ってんだ?」

 普段は性格のねじ曲がった笑みを絶やさないくせに、顔から一切の余裕が消えたMeanに胸倉を掴まれていた。

 

「お前があのガキのマッチアップだろ! お前が抑えねえからこうなってんだろうが!!」

 

「離せ。口臭ぇんだよてめぇ」

 まさか反撃されるとは予想外だったのか、それとも突然の暴言がそんなに効いたのか。

 豆マシンガンをくらった鳩のような顔をしてMeanは後ずさり、なぜかDisrespectに掴みかかった。

 

「お、俺口臭いか!? 臭くねえよな?」

 

「あなた口臭いデス!」

 

(くそおもろ)

 韓国から日本に来てまだ短いDisrespectは敬語でしか日本語が話せず、基本は英語でコミュニケーションを取ろうとする。

 そんな日本語も覚束ない人間にまで口臭を指摘されたことはMeanの心に深い傷を与えたようだ。

 

「だがお前がヤツを抑えなければ負けるのは確かだ」

 渾身の反撃もそれを上回る才能で押さえつけられたGjallarhornが淡々と現実を伝えてくる。

 

「俺臭いか? なぁ、おい」

 

「…………」

 

(相変わらず表情一個しかないなぁ)

 流石に大人のGjallarhornは特に何も言わなかったがその沈黙で十分だったようだ。

 これが原因でまたMeanの性格は歪み、オンラインゲームを通じて世界中に恨みをばら撒くのだろう。迷惑な奴だ。

 だが口は本当に臭い。性格うんぬんの前に胃袋が腐っているのだ。

 

「Shin, that guy's game sense is just on the next level! Absolute machine!」

 

「わかったわかった。落ち着け。Calm down」

 仮にも元世界一位のアタッカーなんだからもう少し平穏を心に持ってほしい。

 だがesportsシーンとはこういう業界なのだ。恐るべき速さで次世代が台頭し少し前のナンバーワンが時代遅れになってしまう。

 

「勝てるのか?」

 全てのプレッシャーが自分にかかっている。

 シンプルに、Shinを抑えられなければ負けという状況になっているからだ。

 

「1対1なら分からない……けど。試合の勝敗は別。勝てるよ」

 

「てめぇ適当言ってんなら負けた瞬間会場で×××するからな!!」

 

「やってみろよ豚」

 BDCで一番ガタイのいいhexagonが文字通り脂ぎった豚のMeanを羽交い絞めにした。

 どう見ても柔道部や相撲部にいたであろう体格のhexagonに抑えられなすすべもなくMeanはただ臭い息をまき散らしている。

 

「……0か100かの賭けが出来るなら勝てる。失敗したら負けるけど、成功すれば絶対に勝てるから」

 最早完全に機械になってしまったかのように思えるShinだが一つだけ機械になりきれていない部分がある。

 それは彼を鬼たらしめている天よりも高いプライド。自分より強い者、挑んでくる者を絶対に許さないという傲慢。

 そこを突くのだ。

 

 

*****************************

 

 最後の試合のルールは実にシンプルだった。

 目標地点に両チーム突入し、相手を追い出せば確保できるというラストマンスタンディング。

 形はどうあれ最終的に0から100数えるまで目標地点に自分のチームの人間がいれば勝ち。相手チームが一人でもその陣地にいたら確保のゲージは進まないしゲームも終わらない。

 Another Oneが押せ押せの空気になっている中で、BDCは流れを手繰り寄せるためにひたすら耐える。

 守りに徹すればそうそう死ぬことはなく、元々の個々の技術差により五分五分で耐えられる。

 ほんの少し間違えて突然死が来ない限りは、だ。それを避けるために高台を陣取った風露は、今Shinがどこを見ているか逐一報告を続けた。

 もう十分分かった。世界一強いかどうかは知らないが、少なくともスナイパーで彼より強い人間は存在しない。だから挑まない。

 風露は物陰に潜み頭を出さず、ただじっと耐えてその瞬間を待っていた。

 

(来た!)

 BDCの確保率88に対し、Another Oneの確保率98。

 これ以上進めばそのまま負けるからどうしても目標地点に誰かが踏み込まなければならない。

 スナイパーに対して顔を出してしまうのが『必然の流れ』。

 

「死んで!!」

 その合図と共に透明状態を解除して飛び出したMeanがShinに向かってけん制射撃を始めた。

 この距離では大したダメージにならず、ひたすらにShinをいらつかせ銃口を向けられるだけだ。

 そしてShinは自分に挑んでくる者を決して許さない。結果として挑んできた相手に全て勝っているから勢いづいているし、Meanだってなすすべもなく殺されるだろう。

 とうとうMeanの頭がおかしくなったと会場の誰もが思い、その1秒後には見事な死にっぷりを見せていた。

 たった1秒だが、それで十分だった。

 

(そうだ、勝負を決めに行け。エリアの敵を殲滅しろ!)

 今この瞬間まで一瞬たりとも無かった、風露に対するShinからの警戒の途切れ。

 この状況で先制キルをしたなら勝負は9割9分決した。優勝がこの手に――――油断と言うよりは当然の想像。

 ただし、こうなることをBDCの全員が知っていたということを彼は知らないだろう。BDCの誰もがこの状況になるまでスキルを温存し、偽りの当たり合いで体力をフル近くでキープしていた。

 2秒の間に対岸に移り高台へと駆けあがっていく。相手スナイパーが消えたことに気が付いたShinは引き金を引くのをやめ、狭まっていた視野を急速に、180度近くまで広げていくがもう遅い。

 Meanの死で作り出した、Shinの警戒が一切ない5秒間は視界に入らない最短距離での移動を可能にし、とうとう今日一度も抜けなかったShinの頭がそこにあった。

 どこにも敵スナイパーがいない、上にも下にもいない、となるならば――――と一番無いと思っていたであろう真横にShinの銃口が向くのがやたらとゆっくり見える。 

 全てが遅すぎる。これから自分の存在に気が付き照準を頭に向け弾丸を発射しなければならないのに対し、風露はただ撃つだけ。

 

(……友達になれるかもって。きっと親友になれるって思ったけど…………)

 因果な話だと思う。こんな道を選んでしまった以上、戦うこと以上に相手を理解する術はない。

 私達にとってお互いを理解し合うということは、相手の積み上げた全てを否定し合うということなのだから。

 しょうがないよな、こういう形に生まれてきてしまったんだから。

 

(さよなら)

 0距離で発射された弾丸は1フレームの誤差もなくShinの脳天を貫き、その瞬間に全てのスキルを温存していたBDCが陣地を確保しているAnother Oneに猛然と襲い掛かる。

 先ほどまで味方スナイパーの庇護があった場所は、全て敵スナイパーからの弾丸が降り注ぐ危険地帯と化した。

 一人、また一人とAnother Oneのメンバーが斃れていく。

 

(……すごい勢いで駆け上がってきたから)

 世界でも類を見ない速度で頂点に臨んだ。負けも挫折も知らず、この場所まで。

 だからきっと、幻のように駆け上がってきたのならばそれと同じ速さで消えてなくなるだろう。ただの風露の思い出の一つになってしまうのだ。

 Another Oneの殲滅が終わり、BDCは二度目の優勝を手にした――――かのように見えた。

 

『フーロ!!』

 独特の音と共に『pornがShinにキルされた』とキルログが流れる。

 このゲームには50以上もキャラクターがいて、倒される度にキャラ選択が出来る。

 当然相手チームだって風露が得意とする最速のキャラを選ぶことは出来るわけだ。

 今まで長い事Shinの配信を見てきて一度も見たことのない、ゲーム内最速のキャラを駆るShinが陣地に乱入していた。

 殺されてから復活地点で復活するまでは10秒かかるが、確かにShinを殺してから殲滅まで15秒はかかったから理屈上では最速のキャラなら一人でここまでたどり着くことは可能だ。

 

「まだ――――まだやるのか!!」

 歓喜の声と共に放った弾丸は躱され、次にDisrespectが殺された。だがいくらなんでも人数差があるし、狙いを定めているこの瞬間も残った二人に嬲られShinの体力が削られていく。

 スピードの代わりに体力は全キャラ中最低なのだから当然の現実だ。それならば、いま自分がすべきことはこのゲームで最も当てにくいキャラを狙うことではない。

 

「死んでろ!」

 Another One側の高台を陣取っていたため、Another Oneの復活地点も見えていた風露は復活してきた二人を即座に殺す。

 これで援軍はたどり着けない――――ヘッドセットをしていてもなお突き破るような歓声が風露の耳に届いた。

 

『まだ終わらない! まだ終わらない!! 反逆のルーキーが敗北を拒否している! 1人で敵を殲滅している!! 一体なんだこれは!?』

 キャスターの声が風露の耳にあり得ない現実を運んでくる。だが風露は、あり得ないと思う一方であの男ならそれをやるだろうとも感じており――――

 

(こんな奴がいるのか……)

 あの状況で更に2人を殺しきったShinが陣地の確保を進めていた。当たり合いでこちらの味方も体力が削れていたから不可能ではない。

 先ほどもふと頭を過っていたが、あの化け物じみた動体視力とトラッキングエイムが真に活かされるのはスナイパーではなく近距離高速戦闘のキャラではないのか?

 考えるのは全て後回しにし、慌てて陣地に飛び込む。

 すかさずほぼ死にかけのShinが瞬間移動し、風露を狩りに来た。電子空間を通して叩きつけられるプレッシャーは最早殺気と言ってもいい。

 凄まじいまでの勢いで駆け上がり、強烈な実力で敵を叩き潰し、圧倒的王者であるチームをも一人で片付けようとしている。

 物語にするならば、彼ほど主人公が似合う男はいないだろう。

 失った物を取り戻すように戦ってきた風露の日々。元には戻れないと分かっていても尚、その先を見ようとした――――何故?

 

(……私はこの男と出会うために今日まで生きてきたんだ)

 人生最高の昂揚がここにある。生きているという感覚がこれ以上ないほどに全身を駆け巡る。

 スナイパーライフルは一撃必殺だが1秒に1発しか撃てない。

 あちらはフル体力のスナイパーをワンマガジンで殺せるが撃ち切るのに1秒かかる。

 お互いの得意キャラが入れ替わったのだから出来ることは互いに知り尽くしている。

 ここからは1手1秒のゲームセンス――――才能のぶつけ合いだ。

 

(ああ……)

 24時間が1秒に圧縮されたかのような集中力で放った弾丸は、その瞬間に外れると分かった。

 弾丸を避けていたShinがこちらを目掛けて弾を叩きこんでくるが、これでは殺せないと考えているのを感じる。実際に風露の体力は60%削られただけで、Shinはリロードに入った。

 何も発していない。互いに言葉の一つも口にしていないのに考えていることが全て分かる。

 リロードをしながらも高速移動をしていたShinが真後ろに瞬間移動したのを感じた。

 

(今この瞬間……世界が終わったとしても……)

 この最高の空間に偶然に作り出された最後の一対一。己の全てを懸けて戦える相手が目の前にいる。

 圧倒的最高潮、脳が焼き切れてしまいそうなほどの幸福。

 

(幸せ……)

 日本の誰よりもそのキャラを使ってきた自信がある。目を瞑っていても、瞬間移動でどれだけの距離を移動するかが分かる。

 自分相手にそれを使っていることそのものがミスなのだ。あるいは、自分がShin相手にスナイパーを出し続けたこともミスだったのかもしれないが、最後に勝てばそれでいい。

 大きく息を吸って肺に取り込んだ酸素が全身の血流を更に熱くし、風露の極限の集中から弾き出した予測は最早未来予知そのものになっていた。

 Shinが真後ろに移動をしたのと同時に動かした照準はShinの身体をど真ん中に捉えており――――発射された弾丸は予知と違わずに命中していた。Shinの死体に。

 

『ガキが! こんくそガキ、二度とテメェ、二度と逆らうんじゃねえぞ!!』

 最後のケリを付けたのは復帰してきたMeanだった。たったいま殺したばかりのShinの上でMeanは死体撃ちをしながら屈伸しており、BDCの確保率はそのまま100となった。

 会場にけたたましい音楽が鳴り響き、紙吹雪が舞う。巨大スクリーンがBDCのロゴを映し出し連覇を讃えた。

 

「…………」

 抱き合うチームメイトと喜びを交わすこともせず新路の席を見ると、想像通りに人目もはばからず泣いていた。気付いているのだ。自分のミスで敗北したことを。

 眼鏡を握り潰し、顔に手を当て顔中の穴という穴から液体を出している。歯を食いしばり過ぎたのか唇の端から血が垂れてしまっている。

 試合中の冷静な様子からはあまりにもかけ離れており、健闘を称えようとしたAnother Oneのチームメイトも震える新路に声をかけられずにいた。

 だがルールはルールだ。勝者は敗者の席まで行き、握手を交わさなければならない。

 Another One側の席まで義足を引きずりながら歩いていき、風露が新路の傍に立ってたっぷり十秒以上かかってから彼は立ち上がった。

 汚れた顔を手でごしごしと拭ってもまだ後から後から溢れてくる。髪をかき上げたおかげでよく見えるその顔は風露の想像よりも遥かに整っていてある種の驚きを与えた。

 

「楽しかったよ」

 心からの感謝が自然とその言葉を口から出していた。

 新路は深々と頭を垂れて両の手で風露の手を握った。

 涙に鼻水に血で濡れたその手を汚いとは欠片も思わなかった。

 

「負けました」

 勝つまでやるから負けなんてない、と言っていた勝負の鬼が心の底から負けを認めた。

 真に鬼なのは自分の方だった。自分が楽しむためだけにこちらの世界に誘い込み、自分の欲求を満たすために彼を破壊したのだ。

 ねぇ、私達きっといい友達になれるよ。今度一緒に遊びに行こうよ――――心の中にあるそんな願望を封じ込め、そして新路は予想通りゲームの世界から消えてなくなった。

 せっかく見つけた自分の全てを理解してくれるもう一匹の鬼もその手で壊して、風露はまた一人ぼっちになってしまった。

 

 



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#5 鬼

 〖鬼〗 キ・おに

 

 1.

人にわざわいをもたらすもの。また、そのような人。

 2.

非常に勇猛な人。

ある事に精魂を傾けそそぐ人。

 

 3.

すぐれたもの。

 

 

 

 

#5 鬼

 

 

 

 いまや夢の中にもう一つの現実がある。

 そこでは全てが叶い、全てが思い通りで、それゆえに自分の想像の域を出ない。自分の脳で作るのだから、自分の脳の作れる以上のことは起きない。

 ならば今のこの現実は夢よりも夢のようだ。

 もう二度と会うことも無いと思っていた少年が目の前にいるのだから。

 

「おかわりください」

 新路がアシスタントロボットに空のカップを差し出した。

 一般的なゴミ箱ほどの大きさのこの機械は店中をうろうろしており、足元でゴミを吸い取りながら空気清浄機の役割も果たしている。

 しかも注文も聞いてくれるという人件費大幅削除マシーンだ。この5年くらいで色んな店に導入されるようになった。

 

(ロボットに敬語使ってら)

 とりあえず神社で話をするのもなんだということで、適当に喫茶店に入った。

 いつだかに配信中に言っていたように甘いものは苦手なようでブラックのコーヒーだけを飲んでいる。

 一気に話をしすぎて喉が渇いたのか、新路はまだ熱いであろうおかわりのコーヒーを一口で半分以上飲んでしまった。

 

「まぁ、あんたの言っていることは分かったよ」

 

「お前に記憶が無いのは分かってるけどな、一体何がしたいんだ」

 へたくそな説明だったのでなかなか理解できなかったがどうも『月映しの世界』の中で自分は新路の夢の中で敵として出てきているらしい。

 敵か――――まぁ当たり前か、とため息を吐く。

 

「そもそも一番大事なこと忘れてるよ」

 

「なにが」

 

「いやまずそこ確認しないのかって思うんだけど」

 

「だからなにが」

 

「あれはオフラインゲームだ。私が出たんじゃなくて、あんたが勝手に私を出したの!」

 

「はぁ!!?」

 

(なんだよこのうすらバカ)

 兄に美容院に連れられて変身したのはいいが、せっかくクールな印象を与える見た目になったのに馬鹿そのものの表情で固まっている。

 というか馬鹿か。そんな基本的なことも確認せずにわざわざ自分に会いに来るとは。

 

「ま、でもクリアできて良かったね」

 

「良くねーよ。殴られるわ投げられるわ刺されるわで散々だった。お前は化け猫に変身して殺そうとしてくるし」

 

「……。私どういう役で出てきたの」

 化け猫に変身というのは恐らく新路の深層心理の中でBDCのロゴと結びついた自分の姿が反映されたものだろう。

 なんて単純な精神構造をしている男なのだ。

 

「……うーん。まぁ……親友かなぁ。なんでも話せたし……でも親友だけど、ラスボスだった」

 

「ははっ」

 本人は特に何も考えずに言ったのだろうが、やはり自分たちの心は通じていたのだ。お互いに親友になれると思っていたわけだ。

 今飲んでいるココアパウダーを山ほど振りかけたカフェモカよりも甘い気持ちになる。

 それにしても自分は心理学者ではないが、親友でラスボスとは。新路の中で自分がどういう印象かこれ以上ないくらいわかりやすい。

 

「で、あんたあれから何してたの。配信もしない、かといってSNSもなんも更新しない。死んだのかと思ってたよ。大学に行っているの?」

 

「なんもしてねぇ」

 

「?」

 

「浪人生ってことになってるけど勉強なんか1mmもしてねぇ。ずっと家に引きこもってる」

 

「うわっ……だって親厳しいんでしょ?」

 

「なんでそんなこと知ってんだ」

 しまった。自分は新路のことをよくよく知っているが、そのことを新路は知らない。

 そもそも日本一強く有名な自分がたかが一弱小配信者の配信を一年近く毎日のように見ていたなんてことはあってはならないのだ。

 

「ま、まぁ。親は銀行員だっけ」

 

「親父は銀行の総裁」

 銀行のトップは普通頭取と呼ぶものではないか。

 銀行で総裁と呼ばれるとしたら――――

 

「明川総裁!? 日銀の!?」

 

「うん」

 明川勇路は歴代日銀総裁の中で最も若く、最も熱意に溢れた渋いオヤジで誰もが認める日本経済界のドンだ。

 確かに言われてみれば似ている。背が高く、体つきががっちりとしていて鷹のように鋭い眼つきをしたオッサンだが、35歳ほど若返らせたら今の新路ような見た目になるのだろう。

 そこまで経済ニュースなど見ない自分でも知っている。デフレに陥りつつあった日本の経済を上向かせ、長年金融機関を蝕み続けたマイナス金利をプラスに向かせた傑物だ。

 あの男が家庭では息子に全く無関心なダメオヤジだなんて驚きだ。

 

「母親は音楽家だっけ。お兄さんはいま何してるの」

 なんでそんなことまで知っているんだろ、と顔に書いてあるかのようだ。

 別に配信見ていたからと伝えてもいいと言えばいいのだが、なんというかキモイし新路に対しては常に精神的優位に立っていたい気持ちがある。

 

「財務省で働いているよ」

 

「はぁー。あるんだねぇ、現実でそんな家。で、あんたは」

 

「高卒無職ひきこもり」

 

「ははーっ!」

 悲惨な現実をハンサム面で淡々と話すギャップが面白すぎて猿の玩具のように手を叩いて笑ってしまった。

 高卒無職など普通の家でも悲惨なのに、そんな一家の中でそれでは一層際立って悲惨だ。

 

「マジでさ、どんな気分で引きこもってるの? 将来への希望も何もないのに」

 

「うっ……」

 流石に言葉が鋭すぎたか。新路はコーヒーカップを置いて両の目から大粒の涙を滝のように流し始めた。

 こんな渋谷のど真ん中で男泣きしている姿がまた面白く、笑いがこみあげてくる。

 

「な、泣くなよ。大丈夫、私なんか中卒だから」

 腹を抱えて笑いを我慢しながら言ったところでなんの慰めにもならないだろう。

 ずずーっと鼻をすする音が響き、更に笑ってしまう。

 

