東方幻想記 THE NOVEL(休載中) (転寝)
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1章「狂気異変」
幻想入り


赤蜥蜴826様の「東方幻想記」のノベライズとなります。
まだまだ未熟な所もありますが、宜しくお願い致します。


 今でも時々、あの時の事を思い出す。

 居場所を護るために戦って、傷付いて、多大なる代償と引き換えに一つの世界を護った時の事を。

 結果として、オレは居場所を失った。世界と引き換えに、自分の居場所を喪失した。

 あの決断が間違えだとは思ってはいない。オレがやった事は無駄では無いし、あの世界は今も回っている。それで充分だと思っている。

 だけど…自分に胸を誇れる事をした筈なのに、オレの心は、酷く空虚だった。心に穴が空いたかのように、心が満たされない。

 その理由は分かっている。だからこうして思い出すのだ。古傷を抉る様に、記憶を引き出し、失った物の重さを噛み締める。

 もう、彼処には戻れない。「彼女」達と会う事も、二度と無いだろう。

 それが分かっていても尚、オレはあの世界を何処かで諦めきれなかった。

 今も、退屈な日常から逃れる為に、あの時の事を思い浮かべる。

 始まりは、ある暑い夏の日の事だった…。

 

 

 オレは、現実が嫌いだ。

 現状維持を認めないこの世界は、余りにも残酷だという事が分かっているからだ。

 オレは、人間という生物も嫌いだ。

 他人を踏み躙ってまで、生きる事に執着する人間の醜さが、嫌いだったからだ。

 だから、オレは…。

 

 この世界が、大嫌いだ。

 

 

「はぁ、死にてえなぁ…」

 意味も無く自室の床に寝転がり、天井を見上げる。

 夏の茹だるような暑さで、ありとあらゆる事に対するやる気が失われていた。

「普通に暮らしたいだけなのに…不幸だ」

 無為に人生を貪る様な毎日だけが続く。こんな毎日から抜け出したいと思っても、いつの間にか泥沼に嵌っていて抜け出せない。

「帰りてぇ…まあ、帰る場所なんてないんだけどな」

 何処に帰るというのだろう?

 オレの居場所なんて、何処にも無いのに。

 そう、何処にも…。

 

「なら、帰る場所を作ってみない?」

 

 自分一人しか居ないはずの自室。そこに、一人の女性が立っていた。

「…誰だ、アンタ」

八雲紫(やくもゆかり)と言ったら分かるかしら?」

 八雲紫?

 それは、存在しない人物の筈だが。

「嘘ん…遂に幻覚が見える様になったか…」

 自分の頭は相当イカれているらしかった。

「幻覚じゃないわ。時間が無いから手短に言うわね」

 八雲紫を名乗る人物はそう前置きした後、とんでもない事を言った。

「貴方には幻想郷を救って貰うわ」

 …何言ってんだコイツ。

「アホか。オレにそんな事出来る訳無いだろう」

 オレは只の中学生だぞ?そんなヤツが、どうやって世界を救えるっていうんだ。

「あるじゃない、その右手に」

「はぁ?」

 言われて、思わず自分の右手を見る。見慣れた普通の右手があった。別にロボットアームなんかでは無い。只の…無力な右手だ。

「…じゃあ、幻想郷へ送るわよ」

 …ちょっと待て。

「いや…やめてもらっていい?」

 瞬間。

 足元に広がったスキマに、オレは呑み込まれた。

 声を出す間もなく、身体が落ちてゆく…途中で意識を失った。

 

 

 目を覚ますと、薄暗い森の中に居た。

「ここは…何処だ?」

 見慣れない風景。此処は本当に幻想郷なのだろうか。もし幻想郷なら、先ず目指すべきは…博麗神社だ。

 不意に、足音が聴こえた。軽い感じの足音はオレの前で止まり…その主である小さな少女が、不思議そうにオレを見て呟いた。

「あれ?人?」

 コイツは…まずい!

「ルーミア!?」

 人喰い妖怪は、喜色満面の笑みでオレに襲い掛かり…身体を喰らった。

 鮮血が迸り、激痛が身体を蝕み始める。

「……………っ……ぁ……ッ!」

 悲鳴は…唸り声にしかならなかった。

 痛みだけが身体を駆け巡る。

 どうして…オレばかりこんな目に遭うんだ…。

 思考が焼き尽くされる様な錯覚を覚えながら、眼前に居るルーミアを見ると…。

「おいしい…おいしい…」

 彼女は、泣いていた。

 それを見て、思考が急激に冷めてゆく。

 

 オレは何を考えているんだ。

 コイツだって辛いんだ。

 オレのちっぽけな絶望なんて足元にも及ばない程の辛さを抱えているんだ。

 それに、オレはついさっきまで死にたいと考えていた人間だ。

 なら…オレはコイツに喰われるべきじゃないのか?

 

 欠損した腕で、ルーミアを抱き寄せる。

「大丈夫、大丈夫だから…好きなだけ喰え」

 ルーミアが驚いたような顔をした。

 それをぼんやり見ていたら…意識が段々薄れてくるのを感じた。

 

(これでやっと…死ねる)

 

 奇妙な満足感と安らぎを覚えながら…静かに、意識を手放した。

 

 

 …二度と目が覚めないと思っていたのに、何故か目が覚めた。身体には傷ひとつ無く、痛みも消えていた。まるでルーミアに喰われた事など、最初から無かったかの様に…。

「あれ……生きてる…?」

 朝の光が木々の隙間から射し込む。その暖かさが、自分が生きている事を実感させた。

「おい、人がいるぞ」

 声が聴こえて、その方向を向く。

 魔女の格好をした少女が立っていた。

「お前、大丈夫か?」

「き、霧雨魔理沙(きりさめまりさ)!?」

「うぇい!?どうして私の名前を!?」

 あ…やべぇ。

「どうしたの?」

 もう一人、紅白の服を着た少女が此方に近付いてきた。

博麗霊夢(はくれいれいむ)まで!?」

「どういう事!?どうして私の名前を!?」

 超警戒させてしまった。どうやらオレはとことん学習しない人間らしい。

 …取り敢えず怪しい者じゃないと証明しなくてはならない。オレは名乗った。

 

「オレは… 無銘(むめい)。外の世界の人間だ」



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地底異変の始まり

「…状況を整理しましょう」

 博麗神社。

 博麗霊夢が管理する、幻想郷の中核とも言える場所で、オレ達は湯呑みを片手に話し合っていた。

「貴方は紫に連れられて、ここに来たのね」

「その通りだ…出来れば今すぐ帰りたいが」

「でも、幻想郷がピンチなんだろ?帰しても良いのか?」

「…それを考えているのよ」

 霊夢は難しい顔になり、思考を巡らせている様だった。

「紫のセリフといい、彼の迷い込むタイミングといい…偶然とは言えないわよね」

 確かにそうだ。何かしらが起きたから紫はオレを幻想入りさせた…それは確実だろう。だが、この場にオレが介入した所で何が変わるというのだろう?

 能力も持ってないのに…あ、そうだ。

「そう言えばオレの能力って何なんだろうな…紫は右手と言った…まさか幻想殺し(イマジンブレイカー)的なものじゃないよな?」

「なんだそれ?」

「気にするでない」

 説明した所で理解してくれるかは怪しいし、まさか本当に幻想殺しな訳ないだろうしな…。

「しかし、これからどうしようか…」

「悩む所ね…」

 場の空気が停滞した。

「…少し外していいか?」

 この空気に耐えられなくなったという事は無いが、何となく気分転換がしたかった。

「どうして?」

「…ただ風に当たりたくなっただけだが。お前らもオレ抜きで話したい事があるだろ?」

 それもそうねと霊夢は言い、あっさりと了承してくれた。

 立ち上がり、鳥居の方へと歩き出す。

 

 

 さて、本当にこれからどうしようか。

 オレとしちゃこんなバケモノだらけの世界なんて嫌なんだが…まあすぐ死ねそうだから居てもいいんだけど。あれ?何か矛盾してるぞ。

 そんな事を考えながら階段の下を見た時、それが目に入った。

「うう…」

「……!お空、大丈夫か!?」

 階段の下で倒れているのは霊烏路空(れいうじうつほ)…地霊殿に居る筈だが…まさか。

「霊夢と魔理沙は…?」

 ボロボロのお空が弱々しく訊いた。本当に何があったんだ…。

「おいお前ら!こっちこい!」

 直ぐに霊夢と魔理沙が来て、お空を見て目を丸くした。

「お空!?大丈夫!?」

「さとり様が…」

 呟くような小さな声で、それでも必死に自分の身に起こった事を伝えようとする。

「さとり様だけじゃない…こいし様、お燐まで…」

「あいつらがどうしたのよ!?」

「わからない…急に皆おかしくなって…」

「…お空、道案内頼む」

 オレは既に走り出していた。身体が自然に動いたのだ。

「待てよ!」

 魔理沙が慌てて引き止めようとする。

「無理だぜ!まともな能力も無いのに…」

「オレの命は捨てるためにあるもの…その命で誰かが助かるならいい事だ」

「君…どうして…」

「さて、道案内してくれ」

 どうしてなのか?

 そんな事、決まってるじゃないか。

 目の前で困っているやつを見捨てる訳にはいかない…ただ、それだけだ。

「待ちなさい」

 今度は霊夢が言った。また引き止めるつもりかと思ったが…。

「私も行くに決まってるでしょ」

「それくらい、わかってる」

 異変解決は博麗の巫女の務め…だもんな。

「…私が逃げろと言ったら逃げなさい。でないと本当に死ぬわよ」

 霊夢の目は既に戦う者のそれへと変わっていた。その目が、本気である事を示している。

「…考えておく」

 言って、お空を背負う。

 そして彼女の道案内に従い、地霊殿へと向かった。

 

 

 何が起きているのかは分からない。

 今は―オレがやるべき事をやるだけだ。



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その右手に宿るもの

皆様お待ちかねの(?)戦闘回です。


「…結構な距離だったが、ここが地霊殿か…」

 あれから、徒歩だったり魔理沙の箒の後ろに乗せてもらったりして(急激なGにより意識が飛びかけたが)何とか地霊殿に到着した。

 中に入ると、直ぐに「やっと来たわね」という声がして、古明地さとり、古明地こいし、火焔猫燐が現れた。

「待ちくたびれたわよ」

「お姉ちゃん、早くやろ?」

「さっさと済ませましょう」

 余裕のある態度でオレ達を見回したさとりは、オレを見ると「あれ?貴方見ない顔ね」と首を傾げた。

「名前は無い。だから無銘だ」

「そう…早速だけど、死んでもらうわ」

 その一言をきっかけに、場の空気が一気に張り詰めた。

 瞬間―爆発音。

 それが、自分の横を高速で通り過ぎた弾幕が齎した音だと判った時には、既に霊夢と魔理沙が前に出ていた。

「弾幕が速い!?魔理沙合わせなさい!」

「分かってるっての!」

『スペルカード発動!』

 二人が手に持つカードを掲げてそう宣言する。

『二重弾幕結界』

『スターダストレヴァリエ』

 霊夢の弾幕結界と魔理沙のスターダストレヴァリエを悠々と躱し、さとりは不敵に笑む。

「ダメね、それじゃあダメよ…スペルカード発動!」

『テリブルスーヴニール』

 さとりのスペルカードによって放たれた弾幕により視界が塞がれる。霊夢と魔理沙がどうなったのかは分からない。

「畜生!やっぱり妖怪か!」

 恐ろしさを痛感しながら背負っていたお空をその場に下ろし、さとりの方へ向かおうと走ったが…行く手をこいしに塞がれる。

「肉弾戦は嫌いじゃないよ」

 こいしは余裕の表情でそう言った。こっちは只の人間だってのに…!

(空手はかじってるが…こりゃあ詰むかもな)

 額から汗が一筋流れ落ちる。それを拭う間もないまま、こいしに殴りかかった。

「はあっ!」

 気合いの声と共に、只管に拳をぶつけるが…堪えた様子も無いな。

「やるじゃん」

「人に殴りかかった事なんて初めてだぜ…ケンカじゃあ噛んでたからな相手を」

 こいしもまた、オレに打撃をぶつけてきた。小さい女の子とは言え妖怪だ。パワーは桁違いで…何時しか防戦一方になっていく。

 こいしの拳をガードしている両腕が痛い。このまま行くと折れるか粉砕されるかの二択だろうな。

「あはは!楽しい!」

「狂ってやがる…」

 …狂ってる?

 そうだ、こいつら全員()()()()のだ。

 だから力の箍が外れているのか、こいしの拳は益々速度を上げ、一撃一撃が重くなっていく。攻撃する余裕なんて無いし、あったとしても全然効かないだろう。

 そこで遂に左腕にこいしの拳がめり込んだ。グギッという嫌な音がして、左腕に激痛を感じた。

「が…はぁ…」

 拙い、ガードが…。

「他の考え事しちゃダメ!私を見て!」

「普通なら嬉しいセリフなんだろうが今は最悪だ!」

 なんとか右腕でのガードが間に合ったが…このままだと本当にヤバいぞ…。

 

 その時、視界の隅にあるものを捉える。

 動けないお空にお燐が近付いていた。

「お燐…やめてよ!こんな事間違ってる!」

「お空が悪いんだよ。さとり様に逆らうから…」

 オレはすぐさまそこに割って入った。こいしは今は無視だ。お燐に殴り掛かるも堪えた様子は無い。やっぱり防御力も底上げされてるのか。

「なんだこいつ」

 不機嫌そうにお燐はオレを睨み付ける。

「私を忘れてない?」

 そこにこいしも混ざり、挟まれた。前門の虎、後門の狼という感じだ。

(こりゃあマジでここが墓場になるかもな…)

 再び打撃。しかもお燐も混ざって二倍の攻撃が襲ってきた。右腕一本ではどうにもならず、拳が身体中を抉る。

「スペルカード発動!」

『スーパーエゴ』

 体制を崩した所でこいしのスペルカードが発動し、弾幕が容赦無く襲いかかってきた。

「アハハハハ!」

 こいしの狂った様な笑い声が聞こえた瞬間、全身を熱を持った痛みが駆け巡り、オレは吹っ飛ばされる。

 そしてその先にはお燐が居て、こちらもスペルカードを発動していた。

「スペルカード発動!」

『キャッツウォーク』

「ああああああああああああっ!」

 再び猛烈な痛み。それで…オレは倒れた。意識があるのが不思議なくらいだった。

「あれ?もう終わり?」

「あっさり終わったね」

「し、しっかりして!」

 お空がオレの元へ駆け寄ろうとするが…元々ダメージが大きいからか中々上手くいかないようだった。

 

「む、無銘!今助けるぜ!」

 そこに魔理沙の声が割り込んできた。

「スペルカード発動!」

「やらせないよ」

「うあっ!……ぐ……ぅ」

 魔理沙はこいしの一撃を喰らい、意識を一瞬にして狩り飛ばされた。

「………ッ!こ、この!」

 次いで霊夢がこいしに攻撃を加えようとするが…さとりに阻止される。

「貴女達はここで死ぬの」

「クソっ!どきなさい!」

「ダメよ。皆、ここでお終い」

 何かが折れる音がした後、霊夢は呻き声を上げて倒れた。

「む…めい。にげて…」

「霊夢…畜生!」

「やめて!お願い!」

 お空の叫び声。

「バイバイ、お空」

 お燐がスペルカードを発動し、お空に攻撃しようとしていた。

「スペルカード発動!」

『火焔の車輪』

 させるか…!

 オレは全身全霊で立ち上がり…お空の前に立ち塞がる。

 そして…右手を突き出した。

 

 

「え………」

 

 

 お燐が絶句した。

 無理もない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「マジかよ…マジで幻想殺し(イマジンブレイカー)あったのかよ…」

 咄嗟の行動だったが、それが功を奏した。

「…よく考えたら、あの時鳥のフンが落ちてきたのも、クジで安定のハズレを引くのも…それもこれも全部右手(コイツ)のせいだってか」

 不幸。

 確かに、オレは不幸体質だ。

 だが…今だけはその不幸を喜びたい。

「だったらいいさ、守れるなら…この右手で誰かを救えるのなら…死ぬ事だって惜しくない」

 さあ…始めよう。

 あの小説に出てきたあの人のセリフを借りて。

 

 

 

 

「―まずは、そのふざけた幻想をぶち殺す!」




初戦闘シーンでしたが如何でしたでしょうか?
幻想記の魅力でもある戦闘シーンがちゃんと再現出来ていればいいのですが…。


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異能を殺す者

「覚悟はいいか!妖怪共!」

 

 オレは自分を鼓舞する為に叫んだ。

 先程までのダメージはある。だが痛みは感じない。アドレナリンが出ているのかもしれない。

「能力が出たところで何も変わらない!スペルカード発動!」

『スプリーンイーター』

 お燐のスペルカードを右手で打ち消す。自分でも驚く程冷静に動けていた。

(オレはあの作品のファンだ。使い方は分かってる)

 後ろに気配。能力発現前は分からなかったであろうその気配をハッキリと捉えることが出来る。

「…こいし、お前が後ろにいるのは分かってる」

「なっ…どうして見えるの!?」

 こいしの驚いた様な声。

「…この右手には異能を殺す力がある。神の加護だったとしても打ち消してしまう力だ」

 こいしに接近し、数発の連打を的確に撃ち込む。彼女は驚いた顔のまま沈黙した。

 ふとさとりを見ると、自分の能力が通用しない事に焦りを感じている様だった。

「自分の能力が通用しない事に驚いてるのか?そりゃあそうだ…能力が通用しない人間なんて滅多に居ないだろうからな」

 今なら分かる。妖怪だとしても、こいつらには感情がある…なら、その隙を着けばいい。

「そんな事、あるわけ…」

「オレは人に嫌われながら生きてきたからな…顔見りゃ何となく考えてる事が分かるんだよ」

「な、なんなのこの人間…」

 さとりは顔を引きつらせる。恐ろしいものを見るような眼差し…それはオレがよく知っている眼差しだった。

「…確かにバケモノ扱いされてもおかしくないな。でも、そんなヤツの命で誰かが助かるなら、オレは持ってるもの全てを捨ててそいつを助ける」

「コイツ、狂ってる…」

 さとりの目には、オレが愚者の様に映ったのだろう。そりゃあそうだ。人間ってのは基本的に利己的な生き物だ。誰かを蹴落とさないと生きれない生き物だ。その中でオレみたいなやつは異常だと思われるのが常だった。理想論を吐く愚者のようだと…それは、どこにいても変わらないのかもしれない。

 だけど、今は…。

「お燐!こいし!こいつを潰す!」

「わかった!」

「任せてください!」

 こいし…いつの間に復活していたのか。流石妖怪だ。

 だが、こいつらは気付いていない。

「お前ら…まだ気付かないのか?」

「何の話!?」

「マジで気付かなかったのか…なら、教えてやるよ…」

 オレは彼女達の背後を指さした。

 そこには何とか立ち上がり、スペルカードを構えたお空が居た。

「後は頼むぞ、お空」

「君、頭良いんだね」

「よせよせ、働くのは悪知恵だけだ」

 そのやり取りを聞いたさとりがハッとした。

「まさか…」

「…そう、オレはあくまで囮。本命はこっちだよ」

 霊夢と魔理沙は動けない。だが、お空はダメージこそあるものの行動は出来る。オレはその準備が整うまでの囮だというわけだ。

 といってもお空が何かしようとしている事に気付いたのは能力発現後だった。それで咄嗟にこちらへと注意を引きつけたのだ。

「じゃあ…いくよ!スペルカード発動!」

『ニュークリアフュージョン』

 極太の熱線がさとり達を飲み込み、被弾音と共に戦闘は終わった。

 

「おっしゃ勝ったーーー!」

 戦闘後の余韻に浸っていると、お空が不安そうに訊いた。

「でも…これどうするの?」

「……永遠亭だな」

 五人か…運べるかな…かなりキツいがやるしかないか。それか先に永遠亭まで行ってからにするか?

「どうやって行くの?」

「まあ…取り敢えず、向かおう」

 

 

 迷いの竹林。

 その名の通り、入る者を迷わせる複雑な竹林だが、今の所オレ達は迷わずに進めていた。

「未だに悪運が味方しているなら、迷わず進めるはずだ」

「ね、ねぇ…君の名前、まだ聞いてないよね」

「名乗るほどの名前はないから無銘でいい」

「わかった。ねぇ無銘くん」

「なんだ?」

 お空はオレの後ろを歩いていたが、急にもじもじしだした。

「……ありがとう。助けてくれて」

「あ、ああ…気にするな」

 そんな顔するな…このままだと、オレの女性恐怖症が出る!

「ふふっ、照れてるの?」

「う、うるせえ…行くぞ!」

 

 

「いい天気ですねー!」

 永遠亭(えいえんてい)では、鈴仙(れいせん)優曇華院(うどんげいん)・イナバが伸びをしていた。

 どうやら迷わず辿り着けたようだ。

「ここか、やっぱり悪運は強いみたいだな!」

「普通じゃ着かないって聞いてたけど…」

「それをオレに言われてもねぇ…」

 もしかしたら右手のおかげかもしれないが…まあそれはともかく。

「鈴仙だな。ケガ人が出たから運ぶの手伝ってくれ」

 言うと、鈴仙は驚いた様な顔をした。

「なんで私の名前を…?」

「いいからいいから、とりあえず手伝ってくれないか?」

「は、はい!分かりました!」

 

 その後、ケガ人を永遠亭に運び、地底異変は終息した。

 だが…今思えばこの時には既に次の異変は始まっていたのかもしれない。

 オレ達がそれに気付くのは、夜になってからだった…。



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さらなる異変へ

「はい、治療は終わりです」

 数時間後、皆の治療が終わった。

「まさか包帯巻くことになるとはな…今まで骨折すらした事なかったから新鮮だ」

 オレの怪我は割と酷く、全身が包帯だらけだ。幸いギプスまでは行かなかったが…腕も骨折は免れたからな。もしかしてオレって意外と頑丈なのか?

「それで、何があったんですか?」

 人心地ついた所で鈴仙が訊いてきた。

「実は、地霊殿で異変が起きたんだよ」

「異変!?」

「ああ、その事でお前に用があったんだ」

 あの時感じた事…こいつなら、解るかもしれない。

「用ですか…その前に貴方の事聞いても大丈夫ですか?」

「ああ、オレは無銘。外の世界の人間だ」

「能力はあるんですか?」

 能力…流石に幻想殺しって言う訳にもいかないからな…。

「右手に触れた異能を殺す程度の能力…それがオレの能力だ」

「分かりました。私は…」

「鈴仙・優曇華院・イナバだろ?」

 狂気を操る程度の能力を持つ月の兎…だった筈だ。

「…自己紹介は要らないみたいですね」

 鈴仙が微笑んだ。オレは頷き、本題に入る。

「…それで、狂気を操る程度の能力を持つお前に聞きたい事がある」

「…なんでしょう?」

 鈴仙が真剣な表情になった。

「お前の目には、地霊殿の連中はどう映った?」

「…そうですね。見た感じ安定していました、とても異変を起こした様には見えません」

「オレ達が地霊殿に乗り込んだ時、あいつらは明らかに狂っていた。一時的な狂気…そうとしか思えない」

「…そう言える根拠は?」

「ぼっちの勘だ」

 あいつらが狂っているなんて事はあの場にいれば誰にでも分かるだろう。あいつらは妖怪とはいえ、あんなに好戦的では無いはずだ。ましてやスペルカードルールの決闘はあくまでも「遊び」の筈。なのにあいつらは明らかにオレ達を殺しに来ていた。

「…多分、当たりです。治療の最中、さとりさん達の狂気の波長の揺れ幅が少し大きい様に感じました。恐らく何かに狂わされ、それが抜けた事による残滓の様なものだと思います」

「やっぱりか。そうじゃねぇかと思ったんだ」

「…二人が何の話をしているのかさっぱり分からないよ」

 それまでじっと話を聞いていたお空がクエスチョンマークを大量に浮かべながら首を傾げていた。

「そういえばこいつは鳥頭だった…つまり、あいつらは自分の気持ちで異変を起こした訳じゃないって事だ」

「そうなの?」

「…色々調べる必要がありますね」

 鈴仙が難しい顔をして呟いた。

「…実は、オレに当てがある」

「どこでしょうか?」

「紅魔館だ。あそこの図書館なら何か分かるかもしれない」

「なるほど…」

「今動ける人員を集めてくれ、少人数で行こうと思う」

「…分かりました。集められるだけ集めます」

 鈴仙は頷き、部屋を出ていった。

「…今夜だな。行くのは」

 もしもの事もあるしな。

 それにしても、狂気か…可能性は低いだろうが、一つ、宛てがある。()()()()()()()()…こんな事を起こすのは、余程力の強い妖怪か…それこそ神様レベルの奴だろう。

「私はどうすればいい?」

「夜に紅魔館に行くから準備しといてくれ」

「分かった」

 お空が部屋を出ていくのを目で追いながら、考える。

 もし、オレの予想が合ってたら、その時は…… ()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 そして夜。

 オレ達は、二つ目の異変に遭遇する事になる。



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姉妹逆転紅魔異変

お待たせ致しました。
なお、今回から始まる「姉妹逆転紅魔異変」は動画版と内容が少し変わります。
どこがどう変わったのか…是非見比べてみて下さい。
(なお、プロットは赤蜥蜴826氏が書いたものです。私の独断という訳ではありませんので予めご了承下さい)


 夜。

 梟が鳴いている様な静かな森の中を、オレは歩いていた。後ろには鈴仙と彼女の師匠である八意永琳、そして偶然居合わせた白玉楼の庭師である魂魄妖夢が居る。

 霊夢や魔理沙は治療が終わったとはいえ鈴仙からドクターストップが掛かり、渋々といった感じで永遠亭に残ったし、彼処には地霊殿組もいる。お空には彼女達の護衛を任せる事にした。襲撃をかけられる事は無いと思うが、念の為だ。

「紅魔館の図書館に行くのよね?何を調べるつもりなの?」

 永琳が訊いた。まあそうなるよな。オレは集まった連中には「何かあると拙いから着いてきてくれ」としか言っていないのだから。

「急に凶暴化するこの現象、もしかしたら一柱の神が関わってるかもしれない。あくまで憶測だけど……」

 ゾロアスター教という宗教がある。

 善悪二元論のゾロアスター教において、最高善とする神である「アフラ・マズダー」に対抗し、絶対悪として表されるもう一人の神…それが今回の異変に関わっているとオレは睨んでいた。

 普通なら有り得ないと一蹴するだろうが、ここは幻想郷なのだ。何が起こってもおかしくない。

 何せ、この場所では常識にとらわれてはいけないのだから。

 

 

 暫く歩くうちに、全員がある事に気付いた。

「空が…」

「紅くなってます…」

 紅魔館を起点として発生した紅い霧が空を覆っている。

「紅霧異変の再来か…!」

 やっぱり、ここも…!

「急ぎましょう!」

 鈴仙の声で我に返ったオレは、行く手に聳え立つ紅魔館を睨んだ。

 

 

 入口に居る筈の門番は居なかった。

 嫌な予感がして館内に駆け込むと、ロビーに二つの人影があった。

「ハァ…ハァ……落ち着いて下さい咲夜さん!」

 紅魔館の門番である紅美鈴が焦燥した様子で言う。それに相対するのは十六夜咲夜、紅魔館のメイド長だ。

 同じ館で働くこの二人が、何故争っているのか…声を掛けようとした時―。

「!?」

 …一瞬にして時が止まった。咲夜の能力か…!

 動けるのはオレだけだ。直ぐに美鈴と咲夜の間に割って入る。

「やめろ!」

「…退きなさい」

 咲夜が呟くように言った瞬間、銀色の輝きが視界に飛び込んで来た。すんでのところでそれを叩き落とす。

 それに動揺した素振りも見せず、咲夜は新たなナイフを構える。

 クソっ!やっぱりこうなるのかよ!

 オレは咲夜に飛び掛る。急な動きに対応しようとしたのか、咲夜は時止めを解除してからナイフを投げてきた。紙一重で躱すが、頬に刃物の冷たさを感じた。

「これはどういう事だ!」

 オレが怒鳴ると、美鈴は我に返った様子で言った。

「妹様が暴走して…館内のみんなもおかしくなって…!」

「フランが?」

 フランドール・スカーレット。この館の主であるレミリア・スカーレットの妹だが…そうか、フランなら真っ先に狂気に当てられてもおかしくない!

「レミリアさんもおかしくなっているんですか?」

 鈴仙の問い掛けに答えたのは咲夜だった。

「お嬢様は地下牢に居るわ」

「閉じ込めたんですか!?従者が、主を…!」

 妖夢が怒りの篭もった声で言う。咲夜はそれを「貴女には関係のない事よ」と受け流し、オレ達に敵意の籠った視線を向けた。

 その時、

「なんの騒ぎかしら?」

 当初の目的だった図書館から、パチュリー・ノーレッジと小悪魔が出て来た。

 ―どうする?ここに居る全員でこいつらを抑えるか?

 オレが判断に迷っていると、それまで事態を静観していた永琳が口を開いた。

「優曇華、そして魂魄妖夢…貴女達はフランの元に行きなさい」

 それからオレの方を見て、

「貴方は地下牢に行ってレミリアを助け出しなさい」

「でも師匠は……」

 鈴仙を制し、永琳は余裕の表情で言った。

「私一人でも、三人の相手は出来るわ」

 美鈴も口を挟む。

「出来れば私のことも忘れないで欲しいですけどね」

 それでも鈴仙は逡巡していた様だったが、妖夢が「鈴仙さん。ここは任せましょう」と言うとやっと決心がついたのか頷いた。

「無銘さんも…」

「ああ、分かってる」

 オレは永琳と美鈴を見る。

「…任せたぞ」

「早く行きなさい」

「ここは私達で抑えます!この紅美鈴、鼠一匹たりとも通しませんよ!」

 オレは頷き、地下牢へ向かった。

 後ろから聞こえてくる戦闘の音が、背中を押した。



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地下牢の主、狂気の妹

 魂魄妖夢と鈴仙・優曇華院・イナバは紅魔館の奥―レミリアの部屋へと向かっていた。

 館内はがらんとしていた。窓からは紅い空が見え、それが不気味さを増長させている。

「妙ですね…」

 妖夢が呟く。

「どうしたんですか?」

「紅魔館には妖精メイドが居る筈ですが…何処にも見当たりません」

 確かに、それは鈴仙も気になっていた。普段の紅魔館には沢山の妖精メイドが居て、メイド長である咲夜の仕事をサポートしているのだが、今は影も形もない。

 それに―。

「狂気が、濃い…」

 鈴仙は紅魔館に入った時から、この場所に満ちる狂気の濃さに驚いていた。居るだけでおかしくなりそうな程の狂気…鈴仙だからこそ分かる事かもしれないが、それにしてもこれは異常だ。

 自然と身体が震え出す。レミリアの部屋に近付くにつれ狂気が濃くなっていく。この先に、狂気に侵されたフランが居るのだろう。

「大丈夫ですか?」 

 妖夢が心配そうに訊いた。自分は顔に出る程怯えていたのか。

「……大丈夫です」

 怖気を振り払い、前を見据える。

 師匠である永琳が戦っているのだ。ここで立ち止まる訳にはいかない。

 

 レミリアの部屋のドアは閉ざされていたが、鍵は掛かっていないようだ。

 妖夢と頷き合い、勢い良くドアを開ける。

 そこには―。

「アハッ!新しいおもちゃが来た…!」

 狂気に侵された悪魔が、此方を見て残酷な笑みを浮かべていた。

 

 

 途中で迷いかけながら、なんとか地下牢に辿り着いた。紅魔館にこんな所があったとは驚きだが今はそんな事を気にしている場合じゃない。

 ズラリと並ぶ牢の一つに、レミリアが閉じ込められていた。オレに気付き、弱々しい声で言う。

「貴方は…?」

「外の世界の人間だ。紅魔館がおかしくなった事は把握してるからこの事態の原因を教えてくれ」

「フラン…フランドール・スカーレットよ」

 やっぱりか…。

「どうしてかは分からないの。ただ急におかしくなって…」

 レミリアによると、フランは突然狂気性を出して、それを咲夜やパチュリーがとめようとした。だが彼女達もフランに触れた瞬間まるで洗脳されたかのようにおかしくなり、レミリアに襲いかかった。レミリアはそのまま地下牢へ閉じ込められたという訳だった。

 

「でも、美鈴はおかしくなってなかったぞ?」

「えっ…」

 レミリアは驚いた顔をした。

 おそらくだが…門番の仕事で紅魔館の外にいた美鈴は洗脳されなかったのだろう。

「とりあえず…オレはフランを助ける」

「大丈夫なの?」

「まあ…なんとかなるだろ」

 実際地霊殿の時もなんとかなったのだ。

 しかし、レミリアは不安そうな顔をした。

「フランは…何かの力で強化されてるわ。私が手も足も出なかった位だもの。アレは…本当に禍々しいものだった…」

 レミリアの肩は震えていた。それ程フランが強かったという事か。

「妖夢と鈴仙が戦ってる筈だが…」

 オレが言うと、レミリアは慌てた様に、

「早くしないと手遅れになるかも…!」

 何だと…!?

 いやしかし、フランならやりかねない!

「玄関で戦闘してる奴らを助けに行ってくれ!オレはフランの所に行く!」

 言って、オレは地下牢から飛び出した。

 無事でいてくれ…!

 

 

 走って、レミリアの部屋に辿り着いた。

 ドアは開け放たれている。中に飛び込むと、何かに躓いた。

 慌てて体制を建て直し、躓いた物を見る。

 

「……え」

 

 …ボロボロになった妖夢と鈴仙が、床に転がっていた。



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狂乱、蹂躙、そして光明

「妖夢!鈴仙!」

 二人はボロ雑巾の様な有様でピクリとも動かない。一瞬ヒヤリとしたが、妖夢が小さな呻き声をあげたので少し安堵した。少なくとも死んではいない。

「アハハハハハハハハハハハハハハッ!」

 狂った様な―否、狂った笑い声が部屋を満たす。

 この事態を引き起こしたであろう張本人は、スペルカードを構えて楽しそうに叫んだ。

「また!またオモチャがキタ!あそべる!壊せる!」

 完全にイカれている。オレは妖夢と鈴仙の前に立ち、フランを見据えた。

「死ね!死んじまえ!ぐちゃぐちゃのぼぎゃぶぎゃになって醜くえげつなく壊れちゃえ!」

 

禁弾「スターボウブレイク」

 

 凄まじい密度の弾幕が襲いかかってきた。

「いきなりハードすぎるだろ!」

 叫びながら、右腕を突き出す。

 部屋中に弾幕が炸裂したがオレ達は無事だった。自分達の方へ来るものは全て右腕で打ち消したからだ。

「あれぇ?」

 フランが首を傾げる。自分の攻撃が無効化された事に驚いている様だった。だがそれも一瞬の事で、すぐにニヤリと笑った。

「アハハ!お兄さん面白い!フランと遊ぼう!」

「言われなくてもそうするつもりだ!」

 叫び、オレは駆け出した。

 

 

 超高密度の弾幕を右手で殺しながら突進する。

 今回ばかりは全力でやらないと死ぬ。だからオレは躊躇なくフランに拳をぶつけた。

 華奢な身体が少しよろめく。然し直ぐに体勢を立て直し、また弾幕の嵐を放ってくる。

 キリがない。このままじゃいつか殺される…右腕を振って弾幕をまとめて消し去りながら、忙しく頭を働かせる。

 戦闘開始からまだ全然経っていない。だがオレは早くも息が上がり始めていた。体力はある方だとは自分でも思うが…フランの弾幕にそれ程神経をすり減らしているという事だ。

 加えて、後ろにはまだ動けない妖夢と鈴仙も居るのだ。無意識に彼女達を守りながら戦う方法を採っていた為、スタミナの消費が思ったより激しい。

「ほらほら!まだ遊べるよね!」

 一方のフランはまだ余裕そうだ。そもそも一発しか当てられていないので殆どダメージも無いだろうし、狂気に侵されておかしくなっているのだから多少の疲れなどものともしないだろう。

 

禁忌「カゴメカゴメ」

 

 四方からの弾幕。範囲が広すぎて殺しきれない…!

「My body is made of steel!」

 自分が頑丈になるという自己暗示の言葉を呟いた瞬間、全身に焼け付くような痛みが走った。

「があっ!」

「アハハ!凄い、壊れてない!」

「それでも身体は痛えよ畜生!」

 何とか耐えたが、今の一撃はキツかった。あれをもう一発喰らったら持たないかもしれない。

「はああああっ!」

 顔面へのストレート、脇腹への蹴り、アッパー…あらゆる手を使って攻撃するが相変わらず効いていない。それどころか所々でカウンターを入れられ、こっちが吹っ飛ばされた。

「いいね!最高だよッ!」

「クソっ!最悪だ!」

 互いに叫ぶ。そこに込められてる感情は真逆だが。

 

禁忌「フォーオブアカインド」

 

 フランが四人に分身した。一人でもキツいのに四倍…今日は絶対に厄日だ。

 フランが嗤う。瞬間、部屋を埋め尽くす程の弾幕がオレを襲った。

 

 

「アハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

「む、無銘さん!」

 …フランの高笑いが響き渡る。

 オレは、無様に地面に転がっていた。

 何とか生きてはいたが、それだけだ。四倍の弾幕は凄まじかった。右手では殺しきれず、あちこちに火傷を負った。もう、立ち上がる気力すら無い。

「しっかりしてください!」

 妖夢と鈴仙が駆け寄ってくる。よかった、動ける程まで回復したのか。

 涙を浮かべる二人の顔が視界に映る。オレはそれ程酷い状態なのか?

 そう思って口を開こうとした時、オレは殴られた様な衝撃を覚えた。

「あ…」

 思わず呆けた様な声を出してしまう。

「無銘さん!?」

「……わかった」

「え?」

 オレは言った。

 

 

「フランを元に戻す方法を…思いついた!」



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決着

「フランさんを元に戻す方法…?」

「それって…」

 妖夢と鈴仙は驚きと少々の疑念が入り交じった顔をしてオレを見た。働かない頭を何とか稼働させ、考えをまとめてから二人に「それ」を伝える。

「…オレの右手はあらゆる異能を打ち消す。フランの纏う狂気を、それで殺せるかもしれない」

「でも、無銘さんはさっきも攻撃していたのにフランさんには何も変化は有りませんでした…」

 確かにそうだ。

「だからこれは賭けになる。オレだって自分の能力を完全に把握しているわけじゃないからな…鈴仙、お前の能力を使って、フランの狂気を可視化する事は出来るか?」

 急な質問に鈴仙は驚いた様だったが、直ぐにオレの意図を理解したらしく、「出来ます」と頷いた。

「そうか。それなら多分いける」

「では、私が無銘さんをお守り致します」

 妖夢が言った。既に二振りの刀を携え、目には決意の光が宿っている。

「…ああ、頼む」

 今回ばかりは、オレ一人では無理だ。自己犠牲主義者を名乗っておいてこれはないだろうと自分でも思ったが…この作戦には二人の力が必要なのだ。

 その時、フランの声と共に弾幕が飛んできた。慌てて避けると身体に痛みが走ったが今はそんな事どうでもいい。オレは妖夢と鈴仙に叫んだ。

「行くぞ!」

 

 

 オレはフランに向かってがむしゃらに突進する。余りにも愚直な行動で、フランはそれを嘲笑うかのように弾幕を放ってきた。

 然し避ける必要すら無かった。

「アレェ…?」

 フランの弾幕がもう一つの弾幕に相殺される。

「貴女の相手は私です!」

 妖夢が刀を構え、弾幕と斬撃を駆使してオレに飛んでくる攻撃を相殺していた。

「…邪魔を…するなああああああああぁぁぁッ!」

 

禁忌「フォーオブアカインド」

 

 四人に分身したフランがオレと妖夢に向かって密度の濃い弾幕を放ってきた。

「させません!」

 

獄界剣「二百由旬の一閃」

 

 妖夢の斬撃により大部分は無効化したが、それでも幾つかはオレの方に飛んでくる。それを右手で殺しながら、尚も突進する。

 

 

禁弾「過去を刻む時計」

 

 突如、十字型のレーザーが出現し、反時計回りに回り始めた。

「うおっ!?」

 妖夢の弾幕に護られている事を忘れて思わず立ち止まってしまう。そしてそれが一瞬の隙になった。

「無銘さん!?」

 妖夢が此方に気を取られたその時、

 

禁忌「レーヴァテイン」

 

 巨大な炎の剣―レーヴァテインを携えたフランが妖夢に襲いかかり、レーヴァテインを無造作に振るう。妖夢は何とか防いだが力の差は絶大で吹っ飛ばされ、壁に激突した。

「かはっ…」

「妖夢!」

 慌てて駆け寄ろうとするが、行く手を弾幕が塞ぐ。

「妖夢さ…きゃあっ!」

 見ると、鈴仙も同じ状態だった。

 

「まずは一人目だァッ!」

 勝ち誇った様に叫ぶフランが、レーヴァテインを構える。

 オレは咄嗟に弾幕を打ち消し、妖夢とフランの間に身体を滑り込ませた。右手を構える時間もなかった。

 

 ―瞬間、レーヴァテインがオレの心臓を刺し貫いた。

 

「………あ」

 熱いという感覚はなかった。ただ、炎の剣が自分の心臓を貫いているのを呆然と見ていた。

「……無銘さ…」

 妖夢が絶句する。それを知覚した瞬間、身体から力が抜けた。

 だが、

「鈴仙!今だッ!」

 見れば突然の事にフランも呆然としていた。チャンスはこの一瞬しか無い。

 鈴仙が能力を発動したのだろう。フランの周りに赤黒いオーラが発生しているのが分かった。

 オレがゆっくりと手を伸ばして、そのオーラに触れるとそれは霧消し、同時にフランの目から狂った様な光が消えた。

「あ…」

 そんな呆けた声と共に、フランが床に崩れ落ちる。それを見届けた後遂に限界が来たのか、オレの身体も言う事を効かなくなり、そのまま床へと倒れ込む。

 妖夢と鈴仙が駆け寄ってくるのが見えたが、視界がぼんやりとしていてその光景は酷く不鮮明だった。耳も聞こえなくなっているらしい。周りから全ての物音が消え去っていた。

(ああ、終わったんだな)

 ぼんやりとそんな事を考える。これで紅魔館は救われただろう。

 その代償がこれだ。でも悔いは無い。

(救えたよな。オレ…)

 オレは紅魔館を救った。

 だからもう、いいんだ。

 

 

 …やがて、眠気がやってきた。

 それに身を任せると、意識は急速に暗闇へと落ちていき、何もわからなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして紅魔異変は解決した。

 そして、オレは…



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後日譚

 夢を見た。

 見渡す限り何処までも続く寂寞の荒野に、立ち尽くしている夢だ。

 目の前には男とも女ともとれる何かが居て、オレはソイツと向き合っている。

 ソイツは薄く笑い、オレに何かを言った。然しその声は聞こえない。

 それでも一つだけ、本能で理解している事があった。

 コイツは…この異変の元凶だ。何故そう思ったのかは自分でも解らないが、兎に角その考えは正解だと確信していた。

 オレはソイツに殴り掛かろうとした。異変の元凶なら、今ここで決着を付けてやると思っての事だった。然し身体は動かず、それどころか意識が段々ぼやけていく。

 それに抗う事も出来ないまま、オレの意識は完全にブラックアウトした。

 

 