「いいぜ。勝ったのはお前だからな。教えてやるよ。負けて全部失っているから……この世の全てに、あらゆる障害に屈服するんだ。腹出して降参する犬ころみてぇーにわんわんってな」

 

「ほらお手ぇ!」

 

「ワンだ! クソォッ!!」

 軽い冗談のつもりで差し出した手の平を乱暴に叩いた新路はその場で突っ伏して本当にわんわんと泣き始めた。

 一年経ってもこの状態とは、一度倒して何度でも美味しい相手だ。どういう理屈が働いているのかは分からないが、新路の中では負けた相手には全て従わないと負けということにはならないらしい。

 友達になれると思ったし勝手に親友だと思っていたがそもそもの問題として深刻な馬鹿のようだ。

 

「毎晩毎晩お前に殺された夢を見るせいで睡眠障害になるし! おまけにEDになっちまったぁ!!」

 その夢から逃げたくてわざわざ頭に機械を繋げて別の夢に逃げようとしたわけだ。

 だがそこまで心の奥底まで印象に残った相手のことなど忘れられるはずもなく、逃げた先の夢でも追い回されたと。

 これほどまでにトラウマになってくれたのなら、倒した甲斐もあったというものだ。

 

「逃げたってさ……」

 睡眠障害もトラウマもEDも、治したければ逃げていては始まらない。

 立ち向かわなければ永遠に負け犬のままだ―――――そう伝えようとする前に新路は口を開いた。

 

「次はお前が犬になる番だ」

 びりっ、と頭頂部に電気が流れ髪が逆立ったかのような錯覚。

 新路がどんな夢を見て、何を思ったかは分からない。だが今、新路は確かに戻ってくると言ったのだ。

 また戦うと。またあんな、お互いの全てを真ん中に置いて食い合うような戦いが出来るのだと。

 彼がいない一年の間にまたBDCは優勝した。しかし、三連覇という偉業を成し遂げたのに視聴者数は去年よりも少なかった。

 BDCを、風露を脅かす存在がいなくなり、試合内容が一方的でつまらなかったからだ。

 

「……あんたを倒したとき、まるで世界に星が一つ増えたような気分だった。代わりに身体の半分が消えてしまったかのような気分にもなった」

 凄まじい強敵を倒した時、その勲章はより自分の世界を輝かせる。だがそれほどまでに強くなるために己を律し続けた人間を倒すことは、理解者を葬り去るのと同義だった。

 

「今度こそ完璧に星になってみるか?」

 確かに新路はこの日本では唯一と言い切ってもいい自分と並ぶ鬼才だった。

 だが彼が消えたとしても他にも天才的な強さを誇る者が出てくるのがこの世界だ。

 18歳になり、国際リーグにも出場可能になった風露は初めて終わりのない大海を目にした。

 この暗く荒れた海を渡るには道しるべになる眩い星がいくつも必要なのだ。

 

「……。その生意気な目が、傲慢な口ぶりが許せねえ。奪い取ってやる」

 生意気なのも傲慢なのも知っている。全ては強いから、この国で一番強いから許されている。

 だからこそありとあらゆるプレイヤーにこの地位を狙われる。

 

「今度デュオ組もうよ」

 

「ぜってぇーやだ」

 さらっとずっと前から思っていた願望を言ってみたがこれまたさらっと断られてしまった。

 この国でFlawless Anthemをプレイする者にとって自分とチームを組むことなどこれ以上ない名誉のはずなのに。

 とはいっても断るのは当たり前だ。これから倒さんと考えている相手とどうして味方になると言うのだ。必然的に手の内も見せてしまうことになるのに。

 ならそれが必然になるように手を回せばいいだけだ、と色々と思考を巡らせていると。

 

「あの……お客様」

 

「あっ、すいません! ごめんなさい!」

 わざわざ人間の店員が来て注意された。

 騒がしくしているのが自分だという自覚がある無職ひきこもりは頭を三回も下げた。

 見た目に似合わない行動をするならまだ前の姿の方が良かったんじゃないかとすら思えてしまう。

 

「……お前が俺の夢の中に出ているんじゃなくて、俺が出しているってのがよく分かった。じゃあさ」

 

「さっきの好きになっちゃった子の話? 馬鹿馬鹿しい」

 自分の良いところを全て褒めてくれてダメなところを受け入れてくれる好みど真ん中の女の子に最後の最後で会うことが出来たと。

 現実的に考えてそんな都合のいい女がいる訳がない。だいたいそれを自分に話しているのが頭に来るというのに。

 

「違う。お前だって出てきたんだ。この世界のどこかにいるかもしれないだろ。何か知らないかと思って……」

 

「さっきの説明で分かるかよ」 

 可愛くて髪が長くて黒かった! という大馬鹿な説明で何が分かるというのだ。

 新路がどこかですれ違っただけの人間ならどこにいるかもわからないし、本やネットで見た人物なら今はいくつかもわからない。

 そもそも新路が今まですれ違った人間の記憶のモンタージュで出来上がった人物でこの世に実際はいないかもしれないし、いたとしてもまず性格が違うだろう。

 

「頼む、協力してくれ」

 

(…………)

 こんな色ボケしている状態で、しかも一年のブランクがあるのに現役の自分に本気で挑む気だろうか。

 まぁ出来る限り協力の姿勢を見せてキリのいいところで諦めさせるのが新路にとっても自分にとってもいいだろう。

 

「仕方ない。セーブデータ渡しな」

 

「……。どうすんの?」

 SNSのメッセージ機能ではデータを送ることは出来ないので私用のアドレスを交換する。

 カフェのWifiを使っているから一秒後には家にセーブデータが送られるだろう。

 

「MODを使う」

 ゲームを改造するデータであるMODは昔なら一部の人気のゲームのみ、オフラインゲームをオンライン化するものがあったが今の時代は探せばいくらでもあるし無ければ依頼して作ってもらえる。

 世の中にはゲームのデータをいじくりまわすことそのものに快感を覚えている人種というのもいて、案の定この『月映しの世界』もオンライン化MODや現実の記憶保持MODがあった。

 新路のクリアデータのセーブデータを使えば一緒の夢に入ることが可能だろう。

 

「よし、じゃあ早速帰ろう。帰って昼寝しよう」

 

(……せっかく来たのに)

 自分の家からこの渋谷までは40分かかる。

 新路だって神奈川の武蔵小杉から来ていると言っていたからそれなりに時間がかかったはずだ。

 滅多に外に出ないのにこれで解散とはなんとも淡白ではないか――――と思っていたら先に会計を済まされていた。早く帰ろうぜと言わんばかりだ。

 色んな思いがないまぜになったため息を吐きながら入口に向かうと新路から手が差し出された。

 

「悪かったな。一階だから段差あるとは思わなかったんだ」

 どうやら新路は気を使って一階の喫茶店を選んでくれたようだが、親切心が裏目に出てしまったのか、入口に三段ほど階段があったのだ。

 二階だったら普通にエレベーターがあるだろうに。何をやっても上手くいかない、と配信で言っていたがこういうことも含めての話なのだろう。

 

「意外にも優しいんだね」

 

「…………」

 リハビリをさぼっていたから未だに段差は苦手だ。

 家には手すりがあるからいいものの、こういう少ない段差に手すりがあるところはまだまだ少ない。

 勝負には真剣そのものだが、現実では優しい。こうあってほしいと想像してた以上に想像通りの性格だ。理想的とすら言っていい、求めていた相手。

 入店した時もそうだったように好意に甘えて手を取るが、褒めているのに新路は何か不満そうだった。

 

「優しいってな……そりゃそうだ。良識ある両親の元で育ったんだから。人に優しく、己に厳しくってな」

 

「?」

 耳に優しくない外の喧騒とは真逆の何やら暗い話をしだした。

 最初に見た時の印象は『暗そう』『友達いなさそう』だったが、たぶん正解なのだろう。

 

「でも優しさなんかいらん。そんなもんはなんの足しにもならねえ。強くなれねえ」

 

「……。あんたチームメイトを信じてないでしょ」

 

「信じてるし尊敬しているさ!」

 

「じゃあなんで自分一人で試合に片を付けようとした?」

 信じている、尊敬しているという言葉は嘘ではないだろう。

 ただそれはゲーム内ではなく、人間としての話だと思う。

 あの時の新路はそれこそ強かったから許されていたが、最初から仲間のミスを見込んでいる動きだったし、それは信じ切れていないからこその動きでもあった。

 

「お前らに勝つためにある作戦は少なかったし、それを実行できるのは俺だけだったからだ。だから俺が全部ケリをつけるしかなかった」

 

「Meanは世界最低の男だし、人としては欠片も信じるに値しない奴だけど、チームの勝利を優先する。そこは信頼できる」

 

「なにが言いたいんだ」

 歩きながら話すのも構わないし、歩調を合わせてくれるのも嬉しいがいつまで手を握っているのだろう。

 新路の脳みそのbit数は現生人類の半分以下しかなく、今考えていること以外のことが認識できないのではないだろうか。

 歩きやすいから構わないが。

 

「あの時わざとあんたに殺されるってのは……私の作戦じゃない。私はあんたの弱点を伝えただけ。そしたら、必ず最高のタイミングで殺されるから絶対にあいつを殺せって言ったんだよ、あいつは」

 

「……味方を徹底的に守るお前が味方を殺す作戦をとるなんて」

 

「本当に尊敬しているなら弱いと決めつけて一人で戦うより信じるべきだった。あんたの頭の中にある作戦や想定を余さず伝えるべきだった」

 新路は確かに自分のマッチアップとしてほぼすべての時間自分を抑えていたし、その有り余るセンスでBDCのメンバーの動きにも信じられないほどに目を光らせていた。

 だが一人の人間には限界というものがある。『スナイパーから目を離す』だとか『カバーしてくれ』の一言でもあれば結果は変わっていたかもしれないのに。

 

「あんたは鬼みたいに強い。だけ。それだけで頂点が取れるか!」

 

「…………。風露の言う通りだ」

 

(可愛いとこあんじゃん)

 頑固なのは100%間違いないだろうが、ちゃんと理屈立てて言えば話を飲み込んで反省するようだ。

 それがライバルの言葉なら尚更なのだろう――――がくんっ、と繋ぎっぱなしだった手が立ち止まった新路に手が引っ張られた。

 

「なんだっ、危ないな!」

 

「えっ、うわっなんだ! 悪いマジごめん」

 

「別にそこまで謝らなくても……ああ」

 店を出てから今までずっと手を取っていたことに今更気が付いたらしく、如何にも童貞な早口で謝ってくる。

 それよりも新路が何故立ち止まったか分かった。広告を30秒ごとに切り替える巨大な電子看板に自分が映っているのだ。

 スポンサーのエナジードリンクの広告だ。あの写真を撮った時からまた髪形を変えたから、将来の自分の髪は痛みまくりだろう。

 

「……仮に勝っても……俺にはあんな仕事出来なかっただろうな」

 

「だろうね」

 口では否定しつつも自分が容姿に優れている女性でかつ、障害をものともせず戦うからこそこんな仕事も舞い込んでくることは分かっている。

 新路は元が暗い性格だからまず無理だろう。エイムが鬼だからマウスのスポンサーは個人でつくかもしれないが。

 

「フーロさんですか!?」

 

「え?」

 一見してゲームなんかやらなそうな男女が食い入るように風露の顔を見つめていた。

 流石に広告写真の前に本人が立っていたら分かりやすすぎるか。

 

「うわ、握手いいですか? 三連覇おめでとうございます」

 

「ありがと」

 快く応えながら、風露は視界の端で陰と化す新路を見て驚いていた。

 流石陰キャ歴18年だけあり、あっという間に渋谷を行きかう人々の中に紛れてしまった。

 見た目を変えようが何をしようが根本的な部分というのは変わらないものだ。

 しかし、どれだけ上手かろうと忍者ではないので消えてはいない。風露が自分に負けず劣らずにピアス穴をびすびすあけた女性と握手をしている間、一緒にいた男が新路の顔を何かを思い出すかのように見ていた。

 やめてくれ、頼む俺は無関係なんだ、という顔をしているが――――

 

「Shin選手!?」

 耳元で黒板を引っ掻く音が聞こえたかのように新路は耳に手を当て身体を丸めた。

 見た目がかなり変わっても自分だって気が付いたのだから、気が付く者だっているだろう。

 おそらくこのカップルはあの会場にいたに違いない。

 

「あの! あのときの! 握手しているシーンやってください! お願いします!!」

 

「ぐ……、い、や」

 

(ばか、ファンは大切にしろ)

 新路に耳打ちし、嫌がっているのを重々承知で握手する。

 さっきまで本意ではないとはいえ手を繋いでいたのに今は奥歯をかみ砕きそうな程に悔しそうな表情をしている。いいファンサービスだ。

 

「なんで二人で? チームの人たちは……。えっ、デ、デート!?」

 

「ちがッ」

 

「そうかもね。SNSとかに……」

 

「絶対秘密にします!! サインください!!」

 差し出された手帳にサインを書きつつ、誰にも言わないように戒める。

 新路も求められていたが、そもそもサインなんか無いらしく、本名を書いていた。

 

「……俺のことはシカトしてくれ」

 

「いいや。せっかく新路のことを知っていて尊敬してくれている人がいるなら大切にすべきだ」

 

「どうして」

 

「どんな競技でもそう。野球だって相撲だって今日この瞬間無くなったって世の中は回る。私たちは世間の役に立っていない。世の中の役に立たないことだからこそ、ファンや見る人がいなければ私たちは無価値なんだ」

 

「……。またまた正論だ。なんも言えねえ」

 

「あんたは極端に露出が少なかったから知らないかもしれないけど。バスケ部の人間にとってヴィンス・カーターがヒーローだったみたいに、あの人達にとって私達はヒーローなの」

 陸上にしたって最早原付にすら勝てない人間同士の駆けっこの頂上決戦を世界中が見る。今の時代速く走れたところでなんの意味もないのに。

 そこに意味を見出している自分たちがいて、価値を感じている人たちがいるから生きていける。

 ファンのみなさんのおかげです、という言葉は嘘ではなく真実を極めて端的に語っているのだ。

 

「俺が……ヒーロー、か」

 数こそは少なかったが、それでも新路の配信を毎回見続けていた人達は新路に何の価値を感じていたのか。

 考えれば分かりそうなものだが。

 

「あんた自分のことネットで検索とかしないの?」

 

「しない」

 だろうな、と思った。実際に戦った時も、今もひしひしと感じる。

 ただ自分の強さだけをひたすらに追い求めそれ以外の全てを捨てられる求道者なのだ。

 

「ほら。ファンがモンタージュ作ってくれてるの知ってた?」

 動画サイトのお気に入り欄にはファンが作ってくれた自分のモンタージュがたくさん並んでいる。

 これで投稿者が他人の動画の切り貼りで収益を得ているのは知っているが、それでも自分のカッコいいシーンを纏めてくれているのは嬉しいものだ。

 その中に唯一、風露ではなく新路のモンタージュ『The Rebel "Shin" Japanese DPS GOD montage』があった。

常に100人くらいしか見ていなかったのに、配信中のクラッチプレイも入っているあたり、年季の入ったファンが作成したのだろう。

 

「Rebelか……。完全に悪役じゃんか」

 日本国内においてBDCは正しく絶対的な王朝だった。設立して1年で王者になったが、その全てが完全試合であり相手に1点も許さなかった。

 挑むことすらも馬鹿馬鹿しい、疑いようのない1番に挑みかかってきた新路は大げさでもなんでもなく叛逆者だった。

 自分がGuardianと呼ばれるように彼がRebelと呼ばれるのはそういう理由がある。

 

「試合には悪役も必要さ」

 実のところ、esportsに限っては悪役・狂人の方が人気が出る。(強いことが大前提だが)

 時代は変わったとはいえ、ゲームが大好きで大会まで見に来るような連中の大半は学生時代に運動部の下にいた、もっというとスクールカーストの底辺部分にいた奴らだ。

 上位層の連中のヒーローがスポーツ選手なのは自然な帰結でいい。だが、底辺連中にヒーローはどうするのだろうか。野球・バスケット・ボクシング、何に自己投影しようとも彼らは結局上から更に上に行った者たちなのだから。

 そんな掃きだめの彼らが自己投影できる者達も多々いるのがこの世界だ。学生時代は友達がいなかった、いじめられていた、他には何もできなかった。そんなヤツはざらにいる。

 王道を通ってきた者よりも暗い暗い底の方から這いあがってきた悪役に彼らは自己投影する。自分が決して勝てなかった存在を蹴散らす彼らに。

 世界最低男のMeanも人気だけなら結構あるのはそういう面が大きい。

 

「悪役だから昼間は苦手だ。帰って昼寝するから入ってきてくれ」

 いつの間にか渋谷駅に着いていた。来て2時間もしないうちに帰るのはやや不満だが、これから夢の世界とやらでまた会うのだから良しとしよう。

 

「その前にさ。なんでそのゲームクリアしていきなり戻ってくる気になったわけ? そんな効果があるの?」

 

「…………。俺はこのゲームの中で……自分の名前すらも忘れても、お前に負けたことだけはずっと覚えていた」

 

「…………」

 

「お前に負けたことは俺の根幹をなしているんだ」

 ファイターとして、戦う者として、これ程までに嬉しい言葉はない。

 勝っても負けても強敵はずっと自分の記憶に残る。永遠に生きられるなら人は争いはしない。

 でもいつかは消えてしまうから、戦って誰かの記憶に残ろうとするのだ。

 

「これからもずっとそうなるよ」

 

「ふん」

 改札を通った新路は風露の答えに不満そうに大きく鼻を鳴らし電車に乗っていった。

 新路が夢の中でどのような世界を構築しているのか俄然興味が湧いてきた。

 自分もさっさと帰って見に行ってやろうじゃないか。

 

********************************

 

 

 新路はお前に負けたときの夢を今でも見ると言っていた。

 風露も今でも新路の頭を撃ちぬいたときの夢を見て恍惚に浸る。

 あれからだって何度となく試合を行ってきたが、あれ以上に緊迫して楽しい試合は無かった。

 思考がクリアになっていく中で、いま自分は新路の夢の中に入っていることを思い出した。

 それを覚えているということは同期は成功だ。温かく気持ちいいため布団から出たくはないが、とりあえず動かなければ――――目の前5cmの距離に新路の顔があった。

 

「うわっ!!」

 夢の中で変な話だが、さっき寝入ったばかりの頭が一気に目覚める。

 セーブデータを同期しているのだから、開始地点が同じになるのは当たり前だ。

 しかしまさか同じベッドで寝ているとは。もう少しでぶん殴ってしまうところだった。

 

(ていうか起きないな)

 夢の中で更に寝るとは器用な奴だ。

 結構デカい声を出してしまったから起きそうなもんだが、語っていた通り本当に寝起きが悪いらしい。

 最もこれを寝起きというのかは微妙なところだが。

 

「……! 脚が……ある……」

 自分がDRを買った理由の大半を占めるのがこれだ。 

 義足に慣れたころから、夢の中でも義足でいるのが当然になってしまった。

 せめて夢の中くらいは両の足で立ちたいと思ったから買ったのだ。

 

「ふふ」

 ごちゃごちゃして汚く狭く、足場の少ない部屋の中でも軽やかに動ける。

 きっと覚えていないだけで昨日も夢の中では普通に両足で歩いていたのだろう。

 

「あっ、やばい」

 机に上に置いてあった小さな鏡に映る自分はすっぴんだ。

 男の部屋なので当然化粧品など置いていない。

 素の顔もそれなりに自信があるのですっぴんを見せたくない、という訳ではないが変にイメージを壊したくない。

 それに服も寝間着に使用しているスウェットではないか。

 

(それくらい気を効かせろよな)

 脚を生やすくらいなんだから最初から化粧くらいしていたっていいじゃないか。

 とは思うが、不自然であればあるほど夢だとバレやすくなってしまうからだろう。

 

(2018年だっけ)

 今から14年も昔だ。机の上に大昔に両親が持っていた携帯が置いてある。

 手で持たなければ弄れないなんて不便極まる。コンビニに行きたいが、この時代だとどんな決済システムだったか知らないためやはり現金しかないだろう。

 