 …目を、ゆっくりと開ける。見慣れた自室の天井ではなく、それよりもっと広い部屋に横たわっていた。

(あれ…オレ、どうしたんだっけ)

 なんでこんな所に居るのか、自分でもよく分からない。家族と旅行に行ってたんだっけ?いや、それにしては周りに誰も居ないぞ…。

 オレが困惑していると、襖がガラリと開いて脇に刀を携えた少女が入ってきた。そしてオレはその少女を見て、全てを思い出した。

「妖夢…」

「目覚めましたか。気分はどうですか?」

「別に普通だが…じゃなくて!」

 オレはガバリと身を起こした。何故か身体が軽い。

「オレ、死んだ筈だよな?なんでまだ生きてるんだ?」

「それについては幽々子様から説明があります」

「幽々子?って事はここって…」

「白玉楼です」

 …やっぱり死んでんじゃねえか。

 

 

 妖夢に案内され、やたらと広い屋敷内を歩き回ったオレが案内されたのは白玉楼の主である西行寺幽々子(さいぎょうじゆゆこ)の部屋だった。

 部屋に入り、妖夢が退出すると幽々子は「目が覚めたのね。良かったわ」と言ってから、真剣な顔つきになり言った。

「無銘、といったかしら?単刀直入に言うと、貴方はまだ生きているわ」

「…へ?」

 生きているって…なら何で白玉楼に居るんだ?いやそもそも、心臓貫かれた状態からどうやって…。

 オレの疑念を他所に、幽々子は続ける。

「実は、貴方を生き返らせたのは私じゃないの。貴方は自分で再生したのよ。致命傷を負ってから暫くすると勝手に傷が消えて、白玉楼に着く頃には殆ど無傷な状態だったわ」

「な…」

 再生した?そんなバカな…オレがそんな人智を超えた力を持っているとは思えないのだが…。

「これは全て本当の事よ。そのうえで貴方に提案があるわ」

「はぁ…」

 幽々子の目が真剣さを増す。

「あなたが自分で再生した事を知られれば、あなたは人外扱いされる。だから私の能力で蘇生させて、半人半霊になったことにしましょう。その代わり白玉楼に住んでもらう事にはなるけど…」

「いいんですか?」

 確かにその提案は有難かったが、何故オレなんかにここまでするのか、幽々子の真意が分からなかった。

 すると幽々子は微笑し、「別に疚しい考えは無いわ」と言った。

「ただ、貴方には妖夢を救ってくれた借りがある。それを返したかっただけよ」

 なるほど。

 それならば、断る理由はあるまい。女性恐怖症だけが気掛かりだが…まぁ、何とかなるだろう。

「…よろしくお願いします、幽々子様」

 オレは深々と頭を下げた。

 

 

 それから少しして、色々な人が白玉楼を訪れた。

 まず来たのは霊夢と魔理沙。怪我で永遠亭に居たため、紅魔異変の解決をオレに押し付け、その結果重傷を負わせてしまった事を謝ってきた。最も霊夢は一度謝ったあとはケロリとしていたが。まあ、この件で彼女達が罪悪感を覚える必要は無いのだからオレとしてはそっちの方が助かる。泣かれるのはあまり好きじゃない。

 その後、鈴仙やお空、永琳などがかわるがわる白玉楼を訪れては謝罪の言葉を口にした。鈴仙とお空に至ってはオレの顔を見るなり抱き着いてきたので別の意味で死にかけた。

 で、最後に紅魔館の連中が来た。咲夜やパチェリー、美鈴や小悪魔はすまなさそうに何度も頭を下げ、フランとレミリアはおいおいと泣いていた。特にフランは相当責任を感じていたようで、声が枯れるまで「ごめんなさい」と繰り返していた。ここまで来ると自分が悪人になった様に思えてくる。

「許してくれなんて言わない…フランがちゃんと責任とるから…」

 そんな事言われても困るのだが…罪には何かしらの罰が必要だというのもまた事実だ。そこでオレはかねてから考えていた事を頼んでみた。

「…じゃあさ、美鈴に頼みたい事があるんだ」

「え!?私ですか!?」

 オレは目を丸くしている美鈴に殆ど土下座に近い形で頭を下げた。

「弟子にしてくださいお願いします!!」

 一瞬、辺りがしんとなった。それからフランが拍子抜けした様に口を開く。

「…そんな事でいいの?」

「そんな事だと!?武術を扱う身としては最高のご褒美だぞ!」

「そ、そうなの…?」

 レミリアがどうなのという目で美鈴を見る。美鈴は頷き、言った。

「私で良ければ大丈夫ですよ」

「よっしゃあああああああああああっ!」

 オレは歓喜のあまり思わず叫んだ。その叫び声は白玉楼中に響き渡ったというのは幽々子様の弁だが…まあそれはいい。

 剣術は妖夢に教えて貰っているので、上手くいけば多少なりとも戦力になる筈だ。それはこれからのオレの修行次第か。

 

 こうして、オレのささやかな我儘は叶えられる事になったのだった。

 

 

 

 そんなこんなで、二つの異変が終わった。

 最も、この異変はまだ続く事になるのだが…この時点では、その事を知る者は居なかった。




これにて姉妹逆転紅魔異変は完全に終幕となります。
次回から一章後半戦…の前に番外編を。
「満月の天使」という、幻想記シリーズ屈指の名作をノベライズします。大役過ぎて腰を抜かしましたが精一杯頑張りますので次回以降もよろしくお願いします。


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鬼人暴走異変

お待たせしました。
1章後半戦、開幕です。


「も…もう無理…死ぬ…」

 オレは美鈴師匠と修行をしていた。自分から頼んだ事ではあるのだが…想像を絶する過酷さだ。慣れてきたとはいえ、きついものはきつい。身体中汗まみれだし、連日の修行で筋肉は悲鳴をあげている。

 それでも―強くなっているという実感はある。最近は師匠の動きにも随分とついていける様になったし、かなりタフになったとも思う。スペルカードをまともに喰らって痛いで済むようになったのだから、実際成長はしているのだろう。

「今日はここまでにしましょう。お疲れ様でした」

 地面に這いつくばっているオレに対し、美鈴師匠は汗ひとつかいていない。天と地ほどの差があると改めて思う。

「とりあえずシャワー浴びてメシ食いたい…」

 丁度お昼時という事もあり、先程からオレの腹は鳴りっぱなしだった。咲夜さん、昼飯作ってくれてるかな…。

「…それなんですが、今日は人里に食べに行きませんか?奢りますよ」

 珍しく美鈴師匠がそんな事を言ったものだから、オレは驚いた。

「…いいですけど、何を食べるんです?」

「決まっているじゃないですか。蕎麦ですよ」

 …何がどう決まっているのかは分からない。麺を食べたいなら人里にはラーメン屋やうどん屋だってあるし、なんならパスタ屋だってある。その様な選択肢を排除してそばを選ぶのだから、この人は余程蕎麦が好きなんだろう。まぁオレとしては腹を満たせればなんだっていいのだが。

「じゃあ、天ぷらそばでお願いします!」

「贅沢な弟子ですね…」

 そう言いつつ師匠は這いつくばったままのオレに手を伸ばす。それにつかまり、立ち上がると師匠は上機嫌で言った。

「それじゃあ行きましょうか!」

「…すんません、その前にシャワー浴びさせてください」

「確かに汗臭いですね…紅魔館のを貸しましょうか?」

「お願いします」

 弟子に対して容赦ねぇなこの師匠…そんな事を思いながら、とりあえずシャワーを浴びて、人里に向かう事にしたのだった。

 

 

 人里は相変わらず活気に溢れている。

 その一角、こじんまりとした蕎麦屋でオレと美鈴師匠は蕎麦をすすっていた。

「たまにはこう…ゆっくりするのもいいんじゃないですか?」

「確かにまあ…たまにはね」

 ここ最近は異変も起きていないから世間はゆっくりしていたのだろうが…オレは修行ばかりしていたからそんな事とは無縁だった。

 ……紅魔館で起こったあの異変の後、狂気にまつわる一連の異変はばったりと途絶えた。ただ、アレで終わるはずがないとは思っている。異変の真犯人だってまだ見つかっていないのだ。

 今もどこかで異変の芽が育っているかもしれない…そう考えると、この平和が儚いものに思えてくる。

「…そういえば、幻想郷には慣れましたか?」

 不意に、美鈴師匠が箸を止めて訊いてきた。

「ええ、お陰様で」

「それはよかったです!」

 美鈴師匠は安心した様に笑った。 

 確かに幻想郷に慣れては来ている。だが、同時にここも現世と同じ様な場所になるかもしれないという気もする。

 オレが馴染めず、色々なものを失ったあの場所と同じになる…そうなったら、オレは…。

「…どうしました?」

「…いえ、なんでもないです」

 流石に考えすぎか。オレが苦笑していると、「アンタらこんな所で何やっているの?」と聞き慣れた声がした。見ると霊夢が物珍しいものを見るような目でこちらを見ている。

「無銘と中国がご飯食べてるなんて珍しいじゃない」

「誰が中国ですか!私は紅美鈴です!」

「ブフォッ!ち、中国……」

「笑わないでくださいよぉ!」

 確かに師匠は華人っぽい…というか華人なのだろうが、その呼び方は安直過ぎる。小学生のあだ名じゃあるまいし。

 オレは思わず噴き出した。肩を震わせて笑い、涙目の師匠をからかっていると、霊夢が再び「で、何してるの?」と訊いてきた。

「蕎麦食いにきたんだよ。お前も食うか?食うなら師匠が奢るぞ」

「ちょっと!?」

 霊夢の口角がつり上がった。

「ええ、喜んで。久々にまともなものが食べられるわ」

「という訳だ。諦めようぜ師匠」

「…ああもう!分かりましたよ!その代わり明日の練習は二倍に増やしますからね!」

「あああああああ!待って!やっぱなし!コイツには奢らなくていいから!」

「なんでそうなるのよ!こっちはここ最近お粥しか食べてないのよ!」

『アンタは病人か!』

 そんな感じで騒いでいた時―不意に、近くで物凄い音が聞こえた。何かが爆発した様な、そんな音だ。

「これは…」

「まずいな…」

「二人とも、行くわよ!」

 オレ達は音が聞こえた方向へと走った。

 

 

「うう…なんで、こんなこと…」

 

(何を言う…これがお前の望んだ結果だろう?)

 

「違う!!私はこんなこと望んでない!」

 

(…まァいいさ。お前がなんと言おうと無駄だ。オレが起こした異変は止められない)

 

「………うっく、ひくっ…わ、わたし…だれか、たすけ…」

 

(これが終わったら最終局面だ…さあ赤坂蜥蜴(あかさかとかげ)、貴様が誰を選び誰を切り捨てるのか…見せてもらおう)

 

 

「…っち、ここにも酒ねぇのかよ」

「まあまあ…そんなにイライラするなや」

「貴女達には品がないんですか…?」

「あ?品で飯が食えるのかよ?」

「…もういいです…」

「おっと…お相手が来たみたいだぞ」

 

 オレ達が駆けつけた時、そこには三つの人影があった。

「まさかアンタらまで…」

 霊夢が真剣な目をしながら呟く。その額には一筋の汗が浮かんでいた。

「これはまた…厄介な」

星熊勇儀(ほしぐまゆうぎ)伊吹萃香(いぶきすいか)茨木華扇(いばらぎかせん)か…」

 木っ端微塵になった建物の上でこちらを迎撃せんとする三つの人影。

 彼女らは幻想郷最強の種族…「鬼」だった。

(まずいな、死ぬかもしれねぇ)

 心臓が早鐘を打ち、息が荒くなる。今までで一番の恐怖に襲われているのが分かった。

 そりゃあそうだ、人が鬼に敵う道理などない。捻り潰されて終わりだろう。

 だが、

「やらない訳には、いかねぇよな…!」

 オレは身構える。それを見て勇儀が嘲笑う様に言った。

「へぇ…アンタらもしかして勝てるつもりでいるのかい?」

「へへ、百年は早いわ!」

「全く…今度は綺麗に頼みますよ」

 向こうもやる気満々の様だ。骨が粉砕される事くらいは覚悟しておいた方がいいかもな。

「私はあの酒呑みをどうにかするわ」

「じゃああの赤角を」

「…まあ、誰が相手でも危険な事は変わらないか」

 ここからは三対三の一騎打ち…。

 師匠…アンタにオレの作戦が伝わっている事を祈るぜ。

 

 そして次の瞬間―両者は激突した。



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師匠の威厳

「がはっ!」

 身体に痛みと衝撃が伝わる。

 オレは吹っ飛ばされ、地面をごろごろと転がった。

「もう終わりですか?」

 オレの相手―茨木華扇はにこりともせずにそう言った。まだまだ余裕の様だ。

「流石は鬼ってところか…一撃が重い」

「貴方はよく頑張りました。でも私には勝てませんよ」

 戦闘開始から十分程しか経過していないのに、オレの身体はボロボロだ。人と鬼の違いを思い知らされる。

 だが、こんな所でくたばる訳にはいかない。

「はあっ!」

 オレは立ち上がり、華扇に殴りかかる。

 美鈴師匠との稽古でパワーもスピードも上がっている…筈だが悉く躱される。

「遅いですよ…」

 華扇の一撃を左腕でガードするが厭な音がした。良くてヒビか、最悪折れているだろう。

「くっ…」

「まだまだ行きますよ!」

 素早く、それでいて一撃が重い。ガードが次第に間に合わなくなっていく。

 遂に華扇の拳が腹に叩き込まれ、オレは先程食べた蕎麦を戻しながら地面に倒れた。

「あがっ…ぐぅっ…」

「もういいでしょう…諦めなさい」

「…まだだ。まだ諦めねぇよ…」

「呆れた…どうしてそこまでするんですか?」

 華扇が面倒くさそうな表情を浮かべて問う。

「お前には分からないだろうな…」

「…まあ、いいです。もうすぐ終わるのですから…」

 華扇が集中しているのが分かった。

 このままではいけない。

 考えろ…この状況を打破する術を…!

 

 …今のオレがアイツに勝つには、スペルカードを使うしかない。

 オレだけが使える一撃必殺を…叩き込むしかないのだ。

 ならば、今やるべき事は…。

 

「…My body is made of steel」

 オレは防御体制をとる。

「受けるつもりですか。いいでしょう…」

 華扇はまた連撃を放つ。それを受け止めながら、尚も考える。

 コイツの攻撃は一発一発が必殺だ。

 今は耐え切っているが、やがてやられてしまうのは目に見えている。

 後の事は考えずに、ありとあらゆる術を使ってコイツに勝つ必要があるのだ。

 

 イメージしろ。

 身体の中に有る回路。それに魔力を通して、起動させる。

 身体に溜まる痛みを燃料にして、回路を活性化させていく。

 極限まで自分を追い詰めろ。

 そして、その痛みを…!

 

「…耐えますね」

 華扇が呟いた。

「貴方がまだ諦めないと言うのなら―私も全力を持って貴方を倒しましょう」

 華扇の纏う雰囲気が変化する。

 オレは右腕の回路に魔力を集中させる。

 まだだ、まだ…!

 

龍符「ドラゴンズグロウル」

 

 華扇のスペルカードを回避する。それによって生まれた一瞬の隙を見逃さずに接近。

 懐から一枚の札を取り出す。

 そして、

「スペルカード発動!」

 

犠牲「カウンターフェイク」

 

 右腕の回路が爆発すると同時に、華扇の水月に強烈な一撃を叩き込む。

「あぐぁっ!」

 華扇は吹っ飛ばされ、近くの民家の壁にめり込んだ。

「よし…やった!」

 初めて有効打を与える事が出来た。このまま行けば倒せるかもしれない。

 そう思った瞬間、

 

「………あ、がぁっ!?」

 

 右腕に灼ける様な痛みが走った。

 無理も無い。魔力回路を暴発させたのだ…この位、当然の代償というべきだろう。だけど右腕は暫く動かせそうにないな…これで倒れてくれればいいのだが。

 然し、そんな願いを打ち砕く様に華扇はめり込んでいた壁から身体を引き抜き、口元から流れる血を拭いながら呟いた。

「やるじゃないですか…まさかここまで追い詰められるとは」

「ふざけんなよ…あれを食らって動けるのかよ…」

 右腕は使い物にならない。このままじゃまずい…!

「さて…全力で殺しにかかるので覚悟してください」

 今度こそ終わりか、そう思った時―。

 

「がぁっ!」

 何かがこちらに吹っ飛ばされてきた。華扇がそれを見て目を見張る。

「勇儀!?」

「ふざけんなよ…あのアマどんだけ強いんだよ…」

 勇儀は身体を起こしながら毒づく。

「何を言いますか。大して力は出していませんよ」

「師匠…」

 美鈴師匠が悠然とした足取りで歩いてきた。息一つ乱れていない。

「そんな事より…無銘さん、カウンターフェイクを使ったのですね」

「は、はい」

「あのスペルカードは自分が負ったダメージを倍にして、その衝撃を右腕に溜めて放つ技です。下手をしたら右腕が持ってかれるので、極力使わないように」

「はい…すいませんでした」

 頭を下げるオレに微笑むと、師匠は「少し下がっていてください」と言った。

「いや、でも…」

「たまには私にもかっこつけさせてください」

「…わかった」

 オレは大人しく下がった。カウンターフェイクの後遺症で戦えそうになかったからだ。

 それに…うちの師匠はとんでもなく強いから、任せても大丈夫だという自信もあった。

 

「さて…全力でいきますかね」

「調子に乗るんじゃねぇぞクソアマ!」

「行きます!」

 勇儀と華扇が美鈴師匠に飛び掛かる。

 パワーの勇儀とスピードの華扇。しかも二人は鬼だ。流石の師匠も苦戦する…と思われたが、

「片手で受け止めたぁ!?」

「そ、そんな!」

 師匠は勇儀の攻撃を右手で、華扇の攻撃を左手で受け止めていた。二人の表情に驚きが生まれる。

「大事なのは筋肉をどう使うかですよ…せいっ!」

 手を離し、隙が生まれた勇儀に一撃。そして直ぐ華扇に連撃を放つ。流れる様な動作だった。

 だが相手もタフだ。直ぐに起き上がった勇儀は背後を取り、力任せの蹴りを放つ。

「後ろがガラ空きだぞ!」

「…動きが単調すぎる」

 然し師匠はその動きを予想していたかの様に首を傾けて回避。伸ばされたままの勇儀の脚を掴み、華扇に向かって投げ飛ばした。

「ほい」

 二人は激突し、もつれ合う様に地面を転がった。

「もう終わりですか?」

「…テメェ、調子付いてんじゃねぇぞ!」

 華扇は気絶したようだが、勇儀は直ぐに起き上がり、師匠に拳を浴びせる。荒々しくもキレのある動作だ。

 師匠はその全てを受け止め、ニヤリと笑う。

「キレは良くなりましたが…その分雑さが浮き出ていますね。それじゃ私には勝てませんよ?」

 鬼の四天王と謳われる勇儀の拳を、全て受け止めるとは…確かにうちの師匠は弾幕勝負では目立った成績を残していないが、武道に於いては幻想郷最強と言っても過言ではないだろう。

 

気符「地龍天龍脚」

 

「アガァァァッ!」

 師匠のスペルカードを受け、勇儀は天高く舞った後落下して、動かなくなった。

「師匠…強すぎやしませんか?」

「ふふっ、久々に楽しめましたよ」

 美鈴師匠は清々しい笑顔でそんな事を言った。

 …オレはこの人に逆らうのはよそうと決意した。命が幾つあっても足りない。

 

「あら、終わったの?」

 そんな声と共に霊夢がやって来た。こちらも傷を負った様子は無い。

「ええ、これで終わりでしょうか…?」

 美鈴師匠がそう訊いた瞬間、

 

「ああ… ()()()()()()()()()()()

 

 異形の少女が、オレ達の前に姿を現した。

「ルー…ミア?」

 ソイツはルーミアの形をしていた。然し顔がある筈の部分からは黒い触手の様なものが幾本も飛び出しており、纏う気配もルーミアとは似ても似つかない、禍々しいものだった。

「こ、これは一体…!?」

「どうしたらこんな姿に……?」

 その場にいた者達の驚きを意に介さず、ルーミアは…否、ルーミアの形をしたバケモノは醜い声で嗤った。

 

「…全部喰ってやるよ!アハハハハハハハハハハッ!」



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絶対悪

 弾幕が飛び交う。

 ルーミアの姿をしたバケモノの強さは圧倒的だった。一撃が重く、異能殺しで防御しても右腕がもっていかれそうになる。

「うぐっ…」

 何度目かになる防御。腕はもう限界だ。それを見てか、美鈴師匠がオレに訊く。

「ちゃんと生きてますか?」

「…こんな状況で冗談を言えるアンタが羨ましいよ」

 だが師匠も、そして霊夢も余裕は無い。ひたすら攻撃を防ぎ、その合間に反撃を入れるのが精一杯だった。

「なんなのよアイツ…色々とおかしいわ!」

 それはオレも感じていた。ルーミアはこれまでのヤツらとは違い、狂気に呑まれ過ぎているような印象を受けた。姿形が異形なのもそのせいなのだろう。

「アハハハハハハハハ!ねえ!博麗の巫女って美味しいの!?華人って美味しい?中華の味するの!?そこの人間も美味しそう!まあ食べたら分かるかァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」

 完全にイカレている…前に会った時はこんな風では無かった筈だ。

 …もしかしたら、ルーミアをこうさせているのは異変の黒幕かもしれない。そうでなければこんな異形に成る筈が無い。

「早く食べさせてよォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!テメェらの肉とか骨とか血とか全部私に寄越せェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェッ!」

 ルーミアが吼える。それを見た美鈴師匠はルーミアを見据えたまま言った。

「無銘さん、霊夢さん…私が注意を引き付けます。と言っても長く持ちそうにはありません…その間に、起死回生の一手を!」

「し、師匠!?」

「…信じて、貴方に命運を預けます」

 オレが何か言うよりも早く、師匠は駆け出した。そのままルーミアにぶつかっていく。

 砂埃が舞い…それが晴れた時には、二人の姿は無かった。

 

「どうするのよ?」

 霊夢が訊く。

「今考えてる…けど、ありとあらゆるケースで人員が足りねぇ!」

 ルーミアを抑えられれば、何とかなる可能性はある。然しそれをするには人が足りない。

「そこに転がっている鬼は使えないの!?」

「満身創痍だよ!使う使わない以前の問題だ!」

「じゃあどうするつもり!?もう時間は無いわ!」

「オレに言われても…!」

 オレが頭を抱えたその時、

 

「―私ならどうかしら?」

 

 この場に似つかない、上品で呑気な声が聞こえた。

 空間に隙間が開き、一人の女性が姿を現す。固まるオレ達を他所に、女性―八雲紫は平然と言った。

「久しぶりね無銘…いや、赤坂蜥蜴」

「紫!?アンタ今まで何処に…って、誰よ赤坂蜥蜴って」

「オレの()()だ。んな事どうでもいい…それより紫、アンタのおかげで最善策が取れそうだ」

「最善策?」

 紫が居るなら、この方法を取れる。

 オレは言った。

 

「オレの精神とルーミアの精神を繋げて、ルーミアの中に行く」

 

 霊夢が驚いた様に目を丸くした。

 紫が真剣な目付きになり、それと同じくらい真剣な声色で問う。

「貴方…本気?正気で言っているとは思えない…」

「ああ、本気だ」

「…戻って来れなくなるかもしれないし、最悪両方の人格が壊れる……そうなったら貴方、地獄を見るわよ?」

 即ち、最高のハッピーエンドか最悪のバッドエンドかの二択って訳だ。

 でも、他に方法は無い。なら…。

「リスクは承知の上だ…それでもやるんだよ。ルーミアの苦しみを無くすには、これしかねぇんだ」

 ルーミアの苦しみ。

 それは、オレがよく分かっている。

 だからこそ、行くのだ。

「…頼む、行かせてくれ」

 紫に頭を下げる。

 彼女は暫し思案した後、ぼそりと呟いた。

「想像通り…いや、それ以上の莫迦ね」

「そいつはどうも」

「…すぐ準備は終わるわ。少し待ちなさい」

 紫はスキマを開き、作業を始めた。

 それを見て、オレは大声で叫んだ。

「師匠、もう大丈夫だ!」

 すると、美鈴師匠がよろめきながら戻ってきた。ボロボロで息も荒い。

「はぁ…なんであんなに強いんですか。ジリ貧で辛かったですよ…」

 と、その後を追うようにしてルーミアがこちらに突っ込んで来た。こちらは傷一つ負っていない。

「ナンカフエテル!オイシソウ!アッヒャハアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

「ルーミア…絶対助けるからな」

 オレは呟き、ルーミアの前に立つ。

「じゃあ、行くわよ」

 紫の声が聞こえた。オレは目を瞑る。

 そして。

 

 

 目を開けると、形容し難い空間に居た。無事成功した様だ。

 ルーミアの精神内は荒れていた。赤黒い光に満ちており、所々にヒビが入っている。そんな光景が果てしなく続いていた。誰がどう見ても、普通の精神状態では無い。

 そしてそこに―鎖で拘束されたルーミアの姿があった。厳密には彼女の心というべき存在なのだろう。

 鎖は右手で触ると砕けた。つまり異能的なものだという事だ。

 オレはルーミアを抱き抱える。意識は無いが呼吸はある。つまりまだ心は壊れ切っていない。

 不意に、足音が聞こえた。振り返ると、そこには一人の人間―いや、人間の形をした何かが居た。

 男とも女ともとれる何か…以前、夢で見た存在だ。

「よう…初めましてだな」

 ソイツは中性的な声音をしていた。一見無害そうに見えるが、コイツは…。

「…初めまして、だな…この異変の元凶さんよ」

 そう。

 ルーミアの中に居るコイツが、この異変の元凶だ。直感的にそう判断した。

「…どうやら、全て察しているみたいだな」

 ソイツは薄く笑った。

「ああ…テメェはゾロアスター教の悪神であり、絶対悪と謳われる存在…」

 その名は。

 

 

 ―アンラ・マンユ。



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最弱の英雄

「―答え合わせ、してやるよ」

 アンラ・マンユは薄い笑みを浮かべたまま言った。

 コイツはオレを試している。ここまで来たヤツがどんなものなのか、見定めようとしているのだ。

「…お前は自分の欲を消費する為に幻想郷に来た。そのターゲットに選んだのがルーミアだ。だが…アイツは人を食べたくないから我慢していた。ルーミアの欲はあまりにも膨大で、ルーミアから漏れて邪気として幻想郷に広まり、それを一定量吸収したものは狂気に呑まれ、自らの欲求に従って動くようになる…これがオレの出した結論だ」

 そもそも、他にも狂気に侵されたヤツはいるのに、何故ルーミアだけがあんな姿になっていたのか―その答えは、異変の発端がルーミアにあるからだ。

 加えて最初にオレと出会い、喰らった時ルーミアは泣いていた。食べたいのに食べたくない―その矛盾と戦っていたからだ。その時には既に、アンラ・マンユは標的をルーミアに定めていたのだろう。

「…正解だ。八雲紫が連れて来ただけはあるな」

 アンラは愉しそうに嗤った。

「なあ、もういいだろ?異変の元凶は暴かれて、お前はもう打つ手が無いはずだ。ルーミアの中から出ろよ」

「コイツの中、案外居心地が良くてな…出る気にならねぇんだ」

「だったら―追い出してやるまでだ!」

 オレはアンラに向かっていく。刹那―アンラの表情が変わった。

 愉しそうな顔から、狂気を帯びた顔に―。

 

「―来いよ愚者。オレにその覚悟を見せてみろ」

 そして。

 

 

 博麗霊夢は落ち着かない様子で辺りを歩き回っていた。

 無銘がルーミアの精神内に入って、もうすぐ一時間が経とうとしている。いくらなんでも遅過ぎると霊夢は思った。

「何かあったのかしら…」

「あの子なら大丈夫…と言いたいけれど、今回ばかりは流石に無茶かもしれないわ」

 紫は鋭い目でルーミアを見る。当然といえば当然の事だが無銘もルーミアも意識を失っており、目を覚ます気配もない。

 二人が不安を抱えたまま待っていると、不意に複数の足音が聞こえた。

「おい!無銘は大丈夫なのか!?」

「無銘くんは!?無銘くんはどこ!?」

 魔理沙とお空が息を切らしながら訊く。

「彼は…多分無事よ。今、ルーミアの中に居るわ」

 二人は神妙な顔になり、黙った。お空が無銘の傍に跪き、その手を握る。

 紫は意識を失ったままの無銘を見る。心無しか、彼の表情が苦しいものであるように思えた。

 

 

「あ…………が…………」

 赤黒い液体が飛散する。それはルーミアの精神内に満ちている光と混ざり合い、直ぐに判別がつかなくなった。

 戦闘開始から数分、オレは既にボロボロだった。

 人と神―その差は圧倒的だった。それでも抗おうとしているオレは誰がどう見ても負け犬で愚者だ。

「…お前、本当に人間か?」

 よろよろと立ち上がるオレに、アンラが呆れた様な表情で訊いた。

「自分の姿を見てみろ…傷が無い箇所は無いぞ?それにお前、両足のアキレス腱削がれてるのに何で立てるんだよ」

 マジで何者だ―そう呟くアンラの身体には傷一つ無い。

「…うる、せぇ………オラァァァァァァァァァァァァァ!!」

 オレは殆ど残っていない力を振り絞ってアンラに突撃していく。

 然し、

「あらよっと」

 捨て身の突撃はアンラに届かなかった。

「え」

 不意に、バランスを失い倒れ込む。

 遠くに誰かの腕が転がっていた。

「…あ、あぁ……」

 いや、違う。

 あれは―。

「オレの…腕」

 左腕が無くなっていた。あの一瞬で、アンラに削がれたのか。

「精神が強いのか、或いはただの莫迦なのか…そんな状態になって、何故まだ立てる?」

 必死に、右腕を伸ばす。

 這い蹲って、多分もう動けない。

 だけど、この腕が届けば。

 ヤツに触れさえすれば、きっと―!

 

「神であるオレから見ても…悍ましい」

 アンラが吐き捨てた。

「その強さ…狂気すら感じるぜ」

「強くなんかねぇよ…オレは弱い…」

 だから―色々なものを失った。

 だけど、それでも目の前にあるものだけは護りたいんだ。

 他の誰でもない、オレ自身の手で―。

 

「ふん」

 伸ばしていた右腕が引きちぎられた。

 最早悲鳴を上げる力も無い。

 ただ、呻く事しか出来ない。

「あぐ……がァ…」

「……ハハハハハハハハハハ!こいつぁ傑作だ!こんな哀れな姿になって、尚も抗おうとするなんてよ!」

 アンラの哄笑。

「全く、良く出来た愚者だよテメェは……実に滑稽だ!赤坂蜥蜴ェ!」

 それをぼんやりと聞きながら、オレは働かない頭でこの場に似つかわしくない事を考えていた。

 

(そういえば、前にもこんなことあったっけ…)

 

 

『お前には勝てねぇよ…楽になれ三下』

 

 ああ…。

 確か、外の世界に居た時の事だ。

 徹底的に打ちのめされ、自分の無力さを痛感した…そんな事が、あった気がする。

 あの時、確かにオレは弱かった。全てを投げ出して、楽になろうとした事もあった様な気がする。

 でも、オレは大切なものを護るために、戦う道を選んだ。

 たとえ、この命に代えても―そう誓った筈じゃなかったか。

 オレは…。

 

「…オレはもう、何も失いたくない…」

 そう。

 自分の身体なんて、どうでもいい。

 今は―ルーミアを助ける事が最優先だ。

 

 オレは立ち上がる。その動作はぎこちなく、両足で地面を踏みしめるまでに何度も血を吐いた。

「その身体でまだやるか…いいだろう」

 オレは前に進もうと藻掻く。それを哀れに思ったわけでもないだろうが、アンラはこんな事を言った。

「選択肢をやろう。オレに殺されるか、ここから逃げるか」

 …コイツは、一体何を言っているのだろう?

 なんて、馬鹿馬鹿しい事を聞くのか。

「………ハハハ…んなもん、決まってるだろ?わざわざ聞くんじゃねぇよ」

 それに―誰も死なずにこの状況をひっくり返す方法が、一つだけある。

 それは―。

 

「… ()()()()()()()()()()

 

「…はぁ?」

 流石の絶対悪もこれには驚いた様だ。怪訝そうな顔をしてオレを見る。

「ルーミアの中から出てきて、オレの中に来いって言ってんだよ」

 要はコイツがルーミアの中から出ればいいのだ。ならば簡単な事だ。

 移住―という訳でも無いが、アンラがオレの中に来れば問題は解決する。

「…お前、自分が何言ってんのか分かっているのか?」

「辛い思いをするのはオレだけでいいんだ。それにアイツは…ルーミアは、充分頑張ったよ」

 人を食べたいのにそれを我慢した。

 当たり前で、とても難しい事だ。

「アイツは!人間を喰うのが怖かったから一人で居たんだ!アイツの孤独が…お前に分かるか?」

「理解し難い感情だな。それだけの理由でアイツを助けようとするのか…赤の他人で、しかも人喰い妖怪なのに?」

「関係ねぇよ…アイツが人喰い妖怪だろうがなんだろうが関係無い。オレはただ、ルーミアを助けたいだけなんだ…苦しむ姿を、見たくないだけなんだ!」

「…バカめ。そもそもその取引はオレにメリットが無いだろう」

 確かにオレは無欲な人間だ。少なくとも自分で私欲を抑制出来る程度の理性はある。

 だが、

「あるさ…お前が喜びそうなのがな」

「ほう?」

()()()()()()()()()…それはお前にとってメリットなんじゃないのか?」

 それを聞いたアンラは笑いだした。

「ふふふ…フハハハハハ!そうだなお前はそういうヤツだった!」

 愉しそうに、笑い、嗤う。

「いいだろう赤坂蜥蜴…貴様のその選択、後悔するなよ?」

 

 

「一人は…怖いよぉ…誰か、助けて…」

 ルーミアは泣いていた。

 人喰い妖怪でありながら人を喰らう事を良しとせず、一人で居ようとした。

 だけど―一人は辛いし怖い。

 このままじゃ、厭だ。

 誰か助けて―そう泣いていた。

 

「ルーミア!」

 

 声。

 血塗れになり、ボロボロになりながら。

 無銘が必死に手を伸ばしていた。

 

「あ…」

「手を伸ばせ!」

 

 傷付きながらも、その目には光があって、

 

「お前を…助けに来た!」

 

 その声は、確かにルーミアに届いた。

 

 ルーミアが手を伸ばす。

 だけど、伸ばされた腕は届かない。

 

「届いて…お願い!」

 

 力の限り手を伸ばす。

 すると指先が触れた。

 あと少し、お互いに限界まで手を伸ばす。

 そして、

 

「掴んだ!」

 

 無銘の手が確りとルーミアの手を掴んでいた。

 

「……う、うわぁぁぁぁぁぁん!!」

 ルーミアは無銘にすがりついて泣いた。

「ルーミア…」

「怖かった…一人は怖かったよぉ…」

 泣きじゃくるルーミアを、無銘は静かに抱きしめる。

 もう一人じゃないと、呟きながら…。

 

 

 こうして、後に「狂気異変」と呼ばれる事になる異変は幕を閉じた。

 これからどれだけ険しい道を進む事になるのか―身体の痛みによってぼんやりした意識の中でそんな事を考えながら、オレの意識は静かに落ちていった。




次回、1章最終話です。


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担う背中

1章最終話です。


 異変解決の翌日、博麗神社で宴会が開かれた。

 

「えー、皆さんお手元にコップは行き届いたでしょうか?」

 魔理沙が皆に向かって訊く。既に全員コップを持っており、その瞬間を今か今かと心待ちにしている。ちなみに飲み物は大半が酒で、オレだけジュースだ。

「では…異変解決を祝して〜か〜んぱああい!」

『かんぱーい!』

 次の瞬間、溜まったものが爆発したかのような勢いで場が賑やかになった。

「元気だなぁあいつら…」

 元気というより馬鹿なだけかもしれないが。

「貴方はお酒飲まないの?」

 そんな声がしたので振り向くと、アリス・マーガトロイドが酒のコップを手にしたまま立っていた。ちなみにこの場には異変に関わってない連中も大勢居る。宴会と聞いてやってきたらしい。

「いや、オレ未成年だし」

 幻想郷に未成年という概念が有るのかは分からないが、酒が絡むと大抵ロクな事にならないので自粛していた。

「この宴会の主役も貴方なのになんでそんな端っこの方にいるのよ…」

 アリスが呆れた様に訊いた。

「苦手なんだよこういうの…って、いてぇ!」

 突然何かが突っ込んできて、オレの腹に激突した。見るとそれは…。

「わはー!」

「る、ルーミア?」

「お礼を言いに来たのだー!助けてくれてありがとうー!」

「おう、助かったならよかった」

 ルーミアは嬉しそうに笑う。この笑顔を守れて良かったと、心から思う。

「それで…ね」

「ん?」

 なんだコイツ?顔が赤いぞ?

「ふふ…」

「……ってルーミアさん?なんで抱きつこうとするんです?」

「こうするのがお礼じゃないの?」

「んな事あってたまるか!礼儀作法を学び直せ!今すぐに!」

「でも、こうすると嬉しいんでしょう?」

「…おい、それ誰から聞いた?」

「スキマ妖怪さんからだよ?」

「あ の バ バ ア …」

 軽く殺意が沸いた。というかオレが女性恐怖症なの知ってるんだろアイツ。確信犯じゃねえか。

「今は私を見て?」

 頬を染めながらそんな事を言うルーミア。

 コイツ…場の雰囲気に酔ってやがる…でないとオレに女性が寄ってくるなんて事は無いはずだ…。

 というか寄って来られるのも困るのだ。女性恐怖症だから。

 そんな感じでうだうだしていると、今度は背中を叩かれた。アンラと戦った時の傷が癒えてないのに…不幸である。

「痛い!?」

「よう坊主!今回は世話かけたな!」

 勇儀が豪快に笑う。

「勇儀姐さんか…」

「まあ、飲め飲め!」

 そう言って自分が飲んでいた酒を渡してくる。これ断わったらぶっ飛ばされるな…。

「分かりましたよ…」

 渋々頷き、飲もうとするが…いやまて、これ間接キスじゃね?勇儀がニヤニヤしている辺り、コイツも確信犯らしい。

「どうした?なんか問題でもあったか?」

「問題しかねぇよ!」

 まさかこれも紫の差し金か…?アイツはオレを殺したいのか?

 と、そこで思い付いた。

(そうだ!華扇さんなら助けてくれるんじゃ?)

 するとオレの考えを読んだかのように勇儀が言った。

「ちなみに、華扇ならもう出来上がってるぞ」

「え っ」

 見ると、べろんべろんに酔い潰れた華扇がうわ言を呟いている。

「か弱い私を許して…」

「充分バケモノだよ!」

 か弱いなんてどの口が言うんだか…というかあの人鬼だよな?酒には強い筈なんだが…。

 その時、また腹に何かが激突した。

「ふにゃぁ…」

「うにゃぁ…」

 すっかり出来上がった吸血鬼が二人、オレの腹に頬擦りしている。

「コイツらもかよ…」

「何よ、カリスマが来てあげたんだから喜びなさい」

 ブレイクするカリスマも無いくせによく言うよ…。

「ねね、お兄様…ちょっと血が飲みたいの」

「悪い様にはしないわよ?」

「貧血にはなるだろ…」

 まあ少しくらいならいいんだけど。

「ねね、いいでしょぉ…?」

「血を吸われるの、気持ちいいわよぉ…?」

 血以外の何かも吸われそうだった。

「というかお前ら、酒臭いぞ…相当呑んだな」

 まあ今まで来たヤツは全員酒臭かった。アルコールの匂いが脳を刺激して、それだけで酔いそうだ。いくら宴会だからといってこんなに呑む事は無いだろうに。

 そんな事を思っていると、近くで底抜けに陽気な声がした。

「ほら呑め呑め!酒はまだまだ大量にあるぞ!」

 そんな感じで全員を扇動しているのは伊吹萃香(いぶきすいか)。多分というか絶対コイツが酒臭さの黒幕だ。オレは萃香の元に行くと、その赤ら顔を睨み付ける。

「萃香テメェ…呑ませ過ぎだぞ…」

「おお英雄!別にいいじゃないか…無礼講ってヤツだ」

 それよりも周り見てみろよと言って、萃香はニヤリと笑う。

 言われた通りに周りを見てみると、大勢の少女に囲まれてるではないか。

 

「…なんでオレ囲まれてんの?」

「どうやら酒がいい感じに回ったらしくてな…焚き付けたら悪ノリしてくれたよ」

「…つまり?」

「この宴会の男女比から考えて…お前、襲われるな」

「………………」

 

 シンキングタイム、3秒。

 そして、

 

「うおあああああああああああああああ!?」

 オレは叫びながら出せる限りのスピードで逃げ出した。

『待ちなさああああああああああああい!!』

 それを追いかける幻想少女達。何故か全員鬼の形相である。

「うるせえ追いかけてくるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 ドタバタと、やかましい足音を立てながら逃げ回る。

「お、鬼ごっこか?鬼さんも参加してやろう」

 酒を飲み干した勇儀がそんな事を宣う。

 鬼が一匹追加された。多分捕まったら命は無い。

「私も参加しようかしら?」

「絶対捕まえて血を吸ってやる!」

 吸血鬼二匹追加。最早カオスである。

 

 

 

 オレは外に出て、息を整えていた。空には満月が浮かんでいて、夜風が心地好い。

「さ、流石にここまでは追ってこないはず…」

 そう呟いて後ろを振り向いたオレは固まった。まだ追いかけてくるし何故か増えている。

「待ちなさい」だの「一緒に居ようぜ!」だの「血を吸わせろ」だの兎に角やかましい。

 普通の男にとっては天国だろう。然しオレは女性恐怖症…マジで逃げないと冗談抜きで死んでしまう。

「ま、マジで勘弁してくれえぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 オレは情けなく叫びながら、月明かりの下をただただ逃げ回った。

 

 

 逃げ回る無銘と追いかける幻想少女達を見ながら、八雲紫と西行寺幽々子は談笑していた。

「平和ねぇ…」

「そうね…まったりしていていいわぁ」

「今夜は月も綺麗だし、文句ないわね」

「ご飯も美味しいしね〜」

 紫は目を瞑り、呟く。

「ああ、こんな平和が……」

 

「―ずっと続けばいいのにってか?」

 