「お金借りるよ。ありがと」

 どうせ夢だし構うまい。勝手にカバンの中から財布を取り出しいくらか抜き取った風露はコンビニを探してスキップしながら外に出た。

 

******************************

 

 

 この世界の中では既に昼過ぎだったため、服屋も丁度よくやっていた。

 だが奇妙なことにこのゲームの中では自分の姿・行動が認識されないのだ。商品をレジに持って行っても無視されてしまう。

 もともと一人用のゲームをMODで無理やりこうなるのも当たり前と言えば当たり前か。

 夢の主が全ての主観なのだから。

 

「まだ起きない?」

 化粧も着替えも済んだのに当の夢の主はややうなされながら眠っている。

 自分から来いと言っておいてのん気なものだ、と思いながらベッドに腰掛ける。

 

「早く起きないとどんどん記憶漁っちゃうよー」

 攻略サイトに書いてあったが、家の押し入れや引き出しには夢の主の記憶が詰まっているらしい。 

 せっかくだし起こす前に見てみようじゃないか、と押し入れを開くといくつかの段ボールが出てきた。

 

「これは……あのノートか」

 配信時にも書いていた新路のゲーム研究の全てを書き綴った秘蔵のノートだ。特に最新のものはそれこそ自分たちが戦ったゲームについての研究内容が洗いざらい書いてあるに違いない。

 正直な話、10万円出してもいいから欲しいくらいだ。

 

「あれ?」

 ところが、書いてある内容は全く違った。

 汚い字で書いてあるので読みにくいが、これこそが新路の記憶らしい。

 秋葉冬路、と現実にありそうな名前が書いてあるがこれは恐らくオンラインゲームと勘違いしていた新路が適当に作った偽名だろう。本名の名残が残っているのが実にアホの新路らしい。

 そのノートには幼いころどんな食べ物が好きで、何が嫌な出来事だったのか、誰が好きだったのか洗いざらい書いてあった。

 

「好きな子いたんだ……」

 その好きな子とやらは新路を馬鹿にしていた嫌いな奴と付き合っていた、と。

 他の何も上手くいかない中でゲームだけはつぎ込んだ分だけ素直に応えてくれた。

 壁にぶつかっても、努力を重ねればある日その壁を突き抜ける。その成功体験が新路を虜にした。

 ただひたすらにゲームに打ち込み気付けば新路は高校生になってとうとう友達が一人もいなくなった。

 中学の頃はゲームオタクの友達らしきものもいたらしいが、本気度の違いから疎遠になってしまったらしい。

 

(! 私の名前……)

 この国の若者なら大抵は自分の事を知っている。

 知っている人だ、有名人だ、程度ではここに名前は出てこないだろう――――と読み進める。

 

 高校にもいけず、脚もなく、まともに育った双子もいる

 周囲の全てが負けを突き付けてくる人生

 それなのにまるで女王のように振る舞う気高さ

 そしてそれが許されるに足る本物の強さ

 俺だって風露くらい強くなれたらいいのに

 だからBDCの勧誘は断った

 

「……私に憧れていたのね」

 BDCの監督は流石敏腕なだけあり、スカウトの目も一流なのだろう。弱小ストリーマーである新路の存在も知っていたらしい。ブースト業者も特定して雇うくらいなのだからそれは別に今更驚きはしない。

 だが、ここに書いてあることはただのファンの言う憧れとは明確に違う。

 自分自身と風露との間にそこまでの違いが無いことを知りながらも、全てにおいて差があるのは強さが足りないからだと。だから強くなりたい、と思っていたのだ。

 そして自分たちにとっての強さの証明は相手を打ち負かすこと。憧れの存在に認めてもらうならば、敵にならなければならなかったのだ。

 

(…………)

 新路は自分に悪感情は一切無いようだが、それがむしろ風露の後ろめたさを起き上がらせた。

 もうかなり読んでしまったが、これ以上は新路の為にもやめておこう。

 一貫して社会的弱者に対する優しさを持ちながらも、お前は俺の敵だという難しい態度を取り続けていた新路に、万が一にも記憶を覗いたたことがバレたら即SNSはブロックされ今度こそ永遠に自分の目の前から姿を消してしまうだろう。

 

「私も……あんたとまた戦いたいな」

 うんうんとうなされる新路はまた自分に負けた時の夢でも見ているのだろうか。

 自分は新路のことを最強の相手だったと心から認めているし、それを本人に伝えたって構わないが新路は納得しないだろう。

 勝っていないから認めてもらっていることを自分で認められないのだ。中身がよく似ているからよく分かる――――と考えながら眉をしかめている新路に顔を近づける。

 冷静そうな見た目だしプレイも冷静沈着だったが、その中には憧れの人に認めてもらいたいというきらきらとした少年らしい感情があったわけだ。

 押し入れを漁ったせいで埃っぽい空気の中に混じる安物のリンスの匂いが夢の世界をどこまでもリアルにしている。

 

「起きなよ」

 鼻をつまむといよいようなされ度がマックスに近づいてきた。

 どうせ夢の中なのだからひっぱたいてもいいのだが、今はそういう気になれない。

 

「ぐっ……ぶっ……、ぬ……。……! !?」

 窒息死なんかしようが無いから思い切って鼻をつまんだまま口も塞ぐと30秒以上もがき苦しんでからようやく目を開いた。

 

「おはよう」

 

「助っ!?」

 おはようは違うか、とセルフ突っ込みを入れる前に新路は自分の顔を見るなり助けを求めながら玄関まで転がっていった。

 きっとあのノートの最後の方では自分は憧れの存在であると同時に恐怖そのものにもなっているに違いない。なんて扱いだ。

 

「大学に私がいるんだっけ? 見てみたいな」

 夢に出すのは結構だが、可愛くない姿で登場していたら脚も生えていることだし思い切り蹴っ飛ばしてやろうと思う。

 夢の中で寝ぼけるという器用なことをしながらようやく状況を把握した新路は力なく頷いた。

 

 

**********************************************

 

 

 

 夢の中だから盗み放題食べ放題ということでコンビニで大量に盗んできたエクレアやらシュークリームを頬張りながら大学へ向かう。

 しかし、現実では無職のくせに夢の中で大学生になっているとは哀れな男だ。

 

「どうせ盗むなら俺の分も取ってきてくれりゃ良かったのに」

 

「あげるよ、ほら」

 手提げ袋の中に乱雑に入れていた普段はなかなか買わない1枚150円もするチョコチップクッキーを差し出す。

 どれもこれも夢の中なのにうまい。というか、脳がその味を再現してくれているのだろう。

 

「俺甘いの苦手」

 

「ああ、言ってたね」

 

「? そんなことお前に話したっけ」

 

「…………。ほら、この前カフェでブラックコーヒー飲んでたから、そう思っただけ」

 

「ふーん……よく人の事見ているなぁ」

 新路がアホで良かった。そもそも取ってきてくれ、なんてこと言わずに有り金全部使ってしまっていいわけだ。

 限りなく現実に近い夢というのはそれはそれで面白いものだ。そもそも、このDRで最初に出たゲームがそんな感じだったはず。

 Dream Editerというゲーム作成ソフトも、今までのハードに出ていたゲーム作成ソフトとは違い異常に売れているし――――とそこまで考えてふと、ある想像が頭を過った。

 

「あ、いた」

 だが新路の言葉を聞き、この世界の自分を見た瞬間に浮かんでいた想像は煙のように消えてしまった。

 この世界の風露――――映月がだるそうに正門から続く道の端を足を引きずりながら歩いている。

 

(前の大会の時の私じゃんか)

 紫を基調に染め上げサイドドレッドにした七面倒くさい髪形だ。

 もちろんあんなセットアップはイベント時限定だ。あの髪形を毎日維持するなんて冗談じゃない。

 今は毛先を明るい緑に染めたバレイヤージュにし、黒い部分は二つの団子にしてまとめているだけ。ちなみにこの髪色はスポンサーの広告を撮るときに依頼されたものだ。

 エナジードリンクのイメージカラーと同じ色である。

 

「新路にはあんなに私がダルそうに見えてたわけ?」

 

「いや……主要人物だから性格は多少改変されてるんだろ。それに、そもそもお前の性格なんか知らんしな」

 

(またまたそんなこと言っちゃって)

 たとえば自分に双子の姉がいるなんてことは公式では一度も言っていない。

 SNSでファンから来た『兄弟はいるのか』というありがちな質問にリプライしたことがあるだけだ。

 そんなマイナーな情報を知っているのに自分の性格を知らなかったなんてあり得ない。

 うまいこと内側の感情を隠している新路は脇腹をつつきたくなるくらいいじらしかった。

 

「秋葉くん!」

 

「うわ、天王寺!」

 と、叫んだ自分の声は当然届かない。

 この世界では秋葉と呼ばれている新路の顔が引きつっている。

 ただ突っ立ってるだけでも常にハフハフと息の荒い眼鏡のツルが食い込んだこの男は現実世界なら新路の敵であり風露が最も嫌う人間、Meanこと天王寺だった。

 

「珍しく早いね、どうしたんだい」

 

「いや……早起きしてな」

 

「ふーむ。ところでこの間のおっぱいゲーム、またちょっと改良したから後でやってくれない?」

 

(相変わらず顔見てるだけでムカつく野郎だ)

 何の話をしているのかさっぱり分からないが自分が無視されるなら丁度いい。

 食べかけだった棒状のチョコレート菓子を天王寺の鼻にねじ込んでいく。

 

「お……おう。後でな……」

 どういう仕組みか分からないが、痛がる素振りも見せないのに鼻からどぼどぼと血が出てきた。

 実際に現実でも天王寺にしたことがあるが、それ以降チームの練習以外のオンラインで味方としてマッチした時は必ずトロール(味方の邪魔をすること)するようになってしまった。

 鼻に菓子をぶっ刺したまんまやけにかっこつけた動きで天王寺は大きなリュックを背負って講義棟に向かっていった。

 

「天王寺ってなんだ?」

 

「Meanの本名だよ。天王寺雪之丞っていうの」

 

「信じらんない……」

 風露も本名を聞いたときは全く同じ反応をして即嫌われた。

 苗字は仕方ないにしても、生まれた瞬間に顔を見てそれが『雪之丞』という名に似合うか分かりそうな物なのに。

 今からでも『ドブ袋』に改名すべきだ。

 

「というかだな。あれを天王寺って呼ぶなら俺のこともよそよそしく明川さんって呼べよ。百歩譲って明川くんだ」

 また意識してつんけんした態度を取ろうとしている。

 まるで意識した女の子につい意地悪をしてしまう小学生男子だ。

 新路が何を想っていたかを知らないままだったらその言葉で何を感じたかは分からないが、彼が自分に憧れていたということを知っている以上その言葉はかすり傷にもならない。

 

「じゃあなんで私のことを風露って呼ぶの」

 

「そりゃお前……。名字なんだっけ」

 

「燕」

 

「呼びにくいな……」

 

「うん……」

 物心ついたときから名字呼ばれたことは一度もない。

 姉と同じ学校に行っていたから区別するためというのもあると思うが、動物を指す固有名詞そのままの名字はそこはかとなく使いにくい。

 せめて犬飼や猫山などのようにおまけがくっついていたら呼びやすかっただろうに。

 

「……新路でいいや」

 

「なんだよ、もっといろいろグチグチ言ってくると思ったのにさっ」

 せっかくだからもっとからかってやりたかったのに簡単に折れてしまった新路の肩を叩く。

 恨めしそうにじっとりとした目で睨んでくる行動に根が暗い新路の性格が表れている。

 

「楽しそうだな……夢の中なのに」

 

「楽しいよ。夢の中だけど、ずっとこうしたかったし」

 

「…………」

 

「新路は思わなかったの? 私と話したい、何を思っているか聞いてみたいなって」

 

「…………。思ってた」

 

「そうでしょう?」

 

「……ほんと言うと……。お前が、風露がそこに至るためにどれだけの物をどれだけの熱量で積み上げてきたか、どれだけひたひたと一歩ずつ歩いてきたか全部わかるから。きっと友達になれるって思っていた。だけど、それと同じくらいお前の顔なんか見たくもないと思っていたし、いまも思っているんだ」

 負けた側はそう思うであろうことは分かっていた。分かっていたからこそ、連絡手段なんていくらでもあるのに一度もコンタクトを取らなかった。

 自分に出来たのは、停止した新路のSNSをフォローするくらいだった。今朝だって、DMが来たのは見間違いじゃないかと三度見したほどだ。

 

「私はシンプルに新路に会いたいと思っていた」

 国内に現在どれだけプロがいるかは知らないが、自分と同じ領域に達していたのは後にも先にも新路だけだった。

 それを心から理解した時にはもう彼は消えてなくなってしまっていたのだ。

 

「…………」

 自分が新路の気持ちが分かるように、新路も自分の気持ちが分かるはず。

 なんの反論もせずただ新路は何かを噛みしめるように立っている。

 

「仲良くしようよ」

 

「…………。うん」

 彼が復帰したとして、倒されたら今度は自分がそうなる番――――とは限らない。

 自分の方がプロ歴が長い分、色々経験しているし、何よりも根っこの性格が違うから。

 

「遊びに行こう!」

 これだけ現実が再現されているなら過去の探索というのも面白い。

 美味しいものは夢の中でも美味しく楽しいものは夢の中でも楽しいのならわざわざ現実で遊びに行かなくたっていい。

 何よりも脚があるというのがよい。現実の自分は不健康になるかもしれないが、それくらいは些細なデメリットだ。

 

「たぶん渋谷から出られないぜ」

 

「そんじゃ甘いもん食べに行ってゲーセンでも行こう。その子から連絡来るのまだ時間かかるんでしょ」

 

「……あっ! 写真あるんだった」

 

「なっ、なんだよ」

 その女の事やらから連絡が来るまでまだこのゲームの中で六時間くらいあったはずなのに。

 だが新路の言う通り、彼女の写真さえあればそれで十分なのだ。先ほどの天王寺のように知っている人物だったらそれでゴールだ。

 

「ほら、これ」

 差し出された携帯に映っているのはいかにも新路のような真正童貞が好みそうな清楚な女の子だった。

 自分とは真逆のロングの黒髪、吊り気味の目元と口元にある小さいほくろがおっとりと優しそうな印象をもたらす。

 その人物は知っているどころか――――だんだんと現実の人間が夢の世界に逃げていく中で、まだまだ現実の面白さも捨てたものではないと思わせてくれた。

 

 

 

 

***************************************

 

 

 日本国内のT2トーナメントを完全に制した風露の次の目標は当然世界大会優勝とT1チームからのスカウトだった。

 特に日本を代表して戦うことは立ち止まって考えてみれば、形こそ違えど自分が小さいころからずっと思い描いていた夢と本質は同じだ。

 ただ、陸上と違ってチーム競技であるため己の腕だけを磨いても勝てない。今日もオフラインのスクリムで練習を積んだ後、スタジオが閉まるギリギリまで新路と1v1を行っていた。

 

「あ、もう終わりにしなきゃ」

 

「ん……」

 今日の結果は7-3でやはり勝ち越しだった。

 新路はエイム系のキャラならば恐らく世界でもトップに位置すると思うがそれ以外が全くプロレベルに達していない。

 別に全てを極める必要はないが、それぞれのキャラの特性(弱点)を理解するにはやはりある程度は使いこむ必要がある。

 いくらどのキャラでも頭をクリックすれば終わりだとしても、だ。

 

「ちょっとシャワー浴びてくる」

 

「ああ。待ってる」

 またノートにがりがりと何かを書いている新路はこちらを見もせずに言った。

 一度あのノートを見せてくれとお願いしたことがあるが絶対に嫌だと言われた。

 もはや同じ目標に向かう仲間なのだから情報の共有くらいしてくれてもいいのにな、と思いながらシャワー室に向かう。

 選手によって様々だが、自分のように頭に血が上りやすく感情的なプレイヤーは試合中に結構汗をかく。おまけに新陳代謝がかなりいい上にマウスもぶりんぶりんに振るからなおのことだ。

 逆に普段は思い切り馬鹿なのにゲーム中は冷徹冷静そのものな新路は汗の一つもかかない。こればかりは性格だから変えようがない。

 

「ん?」

 腕にマジックペンで何かが書いてある。

 今日は一度もこのパーカーを脱いでいないから、ここに来てから誰かに書かれたなんてあり得ない。

 寝ている間に家族の誰かに書かれたのだろうか。こんなデカデカと何が目的で?

 

「風露には……」

 風はともかくとして露なんてマジックペンで腕に書くのはかなり時間がかかるだろうに。

 何か意味不明な恐怖を心の奥底で感じながら袖を捲る。

 

「左脚が無い――――!!?」

 バキッ、と今の今まで己の身体を支えていた左脚から嫌な音がした。

 普通に立っていただけのはずなのに、バランスを崩しその場に倒れる。

 崖に向かって走ったアニメキャラが下を向いた瞬間に地面が無いことを認識して落下するかのように、義足を意識した瞬間に立っていられなくなった。

 周りに掴まれるところがなく、立てない。いや、そもそも先ほどの音から察するに義足がどこかイカれたに違いない。

 

「新路……新路! 助けて!」

 声から異常を感じ取ったのか新路がいかにも走り慣れてないフォームで走ってくる。

 倒れている自分を見てすぐに体を起こしてくれた。

 

「大丈夫か……!? どうしたんだ、一体」

 

「転んじゃって」

 

「怪我は!?」

 いつも自分の話を半分くらいしか聞いていないくせに、こういう時は本気で心配してくれる。

 脳の9割はゲームに支配されてもやはり心の根っこの人間らしい部分は捨てきれないようだ。

 

「大丈夫……ただ……あれ、私っていつから義足だっけ……?」

 

「頭でも打ったか……?」

 こぶでも探すかのように頭に触れられるうちに、確かに自分がおかしなことを言ったことが分かってくる。

 珍しく新路よりも自分の方が馬鹿だった。

 

「怪我はしてないけど、歩けないかも。脚ぶっ壊れちゃったと思う」

 

「どれ。……ああ……なんかここんとこ一本折れてるな」

 新路の指さした部分は確かに折れているが普通に使っていればまず折れないはずの部分が破損している。

 この部分が壊れると立つことは出来てもバランスが取れない。

 

「うわ……病院じゃなきゃ治らないよこれ」

 

「救急車呼ぶか?」

 

「いやいや! 明日病院に行くから」

 

「…………」

 

「マジで。そんな顔しなくても大丈夫」

 もう長い事一緒にいるが、基本的に自分が勝つことしか頭に無い男が人の事を本気で心配している顔は初めて見た。

 こういうこともあるならたまの不幸も悪くない。

 

(……あの落書きは一体……?)