 突然、第三者の声が割り込む。

 驚いた二人の間に、いつの間にか一人の人間―否、人間の形をとった何かが居た。

「間失礼するぜ」

 男とも、女ともつかない声。

 今回の異変の元凶―アンラ・マンユは初めからそこに居たかのようにくつろいでいた。

「…………」

 二人が無言で戦闘態勢を取る。それを見て、アンラは目を細めた。

「安心しな。今宵のオレは機嫌がいい…それに、これは思念体だ。本体は赤坂の中に居るっての」

「…何の用?」

 警戒を解かず、紫が訊いた。

「バカ共の面を拝みに来たんだよ。思った以上に愉快な連中じゃねぇか…ククッ」

 アンラは本当に愉快そうに笑った。幽々子もまた、警戒を解かずに訊く。

「…ひとつ、聞かせなさい。貴方が無銘の中に居て、何が変わったの?」

「ん?オレはアイツに欲を送り込んでいるだけだが?」

 当たり前の様に、そう答えた。

「食欲、性欲、睡眠欲―即ち三大欲求と、攻撃欲…これを常に流しているんだよ」

「…そうすると、どうなるのよ?」

「まあ、簡単に言うとよ…今の赤坂は常に何倍も食べ、常に誰かを犯したく、ありとあらゆる時間に睡魔に襲われていて…そして、常に誰かを殺したがっている」

「そ…それって…」

「ちなみに、今も欲は流れている…食欲はまあ解消出来ただろうし睡眠欲は寝れば消える。問題は後の二つだ」

 アンラは愉しそうに口角を吊り上げた。

「ヤツは今、女に囲まれてさぞかし興奮してるだろうなぁ…もしかしたら、全員犯された後殺されるかもしれねぇな」

「…………」

 紫の目が鋭さを増す。アンラはそれを見て、益々笑みを深くした。

「… ()()()()()()()()()()()()()()()?」

「ええ…貴方の話が本当なら、彼は有害という事になる。もしそうなら…排除しないといけない」

「…だがヤツはこうなる事を計算に入れていたようだ。まあ、無計画だった可能性もあるが」

「………?」

「ヤツは、欲を制御出来ている。単なる痩せ我慢かもしれんがな…お前らにはそれが出来るか?」

 アンラの話が本当なら、無銘の「欲」はとてつもないものという事になる。それを我慢するには、多大なる精神力が必要になる筈だ。必死に耐えている彼を、一瞬でも排除しようと思うなんて…。

 紫が唇を噛む。幽々子も俯いた。

「やっと事の重大さが分かったか…ククッ」

 噛み殺すような笑い。

「なぁ…滑稽だと思わねぇか?助けたいってだけで人喰い妖怪を助け、傷付けたくないってだけで自分の欲を我慢する…面白いヤツだよ、本当に」

 馬鹿なヤツだとアンラは嗤った。

「…貴方、今すぐ無銘の中から」

「また異変を起こすがそれでもいいか?」

「……………」

 紫は黙り込む。アンラは二人に背を向け、呟くように言った。

「ヤツが絶対悪を背負っているのを、忘れねぇ様にする事だな」

 アンラは歩き出す。途中で歩みを止め、また呟いた。

「おっと忘れる所だった…最後に予言してやるよ」

 そして謳うように、呪いの言葉を紡いだ。

 

 ― ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ああ…生きているって素晴らしい。

 夢想封印とマスタースパークとスターボウブレイクが一斉に飛んできた時は、マジで生きた心地がしなかった。それでも逃げ切って今に至るのだが。

「生きているって、素晴らしい…」

 オレが口に出して生の素晴らしさを噛み締めていると、足音と共に聞きなれた声がした。

「こんな所に居たの?」

 ハッとなり振り返ると、お空が夜風に髪を靡かせながら立っていた。

「ごめんごめん…驚いた?」

「無茶苦茶ビビったわ…」

「あはは!」

「ったく…」

 それから、しばらく無言で二人で月を眺めた。

 

「無銘くん…辛くない?」

 不意に、お空が言う。

「…へ?大丈夫だけど…」

「私ね、分かっちゃったよ…無銘くんの事。少しだけだけど」

「………?」

「さとり様達を助ける時は最前線に立っていて、紅魔館の時は皆を庇って死んじゃって…勇儀姐さん達を助ける時も無理してたでしょ?」

 悲しそうに、言葉を紡ぐ。

「ルーミアちゃんを助ける時も…楽には終わらなかったよね?」

「………」

「私は…賢くはないけれど、無銘くんが傷付いている事は…分かるよ?」

 泣きそうな顔で、オレに向かって言う。

「だから…辛い時は、私を頼ってほしいな…」

「………」

 コイツは。

 オレなんかの為に、ここまで言ってくれるのか。

「…別に大丈夫だよ。傷付いてもいないし、辛くもないから…」

 口から出たのは、偽りの言葉。

 ここでお空に甘えたら…ダメだと思って吐き出した言葉だった。

「本当に…?」

「ああ、本当に辛かったらちゃんと頼るから…」

「………良かった…」

 本当に安堵した様に、お空は息を吐いた。

「ほら、オレももう少ししたら戻るから先行きな」

「うん!また後でね!」

 お空は笑顔になると、宴会場へ戻っていった。

 それをぼんやり眺めていると、また誰かの足音。振り返ると、アンラがこちらに歩いて来ていた。

「お前さぁ…ずっと嗤ってたろ」

「いやぁ…あまりにも滑稽でな」

「ったく…」

 アンラは一転して真剣な顔になる。

「何故、打ち明けなかった?」

「…アイツは優しいからな。打ち明けたら、多分どうにかしようと思うだろう。それじゃあダメだ… ()()()()()()()()()()()()()

 英雄が救われちゃせわしないだろうとオレは言った。

「違いねぇな」

「だろ?」

「…ククッ」

「…ふふっ」

 夜空に、悪神と愚者の笑い声が吸い込まれていく。

 これから、一体いくつの死線を潜り抜ける事になるだろう…そんな事を思いながら、月を見上げる。

 今日は満月。オレが幻想入りした時は、どうだったっけ?…考えてみても、思い出せなかった。

 宴会場から誰かが呼んでいる。

 オレは軽く手を上げて、仲間の元に戻っていった。

 




如何でしたでしょうか?
動画版ではもっと賑やかに、かつカオスな最終話となっております。是非、そちらもご覧下さい。
次回から1章EXを始める予定です。この作品の、もう一人の主人公の話となります。
それでは、次回以降もよろしくお願い致します。


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1章EX「Bloody song」
生き残り


1章EX、開幕です。


 視界に映るのは、瓦礫と人間の死体だ。

 死の気配が色濃く残る廃墟―そこは、もう終わっている場所だった。

「…一足遅かったか」

 血溜まりの中に立つのは一人の男。背が高く、長い髪を乱暴に括っている。その瞳からは、目の前の惨状に対する感情は読み取れない。

「研究所は崩壊して、辺りには血腥(ちなまぐさ)い匂いと屍の山か…無駄足だったみたいだな」

 舌打ちをして、男は外に停めてあったバイクの方へと歩きだそうとする。終わってしまった場所に、用は無い。

 その時―微かな物音。瓦礫を掻き分けるような音の後、ちいさな呻き声が聞こえた。

「ううっ…」

「あ?」

 男は振り返る。自分の少し後ろから、小さい人影が姿を現した。

 まだ幼い。金髪にエプロンドレスという出で立ちの少女だ。彼女は男の側まで近付くと、弱々しい声で「助けて…」と呟き…そのまま倒れ込んだ。

「んだよ。生存者がいんのか…おいガキ起きろ。状況説明しやがれ」

 そう言って少女の頬を何度か叩く。少女は弱々しく目を開けて、掠れた声で言った。

「お姉ちゃんを…助けて…」

 そしてまた目を閉じる。それを見て、男は面倒臭そうに溜息をついた。

「わざわざ眠い中出てきたってのに…まあいい、連れて帰るか…」

 男は少女を担ぐと、今度こそ停めてあったバイクの方へと歩き出した。

 

 

「うっ…」

 呻き声と共に、目を覚ます。

 目を開けると、瓦礫の山ではなく、どんよりとした空が見えた。

 自分は高速で移動している。喧しい排気音と風を切る感触から、バイクの後ろに乗せられていると分かった。

「あ…れ、わたし、なんで外に…」

 霞んでいた思考が纏まると同時に、先程助けを求めた男の事を思い出す。彼は自分の前で、バイクを運転していた。

「クソが…マジで死体しかねぇな…」

「あ、あの…」

 おずおずと声を掛けると、男は器用に運転をしながら訊いた。

「やっと起きたかガキ…この状況説明しやがれ」

「わ、私も何が起きたか…」

 覚えているのは悲鳴と爆発音だけだった。

「…テメェが唯一の生き残りだ。生物兵器研究支部は半壊して、人はテメェ以外全員死んだ」

「………!?」

 生物兵器研究支部。

 確かに自分はそこで「何か」に遭った気がする。

 だが、まさか自分が唯一の生き残りだとは…。

「あそこで研究していたのは…闇喰いか。大方、実験途中に暴走したんだろう」

「多分…」

 闇喰いという言葉を聞いて、息苦しさを覚える。それのせいで、自分達の人生は狂わされたのだ。

「…そういやテメェ、名前はあんのか」

 不意に、男が訊いた。

「エレンです…あなたは?」

「オレに名前はねぇ…識別番号ならあるが」

 識別番号という事は、彼もあの研究所に居たのだろうか。

 いや、そんな事よりも…。

「…名前が無いなら、私が決めてもいいですか?」

「…勝手にしろ」

「じゃあ……ザクロってどうですか?」

「はぁ?」

「あなたの右目、柘榴みたいに綺麗だから…」

 男の目は左右で色が異なっていた。左目は灰色で、右目は鮮やかな赤色だ。…血や、柘榴を思い起こさせる、綺麗で禍々しい色。

「…好きにしろ」

 男は興味が無さそうに言った。

「はい!ザクロさん!」

「…フン」

 男―ザクロは鼻を鳴らすと、バイクの運転に集中しようとする。その背中に、エレンは声を掛けた。

「あの…ザクロさん。もう一つだけ、お願いがあるんです」

「…あ?」

 私の大切な人を…。

 

 

「…姉を、助けて下さい」




動画版との相違点として、喰種という単語は全て「闇喰い」に変更されています。
敵としてグールを出す場合は、「食屍鬼」と表記する予定です。
よろしくお願いします。


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進撃

「…姉を、助けてください」

 エレンの言葉に、然しザクロは首を横に振った。

「…断る。必要が無い」

「そんな!?」

「そもそもオレはお前を助ける為に彼処に行った訳じゃない。お前はたまたま救われただけだ。姉まで助ける道理は無い」

 ザクロの無常とも言える言葉に、エレンの顔が悲しそうなものに変わっていく。

「…だが、テメェが一人で行った所で、虫一匹殺す事は出来ねぇだろう。それに、確かにめんどくせぇがオレの目的を果たすのには都合がいい。だから、手を貸してやるよ」

 ザクロがそう言うと、エレンの顔が一瞬にして明るいものに変わった。

「…ありがとうございます!優しいんですね」

「誰が優しいだブッ殺すぞ!」

 ザクロは鋭い目でエレンを睨みつけるが、彼女はにこにこと笑ったままだ。

「……チッ。とっとと後ろに乗れ」

「はい!分かりました!」

 エレンがバイクの後ろに乗る。ザクロは「クソが…めんどくせぇ」と一言悪態をつくと、バイクを発進させた。

 

 

 バイクを走らせながら、ザクロはエレンに訊いた。

「で、何処の研究支部だ?」

「ここから西の研究支部です」

 生物兵器の研究支部は至る所に存在する。ザクロがエレンと出会った廃墟より少し遠い支部…そこに、エレンの姉が居るとの事だった。

「そうか…姉の話を聞かせろ」

 ただ走っているだけでも退屈なので、エレンの姉の話を聞く事にした。

 エレンは快く承諾し、姉の話を聞かせてくれた。

 

 

 私達は元々、ドイツの出身なんです。ある時に襲撃されて、ここに来る事になりました。

 ザクロさんもあの研究所に居たんですよね?…なら分かると思うんですが、私達は連れて来られた際に、様々な生物・異能兵器に対する適性を調べられました。その時に、姉が闇喰いに対する適正値が異常に高い事が分かったんです。研究所の人の話では、収容されている被検体の中で二番目に適性があるとの事でした。

 …一番高いのはどんな人だったか、ですか…私はどの適性も低くて実験には余り関わらなかったので詳しく知っている訳では無いですが…確か、No.0809という被検体でした。最初はその人をメインの被検体として実験を行っていたようです。

 でもある時、0809が脱走したという噂が流れました。職員達は直ぐに事実確認を行い、0809の脱走を認めました。

 それは、私達にとっては悪い事でした。だって…そのせいで、二番目に適性がある姉がメインの被検体として扱われる事になったんですから。

 

 …ザクロさん?どうしました?

 あ、はい、続けますね…。

 

 …私が居た研究所は、姉の暴走によって壊滅しました。

 姉は西の支部に護送されて…今も幽閉されています。

 

 …なんでそこまで姉にこだわるか、ですか。

 それは…私にとってたった一人の家族だからです。両親は襲撃された時に死んで、私には、姉しかいない…だから私は、姉を助けたいんです。

 

 

 エレンの話が終わる頃、バイクは研究支部へと到着した。

 入口に見張り等は居なかったが監視カメラが設置されていた。なのでザクロは適当な場所の壁を破壊し、中に入った。

「あっさり入れたな」

「…思い切り壁壊してましたよね?」

 ザクロは平然としているが、エレンは不安なのだろう。先程からしきりに周りを見渡している。

「さて…」

 ザクロが行動を開始しようとした時、どこからともなく犬の唸り声が聞こえた。…否、犬では無い。それは何処か怪物の咆哮に似ていた。

「あ?」

 コンピューターが立ち並ぶ部屋の奥から、二匹の犬―正確には犬型の生物兵器だが―が姿を現す。

「生物兵器…!」

 エレンが驚き、身を竦ませる。

「放し飼いにしてんじゃねぇよ…ったく」

 ザクロは冷静そのものだ。生物兵器はエレンよりザクロの方が狙い易いと判断したらしい。唸り声をあげながらザクロに飛び掛かり、首筋に牙を突き立てた。

「ザクロさん!?」

 エレンの悲鳴。

 首筋を牙で貫かれたザクロは血飛沫をあげながら倒れる筈だった。

 然し、

「え…ええっ!?」

 エレンは困惑した声を上げた。

 無理も無い。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「手間かけさせやがって…」

 ザクロはそう呟くと、何事も無かったかのように歩いていく。

 エレンはその背に追いつき、訊いた。

「な、何をしたんですか!?」

「何って、コイツらがオレに突っ込んできて自滅したんだろ?」

 確かにそうだ。

 だが、明らかにおかしい。攻撃した方がダメージを受けるなんて…。

 エレンが言葉に詰まっていると、ザクロは「行くぞ」と言ってまた歩き出した。

「は、はい!」

 エレンは慌ててその背中を追いかけた。

 

 歩きながら、ザクロは思った。

(あの()()()()は確実にここに居る…必ず見つけ出して、血祭りに上げてやる)

 

 …前を見据えて歩く彼の目には、(くら)い執念の様なものが宿っていた。



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完成した悪魔

「マッド支部長!」

 生物兵器研究支部、その研究区画の最奥に、一人の兵士が入ってきた。

 ガスマスクに軍服と言った出で立ちの男は手に銃を持っている。然し、それがある事を忘れているかのように、酷く狼狽していた。

「何〜?この忙しい時に〜?」

 マッドと呼ばれた男は、どうやら科学者の様だった。白衣に丸眼鏡の優男という身なりをしているが、口調は軽薄なものだ。

「侵入者です!」

「兵を出せ。それでいい」

 兵士とは対照的に、マッドは楽観的な口調で答えた。

「それが…既に全戦力の七割は壊滅。研究区画の六割まで侵入されている状態でして…」

「はぁ?何言ってんの?何のための兵士だよ…折角研究資金の半分をお前らの為に投資しているんだからもっと働けよ…君ら魔獣に変えちゃうよ?」

 兵士の言葉に、マッドは呆れたような声を出す。

「は、はい!申し訳ございません!」

 兵士は先程よりも慌てた様子で一礼すると、部屋を出ていった。その様子を一瞥してから、マッドは眼前にあるものをうっとりと眺める。

「さて…そろそろ実験も最終段階だ。もうすぐで、僕の目的が達成される…」

 マッドの目の前には、天井までの大きな筒型の容器があり、そこには一人の少女が沈んでいた。

 少女を見ながら、マッドは乾いた笑い声を上げる。

 …哄笑が、研究区画に響き渡った。

 

 

「撃て!撃てぇぇぇぇぇぇッ!!」

 絶叫と銃声が場を満たす。

 兵士達が持つ銃から殺意と共に放たれた銃弾は―一瞬の後、発砲した主を貫いた。

「作戦も無しにバカスカ撃ちやがって…」

 ザクロはぼやきながら、只管銃弾を跳ね返していく。軈て、銃声は完全に止み、辺りには事切れた兵士達の死体が無数に転がっていた。床は彼らが流した血で真っ赤に染まっている。

「おいガキ、被弾してねぇだろうな?」

 ザクロは彼の後ろに居るエレンに訊いた。彼女は目の前の惨状に真っ青になりながらも、「大丈夫です…」と頷いた。どうやら傷は負っていないらしい。

「なら進むぞ」

 ザクロは自分が起こした惨状に何のリアクションをするでも無く、淡々と言うとさっさと歩いて行ってしまった。

 エレンは何とか彼の背中を追いかけた。

 

 

 その後も度々兵士や生物兵器の襲撃に遭ったが、彼らがザクロの前に立っていられたのは一瞬の事だった。ザクロからしてみればいい迷惑である。

 そんな感じで淡々と進んで行き、遂に研究区画の最奥に辿り着いた。

 見るからに研究所という雰囲気の場所だ。実際研究所なのだが。

 そして―そこに、一人の男が立っていた。ザクロを見ると、嬉しそうに醜悪な笑みを浮かべる。

「やっぱり君か〜!」

「……ッ!この人は…!」

 エレンが身体を震わせ、男を見る。彼はエレンに構わず、ザクロに視線を注いだまま言った。

「久しぶりだねぇ…No.0809」

「えっ…ザクロさんが0809!?」

 エレンが驚いてザクロを見る。ザクロは顔を顰めて、男―マッドに言った。

「今のオレは0809じゃねぇ。ザクロだ」

「おっと、これは失敬…それでザクロ君は何の用があって戻ってきたんだね?」

 マッドの問いに、ザクロは薄い笑みを浮かべて答えた。

「… ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 マッドは笑みを深める。

「うんうん、君は僕が作った一番の失敗作だからね〜」

「無駄話はいい。完成品を鎮圧した後テメェを殺してやるから楽しみに待ってろ」

「おお、怖い怖い。では始めようか…エリスちゃーん!」

 マッドがそう叫んだ瞬間、彼の後ろにあった筒型の容器が破壊され…そこから、一人の少女が姿を現した。

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」

 少女は嗤う。その姿を見て、エリスが叫んだ。

「お姉ちゃん!」

「…ソイツが完成品か?」

 ザクロがマッドに問うた。マッドは大仰に手を広げ、歌う様に叫ぶ。

「ああそうさ!君とは違う…完成した悪魔だ!」

 エレンは変わり果てた姉―エリスの姿を見て崩れ落ち、涙を零す。

「お姉ちゃん…」

 その前に、一つの影。見るとザクロがエリスの方を、真剣な目付きで睨んでいる。

「…おいクソガキ。さっきヤツが言った通り、オレが0809だ。テメェの姉がこうなったのはオレの所為…だから、責任は取る」

 ザクロはエレンの方を向き、薄く笑んだ。

 

「…テメェの姉貴、助けてやるよ」



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姉妹

「まだまだ!血が足りないぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!」

 戦闘開始から数分後、エリスの攻撃は益々苛烈さを増していた。

 だが、その攻撃はザクロに届かない。寧ろ合間に反撃されていた。

 骨が砕ける音と肉を突き破る音が辺りを満たし、清潔な研究区画はエリスの血によって汚されていく。

 然し、エリスは笑みを浮かべながらザクロに攻撃を加える。それに加え、傷を負った身体が少しずつ再生しているようだ。

 つまり、戦闘は膠着状態に陥りつつあった。

「コイツ…頭おかしいだろ」

 エリスの攻撃を弾き返しつつ、ザクロがぼやく。

「何回骨砕いたと思ってんだ…」

「死ね!死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」

「訂正だ…人間性からして狂ってやがる…」

「アアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァ!」

 再び、エリスの攻撃。普通の人間ならば木っ端微塵になる程の一撃は、然しザクロに届かず反射する。

 自分の攻撃に骨を砕かれ、肉を裂かれながらもエリスは狂気的な笑みを崩さない。

 …その姿は、正しく悪魔そのものだった。

「学習しないヤツだな…オレに攻撃は届かねぇよ」

「ァァ…?」

 エリスは攻撃の手を止める。だがそれは一瞬の事だ。直ぐにまた激しい攻撃が飛んでくる。

 イカれた、悪魔の様な笑い声と共に。

「アッヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」

 その笑い声を喧しいと思ったのか、遂にザクロがキレた。

「…うるせぇんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」

 エリスから放たれる攻撃を、今度は全て明後日の方向へと跳ね返す。

「さっきからテメェ…何がしてぇんだ?」

「血を寄越せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

「うるせぇ!」

 再び反射。それはエリスの足に当たり、僅かとはいえ彼女の動きを止めさせた。

「アハハハハハハハハハハ!」

「お前に聞いてねぇよ…悪魔。オレはエリスに用があんだよ…」

「くひひひひ………」

 動けずに、それでも狂気に満ちた笑い声を発するエリスに、ザクロは問いかけた。

「テメェそのバカのままでいいのか?おい?」

「アヒャヒャ……」

 

「… ()()()()()()()()

 

 ザクロの言葉に、エリスの笑い声が止まった。

「オレみてぇなクズに頭下げた…あの妹はどうすんだよ?」

「あ…あう…」

 エリスの表情が、苦しげなものへと変わっていく。その視線はザクロの後ろ、心配そうに姉を見つめるエレンに注がれていた。

「テメェみてぇなヤツには有り余るなぁ…?」

 ザクロの脳裏には、「姉を助けてください」と自分に懇願するエレンの姿が浮かんでいた。

「あのガキがどれだけテメェを思っているのか、テメェには分からねぇだろうな」

 まさか、自分がこんな言葉を掛けるとは…自分の行動が自分で信じられなかった。

(別に罪滅ぼしでやっている訳じゃねぇ…)

 何故、オレはこんな事をしているのだろう。

 少し考えて、思い至った。

(腹が立つ…本当に()()()の言う通りになるとは…)

 かつて、大切なものを守る為に自分に挑んで来た少年。

 彼はザクロに打ち倒され、傷付きながらも最後にこう言ったのだ。

 

『いつかお前にも出来るさ…守りたいものが』

 

(ああ…そうだよクソッタレ。オレはコイツを、純粋に助けたいと思った…)

 その変化が、何を齎すのか。

 今のザクロには、分からなかった。

 

「私は…私は…」

 エリスは俯き、苦しげな声を上げる。

「お姉ちゃん!」

 その様子を見兼ねたのか、エレンが声を上げる。

「戻って来て!悪魔に打ち勝って!」

「エレン……」

「お姉ちゃんは私にとって、たった一人の家族なんだよ!お姉ちゃんが居なくなったら、私は…私は…ッ」

 エレンの声が涙を纏う。

 その言葉に、エリスの表情が変わった。

 悪魔のものから、人間のそれへと―。

 

「私は…悪魔なんかに負けない!またエレンと一緒に笑うんだから!」

 

「よく言った…後はオレに任せろ」

 ザクロがニヤリと笑う。するとその左目が、赫く染まった。

 右目よりさらに赤く、赫く染まった目。それは、暴力と惨劇の予感を内包した、禍々しい目だった。

 それからエリスに近付き、その身体に傷を付ける。

「あぁぁっ!」

 エリスは叫び声を上げ、その場に倒れた。

「お姉ちゃん!?」

「安心しろ、暴走を止める為に少し傷を付けただけだ」

 その一部始終をニヤニヤと笑いながら見ていたマッドが、乾いた音を立てながら手を叩く。

「流石だねぇザクロ君…エリスちゃんの闇を喰らい、暴走を止めるとは…」

「ここで終わりだ…オレもお前も」

 ザクロは白衣の科学者を鋭く睨み付ける。

「この因縁に終止符を打つ。どちらかが生き残り、どちらかが死ぬ…残された道は、それしかねぇだろ?」

「そうだねぇ…だが勝つのは僕だ。研究材料に殺される科学者なんている筈がないからね」

 マッドは白衣から一本の注射器を取り出し、中の薬品を自分の腕に打つ。

 瞬間、その身体が膨張し、マッドは異形のバケモノへと変貌した。

「さぁー…始めようか」

「はん…死ぬのはお前だ、マッド」

 それに応える様に、ザクロの腰からも赤黒いオーラの塊が飛び出し、尾の様な形に固まった。自分が蓄えた闇を、身体の外に出したのだ。

「バケモノ同士、仲良くしようぜ」

「君じゃ僕には、勝てないよッ!」

 マッドが異形の腕を振りかぶる。ザクロの身体を貫くはずのそれは、あっさりと反射されてマッドの身体を貫いた。

 傷口から、灰色の液体が零れ落ちる。マッドは自分に起きた事を理解出来ていない様子だった。

「……は?」

「それで終わりか?」

「き、貴様…何をしたァッ!」

「…そうか、テメェはオレの能力を知らねぇんだったなぁ…まあいい、それも一興だ」

 余裕の表情を浮かべていたザクロは、次の瞬間、ハッキリとした怒りを浮かべて叫んだ。

 

「何も知らずに死ね!マッド!」

 

 ザクロの尾が、マッドの肩を深々と貫き、抉った。

 だらしなく悲鳴を上げながら倒れるマッドを尻目に、ザクロは姉妹の方を見る。

 倒れた姉を、妹が優しく抱きかかえている。何故かその姿が、昔の自分と重なる様な気がした。

 それを見て、ザクロは思う。

(オレはあの姉妹を助ける事にしちまった…ほっとけなかったんだ、仕方ねぇだろ。だが、やると決めた以上はやる)

 

 ―これはオレの、みっともねぇ覚悟だ。



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未完成

 マッドの一撃は重く、壁を易々と壊す程のパワーを備えていた。

 そんな攻撃を、ザクロは尽く跳ね返す。マッドの攻撃は腕で殴りつけるというものだったので、自分で自分を殴っているという傍から見たら滑稽とすら思える光景が展開されていた。

「クソ…調子に乗りやがって…」

「まさかここまで腰抜けだったとは…正直期待外れだ」

「ぐ…調子に乗るなよガキぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!」

 振り回される腕は、然しザクロには届かない。それどころか尾でカウンターを入れられ、マッドは無様に転倒した。

「テメェは所詮その程度だったって事だ…」

 ザクロはマッドを嘲笑い、それから顔を顰める。

「人の身体勝手に改造しやがって…挙句の果てに自分の身体までバケモノにしちまうんだから滑稽だ。力に溺れた結果がこれとは、実に笑えねぇ話だな」

「失敗作如きが…偉そうな口をきくなァァァァッ!」

 マッドの咆哮。だがザクロは一切動じず、マッドの肩口に自分の尾を突き刺した。灰色の液体が、汚らしく飛び散る。

 その様子を呆然として見ていたエレンが、口を開いた。

「凄い…マッドを押してる…」

「アイツ、一体何者なの…?」

 隣で見ていたエリスも開いた口が塞がらないといった様子で呟く。

 そんな姉妹の前で、戦闘は佳境に入ろうとしていた。

 

「さて…フィナーレだ、クズ野郎」

 マッドは息も絶え絶えといった様子で地面に這いつくばっている。後一撃加えれば、決着はつくだろう。

 トドメとばかりに尾を振り上げたザクロだったが、

 

()()()()()()()()()()()()

 

 マッドの言葉に、動きを止めた。

「…何?」

「だってそうだろ?君は僕のお陰で強くなったんだ!」

 マッドは歪な笑みを浮かべ、言い放った。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?」

 その言葉を受けて、

 ザクロは、呟く様に言った。

「…ガキ共、自分の身は自分で守れよ?」

「え、ええ…?」

 いきなりの事に姉妹は困惑する。ザクロはマッドの方を向き、低い声で訊いた。

「母親代わりが…なんだと?」

「だからぁ…僕のお陰だって言ってんだろ!?分かったなら地面に頭擦りつけて土下座しろよ!『力をくれてありがとうございました』って言ってみろよ!」

「…テメェ如きが、アイツを語るな」

「なんだぁ?恩人をバカにされてキレたかぁ?」

「…お前、血祭り確定な」

 ザクロがそう言った瞬間、

 

 視界が白く染まり、

 次の瞬間には、瓦礫と灰色の空が。

 瓦礫には灰色の液体が大量に付着していた。

 それが自分から出たものだとマッドが気付くのに、かなりの時間を要した。

 

「が…ぁ…なに、が…」

「研究所をぶっ飛ばしてやった。絶望したか?」

 目の前に立つ悪魔が、淡々と言う。

「あ」

 研究成果が。

 僕の、世界が…。

「ああ…」

 口から溢れる声は、呻き声にしかならない。 

 そんな自分を見下しつつ、ザクロが口を開いた。

「さて、終わりだ…言い残す事はあるか?」

 それを聞いた途端、どうにも可笑しさを堪えきれなくなった。

 自分の世界が吹っ飛んだから?

 自分の末路が絶望しかないから?

 否―。

「ふふふ…貴様も忘れた訳じゃないだろうな…アレイスター様を」

 あの方が居れば、我らは…。

「… ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」

「…終わりだ」

 目の前の悪魔が短く告げた瞬間、その尾が自分の首を裁断していた。

 それでも最期まで笑みを崩さない。

 自分を殺した悪魔が絶望する姿を思い描きながら…。

 

 …マッドの意識は、そこで途絶えた。




次回、1章EX最終話です。


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姉妹と悪役

1章EX最終話です。


「はぁ、終わった…ガキ共無事か?」

 瓦礫の山の中に佇んだザクロがそう言うと、山の一部が爆発し、そこから何かが這い出てきた。

「…た、助かった…瓦礫に埋もれて死ぬところだったわよ!」

「まあまあお姉ちゃん…助かったんだからいいじゃない」

 姉妹は埃やらなんやらを被ってかなり惨めな状態になっていたが、とりあえず外傷はないようだ。

「さて、一頻り暴れてスッキリしたし、帰るか」

 姉妹の無事を確認すると、ザクロはさっさと歩き出した。その背中にエリスが抗議の声をぶつける。

「ちょっと!私達を置いていくの!?」

「テメェらのお家の事なんざ知らん…そういや、オレのバイクはどうしたんだっけか」

「えっと、瓦礫の下に…」

 瞬間、瓦礫の下が爆発した。ザクロが研究所を吹っ飛ばした際にバイクのガソリンに引火したらしい。

「…今、爆発したわよね?」

 エリスが唖然として呟く。

「はぁ!?おいふざけんなよ!オレのバイクゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!」

 ザクロは爆発のあった場所へとすっ飛んで行く。その様子を見ながら、エレンが姉と同じく、唖然とした表情で呟いた。

「あのバイク…高そうなやつだったもんね…」

「アイツ…本当に何者なの?」

「……」

 エレンが返答に困っていると、ザクロが戻ってきた。どうやら哀れなバイクが主人の手によってスクラップにされてしまったのは確定のようだ。

「クソッタレ…アレいくらしたと思ってんだ…」

 ザクロは明らかに落ち込んでいた。まあ表情はさほど変わっていないのだが、雰囲気が何時もよりダウナーなものになっている。

 姉妹は苦笑するしかなかった。

 

 

「さて…テメェらこれからどうするつもりだ?どうせ何も考えていなかったんだろ?」

 暫く時間が経過し、ショックから立ち直ったらしきザクロが姉妹に訊いた。

「あ…そういえば…」

「もう家には戻れないしね…」

 二人は複雑な表情で俯いた。故郷は遥か遠く、帰る家も無い。

「…」

 ザクロは目を閉じ、何かを考えているようだった。エレンは少し迷ってから、彼に訊く。

「…ザクロさん、参考までに聞かせて下さい…あなたは、なんで私達を助けたんですか?」

「何となくだ。理由は無い」

 嘘だ。ザクロは自分の意思で、彼女達を助けようと思ったのだから。

「…ザクロさん」

 そんな彼の心中を知ってか知らずか、エレンが柔らかく微笑み、口を開いた。

 

「…私達の、家族になって下さい」

 

 エレンの言葉に、エリスが驚きの声を上げる。

「ちょ、エレン!?」

「…正気の沙汰とは思えんな」

 ザクロもまた、信じられないという風にエレンを見る。然し彼女は微笑んだままだった。

「いいえ、私達を助けてくれたあなたなら信用出来ます。それに…あなたも独りでしょう?」

「………」

「独りなら、私達と家族になりませんか?」

 そう言って、エレンは無垢な目でザクロとエリスを見詰める。

「…私は支え合っていきたいです。お姉ちゃんも、それでいいよね?」

 エリスは暫く驚いていたが、やがてニヤリと笑って言った。

「いいんじゃない?面白そう!」

「テメェら…本気か?」

「お願いします!」

 いつの間にか、エリスもザクロを見ていた。

 姉妹の願いを受けて、ザクロは…。

 

「…少し距離があるが、昔住んでいた小屋がある。そこに行くぞ」

 姉妹の顔が輝いた。

「ありがとうございます!」

「楽しくなりそうじゃない!」

「はぁ…」

 ザクロはいつものようにため息をつく。

 だが、心中は晴れ晴れとしていた。

 

 そして、三人は新たな生活へと歩き出す。

 空を見ると、曇天から一筋の光が射し込んでいるのが見えた。




いかがでしたでしょうか?
ザクロの物語はこれからも続きます。いつか彼と無銘達が交差する時が来るかも…。

動画版だと次は1.5章なのですが、元の話が視聴者参加型の為、どうなるかはまだ未定です。
また読者参加型として書くのか、或いは全く別の話となるのか…そういった事はこれから赤蜥蜴氏と相談して決めていこうと思います。(読者参加型となった場合、活動報告の方でお知らせする予定です)
そのため暫く休載となりますが、再開したらまた見てくださると幸いです。
よろしくお願いします。


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番外編
満月の天使1〜月見で少女〜


幻想記屈指の名作「満月の天使」のノベライズです。
時系列は1章の姉妹逆転紅魔異変終了後です。
よろしくお願いします。


「……マスター、一つ訊いてもいいかい?」

 

「はい、なんでしょう?」

 

「…楽しかったのかい?終わる事が分かっていて…それでもマスターはあの時間を楽しいと思えたのか?」

 

「……ええ、とても楽しいと思えました」

 

 だって、私は―。

 

 

「ふぁ〜…眠い」

 月の綺麗な夜だった。

 何となく夜風に当たりたかったオレは、ぶらりと外に出て、ぼんやりと月を見上げていた。まあ、シチュエーションとしては悪くない。

 ただし、

「なんで腹がこんなに空いてるんだ…」

 確かに夕食から大分時間は経っているが…それにしても腹が空くのが早い。動き回っているからだろうか。

 そんな事を考えていると、背後から足音が聞こえた。振り返ると西行寺様が夜風に髪を靡かせながら此方に近付いて来るところだった。

「おろ?西行寺様?」

「あら無銘。眠れないのかしら?」

「まあ、そんな所です。昔からどうも寝付きが悪くて」

「そう…なら少し月を見ない?」

 言って、西行寺様は月を見上げた。綺麗な満月が、空にぽっかりと浮かんでいる。

「満月ですね」

「こんな夜には団子に限るわ〜」

「月より団子ですねわかります」

 相変わらずの西行寺様に苦笑。まあこの人はかなりの大食いだからな…妖夢はいつも大変そうにしてるし。

「貴方も食べる?」

 見ると、西行寺様はいつの間にか団子を食べていた。どこから出したんだそれ。

「…まあ、頂きます」

 団子を受け取り、食べる。そういえば久しぶりに食べた気がしなくもない。

「それにしても、綺麗な月ね〜」

「そうっすね…月はどこから見ても同じですからね」

「そうなの?」

「まあここの方が綺麗ですけど…幻想郷ですしね。高層ビルとかも無いし」

 実際、月は外の世界よりも綺麗に見えた。何も遮るものが無いからかもしれない。

 

「…あれ?あれは何かしら?」

 突然西行寺様が素っ頓狂な声を上げた。

「…ん?あれ?」

 その方向を見てみると…。

「女の子が空からゆっくり落ちてきてるわよ?」

「飛○石かよ!?」

 思わずツッコんだ。そんな天空の城めいた事がある訳ないと思ったが、実際空から女の子が落ちてきているのだ。

「ほら無銘!受け止めてあげなさい」

「わ、分かりました」

 腕を伸ばすと、女の子がふわりとそこに収まる。羽のように軽かった。

 まだ幼い子供のようだった。少なくともオレよりは歳下だろう。あどけないという表現がぴったり当てはまる少女は…まるで、天使の様だった。

「可愛いわね〜」

 西行寺様が女の子の顔を覗き込んで言う。と、その表情が悪戯っぽいものに変わった。

「さて、食べちゃうの?」

「なんでだよ!?ロリコンは悪友で間に合ってますよ!」

 西行寺様はニヤニヤと笑いながら「そういう事にしとくわ〜」と言って、それから元の気品のある表情に戻った。

「…とりあえず、寝かせてあげましょうか」

「そうっすね」

 オレは女の子を客間まで運び、布団に横たえた。

 …一瞬、何か懐かしい気持ちになったがその出処が何なのか、よく分からなかった。

 

 

 朝。

 オレが妖夢と木刀で稽古をしていると、「無銘さん…無銘さんは居ますか!?」という声が聞こえた。ちらりと見ると昨日空から落ちてきた女の子が駆け寄って来るところだった。

「…え?」

 一瞬そちらに気を取られる。そして妖夢がそれを見逃すはずも無く、鋭い一撃を放ってきた。

「はあっ!」

「うおっ!?」

 咄嗟に受け止め、鍔迫り合いの形になる。

 女とは言え、多分妖夢はオレより筋力がある、このままじゃ押し負けるのがオチだ…そう思ったオレはわざと力を抜き、素早く屈んだ。突然の事に妖夢がバランスを崩す…が、すぐ体勢を立て直すだろう。だが一瞬の隙さえあれば十分だった。

「おらぁっ!」

 気合いと共に、妖夢の脚に一撃を打ち込む。それで倒れた妖夢の鼻先に木刀を突きつけた…よっしゃ!一本取った!

「どうだ妖夢!オレだって上達して…」

 

 …ぶちっ

 

 妖夢の中で何かが切れた音が聞こえた…気がした。

 次の瞬間、

「スペルカード発動!」

「えちょ…スペカは反則だってぇぇぇぇ!」

 この後めちゃくちゃしばかれた。不幸だ…。

 

 

 少女は、妖夢のスペルカードを喰らって倒れている無銘を見て、慌てて彼の元に駆け寄った。

(大丈夫かな…ケガしてないかな…)

 少女の心中に渦巻くのは不安。そして…。

 

(やっとだ…やっと、無銘さんに…!)

 

 ―安堵にも似た、あたたかい気持ちだった。



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満月の天使2〜幸せの意味〜

「痛てて…本気出さないでくれよ…」

 妖夢にフルボッコにされたオレは、大の字で寝転がったまま空を見上げていた。というかスペルカードをまともに喰らって「痛い」で済むとは…いよいよ人間離れしてきたか?

「す、すみません…つい熱く」

 まあ、一本取れたし良いんだけどな…。

「む、無銘さん!大丈夫ですか!?」

 その時、聞き慣れない声がして、昨日助けた女の子が此方へと駆け寄ってきた。その後ろから西行寺様も着いてくる。

「お、おう…大丈夫だぞ」

「よかった…」

 オレが上半身を起こすのを見て、女の子は新底安堵したように胸を撫で下ろした。

「ってか、昨日の子だよな?なんでオレの名前を…」

「あ、えっと…それは…」

「私が教えたのよ」

 西行寺様が女の子の肩に手を置いて言った。

「おろ?西行寺様が教えたんですか?」

「あ、えっと…そうです!」

 女の子は口篭りながらも頷いた。なるほど、納得。

「そうか…いや、いきなり名前呼ばれたからちょっと気になってな」

「す、すみません…」

「いや謝ることは無いけど…」

 すると、やり取りを傍で見ていた妖夢が女の子に訊いた。

「えっと、貴女は…」

「私…私は、ハミリヤです」

「ハミリヤさん…いい名前ですね!」

 ありがとうございますと女の子…ハミリヤは微笑んだ。

 何となく、健気な子だなと思った。

 

「それで、ハミリヤはどうして空から?」

「えっと、それは…ひ、ヒミツです!」

「ヒミツか…まあいいけど、何かトラブルとかに巻き込まれてるなら言えよ?」

 そういったものじゃないですとハミリヤは首を振った。

「それより無銘さん、疲れてませんか?」

「そ、そうだな…確かに疲れてはいるけれど」

 ハミリヤはいきなり話題を変えた。何か、知られたくない事でもあるのだろうか。

「座っていてください!今、お茶を淹れますね」

「あ、私がやりますよ?」

「いえ、大丈夫です!」

「そ、そうですか…」

「はい!待っていてください」

 言うが早いか、ハミリヤは屋敷に戻っていった。

「な、なんなんだ…?」

「さ、さぁ…」

 オレと妖夢は目を丸くしてハミリヤの後ろ姿を見ていた。ただ一人、西行寺様だけが何処か真剣な目付きをしていた。

 

 

「お待たせしました!」

 暫くして、ハミリヤがお盆に湯呑みと急須、そして煎餅を載せて戻ってきた。丁寧に人数分のお茶を注ぎ、手渡す。

「どうぞ!」

「おう。ありがとう」

 一口飲んでみる。程よい温かさと緑茶の風味が心地良かった。

「うん、美味い!」

「本当ですか…!?」

 ハミリヤの顔がぱあっと輝く。

「ああ、ちょうどいい温度で飲みやすいぞ」

「嬉しいな…」

 ハミリヤは頬を少し赤くした。照れているのが見ていて分かる。

「むっ…」

「無銘頑張ってね私は逃げるわ」

 妖夢がむっとした顔をした瞬間、西行寺様が早口でそう言って素早く離脱した。

「え、なんで逃げるんすか…」

「無銘さん!私の茶菓子も食べてください!」

 妖夢が自分の分の煎餅をオレに半ば押し付けるようにして手渡してくる。

「へ?お、おう」

 貰えるなら遠慮無くいただくことにして、オレは煎餅を齧った。醤油の香ばしい風味が口に広がる。

「美味いぞ!」

「よかった…」

「む〜!」

 すると今度はハミリヤが頬を膨らませた。何か…二人で争ってる?

「あれ?あ、あの…」

「私のお茶も飲んでください!」

 ハミリヤはオレの湯呑みを掴み、急須からお茶を入れて渡してきた。

「わ、わかってるって…」

 すると妖夢が煎餅を差し出す。

「茶菓子も!」

「え?ちょ…」

『さあ!私のお茶(茶菓子)を食べて(飲んで)ください!』

 何故か声を揃えながら詰め寄ってくる二人。オレの目の錯覚じゃなければ謎のオーラが出ていてとても迫力がある。というか怖い。

 …どうしてこうなった?