 脚を失って最高に病んでいた時でもあんなことはしなかった。

 だが家族や周囲の人間があんなことをするとも思えない――――と考えているといきなり身体を抱えられた。

 

「歩けないんだろ? 家まで送ってやるから。背中の方に行ける?」

 

「……。じゃあ、お願い」

 腕だけを上手く使い背中に移ると大して重くもないリュックのように位置を軽く直された。

 こうしてみると分かるが、やはり大きい。それだけで頼りがいがあるように思えるから不思議なものだ。

 

「このカバンお前の? なんか荷物多いな」

 

「着替えとか持ってきてるから」

 

「ふーん」

 

(うわ、呼ぶ前にせめて服替えときゃ良かった……)

 なんで着替え持ってきてんだ、と思わない辺りが新路らしい。

 自分が汗っかきなのを知っているから着替えを持ってきているしシャワーだって浴びるというのに、よりによってこんなことが起こる時に限って。

 汗臭いかなんて訊いてしまったら意識してしまうだろうから、せめて新路が花粉症の鼻づまりであることを祈って洗剤の匂いしかしない背中に鼻を埋めた。

 

 

***************************************

 

 

 夜遅いこともあってもう人がまばらなのは助かった。

 18にもなっておぶられているところなんて見られたら恥で爆発する。

 ましてや自分は有名人で新路だって全くの無名という訳でもない。

 写真でも撮られてネットに流された日にはとんでもないことになる。

 

「ちゃんと掴まれ! おんぶとか初めてだから落ちても知らんぞ!」

 

「分かった! 分かったからおんぶとか言うな! 恥ずかしい!」

 おぶっていることそのものよりも風露自身の危機感の無さにぶつぶつと文句を言っている新路の背中にしがみつく。

 いま太ももを触られていること以上に、先ほど義足に自然に触れられた恥ずかしさの方が今更湧き上がってくる。

 

(高校ちゃんと行ってたらこういうこともあったのかなぁ)

 15でプロになってからは完全に大人の扱いであり、まともな少年少女の生活から逸脱していた。

 新路も文句を先ほどから言っているが、本当は悪い気はしていないだろう。青春がやや遅れてやってきたような気分だ。

 このドデカ陰キャもそう感じてくれているといいのにな、と思いながら掴まるふりをして少しだけ強めに抱き着いた。

 

「ここから風露の家までどれくらいだ」

 

「電車で40分ちょっとで……駅から家まで15分くらいかな。あれ、そしたらあんたどうすんの?」

 家まで送ってくれるのはありがたいしそうしてもらいたい。家族は驚くだろうが、チームメイトだということは知っているはずだから説明も出来るだろう。

 だがそうしたら新路は終電を逃し家に帰れない。

 

「まぁその辺うろうろしてるよ」

 

「不審者……」

 

「なんてこと言うんだお前!」

 

「ははっ。近くのホテル取ってあげるからそこに泊まり……あっ。待って待って。時間やばくない!?」

 

「ああーっ!」

 五分程度でシャワーが終わるはずだったのにすったもんだをしているうちに20分もオーバーしてしまった。

 おまけに自分を背負っているから歩く速度も遅かった。時間を見ると既に終電発車の時間だ。

 

「どうしよ!」

 

「た、タクシーを拾うんだ」

 

「待って、現金5000円くらいしかない。カードって使えたっけ」

 

「俺2000円しか持ってねえ……」

 

「くはっはははっ、なんで2000円しか持ってないんだよあんた」

 18にもなった男子がいまどき外出時に所持金2000円なんて馬鹿にも程がある、と爆笑する。だが今は二人そろって馬鹿の二乗だ。

 5分ほど歩いた場所にある駅から発車した電車の音を聞きながら二人はその場で完全に停止していた。

 

 

****************************

 

 流石にホテルに入る勇気はなかったので必然的に2人でネットカフェに入ることになった。

 実は風露は銀行のカードを持ち歩いているのでコンビニに連れて行って貰えば現金をおろすことは出来た。

 だが結局新路は置き去りになってしまうし、なによりもそこまでして一緒にいたくないとは思われたくなかったのだ。

 

「これからはあれだな」

 

「ん?」

 

「もうちょっとだけ早めに上がるべきかもな」

 2人部屋に適当に持ってきたギャグマンガをパラパラと見ていると、暇そうに体育座りしている新路がそんなことを言い出した。

 確かに、今日の問題は早めに上がっていれば全て何事もなく済んだのだから。

 

「ん……でもさ、若いうちに一個くらいは時間も気にせずに夢中になれることがあった方がいいと思う」

 

「…………」

 

「一緒にやってくれる相手がいるならなおさら」

 

「……。かもな」

 自分が原因なのに同意してくれたのが嬉しく、ついはしゃいでしまいそうになるのをぐっとこらえる。

 どちらにせよ新路にとっては唐突なアンラッキーイベントなんだから。

 

「せっかくパソコン二つあるし、デュオでやる?」

 

「静かに出来る?」

 風露はかなりゲームの状況により声が大きくなるタイプだし、ここには備え付けのヘッドセットがないから新路に声掛けするときも自然に声がでかくなってしまいそうだ。

 それに今日も今日とて腐るほどやったのだから、もういいだろう。

 

「えと、じゃあ映画でも観よ? 始発まで二本くらい観れるよ」

 

「いいんだけどさ……。寝ないの?」

 

「あんた、本気で言ってる?」

 ブランケットも枕も借りられるから寝ること自体は可能だ。

 だが、同じ部屋で18歳の男女が寝るなんてボケで言っているのだろうか。

 

「?」

 

「私の性別は?」

 

「女」

 

「…………」

 

「ま、好きにしてくれ。途中で寝たらごめんな」

 心の中で軽く舌打ちをしながら適当に映画を選ぶ。予想外ともいえるし、予想通りのような気もしたが新路はホラー映画を頑なに拒否した。ホラーゲームは得意でもホラー映画は苦手らしい。

 恋愛映画なんか流そうものなら途轍もなく気まずくなりそうなので、結局アクション映画を観ることになった。

 なんと新路は映画を観たことが全くなく、俳優の名前も片手で数えられるくらいしか知らないという。

 

「この爺ちゃん知らないの?」

 

「んー……知らんな……」

 

「うそ、マジで日本であんたくらいだよ。この人知らないの」

 

「そんなこと言っても……」

 うつらうつらとしながらも律義に質問に答えてくれるが、これまで彼と関わるようになってからゲームに関する質問以外はほとんどNoだ。

 本当にギリギリの社会常識以外は全て捨てているダメ男だから、自分以外の女性からは幻滅されるばかりだろう。

 

「それじゃこの人は……あ」

 

「…………」

 流石に観ている途中なのにうるさすぎるかな、と思っていたらとうとう返事が返ってこなくなった。

 不機嫌になったとかそういうことではなく、座ったまま寝てしまったのだ。

 壁に背も付けずあぐらをかいたまま器用に寝ている。

 これも性格だ、こういうのを見ているとついついいたずらしてしまいたくなってくる。

 

「寝たらこういうことされるかもしれないじゃん」

 ヘッドホンを外してあぐらをかいている新路の脚の上に頭を乗せる。いっつも眉間にシワを寄せているが、寝ている時までしかめっ面とは。気が小さい上に神経質だから長生きしないだろう。

 最初に戦った時も思ったことだが素の顔は整っている。スナイパーらしく目つきは鋭いがまつ毛が長く、鼻筋も通っているし眼と眉の距離が近くてシンプルにいい男だ。

 何も出来ないと言っていたがヒモなら出来そうだ。

 

(女がどうこうってよりも、自分よりも強いから、学ぶことがあるから私と一緒に行動しているんだろうな)

 友達がいないというよりもいらないタイプなのだろう。

 次の世界大会に出る他のメンバーと私的な会話をしているところを見たことがない。

 

(そうだとしたら寂しいな、少しだけ。……あれ?)

 何故今まで違和感を感じなかったのだろう。

 新路がいつの間にか髪を白く染めている。確か昨日までは真っ黒でぼさぼさだったはずなのに。

 誰も、自分すらも指摘した記憶が無い。ここまで変身すれば誰からいじられてもおかしくないはずなのに。

 

「…………? ……今度こそシャワー浴びるか……」

 歩きづらいだけで壁伝いに行けば大丈夫だと思う。

 新路も寝てしまったし、これなら何か変なことも起きないだろう。

 いざ何かあったとして、汗臭いと思われたら嫌だし密室だしな、と面倒くささよりも羞恥心が勝ったところで立ち上がった。

 

 

(ネカフェってなんでもあるな)

 タオルはもちろんのこと、シャンプーリンスにドライヤー、洗顔クリームまである。

 そこまでがっつり入るつもりはないからいらないが、いつかまた来てみたいものだ。

 

「……!」

 鏡の前で上着を脱いで戦慄する。

 ブラの下の胸にまで何かが書いてある。寝るときはブラをしていないから、これは今朝自分でつけたものだ。

 その時には確実にこんな落書きなど無かった。今度は何が起こるのか。流石に離れすぎているから新路を呼ぶことも出来ないし、かといって戻って新路に胸に変な文字が書いてあるから一緒に見てくれなんて言った日には全速力で逃げられるだろう。

 覚悟を決めてブラを外すと――――

 

「これは夢だ」

 見えていた世界が斜めに斬られたかのようにずれ、叫ぶ間もなく次の瞬間には見慣れた天井が目に入った。

 

 時計を見ると朝の8時前だ。目覚ましのセットは丁度8時だったのでぎりぎりだった、と袖を捲り腕に書いていた落書きを見る。

 新路が髪を染めたのはつい最近だと言っていたのを聞いて思いついたのだ。このゲームでは直近の自分の姿が反映されるのではないか、と。

 どのようなシナリオだったかは知らないが無理やりな方法を取ったせいで随分と物語が破綻してしまったのではないか。

 あれが無ければ自分は次の世界大会に向けて新路含む日本代表メンバーと特訓を重ねる夢牢獄の中に閉じ込められていたのか。

 DRのゲームはある程度の『揺らぎ』『脳のアドリブ』を許可している。ライターが作成した一本筋の通ったストーリー以外の関係ない部分の変更がプレイヤー自身の記憶で歪むことが許可されているのだ。

 出身地や誕生日、職業、大きなところで言えば性別が男でも女でもストーリーに影響が無ければどちらでもよいと。それがよりゲームとしての没入感を高めてくれる。

 現実との矛盾が少ない分、自分の入っていた夢は夢だと気が付く難易度はかなり高そうだ。それにしても、やはりというか自分はあちらの世界で新路と会っていた。

 

「まだ私は運がいい方かもな……」

 このゲームの目的を新路よりも先に察していた風露は、夢の世界での逢瀬の相手が現実での知り合いであったことの幸運を噛みしめる。

 あと二時間もすれば新路が家の前に来る。早く彼も解放してやらなければ。この悪夢から。

 『月映しの世界』はむしろクリアした後の方が悪夢により強固に囚われる悪意の塊のようなゲームだった。

 

 

 

*********************************************

 

 

 なぜこのゲームはこれだけのクオリティで無料なのか。

 なぜ強制的にハードを持っている全ての人間に配信されたのか。

 目的はクリアしなければ分からず。クリアすればそれが悪夢だと分かっても逃れられなくなる。

 苦しいことばかりの現実よりも思い通りの夢の中に囚われている方が幸せなのだから。

 

 

 徹夜でもしてきたのか、缶コーヒーを飲みながら律義に新路は時間通りに燕家の門の前で待っていた。

 インターホンを押せばいいのに、そんな勇気が無かったんだろう。だがどちらかというと若い姉妹が住んでいる家の前にずっといるデカい男の方が余程迷惑な気がする。

 

「新路!」

 

「風――――ぶホッッ!!?!?」

 予想以上の反応だった。口や鼻から今まで飲んでいたコーヒーよりも多く、まるで胃液まで噴射したのではないかと思うほどに新路は何もかもを噴き出しぶっ倒れていた。

 

「汚いなぁ、人んちの前で」

 

「香なっ、あっ!? 風露か……? お前……」

 

「どう? びっくりした?」

 数年ぶりにつけた昔のウィッグを手で撫でる仕草は姉である風奈と全く同じものだ。

 目の前の新路に見せつけるように普段はしない優しい微笑みを顔に浮かべ、風奈から借りた春物のコートの端をつまんでその場でくるりと回る。

 

「なに? これ?? どういうことなの??」

 

「去年あの会場には私の姉も来ていた。双子なのは知っているでしょ」

 

「うっ、嘘つけぇ! 顔が全然違うじゃんか!」

 

「じゃあ気の済むまでよく見てみろよ」

 恐る恐るといった様子で新路の指先が顔に触れる。昨日自分にしたよく言えば遠慮のない友人に対するような触れ方ではなく、思い焦がれていた幻影に触れるかのように。

 唇や眉、目元のほくろとなぞるその行動全てがくすぐったく感じるが、その丁寧さが自分に向けられたものではないと思うと複雑な気分だ。

 

「嘘だ……こんな、化粧で……」

 

「おねぇはね、すっごい天然だからそう見られたくなくて吊り目風のメイクしているの」

 派手なように見えて風露の化粧自体はそこまで濃くはない。割と顔自体は素材そのまま出している。

 今どきのメイク技術ならアイラインの引き方一つで目の角度も大きさも変えられてしまう。

 

「確かに……いたよ……最前列にいた……そういえば……」

 何度か新路の事を小学生みたいだと思ったが、本当に好きな子の前で張り切る小学生だった訳だ。

 だからこそ普段よりもずっと強かったと。

 

「お前……お前……」

 

「?」

 

「ミステリーで双子を使うなぁ!!」

 

「知らんけど」

 へなへなとまるで自分の脚に縋りつくかのように新路はその場にへたり込んでしまった。

 化粧一つで好みに入ったり外れたりするなんて男とは馬鹿な生き物だ。

 

「おねぇは新路の言ってたタイプに近いよ。ちょっと……かなり天然だけど優しいし、可愛いし、優等生だし。妹がこんなだからゲーム漬けの男でも偏見はないと思う」

 

「………………はぁ」

 

「何よりもあんたのことかっこいいって言っていたから気に入るかもしれない」

 この場限りの嘘などではなく、それは本当の事だ。

 観ている者も手に汗を握るようなあの試合の後、風奈は『あの人本当に強かったね』と悔し涙に濡れる新路を見て心から感動していた。

 競技者の涙ほど熱く、美しいものは他に無い。人は誰しもそんなエモーショナルなシーンに心動かされるからこういった競技は存在していられる。

 

「会いたきゃ会わせてあげるよ。今うちにいるし」

 風奈に会わせてくれと新路に言われたら断る理由が無いし、風奈も同い年のそんな変わり種の男の子と友達になれるなら喜ぶだろう。

 姉の事は1から100まで全部好きだし、嫌いになれる部分など少しも無い。

 だからこそなのかもしれないが昔から風奈は欲しがるものを全て手に入れてきた。その善なる心や優しさが自然と周囲の人間を惹きつけ欲している物を引き寄せてしまうという、典型的な幸せになるタイプの人間だった。

 一方の自分は欲しいものは自分の力で勝ち取るタイプだったが、最後の最後で一番欲しいものはいつも風奈の手にあった気がする。欲しいものが同じときはいつも風奈が譲ってくれて、我慢している姉の姿がいたたまれなくなり結局渡してしまうから。

 才能と努力で欲しいものを欲しがるままに掴みとってきた風露の一番弱い部分。

 断ってくれ、と心の表層を幾重も剥がした奥底の核の部分が小さく願いを呟いていた。

 

「…………。いや、いい。現実にいるって分かったならそれでいい」

 

「? 好みど真ん中なんでしょ。うまく行くか分からないけど、会うだけ会ってみたら?」

 なぜ自分はここで逆張りをしていしまうのだろう。分かった、と一言いえばそれでいいのに。

 もっと言えば会わせてあげるなんて言う必要も無かったし、そもそも双子だなんだと言わずにこの姿で黙って出てくればよかったのかもしれない。

 

「…………俺は何もかも最低の人間以下だ」

 

(別にそこまで言わなくてもいいのになぁ)

 これくらいの人間ならその辺に結構いるものだと思う。

 むしろ、己の身を立てる才能があるのなら全然世の中でもかなり上の方だと思うが、育った環境ゆえにそう思い込んでしまっているのだろう。

 だが下手に慰めても新路はきっと聞く耳を持たない。

 

「せめて世界一強くなる。惚れた腫れたはそのあとでいい。人間になってからでいいんだ」

 やっぱり、今朝の夢にも出てきていたように自分は新路のような人間が好きなのだろう。

 だからこそ、『夢の中の新路』と現実の彼とで性格に差が無いのだ。

 

「じゃ、どうする?」

 

「なにが」

 

「この格好のままでいようか、ってこと」

 ファッションに合わせて髪形も化粧もころころ変えるため別に昔のような清楚な姿に『戻って』もおかしく思うファンはいないだろう。

 ただまぁ、自分の好む格好では無いが。

 

「さっさと戻れ。それでも強さは変わんないだろうけど、倒しがいがないんだよ。お前は風露のままでいてくれ」

 

「…………」

 とてもではないが、姉が決してしないような笑みが顔に浮かぶ。

 新路が求めているのは好みの異性よりもただただ己より強い相手。

 今日この日まで日本最強であった風露として、これ以上の喜びはない。

 新路は風奈が好きだが、双子だから見た目を同じに出来る。そうだとしても新路は風露に風露を求めているのだ。

 

「な、なんだどした」

 

「今まであんたが言った言葉で一番嬉しい」

 

「はぁ……?」

 

「待ってて、すぐ戻るから」

 義足だというのに浮いた心の赴くままに軽く駆けたりなんかしながら家の中に戻る。

 夢から覚めた新路はまだ寝ぼけたままのような顔で家の前に突っ立っていた。

 

 

**********************************

 

 

 なぜこんなゲームがこの世に存在しているのか、その正体を分かりやすく伝えるために移動する。

 目的は秋葉原、ここらでは一番目的の物がある場所だ。

 

「待っててはいいけどなんで俺は待っていたんだ?」

 電車の中で鉄柵に掴まって立っている新路が自分の行動すらもあやふやなチンパンジーのような言葉を発した。

 

「友達だからじゃない?」

 譲ってもらった席に座っているおかげで新路の顔を見上げると呼吸が苦しくなるくらいの高さにあった。

 まさかそんなことまで、と思ってしまったが新路が優先席に座っていた女性に声をかけたのだ。彼女は脚が悪いから席を譲ってほしい、と。

 

「…………そうなのかも」

 目的の駅に到着し、自然に伸ばされた手を取る。

 昨日今日で十分よく分かったが、どれだけ機械になろうとしても根はいいヤツを地でいくような男だ。

 普段は怖い電車とホームの間の隙間も難なく乗り越えながら、久しぶりに出来た友達が新路で良かったと心から思った。

 

「でも……友達とか……恋とか……」

 

(まーたなんかぶつぶつ言ってるよ)

 どうせバカタレなのだから変なことは考えずに素のままでいればいいのに。

 秋葉原でぶつぶつ歩いているドデカ陰キャなんて即通報ものだ。

 

「いらないものが多すぎるんだ、俺の人生には」

 

「なーに言ってんだまだ18のくせに」

 

「世界にお前さえいればいい。後は俺に倒されて『完』になればそれでいいんだ」

 そこまで想われているとはライバル冥利に尽きるというもの。

 惜しむらくはこの男、ゲーム以外の全てがダメダメだということだろうか。

 

「その後どうするのさ。完にはならないよ、実際。その時に心臓でも止まってくれりゃいいだろうけど」

 また手を離していないのをいいことに、伝えてない目的地に向かって歩き出すと新路は首輪を繋げた猿のように着いてきた。

 

「世界には私たちも超えるバケモンがいるぞ」

 

「……。まさか、負けたのか!? お前が!?」

 2カ月前に行われた世界大会に出場していたことは知っているらしいが、その結果までは知らなかったらしい。

 きっと意地でもゲームに関わる情報を出来る限りシャットアウトしようとしていたのだろう。

 

「さぁねー。気になるなら調べれば」

 

「それじゃ、それじゃお前」

 

「なに」

 

「終わんねえじゃねえか!」

 自然と戦う気になっている新路はどれだけ馬鹿だろうと自分が見込んだファイターだけある。

 彼も自分と同じく、自分よりも上がいるということがたまらなく許せないのだ。

 

「そう、終わらないんだ」

 強くなればなるほど戦いは過酷になり、例え世界一になれたとしても次から次へと次世代の鬼は生まれる。

 そこが最高なのだ。自分や新路のように普通にしていれば社会の落ちこぼれの人間にも戦い己を立てる場所があり続けてくれるということが。

 永遠には生きられないが、すぐには死ねないから。自分の価値を世界に示し続けるしかない。

 

「世界が100人の村だったらなぁ」

 

「そしたらこんな職業あるもんか」

 

「……どこに向かっているの?」

 

「んー、あのゲームの目的が分かるとこ」

 

「俺さ、だいたいどんなゲームも滅茶苦茶得意なんだけど」

 

「そういえばそうだったね」

 言ってからやばいと思ったが新路は今度は何も気が付かなかったようだ。

 配信が無いときは彼のアーカイブにある別ゲーをよく見ていたものだ。

 格闘ゲームや音ゲーなんかは見ているだけで楽しかった。

 

「俺は製作者の意図が読めるからなんだ。この武器はこう使ってほしい、あの場所はこう突破してほしいとか、よく作り込まれた良ゲーなら尚更な。『月映しの世界』からはそれが感じられなかった」

 

「じゃあ何を感じた?」

 