 

 

 翌日。

 

「…今何時?」

「11時ですね」

「遅刻じゃねぇか畜生め!」

 オレは起きて早々バリバリと頭を掻き毟った。おかげで寝癖が増えまくって鳥の巣頭の一歩手前みたいな髪型になってしまった。

「どうして起こしてくれなかったのさ!」

「だって…起こすと迷惑かなって」

「優しい迷惑ですねありがとうございます!」

 妖夢にそう叫びながら増えた寝癖を押し込むようにして直し、飛び出そうとした瞬間、客間からハミリヤが姿を現した。

「どうかしたんですか?」

「冗談抜きで師匠に殺される!」

 師匠…紅美鈴は怒ると怖い。マジで殺される。まだ死にたくない。

「…行くんですか?」

「…行くしかねぇだろ」

「あ!私も行きます!」

 哀れみの籠った目でオレを見つめる妖夢と何も知らずにはしゃぐハミリヤの姿が対照的だった。

 とにかく、行くしかない。死刑執行三秒前の様な気持ちを抱えながら、オレとハミリヤは紅魔館に向かった。

 

 

 紅魔館。

「あの…」

「…何か言いたい事は?」

「遅刻してすいませんでした…」

 目の前には清々しい笑顔をオレに向ける美鈴師匠が居て、然しその口から吐き出される言葉は表情とは真逆な内容だった。

「さて、どうします?三つ選択肢を与えますから良く考えて選んで下さい」

 で、その選択肢というのが、

 

 1、妖精百連勝

 

 2、妖怪五十連勝

 

 3、フランと三戦

 

 …生かして帰すつもりは無いようだった。

 

「おい師匠!なんか忘れてない!?オレ、普通の人間!アイアム一般人!」

「なら私に二十連勝します?」

「妖精にケンカ売ってきますいや寧ろ売らせてくださいお願いします」

「い っ て ら っ し ゃ い」

 …という訳で、師匠の最大級の笑顔に見送られてオレは妖精に片っ端からケンカを売り、見事に危険人物扱いされたのだった。

 …不幸だ。

 

 

「行っちゃった…」

 ハミリヤは叫びながら物凄い速さで去って行く無銘の姿を見て目を丸くしていた。

「…そういえば、貴女は?」

「わ、私ですか?私は…」

「無銘の付き人よ」

 ハミリヤが名乗る前に、屋敷から出てきた人影がそう言った。紅魔館の主、レミリア・スカーレットである。

「お嬢様、付き人というのは?」

「そういう運命が見えたのよ」

「は、はぁ…」

 美鈴は曖昧な表情で首を傾げた。

「あの…私はどうすれば…」

「彼が帰ってくるまでゆっくりしているといいわ…咲夜」

「はい、お嬢様」

 レミリアが何も無い所に声を掛けると直ぐに紅魔館のメイド長…十六夜咲夜が姿を現した。

「彼女にお茶を」

「畏まりました」

 そう言うと、直ぐに咲夜は消えた。

「あの…」

「大丈夫、私には全て見えているわ」

「…え!?」

 それはつまり…自分がどんな存在なのか、分かっているという事なのか。

「貴女らしくすればきっと後悔しないわ」

 言われた言葉に、ハミリヤは俯く。

「じゃあ、私の限界はやっぱり…」

「…新月よ」

「そうですか…」

 分かってはいた事だが、それでも気持ちが沈む。

 私は新月までしか、あの人の傍に居れないのか…。

「…大丈夫、きっと大丈夫よ」

 レミリアが勇気づけるようにハミリヤの肩を抱いた。それで少し安心出来たような気がした。

「…はい」

 丁度その時、咲夜が戻って来た。

「準備が整いました」

「ありがとう咲夜、彼女を連れて行って貰える?美鈴、貴女も少し休みなさい」

「畏まりました」

「了解です」

 三人が館内に消えるのを見届けると、レミリアは呟くように言う。

「…何か用?」

「あらあら、バレてた?」

 その呟きに呼応する様に幽々子が現れる。

「…貴女、全部分かっているんでしょ?」

「勿論よ」

「…じゃあ、どれだけ悲しい結末になるかも分かっているのよね」

「それでも、ハミリヤには幸せになって欲しかったのよ」

「それは私だってそうよ!でもそれじゃ無銘は!」

 レミリアが語気を強めて幽々子に言う。幽々子もまた、真剣な目付きでそれに応えた。

「彼には…乗り越えてもらうしかないの」

「必要犠牲だっていうの!?」

「そうよ」

 幽々子は頷いた。

「それが、皆が幸せになれる方法よ」

 レミリアはまだ何か言いたそうだったが、それを収めて静かに呟いた。

「…そう」

「分かって、これが最善なの」

「…絶対間違ってるわよ。そんなの」

 それは、幸せとは言わないわ―レミリアはそう言うと、館内へと入っていく。

 幽々子も扇で口元を隠すと、背を向けて歩き出した。

 後には何も残らなかった。



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満月の天使3〜新月までのカウントダウン〜

 数時間後。

 オレはなんとか苦行を終わらせ、紅魔館へと戻ってくる事が出来た。本当に死ぬかと思った。

「お、帰ってきましたか。勝てました?」

「な、なんとか…」

 結論。

 チコク、ダメ、ゼッタイ。

 

「…大丈夫ですか?これタオルです」

「ああ…ありがとう」

 ハミリヤからタオルを受け取り、汗を拭く。そこに咲夜もやってきた。

「食事の準備出来てるわよ」

「お、サンキュー…腹減って死にそうだ…」

「あ、私運ぶの手伝います!」

「え?大丈夫よ?」

「やります!」

 やる気満々のハミリヤに気圧されるように「わ、分かったわ」と言って、咲夜は館内に戻っていった。ハミリヤがその後に着いていく。

 なんというか、甲斐甲斐しい…のだが。

「ん〜…」

「どうしたんですか?」

「いや…ハミリヤ、オレに妙に優しいような気がして…」

 オレの言葉に美鈴師匠もなるほどと頷いた。傍目から見てもそう映っているようだ。

「…まぁ、こんな事外の世界で言ったら周りから自意識過剰キモイ死ねという悪魔の言葉三点セットをプレゼントされるだろうな…」

「…外の世界ってそんなに厳しいんですか?」

「オレにとっては本当に生きにくい場所だったな…」

「何か、あったんですか?」

「……」

 

 思い出したくもない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()…。

 

「…無銘さん?」

「…本当に生きにくかった。無力で、何かを失う事ばかりだったからな…」

 

 もう嫌なんだ。

 オレの所為で、大切なものが失われるのは…。

 

 …大丈夫ですかという師匠の声で我に返る。どうやら自分は相当険しい顔をしていたらしい。

「…悪い、少し考え事してた」

「は、はぁ…何か私に出来る事があったら遠慮なく言って下さいね」

「…ありがとうございます、師匠」

 その時、咲夜の声が聞こえた。

「早く来なさーい!」

「そうだったメシだ!わかった!今行くー!」

 オレは先程まで渦巻いていたモヤモヤした気持ちを吹き飛ばす為に大声で返事をした後、美鈴師匠と一緒に館内へと入った。

 

 

 昼食後、オレは師匠と組手をしていた。と言っても殆ど実戦のようなものだ。

「はあっ!」

 師匠の顔面に拳を入れる。

 すかさずガードされる。だがそれは読んでいた。

「せい!」

 がら空きになった胴体に向かって一撃。下ろしてきた腕に防がれたが有効打にはなったようで師匠は顔を顰める。

「くっ…やりますね」

「うるせぇ!余裕のくせに!」

「余裕?余裕なんてありませんよ。そういう気持ちが仇になるんですからねっ!」

「知るかああああああああぁぁぁッ!」

 師匠の一撃を防ぐが腕が痺れる。

 その隙に能力を活かした波動弾(気弾?)を打ってくる。

 右手で殺し、再び拳を打ち込む。ガードされる。攻撃が来る。ガードする。攻撃する…その繰り返しだ。

 油断したらやられる。だから全力だった。

 真剣に、相手を打ち倒す事だけを考えて…組手はますます激しさを増したものになっていく。

 

 

 ハミリヤは無銘と美鈴の組手を見て言葉を失っていた。

「い、いつもこんな感じなんですか…!?」

「そうよ」

 レミリアは何でもないように頷くが、こんな激しい修行見た事がない。

「あ、危なくないですかこの修行」

「彼、タフだから大丈夫よ」

「そ、そうなんですか…」

 タフという言葉では済まされないような気もするが…。ハミリヤがハラハラしながら二人の稽古を見守っていると、レミリアが小さな声で言った。

「それで…話があるの」

「はい…なんですか?」

 薄々気付いてはいたが、ハミリヤはレミリアの話を聞くことにした。と、そこに3人目の声が割って入る。

「私もいるわよ〜」

「幽々子さん?」

「貴女、どうしてそこまで…」

 レミリアが驚いたように幽々子を見る。

「ええ…?」

 戸惑うハミリヤに、幽々子は言う。

「貴女は限定的に現世に来てるんでしょ?…だって貴女、もう死んでるもの…」

 ハミリヤの胸がちくりと痛む。

 そう…自分は、本来ここに居てはいけない人間なのだ。

「…はい、私は既に死にました。でも、閻魔様に頼んで、月のエネルギーを使って私はここに居るんです」

「つまり…月のエネルギーが満タンの状態から空っぽになるまで、貴女はここに居れるのね」

 月のエネルギーは満月の時に最も高まり、欠けていくにつれ減少していく。つまりハミリヤがこの場所に居れるのは満月から新月までの間だけなのだ。

「…はい、そうです」

 じゃあ、とレミリアが訊いた。

「新月になったら、貴女はどうなるの?」

「それは…」

 口篭るハミリヤに代わり、幽々子が言った。

「完全に消滅するわ」

「…えっ」

「新月になれば月のエネルギーは無くなる…それはつまり、この子をこの場所に留めているエネルギーが無くなるという事なの。…そして、エネルギーが無くなった瞬間…」

 

 ―ハミリヤという人間が…世界から消えるわ。

 

 レミリアは暫く絶句していた。

「…薄々感づいてはいたけれど…まさかそこまでとは…」

「…でも、分からないのよ」

 幽々子がハミリヤの方を向く。

「どうして貴女は、あそこまで彼にこだわるの?」

「それは…」

「教えてくれないかしら?」

 幽々子は真剣な目付きをしていた。ハミリヤが迎える結末を知っていて、それでも彼女を幸せにしたい…そんな気持ちが込められているように思えた。見ると、レミリアも同じ目でハミリヤを見つめている。

「…わかりました」

 ハミリヤは目を瞑り、昔の事を思い出しながら話し始めた。

 

 

「彼は…無銘さんは私を助けてくれたんです。彼は私の恩人で…だから、恩返しがしたいんです!」

 …今でも、鮮明に思い出せる。

 自分を助けてくれた人の、優しい笑顔と手の温もり。

 それが忘れられなくて、私は彼を探そうとした。名前も、住所も知らない、赤の他人である彼を…。

 でも、それは叶わなかった。私は死んでしまって、その機会を永遠に失った…はずだった。

 でも、奇跡が起きてこうしてまた彼と会う事が出来た。

 だから、私は…。

 

「…でも、消えるのよ?消えたらもう何も無いのよ?」

 レミリアさんが厳しい目付きをしながら私に言う。

「死んだらまた生まれ変われるけれど、消えたらそれで終わりなのよ!?」

 それは―分かってる。

 でも、

「生まれ変わってからじゃダメなんです!この私が…(ハミリヤ)のままの私がやらないと、意味が無いんです…そうじゃないと彼は忘れてしまうだろうし、それじゃ遅いんです」

 消えてもいい。

 終わってもいい。

 だけど、これだけは…。

「―だから、やるんです!今やるんです!例え私が消える事になっても、やらなければいけないんです!そうじゃないと彼は私を思い出さないだろうし、きっと後悔する」

 助けてくれた人を助けたいという、この気持ちだけは…終わらせる訳にはいかないんだ。

「…これはきっと、自己満足だと思います。だから最初は、私も迷っていたんです。これでいいのかって…でもやっぱり、彼に恩返ししたいって言葉は嘘じゃない!私を幸せにしてくれた彼に、少しでも幸せになってもらいたい!だから私は…ここに立っています」

 

 私は彼の役に立ちたい。

 それが私のいる理由で…願いなのだから。

 

 …話し終わったあと、私は小さく息をついた。

 レミリアさんは目を丸くしている。気圧されているようにも見えた。

「これで貴女も分かったでしょう?」

 幽々子さんがレミリアさんに言う。

「彼女の決意と、その覚悟が…」

 それを聞いてレミリアさんはハッとなり、それから微笑んだ。

「…ええ、運命が変わったわ。きっとハミリヤは、幸せに消える事が出来る」

「そうね。ハミリヤ、私達も全力でサポートするわ」

「はい!ありがとうございます!」

 その時、どさりと何かが倒れこむ音がした。見ると無銘さんが疲れたように地面に倒れている。

 私は慌てて彼の元へと向かうのだった。

 

 

 

 …ハミリヤが無銘の元へと駆け出して行った後、幽々子がレミリアに訊いた。

「…無銘はどうなるのかしら?」

「…彼の能力上、どうなるのかは分からないわ」

「触れた異能を無条件で殺し、能力干渉が一切出来ない右手…だものね」

 無銘の「異能殺し」はあらゆる異能を無条件で殺す。

 例えそれが、神が作り上げた奇跡(システム)であろうとも。

「…大丈夫、よね?」

 幽々子が不安そうに呟く。

「…どうしてそこまで心配するの?」

「彼は…過去に大切な何かを失くしてるわ」

 そういう目をしているもの―そう幽々子は言った。

「だから…ハミリヤが消えたらきっと彼は…」

 幽々子は敢えてその後を口にしなかった。

 然し、レミリアは言外にこう言っているのを理解していた。

 

 ―ハミリヤが消えたら、きっと無銘は耐えられない、と。

 

 

 …そうして、新月までの…私が消えるまでのカウントダウンが始まった。

 彼の役に立てるように、

 彼の思い出に残れるように、

 

 少しでも…頑張らないと…。



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満月の天使4〜気持ち〜

 新月まで…あと、10日。

 

 

 夜中なのに空腹感を覚え、オレは目を覚ました。

「腹減ったな…」

 のそのそと起き上がり、とりあえず縁側に座る。欠けた月が、空に浮かんでいた。

 自宅だったら冷蔵庫漁ってるんだがな…そういう訳にもいかないし、水で腹を満たすとするか…。

 そんな事を思っていると、「無銘さん、どうしたんですか?」とハミリヤの声がした。彼女も寝れなくて夜風に当たりに来たらしい。

「おうハミリヤ。ちょいと腹が減っちまってな…水でも飲もうかと思ってたんだ」

「あ、それなら…おにぎりありますよ?」

 見ると、ハミリヤはザルを持っていて、その上には小さなおにぎりが載っている。

「いいのか?」

「はい。それで、えっと…」

 ハミリヤは少し赤くなって言う。

「食べてる間、少しお話しませんか?」

「おう、オレで良ければ」

 オレ達は縁側に腰掛け、おにぎりを食べながら他愛もない話をした。好きな本の話とか、幻想郷での生活だとか…こうやって静かに話をするのは久しぶりだと思った。

「あ、ハミリヤご飯粒ついてるぞ」

「え、どこにですか?」

「待ってろ、取ってやるから」

 ハミリヤの頬に着いたご飯粒を取り、捨てるのも勿体ないのでそのまま食べる。

「む、無銘さん…!」

「ん?いや、なんでそんなに赤くなってんの…」

「……もう!」

 ハミリヤはプイッと顔を逸らした。

 その仕草が可愛らしくて、思わず笑みがこぼれる。

 

 静かな、それでいて楽しい時間はゆっくりと過ぎて行った。

 

 

 新月まで…あと、8日。

 

 

「ただいま、見ろよコレ!」

 無銘さんが満面の笑みで手に持ったものを掲げる。

「うわ!大きい魚…どうしたんですかコレ?」

 妖夢さんが目を丸くする。無銘さんはニヤリと笑って言った。

「ハミリヤに買い物頼んだんだろ?たまたま人里で会って喋ってたら魚屋がセリを始めてよ。それで手に入れた」

「流石無銘さんでしたよ!」

 本気の顔付きをしていた参加者に負けじと声を張り上げていた無銘さんは本当に勇ましくて、かっこよかった。

「いやいや、お前も中々だったぜ?」

「えへへ〜」

 私はあまり大きな声を出せなかったしどちらかと言えば雰囲気に負けそうになっていたけれど、褒めてくれるのは嬉しい。

「じゃあ、今夜はご馳走ですね!幽々子様が喜びますよ!」

 妖夢さんも嬉しそうに笑みを浮かべる。

「私もお手伝いします!」

「んじゃ、オレもやるか」

 そんな感じで盛り上がっていると、幽々子さんがやってきた。

「あらあら、仲がいいわねー。夕飯は期待してるわよ〜」

「アンタも働けよ」

 無銘さんがツッコミをいれ、それでまた笑いが生まれる。

「まあまあ、行きましょう?」

 妖夢さんに倣って、私達は屋敷へと向かった。

 

 楽しい時間…その筈なのに、何故か心がモヤモヤする。

 その理由は…。

 

 

 

 

 …夜、私は眠れなくて、縁側にいた。

 空には相変わらず月が浮かんでいて、この前無銘さんと見た時より細まっている様な気がする。

 …あと8日しかないのに、私は何も出来ていない。

 残された時間は少ないのに…自分の気持ちすら伝えられていないのだ。

「…………っ」

 やるせなくて、涙がこぼれる。

 何のために、ここにいるんだろう。

 無銘さんに何も出来なくて、私は……。

 

 その時、

「………!?身体が…透けて…!」

 自分の身体が透けていくと同時に、意識が希薄になっていく。

「嫌だ!まだ消えたくない!消えたくないよ!あの人に何も出来てないのに、自分の気持ちだって伝えてないのに!」

 叫んでも、その声すら掠れて消えていく。視界すらもぼやけ始めていて、このままだと本当に消えてしまう。

 なんで、まだ時間はある筈なのに…!

 嫌だ、嫌だ……!

 

「…落ち着きなさい、ハミリヤ」

 声と共に、抱きしめられる感触。それは何故かしっかりと感じ取る事が出来た。

「幽々子さん…私、わたし…!」

「大丈夫…大丈夫だから、落ち着いて」

 幽々子さんに抱きしめられているうちに、ゆっくりと自分が戻っていくのを感じた。意識も鮮明になり、視界も広まっていく。

「はあ…はあ…はあ…っ」

「そう、慌てず、少しずつ…」

 やがて、完全に元に戻った。それと同時に床にへたり込む。

「良かった…流石の私も焦ったわよ」

「どうして…まだ早いのに…」

 幽々子さんは深刻な表情で言った。

「…新月が近付いてきているからハミリヤの存在が不安定になってきているのね」

「そんな…まだ、何も出来ていないのに…」

 私の存在は、細い糸の様なものだ。少しでも衝撃を与えれば、プツンと切れてしまう。自分という存在の危うさに眩暈を覚えた。

「ねぇ、ハミリヤ」

 不意に、幽々子さんが私の方を見た。

「はい?」

「貴女もしかして、無銘の事が好き?」

「…ふぇ…えええええええ!?」

 思わず大声を出してしまう。しかし幽々子さんの表情は巫山戯ているようには見えない。

「図星みたいね」

「で、でも、どうして急に?」

「だって、貴女が彼にしている事、全て好意を持ってしている様に見えたもの」

 無銘は鈍感だから気付いていないけれど、皆気付いているわよ―そう言って幽々子さんはウインクをする。

「そ、そうなんですか?」

「ええ…それで提案なんだけど、明日彼とデートしてみない?」

「ふぇぇ!?」

 デ、デートなんてそんな…ああだめだ、思考がまとまらない!

「たまにはいいじゃない。丁度無銘は明日暇みたいだし、楽しんできたら?」

「でも…」

「思い出は形に出来ないけれど、忘れない限り無くならないわ。だから、行ってきなさい」

 幽々子さんの心遣いが、じんわりと胸に染み込んでいく。それでようやく私は冷静さを取り戻した。

 そうだ…楽しい思い出は、いつまでも残るんだ。

「…わかりました!やってみます!」

 私は笑顔で幽々子さんに言った。

「ええ…頑張りなさい!」

 幽々子さんも微笑んだ。

 

 明日、私は彼とデートをする。

 そして…楽しい思い出を作るんだ。

 

 

 新月まで…あと、7日。

 

 

「暇だな…」

 今日は修行もないし、予定もない。現世だったら悪友と遊びに行っているのだが、ここは幻想郷だ。

 …とにかく、やることがない。

「…無茶苦茶暇だな」

 このままゴロゴロしているのも躊躇われる。本当にどうしようか…そんな事を思っていると、

「む、無銘さん!」

「お、ハミリヤか。どした?」

「今日、私と出掛けませんか?」

 ハミリヤは何故か頬を染めながら言った。こちらとしては丁度いいタイミングだったので、オレは頷いた。

「おう、いいぞ。やることないし」

「やった!」

 その場で小さく飛び跳ねるハミリヤ。そんなに嬉しいのだろうか?

「とりあえず準備するわ」

「わかりました!」

 ハミリヤはニコニコしながら部屋を出ていった。

 オレは早速着替えを始めるのだった。

 

 

 

 出掛けるといっても、行けるのは人里くらいしかない。だからオレとハミリヤは昨日と同じく人里に下りていた。

「昨日も人里に来ましたね」

「そうだな。そういえば昨日の夕飯…最高だったなぁ…」

「皆で作りましたもんね!」

「約一名除いてだけどな」

 そしてその一名にかなりの量を食われた、解せぬ。

「あの人は食事専門ですから」

「違いねぇわ」

 そんな事を話しながら人里を回っていると、ハミリヤが小さく声を上げた。

「あれは…アクセサリー屋さんでしょうか?」

 アクセサリー屋といっても、屋台の出店みたいなものだが…ハミリヤはオレに断りを入れると、店先に並ぶ品物を見たり手に取ったりして歓声を上げていた。

「可愛い〜!」

 その姿はまさに女の子…という感じなのだが、

(こういう姿見てるとさ…自分が女性恐怖症なのが申し訳ないぜ…)

 幻想郷に来てから無理矢理矯正されかけているが、それでも慢性的に巣食っていやがるこの病気は易々と克服出来るような代物では無かったようで、なんというか本当に申し訳なかった。

「なんだろ…死にたい…」

 オレが軽く鬱になっていると、

「あ!これ可愛い!」

 何かがハミリヤの琴線に触れたようだった。

「これは…花の髪飾りか?」

「はい!」

 赤い花の髪飾りをハミリヤはキラキラした目で見つめる。やっぱり女の子だなぁ…。

「えっと、いくらだ?」

「そんな!いいですよ!」

 ハミリヤが驚いた顔をするが、今まで世話になっているのは事実だ。これくらいのお礼はしてあげたい。

「いつも色々してくれてるだろ?そのお礼だ」

「でも…」

「まあ、あれだ…ちょっとカッコつけさせてくれ」

 自分でも中々気恥しい事を言った自覚はあるが、ハミリヤは少し躊躇いながらも嬉しそうに頷いた。

「すいませんこれくださーい」

 そうして購入した髪飾りをハミリヤに渡す。

「どうですか?似合ってます?」

 早速髪飾りを付けたハミリヤは可憐という形容詞が相応しく、髪飾りも似合っている。

 …前から思っていたが、ハミリヤはかなり可愛い。女性恐怖症の自分でもこう思うくらいだ、実際道行く人達もハミリヤをじろじろと見ている。

 きょとんとした表情で訊いてくる姿は純粋無垢で、可憐で、まるで天使の様な―って何思ってんだオレ!