「あえて言うなら……そこはかない悪意」

 正解、と心の中で呟く。

 このゲームの製作者が、それがどれだけ社会や人類に対して悪影響を与えるか考えていないはずがない。

 それでも製作者もこのゲームを開発した会社もGoサインを出したのだ。

 

「DRで何が一番売れているジャンルか知っている?」

 

「ん? なんだろ。ホラーかな」

 

「18禁ゲーム。エロゲーが一番売れてんだよ」

 

「はっ?」

 人間なら誰だって憎い相手を頭の中で殺したりするだろうが、それ以上に日常では異性を頭の中で好き放題しているものだろう。

 真っ当に育った普通の人だって、目の前をセクシーな女性が通ればお尻を軽く触る妄想くらいはしたりするものだ。

 それが理想の相手なら尚更だし、本能だからやめたくてもやめられない。せめて夢の中でくらいは、欲望の解放が出来たのなら。

 

「ただ好き放題エロいこと出来るってだけでもまぁ売り上げ促進にはなるけど、もっと有効なのは……」

 

「…………。……!」

 

「恋焦がれた相手がこの世界にいないとき」

 あのゲームのストーリーなんかどうでもいいのだ。

 要するに脳の奥にある理想の相手を読み込み作り出せれば――――とまで考えて、やっぱり好みだもんなと新路を見つめながら心の敗北を認める。

 

(そうだよ、悪いかよ)

 開き直って新路の顔を直視すると心が認めたこともあって爆発してしまいそうだ。

 見た目も性格も、化け物染みた執念も、全てが好みのど真ん中なのだ。神に願った通りの人間がそのまま現れたかのようだ。理想と外れて少々馬鹿が過ぎるが。

 過ごした時間は関係ない。自分たちはあの時お互いを深く深く理解しあった。あれ以上に濃厚な時間はこの先あるのだろうかと思えるほどに。

 心惹かれるのは当然だった。ただ、新路のそれとは少し形が違ったが。

 

「一緒に冒険をして壁を乗り越えたのなら、それがくっさい三流脚本でも吊り橋効果だのなんだので恋に落ちる。クリアしてもこの世界にいるのかどうかも分からない相手を探し続ける。……あんたみたいに」

 自分は幸運だったのだ。夢のストーリーよりもずっと深い物語を現実の理想の相手と共にしたのだから。

 もしもその理想の相手とやらがこの世界にいない、あるいは新路のように別人格を入れこまれた別人だったのなら、例えあのゲームの目的に気が付いたとしても、新路と同じように夢よりも劣る現実の中でさまよい続けていただろう。

 

「……この世界にいないって分かったら」

 

「作り出すしかない。頭の中でその先を」

 辿り着いたのは秋葉原でも一番大きなあらゆる18禁グッズを取りそろえたビルだった。

 ここの七階は数十年前から18禁ゲームコーナーになっているはず――――と一般人お断りな雰囲気を出しまくっている入口に目をやると新路が先に短い悲鳴を上げた。

 

「うわっ」

 

「ん? んん? ふぅぅううろさんじゃないすか、我がチームのクソエースの」

 宇宙一性格の悪い男、Meanこと天王寺が両手に中身がこれでもかと詰まった紙袋を持って件のビルから出てきていた。

 もともとそうだったが、いよいよ恥も外聞も無くなったのかエロ漫画のコマが大量に張り付けられたシャツを着ている。

 今すぐにでも殺した方が世の中の為のような気がする。

 

「あんた……給料こんなことに使ってたの」

 

「おめーこそ何やってんだこんなとこでチャラ男と歩いてよぉ」

 

「チャラ男……」

 自分と真逆の存在を言われてショックを受けている新路にガンを飛ばしながら天王寺は更に言葉を続ける。

 

「あー、言ってやろ。あらゆるSNSで言ってやろ。みなさんのアイドルの風露はチャラ男に身体中の穴という穴をがっつり開発されているクソビッチだってなぁ~~~~がははうはははっ」

 

「すげぇ……」

 新路も呆れを通り越してあまりの最低ぶりに感動している。

 こっちだって天王寺は給料全て18禁グッズにつぎ込んでいるとSNSで言ってやってもいいが、もともとが最低なのでそんなものダメージにならないだろう。なんという男だ、無敵ではないか。

 

「あ? お前……あの時の……」

 

「…………」

 なんだかんだ言って、やはり手ごわかった相手の顔くらいは覚えているものだ。

 天王寺も自分の目の前にいる男が何者か気が付いたらしい。

 

「なんだっけ、名前……あー、覚えてねぇ、殺した雑魚の名前なんて覚えてねえ」

 

(あーあ、知らね)

 現実ではたった二日の付き合いだが新路の性格はよく分かっているつもりだ。

 ゲームの世界では冷静に見えてその内側では狂気に近い情熱を秘めていたのだ。おまけに本来は直情型の馬鹿と来ている。

 簡単に言えば煽れば煽る程頭に血が上るタイプなのだ。

 

「そりゃ覚えてるはずねぇよなぁぁ――――俺にぶっ殺されて引退しちまったんだもんなぁはははははは」

 

「うるせぇええええ!!」

 あっという間に爆発した新路は天王寺の脇腹を紙袋ごと蹴り飛ばしていた。

 ほら来た、見るもおぞましい低レベルの喧嘩だ。だが蹴られた天王寺は慌てて紙袋から何かの箱を取り出す。

 その際に一緒に出てきた18禁グッズの数々についてはせめてもの情けで何も言わないでおいてあげた。

 

「おまっ、これっ、折れてるじゃねえか! 半年前から予約してたゴールデン対魔忍陥没乳首妊婦バージョンが! 弁償しろ!」

 

「うおっ!」

 外で出してはいけない部類のフィギュアを手にしながら激高した天王寺が猛然と新路に掴みかかる。

 自分は一体何を見せられているんだろう。

 

「弁償しろぉぉぉ慰謝料と合わせて50万だぁあああ」

 

「無職に金たかんなぁぁお前が金よこせえぇええ」

 

(地上最低王決定戦かよ)

 お互いが最低な主張をしながら掴み合っている。

 中学の頃根暗同士が喧嘩していた時もそうだった。華々しくないのだ。お互いの服を掴み合う醜い喧嘩で見ている人を不快な気持ちに――――

 

(おっ?)

 そのまま服がでろでろになるまで引っ張り合いになるのかと思いきや、気が付けば新路が天王寺の関節を押え締め付けている。

 これは昔プロレスで見た卍固めというやつだ。そういえばよく兄にプロレス技をかけられたと言っていた、何度もいじめられているうちに身体で覚えてしまったのだろう。

 面白いので写真を撮っていると新路の膝下に固定された天王寺の顔が苦痛に歪み、泡を噴きながら新路の足をタップしてようやく決着がついた。

 

「この野郎!!」

 

「げッ!?」

 降参したくせに解放された瞬間、天王寺は新路の鼻っ面をぶん殴った。

 卑怯最低なんのそののゴミ野郎だ。

 

「お前なんでこんな奴と一緒にいんだよ! コラ!」

 そもそもなぜ敵と一緒にいるのか、と掴みかかってくる天王寺の気持ちは分からないでもない。

 だが口の端から唾液の泡を垂らしながら顔を近づけてくる天王寺は耐えがたいほどに気持ち悪く――――

 

「口が臭い!」

 ただただ口が臭かった。嫌悪感に任せて手で振り払うと天王寺が大事そうに抱えていたフィギュアにクリーンヒットし、哀れアスファルトに叩きつけられたエロフィギュアは真っ二つに折れてしまった。

 

「ああ――――っ!!?」

 ゾンビ映画にそのまま出られそうな迫力でいまにも食い殺さんばかりの勢いのまま天王寺が再度襲い掛かってくる。

 

「死ぃねって!!」

 

「にゅッ゙」

 そろそろ本気で通報しようかと思った時、回復した新路が体重を全て乗せた水平チョップを天王寺の喉に直撃させた。

 当たり所が悪かったのか、そのまま気絶した天王寺は18禁グッズをぶちまけながらアスファルトに沈んだ。

 

「うわっ、最低……」

 エロアニメのパッケージやらオナホールやらエロフィギュアに囲まれて秋葉原の地面に安らかに眠る天王寺は最低以外の何物でもなく、見ているだけで目が腐りそうだ。

 コンタクトをしていて良かった。肉眼でそのまま見ていたら失明していたかもしれない。

 これ以上こんなヤツに時間をかけてはいられないので、新路の手を引き通行人に写真を撮られている天王寺を置いて店に入る。

 

「すげぇ恨み買ったなぁ……」

 ただのフィギュアなどが置いてある一階を抜けてエスカレーターへ向かう道中、新路がぼそっと呟いた。

 もしかしたら兄以外との喧嘩は初めてだったのかもしれない。

 

「大丈夫でしょ。あいつはこの世の全ての生き物の幸せが憎いから」

 

「バケモンかよ……」

 新路の言葉に完全に同意しながらエスカレーターの途中途中に貼られているポスターを凝視する。

 今はこういった性産業は完全に右肩下がりだ。昔は三大欲求のうち特に性に関わる物は消えようがないと言われていたが、これも時代の流れか。

 どれだけ可愛かろうとおっぱいがでかかろうと万人の好みど真ん中の女性はいないし、彼女たちは所詮映像の中にしかいない。

 だがこの時代なら、頭の中にしかいないとはいえ理想の異性と好き放題出来るのだから。

 

「あの……恥ずかしいからやめてくれないか」

 

「いや、やましい気持ちで見てたわけじゃないからね。ところでやっぱりでっかいおっぱい好きなの?」

 

「…………」

 

(うーん、悪い事したな)

 EDなのにこんなところに連れてこられて訳の分からない質問をされて新路も流石に精神的疲労が大きくなってきたのだろう。

 呆れているのが丸分かりの大きなため息をつかれた。

 

「イメージ壊れるからやめてくれ」

 

「私あんたと同い年だよ? 女子だって大っぴらにしないだけで男と同じくらいそういうことも考えるよ」

 

「やっぱやましい気持ちで見てたんじゃねーか」

 そんなこんなを話しているうちに目的の7階についた。

 昔から18禁ゲーム産業は大きく盛り上がりはしない代わりに何故か滅びなかった。

 やはり一定数は先ほどの天王寺のように二次元を本気で愛する人間もいるからなのだろうか。

 新路が明らかにAVのポスターよりもエロゲーのパッケージに注目しているのに気が付き少し複雑な気持ちになる。

 

「なに、なんか欲しいのでもあった?」

 

「試合の検索中って暇だろ。こういうゲームならいつでもセーブ出来るからな……」

 

「なるほどね」

 もっとダメな方向でダメな男だった。ゲームが世界の中心なのはいいが、配信中に18禁ゲームをやりだしたら即BANされるに決まっている。

 

「あった。これ」

 

「あんまエロゲっぽくないな」

 このご時世にパッケージが平積みで陳列されているそのソフト『Come true』は18禁でありながら女性の絵すらも描いていない。

 表にはタイトル、裏面にはソフトの説明のみが書いてある。だが18禁のゲームであり当然CMなども無いにも関わらずこのソフトは既に発売されて4カ月で800万本売り上げている。

 計算上、DRを所有している人間の6人に1人が持っていることになる。一本で3万円もする高級ソフトなのに。

 というよりもこういった18禁ソフトのおかげでDRの売り上げがかなり伸びたという側面もある。

 ビデオデッキの普及率が跳ね上がったのもAVが販売されてからという実例もある。

 

(まぁそうだよな)

 開発元は聞いたこともない会社だが、調べてみるとDRおよび『月映しの世界』を開発した会社の100%子会社だ。

 このゲームの売り上げはそのままDRの開発元に行くことになる。

 

「で、これが何なの」

 

「このソフトはね、自分の知っている人を知っている場所に登場させてなんでも思うがままに出来るんだ。最初はたぶん亡くなった人にもう一度会うとかそういう目的のソフトだったと思うけど……」

 

「それで?」

 

「分からないか? この世界にいなくても、その相手を知っていればいいんだ」

 

「ふむ」

 

「月映しの世界によって作り出された理想の異性はこの世にいない。だけど脳はその相手を覚えている。このゲームを使えばその先をどこまでも作れる。……夢の世界で」

 

「……。……! あのゲーム、これを売るために!」

 

「恐らくあんたも……私に声をかけなかったら遅かれ早かれこれを買っていたと思うよ」

 全く新しいタイプのティザー広告だ。あなたの好きな人に好きなこと出来ますよ、と宣伝するよりも効果的だし、世の中には好きな人間や好みのタイプが分かっていないような人間もいる。目の前の新路がそうだ。

 心の奥底にある理想を引きずり出し、強制的に恋をさせる。例え目的に気が付こうがもう遅い。好きなものは好きなのだから。それが幻だと分かっても何かに縋るしかない。

 最終的にこのソフトに行き着くわけだ。このゲームの存在はかなり知られている一方でその値段ゆえに買うのを躊躇する者も多いが、その背中を強烈に押してしまう。

 

「人の心を操りくさって……」

 沸騰したやかんのように新路が怒り始めたがそれは夢から覚めた証拠だ。

 普通の人間なら目的に気が付いたとしてもその後の人生が大幅に狂ってしまうだろう。

 

「もっと悪いよ。あんた、この国の合計特殊出生率知っている?」 

 

「出生率ってのはなんだ」

 

「……。要するに、一人の女性が生涯に何人の子供を産むかってこと。あんた、勉強できないとか以前に常識を学んだほうがいいと思う」

 

「エロゲの山の前でこんな話することのどこが常識的なんだ」

 

「関係あるんだよ。今はね、1.1。DR発売の影響により0.2下がったって言われてる」

 ざっくりと考えれば二人の男女が結婚して子を作るなら二人の子を産まなければ人口を維持できないのに今はその半分しか達成できていないわけだ。

 ここまで説明して何かが分かったのか新路の瞳孔が小さくなった。

 

「……ゲームの中の人間と結婚は出来ないぞ……」

 

「それでも構わないから、日本や世界の人口が減ろうがどうでもいいから、なりふり構わず売りにきたんだろうね」

 たとえば既婚者が『月映しの世界』をクリアしてしまったら。

 たとえば思春期の少年少女がこの世界に存在しない人間に恋をしてしまったら。

 誰がこの七面倒くさい現実で恋をして結婚をして子供を作ろうなどと思うのだ。

 いよいよ人類の滅びの始まりを見ている気がしてならない。

 

「新路の言っていた悪意ってのはそういうことだと思う」

 このゲームが浸透すれば社会にどのような影響を及ぼすかを開発会社が考えなかったはずがない。

 それでもなお利益を優先したのだ。

 

「……。もう出よう。気分が悪くなってきた」

 

「買わないの?」

 買ったらそこに出てくるのは自分ではなく姉の風奈なのだ、と思うとまたちくりと心が痛んだ。

 どれだけ性格が違っても大元の血が同じだからなのか、好きな物好きな動物好きな人はいつも風奈と同じだった。

 小学生の頃、バレンタインに風奈が『自分も』好きだった男の子にチョコレートをあげたがフラれていたのを見て何故かほっとした記憶が蘇る。

 買わないの、なんてどうして自分は強がりを言うのだろう。

 

「……お前も相当常識無いよな…………」

 100%からかわれることが分かっててどうして買うと思うんだ、とぶつぶつ言いながら新路はエスカレーターに向かった。

 そう、理想通りに頑固だからここで心折れて買ってしまうような男ではない。

 ほっとしながら時計を見ると時間は12時近くになっており、そろそろ腹も空いてくる時間帯だった。

 

 

*******************************

 

 

 そういえば今日は平日らしい。

 ファミレスで食事を終えチョコレートケーキを食べながら周囲を見ていると仕事をしている人間が割といる。

 職種にもよるが、オフィスというものの必要性が激減したことにより、日中でもその辺で仕事をしている人間はよく見る。 

 確かに、家でずっと仕事をするとなるとついついサボってしまいそうだ。

 

(まーたコーヒー飲んでる)

 カフェイン中毒なんじゃないかと思うほど新路はコーヒーしか飲んでいない。

 せっかくスイーツ類も揃っているファミレスなのだから一個くらい食べてみればいいのに。

 

「せめてコーヒー以外も飲んだら?」

 

「そしたらジュースしか無いじゃんか」

 

「ほんとは食わず嫌いなんじゃない? ほら、あーん」

 何の気なしに、まぁ断られるだろうなと思いながら一切れのケーキをフォークに刺して差し出したら物凄い顔をされた。

 嫌いなものというよりも毒でも突きつけられているかのようだ。嫌われるにしたってそんな顔をしなくてもいいじゃないか。

 

「よせ!! やめてくれ!!」

 

「なにそれ。傷つくなぁ」

 

「バケモンのくせに人間ヅラしてんなよな」

 

「こんなかわいい女の子捕まえてそれってヒドくない?」

 こんな体だからまともな一人の人間扱いされないことはあったが化け物扱いは初めてだ。

 

「うるせえ、魑魅魍魎め。魍魎武丸め。おとなしく成仏しろってんだ!」

 

「なんでそうなるのさ」

 酷い暴言の連発だが、ここまで来ると一周回って面白くなってくる。

 本人が割と真面目なトーンで馬鹿なことを言っているのが面白いのだろうか。

 

「10年だ! ぎりぎりの限界の先っぽまで詰め込んだんだ。それを上回るならもう……人間じゃねぇ」

 

「このバカゲームバカ」

 

「それでいい」

 

「……。新路の夢って何?」

 日本でプロの天辺を取るほどの自分をしてゲームバカと言わせるほどに積み重ねてきた男だ。

 それだけの量をその熱量で続けるのは強い目的意識があるはず。

 

「……やだ。言わない」

 

「言え。うん、私には聞く権利があるんでしょ?」

 詳しいことは分からないが新路の脳内理論で言えば自分が彼の中で上に位置している間はそうなるはず。

 だがそれは勝ったらその逆をされるということなのだろうか、という考えは頭から追いやる。

 

「……。Fakerになりたいんだ」

 

「Faker? あの?」

 

「そう。その『あの』が大事なんだ。俺らが生まれる前のプレイヤーだぜ? だけど最強だって知っているんだ」

 League of Legendsの伝説的プレイヤー、Fakerはかつて絶対的な最強、聖域としてその名を世界に轟かせた。

 もちろんFakerもいつかは最強ではなくなりやがては新しい世代に追い抜かれたし、今では何をしているのか少なくとも風露は知らない。

 だが、esports界のレジェンドとして、最強の化身として、ジャンルも世代も違う彼の名をesportsに関わる誰もが知っているのだ。

 マイケル・ジョーダンのように、ウサイン・ボルトのようにマイク・タイソンのように。

 他にも強い選手はたくさんいた。だが、それでもたった一人に最強の称号を送るなら彼なのだと、知らないはずの彼らが時代を超えて記憶に残っている。

 

「俺も死ぬ。いつかは死ぬし、兄貴だって……。クソ優秀なクソ一族のクソ親族どももいつかは死んで誰もその名前を思い出さない。だけど俺は最強としてこの名前を残すんだ」

 

「……素敵な夢……」

 なぜ自分はあの部屋で朽ちることを拒絶したのか。それこそ新路の実家ほどではなくともそれなりに裕福な風露の家なら籠の中の鳥として生きていくことが出来たのに。

 誰からも忘れられ、いずれは自分がこの世界にいた証さえも消えてなくってしまうことを拒否したのだ。

 新路の夢は、ただ荒れ狂い最強を求めた風露の求めたものでもあった。

 

「誰にも言わないでくれ」

 

「うん。それは今から私の夢ね」

 

「!?!?」

 

「あんたの夢は私を倒すことだろ。そうしなきゃ世界一になんてなれっこないんだから。まず私の強さをたっぷりと理解してもらう」

 

「んな馬鹿な理不尽な――――」

 

「よし、出ようか」

 ぶつぶつ言いつつもちゃんと立ち上がる時や段差では手を貸してくれるのがなんだかとてもらしいな、と感じる。

 本当は義足にも大分慣れたから日常生活を送る分にはそこまで人の助けなどいらないのだが、その優しさが嬉しくつい黙っていてしまうのと、その手が離れるのを残念がる理由は同じだろう。

 

「せっかくなんだから歩く時も手を貸してよ」

 今の言葉を表情を変えずに言えた自分は偉いし、珍しく素直になれたことも素晴らしいが、ほんのりと匂わせた好意は全く新路に伝わっていない様子だ。

 

「普通に歩けてるじゃんか」

 

「本当は車いすの方が楽なんだ」

 自分のハンディキャップを理由に使うのは良心が痛むが、これは本当のことだ。

 外に出る用事が無い日はずっと車椅子だし、配信でもそれを隠していない。

 風奈と外に出る時だってよく手を貸してもらっている。

 

「嫌な訳じゃないんだ。俺みたいな訳の分からないのと手を繋いでいましたなんて写真にでも撮られたら、お前の経歴に傷がつく。ゆっくり歩くから」

 残念ながら新路の言っていることは一理あるどころか全くの正論だ。性別が真逆だったらまた別だろうが、やはりなんだかんだ言っても自分の人気は女性でかつ強いことに理由があることは分かっている。

 

「経歴ね……。ああ、そうだ。このままじゃ次の世界大会は天王寺が選ばれるよ」

 じゃあもう用事済んだし帰る、と言い出しかねないので改めて話を続ける。

 前回はアタッカー枠の相方にはfjordが選ばれていたが、彼は引退してしまったしDisrespectは韓国人だ。

 だとすると国内で選ばれ得るアタッカーはもう天王寺しか残っていない。

 

「それはダメだろ! あんなの出してみろ、日本の恥だ!」

 プロの使命は強くあることではない。それは大前提だ。

 プロの使命とは、アマチュアの規範となりシーンを盛り上げ競技を広く普及させることにある。

 そういう意味では、約半数のメンバーが後ろ暗い過去を持つBDCよりも、弱小チームでありながら長年普及に貢献してファンに愛されてきたAnother Oneの方が立派なプロチームと言える。

 

「私もそう思うよ。でもあいつには腕と実績があって、私とのシナジーもある」

 基本的に世界大会のメンバーはオーディションで選ばれるが、審査員も人間だからその辺は考慮するだろう。

 その逆に、彼の人間性を考慮して選考から外すことも大いにあり得るが。

 

「くそっ! デュオでもなんでもやるぞ!」

 

「やったね」

 風露とのシナジーは新路の方が上だと分かってもらうのだとしたら、チームメイトでない以上常に一緒にプレイしていると印象付けなければならない。

 国内大会でそれこそ新路の所属するAnother Oneが優勝でもすれば別だろうが、国内大会はこの間終わってしまったため先に世界大会が来る。

 もう9カ月しかないから、1年間活動してなかった新路の課題は山積みのはずだし、だとしたらやはり人と一緒にやった方がいいに決まっている。

 戦術的側面から見ても、自分と天王寺ではカバーしきれていない部分があったためDisrespectがいたのだが、自分と新路ならほぼ弱点が無くなる。

 

「でももう俺家でゲームなんかできねーよ。仮にも一応浪人生って肩書なのに」

 その問題があったか、と考え込む。自分と違って新路の家族や一族は基本的に彼がプロとして身を立てることすらも反対なのだ。

 どうしようか、と悩んでいたら台本通りのようなタイミングで視界に不動産屋が入ってきた。

 

「そうだ! あんた前の大会の賞金いくら貰った?」

 

「450万だけど。一円も使ってないなそういえば」

 驚いたことに優勝した自分と同じくらい貰っている。

 考えてみればあのチームはスタッフすらもまともにいなかったからその分分け前が大きかったのだろう。

 

「家借りな! それだけあれば一年……いや二年は生きていけるから」

 

「え、なにそれ」

 

「はい決まり! 6月入るまでに新居でゲーム出来る環境作ろう! 手伝ってやるから」

 

「いや、あのさ」

 

「なんだよ。何が不満なんだ」

 

「やっぱ家だと勝手に飯出てくるのとか便利だし」

 一瞬気が遠くなりかけた。障害を負っている自分ですらもそろそろ独り立ちを考えていたというのに、このダメ男ときたら。

 誰かが背中を押さなければ永遠に家でニートをすることになるかもしれない。

 

「料理も洗濯も覚えんだよ! こっち来いこの野郎!」

 

「やだやだやめろ、分かった! 家帰ったら調べるから! ちゃんと考えておきますから」

 無理やり不動産屋に引っ張っていこうとしたら駄々をこねる5歳児のように喚きだした。

 昔なら結婚をして子供がいてもおかしくない年齢だというのに。

 

「本当に? ちゃんと調べたら連絡しなよ」

 

「分かったよ……でもどうすんだよ……。賞金以外なんもねぇぞ」

 

「私とデュオで配信すれば投げ銭もギフトも増えると思うよ」

 配信からの収入だけでも普通に生きていく分には問題ないくらいの稼ぎを得ている。

 それを考えると大会での賞金やチームとの契約金も合わせると恐らく1200万以上は年間貰っている。貰いすぎと言っても過言ではない。

 

「そういえば色んなもん買って貰ってるもんな」

 

「よく知ってるね」

 

「配信見てたからな。ゲームしてない時は」

 

「ははっ」

 お互いにお互いのストリームのファンだった訳だ。

 プロが他のプロの配信を見るなんて当たり前だが、なんだか顔が少し赤くなりそうだ。

 意中の人、なんて言葉を頭に浮かべるだけでまだ肌寒いのに火照ってしまいそうだが、そんな異性の視線が風奈ではなく自分に向いていたのは初めてではないか。

 

「あんたも私みたいに顔出した方がいいよ。マウス見てもほとんどの人は分からないし」

 新路の場合も手元よりも顔を出して配信した方がより人気が出るだろう。精緻極まるマウスの動きなんて荒い画質の手元カメラでは違いは分からない。せいぜいチートをしていない証明くらいにしかならない。

 曲がりなりにも優れた見た目をしているのだからそちらの方がライト層の受けはいいはず。

 

「?」

 

「立ち回りミスってもいつもエイムでゴリ押してるだけじゃん。そのマウスの動きよりは表情の方がいいって」

 

「……? いつも……?」

 自分も自分でなんて間抜けなのだろう。もう隠せない。

 だが――――よくよく考えてみると隠す意味などあるだろうか。

 新路だって特に何も思わず言ったのだから、自分もそれでいいじゃないか。

 

「初めて新路と戦った日からずっと見てた。ファンだった」

 

「風露が……?」

 

「私もそうだったし、みんなもきっとそう。どんな人なんだろう、顔が見てみたいなってみんな思っているよ」

 毎回100人前後しか見ていないという、いつ消えてもおかしくないようなチャンネルなのに妙に居心地が良かったのは全員が全員、真摯にプレイに打ち込む新路の事が好きだったからだろう。

 もうあの電子空間は存在しえないと思うと残念でならない。それでも、その人たちは今もどこかで配信の再開を待っているはずだから、顔を出せばきっと喜ぶはずだ。

 

「……。うん。分かった」

 この少年は――――新路は思ったよりもずっと単純でこちらが素直になればあちらも素直に応えてくれる。

 自分の性格が少々ひねくれているのは知っている。ならば強がってばかりいないでもっと素直にならなきゃな、と心の中でつぶやく。

 

「『月映しの世界』はもう消した?」

 

「いや、まだ」

 

「そっか。私は消す」

 家のDRに入っている『月映しの世界』のデータが腕輪から浮かび上がり表示される。

 自分にはもう必要がない。新路を連れてきてくれたことにだけは感謝するが、それだけだ。

 

「いいのか? 思うところはあるけど……俺はそれをクリアするまで、自分に理想の異性なんてあることすらも知らなかった」

 

「いいの。私には必要ない」

 夢に逃げるのではなく、この現実で夢を叶える。

 日本最強のプロゲーマーという鎧だって今は必要ない。

 それはまた新たな自分の殻を破る感覚に似ていた。

 自分はもう普通の人間ではなくなってしまった、普通の18歳じゃない、いられないのだと思い込んでいた硬い殻。

 そうではなかった。どれだけ強くなっても当たり前に18歳の少女であり、時には落ち込んだり、喜んだり、誰かを嫌ったり好きになったりもする。

 義足で初めて外に踏み出した時よりも重い緊張を振り切り、風露は新路の胸に飛び込んだ。

 

「私の理想なら目の前にいる」

 恥ずかしくて顔を上げられないが、新路がどんな表情をしているか完全に予想が付く。

 耳を当てている新路の胸の向こうで心臓が爆音を立てて揺れ動いていた。道行く人がこちらを見る視線の中には自分があの風露だと気が付いたものもあるかもしれないが、構いやしない。

 風露は誰かの理想の偶像でも守られるべき弱い存在でもなく、ただこの世界を生きる欲望に満ちた若人なのだから。

 

「一緒に強くなろうな」

 

「お前……?」

 顔を上げると自分に負けず劣らず真っ赤な顔をした新路が目を震わせていた。

 何が何だか理解できない、いやちゃんと考えれば理解できるが常識的に考えてあり得ないと思っている顔だ。

 あり得ないと思うなら何度でも――――欲するものを全て掴みとってきた剛腕で新路を更に強く引き寄せる。

 プロとして成功し、より強い相手を求める一方で、きっと自分はなくしてしまった普通の青春も欲しかったのだろう。

 

「強さだけじゃない。私の魅力も! たっぷりと理解させてやる」

 一分は固まっていただろうか、ようやく多少なりとも伝わったのか。

 一つ大きく息を吐いた新路が風露の肩に手を置き、どこまでも真剣な目で風露の目を見た。

 

「もっと強くなるさ」 

 夢よりも面白いからまだ生きる価値がある現実だ。

 全て上手くいくとは限らないし、理不尽に奪われたり失うこともあるだろう。

 だからこそ、この手に心から欲した物を抱きしめた時の喜びが何よりも光るのだ。

 何もかもが強すぎていつだって負けてしまいそうになるこの世界に何かを穿つために、人は強くなる。

 

*********************************

 

 鬼はまたもう一匹の鬼と出会い

 もう一匹の鬼は鬼の手を取りまた強くなって帰ってきました

 ひとりぼっちだった鬼の、この世界でたった一匹の最高の友達

 鬼は鬼といつまでも果実にかじりつきたい

 このどうしようもない世界だって、それだけあれば永遠に無敵なのだから

 

 

 ところで鬼と鬼は二匹で集まって何をするのでしょう?

 

*********************************

 

 

 今年の夏の到来は早く、5月の半ば頃からセミが鳴き始めた。

 風露に背中を押され、兄である勇一の協力を得て、半袖でも過ごせるようになったある日とうとう新路は家を出た。

 辛く当たっていたはずの母が心配してくれたことも、自分に全く無関心だった父がいつでも帰って来いと言ったことも、全てが意外の連続だった。

 強くなるんだ、辛いことの方が多い現実の中でも胸を張って。最低限の保証があった部屋を飛び出して生きることは常識すらも危うい新路にとっては大変なことの連続だったが、それでも一人の人間として己に依って立つことは、砕け散った自尊心を少しずつ回復させた。

 

「あぁ゙ーっ! 終わったー……」

 引っ越して三日目、ようやく机の周りにゲームをする環境を整えられた。

 実家にあったタコ足配線を一個ずつ解体してまた組みなおしたのだから大変な作業だった。

 まだ服の入った段ボールなどが大量にあるが、とりあえずこれで『仕事』は出来る。

 

「喉渇いたよー」

 オフだったためにセッティングを手伝ってくれた風露がベッドに倒れ込んだ。

 配信関連に関しては風露の方が遥かに慣れているため、この環境を整えることに関しては本当に助かった。

 買ったばかりの小さな冷蔵庫から缶ジュースを取り出し風露に投げると、行儀悪くベッドの上で飲み始めた。

 

「あとはネットが明日開通されれば……一応契約しなきゃいけないのは全部だと思う」

 勇一に頼んで作ってもらった一枚の紙には一カ月で予想される支出が全部書いてある。

 水道も電気もガスも契約したし、ネットも頼んだ、とシャープペンで項目にチェックを付ける。

 特に何もなく通勤通学にも不便な駅にある物件を借りたため家賃は安いが、それでも月に10万はかかるものらしい。

 色々計算しても一年以内に収入を確立しないとそのまま孤独死するだろう。

なんということだ、この間までニートだったのに一気にそこらの18歳そこのけのロックンロールな生活になってしまった。

 

「良かったね、いい家見つかってさ」

 そもそも風露自身が独り立ちを考えていたらしく、探し慣れている彼女の提案する物件は新路の求めている要素が全てあった。

 近くにデパートやレジャー施設などは無いが、駅まで歩いて7分のため買い物には困らないしコンビニも近い。

 一部屋しかないが8畳あるため、普通に生活する分には問題ないし風呂とトイレも分かれている。

 築年数も若いという良物件だった。

 

「よかったよかった」

 椅子に座ってパソコンのスイッチを押し、小窓から吹き抜ける初夏の風に前髪を揺らしながらぬるくなったペットボトルのお茶を飲む。

 この数週間ずっと動き回っていたためどっと疲れた気がする。寝転がりたいがベッドは風露が占拠している。

 というか、いや多分自分は間違っていないが、何故彼女は人の家の、しかも男の寝床を普通に使っているのだろう。

 だが今更文句を言う気にもなれない。風露と勇一の協力が無ければ18歳で独り立ちなど無理だったのだから。

 それにしてもまた髪形が変わっている。自分なんか髪色がプリンになり始めたのに。

 髪の色自体は変化ないが、前髪が斜めに切られて二段階の高さになっており、それに合わせてか毛量の多い緑色のツインテールの長さもアシンメトリになっている。

 隠す気も無いのか、風露のトレードマークであるキャラがデフォルメで描かれたパーカーを着ているのに全くオタク臭さが無いのは他の部分の見た目が強すぎるからだろう。

 そんなことを額にペットボトルを当てて考えているとインターホンが鳴る音が聞こえた。

 

「…………」

 

「あんたが出なきゃダメでしょ」

 

「あっ、そっか!!」

 

「ニート生活に慣れすぎ」

 全くその通りで反論が出来ない。チャイムが鳴ったら自分以外が出るのが当たり前の生活をしていたせいだ。

 N〇Kだったら電子機器は一切無いと言って追い払ってしまおう――――と思ったら、そこにあったのは両手でなんとか抱えられるほどの段ボールを持った配達員だった。

 

「うわ、マジか兄貴!」

 死ぬほど忙しいはずの仕事の合間を縫って手伝ってくれた上に引っ越し祝いまで送ってくれたのだ。

 なんだなんだと見に来た風露も巨大段ボールを前に目を輝かせている。

 この重さはなんだろうか。電子レンジやコーヒーメーカーだろうか。正直内容よりもその心遣いだけで十分嬉しい。と、思ったのに。

 

「ぜ、全部甘いもの……」

 15kgほどあった段ボールの中身は全て甘いものだった。

 ポテトチップスなどの塩気のあるものは全くなく、カステラやチョコレートなど舌先で感じる甘露オンリーだ。

 優しくしておいて最後に落としてくるあたりが実に元いじめっ子いたずらっ子の勇一らしい。

 

「お兄さん新路が甘いの嫌いだって知らないの?」

 

「知ってるよあいつぁ! 毎年バレンタインに貰った大量のチョコを俺に渡しちゃ『あっ、お前食えねえんだっけ』って言ってくるんだ!」

 

「なんか手紙入ってるよ」

 

「……どうせろくなこと書いてないんだろ」

 なんて言いつつも3%ほど期待しながら開いたら『美人妻 寝取ってナンボの 人生だ』と今まで見た中で一番最悪の俳句が入っていた。

 弟の引っ越し祝いにこんなクソ俳句を同封する神経が分からない。

 

「やば」

 

「あいつはやべーんだよ。ちょっと頭がおかしいんだよ」

 俺とは違う方向で、とは言わないでおく。

 頭がおかしかろうが人格破綻者だろうがそれが許されるくらいに本人は優秀だからだ。

 

「うわ、これ一粒200円もするチョコだよ」

 一粒一粒丁寧に包み紙に入っているチョコレートを風露が興奮しながら解説している。

 これで一粒200円なら全部で10万円近くするかもしれない。嫌がらせにこんなに金を使って馬鹿じゃないのか。

 

「じゃどうぞ、持って帰って」

 

「いやこの量は無理! 食べに来るよ」

 

「い、居着く気ですかぁ?」

 今日全てを食べることは出来ないだろうし、一度や二度の来訪でも到底食べきれない量だ。

 よく考えると風露に勧められたこの家は風露の家から電車で二駅なのでそう遠くはない。

 それ込みで考えていたのか、と頭に浮かぶのを今の新路には邪推と言い切ることは出来ない。

 

「……。いや?」

 薄紅色の唇でチョコレートをはさみながら小首を傾げて、いやじゃないくせにと表情で伝えてくる。

 そんな仕草は夢の中で見た香南――――風奈のそれとそっくりで、心臓が変に痛くなる。確かに顔の造りが一緒だと感じさせられてしまう。

 こうして見ると鬼のように強いプロゲーマーなんてことを忘れてしまいそうなほどに普通の女の子だ。

 

「……ヤジャナイデス」

 

「そうでしょ?」

 斜め上を見ながら行儀悪く齧った高級チョコレートから適度な気温により一番甘くとろける状態のキャラメルソースが伸びて、ガラス細工のような細い指に絡みついた。こういう食べ方もあるか、と思い付きでもしたのか行儀悪くチョコレートの中に指を突っ込みキャラメルだけをすくって食べている。

 一度だけ見せた自分への明確な異性への好意がずっと感覚を狂わせて風露に強く出れず、一つ一つの所作までも妙に意識してしまう。行儀悪く指を舐めるその仕草すらも別の意図があるように感じてしまうのだ。

 家から近いからとそう頻繁に来られてはいつか本当に気が変になってしまうかもしれない。

 かといってそれを追い返す度胸も無いし、そうするにはもう風露は自分の人生に深く関わり過ぎてしまった。

 ほんの2年前までは一方的に知っているだけの有名人だったのに。

  

「死んでないかちょくちょく様子見に来てあげる」

 洒落ではなく半分くらいは本気で言ってそうだし、自分のように下手すれば24時間ぶっ続けでゲームをする人間は冗談でもなんでもなく突然死するかもしれない。

 様子を見に来てくれるというのならばそれはありがたいことなのだ。

 

(でも暇じゃないだろうに)

 スポンサーから依頼される仕事の中にはストリームもあるだろうし、BDCのスクリムもある。

 あまりメディアへの露出はしないがそれでも日本一有名なesports選手なのだから出演依頼やインタビューは山ほどくるはずだ――――そこまで考えて、暇な自分と違って風露は滅茶苦茶忙しい中で時間を作って会ってくれているのだという事実に気が付いた。

 

「ありがとうな。本当にお前には助けられてる」

 

「…………」

 素直にお礼を言ったのに風露はぽかんと口を開けて固まってしまった。

 新路も何も言えず、まるで目の前の母親の行動を真似する赤子のようにぱかっと口を開いてしまった瞬間、キャラメルソースが絡んだ指が口に突っ込まれた。

 

「ぶあぁっ!! 何すんだちくしょう!」

 舌先から最も苦手なキャラメルの甘味が広がってくる。

 甘いのはまだいい。なぜこの世の甘い味がする食べ物はどいつもこいつも歯に引っ付きやすくいつまでも甘い味が残り続けるのだろう。

 

「素直にお礼が言えるんだね」

 キャラメルを残さず舐めとった風露は勝手にウェットティッシュの箱を開けて指を綺麗に拭いた。

 間違いなく嫌われてはいないとは思うが、一体彼女の中で自分はどういう印象になっているのだろう。

 

(まぁいいや)

 パソコンも無事に立ち上がってくれたようだし、色々と設定を整えなければ。

 手元カメラを廃止して顔を映すようにするのだからそちらの確認もしなければならない。

 風露もそれ以上言いたいことが無かったのか、まだ整理していない段ボールを漁り始めた。

 一応段ボールにはマジックペンで中身を書いてある。ゲーム機と書いてある通り、中には山ほどのコンソールゲームが詰まっている。

 もうあまりコンソールではやっていないし、今からまた配線地獄に戻るのはごめんだから放置していたのだ。

 風露もそれは同じだったようで、取り出したのは携帯ゲーム機だった。

 