「あ、ああ…凄く似合ってる」

「……!嬉しいです!」

 顔を赤くして、本当に嬉しそうに言うハミリヤ。

 …やべぇ。

 なんというか、これはやばい。破壊力満点だ。悪友に見せたらお持ち帰り確定レベルだ。

「…ほ、ほら!行くぞ!」

 オレは真っ赤になりながら、また歩き出した。

 気恥ずかしくて、ハミリヤの顔が見れなかった。

 

 

 数十分後。

 人里全体の雰囲気や先程のアクセサリー屋で何となく察してはいたが、どうやら人里では祭りをやっているらしい。そのおかげで至る所に人集りが出来ており、かなり進みづらかった。

「金魚とか、投げ縄もあるんですね…」

「なんだよ投げ縄って。カウボーイじゃあるまいし…」

 時計を見るともう昼だ。そういえば腹も減っている。同じ事をハミリヤも思っていたようで、「お腹すきましたね〜」と腹をさすっていた。

「んー…この辺にあるのは…団子屋くらいか。あ、でも屋台があるからそこでなんか買うか?」

「はい!私、唐揚げが食べたいです!」

 そんな訳で、屋台のおっちゃんに唐揚げ棒を三つ注文した。一本がかなりのボリュームを誇る唐揚げだが、オレは流石に二本くらい食べないと気が済まなかったからだった。

 それを見て、無銘さんらしいですねとハミリヤは笑っていた。

 

 その後も、人里を回って遊んだり本屋に行って本を見たりした。

 そして最後に、オレはハミリヤをとある場所に連れて行った。

 そこは…。

 

 

「…ここは?」

「オレが幻想入りした時、最初に来た場所だ」

 木漏れ日が射し込む森の中にオレ達は居た。初めて霊夢と魔理沙に出会ったのもここだ。

「…いい場所ですね」

「んで、耳を澄ませてみる」

 オレ達は周りの音に意識を向ける。小鳥の声や、近くを流れる川のせせらぎ、木の葉が擦れる音など、様々な音が聴こえてきた。

「わぁ…!」

「落ち着くだろ?」

「はい、とても…」

 ハミリヤはうっとりした顔で自然の音を聴いていた。

「ここでまったり過ごすとかどうよ?」

「…ありですね」

「そうか。この良さが分かるか…」

 暫く、互いに無言のまま自然の声に耳を澄ましていた。

 やがて、ハミリヤがこてんとオレの肩に頭を乗せる。

(寝ちまったか…ずっと働いてたし、今日も色々と動き回ったしな…)

 夕方になるまでそっとしておこうと思い、オレも目を閉じる。

 何処かで、小鳥が優しく鳴いた。



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満月の天使5〜新月の時〜

「ぐっすり寝てるな…」

 夕方になり、オレはハミリヤをおぶって帰路に着いていた。

(まあよく働いてくれてたし、たまには休んでもらわねぇとな)

 なるべくハミリヤを揺らさないように気をつけながら、茜色に染まる道をゆっくりと歩いていく。

 

 

 夢を、見た。

 私がまだ幼い頃の夢だ。

 ある時、私は野原で財布を落としてしまい、泣きながら探していた。

 お金なら無くても何とかなる。だが、あの財布にはお金の他にも大切なものが入っていたのだ。

 …いくら探しても見つからず、途方に暮れていた時、

「大丈夫か?」

 優しい声。見ると、心配そうな顔の少年が立っていた。歳は私と同じか、少し上くらい。何処と無く、悲しげな瞳をした少年だった事を覚えている。

 彼は私の話を聞くと、土で服が汚れる事も気にしないで一緒に探してくれた。

 そのうちに、彼が「あったぞ!」と叫びながら私のほうに駆け寄ってきた。手には、もう二度と見つからないと思っていた私の財布が握られていた。

「ありがとう!お兄さん!」

「もう失くすなよ」

 彼はそう言って私の頭を撫でてから、

「そういえば、大切なものってなんなんだ?」

 私は財布から「それ」を取り出し、彼に渡す。

「これは…」

「私のお父さんとお母さん!」

 それは―一葉の写真だった。

 少し古い写真だ。三歳くらいの私と、お父さんとお母さんが写っている。

「優しそうな人達だな」

「うん!」

 お父さんとお母さんを褒められたのが嬉しくて、私は笑顔になった。

 でも…。

「今はもういないけど…」

 私の言葉に、彼は何かを察したのか黙り込んだ。

 そう…この幸せの肖像は、既に過去のものなのだ。

 もう二度と戻らない、大切な日々の欠片。私が、世界一幸せな女の子だった事の証だった。

 彼は暫く黙った後、おもむろに言った。

「…その写真、ずっと持っていな」

 そうすりゃきっと、また会える―複雑な表情で、それでも彼は私を励まそうとしてくれた。

 無責任な言葉かもしれない。だけど、幼い私にとってはその言葉で十分だった。

「本当!?」

「ああ、本当だ」

 …その時、五時のサイレンが響き渡った。

「あ、もう帰らなくちゃ」

「家、遠いのか?」

「えっとね…あっちをずっと真っ直ぐ行った所だよ!」

 そう言うと彼は送っていくと言って、肩車をしてくれた。

 高い所から見る景色は、心無しかいつもより綺麗に見えた。

「んじゃあ、行こうか!」

「うん!」

 

 家に着くまで、私達は話をしていた。

 歌を歌ったら、一緒に歌ってくれた。

 笑ったら、一緒に笑ってくれた。

 その時、思った。

 こんな人と家族になりたいな…と。

 私がいて、彼がいて、子どもがいて。

 きっと幸せで楽しいだろうな…なんて、子供心にそんな事を思った。

 

 家に着くと、おばあちゃんが待っていた。おばあちゃんは彼にお礼を言って、夜ご飯に誘ったが彼はそれを丁重に断った。

「すいません、もう母が夕飯を作っていると思うので…」

 そうしてあの人はもう一度私の頭を撫でたあと、ゆっくりと帰っていった。

 私はその背中が夕焼けに溶けるまで、ずっと彼に手を振っていた。

 

 …それからずっと、私は彼の事が好きだった。

 生きている間に再会する事は出来なかったけれど、また会うことができた。

 それが嬉しかった。恩返しが出来る事が幸せだった。

 …私は、彼を悲しませたくない。

 私が消えた時、彼がどう思うのかはわからないけれど…悲しい別れはしたくない。

 だから、私は…。

 

 

 新月まで…あと、6日

 

 

 朝目が覚めて縁側に行くと、ハミリヤが掃き掃除をしていた。

「あ、ハミリヤおはよー!」

「…おはようございます」

 いつものように挨拶をしたつもりが、ハミリヤはやけに素っ気ない態度を取る。

「あ…あれ?」

 なんだろう…何かしてしまったのだろうか?

 オレがフリーズしている間に、ハミリヤはすたすたと歩いていってしまった。

「お、おい…」

 情けない声が漏れる。自分が思うよりもこの状況がショックだったようだ。

 何故ハミリヤはこんな態度をとるのだろう?少し考えて、分からなかったので無理矢理いつもの思考回路に切り替える。

(とりあえず…水でも飲むか…)

 どうやら朝のうちから掃き掃除をしていたらしく、地面は大分綺麗になっていた。ハミリヤはまだ掃き掃除を続けているが、もしかしたら喉が渇いているかもしれない。そう思って声を掛けた。

「ハミリヤ、水飲むか?」

「いえ、自分で飲みますので」

 やはり素っ気ない返事が返ってくる。

「お、おう、そうか…」

 

 …本当にどうしたのだろうか?

 考えてみても思い当たる節が無い。本人に聞こうとしても、何故か彼女はオレを避けているようで中々会えなかった。

 

 そうして、ろくに話をする事も出来ず、ただ時間だけが過ぎてゆく…。

 

 

 新月当日…。

 

 

 その日、オレは寝不足気味でぼんやりしていた。

(二度寝したい…けど稽古があるしなぁ…)

 大きい欠伸をひとつする。こんなコンディションで稽古しても無駄かもしれない…そんな事を思っていると、

「あ!無銘さん!今日の稽古は中止です!」

 妖夢が険しい顔をして駆け寄ってきた。

「え、なんかあったのか?」

「ハミリヤさんがいなくなってしまって…」

「出掛けたんじゃないのか?」

 オレが言うと、妖夢はハッとした表情になり、

「…もしかして何も聞いてないんですか?」

「え…」

 そして、

 

 

「クッソ!何やってんだ!」

 オレは人里を全力疾走しながら、ハミリヤの姿を探していた。

 焦りばかりがつのり、身体が上手く動かないが無理矢理足を前に進める。

 脳裏に、妖夢から聞いた「事実」がずっと浮かんで消えない。

(ハミリヤさんはもう限界です…今日の夜には消えてしまうと、幽々子様が…)

 だから、オレに冷たくしていたのか…!

 畜生、このままサヨナラなんて認めねぇぞ!

 オレはハミリヤの名前を呼びながら、人里中を探し回った。

 だが―ハミリヤはどこにも居なかった。

 

「クソっ!人里じゃないのか!」

 悪態をつきながら、頭をフル回転させる。

(考えろ…ハミリヤが行きそうな場所…)

 だが、オレは人里か白玉楼に居るハミリヤしか見た事がない。彼女が何処にいるのかなんて…分かるはずもなかった。

 

 それからも、オレは当てもなくハミリヤを探し回った。

 紅魔館、博麗神社、魔法の森、妖怪の山…兎に角片っ端から探していったが、ハミリヤはどこにもいない。

 気付くと、日が落ち始めていた。

 

 ふらふらと彷徨う。

 疲れと怒りで、頭がぼんやりとしていた。

 …ずっと一緒に居られると思っていたのに。

 幽々子様が居て妖夢が居て、そしてハミリヤが居る…そんな日常が、いつまでも続くと思っていた。

 だけど…そう思っていたのはオレだけだったのかもしれない。

 ハミリヤがどんな気持ちでオレに接していたのか…それを考えると、やりきれない気持ちになる。

 時間はもうない。頼む、見つかってくれ…!

 

 その時、

『…いい場所ですね』

 脳裏に、ハミリヤの声が蘇る。それと同時にひとつの場所が浮かび上がった。思考が鮮明になり、そこにいるハミリヤの姿をはっきりと思い浮かべる事が出来た。

(そうかわかったぞ!)

 オレは、「その場所」へと向かった。

 

 

 宵闇が迫る森の中、ハミリヤは一人佇んでいた。

(身体がもう…透けてきた)

 もう、ダメなのだ。諦観ではなく、当然の事としてそれを認識する。今までは少し透けても戻る事が出来た。だけど…今日は新月、タイムリミットは近い。

 ― 奇跡(ゆめ)が、終わりを告げようとしていた。

 

 …自分の気持ちを伝えられなかった事が、唯一の心残りだった。

 だけどその心残り以上に―とても楽しかった。最後は冷たい態度をとってしまったけれど、それでも充分過ぎるほどの奇跡をハミリヤは体験した。

 …本音を言えば、消えたくない。

 だけど… 御伽噺(フェアリー・テール)のようなハッピーエンドでは終わらない。終わらせてはいけないのかもしれない。

 だけど、

 せめてもう一度、あの人に…

 

 

「見つけた」

 

 声。

 幻聴ではない。確かに、聴こえた。

 ハミリヤは振り返る。

 自分の後ろ、息を切らしながら、

 無銘が、そこにいた。

 

 

 

 オレがハミリヤを見つけた時、その身体はもう透けていた。

「なんで…来ちゃったんですか」

 震える声で、ハミリヤはやっとそれだけを口にする。

 彼女らしくもない、冷たい言葉…最後の時を悲しいものにしたくなくて、必死に絞り出した、偽りの言葉。

 それを聴いた瞬間―オレの感情は一気に沸騰した。

 

「なんで…勝手に行ったんだよ」

 自分の声が震えるのが分かる。

「ぁ…」

 驚きと悲しみが入り交じったような表情を浮かべながら、しかしハミリヤは答えない。

「…なんで、何も言ってくれなかったんだよ」

「……それは」

 答えは、やはり返ってこない。

「なんで、お前は…………ッ!」

「……ごめんなさい」

 オレの言葉を遮るようにして、ハミリヤは謝る。

「でも、悲しませたくなかったんです…無銘さんは優しいですから、私が消えたらきっと傷付いてしまう…」

 …違う。

 …優しいのは、ハミリヤだ。

 一番辛くて、苦しい筈なのに。

「お前が居なくなった事を悲しめなかったら、お前の存在を否定する事になる…そんなの、オレは嫌だ」

 だから、頼む。悲しませてくれ―。

 

 みっともない言葉。だけどオレはこんな事しか言えなかった。

 ハミリヤは暫く黙った後、呟くように言った。

「…覚えて、いますか?十二年前、あなたが女の子と一緒に財布を探した事を」

 その言葉に、記憶の扉が軋み、開く。

「…あ、ああ。でもなんでそれを」

「…あれは、私なんです」

「そ、そうだったのか…!?」

 やっぱり気付いていなかったんですねと言ってハミリヤは少し悲しそうな顔をした。

「わ、悪い…」

 オレは情けない表情をしていたのだろう。それを見て、ハミリヤがクスリと笑った。いつもの様な、綺麗な笑顔だった。

 

「…無銘さん」

 不意に、ハミリヤが言う。その表情は再び悲しそうなものへと変わっていた。その目から、静かに透明な雫が零れ落ちる。

「…私、消えたくないです!もっと色々な事をしたい!もっと沢山の人とお話したいです!もっと…もっと無銘さんと、一緒に居たいです!」

 その言葉と涙は、オレの心に深く突き刺さった。

 自分が膝から崩れ落ちるのが分かる。

 怒りや悲しみといった様々な感情がごちゃ混ぜになり、それが溢れ出るのを必死に堪える。

「オレも…オレもこんな所でサヨナラなんて嫌だ!もっとお前と一緒に居たい!」

 その言葉にハミリヤは涙を流しながら微笑み、小さな声で言った。

「無銘さん…抱きしめてください」

「…ああ」

 オレは彼女の肩を抱く。

 少し力を入れたら壊れてしまいそうな花車な身体。こんな小さな身体で死んでも尚、オレに逢いに来てくれたのか。

「無銘さん…暖かいです」

 ハミリヤはもう体温も、身体の感覚も無い。空を掴むような感覚に自分の不甲斐なさを覚えた。

「…無銘さん」

「なんだ?」

「聞いてください」

 ハミリヤは透けた手でオレの頬を撫でる。

 そして、そっと呟くようにその言葉を口にした。

 

「私は…あなたの事が好きです」

 

「…はぇっ!?」

 シリアスな場面なのに、素っ頓狂な声を出してしまった。

 顔が赤くなるのが分かる。

 マジか…どんだけ鈍感なんだよオレ…思い当たる節は沢山あったのに。

 突然の告白に、オレはただただ焦るばかりだった。

 それと同時に、心の何処かでやりきれない悲しみを覚える。それはどんどん大きくなり、オレの心を覆い尽くした。

 涙が零れそうになる。だけど必死に堪えた。

 ハミリヤの前で…涙は見せたくない。

 オレはしっかりとハミリヤの目を見る。きれいな瞳に、薄い涙の膜が張っていた。

「私は…出会ったあの日からずっと、あなたの事が好きでした」

「…ああ」

「私は…あなたを好きでいられて、幸せでした」

「……ああ」 

 頷く事しか出来ない。

 無力なオレには、それが限界だった。

「欲を言うなら…私はあなたと、家族になりたかったです」

「…だったら、こんな所で消えちゃダメだろ」

「……でも、私は満足です。最後に、自分の気持ちを伝える事が出来た…」

「ハミ…リヤ…」

「さようなら、無銘さん」

 

 ―私はあなたに会えて、幸せでした。

 

 

 

 

 泣き笑いの様な表情が、

 花車な身体が、

 ゆっくりと薄れ、

 消えて、

 後には何も残らずに、

 ただ、無力な少年だけがそこに居た。

 

 少年の手には、もう何も無い。

 少女の温もりも、笑顔も、全て消えてしまった。

(…また、オレは喪ったのか)

 喪失感に囚われ、ぼんやりと夜空を見上げる。

 月も星も何も無く、黒一色の夜空だけがそこに有った。

 少年は目を閉じる。

 脳裏に、少女が最後に見せた泣き笑いの様な顔が浮かび…やがて薄れて消えていった。

 

 健気で、笑顔が眩しい、あの満月の天使は…

 

 

 

 

 

 もう、どこにもいない。




次回、満月の天使最終話です。


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満月の天使6〜彼岸花〜

満月の天使最終話です。


 ハミリヤが消えてから、数週間が経過した。

 幻想郷はいつも通りだ。一人の少女が消えた事なんて、全体で見れば些事でしかないのだろう。

 だが、オレは…。

 

「………」

 美鈴師匠との修行中だというのに、オレはぼんやりとしていた。

「せい!」

「ガハッ!?」

 師匠の鋭い一撃が水月に入り、なすすべも無くぶっ飛ばされる。

「…どうしたんですか?最近元気ないですよ?」

 息が出来ずに藻掻くオレに、美鈴師匠が言う。その表情は弟子を叱るものというより、心配しているようなものだった。

「…すんません師匠、今日はここまでにします」

「わ、分かりました…」

 オレは何とか呼吸を整え、ふらついた足取りで紅魔館を後にした。

 

 

 その日の夜。

 オレは、ここ最近通っている場所に向かい歩を進めていた。

 夜風が心地よい…しかしそれを楽しむ余裕が、今はない。

 やがて、その場所に着く。幻想入りした後に初めて訪れた場所であり―ハミリヤが消えた場所だった。

 夜とはいえ、景色は普段と変わらない。ただ、オレの隣に一人の少女が居ないだけだ。

 何気なく夜空を見上げる。満月が、ぽっかりと空に浮かんでいた。

 今日は、ハミリヤが居なくなってから初めての満月だ。もう降りて来ないと分かっていても、その姿を探してしまう。

「今日はあの日と同じ満月ね」

 背後から声。振り向くと、西行寺様が立っていた。

「…そうですね」

「また、ここに来たのね」

「………」

 ハミリヤが居なくなってから、オレはこの場所に通い続けた。彼女が居なくなった事を、認めたくなかったのかもしれない。駄々を捏ねる子供のようだったが…無力なオレには、それしか出来なかった。

「…彼女は、幸せだったと思うわよ」

「……でも、たった15日でお別れなんて、悲しすぎますよ…」

「……それは」

 西行寺様は言葉に詰まったかのように黙り込んだ。

 ハミリヤは幸せだったのだろうか。

 オレにはその答えが解らない。

 

『私は…あなたを好きでいられて、幸せでした』

 

 ハミリヤは最後にそう言ったが…それでも、彼女は…。

「……あら?」

 不意に、西行寺様が小さな声を上げた。

「どうしたんですか?」

「これは…」

 西行寺様が指す場所―ハミリヤと別れた場所に、彼岸花が咲いていた。

「…なんで、ここにだけ?」

 彼岸花は一箇所にのみ咲いている。とても不自然で、それ故に何か意味があるのではないかとぼんやり思った。

「無銘、これ…」

 西行寺様が驚いた顔をする。

「どうしました?」

「…貴方、彼岸花の花言葉って知ってる?」

「いえ…知らないです」

 すると、西行寺様は微笑んでこう言った。

 

「赤い彼岸花の花言葉は…『また会う日を楽しみに』よ」

 

 ―その瞬間、胸の奥から何かが込み上げてきた。

 自分で自分を制御出来ない。いつの間にか、涙も流しているようだった。

 泣いたのなんて何時ぶりだろう?

 それ程までに、この事が嬉しかったのか。

 ハミリヤが生きる事を諦めていない事が分かって、嬉しかったんだ。

 そう…思えばアイツは前向きなヤツだ。

 自分の生を、簡単に諦めるはずが無い。

 じゃあ―オレも落ち込んでいる暇なんて無いよな。

 アイツとまた会った時に、笑顔でいなくちゃだ。

 だから、ハミリヤ―

 

 オレは泣きながら、それでも精一杯の笑顔で言った。

「……また会おうな」

 すると、何処からか声が聞こえてきた。

『……はい!また、どこかで!』

 

 

 ある日、オレの前に現れた満月の天使。

 彼女はもう居ないけれど、それでもオレは信じ続ける。

 いつかまた、彼女がオレの前に現れる事を―。

 

 

「…どうしたんだいマスター?嬉しそうにして」

 

「…いえ、ちょっと思い出に浸っていただけです」

 

「一体どんな思い出なんだろうね?」

 

「…ちょっと!デリカシー無いですよ!」

 

「ふふっ、君は本当に揶揄いがいがあるな」

 

「もう…」

 

「…おっとマスター、そろそろ時間だ」

 

「わかりました」

 …待っていてください無銘さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ―今、逢いに行きます。




如何でしたでしょうか?
小説版では上手く雰囲気が伝わらなかったかも…ぜひ、動画版をご覧下さい。
次回から幻想記1章の後半です、お楽しみに。


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