「ん?」

 枕を胸の下にやってうつぶせに寝転がりながらゲームを始めた。

 なるほど、ゲーマーというのは男も女も一番リラックス出来る格好は同じらしい。

 健康な方の片足をぱたぱたと埃だたせてまるで自分の部屋にいるかのようだ。

 

「なにしてんの」

 

「全部コントローラー一個しかないのウケんね」

 

「いやいや! 家帰って配信でもしなさいよ!」

 居着くどころか居座る気まんまんなように見える。忙しい中で手伝ってくれるなんて感謝しかない、と思ったすぐ後にこれだからずっこけそうだ。

 今晩寝るときに枕元に緑色の髪の毛なんか見つけてしまったら転げまわりそうだ。

 

「今日はアプデとサーバーメンテで夜の2時までログイン出来ないんだよ」

 

「あっ、そうだったっけね」

 それならスクリムにも参加できないし、他の仕事もないから今日来てくれたのだということだろう。

 だが今日は練習・配信が出来ないことと、この家でのんびりすることは繋がらない気がする。

 馬鹿だからかもう全部が『それ』に繋がっている気がしてならない。

 が、モテないどころか幼稚園から高校卒業までほぼ異性と無縁の生活をしていたから自分の反応が過剰なのかどうかも分からない。

 

「新路ぃー。飲み物おかわりー」

 

(なんなのこの人……)

 そして言われるがままに缶ジュースを持ってくる自分もなんなのという感じだ。

 テレビやネットニュースでよく見るあの風露が自分のベッドの上で寝転んで音ゲーをしている姿は非現実的過ぎて眩暈がしそうだ。

 去年戦った時は同じ土俵にいたからそんな感覚は全くなかったのに。

 

(まさかこれもまた夢じゃねえだろうな)

 しかし夢にしては少しこの現実の自分のステータスはゴミ過ぎる。

 ベッドの傍に立ってぼんやりと風露を見ているともう初夏なのにタイツを履いている。よく見ると左脚の形がどんな体勢をしても歪まない。

 義足を隠すためだ、と気が付くと同時にこんなにリアルなら夢のはずがないと思える。

 

「気になる?」

 視線に気づいてしまったのか、ゲームをスリープにして枕の下にしまった風露が義足をカンカンと叩く。

 本人はなんてこと無さそうなのに、何故か新路の方が呼吸が苦しくなるほどに胸が痛くなった。

 

「ごめん、じろじろ見ちゃって」

 

「いいよ。胸が大きい人とか背が高い人とか、その気がなくてもやっぱ見ちゃうでしょ」

 

「…………」

 そういう生来の特徴ではないだろう。

 長所や短所という言葉ではなく、もっとはっきり言えばそれは傷そのものではないか。

 

「なんか訊きたそうね」

 

「……なんでそうなったの? 事故?」

 訊いてはいけないことだと思う。誤魔化して全然違うことを質問すればよかったのに、真剣な目でこちらを見てくる風露に嘘をつくことすらも後ろめたく、頭にあった言葉をそのまま口にしてしまった。

 何よりも、それが訊きたいんでしょう、と風露の目が質問する前から言っていたから。

 

「……。骨のガンにかかったの。なんでもないところまで切る必要があってね、膝から下持っていかれちゃった」

 

(……悔しかっただろうな)

 日本で一番足が速い中学生だったのだ。

 きっと命を懸けるのに近い情熱を持っていたに違いないだろうにそれが唐突に理不尽に奪われたのだ。

 先ほど胸が痛くなった理由が分かった。自分にも命を懸けるほどの物があるから、それを理不尽に奪われることを想像し自分に重ねてしまったのだ。

 だから彼女はesportsの選手という枠を超えて人気なのだろう。これこそが自分の人生を以て作り上げてきたものだ、というものを一つでも持っている人間は割と多くいるものだ。

 それが突然消えてなくなってしまう絶望に共感し、そこから立ち上がり新たなアイデンティティを手に入れた強さを今の風露に見るから、彼女は自然に振る舞っているだけで人を惹き付けるのだろう。

 

「再発したらいけないから、今も1年に1回検査に行ってるんだ。やっぱ結果出るまでは毎回怖いなぁ。来月またあるんだよね」

 もしかして自分はとても貴重な話を聴いているのではないだろうか。

 誰もが彼女のバックストーリーを知っているとはいえ、少なくとも風露が公式に自分の失った片脚について話しているのを聞いたことがない。

 何をどうしたって、長所とは言い換えられない明確な弱点をライバルである自分に話して――――どうしてこんなに強くあれるのだろう。

 

「なんて言えばいいかわからない……風露が居なければ、お前さえいなければ俺は問題なく日本一になっていた」

 

「そうだろうね」

 言葉は悪くとも暴言を言おうとしている訳ではないことが伝わっているのだろう。

 ただでさえ口下手な新路はこの難しいキャッチボールを失敗しないように慎重に言葉を選ぶ。

 

「風露がそうならなければ、お前はお前の道を今でも走っていたんだろうし、俺もそうなっていたはず」

 風露も一番、新路も一番。

 そこには変な諍いも争いもなければ絡み合う複雑な感情も無い。

 平和で優しい三流映画監督の台本のような物語になっていたはず。

 

「…………」

 そんな顔出来るのか――――風露は優しく微笑みながらただ黙って新路の言葉を聞いていた。

 きっと彼女の脳裏には今でもオリンピックの表彰台に立っている自分の姿があるのだろうに、そうはならなかった現実を丸ごと受け入れているかのようだ。

 

「でも……不謹慎だけど、こうなって……風露がそうなってこっちの道に来て……色んな人に会って、お前を知ってもらえて……」

 色んな人を勇気づけただなんて。そんなのは脚があったって風露ならメダリストになるなりして出来たことではないか。

 根本は同じ物語だけど、脚があるのとないのではどっちがいいかなんて、ある方がいいに決まっている。

 

「少なくとも俺にとっては良かった」

 結局自分の感情の色しか話せなかった。

 どうして自分は八股が出来る兄のように口が上手くないのだろう。

 全然これでは言いたいことの10分の1も表現できていないのに、風露は新路の駄目さ加減の奥にある言葉を理解したのか後ろ暗い感情など一つもないかのように笑った。

 

「そうなんだよ。私も終わりだと思った。人生この先何も無いって本気で思ったんだ。現実は理不尽でただただ辛いだけで真っ暗だって。でもあったんだよ。その先が。私の想像もしない場所に」

 全部伝わっている。言えていない、と思うのと同時に伝わっているだろうなとは思っていた。自分たちはそっくりで、一度全てをかけて戦って否が応でもお互いを理解してしまっているから。

 

(なんて強いんだろう)

 ようやく自分が勝てなかった理由が分かった。強さやチーム、生まれ育った環境、いろいろあるだろうがまずそこだ。

 風露は一昔前の自分の絶望と同等のものを味わい尽くし立ち上がったのだ。そもそもの魂の経験値が自分とは違ったのだ。

 だから追い込まれても、仮にここ1番という場面で負けていても、その先があると信じているから辛いことばかりの現実でも前に進める。

 1周目がどうして2周目に勝てるというのだ。

 正直才能や努力量は絶対的に自分の方が上だと思う。それは虚勢でもなんでもなく本当に思っているし、風露も感じていると思う。

 ただ人間としての強さが違うのだ。

 

「すべてが100%うまくいく人生なんかないし、あったとしてもきっとつまらないよ」

 今まで自分が泣いた思い出をはにかみながら話す風露に光が見える。

 ああ、そうか。これが人としての魅力と言うのだ。時が流れてやっていることや姿形までもが変わってしまってもなお一層輝く魂の光が漏れてくる瞬間を。

 

「俺は……。風露ほど魅力的な人を見たことがない」

 理解させてやる、なんて言っていたが言葉で語らずとも、ただ歩いてるその姿そのものがもう既に彼女の魅力だったのだ。

 全く他人のことなど見てこなかった人生だ。初めて人の本当の魅力というものを目にしたかもしれない――――とんでもないことを口にしたと気が付いたのは目の前で真っ赤になって空腹の金魚のように口をぱくぱくとさせている風露を見てからだった。髪は黒と緑で顔は赤で唇は桃色で目は青でと面白いくらいにカラフルだ。

 

「え? え? なに? もっかい言って?」

 何度も感じたように風露だって普通の大人になりきれてない女の子だ。

 あまりにも恥ずかしいとこうやってお茶らけて誤魔化そうとしてしまうのだろう。

 だがあんなことはもう二度と言えないし、言いたくないからせめてまともに受け止めてほしい。

 

「もう二度と言わないから! ちゃんと俺の言ったこと受け止めろ!」

 

「い、いやだ……また時々そんなこと言ってほしいな……嬉しいもん」

 星座のように並ぶピアスに負けないほどに大きな瞳がきらきらとしている。照れている風露を見たのは自分が初めてなんじゃないかと思うほどにレアな表情だ。

 

(普通の女の子じゃないか)

 神というものがいたとして、なんでこんな子から奪うのだろう。

 同じ物語になるなら自分のように元々頭がおかしい奴から脚を奪えばよかったんだ

 どうせ大して使ってないしむしろ引きこもる大義名分になった。風露の脚が無くなり沢山の人が悲しんだだろうが、自分ならばひょっとするといなかったかもしれない。何しろプラマイで得だと考えているくらいだ。

 これで外に出なくて済むぞと喜んでる自分が目に浮かぶ。そんなのほっといても不幸になるだろう。

 神とはひょっとしてランダムに幸運な者から奪う存在を指す言葉なのではないか。

 

「見てみる?」

 

「……!」

 

「新路は最初から『そう』だったみたいだけど、私は脚がなくならなければ『そう』はならなかったから」

 

「うん……」

 見てみるか、ではなく見なくてはいけないなと直感した。

 何も無かった自分だからこの道にいるが、風露には元々全てがあったのだ。どの道に行ったとしても輝かしい未来が。

 こうなってしまったからこの道に来た。だが弱さの象徴のはずが今や強さの象徴となっているその欠けた部分。何が新路と風露を同類にしたのか見る義務がある。

 新路が跪いてようやくベッドに座る風露と目線の高さが同じになった。スカートの中に手を入れた風露は一瞬の躊躇を見せた後、目を薄く開いたままにタイツを脛まで下げた。

 

「あんまり顔近づけないでね。綺麗にしてるけど、汗が溜まりやすいから」

 想像とは全く違い、義足はいとも簡単に外れた。金属の留め具やボタンなどもなく、靴のように足を挿し込んでベルトをしているだけだった。

 カーテンを開けた窓からさす光が欠けた左脚を宝物のように輝かしているのに誘われるように、手でそっと触れた。

 膝から下が無いと分かりやすく言っていただけで、太ももも大部分を切除している。

 太ももの半ばほどに手術の痕があり、そこから伸びている部分は本来ふくらはぎより下にあるべきパーツだ。180度回転させた足首が膝のあるべき位置に来ている。

 なぜこんな足の爪を切りにくそうな形にしたのだろう、と疑問が浮かぶが、義足の構造と健康の方の脚に触れて比べていくうちに分かった。足首を膝関節の代わりに使うような手術をしたのだろう。

 顔をほんのり赤くしながら黙っている風露を見て拒否していないと受け止め、健康な右脚の膝と、手術をした左脚の足首を曲げる。

 

(……これじゃしゃがむことも出来ない……)

 膝関節と足首ではどうしても可動域に差がある。

 膝なら折りたたむこともできるが、足首が膝関節の代わりをするなら90度曲げるだけで精いっぱいだ。

 歩くだけならまだしも、階段は苦労するだろうし靴紐が解けてしまったらまともに結ぶことも出来ない。今日だってごっついブーツで来ていたが履くのにどれほど苦労をしたのだろう。

 再会した日から手を貸していて良かったと思うのと同時にそれでは足りなかったのかと後悔する。

 

「風露が何か落としたら……必ず俺が拾うから」

 

「ん……」

 健康な右脚の形は本当に完璧な形をしている。筋肉の付き方も骨の形状も部分部分の長さも全て完璧だ。心臓から送られるエネルギーを爪先まで余すことなく伝えてくれるだろう。

 月日が経ったとはいえ、見てすぐにスポーツに深く関わった者のパーツだと分かる無限の価値を放っている。

 これが両脚揃っていたのなら、日本一速かったのも納得だ。

 

(やべぇ、泣きそうだ)

 大して使ってないから自分は脚なんか別にいらないが、その一方で傲慢でもなんでもなく、自分の腕には神が宿っている。

 もしもこの腕をなくしたら、自分の全てが突然切り離されてしまったらと考えると狂いそうだ。

 

(全部無くなっちまった……!)

 この子だったら何にでもなれただろう。性格も明るく容姿だって飛び切り優れている。話しているうちに頭が良いことだって分かったし運動神経に至っては日本の頂点にいたのに。

 全てを無くして本来歩むはずだった道に戻れなくなってしまったのだ。

 

(この子の無くなってしまった未来をこっちで作るんだ)

 風露が失った未来を。

 『そっちよりもこっちの方がずっと輝いているんだ!!』と、そう思えるくらいに輝かしい未来に出来るのはこの国では自分しかいない。

 その為に強くなりたい。

 この子の為に強くなりたい。

 

 世界一強くなりたい。それは今も昔も変わっていない。

 誰よりも、目の前の風露よりもだ。

 けれど、一緒に強くもなりたい。

 強さを願う心が――――今までよりずっと強くなっていた。

 

(風露はこれを言っていたのか)

 ずっと持っていた目標なのに、自分一人の物と考えるよりもずっと想いが強くなっている。

 1人じゃないから落ち込んでる時間も悩んでる暇もない。誰かと一緒なら、その誰かのために前に進み続けるしかない。

 どうしたって世界一には自分一人の力ではなれないのだから。

 それなら一緒にどこまでも強くなればいい。なによりも風露にはずっと自分より強くいてほしいから。いつまでも目標でいてほしいから。

 

(なんで今更分かるんだ……)

 チームメイトを信じていなかったと風露に指摘され、自分は否定したがその通りだった。

 昔からずっと自分の為に戦っていた。だから負けたのだ。

 自分のためだけではなく、チームのために。言葉ではなく心で理解した。

 チームで戦うのだから、誰かに個人的に勝った負けたなんてのはくだらない事なのだ。どれだけそいつ一人の戦績が優れていようと最終的に負けているなら無意味だ。

 鬼みたいに強いだけだと言われた意味までもが心に染み込んでくる。自分はまだプロの精神を手に入れていなかったのだ。

 鬼みたいに強いのだから、時に負けることはあっても結局勝率は高いからランキングでは超上位層には留まれる。

 でもそうじゃない。例え目立たなくとも、チームに献身し勝利に貢献出来たのなら。

 それを徹底出来る精神力がプロには必須なのだ。

 

 全てのダメージを受け止めてくれた相馬や根岸にも。

 自分のハードキャリーを信じて優先してヒールしてくれた水元や文にも。

 自分のようには出来ないが出来ないなりに必死にやってた木山にも。

 感謝なんかしてなかった。全て当たり前だと思ってた。

 

 うちに入ってくれてありがとうとキャプテンの相馬は最初に言った。

 

 ありがとう――――それが全てだった。

 

 信じて助けてくれていたのに。

 自分だけ当たり前だと思って欠片も感謝もしてなかった。

 負けて当たり前だ。

 

「気付くのが遅すぎる……」

 開けっぱなしだった窓から夏の風が入り込み、新路の頬を撫でたのがきっかけとなり堰を切ったように涙が溢れだした。

 昔からそうだった。クソでかい感情の抑制が効かなくて、急に泣いたり怒ったり落ち込んだり。

 好きな物はずっと好きで嫌いなものはずっと嫌いで、注意力散漫のくせに時には倒れるまで集中してしまう。

 頭の中がぐちゃぐちゃの時とすっきりしている時の差が激しすぎて生きることにずっと苦労してきた。

 母親に言われた通りやはりなにかの病気なのだろう。

 

「新路の泣いてる顔、すごく好き」

 再び敗北感に打ちのめされ泣きながらうなだれていた新路の顔を、顎に指をかけて風露は鼻がくっつきそうな距離で覗き込んでくる。

 跪いて泣きながらこんなことをされて、誰が見ても格付けが済んでしまっている。

 自分の方が30cmは大きく、おまけに風露は義足を外している。張っ倒そうと思えば反撃されことも無くできるだろうに、どうにもその気が起きない。

 しかも最近はどうしてしまったのか、からかわれても以前のように怒りがとんと浮かんでこないのだ。

 

「あっち向いてて」

 ぺちっ、と頬を叩かれて顔を横に向けさせられた。

 なぜ義足を外した時は見せていたのに、再びつける時は見てほしくないのだろう。

 

「あっ! これ! ずっと欲しかったんだ! ちょうだい!」

 なぜ終わったなら終わったと言ってくれないのか、勝手に段ボールを漁って取り出していたのはAnother Oneのユニフォームだった。

 

「あげるわけないじゃない! 裸で試合出ろってか?」

 

「スポンサーついたんでしょ?」

 そういえばそうだった。引っ越しを行う前に引退したこともすっかり忘れて相馬に連絡を取ったのだ。復帰したいからまたトライアウトを受ける、と。

 自分はもう運営には関わっていないという断りを受けつつ色んなことを教えてもらった。

 あの頃から三人やめて四人新たなメンバーが入っているということ、何故か製薬会社がスポンサーとしてついたこと。

 新路は退団ではなくインアクティブ扱いになっていて、今すぐにでも復帰が可能だということ。スポンサーがついたからユニフォームもスポンサーロゴ付きの物に代わる。

 おかげで再来月から給料も貰えるのだ。……クビにならなければ。

 

「じゃあまぁ……どうぞ。え、でも去年会場で売ってたでしょ」

 

「新路の名前が入っているのがほしかったの」

 

「…………」 

 BDCのような資金力のあるチームなら別だが、チームの選手それぞれの名前が入ったユニフォームは基本的にどのチームでも非売品だ。

 そういう意味では滅茶苦茶に売れているFooroの名前の入ったユニフォームよりもレアだろう。

 なんとなく持ってきてしまっただけの旧ユニフォームをきゃいきゃいと喜びながら抱きしめる風露を見て何も言えなくなってしまった。

 自分だって風露から直接ユニフォームを貰ったら家で大喜びしてこの真っ白な壁にでも飾っておくだろうし。ただし、本人の前では喜ばないしそもそも言わないと思うが。

 

「他の箱も開けていい?」

 

「お好きにどうぞ」

 さっきから許可を取らずに開けているくせに何を言っているのだか。

 まだパンツ入りの段ボールとかもあったと思うがわざわざそんなものを開けたりはしないだろう――――と顔を洗いに行って戻ると。

 ユニフォームを床に置いていたずら好きの猫のように段ボール箱を開けまくった風露が引っ張り出していたのは100冊以上にも及ぶ新路のゲーム研究ノートであった。

 

「駄目ッッ!!」

 今月一の大声で叫ぶと駄目な自覚はあったのか、風露は思わず飛び退った。Another Oneのユニフォームの上へ。

 引っ越したてでつるつるのフローリングは義足の着陸を激低の摩擦係数に従い滑りながら受け止める。

 新路の部屋で新路のユニフォームに滑って転んで大けがしましたなんて、優秀な日本の警察でも新路にお縄をかけるだろう。

 肩の関節よ外れろと言わんばかりに腕を伸ばしてなんとかすっ転ぶ直前の風露を受け止めた。

 

「ちぇっ」

 

「ちぇっじゃない! いいか! 俺の前でな、あ、あ、俺の前ではな! もう二度と転ばせないぞ!」

 義足に慣れない間は何度も転んだだろうが、これからは絶対にそんなことはさせない。

 その言葉は心からの真実だが、言いたかったことはそうじゃないと頭を抱える。

 言いたいこと・やりたいことが何個もあるとそのうちの一個しか自分は実行できないのだ。心臓も脳みそも小さいから。

 

「あー、滑ったーしまったー」

 わざとらしく足を何も無いところで滑らせた風露がいきなり胸に飛び込んできて兎サイズの心臓がねじ切れそうになった。

 1ヶ月ぶり2度目の抱擁、ここ数日特に多い気がする明確な好意の表れを受け止めて石像になりかける。

 

「なんとか言えよほら」

 運動部だった時代が暗に伝わってくるような意外なまでの力の強さで抱き寄せながらぐりぐりと胸に額を擦りつけてくる。

 

(ちくしょうめちゃくちゃいい匂いがするぞ……)

 少々ひん曲がった性格を表すかのように少し変わった位置にあるつむじから自分の人生に全く存在しなかった芳香が直接新路の脳に入り込んでくる。衝動的に同じ行動を返してしまいそうになる。最早鼓動はどきどきを越えてドクドクという音になってしまっている。

 正直めちゃくちゃ可愛いし、そういうことをしても許されると思うから、とそういう衝動に駆られたことは1度や2度ではない。

 あのゲームによるとどうやら自分の好みではないらしいがそれを差し引いても有り余る愛嬌だ。

 1日ごとに風露の魅力を1つずつ知っていくし、元々彼女とは仲良くなれると直感的に知っていた――――のは風露も同じだ。彼女の方が欲求に素直なだけなのかもしれない。

 もうはっきり好意は分かった。だが、分かったうえで自分に好意があるからとすぐに流されるのはみっともない。

 新路は強くなることを目的としていて風露もそれを期待しているのに、そうなってしまっては何よりも風露に失礼だ。

 多分多分と自分は多分ばかりだが、多分そんな風に流されれば自分はあっという間にぽいと捨てられる。何故何もかもがいつも基本不利な状態からスタートするのだろう。

 

(だけど少しだけ……ほんの少しだけ……)

 いま持っているこの感情を逃したら後悔する。好きだとか嫌いだとかいう単純なものではなく、今までに想像したことすらなかった感情。

 あの夢の中ですらも持てなかった尊いもの――――今まで本当によく頑張った、と伝えるには新路の語彙力では到底言葉では表せない。

 社会的にも実力的にも全て劣っているくせに何言っているんだ、と言い訳を作ることばかりは上手い脳みそに喝を入れ、腕で作ったへたくそなわっかの中に風露をそっと閉じ込めた。

 

(うぁぁこんな小さいのに……!)

 小さい軽い細いの三拍子揃ったこの身体で不幸を受け止め困難を乗り越えてきたのかと想像すると、偉いと100万回言いたくなる。

 今までの新路からはあり得ない行動を感じ取り顔を上げた風露と目が合う。電子カラーコンタクトの色が風露の困惑を示すようにばちばちと瞬間瞬間に色をカラフルに切り替え、鮮やかな喜びを示すような赤になり体当たりのような抱擁を敢行してきた。ひ弱な新路は腰をやや痛めた。

 何も言葉を発していないのに行動で感情を伝えてくるのは、ゲームの中でも現実でも変わらない。蝉が鳴いていると一瞬思ったが、どうも顔が赤くなりすぎて耳鳴りがしてきたらしい。

 まず落ち着きたい。次にも落ち着きたい。更にもう一つ落ち着きたい。中身は違うが見た目は夢の中の友達と同じで、夢の中以上の親近感を抱いているのだから、同じ言葉をかけられるはずだ。

 

「……あ、今度……遊び行くか……ど、どっかおもろいとこ」

 

「ほんと!? それってデート?」

 再び顔を上げてぱっと笑った風露は属性なら完全に光、花ならひまわり、星なら太陽、宝石ならダイヤモンドだ。

 中身が違うだけでこんなにも魅力的だなんて。そう思ったがゲームだってキャラは同じでも使っている人間が違えばゴミにも神にもなる。

 自分にとっては化け猫に変身までしてくれた夢よりも現実の方が手強く感じる。

 

「デ……えー……」

 

「はっきり言え!!」

 

「デートでイイデス……」

 どっから目線で言葉を発しているのか自分でも分からなくなっているのに風露は真っ直ぐに受け止め、『やった』とこれまた真っ直ぐな言葉で喜びを表現した。

 

「あー幸せ……溶ける~~」

 砂漠にいきなり月下美人が咲いたかのように、今までの人生でこれっぽちも無かった物が流れ込んできて新路も溶けそうになる。

 ここまでが限界だ。これ以上はダメ人間の自分には歯止めが利かなくなる――――と風露の肩を掴んで引きはがした。

 

「ただし! 練習が優先だ! 1に練習! 2に練習!! それは5くらいでいい」

 

「具体的にいつ5になるのよ」

 

「お……俺の強さが全盛期に戻るまで。ランクが100……いや、30まで戻ってからだ。それでようやくスタートラインだ」

 ランク1に4度到達したのだから全く不可能ではない。むしろこうやって具体的な目標を持った方がいいくらいだ。

 そういえばこれまで目標を達成したご褒美なんて一個も無かった、と思っていたら目の前のご褒美がどぎつい言葉を吐いた。

 

「新路のレートめちゃ落ちてるのに?」 

 

「あっ」

 レート3000以上のプレイヤーは一週間全くプレイしないと5日ごとにレートが50ずつ自動で低下する仕組みになっている。

 また、ゲームのシステム的にレートが500以上離れているプレイヤー同士がパーティーを組んでゲームをすることは出来ない。

 今日まで風露と新路は一度もデュオを組んでいない。何故ならば、風露の現在のレートが4600であるのに対して一年以上ぶりにログインした新路のアカウントのレートはきっちり3000まで落ちていたからだ。

 そんな耳クソレートで世界大会にエントリーするなんて日本代表のギャグ担当にでもなるつもりか。

 引っ越しの作業で忙しい中で先日ようやくグランドマスター帯の4000まで持ち直したがそれでもまだ遠い。ランク30のボーダーはパッチやメタにもよるがだいたい4700からだ。

 

「7月までに達成してね」

 

「期限が短い! でも頑張るから!!」

 

「約束守れなかったらあんたと天王寺が喧嘩してる写真ネットに流すからな」

 

(……最悪じゃねえか!)

 いつのことだっけ、と一瞬固まってから思い出す。

 秋葉原の18禁ショップの前で天王寺に卍固めをかけていたときにそういえば写真を撮っていたような気がする。

 天王寺はなんのダメージにもならないだろうが、あんなものがネットに流されるくらいならスカイツリーからバンジーした方がマシだ。

 

「楽しみ楽しみ!」

 

「げぶっ!」

 肩を掴む力が落ちていたのを見逃さず風露が再び胸にタックルしてきた。

 こんなことを繰り返されてはそのうち骨折してしまう。もし仮に外でそんな怪我を負って病院に運ばれたらそれはそれで死ぬほどの恥だ。 

 

「……外では絶対こういうことするなよ」

 

「家の中ならいいの?」

 

「…………」

 いつ耐えられなくなって爆発するか分からないが、未だEDは治っていないしなんなら病院も行っていない。

 あー、EDで良かったなんて思うなんて男というか生物の雄として最低ランク、老人以下なので別の意味で泣けてくる。

 思えば18歳の誕生日、法的に結婚できる年齢になった日もEDで迎えたなんて最低を一周通り越し情けなさ過ぎて最早笑えてくるまである。

 

「むしろ新路からしてもいいんだよ」

 少しワガママを許せばやりたい放題言いたい放題だ。

 兄の勇一に風露と友人であることやこんなことをされると話したことがある。勇一は自分の1兆倍女性の扱いが分かっていると思ったから。

 回答は押し倒せオンリーだった。兄のような脳みそと股間が直結しているような人間に話したのが間違いだったのだ。今からでも勇一の後頭部を半べそかきながらトンカチでぶん殴って記憶を消去したいくらいだ。

 

「俺には…………まだその権利がない」

 誰よりも強く。ただ強く。

 それだけが自分の目標であり使命だと考えていたのに、まず目の前の少女に負けてるのにどうしてそんなことが出来ようか。

 そんな新路の思考回路を正しく理解したのか、風露は新路の胸に唇を付けながら口を開いた。

 

「じゃあ一生無理じゃん」

 

「そんなことないぞ!  なんてこと言うんだ!」

 

「楽しみにしてる」

 欲しかった反応が引き出せたのか、離れていく風露を見てようやくまたおかしなことを言ってしまったことに気が付く。

 なぜか分からないが気が付けば話がそちらの方に誘導されてることが多い。自分の頭が悪いというよりも風露の話し方が上手いのだろう。

 自分の中の恋愛にまつわるあれこれそれと言えば家に帰って泣きながらトイレでシコることだ。それに比べて風露は直球のハグキスアイラブユーだ。元の性格が違うとは言え酷すぎる。

 きっと大きな不幸もなく真っ当に18歳になっていたら風露はこんな風に明るい恋愛をしていたのだろう。また涙が出てきた。

 

「なんかね、からかいたくなるんだよね。馬鹿だからかな」

 

「…………」

 

「今度しれっとノーパンで来てみたりしようかな」

 

「俺は馬鹿だけどぉ! お前はアホじゃないかぁ!」

 くすくすと笑いながらノートを丁寧に段ボールに戻す風露を見て考える。

 あのノートは新路の人生そのものであり、自分にとっては金には換えられない価値がある一方でこの世のほぼ全ての人間にとっては無価値のゴミだ。

 何故風露が自分にそこまでこだわるのか分からなかったが、わざわざ選んでノートの段ボール箱を開けた風露の行動でようやくわかった。

 強さ『だけ』なら新路は日本のどの選手よりもある。後は心――――精神をプロの物に変えるだけでベストパートナーになれると踏んでいるからだろう。

 ファンの扱い、試合に対する考え方、心構え、強さ、全てがプロとして理想的な風露の見立てはきっと間違っていないとするならば。

 

「……ノート見ていいよ。Flawless Anthemのことは72冊目から書いてある」

 

「いいや。一冊目から読むよ」

 口下手な自分の心の内やゲームに対する考えをああだこうだと説明するよりも、頭のいい風露がノートを見る方がずっと早いだろう。

 お互いを理解すること。何が出来て何が出来ないのか。何が得意で何が苦手なのか。遠回りでもそれが勝利にいつか繋がる。

 チームで戦うならそれがどんな競技でも当てはまるということは新路にも分かる。

 7歳の頃から汚い字で書き続けてきたノートだ。中には恥ずかしいことも書いてあるし、時にはゲームに関係のない感情も書いてある。

 だがそういう部分も含めて明川新路はどういう人間なのかを理解してもらわなければならない。

 何が興味深いのか、面白そうにノートを捲る風露を眺めていると恥ずかしさから窓から飛び出したい衝動に駆られてしまうので、仕方なくパソコンのセッティングを再開した。

 

 

 

 作業に集中しているうちに夕陽が部屋を飲み込み始めた。

 もうそろそろ六時になるらしい。何が面白いのか、風露はベッドに寝転がりながらずっとノートを読んでいるがそろそろ家に帰した方がいいだろう。

 夕飯くらいは一緒に食べてもいいが、仮にもまだ未成年の女の子なのだから燕家の両親に心配をかけたくない。

 もう帰りなよ――――と言う前に風露の方から口を開いた。

 

「考えがあるんだ」

 

「また変な、面倒なこと?」

 

「世界大会で優勝すればトロフィーとメダルがスポンサーのCEOから送られて、そのままインタビューに入るんだけど」

 それは知っている。別にインタビューくらい誰がやっても変わらないと思うが、毎回スポンサーのCEOが選手を称えながらインタビューをするのが恒例だ。

 そのついでに数千万人の視聴者に自社の宣伝をしていくのも伝統となっている。だがそれは――――むしろ手に入る賞金すらも優勝のメインリワードではない。

 世界大会で優勝した国のスキンは一年間一般開放され、MVPに選ばれたプレイヤーのプレイスタイルや得意な戦法を反映させたスキンが特別に作成され販売される。

 ゲームの中に自分が登場し、世界中のプレイヤーに認知してもらえる。ゲーマーとしてそれ以上の栄誉は無いからこそ、他のインタビューだの賞金だのに大して興味が無い。

 

「これの開発会社の親会社のCEOなんだ」

 風露がブレスレットから『月映しの世界』のホームページデータを表示させる。

 クリア率は相変わらず低く2.6%しかないが、プレイ人数が5,500万人になっている。

 それはすなわち、既に15万人以上があの悪夢に取り込まれたことを意味している。

 

「それで?」

 

「優勝して、生中継の中で糾弾するんだ。このソフトの危険性を。悪意を」

 確かに、配信やSNSでいくら訴えてももみ消されてしまうだろう。

 たかがフォロワー80万人の18歳の少女とED無職の自分vs時価総額1兆ドルの企業では話にならない。

 80万人にフォローされていると言ってもそこらの芸人に負けている。世界的に有名と言っても結局のところそれはゲーマー達の間での話だ。

 まともなやり方では通用しない、いくらでももみ消される。誤魔化しようのないここ一番の場面で糾弾する必要がある。

 

「世界の終わりがそこで待っている。人間がいなくなってしまうから」

 ロボットが従業員の代わりになり始め、オフィスというものも必要なくなり始めた。

 単純作業のほぼ全ては機械に置き換わり、世界には少しずつ失業者が増えていっている。

 世界の終わりというのは、それこそあの夢のように劇的に起こるものだと思っていたがどうもそうではないらしい。

 こんな風に、ゆるやかにやわらかに、だけど確実に月が欠けていくように起こっていくものらしい。

 世界の終わりの始まりの淵に立っているのが自分たちの世代なのだろう。だが――――

 

「立派だと思うよ。でも俺、そこまでの正義感は無いというか……それで子供が減ろうとどうでもいいと言うか……」

 どこの企業がどう儲けようとどうでもいいし、利益のために食いつぶされるなんてのは愉快な人間畜生らしく元気でよろしい。

 今まで生きてきて十分たっぷり人間もこの世界も嫌いになったし緩やかに衰退していくというのならそれで結構。

 悪夢から完全に解き放たれていてかつ、世界にそれを訴えることの出来る可能性のある人間は自分たちくらいしかいないというのは分かる。

 だが、出来損ないの自分でもこの世界を大好きでいて、滅んでほしくないと思うように育てられなかった世界なんてどう滅びようが本当にどうでもいい。

 

「……難しく考えすぎだよ。私だって周囲の事とか世界の事とかどうでもいいし」

 

「じゃあ何故?」

 

「こんなのインフルエンザにかかる方がよほど酷いイベントさ。世界の終わりなんてエンターテインメントだ。コーヒー入れてパンでも焼きながらテレビをつけて楽しむんだ。傍観者だったら」

 

「…………?」

 言っていることは分からないでもない。

 自分一人だけ不幸に襲われるなら絶望も酷いが、人類全体が終わりを迎えるなら楽しんだもの勝ちだろう。

 知っているからこそ、他の人間よりも楽しめる。

 

「だけどよく見てみて。別に夢の世界じゃなくたって、この世界は全部私たちのおもちゃなんだ」

 確かに新路が生まれてたかが18年の間にも世の中は目まぐるしく変わった。

 電車は浮くようになったしビルには常にギラギラと電子広告が張り付いている。

 簡単なスーパーの中でさえ機械の従業員が歩き回っていて、風露の目の色はいつの間にか金色に変わっている。

 

「夢じゃないから。現実だからこそ自由の価値がある。捕まるかもしれないけど、何を壊してもいい。殴り返されるかもしれないけど、気に入らないヤツをぶん殴ってもいい。不幸になるかもしれないけど、幸せになっていいし、嫌われることもあるけど誰を好きになったっていい。生きてるって、命の意味って、この世界に何かしらの影響を与えることを言うんだ。どんなものでも結果が伴うから現実なんだ」

 それはいつだかに風露に語った新路の夢と同等の内容だった。

 この世界に生まれた意味は、何かを穿つため。何かを残すため。言い換えれば、この世界に少しでも何かしらの影響を与えるため。

 やっぱり、嫌いなところも大好きなところもひっくるめて風露は自分とそっくりだった。

 

「自分のために、だけではなく誰かのために」

 風露が語ると聞き慣れた綺麗事もその真髄を伴って新路の頭に入ってくる。

 赤い西日が暗い部屋の更に暗いベッドに座る風露の義足まで染めた時、風露の言いたいことまでもが新路の頭に先回りして直接入ってきた。

 

「そのために、だけではなくそれを得た先のもののために」

 

「俺たちは、そのとき人間は、普通を超えた力を得るから……」

 ただ優勝がしたいだけで戦うよりもその先の何かのために、何かの目的に戦う人は強い。

 勝利にそれ以上の理由がある時、勝利を追い求める心は更に強くなる。

 世界一強くなるために。それだけではなく、今や夢に囚われ現実から逃げて衰退し始めた世界を自分たちのおもちゃにして遊ぶために。

 

「見たくない? 一兆ドル企業が私たちの言葉で傾くサマを」

 

「……。見たい……!」

 無職の自分がそんなことを考えることも自由だ。

 そうだ。どうせ正義を振りかざそうが自分勝手な動機でやろうが、数百万人の社員とその家族、株主に大きな災いを齎す結果になるのだ。

 今はまだ可能性は限りなく0に近いかもしれない。去年の世界大会の結果は風露を入れても6位だった。

 だがこのおもちゃだらけの世界をより面白おかしく出来る可能性は新路と風露次第でいくらでも大きくなる。

 夢の中なら全てがうまくいく。一方で現実で行った全てのことには良かれ悪しかれ結果が伴う。

 それが面白いところでもあるしどうしようもないところでもあるが、もしかしたら自分のちっぽけな脳みその想像を超えるような面白いことが起きるかもしれない。

 その可能性がある限りはまだこの現実を生きていく価値があるのだ。

 

 $1 trillion companyという単語がある。

 時価総額1兆ドル、日本円にして100兆円越えの企業を指す言葉であり、かつては4つ、現在は世界に3つしかない。

 コンピューター産業を支え人間から職業を奪っている企業。

 世界の物流を掌握し小売業をほとんど絶滅させた企業。

 人間を幸せな夢牢獄に閉じ込めようとしている企業。

 そのどれもが最早今の人類には無くてはならない企業であり、今この瞬間に消えて無くなったら世界中が大パニックに陥る。簡単に言えば、世界経済の背骨なのだ。

 実際に、もともと4つあったうちの一つが倒産した時は8年もの間世界恐慌に陥りオリンピック開催国は変更され、戦争が起き、小国が消し飛び、世界地図までもが変わってしまった。

 だがきっかけはほんの些細な出来事だった。孫会社の孫会社の社員がメールを間違ってライバル企業に送ってしまったこと――――というのは小学校の社会の教科書にまで書いてある。

 

 自分たちの言葉一つでそんな大厄災を引き起こせるかもしれない。世界経済の背骨を砕くなんてことが出来るのかもしれない。

 どうなるかはやってみなくては分からないが、自分たちにはその力があるのかもしれないのだと考えると――――絶望に引きこもっていた風露に、再び表へ出ることを決意させた人生観までもが理解できた。

 苦しいことばかりの現実なんか嫌いだ。けれど、それを好きにしていいというのなら生きる価値があるのだと。

 

「強くなろう」

 風露が言っていることは再会した日からずっと同じ。

 『強くなる』ではなく『強くなろう』。

 世界の終わりをただ待っているのではなく、この先を見るなら。

 この先で戦いたいなら 。この世界をもっと自分たちにとって面白い世界にするならば。

 突然絶望を風露に突き付けた世界に、逆に破壊と混沌を叩きつけてやるならば。

 新路が言うべき言葉は。

 

「一緒に、世界一強くなろう」

 世界の片隅で誰にも知られずに核爆弾を作っている。

 新路自身の夢のため、だけではなく。

 この道が何よりも輝いている、そう思える日の風露の為に。

 目の前で愛おしく笑う小さなライバルと一緒に。

 世界一強くなるのだ。

 

 

 

 

 

 後に世界最強と呼ばれるShinとFooroを、世界はまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

*********************

 

 鬼が集まればなにをするかなんて

 

 悪だくみに決まっています

 

 壊せるものがたくさんのこの世界で

 鬼たちはいつまでも幸せでした

 



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